「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月4日・夜
時刻は既に8時過ぎである。碇邸での夕餉は既に終わり、シンジはゲンドウの分の夕食をレイに作らせ、用意していた。メニューは卵をふんだんに使ったお粥である。レイはミトンの鍋つかみを手に装着し、やや危なげな手つきで土鍋をゲンドウの元へと運んだ。
レイが仏間へと入り、ゲンドウの枕元にひざまづく。シンジがその隣に続いた。
レイは少し、えーと、と考えてゲンドウに告げる。
「おとっつっぁん、お粥ができたわよ」
シンジは畳に突っ伏しそうになった。ゲンドウは「うむ、済まない」と言いつつそれを受け取る。ゲンドウが「いつも済まないねぇー」等と返さなかったことにシンジは心底安堵していた。
ゲンドウが黙々とお粥を食し、レイとシンジがそれを見守る。沈黙に絶えかねたシンジがゲンドウに尋ねた。
「ど、どうかな父さん。それ作ったのレイなんだ」
「問題ない」
ゲンドウの返答をどう受け止めるか、シンジは困惑した。そして次に「余計なことを言って余計な回答を引き出し、レイを傷付けたのではないか」と悔やむ。シンジが葛藤している間にゲンドウはお粥を食べ終えていた。レイは空の土鍋を受け取って、仏間から出ていこうとする。シンジもそれに続いた。そのレイの背中に、ゲンドウが呟くように告げた。
「……旨かった」
レイは逃げるように仏間から出、早足で台所へと向かう。だがレイの赤らんでいる頬を見、シンジは思わず笑みを漏らしていた。
台所の流し台で、レイとシンジが並んで洗い物をしている。二人の間に会話はなかった。だが不意に、シンジが独り言を言うようにレイに訊く。
「……レイにとって誰よりも一番大切な人は、やっぱり父さん?」
レイは無言のまま、だが躊躇いなく頷いた。シンジの質問が続く。
「その父さんと、全世界の数十億の人類。どちらか一方だけを選べって言われたら、レイならどうする?」
レイが戸惑ったようにシンジを見つめる。シンジは苦笑を漏らした。
「ごめん、変なこと訊いたね」
そこに突然、アサシンが戸を開け放って台所へと飛び込んでくる。
「シンジ、キャスターのマスターがいません。それにアーチャーのマスターも」
シンジが身体を硬直させた。硬い表情のままアサシンに確認する。
「外に出たのか、二人で」
「はい、おそらく」
シンジが険しい顔で考え込んでいる。レイが、
「セイバーのマスターの暗殺に確実を期するため、アーチャーのマスターと手を組む。あの人のやりそうなことだわ」
そう推測を述べた。それはシンジ達の推測と一致する。
「とにかく僕達も出掛けよう」
シンジの命令にアサシンは、はい、と頷いた。
コートを掴み外に飛び出そうとしているシンジに、レイが声を「あの」と掛ける。シンジはレイの方を振り向いた。レイの真っ直ぐな瞳がシンジを見つめる。
「……わたしなら、おとうさまを選ぶ。たとえそれが間違いであっても、わたしにはそれしかないから」
シンジは少し悲しそうに目を瞬く。そして「ありがとう」とレイに告げ、アサシンを連れて夜の街へと飛び出していった。
……シンジは当てもなく夜の街を彷徨い歩く。時刻は既に深夜に近い。場所は市街中心地からやや外れたところにある、公園。
シンジはベンチに腰を下ろし、小休止していた。アサシンは周囲を警戒するように立ったままである。
疲れたように身体を伸ばしていたシンジが、不意に身を起こして周囲を見回す。
「シンジ」
「マスターの気配だ。ゆっくりこっちに向かっている」
シンジは汗ばんだ手でシャツの胸元を掴んだ。
「誰かは判りますか? どう行動しますか?」
「もっと近付かないと何とも言えない。とりあえず隠れよう」
シンジとアサシンはベンチの後ろの茂みに飛び込んだ。そのまま二人は息を殺して気配を絶とうとする。
(シンジ、誰の場合どう行動するのか聞かせてほしい)
アサシンが魔力ラインを通じてシンジに尋ねる。シンジは判断に迷いを交えながらも方針を示した。
(リツコさんならもう一度話し合う。アスカなら何とか説得するか、セイバーを倒してアスカの身柄を確保するかする。ライダーなら、アレックスを暗殺して即座に逃げる。……アレックスにはマスターを探知する力がない。ライダーにはその力があるけどその情報をアレックスに提供しているようにも見えない。暗殺は難しいけど不可能じゃないと思う)
(不可能でありませんが、極めて困難でしょうね。方針は了解しました)
アサシンはやや呆れたような口調の返答をラインに乗せてきた。そのまま二人は沈黙し、ただ時間が過ぎるのを待つ。やがてシンジは超強力な魔力を察知した。
(……ライダーだ)
シンジは唇を噛み締める。アサシンは小さく身震いした。シンジ達はそのまま息を殺し、身体の震えを必死に抑え、敵が接近するのを待っている。そして数分後、シンジ達の視界はライダーの姿を捕らえた。ライダーと共に歩くアレックスの姿も確認できる。さらに、アレックスに付き従うアスカの姿がそこにあった。
(アスカ……! しまった、二つの気配が近すぎて一つと誤認したんだ)
シンジは自分の迂闊さを呪い殺さんばかりである。焦燥のあまりはらわたが捻れそうになっている。
(シンジ、どうします?)
アサシンはシンジを落ち着かせるべく努めて冷静に問い掛けた。
(セイバーの動きが読めない、暗殺は無理だ。アスカが敵にならないことを信じて、やり過ごすしかない)
アスカがシンジの気配を掴んでいるのは間違いない。だがそれはアレックスに告げられていない。告げられているならアレックスは、こんな物見遊山のような速度で移動してはいないだろう。その理由はアスカが「シンジかも知れない」マスターを殺す羽目になるのを避けようとしているためだ。シンジとアサシンはそう信じ、気配と息をひたすら殺した。ライダーが通り過ぎていくのをただ待った。
アレックスの一行はシンジ達の前を通ろうとしていた。ライダーが手を伸ばせば届くような距離を歩いている。シンジは全身を硬直させた。自分の心臓の音があまりに煩い。これではライダーに聞こえてしまいそうだ。もしシンジが今ナイフを手にしていたなら、自分の心臓に突き刺していただろう。この騒音を消すためならそのくらいは安い代償のように思えた。
シンジは固く閉ざしていた瞼をわずかに開ける。ライダーはすぐ目の前にいる。その横にアレックスが、さらにその横にアスカがいて……アスカとシンジの目があった。
アスカは一瞬心臓が止まったような表情をする。が、すぐに取り繕った。顔から一切の感情を消し、ゆっくりと首を正面へと向けている。
アレックスの一行はそのまま通り過ぎていき、遠ざかっていく。それでもシンジは全身を硬直させ、気配と息を殺し続けていた。ゆっくりと300数え終えるまで。
(……297……298……299……300……)
シンジは全身から力を抜き、服が汚れるのも構わず地面に突っ伏した。骨格を失ったかのような無様な姿である。シンジの顔は汗とも涙とも付かないもので水浸しになっており、さらに泥に汚れようとしていた。
(……シンジ、ライダーは)
アサシンは未だラインを使用し、さらに声を潜めるようにして意思を伝達している。
(まだ探知範囲内だ。でも順調に遠ざかっている)
(逃げましょう、反対方向に)
シンジとアサシンは身を起こした。シンジは力の入れすぎで全身がこわばっており、真っ直ぐ立つのも困難である。シンジはアサシンに抱きかかえられるようにして歩き出す。
「目の前にいたのに……手が届かなかった。何もできなかった」
シンジは右手を握り締める。拳は感覚を失い、力が入っているのかどうかもあやふやだった。
「わたしがアーチャーのようにもっと強いサーヴァントなら……」
アサシンの呟きをシンジが聞き咎めた。
「違うよ、アサシン。弱いのは僕だ。何も決められない僕の心なんだ」
シンジとアサシンは闇の中を歩く。行く先に一条の光も見出せない、漆黒のような闇の中を当てもなくただ歩いていった。