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[29188] 【短編集】水兵服とへっぽこ竜
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2013/05/21 00:02
ゼロ魔の短編集です。

シルフィさんとフレイムくん(ほのぼの系) 2011年8月5日投稿
わたしのすきなせんせい(オリキャラ有 しんみり系 幼少期エレオノール) 2011年9月1日投稿
これは私のための世界(カトレアに転生 原作知識有 ダーク) 2011年9月8日投稿
ヴェルダンデくんとフレイムくん(ほのぼの系) 2011年9月19日投稿
昔語り(鬱注意 デルフの語り)2011年10月11日投稿
エレオノールの憂鬱(オリキャラ有 頑張れエレ姉さん) 2011年11月10日投稿
雨の日(マチルダとワルド)2011年11月22日投稿
粉々に(イザベラ独白再構成) 2012年1月19日投稿
帰ってきたシルフィさんとフレイムくん(ほのぼの系) 2012年2月4日投稿
ロビンさんとヴェルダンデくん(ほのぼの系)2012年3月14日投稿
奇妙な主従(モット伯とオリキャラ)2012年4月7日投稿
変わらぬ思いで(使い魔Sとモートソグニル オリ設定)2012年4月25日投稿)
金属最大!(メタルマックス2リローデッドクロス) チラ裏投稿2011年12月30日
ガリアの優しいきゅうせいしゅ(ほんわか オリキャラ有) チラ裏投稿2012年1月24日
愛と勇気とつぶあんと(アンパンマンクロス)2012年8月4日投稿
晴れ後曇りの日(マチルダとワルド)2012年9月19日投稿
遠くにありて(武器屋の店主 オリ設定)2013年3月12日投稿
水兵服とへっぽこ竜(ほのぼの系)2013年5月21日投稿






シルフィさんとフレイムくん

 使い魔になると知能が上がる……ということを、実際に使い魔となってからフレイムは理解した。

 それが、ほどほどに長い? サラマンダー生にとって、よいことなのか悪いことなのかはわからないが、メイジの使い魔としては必要なことだとは思う。偵察に行って野生に目覚めてそのまま逃走では、困るだろう。
 こんなことを考えることができるようになったのも、当然使い魔となってからで、以前は、成竜の縄張り等などに気をつけつつも、しょせん食っちゃ寝食っちゃ寝の毎日。
 そんな、起きて、狩って、食って、寝る、の単調で単純な繰り返しの日々の中、何を思って銀色の鏡をくぐってみたのかは、今はよくわからない。
 「普通の」サラマンダー時代のことは、今はもう遠い昔でぼんやりとかすみがかかったような記憶でしかなくなってしまっている。それを、少しだけ寂しいと思う心すら、今手に入れたものの一つだったのだが。

 そういえば、ここくぐったら、絶対に食いっぱぐれはないなー、とか、思ったのかもしれないなあ。

 目の前の、今日のエサとして下げ渡された肉を見る。
 他の肉食系使い魔のエサ(もちろん各自の努力に任せる現地調達も多い)と比較しても、ずいぶんと大きい。

 フレイムと彼に名前をつけたご主人様は、お金持ちで、こうやって三日に一回大量の肉を与えてくれるのである。
 いくら食いだめがきくとはいえ、以前は餌を取るのも大変でこんな立派な肉にありつけるのは一週間に一度、下手をすれば一カ月に一度だったことを思えば、今の立場と扱いは破格のものだ。
 フレイムの、太っ腹で炎のような赤い髪が素敵なご主人様は、今は授業中。ああ、今日の夜も、またこっそり広場でファイヤーボールで遊んでくれるのだろうか。

「ちょっと! 焼きすぎなのねっ! 大切なお肉が焦げ焦げなのねっ!!」

 楽しい回想を邪魔する声に、フレイムは怒りの熱を喉元にためた。そのまま火を吹かなかったのは、もちろん相手を知っているからだし、その相手がご主人様の友達の使い魔だとわかっていたからだ。

 シルフィード、風の竜だと言ってはいるが、絶対別の何かだ。フレイム的一番候補は、万年腹ペコ竜モドキ。

 使い魔になる前から難しいことを考えてたなんて変なことを、よくべらべらしゃべってる。どうしてご主人様や他のやつらが、こいつのアレでアレなことに気づかないのか、まったく理解に苦しむ。

 うるさいじゃないか。
 うるさすぎるじゃないか。

「とにかく! お肉はもっと美味しく食べるのねっ、これでも焼きすぎなのね!」
「うるさいへっぽこ竜、もっと焼くのがサラマンダー流だっ! もっとっ! どこまでもっ! 黒くッ! 硬くッ!」
「シルフィはへっぽこじゃないのね! これじゃお肉の味がわからないのね、ただの炭になっちゃう……」
「獣の脂がいい感じに黒くガリガリカリカリカチカチになるのがうまいんだろうが、悪食竜。そもそも、これはご主人様が俺にくれたんだからな、お前のじゃないからな」
「え?!」

 可哀想な竜の訴えるまなざしをしても、やらんものはやらん。
 フレイムの意思は、今日は特別に固い。

「お前、一口だけ、一口だけだからって言いながら、がっつり食うし」
「……フレイムと口の大きさが違うのね……」
「それに、お前の言うとおり焼いたら生臭いんだよ! 気持ち悪いんだよ!」
「生臭くない、フレイムのは焼きすぎなのね!」

 もちろん、こいつの分を別に最初から分けて焼くという発想は、ない。
 これはご主人様から貰った俺の肉だ、俺のための肉だ、俺の腹が膨れるようにってくれた物だ。うん、やっぱり、最初に、あいつがあんまり情けない顔で見てるから(知らない相手でもないし)「ちょっと食うか?」なんて言ってしまった自分が、全部悪いんだよな。

 以前は、そうじゃなかった。
 今の肉を食ったら、次はいつ食えるかわからない。そんな、恐怖に怯えてた。
 別のやつに食いものを譲るなんて、ありえないことだった。

 こいつのことを、万年腹ペコ竜なんて笑えない、いつでもせがめばすぐに出てくる飯に、すっかり慣れきっていたというこの事実。サラマンダーとしては、完全に欠陥品。炎も牙も爪も必要ない生活なんて。
 それでもいいとご主人様は言うだろう。それではダメだと、俺の心の中の何かが言うだろう。ご主人様は好きだが、別の何かが耐えられない。

「いい、やるよ、食えよ」
「え? ええっ?! 全部、ねえ全部なの? いいの? でも、フレイムはご飯どうするのね?」
「狩りをする」
「わざわざ? 遠い所でするの? だったら、シルフィ送るのね!」
「そんなことをすると、また腹が減ったーって言い出すだろ、へっぽこ竜」
「へっぽこ竜はやめるのね、シルフィはシルフィなのね。このお肉貰えるなら少々の距離はへっちゃらなのね」
「じゃあ火竜山まで」
「……」

 思わず引きつった竜の顔を見て、フレイムはちょっとすっきりした。
 なんだかお姉さまに許可を取ればなんとかかんとかと言っているが、聞こえなかったことにする。そこまで自分の主と意思疎通できることが、羨ましくもあり、妬ましくもあった。

「冗談だ。近くだからお前はいらん」
「むー、まあいいのね。行きたいところがあったらシルフィに言うといいのね」
「別にない」
「フレイムは可愛くないと思うのね!」

 火を吹いて、目の前の肉の塊に最後のひと押しをくれてやった。炭とまではいかないが、いい感じにカチカチ焦げ焦げだろう。目に涙をためて、前足でばんばん目の前の地面をぶっ叩いているへっぽこ竜はともかく、やはり肉はこうでなければいけない。

「ひどいのねーッ! シルフィお腹壊しちゃうのねーっ!」

 理不尽だ。

 背後で響く竜の叫び声に、フレイムは思った。
 自分は、ここずっと腹を壊している。

 やはり、よく焼けてない肉はダメなのだ。





[29188] わたしのすきなせんせい
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2011/09/01 12:12
わたしのすきなせんせい

 先生できましたという言葉とともに、差し出されたそれを彼は笑顔で受け取った。少し見やっただけで、全ての問題が正解なことががわかる。
 立派な紫檀製の文机を前に、ほほえましいほどの「ちょこん」具合でこれまた高価な椅子に座った父公爵譲りの美しい金髪を持った少女は、あえて視線を外し、少しだけ小鼻をひくつかせながら彼の賞賛の言葉を待っていた。

「全部正解です。さすがですね、エレオノールさんは」
「当り前ですわ」

 最近特に気に入ったらしい、「お嬢様言葉」を使いながら、おん年8つの公爵令嬢はすました表情だ。ここに扇があれば、口元を隠してほほほと笑いそうな雰囲気である。
 フルネーム、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールは、その長い名前でわかるように大貴族のご令嬢である。本来ならば、彼のように身分が下の貴族……それも家督を譲って久しい……では、目通りすることも難しい。
 だが、そんなこんなのしきたりも、舞踏会やサロンやそれに準じた場所だけ、今は家庭教師と優秀な生徒である。
 高齢を理由にアカデミーを辞した数ヵ月後に、ヴァリエール公爵から直々に、彼に家庭教師の話がやってきたのだ。土のラインなれどその見識深く、しかも温厚な性格で知識をひけらかすこともなく、末席ではあるが貴族であるということが決め手になったらしい。
 もちろん体の不調を理由に、本当にありがたいお話ですがと断ろうとした彼だったが、一度娘に会ってくれという公爵の言葉に抗い続けることもできず、エレオノール譲にまみえたのがつい三月ほど前のこと。夏から秋に変わる季節だった。
 ついつい、利発で素直な性格の少女の能力を伸ばしてみようかと思ってしまい、今にいたる。もちろん後悔などしていないが。

「これでカトレアさんに、難しい動物のご本を読んで差し上げられますね」

 少女の、得意満面だった顔が、急速に曇った。

「せんせい、あのね」

 言葉づかいがもとに戻っている。下を向いてしまったエレオノールをせかさず、ただ教師は待った。パチパチとはぜる暖炉の木の音をどれほど聞いただろう。かなり長い……ような気もする時間が過ぎ去った。しばらくして、沈んだ口調で少女は、とつとつと話し始めた。

「カトレア、また熱を出したの。ずーっと、ずっと、お医者さまと、お母様とお父様がついてる」
「そうですか、昨日の夜、妙にあわただしかったのは、やはりそうだったのですね」
「大丈夫かなあ、カトレア大丈夫かなあ」
「カトレアさんの生きたいという力を信じましょう。そうだ、また一緒に始祖ブリミルにお祈りいたしましょうか?」

 つい一週間前もカトレアが具合を悪くして、二人でヴァリエールの屋敷の敷地に立っている廟に祈りを捧げに行ったばかりだった。たった五つほどの少女があんなにも苦しんでいるという事実に彼の心はひどく痛んだ。
 ここに来てしばらくたつが、姿を見たのは数えるほどしかない。姉に勝るとも劣らない利発で聡明な少女、という印象が強く残るだけにその身の脆弱さは残念でもあった。
 残念といえば、もっとも彼が残念に思うのはエレオノールのことだった。このまま才を伸ばせばアカデミーでも指折りの研究者になれるだろうに。だが、公爵夫人の懐妊の気配はなく、公爵に側室もなく、子供は二人おれどもう一人は病弱……少女がこの大公爵位を継ぐことになる可能性は、限りなく高い。
 アカデミーなど。
 学問をさげすむ気持ちはないが、やはりどうしようもないものは存在するのだと彼は思う。まっすぐで真面目で、責任感が強く、少しだけ感情表現が下手な優しい教え子は、権謀術数渦巻く宮廷よりも、ひたすら己がこうと決めた研究に打ち込む方がどれだけ似合っていて、本人も幸せなことか。

「せんせい! せんせい!」
「ああ、すみませんエレオノールさん、少し考え事をしていました。それで、どうしますか? またお祈りに行きましょうか?」
「そうじゃないです。せんせいって、大丈夫って言いませんよね」
「そうですね」
「お父様も、お母様も、マリナもみんな大丈夫って言うんですもの。大丈夫大丈夫、カトレアは大丈夫って……どうしてですか?」
「エレオノールさんには嘘をつきたくないからですよ。私は神様ではないのでカトレアさんの寿命はわかりません。だから、大丈夫なんて言えません」
「ですよね!」

 やけに力強く少女は頷きながら言い切った。

「だったらどうしてみんながみんな、大丈夫って言うんですか?」
「口にすることによって、自分自身に言い聞かせているか、エレオノールさんを安心させるために言っているか、というところでしょうね」
「わたしが、安心?」
「不安を否定すると、安心したような気になれるらしいです」
「ええっと、その、不安の方は全然かいけつしてないですよ? ぜんっぜん、安心できないですよ?」
「エレオノールさん、その言葉は他の大人の前で言わない方がいいと思います」
「むずかしいですね」
「難しいんです。では、お祈りに行きましょうか」

 顔をしかめていた少女は、年相応に、にっこりとほほ笑んだ。


 冬も深まり、その魔法で守られた館にまで沁み入る寒さが公爵家の次女の体力をじわりじわりと削っていったのか、ついぞ快癒したという話を、彼は聞くことがなかった。館の奥まった一室に、入れ替わり立ち替わり高名な水のスクウェアメイジ達が出入りし、密やかに、だがせわしなく召使たちが立ち働いていた。
 妹へと抱く不安と心配を振り切るように、エレオノールはことさら勉学に打ち込んでいる。同じ年頃の子どもが身につける手習い部分をとっくに通り過ぎ、早、上級の数式にまで挑もうかというほどだ。土メイジとしての修行もがんばっているらしい。

 子供らしくない。

 彼は、色々な意味でそう思ったが、口にすることはなかった。幾度か、ヴァリエール公爵夫妻に、令嬢の勉学の進展具合などを報告しようとしたが、いつも病を得た次女にかかりきりで、時間を取ってもらうことは不可能だった。

 そして、事件はおこる。

 他の人にとっては、事件とさえ言えない事件。エレオノールが授業に来なかった。あのエレオノールが、である。ならば迎えにいきましょう、と、部屋に行くと、何やらひどい立腹で、気に入りの侍女も中に入れないらしい。そっと扉に耳をあてると、サイレントもかけてないのか、何やら激しく物を投げつける音がした。

「エレオノールさん、私です。入りますよ?」

 つとめて、ごく普通に声をかけドアノブを回す。鍵はかかっていない。すばやく室内に入り込んで、何か背後で言っているのを無視して、後ろ手で再びドアを閉める。
 室内はめちゃくちゃだった。
 すべての物が、いつもの場所になく、あっちにいったりこっちにいったり、しかも壊れているものも多い。子供のかんしゃくと言えばそれまでだが、エレオノールがこんなことをしたのを、彼は初めて見た。
 肩で息をしながら、少女がこちらを見ている。高価な服は汚れ、破れ、悲惨な状態だ。なにより痛々しい涙の跡。頬の赤い跡。

「壊れちゃえ! こんなの壊れちゃえばいいのよっ!!」

 不意に、一切の興味をなくしたように彼から視線を外すと、エレオノールは手にしていた何かの像をサイドテーブルに叩きつけた。
 鈍い音がして、テーブルが陥没する。

「こんなのっ! こんなのっ!」

 かんしゃくを起こして暴れているとはいえ、しょせんは子供の力、彼はそっと少女の肩に手を置き、やんわりと置物を奪い取った。あらためて手にしたそれは置物ではなかった。青銅製の小物入れ、装飾こそないが、立派なものだ。

「エレオノールさんが錬金したんですか? すごいですね」
「……って、……った」
「……」
「後でって、後でって言った。と、父様も、母様も、後でって言った……だから……後っていつって……聞いた……の……」

 そっと、彼はエレオノールの頭をなでた。

「そんな場合じゃないって……怒られた……の……そんなものって……そんなもの、カトレアは生きるか死ぬかなんだぞって……」

 エレオノールは手のかからない立派な子です、と言い切ったヴァリエール夫人の顔が、ふと彼の頭に浮かんだ。

「わたし、わたし、わたし……つい、カトレアなんて大っ嫌い! カトレアなんて死……」

 エレオノール自身の心も抉る言葉を、最後まで言わせず彼は胸に抱きこんだ。この少女とて未だ幼いのだ、両親の愛情がもっと欲しいに決まっている。自尊心が高く、頭がよく、とても優しいがゆえに、それを我慢して我慢して、とうとう今爆発してしまった。
 ヴァリエール夫妻を責める気はなかった、ただ少し、ほんの少しだけこの親子の愛情のボタンがかけ違ってしまっただけなのだ。

「カトレアが死んだら、わたしのせいよ。わたしがあんなこと言ったから。ひどいこと言っちゃった。違うのせんせい、わたし本当はあんなこと言うつもりなんてなかったの、本当本当本当」
「わかってますよ」
「本当なの。本当、ただちょっとお母さまとお父様に、あれを見てもらってすごいねって言って欲しかっただけなの。エレオノールはすごいね……がんばってるねって……それだけだったの……」
「大丈夫です。わかってますよ、ヴァリエール公爵も、公爵夫人も、カトレアさんも
「カトレアも……? こんなひどいこと言ったのに、カトレア許してくれる?」
「エレオノールさんが本気でそんなこと言うわけがないこと、みな知っていますよ。大丈夫です」
「……せんせい」
「なんですか?」
「……せんせいが大丈夫って言ったから、大丈夫ですね」
「そうですね」

 涙を残しながらも、エレオノールは少し笑った。


 月日は巡る。

 彼が家庭教師となってから二度目の冬が来た。エレオノールはさらにしっかりものの長女となり、ヴァリエール夫妻はそんな娘に無理をするなと声をかけるようになり、何かが少しだけ変わった日々が過ぎた。
 カトレアは相変わらず寝たり起きたりを繰り返していたが、重篤な発作はほんの少しだけ減ったようでもあった。
 変わったと言えば一番の変化は、公爵夫人の懐妊だろう、男の子か女の子か、どちらにしろ健やかな子が生まれることを彼は祈った。爵位を継ぐ男の子が産まれたら、エレオノールさんアカデミーに入りませんか? と冗談めかして言ったが本気にしてくれただろうか。
 公爵家の慶事とは逆に、彼自身は、秋口からしつこい風邪にやられ、高い熱が何度も出、ついには職を辞することになった。もう年だからという理由で、格別の好意で差し向けられた公爵お抱えの水メイジの治療を断り、公爵家を出た。
 気丈なはずの長女は別れを惜しみ、いつまでも服の裾をつかんで泣きじゃくり離そうとしなかった。これで最後だと幼心に理解しているようだった。ひゅーひゅーと胸が鳴り、焼けるように熱いのをなるべく表情に出さず、彼は腰を曲げて視線を合わせ、ただほほ笑んだ。

「元気で、エレオノールさん」
「せんっ……せ、せんせい、いか、行かないでっ! 大丈夫って、言ってください」
「……エレオノールさんには嘘はつきたくないんですよ」
「せんせ……い……」
「わたしの本と実験器具は全てエレオノールさんに差し上げます」
「そんなのいらないです! せんせいがいい! せんせいが居る方がいい!」

 不意に、彼の目にも涙があふれた。そんなに長い時間を共にしたわけではない彼の生涯最後の教え子の言葉に。

「ありがとう……エレオノールさんは、とても優秀な生徒でしたよ。ですから、弟君か妹君が産まれたら、ほんの少しだけでもアカデミーの話を考えてみてくださると、とても嬉しいです」

 彼の別れの言葉は、エレオノールの心の奥深くにしみこんだ。その後ヴァリエール公爵家の令嬢は、アカデミーに入ることになるが、それは別の話である。





[29188] これは私のための世界
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2011/09/08 14:18
これは私のための世界

 気づいたら、ここにいた。
 気づいたら、私は私だった。

 眠る前に読んだゼロの使い魔の物語そのままの世界で、世界すぎて。もしかしたら、今があまりにも辛すぎて苦しい自分が見ている夢なのかもしれないと思ったけど、私は私のままだった。
 母が、私を「カトレア」と呼ぶ。
 その瞬間、私は笑いだしたくなった。
 私は「カトレア」。ご丁寧に、自分に都合のいい夢の中でも、闘病生活とやらがしたいらしい。フザけんな、と思ったけれど、それはそれ。これはあくまでも夢の世界なのだから、目が覚めたら見なれた病院の天井があるのだと、そんなバカなことをその時の私は考えていた。

 まあ、物語時間で三日もたてばいい加減おかしいと感じてくる。
 相変わらず私は「カトレア」のままで、変な言動は高熱による記憶の混乱ということになっているらしい。それは好都合なのだろうけれど、今の状況は気味が悪い。
 物語の登場人物に転生なんて信じられない。だから、私は普通に考えた、そう、これはきっと多分、末期患者である自分が見ている走馬灯モドキなのだと。
 その方が信じられた。
 でも、

 だったら「カトレア」でなくてもいいじゃない!

 同じゼロ魔でも、ルイズとかティファニアとかあるでしょうに。いっそ男でもいいし、キュルケでもタバサでもいい。ああ、頭が痛い、胸が苦しい。体が動かない。だるい。辛い。

「カトレア、苦しいのですか?」
「カトレア、大丈夫かい?」
「しっかりして、カトレア」

 ああもう、物語の登場人物のくせに、そんな優しい声で、瞳で、表情で、声なんかかけてこないで。苦しいに決まってるじゃない。大丈夫じゃないに決まってるじゃない。しっかりなんかできないわよ。
 嬉しくて憎くて心臓が止まりそう。

 物語を構成するだけの人形達の心遣いがこんなにも、嬉しくて、そんなものを嬉しいと感じるようにしてしまったあの人たちが憎い。こんなことを嬉しいと感じる自分が惨めだ。そして、自分が惨めで寂しい存在だということを思い出させた、こいつらが嫌い。
 この世界の両親、姉。
 ヴァリエール公爵夫妻、エレオノール。
 最初は、父も母も友達もお姉ちゃんもお見舞いに来てくれた。最初に来なくなったのは友達だ。受験で徐々にフェードアウト。
 医療費がどうとかって、父さんと母さん離婚しちゃったあたりからおかしくなった。父さんが来なくなった。外に女作ってすぐ再婚だって、笑わせるよね。母さんは働いて働いて会うたんびに鬱状態がひどくなって。
 最悪なのは、お姉ちゃんだったよね、ううん、お姉ちゃんなんて言いたくもない。あの女、私の彼を取った。
 取った取った取った。盗んだ。
 慰めあっているうちに気持ちが? バカにすんな、顔も見たくないって叫んでから本当に病室に来なくなった。

 なんで私が「カトレア」なの?

 仲睦まじい両親、誰よりも妹を愛している姉。裕福な家庭。ただ、死んでいく私だけが変わらない。ヒロインはルイズ、この物語はルイズと才人のためのもの。私が死のうが生きようが物語は変わらない。

 本当に?

 私は考えた。
 本当に物語は変わらないのだろうか? 虚無の使い手ルイズはガンダールヴ才人を召喚して、フーケと戦ってアルビオンへ行って……そう、私は物語の行方のかなりの部分を知っている。ならば、この知識を生かして、この物語を変えてしまえばいいのではないだろうか。
 その時、私は確かにほほ笑んでいたと思う。
 私の顔を見ていた三人も、安堵の笑みを浮かべていたから。


 その日から、私は幼いルイズに時間と体調が許す限りつきあった。既に虚無の片りんを見せ、系統魔法が使えない愛しいこの世界の妹。蜂蜜に砂糖をまぶした言葉で、私はルイズの全てを肯定した。
 大丈夫よ、魔法なんか使えなくてもあなたは愛しい私の妹であることに変わりはないの。ルイズはルイズ、魔法なんて関係ない。無理をしないで。私はルイズが私の妹であるだけで嬉しいの。
 母カリーヌや姉エレオノールが厳しくあたるたびに、私はせっせと甘い毒を傷口にすりこんだ。偶然を装い、使用人たちの陰口を聞かせたり、ただひたすら自分に依存するように仕向ける。もちろん、両親にはルイズと居ると気分がいい、楽しい、嬉しいと重ねて言い続けておくのも忘れない。
 夜会の時、ルイズが小舟に逃げず、自分の所に来てくれた時は本当に嬉しかった。私がこの物語に楔を打ち込んだということが、よくわかったから。

 魔法学院なんか、行かせない。

 使い魔召喚なんて、させない。

 私が、使い魔を召喚するサモン・サーヴァントすら体の負担になるので出来ない、ルイズが羨ましいと事あるごとに言っていたから、あの子はサモン・サーヴァントなんて「絶対にしない」。系統魔法は無理だけど、コモンは時々成功するじゃない? きっと召喚した使い魔を見せてくれるわね、ううん、もちろん出来なくてもそんなことはどうでもいいの……でも、ルイズが羨ましいわ、私は無理だから……

 自分がサモン・サーヴァントに成功したら、表面上はとても喜びながら私が悲しむと思い込んでいる心優しい可愛いルイズ。
 学院に行けない私を置いて、学院に行ったら私への裏切りだと考える愛しいルイズ。もちろん私だって、ルイズのためを思うなら学院へ入学することがいいと思います、でもいなくなると寂しいですわ……と、肩を落として伏し目がちに言ってあげる。

 だからずっとここにいて。

 私が夢から覚めるその日まで。

 大隆起で世界が壊れるその日まで。

 だって、これは私のための世界。







[29188] ヴェルダンデくんとフレイムくん
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2011/09/19 14:11

 本能というものは……いや、この場合本能とはちょっと違うような気がするが……どうしようもないものなのだなぁ、と、ヴェルダンデは泣きたい気持ちで思った。
 熱くて暑くて、モグラの少ない汗腺から汗が流れるように出てくる。なんだかもう、気が遠くなりそうなんだけれど。
 学院裏の裏山の、ぽっかり開けた場所でフレイムの上に圧し掛かるように抑え込んでいる自分。きっかけはささいなことなんだが、その結果は重篤なものを引き起こすものっ……て、こんな言い回しでいいのかな。
 己の体が燃えていないのは、フレイムにほんの少しばかり使い魔としての理性が残っている証拠だと信じたい。
 じりじりじりと、フレイムが首だけこっちを向く。

「離せモグラ」
「嫌だよ」

 じりじりじりと抜けだそうとするのを、さらに全体重をかけて抑え込む。
 尻尾熱い、尻尾熱い、尻尾熱いから!
 それよりもフレイムの目がイっちゃってるのが怖い。

「先っぽ! 先っぽだけ! ほんの先っぽを燃やすだけだっ!!」
「だからダメだって!」
「ほんの少しだけだ、アレを、ほんの少しだけ焼かせろっ!」
「落ち着こうフレイムッ!」
「落ち着けない! あのぬめっとしたところが我慢できねえ!」
「ロビーン! 早く逃げてー!!」

 そう、原因はロビン。ここ最近フレイムはロビンに変にご執心みたいで、見ると燃やしたくて燃やしたくてたまらなくなるらしい。ぬめっとした所が、我慢できないらしいんだけど。もちろんロビンの方も自分を守るために、ここずっとご主人にべったりだったんだけどさ、たまたまって怖いよね。

 なんとか首を巡らせると、まだら模様の小さなカエルの姿はもうなかった。安心した。そのまま自身は、押しのけられてしまったが、ご主人のところへ逃げ込んだならもう大丈夫だろう。

「なんで燃やさせてくれねえんだよ、モグラ!」

 本気の本気で言ってるからたちが悪い。一応使い魔は同僚という意識もあるみたいだけど。

「なんで燃やそうなんてするんだよ、フレイム!」
「そこがぬめっとしてるからだ!」

 すごい説得力だ。

「……ああ、うん……ぼくもそれはわかるよ、宝石とか見ると我慢できないしね……でもロビンは燃やしちゃだめだよ」
「足の先くらいならいいと思うんだがなあ」
「フレイムの基準がわからないよ」

 ヴェルダンデは露骨にため息をついてみたが、サラマンダーは何の痛痒も感じなかったらしい。しきりと首をひねりながら、頭の中で素敵に効率のいいカエルの丸焼きをシミュレーション中のようだ。ああ、ギーシュさま、ぼくは使い魔としてものすごく頑張っていると思います。
 本来なら、こんなこと自分の仕事ではない。だが、ロビンはギーシュさまが大切にしている人の使い魔、ロビンがこんがり焼かれたらそのご主人が悲しむ、そしてもちろん、その姿を見てギーシュさまも悲しむだろう。

 フレイムはエサもたっぷり貰っているはずなのに、どうしてまた昔に戻ったみたいなことを言い出すんだろう。
 とりあえずフレイムの頭から、ロビン丸焼き図を追い払わないと。

「そ、そういえば最近シルフィを見ないね」
「青いのなら任務だとか言ってたな」

 【へっぽこ竜】から【青いの】に呼称が変わったのは、さて、いつだっただろう。

「空が飛べるって大変だけど、いいねえ。飛ぶってどんな感じかな? ぼくはちょっと……かなり……ものすごく嫌だけど。ああ、フレイムは乗せてもらったことがあるんだっけ? どうだった?」
「……悪くはない」
「ふぅん……」

 ヴェルダンデとしては、この地面から離れるなどと想像がつかないことだった。足元や周りに土が、石が、根っこがないなんて、あり得ない。恐ろしすぎる。ギーシュさまのご命令ならやってはみるが、その場で恐怖のあまりひっくり返って死ぬんじゃないかという予感すらする。
 想像だけで頭が真っ白だ。自分からなんて、体が震える。
 空を自在に駆け巡るシルフィードをいいなと羨むのは、ご主人の役に立っているというただ一点においてのみだ。
 生き方が違う、能力が違う、生物としてよって立つものが違う。それはそれで、これはこれ。使い魔になっても、克服できないもの、変えられないものは多いと思うんだ。

 いや、でも、普通のサラマンダーは飛ばない、よなあ。

「フレイムは勇気があるなあ」
「?」
「落ちるとか思わなかったのかい?」
「青いのは、そんな下手くそじゃないだろう」
「なんだろう、今ぼくは、ものすごい敗北感を感じてみたよ」

「というわけだからよ、あのカエル燃やしてもいいよな」
「どんな、【というわけ】なんだよ! ダメだって」
「足の先っ! そのまた先だけでいいからっ!!」
「うわー、シルフィ早く帰ってきてくれー」
「ちょっと待て、なんでそこで青いのが出てくるんだ」
「いや、なんとなく」
「わかった。今日はモグラの丸焼きにしよう」

 もう必死にもぐったから、フレイムがその後も何か言っていたようだけど聞いてない。





[29188] 昔語り
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2011/10/11 12:54
 よぉ、相棒。眠れねーのか?

 そんなことないって? はっ、無理なんかしなくていいぜ? 明日は大戦だ、眠れなくて当然だろ。相棒のことはなんにもかんにもお見通しだっての。
 俺っちと相棒の仲じゃねーか。そうだな、だったら、ちょっと昔の話でもしてやろうか?

 そりゃもう昔も昔、大昔さ。俺っちが、どんなに長生きしてるか知ってんだろ? そういうこった。
 俺っちを振るった男の話だ。メイジ? メイジじゃねえ、メイジ様が剣なんざ振るはずねーだろ。平民の、傭兵の話だ。別に武器屋で二束三文でそいつに売られたわけじゃねーぞ、戦場で拾われたんだ。
 あの頃はな、なんか、どこもかしこも小競り合いってのをしてやがったんだ。ブリミル直系の王家はともかく、貴族同士の足の引っ張り合いや、国境線をどうのこうのってのは、わりとよくある話だろ。
 ロマリアはともかく、長子だ末子だなんざ、意味ねえと思うんだが、まあ、そんな時代の話しだ。

 俺っちを拾った男は、ごく普通の平民だった。
 いや、その時は平民だったんだ。傭兵なんかじゃねーほら、戦場で甲冑や剣を拾って売る、そんな汚ぇ半野盗をしていたこすっからいガキだ。身なりはボロボロ、体はガリガリ、目ばかりぎょろぎょろさせてやがったなあ。
 声? もちろんかけたぜ、そうしたら傑作でな、しょんべんたれて尻もちついて、言葉も出やしねー。カクカクしながら這って逃げようとしやがる。

 あー、実はな、相棒。

 その頃の俺っちは、ちょっと色々嫌になってて、人を斬りすぎたってのかな、剣だから当然っちっちゃー当然なんだが……ガンダールヴもいねえ……もっとなんか、なんていうかな、もっとちゃんと手入れをする、イイ奴に振られたくなったわけだ。
 敵だ! 斬る。賞金首だ! 斬る。とりあえず、斬る。全部斬る。そーんな感じだった。そんな奴らばっかりだった。

 ここでこのクソガキが俺を売っぱらうとまた、このご時世だ、嫌~なヤツに使われるんだろうなーと、考えたわけだよ、当り前だろ?
 だから、ガキに、売らずにもっと目立たない所に捨てるか、家にしまいこめって言ってやったんだ。その通りにしないと、てめぇのこと、あることないことしゃべりまくるぞっ! てな。

 あー、やっぱつまんねーか。
 え? そんなことねーって? なんでそんなガキが傭兵になったのかって? ああ、娘っ子はいないし、いいか……

 相棒は、貴族ってのをどう思う? いい貴族も悪い貴族もいる、そうだな。こればっかりは今も昔も同じ。……ガキのオヤジは、その村じゃいっぱしの顔で村長もしてた。

 ある時、ひでぇ飢饉が村を襲った。もちろんその村だけじゃねー、周り全部だ。オヤジは見るに見かねて、領主の貴族に直訴したんだよ、税率を下げてくれってな。
 翌日には首が道に晒されたさ、反逆者としてな。

 ひでー話、そうさな、まったくもってひでー話だ。

 残った家族は反逆者の家族ってことで、村民全員から除けものだ。自分も反逆者の仲間で処刑されちゃかなわねーからな。
 貴族様の格別のご厚情ってやつで、ちっせえ畑は残ったんだが、母子二人では食っていけねー。母親は色を売って、日銭を稼ぎ、ガキは戦場あさりでなんとか食いつないでたんだが、客から病気をうつされて母親がおっ死んじまった。

 その頃はガキもそこそこに大きくなっててよ、畑を売って墓ぁ作って、とうとう村を出やがった。俺っちから見たら遅いくらいだったな。

 俺っちもバカやったもんだ。

 ガキに頼まれてヤットウの振り方を教えちまったんだ。……そのまま、戦場あさりの時知り合った傭兵団に入っちまった。いつか貴族に復讐するって、な。
 目だけギラギラ光らせて、人を寄せ付けねー、手負いの獣みたいになっちまった。
 俺っちには話をするんだが、それだってアイツが憎いコイツが憎い、死ね、殺す、呪ってやる、そんなことばっかりだった。ひと月もしねーうちに、誰も話しかけようともしねー殺人狂サマの出来上がりだ。

 実際、俺っち他人の前では黙ってたからよ、剣にしゃべりかける狂人って噂されてたな。

 そんなアホウに、たった一人だけ普通に話しかけてくるバカがいたんだ。そら、おでれーた、だ。そのバカは、団に同行してる水メイジだった。
 娘っ子には遠く及ばねーが、ほどほどの顔をした若い娘でな、もちろん団で大人気だ、ちょっとしたケガでも見てもらいたがる野郎どものムサ苦しい集団、相棒にも見せてやりたいぜ。
 もちろん貴族じゃねえ、どっかの貴族が使用人に手をつけて産ませて捨てたとかなんとか言っているのを俺っちもあいつも聞いた。

 その娘っ子だけだった、あいつに声をかけ続けたのは。

 だがな、あいつの貴族嫌いは筋金入りでな、どんな大怪我をしようとガンとして魔法治療を受けようとはしなかった。魔法はそのまま貴族の特権だったからな……そんなもの受けるわけにはいかなかったんだろうさ。

 ある日のことだ。

 あいつがとうとう、もうだめだっつー感じの怪我をした。傷自体は急所を外してたんだが、友軍に見つかるまでに血を流しすぎたんだ。これで死ねる、母さんの所に行ける、貴族を一人も殺せなかったけど、母さんは、父さんは、許してくれるだろうか、なんてことを言いやがる。
 え? 俺っちが何て答えたかって?

 わかんねー。

 って、答えてやった。ああ、こいつ死ぬんだなって、思った。まだ体は死んでねーってのがわかったけどよ、心が死んでたんだ、あいつは、あの時。
 そうしたら、すげーことが起こったんだよ。

 あのメイジの娘っ子が、思いっきりあいつをひっぱたいたんだ。

 今にも死にそうな怪我人をだぞ? 思わず俺っち、笑っちまった。やるな、娘っ子ってな。それ聞いて娘も笑ったさ。驚く前にな、笑った奴は初めてだ。あいつのポカーンとしたマヌケ面が、さらに笑えたね。
 豪快で爽快ってのは、あのことを言うんだと、デルフさまつくづく思ったぜ。
 それから黙って魔法をかけてた。おかげであいつは、命を拾ったってわけだ。

 それで二人はどうなったかって? あー、あまり変わり映えしなかったな。挨拶を無視してたのが、軽くうなずくくらいにはなったっていうのか。
 ここは、二人がくっつく展開だろっ?! って、そうそううまくいくもんかよ、物語じゃねーんだからよ。

 その前に娘っ子は死んじまったからな。

 ああ、悪ぃ悪ぃ、相棒に縁起悪いところまで話ししちまったな。もう、寝ろ。え? 気になって眠れねー?

 楽しい話じゃないぜ、相棒。

 だったら端からそんな話しすんな? そりゃその通りだけどよ、どうしても思い出しちまうんだよな、こういう夜は。

 ……傭兵団は武を売るもんだが、それをより高く買わせるために色々手を回してた。あっちの団よりも、こちらを、そして他の傭兵団より高く高く、な。女も使う。水メイジってのは、自分で自分を癒せるから【少々の無理はきく】ってな。

 怒らなくてもいーぜ、もう昔昔のことだ。優しいな、相棒。

 あいつは変態貴族の慰み者になってた娘を連れて逃げた。
 いや、逃げようとした、か。どんなド腐れ男だろうと貴族は貴族、メイジはメイジ、火魔法の直撃で娘は死んだ。あいつは俺っちが助けた。だが、川に落ちて離れ離れになっちまった。

 また会えたかって? 会えたぜ。

 俺っちが川の底に沈んで、いったい何年がたったんだか、あいつは別人みたいになってた。
 真っ白い髪で、病気も持ってたのかえらく痩せて、初めて会った時みてーにガリガリだ。しかも、以前からは考えられねーくらいの静かな声で、あの後のことを昔みたいにしゃべった。

 殺されたあの娘は、確かに妾腹だったが、本妻の子が全て亡くなったんで父親の親族が探してた。しかもその父親ってのが位の高い貴族だった。

 笑えるだろ。

 娘を殺したその変態貴族はもちろん取りつぶしさ。
 汚ねーことに、あいつに罪をおっかぶせようとしてたらしいけど失敗してたそうだ。

 ふた親を殺したのも貴族。惚れた娘を殺したのも貴族、だがその惚れた娘も貴族。貴族を憎むんなら、娘っ子も憎まなきゃならねー。
 どうしたらいんだデルフって、イイ年こいてそんなこともわからねーのかと。そんなことを尋ねるために、俺っちをずっと探してたのかと。
 もう、バカじゃねーのかと。


 ……今は、タルブ村っていうんだな、あの土地は。

 開墾した奴の名前なんざ、どこにも残ってねーか。しょうがねーな、たくさんの中の一人だからな。

 まあ、俺っちの中にあるたくさんの「物語」の一つってこった。人間、捨てたもんじゃねーよ、なんてな。


 ……相棒、もう寝てんじゃねーか。






[29188] エレオノールの憂鬱
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2011/11/10 21:32
 最初にエレオノールがそれに気づいたのは、2週間と少し前のことだった。
 アカデミーにも研究用としてある「場違いな工芸品」、その中でもさらに場違いかと思われがちな「人形」の服が着替えさせられていたのである。

 いったい何の素材で作られているのか、エレオノール的にムカつくことに幼い子供のような顔をしていながら、胸部だけは牛なみという「人形」は、この間までやたらと胸部分と臀部を強調する布地の少ない服を着ていたはずなのだが。
 なぜか今、目の前にあるそれは、メイド服を着ている。さらに奇妙なことにメイド服の丈が異常に短い。
 思わずひっくり返してみたが、ちゃんと白いズロースも身につけている。革靴とソックスまで。
 それをきっかけとして、異素材錬金研究用の「人形」は、数着の服持ちになった。
 男どもがニヤニヤしながら時々隠れ見ているのが気持ち悪いし不気味ではあるが、彼女は特に非難することも、問いただすこともなかった、それを見つけるまでは。

 細身の女性の「人形」。
 珍しく、凹凸の激しくない……姿である。
 思わず自分を重ね合わせて、こっそり汚れをはらったり目立つ所に飾ってみたりしていたその「人形」が、着替えている。
 エレオノールは、母のライトニングクラウドが直撃したような衝撃を覚えた。

 肩と背中のラインが強調された、魅惑的で刺激的なドレス。
 あえて前面の胸元を隠した、胸部のボリュームのなさを逆手にとったスタイル。これでちらりと後ろを振り向いたらとてつもなく……いい……のではなかろうか。
 おおぶりのアクセサリーは、いくつもの繊細なパーツで連結されていて、微妙なバランスを持っている。牛胸の女だったら、形を崩し、だらしなさが先立つだろうデザイン。つまり、絶対似合わない。

 まさに、私のためにあるような服!

 皺になるほど服と「人形」を握り締め、エレオノールは思った。これなら、と考える。先日バーガンディ伯から来月新しくできる歌劇場のこけら落としに、一緒に行きませんかと誘われているのだ。
 焦っているとは、まかり間違っても言いたくはないが、家のためにもカトレアのためにもこれでキめてしまいたいのもまた事実。

 これなら勝てる。

 何にどう勝てるのか既に意味不明だが、令嬢は真剣である。何より、自分が、この服が着てみたい。それが全てだ。
 すぐさま担当の研究員をしめあげて吐かせ……もとい尋ねて聞き出し、服を作ったのが出入りの業者の使用人だという情報をエレオノールは手に入れた。こけら落としまでほぼ一カ月、ドレスを作る手間暇を考えるとギリギリの時間だ。
 そもそもその娘が実際大貴族の令嬢のドレスを作ってくれるのかという問題もあったが、そういったところは彼女の頭からすっぽりと抜け落ちていた。

 そして、今日、個人的に呼びつけるべきかと悩んでいたエレオノールの前に、くだんの娘は前触れなく現れた。上司から何を言われてきたのか、ガチガチに固まり、今にも泣きださん勢いである。

「は……初めまして、ミス・ヴァリエール。ガブリエルと申します。あの……わたしに何か粗相がございましたでしょうか?」

 年はいくつぐらいなのだろう、一番下の妹と同じくらいだろうか。小柄で、やせぎす。クセの強い茶色の髪を無造作に後ろで束ねている。そばかすだらけの顔は愛きょうはあるが、美人とはとても言えない。貧相な肢体は娘というよりも子供じみていた。
 このぱっとしない小娘からどうしてあんな魔法のような服が出来上がるのか。小動物のようにびくびく震えているただの平民の娘なのに。
 エレオノールは、「人形」を取りだした。

「この服を作ったのはお前?」
「お、お気に召しませんでしたか! 申し訳ありません、同僚にもちょっと派手すぎるとか見たこともないデザインだとか、背中を出すなんてはしたないとか言われてその、あの……でも……」
「この「人形」によく似合うと」
「ええそう、そうです!」

 パァっと花が咲くようにガブリエルが笑った。すぐさま口元押さえて真っ青になったが。

「この服、人間のサイズで作れる?」
「生地が揃えば……でもわたしそんなお金ないですし……」
「作れるかどうかを聞いているのよ」
「は、はいっ、作れますっ」
「私の服を作りなさい」
「はぇ?」

 ガブリエルは面白いほどぽかんとした。今よりももっと幼い頃のちびルイズに似ていた。エレオノールは口元が少しだけゆるみそうになった。

「期間は一カ月以内。費用に糸目はつけない。できるの? できないの?」
「いえ、でも、わ、わたしなんかが、でも、そんな、あああううう」

 両手を頬にあてて、ぶるぶる震えているさまはまさに小動物。

「できるかできないかを聞いているのよ」
「できますっ! でもこの色とデザインじゃなくて、ミス・ヴァリエールならもっともっとお似合いな素敵な色がありますですよですっ! ど、どうしようお金があったらあのレースやチュールも使える。宝石も本物でできる。しかも、こんな綺麗な人に着てもらえるなんて、もしかして、ゆ、夢?」

 ガブリエルはおもいっきり自分をひっぱたいた。

「い、痛い」

 涙目になってしゃがみこむガブリエル。
 エレオノールはこの娘にドレスを発注したことを、少しだけ後悔した。

 次の日からガブリエルは、ばりばりと精力的に動き始めた。
 ヴァリエール家と貴重なツテができるという算段もあり、通常の仕事を免除されたのをいいことに、トリスタニアの布問屋を何軒も梯子し、気にいった生地を吟味する。
 さらに、希望通りの染料を求めて郊外まで足を延ばす。リュティスで服飾の店を出すのが夢だと言っていた少女は、生地の確認デザインの選択採寸仮縫いで、足しげくエレオノールのもとに通った。

 本当にお美しいです。よくお似合いです。素敵です。殿方の目は釘づけです。
 嘘偽りのない賞賛の言葉は、やはり女として心地よい。

「ガブリエル、リュティスではなくトリスタニアに店を出す気はないかしら?」
「祖母の家があるので……そこをお店に改造しようと思っております。でも、もっともっとお金をためてトリスタニアにも支店が出せるようがんばります」

 平民相手のたわいもない会話に、これだけ心なごんでしまうとはエレオノールもついぞ思わなかった。キラキラした瞳で夢を語るガブリエルに、アカデミーに入ってから、間遠になってしまった下の妹を重ね合わせてしまうなんて。
 昔の自分を思い出してしまうなんて。

 目の下に隈を作って、幾日も徹夜してふらふらになりながら、それでも好きなものが好きなように作れて嬉しいと喜んでいるガブリエル。
 自分も同じだとエレオノールは思った。
 大好きな研究のために、目の下に隈を作ろうと、徹夜しようと、新しい発見があり新しい真実が見えるなら、それはもう幸せなのだ。

 ひと月たち、ドレスは無事納品された。
 ガブリエルは祖母の具合が思わしくないからとそのままトリステインを去り、ガリアに帰ることになった。別れは存外あっさりしたものだったが、背を向けたとたん抑えきれない娘の嗚咽が聞こえて、いたたまれなくなる。たかだか知り合って一カ月の平民に、と考えようとしたが、言い知れぬ寂しさに、自分に嘘はつけなかった。

 そして、満を持して歌劇場に出かけたエレオノールは、かなりの数の男、さらには女が自分を見てくることに気付いた。中には二度見してくるものまでいる。婚約者である伯爵が、軽く息を吸い込むのもわかった。
 胸なんて関係ないわね。
 この姿であるからこそ映えるドレス。
 背中の開きは大胆でありながら、大貴族の令嬢としての上品さを失わない。二の腕の半ばまで隠すシルクレースの手袋、胸元ではなく喉元に視線を集め、飾る真珠と黄金の首飾り。
 歩くたびに優雅にゆれるドレープとフリル。甘さを押さえた大人の花飾り。あえてコルセットで押さえつけず、自然のままのウエストライン。
 館のメイド達にも大好評だった。
 エレオノール自身も、これできまった。
 と、
 思って、いた。
 その時まで。
 婚約者と馬車に乗るその時まで。

「ミス・ヴァリエール。その、背中は……」

 色々迂遠ではあったが、一言でいえばよくない、と婚約者は言った。大貴族の令嬢たるもの、そのように背中を出すものではない、と。

 だったら、胸元はいいのか。

 まずエレオノールはそう考えた。最新ドレスはどれもこれも胸元を強調ばかりしている。あれだけ惜しげもなく、はしたなく胸元をさらすのは大貴族の令嬢としていいのか。それを口に出さないだけの理性は残っていた。美しいですお綺麗ですお似合いですと、いつも言っていたガブリエル。
 キラキラした瞳で夢を語っていたガブリエル。

 ヴァリエール公の手前、口に出しては言わないが、伯爵が、エレオノールにアカデミーをやめて欲しいと思っていることも知っている。

 これできまった。

 自分は自分で好きなようにやる、婚約者がついてこれないなら、それはそれまでのこと。できれはついてきてほしい、それも本心だったが。


 明日も実験ね。
 エレオノールは、思った。





[29188] 雨の日
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2011/11/22 22:23
雨の日

 なんて、ダメな男なんだろう……

 口に出してこそ言ったことはないが、盗賊のフーケことマチルダは何度もそう思った。第一印象こそ、キレ者ではあるのだろうが、あまりにも胸糞悪い、怪しげな、顔を隠した男だったのだが。

 確かに戦闘能力は高い、風のスクウェアというのは伊達ではなく、最高クラスの呪文である遍在を扱えるくらいである。

 だが、それだけだ。

 どうしようもないくらい、「それだけ」なのだ。戦闘能力「だけ」は高い、まるで使えない男というのが、マチルダが出した最終的結論だった。うん、使えない。
 根本的に生活能力がないと言い換えてもいい。平民的常識がないのは、まあしょうがないので大目に見ておく。
 一応、騎士の従者として数年過ごしただけのことはあり、道具の手入れと裁縫らしきことができないこともない、だがヘタだ。おそらくこの技能を上げる前に、グリフォン隊員として大抜擢されてしまったのだろう。
 頭の回りは悪くないと思うのだが、金銭的駆け引きは惨憺たるものである。そりゃあ領地経営を、デキる家令に丸投げしていたらこうなるはずだ。ワルドの質素倹約思考はあくまでも家という大きな単位でなされていて、個人ではどこをどうしていいのかわからないらしい。うん、ダメ男だ。

 確かに、あの監獄から出してもらったという恩義はある、あるにはあるが、もうとっくに返し終わっているような気もするのもまた事実。レコン・キスタも崩壊し……なんでどうして、あたしはこんなダメ男とつるんでるんだろう……
 怖い結論が出そうになって、あわててマチルダは頭を振った。

 ああ、もう、頭が痛い。

 出会ってつるんでそれからの、悲惨な思考が止まらない。
 苦労はしたみたいだが、元は貴族のおぼっちゃんだから、金はどんぶり勘定だし、使い方は極端で荒いし、出来るっていうからちょっと服を繕わせてみればミミズがのたくった方がマシレベルだし、料理もできるっていうからさせてみたら、野戦型大量適当大雑把の完璧男の料理だったし……

 変な所で貴族のプライド残してるし。いや、それよりもどうでもいい所でプライド高いし。なのに、強いはずなのに、妙に危なっかしい。

 何度も分かれ道で別れ話を出してみた、互いの命を助けたんだからこれで貸し借りなしだと。そうだな、とか当然だ、とか言いながら、テファのところのあいつらみたいな目で見やがるから、しかも本人気付いてないから、ここまでずるずるときてしまったのだ。
 あんただって、何か自分より大切なもののために何もかも捨てたんだろうに、どうしてそんな。
 どうしてそんな。
 あんな、目を。

 自分の人のよさにあきれるよっ! まったく!

 アルビオンのあの戦いで、ふた親を亡くした子供に、うちに来るかい? と尋ねた時と同じような目をしてんじゃないよ、イイ年のおっさんのくせに!

 これが、ほだされてしまったということなのか。

「ああもうっ!」

 最悪だ。
 マチルダは、ばしーんと、せっせとこねていたパン生地を、台に叩きつけた。

 おかしい、自分は男の趣味がこんなにも悪かっただろうか。
 こめかみをもみほぐしたいが、手は粉だらけだ。

 とんでもなくお尋ね者の二人の新しい隠れ家は、町中から少しだけ離れた小さな一軒家だった。
 サウスゴータに仕えていた使用人の旧家で、マチルダは自由に使っていいと言われている。まさか、そのお嬢様が犯罪者になり、しかももっとタチの悪い男と逃避行しているとはその爺やも思うまい。
 ともあれ、久しぶりの廃屋を模した……ほとんど廃屋だが……隠れ家とは違い、普通の家としての機能が備わっているそこで、彼女は普通の食事をしてみる気になった。
 外は雨、今日は出歩くこともない。
 ほんのささいな、思いつき。
 貴族の家にもぐりこむために、何気に身に付けたパン焼き職人の技である。
 この、どうしようもない怒りを叩きつけるのにちょうどいい、とも言う。

「マチルダ」
「なにッ?!」

 命じていた根菜の皮むきが終了したらしい、ドアの向こうで、目の高さでバケツを振っている。義手の訓練も兼ねると言いつつも、こういった仕事を特に嫌がらずやるのは、この男の数少ない美点の一つだ。
 見れば、大分皮部分が薄くなり中身が大きくなっている、最初の頃とは大違いである。

「パンが焼けるというのは本当だったんだな」
「あんたと違って、色々する必要があったんで……ねッ」

 また、生地を叩きつける。そうさ、色々あった。何でもした。あの子のために。

「竈に火をいれて、それ煮といて、買っといた香草もいれてよ、一袋じゃな……」
「わかってる、一束。もう一度言っておくが、あれはああいった香草を見たことがなかっただけで、言ってくれたら一袋開けるなんてバカなことは……」
「はいはい、覚えてくれたらいいから、さっさとする!」

 あの出費は、なにげに痛かった。
 本当は、あんな高級品なくても出来る料理、使うのはマチルダのこだわりだ。昔の、サウスゴータの、豪華で、温かい食卓の。それまで切り捨ててしまうことは、できなかったのだ。あの子を守るためになんでもすると誓った、ささやかな例外。

 パン焼き窯までは、さすがにないので、マチルダは竈に載せた重い鉄鍋で焼くことにした。

 雨はどうやら本降りになったようで、ひっきりなしに屋根を叩く音がする。ワルドは何をしているのだろう。

 一人は寂しい。

 それも、ここまでずるずる来てしまった理由の一つだ。テファに会いたい、でも会っても本当のことは言えない。仕事でつきあう輩には、もちろんあの子のことは言えない。マチルダとフーケの両面を知るものは居ない、居なかった。今まで。

「出かけたのか……」

 ふと玄関口を見ると、雨具が一つ、なくなっていた。この大雨に、何を思ったのか知らないがご苦労なことである。
 しばらくして、パンが焼きあがり、煮込みに味が染みたころ、ワルドが帰ってきた。手には、少々痛み加減の果物を入れた籠。

「大丈夫、値切ってきた」
「いや、そういう問題じゃなくて」

 値切っても無駄遣いは無駄遣いとか、実はボられてるんじゃないかとか、なんでこんな大雨の日にとか、やっぱりダメ男だわとか。

「デザートは必要だろう」

 なんでこんなに、正確に射抜くのかこのダメ男は。
 元貴族のぼっちゃんじゃなきゃ、思い浮かばない発想すぎて嫌になる。

「当り前だろ! さっさと皿出しなよ、冷めるじゃないかっ」






[29188] 粉々に
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2012/01/19 19:27
粉々に

 イザベラ

 なぁに? 叔母様

 シャルロットのこと……好き?

 大好きよ!

 そう……これからも仲良くしてね……ずっと……

 もちろんよ! だってわたしとシャルロットは……


「あ……」

 嫌な夢を見て目が覚めた。
 館の中は静まりかえり、しわぶき一つない。イザベラを守り、また追いつめ、閉じ込める冷たい豪華な牢獄。天蓋つきの寝台から垂れる布越しの世界は暗い。
 今はもう狂ってしまった叔母が、とても優しい顔をして自分に頬笑みかけていた遠い日々の夢。その残像を首を振って追い出そうとしてイザベラは失敗した。

 寒い。

 とてつもなく寒かった。

 痛みすら感じるほどの寒さに、彼女は発作的にサイドテーブルに置かれたベルを鳴らそうとしてやめた。無能姫のかんしゃくで夜中に叩き起こされるメイドの図がふと頭に浮かんだのだ。
 積み重ねられた罪、塗りたくられた悪評の上に、さらにほんの一さじ一悪口が載せられるのが、今さらどうというのか。自嘲の笑みを浮かべて再びベルを取ったが、結局イザベラはそれを鳴らすことはなかった。
 そのかわりに、布団を頭から被って丸くなった。
 今、もし、父王が突然に崩御したとして、オルレアン派があの娘を担ぎあげてクーデターなりおこしたとして、彼女を守りかばう人は、一人としていないだろう。
 それどころか嬉々として、簒奪者の無能な我がまま娘に石を投げ、広場に引きずり出し公開処刑をするだろう。間違いなく。それだけのことを父はしたし、自分もしたのだ。

 何もしなかった。

 イザベラの地位にあってそれは罪なのだ、恐怖のあまり、保身のために、自分は何も……何一つしなかった。用意された父の手のひらの上で、自分の本心すら無視し続け、精いっぱいの道化を演じていただけにすぎない。
 あの時、すがるように見つめてきたシャルロットを、突き放したのは自分なのだ。

 イザベラは聡い娘だった。

 魔力のほどだけが才能であるならば、その能力はまったく無駄な能力だった。ほぼ直感的に、周りの人間の本心をなんとなく察してしまう能力。幼い子供だけが持つようなそれを、彼女は運悪く持ち続けてしまった。
 だからこそ、自分をまったく愛していない父に怯え、周りの人間が思っている自分への悪意を表面に出させようとした。
 わたしが全てお膳立てを整えてあげる、だから思う存分バカにすればいい、わたしはそのことを全て知ってるんだから……

 歪んだ奇妙な優越感。

 表面だけ取り繕われているよりも、あからさまなそれの方が、よっぽど心が休まったからだ。ガリアの王女は、陰険で傲慢で偏屈でかんしゃく持ち。魔法の力第一と、何をやっても覆らない評価。憤りは諦めになり、悪い方への開き直りとなった。

 嫌われ、憎まれる行動を繰り返した。
 ささいなメイドの失敗もあげつらい、鞭打ち、怒鳴り散らした。
 時期的にどう考えても手に入らない物を、食べたいとわがままを言って散々困らせた。
 いい気になってなどいない。
 知っているだけだ。

 こんな生活は、いつか必ず終わるのだと。

 そんな中で、あの娘だけが不思議だった。
 心が読めない、感じ取れない。自分を憎んでいるはずなのに、自分を、父を、心の底から恨んでいるはずなのに。否、父のことは殺したいほど憎んでいるのは間違いない、いつもの人形のように無感情な目つきではなかったから。

 布団に顔を埋め、とろとろとまどろんでいると、先ほど見た夢のせいか、やけに昔の事が思い出された。


 イザベラー! ご本読んでー

 もう、シャルロットは本当に勇者様のお話が好きなのね

 うん、だーい好き。シャルロットが危ない時とか、助けに来てくれるのよ

 わたしにも来てくれるかしら

 ううん、イザベラが危ない時は、シャルロットが助けに行くよ!


 シャルロットのすごい魔法で、イザベラを守ってあげる!


 その頃から、既にイザベラとシャルロットの魔法の才の違いは大きかった。無能の娘はやはり無能なのだと、影で言われていることをイザベラは知っていた。だから、まっすぐに純粋な瞳で言われた言葉に、怒りと嫉妬と何かどす黒いものを彼女は感じた。

 許せないと思った。

 傍で見ていた誰もが従姉思いのシャルロット姫の心映えを、愛らしいと、健気と褒め称えこそすれ、傷ついた姉姫の心には気づかない。その場でシャルロットにどう答えたのかは記憶にないが、ふらふらと自室に戻ったイザベラはもっと恐ろしいものを見てしまった。
 鏡の向こうにいる自分が、父と同じ目をしていることに。
 ここ最近さらに強くなった気がする、父と叔父の軋轢。傍に居るだけで胸が苦しくなるほどの緊張感。
 たった一人の兄弟として、互いを思いあっていることは間違いないはずなのに、そこに横たわるのは冷たく黒い何か。
 どうして誰も気づかないのだろう、父が叔父を見る目。

 その目と今のイザベラの目が、同じだった。

 自分は父とは違う。一呼吸で否定して
 自分は父と同じだ。すぐさま肯定する。

 心の底から愛している。シャルロットのことが大好きだ。でも憎い、誰からも……もちろん両親からも……愛されて、魔法にたけたあの子が憎くてたまらない。ぎゅうっと両手を握りこむ。
 そのまま振り上げて、叩き割る。

 歪んだ像が無数にひび割れて、鮮血とともに、床に落ちた。

 踏みつぶし、さらに粉々に割っていると、シャルロットが走りこんできた。
 あの時、あの娘は何と言っただろう。どうしたの? それとも、ごめんね?
 違う、

 「イザベラが痛いからやめて!」

 だった。


 今思えば、あの一言で自分は父にはならなかったのだろう。もしも謝りなどされていたら、それこそイザベラは一生消せない呪いのような思いをシャルロットに抱いていたに間違いないのだ。

 早く全てが終わるといい。

 寒い。

 寒くてたまらない。

「シャルロット……」

 眠りに落ちながら、イザベラは、ひとしずくの涙を流した。







[29188] 帰ってきたシルフィさんとフレイムくん
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2012/02/04 19:29
帰ってきたシルフィさんとフレイムくん


 見てはいけないものを見てしまった、多分。

 相変わらずなんだかんだと忙しいご主人さまの元を離れて、学院所有の裏山を巡回中(散歩ともいう)だったフレイムは、よく知った温度と臭いを感じて、そちらに足を向けてしまったのだ。やめておけばよかったという後悔は、もちろん先には立たない。
 空は実にいい天気。いつもより周りの温度も高い。そして、そこの温度は、さらに高い。

「何してんだ、青いの」

 うん、目の前で青いのが人間型になって、布で体をぐるぐる巻きにして獣道の端っこに、ぜひぜひ言いながら転がっている。何度も何度も手を開いたり握ったり。なんかこう、耐えてますワタシという感じだった。

 変だ。

 フレイムでも理解できる変っぷりだ。
 だが、一応コイツも曲がりなりにもキュルケさまの友人の使い魔だ、アホウになったならなったでそのことを報告する義務くらい負うべきだろう。

「邪魔しないでほしいのね、今、特訓中なのね!」

 特訓。

 フレイムがその言葉を聞いて想像するのは、もっと熱い炎を吹きだす練習とか、温度で個体を識別する練習とか。キュルケさまと視界を共有する違和感に耐える訓練とかである。どう考えても昼日中に、布とからまりつつ地面に転がるのは特訓や練習とは違う。

 よし、わかった。

「お前、バカだろ」
「だから違うのねっ!! これはお姉さまのために、服に……服に慣れる特訓なのね!」

 大股開いて立ち上がりつつ、エラそうにふんぞり返りながら言う青いの。うっとうしそうに袖口やのど元を引っ張りつつも、耐えている、それはわかる。いましも脱ぎ去りたい欲求と戦っているのもわかる。

「とりあえずキュルケさまは、そんな大股で歩いたりしねえな」
「ううううう、フレイムに突っ込まれたのね! もう終わりなのねっ!」

 再びバタリと倒れ伏したシルフィードは、葉っぱやら土埃やらにまみれていた。
 知らない者が見たら、凶暴なサラマンダーに襲われる妙齢の美女の図だ。たゆんたゆんな胸部が、たゆんたゆんとしながら形を変えているサマや、惜しげもなくさらけ出されるすらりと伸びた白い足が、きわどい所まで見えるサマ(ちなみに下穿きは未装備である)は、某人間使い魔が見たら前かがみものである。

 ご主人さまの役にたてるのはいいが、ヒトガタになれるのも色々面倒くせぇ事があるんだなぁ、まったくの他人事として目の前の現象を片づけると、一切の興味をなくしたフレイムは、尻尾を振り振りのっそりのっそり歩き始めた。
 何にせよ、関わりあいになりたくない。

「ま、待つのねー」

 破らないように細心の注意を払いつつ、ごろごろと転がって移動という何もかもを間違えた青いのが、再びフレイムの視界の真ん中に入ってくる。

「フレイムも着るのねっ!」
「どこをどうしたらそんな結論になるってんだ、クソボケ青いへっぽこ竜」
「シルフィだけじゃずるいのね!」
「わけわかんねえよっ!」
「大丈夫、お姉さまから言ってもらうから、きっと、きっと似合うのよ~うううう。ご主人様のご命令なら、フレイムも燃やしたり逃げたりできないのよ~うく、くく」

 イッちゃってる目で、フレイムの足元までにじりよってくる。役にたとうと特訓するところまでは健気だが、なんか別の何かに目覚めそうである。

「……キュルケさまがそんな無駄遣いするかってんだ」

 あれでフレイムの敬愛するご主人さまは、結構きっちりしている所がある、まあそうでなければゲルマニアの大貴族としてやってはいけないわけだが。実はフレイムはゲルマニアに行ったことはない、このままご主人についていけば遠からずその地を踏むことはまず間違いないはずだが、どうもキュルケさまはあまり実家に戻りたいわけではないらしい。
 使い魔としては、どうでもいいことではある。
 キュルケさまが自分を必要とし、呼ぶ所に行く、それだけだ。青いのほど自分が今現在「必要とされていない」のはわかるし、嫉妬心に近いものも抱くのだが。何か、ムカつく。モグラは飛べない。カエルも飛べない。
 ヒトガタなんて。

「青いの」
「何なのねー、今さらごめんなさい言っても遅いのねーお姉さまにお願いするのねっ!」
「踏んでもいいか」
「!」

 返事を聞かずにフレイムは踏んだ。
 さすが韻竜、サラマンダーが踏んでも壊れない!

「うわーサラマンダーより硬ぇー!」
「ヒドいのねー! シルフィ踏むなんてヒドいのねーっ!! 覚えてるのねー! お姉さまに言いつけてやるのねー!!」

 お前はガキか。

 最強の韻竜が、人間に言いつけてやるーはねえだろ。
 そんなんだから、お前いつまでたっても、そんなんなんだよ。

 何か、脱力した。
 色々バカバカしくなったフレイムは、フレイムはそのまま無視してその場から歩き去った。後でそれこそ後悔するとも知らずに。



 三日後、フレイムは嬉々としたキュルケに体の大きさを測られた。
 そのさらに一週間後、立派なリボンタイもついたサラマンダー用燕尾服が出来上がった。
 服を着せた使い魔のある意味コワ可愛いっぷりを、学院中に見せつけて回ったキュルケはご満悦だった。
 見ていたサイトが

「……ペット服……」

 と呟いたのは、誰も知らない。







[29188] ロビンさんとヴェルダンデくん
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2012/03/14 00:41

ロビンさんとヴェルダンデくん


「わたし、怒ってるの」

 小さな声で、しかしはっきりとロビンはそう言った。

「今、ものすごく、怒ってるの」

 どうやって、何を言ったものだろう。
 ビクビクと震えながらヴェルダンデは小さなカエルに向き直った。どうしよう、小さいはずなのに、ロビンが今ものすごく怖い。外から見れば、大きなモグラが小さなカエルに、怯えつつにじりよる様は可愛いとさえ言えるものだったが、当人たちは真剣だ。
 学院の裏庭に呼び出されたヴェルダンデは、特に警戒もせずホイホイ着いてきてしまった自分自身に、ちょっと悲しくなった。
 それはもちろん、ギーシュさまが大切に思っている存在の使い魔だからなんだけどさ、そうなんだけどさ。

「ヒドいと思わないっ?!」

 少しだけの沈黙の後、ギッと、いうか、ギョロリとロビンの目が動いた。
 モグラにはないその特徴的な動きに、ちょっとビビる。
 幸いヴェルダンデが少し引いたことにロビンは気付かなかったらしく、そのまま滔々とせきを切ったように話し始めた。
 怒りの文句と、さらに文句と、とことん文句と、それでも静まらない憤りの心をどうすればいいのか文句。所々入る、客観的事実に比較的近い何かから推察するに、桃色髪のメイジが突然現れたロビンを見て、驚きのあまりひっくりかえった。というところだろう。

 鳥肌立てて。
 気持ち悪いとか気味悪いとか。
 カエルは全世界から消えていいとか(これは多分ロビンの思い込み)。

「わたしはわたしなのよ? わたしがわたしであるということを否定されたのよ? 許せる?! ねえ、これって許せるのッ?!」

 その桃色髪メイジの激烈な反応は、ロビンのカエルとしてのプライドをいたく傷つけたらしい。ぬめっとしたしっとり肌とか、透明感あふれるなめらか水かきとかを、カエルとして、それなりに美しいと思ってるはずだから、余計に。

「これはもう、わたしのご主人さまを侮辱したも同じことだわ!」

 キラキラした目をさかんに瞬きさせつつロビンは言った。
 それはちょっと違うんじゃないかなあと小声で言ってみたけれど、睨まれた。そして続けてぴょこりと後ろ足で立ち上がり、「だからわたし考えたの」ときた。
 これは困った、ギーシュさま逃げ場がありませんごめんなさい。普段ギーシュさまが、女の子ってさあ……女の子ってさあ……と時折呟かれている、その気持ちが今ならわかるような気がします。

 メスってさあ……

「あの桃色髪の寝台に潜り込んで、朝、至近距離で、お早うを言ってさしあげるのよ」
「……」

 挨拶は、円滑な交流の始まり、そうだね、ロビン、その通りだね、何か違うような気がするけど絶対君の言う通りなんだと思うよ、ロビン。身体的危険はないし、とてもいい考えだと思うよ、ロビン。

「え、でも、どうやって部屋まで入るつもりなんだい? 君の手じゃ扉を開けられないだろう?」
「近くで待っていて、扉が開かれた隙に入ろうかとも思ったんだけど、そこまで行くのも目立つし、疲れるのよね」
「ぼくは行かないよ! 行けないよ! 女子寮にぼくが居たらギーシュ様が色々大変だよ! ロビンのご主人様も大変だよ!」
「チッ!」

 うん……な、何も聞こえなかった。

「でも、シルフィじゃ窓をぶち割って、わたしを部屋に放りこむくらいするわよ、変な曲解で」
「するね……」
「しかも曲解したままイイ笑顔で」
「そうだねイイ笑顔だろうね……」
「フレイムじゃ燃やされちゃうじゃない!」
「間違いなく、こんがり丸焼きカエル路線だね……」

 その後もアレもコレもと理由をあげるロビンをヴェルダンデはなんとか遮って、一つの案を提示してみた。


 後日、ロビンの計画は遂行され、桃色髪は絶叫と共に起床、直後そのまま失神した。服のポケットにモグラの手によってこっそりカエルを入れられた人間使い魔は、相応の罰を受けた。その怒りのほとんどが、カエルを使ったいたずらに対する怒りではなく、どうしてモンモランシーの使い魔をあんたがっ!! というものであったのだが……
 もちろんヴェルダンデは、こっそり人間使い魔の傍に宝石の原石を置いておいた。

 メスってさあ……






[29188] 奇妙な主従
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2012/04/07 21:01

 わたしは多分、この御屋敷で唯一ご主人さまに手をつけられていない使用人だと思う。

 ジェニス、平民ゆえ名字もなにもないただのジェニスはそう結論付けた。
 気だてが良くてむっちりとした体つきのアデラがお気に入りというのは見ていてわかるし、お堅いと噂のアリックスもご主人様は例外で。
 そして、ついこの間屋敷に入ったばかりのヨランダが、昨日間違いなくご主人さまのお手がついたということで、また、ただ一人に戻ってしまった。

 ジェニスが伯爵のお情けを頂いていない理由は顕著だった。幼いころの事故により顔や上半身に酷い火傷を負い、醜い傷跡があったからだ。胸の大きさや腰のくびれは標準以上でもあったが、男たちはジェニスの右半身を見ると、そういった欲望を減少させてしまうらしい。
 らしいというのは、もちろん直接ジェニスが言われたことがないだけで、まあ察しているということなのだが。
 そんなジェニスも不相応にも、厨房の使用人に恋をしたことがある……だが結果は明らかだった。気味の悪い化け物呼ばわりは、さすがに堪えた。もう、恋なんて絶対にしないと決心するほどには堪えた。

 つけ毛とスカーフと長そでで隠せばなんとか見栄えはつき、裏方の細々としたメイドの仕事には美醜は問われないとはいえ、あの伯爵がジェニスを解雇しないのには、わけがあった。

 先代の遺言である。

 平民とはいえ、女の顔に傷をつけてしまったのは自分の至らなさのせいである、死ぬまで面倒をみてやるように。

 ああ、先代は真の意味で女好きだった。

 かくて、哀れな火傷娘はモット伯爵家に終生使えることとなったのである。まあ、これは今現在、実は解雇されない理由の一つでしかない。

 傷跡のせいもあり、引っ込み思案で内気なジェニスは終生雇用ということへのやっかみ込で、屋敷で孤立していた。回される仕事といえば、浴場の掃除やカーテンの繕いや銀細工磨きやら、果ては他のメイドの服の修繕まで。
 人目につかない所に追いやられ、見下されてこき使われる日々、唯一よかったことといえば、よりご主人様の寵愛を受けていると他のメイドと張り合わないですむことだけだろうか。

 そんな、薄暗い毎日があの日あの時から変わった。

 伯爵の蒐集品を集めた厳重な中にもさらに厳重に閉ざされた部屋、そこの整理と掃除を命じられたのである。「場違いな工芸品」とも言われるそれらは、いったい誰がどう描いたものか、あまりにも生々しい男女の姿がさらけ出された書物。
 くねくねとしていたり、カクカクとしていたり、複雑に線がからみあう文字は、異国の文字だ。それが文字であるということはわかるが、ただそれだけの。

 この時代、平民が文字を覚えるなど限られた者しかいないが、幸い終生雇用ということにされたジェニスには、後々も便利に使えるようにと文字と計算が教えこまれていた。

 ふと、読んでみようと思ったのは魔がさしたのか、始祖ブリミルが背中を押したのか。

 時間はなかった。
 終生雇用とは、終生こき使われるということだ。
 だが、作った。
 恋をしたときの胸の高鳴りとは明らかに違う何かに、ジェニスは没頭していった。男を魅了する裸体を持つ女達に添えられた文章は、いったい何をつまびらかにしているのか、知りたかった。トリスタニアではない、トリステインではない、まったく別の……ロバ・アル・カリイエかもしれない(女達には黒髪もいた)……世界。

 ジェニスは、ただの笑顔にしか見えなかったその奥に、作り上げられた笑顔を見つけた。

 結局、当り前だが全てを読み下すことはかなわなかった。
 何度も出てくる「、」や「。」が文章を区切るものだということ、文章の頭にある複雑な文字が、この女の名前で、その下に続く文章がその女が言った言葉ではないだろうか、くらいである。まったくそのままを書き写すことはできるが、口に出して発音することも読むこともできない。
 さらに「が」や「は」は、どうやら文と文と繋げる役目があるらしい。この「は」がくせもので、文章の途中や頭に出てくると、その役目ではない……
 語尾に多いのは「た。」「す。」「る。」……

 いつしか、ジェニスは解読を諦め、「場違いな工芸品」の中身を想像するようになった。
 それは夢物語。
 その国には茶色や金髪、黒い髪と瞳の人がいて、少ない布地の不思議な縫製の服と肉感的な姿で男を惑わし魅了する。絵画よりもなおも精密な彩色の中に収まった異国の美姫達が、蕩けそうな表情の奥に毒牙を隠して、水辺や室内でほほ笑んでいる。


 そして今、主である伯爵に「場違いな工芸品」がちょっと読めるなどと誤解されてしまったジェニスは、以前とは比べものにならないほど重用されている。
 嘘か真かどうせ確かめるすべもないだろうと、ジェニスはその通りですという振りを続けることにした。これは確かに嘘だが、誰にも迷惑をかけない嘘だ。
 異国の女達の爛れた淫らな生活を、想像だけででっちあげるのは存外簡単だったから(ご主人様の蔵書のそれ関係の充実率は素晴らしいです)。
 思い浮かばなかったら、ここは読めませんと言えばいい。たった一つ注意するべきことは、同じ場所を「読む」時は、まったく同じ内容を言うことだけだが、これは自分の努力とご主人様の曖昧な記憶力でどうにかするしかなかった。


 かくして、ジェニスを得て、さらに「場違いな工芸品」集めに精が出るようになってしまったモット伯爵である。

「これは読めるか? ジェニス」
「申し訳ありませんが、読むことができませんご主人様」

 キラキラする金属のような光沢を持つ円盤、でも金属ではなく軽い。それが同じく金属ではない何か別の素材の四角い入れ物に入っている。その表面を彩るのは、東方の民族衣装っぽい何かをだらしなく着た女と後姿だけ登場のがっしりとした体つきの男。にぎにぎしい文字が派手に踊っている。
 実際、わかるのは「、」で文章が二つに区切られていることだけだ。

「そうか」
「ですが、この入れ物に書いてある文字なら、なんとか読め……ます」
「なんと書いてあるのだ?」
「むちむち奥さま、うきうき間男狩り。いやよいやよ大好きよんです」
「む、お前は他ではまったくの役たたずだが、この才だけは優れているな」
「もったいないお言葉でございます、ご主人様」
「むちむち奥さまか……そうか……むちむち……」

 今日もジェニスは、伯爵家で唯一お手のついていないメイドのままである。

 終



[29188] 変わらぬ思いで
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2012/04/25 00:57
「おお、おお、シルフィードここにおったのか」

 声はすれども姿は見えず。
 ロビンやフレイムといつものように学院の裏の森でどうでもいい話をしていたシルフィードは、頭に疑問符をいっぱいくっつけながら長い首をぐるぐるとしながら辺りを見た。わからない。

「ここじゃ、ここ!」

 やたらとジジ臭い、なのに妙に早口な甲高い声。今度はじっと目を凝らしながら少しずつ視界を移動してみる。わからない。豊かな緑あふれるここは、小動物が身を隠せる場所が多すぎた。もちろん声をかけてきた本人は、隠れているつもりなど毛ほどもないのだろうが。
 フレイム達もそれぞれがそれぞれに声の主を探しているようだが、誰も発見の声をあげない。

「ど、どこなのねー?」
「ああ、うん、この臭いはモートソグニルじゃないかな?」
「そうだそうだ、この温度はタヌキジジィのネズミだろ」
「そこに居るじゃない、ちょっとシルフィ、【小さく】なった方がいいわよ」

 モートソグニルと言えば、ここのなんかエラい人の使い魔で、ネズミだった。
 確かに竜サイズのままのシルフィにでは見つけにくいはずである。わかってしまえば、後は簡単とシルフィードは人間の姿を取った。服を身につけろと命じられることがなければこの姿にはさして抵抗はない、小回りが利いて以外に便利な所もあるし。
 ちょーんと草の上に正座する裸の妙齢の美女を囲むアレな生き物達、傍から見たら、変以外の何物でもないが。
 それを見届けたモートソグニルは(下手に出るとつぶされるため、人間サイズになるのを待っていたともいう)、使い魔達の前にちょこちょこと出ていき、よっこらせっと掛け声をかけつつ背中に背負っていた焼き菓子を下におろした。

「いやー、年を取ると腰に堪えるのー」
「…………」

 なんとも言えない表情で黙りこむ一同を前に、偉大なる老人の使い魔は、器用に二本足で立ちあがり、くっきくっきと腰を動かした。どうやって背負ったのだろう……という素朴な疑問をシルフィが素直に口にする前にネズミは、焼き菓子を竜の少女に突き出してきた。

「これは話を聞いてもらう駄賃じゃ」
「…………」

 羽ペンの先のような手でちんみりと渡された焼き菓子二枚を前に、シルフィードは喜びつつも、まさか一口でばっくり食べてしまうわけにもいかず、微妙な表情のまま固まった。

「わし、もうすぐ死ぬんよ」

「えっ」
「あのっ」
「そのっ」
「あー……」
「驚くほどのことでもないわな。お前さんらと違って寿命短いんじゃ、そこのカエルのお嬢さんならわかると思うがの」
「……そうね、確かに使い魔になれば、普通のカエルよりも寿命は長くなるって、聞いたことはあるわ、モンモランシー様から。でも、」

 でも、カエルはカエル、鳥になったり犬になったりはできない。寿命もしかり、だ。
 そんな残りの言葉を飲み込んで、ロビンはきょろりと目を動かした。

「いや、いやいやいや、待ってくれないかな、オールド・オスマンの使い魔といえばネズミのモートソグニルだろ? ずっと」
「わし、何十代めかのモートソグニルじゃよ? そうご主人さまがおっしゃったんじゃよ?」

 つまり、オールド・オスマンは何度も使い魔を召喚し、そのたびにネズミだったということで。
 使い魔は運命とは言うが、これは何というかどうだろうという気分にこの場に居た大半の使い魔達は思った。ご主人様から仕入れた知識では、かなりスゴいメイジのはずなのに、どうしてネズミなんだろうという。
 いや、ネズミを使い魔差別するわけではないのだが。

「それで、シルフィ何を聞けばいいのね? これ美味しいのねー」

 結局一口でパクリといった風韻竜。

「お前さん、人の言葉がしゃべられる。そうじゃろ?」

 疑問の形を取っただけの確認にシルフィードはこっくりと頷いた。もちろんお姉さまに口止めされていることを言うことは忘れない。お肉大事、お肉食べたい。
 使い魔達にはバレバレだが、彼らはご主人様に言葉での意思疎通はできないので問題はない。

「無理は言わんよ、ただ……わしが死んだ後に、ちょーっとだけご主人さまに伝えて欲しい言葉があるんじゃ……」

 先代のまた先代の、そのまた先代の、初代の、数多くのモートソグニルが思い願い、だがなしえなかったこと。
 ある日彼らは「ネズミ」から「モートソグニル」になった。「ネズミ」ではありえない生をいきることになった。あっという間の小動物の一生だが、使い魔としてのそれは多くの満足を与えてくれた。
 少なくとも今代のモートソグニルはそうだ。
 偉大なるオールド・オスマンの使い魔となることで、色々わかったことや想像したことがあった。初代を召喚した時の落胆ぶりだ。
 ネズミ。
 ただのネズミ。
 そりゃあ、がっかりするだろう。自分に才能があると思っているなら、なおさら。

「だけど、ご主人さまは、わしがいいとおっしゃるんじゃ。わしらだからいいと。小心者で臆病者で相手の裏を知らねば恐ろしいと思っている偉大でも何でもない自分に似合いの使い魔じゃと」

 おなごの下着を見るのにも丁度いいと、モートソグニルのご主人は笑う。

「わし……わしら、またご主人様を一人にしてしまうのう……」
「なんとなくわかる気がするわ。わたしも、シルフィはもちろんヴェルダンデやフレイムよりも早く、モンモランシー様を置いていってしまうもの」
「ロビン……」
「カエルとしての生をまっとうすることは出来なくなったけれど、まったく後悔なんてしてないの、ただ、それをモンモランシー様に伝える術がないことは、その、悲し……嫌だと思うのよ」

 この場にいる者すべてで、主人よりも間違いなく長生きするのはシルフィードだけだろう。だからこそ皆は一様に押し黙った。自分達はあくまでも使い魔にすぎず、もし命を落とすことがあれば、ご主人様達よりも先だ。
 あの呼び声に応えた時から、この運命だけは決まっていたのだ。
 寂しくはない、辛くはない悲しくもない、ただ、ロビンはぼんやりと嫌だと思った。

「シルフィ、モートソグニルやロビンがいなくなったら、寂しいのね! 悲しいのね! きっとガクインチョウもモンモランシーも寂しいし悲しいのね!」
「へっぽこのくせに、深いこと言うんだな、青いの」
「そうだね、悲しいのも寂しいのもギーシュ様達の方だからね」
「そうね、モンモランシー様に、そんな思いをさせてしまうことが、わたしは嫌なのよ。そう、悲しいじゃないわ、嫌なの」

 コトリとはまった自分の言葉のピースに、ロビンは頷いていた。ヴェルダンデはロビンは見て、ゆっくり一度頷いた。フレイムは黙っていた。
 シルフィードにはよくわからなかった。どう考えても仲の良い使い魔の友人達がいなくなってしまったら悲しいし、寂しい。それに、もし、もしも、自分が死んでしまったら、大切な大好きなお姉さまに二度と会えなくなるということで……想像してぞっとした。
 恐ろしかった。
 だからそれをそのまま口にした。

「……青いのは、相変わらずへっぽこだな」
「な、ななな、なんなのねっ! フレイムにそんなことしみじみ言われる理由なんて、ないのねっ!」
「まあ、シルフィだし」
「ロビン?!」
「シルフィのいい所だと思うよ、ぼくは。うん」
「ヴェルダンデまで、そういうこと言うのねっ?!」

「後悔なんぞこれっぽっちもしとらん」

 いつものようにいつものごとく、軽口の応酬になりかける四匹を、この場でもっとも小さな一匹が止めた。

「そう言うてくれたら嬉しいのう。それから、ありがとうと伝えてもらえば、尚よいな」
「よくわからないけど、わかったのね」

 小さなネズミは満足げに頷いた。何度も何度も頷いた。

「いつになるかはわからないのね、お姉さまが許してくれないと無理なのね」
「なぁに、いつでも……十年後でも二十年後でも」

 これで用は済んだとばかりに、ちょっこりちょっこり歩き去っていく小さなネズミの背中がやけにシルフィードには大きく感じられた。理由はわからないのだけれど。

「新しいモートソグニルを、よろしくのぉ」

 一度だけ立ち上がり、ひらひらと背を向けたまま小さく手をふった彼を、四匹はずっと見送っていた。

 ずっと。


 終



[29188] 金属最大!
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2012/05/11 12:48

 きっかけは、春の使い魔召喚の儀式だった。

 キュルケは今でもありありと、「その時」のことが思い出せる。ゼロと呼ばれたツェルプストーの永遠のライバル、ヴァリエール家の三女は、順当にサモン・サーヴァントを失敗し続けた。

 爆発、爆発、またも爆発。

 最初こそ、万が一の何かの奇跡で、奇怪なものが召喚されるのではないかと思っていた生徒達も、ああやっぱりという思いになり、バカにして、そして飽きた。使い魔召喚をすませた生徒達が、一人また一人と学院に帰っていき、さすがに座り込んで眺めていたキュルケも、これはもうダメだと思い始めた時、ルイズ・フランソワーズは考えられないことをしでかした。
 召喚時に現れる銀色の鏡めいたもの、何十度めかの爆発の後、幻のように現れたそれに、彼女は突っ込んでいったのだ。

「いいわ、いいわ、もうわかった、わかったわよ! よーくわかったわ!! わたしの使い魔! どうしても来ないっていうなら、わたしが捕まえにいくだけよっ!」

 ミスタ・コルベールが止める暇も何もない。
 呆然とする生徒達の前で、ルイズ・フランソワーズは、姿を消した。この場所から、後々わかったことだが、この世界からすら。

 いくら魔法が使えないとはいえ、ルイズはトリステインの名家ヴァリエールの令嬢だ。それが授業中に行方不明、もちろん大騒ぎである。当時の直接の責任者であるミスタ・コルベールは投獄、最高責任者たるオールド・オスマンは職を辞して、蟄居。
 その場に運悪くいたトリステイン貴族の子弟達にも、軽いものだがお咎めがあったらしい。まあゲルマニア貴族たる自分には関係ないといいたい所だが、逆に他国の陰謀を勘ぐられ、キュルケとタバサは痛くもない腹をさんざん探られた。
 いや、タバサには痛かったのかもしれない、その後長期休学になってしまったから。

 退屈な毎日になってしまった。
 ヴァリエールもいない、タバサもいない。この国の男どもは微熱を燃え上がらせるには熱量が足りない。教師は萎縮している。
 ゲルマニアに帰る気になれないから、しょうがなくここにいる。そんな無味乾燥なキュルケの日常に再び転機が訪れたのは、オスマン老がいなくなり、老人の私物だった宝物庫の物を、出す出さないという時に現れた一人の盗賊の事件だった。

 盗賊のフーケ。土くれのフーケ。
 彼女は(女だった! 驚いたことにキュルケも知っている人物だった)、大胆にも開かれた宝物庫の扉をゴーレムで押さえつけ、力づくで中身を盗み出そうとして……失敗した。
 一人の女のせいで。

「まさか、こんなとこに転送装置があるなんてね!」

 なぜだろう、最初に目がいったのは、相変わらずボリュームが寂しい胸。
 手入れのゆきとどいてない、伸ばしっぱなしでパサパサのピンクブロンド。ドレス? 制服? 何ソレという汚れ放題の服。以前のヴァリエールの衣服からしたら露出度が高いそれから覗く肌には、数多くの傷跡が見え隠れしていた。いったいどんな修羅場をくぐってきたというのだろか。

 そして、
 はっきりとした意思を持つ強い瞳。
 ルイズだ。ルイズ・フランソワーズだ。

 だが、このルイズは、ゼロと呼ばれても鼻で笑い飛ばしそうな雰囲気があった。自信に裏打ちされた余裕。キュルケは、思わず高鳴った胸に我ながら驚いた。
 これが、あの、ゼロのルイズ?

 キュルケがぼんやりしている間に、目の前でもっと信じられないことが展開していた。見たこともない武器らしきものを手に、これまた見たこともない動きで、ルイズが戦っている。
 そうです、肉弾戦です。

「どんなゴーレムだろうと、使い手をヤればこっちのもんよ! この美味しいパイナップル……あげるわっ!」

 ヴァリエールの爆発魔法ではない、絶対ない。手のひらに乗るような小さな何かが大爆発をおこすのを、至近距離まで思わず近づいてしまったキュルケは見た。
 貴族の令嬢に何があったのか、動きには無駄がない。的を絞らせないように走り回り、あの得体のしれない武器らしき何かで、相手の力を確実にそいでいく。そして、こればかりは手放せなかったと信じたい杖で、ルイズの爆発魔法が炸裂。
 フーケはお縄となった。

 そしてルイズ・フランソワーズの帰還。

 だが、突如現れて、盗賊土くれのフーケを捕縛した英雄はこの世界に帰還することを、拒んだ。

「ツェルプストー、わたしは貴族なのよ。こんなナリになってしまったけれど、自分がトリステイン貴族なことを一時たりとも忘れたことなどない……そして貴族は受けた恩義は返すものなの」

 彼女は、マリアの仇を取ると言い切った。異世界に飛ばされたルイズを救い、母のように姉のように、まったく違う世界で生きる術を教えた不死身の女ソルジャーマリア……

「テッド・ブロイラー……絶対に許さない!」

 眩しかった。

 キュルケには、ヴァリエールが、ルイズが、輝いて見えた。自分が、だらだらとこのぬるま湯のような世界で過ごしている間に、ルイズはこんなにも変わった。思わず吐息を詰めて、吐きだすことを忘れるほどに。
 確かに外見はみすぼらしいといっていいだろう、だがそれをまったく意に介さない精神の強さ。

 転送事故とやらで、低確率ながらトリステインに戻ることができるとわかったルイズは、再び異世界に行ってしまった。両親にお会いするべきですという新学院長の制止を振り切って。

 その後もルイズはちょくちょく帰ってきては、奇妙な代物と言動を残していった。ドラム缶、お、おおおお、押すおおおお、押す、押す、というのが一番意味不明で、その他はスローウォーカーを注射でプスリよ、美味しいわよ、とか、解体、時代は今解体なの、とか、ポチはわたしの嫁もふもふ天国、とか、愛の新しい形がアレでアレでチップどこよ! カ○ル嫌ぁあぁぁぁあぁぁああぁ! スルー上等許してええぇえぇ! いや、わたし女だから、おねえさんってそういう意味っ?! ここキス魔だらけ! 何か汚れたわたし汚れた、とか。とか。

 そんなルイズが真面目な顔で、話しかけてきた。何度も何度も宝物庫の、あの奇妙な機械を潜り抜けてきたが、そんなことは今まで一度もなかったのに。

「ツェルプストー、いいえ、キュルケ、お願いがあるの。今までわたしの「あっち」での話を笑わないで聞いてくれたたった一人のあなたに。これを全部ヴァリエールに持っていって、そして、中身を研究するように言ってくれる? 特にこれは大切にして、とても貴重なものなの」

 回復カプセル、回復ドリンク、ゲンキデルZ、まんたんドリンク、エナジー注射にカプセル、名前を聞くだけで大体効果が想像できる。キュルケは、その薬類の向こうにルイズが歩いてきた険しい道のりを思った。女の子の玉の肌にこんなにも傷跡をつくっちゃって。それを気にしないどころか、勲章だと思っているあたりが、ちょっと悲しい。
 最後に手渡されたのは、再生カプセル。

「死者すら蘇生させると言われているわ……まあ、あまり本当とも思えないけど、瀕死の人間くらいなら蘇生できる、と思う」

 次姉カトレアの治療研究に役立ててくれ、と。

「わたし、ヴァリエールのいい子じゃなかったから、これくらいしか出来ないけど」
「ヴァリエール……ルイズ、あなた……死ぬ気なの?」
「テッド・ブロイラーの居場所がわかったの。あいつの攻撃、熱に対する準備もできた。一人じゃない、ミシカもアクセルも、ポチもいるわ、わたしは負けない」

 行かないで、なんて言えるわけがない。

「私の負けね、ルイズ」
「はぁ? 何言ってるのよ」
「こっちの話、必ず帰ってきて、また珍しいお土産をくれるんでしょう?」
「もちろんよ!」
「またね、ルイズ」
「ええ、キュルケ。また」

 笑顔で手を振り、転送装置に入って行ったルイズをキュルケは今も待っている。今はもう傷むだけ傷んでしまった鮮やかな桃髪の元ライバルの帰りを、待っている。
 理由はもちろんあるのだ。

「だってあの治療薬の研究結果、タバサのお母様にも使わせて欲しいこと言ってなかったんですもの」

 それに、ルイズは「また」と言ったのだ。真の貴族は約束を違えることはない。





チラ裏投稿時に頂いた感想と感想返しです。感想ありがとうございます。

[1]Rion◆6f35281a ID: 64ed7d94
まさかこうくるとはねぇ……すっかりワイルドになっちゃってw
しかしこんなMM世界に染め上げられたルイズも悪くない。
転送装置じゃ戦車までは転送できなかったはずだが、まあ戦車ならロマリアにもあるし、どうにでもなるかw
無事テッド・ブロイラーとおまけのバイアスも倒して帰還する未来を心待ちにしてます。



……ところで、当初の目的だった使い魔はどうしたんですかルイズお嬢様?

[2]am◆60b4837a ID: 37610472
結局、ルイズの使い魔は何なんだ?

[3]笹◆524122ec ID: 1dead949
>スローウォーカーを注射でプスリよ、美味しいわよ
-400超えたパンチラキックでもいいんじゃよ?
さあ、ルイズもレッツパンチラキック!

>いや、わたし女だから、おねえさんってそういう意味っ?!
イリットと結婚END乙
うん、まあ、実際女キャラでも結婚できるとはおもわなんだな
ルイズとイリットだと、想像すると微笑ましいけど


ナース♀とイリットだと犯罪的に妖しい絵面だよね


てか、ルイズの職業はなんだろう
やっぱりハンター/ナースかな?

[4]ジェイムデー◆a9c21b93 ID: 6f49477b
なんかもう使い魔はどうでもよさそうだ
熱対策だけしてモヒカンと注射で殺られると思ったけど、解体してるならそうでもないか…w

[5]雪印◆3061bb15 ID: 4004402a
タイトル見て一瞬、MMRマガジンミステリー調査班とのクロスかとオモタ

[6]ササハラ◆1d06737b ID: d27d8dbd
サイト以上にロマリアの戦車を乗りこなしそうなルイズ様w MM3のコーラを思い出す成長っぷり。
ルイズの使い魔候補。
1、ポチ・ベロ・ハチ
2、金食い虫
3、ブレード・トゥース
4、ドラムカン

[7]ふにゃ子◆b57417d6 ID: 720c7849
ルイズはブルフロッグとカリョストロには普通に勝てたのか!
MM2Rのあいつらはハンパなく強化されてて困るw

[8]宮毘羅◆3e00961a ID: 6c668878
MM2Rって何?
遊戯王やヴァンガードみたいなカードゲー?

[9]ミステリア◆1d06737b ID: d6c45f23
メタルマックス2リローデットのことだよ。
戦車と人と犬のRPG

[10]MNT◆809690c0 ID: e3975a1c
感想ありがとうございます。

ここしばらくずっとこればかりやってました☆3厳選は地獄です。
ルイズの職種は、ハンター/ナースのつもりでした。何ここの医療技術すごい、これならちいねえさまを……というイメージです。
逆に使い魔は、あまりきっちり決めていませんでした、一発ネタだったので。
まあポチくらいが妥当なところかなという気はしますが、ドラム缶金食い虫を引き連れるルイズも捨てがたい。

カエルはルイズの鬼門なのでアレはスルーされてますヒドい。

[11]unkown◆3ca736d1 ID: ae204ea4
こういう感じの母親とガチでやり合えそうなワイルドなルイズが大好きです。
転移当初は大嫌いな爆発魔法で生き残ったんでしょうねぇ

[12]B=s◆8818fd3f ID: 3915bd45
ここでまさかの「ドラム缶が使い魔」説浮上。久々にドラム缶を押したくなるから困る

[13]でぃえす◆99fdef01 ID: 2e53a515
正直ブラドの戦闘力が半端無かった件について
頑張れルイズ、そこまで辿りついたら後はブロイラーさんを倒してバイアスブラドに引導を渡すだけだ!!

MNT
レス遅くなってしまって申し訳ありません。
ガチ武闘派ルイズは、金食いドラム缶を引きつれても似合うと思うんですよ。
そして初期は節約のために爆発魔法を大活用という感じです。そしてブラドを倒したらクリア後の賞金首……がっ!
それにしてもテッド様は火炎よりも即死攻撃……がっ!



[29188] ガリアの優しいきゅうせいしゅ
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2012/05/11 13:22

 まただ。

 ガリア王国第二王子シャルルは、軽く舌打ちをした。この間からどうも耳鳴りがするのである。最初の頃は高い虫の羽音のようなもので、気にはなるが無視できないほどではなかったのだが、今はもう……恐ろしいことだが、人の声にも聞こえてしまうのである。
 疲れているのか、と、休みを幾度が取ったが、まったく改善されることはなく、ひどくなるばかりだ。王宮の医師達にも診せたが、どこも異常はないという。その頃には、異常な耳鳴りはかなりひどくなっていて、温厚な第二王子たるシャルルも心の中で「この無能が!」と、毒づくレベルだった。

【ねー聞いてる? 聞いてる? お兄ちゃんとけんかしちゃだめだよ】

 自分は激務のせいで、頭がおかしくなったのだ。
 なんということだ。ついに空耳が男とも女ともつかない子供の声で話しかけてくるような気がするなんて。
 自室でシャルル王子は頭を抱えた。こんな姿新妻にはとても見せられない。それでなくても、最近顔色が悪いと気遣ってくるというのに。身重のあの人にこれ以上の心配はかけられなかった。

【ね、おはなししようよ! わたしお兄ちゃんいないんだ、うらやましいなあ】

「うるさいっ!!」

 思わず、疲労の極地にいたシャルルは、机を叩いて空耳たる何者かに叫んでしまった。直後、しまったと思う辺りをうかがうが、幸いなことに誰もこの異音に気付いてこちらに来る者はいないようだ。

【うわ、びっくりした! 聞こえてるんだね、やっぱり。どうしておへんじしてくれないの?】

 一度返事らしきことをしてしまったせいか、恐ろしい幻聴はとても聞きとりやすくなってしまった。本格的に頭がおかしくなってしまったのだろうか。どうやら頭の中の相手は小さな少女のようだった。名前は忘れた、どこから来たのかも忘れた、気づけばここに居た……うん、自分は病気だ。シャルルはつくづく思った。不幸中の幸いなことに、口に出さず心に思い浮かべるだけで異常な存在との会話は可能だった。

 出て行ってくれないか? という問いには、やってみたけど無理だったの一言でばっさり切られた。自分の妄想や重圧がこの存在を作りだしたとして、それが幼い少女とは、どこまで己は変態なのか……情けなさに涙すら滲みそうである。

【お兄ちゃんと仲直りしようよ!】
【別に喧嘩などしていない】
【うっそだー。いじっぱりさんだね】

 本当に、本当に喧嘩などしていない。兄ジョゼフとシャルルの間に横たわる深い暗いそれを単なる喧嘩だと名づけるには無理がありすぎた。自分が努力して努力して備えた何もかもを、少しの修練で軽々と越えていく兄。魔法の才を見せつけるようにしてもそれを褒め称えこそすれ、決して僻んだりしない兄。なのに、ひょうひょうとした顔で、王位はお前が継げばいいと……

【じゃあ、代わりに言ってきてあげる】

 シャルルは聞き捨てならないことを聞いた。いや、この場合聞いたということで合っているのかどうか、心の空耳を聞いたと誤解したというのか、もうわけがわからない。わかるのは、心労から生まれたとおぼしき子供の意識体が自分の体を自由に動かしたという事実。

【待っててねー】

 同じように同じ体にいるのに、どうやって待っていればいいのか。
 いやいや、今問題なことはそんなことではない、今現在もっとも重要なことは、よくある夜中の意識の半覚醒状態のように頭の中はぐるぐる回るのだが、意識を集中したとしても小指の一本も動かないことだ。頭中のシャルルの苦悩と七転八倒をよそに、謎の子供幽霊(とりあえず妄想では厳しいのでそういうことにした)はシャルルの体で、るんたるんたと楽しげにスキップをしながら、グラン・トロワを歩き出した。

 るんた るんた るんた

 子供が生まれようかというイイ年をした男がスキップらんらん。
 ヒドい。我ながらヒドすぎる。
 行きかう使用人や上級下級貴族軍閥官吏達の視線が痛い。やめろ、待てと絶叫するが、どこ吹く風と聞き流される。
 その共有される視界に、今一番会いたくない人間が入った。もちろんジョゼフ王子である。どことなくやる気なさそうな人を寄せ付けない雰囲気をまとったまま、長い廊下を歩いてくる。

「あっ、おにーちゃーん!」

 終わった。

 満面の笑みで、手を大きく振りながら自分の体が駆け寄っていることがわかった。わかっただけだが。それを理解し認識する思考というものが停止している。ああ、今日はいい天気だな、兄さんが持ってる本は、神学の本かな……うふふあはは

「あーそーぼーぅ!」

 だが、声をかけられたジョゼフの方も全ての動きが停止していた。皆が驚愕の目で二人を注視していることにも気づいてない。

「……シャルル……お前……何か悪いものでも食ったのか? それとも熱が?」

 違うッ! 違うんだ兄さんッ!! 長い長い沈黙の後、恐る恐るという口調でかけられた言葉に、反論したいが生憎と今のシャルルはシャルルではない。

「そんなことしないよう、遊ぼうよーお兄ちゃん」

 誰もが何事かと息を止めて、兄弟対決を眺めている。そろそろこの異常事態に医師が呼ばれていそうだ。あのジョゼフが困惑した表情を隠しもせず、周りを見る……が、誰もサッと視線を反らすさまは見事だった。ガリア宮廷の人の心は今無駄に一つになっている。自分が原因なのだが、もちろんシャルル王子としては泣きたい気分だ。

「なあ、シャルル」
「なんだいっ?!」

 やたら可愛くハキハキ答えるイイ年の父親になろうという男。ナイナイ。我ながらナイ。これは僕じゃないんだ、ごめん兄さん気付いてくれ兄さん、他のことはアレでアレだからせめて肉親の血の繋がり不思議すごいで、気づいてくれ兄さん。

「疲れてるのか……?」
「ぜんぜんっ!」
「…………」
「あっそぼー、あーそーぼー」

 今度は、るんらるんらと、兄の両手を取ってぐるぐる周りを回りだす。痛い。穴がなくても、掘ってでも入りたい。

「……あー、シャルル……お前何歳だ?」
「ろくさい!」

 驚いた。

 謎の幽霊が六歳と答えたことにも驚いたが、その後あの兄が長い間見たことがない優しい顔で「そうか……では、何をして遊ぶ?」と言ったことに。それが嘘のような厳しい第一王子の顔と声音で、「このことは他言無用」と言い放ったことに。
 また、兄と自分との彼我の力量の違い、度量の違いを見せつけられたのだが不思議といつものように心の奥底に黒い靄は生まれることはなかった。このままでは、せっかく築きあげた色々なものが「シャルル王子は心の病」の一言で瓦解しかねないというのに。

「かくれんぼ!」
「そうか、では俺が鬼をやってやろう、あまり遠くへ行くなよ」
「わかったー」

 後のことが知りたかったのだが、この存在は嬉々としながら奥に走りこんでいった。そういえば、もっとずっと昔は、こんなこともあったのに。
 どうして忘れていたのだろう。
 忘れようとしていたのだろう。

 一日中それこそ、【子供のように】二人は遊んだ。自分はともかく兄さんそれはないだろうと何度も思った。厨房で盗み食いヨクナイ。侍女の服にこっそりカエル突っ込むのヨクナイ。客間のシーツにイモムシばらまくの反則。
 同じ立場で言い合いできるたった一人の兄。兄が大好きで、大好きで、羨ましくて妬ましくて憎くて、それでも愛していた。

「お兄ちゃんはすごいねえ、何でも出来るんだねえ。頭もいいし、いろんなことよく知ってるし」
「何を言う、お前の方がすごいだろう。俺は無能だ、魔法の才はお前がずっと上だ」
「うん、それだけは自慢できるんだよ、すごいよ、だからお兄ちゃんもっと褒めて褒めていっぱい褒めて」
「え……あ……そうか? す、すごいぞーすごいなーしゃるるー」

 まさかそう切り返されるとは思っていなかっただろう、兄の困惑した顔と完全棒読み。

「心がこもってない!」
「よ、よし、わかった。すごいぞシャルル、さすが俺の弟だ、この年で王家といってもスクウェアとか本当にすごい、しかも学問にも優れ……まあ、俺には負けるがな、武芸もイケて、当然俺の方が上手だけどな……チェスだって俺とはれる力量があるぞ、もちろん俺が全勝だがな……国民にもお前の方が大人気だ、だが俺が本気になれば、いいところまで行くと思うんだ……」
「なんか褒められてる気分にならない」
「いやいや、本気で褒めているぞ」

 笑いでごまかしつつも漏れ出る本音。ごまかし続きでまっすぐに飛び込んではこなかった兄の本音を、ただシャルルは聞いた。自分が兄に気が狂いそうなほど嫉妬していたと同じように、兄もまた自分を羨んでいたのだと。あの幽霊がいなければ、気づかないまま二人の間の亀裂は深まり、取り返しのつかないことをしてしまっていただろう。
 未だに何者なのかはわからないが、もしかしたら始祖ブリミルの使いなのかもしれない。

「なあ、シャルル……こんなになるまで、辛いことがあるのならもっと俺に何でも言っていいんだぞ? ガリアの王子は一人じゃない、二人なんだ。魔法も使えん頼りない兄かもしれんが、悩みの相談くらいのらせてくれ」

 やはり心労でおかしくなったという認識なのか。変な幽霊に体を乗っ取られたなどと誰しも理解の範疇外だろうからしょうがない。裏の裏までかく兄にもわからないことは多いのだと思うと少しおかしかった。もしかしたら、心労で本当におかしくなっている自分かもしれないが、そんなことはどうでもいい。

【もうだいじょうぶ、だよね】
【君はいったい何だったんだ、やはり幽霊なのか? ガリア王家の】
【思い出したの、わたしは、タバサ】

 聞いたことがない。そんな犬猫につけるような名前の王族が居ただろうか。

【シャルロットとお母さんにいっぱい愛してもらったタバサ】

 生まれるのが娘ならばシャルロットとつけようと思っていたのは事実だが、タバサという名にはまったく心当たりがない。謎を深めてしまうシャルルの意識を置いて、タバサの声はあっという間に遠くなっていった。





 月日は過ぎ、ガリア王宮は王子暗殺やらそんなきな臭いこともなく、ジョゼフは順当に王位を継ぎ、その場で伝説の虚無の系統とわかった。それに関して、兄さんの方が魔法の才まで上になったヒドい、陰険悪辣のくせに、と言いたいことを言う弟の姿がある。兄だから当然だ、一生お前は追いつけないのだ、はっはっは、と言い切る王の姿とあいまって、完全なる仲よし兄弟である。

 結局最後まで[タバサ]の正体は分からずじまいだった。
 6才の時に誕生日の贈り物として、娘に与えた人形に何も知らない夫人が、タバサと名付けたくらいである。瞳に使われている宝石が実にいわくありげだとか、髪が実は人毛でとか、内部に怪しげな魔法陣が……ということもなく。いたって普通の人形……のはずだ。
 一度二人きり? の時に片目をつぶってみせた……よな気がしたのは気がしただけなのだ。

 真実は誰も知らない。ただ、あれはガリアの救世主だったのだと、王弟は今ではこっそり思っている。





チラ裏投稿時の感想と感想返しです。

[1]因果丸◆f9e79432 ID: 4790c705
ガリア兄弟好きの自分には俺得な逸品です。
こういう幸せ話大好きです。

ジョゼフの心情も行間で感じられる間の取り方もよかったですし、
着地点もきれいで読後感もいいですね

[2]雪印◆3061bb15 ID: 4004402a
暗殺フラグへし折るだけで原作の影響力パネェ
壊れてないなら奥さん次第でシェフィールドとの間にも子供生まれそうなんだぜ。

[3]ところ◆3ac64e67 ID: 562fe7f1
心が暖かくなりました

[4]ななん◆e4ce5ba5 ID: b2ac9a7a
心暖まりますな~。しかし、付喪神だとすると、6千年以上前からある始祖の秘法なんて、長い間誰も正しく認識できないからやさぐれていそうですね。

[5]土蜘蛛◆0f9e44ae ID: 910f18a2
あー、久々にまともな補完系if二次見た気がするな。
嫌などんでん返しもなく、ほっとした。ありがとう
ガリア兄弟の悲劇がないだけでも、あの世界がかなり
平和になる事を再認識した。後はアルビオン兄弟かなぁ

MNT
感想ありがとうございます。

悲劇回避。あっけにとられる青ヒゲが書きたくて書いた。
「タバサ」の正体は、あえてイメージしないで書きましたが、才人は付喪神とか言うかもしれません。インテリジェンスソード的意味でデルフの仲間とか。
でも、これじゃあ虚無パワーが溜まりそうにないですね……



[29188] 愛と勇気とつぶあんと
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2012/08/04 13:56
愛と勇気とつぶあんと

 どこかで誰かが耳をすませて呟いた。

「泣き声が聞こえる……」



 ルイズは小舟の中でうずくまっていた。
 ドレスが汚れることも頓着せず、膝を抱え、己の小さな手で自身を守れるように。この心に感じる寒さを温めるように。だが、いつまでたっても彼女は自分すら守れない弱い少女のままで、震えるほどに周りは冷えたままだった。
 つい先ほどの夜会の席で、いつものように一見解りづらい嫌味を言われた。細々とした部分を取っ払ってしまえば、ヴァリエール公爵の三女は魔法が使えない落ちこぼれだと。
 思い出すだけでじわりと目に涙が滲んでくる。
 もっと幼い頃は大目に見られていたそれが、今や出来そこないとか汚点とか陰で言われたいほうだいである。

「うっ……うう、ひっく……」

 わたしだって、好きで魔法が使えないわけじゃない。たくさん勉強も練習もした、それでも出来ないのよ、どうすればいいの? どうしろっていうのよ。
 大声で叫び出したかったが、そんなことをすれば余計に自分が惨めになるということは、幼いルイズでも理解していた。だから、唇を噛んで耐え、その場から逃げだした。

 悔しい。悲しい。辛い。寒い。痛い。
 ぼろぼろと落ちた水滴が抱え込んだ膝を濡らしていく。
 魔法が使えぬものは貴族にあらずな風潮の中にあって、コモンすらまともに使えぬルイズはまさしく貴族の出来そこないであり、ヴァリエール家の汚点であり、魔法使いの落ちこぼれだった。そして、そのことを一番よくわかっているのはルイズ自身だった。
 しかりつけてくる姉が、厳しい目の母が怖かった。
 ほぼ全てが爆発という結果になってしまう自分がたまらなく嫌だった。こんなに頑張っているのに、こんなにこんなに努力しているのに。難しい本もいっぱい読んだ、練習だってたくさんした、なのに

「……どうして……?」

 こんなのは、トリステインの大貴族の令嬢じゃない。
 ああ、もしかしたら、自分は父様と母様の本当の子供ではないのではないだろうか。恐るべき東方の魔物が、ある日こっそり館に入り込んで、平民の子供と入れ替えたのではないだろうか。
 鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらルイズは、あり得ない事を真剣に思い悩んだ。それほどまでに幼い心に口さがない大貴族達の陰口は、心に刺さっていたのだ。
 だったらもう自分はここにはいられない、大好きなちい姉様のためにも本当の「ルイズ」を探してこなければ……それが無理なら、この偽物の「ルイズ」を消すしかな……

「こんばんは、ぼくはアンパンマン」

 自らの暗い思考にはまり、頭を抱え丸くなっていたルイズは突然かかった声に驚いて顔をあげ、さらに驚いた。
 月明かりの下、不思議な、なんとも不思議としか形容のできない何者かが、にこにこと笑いながら立っていたのである。
 マントをつけているということは、メイジ? いやいや、こんな頭が大きくてすっきりした容貌のメイジなんてあり得ない……と、思う。そもそも杖も持ってないし、持ってないわよね?
 というより、まず人間ではないでしょうどう見ても。まさかエルフ……は絶対ない、というか耳はどこ?

 大混乱に陥ったルイズは、泣いていたことも思わず忘れて、ぽかんとしてアンパンマンと名乗ったそれを見つめていた。

「君は?」
「ル、ルイズ」

 反射的に応えてしまう。それほど相手が人形っぽいというか、警戒心を抱くのが馬鹿らしくなるような容貌なのだ。わたしでも似顔絵が描けそう……などと思ってしまう。

「ルイズちゃんか、いい名前だね」
「あ……ありがとう……」

 自然とお礼の言葉が出てしまう。もしかしたら、この不思議な存在は物語に出てくる妖精かもしれない。だって周りがとても静かだ。さっきまで聞こえていた夜鳴鳥の声も風の渡る音も聞こえない。
 そうでなければ夢を見ているのだ。泣いて泣いて小舟の中で眠ってしまったのだ、多分。そうでなければ夜会もあって警備も厳しいこんなところに、入ってこられるわけがない。

「どうして泣いてたんだい?」
「えっ、あっ」

 しゃがみこんで優しく尋ねてくる相手を直視することが出来ず、ルイズはただゴシゴシと袖口で顔を拭いた。

「だめだよ、顔が真っ赤になっちゃうよ。はい、これで拭きなよ」
「あ……」

 もう一度お礼を言おうとする前に、ルイズのお腹が音をたてた。
 小さくてかわいい音と言えないこともなかったが、レディたるものがお下品であることは間違いない。ろくに料理に口もつけず飛び出してしまったことがこんなことになってしまうとは!
 どうしよう、恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい、絶対呆れられた、下品だって思われた恥ずかしい。夢とはいえ、恥ずかしすぎる。そんな言葉が頭の中で高速でぐるぐる回る。外面的には、真っ赤になったまま硬直し、ピクリとも動かない公爵令嬢の出来上がりである。だが、相手の反応はルイズの想像のはるか上空をすっ飛んでいた。

「お腹がすいてるんだね、ぼくの顔をお食べよ」
「顔っ?!」

 硬直すら解除する爆弾発言に、少女は思わず突っ込んだ。

 しかし、アンパンマンはまったく気にすることもなく「顔」の右上部分をこぶし大にちぎり取って差し出してくる。外側はよく見知ったパンに似ているが、中の黒っぽい危険な感じの物体は何だろう。ねっとりした何かの中に、粒粒したものが見え隠れしている。
 後ずさりをしなかったのは、ひとえにアンパンマンという存在に悪いものを感じなかったからだ。真にこの人は自分の事を案じてくれていると、ルイズには思えた。
 見返りを求めず、ただ心からの好意で自分を思ってくれている。そうでなかったら、自分の身を引きちぎって与えようとするだろうか……まあ気味悪いことは気味悪いんだけれど。
 香りは甘い。手に入った経緯と外観を忘れたら、十分美味しそうである。

「甘い……」

 思った通り、勇気をだして口にしたそれは、甘くて優しくて、美味しくてとても美味しくて。涙も出たが元気も出る不思議なものだった。こんな美味しいものをお腹いっぱい食べたら笑顔になるしかない。
 まったく何の関係もない他人のことを、こんなにも心から思うことができる。どうしてこんなことができるのか。

「美味しい……美味しいわ! アンパンマン!」
「よかった、やっぱりお腹が減ってたんだね」
「うん」

 そう、ルイズの空っぽのお腹と心に温かい甘いものが満ちた。
 わかっている、本当は父様も母様も、エレオノール姉様も自分を思ってくれていることを、愛してくれていることを。それは、わたしが魔法を使えようと使えなかろうと揺らぐことはないということを。
 私の愛する大切な人たちがそうであるならば、他がどう言おうとどうだろうと、そんなことどうでもいいではないか。

「また困ったことがあれば、ぼくを呼んでよ。そうしたらすぐに助けに来るからね」
「いつでも?」
「もちろんだよ」

 助けてと呼べば、いつでもどこでも助けに来てくれる。疑う心が微塵もわかないことがいっそ不思議だが、納得するしかない。
 この妖精は、お礼の言葉しか言わせてくれないつもりなのだろうか。
 かといって言葉以外のものを渡すというのも変な感じがした、お金? ないないそれは絶対ない。地位、権力、どれもピンとこない。どちらかというと、似顔絵や素朴な野の花束、手作りお菓子などを喜びそうだ。そんなあたり、なんだかちいねえさまと似ている。
 イーヴァルディの勇者って……勇者様って本当はこんな感じなのかも。

 そして、夢にしては、なんだかルイズはお腹いっぱいだった。



 こうして、たった一度の不思議な出会いは、ヴァリエール家三女の運命を変えた。
 ルイズは「恩返しなの」と言い、己の失敗魔法であるところの爆発魔法を使い領内の荒れ地の開墾を始めたのだ。まず、一番の理解者であるすぐ上の姉が、フォンティーヌ領を自由にしていいと言いだした。
 さらに、土メイジや学者を集めて効率よく収穫をあげるための研究をする所を、ルイズのお小遣いとカトレアのお金で作った。といっても、常任はルイズとカトレアだけで、他はその時々に教えを請うため招かれる、ささやかなサロンのようなものだったが。
 もちろんそこまで順風満帆というわけではない、子供の世迷いごと、貴族のお嬢様の道楽、魔法も使えぬ娘が平民に媚を売っているなどと散々言われた。肝心の収穫すら、ほんのちょっぴり効果が出たとか出ないとか……
 だが、1年経ち、2年経ち、そういった声は小さくなり、変わりにヴァリエールのおかしなお嬢様を評価する声が大きくなっていった。

「だって、お腹一杯食事をしたら、大抵のことはどうでもよくなってしまうものじゃない?」

 真理である。
 平民は頷いた。

「あの勇者さまほどじゃないけれど、わたしでも人をお腹いっぱいには出来ると思うのよ……まあ、まだ少ないけど……」

 勇者さまとは、恐らく昔の伝説の何かだろうと人々は考えた。

 そして、失敗魔法ではなく、狙った所を狙った通りに爆発させる謎魔法の達人となったルイズは魔法学院でまた新たな運命と出会うのだが、それはまた別のお話である。






[29188] 晴れ後曇りの日
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2012/09/19 23:01
晴れ後曇りの日

 設定は夫婦もの、それしかない。
 血縁関係騙ろうにも、当然のことながら似ていなさすぎる。
 兄妹? ないないないない絶対ない。

 人目を憚る貴族サマとの駆け落ちという設定も考えなくはなかったが、自分の精神衛生上特に悪いので早々に却下。
 ロマリアへの巡礼者夫婦が一番無難だが、行こうとしている方向が違いすぎるのであきらめる。
 結局第二案、「王都で夫婦働いていたが、旦那の父親の具合が悪くなり田舎に帰って家を継ぐことになった今帰郷中」に落ち着いた。無難だが、まあこれでいいだろう。どんな仕事をしていたかとか実家の家族構成だとか他の細かい設定は、道中おいおい考えていくということで。

 うん、まずはこの方向性だ。

 できれば、荷馬が欲しかったが、そこまで贅沢は言えない、そもそもそんな家畜は戦争でほとんど持っていかれてる。ふっかけられるのもイヤだし、そこから足がつくのはもっと嫌だ。換金出来るものはフーケのつてでなるべく小額換金してきたが、処分し辛い特徴のマジックアイテムは、かなりかーなーり足元を見られた。
 あのネズミ顔の男、次に会ったらきっちり今回の分と差引帳尻あわせて、尻の毛まで抜いてやる。

 フーケことマチルダは、美しいが目立つ色の髪をガシガシと茶色に染めながら考えた。この大騒ぎの中、ご丁寧な人相描きなどまわっていないとは思うが、念には念をいれるべきだろう。そうだよ、油断なんてするもんじゃないよ、わたし、またあんなお荷物を拾うハメになりたいのかい?

 やだやだ。

 ちょっと色が暗めの粉おしろいをはたき、てんてんとソバカスをつける。自分の容貌がいいことは自惚れではなく事実だ、そして今はそれを武器にする時じゃない。
 かといってイモくさくしすぎてもいけない、あくまでも都会で少し暮らしていたという設定があるのだ。
 そんな、脳内で緻密にこれからの予定とか設定とか計画を立てるマチルダに、情けない声がかかった。

「どうしても……剃らなくてはダメか……?」
「もちろんじゃないか」

 本人気付いているのかいないのか、斜め前で洗い桶と手鏡を前に、ものすごく力の抜けた顔で髭そりナイフを握り締めている男に、彼女は力強く頷いて答えた。

「印象ってもんがガラリと変わるからね、まあ捕まりたくてたまらないってんなら別にそのまんまでもいいけど。あ、でもその時は力いっぱい見捨てるから」

 苦虫を噛み潰したような顔とはまさにこのことなのだろう。一応命の恩人は、渋い顔をして彼女と髭そりナイフを交互に見る。
 マチルダ的にクソみたいなプライドだか思い入れだかをどうしても投げ捨てたくないらしい。これだからお貴族様は!
 自分もかつてそんな無駄に誇り高いお貴族様だったマチルダは、ずいっと男に向かって一歩足を踏み出した。

「いいかい? あたしだって命は惜しいんだ、あんたのどうでもいいプライドだかなんだかしらないけど、そんなのと心中するのはごめんだからね!」
「……わかってる」

 本当だか。

 それでも男は、悲壮な顔をしたまま果敢にナイフを頬にあてた。
 こういった面で素直なのはこのダメ男の数少ない美点の一つだとマチルダはこればかりは認識を改めることにした。女だからとか女だてらにとか言わないのはいいことだ。
 頭ガチガチカビ生えクモの巣はりまくりトリステイン貴族の、さらに生え抜きの魔法衛士隊にしちゃあね。

「なに、また伸ばせば済むことじゃないか。それにそっちの方が若々しくて断然いいよ?」
「童顔になって嫌なんだ!」
「言われたんだ」
「…………」

 図星だったらしい。

 確かに、今はあのもっさりした髪形も服装も変えているので、元の男を知っている人でもすぐにそうと気づく者は少ないはずだ。そう、若々しくなっている、無駄に。

「わかった、この眼鏡を貸してあげるよ。これでどこかの書生……には見えないか、あんた立ち居振る舞いがアレすぎるんだよ。平民はもっと隙がないと。じゃあこっちの眼鏡だ、度が入ってるから、自然と動きが悪くなる」
「何がしたいんだ、マチルダ!」
「変装」

 きっぱり答えて、こんな事もあろうかと袋から度の入った眼鏡を取り出す。本当は機会があれば売ってしまうつもりだったのだが、どこでどう役に立つのかわからないものだ。

「おい、視界がぐにゃぐにゃして気持ち悪いんだが」
「そこはスクウェア的才能でどうにかする」
「バレるから杖を持つなと言ったのはお前だぞ、魔法なしでは無理だ」
「やっぱり無理か」
「当り前だ……つッ」

 どうやら髭そりナイフを手にしたままごちゃごちゃしたせいで指を切ったらしい、普通の生活人という大事な所が、実に間抜けでダメな男だ。

「ったく手間ばっかりかけさせる男だね。見せてみなよ」

 スクウェアクラスの風魔法を操る男は、こういった水系の魔法がまるでダメという、本当に本当に潰しのきかない、使えない男なのである。マチルダは短杖を握ってその切り傷を治してやった。

「なに?」

 気づくと、ワルドがまじまじとなんともいえない目で自分を見ていた。

「……いや、その、ありがとう」
「生憎と、安宿の女郎じゃないから舐めて治したりしないよ? 期待されてたんなら悪いけど」
「絶対にそれはないっ!」
「それはそれで、なんかムカつくね」
「とりあえず、眼鏡はいらない、残りはちゃんと剃っておくから見張ってなくていいぞ」
「はいはい」

 本当は気付きたくなかった。
 だからごまかした。
 でも、ごまかしきれなかった。

 テファの所の子供たちの怪我を治したやった時の目とよく似ていたということに。でないと、自分にダメージ大きすぎるではないか。【おかあさん】と言いだしそうな、もういない温かい存在を重ねて見られていたなんて。

 しかも! 自分より! 年上の! 男に!

「ううっ」

 よろめいた。
 やはり大ダメージだった。
 そして嫌な予感がした。このままこのダメ男とずるずると行ってしまうのではないかという予感。残念なことにこの予感は大当たりしそうだった。

「この国を、うまく出られたら速攻で捨てよう、そうしよう、そうするんだよ」

 それが当然無理だったことはまた別の話。

 終




[29188] 遠くにありて
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2013/03/12 23:05
遠くにありて

 なあ、デル公、と言いかけて男は苦い顔で言葉を飲み込んだ。

 カウンターの向こう、あのうるさいインテリジェンスソードは、もういない。店はしんと静まりかえり、通りの喧騒だけが開け放した窓から聞こえてくる。

 そうだ、あいつは、つい三日前に売れてしまったのだ。

 最初の日こそ、うるさい奴がいなくなってよかったと思っていたが、なんというか……あまり認めたくないのだが……、どうにも寂しくなってきてしまった。
 本当に認めたくないのだが。

 思えば、剣にしてはやけに人間臭いデルフリンガーは、売られる時はてめぇで決めらぁッ!」と啖呵を切ったこともあった。あの時は、こういったインテリジェンスソードの研究しているという高名な土メイジの研究者が客で(彼としては道具に知性をくっつけようなんていう考えが既に理解できないが、そういう研究もあるのだろう)、びっくりするほどいい値で売れそうだったのに。
 あのおしゃべり剣が、自分が止めるのも聞かず、べらべらべらべらとどうしようもないことをしゃべりまくり、さすがに辟易した土メイジが売買を断ってしまったのだ。マジックアイテムには妄想癖があるのだと初めて知った。何が始祖ブリミルの時代から存在していただ、寝言は寝られるようになってから言え、イカれ剣が。
 「俺っちは剣だ、使われてなんぼだ。研究対象としていじくりまわされるなんざまっぴらごめんだ」という意見に賛同する心はあったものの、商売人としてはこれはない。

 その日はやけ酒かっくらって早々に寝た。

 なのに、あんな小煩そうな貴族の小娘に買われやがって、しかも振るのはあのひょろっとした兄ちゃんだっていうし。

 思わず、カウンターの上を叩くと、思った以上の力が出て大きな音がして我ながら驚いてしまう。しかも買ったばかりの新しいインク壺がはねて、焦ってしまった。

 帳簿のチェックをするつもりだが、数字だけがつらつらと視界を行き来してなんとも頭の中に入ってこない。
 お貴族様ならシュペー卿の剣でも大広間に飾ってりゃいいんだよ、あんな錆びて見栄えの悪い剣どこがよかったんだ、しゃべるからか? しゃべるからなのかっ?

 大きな取引があった時に番犬ならぬ番剣してもらったこともあったよなあ……デル公、あの時は実際助かった。眠るということのないマジックアイテムに心から感謝した。無事に取引は終わり、手に入った金で再び王都で店を構える事が出来た。

「ちくしょうめ、礼も言わせねえでよ……」

 おめーはアテにならんだの、一人でどうするつもりだったのかなどと、散々に言われて売り言葉に買い言葉、鍛冶屋の炉につっこんでやる、だったらこっちは来る客来る客に店主の恥ずかしい秘密を片っ端からバラすとあれこれ。
 どうにも、言いそびれてしまっていた。

 彼が気付いた時には家にあったデルフリンガーという名のインテリジェンスソードは、実は誰がどう手に入れたかすら定かではなかった。
 親父の代にはもうあったと聞くし、祖父の代は……どうだっただろうもう亡くなっていたのでよくわからない。売れない剣を、親父は苦笑いと一緒に「腐れ縁」だと言った。
 売買の話がまとまりそうになると、いつも何かしらあって契約が流れてしまうのだという。そもそも、もっと高く売ろうにも錆びは取れず、作成者もわからず、魔力の付与者もわからない、いっそ二束三文で、と、売ろうとしてもなんだかうまくいかない。

 やっかいな剣だった。

 共同経営者に売り上げを持ち逃げされ、店を借金のカタに取られ、母を流行り病でなくして、食べるため、生きるため、ただ必死に働いていた父。
 当然一人になることが多かった男は剣と話をたくさんした。
 嘘か真か、あまりにも胡散臭い冒険譚の数々。
 だが、幼い自分はどれほどそんな夢物語に心慰められたことだろう。
 生まれ育ったトリスタニアを追われ、行くあてもなく、旅商人となり、寂しくて寂しくて。

 他のインテリジェンスソードを何度か扱ったことはあるが、あれほどまでに「個性」を感じさせるものに出会ったことはない。
 いずれ名のある製作者の作品だろうが、残念ながら最後までそれはわからなかった。刀身の様子や柄の作りなどから時代や作者を推察できるはずなのだが、それすらも難しかった。そもそも、本人(剣だが)が覚えてない。
 せめて、工房の様子くらい覚えてないのかと、問いただしたがそれすらもさっぱりで。

 お前、人間でいえば故郷だぞ? いくらなんでもそれはないだろう。と言ったら、あっさりと「人間じゃねえし、故郷とか笑い話だろ?」と返された。確かにその通りだが、当時の自分はただのガキで、自分自身が故郷を追われてたもんだがら、そんな事を言われてすっかり気落ちした。思い入れや思い出を、全否定された気分になったんだ。
 さすがにあいつもそれに気づいて、取り繕うように、「使い手の故郷が俺っちの故郷になるんだろうな」などとわかるようなわからないような事を言い出した。

「バカだなデルフ、今のお前売れないんだぞ、売れ残りだぞ、そんな使い手とかいるはずないだろ」
「売れ残り言うんじゃねーよ。だったら一応とりあえず持ち主の故郷が故郷ってことにしといてやってもいーぜ」
「エラそーに言うなよ、売れ残りが。持ち主も使い手も一緒だろうに……まあ、そういうことなら、俺がお前をトリスタニアに“帰して”やるよ」
「あのなあ、ガキ、俺っちの持ち主はお前の父ちゃんだっての。それに持ち主と使い手は違うんだぜ、全然違う」
「ふふふ、俺には見えるッ! 俺が大きくなって父ちゃんの後継いでも、お前絶対売れてねえ!!
「ひでぇッ!」

 その後、夢ぐらい見させろと言った。
 夢、叶ったじゃねーかデル公。

 自分を売れと言ったのは、あれが最初で最後。

 あのヒョロい兄ちゃんは大切に使ってくれるだろうか。話し相手になってくれるだろうか。喧しそうな貴族の嬢ちゃんは、そのツテであいつの錆をきれいに落としてくれる鍛冶師を見つけてくれるだろうか。

 在庫表からデルフリンガーの文字を消す。日にち、値段、購入した相手。

 うさんくせーと子供心に聞いていた「俺っちには役目がある」、親父の「あいつは売られる時を知っている」、それが本当だったと心の奥底で納得してしまっている。

 ならば、と、男は考えた。

 ならば、役目を果たして戻ってきたら、またこの店に置いてやらないこともない。

 ドアベルが鳴った。

 それまでこの店を続けよう。
 いつまでも。





[29188] 水兵服とへっぽこ竜
Name: MNT◆809690c0 ID:e3975a1c
Date: 2013/05/21 00:03
水兵服とへっぽこ竜

「お待たせっ!」

 くるりんぱっと彼女の主観で華麗に一回転してから、シルフィードは言った。

 ここは、学院近くの裏山で、いつものように使い魔達がそれぞれに仲良く集っている。そしてこれまたいつものように、仲のいい使い魔であるフレイム、ヴェルダンデ、ロビンがぐだぐだと時間を潰していた。
 空は抜けるように青く、ゆるやかに風が吹く、爽やかないい天気だった。
 ただ、ロビンはやはり体が乾燥するのが嫌なのか、きっちり日陰に入り、さらに昨日の雨でじめついた地面にぺったりと腹をおしつけている。
 ヴェルダンデはその隣で上半身を土中から出し、まったりしていた。
 サラマンダーであるフレイムだけが、のびのびと太陽の光を受けて体を伸ばしている。

 そんなこんなのゆったり伸びやかな昼下がりに、シルフィードが林の向こうから駆けてきて(飛んできたのではない、ヒトガタだった)彼らの前で意味不明な一回転をかましてくれたのだ。

「…………」

 沈黙以外に応える何ものもないのは、当たり前である。
 なのに竜は【解せぬ】という表情になって固まった。

「え? どうしてなのね? あ、え、えーと……あ、そうかっ! オ待タセッ!」

 今度は、何かを思い出したらしく、小さく頷きつつセリフを棒読み、再びくるりんぱをかまして、最後に指を立てた。

「…………」

 あれだけ嫌がっていた人間の服を身につけ、品評会出場者のごとき堂々とした姿で、高速回転。
 ただ人間服は上っ面だけであり、あの人間使い魔が見たら鼻血を吹きそうなスカート下が広がっている。
 だがヒトではないカエル、モグラ、サラマンダーに特に意見はない。
 潔い下半身すっぽんっぽんぶりと上半身たゆんたゆんぶりは、本人のドヤァの表情もあいまって、性的というよりも、野生発見伝である。
 恥じらい? 何ソレ美味しいの? だ。

「シルフィ……熱でもあるの?」
「そうだよ、あれだけ服嫌だって言ってたじゃないか」
「ついに怪しい拾い食いがたたって、頭やられたのか、へっぽこ」
「お、おかしいのねっ! 絶対おかしいのね! みんなは、これ知ってるはずなのね!」
「あ、そうか。視界共有するとギーシュさま困るからやめてくれる?」

 少し前の出来ごとであるが、この服装が男達の間で大ブームになったことがあるのだ。もちろんヴェルダンデのご主人もその例に漏れない。とても幸せそうに、けしからんと言いつつ脳髄を直撃されていたのだ。
 ロビンにもそう悪い記憶はない、これを着て教室に行った時のモンモランシーさまはとてもとても機嫌がよかったのだから。可憐で清楚ですばらしくよく似合っていたとカエルは思う。ちょっぴりだけ、それをプレゼントしたヴェルダンデのご主人を見直した……時もありました。

「お、おかしいのね、ロビンのご主人さまだってすっごい注目されてたのね。だから、これお姉さまに着てもらえばいいはずなのね。きっと絶対似合うのね!」

 足りない言葉から推定すると、この服をどこをどうやって手に入れたかは、わからないが、シルフィードは主であるタバサに着てもらおうと思ったらしい。

 クラスメート達にかわいーかわいーきれーすてきーにあうーさいこーと賞賛されるマイご主人、それはもう使い魔として鼻高々であろう。
 色々と足りてないが。

「あなたのご主人が着たら、ぶかぶかにならない?」
「それはそれでって聞いたのね! それはそれで!」

 どこから何を聞いたのか、もはや誰も突っ込まない。

「うん、おまえがへっぽこなことだけは、わかった」
「またへっぽこ言うのね! フレイムひどいのねっ! シルフィはシルフィなのね!!」

 深く深く頷くサラマンダーに、今は人型となった竜はだしだしと地団太を踏んだ。そのたびにひらりひらりと短い水兵服の裾がひるがえるが、やはり彼らに特に感想はない。

「ま、まあ多分シルフィのご主人はそんなの着ないと思うよ、うん」
「わたしもそう思うわ」
「どっから取って来たかしらねえけど、返しておけよへっぽこ」
「うう……でもこれ、フレイムのご主人から貰ったのね! お姉さまが」

 ごっと音をたててサラマンダーは地面に頭を突っ込んだ。

 あらゆる意味で予想外だったらしい。

「なのに、クロゼットの奥にしまいこんでしまったのね、もったいないのね!」

 シルフィードによると、ゲルマニアで量産して世界的ブームにしようそうしよう、そのままがっぽがっぽと儲けようという、実にキュルケらしい考えがあり、試作品を、絶対に似合うから! ぶっかぶかもそれはそれで! それはそれで! と渡した……らしい。
 確かに、フレイムもご主人さまがここのところ何事か活き活きニコニコと連絡を取ったり書類をかいたりしているのは知っていた、だがこういうことだったとは。
 頭から瞬時に乾いた土をぱらぱら落としながら、彼は立ちあがった。

 やるならやらねば。

「さすがキュルケさまだ。これは間違いなくお前のご主人に似合うぞ、青いの」
「手のひら返したー」
「はっはっは焼くぞモグラ」

 シルフィードはやっぱりドヤァ顔で、うんうんと腕を組んで頷いている。

「だからお姉さまに着て欲しいのね」
「よしわかった協力する」
「今日のフレイムは話がわかるのね!」
「何を言うんだ青いの、俺はいつでも話のわかるオスだぜ?」

 前足と手を打ち付ける。
 かつて二匹がここまで意見を合わせ協力することがあっただろうか、否、ない。

「いや、こういうのはご主人さま達の気持がね? 大事なんじゃないかなぁって……え? え? どうしようロビン」
「くっ、モンモランシーさまにライバル……ライバルだわ……メイドは場所が違うからどうでもいいとして、アレを皆が着るようなことになったら、モンモランシーさまの魅力再発見が! ……来なさいヴェルンダンデ、あの二匹の計画を妨害するわよっ!」
「ロビンっ?!」

 片方はさらに林の中に、もう片方は学院の方へ、二つに分かれ、それぞれに場所を変えていく使い魔達だった。

 特殊水兵服は各国でブームになったとか、ならないとか。特殊性癖に目覚めたものがいたとか、いなかったとか。




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