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[35339] 【オリ主,ルイズ魔改造】あらゆる方向に顔をむけた使い魔【チベットの禅師国王を召還】
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/12/19 16:34
【タグ】オリ主,ルイズ魔改造

【本作の紹介】
本作品は、もし才人くんのかわりに、チベットの国王でもある(あった)、とある高僧が使い魔として召還されたら……というお話です。

ルイズ嬢がチベット密教を修行したら、彼女の魔法能力がどのように発現し、成長するであろうか、というテーマについて、いかにリアルに描写できるかがもっとも力をこめて書きたい部分です。

○チベット密教を、ご都合主義により変容させることなくいかにリアリティーを保ったまま描写できるか。
○そのうえで、いかに原作の系統魔法+虚無魔法の設定とうまくすりあわせができるか

を目標として、取り組んで参りたいと思います。

             ※                ※

【この作品のスタンス】(方針)(2012/10/03 05:44策定)

(1)本作品はフィクションです。主人公としては、いくつかの宗派の歴史上の禅師国王さまたちや、身分を隠してチベット諸地方を漫遊し、悪領主や悪知事、悪荘園長たちを成敗した水戸黄門みたいな大摂政などのひとびとの事跡を参考にしてモデルにしますが、この物語そのものはあくまでもフィクションです。
(2)タイトルの「あらゆる方向に顔を向ける者」は、観音さまの別名です。
(3)モデルにした(する)人物は、具体的には、実在の人物としては、まず、ダライラマのうち「偉大なる」という形容詞が着く方々3名および6世(本物)、パクモドゥパの大司徒さま、サキャパのパスパ法王、ドゥクパのシャプトゥン猊下など歴史上の禅師国王さまたち、サパンなどの大学者、大摂政やミワン・ポラのような政治家など。また架空の人物としてはアク・トンパ。この物語の主人公は、このような人々を合成した、架空の禅師国王さまです。(2012.10.8改)

(4)モデルを追加。ミラレパとその師匠マルパ。(2012.11.9) 玄奘三蔵と孫悟空。(2012.11.12)

(5)モデルを削除。ダライラマ6世(本物)はモデルから外します(2012.11.22)
(6)禅師国王猊下のお名前を「ダールミカ・サッタールーハ・サムドゥラ」に変更(2013.12.19)

********
最終更新:2013.7.13「第十七話 アルビオン王家の最後の晩餐」を投稿
更新履歴:
2013.6.11「第十六話 ラ・ロシェールにて」を投稿
2013.5.13「第十五話 ワルドとカンドーマたち」を投稿
2013.4.2 「第十四話 アルビオンへの旅立ち」を投稿
2013.3.1 「第十三話 和寧公主の憂鬱」を投稿
2013.2.22 「第十二話 ヴァリエールとツェルプストーの宿怨」を投稿
2013.2.17 「第十一話 ヴァリエール公爵、娘の系統を知る」を投稿
2013.1.28 「第十話 破壊の杖 」を投稿
2013.1.18 「第九話 怪盗フーケ、参上!」を投稿
2013.1.14 「第八話 “始祖の宝剣デルフリンガー”の最後」を投稿
2013.1.5  「第七話 魔法学院の午後」を投稿
2013.1.4 予告編全6話を分離し、【チラ裏】板の「イザベラ殿下、インド魔力を召喚!」に収録
2012.12.16〜2012.12.28 予告編全6話を投稿
2012.9.28 第1話「プロローグ」を投稿

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【予告編】全7話+α

魔法が苦手だったルイズは仏法の奥義を究め、神通力を駆使して大暴れ。虚無にも目覚めて、もう無敵。“世界扉”で十万八千里をひとまたぎ。お師匠は【使い魔】ガンダールヴだけど、仏法の奥義をルイズに伝えた後は、荒事はぜんぶルイズが担当しちゃうので、東方へ仏典を求める旅にでます。ルイズはアル・ロバ・カリイエ諸国も巻き込み、ジョゼフの野望、教皇ヴィットーリオの陰謀を粉砕し、ハルケギニア2300万の民を救うためがんばります。

2013.1.4 全7話を【チラ裏】の「イザベラ殿下、インド魔力を召喚!」に分離・移転
2013.1.22 新しいお話「ルイズ、アンリエッタを追放する!」を【チラ裏】「予告編」に投稿

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上記でも述べていますが、この作品の主人公は「歴史上の実在・非実在の人物を合成した架空の禅師国王」です。各話で実際にモデルモデルとした人物は次のとおりです。今後随時列挙します。( 2013.2.14)

プロローグ:
 【ダライラマ14世】1940年に即位したチベットの法王。
第一・二話
 【ゲンドゥンチュンペー】20世紀半ばの僧侶、学者。チベットではじめて近代文献学の手法により仏教文献を研究した。またチベット人ではじめて敦煌文書を使用して歴史書を執筆。
第五話
 【ダライラマ五世】1616年ダライラマに即位。1642年、25才のときダライラマ位がチベットの法王となり、以後歴代のダライラマは「チベット国の法王」となった。

 全体の雰囲気としては、弟子が強力な神通力を以て師匠につかえるマルパとミラレパ、玄奘三蔵と孫悟空みたいな方向でいきます。



[35339] プロローグ 「運命の子」(11/22 増補改題)
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/12/19 16:33
2012.9.29 初版投稿
2012.10.27 用語集を付加
2012.11.22 改題して「運命の子」部分を増補
2012.11.24-30 「運命の子」の所属を「アル・ロバ・カリイエ」と明示。お嫁さんたちの右目と左目を入れ替えたり、その他ちょこちょこと修正。
2013.12.18 禅師国王のお名前を「ダールミカ・サッタールーハ・サムドゥラ」と変更
**************

「あなた、おかしな夢をみたのよ」
「どんな夢だい?」

 南方から北上してきた陸塊が大陸に衝突して隆起してできた大高原。大陸の西の端に住む人々からは漠然と“アル・ロバ・カリイエ”と呼ばれる地域の一部。
 その一角で、近年急速に勢力を拡大している、ある部族の族長と妃の会話である。

「わたし、顔がたくさん、手がウジャウジャはえている人の前で座っているの」
「化け物ではないか」
「ええ、どう見ても化け物。でもちっとも恐ろしくないのよ。不気味でも凶暴でもない。むしろ、なんだか神々(コウゴウ)しいお姿なの」
「で、その化け物はなんと?」
「“時は来た”と」
「なんの時だ?」
「わからないわ。そして、その“人”は、おでこと両目から光を放ったの」
「……」
「…額から放たれた光は、私の体の中に入った」

 なんだか奇妙な夢だが、ほどなくして妃が身ごもったことがわかった。
 夫は妃に言った。

「お前が見た夢って、何かの予言に違いないね。ちなみに両目から出た光というのは、どうなったんだい?」
「左目から出た光は、ギャナク国の王宮にとどいて、ギャナクの王妃さまの胎内に」

 “ギャナク”というのは、彼らが暮らす高原の東方に位置する、古い歴史と高度な文化を誇る大国である。

「右目から出た光は、ティーティンとかいう国の、どこかの貴婦人の胎内に……」

 ”ギャナク”は、彼らと近隣部族にとって計り知れない影響力をもつ、昔からなじみのある大国だが、“ティーティン”(ཏྲིས་དེིན་ tris dein)なんて名前は聞いたことがない。

「ティーティンって何だい?」
「わからないわ。とにかく、西の西のはるか西のはて、大地が尽き果てて海に面したところにある国みたい」
「う〜ん、……。おまえ、ティーティンとかいう国はもちろん、ギャナクの王宮だって知らないだろ?どうしてギャナクとかティーティンだってわかったんだい?」
「知らないわ。とにかくわかったんだもの。それで、私の子供は男の子で、ギャナクの王妃さまとティーティンの貴婦人からは女の子が生まれるのよ」
「……いったい、なんの予知夢なんだろうね」

 夫のもとには、6代前の祖先からつたわる宝物がある。天から不思議な声がとどろき、先祖の目の前にしずしずとおりてきたという。
 その宝物は長方形に切られた紙の束で、一枚一枚に、墨で細く描かれた記号がのたくっていた。ぶっちゃけていうと、これは書物なのだがまだ文字をもたない彼らにはこれがなんだかわからない。歴代の祖先たちは、これを錦にくるんで大切に保管し、香や供物をささげて恭しく祀ってきた。彼の部族は、ときおり手厳しい敗戦を喫して劣勢においこまれることもしばしばあったが、決して滅亡することなく必ず挽回した。そのため近隣の諸部族からは、“あの宝物の威力に違いない”と噂になっていた。

(この宝物には“7代後にこの内容が解き明かされるであろう”という予言もある。妻がみた夢と関係してくるのだろうか……)

 やがて妃は、月満ちて無事に、夢のとおり男の子を産んだ。頭や手がたくさんある神さまが男か女かはわからなかったが、その子は"女神の意図を成し遂げる者(ལྷ་མོ་དོན་གྲུབ་)"と名付けられた。 

 男児の成長と歩調を合わせるように、父の部族長は順調に勢力を拡大していった。高原の中枢地域で勢力をはっていた“ギャルテン・チュグニー”とよばれる小王たちをまとめて滅ぼし、その他の近隣の部族を滅ぼしたり服属させて高原の主要部分を掌握すると、“ツェンポ(強き者)”という意味の王号を名乗るようになった。
 ツェンポが服属させた諸部族の首長たちのうち、ギャナクとの国境に近い地方に割拠していた連中は、その勢力の大小に応じて、ギャナク国から「都督」(=州知事)や「知県」(=県知事)、「百戸」(=100人の部隊の指揮官)、「千戸」(=1000人の部隊の指揮官)、「都指揮司」(=5000人の部隊の指揮官)などの称号をもらって所領を安堵してもらっていた。
 そのようなわけで、ツェンポによる同族の征服・高原の統一は、ギャナク国からみれば、自分たちの勢力圏の侵害になった。そのため高原の統一がすすむにつれ、ギャナク国はツェンポを敵対勢力と認定し、厳しく対立することになった。
 
 高原の東北部には、ギャナク国との境界に接するかたちで1000年ほどの歴史をもつトヨゴン国(別名アシャ)という小国が勢力を築いていた。
 ツェンポは娘のひとりをトヨゴンのカガン(=王の意)の王子に嫁がせたが、ギャナク国も、これに対抗してカガンの別の王子に公主(=皇族の娘)を嫁がせ、トヨゴンを自国の勢力下にとどめようとした。

 トヨゴン国の王室と家臣たちはツェンポ派とギャナク派に分かれて内戦をはじめ、ツェンポとギャナク国は自派を応援するためそれぞれ軍を率いて軍事介入した。

 ギャナク軍は、ツェンポにとって、いままでの高原統一戦争で戦ってきた勢力とは異なり、兵力の規模、装備、戦術とも圧倒的に上回る強敵であった。にもかかわらず、ツェンポは真っ正直に、これに真っ向から決戦を挑み、そして大敗を喫した。父より部族長の地位を受け継いでより連戦連勝だった彼の生涯で、初めての大敗といってもよい。
 ツェンポは、軍勢を撤退させるため敗軍をまとめようと努力している最中、流れ矢を受けて戦死した。
 
 本国では、13才に達していた王子がただち即位したが、動揺はおさまらず、国の行く末を不安におもった諸侯たちの離反や叛乱が相次いだ。
 ところが新ツェンポは、周囲の予想に反して、大変な出来物だった。賢臣ガルらの助けもあって、高原中枢の叛乱勢力をすばやく鎮圧し、”若年ではあるが侮りがたい”存在であることを示すと、周辺地域の離反した諸侯たちを硬軟とりまぜて“説得”し、父王の勢力圏をふたたび回復するだけにとどまらず、西方では、高原の西部を占めていたシャンシュン国を併合、ふたたびトヨゴン国をめぐりギャナク国と対峙する体勢に入った。

 ギャナク国は、当時北方の遊牧民の国家ドゥグとの対立が急迫しており、高原との2正面作戦は避けたいとの思惑から、
 (1)高原の新ツェンポ”女神の意思を成就する者”に公主を嫁がせる
 (2)公主の”化粧料”として”河西九曲の地”(=トヨゴン国の領土の4分の3)をつける
との条件で講和を求めてきた。
 新ツェンポはこの条件を受け入れ、ギャナク国との間にはとりあえず、一応の平和がよみがえった。
 ほどなくして、約束どおり、多数の学者や職人たちをひきつれ、”和寧公主”(ホーニン・コンジョ)という姫君がギャナク国を出立し、国境を越えて高原の国に入った。時に新ツェンポ、15才の夏であった。

 新ツェンポは、母が自分をみごもったときに見たという不思議な夢のことを聞かされていた。

(母の夢によれば、こんどギャナクからくるコンジョどのは、顔や手をたくさん持つ神さまが左目から放った光だという。私は額から放たれた光。
 右目から放たれた光にあたる人も、私のもとにやってくるのだろうか?どのような人だろう?母の夢で神さまが言った”時が来た”とはいったい何のことだろう……)

         ※               ※

 8年前から首都を制圧しているギャマル(=中国共産党)軍の司令官が、彼を観劇に招待してきた。
 ギャマル部隊のなかに楽団や劇団が組織されていて、その出し物を見に来いというのである。
 首都の市民たちは、その噂をききつけ、彼がこの招待をうけてギャマル軍の駐屯地におもむくと、そのまま彼がギャナク国へ連れ去られてしまうのではないかとおそれ、それを阻止するために宮殿を取り囲みはじめた。
 彼は、単にチベット国の国王であるだけでなく、チベットの「衆生(人間を主とするあらゆる生き物たち)」を救う慈悲の仏・チェンレーシー(観音菩薩)の化身でもある。市民たちは、彼がギャナク国に連れ去られ、監禁でもされようものなら、それはチベット国の滅亡に等しいと恐れたのである。
 
 チベット国とギャナク国は、昔から密接な関係を持ち、友好関係を築いてきたが、10年前にギャナク国の政権を握ったコンチャ・タン(=共産党)は、『チベット国とギャナク国が、古来から「セントラル・ランド」というひとつの国家を形成してきた』とか、『ギャ人とチベット人は「セントラル・フラワー民族」というひとつの国民を形成してきた』という、チベット人からするとビックリ仰天するような主張を行いはじめた。ちなみに、コンチャ・タンは自分たちの政権奪取を「解放戦争」とよび、『みんなが仲良くするセントラル・フラワー国』を「建国」した、と名付けている。
 上記のようなコンチャの「理論」に基づけば、ギャナク国によるチベット国の攻撃、占領、併合は、侵略ではなく、『チベットが「みんなが仲良くするセントラル・フラワー国」の大きな家庭に復帰する』と美化されるのである。
 コンチャ・タンは、赤い色を自らのシンボルカラーとしていたので、チベットではコンチャの軍勢を「赤いギャナク」を意味する「ギャマル」と呼ぶようになった。ただしギャマル自身は、チベット人に対して「ギャマル」ではなく「トゥンヤン」と呼べと主張している。

 コンチャ・タンは、それまでギャナクを支配していたコ・ミン・タン(=国民党、国民政府を指す)を打倒してギャナク国を完全に支配し、『みんなが仲良くするセントラル・フラワー国』を建国したその年から、チベットにむかって、「セントラル・ランド」や「セントラル・フラワー民族」という独特の歴史観を宣伝しはじめた。そしてその翌年、ギャマル軍はチベット政府の勢力圏であるカム地方の西部に侵攻を開始(チベットの国土のうち、ギャナク国に隣接した東北部のアムド地方やカム地方の東半分は、コ・ミン・タンの時代からギャナク人の支配下にあった)、さらに翌年には首都をふくむチベット全土がギャマル軍によって制圧されたのである。

 チベットの摂政政府は、カム地方西部の要衝チャムドが陥落すると、15才の彼に親政を要請してきた。
 摂政政府を構成する貴族たちは、先代国王が崩御すると、彼が着手しようとしてきた近代化政策をすべて中止・放棄させ、その後は18年の間、権力闘争にあけくれてきた。コ・ミン・タンであれ、コンチャ・タンであれ、ギャナク国がチベットに手を出してこないのは、東方の敵国と必死に戦争していたためであって、やがてこの敵国との戦いが決着した場合、ギャナク国がチベット国に対していずれ牙をむいてくることは火をみるよりもあきらかであったにもかかわらず、先代国王がギャナク国に備えるためほんのちょっぴり着手した近代化政策は、先代国王の死とともにまったく打ち捨てられてしまった。
 チャムドの陥落によって、摂政政府の大臣たちは、とつぜんチベット国家が滅亡の淵に置かれていることに気が付き、あわてて彼に国王としての責任を負うよう求めたわけだが、このような状況で、わずか15才の少年がとつぜん政治や軍事の全権をいきなり委ねられたところで、いかんともしようがないではないか。
 彼は、チャムドを占領したギャマル軍の撤退を交渉させるため、ギャナク国の首都ピーチン(=北京)に使節団を派遣したが、彼らは勝手に「チベット国をセントラル・フラワー国の大家庭に復帰させる十七か条のとりきめ」を結んで戻ってきた。使節団は、自分たちに委ねられた権限の範囲にはないことがらを、本国との連絡をとることもゆるされずに「締結」させられたのである。このとりきめの第十七条には「このとりきめは、全権代表の署名・調印と同日に発効する」とも記載されているが、通常の国際的とりきめの手順としては、最初からさいごまで、まったく無茶苦茶である。

 一般的には、このような手順と方法でおしつけられたものは、国際法上のとりきめとしては、成立していないとみなされる。

 しかしこのチベットの苦境に対し、当時の国際社会は身を挺して擁護することはしなかった。チベットの国土のすみずみまでギャマル軍に制圧される中、彼はギャマルの国主マオ・トゥシにあてて、こんなふうに締結された「十七か条の取り決め」を、受け入れる旨をつげる電報を打つことを余儀なくされた。

 その後の8年間は、彼にとってもチベット国にとっても屈辱の歳月であった。
 
 そしていま、首都の市民が彼の身を案じ、身を挺して彼を守るため、宮殿の周りに集まりつつあった。
 ギャマル軍の司令官は、彼に対し、招待を受諾するよう強硬に主張してきた。
 彼がこれを拒否すると、ギャマル軍の司令官は、首都の市街地をうめつくす群衆をさして「セントラル・フラワー国の分裂をもくろむ暴徒」とよび、チベット政府が彼らを解散させないなら、彼のいる宮殿ごと「暴徒」に砲撃を加えると告げた。

 彼は、祖国をはなれて亡命することを決断した。
 
 チベット国の正規軍は無線機も持っておらず、ひとたびギャマル軍が行動を起こすと、一瞬で制圧された。
 彼は下級兵士に身をやつし、わずかな護衛と義勇兵にまもられながら逃避行をつづけ、ヒマラヤ山脈を越えた。
 インド兵がまもる国境の警備ポストが見えてきた。
 護衛や侍従たちが、先にすすんでインド兵と交渉を始めている。
 義勇兵はその場で立ち止まって動かない。彼が無事国境を越えたら、ギャマル軍と戦うために引き返すつもりなのである。
 彼は万感の思いをこめて、変装のために担いでいた銃を義勇兵に渡し、警備ポストにむかった。

 すでに事情を知ったインド兵が、恐縮した表情でたずねてくる。
 「敬意をこめてお尋ねします。あなたはどなたですか?」

 彼は背後を振り返った。再び祖国の山河を踏みしめる時は、はたしてくるだろうか。彼は背後の景色を脳裏に焼き付けると、振り返ってインド領に歩み入りながら、質問に答えようとした。
 
 足下の感触が急にかわった。体がバランスを崩してつんのめりそうになる。
 体勢を立て直して顔をあげると、目の前には直径2メートルほどの円形の鏡のようなものが立ちはだかっていた。
 突然のこととて、避けることもできない。
 彼はそのまま鏡のなかに歩み行った。

 風景が一変した。
 万年雪をいただくヒマラヤの急峻な斜面は消え、ゆるやかな岡のふもとに、インチー(=ヨーロッパ)風のおおきな建物がいくつかならんでいる。
 国境警備のインド兵の姿が消え、そのかわりに、彼の弟妹たちと同年代の、マントをはおり、学校の制服のような衣装をきた大勢の子供たちがあらわれた。
 
 彼の目の前で、桃色の髪をした小柄な少女がいった。

 「あんた誰?」

 彼はインド兵に向かって答えようとおもった言葉をそのままのべた。

 「私はダールミカ・サッタールーハ・サムドゥラ。一介の比丘(びく)です」


***********************
○用語解説(2012年10月27日投稿/11月22日増補)
 すべてチベット語で実際につかわれている単語です。
 (11月22日増補)アル・ロバ・カリイエに関するオリ設定については、かならずしも↑のとおりではありません。

【ギャマル(རྒྱ་དམར)】:中国の共産党政権に対する呼称。「赤い中国」の意。
【ギャナク(རྒྱ་ནག་)】:中国。チベットの東方に位置する隣国のひとつ。(11月22日増補)ハルケギニアがある惑星にも、地球のギャナクとよく似た場所に、ギャナクという国がある事にします。アル・ロバ・カリイエの一国(オリ設定)。
【コンチャ・タン】:中国語の「共産党」のチベット訛
【「セントラル・ランド」(ཀྲུང་གོ་)】:中国で現在主張されている国家の枠組み。中国とその周辺のモンゴル、チベット、東トルキスタンなどの諸国・地域が「古来から不可分の多民族国家を形成していた」と主張されている。
【「セントラル・フラワー民族」(ཀྲུང་ཧྭ་མི་རིགས)】:中国で現在主張されている「国民」の枠組み。中国・モンゴル・チベット・東トルキスタンの諸国・諸地域の住民たちが「古来からひとつの【大家庭】を形成してきた」と主張されている。
【「みんなが仲良くする国」(སྤྱི་མཐུན་རྒྱལ་ཁབ་)】:1951年以降、チベットのラサに進駐してきた中国当局が作成して普及させたチベット語の新造語彙。国家元首が選挙によって選出される政治体制。中国語の「共・和・国」を漢字一文字づつ翻訳して造語された。
【コ・ミン・タン】:中国語の「国民党」のチベット訛。チベット語では、中国国民党そのものだけでなく、南京国民政府を指す場合もある。
【トゥンヤン】:中国語の「中央」の音写。「十七箇条協定」では、中国政府は、自身を「トゥンヤン人民政府」と名乗る一方、チベット政府を「西藏地方政府」と規定した。
【マオ・トゥシ】:中国語の「毛主席」の音写。
【インチー】:中国語でイギリスを指す「英吉利」に由来する名称で、元来はイギリスを指したが、のちヨーロッパ全体も指すようになる。
【ジャルパン】:日本のこと。英語の「Japan」より。中国語経由の「リビン」という名称は、この物語より後に、「ジャルパン」と同程度に普及していく。明治の末から大正の初期にかけてチベット入りした日本人が「ཉི་ཧོན་(ニホン,ニオン)」という呼称を広めようとしたが、「ジャルパン」や「リビン」に圧倒されて定着しなかった。



[35339] 第一話 勧請と調伏の儀(サモン・サーヴァントとコンクラクト・サーヴァント)
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2014/01/18 15:16
(2012/10/01 03:29初版,10/03 15:19改稿)

「私はダールミカ・サッタールーハ・サムドゥラ。一介の比丘です」

 おもわず英語で答えたあとで、彼はおどろいた。
 国境のヒマラヤ山中にいたはずが、いつのまにかインチー(=ヨーロッパ)風の建物が近くにたっている、起伏のなだらかな場所にいる。ふりむけば、彼が踏みいってしまった鏡状の枠はもうない。そして自分の護衛や侍従たち、インドの国境警備兵らと入れ替わるように急にあらわれた少年少女たち。

 さらに目の前の少女がチベット語で「キョ・スーイン?」とたずねてきたこと。

 チベット語は、日本語よりもさらに複雑な敬語表現を持っている。
 現代日本語の敬語は、身分制の消滅によって淘汰され、尊敬・謙譲・丁寧の三種に整理されたが、この時期のチベットはまだ身分制社会であり、かつては日本語にもあった、身分の高い者が低いものに対して用いる「尊大語」というものが存在している。
 少女は、その「尊大語」を用いて自分に話しかけてきた。「尊大語」でよびかけられるなんて、6才のときに、「チベット国の国王を300年間にわたりつとめてきた化身ラマ(=活仏)の名跡」の継承者に選ばれて以来、絶えてない経験である。
 彼は、親政する以前、首都にやってきた冒険心あふれるインチー(=ヨーロッパ人)を謁見し、そのうちの数人と親しく交流したが、彼らはチベット語ができないか、できても敬語表現をまともに使いこなせるものはひとりもいなかった。いかなる場面でも尊敬語・丁寧語の単語を用いて話してくる。しかも表現が過剰であったり重複したり、使いどころを誤っていたり。たぶん彼らにチベット語を教えたチベット人たちが、無礼な表現をそうとしらずに弟子が使うことがないよう心を配ってきた結果だろう。ひとりだけ、おぼつかないながらも尊敬・丁寧・謙譲を使い分けることができる者がいたのが、彼が直接に知るインチーとしては唯一の事例だった。
 彼は、インチーをふくむ外国人にとっては、チベット語の敬語表現はとても難解なのだろうと考えていた。

 しかるに、このインチー少女は尊大語をつかってきた。 
 そして、彼の答えに対しても、さらに尊大語でつっかかってきた。

「そんななりして、どこが”一介の比丘”なのよ!」

 さらに、彼女の尊大語におどろいてよくよく耳をすませてみれば、少女の背後に群れているインチーの少年少女たちも……。

「ルイズ、"勧請の儀"(カンジョウ ノ ギ)で、平民を呼び出してどうするの?」
「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」
「間違いって、ルイズはいっつもそうじゃん」
「さすがは”無”のルイズだ!」
「「「あはははは!」」」

敬語抜きの表現や、尊大語、多彩な罵倒表現など、まったく不自然なく、たいへん流暢にチベット語を使いこなしている。

国境のヒマラヤ山中にいたはずがいつのまにか見知らぬ場所にいるのもおどろきだが、インチーらしき少年少女たちがそろいもそろって流暢にチベット語をしゃべっているのは、いったいどういうことか?

            ※                    ※

 ルイズはおどろいた。
 召喚ゲートから、人間が、しかも疲れた様子のみすぼらしい青年がよろよろと歩みでてきたのである。おもわずたずねた。

「あんた誰?」

 青年は、深く疲労した様子の、うつろな表情で答えた。

「私は”オシエ ヲ ホウズル ウミ”。サンゲ神のごく普通の神官だよ」

 青年は、みじかいひさしの帽子をかぶり、平民の作業着のようなシャツとズボンを身につけ、その上に、すそのほつれかかった、くたびれた外套をはおり、重そうな背嚢をひとつ背負っている。どれも、もともとが祖末なうえに、洗濯もせずに着の身着のまま半月以上あちこちをさまよっていたかのように薄汚れてみすぼらしく、すえたにおいもする。とても”神官”の服装とはおもえない。それにサンゲなんて名前の神様なんか聞いたことがない。
 
 「そんななりして、どこが”普通の神官”なのよ!」

 こいつはウソをついている。それに人間が召喚されるなんて、聞いたことがない。
 級友のだれかがからかってきた。

「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」
「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」

 言い返したら、さらに火に油をそそいでしまった。

「間違いって、ルイズはいっつもそうじゃん」
「さすがはゼロのルイズだ!」
「「「あはははは!」」」

自分の呪文できちんと召喚ゲートが形成されたけど、そこからは人間がでてきた。みすぼらしい平民が。
サモン・サーヴァントで人間が召喚されるなんて聞いたことがない。
こんなの、何かの間違いにきまっている!
  
「ミスタ・コルベール!」
「なんだね。ミス・ヴァリエール」
「あの!もう一回召還させてください!」

                      ※                  ※

 少女が、教師らしき男に必至に懇願するのを、男はすげなく拒否する。
 とりまく級友たちは、その様子をみて、いっそう少女をあざける。

 疲労でもうろうとしながらそんな様子をながめつつ、彼は思った。

 自分はなぜ、どうやって、ヒマラヤ山中からこんな場所へきたのか。
 ここは、インチーの一角にあるトリステイニアという国の、国立の、”神通力修行学堂”だそうな。
 教師らしき中年の男はその”導師”、少女を含む子供たちは"弟子である修行者”だという。

 神通力を修行するということは、密教の修行であるな。

 神通力という概念自体は、チベット人にとっては慣れ親しんだものである。仏・菩薩・守護尊・護法神が一切衆生(イッサイシュジョウ)を済度(サイド)するため行使する不可思議な力のことであり、また人間であっても、行者であれ比丘であれ、すぐれた宗教者は高度な神通力を有しているとされる
 ただし、「比丘としての修行」にとっては、神通力そのものは枝葉末節にあたり、彼自身にもそのような力はそなわっていない。

 桃色髪の少女や"導師"たちの話を総合するなら、自分は「勧請と調伏の儀」のために、この少女の"神通力"によってヒマラヤ山中からこの場所に呼び出されたらしい。
 なんという恐るべき通力の強さであることか……。

 トリステインという国の名前は初めて聞くが、国立の密教道場があるなんて、仏教がさかんな国なのだろうか?
 しかし先代国王の時代に、世界の仏教徒の状況はあらまし把握されたはずで、そんな国があるなら、とっくの昔に自分の耳に届いていなければおかしい。
 そもそも、インチー諸国は、世界を作ったと称する”自ずから生じた神”や、全人類の罪を背負ったとされる、その神の息子を信ずる宗教への信仰を主としているはずだ。

 インチー諸国と仏教の関係でいえば、インチー諸国の中でもっとも東方に位置するオロス国が、モンゴルと境を接し、モンゴル人が暮らす土地の一部を領土とし、モンゴル人を国民の一部に含んでいる。モンゴルは、ギャナク国から西に細長くのびた河西回廊という土地をはさんでチベットの北に位置する隣国で、380年ほどまえ「黄金の王」という人物の入信をきっかけにして、チベットの仏教を大々的に信仰するようになった国である。そんなオロス国は、チベットの先代国王の時代、かつて首都に小さな国立の仏教学校を立てたことがあり、チベットにいたオロス国籍のモンゴル人高僧たちが何人も、チベットの僧院における地位を捨てて、よろこび勇んでその学校に赴任していったものだが、その学校もいまは廃止されて無い。
 密教の教えについては、いま全ギャナクの”仏教徒協会”の会長となっている比丘ファーツンから、かつて「いま密教の伝統は、仏教のふるさと天竺インドでもギャナク国でも早くに途絶えてしまい、西のチベット仏教と、東のジャルパン国のいくつかの宗派の中にしか残っていない」と聞いたことがある。

 チベットの仏教を信奉するチベットとモンゴル。
 ギャナク国の、今は無き密教の伝統を受け継いだジャルパン国。
 それ以外にも密教を伝える国が、しかもインチーにあるとは?
 さらにはそんな国の情報が、いままで自分の耳に入ってきたことがないとは?
 これはいったいどういうことなのだろう?

                      ※                       ※

 どうやら自分は求められてここに来たのではないらしい。自分を呼び出した少女はたいへんに不本意そうだ。
 ならば、もとの場所にもどしてもらいたい。自分は祖国のために果たさねばならない使命がある。
 彼は、少女と"導師"にそう問いかけたが、”導師”は少女に「勧請と調伏の儀」を完成させることにしか関心がなく、少女は人間を勧請したこと自体への不満・嘆きに頭がいっぱいで、彼が何者であるのか、どこからきたのかについてはろくに興味も示さず、彼の問いにまともに答えようともしない。他の少年・少女たちはいわずもがなである。
 有無をいわせず「調伏の儀(チョウブク ノ ギ)」は進められ、”導師”は彼と少女を放置して、他の”弟子”たちとともに学舎のほうへ飛びさっていった。

 少女は癇癪を爆発させながら、それでも彼を導いて学舎へ向かった。



[35339] 第二話 異世界からの訪問者(改訂)
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2012/10/26 17:22
(2012/10/07 01:56)初版投稿
(2012/10/07 13:32)第二話(続)初版投稿
(2012/10/11)第二話と第二話(続)を統合。ガリア語と中世ラテン語・近世フランス語との対比、東西冷戦、ルイズ号泣などを追加
********************



 桃色髪の少女が”調伏の儀”(チョウブク ノ ギ)を終えると、”導師”とその”弟子”たちは、彼と少女ふたりを残して宙に浮き上がり、学舎とおぼしき建物のほうへ飛び去った。

 神通力(ジンヅウリキ)。
 仏・菩薩とその眷属、守護尊や護法神らが一切衆生(イッサイシュジョウ)を済度(サイド)するため行使する不可思議な力。
 仏典をひもとけば、その事例には枚挙にいとまがない。また人間であっても、行者であれ比丘であれ、すぐれた宗教者ならば高度な神通力を有しているとされる。チベットにおいて宗派を超えて敬愛されている大ヨーガ行者ミラレパをはじめ、過去の偉大な宗教者たちの伝記をひもとけば、彼ら・彼女らがこれを行使したという記述にあふれている。
 チベットの禅師国王は比丘であることが期待されており、かつ比丘としての修行にとっては"神通力"は枝葉末節にあたるため、彼自身は”神通力”の強化を目的とした訓練など受けたことはないし、そのような能力もないけれど、つい先日までのチベット政府は雹害を防ぐために天候専門の行者(ギョウジャ)を雇用するなど、神通力やその使い手は、彼にとっては非常に身近な存在であった。
 ただし生身の人間が空を飛ぶというのは、文献で読んだり、話で聞いたりするばかりで、いままで直接に目にしたことはなかった。
 数十人が一斉に舞い飛ぶ光景は、さすがに壮観である。
 ただし、たった今、目の前の桃髪の少女によってヒマラヤの彼方からはるばるこの場所に召喚されたばかりの身としては、いまさら少女の”導師”や兄弟弟子たちが集団で空を飛ぶのを見せられたところで、いまさら驚きなど、ない。

 桃髪の少女は、”導師”と兄弟弟子たちが飛び去るのを見送ると、学舎のほうへむけて歩よう彼に促すと、またも尊大語でどなりつけてきた。

「あんた、なんなのよ!」

 彼が呼び出されたこの国が、ギャマルとどんな関係があるのか(具体的にはギャナク国によるチベット侵略についてギャナクを擁護するのかチベットの側にたってくれるのか、中立なのか)、それが不明な段階で、自分がチベット国の当代の禅師国王であることを明らかにすることはできない。ゆえに少女から何度「なんなのよ!」と問われても、彼としては"一介の比丘"、"チベット国の比丘"、"ラランパ級のゲシェー学位を取得した比丘"という以上のことは答えるつもりはない。
 そして少女は、そんな彼の答えに対し、疑わしそうな視線をむけて、
「そんななりして、どこが”比丘”なのよ!」
とわめき、しばらくすると、
「あんた、ほんとはなんなのよ!」
とどなりつけるのであった。
 学舎へ向かって歩みながら、何度もこんなやりとりを繰り返した。

 彼女は、彼にむけて激しい怒りをぶつけてくるが、実際には彼本人に対して怒っているのではなく、自分自身に対して腹を立てているように思える。
 彼女は彼を"みすぼらしいウソツキの平民"とののしるが、実際には彼が人間であったこと自体が不満であるようだ。つづけて
「どうせなら、もっとカッコいいのがよかったのに。ドラゴンとか、グリフォンとか、マンティコアとか。せめてワシとか、フクロウとか……」
などと愚痴っている。
 彼としては、別にもとの場所に戻しさえしてくれるのであれば、彼女が人間がいやならいやでもいっこうにかまわないのであるが、不思議にも、彼女の"導師"や兄弟"弟子"たち、そして彼女自身、彼女の神通力をきわめて低く見積もっており、そのため彼女は自分が劣っていると思い込み、自分の状況をとても悔しがっている。
 人間であろうがなかろうが、彼をヒマラヤの山中からはるばるインチー(=ヨーロッパ)のどこかまで召喚したことが、どれほどとてつもない”通力”の強さを示しているのか、そのことを指摘して、彼女の落胆を鎮めてやろうにも、いまの彼女は彼のことばを受け付ける状態にはなさそうだ。
 
 国立の密教道場があるほどの国ならば、顕教もつたわっていて、比丘だって存在しているだろう。
 彼が比丘である証の僧衣一式は、”ルプサク(背嚢)”に収まっている。ここは、装束を改めてみせるしかあるまい。

 彼女の個室があるという建物(女子寮)の前で、彼は自分の体をたたいてみせた。

 2週間の逃避行でこびりついた泥の固まりがこぼれおち、埃がもうもうとあがる。

「長旅ですっかり汚れきったこの姿で貴女のお招きをうけるのははばかられる。お邪魔する前に、身を清めて着替えをさせてほしい」

 使用人用の共同浴場を借りて身なりを改めたのち、彼が僧衣でルイズの前に現れると、彼女の態度がコロっと代わった。
 ルイズは尊大語をやめて、丁寧語ではなしだしたのだ。
 
         ※                ※ 
 
 学院の使用人に彼を引き渡して待つことしばし、メイドに案内されて彼がルイズの部屋にやってきた。
 ルイズは、無精髭と頭髪を剃りおとし、えんじ色の僧衣をまとった彼の姿をみて目をみはった。
 ブリミル教の神官や巫女たちの豪奢な衣装とくらべてきわめて質素な装束であるが、非常に洗練されたデザインで、ルイズはハルケギニアとはまったく異質の独自の価値観を感じた。髪の毛をすっかり剃り落した彼の頭にも、異様な迫力を感じる。

 ルイズはしばらく固まっていたが、やがて言った。

「あなた、ほんとに"神官さま"だったみたいね。"サンゲ神"というのは聞いたことないけど」 

          ※                ※ 

「あなた、ほんとに”比丘”だったみたいね。"仏さま"というのは聞いたことないけど」

 ”比丘”をしっていて、”仏”を知らぬとな?
 いったいどういうことだ?

「あなた、どこから来た人なの?」
「何回も答えているけど、チベットという国だよ」
「知らないわ」
「天竺インドの北隣にある国だよ」
「その天竺インドって国も知らないわ」

 インドのことはチベット語で「ギャガー」というが、英語の「インディア」、サンスクリット語の「バーラト」を使って言い換えてみても、やはり「わかった!」という反応がない。

 チベットはともかく、ギャナクとならぶアジア有数の大国インドのことを知らないとな?

 インチー(=ヨーロッパ)随一の強国イギリスは、十二年前に独立をみとめるまで約300年間インドを支配していた。
 たしか、その期間にインドの物産がインチー諸国の人々の風俗習慣を一変させたと聞いているのだが……。それに、彼女のようなインチー(ヨーロッパ)の者がこれほど流暢にチベット語を身につけるためには、チベット人か、さもなければモンゴル人かインド人から学ぶ以外にないはずで、いずれであれ、インドのことを知らないのがおかしい。

 ふと疑問がわいた。
 ここははたしてインチーなのだろうか?
 彼女にたずねてみる。
「インチー諸国には、どんな国があるのかな?」

「主な国は、トリステインと、ガリア、ゲルマニア、ロマリアあたりかな…。あとは厳密にはインチーには含まれないけどアルビオン。あとは小国がいくつかあるわね」

 トリステイン・アルビオン・ロマリアははじめて聞く名だが、ゲルマニアとガリアは聞いたことがある。トゥークオ(=ドイツ)と、パランシ(フランス)の雅称(=ラテン名)だ。
 やはり、自分はインチーの一角に召喚されたという理解で正しい。
 しかし、インチー随一の強国イギリスの名が出てこないのはおかしい。

「イギリスは?」
「そのイギリスって国のことも知らないわ」

 「インチー」というのは、もともとイギリスを指す名称だった。ギャナク文字で「英吉利」と表記して「インチーリー」と発音する、その前半部に由来する名である。ジャルパン国ではこの漢字表記が自国語にとりいれられ、この国の略称を「英(えい)」と言ったりするが、チベット語にはこの発音が取り入れられたのである。その後、チベットに潜入してきたスウェーデン人、フランス人、ドイツ人などのヨーロッパ系の人々が、人種も風俗習慣もイギリス人とよく似ていたことから、「インチー」が、ヨーロッパ全体を指す名称としても使用されることになったのである。
 チベット人なら、「インチー」という名を見聞きして、ヨーロッパのことなのかイギリスのことなのか文脈でどちらかを判別できる。彼は、ルイズがあまりに巧みにチベット語を用いているので、ここまでつい欧州・英国どちらを指すのにも「インチー」を使っていたが、それが混乱のもとかもしれぬと考え、英語で言い換えてみた。

「ブリトゥン。ブリタンニア。イングランド」

 ルイズは首を振る。

「連合王国。ユー・ケー」
「やっぱりそんな国、知らないわ」

 イギリスをまったく知らない?
   ど   う   い   う   こ   と   だ   ?

         ※                          ※
 
 ルイズは思った。
 わたしが召喚したこの男性は、「うそつきのみすぼらしい平民」なんかじゃなかった!!
 彼の風体をみるに、ハルケギニアではない、どこか異国の神官さまであることは、真実のようだ。
 よかった……!

 うれしくなって、ルイズはたずねた

「あなた、どこから来た人なの?」
「何回も答えているけど、”プー”という国だよ」

 ”プー”とは、チベット語で「チベット」を指す。

「知らないわ」
「”パーユル・ギャガー”の北隣にある国だよ」
「その”パーユル・ギャガー”って国も知らないわ」

 彼は意外そうな顔をして、「ギャガー」「ギャガー」と繰り返してルイズの反応をうかがってきたが、知らないものは知らない。

 彼は質問を変えてきた。

「ハルケギニアの諸国には、どんな国があるのかな?」

「主な国は、トリステインと、ガリア、ゲルマニア、ロマリアあたりかな…。あとは厳密にはハルケギニアには含まれないけどアルビオン。あとは小国がいくつかあるわね」

「インチーは?」
「そのインチーって国のことも知らないわ」

 彼は、「ギャガー」国の時よりもなにやら深刻な顔をして、ルイズに向かって
「インチー、インチー、インチー」
と繰り返した。なんども連呼されたって、知らないものは知らない。ルイズは首をふった。
「連合王国。ユー・ケー」
どうやらこれもインチーという国の別称らしいが、やはり知らない。
「やっぱりそんな国、知らないわ」

            ※                  ※

 最初に気がついたのは、彼のほうだった。
 国の名前をいうとき、ルイズの口のうごきと聞こえてくる音にずれがある。

「ルイズ、インチーと言ってみてくれる?」
「ハルケギニア」
「イングランド?」
「インチー」
「ブリトゥン?」
「インチー」
「ブリタンニア?」
「インチー」

 彼が"ヨーロッパ"の意味でつかう”インチー”は、ルイズには"ハルケギニア"と聞こえている。そして彼が英語で告げた各種のイギリスの別名が、ルイズにはぜんぶ「インチー」と聞こえている。
 まちがいない。
 彼の脳内に届けられるルイズの声と、ルイズが実際に口から出している音は別だ。逆に、彼が口に出した音とルイズの脳に届いている音も別になっている。
 
 衝撃のあまり彼が黙り込んでいると、ルイズがたずねた。

「どうしたの?」
「ルイズ、君は何語をしゃべってるのかな?」
「え?なんのこと?」
「たぶん私と君は、別々のことばをしゃべっている」

ハルケギニアの諸国では、ひとしくガリア語(公用語)がもちいられており、エルフとの交易や襲撃に従事している少数の人々をのぞく、ハルゲギニアの大部分の人々には、「人類には、様々な言葉をもちいる色々な国民・民族がいる」という概念がない。じつはアルビオンとゲルマニアでは、それぞれガリア語とはかなりことなる独自のことばが用いられているのだが、両国の支配階級は、自国のことばを独立した別個の言語ではなく、単なる”パトワ”ないしは"ジャルゴン"(いずれも方言、訛の意)とみなし、ガリア語の習得を支配者として必須の教養と考えている。中世西欧のラテン語、近世ヨーロッパのフランス語のような位置づけである。

「え?あなた公用語をしゃべっているんじゃないの?」
「いや、私はチベット語という言葉をはなしているよ」
「わたし、チベットっていう国の名前すらさっき知ったばかりなんだから、チベット語なんて全然知らないわよ」
「私には、君の話す公用語がチベット語に聞こえて、君には、私が話すチベット語が公用語に聞こえているんではないかと思うんだ」
「……」
「試してみよう」
「ええ」
「『神通力、神通力、神通力』。さて、君にはなんて聞こえたかな?」

     ※              ※

「『魔法、魔法、魔法』。さて、君にはなんて聞こえたかな?」

ルイズは聞こえたとおりに伝えた。

「魔法、魔法、魔法。でしょ?」
「ちがうよ」
「えー!?そうかしら?」
「うーん……。じゃあ、『魔法』って、文字に書いてみて」

ルイズは書いて、彼にみせた。
「あなた、文字よめるの?」
しばらく眺めたのち、言った。
「いや、こちらの文字は読めないな。じゃあ、それをまず一文字づつよみあげて、それからまとめて読んでくれるかな?」

「えむ、あー、じぇー、いー、うー、マジィ。”ラ・マジィ”」

彼はなんどか深くうなずいたのち、言った。

「私は、”魔法”という言葉を”ラ・マジィ”とはいっていないよ。”魔法”と発音してるんだよ」

しかしルイズには「私は、ラ・マジィという言葉をラ・マジィとはいっていないよ。ラ・マジィと発音しているんだよ」と聞こえている。

「えー、全部おんなじじゃないの?意味わかんないわ」

          ※               ※

 彼はルイズに、"神通力"ということばを聞き取ったとおりに文字に書かせ、一文字づつ読み上げてから、まとめて読むよう頼んでみた。

「えむ、あー、じぇー、いー、うー、マジィ。“ラ・マジィ”」

 やはりか。

 彼女には、彼の発したことばが”神通力”(=ズートゥル)とは聞こえていない。
 彼が「神通力」という意味で発したチベット語の"ズートゥル"という音声は、彼女の意識に到達するまでの間に、"ラ・マジィ"と変換されているようだ。
 ”マジィ”という言葉についてだが、英語には「マジック」という言葉がある。それと同じ語源を持つ単語なのであろうか。

「私は、”神通力”という言葉を”ラ・マジィ”とはいっていないよ。”ズートゥル”と発音してるんだよ」
「えー、全部おんなじじゃないの?意味わかんないわ」

 彼は"ズートゥル","ラ・マジィ",ふたたび"ズートゥル"と、チベット語とハルケギニア語とを使い分けたのだが、ルイズには、これがすべて”ラ・マジィ”と聞こえているようだ。

「よし、もう一回、読んでみるよ。なるべく私の口の形と耳から聞こえてくる音だけに注意して、注意深く聞いてみてくれるかな?」
「口の形と、耳から聞こえてくる音ね?」

彼はうなずくといった。

「”神通力”、”神通力”、”神通力”」
「あ!」

ルイズの目が見ひらかれた。

「頭の中では"ラ・マジィ"、耳の方からは”ズートゥル”って聞こえる」
「これで、私と君は、別々のことばをしゃべっているって納得してもらえたかな?」
「そうね」
「ルイズ、私のほうはね、君が”神通力”というとき、脳内では君の声で”ズートゥル”、耳からは"ラ・マジィ"と聞こえているんだよ」
「ふーん、そうなの……」

 そしてこの瞬間、彼にはそれまでルイズが「魔法学院」というと「ンガクパ・タツァン(密教学堂)」と聞こえていたのが、「マジィ・ロプタ(マジィ学校)」と聞こえるようになった。そして、逆に彼の発していた「ンガクパ・タツァン」とか「ズートゥルギ・ロプタ」という名称は、もはやルイズには、「魔法学院」ではなく「ズートゥル修行者の道場」とか「ズートゥルの学校」と聞こえだした。
 それから、いろいろな概念・用語で試してみると、同様の現象が次々におこる。
 彼には、ルイズが仏教の教典に典拠をもつ故事成語やことわざ、慣用句、比喩表現をつかいまくりながらとても流暢にチベット語を話すくせに、仏教のことをちっとも知らなさそうなのが奇怪だったが、これで事情がわかった。

「私には、こんなことをやる力はないんだから、これは君がやっているんだ。」
「……そうなのかしら」
「私や君がことばを発する時、こんなものすごい神通力が常に働いていることになる」

 ルイズはなんだかうれしくなってきた。

「でもわかんないわ。だって私、とくに何にもしてないのよ」
「うん。そういえばさっき風呂を借りたときには、君のいないところでも使用人やメイドのひとたちと普通に会話ができたな。だから、私や君がはなすたびに、口から出た音が君の手で聞き手の理解できる言語に変成されて頭の中に届けられるというのとは違うようだな」
「"練金"や"固定化"なんかは、術者が対象物から離れたあとでも、ずっと効き続けるわ」
「それは、ものの見かけを一時的に変えるのではなく、物質の性質そのものを変えてしまうのだね?」
「そうよ」
「じゃあ、私にもその種の”神通力”がかかっていると考えられるな」

「あ、それよりも……」
ルイズは思い出した。もともと彼は使い魔として召喚され、使い魔として契約したのである。
「口のきけない生き物を使い魔として契約したとき、特殊能力を得るって聞いたことがあるけど、それかしら?」
「特殊能力?」
「ええ。例えば黒猫を使い魔にしたとするでしょ?人の言葉をしゃべれるようになったりするのよ。あなたは人間だからもともと言葉が使えたけど、それは私たちにはわからない言葉。それが使い魔になることで、私たちにもわかる言葉が使えるようになった……とか?」
 
 ルイズをはじめとするこの世界の人々と、互いの言葉をまったく知らないまま何不自由なく意思疎通ができるのは、そのおかげかもしれないな。
 それにしても、どのような仕組みなのであろうか。
 言語というものは、通常、声やゼスチャー、または文字としてまず視覚・聴覚によって受け止められ、受け手の中の頭の中にある辞書とつきあわせることによって意味が理解される。これに対し、ルイズがかれに行使した神通力は、言葉の発し手と受け手の心の間で直接に意味を伝達するものなのかもしれない。心に伝えられた”意味”は、本人の知らぬまに受け手の脳内辞書を参照し、受け手の理解できる言語として変換される。それゆえに、二人の話者の間で「脳内辞書」が更新されると、頭の中で聞こえる音にも変化が生じるのかもしれない。
 彼はしばらく考え込んでいたが、やがて言った。

「いや、その黒猫は、人間の言葉を聞いてわかるようにはなったかもしれないが、口をきけるようにはなっていないかもしれないよ?」

ルイズも気がついた。

「その猫は、あいかわらず、ニャアとだけいっていて……」
「それが周りの人々には、人間の言葉として聞こえる」
「そのとおりかもしれないわね」

  ************************* 
  ここから旧「第二話(続)」
  ************************* 

 それにしても、彼がどこの国から来たのかを説明するのに、
 「チベットとは、つい先日までイギリスの植民地だったインドの北隣にある国」
で「説明完了」と思っていたら、ルイズはチベットやインドどころかイギリスすら知らないとは。

 彼が、二度の世界大戦と、イギリスをはじめとする主要なインチー諸国の立ち居振る舞いについて説明したが、ぽかんとした顔をしている。
 そこで彼女の国で、この”密教学堂”があるトリステインという国についてたずねてみた。トリステインは、先の大戦で連合国と枢軸国のどちらに属していたのか、あるいは中立だっのか。現在、西と東のいずれの陣営に属しているのか、中立なのか、それとも非同盟諸国に属しているのか。
 ルイズは、ますますきょとんとしている。
 この娘は、世界の地理や国際情勢に、特別にうといのだろうか?
 それとも、まさか……?
 
 そういえば、さきほどルイズはヨーロッパの意味で用いる「インチー」がどう聞こえるかをたずねたら、「ハルケギニア」と答えた。
 
「インチーには、"ヨーロッパ"っていう別名があるだろ?」

    ※       ※

「ハルケギニアには、”ヨーロッパ”っていう別名があるだろ?」
「ないわ。ハルケギニアはハルケギニアよ」

 彼はまたもしばらく固まっていたが、ルイズに紙を求めてきた。

    ※       ※
   
 彼はルイズからメモ用紙をうけとりながらいった。

「いまから私が理解しているインチーの地図を書くよ。君も、君のしっているハルケギニアをかいてくれないか?」

 彼は、もらったメモ用紙に地図を書き、主な国の名前とその首都をローマ字・英語で記した。英・仏・独の3国には雅名(ラテン語の名)もつけた。その内容は次のとおりである。

イングランド(ブリタンニア)……ロンドン
ジャーマン(ゲルマニア)
  西………………………………ボン
  東………………………………東ベルリン
  オーストリア…………………ヴィエナ
フランス(ガリア)………………パリ
イタリー……………………………ローマ
ロシア………………………………モスクワ

 ルイズが列挙した国名・首都は次のとおりである。

トリステイン…………トリスタニア
アルビオン……………ロンディニウム
ゲルマニア……………ヴィンドボナ
ガリア…………………リュティス
ロマリア………………ロマリア
 
 書き上げた地図をつきあわせるとただちに明らかになった。
 陸地の形状をひとめ見ただけで、インチー(ヨーロッパ)とハルケギニアは、あきらかに別の土地である。
 アルビオンにいたっては、浮遊し、日々位置を変えている!! 

 彼は何度目かの硬直から立ち直ると、自分の地図に用いているアルファベットを一文字づつ読み上げ、ルイズに対応するハルケギニア公用語文字を記入させるとともに、ルイズの地図にもおなじ手順でアルファベットを記入した。
 こうして出来上がった地図をながめて、さっそくルイズは気がついた。
「あら?」
(そういえば、アルビオンの別名ラングルテール(L’Angleterre)を、アルビオンのジャルゴン(=方言・訛)では「イングランド(England)」っていってたような……)

 さきほど彼がルイズに「イングランド」と言ったときは、「インチー」と聞こえたので気がつかなかったのである。

 さっそく彼に話す。
 くらべてみれば、首都の名前も「ロンドン(London)」と「ロンディニウム(Londinium)」。
 この時の彼はしらなかったが、インチーには、ブリタンニアの古名・雅称として、そのまんま「白の国」を意味する「アルビオン(Albion)」がある。

 インチーにおけるイギリスの位置。ハルケギニアにおけるアルビオンの位置。よく似た位置にある、しかし全く別の国。
 名前がおなじガリアとゲルマニアも、同様だった。
 ハルケギニアのゲルマニアは、ヴィンドボナ(Vindobona)に本拠をおく「皇室」が支配する、単一の「帝国」である。一方の、インチーのゲルマニア(=ドイツ)は、ベルリンに本拠をおくプロイセンが、ヴィーン(独:Wien,英:Vienna)を本拠とするオーストリアだけを仲間はずれにして近代国民国家を形成した。先の大戦の直前、指導者イートラ(=ヒットラー)のもとでオーストリアも統一ゲルマニア(=ドイツ)に組み込まれたが、大戦の敗北によりオーストリアはふたたびドイツから切り離され、さらにドイツそのものも白の陣営西ドイツと、赤の陣営東ドイツに分割され、合計3つに分断されている。
 ハルケギニアのガリア。ハルケギニア随一の強国。首都リュティス。インチーのガリア(フランス)。首都パリ。ヨーロッパの大国ではあるが、先の大戦ではドイツにより首都を攻め落とされるなど、さんざんに蹂躙されている。

 ルイズとともにさらに確認したいくつかの事項により、インチーとハルケギニアが別の土地であることは、ますます確定的となった。

(1)ハルケギニアには、オロス(ロシア)がない。インチー諸国の最東部に位置するオロスは、チベットの北の隣国モンゴルと境を接しているが、ハルケギニア最東部の国は、ゲルマニアである。ハルケギニアでは、オロスに相当する地域は亜人や幻獣が闊歩する未開の森林地帯となっている。
(2)ハルケギニアは、2度の世界大戦を経験していない。
(3)インチーで信仰されているキリスト教のかわりに、ハルケギニアではブリミル教という教えが信仰されている。
(4)ハルケギニアではすべての国が君主制国家である。インチーでは、彼が地図に乗せた国々は、2度の世界大戦を経て、イギリスをのぞきすべて共和政体となった。
(5)インチー諸国の人々はかつて世界の主要部を支配し、そうでない国もふくめて、自分たちの基準にもとづく地図・海図を地球の隅々まで覆い尽くす形で制作した。一方、ハルケギニアの人々は、ハルケギニアの外部の世界についてほとんど知識がない。正確な地理的知識はハルケギニア周辺しかもっておらず、その外部についての知識は、あやふやな伝聞によるものしかない。
(6)インチーや、チベットが存在した世界には、エルフの国などない。かわりにアラブ諸国やペルシアなどの国々があるが、歴史的にはともかく、インチーを脅かすような勢力ではない。
(7)インチー諸国をはじめとする世界は「ランワンの流儀(自由主義)」を奉ずる西側諸国と「コンチャの流儀(共産主義)」を奉ずる東側諸国のふたつの陣営にまっぷたつに分かれているが、ハルケギニアではそのような東西対立・冷戦なるものが、そもそも生じていない。

 これらのことがらを確認すると、彼がいう「インチー」は、ルイズにはもう「ハルケギニア」とは聞こえず、ルイズのいう「ハルケギニア」も彼には「インチー」と聞こえなくなった。

 しばらくふたりは呆然と顔を見合わせていたが、やがて彼は言った。

「ルイズ、私のもといたところではね、インチーのひとびとによって、海や陸がどんな形をしているか、世界の隅々まで調べ尽くされているんだ。インチーとは別にハルケギニアが存在するなんてありえない。私のいたチベットがある世界と、ハルケギニアがあるこの世界は、別の世界なのだと思う」
「でも、別の世界があるなんて、聞いたことないわ」
「そうかな?たしか君、私をこちらに案内してくれる途中で、 自分のことを"三千世界で一番不幸だ"なんて言ってなかったかな?」

 "三千世界"とは、別名”三千大千世界”、一つの”仏国土”を構成する無数の世界を意味する。華厳経や倶舎論などの仏教の教典に詳細な記述がある。
 質問した後で、彼は気づいた。
(いや、彼女との会話では、まず心に直接に”意味”がとどき、それがこちらの脳内辞書でチベット語に変換されるから、仏典に典拠がある単語が聞こえたからといって、彼女自身がその単語を使ったり、知っているとは限らなかったな……)
 ところがルイズはいった。
「そういえば、たしかに”三千の世界”って言い方がある。”始祖”も別の世界から”聖地”を通ってハルケギニアに来たっていうわ」

 まいったな。それにしても、別の世界とはね。
 彼は嘆息した。
 ここがインチーであるならば、鉄道なり船なりを乗り継ぎ、なんなら歩いてでも、インドにたどりつき、彼の臣下と国民に合流するつもりだった。
 それが、別の世界とは……。
 
 ”導師”もルイズ自身も、彼女が召喚したのが人間だったことを、彼女が無能である証と考えているが、そんなことがあるものか。
 こちらの世界にでは、チベットのある位置に、チベットによく似た人々はいるだろうか?
 インドによく似た国に、仏教によく似た教えが生まれでているだろうか?

 ルイズがふと気がつくと、彼が優しげな笑みを浮かべてルイズを眺めている。
 (なあに?)視線で問うた。

「ルイズ、君はすごいな。私を”南贍部洲”(なんせんぶしゅう)のチベットから、ハルケギニアのトリステインまで呼び寄せてしまったんだから」

 ルイズはしばらくほうけた表情で彼のことばを噛みしめていたが、やがて両手で顔を覆って、静かに泣き出した。うれし泣きである。
 ルイズは、7才で杖を握って以来、一度たりとも魔法を成功させることができなかった。
 系統魔法であれコモン・マジックであれ、いかなる魔法をつかおうとしてもすべて爆発してきた。
 両親も姉達も、魔法学院の教師も同級生たちも、みながルイズに魔法の才能がないと思い、そのように接してきた。
 自分自身も、そのように思ってきた。

 しかし今日、はじめて魔法を成功させることができた。
 使い魔として召喚された青年は、自分にとてつもなく高い資質があることを示してくれた。

 ルイズが落ち着くと、彼は言った。

「ルイズ、私は自分のことについて、まだ話していないことがある。この学院の責任者の方に会えるよう計らってもらえないかな?」
 

 ******************
原作では、20巻でマリコルヌ君がルイズほめをやり直しさせられる場面で「三千世界に名をはせる…」と言っていました。



[35339] 第三話 禅師国王猊下の使命
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2012/10/28 13:32
(2012/10/26 17:21)初版投稿
(2012/10/28 13:20)こまごまとした増補

***********************

 異国風の装束の青年が、ひとりの女生徒に先導されて、学院内を歩あゆむ。すれ違う生徒や教師、使用人が好奇の視線をむけるなか、少女は得意げに胸を張って、颯爽(サッソウ)と進む。
 青年は黒縁メガネをかけ、おだやかな笑みを浮かべているが、犯しがたい威厳を全身から発している。
 (異国の神官さまかしら……)
 (異国の修道士かな……)
 青年がまとうえんじ色のゆるやかな衣装は、ブリミル教の修道士がまとう黒衣と雰囲気が似ていなくもない。

 青年に気をとられていた女生徒のひとりが、青年の前を歩む少女にふと目をむけて、おどろいた。
 (あら、ヴァリエールじゃない。見ちがえたわ)
 彼女がはじめてルイズと出会って以来ルイズの表情につねに漂っていた険がすっかり消え去って、まったく別人にみえたのである。
 (みすぼらしい平民を召喚したって聞いてたけど、……。彼がそうなのかしらね)
 この女生徒はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ。ゲルマニア国の西端ツェルプストーの地を領有する伯爵家の令嬢で、国境を挟んで隣接するのがトリステインのヴァリエール領という縁でルイズとは幼なじみ、魔法学院では機会をみつけてはルイズを一方的にからかうという関係である。使い魔については、こんどすれちがうとき自分が召喚したサラマンドラのフレイムをみせつけて自慢してやろうと思っていたが……。その最初の機会では、タイミングを逸し、そのまま見送ることになった。
 (それにしても、あの娘あんな表情できたのね……)

 ルイズは、7才で杖を握って以来、一度たりとも魔法を成功させることができなかった。
 どんなに努力しても、練習を積み重ねても、彼女の魔法はすべて爆発してしまった。
 ヴァリエール城では、彼女を表立ってバカにしたりあざけるものはひとりもいなかったが、上は両親や姉たちから、下は使用人にいたるまで、密かに彼女へ密かに哀れみの目を向けていることを知っていた。
 貴族とはすなわちメイジであり、魔法を使えるものがすなわちメイジであるという価値観の世界に生きていて、彼女自身、自らを卑下してるのであるから、ヴァリエール家の人々が、いかに内心の思いを完璧に押し隠してルイズに接したとしても、ルイズには彼らの心の声が聞こえてしまうのだった。

 魔法学院に入学してからは、大貴族の子弟の中に、ルイズを公然とからかい、あざける者たちがあらわれた。
 ヴァリエール家は王家の傍流で、王家たるド・トリステイン家につぐ王位継承権を持つ公爵家である。その3女に対して大した度胸であるが、魔法が使えないということが、それほどの軽蔑を招くという貴族的価値観の歪みをしめしている。隣国ガリアでも、統治者としてきわめて有能なジョセフ王に対し、魔法の才能に欠けるというだけで“無能王”という蔑称が冠せられている。 

 魔法学院には、ヴァリエール家を宗主としてあおぐ家々の子弟たち、すなわちヴァリエール家の家臣・家の子・郎党の子弟や、一門諸家の子弟がいる。“一門諸家”とは、歴代のヴァリエール家当主の兄弟を祖とする家々である。これらの諸家はぞれぞれ家臣・家の子・郎党などを持ち、その子弟も当然魔法学院に入学してくる。
 トリステイン魔法学院には、ヴァリエール家およびヴァリエール家と統属関係をもつ家々の関係者だけでも、3つの学年で、つねに男女あわせて15人から20人ちかく在籍していた。1学年の定員が3クラス90人の魔法学院としては、非常に大きな集団である。ヴァリエール宗家の子女が入学するのはエレオノール以来11年ぶりで、ルイズがそのつもりになれば、ルイズを守り、気に入らない者に仕返しする強固な”とりまき”集団を結成することも可能だったが、ルイズはそうしなかった。
 まずは女生徒たちが学位院内で組織する親睦会、趣味の活動、お茶会などから可能なかぎり遠ざかった。ルイズがその種の集まりに参加すれば、彼らのなかから、自分の趣味・嗜好ではなく”ルイズの楯となる”ことだけを目的に参加するものがでてくるのが目に見えたからである。また、あるときヴァリエール有縁のひとりの男子生徒がルイズをいつもあざける同級生に決闘を申し込んだのも、ただちにやめさせた。
 ルイズは自分自身でみずからを深く卑下していたため、ルイズの名誉のために立ち上がろうとした男子生徒を含め、彼らヴァリエール家に縁ある者たちが、”魔法ができない自分を内心はバカにし、あるいは哀れみながら、自分の実家や自分の将来に何か得になることを期待して、自分の機嫌をとりにくる連中”にしか見えなかったのである。いっぽう彼らの側からすると、貴族社会・封建制という枠のもと、ヴァリエール宗家をもり立てるべき組織の歯車である家の出身者として自らの役割を実践しているだけのことであって、それは単に"ルイズ個人のご機嫌をとる"というレベルの問題ではないのであるが、主たるべきルイズから望まれた以上、彼らには、ルイズと距離を置き、遠くから見守るしかすべはなかった。

 そのような彼らの一部が、ルイズの異常に気がついた。
(宗家のお嬢さまが、じつに晴れ晴れとしたご様子ではないか!このようなお顔はみたことがないな……)
 かねてルイズに命じられているとおり、“お嬢さま”とは呼ばずに声をかける。
「ミス・ヴァリエール、そちらは?」
「ロバ・アル・カリイエのプー(=チベット)国の神官さまよ」
青年も名乗る。
「プー国のサンギェ神に使える神官、オシエ ヲ ホウズルウミともうします。ミス・ヴァリエールに招かれてトリステインに参った者です」
続けて一瞬だけ数珠をずらせ、左手の甲に刻まれたルーンを示す。
 事情を察した彼らは、主筋のルイズの実にうれしそうな様子に、自分たちもなんだかうれしくなる。

            ※              ※

「なんと、異世界とな!」

 学院長のオールド・オスマンは、ルイズと青年が作成した地図の説明をうけて納得せざるをえなくなり、おもわず大声でつぶやいた。
 ハルケギニアとインチーは、国々の名前やいくつかの都市の名前が共通する一方で、大陸の形状や歩んできた歴史が、たんなる「食い違い」を超えて、まったく異なっている。
 さらには暦。
 青年は、ハルケギニア世界と、彼がもともといた世界の暦の相違についても説明した。
 チベットには伝統的な「ポンダー(チベット暦)」があり、その他にもギャナク国固有の暦(=旧暦)、聖なるギャガー国(=インド)とギャナク国の双方が公的な暦として採用したチンダー(外国の暦,=西暦)などが知られているが、いずれも地球の公転周期が365日であることを前提としたものである。西暦の1027年を元年とする「ポンダー(チベット暦)」は月の運行を基準とした暦で、1月30日、一年を360日とする。月が地球の衛星軌道上を一周するのは30日ちょうどではないので、政府機関の"メンツィーカン(=薬暦院)"に計算させて、「余日」や「欠日」を置く。また6年おきに「閏月(うるうつき)」を設定する(1年を13ヶ月)とすることにより、地球の公転周期約365.2422日とのずれを修正するようになっている。また、先代国王の時代より、太陽暦「チンダー」(一週間が7日,ひとつきが29~31日、一年が365日)がつたわり、メンツィーカンが毎年発行する「ダト(暦書)」には、小さく西暦の年月日も記載されるようになった。
 これに対してハルケギニアの暦では、一週間が8日、ひと月が32日、一年が384日となっている。しかも完全な太陽暦である。
 地球でも、完全に月の運行を基準にした暦は一年が365日とはならない。チベットでも数千人のムスリム(イスラム教徒)の国民が使用しているヒジュラ歴は、一ヶ月が29日の「小の月」と一ヶ月が30日の「大の月」を交互に繰り返す純粋な太陰暦で、一年は354日であり、年に11日ほど地球の公転周期より前倒しされていく。そのため暦の周期と季節との関係は固定されない。しかるにハルケギニアの暦は完全な太陽暦であるにもかかわらず一年が384日なのであり、すなわちハルケギニアがある惑星と、チベット国がある世界(地球)とは、公転周期が相違する別世界であることが明らかなのである。
 彼はインチー(=英国)製の腕時計をオールド・オスマンに示して指摘した。

「もしかすると、一日の長さも、私がもといた場所とこちらとではことなっているかもしれません」

 オールド・オスマンと、教師のコルベールはうなりながら黙り込んだ。

     ※                   ※

 もともとは、ルイズの魔法の才能についての話題だった。

「ミス・ヴァリエールは、自分には魔法(マジィ)の才能がないと悩み苦しんでいました」
「そうです、系統魔法はむろん、ごく簡単なコモン・マジックでさえ。いかなる呪文も、彼女は爆発させてしまうのです」
「“ラ・マジィ”というのは、失敗すると爆発するものなのですか?」
 彼は、“始祖ブリミルが創始した一連の魔法技術”を指す場合、チベット語ではなく、“公用語”の単語でそのまま「ラ・マジィ」と呼ぶ。コルベールは、そんなこだわりに気づかずにこたえた。
「いいえ、普通はなにもおこりません」
 青年は、うなずきながらいった。
「つまり彼女は“ラ・マジィ”を思うようには使えないだけで、魔法をおこす力は持っていることになる」
「そうなりますな」
「それもとてつもなく強力な力を。私をヒマラヤの山中から、はるばるハルケギニアまで召喚したのですから」
「“ヒマラヤ”というのは、ロバ・アル・カリイエ(=東方諸国)の著名な山脈なのですな?」
「こちらのロバ・アル・カリイエにも“ヒマラヤ”はあるのかも知れませんが、私が来たのはそこではありません。別の世界です」
「“別の世界”ですと?」
青年がルイズにうなずくと、ルイズは持参した鞄の中からさきほどふたりで作成したハルケギニアとインチーの地図を取り出し、オスマンとコルベールに示した。

     ※                   ※

 沈黙する二人に、青年は告げた。

「私を、もとの場所に返していただきたいのです」

 ここが異世界であるからには、トリステイン王国は"赤い東のコンチャの陣営"には属しておらず、したがって自身の身分をあきらかにしても、とらえられてギャマルに引き渡されることもない。
 青年は、祖国チベットにおける自分の身分を明かし、おのれの使命について説明した。
 
 彼にはふたつの身分・資格がある。
 ひとつは、一仏教僧としての資格。彼は一人の比丘としては、顕教(けんきょう)の5学部を修了した段階で受験する"ゲシェー学位"の試験で最上級の"ラランパ"級に合格したが、さらに上級のカリキュラムが控えている、修行途上の身であること。
 もうひとつは、チベット国家の国家元首としての身分。彼は裕福な平民の農家に生まれた。6才のとき先代国王の“生まれ変わり”の"禅師国王"として見いだされ、比丘としての修行のほかに帝王教育も受けた。8年まえ、ギャマルがギャナク国の政権を握り、大軍をもって侵攻してきたたため、15才の身で親政に着手した。つい10数日前、ギャナクの占領軍から彼の身を守るために首都の市民が蜂起した。国民が徒手空拳で占領軍に挑むのをやめさせるため、隣国に脱出をはかった……。
 隣国のインドやネパール、ブータンと交渉して、祖国を脱出する国民を可能なかぎり多数受け入れてもらい、国外を脱出した国民を再組織し、祖国に残留する人々を鼓舞する。国際社会に対しギャマルの非道を訴え、チベット国家の回復のために支援を求める。彼には、このような事業の先頭に立つ責任がある。

「私には果たさねばならない使命があります。いきなり異世界に呼び出されて大変に迷惑しています」
 ルイズは、申し訳なさそうな顔で青年をみている。
 オスマンと顔を見合わせたのち、コルベールが答えた。
「……コンクラート・サーヴァントは一方通行です。元の場所にもどすことはできません」
「“ラ・マジィ”の流儀には、そのほかに、何か遠方と遠方を結んで往来する技はないのですか?」
「系統魔法にはそのようなものはありません。マジックアイテムの類にそのような物があるという記録が散見されますが、実在は確認されておりません。ましてや、異世界とこちらの世界をつなぐ魔法など……」
「ミス・ヴァリエールからは、こちらの“始祖”は“聖地”を通って異世界からやって来たと聞きましたが……」
「それは、その通りです。しかしそれはもはや“伝承”と化しています。始祖がどのようにして聖地にあらわれたのか。”異世界を渡る技”がどのようなものであったのか。現在は伝わってはいないのです」

 ミスタ・コルベールはハルケギニアの“ラ・マジィ”に異世界を渡るための技術がないことを、しきりに強調している。はっきりと口にはださないが、使い魔として召喚され、契約を結んだからには残る生涯をハルケギニアで過ごせといいたいのであろうが、青年としては、禅師国王としてけっしてそのようなわけにはいかない。

「“先住の魔法”ではいかがです?」
「先住魔法については、我々はほとんど体系的な知識を持ち合わせおらんのです」
「わたしの国の伝承にも、遠方と一瞬に行き来したり、生き物を思うがままによびよせたり送り返したり、複数の場所に同時に存在したりする、偉大な”大神通力者”たちの物語があります。ミス・ヴァリエールの”ラ・マジィの才能”、”ラ・マジィの素質”についてはしりませんが、彼女がきわめて強力な“通力”を持っていることは疑いの余地がない。それもとてつもないものを」
 ルイズの”通力”は、彼をここまで呼び出すほど強力であるのだから、当然に、送り返すことも可能であるはず。ハルケギニアと地球のヒマラヤ山中とを「つなぐ方法」は「ない」のではない、「知らない」だけだ。であるからには、なんとしても「見つけ」ていただかねばならぬ。

「私は当面こちらに滞在し続けざるをないわけですが、学院における私の身分はどのようなものになりますか?」

 学院の生徒たちが召喚した使い魔たちは、通常は生徒所有のペットか家畜扱いである。
 小型ならば、召喚した生徒が寮の自室で飼育する。また一定以上の大きさをもつ生物のために、学舎の周囲には厩舎や放牧地、大型の使い魔が営巣したりエサを狩るための広大な自然保護区などが設置されている。生徒たちは、在学中、学費とは別に、必要な経費を学院に収め、学院の人手や施設を利用して自らの使い魔を養う。
 ルイズは自室に、家具を移動して3平方メートルほどのスペースを作っていた。自分が召喚したのが動物だったら、ここに寝藁かなにかをおいて自室で飼うつもりだったとルイズは語ったが、出家の身である青年としては年頃の女性と二人きりで一室にとまり込むつもりは全くない。

「身分?」
 コルベールが問い返すと、ルイズが口をはさんだ。
「禅師さまは、私の個室で暮らしていただくわけには参りませんし、厩舎や森なんて論外ですから、禅師さまにふさわしい部屋を学院で用意していただけませんか?経費はヴァリエール家からお支払いいたします」
 青年も述べた。
「国家元首として扱えとはいいませんが、ブリミル教の神官や修道士がこの学院を訪問した時と同等の扱いをお願いする。そして、この学院の蔵書を自由に閲覧する資格もいただきたい」

 もとの世界にもどるための方法を調べる気まんまんの要求である。
 コルベールが、なおも抵抗する。

「使い魔と主人との絆は、どちらかの寿命がつきるまで、一生つづくものなのです」

 だから、もとの世界にもどることをあきらめて、ハルケギニアにずっといろと?

「私はチベット国の禅師国王。600万国民が私を必要としているのです。いっぽうミス・ヴァリエールは、公爵家の3女だとうかがいました。家を継ぐべき立派な姉君がふたりもいらっしゃるとか。私が国に戻れるようになった時に、ミス・ヴァリエールが一緒にいらっしゃるとしても、私はいっこうにかまいません」

 動物の使い魔だったら、自分をもとの場所にもどせとか、自分のもといたところに召喚者のほうが来るべきだなんて、決して言わないだろう。しかし、それにしたって、コルベール氏は、一国の元首を有無を言わせず呼びつけた重みを今ひとつ理解していないようである。
 いまのチベットは、これから過酷な苦難の道のりが長く続くと予想され、ほんとうは、異世界から何も知らない少女を招きたいような状況では、全くない。ただし帰還方法の調査に、手抜きや妨害をさせずに、学院をしっかりと協力させるために、釘をさしたのである。

                ※                    ※
 
 「禅師さま、ほんとうに申し訳ありません」
 自室にもどると、ルイズはしきりに謝る。
 学院は、禅師のために、教師用宿舎と同等のスペックの部屋を用意することを約束し、いまはその準備中とのこと。

チベット国の禅師国王であることを明かしてからルイズの態度はさらにかわり、かれの耳にチベット語として聞こえるルイズのことばは、尊敬語や丁寧語になった。
「いや、学院長とミスタ・コルベールには、『元の場所に返せ、返せ』と力説したけれども、君に召喚されてハルケギニアにきたことには、何か意味があるかもしれないと考えているんだ」

 禅師はルイズにチベットの大ヨーガ行者ミラレパについて話した。
 チベットで宗派を超えて敬愛されている大ヨーガ行者ミラレパは、師マルパに出会うに先立ち、復讐にたける母に促され、神通力だけを強化する修行に取り組み、身につけたその力によって怨敵とその眷属を皆殺しにした。ミラレパの行者としての歩みは、まずその悪業を償うことから始まった。

「ルイズ、君の“通力(ズートゥル)”の資質は、とてつもなく高い。君がどのような道をゆくかによって、この世界の一切衆生(イッサイウジョウ)に対して、おおいに利益(リヤク)するかもしれないし、とてつもない害悪をもたらすかもしれない。自分がここに呼ばれたのは、君に対して、あるいは、この世界に対して何か果たすべき役割があるのかもしれない、と思っているんだ」



[35339] 第四話 ガンダールヴ、覚醒 !?
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2012/11/13 20:53
2012年11月9日初版
*************************

 未明にめざめた。
 2週間にわたってギャマル(=中国共産党)軍の追跡から逃れるための逃避行をつづけてきて、ぐっすり寝たのは久々だった。
 場所は、彼がもといたチベットからは、世界を超えてはるか離れたトリステイン魔法学院のゲストルーム。
 ヴァリエール家の費用で彼の個人宿舎を建ててくれるらしいが、それまでの仮住まいだ。
 逃避行中は、朝夕の勤行(ごんぎょう)も略式にせざるを得なかったが、この土地では、もはやギャマルにおびえる必要もない。ひとりぼっちでではあるが、しっかりと丁寧に「おつとめ」を行うことにする。

 読経の最中に、ふと気がついた。
 時折、五感が異常に鋭くなる。
 特に、法具の中でも、金剛鈴(ティルブ)と金剛杵(ドルジェ)に触れる時に甚だしく、あまつさえ身体が軽くなるような感覚も生じる。
 いったい何事であろうか。

 現在のように感覚がいちじるしく研ぎすまされることは、瞑想修行中に何度も体験があり、そのこと自体には驚きもしない。しかしこれらの法具に触れると起こり、身から離すとおさまるというのは初めてである。

 金剛鈴(ティルブ)と金剛杵(ドルジェ)を含め、いま彼の手元にある仏具の一式は、首都ラサから彼に随行した護衛兵サムテンの所有物である。
 逃避行を開始するにあたって彼が下級兵士に変装する際、彼と体格の近いサムテンがえらばれ、サムテンが所有・使用していた軍服・軍帽・軍靴、水筒、背嚢など装備一式がそのまま彼に渡された。そのおりに背嚢の中に収納されていたサムテンの仏具もそのまま彼に渡された。サムテンには、新品の装備一式と、歴代ダライラマによって使用されてきた国宝級の仏具が渡された。装備を交換する際、サムテンは、脱出行の総指揮をとるティジャン・リンポチェに訴えた。

「私の粗末な装備や持ち物がギェルワ・リンポチェ(=禅師国王に対する尊称)のお役に立つのは、たいへん光栄であります。ただギェルワにお渡ししたあの仏具は両親の形見であります。ぶじ国境を超えましたら、こちらの結構な品々はご返上もうしあげますので、ぜひまた私にお戻しいただきたいのです」
 むろんティジャン・リンポチェにも彼にも、否やはまったく無かったが、返す機会を逸して、魔法学院にまで持ってきてしまった。

 そのような由来の品々であるから、古いものではあるようだが、彼がポタラ宮殿やノルブリンカ離宮で日常使用していたものとは比べるべくもない祖末なものである。なにか特別な呪力を備えた霊具であろうはずもないのだが……。

              ※                          ※
 
 昨日以前と変わらずひとりで目覚めたルイズが、自分で身だしなみを整えて部屋を出ると、待っていたかのように隣室のドアが空き、中から燃えるような赤い髪の女生徒が現れた。ルイズの実家ヴァリエール家と国境を挟んで対峙する、ゲルマニア帝国のツェルプストー伯爵家。その長女のキュルケである。彼女はルイズを見ると、にやっと笑った。
「おはよう、ルイズ」
 ルイズはにっこりと笑うと、爽やかに挨拶を返した。
「おはよう、キュルケ」
「あなたの使い魔は?みすぼらしい平民を召喚してたわね」

昨日、彼の僧衣姿をみかけているにもかかわらず、挑発するためキュルケはことさら煽る。学院に入学して以来、ほぼ毎日のようにやっている挨拶のようなものである。

「“みすぼらしい平民”なんかじゃないわ。サンギェ神に仕える修道士さまよ」
「『サモン・サーヴァント』で人間 喚(よ)んじゃうなんて、あなたらしいわ。さすがゼロのルイズ」
「ありがとう」

しかし、ほんとに嬉しそうにルイズが礼をいうので、キュルケは調子がくるう。この“いつもの挨拶”は、ルイズが顔真っ赤にして悔しがりながら黙り込むところで落着するのがいつものパターンなのであるが、今日はなかなかしぶとい。

「あたしも昨日、使い魔を召喚したのよ。誰かさんと違って、一発で呪文成功よ」
「あっそ」
「どうせ使い魔にするなら、こういうのがいいわよねぇ~。フレイム!」

 キュルケはことさら勝ち誇った声で、自分の使い魔を呼んだ。キュルケの部屋からのっそりと、真っ赤で巨大なトカゲが現れた。

「これって、サラマンダー?」
「そうよー。火トカゲよー。見て?この尻尾。ここまで鮮やかで大きい炎の尻尾は、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ?ブランドものよー。好事家に見せたら値段なんかつかないわよ?」

 そうれ、悔しがれ!と力をこめて自慢するが、ルイズは平然としたもの。あまつさえ、馬鹿にするようにいった。

「火竜山脈ねぇ……」
「なによ……」
ルイズは得意げに胸を張ると、言った。
「私の禅師さまは、はるばるアル・ロバ・カリイエはヒマラヤ"大山脈"のふもとのチベット国からお招きしたのよ?」

 キュルケがフレイムの故郷と推測する火竜山脈は、ガリアとロマリア諸国の国境付近にわだかまる山脈で、両国をむすぶ主要ルートの“虎街道”がつらぬく、ようするにハルケギニアのど真中に位置している。ルイズは、そんな火竜山脈よりも、はるか遠くのアル・ロバ・カリイエから使い魔を召喚した自分のほうがすごい!と言っているのである。
 キュルケとて、昨日、威風堂々とした青年の僧衣姿を実見しているし、ハルケギニアとアル・ロバ・カリイエとをゲートで繋ぐことのとてつもなさを理解できるので、ことばにつまる。
 (魔法のことで、ヴァリエールにやり込められるとはね……!でもそれはそれで面白いわね。ヴァリエールが、やっと少しはライバルっぽくなってくれるということだし)
 素直に質問する。
「その“禅師さま”ってメイジなの?」
「……ご本人はちがうっておっしゃっているわ」
「へー、じゃあ平民ね?」
「裕福な農家のお生まれだって」

 キュルケはあからさまに馬鹿にしたような態度をとってみせるが、ルイズは気にしない。禅師は、本当はアル・ロバ・カリイエどころか異世界からの訪問者であり、一国の国王をつとめるほどの人物であるからである。残念なことに、昨日オスマンとコルベールに口止めされたためキュルケに自慢するネタとしては使えないが。

「禅師さまおっしゃってくださったわ。わたしには、とってもすぐれた“神通力(ズートゥル)”の素質があるんだって。だからわたし禅師さまから“ダルマ(法)”を教わるのよ」 

 昨晩、瞑想のごく初歩(「結跏趺坐」の組み方と呼吸法)を習い、解説を受けた「怒りや嫉妬、執着を癒す方法」などを思い返しながら、キュルケに自慢した。

「“ダルマ”って?」
「宇宙の森羅万象(シンラバンショウ)を司(つかさど)る法則のこと。」
「へー。その”ダルマ”というのを勉強すると、魔法が使えるようになるの?」
「魔法自体を目的としたものではないけれど、結果として“神通力”が駆使できるようになることはあるって」

 ちょっとつついただけですぐ顔を真っ赤にして怒らせることができたルイズの大そうな変わり様。
(ルイズの”禅師さま”ってどんな人かしらね。ちょっと興味がわいたわ)
 チャンスがあったら、さっそくちょっかいをかけてやろうと決意したキュルケであった。 

           ※               ※
 
 学院における彼の滞在資格の問題は、いまだに決着していない。

 昨日は、チベット政府発行の旅券をしめして、オールド・オスマンに記入をもとめた。
 チベットの旅券は、幅30センチ、長さは2メートルほど。上端部分の縦20センチほどのスペースを使って、チベット語と英語で、彼の身分証明とこの旅券の持参人に対する法的保護の要請が、「ガンデンポタン」(=チベット政府)外務大臣の名義で記入されている。のこる縦180センチぶんのスペースはまったくの白紙で、このスペースに出入国のスタンプや旅行先の査証が記入または貼付されることになっている。
 オスマンに記入をもとめた内容は、旅券の文面(チベット語・英語の合壁)のガリア公用語訳と、訳文が旅券の文面を正確に翻訳したものだとするオスマンの保証、旅券所持人である彼が正規の入国手続きを踏まずにトリステイン王国に滞在している事情の説明、正規の入国審査と滞在許可の申請などである。
 彼がルイズの手伝いによって文面を作成し、オスマンに記入を求めた草稿は、以下のような内容である。
 この文面中、「火の蛇の年」とは西暦1956年、「土の豚の年」とは西暦1959年にあたる。

***********************
 本文書は"諸方に勝利せる大兜率宮殿(ガンデンポタン)”の外務大臣がチベット国の人"オシエヲホウズルウミ"に対して発行した旅券であり、次のような内容が記載されている。 

オーム・スヴァーシッダム。天命を承(う)けたる「諸方に勝利せる大ガンデンポタン」の外務大臣は、チベット国に所属する本旅券の所持人を通路遅滞無くなく旅行させ、かつ、同人が必要とする保護・扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。火の蛇の年4月1日に。サルワ・マンガーラム。
  「諸方に勝利せる大ガンデンポタン」外務大臣(サイン,外務大臣朱印)

【旅券】
【発行国】チベット/プー・チェンボ
【名】オシエヲホウズルウミ /テンジンギャムツォ
【国籍】チベット/プー・チェンボ
【生年月日】西暦1935年7月6日/木の豚の年5月6日
【性別】男
【本籍】アムド
【宗教】仏教
【職業】チベット国禅師国王
【発行年月日】1956年6月1日/火の蛇の年4月1日
【発行官庁】外務省/諸方に勝利せる大ガンデンポタン・外務省

上記の文面は、チベット国旅券の文面の真性の翻訳文であり、トリステイン国の人オスマンとチベット国のオシエヲホウズルウミの二者が翻訳したものである。
 6243年フェオの月フレイヤの週ラーグの曜日 トリステイン魔法学院院長 オスマン(サイン)
 土の豚の年2月28日 旅券持参人・チベット国の人 オシエヲホウズルウミ(チベット文字によるサイン:テンジンギャムツォ/チベット国禅師国王印)

 本旅券持参人「オシエヲホウズルウミ」氏は、トリステイン魔法学院の第2年学年の生徒ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢が本年フェオの月フレイヤの週ラーグの曜日に実施したサモン・サーヴァントによる召喚を受け、正規の入国手続きをへることなくトリステイン王国に入国し、トリステイン魔法学院に滞在するところのものである。トリステイン魔法学院はトリステイン王国政府に対して以上の理由を報告するとともに、本旅券持参人に対して法律にもとづく正規の入国手続きと滞在許可を申請する。
 6243年フェオの月フレイヤの週ラーグの曜日 トリステイン魔法学院院長オスマン(サイン)
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 これに対し、オスマンは、ハルケギニア諸国には旅券制度がなく、彼の想定しているようなトリステイン王国政府による「正規の入国審査」や「滞在許可」なるものは存在しないと答えた。
 たとえば留学希望者に対しては、留学の受け入れ先が入学許可と通行手形を留学予定者に送ってくる。交易商人ならば、その商人の取り扱い品目に応じた商業ギルドが営業許可証と通行手形を発行する。外国人は、これらの許可証と通行手形を提示することで国境の関所を通過することができる。外国人の受け入れや往来は、その外国人の入国目的に対応する諸団体が管理し、各国政府は直接には関与しないものなのだという。
 彼に関していえば、彼が「ミス・ヴァリエールの使い魔」であることは、ルイズ自身が認めるし、なんならトリステイン魔法学院の名義で「ミス・ヴァリエールの使い魔」であることを示す学院の公式書類を発行することもできる。そして、トリステイン王国においてはそれらだけで、十分な身分の証明となる、という。
 彼が求めた、チベット政府発行の旅券への記入については、「魔法学院の院長としては、貴君に対して"ミス・ヴァリエールの使い魔"として認める以外の権限をもたない。貴君を”チベット国の人”であるとか、"サンゲ神に使える修道士"や、"チベット国の禅師国王"等として認めることは、越権行為にあたってしまう。したがって貴君が提案しているような文面を、貴君が提示する書類に記入することはできない」と述べて、拒否した。 

 このような次第で、いまのところ、当面は、学院における彼の立場は「ミス・ヴァリエールの使い魔」という位置づけで、食事・宿舎などは、ルイズの依頼により、ヴァリエール家の費用で「学院を訪問したブリミル教の修道士が受けるのと同等の待遇」が与えられることになった。

 朝食は、ルイズと待ち合わせて、ルイズの隣の席で、アルヴィーズの食堂でとる。メニューは、昨夜のうちに依頼しておいた、特別メニューである。

 厨房の責任者マルトーは、はじめ”特別食”ときいていやがった。
 同行していたルイズがいう。
「お礼ははずむわ。だからお願いできないかしら?」
「いや、礼の多寡が問題なんじゃねえ。仕込みや配膳でクソ忙しいときに余計な手間がかかるのが気にいらねえんだ」
そこで彼は述べた。
「いや、手間はかからないとおもうよ?」
背嚢の口を開いて、中から袋を取り出した。マルトーに頼んで小皿を用意させ、袋の中身を少しだけそこにあける。香ばしい香りのする白い粉である。
「なんだね、これは?」
身振りで、味見するよう促しながらいう。
「これは故郷(くに)からもってきたものだが、ハルケギニアにもあるだろうか?」
マルトーはひとつまみをなめてつぶやいた。
「これはオオムギを煎(い)ってから挽(ひ)いたものだな?」
「そのとおり。故郷のことばでは"ツァンパ"という。毎食用意してもらわなくてもいいんだ。この袋が空になったら、補充してもらえたらいい」
「それならお安いごようだ」
「それともうひとつ」
 いいながら、かれは、背嚢からさらにいくつかの固まりをとりだした。
 包装紙にくるまれたレンガ状の立方体がひとつと椀型の半球型の固まりがふたつ。袋に入った、レンガを削ったような形の固まりがひとつ。
「これは”チャ”という。“チャ”という木の葉や茎を発酵させて、固めたものだ」
 レンガ状のものはストン(四川)産、椀状のものはユンネン(雲南)産で、味にも微妙な相違があるのだが、この地の人々にはわかるまい。
 彼は、小鍋に水をはって火にかけてもらいながら言った。
「これを、すこしずつナイフで削り、お湯のなかでしばらく煮ると、とてもいい香りと味がお湯につく。それを飲みます」
 マルトーやルイズ、厨房のコックやメイドたち数人がのぞき込むが、みな初めてみるような表情をしている。
「それにバターをたっぷり浮かべて、少しだけ塩をいれたものを作っていただけないだろうか?」
「その程度だったら、なんでもねえ。お安い御用だ」
 彼は礼をのべて、固まりのふたつをマルトーに預けた。
「"チャ"というのは私の故郷(ふるさと)の言葉で、その他にも"ツァイ"、”チャイ”、”ティー”などの名前で、非常に多くの国々で飲まれているはず。ハルケギニアでは知られていないのかな……?」
 彼が英語で”ティー”と言ったとき、メイドのひとりが身じろぎをした。黒い髪、黒い瞳の素朴な風情の少女である。
「”テ”と同じものかしら?」
「トリステインにも来ているのかね?」
「わたし少しだけ持ってます。ちょっと取ってきます」
     
             ※                  ※

 使用人宿舎の自室に自分の茶葉を取りにいき、戻ってきた少女はシエスタといった。
 シエスタの茶葉は、カラフルなラベルが貼られた手のひら大の小さな木箱の中に、さらに布袋に大事そうに詰められて納まっていた。
 王都トリスタニアに、茶葉を商う店があるという。
「このラベルにはなんと?」
「てー、あっしゅ、うー。”テ”」
 袋をあけて香りをかいでみる。
「まさしく”お茶”だ。とてもいい匂いがする。私のお茶よりもずっと高級だよ」
 彼は布袋の口をとじて木箱におさめ、シエスタに返すと言った。
「故郷のお茶を飲み干しても、補充できることがわかって嬉しい」

             ※                     ※
 
 生徒たちの朝食の豪華なメニューが並ぶ中、彼の”特別食”はきわめてめだつ。
 メイドたちが彼の目の前においたのは、1リットルほどの銀のポットひとつ。彼はふところから自分の木の椀と、”ツァンパ”の入った袋をとりだし、ツァンパを木の椀に盛った。

「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことを感謝します」
 教師と生徒一同が祈りの声を唱和する。
 
 彼はツァンパにバター茶を少し注ぎ、右手の親指と人指し指、中指でこねて団子をつくり、ちぎって食べた。
 デザートは、生徒たちと同じフルーツを食べた。

 貴族とっては、彼の食事はきわめて祖末にみえるのだろう、彼の周辺の席の生徒たちが、ちらちらと彼の膳に目をやる。ルイズが質問してくる。
「禅師さま、そのようなメニューで大丈夫なのですか?」
「このお茶に、バターをたっっっっぷりと入れてもらっているから、栄養が足りないことはないとおもうよ?」



[35339] 第五話 伝説の目覚め
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2012/11/14 00:12
祝!ダライラマ法王猊下来日!
祝!ダライラマ法王猊下、国会内で講演!
(2012年11月13日 23:24初版投稿)

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 魔法学院の教室は、大僧院の集会所のようだった。ただしインチー(=ヨーロッパ)の風習ににて、床の上に褥(しとね,座布団)と座卓を置くのではなく、椅子と、それに合わせた長机がおいてある。
 彼とルイズが中に入っていくと、先に教室にやってきていた生徒たちが一斉に振り向いた。
 彼の威風堂々とした僧衣姿をみて、ルイズを笑い者にしてやろうとしていた生徒たちのくすくす笑いは数秒で静まった。キュルケもいて、興味ぶかげにちらりと彼を眺めた。
 1学年をまるごと収容できる広さだが、生徒の人数は30人ほどで、空席がめだつ。そのかわり生徒たちは、さまざまな使い魔を連れていた。サラマンダー、フクロウ、大蛇。バシリスク、バグベアー、スキュア……。
 この授業の受講者の中にルイズの友達はいないのか、彼女のそばによってくる生徒はいない。
 彼はルイズの隣にすわる。
 しばらくすると、ふくよかな女性教師が入室してきて、教室を見回しながら言った。
「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちをみるのがとても楽しみなのですよ」
 シュヴルーズの視線が彼にとまる。
「ミス・ヴァリエール、そちらは?」
 部外者を教室に入れるのなら、事前にそのコマの担当者に挨拶があってしかるべき。ややとがめるように問う。
 ルイズが答える前に彼はたちあがり、左手の数珠をずらしてルーンを示していった。

「ミス・ヴァリエールのお招きをうけたプー国(=チベット)はサンギェ神に使える修道士、”オシエヲホウズルウミ”です」
  
 大僧院ラサ三大寺の大衆(だいしゅ)を前に説法をいつも行ってきた声量で、音吐朗々(オントロウロウ)と答える。
 つい先日まで一国を率いてきた堂々とした態度。
 とうぜん、笑うものはだれもいない。

         ※                ※

 彼は、時おり墨つぼでインクを補充しながら竹ペンを走らせ、シュヴルーズの言葉を一言一句あまさずメモにとる。彼にはシュヴルーズのことばがチベット語で聞こえてくるので、チベット語でメモをとることが可能なのである。チベット文字のうち、ウメ体という筆記体を用いると、慣れたものなら、しゃべるのとほぼ同じ速度で語られた内容を筆写することが可能なのである。
 それにしても、シュヴルーズが声を出している間中、絶え間なくカサカサとペンを走らせる音がするのであるから、ただ黙って話を聞いているだけの生徒とくらべると、目立つ。シュヴルーズは音源である彼と、その隣のルイズをちらちらと何度もうかがったが、やがていった。
「ではミス・ヴァリエール、あなたにやってもらいましょう」
「え、わたし?」
「そうです。ここにある石ころを、望む金属に変えてごらんなさい」
 ルイズは立ち上がらない。困ったようにもじもじするだけだ。彼も訪ねる。
「ルイズ、どうしたね?」
「ミス・ヴァリエール、どうしたのですか?」
 シュヴルーズが呼びかけると、キュルケが困った声で言った。
「先生」
「なんです?」
「やめといたほうがいいと思いますけど……」
「どうしてですか?」
「危険です」
「危険?どうしてですか?」
「ルイズを教えるのははじめてですよね?」
「ええ。でも、彼女が努力家ということは聞いています。さぁ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってごらんなさい。失敗を恐れていては、何もできませんよ?」
「ルイズ、やめて」
 キュルケが顔色を蒼白にして言った。しかしルイズは立ち上がった。
「やります」
 そしてつかつかと教卓にむかって歩いていった。

 ルイズは、昨日から、禅師の召喚に成功してから、五感のありようが変わっている。教卓の上の小石と、木でできた教卓。精神を集中すると、目をつぶっていても、単にそこにあるというだけでなく、物質として別個の材質でできているという点まで判別ができる。なにせ昨日は”禅師さま”をはるばる異世界から召喚しているのである。なんだか自身がふつふつと沸き上がってくる。
 
 隣にたったシュヴルーズはにっこりとルイズにむかって笑いかけた。
「ミス・ヴァリエール。練金したい金属を、強く心に浮かべるのです」
 こくりと可愛らしくうなずいて、ルイズは手にもっている杖を振り上げた。
 生徒たちがなだれをうって机の陰にかくれる。

 ルイズは目をつむり、小石や教卓を「感じ」た。意識を小石に集中させ、そして短くルーンをとなえ、杖を振り下ろす。

 その瞬間、小石は爆発した。

 爆圧を真上からうけて教卓はひしゃげ、ルイズとシュヴルーズは爆風を真っ向からうけて黒板にたたきつけられた。悲鳴があがる。
 驚いた使い魔たちが暴れだし、教室が阿鼻叫喚の大騒ぎとなる。
 キュルケがルイズを指さして言った。
「だから言ったのよ!あの娘にやらせるなって!」
「もう!ヴァリエールは退学にしてくれ!」
「ぼくのラッキーがヘビに喰われた!ぼくのラッキーが!」
 シュヴルーズは倒れたまま動かないが、ときたまぴくりと痙攣するところをみると、死んではいないようだ。
 埃と塵と煤とで白黒によごれ、服がボロボロに破れたルイズがむくりと立ち上がり、言った。
「ちょっと失敗みたいね」
 他の生徒たちから猛然と反撃をくらう。
「ちょっとじゃないだろ!ゼロのルイズ!」
「いつだって、成功の確率ゼロじゃないかよ!」

              ※                  ※
 
 ルイズは罰として、教室の片付けを命じられた。
 埃・塵・瓦礫の除去。汚れた壁・床・机の拭き掃除。割れた窓ガラスと壊れた教卓の交換。

 ルイズは一国の王たる彼に手伝わせるのは畏れおおいと辞退しようとしたが、彼はいった。
「私は故郷(くに)ではふたつの立場をもっていたんだよ、禅師国王と、比丘と」
 彼がルイズに初めてしゃべった内容が「私は一介の比丘です」である。
「私は6才で禅師国王と、沙弥(比丘になるに先立ち、出家した小坊主が最初になる)になったけど、沙弥や比丘としての修行の中には、”作務(さむ)”といって、このような、必要な雑務を行うこともあるんだ」
 ルイズといっしょに片付けをしながら、修業時代のことを話した。
 彼は”禅師国王”としての実務を学ぶため、禅師国王の宮殿「ポタラ宮殿」内に設置された官吏養成機関「ツェ・ロプタ(頂上学校)」にも通っていたため、同期の小坊主たちとくらべると作務の量は少なかったが、理念の上では、可能な限り彼を一般の出家者と平等に扱うよう努力することが理想とされていた。
「いたずらしたのがバレたりすると、一般の小坊主たちとまったく同じ罰をうけたよ」
 この時期のチベットにおける僧院教育では、容赦なく体罰がふるわれ、彼も同期の小坊主とともに、そんな罰をうけたことが何度もある。ただし正確には、仲間の小坊主たちと罰が"まったく同じ"というわけではない。老僧は、彼に罰を与えるときだけは、まず五体投地を行って“禅師国王に手をかけること”を彼に謝罪した上で、それから罰にとりかかるのだった。

 ルイズは、箒(ほうき)で掃き集めた瓦礫のなかに、すすけた小石のかけらをふたつ見つけた。断面がぴったりと合わさる。もとは一つの小石だったようだ。組み合わせてみると、割れ目の中央が、小指の爪の4分の1ほどの直径で球形にえぐれている。禅師がのぞき込んで、たずねた
「ルイズ、これは君が練金に失敗した石だね?」
「ええ、はい、そうです」
彼はえぐれを指差しながら尋ねた。
「これは?」
「呪文をかける直前に不安になったんです。また失敗してしまうかもって。だから小石の先っぽだけを狙いました」
「なぜ?」
「小石全体で失敗したら、爆発がもっとひどくなるかもしれないから……」
 禅師は、感心したようにうなずきながらいった。
「ルイズ、君はそんな微妙なコントロールをできるのだね……」
「でも結局、練金は失敗でしたけど……」
 ルイズもうれしそうに、ほのかに微笑みながら答える。
「昨日、禅師さまに瞑想の初歩をご指導いただいたおかげでしょうか?今朝から、集中すると、物をとっても繊細に感じ取れるようになったんです」
 禅師が昨晩ルイズにおしえたのは、「結跏趺坐(ケッカフザ)」の組み方と整息法、目をつぶって雑念を追い出す事。それに怒り・妬み・執着が心に与える害悪とその癒し方などで、とても魔法なり神通力を強化するような内容ではない。
「いや、その前に君はわたしをハルケギニアに召喚しているだろ?私が何か教えるまえに、自分自身でできるようになってたのではないかな?」

         ※                    ※


 教室の片付けをおえて、禅師とルイズが食堂で昼食をとっていると、やや離れた場所で騒ぎがおこった。
 頬を張る平手打ちの音がして、栗色の髪の女生徒が、泣きながらかけていく。金髪の巻き髪の女生徒が、席にすわっている少年の頭に瓶からどぼどぼとワインを注ぎかけ、怒った様子で立ち去る。
 顔に紅葉の手形をつけ、金髪からワインのしずくをしたたらせた少年が、そばで立ち尽くしている食堂のメイドになにかからみだした。

「あれはシエスタじゃないか」
 シエスタは、きのう禅師の特別食をマルトーに依頼したとき、私物の茶葉を持ってきて、トリステインで茶葉を商っている店を紹介してくれたので、面識がある。
 少年は、自分が二人の女生徒に二股をかけていたというそもそもの原因を棚に上げて、シエスタに因縁をつけているようである。
「これは……」
 禅師は少年をたしなめるため、立ち上がって彼らのほうへ歩みよった。

       ※              ※

「諸君!決闘だーッ!!」
 少年、ギーシュは叫んだ。

 昨日、学院長室に向かうルイズと禅師を見かけたヴァリエール一門(昔のヴァリエール家当主たちの兄弟を祖とする家々)出身の生徒は、ヴァリエール宗家の“お嬢様”ルイズの嬉しそうな様子をみて、「あの神官どのは凄い魔法がつかえるに違いない」と、ちょっと意図的に誇張して噂をした。ギーシュは、グラモン家の4男であるが、グラモン家の現当主グラモン元帥はルイズの父ヴァリエール公爵と若いころから戦友として共に死線をくぐった仲であり、トリステイン王国軍の内部では、ひとつの派閥を形成する盟友であった。そのような縁で、ギーシュはヴァリエール一門出身の同級生とつるむことが多く、ルイズが召喚したのが”みすぼらしい平民”などではなく、“威厳のありげな異国の神官”であることをいちはやく知り、大変に興味を持っていたのである。

「神官どの、貴殿のお手並みをぜひ拝見させていただきたいのです」
 いうとギーシュは、返事も聞かずにそそくさと食堂をでていく。禅師にことわるいとまを与えないためである。

「禅師さま、もうしわけありません……」
 自分のとばっちりで禅師を巻き込むことになったシエスタが恐縮して謝る。
「でも、ギーシュなんてひとひねりなんでしょ?」
 ルイズがいう。
 禅師は、ルイズに対しては魔法も神通力も使えないとなんども語っている。しかし昨日ルイズは禅師からごく初歩の瞑想指導(結跏趺坐と整息法)を受けたとたん、物質に対する把握力が劇的に向上したため(とルイズは思っている)、禅師にはやっぱり特別な力があるのだと思っていて、たずねた。
 禅師はふところからドルジェ(五鈷杵)を取り出し、左手で握りしめて見せた。手の甲のルーンが鈍く光る。
「この法具を手に持つと、なんだか体が軽くなってとても素早く動けるようになったけどね。ギーシュくん?彼がどの程度の使い手なのか知らないけど、とても対決できるとは思えない」
 禅師は、ルイズが教室で引き起こした爆発を思い起こしながらいった。ルイズが問う。
「禅師さま、魔法や神通力をお使いになれないっていってたのは、謙遜でおっしゃっていたのでは?」
「いや、その種の力は、まったく使えないよ」
「……本当に?」
「……すくなくとも故郷(くに)にいたときは、使えたことがないよ」
「なんてこと!それは大変だわ!」

                ※                  ※

 ギーシュと取り巻き、野次馬たちが待ち構えているヴェストリの広場へ、ルイズと禅師が入ってきた。やや遅れて、シエスタもついてくる。
 つつっとルイズが先頭に歩み出てきて、ギーシュに向かって叫んだ。
「ギーシュ!この決闘、わたしがお相手するわ!」
「なんだって?」
「禅師さまは私の使い魔よ!禅師さまに決闘を申し込んだということは、私に決闘を申し込んだのと同じよ!それに、わたし禅師さまに”法(ダルマ)”を教わるの。怪我をさせるわけにはいかないわ」
「そんなこといったって、君はゼロのルイズだろ……」
「バカにしないで!」
 さけぶと、ギーシュや取り巻き、野次馬たちを見回し、その中のひとりに声をかけた。
「ミスタ・ダルレ、お願いがあるの」
「何かな?」
 ダルレは、ヴァリエール一門出身の3年生で、ラインクラスの土メイジである。
「ギーシュとおなじくらいの大きさで、粘土像をつくっていただけるかしら?右手に棒をもたせて」
 一門の宗家のお嬢さまの頼みだ。彼に断る理由はない。
「おやすい御用だ」

 ルイズはダルレがつくった粘土像と20メイルほどはなれて向き合うと、やおらルーンをとなえて杖を振り下ろした。
 その瞬間、像の右腕が爆発した。
                  、、、、、、、、、、、、、、、、
 生徒たちは思い出した。そういえば、ルイズは魔法をいつも失敗しているのであって、使えていないのではない、と。 

「杖だけをねらったんだけど、加減がむずかしいわね」
     、、、、、、、
 ルイズは大声でつぶやくと、粘土像をもう一体もとめた。
 次の像は、上半身が吹き飛んだ。
 
 三体目の像は、さらにその周りに高さ2メイル、あつさ50サントの土壁で囲み、その表面を鉄板で覆わせた。

 ルイズは目をとじて、感覚を粘土像に集中させた。
 鉄と土の壁をとおして、その向こうの粘土像の形はむろん、像の粘土に含まれる水分が像の表面から蒸発したり、重力に引かれて像の上部から足下に次第に移動していく様子まで認識できる。
 
 ルイズがルーンの詠唱とともに杖を振り下ろすと、爆音とともに、大量の土砂や像のかけらが真上に吹き上がった。鉄板で覆われた壁も、爆圧のために亀裂が何本も入って裂け、何カ所かでバッタリと倒れた。その隙間から壁の中のようすがうかがえるが、地面がふかくえぐれ、かけらがいくつか散らばっているだけで、粘土像はもはや跡形もない。
 ルイズはギーシュに向き直るといった。

「わたし人に向かって魔法をつかうのは初めてだから、まだ加減がよくわからないけど、まあ、いいわ。わたしのほうは準備ができた」

 そういうと、ギーシュを睨みつけた。
 一方ギーシュは、対決の相手が禅師からルイズに変わった段階でもうとっくに戦意が萎えていたが、ダルレのつくった3体の粘土像を次々に爆破するデモンストレーションを見せつけられたうえ、何か問いかけるような目で睨みつけられて、ルイズの意図をさとった。
 あれほどの猛悪な爆発魔法が相手ならば、戦わずして降参したって、けっして恥ではない。
 ギーシュは右手に構えていた杖をおろして、言った。
「いや、降参する」 
 水の鞭、風の刃、火の球など、3系統の魔法による通常の攻撃は、術者の手元で生成し、目標のもとへ送り込む。術者と目標の距離に応じて到着までに時間がかかるから、よけることや隠れること、あるいはなにか相殺する魔法を発動することも不可能ではない。しかるにルイズの魔法は、離れた距離から、遮蔽物などものともせず、詠唱即爆発である。土魔法のアースハンドなどは目標の直近で発動させるから、ルイズの爆発魔法は土系統なのだろうか。いずれにせよ、”ワルキューレ”なる青銅製のゴーレムを作って襲撃させるというギーシュのとうてい及ぶところではない。

「じゃあ、この娘に謝って」
 ルイズは、シエスタの背を押して、ギーシュの前にたたせた。
 ギーシュはシエスタに向かって頭を下げて、言った。
「もともとただの八つ当たりだった。君にはまったく非はない。脅かして、わるかったね」
 二股がばれてふられたはずみで、ついシエスタに絡んだが、その瞬間から、自分で自身が恥ずかしかったところである。素直にあやまった。
「あとはモンモランシーと、ケティだっけ?下級生の女の子にもね」
「わかった、必ずきちんと謝るよ。それにしても……」
 ギーシュは、3体目の粘度像が破壊された跡を、寒々とした表情でちらっと見やるといった。
「君が男だったら、と思うよ?」
「どういう意味かしら?」
 ルイズはとがった語調で問い返す。ギーシュはどうもほめ言葉のつもりのようだが、通常は淑女たらんと志す乙女に対するほめことばにはならない。
 ギーシュは、ルイズの爆発魔法について、さきほど感じた恐ろしさについて説明した。
「もし君みたいなのが戦友にいたら、とっても頼もしいじゃないか。逆に、敵にとってはとてつもない脅威だ」
 ギーシュはグラモン元帥の四男で、将来は軍人志望。トリステインをふくむハルケギニアの諸国では、通常は女性は戦場にはださない。
「いちおう褒め言葉みたいね、ありがとう」
 
            ※                       ※

 彼らをとりまく生徒たちのほとんどが、ギーシュとルイズ、メイドのシエスタを見ていた中、太く長い杖を持つ青い髪の少女だけが禅師をみていた。
 壁に守られた3体目の粘土像が吹き飛ばされる直前、禅師の手もとに、複数の刃が生えた凶悪そうな武器が出現した。
 ギーシュがメイドに謝罪を始めるのと前後して、その武器は禅師の手元から消えた。
 禅師はうろたえたように、自分の手元を眺めている……。



[35339] 第六話 爆発魔法のひみつ
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2012/12/28 14:36
2011年11月30日初版
 サブヒロイン、本格的に登場です。11月22日〜30日に「プロローグ」も大幅に増補して、主人公・ヒロイン・サブヒロインをそろい踏みさせる改訂を行いました。未見の方はそちらもご覧ください。

12月8日 「魔法学院の午後」の節を全面的に増補しました。主な変更点は、ルイズの属性調べをタバサにも手伝わせたこと。実験の種類を大幅に増やしたこと、禅師さまがガンダールヴの技能を皆に披露したこと、などです。
タイトル変更:「禅師国王猊下の学院生活」→「爆発魔法のひみつ」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


「修道士どのの手並み、見れなかったのう……」
「見れませんでしたね……」
 『遠見の鏡』でルイズとギーシュの決闘の模様を覗いていたオスマンとコルベールは、ため息をつきながらつぶやいた。
 二人がいる学院長室の卓上には、コルベールが図書館の書庫から発掘してきたばかりの古写本『始祖とその使い魔たち』が置かれている。

 東方の修道士の左手のルーンは"ガンダールヴ”と刻まれていた。
 ルーン文字とルーン語の知識があるものなら、このルーンが「魔法の杖」または「魔法の~」という形容詞を意味する“ガンド”と、「妖精」を意味する”アールヴ”という2語から成っていることは簡単に読み取れる。
 しかし昨晩ルイズと禅師から”ガンダールヴ”というルーンを刻む使い魔がどんな使い魔なのかたずねられたとき、オスマンもコルベールも表面的な単語の意味しか答えることができなかった。魔法学院には、数千年にわたって学院が収集してきたルーンとそのルーンに対応する使い魔の大リストがあるが、”ガンダールヴ”というルーンに該当する使い魔のデータはこれには収録されていなかったためである。

 コルベールが図書室から発掘してきた古写本『始祖の使い魔たち』によれば、ハルケギニアの始祖ブリミルが召喚した4種の使い魔のひとつに“ガンダールヴ”がある。呪文詠唱中の主人を守るために、武器の扱いに特化していたとされる使い魔。
 かの東方の修道士が現代によみがえった“ガンダールヴ”とするなら、彼を召喚したマドモアーゼル・ド・ラ・ヴァリエール(=ヴァリエール家御令嬢)は、始祖の再来ということになる。系統魔法はむろん、コモン・マジックすら成功できない魔法実技が落ちこぼれの劣等生である彼女が……。
 つい先日まで、このマドモアーゼル(=ご令嬢)の評価は、"座学は優秀であるが、メイジとしては無能"というものだった。しかし、彼女が召喚した人間の使い魔はアル・ロバ・カリイエから召喚された。しかもハルケギニアがあるこの世界のアル・ロバ・カリイエではなく、別の世界のアル・ロバ・カリイエから。このようなことは、とてつもなく強い魔力の持ち主でなければなしえない。そして彼女はギーシュ相手のデモンストレーションでは、鉄板で覆われた土壁に守られた粘土像を、土壁ごしに大爆発させるという荒技を、さっそくみせている……。
 
「オールド・オスマン、王国政府に報告して、指示をあおぐべきでしょうか?」
「いや、それにはおよばん。東方の修道士どのとミス・ヴァリエールの件にはまだ不明なことが多い。それに今の王国政府のボンクラどもに、“ガンダールヴ”とその主人を渡すわけにはいかん。いいようにオモチャにされてしまうのは目に見えておるし、やつら、へたをすれば、またぞろ戦でも引き起しかねん」
「ははあ、学院長の深謀には恐れ入ります」
「この件は私があずかる。他言は無用じゃ、ミスタ・コルベール」
「は、はい!かしこまりました」

                 ※                  ※

「やい、デル公!今日という今日は、もう勘弁ならねえ」
 王都トリスタニアにある、とある武器屋の親父がどなった。
 とある伯爵さまが自分の私兵15人の装備を整えようと、家臣を店に派遣してきたのだが、“デル公”が横から茶々を入れたせいで伯爵さまの使いは激怒、結局おいしそうな商談がパアになってしまったのである。
「お前を溶かして、鋼(ハガネ)にもどしてやる」
「へへん、おもしれえ。おれっちも50年以上もガラクタといっしょに同じ場所にころがされて、ガキのころから代わり映えしねえお前(めえ)の不景気なつらを眺めてるのもいい加減あきあきしてるんだ。いっそせいせいするね!」
「言ったな!よし、本当に溶かしてやる!」
「……なんだと。本気か?」
「ふふふふふふ。覚悟しろよ」

               ※               ※

 魔法学院の午後。
 通常は、サモン・サーヴァントで召喚した使い魔から生徒の属性は推し量れるものだが、人間を召喚してしまったルイズはそのようなわけにはいかない。
 そこで、同じクラスにいるヴァリエール一門の生徒たちに「依頼」して、属性調べを手伝ってもらうことになった。

 ルイズが最初に取り組んだのは、彼女の魔法の攻撃力の性質調べである。
 昼休みの“決闘”では、彼女の魔法が土壁に妨げられることなく発動されている。他の属性による障壁ではどうなるだろうか?

 ヴァリエール一門の男子ミスタ・ドートヴェイユとミスタ・ブルデューはギーシュといつもつるんでいる仲である。ギーシュもルイズの魔法の系統に興味があり、彼らとともにルイズに協力することになった。
 ギーシュが参加するとなれば、実験には粘土人形ではなく、彼のゴーレム”ワルキューレ”が使える。 

 ギーシュがワルキューレを生成、20メイルほどの距離をとってルイズと向き合う。合図とともに、ルイズにむかって走らせる。ミスタ・ドートヴェイユやミスタ・ブルデューは風魔法や火魔法による障壁をワルキューレの前方に展開し、ワルキューレの前進にあわせて移動させる。
 いずれの場合も、ルイズが短くルーンを唱えて杖を振り下ろすと、ワルキューレの両足首が爆発、ワルキューレは転倒して前進をやめた。

「ミス・ヴァリエールの魔法は、ウィンド・シールドやファイヤー・ウォールも透過するのか」
 ドートヴェイユが感心していうと、ルイズが答えた。
「透過というより、障壁は障壁として、その向こうのゴーレムも感知できるのよ。だからゴーレムに直接魔法をかけてる」

 ルイズとギーシュ、一門の生徒たちが議論していると、すこし距離をおいて、彼らを見物していたキュルケが声をかけてきた。

「面白そうなことやってるじゃない?」

 隣には、彼女と仲のいい青髪の少女もいる。

「ミス・ツェルプストー、ぼくらの実験に協力してもらえないかね?」
「ええ、いいわよ」

  男子たちは勝手にキュルケに依頼したあとで、はたと気がつく。彼女、自分たちヴァリエールの一門とは因縁があるツェルプストーだったな。
 でも学年一番の火メイジに手伝ってもらえるなら、実験はより完璧に近づくしな。  
 ということで、一同ルイズを見る。最終的には、“お嬢さま”が決めることだ。
 ルイズにとって、キュルケは“いやなやつ”である。一族同士の因縁だけでなく、個人的にも1年以上一方的にからかわれ続けてきて、かなり含むところがある。
 しかし、じつはひそかにトライアングル?と噂される火メイジの協力という魅力は大きい。

「ええ、私からも、ぜひお願いするわ」

 ルイズはしばらく迷ったのち、答えた。

 ギーシュは、足先を再生成してワルキューレを立ち上がらせた。
 キュルケが杖をふるい、ワルキューレの前方に、ドートヴェイユのものよりはるかに強力な火の壁が形成された。

「じゃあ、いくわよ?」

 キュルケが声をかけ、ギーシュがうなずくと、ワルキューレとファイヤー・ウォールが同時に動きだした。
 一瞬間をおいてルイズが杖をふると、ふたたびワルキューレの足首が破壊され、転倒して前進をやめた。
 ファイヤー・ウォールのほうはそのままルイズのほうへ向かう。
 キュルケがファイヤー・ウォールを解除しようと杖を構えなおしたとたん、バフンと音がして、ファイヤー・ウォールが消えた。

「あら?」

 驚いて見回すと、ルイズがなんだか得意げに杖を構えていた。

「あたしのファイヤー・ウォール、あなたが消したの?」

 ルイズがうなずく。

「へー、……」

 キュルケが感心してうなずいていると、横にいた青髪の少女がすすみ出る。キュルケが紹介する。

「この子、わたしの親友。風と水の系統がとっても得意」
「タバサ」
 少女も名乗り、ルイズたちに目礼した。

 タバサのウィンド・ウォールは、空気の密度が周囲とクッキリとことなって見えるほど濃密で、ミスタ・ブルデューのものと比べてみるからに強力そうであったが、ルイズの爆発魔法は、これに妨げられることなくワルキューレの足首を粉砕した。
 
 タバサは、つづけて氷の壁をつくった。厚さ20~30サント、高さ2メイル、幅3メイルの氷壁が一瞬でつくりだされ、一同は驚嘆の声をあげる。

「これ、うごかせるの?」
「それは無理」

 そのため、ワルキューレは氷壁の後ろでじっと立つだけとなる。
 ルイズは、こんども氷の壁のむこうのワルキューレの足首を破壊して、あっさりと転倒させた。

「すごいわねえ……。それにしても、あなたいったいどんな魔法をつかってるの?」
 
 キュルケがたずねると、それまで得意げに胸を貼っていたルイズは、とたんに顔を赤らめてうつむいた。

「え?なになに?」

 キュルケが問いつめると、小さくつぶやいた。

「……ト」
「ん?聞こえないわよ?」

 ルイズは目をつぶったまま顔をあげ、叫ぶ。

「ライト!レビテーション!発火!練金!」

 叫び終えたあと、ルイズはふたたびうつむく。

「……あらら、ぜんぶ失敗魔法だったのね…」
「いやいや、だとしても、強力な攻撃魔法であることには違いないよ」
「うんうん」

「じゃあさ……」

 いいいながら、キュルケがメロンほどの大きさのフレイム・ボールを生成して、ルイズにたずねた

「これ、受けられるかしら?」

 挑戦的な口調でいう。炎の色は高温のために青色である。
 ルイズはしばらく青いフレイム・ボールを眺めていたが、答えた。

「受けて立つわ!」

 キュルケが杖をふると、フレイム・ボールがルイズに向かって飛ぶ。
 ルイズは、短い詠唱と杖の一振りでフレイム・ボールを消滅させた。
 ヴァリエール一門の生徒たちは、“お嬢さま”の偉業に、歓声をあげて拍手する。
 
「あなた、どうやってとめたの?」

 キュルケがたずねると、ルイズはまたうつむき、小声で答えた。

「……練金」

 フレイム・ボールのコアの部分が水に変わるよう念じたという。
 練金は、いつものごとく失敗し、爆発によってフレイム・ボールは吹き飛んだというわけである。
 
 タバサにとって、こんなルイズの失敗魔法は大変興味深い。
 質量攻撃(土系統)、火系統の攻撃は防げるようだが、水・風の系統はどうだろうか。
 キュルケにかわってルイズに正対する場所に進み出て、問いかけるようにルイズを見る。
 ルイズにも同じ疑問がある。

「お願いするわ」

 タバサがウインド・カッター(風の刃)の呪文を詠唱して5枚を生成し、ルイズにむけて放った。ルイズは3〜4メイル以上自分に近づけることなく、近づいてきた順にこれをしとめた。

 水系統の攻撃魔法としては、「水の鞭」や「ウォーター・ブレイド」などがあるが、タバサは風系統と複合させたウィンディ・アイシクル(氷の矢)やジャベリン(氷の槍)を得意とする。
 タバサは、ウィンディ・アイシクルを5本生成すると、ルイズに向けて放った。
 ルイズは、フレイム・ボールやウィンド・カッターの時と同様、自身から3〜4メイルの位置に来たときに杖をふった。
 氷の矢は、ルイズが杖を振るのと同時に水滴と化し、放物線を描きながら地面に落ちた。

 ルイズの爆発魔法は、風・水系統の攻撃にも対応できるようだ。
 と、そこでキュルケがたずねる

「ルイズ、いっぺんにいくつぐらいまで対応できるの?」
「……わからないわ」

 タバサが、ルイズのほうをうかがいつつ、ウィンディ・アイシクルを数本ずつ生成しながら自分の頭上に浮かべる。
 ルイズは、(まだまだ、いけるわ!)とつぶやくながら、それを眺める。
 キュルケが突っ込む。

「見栄はりすぎると危ないわよ?」
「大丈夫ったら大丈夫!」
「……タバサ、まずはそのくらいで」
 キュルケがストップをかける。

 20本あまりの氷の矢が、ルイズめがけて飛んだ。
 ルイズが目を閉じ、小刻みに杖を振る。
 氷の矢が次々と水滴と化し、地上に落ちる。

 しかし全ては処理しきれない。

 数本がルイズに迫った瞬間、禅師が飛び出してきて、5本刃の武器で残る氷の矢を振り払った。

 こんどはタバサだけではなく、この場にいた全員が見ていた。

 全ての矢をたたき落としたあと、禅師は硬直して、自分の手元を眺めている。
 禅師の手から5本刃の武器は姿をけし、そのかわりに握りの両端に、それぞれ短い大小5つの出っ張りがついた金属器があった。

 ルイズが一同の気持ちを代表して、たずねる。

「禅師さま、それってマジックアイテムですか?」
「いや、そんなはずは……」
 タバサがいう。
「昼休みの時にも、長い刃が出ていた」
「それ、ほんと?」
「いや、このドルジェ(五鈷杵)は、そんな特別なものじゃないよ。……いや、ではなかった、といった方が正確か。これは、私の奉ずる”サンギェ神”の教えの儀式に用いる法具で、実用の武器としてつくられたものではない。だから昼休みにこれから刃が出てきたときは、気のせいか、幻を見たのかと思ったんだが……。さっき、ミス・タバサの魔法の矢を現にたたき落としているんだから、これから実際に刃が伸びたのは間違いないんだろうが……」
 禅師は、ルーンを眺めながら言った。

「故郷(くに)では、こんなことは起きたことがなかったよ。ミス・ヴァリエールが私にかけた魔法のしわざじゃないだろうか?」

 しかし、ハルケギニア人たちにとって、サモン・サーヴァントとコンクラート・サーヴァントに、使い魔がもつ道具をマジック・アイテムに変える作用がでるなんて考えられない。ギーシュがいった。

「いや、それよりも、修道士どのに、もともと隠れた魔法の才能があったんだと思います」
「……そうなのかねぇ」

 一同、しばらく首をひねるが、答えがでるはずもない。
 やがて、キュルケが言った。

「修道士さまのアイテムも不思議だけど、ルイズの魔法にも、とっても気になることがあるのよ。ルイズがウィンディ・アイシクルを止めたとき、氷がぜんぶ水に変わってるの」

 タバサのジャベリン(氷の槍)で、実験を再開することになった。
 タバサがルイズにむけて放った極太の大型のジャベリンは、ルイズが杖を振ったとたん大きな水の塊となり、ついで、爆風で四散した。

「ルイズ、あなた何をやったの?」
「……練金」
「ジャベリン全体に?」
「ちがうわ。ごく先っぽだけ。爆風で勢いを止めようと思ったの」
「……でも槍全体が水に変わってる」

 タバサが新たにつくったジャベリンを、ごろんと地面に横たえて、さらに実験する。
 練金、レビテーションのいずれの呪文の場合でも、槍は氷から水にかわり、それから水滴を飛び散らせて爆発するのだった。特に奇怪なのは練金で、氷の槍の先端をねらっても、槍の全体が水になるのである。
 
「あなたの魔法って、ただ爆発してるだけじゃないわね。いったい何をやってるんでしょうね」


               ※               ※

 さて、このころのギャナク国。
 ハルケギニア諸国の6000年には及ばぬが、3000年以上つづく「チョウ(周)」なる王朝に支配されていた。王家の「姓」は”チー(姫)”氏という。周の君主は、自らを「天から命をうけた天子」と称して「皇帝」と号し、ギャナク国内の有力諸侯や近隣諸国の君主に対して「王」の称号をあたえ、彼らの上に君臨するという支配体制を築いていた。
 「天子」と名乗っていたのは王朝草創のときからだが、以前は「天子」がただひとり「王」の称号をなのり、諸侯や近隣諸国の君主には各ランクの「爵位」を与えていた。一時、王朝が力を無くしてあるかないかぐらいまで衰弱した数世紀があり、そのとき諸侯たちのうち有力なものたちが勝手に「王」をなのって、「王」という称号の希少性・神秘性が失われたので、ギャナクの諸国を再び服属させた周の君主は、「天子」の新たな称号として「皇帝」という称号をあらたに創設したのである。

 「皇帝」と「王」の称号の上下関係が、ハルケギニア諸国とは逆転している点に注意されたい。その上ほんとはハルケギニアでは「王」は公用語(ガリア語)で「ロイ」といい、アルビオン・ゲルマニア・ロマリア各国のジャルゴン・パトワ(第2話参照)でそれぞれ「キング」,「ケーニヒ」、「レ」というし、「皇帝」は公用語で「アンプレール」というのだが、各国の首脳たちは、始祖の血を引かないゲルマニアの君主を小馬鹿にして、「アンプレール」の称号を用いず、ゲルマニアのジャルゴン・パトワのまま「カイザー」と称している(原作では、各国の首脳がゲルマニア君主をあなどって使用する「カイザー」号に「皇帝閣下」の訳語をあてている)。

 周と高原の国は講和を結び、その証として高原の国の新ツェンポ(=王)のもとに「天子」の娘(=公主,コンジョ)が嫁いでくることになった。新ツェンポの嫁としては、和寧公主(わねいこうしゅ, ホーニン・コンジョ)という姫君が送り出された。天子の妃がこの姫君を身ごもったとき、「十一面千手千眼観世音菩薩」が三方に光をはなち、左目から放たれた光がギャナク国全体を照らした後、収束して自らの胎内に入る」という夢を見た。周帝室お抱えの道士は、高原の国の新ツェンポこそ、観世音が額から放った光であると夢解きを行った。周の天子がトヨゴン国の支配権をかけて高原の国と争うのを中止し、高原の国にかなり譲歩した形で講和を結ぶ決断をしたのには、自身の妃がみたこの夢の影響も大きかった。

 周の「天子」はこの縁組みのついでに、新ツェンポに「吐蕃王」(とばんおう)の称号を贈ろうとした。
 いっぽう高原の国の側では、コンジョ(公主)を嫁にはほしいが、べつに称号のほうは要らなかった。ギャナクの君主を「天子」としてあおぎ、かれから「王」の称号を授かるなんて関係を持とうものなら、高原の国がギャナク国の格下になるという位置づけを自ら受け入れることになるからである。
 公主の一行には、多くのギャナクの学者や技術者が大量に同行してくるとも聞かされている。すぐれた文化や高い技術はほしいが、その種のものを受け入れすぎると、高原の国がギャナクに飲み込まれることになりかねない。現に2000年ほど前までディチュ河の下流域(ギャナク人は「長江」という)にツー(楚)という大国があった。ギャナクにもおとらぬ独自の文化をほこり、ギャナク全土を一時的に制圧することもなんどかあったほどであったが、今では6つの「王国」に分割され、かつての面影は跡形もない。  
 それゆえ、高原の国の“ギャナク国との縁組み反対派”は、この期にいたっても、まだ暗躍を続けていた。

 学者・職人・従者ら1000人を引き連れた和寧公主の一行は、国境を越えて高原の国に入ってから数ヶ月たっても、まだ首都ラサに到着できなかった。交通網が未整備で延々と難路がつづいているというだけでなく、ギャナクとの国境方面から首都にいたる各地に分布する諸侯たちに“ギャナク国との縁組み反対派”が手をまわし、公主一行の歩みを陰に陽に妨害しているためである。
 高原の国の宰相ガルは、少年期にギャナクは周(チョウ)の国都「洛邑」にある官吏養成学校「国学」に留学していた知ギャナク派で、このたび和寧公主を迎接する高原側の責任者として公主一行に同行していた。公主は、ガルを相手にしきりに愚痴った。
「ねぇガル、私はあなたの要請でチベットに来たのよ。お忘れにならないでいただける?(もっとまともに扱ってほしいわ)」
「あなたのおっしゃることに従って輿入れして来たんじゃないの、犬を呼びつけて叩かないでよ」
 ガルは、公主に対しては、ひたすら謝るしかない。

              ※                 ※

 武器屋の親父は、真っ赤に熱したるつぼにデルフリンガーを突っ込んだ。
「ぎゃー!熱い熱い熱い!溶ける溶ける溶ける!」
 デルフは叫ぶが、ちっとも溶けない。きわめて強固な“固定化”がかかっているらしい。
 それにしても、錆びてボロボロの状態でかかっている”固定化”だから、非常にやっかいだ。
 普通のボロ剣なら、砥石にかけて油をひけばそれなりに見栄えがよくなるものだが、デルフリンガーはいくら砥石にかけても錆が落ちないからだ。
「これは、貴族さまにお願いして固定化を解除してもらうしかないな……」
「……なんだとてめ、呪うぞ。……祟るぞ!」
 デルフリンガーは威嚇するが、武器屋の親父ももう後には退けない。デルフに鞘をかぶせて黙らせた。
 

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※和寧公主のモデル「文成公主」の肖像をご覧になりたい方は、「犬を呼びつけて叩かないでよ」でググってみてください♪



[35339] 第七話 “魔法学院”の午後
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/01/05 22:14
2012.12.16【予告編】第一話「皇帝閣下の決断」初版投稿
2013.1.4 「皇帝閣下の決断」を【チラ裏】板「イザベラ殿下、インド魔術を召喚!」に分離して収録
2013.1.5 「魔法学院の午後」(初稿)投稿
本編再開します。【チラ裏】に移転した「予告編」でクライマックスの一部を紹介しましたが、【オリ主・ルイズ魔改造】モノとして物語を書き進めて参りたいと思います。

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 魔法学院の午後。
 級友たちがいろいろと協力しながら、ルイズの実験は続く。
 この実験、ルイズに対するボランティアではなく、授業時間を使った魔法実習であり、ルイズとその他の生徒による各種の実験結果は皆で共有するとして、各人が個別に分析・考察を加えて作成・提出するレポートは、それぞれの成績評価の対象となる。

 キュルケがなんだか色々と実験のアイディアを出して、仕切っている。
 ルイズとヴァリエール一門の生徒たちが事前に考えていたものよりもはるかに実践的な実験を提案してくるので、みなキュルケのいうがままに作業にあたる。(キュルケって、ツェルプストーだけどとってもいい人なんだな)などと思いつつ。

 皆の目の前に、土系統の生徒たちが協力して生成した高さ2メイル、全長10メイルの土の壁が出現した。
 壁の中央付近には1メイルほどの間隔で○印が三つ描かれた。
 壁の向こうには、皆で交代しながら、男子生徒が3人、女子生徒が3人と、ギーシュが作って操作するワルキューレが3体かくれている。
 被験者は、みっつの○の向こう側にいるのが男子生徒か女子生徒か、はたまたギーシュのワルキューレか、それとも無人なのか、その識別に挑戦するのである。

 この実験を考えついたキュルケがまず宣言した。

「あたしには、ぜんぜんムリよ」

 つづいてヴァリエール一門の生徒たちが挑戦。

 火属性と水属性の生徒たちは、まったく識別できなかった。

 風属性のミスタ・ドートヴェイユは自分の状況を皆にむけて解説した。

「ぼくの場合は風向き次第だ。風がないか、風下のときはある程度のことがわかるけど、風が後ろからふいているときはさっぱりだ」

 キュルケがたずねる。

「わかる場合って、どの程度のことがわかるの?」
「○印の向こうが人間の場合は、気配でわかるけど、ワルキューレの場合はそうはいかない。ちょっとでも動いてくれるとワルキューレがいるとわかるけど、じっとされると、いるのかいないのか全然わからないね」

 ついで、タバサが実験に挑む。
 タバサは、人間とワルキューレの区別や有無はもちろん、男女生徒の個体識別までやってのけた。
 キュルケが尋ねる。

「あなたはなぜ区別できるの?」

 この質問は、タバサをよく知るキュルケにとっては尋ねるまでもない問いなのであるが、実験に参加している生徒たちの皆で“データを共有する”ために行っているのである。

「みんな匂いが違うから」

 一同、どよめく。

「ちなみに、ワルキューレの区別はつく?」

 この実験につかわれているワルキューレ3体は、ギーシュくんのこだわりにより、一体一体、兜や鎧の形がちがっている。

「それは、ムリ」

 ちなみに、ギーシュくんの場合は、人間がいるかどうかがわかり、ワルキューレに対しては個体識別までできた。ただし彼がワルキューレに対して特別に感度が高いのは、彼自身が生成したものであることによる可能性があり、彼自身の実験により完璧を期すためには、別人のつくったゴーレムで対照実験を行う必要があるとみなされた。

 さて、ご本尊のルイズであるが、男女生徒の個体識別はもちろん、ワルキューレの区別までできた。
 
「ルイズ、あなたはどうやって識別したの?やっぱり気配とか匂いで?」
「ちがうわ。どっちでもないわね」
「じゃあ、どうやって?」
「う~ん、私の場合は……形かな?」
「形?」
「ええ。背の高さとか、髪型とか」
「あなた、壁の向こうが見えてるわけ?」
「もちろん、そんなわけないわ。さっき動くワルキューレの足を壊したときもそうだったけど、いろんな材質の壁は壁として、その向こうにあるいろんな物質を直接に“感じる”ことができてるみたいなの」
「それって、とってもすごいことよ!」

 キュルケが目を輝かせながらいう。

「じゃあさ……」

 キュルケはさらにいろいろと思いつき、土壁の向こうの面々に指示をした。
 立ったり座ったり、向こうをむいたり、手を握ったり開いたり、などである。
 対比のため、ルイズ以外ではもっとも高い識別能力を示したタバサもルイズと交代で同じ実験にとりくむ。
 
 ルイズは、タバサでもできないものを、すべて識別できた。

 ヴァリエール一門の生徒たちが歓声をあげる。
 たとえ“まだ”呪文をろくに成功させることができないとしても、うちの“お嬢さま”には魔法実技の学年最優秀の生徒たち(キュルケとタバサ)を超える魔法の才能があるってことではないか!!

「おじょうさ……ミス・ヴァリエールは土系統じゃないかね?」
「そうなのかしら?」 

 そんな様子を眺めるキュルケもとっても嬉しそうなのを見て、意外に思ったルイズは聞いてみた。

「キュルケ、あなたも喜んでくれているの?」

 満面の笑みをルイズに見られたと知って、キュルケはすぐに表情を消した。
 なにせ、ヴァリエールの成功を心から祝福するなんて、ツェルプストーらしくないではないか。
 しかしキュルケは思い直して、すぐにもう一度ことさらにっこりと笑みを浮かべ直すと言った。

「もちろんよ!」

 ルイズの以外そうな表情がますます深まったのをみて、キュルケは笑みを「にっこり」から「にやり」へと変えていった。

「だって、今までは、弱い者いじめしてるみたいで気が引けてたのよ。だけど、あなたがこれだけデキるとなれば、もう全く遠慮はいらないってことじゃない?」

 ルイズの表情がしかめっ面に代わる。なにせルイズからすれば、魔法学院に入学して以来、キュルケには一方的にいじられてきた気がしているからだ。あれのどこが「気が引けてた」というのか。
 ただし、とにかくキュルケはこれからもなおいっそう全力でルイズをおちょくるぞ!という宣言をする。

 キュルケらしい照れ隠しといえる。

             ※                  ※

 このようにして、ルイズたちがわいわいやっているのを、物陰からこっそりうかがっている女生徒がいた。
 金髪の巻き髪で2本のドリルを形成しているモンモランシーである。
 クラスの男子たちが “次の実習でギーシュがルイズの実験を手伝う” と噂するのをきいて、気になって覗きに来たのである。
 心配していたようなルイズとギーシュの一対一ではなく、ヴァリエール一門の男女生徒やキュルケ、タバサらも加えた大人数でわいわいやっており、その点では安心したが、面白そうな実験であり、その場を離れがたく、つい覗き続けた。
 その様子に気づいたギーシュが声をかける。

「ぼくのモンモランシー!ぼくのことが気になって、様子を見に来てくれたのかい?」

 図星だが、そんなことを肯定することなんかできないモンモランシーは言い返した。

「あなたのことなんかどうでもいいのよ!ルイズの実験が面白そうだから、ちょっと様子を見に来ただけよ!」

 それを聞いたルイズがいう。

「モンモランシー、じゃあちょっとお願いできるかしら?」

        ※                ※

 水メイジは傷や病気を直せるものだが、優秀な者は何にもないところにゼロからおできや傷をつくることもできる。
 モンモランシーはミスタ・ブルデューの腕に大きなおできをつくった。
 中央部に膿がたまって、みるからに痛々しい。
 
 もともとはヴァリエール一門の水系統の女生徒がおこなう予定だったが、ラインのすぐれた水メイジであるモンモランシーが参加するからには、役割を譲るのは当然である。

 ルイズと水系統を使える生徒たちがあつまって、おできを視診・触診し、所見をメモにまとめていく。
 患部(おできの部分)と、患部ではない普通の部分とを対照した両者の相違や、治療する場合はどのように行うか、なぜその治療を選んだか、などを整理して記述していくのである。

 モンモランシーは生徒たちから所見のメモをまとめて受け取ると、赤インキで用語の間違いを訂正したり、疑問点に印をつけるなどしながら、一枚一枚読み進めていく。

 ルイズのメモは、他の生徒たちとくらべて倍以上の文量があった。モンモランシーは、はじめ猛烈な勢いで朱を入れていたが、急に手をとめ、文章を読むだけになった。そして読み終えると、ルイズにたずねた。

「ルイズ、あなた患部の温度を、もっと細かくわからない?」
「ええ、普通の部分とくらべてかなり熱いとしか……」

 他の水メイジの生徒たちはみなより詳細な体温差を判別できていた。

「あと、あなた“生命の流れ”は見えてないの?」
「ええ、そういうものもさっぱり……」、

 モンモランシーはうなずくと言った。

「ルイズ、あなたは水系統ではないと思うわ。水メイジなら当たり前にわかることが、ろくに見えてない」
「そうなの……」

 ルイズが落ち込みながらつぶやくと、モンモランシーは続けた。

「でもそのかわり、あなた私なんかよりはるかに細かく “何か” が見えてる」

 ルイズのメモの赤インキまみれの部分を指していう。

「はじめは、用語を間違って使ってると思って直してたんだけどね。あなたのは“間違い”じゃないわ。水メイジがふつう“視る”よりもはるかに細かく何かが見えていて、それを無理に水メイジの所見用語で描写しようとして、そのせいで用語の使い方がおかしくなっただけなんだと思う」
「……」
「よくわからないけど、あなたは、とても素質の高い土系統なんじゃないかしら」

 モンモランシーはメモをルイズに返して言った。

「私が入れた赤のチェックのことは忘れて。あなたが最初に書いたとおりの文面で清書して、水と土の先生にみてもらうのがいいと思うの」



[35339] 第八話 “始祖の宝剣デルフリンガー”の最期
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/01/20 14:22
2012.12.17【予告編】「ロマリアの陰謀」初版を投稿
2013.1.4【チラ裏】に移転 
2013.1.14「第八話 “始祖の宝剣デルフリンガー”の最期」(初稿)を投稿

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 実験をひとおおり終え、参加していた面々はそれぞれ自室にひきとる。
 各自はいまからレポートをまとめる作業に入ることであろう。

 禅師は、ルイズに招かれ、女子寮塔一階のピロティに来た。
 男女別になっている寮塔の一階には共用のテーブルや椅子などが設置されており、生徒同士が交流するおもな場所のひとつとなっている。
 寮内に個室を持たない訪問者は、来客・教員・生徒を問わずここで応接するのが原則となっている(女生徒の個室の前を男子生徒がうろつくなど、まったく論外である。使い魔は、……例外なのだろう)。

「今日は、いろんなことがわかってきたね」
「ええ」

 今日はルイズにとって実りの多い日であった。
 全ての呪文が爆発してしまう理由や自分の系統が不明なのは相変わらずだが、物体を物質として把握する能力については、火・風・水の最優秀の生徒たちよりも上回っていることが確認できたからである。二日前とは天地が逆転するほどの驚きであり、喜びであった(禅師は、自分を地球から召喚するほどの大神通力の持ち主であるからには、当然の結果だと思っている)。

 また、ルイズは、ツェルプストー家のキュルケが“ただ嫌なやつ”だけではなかったことも知った。
 ルイズにとってまことに意外であったのだが、キュルケはきわめて実践的な実験の数々を提案し、火魔法の腕を惜しみなく披露した。この点については、ただありがたいばかりである。ただしそのあとすぐ、モンモランシーから潰瘍(おでき)の診察の所見についての講評を受けているあいだに、キュルケが禅師に言いよっていたのには腹がたったが。
 その様子に気がついたルイズがカッとなって駆け出したが、二人のいる場所にたどり着くまえに、キュルケは禅師から何か言われ、ひどく煤(すす)けた表情で禅師から離れた。「どうしたの?」とたずねたら「なんでもないわ」と返事を返したのが、あの情けない顔は見物だった。

「禅師さま、さっきツェルプストーにはなんとおっしゃってたんですか?」
「いや、立派な胸だねってほめただけだよ」

 この文章は日本語で書いているので読者にはわかりにくいかもしれないが、牧畜文化圏であるチベットやハルケギニア諸国では、人間の女性の胸部を褒め称えるときに使用する単語と、牛やヒツジ、ヤギなどミルクを製造する家畜の器官に用いられる単語とは、全くことなる別の語彙が使用されている。
 いくらほめられるとはいえ、畜産農家が自慢の牝ウシや牝ヒツジの乳房をほめる時のように自分のバストをほめられても、乙女としてはちっとも嬉しくなかろう。
 事情がわかって、ルイズはほくそ笑んだ。
 だからキュルケはあんなにうなだれてたのか。少しは薬になったでしょう。いい気味だわw
 脳内でキュルケをおもいっきり憐れんでやったのち、話題を転じて禅師に尋ねる。

「お手元の法具のことですけど……」

 ルイズがいうのは、禅師が所有する密教の法具“ドルジェ”(五鈷杵 ごこしょ)のことである。
 午後の実験で、タバサが放ったウィンディ・アイシクル(氷の矢)の数が多すぎてルイズに命中しそうになった時、駆け寄った禅師がそれらを叩き落としたのだが、その時禅師が手にしたドルジェからは70サント近い長さの5本の刃がのびた。ルイズは気がつかなかったのだが、昼休みにギーシュと対決したときにも、同じ刃がのびていたという。

 「平民」の“使い魔”が握る、ただの真鍮(しんちゅう)制の金属器から、時として、魔法の刃が伸びるという、怪現象。
 その謎を解明することなんて、ただの一生徒にすぎないルイズの力量ではとても及ぶものではないが、どんな現象が生じているのかを第三者の検証にも耐えるかたちで整理して記述しておくだけでも、十分に有意義なレポートのテーマとなる。
 
 たずねられて、禅師はあらためてドルジェをとりだした。
 全長は約20サント。8サントほどの握りの両側に、5サントほどの短い刃がまっすぐのび、それを取り囲むように、半円形に湾曲した刃が4本づつ生えている。すなわち刃の数は合計10本。

「あの長い刃は、自由に出したりひっこめたりできるんですか?」

 禅師は、ドルジェをしばらくいじったのち答えた。

「いや、やっぱり、できないねえ」

 禅師は、昼休みや午後の実習の際の状況を思い出しながら、説明をつづける。なにせ、ルーンが発動している時の心理状態をみずから描写できる使い魔なんて、めったにいるものではないから、これも、きわめて貴重なルイズの実習レポートのネタになる。

「ドルジェから5本の刃が伸びたときの自分の心情を振り返るとね、君が粘土像を次々と爆破したときや、あるいは火の玉や氷の矢や槍を防いでいたとき、だんだんと、こう、非常に攻撃な気持ちになっていったね」

「攻撃的?」

「そう。ミスタ・グラモンや、ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ。彼らの立ち居振る舞いにどこか隙はないか。そんなことを探そう、探そうとしていた」
「そうだったんですか」
「うん。私はこれまで体術や剣技を学んだことなんかないんだ。それなのに、いつのまにか君の“対戦相手”の隙をうかがう心持ちになっていた。比丘としては、あるまじき心理状態だ。」

 比丘が対人関係において遵守すべき決まりの一種に「沙門の4法」なるものがある。
 ののしられても言い返さない、殴られても殴り返さない……。

「だから、そんな好戦的な気持ちを押さえよう、押さえようとしたんだけど、ミス・タバサのウィンディ・アイシクルが君に命中しそうになった時は、体が勝手に動いた」

 ルイズはメモをとりながらうなずく。

「ドルジェを握った状態で、君が緊迫した状態で呪文を唱えるのを聞いたり攻撃を受けるのをみると、好戦的な感情がふつふつとわいてくる。ドルジェに刃が出てるのは、そんな精神状態のときのようだね」

 禅師は、ルイズが自分の言葉をメモし終えるのを待って、続けた。

「ドルジェが普通の状態の時。握ると身が軽くなり、ぜんぜん疲れないで、早足であるいたり、走ったりできる。刃が伸びたとき。羽のように体が軽くなって、とてつもない素早さで動くことができる」

 ルイズが書き終えると、禅師は左手の甲のルーンをルイズに示していった。

「ドルジェから不思議な刃が生える現象だが、ドルジェ自体に何か不思議な力が宿ったというのではないと思う。むしろ君がおかれた境遇が、このルーンに働きかけて引き起こしているのだと思う」

 そして、次のように締めくくった。

「ガンド,アールヴ(杖の,魔法の。妖精)、ガンダールヴ。このルーンは、“使い魔”を、“主人を守る戦士”にしたてあげる作用があるのだと思う」

 ルイズは嬉しくなって顔をぱぁっと輝かせたのだが、禅師がきわめて憂鬱そうなのをみて、笑みを消した。
 禅師はその様子をみて説明する。

「比丘が理想とする心の状態は寂常の境地だ。私は幼いときから、心がそのような状態にあるようずっと訓練してきた。しかしこのルーンはそういう心の状態をむりやり覆すように働いてくるからねぇ」
「もうしわけありません……」
「いや、ルイズが気に病むことはないよ。君に“大神通力者”としての高い素質がいかにあるか、っていう証拠だ」

 話が一区切りついて、ルイズがピロティ詰めのメイドに合図を送ると、しばらくして盆の上に銀製のポットとカップ、茶菓子などを乗せてやってきた。

「おお、お茶かね」

 禅師は顔を輝かせたが、ポットから漂う香りを鼻にしたとたん、思わず顔をしかめた。
 ルイズは気づかず、盆をうけとり、自分と禅師のカップに茶を注ぐと、嬉しそうに言った。

「どうぞ、召し上がれ」

 禅師はカップには口をつけず、浮かぬ顔である。
 ルイズは不思議に思い、問いかけるように禅師の顔をみると、禅師はルイズのカップに眼を落とし、それからルイズの顔を眺める。
 (まずは飲んでごらん)と言っているのを読み取り、ルイズが自分のカップに口をつけてみる。

 と て も 苦 く て 、 渋 か っ た 。
 
 盆の上には、茶葉の木箱もおかれていたが、禅師にはなんだか見覚えがあった。

「ルイズ、このお茶は?」
「昨日のメイドが持っていたものです。彼女に頼んで譲ってもらいました」
「……取りあげちゃったのかね?」
「いえ、今度の虚無の曜日にはトリスタニアまで出かけますから、その時に同じ銘柄の新品を買って返すつもりです」
「そうか、それにしてもこれは……」
「昨日、禅師さまがご自分のお茶を削って鍋で煮ておられましたから、私も同じように淹(い)れるよう頼みました……」

 ルイズの声がだんだん小さくなる。

「私が故郷(くに)から持ってきたものは茶の精が薄いから、ナベでしっかりと煮こむくらいでちょうどいいんだけどね、こちらはあれよりずっと高級品だから……」
 
 苦さも渋さも、とても口に入らないものになってしまった。

「……もったいないことをしたね」

                ※                     ※

 ルイズはギーシュとの決闘に自ら臨んだので、“怪我を負った使い魔を三日三晩看病して授業を欠席する"というようなこともなく、シュヴルーズを爆発魔法で気絶させた翌日、風系統の教師ギトーによる風魔法の概論の授業を受ける。

 教室のドアがガラッと開き、ミスタ・ギトーが現れた。生徒たちは一斉に席についた。長い黒髪に、漆黒のマントをまとった姿は、なんだか不気味である。まだ若いのに、その不気味さと冷たい雰囲気からか、生徒たちに人気がない。

「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。疾風のギト-だ」

 教室中が、しーんとした雰囲気につつまれた。その様子を満足げに見つめたが、背筋をのばして挑戦的な視線を送ってくる女生徒が眼に留まった。キトーはその生徒に質問した。

「最強の系統は知っているかね?ミス・ツェルプストー」
「『虚無』じゃないんですか?」
「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いているんだ」

 いちいち引っかかるような言い方をするギトーに、キュルケはちょっとかちんときた。

「『火』に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

キュルケは、不敵な笑みを浮かべて言い放った。

「ほほう。どうしてそう思うね?」
「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。そうじゃございませんこと?」
「残念ながらそうではない」

 ギトーは腰に差した杖を引き抜くと、言い放った。

「試しに、この私にきみの得意な『火』の魔法をぶつけてきたまえ」

 キュルケはぎょっとした。いきなり、この先生は何を言うのだろうと思った。

「どうしたね? 君は確か、『火』系統が得意なのではなかったのかね?」

 挑発するような、ギトーの言葉だった。

「火傷じゃすみませんわよ?」
「かまわん。本気できたまえ。その、有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのならね」

 キュルケの顔からいつもの小ばかにしたような笑みが消えた。
 胸の谷間から杖を抜くと、炎のような赤毛が、ぶわっと熱したようにざわめき、逆立った。
 杖を構えた。
 
 しかし、キュルケは杖を振り下ろすことなく、ふっと力をぬき、にやりと笑みを浮かべ、言った。

「最強の系統が『火』だという確信は変わりませんが、この講義の受講生の中では最強の生徒が、私とは別におります」
「誰かね?それは」
「ミス・ヴァリエールです」

 いきなり名指しされ、ルイズは仰天した。

                    ※                           ※

 ルイズは杖を構え、ギトーと向き合う。
 ルイズと入れ替わりに教壇からおりるキュルケから、「あなたの爆発で盛大に思い知らせてやってよ」なんて耳打ちされたが、粘土像やゴーレムならともかく、ギトーを直接攻撃するなんて思いもよらない。

 どうしようか。
 両目を半眼に閉じ、物質としてのギトーを感じようとつとめながら考える。

 先生の杖。これにしよう。

 動物の牙かなにか、細くなめらかな材質。
 砂粒ほどの小さなたくさんの宝石と金線・銀線で象嵌(ぞうがん)がほどこしてある。
 宝石は、膠(ニカワ)を接着剤にしてくっつけてある。

 先っぽのほうの、小さなルビー。
 このルビーの裏側の膠にしよう。

「先生、杖を」
「杖がどうかしたかね?」
「お体に近すぎます。もう少し離して、構えてください」
「こうか?」

 とたんに、ばふん!と音がして、ギトーの手から杖がはじけとんだ。

 ギトー家で2千年以上、家宝として受け継がれてきた自慢の、貴重な杖である。
 ギトーがあわてて拾い上げようとすると、宝石がばらばらとこぼれ落ち、金・銀の針金も杖からはずれて垂れ下がった。
 
 ギトーは顔を真っ赤にして、ルイズに怒鳴った。
 ルイズににじり寄り、早口で、ギトー家の家宝になんてことを!とか、この出来損ないの劣等生めが!とか、教師にあるまじき罵倒を連射する。ルイズは泪目になって後じさりする。
 
 と、ギトーはとつぜん、口をつぐみ立ち止まった。顔は血の気が引き、今度は真っ白になっていく。
 
 ギトーはしばらくそのままの姿勢で凝固していたが、やがて大きく息を吐き出し、手足に込めていた力を抜いたのち、口をひらいた。

「ミス、ヴァリエール。ただいまの暴言を謝罪したい」

 傲慢なギトーが生徒に謝罪するなんて、今までにみたこともない椿事(ちんじ)である。生徒たちは仰天した。
 
「謝罪を受け入れてくれるか?」
「は、はい」
「君はさっき、なんの魔法を使ったのかね?」

 ギトーの口調からは、いつもの傲慢さが消え、なにかルイズを畏怖するような響きがある。

「れ、練金です」

 ギトーはしばらくルイズの顔をじっと見ていたが、やがて視線を外すと、床に落ちていた自分の杖を拾い上げた。そしてポケットからハンカチをとりだし、床にちらばった宝石の粒や金線・銀線を拾い集めて包むと、ふたたび口を開いた。

「君の失敗魔法は、私の杖の契約を解除してしまったよ。それだけじゃない。この杖はギトー家の家宝で、きわめて強固な“硬化”と“固定化”がかけられていた。バシュラール卿の名は知っているな?」

 バシュラール卿は、2千年ほど前に現れた、きわめて著名なスクウェアの土メイジである。

「君は、バシュラール卿による“硬化”と“固定化”も解除したのだ」

 ギトーのことばの意味が脳内にしみとおるにつれ、ルイズの膝はふるえだした。
 スクウェアの土メイジによる“硬化”と“固定化”を解除したということは、ルイズにもスクウェア級の力量があるということではないか。
 
「君にはもう一つ謝罪せねばならないことがある。魔法学院は去年1年間、魔法の実技について君を無能な劣等生として扱ってきた。しかし本当は、君が無能なのではない、我々のほうに、君の資質を正しくみつもり、君を教え導く力量がないのだ」

 言い終えると、ギトーは「すまないが、以後は自習とする」と言って、よろめきながら教室を出ていった。

                   ※                           ※

 ギトーは学院長室におもむき、オスマンに自分の杖と、ハンカチに包んでいた宝石や金線・銀線を見せながら言った。

「ミス・ヴァリエールは、虚無の担い手である可能性があります」

                   ※                           ※

 虚無の曜日。朝一番で、ルイズは禅師とともに王都トリスタニアに向かった。
 ルイズは自分が用いる各種の日用品や嗜好品のほか、禅師のために僧衣を仕立てたいという。
 禅師の衣服といえば、変装に用いていた祖末な下級兵士の制服と、いつも着用している僧衣1着しかないためである。

 いっぽう禅師は、紙が欲しかった。
 禅師は、ルイズに仏教の教えを授(さず)けるに先立ち、まずは自身が公用語を学ばねばならぬと考えたのだが、それがきわめて容易であった。
 通常ならば、外国語を学ぼうとする場合、まずはたんなる音または文字という外形を把握し、しかるのちに、さまざまな用例と触れることを通じて意味を押さえていくという手順をとる。
 しかるに禅師の場合、サモン・サーヴァントの偉力で、対話相手が把握している“意味”が、そのまま理解できる。何か公用語の書物をルイズから解説を受けながら読むと、ルイズの理解のレベルでその書籍の内容がわかるのである。
 ルイズにチベット語を教える場合にも同じ作用が逆に働き、ルイズはあっという間にチベット語の会話と文字・文法を習得した。
 禅師はチベット人僧侶の常として膨大な量の仏典を暗記しており、ルイズに一句筆写させては解説を加える、という形で仏教哲学の教授に着手していた。
 ハルケギニアの公用語の書物は、ルイズの私物や図書館の蔵書など、用意に入手できるが、チベット語の書物については、まずは禅師の脳内の書物を紙の上に筆写する必要がある。
 そのようなわけで、メモ用紙として、またはチベット語のテキストを清書するために、紙を入手したいのであった。
  
          ※                 ※

 禅師はルイズとともに仕立て屋、紙司などをまわって必要なものを購入したのち、茶葉を商う店を探した。
 メイドのシエスタが彼らに教えた店は、禅師とルイズが想像してたような店ではなかった。
 ふたりが街の人々に店の名前を告げて示されたのは、薬草店が軒を連ねる一角であった。
 茶葉は、その中の一軒で、"アル・ロバ・カリイエから伝来した薬草の一種”として売られていたのである。

 ルイズがシエスタから手に入れた茶の小箱の包装はどう見ても嗜好品としての仕様である。同じ小箱は店頭にはみあたらず、茶葉は他の薬草と同様に計り売りされているだけだった。、
 禅師は店主にその箱を示し、「こちらの店で購入したものだと聞いたのだが」とたずねると、店主は奥からおなじ包装の在庫をいくつか取り出して示しながら言った。

「これは、リュティスのほうで包装しなおされたものですがね、トリステインじゃまだ誰も茶なんか飲みませんから、売れもしません。値段もそれなりですしね」

 一箱の値段は5エキュー。学院のメイドの半月分の給与にも匹敵する。これでは日々の暮らしの中で愛飲するようなわけにはいかない。
 シエスタがよく茶というものを知っていて、購入しようと思ったものだ。不思議なほどである。

 ルイズも固まっている。
 恥じらいで、顔が真っ赤になっている。
 ルイズにとって5エキューははした金だが、シエスタのような奉公人にとっての重みを想像することができる感性は持っている。
 気軽に譲らせてしまったが、シエスタは、ルイズが想像していたよりもずっと重大な決意で購入したものであったことはまちがいない。

 これよりほんの数ヶ月の後、とある喫茶店がオープンし、酒場“魅惑の妖精亭”と客を奪い合いながら、トリステイン人に飲茶の習慣を急速に普及していくことになるのだが、この時点のトリステインにおける茶の位置づけというのは、このようなものであった。

                       ※                    ※

 その日の昼。
 武器家の親父が、いつも世話になっている土メイジを、とあるレストランに招いていた。
 食事の後に用件にとりかかり、いくつかの依頼ののち、やがて一振りの剣を土メイジに見せる。

「ふむ、固定化の解除を頼みたいと手紙にあったのはこれか」
「はい。錆びてボロボロの状態でかけられているものですから、手入れもできず、どうしようもありません」

 しかるに剣を一瞥した土メイジは、不思議そうな表情で親父の顔をみた。

「え?どうなさいましたかね?」

 土メイジが持参の小刀で赤錆をつつくと、錆の赤い粉がぼろぼろとこぼれる。

「固定化などかかっておらぬではないか?」
「え?そうなんですか?」
 
 店にもどった武器屋の親父は、るつぼに火を入れ、剣を鞘からぬき、声をかけた。

「やい、デル公。ついにお前との腐れ縁に終わりの時がきたぞ」

 しかしデルフリンガーは返事もしない。
 親父が剣をるつぼにつっこむと、剣はあっけなく溶けた。
 “始祖の宝剣デルフリンガー”が人知れずその姿を消した瞬間である。

                ※                        ※

 「よう、相棒!」

 トリスタニアを訪問してからひと月あまり後。
 ドルジェが突然しゃべりだして、禅師は仰天する。



[35339] 第九話 怪盗フーケ、参上!
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/01/18 19:10
2012.12.17【予告編(その3)「イザベラ殿下、インド魔力を召喚!」】初版を投稿
2013.1.4【チラ裏】の「イザベラ殿下、インド魔力を召喚!」に移転 
2013.1.18「第九話 怪盗フーケ、参上!」(初稿)を投稿

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デル公(おでれーた君)の新しい姿については【ごこしょ(五鈷杵)】でググっていただくと、見ることができます。

         ※          ※

 いま、ルイズは学院長室で、キュルケといっしょにオスマンに頭をさげている。
 付き添い兼目撃証人としてタバサと禅師が背後に控える。
 きっかけは、キュルケによる“悪魔のささやき”だった。

「ルイズ、あなたがどれだけやれるか試してみない?」

 ギトーの杖の"硬化"と"固定化"を解除していらい、級友たちがルイズを見る目は激変した。
 もはや彼女を“ゼロ”と馬鹿にするものは誰もいない。
 ルイズを公然と馬鹿にする急先鋒だったキュルケとモンモランシーが手の平を返し、取り巻き(モンモランシー一門の生徒たちとか、キュルケの崇拝者たちとか)がルイズの爆発を話題にするたび、“アレはなかなかのものよ”と言うように変わったことも大きい。

 そのようなわけで舞い上がったルイズは、キュルケのそそのかしを受け入れ、学院の中でももっとも強固な“硬化”と“固定化”がかけられた宝物庫の外壁に、爆発魔法をぶつけてみたのである。

 ルイズの呪文が炸裂したとたん、白亜に輝いていた石壁はどんより灰色にくすんでいき、あまつさえ上階の重量を支える要の石のいくつかは、ミシミシと音をたてて亀裂が入った。

 ルイズの勝手なイメージでは、“ツェルプストーのキュルケ”は「壁を壊したのはあなたの魔法で、私は見てただけだからなんの責任もないわよ」とでもいって逃げるはずであったが、実際のキュルケは “すぐに、正直に学院に申告して謝罪する” ことを主張し、オスマンの前では自分こそがルイズをそそのかしたとしきりに強調、この破壊行為の責任は自分にもある!と力説した。

 オスマンは意外そうな表情でキュルケをずっとながめているルイズの顔を好ましそうに眺めながら、キュルケによる事情説明を聞き、さらにルイズや禅師、タバサらからもことの経緯を聞き取ると、4人に告げた。

「魔法学院の宝物庫ともあろうものが、生徒のいたずらごときで破損したというのも情けない話じゃ。ゆえにミス・ヴァリエール、ミス・ツェルプストー。お主らに対して処分や処罰は行わぬが……」

 ルイズとキュルケはほっとする表情を見せたが、オスマンは続けた。

「お主らの責任で“現状恢復”(=もとどおりに修理)してもらいたい」

 とたんに二人は情けなさそうな顔をする。
 宝物庫の位置からして、どれほどの大工事が必要になるだろうか。彼女らがいくら富裕な大貴族の令嬢で、他の生徒たちと比べものにならぬほどの多額のお小遣いをもらっていようとも、所詮は“お小遣い”、その範囲で修繕することなどとても不可能である。また、小娘にすぎない二人には、元通りの“硬化”や“固定化”をかけることが可能な高位の土メイジへの伝手(つて)もない。

「ご実家にでも連絡して、速やかに取りかかるのじゃ」

 キュルケの情けなさそうな表情はますます強まった。キュルケは縁談の勧めをふりきって、両親から逃げるようにトリステインに留学に来たため、実家に頼るのはまことに気が重いためである。 
 一方でルイズはうつむきながら、喜びの笑みをかみ殺していた。多額の修理費がかかることについてはともかく、ルイズに学院の堅固な宝物庫の壁を破壊するほどの魔法の力があったと知れば、実家の両親や姉たちは大喜びしてくれるに違いないからである。

 オスマンによるキュルケ、ルイズ、タバサ、禅師への事情聴取を速記している学院秘書のミス・ロングビルの口の両端がこれ以上あがらないほどつり上がっていたが、この部屋に居た他の5人は誰もそれに気がつかなかった。

                  ※                    ※

 その翌日の未明。
 学院の人々は時ならぬ轟音に、何事かと建物の外に飛び出した。
 全長40メイルになんなんとする巨大ゴーレムが宝物庫の外壁をなぐりつけている。
 ゴーレムはほどなく外壁に大きな穴をあけた。
 一瞬、黒い人影が穴から中に入り込み、ふたたび姿を表すと、ゴーレムの肩の上にのる。
 ゴーレムは校舎から離れてずしずしと歩み、校舎群を取り巻く牆壁(しょうへき)をまたぎ越え、隣接する草原の真ん中まで進むと、そこでそこで崩れた。
 
 宝物庫の中の壁には、『破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』という書き置きが残されていた。

                  ※                    ※

 トリステイン魔法学院では蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
 なにせ、秘宝の『破壊の杖』が盗まれたのである。
 それも、巨大なゴーレムが、壁を破壊するといった大胆な方法で。
 宝物庫の前には学院中の教師があつまり、壁にあいた大穴をみながら口々に騒いでいる。

「衛兵は何をしていたんだね?」
「衛兵などあてにならん!所詮は平民ではないか!それより、当直の貴族は誰だったのだね!」

 当直でありながら、自室でぐうぐう寝ていたミセス・シュブルーズがやり玉にあげられ、教師たちから糾弾されだした。

 ルイズとキュルケは、青ざめながらその様子をみている。その傍らには表情を消したタバサがたたずむ。
 ルイズとキュルケは轟音がとどろくのを聞いていちはやくタバサの風竜に便乗して飛び出し、フーケが逃走して姿をくらます模様をもっとも近くで最後まで見ていたため、目撃者としてこの場に残されていたのである。
 「宝物庫の外壁の“硬化”と“固定化”が生徒のいたずらで解除された」という事件はまだ教師のごく一部にしか知られていないようだ。さもなくば、逆上した教師たちの糾弾の矛先は、二人にも向けられていたはずだ。
 禅師も、轟音とともに部屋を飛び出し、ゴーレムが暴れ、去る模様を遠望していた。
 多数の目撃者のなかでも、生徒たちのほとんどや使用人らは自室にもどるよう促されたが、禅師としてはルイズが寒空の下で立たされている以上、彼女を放置して自室に戻るつもりはない。

 オスマンは、シュヴルーズを責める教師たちをたしなめて言った。。

「この中で、まともに当直をしたことのある教師は何人おられるのかな?」

 オスマンは、あたりを見回した。教師たちはお互い、顔を見合わせると、恥ずかしそうに顔を伏せた。名乗りでる者はいなかった。

「さて、これが現実じゃ。責任があるとするなら、我々全員じゃ。この中の誰もが……、もちろんわしも含めてじゃが……、まさかこの魔法学院が賊に襲われるなど、夢にも思っておらなんだ。なにせ、ここにいるのはほとんどがメイジじゃからな。誰が好き好んで、虎穴に入るのかっちゅうわけじゃ。しかしそれは間違いじゃった」

 オスマンは、壁にぽっかりあいたた穴をみつめた。

「この通り、賊は大胆にも忍び込み、『破壊の杖』を奪っていきおった。つまり我々は油断していたのじゃ。責任があるとするなら、我ら全員にあるといわねばなるまい」

 ミセス・シュヴルーズが膝をついて、オスマンにすがりつく。オスマンは彼女をなだめると、何人かの教師を指名して、目撃証言のとりまとめにとりかからせた。
 
 空が白んできた。
 オスマンはこの場にいるべき人物の姿が見えないことに気づいた。
 傍らのコルベールにたずねる。

「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」
「いえ、未明以来、ずっと姿が見えませんで」

 本来ならば、目撃証言の聞き取りととりまとめなどの作業の中核を担うべき人物である。

「この非常時に、どこにいったんじゃ?」
「どこなんでしょう」

 そんな風に噂をしていると、かすかに蹄(ひづめ)の音がした。学舎を取り巻く牆壁の向こうに広がる草原のかなたに騎乗の人影がみえる。
 ミス・ロングビルであった。
 
 馬を厩舎にもどし、一同に合流したロングビルに、コルベールがまくしたてる。

「どこへ行っていたんですか!大変ですぞ!事件ですぞ!」
「申し訳ありません、賊を追っておりましたの。途中で撒かれましたが……」

 まだキャンパスの敷地内の森の中で、撒かれてしまった。しかしトリステインの各地から魔法学院に至る道筋は限られている。可能性があるルートを全てあたってみたら、近在のとある農家の者が、未明にうろつく怪しい人影を見とがめていたという。

「黒づくめのローブの男が近くの森の廃屋に入っていくのを見たそうです。おそらく、彼がフーケで、廃屋は彼の隠れ家なのではないかと」

 オスマンは、かしこまって聞いていたルイズ、キュルケ、タバサらを見る。
 ルイズが叫んだ。

「黒ずくめのローブ?それはフーケです!間違いありません!」

 オスマンは目を鋭くし、ロングビルに尋ねた。

「そこは、近いのかね?」
「はい、徒歩で半日。馬で4時間といったところでしょうか」
 
 コルベールが叫んだ。

「すぐに王室に報告しましょう!王室衛士隊に頼んで、兵隊を差しむけてもらわねば!」
 
 オスマンは首を振ると、目をむいて怒鳴った。年寄りとは思えない迫力だった。

「馬鹿もの!王室なんぞに知らせている間に、フーケは逃げてしまうわ!その上……、身にかかる火の粉をおのれで払えぬようで、なにが貴族じゃ!魔法学院の宝が盗まれた!これは魔法学院の問題じゃ!当然われらで解決する!」

 ロングビルは微笑んだ。まるで、この答えを待っていたかのようであった。
 オスマンは咳払いをすると、有志を募った。

「では、捜索隊を編成する。我と思う者は、杖を掲げよ」

 誰も杖を掲げない。困ったように顔を見合わすだけだ。

「おらんのか?おや?どうした!フーケを捕らえて、名を挙げようと思う者はおらんのか!」

 ルイズは俯いていたが、それからすっと杖を顔の前に掲げた。

「ミス・ヴァリエール!」

 ミセス・シュヴルーズが驚いた声をあげた。

「何をしているのです!あなたは生徒ではありませんか!ここは教師に任せて……」
「誰も掲げないじゃないですか」

 ルイズはきっと口を強く結んで言い放った。
 自分がちょっかいをかけたりしなければ、フーケのゴーレムは宝物庫の壁を破ることはできなかったに違いない。
 『破壊の杖』が盗まれてしまったのは、自分のせいだ……。
 そんなルイズをみて、キュルケも杖を掲げた。

「ヴァリエールが行くなら、私も一蓮托生よ」

 キュルケが杖を掲げるのを見て、タバサも掲げた。

「タバサ、あんたはいいのよ。関係ないんだから」

 キュルケがそう言ったら、タバサは短く答えた。

「心配」

 キュルケは感動した面持ちで、タバサを見つめた。ルイズも唇を噛みしめて、お礼を行った。

「ありがとう……。キュルケ、タバサ……」

 そんな三人の様子をみて、オスマンは笑った。

「そうか、では、頼むとしようか」
「オールド・オスマン!わたしは反対です!生徒たちをそんな危険にさらすわけには!」
「では、君が行くかね?ミセス・シュヴルーズ?」
「いえ、わたしは体調がすぐれませんので……」

 オスマン氏がタバサに視線を向けていう。

「ミス・タバサは若くして『シュヴァリエ』の称号を持つ騎士だと聞いておるが?」

 タバサは、返事もせずにぼけっと突っ立っている。

「ほんとうなの?タバサ」

 キュルケも、初めて聞いて、驚いた。
 宝物にいる人々もざわめく。
 『シュヴァリエ』は爵位としては最下級であるが、純粋に業績に対して授与されるもので、実力の称号なのだ。

 次にオスマンはキュルケを見つめた。

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を多く輩出した家の出で、彼女自身の炎の魔法もかなり強力と聞いておる」

 そしてルイズを見ながら言った。

「そして、ミス・ヴァリエールだが……」

 オスマンはしばらく口をつぐみ、ルイズの情報をどの程度まで公開すべきか考え、述べた。

「近頃は“爆発”を強力な攻撃魔法として洗練させようと努力しておる。その力は、かのバラシュール卿の“固定化”をも無効化するほどじゃ」

 ギトーの杖を“解呪”した事件は、すでに教師の一部の間で評判となりつつあった。
 バラシュール卿は2000年ほど前のきわめて著名な土メイジである。
 教師たちはどよめいた。

「この三人に勝てる者がいるというのなら、前に一歩出たまえ」

 誰もいなかった。オスマンは、禅師を含む四人に向き直った。

「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」

 ルイズとタバサとキュルケの3人は、真顔になって直立すると、「杖にかけて!」と同時に唱和した。それからスカートの裾をつまみ、恭しく礼をする。
 禅師は数珠を手にかけ、かれらの礼に会わせて合掌し、ほんの少し身をかがめた。

 学院の馬車が用意され、ロングビルを案内役として、一同はさっそく出発した。



[35339] 第十話 破壊の杖
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/01/28 18:15
第十話 破壊の杖

2012.12.17【予告編(その4)「始祖の遺した邪術、『生命』」】初版を投稿
2013.1.4【チラ裏】の「イザベラ殿下、インド魔力を召喚!」に移転 
2013.1.28「第十話 破壊の杖」(初稿)を投稿

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 学院の馬車が用意され、四人は、ミス・ロングビルを案内役に、さっそく出発した。
 馬車といっても、屋根ナシの荷車のような馬車であった。襲われたときに、すぐに飛び出せるほうがいいということで、このような馬車にしたのである。ミス・ロングビルが御者を買ってでた。荷台には4人のほか、キュルケの使い魔のサラマンダー(火蜥蜴)フレイムが乗り込み、上空にはタバサの使い魔のウィンドドラゴン(風竜)シルフィードが旋回し、馬車にあわせてゆっくりと進む。

 道中、キュルケは、ロングビルの身の上を詮索したり、ルイズと口げんかをしたり、にぎやかに過ごしたが、極力、禅師とは目もあわさず、口もきこうとはしなかった。先日、自慢の胸を、ウシ・ヤギ・ヒツジ等の家畜のメスの乳房を指す単語で「褒(ほ)められた」ことが、よほどのトラウマになったようだ。
 
 やがて馬車は深い森に入っていった。鬱蒼とした木々が、五人の恐怖をあおる。昼間というのに薄暗く、気味が悪い。

「ここから先は、徒歩で行きましょう」

 ロングビルがそう言って、全員が馬車から降りた。
 森を通る道から、踏み跡が続いている。
 しばらく進むと、一行は開けた場所にでた。森の中の空き地といった風情である。およそ、魔法学院の中庭くらいの広さだ。真ん中に、確かに廃屋があった。元は木こり小屋だったのだろうか。朽ち果てた炭焼き用らしき窯と、壁板が外れた物置が隣に並んでいる。
 五人は小屋の中から見えないように、森の茂みに身を隠したまま廃屋を見つめた。

「わたくしの聞いた情報だと、あの中にいるという話です」

 ミス・ロングビルが廃屋を指差して行った。
 人が住んでいる気配はまったくない。
 フーケはあの中にいるのだろうか?
 一同は、声をひそめて相談した。とにかく、あの中にいるのなら奇襲が一番である。寝ていてくれたらなおさらである。

 タバサは、ちょこんと地面に正座すると、皆に自分の立てた作戦を説明するために枝を使って地面に絵を描き始めた。
 まず、偵察兼囮役が小屋のそばに赴き、中の様子を確認する。
 そして、中にフーケが居れば、これを挑発し、外に出す。
 小屋の中に、ゴーレムを作り出すほどの土はない。外に出ないかぎり、得意の土ゴーレムは使えないのであった。
 そして、フーケが外に出たところを、魔法で一斉に攻撃する。土ゴーレムを作り出す暇を与えずに、集中砲火でフーケを沈めるのだ。

 まずは小屋の周辺の偵察。
 まずはシルフィードが上空から様子をうかがい、地上からはフレイムが、小屋の周囲をめぐりながら次第に小屋に近づき、人の気配をさぐるが、怪しい人影はみあたらなかった。
 
 次に小屋そのものに対する偵察。
 ルイズがやおら前にすすみで、半眼で小屋を睨みつける。しばらくして、言った。

「中には誰もいないわ」

 ミス・ロングビルは驚いているが、キュルケとタバサは先日確認済みの能力である。
 ルイズがいないというからには、小屋の中にはだれもいないのだろう。
 警戒姿勢をとき、5人は連れ立って小屋に向かった。

 小屋の中は、一部屋しかなかった。部屋の真ん中に埃の積もったテーブルと、転がった丸椅子がある。テーブルの上には酒瓶も転がっていた。
 そして、薪の隣にはチェストがあった。木で出来た、大きい箱である。
 部屋の中にも、人の気配はなかったし、人が隠れるような場所もなかった。

 チェストを探ったタバサが、そこに盗品を見いだした。

「破壊の杖」

 タバサは無造作にそれを持ち上げると、皆にみせた。

「あっけないわね」

 キュルケが叫んだ。
 禅師は、その『破壊の杖』を見たとたん、目を丸くした。

「それが、『破壊の杖』なのかね?」
「そうよ。あたし、見たことあるもん。宝物庫を見学したとき」
 
 禅師は、近寄って『破壊の杖』をまじまじとみつめた。
 間違いない。地球製の、歩兵用対戦車砲だ。チベット軍は装備していなかったけれども、対独戦争を描いたイギリスのニュース映画や「抗美援朝戦争」(=朝鮮戦争)を描いた中国の宣伝映画などで見たことがある。なぜこのようなものがここにあるのか……。
 禅師がそっと手を触れたとたん、左手のルーンが輝き、組み立て方法や、発射方法などの情報が、怒濤のように頭のなかに流れ込んでくる。禅師は身動きができなくなった。
 
 禅師の異様な様子に気がついたルイズが、声をかけようとした。

 突然、タバサとキュルケがビクっと背筋をのばす。
 小屋の外を見張らせていたシルフィードとフレイムから、それぞれ警告が来たのである。

 ばこぉーんといい音を立てて、小屋の屋根が吹っ飛んだ。
 屋根が無くなったおかげで、空がよく見えた。そして青空をバックに、巨大なフーケのゴーレムの姿があった。 

「ゴーレム!」

 キュルケが叫んだ。
 タバサが真っ先に反応する。
 自分の身長より大きな杖を振り、呪文を唱えた。巨大な竜巻が舞い上がり、ゴーレムにぶつかっていく。
 しかしゴーレムはびくともしない。
 キュルケが胸に刺した杖を引き抜き、呪文を唱えた。
 杖から炎が伸び、ゴーレムを火炎に包んだ。しかし、炎につつまれようが、ゴーレムはまったく意に介さない。

「無理よこんなの!」

 キュルケが叫んだ。
 
 二人がゴーレムに魔法を放っている間、ルイズは目を半眼に閉じ、“物質としてのゴーレム”を感じようとしていた。
 
 シュヴルーズの小石にダルレの粘土像、ギーシュのワルキューレ。タバサのウィンディ・アイシクルやジャベリン。ミスタ・ギトーの杖。これらに魔法を使ったときは、ターゲットをできるだけ絞る方向で努力した。
 魔法学院の壁。ターゲットを絞ろうとも広げようともしなかったけど、半径1メイルほどの円形に、“硬化”や“固定化”が解けた。
 このゴーレムをやっつけるのに、自分は、いっぺんにどれだけの質量に魔法をかけられるだろうか。
 
 ルイズは、ゴーレムの胴の中央部付近を念じながらルーンを紡いだ。
 ばふん!と音がして、ゴーレムの胸部からかすかに土ぼこりがあがり、ゴーレムが一瞬動きをとめた。
 しかしルイズは感じていた。
 、、、、、、、、、、
 ことばが滑っている!
 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 物質として把握したゴーレムが、爆発四散する様子をイメージしながら、唱えたのは「練金」の呪文。

 粘土像やワルキューレ等の小物を“爆破”したときには感じなかった、“呪文の上滑り”を感じる。

 (いまの自分には、こいつをやっつける力がない……)

 ゴーレムが、ふたたび腕を振り回しながらゆっくりとこちらに歩きだした。
 この世界では、ルイズはすでに「ゼロ」呼ばわりされることはなく、自分の魔法の可能性に、夢と希望を感じている。自分を認めさせたいがために、自分の力量を度外して無理をするような切羽詰まった状況ではない。

「退却」

 タバサがつぶやくと、一同はいっせいに、ゴーレムの反対側のドアから小屋を飛び出した。

           ※              ※

 フーケはおどろいた。
 ルイズが杖を振ったとたん、ゴーレムの胴の中央部が、半径3メイルの球状に、ただの土と化したのである。
 胴の中央に球形の大穴が空き、その中にただの土が詰まっている状態になってしまった。
 フーケはあわてて魔法をかけ直し、ゴーレムを修復する。

           ※              ※

 『破壊の杖』は取り返した。このままタバサのシルフィードに乗って逃げたって、十分に褒められる功績といえる。
 そう考えたところで、誰からともなく気がついた。

 ミス・ロングビルがいない!

 4人は一斉に足を止めた。
 シルフィードが上空からきゅいきゅいと鳴き、その視界を共有したタバサがいった。

「まだ小屋の中」

 ルイズとタバサ、キュルケは顔を見合わせながら、無言のうちに意見が一致した。
 ミス・ロングビルを見捨てて、自分たちだけにげるわけにはいかない。
 三人娘が体の向きをかえ、ゴーレムに向き直ったとたん、禅師が声をかけた。

 「前をあけて。これをつかってみる」

 三人が振り返ると、禅師が『破壊の杖』を右肩にのせ、両膝を前後にずらせて地面につけ、身構えている。
 三人はあわてて、禅師とゴーレムを結ぶ斜線上から離れる。
 ゴーレムが、ずしんずしんと地響きを立て、禅師たちにせまる。
 安全装置を解き、トリガーを押した。
 しゅぽっと栓抜きのような音がして、白煙を引きながら羽をつけたロケット状のものがゴーレムに吸い込まれる。
 そして、狙いたがわずゴーレムに命中した。
 耳をつんざくような爆音が響き、ゴーレムの上半身がばらばらに飛び散った。土の塊が雨のように周囲にふりそそぐ。
 下半身だけになったゴーレムは、滝のように崩れ落ち、ただの土の山と化した。

               ※                   ※

 屋根を失った小屋の中では、ロングビルが、瓦礫(がれき)の上に座り込んでいた。ゴーレムが屋根を吹き飛ばしたとき、小屋の中へ落ちこんだ残骸の下敷きになり、自力ではい出したようだ。

「大丈夫ですか?」
「ええ、なんとか」

 ロングビルの衣服には引き裂いたような破れ目がいくつもあり、その下からは血のにじんだ肌がみえたりするが、すべてかすり傷のようだ。

 禅師は、ルイズとキュルケ、タバサらが、フーケが埋まっているかもしれないと、盛りあがった土の小山を掘るのをぼんやりとながめながら、自分が手にしている武器のことを思った。
 U.S.ARMYと刻印されているこれは、自分がいた世界からやってきたものであることはまちがいない。
 なんで、こんなものがここにあるのか。
 ルイズ以前にも、自分のいた地球とハルケギニアをつないだ大神通力者が、この世界に現れていたのだろうか。
 
 禅師がぼんやりともの思いにふけっていると、ロングビルがにっこり笑って身をかがめ、禅師が手にする武器のほうへ手を差し出す。
 禅師はつい、手渡してしまった。

 ロングビルはすっと遠のくと、四人に『破壊の杖』を突きつけた。

「ご苦労様」

 いいながら眼鏡を外した。やさしそうだった目がつりあがり、猛禽類のような目つきにかわる。

「ミス・ロングビル!どういうことですか!」
「さっきのゴーレムを操っていたのは、わたし」
「え、じゃあ……、あなたが……」
「そう。『土くれのフーケ』。さすがは『破壊の杖』ね。私のゴーレムがばらばらじゃないの!」
 
 フーケは先ほどの禅師のように、『破壊の杖』を肩にかけ、四人に狙いをつけた。
 タバサが杖を振ろうとした。

「おっと、動かないで?破壊の杖は、ぴったりあなたたちを狙っているわ。全員、杖を遠くに投げなさい」

 しかたなく、ルイズたちは杖を放り投げた。これでもう、メイジは魔法を唱えることができないのだ。
 しかるに禅師はたもとに手をいれたまま、ずんずんとフーケに歩み寄る。
 フーケは叫んだ。

「使い魔どのも、止まりな!」

 禅師はかまわず歩み、たもとからドルジェ(金剛杵,こんごうしょ)を握った手を出す。
 ドルジェからは、5本の刃が伸びる。

「それは魔法の杖なんかじゃない。単発の使い捨ての武器だよ。もう撃てない」

 フーケはなんどかスイッチを押したのち、あわてて『破壊の杖』を放り投げ、自分の杖を取り出そうとした。
 禅師は電光石火の素早さで駆け寄り、フーケの腹に、刃の伸びていない側のドルジェの端をめり込ませた。
 フーケは地面に崩れ落ちた。

           ※                 ※      

 フーケを拘束して学院にもどった一行のうち、三人の女生徒はそれぞれ学院長に「お褒めのことば」を授かったのち、「フリッグの舞踏会」の身支度のため、退出した。
 残った禅師は、オスマンにたずねた。

「あの『破壊の杖』は、私が元いた世界の武器です。つまり、ミス・ヴァリエール以前にも、私の世界とこのハルケギニアを結んだ“大神通力者”が存在したことになる。あれは、どのようないきさつで学院にもたらされたのですか?」

 オスマンは、ため息をついた。

「あれを私にくれたのは、私の命の恩人じゃ」
「その人は、どうしたのですか?その人は、私と同じ世界の人間です。間違いない」
「死んでしまった。今から三十年前も昔の話じゃ」
「なんですと?」

 時期が合わない。
 禅師は、武器に詳しいわけではないが、5年ほどまえ、ギャマルの首都ピーチン(北京)におもむいたとき、米国軍の歩兵用対戦車砲の実物をみたことがある。
 「抗美援朝戦争勝利記念展覧会」の会場で、ギャマルの「人民義勇軍」が朝鮮半島で鹵獲した米国製の戦車などとならべて展示されていた。
 いま学院長室の卓上におかれているそれは、ピーチンでみたものよりも、さらに洗練され、強力そうにみえる。
 禅師は知らぬことだが、禅師がフーケのゴーレムに使用した対戦車砲の型式は「M72ロケットランチャー」。最初期タイプの運用が開始されるのが1963年からで、禅師がハルケギニアに召喚された1959年3月よりも、4年も後のことである。

 禅師のひそかな困惑を知らぬまま、オスマンは続けた。

「三十年前、森を散策していた私は、ワイバーンに襲われました。そこを救ってくれたのが、あの『破壊の杖』の持ち主ですじゃ。彼は、もう一本の『破壊の杖』で、ワイバーンを吹き飛ばすと、ばったりと倒れました。怪我をしていたのですじゃ。私は彼を学院に運びこみ、手厚く看護した。しかし看護の甲斐なく……」
「死んでしまったのですか?」

 オスマンはうなずいた。

「私は、彼が使った一本を彼の墓に埋め、もう一本を『破壊の杖』と名付け、宝物庫にしまいこみました。恩人の形見としての……。

 オスマンは遠い目になった。

「彼はベッドの上で、死ぬまでうわごとのように繰り返しておっりました。『ここはどこだ。元の世界に帰りたい』と。きっと、彼は貴殿と同じ世界から来たんじゃろうと思います」
「いったい、誰がその人をこちらに呼んだのですか?」
「それはわかりませぬ。どんな方法で彼がこちらの世界へやってきたのか、最後までわからずじまいでした」
「その人の遺品などはありませんか?」

 オスマンがとりだしてきたのは認識表と、ぼろぼろになった手帳であった。
 認識表は、兵士の指名・血液型・所属部隊などを記した金属製の小片であるが、禅師が心を奪われたのは手帳の内容である。
 所有者は「ベトナム共和国陸軍中尉グエン・ティ・ビン」。手帳の最新の日付が、「1975年3月」。
 禅師は1959年3月のチベットから召喚された。それよりも16年もあとの日付である。それがハルケギニアの時間で30年前にこちらの世界にやってきているとは……。

 禅師はさっそく時間軸の混乱についてオスマンに指摘したが、オスマンも首をひねるばかりである。

 オスマンは、次に禅師の左手をつかんだ。

「禅師どののこのルーン……」
「ええ。これについてもうかがいたかった。この文字が光ると、なぜかドルジェに魔法の刃が生えたり、武器を自在に扱えるようになるのです」

 オスマンは、しばしためらったのち、口を開いた。

「……これなら知っておりまするよ。伝説の使い魔ガンダールヴの印じゃ」
「伝説の使い魔?」
「そうですじゃ。その伝説の使い魔はありとあらゆる『武器』を使いこなしたそうですじゃ。『破壊の杖』を使えたのも、そのおかげでしょうの」
「なぜ、私がその伝説の使い魔などに?」

 たずねてみるが、なんとなく予想はついた。

「わかりませぬ。わかりませぬが、ミス・ヴァリエールが“伝説の担い手”である可能性があります」
「“伝説の担い手”?」
「彼女は、失われた“虚無”の系統である可能性があるのです」

 オスマンとしては、ためらいにためらいを重ねた上での結論であったが、禅師にとっては、虚無の担い手の出現がどれほど稀なことなのかよく知らなかったし、自分を異世界の地球から呼び出した召喚者なら、きわめて高い能力を持つ大神通力者に決まっているということで、ちっとも驚きなどない。

「禅師どのがどのようにしてこちらの世界にやってきたのか、異世界をまたいで行き来する方法があるのかどうか、引き続き私なりに調べるつもりでおります」

                     ※                   ※

 アルヴィーズの食堂の上の階が大きなホールになっている。舞踏会はそこで行われていた。
 比丘に課せられた戒律により、禅師は正午以降、食事をとることはできないし、歌舞音曲についても、自ら行うことはむろん、目でみたり、耳で聞いて楽しむことも禁止されている。禁止されているのは“楽しむこと”であって、「つまらなそうな顔をして見物する」こと自体は、なんの問題もない。
 禅師はバルコニーに出て、シエスタが淹れてくれたお茶を飲みながら、ぼんやりと歓談する生徒・教師たちや、豪華な食事が盛られたテーブルに張り付いて、猛烈な勢いで料理をたいらげていくタバサを眺めていた。

 門に控えた呼び出しの衛士が、ルイズの到着を告げた。

「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールさまのおな〜〜〜〜り〜〜〜〜!」

 ホワイトのパーティードレスに身を包み、桃色の髪をバレッタにまとめたルイズが現れた。禅師を目にとめると、小さく手を振る。
 ルイズの周りには、男子生徒たちが群がり、盛んにダンスを申し込み出した。

 『破壊の杖』の奪還、盗賊フーケの捕縛に大活躍した主役が全員そろったことを確認した楽士たちが、小さく、流れるように音楽を奏ではじめた。
 生徒や教師ら貴族たちが、優雅にダンスを踊り始めた。
 ルイズは、いままで“ゼロのルイズ”と自分を呼んでからかって来たくせに、手のひらをかえして群がってきた連中を、表面上はにこやかに、ダンスの相手をつとめてやりながら思った。

 (もっと力をつけたい。私に合った、“正しい道”があるはず)



[35339] 第十一話 ヴァリエール公爵、娘の系統を知る
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/02/22 11:31
2012.12.17【予告編(その5)「『聖戦』の挫折」】初版を投稿
2013.1.4【チラ裏】の「イザベラ殿下、インド魔力を召喚!」に移転 
2013.2.17「第十一話 ヴァリエール公爵、娘の系統を知る」(初稿)を投稿

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 ルイズが考える「新しい道」とは、“仏教の奥義を窮(きわ)める”ことにより、“大神通力者”となることである。

 禅師は、仏法について、神通力を身につけることを目的とした教えではないとことあるごとに力説するのであるが、ルイズとしては、禅師を召喚して瞑想の初歩を習ったのに伴って物質の把握力が飛躍的に向上したという印象があるので、内心では非常に期待しながら学習を続けている。

 ルイズの仏教の学習について、禅師は、ルイズへのチベット語の教授、自身のガリア公用語の学習もかねて、まずは仏教の教え全体の概要をつたえるところから着手した。

 仏教の説く世界観や認識論。因果の理(ことわり)、輪廻の法則、十二支縁起。四つの聖なる真実。三つの宝(三種の救済者。仏と仏の教えと精神的共同体僧)、空性。三乗(声聞乗・独覚乗・菩薩乗)と四大学派(説一切有部・経量部・唯識派・中観派)・・・・・・。

 概論の段階では、単なる「知識として学ぶ」という姿勢でよいが、本格的に経典や論典そのものを学ぶ段階に入れば、法(=ダルマ)に対する信仰や、テキストに説かれる本尊への帰依などが求められるようになる。はたしてブリミル教一色にそまったハルケギニア世界で、そのようなことが許されるのか。このことを質問するため、ある日ルイズと禅師は連れ立って学院付き司祭でもあるピカール教諭のもとを訪問した。

「どんな信仰を選ぶか、個々人が選択する、できるというのが興味深いですな。アル・ロバ・カリイエの習慣は……」 

 ピカールが、禅師の問いに直接には答えずに述べた感想が、禅師にとっては意外であった。その表情をみて、ピカールは補足説明する。

「ハルケギニアは、異世界から渡ってきた始祖ブリミルと、始祖が率いたマギ族によって拓(ひら)かれました。神と始祖がハルケギニアに授けた恩寵は、私どもメイジが用いる“魔法”として、日々再現され、実践されています。そしてハルケギニアの民は日々の暮らしの中で、メイジを通じて、神と始祖の恩寵たる魔法の恩恵を享受している。ですから、ハルケギニアのメイジと民にとっては、生まれながらにブリミル教徒であることは自明のことなのです。したがって貴殿のおっしゃる“入信”という儀式ですが、ブリミル教においては信徒個々人に対して行う習慣がありません」 

 ピカールの説明に、ルイズもうなずいている。
 ピカールは続ける。

「ミス・ヴァリエール個人についていえば、始祖ブリミルの次男ルイを祖とするトリステイン王家の傍系のヴァリエール家の3女です。さらに、先日の実習のレポートを読みましたが、高度な土系統の素質をもっている様子。つまり生まれながらに始祖ブリミルの血脈と御技(みわざ)を受け継いでおられるのであって、この事実はミス・ヴァリエール個人の意思によって、後から変更することはできません」

 自身のここまでの説明を禅師が理解した様子をみとどけると、ピカールはさらに続けた。

「したがって、ミス・ヴァリエールが個人的にアル・ロバ・カリイエの宗教のひとつに興味・関心を持ち、学んだり実践することについては、ブリミル教の側では何ら問題にはならないのです」
「ミス・ヴァリエールには、仏教(サンギェー・テンパ)の教えを単なる知識として“学ぶ”にとどまらず、仏教の世界観や法則を真実として確信したり、仏教の聖者たちへの帰依を求めていくことになるのですが……」

 ピカールの側では、禅師のことばをしばらく反芻し、禅師がこだわっている点が何かについてしばらく考えていたが、やがて述べた。

「信徒の個々人が異教への知識や理解を持つことについてブリミル教の側が問題にするとすれば、その者がその結果として、ブリミル教徒としてのふるまいからはずれるような行動を取るようになった場合、でしょう」
「“ブリミル教徒としてのふるまいからはずれる”とは?」
「例えば、サンギェー神へ帰依した場合、人々とともに神と始祖への謝辞を述べる場面で、謝辞を述べることを拒否する必要がありますか?いまミス・ヴァリエールは毎日、朝食や昼食のおりにそのような場面に立ち会っていますが……。あるいは、ミス・ヴァリエールはいずれどこか高位の貴族に嫁入りなさるか、あるいはヴァリエール家の女当主になられるでしょうが、その際に、ご自身の立場を用いて、家臣や領民に対し、神と始祖への信仰を捨ててサンギェー神に帰依するよう要求なさったりしますか?」

 ピカールは、いったん言葉を切ると、禅師とルイズの顔を見渡したのち、続けた。

「もしそのようなことが発生しないのであれば、貴殿のいうサンギェ神やその教えへの“確信”なり“帰依”は、ミス・ヴァリエールの“個人的な理解・知識”にとどまっているとみなすことができます」

 ピカールのいうことは、ようするに、ブリミルの血を引く公爵家の令嬢として期待される振る舞いをルイズが実践している限り、内心の信仰や思想、信条は問われないということである。
 禅師とルイズはこの回答を聞いて、仏教の学習を本格的に進めて行くことに問題はない、と理解した。

 禅師にとって、仏教は魔法技術ではないので、“神通力”を公然と使ったりすれば、先住魔法と同様、教会から異端扱いされる可能性については思いもよらなかった。

 しかしながら、仏教の内部にも、禅師の持てる知識をルイズに余すところなく伝えることを妨げる障害がある。
 一部の教えは、出家して、かつ比丘戒(びく-かい)もしくは比丘尼戒(びくに-かい)を授かった者にしか伝授を許されない。律の規定では、ひとりの男性修行者に比丘戒を授けるには最低で十人以上の比丘が、ひとりの女性修行者に比丘尼戒を授けるには十人以上の比丘尼を必要とする。しかしハルケギニアには、ルイズに戒律を授けうる比丘尼はひとりも存在しない……。
 ただし禅師にとって、ルイズに仏教を教える目的は、彼女の強大な資質が開花した際に、それを破壊や殺戮ではなく、“一切有情(あらゆる生き物)のため”を思う“利他”に用いて欲しいという点にある。この目的にとって、いくつかのテキストと行をルイズに伝授できないという障害は、ささいなことである。

 ギトーの杖の分解、宝物庫の壁の破壊、フーケ退治……。
 さまざまな事件が起こるなか、ルイズは仏教の教えを学んでいく。
 そんなある日、ルイズの父、ヴァリエール公爵ピエールが魔法学院へやってきた。
 先日ルイズが“解呪”(ディスペル)をかけ、フーケが破壊した宝物庫を修理するためヴァリエール家が派遣するメイジと労働者を監督する、という名目である。

                   ※                   ※

 ヴァリエール公爵ピエールが、卓上の上のふたつの石をにらみながら、うなっていた。ピエールの隣ではルイズがうつむいて冷や汗を流している。
 場所はトリステイン魔法学院の院長室。
 院長席に学院長オスマンがつき、その向かいに用意された椅子にピエール・ルイズ父娘が座る。
 院長室のソファーには、禅師と、教師のコルベール、ギトー。
 ルイズが宝物庫の壁を破損させた後始末として、オスマンはヴァリエール家とツェルプストー家に修理の請求を行ったが、ヴァリエール家宛の書簡には「ご息女の系統について内々に相談したい」という追伸を附した。ピエールの来院は、その結果である。

 石はいずれも30×30×60サントほどの立方体に切り出された凝灰岩で、一つは白亜に輝き、もうひとつはくすんだ灰色をしている。いずれも学院宝物庫の石壁の一部だったものが、盗賊フーケによる宝物庫侵入事件のあと、取り外されて運び込まれたものである。ふたつの石の横にはルイズが崩壊させたギトーの杖も置いてある。

「つまり、うちの娘が“虚無の系統”であると……」
「さよう。たしかに、スクウェアクラスの土メイジにも、これらの品々にかけられていた“硬化”や“固定化”を解呪することは可能です。しかし四大系統ならば、まず己の系統に覚醒したのちに段階を踏んでクラスを上げていくのが普通です。ご息女が目覚めぬまま土のスクウェアに到達なさったと考えるのにはきわめて無理があります」

 系統に目覚めたメイジの成長プロセスに関する常識であり、ピエールもうなずかざるをえない。オスマンは続ける。

「それよりも、ご息女が“虚無系統”と考えるなら、未熟な状態のままスクウェアの土メイジの“硬化”や“固定化”を解呪できた理由も説明がつきます。それに、ご息女が“使い魔”として召喚した東方の修道士どのの左手の甲に刻まれたルーンも、その傍証となります」

 禅師が数珠をずらせて、ピエールに改めてルーンを示した。
 ピエールが、ルーンを読み上げる。

「ガンド、アールヴ……。ガンダールヴ」
 始祖が召喚した四種の使い魔のひとつとして挙げられる名前であり、始祖以降で召喚された実例の記録はないルーンである。

 コルベールが、4000年ほどまえの古書『始祖の使い魔たち』の一節を示す。

「なんということだ……」

 アルビオンと、トリステイン、ガリアの3国の王家は始祖ブリミルの子供たち(ロタール・ルイ・シャルル)の血を引くことを王権正当化の重要な根拠としてきた。
 しかるに“虚無の担い手”となると、“始祖ブリミルの再来”ということになる。
 ヴァリエール家は、傍系とはいえトリステイン王家の血をひいており、すなわちトリステイン王家の祖ルイの子孫である。そのうえ「始祖の再来」も兼ねるとなれば、ルイズは、トリステインにおいて、現王家よりも高い権威を備えることになる……。

 オスマンがピエールにたずねる。

「それで、どうなさいますかな?これを機に、ヴァリエール家が王権を掌握することをお考えになりますか?」

 いま、トリステイン王家には、王権を担う資格をもつ者、すなわち初代の王ルイの血を引く嫡系子孫がふたりいる。一人は先々代の王フィリップ3世の一人娘マリアンヌ、もうひとりはマリアンヌの一人娘アンリエッタである。
 マリアンヌは、父王フィリップ3世の存命中に王太子に立てられており、父王の崩御により、法的には自動的に女王となっている。現在のトリステインにおける公的、私的な様々な場で、感謝を捧げたり忠誠を表明する対象が“女王陛下”であるのはこのためである。たとえば食前の祈りの文句

  偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうことを感謝いたします。

に登場する“女王陛下”は、ここ20年以上の間、一貫してマリアンヌを指している。
 しかしマリアンヌは「即位式」を挙行して正式に「女王」を名乗ろうとはしなかった。彼女は結婚にあたりアルビオンの王弟アンリ(アルビオン名ヘンリー)を夫に迎えたが、ハルケギニアの常識では、このような場合、王女がまず女王に即位し、夫は単なる王配として迎える。あるいは“入り婿”を持ち上げて「王」を名乗らせる場合でも、まず王女本人が先に即位し「共同統治者」までにとどめるのが普通である。しかしマリアンヌはあえて“王女”の名義のまま結婚式を挙げ、アンリを“単独の王”として即位させた。ハルケギニアの常識からは、いちじるしく外れた奇行である。しかしこの奇行を諫(いさ)めた者がただちにマリアンヌから免職、宮廷から追放されることが繰り返されると、やがて臣下たちは口をつぐむようになった。
 入り婿としてトリステインの王家に入ったアンリは、妻マリアンヌがトリステインの政治的責任を全面的に委ねてきたことに当初はとまどったが、もともと王者としての器量を備えていた人物であり、存命中はしっかりとトリステインの元首としての役割を果たしきった。しかしアンリがひとつぶだねのアンリエッタを残し、若くして崩御すると、マリアンヌの奇行を原因とする政治的危機がふたたび浮上する。
 マリアンヌは、アンリの死後、家臣たちに自らを「王太后」と呼ぶことを強要し、自身が女王として正式に即位することをあくまでも拒みつつけている。単に名義の上で「女王」の名称を忌避するのではない。「喪に服する」ことを口実として、トリステインの国政に対する権限を掌握し、行使する責任をとることを拒否した。しかもアンリとの間にもうけた嫡女アンリエッタを、太子にも立てず、国政に権限も責任も持たぬ“王女”のままに放置しつづけている。

 すなわち、先王アンリの崩御以来、トリステインの王権は宙に浮いたままの状態にあるのであった。
 現在、トリステインは、宰相マザリーニが日々のルーチンワークを処理することにより、かろうじてまだ国家の体裁を保っている。しかし最高責任者が不在の状態は長期にわたっており、なにか国家的な危機に直面したのを契機として、国論の分裂が国家の瓦解に結びつく危険性がある。
 
 オスマンの質問は、トリステイン現王家が背負うべき責任を投げ出している現在、ヴァリエール家が王権を引き受けるべきだと示唆するものであった。ただしオスマンがピエールに勧めるのは、単なる簒奪(さんだつ)ではない。ヴァリエール公爵家は元来、身を挺して国家の危機に対峙すべき責任を負う家柄である上に、いま、現王家をも越える権威を備えるに至った。オスマンは、そんなヴァリエール家には、漂流している国家の舵取りを担う責任があるのではないか、と問うているのである。

 しかしそれは、具体的にはルイズにトリステインの女王となるよう求めるものでもある。
 オスマンの質問のふくみに気づいて、ルイズは青ざめた。

 そのふくみには、ピエールも気がついた。しかしピエールは、妻のカリーヌとともに魔法衛士の隊士として仕えたマリアンヌに立ち直って欲しいという思いが今でもある。マリアンヌが自ら投げ出しているとはいえ、ルイズの属性を楯として、トリステインの王権をヴァリエール家に移そうなどと、ピエールには思いもよらない。

「とんでもない。系統のことはともかく、うちの娘には、器量も識見も、一国の王が務まるほどのものは到底そなわってはおりません。それにこんな小娘を推(お)すくらいならば、アンリエッタ王女がおられるではないですか」

 オスマンは、しばらくピエールの顔をじっと眺めていたが、やがて言った。

「公爵どの。ヴァリエール家が王権を担うというお考えがないのであれば、ご息女の属性については、厳重に秘密にすべきでしょうな」
「……たしかに。王政府のいらぬ疑念を招きかねぬし、ロマリアあたりの外国勢力に目をつけられるのも、まことに厄介ですな」
「学院でも、ご息女の属性の可能性を知る者は、私とミスタ・コルベール、ミスタ・ギトーの三人だけです」

 ピエールとオスマンとの話し合いの結果、オスマンとコルベール、ギトーの三人はルイズの属性の可能性を秘匿し、学院としてはルイズを引き続き“魔法の才能のない劣等生”として扱う、系統については表向きは「土系統の可能性がある」と称することなどが定められた。ただし教育機関としての責任を果たすため、オスマン,コルベール,ギトーの3人は、ピエールに対し、秘密の“チーム”を組織し、虚無魔法についての情報の収集に全力であたり、ヴァリエール家に提供することも、合わせて約束された。
 三人が取り組む具体的な作業は、コルベールとギトーが学院の書庫の全面調査に着手すること、オスマンが、国立の魔法学院である学院長に認められている権限を可能なかぎり活用して、王立図書館、王室書庫、王室・政府・公的機関の各種公文書館などの所蔵文献にあたることなどである。



[35339] 第十二話 ヴァリエールとツェルプストーの宿怨
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/03/14 00:15
2012.12.28【予告編】「大隆起」初版を投稿
2013.1.4【チラ裏】の「イザベラ殿下、インド魔力を召喚」に移転 
2013.2.22 「第十二話 ヴァリエールとツェルプストーの宿怨」(初版)を投稿

(参考文献:ディック・フランシス『侵入』)
               ※                      ※

 ついで、オスマン、ピエール、ルイズ、禅師、コルベール、ギトーらは連れ立って宝物庫にむかった。
 フーケが壁に空けた大穴の前には建材や工具が並べられ、ヴァリエール家とツェルプストー家から派遣された土メイジや労働者たちと 30人ちかくの生徒がその前にたむろしていた。
 生徒たちはピエールの姿を見せると一斉に整列し、あいさつをする。ヴァリエール家を宗家とあおぐ、一門諸家の子弟とその“ご学友”の生徒たちだった。宗家の当主ピエールの学院訪問を知り、授業をなげだして待機していたのである。ピエールはいちおう答礼をするが、「授業中であろう?」と彼らをたしなめ、ただちに教室に戻らせた。
 しかし女生徒の一人が動こうとしない。その生徒は、先ほどのピエールへのあいさつにも加わっていなかった。
 ピエールが“何者か”と視線を向ける。褐色の肌に燃えるような赤色の髪。
 その女生徒はスカートの裾をつまんで一礼すると、言った。

「公爵さま、お久しぶりです」
「……ミス・ツェルプストーか」

 キュルケである。
 キュルケがこの場に残っているのは、ツェルプストー側の技術陣の名目上の責任者であるためだった。

 キュルケは、あいさつの後、何かを待っているような風情でピエールを見つめ続けている。それに気づいてピエールは思った。
(うむ、これはあれか。わしがどんな反応をするのか待っておるのだな)
 オスマンはヴァリエール家に宝物庫の壁の修理を要請するにあたり、ルイズとキュルケが提出した始末書の写しを送ってきていた。キュルケは始末書のなかで、自分がルイズをそそのかしたと強調し、宝物庫の壁破損には自分にも責任があると主張していた。
(このツェルプストーの娘、わしがどんな返事をするかで、わしを品定めしようとでも思っておるようだ)
 そこでピエールは言ってやった。

「フロイライン*のものをふくめ、学院生たちのレポートをいくつか読ませてもらった。娘の魔法実技の実習にずいぶんと骨折りをいただいたようだな」

 つづけてピエールが礼を述べたので、キュルケは意外そうな顔をしている。ピエールが怒鳴りつけでもするかと思っていたらしい。
 ピエールがニヤリと笑いかけると、キュルケは言った。

「……てっきり、お叱りを受けるのかと思ったのですけれど?」

 ピエールは、ルイズから、キュルケに宝物庫の壁への攻撃をそそのかされたときの状況や、フーケ退治にルイズが名乗りを挙げたときキュルケが同行を申し出たことなどについて、じっくりと事情を聞いている。魔法実習での協力のことも考えあわせると、ルイズとキュルケはずいぶんと仲良くつきあっているようだ。
(ツェルプストーの側では、ヴァリエールとの宿怨を娘に伝授していないのだろうか……?)

「フロイラインのほうこそ、知らぬ振りもできたのではないかね?」

 キュルケは思っている。
 たしかにあの場面では、ルイズだけに宝物庫の壁破壊の全責任を負わせることも可能だった。そして、そのようにしておけば、ルイズが青ざめたり、困ったり、キュルケに腹を立てたり、さまざまな様子を観察することができて、それはそれで、ツェルプストーとしては楽しい見ものであったことは間違いない。しかしそれをやればルイズとの関係は必ずや冷え冷えとした疎遠なものとなることは確実である。それよりはむしろ、ここで一発大きな恩を着せておけば、ひきつづきルイズのかたわらで、いろいろとルイズをいじる機会がたくさん持てる。そのほうが面白そうだ。……
 などということを。
 ただし、(ルイズを思いっきりいじるには、そっちのほうが都合がよさそうだし♪)なんて本音を、ルイズの実の父ピエールに告げるわけもいかず、キュルケが黙っていると、ピエールはキュルケから視線をそらし、遠い目をしながら、つぶやきだした。

「わしは、幼いころから、ツェルプストー家の人間はすべて不正直で卑怯で執念深く油断のならない連中だ、と教え込まれてきた。まだ小さかった頃は、言うことをきかないと、ツェルプストー家の人間に食べられるぞ、と脅かされたよ。わしを食べるツェルプストーは、はじめはオットーどので、やがてジギスムントどのに変わった」

 オットーはキュルケの曾祖父、ジギスムントは祖父にあたる。
 ルイズは、両親やヴァリエール家に仕える家臣や使用人、ときどき会う一門諸家の人々から、ツェルプストーの悪口は散々聞かされているが、「食べられるぞ」と脅かされたことはなかったし、このような話は初めて聞かされるので、ビックリしながらピエールの懐古に聴きいる。

「わしが8才をすぎたころか。父が子供の人形を持ってきた。3才か4才ぐらいの男の子の人形だ」

 人形の顔は落書きのような稚拙な出来だが、人間のような弾力の肌をもち、体の中にはまるで実際の骨のような配置で心棒がはいっている。そして褐色の肌に赤い髪をしていた。
 ピエールの父、ルイズの祖父にあたるエルキュールは、ピエールに言った。

「こいつの名前は、ヴェンセラという」

 ヴェンセラは、ゲルマニア語だと“ヴェンツェル”となる。キュルケの父の名だ。

「ツェルプストーは盗人同然で常に悪事を企み人を裏切る残忍な連中だ。ヴェンセラも、いまはまだただのクソガキだが、成長すればいずれは残忍な悪人に成長するに決まっている。ピエール、お前は決してツェルプストーに気を許してはならない」

 そしてエルキュールは、ピエールに命じた。

「こいつを殴れ!蹴れ!ウォーター・ブレードで叩き切れ!」

 ピエールは、エルキュールの命令どおり殴り、蹴り、叩き切ってバラバラにした。するとエルキュールは満足そうにうなずき、土メイジに命じて“ヴェンセラ”を修繕させ、同じ事をなんども繰りかえさせるのだった。人形ヴェンセラは、ピエールやヴェンツェルの成長に会わせ、ちょっとずつ成長した人形に取り換えられていった。
 このような“訓練”は、ピエールがヴァリエール家を出奔するまで10年近くにわたって続けられた。

「わしは、娘たちにはこのようなことはさせなかったが……」
 
 ピエールは視線をキュルケに戻すとたずねた。

「フロイラインのほうでは、このようなことはなかったかね?」
「……あります。父ヴェンツェルも、片眼鏡(モノクル)をかけた男性の似顔絵を貼り付けた藁人形を切ったり焼き払ったりしたことがあるそうです」

 ピエールは、そうかそうか、と笑みを浮かべながらうなずく。キュルケは続ける。

「ほかにもツェルプストー城の室内運動室には砂を詰めた革袋が吊るしてあって、“ピエール”という名前と、公爵さまの似顔絵が書いてあります」
「フロイラインや弟君も、藁人形や革袋を愛用しているかね?」
「いえ、それが……」

 革袋は、父のヴェンツェルが幼いころに、すでに使用されなくなっていた。
 キュルケや弟のマティアスが幼いころ、革袋を見つけ、祖父ジギスムントに「これなあに?」とたずねたことがある。ジギスムントはひととおりその用途を説明したあとで言った。

「わしはヴァリエールが死んだとき、心が晴れ晴れとなり、心底うれしくなるとばかり思っていたが、そうはならなかった。あいつが死んで、わしは人生の張り合いのかなりの部分を無くしてしまったよ……」

 ジギスムントにとってのヴァリエールは、エルキュールただ一人である。ジギスムントはピエールがヴァリエール城を出奔したと聞いた時には、「ヴァリエールめ!息子にまで背いて逃げられた!ざまあみろ!」と狂喜乱舞した。そしてピエールが一時傭兵としてゲルマニアに流れてきたときには、手を回して仕事をまわしてやったりもした。無論エルキュールへの嫌がらせ、意趣返しのためである。
 ジギスムントは、自分にとってのヴァリエールが死んでしまったことで、やる気を失ったようである。後を継いだのは、エルキュールへの嫌がらせのためとはいえ、自分が一時目をかけてやったこともある、ピエール。
 ジギスムントの、ヴェンツェルに対する砂袋や藁人形を用いた教育は、ヴェンツェルが幼い時にこうして自然消滅した。
 ただし、ツェルプストーが、ヴァリエールをいかに手玉に取り続けてきたかという、優越感に満ちた口頭教育は、むろんとどまる所がなかったのはいうまでもない。

 ピエールは、キュルケからツェルプストー家の事情を聞かされながら思った。
 自分は、ヴァリエール家を捨てるつもりで飛び出した結果、ヴァリエール家が代々受け継いできた怨念を完全には受け継がなかったし、娘たちは他家に嫁ぐかもしれぬ者たちであるということで、ことさらヴァリエール家の伝統(=人形にキュルケやマティアスと名付けて暴行させる)を実践させる必要を覚えなかった。

 ルイズと、このフロイラインが仲良くなるものなら、仲良くなってもかまわんだろう……。


*フロイライン:ゲルマニア語で「伯爵令嬢」の意



[35339] 第十三話 和寧公主の憂鬱
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/03/02 22:09
2013.3.1 「第十三話 和寧公主の憂鬱」を投稿。

サブヒロイン、本格的に登場です。彼女は「大隆起」編で、ルイズと手を携えて大活躍する予定。プロローグ「運命の子」と第六話「爆発魔法のひみつ」にもすこし登場しています。

参考文献:酒見賢一『陋巷に在り』

************************************

 和寧公主(わねい-こうしゅ)。
 姓は姫(チー,き)、名は妤(ユ,よ)。
 ただし姫妤という姓名は親につけてもらって以来、誰からも呼ばれたことがない。天神地祇(てんじんちぎ)や祖霊(それい)に祷(いの)りを捧げるときに自称として用いるだけである。周りの人々からは「和寧公主」とか、ただ「公主さま」としか呼ばれない。「公主」とは、皇族の(すなわち姫氏の)女性に与えられる称号である。

 アル・ロバ・カリイエ諸国のなかでも最東方の、西から東に流れて海に注ぐ2本の大河の流域に、言語と文化を同じくして、まとめて「華夏(かか)」とよばれる地域がある。その華夏の諸国の頂点に君臨するのが3000年の歴史をもつ周帝国。妤は、その第100世皇帝たる康帝(こうてい)姫熙(きき)の第十なん番目かの皇女さまとして生まれた。
 華夏諸国の西方に半農半牧の人々がくらす大高原が広がっているが、最近その住人の中に英雄が現れて、わずか父子2代でこの大高原を統一して国をたてた。周帝国は、北の遊牧民との対決に集中するため高原の国との和平を望み、妤は和平の証として、高原の国に王妃として嫁ぐことになったのである。

 高原の国は、華夏の言葉では吐蕃(とばん)と呼ばれるが、彼ら自身はプー(བོད།,bod)と名乗り、高原の南方の、これもアル・ロバ・カリイエ有数の大国バーラト国(=地球のインドにあたる国)のことば「サンスクリット」ではボータと呼ばれている。我々の地球の、チベットという国と同じ名前である。この物語では以後この両者の混同をさけるため、地球のほうは「チベット」、アル・ロバ・カリイエのほうは「ボティア」と称することにする。

 妤は、この結婚におおいに不満があった。華夏からみたら野蛮国なボティアに行かされることにではない。まだ見もしらぬボティアの王の人柄についてでもない。
 ボティアから来た求婚の使者が、ぬけぬけと「左目の妃としてお迎えしたい」と言ってきたことだ。
 自分が左目だとしたら、べつに「右目の妃」もいることになる。
 自分にとっては一生の大事だ。妤はボティアの使者にこの点を問いただした。使者は、しゃあしゃあと答えた。

「左右両目に上下が無いのとおなじく、左右のお妃は上下のない、対等・平等の王妃として待遇されます」

 ボティアの使者は、「対等・平等」という部分を得意げに力説したが、妤からすれば、この点こそ問題である。
(わたしは大周の姫であるぞ!どこの馬の骨ともわからぬ女と同列に並べようというのか!)
 妤は父の康帝も当然こんなずうずうしい求婚などことわると思ったら、あにはからんや、康帝は喜んでこれに応じてしまった。
 妤の母が彼女を身ごもったとき、異国の神が左右両眼と額から光を放ち、左目から放たれた光が胎内に入ったという夢をみたという。

 「左目の妃」とは何だと思ったら、こんな裏があったとは。こんな話、妤はこの時はじめて聞かされた。しかもボティア側だけで勝手にそう信じているのではなく、自分の両親のほうでも同じ話を共有しているとは。
 妤はそれ以上なにも言えなくなり、婚姻の段取りはあれよあれよというまにどしどし進められていった。

 さて、妤の嫁入り行列は、ボティア国に入ってから、なかなか先へ進むことができなくなった。ボティアの国内には華夏との和平に反対する勢力があり、彼らが行列の進行を必死に妨害したためである。
 妤はボティア国に入国してから数ヶ月がたっても、まだ婿どの、すなわちボティアの大ツェンポ(=王)ラモトンドゥプとまみえることができなかった。
 しかし反対派はやりすぎた。反対派は調子に乗って、妤がちっとも都入りしない理由として、華夏まで妤を迎えにきた宰相ガル・トンツェンと不倫の関係に陥ったという噂を流した。
 ラモトンドゥプはそんな噂を聞くと、逆に華夏の姫との婚姻に反対する勢力が国内にあることを察した。
 ラモトンドゥプはただちに行動を起こし、みずから一軍を編成し、妤を迎えるため東部地方にむけて出撃、ようやく妤本人と対面を果たした。
 さすがの反対派も、ラモトンドゥプに守られながら都入りを目指す妤に対して妨害を試みることはせず、ようやくここに、妤のボティア王妃としての生活が始まることになる。

            ※                 ※
 
 一行は、ボティアの夏の都チョンギェーに到着した。
 輿(こし)を降りた妤は、倒れそうによろめきながら歩く様子をみせた。心配したラモトンドゥプがたずねる。
「公主よ、長旅の疲れがでたか?」
「いえ、これは“禹歩”(うほ)ともうします」

 華夏の伝説の帝王禹が黄河の治水を行ったとき、最後はよろめき歩きながら使命を果たした。「禹歩」はそのよろめきを模したもので、その土地ごとに座(ましま)す地祇(ちぎ。土地神)への敬意を示す歩行法である。
 そう説明されて、ラモトンドゥプが妤と彼女の侍女団をよくよく見てみれば、侍女のうち巫女らしき者たちも、おなじような歩みを行っている。

「ふむ。周国の祭祀のありさま、よくよく見せていただこうか」

 ボティアでは、東方の華夏と、南方のバーラティア(=地球のインドに相当する地域にある国)の双方の影響を受けながら、独自の祭儀を構築しようとしていた。
 周の皇族女性は高度な巫(ふ。女シャーマン)の資質をもつことで知られており、周帝国は、強力な巫女団と、高い霊感のこもった宝器の制作能力によって、華夏諸国のうえに君臨してきた。
 ボティアの人々が従来接してきた華夏の「礼」といえば、秦(しん)や蜀(しょく)など、田舎の諸国のものである。それに対し、周といえば華夏の中枢である。妤の嫁入り行列の一行としてボティアにやってきた周の人々に対する期待は高い。
 
 数日の休息ののち、妤と巫女団は、さっそくボティアの聖地のひとつ「ラメー・ラツォ」(無上の命の湖)に案内された。「ボティア国の命が宿る」とされる湖である。

        ※            ※

 西方のハルケギニアの人々やサハラのエルフたちが漠然と“精霊”と呼ぶ存在を、華夏の人々はより細かく“天神地祇”(てんじんちぎ)とか“天地鬼神”と分類している。
 「天神地祇」とは、天にまします神と土地ごとにいる土地神たち。「天地鬼神」とは、鬼神と自然神を指す。「鬼」(き)とは、「死者」を意味する。「鬼神」は長期にわたり祭祀を享(う)けつづけて神格化された霊格と、聖なる山・河・湖・霊木など自然界に宿る神々を指す。
 ハルケギニアのメイジたちの系統魔法では、術者の精神力により水・風・土・火の精霊の力をむりやり引き出して用い、おのれの欲する効果を得ようとする。エルフたちは、周囲の精霊と契約し、その力を「借り」て魔法の効果を得ようとする。それに対し、周をはじめとする華夏諸国の人々は、「礼」に則して天神地祇を祀り、祷(いのり)を捧げ、これに感応した神祇が祷りに応(こた)えることを期待する、という手法をとる。
 
 妤と周の巫女団は、ボティアの巫覡(ふげき)がボティア式の「礼」で湖を祀り、祷ったのに続けて周式の「礼」に着手した。
 羊と山羊の犠牲を捧げたのち、覡(男シャーマン)が楽を奏(かな)で、巫女たちが妤を中心に舞を踊る。

 舞い終えて、妤は額を地につけながら地祇に祷る。

(周の姫熙の娘たる姫妤、ボティア国のラツォ(命の湖)に祷りたてまつる)
(われ姫妤、ボティアの王の妃たるべくこの国に参じました。ラツォよ、われを受け入れたもうか?)

 妤はぬかづきながら、地祇の応(こた)えを待つ。

 やがて、急に胸がどきどきし、頭の芯のあたりがくらりとしてきた。妤は姉妹たちや、他の皇族の姫たちの中でも霊感が強いほうだが、神が妤の祷りに感応する前兆が来たのである。
 妤は顔を下にむけ、目をつぶって額を地につけているのだが、そんな視界に霞がかかりだした。やがて霞は妤を押包んだ。体がぽかぽかとあたたかくなり、奇妙な力が充実してくるのを覚える。
 神は妤の祷りに感応し、妤に降りてきた。彼女はラツォに受け入れられたのである。

 妤は神のことばを告げる。

「姫妤よ、ボティアの王妃たれ」

 妤が華夏のことばで告げた内容を、通訳がボティア語に訳してラモトンドゥプらボティア人たちにつたえる。

 妤は、自身に降ってきた神のことばを告げつつ、さらに別のことをラツォに祷る。
 「右目の妃」とやらのことである。

 華夏の「礼」では、天子は子孫が断絶することがないよう多数の妻を置くよう定められている。皇后1名をはじめ以下、妃・嬪など総計64人。諸国の王たちならば49人。しかしながら、華夏諸国の王たちは、周から姫を迎える場合は、これをただ一人の妃とし、側室は置かないというのが通例である。 ところがボティアは、妤をふたり一組の妃の一人「左目の妃」として、名前も聞いたことのない西方の野蛮国の女と同列に置いているのだ。 
 ツェンポ(王)のラモトンドゥプは善良で誠実な人柄であり、その点には不満はない。しかしボティアは周に皇女を求める使者を派遣したのとほぼ同時に、西方のティーティン(ཏྲིས་དེིན་།. tris dein)とかいう国に対しても「右目の妃」を迎えるための使者を送り出したという。そして、夏の都チョンギェの中心にそびえ立つユンブラカル宮殿や、ツェンポの大天幕の中には、ツェンポの玉座の左側に、妤のための豪華な座席や褥(しとね)が設けられているのだが、玉座の右側には、妤の席と同じ程度に豪華な「右目の妃」のための空席がしつらえてあったのだ。

 妤にとっては大変な屈辱である。
 
 妤は、ラツォに祷った。
(われと王のみで幸せにならしめたまえ)
(西方に送った王使が戻りませんように)
(右目の女がボティアに来ませんように)

 妤は、ラツォに真剣に、真剣に、真剣に祷った。

(右目の女が病気か事故かなにかで、落命しますように)

 妤は、心の底から祷り、願った。

 しかし地祇からの応えは無かった。


        ※             ※

 このように、名前も知らぬ異国の王妃から激しい嫉妬を受け、呪詛されていることを知るよしもないルイズは、ちょうどその頃……

「ああ、ルイズ!ルイズ・フランソワーズ!懐かしい、わたしのお友だち!」

 学院の寮の私室で、自国の王女、アンリエッタの訪問を受けていた。



[35339] 第十四話 アルビオンへの旅立ち
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/05/13 18:38
 新築なったばかりの禅師の個人宿舎。
 先日、学院にやってきたヴァリエール家の建築メイジと職人たちが、宝物庫の壁を修理するついでにアッという間に建設していった建物で、教師の寮棟に隣接した位置にある。

 禅師が晩の瞑想を行っていると、戸外になにやら人の気配がする。禅師が瞑想を解き、外の物音に耳をすませていると、人の気配が二人に増え、やがてほとほとと、戸をたたく音がした。
 禅師が戸をあけると、たずねてきたのはルイズ。スカートのかわりに乗馬ズボンをはき、何かを詰めた背嚢をせおっている。背後には、同じく旅装に身を固めたギーシュも控えていた。

     ※                ※

「つまり、君たち、王女殿下の密命でアルビオンに行く、と」
「ええ」

 ルイズはさきほどアンリエッタの訪問を受け、アルビオンの皇太子ウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)の手元にアンリエッタのしたためた書簡がある。ルイズとギーシュはその書簡をウェールズ大公から取り戻すためアルビオンに赴くよう「依頼」された。アンリエッタは書簡の内容をルイズに明言はしなかったが、その書簡がもしレコン・キスタの手に入り、文面が公開でもされようものなら、ゲルマニアの皇帝は激怒してアンリエッタとの婚約を破棄し、トリステインとの同盟を破棄しようというほどの内容だという……。

 一通りの説明を聞き終えると、禅師は言った。

「ふたつほど、腑に落ちない点がある」
「はい」
「ゲルマニアとの決裂を回避するための重要書類の回収なんて大事な任務に、なぜ君やミスタ・グラモンのような素人が?」
「……。」
「いま、アルビオンは内戦状態なのだってね?」
「ええ」

 ブリミルの長男ロタールを祖とするアルビオンの王家、チューダー家に反旗を翻した貴族たちの連盟レコン・キスタ。
 いまや王家を国土の片隅に追いつめ、アルビオン全土を掌握する勢いである。

「ならば、その書簡の回収に確実を期すならば、優秀な軍人なり、諜報員を送り込むべきなのに……」
「そ、それは、……」

 そりゃあ、トリステインが国家として書簡の回収に動くならば、優秀な人材はいくらでもあるだろう。しかしさきほどアンリエッタがルイズの部屋を訪れたのは、宰相マザリーニにさえ内緒の行動だった。現時点でのアンリエッタは、まさに籠の鳥。自由に動かせる手駒なんか持っちゃいない。アンリエッタが宰相マザリーニにも知られず、何か頼めるとしたら、ほんとに「懐かしいおともだち」のルイズくらいしか頼るあてはないのだ。

「……ひ、姫さまにの身の回りには、ほんとに信頼できる人材がいないのです」

 そんなアンリエッタの事情など知らない禅師は思う。
(そんな重要任務を素人の学生に担わせようとは、トリステインはいったいなにを考えている?)
 ルイズも知らないのか、禅師に対して伏せようとしているのか……。

「もう一点。その王女殿下の書簡というのはどんな内容なのだろう?国家の命運がかかっているとのことだが、ならばなぜ手だれではなく素人学生の派遣ですまそうとしているのか。その書簡というのは、本当に、国家の命運を左右するようなものなのだろうか?」 

 ルイズは目を見開いたまま、しばらくもじもじしていたが、答えた。

「……おそらくは、姫様がウェールズさまに宛てた恋文なのではないかと」
「……恋文?」
 
 その恋文が、ゲルマニアの皇帝を怒らせ、同盟の破棄を決意させると?

「まさか、王女殿下は、ゲルマニア皇帝との婚約が決まったあとにもアルビオンの太子に恋文を送り続けていたとか?」
「とんでもない!」

 アンリエッタがウェールズと最後に会ったのは、数年前ラグドリアン湖畔でハルケギニア各国の王族・貴族を招いた大園遊会が開催された時のこと。その時二人は恋に落ちたが、ふたりとも常に動向を家臣たちに見はられている日常とて、文通すらままならない有様だ。

「たぶん、姫さまは文面の中で永遠の愛を始祖ブリミルにお誓いになられたのかと」

 ……となると、せいぜいが、幼い恋の若気の至りにしかすぎないではないか。

「……それが、なぜいまさら王女殿下の婚約や同盟を破棄する原因に?」
「始祖への愛の誓いはうかつに立てるものではないんです。それこそ結婚式での誓いのことばに用いるもので、ほんとうは軽々しく使えるものじゃないんです」
「ふむ……」

 禅師はうなずくが、それにしたって納得できない。
 この手紙が現実に問題となるとすれば、ゲルマニア側が何らかの理由でトリステインとの軍事同盟やトリステイン王家との婚姻をとりやめる口実に利用する場合、あるいはアンリエッタが自ら公然と「自分の愛は手紙の通り今でもウェールズにある」と宣言した場合に限られる。トリステインとゲルマニアの両国が一致してこの手紙をニセモノだとみなすことにしたならば、レコン・キスタが手紙の実物を入手して振りかざしたとしても、何の価値もない……。

「ならば、同盟の締結を妨害させないために王女殿下が真っ先にまずなすべきことは、ゲルマニアの皇帝どのに手紙の存在を伝えた上で、これをニセモノとして扱ってくれるよう頼むことなのではないかな?」

 とたんにルイズは視線を泳がせ、禅師から顔を背ける。  
 20世紀なかばのチベットは、上は貴族から下は庶民に至るまで、結婚というものは、本人の意思や希望などろくにかえりみられることなく、家と家との釣り合いを考えて家長が定める社会であった。禅師は出家の身とて自分自身の経験はないが、仲良くしていた同年代の貴族や使用人の少年少女たちが、親が定めた縁組みに、いうなりに従っていった模様を何組も見ている。
 ルイズの様子をみて、禅師はピンと来た。

 (トリステインの王女殿下は、本心では今でもゲルマニア皇帝との縁組みに乗り気ではなく、ルイズもそれに同情的だ。「同盟の破棄を防ぐため昔の恋文を回収する」というのは口実にすぎない。ルイズが選ばれたのは、国家として派遣する使者にだったら託すことのできないような内容のことづてを、アルビオンの太子どのに伝えさせるためだな)

「事情はわかった。それで君たちは、二人だけで出立するつもりだったのかな?」

 ルイズとギーシュは、すっかり旅装で身を固めてから禅師の宿舎にやってきた。一緒に行くつもりだったら、まず禅師に告げてから旅支度に取りかかっていただろう。
 ルイズが答える。

「ええ。一国の王様でいらっしゃる禅師様をハルケギニアの内輪もめに巻き込むなんて申し訳ないですし……」
「私はたしかに荒事むきではないけれど、いまさらそんな遠慮は無用だ。万一、君になにかあって私だけこの世界で生き残っても、なんの意味もないんだからね」

 禅師のことばを聞いてルイズがさっと頬を染めるが、禅師は気がつかない。ギーシュは禅師が「一国の王」だとはじめて聞いて目をむいている。
 禅師はふたりにルーンを見せながら行った。 

「私も同行するよ。こいつの力で足手まといにはならないだろう」

 禅師は考える。トリステインは王家側に同情的とはいえ、内戦の当事者たちのいずれにも加担していない中立国で、ルイズもギーシュもその有力な門閥の子弟である。アルビオン内戦を戦う両当事者のいずれも、彼らをそうと知って無下にあつかうこともあるまい。王女殿下が依頼した恋文の回収なんて任務は、成功しなくたってよい。二人が戦場のまっただ中に突っ込むような無茶を避け、無事に戻れるよう努めればよい……。

 禅師は手早く身支度をととのえ、払暁をまたずにただちに出立した。
 厩舎のそばで、ルイズがギーシュの使い魔・ジャイアントモールのヴェルダンテに押し倒されたりしたのはお約束である。
 
              ※                         ※

 ルイズに書簡の回収を依頼したアンリエッタは、こっそりと今宵の宿舎である学院の貴賓室に戻ったところで、仁王立ちで待ち構えていた宰相マザリーニと直面することになった。
 
 どこで、誰と、何をしていたのか。

 アンリエッタは、マザリーニの厳しい追及にも頑として口をつぐんでいたが、深更にいたるまで5時間にわたり責められ続けるに及んで、ついに根負けし、ルイズにウェールズ太子宛書簡の回収を依頼したことを告白した。

 マザリーニは天を仰いで嘆息したのち、しばし黙考。おもむろに魔法衛士隊グリフォン隊隊長ワルド子爵を呼び寄せ、「ミス・ヴァリエールの身の安全を守ること」を優先順位の第一位としてルイズ一行に同行するよう命じた。

 マザリーニの判断は、禅師の推測と同様、書簡そのものについては、事前にゲルマニアとしっかり根回しができていれば、レコン・キスタの手におちて公表されようと致命的ではない。それよりもルイズの身になにかあったときに、娘を溺愛するヴァリエール公爵が激怒し、なにか不穏な行動に踏み切ることを避ける、というものであった。

         ※                ※

 ルイズ・禅師・ギーシュの一行が夜陰に乗じアルビオンにむけて旅だってから十数ヶ月後のこと。
 ルイズはこの旅のことを、改めて思い返していた。

 ルイズたちが「アンリエッタの書簡回収」という任務をそれなりに果たしてトリステインに帰還した直後、チューダー王家はいったん滅亡し、レコン・キスタがアルビオンの政権を握った。 
 レコン・キスタは親善使節団を装った艦隊によってトリステインに奇襲をかけるが、失敗。アンリエッタとアルブレヒト三世の結婚によって成立したトリステイン・ゲルマニア連合帝国は、その報復として大遠征軍を組織してアルビオンに逆侵攻した。
 連合帝国の遠征軍は、破竹の勢いで進撃するが、圧倒的に優位な戦況において突如謎の崩壊をとげ、兵力の4割と大量の装備・糧秣を失って大陸に逃げ戻った。ところがレコン・キスタはその直後、「議長」である「神聖皇帝クロムウェル」を解任し、「ホワイトヘイヴン卿ヴェネッサ」なる女性を新たな議長に据えた。ヴェネッサは自身を「アルビオン王国宰相」と自称し、「虚無の担い手」にして「始祖の再来」だという「プリンセス・オブ・モード(モード大公女)」なる姫君をどこからか連れてきて、「この姫君を女王に即位させ、チューダー王朝を復活させる」と宣言した。
 ゲルマニア・トリステイン連合帝国の遠征軍が命からがら撤退してからわずか5日での早業である。ガリア、ロマリアが干渉する余地もなかった。

 ところでこのヴェネッサなる女性の正体は、なんとルイズなのである。
 激動の十数ヶ月のはてにルイズ自身もまったく思いもよらぬ結果となったのだが、そのはじまりは、アンリエッタに命じられたこのアルビオン行きであった。

 戦乱がひとまずおさまって初めて過去を振り返ったルイズは、自分自身と「使い魔」の禅師が最も危険であったのは、この最初のアルビオン行きであったと思った。
 
(わたし、この旅の時はまだ神通力も身に付けてないし、虚無にも目覚めていなかったしね……)


 アルビオン宰相ヴェネッサとして、ルイズは決断した。

「護衛を送りましょう」

 さっそく神通力を用いて護衛を召喚した。
 八人の女神が現れた。

 彼女たちの名はカンドーマ。
 梵(サンスクリット)名はダーキニー。
 空行母と漢訳され、もともとはインドの人食い魔女であったが、仏教に帰依し、護法尊となった女神である。日本にも京都市の伏見稲荷大社や愛知県豊川市の妙厳寺(豊川稲荷)など、この女神をメインに祀る神社仏閣がある。
 
 ルイズは虚無魔法“世界扉(ワールドドア)”によってゲートを開くと、カンドーマたちに祷(いの)った。

(過去に渡り、むかしの私と禅師さまをお守りくださいませ)

 カンドーマたちはうなずいてルイズの祷りを受け入れると、ルイズが捧げた供物をうけとってバリバリと噛み砕いて食べたのち、ゲートをくぐって姿を消した。

 このルイズ自身も、未来の自分から送られてきたカンドーマたちにずいぶんと助けられていた。
 (だから、きっと彼女たちもうまくやってくれるでしょう)



[35339] 第十五話 ワルドとカンドーマたち
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/05/13 03:09
 ルイズの手元には、王女アンリエッタの直筆の命令書がある。
 街道に5リーグおきに設置されている駅站(えきたん)の長たちにあてたもので、

始祖ブリミルと神々の加護のもとに
 女王陛下の大御稜威(おお-みいつ)のもとに
  アンリエッタ・ド・トリステインのことば
   駅々の長たちにつげる。
   
   本状の所持人とその一行を金字パイザの所持人と同様に待遇すべし。

                (発令年月日・王女サイン・王女御印)


という文面である。「金字パイザ」は王勅をつたえる使者に貸与される金メッキされた銀製の身分証で、その所持人は、王室経費からの負担で駅站を利用することができる。この身分証をもつものは出立してから使命を果たして復命するまでの間「金字使」とよばれ、指定されたルートの街道の駅站で、必要に応じて馬を乗り換えたり、食事をとったり、休息することができる。

 ルイズと禅師、ギーシュの一行は、月明かりのもと、駅ごとに馬を交換し、ときに軽く休憩をとりながら、ラ・ロシェールにむけてひた走った。

 ルイズが与えられたのは金字パイザそのものではなく羊皮紙にかかれた紙片であるが、王女殿下のサインと王女印があり、そのうえ所持者のルイズも同行者のギーシュもトリステイン有数の大門閥の宗家の子弟であることから、駅站の役人たちは疑いを示すこともなく、ルイズ一行を精一杯接待した。
 ただし駅站の役人たちは、当然のことながら、念のため王室に照会する。

 「王女殿下の令旨(りょうじ)を提示する、ミス・ヴァリエールを名乗る少女の一行に駅站利用の便宜を計っているが、殿下の令旨は真筆か?令旨はミス・ヴァリエールに発行されたものか?少女は本物のミス・ヴァリエールであるのか?」

 照会は王宮を経由して、アンリエッタと宰相マザリーニが滞在する魔法学院にまでとどく。
 王女と宰相は「令旨はホンモノで、ミス・ヴァリエールに発給されたものである」と回答する。
 その結果として、ヴァリエール家のお嬢さまとグラモン家のお坊っちゃまが王女殿下に何か命令されて北へむかっているという情報は、街道沿いの駅站の役人たちの間に速やかに広まって行く。

 これでは秘密任務もなにもあったものではない。

                  ※                       ※

 「おーい、おーい!」
   
 ルイズ・禅師・ギーシュの三人が深更(しんこう)に魔法学院を出立してから十数時間、背後から呼びかける声がきこえる。
 魔法で拡声された大声である。

 振り向けば、グリフォンにまたがり、魔法衛士隊の隊長服を見にまとった人物が。
 グリフォンは、鷲の頭と上半身に、獅子の下半身がついた幻獣である。立派な羽も生えている。

 昨日、アンリエッタの護衛の中に彼の姿を見いだしていたルイズは、手綱を引き、馬の歩みをとめた。禅師とギーシュも、ルイズにならって手綱をひく。

 グリフォンにまたがった男は、待ち受ける3人のもとにたどり着くと、グリフォンを降りてあいさつをした。

「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。王女殿下より、諸君らに同行するよう命じられた」

 ジャン・ジャック・ド・ワルドは、マンティコア・グリフォン・ヒポグリフの3隊からなる魔法衛士隊の、一隊の隊長をつとめる優秀な風メイジである。
 若い青少年貴族にとってはあこがれの魔法衛士隊。その隊長の1人を前にして、ギーシュは緊張のあまりカチコチに固まっている。
 ルイズにとっては、また格別なゆかりのある人物である。
 
 ルイズの父ピエールと先代のワルド子爵との間で、ルイズとワルドを婚約させるという口約束が交わされた。
 以来、ルイズにとってワルドはほのかに憧れる人物であり続けている。

 公式の堅苦しいあいさつをおえると、ワルドは手を広げてルイズにかけよりながら言った。

「久しぶりだな!ルイズ!ぼくのルイズ!」

 ワルドは人なつっこい笑みを浮かべると、ルイズに駆け寄り、抱え上げた。

「おひさしぶりでございます」

 ルイズは頬を染めて、ワルドに抱えられている。

「相変わらず軽いなきみは! まるで羽根のようだね」
「……お恥ずかしいですわ」
「彼らを紹介してくれたまえ」

 ワルドは地面にルイズを降ろすと、再び羽帽子を目深くかぶって言った。

「あ、あの……、ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔の禅師さまです」

 ルイズは交互に指指して言った。ギーシュは深々と頭を下げた。禅師は手のひらに数珠をかけ、合掌して点頭(てんとう)する。

 ワルドは、自身の使い魔に敬語を用いているルイズを、そして禅師を、交互に、奇異の目で眺める。その様子をみてルイズが補足した。

「禅師さまは、アル・ロバ・カリイエはグラン・ボティア国の修道士さまです。わたし、ボティア国で伝えられている「宇宙の理(ことわり)」について教えていただいています」

 ワルドは興味深そうに禅師を眺めたあと、言った。

「貴殿がルイズの使い魔ですか?人間が使い魔とは、まことに珍しいことです」
「そのようであると聞いています」
「ぼくの婚約者が、お世話になっています」

 あいさつをかわしながら、禅師には非常に気になっていることがある。
 さきほどこの子爵は、「王女殿下より、諸君に同行するよう命じられた」と言わなかったか?
 
「子爵、さきほど貴殿は、我らに同行するよう命じられたとおっしゃったが……」
「そうです。ミス・ヴァリエールとミスタ・グラモンの身の安全に、細心の注意を払うべし!と」

 禅師の不審げなようすに、ワルドはたずねる。

「それが何か?」
「トリステインが国家として、貴殿を我らの護衛につけたのですか?」

 ワルドはなぜ禅師がそのようなことを聞くのか、そもそも答えてやる必要があるのかどうか、などについて一瞬考えたのち、親切にも禅師の好奇心に応えてやろうと判断したようだ。

「そうです。直接には、宰相マザリーニ猊下のご判断です。最終的には、姫殿下のお名前で命令を受けました」
「なるほど……」

 アルビオンへの任務に魔法衛士隊の隊長をつとめるほどの手だれを使うことができるのであれば、ワルドにも単独での書簡回収を命じたほうが、よほど任務成功は確実になる。
 学生ふたりと東方の修道士からなる素人3人の一行を護衛させるなんて、人的資源の無駄遣いもいいところだ。
 すなわちアンリエッタ姫はともかく、マザリーニ宰相のほうは、任務の成功よりも、ルイズとギーシュの身の安全のほうが重要だと判断していることになる。
 これはいい兆候だ。

 禅師は、アルビオンに入っても、むりに王党派と連絡しようとしたり危険な戦闘地域に入りこもうとしたりはせずに、貴族派(=レコン・キスタ)が完全に制圧している地域を適当にうろうろしてお茶を濁したら、安全無事にトリステインに戻ればいいと考えているからだ。

「それでは子爵、我々の安全を確認しながら先行していただけまいか?」

 ワルドは表情で何故?と問いかける。
 禅師は、ルイズに頼み、アンリエッタから受けた「令旨(りょうじ)」をワルドに提示させた。

「我々は、すでに5、6度ほど駅站で馬をかえています。駅站の長たちには、我々が姫殿下から何かの密命をうけ、北に向けて移動しつつあることがすっかり知れわたっているでしょう。我々の旅のことが、駅々から誰にどこまで広まってしまっているか、もはや見当もつきません」

 禅師の説明を聞いたワルドは、しばらく酢を飲んだような渋い表情をみせていたが、やがて表情を消して、言った.

「わかった。先行しよう」

                      ※                   ※


 ルイズ・禅師・ギーシュは、ワルドを先行させ、駅々で馬を替えながら疾駆しつづけた。
 やがて視界がせばまり、街道は、険しい岩山の中を縫うように通るようになった。

 いよいよラ・ロレーシュの入口がちかい、というところで、前方から黒煙があがっているのが見えた。

 黒煙のあがる場所についてみると……。

 やや疲れた表情のワルドに、焼けこげて縛り付けられた平民の傭兵たち。
 そして空竜のシルフィードとその主タバサ、そしてキュルケが一行を待っていた。
 キュルケがルイズにむかってにやりとほほえみ、あいさつする。

「はぁい」
 
 ルイズが叫んだ。

「ちょっとキュルケ、何しにきたのよ」
「昨日の夜、窓からそとを見てたら、あんたたちが馬に乗ってでかけるのを見かけたから、急いでタバサを起こして後をつけたのよ」
「あのねえ、これはお忍びなのよ?」
「お忍び?だったらそういいなさいよ。言ってくれなきゃわからないじゃない。とにかく感謝しなさいよね。あなたたちを待ち伏せしてた連中を捕まえたんだから」
 
 疲れた表情のワルドが、縛られた連中を指差しながら言った。

「連中、ただの物盗りだっていっている」
「じゃあ、彼らは捨て置いて、先へすすみましょう」

                         ※                 ※

 ラ・ロレーシュでいちばん上等な宿『女神の杵』亭に泊まることにした一行は、一階の酒場でくつろいでいた。いや、一日中馬に乗っていたので、クタクタになっていた。
 この宿は貴族を相手にするだけあって、豪華なつくりである。テーブルは、床と同じ一枚岩からの削りだしで、ピカピカに磨きあげられていた。顔が映るくらいである。
 そこに、『桟橋』へ乗船の交渉に行っていたワルドとルイズが戻ってきた。
 ワルドは席につくと、困ったように言った。
「アルビオンに渡る船はあさってにならないと、出ないそうだ」
「急ぎの任務なのに……」
 キュルケがたずねる。
「あたしはアルビオンに行ったことがないからわかんないのだけど、どうして明日は船がでないの?」
「明日の夜は月が重なるだろう?『スヴェル』の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンがもっともラ・ロシェールに近づく」

 浮遊大陸アルビオンは、風石による浮力の重心と二つの月との位置関係によって、一定の周期でハルケギニア大陸の北西海上を複雑な経路をたどりながら季節移動しているのである。

「さて、じゃあ今日はもう休もう。部屋をとった」

 ワルドは鍵束を机の上に置いた。

「キュルケとタバサは相部屋だ。そして、ギーシュと禅師どのが相部屋。そして僕とルイズが同室だ」

 一同、ぎょっとしてワルドの方をむく。

「婚約者だからな、当然だろう?」

 いやいや、全然当然ではない。
 結婚前の家族でない男女の同室なんて、ハルケギニアは中世〜近世期のヨーロッパと同様に、大変に厳しい。

「そんな、ダメよ!まだわたしたち結婚してるわけじゃないのよ!」
 
 ワルドと、ハルケギニア事情にうとい禅師をのぞく全員がうなずいている。

「大事な話があるんだ。ルイズと二人きりで話したい」

             ※                         ※

 貴族相手の宿『女神の杵』亭でいちばん上等な部屋だけあって、ルイズ・キュルケ・タバサの三人が泊まる予定の部屋は、かなり立派なつくりであった。誰の趣味なのか、ベッドは天蓋付きの大きなものだったし、高そうなレースの飾りがついていた。 

 ベッドの脇のソファーに座ると、ワルドはワインの栓を抜いて、グラスに注ぎ、飲みほした。
「きみも腰掛けて、一杯やらないか?ルイズ」
 ルイズは言われるままに席についた。ワルドがルイズのグラスにワインを満たしたのち、自分のグラスにも注いで、ワルドはそれを掲げた。
「二人に」
 ルイズはちょっと俯いて、グラスをあわせた。かちん、と陶器のグラスが触れ合った。
「姫殿下から預かった手紙はきちんともっているかい?」
 ルイズはポケットの上から、アンリエッタから預かった封書を押さえながら答えた。
「……ええ」
「心配なのかい?無事にアルビオンの皇太子どのから姫殿下の手紙を取り戻せるのかどうか」
「そうね。心配だわ……」
「大丈夫だよ。きっとうまくいく。なにせ、僕がついているんだからね」
「そうね、あなたがいれば、きっと大丈夫よね。あなたは昔からとっても頼もしかったもの。
 で、大事な話って?」
 ワルドは遠くを見る目になって言った。
「覚えているかい?あの日の約束……。ほら、君のお屋敷の中庭で……」
「あの、池に浮かんだ小舟?」
 ワルドはうなずいた。
「きみは、いつもご両親に怒られたあと、あそこでいじけていたな。まるで捨てられた子猫みたいに、うずくまって……」
「ほんとに、もう、ヘンなことばっかり覚えているのね」
「そりゃ覚えているさ」
 ワルドは楽しそうに言った。
「きみはいつもお姉さんと魔法の才能を比べられて、デキが悪いなんて言われていた」
 ルイズは恥ずかしそうにうつむいた。
「でも僕は、それはずっと間違いだと思っていた。確かに、きみは不器用で、失敗ばかりしていたけれど……」
「意地悪ね」
 ルイズは頬を膨らませた。
「違うんだルイズ。きみは失敗ばかりしていたけれど、誰にもないオーラを放っていた。魅力といってもいい。それは、きみが、他人にはない特別の力をもっているからさ。僕だって並のメイジじゃない。だからそれがわかる」
「まさか」

 (まさか)
 ルイズは内心冷や汗を流す。
 ルイズの系統が伝説の"虚無"である可能性は、魔法学院の少数の教師とヴァリエール家の間の厳重な秘密とされたのではなかったか?
 ワルドはいったい、何を感づいたのだろう?

「まさかじゃない。例えば、そう、きみの使い魔……」
「禅師さま?」
「そう、その東方の修道士どの。人間を、しかもはるかアル・ロバ・カリイエから召喚するなんて、並のメイジにできることじゃない。誰もが持てる使い魔じゃない。きみはそれだけの力を持ったメイジなんだ」
「信じられないわ」

 そうワルドに言いながらルイズは思った。
 自分の力のこと。自分の可能性のこと。
 誰に、どれだけ広まってしまっているのだろうか?
 
 ワルドは首を振っていった。
「きみは偉大なメイジになるだろう。そう、始祖ブリミルのように、歴史に名を残すような、すばらしいメイジになるに違いない。僕はそう予感している」
 
 ワルドはルイズの系統について、どうやら何か感づいているらしい。
 学院の宝物庫の破壊は怪盗フーケの仕業だとおもわれていて、その前にルイズが硬化と固定化を解除していたことを知る者は、学院の中でもごくわずかである。しかしギトーの魔法の杖の契約と固定化を解除したのはクラス中に見られている。
 あるいはヴァリエール一門の子弟たちとギーシュ、キュルケ、タバサ、モンモランシーたちで行ったいろいろな魔法実験。
 これらは、べつに口止めが行われたわけではない。
 ワルドは、ルイズに関する情報を集め、分析に怠りなかったようだ。

 親同士の間で「婚約者」という話がでていながら、7年間、ずっと音信不通だったくせに。
  
「この任務が終わったら、僕と結婚しようルイズ」
「え……」

 いきなりのプロポーズに、ルイズははっとした顔になった。

「僕は魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれは国を……、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」

 そのあとも、ワルドはなにかペラペラと熱っぽく語り続けているが、その内容はちっともルイズにはとどかなかった。

 魔法の才能がないととっても悩み苦しんでいたとき、ずっとわたしを放置していたくせに。
 わたしに“虚無”の可能性があると知ったとたんに、この手のひらの返しようってなによ!


「アッハッハァ!コリャァ、ケッサクダゾ、子爵!」

 とつぜん部屋に金属的な女の声が響いた。
 ワルドとルイズが振り向くと、異様な姿の、ほぼ全裸の女がいた。
 容姿端麗だが、全身の皮膚はどぎつい原色の赤。額には第三の目。口元からは長い犬歯の先がのぞいている。黄金の冠に黄金の耳飾り、腕輪、足話。首と腰に、黄金製の装身具。ドクロを連ねた首飾り。ただし両の乳房も局部もむき出しの、なんとも猛烈な姿である。

「子爵ヨ、ココナるいずハ、オ前ゴトキニハ手二余ル娘ゾ。カナワヌ恋ジャ。アキラメヨ!」

 ワルドがルイズをかばいながら杖を向けて叫ぶ。

「この、化け物!」

 風の矢を放つと、ぶすぶすと妖女の身体に突き刺さっさっていくが、平然としている。
 妖女はしばらくの間、ワルドの攻撃を受け止めつづけたのち、右手をひょいと振った。
 小さな棒状のものがワルドにむかって飛び、ワルドの喉に突立った。
 ワルドは苦悶のうめき声をあげながら、床にうずくまる。

 手で首に触れてみても、なにもない、しかし喉には、何かが突き刺さっている感触がある。そして喉に開いた「穴」から全身の力が抜け落ちて行くような脱力感!精神力も、体力も・・・・・。
(なんだ!これは・・・・・・)
 体中に力が入らない。立ちあがることはおろか、手で体を支えることもできない!

 うめきながら両膝と両手を床についていたワルドは、やがてごろりと倒れた。
 ルイズが悲鳴をあげた。

「ギャ~~~~~~~~~~~~!」

 ルイズの叫び声は、食堂で飲み食いをしていた禅師やギーシュ、キュルケ、タバサらの耳にも届いた。

 部屋に駆けつけた一同は、ワルドが床にうつぶせて苦悶し、ルイズが真っ赤な皮膚の半裸の妖女に杖をかざして対峙しているのを見た。

 禅師がすすみでて、妖女とルイズの間に割ってはいり、いった。

「ルイズ、これは敵じゃない!」

 禅師は数珠を取り出して手のひらに巻き付け、妖女に合掌して点頭した。
 すると妖女も禅師に同じく合掌、点頭してこれに応えた。
 
 その様子をみて、ルイズとギーシュ、キュルケ、タバサらは構えていた杖をさげた。

 この妖女、ハルケギニアの人々にはどうみても化け物にしかみえないだろうが、実はそうではない。
 その名もカンドーマ。
 サンスクリット名はダーキニー。元はインドの人食い悪魔だったが、仏法に帰依して女神となった尊格である。
 ただしその姿といえば、チベット人だけが「仏法を守護する女神さまのカンドーマ(ダーキニー)」と識別できる、なんとも猛烈な姿である。
 他の文化圏の人々には、バケモノにしか見えないだろう。
 ダーキニーを祀っている日本の伏見稲荷の神官や豊川稲荷の僧侶たちだって、この姿をみたら自分たちのご祭神・ご本尊だとは認識できないだろう。
 日本では、この女神は、中国風の衣装を着て狐にまたがる、もっと穏やかな姿で知られている……。

 カンドーマが身をかがめ、ワルドのうなじに手のひらをあてた。ほどなく、ワルドがうめき声を止める。
 カンドーマに促され、禅師とギーシュがワルドをささえて、身を起こさせた。
 
「さて、」

 禅師がカンドーマにむかって言った。

「カンドーマよ、あなたのお姿は、この地のものどもには刺激的すぎる。いま少し穏やかな装いに改めてはいただけまいか?」
「フン。見カケナド、ワガ本質トハ関リノナイモノヲ」

 カンドーマはそういいつつも、身をぶるるんとふるわせた。するとカンドーマの姿はインド風の鎧兜を着用した女兵士に変わった。
 額には赤いルビーをはめた飾りがぶらさがり、第三の眼を隠している。唇の両端からのぞいていた犬歯はひっこみ、肌の色も人肌の色に変わっている。

「これでどうかな、禅師どの?」

 牙がひっこむと、しゃべり方まで変わった。

「結構でございます」

 禅師がたずねる。

「それで、貴尊はどなたの召喚でハルケギニアの地に?」
「そこなルイズの召喚によってじゃ」

 カンドーマは尊大な態度でルイズを指差した。

「ええ!」

 やや立ち直っていたルイズが、叫び声をあげる。

「わたしあなたを呼んだ覚えなんかないわよ!」
「うむ。そなたにはまだ呼ばれておらぬ。しかしそなたはこれより数ヶ月ののち、仏法の奥義をきわめ、いずれ我らを召喚することになるのじゃ」

 ルイズは目をぱちくりする。

「“いずれ、なるのじゃ”って……。あなた、未来のわたしが召喚したってこと?」
「その通り」

 答えると、カンドーマは口をつぐみ、ルイズの顔をじっと見つめる。
 ルイズははじめ呆然としていたが、カンドーマの答えの意味が心に沁みとおるにつれ、笑みが浮かんできた。
 自分はいずれ、カンドーマを召喚できるような、神通力を身につけることができる、ということではないか。
 しばらくそんなルイズの様子を眺めていたカンドーマが、ふたたび口をひらく。

「今のそなたはまだ魔法も使えず、神通力も身につかず、にもかかわらず戦乱の地アルビオンへ往く。そなたはアルビオンにて任務にいそしんだのち、トリスタニアに戻る。
 そなたの生涯において、この道のりが最も危険な時期じゃ。
 それゆえにそなたは我らを招き、我らに誓願した。時をさかのぼり、今のそなたと禅師を守護するように、と」

 カンドーマの言葉を聞いて、禅師は顔色を変える。禅師は、アルビオンでは決して戦闘地域には踏み込まず、レコン・キスタの勢力圏内を適当にうろうろしてお茶をにごしたら、「任務は達成できなかった」としてトリスタニアに引き返すつもりだったのだ。

「我々に、危険が及ぶと?」
「うむ。これよりそなたらには、落命の危険がある危機がいくども襲いくるであろう」

 神通力が身に付くという将来を予告されて嬉しさを噛みしめていたルイズだったが、ほどなく気がついた。 
 このカンドーマが未来からやってきたということは、姫様から命じられた任務の、今後の成り行きを見届けているということではないか。
 この任務、これからいったいどのように進展するのだろうか?

「それじゃあね、……」

 ルイズが質問しようとすると、カンドーマはこれをさえぎって言った。

「ルイズに禅師、それからその他のものどもよ。我はここな子爵に話がある。外せ」

 禅師に促され、ルイズやギーシュ、キュルケ、タバサらはしぶしぶ部屋を出た。

 一同が退出し、足音が遠ざかると、カンドーマはワルドにずい、とにじり寄って言った。

「子爵よ。我らはそなたが、何をたくらみ、そして何を行ったか、つぶさに存じておるぞ」

 ワルドは、内心おびえながらも考える。
 たしかにこのバケモノが強力な力をもっていることは間違いない。しかし未来から来たというのは本当だろうか?
 ハッタリではないのか?
 いや、ハッタリであろう!
 精一杯、虚勢をはって答える。

「ぼくが、なにを企んでいるというんだ?」

 カンドーマは答えた。

「レコン・キスタ。白仮面。盗賊フーケの脱獄幇助。傭兵どもの雇用」

 ワルドは青ざめた。カンドーマは歯を剥きだし、ギシギシと笑い声を出しながら続けた。

「いまのそなたは、ルイズと禅師の、味方のフリをした敵じゃ。そしてほどなく正体を顕(あらわ)にし、真の敵となる」 

 言い終えると、カンドーマは腕を組み、ワルドの顔をじっと見つめた。

             ※              ※

 カンドーマから部屋を追い出されたルイズたちは、下の食堂におりるフリをしたのち、足音をしのばせて部屋のまえにもどった。
 ギーシュとルイズが扉に耳をあて、部屋の中の声をさぐる。
 と、扉の左右の脇の壁から、真っ青なカンドーマと緑色のカンドーマがにじみでて来て、ふたりを背後から見下ろした。
 その様子をみていたキュルケとタバサは、声もなく固まる。
 
 異様な雰囲気に、ふと振り向いたギーシュは思わず叫んだ。

「うわぁ、こいつら何人もいるのか!」

 緑のカンドーマは身をかがめて自分の顔をギーシュの間近まで近づけると、ニヤリと笑った。 
 青いカンドーマはギーシュの “こいつ” を聞きとがめ、
「無礼者メガ!」
と叫び、右手にもっていたプルバ(黄銅製の宝具)でギーシュの頭をはたいた。
 ギーシュの頭はゴチン!といい音をたて、プルバはチーンと澄んだ音を響かせる。
 周囲の騒ぎに、扉から耳を話して振り返ったルイズは、自分とギーシュを囲むようにして歯をむき出す二人のカンドーマに気付き、硬直した。

 カンドーマたちは一同を見回して言った。

「コレ!ソノ方ラ、ハシタナイゾ。盗ミ聞キナドスルデナイ。サァ、行ッタ、行ッタ!」

 追い払われた。

 一同が食堂に戻り、だらだらと飲み食いをしながら時間を過ごしていると、ワルドがひどく消耗した様子で降りてきた。心配したルイズが声をかけた。

「ワルドさま?」
「ああ、大丈夫だ」

 そうはいっても、顔色がひどく悪い。

「どんな話をなさったのですか?」
「いや、決して手抜きをせず、君たちの護衛をしっかりつとめろ、と釘をさされたよ」
「彼女たち、まだお部屋に?」
「いや、みんないきなり、すっと姿を消して、見えなくなった」

 ルイズやギーシュ、キュルケらが、ワルドのためにワインをつぎ、つまみの残りのなかから大きさや形のよいものをひとつの皿にまとめてワルドに勧める。

 (食欲はないが、無理にでも、何か腹に入れておかねば……)
 これからほどなく、白仮面(=ワルド自身)とフーケが傭兵団を率いてこの『女神の杵』亭を襲撃する手はずになっているのである。

 ワルドが、もそもそとつまみを口の中に押し込みだしてから、一刻、とつぜん『女神の杵』亭の壁が轟音を立てて振動した。

 即座に反応したタバサが扉の隙間から外を眺めてみれば、岩でできた巨大ゴーレムが。
 その背後には弓や鉄砲を構えた傭兵たち……!



[35339] 第十六話 ラ・ロシェールにて
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/07/14 00:42
 ラ・ロシェールにたむろしていた傭兵という傭兵が、束になってかかってきたようだ。
 魔法の射程外から扉や窓に狙いをさだめ、少しでも顔をのぞかせようものなら雨あられと矢を打ち込んでくる。
 
 他の貴族の客たちは、カウンターの下で震えている。でっぷりと太った店の主人は流れ矢をうけて床にうずくまり、うめいている。

 やがて壁や屋根がミシミシと軋みだした。外にいる巨大ゴーレムが、建物に手をかけているようだ。

 「いいか諸君」

 ワルドが低い声で言った。

「このような任務は、半数が目的地にたどりつければ、成功とされる」

 こんな時でも優雅に本を広げていたタバサが本を閉じて、ワルドの方をむいた。自分とキュルケと、ギーシュを杖で指して、「囮」とつぶやいた。
 それからタバサは、ワルドとルイズと禅師を指して「桟橋へ」とつぶやいた。
「時間は?」ワルドがタバサに尋ねる。
「いますぐ」とタバサはつぶやいた。
「聞いてのとおりだ。裏口へ回るぞ」
「え?え?ええ?!」
 ルイズは驚いた声をあげた。
「今からここで彼女たちが敵を引きつける。せいぜい派手に暴れて、目立ってもらう。その隙に、僕らは裏口から出て桟橋にむかう。以上だ」
「で、でも・・・・」

 ルイズは納得がいかない。ついさきほど自分を死ぬほどビックリさせ、ワルドをひとひねりにねじふせたカンドーマたち。
 彼女たち、自分と禅師を守るために未来から送り込まれたと自称していなかったか?
 さっそくピンチに陥っているというのに、彼女たちはどこへいったのか?
 ワルドは、カンドーマたちがいきなり姿を消したと言っていたけど、どんな状況だったのか?
 
 ワルドは、もの問いたげな視線を向けてくるルイズの様子を見て、何を尋ねたがっているのか察して、言った。
 
「あてにできないものにすがろうとするのは無意味だ」

 キュルケは、ルイズが自分たちを囮にすることをためらっていると思ったのか、魅力的な髪をかきあげ、つまらなそうに唇を尖らせて言った。

「ま、しかたないかなって。あたしたち、あなたたちが何しにアルビオンに行くのかすらしらないもんね」

 ギーシュは薔薇の造花を確かめはじめた。

「うむむ、ここで死ぬのかな。どうなのかな。死んだら、姫殿下とモンモランシーには会えなくなってしまうな・・・・・・」

 タバサは禅師に向かってうなずいた。

「行って・・・・・・」

 キュルケはルイズにむかって続ける。

「ねえ、ルイズ。勘違いしないでね?あんたのために囮になるんじゃないんだからね」
「わ、わかってるわよ」

 ルイズはキュルケたちにぺこりと頭をさげると、身をひるがえした。
 ルイズ、禅師、ワルドの三人は、酒場から厨房に出て、通用口から夜のラ・ロシェールの街に躍り出た。
 ほぼ同時に、『女神の杵』亭から派手な爆発音がおこり、火柱があがる。
 「・・・・・・はじまったみたいね」
 「桟橋はこっちだ」
 ワルドの先導で、3人は駆け出した。

               ※                ※

 ワルドは走りながら自問自答する。
 さきほど、カンドーマの妙な武器に貫かれたとき、精神力が根こそぎ奪われた。
 その後、その武器を抜き取る時、カンドーマはかなりの程度を回復してくれたが、いまひとつ体調がすぐれない。
 この先に待ち伏せさせている白仮面は、体調が万全の時に分離した元気いっぱいの偏在だ。
 真っ向から戦えば、下手をすると遅れを取りかねない。

 赤いカンドーマは、ワルドと二人っきりになったとき、「我らはルイズと禅師を守るためにのみ遣(つか)わされた」と言っていた。
 自分が危険に陥っても、放置されるだろう。

 自分の偏在に倒されては、しゃれにならない・・・・・・。

              ※              ※

 長い長い階段をのぼりきり、丘の頂上にでると、いきなり山ほどもある巨木が目に飛び込んできた。
 巨大な枝々には、大きな何かがぶらさがっている。
 巨木に近づくにつれ、禅師は息を呑んだ。
 ぶら下がっているものひとつひとつが、それなりに大きな船であった。
 この巨木は、どれほどの大きさがあるのか・・・・・・。

 巨木の幹の内部は大きくうがたれ、その根元は巨大なビルの吹き抜けのホールのようになっていた。
 各枝にむけて、それぞれの階段が伸びている。
 三人は幹の中に駆け込むと、ワルドが導くまま、階段のひとつをのぼり始めた。 

 踊り場で、後ろから追いすがる足音に気がついた。禅師が振り向くと、黒い影がさっとひるがえり、禅師の頭上を飛び越えてルイズの背後に立った。
 黒装束を見にまとった白仮面の男である。
 禅師はドルジェ(金剛杵,こんごうしょ)をたもとから取り出すと同時に叫んだ。

「ルイズ!」

 ルイズが振り向く。一瞬で白仮面はルイズを抱え上げた。

「きゃあ!」

 ルイズは悲鳴をあげた。禅師がドルジェを構えると、70サントあまりの長さの輝く刃が5本、ゆっくりと伸びる。
 
 (このまま振り下ろしたところで、ルイズを傷つけずに白仮面にだけ当てることができるだろうか?いや、できる!)

 一瞬の自問自答ののち、禅師が白仮面に殺到しようとした瞬間、ドルジェが声をあげた。

「構えろ!相棒!」

 禅師がドルジェを構えたとたん、空気が震えた。ぱちん!とはじけ、白仮面の周辺から、稲妻が伸びて禅師を襲った。
 
 稲妻は、ドルジェから伸びる5本の刃に触れると、すべて跡形もなく吸収されて消滅した。
 白仮面が動揺の様子をみせる。
 禅師は、ルイズごと、白仮面をドルジェの5本の刃でなぎはらった。ばふん!と激しい音がして白仮面の男は消滅した。
 ルイズは1メイルほど落下して、尻をはげしく地面に打ち付けた。

「いたたた・・・・」

 ワルドは、加勢する隙をうかがいながら禅師の戦いぶりをながめていたが、勝負が決着すると身構えを解き、興味深そうに禅師にたずねた。

「インテリジェンス・アイテムですか?」
「ええ」

 このドルジェは、まだ地球にいた今年3月の中旬、禅師がチベットを脱出する際、変装のため、護衛の下級兵士サムテンから借りた法具である。古いようだが、何か特別な機能などあるはずもなかった。
 ところが半月ほどまえ、このドルジェが突然しゃべりだしたのである。
 禅師とルイズは仰天した。
 ドルジェはみずからを「デルフリンガー」となのり、馴れ馴れしい態度で禅師を「相棒」、ルイズを「娘ッ子」と呼ぶようになっていた。


 3人は、桟橋をのぼりきった先に停泊していた『マリー・ガラント号』にのりこみ、船長をむりやり説得して、その晩のうちに、出航させた。



[35339] 第十七話 アルビオン王家の最後の晩餐
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/07/14 00:07
07/13 01:07 初版
07/13 11:57 “共産主義陣営"に関する記述を追加
*****************

ルイズがアンリエッタの密書をウェールズ王太子に届ける任務はあっけなく達成された。
ラ・ロシェールを発って3時間後、『マリー・ガラント号』は空賊船の襲撃をうけ、拿捕されたのであるが、空賊の頭というのが、じつは王立空軍大将、本国艦隊司令長官にしてアルビオン王国皇太子であるウェールズ・テューダー殿下その人だったのである。

もうひとつの任務の対象である、アンリエッタがかつてウェールズに送った書簡だが、ウェールズは、いま手元にはなく、王党派の最後の拠点ニューカッスル城にあると述べた。
そのような次第で、ルイズ、禅師、ワルドの一行は、ウェールズの座乗艦『イーグル号』に移乗し、ウェールズとともにニューカッスルに向かうこととなった。

        ※                 ※


 ルイズたちは、ウェールズに付き従い、城内の彼の居室へと向かった。城の一番高い天守の一角にあるウェールズの居室は、王子の部屋とは思えない、質素な部屋であった。
 木でできた粗末なベッドに、椅子とテーブルが一組。壁には戦の様子を描いたタペストリーが飾られている。
 王子は椅子に腰掛けると、机の引き出しを開いた。そこには宝石が散りばめられた小箱が入っている。首からネックレスを外す。その先には小さな鍵がついていた。ウェールズは小箱の鍵穴にそれを差込み、箱を開けた。蓋の内側には、アンリエッタの肖像が描かれていた。
 ルイズたちがその箱を覗き込んでいることに気付いたウェールズは、はにかんで言った。

「宝箱でね」
 
 中には一通だけ、手紙が入っていた。
 それが王女からのものであるらしい。ウェールズはそれを取り出し、愛しそうに口づけたあと、開いてゆっくりと読み始めた。何どもそうやって読まれたらしい手紙は、すでにボロボロであった。
 読み返すと、ウェールズは再びその手紙を丁寧にたたみ、封筒に入れると、ルイズに手渡した。

「これが姫からいただいた手紙だ。このとおり、確かに返却したぞ」
「ありがとうございます」

 ルイズは深々と頭を下げると、その手紙を受け取った。
 
「明日の朝、非戦闘員を乗せた『イーグル』号が、ここを出港する。それに乗って、トリステインに帰りなさい」
 
 ルイズは、その手紙をじっと見つめていたが、そのうちに決心したように口を開く。
 
「あの、殿下……。さきほど、栄光ある敗北とおっしゃっていましたが、王軍に勝ち目はないのですか?」

 さきほどこの城に到着した際、ウェールズは出迎えにきた侍従バリーと次のような会話をかわしていた。
(喜べ、パリー。硫黄だ! 硫黄!)
 ウェールズが、『マリー・ガラント』を示しながら言った。 
(おお! 硫黄ですと!火の秘薬ではござらぬか!これで我々の名誉も、守られるというものですな!)
 ウェールズはにっこりと笑いながら答えた。
(王家の誇りと名誉を、叛徒共に示しつつ、敗北することができるだろう)
(栄光ある敗北ですな! この老骨、武者震いがいたしますぞ。して、ご報告なのですが、叛徒どもは明日の正午に、攻城を開始するとの旨、伝えてまいりました。全く、殿下が間に合ってよかったですわい)
(ははっ! してみると間一髪とはまさにこのこと! 戦に間に合わぬは、これ武人の恥だからな!)

 ルイズは躊躇うように問うたが、しごくあっさりと、ウェールズは答えた。

「ないよ。我が軍は三百。敵軍は五万。万に一つの可能性もありえない。我々にできることは、はてさて、勇敢な死に様を連中に見せることだけだ」

 ルイズは俯いた。

「殿下の討ち死になさる様も、その中には含まれるのですか?」
「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」
 
 明日にも死のうというときなのに、王太子にはいささかも取り乱したところがない。
 (この王子どのは、王朝と命運をともにするつもりだ……)

 いささか感銘をうけながら、禅師はふたりのやり取りを聞く。
 禅師はものごころ着いて以来、欧州で、アフリカで、アジアで、多くの王朝が瓦解するのを目のあたりにした。その多くで王や王族たちは祖国を脱出して、異国で生命を永らえている。

(この王子どのには、国の上にたつ者としての気概も責任感もある。人柄もよく、能力もたかそうだ。そんな王家に率いられた王国が、なぜ城ひとつにまで追いつめられるまでになってしまったのだろう……)


 ルイズは深々と頭をたれて、ウェールズに一礼した。言いたいことがあるのだった。

「殿下……、失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがございます」
「なんなりと、申してみよ」
「この、ただいまお預かりした手紙の内容、これは……?」

 ルイズはきっと顔を上げ、ウェールズに尋ねた。

「この任務をわたくしに仰せ付けられた際の姫さまのご様子、尋常ではございませんでした。そう、まるで、恋人を案じるような……。それに先ほどの小箱の内蓋には、姫さまの肖像が描かれておりました。手紙に接吻なさった際の殿下の物憂げなお頭といい、もしや、姫さまとウェールズ殿下は……」

 ウェールズは微笑んだ。ルイズが言いたいことを察したのである。

「きみは、従妹のアンリエッタと、この私が恋仲であったと言いたいのかね?」
 
 ルイズは頷いた。

「そう想像いたしました。とんだご無礼をお許しください。そう考えると、この手紙の内容とやらは……」

 ウェールズは、額に手をあて、言おうか言うまいか、ちょっと悩んだ仕草をしたあと、言った。

「恋文だよ。きみが想像しているとおりのものさ。確かにアンリエッタが手紙で知らせたように、この恋文がゲルマニアの皇室に渡っては、まずいことになる。なにせ彼女は始祖ブリミルの名において、永久の愛を私に誓っているのだからね。知ってのとおり、始祖に誓う愛は、婚姻の際の誓でなければならぬ。この手紙が白日のもとにさらされたならば、彼女は重婚の罪を犯すことになってしまうであろう。ゲルマニアの皇帝は、重婚をおかした姫との婚約は取り消すにちがいない。そうなれば、なるほど同盟は相ならず、トリステインは一国で、あの恐るべき貴族派に立ち向かわねばならない」
「とにかく、姫さまは、殿下と恋仲であらせられたのですね?」
「昔の話だ」

 ルイズは熱っぽい口調でウェールズに迫る。
 
「殿下!亡命なさいませ!トリステインに亡命なさいませ!」
 
 ワルドがよってきて、すっとルイズの肩に手を置いた。しかし、ルイズの剣幕は収まらない。

「お願いでございます!わたしたちと共に、トリステインにいらしてくださいませ!」
「それはできんよ」
 
 ウェールズは笑いながら言った。

「殿下、これはわたくしの願いではございませぬ! 姫さまの願いでございます! 姫さまの手紙には、そう書かれておりませんでしたか? わたくしは幼き頃、恐れ多くも姫さまのお遊び相手を務めさせていただきました! 姫さまの気性は大変良く存じております! あの姫さまがご自分の愛した人を見捨てるわけがございません! おっしゃってくださいな、殿下! 姫さまは、たぶん手紙の末尾であなたに亡命をお勧めになっているはずですわ!」
 
 ウェールズは首を振った。

「そのようなことは、一行も書かれていない」
「殿下!」

 ルイズはウェールズに詰め寄った。

「私は王族だ。嘘はつかぬ。姫と、私の名誉に誓って言うが、ただの一行たりとも、私に亡命を勧めるような文句は書かれていない」

 ウェールズは苦しそうに言った。その口ぶりから、ルイズの指摘が当たっていたことがうかがえた。
 
「アンリエッタは王女だ。自分の都合を、国の大事に優先させるわけがない」
 
 ルイズはウェールズの意思が果てしなくかたいのを見て取った。ウェールズはアンリエッタを庇おうとしているのだった。臣下のものに、アンリエッタが情に流された女と思われるのがイヤなのだろう。
 ウェールズは、ルイズの肩を叩いた。

「きみは、正直な女の子だな。ラ・ヴァリエール嬢。正直で、真っ直ぐで、いい目をしている」 

 ルイズは寂しそうに俯いた。

「忠告しよう。そのように正直では大使は務まらぬよ。しっかりしなさい」

 ウェールズは微笑んだ。白い歯がこぼれる。魅力的な笑みだった。

「しかしながら、亡国への大使としては適任かもしれぬ。明日に滅ぶ政府は、誰よりも正直だからね。なぜなら、名誉以外に守るものが他にないのだから」
 
 それから机の上に置かれた、水がはられた盆の上に載った、針を見つめた。かたちからいって、それが時計であるらしかった。

「そろそろパーティーの時間だ。きみたちは、我らが王国が迎える最後の客だ。是非とも出席してほしい」

 禅師たちは部屋の外に出た。しかしワルドは居残って、ウェールズに一礼した。

「まだ、なにか御用がおありかな? 子爵殿」
「恐れながら、殿下にお願いしたい儀がございます」
「なんなりとうかがおう」
 
 ワルドはウェールズに、自分の願いを語って聞かせた。ウェールズはにっこりと笑った。
 
「なんともめでたい話しではないか。喜んでそのお役目を引き受けよう」

                  ※                ※

 パーティーは、城のホールで行われた。簡易の玉座がおかれ、はアルビオンの王、年老いたジェームズ一世が腰掛け、集まった貴族や臣下を目を細めて見守っていた。
 明日で自分たちは滅びるというのに、随分と華やかなパーティーであった。王党派の貴族たちはまるで園遊会のように着飾り、テーブルの上にはこの日のためにとって置かれた、様々なごちそうが並んでいる。
 禅師たちは、会場の隅に立って、この華やかなパーティーを見つめてた。

 破滅の予感をまえに、精一杯、明るく、華やかにふるまう。
 禅師も、ほんの数ヶ月まえ、ジェームズ王と同じ立場で、みずから体験してきたことである。
 彼らの様子を、ことばもなく、立ち尽くしながら眺める。
 
 ウェールズが現れると、貴婦人たちの間から、歓声がとんだ。若く、凛々しい王子はどこでも人気者のようだった。彼は玉座に近づくと、父王になにか耳打ちした。
 ジェームズ一世は、すっくと立ち上がろうとした、が、かなりの年であるらしく、よろけて倒れそうになった。ホールのあちこちから、屈託のない失笑が漏れる。
 
「陛下! お倒れになるのはまだ早いですぞ!」
「そうですとも! せめて明日までは、お立ちになってもらわねば我々が困る!」

 ジェームズ一世は、そんな軽口に気分を害した風もなく、にかっと人懐っこい笑みを浮かべた。

「あいや、おのおのがた。座っていて、ちと足が痺れただけじゃ」
 
 ウェールズが、父王に寄り添うようにして立ち、その体を支えた。陛下がこほんと軽く咳をすると、ホールの貴族、貴婦人たちが一斉に直立した。

「諸君。忠勇なる臣下の諸君に告げる。いよいよ明日、このニューカッスルの城に立てこもった我ら王軍に反乱軍『レコン・キスタ』の総攻撃が行われる。この無能な王に、諸君らはよく従い、良く戦ってくれた。しかしながら、明日の戦いはこれはもう、戦いではない。おそらく一方的な虐殺となるであろう。朕は忠勇な諸君らが、傷つき、倒れるのを見るに忍びない」

 老いたる王は、ごほごほと咳をすると、再び言葉を続けた。

「従って、朕は諸君らに暇を与える。長年、よくぞこの王に付き従ってくれた。厚く礼を述べるぞ。明日の朝、巡洋艦『イーグル』号が、女子供を乗せてここを離れる。諸君らもこの艦に乗り、この忌まわしき大陸を離れるがよい」
 
 しかし、誰も返事をしない。一人の貴族が、大声で王に告げた。

「陛下! 我らはただ一つの命令をお待ちしております! 『全軍前へ! 全軍前へ! 全軍前へ!』今宵、うまい酒の所為で、いささか耳が遠くなっております! はて、それ以外の命令が、耳に届きませぬ!」

 その勇ましい言葉に、集まった全員が頷いた。

「おやおや! 今の陛下のお言葉は、なにやら異国の呟きに聞こえたぞ?」
「朦碌するには早いですぞ! 陛下!」

 老王は目頭を拭い、ばかものどもめ……、と短く呟くと、杖を掲げた。

「よかろう! しからばこの王に続くがよい! さて、諸君! 今宵は良き日である! 重なりし月は、始祖からの祝福の調べである! よく飲みよく食べよく踊り、楽しもうではないか!」

 あたりは喧騒に包まれた。こんなときにやってきたトリステインからの客が珍しいのか、王党派の貴族たちが、かわるがわるルイズたちの元へとやってきた。貴族たちは、悲嘆にくれたようなことは一切いわず、三人に明るく料理を勧め、酒を勧め、冗談を言ってきた。

「大使どの!このワインを試しなされ!お国のものより上等と思いますぞ!」
「なに!いかん!そのようなものをお出ししたのでは、アルビオンの恥と申すもの!このハチミツが塗られた鳥を食してこらんなさい!うまくて、頬が落ちますぞ!」

アルビオン貴族のなかには、ハルケギニアにはめずらしいえんじ色の僧衣に興味をしめし、禅師にいろいろ話しかけてくる者もおおい。
たいていの者が、飲み物や食べ物を一切手にしない禅師に、理由をたずねてくる。禅師が、正午以降の飲食を許さない「律」の規定を説明してやると、儀礼的にではあろうが興味深げに聴き入り、納得した様子をみせる。
そして最後に、アルビオン万歳!と怒鳴って去って行くのであった。
 
 禅師の気持ちは沈んだ。死を前にして明るく振る舞う人々を見ていると、禅師を国境まで護送してくれたカムパ族の義勇軍「チュシ・ガンドゥク」や「護教軍」の勇士たちを思い出す。勇敢で、陽気で、無鉄砲な連中だった……。
 ルイズはもっと感じるところがあったらしい。顔を振ると、この場の雰囲気に耐えきれず、外に出て行く。
 禅師が後を追おうと歩みだそうとしたとき、ウェールズが話しかけてきた。

「異国の修道士どの!」

 興味津々といったおもむきで禅師に近づいてきた。

「ヴァリエール嬢の使い魔としてハルケギニアに参られたとか?」
「ええ。ロバ・アル・カリイエはボティア(チベット)国の者です」 

 ウェールズは、ボティア国やサンギェ神の教え(=仏教)、ボティア(チベット)の風俗・習慣などについてつぎつぎと禅師にたずね、最後に述べた。

「それにしても、人が使い魔とは珍しい。トリステインはまこと変わった国でありますな」
「いや、トリステインでも希有(けう)なことだと聞いています」
 
 禅師は、眼前でくりひろげられている最後の晩餐の光景について、平成日本の平均的少年が持つようなそれとはまったく別の感慨を持つ。
 明日、死なねばならない戦いを前に、飲み、食い、歌い、踊る人々。
 必敗の状況で、にもかかわらず明るくふるまい、敢然とそれに立ち向かう武人の姿は、禅師が祖国チベットにおいて、ここ数年、慣れ親しんできたものである。
 それよりも禅師は、そのような戦士たちの先頭に立とうというジェームズとウェールズの父子が、興味ぶかい。

 禅師は、ものごころついて以来、ヨーロッパで、アジアで、アフリカで、多くの王国がバタバタと崩壊していくのを目撃してきた。欧州のユーゴスラビア(1941)、ルーマニア(1945)、イタリア・ブルガリア・アルバニア(1946)。アフリカのエジプト(1953)、チュニジア(1957)。東南アジアのベトナム(1955)。中東のイラク(1958)。革命政権が王家の一族を皆殺しにしたイラクを除く各国では、政権を失った王家のものたちはみな祖国を脱出して亡命した。禅師自身も、ルイズから召喚されたのは、今年(1959年)の三月、亡命のためインドとの国境を越えようとしていた、まさにその瞬間であった……。

「ウェールズ殿下は、なぜ亡命なさらないのですか?」
「叛徒どもに対し、せめて勇気と名誉の片鱗を見せつけ、ハルケギニアの各王家が、弱敵でないことを示さねばならないからね。これでやつらが「統一」やら「聖地の奪還」などという野望を捨てるとも思えないが、それでも我らは勇気を示さねばならない。それが我らの義務だ。王家に生まれたものの義務なのだ。内憂を払えなかった王家に、最後に課せられた義務なのだ」

 “レコン・キスタ”を名乗るアルビオンの反乱者たちは、たんにアルビオンの反乱者なのではない。「始祖ブリミルより託された聖なる使命を忘れハルケギニア内部での抗争にうつつを抜かす、不甲斐ない各国の王家を打倒し、ハルケギニアを統一して聖地奪還を目指す、国の枠を越えた貴族の連盟」を標榜している。彼らの主張からすれば、アルビオンを手中にしたならば、次には大陸諸国に手を伸ばしてくるのは必定。地理的にはまずトリステインがその標的になる可能性が高い。あるいはすでに近隣諸国に対し、なんらかの工作に着手しているとしても、まったく不思議はない。

 このアルビオン行に旅立つ以前、禅師はレコン・キスタについて耳にし、まっさきに“共産主義勢力”を連想した。

“共産主義勢力”が、実体を持った国際的勢力となったのは、1917年。
ロシア帝国の解体によって成立した諸国のうち、ロシア・ウクライナ・ベロルシア・ザカフカスの4共和国が、ソビエト同盟(連盟)を結成したことにはじまる。“共産主義勢力”はほどなく旧ロシア帝国領の残る全ての諸国を掌握し、さらにはモンゴル、東欧諸国、北朝鮮、中国を飲み込み、近年、さらに勢力を拡大しつつある。

ドイツ人のマルクスとエンゲルスの理論にもとづき、ロシアのレーニンがはじめて一国の支配に成功した勢力。
 「労働者と農民」が主人だと自称する「ソビエト」政権を世界中で樹立し、「世界の全人民」を「自由の意思の、不滅の同盟」により組織することを目指す運動。
 チベッットの宿敵・中国共産党は、このような「国際共産主義運動(コミンテルン)」の中国支部として1921年に設立された。
 しかし彼らは、ひとつの国や社会を軍事的・経済的・政治的に支配するだけでは満足しない。人間ひとりひとりの心を、彼らの奉ずる「理想」によって支配しなければ満足しない。
 1913年、チベットとともに手を携えて「清朝」からの独立を宣言したモンゴル。大変熱心なチベット仏教の国で、チベットに倣い、ジェプツンタンパ八世という化身ラマを「禅師国王」に擁する君主制によって近代国家として歩みはじめた。1920年から22年にかけて、モンゴルの再併合をたくらむ中国の圧力をはねのける戦いのなかで、ソビエトの支援をうけた「モンゴル人民党」が政権をにぎり、1924年、ジェプツンタンパの死去とともに、モンゴルは「人民共和国」制へと移行した。
 モンゴル人民党を設立した7人の若者(「最初の7人」)は、国難をうれい、近代的な世界認識をもつ真の志士であったが、「党」の性質はソビエトの支援を受け続けるにつれて変容していき、彼らは夭折したスヘ・バートルをのぞき、全員が党または国家に対する裏切り者として、逮捕・投獄・処刑された。
 1938年から1939年にかけて、モンゴルの人民革命党政権は、ソビエトの指導者スターリンからの強い示唆をうけて、自国の仏教僧およそ2万人を逮捕・投獄し、そのほとんどを処刑した。当時のモンゴルの人口は約80万人。伝統文化を身につけ、識字人口の圧倒的多数を占めていたえり抜きのエリートたちを、文字通り、物理的に消滅させたのである。「共産主義」とは異なる独自の「世界を認識する体系」を持ち、モンゴル全体をカバーし、さらにその外部へとひろがる人脈・組織を有する仏教が、共産主義の理想にもとづく国づくりの障害となるとみての暴挙であった。モンゴル社会の隅々に影響力をもっていた僧侶たちは、首都ウランバートルのガンデン・テクチェンリン寺の十数人を除き、まったくモンゴルから姿を消した。そして20年後の1959年、モンゴルを襲った悪夢がチベットの全土を覆いつつある……。



 禅師には、王党派が今ここで勇ましく滅亡することに、あまり意義をみとめられなかった。

「そうであればこそ、亡命なさって、再起を期すべきなのでは?トリステインの姫君も、殿下を想っておられるご様子。先ほどの書簡も、殿下に亡命をお勧めするものだったのでしょう?」

 禅師がそういうと、ウェールズは何かを思い出すように、微笑んで言った。

「想うがゆえに、知らぬ振りをせねばならぬときがあります。想うがゆえに身を引かねばならぬときも。私がトリステインへ亡命したならば、叛徒どもが攻め入る格好の口実を与えるだけです」
「殿下が亡命しようとしまいと、レコン・キスタはいずれトリステインを攻撃するのでは?」

 チベットが1913年にモンゴルと締結した「相互承認条約」では、「内乱や外敵の侵入に対しては互いが互いを援助する(第4条)」と定められていた。しかし、1919年から22年にかけてモンゴルが中国やロシア白衛軍など外敵の侵入に苦しんでいたとき、チベットはこれを救う力がなく、共産主義勢力がモンゴル支配を確立していくのを、なすがままに傍観した。そして数十年後の1959年。ソビエトの完全な衛星国と化したモンゴルは、チベットを「援助」するどころか、中国によるチベットの完全制圧を、同意・承認する側に立っている……。

「ならば王党派のご一党は、トリステインと合流して、彼らに立ち向かうべきでしょう?」
「……いや、それを行うには、我々の勢力は小さくなりすぎた。いまや我々は総勢わずか300名。いまさら他国へ落ち延びたところで、ささやかな役にしかたてない。叛徒どもに口実をあたえるという害とは、とても比べられるものではないよ」

 ウェールズの決心は固く、どうしてもここで死ぬつもりのようだった。禅師は思った。

(この王子どのには、国の上にたつ者としての気概も責任感もある。人柄もよく、能力もたかそうだ。そんな王家に率いられた王国が、なぜ城ひとつにまで追いつめられるまでになってしまったのだろう……) 

 たずねてみた。
 なぜ王党派はここまでおいつめられたのか。レコン・キスタはよほど善政をしいているのか。レコン・キスタと比べて、テューダー王家の統治の何が劣っていたと考えるか。
 ウェールズは、しばらく考えたのち、答えた。

「彼らの統治が、我らとくらべて格別すぐれているなどとは考えられない」

 ウェールズは、ここ数年の、レコン・キスタとの戦いの概要を、禅師に語って聞かせた。
 王立空軍の旗艦となるはずだった巨大戦艦『ロイヤル・ソブリン』号の反乱。
 戦力・布陣とも、王党派に圧倒的に有利なはずの「レキシントンの戦い」で生じた、ありえない敗北。
 王家への忠誠心が篤く、能力も高いはずの指揮官たちが、たてつづけに、ここぞという場面でレコン・キスタに寝返ることにともなう、奇ッ怪な敗北の連続……。

 「やつらが、我々より人格や能力ですぐれているということはありえないね。なにか邪悪な未知の力が働いているとでも思いたくなるほどだ」 



[35339] 第十八話 (準備中)
Name: 山田太郎◆c8b14625 ID:55a6cbb5
Date: 2013/07/13 00:56
(準備中)。


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