幕間その1 残された者、追うことを誓った者
アリアドネーでの学生生活も、もう今日で終わる。
事実、卒業式はさっき終わり、エヴァンジェリンは卒業辞退者となった。
これは、エヴァンジェリンが卒業に必要な単位をすべて修得したが、同時に卒業式に出ないための苦肉の策という学校の会見と、
アリアドネー以外の国からの、
『なぜ、真祖に魔法を教えたのか?』
という追求のため、苦肉の策としてそうなった。
しかし、流石はあらゆる権力にも屈しない、魔法世界の独立学術都市国家。
学ぼうとする意思と意欲を持つ者なら、たとえ死神でも受け入れると言われているだけの事はある。
あんな事件を起こした首謀者かもしれない、エヴァンジェリンを卒業させる気でいたのだから。
もっとも、エヴァンジェリンならこの事実を聞いても、
「必要なのは知識であって、それを使えるだけの経験だ。卒業証書という紙に、いったいいかほどの価値がある?」
と真顔で聞いてきそうだ。
そんな卒業式を終え、今俺は自身の机に座っている。
隣には、クラスでポツリと空いた席。いや、これからこの学校は閉校だから、二度と座る者もいないか。
そこの主は半年ほど前に俺の前から消え、それと同じように学園から消え、さらに言えば、魔法界全体から追われる様になった。
そう、彼女の名は『エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェル』真祖の吸血鬼にして、
俺に思いを託した人物。
そして、俺の初恋の相手で、今なお追い続ける人物そして、今の俺の一番の苦悩の種。
俺はあの幻想的な雪原で彼女から言葉をもらい、思いを託され、そして、契約した。
彼女を人の落とすと。彼女の様な人で無き者が穏やかに住める世界を作って見せると。
そして、その契約をした日から俺は猛勉強した。
前に進むために、先を見据えるために。
しかし、勉強は難しくエヴァンジェリンの言った事の難しさをさらに痛感する事になった。
先の見えない旅、答えの出ない設問、意地悪な解答欄。エヴァンジェリンを人に落とす為には、
この回答を一文字一句間違いなくパーフェクトに答えなければならない。
そう思い、ひたすらに勉強すればするだけ、欲した答えは遠のき、代わりに別の設問たちが生まれだす。
それを考えて考えて、そんな事をしていると、ある時エルシアが俺に向かって、
「今のアノマって、幽霊みたいで怖いよ?少しは肩の力抜いたら~?」
と言って来た。そして、俺はその言葉に怒ってしまった。
今思えば、馬鹿な自身への八つ当たりの代わりだったのだろう。
答えの出ない設問や、終わりの見えない旅への恐怖による。
そして、俺のそんな言葉を聞いても、エルシアは何も言わず、
ただ穏やかに怒る俺の言葉を聞いていたのが印象的だった。
さらに言えば、エルシアはそんな事があっても俺に関わって来た。
エルシア、俺とエヴァンジェリンの間に何時もいて、事を引っ掻き回すトラブルメーカー。
しかし、エルシアの教師としての質や、先生すなわち、『先』に『生』まれた者としては非常に頼りがいがある。
エヴァンジェリンが真祖だと分かった朝でも、エルシアは、
「エヴァちゃんが真祖?あぁ、別にそれだからなんだって事はないでしょ?
現に今までエヴァちゃんに何かされたとかっていう羨ましい生徒はいないんだし。
・・・・・、いたとしたら言ってやる!『何で私じゃないんだ!』ってね。」
なんてのたまう胆力を持った女性である。
そして、俺がエヴァンジェリンと分かれた朝に初めて出会った女性でもある。
そんな彼女とも、今日でお別れ。
そして、これから俺は一人で道を探さなくてはならない。
約束を果たすために、未来の彼女が笑顔になれるために、
そう思いながら、自身の髪留めを触る。
彼女が唯一俺にくれた物で、彼女との繋がり。
その繋がりを離したくなくて、これをもらった時から髪を伸ばし、今ではもうこの髪留めを使うのに十分な長さになった。
それからずっと、この髪留めは俺が使い続けている。
これがあれば、なんだかエヴァンジェリンが見ていてくれる様な気がするから。
でも、本人にその事を伝えたら、
「女々しいにも程がある!まったく、これ髪留めで、それ以上でもそれ以下でもない。
これに幻想を抱くのはかまわんが、抱いた幻想に食われるなよ。」
なんて事を睨みながら言ってきそうだ。
でも、それでもなお今の俺にはその幻想が必要なのかもしれない。
進むべき道も、見据える明日も、確定された未来もすべてない、あるのは白紙のキャンバスと自身という絵の具。
しかし、俺はその白紙のキャンバスに絵の具を垂らすのを恐れている。
「ふぅ、答えは霧の中か・・・・・、そういえば一度もあの後にあそこに行ってないな。」
そう思い、歩を進めるのは彼女が三年半暮らした寮の部屋。
ここも壊されれば、彼女のいたという痕跡はアリアドネーから抹消される。
そんな事を考えながら、両脇に扉のある廊下を進むと、日当たりの悪い彼女の部屋が見えてくる。
ほかの部屋の扉は閉ざされている、しかし、その下手の扉は閉ざされておらず、隙間が空いている。
もしかすれば、エヴァンジェリンいるのかと思い、こっそりと気付かれない様に中を覗くと、目に映ったのはエルシアだった。
彼女は日当りの悪い部屋の真ん中に立ち、エヴァンジェリンが何時も腰掛けていたベッドに向かい口を開いた。
エルシアの表情は見えないが、声の調子は何時もと同じようだが、どこか何時も以上に優しいという印象を受ける。
「卒業証書、エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェル殿。
貴殿は本校の卒業生たる知識をその身に宿し、何時如何なる時もその知の刃を自身の力と信じ、
ありとあらゆる苦難、逆境を跳ね除ける為の礎とし、自身の信じる道を突き進む事をここに証明する。」
そういって、どこで手に入れたのか、エヴァンジェリン用の卒業証書をベッドの方に差し出している。
しかし、そこにその卒業証書を取る者はいない。
当たり前といえば当たり前だが、この部屋にはエルシアしかいないのだから。
それでも、エルシアは卒業証書をベッドの方に掲げ続け、幾ばくかした後、証書を引っ込めてベッドに座った。
そして、薄暗い天井を見ながら一人口を開く。
「まったくもう!エヴァちゃんってば、居なくなるなら居なくなるでもっと早くに言ってよね。
そしたらこっそり卒業証書を前渡しして、『私の生徒はみんな優秀に卒業しました。』って、胸を張って言えたのにさ。」
そこまで言ってエルシアの語尾が少し暗くなった。
エルシアも何かしら考える所があるのだろう。
彼女は、事あるごとにエヴァンジェリンを気にかけていたから。
「ふぅ・・・・、ズルイよ。エヴァちゃんズルイよ!!私は頼りないかも知れないけど先生だよ!?
悩んだり、迷ったりしたら少しは相談してよね!まったくもう!・・・・、って言っても、エヴァちゃんは相談しないんだろうね。
貴女達は自身の足でここに来て、自身の足でどっかに行っちゃったんだからさ。」
そう言いながら、エルシアはベッドに仰向けに寝転ぶ。
多分、俺は今のエルシアの独白を聞いちゃいけない。
でも、その聞いちゃいけない独白の中に一片の光が輝いているようにも思う。
そおう思うと、俺の脚は鉛のように重くなり、動かなくなる。
そんな俺を尻目に、エルシアの独白は続く。
今まで聴いた事のないエルシアの声で。
「あ~あ、本当にもう、今年の生徒はみんな手がかからなさ過ぎだよ。
知ってるエヴァちゃん?『エヴァンジェリンさまに虐めて貰う会』のクーネってやつ。
エヴァちゃんが真祖だって噂が出回った瞬間アイツったらキザったらしく、
『あれほど綺麗な華なら棘があるのは当然。むしろ、真祖と分かって我等が会は、更なるご褒美を求め彼女を追う事を決意した!』
なんてのたまうのよ?もう、これじゃぁ先生が諌める事も出来ないじゃない。普通、そこは手の平返して、
『あんな化け物と一緒に学んでいただなんてゾッとする』とか言うでしょ?
そしたら先生的に『馬鹿を言うな、彼女が一体何をした!彼女はただここで学んでいただけだ!』
とか、言って本当の意味での『マギステル・マギ』の在り方を教えてあげれたのにさ。
それに、一番変わったのはアノマかな?」
そう言いながら寝返りを打ち、俺の方に背中が見える。
今気いたが、エルシアの背中はこんなに大きく、同時に小さかっただろうか?
俺がここに入学して、エルシアが担任になって、いつも見続けた背中はこんなにも・・・・、
こんなにも暖かかったのだろうか?
「アイツったらさ、生意気にも男の顔をする様になったのよ?
エヴァちゃんが何かしたんだろうけど、それでも・・・・、うん、見違えたと言うより、
あいつの中にあったあやふやさが消えたって言うのかな?
エヴァちゃんが来る前はその時その場がよければ、割りと後はどうでもって感じだったけど、今は違うね。
どんな目標があるのか、エヴァちゃんに何を言われたのかは知らないけど、それでも、アイツの中に1本の芯が通ったよ。
はぁ、本当はこれも先生の役目なんだけどね、それでも、各人が各人の足で歩き出すのは嬉しいかな?
まぁ、あの馬鹿は今度は、猪突猛進過ぎて自分の体ぶっ壊しそうだし、私もここが潰れたらしばらくは暇だから、
うちで一番手のかかるアイツの事を見ようかとも思ってるけど、これはここだけの秘密ね。
だって、なんだか照れくさいじゃん、もう先生でもないヤツがいきなりきて教えるなんてさ。」
エルシアの独白、独り言、愚痴。
そのすべてと取れて、どれにも当てはまらない言葉は続いている。
しかし、俺はエルシアに気付かれない様にその場を後にした。
寮から外に出てみれば空は蒼く高く、あの朝見た空とは違うが、同じ空がそこにある。
多分、俺は焦っていたのだろう。エルシアからも肩の力を抜くよう言われるぐらいに。
焦っていた原因は分かっている、俺一人の力で、彼女を人に落とそうとした事。
彼女に認めてもらいたくて、彼女に俺がこんなに凄い事をやってのけたんだって胸を張りたくて、
でも、その欲望が結局俺の目を曇らせ、さらには彼女が俺に望んだ、
「人としての生涯を駆け抜ければ。」
という言葉さえ忘れさせてしまっていたのだろう。
まったく持って、俺は大バカだ、大バカヤロウだ。
でも、それでも俺は立ち止まらない、前を向いて、先を見て歩く事を決めたのだから。
彼女はまだ、この世界に生きていて、なおかつ、彼女は、
「世界は何処までも無慈悲で残酷だが、だが、それでも絶望するほど酷くは無い。」
とまで言ったのだから、俺が立ち止まる事なんて、俺自身が許さない。
行き先は分からない、行った先も分からない。しかし、今はそれが心地いい。
まるで、春風に乗って、彼女の吸っていた魔法薬のシナモンのような甘い香りが吹いてくるように。
さて、俺は出来の悪い生徒だ。
卒業はしたが、下から数えた方がいい成績で、さらに言えば、猪突猛進脳筋バカ。
だけど、それは問題じゃない。俺には心強い味方がいる。彼女にチャチャゼロがいたように、
俺には先生としてのエルシアがいる。だから、もう少しエルシアには迷惑を被って貰おう。
ついでに言えば、俺も先生を目指そう。俺より『後』に『生』きる者達に、『先』に『生』きた者として、思いを繋いで行こう。
そうすれば、始まりの蕾は小さくても、いつかは大輪の花を咲かせて、それを彼女にプレゼントできるだろうから。
フフ、そう思うと、俄然やる気が出てきた。
俺は相変わらずバカだが、それでも俺は立ち止まらない。
彼女のために、そして、俺の今この胸にある熱い思いのために。
そう思っていると、寮からエルシアが出てきた。
タイミングは上場、今なら間違いなくエルシアの返事はイエスだろう。
だから俺は声を張り上げて叫ぶ、
「エルシアーーーーーーーーー!!!!!!勉強教えろーーーーーー!!!!!!!!!!!!」