「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月4日・昼
夢を見ていた。少女の夢を。
少女は少年とともに中学校に進級する。それに伴い少女を取り巻く環境は大きく変化した。
少女は美しく成長していた。白人の血の濃い少女は周囲の少女とは隔絶した、輝くばかりの美しさを持つようになった。もう同級生の男子からいじめを受けるようなことは決してない。色気付いた同級生や上級生、他の学校や高校生からも交際の申し込みが後を絶たなかった。だが少女が首を縦に振ったことは一度としてない。少女は相変わらず特に取り柄のなさそうな穏やかな少年と常に行動を共にしていた。
少女はまた、同級生の女子からもまるでアイドルのように崇められるようになった。美しい容姿、男に媚びを売らない気の強さ、さっぱりとした性格は同性すら魅了した。少女はクラスの女子の中で言わばリーダーとして振る舞うことが多くなった。
ある時、少女のクラスでいじめが発生する。クラスの女子の支配者たる少女の意向により、少女のクラスでは今まで、少なくとも女子の間ではいじめらしいいじめは起こっていなかった。だがそのいじめは、少女の黙認により行われた。
いじめられたのはストレートの長髪に眼鏡の、いつも図書室で本を読んでいる大人しい子である。いじめのきっかけは少年だった。その眼鏡の少女が図書室で少年と仲良く話しているのをクラスメイトが目撃し、少女に注進に及んだのである。
「少女の所有物である少年に横恋慕している」
少女はそれを一笑に付すだけだった。だがクラスの女子は意味不明な義憤に駆られ、眼鏡の少女をいじめの標的とした。
結局クラスの女子達は、ストレスを解消するために好きなだけ痛めつけてやれる相手が欲しかっただけなのだ。眼鏡の少女は運悪くそれに選ばれてしまった。本来それを止めるべき少女は、ただ傍観していた。
だが少年は傍観などしていなかった。少年は可能な限り眼鏡の少女と共にいて、彼女をいじめから守ろうとしたのだ。だがそれはクラスの女子に眼鏡の少女をいじめる口実をますます与えるだけである。少年もそれくらいは理解していたが、それでも少年は不器用なりに眼鏡の少女を守るべく努力した。
また少年は少女を詰問した。何故いじめを止めないのか、と。少女は「自分には関係ない」とうそぶき、少年との衝突を繰り返した。少年と少女の関係は冷え込み、共にいる時間は少なくなった。
少年は眼鏡の少女と一緒にいて、二人で穏やかに笑い合っている。少女はそれを遠くから見つめていた。
(何でそんな女と一緒にいるのよ。そいつのことなんか関係ないじゃない)
(あんたはあたしだけを見ていればいいのよ)
(あんたはあたしだけに従っていればいいのよ)
(あんたはあたしだけを守っていればいいのよ)
少女はその想いを繰り返し念じ続けていた。まるで、少年を縛る呪詛を編むかのように。
時刻は早朝、太陽が昇ってまだ間もない。場所は碇邸。
突然、呼び鈴が打ち鳴らされた。呼び鈴と玄関戸がひたすら乱打されている。1分後、アサシンが警戒しながら玄関へとやってくる。
「どちら様です? 何のご用ですか?」
「加持リョウジという者だ。碇ゲンドウ氏を連れてきた。中に入れてくれないか」
アサシンは加持に、お待ちを、と呼び掛けてシンジの元へと向かう。アサシンはシンジを叩き起こし、玄関までシンジを引きずって取って返してきた。シンジに戸の隙間から外を覗かせ、確認させるアサシン。
外には二人の男がいた。黒いスーツを身にした長髪に無精髭の男。そして、彼に背負われている法衣姿の碇ゲンドウ。ゲンドウの姿を認識し、シンジは一瞬で覚醒する。シンジは戸を開け放つと加持とゲンドウを屋内に引っ張り込んだ。
……1時間後、リツコが碇邸へとやってくる。タクシーで門前へ乗り付けたリツコは、跳ねるような足取りで碇邸の中へと飛び込んだ。ハイヒールを脱ぐのももどかしく、廊下を駆けるリツコ。居間の戸を開け放つ、だがそこには誰もいない。居間の隣の仏間から人の気配がした。リツコは障子を乱暴に開ける。
「……ゲンドウさん」
そこには、布団に寝かされたゲンドウがいた。その枕元にはシンジとレイ。さらにアサシンと加持が脇に控えている。
「さっき眠ったところだから、静かに」
シンジに注意され、リツコはそっと障子を閉めてその場に腰を下ろす。
「ゲンドウさんの具合は?」
「衰弱していますが生命に別状はありません。そのうち目を覚ますと思います」
リツコは、そう、と胸を撫で下ろした。リツコはふと加持に視線をやり、あることに気付く。
「加持君、貴方……」
「ああ、それについては今から話す。りっちゃんが来るのを待っていたんだ」
一同の視線が加持へと集中した。
「……この街のゼーレの拠点は多分全部把握できている。俺はその全ての拠点の人の出入りを見張らせていた。魔術防御が薄い拠点は使い魔を放って。魔術防御が厳重な拠点の場合は、魔術を知らない一般人のアルバイトを使って。
一般人とは言うものの、魔術は知らなくても諜報という業界で生き抜いてきた叩き上げの連中だ。連中から見ればゼーレの魔術師の方が素人同然、見張るのは簡単だったそうだ。バイト代は高くついたが、その辺はゲンドウ氏に泣いてもらおう。
……昨日、拠点の一つで大きな動きがあった。アレックス・ラングレーが男を一人連れてきたそうだ。男の特徴と状況から見て、ゲンドウ氏の監禁場所を変更したとしか考えられなかった。
俺はアーチャーを連れてその拠点へと潜入した。アーチャーに囮をやってもらい、その隙に俺がゲンドウ氏を救出した。だが、アーチャーはライダーと戦うことになった。アーチャーはラインを使って俺に戦闘の状況を逐一報告してくれんだ」
世界は夜の闇に包まれている。その古びた洋館の前は、息が詰まるほどに殺意と戦意が充満していた。
アーチャーは獲物を狙う虎のような獰猛な表情を浮かべ、弓に矢を番える。ライダーもまた巨大な赤馬に騎乗したまま長剣を構え、無機質な殺気を自らの剣へと集中させていた。両者の殺意が空気を氷のように凍結させる。時間が止まったかのように周囲の何もかもが凍り付いていた。ライダーの背後にいるアレックスはまともに息をすることもできず、窒息しそうになっている。
そして、アーチャーの裂帛の気合いが氷を打ち砕く。刃のように鋭い声で宝具の魔力を、その真名を解放した。
「天をも滅する神の矢!」
アーチャーの宝具は流星となって、光の速さで突き進む。それは刹那の間にライダーに着弾、核爆発に匹敵する熱と衝撃波が生み出された。ライダーは溶鉱炉のように灼熱する火柱となって、なおもその場に踏み止まっている。その背後ではアレックスが無様に這いつくばっていた。
「そ、その宝具は『ナラ・アストラ』だな。インドラの矢ともアグネアの矢とも称される、古代インドの伝説上の究極兵器」
アレックスが震える声でアーチャーに問う。アーチャーはそれを肯定しなかったが、否定もしなかった。
「それを使えて、なおかつライダーにこれだけの打撃を与えられるほど神性の高い英霊となると、ラーマかクリシュナ……クリシュナの方だな。クリシュナは元々実在が確認されている人物、本人に直接つながる触媒さえあれば何とか召還できるだろう」
「それがどうした? 冥土の土産に余に真名でも名乗ってほしいのか?」
アーチャーはどうでもよさそうにアレックスに尋ねる。アレックスは話しているうちに調子を取り戻してきたようである。立ち上がったアレックスは既にいつもの傲慢さを身にまとっていた。
「何、冥土の土産ならこちらから進呈しよう。ライダーの真の姿をその目にしつつ、『座』へと還るがいいさ」
アレックスはスーツの懐から黒真珠のような宝石を取り出す。その宝石が漆黒の光を放った。
「何っ……!」
アーチャーは目を見張った。ライダーを包む灼熱の炎が、まるでライダーに吸収されるようにして消えていく。炎が消え去った時、その場には攻撃を受ける前と何ら変わらないライダーの姿がそこにあった。いや、一つ大きく変わっている。先程までライダーの騎馬は赤い馬だったのが、今は黒い馬となっている。
アレックスは邪悪な笑いを浮かべ、アーチャーを見下ろしていた。
「いやはや、さすがクリシュナ。大したものだよ、英霊でしかない身で第二の封印を滅ぼすとはね。だが、第三の封印には勝てるかな?」
ライダーが天秤を掲げる。アーチャーはわずか半歩だけ後ずさりながら、再び弓に矢を番えた。だが、
「こ、これは……!」
アーチャーの全身から、宝具から急速に魔力が失われていく。ライダーの掲げる天秤がアーチャーの魔力を収奪している。最早宝具を使うどころではない、身体を維持する魔力すら底を尽きようとしていた。
「き、貴様……!」
アーチャーはついに膝を屈した。だが魔力を根こそぎ奪われ、ただ立つことも叶わず、大地に手を付きながらもその目は未だ戦意を失っていない。アーチャーは這うようにして前に進んだ。アレックスは嘲笑を浮かべ、詠うようにそれを告げる。
「……また第三の封印を解いた時、第三の生き物が『来たれ』と言うのを私は聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そしてそれに乗っている者は、秤を手に持っていた。
すると、私は四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。『小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油と葡萄酒とを損なうな』。
……ヨハネ黙示録にはこう記されている。四つの封印を解くと四頭の馬に騎乗した四人の天使が現れる。それぞれの天使は、地の四分の一を支配する権威・剣・飢饉・死によって人類を殺戮する権限が与えられている。クリシュナ、今君が味わっているのは第三の封印、飢饉の天使の力なのだよ」
その間にもアーチャーは這い進んでいる。既にアーチャーはアレックスの目前に来ていた。アーチャーの身体には最早魔力は一滴たりとも残っていない。それでもアーチャーはアレックスへと手を伸ばした。だが、黒い馬に騎乗する黄金の騎士が、魔力弾を垂直に撃ち下ろす。アーチャーはそれに撃ち抜かれた。
「ふん、しぶとかったな」
アーチャーの身体は淡い光の粒子となり、大気へと溶けて消えていく。その場に残されたのはアレックスとライダー、そして全てが死に絶えた大地だけだった。
……加持の長い話が終わる。一同は衝撃のあまり声を出すこともできないでいた。
「ヨハネ黙示録の四つの封印、それがライダーの真名だというの」
長い時間が経ってようやく、リツコが震える声を絞り出す。加持は頷いた。
「そんな、いくら何でも不可能よ。桁が違いすぎているわ」
「そうでもあるまい」
そう答えた者に一同の視線が集まる。
「ゲンドウさん!」「おとうさま」「父さん、気が付いたんだ」
ゲンドウが布団の上で身を起こそうとする。シンジとレイがそれを手助けした。起き上がったゲンドウはシンジ達それぞれの顔を見つめる。
「加持君、礼を言おう」
「いいえ、仕事ですから」
ゲンドウが頭を下げ、加持が首を横に振った。
「済まなかったな。リツコ君、レイ、そしてシンジ」
リツコとレイは無言のまま首を振る。シンジもまた何を言うこともできなかった。そんな一同を代弁し、加持がゲンドウに問う。
「碇さん、教えてもらえませんか。アレックス・ラングレーの企みを。何のためにどうやってライダーを召還したのか」
「それに、アスカを使って何をしようとしているのか」
シンジが加持に続けて訊いた。
「良かろう……最初から話そう」
ゲンドウは一同を見回す。一同は無言で頷いた。
「十数年前、私はゼーレの一員としてこの街に入り、碇家と接触した。やがて私はユイと結婚することとなり、私はゼーレとは縁を切った。
私はユイと共に前回の聖杯戦争を戦い、ユイを喪った。そして今回、ゼーレはある目的を成し遂げるために聖杯戦争にアレックス・ラングレーを派遣してきている。アレックスとゼーレの横槍は私には障害にしかならん。戦争が始まる前に始末するつもりでいた」
「だが向こうも同じことを考えていた、と?」
加持の言葉にゲンドウが頷く。
「油断していたつもりはないのだが、こちらの戦力を過信していたようだ。暗殺工作にこちらの戦力を出したところを襲撃され、私は奴等に拉致された」
「こちらの戦力、とは?」
「アーチャーだ」
加持達が怪訝な表情をする。ゲンドウが説明を補足した。
「前回の聖杯戦争で私は最後まで生き残った。私とともに戦ったサーヴァントも。聖杯に願い出て受肉化した彼に、私は人間としての戸籍と名前を提供した。戦争以降も彼は私の協力者となってくれている。……人間としての名は渚カヲル、クラスはアーチャー、真名はダビデ」
リツコ達が息を飲む。
「ダビデ、古代イスラエルの英雄王の?」
「そうだ。私を人質にされたアーチャーはアレックスに抵抗できなかった。アレックスの魔術により洗脳されたアーチャーはライダーのマスターとなったのだ」
ゲンドウの説明に加持が疑問を呈する。
「しかし、ダビデほどの英霊がアレックス程度の魔術に支配されるなんて」
「確かにアレックスは二流でしかないが、洗脳に関する魔術は一流だ。それに奴は強力無比な魔力増幅器を有している……賢者の石だ」
リツコが身体を硬直させる。シンジ達はその言葉を腑に落としていた。
「そうか、あの時のあの石が……」
「賢者の石は世界のシステムの裏側に直接通じている。世界のシステムのセキュリティホールが宝石の形を取った物、言わば小型の『孔』だ。それがあれば英霊を一時的に洗脳するくらいはできる。洗脳は一時で構わないのだ。その間にアレックスはアーチャーに四つの封印をライダーとして召還させた」
リツコがゲンドウに反論するように言い募る。
「ですが、四つの封印は神族の抑止力の中でも最上位に位置しています。そんなものの召還が……」
「実際に行われている」
ゲンドウはリツコの反論を断ち切った。
「碇家の聖杯にヒントを得たゼーレは長年に渡って神族を召還する術式の研究を続けていたのだ。その成果と、賢者の石。旧約聖書の英霊であるダビデを召還者とし、さらに碇家の聖杯のサーヴァントシステムを利用する。これだけの条件が揃えば神族の抑止力の召還も不可能ではないだろう」
リツコは反論できず沈黙した。加持が横からゲンドウの補足をするように言う。
「あのライダーは多分、本来持っていた力や属性の大部分を切り捨てている。そうやって自らの力を大幅に弱めて何とかライダーのクラスに収まっているんだ。そうでもなければ、いくらクリシュナが英霊としては上限ぎりぎりに高い神性を有していたところで封印の一つを滅ぼせるわけがない」
「碇家の聖杯が用意しているライダーという器には四つの封印は到底収まらない。だからゼーレはライダーの器と繋がる専用の器を別に用意している。言わば魔術的に器を増設してそこに四つの封印を収めているのだが、それでも多くの属性が切り捨てられている」
「確かに。そうなんでしょうね」
ゲンドウの付け足しにより、ようやくリツコが納得したように返答する。ゲンドウが説明を再開した。
「四つの封印のうち第一の封印は白い騎馬に乗り、冠を戴き弓を持つ天使。象徴するものはイエス・キリストで、地の四分の一を支配する権威を持って人類を殺戮する。そして地の四分の一を支配する権威は今はアーチャー一人に向けられている。ライダーのサーヴァントがそのマスターを洗脳し、完全に支配下に置いているのだ」
「では、ライダーのサーヴァントは誰にどうやって支配されているというのですか?」
加持の質問にゲンドウが答えた。
「アレックスが召還の術式に支配の術式を組み込み、ライダーを支配している。支配と言ってもごく単純な条件付けをライダーの器に焼き付けたに過ぎない。アレックスが側にいる場合はその命令に従い、アレックスを守る。側におらず命令を全く受けられなくなった場合、聖杯の前に移動し聖杯を死守する。ライダーはそれだけの条件に従って動いている、戦闘機械のようなものだ」
つまり、とシンジがゲンドウの話をまとめる。
「騎乗している黄金の甲冑の騎士がライダーのマスターで、元々は父さんのサーヴァント。洗脳されて今は敵に回っている。騎馬の方がライダーのサーヴァント。神族の抑止力に属する存在で、本来よりは遙かに力が弱い」
「とは言うけれどシンジ君。こちら側の戦力、あなたのアサシンとわたしのキャスターでは到底あれには対抗できないわよ」
リツコはそう言ってため息をついた。加持は顎に手を当てて考え込んでいる。
「……四つの封印は倒せなくても、そのマスターは? 英霊ダビデを殺せばライダーは現世との繋がりを失って元の『座』へと還るのではないのですか?」
「ダビデがあれのマスターと言っても形だけのことだ。ライダーが増設された器により現世との繋がりを確保している以上、ダビデを倒しただけではあれは『座』へは還るまい」
提案をゲンドウに否定され、加持は肩を落とした。シンジはゲンドウに問いただす。
「それで父さん、アレックス・ラングレーは結局何を目的にしているんだ? 四つの封印なんて反則そのもののサーヴァントを召還して、聖杯戦争に勝って、それでどうするつもりなんだ?」
ゲンドウはシンジの瞳を真っ直ぐに見据えた。シンジもゲンドウの目から視線を逸らしはしない。
「ゼーレの最終的な目的は全世界の文明のリセットだ。神の抑止力を発動させ、今の地上の文明を一掃させる。人類は滅亡寸前まで弱体化するだろうが、全滅はしない。新たな文明の芽が世界のどこかに残っている。ゼーレは自らをその『新たな文明の芽』とし、荒野となった地上に理想の人類文明を築いていくつもりなのだ」
「そのために聖杯を?」
加持の言葉にゲンドウが頷いた。アサシンが疑問を呈する。
「ですがもしそれが可能だとしても、それだけ大がかりな魔術となれば必ず抑止力の発動を招きます。英霊が現界してライダーを倒すか、あるいはそれが無理なら聖杯システムを破壊するか」
「まさしくそれがゼーレの狙いだ」
ゲンドウの言葉はアサシン達を戸惑わせた。ゲンドウが説明を続ける。
「抑止力の発動はゼーレの計画の一環、術式の一部として組み込まれているのだ。ただし、発動されるのは英霊の抑止力ではない。ゼーレの術式が抑止力システムの誤作動を引き起こし、英霊ではなく神の抑止力を発動させるのだ」
リツコが自らに説明するかのように独り言ちている。
「6人の英霊の魂を回収した聖杯が『孔』を開く、そこにゼーレ独自の術式を使って『神の座』までラインを繋ぐ。四つの封印を召還できるのだからラインは繋がるでしょうね。抑止力システムへのクラッキングにより世界のシステムの警報をわざと鳴らす、世界のシステムは抑止力を発動させる。それが誤作動により、英霊ではなく神が地上に降りてくる、すなわち召還となる……唯一神を召還するつもり? でも召還するにしても触媒が、器が……」
リツコが何かに気が付いて身体を凍り付かせた。そして人形のように奇妙な動きでゲンドウへと向き直り、驚愕の表情を貼り付かせた顔をゲンドウに見せる。
「あの子、惣流アスカの役割がそれなのですね。唯一神を召還する触媒、そして器」
どういう意味です、とシンジか声まで青ざめさせてリツコを問うた。リツコに代わってゲンドウが説明する。
「キリスト教には他の宗教にはない特徴がある。イエス・キリストと精霊、そして唯一神が全て同一存在であるとする三位一体説だ。三位一体説はカソリック・プロテスタント問わず信奉されている、キリスト教の根幹でもある。
ここで重要なのは、人間として地上に生まれたナザレのヨシュアと、天上の唯一神とが同一であることだ。天上の唯一神の召還など何をどうしようと不可能だが、ナザレに生まれたヨシュアという男であれば召還は不可能ではない。そしてナザレのヨシュアを召還することにより、唯一神召還を実現できる。
聖杯システムにおいて召還に必要となるのは、触媒と器。アレックスは器としてナザレのヨシュアという男のクローンを用意したのだ。それは同時に触媒ともなる」
「そんな……」
シンジはそれ以上何も言えない。顔を紙のように蒼白にし、今にも倒れそうになっている。ゲンドウはそれに構わず説明を続けた。
「ゼーレは何百年にも渡って聖遺物の収集を行ってきた。その中には本物の聖杯、本物のロンギヌスの槍、本物の聖骸布、いずれかがあるのだろう。要は救世主の本物の血液、あるいは体組織があればいいのだ。そこから核を取り出し、未受精卵に移植し、仮親の子宮に着床させる。それで救世主のクローン、器が完成する」
アサシンが気遣わしげにシンジに寄り添う。今まで黙っていたレイが初めて口を開いた。
「もし唯一神召還に成功した場合、器となった者は、その母胎はどうなるの」
「砕け散る。絶対に助からん」
ゲンドウの断言にシンジは身体をふらつかせた。リツコは肩をすくめる。
「確かに、人間の身でそんなものを受け止められるわけがないわね」
「セイバーのマスターはそれを理解しているの」
レイの独り言のような問いにゲンドウが答える。
「おそらく判っているだろう」
「何故彼女は逆らわないのです? 魔術で洗脳されていると?」
アサシンの言葉にゲンドウは首を振った。
「いや、魔術による洗脳は行っていないだろう。アレックス・ラングレーは精神的圧迫による洗脳も研究課題としていた。惣流アスカがその実験の題材になっていたのは疑いない。父親としての地位と13年の時間があれば、人一人を思いのままに洗脳するのは容易いことだ」
「どうすれば唯一神召還を防げますか? 母胎の身柄を確保して胎児を堕胎すればいいのですか? あるいは残り3日間をライダーから逃げ回って時間切れを狙えば」
リツコの提案にゲンドウは首を振った。
「胎児と母胎との魔術的なつながりが強すぎる。堕胎は間違いなく母胎に致命傷を与えることになる。時間切れを待ったとしても、その場合ライダーは自分自身を聖杯に捧げて『孔』を開く。4つの封印全てが聖杯に捧げられれば『孔』を開くのに充分な魔力を貯められる」
そして一同は沈黙する。思いの外長い時間その沈黙は続いた。
「……疲れた、少し眠る」
ゲンドウは身体を横たえる。リツコがゲンドウに布団を掛けた。
「はい、ゆっくり休んでください」
加持も背筋を伸ばし、その部屋から立ち去る。
「俺も少し休む。空いている部屋を使わせてもらうよ」
シンジは、ええ、と生返事した。そしてシンジも立ち上がる。
「僕も少し頭を冷やしてきます」
シンジもまたその部屋から出ていき、アサシンが無言のままシンジに付き従う。最後にリツコが立ち上がった。
「レイ、少しだけゲンドウさんをお願いするわ」
リツコが立ち去り、その場にはゲンドウとレイだけが残される。
「おとうさま……」
レイは眠るゲンドウの顔を、ただ見つめていた。
……シンジは庭に出て佇んでいた。呆然としたように流れる雲を眺め、真冬の冷たい風に身を晒している。アサシンが少し離れたところから、心配そうにシンジの様子を見つめていた。
「シンジ君」
そこにリツコが現れる。シンジはリツコと目を合わせようとしなかった。リツコは構わず話を始める。
「アレックスの計画を阻止するわ。それをできる者がいるとするなら、あなたとわたしのサーヴァントだけ。判るわね?」
シンジが少し精気を取り戻す。真剣な瞳でリツコを見つめ、頷いた。リツコは話を続ける。
「計画阻止の一番簡単な方法は何か判る? 惣流アスカを殺すことよ」
「リツコさん!」
シンジは思わず怒鳴っていた。だがリツコは微動だにしていない。
「事実よ、認めなさい。ライダーを倒すのはほとんど不可能だし、聖杯を破壊するとしてもライダーが守りに回ったならそれも不可能となる。その一方、惣流アスカを守護するのはセイバー。セイバーは強力なサーヴァントだけど、弱点が判っている以上キャスターならほぼ確実に倒せる。選択の余地なんかないでしょう?」
「アスカが望んで協力しているわけじゃない、無理矢理道具にさせられているだけなんだ! それなのに殺すなんて……!」
シンジの口調は血を吐き捨てているようだった。リツコは冷徹にシンジを告発する。
「もしアレックスの計画が実現するなら数十億の人間が死ぬわ。たった一人と数十億、シンジ君はそれを天秤に掛けて、一人を選ぶというの?」
「だからってアスカを切り捨てることが正当化されるわけじゃない。もちろんアレックス・ラングレーの計画は阻止する。でも僕はアスカも助けます。僕はそのためにこの戦争に参加したんだ」
シンジはリツコから目を逸らしながらそう言った。リツコが失望のため息をつく。
「……自分でも無理だと思っていることを、他人に了解させようとするものではないわ。シンジ君が協力してくれないのは仕方がないとしておく。でも、わたしの邪魔はしないでね」
リツコはそう通告し、コートを翻して去っていった。後には身を震わせているシンジが残される。
「アスカ……」
泣いているようなシンジの呟きは、冷たい空気に溶けていった。