「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月2日・夜
時刻は既に夜である。場所は碇邸。
シンジ達は負傷したレイを碇邸まで運んだ。シンジがレイの手当をしている最中、来客があった。
「こんばんわ」
アサシンに案内されて居間に現れたのはリツコだった。リツコはレイの姿を見て一瞬目を見開くが、特に何も言わず炬燵に入る。
シンジはリツコに対して「どうも」と申し訳程度に挨拶し、レイの手当に専念している。レイはずっと無言のままで、自分の治療をするシンジを何か不思議なものでも見るかのような目で見つめていた。
「よし、こんなもんだろ」
レイの包帯を巻き終えたシンジは一仕事終えたような爽やかな顔をしている。レイが無言のまま自分に注視していることを悟ったシンジは、小首を傾げた。
「どこか具合の悪いところでもある?」
「いいえ、問題ないわ」
レイは即答した。そして、少し躊躇いがちに言葉を続ける。
「どうしてこんなことするの」
「こんなことって?」
シンジはますます不思議そうにする。レイの口調はわずかながら苛立ったようなものとなった。
「わたしと貴方は敵同士なのよ。わたしは昨晩貴方を殺そうとした。なのに何故助けるの」
「でも、君のサーヴァントは倒されちゃったし、君はもうマスターじゃないだろう?」
レイがほんの一瞬泣きそうな表情を垣間見せる。シンジは自分の物言いを後悔しつつ言葉を続けた。
「義理でも君が父さんの子供なら、僕にとっては妹だ。妹を助けるのは兄の義務なんだよ」
「兄……」
レイはそれが初めて耳にする単語であったかのように、確認するように小さく呟く。シンジは肩をすくめて意図的に軽い口調で告げた。
「ま、昨日今日初めて会ったところでいきなり家族面されても面白くないだろうけど、我慢してくれないかな? しばらくの間、少なくとも父さんが見つかるまでは僕に君の面倒を見させてほしい」
「レイ、そうしなさい」
リツコがシンジの援護射撃をする。
「わたしとシンジ君はあの人を見つけるためにこの戦争を続けていく。あなたにも協力してほしいのよ、あの人の捜索を。サーヴァントがなくてもあなたの知識と魔力はきっとシンジ君の助力となるわ」
レイは躊躇いながらも「判った」と小さく頷いた。シンジは嬉しそうに笑う。
「良かった。これからもよろしく」
レイが勢いよくそっぽを向いた。シンジはちょっと寂しそうにしながらも「それじゃ、夕食の用意をしてくるよ」と席を立って居間から出ていった。そのためレイは顔を赤らめていたことをシンジに気付かれずに済み、安堵していた。
……肉が全く食べられないというレイのためにシンジは少しだけ難儀したものの、メインを湯豆腐にして何とか対応した。そして、一同で湯豆腐をつつきながらの作戦会議となる。まずはシンジから今日の出来事について報告があった。
「……僕も初めて見ました、アスカの父親。でもあいつは令呪を持っていなかった。令呪は黄金の騎士……ライダーの方に反応していました」
「あのライダーは聖杯戦争の規格外です。わたしがサーヴァントではなく、抑止力として万全の状態で現界したとしても果たして対抗できるかどうか……いくら何でも異常すぎです」
シンジとアサシンは話しているうちに深刻さが募ってくる。が、リツコの様子は普段と特に変わりない。
「ライダーが何の英霊か、あるいは英霊以外の何者なのかはわたしにもまだ判らない。情報が不足しているわ。でもある程度推測することはできる。それにはまず補助線を引く必要があるわ」
リツコの長い説明を聞いて、シンジが話をまとめる。
「……つまり、アレックス・ラングレーはゼーレと呼ばれる秘密結社の最高幹部。ゼーレはキリスト教神秘主義を標榜していて、キリスト教関係の聖遺物のコレクションも豊富である。救世主本人を召還する触媒だって持っていても不思議ではない」
「ええ。でもライダーが救世主本人だなんて言うつもりはないわよ。世界が持つ『抑止力』システムには英霊だけでなく、神族も戦力として登録されていると言われているわ。でも『抑止力』としての神族が発動されたのは歴史上1回か2回あっただけ。おそらくわたし達はその発動を『ノアの洪水』とか『アトランティス沈没』とかいう名前で記憶しているんでしょうね」
「つまり、『抑止力』としての神族が降り立つのはそのくらい極めて希有で異常なことであり、いくら碇家の聖杯でも神族の召還など不可能である、と」
アサシンの言葉にリツコが頷く。
「では、あのライダーは何なのです?」
「神族のごく一部、ほんの片鱗を召還しているんでしょうね。ゼーレは碇家とも聖杯システムとも関係が深い。何らかの裏技や反則技を使えば、神族そのものは無理でもその欠片、片鱗の召還くらいならあるいは不可能ではないのかも知れない……けど、一体何をどうすればそんなことができるのか、想像もできないわ」
リツコはそう言って嘆息した。
ともかく、とアサシンがシンジの報告をまとめる。
「セイバーは強力な英霊ですが弱点が判っている以上わたし達でも戦いようはあります。ですがライダーはわたし達とは次元が違います。あれに襲われそうになったなら即座に逃げる、それしかありません」
ちょっと情けないけどね、とシンジは自嘲気味に笑った。
シンジに続いて、次はリツコからの報告である。
「あの人が消息を絶ったのは、ゼーレ=アレックス・ラングレーに拉致されたためと断言してしまっても、もう構わないと思うわ。ならばアレックス・ラングレーの行動について調査すればあるいはあの人の行方が判るかも知れない。今日調査をさせたのは惣流アスカの行動についてだけど、結果的にアレックス・ラングレーの行動についても調査されている」
リツコはシンジにA4用紙2枚の調査報告書を渡した。シンジがそれを読む横からアサシンとレイが覗き込む。シンジは数十秒でそれを読み終えた。
「1月24日、養父のアレックス・ラングレーと共に来日。同日第三新東京市に到着。
1月25日、所在不明。
1月26日、養父と共に同市内ローレンツ記念病院を訪問。そのまま病院に宿泊。
1月27日、所在不明。同市内大和ホテルに逗留。
1月28日、養父と共に碇家本邸を訪問。大和ホテルに逗留。
1月29日、養父と共に同市内ローレンツ記念病院を訪問。大和ホテルに逗留。
1月30日、所在不明。大和ホテルに逗留。
1月31日、所在不明。大和ホテルに逗留……」
「碇ゲンドウ氏が行方不明となったのは何日です?」
「1月25日。工房が踏み荒らされていたことから、ゼーレの手の者に襲撃されて拉致されたと思われる」
アサシンの質問にリツコが簡潔に答えた。
「使ったのは民間の興信所だけど、たった半日でよく調べてくれた方だと思うわ。所在不明の箇所は魔術がらみで行動していた箇所でしょうから、これ以上調査させても何も出てこないでしょうね。時計塔のエージェントでもいてくれれば話は別でしょうけど」
リツコは古い知り合いの魔術師の顔を思い浮かべる。魔術師としてはせいぜい二流だが、エージェントとしては超一流の男。あの男もこの戦争に参加しているはず……。
「この、ローレンツ記念病院というのは?」
物思いに浸りそうになっているリツコをシンジが現実に引き戻す。
「え、ええ。一見は普通の総合病院だけど、内実はこの街における言わばゼーレの出先機関よ。同系列の病院はドイツでは先端医療技術の魔術への応用を研究していて、かなりの成果を挙げているとされているわ」
シンジは難しい顔をして考え込んでいる。数回何か言いかけて、結局何も言わなかった。まるで、言った言葉が現実となるのを恐れているかのように。
「……そうね、わたしはこの病院についてもう少し調べてみるわ。情報が集まらないうちからあれこれ憶測しても正解には届かないし」
リツコがシンジの思考を先回りしたかのようにそうシンジに告げる。シンジは「済みません」と頭を下げた。
「シンジ、わたし達はどう行動しますか?」
アサシンの問いに、シンジは腕を組んで唸った。
「聖杯……」
そう呟くように言ったレイにシンジ達の視線が集まる。
「この街の地下の大空洞に、聖杯システムの中枢がある。アレックス・ラングレーが反則技を使っているのなら、聖杯システムに何らかの手を加えたのかも知れない」
「そうね、確認の価値はあるわね」
「そうか、聖杯システムを正常に戻せば、もしかしたら戦わずにライダーを退けられるかも」
シンジが浮き立つように腰を浮かし掛けている。が、アサシンが冷静に突っ込みを入れた。
「ですがシンジ、貴方に聖杯システムの術式が異常かそうでないか、ちゃんと判るのですか」
シンジは「うっ」と言葉を詰まらせた。レイは無表情のまま一同に告げる。
「わたしが行って確認する」
「そうね、あなたにしかできない。頼んだわよ、レイ」
「そ、それじゃ僕達はレイの護衛をする。それでいいかな、レイ」
シンジの言葉にレイは「構わないわ」と頷いた。
「わたし達の目的は調査であって戦闘ではありません。定石を外して、普通の魔術師が休んでいる朝か昼間に調査に行った方が安全だと思います」
アサシンの提案をシンジとレイは受け入れる。調査には翌日の朝から出掛けることにして、今夜はゆっくり休むこととなった。
碇邸の2階の客間。レイはシンジに布団を用意してもらい、そこで寝ることとなった。
寝間着を持ってきているはずもないので、シンジからシャツを借りて下着の上にそれを着ている。レイは部屋の電気を消して、窓と雨戸を開け放った。真冬の夜の身を切るような冷気が流れ込む。雲一つない夜空に浮かぶ月は、闇の夜に浮かぶ氷のように輝いていた。
「……『兄』、『妹』、初めての言葉。憎んでいるはずなのに、どうして」
どうして胸の内がこんなに暖かくなるのだろう。レイは声に出さずにそう呟く。月明かりを浴びたレイの姿はまるで月の妖精のようだった。
同時刻。市街中心部、大和ホテル。
大和ホテルは外国政府要人も宿泊する超一流の高級ホテルである。そのホテルの最上階は今、アレックス・ラングレーの逗留のためにフロアがまるごと借り占められている。そしてアスカもその最上級のスイートルームの一つに宿泊していた。
スイートルームのベッドルームは消灯済みである。天蓋付きの、3畳くらいありそうな巨大なベッドの上で、アスカが横たわっている。いや、アスカはベッドの上で身体を転がしていた。腹部を両手で押さえたアスカは苦悶の表情を浮かべ、苦痛を少しでも和らげるために身を右へ左へと捻っている。汗が全身から滝のように流れ、シーツを濡らしていた。
「……くぅうぅぅっ……うぐっうぅぅっ……」
苦痛のあまり涙が流れ、止まらない。アスカは腹部を押さえ、胎児のように身を丸める。握り締めた手の平に爪が刺さり、血が流れていた。
「……何だってこんな……。……なんて、絶対にいらないのに……!」
アスカの呪詛のような言葉を紡ぐ。それは誰にも聞かれることなく、闇へと溶けて消えていった。