「”運命”の子供達 ~7日間の黙示録」2月6日・昼
碇邸ではシンジ達がやや遅めの朝食を取っていた。
居間で食卓を囲んでいるのは、シンジ・アサシン・アスカ・レイ・リツコ、それにようやく起きられるようになったゲンドウである。
ゲンドウはこのアットホームな雰囲気が耐え難いようで、その辺にあった新聞を読む振りをして一同から顔を隠している。ただその新聞の日付は13年前のものだった。
いつもは人一倍おしゃべりで賑やかなアスカだが、今はあまり口数も多くない。アスカ以外には特別おしゃべりな人間はいないので、食卓には静かで穏やかな時間が緩やかに流れていた。
不意に、アサシンが独り言のように呟く。
「……戦いが無事に終わったなら、十月十日先にはセイバーのマスターは母親になるのですね」
アスカとシンジの手から箸が同時に転がり落ちた。氷の柱のように硬直するアスカに、リツコが追い打ちを掛ける。
「そうね、堕胎が不可能な以上産むしかないわ。その年で母親になるのも大変でしょうけど負けないでね。シンジ君も」
「え、僕もですか?!」
シンジが声を裏返させた。リツコがわざとらしく肩をすくめる。
「『僕はアスカを守る』って言っていたのは誰だったかしら? この戦争が終わっても彼女が背負うものの重さは変わらないのよ。貴方はそれを見過ごすつもり?」
シンジは酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせている。が、アスカが縋るような瞳で自分を見つめていることに気付き、シンジは腹をくくった。シンジは唾を飲み込みながら一同に宣言した。
「もちろん見過ごしたりしません。誰のクローンだろうとその子がアスカの子供なら僕の子供も同じです」
「シンジ……」
頬を赤らめたアスカが濡れたような瞳をシンジへと向ける。シンジはとびっきりの笑顔でアスカの視線を迎えようとした。だが、
「何恥ずかしいこと言ってんのよーっ!!」
アスカが箸を握り締めたまま右ストレートをシンジの顔面へと叩き込む。シンジは吹っ飛ばされてひっくり返った。アスカはシンジに背を向け、ご飯を口へと掻き込んでいる。慌てて起き上がったシンジはアスカの至近にひざまづいて、アスカの顔を覗き込もうとした。
「あの、僕じゃ駄目かな?」
「誰もそんなこと言ってないじゃない」
「……僕をその子の父親として認めてくれる?」
「そんなの……」
内緒話をするように顔を寄せ合い声を潜めて会話する二人は、端から見ればいちゃついているようにしか見えなかった。リツコ達からすれば阿呆らしくて突っ込みを入れる気にもなれない。ラブラブバカップルな結界を展開させている二人を置いておいて、リツコ達は言葉を交わす。まずリツコが、
「シンジ君が子持ちになるなら、あなたはおばさんになるのね」
とレイをからかった。レイは即座に反撃する。
「おとうさまと再婚するなら、あなたはすぐにばあさん」
リツコとレイは互いに氷の笑みを漏らした。
「言うじゃない、おばさん」
「あなたほどじゃないわ、ばあさん」
シンジ達に続いてリツコとレイも、北極圏のように冷たい異様な空間を作り出している。ゲンドウはだらだら冷や汗を流しているのを新聞で隠していたし、アサシンは湯飲みを両手に持って窓の向こうを見つめ「今日もいい天気ですねぇ」と一人和んで現実逃避をしていた。
朝食とその後片付けを終え、シンジとアスカはゲンドウにより納戸へと連れてこられていた。リツコ達も野次馬として後ろから付いてきている。納戸にあったのは、大きな葛籠、ベビーベッド、乳母車、玩具等であった。
ゲンドウが葛籠を開け、中に入っている服の1着をシンジに手渡す。
「お前が生まれた時に使っていた服、それに育児用品だ。これを使え」
人形用みたいに小さなその服は、赤ん坊のための産着だった。
「気が早すぎだよ、父さん」
シンジは呆れたような乾いた笑いを漏らしながらも、それを受け取る。さらに産着はアスカの手へと渡った。アスカはそれを愛おしむように両腕で抱き締める。
「……こんなに小さかったんだ、赤ん坊って」
アスカの瞳から涙が零れ、アスカはそれを誤魔化すように産着に顔を埋めた。アスカがそのままの姿勢で呟くようにシンジに訊く。
「……シンジ、あたしにちゃんと母親ができるかな」
「できるよきっと。僕も手伝うから」
シンジはそう即答した。アスカの瞳からは未だ涙が流れている。だがアスカは輝くような、澄んだ笑顔をシンジへと向けた。
だが穏やかな時間も終わりを告げる。シンジとアスカとリツコが同時に何もない壁の方を見、壁を凝視した。
「シンジ」
アサシンが確認するようにシンジの名を呼び、シンジがアサシンに頷いて見せる。
「マスターの気配が接近している。ここに向かって、真っ直ぐ」
シンジとアサシンが外に出るべく走り出す。アスカがそれに続いた。
「アスカ、君は家の中にいて」
シンジはそう言うが、アスカは無言のまま首を横に振る。シンジはそれ以上何も言わなかった。
碇邸の前に、シンジ・アサシン・アスカ・セイバー・リツコ・キャスターが並ぶ。リツコが人払いの簡易結界を展開し、迎撃の準備は整った。そこに、陽炎のように空気が歪んで何もない空間からライダーとアレックスが出現する。それまで使用していた光学迷彩の結界を解除したのである。
巨大な黒い馬とそれに騎乗する黄金の騎士、そして白人の男がシンジ達の前に進み出る。シンジ達は揃って身構え、今にもアレックスに襲い掛かろうとしていた。だがアレックスは己が強大さを夢にも疑っておらず、小動物の獲物を前にした狩人のような姿勢でシンジ達に臨んでいる。
「やあ、アサシンのマスター。今日は娘を返してもらいに来たんだ」
アスカが怯えたように身をすくませる。シンジはアスカを庇うようにアスカの半歩前に出た。アレックスはふざけた態度を保ったまま言葉を続ける。
「僕の可愛いアスカを大人しく返してくれるなら君達にも相応の報酬を与えるよ。そうだね、君達マスターは殺さず君達のサーヴァントだけを殺してあげよう。慈悲深い条件だろう?」
「断る、アスカはお前に渡しはしない。僕達もアサシン達も殺されはしない」
シンジは言下に拒絶する。アレックスはわざとらしくため息をついた。
「やれやれ、どう抗おうと結果は同じなのに。……アスカ、こっちにおいで」
催眠術に掛かったかのようにアスカの身体が前に進もうとする。シンジはアスカの肩を掴んだ。
「アスカ!」
アスカは何とか踏み止まった。アスカの身体が震えている。アレックスが悪魔のように口の端を吊り上げた。
「僕の可愛いアスカ、君は僕に従っていれば間違いないんだよ。それが君のためなんだから。優れた魔術師が他の劣った魔術師を従えるのは当然のこと、世の摂理なんだから」
シンジの手をすり抜け、アスカが前へと進んでいく。
「アスカ!」
シンジはアスカの名を叫ぶが、それはアスカの耳には届いていないようだった。アスカは夢遊病者のような足取りでアレックスの元へと歩いていく。その後ろにはセイバーが従っていた。シンジは唇を噛み締めながらそれを見送ることしかできない。
そして、アスカがアレックスの元へと到着する。
「よし、いい子だ」
アレックスがアスカの肩を抱き、アスカは小さく身を震わせた。アレックスはスーツの懐から賢者の石を取り出し、シンジ達へと示す。
「さあ、処刑の時間だ。精一杯抵抗して少しでも僕を楽しませてくれたまえ」
賢者の石から魔力が溢れ出ようとしている。さらにライダーがシンジ達の前に進み出た。シンジ達は戦闘体勢を取るが、その顔には一様に絶望が色濃く浮かんでいる。だがその時、アレックスの手から賢者の石がこぼれ落ちた。……数本の指と一緒に。
「がっ……!」
3本の指をなくした右手を、左手で押さえるアレックス。セイバーから神剣グラムを借りてアレックスの指を斬り落としたアスカは、さらに素早く賢者の石を拾い上げた。
「あたしは貴方の人形じゃない……! この子だって、貴方の道具になるために産まれてくるんじゃない!」
アスカは空を翔るようにシンジの元へと走り、シンジの胸の中に飛び込む。
「シンジ……! シンジ……!」
「アスカ、よく頑張ったね!」
アスカは感極まったように泣き出し、シンジはアスカをかき抱いた。アレックスは瞳から憤怒と憎悪を溢れさせながらそれを凝視している。
「よくも私に傷を負わせたな、この猿ども……! ライダー、皆殺しにしろ!」
ライダーがシンジ達へと手にしている天秤を突き付ける。アサシンとセイバーは剣でそれに対抗しようとするが、キャスターは違っていた。
「それを貸せ!」
キャスターはアスカの手から賢者の石を引ったくる。キャスターの意志に呼応し、賢者の石から膨大な魔力が溢れ出た。キャスターはその魔力を集約し、言霊を練る。キャスターは黄金の騎士に剣の切っ先を突き付けた。
「聞け、ダビデ! この剣が貴様を呪縛する洗脳を打ち砕く!」
キャスターは剣を振りかぶり、それを投擲。剣は矢のように飛んで空気を切り裂き、黄金の騎士の頭部、顔を隠す甲冑へと突き刺さる。甲冑の頭部が二つに割れ、アスファルトの上に落ちて涼しい音を立てた。
そして仮面の下から英霊ダビデの素顔が現れる。銀の髪と紅い瞳の少年は、未だ夢の中にいるように呆然としていた。だが事態は止まることなく先へと進む。黒い馬が、4つの封印がその身を揺すり、ダビデを振り落とそうとする。ダビデは鞍から飛び降りて大地に立った。
その間にも4つの封印の姿が急速に変化しており、それまで黒い馬だったのが、今は白い馬へと変貌を遂げていた。そしてそれには冠を被り、弓を手にした騎士が騎乗している。騎士は輝く甲冑を身にまとっており、
顔を覆った仮面には目鼻を抽象化したような線が刻まれている。背中にはマントの代わりのように翼が生えていた。
「あれは……?」
「第一の封印、イエス・キリストを象徴し地の四分の一を支配する権威を持つ天使よ。今までダビデに憑依していたのが、そこから排除されたのね」
シンジの疑問にリツコが答えた。
「殺せ! 奴等を殺せ!」
アレックスが見苦しく喚いている。アサシンはアレックスの息の根を止めるべく、滑るように大地を駆けた。アレックスは息を飲んで命令を変更する。
「ライダー、あの者から私を守れ! あの者を殺せ!」
ライダーがアサシンの前に立ち塞がる。アサシンは急停止し、ライダーと対峙した。接近するライダーに対し、じりじりと後退するアサシン。アレックスは嘲笑を浮かべて唇を歪めた。だが、
「命令の仕方が間違っていたわね」
それがアレックスの聞いた最期の言葉となる。眼前に迫る黒い刀身がアレックスの見た最期の光景となった。声が聞こえた背後を振り返ったアレックスは、7本の黒鍵により身体を貫かれる。顔面のうち眉間に1本、右目に1本、咥内に1本、さらに喉に1本、心臓に2本、鳩尾に1本。
黒鍵は完全に身体を貫通し、大地に伏したアレックスは後頭部と背中から刀身を生やした奇妙なオブジェと化した。言うまでもなく、完膚無きまでに、徹底的に絶命している。
「もしかしたらライダーはわたしの接近を察していたかも知れないのに。『あの者』じゃないわたしから貴方を守る義務はライダーにはなかったのね」
葛城ミサトは路傍の石を見るかのような目でアレックスの死体を見下ろしていた。シンジ達は事態の急変に脳の処理速度が間に合っていない。だがサーヴァント達は現在の最優先事項が何かを忘れてはいなかった。
「キャスター、それを貸せ!」
今度はセイバーがキャスターから賢者の石を受け取る。セイバーは石から奔流のように溢れる魔力の全てを神剣グラムへと流し込んだ。魔力は凝固のあまり膨大な光と熱を放っており、グラムの刀身が熔け掛かっている。限界を超えて魔力を集約したグラムは今、地上に堕ちた太陽のように輝いていた。シンジ達は眩しさのあまり到底目を開けていられなくなっている。ミサトは一目散に逃げ出していた。
「行くぞライダー! 怒れる神の剣!!」
セイバーとグラムが一体と化し、彗星となってライダーへと翔ていく。グラムがライダーに触れた刹那、光と熱が爆ぜて怒濤のように広がった。グラムの魔力のほとんどはライダーの身体に叩き付けられており、広がった爆風はただの余波に過ぎない。だがその余波ですら人間の身で耐えられるものではなかった。
アサシンはシンジ達を守るべくシンジの元まで急速後退し、背中の長剣を盾としてその爆風を受け止めている。キャスターもまた己が身を盾として自分のマスターを守っていた。
光と熱の乱舞がようやく収まり、シンジは慎重に瞼を開けて周囲の様子を窺う。それを見た途端、シンジの目は大きく見開かれた。
「まだ生きている……!」
ライダーは、白馬に騎乗する天使は右腕と身体の右半分を失っている。だがまだ死んではいなかった。地の底から響くような奇怪な唸り声を上げ、その怒りをセイバーへと向けている。セイバーはグラムを構え、もう一度宝具を放とうとした。だがセイバーが魔力を根こそぎ使用し、今にも崩れ落ちそうになっているのは誰が見ても明らかだ。そのセイバーの手から、
「今度は僕の番だ、借りるよ」
紅い瞳の少年が賢者の石をさらっていく。セイバーは目を見開いた。
「貴様……」
「受肉化した僕の攻撃力は君達より高い。余波に備えた方がいいよ」
ダビデは軽い口調でそう言いながら、頭上に掲げた皮ベルトへと魔力を集中させる。賢者の石から絞り出された魔力の全てが皮ベルトへと集中する。集中しすぎた魔力は空間すら歪めた。ブラックホールのような黒い虚無がそこに生まれ、ダビデはそれに押し潰されそうになっていた。ダビデは何とか足を踏ん張り、軽口を叩く。
「いやあ、ここまで魔力を集めたのは初めてだよ。僕の身体を好き勝手に使ってくれた報いを受けてもらうよ。耐えられるかな?」
ダビデの背後では3人のサーヴァントが集まって総出で防御を展開していた。セイバーもキャスターも頬を引きつらせている。
「さあ、あるべき場所へと還るがいい……巨人撃つ神の礫!!」
ダビデが黒い虚無を魔弾として撃ち放った。虚無はライダーへと着弾し、炸裂する。烈震のように大地が揺れ、そこに生まれた余波は魔力の怒濤となってセイバーを、アサシンを洗い流した。アサシンは剣を鞘から抜いて盾として前に突き出す。
「我が剣よ!」
アサシンの意志に呼応し、その剣は魔力の怒濤を薙ぎ払う。アサシンの剣は奔流を切り裂き、背後のシンジ達を守り抜いていた。
魔力の怒濤がようやく収まり、世界は静寂を取り戻す。首をすくめていたシンジ達は慎重に頭を上げた。
「……」
シンジは最早言葉もなく、ただ眼前の光景に絶望した。魔力を使い果たし、ダビデが膝を付いている。その先には巨大なクレーターが作られていた。そしてその中に、巨大な黒い馬がいて宙に浮いていた。馬には天秤を手にした天使が騎乗している。
第1の封印は滅び去った。だがまだ第3・第4の封印が残っていたのだ。
だが、黒い馬と天使はシンジ達に背を向けた。黒い馬は宙を歩きながらも馬蹄をならしている。馬蹄の音が次第に小さくなり、黒い馬の姿も空気へと溶けるように遠ざかり、やがて消えていった。
シンジはその場に座り込んでいた。その横ではアスカもシンジに縋り付いたまま腰を抜かしている。アサシンも膝を屈し、セイバーもダビデもキャスターもリツコも、立っていられる者は一人としていなかった。
「……見逃してくれた?」
「そういうわけじゃないわ。ゲンドウさんが言っていたでしょう、ライダーには条件付けの術式が組み込まれているって。アレックスが死んだからそれに従って聖杯を守るために移動したのよ、きっと」
シンジの疑問にリツコが答える。
「とりあえず、今のところは助かったってことか」
シンジは全身から脱力して天を仰いだ。真冬の青空に白い雲が流れていく。シンジは長い時間、ただそれを惚けたように眺めていた。