常春の国より愛を込めて
第十三話:この前千葉県に行って遭難しかかった うそですごめんなさい
凛の本能がしきりに警鐘を鳴らす。
ニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロ
「御嬢さん? 此方を向いてお顔を見せてくれないかね」
粘液の様に濃く、それでいて砂の様に纏わりつく殺気が。凛の身体の表面を舐める様に這いずり回る。
一体どれだけ殺気を放つ事に慣れ尽くせば、こんなものを放つ事が出来るようになると言うのだろうか。
身体が削れた。精神が侵食される。
「さあ」
既に自分の意思とは思えなかった。身体が自然に立ち上がり、背後の悍ましい、それの方に向き直る。
唾が、口の中が、張り付いた様に動かない。なのに、口が開いた。
「初めまして…………。こちらでは“赤のルビー”ですわ」
凛は自分自身に驚いていた。口から出たのは『いかなる時でも優雅たれ』を家訓にする遠坂の魔術師として、頭の片隅で願望していた言葉だったのだから。
「ほう…………!」
目の前の男が口端を吊り上げた。奇麗に整えられたロマンスグレイの髪、同色の口髭がその拍子に動く。男性用スーツの事など凛は詳しくないが、それでも最高級の仕立てであろう事は解る。その身体にこれ以上無いほど見事に纏われていた。
なんだ、意外と大丈夫じゃないの。
凛の身体の中、血管に石の如く固まっていた血液が、砂くらいにぎこちなく流れ出す。
だが、それまでだった。凛は今まで彼の目を一度も見ていなかった事を、たった今後悔した。
その場所には煉獄が有った。絶望が奥で踊っていた。
「ふむ、何か覚えが有るな…………そうか、御嬢さんはゼルレッチの系か」
身体の芯が、ひくり、と跳ねた。自然に口から息が洩れた。膝が落ちそうになる。
「“あれ”の血系らしい態度だよ全く…………。
どうかね? 彼は今どうしているかね?」
「いえ、私は直接会った事は御座いませんわ。大師父を御存知の御方ならば私のほうがお聞きしたいくらいですの」
あはは、あたしなにいってんだか。
相手の笑みが益々強くなる。肩が幾分震えている様にも見えた。
「あれの種でその風貌だと、あれだな。
しばらく前に極東であった願望器騒ぎの優勝者に、丁度御嬢さんくらいのが居たな」
あ、下着が。
「ご存知でしたか。貴方程の御耳に入るとは私も少しばかり自惚れても良い様ですわね」
男が動いた。
それを見た瞬間、凛が考えられたのは。
―――――――あ、私今死んだ。
それだけだった。
何故かまだ何か見える。目の前の立派な身なりの老紳士が片手で腹を押さえ、もう一方の手がしきりに空を掻いていた。そして、何か呻く様な、苦しげな声を漏らしていた。
「くっくっく…………! それだけ膝が笑っていながら、よくもまあ…………!
大した意地っ張りだ、間違いなくあれの血だな」
笑いを必死に堪えていた。
「は」
こんどこそ膝がその役目を完全に放棄した。
「おお! ……と」
ああ、あたしいま死徒二十七祖に抱きかかえられている。
「いや失礼をした、御嬢さん。少々からかい過ぎたようだね。
確かに魔術は秘匿すべきものだが、大方其処の彼に無理矢理聞き出された……という所なのだろう?」
「…………あたり、です」
「純粋無垢な美少年を捕まえて、何の犯人扱いなのかね、失礼な」
何か豚マンが言っているが、凛はそれどころではなかった。身体に力が入っているのか抜けているのか、何か頭も少し痛い。
ふわり、と優しく床に下ろされた。まるで大人が小さい子供を立たせるみたいに。その仕草に今更ながら死徒の怪力に思いを馳せる。
「私に敵対するような真似でもしない限り、特に何もせんよ。それが我々みたいな者のやり方だ。為す事が有るのならば、彼でも何でも使って成し遂げたまえ。
…………それが魔術師というものだろう?」
そう言って手を放された。
「では、赤いルビー嬢とイエローケーキ殿、私は失礼するよ。
ああ…………そうそう、赤いルビー嬢」
そう言って彼は顔を近づけた。
「死徒はご存知の通り鼻が利くのだが…………着替えに戻られては如何かな?」
「はあ…………」
何かの暗喩なのか、ただのセクハラなのか。
幸いこの騒ぎは会場の誰にも気付かれる事は無かった。
それがあのヴァン・フェムの何かしらの魔術だったのかもしれない。
凛は今、消耗し尽くしていた。一合も魔術を打ち合った訳でもない、むしろそんな事態になっていたならば一片でも己の肉体が残っていたか疑問だったが。
彼が、死徒の頂点の一柱が何故この事態を見逃してくれたかは分からない。しかし今の凛にはそんなことを考える余裕も無かった。
とにかく今は休みたい、とりあえず目に付いた友人に一声掛けて、その場を離れようと思った。
「あー、ルヴィア。私ちょっと花摘みに行ってくるわ」
「ちょっと貴女、自分から言い出しておいて…………って、どうしましたの!? 凄い顔色ですわよ!?」
「うんー、だいじょうぶー」
「だいじょうぶー、では無いから聞いているんですわ! 何がありましたの!?」
「平気へいきー、ちょっと休めば直るからー」
「はあ…………」
そういって凛は会場を後にした。
身奇麗にした後、凛は関係者控え室に戻った。すると其処には士郎が居た。
「よう遠坂、顔出してきたんだって?」
「アンタ…………何してるのよ」
「何って…………飯食ってるんだが」
そう言いながら士郎は、目の前に広げられた膳の中身をぱくぱくと口に運んでいた。
周りを見るとタマネギたちも同じ膳に舌鼓を打っていた。
「いや丁度、厨房の手伝いが交代時間でな、ここの連中が飯がまだみたいだから持って来るついでに俺も飯にしようかと…………」
「………… …………」
「遠坂は会場で食ったのか? 何なら其処に残りが有るから食べても良いぞ」
「………… …………」
ぱくぱくもぐもぐ
「いやー、衛宮さん料理上手いですねー」
「ホント、ホント」
「そうか? ここじゃ普通くらいだと思っているんだか…………」
がつがつむしゃむしゃ
「………… …………」
「遠坂……?」
…………もう、ゴールしても、良いよね?
「えー、遠坂さん? なんで魔術回路が光っているんですか?」
「良く分かりませんが衛宮さん、その質問はもはや手遅れです」
「現実を見ましょう。多分今から理不尽が降りかかるのです」
えー、只今遠坂嬢の堪忍袋の緒が切れた事をお知らせ致します。
「何か察しが良過ぎるのがムカつくー!!!」
「「「そっち!?」」」
凛の指先から常人の目に見えるほどに強力なガントが放たれる。
「な、なんでさー!」
必死でそれを避ける士郎。なんだか久しぶりなので少しばかり苦労している。
その士郎が横目でタマネギたちの方をちらりと見ると。
「やっぱり理不尽だった、おっと」
「よっ、だから手遅れだと」
「あ、その折り詰め蓋閉めといて、ちょいな」
「ささっ、お茶を片付けとこう」
ひとこと言っておく、凛のガントは実際の弾丸ほどではないものの、体感的にはマシンガンに匹敵する速度と威力だ。目で追って避ける事は強化した士郎でも簡単ではない。
「むきー!!」
いや、皆さん必死で避けてらっしゃるんですよ? ほんとに。
「うおおお!」
「はっ!」
「ひっ!」
「ふっ!」
「へっ!」
だめだこりゃ。
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シリアスとギャグの境界は、一体何処に逝ったんでしょうか?
タマネギたちの対応はかの懐かしきスターダスト計画の時の銃撃戦シーンを想い浮かべて貰えば幸いです。
実際、誰でも切れる。さもなくば何もかも馬鹿らしくなる。
毎度感想有難う御座います。
イエローケーキネタに食いついてくれる方が居て嬉しい限りです。
セイバーさんに関しましてはお詫びのしようも御座いません。まあ、政治に関心が無い訳は無いのでそれなりに詳しい筈ですし、パタリロの正体は段々理解しています。ぶち切れるまでは既に秒読み段階と考えてください。