そこは街道から少し離れたところにある草原で一人の青年が寝転がっていた。
年のころは二十くらいで旅人の服と言われている丈夫な服を着ており、傍らには手荷物らしきものを置いているその姿は典型的な旅人の姿だった。
大きな欠伸を一つしてつぶやく。
「平和だ」
時刻は昼を少し過ぎたところでさわやかな風が草木を揺らし、遠くでは鳥の鳴く声が聴こえくる。
確かにとても平和な風景だ。
だが少し前まで、この地下世界アレフガルドではとてもこんな平和な光景はとても望めなかった。
世界は闇に閉ざされこのような人気の無いところに一人でいるのは自殺行為も同じだった。
「苦労した甲斐があるというものかな」
そうつぶやくとその青年こと賢者セランはまた一つ大きな欠伸をした。
世界を征服しようとする魔王バラモスを退治するために勇者と一緒にアリアハン旅立ったのはもう数年前にもなる。
苦労の末バラモスを倒したがその背後には大魔王ゾーマがいた。
だがくじけることなく、地下世界に向かいさまざまな試練を乗り越えついに大魔王ゾーマも打ち倒したのは一ヶ月前のことだ
それまでは世界中を凶暴な魔物が徘徊し、多くの人々が絶望していたが世界はその恐怖から開放され魔物の脅威はなくなり闇に閉ざされていたこのアレフガルドにも光が戻った。
世界は救われたのだ。
「さて、これからどうしますかね」
ここ数日セランがずっと考えていることだった。
仲間たちと共に大魔王を倒し世界を平和にするという、つらい事もあったし危険な事だらけの旅だった。
だがそれ以上に充実し使命に燃えやりがいがあった。
世界を救うという目的の為、己の全てを賭けるに値した旅だった。
その目的が達成された今、目的を見失ってしまったのだ。
「平和すぎて何をすればいいんだか」
贅沢な悩みだと自分でも思う。
今のセランは賢者のトレードマークともいえるサークレットやローブを身につけていない。
たびびとのふくとかわのぼうししか身に着けておらず、どこから見ても『ここは○○の村だよ』としか言わない村人Aにしか見えない。
自分の賢者としての役目は終わったと思っているからだ。
ゾーマは倒れるときに言っていた。
『光あるかぎりまた闇もある。ふたたび何者かが闇から現れよう』
勇者は気にしていたようだが少なくとも自分の生あるうちはこの平和が続くだろう。
そしてその苦難はその時に生きている者たちが切り開いていくべきだとセランは考えている。
別れた仲間たちの事も思い出す。
勇者はゾーマの残した言葉が気になったのだろう、後世に残せるものを探すために旅を続けるようだ。
武道家は「拳の道を極める」と言い更なる修行に出た。今頃どこかで山ごもりでもしているのだろう。
女戦士はあろうことかいつの間にか勇者といい仲になっていたようで勇者についていった。
勇者からは一緒に行かないかと誘われたが二人の仲を邪魔するようで気がひけたので断った。
皆何かあったときはすぐに駆けつけると約束をして四人の旅は終わったのだ。
「ちょっと狙っていたのに……」
女戦士のビキニアーマー姿を思い出し「未練だ……」とつぶやく。
そしてまたこれからどうするかという悩みに戻る。
「……歩きながら考えますか」
このまま寝転がっていても仕方ないと、荷物を持ち歩き出す。
目的地は決めてない。まさに足の向くままだ。
幸い金には当分どころか人生を数回くりかえしても大丈夫なくらい余裕はある。
このままどこかの町か村にでもついたらそこでしばらく暮らしてみてもいい。
そんな事を考えながら歩き続けた
だが彼にそんな平穏な暮らしはまだ許されないようだ。
歩きながらまた欠伸をしたのがまずかったのだろう。
目の前に大きな鏡のようなものがあると気づいたときにはすでに足がその鏡に入っていた。
「へ?」
思わず間の抜けた声をだす。
旅の扉を通り抜けたときに似た浮遊感が全身を襲った。
次の瞬間には見たことも無い場所に放り出されていた。
そして
「あんた誰?」
目にも鮮やかな髪をした少女が話しかけてきた。
これが世界を救った『賢者』と、これから世界を変えていく『虚無』の出会いだった。
「あんた誰?」
ルイズは不機嫌そうに目の前にいる男に聞いた。
実際ルイズは不機嫌だった。
春の使い魔召喚の儀式、すごい幻獣を召喚して今までゼロと馬鹿にしていたクラスメートを見返してやろうとしていたのだ。
だが何度も失敗しようやく成功したかと思えば現れたのはどこかの平民らしき旅人だ。
これが不機嫌にならずどうしろというのだ。
「誰って……名前はセランというが」
その平民は間の抜けた顔(ルイズ主観)で答えた。
「おいルイズ!どこから連れてきたんだよその平民!」
「サモン・サーヴァントができないから実家から使用人でも連れてきたんじゃないのか」
周りの生徒がからかう声をかける。
「ちょっと間違っただけよ!」
ルイズが怒鳴るが周りの笑い声はやまない。
今度はそれらを無視する。
「あんたメイジ?」
「メイジ?何ですそれは?」
格好からして平民とは思ったが、せめてメイジならと一縷の望みにかけて聞いてみた。
それがメイジも知らないとは……ルイズは軽く絶望しかけた。
セランはセランで混乱していた。
いきなり見も知らぬ場所に来た。これは理解できる。
おそらくあの鏡のようなものは旅の扉と同じようなものなのだろう。
一瞬で別の場所に移動するというのはセランにとって珍しいことではない。
だが驚くべきことはそんな事ではない。
上を見上げてセランは愕然とする。そこには青空が広がり、太陽が輝いていた。
「空だ……太陽もある……」
先ほどまでいたのは地下世界アレフガルド。光はあるが太陽も無ければこんな青空もない。
ゾーマを倒した際に上の世界と下の世界を繋げていたギアガの大穴が閉じ、行き来ができなくなり二度と見ることがないと思っていた青空と日の光。
まさかまた見ることができるとは思わなかった。
「ここはどこです?アレフガルドではないのですか?」
「そこどこよ?ここはトリスティン王国のトリスティン魔法学院よ」
「トリスティン王国?」
魔王を倒す旅で世界中のほとんどに行ったがはじめて聞く国名だ。
そして魔法学院ということは魔法を専門に教えている学校ということだろうがだがそんなのはきいたことがない。
「トリスティンを知らないなんて、どこまで田舎者よ」
頭痛がしてきたかのようにルイズは額に指を当てながら言う。
「他にもいくつか聞きたいことがあります、アリアハンを知っていますか?」
ここが上の世界ならば、とセランは自分の出身国を聞いてみる。
「アリアハン? 何よそれ、地名?」
「それではエジンベア、イシス、ロマリア、ポルトガ、サマンオサ。これらの国は?」
「ロマリアは当然知ってるわよ。でも他の国は初めて聞く名前よ」
ロマリアを知っていて他の国を知らないということは無いはず。これはただの同名という可能性が高い。
「……最後です。魔王バラモス、大魔王ゾーマを知っていますか?」
「聞いた事も無いわよ。何かのおとぎ話?」
もはやうんざりしかのような態度でルイズは答える。
側にいるコルベールにも聞いてみる。
「私も聞いたことがありませんね」
これで確定的だ。
バラモスやゾーマは長年世界を征服しようとして全世界の敵だったのだ。
これは五歳の子供でも知っていることだ。
そして最後の確認とばかりにある魔法をとなえた。
「ルーラ!」
高速移動呪文のルーラ。イメージするのはアリアハンの城。ここが上の世界ならどこからだって飛べるはず。
しかし
「飛べないか……」
魔法は発動しなかった。
念のためアレフガルドの町にもとべるかどうか試したがやはり無駄だった。
そこで大きくため息をついた。
「また異世界か……」
何か叫んだかと思うと難しい顔で考え事を始めたセランに構わずルイズはコルベールにくってかかった。
「ミスタ・コルベール!召喚のやり直しを要求します!」
「残念だがそれはできないミス・ヴァリエール」
コルベールは首を振る。
「春の使い魔召喚の儀式は召喚で現れた使い魔によって属性を固定し今後は専門課程にすすむ大事な儀式だ。そして一度召喚した使い魔の変更はできない。君も知っているはずだ」
「でも平民を、人間を使い魔にするなんて聞いたことがありません!」
「確かに人間の使い魔というのは前例が無い。しかし春の使い魔召喚の儀式は神聖なものでそのルールは何よりも優先される」
「そんなあ」
ルイズが情けない声をだす。
「とにかくコントラクト・サーヴァントをしなさい。さもなくば君は留年ということになってしまう」
「……わかりました」
ルイズはしぶしぶとまだ難しい顔で考え事をしているセランに近づいていった。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔と成せ」
朗々と流れるような呪文を唱える。
「光栄に思いなさい。貴族にこんな事してもらえるなんて一生に一回も無いのだからね」
「うん?何のこと……!?」
セランの方がルイズより頭一つ分背が高い。
その為ルイズはセランの首根っこを掴み強引に顔を引き寄せる。
そしてルイズの柔らかい唇がセランの唇に押し当てられるた。
セランはなすがままだった。敵意の無い行動だったので反応が遅れたのだ。
「……随分積極的ですね。けど男女交際はもう少し手順を踏んだ方がいいと思いますが」
「何が交際よ!これは契約よ!」
ルイズは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「契約とは何のことです?」
「すぐ解るわよ」
さらに質問しようとしたセランだが突然全身を熱が襲う。ただ耐え切れないほどではない。
「これは!?私に何を!呪いか!?」
「違うわよ!使い魔のルーンが刻まれているだけだからすぐおさまるわ」
その言葉通りすぐに熱は収まった。そしてセランの左手にはルーンが刻まれていた。
「ふむ、コントラクト・サーヴァントは一度で成功しましたね。おやこれは珍しいルーンですね」
ルーンを覗き込みながらコルベールが言う。
「おっと時間がかかりすぎてしまいましたね。皆さんすぐに教室に戻ってください」
「一体何なんだ……」
セランは混乱したままだった。
もし自分を呼び出したのが魔王の残党だというのならまだこちらとしても対応がしやすい。
だが周りにいるのは人間、それに自分に好意的というわけではないにしろ悪人というわけでもなさそうだ。
そして自分にかけられた何らかの魔法。
どれも対応に困る事態だ。
そこで更に驚くことがおこった。
周りにいた生徒たちが何やら呪文を唱えたかと思うと一斉に空を飛び始めたのだ。
(飛行魔法!?魔物には魔力で飛ぶものもいたが……いやルーラを応用すればあるいは可能かもしれないか)
ルイズは飛んでいった生徒たちをじっと見ているセランに話しかける。
「人が空を飛ぶのが珍しいの?」
「ええ、珍しいですね……なるほど、要するにメイジとは魔法使いのことでしたか」
「まったく、何でこんなメイジも知らないような奴を使い魔にしなきゃいけないのよ」
ぶつぶつと文句を言っていたルイズだがやがてあきらめたかのように大きくため息をつく。
「さあ行くわよ。ついてきなさい」
他の生徒達が飛んでいった石造りの大きな建物に歩き始めた。
「……仕方ありませんね」
まだまだ聞きたいことがあるし自分の身体に何をされたのかも気になる。
ここは彼女についていくしかないようだった。
「貴女は飛ばないのですか」
歩きながらのセランの何気ない質問にルイズは立ち止まると
「うるわいわね!黙ってついてきなさい!」
更に不機嫌になり怒鳴る。
(飛べない私に気を使ってるのかな?)
セランは好意的に解釈した。
(やれやれ、これからどうなるのかな)
セランは久しぶりに見る青空を見上げ今日何度目になるかわからないため息をついた。
だがさっきまでの目標を失い、ぽっかりと穴があいたかのような喪失感。それが消えていることにはまだ気づかなかった。