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[27313] 【チラシの裏より】 ぜろろ (ゼロの使い魔×PS2ソフトどろろ)
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 23:31
某掲示板で掲載していましたが、一度全削除し改定。
投稿が楽なので、掲載場所をこちらに変更しました。

2011/4/29 一先ず改定終了、ストック放出しきったのでゼロ魔板へ移動させて頂きました。

以下本文です。

―――――――




始めに現れたのは白い大きな繭のようなものだった。

桃色の髪を持つ少女は心の中で喜びの声を上げた。体が震えているのが分かる。心の中だけでなく外界に向けて歓喜の声をばら撒きたいが、興奮のせいか、上手く声が出ない。
僅かに間をおいて、繭の表面が蠢くと、ゆっくりと開き始めた。中から現れたのは、九本の尾を持つ白い大きな狐。繭のように見えたのは、狐の持つ九本の尾がその大きな体を包んでいたからだ。

(綺麗、それに、とっても強そう)

体を覆う白い毛皮は日を浴びて光を返し、周囲から浮き出ているようで何やら近寄りがたい程に美しい。まるで自ら光を放っているかのようだ。緩やかに丸みを帯びつつも細長く伸びた面は、獣でありながらもどこか妖艶さを漂わす。
狐の大きさは、屈んでいるためよく分からないが、尾を抜かしても十数メイルは在りそうだ。唯の獣でないことなど誰の目から見ようと明らかである。
首飾りを下げている。光沢の無い、ごつごつとした石の様なものを紐で繋げていた。 少し茶色く変色しているが、元は真っ白なのであろう、所々削れた部分がうっすら浮いて見えた。

(洒落っ気のある使い魔なんて、気が利いてる。でも変なの。尻尾の先に手がついてるなんて、狐だから足なのかしら)

九つそれぞれの尾の先についた鋭い爪を眺めながら、少女は詮無い事を考えていた。激しく混乱している意識とは別の部分で、もう一人の自分は冷静に狐を観察しているのが分かる。どうにも奇妙な心持である。 まだ体は震えている。
繭が開ききり、狐の巨体がゆっくりと起き上がった。いや、大きすぎるためにその様に見えたが、実際は少し首を伸ばしただけだ。狐は閉じていた目をゆっくりと開き、あたりを見回す。今日少女が見たどの使い魔も、最初は同じ事をしている。突然見知らぬ場所へつれて来られたため驚いているのだろう、と少女も周りで見ている者達も考えていた。

が、この後が少し違った。狐はあらぬ方向をしばらく見つめると、目を細めて、口を大きく歪ませ、牙を見せた。笑っているように見える。もっとも動物の笑った顔なぞその場にいる誰にも判別はつかない。ただ、誰の目にもそう見えた。

少女は馬が好きだが、馬の顔というのは笑っているように見えることが彼女には多々ある。狐も確かに笑っているように見えるのだが、少女が馬に対してしばしば感じる愛嬌というものが、狐の雰囲気からは感じられなかった。 むしろすこし恐ろしい。

狐がその美しい体をさらに起こそう、と首を伸ばしたせいで、首元にかかった装飾が光を浴び、繋がれた石ころが何であるのかを、少女ははっきりと目にした。
人の頭蓋骨だ。少女は本でしか見たことはないが、同じ様な形のものは他に思い当たらない。
それを幾つも、まるで自慢の宝石を見せびらかすように、飾っているのだ。

少女は自分が震えている訳を、正確に理解した。声が上擦り、叫びたいのに声が出ないのは何故であるか、今やっと分かった。興奮していたからではない。恐ろしいから震えている。喉が渇き、声が掠れている。ぐっとつばを飲み込む。

逃げ出したい。早く何処かへ行ってほしい。

先程までの喜びはどこへやら、少女は目の前の得体の知れぬものが、自分の目の前からいなくなることばかりを願った。
思いが通じたか、だが信じられないことに、巨大な狐の体がふわりと浮き上がり、そのまま見つめていた方向へ飛びたとうとしている。口元はさらに歪み、今度こそはっきりと、笑っているのがわかった。今度は確実に、その表情を恐ろしく感じた。

(怖い、なんて怖い)

気がつけば狐は既に視界に無かった。目をつぶっていたのだ。ゆっくりと空を見る。狐は既に遥か遠くの空を、少女をあざ笑うかのようにゆらゆらと飛んでいた。
目の前の恐怖が消え去った安堵から、少女はその場にぺたんと腰を落とす。怯えて腰を抜かすなど貴族にあるまじき醜態、と普段なら気丈に振舞うところだが、そんな考えは微塵も頭をよぎらない。ただ、恐ろしかった。

まだ終わってはいない。

誰もが、白い狐の存在感に当てられていたため気付かなかったが、召喚の門は未だ開いたまま。そこから二つ、また大きな狐が現れ、白い狐の去った方へ、付き従うように飛び去っていった。大きさは白い狐の半分ほど、だが十分に大きい。五、六メイルは優に在る。尾の数は、白い狐に比べ少ない。
三匹もの巨大な獣を呼び出しながらも、それでも門はまだ閉じない。殆どのものが、狐達の飛び去った方角を呆然と見つめている中、数人がこの異常な事態に気付き始めた。

召喚の門から何かが溢れようとしている。禍々しい何かが。

堰を切ったかのように、一斉に闇が噴き出した。太い足を生やし、それぞれの面に顔を持った三角の柱。後頭部が突き出した、異常に大きな頭を持つ人間、老人にも見える。胴体の中央が膨らみ、小さな手の付いた蛇。大きな蓮の花に乗り、背に人間の顔を幾つも従えた巨人。この様々な生物のいるハルケギニアでも、見たことも聞いたこともない異形たちが、次々と飛び出し、思い思いの方角へ飛び去っていく。どれも皆一様に大きく、おぞましい。

少女は、気を失った。

留まることなく溢れ出る異形は、五を越え、十を越え、二十を越え、もはや何匹の怪物が飛び出したのか分からない。

と異変の中に、さらなる異変が起きる。
異形とともに人間が飛び出してきた。いや、異形を追いかけ、ついて来た様にも見える。黒く、長い髪をなびかせた男だった。ぼろぼろの、柄の付いた薄いガウンのようなものを纏い、細く長い片刃の剣を握っている。
刃の部分が陽光を受け、鈍く輝いた。
周囲は恐怖と異常のあまりもはや思考が付いていけなくなっている、がここへきてさらに混乱することになる。
ざわつき、戸惑い、あるものは口々に悲鳴を上げ、あるものは逃げ出し、あるものは腰を抜かしたまま、座り込む。そんな周囲には目もくれず、突如として現れた男は、自分の何倍もの大きさの化け物に踊りかかった。
男の目は爛々と輝いていた。





男の様相である。動き回っているのでよく分からないが、おそらく身長は175サント前後。勇猛果敢に人外に挑むだけあり、筋骨隆々というわけではないが、逞しいのが遠目にも分かる。
髪は長く、後ろで束ねている。珍しいことに真っ黒だ。黒髪は、全くいないわけではないが、ここまで見事な黒は珍しい。
服はぼろぼろの布切れを身にまとっているのみ。ガウンに似ているが明らかに違う。くすんだ水色、いや色の抜け落ちた紺だろうか、それを地に、白い錨のような柄が入っている。生地は薄そうだ。
丈は膝の辺りまで。幅広の袖口はほつれ、裾もこれまたぼろぼろで、破れている箇所もある。その布切れを腰の辺りで、麻紐で縛っている。

紐と体の間には、細長い、赤い棒切れのようなものを捻じ込んでいる。おそらくは、鞘であろう。

靴は履いていない。草を編んで作ったサンダルのようなもの。これもこの一帯には該当するものがないものだ。手首、足首には細長い、淡い青の細長い布切れを幾重にも巻きつけてあるが、何に使うのか。

身に着けているもの、全てがみすぼらしく、それらが風を受け、飛び跳ねる様は、鳥の死骸が空に焦がれ、散々に千切れた羽で、必死に羽ばたいているかのようだった。

対して化け物、二本足で立っている。大まかな形こそ人間だが、鱗がある。眼球は黄色く、黒い瞳孔が立てに裂け、鼻は低い。唇がなく、口は横に大きく広がり、二つに割れた細長い舌と、無秩序に並んだ牙がのぞいている。
緑の鱗が全身を覆い、所々赤い皹が、血管のように浮き出していた。蛇か蜥蜴と人の相の子がいれば、あるいはこのようなものかもしれない。が身の丈五,六メイルは在るだろう。大きい。肘から先は刃物のように尖り、鈍い光を放っている。真っ当な生き物ではない。

挑み掛かっている男の表情は、捕食者のそれに近いものがあるが、普通は逆だろう。化け物は男の三倍は優にあるのだ。結果など見ずとも分かる。と僅かに思考の残ったものは考えた。

が結果から言えば、違った。

異形が、飛び掛る男を鋭い右腕を横に薙ぐが、男は空中で身をよじり、かわした。身に纏ったぼろきれが、また少し破れる。かわした化け物の腕を踏み台に、男はそのまま化け物の肩まで駆け上がり、握った剣を、化け物の大きな左目に突き立てた。
痛みのせいであろう、化け物が叫び声をあげる。低く大きい悲鳴。腹の下に響く。聞くものの気分を悪くする不快な音だ。

目を突いただけでは生物は死なない。男は右足を化け物の肩にのせ、左の膝を頬の辺りに掛け、剣を両手で逆さに握り、ずぶりと更に突き刺す。
赤黒い血が流れ出し、化け物の不快な悲鳴は、一層大きくなった。痛みに耐えかねた化け物は転げ周り、男は振り落とされる。片膝をつき、着地した 。剣を手放すなんて醜態は晒していないようだ。右腕にどろりと赤黒い液体が滴る剣を、しっかりと握っていた。赤黒いなかに、銀色が僅かに光っている。

ここまできてやっと正気を戻したものがいる。子供たちを引率している、中年の男、教師であった。彼の仕事は生徒を導く事、守る事。

生徒に危害を加えられるわけにはいかない。逃げるか、あるいは早くこの争いを終わらせなければ。避難に関しては幾人かの生徒はすでに済んでいる、というか各々自発的に済ませているが、それを除くほとんどの生徒は、動くことすら不可能のようだ。
恐ろしさのあまり腰を抜かし、気絶している者、なにやら失禁している者までいる。
普段であれば、はしたないどころの騒ぎではないが、この状況ならばまあ、分からなくもない。黙っておこう。

さて、戦闘を終わらせようにも仲裁などと理知的な方法が取れるような次元ではない。なにより一方は意思の疎通が可能であるかも甚だ疑わしい。仮に言葉が通じたとしても、いきなり襲い掛かられ、片目を抉られたのだ。ここでお開きなど在り得ないだろう。
とすれば取れる方法は一つ。戦闘への介入により、終結を導くしかない。

教師には一つの戒めがあった。戦わないこと。何故、という事は、ひとまず置いておこう。今はその戒めなどにこだわっていられない。軽い心で自らを戒めたわけではないが、ここで戦わなければ、生徒達に、如何なる危害が及ぶことか。間違いなく、後悔するだろう。
自身の依怙地など、愛する生徒達のためならば、いくらでも捨てられる。頭を大きく振り、ちくりと脳裏を掠める記憶を、追い出した。

ならば自分はどちらにつくべきかと考え、答えはすぐに出た。あんな化け物が人に無害であるようにはとても見えないし、対する男は、おそらくだが、人間。羽もなければ耳も尖っていない。うすい服から覗く肌は、毛深くも無いようだ。
どちらが正解かは分からないが、確率で言えば男に加担したほうが、はるかに安全だろう。化け物の相手は少し骨が折れるが、あの男も只者でない。そこに自分が加われば勝つことは十分に可能なはず。
揺るぎはない。その程度には、こういった場面の自分の判断力に、教師は自信があった。

その後は、早かった。がむしゃらに腕を振り回す化け物の怪力をいなしながらも、男は攻めあぐねている。そこへ、化け物の胴体に向かって、高密度の火球を打ち込んだ。
突然の横槍に、化け物は慌て、両の手で防ぐも、戸惑い、動きが鈍った。その迷いが命取り、男はすかさず火球の後を追い、飛び上がる。火球を防いだ化け物の両の腕を踏み越え、今度は眉間に、先ほどと同じように剣を突き立て、捻り、さらに根元まで突き入れた。
化け物の後頭部から切っ先が飛び出し、貫いた。

ぐぅっと唸ったのが断末魔だったか、尖った両腕はだらりと下がり、化け物はそのまま後ろへ倒れこんだ。

ずん、と地が揺るぐ。

男は、化け物が倒れる前に地面へ飛び降り、化け物の死骸に向かい合い、また構える。
まだ、死んでいない、と言わんばかりだ。用心深いのは感心だが、いささか念を入れすぎではなかろうか。

そう思い、教師も死骸を見遣るが、どうにも変だ。少しずつ死骸がぼやけ始めた。まるで黒い水が蒸発するかの如く、くすんだ靄を出し始めたのだ。
腹の辺りから、球状の光が怪しく、白い尾を引き、揺ら揺らと迷うように、天へと向かい、登っていく。光を目で追い、教師はしばらく天を見上げ、茫然としていたが、ふと、誰かの呻き声を聞き、我に返った。
辺りを確認する。音を発していたのは、先ほどまで、大立ち回りを演じていたあの男だ。

先ほどの戦いで、どこかに傷を負ったのだろうか。教師は男に警戒しながらも、歩み寄ろうとして、また妙なことに気づいた。空を見上げていたせいで気付かなかったが、いつの間にか、化け物の死体がない。まさか本当に蒸発してしまったのか。訳が分からない。

大きな声が聞こえる。この短い時間の間で、何度目であろう、茫然としていた自分に気付き、声の主を見た。何事か叫んでいる。男は雄たけびをあげていた。
先ほどまで見せた顔と、えらく印象が違う、子供が喜びで喚いている様に、誰の目からも喜んでいることが分かる声色だ。

男の様子を見る限りでは、どうやら一段落したように思える。教師は大きく、長いため息をつき、腰を下ろそうとして、もう一踏ん張りと背筋を伸ばし、あたりを確認した。

今度こそ、もう何も起こるまい。召喚の門は既に消え、化け物の残骸は無い。周囲は男と化け物のせいで、荒れているが、建物に被害はない。
生徒は、あちこちへ散らばり、泣いているもの、嘔吐しているもの、失禁しているもの、醜態こそ晒し放題だが、見たところ、ひどい外傷を負っているものもおらず、せいぜいが、転んで擦りむく程度のようだ。事態は無事収束へ向かっているのだろう。

今更ながら、騒ぎを聞きつけた者達が集まり始めていた。八つ当たりと分かっていながらも、冷ややかな目でその者たちを見ながら、ため息をつく。

さてもう一仕事、これで最後になって欲しい。男との対話が残っている。
男を見た。

男は喜びを噛み締めることに満足したようだ。今更、本当に今更、辺りを見回し始めた。
怪我の心配は、どうやらしないで良いようだ。
先ほどまでの獰猛な面は、今はなりを潜め、見慣れぬ服装と珍しい真っ黒な髪を除けば、ただの青年に見える。教師、ジャン・コルベールは限界まで上がっていた警戒心が少し和らぐのを感じながら、おずおずと男に話しかけた。

こんなに厄介そうな事は久しぶりだ。
正直、関わりたくない。





[27313] 第二話 地獄堂
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/20 14:53
とある町の話である。
仏師がいた。美しい妻を娶り、娘を一人、息子を一人授かった。
妻は美しいと評判であった。妻に似た子供たちも自然、美しく育った。
仏師は幸せであった。

ただひとつ悩みがあった。
画竜点睛、という言葉がある。画の竜に命を宿した、という故事が元である。
自分の作る物は美しいが、所詮像でしかない。命など宿ったことはない。
足りない。何かが、何が足りない。

ある時、戦が起こった。が仏師にとって問題であったのは、戦の起こる前のこと。

戦が始まろうとしていた頃。
仏師の妻と子供たちが殺され、家に火をかけられた。妻と娘は犯され、嬲り殺しにされたらしい。
らしい、というのは、仏師は出かけていた。そのため、事は町へ帰って、初めて聞いたからだ。

仏師の友人達だった。竹馬の友と呼んでもよいくらい、気心も知れていた。妻を娶ったときも、子を授かったときも、みな我が事の様に喜んでくれた。
いずれも既に逐電している。
戦を前に自棄になり、好き放題して逃げ出したのであろうか。

仏師は独り、何も語らず、何も食わず、虚空を見つめ、自宅の焼け跡の上で座り続けた。動かぬ、朽ちた彫刻のようだった。

一月経ち、仏師は思い立ったように山へ向かい、大きな何かを一心不乱に彫り始めた。五間ほどある、仏、ではない。禍々しい。
寝物語に聞いた鬼、巷で語られた人を食う蛇、国を幾つも潰した狐。思い出せる限りの妖怪の類を、彫り続けた。もはや仏師も、人ではないほどに、禍々しい。
しかし、仏師は同時に興奮していた。

今にも動き出さんとする我が作を見よ。

喜びと憎悪、感動と空虚、自分でも訳の分からぬ思考のままに彫り続けた。

足りなかったのはこれだ。
生きているぞ!!命が宿るぞ!!呪うぞ、殺すぞ!!



月日が流れた。仏師、髪も髭も伸び、皮膚は灰のように白く、皹だらけに割れ、ノミが壊れても石を拾い、石が無くなれば爪を立て、彫り続けた。血走った目だけが生きている証のように光を受け、ぎょろりとのぞいている。死肉を僅かに残した骸骨が、眼窩を怪しく光らせ、呻き、喜び、歓喜と憎悪に転げ回っているようであった。

数年経ち、四十八体目を彫り終ところで
「ひぃっ」と獣のような、耳を突く叫び声を上げ、体中から血を噴き出し、力尽きた。血は四十八全ての像に降り注いだ。その途端、黒い霧のようなものが、像に流れ込んだように見えた。産声を上げたかのように幽かにだが、確かに像が動いた。

見ていたものがある。この気違いを、怖いもの見たさに、偶然この日木の影から除いていた。恐ろしくなって砕けた腰で、何度も転びながら町へと駆け下り、青い顔で事の顛末を話したが、誰も信じない。
ならば、とその場所へ連れて行っても仏師の死体はない、血の跡も。あるのは四十八体の不気味な像と、何年も同じものを着古したような、ぼろぼろの着物のみ。仏師の纏っていたものだ、と見ていたものは言う。
誰も信じた訳ではなかったが、そこにあった像は確かに不気味であった。いや、なにやら怖気まで感じる。捨てようとしても、びくともせず、燃やそうと火をつけても、なぜか焦げすらしない。

人々は不思議に思ったが、所詮人里はなれた森の中に、少し不気味な彫像があるだけで、何を困ろうものか、と恐れる心を誤魔化し、捨て置いた。

それからというもの、不吉な事が続いた。まず、仏師の最後を見たものが、突然死んだ。理由はわからない。家の押入れの中で、何かから隠れるように、隅に顔をうずめていた。それからは、七日に一人必ず死んだ。老若男女問わず、あるものは突然に病をこじらせ、あるいは屋根から落ち。
極めつけは、家の中で、なぜか首のない姿となって布団の上に横たわっていたものまである。数日経ち、像のある辺りにカラスが集まっているようだ。勇敢なものが、何事かと調べに行くと、一体の像の足元に、朽ち果てた、誰かの頭が転がっていた。

いよいよ恐ろしくなり、高名な僧を呼び、見せた。
「お堂を建て鎮めよ。」という。
その通りにした。像は押せども引けども動かなかったため、円陣に並んだそれらを囲む形でお堂を建てた。

お堂が完成に近づくにつれ、次第に怖気が無くなり、七日たっても、十日たっても、誰も死なぬようになった。人々は安堵した。が、完成したその日の夕方、僧は雷に打たれ、死んでしまった。空は晴れていた。

人々はそこを「地獄堂」と呼んだ。




[27313] 第三話 地獄堂と百鬼丸
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/20 14:54




地獄堂とよばれるお堂に、四十八体のおぞましい像、魔神像と呼ばれる彫像がある。
とある仏師が、人を恨み、世を恨み、彫り抜いた。人を殺しさえするという、曰くつきの代物だ。

魔神たちが潜むと噂されていたが、事実であった。

魔神。人の怒り、悲しみ、憎しみという感情を糧として生きるものを魔神と呼ぶ。

現世に住処を得た魔神達は世を乱し始める。人が草木を、魚を、鳥を、獣を殺し、食すように、魔神は人を、人の心を食す。

魔神たちの思い通りに世は変わり始める。
国中が戦乱に包まれた。

ある日のこと、太陽が二つに分かれた。黒い太陽と白い太陽。天の神が、闇の神と袂を分かったかのようだ、と人々は噂した。魔神達は、これを不吉の予兆と捉えた。もちろん、魔神たちにとっての不吉、だ。何処かに、魔神たちを倒すためだけに作られた、光の子が生まれようとしている。

その場所を突き止めた。ある豪族の子であった。魔神達は子供を殺そうと画策するも、光の子は、天の神に守られており、直接手を出すことはできない。
魔神達は考えた。光の子の親、侍に魔神達は語りかける。

おまえの子を我らに差し出せ。そうすればこの世を統べる力を与えてやろう。

世の乱れを憂いていた侍は、この誘惑に飛びついたのだった。

しばらくして、子が生まれた。侍は喜んだ。生まれるはずのない我が子が、妻の手の中で、元気に泣いているではないか。しかし、侍が子を抱き上げようとしたとき、異変が起こった。

俄かに空を、雲が覆った。不気味だ。侍達を取り囲むように、奇妙な光の球がいくつも現れ、赤子の中に入っていき、出てゆく。一つ出てゆくたびに、赤子の体が少しずつ、欠けていった。

変わり果てた我が子の姿を前にし、侍は何を思い立ったか、我が子を、妻が赤子のために用意していた着物でくるみ、盥(たらい)にいれた。必死に押し留める妻を振り切り、赤子の入った盥を抱えて馬で駆け出してゆく。しばらく走り、少し離れた川辺までたどり着くと、盥をそのまま川へ流してしまった。
情との決別だったのか。

侍は、後にあらゆる敵をなぎ倒し、踏み潰し、国を蹂躙する王となる。

子はどうなったのであろうか。



寿海は優秀な医者であった。大国へと留学し、その技術、知識を学ぶべしと、朝廷より仰せつかったこともある。その知識は医学に限らず、兵器、歴史、礼法、異国の風土など多岐に渡る。

鼻が大層大きく、子供の握りこぶしほどに膨らんでいる。少し鉤鼻である。若い頃に煩った病のせいだった。この鼻が、彼という存在をことさらに周囲に印象付けた。

寿海はその風貌ゆえに周囲の覚えよく、その才から、様々な権力に人生を翻弄された。
優れた人材が必要な時に決まって目をつけられる。

そういえばあの鼻の大きな、そう、寿海といったか、彼奴はどうだ、という具合だ。

自然様々な面倒事を引き受けるし、まるで庇護を受けているかのような扱いに、周囲から妬まれることもしばしばであった。
そのせいである、晩年は特に人を嫌った。

人里で生きることに常々煩わしさを感じていた寿海は、山奥へと隠居していた。ある日、川辺を散策し、薬草を探していた時のこと、上流から盥が流れてくる。気になり手繰り寄せた。
中には奇妙なものが入っていた。どうやら赤子のようだが、手も足も、目も耳も鼻も、おおよそ人であることを証拠付けるものがない。人間だろうか。
ひとしきり考えたが、放って置けば間違いなく死ぬ。家へ連れて帰る事にした。

寿海には妻も子もない。赤子の育て方などよく分からない。ましてここにいるのは生きていることさえ不思議な、果たして人かも疑わしい赤子だ。寿海は途方にくれた。その時耳元で声が聞こえた。

「何か食べたい、何か食べたい。」

その訴える声に、寿海は奇妙に思い辺りを見回すも、このあばら屋には自分と赤子の二人だけだ。ふと赤子の様子を伺うと、赤子は眼球のない、黒く落ち窪んだ目の部分をこちらへ向けていた。

「お前なのか。何か食べたいのか」

寿海が問いかける。

「そうだよ。何か食べたい」

驚いたが、赤子を死なせてはならない。寿海は粥を拵えることにした。
粥を冷まそうと、鉢に入れ、床に置くと、なぜそれが分かるのか、赤子が鉢へ向かい這いずってくる。

手も足もない体で、必死に這いずり、粥を啜ろうとする赤子の姿を見た時、かくも不便で小さな体の中に、強く生きようとする力を感じた寿海は、この奇妙な赤子を育てることを決心したのだった。

寿海はこの赤子を百鬼丸と名付けた。赤子に与えられたこの体、恐らく人の手によるものではあるまい。心無い鬼どもの仕業に違いない。ならば強く育ち、いずれは百の鬼を調伏し、己が運命を切り開くべし、と願を掛けた。

百鬼丸には先に述べたとおり不思議な力がある。それは、心を伝える事のみではなかった。

百鬼丸は少しづつ育っていったが、手足はない。寿海はせめてもの慰みにと、精巧な義手、義足、とおおよそ百鬼丸に足りない、人間の部分を作り、与えた。
すると人の形を得た百鬼丸は、よたよたとでは在るが、動き出す。寿海は驚いた。確かに手足に関節は入れてある、が何故動くのか。だが、それ以上に、不憫な我が子が、せめて人並みに生きる可能性を得た、その事に喜んだ。
始めは歩くことすら難しかったが、一月も経つうちに、百鬼丸は野原を駆け回るまでになった。百鬼丸は目が見えず、耳も聞こえない。しかし野原を駆け回る百鬼丸は、石をよけ、水の流れを感じ、風を読み、魚を、虫を、鳥を捕まえて遊んでいる。
つくづく奇妙な子供であると、寿海は思ったが、もはや我が子同然の百鬼丸を、不気味に思うような事は無く、彼を愛した。



百鬼丸が成長するにつれ、寿海の周りに奇妙なことが起こり始める。夜な夜な、妖怪どもが現れるようになった。始めは一匹だった妖怪も、いまや数え切れないほどになり、家中にひしめき合う。しかし手を出してくることは無かった。
どうやら、寿海の予感は正しかったようだ。百鬼丸と妖怪どもにはなにやら因縁がある。

百鬼丸が寿海に拾われ、十五度目の春を迎えたとき、寿海は百鬼丸に言った。
旅に出よ。
ただ一言、それだけだった。妖を呼び寄せる息子を邪険にしたわけでは決して無い。しかし聡い百鬼丸は全てを理解していた。自分がこのままここにいては父に迷惑がかかる。自分だけならまだしも、常に寿海の傍で彼を守るわけにはいかない。そしてそれは自分の体と何か関係しているはずだ。
百鬼丸は旅立つ事を決意する。

謎めいた確信がそこにあった。
当ては無い。

寿海は百鬼丸に最後の大手術を行った。彼の持てる全ての知識と業を詰め込んだ。
あらゆる武器を体中に仕込む。常に怪異に付きまとわれる我が子を思ってのみではない。人の世の為でもある。

寿海は泣きながら手術を終えた。百鬼丸が旅立てば、いつ戻ってくるかわからない。老い先短い我が身からすれば、これが今生の別れの可能性すらある。だがそれでよい。我が子には生きていて欲しい。元の体を取り戻して欲しい。彼には言ってはいないが、本当の親に会ってほしかった。

こうして百鬼丸は、旅に出た。
旅に出て十数日後、とあるお堂にて謎の声を聞く。

お前の体は四十八の魔神に奪われた。全ての魔神を倒せ。

この声は何か、それは些事でしかない。

魔神。



寿海がの元から離れ、しばらくして妖怪どもが百鬼丸に手を出すようになった。天の神の加護が解けたと、魔神たちは考えた。しかし、体を奪おうとも、百鬼丸は魔神を殺すために生まれた存在。魔神たちは慎重だった。手下の妖怪を嗾け、百鬼丸の様子を伺う。
百鬼丸は強かった。刀の振り方なぞ寿海は教えていない。寿海は荒事は苦手だ。にもかかわらず、赤子が、生れ落ちた時から泣き方を知るが如く、百鬼丸は刀の理を知っていた。
更にまずいことに、小出しに嗾けた妖怪どもを切り捨ててゆく百鬼丸は、戦いを学んでゆく。

そして百鬼丸が旅に出て二年が過ぎた。今や歳は十八を数える。倒した魔神は既に数体。その度に髪の毛、臓物のいくつかを取り戻したが、未だ四十を越える魔神が世に蠢いている。

俺はまだ人間じゃない。

様々な事があった。この呪われた、作り物の体は、常人には不気味に見える。何度も迫害された。
怯えた視線を浴びる度、石を投げられ、村から追い出される度に、百鬼丸は魔神への憎しみを強くしていった。しかし、その憎しみが強くなればなるほど、なまじ半端な体を取り戻した百鬼丸は歯噛みする思いであった。

魔神たちは隠れている。

魔神たちは百鬼丸を殺す力を蓄えるため、隠れ、彼の前に姿を顕そうとはしない。
虎視眈々と機会を待っているのであろう。魔神はいずこに。

人の理不尽な悲しみのある所に、魔神は必ずいるとは謎のお告げ。何の手がかりも無い今、百鬼丸はそれを信じる他ない。

とある噂を頼りに、今まさに悲劇の舞台となっている町へ向かっていた。ある日突然町の中央に壁を設けられ、二分されてしまった町だ。戦のせいである。今や破竹の勢い、天下に最も近いと噂される何某という武将と、それに対抗すべく数人の豪族が手を組んだ連合軍との争いだそうだ。
我が家に帰るため、親に会うため、如何なる理由があれ、壁を越えようとするものは殺された。皆戦に振り回されている。さぞかし無念であろう。ならばこそ魔神がいるやも知れぬ。

逸る心のままに、百鬼丸は山道を歩いていた。

ふと、前方に妙な気配がした。門、と呼ぶべきだろうか、何処かへ繋がる穴が、ぽっかりと空中に開いた。その向こうから、何かが、誰かが呼んでいる。
次の瞬間、体中の血液が沸騰したかのように、百鬼丸は興奮で震えだした。魔神の気配が穴の向こうからする。

見つけたぞ。

百鬼丸は腰の刀を抜き放つと穴へと飛び込んだ。



[27313] 第四話 談話一
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/20 14:55
「不躾ながらお尋ね致しますが、あなたは一体何者なのでしょう?」
コルベールは男に単刀直入に質問した。

ここにきてやっと顔をはっきりと見た。やや面長で、いささか彫が浅い。といっても薄っぺらいというわけではない。鼻筋は通っており、口元もきりりと締まっている。目は切れ長で、瞳の色は髪と同じような真っ黒。先程の、燃え上がるような光はないが、宝石のよう輝いて見える。少し太く、整った眉が、猛然と化け物に立ち向かった時の、強い意志を窺わせた。

「名前を聞きたいのか?百鬼丸だ」

男は、質問の意図が分からない、という顔で答えた。初めて顔を合わせる人間の、突然の訳の分からぬ問いかけに、何の反発も無く答える辺り、意外と人がよいのかもしれない。

「ヒャ…キマル?失礼ながら変わったお名前ですな。それにその見慣れぬ服」

いや、そうじゃない。何を世間話をしようとしているのだ、自分は。
最初に危惧していた、意思の疎通はどうやら可能であるし、男からは害意のようなものは感じられない。短い会話からは、むしろまともな人間に感じる。ひとまずは安堵した。
話をつづけよう。問うべきことはいくらでもある。

「あなたは一体何者で何処からきたのですか?あの化け物たちは何なんでしょうか?死体も残っておりません。それにあれだけの数の生き物がサモン・サーヴァントのゲートをくぐってくるなんて聞いたこともありません。一体」

思いつく限りの質問をまくし立てる。男の反応を確かめようと目が合った。近づいて見ると、奇妙な目だ。瞳孔も見えないほどに真っ黒。生き物のものだろうか。焦点も少し合っていない。何か恐ろしいものを見た気がして、冷水を浴びたかのように、背筋が冷えた。

思考が止まり、再び動き出した。瞬間に、コルベールは自分の頭がまだ混乱していることを自覚した。無理も無い。今日一日、いや、この数十分の間だけで、向こう十年分は驚いたのではなかろうか。いや、これだけ訳の分からないことが続いたのだ。今後、滅多なことでは驚くまい。そう願おう。

「いや、申し訳ない。少しお待ちいただけますかな」

そう言うとコルベールは男に背を向けた。
目を瞑り、大きくゆっくりと息を吸い、吐いた。
落ち着いたところで再び男に向き直り、再度問う。

「失礼しました。ええとヒャ・キマァルさん・・・で宜しいですかな。名乗り遅れました。私、トリステイン国立魔法学院の教師を勤めております、ジャン・コルベールと申します。以後お見知りおきを」

軽く頭を下げた。

「さていろいろお聞きしたいことが御座いまして。もし宜しければいくつかお聞きしても?」

コルベール、年は四十を過ぎている。背は相対する男よりもほんの少し低いくらい。余分な肉はなく、頬は少しこけている。がその立ち姿は、上から糸で吊るしているかのように、しゃんとしており、足腰は意外としっかりしていることが分かる。右手には、背よりも少しばかり長い杖を持っていた。顔立ちは決して老けてはいないが、天辺から前髪、鬢の上の辺りまできれいに禿げ上がった頭が、彼を実年齢よりも老けて見せている。丸い眼鏡をかけ、普段、探究心と好奇心に満ちた目は、今は警戒心を少し含んでいる、すこしばかり鋭い。もとは軍人である。とある事件がきっかけで軍を除隊し、教師になる、がその話は今は置いておく。

男に対する態度は慇懃なものだった。今のところ、男はまともな人間に見えるし、会話も出来る。しかし化け物と向かい合っていた時の、猛々しい顔を思い出すと、あまり刺激を与えるのは危険な気がする。とは言え、放っておくわけにも行かないし、聞きたいこともある。ならば最低限警戒しつつも、礼節をもってあたるべきだろう。

しかし男はコルベールの質問に対し、今度は先ほどと違う意味で、分からない、といった顔で、逆に訊いた。

「鳥・・・魔法?なんだって?ええと、じゃんこ・・・?すまない、名前、もう一度教えてくれないか」
「コルベール。ジャン・コルベールです。どうぞ、コルベール、とおよび下さい」
自分の名前の部分は聞き取りやすいよう、それこそ生徒に言い聞かせるように、ゆっくりと名乗った。
よかった、少し落ち着いてきた。

「こるべぇ…?あんたこそ変わった名前だな。」

そうだろうか。自分と同じ名前の知り合いはいないが、そう言われたのは初めてだ。いやいや、落ち着け。彼は未開の地から来た異邦人に違いない。服装を見れば想像出来たはずだ。研究、軍務で各地を転々としてきた自分ですら、見たことのないものだ。お互いの名前に馴染みが無いのも無理は無い。

「この国ではそうでもないですよ。さて、そうですな、まずは先ほどの大きな獣の・・・・・・」

言葉を続けようとしたところで、男が口を挟んだ。

「いや、ちょっと待ってくれ。この国だって?さっきから気になってたんだがここはどこなんだ?俺は山道を歩いていたはずなんだが」

今度は男が混乱してきたようだった。

あまりに男が今まで平然としていたため忘れていたが、この男はそういえばサモン・サーヴァントの門をくぐって来たのだ。異国から突然呼び寄せられて、今、見知らぬ地にいると推測される。
男にしてみても、分からない状況だろうに。恐らく最初の自己紹介も、半分も理解してはいまい。

それにしても、順序がおかしいのではないだろうか。まずは突然先ほどと違う場所に、突如つれて来られた、という時点で混乱すべきだ。次いで、化け物を前に更に混乱。
平静を取り戻して後、どういう因縁があるかは知らないが、そこから喧嘩を吹っかけるべきであろう。あるいは、あの化け物との因縁こそ、男にとって最も重要なのかもしれない。

辺境から来た剣士、得体の知れぬ化け物と、その因縁。そしてもう一つ思い出した。彼は生徒に呼び出された内の一、つまりこの怪しい男を、大切な生徒が、使い魔として使役する可能性が存在するのだ。
どうやら、先ほどとは違った意味でややこしいことになりそうだ。
胃が痛んできた。

ひとまず男と落ち着いて話をするべく、彼を学院の来賓室へと案内した。許可は取っていないが、事態が事態だ。今日は来客の予定も聞いていないし、事後報告で構うまい。
広場の方は、駆けつけた他の教師に押し付けた。最も彼らは事態を把握してはいない、が生徒達を落ち着けるだけでよい。今、最も優先すべきはこの男に違いあるまい。

一番の貧乏くじは間違いなく自分だ。
コルベールは残り少なくなった髪の毛達をこれ以上逃がさないように、右手で残った財産を守ろうとした。いや、頭を抱えた。



途中ですれ違ったメイドに優しく声をかけ、学院長への言伝と、二人分の紅茶と菓子を用意するように伝える。後ろにいる男と同じ黒髪の、若いメイドだ。メイドはコルベールの後ろにつく男を、珍しそうにちらりと見やると、用付けられた仕事をこなすべく、去ってゆく。

道すがら、男は黙って自分の後ろを付いて来ているが、コルベールを警戒している。腰にさしてある剣の鞘口に、左手で軽く触り続けている。男の前を歩くコルベールには、その様子は見ることは出来ないが、仕草を感じ取る。逆に言えば自分から仕掛けるようなことはないはず。こちらが敵対行動をとらぬ限りは無茶はすまい。だが正直、生きた心地がしなかった。体術にも自信はあるが、この距離で、この位置ではどうしようもない。
来賓室にたどり着いた時、コルベールは思わず胃の辺りをさすり、頭を擦った。恐らくだが、減ってはいない。そう、恐らくだが。

ドアを開け、振り返ると、男は歩いてきた距離を確かめているのだろうか、後ろを向いたまま、辺りの気配を探るように、ゆっくりと見回していた。あるいは珍しいだけなのかも知れない。
軽く声を掛けて部屋へ入れ、座らせようとする。

「どうぞ、お掛けください」

男は動かない。こちらへ、と手を差し出し、座る場所を指し示すと、納得したようにやっと座った。腰に差したサーベルのような剣を鞘ごと服から抜き取り、足の間に抱える。鞘は見事に朱一色の簡素なものだった。

男の座るソファーにテーブルを挟みもう一つ、ソファーがある。コルベールはそこへ杖を立てかけ、男の正面へ座った。こほんとひとつ喉を鳴らして、さて、と話し出した。

「くどいようですが、まずは改めて自己紹介をいたします。私の名はジャン・コルベールと申します。コルベールで構いません。お名前は、ヒュィキマールさんで宜しかったですかな?」
「百鬼丸。ひゃ・っ・き・ま・るだ、かるべぇさん」
「失礼、コルベール。コ・ル・ベ・ェ・ルですぞ。ヒャッキマルさん」

申し訳なさそうにコルベールが笑うと、男も釣られて笑った。
少し男の警戒は解かれたようだ。思わぬ失敗が場の雰囲気を和ませた。
多少は与し安く感じてくれればありがたい。

「まずお互いが状況を把握しきっておりません。先にあなたの疑問に全てお答えいたいましょう。先ほど、ここはどこかとお尋ねになられましたな。ここはハルケギニア大陸のトリステイン王国、その中のトリステイン国立魔法学院という場所です。ここまではまず宜しいですかな?」
「聞いたことの無い国だな。とりすていん・・・・・・、変な名前だな。蝦夷か?さっきも言ったが俺は山道を歩いていたんだ。なんでこんなとこに俺がいるんだ?あと魔法ってのは?」
「魔法をご存じない?ふむ、それにエゾというのは私も存じませんな。まあ、とりあえずは聞いてください。」

ソファーに立てかけた杖を手にしたコルベールは、百鬼丸に警戒させぬように、ゆっくりと立ち上がった。

「まずは魔法ですな、掻い摘んで説明致しましょう。魔法とは己の精神を消費し、風、火、土、水といった自然物を操ることができるのです。お見せいたします」

失礼、と言うと、ぶつぶつと唱え始めた。コルベールの杖の上に、拳ほどの火の玉が出来上がる。
百鬼丸は炎の存在を感じとり、おお、と声を上げて感嘆した。
名前が違うのではなく、魔法という現象自体を本当に知らないらしい。

「たいしたもんだな。この感じ、さっき手助けしてくれたのはあんただったのか。助かったよ。」
「炎だけでわかるのですか?まぁ、いいでしょう。あれは生徒達を守るためにやったのですよ。正直どちらに味方するか悩みましたがね」

もちろん冗談だ。

「ともかく、あれが魔法です。ほかにも大きな竜巻、巨大な土の人形、氷の刃など、多彩な現象を起こすことが可能です。ですが、どういう原理で、何故扱えるのか、というのは、長年考えてはいるのですが、私にはさっぱり分かりません」

すこし苦笑いを浮かべ百鬼丸へ向き直ると、杖を再びソファーへ立てかけて座った。

「基本的にこの国、いえ、ハルケギニアの殆どの国では、魔法を使えるものを貴族、あるいはメイジ、使えぬものを平民と呼びます。貴族とメイジの違いは、貴族の庶子で魔法は使えても家柄は定かで無いとか、家を飛び出した貴族ですとか、そんなところです。また国の統治や領地の経営など、政に関われるのは貴族だけです。平民は作物を作ったり、商いをしたり。メイジですと魔法を使っての傭兵、盗賊なぞが、まあ嘆かわしくはございますが、多いですな。そして、この魔法学院、その名の通り、貴族の子供達に魔法を教えているところです。まずここまではよろしいですかな?」

一気に捲し立ててしまったが、考え込むようにしている百鬼丸の様を見ると、一応理解はしていそうだ。

貴族ってのは公家さんみたいなもんなんだろうか。
なぞと百鬼丸は声に出さずに考えていた。だが公家が魔法を使えるという話は聞いた事がないし、もしも使えたならば、地方の豪族が幅を利かすこともあるまい。そう考えると、コルベールの言う貴族に該当するものが、己の国には存在しないのであろう。そう結論付けた。

「さて、何故あなたが、今ここにいるかですが。当学院では、一年生から二年生へ進級する際、次の教育へ進む際ですな、使い魔を召喚致します。本日はそれを行っておりました。そこへあなたが召喚されたのです」

百鬼丸の様子を伺う。頷きながら静かに聴いている。頭の中で情報を整理しているのだろう。あれこれと質問をしてこないので助かる。
先を促してきた。

「召喚魔法は、何かしらの生き物を、使い魔とするべく、距離に関わらず、この地へと連れてくるのです。過去に前例は御座いませんが、なぜか、人間のあなたが遠い異国から、恐れながら使い魔としてここへ連れてこられた、あるいは何かの巻き添えでここへ連れてこられたのではないでしょうか。何か、大きな鏡のようなものに入り込んだ覚えは御座いませんか?」

コルベールがそう語ると百鬼丸はなるほどと頷いた。

「そういえば、突然目の前に穴みたいなものが現れたな。確かにそこへ入って、気がついたらあの場所にいたんだ。何故か目の前に魔神もいたしな。それで、使い魔っていうのはなんだ?」

「魔神っ? あの化け物のことですかっ? いえ、まずはあなたの疑問に全てお答えしてからにしましょう。ええと、何でしたか…、そう、使い魔ですな。使い魔とはメイジを守り、メイジと共にあるもの。簡単に言うと下僕とでも、いやいや」

ぴくりと百鬼丸の肩が揺れたので慌てて続けた。
これは失敗した。

「あぁ、誤解しないで下さい。あなたを呼び出してしまったのは全くの偶然でして…・・・、決して、あなたに目をつけたから呼んだ、などという事ではないのです」

コルベールは少しだけ嘘をついた。使い魔は偶然と必然が織り交ざり、選ばれる。矛盾ではない。使い魔とメイジのつながりは始祖の導きである、と多くのメイジは考えており、メイジに相応しい存在が使い魔として呼び出される、というが、メイジは前もってそれを知ることも、選ぶこともできない。
あらかじめ決まっているのかもしれないが、お互いがそれを知ることが出来ないのであれば、これは偶然とも言える。今述べたように、偶然とも必然とも、言い切れるものは何も無いのだ。故に百鬼丸がここへきたのは、全くの偶然とは言えない。のだが話がややこしくなるので割愛した。

しかし百鬼丸は「目の前に穴が現れた」と言った。ならば巻き込まれたのではなく、使い魔として選ばれた可能性が高い。そう、コルベールは考えた。

話を聞き終わった百鬼丸はどうやら呆れた面持ちだ。

「結構いい加減なもんなんだな」
「えぇ、まぁ、確かにそうなんですが、そう言われてしまいますと……」

全くだ、がメイジであり、生徒に魔法を教える立場にもある自分が、頷く訳にもいかない。歯切れが悪いのを自覚しながら、苦笑いで答えた。

「いや、すまない。馬鹿にするつもりは無いんだ」

百鬼丸はそう謝ると、佇まいを直した。

「それと、多分最後だ、もう一つだけ聞きたい」

百鬼丸の目がたちまち剣呑なものに変わる。
左手がまた、鞘口に触れた。

「魔神、俺が殺した化け物のことだ。なぜあれがあそこにいたんだ?」

嘘は許さない、そう言っている。
コルベールは背筋に冷えるものを感じながら答えた。隠すべきことなど何も無い。それにあの存在自体が分からないのだから、判断のしようも無い。ありのままに話すしか無いのだ。

「それは私にもよく分からないのです。いえ、決して誤魔化してなどいません」

更に鋭くなった百鬼丸の目を見て唾を飲み込む。先ほど話していたときとは別人のように、目には何らかの強い意志が、ありありと見て取れた。が、ここで目など逸らしては、要らぬ疑いを招く。コルベールは百鬼丸を見据えたまま先を続ける。

「順を追って説明しますので、まずは聞いてください」

無用な争いは避けたい。犯した罪に殺されるなら兎も角、勘違いで殺されるのだけは御免こうむりたい。それに人を傷つけるのは嫌だが、命の危機においては自分が何をするか、コルベールには自信が無かった。
人も獣も牙を持っているのだ。それが自分は怖い。

コルベールは百鬼丸の現れるまでの、彼の見ていない部分をつぶさに語った。百鬼丸の目を見ながら。
彼の目は、話が進むにつれ、喜びとも怒りとも付かぬ様な、複雑な色を増していった。戦場で数多の人間を見たが、こんな複雑なものには思い当たらない。いや、似た目を一つだけ知っている。これから殺す相手に恋焦がれる、殺人狂の部下がいたが、あれに少しだけだが、似ている気がする。
もっとも、その目は既にコルベールが焼いた。

起こったことを、ありのままに話し終えたところで、コルベールは付け加える。

「私が先ほど分からないと申し上げたのは、あれらが何という生き物なのか、見たことも、聞いたこともないものがほとんどだったからです」

一度コルベールは目を瞑り、息をゆっくり吸って続けた。

「そしてもう一つ分からない理由があるのです。本来使い魔は一人一体しか召喚できぬもの。過去に残った記録でも最大四体。最も此れはおよそ六千年前の記録ですので、資料としての信頼性には今ひとつ掛けるのですが……。話がそれましたな。ともかく、一体、仮に二体ならまだしも、あれだけの数を一度に召喚してしまった、それがわからないのですよ。果たしてあれだけの数のものが全て、一つの命なのかも知れない。あるいは血ではない、それ以上の強固な繋がりを持っているのかも知れない。いずれにせよ普通の生き物には在り得ないのです。」

軍人、教育者のみでなく、研究者としても優秀なコルベールは、これまでの短い時間で、彼なりの答えを導き出そうとしていたのだった。
百鬼丸からの圧力は既に消えていた。

「以上が私の知るあの化け物の全てです。他には何かご質問御座いますか?」
「そうだな、今のところは満足だ。礼を言う」

百鬼丸の雰囲気がもとの、ただの青年のそれへと変わる。
何か知っている。何を知っている。



[27313] 第五話 談話 二
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/20 15:03


ドアを軽く叩く音がして、メイドがワゴンを押しながら入ってきた。
先ほどの、黒髪のメイドである。髪は肩口の辺りで綺麗に切りそろえられ、整っている。そばかすが、白い肌の上にうっすら見えるため、どこと無く垢抜けない印象を与える。目は星目がちで、幼さのまだ残る、年は十五,六と言ったところか。女中にしては飾り気の多い服が、年頃のまだ少し幼さを含む可憐さと、成熟せんとする女性の魅力を上手く混ぜ、引き出していた。
ソーサーを並べ、ティーカップを置き、紅茶を注ぐ。一つ一つの動作が洗練され、動く様が美しい。

「おぉ、来ましたな。」

コルベールは、心底気疲れしていた。百鬼丸という人間がどうにも分からない。普通に話している分には落ち着きもあり、理解力もある。話を進めやすい。
しかし、ふとしたときに見せる表情は、実に対照的だ。野蛮で獰猛、胸の裡に渦巻く感情を野放しにしている。張り詰めた糸は緩むことなく、張り詰めたまま表れ、隠れていく。
恐らく、彼が魔神と呼ぶあの化け物との因縁になにかあるのは間違いない。しかし、そこへ踏み入るのは、まだ時間が要るだろう。

そんな綱渡りのような気分を味わった会話の中、春の柔らかな日差しのようなこのメイドがやってきて、少しばかりコルベールの疲れを癒した。
自分が頼んだものではあるが、紅茶にケーキも持ってきてくれている。今の擦り切れた神経には、たいそう効くであろう。

「すこし疲れましたな。もう年でしてね。申し訳ないが少し休憩と参りましょうか」

百鬼丸は休憩の提案になんでもないように頷いた。恐らくだが、全て彼の中では繋がっている。
勘だ。そして間違いない。





紅茶を入れ、小振りなチーズケーキを用意したテーブルの上の皿におくと、メイドは静かに下がり、ドアの横に控えた。
二人の座っているソファーの間には大きなテーブル。そのテーブルを横から覗く形で、少し離れた位置にドアがあるため、メイドは自然、コルベール、百鬼丸二人を視界に入れることになる。

「そういえば百鬼丸さんは紅茶はご存知ですかな?」

ゆっくりと、紅茶を一口含んだのち、コルベールは尋ねた。

「いや、初めてだな。俺の国にも茶はあるが、色は緑だ」

緑がどんな色かは知らない。
メイドが少し、不思議そうな顔で、百鬼丸を見た。コルベールは、ほう、と呟く。

「さようですか。摘んだものをそのまま使うのでしょうか。あるいは何か手を加えるのでしょうか。一度飲んで見たいものですな」

紅茶に手をつけた百鬼丸に、味はどうかと尋ねてくるが、うまい、と簡潔な一言済ませる。味など感じない。せめて相手を不快にさせないようにと、いつもこの一言で済ませている。がコルベールはもう少し違った反応を期待していたのであろう。少し不満気だ。

「私、一つ推論を立てております。あなたの国についてです」
「心当たりがあるのか?」

これには素直に驚いた。

「いえ、心当たりというほどのものでは。このハルケギニアのはるか東、エルフの住む砂漠の東、われわれが聖地と呼ぶ場所があります。まぁ、聖地についてはいずれ話しましょう。エルフも御存知ない?さようで、それもいずれ。さて、その聖地から更に東に、ロバ・アル・カリイエという、我々からすれば未開の地です。東方の世界。そここそあなたの国のある場所なのでは?」
「わからんな。でも、俺の国から、西へ海をはるか越えた場所に『明 ミン』という大きな国があるんだ。そこをさらに西に行くと大きな砂漠があるらしい。聞いた話だからはっきりとは知らないんだが、その砂漠はとても大きいらしい。けど商人達は珍しいものを仕入れるために、命がけで砂漠を越え、西へと向かうんだとか。その西の果てが、もしもここなら、あんたの言う通りなんだろうな」
「おぉ、やはりそうでしたか。東方からこられた方ではないかと思っていたのです。もっとも根拠は薄いのですが、今の話で少しばかり自信がもてましたぞ」

どうやら一度興味を持てば夢中になりやすいらしい。

「それで東方にはどのようなものがあるのでしょうか?なんでもこのハルケギニアよりも数段進歩した技術があると聞きますっ。ぜひとも、お話をお聞かせ願えませんかっ」

椅子から起き上がり、テーブル越しに手を突いて、詰め寄るコルベールを、百鬼丸は手で制し、慌てて答えた。

「ちょっと待ってくれ、そんなに大した物はないよ。この建物や椅子から考えると、この国の方が進歩してるぞ。あんたの言う東方ってのとは違うとこなんじゃないか?」

この建物、見渡すことはできないが、歩いた感覚では、とてつもなく大きい事が分かる。大きさの理由には、土地の問題など、技術力ではない部分も大いにあるのだが、それにしてもここまで大きなものを、自分は知らない。

椅子、ソファーのことである。こんな柔らかく、大きな椅子も聞いたことはない。恥ずかしい話、百鬼丸は部屋に入ったとき、どこに座ればよいか迷っていたのだ。
もちろんそんな事は言わない。

そうですか、と余程興味があるのだろう、コルベールは肩を落とした。

「まあ、今日の目的は現状の把握ですからな、ですがいずれあなたの国のことも教えて下さい。興味があります」

ソファーにしずしずと座り直し、そういえば、と、

「そちらのメイド、シエスタと申します。シエスタさん?」

首を少女に向けコルベールは優しく促した。
突然話を振られた、シエスタと呼ばれた少女は、慌てて百鬼丸にお辞儀する。

「当学院で奉仕させていただいております、シエスタと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

相変わらず、動作の一つ一つが落ち着いており、品がある。実に様になっている
シエスタの自己紹介に満足した様子で、コルベールは話を続けた。

「彼女の髪の色をご覧ください。あなたと同じで黒いでしょう。もっとも、百鬼丸さんの髪の方が黒いですが、この色、この辺では珍しいものです。ひょっとしたら彼女、はるか昔に、あなたの国から、何らかの事情で流れてきたものの子孫なのかも知れませんな」

先ほどの、現状把握うんぬんの話もどこへやら、コルベールはどうやら、目的そっちのけで興に乗ってきたようだった。初対面の百鬼丸では正直手がつけられない。

「どうです、顔つきなど、あなたの国の方と似ていたりなどは……」

メイドは少し困ったように百鬼丸を見つめ、照れたように頬を染め、微笑んだ。
百鬼丸、雰囲気は凛々しく、勇ましい。顔立ちも整っている。

コルベールが己の知的好奇心を満たさんと、また見合いを勧める身内のような、よく分からない世話心とを出し、余りに驀進する。これは一度鎮める必要がありそうだ。

「勘弁してくれ、悪いが俺は目が見えないんだ」

部屋の空気が凍りついた。

百鬼丸の体は、そのほとんどが作り物である。この体を人々は恐れ、嫌った。百鬼丸は自分の体のことを、他人に隠すようになる。だが、このコルベールという男、この短時間で百鬼丸は、彼に好意を抱くとともに、女中へのわけ隔てない態度から、容易く他人を傷つける人間ではないと感じた。
今まででは考えられないような小さな悪戯心と、そして彼自身にもよく分からない、淡い期待があってのことだが、つい口が滑りすぎたかもしれない。

百鬼丸は冷や汗を流した。
まぁ、聞きたいことは聞いたし、用は既に無いといえば無い。
気味悪がられりゃ逃げるか。

ぶつぶつと独り言ちる。
完全に凍りついたコルベールとシエスタを前に、百鬼丸は途方に暮れていた。





なにやら落ち込んだ百鬼丸を見た二人、コルベールとシエスタは、何を勘違いしたか、ほっと胸をなでおろした。
よもや、逃げる算段をしているとはつゆだに思いもしない。

「お……驚きましたぞ。変な冗談はやめてください。よく考えたらそんな素振り全くないではないですか」

シエスタととも恨めしげに百鬼丸に目をやった。

「いや、目は本当に見えない。この目玉も作り物だ。目が見えなくても分かることはある。俺は特に勘が鋭いらしくてな。小さな頃からこんなだと、慣れてくるもんなんだよ」

何だか吹っ切れているようにも見える。何に対してかはわからない。
しかし信じがたい話だが、嘘をついてはいないようだ。何よりこんな嘘に何の意味も無いだろうに。
また、コルベールは凍りつき、今度はすごい勢いでテーブルに、両手と、昔前髪があった辺りをこすりつけた。シエスタは一人で、コルベールと百鬼丸を交互に見ながら、おろおろとしている。少しばかり涙目だ。

「いや、すまない、申し訳ないっ。そうとは見えず、いや変な話ですな、そうとは知らず、なんと申し上げてよいものやらっ」
「いや、俺が悪かった。だから顔をあげてくれ」

顔を上げてみれば、百鬼丸の顔は笑みを含んでいた。先ほどまでとは少し違う、自然な気がする。

「さて、話の腰も折れたことだし、そろそろ休憩は切り上げないか?」

二人ともケーキには手をつけていない。もともと体裁程度で持ってこさせたものだ。
百鬼丸に食べさせてやりたいという気持ちも、コルベールには無いではないが、先のように、再び話がこじれぬとも限らぬ。
努めて明るく振舞う百鬼丸に、コルベールは申し訳なさを感じつつも、賛成した。

ゆっくりと食器を下げ、入ったときとは対照的に、寂しそうに、すこし涙目のまま退出しようとするシエスタに、ばつの悪さを感じた百鬼丸は、彼女を呼びとめ紅茶の礼を述べた。

「ありがとう。紅茶、だったか、うまかったよ」

本当は、うまいかどうかなど、分からない。光どころか味さえも分からないのだ。だが、今はこう言うべきだろう。百鬼丸精一杯の気遣いだ。
シエスタもそれが分かったのだろう、目の辺りをごしごしと袖口でこすり、返事をする。

「は、はい、ありがとうございます」
「それと、目のことは忘れてくれ。さっきみたいに変に気を使われるのも困る。これでも案外不自由してないんだ」

正直、忘れられるような話ではない。だが、これ以上気を使われるのは、シエスタも、そして百鬼丸も嫌なのだろう。シエスタは百鬼丸を見つめ、微笑んで頷く。少し頬が赤い。泣いた所為だけではなかった。


コルベールはなんだか寂しい。





「いやはや、申し訳ない。それにしても、話を蒸し返すようで大変恐縮ですが、本当に目が?とてもそうは見えないのですが……。いや、気に障りましたなら失礼。申し訳ない」

謝ってばかりいるコルベールに、少しため息をつき、百鬼丸は俯いた。
どうしたのかとコルベールは様子を伺う。百鬼丸は右手を俯いた目の真下まで持ってきて、眼球を、まるで玩具でも扱うかのごとく、取り出し、手のひらに乗せて転がした。
シエスタは既に退室している。

「まぁ、この通りだ。何ならもう片方もはずそうか?」

少し楽しそうに言ってやる。
百鬼丸も、無理やりにではあるが、既に開き直っている。どうやら逃げ出す必要はなさそうだ。もっとも、これはコルベールとシエスタ、二人のおかげだが。百鬼丸は少しだけ心に潜む黒い靄が晴れる気がした。とはいえ、目玉を取り出した後の顔をコルベールに向けるのは躊躇った。どんな相手でも、まず驚くだろう。気安く見せるられるようなものではない。

「いえいえ、結構です。はぁ、しかし本当に見えないのですなぁ」

驚きながらも、コルベールが自分に気を使ってくれていることを感じた。別段気を使ってもらわなくても構いはしないのだが、初めての反応であるのは確かだった。なんともやりづらく、しかし妙に嬉しいものだ。
もっとも彼の本当の姿を見れば、二人とも恐れるかもしれない。育ての親、寿海の与えた体の部品を全て除けば、さぞかしおぞましい、肉の塊に成り果てるだろう。それが自分だ。

「なるほど……、人間とは存外逞しいものですな」
「そうかもな」

違う。人間で無いから逞しいのだ。
自分は魔神に食い残された人間の、部分だ。
不純なものほど純粋を目指して何か強い力を発揮する。
おれはあべこべの畜生だ。だから強い。

「さて、先ほどの続きと参りましょう」

そう、今はそのための時間だ。

「今度はいくつか、私の疑問に答えて頂きたいのです。あの化け物についてです。そのような不便な体であなたが立ち向かっている、彼ら、一体何者なのでしょうか?」

右手に取り出した眼球を、俯いたままはめ込み、コルベールのほうを向く。さてどこまで喋るか。

「魔神。そう呼んでいる。人の心の闇、怒り、悲しみ、憎しみといった感情を糧に生きるものだ。全部で四十八体、もっとも今は三十九体。さっきのでおれが仕留めたのは九体目だ。この国に同じものがいるかは知らないか、幽霊、妖怪、精霊の邪悪で強力な奴、といえば分かりやすいかもな」
「九体目っ。通りで戦いなれている訳です。しかしヨーカイと言うのは初めて聞きますが、幽霊、精霊の類ですか、なるほど。それならば死骸が消えてしまったのも納得が行きます。しかし、人の心の闇を糧に生きる、というのはどういうことですかな?人を捕まえ食らうのですか?」
「そんな奴もいた。でも人を食うだけなら唯の獣だ。魔神は、悲しみがなければ悲しみを、憎しみがなければ憎しみを作る。その為に人を食う。人を操り戦も起こす。さっきの魔神、死んだ後に何かが出てきただろう?ありゃァ人間の命だ」

何度考えてもおぞましい。しかし、天へと昇ったあの光、魔神から逃げ出すことが出来たのだ。名も顔も、何も知らない人間だが、冥福を祈ろう。
しかし、これにはさすがにコルベールも驚いたようだった。

「それほどまでにっ。して、それらを殺す方法はっ?」
「普通の生き物を殺すようにしたら殺せるんじゃないか?おれは今までそうしてきた。さっきの、そう、魔法でも殺せるだろうな」

にやりと笑みを貼り付けた。わざとではないがこればかりは抑えられない。

「そ、そうですか、確かに手応えは私も感じました。それがせめてもの救いですな」

どうやら怖がらせてしまったらしい。
むむっ、とコルベールは唸る。なにやら神妙な面持ちだ。

「あなたのこともお聞かせ願えますか?見たところ、あなたと魔神の間には、ただならぬ因縁がある御様子。なぜそこまで魔神どもを憎むのですか?」
「奴らが人に、仇なすものだからだ」

嘘ではない。一部しか伝えていない、それだけだ。
何故かはともかく自分が魔神を憎み、敵対している事は既にはっきりしている。
十分だろう。

「それはなんともご立派なことです。ではもう一つ、先ほどの使い魔のお話、仮にあの魔神どもを一つの生命と致しましょう。使い魔は独り一体の原則に基づくならば、あなたが何故彼らと共に、ここに現れたのか、何か心当たり、御座いませんか?」
「心当たりか。無いな。例外も、あるんだろう?」

嘘だ。

全てを答えてくれるとはコルベールも初めから思ってはいなかった。しかし、魔神の情報の提供者、百鬼丸自身の事は聞いておかねばならない。彼のこの国での立場というのは、実にあやふやなのだ。重要な人物、とコルベールは認識しているが、それでも対外的には今のところ、ただの、名も知れぬ異国の平民でしかない。どういった理由で魔神と共にこの地にきたのか、理由によっては、百鬼丸という若者の重要性は、格段にあがる。

それに、魔神を殺すことに、何がこの若者をそこまで駆り立てるのか。それもまた、聞いてみたかった。安易な好奇心だろうか。あるいは心配、と言えばなお安いだろうか。

自分は偽善者だから分からない。





話を終えた後、百鬼丸は、とある一室へと案内された。

「誠に申し訳ないが、少しの間、当学院へ泊まって頂きたいのです。あなたを、そして魔神たちを召喚してしまった生徒のこともあります。どうなるかは分かりませんが、もしも学院を、国を挙げて魔神を倒すということになった場合、是非ともあなたにご協力いただきたい。逸る気持ちは分かるのですが、どうかご理解願えますか」

百鬼丸としては別に構わない。しばらく溜め続けた魔神への憎しみは、先の戦いで、今は少し落ち着きを見せている。それに折角の、コルベールとシエスタとの縁を、無為にしたくはない。

「いや、少し休みたかったんだ。助かるよ」

そう答えると、コルベールは喜んだ。これから、なにやらこの学院の最高位のものへと報告に向かうという。自分は行かなくてよいかと尋ねたが、

「お気遣いありがとう御座います。ですが、まずは私の見たもの、あなたに聞いた事を話します。今は来て頂いても、二度手間になってしまいますので。恐らくその後、早ければ今日の夜、遅くても明日の昼ごろにまたお話をお伺いしたいと思っております」

日は既に、暮れようとしている。

「わかったよ」

「それと、お食事ですがお部屋へお持ちします。まだ勝手も分からないでしょうし。それに、私が言うのもなんですが、貴族の子供は厄介でして。あなたの格好は目立ちます。下手に出歩いては問題が起こるかもしれませんから。不自由をお掛けして、申し訳ありません」

気分転換もかね、また初めての異国に若干の興味も沸いていたため、少し出歩きたかった百鬼丸は、それを聞き、残念に思う。

「確かに田舎者だが、そんなに俺が心配なのかい?」
「まさか子供、生徒達のことです。私は生徒の安全を守る義務があるのです。子供達があなたにちょっかい出しでもしたら、私は生徒を守りきれませんよ」

笑いながら言うが、半分本気だ。先の戦いを見るに、身のこなしからして、明らかに、ただの平民というには強い。メイジが一介の剣士なぞに、好き放題やられるとは思わないが、まだまだ尻の青い子供達では本当に心配だ。更に言えば、貴族の子供は、傲慢で、他人を見下すものが多い。真の貴族たる者かくあるべし、なぞと、コルベールは、常々頭を悩ませてはいるのだが、子供達の短い人生では、教訓も手本も少なかったのであろう。
加えて、一見人当たりの好い百鬼丸だが、生徒達の傲慢な態度にあてられて、喧嘩を買わぬとも限らぬ。

この点では、コルベールの心配は、実は的を得ていた。
百鬼丸の故郷に、侍、という身分が在る。ハルケギニアで言えば、これがメイジに最も近い立場にいるのだが、魔法ではなく武を以って、国を治めていた。
百鬼丸は侍が嫌いだ。むやみに威張り、容易く人を殺す。嫌悪していた。侍に喧嘩を売られれば、例外なく必ず買った。もっとも、誰も殺したことは無い。
案外喧嘩っ早いのである。

話を戻そう。

笑い合い、部屋の前で別れた。
さて、と部屋へ入ろうとしたところで困った。扉が開かない。百鬼丸の国のものとは違う。彼はまずドアの右端を掴み、左へずらそうと力を込める。動かない。今度は反対に。動かない。百鬼丸は首を捻った。

飾り好きの貴族のための、更に言えば来賓をもてなすための部屋である。拵えられた扉は、ごてごてと訳の分からない装飾が多い。ドアノブを捻れば好いのだが、何かの飾りと勘違いしている百鬼丸は、ドアノブを掴み、引っ張り、押すに留まった。腕を組んで、しばらく考えた。手で装飾品を一つ一つ確かめるように触ると、納得した顔で何かを見つけた。なにやら手で掴めそうな、金属の輪に気付いた。これに違いない。百鬼丸は、今度はそれを掴み、手前に引っ張る。ノッカーだ。

コルベールさんはどうやって開けてたかな。

そんなことを考えながら、しばらく右往左往していると、呆れたような声が聞こえた。

「なにやってんのよ、あんた」

見られていた。気まずい。



[27313] 第六話 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/20 15:21



ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、トリステイン国立魔法学院の女生徒である。彼女は苦悩していた。

『ゼロのルイズ』、それが彼女のあだ名だ。

トリステイン王国に、いや、ハルケギニア全土に、混沌を解き放ちかねない結果となった、使い魔召喚の儀、そこで魔神達と百鬼丸を召喚してしまった生徒こそ、彼女であった。

ゼロのルイズ

彼女は、召喚の儀において、恐ろしさの余り、全てを見届けず、気を失ってしまったため、あの後何が起こったか分からなかった。もっとも事態を把握していないのは彼女のみではない。周りの人間も、殆どの者が前後不覚に陥ってしまっていた。コルベールから生徒の保護を引き継いだ教師達は、情報をかき集めようとするも、どうにも要領を得ない。今のところ事態を把握しているのは、百鬼丸とコルベールの二人のみ。

彼女は気が付くと、自分の部屋に独り寝かされていた。誰が運んでくれたのであろうか。ベッドの横に備えられた簡素な机には一つの置手紙。署名がある、どうやら教師の一人だ。内容には本日の騒動について。

原因、被害、調査中なれど、確認される人的被害無し、学友危ぶむ無かれ。貴姉、昏倒せり、よって勝手ながら介抱し、部屋へ連れた次第。

ぼんやりとした頭で手紙を読み、少しずつ意識を取り戻していった。怪我人もおらず、自分が生きていることを考えれば、よく分からないが、丸く収まったと解釈してよいのだろうか。仔細についてはいずれ教師から説明がなされるであろう。

はっと何かを思い出したかのように、ルイズは部屋中を、そして窓の外を見回す。召喚の儀を行った広場を遠目に見るも、なにやら少しばかり、人だかりが出来ているのは見えるが、人のほかには何もいない。何も、そう、己の使い魔となるような存在は何処にもいない。

肩を落とす。一体何を期待していたのか。自分は所詮『ゼロ』なのだ。
涙が溢れ出した。だが声を上げたりは決してしない。
自分は負けない。何があっても挫けてはならない。誇り高き貴族なのだ。泣き喚くなんて見っとも無いまねが出来るものか。
自分にそう言い聞かせたが、ぼろぼろと、溢れる涙を留める術がなかった。

彼女は魔法を使えない。正確には、魔法を行使しようとすると、爆発が起こる。理由は分からない。そのため、心無い者は、彼女を、『ゼロのルイズ』のあだ名で呼ぶ。二つ名ではない。『ゼロ』とは『零』のこと。この、魔法を扱いきれない、メイジとして何も持たない彼女を、嘲笑と侮蔑を込めて、そう呼んだ。

二つ名、とはメイジを表す、敬称のようなもの。コルベールを例に取ろう。彼の二つ名は『炎蛇』、『炎蛇コルベール』である。コルベールは、炎を自在に操り、その炎は、敵を逃すことなく追い、絡みつき、飲み込む。正に蛇の如きその業に、尊敬と畏怖を込めてつけられた二つ名が、『炎蛇』である。
他にも例を挙げると、怒涛の如き水の使い手ならば『瀑布の何某』、大空を巻き込む風の使い手ならば『天つ風の何某』、砂や石、岩を以って、相手を砕く土の使い手ならば『砂礫の何某』といった具合である。故に『ゼロのルイズ』は二つ名ではない。

さて今は、『ゼロのルイズ』の話だ。彼女は、今日の使い魔召喚の儀に、淡い期待を抱いて臨んだ。例え魔法を使えずとも、今日の儀式に成功しさえすれば、使い魔を得さえすれば、そしてそれがより強ければ、より美しければ、彼女はメイジであれたのだ。未だに碌な魔法一つ使えたことの無い、己の可能性を信じることが出来たのだ。だが結果はどうだろう。
皮肉なことに、使い魔を得るための、メイジとしてかけがえの無い存在を得るための儀式は、彼女から、メイジとしての全てを奪う結果となった。

何が始祖だ。一度も助けてくれやしない。

ひとしきり泣いたあと、泣き腫らした目を擦りながらまた、ふと思いついた。己の処遇である。通常、使い魔の儀に臨み、使い魔を得られなかったという例は無い。そもそもメイジである貴族が魔法を使えないということが、想定される筈も無いのだ。自然、その場合どうなるかという前例も、決まりも無い。だが少なくともこのまま進級する、ということは無いだろう。大きな可能性としては留年、最悪は退学だ。教師に言われたことはないが、彼女を嘲笑する連中は常に、そんな言葉を彼女に浴びせかけていた。だが、考えてみればもっともな話だ。メイジでないものが、魔法を教えるこの学び舎に、いられようものか。

己の可能性を全て否定されたルイズにとって、今までは一笑に付した学友の何気ない愚弄の言葉が現実感を帯びたものとなった。また愕然とした。

退学になれば彼女の家族は彼女にどう接するだろう。慰めてくれるだろうか、腫れ物を触るような扱いをするだろうか、それとも魔法を使えぬものは貴族に有らず、と縁を切るのだろうか。そうだ、魔法を使えない貴族など、貴族でない。泥沼に落ちていく彼女の思考は、碌な結果を予想しなかった。

私は貴族なんかじゃない。

トリステインにおいて、貴族は、魔法を以って、平民、魔法を使えぬ者達の生活に貢献する、彼らを守る。そうする事で、平民の上に君臨し、彼らを支配することが出来る、という考え方がある。悪循環に陥り、自虐的になったルイズの出した結論も、故に、あながち的外れとは言い切れない。もっとも、今述べた貴族と平民の関係、これは理想論も多分に含んでおり、現実は、魔法を使える貴族が、平民を力でねじ伏せ、彼らを軽んじ、横暴な振る舞いをしている、という場合がほとんどなのだが、箱入りの、貴族の娘であるルイズはそんなことは知らないし、彼女は厳しく育てられた。先の理想論を、理想論で済ます気など無い。

どうしようもなく落ち込んだ。周りにある全てから逃げ出したい、そんな気持ちで、もうここにはいられない気がして、部屋を出た。
行く当ても無く歩き回る。この魔法学院から出たところで、何が変わるわけでもない。だが、じっとしていられないと、とにかく歩いた。

しばらく歩いた、と言ってもルイズに意識はない。それが十分なのか一時間なのかさえ分からなかったが、ふと、目の前に怪しい男がいるのを見つけた。怪しいというのは身なりのこと。見たこともない服を着ている。髪は真っ黒。腰に差している細長いものは、杖だろうか。ドアの前でなにやら悩んでいる。泥棒、ではないだろう。メイジだらけのこの学院に、日も暮れぬ内に忍び込もうなどと、正気の沙汰ではない。姿もみすぼらしいし、杖を持とうとも、間違いなく貴族の格好ではない。貴族崩れの、伊達者のメイジの傭兵、あるいは遠い異国の旅のメイジという辺りだろうか。そう考えると、男の、野性味溢れるような、いささか逞しい姿に、納得が行った。

男はどうやら部屋に入ろうとしているが、入れない、といった具合だ。初めは、誰かに会いに来て、しかし、何か入りづらい理由があるのか、などと思ったが、すこし様子がおかしい。

男は扉の端に手を掛け、引っ張った。その後、うんうんと唸り首を捻り、扉の表面を撫で始め、何か見つけたとばかりに、今度はノッカーを引っ張っている。また、悩んでいる。まさか扉の開け方を知らないなんて事も無かろうに。いや、男の様子を見る限りでは、どうやら正解の気がする。一体どこの田舎から来たのだろうか。年頃の、逞しい大の男が、扉を前に四苦八苦している。呆れると共に、滑稽劇を見ているかのような感覚に、少しばかりの面白みを感じ、暗く沈んだ一連の煩悶も忘れ、ルイズは男に声を掛けた。



「なにやってんのよ、あんた」

ルイズは、変わった服を着た黒髪の男に声を掛けた。

びくりと男の肩が揺れた。恐る恐るというか、まずいものを見られたというか、恥ずかしそうに、男はゆっくりとルイズの方へ顔を向けた。件の百鬼丸である。初めての対面であった。

「これ、どうやって中に入るんだ?」

呆れた。本当にドアの開け方も知らないなんて。

「あんたねぇ、一体どこの田舎から来たのよ。」

男は少し恥ずかしそうに、だが憮然とした表情を取り繕おうとしたのか、む、と唸る。
ゆっくりと歩み寄り、ルイズは、男とドアの間に体を滑り込ませ、少し手を上に伸ばし、まずはノッカーをつかみ軽く二度、ノックをする。返事が無いのをいぶかしみながらも、

「これはこうやって使うの。突然入ったら、中にいる人が驚くでしょう?」

物を知った子供が、知らない子供に自慢するように、得意げに諭した。だが厭らしさは無い。彼女の背は低く、ノッカーに手を伸ばす姿がまた、子供のようで微笑ましい。

ルイズが背を向け、目の前に立った時に、百鬼丸は彼女のその体格を認めた。小さい。加えて、百鬼丸は、割と長身であったため、なお小さく感じた。

ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは背が低い。年の割にはという言葉が付くが。年は十六、背は150サントを僅かに越えるのみ。体つきも、全体的に細い。ついでに言えば、女性として本来膨らんでいる筈の部分も、小さい。こちらは年の割には、という言葉は必要ないだろう。かなり、気にしていた。

髪は腰の辺りまで伸びており、ゆるく波打っている。桃色と金色が混ざっており、陽の光を受ければ、その、波打ち、浮いた部分がきらきらと淡く輝き、美しい光を放つのが、数少ない彼女の自慢の一つだ。母に似た。また、彼女の慕う、姉の一人も同じ色をしている。小さい頃は、父がその髪を美しいとよく誉め頭を撫でてくれたが、ルイズはそれが大好きだった。

顔も体と同様小さく、少し丸いが、小柄な体と完全に調和が取れている。少し膨らんだ白い頬には、常に薄い朱が差しており、目はつぶらで、瞳が大きく、こちらも桃色だ。その上に添えられたような細い眉が、一層大きな瞳を強調している。薄く、小さな唇の上に、小振りな鼻が、ぽつんと顔の中央に添えられており、顔を構成する全てが慎ましくも、そこにあることを主張していた。幼い、という言葉が的確かもしれない。

今は、学院の制服に身を包んでいる。黒の短いスカートに、真っ白なシャツと、ひざの辺りまである真っ黒なマントを、胸の少し上で留め、羽織っている。足元はこれもまた、真っ黒な靴と、同じ色の、太もも辺りまでの、長い靴下であった。服に隠れていない、所々に見える肌は、熟しきらない果実のようで、光を受けた部分は、黒い装いとあいまって、ほのかに赤みを帯び、淡く浮き出ている。色気、という意味ではなく単純に、その身の織り成す色が、実に鮮やかな少女であった。もっとも事、色彩に関しては、百鬼丸には分からない話ではある。

ルイズは振り返り、目を合わせようと男の顔を見た。少し見上げる形になる。なるほど、とノッカーを見て頷く百鬼丸を見ると、また少し面白い物を見たような気がして、軽く微笑んだ。ドアノブに手を掛けた。男を警戒する心は既に無い。育ちの問題も有るのだろうが、こんな間の抜けた人物が危険だとは、どうしても思えなかった。

「このドアノブ、って言うの。これを右側に回すと開くのよ。」

少しずつ、男の相手をすることが面白くなってきた。先ほどまでの暗い気持ちは忘れて話しかける。
扉を開いた、がそこには誰もいなかった。部屋は綺麗に片付けられており、ベッドに敷かれたシーツには皺の跡さえない。どうやら、しばらく誰も使っていないようだ。

「変ねぇ」

首を傾げて、部屋の主を確認するため、男に声を掛けようと振り向く。男はまだ部屋に入っておらず、入り口に、いや、ドアに向かって何やら探っている。左手でドアノブを掴み、右手で、ドアの横、止め具の部分を触りながら、ガチャガチャと何度もドアノブを回している。ドアの横からぴょこぴょこ顔を出す金具を指で押さえていた。今度は右手を、その金具が嵌る部分に沿え、内側をなぞるように撫でる。形を確かめているのであろう。終わったかと思いきや、ドアを開けたまま、部屋を出て行く。
どうしたのだろう。
ルイズが彼を追いかけようと廊下へ出ると、彼の目線辺りにある蝶番の部分を指で撫でていた。今度はしゃがみ、下の蝶番へ。

「なにやってんのよ、あんた……」

本日二度目だ。今度は笑いながら。
扉を弄ることに夢中になっていた男は、声を掛けられたことに気付き、はっと振り向くと、また恥ずかしそうにしながらも、真面目な顔でこう言った。

「これ、誰が考えたんだ?」

面白い男だ。本当に面白い。
肩が小刻みに揺れだした。いけない。我慢したが、すぐに限界が来た。

「くっふっあはっ、あはははは、あははははははっ」

意思の抵抗も虚しく、ルイズの体は、ついに声を上げて笑い出してしまった。
別に馬鹿にしているわけではない。

「仕方ないだろ。俺の国にはこんなもの無かったんだ。」

またもや、憮然とした表情を作ろうとしているのがわかる恥ずかしそうな面持ちで男はそっぽを向いた。男も、少女の笑い声に、嘲りの色が無い事を感じているのだろう、不快感は見受けられない。

少し、可愛いかもしれない、とルイズは思った。もっとも、大の男に向かって可愛いなどと面と向かって口に出しても喜ぶはずは無い。ましてや、自分達は初対面だ。そう口に出せばきっと、先の子供のような表情を、また作るのだろう。

今度は頬を膨らませるんじゃないかしら。ああ、可笑しいわ。

最早、先ほどまでの苦悩は完全に忘れてしまっていた。
やっと笑い声が収まってきた。
漏れた空気を戻そうと、大きく息を吸い、

「はぁぁ、本当に、あんたどこからきたの?」

少し涙混じりの目で、笑いかける。男の顔を覗きながら尋ねた。

「ずっと遠いところだ。ここからじゃ何処にあるかもわからん」

そっぽを向いたままだ。まだ照れているらしい。

「何それ?じゃあ、どうやってきたの?」
「つれてこられた。気が付いたらここにいたんだ」

真面目な顔で、そう答えた。誰にだろう。

男の引き締まった表情が、先ほどの仕草と対極的で、その精悍な顔立ちを見れば見るほど、あの子供っぽい振る舞いが思い出される。ませた子供が精一杯背伸びをし、大人の表情を繕っているようにルイズには思え、また息が少しずつ漏れ始める。

ルイズは再び、大きな声で笑い出した。
しばらく笑っていると、今度は男が、笑い続ける彼女に少し呆れたかのように、盛大に溜め息をついた。

あら、今のは可愛くないわ。

「もう、呆れないでよ」

今度はルイズが、子供のように、膨れっ面をした。

「そりゃあ、俺は確かに田舎者だが、何でそんなに笑うんだ。」
「だってあなた、本当に面白いんだもの」

自覚があるのだろう。男は頬を右手で掻いた。
そういえば、とルイズは思い出したかのように、実際思い出したのだが、男に尋ねた。

「で、一体誰に会いに来たの?この部屋、長いこと使われてないみたいだけど。」
「会いに来た?誰が?」

何処までもとぼけた男だ。今度は少し不機嫌そうに、ルイズは言う。

「だってあなた、誰かに会いに来たんじゃないの。でもこの部屋、見た感じじゃしばらく使われてないみたいだから、部屋を間違えたんじゃないかしら」

百鬼丸の身なりは、余りにみすぼらしい。彼がこの部屋に泊まる、という可能性には、ルイズは気付かなかったのだ。

「あぁ、そういうことか、俺はここに泊まるように案内されたんだ。コルベールさんって知ってるか?」

彼女の予想とは少し違ったようだ。よく分からないが、なんだか少し残念だった。

「コルベール先生?そう、あなた先生のお客さんなのね。道理で」

変わってるのね。そう続けようとした。だが、そこまで言って、ルイズはふと考えた。もしかして、自分はとんでもなく無礼な事をしたのではなかろうか。異国の人間であるという事は既に確定している。本人がそう言った。そして、よくよく見ると、逞しい体躯に見合った、只ならぬ存在感がある。下手をすれば、コルベール個人でなく、学院の来賓という可能性もある。この男の気を損ねれば、何らかの処罰を受けるかもしれない。

頭の中で滝のように、思考が流れ出す。そこで処罰という事に思い至り、そこから男と会うまでの煩悶を連想してしまった。そうだ、どんな罰を受けても、怖いことなど、もう何も、無い。失うものは既に今日、全て失ったのだ。だが、開き直ることなどできようものか。有るのはただ、喪失感と自己卑下のみ。嘲笑の的、出来損ないの貴族気取りが、異国の民の戸惑う様を笑うなど、おこがましいにも程がある。自然俯く。

突然暗い空気を纏い始めた少女に、百鬼丸は戸惑った。

「どうしたんだ?俺が何かまずいことでも言ったか?」

今の今まで楽しそうに話していた少女が、突然纏った暗い雰囲気に、どう対処すればよいか、百鬼丸には分からなかった。人を慰めた経験など無い。

「その、ごめんなさい、あたし、初めて会ったあなたを笑うだなんて」
「別に気にしてない。それより、一体どうしたんだ?さっきまであんなに笑ってたのに」
「あたし、他人を笑う資格なんて無いの。出来損ないなのよ」

貴族であって貴族でない、出来損ないの落ちこぼれ。『ゼロのルイズ』なんて、巧いたとえではないか。なにか言葉を発するたびに、自分の言葉が自分を傷つけていく悪循環に、彼女は陥ろうとしていた。

「そうか。じゃあ、俺と同じだな。俺も出来損ないなんだよ。だからいいじゃないか、笑ったって」

見上げれば、男はそっぽを向いている。

「えっと、もしかして、慰めてくれてるの?」
「別にそう言う訳じゃない」

少し、暗い気持ちが晴れた。それで現状が変わるわけではないが、ちょっとでも明るい気持ちでられる方が良い。少しずつ笑顔が戻ってきた。今度はその笑顔が、何かを企んで、笑っている顔になる。
照れているのであろう、男が顔を向けている方へ回り込もうと、体を傾け、男の顔を下から覗きこんだ。

「ねぇ、もしかして、照れてるの?」

少しだけ、意地悪く聞くと、男はなんだか悔しそうに唸った。

「ふふ、でも……ありがと」

ふん、と男は鼻を鳴らし、また、ルイズの回り込んだ方と反対側へ首を向けた。
ありがとう、と言ったのは、彼女の本心からだった。この学院には、彼女を馬鹿にする者はいても、彼女を慰めてくれる存在は余りいない。教師達は、いつか努力は実る、と口々に言うが、そんなものは半ば定型句でしかない。心から自分を思ってくれる言葉にはとても聞こえなかった。もっとも心から励まそうとしても、そういった方面では余り口の巧くない人間もいるのだが、それに気付くには、ルイズの心には余裕が無かったし、彼女は言葉の裏を読む事には長けていない。十六とはいえ、まだまだ子供なのだ。

ルイズの方でも少し照れくさくなり、強引にではあるが、話を戻した。

「そうよ、ねぇ、あそこのドアの他にも色んな物があるのよ。なにか面白そうなもの無いかしら」

そう言って、男と目を合わせぬ為に、部屋の中をきょろきょろと見回した。
気を使ってくれているのもあるのだろうが、興味も俄然あるようで、男はすぐに食いついてきた。

それからは少し賑やかに騒いだ。あれは何だと百鬼丸が問えば、得意げにルイズは受け答えする。どんな仕組みかと物を弄る百鬼丸を見て、ルイズはけらけらと笑う。そんなことをしばらく繰り返した。
ルイズとしては、最も面白かったのは、部屋の明かりを突然消した時の事だ。指を弾き、軽く音を鳴らすと、これは魔法によってそう仕組まれているのだが、部屋の明かりがふっと消える。何事かと騒ぐ百鬼丸の驚き様と、警戒のし様に、ルイズは今日で、いや、ここ数ヶ月で一番声を出して笑い転げた。もっともその後、少しだけ本気で怒られたのだが。百鬼丸としては、常に妖怪を相手に戦い続けてきたのだから無理も無い。

しばらくそんな事を繰り返していると、ドアを叩く音が聞こえた。
コンコンと小気味のよい音を立てる。
ちなみに今は、ベッドの天蓋について説明していたところだった。室内で、二人そろって上を見上げている光景は、少し滑稽だ。

「なんだ?」

百鬼丸が、不思議そうな顔をした。妖気は感じない。

「ほら、さっき教えた、ノッカーよ。あなたに用事があるって人が来てるのよ」

そうルイズが教えてやると、百鬼丸は、思い出したと言う顔で頷いた。
ルイズの方に顔だけ向けて聞いた。

「こういう時はどうしたらいいんだ?」
「どうぞ、っていうの。ほら、言ってみて。」

楽しそうにルイズは、百鬼丸の顔を見て、そう促した。

「ど、どうぞ」

どもった上に、声が上擦っている。ルイズはまた、声を出して笑い転げた。




[27313] 第七話 遊び
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/21 01:04


部屋へ入ってきたのは、先ほどの黒髪のメイド、シエスタだった。何が入っているのやら、少し膨らんだ袋を抱えている。

失礼します、と声をかけ、少女がまず初めに見たものは、ずいぶんと奇妙な光景。
百鬼丸と呼ばれる、コルベールの連れてきた客人。そして、この学院の生徒である、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールという少女。実にとりとめも無い取り合わせだ。少なからず驚いた。

シエスタは、ルイズを知っている。『ゼロのルイズ』という言葉も、その由縁も知っている。彼女の起こす原因不明の爆発は、常に騒動の種であった。
また、公爵家というだけでも目立つ上に、その家柄でも尚、嘲笑の的になる彼女を知らないものはこの学院には居ない。
家柄を盾に取らずに必死に勉学に励み、見返してやろうとする彼女の姿勢は、平民達に同情的な視線を集めさせるには十分過ぎた。そんな同情心からだろうか、一度話をしてみたい、と漠然と思っていた貴族の中の一人だ。
それに典型的な田舎大家族の長女の血が騒ぐのだろうか。

小さくて可愛い。

不敬な話である。それはともかくとして、常に苛立ちを隠そうとしないそんな大貴族のルイズお嬢様が、実に楽しそうに声を上げて笑い転げている様子を、シエスタは初めて目にした。その隣に居るのは、今日初めて見た奇妙な来訪者、百鬼丸である。
こちらは笑い転げるルイズを、なにやら恨めしげな目で見ていた。

まるで仲の良い、姉弟みたい。小さな姉と大きな弟。

そんなことを考えてしまった。
しかし、目の前に居る少女の持つ雰囲気が、余りに普段とかけ離れていたため、思わず口に出た。

「ミス・ヴァリエール?」

特に意味は無い。

「なぁに」
「あ、いえ、失礼しました。ミスタ・ヒャッキマルに用があったものですから、まさかミス・ヴァリエールまでいらっしゃるとは思わず、少し驚いてしまいました」

丁寧に頭を下げる。指で涙を拭っていた。やっぱり可愛い。ちなみに変な意味では無い。ルイズが首を傾げると、ふと隣に立つ男に目を向けた。

「あんた、ヒャッキマルっていうの?珍しい名前ね?」
「そんなに珍しいか?いや、そうなのかもな」

名前も知らない相手と仲良く話をしていたと言うのか。それもこんな変わった出で立ちの異性と。ますます信じられない。

「なぁ、『みすた』ってなんだ?」
「男の人につける敬称よ。男なら『ミスタ』。女なら『ミス』か『ミセス』。結婚してたら『ミセス』ね。だからあたしは『ミス』」
「そういえば、お前は名前、なんていうんだ?」

こっちもか。

「ばりええる、っていうのか?」

少し拙い感じで、ルイズの名を呼ぼうとした。こっちも意外と可愛い。
いやいや、失礼な話だ。

入り口で、ぴんと背を伸ばしたままだが、姿勢は崩さない。メイドたるもの、余計な口は出してはならない。忘れているようなことだけが、少しだけ不満ではあるが。
勿論顔にも出さない。
ただ、部屋に入ると目に入った、思いもかけぬ組み合わせの二人が、突然自己紹介を始めたというこの状況に対し、どう動くべきか判断には迷っていた。
そろそろ用事くらいは済ませたい。
あわよくば話しに入り込みたいところではあるが。


「『バ』じゃなくて、『ヴァ』よ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」
「何だそれ?全部名前なのか?よくそんな長いの覚えられるな」

流暢に名乗るルイズに何故か百鬼丸は感心していた。
自分の名前くらいだれでも覚えるだろうに。

「もう、せっかく名乗ったのに、人の大事な名前に何だとは何よ。あんたこそ変な名前の癖に」

ルイズは不機嫌そうに返した。分かりやすく、腰に手を当て、口先を尖らせて百鬼丸を見据える。
確かにルイズの言うとおりだ。自分の名前も育ての親が考えてくれた、たった一つの自分のものだ。しかも恐れ多くも由緒正しき公爵家のご令嬢に変とは。

「あぁ、すまん。そうだな、悪かったよ。えぇと、るいずふらんそわー…ええと、すまん。なんだったか」

そう謝り、少女の名前を必死に覚えようと諳んじるも、ただでさえ長い名前は、馴染みの無い百鬼丸にとっては、格式ばった経典よりも難しいらしい。
百鬼丸が謝罪をしたことに満足したルイズは、彼女の名前を必死に覚えようと、拙いながらも口に出す百鬼丸を見て、許すと微笑んだ。

「いいわよ、ルイズでいいわ。でもいつか、ちゃんと覚えてよね。ところであんたも、ヒャッキマルのほかに何か無いの?」

あたしは覚えられるわよ、とそんな顔で聴いている。
記憶力には自信が有りそうだ。魔法での失敗を取り返すように日々座学に励むルイズの姿をシエスタは知っている。
そういえば確かに、百鬼丸は姓があるのだろうか。
ハルケギニアの平民には姓は無い。

「いや、ただの『百鬼丸』だけだ。でもルイズ、変って言うなよ」
「あははっ、そうね、ごめんなさい、ヒャッキマル」
「あの、」

そろそろいいだろう。
完全に蚊帳の外に置かれているが、用を済まさない事には、彼女もどうしようもない。

「あら、ごめんなさい。何か用事があったのよね」

今までのやり取りを、見られていたという事がルイズは少し気恥ずかしいらしい。

「シエスタ、でいいよな。すまんな。で、どうしたんだ?」

百鬼丸もどうやら同じようだ。恥ずかしそうに先を促してきた。





へえ、あの娘、シエスタっていうんだ。

ルイズは少し、この異邦人の交友関係に驚いた。コルベール、教師の次に出てきた名前は女中のものだ。先の名前のやり取りや、しっかりと彼女の名を覚えている辺り、結構誠実なのだろう。ふと気が付いた。
ルイズはシエスタと呼ばれた女中の顔を覚えてはいたが、名前はたった今、初めて知った。いや、聞いていたかもしれないが覚えていない。何故名前を覚えていなかったのだろう。
聞かなかったからだ。百鬼丸には名前を聞いた。
何故シエスタには名前を聞かなかったのだろう。
興味が無かったのだ。
何故興味が無かったのだろう。
分からなかい。何故だろう。そこで遮られた。

「ミスタ・コルベールより、お召し物をお渡しする様に仰せつかりました。宜しければこちらの服にお着替えするようにと。長旅のようですので、大分汚れているように見受けれたものですから」

そう言うと、手に抱えていた袋から、白いシャツと黒いズボン、黒い靴下。袋に隠れてよく見えなかったが、もう一つ、包みから、これまた黒く光る、革の靴を取り出した。

「宜しければ、今お召しの服の洗濯、修繕も致しますよ」

にっこりと恥ずかしそうに加えた。彼女が手ずからするのであろうか。
顎に手をやり、考える素振りを見せる百鬼丸を尻目に、ルイズが先に閃いた。

「へえ、いいじゃない。着てみましょうよ。ねぇ?」

百鬼丸はそこそこ背が高いし、見栄えもいい。それに、着替えた百鬼丸がどんな反応をするかを、何よりルイズは見たかった。シエスタの反応も気になる。

「直してもくれるのか、ありがてぇ。二年も着通しだ」
「えっ二年も?」

さっと後ろに下がった。シエスタとは心が通じた。
一般的な平民の感覚でも不潔らしい。当たり前か。

「ちゃんと洗ってるよ」
「あらそう、でもごめん。まだ近付かないで」
「さっきまで平気だったじゃねぇか」
「知らなかったんだもん」
「汚れちゃいるが臭くはならねぇ」

何の根拠があってかは知らないし、確かに臭くはなかったが、いずれ臭くなるに決まってる。
シエスタとはまだきっと同じ気持ちだ。

「なにそれ、気付かなかっただけで臭いに決まってるわっ、ねぇ?」
「いえ、あの、そのっ失礼しましたっ」

そしてこれは身分と立場の差。
物質的な距離の差も意味する。シエスタは先ほどと同じ位置に何時の間にか進み出ている。メイドの鑑だ。
百鬼丸はげんなりとしていた。

「とりあえず体を拭きたい。シエスタ、何か持ってきてくれるか?」

はい、とシエスタはやや強張った顔で微笑みを作り、部屋を出ると一緒に持ってきていたのだろう、桶と大きなタオルを一つ、部屋へ運び込んだ。年頃の少女の腕には些か荷が重そうだ。
桶からは緩やかに白い湯気が出ている。わざわざ沸かして持ってきたのであろう。用意のいいことだ。

「ねぇ、もう一杯有った方が良いんじゃないかしら」
「いらねぇ」
「あの、御座います」
「ほら、汚いって。タオルも?」
「いえ、長旅でしょうと思ったものですから。あっタオルもございます」
「汚いもんね」
「いえ、その」
「うるせぇ、脱ぐぞ。とっとと出てけ」

少しばかり顔が熱くなった。
怒らせてしまったようだが、楽しいからまあいい。

「着方、わかるの?」
「分からんが、まあ、大丈夫だろ。たかだか服だ」

たかだかドア一つで四苦八苦していた人間が何を言うか、とも思ったが、年頃の少女が、裸の大の男を相手に服を着せるなんて、出来よう筈も無い。
心配しながらも、ドアを開けたときの百鬼丸の姿をあれこれ想像して部屋を出た。





部屋を出た二人は、ドアの横に立つ。ルイズは後ろに手を組み、壁に背を預け、何かのリズムを取るように、時折背中で壁を弾いていた。手持ち無沙汰な御様子だ。
シエスタは、前で手を組み、直立不動。女中が貴族の前で寛ぐ訳にも行かない。

突然

「ねぇ、シエスタ。」

そうルイズが声をかけると、シエスタは凄い勢いで首をルイズに向ける。
黒い艶やかな髪が、宙に舞った。

「え?」
「あら、ごめん。間違ってたかしら?」
「い、いえ、わわ、私、シエスタで合ってますっ」

口早に、大きな声でそう答えた。
いきなり名前を呼ばれたことで驚いてしまった。

「ふふ、ごめんね、驚かせちゃって。やっぱりあんまり名前で呼ばれないのね」

貴族とはそう言うものだ。それを聞きたかったのだろうか。この学院で、使用人の名前をいちいち覚え、名前で呼ぶものなど、教師、生徒を含め、コルベールくらいのものである。そして彼は変人と呼ばれている。シエスタも、悪いがそう思っている。
彼は模範的な貴族ではないのだろう。だから好きだ。

「ねぇ、シエスタ。百鬼丸のこと、どうして知ってるの?」

にっこりと笑い、目を合わせられた。あまりに自然で、優しそうな笑み。
正直緊張した。
所々詰まりながら、コルベールと百鬼丸の、対面の場に自分が居合わせたことと、その様子を語った。百鬼丸はコルベールの知己ではなく、今日初めて顔を合わせたらしい事を伝える。

「へぇ、そうだったんだ。ありがと。」

聞き終えた後、また、目を見てにっこりと笑いかけられた。
今度はなんだか安心した。

シエスタも少しばかり、百鬼丸とルイズの関係が気になった。が尋ねることは出来ない。自分はしがない使用人だ。貴族にそんな、自分と関係ない事を詮索するなんて、恐れ多くて出来るものか。

しばらく沈黙が流れ、それに耐えかねたかのように、ルイズがまた喋りだした。

「あいつね、面白いのよ」

そう言うと、百鬼丸がこのドアの前で苦戦していた様をつぶさに語りだす。シエスタは、正直面白くて仕方が無かったが、百鬼丸は客人だ。
それにいくら優しくしてくれようと、貴族の前で声を上げて笑うなどと、出来るはずも無く、必死に声を殺して、肩を震わせていた。
自分の反応を見て、ルイズは、今度は自分しか知らないことを自慢するように、部屋に入ってからの百鬼丸の行動を語りだす。シエスタの方も、これには挫けそうになった。

ちなみに百鬼丸は部屋の外の様子を感じ取り、嘆息していた。彼は気配に聡い

「どうぞ」

あわやもう駄目か、とシエスタが思ったその時、そんな声が聞こえた。
助かった。さすが百鬼丸さん。





さっきよりは自然だ。少し面白くない。そんなことを思いながら、ルイズは扉を開けた。シエスタは後ろに付いてきている。口元を無理に真一文字に結んでいるが、少し涙目だ。よほど我慢したのだろう。
さて、と足を踏み入れ、百鬼丸の姿を確認する。

「あんたねぇ……」

溜息。

「たかだか服、じゃなかったの?」
 
ズボンは、はけている。形を見れば一目瞭然だから、これはまぁ、予想通りともいえる。股間のボタンも最初から掛かっていたのだろう、不埒なものは覗いていない。だが、シャツのボタン、閉じ方が分からなかったのだろうが、前をはだけたままだった。

じと目で見詰めながらのルイズの言葉に、ぐっ、と百鬼丸は唸った。
シエスタは、俯いて、ぷるぷると震えている。

それにしても、とよく見てみると、なんだか少し官能的だ。
白いシャツの隙間から、少し傷のある逞しい胸元が露になっている。
後ろに縛られた長い黒髪と、黒いズボンとの対照が、一層シャツの白さと、そこから覗く、男らしい肌を、少女達に見せ付ける。強烈に、男を意識させた。

今度はルイズが、むぅっ、と頬を染めながらも、百鬼丸を眺めていた。
隣で笑いを殺していたシエスタも、それに気付いたようで、先程までと違った理由で赤く染まった顔を上げている。顔は百鬼丸を向いてはいるが、目はあらぬ方向を見つめていた。

また溜息をつくと、頬を染めたまま、百鬼丸に歩み寄り、少し背を伸ばしながらボタンを掛けてやる。

「もう、仕方ないんだから」
「む、すまん」

恥ずかしそうに謝り、百鬼丸は、ルイズがボタンを掛けやすいように、少し屈んでやった。

本当に仲の良い姉弟みたい。
小さいけども、しっかり者のお姉さんと、体は大きいけども、少し抜けた弟。
少し抜けた兄としっかり者の妹でもいいのかな。

シエスタはまた、羨ましそうに、だが微笑みながら、二人を見ていた。



[27313] 第八話 部屋
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/21 01:17




百鬼丸に服を着せた後、食事を持ってくると言うシエスタに、ルイズはまた新しい遊びを思いついたと言わんばかりに、自分の食事もここへ持ってきて欲しいと伝えた。

いい機会だ。この田舎者に、貴族のマナーを仕込んでみよう。ナイフとフォークすら知らないんじゃないかしら。きっと辟易するだろうが、面白いに違いない。

そんな彼女の企みに、嫌な予感がしたのだろう、百鬼丸は慌てて断った。
昔、彼が体を得て間もない頃、寿海に行儀作法を一通り習った事がある。寿海からしてみれば、せめて不憫な我が子が、外へ出ても恥をかかぬようにという親心であったのだが、百鬼丸はこれが嫌で嫌で仕方が無かった。
箸の使い方が悪ければぴしゃりと手を打たれ、飯をこぼせば勿体無いと叱られる。拾って食えば問題ないのに。
こんな事で果たして味の分かる人間達は、気持ちよく食事を出来るのだろうかと、子供ながらに考えたものだ。

恐らく国は違えど、そのやかましさとややこしさは違わないだろうと思い、丁寧に辞退したのだが、果たしてこれは、飽くまで彼にとっては正解であった。
ルイズは厳しく育てられた。教えるという気持ち以上に、きっちりと躾けてやろう、という、百鬼丸にとっては大変有難迷惑なことを考え、息巻いていたのだ。

「すまん、それだけは勘弁してくれ」

逞しい体つきに見合わぬ程の情けない顔で、百鬼丸にそう言われたのだから、ルイズはしぶしぶながらも諦めざるを得ない。余程に嫌なのだと見える。或いは自分と同じように親の躾が厳しかったのだろ。相変わらず面白い男だと、溜息をつきながらも笑った。

ルイズは、自分の申し出を鬼丸に断られた事を、残念に思いながらも、気が付けば結構な時間になっていた事に気付き、ひとまずは自分の部屋へ帰ることにした。部屋を出たときの憂鬱感は大分薄れている。
かといって何事も無かったかのように眠ることは出来ないだろうが、こんな夜中に行く当ても無く学院を出たところで、何も変わらないのだ。
はた、と百鬼丸に問いかける。

「ねぇヒャッキマル、あなたコルベール先生のお客様でいいのよね?いつまでここに居るの?」
「ん、さあ?わからんが少なくとも二、三日はいると思う。多分だけどな」

百鬼丸は首を捻りながら、これまたずいぶんととぼけた答えだ。まあ、旅の者のようだし、きっと気の向くままに旅しているんだろうと解釈する。
二、三日と聞き、少し残念な気はしたが、二度と会えぬわけではない。別れを惜しむのは次の機会にしたい。そう思い再び聞く。

「ねえ、そのまた、遊びに来てもいいかしら?」
「もちろんだ」

少しばかり恥ずかしい。
お互い少し微笑みながら、そう聞いて別れることにした。シエスタは百鬼丸の給仕の為に、まだしばらくはいるとの事なので、二人に別れの挨拶をして、部屋を出た。

「じゃあ、二人とも、おやすみなさい。またね」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさいませ、ミス・ヴァリエール」





部屋へ戻り、ルイズは体が少し汗ばんでいる事に気付く。風呂へ行くべきだろうか。
衛生面で言うなら間違いなく行くべきである。そんな事は彼女も分かっている。風呂は毎日入るものだ。
だが、魔法学院の風呂は、集団で入れるよう、非常に大きく作られている大浴場だ。
学友達に会えば、どんな顔をされるかわからない。きっと使い魔を得られなかったことを、いつものように罵られる。『ゼロのルイズ』と、またあの嫌な言葉を聴かされるに違いない。

しばらく悩んだが、淑女を心がけるものとしては不潔な事の方が嫌だった。
どうせ魔法は使えぬのだから、せめて身奇麗でいよう。

大浴場へ、誰にも会わぬように早足で向かう。
湯浴みを終え、また早足で部屋へ戻った。

行き帰りは彼女の目論見通り、誰とも会わなかったが、浴場では見知った顔をちらほらと見つけた。
彼女の予想に反して、顔を合わせた者たちの反応は奇妙なものだった。いつもなら強気で人を見下す学友達は、なぜか彼女の方に目を合わせない。嘲笑も無い。ただ、避けるように、こちらの様子を恐る恐るといった感じで伺っているのだ。

今日の召喚の儀の事を、生徒達は心の中で整理しかねていた。何が起きたのかも、見ていたのによく分からない。しかし一つだけ確かな事、それは、あの恐ろしい現象を引き起こしたのは自分である、それだけだ。

部屋へ戻り、ルイズはその結論にたどり着いた。人は自分に理解できないものを恐れる。それが人だから。だが、いつもは人を見下していたくせに、少し恐怖が見えればこの扱い。これが貴族とは笑わせる。

なによ、意気地なし。

そう思ったが、よくよく思い出せば自分も人のことは言えない。彼女もまた、自分の為した事であるのに、恐ろしさの余り気絶したのだ。

考えても埒が明かない。彼女も何も分からないのだから。もう寝ようと、着替えてベッドに倒れこむ。仰向けに転がり、ベッドに備え付けられた天蓋を見据えた。いや、見ていたのは天蓋でも、その先の天井でもない。目には何も映っていない。

今日は複雑な一日だった。ベッドに横たわり、ルイズはそんなことを考えていた。
一日を振り返る。召喚の儀での失敗は、彼女から大きなものを奪ってしまった。メイジとしての、貴族としての存在意義。それを考えるとどうしても暗い気持ちにならざるを得ない。己の処遇に関しても、まだ何も分からない。
だが、好奇心旺盛な少し優しい田舎者、百鬼丸と出会い慰められた。そして、今まで身近に居ながらも顧みる事の無かった平民のメイド、シエスタの名を覚えた。三人で一緒になって、年甲斐も無くはしゃいでしまった。新しい何かを得た気もする。

それが何かは、はっきりと言葉には出来ない。言葉にすればきっと陳腐なものに違いないが、悪いものではないのは理解できた。
今日と言う日は、果たして自分にとって良かったのだろうか、悪かったのだろうか。
どちらにしても貴族のあり方について考えざるを得ない。魔法を使えぬ貴族の出来損ないは、どうやって存在を続けるのだろう。
しかし大分疲れていたのだろう、目を瞑ると自然と意識が深く沈んでいく。少しばかり暗い気持ちだ。
ここにはいない誰かに、再び、小さく語りかけた。

「おやすみ……なさい」

気持ちよく眠れそうだ。





ルイズと別れた後、シエスタは百鬼丸にあれこれと世話を焼いた。服の事、食事の事。目が見えない、と聞いていたせいもあるし、百鬼丸に感じた好意もある。また、彼女は元来世話焼きな性質でもある。
シエスタは八人兄弟の長女である。男五人に女三人。年のせいもあるが、弟達は特に腕白で、シエスタは長女という事もあり、自然兄弟の面倒を見るのは彼女の役割になった。今はその大勢の家族を養うために、この魔法学院に出稼ぎに来ているという訳だ。

百鬼丸の世話をしていると、見た感じ彼の方が年上なのだが、なぜか弟達と少し重なって見えた。百鬼丸を、部屋の中央に、テーブルと共に備え付けられた椅子に座らせ給仕をする。皿を差し出すだけで、水を注ぐだけで、何がそんなに嬉しいのか、子供のように破顔する。
単に、給仕に慣れていないせいもあるのだろうが、人に良くされる、というのがそれだけで百鬼丸には気分が良いらしい。

「お、ありがとう」

こっちを向いてそう言う。シエスタはその度、少し頬を染め、えぇ、と頷く。一度切りならともかく、何度もそれをされると気恥ずかしい。

また、ルイズが危惧していた通り、非常に行儀が悪い。これは百鬼丸の国が、食器も作法もトリステインとは全く違うというのが理由なのだが、それにしても、ひどい。
といっても、食べ物をこぼしたり、口をあけたまま咀嚼するというわけではない。
左手は皿に添える、だけなら良いのだが、皿を持ち上げることもしばしば。右手はフォークかスプーン。ナイフは使わない。一度右手に持って首を傾げると、直ぐにもとあった場所に戻したのみ。
シチューを口にすれば、ずず、と音を立て、パンにはそのまま齧り付く。フォークを逆手に持って、肉に勢いよく、ぐさりと突き刺した時などは、呆れるを通り越して、少し面白かった。どれもトリステインの作法では、よろしくない。

ほんと、まるで子供みたい。ちょっとかわいいかも。

食事する百鬼丸を見ながら、ルイズの気持ちが少し分かったと、勝手に納得していた。
ただ、一つだけ気になった点がある。意外に食が細い。体格から察するに、常人よりは量を食べそうに見えたので、これにはかなり意外だった。

食事を終えた百鬼丸に、恭しくお辞儀をして部屋を出ようとすると、また昼のように呼び止められ、ありがとう、と改めて礼を言われた。先程の子供のような顔ではない、静かな微笑。
いきなりとは卑怯だ、何が卑怯かは彼女もよく分からないが、そんなことを考えた。また、顔が赤くなる。微笑み、お辞儀をした。巧く笑えたか心配だった。

一日の仕事を終え、疲れた体で寝床に着いたシエスタは、ベッドの中であれこれと思いをめぐらす。
百鬼丸という凛々しくもどこか可愛らしい青年と、大貴族でありながら自分を名前で呼んでくれたルイズ。今日は、多分自分が学院で働きだして一番幸せだった日だろう。

ふと、百鬼丸の食事風景を思い出し、ふふ、と独り笑った。

そうだ、今度彼にこの国での作法を教えてあげよう。

持ち前の世話好きな性分で、そう考える。
しばらくして突然、小さく声を出し、頭まですっぽりと布団に包まってしまった。
隣に寝ていた同僚に、何をやっているのか、と迷惑そうに言われたので、なんでもないと謝る。
血の上った頭を静めるように、再び顔を外気に晒して目を瞑った。

いい夢が見られる気がする。





シエスタが出て行った後、百鬼丸も、疲れているであろう己の体を休めようと、ベッドの横の壁際に背を預け、床に胡坐をかき、剣を抱えた。ベッドが何をする物かは、ルイズに教えてもらったが使わない。

百鬼丸の持つ剣、ハルケギニアではサーベルに近いが、彼の国のものだ。性質は若干異なる。片刃で細く、反りが少しあり、よく切れる。鍔は楕円形をしている金属の板。所々複雑な形の穴があり、板を貫いている。飾りであるとともに軽量化の目的も持つ。百鬼丸は眠る時には、刀を抱え鍔に頭を預けるの。これが本来の用途と全く関係ないが、なかなかに便利である。

ルイズに倣い、指を軽く鳴らすと、部屋の明かりが消えた。
百鬼丸が目を瞑り、眠ろう、としたその時。

視線を感じた。

すかさず立ち上がり、気配と対面するように跳びさがった。刀はいつの間にか抜いている。

今いる部屋は広い。ベッド、テーブル、箪笥などいろいろ在るものの、それでも彼と寿海が住んでいたあばら屋よりは余程広い。戦うには不都合は無い。
視線を感じたのは、ベッドの向こうの、窓の手前辺り。だが今は何も感じない。
両手で剣を掴んだまま、にじり寄った。ゆっくりと剣先を、視線を感じた辺りに持って行くも、違和感は既にない。

魔神か?妖気は感じなかったが、だが、確かに見られていた。

百鬼丸と外界を繋ぐものは、今のところ四つ。己の体を伝う振動、相手の伝えたい意思を感じる力、今日殺した魔神から取り返した、彼の肉声。そしてもっとも大きなものが、彼が「勘」とコルベールに説明した、奇妙な感覚である。
百鬼丸は目が見えず、耳も聞こえない、痛みも、熱も、何も感じない。また、外に出ぬ言葉を感じる事は、つまり、相手の心を読むことまでは出来ない。もっとも、自分を含まなくても、近くで会話されている内容であれば分かるのだが。
ともかく戦いの場において、彼が頼りにしている感覚はただの二つ、振動と「勘」のみ。このうち、振動は触れていないものからは伝わりづらい。その分「勘」に頼る割合は大きいのだ。そして、それが片輪の彼を今日まで生かしてきた。

故に、百鬼丸は己の「勘」に絶対な自信を持っていた。そこに何かいれば、何かがあれば、彼には分かるのだ。見られた、と感じたのが気のせいなど、有り得ない。

しばらく刀を下に構えたまま、まんじりともせずに待つ、が何も起こらない。

刀を鞘へ納めると、先程と同じ様に刀を抱え、また同じ場所に蹲った。
妖気を感じなかったのは不思議だが、彼とて魔神の全てを知るわけではない。あるいはそういう力を持った魔神もいるかもしれない。
目を瞑る。


しばらく目を瞑っているが、何も起こらない。だが、このまま寝るわけにも行くまい。


どれほど時間が経っただろうか、日が変わる頃だろう、また視線を感じる。かっ、と目を見開き、視線を感じた先を睨みつける。ベッドの近く、先程よりも近い。
だが、目を向けた途端に気配は消えた。

おのれ魔神め、来るなら来いっ

苛立つものの、目の前にいないものは殺せない。文句も言えない。
いつでも戦えるように、シャツのボタンをたどたどしく外し、腕まくりをする。腕に巻きつけられた、紺の布切れが露になり、ひどく不恰好だ。

また、先程と同じ形で待つ。

なかなか来ない。

部屋の中は、生物が居ながらも物音一つ無い、異様な空間が出来上がっていた。

来た。

今度は明け方。気配は正面、歩幅にして、およそ十足と言ったところか、対面の壁際だ。確かに見られている。が、百鬼丸は動かない。

近づけ、近くに来い。

念じながら、獲物に飛び掛る獣がそうするように、体中の力を溜め込む。まだ動かない。少しずつ近づいてきている。

もっとだ、もっと近くに来い。八、七…。

近づいてくる気配の距離を読む。
が、気配が近づくのを止めた。視るには十分ということか。
今の距離は、およそ五足分。跳べば、刀は届くが、これでは浅い。

十秒、二十秒。
双方動かない。
止むを得ん。

一瞬き。百鬼丸は溜め込んでいた力を放つ。一足のもとに跳び掛り、抜き打ちに、虚空に向かって横薙ぎに斬りつけた。刀が少し震える。

手応えあり

もう一撃、と振りかぶろうとした時、気配がまた消えてしまった。

「くそっ、逃げられたかっ」

忌々しげに舌を打つ。
それにしても、一体なんだったのだろうか。魔神が自分を監視しているのか、あるいは何か別のものか。もしも魔神ならば百鬼丸としては願っても無いのだが。どちらにしても人の様子を盗み見るなどと、碌なものではあるまい。だが今日はもう来るまい。

少し乱暴に刀を納めると、どかりと同じ場所に座りなおした。
多少は冷えた頭で、そろそろ本当に眠ろうかと考えた。また先の気配が来れば、どうせ勝手に目は覚める。
目を瞑り、今日を振り返った。

突然の異国。コルベール、シエスタ、ルイズとの出会い。どれも素晴らしいものだったと思う。貴族ってのはなかなか、いい奴が多いんじゃないか。少ない出会いを基に、考えた。
こんなのもいいかもしれない。家を出てからというもの、襲い来る魑魅魍魎を相手に、孤独で殺伐とした時を過ごした百鬼丸は、己の胸が高鳴るのを感じた。

そして魔神。
コルベールの話を信じるのであれば、そして、それに自分の体を照らし合わせるのならば、召喚されたのは恐らく、いや、間違いなく自分である。彼に付随するかのように、百鬼丸の体を取り込んだ魔神たちが、巻き添えに連れてこられたのだ。つまり四十体、いや、今は三十九体か、残り全ての魔神がこの地に連れてこられた事になる。
魔神をまた一体殺した。そうして声を、己の本当の声を取り戻せたのだ。これで、嬉しくないはずが無い。全て今日一日のことだ。
うっすらと目を開け、先程斬りつけた辺りに、薄暗い光を宿した義眼を向ける。

今日は本当に好い日だった。
僅かに顔を覗かせた太陽が地を照らすが、部屋の中には未だ光は差し込まぬ。

暗い部屋。



[27313] 第九話 会談
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/22 23:10


夜が明けて間もなく、コルベールが部屋にやって来た。

「おはようございます。お召し物、良く似合っておいでですよ。十分に眠れましたかな?」
「ありがとう。久しぶりにいい夜だったよ」

余り眠れてはいないし、多少の厄介ごとはあったが、問題ない。概ね言葉通りだ。
にこやかにそう返した。昨日聞いたとおり、これから学院長に会ってもらいたいとのことだった。飯の後がよかったが我侭は言うまい。事は複雑だと言う事は理解していた。ただ、余りに神妙なコルベールの顔つきが気になる。
刀は左手に携えたまま後ろをついていく。動きにくい服だ。刀を差す場所が無いのも頂けないが文句を言っても仕方ない。

ぐるぐると螺旋に続く階段を上り一つの部屋にたどり着いた。
異様な気配。ドアを叩くコルベールの表情は険しい。

部屋の中、中央の机の向うには古い巨木のような存在感。老人だった。殺気は無いが、思わず刀を抜きたくなる。部屋中に何か得体の知れないものが満ちているのを百鬼丸は感じた。仙人、天狗。
やり合った事はまだ無い。勝てるだろうか。

重々しく老人が口を開いた。皺だらけの顔にぎょろりと除く目玉だけ、生気が満ちている。

「まずは初めまして、じゃな。わしは学院長のオールド・オスマン」
「百鬼丸だ」

初対面にしては物騒なほどの睨み合い。暫く沈黙が続いた。

「悪いが早々にここから立ち去ってもらおうかの。ここは貴族の子息を預かる、国にとっても重要な場所じゃ。君の得体が知れん以上はここにおく理由は無い」
「わかった」

人に足りない何かと、人を超えた何か。得体の知れないのはお互い様だが、出て行けと言われるならば、留まる理由は無い。
追い出されることなど度々だ。体を曝しても、人を守っても、魔神を殺しても、いつも同じ。慣れたものだ。振り返りドアに向かって手を伸ばす。だが、一宿一飯の恩の重さは知っている。礼は言うべきだろう。

「コルベールさん。短い間だが世話になった。ありがとよ。悪いが着物は返して欲しい。大事なもんでね」
「よいのですか?」
「厄介もんだってことは理解してる。シエスタと、あとルイズって知ってるかい?よろしく言っといてくれ、っ?」

体が重くなった。咄嗟に振り向くと、刃を抜き去り鞘を捨てる。邪魔だ。
鍔鳴りが響いた。オスマンもコルベールも身じろぎ一つしていない。

「くそ爺っ」
「何処でその名を聞いた?」
「やろうってのか?コルベールさん、あんたとは出来ればやりたくねぇ。下がってくれ」
「私もです」

杖を地面に置き、部屋の隅へと下がるコルベール。ありがたい。しかし問題は目の前の爺だ。

「何処でその名を知ったか、と問うておる」
「ああっ?ルイズのことか? 案内された部屋に入る前にあいつに話しかけられた。通りすがりだ」

足だけで靴を脱ぎ、後ろに蹴り飛ばす。

「悪いがおれは田舎もんでな、いろいろ教えてもらっただけだ。しばらく一緒に話はしたが、何もしちゃいねぇよ」

服が窮屈だ。喋りながら、柄を差込み両袖のボタンを千切る。

「何を話した」
「大した事は、田舎もんだって言ったろ。あの変な仕掛けの灯りもドアも、おれの国には無くってね」

左腕を軽く捻る。がちゃりと鈍い音がした。
戦う準備は出来たが、果たして勝てるか、あるいは逃げ切れるか。

「ほっ、余程臆病に見える」
「悪いか。死にたくねぇから生きてんだ」
「彼女はどうじゃった?」
「いい奴だったさ、それが何だっ。いい加減にしやがれっ、やるのかっ、やらねぇのかっ」
「わしは何もする気は無いぞ?」

そう言うと、部屋の空気がふっと元に戻った。オスマンを睨みつけ、左腕を見えないように元に戻す。

「よく言うぜ、くそ爺」

そこまで言って鞘を拾い上げ、わざと大きな音を立て刀を納める。ふぅっ、とコルベールが胸を撫で下ろしている。
不愉快だ。
あばよ、と声をかけようとしたところで、しかしオスマンから待ったがかかった。

「いやいや、悪い悪い、ちょっと試したかったんじゃ。許しておくれよ? もう出て行けとは言わんから、の? まずは話を聞いてくれんか?」
「信用ならねぇ」

先ほどに比べればオスマンの口調は大分柔らかい。一芝居打ったのだろうが、してやられた、と言うには物々しすぎだ。あわよくば殺そうとでも思ってたんじゃないのか、爺め。心中で再び悪態を吐く。

「いや、悪かったといっておるじゃろ。本当に申し訳ない。ほれ、この通りじゃ」

そう言ってオスマンはゆっくり立ち上がると、杖を手放し頭を下げた。顔を上げ、同意を求めるように目を合わせてくると、そのまま杖には手を触れず、座り直す。コルベールもそれに倣って頭を下げた。
溜飲が下がったのは確かだ。話を聞いてやるくらいはしてやろう。だがこちらも倣って刀を手放すつもりは無い。
生と死は常に近い場所にある。
知っている。





「先ほども言ったようにここは貴族の子息を大勢預かっておる重要な場所じゃ。おぬしの人柄について確かめて見なければならん、とそう思ったのじゃ」
「それにしちゃ物騒じゃないか?」
「ああでもせんと、見破れんような事もある」

それにしてはやり過ぎだと、コルベールは心中で呟いた。生ける伝説、齢三百歳とも言われるオールド・オスマンである。鬼気に当てられ、若い頃でも思い出したのか。

「へぇ、あんたみたいな爺でもかい?」
「爺じゃからこそ用心深い、そう思ってくれるとありがたいがの」
「ヒャッキマルさん。人の心を操るなどという魔法まであるのです。申し訳ございません。どうかお許しください」

再びコルベールは頭を下げる。本当に申し訳ないと思っていた。それにしてもやはりこの青年、戦いになれば何やら凄まじい迫力があったのは確かだ。注意せねばなるまい。

「ああ、わかったよ、それでおれはどうすればいいんだ?」
「念のために探知の魔法も使わせて頂ければ。危害はありません。先ほどのことも有るので、信用して頂きたい、というのは虫のよい話だと理解はしておりますが、どうか」
「コルベールさんなら信用する。爺はまだだ」
「おおぅ、嫌われたもんじゃ」
「自業自得だ」

全くだとコルベールは思う。共犯者についてはとりあえず無罪にしておこう。主犯との力関係を考えれば情状酌量の余地は十分にある筈だ。さて、同意は貰ったので探知の魔法を行使する。きらきらと光る粉のようなものが百鬼丸の周囲を包んだ。反応は無し。

「ご協力ありがとうございます。何も問題はございません」

続きを促そうとオスマンに目を向けると何故か不思議そうな顔をしていた。
まだなにか不安があるのだろうか。

「これで終わりなら、もう出て行っていいか?」
「いやいや、違うのじゃよ、この学院に置いておけるかどうかを試したんじゃ。出て行かんでもよい。こちらから何かせぬ限りは害意も欲も無いようじゃし、当学院に対し不利益をもたらす意図は無い。と、思う。あまりにあっさり出て行こうとするから驚いたぞ」

オスマンは豪快に笑い出した。だが百鬼丸は未だ不機嫌だ。

「ヒャッキマル君、おぬし、しばらくこの学院に留まるつもりはないかの? おぬしはこの学院に住む。わしらが魔神の情報を集め、おぬしに提供しよう。何かそれらしい情報が入ればおぬしは魔神を倒しに行けばよい。が、事が済めばその度ここへ帰って来る。衣食住は全て保障するが、どうじゃ?」
「はぁ?何だって?」

首を突き出して聞き返している。無理も無い。

「それは俺にしてみれば願ってもないが、一体なんであんたがそこまでする?」
「なに、魔神どもの話、見ていないわしには未だに全て信じきることは出来んが、事実ならば放っては置けん。その危険の可能性を放置する事と、君一人を養う事、比べてみたらどちらが良いか、という事じゃ。君一人を養うくらいわしの財布から見れば訳はないんじゃよ。わし、金持ちだし」

にかっと笑う。威厳があるかと思えば、愛嬌丸出しの冗談も言う。狸にしては獰猛すぎる。長年付き合いのある自分でさえ未だに底が知れない。しかしオスマンの言葉は全て本音だろう。昨日所用から帰ったオスマンと顔を合わせた矢先に、何があったのかと聞かれた。魔神達の気配を、得体の知れぬ何かとして感じ取っていたのだろう。

「断る。俺は誰にも仕える気は無い」

驚いた。破格の条件であるのは間違いないが、縛り付けられるのは嫌らしい。しかし魔神討伐の人員が今いない以上、何かしら情報を持つ彼を確保しておく。現状ではよりよい選択だとはコルベールも同意している。そして、出て行って欲しいと言えば出て行くだろう。

「ヒャッキマルさん。あなたはこの国の事など何も分からないでしょう?第一お金もないですし、住む所や食べ物はどうするのですか?」
「今までだってそんなもの碌に無かったんだ。金なんかほとんど持ったことは無い。眠れる場所だって探せばある。何か食いたけりゃ狩りをすればいい。何とでもなる」

見栄でもなんでもないことは、その態度から見て取れる。呆れるほどの逞しさだ。
魔神を倒すの事を最優先しているらしい百鬼丸の事だ。要らぬしがらみを持ちたくないのであろう。まだ若い。
今度はオスマンが説得にかかる。

「硬く考える必要はないぞ。わしはおぬしを部下にしようなぞとは思っておらん。命令を聞けとも言わん。何か頼むことはあるかもしれんが、断ってくれても良い。そうじゃな、協力しよう、と簡単に言うとそういうことじゃ。わしらは魔神を倒したい、がそれに割く人手は今のところおらん。いずれ、とは考えておるのじゃが。おぬしも魔神を倒したいのじゃろう?悪い話ではなかろうて」
「魔神の恐ろしさは聞いているんだろう?それに、知ってるだろうが俺は魔法は使えない。俺じゃなくても良いんじゃないか?」
「なんじゃい、疑り深いのう」
「あれだけされて信用しろってのが無理だ」
「ミスタ・コルベールに聞いた。見事な腕前、と言うことじゃったが?」
「あんたは見てない」

本当に疑り深い。いや、少々やりすぎたこちらにも責は十分にあるだろう。
ふう、とオスマンは溜息をつく。

「怒らんでくれよ?」
「何がだ?」
「怒らない、と約束してくれるかの?」
「だから何がだ?」
「怒らない、と約束してくれるかの?」

上目遣いにそう言うオスマンに百鬼丸は尋ねる。要領は得ないが、そんなことはどうでもいいくらい、正直気持ち悪い。一体なんだと言うのだ。百鬼丸も同じ気持ちだろう。もう止めて欲しい。
百鬼丸が、怒らないと頷く。様々な感情が絡み合った変な表情だった。自分も同じなのだろうか。

オスマンはゆっくりと立ち上がる。座っていた椅子の斜め後ろの壁に掛かっていた大きな布をばさりと取り外した。
布の下からは、壁に取り付けられた丸い大きな鏡。縁に散りばめられた装飾が見事な逸品だ。見慣れているはずのものだが、ただ一箇所、奇妙なことに、鏡の部分が横に綺麗に裂けている。あっと声を上げてしまった。

「この鏡、『遠見の鏡』というんじゃ。遠くのものを見ることが出来るんじゃが……」

『遠見の鏡』、使用することでその名の通り、任意の場所をその鏡に映し出し、見ることが出来るというマジックアイテムである。
マジックアイテムとは様々な魔法が付与された品のことで、例えば人を癒す魔法が込められた指輪、使用者の姿に形を変える人形、命令を下すことで動く石像など様々な物がある。ちなみにどれも一概に高価だ。

さて、オスマンの言葉をそこまで聞いて百鬼丸の目が釣りあがり、オスマンに詰め寄ろうとした。コルベールは二人のやり取りを理解していない。しかし、只ならぬ百鬼丸の雰囲気に慌てた。

「ヒャ、ヒャッキマルさん?」
「あれはあんただったのかっ」
「怒らないって言ったよね?」

ぐ、っと百鬼丸が立ち止まる。良く分からないが、結構律儀な性格のようだ。何より、演技であろうが、目を潤ませ、しなを作るオスマンが気持ち悪い。本当に狸だ。





昨日報告を受けたオスマンは、謎の剣士、百鬼丸の危険性をはかろうと、コルベールが退出した後に、この遠見の鏡を使い百鬼丸を監視しようとした、が結果は先の通りである。目が見えぬ、という話はコルベールから聞いていた。コルベールも言うか言うまいか迷っていたようだが、今日初めて会った百鬼丸よりは、何年も勤め続けた学院と、可愛い生徒達を秤にかけるとすれば、後者を選ばざるを得なかったのだろう。情を抜きにしても正しい判断だとオスマンは思う。一つの隠し事が何を生み出すかは分からない。

その目の見えぬ筈の彼と、鏡越しに目が合ったときは、オスマンも流石に肝が冷えた。斬りつけられた時など尚更だ。あれほどの殺気を感じたのは何時以来か。当初の遣り取りにはその意趣返しもあった。このくらいの悪戯心が無ければ、学院長など退屈で仕方が無い。ともかく、昨夜から三度、百鬼丸の感じた視線、そして彼の切りつけたものの正体がこの鏡だったという訳だ。

「あ、あの、オールド・オスマン?」

コルベールは一人だけ事情を理解していない。

「いや、すまんのヒャッキマル君。悪いとは思ったんじゃが、何度も言うように、この学院の大事な生徒達を危険な目に合わせるわけにはいかんのじゃ。怒るのはもっともじゃが、許してくれよ?それに、これ高かったんじゃが……」
「俺が知るかっ」
「怒らないって言ったよね?」
「ぐ、」
「言ったよね?」
「分かった…怒らない」

オスマンが椅子に座りなおしそう言うと、百鬼丸も多少不機嫌そうにではあるが、納得した。このやり取りを聞いて、コルベールも大まかに何があったか理解はしたらしいが、何故遠見の鏡が割れているのかはさっぱり分からないのだろう。いや、予想はしているはずだが信じられるものでは無いだけか。

「オールド・オスマン、まさかその鏡、ヒャッキマルさんがやったのですか?」
「仕方ないだろう、魔神かと思ったんだっ」

物を壊したと言う負い目は多少あるのだろう、先程の怒りの余韻もあり、百鬼丸は声を荒げた。だが、そういう問題ではない。遠見の鏡で見られているという事が分かっただけでも異常な上に、その上あの鏡に切りつけ、壊したのだ。オスマンとて現実を前にして理解せざるを得ない。端から聞けばとても信じられないだろう。だが事実だ。

「見ての通り、ヒャッキマル君が切りつけたせいでこのようになってしまったのじゃよ。あぁ、高かったのになぁ……」

百鬼丸の反応が面白いので、少し意地悪くなお言う。

「だからっ、覗き見してた方が悪いだろっ」

まるで子供だ。昨日の夜のオスマンが感じた恐ろしい印象などまるでなかった。少し人物像を見直す必要が在る、とオスマンは長い髭を撫でながら、笑いに目を細め、考えていた。ついでに泣き真似もしてみたらますます怒った。学院長は退屈なのだ。

「落ち着いてください、ヒャッキマルさん。そういうことではないのですよ。何故見られていると分かったのですか?どうやって壊したのですか?」
「なんでって、分かったから分かったとしか言えん。壊したのだって、ただこいつで斬りつけただけだ」

そう言って左手に持つ刀を、コルベールに見せるように前に持ってくる。
コルベールはしげしげとその刀を見つめる。

「マジックアイテム……いえ、先ほど反応はしませんでしたな。これ、何か特殊なものですか?」
「まじっくあいてむ?」

魔法を知らない人間がマジックアイテムを知っているはずがない。マジックアイテムについて簡単に説明をしてやると百鬼丸は、へぇ、と驚いている。

「マジックアイテムってのはよく分かったが、知らんな。それにこれは確かに業物だが、普通の刀だぞ?」
「カタナ?」
「そう、こういうのを俺の国じゃ刀って言うんだ。親父から譲り受けた。どこぞの偉いさんから礼にもらったって言ってたな」
「ほう、お父君の。失礼ですが、ちなみに生業は?」
「医者だ。 腕はいいが、まじないも荒事もやらん。魔法だって使えねぇ」
「ふむ、少しばかり検分しても?」
「今は見るだけにしてくれ」
「そうですか、残念です」
「そんな顔しないでくれ、いつか貸すからよ」
「おお、楽しみに待っておりますぞっ。しかし何故……」

また悪い癖が出ている。そろそろオスマンは話を進めたい。

「ミスタ・コルベール、そろそろ良いかね? 君は好奇心旺盛なのは構わんが、それが高じると周りが見えなくなっていかんよ」
「あっ、これは失礼しました」
「さて、話を戻そう。ヒャッキマル君。君の腕を信じるのは、まあ昨日の出来事、そしてこの鏡が根拠、という訳じゃ。普通の剣で斬る事なぞできない。それを君は、どういう理屈かは知らんが斬って見せたのじゃ。君は魔神に対して有効な戦力であるとわしは判断したのじゃよ。どうじゃな?先程の話」

百鬼丸の顔に、先程声を荒げていたときの子供のような表情は今は無い。落ち着いたようだ。

「まあ、納得した」
「ならば」
「まだだ、もう一つ。ルイズの名前を出した時のあんたの反応、ありゃあ何だ」

コルベールの肩がわずかに震える。

「彼女は公爵家の令嬢。簡単に言えばやんごとなき身分なのですよ、ですから、」

早口で語りだした。未熟者め。

「ミスタ・コルベール、黙っておれ」
「しかしっ、いえ、畏まりました」
「してヒャッキマル君、ミス・ヴァリエール、ルイズ嬢と話してどうじゃったかね?」
「さっきも言っただろ?良い奴だったよ」
「突然こんなわけの分からん国に連れてこられてどう思う?帰れんも知れんぞ?」
「魔神がいる。十分だ。あとの事は全部殺して考える」

突然見知らぬ地に連れてこられでもすれば、怒りもわく筈だと、当初はルイズに召還された事は、百鬼丸には黙っておくつもりだった。しかしこの青年、どうやら本当に魔神以外に関心がない。大丈夫だろう。

「使い魔召喚の義の事は聞き及んでおるの?」
「オールド・オスマンッ」
「おぬしと魔神達を召喚したのは彼女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールじゃ」
「へえ、そうなのか?縁があるな」
「へっ?」

やはり大丈夫だった。それにしても、軽すぎやしないだろうか。
少し心配になる。

「のう、それだけ?」
「何か他に言わなきゃならんのか?」
「いや、そういう訳じゃないんじゃが、うむ、まあよいわ。それでじゃの、彼女の事、別に嫌いじゃないんじゃろ?どうかな?先程の条件に加え、彼女の使い魔になる、というのは?」

聞けばルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは二年に上がろうというのに、未だに一つも魔法が使えない。
しかし、素行に問題なく、座学では学年首位を誇る。努力家、というのはそれだけ聞いても分かる。そんな少女が、使い魔一つ得られなかったというのは余りに可哀想だ。
人の使い魔というのはかなり奇抜な発想だが、只者ではない彼なら、メイジをの力量をはかる使い魔としては充分だろう。少しでも自信をつけて、大きく羽ばたいて欲しい。そんな暖かい思いでこの話をオスマンは切り出した。このくらいの温情が無ければ学院長は務まらない。

「断る」

にべもない。とりあえずルイズは後回し。
学院長は切り替えも早い。



[27313] 第十話 決闘
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/25 20:40


それからいくつか決め事をして話し合いは終了となった。住む場所、食事、学院での立場、金の事など、魔神とは関係のない部分である。
住む場所については今彼が泊まっている来賓室。食事については、しばらくは昨日同様メイドが部屋に持っていくと言う形になった。
立場もそのまま、学院の来賓の異国の剣士という事である。少し違うのは彼の出自を細かく決めた事。出身地はロバ・アル・カリイエ、東方である。
コルベールが偶然旅先で百鬼丸の親と知り合い、その縁で魔法学院へ寄り、オスマンの好意で逗留しているということにした。もちろん全て嘘である。が統一させておかなければ襤褸が出る。
最後に金の事。オスマンはいくらか給金を与えようかと考えていた。いくら衣食住を保障しようとも、金があるに越した事はない。だがそれに対する百鬼丸の返事は簡単だった。

「家来じゃないんだ。金なんかいらん」

頑固に加え頭が固い。オスマンには金で百鬼丸を縛るつもりは更々ないのだが、百鬼丸は律儀にもそれを良しとしない。食事と住居に関しては与えるものなのに、とはオスマンも言わなかったが、鑑みるに、何かあれば働いて返すという気概なのだろう。
とはいえ、武器なり何なり恐らく必要になる事もあると、オスマンもコルベールも考える。そういった場合は、直接伝えてくれれば買い与えるという結論に達した。百鬼丸はそれすらも嫌がっていたようだが、魔神を倒す為の最低限の金である、と説明すると渋々ながらも頷いた。

二人が出て行った部屋の中でオスマンは一人目を瞑り、考えていた。魔神を討伐するための構想である。
現状詳細を知るのは百鬼丸とコルベール、そして自分のみ。いざとなれば止む無いが、コルベールを戦わせるのは酷だ。そして自分が動けば王宮の貴族は黙ってはいまい。無駄に長生きをすると、それだけで恐怖の対象になる。政治、力、この学院はオスマンを縛る檻に近い。動けるのは一人だけ。
差し当たってはもうすこし人数が欲しい。が当ても無い。いっそ捨て駒を、金で雇うのも手かもしれない。
いずれは王宮を巻き込み、軍人でも使いたいところではあるが、人の世を乱す魔神がいる、なぞと今報告しても信じてくれるはずもない。
恐らく王宮に住む頭の固い貴族達は、実物を見るなり、大きな事件が起こるなりしない限りは信じるはずもあるまい。今はまだ機ではないが、果たして何時その機がやって来るかもわからない。

ゆっくりと髭を撫でる。
問題がもう一つ、ルイズの事だ。彼女が大量の化け物を召喚したのは、多くの生徒が目撃している。なんと言って生徒達を説き伏せるか。彼女になんの処罰なく、学院に残すか。幾らか説得力のある理由が必要である。そして百鬼丸とルイズの関係。召還された事は黙っておくように、と彼にはきつく言ってある。ルイズの感情と、それを取り巻く環境とは複雑だ。百鬼丸を召還した事実を知った際、彼女がどんな行動に出るか分からない。そしてそれは百鬼丸の望むものでは無いだろう。魔神討伐に支障をきたす可能性は高い。どうしたものか。ルイズに限らず、使い魔とはメイジにとって重要なものなのだ。

今日は彼女達の学年の授業は全て休みにしてある。名目は、使い魔との交流の為の時間、という事にしたが、本音で言えば、問題の先延ばしである。早いうちに、いや、出来れば今日中に対策を練らねば。

煮詰まっている。

「のう、ミス・ロングビル、確かめたい事があるんじゃ。よいかの?」

いつの間にか部屋に入り仕事に取り掛かっていた、若く、美人で、有能な秘書に語りかける。彼女は椅子に腰掛け、自分の机の書類に向かって、何かをさらさらと書きこんでいた。挨拶が無かったのは気を使ってのことだろう。背筋は伸びており、足も綺麗に揃えて閉じ、スカートからすらりと伸びた長く白い脚が調度品のようで、オスマンには眩しい。

「ええ、なんでしょう? オールド・オスマン」

いぶかしみながらの返事。
ロングビルは常々、この偉大なる学院長のある行為に頭を悩ませていた。
尻を触るは当たり前、下着の色を確かめようと覗き込む、最近は彼の使い魔であるハツカネズミを机の下に忍び込ませる。部屋に忍び込まれ、下着を盗まれた事もあった。もちろん忍び込んだのは使い魔である。使い魔とはメイジにとっては重要なものなのだ。

さてそれは置いて、オスマンが気になったのは百鬼丸の左腕。軽く脅した際に、何かの音がした。金属の擦れる音。暗器だろう。
とりあえず机から大き目のペーパーナイフを二本を取り出しロングビルに渡す。

「ちょいとそこの扉の前に立って欲しいんじゃが、うむ、その辺でよい。渡したナイフをゆっくり擦り合わせてくれんか?」
「はぁ、よろしいんですか?」
「そんなもんいくらでもあるから多少欠けても構わんわい」

じゃり、と音がする。
少し違う。

「もうちょっと力を入れてもらってよいか?」

また違う音だ。あの時の音はもう少し重かった。仕込んであるものは一体何なのか。また暫く考える。

「あの、偉大なるオールド・オスマン、これは一体何の意味が?」
「ううむ、ちょっと待ってくれんか? もう少しで閃きそうなんじゃが……」
「はぁ」
「そうじゃ、次はもっと早くっ」

真剣な面持ちでそう頼んだ。もう少しだ。望んでいるものに近付いている。
何度も同じ動作を繰り返すように指示する。もっと早く、力強く、もう少しで。

「おほっ、良い揺れ具合じゃっ」





「のう、ミス・ロングビルや?」
「何でしょう、偉大なるオールド・オスマン?」

ぼろぼろになった顔を左手で擦りながら声をかけた。

「年寄りは大切に……、冗談じゃ、冗談。ええと、ミス・ヴァリエールをここに呼んできてくれんかの?」

がたっと音を立てロングビルは立ち上がる。椅子が勢いよく床に倒れた。

「次は生徒ですかっ、あなたという人はっ」
「いや、違う違う、誤解じゃ誤解っ、真面目な話じゃよっ」

まだ顔を抑えながら慌てて否定する。
とりあえず分かった事はある。暗器はナイフよりは余程大きい。

そして間違いなく、もっと痛い。





目覚めはルイズにとっては意外に爽快であった。眠れば嫌な事は忘れてしまうほど、自分は図太かっただろうかと少し悩んだが、それでも気分が悪いよりはましである。だが状況は昨日から何一つ変わっていないという事は、ルイズももちろん分かっていた。
召喚魔法自体は発動していたようなので、物は試しと起き抜けに呪文を唱えてみたが、結果は変わらず爆発が起こるのみ。轟音と、その意味する現実に一気に目が覚めた。

未だ魔法は使えず、使い魔も得ていない。殆どの学友達の、ルイズを恐れるような視線も相変わらずであった。
いや、一晩経って落ち着くどころか、あれこれといらぬ想像でもしていたのだろう、昨晩よりも恐れや困惑といった感情は強くなっていたように思える。朝食に赴き食堂にて浴びた視線からそのように感じた。
彼女に話しかけてくるものは誰一人としていない。
とは言え、彼女は魔法が使えぬせいで常にからかわれ、もとよりはみ出し者のような部分もあった。こんな事件が起こる前でも掛けられた言葉といえば嘲りの類が多かった。
しかし馬鹿にする言葉すら投げ掛けられないというのは、よほど彼女が恐ろしいのであろう。触れてほしくないので都合が良い、という強がりはあるが、何故か馬鹿にされるよりも辛く、寂しかった。

朝食を終え、授業へと赴く。

本日の授業は全て休講。使い魔との交流に当てるべし。

やってきた教師に開口一番にそういわれた時、ルイズは安堵を感じると共に、聡明な頭で休講の理由を察して、軽い自責の念に囚われた。爽快な目覚めに反し、時間が過ぎれば過ぎるほど、現実を目の前にするほど気持ちが暗くなる。
だが、陽は憎らしいほどに照っていた。

使い魔のいないルイズは、休講の建前である、『使い魔との交流』に時間を当てる事が出来ない。教師の言葉を聴くと、逃げるように一目散に部屋へと戻った。その小さな体で椅子を窓辺まで引きずる。そのまま腰掛け頬杖をつきながら、広場で使い魔と戯れる学友達を眺めた。

羨ましかった。悔しかった。悲しかった。
誰かと話がしたい。この苦しみを聞いて欲しい。慰めて欲しい。
いや、聞いてくれなくてもいい。ただ、誰かと話すだけで良い。

そんな軟弱な感情が生まれた事に驚く。素直に認める事は出来なかった。貴族とは強くあらねばならないと、彼女はそう考える。故に弱い己を認められない。

彼女の心は常に『貴族』にという言葉に縛られていた。そして己が貴族に足りぬと自覚すれば自覚するほど、彼女を縛る鎖は更に太く、強固になっていく。その事に気付いていながらも、貴族である彼女には鎖を脱ぎ捨てる事は出来なかった。

何をするでもなく窓の外を、手の届かぬその光景をただ眺め続けていた。

どれほどそうしていただろうか、ふと気がつくと広場の中に見覚えのある姿を見つけた。身を乗り出し目を細める。給仕をするシエスタだった。
彼女の黒髪はこの国では目立つ。姿はおぼろげにしか見えないが、遠目にも分かるほどの艶やかな黒髪。それだけでも十分に、彼女であると確信は持てた。
ぽつりと

「貴族は平民を大切にするのよね」

ルイズはそう呟く。誰かと話をしたいという欲求を解決するための言い訳だったのだが、それでも話す相手と理由を得た彼女は、その望みのままに、シエスタのいる広場へと向った。





広場には机や椅子などがいくつか出されており、紅茶を飲みながら、あるいは菓子をつまみながら使い魔の相手をしている者達も少なくない。折角の休息の時間をせめて有意義に使おうとしているのだろう。そんな生徒達にシエスタは給仕をしていた。

しかしどうにも使い魔達に落ち着きが無い。大きな使い魔が突然吼え、小さなものは辺りを忙しなく走り回る。空を飛ぶものはくるくると同じ軌道を描いているかと思うと、突然地面すれすれに滑空し、また同じ事を繰り返すなど、給仕がしにくくて仕方が無い。

契約を交わした使い魔と主人とは深く繋がっている。そのため使い魔の感情は主人の感情に大きく左右される場合が多い。使い魔の知性が高く、自立している場合はその限りでないが、知性の高い使い魔というのは結構に珍しい。
また、主人が使い魔を完全に御し切れているのであれば、使い魔の感情に関らず抑える事が出来るが、まだ若い学生達が使い魔を御しきるには、たった一日では時間が足りなかった。

生徒達を不安にさせている原因はもちろん昨日の騒動である。そしてルイズの感じた通り、彼らの不安は昨日に比べて一層酷くなっていた。
目にした不可解な出来事をあらん限りの想像力で補う。あれは何だと聞かれても誰も正確に答えられない。そのうち誰かが恐る恐る、思ったままに口に出す。あれは悪魔だ。ルイズが悪魔を召喚したに違いない。
なるほど、そのおぞましい姿と、それらを前に感じた恐怖を思い出せば、誰しも肯定するしかなかった。笑い飛ばす事など出来ない。
想像だけが一人歩きし、恐怖を膨らませ伝染する。今は済ました顔で過ごす生徒達も、その心の裡は小刻みに震えているのだった。

さてそんな中、ともかく給仕がしにくいとは思いながらも、使い魔にも主人である貴族達にもよもや文句を言うわけにもいかず、走り回る動物をかわし、恐ろしい咆哮に耐えながら、シエスタはなんとか給仕を務めていた。

やっとテーブルに無事辿り着き、ほっと息をついた。さて持っていたケーキを配ろうとしたところで、予想だにしなかった、突如地面が盛り上がる。シエスタは驚いて小さく声を上げた。

地面は更に盛り上がる。シエスタは体勢を崩し、盛大に後ろに転がった。あまりの驚きに悲鳴まで上げてしまったが、仕方が無いことであろう。ばっと体を起こし、怯えながらも盛り上がった部分に目を遣るが、土の瘤はそのままゆっくりと元の平坦に戻った。

なんだったんだろうと、地面に尻を着けたまま考えると、露になっている自分の足が目に入り、慌てて肌蹴たスカートを元に戻した。

「おい平民っ」

突然振ってきた怒声に顔を上げると、いままさに配膳しようとしていた貴族の少年が目の前に立っていた。シエスタを鋭い目で見下ろしている。黒いマントの隙間から見える上質そうなシャツに、チョコレートがべっとりとついていた。

何故怒鳴られたか理解した。健康な、少し陽に焼けた顔がみるみる青くなる。ばっと立ち上がり何度も何度も頭を下げた。

「もも、も申し訳御座いませんっ。どうか、どうかお許しくださいっ」

必死に謝るシエスタを、貴族の少年はじとりと冷たい目で眺めている。使用人にしては可愛らしい顔立ちと、先程露になった美しい脚を思い出し、少年は嗜虐的な笑みを浮かべた。顔を上げたシエスタの鼻先に杖を突きつける。

ひっ、と声を上げ、シエスタは尻餅をつき、そのまま体を引きずりじたばたと後ずさる。大きな瞳にはじわじわと涙が溜まり、今にも溢れようとしていた。何の力も持たぬか弱い少女が、貴族に杖を向けられたのだ。命の危険を感じずには居られない。

「ひっぅ、どうか、どうか命だけは……」

涙と息の混じったか細い声に刺激されたのか、少年はますますいやらしい笑みを作り、杖をシエスタに押し付けるようにゆっくりと近づいていく。騒ぎに気付いている生徒達も、まるでそれがただの見世物のように眺めるだけ。
少年に限らず、陰鬱とした気分を吐き出す捌け口が欲しかったのだろうか。笑っているものは多くいたが、止めようとするものはいなかった。

いや、一人

「やめなさいっ」

広場へと降りてきたルイズである。事の顛末は分からないが、広場に出て突如目に入った光景に、反射的に体が動いていた。
鈴のような声を今は強く鳴らし、その小さな体に見合わぬ毅然とした態度で近づいてきた。少年とシエスタとの間に体を捻じ込むと、きっ、力の篭った宝石のような瞳で少年を睨みつける。

「あんた恥ずかしくないのっ? 平民の、それも女の子を杖で脅すだなんてそれでも貴族? なによ、その目、どうせいやらしいことでも考えてたんでしょっ、最低っ」
「ミス……ヴァリエール?」

シエスタは驚く。涙にぼやけた視界の中央にルイズの小さな背中と、淡く輝く桃色の髪があった。

ルイズは威嚇するようにずんずんと体を前に押し出す。少年はルイズのあまりの剣幕に後ずさってしまった。数歩下がり、ルイズにぶつけられた言葉を遅れて理解する。少年の顔にさっと朱が差した。

「な、なんだと、『ゼロ』のルイズっ」
「なによ、もう一回言ってほしいの? 弱い者いじめしか出来ないお坊ちゃんなんて貴族失格って言ってるのよっ」
「黙れ、『ゼロ』の癖にっ」
「あら、それしか言う事がないのかしら? 確かにあたしは『ゼロ』よ、認めるわ。でも反論出来ないって事はあんたも自分が最低って認めるのね」

今まで散々馬鹿にされてきたせいである、その自衛のために、ルイズは口が達者であった。
そして今まで大嫌いだった『ゼロ』のあだ名。悲しいかな今となっては最早認めざるを得ない。
だがそれでも彼女の心は貴族だ。気高く生きるその志こそ、『ゼロ』でありながら貴族であれる理由となろう。自棄も無くは無いが、そう呼ぶなら呼べばいい。魔法が使えなくても、そうだ、貴族は血でも魔法でもない。ならば自分は貴族だ

少年の顔が赤みを増してゆく。
怒りのままに杖をルイズへと向けた、瞬間少年は昨日の召喚を思い出したのか、ほんの一瞬ではあるが僅かに恐れが見え隠れした。ルイズは目聡くもそれに気付き、追い討ちを掛ける。

「あら?魔法が使えない『ゼロ』が怖いのかしら? それともなぁに、『ゼロ』が召喚した化け物がそんなに怖かったのかしら? ほんと、それで女の子虐めるんだから、とんだ臆病者ね」

気絶した自分の事は棚に上げ、余裕の態度で言い放つ。ふん、と鼻を鳴らし少年の方に見下すような目を向けた。
しかし、やりすぎであったとルイズは気付いた。
ここまで虚仮にされては少年も既に引き下がれない。もっともそれ以前に完全に頭に血が昇っていた為、引き下がるという選択肢が無くなってしまっている。

精々いたぶってやろう、と呪文を唱え、少年は杖を振る。卵よりは少し小さい程度の石が数個、少年の周りに浮き上がった。これをぶつけるだけ。死なぬ程度に痛めつけるには確かに具合がいい。
ルイズも遅れて杖を取り出す。ろくな魔法は使えないが、必ず起こる爆発は憎らしい事にこの状況では武器にはなるだろう。
だが出足が遅かった。呪文を唱えようとすると、石が一つ、彼女の杖を持つ腕目掛けて飛んできた。したたかに右手を打たれ、杖が遠くに弾かれる。痛い、が気丈にも決して声など出さない。

打たれた右手を押さえながら、体は前を向いたまま、後ろにゆっくりと下がる。しかし逃げるつもりなど無い。貴族は逃げない。なにより後ろにはシエスタがいるのだ。ぐっと拳を握り、シエスタを守るように堂々と立ちふさがる。
平民だから守るのか、シエスタだから守るのか。

「ミス……ヴァリ、エール……」

どうして、とシエスタは言葉を続けたかったが、口が言う事を聞かない。
少年がまた口元に、ルイズにとっては気分を害する笑みを浮かべた。

「謝るなら許してあげようかな? 『ゼロ』のルイズ」
「嫌よ、絶対に嫌。誰があんたみたいな、願い下げだわ」

今でさえルイズは歯を食いしばるほどに悔しいのだ。頭なぞ下げてしまえば、きっと悔しさで死んでしまう。
ルイズの言葉に少年は顔を醜く歪めると、杖を振るった。数個の石が同時に、勢い良く撃ち出された。せめて、とシエスタの小さな体を、更に小さな己の体で、ルイズは力いっぱい掻き抱く。来るべき痛みを堪えようとぎゅっと目を閉じ、歯を食いしばった。

鋭い音が数度、辺りに鳴り響いた。

何時までも体を襲わぬ痛みを不思議に思い、ルイズはゆっくりと目を開ける。状況を確かめようと恐る恐る振り向いた。

そこに居たのは男である。黒い靴に黒いズボン、白いシャツに包まれた大きな背中、束ねられた黒く長い髪の毛。ルイズには黒髪の知人は二人しかいない。そのうち一人は女性だし、なにより今抱きしめている。
左手には細長く紅い杖、右手には見慣れぬ剣を握っていた。どうやらその剣で飛来する石礫を全て叩き落したらしい。
剣をゆっくりと下ろすと、顔の半分だけルイズたちのほうへ向け、にやりと不敵な笑みを浮かべた。

百鬼丸である。


事情は知らないが、シエスタをルイズが庇っている。放って置くわけにはいかなかった。小さな体でシエスタを守ろうとするルイズのその姿に、百鬼丸は素直に感心していた。

「よう、やるじゃないか」
「な、何がよ」

助けてもらったというのに、ルイズは少しぶっきらぼうな声を出してしまった。

「お前って良い奴だよな」
「なっ」

それだけ言うと、まだ何か言おうとしていたルイズから目を外し、剣を構えて腰を落とす。本来の彼ならば直ぐにでも飛び掛かっているところだ。喧嘩は先手必勝である。相手も得物を持っている場合は特にだ。
だだコルベール、オスマンのことを考えると生徒をむやみに傷つけるのは躊躇われた。大きな怪我をさせぬように刀を返す。峰で打てば打ち所が悪い限りは死にはしない。
まずは手に持っているものを狙うか、と当たりをつける。コルベールは魔法を披露する時は必ず杖を握った。戦わないと宣言した時は杖を手放した。大きさは全く違うが、魔法を使うにはきっとそれが必要なのだろう。
そう百鬼丸が考えていたところで、少年が脅しをかける。

「なんだ、平民。使用人か? 貴族に逆らってただで済むと思うなよ」
「俺は使用人でも平民でもない。そっちこそ骨の一本は覚悟しろ」

売り言葉に買い言葉。百鬼丸はむやみ矢鱈に威張る人間が大嫌いだ。弱いものを虐げるのであれば尚更に。手心を加えてやろうと言う気持ちは大分薄れた。それに事情はよく分からないが、女を虐めるなど碌な男ではない。言葉通り、骨の一本くらいでは罰は当たるまい。既に頭に血が上っている。

昨日の召喚の時とは、百鬼丸は服装が違う。昨日の彼が元着ていた服、この国では目立つ格好ならば、ここに居る平民はあの化け物の一匹を殺した謎の剣士、と特定できたかもしれない。それならば少年もむやみな挑発はしなかっただろう。だが今の姿はここでは実にありふれている。
昨日大立ち回りを演じていた男の顔を、恐怖の中ではっきりと覚えていられた人間は殆どいなかったし、男が召還された事さえ知らない者も少なくなかった。気絶していたものもいた、そうでなくても覚えていないほどに混乱していたのだ。
少年にとっても、野次馬にとっても、一風変わった剣を握った平民が乱入してきたに過ぎなかった。平民が貴族、メイジ相手に勝てるはずも無い。それでも立ち向かう平民の姿が実に新鮮だったのだろう。いつの間にか騒ぎが大きくなっていたようだ、気付けば出来上がっていた人垣に、ルイズもシエスタも驚いた。

度重なる乱入に思わぬ余興となったと、興味深そうに覗いている生徒が多いようだ。
魔法学院は学び舎であり、娯楽は少ない。日々の退屈を持て余し、また陰鬱な感情を晴らす為の刺激を求める生徒達にとってはこれ以上ない見世物だった。

そんな周囲の考えている事が分かるわけではないが、ルイズは野次馬達に対して苛立ち、強く歯を食いしばった。こんなものは貴族ではない。
ルイズの腕の中、そのざわつきに更に恐ろしさが増したのか、シエスタが肩を震わせながらルイズのマントに必死にしがみついて来た。恐らく意識しての事ではないのだろう。にらみ合いを続ける二人の方へと顔を向けたまま、ルイズは再びシエスタを、今度は赤子をあやすように、大丈夫、と優しく抱きしめた。

「せいぜい死んで後悔しろ、平民」
「痛い痛いって泣くんじゃねぇぞ? お坊ちゃん」

少年の口は三日月のように歪んでいる。笑いながら、馬鹿め、と呟くと呪文を唱え出した。遅れてなるか、とすかさず百鬼丸は駆け出す。そう、先手必勝だ。

獣の如き敏捷さで身を屈め、素早く踏み込む。少年の眼前で飛び上がるかの如く体を跳ね上げると同時に、上段に思い切り刀を振りかぶった。

百鬼丸が刀を振り上げた瞬間、全ての光景が止まったかのように周囲の人間には感じた。まるでよく出来た絵画を見ているかのように、力を持たぬ平民の、鋼の牙を剥く様が驚くほどに猛々しい。
野蛮でありながらも、原始的でありながらも、漲る生命が今にも躍動せんと満ち溢れ、見ていた者達の瞳に焼きついた。何故斯くも雄雄しく、美しい。その一瞬の光景に、誰の例外もなく囚われてしまった。シエスタも、そしてルイズも。

刹那、銀の刃が陽光を受けてか、光を撒き散らす。
まさに電光石火。ごっ、と鈍い音があたりに響いた。

気付いた時には既に、得物を握る少年の右腕に刀が振り下ろされていた。剣の軌道は誰の目にも捉える事が出来なかった。

また時が止まる。意外すぎるその光景。取り落とされた少年の杖。メイジは杖なしに魔法を使う事ができない。

しばしの静寂。

あっけなくも、微塵も想像だにしなかったその光景の意味する事を周囲は理解し、数瞬遅れて歓声が沸き立った。

決着。



[27313] 第十一話 露見
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/25 20:54
野次馬達が沸き立つ。あたりに響いた鈍い音。恐らく骨の砕けた音であろう。
そして少年の腕から取り落とされた杖。メイジは杖が無ければ魔法を使えない。
つまり勝敗は決したのだ。予想外でありながら、あっけないほどの幕切れであった。

少年は打たれた腕を押さえて蹲った。意外と逞しい事に、情けない声はあげていない。
百鬼丸は少年の落とした杖を後ろに蹴り飛ばし、刀を少年に突きつけたまま確認の意味でルイズに問う。

「おい、ルイズ、魔法はあれが無きゃ使えないのかっ」
「へっ、えっ、あ、うん。そうよ、メイジは杖がないと魔法が使えないわよ。って言うかあんた知らないの?」

少し気が立っているのだろう、声の荒い百鬼丸の問いに慌てて答える。突然話しかけられてルイズは驚いたが、それ以上に百鬼丸が魔法を知らないという事に驚いた。魔法を知らない人間なぞハルケギニアでは考えられない。彼が幾ら田舎者とは言え、その様な可能性など考えもしなかった。そのため百鬼丸の質問は彼女にとっては実に突飛な問いだった。

一つ息を吐いて、そうか、と呟き刀を鞘へ納める百鬼丸を見て、彼女が杖と思っていたものが実は単なる鞘だったのだとルイズは気付いた。見慣れぬ細長い赤の鮮やかな鞘を、杖だと思い込んでいたルイズは、今の今まで百鬼丸をメイジであると勘違いしていたのだ。

ふん、と百鬼丸は鼻を鳴らすと、辺りを睨みつけ声を張り上げる。

「見世物じゃないぞっ、とっとと散れっ」

よほど先程の一太刀が印象的だったのだろう。平民に指図されたというのに、貴族の子供達はその気迫に呑まれ、たじろいだ。
蜘蛛の子を散らすように逃げ去る野次馬を尻目に、ルイズは百鬼丸に話しかける。

「あんた……平民だったのね」
「平民じゃない、百鬼丸だ」

ルイズの問い対して百鬼丸は少し不機嫌そうにそう返した。

「なによ、魔法使えるの?」
「いや、使えん」
「じゃあ平民じゃないの」
「平民じゃない」

よく分からない事を堂々と言い放つ。
平民と呼ばれるのがどうやら単純に気に入らないらしい。一括りにされるのが嫌なのか、言葉自体が嫌なのかはルイズにもよく分からない。

「はぁ、貴族が平民に助けられるなんてね」

つくづく自分は情けないと、ルイズは少し落ち込んだ。だが相手がそれなりに好意を持つ知人であったのがせめてもの救いだったかもしれない。自己嫌悪とまではいかなかった。

「だから平民じゃない。百鬼丸だ。呼ぶなら名前で呼べ」
「はいはい、わかったわよ、もう。平民じゃないわ。あんたはヒャッキマルよ」

子供のように駄々をこねる百鬼丸に呆れ、仕方なしにそう返すと、百鬼丸は満足そうに頷いた。相変わらず変な男だった。だが助けてくれたのは確かにこの男、平民ではなくヒャッキマル、らしい。そう考えると意味が変わってくるような気がしないでもない。

そうか、平民じゃなくて、ヒャッキマルが助けてくれたのね。だから落ち込まなくてもいいのかしら?でも魔法が使えないから平民で、異国の人間だから平民じゃないからヒャッキマルで、あれ?変かしら?

考えているうちによく分からなくなってしまった。ともかく助けてもらったのだから礼は言わねばなるまい。

「ええと、よくわかんないけど、うん、とにかくありがと、助かったわヒャッキマル」
「いや、礼には及ばん。それより二人とも怪我は無いか?」

怪我は無い。大丈夫と答え、隣で呆然とした顔で座り込んだままのシエスタに顔を向けた。

「うぅ、ひっ、ひっううぅ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」

余程怖かったのだろう、溜め込んでいた涙を大粒にぼろぼろと零しながらシエスタは堰を切ったように大声を出して泣き出す。可愛らしい顔がくしゃくしゃになっていた。腰が抜けているのだろうか、尻を突いたまま再びルイズの細い腰に手を回し、ひしっとしがみつく姿は、親に縋りつく子供のようだった。胸が当たっている。気に食わない。大きさで言えば逆だろうに。胸の話ではない。

「ヒャッキマルさん、一体何をしておられるのですかっ?」

ばたばたとコルベールが怒鳴り散らしながら駆けつけてきた。騒ぎを聞きつけたのであろう。百鬼丸がルイズとともにいるのを目にしてかなり驚いたが、そのそばで蹲っている生徒を見た瞬間に駆け出してしまったのである。
蹲る少年に駆け寄ると、彼が痛そうに抱えている腕を取り、具合を確かめる。どう見ても折れている。先程百鬼丸が刀を納めている姿だけは遠目ながらも見ている。この少年の折れた腕は百鬼丸の仕業であろうと理解した。
これまでの温厚な顔が隠れ、鋭い目でコルベールは百鬼丸を睨みつけた。

「折れているではないですか、何故こんなことをっ?」
「ああ、いや、その、すまん、やり過ぎた。でも、ルイズとシエスタがそいつに虐められてたんだ。つい咄嗟に……」

因みに何故百鬼丸が今ここにいるか、ということであるが、オスマンとの会談を終えて部屋を出た後、未だ苛立っていた百鬼丸は気分転換にと、思いつきで学院をコルベールに案内してもらっていたのだ。その途中でコルベールが他の教師に呼ばれ、連れて行かれた。
百鬼丸はその場で待っているように言われていたのだが、何やら騒ぎが起きているようなので、コルベールを待たずに百鬼丸は広場へ足を運ぶ。そこでルイズとシエスタが取り囲まれているのを見つけ、彼女達が物騒な出来事に巻き込まれていると判断する。
事情は分からぬがこの只ならぬ不穏な空気に知人が巻き込まれているのは見過ごせぬ、と彼はそのまま騒動の中へ飛び込んだのである。

これまで見慣れた雰囲気とはかけ離れたコルベールの剣幕にたじろぎ、百鬼丸は逃げるようにルイズとシエスタに顔を向けて話を振る。多少言い訳がましいが、事実ではある。だが効果はあったようだ。コルベールは、えっ、と声を上げると、シエスタを宥めようと彼女の髪を撫でているルイズに顔を向けた。
よく分からないが、一方的に百鬼丸を叱るという状況ではないらしい。事情を聞こうと先程よりも穏やかな声で問いかけた。

「そうなんですか? ミス・ヴァリエール、しかし何故ですか?」
「いえ、その、わたしもよく分からないんですが、シエスタがその子に虐められてたからつい咄嗟に……」

ルイズの指差す方向には未だ蹲る生徒。とてもではないが今は事情を聞ける状態ではないだろう。
今度はルイズに抱きつくシエスタの方へ。

「そうなんですか?シエスタさん?」
「うあ?ひっ、う、うぅ、うぐぅ、うわぁぁぁぁぁあん!!」

よく分からないがどうやらルイズも百鬼丸も、知り合いに何事かあった、と衝動的に行動したらしい。判断材料にはかけるが、恐らく彼らの道徳心に基づいた行動であり、一方的に責めるわけにも行かない。ぽりぽりとコルベールは寂しくなった頭をかいた。
しかし何も大事な生徒の腕を折ることは無いだろう。メイジの腕を折れるほどの、あの巨大な魔神を殺すほどの百鬼丸の腕前ならば、杖を弾き飛ばして終わらせることもできるだろうに。
再びコルベールの中にむくむくと怒りがこみ上げてきた。

「しかしヒャッキマルさん、彼女達を守ったというその行いは正しいと思います。しかしあなたならもっと穏やかに解決できたでしょうっ?」
「いや、すまん。頭に来たもんだからつい、カッとなってやり過ぎちまった」
「つい、とは何ですか、生徒の腕を折っておきながら、つい、とはっ」
「すまん。ほんとにすまん。反省してる」

自然と首をしょんぼりと垂れ、反省の意を示す。先程の雄雄しさは何処へやら、今はただの情けない子供のようだ。
百鬼丸はコルベールの真面目さ、優しさ、実直さに好感を持っていた。それに彼の気遣いは常にありがたく、短い時間で既に色々世話にもなっている。
そのコルベールが顔から禿げ上がった頭まで真っ赤にして怒っているのだ。彼を怒らせてしまった自身の行いに、百鬼丸は心底申し訳ないと感じずにはいられない。

「とにかくもうこんな真似は二度としないでくださいっ、彼を医務室まで連れて行きます、その後もう少し話をしますぞっ」
「う、わかったよ、手伝う」
「当たり前です、さあ、着いてきてくださいっ」

生徒を支えながら歩くコルベールの後に従い、百鬼丸はとぼとぼとついていく。逞しいはずの背中が、どうにも今は頼りない。ルイズがその背中を呆然と眺めていると、コルベールがルイズに振り向いた。

「そうです、ミス・ヴァリエール。彼女の事お願いしますぞ? 事情は後日で結構です。まずは彼女を落ち着けていただけますかな?よろしくお願いします」
「ええ、この娘は任せてください。それと、ありがと、ヒャッキマル。じゃあね?」

そういって、頑張って、といった風に手を振ってやった。顔は振り向かず、後姿のまま力なく手をひらひらと返す百鬼丸を見てルイズはくすりと笑ってやった。


ルイズはぐずるシエスタを暫く宥めた後、同じく騒ぎを聞きつけたのか、やってきた女中達にシエスタを預けた。礼も言われたが、貴族として当然、と小さな胸を張って自慢げに返事をするルイズ。その姿が凛々しくも可愛らしい。
最後の最後までぐすぐすと泣いていたが、助けてくれたルイズに礼を言おうとしていたのだろう、何度もルイズの方を振り返り、何と言っているか聞き取れないくらい涙でぐちゃぐちゃの言葉を必死に発するシエスタを見て、自分の行動は正しかったのだとルイズはささやかな満足感を得ていた。

辺りを見回し、此方を遠巻きに伺う生徒達に気付いた。ルイズはシエスタと歓談に興じるつもりで広場に来た事を思い出す。しかしあの様子では間違いなく無理である。とはいえ、広場に来る前の陰鬱な気持ちは既に無く、いまは貴族としての責務を果たしたという小さな自信に満たされている。

本来の目的は達成できなかったが、これでよかった。百鬼丸もコルベールに連れて行かれたので、これ以上話す相手もおらず、部屋へ戻ろうかと考えていた。

さて、と振り返り寮へと戻ろうとした時、一人の女性がルイズの前に立ちふさがった。
背が高い。燃えるあがるような紅い髪、何か熱を秘めたように炎がちらつく紅い瞳、色気を発する褐色の肌、女性らしく成熟した豊満な肢体。水っぽく艶やかな唇と、男好きのする顔立ちが発する雰囲気はひどく蠱惑的で、高貴さを損なわずにも、女の部分を片っ端から周囲に振りまいている。
その外見は着ている学院の制服、そしてどちらも女性として魅力的、という点以外は何から何までルイズとは対照的な少女。

斜め後ろには真っ赤で巨大な蜥蜴を連れいている。頭のてっぺんから尻尾の先まで、三メイルは在るのではないかというほどに大きい。彼女の使い魔のようだ。

その少女を眼前に確認したとき、ルイズは露骨に嫌な顔をした。この少女とは仲が悪い。だが、同時に此方に媚びる様な視線に気付いたとき、ルイズは心の中で首を傾げる。まるで男に言い寄るときの表情であった。

「ねぇ、ルイズ? あたし、あなたに聞いてほしい事が有るのよ」
「なによ、ツェルプストー、使い魔自慢ならお断りよ、間に合ってるわ」

少女の名はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。隣国帝政ゲルマニアからの留学生である。ルイズとキュルケは仲が悪い。ちなみに実家同士ですら因縁があった。

ルイズの嫌いなものは蛙とキュルケ。不機嫌さを隠すことなく言葉を返した。
ただ、やはりキュルケの口調がルイズに何かを懇願するようで、どうにも様子がおかしい。キュルケはルイズをからかうときはいつもルイズの事を、ヴァリエール、と呼ぶのだ。

「違うわよ。そんなことなんかどうでも良いの。ああ、ごめんねフレイム。そういう意味じゃないのよ?あなたの炎、見てるだけでも熱く燃え上がるわ。とっても素敵よ?そうそう、ルイズ、紹介するわね。あたしの使い魔のフレイム。見てよこの尻尾、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ?どう、すごいでしょ?」

そんなこと呼ばわりされたのが気に食わないのだろう、キュルケの後ろに控えた大きな蜥蜴が恨めしげな視線と共に、小さく火を噴き、それをキュルケが宥めた。尻尾の先には常に火がともっており、それを指差しながらキュルケはフレイムと呼ばれる彼女の使い魔の紹介を始める。だがルイズにはますます気に入らない。

使い魔を見ることでメイジの素質が分かると言われる。キュルケは己の召喚した使い魔が自身の才能を証明していると満足していた。彼女はただでさえ魔法学院の生徒の中でも有数の実力者であり、しかしその仇敵であるルイズは魔法が使えない。
ルイズがキュルケを嫌うのはそんな嫉妬めいた感情が原因でもある。とはいえ、もしそう指摘されてもルイズは認めないだろうが。
今回の召喚の義は、ルイズにとっては認めたくも無いが、彼女達の魔法の才能の差を如実に示されたようなものなのだ。たわわな胸を揺らしながら突き出し、己の使い魔を見せびらかすキュルケにルイズは我慢が出来きそうにない。

ちなみに胸の大きさも、ルイズがキュルケを嫌う原因である。こちらもルイズは絶対に認めないだろうが。押し付けらるように突き出されたキュルケの胸を一睨みした後、再び背の高いキュルケの顔を見上げてまた睨んだ。

「だから間に合ってるって言ってるでしょ? あっち行きなさいよ」
「ああ、ごめんね、違うのよ。そう、聞いて欲しいの。あたし恋をしたのよ、燃え上がるような恋。愛しの彼に会いたいの」
「また?相変わらずゲルマニアの女は淫らなこと。で、あたしにそれを聞かせてどうすんのよ、勝手に会えば良いでしょ。お熱があるならその辺の水使いにでも冷やしてもらえば?」

キュルケはその容姿で、常に回りに男子生徒を誑かし、侍らせている。また恋人が何人もおり、それらをとっかえひっかえ代わる代わる相手にしている。一人に飽きるとまた次へ、そして飽きるとまた放り投げ次の男へといった具合で、恋人を彼女に奪われたという生徒も少なくは無く、女子生徒の間でのキュルケの評判は良くない。

恋人を持たないルイズは、キュルケに対し個人的な恨みは持たないが、貴族の癖に多淫で慎みが無い、と軽蔑の視線を隠しもせずに乱暴な言葉をぶつけた。
ただ、なぜ彼女の恋の話をルイズに聞かせるかが全く分からなかった。

「もう、真面目に聞いてよね、ヴァリエールっ、あなたの使い魔に会いたいのよっ」
「使い魔? 使い魔なんて……いないわよ」

呼び方がヴァリエールに戻ってしまったようだ。しかしルイズにはキュルケの言葉は本当に分からない。遠回しに馬鹿にしているのか、とも勘繰ったがキュルケの態度を見る限りはどうやら本気のようであった。だが誤解を解くという作業ですら、今回は事が事である。ルイズには己で己を貶すかのようで辛い。小さな拳をぎゅっと握りしめ、呟く様に尻すぼみに返した。
キュルケはその様子を見て勘違いしたようである。

「誤魔化さないでよ、ヴァリエール。あんな素敵な殿方独り占めしたいのはわかるわ。でもね、あたし恋をしたの。恋は何事にも勝るの。あなたも知ってるでしょう?あたしの家の家訓」

恋は何事にも勝る、それがツェルプストー家の家訓。
トリステイン王国の東に位置する大国帝政ゲルマニア、その両国の国境を挟んでラ・ヴァリエール領とツェルプストー領は隣接しており、お互い有事の際には、と目を光らせ合っている。
只でさえ緊迫するはずの両家だが、このツェルプストー家の家訓が更にお互いの関係を過激にしていた。娘、婚約者、ひどいものでは妻までもツェルプストーに奪われた事のあるラ・ヴァリエール家。その三女であるルイズは、幼い頃から親に、ツェルプストーは敵であると叩き込まれてきたのだ。
大人しくなったルイズを見て少し溜飲が下がったのか、キュルケはまた媚びるような口調で話を続ける。

「ねぇ、ルイズ、お願い。隠してないで彼に会せてよ。あなた朝から一人だったでしょ?。彼の事、一生懸命探したけど何処にいるか分からなかったし。そりゃ平民の使い魔なんて恥ずかしいかも知れないけど、でも彼強いし、格好良いから大丈夫よ」
「知らない。彼って誰よ。あたしに使い魔なんかいないわ。何と勘違いしてるのよ。それとも馬鹿にしてるの? 大体平民の使い魔って何よ。そんなのいるはずないじゃない。意味わかんない」
「とぼけないで。さっき話してた黒髪の、髪の長い彼よ」
「はぁ?」

思わず間抜けな声を出した。何を勘違いしているのだろうか。キュルケの言葉に該当するのは百鬼丸しか思い当たらない。だが百鬼丸を使い魔と勘違いする要素がルイズには全く分からなかった。そもそも人間を使い魔と思い込むなぞと、どうにも突飛過ぎる。
胸に栄養が行き過ぎていよいよ頭が回らなくなったのか、とキュルケに対して僻みと皮肉を込めた言葉を投げかけようとするが、当のキュルケに遮られた。

「あなたが召喚したんじゃない。あたしちゃんと見てたのよ? それとも何、あたしに盗られそうで怖いの?窓から彼が見えたから急いできたのに、もう、どこに隠したのよっ」

キュルケも昨日の出来事に不安を感じた一人であった。休講の理由が使い魔との交流などと馬鹿げた建前を信じるほど彼女の頭は悪くは無い。いや、どちらかというと聡明である。まずは昨日見初めた逞しい剣士を探そうと歩き回った。
召喚の義の時の恐怖も完全に消えてはいないが、そう、恋は何事にも勝る。それに化け物に悠然と立ち向かった彼と一緒にいれば、不安なぞ感じるはずもあるまい。だが結果は言葉通りに、芳しいものではなかった。

こんな憂鬱な時は誰かと暢気に話すに限ると、多くの恋人達を相手にして不安を紛らわそうかとも思ったが、昨日の騒動を見る限りでは誰も頼りにならないことは明白だ。唯一頼りになりそうな、新たな恋人候補の剣士は見つけられないし、それならばと唯一気を許した数少ない彼女の女友達の部屋を訪れていた。
そこで広場から挙がった歓声に何事かと窓の外を確認し、目立つ黒い頭と銀に光る細長い剣を見た彼女は、友人に別れを告げる事も無く部屋を飛び出し、今に至るという訳である。

ルイズはキュルケの発した、召喚した、という言葉に驚いた。彼というのはこの場合間違いなく百鬼丸である。先程話していた黒い髪の男、他に心当たりなど無い。だが信じられなかった。確認する。

「それ、ヒャッキマルのこと?」
「そう、ヒャッキマルっていうのね? 変わった名前、だけどとっても新鮮な響き。素敵だわ。ヒャッキマル……ヒャッキマルね。あの凛々しい瞳、水の垂れたような艶やかな御髪、野性的でセクシーな体つき。それに平民だけど、とっても強いみたいじゃない。あんな恐ろしい化け物やっつけちゃったんだもの。あたしでも敵わないかも。ああ、ホント素敵だわ、何処の国の人なのかしら?」

あたしが召喚した?ヒャッキマルを?それを見てた?化け物をやっつけた?あの恐ろしい化け物をあいつが?嘘……

ルイズの頭の中でぐるぐると思考が回る。だが唐突に与えられた、この驚くべき情報を纏め切る事も信じ切る事も出来ない。

「ねぇ、あたしがあいつを召喚したって……ほんと?」
「だから誤魔化しても無駄っていってるでしょ?あたしの男を見る目をなめないで頂戴。ちゃんと見てたんだから。それにさっきの変わった剣と、あの艶やかな黒髪。服が違ったから気付くのが遅れちゃったけど、間違いないわ。昨日は紺色のぼろぼろの服着てたでしょ。ローブみたいな奴。確かに見たもの」

間違いないわ、ヒャッキマルだ。

確信を持った。途端ルイズの中で何かが弾けた。
 
「ねえ、彼って何処の国の人? あたしはロバ・アル・カリイエじゃないかって思ってるんだけど。でもそう、化け物に勇敢に挑みかかる異国の剣士。あの姿を目にしたとき、あたしのなかに恋の炎が燃え上がったの。まるで昔読んだ『イーヴァルディの勇者』みたいに、とっても格好よかったわ……。
彼は逞しい手に握った小さな剣と、心に秘めた大きな勇気であたしを助けに来てくれた、そう、勇者よ。恥ずかしいわ。あたしにも、勇者の助けを待つだけの囚われのお姫様みたいな……ってルイズ?もう、どこいったのよっ、ちゃんと聞きなさいよねっ? ゼロ、ゼロのルイズっ?」

未だルイズの尋常ならざる様子に気付かず、一人夢想するかのように喋り続けるキュルケを尻目に、ルイズはその衝動のままに駆け出していたのであった。




[27313] 第十二話 困惑
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/28 23:03



ルイズはひた走る。思いつめた様子で、多少の着衣の乱れなどどうでもよいと、その様子は彼女の心がける貴族にしては優雅さを欠く。
幾人かに危うくぶつかり掛けても、すれ違う人々に怪訝な視線を向けられても、周囲を省みる余裕は今の彼女には無かった。
ただ、弾けた何かが彼女の体を突き動かすのだ。

「ヒャッキマル……あんた、あたしに召還されたって本当なのっ?」

辿り着いたのは医務室の前。コルベールと百鬼丸の会話から、彼が医務室にいるということは分かっていたため、一直線にルイズはここを目指してきた。
コルベールは今は医務室の中にいるのであろう、百鬼丸は一人部屋の前でうなだれた様子で壁に背を預け、考え事をしているかのように俯いていた。
だが、今のルイズには百鬼丸がどのような様子であろうとどうでもよかった。彼の姿が目に入るなり、怒鳴りつけるかのように問うたのだ。
百鬼丸は驚き、訳が分からぬと言う顔で返す。

「答えなさいっ」
「なんだよ、知らねぇ」
「嘘っ、正直に答えなさいっ」

ルイズが興奮した様子であるということは容易に感じ取れる。それにしてもこの剣幕はいったい何事であろうかと考えながらも、百鬼丸はルイズの勢いに飲まれていた。
彼がルイズに召喚された、という事実、オスマンに口止めをされたがどうやら既にばれているようだ。
ならば誤魔化す理由も、上手い方法も百鬼丸は考えつかない。

「……俺はよく分からんが、聞いた話じゃ本当だ」

しかしながら、オスマンが口止めをした理由、彼の懸念は決して杞憂に終わらなかった。

「なんで……なんで今まで黙ってたの? あんたもあたしを馬鹿にしてたのっ?」
「違う、馬鹿になんかしない。だいたい俺だって聞いたのは今日だ。昨日お前に会ったときには知らなかった」

百鬼丸はルイズの事を快く思っている。馬鹿にするなど有り得ない。ルイズの発想も百鬼丸にとっては突飛なものだ。
しかしながらルイズにとってはそうではない。学園に入ってからというもの、魔法が使えない事を常に蔑まれてきた彼女にとっては、今回の件は疑心暗鬼になっても仕方が無いのかもしれない。己の召喚した使い魔が、己を認めていない。彼女にとってはそういうことなのだ。

「そう、そうなのね、わかったわ。許してあげる。知らなかったなら仕方ないわ。あたしも知らなかったんだし」

百鬼丸の言い分を聞き、先ほどよりも幾分か落ち着いた調子でルイズはぼそぼそと呟く。
息を大きく吸うと、百鬼丸を睨み付けるようにして再び声を大きくして続けた。

「あんた、あたしの使い魔になりなさい」
「はぁ? 何だって?」
「あたしの使い魔になりなさいって言ってるのっ」

突然の激しい口調と内容、そしてその居丈高な態度に一度は戸惑うも、百鬼丸も頭に血が上りだした。こんな理不尽、きけるものか。

「断る。おれは誰にも仕える気は無い」

互いに声が荒くなっていく。

「なんでよ、あんた、あたしに召還されたんでしょっ?」
「お前が勝手に呼んだんだ、おれは使い魔になんかならんっ」

何やら不穏な気配を感じ、コルベールが医務室のドアから顔を出す。誰が口論しているかと考えながら、二人を視界に入れた瞬間に驚くとともに、オスマンの懸念が現実になった事を理解した。これは不味い。
ルイズが口を開こうとする。ルイズの性格と鬱屈を知るコルベールには、彼女が次に何を口走るか予想できた。
事態が悪化する前に止めねば、とコルベールは二人の間に割って入ろうとするが、間に合わない。

「貴族のあたしが平民のあんたを使い魔にしてあげるって言ってんのよ」
「ミス・ヴァリエールっ」

百鬼丸の眉が僅かに跳ねた。

「平民のくせに貴族の言うこと聞けないって言うの?」
「なんだとっ」
「ミス・ヴァリエール、やめなさい」
「何でですかっ?」

割って入ったコルベールに対して、相手が教師であるにも関わらず、ルイズが睨み付けた。

「自分の部屋へ戻り給え、ミス・ヴァリエール」
「でもっ、こいつはあたしが召喚したんですよっ?あたしの……」
「部屋へ戻るのです」

怒りではない、だがさらに強い視線を返され、ルイズはたじろぐ。
ぐっと堪えたかのように俯くと、そのまま駆け出した。
擦れ違う瞬間に百鬼丸が何か彼女に向かって呟くのが、ルイズには聞こえた。




ルイズの小さな体が視界から消えたところで、右手で顔を覆いながらコルベールは息をつく。
ルイズの心情というのは察する事が出来る。貴族でありながら魔法が使えない事でこれまで散々侮辱されてきたのだ。彼女の劣等感は並々なものではあるまい。
使い魔を得られなかったことで、それも恐らく極限まで高まっていた筈だ。いつ感情が激発したところでおかしくはなかった。
出来る事なら彼女に使い魔を与えたい。だが、百鬼丸は魔神に関わる重要人物。彼女の思う通りにさせるわけには行かない。心苦しくはあるが、今はこうするしかない。
しかしその判断は生徒を思う教師としてはどうだったろうか。とは言え、下手をすれば国を揺るがす大事を、たった一人の生徒と天秤にかける訳にも行かない事も理解している。

「教師としては、いや、止むを得ますまい」

それにしても厄介な事になった。
そう思いながら、あからさまに不機嫌そうな百鬼丸に目をやった。





ルイズは部屋へ駆け込むと、マントを部屋の隅の椅子へと放り投げ、ベッドにうつ伏せに倒れこんだ。
キュルケと話してから、未だに動悸が治まらない。走ったからではない。耳元で鼓動が半鐘のように鳴り止まない。
思考は纏まらず、奇妙な喪失感に満ちてるが、それが何故であるか、考えるほどの余裕が無かった。失うものは既に何も無かったはずだ。

「最悪」

何が最悪なのかは良く分からないが、自分の心を表す言葉としては最適だったようだ。妙に納得がいった。
呟くとゆっくり目を瞑る。シエスタを助けたときに得た晴れやかな気持ちと自信は、何時の間にか吹き飛んでしまっていた。




「ミス・ヴァリエール?」

部屋の外から自分を呼ぶ声が聞こえ、彼女は目を開けた。窓の外が暗くなっている。どうやら眠ってしまっていた様だ。
ドアを叩く音に気付くと同時に、慌てて体を起こし、返事をした。

「あっ、はい」
「よかった、いらっしゃいましたか。ロングビルです」
「直ぐに開けます」

そう言うと、ベッドを飛び出し、まずは部屋にある姿見の前に向かった。

「やだ、皺になっちゃった……」

そう呟きながら、鈍い手で髪を梳き、服の皺を伸ばそうとする。くしゃくしゃに皺んだシャツは、なかなか整わないが、長い事待たすわけにもいかず、諦めて部屋のドアを開けた。

「すいません。お待たせしました」
「構いません。まぁ……ひどいお顔ですよ? お体が優れないんですか?」
「いえ、そんな事は、それよりもどうしたんですか? 部屋を訪ねて来られるだなんて」

ルイズはロングビルを知ってはいるが、それは彼女が学院長の秘書である、という程度でしかない。会話した事すら殆ど無い。その彼女がわざわざ部屋を訪ねてきたのだ。
だが、心当たりはある。

「学院長がお呼びです」

やっぱり。

「大分探したんですよ? 申し訳ありませんが直ぐに向かって頂いても、いえ体調が優れないようでしたらそのようにお伝えしますが」
「大丈夫、です」


ロングビルの後ろを歩きながら、ルイズは考えていた。
用件は分かりきっている。今後の己の処遇であろう。しかし最も危惧していた、退学という可能性は恐らくない。
百鬼丸がいるからだ。百鬼丸はルイズの使い魔にはなっていない。しかしルイズに召喚されたというのは紛れも無い事実である。
そして百鬼丸は今、学院に逗留しているのだ。オスマンは恐らく百鬼丸を知っている。彼が自分に召喚されたという事も知っているに違いない。
何にせよ召喚には成功している。しかし、コルベールの態度を見るに、そのまま使い魔になるとはいかないようでもある。
人間を召喚してしまったという事が自体をややこしくしているに違いない。いや、それだけではなかった。初めに召喚した巨大な狐を初め、ルイズは数多の化け物を召喚している。
あれは一体どうなったのか。その中に百鬼丸に殺されたものもいるとキュルケの話から推測も出来る。百鬼丸がなぜ異形を殺したかのか。疑問が多すぎた。

「ミス・ヴァリエール?」

名を呼ばれ、意識を戻せば既にそこは学院長室。思索に耽り込んでいた為、ロングビルに呼ばれるまで気がつかなかった。

「本当に大丈夫ですか?」
「ええ、申し訳ありません。考え事を少々」
「そうですか。それでは」

そのまま部屋へ入る。

「おお、待っておったぞ、ミス・ヴァリエール」
「申し訳ございません。お探しするのに大分手間取ってしまいまして」
「いや、構わんよ、ミス・ロングビル。ああ、悪いんじゃが席を外して貰えるかの?」

ミス・ロングビルの疑わしげな声。

「学院長……」
「馬鹿もんっ わしゃ教師じゃ」
「まだ何も申し上げておりません」
「ぐぬ、ええい、いいから出ていかんかい」

ルイズには良くわからなかった。
ロングビルは一瞬ルイズを心配そうに見遣ると、そのまま一礼し、部屋を出て行ってしまった。

「突然呼び出してすまんの、ミス・ヴァリエール。それよりおぬし顔色が優れぬ様じゃが、そっちの椅子にでも掛けるか?」
「いえ、お気遣い有難うございます、偉大なるオールド・オスマン。大丈夫です」

どうにもオスマンが白々しく感じられる。いや、自分が考えすぎているだけかもしれない。

「あの、私、そんなにひどい顔してますか?」

自分では特に不調は感じないが、あまりに体調を気遣われる為、心配になり尋ねる。

「元気そうには見えんがの。いや、大丈夫ならばよいが」

室内が奇妙な緊張感に包まれてた。単純に、居心地が悪い。
オールド・オスマンの泰然とした様子が更に不安を煽った。

「おぬしを呼び出した用件じゃが、使い魔召喚の儀についてじゃ」

来た。無意識にルイズはスカートの裾を握る。その様子を見て、オスマンは一呼吸置くと努めて優しく語りかけた。

「大丈夫じゃ。契約できなかったとは言え、召喚の儀は成功しておるのじゃ。多少肩身は狭かろうが、何の問題も無い」

ほっとルイズは息を吐く。予想していたとは言え、やはり事が事である。緊張せずにはいられなかった。自分が思っていた以上に、ルイズはこの学校に留まる事に拘っていたらしい。不出来ではあるが、貴族として生きる事はひとまず許された。
だが、オスマンの言う様に、何の問題も無いとは言い難い。

「使い魔は、どうすればよいのですか?」
「今はおらぬが、おぬしが召喚した幻獣を捕まえればよい。あれだけ巨大な幻獣じゃ。卒業までに、などとは言わん。彼らをいずれ得る為に、今はしっかりと励み、精進するがよい」

幻獣、とオスマンが言ったのは、当然魔神達のことだ。何しろ魔神という言葉を使わずに彼らを表す言葉が他に思いつかない。在るとすれば『悪魔』が適切なのかも知れないが、生徒が悪魔を召喚したなぞと言える筈も無い。
そして彼らはその大きさも、姿かたちも、何も一括りにできないのだ。『幻獣』とでも言っておけば、詮索のしようもなくなるため、オスマンはこの言葉を使う事にしていた。
だが、当事者のルイズにとっては、あれらの存在に関して、そう易々と思考を放り投げる事は出来そうにない。

「幻獣、ですか?」
「うむ、ミスタ・コルベールに聞いた話では、このハルケギニアでこれまで確認されたどのような生き物にも当てはまらない。発見されていないというだけかも知れぬが、それにしても尋常ではない姿ともな。ならばそれは幻獣ではないかね?」

些か乱暴な理屈ではあるが、ルイズにも分からない事が多いため、否定も出来ない。だが、彼女の直感が言っている。あれは幻獣と言う言葉で括るべき存在ではない。あまりに恐ろしいのだ。その大さが、姿が恐ろしいのではない。

あれらが放つのは、心の奥深くから這い上がってくるような、その存在自体への恐怖だ。

出来れば御免被りたいのだが、果たしてあれらを使い魔にできるか。
だが、異形を目の当たりにした訳ではないオスマンに、その感覚を伝えたところで共感は得られないだろうと、諦めて他の幾つかの疑問を投げかけてみる事にした。

「なぜ、あんなにたくさん召喚してしまったのでしょうか? それに幻獣、は、あれらは今何処にいるんですか?」

あの禍々しい存在達を幻獣と言うには正直ルイズには抵抗がある。
それにルイズも色々と不安があった。学院の最高位であり、伝説のメイジとも名高いオスマン。例え答えを得られなかったとしても、オスマンに分からなければ、学院の誰に聞いても分かるまい。
オスマン相手に疑問をぶつける事で、ルイズは少しずつでも心の平穏を得ようとしていた。

「幻獣たちの行方については現在調査中じゃ。なぜ召喚されたのが一体だけでなかったかは、わしにも分からんの。あるいはおぬしの才能の片鱗なのかも知れぬな」
「止めてください。私、一度も魔法を成功させた事無いんです。才能だなんてそんなの……あるはず、ない……」

オスマンに悪気は無いのだろうが、こんな出来損ないの自分に才能が在ろうはずが無いと、ルイズは自分が惨めに思えた。
俯き、歯をくいしばる。

「世迷言でもないと思うぞ? 異常ではあったが、召喚魔法は成功しておる。そして数多の幻獣を召喚したのじゃ。おぬしは何か特別なものを持っているのかも知れぬ、とわしは考えておる。もっともそれが何かはわしにもまだ分からんが。あながち的外れな推測とも言い難いと思うがの?」

今回の出来事は常識の範囲を超えている。ならばその根源であるルイズに何かあると考えたほうが自然だ。
何故ルイズが魔神と百鬼丸を召喚したのか、オスマンは理解できないし、推論さえも立たなかった。しかし、メイジの力量を測るには使い魔を見ろ、と言われるほどに、使い魔とはメイジの資質を測る上で重要な存在である。魔神を召喚したルイズが凡庸である等とは、オスマンには到底考えらない。
問題は、彼女の召喚した魔神達が、人に仇なす存在であると言う事だ。彼女の持つであろうまだ咲かぬ才が、世に益するものであることを願うばかりである。そういう面では百鬼丸という好人物の存在は救いとなっている。

「私は、魔法が使えたら……使い魔がいたら、誰も私を……」

ルイズは努力家である。せめて、と励みになる言葉をオスマンは掛けたのだが、効果は無かったらしい。ぼそぼそと聞こえるか聞こえぬか程の声で、ルイズの小さな唇から、弱弱しい言葉が漏れた。

伝説のメイジとも名高いオールド・オスマンの言葉。ルイズはその言を、己の才能を信じたくはあるが、これまでの彼女の人生が、それを否定した。
努力は常にしてきたが、微塵も結果が出ない。せめて、人並みに魔法さえ使えれば、使い魔さえいれば、そんな思考が頭を埋めた。

そうだ、使い魔だ。

沈黙が続いていた。あまりの痛ましさにオスマンが声を掛けようとした時、ルイズは徐に顔を上げる。決意と言うには大仰だが、何かしらの意思を見て取ったオスマンは心中身構えた。

「ヒャッキマルは……、ヒャッキマルを使い魔にしてはいけないんですか?」
「ヒャッキマル君を使い魔と?彼は人間じゃぞ?」

コルベールから報告は受けている。百鬼丸がルイズに召喚されたという事実を彼女は知った。彼女達の交渉が決裂した事も知っている。それをオスマンが知っている、というあたりをつけた上での提案なのだろう。
とぼけるでもなく、隠すでもなく、余計な詮索を入れられぬよう、オスマンは話す。
だが、賢い生徒だ。きっと何かに感づいている。

「やはりご存知……いえ、その、あいつは、ヒャッキマルは私に召喚されたのでしょう? 使い魔にしても問題はない筈です」
「確かに彼はおぬしに召喚された。しかし彼には自らの意思がある。彼が合意すれば問題はないがの」
「でも、でもあいつは平民、です」
「人間を使い魔に召喚したなぞ前例がない。彼は召喚に巻き込まれた、とわしは考えておる」

方便だ。オスマンとて彼女達の契約には賛成だが、百鬼丸が望まぬのであれば、諦めざるを得ない。今だけは、彼の機嫌をこれ以上損ねたくはない。ルイズの後押しは出来なかった。

「それに幻獣たちを使い魔にした方が体裁もよいぞい? なにも平民の使い魔を選ぶ事はあるまい」

これはオスマンの正直な感想だ。百鬼丸には悪いが、彼を使い魔にするよりは、話に聞いた魔神のほうが、使い魔としては評価されそうなものである。早く使い魔を得たいというルイズの欲求は理解できるが、百鬼丸を使い魔にしたいという提案は意外であった。
だがオスマンは魔神と向かい合ってはいない。おぞましい化け物を使い魔になぞしたくないというルイズの心情までは読めない。ルイズもその時の恐怖を上手く伝える事はできないだろうと諦めていた。他に言い返せず、ルイズは黙るしかなかった。



学院長室でオスマンは独り、ぐったりと椅子に身を預けていた。気疲れは久しぶりだ。体の疲れと違って爽快感が無いのが何より嫌だった。

百鬼丸をルイズが召喚したという事を、何故教えなかったのか。その問いがなかったことにひとまずは安堵した。だがルイズは疑問に思っているはずだ。尋ねるべきでないと勘が働いたのかもしれない。
上手く誤魔化せる自信は無い。というより嘘をついても、直ぐにばれる気がしてならない。オスマンが最も望まない方向へ、ルイズも百鬼丸も、わざわざ向かっている気がしてならない。あるいはこれも始祖の導きかなのか。

「なるようになる、かの」

監視をつけようにも遠見の鏡の件もある。メイドとコルベールには出来るだけ彼から目を話さぬように言ってはいるが、それ以上の手だても無い。
本当に無責任だが、二人の関係に干渉する事をオスマンはやめることにした。

「だってわし、忙しいもんね?」

自分にそう言い訳する。考えても仕方ないものは仕方ない。手のつけられるものから処理していこう。指し当たっては、百鬼丸と生徒の喧嘩騒ぎをどう収めるか。
秘書の机の下で彼の使い魔のハツカネズミ、モートソグニルが鳴いた。

今日も白、だそうである。ミス・ロングビルには黒が似合うと思う。





ルイズと言い争った百鬼丸は部屋で思索に耽っていた。魔神の事は勿論であるが、ルイズとの諍いも彼の心を掻き乱す。裏切られたような気分だ。出会いから、この部屋でのやり取り。そしてシエスタを助けた姿を思い出すと、彼女を悪く思うことは出来ない。だがそれは結局偽りだったのだろうか。自分をメイジだと思っていたからこそ対等に談笑できたのか。だが平民のシエスタを助けようとした姿は紛れも無く本気だった。心優しく、そして気高い少女、そう思っていた。
しかし、平民の癖に、とそう叫んだ時のルイズは彼の嫌う横暴そのもの。どちらが彼女の姿なのだろう。
出会ってまだ一日しかたっていない程度の彼女を、何故これほどまで気に掛けるのか、自身の事でありながら、彼は困惑していた。

考えても仕様が無い。そう思っていたところへ、ドアを叩く音。
そろそろ夕飯の刻限だ。部屋へ通すと、やはり昨晩同様シエスタがいた。が昨晩と違い、料理は持って来ていない。疑問に思ったが、別のところに用意してあるとのこと。何でも助けてくれた礼がしたいとの事である。そしてそれは彼女のみならず、学院で働く平民達、彼女の友人や上司からの誘いであった。

学院の厨房に連れられ、下にもおかぬ扱いを受ける。どうにも居心地が悪い。だが不当な扱いを受ける少女を助けるため、勇敢にも剣一本で貴族に立ち向かい、これを撃退した百鬼丸は正しく平民達の待ち望んだ英雄の姿だったのだ。
中でも料理長の、貴族嫌いのマルトーの興奮といえば大層なものであった。「我らの剣」なぞと呼ばれてはたまったものではない。

そして山のような料理。腹は減っていた。勢い良くかきこむと、うまい、と一言。味は感じぬが、マルトーが精魂込めて作ってくれた料理である。そう返すのが礼儀であろう。だがうまい、と言ったのは決して形だけではない。使われている野菜は、虫食いもなく、きれいに切り揃えられ、歯応えも絶妙。肉は果たして肉とも思えぬほどに柔らかく、その食感だけで、使われている食材が上等である事が百鬼丸にも理解できた。如何に自分のために手間を掛けてくれたのか推し量れる。きっと『うまい』のだろう。百鬼丸には味覚がない。口惜しいとはこの事だった。改めて、自分の体を早く取り返したいという思いに百鬼丸は駆られた。

「ところでよ、どうしたらそんなに強くなるんだい?なあ、おれにも教えてくれよ」

マルトーは貴族が大層嫌いなのだそうだ。平民を平気で足蹴にする貴族というのは実に多く、昼の件から百鬼丸もなんとなく感じた。更に公職に付く貴族達でさえ、不正、賄賂は当たり前。そしてそのような貴族の殆どが、自ら苦労してその立場まで上り詰めたわけでなく、先祖代々受け継いだ地位と財産の上に胡坐をかいているとか。叩き上げの料理長にとっては尚更気に入らないのだろう。何処でも似たようなものだが、ともかくそんな貴族の鼻を明かした剣技についてどうやら興味を抱いたらしい。だがどうしたら、尋ねらても、人に教わったわけで無いものを、どう説明すればよいのか。

「毎日命がけで剣を振り回してりゃ扱い方も上手くなるんじゃないのか?」
「なるほどねぇ、俺には無理そうだな」
「こんなもん持たないで済むに越した事はねぇ」

戦いが嫌いだとまでは言わないが、百鬼丸とて好きで魔神との戦いに身を投じた訳ではないのだ。己の体を取り戻したい。人間として、みなと同じように生きていきたいだけである。もし魔神と関わることなく、五体満足で生まれていれば、と未だに夢想することがある。それは彼にとっては最早手に届かぬ憧れなのだ。

魔神を討つことでしか己は人並みになれぬ。

「はぁ、お前さんも色々苦労してんだなぁ。よし、なんか困った事があったら何でも言ってくれ、我らの剣よ」
「その『我らの剣』てのは止めてくれないか?」
「だから照れるなって。貴族に勝ったんだぜ?」
「照れてない。柄じゃないから止めてくれ」
「そうか?ヒャ、ヒュ……お前さん謙虚なんだな」
「百鬼丸だ」

わはは、とマルトーが熊のように笑うと、百鬼丸もつられて声を上げて笑った。


しばしの談笑の後、お開きとなり百鬼丸は些か良い心持だ。さて、部屋へ戻る道すがら、百鬼丸は己をつける存在に気が付いた。
わざと歩みを落とし、おびき寄せる。
キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。ルイズの悪友であり、学院で数多の男を虜にする、自他共に認める恋多き女性。
胸元を少し広げたブラウスと短いスカートは女性らしい肢体を余すことなく見せつけ、浅黒い肌が野性的な色気を醸し出す。燃え上がったかのように赤い髪と、情熱を秘めながら僅かに潤む赤い瞳は扇情的ですらある。その男好きのする容姿を持ちながら魔法の実力も学院で一、二を誇るという才媛。
ただし惚れっぽく飽きやすいという厄介な性質も持っている。彼女を囲う男も、飽きて振られた男も最早どれほどいるか分からない、という始末なのだ。ともかくその恋多き女性は、今は異国の剣士に首っ丈なのだった。

「見つけた、ダーリンッ」

女である事に自信を持つ彼女は、まずは出会い頭に抱きつく事で自身の魅力を分からせようと、異国の剣士に飛び付いた。
勢い良く頭を抱え込もうとした手は空を切る。立ち直り、剣士を探そうと体をひねると、まず目に飛び込んできたのは濡れた様な刀身。

「えっ」
「何の用だ?」
「あん、もう避けられちゃったの?つれないお方」

後ろから忍び寄り、手の届く距離から飛びついたのだ。だというのに一切触れる事が出来いとは恐れ入る。突きつけられた切っ先に、キュルケは軽口とは裏腹に幾分か背筋が冷えていた。ただ、キュルケの行動がそうであったように、剣士からも余り害意は感じない。突然飛び掛ってきた相手を牽制しているに過ぎないのだろう。

「おい、だから何の用だ?」
「驚かしてごめんなさい、でもその前にその危ないものをしまって頂けないかしら、ミスタ。女性に向けるには些か物騒じゃなくって?」

両手を上げ、敵意が無い事を表す。

「いきなり飛び掛ってくるからだ」

刀を納める百鬼丸。キュルケはこっそりと安堵の息を漏らした。傷つけるつもりは無いと分かっていても、気持ちの良いものでは到底無い。たかだか平民、たかだか剣と見くびっていたかもしれない。

「女に飛び掛られた事くらいあるでしょ?」
「化け物なら何度も」

余程波乱に満ちた人生だったのだろう。メイジすらも脅かしうる剣士。危険な男。ますます熱が上がる。

「それで?」
「それでって?」
「何か用があるんじゃないのか?」
「そうそう。あたしはキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。ゲルマニアの留学生よ。二つ名は『微熱』。『微熱のキュルケ』よ。素敵でしょ」
「長……いや、百鬼丸だ」
「ええ、あたしあなたの事知ってるの、ミスタ・ヒャッキマル。ねぇえ、あたしに仕えない?」
「何処から聞きつけたかは知らんが、おれは誰にも仕えるつもりは無い」

髪を掻き揚げ、色めいた調子で話しかけるも、いい加減にして欲しいと百鬼丸は呆れ顔でだ。

「なんだってそんなに」

自分を家来にしたがるのか、とぶつぶつと独りごちている。何度もこんな風に誘われたのだろうか。

「あら、あなたヴェリエールの使い魔じゃないの?」
「ちがう。使い魔なんかじゃないし、誰にも仕えん」
「そうなの、でもあの子に召喚されたんじゃないの?」
「召喚されただけだ。だれがあんなやつ」

募る苛立ちを隠そうともしない百鬼丸の顔を見ながら、キュルケはこの手の話題には触れない方がよいと理解した。元来好奇心旺盛な彼女ではあるが、今尋ねなくとも、陥落させてしまえば後でいくらでも聞きだせる。ルイズを嫌っているようなその口調は気にかかるものの、むしろ百鬼丸への関心こそどんどん膨らんでいく。欲しい玩具を手に入れる前にも似た、この高揚が堪らない。

「ふぅん、そうなの、ごめんなさいね? 気に障ったみたいね」

燻り続けた熱量は既に微熱と言う段ではない。何時にもまして本気の自分がいることをキュルケは理解した。



キュルケの尋常ならざる雰囲気の変化を感じ取り、百鬼丸は僅かに警戒した。何やら嫌な予感がする。外れたことは無い。ただいつもの、刺すような感覚ではない。
この後彼を襲ったものはかつて無い衝撃と戸惑い。どれ程の闇を払ってきたか知れぬ彼にしても、如何に応じるべきか答えの見えぬものだった。

にじり寄るキュルケ。

「ねぇえ?」

百鬼丸は何かに縛り付けられたような感覚に陥った。うまく動けない。

「だったら、」

耳に聞こえぬのに鼓膜から脳を撫ぜる熱を帯びた声。
すでに手の届く距離。

「あたしの、」

嗅覚を持たぬ百鬼丸をして鼻腔を溶かすような芳気。
もはや一足先。

「恋人に、」

首元に回された柔らかな腕は焼け付くようで。
吐息が感覚を持たぬ皮膚を撫ぜた。
盲人に認識できぬ筈の瞳が脳髄から背骨を貫く。

「なって、くださらない」
「……う、……」






「?」








微塵も動かない百鬼丸を訝しく思い、抱きすくめた腕を僅かに緩めると、乱暴に振りほどかれる。きゃっと声を上げ、キュルケは尻餅をついてしまった。

それをした男、百鬼丸は素っ頓狂な声をあげ、

「あん、もう……意外と初心なのね。可愛い……」

逃げ出した。



[27313] 第十三話 気配
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 19:34


あてがわれた部屋の中で百鬼丸は、剣を抱え込んだまま、部屋の中央にどっかりと胡坐をかき、目を瞑ったまま動かない。
備えられた椅子もベッドも、それが何のために存在するかを知りながらも、彼の国にはどちらも無かったためか、こうしていたほうが落ち着く。陽は既に高く上り、真上から彼の居る魔法学院を照らしている。
おそらく決まった刻限に正確に持ってこられたのであろう、食事の時間以外は、こうして一人、精巧に作られた置物のように、まんじりともせず目を瞑っていた。
もっとも体の殆どが作り物である為、もし誰かが動かない彼を『精巧に作られた人形』と評しても、無理は無い。自嘲する。
こうしている事に特に意味はない。他にやることがないだけだ。
今日は王宮から勅使が来るため、日が暮れるまでは部屋から出ないで欲しい。
供に朝食をとろうと訪れたコルベールに、そう告げられたため、こうして部屋に篭っているのだ。先日の決闘騒ぎでの謹慎処分、と言う意味もあった。
百鬼丸としては、魔神を探す旅の算段でも早々につけたい所ではあるが、昨日騒ぎを起こしたばかりである。文句は言えない。それどころか、もし何かしら因縁でもつけられようものなら、容易く買い叩く己の性分はよく知っている。特に人を人と思わぬ輩は許せない。その自身の気性を昨日再確認したばかりだった。王宮からの使いともなるとさぞかし気位の高い貴族が来るのであろう。コルベールの判断は正しい、とは百鬼丸自身も内心思った。
不服は無い。それに部屋から出るのも多少億劫だった。
理由は二つ。
昨日のルイズとの不和。彼女との距離を測りかねている自分がいることを、百鬼丸は自覚している。
身分に分け隔てなく明るく振舞い、暴力からシエスタを守ろうとした、高潔な精神を持った少女。
魔法を使えぬ百鬼丸を悪し様に扱おうとした、いけ好かない貴族。
どちらが本当の彼女なのであろうか。
彼女の言葉に怒りはしているものの、彼女を嫌いきる事ができない。再び会ったのならどのように接してしまうか、態度を決めかねていた。
そしてキュルケとかいう赤毛の女。
あれは百鬼丸にとっては、理解ができなかった。彼女に対する感情を百鬼丸はうまく表現できない。が、決して良い感情でないのは確かだ。
恐ろしい。彼は認めないであろうが、理解できない現象を己に引き起こした少女を百鬼丸は恐れた。もっとも、その言葉で表現することを彼は決して認めないであろうが。
ともかくそういった思案もあり、コルベールの言を了承した。
しかし部屋から出ずにできる事は、と考えたとき何も無い。
仕込み武器の手入れはつい先日、丁度召還される前日に行っているし、使ってもいない。念を入れて機能するかどうか、よもや部屋の中で確認する訳にもいかない。
抱え込んでいる刀にしても傷はおろか、くもりひとつ無い。召還直後の魔神との戦いで酷使はしたものの、手入れはすでに済ませていた。
では、と剣の修練をしようにも、ここは来賓用の部屋。
すでに高価なマジックアイテムを一つ叩き切っている負い目もあり、気が引けた。
ともかくそういった消極的な選択で、こうして胡坐をかいて考え事をしている訳である。
そして昼食。
朝はコルベールと供に食事を運んできたシエスタであったが、今回は一人きり。どこか落ち着きが無い。朝食時、ちらちらと百鬼丸を窺う視線が気になり、何度か顔を向けたが、その度に何故か視線をそらされたのが印象に残っていた。
食事を始める前に尋ねよう、そう声をかけようとした百鬼丸だったが、先に口を開いたのはシエスタの方だった。俯いていたシエスタに百鬼丸が顔を向けたのとほぼ同時、唐突に顔を上げ、何か決意をしたといわんばかりに、
「あの、昨日は、助けていただいてありがとうございますっ」
「あ、あぁ」
意表を突かれたとともに、その勢いにたじろいだ。
「あ、あ、朝に、改めてちゃんとお伝えしようと思っていたのですが、その」
昨晩、厨房へ招待された折に一度礼は言われたのだが、何分祭り上げられたかのような空気の中、さまざまな人間に声を掛けられ、ほとんどまともに会話をしていない。改めて、というのはそういうことであろう。
また、朝は朝でコルベールに気を使っていたらしい。割り込むわけにはいかないと考えたのだ。何にせよ律儀なことである。
「いや、構わない。それに昨日も言ったが礼には及ばない。感謝するなら……ルイズにするんだな」
まだルイズという人間をどう捉えるべきか答えは出ていない。
「そんなっ、もちろんヴァリエール様にもお礼は申し上げますがっ、ミスタ・ヒャッキマルにもっ」
「ああ、分かったから。そんなに畏まらないでくれよ。大した事じゃねぇ」
トリステインにおいて、平民が貴族に立ち向かうという事は極めて危険な行為だ。
しかし百鬼丸は本当に大した事ではない、と考えていた。いけ好かない偉そうな子供を少し捻っただけである。
意趣返しに多数の貴族に囲まれ私刑を受ける、という発想はあまり無かった。というより今まで、彼が一対多数で報復を受けることは何度もあったのだが、その度に叩き伏せてきた己の腕には、それなりに自信がある。つまり相手がメイジである、という発想が完全に無かったのだ。当然これまで以上の危険を含んでいるのだが、まだそれに気づいていない。どこか抜けている。
だが、本当に大した事で無い様子の百鬼丸にシエスタは感謝と共に尊敬の念を向ける。
「ミスタ・ヒャッキマル……」
「それと、そのミスタ、っていうのはやめてくれねぇか?どうにも慣れねぇ」
「でも、ミスタ・ヒャッキマルは学院の来賓ですし」
「おれは、ここじゃ平民だ。呼び捨てで構わねぇ。頼む、変な感じなんだよ」
恩人に頼むとまで言われては仕方が無い。
「では、ヒャッキマルさん、でいいですか?」

満足したのか微笑んで頷き、さて、と気を取り直して百鬼丸は食事に取り掛かる。
食事が終わり、シエスタが名残惜しそうに退室する。その姿はどこか、朝とは違う意味で印象的だった。再び百鬼丸は同じように座り込む。

今までよりは幾分気分が良かった。





夕食が運ばれてきたようだ。部屋に近づく気配がある。陽はどうやら完全に落ちたらしい。
剣を抱え、身じろぎひとつせず座り込み続ける百鬼丸の姿は、誰に犯されることも無い、厳かなものとも見える。
だが、部屋に置かれた調度品と照らし合わせると、それはそれで実に奇妙で異質なものだった。
立ち上がり、部屋を叩く音に答えると、食事を載せたワゴンが運び込まれる。
朝と同様にコルベールもいる。夕食も付き合ってくれるらしい。
が、朝とは違う事が一つ、給仕は見知らぬ女中だった。

「シエスタじゃないのか?」
「ええ、それなんですが」
「何かあったのか?」
「今日王宮から使いが来ると言うのは覚えてらっしゃいますか?」

もちろん忘れるはずが無い。そのおかげで一日中部屋に篭っていたのだから。
会話に取り残された使用人の少女は口を挟まない。僅かにではあるが、居心地が悪そうだ。

「彼女ですが、その勅使の方からのご要望で、そちらに。本日をもってここでのお勤めは終わりなのですよ。急な話ではありますが、ええ、たいそう気に入られたようで。当然お給金の方もこちらよりも頂けるそうで、シエスタさんも喜んでいましたぞ?」
「どの国でも変わらないもんなんだな」

捲し立てるようなコルベールに鼻白む。物のように買われただけだろう、と言外に。

「いえいえ、相手は伯爵ですし、勅使を勤めるほどの家柄の方でもあります。そう悪い話でも」

その言葉を聞けば尚更である。
言葉を遮り、百鬼丸が立ち上がった。
刀を左手に携えたままだ。その気配にコルベールは不穏なものを感じざるを得ない。

「どちらにっ?」
「シエスタに、それとオスマンの爺さんだ」

部屋を早足で立ち去る百鬼丸とそれを追いかけるコルベール。
使用人は訳が分からず置き去りにさている。

「しかしですね、彼女は納得して」
「そうせざるを得ないだけだろう?」
「それは、」

盲人と思えぬ程に力強いその歩みは止まらない。
コルベールが嘘をついている、と百鬼丸には分かった。いや、分かっていた。
シエスタは恐らく喜んでなどいない。
だが、本人に直接確かめたい。

「シエスタが納得してるならおれを止める理由はないだろ?」
「それは、そうですが」
「ならいいじゃねぇか」
「ええ、いえ、そうなんですが、彼女は既にモット伯と共に、もうここにはおりません」

立ち止まるとぶつかりそうになり、慌ててコルベールも立ち止まった。
どうやら、モット、と言う名前の貴族らしい。だが相手はどうでもいい。
再び歩み始める。

「ですから彼女は」
「オスマンの爺さんのとこだ」
「どうしようというのですか?」
「売ったんだろ?」
「いえ、決してっ、モット伯から何かしらを受け取ったというわけではっ」
「金を貰ってないだけじゃねぇか」
それ見たことかと、言葉に詰まったコルベールを無視して塔の中央へ向かう。
しばし互いに無言である。
コルベールに再び声を掛けられた。

「オールド・オスマンに掛け合ってどうしようというのですか?」
「止められないのか聞くだけだ」
「なぜです?」
「物じゃないんだ。気に入らない」
「それは分かりますが」

ならば止めるなと目で示し、百鬼丸は再び歩き始めた。
百鬼丸の言い分もコルベールには分かる。シエスタは人間であり、物ではない。だが平民なのだ。この青年にそう伝えたところで更に気を悪くする事はわかっているので口には出さない。しかし、今回の件はコルベールにとっても不服だが、ハルケギニアにおいては別段珍しいことではない。出来る限り勅使の、ひいては王宮からの印象を悪くするわけにはいかない、とオスマンは考えたのであろうか。それはコルベールにも分からない。そして彼は魔法学院の一教師にすぎず、学院長がそう決めたのならそれに従うべき立場にあるし、シエスタを保護するべき立場にいるわけでもない。コルベールが口を出す問題ではない。一人の人間として考えたとき百鬼丸の行動は、コルベールにとっては好ましい行為だが、世間的に見れば単なる横紙破りに過ぎないのだ。

それにシエスタの立場もある。彼女には養うべき家族が居ることをコルベールは知っていた。

「彼女の、シエスタさんの家族はどうなります?」

やっと百鬼丸が足を止め、部屋を出てから初めてコルベールと目を合わせた。

「彼女は養うべき家族がおります。彼女が貴族の、それも伯爵から不興を買えば、彼女は、彼女の家族はどうなりますか」

百鬼丸もそこまで考えていなかった。
困っている人間が居れば助けろ、とは父、寿海の言葉である。それは寿海の道徳教育であると共に、魔神を探す足がかりでもあるのだ。人の悲しみ、憎しみを糧とする魔神たち。人々の理不尽な悲しみのあるところに魔神は居る。故に寿海の言葉は大きく百鬼丸に根付いている。これまでも同じようなことを何度もしてきた。
だが、今回ばかりは相手が大きい、ということに今更ながら百鬼丸も気づく。

そこらのごろつきどもとの諍いとは訳が違うのだ。それほどに地位と権力というものは、それを持たずに立ち向かうものにとっては大きな障害となることを百鬼丸も理解した。

しばし睨み合う。
先に目を逸らしたのは百鬼丸。
いや、目を逸らしたのではない。再び歩み始めたのだ。先程と同様に迷いは無い。
再び慌てて後を追う。

「ですから、どうしようというのですか?」
「なおさらオスマンの爺さんに話をつけたいだけだ」

手荒な真似はしないだろう。いや、オスマンの返答によってはそれすら辞さないかもしれない。学院の教師としても、百鬼丸の知人としても、シエスタの知人としても、案外短気なこの青年の行動を、コルベールは止められずとも放って置くわけには行かなかった。
嘆息して、わかりました、と後ろについて行くしか、今はない。





中央の塔。最上部分。
階段を一つ上る度、学院長室に近づいていく毎に、ふと百鬼丸が異様な気配を放ち始める。
その表情は次第に険しくなっていくのだが、後ろを追うコルベールには、百鬼丸の表情は読み取れない。ただ、刺々しくなる空気を感じた。
先程までの、シエスタの扱いに対した際の怒りとは違う気がした。ちりちりと、首筋の後ろから感じるような危険な空気。まるで、これは。
ノックもなしに、大きな音を立て、荒々しく扉を開ける百鬼丸に、コルベールの思考は遮られた。

「ちょっと、ヒャッキマルさん?」
「オスマンの爺さんっ」
「おお、ヒャッキマル君? 何じゃ、ノックぐらいするもんじゃ」
「ヒャッキマルッ?」

学院長質に居たのはオスマンと、何故かルイズであった。
しかし百鬼丸はルイズもコルベールも無視してオスマンにだけ話しかける。
ルイズとどう接すればよいか、という疑問は今の百鬼丸の頭の中には無い。
まるでその部屋にオスマンと自分しか居ないかのように振舞う百鬼丸。その様子は、横暴を通り越して、最早殺気立っている。

「モット伯ってのはどこだっ」
「何じゃ君もその話か」

君も、と言うのはルイズもか。

「いいから答えろっ」
「いいかね、ヒャッキマル君。シエスタ君は、彼女自ら……」
「違うっ、モット伯ってのはどこにいるかって聞いてんだっ」

ふう、とオスマンはため息を吐くと、そばに立てかけてあった、焼け焦げたような赤黒い彼の身の丈ほどある杖を一振りする。
すると部屋の入り口付近に置かれた、口の大きな花瓶がひとりでに浮きあがり、百鬼丸の後方目掛けて勢いよく飛ぶ。
鋭く、甲高い音が部屋中に響いた。目にも留まらぬ速さで百鬼丸が切り捨てたのだ。
だが、それと同時にばしゃりと水の音。そして空中で綺麗に二つに割れた花瓶が、百鬼丸に向かった勢いを無くし、ぴたりと静止したと思うと、元の位置に、元の形にゆっくりと戻る。再び中央から縦に二つに別れ、無様に机の上に転がった。

「お見事。じゃがわしの勝ちじゃの?」
「……何のつもりだ」
「少しは頭が冷えたかね?」

前髪から垂れる水滴を鬱陶しそうに掻きあげる百鬼丸に向かって、オスマンがからかうように笑いかける。

「……少しは」
「そうかそうか」

そう言うと豪快に笑い出した。
コルベールには冷や汗しか流れない。だが、さすがオールド・オスマンといわざるを得ない。百鬼丸を軽くあしらう姿はやはり、年の功というと無礼だろうが、三百歳とも噂されるだけのことはある。その豪胆さに呆れる事もしばしばだが、今は感心していた。
顔を逸らしてルイズの様子を見るが一連の流れに目を白黒させている。無理も無い。

「それで、違う、というのはどういうことじゃ?」

未だに頭を、支給されたシャツの袖で拭う百鬼丸に、オスマンは、今度は真剣な声色でたずねた。百鬼丸は先程までの剣幕は何処へやら、とぼけた様に返す。

「ん?ああ、この部屋に入ったときに妖気を感じたんだ」
「ヨウキ?」
「ああ、妖気だ。妖怪の気配だよ。魔神だと思う。残り香、というか」

妖怪。その言葉を思い出すコルベール。初めて百鬼丸と話したときに出た言葉である。人に危害を加える幽霊、精霊の類、確かそう聞かされた。その残り香がするとは穏やかでない。

最も百鬼丸に嗅覚は無いため残り香、というのは例えでしかないのだが、コルベールも部屋に居るほかの二人もそんなことは知る由も無い。

「魔神?」

今度はルイズが。

「ヒャッキマルさん」
「構わんよ、コルベール君。どうせ何時か言うつもりでおった。それにどうやら無関係で済ませるつもりも無いじゃろ」

もちろん、と言わんばかりにルイズは強く頷く。
ルイズも、シエスタの事情を知り、掛け合うためにここに来たのである。

「部屋に近づくにつれて妖気の残り香みたいなもんが強くなってきてな。部屋に入って確信した。ここには妖怪が居たんだよ」

それが先程の百鬼丸の剣幕の正体であったことをコルベールは理解した。そう、部屋に入る直前に百鬼丸から流れ出た気配、あれは殺気に違いなかったのだ。

「モット伯ってのはどこか様子が変じゃなかったか?」
「実はの、わしも少し引っかかっておったのじゃよ。虚ろというか、生気が無いというか」
「モット伯ってやつに会いたい」
「そうじゃな、馬を貸そう」

そう言うと、コルベールの方を向く。

「コルベール君。案内してやってくれたまえ。それと確証はないが、もしもの時は頼めるかね?」

うっ、とコルベールは言葉を詰まらせた。戦う、人を殺す、破壊。すべては過去に犯した罪であり、避けてきたもの。しかし百鬼丸を一人で行かせるわけにも行かない。オスマンの表情からは期待も失望も見えない。試されているわけでもない。

「いや、一人で十分だ。巻き込むわけにはいかねぇ」

事情があることを察したのか、気遣うような百鬼丸の提案。臆病と思われても構わない。
いや違う。本当に臆病なのだから、そう思われない方が辛い。
いや、それも違う。外聞が悪いから戦うのか。
そうだった。選択をするのは常に罪を背負った己だ。今までも、そしてこれからも。

「畏まりました。『炎蛇』コルベール、微力ながら」
「すまぬ、言い訳がましいが、あまり公にしたくない」

わかっている。魔神と関わる人間は、今の時点では出来るだけ少ないほうがいい。

「しかし、頼んでおいてなんじゃが、よいのか?」
「贖罪にすらなりますまい。救いだけの戦いもまだきっとあると、そう信じたいのです」
「ありがたい。が、お主もまだまだ若いようではないか」
「若くはありません。ですから今まで迷い続けてきたのですよ。これからも迷い続けます。それが私の罪です」

だからこそ、人外の暴挙から人を守る事を放棄してはならないはずだ。

「あ、あたしも行きますっ、シエスタが危ないんでしょうっ?」

置いて行かれるものかとルイズも宣言する。もとよりシエスタのためにこの場に訪れた彼女だ。魔神、妖怪という言葉は理解はできなかっただろう。だが、考えていた以上にシエスタが今危険に晒されている、という状況はおぼろげながら理解したはずだ。

「いいんじゃないかね?」
「しかし」
「但し、じゃ」

長い眉に隠され、皺に覆われた顔から真剣な眼差しをオスマンはルイズに向けた。

「勝手な行動はしてはならなん。コルベール君の指示に必ず従うこと。

無論、逃げろと言われたら逃げる。約束できるかね?」
コルベールは、言い出したら聞かないルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ヴァリエールという生徒の性格を痛いほど理解している。
オスマンも恐らく、自分ほどではないがこの生徒の性分を聞き及び、ある程度の想像はしているのだろう。学院長からこう釘を刺されてでもしないと、緊急時どういった行動に出るのか、想像に難くない。

「……わかりました」

逃げろと言われたら、逃げろ。
この言葉こそが最も重要であることをコルベールは理解し、オスマンもそれを汲み取ったのであろう。
両者の最大の妥協点だ。
百鬼丸は口を挟まない。

では、と一礼して部屋を出るコルベール。

あとに続こうとした百鬼丸とルイズをオスマンは呼び止めた。

「二人とも、シエスタ君を助けようとしたその気概は大いに認める」

嘘ではない。それ程知った相手でないシエスタを助けようと、貴族に立ち向かう百鬼丸。
シエスタの為を思ってこそ学院長相手に談判にまで来たルイズ。

どちらもオスマンにとっては好ましいものに思える。純粋に他人のために力を尽くせると言うのは素晴らしい事だ。
しかし、と言葉を続けた。

「仮にじゃ、仮に、モット伯が何者にも操られていない、正常であったとしたら、シエスタ君はどうする? 彼女は自分からモット伯に仕えるとわしに言ってきた。無論、脅されてないとは言い切れんがの。無理に彼女を連れて帰ったのならば、彼女は、彼女の家族はどうするつもりじゃ?」



馬で駆けて行く三人を学院長室の窓から眺めながらオスマンは語る。

「若いとは、それだけで素晴らしい。無鉄砲でありながらも妥協を許さず、同時にそれによって生まれる苦難もある。しかし立ち向かい続ける。何時かはそれだけでは乗り越えられぬ大きな壁があることに気付いていない」
「ええ、そうですわね。オールド・オスマン」
「いや、気付いていながらも、気付かない振りをしているかもしれん。わしは忘れてしもうた。しかしそれでも、若い、ということはそれだけで、素晴らしいものじゃ」
「オールド・オスマン?」

オスマンの使い魔、二十日鼠のモートソグニルが、ちゅうちゅうと、同意するかのように哀愁を込めて、鳴く。

「そんな素晴らしさに、わしが感化され、失ったそれを再び求めたとしても、仕方のない、そしてまた同じく素晴らしい事だと思わんか、ミス・ロングビル?」
「いえ、全く」

モートソグニルの尻尾を掴み、逆さに吊るしながら背後に立つロングビル。
その顔を伺う事もなく、オスマンは窓の外を眺めるのであった。
振り向かない事。それも若さだ。

これから降りかかるであろう災厄に立ち向かうもの達に、始祖ヴリミルの加護のあらん事をオスマンは、真摯に願う。



[27313] 第十四話 わらうつき
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 19:29



戦闘が予想されたので、コルベールは準備の時間が必要であろうと考えた。ルイズは何か取りに、自室に一度戻った。百鬼丸は私物が無いため自室に帰る理由が無い。 コルベールと共に彼の研究室とも呼べる、学院内の広場の隅に建った小屋を訪れた。何か、自分にも役に立つ武器があるかもしれないとのことだった。そこへ慌てた様子でやってきた使用人に服を渡された。彼が召還時身につけていた、シエスタに渡した着物だ。オスマンの配慮である。

恐らくシエスタによるものであろう修繕も既に終わっていた。ぼろぼろに破れた部分は同じ色の当て布がされ、本来その当て布にはない、彼の着物独特の錨の柄は丁寧に糸で刺繍されていた。シエスタには全く頭の下がる思いだ。。
着慣れた服の方が戦いやすい。丁度良かったと着替えれば着心地も申し分ない。

「ほう、こりゃあ」

使えるものは何かないかと小屋を散らかしながら漁るコルベール。
独り言のつもりだったのだが、応えてくれた。

「やはりそちらの方がしっくり来るようですね」
「着慣れてるからな、それに動きやすい」

実際、仕込み武器を使う場面になれば、先程まで着ていた、シャツとズボンは邪魔でしかない。 ふとコルベールが何に気付いたように百鬼丸を注視する。正確には身にまとった着物に。

「おや、固定化の魔法がかかっているようですね」
「へぇ、固定化ってのは?」

裾を摘んで繁々と探ってみる。言われてみれば確かに何かを感じる。

「簡単に言うと丈夫になるんです。剣ならば折れ難く、錆び難く。布であれば傷み難く、破れ難く、といったところです。しかし、相当な魔力が込められてますね。恐らくは学院長でしょうな。弓矢くらいなら通さないのでは?」

さすがに試すつもりは無い。だが案外あの老人にも良い所があるものだと感心した。後で礼を言わねばなるまい。勿論生きて帰ってきてからだ。そして

「シエスタにも、礼を言わないとな。良い仕事をしてくれた」
「ええ、必ず助けましょう」

支度は整った。





馬に乗ったままコルベールはルイズは隣り合い、少し後ろに百鬼丸が追っている。
魔神について、コルベールはルイズにかいつまんで説明していた。百鬼丸は口を挟まない。
恐らく聞こえているのだろうが、口を挟まないことを考えると、コルベールの説明というのは大方合っているのだろう。
ただ、魔神をルイズが召還した、と言う事実は伏せてある。どうせ気付くことであろうが、今そのことを彼女に伝えれば、いらぬ迷いと責任を感じるであろう。一時しのぎに過ぎないことはコルベールも承知している。百鬼丸と口裏を合わせては居なかったのは失敗だが、何を考えているのか、だが彼が無言であるのは幸いであった。
後で伝えておこう。

ルイズもルイズで今はシエスタを救うことしか頭にないのだろう。
なぜ今までその存在を聞いたことがないのか。
なぜそんなものに、異国から来た百鬼丸が立ち向かおうとしているのか。
本来聡明な彼女も、そういった疑問を抱くことなく、魔神という存在をすんなりと受け止めた。

「どういった姿なのですか?」

ルイズのその質問は当然のことである。
答えあぐねるコルベールは僅かに後ろを追いかけてくる百鬼丸に目をむけた。

「おれにも分からん」
「なによそれ?」
「わからんもんはわからん」
「……そう、」

無愛想にそう答える百鬼丸に一瞬コルベールは肝を冷やした。ルイズと百鬼丸が言い争っていた場面で、仲裁に入ったのはコルベールである。その諍いの理由も結果も知っているため、揉めるかと思いきや、そうでもなかった。 ルイズも百鬼丸もまるで互いに無関心を装っているかのようだ。 何とかしたいところでは有るが、今は面倒事さえ起こらなければそれでよい。



しばらく全員無言である。
空から三人を追うように、夜道を不気味に、二つの月が照らしている。
どれだけ進もうと突き放すことの出来ない二つの月は、まるで自分達がシエスタの元にたどり着けない、とあざ嗤っているかのように、ルイズの目に映る。
急激に不安感を覚えたルイズは思わず口にした。

「シエスタ……無事かしら」
「ええ、急ぎましょう」
「はい」

無事で居てほしい。そんな思いで駆ける。

またしばらくして、モット伯低まであと1リーグを切ったあたり。僅かに木々が生える林の中央にモット伯の屋敷は存在した。屋敷の明かりがはっきりと確認できるほどの距離で唐突に百鬼丸が止まれ、と叫んだ。
慌ててコルベールも馬を止める。ローブの中に用意したいくつかの武器が擦れて音を立てると共に、不満気に馬が嘶いた。ルイズもコルベールに倣い歩みを遅め、振り返る。 百鬼丸はすでに馬から降り、手近に合った木に手綱を結び付けている。

「どうしたのですか?」
「馬はここまでだ」
「何故です?もうすぐですぞ?」

百鬼丸は、腰に挿した刀の具合を確かめるように、帯を締め直している。

「出迎えだ」

そう言うと屋敷に向かって駆け出した。

あっという間にコルベールとルイズの間をすり抜けると、いつの間にそこにいたのか、からころと奇怪な音を立てる骸骨へと飛び掛る。

「なんとっ」
「な、なに、あれ」

切り捨てられた骸骨が血のような赤黒い霧となり消えてゆく。 更に三体ほど、剣や盾、斧など、各々武器を持った骸骨が現れたが、百鬼丸はそれらもものともせず、瞬く間に蹴散らした。 すべて同じように霧になって蒸発する。

何処から湧き出てきたのか。 そう考えていたコルベールは答えを見た。

揺ら揺らと青白く燃える、人の頭よりも小さい程の火の玉のようなものが屋敷の方からゆっくりと飛んできたかと思うと、突如速度を上げ、地面に向かって着陸する。
瞬間それが大きく燃え上がり、骸骨がそこに現れた。
今度は五体ほど。驚きはしたものの、コルベールも何時までもじっとしてはいない。

「ミス・ヴァリエール、そのままで」

そう伝えると馬から下りて駆け出しながら、杖から火を放ち、百鬼丸の隙をうかがうように回り込もうとしていた骸骨の一つを燃やす。

「よし、効きますな、ともう一体いきますっ」
「あ、あたしも、」

ルイズが動き出そうとした時には既に事は終わっていた。

「いやはや、まこと見事なものですな」
「雑魚だ」

学院長室での件と良い、何度見ても惚れ惚れするような剣捌きだ。切りかかられるとほぼ同時に、相手の腕を切り落としたかと思いきや、返す刀で胴を両断。済んだとばかりに振り向きざま、不意をつこうとしたのであろう相手を正中から一振り。更に横なぎに、相手の盾に触れるか触れないかの刹那で角度を変え、骨の隙間から真上に振り上げる。
攻撃に加わったため全てを目にすることが出来なかった事を、コルベールは不謹慎ながらも少し残念に思った。


しばらくじっと構えたままの百鬼丸が、やっと構えを解く。
ルイズは、余りの出来事と、二人の見事な戦いに、呆然としていた。

「グズグズするな」

その声に意識を取り戻したルイズは、すぐに馬を降り、百鬼丸が馬を繋いだあたりに。コルベールも自分の馬へ戻り同様に。
手綱を結びながら、多少悔しくも、突然の出来事だから今回は仕方ない、とただ呆然とする事しかできなかった自分をルイズは慰める。

-次はあたしだって-

そんな思いを抱きながら、結んだ手綱を更に、強く締めた。

ふと、彼女はおびえる様に鼻を鳴らす馬に気付いた。
怖いのかもしれない。 その一頭の首を、なだめるように撫でる。

「この子達、大丈夫かしら?」
「多分な。不安なら逃がしとくか?」

ぶっきら棒に返事をする百鬼丸。

「そうしましょ? 死んじゃったら……可哀想だもの」

躊躇いもなくそう答えたルイズに百鬼丸もコルベールも僅かに驚いた。
帰りの足も、それどころか逃げる手段すら失いかねないのだ。

止めようか、とコルベールは迷ったが、それよりも百鬼丸の判断の方が早かった。
返事をする事もなく繋がれた馬に近づくと三度、鮮やかに剣を振るい、手綱の結び目を切り落とす。

繋ぎとめるものの無くなった馬達ではあるが、一度背に乗せた者たちが心配なのであろうか。飼いならされているせいもあるのだろうが、なかなか動かない。
コルベールはまだ悩んでいた。今ならまだ間に合う。

しかし、今度はルイズが。

「あたし達は大丈夫だから、ほら、危ないわよ?」

ルイズを乗せてきた一頭が嘶く。

「大丈夫だから、ね。じゃあ、日が昇ったらまたここに戻ってきて、良いでしょ?」

そう言いながらまた首を撫でる。馬に人語が解せる筈は無いのだが、わかった、と言わんばかりに再び、今度は一際高く嘶くと、三頭はこれまで来た道を戻るかのように駆け出したのだ。

ほう、と百鬼丸は感心したような声を上げた。それを聞き、ルイズは少し自慢げに振り返る。が、百鬼丸は既に顔を逸らし、目を合わせない。

少しだけ落ち込んだ。

もっとも百鬼丸の行動の原因は自分であることは重々理解しているのだが。
今日一日、百鬼丸と会うことを恐れ、ルイズもまた部屋に篭り、悶々としていたのだ。ただ、素直に謝ることが出来なかった。
この国では平民であり、しかも己が召還したにも関わらず、彼女に従わない百鬼丸。彼に頭を下げる、というその行為は、まるで魔法を使えぬ己が貴族でない事を肯定してしまうかのように、馬鹿げていると分かっていながらも、ルイズはそれが出来なかった。

とコルベールが口をあけて固まっている。息が漏れようとしているのが分かる。何か飛び出るかと思いきや、その口から出たのはため息であった。

「あぁ」
「どうしたんですか?」
「どうしたと……、帰りはどうするのですか?」
「ですから、日が昇ったら来てくれるって」
「そんな、相手は馬ですぞ?」
「ちい姉さま……、あたしの姉、動物とお話出来るんです。 何でかって聞いたら、動物が好きだから分かるんだって」
「はぁ、それで、」
「その、あたし、馬、好きです、から、」

一応何をしたかの自覚はあるらしい。

「そうですか……」
「ほら、行くぞ」

時間が惜しいとばかりに百鬼丸が急かす。
仕方なさげに、やや早足の百鬼丸をコルベールが追い、ルイズもそれに続く。
用心深く歩きながら。

「逃げる時はどうするのですか?」
「え、と」
「走れば良いじゃないか」

なぜか百鬼丸が答えた。

「逃げなきゃ、なお良いな」

先を行く百鬼丸とコルベールを追いながら、ルイズは最早暗闇のせいで見えなくなったであろう、馬達の走り去った方へ振り返る。 予想通り、その姿を認めることは出来なかった。

見えるのは赤と青の、二つの月だけ。
しかし、先程迄ルイズを不気味に照らした二つの月は、今は後ろから優しく後押ししてくれているように感じた。



[27313] 第十五話 悲鳴
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 19:36
時は少し遡る。百鬼丸に昼食を運び、ささやかな幸福の中にあったシエスタ。
ここ数日、一寸した災難もあったが、彼女は生活は嘗て無いほどに充実していた。
魔法は使えないが、それでも努力家で、ひた向きな貴族、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに名前を覚えてもらった。
優しく、強く、逞しく、時に可愛らしい、自分と同じ目と髪の色を持つ青年、百鬼丸と出合った。
そして、その二人に守ってもらった。
シエスタとしては、勿論どちらも大事な人間であるが、異性である百鬼丸に対する感情はルイズに対する物とはまた違う感情もはらんでおり、殊更である。

自分が百鬼丸という青年に惹かれている事を、彼女は自覚していた。
彼が自分に見せる柔らかな物腰も、時折出る子供のような表情も、その勇敢さも、頼りになる強さも、どれも彼女は好んでいる。ハルケギニアでは珍しい、しかし自分と同じ色をした髪と目も、そんな淡い好意の手伝いをしていた。

なぜ自分の目と髪は、同僚達の持つ鮮やかな紅色や金色と違い、地味な黒一色なのかと悩んだこともある。しかし今はこの黒と言う色に感謝している。この学院で百鬼丸と同じ色を持つのは自分だけなのだから。

そして現在彼の世話を担当しているのはシエスタである。
貴族に果敢に立ち向かい、これを打ち倒した青年は、最早男女問わず、使用人達に羨望の眼差しを向けられている。しかし彼に触れ合う機会が最も多いのは間違いなく、自分である。彼に三食運び、甲斐甲斐しく給仕出来るのは自分だけなのだ。

昨晩まで、手の空いた時間で、彼の着物をてづから修繕していた彼女は、長いこと着古されたのであろう、その特異な形をした彼の服に針を通しながら、あれこれと彼がこれまで辿ってきた道筋に思いを馳せていた。

破れた胸元に当てた布の中に、目立たぬよう自分と百鬼丸の名前を刺繍してあるのは彼女だけの秘密だ。

既に修繕は終わったが、彼がその服をまとっている姿を見るたびに、きっと自分は、その思い出に浸り、彼への淡い思いを育んでいけるのだろう。

同僚達からの彼女を羨む声も、彼女にとっては、その少女らしい、ささやかな独占欲を誘引するものでしかない。

今、シエスタは幸福だった。

ふふっ、と楽しげに笑い、弾むように廊下を歩む己に気付いて、はっと小動物のように辺りを見回す。

勢いよく、小さな頭に振り回される黒髪、その群れから飛び出した一房は光の全てを受け止め、同時に全ての色を発するかのような、黒特有の艶を見せる。

黒い髪が、時にどの色よりも輝く瞬間があることを少女は知らない。

いけない、まだ仕事中だ、と真面目な彼女は乱れてもしていない身だしなみを正した。

幸い周囲に人は居なかった。再び歩き出す。今度は静々と。
しかし弾む心を抑えることは難しかった。




それがいけなかったのだろうか。




幸福は、果たしてそこまでであった。あるいはこれから起こる彼女の運命を不憫に思った始祖が、釣り合いが取れるようにと、この数日の幸福をはからってくれたのか。

もしそうであったとしたら、彼女はきっと始祖を恨むだろう。何かを手に入れるということは、同時に手放す時の悲しみも否応なしに背負わされるのだから。
手に入れた時の喜びが大きければ大きいほど、きっと背負う悲しみも辛さも同じくらい大きいのだ。


角を曲がろうとした時、浮かれた彼女が悪かったのか、あるいは相手が異質であったのか、大きな人影が角から歩み出てくる。

気付くのが遅かった。

あわや体が接触するか否かのところで、シエスタは顔を上げ、失礼しました、と慌てて声を上げようとした。
相手は大柄である。シエスタよりも首一つほど高い。整えられた茶色の髪と、わずかに蓄えられた口ひげ。純白のひだ襟の下には青群青を基調とし、袖口、胸元は幾何学的な模様で赤銅に染められた服。それらを覆うような駱駝色の外套。

しかし、シエスタの声を遮ったのは、相手の声でなく、その目だ。

生気の無い、しかしそれでいて確かに生きているはずの、不気味に濁った青い目を直視した瞬間、シエスタは体から、その主導権を異質な何かに奪われた気がした。

先程とは違う、今度は助けを求める声を上げたかったが思うように声が出ない。十分に機能しない肺から送られる空気が喉を通り過ぎ、漏れる音が辺りに響くだけ。

「モット伯?」

男の後ろから声を掛けてきたのはオスマンである。

男の名はジュール・ド・モット。王宮からの勅使であり、伯爵である。
シエスタもその名だけは、失礼があると学園としては良くないから、と聞かされていた。

モット伯爵がオスマンの方へと顔を逸らした。それでもシエスタは動けない。

「失礼。彼女、気に入りました。頂いても?」
「ほ?」

オスマンの疑問を無視するかのように再びモット伯爵はシエスタの目を覗く。
ジュール・ド・モット伯爵は、その能力、特に算術に関しては秀でているが、気に入った平民の娘があれば、それを買取り、侍らせている、という噂も有名なものであった。
そのため、また悪い癖か、との程度にしかオスマンは考えていなかった。

背後に立つオスマンはモット伯の表情を窺い知る事は出来ない。
オスマンと会話していた時の表情は、シエスタに向ける貌とはまるで違う。

嫌だ、そうシエスタは叫びたいが声が出なかった。

「給金は弾む。そうだな、ここの二倍出そう」

モット伯爵の目が細まる。笑っているのか、しかし、シエスタには獲物を射竦める捕食動物の様にしか見えない。捕食されるのは勿論、自分だ。

終わりだ。

そう直感した。何故かは分からない。逃げる事も、助けを呼ぶ事もままならない現状がそう感じさせたのか。 あるいはモット伯爵の異様な気配から彼女が何かを察知したのか。

自分はいま、何かに操られている。彼女の意に反して、声も体も勝手に動くのだ。
心だけが、正しく声にならない悲鳴を上げていた。

シエスタの体はゆっくりと頷き、オスマンに顔を向ける。

「私、モット伯の所へ、参りたくございます……」

そう口に出した瞬間、なにかの呪縛から解かれたかのように、シエスタの体は己の意思通りに動く事を許された。だが恐ろしさに竦み、何も出来ない。
不穏なものを感じながらも、モット伯爵と彼女自身がそれを希望するのであれば、オスマンは止めようが無い。

「む、そうか」
「有難く存じます」
「いや、二人がそう思うのであれば、むやみに止める事もできんじゃろうて」

オスマンに語りかけるモット伯爵の顔は、穏やかとも言える。その濁った目さえ無ければ。
シエスタは、やっとのことで、自分の意思通りに口をひらけた。

「そ、その、少しだけ挨拶をしてきても……よろしいでしょうか?」
「構わない、が急ぐように。外の馬車で待つ」

そう言って微笑むモット伯爵の顔は、獲物を捕らえた後の獣の顔でしかない。
四肢を捥がれ、逃げるどころか抵抗することすらあたわぬ獲物を、後はただ貪るだけだ。 擦れ違いざまに、これから頼む、と肩に手を置かれた。

冷たい。気のせいだろうか。

『逃げるな。逃げればどうなるか』

そんな声が、幻聴であろうか、だがシエスタだけには、頭蓋の奥からはっきりと聞こえた。
気のせいではない。

厨房に居るマルトーを始めとする料理人たちに挨拶をし、同僚に別れを告げ、コルベールには淡々と礼を述べるだけ。
悔しがるマルトー達も、涙を流して止めてくれた友人の姿も、虚勢を張っている己を恐らくは見抜き、思案に耽るコルベールとの別れも。どこか遠いものを見るようで、シエスタは会話の内容など全く覚えていない。

あと二人、挨拶せねばならない、いや、会いたい人間が居る。ルイズと百鬼丸だ。

ルイズの部屋を訪れた。

呼びかけに応えたルイズの声は、持ち主が不機嫌な時でも羨ましいくらい可愛いらしく、鈴のようにりんと響くその声は、一瞬だけシエスタを正気に戻した。

-助けて-

途端、怖気が走る。

『助けは呼ばないほうがいいが』

幻聴だ。これは幻聴だ。だから、だから彼女にだけは助けを請うても。

『道連れにしたいなら』

-助けて-

『どうぞ私は構わない』

助けて、とその言葉。たった短い一言すら飲み込んだ。

「シエスタ、どうしたの?」
「私、本日よりジュール・ド・モット伯爵に仕える事になりました。ミス・ヴァリエールにおかれましては、助けて頂いたお礼も満足に申し上げておりません。誠に心苦しいのですが、せめて別れの挨拶だけでも、と」
「ちょっと、モット伯爵ってまさか、気に入った平民の女を囲うのが趣味って……」
「お給金も弾んでくださるそうで、これで家族に楽をさせることが出来ます。私、満足しております」
「やめておきなさいっ、何があったか知らないけど、碌な噂聞かないわよっ」
「もう決めたことですから。それではどうか、ご自愛ください」

それだけ言うと、足早にシエスタは立ち去った。

「ちょっと、シエスタッ?」

引き止めようとするルイズの声から耳を塞ぎ、彼女から見えなくなったのを確かめると、シエスタは駆け出した。

向かったのは彼女にとってもう一人の特別、百鬼丸のもと、ではなかった。

最後に百鬼丸に会いたかった。助けて、とそう彼になら言える気がした。
しかし彼を巻き込んでしまう。相手は勅使であり、伯爵であり、そして正体の分からない、人間かどうかも怪しい、きっと化け物だ。あれは人間そっくりの化け物だ。
いくら百鬼丸が強くても、きっと殺されてしまうに違いない。

彼を、彼までも巻き込めるものか。
助けてと、きっと彼を前にしたら、そう口に出してしまう。
口に出さなくても、一度流した涙を彼の前で抑える自信が無い。
人の良い彼の事だ。助けようとしてくれるのは間違いない。
そして、巻き込んでしまう。そしたら彼は死んでしまう。
自分のせいで殺されてしまう。そしてどうせ私も殺されて。
だから会いたい、最後だから会いたい。
だから会うわけにはいかない。

止まらぬ涙を必死に止めようと手のひらを瞼に押し付ける。

-お願い、止まって!!-

そう願いながら眼球を傷つけんばかりに、最早瞼どころか目まで潰してしまいたい。しかし命を絶つことすら許されない。
それは化け物にとっては逃げることと同義なのだから。

使用人の宿舎にある自分の部屋に駆け込むと、一心不乱に荷物を詰め込む。もとより少ない私物はあっさりと片付いたが、これらは持って行かない。これから死ぬ人間には不要なものばかりだ。

『家族のもとへ送ってください』

普段の彼女に似つかわしくないほどに、滲んだ文字で乱雑に書かれ皺んだ紙を、その荷物の上に叩きつけるように置くと、赤く腫らした瞼を今度は元に戻そうと、ひたすら水で洗い流す。

泣いてない。泣いてなんか、いない。
水で流しているのだから、頬が濡れるのは、当然だ。
瞼が熱いのは、水が冷たいからなのだ。



「申し訳ありません。大変お待たせしました」

そう、学園の出口で待つ馬車に向かう。

「いや、待ってない」
「え……?」

そんな筈は無い。少なくとも食事を済ませられる程度の時間は間違いなく待たせていた。
しかし気遣っている風でもない。逆に、どこか満足そうな様子さえ伺える。そうだ、きっと何か食事でもして時間を潰したに違いない。

不思議と己の考えが間違えでないと、シエスタは何故か確信した。根拠も何も無い。

だが、きっとこの人の形をした化け物は何かを喰っていたのだ。きっと。

「なんでもない。さ、掛けたまえ。特別に同席させてやろう」

従うことしか、彼女には出来ないのだった。
さようなら、と心の中でつぶやく。
そして

-助けて-

少女の心は叫ぶのだ。
ジュール・ド・モット伯爵は、そんな彼女を眺めながら、満足そうに目を細める。



その姿は正しく、人間の様であった。




[27313] 第十六話 棘
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 19:54



何処かから忍び込むかともルイズは考えたが、百鬼丸が言うには、既に気付かれているらしい。ならば正面から行くほうが安全なのだとか。コルベールもそれに賛成しているならば、ルイズは納得せざるを得ない。だが、先程の出迎えはなんだったのか、モット伯邸の門にたどり着くまで、あっけないほど何も起こらなかった。

「なんか拍子抜けね?」

ルイズに話しかけられた百鬼丸は無言だ。だが不機嫌、という訳ではなさそうだ。

「なによ、なんか応えなさいよ」

不機嫌なルイズの声に仕方なさそうに応える。だが、その返事は決して愉快な内容のものではない。

「まだ始まっても無いんだろう」
「あ、門番」
「……」

つい見たままを口走ったら、呆れたような目で見られた。

「なによ」
「別に」

門番は門に対して左右に一人ずつ。石造りの塀で囲まれた伯爵邸の番を勤めるとは思えぬ程みすぼらしい胴当てと兜のみという出で立ちで、武器は腰に下げた剣のみ。こちらも柄拵えは最低限。まるで食い詰めた傭兵をとりあえず連れてきて立たせているだけの様な不自然さだった。こちらには全く反応を示さない。

「夜分に失礼いたします。私、トリステイン王立魔法学院の教諭を務めます……、失礼しますっ」

一応は人間を見たからであろう、それなりの対応を念のため取るコルベールだが、門番達の目は虚ろで、何も応えない。いや、顔が僅かにこちらを向いた。
咄嗟に百鬼丸が前に出る。刀を振るうと、刃が門番の首をすり抜けたかのようにルイズには見えた。何が起きたのか良くわからない。

ごとりと鈍い音。頭が二つ地面に転がる。
理解した。

「ひっ、あ、あ、あんたっ」
「ヒャッキマルさん、何をっ」
「もう死んでる」
「あ、あ、当たり前……」
「違う、死んでたんだ」
「何故分かったのです?」
「おれには分かるんだよ」

それっきり口を噤んでしまった。コルベールは駆け寄り、死体を検分している。

「確かに、血が出ておりませんな。それに、既に冷たい」

聖具の形に指を切りながら、鈍りましたかな、とのコルベールの呟きを耳にして、ルイズは何か、違う世界にでも来てしまったかのような感覚にとらわれた。
ここは現実ではない、どこか別の場所。
あるいは今まで過ごしてきた場所こそが夢だったのか。

「これは、消えないのですか?」
「死体だからな」
「あ、あの、ミスタ?」
「ああ、怖がらせてしまったようで、失礼」
「逃げるなら今のうちだぜ?」
「だ、誰が逃げるもんですかっ、シエスタを見つけるまであたしは帰んないんだからねっ」

馬鹿にするなと喚いた。喉がちりりと痛む。

「生きた人間も操れるのですか?」
「見たことはねぇが、有りうるな。でもここには多分いねぇ」
「それも分かるので?」

頷いている。正直ついていけない。だがシエスタのためを思ってここまできたのだ。自分にも何か出来る事があるはずだ。

無事でいて欲しいと考えながら、ルイズは恐々とモット伯邸の明かりを眺める。
門から邸内に行くまでに十五メイル程の石畳の道がある。門番というのは屋敷を囲む塀の入り口を守っているに過ぎない。邸宅は屋敷を中央に、正面には石畳、左右は少し開けた庭園になっていた。

もっとも、入り口から見える部分であるこの庭園はつまり、飾るための庭園であるため、石も草木も整然としている。屋敷の裏、百鬼丸たちから見て正反対には、何者にも見られぬように、屋敷の主、この場合モット伯であるが、彼がくつろぐ為の庭があるのだろう。

ルイズの自慢の視力を持ってしても、目と鼻の先にありながら、薄暗く照らされた邸内はどこかぼやけていて、その様子を窺い知る事はできなかった。

「行くぞ」

いつの間にか、隣には百鬼丸が立っている。刀は抜いたままだ。コルベールが頷く。 ルイズも緊張した面持ちで、それに倣った。
駆け出そう、と一歩百鬼丸が足を門の中に踏み入れた瞬間に立ち止まった。

「ちょっと、いきなり止まらないでよ」
「さっきより、いや、それどころじゃないな」
「え?」

ルイズを無視した百鬼丸の呟き。コルベールがルイズを庇うように前に出た。

多数の火の玉が集まってきたかと思うと同時に燃え上がり、またもや骸骨の群れが姿を現す。しかし人の大きさほどに大量の火が燃え上がったというのに、暗闇を照らし出す事はなかった。正確に火ではないのだ。

「ミスタ・コルベール、あたしもやります」
「ええ、おねがいします。しかし離れないように」

短い時間で既に二人との実力、経験の差は思い知らされた。それでも自分の魔法は武器にはなると言う確信はある。手数くらいは増えるはず。自らを奮い立たせる為に、大きな声で魔法を唱え、杖を振るう。
ルイズの放った爆発が百鬼丸の正面の敵を吹き飛ばすと同時に、百鬼丸は骸骨の集団の中に身を躍らせた。



百鬼丸はひたすら敵を切り伏せる。時には的確に首を落とし、頭を割り、槍で防ごうとするなら柄ごと、盾を構えれば隙間に突きをいれ、そのまま薙ぐ。屋敷と門の間、丁度中央に位置する少し広い場所で、剣を振るう百鬼丸は、傷を負うことなく、危なげない。それでも確実に骸骨の数を減らし続けている姿は圧巻だった。

「凄い……」
「ミス・ヴァリエール、感心している場合ではありませんぞっ」

百鬼丸から離れた場所で弓を番える骸骨へと火を放ち、己の背後で百鬼丸の戦いぶりに飲まれているルイズに、コルベールは声を掛けた。
もっとも、感動するルイズの気持ちもよく分かる。一対多数の乱戦の中でこの強さ。骸骨どもは、生きた人間に比べれば動作は緩慢ではある。しかしそれを抜きにしても、百鬼丸は、強い。彼と争った生徒が腕を折られたのも、その場面を目撃していないが、これを見れば納得せざるを得なかった。

先程からコルベールとルイズは、門から一歩も動かず、百鬼丸を狙おうと弓を番える骸骨を主に狙っている。しかし仮に矢が放たれても、百鬼丸は顔を向けることなく矢をかわし、叩き落し、あるいはそばにいる骸骨を引きずり盾にする。
目が見えないと言っていたが、嘘ではないかと、今更ながらに馬鹿げたことを考える。彼の目が作り物であることは、なによりコルベール自身確認しているのだ。

矢を叩き落した剣の軌道を変えることなく、そのまま、また一体敵を屠る百鬼丸。
見えないからこそ分かるのかもしれない。
その勇姿を眺めならも、骸骨を炎に包む為の呪文を休まずに唱えつつ、コルベールはそんなことを考えた。





シエスタはモット邸につれられた後、まず初めに湯浴みを命じられた。人間そっくりの化け物は、どうやら不潔なものはお気に召さないらしい。
モット伯を守る衛兵達や、御者同様に空ろな目をした二人の女性が手伝ってくれる。だが時折シエスタの体に触れる彼女達の指先は、湯浴みをしているというのに冷たい。
何か話しかけても、応えてくれない。まるでそれは死人のようで恐ろしい。

そう、恐ろしいのだ。

丁寧に、時間を掛けて湯浴みを済ませた頃には既に陽は完全に落ちていた。憔悴したシエスタはそのまま部屋へと案内される。奇妙なことに、窓がついていなかった。いや、窓があるべき場所には何か、土の魔法であろうか、上から塗りつぶされたような跡がある。その窓のような部分は無造作に赤茶けた線を引かれた、美的感覚があるとは思えないような奇妙な模様。汚れ、だろうか。

「主がお呼びになるまで、どうぞ御緩りと、」

その声に振り向くと、ドアは閉められ、がちゃりと鍵が掛けられた音。
途端に不安になりドアを開けようとしたが、そこにあるはずのドアノブが無い。 これもまた取り外され、上から塗り固められている。ドア一面にも埋められた窓の跡のように奇妙な模様があった。

妙だとは思いつつもどうしようもないと部屋を見回す。ベッドの上にドレスが二つ広げて置かれていた。真紅と黒のものである。好きなほうを選べ、という事だろうか。抵抗する気力も既に無い。何とはなしに、真紅のドレスを手に取り、着替えるべきか、弱った頭で考えようとした。

たまには派手な格好でもしてみたいが、しかし、黒も捨てがたい。

彼女にとっては、ここ数日のうちに特別な色となったその色のドレスに身を包まれていれば、いや、もう助かりはしないだろう。しかし少しでも恐れる死への恐怖から守ってくれるかもしれない。 ベッドの上に力なく倒れこむ。
精神的に疲れた彼女は、それを手に握ったまま、何時の間にか眠りに落ちてしまった。



『それではいけないな』

突如聞こえた声にシエスタは目を見開くと、音を立てて起き上がる。

自分は眠っていたのだろうか。どれくらいだろう。外を眺める事も出来ず、時計すら置かれていないこの部屋では時間の経過は計れない。だが、今問題なのはそこではない。 ドレスを投げ捨て、背中を叩きつけるように壁に当てた。

「嫌……」

少し後れて、絹で作られたその上等な朱色のドレスが、部屋の中央の真っ白な床に無造作に、ばさりと落ちる。 同時に鼻腔を刺激する、錆びた鉄のような匂い。

「嫌、嫌、……」

駄々をこねる幼子のように、首を左右に振り続ける。 脳を刺すようなこの匂い。

「やだ、いや……」

認めたくない。
しかし、白い床に無造作に広がる赤が、認めたくない現実を、その視覚から連想させた。

血の匂いだ。

「いや、助けてっ、助けてっ、ミス・ヴァリエールっ、ヒャッキマルさんっ」

そのまま暫く泣き喚く。
だがいくら呼んでも助けに来てくれない。当然だ。ここに彼らは居ない。先日のような幸運は既に過ぎ去った。
シエスタはドアに向かって走り出し、何度もドアを叩く。

「助けてっ、助けてっ。助けて、助けて、助けて、助けて……」

何度も、何度も、何度も。
やがてドアは諦め、かつての窓らしき部分を同じように叩く。

助けて、とそう叫びながら、何度も、何度も、何度も、何度も。

-助けてっ-





いい加減百鬼丸は苛ついている様子であると、ルイズには見て取れた。殺しても殺しても湧き続ける骸骨達。 とは言え、彼の剣捌きに迷いは無い。それどころか鋭さを増していくようだった。

はためく衣は闇を受け、真っ黒なその姿はまるで鴉のようで、煌く刃は嘴だ。
ルイズは鴉は嫌いだが、今の百鬼丸は別だ。あれは美しく舞う鴉である。普通の鴉とは違うのだ。

「ルイズっ、真面目にやれよっ」
「う、うるさいわね、ちゃんとやってるわよっ」

見透かされたかのような百鬼丸からの怒声を浴びて気を取り直し、再び爆発させる。 恨めしい事に、何を唱えても爆発してしまう自分の魔法は、多様性を持たない。百鬼丸とコルベールだけ居れば事足りるのではないか、そんな考えが頭をよぎる。 いや、役に立っていないわけではない。現にすでに十数体近く倒した。

頭に浮かんだ陰鬱を振り切ると、隣で奮闘しているコルベールを仰ぎ見る。
コルベールも僅かに疲れを見せ始めていた。それに対して自分はどうかというと、そうでもない。

己の精神力を削りながら行使する魔法と言うのは、決して無限ではない。
しかし爆発しか起こせない自分に余裕があるのは、きっと、きちんと魔法を行使できていないせいだろう。

「コルベールさんっ」
「ええ、強行突破しますっ」

共闘は二度目だと言う二人だが、それにしても息が合っていた。 どちらかが合わせる事が上手いのか、或いは両者優れているのか。 ともかく、この物量を相手にし続けるのは馬鹿らしくなったらしい。

「一度こちらにっ、暫く守ってくださいっ」

返事をすることもなく、百鬼丸はコルベールの傍に駆け寄った。 手近にいた骸骨は、すり抜ける際に鮮やかに切り伏せる。

「何するんだ?」
「私にも少し見せ場をください」

疲れを感じさせぬようにであろう、コルベールの軽口。

「そりゃ失礼したよ。じゃあ任せる」

そう言うと百鬼丸はコルベールの二メイルほど前に陣取り、再び華麗に舞い始める。 ルイズも負けじとがむしゃらに、こちらへ向かう敵に攻撃を開始した。狙いの甘い彼女の魔法は近くで放てば百鬼丸に当たらぬとも言い切れぬ。 注意深く狙いを定める。

コルベールはひたすら呪文を唱えていた。

三十秒も経たぬうちにコルベールは声をあげた。準備が出来たらしい。

「私の後ろへっ」

またもや返事もなく、周囲を一度なぎ払い、コルベールの指示に従う百鬼丸。 ルイズもそれに倣う。では、と呟くとコルベールは杖を掲げると 轟音が響き渡った。

巨大な炎が屋敷の玄関まで巨大な炎が直進する。門目掛け殺到していた骸骨が一瞬のうちに蒸発した。

「おおっ」
「凄いっ……」
「ささ、今のうちに」

言うや否や、炎は二つに別れ、壁となり、屋敷への道を作り上げた。
その中を、三人は駆け抜ける。

「長くは持ちません」

屋敷の入り口へたどり着いたコルベールは、ローブをごそごそと漁ると、ガラス瓶を取り出した。栓をあけ、屋敷の入り口を囲むように半円を描いて液体を撒き散らす。

「何だい、そりゃ?」
「私特製の油です。これで暫く追っ手は無いでしょう」

撒き散らしたその油にに炎が引火し、先の魔法ほどではないが、コルベールの身の丈ほどの炎を上げたまま燃え続ける。

「どうです?『炎蛇』の名もまだ捨てたものではないでしょう?」
「ああ、大したもんだ。凄いな」
「ミスタ・コルベールって……実は凄かったんですね」
「実は、は余計ですよ、ミス・ヴァリエール?」

コルベールが満足気にそう頷くと、三人は屋敷に突入した。
屋敷の中は、玄関を入ってすぐは一寸した広間だ。外とは打って変わって静まり返った物だった。

「何もいないみたいだな」
「そうですか。ふむ、少々疲れましたな」
「でも急がないと、シエスタが」


こうしている間にもシエスタは危険に晒されているやも知れぬのだ。彼女の安全を確認するまでは、安心など決して出来ない。

「少しだけ、休みましょう」
「でもっ、」
「水くらい飲んでおきなさい、ヒャッキマルさんもどうぞ」

そう言うとコルベールは小さな筒を取り出す。渋々頷き受け取ると、すこし口をつける。思ったよりも疲れていたらしい。百鬼丸は動き回っていた所為であろう、すでに飲み干していた。

「ふぅ、それにしても、お前なかなかやるな」

一息つくも、まだ些か興奮した状態だ。そんな気持ちが百鬼丸を一時的に開放的にしていた。 そしてこの言葉は素直に思ったままの事を口にしただけだ。シエスタを助けようという真摯な姿も、馬達を心配する様子も、やはりルイズは百鬼丸にとっては好ましいと思えたのだ。
骸骨どもに飛び掛る直前に見た、ルイズの魔法による爆発を思い出し、会話の切欠にでも、と唐突に話し出しす。

しかし返ってきた言葉は、百鬼丸にとっては予想外だった。

「なによ、馬鹿にしてるの?」
「ちょ、ちょっとお二方」

ルイズは、自分は余り役に立っていない、とそう考えていた。先程の百鬼丸の巧みな戦いぶりも、コルベールの見せた豪快な炎の魔法も、いまだ魔法を正確に行使する糸口さえ掴んでいない己の遥か先を、更に越えたような技術であった。

しかし百鬼丸もコルベールも、彼女が役立たずであるなどとは微塵も思っていない。 彼女がいる分手数は増えるし、百鬼丸の言葉通り、その威力は侮れない。コルベールも、魔法を温存できるというものだ。

「なんで怒るんだよっ、さっきの魔法、大したもんじゃねぇか?」
「それが馬鹿にしてるって言ってるのよっ」

未だ戦いの余韻があるため、ルイズも百鬼丸もすぐに頭に血が上った。
ここが敵地の真ん中である事も忘れて、互いに声を張り上げ始める。

「意味が分かんねぇよ、こっちは褒めてやってんだっ」
「ちょっと二人とも、何もこんなところで」
「偉そうに何よっ、平民の癖にっ……」

しまった、と先に思ったのはルイズであるのかコルベールであるのか。
口を閉ざした百鬼丸の顔をルイズは直視する事が出来なかった。今のも、先日のも、明らかに自分が悪い。

咄嗟に口に出た言葉が決して本音であるとは思わないが、いや、認めたくないが僅かにでも彼を蔑んでいるのかもしれない。魔法を使えない貴族が、平民を蔑んでいるのかもしれない。それはとても傲慢で、滑稽で、哀れで、惨めな事。

しかし頭を下げる事すらも、自分には出来ない。そんな自分が、とても嫌になった。
ルイズは駆け出す。

コルベールが慌ててルイズを追いかけようとした。

「何でこうなるんだよ、わけが分かんねぇ」

コルベールが足を止めて口を開いた。

「ミス・ヴァリエールは魔法が使えないんです。正確に言うと、何の魔法を使っても爆発するんですよ。それに、彼女の同級生は全て……使い魔を所持していますが、彼女にはそれすらないのです。いえ、あなたが気に病むことはありません。ただ、 彼女を悪く言うものは多い。それでも彼女は努力してるんです。それだけは分かって頂きたい。彼女の非礼は代わりに詫びます」

時間が惜しいが、伝えなければと捲し立てる。

百鬼丸には貴族の価値観と言うのは今一つ理解できないが、聞く限りでは確かに自分も無神経だったかもしれない。とは言え、『平民の癖に』というこの言葉だけは許容できるものではないが。

しかしルイズはその平民を助けるために、命の危険を顧みず、今この屋敷にいる。
一体何が彼女にそう言わしめるのか、百鬼丸にはわからない。
それと同時に、彼女と初めて会った時の言葉を思い出した。

出来損ない。彼女は自身をそう表現したのだ。

考え込もうとした百鬼丸を遮り、コルベールは言葉を繋いだ。

「しかし今はシエスタさんを救うのが先です。こうなったら二手に分かれましょう。私は彼女を追います。あなたは反対側へ。合流の合図はこれを」

そういってローブの中から手のひらに収まるほどの赤い玉を投げてくる。

「飛び出している紐に火をつけるか、硬いものに力いっぱい叩きつければ爆発します。中身は火薬の塊ですので扱いにはお気をつけて。轟音があればそちらに向かう。それでは」

そう言うと、コルベールは振り返ることなくルイズを追いかけた。
一人残された百鬼丸は、舌を鳴らすと、コルベールの提案通り、反対側に駆け出す。 まずはシエスタを助けねばならない、と考える事は放棄する。
しかし心に刺さった棘は中々に抜けにくいものであった。



[27313] 第十七話 捜索
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 20:02



コルベールは容易くルイズを見つける事が出来た。廊下を走り、角を曲がったすぐそこに彼女は力無く佇んでいた。
敵地においてたった一人で動き回る事の愚かさは彼女も十分に分かっているのだろう。 咄嗟に今来た道を振り返るが、百鬼丸の姿は既に失せていた。相変わらず素早い。

「すいません、ミスタ・コルベール。私が悪いんです、わたし、謝らないと、分かってるんです、けど」
「そうですね。謝らなければなりませんな」

返事は無い。反省はしているのだろう。何が悪いのか、その根源も恐らくこの聡明な生徒は自ら気付いている。
彼女の鬱屈はコルベールも理解しているつもりだった。、しかしその重さは想像以上であり、また複雑であるとも分かった。同年代の彼女を嘲る学友達には素直になれない少女だが、彼女が百鬼丸に頭を下げられない、というのは恐らくそれとはまた違うのだろう。

「ですが、まずはシエスタさんを助けましょう。生きて帰って、謝ればよいのです」

帰ったところで恐らく素直に謝れる訳ではなかろうが、今は二人の仲を修復する事よりもシエスタの命の方が危険だ。ルイズにもそれは伝わったようで、いや、もとより分かっているのだろう、先程よりは、いくらか力強い声で返事をした。



廊下に備えられた部屋を一つ一つ、しかし用心深く空けながら、コルベールとルイズは探索を続ける。

「ここも手がかりは無しですな」
「やだ、埃っぽい」
「行きましょう」

既に五つ目の部屋である。だが、どの部屋も一様に、書きかけの手紙、脱ぎ捨てられた衣服、開かれたままの本など、それまでそこで生活していた人間が確かにいたはずだが、ある日突然居なくなったような、そんな痕跡が見受けらる。

また伯爵ともなれば当然、多数の部下や使用人を持つはずだ。しかしこの屋敷、人の気配どころか、これまで人が使っていた形跡は認められるのだが、それに相反して余りにも閑散としていた。いや、魔神の存在を考えれば、奇妙どころか当然、と判断すべきかも知れない。

モット伯の屋敷は二階建て、左右対称の構造になっており、屋敷入り口の広間から左右に広がる邸宅。二人は入り口の門から屋敷を向いて左側を探索している。

一階の部屋も残すところあと一つ。これまでシエスタの手がかりはまるで無かったため、次もどうせはずれだろう、と二人は心のどこかで思っていたのかも知れない。
部屋を出ようとした時、ルイズに尋ねられた。

「私の魔法のこと、百鬼丸に」

聞こえていたのであろう。

「ええ、申し上げました」
「何か、言ってましたか?」
「いえ、何も。歩きながらにしましょう」

やや足を速める。あまりのんびりしている暇は無い。
どうしたものかと考える。とりあえずは、百鬼丸の事も話さなければならないだろう。

「ヒャッキマルさんですがね、実は目が見えないんですよ」
「は?」
「ヒャッキマルさんは目が見えないんです。彼の目は良く出来た作り物です」
「嘘でしょう?」

信じられない、と言うように余りの驚きに目を丸くするルイズ。無理も無い。コルベールの記憶の中にも、そのような素振りは一度たりとて無かったのだ。それどころか、常人を凌駕する動体視力を有しているようすら見える。 嘘と疑う彼女にしても恐らくそうなのであろう。

実際に目の前で、眼球を玩具のように転がしたのを確認した自分でさえ、未だに疑う事がしばしばだ。先程の苛烈な戦いにしても然りである。だが事実だ。

「本当です。足が止まってますぞ?」
「あ、はい」
「実際に彼が目を取り出すのも見せてもらいました」
「嘘でしょう?」
「ですから、本当ですと、まあ信じられないのも無理はありませんが、とにかく本当です」
「それでなんで、あんなに強いんですか? 見えてるようにしか思えません」
「さて、それは私も。ですが見えなくても分かるものらしいのですよ」
「何ですそれ……訳わかんない。嘘でしょう?」
「本当ですと、何度言えば。人間と言うのは、私達の想像する以上の可能性を秘めているんでしょう。開けますぞ」

愕然とするルイズをおいて次の扉を開こうとする。

「ミス・ヴァリエール、そこから動かないで」
「え?あ、はい」

何か不穏なものを感じ取ったコルベールは、呆然とするルイズに注意を促すと、扉を開ける。同時に、鼻を突く酷い匂いが、部屋から廊下に向けて広がった

「これは……」

腐臭だ。

部屋の中にあったものは骨の山、その中には肉片が僅かにこびりついているものもあり、それがこの匂いを生み出しているのだ。 骨により組まれた山の天辺に、まるで収集物のように積み上げられた髑髏。その大きさからみるに、女性、あるいは子供が多いようだ。

「なんという……」

嫌悪感を覚える匂いと、当然だが余程驚いて見えたのであろうコルベールの表情に釣られ、つい扉を覗き込んでしまったルイズはその瞬間、声にならぬ悲鳴を上げた。

扉を開ける寸前に、僅かに匂った死臭からルイズを遠ざける為に、動かぬよう伝えたのだ。しかし予想以上の有様に呆然として、ルイズの目に入れぬ配慮を怠ってしまった。失態だ。

ルイズは最早気が動転していた。身をすくめ、自分の両肩を精一杯抱いている。 その光景は、十六歳の少女に見せるには余りにも惨すぎる。いや、年は関係ない。人のなす事ではない。
あまりに刺激が強いとドアを閉めるが既に遅い。もう、彼女はその光景を目にしてしまったのだ。

「あ、あ……あ……」

コルベールは杖を持たぬ左手で、言葉にならぬ声を上げるルイズの肩を覆うように抱く。

「落ち着いてください、ミス・ヴァリエール」
「あぁ……ああ」
「ミス・ヴァリエールっ お気を確かに。恐らくシエスタさんはまだ無事です。ここにあるのは時間のたったものばかりです」
「そうよ、シエスタがっ」

駆け出そうとするルイズを必死に抑えるも錯乱したルイズは暴れ続ける。
多少手荒では在るが止むを得ない、とルイズの両肩をしかと抱き、正面へ向かせると、すかさずその小さな頬に平手を打った。
ぱん、と乾いた音が廊下に響き渡る。

「あっ」
「落ち着いてください」
「は、はい、すいません」
「無理もありません。手荒な事をして申し訳ありません。が、急ぎましょう」
「はい……」

やはりこれが一番効く、とコルベールは申し訳なさと共に、うまくいったと安堵しているが、そんな彼の心中は関係なしに、ルイズは頬を痛そうに抑えている。

「もう少し加減してくれても……」
「何か?」
「いえ、なんでも」
「痛くなければ意味がないんですよ」
「聴こえてるじゃないですか」
「次は気をつけます」
「次なんて、嫌です」
「そうですね。私もそう思います。さあ二階へ、急ぎましょう」

そう言って二人は二階へと続く階段を上がった。シエスタの無事を祈りながら。





一方、二人と別れた百鬼丸はというと、途方に暮れていた。 慎重なコルベールとは違い、百鬼丸は部屋を見つけると、室内の気配をまず探り、人の気配がないと分かるや否や、乱暴にドアを開け、手がかりはないかと探る。 鍵つきの扉ならば、無造作に叩き切った。

恐れるものなど何も無いと言わんばかりのその行動は、無謀とも取れるのだが、それでいて探索は確かに早い。 コルベールたちが二階へ駆け上がっている頃、彼は既に屋敷の右半分の部屋は全て探索を終えていたのだ。

しかし確かに魔神の気配はするのだが、この屋敷に留まっていたのであろう魔神の妖気は、色濃く屋敷中に染みわたり、どうにもうまく探れない。

忌々しげに窓の外に見えぬ目を向けると、コルベールの放った油から放たれる炎はその勢いを落とし始め、骸骨達が屋敷に侵入するのも最早時間の問題かに思われた。

これはまずい。

そう思った時、百鬼丸の聴こえぬ耳に、声が届いた。

-助けてっ-

シエスタだ、間違いない。
集中して彼女の心の叫びを聞く。

耳の聞こえぬ百鬼丸は相手の心の声を聞き会話をする。 常人の耳と同様に、離れた分だけ聞き取り辛さを増すその心の声は、命の危機に晒されたシエスタにおいては余程に強く、そして百鬼丸に助けを求める事で、奇跡的に彼の耳に届いたのだ。

「どこだっ」

常人が目を瞑り、己を呼ぶ声を探るのと同様に、心の声を聞く彼は、自身の心を澄ます。

-助けてっ、ヒャッキマルさん、助けてっ-

「下かっ」

階段を駆け下りる時間すら惜しんだ百鬼丸は、手すりを飛び越え、一階の床に着地すると 、既に探索を終えた部屋、しかし確かに声の聞こえる方へ駆け出した。
叩き切った扉を踏み越え気配を探る。

-助けてっ-
「今助けるっ」

届けとばかりに怒鳴りつけるように声を上げ、声の聞こえた方を向くけば、大きな本棚。悲鳴は確かにその本棚を過ぎた、奥に隠されているのであろう場所から聞こえる。 しかし押せども引けどもびくともしないし、流石に刀で切れるような物でもない。

暫く唸った百鬼丸は、棚の中ほどに入れられた本の一部を抜き取ると、合流の合図にとコルベールから渡された、爆発するとかいう赤い玉を隙間にねじ込む。

シエスタは確かにこの向こうにいるのだ。一石二鳥である。

今度は抜き取った本を、硬そうな背表紙を奥に押し込み、手近にあった豪奢な、しかし作りのしっかりした椅子を両手で抱え、力の限り本棚に向かって投げつけた。

すかさず身を隠す。

轟音が屋敷全体を揺らした。

元は合図の為の物ではないのだろうその威力に、本棚はその原形をとどめず、無残に吹き飛んでいる。 せめてどれ位の爆発が起こるのか訊いておけばよかったのだが、渡された状況が状況であり、聞く暇すらなく、念のために、と距離をとっていたのは、どうやら正解だった。

「それにしても、やりすぎだろ」

ここにはいない人間にぼやいても仕方ないが、しかし、この振動である。
確実にコルベール達は気付いたはずだ。

煙の中を百鬼丸が覗き込むと、地下へ続く薄暗い階段。その先に感じる大きな空洞から確かに何か感じる。

間違いない。

煙と共に、瘴気のように部屋中に溢れ返った魔神の気配を感じながら、百鬼丸は飛び込んだ。少しすればコルベールたちが来るはずだが、先程から百鬼丸の脳に響くシエスタの悲鳴を聞きながら、暢気に待っているわけにもいかない。

階段を駆け下りながら刀を抜き、今度は確実に届くはずだと、助ける求めるその名を呼ぶ。

「シエスタっ」

階段を通り抜けると薄暗い広間に出た。何の為に作られたのであろうか。酒蔵か、武器庫か、財産を隠したのか。

今はまるで居住する為にテーブルや寝台、人骨で組み上げた塔のような、装飾品のつもりであろうか、それらの置かれた部屋はかなり広い。屋敷の半分を覆うほどに。

そして階段から最も離れた部屋の隅、何かを追い詰めるようにしかし悠然と歩む、外套を羽織った大柄の男。
追い詰められているのは、シエスタだ。逃げ場は無いかと壁にすがりつき、怯えている。身に着けているのは、魔神が無理やり着せたのであろうか、漆黒のドレスだが、そのところどころ破れ、白い肌が露になっている様は、必死に逃げ回ったのであろう事が伺えた。

「シエスタっ」
「邪魔が入ったな」
「あぁ、ああ、あぁ」

こちらをゆっくり振り向いた大柄の男が恐らくモット伯であろう。学院長室で、そして先程から感じていた異常な気配は明らかにその男から発されている。

「魔神めっ」

言うや否や、百鬼丸は腰を落とし、疾風の如く走り出す。

シエスタを助ける為に。
人のかたちをした化け物を殺す為に。





幾分か冷静さを取り戻したルイズではあるが、先程の余りの惨状は脳裏から離れる事は無く、同時に鼻を突いた初めての死臭は、鼻腔に染み付き、ルイズの脳へと這入ろうとしているかのように、ちりちりと鼻の奥を刺激し続けていた。
未だに己の体が、間違いなく恐怖によって震えている事を、彼女は認めざるを得ない。 そんな恐れを忘れたいがためでもあるが、なにより、喋ってでもいないと気が狂いそうだった。

「ミスタ・コルベール、ヒャッキマルが目が見えないって、」
「ですから本当ですと、先程から何度も」

コルベールも先程の光景を見て多少の焦りを覚えているようだったが、目を合わすや、恐怖心を察してくれたのであろうか、気を使うような声色に変わった。

「ええ、本当ですよ。貴方もいい加減しつこいですね、ミス・ヴァリエール」

不穏な気配も今のところコルベールは感じていないようで、歩みを続けながらも話に付き合ってくれる。

「まあ、実際に私も未だに疑う事があるのですが、先程の戦いぶりなど特に……」
「いえ、そうではなくて。まあミスタ・コルベールがそこまで仰るのですから、信じます、ええ、信じます」
「では?」
「その、なんでその話を、私に聞かせたのですか?」

単純にその真意を掴みかねていたのだ。
目の見えない百鬼丸が、あそこまで強くなれるのだから、と励まそうとしたのか。
彼をもう少し大事に扱うべき、とそう促そうとしたのか。
彼の事情を多少なりとも伝える事で、二人の関係の修復を図ろうとしたのか。
しかしどれも今一つ、コルベールの先程の口調から感じたものを考えると、違う気がした。

一つ目のドアを恐る恐る開けるコルベール。この部屋もはずれだ。

慎重に探索を続けながらも、会話を途切れさせれば、恐怖を増大させ続けると、自分を無視出来ず、話に付き合ってくれているのだろう。感謝せねばならない。

「いえ、貴方の聞かれたくない事を私は彼に話して聞かせたのですから、公平ではないでしょう?」
「公平って」
「彼だけ貴方の事情を知っていたら、公平ではないでしょう?」
「それだけですか?」
「ええ、それだけです。私は喧嘩しているあなた方を見る事の方が多いのですが、シエスタさんから訊いた限りでは、大層仲が良い友人であると、そう伺っております」
「シエスタが?」
「ですから公平であるべき、いえ、驕りですな。公平であったほうが良いだろうと考えたに過ぎません」

そう言いつつ、二つ目のドアに手を掛け、扉を開くコルベール。

出来損ない。初めて百鬼丸と会ったとき、そう揶揄した自分に対して、百鬼丸は、自分も同じだ、と確かそう応えた。しかしそれでも常人を超えた能力を恐らく持つ彼が、目が見えない、という事に劣等感を感じているのか。

百鬼丸は百鬼丸だ。目が見えないくらいなんだ。

いや、それを聞けば、魔法が使えないくらいなんだ、と彼は言ってくるかもしれない。
そして、もしそう言われれば、きっと自分はまた、変な事を口走るに違いない
そんな思考の渦に入り込んだ彼女を知ってかしらずか、部屋の中を確認したコルベールの呟きによって、ルイズは現実に引き戻された。

「ここは、当たりのようです」
「なに、この部屋……」

灯りはあるが、窓が無く、本来窓あったであろう場所には塗り固められたような跡と、それを中心に奇妙な模様。振り返りドアを見ればドアノブも無く窓と同様に奇妙な、いや、模様ではない。

ルイズはその模様のようだが、何か違うと感じる、赤い幾つもの筋を食い入るように見た。

「ミスタ・コルベールっ、これって血の跡じゃっ?」
「ええ、こちらにも」

そう、ここはシエスタが閉じ込められていた部屋である。
シエスタが、そしてルイズとコルベールが模様だと思ったものは、血の跡であり、それは恐らく、その部屋から逃げようと、爪を立て、血が滲むまで、そして血が滲んでも、がりがりと、逃げ出したいその一心で、必死に掻き毟り続けた結果ついたもの。

まだ、その赤みが錆付いていない、体から抜け出したばかりであろう血で引かれた、数え切れない程の筋の意味する事はなんであるか。
ルイズはその事実にたどり着き、どれほどの人間がここに閉じ込められたのかと驚愕するとともに、そう、恐らく末路であろうものを、ルイズは、確かに見たのだ。

脳に這いずり込もうと企み、未だ鼻につく腐臭。
そして思い出したくも無い、しかし余りの衝撃のため、焼きついた惨状が、脳裏に一瞬、しかし強烈に照らし出される。

「シエスタがっ」

焦りで衝動的に部屋を駆け出そうとするルイズをコルベールがそれを再び諌めんとした刹那、屋敷全体が轟音と共に僅かに揺れた。

「きゃっ、なにっ?」
「ヒャッキマルさんからの合図です、ついて来てくださいっ」


コルベールは全力で駆け出し、ルイズも必死にその後ろに続いた。



[27313] 第十八話 魔神戦
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 20:17



百鬼丸は苦戦していた。
魔神の力もあるのだろうが、一流のメイジというのは、いざ相手にしてみればこれほど手強いものかと。そしてシエスタを守りながら戦うには、分が悪すぎた。

モット伯の姿、そしてそこに魔神の存在を認め、駆け出した百鬼丸に対し、モット伯はあろうことか、魔法でもってシエスタを放り投げてきたのだ。
受け止めるしかない。

シエスタを抱きとめると同時に、彼女に負担をかけまいと、出来るだけ勢いを殺すため、飛び退ったのだがこれがどうやら幸いであった。 先程まで百鬼丸がいた地点は、地下から汲み上がってきたのか、巨大な水の塊に叩き潰されていた。無論、魔法によるものである。

抱きかかえたシエスタは衰弱している様子で、涙をぼろぼろと流しながら百鬼丸にか細い腕で必死にしがみついてくる。余程怖かったのであろう。 落ち着かせてやりたいところではあるが、それを許すならばやはり相手は魔神でなく、またシエスタとてこのような目にあうわけも無い。

すかさず先程と同様に、今度は二つに分かれた水が百鬼丸を襲う。 水は刀で切る事は出来ず、それを防ぐ道具を彼は持たない。 また、百鬼丸の接近を恐れているのだろう、近づく事を許さぬモット伯の攻撃に対し、飛び道具である仕込み武器を使うしかないのだが、シエスタを抱えたままでは十分に動けず、隙を突くことすら難しかった。

今は逃げ続けることしか出来ない。

「くそっ、しっかり捕まってろっ」

執拗に追いかけてくる水の塊は、床を打ち、壁を打ち、天井を打ち、部屋中にその猛威を振るう。制限された空間の中でその量を減らす事の無い水は、新たに地下から汲み上げる必要すらなく、止む気配どころか、ただその激しさを増すばかり。

百鬼丸はシエスタを抱えたまま、飛び跳ね、転がり、魔神の砕いた岩に隠れ、不様ながらにもこれをかわし続けた。

ジュール・ド・モット伯爵の二つ名は『波濤』。本来は防御や治癒に長けているその属性に珍しく、攻撃を得意とする強力な水のメイジである。
百鬼丸もその事は聞いていたのだが、それにしても刀で切る事の出来ぬ水は実に厄介で、しかも想像以上の威力を持ち、魔神に体を奪われ、恐らくであるが、力の増大しているであろうモット伯は難敵としか言いようが無い。

手強い。せめてシエスタの安全さえ確保できれば。
そうは思うものの、シエスタを抱えた状態では逃げ切ることさえも難しい。

早く来てくれと、爆発を聞きつけたに違いないコルベールたちの到着を待ち望むも、それまで守りの一手に入るしかないと、襲いくる水の軌道をひたすらに見極め続けた。


水はやがて三つに分かれ、四つに分かれ、それでも家具や飛び散った石畳を巧みに使い、辛くも免れ続ける百鬼丸に、魔神も痺れを切らしたか、今度は拳大ほどの大きさに、しかしその数を無数にして、百鬼丸の周囲を取り囲む。

「畜生めっ」

これから起こるであろう事態を予想して、百鬼丸は悪態を付くが、しかしそれでどうこうなるわけでもない。 すかさず近くの、天井から落ちた岩盤と、己の体を使ってシエスタを挟み、庇い込むと、手近に転がる石を幾つか懐に詰め込む。
周囲を取り囲む無数の水をかわす事は、シエスタを守りながらでは到底不可能である。

しかし何の抵抗無く打ちひしがれる事などできようものかと、ありとあらゆる手段を考え、これを迎撃する構えだ。

執念の塊によって己の義肢は動いていると信じる百鬼丸は、諦めると言う言葉なぞ僅かばかりも頭に浮かばない。 一斉に飛び掛かる水球の軌道に石を放り投げ、勢いの付いた幾つかは、それにぶつかり、飛び散るが、それでも無数に存在する内の僅かを減らしたに過ぎない。

左手に石を、右手には、峰を使わんと返した刀を握り締め、未だ数え切れぬほどの襲い来る水球の僅かな距離差を見切り、声を張り上げ叩き落し始めた。
少し遠いものには再び石を放り、懐から新たに出しては近いものを防ぎ、無くなれば鞘さえ使い、両手を必死に振り回す。

しかしそんな奮闘むなしく、直ぐに限界が訪れた。 叩き落し損ねた一つが強かに足を打つ。

一度体勢を崩せば、あとは打たれ続けるしかなかった。

腕を打たれ、顔を打たれ、脾腹を打たれ、刀は何時の間にか取り落としている。

最早今は耐えるのみかと、しかし必ず打ち倒すという決意は揺るぐことなく、確かに残った意識の中で、シエスタを両手に抱え込み、これを背中で受け始める。
絶え間ない振動と衝撃。

ぐぅっ、と獣の唸るような声を上げた。

「ヒャッキマルさんっ」

自分をなんとしても守ろうと、苦しげな声を上げながらも、それでも抱きとめる力を緩めることなく打たれ続ける百鬼丸を、シエスタはどうすることも出来なかった。
こんな時でさえ、命の危機に自ら曝されている時でさえ、彼はそれでも守ろうとしてくれる。 出会って僅か数日の己を、その逞しい体と、優しい心で、傷つけまいと覆ってくれる。

死ぬのは自分だけで良かったのに。

「もうやめてっ、お願いっ、逃げてっ。もういいからっ放してっ」

そう叫び、逞しい腕を引き剥がそうとするが、その行為は、彼の受け続ける振動の激しさをシエスタの体に更に伝えるだけで、何が何でもと、僅かばかりも手を放そうとはしてくれない。

血が出ないように、それでも痛みで放せと、紺の布切れが撒きけられた百鬼丸の腕に噛み付いた。 だが返事は何も無く、ただ、燃え上りつつも優しく、自分と同じ黒い瞳がこちらを向いただけ。

「どうして……」

百鬼丸にとっては、何故かと言う質問などどうでもよかった。
伝える言葉は持つが、それはきっとこの行為の後ろから追いかけてくるものなのだと、窮地に置かれた今になって思う。
故に問いに対する答えなど、有っても無くても同じだった。


ひたすらに無抵抗な百鬼丸に満足したのであろうか、背中を打つ衝撃が止んだが、しかしこれは彼の安息を意味するものでなく、次の攻撃を仕掛ける合図に過ぎ無いということを、霞み始めた意識の中でも百鬼丸は正確に理解していた。

次なる魔神の、おそらく強力であろうその一撃を迎え撃つべく、膝を突きながらも立ち上がろうとするが、打たれ続けたせいかゆらゆらと、地面が彼を誘惑するかのごとく体を引く。

倒れろ、そうすれば楽になる。

このごつごつとした石の塊たちはそう甘く囁き続けているのだろうが、残念ながら石の声など自分は聞くことは出来ない。


倒れるものか。


立てるか、立てぬかと言う事ではない。
人の形をした体中に、隙間すらなく詰まりに詰まり、人より硬い偽の皮膚を今にも突き破らんと、溢れんばかりに蠢く物。
それらが今こそ、我が存在を証明せんと叫んでいるのだ。
この身は決して人でなく、この体は血でも肉でもない。
この身は執念により生きている。
執念は死なない。故に己は死なぬのだ。



巨大な水の塊が横から襲いくる気配を察知した百鬼丸は、シエスタを入り口に向かって突き飛ばした。

吹き飛ばされる百鬼丸。


勢いで一度宙に浮き、そのまま地面を滑ると、壁に衝突し、鈍い音を立てて停止した。力なく横たわる百鬼丸の体と、彼のすぐ横にみじめに転がっている人の足、その意味を理解したシエスタは叫ぶ。

「嫌っ、ヒャッキマルさんっ、ヒャッキマルさんっ」

そんな悲痛な叫びを上げるシエスタを一瞥すると、魔神は薄笑いを浮かべながら百鬼丸の方へ悠然と歩み寄るが、シエスタが叫び上げる毎にその笑みは増し、その足取りは彼女の悲鳴を更に引き出すことに意味を見出しているようであった。

突如、魔神の頭の真横で爆発が起こった。





コルベールが駆けつけた時には既に手遅れであったのか。憔悴した顔で悲鳴を上げ続けるシエスタと、その視線の先。水浸しで、体を丸めるように力なく、そしてその片足を失った百鬼丸。 もう少し早く辿りつけていれば、と悔やむ。

勢いを落としていた炎を掻い潜り屋敷に侵入する骸骨を振り切って来た二人は、百鬼丸の合図に対して、合流が遅れてしまった。いざという時のためにと、出来るだけ使わずにしていた武器も、幾つか消費してしまった。


衝撃を直に受け、痛み故にか蹲る魔神の姿は、ルイズの手によるものであった。

コルベールがいざ掛からんとした、それよりも早く動いた彼女は、躊躇うことなく杖を掲げ、魔法を使う。普段狙いは甘いが、幸いにしてモット伯の頭付近で爆発を起こし、ルイズの攻撃はその効果を発揮したのだった。

「ヒャッキマルっ、大丈夫っ?」
「まだですっ」

苦しむモット伯に安堵したのであろうか、矢も盾もたまらず百鬼丸の元に駆け寄ろうとするルイズを、しかしコルベールは制止した。
僅かに燻る黒い煙を上げたまま、モット伯は立ち上がりコルベールたちへ体を向ける。

その顔の、左半分の皮膚は焼け爛れ、目玉は瞼を失いむき出しになっていたが、しかし血は一滴たりとも流れていない。
モット伯爵は既に死んでいるのだ。目の前にいるのは、その死骸に取り付いた、そう、あれが魔神。

シエスタはその醜い姿を目の当りにして再び悲鳴を上げるが、気丈にもルイズは魔神に正面を向いていた。だが僅かに体は震えている。無理も無い。
そしてまた、百鬼丸の安否が気にかかるのであろう、ちらちらと横目で動かぬ彼の姿を視界に入れようとしているのだった。

コルベールが前に出た。

「シエスタさんを守ってください」
「でも、あたしだって」
「ミス・ヴァリエール、言う事を聞きなさい」
「でも、ヒャッキマルが」
「もちろんです。彼を助けねばなりません。ですから今は言う事を聞いてください。約束したはずです」
「っ……わかりました」

落ち着き払ったかのような自分の声は、その言葉遣いに反して、これまで聞かせたことが無いほどに、ルイズにはさぞ威圧的であった事であろう。 しかしそれだけ危機的状況にある。

勝算がある訳ではない。温存しながら戦い続けた精神力も既に底を尽き掛けているおり、まして、相手は自分とは相性の悪い水の使い手。 さらに周囲の状況を鑑みるに、水源が近くにある上、その魔法を行使するのは、痛みすら感じぬのか、常人をよりも殺す手間が掛かりそうな死人である。

今確実にコルベールに出来る事といえば、百鬼丸には申し訳ないが、彼を見捨て、シエスタとルイズを逃す事くらいであった。
しかし足掻くこと無く彼を見捨てるという選択を出来るほど、コルベールは非情ではないし、賢くも無い。
最悪に近い状況で、それでも己を奮い立たせるかのように、コルベールは高々と名乗りを挙げた。

「『炎蛇コルベール』、いざ、お相手致しましょうぞ」

その名乗りに応えるつもりすらないのであろう、魔神は巨大な水の塊を作り出すも、コルベールはそれに対抗すべく、呪文を唱え杖を振る。

杖から放たれた高密度の、しかし小さな火球。
相対する魔神の作り出した水の大きさと比べると一見ひ弱にも見えることであろう。

「ミスタ・コルベールっ?」
「しかと見ておきなさい。これが『炎蛇』の業です」

焦りを見せるルイズの声に、死ぬやも知れぬと言う不安を隠し、今は自信を見せる。 巨大な水の塊と、小さな火の玉がぶつかりあった。

いや、小さな火球は周囲の水を蒸発させながら、貫かんばかりの勢いで水の中を突き進み、そして水の中心で突如としてその密度を解き放つ。
急激に蒸発した大量の水は、それを遥かに超える大きさの気体となって膨らみ、周囲を押し広げた。
熱を与える事で、僅かな水でさえ膨大な空気となることをコルベールは知っている。

爆音を上げ、辺りは水飛沫に包まれた。

「凄い……」

呟くルイズの声を耳にして、今日彼女が何度同じ言葉を呟いたのか考えると、場にそぐわぬながらも、幾分愉快にである。
だが、一度防いだだけで、未だ戦いの最中。
攻撃を退けられた魔神の対応は、コルベールが知る由も無いが、百鬼丸の時と同じである。
すなわち水を二つに分けただけ。

ならばと二つの火玉を作り上げ、先と同じくこれをぶつけた。水の塊が半分の大きさならば、それと同様に与える熱も少量で済む。

僅かにたじろぐ魔神を、しかし油断は出来ぬと、二つの火球を放つと同時に始た詠唱は既に終わり、再び杖を振るうコルベール。 いくらそれが人の形をしようとも、人に仇為す存在にかける情を、コルベールは一切持ち合わせない。

未だ忌まわしきこの業は容赦なく燃え上り、確かな毒牙を持った蛇を形作る。
しかし蛇でありながらもうねることなく魔神に向かい直進すると、その体に巻きつき、本来モット伯のものである豪奢な着衣ごと、魔神を燃やし始めた。

『炎蛇』

コルベールはその由縁を見せ付けたのだった。
ルイズもシエスタも、普段のコルベールからは想像も出来ぬ程の苛烈な戦いぶりに、目を見開き、驚きと共に眺めていた。

勝てる。


そうコルベールが確信したのも無理は無い。
一度獲物を絡め取った炎の蛇は、敵を飲み込むまで、その鱗と牙を燃やし続けるのだ。 しかし魔神の取った行動は、驚くべきものであった。 己の体に巻きつく炎を意に介さず、ぶくぶくと皮膚を膨らませながらも、百鬼丸を打ち倒したように、無数の小さな水球を作り始めたのだ。
醜い。

「なんとっ」

メイジは二つの魔法を同時に行使する事は出来ない。
このままでは魔神に止めをさす前に皆殺しにされる。 相打ちするつもりなどは無く、何より後ろには二人の少女がいるのだと、今行使している魔法を解き、守りに徹する他ない。

コルベールの判断は早かった。

流し続ける力を止め、蛇の余熱をもって幾つか水球を潰すと、すかさず詠唱を始める。水が打ち出されるのとほぼ同時に、己の手前に炎の壁を生み出すことに成功した。拳大ほどの大きさしかない水球は、コルベールのもとにたどり着く前に、全て炎によって蒸気と化し、あるいは自らの起こしたそれに飛び散る。辛くも魔神の猛攻を防いだ。

しかしこの戦いの決着は既に着いている事をコルベールは認めていた。

「ミス・ヴァリエール」
「え、は、はい」

呆然と、目の前の激戦を眺める事しか出来なかったルイズは、その突然の呼びかけに素っ頓狂な返事を挙げる。

「逃げなさい」
「そんな、ミスタ・コルベール、勝てそうじゃないですかっ」

コルベールの優勢にしか見えなかったであろうルイズは、当然反論するが、しかしそれに応える言葉は最悪のものだ。忌々しいが、これが限界である。

「私の魔法もこれで打ち止めです。底を尽きました」
「そんなっ」
「この壁もいつまで持つか。ですから私がこらえている間に逃げなさい」
「出来ませんっ」
「オールド・オスマンとの約束でしょう?」
「ミスタ・コルベールとヒャッキマルを見捨てて逃げるだなんて」
「シエスタさんも殺されます」

問答の時間すら惜しく、次第に言葉が少なくなっていくのを自覚する。

「早く、」

時折体を打つ、炎で小さくなった指先ほどの水球は、痛みこそ無いものの、その障害である炎が弱まっている証拠に他ならない。

「私には……、できません」
「ミス・ヴァリエールっ」
「シエスタは、逃げて」

余りの状況についてこれていないであろうシエスタを振り仰ぎ、ルイズはシエスタだけでも逃げるように促した。

「ミス・ヴァリエールは?」
「あたしは貴族よ。最後まで戦う」

懸念したとおりだ。何のための約束だと叫びたくなったコルベールだが、叫んだところで伝わらない。シエスタを見ればルイズの顔を見詰めたまま、ぼろぼろになった指先をルイズの顔に、瞳に向けて伸ばそうとしていた。まるで宝石か何かを求めるように。

「ミス・ヴァリエール、お願いです、言う事を聞きなさいっ。シエスタさんを……」
「私も、逃げません」
「シエスタ?」

一人で逃げる切れるとも思わず、また、一人だけ逃げようとも、シエスタは思わなかった。ルイズはともかく、自分のそれは完全に無駄死にだと分かっている。無力な彼女は化け物を傷つける事すらきっと出来ない。
それでもそうすることで、少しでもルイズに、そして諦めずに自分を守り続け、助けようとしてくれた彼に近づける気がしたのだ。
自己陶酔と笑うなら笑えばよい。自分もルイズも、そして彼の魂も、誇り高く、何者にも汚される事なく散っていく。
泥にまみれたこの醜い場所で、しかしその醜いものは微塵も触れる事さえ出来ず、自分達の命は最後に美しく燃え上がるのだ。
不思議そうに己を見つめたままのルイズは、意を汲んでくれたのか、力強く頷いた。

「なんという」

気力だけで炎を支えているコルベールは最早、決して比喩でなく、眩暈すら覚えている。なんと強情な娘達だろうか。そのあり方を否定はしないが、少しは自分と百鬼丸の犠牲も報われてほしい。彼女達の気高さに僅かの感銘を受けながらも、死を待つ事しか出来ない己の無力さが恨めく、しかしせめて二人には逃げ延びてほしいという思いが、力一杯喉を鳴らす。

「逃げなさいっ、ヒャッキマルさんの死を無駄にするのですかっ」
「無駄なんかじゃありませんっ」
「そうよ、無駄なんて、ないんだからっ」

強情な、それ以上に勇敢で美しく気高く、しかしながら今は決して見たくないものであった。

せめて、とコルベールは力なく呟く。

それと共に轟音が、部屋中に鳴り響いた。
最早これまでと、膝をつき崩れ落ちる。痛みも何も感じなかった。
死とは、かくも落ち着いたものであるのか。そしてコルベールはこれから死に行くであろう二人の少女へ思いを馳せたのだった。





「はて?」
死力を尽くして作り上げた炎の壁は、ぱちぱちと音を立て、今は焚き火のように、弱弱しくも、しかし未だ燻っており、いつまでも耳につくその音にふと気付き顔を上げた。

先程まで彼らを殺そうとしていた水の球は全て消え失せ、いや、地面に落ちたのであろうか、あたり一面水浸しになっている。何故か。

「はて?」

再びそう呟き、相手を見るも、モット伯の皮をかぶった魔神の姿はどういった訳か、下半身と体半分、そして左腕を残し、それ以外の部分は全て吹き飛んだかのように存在しない。

果たして自分の目がおかしくなったのか、或いは頭がおかしくなったのか、魔神の残骸の隣に立つのは一体誰だったか。

「コルベールさん」
「はい?」
「勝手に殺すなよ」
「はあ」

目に映っているのは間違いなく百鬼丸なのだが、どういったわけか、生きていると言う事は、つまり死んでなかったと理解するも、恐らく魔神の攻撃によって失われたであろうはずの足は、二本、確かに有る。

「ヒャッキマルさんっ」
「ヒャッキマルっ」

ルイズとシエスタの声が被る。
どうぞ、とでも言わんばかりに、シエスタはルイズに目線だけで、続きを促した。 染み付いた使用人としての優秀さは、死地を掻い潜っても容易く剥がれ落ちるものではないらしい。

「あんた、足は?」
「足?」

百鬼丸は足をぺたぺたと触る。右足、今度は左足。

「足がどうかしたのか?」
「さっき、その、千切れてなかった?」
「ああ、いや、その、あれは、外れただけ、なんだ」
「外れた?」

意味が分からなかった。
と、何かに気付いたかのように、それまでルイズに向けていた顔を、モット伯の死体に向ける百鬼丸。その雰囲気は、寸前までの暢気なものでは無い。

「まだ生きてたか」

一体何が生きていると言うのだろう。
百鬼丸は無言のまま魔神の残骸に向かい、その正面に立つ。 何かが起こるというのだろうが、しかし何が起こるというのか。焼け爛れ、体半分を失った消し炭のような肉の塊が生きていると、そういうのか。

僅かにそれがうごめくと、めりめりと気分を悪くする音を立てながら、醜い死体がさらに醜く歪み、モット伯の体に入りきらないほどの大きさのものが、ずるりと這い出すように姿を現わした。

後頭部の膨れた巨大な頭を持ち、老人のように皺んだ顔。土色の肌に骨の浮き出た貧相な体尽きと細長い手足。しかし案外大きく、身の丈二メイルほどはありそうで、大柄であったモット伯の体よりも、大きい。

丈は腿を覆うほどまでしかない襤褸切れを身に纏うそれは、人のようで明らかに人ではなく、それこそがモット伯爵に取り付いた魔神そのものであった。
体全て抜け出したかと思うと、外見に似合わずやはり大きいだけあって重いのであろう、どすんと太い音を上げ横たわり、必死に百鬼丸から逃がれようと、虚空に向かって力無く手を伸ばす。かすかに震える指先にはひび割れた爪、そして腕すらも貧相で殆ど骨と皮しかない。

力を使い尽くし、弱りきったその態は、外見も手伝い、哀れですらあるが、しかし憐憫など一切湧くはずがなかった。無造作にずかずかと近づく百鬼丸。

「よくもやってくれたな」

そう言うと百鬼丸は、逃げようと足掻く魔神の背を思い切り左の足で踏みつけ、今は存在しているが、先程失ったはずの右足の膝を折り曲げ、魔神の大きな頭に密着させた。

コルベールは、そしておそらく、驚き首をかしげる二人の少女も同様であろう。何をするのだろうと考えたが、次の瞬間、その答えと、自分達が助かった理由を知る。


轟音。

魔神の頭が、文字通り吹き飛んだ。

部屋中に未だに残り、頭蓋をかすかに揺らし続ける残響と、百鬼丸の右膝の部分からもうもうと立ち上る煙を見て、コルベールはそれがなんであるか正確に理解した。 その常識外れ、いや、ここまできて常識なぞというのは既に儚いのだが、間違いないであろう事実。

小型の大砲を、百鬼丸は自身の右脚に仕込んでいたのだ。彼以外の三人は、目を白黒させて百鬼丸の姿を見つめる。

「ざまぁみろっ」

目を白黒させている三人を尻目に、霧散する魔神に向けてであろう、虚空に向かい右拳を掲げ、ぴょこんと跳ねあがり、百鬼丸は高々と、しかしどこか間の抜けた勝鬨を挙げるのだった



[27313] 第十九話 ようこそ、ここへ
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 20:43



勝利の余韻に浸る間もなく百鬼丸の無事を理解したシエスタは、先程までの衰弱ぶりもどこへやら、今は確かな足取りで、猛然と百鬼丸に飛びつく。
その勢いに耐え切れず、百鬼丸は彼女を抱きとめたまま、後ろへ倒れこんだ。

「うわっ、と」
「うっ、ヒャ……キマルさ……ん」
「ああ、怖かったろう」

それまで彼女を蝕んだ恐怖、そこから開放された安堵、彼が生きていたという事実、助けてくれたという嬉しさ。 最早うまく言葉に出来ないのであろう、涙を流しながら、聞き取りにくい嗚咽交じりの声で何度も何度も名を呼び続ける。
それを、赤子をあやすように軽く背中を叩きながら、何とか宥めようとする百鬼丸。
余りこういう事は得意そうではない。しかし離れるわけにもいかないのだろう。

ルイズも走り寄る。もう一人は、と後ろを振り向けば、コルベールは気力を使い果たしたのか、本来戦うために存在するための杖を、今は歩みの助けとしながら、おぼつかない足取りであった。大丈夫そうだ。しかし今は目の前のこの男。

「ヒャッキマル、大丈夫?」
「危なかったが、大丈夫だ。怪我も多分ねぇ」
「多分って何よ、もう、ほんとあんたと呆けた答えばっかり」

しかし今ばかりは、相変わらずな様子の百鬼丸に、ルイズは確かに安堵した。寛大な心で許してやろうと言う気にもなる。

「ほら、シエスタ。ヒャッキマルも疲れてるんだし、傷の手当もしましょ?」

ぶんぶんと顔を振り、百鬼丸の胸に頭をめり込ませんばかりに、額をこすりつけ、百鬼丸の着物を必死に握る、シエスタのか細い指先は血で滲んでいる。
閉じ込められた部屋で、彼女もかつてそこで死を恐れた誰かがそうしたように、壁を掻き毟っていたのだろう。僅かにはがれた爪が痛々しいが、しかしすでに脅威は去ったのだ。 やっとたどり着いたコルベールも、何とか百鬼丸に声をかけた。

「良かった、ご無事でしたか」
「ありがとう、助かった」

本当に危なかったのだ。もう少しコルベール達の到着が遅れていたのであれば、百鬼丸はあわや殺されるところだった。
未だ離れようとしないシエスタを何とか宥めようとしながら、百鬼丸は応答する。

「ところで、ヒャッキマルさん、怪我は無いと」
「ああ、大丈夫だよ」
「いえ先程、足ですが、千切れていたように」
「ああ、それなんだが、ええとだな、」

シエスタの背を軽くさすりつつ、言葉を濁す百鬼丸を不思議に思いながら、喋る事すら今は精一杯のコルベールは、続きを待つ。

突如、百鬼丸はシエスタを引き剥がした。その力強さと、唐突に失われた抱擁感にシエスタは驚きの声を上げるしかない。何をするのかと周囲が驚く間もなく、百鬼丸はその場でひっくり返り、四つん這いになりながら己の右目あたりを、両手で必死に押さえつけている。

「ちょっと、あんた」
「ヒャッキマルさん?」
「む……ぐ……、」

何かに苦しんでいる。

「まさかまだ魔神がっ?」
「違う……魔神は、仕留めたっ、……むぅっ」
「ではっ?」

心配そうに駆け寄るルイズとシエスタ。 その時、百鬼丸の顔から何かが落ちた、石畳の床にぶつかり音を立てる。 作り物の彼の目玉だ。
その異常な事態に、真近でそれを見ていたルイズは、魔神との戦いで、隠しているが実は何か大怪我をしたのでは、とシエスタと共に、再び彼の名を叫ぶ。

「ちょっと、大丈夫っ?」

肩で荒く息をする百鬼丸の顔を覗き込んだ。
不思議な事に百鬼丸の右目のあたりから、淡い光があふれている。恐らく先程落としたのは右目であると判断した。しかし何故、そして何だこれは。

光が治まったのかと思いきや、百鬼丸はその苦しみから解かれたようでで、次第に息を静めていった。 しばらくして、また唐突に顔を上げたかと思うと、ルイズの顔をまじまじと見つめてくる百鬼丸。その両目はたった今、片方を落としたはずであるのに、何故かきちんと二つとも揃っていた。

最早意味が分からない。

「ねぇ、どうしたの? 大丈夫?」

心配そうに問いかけたが、しかしそれすらも聞こえていないのであろうか、いや、何かに喜んでいるように見える。ものすごい勢いで百鬼丸は立ち上がった。

「見えるっ見えるぞっ」
「ヒャッキマル?」
「お前、ルイズだな」
「え、ええ、他の誰だって言うのよ」

今度はシエスタの方を振り向く。

「シエスタかっ」
「はいっ」
「お前、シエスタだなっ」
「は、はい、シエスタです」

くるりと振り返り。

「コルベールさんっ」
「はあ、何でしょうか?」
「見えるんだよっ」
「はい?」
「目だ、おれの、おれの目だっ」

狂喜乱舞する百鬼丸と、それを眺め、あっけに取られたままの三人。あたりをきょろきょろ見回す百鬼丸は様々なものを、その目に焼き付けようとしているようだ。
ふと、ルイズと目が合った。それまで動き回っていた百鬼丸の視線は、今度はじっとルイズの顔へ固定されたまま。

双方動かない。

「ルイズ?」
「な、なに?」
「お前、生意気だけど、案外可愛いじゃないか」
「なっ、なな、なっ」

はっとシエスタが何かに気付いたように。

「ヒャッキマルさんっ」
「ん、何だ?」
「そ、その、私の……」

シエスタは言葉を詰まらせたまま、どこかもじもじと恥ずかしそうにしているが、目線は決して百鬼丸から逸らさない。彼女が今身に纏っているものは、簡素な意匠の黒いドレス。その嗜好は魔神のものかモット伯のものか分からない。

逃げ回り、激しい戦いに巻き込まれたせいであろう、破れた部分から、ところどころ彼女の白い肌が露になっていたおり、スカートの部分などは特に酷く、膝上辺りから完全に千切れている。

これは些か刺激的ではなかろうか、とは女のルイズでさえ思う。

まだシエスタを見つめたまま、まんじりともせず、しかしその目は確かに彼女の哀れな、そして脅威の去った今では、どこか儚く、扇情的ですらある姿を、余すとこなく、まじまじと眺める百鬼丸。


彼が何か口を開こうとしたその瞬間、ルイズは何故か急激に膨れ上がった衝動にその身を任せ、思いっきり百鬼丸の脛を蹴り飛ばした。


何故かむかついた。





「ヒャッキマルさん」
「何だよっ」

尻餅をついたまま、ルイズ相手にやいのやいのと言い合いを続けていた百鬼丸は、声を荒げて返事をする。問いかけたのはコルベール。
無理やりルイズに外套をかぶせられ、百鬼丸とルイズに取り残されたシエスタは、どこか不満気だった。

「足ですよ、足。それに、見える、とは?」
「あぁ……うん」

コルベールは痺れを切らし、先の続きを、ようやっと促した。
急激にしぼんだ百鬼丸の勢いからみるに、予想はしていたが、何やら少し話し辛そうだ。

まだ彼が何かを隠している、とは予感していた事だ。

しかしここへきてそれは到底、隠しきれるものではない。 千切れたのではなく、外れたと彼がそう言った、今はある両足。 以前見せてもらった作り物の目を押し出したのであろう、恐らく彼本来の眼球。 最早自分達は無関係とも言い切れず、それは百鬼丸も同様に思ったのであろう、神妙に語りだした。

「おれの体は、ほとんど魔神に奪われてるんだよ」
「体が奪われている?」
「ああ、そこに落ちてる目も、さっき外れた足も、それだけじゃない。手も足も、耳も、全部作り物だ」

そういって右の耳を造作もなく、かぽっと外す。
一様に驚く三人。しかし百鬼丸は開き直ったかのように、喋り続ける。

「耳だってほんとは何も聴こえない。心の声っていうのか、喋ってるのがなんとなく分かるんだ。味だって感じない。熱いのも寒いのも、痛みだって、おれには分からない」
「なんとっ」
「魔神は全部で四八体。奪われたのも同じ数だ。それと、今ので十体目。倒す度にへそだとか、髪の毛だとかを取り返してきた」

信じがたい事が続きっぱなしだが、今の出来事を見る限り、真実なのだろう。

「おれは、おれの奪われた体を取り返すために、魔神を追ってるんだよ」

百鬼丸の魔神への執着をようやっと理解した。


「なぁ、おれが気味悪いか?」

百鬼丸の驚くべきこの事実を知った人間は例外なく、これまで己を恐れ、或いは蔑んだ。その問いは百鬼丸にとっては当然の不安だった。
そして、彼のそんな、裡に抱えた恐れを読み取ったのか、出来損ない、という初めて出合った時の言葉の意味を、正しく理解したのであろうルイズにまず聞かずにはいられなかった。

「馬鹿言わないでよ、怖いはずないでしょっ」
「そうですよ、怖くなんかありませんっ。ヒャッキマルさんは、その、とっても素敵ですっ」

シエスタまで、恥ずかしそうにも、しかしルイズと張り合おうとしているかのように、堂々と大きな声で。

「お二人の仰る通りです」

その二人を満足そうに眺め、杖に寄りかかりながらも、確かな返事を返すコルベール。

魔神の喰い残した人間の部分である己を、それでも人として扱おうしてくれるその言葉は、そして一様に、惜しげなく優しく力強いその言葉は、存在しないはずの心の臓を打ち鳴らすかの如く、確かに大きく響く。
しかと抱き締めんばかりに己の心を締め付けるそれは、初めて感じるものでありながら、しかし決して痛みではないと確信できた。

もし今、魔神に奪われた涙が己の中にあるのなら、己を包むこの空間に染み渡らんばかりに、水浸しとなった一面の床をさらに覆うに違いない。
流す涙を今は持たぬ故に叶わぬ事を悔しいなぞとは、しかしながらも微塵も思わない。

己を伝える声もまた今は確かにここにあるのだ。


ありがとう、と





屋敷を後にして、門を出た。
あるべき場所へ戻ろうとしているのか、はたまたそれまで地上を支配していた闇達を、力強く押しのけようとしているのか、地平線の向こう浅紫の隙間から這い出した陽は、その存在を僅かに示そうとしていた。

骸骨達はすでにその姿を見せない。

恐らく、喰われ、彷徨い、死してなお逃げることの叶わなかった、かつて人であったもの達。 今はきっと魔神の呪縛から解き放たれ、肉こそ持たぬが人の形を取り戻し、その姿に喜んでいるに違いない。

見えこそせぬが、きっと思い思いの事をしながら、いずれ訪れる安息を待っているのだろうとルイズは思う。

「少し眩しいな……」
「もっと明るくなるわよ?」

夜は明けるのだから。

「ふふっ、きっと目を回すわ? 初めて見るんだもの」
「そうなのか、早く見てみたい」
「もう少し待ってなさい。大丈夫、逃げやしないわよ」
「それに朝日だって、とっても綺麗ですよ? ヒャッキマルさん」

東の空を見つめながら立ち止まる百鬼丸。その背にはシエスタを背負っている。その二人の隣でルイズは同様に立ち止まった。

幸せな心持で百鬼丸にしがみつくシエスタ。傷だらけであった指先は、ルイズが持参した水の秘薬、魔法によって作られた治癒薬である、それにより大分癒えているようであるが、念の為に包帯も巻かれていた。

「そうか、朝日だって見れるんだな」
「ええそうです、しかしお邪魔するようで申し訳ないですが、」

ふらつく体を必死に支えるコルベールは、立っているのもやっとではある。朝日を見たい、という百鬼丸の気持ちは分からなくもないが、いつまでもここで、ぼんやりいるわけにも行かない。

「お三方、早く帰りましょう」
「分かってますよ、ミスタ・コルベール。少し休まれてはいかがですか?もうすぐですし」
「もうすぐ?」
「ええ、もう夜明けですから」

ルイズの良く分からない返事にコルベールは首を傾げた。がその疑問は驚きと共に直ぐに解消される。

「ほら良い子達、ほんとに来ちゃった」

そうルイズが呟いた視線の先には、屋敷に突入する際に逃がしたはずの馬が三頭。 こちらへ向かってかけてくる姿が、疲れてかすんだ視界の中に、ぼやけながらも確かに映った。

「なんと、まるで、夢を見ているようです」
「ほんと、あたしも夢みたいです、ミスタ・コルベール。やっぱりちい姉さまの仰るとおり……」
「ええ、しかし何故」
「あたし、馬、好きですから」

多少乱れながらもどこか整然と波打つ彼女の桃色の髪が、朝日のなかでうっすらと輝きを放ちながら、そう呟くルイズ。その姿はコルベールの目にはとても神聖なもののように感じた。

「そうですか」

きっと百鬼丸もシエスタも、自分と同じものをルイズに感じているのだろう。彼女の姿に見とれるように眺める二人を目に、間違いでなかろうとコルベールも微笑んだ。

「さて、では馬車でも拝借しますか」
「そうですね、御者は私が勤めます」
「しかしですな、」
「ミスタ・コルベールもシエスタも、お疲れでしょう?」
「俺もやるよ、景色が見たいんだ」
「それでは、お言葉に甘えるとしましょう。正直、立っているのも、結構つらいので、お願いします」
「あたし、引いてきますね?」

言うや否や、彼女達の元へ戻ってきたうちの一頭へ飛び乗ると、屋敷に向かい馬を馳せた。きっと彼女を昨晩背負ってきた馬であろうと、コルベールは何故か思う。





「なあ、ルイズ?」
「なぁに?」

馬車を引く馬の上で、揺られながら二人は言葉を交わす。初めはきょろきょろと辺りを見回していた百鬼丸であるが、しばらくして満足したのか、唐突に、問いかけた。馬車の中では、コルベールとシエスタが眠りについている。

「なんであの時逃げなかったんだ?」
「聞こえてたのね」

あの時、というのはコルベールが、彼女とシエスタを魔神から必死に守りつつ、逃げるように促していた時の事だ。

「あたしは貴族よ。敵に背を向けないものを貴族というの。あたしはそう思ってる」
「死ぬかもしれなかったのに?」
「ええ、それにあんたとミスタ・コルベールを見捨てて逃げるなんて、なおさら出来るわけないじゃない」

強い意志を伺わせながらも、ルイズは穏やかにそう応える。
百鬼丸の嫌った侍達も、時折同じような事を口にするものがあった。その美学とも呼べる信念を否定するつもりはないが、百鬼丸には些か理解し難い。しかし、自分とコルベールを見捨てられなかったという彼女の言葉には共感を覚える。

「やっぱりおまえって、いいやつだな」
「そう?ありがと」
「でも、おれは死にたくないな」
「あたしだって死にたいわけじゃないわ。それにあんたもシエスタをかばって、その、死にかけたじゃないの」
「まあ、そうなんだが」
「それとも、あんたを放ったらかして逃げてほしかったの?」

頭を捻る。少し違う気がする。うまく言葉に出来ないが、己が何を言い伝えたいのか、それを手伝おうとしてくれているかのようにルイズがまた。

「じゃあ、あんたなら、どうしたの? あんたなら、あんたがあたしなら、あの時逃げた?」
「いや、多分逃げないな」
「でしょ? あんたなら多分、そうすると思ったわ」
「だから逃げなかったのか?」
「違うわ、さっきも言ったけど、貴族は逃げないのよ」
「でも死ぬかもしれなかったんだぞ、死ぬのが怖くないのか?」
「怖いわ、多分、とっても怖い。でもあたしは貴族なの」
「平民とは違うってことか?」
「ごめんなさい。そんなつもりじゃないわ」

責めたつもりは無い。
謝られた事に、ちくりと胸が痛む。自分がそうであるように、ルイズも心に複雑な思いを抱えているのだ。 今なら、共に生き延びた今なら、何でも話せる気がしていた。

そんな思いが百鬼丸の口を軽くさせている。
これ以上は話さない方がいいのかもしれない。また、むやみに彼女を傷つけてしまう。 しかし、彼女も自分と同じように、何でも話せると、そう感じているらしい。

今、この時間だけかもしれないが、心の裡をさらけ出す事に何の抵抗もないかのように、ルイズは真っ直ぐに、きっとこれが本来の彼女なのであろう、話を止めようとはしない。

「ごめんなさい。あたし、あなたの事を馬鹿にした」
「平民の癖にって?」
「ええ、あたしね、平民を守らなくちゃいけないって思う。それが貴族だと思うの」
「うん、偉いじゃないか」
「違うわ。平民の癖にって、あなたに言ったわ。あたしは、守らなくちゃいけないのに、見下してただけなんじゃないかって。だから平民の癖にって言っちゃったんじゃないかと思う」
「見下してなんかないだろう。シエスタといるお前を見てたら分かる」
「違うの、聞いて? あたし、魔法が使えない。使い魔だっていない。それでも、守らなくっちゃいけないって勝手に思って」
「うん」
「でも、ヒャッキマルはとっても強くって、守ってくれた」
「守ってなんかいない」
「シエスタが苛められてた時、助けてくれたでしょ? そのあとね、あなたがあたしに召喚されたって聞いて、あなたみたいな強い使い魔がいれば、あたしは貴族として認められるんじゃないかって」
「そうか」
「いいの、もう使い魔になんかならなくったって。ただ、その時ね、あたしが召喚したのに、言う事を聞いてくれないって。だからあたしはやっぱり駄目な貴族なんだって思ったの」
「駄目なんかじゃないさ」
「いいえ、駄目よ。あなたに謝る事も出来なかった。わかってたの。あたしが悪いんだって。でもあたしの言う事を聞くはずなのに、あたしが謝るなんて、魔法さえ使えないのに、そしたらますます惨めになるような気がして」

ルイズの抱えていた鬱屈を聞いていくうちに、彼女はやはり何処と無く、自分に似ていると、百鬼丸はそんな気がした。
出来損いの人間である自分は、人間に戻り、人間として生きる事に必死に縋り付いて生きている。
同様にルイズは、彼女の掲げる理想の貴族として生きるために、必死に彼女に足りない部分を追い求めているのだ。

「でも、今ならちゃんと言えるわ」
「いいよ、もう怒ってねぇ」
「聞いて?ヒャッキマル」
「わかったよ」

既に百鬼丸にはどうでもよかった。ルイズは素晴らしい人間なのだと気付いたのだから。 しかし、だからこそ気が済まないのだろう。

「ごめんなさい。あたし、あなたの事何も知らないのに、酷い事言ったわ。許してなんて、自分勝手だけど、ほんとにごめんなさい」
「もう怒ってなんかねぇ。だからそんなに謝らなくて良い。それにおれは、貴族なんてのはよくわからんが、お前は立派だって、そう思う」
「嬉しいわね。でも、ううん、何でもない……、ありがと、ヒャッキマル」
「ああ、どういたしまして」

彼女は決して認めないだろうが、きっとルイズは立派な貴族なんだろうと、百鬼丸は思う。 そしていつか、彼女は自分の理想の貴族に辿り着けるのではないか。そんな気がした。

「ヒャッキマルは?」
「ん?」
「ヒャッキマルは、どうして逃げなかったの?」
「シエスタを置いて逃げるわけにもいかないだろう?」
「ええ、でもさっき、あの時あたしに逃げて欲しかったって、そう思ってたみたいに聞こえたから」
「逃げて欲しかったんじゃない。死ぬのが怖くないのか、って思ったんだ」
「ええ、さっきも言ったけど、あたしは怖い。そう、死ぬのは怖いわ。でも貴族じゃなくなる方が、あたしはきっと怖いの。あんたも、死ぬのは怖いって。でも逃げなかった。あんたがあたしでも逃げなかったって、さっき言ったじゃない?」
「ああ、多分逃げない」
「死んじゃうかもしれなかったのに?」
「いや、死ななかった」
「どうやって?」
「わからん。でも死なない」

ルイズが多少呆れているのが分かる。だが、彼女は見せたくなかった心の裡をさらけ出してくれた。だから自分もさらけ出す。

「おれは絶対死なない。死にたくないから、絶対死なない。何が何でも生きていたい。おれは、人間になりたいんだ」
「あんたは十分人間じゃない」
「その言葉は嬉しいな。でも違うよ。おれはまだ人間じゃない。目を取り返した今ならそれが尚更良く分かる」

見飽きる事のない景色を再びゆっくりと、確かめるようにぐるりと見渡す。

「うん、やっぱり景色ってのは綺麗だなぁ、ルイズ。本当の人間ってやつはきっと、もっと沢山、綺麗な景色が見えるんだ。もっと沢山知ってるんだ」
「そうなのかしら?」
「ああ、そうだ。それだけじゃない。綺麗な音を聞いて、良いにおいをかいで、美味い飯を食って。それがきっと本当の人間なんだ。だからおれは、まだ人間じゃない」
「良いことばっかりじゃないかも知れないわ? 見たくないものだって、あるかもしれないじゃない? あたしは、その、あんたの気持ちは良く分からないけど、熱いのも寒いのも好きじゃない。それに、そうね、痛いのだって、あたしは嫌い」
「おれも多分、まだ分からんが、お前と同じ気持ちになるんだと思う。でもそれが本当に生きてるって事なんだと、おれは思う。今こうしているおれはな、ルイズ、まだ生きていないんだ」
「あんたは生きてるわよ。怒って、笑って、シエスタも助けて、今だってあたしとおしゃべりしてる。生きてるじゃない?」
「そうかな?」
「そうよ。でもあんたの言う事、なんとなく分かる。多分だけど」
「ありがとよ、それと、お前だって生きてるんだ」
「ええ、知ってるわ」
「だから、死ぬのは良くない」
「良くない、か。そうかもね。いえ、あんたがそう言うのなら、きっとそうなのね」
「そうだ。死ぬのは良くない。それにお前が死んだら、家族が悲しむ」
「そうかしら?あたし、貴族なのに魔法が使えないのよ? ヴァリエール家の汚点だわ。一応、あたしも公爵家だもの。あたしの家柄って、自分で言うのもなんだけど、結構偉いのよ? でもあたしだけ魔法が使えないの。そんなあたしに、みんな悲しんでくれるかしら」
「ああ、悲しむと思う。それにコルベールさんとシエスタは、間違いなく悲しむ」
「そうね。きっとそう、悲しんでくれる」
「おれだってそうだ」
「そう、ありがと」
「ああ、どういたしまして」
「そうね、じゃあねぇ、あたしも死なない」
「へぇ、それじゃ、そうだな、逃げてでも?」
「わかんない。逃げなきゃいけない時は、逃げるのかも。でも今日みたいな時は、これからも絶対逃げない。あたしは貴族だもの」
「貴族はにげないから?でも逃げるかも、って」
「うん、あたしが思ってた事、ちょっと違うのかも」
「違うって?」
「そうねぇ、きっと守るべきものを守るのが、貴族なのかもしれないわね。それが何なのかは、まだ良くわかんない。名誉だったり、大事な人だったり」
「死ぬのが分かっていてもか?」
「ええ、そう。でもあたしは死なないの」
「どうやって?」
「わかんない。でもあたしも、あんたと同じよ、死なないの」

そうだ、きっと百鬼丸は自分はそう伝えたかったのだ。死んで欲しくないと、そう伝えたかったに違いない。

「笑わないでよ、もう」
「いや、すまない。それが良い」
「あははっ、そうよ。それが良いの」

悲しいのは嫌いだ。例えそれが生きているという証拠であっても。
そして今、確かに彼女は生きていて、自分は生きようとしている。 空を仰ぎ、眼を細める百鬼丸。産まれて初めて目にした太陽は、とても眩しくて、ルイズが教えてくれたように、本当に目を回しそうなくらいだ。

「あれが魔法学院か」
「ええ、そうよ。どう、綺麗でしょ」
「ああ、それに大きいなぁ」
「ふふっ、近くで見るともっと大きいわ」
「そりゃ、楽しみだ」

そしてこんな自分にも、隣で朗らかに笑う少女にも、分け隔てることなく、等しくその光を与えてくれる。



「ふむ、仲良き事は、実に良き事です」

馬車の中で眠るシエスタの胸元、白い布に巻かれた小さな両手によって包み込まれた百鬼丸の義眼は、ここが居場所だと、彼女の指を離れようとはしない。幌の隙間から差し込む埃まみれの光に、時折ちらちらと返事を返していた。


「はぁ、しかし……疲れましたな。どれ、もう一眠り……」


疲れているのも本当だが、野暮は良くない、幸せそうに眠るシエスタの無事をもう一度確かめながら、コルベールは大きな欠伸を一つ、そのまま目を瞑った。

暴力は嫌いだし、戦う事も楽ではないが、たまには人を守る為にそうするのも悪くない。


「さあ、帰りましょ?」

そうだ、帰ろう。

自分の今いる場所は、こんなにも明るく、美しいのだから。






ようこそ、ここへ



[27313] 第二十話 幕間 その一  ~人知れぬ涙~
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 21:58
一 


「えー、本日はこの魔法学院の来賓としてお越し頂いております、ミスタ・ヒャッキマルを御紹介致します。まずは経歴だけ簡単に御紹介させて頂きます」

学院の広場。全生徒を集め、簡易に設置された壇上で、百鬼丸の経歴を説明しているのはコルベールである。勿論その殆ど全てが、コルベールとオスマン、そしてルイズと百鬼丸、四人が練り上げた嘘であるのだが。

トリステインに隣接する大国ガリアから東の地、恐ろしきエルフの住まう、サハラと呼ばれる砂漠地帯。
そこから更に遥か東、ロバ・アル・カリイエで生まれた百鬼丸は、早くして母を亡くし、剣神とまで称えられた父に連れられ、物心のつかぬ内に旅に出る。
エルフの住まう砂漠を越え、ハルケギニアに辿り着けば、武者修行と他国を渡り歩き、物心ついた時は既にトリステイン王国のヴァリエール領内。人を嫌った父は、人里離れた山奥にひっそりと住居を定め、共にひたすら剣の修行に明け暮れる毎日。
剣神と称された父をも越える境地に至った頃には、既に父の体は病魔に蝕まれ、必死の治療も虚しく、看取ったのはつい先日の事。
今はの際に、知己であるオールド・オスマンを頼れとの言葉に従い、辿り着いたのは、使い魔召還の儀の当日であった。
剣神すら越えるその剣の妙なる様に、感激極まったオスマンに、逗留せぬかと尋ねられ、寄る辺なき身には有難いと、来賓として歓迎した運びである。
ロバ・アル・カリイエの記憶は無く、頑固な父が何故か語るのを嫌ったため、残念ながらそういった質問には全く答えられないが、希望あらば剣の手ほどきくらいは、喜んでさせて頂きたい、と極めて謙虚で、また恩義に熱い人物である。
魔法は使えぬ故に、この国では平民と言えるが、東方の民であるため左様に考えず、敬意を持って接する事。
また、彼の体術は並みのメイジでは太刀打ち出来ぬ程に素晴らしく、その剣術は時に魔法すら打ちのめす。是非とも生徒にみせてはくれぬかと、学院長が自ら頼み、それに快諾をもって応えてくれたため、披露する機会を急遽設けた次第である。


長々しい口上は、要約するとそう言うことである。

しかしまあ、良くぞここまででっち上げたものだと、自分を含めた全員に呆れながら、百鬼丸はその長い、嘘だらけの前口上を、彼のために用意された天幕の中から聞いていた。

因みに、剣神と崇められていたらしい、存在しない父親の名を考えた時、百鬼丸は冗談で、『二百鬼丸』と言ったのだが、真に受けられたので慌てて止めた。
ニヒャッキマルという響きが気に入ったのか知らないし、そこまで嫌がることが気になったのか、何故駄目なのかと、ルイズに執拗に尋ねられ、それを説明するのは実に骨が折れる作業であった。

百鬼丸とは、魔神との因縁から、百の鬼を討ち倒すべし、と寿海に願を掛けられたものである。
全員にそれを甚く感心されたのは気恥ずかしい限りであるが、『百』『鬼』『丸』全て説明しなければならなかった。
そこで今更ながらもハルケギニア人と百鬼丸は、何故言語が通じるのかという疑問に至る。

それは召還魔法の効果であろう、とはコルベールの推測なのだが、固有名詞や漢字、もともと無い言葉に関してはどうやら巧く伝わらないらしい。

なんにせよ、自分の父の名が、詰まらぬにも程がある駄洒落である事は、例えそれが嘘あり、かつ他の誰に気付かれなくとも、百鬼丸は絶対に嫌だったし、今は亡き父も浮かばれまい。いや、本物は生きていたか。

しかし、それを説明するのも実に恥ずかしく、また大きな手間で、国と国との差はその距離ほどに、かくも遠いものかと、口が達者でない百鬼丸は、疲れながらにそう考えたのだった

兎にも角にも、自分の父の名が駄洒落となる事を、全力で阻止する事に成功した百鬼丸だが、これは正しく自分で撒いた種であり、実に下らないその成功に達成感は微塵も無く、思い出すだけで、虚しさだけが未だに残る。

使った労力に対し、得たものは全く無いと断言できる。
ただつまらぬ何かを、失わなかっただけ。

因みに最終的に父の名は、ジュ・カーイ。母の名はミーオ。
百鬼丸の両親の名を元に、もっとも母の名『ミオ』は出鱈目だが、オスマンがそれを捩ったものである。

己が実は捨て子であり、本当は母の名すら知らない事を、百鬼丸は教えていない。
本当の父の名も当然知らぬのだが、己の父は寿海であると胸を張って百鬼丸は言えるため、知りたいと思ぬ訳でもないが、特に執着は無かった。

哀れまれるのが嫌だったと言う事もある。

己が哀れと思わぬのに、何故他人にそう思われなければならぬのか。
捨て子である事に、自身思うところは少なからず確かにある。しかし自分を必死に育て、仮初とは言え体まで与えてくれた寿海という存在を、百鬼丸は持っているのだ。
かつ孤児の珍しくなかった己の国の惨状を考えれば、死ぬこともなく、弛まぬ情をもって育てられた自分は、恵まれている、とさえ思っている。

ともかく、母の名はミオと勝手に決め、其の嘘の上に更にミーオと新たな嘘を被せる。
名は適当である。以前そんな名を聞いたことがふと思い出された、というに過ぎない。
故にルイズたちは百鬼丸の母の名が本当にミオだと信じているが、実は嘘である。
生徒達に説明する己の経歴のほぼ全てが嘘で、一部が本当。しかしその一部の中のさらに一つが自分にとっては嘘なのだが、ルイズ、コルベール、オスマンの三人にとっては本当だが、実は嘘で。

最早何がなんだか分からない。

痛みは感じないはずだが、頭痛がしてきた気がする。

と、勝手に混乱しかけたところで、どうやらようやく出番が回ってきたらしい。

「それではヒャッキマルさん、よろしくお願いします」
「ああ、助かったよ」
「何がです?」
「何でもない……わかってるって、ちゃんとやるよ」

天幕に篭った百鬼丸に聞こえるように、幕の外から、口上を終えたコルベールが小声で呼ぶ。

これから百鬼丸が何をやるかというと、東方の名剣士ヒャッキマルによる『東方剣術披露会』と題して、演武を三つの演目に分け披露するのだ。

その第一演武をこれより彼は行うのである。

因みに言えば、武芸の技前を人前に披露する演武は、ハルケギニアでは存在しない。剣は魔法に劣ると考えられているこの地では、文化として、剣はもちろん、平民の扱う武器の術理を芸にまで昇華させる土壌がまず無いのである。武芸と言う言葉すらない。

但し、剣の形状をした杖を扱い、攻撃を行いながら魔法を行使する、という技術の体系は存在するのだが、そもそもこれは魔法を行使する手段の一つでしかない。なんにせよ、魔法が第一なのである。

もし仮に、ハルケギニアで演武が生まれるのであれば、それはこの技術が最初にその形を創るのかもしれないが、未だ、芸と呼ぶほどは成熟していない。 そして魔法抜きにしてハルケギニアの文化は発達し難いのである。

であるからして、東方では剣が芸に昇華する土壌があるのか、と言う質問を、もし問われたらこう答えるしかない。知らない、と。
生徒達に伝えた百鬼丸の嘘の経歴によると、彼は東方の事を何も知らないし、本当に何も知らない。
唯一彼が知っている事と言えば、その国が東にある事くらいだ。 そしてロバ・アル・カリイエ発祥らしい自身の剣技と刀の事のみ。
東にあるのは本当で、剣術と刀は東方のものかと言うとそれは嘘。では全く何も知らないと言うのは嘘かというと、百鬼丸にとっては本当。しかし生徒にとっては嘘であるのか。

実にややこしい。

さて問題はその演武であった。ハルケギニアを出た事のない三人は当然のことながら、百鬼丸も演武を行う人間と会ったことが無い。
亡父、ジュ・カーイ、ではなく寿海から、そういうものがあると、かつて耳にした程度のもの。 それが存在する事と、それは武芸の腕を人前で見せるもの、と実に大まかなこと知らないのだ。

これからそれを見せる生徒達には、演武とはロバ・アル・カリイエの古くからの風習で、どういうものであるか、と説明しているが、勿論嘘で、ロバ・アル・カリイエにそんなものがあるかどうか知らないし、実際の演武がどういったものかも知らない。
では演武の内容であるが、何を見せるか、これを四人であれこれ考えながら決めていったのだが、これがまた百鬼丸には大層面倒であった。

彼らは自分の事を過大に評価しすぎである。

特にルイズであるが、彼女は無茶ばかり要求した。というか無茶しか要求してこなかった。
彼女のその要求は、つまり彼女が自分をどのように見ているか、と言う事に等しいのだが、おかげで、果たして人間そっくりの己は一体なんという生物であるのか、分からない答えは更に分からなくなる。
既に越えた山を振り返り、その大きさを認める事で己の苦労に酔うかのように、一連の流れを、どこか感慨深く思い出していた。





ひっそりとそれでいて騒がしく、学院長室で密談していた時の事である。
嘘の経歴を長々と考え、次はさて演武、何を行うのかと言う段に至り、煮詰まった末、それでは何をして欲しいか、と百鬼丸が問うたことが、果たしてその始まりであったのか。

では、とコルベールが期待の眼差しで、人の胴体ほどの水の柱を両断して欲しいと言う。
するとルイズは、百鬼丸なら小川くらい両断できる筈だ、とそう言うのだ。無理だ。
水は切れないから出来ないと主張すると何故か、それ以上の自信で、百鬼丸ならできる筈だとルイズは言う。
百鬼丸はまず、自分がモット伯相手に如何に苦戦したかを説明し、更に、不様にもオスマンに水を頭から浴びせられた光景を思い出させる事で、何とか納得してもらえた。どちらも余り良い思い出ではなかったが、どうやら説得力はあったようだ。

今度はオスマンが、これも期待の眼差しで、直径二メイル程の大きな岩球を高速でぶつけるので、それを一刀両断して欲しいと主張する。
するとルイズが、百鬼丸ならその程度、十個くらいは連続で出来ると言う。無理だ。
刀の幅を超えるものは両断できぬし、第一ぶつかったら自分は死んでしまう。そもそも高速でぶつける意味が分からない。
そう主張したが、人間というのは自分達の想像以上の可能性を秘めているのだと、誰かに聞いたらしい事を根拠に、百鬼丸なら出来る筈とルイズは言った。
百鬼丸はまず、刀がどうやって物を切っているのか、その理屈を説明した。
次いで、思い出したくもなかったが、再び、自分が苦戦したモット伯の魔法が、どれくらいの威力で自分を吹き飛ばし、死にはしなかったが、それでも不様に気を失ったのか説明した。しかし納得してくれなかった。
絶対死なないと百鬼丸は言ったではないか、と詰め寄られる。そう言う意味ではない。
お前は直径二メイルの岩を高速でぶつけられたら死なないのか、と尋ねると、ムリ、絶対死ぬ、とルイズはそう言うのだ。
無茶苦茶である。
とにかく無理の一点張りで、辛くもこれを退ける事に成功した。

また、コルベールが、では今度は控え目に、と言う言葉をまず始めにつけて、五メイル級のゴーレムと戦う勇姿を見たいと言う。
ゴーレムとは何かと聞くと、土や鉄で作られた勝手に動く人形だとか。
百鬼丸が召喚時に倒した魔神と同じくらいの大きさだ。些か梃子摺りながらも、コルベールの助勢を貰い、そう苦戦もせずに退治たのは記憶に古くないため、鉄製ならば厳しいが、あるいはこれなら出来るかも知れない。
うん、確かに控えめだ。そう思って口を開こうとする。
しかし、またもやルイズがすかさず口を挟む。
彼女もコルベールと同様、今度はあたしも控えめに、と言う言葉をまず始めにつけて、百鬼丸なら三十メイル級は相手に出来ると言う。無理だ。
いくらなんでも大きすぎる。何処がどう控えめで、一体自分を何だと思っているのか。
因みに、始めに提案された意見に対して、彼女が膨らませた倍率が、此れまで十倍ほどであったのに対して、今回は六倍であると言う事実が、彼女が控えめに言った事の証拠に他ならないらしい。
半分の五倍でなかったのは、二十五よりも三十の方がきりが良かったからだそうだ。
あわや取っ組み合いになるかまで発展しかけた口喧嘩を宥められた後、百鬼丸はその言葉を聞いたのだった。二十五だろうが三十だろうが、どちらにしても無理だと思ったのだが。


そんな紆余曲折どころか、迷走に迷走を重ねながらも、三人の提案を元に三つの演目が完成したのだった。三人と言うのはルイズの発想も少しだけだが、元にしているため、嘘ではない。
長い道のりであったと、まだ始まってすらいないのだが、これから見世物にされる現実から目を背けるように、必死に達成感を得ようとする百鬼丸だった。

「ヒャッキマルさん? 早く」
「わかってるって、今行くよ……」
演武を見せるために用意された場所へ向かう。大きく馬蹄形に並んだ生徒に囲まれて、百鬼丸は嘆息した。

やはり気分が乗らない。

しかも今身に着けているのは、オスマンが勝手に作った特性の着物。
百鬼丸の着物と、全く同じ形で、濃淡様々の赤、青、茶、緑の縦縞と真っ白の帯。しかも材質は絹である。
本来は上品なはずの絹特有の艶が、てらてらと下品な光を放ち、派手にも程がある上趣味が悪い、と百鬼丸は思う。 各属性と伝説の魔法を考えての配色との事。
しかし、生徒達にはさぞや異国情緒溢れる意匠に見えるのだろう。物珍しそうな視線が多いのは、絶対にこの趣味の悪い色柄のせいだ。
何より手渡ししてきた時のオスマンの顔の、なんと楽しそうな事だったか。憎らしい事この上ない。
しかし、ここまで来てさらに恥をかく訳にも行かないし、それはオスマンの顔に泥を塗る行為となる。口上によるとオスマンが百鬼丸の剣技に感動して、演武を頼んだらしいのだから。
これは嘘なのだが、しかし聞かされた生徒達にとっては本当な訳で。
ついでに言うと、ニヒャッキマル、ではなかった、ジュ・カーイという存在しない剣神の名も汚してしまう。

母の名は、はてなんだったか、確かミエ、だったか。
いや、タエ、だった気もする、どうにも思い出せない。

名前すら覚えていないとは、嘘の親に対して親不孝どころの話ではない。もっとも気に病むのも馬鹿らしいのだが。

馬蹄に並んだ生徒達のいない部分にはオスマンの左右に一人ずつ教師がいる。オスマンの右手には痩せ型で長身、こけた頬、真っ黒な外套を身に纏っている、陰湿な雰囲気をもった男。左手のもう一人は、その男とまるで正反対で、人の良さそうな顔つきと、土色の外套を羽織ったふくよかな体型をした女教諭。

「それでは第一演武、『礫の舞』を始めますっ」

どんっ、どんっ、と二度、腹まで響く様に太く、大きな太鼓の音。悪乗りしすぎだ。
そしてこの演目名。本当に勘弁して欲しい。

演目名は全てルイズの提案によるものだ。演武の内容に合わせ、全ての演目は『何某の舞』と言った具合に統一されていた。
舞とはつまるところ、ルイズにとっては華麗な踊りであるのだが、百鬼丸にとってはそうでない。
彼の国に、舞という芸が存在した事を百鬼丸は知っている。しかしこれも寿海から聞いただけ。彼の国の古の神がそれを行っていたと言う程に歴史を持ち、かつそれは大層に優雅なものであるそうな。
そんなわけで百鬼丸はその『舞』と言う言葉に全力で反対した。
小恥ずかしいにも程がある。
もっともルイズの認識する『舞』と彼のそれとが一致したところで彼の行動は変わりないだろうが。
しかし、演目名に関しては、反対したのは何故か百鬼丸だけで、それはいいと、賛成どころか推し進めるオスマンとコルベールの手もあり、彼の意見は容易く無視され、無力にも勝手に決められてしまったのであった。
貴族と言うのは一様にそういった言葉を好むのだろうか。第一野蛮な自分には、舞という雅な言葉は似つかわしくないと、百鬼丸はそう思う。
しかし彼にとっては容赦なく、第一演武『礫の舞』はコルベールによって高らかにその名を周知され、既に開始を宣言されているのだ。

恨めしげな視線を向けるも、コルベールですら何処となく楽しそうである。
こうなればやけくそだ、と百鬼丸も腹を括った。
コルベールの合図と共に、オスマンたち三人は杖を掲げると、鶏の卵ほどの、数十個の石礫が宙に浮く。

第一演武は大量に打ち出される礫を全て捌く、と言う趣向だ。
予想以上の過激な趣に、生徒達はどよめき始める。その様子は驚いている者、無理だと笑っている者、期待に目を輝かせる者など、実に様々。
ちなみに内容を打ち合わせただけで、予行練習はしていない。その事も生徒達には伝えてあるため、それがまた生徒達の興味を煽る。

対手である教師の人選はオスマンによるもの。
百鬼丸の周囲は生徒達が囲んでいるのだが、危険が無いよう、最前列から少し前に飛び出たところに、教師達が間隔を空けて配置されていた。
それだけでは足りないだろうと中に数名、恐らく選抜されたのであろう若い、恐らく生徒も混ざっている。
最前列に並ぶ学生達の中、彼の右前方に桃色の髪を持つ小さな頭を見つけた。目が合う。
何の罪も無い己を、かくも非道な処遇に追い込んだ下手人の一人は、両の掌を胸元、両脇あたりに持ってくると、頑張れ、とでも言いたいのだろうか、拳をぐっと握りこみ、真剣な眼差しで見つめ返してくる。


無視した。


時折何かを堪えるようにびくん、と体を揺らすオスマン。その表情から鑑みるに、明らかに痛みの類ではないのだろう。遊ばれていると確信した百鬼丸は、絶対に何時か仕返ししてやると心に誓い、手に握る刀にちらりと視線を向ける。
百鬼丸の手の中にあるのは、これまたオスマン特製の刀。若干重いが、気になるほどでもない。自分の刀が傷むのが嫌なので、オスマンに言って作ってもらったのだ。
魔法によって形成され研がれた刃と、柄を組み合わせ、更に固定化をかけている。鞘もついでに作ってある。
切れ味は劣るが、頑丈さは折り紙付きの一品である。ただし、柄と鞘は着物と同じ模様。それどころか、どうやったのか知らないが、刀身にまで同じものが付いてある。
おまけにこれが縦縞でなく横縞なため、最早趣味が悪いと言う言葉を通り越し、眺めているだけで目が回った。

気持ちが悪い。これが、ルイズが言っていた、見たくないものであり、そして生きているという事か、とは百鬼丸の心中。
どうにも間が抜けている。

ちなみに何故か彼の刀には固定化の魔法はかからなかった。妖気を大量に吸った刀は、魔法を押しのける力でもあるのだろうか。紐をつけ今は自身が背負っている。
長い事己から離れた事が無い、共に幾度の死線を掻い潜ってきた相棒だ。一時たりともこの身から遠ざけるのは憚られた。胴を僅かに超えるほどしかない丈ほどの細い金属は、背負っていれば、それ程重みも感じぬし、邪魔でもない。

すっと右手を高く掲げるコルベール。小刻みに震えているのは、きっと魔神との戦いの疲れがまだ癒えていないせいであろう。百鬼丸の知るコルベールは、とても優しい真面目な人間だ。

振り下ろすと共に、きっとまだ疲れているのだ、息混じりの震えた声で号令をかけた。

「はっ、くぅ、はっ、始めっ」
「いひ、いくぞっ、ヒャ、くっ、ニヒャっ、ニヒャッキマル君っ くふぅっ」

オスマンの言葉とともに、一斉に石の礫が百鬼丸目掛けて飛んでくる。

「おれは百鬼丸だっ」 

執念の塊によって己の義肢は動いていると信じる百鬼丸は、きっとこの仕打ちを忘れない。

「畜生っ、覚えてろよっ」

冗談のつもりで用意した衣装を、律儀にも全て身に着けている百鬼丸の姿に、必死に笑いを堪えようとするオスマン。
それに対して百鬼丸はどこぞの小悪党のような言葉を吐いたのだった。

声のみでは到底足りぬ。
今は流れぬ己の涙を、百鬼丸はとにかく早く取り戻したいと思った。



[27313] 第二十一話 幕間その二 喧嘩上等
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 21:57



珍妙な姿で情け無い言葉を吐きながらも、百鬼丸の剣技は、やはり周囲の殆どを驚嘆せしめた。
眼にも留まらぬ速さで、それでいて正確に石礫を叩き落し始じめたその姿に、舞、という演目名の意味を、見るもの全てが理解する。
百鬼丸は知らないが、一分の無駄も無いその体全ての働きこそが、華麗に踊るかのような印象を見るものに与えるのだ。
礫の数は、以前シエスタを生徒から守った時とは、比べ切れぬほどに多いが、背後に庇うもの無く、また、傷むこと無い刀を振るう己の動きを縛るものは、今は何も無い。
それを理解した百鬼丸は、ますますその本領を発揮する。
百鬼丸にとっては小恥ずかしい『礫の舞』の名は、それを見るものにとっては、正しく相応しいものと言えた。

「驚いたな……」

とは百鬼丸自身の呟きである。余裕がある。
時にかわし、時に手の甲を僅かに掠らせ軌道を逸らし、同時に複数叩き落したかと思えば、体を捻って腰の鞘で礫を防ぐ。
魔神から取り返した右目のおかげで、自身の技が冴え渡るのを自覚した。

「それまでっ」

終了の合図と共に、ぱちんと、敢えてわざとらしい音を立て、刀を鞘に戻した。
礫の雨も止み、己の体をまともに打ったものは一つとして無い。
これにて一先ず終了か。

いや、もう一発、大きい。

終了の合図が鳴ったにも関わらず、百鬼丸を狙うそれは、先程も幾つか混じっていたのだが、それらに輪をかけ明らかに大きい。
既に上空に上げられていたのであろう、落下にあわせて再び力を持ち、背後を狙っている事から、死角を狙っている事には間違いなく、打ち合わせとは違う。

「む、」

そこへ来て右の爪先を狙う鋭い風の流れに気付いた。
ひょいと軽く右足をあげると、土踏まずがあった辺りの地面が、刃物で斬られたかのように、親指の丈ほど僅かに抉れる。
これも含めて、生徒達は余興と考えているのだろう、期待気な眼差しだ。
が、礫と呼ぶには大きすぎる、人の頭ほど在るそれと、今しがたの風の刃には明確過ぎる害意を感じる。特に足元を狙った奇襲は、恐らくほとんどの者が気付いていない。

良いだろう、応えてやろうじゃないか。

その誰にも聞こえぬ声は、周囲の期待に対しても、そしてその中に混じる悪意に対しても。
上げた足を再び支えに、寸前で体を捻り、掬い上げるような大振りの一刀で、これ見よがしに真っ二つに切ってみせた。
沸きあがる歓声の中、百鬼丸は相手を睨み付ける。オールド・オスマンの右手にいる男。黒いローブに身を包んだその男は、挑発的な笑みを隠そうとはしない。
売られた喧嘩は買う主義だ。だが、恐らくまだ何か仕掛けてくるつもりだろう。
相手、いや、敵は哂っているのだから。

ふん、と鼻を鳴らし、百鬼丸は取ってつけたかのように立礼すると、生徒達の手前、苛立ちを隠し、悠然とした足取りで馬蹄の輪から抜け出した。

「ううむ、一発くらい当てるつもりだったんじゃが」
「ええ、驚かされます。明らかに進化とでも言いますか、向上しておりますな。目が見えるようになったおかげでしょう」

オスマンも百鬼丸の体と、魔神との関係は既に聞き及んでいる。

「しかし、どうします?」
「放っておけ。調度良いくらいじゃ」
「しかし、もし何かあっては」
「自分で片付ける」
「ヒャッキマルさん?」
「ああいう手合いは、気に喰わん。着替えてくる」

近づいてきた百鬼丸はそれだけ言うと、天幕の中へ引っ込んだ。
当然だが、不機嫌極まりない。

「ヒャッキマル君もああ言っておる事じゃし」
「まあ、そう言う事でしたら、しかし何が起こるかわかりませんぞ?」
「君は心配性じゃのう、ミスタ・コルベール? だから禿げ……、いやっ、は、はげっ」
「……オールド・オスマン?」
「は、激しい戦いになりそうじゃっ」

真面目ぶって、虚空を睨みつけるオールド・オスマン。
そして忍耐は美徳であると考えてはいるが、それと同時に、時には容易く激情に身を委ねる事も、精神を保つ為には必要だと、コルベールは思うのである。





さて、今回催されたこの剣術披露会。百鬼丸が嫌がっている通り、正しく見世物である。
しかし決してオスマンの娯楽なぞではない。
きちんと目的が二つあり、その目的を達成する手段としてこの剣術披露会が行われているのだ。
オスマンは飽くまで、ついでに、そして出来るだけ、楽しんでいるだけである。因みにルイズはルイズで、百鬼丸にとっては迷惑甚だしいのだが、彼女なりに真面目に考えていた。
それはともかく、これを行う二つの目的。
内一つは既に達成していた。
一つ目の目的は、百鬼丸という人間が学院に存在し、それは不自然な事ではない、と学院内の人間に周知する事。
彼を学院に留めると言う前提を崩す事は出来ない。
シエスタを救出する際に見せた、魔神の気配を察知する能力を持つ百鬼丸は、下手をすればハルケギニア全土すら脅かしかねない魔神に対抗する、現状では唯一の存在なのである。
そして、そんな彼を預ける場所が、今は学院を置いて他に無い。

故に暫くここに留まる事になるであろう彼を、いつまでも正体不明の平民のまま置いておく訳には行かないのだ。ルイズの使い魔にでもなるのであれば、まだ話は早いのだが、百鬼丸は勿論の事、ルイズも何か思うところがあるのであろう、それを良しとしなかった。
よって、百鬼丸という人間は何時、何処から、どのように、何の目的でやってきた、どんな人物であるのか。
既にコルベールの前口上をもって、百鬼丸の経歴と今に至る経緯を周囲に知らしめ、その目的の一つを達成していた。

そしてもう一つの目的。これこそが、現在、学院の為すべき最重要課題である。

それは、百鬼丸と貴族との衝突を防ぐ事。

百鬼丸を学院に留めるという前提によって、魔法学院は常に問題発生の可能性を抱え込むことになった。
まず、百鬼丸の性格と、貴族の価値観の差を考えた時、既に前例もあるのだが、衝突する事は間違いない。
貴族の殆どは平民を蔑み、百鬼丸は他人を蔑む人間を嫌う。
そして悪意には悪意で、純粋な暴力に対しては、百鬼丸は同じく、純粋に暴力で対抗するのだ。
彼は蔑まれる事に対しても、蔑まれる他人を助ける事に対しても惜しみなく剣を振るうだろう。
彼に問題が無いとも言い切れないが、彼のその性格は修正できるものではなく、根幹に有るもの。
オスマンもコルベールも個人的にはその性格は好ましいとは思う。
それでも、そんな百鬼丸とその周囲を取り囲む人間、というか、貴族であるが、両者はその互いが、本来からして反発しあう性質なのだ。

百鬼丸の根幹を変えることは不可能。
同様に学院にいる全ての貴族の価値観を変えることは、これもまた不可能。

つまり百鬼丸と貴族との反発は避けられず、放っておけば両者の衝突は免れない。
これで百鬼丸が一方的に負けるのであれば何の問題も無いのだが、そんな可愛気は当然無い。

百鬼丸は、強い。これがまた問題なのだ。

シエスタを救出する際に百鬼丸が見せたその強さに対して、コルベールは危機感を覚えた。 よもや彼が、人間相手に足に仕込んだ大砲を向けるとは思わない。
しかし、それを抜きにしても、高位のメイジですら、彼と戦えば手傷を負う可能性があると考えたのだ。

魔神から右目を取り返したことで、更に身体能力を高めたのであろう、先程の彼の技の切れを見ればその判断は正しかった。
そして魔神を屠る毎に強くなるであろう彼を想像すれば、それはどれ程の力になるのか分からない。
おまけに、百鬼丸の様子から察するに、仕込んでいるのは間違いなく大砲だけではない。
剣と大砲のみでは武装としては極端すぎる。中間に位置する何かを、魔神を倒す事に全力を傾ける彼が持たないはずが無いのだ。
その劣等感から、見せたくないのであろう、彼はそれを、教えようともしてくれない。
ならば容易く聞きだせるようなことでもなく、未だ不明のままである。

恐らくは飛び道具、矢か銃か、はたまた見た事も無い武器なのか、その程度には推察してはいるが、彼がそれを見せない限りは明らかになることは無い。

そう、百鬼丸の強さの底が、まだ誰にも見えないのだ。

百鬼丸と貴族との衝突は、まず互いの暴力をもって始まる。
それは一方的なものでなく、貴族が傷を負い、あるいは負かされる。
そこへ権力が絡む可能性が実に高い。
それにより起こるのは、他国の生徒すら預かっているトリステイン王立魔法学院においては、下手をすれば戦争にすら発展しかねないほどに大きくなる場合も十分に有り得えるのだ。しかし魔神の脅威を考えれば、今は百鬼丸を留め置くより他無い。

百鬼丸は言わば、火薬庫の中に存在する、手放してはならない火種であるわけだ。

しかし両者の反発は先も述べたとおり必至。
ではどうするかと言うと、反発しても衝突しなければ良い。
では衝突を無くすということを目的と設定し、いかにこれを達成するか。
そのための手段が二つ。
一つ目は、百鬼丸に権力の後ろ盾を与える事。
これはオールド・オスマンという権力の後ろ盾を持っている事を周知することによって成される。
そして既にさきの目的達成と同時に完了していた。
百鬼丸はオスマンたっての希望で、学院に逗留している、とコルベールが紹介したのだから。
これにより学院内の殆どの人間は彼に手出しできなくなる。
しかしそれでも手を出してくる人間がいるであろうと予想された。そして現在正にその通りになっている。
それを踏まえたうえで、もう一つの手段。

百鬼丸は強い、と認めさせる事。

メイジ相手に手傷を負わす程に百鬼丸は強いと、オスマンの後ろ盾すら物ともせぬ輩に、そう知らしめる事なのだ。
これが、本日の『剣術披露会』に至り、過剰なまでに派手な『演舞』を行う理由であった。

平民を見下す貴族を快く思わず、魔法に対抗する力を持った平民の百鬼丸。
避けられない両者の衝突。

『学院を揺るがす問題がいつか必ず起こる』

これが現状である。
貴族の子女を預かる学院として、これを解決するのが急務である、とのコルベールの意見に対してオスマンも同じ考えであった。
そして解決策は先にも述べたが、要約すると以下の通り。

『百鬼丸に権力を与え、力を示し、何者も彼との衝突を避けようとさせる』

権力だけでも、力だけでも、反感を買うだけなのだ。
時間の経過と共に反感を呼び、衝突する可能性が高い。
両方を保持してこそ、その目的は為される。
そのための『剣術披露会』であり、『ヒャッキマルの紹介』と『演武』であった。
これにより、百鬼丸と言う消せない火種から、貴族という名の火薬は逃げる、となるわけである。

もちろん百鬼丸がそれを笠に好き放題する人間ではない、という人となりあっての事である。同時に彼の性格と力が現在の問題を抱えるに至る切欠でもあるのだが。
百鬼丸の性質により抱え込んだ問題を、その性質を使う事で解消するという、外から見れば実にお粗末と言わざるを得ない事実は、コルベールもオスマンも分かっている。
しかし事実は事実であり、対応は必要かつ急務。
モット伯殺害事件を調査する王宮からの使者の応対に奔走する中、問題児の百鬼丸に対してオスマンが憂さを晴らそうという気持ちも、多少は理解できると言うものである。
さて、その問題児であるが、百鬼丸の協力無しに成り立たぬ、彼にとっては面倒極まりないこの計画に何故協力するか。
出て行く、と言う選択肢は、百鬼丸の中には無かった。
いや、出て行きたくない、と言う方が正しい。
コルベールもルイズもシエスタも、三人のその人となりを、百鬼丸は好む。
オスマンは除く。嫌いではないが、彼に対する感情を百鬼丸はうまく言葉に出来ない。

好きか嫌いかで言えば、好き、といったところか。
しかしその全員が所属しているトリステイン王立魔法学院。
父である寿海を除き、己を人として扱ってくれ、そして尊敬もできる知己を生まれて初めて得たこの学院は、彼にとってはかつて無いほどに居心地が良いのだ。
彼はまだ気付いていないが、それらは同じく生まれて初めて得た友人である。
そして友人を得たこの場所は、彼が旅に出て初めて得た、己の居場所なのだった。

もっとも魔神を追うことこそ彼にとって最優先ではあるのだが、その所在は不明であるため、彼が学院を出ない、という理由はあるが、出ていきたい理由は、彼にとっても現状では存在しない。
ならば百鬼丸も学院に留まる事を前提とすると、自身のためにも世話になった恩人のためにも、彼は協力せざるを得ないわけである。
百鬼丸とて、好き好んで見世物になっている訳では無いのだ。

兎も角、魔神戦を終え、事後処理に奔走するその最中にありながら、思慮深く、学院の事を真摯に想うコルベールは、この計画を立案し、迅速に実行した。
その矢先、コルベールの危惧した通り、既に一人、しかもあろうことか教師である男が、彼に喧嘩を売っている。

それに対する百鬼丸は、先の会話の通り、買い叩くと言うもの。

剣術披露会を行うという結論に至る理屈の中に、見事なまでに納まっていた。
実に頭の痛いことである。
だが必ずしも悪い事ばかりでもない。
本来生徒の模範たる教師が、その様な行為に至るのはコルベールにとって誠に遺憾である。
しかしやりようによっては、絶好の機会とも言えるのだから。
百鬼丸に危害を加えようとする男、『疾風のギトー』と呼ばれる最高位に位置する風のメイジである。
『火』『水』『風』『土』と存在する四つの属性の中で、一般的に戦闘に、特に攻撃に適した属性は、『火』と『風』と言われている。

見た目通りの陰湿さと、その器量の狭さに、人望は全くと言って良いほど無いが、魔法に関してはそうでなく、学院でもかなり高い技術を持つ事は、誰もが認める事実である。
つまり、そんな『疾風のギトー』は、強い、とそう考えられているはずなのだ。
しかしその立ち振る舞いから、恐らく戦闘経験は少なく、条件さえ整えば百鬼丸が勝つ可能性はある、とコルベールは推察している。
とはいえ両者にとって危険なため、戦闘は避けるべき事だが。
ではそんなコルベールはどうかというと、従軍経験のある彼は、戦う事に関しては、実は学院の中でも一、二を争うほど慣れているのだが、普段は荒事を嫌い、その性格は実に温厚。また好奇心旺盛で奇妙な研究ばかりしており、貴族らしからぬ、特に荒事を避けるその言動から、強いと言う印象は全く持たれていない。

『頼りない変人』という表現が最も短く、かつ端的に彼の持たれる印象を表す言葉だ。

そしてそんな評判を知っていながらも全く頓着しない彼の様子が、さらにその印象に拍車をかけていた。誇りを持つべき貴族として、情け無い、と。
つまり、オスマンを抜きにして、学院に存在する中で、最も強い、と思われている筈のギトー。それを百鬼丸が倒せば、百鬼丸は学院の中で最も強い。
さらに学院長の後ろ盾。そんな相手に喧嘩を売る人間は失せる。
単純且つ強引ではあるが、こういった算段である。
言うなれば、剣術披露会を開く目的を達成する上で、ギトーは最高の人材なのである。

コルベールは認めたく無いが、最高の生贄、とも呼べる程に。
それでも百鬼丸がギトーに勝利した時、計画は大成功となるのだ。
故にこれは幸運に違いないと前向きにコルベールは考えるようにした。
問題は、直接対決を行わず、百鬼丸がギトーに勝利、あるいは同等の力を持つと証明する方法。これに関してはオスマンの口振りから察するに、何か考えがあるのだろう。
普段は飄々として昼行灯を装っているが、コルベールですら思慮に付かぬほど計算高い一面を見せる事があるオールド・オスマン。

その程度には信頼しているし、実はオスマンが何も考えていないなぞとは、コルベールは想像したくなかった。 頭皮、ではなかった、逃避する事くらい、偶には始祖もその広い御心で哀れな自分を許してくれる事であろう。
近頃冷たく吹く風は、心配性の自分の頭には優しくないのだ。
と、考え事をしていた間に、どうやら次の準備が整ったらしい。
せめて無事終わる事を祈りながら、不安を吹き飛ばそうと精一杯声を張り上げた。

「お待たせいたしましたっ!! 間もなく、第二演武『斬鉄の舞』始めますっ」

中央には既に百鬼丸の姿。因みに服は、流石にあの冗談でしかない柄の着物を着て再び人前に出るのは嫌だったので、元から自分の着ていたものに着替えている。が、刀はそのままである。次の演武を考えると、オスマンの用意した悪趣味な刀の方が、俄然適しているからだ。
この見世物の目的を理解している百鬼丸は、嫌々ながらも、その達成のために最適と考える手段を選択した。
再び馬蹄形に集まる生徒達。先程の派手な余興から、次は何が行われるのだろう、と期待を高らかにしている様子がありありと見て取れる。
百鬼丸は不機嫌ではあるが、先程までとは打って変わって、気勢が上がっている己に気がついていた。
敵がいる、その事実が百鬼丸の意気と集中力を高める。
人を守る事に力を惜しまぬ一方で、短気で意固地な青年は、己を見下し、挑戦してくる手合いには容赦がない。
育んだ環境と置かれてきた状況が彼をそうしただけで、この性質は先にも述べたように彼の気性でしかないのだ。
そして若さとは、その許容の範囲を左右する一つの要素に過ぎない。
さらに言うなれば、不機嫌な百鬼丸にとってギトーの侮蔑と挑発は、己の有り方を貫きつつも、溜まり溜まった鬱憤をぶつける格好の的であった。
普段であれば、進んで相手を嗾けるようなことはしない百鬼丸だが、自然、過激な行動に出るのも無理は無い。
再び馬蹄に組まれた生徒に囲まれる。先程までオスマンと二人の教師がいた場所は、今は大きな椅子に腰掛けるオスマンのみ。敵であると百鬼丸が認識した男、ギトーは、今は生徒達を守る壁役の一人として立っていた。
「それでは、第二演舞『斬鉄の舞』始めっ!!」
オスマンに向かい、慇懃に一礼すると、百鬼丸は周囲に立てられた鉄製の様々な武具をゆっくりと見回す。
第一演舞で対手の一人として参加したふくよかな女性、土の上位のメイジであるミセス・シュヴルーズというらしい、彼女が錬金の魔法で作り上げた強固な武具を、自分が一刀両断する、という趣向である。
平民如きにミセス・シュヴルーズの強力な錬金で作り上げた、しかも鉄製の武具を切れるわけがない。
そう、普段の生徒達ならば冷笑を浴びせるだろうが、先程の百鬼丸の華麗且つ激しい姿が期待となり、生徒達の関心を集めていた。
まずは丈は百鬼丸と同じくらい、太さは子供の手首ほどの、一本の棒の前に立つ。始めに切るのは、この何の変哲も無い、しかしそれで人を殴れば骨を砕く事は容易い硬度と重みを持った鉄の棒である。
娯楽に飢える学院の生徒達に少なからず刺激を与えると予想されたこの剣術披露会。副次的な効果であるとは言え、目聡いオスマンがそれを見逃すわけもなく、演舞の内容は、学生達を盛り上げるための考慮も成されてある。
細いものから、次第に太く大きなものを切ってゆくと言う順序は、言うなれば演出だ。
これを切る事が出来るか、ならば次は出来るのか、そんなものまでも切れるのか、と次第に見るものたちの期待を煽ってゆくのだ。
刀を抜くと、百鬼丸はまず様子を伺うようにギトーの顔にちらりと一瞥をくれると、再び正面を見据える。
ゆっくり刀を上げ、えいやっ、という掛け声と共に、勿論これも演出であるのだが、鉄の棒を容易く切り捨てた。
おお、と小さなどよめき。しかしこれはまだ演武の始まりに過ぎない。
周囲にはこれから切られる為だけに飾られた様々な武具がまだまだ存在しているのだから。
そんな中、百鬼丸はギトーに再び目を向ける。唇の右端を僅かに吊り上げながら。
挑発しているのだ。しかしギトーは何も仕掛けてこない。気がついたようだが、顔を顰めただけ。だが構わない。
そう、演武はまだ始まったばかりなのだから。
次に切るのは剣。直線で、先端に向かって末広がりの刃を持つ諸刃の剣は、百鬼丸の刀が斬る事を目的として作られた物であるのに対し、鋭さと共に重みで叩き潰す事を目的とした形状で、多少大きいが、百鬼丸にとっては鉈に近いものである。
その前に立つと百鬼丸は今度は袈裟に、先ほどと同じような掛け声を上げる。
鋭い音と共に、百鬼丸の刀が剣をすり抜けたかと思うと、刀でなぞった部分から上が、地面に引かれて斜めに滑り落ちた。
さらに大きな歓声。太さ、厚みでいえば先程の棒とそれ程大差無いのだが、剣で剣を切るというこの妙技に、生徒達は興奮しているようだ。
実を言うと今回のこの演武、百鬼丸にとってそれ程難しい事ではない。彼が寿海から譲り受けた刀であれば、その強度から、恐らくこうも容易くはいかないが、今彼が手にしているのは、百歳とも三百歳とも噂される高名なメイジ、オールド・オスマンによって作られた刀である。
切れ味こそ、百鬼丸の刀には劣るものの、強力な力で固定化の魔法を掛けられたこの刀は、とにかく頑丈で硬い。
その魔力は刀の隅々まで行き届き、鎬から先、薄くなるにつれ当然強度の落ちていく筈の刃先ですら、今切った二つの鉄よりも遥かに強靭なのだ。
鋭さは劣るため、若干力加減が難しいが、それでも潰れるどころか、欠ける事すらないこの刃は、硬いものを切るのには適しているとしか言いようが無い。
百鬼丸ほどの技量があってこそ、両断と言う技を可能にしているが、手にしている得物よりも軟な物を切るというこの演武は、彼にとっては八百長の域を出ないものでしかなかった。
これも案外悪くない、と切り捨てられた剣を尻目に、手にした刀に目を向ける。
いや、やはりそうでもない。
何度見ても目が回りそうになる派手な色柄の刃を眺めながら、もう一振り、人前で使っても恥ずかしくない意匠のものを作ってもらおうかと、百鬼丸は真剣に考えた。
しかしすぐに意識を戻す。
再び視線は陰湿そうな男へ向けて、百鬼丸は今度は見下したように哂う。
どうした、目立つ場所じゃ何も出来ないのか
そんな侮蔑を込めて。
悔しそうに歯噛みしている男に満足して、百鬼丸は次の置物に向かう。そう、ただ置物を切っているだけ。
しかし本来ならば彼にとってつまらないものでしかなかったその演目は、実に満足のいく愉快なものになる。
槍を切り、斧を切り、篭手を切り、盾を切り、オスマンの目論見通り、次第に大きくなってゆく歓声を無視して、一つ切るたびに百鬼丸はギトーを挑発する。
早く掛かって来い、何もしないのか、そこじゃ何もできないのか、と口には出さぬものの、その様々な表情をもってギトーを煽った。
青白くこけた顔は、みるみる赤くなり、その表情も明らかに険しくなってゆく様は、明確に百鬼丸の意図を理解している証拠だ。
最後に全身甲冑を正中から縦、真っ二つに両断すると、今度は目もくれず、大歓声の中で、百鬼丸は鼻で笑ってやった。
再び一礼して、興味は失ったと言わんばかりに、泰然と天幕へ戻った。
これをとどめに百鬼丸の行った、普段の彼ならば行わないほど執拗な、一連の挑発行為は、彼の予想以上に効果を挙げることとなるのだった。
「偉大なるオールド・オスマン」
ギトーは、百鬼丸の姿が見えなくなるや否や、僅かに早足でオスマンに歩み寄る
「なんじゃね?ええと、ミスタ……」
「ギトーですっ!! いい加減覚えてくださいっ!!」
「ああ、そうじゃったそうじゃった、ミスタ・ギトー。年を取るとどうもいかんな」
「いえ、こちらこそ失礼しました。恥ずかしながら、私も生徒達と同様に、些か興奮しておりましたようで」
「いやいや、構わんよ。それで?ミスタ・ギトー」
「次なる演目ですが、些か趣向を変えられてみてはいかがでしょうか?」
「ふむ、どういうことじゃ?」
分かっているが、敢えて尋ねる。因みに最後の演目の内容は、二メイル級の十体のゴーレム相手に百鬼丸がこれを打ち倒すという、実戦さながらの、これまで以上に過激な内容である。十と言う数字だけはルイズの発想。
しかし困難かと言うと実は百鬼丸にとってはそうでもない。
オスマン特製の剣もあり、手足くらいなら切り飛ばせる程度の大きさ、かつ緩慢な動作のゴーレムの群れを打ち倒す事なぞ、それもまた、百鬼丸にとっては単なる見世物でしかなかった。
因みに、ゴーレムを操るのはギトーとシュヴルーズ。ギトーはこの演武において、再び百鬼丸に手を出そう、と当初は考えていたのだが、頭に血が上った彼はその予定を変更した訳である。
「彼ほどの人間ならば、容易く土人形など切って見せるでしょう」
「ふむ、そうじゃの。ならば、どうしようというのじゃ?」
「果たして風は切れるでしょうか?」
予想通り、うまく乗ってきたと、そう思いながらも、そんな様子はおくびにも出さず、オスマンは心の中でほくそ笑む。
『疾風のギトー』は、風は最強という持論を強く持ち、それは他の属性の魔法を軽んじる程にその自信は強く、公言して憚らない人間である。また自己顕示欲が非常に強い。
相手が生徒であろうと、ギトーはまだ成熟していない相手を風の魔法で打ちのめし、自身の優位性を周囲に見せ付け、これで風の魔法こそ最強であると理解したか、とそんな事を言うのだ。
過去に何度も同様のことを行っているのは学院でも有名な話であった。
そんな性格が彼から人を遠ざけているのだが、彼は自分と自分の魔法は優れているから周囲が妬むのも仕方ない、と実に見事に自己を完結させ、確立していた。
かと言って、彼が強くないのかと言うと、それは違う。
学院においては決闘が禁止されており、かつ教師である彼に歯向かうものが少ないのも確かだが、決闘といかずまでも彼に挑んだ者は実に多く、それでいて、これを打ち倒したものがいない、と言う事実こそ、それだけ彼が魔法に長じている証拠でもあった。
彼が己に酔っているのも、全く根拠が無いとは言い切れないのである。
風の最高位のメイジ『疾風のギトー』の名は決して伊達ではないのだ。
そしてその周囲に認められた実力と、百鬼丸を見下している油断こそ、オスマンにとっての狙い目であった。
「そうじゃのう、流石に風は切れないとわしは思うが?」
「ええ、私もそう思います。そうです、風は何者にも切ることは出来ません」
「じゃったら、どう趣向を変えようというのじゃ?」
「彼ほどの腕で、よもや土の人形如きが相手では、生徒達の興も削がれてしまうというものです」
「ふむ、しかしこれまで以上に面白いものとわしは思うがの」
ギトーにとっては百鬼丸を褒めるという行為は、言外に土の魔法を貶しているに過ぎない事なぞ、普段の彼を見ていれば容易に想像がつく。
風の魔法の威力と自身の実力を、如何に全生徒に披露できるか、とでも考えているのだろう、揚々と立ち去る黒い外套に包まれた細い体躯を眺めながら、計画通りに進みすぎている事が怖い、とは只の諧謔、オスマンはその笑みを隠そうとはしなかった。
「ほ、愉快愉快」
実にわざとらしい、自分にとっては完全な予定調和の会話を終えたオールド・オスマン。
生徒達と同様、他者のもたらす刺激を好む質の老人にとって、この剣術披露会は、久々に至極満悦できる催し物であり、これから興るであろう熱狂も、満足すぎる結末も、全て自分によって導き出され、この老生の声をもって始まるのだ。
これが愉快と言わず何と言うのか。
やおら立ち上がり、注目を集めんと両手を広げ、大仰な口振りで声高らかに宣言する。
「諸君っ!! 第三演武、『戦いの舞』を始める前に、面白い事をお教えしようっ!!」
百鬼丸の合意を得ることなく、オスマンは第三演武の内容を変更する。しかし百鬼丸は合意するという確信があった。二人の応酬をオスマンはしかと目にしていたのだから。
「第三演武はゴーレム十体との実戦形式で行われるものであった!! しかし、更に趣向を凝らそうではないかとのミスタ・ギトーの提案、そしてミスタ・ヒャッキマルの合意を伴い、その内容を変更する事としたっ!!」
生徒達の期待と関心は高まるばかりである。ゴーレム十体との戦いですら興味深いが、それを越えるとなると、一体どれほど面白いものを見せてくれるというのであろうか。
「第三演武は、ミスタ・ギトーとミスタ・ヒャッキマルの実戦形式の模擬戦となるっ!!」
その、余りに刺激的で興味をそそる内容に、そこに抱える感情は様々ではあったが、生徒達は興奮して騒ぎ出した。
オスマンにとっては全てが予定通りである。平民を快く思わず、狭量なギトーを第一演舞の対手の一人として選べば、己より目立つ異国の平民に対して何かしらの行動を起こすはず。そして鬱憤の溜まっている百鬼丸はそれに応えてくれるはず、そう考えていたのだ。
相手を見下すギトーと、情け容赦なく本気を出す百鬼丸。
勝機は充分すぎると考える。
極端な部分を持つ二人の性格により計画を立てやすく、また実際にその通り進んでいる事にオスマンは満足していた。
しかし、唯一オスマンの予想以上だった、執拗な百鬼丸の挑発行為。
オスマンの所為でもあるのだが、百鬼丸の溜まりに溜まった鬱憤と、極端すぎる二人の性格が、予想以上の事態にまで発展する事をオスマンはまだ知らない。




[27313] 第二十二話 幕間その三 因果
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/04/29 23:02



「何故許可したのですか、危険すぎますっ」
「ほほ、何を恐れることがあるか、心配しすぎじゃないかねミスタ・コルベール? そんな事じゃから、」
「それはもういいですっ、そうではなくて、余りに危険すぎるでしょうっ、風の魔法は目に見えないのですよ?いくらヒャッキマルさんとて只ではすみません、そうなってしまえば、」

風の魔法が戦闘に適すと言われるには勿論理由がある。その一つとして、魔法を感知しやすいメイジならばともかく、平民にとっては、全くと言って良いほどその攻撃が目に見えないのだ。

遠見の鏡による監視にすら気付いた百鬼丸であれば、あるいは風でさえ読むのかもしれないが、確信が無い以上危険すぎるとコルベールは考えていた。
そしてもし、見えないとすれば、彼の性格を鑑みて今回の計画を立てたのは自分だ。

彼からの降参は有り得えない。

ならば命の危機を感じ取った百鬼丸の持ち出す手段は、最悪の場合、考えたくも無いが、足の大砲の使用。
そうなってしまえば、どちらかが死亡ないし重症となっている可能性が高く、また義肢を曝した百鬼丸を学院に置く事すら困難になりうる。彼を良く知る自分やルイズならその限りではないが、彼の体は彼が恐れる通り、異常であることは間違いないのだから。
計画失敗どころの話ではない。

「見えておるよ」
「見えてっ、はい? 何がです?」
「じゃから、ヒャッキマル君じゃよ。彼には、風の魔法が見えておる。というか、感じるのじゃろうな」
「はぁ、しかし何故分かるのです?」
「なんじゃ、おぬしも気付いておらんかったのか。まぁ多分ヒャッキマル君も、わしが仕掛けとは気付いておらんがの」

第一演舞の際、百鬼丸の背後を狙った石塊の奇襲に念を入れたかのような、しかし気付かれないようにと放たれた小さな風の刃。実はオスマンがこっそりと放ったものであった。

コルベールでさえ気が付いていたなかった事に、自分の腕もまだまだ鈍ってはいないと、楽しそうに伝えられる。

「そんな事をしてたんですか? しかし、いや、まさかこの為にっ」
「そうじゃ? 何ぞ文句でも有るかいの?」

隣にいたシュヴルーズとギトーは当然気が付いていただろう。
演舞の最中ならいざ知らず、終了の合図の後に行使された魔法に対して、いくらそれが隠そうとしたものであっても、隣にいても知覚出来ないようであれば、魔法学院の教師として失格である。

「有りますよっ、大有りです、第一、もし彼がかわせなければどうなっていたとっ? おまけにミスタ・ギトーに、って、ああっ」

そこまで言って気が付いた。コルベールは、オスマンが何を考えていたのか気が付いてしまった。

オスマンの行動に対し不思議そうな顔をしたシュヴルーズには、ちょっとした悪戯だと説明し、口止めしたそうである。道楽好きの暇人の悪い癖がまた始まった、としか思っていないであろう。
しかしギトーに対しては何も伝えていないそうだ。恐らく何か、勝手に勘違いをしている事であろう。

コルベールが両者の対決を回避しようと考えていたのに対し、オスマンは始めから百鬼丸とギトーを戦わせる気でいたのだ。

「ほっほっほ、やっと気が付いたか、まだまだじゃのう、うむ、実に愉快」
「全然愉快じゃありません……ヒャッキマルさんが、かわせないとは考えなかったのですか?」
「後ろからぶつけようとした花瓶でさえ切ったんじゃ。遠見の鏡に気付いた事も考えれば、かわす、と考える方が自然じゃろ?」

相も変わらず肝の据わった事である。怒りを通り越して呆れるしかない。

「おぉ、偉大なる始祖ブリミルよ、哀れな男をどうかお助けください」

もう振り回されてばかりの人生は嫌気が差すと、ハルケギニアに始めて降り立ち、エルフの脅威さえ払い、魔法という素晴らしき祝福を人に与えた給うた偉大な存在に助けを求める。

御前と同様に偉大なる、と称される、隣にいる老耄は慈愛も、憐憫も、安息も、平穏も、何も己には与えてくれません、と。

「ギトーくんのことかいの?」
「ええ……そうです、そうですよ」

しかも百鬼丸の勝利を信じて疑っていないらしい。
偉大なる始祖よ、私を苦しめる罪深き咎人に、どうかその御業もて、怒りと裁きを与え給え、とは流石に口に出来なかった。

「第一、君、そんなに敬虔じゃなかろうて?」
「先程啓示が下りまして」
「生えるかの?」
「……無理だそうです」


始祖は時に現実と同様に無慈悲である。





先程よりもかなり大きな輪を形作る生徒達。
魔法学院は学院長室の有る本塔を中央に、周囲に五角形の各頂点に五つの塔を配置され、一際高い本塔から、その半分ほどの高さの各塔へ、そして隣り合う各塔を繋ぐ巨大な壁に仕切られた構造である。

四つの塔は魔法の属性を意味し、『水』『土』『火』『風』そして、本塔はかつて始祖が使ったという、今は失われた『虚無』を象徴している。残りの一つは寮塔である。
配置は正門から右回りに、水、風、火、土、寮塔の順で正門は寮塔と水塔の間。
本塔から通路として各塔へと渡る壁は、寮塔へだけは存在せず、そのため本塔、寮塔、土の塔、水の塔、四つの塔に囲まれたアウストリの広場と呼ばれる場所がもっとも大きな面積を持つ。

剣術披露会は、その過激な内容から、当然その広場で行われているのだが、広大な敷地であるにも関わらず、壁を真後ろに立つ者さえいるほどに広がっていた。 当然、生徒達の危険防止のためだ。

風の最高位のメイジの放つ魔法はそれ程に、広い範囲に影響を及ぼし、なおかつ危険なのだ。
実戦形式の模擬戦闘であることを考えれば当然の措置と言える。

輪の中央にはのギトーと百鬼丸。三メイルほど間を空けて、互いの持つ感情を隠すことなくにらみ合っている。

百鬼丸は憤怒。ギトーは侮蔑。

このギトーにとっては近すぎる、しかし百鬼丸にとっては多少遠い程度の両者の距離は、オスマンの指示によるものであった。
この指示を受けたギトーの反応は、それくらいの有利はくれてやると、こちらは実に予想通りの対応であったのに対し、百鬼丸の方はと言うとかなり意外であった。
自分にとって有利な距離であることは理解している筈だが、それを指示したオスマンと伝えたコルベール、二人の予想に反して、百鬼丸は何の異論も唱えずに承諾したのだ。

意固地で負けん気の強い彼なら、相手に有利な状況で打ちのめすと、息巻いているのではないか、そう考えていたのだから。コルベールとしては肩透かしを食らった気分である。
百鬼丸の控える天幕に、流石に不安になったのであろう、押しかけたルイズと共に、風の魔法の特性と、如何なるものがあるのかをコルベールは伝える。最も恐ろしい部類である、雷の魔法の事も伝えてある。

回避はほぼ不可能で、致死性も高いそれを、まさか平民の、しかも来賓である百鬼丸相手に、ギトーが使用するとは思ってはいない。そもそもギトーは、風、そのものに拘っているきらいがあるため、杞憂に過ぎないのだろうが、念のためである。

しかし、どれだけこの戦いが困難なものであるかを説いても、百鬼丸からの反応は薄い。今は感情を溜めに溜め、膨れ上がりきったものを一度に叩きつけようと、戦いに備えているのであろうか、彼の顔は、かつて見たこともない程に何も映さなかった。
オスマンの隣に控えるため、ルイズを残し、天幕を後にしたコルベールだが、彼の態度とあの無表情だけが、どうにも気がかりでならない。

「ここまできてまだ心配しとるのかね? この距離じゃ。おまけにミスタ・ギトーは慢心しとる上に相手を見縊りすぎじゃ。油断だらけじゃないかね」
「性分ですから」
「心配せんでも勝つわいっ」
「ええ、しかし、もしもの時は」
「わかっておるというに、少しはわしを見習えぃ」

口にも出したが、これは自分の性分だ。隣で憎らしいほどに泰然と構えるオスマンに、最早諦めてはいるが、恨めしげな視線だけは一応送っておく。

「そう致します、偉大なるオールド・オスマン」
「うむうむ、そうじゃ、そうじゃ」

微塵も見習うつもりは無いのだが、皮肉すらも通じない。
壇上から広場に居る者全てを見下ろしながら、予定通りに事が運んでいると一端の策士を気取っているのであろう、では始めるか、とご機嫌な様子で呟くオスマン。

「それでは皆の者、これより最後の演武『戦いの舞』を執り行うが、その前に」

これ以上何を言うつもりであろうか。肝を冷やす。

「この戦いは決闘でなく、互いの技を競うものであり、勝敗は魔法と剣の優劣を競うものではない。貴殿らはその結果を恨むことなく、正々堂々と戦う事を誓えるであろうか? ミスタ・ギトー」
「我が杖と、大いなる始祖にかけましても」
「うむ、ミスタ・ヒャッキマル」
「……父の名と、剣にかけて」

案外まともであったと安心した。

「今、両者の誓いを得て、ここに居る諸君らがその証人となる。さきも述べたとおり、魔法と剣はこの戦いに最早なんの関係も無い。手にするものは違えど、互いの極める技を競うものである。故に諸君らも同様、何に拘ることなく、ここに立つ二人に惜しみない声援を送ればよい」

つまるところ、貴族の魔法が、平民の剣に負けたところで、この戦いには恨み言はなしと、百鬼丸の勝利を信じるオスマンはそう言いたいのであろう。
そしてそれを宣言する事で、生徒達から、百鬼丸の立場と貴族の名誉、そして魔法の権威を守ろうとしているのだ。案外、と言うと失礼だが、ちゃんと考えてはいるようだ。


さて嫌われ者のギトーと、平民の百鬼丸。
応援するならどちらかと、やはり悩んでいた生徒も多かったのだろう、そこかしこから、やれギトーを懲らしめろだの、今こそとっちめろだの、怨念晴らすべしとの声が聞こえ始める。

勿論ギトーに対する声援も確かに存在する。ギトーは嫌いであるが、魔法の実力者であり、貴族を代表して戦うから応援しているだけで、オスマンの宣誓の手前、声高にそれを叫ぶ事が出来き無い様子だ。
弱弱しく感じるのは恐らく気のせいではない。その証拠に、頑張れ、負けるな、くらいの語彙に乏しい声しか聞こえない。

なるほど、盛り上げる為にも良い手であると、コルベールにはやはりオスマンの考える事の真意など推し量れない、そう感心したのも束の間、只々得意げな、皺だらけの顔を見ると、単に調子に乗っているだけなのかもしれないと、投げやりになった。

「それでは両者構えてっ」

未だ余裕めいて片手を後ろに回しているギトーに対し、百鬼丸は今か今かと毒々しい刃を構え、明らかに力を溜めていた。

「始めぃっ」

では、とゆっくり杖を掲げるギトーに向かい、百鬼丸は正しく爆ぜるかのごとく猛然と走り出す。
驚きはしたものの、よもや風の魔法はかわせまいと、風の刃を一つ生み出し放つが、見えるとばかりに僅かに体をずらすだけでそれを避け、慌てて次をとした時には、百鬼丸は既にギトーの胸の内、気が付けば鍔は顎先、首筋には禍々しい刃がその根元から、触れるか触れぬか程の距離で、ぴたりと止まっていた。

速い、とは誰の呟きであったのか。

勝利を宣言する事すら、生徒はおろか、オスマンも、脇に控えるコルベールも忘れていた。
余りの出来事に呆然とするのは無理も無い。いくらなんでもこの決着は早すぎだ。

ふと、百鬼丸の口が、ギトーの耳元に近づき、僅かに動いたのをコルベールは気が付いた。なにやら分からぬがこれはまずい、とオスマンに声をかけようとするが、それより先に百鬼丸が素早く飛び退き、怒りに塗れた声で叫ぶ。

この男は本気を出していない、これは侮辱である、と。

わっ、といたる所から声があがるが、それに沈まれと、風を使って爆音を鳴らした『疾風のギトー』は、憤怒の表情をひた隠し、大仰に深く一礼したまま顔を伏せ、震えた声で、さも冷静であると、謝罪の言葉を述べた。

「誠に失礼、貴殿の技に誠意を欠いた事、貴族としてあるまじき非礼について、恥を忍んで今一度、どうか手合わせ願いたい」

再び巻き起こった歓声は、続きを促すと共に、始まりの合図となる。

「オールド・オスマンっ」
「やられたっ、なんと意固地なやつめっ」
「早く止めねば」
「もう収まらんっ、落とし所を見過ごした、わしとした事がっ」

しかし、と言葉を遮るも、

「今は待たぬか、このまま終われば意味が無い、多少は痛い目みてもいいじゃろう、しかし、あやつめっ」

無事終われば良い、とのコルベールの思いを知ってかしらずか、百鬼丸は考えられるあらゆる手段で、ギトーに恥をかかせ、その傲慢な鼻っ柱を圧し折ってやろうと考えていたのだ。聞き取る事は出来なかったが、恐らくギトーに呟いたのは、彼を煽るような言葉。

どうせ、弱い、本気で来い、とでも言ったのであろう。

そして彼が見せた仮面の如き無表情は、己の考えを悟られまいと、滾りに滾った怒りを隠す、正しく仮面だったのだと得心する。 それみたことか、とオスマンに皮肉るほどの余裕も既に無い。

目の前、手の届かぬところで既に二人は再び戦い始めだした。

風の刃を無数に放たれるも、走り、飛び跳ね、体を捻り、伏せて、これをかわし、あわや当たると思いきや、風の刃に己の刀を沿わすように、鎬を平手で抑えて、細長い刀すらも盾へと換える百鬼丸。

甲高い音が周囲へ広がる。

全てかわしきると、地を這う獣の如く、体を低くして走り出す。
二度目は無いと、己の正面に横殴りに、人一人なぞ容易く吹飛ぶほどの暴風でもって、風の壁を巻き起こすギトーに対し、いくら自分でもこれは切れぬと、風に袖口が巻き込まれるのを、百鬼丸は体ごと退く事で免れた。

「どうだ、風は何者も吹き飛ばし、通り抜ける事はおろか、貴殿の自慢の剣でさえ、斬る事すらも出来ぬのだ」

返事はしない。しかし切っ先を地面に向け、がつんと鍔を拳で叩き、これを外すと、風の流れる筋を読める百鬼丸は、その筋と水平に角度をつけて、目標よりも僅かに横を狙って、勢い良く鍔を投げつける。
その小ささに対して重たい鍔は、風の流れに側面を向ける事で、軌道に大きくは影響を受けない。

強かに腕を打たれ風の結界が緩んだギトーの隙を狙って百鬼丸は再び地を這うも、今度は真上から、空気を固めた巨大な槌をもって迎撃される。

目指すは敵のみとは百鬼丸。

更に力を込めて地を蹴り、またもやギトーの正面へと抜けると、短い詠唱で済むのであろう、一瞬きの強烈な風に吹き飛ばされるが、空中で見事蜻蛉を切って片膝付きながらも着地すると、横っ飛びに転がった。
百鬼丸のいた地面が切り刻まれる。


一進一退の攻防はその激しさを増すばかりであった。周囲は最早、やれ平民なぞと蔑むことなぞ出来ようものか。

「どうした、おれを殺せないのか」
「平民如きがっ」
「言ったな、貴族めっ」
「調子に乗りおって」

ギトーも既に我慢ならんと、距離を取る為、風を自身に向けて吹かせると、その勢いで後ろに下がり、己の周囲を嵐で囲む。慣性で流れ続ける風を盾として、長い詠唱に入った。

敢えてそれを使わせて叩き潰す気であろう、百鬼丸は動かない。

しかしその詠唱を僅かに耳にした時、ギトーは本気で戦うつもりだと、コルベールもオスマンも気が付く。

「オールド・オスマンっ」
「いや、待て、どうやら無事終われるぞ?」

ギトーの姿が、幻ではない、三人に増えた。

ギトーの使った魔法は風の魔法で最も恐ろしいとされる最高位の魔法。
『遍在』と呼ばれるその魔法は、風は遍く存在する、という言葉に因んでつけられ、その効果は、行使した者と同じく思考し、同じく魔法が使える分身を作り出すという、風は最強とギトーが語るに相応しい程の驚異的な物。

それを認めるや否や、百鬼丸はそれまで手にしていた、オスマンにより作られた刀を後ろへ放り、背中に背負った彼本来の武器を抜き取り、腰に差し替え、音も立てずに朱色の鞘から刃を引き抜く。


ぎらりと光る白刃が、何故かこれまで以上に凶悪な代物に見えた。
百鬼丸も本気だ。

もうこれ以上は互いの無事はありえない。 コルベールは再び悲鳴の如く呼びかけた。

「もう良いでしょう、オールド・オスマンっ」

うむ、と一声、老人とは思えぬ程の気迫に満ちた声を上げ、終了の合図を鳴らしたのだった。

「それまでっ」

はっと正気に戻ったかのようなギトーに対して、邪魔をするなと見える百鬼丸。その両者は、正反対のようでありながら、しかし制止をかけたオスマンに対し、まだ足りぬと、同じ心中であるようだ、目が示している。

「これ以上戦う事は罷りならん、両者ともに素晴らしき技を持つ事は周囲の認めるところである、そうであろうっ?」

周囲に巻き起こる歓声は、オスマンの問いに対して同意を高々と表すものであった。
聞くまでも無いと分かっているが、しかし今はこうするのが一番良いのだ。

「ならば優れた二人が傷つく事を、このハルケギニアの地のためにも良しとはせぬ。
結果は引き分け、両者無傷で、しかしその研鑽を遺憾なくこの目に見せてもらった故に、最終演武はこれをもって終了であるっ」

オスマンの宣言により、二人は不服ながらも戦いを終えざるを得ない。終了したにも関わらず相手に挑みかかるとすれば、百鬼丸にとってもギトーにとっても、オスマンを軽んじる行為であるし、卑怯の謗りを受けたくは無い。

両者は思い通りにはいかない事に不満は有ったが、潔くオスマンの裁定にしたがい、しかし互いの健闘すら称えるつもりは無いのだろう、会釈するのみに留まった。
兎にも角にもこれを合図に、虚構に塗れた剣術披露会はその目的を大いに遂げ、何とか無事終了となったのであった。





「何で止めたっ」

学院長室、オスマンの座る前にある机を握り拳で叩き、百鬼丸は未だ頭に血が上ったままの様子である。百鬼丸の後方にはコルベール。閉会の口上を終えたオスマンに、まだ何か言いたそうであった彼を、ここではまずいと何とか宥め、コルベールがつれて来たのだった。

「君はすぐ頭に血が上る。それだけは直さんといかんよ」

そう言うと杖をふるって魔法を行使するオールド・オスマン。

床から一メイルほどの空中に百鬼丸の体が宙に浮いた。

「うわっ、何しやがる、降ろせっ」
「ミスタ・コルベール?」

ため息をつくと、コルベールは小さく弱弱しい炎を杖の先に留めて、宙へ浮かぶ百鬼丸へと向ける。オスマンの企みに乗るのは気に入らないが、百鬼丸に多少の灸を据えねばならないと言うのは同意する。

「何のつもりだっ」
「まだ分からんのかね、いくらおぬしが強くても、こうされたらどうする?」

押し黙る百鬼丸。

「先程ギトー君が見せた遍在の魔法は、こういうことを可能にするのじゃ。あの勝負、おぬしの負けじゃ」
「負けてない」

いや、彼の負けだ。遍在を出したギトー相手に百鬼丸が勝てるとはよもや思ってはいない。それを抜きにしたとしても、仮にギトーがこの方法を、あの場で使ったとすれば、既に百鬼丸は負けなのだ。いくらギトーも頭に血が上っていたとは言え、考えないとは言い切れない。
そしてメイジ二人を相手にすれば、勝つことはおろか、抵抗する事すら出来ないと周囲に思われてしまうし、それを打破するためには、手は限られる。

「ほ、大砲でも使うつもりだったかの?」

悔しそうにうなる百鬼丸を眺めながら、それでもオスマンは言葉を続ける。

「他人を卑下するものを嫌い、正面から立ち向かうおぬしの気概は、わしもコルベール君も素晴らしいものだとはおもっとる。ギトー君も勿論悪い。じゃがなんでも力だけで解決しようとするのは感心できんのぅ。そもそも此度の剣術披露会は何故やらねばならんかった?」
「……おれの所為だ」
「そうじゃ。何も出て行けというとるわけじゃない。何処へ行っても同じことじゃ」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
「やり方も時には考えろと言うとるんじゃ。もうこの学院でおぬしの力は証明された。無碍に扱うやつもおらんじゃろ。ここに勤める平民達の地位向上にもつながる。彼らが不当な扱いを受けていたら、おぬしは助けるじゃろ。じゃがもう剣はいらん」
「じゃあ、どうするんだよ」
「わからんやつじゃのう、何のために言葉がある?人の群れの中で暮らすのならばおのずと必要になる」
「今までだってこうしてきたんだ」
「これからは今までとは違うっ、円満に終える方法もちっとは考えんかっ」

百鬼丸は力を振るう事でしか守る事が出来ない状況に生きてきた、と言うのは理解できる。 彼は平民で、旅人で、何の権力もなかったのだから。恐らく自分の国にいた時から身分としては余り変わらなかったのだろう。

しかし今回の件に関しては些か違う。相手を打ちのめす事しかそこには無かったし、多少は自分の持つ厄介さと言うのを、この計画を教えた時に少しは理解しているものとコルベールは思っていた。

オスマンにしても同様なのであろう。そしてオスマンが怒鳴ったように、学院においては既に、これまでと違う方法で己を押し通す方法を百鬼丸は考えなければならないのだ。

言うや否や、魔法を解き、百鬼丸を床へと降ろす。

「とにかく、頭を冷やせっ」

話は終わったと言わんばかりに、言うや否や百鬼丸に対し背中を向けて、オスマンは黙る。 些か物思いに耽りながらも、百鬼丸もそれを読み取り、扉の前でぺこりと頭を下げ、部屋を後にした。

「偉大なるオールド・オスマン」
「なんじゃねミスタ・コルベール?」
「流石です」
「煽てても何も出んぞ、わしゃ今機嫌が悪い。君も早々に」
「いえ、流石と言うのはそう言うつもりで申し上げたものでは」
「で、では、な、なんじゃというのかね?」

百鬼丸を諭すためにと、敢えてコルベールは乗っただけで、決して騙されない。

「今回の騒動の原因は誰ですか?」
「……」

ぎくりと動いた肩が何よりも雄弁に物語っている。

「誰ですか」
「んー、百鬼丸君?」

次はしらを切るつもりか。

「嗾けたのは?」
「ギトー君」

なんと往生際の悪い。

「じゃあそれを嗾けたのはっ?」
「大いなる始祖の御導きじゃっ」
「あなたですよ、あなたっ」
「全て計画通りじゃ、ギトー君は遍在まで見せたんじゃぞっ? 禍根も残さず痛み分けじゃ、大成功じゃないかねっ」
「結果論じゃないですか、それにあなた、やられたってあの時言ったでしょうっ?」
「ぐむ、しかしヒャッキマル君にも忠告できたし? そうじゃ、万々歳じゃ」
「結果論です、とっ」
「偉大なる始祖のお導きじゃいっ、それもこれも、わしの日ごろの行いが良いお陰だもんねー」

拳を握り締め、今日と言う今日は引き下がらないと捲し立てるコルベールに対して、オスマンは子供じみた言い訳を続ける。
そんな二人の遣り取りは当然知る筈も無く、百鬼丸はというと自室で少しばかり悩んでいた。

何時になるとも知れぬが、全ての魔神を倒した時、己は人となる。そして人の群れの中で生きるのなら、己はまだ人として未熟であると認めざるを得ないと、百鬼丸はオスマンの言葉を真面目に捉えていたのだった。


「大体あなた、そんなに熱心な信徒じゃないでしょうっ」
「先程啓示が下っての」
「……生えますか?」
「……無理じゃって」

誰しも望む世界を作る事は、偉大なる始祖の力を持ってしても不可能である。

「わしはふさふさじゃもんねー」
「……」

そして己を満たそうとする欲望の影に、魔神は存在するのだ。

「あっ、いや、すまんっ、いや、すまんって、何でもない、全部わしが悪いっ」

ならば果たして絶対的な善悪は存在するのであろうか。
今だけは考えたくなかった。



[27313] 第二十三話 妖刀
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/05/14 04:44
彼は静かに目を覚まそうとしていた。
しゃん、しゃん、しゃん、と耳に付くのは鈴鳴りの音だろうか。黒く包まれた瞼は次第に光を認めるはずが、しかし谷底を覗くかのごとく尚、暗闇へと覆われていくのを覚える。

しゃん、しゃん、しゃん。

呼んでいるのか、鳴り止まぬ音は、こちらに、と響き続ける。
この音は己をおいて、他の誰にも聞こえぬものに違いない。
清らかなる乙女より拙き恋慕を受ち明けられる様な、艶やかなる娼婦との情事に甘い吐息を胸に吹きかけられる様な、その全てを一身に受ける事で満足を得るのに似ている。
音が鼓膜を抜け、脳から背骨を貫き心地良く染み渡る。

しゃん、しゃん、しゃん、と。

嗚呼、今は待ち給え、私を誘うもの。
これより目に映る全ては、我等を焦らし、何れ来る逢瀬を潤色する飾りに過ぎぬ。
故に、今暫く、鳴り止まぬ調は愛しき声。

しゃん、





山奥の小さな集落、三十余人ほどしか住んでいない。
貴族の支配から少しでも逃れようとしたのが切欠だったのか、始めは樵の一家が住み着き、炭火小屋を立て、少しだけ膨らんだ小さな群れ。
田畑はもとより少ないが、狩猟も行っており、山菜や炭、僅かに取れる鉱物などを交換する事で生計を立てていた。

その集落から最も近い村への行商が、ある日を境にぴたりと止んだ。

一日目は、珍しい事もあるものだ、そう思っていた。
二日目は、何か出てこられない理由でも出来たのか。
三日経つと、流石におかしいと口々に騒ぎ出す。

もとより排他的な気質を持っていたのだが、それにしても余裕のある暮らしでは無いと聞く。
どこか山道が崩れてしまい、閉じ込められててしまったかと心配になり、よく取引をした問屋が使いを一人、馬で様子見に行かせたのだが、一日経っても帰ってくる気配が無い。

徒歩にて往復は半日ほど。馬を使って辿り付けぬ訳が無いし、異変があれば途中で戻ってくるはず。

早馬にてそれを知らされた領主は、何故か執拗にこの一件に気を揉む息子に付き合おうと、本来であれば誰ぞ部下でも遣わすところだが、二十人ほど下僕を引き連れ、重い腰を上げ、息子共々自ら駆けつけた。

わざわざ有難い事であるとの歓待を受け無かったのは、寂れた村に碌な物もあるまいというのもあったが、今も苦しむ民がいるやも知れぬと、民を思う息子が急かしたためだった。

しゃん、しゃん、

世辞は要らぬと細かい事情をすぐに聞き出し、地図をひったくり、早々に村を出るよう息子がせっついてきた。
頼りになる、とは従者と村人の声。
魔法の腕も学も有り、民にも部下にも己以上に慕われている事は知ってはいる。我が子は確かにそれだけの才に溢れる、何れは国をも担う人材だろう。悔しいどころか、その評判を耳にすれば、我が事のように嬉しいものだ。

しかし、些か事を急きすぎていると、息子を諌めるのは父の役目だ。

しゃん、しゃん、しゃん、

ひとまず落ち着きを見せた息子に、何故そこまで急ぐのかと尋ねるが、領民が心配であると応えた彼は、やはり貴族の鑑ならんと嬉しく思う。しかし何事も急ぎすぎて仕損じるのは良くないと、落ち着くように伝えた。

しゃん、しゃん、



一向は馬を走らせ、山道へ差し掛かり、勾配がきつくなると一度馬を繋ぎ、危険あらば直ちに対応できるようにと、徒歩にて集落へ向かう。
続く一本道は獣道があるだけで、導かれるように先頭を行く息子を見るに、地図を頼りにすることもなさそうだ。

しゃん

時刻は昼を僅かに過ぎたあたり。

次第に道を囲んでゆく鬱蒼とした木々達が光を遮り、雲は無い筈だが薄暗い。ふっと風が山から吹き降ろし、辺りに死臭を運んできた。
誰しも顔をしかめると共に、緊張感に包まれる。

間もなく目的地。

いよいよこれは急がねばならないと我が子の声に、一も二も無く同意した。

しゃん、しゃん、しゃん、

住民はその殆どが、鋭利な刃物のようなもので殺されているようであった。

一軒ずつ家を調べる。

戸口を握り締めたままぶら下がった腕、斧を握った手首から、逃げようと、或いは抵抗しようとした後は見受けられるが、いずれも胴体からは切り離されていた。

全ての家を回ったが、全て殺されたかどうかは分からない。
切り刻まれた肉の塊は、どの位の量で一人と数えるのか分からなくなったからだ。十に差し掛かる手前で、数えるのを諦めた。

しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、

只事ではない。

メイジを数人連れてはいるが、人を殺した正体はわからぬし、この惨状は予想以上だ。一度引き返し後日に改め、万全を期して改めて検分すべきと、村を後ににしようとした矢先。

しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、

屋根の上から小さな影が飛び出す。一向の真ん中へ襲い掛り、見慣れぬ形、細い片刃の剣を振り回す。赤黒いのは血の錆か。

標的にされた一人は余りの驚きに手が出せず、頭から二つに割られ殺されたが、息子が放った魔法で、影は吹き飛び、背後の家の壁に頭をぶつけ、横たわる。

子供、女だ。

年の頃は十を越えたくらいであろうか。この小さな少女が、あれだけの惨状をつくりあげたのか。誰も声が出ない。

止めを刺そうとしたのか、ぶつぶつと何か呟き始めた時、少女はぱちりと目を開け、ふらつきながらも、痛みすら感じていないと思わせる仕草で立ち上がる。
問い質そうと声を掛けるが意に介した様子も無い。
再び切りかかろうとしてきたところで、魔法で少女を吹き飛ばす。

事切れた。

なにやら分からぬが、騒ぎの原因は取り除いたのか。傍に控えていた息子が素早く検分へ入る。

しゃん

奇怪な音が響き渡る。皆が辺りを見回した。

しゃん、しゃん、しゃん、

この音を探らなかった者がいる。

しゃん、しゃん、

息子が剣を眺めている。その辺りから音が聞こえる。

しゃん、しゃん、しゃん、ああ、我を呼ぶ声。

声をかけようとした時、それまで正気であったはずの息子が、下僕へ剣を向けた。突然の事に抵抗もままならず、たちまち六人殺される。

目が合った。

領主は土から腕を作り出し、我が子の足を絡め取る。
足に巻き付けた土を操り、先程襲い掛かってきた子供がされたように、壁に向かって頭から叩き付けた。崩れ落ちると同時に剣を握った腕を吹き飛ばす。容赦などするものか。

しゃん、しゃん、

溢れんばかりの血を流しながら、かつて息子であったものが、残った腕で剣を握る。
痛々しいはずのその姿は、己の血が噴き出しているのが喜ばしいと、歪んだ顔で、傷口に刃を当てた。

しゃん、しゃん、と

汝れの声を聴けたのは、僅かな間に過ぎぬが、この短い煩悶は例え千年の恋もこれに適わぬ。漸く訪れた逢瀬を共に語らい、さあ大いに喜こぼう。汝が為に綴った詩でも囁こう。
だからこの耳の傍で、どうか私をもう一度呼んでおくれ?

しゃん、

我が子は剣を見詰め、何かを囁いている。

美味いか。
おれの血が美味いのか、と領主にはその呟きがしかと聞こえた。


そのまま、何処にそんな力が残っているのか、息子はずぶずぶと胸の位置まで剣を埋め込み、けたけたと笑いながら倒れた。
躊躇い無く、我が子の肉片すらも残さぬように、巨大な土を叩きつけ、その身を粉々に吹き飛ばす。
名残惜しげに柄に絡み付いている指の欠片すら忌々しい。
払い飛ばす。

子殺しの罪を被った己に部下達は、慰めも栄誉も言葉にする事が躊躇われたようだ。必要ない。


山を降りると、村の長を呼ぶ。

悪しき精霊により集落は滅び、すでに跡形も無く焼き払い、もう脅威は存在しない。しかし他言許せばこの村の者全ての命は無い。

そう伝えた。どうせ閉塞的な小さな平民の群れ。この村以外に気にする者はあるまい。


領主は怒りに満ち満ちていた。
息子がそれを手にし、自刃に果てた時、その膨らみきった感情に耐えることが出来ず、痕跡を全て燃やし尽くした。
今我が身に満ち満ちているもの。怒りの正体を知っている。
とんだお笑い種だ。脇に抱えた、魔除けの銀で閉じ込めた、美しい剣に目を向ける。

漸く会えたと言うのに。
不貞の逢引を押さえ、それを咎める夫のように、彼は責めるのだ。


おれだけ、じゃ無かったのか


しゃん、





[27313] 第二十四話 日常
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2011/05/06 18:53



モット伯との戦いを終え、いざ学院に戻ってみれば、これまで過ごしてきた日々とそう変わらぬ平穏があったことに、ルイズは何処か拍子抜けしていた。
自分を取り巻く環境が全く変わってないでは無いのだが、文字通り窮地を脱した魔神との戦いが非日常的であったのに対し、なんとあっけなく日常に戻れるのか。
変化を求めていたわけでも、拒んでいるわけでもない。
以前に戻れないような大きな何かがある、と勝手に思い込んでいたに過ぎない。もっとも、帰宅して二、三日は色々あったのだが。

昼前に学院に到着したルイズ達は、シエスタを医務室へ預けたあと、オスマンに簡単に報告する。殆どコルベールが話をしていたのだが。オスマンより労いの言葉を受け、しかし今回の件は誰にも喋ってはならないと言われる。
与太話にしか聞こえないだろうと言う事もあるし、モット伯の抱えていた部下、平民、殆どが恐らく死亡しているのだ。もとより誰に聞かれたところで教えるつもりも無かった。
しかし大きな事件である事は間違いない。
露見した時はどうすれば良いか尋ねるが、この件はオスマンが処理するので何を聞かれても知らぬ存ぜぬで通せ、とのことだった。
その日は授業を受けず休むよう言われ、疲れきった体には有難いと、自室で泥のように眠る。眠れるか不安だったのだが、夜通し動き回っていた疲労に、体は正直に睡眠を求めてくれたようだ。
目を覚ますと既に日は暮れてしまい、疲れを癒すなら睡眠の次は食事であると、食堂へ足を運ぶ。聞き耳を立てながら食事を摂ったが、モット伯の事件はまだ誰も知らないようだった。
ロングビルから伝言を受け、今度はシエスタも加えて、再び学院長室へ、長話となる。昼の報告は、オスマンの気遣いで簡潔に済まされていたため、休息を挟み詳細を求められたというのもある。
しかし驚いた事に、王宮からの調査が来るとの伝書を、早くも受け取ったとの事。
モット伯はその日どうやら人と会う約束があったらしく、彼の屋敷を訪れたその相手がモット伯の死亡を確認した。幸いそれが聡明な人物で、屋敷内部の惨状から、騒ぎ立てるのは良くないという判断のもと、宰相のマザリーニ枢機卿に直接報告し、直ぐに緘口令が敷かれ、密かに調査団を結成させたらしい。
伝書も枢機卿の直筆で、学院宛てでなく、オスマン個人への手紙であった。
いくら内密に事を進めようと、勅使を務める程の貴族が死亡したことを何時までも隠し通せるものではないため、宰相としては速やかに原因を明らかにし、対応しなければならないのだ。モット伯が最後に確認された学院を、まず始めに調査するのは当然だった。
シエスタがモット伯に仕える約束をしていた事は、それを知る人間全てにこちらも緘口令を敷き、魔神の存在を明らかにした事件のあらましを綴った手紙を宰相に送ることで、オスマンは今回の件を全て極秘で処理するつもりだそうだ。
年齢不詳の老人は、宰相相手に荒唐無稽な手紙を送りつけるほどに人脈も広いらしい。
そして休日、オスマンに誘われ、剣術披露会の計画に加わり、翌日の剣術披露会から六日。既に魔神との戦いを終え、一週間経とうとしていた。
結局、調査団が学院を訪れる事は無かった。
しばらくしてモット伯の殺害が王宮より報じられた。下手人は、最近巷を騒がせている盗賊、『土くれ』のフーケだそうである。





一本の木に向かって黙々と何かを投げ続ける百鬼丸を見つけ、ルイズは声を掛けた。
「あら、今日は誰もいないの?」
「根性無しだらけだ、ここはよ」
「否定はしないけど、失礼な言い分ね。あたしだってここの生徒なんだからね」
「お前は違うさ」
「何よいきなり、気持ち悪い」
「そりゃ失礼」
そう言った切り、再び同じ動作を繰り返したまま、百鬼丸は黙り込む。
無視されているようで嫌だ。むぅ、と可愛らしく腰に手を当てむくれた。

今二人がいるのは火の塔と土の塔の間をつなぐ壁に付ける様に建てられた、コルベールの研究小屋の傍である。

授業が終わると、ルイズはまず始めにここに顔を出す。
希望があれば剣の手ほどきくらいなら喜んで行う、という百鬼丸紹介の口上は、学院内に良い印象を与えるためのものでしかなく、ルイズはおろか、コルベールもオスマンも、貴族が剣を振りたいと言い出す、などとは思っていなかった。
しかしギトーとの模擬戦で見せた百鬼丸の苛烈な戦いぶりは、生徒達に少なからず興味を与えたらしい。

剣術披露会の翌日、剣の指導希望者十数名という驚くべき事態に、一度公言されたのだから仕方あるまいと、百鬼丸は手ほどきする事にした。希望した殆どが、入学したての男子生徒達だったのは、まだ彼らは魔法の腕に自信が無く、力として他の何かを求めためであろう。女子生徒の希望者はおらず、しかし興味はやはりあったらしい、ちらほらと何人か様子を見に訪れる。それを毎日ここで行っていたのだ。
気の置ける友人を学内に持たないルイズは、そういった訳で、手が空けば百鬼丸の様子を見に来るのだった。
時折熱っぽい視線を百鬼丸に向けていたの生徒が居たことはルイズには分かった。百鬼丸はハルケギニアの人間に比べれば彫は浅いが、それでも顔立ちは整っているし、何より野性味溢れる彼独特の空気は貴族に無い類のものだ。かといって、どこぞの傭兵崩れの様に品が無いわけでもない。
物珍しい真っ暗な瞳は時に爛々と輝き、無造作に束ねられているだけの、普段は硬そうな長い髪も、彼の体を追いかける時は黒い獣の尾のように、力強くしなる。
剣を振る百鬼丸の姿は、確かに絵になる。

しかし年上の男に興味を持つ少女の気持ちはルイズにも分かるが、所詮貴族で無い百鬼丸への熱い視線は、近頃の話題に上せただけの一過性のものだろうとも考えている。
では当の本人はと言うと、どうも色恋に疎いらしく、そういった事には全く気付いてもいない様子。
とにかく、賑やかであった筈のこの鍛錬は次第に人が少なくなり、今となっては自分を除けば百鬼丸独り。

「大体、あんたの教え方にも問題有るんじゃない? 見てるだけでもきつそうだし、面白くもなさそうだし」
「きつくなけりゃ意味が無いだろ。おれは教わった事も教えた事も無ぇ。楽して強くなれるんなら、それこそ教わりたいね」

それはそうだ。しかし我流とは恐れ入る。

ちなみに剣を教わりに来た生徒達に対する百鬼丸の指導はというと、教師に作ってもらった簡易な模造刀を、ひたすら上下に振らせ続けるだけ、というもの。
杖より重いものを持った事が無い、とまではいかないだろうが、そこそこ重い鉄の棒を、一時間も二時間も淡々と上下のみで振っていれば、それまで腕力を必要としなかった貴族の少年達の腕が直ぐに悲鳴を上げるのも致し方ない。
一人、二人と抜けていき、いまやこの有様。ましてや師範は学院のどの教師よりも頑丈なこの男だ。ついて行けるようならそれこそ、いずれ何でも出来るようになるだろう。
「教えてもらった事無いのに、なんでそんなに強いのよ。ギトー先生との時も怪我すらしていないし、呆れちゃうわ」
「死にたくないからな」

だったらメイジ相手に喧嘩しなければ良いのだが、それは無理なのだろう。顔も向けずにひたすら何か練習している百鬼丸の返事は、なんとも逞しい事であるが、しかしルイズにはなるほど納得がいく物であった。彼女も身をもって経験したのだ。

呪文を唱え、杖を振るうと、百鬼丸が投げた物体の射線上に爆発を起こした。
爆風に吹き飛ばされたそれが百鬼丸の足元に刺さる。

「うおっと、おい、ルイズッ」
「あたしもね、上手くなったって言うのかしら? 狙いが特にね・・・・・・」
「へえ、今の狙ったのか、凄いじゃないか」
「複雑だわ。今の、何の魔法使ったと思う?」
「何って、爆発、じゃないんだったな」
「そうよ、もう嫌になっちゃう」

魔法が成功するようになったわけではないが、ルイズの失敗魔法、つまり爆発は、死地を経験した事で、精度、威力共に明らかに向上しているのだ。
しかし魔法は彼女の望む効果を得ない。ちなみに今彼女が唱えたのは『レビテーション』と呼ばれる、物体を浮遊させる魔法であるが、それを百鬼丸に教えるつもりは無い。
本当に嫌になる。

「これ以上聞かないで」
「前も思ったが、それ結構強いぞ?」
「あんたねぇ?」
「いや、すまん、悪気は無いんだよ」

実際のところ全く役に立たないわけではない。喉元過ぎればなんとやら、召還儀式の恐怖から一時は鳴りを潜めた『ゼロ』の嘲笑も、少しずつ耳に付くようになった数日前の事だ。
気の短いルイズは、ついつい彼女を嘲った連中に耐え切れず、相手の手前の足元狙って魔法を放ったのだが、その威力は周囲を黙らせるには十分に過ぎ、怪我こそ負わせなかったものの、広場の地面に大きく穴を穿った。
既に穴は修復されたものの、コルベールにこっぴどく叱られ、今は反省している。

「貴方までヒャッキマルさんと同じ様な事をしないでください」

この言葉はかなり効いた。自分は彼の良い部分にも悪い部分にも影響を受けているだと自覚すると共に、大層恥ずかしい思いで、その言葉を聴いた瞬間、下げ続けていた頭を更に地面に近づけるしかなかった。
しかし、その騒動の甲斐あってか、『ゼロ』のあだ名は、ここ二日ほど自分の耳には入っていない。陰で囁かれている事くらい予想は付くが、直接言われないだけまだ良い。
それにしても『ゼロ』のあだ名も、それを一時遠ざけるのも、全てこの爆発だ。

「もう、話題変えましょ。あたし嫌だわ」

ため息を吐くのは、慣れてはいるが好きでない。
丁度良いので、先程から気になっていたことでも尋ねた。

「さっきから何やってんの?」
「ああ? 手裏剣だ」
「シュリケン?」
「ああ、手裏剣って、こっちには無いのか。こう、武器を相手に投げつけて刺すんだよ」
「投げナイフみたいなものかしら?」
「多分そんなんだ、よっと」

再び百鬼丸は、指より太く、手のひらに収まらないくらいの長さの褐色の棒を、木に向かって投げつける。がつっと側面がぶつかり、地面に落ちた。それを目で追うと、同じような棒が何本も根元に転がっていた。
よく見れば確かに、片側の先端は目標を突き刺すために尖っている。

「刺さって無いじゃない」
「初めから出来てりゃ苦労しねぇ」
「あら、ごめんね。あんたってそういうの何でも出来る気がしてたから」
「そうだと良かったんだけどな」
「もう、ごめんって言ってるじゃない。怒んないでよ?」
「怒ってないさ」

そういってもう一本投げる、が刺さらない。

「それ、自分で作ったの?」
「ああ、こないだ斬った鎧とか剣とか削ってな」

意外と器用だ。

「削るだけだぞ? 爺さんの剣、趣味は悪いが頑丈なのが救いだな」
「新しいの作ってもらうんじゃなかったっけ?」
「断られた」
「なんで?」
「持たせたくない、だと」

確かにそうだ。魔法学院の教師相手に大立ち回りを演じた危険人物を、更に危険にするような事はオスマンもしたくはないだろう。

「あははっ、あんた、直ぐ喧嘩しそうだもん。まああたしも人の事いえないか、でも、ふふっ」
「ちょっとは反省してる。出来るだけしないようにするよ。大体あの爺さん、多分面倒臭いだけだぜ?」
「そうかもね。でも、一理あるんじゃない?」
「多分ここなら大丈夫さ。喧嘩吹っかけてくる奴も、もういないみたいだしな」

百鬼丸の言葉通り、生徒達の彼に対する態度は悪くない。何か腹に一物抱えているような人間もいないでもないが、概ね敬意をもってそれなりの態度で百鬼丸に接しているのはここ数日でも伺えた。
通りすがりの見知らぬ生徒に尊敬の眼差しで挨拶をされてうろたえる百鬼丸は、そうされるのが慣れていないのだろう、何度見ても飽きない。

「じゃあなんでそんな事してるの?」
「出来ないよりは出来た方が良いだろ。ギトーの野郎と戦った時の事考えると、これは出来た方がいい」

相変わらずギトーの事は嫌いらしい。顔を合わせる機会が余り無いのが幸いだ。しかしそれにしても少々品が無い。
また投げた。

「刺さんないわね」
「難しいな、形が悪いのか」
「まだメイジと喧嘩するつもり?」
「この間みたいに魔神に取り憑かれた貴族相手にする事もあるだろ」

ルイズも気付いていたが、魔神の乗り移ったモット伯爵の魔法は、確かに強力だった。魔法の効果の幅を明らかに広めている。コルベールと百鬼丸の推察では、どうやら魔神と魔法は相性が良いようだ。
ならば百鬼丸のこの練習は、彼なりに考えた生きる為の手段であり、こうして百鬼丸は生き抜いてきたのだと納得すると共に、口には出さないものの、自分とは違うその逞しさに尊敬の念を覚える。

百鬼丸は上手くいかない事に少し苛立っている様子だった。手を止め考え込み、足元に置いてある棒を、今度は細切れに刻み始める。一握り分になると、それを力一杯投げつけた。

「見ろよ、幾つか刺さった。これ使えるかもな」
「あんたねぇ、そりゃ使えないことも無いでしょうけど」
「何だよ?」
「なんでもなーい」

からかう様にそれだけ言うと、いつもそうしている様に、コルベールの研究室に立てかけられた小さな椅子を、近くの木陰へと引きずり、ちょんと腰掛け、持って来た本を広げる。
何が言いたかったのか百鬼丸も分かっているのだろう、再びもとの細い棒を投げ続けた。
ふと、定期的に鳴り続けていた軽い音が、違うものに変わった事に気付き、本から目を上げた。

「お、刺さった」

何とも間抜けな感想だ。もう一本再び。

「刺さんないわね……」
「うるせぇ」

こうなると気になる。再び百鬼丸に近づき様子を眺めた。二本、三本、四本と投げ、五本目。上手くいった。

「もう少しじゃない?」
「いや、偶然だな」
「駄目なの?」
「ちょっとは良くなってるのかも知れんが、良いやり方が分からん。形も不揃いだしな」
「ふぅん、結構考えてるのね?」
「少しはな。もうちょっと続けてみるか」

そういって百鬼丸は木に近づき、刺さっている棒をしげしげと眺めた。暫く考えた後、それを引き抜き、足元の棒を拾い集めている。
なるほど、と百鬼丸の強さの理由に再び納得した。

「それこそ投げナイフでも探したらどう?」
「そう、探すんだ。明日休日だろ? なんつったっけか?コルベールさんと武器買いに行くんだよ」
「明日は虚無の曜日よ。授業はお休み。でも武器だなんて、危ないわ」

主に百鬼丸に近付く人間が、危ない。

「オールド・オスマンの許可は頂いてるの?」
「当たり前だ。だから言っただろ? あの爺さん、面倒臭いだけだって」
「ちょっと呆れるわね」
「まあ、色々忙しそうだしな」
「そうね……」

理由など分かっている。

「それで、何処で何買うの?」
「トリ……トリ、なんだっけか、どうにも覚えにくいないな」
「トリスタニアね」
「そうだ、トリスタニア。何買うかはまだ決めてない。適当に良さそうな物があったら買おうかって思ってな。メイジ相手にこいつだけじゃ心許ない」

そう言って腰に差した刀をぽんと叩く。

「大砲は?」
「ありゃ取って置きだ。いちいち足が止まるだろ。それに、そうほいほい撃てるなら苦労しねぇよ」
「じゃあそうねぇ、盾でも買えば?」
「そんなもん持ったら剣が振れねえし足も鈍る」
「ほんと、いろいろ考えてんのね」
「少しはな」
「ねぇ、あたしも行って良い?」
「良いんじゃないか? うわっ」

突如百鬼丸が唸り、表情が渋いものになった。額に手を当て、しまった、と呟いている。
二人のもので無い声が頭上から響いた。

「あたしも着いていくっ」

なるほど、原因はこれか。
頭上から現れたのはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの不倶戴天の敵。
キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーである。

何処から盗み聞きをしていたのか、ゆるゆると魔法で空から降り立ち、相変わらず、胸のボタンを二つほど開け、大きな胸を突き出している。隣にはのそのそと現れた全長二メイルほどの巨大な火蜥蜴の使い魔。
魔法が使えず、使い魔を持たず、そして胸の小さなルイズには、もとより仲の悪いキュルケの態度は全てが自分を小馬鹿にしているように思えてならない。
しかし自分は今、キュルケに対し有利な立場にいることをルイズは知っていた。
敢えて今は口を開かない。

「何処から聞いてた?」
「ダーリンったら、御存知無いのね? でもそんな所も可愛いわ」
「何がだよ? っておい、こら、近づくなっ」

そう言って腕を取ろうとするキュルケから、百鬼丸はルイズを間に挟み、盾にする。

「照れなくて良いのよ? でもそんなところも、ああもう、なんて可愛い」
「照れてない。あと可愛いはよせ、気持ち悪い」
「あら、御免なさい、ミスタ・ヒャッキマル。そうよね、殿方に可愛いだなんて失礼よね、とっても逞しいあたしの勇者様」
「何でも良いから、何処から聞いてたんだよっ、近くにいなかったろっ」
「使い魔の見聞きするものは、主であるあたしにも分かるのよ? ダーリンたらあたしが近づいたら直ぐ逃げちゃうんだもの、照れ屋さん。でもこの子、あたしの使い魔でフレイムって言うんだけど、この子のおかげ。ねえ、どうかしら、あたし達を引き合わせたのよ、素敵でしょ?」
「ああ、素敵だね。今度からそいつにも気を配るよ」
「まあ、褒めてくださったのね。初めて、あたし、こんなに嬉しいだなんて。だって、初めて褒めて下さったのよ? あたしじゃなくてフレイムだけど、でも使い魔と主は一心同体、それをそう、素敵だなんて、あぁ」

まるで会話になっていないが、いつもの事だ。キュルケは百鬼丸に盛んに言い寄るのだが、百鬼丸はキュルケが苦手なのだ。怖い、とは何が何でも認めない彼だが、何処をどう見ても怖がっているようにしか見えない。
そんな百鬼丸を誘惑しようとしているのだろう、ゆっくりと体をくねらせ、自分の手を腿から豊満な胸に這わし、そのまま鎖骨を撫で、首筋を沿わせ、最後に人差し指を唇に持っていくキュルケ。
話をしながらゆるゆると百鬼丸へ近づこうとするのだが、百鬼丸は腰を僅かに落とし、摺り足でじりじりとルイズを盾に逃げ続ける。

この三人が揃うと、ルイズを中心に、残り二人は対極で直径三メイル程の円をひたすら描き続けるという奇妙な現象が起こるのである。
そしてキュルケの求めるものがキュルケから逃げ、自分を頼りにしているというこの現象は、百鬼丸には悪いが、ルイズが仇敵に優越感を覚えることが出来る僅かな時間なのだ。

この時ばかりは魔法も使い魔も関係なくルイズはキュルケに勝利している。

そう、身長も胸の大きさも何も全く関係ない。関係が無いのだ。

その矮小さを理解してはいるが、愉快であるのも確かな事で、ルイズは悔しいが悔しくないという妙な心持である。だがそれ以上に、キュルケの思い通りにならないと言うのはやはり気分が良い。
勝利の心地を堪能し続けていた。

明らかに助けを求める百鬼丸の声を聞き、暫しの快感に満足したルイズはようやっと口を開く。

「いい加減になさったら、ミス・ツェルプストー? それともゲルマニアの淑女は皆様、嫌がられてでも意中の方に纏わりつくのが御趣味かしら」
「邪魔しないで、ヴァリエール。ゲルマニアの女は情を大事にするの。フォン・ツェルプストーは特にね」
「あら、相手にされてもいないのにまだ気付かないの、お熱のキュルケさん?」
「恋の炎に身を委ねる喜びはお子様には分からないわ。あたしは『微熱』よ、もう忘れたの?『ゼロ』のルイズは頭の中身も『ゼロ』なのかしら?」

普段ならばここで直ぐに頭に血が上りきって、軽くあしらわれるルイズであるが、今の彼女は違う。何しろキュルケが求めている部分において、自分は勝利しているという確信が心に余裕を作る。

「あら、魔法は確かに『ゼロ』だけど、座学であたしに勝った事あるの? 人の頭を心配する前に自分の頭を心配なさい。ああ、お熱なんだっけ、御免なさい? 気遣いが足りなかったわ」

こういう喧嘩は先に頭に血が上った方が負けなのだ。そしてキュルケの怒りは既に隠しきれるものではない。こめかみが少し膨らんでいる。いまにも歯軋りの音が聞こえてそうだ。

「言ってくれるわね。『ゼロ』のルイズ。女性としての魅力も『ゼロ』なんじゃない? なによ、その真平らな胸は。あたしの方が良いにっ、てっ、ああっ」

百鬼丸は既に逃げ出していた。壮絶な舌戦が繰り広げられている一瞬の隙を突いて、気付かれないよう、既にどこかへ隠れてしまったようだった。一度だけ、自分達の罵倒の浴びせあいに流石にやりすぎだろうと止めに入られた際に巻き込んだからだろう、逃げることに躊躇いは無さそうだ。

「ああもうっ、どうしていつも邪魔するのよ、ヴァリエール。照れ屋な彼が行っちゃったじゃないっ」
「お生憎様、照れてるんじゃなくて相手にされて無いの」
「あんたがあたしの前で男女を語ろうろなんて十年早いのよ」
「はいはい、それじゃあたし疲れたし、もう帰っていいわよ」

あらぬ方を眺めながら右手をひらひらと振る。

「くっ、ちょっと待ちなさい。明日何時から出るの?」
「覚えてたの? お昼過ぎだって」

勿論嘘だ。後で朝一番に出るよう伝えておこうと考えながら。

「でもついてこないでね?あたしあんたが嫌いなの」
「そこだけは気が合うわね。あたしもあんたと一緒に歩きたくないわ。どうせ邪魔されるもの」

そう吐き捨てるように言うとキュルケは、ルイズにとっては気色悪い声で、百鬼丸の名を呼びながらどこかへ行ってしまった。恐らく百鬼丸は捕まるまい。

全力で逃げる百鬼丸は時に学院の外の森にすら潜むのだ。

「また勝ったのね、あたし」

真っ赤に輝く太陽は勝利の余韻に相応しいと、しばらくルイズはそこで勝ち誇ったように小さな胸を張り、一人夕日を見詰めていた。
なんだか虚しくなってきた。
しかしこれもいつもの事である。

「そう、勝利とは虚しいものなの」

勝利と敗北の綯い交ぜになった複雑な感情を受け入れるのも、仇敵の悔しそうな顔を拝めるのであれば代償としては高くない。積年の恨みを晴らすにはこの虚しさをあと幾つ乗り越えなければなら無いのか。遠い流浪の行き着く先に思いを馳せる旅人のような目をして、そんな事を口走る。

反省はしていない。





「ミス、ヴァリエール?」
「あら、シエスタ。今日は遅かったわね。あいつならもう逃げちゃったわよ?」

シエスタもルイズ同様に毎日ここへ来る。これは明らかに百鬼丸に恋をしているとルイズは確信している。あれだけの窮地に、文字通り身を挺して守ってもらえば、惚れた晴れたとなっても当然であろうし、平民にとっての百鬼丸は、貴族すらものともしない英雄らしい。

「そうでしたか。ふぅ、お仕事が、長引いたもので、急いで、きたんですけど」

少し息を切らしているのは言葉通り、余程会いたかったのだろう。
両手にぶら下げた籠の中には表面に水滴がうっすら白く覆っている幾つもの硝子瓶。
冷やした紅茶が中に入っている。
百鬼丸と生徒達への差し入れとして用意しているのだ。なんでもマルトーを始めとした厨房の料理人達も、英雄の為なら幾らでも、と過剰なまでに協力的らしい。時には菓子の差し入れもしてくれる。
しかし今日はその気遣いは余り無駄にならずに済んだ様だ。

「明後日からはもっと少なくってもいいわよ? 今日は誰も来なかったもの」
「え? あ、はいっ」

なんだか少し嬉しそうな返事だが、直ぐに沈んだ面持ちになる。
シエスタには悪いが、黒い髪には翳った仕草も良く似合うとルイズは思う。自分の桃色の髪も好きだが、シエスタの悲しそうな姿は、良く見るものとは情緒が違うのだ。
未だ肩で息をしている為、俯いて前髪が目元を隠すと、まるで泣き濡れているようで、夕日赤く染まった白の髪留めと、夜に向かって手を伸ばす周囲の情景も相俟って、思わず惹き込まれそうなほどの悲哀を醸し出す。許せる事ではないが、魔神も中々に見る目がある。

「毎日会ってるじゃないの」

今度は恥かし気に頷く。恋する女は美しくなる、なぞという仇敵の言葉は、なるほど今だけは寛大な心で評価してやろう。百鬼丸も贅沢な男だと考えたところで、何処か自分が年寄りじみている気がしてしまった。

「あたしも、女の子なんだけどな」
「何です?」
「ひとりごと。それ、飲んじゃったら?」
「いえ、貴族の皆様に用意したものですから」
「誰もいないわよ?」
「ええ、そうなんですけど、畏れ多くて」
「それじゃ、あたしの飲みなさいよ。あげるわ」

少し困った顔をしたが何度か薦めると、それでは、と礼を言い、薄い唇を瓶につける。
次はどんな顔を見せてくれるのか、なぞと淡い期待もあり、その姿に何が連想されるのか楽しみだった。

あまり注視する事のなかった平民の行動と言うのは、よくよく見ればルイズに常に新鮮なものを与えてくれる。シエスタに限らず、使用人達の日常の姿を眺めるのは、ルイズの密かな一人遊びとなっている。この子はきっと何処の子で、こんな風に育てられたのかしら、なぞと色々と考えてみると、とても面白いのだ。そしてシエスタが何かを口に入れるのをルイズは初めて目にする。
きっとまた、黒い瞳の少女ならではの光景が見られるに違いない。

ごきゅっと大きな音がした。

余程喉が乾いていたのか知らないが、高々と両手で瓶を掲げて飲む姿は、田舎育ちとは聞いてはいたものの、豪快すぎる。期待していたものと全く違うどころか真逆に位置するものだ。
そのままぐいぐいと飲み干していく。実に良い飲みっぷりだ。ここが酒場なら拍手喝采は間違いない。

「ふぅ、あら、如何なさいました、ミス・ヴァリエール?」
「あたしね、幻想って大事だと思うの」
「詩的ですわね」
「そしてとっても儚いものなのよ。いま分かったわ」

難しいですわ、と小首をかしげるシエスタ。その小さな仕草が今はどうにも不釣合いに思えてしまった。

「で、少しは落ち着いた?」
「ええ、お心遣いありがとうございます。でも、今日はどちらに行かれたのでしょう」
「さあ? どうせ夕食の時間になったら帰ってくるんじゃない?」
「犬じゃないんですから。まあ、そうなんでしょうけど。それで、またミス・ツェルプストーと?」
「ええ、また勝ってしまったわ」

再び遠い目。そろそろ夕日も城壁に隠れそうだ、期待していた風景と違った。

「差出がましいですが、程々になさいますよう」
「キュルケに取られちゃっても良いの?」
「駄目です」

中々言う。この一見物腰の柔らかい娘も、百鬼丸が絡むとすぐ強情になる。

「そう言えば、明日暇かしら?」
「いえ、明日は少しだけお仕事が」
「そうなんだ、百鬼丸とミスタ・コルベールがお出掛けするって言ってたから」
「ええ、昨日は一緒にお食事を取られてまして、その時に。本当に残念ですわ」

虚無の曜日でも使用人たちは必ずしも休日とはいかないようだ。普段は手の届かない場所でも掃除するのかもしれない。

「そっか、あんた百鬼丸の餌係だったもんね」
「もうっ、またそんな言い方」
「いいのよ。それで、何時出るか聞いてた?」
「お昼前だと伺っておりますが」
「朝御飯終わったら直ぐって言っといて?」
「ご一緒に行かれるのですか、羨ましいです。でも何故?」
「キュルケが」
「しっかりと、お伝えしておきます」

恋は少女から可憐さだけでなく、逞しさまで引き出すらしい。勝手に抱いた幻想を守ろうと、会話を止めそのままぼけっと日が沈むまで夕日を眺めていた。シエスタも何やら見入っていたようだ。

「本当に、有難うございます。毎日見てたのに、とっても綺麗で」
「もう、またその話? いいわよ、聞き飽きたし」
「何度申し上げても、足りないくらいですわ。ですが飽きたという事でしたら止めておきます」
「ええ、今日は面白いものも見せてもらったし」
「ご満足頂けた様で何よりです。 最近楽しそうに私供を見られていましたもので、つい」
「シエスタ?」
「小さい頃によく笑われまして。余り人前では致しませんの。ヒャッキマルさんには内緒ですよ? あたくしも女ですから。ではお仕事がありますので失礼致します」

どうやらルイズの短い絶頂は当の昔に終わっていたらしい。
さて、明日は誰の日だろうか。



[27313] 第二十五話 デルフリンガー
Name: たまご◆9e78f565 ID:598d56d5
Date: 2016/06/29 00:38



魔法学院から馬に乗って三時間ほど、トリステインの首都であるトリスタニアである。中心の白亜の王宮とそこから広がる城下町、さらにその中のブルドンネ街、この最も大きな通りを、物珍しそうに見回す百鬼丸の袖を引きながらルイズは歩いていた。コルベールはその二人を楽しそうに見て先導している。

人の集まるトリスタニアは当然商都としても栄えている。ブルドンネ街の大通りには大衆食堂、喫茶店、酒場、雑貨屋等が長く軒を連ね、こんな賑やかな街は初めてだと、大通りを歩きたがる百鬼丸の要望でしばらくの観光と洒落込んでいる。
看板を見ながらあれはこれは、と興味津々だった百鬼丸に、しばらくは楽しそうに答えていたルイズだが、片道二時間以上の道のりな上、歩き回れば疲れも溜まる。

「もう、あたしまで田舎者みたいに思われるじゃないの」

と少し機嫌が悪い。

「田舎者なんだよ、嫌なら離れてろ」
「それこそ嫌よ、あんた何するかわかんないじゃない」

コルベールもそれには同意だとこっそり頷いた。

「スリだって多いんだからね」
「生憎おれは無一文だ」
「偉そうに言わないでよ、あたしは持ってんの」
「そうです、メイジのスリなどというのもおりますし」

魔法が使えるもの全てが貴族な訳ではない。没落したものや、領地を持たない貴族、領地持ちでもその次男三男などは、食い詰めれば犯罪に手を染める事は少なくない。一度手を出せばこれほど楽な事もなかなか無いだろう。ただ、スリしか出来ない程度恐るるに足りないが、厄介事はなるだけ避けたい。

わざわざ変装までしているのだ。貴族とわかる格好では何かしらと目に付く。百鬼丸に至っては完全に異国の民だ。シャツとズボンは戦いにくいとごねた為、三人とも今は、旅人が使う外套を頭からすっぽりとかぶっていた。

「メイジの癖にスリなんて情けねぇ」
「それは同意するわね。ほんと、魔法を何だと思ってるのかしら」
「まあまあ、そんな事を言っても仕方ないですよ、さてそろそろ用事を片付けましょうか」

次第に機嫌が悪くなっていくルイズを見て、コルベールがそう提案した。




一つ小道に入り込めば先ほどまでの賑やかさはどこへやら、次第に道が汚れ、薄暗くなってゆく。

「こんなところにあるのか?」

裏通りには秘薬屋、傭兵の仕事斡旋所、闇市、果てには盗人市など、平穏に生きていれば関わりの無いような危険な区域もある。武器屋はどちらかと言えばまだ表に近い。表と裏の境界線はナイフ一本で線が引ける。

「こんなところだから、あるのですよ」

普通の貴族ならば杖以外には武器は要らぬ。ちなみに貴族の象徴でもある杖は普通は市で買うものでなく、多額の報酬で職人に依頼して作らせるものだ。
使えば使うほど手と魔力に馴染むため、古くなった杖はその貴族の年輪ともなり、ともすれば家宝にさえなって受け継がれる。確かな品を一度買えば、騎士や傭兵でも無い限りは、そう買い替えが必要なものでもない。
平民にしても、傭兵や衛兵、亜人の被害が出るような地方の村ならばいざ知らず、王都に住むのであれば、武器を振り回す必要はほとんど無い。

そのため、後暗い人間が足を運ぶような場所でも十分に客は来る。むしろ、賑やかすぎる場所こそ刃物を必要とする者にとっては入りにくい。

剣の交差した看板を見つけ、羽扉を開き中へ入ると、酔っ払ったように鼻の赤い店主が威勢良く声を掛けてきた。

「へい、いらっしゃい」

ルイズも百鬼丸も珍しそうに店内を見回す。
店主が怪訝そうに眉を寄せたが、何かと問えばすかさず愛想を振りまいた。

「いえいえ、失礼しました、何でもございやせん、ええ、知り合いに似ていたもんで。それで本日はどういったものをお求めで?」

百鬼丸が前に出ると、懐から鉄の棒切れを取り出す。昨日ルイズに披露した手製の投擲武器だ。

「こんな、投げるもんが欲しいんだが、あるかい?」
「はぁ、こりゃ手作りですかい? 投げナイフや弓矢ならありやすが、こんなやつはないですね。別のもんでよければいくつかお持ちやしょう」

しばらくお待ちを、と揉み手をしながら店主は店の奥へと消えた。途端、百鬼丸はあたりを注意深く探っている。何かに警戒しているようだ。

「何かいるんだが、人じゃねぇんだ。いや、大丈夫だ妖怪でもねぇ」

腕を組んで頭を捻る百鬼丸。ルイズには良くわからない。目を合わせると、コルベールも首を横に振った。こういうことはやはり感覚が違うらしい。
と、何者かの声が聞こえた。

「そこの者」

しゃがれた、男の声だ。カタカタと何かが音を立てている。

「ここだ」

うず高く詰まれた剣の山からどうやら聞こえてくる。無造作に歩みよる百鬼丸。それを見てルイズとコルベールも安心して近付いた。

「我はここだ、ここにおる」

コルベールが音源を見つけた。古い長剣だ。

「そうだ、我を手に取れ」
「インテリジェンスソードですか、これは珍しい」
「なんだそりゃ?」
「知性を持った剣の事です。 ナイフなんかもありますが」
「我が名はデルフリンガー。伝説の聖剣なり。我を手に取れ」

コルベールが、デルフリンガーと名乗る剣に手をかけた。引きずり出してみれば、柄まで入れて百五十サントほどの長さの片刃の剣。拵えからみるに、かつては見事な品だったのだろうが、今は風化したかのように錆だらけだ。鞘から僅かに引き抜くも、刀身までも錆びついている。研いでも痩せるだけだろう。

「なによ伝説の聖剣って。聞いたことも無いわ。錆びだらけじゃない」
「私も存じませんなぁ、して何か御用ですか、デルフリンガーさん?」
「我を買え、主らが気に入った」

妙な事を言う剣だ。

「はぁ、剣自らに売り込まれるのは初めてですな」
「俺も初めてだよ、喋るだけでも初めて見る」
「おい、こらデル公っ、てめぇまた勝手に喋りやがって」

ばたばたと店主が戻ってきた。些か血相を変えている。

「黙れ、そこの。我は今この者らと話をしておる」
「なに気色悪ぃ喋り方してんだよ。 お客様方、申し訳ありやせん。こいつ何か失礼なことでも?」
「黙れと言うておるに」
「てめぇが黙りやがれっ、勝手に喋んなっていつも言ってんだろがっ」

ルイズ達は首を傾げた。今ひとつ店主とデルフリンガーとやらの会話がずれている、と言うか伝説の剣にしては軽んじられすぎではなかろうか。
そんな気配を察知してか、店主が揉み手を始める。

「どうも申し訳ございやせん。へぇ、いや誰が考えたか知りやせんが、剣に喋らせるなんて趣味の悪ぃこって、なんでこんなもん作ったんでしょうかねぇ。
いつもはこんな仰々しい喋り方しないんですが。やい、デル公め、黙らねぇと溶かしっちまうぞっ」

がちゃがちゃと、またデルフリンガーから音がする。先ほどより激しい。

「やかましいこの野郎、溶かせるもんなら溶かしてみやがれチクショウめっ、せっかく俺様自分で売り込みやってんのに邪魔すんじゃねぇっ」

どうやらこれが伝説の剣の本性らしい。

「ん、う……ん、我を買え」

コルベールはそっとデルフリンガーを元の場所に戻した。

「やい、こらハゲ、俺様を誰だと思ってやがるっ」
「店主、私が溶かして差し上げます……ああ、お金は結構ですよ……」
「悪かった、俺が悪かった。あんたの頭とっても綺麗だ、輝いて見えら。だから頼むよなぁ、俺を買ってくれっ」

騒がしいと、ルイズはまた苛々してきた。コルベールは既にこの古臭い剣を溶かすつもりだ。百鬼丸だけ面白そうに口を挟んだ。

「おい、デルフリンガー。お前、何が出来る?」
「おお、兄ちゃん興味ある? 俺は嬉しいねっ」
「ちょっと、こんなうるさいのがいいの?」
「いえ、ここは溶かして新しいものを作りましょう……」

コルベールが少し怖い。そんな事は気にもせず百鬼丸は続ける

「面白いじゃねぇか、自信があるんだろ?」
「当ったり前よっ。 切るもよし、突くもよしのデルフリンガー様だっ。独りで寂しい夜にはお話し相手だってできるぜっ」
「じゃあ、こいつで」

楽しそうに百鬼丸は刀を抜く。オスマンから貰った刀だ。ちなみにあの趣味の悪い色柄は手直ししてもらっている。

「おれが切るから、刃こぼれ一つでもさせたら買ってやるよ」
「おうおうっ、頑丈さだって折り紙付きよ、そんじょそこらの鈍らにゃ負けやしねぇっ」

なんだか勝手に盛り上がっている。とりあえずコルベールが怖かったので、ルイズは楽しくなってきた振りをして、あたしも手伝う、と壁際の椅子を二つ並べ、デルフリンガーをその上に真横に寝かせて準備をする。そんな様子を尻目に店主がコルベールにこっそり耳打ちをした。

「旦那、あの、お買い上げでいいですかい? 申し訳ありやせんが、こっちも商売でして、デル公が負けたらこっちは商品駄目にされちまいやす」
「それもそうですな、まぁ良いでしょう。してお値段は?」
「百エキューでさぁ」
「安いですな」
「へぇ、厄介払いも込みでこの値段でして」

だとしたら高い。





天井に刃を向けたままでしっかり固定されたデルフリンガーは、なにやらカタカタとまた鍔を鳴らしている。
百鬼丸は自身の得物の具合を確かめた。刃こぼれは無い。ついでデルフリンガーの刃を指でなぞる。錆びだらけで切れ味は悪いだろう。だが別にそれを期待していもない。
喋る剣など初めて見るし、売込みをしてくるのも面白い。言うなれば遊びだ。しかしオスマン特製の刀相手に何処までデルフリンガーが耐えられるか楽しみでもある。しぶとそうなこの剣の事だから、真っ二つに切ってしまっても平気だろう、と結構非道い。

見ればルイズも何やら期待した面持ちでいた。今は危ないので店主に頼み、カウンターの奥に離れさせている。コルベールも興味深げに眺めていた。
店主も刀をしげしげと見詰めている。見慣れぬ剣に武器屋としての血でも騒ぐのか。

では、とゆっくり刀を大上段に構える。

「いくぞっ」
「おう、かかってきやがれいっ」

えいやと振り下ろし、鍔元から刃先まで滑らせれば、鋼の擦れ合う耳障りな音と火花が飛び散った。

「どうだっ」
「へんっ、そんな鈍らじゃ俺にゃ傷一つつけらんねぇっ」

刀を確認すると、小さな刃こぼれが幾つも出来てしまっていた。デルフリンガーを確かめれば、錆をこそぎ落とした程度にしか変化が無い。

「驚いたな、こりゃぁ頑丈だ」
「ほほぅ、興味深いですな」
「へへん、なんせ俺、伝説だかんね」

伝説云々は眉唾物だが、なるほど、これならば確かに役に立つかもしれない。
さて、とデルフリンガーを手に取ろうとしたところで店主が神妙そうに声をかけて来る。

「すいやせん、剣士の旦那、ちょいと今の得物見せて頂いても?」
「ん、ああ、結構痛んじまったがいいかい?」

構いません、と百鬼丸が差し出した刀を手に取り、じっと眺める。角度を変えて再び。ひとしきり確かめた後で腕を組んで唸った。

「失礼ですが、この剣どちらで?」
「そいつは、とある貴族に頼んで作ってもらったもんだが、まぁ偽者だ。頑丈さは本物以上だけどな」
「左様で。ちなみに本物ってぇのは、……いえ、何処で作られた品かご存知で?」
「東方だ」

言葉を濁した。東方の出自と言う様にはしているが、嘘だからだ。だが、店主は更に唸ると、手を叩く。

「うぅん、よし、決めた。 ちょっと待ってておくんなせぇ」

そう言うと再び奥へ引っ込む。何やら良くわからなかったが待つ事にする。振り向くと、何時の間にかコルベールがデルフリンガーと話し込んでいた。伝説とやらについて興味がわいたらしい。デルフリンガーの頑丈さを前にすれば、なるほど少しは信憑性も上がる。何にでも食いつくな、と思う。

「六千年っ、それ程の時を過ごしてこられたのですか」
「そうなんだよな、聞くも涙、語るも涙の冒険だってぇいくらでもあらぁ。 おいハゲ、てめ、なかなか話がわかるじゃねぇか」
「ぬぐっ、いえいえデルフリンガーさん、してまずは六千年前の事をお聞かせ願えますか」
「ミスタ・コルベール、そんなボロ剣の言う事信じちゃだめですって」

額に青筋を浮かべながらも、持ち前の好奇心が怒りに勝っているのだろう、首の凝りそうな相槌を打つコルベール。

「なんだと娘っ子、こっちにきやがれっ、その舌ちょんぎってやるっ」
「いきなり態度がでかくなったわね」
「おうおう、おれっちの相棒はそっちの兄ちゃんだっ、文句があるなら兄ちゃんに言いなっ、なぁ!?」

とんだ話だ。剣の癖に責任を持ち主に押し付けるとは。いや、剣だから間違っていないのだろうか。人の尺度で考えてはいけないのかもしれない、などと真面目に考える。

「ねぇちょっと、早まったんじゃない?」
「……けどよ、喋る剣なんて滅多にないぜ? それに頑丈なのは確かだし、」
「あんたがいいならいいけど。そう言えばデルフリンガーだっけ?、あたし達の事気に入ったって言ってたけどなんで?」
「ああ、あれね、嘘」
「なにこいつ、舐めてるわっ」
「いやいや、それがよっ、聞いてくれよ、ってひゃぁ、来たっ」

その声と同時に店主がなにやら重そうな包みを抱えて戻ってきた。カウンターの上にそっと置く。包みを解くと出てきたのは銀の箱。上の面だけ硝子のように透明だ。入れたものを観賞するために作られたものだろう。

「あれ、あれよ、俺様、あれが怖いの」
「剣の癖になに怖がってんのよ」

それは一振りの刀。百鬼丸の呟きを聞き取り

「へぇ、カタナっていうんですかい?」

ルイズとコルベールが反応した。駆け寄る。透明な上面越しに見えるのは、台座の上に固定された抜き身の刀とその鞘。

「あらほんと、でもこれ凄い、綺麗……」
「ははあ、目利きは出来ませんが、しかしこれはまこと……いやぁ、美しいの一言につきますなぁ」

どこかうっとりとしたようなルイズとコルベールの声。見惚れていた。
中央に向かってなだらかにくびれる柄に、柄巻が規則正しいひし形模様に力強く編まれている。鍔はやや薄めの丸型で、楕円の穴が二つ、鞘は黒一色で飾りは小尻の金具が一つと無骨な拵えだ。
しかし刃が並みの品ではない。反りの浅く、やや厚いが顔さえ映すような輝きに、ゆらゆらと波打つ紋と、貫くような鎬。血を浴びた形跡はあるが、刃はなお輝いている。そして惹きつけられるような妖しさがあった。

「確かに、こりゃ業物だな。しかし取り出せないのか?」

しげしげと眺め、百鬼丸は手に取ろうと探るも箱には継ぎ目が無かった。蓋をかぶせているのではなく、側面の銀の部分と一体化している。

「一面だけを錬金で変化させたのでしょうな。 それに念入りな固定化も。 ここまでするのも良く分かります」
「でもこれ、何で出来てるのかしら」

ルイズの疑問に答えるように、コルベールは側面を指の腹でなぜながら魔力を通す。音が響いた。

「銀ですな。この透明な部分も、恐らく本来は銀だったのでしょう。 しかしもう少し意匠を凝らしても悪くはなさそうなものですが。 
剣のみを眺めたいのであれば銀でなくともよい。むしろもっと素朴なものがよいですし、わざわざ銀を使うのであれば、この箱全てをひとつの美術品に仕上げたほうが、という気はしますな。しかしそれにしても」

美しい、というコルベールの呟き。ルイズも頷いた。

「ご主人、これはどちらで手に入れたものですかな?」

百鬼丸の持つものに似た剣だ。東方のものだとコルベールは考えていた。
コルベールはまだ見ぬ東方に憧れる。

火のメイジである彼がこれまで生きてきた中で、火は戦い以外にその本領を発揮することは殆ど無かった。とある出来事により戦いを忌み嫌うようになったコルベールは、炎が戦ではなく、人の、そして生活の助けとなる術を十年近くも模索し続け、日々研究に没頭している。知識欲は生まれつきのものなのだろうが、その命題が今のコルベールを形作っていると言ってもよい。

そして東方の技術はハルケギニアのそれを遥かに上回っていると耳にした事がある。ならばこそ、東方の技術を知れば、火を戦の道具として出なく扱う事が出来るかもしれない。この刀を辿れば、東方を、あるいはゆかりの品を手にする機会が増えるかもしれない。

刀を手繰り寄せ眺める。と、デルフリンガーが唐突に叫んだ。

「ひゃぁ、おい親父っ、そいつを俺様に近づけんなっ、なんべん言わすんだよっ」

そいつ、とはこの刀のことか。剣が剣を恐るとは妙な話だ。

「へい、そうなんですよ。それも含めてちょいとお話させて頂ければ」
「なぁ、剣士の兄ちゃん、外に出よう、俺お日様が見てぇな」

いい加減苛立ったルイズが、デルフリンガーを鞘に押し込むと声を出さなくなった。

「鞘にしっかり入れていただきゃ喋れなくなりやす」

どうやら正解だったらしい。では、とコルベールが先を促した。

「へい、二、三日前の事なんですがね、明け方のまだ日が昇らねぇような時間に顔色の悪い旦那がやってきてこいつを買えって。
あっしもなにやら怪しいと思いまして、こんな店やってると、どんなに変装したところで、どんな身分かくらいは分かるんでさ。旦那方も訳有りなんでしょ?
いえ、何かしようって訳じゃありやせんで、どうか聞いておくんなせぇ。
それでね、多分ありゃアルビオンの、しかも貴族だって思いやして。 訛りがちょいと酷かったから割と田舎の方でしょうな。 今のアルビオンの情勢はご存知でしょ、反旗を翻した貴族派に、王党派もなんとか耐えちゃあいやすが、多勢に無勢だ。
そんな戦争中の所から来たもんなんて下手すりゃ火事場の品の可能性だってある。奴さんがどっち派かなんてなぁ、あっしにも分かりやせんがね」

アルビオン王国はガリア、ロマリア、トリステインと共に始祖ブリミルに連なるものが興した国だ。ロマリア以外は全てブリミルの血族が興した国であり、王族は始祖の系譜だ。そしてアルビオンはトリステインにとって最も友好的な国家と言ってもいい。

コルベールもルイズも、その情勢は聞き及んでいた。アルビオン王に反旗を翻したレコン・キスタと名乗る貴族派は次第にその数を増やし、いまや王都ロンディニウムを含むアルビオンの半分以上を手中に収め、王室は風前の灯なのだとか。
トリステイン側からの軍事介入は未だに行われていない。これは数年前の王の崩御から、王が空位であるトリステイン国内の情勢が不安定であり、また国家の意思決定機関が十分に機能していないためだった。

どうやら東方へ繋がる手がかりは無さそうだ。おまけに戦の渦中にあるアルビオンからとなると、下手に手出しすれば火傷では済むまい。
が店主はかまわず話を続ける。

「それで、初めはあっしも断わったんですが、なにせこんな立派な代物だ。たったの千エキューで構わねぇって言うもんで。
ところがどっこい買ったはいいものの、デル公は怖がるし、近所のカラスだの鼠だのは寄ってくる、占いの婆からは死相が出てるなんて言われる始末。
とっとと売っぱらいてえが、どっから出たもんか分からねぇ。もし盗品だったりした日にゃあっしの首が危ねぇし。
それなりのところに流せりゃいいんだが、これでも全うな商売してましてね、伝手もねえんでさ。
見たところ旦那様と若奥様も貴族様のようですが、何やら訳ありと思ってたところに、若旦那の得物がこいつとそっくりと来たもんだ。 どうか相談に乗っちゃくれねぇかと思いまして」

さて、どうしたものかと考えている中ルイズがふらふらと銀の箱へ近寄っていく。いささか足取りがおぼつかない様子だ。声をかけようとしたところで突如膨らんだ空間に吹き飛ばされた。





「ダーリンったら、何してるのかしら。全然出てこないじゃないの」

裏通り、武器屋のそばの脇道から小首を出して様子を伺っていたキュルケは、隣にいる少女へ話しかける。返事は無い。目をやれば本を読んでいた。学院を出てから一度も目を離していない。相手をしてくれないのは寂しいが、ここまでくれば天晴れとしか言いようがなかった。

声をかけられた少女、背はルイズよりも低い。太いふちの眼鏡をかけ、蒼い髪は短く、襟足に届くほど。自分の身長よりも長く大きな杖を体に預け、直立の姿勢でひたすら文字を追っていた。その目は眠そうにも見えるが、実は楽しんでいるとわかるものは殆どいない。親友が楽しそうにしているのはキュルケも嬉しいが、とはいえ文句を言わずにも居られない。

「もう、こんなとこでも本ばっかり」

一瞬目を合わせてくると、再び視線を戻し読書を再開した。
名はタバサ。姓も無く、ただタバサだけ。無口で読書ばかりしている彼女だが、不思議な事に馬が合う。一年生の始めの頃に、ひょんなことから決闘にまで至り、それ以来の付き合いだ。使い魔は風竜。他の竜に比べ、速く飛ぶ、それが彼女がキュルケとともにここにいる理由だ。

休日と言う事でいつもより遅く目を覚ましたキュルケ。ルイズの部屋を開ければそこはすでに出かけた後だった。ちなみにルイズの部屋はキュルケの向いだ。
仇敵ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに出し抜かれたとキュルケは理解した。とはいっても、昼過ぎに出る、というルイズの言は微塵も信用していなかったが、眠かったのだから仕方がない。睡眠不足は美容の敵で、美しさは恋の必要条件だ。ただ、少しだけ眠りすぎたとは思うけれども。

ルイズに隠れて百鬼丸の後を追うつもりだったキュルケだが、この出遅れは手痛い。武器屋で待ち伏せをすればいずれ会えるが、既に用を済まされていた時はどうしようもない。
人ごみに紛れた百鬼丸を探し出すのは、ツェルプストーの愛の力をもってしても難しいだろう。困った時の親友頼みと、休日を本に埋もれて過ごす予定だったタバサの部屋に乗り込み、必死に説得。なんとか使い魔の風竜に乗せてもらい、王都へとたどり着いたのだ。
つまりは足代わりである。風竜は今は外の森で待機だ。素晴らしきは友情。そして恋は何事にも勝るという家訓のままに動いた結果だった。
武器屋へたどり着いたのは、百鬼丸達が到着して少し経ってからだ。

「中に入ればいい」
「嫌よ、ヴァリエールが邪魔してくるもの。引き剥がしたいんだけど、無理なら……そうよっ、何かプレゼント買ってあげたら喜ぶかしらっ?」

名案だ。となれば、百鬼丸が何を欲しがっているか、いや、彼らが店を出た後に店主にでも尋ねればよい。

そこまで考えたところで聞き慣れた爆発音。この音は恐らくルイズの魔法だろう。次いで悲鳴が聞こえた。タバサと目をあわせ、頷き合うと、周囲を確かめそろりそろりと近付く。金属を、恐らく剣だろう、数合の打ち合う音。

「何かしら……」

小声で囁いた。返事を期待してのものではない。

突然湿り気を増した辺りの空気が、体の熱を吸い取るように執拗に纏わりつく。
一つ歩を進めるごとに、煙るような息苦しさが濃度を増していった。タバサを見やれば、自分よりはまともそうだが、時折体を震わせている。

「まさか怖いのかしら、タバサ」
「怖いのはあなたも。行く必要は、無い筈」

言うとおりだ。そして行かねばならぬ理由はない。
しかし逃げるなどツェルプストーの名折れでもあるし、まさに怖いもの見たさとでもいうか、命の危機を携えるその正体を確かめたくもあった。
中を覗き込もうとしたところで、奥から小さな体が飛びかかってくる。

「近づくなっ、逃げろっ」

愛しい百鬼丸の声。ただ、聞いたことがないほどに切迫していた。





痛む頭を抑えながら目を開く。見慣れた天蓋。視線を反らせばやはりよく知る箪笥と壁。ルイズは自分がどこにいるのかは良く分からなかった。

「ミス、大丈夫ですか?」

振り向けば椅子から乗り出したシエスタが心配そうに問いかけてきた。隣には百鬼丸もいた。自分はどうやらベッドに寝ていたらしい。服もいつの間にか着替えさせられていた。魔法学院の自室だ。

「あれ?どうしたの?二人とも、痛っ」
「おい、まだ起き上がるな」

肩をつかまれてゆっくりと寝かされる。右腕が痛い。寝そべったままで手を持ち上げて見てみるが、見た目にはどうともない。左手で抑えてみるとやはり痛む。

「ヒャッキマル? あたし……あれ、夜、なんで、ここにいるの?」
「大丈夫か? もう夜だ。外でいきなり倒れたから運んできたんだよ」
「そうなんだ、迷惑かけちゃったかしら。 なんかすこし……だるい。けど多分大丈夫。気持ち悪くは、ないわ」
「そうか、よかった。 腹減ってねぇか?」
「あ、ちょっと待って、大丈夫だから。よく分かんないからまだ行かないで」

百鬼丸は頷いて再び椅子に腰掛ける。何があったか尋ねるも答えは同じだ。なぜか自分は突然体調を崩して気を失ってしまったらしいが、よく覚えていない。腕が痛むのは、倒れた拍子にぶつけたのかもしれない。

頭が回らない。とりあえず混乱は収まってきたが、まだ体も重い。仰向けになったまま話をしているが、百鬼丸もシエスタもたいそう心配してくれていたらしく、話すにつれて安堵が伝わってきた。

ヴァリエール領の屋敷にいた頃を思い出す。厳格なつもりで実は甘い父、いつも怖かった母と上の姉、そして優しい二番目の姉がいる。
ルイズが寝込むと、父と母は優しくなって、上の姉は怖くなくなる。二番目の姉は楽しそうに看病してくれた。心苦しくはあったが、それでも嬉しい気持ちはたしかにある。懐かしい。
瞼が重くなってくる。今日はとても疲れた気がする。



夢を見ている。
夢だとわかる。自身の体が意思と反して動き、本来持たない身体能力を発揮している。夢の中、汚れた裏道を限界を超えた速さで駆け回るルイズの手には、薄暗い刃が握られていた。かつてない力で刀を握る腕が軋んいる。

違う、夢であるが、夢でない。これは実際に起こったことだ。

刀を握ったルイズの頭に、刀の記憶が流れ込んできた。

それは人を操る刀だ。銘は「似蛭」

切ることだけを求めた続けた鍛冶師の、その怨念とも呼べるほどの妄執。そして、切り裂いた肉と血の質が、ただの名刀を妖刀にまで昇華させた。ひたすらに高みを目指し、ついにたどり着いた究極の形の一振り。
血を求める、蛭のような刀。それがこそが、ルイズが手にする刃の正体だった。
恨み辛みのみではない。魔の源は欲望で、善悪は人の言葉でしかないからだ。


妖刀を握れば全ては等しく蛭となる。刀に操られたルイズに渦巻いていたのは、飢えと乾きから逃れる根源的な欲求だった。そして、ルイズの振るう凶刃は、貴族にあってはその血ですら、平民の臓腑より上質であると知ってしまったのだ。

そこに正気は無く、そして罪を犯した、人を斬ったのは間違いなくルイズの体だった。



夜半に悲鳴で目が覚めた。喉が痛い。音は自身の喉から鳴らされたものだったようだ。部屋には誰もいない。ばくばくと脈打つ心臓の音。
あぁっ、と再び悲鳴をあげると、体の痛みを無視してベッドから飛び降り、箪笥の引き出しを漁る。小さな薬瓶をひっつかんで部屋を飛び出し、向かいの扉を何度も叩いた。

「キュルケっ、キュルケっ、ねぇ、返事して、いるんでしょっ、ねぇ」

静寂を無視して叩き続けると、ゴソゴソと音がして気だるげな声が聞こえた。

「んんっ、どなた? もう、夜はきちんと窓から入ってくださらない?」
「ねぇ、開けて、キュルケ、開けてよっ、開けなさいっ」
「ルイズ? ちょっとまちなさい、静かにしてよ、ああもうっ、今出るから」

ドアが開くと、なにかと聞かれる前にルイズはキュルケの腕をつかむ。あられもない格好で出てきたキュルケだったが、今は両の手に巻かれた包帯、その下にあるはずの刀傷が問題だ。何事か言われる前に包帯を外そうとした。

「ちょっと、痛っ、何よ」
「あ、ごめんなさい、これあたしが」
「あんた」

怖くなって必死にまくし立てる。

「ごめん、ごめんね、キュルケ、ほらこれ水の秘薬よ。お父様にお願いしてたの、良いものだから、きっと効くから、ね、。これ使って、傷だってきっと残らない。あんたの手だって綺麗なままになるから」

涙が溢れて声が震えてきた。ああ、なんということをしてしまったのか。
あろうことか、妖刀を握ったルイズは、キュルケに襲い掛かったのだ。

キュルケの顔を見ることすら出来ない。仇敵といえども傷つけたいと思うほど憎くはなかった筈だ。それでも罵倒すらしてこない。沈黙に耐えられず、手を握って秘薬を掴ませようとする。早く済ませて逃げたかった。

「痛、ちょっと乱暴にしないでよ」
「あっ、あの、ごめん、ごめんねっ。わざとじゃないの」

極度の混乱状態であることは理解しているが、どうしようもなく抑えが効かない。がたがたと体も震える。最近こんなことばかりだ。

「ねぇ、ルイズ。あたし怒ってないし、ちゃんと手当もしてもらってるから、大丈夫よ」
「でも、でもあたし、あんたのこと、ごめん、ごめんなさい」

ひたすらに謝り続け、手を引かれ部屋へと招き入れられた。


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少し改訂
続きをなかなか書けず、また今回は改訂ですのでsage投稿です。
時間が欲しいです。


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