常春の国より愛を込めて
第十八話: とどのつまり、いえ呼んでません貴方の事じゃありません
煤煙が溶けたよりも深い、限り無く深い霧。
鑢よりもざらついた表面の木々が、剃刀の様な葉を揺らす。鋼の茨が咲き誇る。
禍々しい形をした岩石がころがり、動かない筈の草が災いを招く様にざわめいていた。憂鬱を描いた様な空に、女性の断末魔に似た鳴き声を上げる一つ目の鴉が飛んでいる。
卑屈な動きの鼠らしき何かが、老婆の顔をした獣に食われた。腹を僅かばかり満たしたその獣が顔を上げると、その視界の先には禍々しい形をした屋敷が、硫黄の香り立つ砂の湖の畔に建てられていた。
その絶望を表現した屋敷の一室、恐らく主人の部屋であろう。インテリアは人間のデザイナーが一目見れば絶望に首を吊る程の危険な美しさを誇り、活けられた花々は生き物の生血を啜り猛々しく咲き乱れていた。
読書を愉しんでいた主人の傍らに置かれた電話―――――――恐らく電話だろう、パイコーンの頭蓋骨を使って造られたそれが、地獄の底から響く様な音を立てる。
その表現は相応しくない――――――文字通り此処は地獄の一郭、魔界の貴族の一邸宅。
恐怖を感じる様な美しい指が、受話器をとる。
その指の持ち主、この屋敷の主人でもある、それが読みかけの書物から目を離し、受話器を耳に当てた。
「何用だ。貴様から連絡するなど」
その声も姿同様、全ての音楽家が一言耳にしたなら諦観と共に己の耳を突き破る程の狂気的な美しさだった。
受話器の向こうからは、それはそれは醜い肉饅頭の濁声が聞こえてきた。
『もしもし! 貴方の可愛い下僕が大ピンチでごさいます~! 助けてくださ~い!』
地獄の悪鬼が哂う声も聞きなれた館の主人が、予想していたとはいえ余りに醜いその声に眉を顰めた。
「トイレの流れ損ねが、何の用だ」
『実は…………!』
地獄の番犬ケルベロスがはばかり中でも、もっとましな音を出す。仕方無しにその言葉を我慢して聞いていた主人は、何とか救援の内容を理解する。
そして、溜息を突いた。
「……お前は、何か。世界の運命に喧嘩でも吹っ掛けたのか」
『そんな事しません~! 何とかして下さい~!』
暫し読みかけの本に置いた指を叩き、思案した主人は、結論を出した。人には決して及ばぬ頭脳が何を考えたのか、それは我々には想像さえ許されない。
「よし解った、安心しろ」
『おお……! では!』
「契約はお前の子孫にきちんと継承してやる。安心して死ね」
どたっ、と。受話器の奥で何かが倒れる音がした。
『それじゃ意味が無い~!! 大体まだ子供なんか作れませ~ん』
「なに?」
主人は丁度御茶の替えを持ってきていた己の従者に尋ねる。
「おい猫娘、人間でも十年も生きれば子供は作れるものではないのか?」
従者は首を傾げながら答える。頭の上の耳が思考につられてぴくぴくと動く。
「ええと…………、人間界の猫なら一年、二年も経てば子供作れますよ? それより少し大きいくらいの生き物だし、十年も育てば大丈夫ニャンじゃニャいですか?」
主人はその回答に満足して、受話器に向かう。
「そういう事だ。さっさと作れ」
『むーりーでーすー!』
あーん
マジ泣きの下僕。
『というかご主人様ならこんな奴ら楽勝でしょう! 部下でも良いから寄越して下さいー!』
皺が寄った眉間を揉み解す主人。
「ええい、分かった。確かに今貴様を失くすのは実に残念ながら勿体無い…………助けを遣してやるからその煩い泣き声を止めろ」
『じゃあ…………!』
「とりあえず一ヶ月ほど待っていろ」
どんがらがっしゃん、とエライ音がした。
『なんでそんなに時間が掛かるんですかー!』
電話横のメモ紙一枚よりは大切な下僕に根絶丁寧に説明してやる心優しい御主人様。
「…………いいか、古代妖魔の眷属といってもそちらの世界に居る程度の奴らだ。私の部下でも少し腕の立つ奴なら充分に対応出来る。
直接の部下ではなく、部下の配下だから呼ぶのに十分位掛かる」
『はいはい』
「来たそ奴を人間界に送る準備に五分、そいつ自身にそちらで活動できる様、天帝の目を誤魔化す仕掛けを施すのに十五分」
『それで』
「あとは、そ奴が魔界を抜け出した事が他の貴族連中…………特にベールゼブブ陣営にばれない様な偽装工作に一ヶ月掛かる」
『…………』
こける音も聞こえない。多分動く事も出来ないのだろう。
「そういう事だ、島のひとつも消滅すれば天帝が掃除してくれる。諦めてさっさと子供作ってどっかに逃がせ」
『…………』
へんじがない、ただのしかばねのようだ。
「では、死んでも達者でな」
そう言って、主人は電話を切った。
そのまま読みかけの本に視線を戻す主人に、猫娘が声を掛けた。
「良いんですか? あのお気に入りだったゴブリンの足の裏みたいな顔の従者の子孫でしょう……?」
「惜しくない訳ではないが、先程言った通り助けるには手間が掛かる。
何、暫く時間は有る。そのうち暇を見つけてまた似た様なのを探しに行くさ」
あれだけ人間が増えているのだ、似たような奴の二、三人何処かに居るだろう、と話を切り上げた。
「そうですか」
猫娘も先代とはそれなりに交友が有ったものの、今の従者には面識も無いのですぐに切り上げた。そして御茶の交換が済んだので、主人の読書を邪魔しない様、静かに部屋を出た。
いくらなんでもパタリロみたいのが何人も居る人間界は勘弁して下さい、アスタロト閣下。
パタリロは両手両膝を床についたまま動かない。靴型の携帯電話が虚しく通話の終了音を鳴らし続けていた。
「あー、殿下?」
恐る恐る、凛が声を掛ける。先程までの百面相を見ていると何らかの交渉が決裂した事は理解できる。
パタリロが猛然と立ち上がった。
「ええい! あのひとりアジエンス魔王め! 肝心な時に役に立たん!」
八つ当たりに電話を叩きつけるも、いきなり頭上に現れたタライが頭を直撃する。なんか概念武装っぽいものらしく、目を回したパタリロが倒れた。
タライに貼り付けられた紙に、統一言語じゃ有るまいし誰でも読める文字で、『主人を敬わない下僕は報いを受ける』と書かれていた。
恐ろしく繊細かつ、大胆な魔術の始動キーに、発動に全く無駄が無い術式である。その極めて高度な魔術に、魔術師たちは暫し絶句した。
流石に魔界の四大実力者が戯れに組んだ魔術などとは思いもつかない。
「えいくそ! 次善の策じゃ!」
電話のダイアルキーを叩く。
………… …………。
『…………大体、今何時だと思っているの! 小さな子供を起こすつもり!?』
男にして偉大なる母は、電話越しでも恐ろしかった。
「やーくーにーたーたーなーいー!」
泣きながら笑うしかない器用な殿下。
そのパタリロの下に、一枚の羽が降って来る。見ると、そこには文字が。
“眠いのでとりあえず任せます 頑張りなさい M”
「あんのクソがきゃー!」
何処か漏電でもしていたのか、雷に打たれるパタリロ。
神様はいつでも見ているのです。(見ているだけ)
煙の治まったパタリロは決断する。
「已むを得ん、何としても倉庫を確保する!」
銃声が鳴り響く。殆ど一発の様な音だったにも拘らず、放たれた弾丸は三発。
「急げ」
「はいっ!」
士郎とセイバーは、先日知り合った男性と思わぬ所で再会していた。
始めは襲われている一般人かと、慌てて駆け寄ろうとした士郎だったが、何と彼は小さな拳銃で化け物どもを退けていた。
再会してすぐ、士郎の名乗りで彼を思い出したバンコランは、状況を尋ねた。
士郎は命の掛かった状況で下手に誤魔化すのも難しいと、正直に事情を話した。
一切、信じてもらえなかったが。
とりあえず士郎の、こいつらの正体は不明という説明で会話を終わらせた三人は、パタリロと凛たちに合流すべく通路を進んでいた。
彼を見かけた途端、赤い顔をしてもじもじと視線を泳がせていたセイバーだったが、とりあえず戦闘中は流石にそんな事も無く、戦っていた。
バンコランが殆ど無造作に見える動作で、拳銃を抜き打ちに発射する。弾丸が頭に堅い殻を纏った甲虫にも見えるそれの重心を支える関節を叩く、一発だけならその殻が弾き返すだけだが、二発、三発と全く同じ場所に着弾した弾頭が、その衝撃で魔物の体勢を崩した。
その隙を逃さず、セイバーの剣が魔物を両断する。
威嚇の為か、大口を開けて金切り声を上げる一匹に、バンコランは拳銃を向ける。殆ど腕の動作が止まる事無く、引き金が引かれた。
数発の弾丸は狙い過たず、そいつの口腔の中に吸い込まれ、体幹を粉々に破壊する。
そいつが地に倒れ臥す前に、弾倉が交換されていた。
バンコラン少佐が使用する拳銃は、ドイツ製小型拳銃であるワルサーPPK、原型は1930年代、現行型も60年代から生産されている旧式の拳銃である。
士郎が解析したところ、バレルとトリガーシステム、グリップは最高品質のものに交換されてはいたものの、それ以外は何の変哲も無い既製品である。
しかし、恐ろしいまでの精度だった。
元来、小型拳銃は携帯性を重視し、命中精度、装弾数を犠牲にした製品である。如何にバレル、弾丸を厳選したとしても、元々の性能が低い以上、その短い銃身では大した破壊力、命中精度は期待出来ない。
しかも彼は、ただでさえ低い威力の弾丸に、FMJ並の硬い弾頭を選んでいた。バレルの種類も、それに対応した材質のものである。
彼は武器の命中精度を己の鍛え抜かれた腕でカバーし、破壊力を相手の弱点を見抜く観察眼で補っていた。
思わぬ所で見られた人の極限に、戦いながらも士郎は見惚れていた。
人は、是程迄の高みに到達する事が出来るのだ…………!
ただ置く事も躊躇われる様なフェザータッチのトリガーが、音の重なる連射を可能にする。
殆ど一直線に、それでいて相手の動きを予測した方向に微妙なばらつきを見せながら、彼の信念の様に固い弾丸が、相手に突き刺さった。
弓道で言う残身を殆ど無意識の世界でとりながら、バンコランは士郎に尋ねる。
「…………その通信機は、私には使えないのだったな」
士郎のラインを通じた会話で、パタリロたちの居場所を知った士郎たちは、その事情も説明はしたものの、結局“特殊な通信機”という解釈でしか理解してもらえなかった。
「はい、けど間違い無く凛たちはこの先に居ます」
「そうか、なら良い」
とりあえず解らない事は気にしないらしい。敵も性質さえ理解出来れば何者でも構わない、ある意味大雑把な所もある男性だった。
「では急ごう。私も連絡を取りたい所が有るのだ…………剣士! 一旦引け! エミヤと同時に壁を突き破ってもらう!」
「はい! バンコラン殿!」
結局名前覚えてもらっていないセイバーさん。
凛の待つ部屋まであと少し。急ごしらえの三人組みは、個々の実力が高いお陰で順調に進んでいた。
心のすれ違いは、この際大目に見てあげて。
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…………今は懐かしいダイヤモンドコーティングのトリガーパーツ。ラビット・ファイア用拳銃の様に繊細に、シアとの噛み合わせは髪の毛程の余裕しか無い。ハンマーを起こしたままでは置く事さえ危険な銃―――――――。
毎日の分解整備はスチール製フレームのお陰で欠かす事は出来ない。古き良きマットのブルーイングは、磨く度にその輝きを増す。
バレルは無論特別製、兆弾を計算して放つ規格外の使い手の為、380ACP(多分対人用を意識してこっち)の弾頭はカッパーヘッドでは有り得ない、ましてやホロウポイントなど使えない。只々硬さを求めた弾頭、それを通すバレルは如何に硬くしても磨耗は防げない。数インチしかないライフリングで最高の命中精度を求める、衝撃力の低い弾頭ではバイタルゾーンへの必中範囲は数cmしか許されない。彼の消費する弾丸数を考えれば、数ヶ月もしない内に交換する羽目になるだろう。
まして拳銃は官給品、ガバメントモデルなのだ。交換で修復できない改造を行う事は出来ない。その条件の中で最高のセッティング、それを求めたバンコランの答えだった―――――――。
作中で拳銃の名前を言及したシーンはとりあえず覚えが無いのですが、簡略化された絵と、バンコランのモデルの一人になった人物の使用銃を考えますとPPKなんですよねー。PPっぽい先端の丸みは無いし、まさかPPK/sな訳は無いでしょうし。たまにマガジンキャッチが有ったり無かったりする所はヨーロピアンスタイルも併用して使っているのでしょうか? というかゴルゴ13のアーマライト・タイプ15じゃないんだし、32ACPや380ACPの一発で射殺完了って所は日活映画を思い出します。話変わりますがあの銃声の“ズキューン”って音、ガンマニアにも不評ですが、あれ擬態語としては凄く優秀なんですよね、早い発射ガスの破裂音に続き弾丸の飛翔音。個人的には大好きなんですが如何でしょうか? そもそもあれは本場ハリウッドの…………。
えー、書いておいて何ですが、上の文章、読まなくて良いです。
…………だから、けん銃110番にダイアルするのは止めてください!
自重しないのもこの作品のテーマとはいえ、やり過ぎ。読者置いてきぼりでどうしますか!(鏡に向かって説教中)
え? もう置いてかれている? すんません…………。
因みに本編では閣下が殿下置いてきぼり。
閣下出番終了。これ以上出てもらっちゃったら話終わる。
実は没ネタの一つで、宝石と色を冠した魔術師たちの中に、青のサファイアと橙のサファイア席に仲の悪い姉妹が鉢合わせするというネタを考えたのですが…………青のサファイア(青い宝石)先生なんぞ出てきたら、爆発オチしか使えなくなりますので流石に自重しますた。