常春の国より愛を込めて
第二十一話:仕事を依頼する報酬に用意したカツヲブシが無駄になった
常春の国 マリネラ
既に夜半も過ぎ、朝になろうかという時間でありながら、この国は今だ眠らずにいた。
正確には眠れずにいた。
深夜も過ぎた頃、王宮が俄かに騒がしくなった。警報が鳴り響き、やがて銃声や爆発音が聞こえ始める。その音に安眠を妨害された王宮近くに住むマリネラ国民たちは、実に慣れた様子で外出着に着替える。荷物を簡単に纏めたら、あとは待つだけだ。
『緊急事態発生、緊急事態発生。マリネラ国民は全て、指定の避難場所に避難して下さい』
この国は実に良い国である。税金は無い、治安は良い、気候も良ければ食べ物も悪く無い。基本的に国営企業の業績が良好なお陰で、仕事に困るような事は稀だ。もし生活に困ろうとも、この国の福祉は極めて充実している。国王を筆頭とした知的水準も遥かに高く、生活全般に関する化学技術も高いレベルにある。偶に行く海外旅行(マリネラ国民が国外に旅行する事は稀、留学や仕事以外で出国する者は殆ど居ない)先でも、国内に普通に有るものが無い、といった経験をしている国民は珍しくない。
しかし当然不満が一切無い訳ではない。例えば天災、そんなものの前には人は無力でしかない。しかも“何故か”この国には天災が多い。そんな時には黙ってそれが通り過ぎるのを待っているしかない。だがその災害にも慣れればなんて事は無い、命さえ助かれば前述の通りその後の生活に心配は無い、そしてこの国の支配者は当然その援助の手を惜しまない。その点においても、この国は良い所だった。
まあ、その“天災”の八割が王宮から発生する事に目を瞑るくらいは、この国の王は慕われているのかもしれない。
王宮内の敵は既にかなりの数が無力化されていた。安全の確保まで殆ど時間は掛かるまい。
問題は王宮外である。
未だ異形の発生は止まらない。しかもその範囲が段々に広がっている、魔界の公爵が古代妖魔と称した奴等の数は、場所を広げながら、パタリロの兵器群を物ともせず増え続けていた。
「コンピュータ! 原因を解析しろ!」
『ンナ事言ワレンデモワカットルガナ、でーたガ少クナ過ギルンヤ』
パタリロが適当かつ一切合財のデータを入力してあるマリネラ王宮地下に設置されたマザーコンピュータをしても、古代妖魔の情報は殆ど持たない。少ないデータでは当然結論を出す事は難しい。
結局、今のところ出来る事は場当たり的な対処しか無かった。
「パタリロ君、アメリカ国防省のデータベースは閲覧出来ないかね?」
「可能だが…………何が有るのだ?」
ヴァン・フェムが思い出しながら、といった態で答える。
「奴等の情報があるかもしれん…………マサチューセッツ州のインスマス……確か1920年代あたりだった。調べてみ給え」
「よし!」
猛然とコンソールのキーを叩き始めるパタリロ。遠坂凛はそれを見ているだけだった。
士郎の怪我は深いものの、処置が適切だったお陰で今は落ち着いている。
ベッドで眠る彼の傍ら、此処まで奮戦続いたタマネギ達と共に、セイバーも暫しの休憩を取っていた。
凛は士郎のお陰もあり、身体には怪我一つ無い。しかし、彼女もセイバーも既に戦力には数えられない状態なのだ。
タマネギ達は休憩さえ取れば、今だ動ける。何より既に何人かはパタリロの指示を受け各所を走り回っている。
死徒たちは元々余裕がある。今もヴァン・フェムはパタリロの持たぬ知識により、彼の傍らに居るし、メレムも先程までは何やら激昂していたが、今は落ち着いてパタリロの横で会話に参加している。彼等はこの先もパタリロの要請次第で相当な戦力になる事だろう。
ルヴィアでさえも無力ではない。彼女も先程のパタリロの超兵器には度肝を抜かれた様だったが、現代兵器に有る程度精通しているのだ、今もタマネギの手伝いに走り回っていた。
凛の一部が心中で語る。これだけ規格外な連中が揃っているのだ。状況は悪く無い、最悪でも自分達は助かる確率が高い、此処で座して見ているだけでも問題無いのではないか――――――。
見ただろう? 死徒の力を。サーヴァントに匹敵する実在の神秘を。
見たではないか。この国の力を。あの異形を鎧袖一触にする兵器の数々を。
考えても見ろ。今の自分は既に魔力が無い、魔力の切れた魔術師が何の役に立つ。武器の扱いも知らぬ女一人に何が出来るのだ、手足に力も入らぬ半生人が動いたところで誰が喜ぶ。誰が助かる。
―――――――冷静に判断するのだ、遠坂凛。お前の出来る事は全てやった、全て終わった。
傷が痛んだのか、傍らに眠る青年が微かに呻いた。
“…………遠坂、無事か?”
紅い背中を幻視した。―――――紅い背中を思い出した。紅い夕日を思い出した。
目の端に彼女の騎士が映る。奇跡のような運命で彼女にもたらされた美しき騎士―――――その目に一分の諦めも浮かべられてはいなかった。
――――――――――冷静に判断するのだ、遠坂凛。
休憩は充分だ、多少膝が笑うが歩けない訳ではない。口を動かすなど造作も無い。
「――――――――殿下」
頭は先程から笑いたくなるほど働かない、言語道断な発想が出て来るくらいに。ならば他から持ってくるのが魔術師だ。
「―――――――仕事、無いかしら?」
声を掛けてきた女性の状態に、眉を顰めるパタリロ。
憔悴の為か、隈の出来た目元だったが、その瞳を見た瞬間、パタリロは口を開く。
「…………其処の棚に加工前の対魔兵器用の部品が有る、お前達ならそのまま使える物が有るかも知れん。好きに使え」
「…………有難う、パタリロ殿下」
遠坂凛は魔術師である。遠坂の娘であり、騎士王の主の一人であり、赤い日の光に誓った約束を持つ。そこいらの凡百の魔術師ではない――――――――!
棚の中は圧巻の一語に尽きた。東西を問わぬ秘術を内包した礼装の数々、何処から手に入れたのか詰問したい品々、一々元気な時でも御免被りたい目眩と戦いながら、自分に使える物は無いかと探し続ける。
これ多分基督教系の寺院の鐘よね…………と、古い鋳造金属の欠片が入った棚を閉じ、次の棚を開ける。どれもこれも一級の神秘では有るが、凛が効果的に使用するには些か問題があった。次の棚に入っていた品を見て、彼女は絶句する。
それは彼女が使うに何の問題も無い―――――――しかしながらそれ以外が大問題な一品だった。
拳ほども有る最高ランクのサファイアだった。それが何十個も並べて置かれていた。
「何じゃこりゃー!!」
凛の大声にパタリロたちが振り向く。
メレムもヴァン・フェムも流石にそれを見て驚く。大きさもクオリティも世界に二つと無いレベルだ、そんな石が並んでいた。
「ああ…………それか。手に入れたは良いが使い道が余り無くてな、こちらの倉庫の方が厳重だし、由来を考えると何か使えないかと閉まって置いたものだ」
サファイアは別名『天国の石』と呼ばれるコランダムグループに属する鉱石である。非常に硬く、最高級品はまるでこの地球を表す様な青を持つ。
コランダムはダイヤに次ぐ宝石の代表格であるが、特に美しい青色を持つものをサファイアと称する。その希少性も高いが、特に色の美しさが際立つものには極めて高い値が付く。この大きさと数、それだけでも信じられない事だが、さらに最高クラスのカシミールサファイアが霞むほどの色と透明度である。
少しでも宝石の知識を持つ者なら絶句は免れない。人類が今まで手に入れたそれを全てこの場に集め、厳選して並べたとしても、この光景を想像することさえ難しい。
「………… …………」
絶句して言葉が出ない口を開けたり閉じたりしていた凛を見て、勘違いしたパタリロが由来を説明する。正直聞きたくない、何か悪い予感がするから聞きたくない。空気嫁この肉まん!
「多分、さる“お偉いさん”の家の敷石か何かだ。ぼくの発明品の代金に貰ったものだが、流石にそのレベルだと中々売れなくてな、いくつかはばらして売ったが…………」
「敷石…………」
何かを通り越したのだろう、メレムが笑い出した。
「あっはっは…………、流石は殿下! 今度僕の同僚達に同じ話をしてくれないか?」
お前は何か教会に恨みでも有るのか。
凛は目の前の宝石を見詰める。何となくパタリロの話が納得出来てしまっていた。無論到底信じられないような話では有るが、それでもこの逸品は其れ程の神秘を内包しているのだ。恐らく普通の魔術師ではこの石の神秘は理解出来ない可能性が有る。解析を行い始めてこの石の規格外を理解する筈だ。
しかし凛は幸か不幸か宝石魔術を得意としていた、だからこそ一見で理解してしまった。
この石に閉じられた恐ろしいまでの魔力を。
いや、これは魔力ではないのかもしれない。魔力よりもっと根源に近い何か、それを凛は魔力としか認識できないだけなのかもしれない。
「殿下…………? この棚のもの、使ってよろしいんですのよね?」
パタリロの顔が引き攣る。思い出したのだ、この女性が宝石魔術とやらを使う事を。
「あー、えー…………そいつは…………だな」
「あら、契約に“従って”代金はお支払いしますわ。時間は掛かるでしょうけど」
その言葉に胸をなでおろすパタリロ。
「なら問題ないが…………全部使ったりするなよ?」
「ご心配無く、数個もあれば充分ですわ」
パタリロは失念している。現在オークションが開催中なのだ、この戦いもその業務の一環と考えると必要経費はパタリロ持ちという事を。
凛は石を手に取ろうと手を伸ばした、その時棚の端に何かが置いてあるのを見つけた。
「…………?」
それは非常に場違いなものだった。
「殿下、これは?」
「!? なんでそれがこんな所に有るのだ!!」
それは玩具の様だった。凛も小さい頃何度か見たことの有るテレビ番組に出てくる様な、子供の喜びそうなデザインのブレスレッド。
それが凛の手の中で小さな光を放った。
遥か極東のある地方都市、その地には一部の人間にのみ世界的に有名なものがあった、非常に剣呑な事柄で。
聖杯戦争
世界の真理を探求するというある意味真っ当な目的を、魔術というある意味狂った手段で目指す狂気の輩、魔術師達が企んだ狂気的な儀式。
この狂った世界で、非情な運命に立ち向かう為に狂気的な力を手に入れた者――――――英雄をこの地に降ろし、それを戦わせる事で究極の一に届こうとする、紛う方無き狂いの宴。
その魔宴に二度も参加した英雄が居る。彼女は生国に於いては今も讃えられる英雄、幼子も大人も彼女の名を聞けばその賞賛と憧れの言葉に迷う事は無い。
そんな英雄が何故、狂った戦いに身を投じたのか。
彼女は――――――歴史上は“彼”だが――――――後悔していたのだ。
彼女の果たした偉業は、確かに凡人にはとても成しえないものだった。しかし、それは当人が本当に望んだ結末だったのか。
英雄と呼ばれる人間には奇妙な共通点がある。喜ばれる物語の味付けでも有るのだろうが、英雄は生まれか、育ちか、あるいは人生の過程に於いてか、須らく悲劇の中に放り込まれる。当人の望む、望まずに関わらず、だ。
そんな人生を望む人間は居ない。果たして英雄と呼ばれる者の中で、己の人生に満足して生を終えた者が何人居ただろうか。只の凡人にも難しいそれは、やはり英雄でも困難なものなのだろう。
だから彼女は今も歩みを止めない。英雄としての生を終えて尚、世界の理不尽に立ち向かう。
正確には今だ止められないのだ。彼女の歩んだ結末は、余りにも悲しい。
悲劇は全ての人の下に降りかかる可能性が有る。その不幸に怨嗟の声を上げ只果てるのが我慢できないでいるという人間なだけなのかもしれない。
セイバー――――――アルトリア・ペンドラゴン――――――の身体は既に彼女の意思を完全に無視していた。
指一本動かすのに恐ろしく苦労する。全身の筋肉が鉛と化し、それでいて骨はプティングの様にその役目を放棄していた。
彼女は本来此処に居て良い存在ではない。魔術という外法により辛うじてその身を保っている非常に頼り無い存在である。
彼女を此処に繋ぎ止めているのは遠坂凛の魔力である。それが切れ掛けていた。
「ああもう…………!」
生きていた時代とは違う今の風潮に多少なりとも影響されたのか、それとも現在ラインを繋ぐ主である女性の性格が感染りでもしたのか、生前には考えられぬ悪態を吐きながら座り込んでいた椅子から立ち上がる。
今の彼女の使命は、向こうで暴れている元・マスターを取り押さえる事だ。
「ちょ、ちょっと衛宮くん! まだ動いちゃ駄目ですって!」
「…………駄目だ、俺はまだ動ける。こんな所で寝ていられない」
つい先程目を覚ました士郎は、今だ異形の脅威が去っていない事を知ると、その体をおして戦おうとしていた。それをタマネギが慌てて諌めている。
「…………シロウ!」
その声に振り向いた士郎の顔に、セイバーは平手を見舞おうとしたが、手元が覚束ない彼女のそれは、殆ど彼の顔を押さえつける様な形になってしまった。
今回はそれが功を奏した。そのままセイバーの手は士郎の頭をベッドに押し付ける。
「セイバー…………」
セイバーも士郎の横たわるベッドの縁に身体を預ける。
「大丈夫かセイバー、ふらふらじゃないか」
「…………少なくとも、貴方は大丈夫ではありません。どちらが重症だと」
「…………遠坂は、無事なんだよな」
「ええ…………今の私とそう変わらない様な状況ですがね、シロウより余程無事です」
体調が悪いのも相まって、少々棘の有る物言いになるセイバー。
士郎も聞きなれた苦言に少しばかり神妙な顔になる。
「セイバー…………、俺はまた、間違ったのか?」
美しき女性の騎士は動かない表情筋に鞭を入れ、微笑んだ。
「前に比べれば、余程上出来です。貴方も、リンも、無事でしたから」
士郎は何も無策に突っ込んだ訳ではない。動けない凛を庇いつつも両手に持った剣で己の致命傷も避けた、怪我こそ負ってしまったものの、あの時点で彼が出来る事の中ではほぼ最良の結果を弾き出した。
あの戦争の後、がらんどうのエミヤシロウの心に溜まり込んでいた“何か”も、少しは他のものを留める様になっているのかもしれない。
※※※シロウは十数年前の或る日、身体の側だけを残し、全てを喪失した。
その残った欠片をすくい上げた男もまた、色々なものを失っていた。欠け尽くした畸形の親子が共に過ごした生活は、男の全てが朽ち果てるまでのたった数年しか持たなかった。
足りなくなった少年も、未だ人間では在ったのだろう。
人は求める存在である、酸素無くしては生きていけない、食事を取らずに数日も持たない。脚が遅いからと馬にまたがり、羽根が無いからと飛行機を作り、手足が欠けたなら偽りのそれを求める。
少年は足りなかったものを当然の様に求めた、欲した、渇望した。それが人が生きるという事だ。
しかし少年は無力な幼子。彼の動く手足の範囲、使える五感の全て、残り物のような心、全てを総動員して手に入れた“それ”は、傍らに居る全てが朽ち掛けた男の、悔恨と共に垂れ流された醜く歪な残滓。
正義の味方―――――――――。
男に責任を求めるのは余りにも非道というものだろう。ただ彼は非情の運命に立ち向かい、敗北しただけの英雄になれなかった凡人というだけなのだから。
しかし怨嗟のそれを少年は自分の大切な部分に落とし込んだ。飢餓の念がそれを為した。飲み込んでしまった。
“正義”とは所詮形而上の概念でしかない。人が人に理解出来ぬ事象を限定的にでも把握する為に作り出した本来在り得ぬ幻想上の道具。
そんな確かなものともつかない不安定で不定形なものを、少年は己の最も重要な基幹に据えてしまったのだ。
少年――――――エミヤシロウはその後も、喰らう、見る、考える、そうやって成長していった。その歪な彼の根に気づいた者も居たかもしれない、しかしそれも社会通念上危険なものではないし、まさかそれが彼の根幹であるなどと想像だにする人間は居ない。
彼は人でありながら、誰にも気づかれる事無く―――――本人さえ気付かぬ内に―――――人とは思えぬ異形に育っていた。
その異形に気づいた女性が居る。彼女は人から外れた道を運命付けられし魔術師の娘、それでいながら人の道を決して諦めないという無謀な道を歩もうとしていた若い女。
遠坂凛は人を外れた英雄を使役するという狂った儀式の中で、その異形の少年に出会う。
それは偶然にも人としての彼女が少しばかり気になっていた少年だった。
少年の傍らには、人を超えた異質な力があった。そして彼女の傍らには、その異形の結末があった。
全てが終わった時、其処には魔術師の少女と異形の少年、人を外れた英雄と、最後に異形の可能性が残した約束だけがあった。
人あらざる非情な運命を持ってしまった英雄、アルトリア・ペンドラゴン。
人あらざる異形の心を持ってしまった少年、衛宮士郎。
人あらざる魔という道を持ってしまった娘、遠坂凛。
ただ違っていたのは、少女だけが人の生を決して諦めていなかったという事だ。
遠坂凛はセイバーほどの力は持たない、士郎ほどの鉄の意志を持たない。しかし彼女の心は、欠ける事の無い美しさを持っていた。
『セイバー! 構えて!』
「リン?」
セイバーのラインを通して凛の声が届く。しかしセイバーは首を傾げた、構えるといっても、何をしろというのか。
「ぐうっ!!」
途端に、ラインから恐ろしいほどの膨大な魔力が流れ込んできた。渇望していた魔力だが、その余りの量に彼女の肉体は歓喜より前に苦痛を漏らした。
遠坂凛とて完璧では無い。特にこの粗忽なところは如何にかせねばなるまい。
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Insertion的な何か。
2009/10/04 極めて阿呆な間違い 修正
梅昆布茶フイタwwwww
えー、nao◆875ce1a3様、ご指摘有難う御座います。基本的に資料を漁った後、自信が無い事柄についてはググってから執筆するのですが。何をトチ狂ったかエメラルドと確信して書き進めておりました。おっかしいなぁ…………どう考えてもそれ関連にはサファイアって記されているのに…………。
どうかこれからも見捨てずに、生暖かい目で見守り頂けましたら存外の幸せで御座います。