「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月3日・昼
夢を見ていた。幼い少女の夢を。
優れた魔術師であること、それが少女にとっての全てだった。少女は魔術の修得するために血の滲むような努力をした。
少女にとっては時間の浪費でしかなかったが、普通の子供と同じように小学校に通った。少女は人前では普通の子供と同じように振る舞い、もちろん魔術のことなどおくびにも出さなかった。神秘とは秘匿されるべきものだったから。一般人に魔術の存在を教えるのは、魔術師にとっては死をもって報いるべき罪だったから。
「あたしはこいつらとは違う」
少女は魔術を修得するために死の危険に臨むことを繰り返している。そんな生活が日常の少女から見れば、普通の小学校の同級生など幼稚で低レベルもいいところだ。まともに相手にするに値しなかった。自然、少女は学校では孤立した。同級生は少女を敬遠し、少女もそれを当然のものと受け入れた。
「あたしはこいつらとは違う」
他者の全てを虫けらのように見下す、その強烈なプライドが少女を支える全てだった。それがあればこそ、少女は過酷な修行にも歯を食いしばって耐えていられたのだ。少女にとって友達と言えたのは、同じ魔術師である幼なじみの一人の少年だけだった。
学年が変わって、少女と少年は同じクラスになった。初めて同じクラスになってみて少女が驚いたのは、少年が多くの友達を持って同級生と馴染んでいたことだった。後になって考えればそれはごく表層的な付き合いでしかなかったことが判る。だがその時の少女にはそれは判らなかった。少女は少年に裏切られたと感じた。
少女は少年が二度と自分を裏切らないよう強力に縛り付けることにした。魔術の師匠の一人としての権限をもって、同級生の男子との交際を禁止して少女以外の誰とも口を利かせないようにしようとしたのだ。さすがに少年もそんな命令を簡単には受け入れらず、少女と少年は何度も衝突を繰り返した。やがて「少女と一緒にいる場合は少女のことを最優先する」というところで妥協が成立する。
もっとも、それまでの間に少年は男子の友達のほとんどをなくしていた。わがまま極まりない少女に全く頭が上がらない少年は、男子の同級生から見れば友情を結ぶ相手ではなく、揶揄の対象でしかなかったから。結局少女は自らの望み通りに少年を独占した。
友達をなくした少年は、いつの頃からかいじめの対象となった。少女の場合、同級生の女子からいじめられることはほとんどなかった。不当な攻撃に対しては十倍にして報復する少女の苛烈さを、同級生の女子は恐怖と共に知り抜いていたから。
一方穏やかな性格の少年はいじめに対しても特に反撃はせず、受け流すことを常とした。そのうちに、愚かで怖いもの知らずの男子は少女をもいじめの標的にしようとする。その場合は少年はいじめに反撃し、少女のプライドを満足させた。
ある時、少女は同級生の男子に髪飾りを壊されるといういじめを受ける。壊したのが誰かなのは魔術を使用すればすぐに判明する。だがその結果を証拠として開示することは当然出来はしない。その髪飾りは少年が誕生日のプレゼントとしてくれた物であり、少女にとっては宝物の一つである。
自制心が尽きた少女は魔術を使用しての報復を実行する。調理実習の時間、火系魔術を使ってガスコンロの炎を暴走させ、いじめの犯人を一瞬だけだが火だるまにしてやったのだ。
それだけならただの事故で終わっていただろうが、真の事件はこの先から始まる。火だるまになって火傷を負った同級生に、少年が治癒魔術を使っての応急処置を施したのである。そのために同級生の怪我は非常に軽いもので済んだ。教師や養護教諭、それに同級生の多くは常識に捕らわれ、自分の目を信じなかった。元々から大した怪我ではなかったのだろうと考えて、それに沿うように記憶すら改変した。
だが同級生の一部は少年が何か不思議なことをして火傷を癒したのだと思った。自分の見たものをありのままに信じた。それが魔術だと露見しはしなかったが。
少年の行動は周囲の大人の魔術師の中で大問題となった。少年が自分は間違っていないという意志を決して曲げなかったために問題はこじれにこじれた。協会から査問官が派遣される騒ぎにまで発展したのだ。少女も事情聴取を受ける羽目になり、その過程で少女が魔術で同級生を傷付けたことも明らかになってしまったが、それは大した問題にはならなかった。少女が神秘の秘匿に関しては誰よりも忠実に行動していたから。
査問官に対しても自分の正しさを主張しようとする少年を、少女と少年の保護者が必死になって説得した。少年が表面だけでも反省して見せることにより、騒ぎはようやく終息する。もしここまで来て少年が自らの主張を曲げないでいたなら、最悪の場合少年が殺されることもあり得ただろう。
ただし少年の受けた処分は決して軽いものではなかった。処罰として少年は査問官の手により制約の魔術を施される。その魔術は少年を長期に渡って激しく苛んだのだ。
「あんたバカぁ? あんな奴のためにそんな痛い思いをするなんて」
「別にあいつのために、ってわけじゃないよ。ただ僕は自分が正しいと思う行動をして、正しいと思うことを言っただけなんだ」
騒ぎのそもそもの原因である少女の行動について、少年は何一つ言わなかった。恨み言も、糾弾に類することも。
ただそれ以降少女の振る舞いが多少変化した。少女が同級生の女子と友達付き合いをするようになったのだ。それはごく表面的な付き合いでしかなかったが、それでも少年以外誰とも一緒にいようとしなかった以前からすれば飛躍的な進歩であった。それに伴い、少年と少女に対するいじめも次第になくなっていく。
一緒にいる時間は少なくなったが、少年は少女にとって誰よりも近しい者であり続けた。ただ、以前のように「子分、下僕」などと簡単に片付けられる存在ではなくなっていることもまた確かだった。
日が地平線から姿を現してからまだ間もない時間帯。シンジはアサシンとレイを連れて碇邸を出立した。空には雲一つなく、冷気がシンジの身体を締め付ける。シンジは「寒い寒い」と震えるが、アサシンとレイは寒さを感じていないかのように平然としている。
「そ、それじゃ行こうか」
シンジ達はバスを使って箱根山麓へと向かう。目指す先は山の中腹の洞窟。そこが第三新東京市地下大空洞の入り口だった。
1時間ほどバスに揺られ、バス停の終点を降りてハイキング気分で山の中へと足を踏み込む。山道を歩くこと十数分。シンジは他のマスターの気配を察知する。
「……この先に他のマスターがいる。方向と距離から見て、洞窟の入り口で僕達を待ち受けているとしか考えられない」
シンジ達は足を止めて顔を突き合わせた。
「マスターの数は」
「一人だけ。誰なのかは判らない」
「ライダーではないと思う。あれだけの魔力を放つ存在ならこの距離からでも識別できる」
レイの言葉にシンジが頷く。
「どうしますか、シンジ」
「進もう」
シンジはそう即答し、アサシン達も頷いた。
さらに歩くこと約10分、シンジ達は洞窟に辿り着いた。そして、その前に陣取っているアスカとセイバーの元に。
「朝っぱらからわざわざこんなところに来るなんて。余計な知恵を回さなければ死なずに済んだものを」
アスカが苛立たしげにシンジに宣告する。シンジはアスカの様子に不審を覚えた。病人のように顔色が悪く、頬が痩けている。髪もいつもほどには綺麗にセットされていない。
「アスカ、大丈夫? 何か具合が悪いようだけど」
アスカは一瞬唇を噛み締め、誤魔化すように怒鳴った。
「何よ! 敵の体調を心配するなんて、余裕なわけ?!」
「僕はアスカを敵になんてしたくない。アスカが好きで戦っているようにも思えない。アスカが何に苦しんでいるのか判らないけど、それから解放してあげたい。僕はそのためにこの戦争に参加したんだ」
アスカは泣きそうな顔をシンジから逸らす。少しだけ時間を置いて、アスカがシンジに向き直る。その時にはアスカは冷徹な魔術師の仮面を被り直していた。アスカはただ「敵」としてシンジを見つめる。
「セイバー、アサシンを殺しなさい。シンジを脱落させるわ」
長剣を抜いたセイバーが無言のままシンジ達の前に進み出る。
「アサシン、頼む。無理しなくていいから」
「そういうわけにもいかないでしょうね」
短刀を抜いたアサシンがセイバーの前に立ち塞がった。
「貴方のマスターはアレックス・ラングレーに良いように利用されているだけだ。貴方が倒されてしまえばもう利用されることもない、そうは思いませんか? セイバー」
アサシンの言葉にもセイバーはわずかに眉をひそめるだけだ。アスカは、
「セイバー、そいつをもう二度とそんな口利けないようにしてやって!」
と怒鳴った。その命を受け、セイバーは疾風のような速さでアサシンに斬り掛かる。アサシンは横に回ってその攻撃を受け流した。セイバーの連続斬撃がアサシンを襲うが、逃げに徹したアサシンはそれを受け切った。
アスカはセイバーの戦いぶりをただ見物などしていない。シンジ達の前に飛び出し、火系攻撃魔術を放つ。
「Alles verbrenne! Flammen-Pfeil!」
野球のバットのように巨大な炎の矢が空気を切り裂き、シンジ達へと突き進む。だがとっておきのその魔術は、レイの防御結界によって阻まれた。魔力のバリアに衝突した炎の矢は花火のような火の粉を撒き散らして宙に消える。その結界の堅牢さにアスカは歯軋りした。
「その程度の魔力でわたしに対抗するつもり?」
レイが冷たくアスカを見下す。レイは凍結魔術でバスケットボール大の巨大な氷の砲弾を生み出し、それを大砲のように撃ち出した。咄嗟に展開した防御結界でそれを受け止めるアスカ。氷の砲弾と結界は相打ちとなって双方消えるが、結界は砲弾の攻撃力を完全には殺せなかった。砕けた砲弾の破片がアスカに襲い掛かり、礫となってアスカを打つ。全身に無数の傷を作ったアスカは大地に膝を付き、前のめりに倒れた。
レイはとどめを刺すべく巨大な氷の投げ槍を生成している。シンジがレイの腕を掴み、生成の邪魔をした。
「そこまでやらなくていいんだ」
シンジはそれだけを言うとアスカに駆け寄り、抱き起こす。レイが慌ててそれに続いた。
「駄目、離して……」
アスカがシンジを突き放そうとするが、その力は弱い。シンジはそれに構わず強引にアスカを腕に抱き、治癒魔術を行使しようとした。
「Beneficentia Sanabilis……!」
一方レイは、
「セイバー、戦闘を止めなさい」
アスカに対しいつでも攻撃魔術を放てる体勢を取ったレイが、セイバーに通告する。セイバーはゆっくりと長剣を下ろして構えを解いた。セイバーに首を斬り落とされる寸前だったアサシンは露骨に胸を撫で下ろす。レイはさらに命じた。
「後ろを向いて、貴方の弱点をアサシンに見せなさい。貴方が最後まで無抵抗なら貴方のマスターは死なずに済むわ」
「今私のマスターを救わんとしているのはアサシンのマスターに見えるが?」
セイバーが皮肉な響きを交えつつレイに問う。レイは言葉まで凍てつかせながら酷薄にセイバーに告げる。
「彼に殺しはできなくても、わたしにはできる。バーサーカーの仇の貴方を許すつもりはないわ」
アサシンもまた暗殺者に相応しい冷酷な仮面を被り、セイバーに相対する。セイバーは肩をすくめ、長剣を地面に投げ出した。後ろを向いたセイバーが両膝を地面に付く。アサシンが短刀を両手で持って構えた。だが、
「アサシン、セイバーを殺すな」
シンジの命令がアサシンを留まらせる。アサシンとレイの不満げな瞳がシンジに向けられるが、シンジはそれに構わない。
「今は余計なことはしなくていい。頼むから僕を治療に専念させてほしい」
シンジは目を瞑り、精神を集中させた。シンジの両掌がアスカの身体の上を滑り、掌が放つ淡い光がアスカの傷口を塞ぐ。レイが付けた主立った傷の治療はすぐに終えるが、シンジはアスカの治療を続行する。アスカの身体から魔力の流れの乱れと強い違和感を感じたからだ。
シンジはその原因を探るべく肉体解析の術式を起動する。肉体が放射する魔力を受信し解析するだけでなく、超音波のように魔力を放ってその反響から肉体や魔力回路の状況を解析するという魔術である。シンジは特に違和感の強い腹部に集中して解析を進めた。
掌から魔力を放射し、反射して戻ってくるのを受信する。シンジの掌は確固たる反応を、特異な、特徴的な反応を掴んだ。シンジはその反応の意味を脳内の膨大なデータベースから検索する。
最初は勘違いだと思った。もう一度掌からアクティブソナーを打ち、受信・解析する。次は自分の受信した反応が信じられなかった。もう一度慎重に発信・受信・解析を繰り返す。結果は同じである。だがどうしてもその事実を信じられず、さらに精神を集中させて同じ魔術を繰り返す。
だがやはり手にする反応は同じである。シンジはそれでもその事実を受け入れることができず、もう一度同じ魔術を繰り返し、やはり同じ反応を掴んだ。シンジはその事実を受け入れる他なくなる。
「あ、アスカ……」
シンジはこぼれ落ちそうなほどに目を見開き、震える声でアスカの名を呼ぶ。怯えるように震えながら伸ばした手を、アスカは撃ち抜くように手の甲で払い除けた。アスカの瞳から大粒の涙が溢れ、いくつもいくつも頬を伝う。
「あ、あんたにだけは、知られたくなかったのに……!」
立ち上がったアスカは泣き顔を隠し、おぼつかない足取りでセイバーの元に駆け寄った。アスカはセイバーに抱き留められ、そのまま抱えられるようにして共に去っていく。シンジは顔を青ざめさせ、呆然とそれを見送っている。
レイとアサシンはシンジとアスカの様子に戸惑いを覚えながら、両者へと交互に視線を送ることしかできない。そしてアスカとセイバーは木立の奥へと姿を消し、その場にはシンジ達3人だけが残された。
「シンジ、一体どうしたというのですか」
アサシンが不満を口調に滲ませながらシンジを問い詰める。だがシンジは病人のように顔色を悪くしながら何らかの考えに囚われたままで、アサシンの言葉に反応しない。アサシンが何度も強く呼び掛けて、ようやくシンジの意識は現実へと戻ってきた。
「……ああ、ごめん」
「シンジ、何があったというのです。ちゃんと教えてください」
アサシンとレイは、揃って不満半分・心配がもう半分といった表情でシンジを見つめている。ともすれば自分の思考の泥沼に頭まで浸かりそうになっているシンジの肩を、アサシンは強く揺さぶった。
「セイバーのマスターの身体に、何があったというのですか?」
シンジは躊躇いながらも、血を吐くような思いで自分が掴んだ事実を口にした。
「……アスカ、妊娠している」
アサシンとレイはぽかんとした。数瞬惚けたまま時間を無為に過ごし、やがて何とか再起動を果たす。シンジは苦痛に耐えるかのように歯を食いしばっていた。
「……何かの間違い、ということはないのですね」
「4回も5回も確認した。あんな簡単な反応を間違えるわけがない。一体どうして……」
シンジはそのまま頭を垂れて黙り込む。アサシンとレイは途方に暮れたような互いの視線を交わし合った。
「どうするつもり?」
「マスターがこれでは聖杯システムどころではありません。セイバーのマスターに関する重要な情報も掴めたことですし、とりあえず引き上げてはどうでしょうか」
「仕方がないわね」
アサシンが先導し、レイと二人でシンジの手を引いて歩き出す。シンジは二人に導かれるままに素直に山道を歩いた。
山道をとぼとぼと歩いて数分後。シンジが突然足を止めた。シンジは元来た道を振り返ると険しい表情で道の先を見つめている。
「シンジ、どうしました?」
「……マスターの気配だ。多分ライダーだ」
レイが魔力受信の術式を立ち上げ、シンジの言葉を追認する。
「あの途方もない魔力を確かに感じられる。ライダーに違いないわ」
シンジの身体から熱風のような怒気が溢れた。気遣わしげにシンジに声を掛けるアサシン。
「シンジ、今の状態でライダーに戦いを挑むのは……」
「判っている、自殺行為だって言うんだろ。追いかけてこないうちに早く逃げよう」
シンジは突然全力疾走を始めた。転げ落ちるような勢いで、無様ながらも猛スピードを実現している。レイを抱きかかえたアサシンがシンジに続いた。
(今は逃げる。でも、いずれ必ず……倒す)
シンジは脳裏に描いたアスカの涙に、それを誓った。
第三新東京市中心部、繁華街。
繁華街の中でも場末の、猥雑な飲食店や風俗の店が軒を連ねる界隈。その一角の、路地裏の古びたビルの地下。そこにあるのは看板も店名も出ていない店である。一応はスナックらしいが、一見の客は絶対に入ってこない。リツコが訪れたのはその店だった。
入店したリツコは2人いた先客を見つめる。先客の一人は黒いスーツをだらしなく着崩した男で、カウンター席に座ってウィスキーを煽っている。もう一人はゆったりとした絹のズボンとサンダル、それに派手なネックレスだけを身にした、半裸の褐色の肌の男だった。
「ここに来れば会えると思っていたわ」
「よう、久しぶりだな」
リツコは加持の隣に座る。加持がリツコの前に空のグラスを進めた。リツコはそれを脇に退ける。
「昼間から飲むのはやめておくわ」
そうか、と呟く加持。加持の隣の半裸の男は、手酌でウィスキーをまるで水のように飲んでいる。
「ランサーという感じでもなさそうね。アーチャー?」
「その通り。このアーチャーは強力だぜ?」
加持は悪戯っぽく笑う。
「そのようね。それでもライダーには勝てないんじゃないかしら?」
「多分な。だが出し抜くくらいはできるさ」
リツコと加持の言葉にアーチャーは少し不快そうにするが、無言のままである。
「碇ゲンドウの居場所、掴めたの?」
「いくつか見当は付けているが、確証がない。揺さぶりを掛けてしっぽを掴みたいところなんだが」
そう、というリツコの呟きが空気に溶けた。リツコはアレックスの同行に関する調査報告書を加持に渡し、加持がそれに目を通す。
「……ゲンドウ氏が行方不明となったのは?」
「1月25日。工房が踏み荒らされていたことから、ゼーレの手の者に襲撃されて拉致されたと思われるわ」
「確かその日だったかな、この街のゼーレのアジトが一つ壊滅したのは」
え、とリツコが加持を見つめる。
「おそらくゲンドウ氏もアレックスの襲撃、あるいは暗殺を計画していたんだろう。それは実行されたが結局失敗した。一方同じ日に実行されたアレックスの方の計画は成功した、ってところか」
わたしに相談していてくれれば……とリツコは呟きながら悔しそうにカウンターを凝視してる。一方加持は密かに冷や汗を流していた。
(……もしかして俺が予定通りに帰国していれば、ゲンドウ氏を助けられたのか?)
「……加持君?」
「ん、ああ、何でもない。ただここの、ローレンツ記念病院でアレックスが何をしていたのかが気になるな、と」
加持はそう言って話を逸らす。リツコはあっさりとその話に乗ってきた。
「ええ、私もそれを調べたいと思っている。クラッキングを仕掛けてみたけど侵入できなかった」
加持は懐から小型のDVDディスクを取り出し、滑らせるようにしてリツコへと差し出す。
「ゼーレが独自に使用しているプロコトルのコードだ。俺には宝の持ち腐れだからな、りっちゃんが活用してくれ」
「ありがたく受け取っておくわ」
リツコはそれをコートの内ポケットへと差し込み、席を立った。
「何か掴めたらまた連絡するわ。それじゃ」
「ああ」
リツコはコートを翻し、その店から立ち去る。加持はグラスを振って氷に涼しい音を立てさせ、それを見送っていた。