常春の国より愛を込めて
第二十話:習い事を始めようと近所のダジャレ塾に行ってみる
てきぱきとタマネギが処置をしている。凛はその光景を半ば呆然としながら眺めていた。
士郎の傷は深い。適切な処置により命に別状がある程ではないが、太い槍の様な数本の牙が士郎の腹部を大きく引き裂いていた。
その手には既に双剣は無い。士郎はあの瞬間、咄嗟に凛の前に出てその剣で僅かに牙の軌道をずらした。その衝撃で限界が近かった夫婦剣は幻想に還りつつも、士郎自身の致命傷を避け、彼の腹部を抉るに止まったのだ。
凛は自分を奮い立たせる。何をこんな所で立ち止まっている、いつから自分は守られるだけの軟弱な存在になったのだ。
「ええい! ――――――Anfang―――――!」
本当になけなしの魔力を回路に通す。此処で彼を失うなんて許せる事ではない、それを考えるだけで膝が崩れ落ちそうになる。
許せないのではない、耐えられないのだ。
しかし、それを止められた。
「お待ちなさい。――――――貴女は、シェロだけでなくミス・セイバーをも失う積りですか」
凛を止めたルヴィアが、治療中の士郎に近付く。おもむろに取り出した宝石を咥え、それが割れた。
「……これは貸しでしてよ…………いえ、そうじゃありませんわね。
私も……彼を助けたいだけ」
ルヴィアの魔術回路が開く。彼女も治療魔術の専門家ではないが、凛同様に多くの魔術を習得している。今の凛の比べれば余程効果的に治療出来るだろう。
凛はその光景を見ながら、力無く座り込む。視線を外すと、向こうで魔力の枯渇しかかった鉛の様な身体で、セイバーが今だ戦っていた。
…………畜生、今のわたしに何が出来るのよ…………!
呪文でもない、魔術ですらない。ただ呪いの言葉が、彼女の口から漏れた。
泥の攻撃は、今だ続いている。防ぐ分には何とかなってはいるものの、弾薬も既に心許無い。何より時間は刻一刻と過ぎ去っていく。
パタリロが、何かを決断した。
「…………ヴァンデルシュターム卿とメレムとやら。貴公たちは強力な魔術師なのだな」
メレムが返す。
「うん……。少し違うけど、魔術師として僕たち以上の使い手はそんなに居ないはずだよ」
「…………貴公たちは手加減している、恐らく必要以上に被害が広がらない様にだ。そうだな?」
「まあ、そうだね。……僕らが全力で戦えば、この場の人間は全て死ぬ。眷属ども諸共にね」
「私等は特に大規模攻撃に特化しておるのだ、この様な小兵相手では充分な力は出せん」
パタリロは更に続ける。
「せめてこの一帯、あの泥に限定して吹き飛ばす事は出来んか?」
「…………言った様に、あれを完全に吹き飛ばすなら……向こうの倉庫諸共だよ?」
渋面を作るメレムに、パタリロが事も無げに答える。
「倉庫の心配はいらん、あの壁なら戦術核の直撃でも耐える。中位悪魔でも破壊はほぼ無理、上位悪魔でも梃子摺るとお墨付きじゃい」
メレムが絶句する。この国に来て退屈だけはしない、というより復元呪詛の掛かっている筈の心臓が心配なほどだ。
「全て吹き飛ばす必要は無い、一瞬でも道が出来れば何とかなる」
「…………まあ……それなら……、手が無い事も無いけど…………一瞬で如何するんだい?」
「ぼくが走る!」
再び絶句するメレムと、爆笑するヴァン・フェム。
笑いの治まったヴァン・フェムが、膝を叩く。
「心得た! ……パタリロ殿下の脚ならば、不可能でもあるまい! しかし念には念を入れ、だ。私がサポートに付こう」
ここに、些か変則的なれど三人の人外同盟が結成された。…………実に“逸般人”な連中である。
「紳士淑女の皆様! 永遠の少年メレム・ソロモンの楽しいマジック・ショウの始まりだ!」
実際にやる事になれば、彼もただの少年ではない。極めて普通ではない性格である。
全体が、相手の攻撃範囲外に一度後退した。その正面に立つのは司会も兼ねたメレム。
その後ろにヴァン・フェム、その更に背後にパタリロが構えた。
「…………僕の助手を紹介しよう! マジシャンの相棒といえばこれ! 奇麗な美女の登場だ! …………ただし、内気でビッグな女の子なんだ。右手だけで失礼!」
突き出されたメレムの右腕が、一瞬透けて見えた。次に現れたのは巨大な女性の腕。
所々に継ぎ目が見えるその腕、その継ぎ目が裂け、中から物騒な大きさと形の刃が飛び出した。
大質量のそれに、泥の触手も耐え切れず、散々に切り裂かれる。王宮の床も壁も、天井さえも巻き込まれ、粉々に砕け散った。
その一拍前、構えたヴァン・フェムの手に、パタリロが飛び乗る。二人の視線の先には瓦礫と刃の降り注ぐ林、しかし躊躇う事無くヴァン・フェムがその膂力を発揮する。
「往きたまえ!」
弾丸の様な速度で、パタリロが宙を跳ぶ、いや、飛ぶ。
彼に躊躇いは無い。命の危険など今までいくらでも経験して来た、今更傷の痛みなど此処で躊躇って失うものの痛みに比べれば物の数ではない。
「ハッ!」
流石は根来流忍術免許皆伝にして人外の身体能力を持つ殿下、降り注ぐ瓦礫を足場に、動く刃の腹を手摺代わりに、みるみる倉庫に近付く。
「何ですの…………? あれ」
免疫の無いルヴィアが、呆然と呟く。十歳の少年の動きどころではない、人間の動きとは思えなかった。
「この国の国王です」
もう決まりきった返事を返しながら、タマネギの言葉に少しばかりの誇らしさが隠れていた様に感じたのは、ルヴィアの気の所為だったのか。
飛ばされた勢いを殆ど殺す事無く、パタリロは倉庫の壁に物凄い勢いで着地した。
「非常用優先コード・0番! パタリロ・ド・マリネール8世!」
彼の生体反応と脳波を感知したセンサーが機能を果たした。設定された機能通りに緊急ハッチを開き、対象以外の侵入者が入ってこられないように、最速でパタリロを倉庫内に叩き込んだ。
数秒ほど倉庫内の床で動けなかったパタリロ。死徒に投げられたよりダメージがでかいってかなりの問題設計なのではないだろうか。
「ええい! くたばっている暇は無い! 管制コンピュータ、応答しろ!」
叫ぶパタリロに、電子音が応答した。
『遅イワイ、ボケ』
もう一回へたり込むパタリロ。
『トックニ状況ハ把握シトルワイ。サッサト命令セント、ドウナッテモシラヘンデー』
「…………やはり値切って買い叩いた基盤が悪かったのだろうか…………」
『状況らんくB、次元ノ解レヲ確認。モタモタシテットまりねら全土ガ妖魔ノ宴会場ヤデー』
「何だと!」
『アト、普通ニ来ル奴ラモオルデー。慌テトランデナントカシー』
その時、パタリロの持っていた通信機に、タマネギの慌てた声が入る。
『マリネラ海軍から通信です! “何か”が無数にマリネラ領海に接近中! 海中を凄い速度で真っ直ぐこちらに向かってきているそうです! 指示を求めています!』
『ホラ見タコトカー、妖魔ノ大群ヤデー、緊急事態ヤデー』
歳の所為か副作用でケツが痒くなって堪らない為封印しているタイムワープ能力を、この時ばかりは解禁したくなったパタリロである。
無論、この管制コンピュータを作った時に戻って、その時の自分をぶん殴る為だ。
「対悪魔用防衛プログラム発動! 王宮施設も全解放だ!」
『アイヨー、手遅レデナケレバエエガナー』
ああ、世界は何と美少年に優しくないのだ…………。
倉庫内で膝を付くパタリロの葛藤など知る由も無く、倉庫の外での変化は劇的だった。
今まで王宮内に鳴り響いていた警報音が別の音に切り替わる。
タマネギ達の動きが変わる。各地に配置された武器庫に、王宮内部を張り巡らされた補給装置を使い新たな武器が届く。その武器は、魔術師たちの誰もが見た事も無いものだった。
「皆さん、下がって!」
同型の武器を構えた数人が、メレムたちの前に出る。切り刻まれながらも暴れる泥を押さえつけていた右腕の機巧人形を射線からどけた。
「火炎メーザー砲、発射!」
プラズマ化した高温の粒子が、目が眩むほどの光を放ちながら泥に突き刺さる。どこら辺がメーザーなのかは分からない。
人間の耳には理解し難い悲鳴を上げながら、泥が半分ほど蒸発する。其処に叩き込まれるのは銃弾の雨だ。無論先程までの様な通常弾ではない。洗礼銀を合金化し、内部に聖水を混ぜた燃焼剤を仕込んだ徹甲焼夷弾だ。
先程までとは違い、泥が次々に削られていく。
倉庫前が片付くのに、然程時間は掛からなかった。
「ぎゃー! 僕の右腕がちょっと焦げたー!“彼女”の爪が欠けたー!」
ちょっと涙目のメレムくん。まあ、流れ弾とはいえ大した被害ではないのは流石二十七祖といったところか。
待望していた十三番倉庫の扉が開く。
「倉庫内に指揮管制室があります! 其処のベッドに!」
何人かの負傷者と共に、士郎も担架で倉庫内に運び込まれる。何とか落ち着いたものの、今だ士郎の意識は朦朧としたままだ。
ほぼ役立たずと化した凛は、それに続く。これ以上の魔力消費はセイバーの現界に影響が出る。
彼女の表情には、凛らしくない諦観が滲み出ていた。
管制室内のモニターに映し出された光景は、魔術師たちが絶句するほどのものだった。
王宮各所に出没していた異形の眷属達が、次々に屠られていく、滅ぼされていく。
強力な高射砲が、対空ミサイルが、空を舞う悪鬼の羽根を、翅を削り、身体を吹き飛ばす。地上では腐臭を放つ妖獣どもが、レーザーに焼かれ、銃弾に斃れ、爆風に炙られている。避難した一般人の元に奴らの爪や牙が届く事は無い、電磁バリヤーがその行く手を完全に遮っていた。
「…………あれは」
「…………概念武装を搭載した物理攻撃兵器、といったところか。……ものによっては魔力を内包した限定礼装と言うべきものも含まれておるな」
彼等死徒は魔術により存在するものと言って良い。正確には科学外の力によりその身を保つ生き物である。当然生き物である以上、物理的に死亡する危険性は常にある。如何に復元呪詛があるとはいえ、体重に匹敵する様な量の弾丸でも喰らえば殆どの場合死ぬ。
無論その程度で恐れられている訳では無い、当然そんな状況になる事を防ぐ手段を数多く持つ。その一つが魔術なのだ。
人間の魔術師でさえ弾丸を防ぐ程度の事は造作無い。量的問題から限界はあるが、物理攻撃を防ぐ限界は、化学的な装甲や防弾服に比べれば遥か彼方に位置する。その量的理由で核兵器などを耐える程の魔術は存在しない、それは魔術師の量的限界を超えるという理由でだ。しかし核兵器の直撃を喰らい生き残る術が魔術に存在しない訳ではない、そのエネルギーに直接対抗するまでもなく、当たる事実を改変する、核兵器自体の状態を変更、“死んだ”事実そのものの無効化など、どれも大魔術ではあるが、不可能ではない。
核兵器の直撃を受け、死なない生き物は確実に存在するのだ。
では、そんな生き物を確実に殺す為に、人間が何を用意したのか。それが同じ魔術を使った“死”と“滅び”を相手に与える手段である。魔術的には概念武装と呼ばれるものもその一つである。何も攻撃に特化したものばかりではないが。
塩や銀には魔を払うという概念が付随する。それだけでも効果はあるが、こちらも魔術的な量の問題が有るし、質的問題が更に重要である。内包された神秘の強い方が影響を与える、それが魔術という世界の法則である。
これで一つの結果が生まれる。例えば、ただの人間に聖水の概念は何ら影響を与えない、聖水を浴びせられたとしても、それはただの水を浴びた事と何ら変わりない。心配すべきは風邪の事くらいだろう。当然神秘の強い存在が浴びたとしても結果は変わらない、聖水の概念が効かなければただの人の場合と同じ事だろう。
しかし、その水がウォータージェットから発せられたらどうか、当然人の身体など真っ二つだ。この際聖水の概念など関係無い。では、その概念に影響される存在ならばどうか、当然かなりの強度を持たなければ物理的な防御をなしえる事は難しい、そして更に容赦なく聖水の概念がその身を削る事になるだろう。
物理的攻撃力、魔術的攻撃力、どちらかを防げば良いというものではない。そのどちらも必殺の威力を含んだ攻撃なのである。真に彼らしい実にえげつない方法である。
前述した通り、パタリロの作る兵器は現用兵器を凌駕する威力を持つ、それだけでも堪った物ではないが、搭載された概念武装もまた、一級品だった。
「あの剣は?」
モニター内で、鋼の様な肌を持つ異形がタマネギの振るう剣に真っ二つにされていた。そのタマネギの腕も生半可なものではないが、とても動く鋼を両断するほどの達人でもなかった。ならば問題は剣にあると考えるのが普通だ。
「ああ、其処にも有るぞ。使うならもって行け」
一心不乱にコンソールをたたくパタリロが、疑問を発したメレムに顔も向けず答える。
好奇心からメレムが手に取ったそれは、特に何の変哲も無い現代型の片手剣、やや大振りなのが特徴だろうか、鞘と柄は強化プラスチックと軽量合金、魔術的な装飾さえ無く、無骨な実用品といった姿だ。
となれば原因は刀身だろう、そう思って彼は鞘を少しだけ掃う。途端に目が眩んだ。
「がっ!!」
慌てて鞘を閉じる。ダメージは無いが、何か恐ろしいほどの力を感じた。
「何……これ……?」
パタリロが相変わらずこちらを向かずに喋る。
「ちょっとした謂れの有る釘を混ぜ込んだ」
「………… …………! …………!? ………… …………!!」
今まで一度も崩した事の無い、ちょっと不思議な少年といった雰囲気をかなぐり捨て、鬼のような形相でメレムがパタリロに掴み掛かる。
「あれはー! 貴様の仕業かーっ!!!」
「何だ? 何だ!?」
ヴァン・フェム卿が、実年齢を感じさせる様な、深い深い溜息を吐きながら説明した。
「…………彼の今の職場は、バチカンだ」
「こんの…………バカチンがーっ!!!!」
パタリロの胸倉をがくがくと揺すりながら、死徒の二十七祖が一が叫ぶ。
「あの事件の所為で! どれだけ僕の残業が増えたと思っているんだー!! 表のクソ坊主どもから“埋葬機関”ともあろうものが犯人を捕まえるのにどれだけ掛かるのかね…………? なんて厭味を散々聞かされる僕の左腕の気になってみたまえ!! …………三日も屋根裏から出てこなくなったんだぞ! その間僕が仕事する羽目になったんだぞ!!」
「それはご愁傷様だ。しかし、そのお陰で警備体制が強化されたのだろう? 教会的には結果オーライではないか」
その言に、メレムの腕が、ぴたりと止まる。
「…………その警備体制強化後にも、盗難事件があったんだけど…………それも君か?」
「知らんなあ」
そちらはどうせ証拠品が出ない。何せ今有るのは魔界の奥底だ、見つかる筈が無い。
「まあ…………そちらは責任者が更迭されて無かった事になったんだけど…………兎も角! 僕の貴重な三日間を返せーっ!!」
がっくんがっくん
世界に二つと無い秘宝をぱちくっておいて、それを言及されても平気の平左で更に嘘をつく三枚舌のパタリロと、千年単位の寿命を持ちながら三日の手間に本気で怒る永遠のピーターパンを自称するメレム。
世の中の青少年には見せられない光景である。
よいこはけっしてまねしないでください
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今回の被害者――――――――メレムくん。
いや、これも全て私の不徳と致す所、どうぞメレムファンの皆様には平にご勘弁頂きたく…………!
士郎くんが幼馴染のお姉さんと年下(?)のお姉さんの居る道場に半ば里帰り中に、パタリロ殿下のターンが回ってまいりました。…………赤毛のブラウニー殆ど活躍してねえじゃん!!
しかし、パタリロ殿下のキャラクタって正に七色。
その冴え渡った頭脳でスマートに事件解決するのも殿下なら、下らない悪戯がばれて非道い目に会うのも殿下。えげつない方法で人を陥れるのも殿下なら、地べたを這いずってでも人の為に動くのも殿下。便所紙で鼻をかむ様なみみっちさをみせながら、世界を救う大業をなせるのも殿下。
…………まあ、長期連載の主人公ってこんなものかもしれませんが(見も蓋も無い)
今回の展開は少々悩んだのですが、泥臭い手段もとれるのがパタリロ殿下。反撃開始で御座います。