常春の国より愛を込めて
第十⑨話:氷のミハイル氏の娘がチルノそっくりという幻想
「二時方向、友軍!」
「支援射撃! 撃てー!」
士郎達の周辺に、タマネギの放つ銃弾が叩き付けられた。積み上げられたバリケードをよじ登る様にして、士郎が内側に転がり込む。
続いてバンコランが、最後にセイバーが一見重そうな鎧に身を包みながらも軽やかに降り立った。
「シェロ!?」
「やあルヴィア、久し振り」
流石に少々息が上がり気味ながらも、片手を上げて軽くルヴィアに挨拶する士郎。
「…………考えてみればミス・トオサカが居るのですから、貴方が此処に居ても何らおかしい事はありませんわね……」
「ミス・エーデルフェルト、久方振りです」
「久方振りです、ミス・セイバー…………その鎧は……」
「愛用品ですよ」
基本的に時計塔でセイバーの出自は明かされていない。公開しようものなら降霊術師、精霊魔術師、エーテル研究家辺りだけでなく、最悪アヴァロニアンといった連中さえもよってたかって殺到する事態になりかねない。
しかし、隠匿されるのが魔術ならそれを明かすのも魔術師の仕業、時計塔でも高名な連中ならば確信までは無くともセイバーの正体を把握している人間も少なくは無かった。
ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトもその一人だった、というより彼女は確信に近い。
何せ彼女の家系も聖杯戦争の関係者なのだ、そのセイバーと言う名と、古式ゆかしい剣の使い手である。真名こそ推察するしかないが、彼女が規格外の存在である事は充分理解していた。
そのルヴィアが見惚れる姿だった。
「士郎! セイバー!」
ルヴィアも認めるしかない好敵手が、こちらに駆け寄ってくる。
彼女は極東の田舎出身ながら、凡百とは違う才能を持つ。我が家エーデルフェルトになしえなかった、聖杯戦争で限定的ながらも勝利をもぎ取ってきた同世代で同性の魔術師。
「おう遠坂、無事だったか」
「何よりです、リン」
「馬鹿! あんた達の方が大変だったでしょうに!」
ルヴィアとて稀代の才能を持つ魔法使いに連なる家系の魔術師、生半の魔術師に遅れをとる積りは毛頭無いが、遺憾ながら同じ位の血と才能を持つこの紅い女性は、彼女には無いものを二つも持っていた。
聖杯戦争の奇跡の一、同性さえ見惚れる伝説の英雄と、彼女と同郷の奇妙な安心感を与えてくれる男性のパートナー。
「…………少し、妬けますわね」
魔力の使い過ぎに脱力しそうになる女性を、慣れた様子で、それで居ながら妙に気恥ずかしそうに、抱き留める赤毛の青年。金髪の英雄は、それを見て二人を支えるように近付いていた。
ルヴィアゼリッタは己の来た道に後悔は無い。だが彼女の往く道が己のそれと些か違う事に、一抹の寂しさを覚えた。
バンコランの状況把握という名の虐待の末、首根っこを摘まれた状態のまま、パタリロが号令を掛ける。
どちらかといえば朝出勤前に渡されたゴミ袋といった体ではあるが。
「…………本当にマライヒ達は無事なんだろうな」
「この国が吹っ飛んでもあいつ等は怪我なんぞせんで済むわい!」
パタリロがタマネギ達に兵力の再編成を命ずる。ヴァン・フェム卿が問い質した。
「生ゴミ君……いやいや、パタリロ君。如何する心算なのかね?」
「十三番倉庫までの径路を開く! このままではジリ貧になる!」
篭城は飽く迄も援軍の存在が前提の戦術である。その援軍が期待出来なくなった状況では作戦の変更は当然の帰結であった。
しかし作戦中の方針転換とは、多大な犠牲を出す危険を意味している。
「通路上の部隊と合流したとしても、全体的な火力不足は明らかです!」
この時点までの守勢においても、パタリロたち側の火力不足ははっきりしていた。これが攻勢に転換するとなると更にその問題は大きくなる。
合流した戦力も、当てにするには些か心許無い。確かに士郎とセイバーは強力な援軍ではあるが、その力の源である凛の魔力はとっくに限界が近い。凛の魔力が切れてしまった時点で、二人の戦闘力は激減する。バンコランは未だ十全なれども、所詮使うのはタマネギ達の通常兵器、破壊力不足の状況が変わる事は無い。
世界上位に近い戦闘力を持つ死徒達とて、現状の戦力はこれ以上期待出来なかった。二十七祖第十四位ヴァン・フェムの真の力は城と呼ばれる巨大ゴーレムであり、この場には無い。第二十位メレムが使うのは彼自身の手足、具現化した悪魔。しかしその力は強力過ぎる、この場で開放しようものなら此処に居る人間どころか王宮さえも破壊される。
ヴァン・フェムの城も、メレムの悪魔も、この場で使うには大き過ぎる、強過ぎる。
二人とも、最悪それらを使う事を覚悟してはいるものの、それはこの国を自ら滅ぼすと同義であり、最後の手段と考えていた。それは彼らの敵対者に大きな隙を作る愚行であったし、多少躊躇われる程にはこの国と人に愛着も有った。
現状使える力は、メレムのコレクションである金虫の魔術礼装、ヴァン・フェムの死徒たる怪力、それくらいだった。
それぞれの理由でパタリロの案に消極的な面々であったが、パタリロの次の言葉がそれを変えた。
「考えても見ろ、これ以上奴らを其の侭にしておけば…………奴らは王宮外に出て行きかねん。そうなれば被害が市街地に及ぶ!」
パタリロの目はいつに無く真剣だった。
「そんな事は許さん…………ぼくは国王なのだ、奴らがこの国のものに触れる事は絶対に許さん…………!
命が惜しい奴は今直ぐこの場から逃げろ! …………たとえ一人でもぼくは行くぞ」
バンコランにぶら下げられたままではあったが。
最初に動いたのはバンコランだった。突然その手を放す。
床にぶち当たったパタリロの抗議を無視して、シガレットケースから愛用の葉巻を取り出す。火の点き難い葉巻を、慣れた様子で燻らせた。
「タマネギ、銃を貸せ」
そう言って上着を脱ぎ、襟を緩めた。
「…………勘違いするな。まだこの国には用が有るのだ、仕事の邪魔をする奴は何者だろうが許さん」
その言葉が切欠だったのだろう。タマネギたちが動き出す。
「弾薬の残りを確認します!」
「径路上に補給点を構築させろ!」
「全部隊に連絡を! 応援を頼む!」
他の人間も動き出した。
「ルヴィア、貴女の魔力込めていない宝石って有る? ちょっと貰うわ」
「…………貰うって……、貸しにはなりませんの?」
「無い袖は振れないわ」
「…………仕方ないですわね、恵んであげますわ」
「……有難う、感謝するわ」
「え?」
「もう少し、付き合うとしようか」
「何を言っているんだい、大したお祭りじゃないか。此処で帰る馬鹿は居ないよ」
「まあ…………違いない」
パタリロ率いる主力部隊の戦いは熾烈を極めた。
タマネギ達が放つ無数の機関銃弾と手投げ弾が、敵の勢いと数を僅かばかり減らす。
そこに斬り込むのは双剣を操る士郎と、不可視の宝剣を振るうセイバー。飾り物だった剣や槍を叩きつけるヴァン・フェム。
しかし相手は多勢、不用意に出てきた彼らに襲い掛かろうとする不届き者を阻むのは、常識外れの精度を誇るバンコランの銃弾と、メレムの操る金属の甲虫。
それら全てを指揮するのはパタリロである。確実に状況を読み、敵の弱点を見つけ、効果的なタイミングを計り、最小の労力を最大の効果に転換する。
目が、霞む。足が、ふらつく。
凛は急激な魔力不足時に陥る症状と懸命に戦いながら、彼らに続いていた。
落ちていた瓦礫に気付くのが遅れ、足をとられる。転ぶのを覚悟した瞬間、彼女の身体を抱えたのは女性の手だった。
「しっかりなさい! 魔力タンクは付いて来るだけで充分ですのよ! …………それとも」
ルヴィアが微笑む。
「誰かに抱えさせましょうか?」
少し意地の悪い、それでいて友人に対する気遣いを含ませながら、ルヴィアが口端を上げる。
「……冗談! そんなに安い女じゃないわ」
彼女の相棒が、騎士が眼前で戦っているのだ。友が傍らに居るのだ。一人だけ同じ地に立たないなどという真似は、遠坂凛の名が許さなかった。
しかし、それだけの精鋭を率いながらも戦況は決して良くない。
異形たちの能力は千差万別、数は極めて多し。ぎりぎりまで集めた弾薬も底が見え始める。主力とも言えるセイバーと士郎の限界も近い。メレムの礼装も無限ではない。
死者こそ出ていないものの、強行軍は戦闘不能者が出て来始めた。
更に悪い情報が入る。
「先行部隊からの連絡! 倉庫前に黒い泥状の奴が陣取っています! 銃弾が効きません!」
「王宮外からです! 出現範囲今だ拡大中! 市街地に出現が確認されました!」
「……急ぐぞ!」
もはや一刻の猶予も無い。一団は気力を絞り出す様に前を目指す。
部隊に多大な出血を強いながらも、倉庫前に到達する。
その頃には殆どの人間が息を切らせていた。比較的平然としているのはメレムとヴァン・フェム位で、パタリロやバンコランさえも額に汗を滲ませていた。
セイバーも背中にじっとりと汗をかいていた。英霊たる彼女が十全ならばこの程度の事造作も無いが、今の彼女はこの世界にサーヴァントして現界している身だ。既に魔力は依代たる凛の体調もあわせ限界ぎりぎりである。
「…………儘ならないものですね」
この枷がある身体を、彼女は選択してこの場に居るのだ。その事に僅かの後悔も無い、しかしそれ以上の状態を知っている身体が、それを望めない事にほんの少し苛立ちを発していた。
パタリロが不機嫌を隠す事もせず。
「あれか…………」
彼が呟く眼前の第十三番倉庫前は、異界の相を呈していた。
床一面に全ての色を混ぜたような黒をした何かが蠢いていた。果たして一匹なのか、それとも複数のそれが居るのか、それさえも判別出来ない。判る事は、その汚らわしい泥の表面から幾つもの目や触覚、爪や牙の様なものが浮き出し、近付くものを片端から襲っている事だけだ。
「…………また大物ですねぇ……」
呟くタマネギ。何より問題なのが、コイツには銃弾、爆弾の類が殆ど効果を上げない事だった。今も攻撃は続けているものの、相手の攻撃を少しばかり怯ませている程度に過ぎない。
パタリロが急かす様に叫ぶ。
「魔術師ども! こいつの退治方法は無いのか!?」
躊躇いがちに呟いたのはメレムだった。
「多分…………僕が知っている奴なら、火が一番効果的な筈だ。
といっても、コイツを焼き払うほどの火なんて早々用意できないんだけどね」
ヴァン・フェムが続ける。
「……そもそもこ奴等は今、南極にしかおらん筈だ。何故出てきたのか…………」
「ッ! 避けろ!」
今までも散発的にこちらを襲っていた触手が、いきなり伸びて来た。
「くう!」
何とかセイバーがその剣で弾く。だが、その後ろから出てきた二本目の牙が、セイバーを越えた。
運の悪い事に、その先に居たのは殆ど前後不覚の凛だった。
「リン!」
「避けろー!」
鮮血が舞う。
声より数拍子遅れ、顔を上げた凛の視界に入ってきたのは、背中だった。
状況を遅ればせながら理解した凛が、何処か夢想しながら、何より考えたくない、紅い背中。
その背中に、様々な最悪の未来(可能性)を幻視しながら、僅かの頼もしさと格好良さを感じてしまった自分に、凛は吐き気を覚えた。
その背中が、喋る。
「…………遠坂、無事か?」
ヴァン・フェムの豪腕に振るわれた斧が、その刃諸共触手を砕く。
凛の前の背中に、染まる赤が、床に広がった。
「衛生兵!」
誰かが叫ぶ。それは凛の耳元の様でもあり、遥か別次元を観測している様に遠くでもあった。
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攻勢開始。
しかし、人類と世界の裏切り者パタリロ殿下の活躍には今しばらくの時間の猶予を頂きたい。
…………筆者的には少佐のツンデレが書けて満足。
マライヒさんの言ではないが、本当にこの二人ええコンビだよねー。いや、ツンデレって別にどうとも思っていなかったけど、書いてみると楽しい!