「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月1日・夜
「今更だけど、シンジ君。わたしと同盟を結ばない? 期間はあの人を見つけられるまで」
リツコのその提案を、シンジは無条件で受け入れた。シンジはリツコの紹介で、聖杯戦争の代理の監督役と顔を会わせる。ゲンドウの代理は、冬月という名の長身で白髪の老人だった。
シンジは冬月に戦争に参加する旨を告げ、冬月はそれを受け入れる。手続きはそれで完了し、シンジはアサシンのマスターとして登録された。その後、リツコはシンジを連れて移動する。
「リツコさん、どこに行くんですか?」
「貴方の家よ」
夕陽は既に沈み、時刻は夜である。シンジ達が到着したのは田園地帯の片隅に建つ古い農家である。そこはシンジが3歳まで両親と共に育った家だった。
「この家は碇家の所有物。この戦争の期間中は貴方が好きに使って構わないと、本家の許可も得られているわ」
シンジはリツコの言葉が聞こえていないかのように、家の中を見回している。かすかに残る記憶と家の中の様子を懸命に照合させているようである。
「とりあえず今夜は身体を休めて、養生しなさい。明日の昼頃連絡するわ」
リツコはそう言い残し、碇邸から退出していった。
シンジは押入から布団を引っぱり出し、炬燵を設える。そして下半身を炬燵に潜らせ、座布団の上に大の字になった。折れた肋骨が軋みを上げ、シンジは顔をしかめる。
シンジは目を瞑り、何の気なしに左手の甲の刻印……令呪に魔力を流した。令呪が魔力の存在を把握する。シンジから遠ざかっていく魔力が一つ、これはリツコだ。他には探索範囲内に魔力は存在しない……いや、新たな反応が現れた。その新たな魔力は真っ直ぐにリツコの元へと進み、二つの魔力が重なるほどに接近する。
「まさか……他のマスターに襲われている?」
シンジは発条のように身を起こした。肋骨が悲鳴を上げるがそれに構う暇もない。コートを掴んで玄関へと走り出す。
「アサシン!」
「はい、マスター」
霊体となっていたアサシンが現界し、シンジと並んで走った。
「リツコさんが、多分他のマスターに襲われている。助けに行く」
「了解しました」
外へと飛び出したシンジとアサシンは、真っ直ぐ伸びるアスファルトの道路を駆け抜けていった。
……そこは田園地帯の真ん中であり、広がる田畑の中央に真っ直ぐに道路が続いている。街灯はなく、民家の明かりは遙か遠い。
寒々としたその場所で、2組のマスターとサーヴァントが対峙していた。1組はリツコとキャスター。もう1組は、幼い少女と巨人であった。
少女の年齢は12~13歳くらい。身体は小柄で、折れそうに細い。どことも知れない学校の野暮ったいブレザーの制服と、安っぽいダッフルコートを身にまとっている。髪と肌からは色素が欠落しており、雪のように白い。そして赤い瞳がまるで妖精のような印象を与える、現実離れした美少女だった。
そして少女の従者は、身長は3mに届きそうな見上げるような巨人である。肌の色はまるで金属のような青銅の色をしている。腰と足先は鎧で固めているが、脚のほとんど、そして上半身は裸である。そして胸から上をフードと一体となったマントで覆い隠していた。
「……あの人が行方不明なのはあなたも知っているでしょう。あの人がいなければこの戦争に勝ったところでわたしには意味はない。それはあなたにとっても同じことではなくて?」
「それとあなたと協力することと、何の関係があるというの」
レイは無関心を装いリツコに返答する。が、リツコはレイの内心が揺れ動いていることを悟っていた。
「あの人が消息を絶つ原因となった者……それが誰かわたしには心当たりがあるわ。それはわたしとあなたにとって共通の敵とならないかしら?」
レイは沈黙する。レイが同盟を受け入れるかどうか逡巡しているのが傍目にも判る。あと一押し、とリツコは意気込んだ。だが、
「リツコさーん!」
シンジとアサシンが全力疾走でその場に現れた。リツコの目前で急停止したシンジは荒い息を継ぎながら胸を押さえる。アサシンは短刀を抜いてレイとバーサーカーに対峙した。
「シンジ君、アサシン、待ちなさい。レイとは今交渉中、敵じゃないわ」
リツコはアサシンを宥めるように言う。
「……いえ、交渉は決裂よ」
レイは態度を急変させた。それはまるで氷壁のように頑なで、手掛かりがない。リツコは顔色を変えた。
「待ちなさい、レイ。まだ話は……」
だがレイは最早リツコの言うことに耳を傾けない。レイは無言のまま紅い瞳をシンジへと向ける。シンジはその瞳の色に確かな殺意を感じ取り、戸惑った。
(な、何で?)
レイは静かに自らのサーヴァントに命ずる。
「バーサーカー、碇シンジを殺しなさい」
「WWWWWWWWWーーー!!」
バーサーカーが咆吼とともにマントを剥ぎ取る。露わになったバーサーカーの姿に、シンジ達は息を飲んだ。
「ま、まさか……!」
「ヘカトンケイレス?!」
バーサーカーの頭部には一本の毛髪もなかった。耳は悪魔のように尖っている。目鼻立ちには凹凸が少なく、作り物めいた印象を受ける。そしてバーサーカーの腕は、10本あった。バーサーカーは6本の腕にそれぞれ長剣・戦斧・盾・短剣、さらに弓と矢を持っていた。
「WWWWWWWWWーーー!!」
肝が潰れるような雄叫びを上げ、バーサーカーが突進してくる。アサシンが迎撃に出て短刀で斬り掛かるが、バーサーカーの長剣の一旋で十数mも吹き飛ばされ、地面を転がった。
「ちっ」
キャスターは小さく舌打ちをし、次いでバーサーカーを迎撃する。キャスターはバーサーカーの懐に飛び込んで長剣で腹を薙いだ。が、浅い。皮一枚を切っただけだ。そのままバーサーカーの背後へと駆け抜けるキャスター。バーサーカーはキャスターへと向き直り、戦斧を叩き付けようとする。
「貴様の攻撃は私には届かん!」
キャスターのその言葉にまるで暗示に掛かったかのように、バーサーカーの一撃はキャスターを逸れてアスファルトの道路にクレーターを作っただけに終わった。バーサーカーは暴風のような勢いで戦斧を振り回し、長剣を閃かせる。だがその攻撃はキャスターにかすりもしていない。キャスターが一旦バーサーカーの間合いの外に出る。バーサーカーが猛獣のような唸り声を上げながらキャスターと対峙した。
レイは無表情な中にもわずかながら苛立ちを覗かせて、その戦いを見守っている。そのレイの目の前にアサシンが現れた。レイは咄嗟にバスケットボールのような巨大な氷の砲弾を魔力で作り出し、それを撃ち出す。軽自動車くらいなら軽くスクラップにできる威力を込められたその砲弾は、アサシンの目前で砕け散った。アサシンが短刀で氷の砲弾を薙ぎ払ったのだ。
アサシンはレイの鼻先に短刀を突き付けた。
「アサシン、殺すな!」
シンジは思わず叫ぶ。アサシンは一瞬シンジに視線を向け、レイに向き直った。
「わたしのマスターもああ言っています。バーサーカーのマスター、今夜は勝負なしとして退いてはもらえませんか」
レイはアサシンもリツコも眼中になく、ただシンジだけを殺意を込めて見つめた。レイの視線にたじろぐシンジ。
「バーサーカー、退くわ」
キャスターと対峙していたバーサーカーはゆっくりと構えを解いて、レイの元に戻ってくる。そして二人はシンジ達に背を向け、闇の中へと去っていった。レイのただ一言を残して。
「碇シンジ、貴方はわたしが殺すわ」
バーサーカーの気配が消え、安堵のあまりシンジはその場に座り込んだ。
「……なるほど、そういうことね」
「何がですか?」
一人何かを納得しているリツコに、シンジが尋ねる。だがリツコ何も答えなかった。
……第三新東京市の一隅。郊外のスポーツ施設の広大な駐車場。
深夜ともなれば人気も完全に途絶える場所である。人払いの簡易結界が展開されていれば尚更だ。今そこは人外の戦士達の戦場と化していた。
セイバーが長剣を振るい、ランサーが槍でそれを受ける。セイバーの剣が空気を切り裂き、巨大な真空の断層を生み出す。その余波がランサーの髪と肌を裂いた。ランサーは頬に流れる血を舌で舐めとる。
ランサーは全身を分厚い銀色の鎧で完全に包み込んでいた。年齢はおそらく30代くらい。岩を削り出して作ったような、太々しい面構えは歴戦の戦士のそれである。
ランサーが槍でセイバーの腹を剔ろうとし、セイバーがそれを避ける。ランサーはそのまま槍を横に薙いだ。セイバーはそれを剣で受けつつ後方にジャンプ、槍の勢いを受け流す。それでも槍の穂先がセイバーの腹をかすめた。槍の魔力とセイバーの全身を覆う魔力が反発し、紫色の電撃が走る。
セイバーとランサーが距離を置いて対峙する。だがサーヴァントにとってその距離は完全に間合いの中だった。セイバーとランサーが全身に魔力を貯め、殺意を高めている。
二人のサーヴァントの戦いを、二人のマスターが見守っていた。アスカはセイバーの後方にいて、腰に手を当て仁王立ちしている。冷徹な魔術師を装った仮面の下から、わずかながら不安と苛立ちを垣間見せていた。一方ランサーのマスターたる葛城ミサトは腕を組み、余裕を感じさせつつランサーの戦いぶりを観戦している。
「可愛い顔してなかなか凄いサーヴァントを持ってるわねー。ランサーと互角に戦えるなんて」
「セイバー、何やってるのよ! その程度のサーヴァントくらいさっさと片付けなさいよ!」
アスカはややヒステリックになって己がサーヴァントに命じる。ミサトはアスカの様子に不審を覚えた。
「マスターの御命とあらば」
セイバーは長剣を水平に構え、獲物に飛びかからんとする虎のように身体を屈めた。長剣が牙のように白く光る。ランサーは腰を落とし、迎撃のための重厚な構えを取る。二人のサーヴァントの間で戦意が急速に水位を高めていた。
だがそこに、招かれざる者が現れる。
「良くやってくれているようだね、僕の可愛いアスカ」
その声がした途端、アスカの顔から冷徹な魔術師の仮面が剥がれ落ちた。仮面の下にあったのは怯える少女の素顔である。ミサトはアスカの豹変に目を見張った。そして声の主へと視線を向ける。
闇の中から姿を現したのは、白人の男だった。年齢は非常に判り難いが、外見上は20代後半から30代前半。身にしているのは超一流ブランドのスーツであり、コートを肩から羽織っている。
やや色の薄い金髪は透明感があり、少し長めの髪には癖一つない。身長は高く、身体は細身である。そのマスクは鋭利な印象の美青年だ。丸い眼鏡を掛け、瞳は色の薄い青。細めで若干吊り上がった狐のような目はどこか酷薄な印象を与える。そして、人を小馬鹿にしたような皮肉げな笑みを口の端に浮かべていた。
「お、お父様、どうして……」
「可愛い娘が健気に戦ってるのだから、父親としては手助けをしないと。そうだろう? 僕の可愛いアスカ」
震える声で問うアスカにその男が答える。巫山戯たような男の口調にミサトは気分が悪くなった。
「何あんたは。マスターでもない者に余計な手出しをされても目障りなだけだわ」
ミサトは黒鍵を数本取り出し、指に挟んで手に下げた。が、その男はミサトの威嚇にも動じない。
「僕だってマスターさ。これが僕の一人目のサーヴァント」
男はアスカの肩に手を掛ける。アスカは小さく身を震わせた。
「そしてもう一人のサーヴァントが……」
男がスーツの懐から黒真珠のような宝石を取り出す。その宝石が漆黒の光を放った。暗幕のように広がる漆黒の影から、馬蹄が大地を叩く音とともにそれは現れた。
巨大な馬と、それに騎乗する甲冑の騎士。馬は燃え上がるような赤い毛並みで、銀色の鎧でその身を防護している。騎乗する騎士は、身体の線の細さから察するにまだ少年のようだった。騎士は黄金の甲冑で全身を覆っている。金のマスクで頭部も隠し、外から見えるのは騎士の口元だけである。その口元は固く結ばれ、どんな感情も伺い知ることができなかった。
ミサトは我知らずのうちに後ずさっていた。
「ら、ライダーのサーヴァント……? でもマスターの気配が……」
黄金の騎士が放つ魔力はサーヴァントの規格を大きく超えている。もちろん人間ではあり得ない。でありながら、その黄金の騎士からはマスターの気配が感じられる。ミサトは混乱しつつも、ある一つのことは嫌というほど理解できていた。
(あれには勝てない)
ミサトは唇を噛み締め、ランサーに命じる。
「ランサー! 宝具を!」
持てる最大の攻撃を敵にぶつけ、ダメージを与えてその隙に撤退する。ミサトの意図をランサーは理解し、己を奮い立たせるために雄叫びを上げた。
「うぅおおぉぉっっ!!」
槍を構えたランサーが全魔力をその穂先に込める。槍とランサーが1本の矢と化し、光の速さで黄金の騎士へと突進した。ランサーが宝具の真名を、その魔力を解放する。
「世界を征する神の槍!」
救世主の血を受け、手にする者は世界を征するとまで言われている最上級の宝具「ロンギヌスの槍」。どんな英霊だろうと、これをまともに食らって無傷でいられる者は存在しない。そのはずだった。だが、
「な……」
ロンギヌスの槍は二つに裂けていた。黄金の騎士は剣の先端で槍の穂先を受け止めていた。剣の異様としか言いようのない鋭さと槍の突進力が、最上級の宝具を真っ二つにしてしまったのだ。
ランサーは槍の残骸を手に呆然としている。何が起こったのか理解できないままでいるランサーの頭頂部に、黄金の騎士が剣を振り下ろす。ランサーは頭部から股までを断ち斬られ、二つになって地面を転がった。
「くっ!」
ミサトは最後までその有様を見届けることなく身を翻していた。手近な遮蔽物を目指して全力疾走するミサト。背後に圧倒的な熱量と死の気配を感じたミサトは振り返りもせずに横に飛んだ。強力無比な魔力弾がミサトの至近に着弾し、ミサトの身体を木の葉のように吹き飛ばす。ミサトは無様にアスファルトに身体を叩き付けられ、地面を転がった。
半分以上意識を失いながらも、代行者としての生存本能だけでミサトは行動する。ミサトはそのまま地面を転がり続け、植え込みの中へと飛び込んだ。魔力が着弾して植え込みの木々が爆発し、燃え上がる。ミサトは火の粉を全身に浴びながらも植え込みの中を這いずって移動。1秒でも速く、1mでも遠く、黄金の騎士から逃れようとした。
やがて植え込みが切れて、ミサトが身体を露出させる。それを狙いすましたように魔力弾が飛来した。ミサトは咄嗟に黒鍵を投擲して魔力弾を迎撃する。だがそれは無謀だった。魔力弾の爆発はミサトの身体を襤褸布のように吹き飛ばした。
それを確認した黄金の騎士は、自らの宝具をどこへともなく収納する。それは一見では粗末な皮ベルトにしか見えないものだった。
黄金の騎士の戦いぶり……というよりは狩猟ぶりを眺めていた白人の男は、哄笑する。
「ははははは、圧倒的じゃないか。さすがライダーだよ。そう思うだろう? 僕の可愛いアスカ」
アスカは身体を萎縮させながら頷くだけで精一杯だった。
「君達がいてくれれば僕が聖杯を手にするのは間違いない。期待しているよライダー、それにアスカ」
俯くしかないアスカの横に、無表情を装ったセイバーが寄り添う。黄金の騎士……ライダーは無言のままで、男の言葉にも何の反応も示さない。ライダーは馬上にあり、ただ闇の向こうを見据えていた。