(2012/10/26 17:21)初版投稿
(2012/10/28 13:20)こまごまとした増補
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異国風の装束の青年が、ひとりの女生徒に先導されて、学院内を歩あゆむ。すれ違う生徒や教師、使用人が好奇の視線をむけるなか、少女は得意げに胸を張って、颯爽(サッソウ)と進む。
青年は黒縁メガネをかけ、おだやかな笑みを浮かべているが、犯しがたい威厳を全身から発している。
(異国の神官さまかしら……)
(異国の修道士かな……)
青年がまとうえんじ色のゆるやかな衣装は、ブリミル教の修道士がまとう黒衣と雰囲気が似ていなくもない。
青年に気をとられていた女生徒のひとりが、青年の前を歩む少女にふと目をむけて、おどろいた。
(あら、ヴァリエールじゃない。見ちがえたわ)
彼女がはじめてルイズと出会って以来ルイズの表情につねに漂っていた険がすっかり消え去って、まったく別人にみえたのである。
(みすぼらしい平民を召喚したって聞いてたけど、……。彼がそうなのかしらね)
この女生徒はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ。ゲルマニア国の西端ツェルプストーの地を領有する伯爵家の令嬢で、国境を挟んで隣接するのがトリステインのヴァリエール領という縁でルイズとは幼なじみ、魔法学院では機会をみつけてはルイズを一方的にからかうという関係である。使い魔については、こんどすれちがうとき自分が召喚したサラマンドラのフレイムをみせつけて自慢してやろうと思っていたが……。その最初の機会では、タイミングを逸し、そのまま見送ることになった。
(それにしても、あの娘あんな表情できたのね……)
ルイズは、7才で杖を握って以来、一度たりとも魔法を成功させることができなかった。
どんなに努力しても、練習を積み重ねても、彼女の魔法はすべて爆発してしまった。
ヴァリエール城では、彼女を表立ってバカにしたりあざけるものはひとりもいなかったが、上は両親や姉たちから、下は使用人にいたるまで、密かに彼女へ密かに哀れみの目を向けていることを知っていた。
貴族とはすなわちメイジであり、魔法を使えるものがすなわちメイジであるという価値観の世界に生きていて、彼女自身、自らを卑下してるのであるから、ヴァリエール家の人々が、いかに内心の思いを完璧に押し隠してルイズに接したとしても、ルイズには彼らの心の声が聞こえてしまうのだった。
魔法学院に入学してからは、大貴族の子弟の中に、ルイズを公然とからかい、あざける者たちがあらわれた。
ヴァリエール家は王家の傍流で、王家たるド・トリステイン家につぐ王位継承権を持つ公爵家である。その3女に対して大した度胸であるが、魔法が使えないということが、それほどの軽蔑を招くという貴族的価値観の歪みをしめしている。隣国ガリアでも、統治者としてきわめて有能なジョセフ王に対し、魔法の才能に欠けるというだけで“無能王”という蔑称が冠せられている。
魔法学院には、ヴァリエール家を宗主としてあおぐ家々の子弟たち、すなわちヴァリエール家の家臣・家の子・郎党の子弟や、一門諸家の子弟がいる。“一門諸家”とは、歴代のヴァリエール家当主の兄弟を祖とする家々である。これらの諸家はぞれぞれ家臣・家の子・郎党などを持ち、その子弟も当然魔法学院に入学してくる。
トリステイン魔法学院には、ヴァリエール家およびヴァリエール家と統属関係をもつ家々の関係者だけでも、3つの学年で、つねに男女あわせて15人から20人ちかく在籍していた。1学年の定員が3クラス90人の魔法学院としては、非常に大きな集団である。ヴァリエール宗家の子女が入学するのはエレオノール以来11年ぶりで、ルイズがそのつもりになれば、ルイズを守り、気に入らない者に仕返しする強固な”とりまき”集団を結成することも可能だったが、ルイズはそうしなかった。
まずは女生徒たちが学位院内で組織する親睦会、趣味の活動、お茶会などから可能なかぎり遠ざかった。ルイズがその種の集まりに参加すれば、彼らのなかから、自分の趣味・嗜好ではなく”ルイズの楯となる”ことだけを目的に参加するものがでてくるのが目に見えたからである。また、あるときヴァリエール有縁のひとりの男子生徒がルイズをいつもあざける同級生に決闘を申し込んだのも、ただちにやめさせた。
ルイズは自分自身でみずからを深く卑下していたため、ルイズの名誉のために立ち上がろうとした男子生徒を含め、彼らヴァリエール家に縁ある者たちが、”魔法ができない自分を内心はバカにし、あるいは哀れみながら、自分の実家や自分の将来に何か得になることを期待して、自分の機嫌をとりにくる連中”にしか見えなかったのである。いっぽう彼らの側からすると、貴族社会・封建制という枠のもと、ヴァリエール宗家をもり立てるべき組織の歯車である家の出身者として自らの役割を実践しているだけのことであって、それは単に"ルイズ個人のご機嫌をとる"というレベルの問題ではないのであるが、主たるべきルイズから望まれた以上、彼らには、ルイズと距離を置き、遠くから見守るしかすべはなかった。
そのような彼らの一部が、ルイズの異常に気がついた。
(宗家のお嬢さまが、じつに晴れ晴れとしたご様子ではないか!このようなお顔はみたことがないな……)
かねてルイズに命じられているとおり、“お嬢さま”とは呼ばずに声をかける。
「ミス・ヴァリエール、そちらは?」
「ロバ・アル・カリイエのプー(=チベット)国の神官さまよ」
青年も名乗る。
「プー国のサンギェ神に使える神官、オシエ ヲ ホウズルウミともうします。ミス・ヴァリエールに招かれてトリステインに参った者です」
続けて一瞬だけ数珠をずらせ、左手の甲に刻まれたルーンを示す。
事情を察した彼らは、主筋のルイズの実にうれしそうな様子に、自分たちもなんだかうれしくなる。
※ ※
「なんと、異世界とな!」
学院長のオールド・オスマンは、ルイズと青年が作成した地図の説明をうけて納得せざるをえなくなり、おもわず大声でつぶやいた。
ハルケギニアとインチーは、国々の名前やいくつかの都市の名前が共通する一方で、大陸の形状や歩んできた歴史が、たんなる「食い違い」を超えて、まったく異なっている。
さらには暦。
青年は、ハルケギニア世界と、彼がもともといた世界の暦の相違についても説明した。
チベットには伝統的な「ポンダー(チベット暦)」があり、その他にもギャナク国固有の暦(=旧暦)、聖なるギャガー国(=インド)とギャナク国の双方が公的な暦として採用したチンダー(外国の暦,=西暦)などが知られているが、いずれも地球の公転周期が365日であることを前提としたものである。西暦の1027年を元年とする「ポンダー(チベット暦)」は月の運行を基準とした暦で、1月30日、一年を360日とする。月が地球の衛星軌道上を一周するのは30日ちょうどではないので、政府機関の"メンツィーカン(=薬暦院)"に計算させて、「余日」や「欠日」を置く。また6年おきに「閏月(うるうつき)」を設定する(1年を13ヶ月)とすることにより、地球の公転周期約365.2422日とのずれを修正するようになっている。また、先代国王の時代より、太陽暦「チンダー」(一週間が7日,ひとつきが29~31日、一年が365日)がつたわり、メンツィーカンが毎年発行する「ダト(暦書)」には、小さく西暦の年月日も記載されるようになった。
これに対してハルケギニアの暦では、一週間が8日、ひと月が32日、一年が384日となっている。しかも完全な太陽暦である。
地球でも、完全に月の運行を基準にした暦は一年が365日とはならない。チベットでも数千人のムスリム(イスラム教徒)の国民が使用しているヒジュラ歴は、一ヶ月が29日の「小の月」と一ヶ月が30日の「大の月」を交互に繰り返す純粋な太陰暦で、一年は354日であり、年に11日ほど地球の公転周期より前倒しされていく。そのため暦の周期と季節との関係は固定されない。しかるにハルケギニアの暦は完全な太陽暦であるにもかかわらず一年が384日なのであり、すなわちハルケギニアがある惑星と、チベット国がある世界(地球)とは、公転周期が相違する別世界であることが明らかなのである。
彼はインチー(=英国)製の腕時計をオールド・オスマンに示して指摘した。
「もしかすると、一日の長さも、私がもといた場所とこちらとではことなっているかもしれません」
オールド・オスマンと、教師のコルベールはうなりながら黙り込んだ。
※ ※
もともとは、ルイズの魔法の才能についての話題だった。
「ミス・ヴァリエールは、自分には魔法(マジィ)の才能がないと悩み苦しんでいました」
「そうです、系統魔法はむろん、ごく簡単なコモン・マジックでさえ。いかなる呪文も、彼女は爆発させてしまうのです」
「“ラ・マジィ”というのは、失敗すると爆発するものなのですか?」
彼は、“始祖ブリミルが創始した一連の魔法技術”を指す場合、チベット語ではなく、“公用語”の単語でそのまま「ラ・マジィ」と呼ぶ。コルベールは、そんなこだわりに気づかずにこたえた。
「いいえ、普通はなにもおこりません」
青年は、うなずきながらいった。
「つまり彼女は“ラ・マジィ”を思うようには使えないだけで、魔法をおこす力は持っていることになる」
「そうなりますな」
「それもとてつもなく強力な力を。私をヒマラヤの山中から、はるばるハルケギニアまで召喚したのですから」
「“ヒマラヤ”というのは、ロバ・アル・カリイエ(=東方諸国)の著名な山脈なのですな?」
「こちらのロバ・アル・カリイエにも“ヒマラヤ”はあるのかも知れませんが、私が来たのはそこではありません。別の世界です」
「“別の世界”ですと?」
青年がルイズにうなずくと、ルイズは持参した鞄の中からさきほどふたりで作成したハルケギニアとインチーの地図を取り出し、オスマンとコルベールに示した。
※ ※
沈黙する二人に、青年は告げた。
「私を、もとの場所に返していただきたいのです」
ここが異世界であるからには、トリステイン王国は"赤い東のコンチャの陣営"には属しておらず、したがって自身の身分をあきらかにしても、とらえられてギャマルに引き渡されることもない。
青年は、祖国チベットにおける自分の身分を明かし、おのれの使命について説明した。
彼にはふたつの身分・資格がある。
ひとつは、一仏教僧としての資格。彼は一人の比丘としては、顕教(けんきょう)の5学部を修了した段階で受験する"ゲシェー学位"の試験で最上級の"ラランパ"級に合格したが、さらに上級のカリキュラムが控えている、修行途上の身であること。
もうひとつは、チベット国家の国家元首としての身分。彼は裕福な平民の農家に生まれた。6才のとき先代国王の“生まれ変わり”の"禅師国王"として見いだされ、比丘としての修行のほかに帝王教育も受けた。8年まえ、ギャマルがギャナク国の政権を握り、大軍をもって侵攻してきたたため、15才の身で親政に着手した。つい10数日前、ギャナクの占領軍から彼の身を守るために首都の市民が蜂起した。国民が徒手空拳で占領軍に挑むのをやめさせるため、隣国に脱出をはかった……。
隣国のインドやネパール、ブータンと交渉して、祖国を脱出する国民を可能なかぎり多数受け入れてもらい、国外を脱出した国民を再組織し、祖国に残留する人々を鼓舞する。国際社会に対しギャマルの非道を訴え、チベット国家の回復のために支援を求める。彼には、このような事業の先頭に立つ責任がある。
「私には果たさねばならない使命があります。いきなり異世界に呼び出されて大変に迷惑しています」
ルイズは、申し訳なさそうな顔で青年をみている。
オスマンと顔を見合わせたのち、コルベールが答えた。
「……コンクラート・サーヴァントは一方通行です。元の場所にもどすことはできません」
「“ラ・マジィ”の流儀には、そのほかに、何か遠方と遠方を結んで往来する技はないのですか?」
「系統魔法にはそのようなものはありません。マジックアイテムの類にそのような物があるという記録が散見されますが、実在は確認されておりません。ましてや、異世界とこちらの世界をつなぐ魔法など……」
「ミス・ヴァリエールからは、こちらの“始祖”は“聖地”を通って異世界からやって来たと聞きましたが……」
「それは、その通りです。しかしそれはもはや“伝承”と化しています。始祖がどのようにして聖地にあらわれたのか。”異世界を渡る技”がどのようなものであったのか。現在は伝わってはいないのです」
ミスタ・コルベールはハルケギニアの“ラ・マジィ”に異世界を渡るための技術がないことを、しきりに強調している。はっきりと口にはださないが、使い魔として召喚され、契約を結んだからには残る生涯をハルケギニアで過ごせといいたいのであろうが、青年としては、禅師国王としてけっしてそのようなわけにはいかない。
「“先住の魔法”ではいかがです?」
「先住魔法については、我々はほとんど体系的な知識を持ち合わせおらんのです」
「わたしの国の伝承にも、遠方と一瞬に行き来したり、生き物を思うがままによびよせたり送り返したり、複数の場所に同時に存在したりする、偉大な”大神通力者”たちの物語があります。ミス・ヴァリエールの”ラ・マジィの才能”、”ラ・マジィの素質”についてはしりませんが、彼女がきわめて強力な“通力”を持っていることは疑いの余地がない。それもとてつもないものを」
ルイズの”通力”は、彼をここまで呼び出すほど強力であるのだから、当然に、送り返すことも可能であるはず。ハルケギニアと地球のヒマラヤ山中とを「つなぐ方法」は「ない」のではない、「知らない」だけだ。であるからには、なんとしても「見つけ」ていただかねばならぬ。
「私は当面こちらに滞在し続けざるをないわけですが、学院における私の身分はどのようなものになりますか?」
学院の生徒たちが召喚した使い魔たちは、通常は生徒所有のペットか家畜扱いである。
小型ならば、召喚した生徒が寮の自室で飼育する。また一定以上の大きさをもつ生物のために、学舎の周囲には厩舎や放牧地、大型の使い魔が営巣したりエサを狩るための広大な自然保護区などが設置されている。生徒たちは、在学中、学費とは別に、必要な経費を学院に収め、学院の人手や施設を利用して自らの使い魔を養う。
ルイズは自室に、家具を移動して3平方メートルほどのスペースを作っていた。自分が召喚したのが動物だったら、ここに寝藁かなにかをおいて自室で飼うつもりだったとルイズは語ったが、出家の身である青年としては年頃の女性と二人きりで一室にとまり込むつもりは全くない。
「身分?」
コルベールが問い返すと、ルイズが口をはさんだ。
「禅師さまは、私の個室で暮らしていただくわけには参りませんし、厩舎や森なんて論外ですから、禅師さまにふさわしい部屋を学院で用意していただけませんか?経費はヴァリエール家からお支払いいたします」
青年も述べた。
「国家元首として扱えとはいいませんが、ブリミル教の神官や修道士がこの学院を訪問した時と同等の扱いをお願いする。そして、この学院の蔵書を自由に閲覧する資格もいただきたい」
もとの世界にもどるための方法を調べる気まんまんの要求である。
コルベールが、なおも抵抗する。
「使い魔と主人との絆は、どちらかの寿命がつきるまで、一生つづくものなのです」
だから、もとの世界にもどることをあきらめて、ハルケギニアにずっといろと?
「私はチベット国の禅師国王。600万国民が私を必要としているのです。いっぽうミス・ヴァリエールは、公爵家の3女だとうかがいました。家を継ぐべき立派な姉君がふたりもいらっしゃるとか。私が国に戻れるようになった時に、ミス・ヴァリエールが一緒にいらっしゃるとしても、私はいっこうにかまいません」
動物の使い魔だったら、自分をもとの場所にもどせとか、自分のもといたところに召喚者のほうが来るべきだなんて、決して言わないだろう。しかし、それにしたって、コルベール氏は、一国の元首を有無を言わせず呼びつけた重みを今ひとつ理解していないようである。
いまのチベットは、これから過酷な苦難の道のりが長く続くと予想され、ほんとうは、異世界から何も知らない少女を招きたいような状況では、全くない。ただし帰還方法の調査に、手抜きや妨害をさせずに、学院をしっかりと協力させるために、釘をさしたのである。
※ ※
「禅師さま、ほんとうに申し訳ありません」
自室にもどると、ルイズはしきりに謝る。
学院は、禅師のために、教師用宿舎と同等のスペックの部屋を用意することを約束し、いまはその準備中とのこと。
チベット国の禅師国王であることを明かしてからルイズの態度はさらにかわり、かれの耳にチベット語として聞こえるルイズのことばは、尊敬語や丁寧語になった。
「いや、学院長とミスタ・コルベールには、『元の場所に返せ、返せ』と力説したけれども、君に召喚されてハルケギニアにきたことには、何か意味があるかもしれないと考えているんだ」
禅師はルイズにチベットの大ヨーガ行者ミラレパについて話した。
チベットで宗派を超えて敬愛されている大ヨーガ行者ミラレパは、師マルパに出会うに先立ち、復讐にたける母に促され、神通力だけを強化する修行に取り組み、身につけたその力によって怨敵とその眷属を皆殺しにした。ミラレパの行者としての歩みは、まずその悪業を償うことから始まった。
「ルイズ、君の“通力(ズートゥル)”の資質は、とてつもなく高い。君がどのような道をゆくかによって、この世界の一切衆生(イッサイウジョウ)に対して、おおいに利益(リヤク)するかもしれないし、とてつもない害悪をもたらすかもしれない。自分がここに呼ばれたのは、君に対して、あるいは、この世界に対して何か果たすべき役割があるのかもしれない、と思っているんだ」