<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

TYPE-MOONSS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[5049] Fate/zero×spear of beast (Fate/zero×うしおととら)7/26
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2014/07/26 18:17
初めに

この物語は、題名の通りFate/zeroとうしおととらのクロスオーバーものです。
設定や文章に誤りがあると思うのでご指摘くださるとうれしいです。

文章力や構成力に、つたないところがあるかもしれません。また、話の都合上一部の設定を都合よく解釈、および独自の設定が出てくるかもしれませんがその点についてはご了承ください。


追記 12/20 オリジナル板でも連載をしているため極端に更新が遅くなってしまいました。申し訳ございません。

   1/7 チラシの裏から参りました。よろしくお願い致します。




[5049] Fate/zero×spear of beast 01
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2009/05/12 02:03
――間桐雁夜は夢を見ていた。

 灼熱の炎の海で、雁夜はこぼれ落ちたナニカを必死に掻き集めていた。

 岩のようにごつごつとした大きな手のひらで、

 金貨の入った袋をばら撒いた商人が、一心不乱に掻き集めるように。

 世話人が、貴人の肌に触れるときのように繊細に。

 大声で悲鳴を上げていた。

 痛みに耐えきれぬ子供のように泣いていた。

 憎かった。

 憎み切れるものではなかった。

 苦しかった。

 背中に突き刺さった無数の矢よりも、

 白い獣に抉り取られた右肩よりもずっと苦しかった。

 許せるものではなかった。

 許されるはずもなかった。




 



――すべてが灰燼と帰していた。
 
 あの魔人、間桐臓硯が作り出した蟲毒の壺が、である。
 間桐雁夜は、幾度この蟲蔵の闇で悶絶し、生死をさまよったか解らない。悲鳴を上げた回数など数えるのも馬鹿馬鹿しいほどだ。
 そして、この瞬間も、眼の前のナニカを呼び出すのに使用した魔力のせいで、死に瀕している。
 雁夜にとって蟲蔵は、臓硯の恐ろしさ、苦痛、近いうちに訪れる自身の死の象徴であった。
 その間桐の魔の象徴が、燃え盛る間も無く自身の召還したナニカに、灰にされたのだ。
 そのナニカは召喚されたとほぼ同時に、蟲蔵に凄まじい破壊をもたらした。数十万の虫たちの這いずりまわる音も、忌わしいキィキィとした鳴き声も、間桐に染みついた腐肉の耐えがたい臭気も、今は存在しない。
いま、この地下室にいるのは、はいつくばった雁夜と、召喚を見物していた臓硯、召喚されたナニカの三つだけである。
 体長は四mほどであろうか、全身は炎のような金色の体毛におおわれ、頭からはひときわ長い毛が、女性の頭髪のように熱気に揺れている。顔には黒い縁取りがある。猫科の猛獣を連想させる筋肉を、稲妻の光が覆う。
 それは英霊などではなく、間違いなくただのバケモノだ。
 その燃え盛る金色がかったバケモノは、倒れ伏す雁夜をひょいと持ち上げ、人語を口にした。
「人間か?」
 雁夜の乾ききった喉から出るのは、肯定でも否定なく、ただかすれた呼吸音だった。
「いちおう聞いておいてやる。おめえが、わしのますたーか?」
 問われた雁夜の右の眼球には、意識の光りはなかった。
 召喚に消費した魔力があまりに膨大であったため、全身の刻印虫がなけなしの生命力を食い荒らしている真っ最中なのだ。
「答えねぇと喰うぞ、コラ。この虫食いやろう」
 そういってバケモノは、気絶した雁夜の頭をぶんぶんと振り回す。
 気絶している雁夜と金色のバケモノを尻目に、臓硯は興奮に震える自分に気がついた。自分の工房を完全に破壊したバケモノに見覚えがあったからだ。いや、見覚えがあるどころの話ではない。
“雁夜の奴め。出来損ないの分際で、とんでもない当りを引きおったっ”
 臓硯にとって、今回の聖杯戦争は単なる余興であった。刻印虫の魔力生成の苦痛にのたうつ雁夜を見物し、どこぞのマスターかサーヴァントに殺される雁夜を見物し、間桐桜を救えぬことに絶望する雁夜を見物するだけの余興だ。
 雁夜が聖杯戦争を勝ち抜く可能性など、万が一にもない――はずであった。
 雁夜のサーヴァントの召喚など、次の聖杯戦争のために用意した英霊召喚の触媒の性能を確かめる実験にすぎなかった。
 触媒に使ったのは、最強の霊槍に巻きつけられた赤い布の切れ端である。中国のとある機関から、臓硯が手練手管をもちいて入手したものだ。
 さまざまな使い手を渡ってきた伝説の槍。その使い手の中で、雁夜ごときが引き当てられるのは、槍の使い手でも大した事のない小物のはずであった。
 しかし、雁夜が引き当てたサーヴァントは望外の切り札であった。
 この日本という国で、しかも数年前に、妖怪と人間を束ねて日本という国を救った英雄の片割れである。実戦派の仏門の資料には、二千年以上の寿命を誇る大妖怪と記されている。神話の世界、伝説より数多の国々を滅ぼした、あの大妖を滅殺した霊槍の使い手の相棒である。テレビ放送や新聞の紙面といった近代のメディアにさえその姿が上がった。秘匿されるべき神秘の具現でありながら、現代の世において多くの人間がその姿を目撃しているのである。受けられる地形効果は莫大なものとなるはずだ。まぎれもなく千載一遇のチャンスであった。
“とてもではないが、雁夜のような愚物に任せておいてよいサーヴァントではないわ”
 臓硯にとって、蟲蔵のひとつやふたつ破壊されたことなど大したことではなくなっていた。それほどまでに、雁夜が呼び出したサーヴァントが強力であったことに狂喜していたのだ。
“桜に所有権を移し、遅まきながら外来のマスターを招聘して偽臣の書を使用するか!?いや、それより、儂が自ら打って出ても良いやもしれぬ”
 いずれにせよ、余興と制裁の茶番劇に明け暮れている場合ではない。雁夜を殺して所有権を奪い、聖杯戦争に本腰を入れねばならない。
 臓硯は、浮かれていたのだ。数十年ぶり、否、この冬木の街で聖杯戦争が始まって以来初めて浮かれていた。その興奮が、腐りきった精神から重要なことを失念させた。
 バーサーカーとして呼びだしたはずのサーヴァントが、人語を解していることに。唯一サーヴァントを御せる雁夜の意識が、漆黒の水面に落ちていることに。
「ちっ!?気絶してやがる。だから、よわっちくてきれーなんだよ。人間なんてっ」
 呼び出されたバケモノは、さらに激しく雁夜の全身を振り回した。
「カカカカッ、そうじゃのう。その程度の出来損ないでは、貴君のようなサーヴァントを御することは出来まいのう」
 老魔術師は、皺だらけの顔に喜色をうかべ興奮を隠そうともせず、話しかける。
「誰だァ!?てめぇ」
「案ずるな、字伏のサーヴァントよ。そこの、くたばりぞこないの小童の身内じゃ」
「わしをそんな名前で呼ぶんじゃねえ。虫酸がはしらぁ」
 呼び出された妖怪は、不機嫌そうに魔術師に背を向けた。
 おお、これは失礼と言いつつも、肉が落ち骸骨のような顔の窪んだまなざしには野望の光が宿る。
「なんの用だ、ジジイ」
 キチキチとした忍び笑いをたてて臓硯は口を開いた。かつて目を通した資料では、その性は凶悪、京の都を震え上がらせた天魔とある。ならばこの提案も確実に通る。
「なに、先行きの危うい息子の身の上を案じてな。その愚息では此度の戦は勝ち抜けまい。御身にも多大な迷惑を変えることは必定よ」
「なに――」
「息子の無様な末路を見届けるよりは、いっそこの手で介錯をしてやるというのも親心というもの。どれ、こちらに渡してはくれんかのぉ。御身のように強力なサーヴァントのマスターは、儂のような老練の魔術師こそがふさわしい。間に合わせの雁夜がマスターでは、充分な力も出せぬであろうて」
 目の前のバケモノは凶悪な笑顔で、真赤な舌を出しながらこちらを振り返ってくれるものと臓硯は信じ込んでいた。
「けっ。バカバカしい」
 よもや拒絶の言葉が返ってくるとは予想だにしなかった。
「なにっ。儂のような老骨では不服とおっしゃるか?」
「わしぁ、くたばりぞこないのよわっちい人間はきらいだが、人間やめた虫けらはもっときれーだ」
 老魔術師の皺だらけの肌に戦慄が走った。あらゆる魔術的偽装を凝らしたこの身の本質を言い当てるとは、いかなる固有スキルを備えたサーヴァントであろうか。益々もって見逃せない。
「儂と、御身が手を組めば、此度の聖杯戦争は必ず勝てる。どんな願いでも叶うのじゃぞ。それこそ不老不死でもなんでもな」
 老魔術師の目には、サーヴァントの凄まじいとしか言いようのないステータスが映っていた。雁夜程度がマスターでこのステータスなのだ。もしも、正規の魔術師がマスターならば、いかなるサーヴァントも敵ではない。勝利は必定である。
 つい先刻まで、此度の戦争では傍観を決め込む腹積もりであった。
 しかし、眼前の珠玉にも似た怪物を捨て置くのは、あまりにも惜しい。
「わしはバケモノだぜぇ。不老不死だぁ?興味ねえなぁ」
 老魔術師の文字通り生涯をかけた悲願を、まるで路傍の石と断じる。しかし、いまは腹を立てているような状況ではない。
「ならば人間を何人でも喰わせてやるぞ。なに、儂もこの姿を保つため何千何万人食ったか解らぬ。御身も遠慮することはないぞ。飽きて満ち足りるほど、喰い明かそうではないか」
 間桐臓硯は、知らぬうちに踏み越えてはならない間合いを踏み越えた。しかし、今もってその不運に気づいていない。否、眼前の凶悪なるバケモノに、そんな人間じみた正義感が存在するなど夢にも思わなかった。
「さて、どうする?儂と組んだほうが御身の……」
「言いたいことはよくわかったぜ、虫ジジイ」
 臓硯の言葉を途中で遮るように答え、金色の妖怪は振り返った。
 語るもおぞましい冥府魔道の業により、綴命を重ねてきた不死身の魔人。間桐臓硯をして震え上がらせる、とてつもない凶悪な笑顔であった。
「てめーが自殺しろ」
 視界を覆い尽くす紅蓮の炎、過去、数多の妖怪を葬り去った字伏の豪炎、それが間桐臓硯の見た最後の景色であった。ただの一節の詠唱も、うめき声すらもあげることを赦されず間桐の当主、人外の魔術師は灰となった。




 肉体を蝕まれる苦痛により遠のいた間桐雁夜の意識を覚醒させたのは、さらなる激痛であった。紙のように薄くなった皮下脂肪を、枯れ枝のように萎縮した筋繊維を、蟲共の猛毒に侵されぬいた五臓六腑を貪り喰われる激痛が、皮肉にも雁夜の意識を呼び覚ました。 
 全身を包む柔らかい感触が、いつのまにか自室の寝床に運ばれてることを悟らせる。
「……あぅ……ッ」
 視力の残っている右眼に光が入る。雁夜の視界に飛び込んできたものは、巨大な金色の魔獣とその右腕に吊り下げられている桜であった。
「目が覚めたか、ますたー」
――なにが……起きた?
 呆気にとられる、それ以外、雁夜にいったいどんな選択肢があっただろうか。
「おい、ますたー。わしにこの小娘を食われたくなかったら、てろやきばっが百個買って来い」
「――カリヤおじさん」
 手足をぱたぱたと振り回しながら、どこか怯えた表情の桜がこちらを見ていた。
「はやくしねーと食うぞ、こら」
 あまりの光景に、またしても雁夜の意識は闇へと墜ちて行った。




[5049] Fate/zero×spear of beast 02
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2008/12/05 08:58
――間桐雁夜は夢を見ていた。
 
 空からなにかが降ってきている。白くて大きいなにか。
 
 九つの大きい尾を引く彗星である。
 
 彗星が自分に向って落ちてきている。
 
 屋根を突き破り、壁を吹き飛ばし、

父を、母を、産婆を、兄を、姉を、焼き尽くし、

大地に傷跡を残し
 
 彗星は雁夜の右肩に吸い込まれた。
 








“カリヤおじさんのこえ、もうきこえなくなっちゃったな”
――きっと気絶したんだろう、少しだけうらやましい。もうつらくないのだから。

 この一年の間に、少女は多くのものを奪われた。
 目の前の、冷たい鉄の扉の中で“教育”という名のもと行われた、語るもおぞましい餓鬼畜生の業によってである。
 想像するもけがらわしい冥府魔道の業によってである。
 もし、一年前に、少女が遠坂桜であった頃を知る者ならばその変化になにを思うだろうか。

 遠坂桜は、決して活発な子どもではなかった。どちらかといえば、優しい母や気高い姉の後ろに隠れている引っ込み思案な子どもだった。
 
 しかし、桜をよく知る大人たちは、桜が自分の足につまづいて転んだときの泣き顔を知っている。

 姉に怖い話を聞かされて、夜に一人でトイレに行けなくなったことを母親が話したときには、顔を真っ赤にして恥ずかしがったことを覚えている。

 立派な父に叱られて落ち込んでいる姉の頭を、桜の小さな手でなでていたことだって忘れていない。

 ぬいぐるみのお土産をもらった桜が、蚊の鳴くような声で口にしたありがとうを、間違いなく耳にしたのだ

 仲の良かった姉と、小動物のような仕草でじゃれあっていたときの笑顔を、記憶から消しさることのできる人間はいないだろう。

 しかし、この間桐桜にはどの記憶の表情が浮かぶことはない。
諦観に満ちたその表情。幽鬼のような青白い肌。深層に、澱のように、唯一残されていた感情は恐れのみだ。
 まるで、体内を流れる熱い血潮が、闇色の液体になってしまったようだ。
 それも、暴虐の釜にくべられた童にとっては、正当な自衛行為であった。
“きょうは、いったいなんのじゅぎょうなんだろう。”
 桜のように抵抗する術を知らない子供にとって、絶望こそが未知に対する恐怖を克服する唯一の方法なのだから。
“つぎは、わたしだ。いつもおなじだ。されることはちがっても、わたしがいじめられて、きもちわるくて、いたくて、にがくて、つらくて、きをうしなって……それでおわり”
 いつからか、間桐桜には、言葉にならない願望がうまれていた。
――はやくおしまいになってほしい。こころとからだがこわれておわってほしい。

 凄まじい轟音が、屋敷を包んだ。
 眼前の、冷たい鋼鉄の扉が、文字通り吹き飛んだ。莫大な黒煙と共に、ぬうっと、なにかでかいものが蟲蔵から出てきた。
 巨大なものは、桜のよく知っているものを抱えていた。桜と同じで、虐められるだけのもの。
 子どもの目から見ても瀕死の状態であることがわかってしまう。
――この大きいナニカは、きっとおじいさまや、ビャクヤおとうさんと同じなのだろう。
 瞳に映る、天を衝くような巨大な金色の獣が、雁夜をこんなふうにしたと桜は感じた。
 雁夜が血涙を流し、うめき声をあげることもできず、擦れた呼吸音を鮮血と入り混じった涎と共に垂れ流す光景を目の当たりにする。ほんの少しだけ、桜の奥底に暗い波が生まれた。
 鉄の扉が吹き飛び、目の前にバケモノが現れたことよりも、半死半生の雁夜のほうが、ほんの少しだけ少女の心を動かした。
「……カリヤおじさん」
 しかし、その波も桜に虫の羽音のような声で、そう呟かせるのが精一杯だった。
 そうして、汚泥の貯め池へと歩を進める少女に、金色のバケモノが声をかけた。
「おい、コムスメ」
 しゃがれた、不機嫌そうな声であった。
「そっちにゃなにもねえぞ」
「でも、おじいさまが、カリヤおじさんが出てきたら、ムシグラにくるようにって……」
 そう言って地下室に下りて行こうとする陰気な少女と、金色のバケモノがすれ違う。




 実際、バケモノは不機嫌であった。
 なんだかよくわからないが、大した願いもないのにいつの間にやら、聖杯とかいうのにサーヴァントとして召喚されており、自身を使役するマスターは半死半生の有様である。
 召喚された場所も、胸糞悪い蟲共の吹き溜まりで、蟲共の親玉が気色悪くも甘い言葉で擦り寄ってきた。
 マスターが未熟なのか儀式が不完全なのか、ほとんど魔力の供給もされず、腹は減りっぱなしである。
 これで、機嫌が良いサーヴァントなどいるはずもない。
 それは、不機嫌を紛らわすための悪戯のつもりだった。
「おう旨そうな小娘がいるな。ぶっ殺して食ってやろうか」
 人食い鮫のような口を凶々しく歪め、ピンク色の舌をぬらりと出して脅かしてやった。
 牛頭馬頭の悪鬼がもしこの場に居たとしても、即座に踵を返し裸足で全力疾走しただろう。
――てっきり震え上がって床にへたり込み、小便の一つも漏らすとかんがえていたのに。
――母親を呼びながら、腰の抜けた身体をくねらせて、自分の反対方向へと逃げだす光景をみて笑ってやるつもりだったのに。
 その小娘は、あろうことか、微笑っていたのだ。



“これでおわりなら、もう、それでいい。”
“くるしくなくなるのならそれでいい。”
“ごめんなさい、カリヤおじさん。”
“さきにらくになります。”
 臓硯は、自らの死すら許そうとしなかった。
 間桐桜にとって、死ぬのは嫌であるが恐怖の対象ではない。
 恐れることなどなにもない。
 目の前の怪物は、桜にとって単なる救い主なのだから。



 その泣き叫ぶはずの少女は、腹の据わった声で、眼前の大妖怪にこう言いやがったのだ。

「どうぞ」
 奇妙な沈黙が流れた。
 バケモノは、妙なものが詰まっていないかと刀剣のような爪で自分の両耳をほじくり返し、なにかを探すように周囲を見回した。
 その滑稽な仕草が、すでに覚悟を決めていた少女を苛立たせる。
 桜の心の中に、再び波が起き始めた。真っ黒い波であった。
――なんだ、すぐにらくにしてくれないの?
「はやくしてください」
“ブチッ”

 ナニカが切れる音がした。
 大妖怪の肩が、腕が、足が、脇腹が抱えられた間桐雁夜が小刻みに震えていた。
「……いまなんつった?コムスメ」
 どことなく、悲哀に満ちた声であった。
――耳の悪いお化けなのだろうか。それならば
 子供特有の腹式呼吸による大声で、そうするのが当然だと言わんばかりの声色で、
「どうぞ、はやくしてください」
“ブチブチ”
 さらにナニカが切れる音がした。
 過去に、このバケモノに喰われたいと志願した人間はいなかったわけではない。
 しかし、こんなにふてぶてしい態度で、こんな馬鹿げたことを要求されたのは、大妖怪の二千年以上の経験の中にも存在しない。
 しかも、こんな投げ飛ばせば水平線の彼方まで飛んでいきそうな人間のガキに。
 あまりといえばあまりのことに
「……おめえバカか」
 そう口にするのが精一杯であった。
 
 桜に、この一言は看過することはできなかった。心の奥底にある、闇色の衝動が次第に渦を巻きはじめる。
「わたしのこと、たべてくれないんですか」
「あたりめーじゃねえか、ボケ。ほんとーに喰うわけねーだろうが。このガキが」
 
 桜にとって、この一言は死刑宣告などとは比較にならないほど残酷な言葉に聞こえた。
 絶望と諦観によって自分の心を守ってきた少女にとって、希望を与えておいてそれを奪い取るという行為は、いままでされたどんな行為よりも非道に感じられた。

 がらんどうだった心を、次第に漆黒が、闇色が嵐となり支配しはじめる。
 この間桐の家に来てから、否、少女が人生で初めて人を責める言葉が口から紡ぎだされた。
「じゃあ、……うそついたんですね」
“ブチブチブチ”
 大量にナニカが切れる音がした。
 桜は、あろうことか笑っていた。貧相な格好で宴会に来てしまった田舎者を嘲笑う都会女のように。

「おいガキっ。てめー、ジョーシキでかんがえて……」
「うそつきです」
 取りつくシマもないとはこのことである。追いすがる大妖怪にぷいと背を向ける。
「おめー、ひとの話をきけよっ」
 バケモノには意地があった。人間の貧相なガキを脅かそうとして、やりこめられてしまったなどどとてもではないが大妖怪としての誇りが許さない。
 この陰気で生意気な小娘に、ビビり倒してもらわなくては、バケモノの沽券にかかわるのだ。
「いいか、わしに喰われるっていうことはだな、血がドバーつっとでて、グチャグチャのどろどろ……」
 眼前のバケモノに喰われるとはどういうことかを、延々と力説されても、桜には薄ら笑いしかわいてこない
“なんだあ、そんなの、おじいさまのきょういくのほうがずっとつらい”
 生殺しを延々と続けられることにくらべれば、一回で終わるならばどんな苦痛も桜にとっては怖くなかった。
 目の前のバケモノは一体何をそんなに必死になっているのだろう。その疑問の回答がふとの頭に思い浮かんだ。
“ああ、なるほど。そういうことか”
 一年前の、遠坂桜を知る者が見たら卒倒してしまうやもしれない。童とは思えぬ妖艶な表情で、伝説の大妖怪の自尊心に止めを刺した。
「もしかして、わたしをたべるのがこわいんですか?」

“ブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチブチ”
 ナニカが一斉に、盛大に切れる音がした。
 十にも満たないこの小生意気な人間の雌は、この最強の妖怪を臆病者の弱虫の嘘吐きと見下しているのだ。
 抱えていた雁夜を振り回し、完膚なきまでに叩きのめされた大妖怪は、景気よく唾を飛ばしながら、負け惜しみを絶叫し始めた。


「おいコムスメ。わしはなぁ。おめーみたいな、ひんそーで肉づきが悪くって虫食いのがきなんかほんとーは食いたくねーんだよ」
 顔を真っ赤にしたバケモノの口から、妙な単語が、飛び出した。
「てろやけはんばっがって知ってるかっ」
“そんなへんな言葉、聞いたことがない。おじいさまからも、カリヤおじさんからも、あのひとたちからも聞いたことがない”
 ぷるぷると首をふる。
「わしがおめーをくわないのはなぁ、てろやけはんばっがのほうがおめーよりずっと旨えからだっ。くったことあるか?」
“喰ったことあるか?そんなみょうなものたべたことない。おじいさまのつくりだしたあたらしい虫かな?”
「ほんとうにおいしいんですか、それ?」
 一度だまされているのだ。桜は、もう騙されないとばかりに慎重に聞き返す。
「すごくうめえぞ。おまえみたいな虫食いよりきっとすごくうめえぞ。だから、おめえを喰うのは肉付きがよくなって目方が増えた当分後にしてやる。楽しみにしとけ。行くぞ」
 二千年の寿命が生んだ、盛大な負け惜しみであった。
そうしてバケモノは、てろやけはんばっがなるものを食いに連れて行こうと、桜を抱えあげた。

「でもおじいさまが、ムシグラにくるようにって……」
 そう口にして、恐怖が湧きあがってきた。ここでこんなマヌケなバケモノと遊んでいる場合ではないことを思い出したのだ。
 その急に怯えだした仕草が、金色のバケモノのなけなしの自尊心を再度踏みにじった。
 その少女は怯えていた。
 怯えられるのは嫌いではない。しかし、自分以外のなにかにおびえているものは好きではなかった。
“わしにびびらんくせに、あんな気色悪いだけの虫どもにびびるとは……”
「そっちにゃなにもねえぞ。虫なら全部一匹残らずわしが焼き殺した。虫の分際でわしにたかりやがって……」
「でも、おじいさまが……」
 そういうと、震える体をうごかしながらなんとか下に降りようとする。
 耳の奥にこびりいて離れない、『桜、儂のいうことが聞けんというのか?』という言葉の意味を、少女は世界中の誰よりも理解している。
「いわなかったか?コムスメ」
「わしは、一匹残らず全部焼き殺したって言ったんだ。喰うぞコラ」
 しかし、その言葉の意味を、どうしても少女は理解できなかった。
 きょとんとしている桜を右腕に抱え、バケモノは死に損なったマスターを寝かせる場所を物色し始めた。



[5049] Fate/zero×spear of beast 03
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2008/12/05 08:59
――これは、多分夢の続きだ。どことなく乖離した現実感に、雁夜はそう感じた。こんな殺伐とした経験が雁夜にはない。殴り合いの喧嘩の経験がないわけではない。しかし、こんなふうに一方的に、こんなにまで憎んで喧嘩をしたことなど、雁夜にはなかった。


 殴った。ぶん殴った。

 目の前の奴が憎くて、

 呪われた子供だといわれたのが憎くて、

 眉をしかめ、遠巻きに見物しているやつらが憎くて、

 こぶしが痛むほどにぶん殴った。

 もうやめてくれと言われても、

 本当になにも言ってないと言われても、

 憎くて、

 憎くて、

 目の前の奴を思い切りぶん殴った。

 もう、幾度殴ったかわからないほどにぶん殴った。
 
 殴るたびに、右肩がうずく。

 憎むたびに、右肩が心地よくうずいた。





 黄泉の川の細波が、雁夜の身体を揺すった。幾度も幾度も、それがとても心地よくて、余計に深い眠りへといざわれるかのようだった。
 束の間の安息に沈んでいく雁夜の左頬を、冷たくて小さいナニカがふれた。その驚くほどの冷たさに、急速に意識が回復していく。その小さなナニカは、触れる場所を肩に変えて、ゆさゆさと雁夜を揺すり続ける。
 雁夜の開いた右の眼にのみ、光が灯る。もう左の眼は、その用を為さない。
 しかし、そのような悲劇にも、雁夜の精神にはなんの感慨もなかった。
“どうせ、すぐに死ぬ身だ。いまさら目のひとつ、惜しくもない”
 視界に、小さい人影が映る。この屋敷で、唯一自分が心を開いているニンゲンが。この屋敷で、最も心を開いてほしいニンゲンが。
「……桜ちゃん」
――もしゃもしゃ
「カリヤおじさん、起きた」
 抑揚のない桜の声に、もう痛むはずのない自責の念が、再度悲鳴を上げる。
 この少女の、悲劇の始まりは、誰でもなく雁夜なのだから。
――ぺちゃぴちゃぺちゃぴちゃ
 ふと、雁夜は、僅かな違和感を感じた。
 窓から、日が沈むのが見えた。いつもならば、この時間に少女はこの場所にいるはずがない。
 最愛の人の面影を残した青白い顔の少女に声をかけた。
「桜ちゃん、今日は……」
 雁夜そこまで口にして、あわてて言葉を切った。雁夜は自分の迂闊さを呪いつつ、『今日は、蟲蔵にいかなくていいのかい?』という言葉を飲み込む。
“そんなことを聞いて、いったい俺はなにを言わせる気だ”
 たとえココが、地獄の底であったとしても、わずかでも桜につらい記憶を思い出させたくなかったというのに。その地獄に関する会話を投げかけてしまった。
 悪意がなかったとはいえ、自身の無神経さを雁夜は呪った。
 少しだけ考えるような仕草をしたあと、雁夜がなにを言わんとしたか察したのだろう。
 自らの名前にふさわしい、花弁のような唇が言葉を紡いだ。
「いないんです……」
 その言葉の真意を、雁夜は理解できなかった。一体、なにがいないというのか?
「おじいさまはいないんです」
 繰り返された言葉が雁夜を困惑させる。
 しかし困惑の原因はそれだけではない。
――くっちゃっくっちゃり、くっちゃっくっちゃり
 先刻から、否、おそらく意識が覚醒する前から、ずっと雁夜の左側より鳴り響いている妙な音。
――じゅるるるるるるるずごごごごごごご
“一体なんだ?この耳障りな音は”
 億劫ではあったが身体を反転させ、不快な音を立てている元凶に目を向ける。
――時間が停止した――

 そこには、あったもの。それは燃え立つ金色のバケモノが、大量の紙くずに囲まれながら、猛獣のような大口を開けてハンバーガー、ポテト、シェイクを食い散らかしている地獄絵図であった。
 雁夜は、再び遠のきかかる意識を、なんとか意志の力でつなぎ留め、目を凝らして現実を直視する。
 ふと、視界に浮かび上がるものがあった。それによって目の前の怪物の正体が判明した。サーヴァントのステータスである。しかも、その内容は、考えていた以上に強力だった。
“どうやら、召喚は成功したようだ”
 バーサーカーのクラスならば、この人間とは思えぬ外見にも納得がいった。その安堵感から、雁夜は溜息をつくように、自身のサーヴァントの名前を呼んだ。
「……バーサーカー」
 その言葉に、眼前のサーヴァントが反応し、食事を中断し、あろうことか口を空けて人語を話した。地獄から出てきた魔獣のような声であった。
「わしをそんな名前で呼ぶんじゃねえ、ますたー。わしの名前は……」
 話しはじめたのも束の間、すぐに、バーサーカーは話を中断し、腕を組み、深く考えはじめた。なにかを思い出そうとしているようにも見える。
 そんな人間臭い仕草を見せるバーサーカーを余所に、雁夜は仰天していた。バーサーカーが人語を解しているという事実にである。
 過去三度の聖杯戦争において、狂化スキルによってパラメーターを底上げされているバーサーカーは言語能力が失われ、複雑な思考ができなくなるのが常であった。
 しかし、この眼の前のバーサーカーまぎれもなく言葉を話した。
 あまりのことに、雁夜は再度ステータスを凝視する。
 その疑問はすぐさま氷解した。バーサーカーの狂化スキルのランクがあまりにも低い。スキルとしてステータスに表示されているが、パラメーターアップについては申し訳程度の恩恵も受けられそうにない。ペナルティについてもかなり緩和されている。そのせいか、最も魔力消費の大きいはずのバーサーカーでありながら、負荷は雁夜の想像よりとても小さかった。
「うそつきです……」
 ぽつりと後ろから、しかしはっきりと、桜が声をかけた。
間髪入れず再度くりかえす。
「その人の名前は、うそつきです」
 雁夜は、その言葉を聞いて自身の耳を疑った。桜の、他者を責める言葉を聞くのはこれが初めてだった。
「わしを、そんなふうに呼ぶんじゃねえ、コムスメ。わしの名前は……」
 バーサーカーは、烈火の勢いで絶叫したものの、言葉が終る頃には、尻すぼみとなり、また腕を組み悩み始めた。
 あまり、考えるという行為に向いていないのだろう。頭から黒煙が出始め、かなりの時間が経過した後、ぽつりとこう言葉を紡いだ。負け犬のように。
「……好きに呼べ……」
「じゃあやっぱりうそつきです。ぜんぜんおいしくなかったです」
 桜は、バケモノに目も合わせずにいう。
「だから、ウソツキって呼ぶんじゃねーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 よほど腹に据えかねたのだろう。屋敷が震えるほどの絶叫であった。
“いったいなにがあった?”
 自身のサーヴァントと少女の間の確執の原因など、雁夜には思いもつかなかった。






「じゃあバーサーカーでいいんだな」
「好きに呼べっつったろうが、ますたー」
 不機嫌という事象を、世界中から集めてきたような顔でバーサーカーは答えた。
 凶悪な顔がさらに凶悪となり、こんなものを呼び寄せた聖杯の信憑性を、雁夜は疑いはじめた。
 いかなる熟練の魔術師といえども、こんな怪物の大口が目の前に空いていたとしたら多少の動揺は禁じえないだろう。
 虫の居所の悪い猛獣に接する新米の調教師というのはこんな気分かもしれない。
「じゃあ質問するぞ、いいなっ」
 雁夜は、自分の声が上ずっていることに、否が応でも気付かされた。もうすでに、死を覚悟しているはずなのに。なぜ、自分のサーヴァントにここまで震え上がらなければならないというのか。
 精一杯虚勢を張っているものの、令呪がなければ、こんなふうに五分の口など絶対に聞けないだろう。
「この大量の食いものはどこから持ってきた?まさか、どこかの店を襲ったんじゃないだろうな」
 部屋の一角に天井まで届かんばかりの勢いで積まれているハンバーカーとそのサイドメニューは一体どこから来たというのだろう。
 バーサーカーはなにか探すように部屋を見回し、口を開くのも面倒だといわんばかりに部屋の隅のほうを指さす。
そこには、頭から地面に着地し気絶している、雁夜の兄、鶴野がいた……。疑問は瞬時に粉砕された。なぜこんなところで倒れているのかなど、聞くだけ野暮というものだろう。
「じゃあ今度は本題だ。話せるというのは好都合だな」
 雁夜には聞きたいことは山ほどあった。真名、宝具、特技、経歴、聖杯を求めた理由、全てこの戦いを生き抜く上で必要な事柄だった。
「おまえの……」
 雁夜が質問の口火をきったとき、隣で軽い物音がした。“とすんッ”と、軽いものが床に落ちる音だ。
 振り返ると、床に桜が倒れていた。
 血が凍る。一年の間、蟲どもに喰い散らかされ、およそ人間としての機能を失い屍のようになった体の温度が、さらに急激に下がる。
 雁夜は自身の無力さに、髪の毛はおろか、頭蓋を砕き、掻き毟りたくなる衝動を感じた。
 こんなときにすぐさま呼び出さなくてはならないのは、憎んでも憎み切れぬ、恨んでも恨み切れぬ、幾億回殺したとしても飽き足らない、あの冥府の魔術師なのだ。
 全身全霊を籠めて嫌悪しても満足など到底できぬ相手に、救いを求めなくてはならない屈辱を腹の底にしまいこみ、眼の前の自身の下僕に声をかける。
「おい!!バーサカー!!!!臓硯を知らないか!!!!痩せたじじいだ!!!!妖怪みたいな顔をした!!!!」
 気絶している間に行われていたかも知れない蛮行を思うと、背骨の奥がきしみをあげはじめそうだった。
「慌てるんじゃねえ、ますたー」
 雁夜は、眼の前のバケモノに再度叫んだ。
「いいから!!!!!!知らないかっ!!!!!!」
 正気を疑われんばかりの剣幕の雁夜であった。
「いーから、落ち着けますたー」
 掴みかからんばかりの形相の雁夜を払いのけ、バケモノは少女の身体を、雁夜の眠っていたベッドに横たえた。
「疲れて寝たんだろ。ますたーがぶったおれてからずっとそばにいたからな」
「本当か!!?」
「ああ、七ッ刻ほどか。ずっとな」
“ずっと?”
 窓から、沈んだはずの日が昇ってきている。
 ぶつぶつと、これだからニンゲンのガキは、などとぬかしている自分のサーヴァントを余所に、雁夜は自分の勘違いに気がついた。今は、夕方と勘違いしていたが、実際には夜明けだった。十二時間以上眠っていたことになる。
 全身を虚脱感が襲ってくる。今度は雁夜が、床に座り込んでしまった。
「それと、ゾーケンってえのは気色の悪い虫ジジイのことか?だったらもういねえぞ、わしがぶち殺したからな。」
 その言葉の意味を理解するまで、雁夜には水がお湯に変わるほどの時間が必要だった。




“まだ食う気か?こいつは……”
 桜が眠りについてから三十分ほどだろうか。山のように買いこまれたハンバーガーを、どことなく愛嬌のある仕草でひとり黙々と食べ続けている自身のサーヴァントを凝視しながら、雁夜は一体何度目かの眩暈に襲われた。
 今の雁夜は、壊れた操り人形だった。間桐臓硯という操り手の糸を断ち切られた無様な人形。
 操り人形が、誰かに糸をちぎられて自分は自由だと思うだろうか。否、その人形は、ただ、地面に落ちるだけだ。
 もしも人形が、自由の歓声を上げるとしたら、それは、自分で自分の糸を断ち切ったときだけだ。
 今までは、臓硯への激怒が、嫌悪が、時臣への嫉妬が、敵意が、巨大な憎悪となって半死半生の身体を動かしていた。臓硯が自らのサーヴァントの手によって殺されたというのは、望外の幸運のはずだ。
 少女の悲劇は幕を閉じた。本来ならば、浮かれて喜びながら小躍りの一つもするところなのだろうが、なにひとつ心が満たされていない。
 まるで全身のエネルギーを抜き取られたかのようだ。
 もうひとつ、大きな恐怖があった。その恐怖はだんだんと、膨れ上がり、縮小しきったはずの心臓を圧迫する。 
――もしも、仮に、時臣と対決し、止めを刺したとしても、このままだったら?
――もしもそうだそするのならば、虹の根元にある宝を掘ろうという夢見人のように手に入らないものを、全てをなげうって追い求めきたのではないか?
「食うか?」
 唐突に声をかけられた。
 視線に気づいたのだろう。
 寝息を立てる少女の横にいる雁夜に、バーサーカーが、ハンバーガーの紙包みを投げて渡す。受け取ろうとしたが左の半身が、引き攣り反応が遅れた。ぽさ、気の抜けた音がして、紙包みが床に落ちた。
 拾い上げて、包みをはがす。しかし、それだけしか雁夜にはできなかった。
「食わねーのか?それとも」
 空気が変わった。今までとは表情の異なる、凶暴でも、いいかげんでもない、真剣な表情で雁夜に言った。
「食えねーほど悪いのか」
 その表情に押され、肯いた。
 現在、雁夜の身体は口から固形物を取ることは出来ない。流動食ならば喉を通るやもしれないが、現在では栄養補給は点滴によって行われている。
 雁夜の全身を、まるで獲物を観察する猛獣のように観察したのち、バーサーカーは刃のような口の間から、こう洩らした。
「めいっぱいまで養生して三ヶ月ってとこか?」
 素人が医者のまねごとを気取ったかのような言い草に、思わず笑みがこぼれる。
「専門家の言うことによると、もって一ヶ月だ」
 誰とでもよかった。雁夜は誰かと話がしたかった。
 それが、たとえ自分が呼び出したバケモノであったとしても。
「もっとも、おまえの殺した蟲爺ィの言ったことだから、どこまで当てになるかはわからないけどな」
 目の前のバケモノは、ふんっと鼻をならし、つまらないと切って捨てるように言った。
「けっ、くたばりぞこないのくせに。こんなふざけた戦に出るなんて、大それてるぜ」
 全くの正論である。一年前に、公園であの話を聞く前の雁夜ならば同意したろう。しかし、いまは、
「どうしても、俺にはやらなきゃいけないことがあったんだ」
 気の抜けたように答える。
 もしも少し前、この世にあの外道が生きてると雁夜が思っている頃ならば、歯を軋らせて力強く断言できただろう。
「なんだそりゃあ。よわっちくて、くそつまんねー、しかもクタバリぞこないのニンゲンのくせに。どんな理由があるってんだよ」
――俺がいろいろと聞くはずだったのにな
 どうしても、誰かに話しておきたかった。誰かに聞いてほしかった。それが、たとえばこの聖杯戦争が終われば消えてしまうかりそめの相棒であったとしても。
 そうして、雁夜は自分の身の上を語り始めた。
 誰にも聞かせることはないと思っていた、聞いてくれるヒトもいないと思っていた話を。



[5049] Fate/zero×spear of beast 04
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2008/12/07 21:31
 守矢克美は、ジャーナリストである。
 業界では「ニュースランナーズ10時の守矢」は、かなり有名な男である。
 10時の名物男といえば、守矢のことを指す。
 もっとも、悪評も含めての話であるが。
 一言でいってしまえば、守矢は現在めずらしいアウトローの事件記者であった。
 一応は社会部に所属してはいるが、政治部担当の事件にも首を突っ込む。
 しかも、とんでもない特ダネを、なにくわぬ顔をしてとってくるのだから、他の記者はたまらない。
 ゴーサインもなく、取材を始める。
 番組の反省会は、平気な顔をしてサボる。
 取材のためならば、上司との約束を連絡もせずにすっぽかす。
 番組の方針が気に入らないと言って、局長室に直訴するため怒鳴りこんだときのことを、社内で知らないものはない。
 その程度ならば、まだマシなほうで、番組の大手スポンサーの不祥事をスッパ抜き、テレビ局上層部の頭を抱えさせたこともあった。
 減給処分を食らっても素知らぬ顔で、始末書を書いた枚数など、本人は数えてすらいない。
 正確な枚数を知っているのは、ことあるごとに小言をいってくる直属のデスクだけである。
 出勤停止など命じた日には、嬉々としてどうしようもない事件を自分勝手に追いつづけることは目に見えている。
 それでいて、なお、会社が頭を抱えながらも懲戒解雇という伝家の宝刀を突き付けないのは、直属のデスクがその身を呈してこの男を庇っているだけではない。
 この男が、事件記者として替えが利かないほど優秀なためである。
 冴えない外見とは裏腹に、動物的な直感を持っているのだ。
 世界一優秀といわれる日本の警察に先んじて、凶悪事件の犯人を割り出したことも一度や二度ではない。
「バケモノみたいに事件を探し当ててくる」
 とは、一年下の後輩がいったセリフである。
 守矢が、現在追っているのは『冬木市の悪魔』と呼ばれる連続殺人犯である。
 否、そもそも、本当に連続殺人なのか、同一犯なのかも定かではない。凄惨な犯行と裏腹に、犯人につながる有力な物的証拠がなにひとつ無いのだ。
 ただ、あわれな被害者が、無残な肉塊となって発見されるだけである。いや、その卓越した証拠隠滅と捜査攪乱の能力により、発見されていない被害者さえいるかもしれない。
 この事件をきいて、守矢は、即座に下調べを開始した。
 冬木市で起きた事件、公開されている統計などTV局にある資料を片っ端から調査したのである。
 そうすると、無視できない事実に気がついた。
 冬木市近隣の行方不明者が、他の都市と比較して異様に多いのである。
 行方不明者は、通常、警察の家出人捜索願の受理数を指標とする。
 その数の内、およそ90%の所在が確認されるといわれている。
 しかし、冬木市での、家出人捜索願の内、所在が確認されたのは40%程度にとどまっている。
 それも、例年である。
 それに気づいた守矢は、上司の制止を振り切って、入社以来使用していない貯まりにたまった有給休暇を使用し単身で冬木市に入った。
 守矢の直感が告げていた。
――冬木市にはこの事件以上のナニカがある。



 
 守矢は、人を待っていた。
 これから会うのは、現地組織、地回り、いろいろ言い方はあるが、平たく言ってしまえばヤクザ、暴力団の構成員である。
 行方不明者を調査する際、組織を疑うのは当然のことといえた。
――人身売買
 一介の地方組織が扱える行方不明者の数とは思えなかったが、どんな小さな可能性でも考慮はしておくべきだった。
 守矢がこれから会うのは、地元では武闘派で知られる藤村組の構成員だ。
 直接会うことに、幾ばくかの危険を感じない訳ではなかったが、今まで体験した修羅場を考えると、恐怖は感じなかった。
 ただ、最低限の安全は確保すべきである。怖いもの知らずの事件記者とはいえ、行方不明者の仲間入りは避けたい。
 会談場所に選んだのは、昼間のホテル、それも冬木ハイアットホテルの地下1Fのカフェレストランだ。守矢の宿泊先の安ホテルとは、値段、格式、サービス、全てが異なる。
 それだけではない。圧倒的に違うのは客層である。その違いに、思わず苦笑する。
 平日の昼間、それもケーキバイキングの開催中とあっては、女性しかいない。
 カフェの中、手入れの行き届いていない髪と不精髭の三十五を回った男など、守矢ひとりである。
 たしかに、荒事になることはないだろう。
 絶対にない。しかし、
――失敗したかな……。
 そんな思いが、胸に去来する。
 これからなされるであろう会談の内容のことを考えると、あまりに場違いであった。
 せめて、これから来るであろう、その道の人とこの気まずさを共有しようと守矢は心に誓いつつ二本目の煙草に火をつけたとき、周囲の雰囲気が変化していることに気がついた。
 周囲の客が、接客の心得を骨の髄まで叩き込まれたウェイターが、ひとりの女性を凝視しているのだ。




 守矢のひとつ隣のテーブルで、黙々と淡々と九つ目のホワイトモンブランを嚥下する一人の女性がいた。
 ほっそりとした肢体と化粧気のない風貌。短く切りそろえられた艶やかな黒髪、雪のように色白の肌と整った顔立ちは、どことなく見る者に刃物のような鋭い印象を与えている。 
一際に目を引くのは氷のような、切れ長の眼差しである。見る者の心を凍えさせるような瞳は、美しくも人をよせつけない真冬の輝きにあふれている。
 しかし、もしも仮に、彼女がほんの僅かでも、穏やかな春の微笑みを浮かべたとするならば、いかなる男性も恋に落ちてしまうだろう。
 残念なことに、現在の彼女は凄まじいまでの仏頂面であった。
 いや、彼女は、いつ、いかなるときでもこの顔である。
 テーブル一面、皿の上に大盛りにされた、ザッハトルテ、桃のゼリー、アップルパイ、レアチーズケーキ、苺のムース、スイートポテト、ブラウニー、パンプキンパイ、ハニートースト、プリン、マロンタルトを、一人凄まじい速度で、しかも無表情のまま咀嚼しているのだ。
 まるで親の仇を始末するかのように、消えていく洋菓子たち。
 だとすると、なにがそんなに憎いというのだろうか。
 甘味の苦手な人間ならば、見ただけで嘔吐してしまいそうな光景である。
 とてもではないが、年頃の女性の振る舞いではない。
 その異様な速度は、呆然と眺めている周囲の客の視線など、近所の八百屋に転がっているトマトか南瓜程度にしか感じていないといわんばかりである。
 一応、チキン、ポークのグリルやパスタなどのメニューも存在するのだが、そんなものには眼中に入っていないようにひたすらに甘味を追い続ける。
 その食べ方が下品な印象を与えないのは、機械のように正確な動きゆえか、はたまたその美貌ゆえか。いっそのことさわやかでさえある。
 甘味を喰えば喰うほど仏頂面になっていく美女。
 伝説のスナイパーが、獲物を仕留めるときにはこのような表情をするかもしれない。
 冬木どころか日本中を探しても、こんな女は一人しかいない。
――言わずと知れた久宇舞弥である。
 守矢は、自分の直感に絶対の自信を持っていた。
 過去、誰もがそんなことはありえないと主張しても、ただひとり、自分の直感を信じてきた。
 それでも多くの功績をあげて、自分の正しさを証明してきた。
 直感こそが、事件記者守矢の最大の武器であった。
 その守矢の直感が告げていた。
――眼の前の洋菓子喰い散らかしている美女は、冬木の事件に大きく関わっている。
 守矢は事件記者になって以来、初めて自分の直感を信じることができなかった。




「父、璃正より『霊器盤に反応有り、埋まった座はバーサーカー』とのことです」
 言峰綺礼は、塵一つ、埃一片ない書斎で自身の師に報告した。完璧という言葉を体現したかのような男に。
「ほう、君のアサシンに続いて二体目だな」
 魔術師の玲瓏な声には幾分かの驚きがあった。
 しかし、驚異の色は一切含まれていなかった。
 この戦において、バーサーカーはある意味で鬼門である。戦闘能力こそ強力であるものの、過去三度の聖杯戦争で、バーサーカーを使役した者は例外なく自滅している。
 狂化によるステータスアップは確かに魅力的ではあるが、そのために、マスターの魔力消費は他のクラスの数倍に上る。
「わざわざ、好んでバーサーカーを召喚するマスターはいないだろう。不運なことだな、綺礼」
 振り子の宝石がしたためた書面を見ながら、綺礼がなにか返答する前に魔術師は続けた。
「私の手配している聖遺物は、到着までにもう少し時間がかかりそうだが……」
 持前の優雅な仕草で振り返り、自身に満ちた声で言った。あたかも、未来の勝利を確信しているように。
「二、三日中には届くだろう、私の英霊の触媒は」
 まるで理想的な師弟が、来るべき戦いに備える会談のように見えた。
 しかし、実際は理想的な師弟関係などではないことを綺礼は誰よりも理解していた。
――この言峰綺礼という人間は、師弟の情など、ましてや信愛など感じることのできないニンゲンなのだから。
「召喚されるクラスがなんであろうと私の召喚するサーヴァントは最強だよ。召喚の際には、君にも立ち会ってもらおう」
 綺礼の沈黙を、未来への不安とでも受け取ったのだろう。魔術師の口調は、自身の弟子の不安を解きほぐすようだった。
「……はい、導師」
 そう答えた男の心中には不安などなかった。在ったのはただの失望であった。
 なにひとつ愛することのできない空虚な自分と、そんな弟子の本質を究極的に誤解している自分の師匠に。



[5049] Fate/zero×spear of beast 05
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2009/01/07 01:17
最愛の幼馴染に初めて出会った夜のことを話した。
雁夜の述懐を、サーヴァントは黙って聞いていた。
――鼻をほじりながら……。
恋敵の時臣と、最愛の女性を賭けて争い敗北したこと。
“いや、戦ってすらいない、敗北は敗者の特権だ。自分は戦わずに逃げたのだ。こんな優雅な男なら、自分より葵を幸せにしてくれると言い訳をして”
 そんな雁夜のモノローグを、下僕は静かに聞いていた。
――ソースのついた包装紙をしゃぶりながら……。
 間桐の後継者としての地位を捨て、フリーのルポライターになったこと。冬木の地を離れ、全国を飛び回り、それでも葵のことを忘れられなかったことを、泣き出しそうになるのをこらえて語った。
 雁夜の独白を、妖怪は真摯に聞いていた。
――でかいあくびを、幾度も連発したことを除けば……。
 雁夜が魔術師として家を継がなかった所為で、桜が間桐へと養子に出されたこと。そのせいで、誰よりも大切な人たちを悲しませたこと。聖杯を手に入れる手に入れる代わりに、桜を開放してもらうという臓硯との取引。そのせいで自分の残された命はあとわずかであること。桜の父である時臣を、雁夜の大切だったものを汚泥へと投げ込んだあの男を憎んでいること。残された時間で、あの完璧な男との因縁の決着をこの聖杯戦争でつけること。
雁夜の真剣な一代記を、バケモノは笑わずに最後まで聞いていた。
――どこから見つけ出してきたのか、洋酒のボトルをラッパ飲みし、何本も空にしたことを無視するならば……。
雁夜がすべてを語り終えた長い沈黙のあと、金色のバケモノは、
「わしはバケモノだ。ニンゲンのことはよくわからねえが……」
 そう前置きをしたうえで、額を押さえ、本当に困ったような顔をして、
「ますたー………………………………………………………おめえはバカか?」
 心の底からそう思っているかのような声でそう言い放った。




 目の前のサーヴァントは、英霊というよりはどちらかといえば動物霊である。
 人語を解するとはいえ、所詮はバーサーカーの座に招かれるような奴である。
 食欲の権化として、ジャンクフードを食い漁るような奴である。
 人情の機微を理解するなど、どだい無理な話であろう。
 そんなことは分かっている。そんなこと、雁夜はよく理解ってはいるが―――――――
――さすがにカチンと来た。
「どこが馬鹿なんだよっ!!」
 憤慨する雁夜を無視するようにバケモノは続ける。
「コイガタキのガキぃ助けるために、くたばりぞこなうバカたれが一体どこの世界にいるっつーんだよ」
 たしかに正論である。
 しかし、腹立たしい。
 人生のすべてを否定されたのだ。反駁し、激昂して当然だろう。
「腐るほどニンゲンなんているんだぜっ。そんなかから、別の女ぁ探してテキトーにやりゃいいじゃねえか」
 全くの正論である。
 しかも、反論のしようがない。
「しかも、奪った男に復讐するだぁ~~~?んなことして、そのアオイとかいうオンナが、いまさらますたーに振り向くわけでもねえし。乗りてえ風に乗り遅れたやつを、マヌケってんだぜ」
 どうしようもないぐらいに正論である。
 あきれかれるほどに。
 なにもいえなくなった雁夜を凝視したのち、バケモノはふとなにかに気がついたように、しかし口にしてもいいのかどうか迷った仕草をしたあげく、冷や汗を流しながら口を開いた。
「ますたー………………………………」
「なんだよっ!!」
 雁夜は自分も気がつかないうちに、肩で息をしていた。
 興奮のあまりに心臓の音が聞こえるほどだ。
「オマエ……………………もしかして、ニンゲンのオンナにもてねーのか?」
 全くの図星であった。
「うるせぇんだよっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 少女の寝ている隣で、半死人とは思えないほどの絶叫を上げた。
 

 

 動悸がおさまり始めたころバケモノがまた、その肉食獣の口を開いた。
「ますたー。このいくさ、ホントーにまだつづけんのか?」
 バケモノが口にしたのは、予想外の言葉だった。
 もしも、雁夜が聖杯戦争から降りると言い出したらどうするつもりなのか。
 このサーヴァントには願いがないというのだろうか。
 聖杯戦争で呼ばれる英霊はかなえるべき望みがあるはずなのだ。
「聖杯戦争は、まだ始まってさえいないだろ。それにお前、俺が降りるって言ったらどうするんだ。叶えたい望みがないのか?」
「ねえな」
 即答だった。
 興味のないおもちゃを脇に捨てる子供の声であった。
「本当か?」
 とてもではないが、そう簡単に信じることはできなかった。
「ああ」
 本当にどうでもよさそうに答えた。
「わしは、火も吐けねえ、姿も消せねえ、よわっちいニンゲンとはちがうのよ。ほしーもんなんてなんんもねーし、ほしーもんを、セーハイなんて訳のわかんねーのから貰おうなんて思わねー」
 聞き捨てならないことを、平然と口にした。
「欲しいものがないのか?」
 雁夜には理解できなかった。目の前のサーヴァントは、人間にとって、欲しいものがないというのがどういうことなのか解っているのだろうか。
「ああ、ワシぁ、ハラぁいっぱいだ」
――このバケモノが羨ましかった。欲しいものがないということは、欲しいものをすべて手に入れているニンゲンだけが言うセリフなのだから。
 雁夜には、なにもない。なにひとつ残されていない。
「なんでますたーは、こんないくさつづけるんだ?」
「時臣に真意を聞くためだ。なんで桜ちゃんを、間桐の家に養子に出したのか……」
 いや、大した理由などないのだろう。あの魔術師という連中はそういう人でなしだ。
「もしも、納得できない理由だったのなら、そのときは……」
 雁夜が最も大切にしようとして、触れることさえ出来なかったものに唾を吐いたのだ。
 あの憎むべき仇敵から余裕と優雅さを剥ぎ取り、雁夜の身をじわじわと蝕んでいる蟲共の餌食にするのだ。寸刻みなど生ぬるい。
「復讐か?バカバカしー」
 雁夜の狂相を見れば、なにを考えていたかなど訊かずともわかるというものだ。
「馬鹿馬鹿しくてもやるんだよ」
 これを捨ててしまったら、雁夜は残りの時間をどう過ごしてよいのかわからない。
「憎んだって、いーことねえぞ」
 バケモノのくせに、どこかでだれかが聞いたような台詞を吐いた。
 まるで、酔っぱらったオヤジが、人生に迷った青年に説教しているようだった。
「それでもやるんだ」
「このコムスメはどーすんだ、てめーが死んだら誰がめんどーみるんだよ」
 雁夜から鬼相が消え、右半分にほんの少しだけ笑みが浮かんだ。
「もう臓硯はいない。きっと誰かが何とかしてくれる。時間はかかるかもしれないけど……」
 雰囲気が一変した。バケモノの気配が変わったのだ。
「きっと誰かが……?何とか……?時間が……?ますたー、おめえはばかか?」
 静かな声で、本当に静かな声でそういった。




「このガキは、確実にぶっ壊れてる。そう簡単にゃあ、もとに戻らねえぞ。いいや、もう肝心なところまで壊れてるかもしれねえ」
 眠っている少女を指差して、バケモノがいう。
 血が凍った。
 それは、雁夜が危惧しつつも、直視するに耐えない最悪の可能性であった。
「どういうことだ、バーサーカー!?桜ちゃんが壊れてるって」
 雁夜は、自分の口から出た言葉の寒々しさに恐れをなす。
 桜が壊れていることなど、この一年間の桜の変化を見続けていた雁夜が一番よく知っている。
 よく知っていたはずなのだ。
「ますたー、おめぇはホントーにばかか?このガキが壊れてるなんて、見ればわかるだろうが。わしが喋ってるのは壊れた場所のことよ」
 いやな感触が背骨の下からゆっくりとのぼってくる。
「あの気色の悪い蟲爺ぃになにされたのか知らねえが、よわっちいニンゲンの、大切な部分がまるっきりぶっ壊れてる」
 その言葉は雁夜の耳に入らなかった。
 頭の中を後悔だけが駆け抜けていく。
 手遅れにならないでほしいなどというのは、ただの願望であり妄想だ。
 臓硯がいなくなったことで、なにかが解決した気になっていた。
 未来の桜の笑顔を想像しながら、ひとり死んでいけるならばそれでいいと考えていた。
 しかし、現在にも未来にもそんなものがなかったとしたら?
 自分のやろうとしていることはまるで無意味ではないのか。
 蟲共がそうするように、全身を恐怖が侵食していく。
「この桜とかいう小娘は、わしが脅してもまるでびびらなかった。ふつーのガキなら小便を漏らして逃げ出すってのにな。最初は、とんでもなく背も腹も据わっている、クソ生意気なガキかと思った。しかし、どうにもそうじゃあねえ。こいつはスゲエ臆病もんだ」
 そんなことはわかっている。この世界で誰よりも雁夜がよくわかっている。
 よくわかっていたのだ。わかっていたはずなのだ。
 だというのに、直視できなかった。
 その事実を受け止めることがあまりにも恐ろしかったから。
 恐怖に震える雁夜を無視し、バケモノは続けた。
「このガキは逃げてんのよ」
――その言葉が、 
 癇に障った。
 今までのどんな言葉よりも。
「死ぬよりもつれーことがイヤだから、いっそ死にてーっ、殺してくれーってな」
 ふつふつと、押しこめていた衝動が言葉となって口から出てくる。
「黙れ」
 とてもではないが黙っていられなかった。
「黙れよ、バーサーカー」
 この大馬鹿者で、愛する人に想いすら告げられなかった臆病者の自分が責められるのは当然だ。
 桜が地獄にくべられなければ、自身の宿命に向き合うことすらできなかったのだから。
 桜がここまで追い込まれていても、その状態を直視すらできないのだから。
 しかし、なぜ桜が責められなければならないというのか。
 真に責められなくては、あの邪悪の権化ども、愛しい者を道具のように使う、忌わしい魔術師どもではないのか。
 業を背負うことが出来ずに、肝心なところで大切な人を悲しませ続けている雁夜自身ではないのか。
 だから、黙っていられなかった。
「逃げてなにが悪いんだよ。桜ちゃんは、まだ子どもなんだよっ。夜中に怖い夢をみたら、声をあげて泣いちゃうぐらいの子どもなんだよ。一人で眠れなくって、こっそりお姉さんのベットにもぐりこんじゃうような子どもなんだよ。そんな子が、なんだかわからないうちに、優しい母親や大好きな姉から引き離されてこんな薄汚い、奈落の底に放り出されてみろよ。あんな腐れ外道の手に渡されてみろよ。桜ちゃんがなにをされたか、おまえは知ってるのか」
――わかるはずがない。この眼の前のバケモノにそんなことわかるはずがない。
――英霊などというナニカになって聖杯に呼ばれる強者に、あの汚泥の渦に叩き込まれ悲鳴を上げることさえ忘れた子どものことなどわかる筈がない。
――愛しさの身を焦がし続け、地獄に落ちることさえ厭わないほど愛した人を、別の男に譲り渡した自分の無念など理解などされて堪るものか。
「弱ええからだろ」
 バケモノは、誰が弱いとは言わなかった。
 しかし、その言葉は、体内に巣食う刻印虫よりも激しく雁夜の臓腑を抉った。
 好きで弱く生まれたわけではない。
 もしも、あの完璧で、余裕を絶やさず、常に優雅な男だったならば、自分の宿業に背を向けるような真似など決してしなかったろう。
 もしも、間桐の家に生まれたとしても、その艱難辛苦を己が誇りへと転化したことだろう。
――しかし、
「弱くてなにが悪いんだよっ!!」
 どうしても、雁夜にはそれができなかった。
「悪かねえさ。でもな」
 なにか、反駁し、あの生意気な声を黙らせたかった。しかし、なにもいうことができなかった。 
 厳しく雁夜を責め立てるそのその言葉には、もう侮蔑や、嘲笑の色が全くないことに気付かされたからだ。
「このコムスメを、わしやおめえみてえにしたくねえだろ」
――だから、そう簡単に復讐とかいってくたばることばっか、考えるんじゃねえバカが……
 そう言い残して、バーサーカーは実体化を解いた。
 ほんの少しだけ、レースのカーテンから、太陽の光が差し込んでいる。
 二人だけになった部屋の中、雁夜は、ひとり静かにむせび泣いた。地獄から這い上がってきた悪鬼のように凶悪な顔をしているくせに、正論しか言わない生意気な使い魔に聞こえないように。
 自分のせいで、奈落へと突き落とされたかわいらしい姫君を、安息の眠りから覚まさないように。




――いつのまにか眠っていたようだ。またあの夢をみる。

 腕が太くなった。

 戦に出た。

 襲い掛かってくる敵が憎くて、

 臆病風に吹かれる味方が憎くて、

 目の前の敵を殺しまくった。

 そうするたびに右肩が疼いた。

 何度も戦に出た。

 何人も殺した。

 戦に出るたび襲い掛かってくる敵が憎くて、

 自分の陰に隠れる味方が憎くて、

 目の前の敵を皆殺しにした。

 戦に出た数と、

 敵を殺した数が解らなくなった頃、

 自分の姿を見ただけで、
 
 敵兵が蜘蛛の子を散らすようになった頃、

 いつのまにか英雄として祭り上げられていた。

 戦から帰るたび、街中の人間が自分を祝福した。

 子どものころは呪われた子どもとして迫害し、

 敵を殺すのに役立つと判ったら、ちやほやする。その態度の変貌が、

 一層の憎しみを募らせた。

 貴族の馬鹿息子が、町娘を取り囲んで騒いでいた。

 なんだかんだと理由をつけて、慰みものにでもするのだろう。

 親の権力を笠に着て、いつもの光景だった。

 その振る舞いがあまりにも醜悪で、

 あまりにも憎くて、

 おもいきりぶん殴った。

 助けた女に礼を言われた。

 ヒトを殴って礼をいわれたのは初めてだった。

 助けたはずの女に諭された。

 まるで喧嘩をして帰ってきた子供を優しく叱る母親のようだった。
 
 そんなふうに諭されたのは初めてだった。

 女は自分を恐れていなかった。

 自分を恐れない人間は初めてだった。

 その女には、

 右肩が疼かなかった。



[5049] Fate/zero×spear of beast 06
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2008/12/10 00:52
久宇舞弥は、自身を空虚は人間だと自覚している。
もっと正確に言うならば、自分は、衛宮切嗣という男の使用する道具、もしくは、切嗣という人間を構成する部品だと考えている。
現在、こんな場所にいるのも切嗣の目と耳としての諜報活動の一環である。
自身の主である切嗣は、今回、アインツベルンのマスターとして参加する。
今回の切嗣の敵は、始まりの御三家だけではない。外来の魔術師が、四人参加することになるだろう。そういった魔術師が、根城にするであろう場所の構造、間取りを調査するのは舞弥にとって当然と言えた。
このホテルも、そんな場所のひとつである。
三十二階をケイネス・エルメロイ・アーチボルドという男が、ご丁寧に実名で一ヶ月も前から借り上げ、いろいろと大幅な改装を行っている。
此処がダミーで、どこかに本拠地を構えるという可能性もないわけではなかった。
しかし、改装の規模と労力を考えるとその確率は極めて低いだろう。
時計塔の神童と聞いて、ほんの僅か、一抹の不安を感じてはいた。
しかし、この体たらくをみて、舞弥は元の切嗣の部品へと戻る。
舞弥にとって、本拠地を選ぶ際の所在の隠蔽と退路の確保は、条件以前の常識であった。
ご丁寧にこんなにも目立つ、逃げ場もない場所を本陣に選ぶなど愚の極みである。
そんな計算もできない人間は、如何に強力な魔術師であったとしても、切嗣の脅威たり得ない。
放火、爆破など、お得意の手法で即座に決着がつくだろう。
ハイアットホテルの次は、港の倉庫群の調査に向かう予定であった。
ロビーを抜けようとする際、ある看板が目に飛び込む。
“ケーキバイキング開催中 12:00~16:00”
その知らせを見た瞬間、地下のカフェレストランに吸い込まれた。
気のせいか目が霞む。
そういえば、体内の血糖値が低い。
このへんで、動力源を補給しておかなくては、思考力の減衰からとんでもないミスを犯してしまうかもしれない。
誰も聞いていない言い訳をしながら、久宇舞弥は自身に訪れる甘味の嵐を想像し、身をよじらせた。




自身が甘味を好むのは、タンパク質や脂質よりも、糖質のほうが熱代謝効率が高いからに他ならない。
それ以外の理由など断じて無い。あるはずがない。
自分は、切嗣という人間の部品であり、趣味などという高尚なものを持ち合わせてよい人間ではない。
ましてや、食べ物の好みなどという贅沢を、口にするなどもってのほかだ。
それにしても、格式の違うホテルは味も違う。
うん。この苺のショートケーキのクリームは本物の生クリームを使用している。最近では、植物性油脂をホイップクリームとして使用している店が増えたが、味と食感、何より口融けに雲泥の差がある。
植物性クリームも、嫌いではない。嫌いではないが、本物の生クリームには到底及ばない。
よくできた生クリームは、口に入れた瞬間、最上のシャーベットのようにさらりと溶けて甘味とコクを全身に広げるのだ。それ に苺の爽やかさが加わり、脳髄にまで悦びが駆け抜ける。

自身にとって、摂食行動とは機械の燃料補給と同じなのだ。
機械が、燃料もなく動くはずがないではないか。
いま、自分がしているのは、誰に対しても恥じる行為ではない。

このザッハトルテというケーキは、人類の生んだ悪魔の発明ではなかろうか。チョコレートという麻薬にも似た甘味の魅力を最大限に発揮している。
生地に練り込まれた、苦味の強いビターチョコレートが全体の甘味をひきたたせる。
その生地を包む、ほんのり洋酒の香りのするネットリとした口当たりのガナッシュチョコレートがボリューム感を演出する。
その周りをがっちりとコーティングするクーベルチュールチョコレートがカカオの風味をケーキ全体に与えて、全身の力が吸い取られるような錯覚に陥る。
まるで食べるほどに空腹が増すかのようだ。

食が進むにともなって、体温が少しずつ上昇し始めた。
しかし、まだベストコンディションには程遠い。
さらに燃料を補給し、臨戦態勢へと自分を持っていかねばならない。
シュークリームというデザートには驚嘆する。あえて生地に甘味を与えずに、中にあるクリームのみの甘さで勝負をするという発想は、自身のようなつまらない人間には一生涯を懸けても思いつかないだろう。
また、外から中身が一切見えないというのも心憎い演出だ。クリスマスプレゼントの包みを破る前の子供の心境とはこう言ったものなのだろうか?
中に入っていたのはカスタードクリームだ。それも相当に出来がいい。卵の過剰な鶏くささが一切なく、バニラビーンスのふくよかな芳香が滑らかに口の中に広がる。
いいや、それだけでは味が単調になってしまうところを、ブルーベリーとラズベリーの酸味、キャラメルソースの苦味がキリリと引き締めている。
 
洋菓子とは、卓越した指揮官の振る舞いや、非の打ちどころのない戦術に似ている。
必ずその味に、根拠となる理論が存在するのだ。その理論が幾つもの要素となり、複雑に絡まりあい、味わう人間を完膚なきまでに打ちのめす。抵抗の余力も与えないほど、再起の意思すら奪い去るほど、苛烈に、執拗に、徹底的に。
自身が甘味に詳しくなったのも、そういった共通点があったからなのだ。それ以外の理由などこの世の中に存在しないのだ。
うん、決して。

ああ、まだケーキを六十二個しか食べていない。これでは、来日した切嗣のサポートをする際にエネルギー切れを起こしてしまうかもしれない。切嗣の前でそんな失態を演じるわけにはいかない。なんとしても、栄養分を補給しなくてはならない。
それにしても、なぜ、人間の体というのは、こんなにも胃袋が小さく設計されているのだろう。これではあと七十六個程度しかケーキが食べられないではないか。
 



衛宮切嗣は、久宇舞弥という女のことを、恐らく地球上の誰よりも知っている。
そんな切嗣でさえ、舞弥が壊滅的な洋菓子好きだなどとは夢にも思わないだろう。
理由は単純で、舞弥本人がひた隠しにしてきたからである。
仮に、切嗣がこの破滅的な光景を目撃したとするならばどうなるだろう。
まず、硝煙に汚れた袖で眼をこすり、その後で、思い切り自分の頬を抓るだろう。
そして、自分の視界に入ってきたものが、現実であると確認した後は、幾つかの簡単な質問を舞弥にするだろう。
――なにか体調に異変はないか?
――過去の極限状態でのストレス対処法に誤りはなかったか?
――妙な薬物に手を出していないか?
 想像するだけで恐ろしい。
 いや、舞弥にとって、恐ろしいのはこれからである。
 なにを間違ったか、切嗣が舞弥を、その辺の年頃の娘と同じように、洋菓子に心を躍らせるような趣味の持ち主だなどと最悪の誤解をしたら……。
 切嗣という男は、舞弥に人殺しの技術しか教え込まず、道具として使い捨てようとしていた自分を呪うだろう。
 世間で恐れられているほど、衛宮切嗣という男は凶悪でもなければ強靭でもない。
残虐な手法をとるたびに人知れず、咽び泣いていたことを舞弥は知っている。
 それでも舞弥を道具として傍に置いてくれるのならばまだ良いが、新しい人生を送るようにいろいろと手を尽くし、舞弥を自分から遠ざけようとするだろう。
 まるで、飼えない仔犬を里子に出すように。
 それが、舞弥には、道具として使い捨てられることより、ずっと恐ろしかった。




  守矢克美はそのテーブルで、黙々と、表情を変えないまま洋菓子をむさぼり続ける女に、
「お忙しいところ申し訳ございません。私、こういう者ですが、少々お時間を頂けますでしょうか?」
 名刺を出しながら声をかけた。
 その瞬間である。
 何か、得体のしれないものが守矢の全身を駆け抜けていった。声にならない声、殺気とでもいうのだろうか。
――邪魔をするな…………。私の邪魔をするな…………。するなったらするな……。
 聞こえてはいけないものが聞こえたような気がした。餌を奪おうとしたハイエナが獅子に一喝されたような妙な心境に陥る。
 しかし、守矢という男は、非常にしつこく、執拗であきらめの悪い男であった。ここで冷水を頭から浴びせられたとしても取材を続けただろう。気配ごときでひるむような神経は持ち合わせてはいない。
 何事もなかったかのように、もう一度声をかける。
「少々お時間を頂けますでしょうか?」
 女は観念したのか、ぎぎぎぎと、首を機械のように守矢のほうへと向けた。
 すさまじい無表情のまま、リスのように頬をふくらませたまま口を開いた。
「ナンパですか?ならお断りです」
 もしも、守矢に下心があり舞弥を籠絡しようと手薬煉をひいていたならば、その顔色をみて一切の目論みを捨て、即座に退散しただろう。
 しかし、守矢という男は正義のジャーナリストであった。
 どこに住んでいるのか、どこから来たのか、なにをしに来たのか、次々と質問を舞弥に投げかける。
 女はそれを、上の空で答えていた。まるで、逆に、
――私にケーキを食べさせないつもりか?
――そんなことを聞いてどうするんだ?
――いいかげんにしないと血を見るぞ?
 と脅されているような気分に陥った。
 流石に守矢も
“この女は違うだろう”
 と結論付けた。
 しかし、最後のつもりで放った質問が状況を一変させた。
「現在、冬木市でなにが起きているかご存じありませんか?」
 極めて、ほんの僅かな時間、女の動きが止まった。




 眼の前にいるくたびれた三十男は、
『現在、冬木市でなにが起きているかご存じありませんか?』
 と言った。
 自分は、冬木で何が起きているのか、これからなにが起こるのか知っている。
 戦争が始まるのだ。自分もその戦争に、切嗣の一部として参加する。
 先ほどの言葉は、
『お前はアインツベルンのマスターの手の者か?』
 ともとれる発言であった。
「なんの話ですか?」
 とは返答したものの、心中は穏やかではない。
 可能性は少なくとも、切嗣の悲願の障害となるならば排除する必要がある。
 男は両手を返し、
「失礼しました、忘れてください」
 そういって自分のテーブルへ戻って行った。
 それから少ししてからだろうか。
 レストランの自動ドアが開き、ものすごい勢いで女の子が走り込んできた。
 癖っ毛を後ろで束ねた可愛らしい娘だった。左手に持っている包みは……恐らく竹刀だろう。
 小動物のような仕草で店内を見回したあと、先ほどの男のテーブルへと出向いた。
 どうやら待ち合わせをしていたようだ。
 驚いている男に、遅刻して済まなかったと平謝りしている。
 二人の話を聞くに、守矢という男は本当にジャーナリストで、冬木での連続殺人事件を独自に調査しているようだ。
 状況から判断すると、男が切嗣の障害となる可能性は極めて低いといえる。現実的には無視できるレベルだ。始末した後のリスクを考えるならば、放っておいたほうが安全だろう。
 そう判断したとたん、食欲が戻ってきた。
 あと五十九個はいける計算だ。
 さあ、エネルギー摂取を続けよう。




 間桐雁夜は頭を抱えていた。
 原因は分かっている。自身の呼び出したサーヴァントである。
 このサーヴァントときたら、妙なところで人間臭い。
 それも、五才児かそれぐらいの。
 目を覚ましたら、間桐家の家先になんだかよくわからないものが大量に集められていた。
 パラボナアンテナ、交通安全の旗、バスの手すり、ケンタくんに、剥ぎ取られたガードレール、歩行者用信号機、備え付けのスピーカー、二宮金次郎さんまでいる。
 一瞬、白眼を剥いて卒倒しかかり、桜に支えてもらわなければゴミの山に頭から倒れ込んでいただろう。
 電柱を指差して、
“五百年も経つと木も様変わりするな……”
 などと嘯いているのを聞いて、
『余計なものを拾ってくるな』
 と令呪で命令してやろうかと本気で悩んだ。
 臓硯の書庫に入って、何語で書かれているのかも雁夜には解らない書物を読みふけったかと思えば、TVの時代劇を見て、侍に対抗意識を燃やしている。
 兄の鶴野を脅して、ハンバーガーを大量に買い込ませ片っ端から食い漁り、ニュース番組を見ては、
「人間はかわらんなー、あいかわらずあくせくしやがって」
 などど、一千年ぶりに下界へと降りてきた仙人のような感想を生意気にも洩らす。
 そして現在は、リビングルームで桜と昔の映画のロードショーを並んで見ている。
 内容は、塔に囚われた姫君を、大泥棒が助けに来るという筋書きだ。自分も、中学生の頃に夢中になって見た記憶がある。
 桜の唇がぼんやりと動いた。
「うそです」
 誰へともなく言った。
「このえいがはうそです」
 言葉の真意を理解した。自分が来たのは、姫が手籠にされてからだ。また、自己嫌悪に陥りそうになる。
「そして、このヒトはうそつきです」
 隣で同じ映画を見ていたバケモノを指差していった。
 この二人に、いったいなにがあったというのだろうか。
 ふと、桜の外見に違和感を感じた。
 よく視ると、桜の髪にいつもの赤いリボンのほかに金色の髪結いが括られている。
「桜ちゃん、その髪どうしたの?」
 それはただの好奇心だった。
 その問いに、
「……秘密……」
 桜は、こころなしか恥ずかしそうに答えた。





[5049] Fate/zero×spear of beast 07
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2008/12/20 16:32
 店内に入ってきたその女子生徒は、ブンブンと首を振り、周囲を見回したあとこちらへと近づいてきた。
 ぜいぜいと喉を鳴らしながら、呼吸を整えながら声を出す。
「あ……あなた……が、 東京からきた守矢克美さんですか」
 恐らくは、此処に来るまでに全力疾走してきたのだろう。
 紅潮した頬に、額に、玉の汗を浮かべている。
 守矢のテーブルの前で、息も絶え絶えにいった。
「……ふじ……藤村大河……です、お……くれてご……めんなさい」
 年の頃は、十代半ばといったところだろうか。
 学生服に身を包み、申し訳なさそうにはにかんでいる。
 笑顔がよく似合う相貌をしており、肩程度まで伸ばした茶色掛った癖っ毛を、後ろでまとめた可愛らしい少女である。
 ぺこりと頭を下げる仕草も、活動的であると同時に実に愛らしい。
 左手に持っている濃紺の包みの中は恐らく竹刀だ。剣道部か何かに所属しているのだろう。よく見ると、その包みから、虎のストラップがはみ出している。
 守矢は困惑していた。
 てっきり、その道の人、もっと単純に言ってしまえば強面のヤクザから話を聞く予定であったのだ。
 ところが、現れたのは守矢より、二十は年下の可愛らしいお嬢さんである。困惑しないほうがおかしい。少女の名前を、牛が 反芻するように繰り返す。
「……藤村……たいがぁ……さん」
 不覚にも語尾を伸ばしてしまった。
「タイガーっていうなーーーーーー!!!!!!!!!」
 少女の、否、肉食獣の絶叫が店内に響きわたった。
 とりあえず、少女の名前の語尾を延ばすのは危険だということだけは理解した。
 


 
 守矢は頭を抱えていた。
 本来ここに来るはずだった人はどうしたのか少女に聞くと、面白そうなので代わってもらったという。
「さあどうぞ、なんでも質問してください!!」
 美味しそうにケーキを頬張る少女に、惨殺事件の詳細や、ヤクザ屋さんの資金源としての人身売買の経路、冬木市で起きている不穏なナニカについて、いったいどう聞けというのだろう。
 そんなこちらの聞きあぐねている様子をみて、逆に、ぽんぽんと歯切れのよい口調でこちらに質問をしてくる。
 人懐っこい笑顔が警戒心を緩和させるのだろうか。守矢もついつい、必要のないことまで話してしまった。
 好奇心が強く、人に警戒されないというのは稀有な資質である。もしかしたらこの女の子は、よいジャーナリストになるかもしれない。
「じゃあ守矢さんは、『冬木市の悪魔』を捕まえるために来たんですね!!」
「……まあ、そういうことになるかな」
 言い切ることなど出来るはずもない。
 守矢にとって、犯人を探すことはやぶさかではないが、捕まえたりするのは警察の仕事である。
「決めました!!私も手伝います!!」
 しかし、少女は力強く断言した。
 頬にクリームをつけたまま。
「手伝うってなにを……っていうか……なんで!?」
 いままでの話のどこをどうつなげたら、そういった結論が出てくるのだろう。
「私たちの街で起きている事件なんですよっ!!!!私たちが解決しないでどうするんですかっ!!!!」
 正論である。
「いや、でも、そのね……。危ないことになるかもしれないよ」
 しかし、正論であろうがなかろうが勘弁してもらいたい。
「大丈夫ですよ。自分の身は自分で守れますって!!剣道弐段の腕前を信じてください!!!」
 自分の薄い胸元を、どんと叩き、自信満々に任せてくれといわんばかりだ。 
 まずいことに、目を爛々と輝かせている。
 ほんの僅か、三十分ほど話をしただけであるが判ることがある。
 こういった人種は、一度決めたら譲らない。
 絶対に譲らない。
 親から許可を貰ってくるようにとやんわり誤魔化そうが、迷惑だと突き放そうが、この場から全力で逃げ出そうが、必ず追いつかれて徹底的に付きまとわれる。
 覚えがある。
 守矢もそういった人種のひとりだ。
「いや、そういう問題じゃなくってね……」
 しかし、いかに休暇を利用しているとはいえ、ミドルティーンの女の子を引き連れて、取材をするなど堪ったものではない。
「それに、私、役に立ちますよ、守矢さんって、冬木の街はじめてですよね?」
「……ああ」
 疲れ果てた声でうなずく。予知能力者でなくとも、この後の展開など守矢には解りきっている。
 一方的に押し切られてしまうのだ。
「冬木って、新都はともかく、深山町の方は入り組んでますから、絶対私がいたほうがいいですよ」
 たしかに、初めての土地で道案内は心強い。
 心強いのだが……。
「……学校はどうするの……」
 答えの解りきっている最後の抵抗を、
「サボります!!!!!!」
 一刀のもとに斬って落とした。
 がっくりと肩を落とす守矢をみて、少女は悪戯っぽく笑った。




 アウトローのジャーナリストが肩を落としている頃、ウェイバー・ベルベットは同じように途方に暮れていた。
 なぜ天才の自分が、こんな瑣末な理由で打ちひしがれなければならないのかと憤慨しながらではあるが。
 確かにある意味において、ウェイバーはまぎれもない天才であった。
 本人の、まるで気付いていない分野においてであるが……
 ウェイバーの著した『新世紀に問う魔道の書』が、まかり間違って本屋の店頭に並んだとするならば、特定の方面の読者から、熱烈な支持を受けただろう。
 不朽の名作として、また、最高の実用書として愛読される可能性があった。
 全く意図しない方面の読者にではあるが……。
 まず、良識のあるオカルト本マニアから、凄まじい大怪作として最高の評価を受けるだろう。
 次に、魔術回路を持ってはいるものの、魔術の魔の字も知らないといった素人が、この論文に書かれている理論を実践し、魔術協会を困惑させただろう。
 そして、ご同業の魔術師たちからは、
“こいつは魔術をサブカルチャーかなにかと勘違いしてないか?”
 と呆れられただろう。
 最後に、ウェイバー本人は、魔術協会に確実に始末されただろう。
――魔術回路の数など少なくても優秀な魔術師になれる。
――魔術師の格に血筋など関係ない。
――理論の信憑性は年の功では決まらない。
 とは、 ウェイバーの持論である。願望といってもよい。
 この自分の理論を誰にでも、それこそ魔術など知らない一般人にも理解できるように噛み砕いて書き綴るということの危険性を、ウェイバー自身はまるで気が付いていなかった。
――魔術は簡単!誰でも出来る!楽しい!素晴らしい!何代目かなんて関係ない!
 と絶叫するも同じである。
 もしも、この論文が、適当でいい加減な、単位考査に間に合わせるため粗製乱造されたものならば、降霊科のケイネス・エルメロイ・アーチボルド講師も、二つ三つ、嫌味な小言を口にしたのち、再提出を命じるにとどまっただろう。
 理路整然と、一分の隙もなく、ご丁寧に実践方法も併せて論文調で書き連ねているのである。ケイネス先生には、くだらない妄想を真剣に書き綴るウェイバーがさぞや哀れに映ったことだろう。
 なにも知らない一般人を魔術師にする、最高の入門書。そんなものを書くのに構想に三年、執筆に一年もかけたのだ。ウェイバーの非凡にして知られざる才能が産んだ、どうしようもない鬼っ子である。
 著者の希望通り査問会の目に触れた日には、正気を疑われ、最悪の場合には魔術師としての命脈すら絶たれかねない。
 ウェイバー・ベルベット、青春の大暴走である。
 自分を振り返られる年齢になったら、思い出すたび恥ずかしさのあまり夜中に奇声をあげてしまうような痛々しい記憶。
 その点において、エルメロイ講師の行った、流し読みの後、破り捨てるという対処は慈悲深いものだったといえる。
 しかし、その行為を許せるほどウェイバーは大人ではなかった。
 自分の才能を証明するため、華々しく冬木の聖杯戦争に乱入し、あの高慢ちきで家柄だけの男、エルメロイ講師のはなを明かしてやるはずであったのに、ウェイバーは、途方に暮れていた。
 単純に、先立つものが少なかったのだ。ロンドンから、単身冬木市に飛び込んできたものの財布は極端に薄かった。
 いますぐにどうこうというほどではないが、聖杯戦争が終わるまでの宿代には程遠い。
 魔術というのは金食い虫である。何代も続いた、自称名門に生まれた連中ならば強固な財政基盤を持っているのは当然であるが、ウェイバーは時計塔への入学資金も家財道具一式を売り払って何とか捻出する赤貧ぶりである。
 本拠地を構えようにも、工房を建設するにも莫大な金がいるのだ。
――聖杯戦争でその凄まじい才能を開花させ、周囲に戦慄をまき散らすはずの自分がこんなくだらない理由で悩まなくちゃならないなんて……。
 このままでは、近いうちに野宿をしながら聖杯戦争に参加せねばならない。
――最悪だ……。
「あのう、もしかして」
 アングロサクソン系の老婦人が、ベンチにうなだれるように腰かけていたウェイバーに話しかけてきた。
 何事かと振り向むいたウェイバーに、老婦人は瞳を見開いてまじまじと顔を見つめたのち、
「あら、ごめんなさいね。人違いだったみたい」
 そういって丁寧に謝罪した。
「ほら、いったじゃないか、マーサ。あの子がこんなところにいるわけないって」
 おそらく夫だろう。老紳士が夫人に声をかけた。
「でも、あなた。背格好があの子に似ていたものだから」
「あの子と最後に会ったのは七年前だよ、マーサ。今、会ったって、きっと誰か判らないよ」
 話を聞くに、どうやら孫か息子と勘違いしたようだ。それもどうやら最近は会っていないようだ。
「それでは失礼しました」
 そうして丁寧に一礼をして去っていく老夫婦を、ウェイバーは見つめていた。
 老夫婦は、老人特有のおぼつかない足取りでゆっくりと遠ざかっていく。
 鴛鴦夫婦とは、ああいう二人のことをいうのだろう。
 しかし、どことなく人生の悲哀を感じさせる足取りだった。
 マーサという老婦人が、軽薄そうな青年にぶつかって倒れたとき名案が浮かんだ。
 すぐさま駆け寄って、
「お待たせ、おじいちゃん、おばあちゃん」
 豹柄の靴をはいた、いかにも遊び人のような青年と老夫婦の間に入り二人に声をかける。
 老夫婦の瞳を舐めるように見つめ、暗示をかけた。
「どうもすみません、祖母が迷惑を掛けて……」
 なぜか残念そうに立ち去る青年に口では謝りながらも、心は自分の名案に浮かれていた。
 魔術師の工房は、堅牢であるのは常識だが霊脈などの都合上、設置する場所が限られる。しかし、もしも一般人の家庭に紛れ込んだとするならば、守りの備えは紙同然だが発見される可能性は限りなくゼロに近い。
 孤独な老夫婦に付け入るのは、僅かばかり胸が痛むが、どうせ勝つのは天才の自分である。
 この戦いを制した後、いくらでも借りは返せる。
 それまでの間、せいぜい利用させてもらうとしよう。
 時計塔において若手随一の魔術師として錦を飾った後、いくらでもあの二人には恩返しは出来るのだから。
 誰に聞かせるでもない言い訳を心中でしているとき、ウェイバーの右手の拳に痛みが走った。
 うっすらとではあるが間違いない。
 令呪の兆しである。
 気分が高揚し、足もとがフワフワと浮き上がる。
 すぐに、召喚の儀式に必要な生贄を用意することにしよう。
 自分の召喚するのがどんなサーヴァントなのか。
 口元が自然ににんまりと綻んでくるのを、ウェイバーはこらえることが出来なかった。



 
 間桐雁夜は、地獄のような光景を目撃していた。
 テレビ放送の映画を観終わったあと、少女の寝室での出来事である。
「……つぎのはなし、おねがいします……」
 始まりは単純な怪談だった。
 自分の召喚したバケモノが、どんなに脅かしても驚かない桜の泣き顔を見ようと怖い話を始めたのだ。
 しかし、少女はまるで動じない。
 否、鼻で笑ったのである。『それのどこがこわいんですか』と駄目出しをして。
「……だから、わしが火を吐いても雷を落としてもそのムシュナってヤローは直ぐに元に戻っちまうんだ……」
「……ぜんぜんこわくありません……。……つぎのはなし……おねがいします……」
 むきになったサーヴァントが、眠気に襲われている少女に延々と実体験を交えた怪談を語り続けているのである。
「……ひこーきってのを持ちあげたあと、変なくそぼーずに襲われて……」
「……つぎ、おねがいします……」
 とてつもない意地の張り合いであった。
 低次元という意味であるが。
「……わしが婢妖にとり憑かれたニンゲンの体に入って……」
「……つぎ……」
 もう聞こえていないのだろう。
 目の前に鳩が出ている桜を寝床に運んでやる。
「……カリヤおじさん……オバケ……」
 呟くように少女がいった。
「……おやすみなさい……」
 抑揚のない声であった。
「……うん。おやすみ桜ちゃん……」
 しかし、何処かに灯がともったような気がした。
 その正体に気がついた。
 桜がこの家に来てから、なにかをねだる場面を見たことがなかった。
 バケモノのくだらない怪談を、もっと聞かせろとせがむ桜。
 無表情という鎧がほんの少しだけ剥がれたような気がして。
 それが、なぜか無性に嬉しかった。






[5049] Fate/zero×spear of beast 08
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2008/12/20 16:31
――うれしいことがあった。
――ほんのすこしだけ、桜ちゃんに変化があった。
――桜ちゃんが生まれたときからずっと知っている俺と、この一年をずっと見続けてきた俺と、癪ではあるが俺が呼び出したバケモノにしか判らない程度の、ほんのわずかな変化。――自分を守る無表情に覆い隠されてはいたものの、それは確かに桜ちゃんの中にあって。
――バケモノが言ったように、簡単には元には戻らないだろうけれど。
――決して大輪の薔薇ではないけれど、自身の名前のように小さな笑顔をいずれ見せてくれるのではないかという夢を見るには充分で。
――でも、その笑顔を見ることは、きっと俺はできなくて。
――それが少しだけさびしくて。
――こんな想いを抱いて眠るのは、きっと、これが初めてで……………………。




 貴族の将軍たちが、自分を呼び止めて悪罵していた。

 戦いになったら、自分の後ろに隠れるくせに。

 平和になったら威張り散らす。

 そう思うと、右肩が疼いた。

 右肩の疼いている自分に、

 伴周りの少年が言った。

 媚びた目でもなく、

 脅えた眼でもなく、

 自分には決してできないような真っ直ぐな瞳で

 自分のようになりたいと。

 追従や機嫌取りではなく、本心だった。

 自分のように、強いだけの男になってどうしようというのだろう。

 自分のように、憎むことしか知らない男になってどうしようというのだろう。

 少年が言った。

 自分は優しくて強いと。

 ひどい誤解であった。

 しかし、その誤解を解く気にはどうしてもなれなかった。




 間桐家の朝は早い。
 女手のない家であるとはいえ、魔道の家とはいえ炊事も家事もせずに生きていけるわけではない。
 普段は通いの家政婦が朝七時には台所に立ち、朝餉を用意した後、いまは亡き臓硯や半死半生の雁夜の世話や掃除洗濯をし、夕方四時には晩飯の支度をして帰っていく。
 しかし、聖杯戦争が始まろうとしているときに一般人の部外者を巻き込むわけにも行かず、サーヴァントを召喚する前に暇を出している。
 しかし、この侘しい朝食を見て雁夜はこれでいいのかと自問せずにはいられない。
 広い食堂で、まともに食卓についているのは、無表情に箸を動かす桜ひとりである。
 雁夜は、食事は喉を通らないので箸を取っていない。
 ただ、栄養点滴が流れ落ちるのを椅子に座って待つだけである。
 兄の鶴野は、バーサーカーとして召喚されたバケモノが恐ろしいらしく部屋から出てこない。桜の兄の慎二は、海外に遊学中である。聖杯戦争が終わってくるまで戻ってこない。
 必然的に、朝食をまともに食べているのは桜だけということになる。
 怪しい薬品を盛られていた頃の食事とは比べようもないが、食べているのは昨日のうちにスーパーから買ってきた弁当を、温めただけのものだというからその思いはますます強くなる。
 そんなことを気にしている場合ではないのかもしれないが、このままで良いわけでもない。
 あのバケモノはといえば、ハンバーガー以外のものは喰いたくもないのか、雁夜の誘いを断り隣の部屋でブラウン管を凝視している。
 規則正しく、眼の前の食事を片付けていく少女を見ながら雁夜はとりとめのない思索にふけった。
 確かに、臓硯の魔手は、もう雁夜にも桜にも永久に届かない。
 しかし、葵や凛の下に桜を渡してそれで終わりというわけにもいかない。
 どうしても確かめなくてはならなかった。
 なぜ、あの男が桜を此処に置くのを、良しとしたのか。
 理由によっては、また、桜が外道の魔術師の下に送られる。
 同じことの繰り返しである。
 だからといって、桜を自分の手で育てるという選択肢が雁夜にはない。
――まいったな、こりゃ……。
 バケモノが出した宿題は難問であった。
“だから、そう簡単に復讐とかいってくたばることばっか、考えるんじゃねえ”
 そのバケモノを召喚する前に桜と交わした約束は想像以上に難しい。
 しかし、雁夜は誓ったのだ。
“――あのひとたちと、また、会えるの?”
 という消え入りそうな声に、
“ああ、きっと会える。それはおじさんが約束してあげる”
 確かに約束したのだ。
 この約束だけは、なんとしても守らなくてはならない。
 大切な人との約束は、必ず守るべきだった。
 この約束だけは雁夜がどうして守りたかったのだ。




 本来、間桐邸では、すべての部屋の扉に鍵が掛っていたのだが……。
 いまは、その扉すらほとんどの部屋に存在しない。
 原因は単純で、雁夜の呼び出したサーヴァントが、扉という扉を「メンドくせぇ」といって、破壊したからだ。
 本来、このバケモノは、日本家屋ならば壁をすり抜けることもできるのだそうだが、壁や扉に金属やコンクリート、セメントが使用されていると、どうにもうまくいかないらしい。
 さらに間桐の家の結界が、バケモノの体に反応するようで移動するたびに、内部に張られていた全ての結界が破壊されてしまった。
 現在、扉が残っているのは、玄関とトイレ、風呂場だけである。
 そのせいで、屋敷すべての部屋の風通しが良くなりすぎてしまった。
 その元凶は、どこ吹く風で文明の利器を凝視している。
 リビングルームの日当りのいいところを選んでじっとしていたり、テレビ番組ではニュース放送が大好きだったりとこのバケモノは、変なところで爺くさい。
「ニュースなんか見て面白いのか?」
 しかも、無味乾燥の国営放送のニュースが一番のお気に入りである。
 このサーヴァントにはもっと世俗的な番組、くだらないバライティ番組を見て爆笑するほうが似合っているように雁夜には思える。
 聖杯も、テレビチャンネルの切り替え方法や、リモコンの使用方法などはバーサーカーの座には必要ないと踏んでいたのか、 朝早くからテレビを点けるようにやかましくせがむのだ。
 雁夜の問いに、
「ふん、座とかいうくだらねーところにいたら、ニンゲンがテレピンのなかでしゃべってることでもそれなりに面白いわ」
 などとのたまっている。
 もっと有意義なことをしたらどうか、という言葉を雁夜はなんとか飲み込んだ。そんなことを口にして、中庭に移動したゴミの山をさらに増やされた日には、どうしたら良いというのだろう。
 その二人のやりとりの横で、桜は絵を描いていた。
 二十四色のクレヨンで大きな画用紙に、年齢に相応な、大人には、なにを書いているのか一瞥では理解できない絵を何枚も。
 わかるのは描かれているのが人間だということだけ。
 一列に並んで、何人かの人間が描かれている。
 この館に来てから、桜が絵を描いているのは初めてであった。
 もしも、桜が白い画用紙を黒いクレヨンで端から端まで塗りつぶしたりした日には、雁夜は口から泡を吹いて卒倒したであろうが、幸いにもそんな悲劇は起こらなかった。
 雁夜に、興味が湧いた。
 誰を描いているのか知りたくなったのだ。
「桜ちゃん、なにを描いてるの?」
 桜は、無表情のまま、しかし驚いたように、木の葉のような手のひらを画用紙に乗せ、全身で覆いかぶさるように絵を隠した。
 こころなしか、頬がほんのり紅潮しているようにもみえる。
「……秘密……」
 消えいりそうな声で呟いた桜の絵を、
「なんだぁ、みせてみろよ」
 バケモノが首を、二mほどニュウっと伸ばして覗き込んだ。
 ああ、確かにこいつはバケモノなんだと実感できる瞬間だった。
 その首を伸ばして覗き込んだサーヴァントの顔を……桜は、思い切りグーで殴った。
「なにしやがるっ、このガキ」
 と絶叫するバケモノに、
「……天罰です」
 桜は、素気なく言った。




 鼻っ柱を抑えている妖怪を無視して、ブラウン管に映し出されたアナウンサーが淡々とした口調で、冬木で起きた事件について語っていた。
「本日未明、冬木市で起きた、殺人事件についての続報です……」
 そのニュースを聞いて、雁夜とサーヴァントの体温が下がる。
 新都の英会話学校で、女性外国人講師が殺されたこと。
 全身を剃刀で切り付けられ絶命したこと。
 そして、その憐れな被害者の生き血で、床と壁になにか、文様らしきものが描かれていたことを、抑揚のない国営放送のアナウンサー特有の声で伝えた。
「これで、三件目か」
 誰に聞かせるでもなく、呟くように雁夜がひとりごちる
「……こいつぁ、せーはいせんそーとかいうのにさんかしたやつの仕業か……?」
 バケモノが、底冷えするような声で言った。
 この状況で起きた事件である。たしかに疑わしい。
「……たぶん、違う。魔術師が、生贄として殺したんなら、こんなヘマはしない。こういったことを隠すのが魔術師連中のやり方だから……」
 雁夜は、臓硯という正気を喪い、精神を腐敗させ、不老不死への妄執にとりつかれた狂気の魔術師でさえ、痕跡の秘匿という 最低限のルールは守っていたことを知っている。あの魔術師は人間の生き血を啜った後、その亡骸を虫たちに捕食させることによってその業を隠蔽していた。
 普通、魔術師が魔方陣を、一般人に見つかるように描くことなどありえないはずだ。
 どんなに強力で優秀な魔術の担い手であっても秘匿の義務を怠れば、魔術協会により粛清される。雁夜のような成り立ての半人前で、魔術という術を嫌悪している者にとっても、それは当たり前すぎる常識だった。
 しかし、時期が時期である。関係がないと断言することは、あまりにも軽率な判断である。
 それきり、二人は沈黙を保ち続けた。
 ブラウン管が、次のニュースを映し出しても、その沈黙は途絶えることはなかった。




 新都の安ホテル街から近くの喫茶店に、その不釣り合いな二人はいた。
 年の離れた兄妹というには無理があり、叔父と姪のという関係のほうがしっくりくる二人である。
 周囲を気にしながら話をしている様子を少々邪推するならば、年の離れたワケアリの二人という見方もできるかもしれない。
 しかし、二人の関係はそんな艶とは一切関係がなかった。周囲に聞かれないように注意を払っていたのは、内容が殺伐としたもので、喫茶店で大声をあげて話が出来なかっただけである。
 藤村大河という少女の伝手は、実際に大したものだった。
 記者クラブからの報告を、なんとか同系列のテレビ局の記者から聞き出そうとする守矢に、警察にいる剣道の知り合いという警部を紹介してくれた。
 ご丁寧に、冬木市警察の捜査本部に所属している警部だ。
 喉から手が出るほど見たかった、極秘の捜査資料の写しも、
「ばれなきゃ大丈夫です」
 という、涙が出るほど嬉しい一言と共にその警部が持って来てくれた。
 なんでも、藤村組は武闘派で知られているが、警察との折り合いは悪くないらしい。
 老舗で必ず筋を通す藤村組を擁護し、暴走しやすい新興勢力の台頭を防ぐ狙いがあるのだそうだ。
 別段、珍しいことではないと守矢は感じた。
 いがみあっているようでいるようで、実際には共同戦線を張っているというのはどこの世界でもよくある構図だ。
「でも、守矢さん。この事件って、証拠が何もないんですよね。どうして同じ犯人の連続殺人事件だってわかるんですか?」
 少女の鋭い質問に、守矢は事件のあらましを解説しはじめた。
 今回の事件は、今月の初めに、捜索願の出ていた家出少女が廃工場に変わり果てた姿で始まったことに端を発する。
 検死解剖の結果判ったことは、凶器は刃渡り数センチの鋭利な刃物であり、床に妙な紋様は、被害者の血液で描かれたこと。 そして、殺害される前に、絶命までの数時間、凶器の刃物による拷問を受けていたことである。
 鑑識班の調査も空しく、犯人の指紋、毛髪、衣類の繊維、靴底の痕跡など、犯人に繋がる証拠は一切見つからなかった。
 しかし、この報告を受けて他県の捜査本部が声を上げたのだ。
“こちらで起きた事件と似ていないか”と。
 数か月の捜査にも拘わらず、迷宮入りの一途を辿っていた事件だった。
 遺体はドラム缶に詰められおり、死後一週間以上経過した状態であったが、全身に剃刀で切り付けられた傷があったという。
 被害者の遺体の傷を比較してみると、どちらも意図的に、致命傷となる動脈を避けて傷を加えられていることが解った。
 それで点線が繋がった。この事件は同一犯ではないかと騒がれ始めたのだ。
 それ以降、冬木市警察は、連続殺人事件の可能性も視野に入れて、近隣の所轄とも連携して捜査を進めていたのだが、それを 嘲笑うかのように一週間前に第二の事件が起こり、そして、今日未明に第三の事件が起きた。
 説明をしながら写真の束を、守矢は少女に見えないようにテーブルの脇にどけた。しかし、かえって少女の注意を引いてしまったらしい。
「あらっ、これって」
 そういって、写真の束に大河が手を伸ばす。
「ん、見ないほうがいいと思うぞ……」
 男は、一応、といった態で忠告をする。
 しかし、逆に少女の好奇心という導火線に火をつけてしまったようだ。
 引っ手繰るように写真を手にし
「な、なんですか、これはーーー!!!!」
 絶叫した。
「年頃の女の子になにを見せるんですかーーー!!!!」
「一応、止めたんだが……」
 耳を両手で押さえる守矢を、
「そういうときは、無理やりにでも止めてくださいよーーー!!!!」
 さらなる絶叫が襲った。
 しかし、猟奇殺人事件の犯行現場写真を、突然見せられた反応としては、マシな部類だったかもしれない。
 正視するのに堪えないといった様子ではあるものの、
「この魔法陣って……」
 恐る恐る写真の端を眺めていた少女が、小さな声を出す。
「ほん、もの……ですか?」
 守矢は、この写真を見たときに大河と同じ印象を抱いた。
 すなわち、描かれた図柄が、やたらと本格的なのだ。
「ああ、これ英語……じゃないですね。私、英語得意ですけど……こんな単語見たことないです」
 一枚一枚、おっかなびっくり写真を捲っている。
「ルーン文字にラテン語だよ。それに、漢字も見え難いけど混じってる」
 血まみれの擦れた文字であったものの、幾つかは読み取れるスペルがあった。『accerso』とか『diabolus』とかそんなスペルは見たことがない。図書館で色々な辞書を片っ端から当たった結果、ラテン語の辞書を見つけて、意味を調べたのだが――
「本物かどうかは、現在調査中……だ」
――『accerso』は呼び出す、『diabolus』は悪魔とかそんな意味らしい。
 守矢は、ふと、数年前の事件を思い出す。
 今回の事件も、もしかすると、ああいった類の事件かもしれない。
 守矢は体温が下がり、身震いするのを感じた。




 雨生龍之介は上機嫌だった。
 自分の思いつきに感動していた。
 今回の犠牲者は、英会話学校の女性講師だ。
 やはり、黒ミサ風味の演出には外国人が似合う。
 とても美しい肌をしており叫び声を上げる仕草が、日本人とは違い最高にCOOLだった。
 手近な所で済ませなくてよかったと、心の底から思う。
 外国人ならだれでもいいやと標的を探していたのだが、自分の苦手な光景を見せられて最初の標的は見送った。
 それが、結果的には最高だった。
 もしも、昨日ぶつかった老婆で済ませていたら、あの若々しくて瑞々しい、それでいて日本人離れした身体を切り刻むことが出来なかったのだから。
 しかし、心残りもあった。
 生き血で描く魔法陣が、最後まで描き切れなかったのだ。
 画龍点睛を欠くとはこのことだ。
 一人や二人では足りない。
 少し多めに殺さないといけないかもしれない。
 そうして雨生龍之介は次の獲物を探すために踵を返した。






[5049] Fate/zero×spear of beast 09
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2008/12/20 16:29




 なんということだったろうか。
 
 先ほど別れたTV局の事件記者の守矢さんが近づいて行ったあの男。
 
 あの後ろ姿は間違いない。目深にかぶったパーカーにおぼつかない足取りが、なんらかの薬物を常習していることを思わせる。
 きっとこちらからは見えないその顔は、よだれをたらしながらニヤニヤとした気色の悪い狂気に歪んでいるに違いない。
 
 なにかしら会話を始めている。
 
 間違いなくあの人物は異常だった。

 もしかしたら、自分たちの追っている連続殺人事件の犯人かもしれない。

 ひょっとしたら私たちの捜査の手が伸びているのをどこかで感じ取ったのかもしれない。

 きっとそうだ。

 だいたい、あのポケットハンドが怪しい。ポケットの中にある手の平に、ナイフや拳銃が握られていないという可能性は否定できない。

 自分は、剣道の段位こそ弐段だが、実力は参段かそれ以上のものがあると自負している。

 年齢と修業期間の規定により試験は受けられなかったが、大学や警察の剣道部での出稽古では自分よりも高段位の人たちと互角以上に渡り合ってきた。

 あの守矢というジャーナリストの顔、どう考えても油断しきっていた。

 自分の命が危ないという自覚があるのだろうか?

 ぶるぶると身震いがした。こういうときこそしっかりボディーガードとしての任務を果たさなくては。

 そうして、私は妖刀『虎竹刀』に手をかけた。









 サーヴァントが出揃っていないうちに、聖杯戦争の下準備を行う。これはどのマスターについても当然の戦略である。

 雁夜の敵は時臣だけではない。余所者の魔術師を雇ってまで妄執を果たそうとする西洋の名門、そして四組の外来のマスター。

 その魔術師たちの根城になりそうな場所に、使い魔の蟲を放っておくのは間桐の魔術師としては、いわば定石ともいえる行動だった。

 別に聖杯を手に入れるつもりは、自分にも呼び出したバケモノにもなかったが、時臣と対決する前に、どこかの誰かにやられてしまいましたという結末では死んでも死にきれない。

 それにしても、と思う。

 深山町のめぼしい場所を一日かけて回り、新都へと足を延ばしたときにバケモノの反応は一体なんだったのだろう。

 なんというか、あれは三〇年前の高度経済成長期に電気も通っていない離島から上京してきた田舎者の反応ではなかったろうか。
 
 守護すべきマスターを、

「なんかあったら“れいじゅ”でよべ」

 といって、文字通りどこかへと飛んで行ってしまった。

 溜息をつきながら午後からはひとりで新都を回った。

 最後に安ホテル街へと向かったとき、見覚えのある人影を見つけた。

 そこにいたのは、雁夜にとって予想外の人物であった。

 いや、今の冬木にはこれ以上ないぐらいにふさわしい人間かもしれない。

 フリーのルポライター時代に、何度か一緒になったことがある。もっとも立場には雲泥の差があったが。

 こちらは無名のルポライター、あちらは業界の有名人。

 替えのいくらでもきくフリーの人間を、虫けら扱いする鼻持ちならない連中が多いなか、守矢という男には不思議とそういう空気がなかった。

 とはいえ友人付き合いがあったわけでもなく、二度三度、一緒に飲んだことがあるぐらいだ。

 こちらの視線に気がついたようだ。

 咄嗟に顔をそむける。

 しかし、その行動が余計に相手の興味を引いてしまった。自分にはどうやら探偵やスパイの才能はないようだ。

 こちらの方に近寄り、

「ひょっとして間桐君か?」

 守矢さんはそう声をかけた。

「……ご無沙汰しています」

「最近うわさをきかなくてな、心配はしていたんだが」

「体を壊してしまいまして……」

 おぼつかない足取りを心配するように言う。

「だいぶ悪いのか?」

「……ええ。左半身が麻痺しちゃって……」

「そうか……。そんな体調なのに、君も例の事件を追っているのか?」

 冬木の連続殺人事件のことだろう。

「君は不思議と鼻が利くからな、もしかしたらバッティングするんじゃないかとは思っていたんだ」

 誉められることがなんだかむずがゆい。

「……いえ、冬木に実家があって。身体を壊してからは、こっちで療養中です」

 大嘘である。人間としての機能がぶっ壊れたのは冬木に戻ってきてからだ。

「……なんだ。君は追っていないのか」

「はい」

「……そうか」

 煙草を取り出し、火をつけた。

 深呼吸するように吸いこみ、溜息をするように吐き出す。

「てっきりライバルが増えたかと思っていたんだが、あてが外れたな」

 身に余るほどの高評価をされていたようで困惑した。

 沈黙する自分を余所に続ける。

「まあ、でも君が追っていないというのなら話してもいいか……。この事件は恐らく氷山の一角だ」

 今はまだ、俺ひとりの妄想だが、と前置きをしたうえで、

「これから、冬木ではとんでもないことが起きる。もしかしたら、もう起こっているのかもしれない。御伽噺みたいな現実離れしたなにか。たとえば、悪魔が出てきて人を食い殺すとか」

 とてもではないが看過できないようなことを守矢さんは言った。

「……東京に帰った方がいいですよ」

 自分の声帯から出たのは、恐ろしくなるほど冷たい声だった。

 守矢さんは身構えて、煙草を備え付けの灰皿へと捨てる。

「だいぶ疲れているんじゃないですか?TV局って激務ですから。俺みたいに体を壊しちゃいますよ」

 前の言葉を打ち消すように冗談めかして言ってみた。

「やっぱり妄言に聞こえるか?俺個人はいたって真剣なんだが」

 守矢さんは含み笑いをもらす。

 俺もつられて笑いをもらした。

 その瞬間、背後から凄まじい殺気を感じた。
 



 相手が凶器を取り出すまでが勝負だった。ナイフならばなんとでもなる。

 しかし拳銃ともなると自信がない。祖父ぐらい猛者になると、そんなのは気合いの問題だとか言えるのだろが、こちらは十代女子である。こんな立ち回り経験したことがない。

 気配を殺して慎重に、慎重に。獲物にとびかかる前の猛獣のように。

 守矢さんが乾いた含み笑いをもらした。

 今頃になって自分の迂闊さに気がついたのだろう。

 遅すぎです!!守矢さん!!

 危険察知はサバイバルの基本ですよ!!

 異常者が不気味な笑い声を上げた。こんな不気味な笑い声聞いたことがない!!

 襲い掛かる気だ!!!

 もう一瞬の猶予もない。

 私は、虎竹刀を握りしめ、渾身の一刀を振り下ろした。

 チェースートー!!!!!!!!!!!!!!!!!




 頭部に衝撃が走った。一回ではない何回も。

 倒れそうにもつれる足を払うように一撃が加えられる。

 踏みとどまろうとしたせいで、きりもみ状態となり仰向けに倒れてしまう。

 その後も、半死半生の身体に、容赦のない執拗な連撃が加えられる。

「このっ、このっ」

 朦朧とする意識の中、視界に入ったのは

 こちらを羅刹悪鬼をにらみ殺す仁王のような表情のポニーテールの少女と、その少女にしがみついて、なんとか押しとどめている守矢さん、そして、守矢さんの手から離れ路上へとぶちまけられた紙と写真だった。

「止めるんだ、大河ちゃん!!」

 右眼に一番近い写真が目に入る。

「守矢さん。とめないでください!!」

 その写真に描かれているものに見覚えがあった。

「急にどうしたって言うんだ!!」

 細部には違いがあるものの、

「守矢さんには野生の勘がないんですか!!そんなんじゃ密林は生き残れませんよ!!」

 間違いなく蟲蔵にあった魔法陣と同一のものだった。

「その人は俺の知り合いだ!!」

 サーヴァントの降霊の儀に使用するものだ。

「――守矢さんもこの殺人犯の仲間だったんですかーー!!私を騙してたんですねーー!!」

 なんでこんなものが写っているんだ……。

「たい、タイがちゃっ、タイがぁーちゃん……落ち着いて。」

「タイガーってよぶなぁあああぁあぁーーーーー!!!!!!」

 絶叫がホテル街に響きわたった。




 守矢さんが暴れる少女をなんとかなだめて、出たばかりの喫茶店へと連れ込んだのはそれからすぐだった。

 簡単な自己紹介を終えた。

 なんとか心拍数が元に戻る。

 確かに可愛らしい娘だとは思う。

 本性さえ知らなければの話だか。

「協力者じゃないです」

 守矢さんの紹介が気に入らなかったらしい

「守矢さんの相棒です!!」

 などと嘯くあたり……間違いなく只者ではない。

 本来は即座に間桐の家に帰りたいのだが、そうも言っていられない理由ができた。

「守矢さん。この写真って……」

「ん、ああ、そこの大河ちゃんが紹介してくれた刑事さんがな。口外はしないでくれよ」

 その写真を凝視している俺をみて、

「……やっぱりなにか知っているんだな」

 問い詰めるようでも、引っ掛けるようでもなく、確認するように言った。

「……はい」

「本物か?」

 核心をついた質問だった。

 心臓が止まりそうになった。この人は鋭すぎる。一体どこまで掴んでいるのだろう。

 流石に聖杯戦争の詳細や、俺がマスターだという所までは解っていないだろうが……。

「……そうか」

 沈黙を持って答えとしたようだ。

「やっぱり東京に帰った方がいいと思います」

 言外に、この件に関わることの危険性を伝えた。

「あー無視無視っ!!危ない目に遭うのが怖くって事件記者やってられるかっての。怖い目にはもう慣れた」

 ひらひらと手を振ってこたえる。

「……死ぬことには慣れていないと思いますけど」

 精一杯、恐い声を出したつもりだった。

「ふーん。それほどの事件か?」

 悪戯を面白がっている声だ。

 これ以上守矢さんと話していると、余計な情報を与えるだけだった。

 挨拶をし、左足を引きずりながら店に出た。

 古今の英雄が火花を散らし究極へと至る聖杯戦争に、怪しい異分子が紛れ込んでいることをひしひしと感じた。



[5049] Fate/zero×spear of beast  10
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2009/02/16 00:20
Fate/zero×spear of beast 10



 
 自身の知らない街の空を飛ぶのは気分良かった。

 自身の召喚された場所は、蟲共の匂いの染みついた穴倉であり、大分風通しを良くしたものの、それでもバケモノの鬱屈した気分は晴れそうになかった。

 マスターの護衛として、新都へ出てきたバケモノを出迎えたのは、どこか観た様な景色でありながら、初めて観たような景色でもある。

 その光景を目の当たりにした瞬間、バケモノは主を護衛する任務を放棄して街中を飛び回った。

 鏡のようなガラスを敷き詰めた巨大な建物。

 自分の知らないうちに、無尽蔵に増え続けた人間共。

 人間共の中には、妖怪除けとしか思えない、鼻の曲がる臭気を放つ連中もいたが、そう輩には近づかなければ良いだけである。

 そして、人間よりも態度が大きい、馬より早く走る鉄の箱。

 現在では、そういった新鮮なものも見飽きたのか、この街で最も高い建物の上に鎮座し、海の遙か向こうへ沈む朱色の夕陽をのんびりと眺めている。

 もしも、この夕日を眺めている怪物を視た人間がいたとするならばとてもではないが、昔、京の都を揺るがした天魔とは想像し得ないだろう。

――変わらんもんは変わらんなー。

 そんな感慨に耽りながら、風の匂いを嗅いでいると、その中に、よく知った臭いが混じっていた。すえた、鉄のような臭い。血臭である。

 いや、それだけではない。

 息苦しいような匂いが混じっていた。この匂いは思い出せないほどの太古、自分にとって良く馴染んだ匂いだ。

 憎しみが、悲哀が入り混じったような匂いだ。それだけではない。殺意や嫉妬、怨嗟に軽蔑、これは断末魔だろうか……………………。

 バケモノの心中に戦慄が走った。忘れようとしても忘れられない香り。

――アイツのニオイだ。

 その考えをバケモノは即座に打ち消した。

 似ていることは似ている。確かにこの世にある昏いものを全て煮詰めた様な匂いは、バケモノの記憶にある匂いとはよく似ているが、どこか別な香りであった。

 その違いをあえて言葉にするならば、粘度であろうか。

 記憶にあるものは、身体に粘り付き一体化しそうな印象を受けるが、この街に漂うものは、自身とは馴染むことのない異質のものであった。

 バケモノにとって、この戦いはまるで気乗りのしないものだった。自身の媒介を用いて半強制的に座から呼び出されたのだ。

――阿頼耶識だか、根源だか、不老不死だか知らねえが、人間共があくせくしやがって。

 それがバケモノが、間桐臓硯の書斎を漁り、聖杯からは与えられないこの戦いの知識を得たときの感想だった。

 自分と、またそれに匹敵するほどの連中を聖杯という釜にくべて奇跡を起こすための儀式である。

 バケモノの知識にも、それと同じようなことを行っていた連中は存在した。

 魂の物質化という考えは、成功例こそ風の噂にも聞いたことはなかったが、二〇〇〇年か、それ以上前に大陸で同じような理論を構築している人間がいなかった訳ではない。

 完全にとはいかないものの、使用されている理屈は大筋の所で理解できる。
 
 しかし、それならば、なぜこんな匂いがするのか?

――もしも、アイツみたいなやつが出てきたら……。

 バケモノは、思考の渦の中で、敏感に破滅の匂いを感じていた。
 
 



 
 間桐雁夜は、闇の中を一人歩んでいた。

 新都の都市部から、バスを使って最寄りの停留所まではたどり着いたが、坂の上にある言峰教会までは、徒歩で行かねばならない。

 文字通り虫の這うような速度で坂を上る。なんとしても、あの筋骨逞しい老神父に会わなくてはならなかった。

 その歩調は、あたかも歳老いた巡礼者が神に赦しを乞い、聖地を目指すようにも視える。しかし、当然教会には祈りを捧げに行くわけではない。
 
 マスターたる雁夜が、教会に訪れるのはサーヴァントを失い敵から自分を守る術が無くなったときか、自身の意思で聖杯戦争を降りる場合である。

 しかし、雁夜が煌々と明りを灯す丘の上の教会を訪れる理由はそのどちらでもなかった。

 聖堂教会の監督役に会い、聖杯戦争に異物が混じっていることを伝えるためである。

 自分の息子を遠坂に弟子入りさせ、マスターに仕立てあげるなど、とても公正が期待できる男ではなかったが、かといって自分の掴んだ事実を伝えるに足る人間の心当たりが、雁夜には他になかった。

 なぜ、そんなことをしようと思い立ったのか、雁夜には自覚がなかった。

 弱者が勝利を拾うには、正常な真っ向勝負よりも事態の混迷した大乱戦のほうが都合がよい。

 外道が、進んで聖杯戦争を荒し回ってくれるというのならば、本来は歓迎すべき事態のはずであった。

 また、今回の聖杯戦争に、魔術の隠蔽などという常識すら守らない異端が入り混じっているというのは、情報戦で見た場合少なからぬアドバンテージである。

 その優位性を投げ捨てようとしていることに、本人はまるで気付いていなかった。
 
 健康な人間ならば、さほど力を込めずに開けられるはずの扉を、身体を預けるようにして開ける。

 礼拝堂の中を照らすのは、文明の利器たる蛍光灯ではなく、柔らかく真実のみを照らす数多の蝋燭の炎であった。

 呼吸が苦しいのは、なにも急勾配の坂を半死半生の身体で登りきった為だけではない。教会特有の静謐で荘厳な空気が、雁夜自身を罪人であると責め立てるためである。

 もしも、今が聖杯戦争などという状況でなかったならば、その場にいるであろう敬虔な神父に告解の一つもしていたかもしれない。

 しかし、出迎えたのは見覚えのある老練の神父ではなく、聖堂教会派遣の工作員を名乗る男であった。

 能面のような、表情の見えない男であった。

 令呪を見せて素性を明かし、事情を説明した。

 守矢に気付かれないように、一枚失敬した写真を添えて提出した。

 男は写真を理解しかねるものを見るかのように凝視した後、受取り、ファイルに保管した。

 老人のような足取りで踵を返す雁夜に、出口までの助力を申し出たが雁夜は断り外へと出た。

 教会の中よりも、外の大気のほうが世俗にまみれ汚れているはずなのに、雁夜には心地よく感じられた。

 おぼつかない歩調で坂を下る。自分の体重から来る重力加速にさえ耐えきれそうにない二本足に、恨めしさを感じているとき、よく知った声が、背後から掛けられる。

「けぇっ、どこほっつきあるってやがった? ますたー」

 召喚したバケモノの、野太く年寄り染みた声である。先にどこかへ飛んで行ったのは自分のほうであるのにも関わらず、そんなことを忘れたかのように悪態を付いていた。

 ふてぶてしい態度ではあるが、どことなく憎めないように感じてしまう。

 雁夜が振り返ると、そこには想像通りの巨大な肉食獣を思わせるシュルエットが在った。

 召喚した直後は羅刹悪鬼のような恐ろしい風貌に思われたが、数日経過した現在では、その人間よりも人間臭い行動を見たせいかどことなく愛嬌を感じてしまう。

「あの教会に、ちょっと用事があってな。お前は、なにやってたんだよ? まさか、また妙なものを拾ってきたんじゃないだろうな?」

 屋敷の中庭に積み上げられた粗大ゴミの山を思い起こし、雁夜はげんなりとした口調で問う。

 てっきり、どうしようもない軽口が帰ってくると信じていた。しかし、バケモノは重々しい声で、

「……ますたー。この戦いは……ぶっ壊れてるぜ」

 雁夜の理解が及ばないことを言い出した。

「“ぶっ壊れてる”って、なにがだよ?」

 いぶかしがるような声で聞く。

 聖杯戦争は、古今の綺羅星のごとき武勇を誇る英雄、掛け値なしに天下無双の益荒男達が覇を争う戦いである。

 自身を、この世の法に縛られない存在と嘯く魔術師共が、一〇〇年や二〇〇年では効かない時間と正気とは思えないほど莫大な犠牲を払って、再現不能の奇跡の業を為そうとするのだ。

 常の法が通用する戦いであると思うほど、雁夜は楽天家ではなかった。

 第一、眼の前にいるバケモノの保有している膨大な魔力自体が、雁夜の理解を超えている。

 だからと言って、そういったことを聞いていないことは理解できた。

「……解らねえのか?」

 底冷えするような声であった。

「……おかしいだろうが。わしみたいなバケモノが呼ばれるんだぜ」

 その思いは雁夜にもあった。自身が呼び出したのはどう考えても、悪鬼魍魎、邪怪妖魅の類である。

 しかし、数日間同居して、このバケモノのたち振る舞いや桜や自分への接し方を観察するに、この怪物に対する警戒心は無用のものと見てとれた。

「バーサーカー、お前、なにを……」

 自身のサーヴァントが、なにを言わんとしているのか問おうとしているときに、この冬木市の大気を満たしていたマナの濃度が、ほんの僅か、極めてほんの僅か薄くなった。

 老練の魔術師であっても、特別な機器を使用なくては感知できないほどの一寸した揺らぎ。

 雁夜のようなにわか仕立ての魔術師には、なにが起こったのか想像することさえできなかった。

 ただ、眼前の己がサーヴァントは、なにが起きたのか、正確に把握していた。

 全身の体毛を逆立たせ、鎌首を擡げた蛇のように周囲を見渡しながら、

「……始まったぜ」

 静かな声で、そう呟いた。

「なにが始まったんだよ?」

 己が主人に、首だけ振り返り、

「……戦争が始まったに決まってんだろうが」

 バケモノは、本当に静かな声でそう呟いた。








[5049] Fate/zero×spear of beast  11
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2009/02/16 00:26
Fate/zero×spear of beast  11





 暴虐者ゆえに、英傑として名を馳せた者たちは、それこそ数え切れないほどこの世界に記録されている。
 しかしである。この光景を目の当たりにして、いったい何人の暴虐者が、それを是とするだろうか。
 濃密たる血臭のなか、赤黒い絨毯にうごめく数々の異形。汚猥にも似た粘液に包まれた触手が、密林の大蛇のようにビクンビクンと不規則なリズムでのたうつ様は、紙一重の醜さにあふれている。いびきにも似た苦悶の声を上げる犠牲者の悲鳴と、その傷口から滴り落ちる血潮の奏でる振動は、大気を震わせ悪魔への讃美歌を奏で続ける。
 幼い肉体をキャンバスに描かれる龍之介の感性と求道心は、人の世において文字通り地獄を描き切っていた。
 この光景は、間違いなく芸術であった。醜さの中にある美しさを、人間の肉体の中に潜む可能性を、生と死を、極限にまで見つめようとした結果が、有象無象のように転がっている。
 しかしである。これではない。龍之介の見たいものは、これではないのだ。もっと、切実で、本質を抉らなくてはならない。未練を、自分に向けられる怒りを恐怖を、もっと堪能しなくてはいけない。
 それが、その身を、自分へと差し出してくれた心の底から愛おしい生贄達への礼儀であるというのに。
 限界まで自分の人生を楽しみ、他人の生命を支配するのが、豹である自分の生き方であると考えてきたのに。
 苦痛の奥底を、腸の捲れ上がるほどの感動を。いままで一人では、決して到達することの出来なかった地平を、今ならば観ることができると信じていたのに。
「……だめだよ、旦那……せっかく、いろいろ手を貸してもらった旦那には悪いんだけどさ……」
 そうして落胆の声をもらす。
 龍之介の声は、最初は興奮に満ちていた。
 最大の理解者にして、最高の協力者を得たのだ。しかも、自分よりもこういったことに上手ときている。
 下賎の作り手ならば嫉妬に狂い袂を分かつところだろうが、龍之介は素直に首を垂れた。
 この退屈極まりない世界の中で、決して出会うことがないと考えていた同好の士を見つけたのだ。心底敬愛するに足る人物に出くわしたのだ。
 周囲に転がるものの道理をわきまえない連中は、龍之介を悪魔などと呼ぶ。
 失礼な連中だ、と龍之介は憤慨する。自分などただの殺人鬼である。本物の悪魔である青髭の旦那に失礼だと。
 三十人以上を殺した龍之介にも、とても思いつかない創意工夫。醜悪さを通り越した先にある美しさを纏った邪悪。
――このコンビならば、自分の追い求めているモノを見つけられる。作り出すことができると信じていたのに。
 そもそもが、と龍之介は思う。
 最初から、旦那はかっ飛ばしていた。
 少年の希望から、絶望へと変わる瞬間を見せつけられたときから、旦那にやられてしまったのだと。
 龍之介は自分の矮小さを恥じた。捕食者でありながら、いままで、如何に長く楽しむかにばかり心を煩わせていて、こんなにも感動的な瞬間があるなど思いもよらなかった。
 たしかに、青髭の旦那の貴族的な趣味はすごいと感心する。こんなに贅沢な殺し方があったなんて思いもよらなかった。
 しかし、自分は芸術家でもある。やはり後世に何か残したい。青髭の旦那のように、貴族的でありながらも、ゆっくりと時間をかけて愛して嬲ってやりたい。もっと深淵をのぞきたい。もっと妙味を味わいたい。
 だというのに、人間の身体というのは、あまりにももろい。儚すぎる。これでは、自分の悲願を遂げることなど出来はしないのだ。
 そう訴える龍之介に、
「なあんだ。貴方は、そのようなことで思い煩っていたのですか?」
 まるで、なんでもないことのように、青髭はそう言ってのけた。
 それ以来、龍之介の作品はキャスターの掛けた治癒再生魔術により、そう簡単に死ぬことはなかった。
 いつ終わるともしれない苦痛に、じわりじわりと闇の中に広がる苦悶の声。
 それらが複数の半開きの口から発されるたびに、何とも言えない不協和音となり、龍之介の創作意欲に火をつけたのだ。
 しかし、そうすると、新たな難問が龍之介を襲った。
 頽廃と堕落の極みを煎じ、享楽と冒涜の褥を絞り出してもまだ足りない、決して満たされることのない獣心の饗宴を表現するという行為は、龍之介が夢見ていた 以上に困難で、根気のいる作業だった。
 流石に前向きが信条の龍之介も、失敗が十を超えたころには落胆の色を隠せなかった。
「やっぱ、俺、旦那みたいに才能ないのかもしんない……」
 そう弱音を、ローブを幾重にもまとった後ろ姿に漏らす。
「リュウノスケ……貴方は」
 振り返った人影は、
「ローマは一日にして成らずという諺を知っていますか? あせってなりませんよ」
 カメレオンのようにぎょろりとした眼が印象的な男であった。
「貴方はもう、世界一富めるものなのです。ゆっくりと一歩ずつ歩めばよいではありませんか。結果だけを求めてはなりません」
 その顔が、餓鬼畜生の業を忘れさせるほどに柔らかく笑う。
「大切なのは、真理へと向かおうという意志なのです。あなたには才能がある。この私が保証します」
 そうして、龍之介をまるで天使のように慰めた。
「それってつまり、トライアンドエラーってこと?」
「その通りです。わきまえてきましたね。それで、リュウノスケ。貴方は、今回はどのような失敗をしたのですか?」
 その声は、穏やかで柔和で、まるで教え子を導く教師のようだった。
「いや、もう大丈夫だよ、旦那。ただ材料が無くなってきちゃったんスけど……って、そうだ。俺、閃いた。閃いちゃったスよっ旦那!! 俺、やっぱり天才かもしれない!!」
 もう、無傷の材料は、一つか二つ。そんなときに、最高のアイディアが浮かんでしまうとは。悔しさと興奮に、龍之介は震える。ヤベェ、俺、やっぱ天才かも!!
「そうですか。貴方の勤勉さには頭が下がります。今度は、いったいどんなモノを作ろうとしているのですか?」
「聞いてくれよ、旦那!! オルガンだよ!! 俺が指一本動かすだけで、悲鳴を上げるんだ!! ポロン、ポロンと鍵盤を叩いただけで、ドレミって悲鳴をあげてくれるんだよ!!」
 かすれるような呼吸音が、声にならないか細い悲鳴が、二人の師弟を包む。
 決して報われることのない、慈悲を求める怨嗟。訪れることのない、苦痛の終わりを求める苦悶の声。
 幼い身体を包むのは、父母の抱擁ではなく、
「ああ、やはり貴方は、素晴らしい発想の持ち主ですね!! 私のマスターにふさわしい、最高に愉快な方です」
 冥府魔道への飽くなき探求を目論む、龍之介の女性のように真白い指。
「さっそくで、悪いんだけどさ。旦那」
「判っています、リュウノスケ。材料を補充しなくてはいけませんね」
 その声に、もうすでに人格が宿っているのかどうかも判らない、肉塊となったソレの双眼から、血涙が滴る。
「ううん、俺、すっげえわくわくしてきたッス。観ててくれ!! 旦那、最高にCOOLなヤツに仕上げてみせるよ、旦那!!」
「そうでしょう。そうでしょうとも。何事も最初の発想が大切です。たとえ満足いく結果がでなくても、挑戦する行為にこそ意義があるのです!!」
 そうして二匹の悪鬼が地獄の繭たる貯水槽から光射す外界へと旅立って行くのを、かつて少女であった肉塊は、苦痛に耐えながら、かすれゆく視界で見送った。
 もう、自分のようなモノを作らないで下さいと、誰に届くとも知れない祈りを籠めて。






 雁夜が、教会に提供した資料は、確かに聖堂教会のスタッフを通じて、外道たるマスターが存在することを言峰神父に伝えた。
 しかし、不運なことに、その時点で召喚されていたサーヴァントはまだ二人であった。
 すなわち、言峰綺礼の『アサシン』と間桐雁夜の『バーサーカー』のみである。霊器盤に反応があったのはその二つだけ。もしも仮に、冬木市の悪魔がマスターであるとするのならば、人間の生贄を使用してまで召喚を失敗するとは考えにくい。
 その時点で、最有力の容疑者は皮肉にも雁夜本人となってしまった。
 聖堂教会と遠坂の秘密裏の連携を見越したうえで、居もしない外道のマスターをでっち上げ、他のマスターを牽制し、遠坂と監督役の監視を撹乱しようとしていると考えた方が、理が通る。
 わざわざ狼藉者を演じ、外道の振りをする道化師。それならば、なにひとつ対処する必要などない。労力を割くこと自体が、落伍者たる雁夜の策に乗ることに他ならない。ただアサシンによる間桐邸の巡回監視を続けるだけで良い。それが、遠坂時臣の決定だった。
 その致命的な誤解が、第四の事件を引き起こすことになる。




 雁夜は、そのニュースを聞いて以来、不機嫌だった。
 第四の事件が起きたのは、教会に資料を提供したその二日後である。
 事件が起きるまでに、監督役が対処する時間は十分あったというのにだ。つまり、監督役は、この件を問題無しと裁定したのだろう。
 事件の概要は、単純な押し込み殺人だった。
 しかし、残されたサーヴァント召喚の魔法陣と、なんの生き物かも知れない、現場に付着した大量の粘液が、犯人が魔術師であることを雄弁に物語っていた。
 無表情な桜が、バケモノの背中で、
「カリヤおじさん、怒ってる……」
 ボソリと簡潔に呟く。
 バケモノが、
「ああ、怒ってるな……」
 女性の髪のように長い鬣をいじくられながら答えた。
 雁夜は引き攣った左半身を、ずるずると引き摺りながら、せわしなくブツブツと、なにか訳のわからないことを呟いている。
「カリヤおじさん、元気になったのかな?」
 眠気をこらえるように桜が言う。
「いや、あれはイラだってんだ」
 もちゃもちゃと、蟹ギョーザバーガーを頬張りながらバケモノが解説する。
 草木も眠ると言われる時刻になっても、ぐるぐるとTVの前をミステリーサークルができそうなぐらいに旋回している。
 確かに、いまにも死んでしましそうな人間の行状ではない。
 一日の半分はベットで過ごし、栄養補給を点滴で賄っている男の立ち振る舞いにしては、いささか元気すぎると言えるだろう。 
「落ちつけ、マスター」
 はやる雁夜をたしなめるのは、意外にも好戦的で、堪え性がなさそうなバーサーカーである。
 堪え性などとは無縁のザーヴァントに指摘されて気がついた。
 そう、雁夜は確かに苛立っていたのだ。これほど強力なサーヴァントを召喚しながら、暗殺を恐れている自身に。始まった戦に穴熊を決め込んでいる自分に。顔も知らない、狼藉を繰り返しているマスターに。
 出会ったのならば、今すぐにでも戦端を開き、自身の狼藉をその身に刻んでやりたいと考えるようになって、はや数日である。
 まだ、自分にもこんな感情が残っていたのかと驚いた。時臣に対する復讐心と敵愾心しか残っていないと信じていたのに。
 ルポライター時代の、とっくに涸れ果てたと思っていた、正義感とか使命感とか、そんな青臭くて口に出すのもはばかられるのような感情が、ぬれぬれと首の付根の下あたりから湧き出てくるのだ。
 この枯れた樹木のような身体を駆け巡るのは、臓硯によって植えつけられた、胸糞悪い蟲共だけのはずだったのに。
 その苛立ちと、気恥かしさを誤魔化すように、口の中で
「……やかましい……」
 とだけ声にならない声を出す。
 大体がだ、と雁夜は心中で毒づく。この屋敷に臓硯が、神経質なほど張り巡らしていた防衛の結界は、バケモノによって破壊され、今や外と中とを隔離する最大にして最後の一本を残すのみとなっている。
 魔道の知識に乏しい雁夜は、この穴の開いた結界で籠城をすることの意義など解ったものではないが、心細いことこの上ない。
 アサシンのクラスなら、あっさり掻い潜ってくるのではないだろうか。
 それに、このサーヴァントはマスターに対する敬意というものを払う気など、さらさらないというのも苛立ちの大きな原因だ。
 昨夜のことである。
 バーサーカーの大きい背中に、ひしっと抱きついてウトウトしている桜を見て、不覚にも雁夜は微笑んでいる自分に気がついた。
 その瞬間、バケモノは脂汗と冷や汗をぼろぼろと流し、桜と雁夜の間に割って入るのようにして、
「……ますたー……おめえ、ろりこんか?」
 などと、全身の血脈が逆流しそうなことを言ってのけた。
 冬木の聖杯は一体何を考えているのか、バーサーカーの座にどんな知識を与えているのだろう。
 ロクなものでないのなら、いっそのこと破壊した方が世のため人のためのような気がする。
 桜が、抑揚のない声で、
「ろりこんってなんですか?」
 などと、雁夜のほうを向いて言ってくる。
――桜ちゃん!! 一生知らなくていい。君は永久に知らなくていいんだ。お願いだから桜ちゃん!!
 慌てふためく雁夜を無視して、
「いいか、コムスメ。ろりこんって言うのはだな……」
 などと、解説し出したアホなケダモノに思いっきり殴りかかったのは不可抗力だろう。
 サーヴァントを、生身の拳でぶん殴った初めての男。そんな偉業に、誰も気が付かないうちに夜は過ぎていった。
 今日になっても、あの忌まわしい言葉を連呼したのなら、
「桜ちゃんに、余計なことを教えるんじゃない」
 と貴重な令呪によって命令しなくてはならないところだったが、幸いにもそのような馬鹿げた事態にはならなかった。
 そんな感慨を打ち消すように、光を失ったはずの左眼に激痛が走る。視神経に接続されている蟲に、使い魔として放った蟲からの映像が送られてくる。
 信号を受け取った蟲が、頭蓋の中でビクンビクンとのた打ち回るたびに、言いようのない吐き気に雁夜は襲われた。
 吐き気の原因は、決して痛みだけではない。見えない左眼に映し出された映像が、雁夜の理解を超えていたからだ。
 己がサーヴァントとは全く別の金色であった。燃え立つような金色ではない。燦然と輝く星空の、遥か何万光年先までも照らす恒星を間近に受けた様な煌めき。
 その金色が輝きを放つたびに、黒い痩身の人影の一部が欠け落ちる。
 解る事がある。
 抵抗の意思さえ示さない黒い人影は罪人で、この世で一番眩い輝きに、これから罰を下されるのだ。
 流星雨の如き剣、槍、鋒、斧、鎚、それら全てが凡将などではない。歴戦の勇者であり、勇壮な武功を誇る聖剣、魔剣、神剣であった。
 双瞳が紅玉の輝きを放つたびに、その投擲、否、爆撃は苛烈さを増し、ただ立ち尽くすだけの罪人を、一片の塵さえ残さずに処刑した。
 その光景を目撃して、雁夜は自分の喉の奥から湧き上がってくる衝動を抑えることは出来なかった。
 雁夜の胃袋には、吐き出すものなど何もないというのに。その衝動をどうしても抑えることが出来なかった。








後書きという名の言い訳
 
更新が遅くなってしまい申し訳ございません。

PV数や、感想をいただくたびに、申し訳ございませんと画面に手を合わせていました。

遅くなった最大の理由は、モチベーションの低下……でも何でもなく、オリジナル板の連載です。

この話とは全く逆の、軽い描写を心がけている恋愛もの? のためキャスターの悪
行などどう書いていいやらわからなくなってしまいました。
重々しい書き方を心がけていたのですが……。
プロットでは龍之介が、人間パラソルとかをどう作るかなどという描写をしようとしていたのですが、実際書いてみると、あまりにもきつくて断念です。
今の形にしてみました。根性無しと笑ってください。


バトルは次回か、次々回あたりにやっと開始です。

オリジナル板の、
『陰陽師――八神衛 吸血鬼の美少女に恋すること』
ともどもよろしくお願い致します。

以上露骨な言い訳と宣伝でした。




[5049] Fate/zero×spear of beast  12
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:aa107ed5
Date: 2009/09/16 19:35
――またいつもの夢だった。

 いつまで続くとも知れないかりそめの平和だった。

 所詮は小国である。

 自分がいかに強いとはいえ、

 大国の一撫でで蹂躙されてしまうことを知っていた。

 自分がいかに強いとはいえ、

 それだけでは戦に勝てないということを知っていた。

 明日には崩れ去るやも知れない束の間の平穏だった。

 そんな中、自分を恐れていない姉弟と共に過ごす時間が増えた。

 なぜ、この姉弟と共に居るのかは解らない。

 確たる理由などないのだろう。

 ただ一つだけ解る事がある。

 この姉弟と共にいると、右肩が疼かない。

 誰にでも疼くはずの右肩が疼かない。

 そんな日々の出来事だった。

 芋の入った粗末な汁を振る舞われた。

 美味くはなかった。
 
 ただ温かいだけで、決して美味くはなかった。

 黙って汁を食う自分を見て、

 黙って器を空にする自分を見て、

 姉弟が安心するように笑っていた。

 芋と野菜を煮ただけの、顔が映るほど薄い汁に

 自分によく似た顔の男が映っていた。

 口元の端が持ちあがった、自分によく似た顔の男が映っていた。

 自分は決してこんな顔をしないのだ。出来る筈が無いのだ。

 汁に映った男の顔は、

 微かに笑っていたのだから。

 



 
 まるで、地を這う芋虫だった。
 使い魔からの映像を受信するというだけで、全身の刻印虫が励起し雁夜のなけなしの体力を食い荒した。ただそれだけで、朝日が昇るまで満足に動くことが出来なかった。
 いまだに下腹部から胸部にかけて極度の不快感と吐き気が澱のようにたゆたっている。
 自嘲の笑みが浮かんでくる。
 こんな体たらくであの誰よりも魔術師らしい男の前に立つのは、自殺行為以外の何物でもない。
 いや考えてみるならば、自分は一年前のあの日から緩やかな自殺という選択をしたのだろう。
 全身を覆う黒装束から察するに、文字通り消滅したのは恐らくは山の翁、アサシンのクラスであろう。
 いかに戦闘能力ではキャスターと並ぶ最弱のクラスとはいえ、世界に記録されている英雄が、一矢報いることもなく抵抗する意思さえ見せることなく文字通り消失したのだ。
 遠坂のサーヴァントの恐るべき攻撃を、使い魔の数百の複眼はその全てを正確に主へと伝えた。一片の幻想や楽観も雁夜に抱かせることを許さないかのように。
 飛来する無数の刃。まるで有象無象の様に使い捨てられるその全てが、サーヴァントにとっては虎の子である宝具級の破壊力を持ち、覇を競うようにアサシンへと殺到したのだ。
 使い魔の虫が捉えたのはそれだけではない。
 金色のサーヴァントの神々しい威容をも余すことなく伝えた。
 絢爛たる黄金の甲冑。魔性を思わせるほどに整った美貌。そして、万物を威圧する爛々とした紅眼。
 完璧という名を冠するにふさわしい魔術師が召喚した、完璧のサーヴァント。
 雁夜は吐き気の正体に気がついた。
 自分と黒い影、アサシンを無意識のうちに重ねていたのだ。
 胸のうちに滾るものが無かった訳ではない。夢の中での自分のように、疼くような甘い憎しみが、胃袋の辺りから溢れ出すのを雁夜は感じていた。
 しかし、それ以上に狼狽が勝った。
 己が偶然召喚した規格外のバーサーカーをもってしても、あの金色には及ばないのではないかという疑念がふつふつと湧いてくる。
 もしも、仮にあのサーヴァントと相対したとして、いったいどんな戦術が有効だというのだろうか。ひょっとしたら、一瞬であの黒い影のように処刑されてしまうのではないか。雁夜の理解を遥かに超越したバケモノと、一体どうやって刃を交えれば良いというのだろうか?
 煩悶と思い悩む主人を余所に、
「おーおー、あさしんがくたばったか。これで辛気くせー屋敷ともおさらばだ」
 などと、雁夜のサーヴァントはのたまっていた。
 今すぐ外へと打って出ようとする気満々である。
 雁夜が時臣のサーヴァントの脅威を解説しても、
「けぇ、数が多いだけのほうぐがワシに効くかよっ。ワシを滅ぼしたかったら、あのクソ槍よりも強力なほうぐ持って来いってんだ。ぐわはははははははははははははははは」
 などと訳のわからないこと絶叫し、大笑いしながら、いつものようにTVの前に陣取って、もちゃもちゃとハンバーガーを食い漁っている。
 ポイ捨てされている包装紙で、よく家が占拠されないものだと雁夜は不思議に感じていたのだが、兄の鶴野が泣きながら黒いごみ袋にせっせと喰いカスともども放り込んでいる光景をみて疑問は氷解した。
 バーサーカーを召喚してから、鶴野は、胃袋の辺りをしきりに押さえている。聖杯戦争が終結する頃には、胃壁が破れ穿孔しているかもしれない。
 数日前までは臓硯の走狗として働いていた男である。雁夜自身、殺してやりたいと感じたことが無いわけではないが、この体たらくを眺めていると、憎しみを向けることがなぜだか哀れに感じられる。
 いや、兄弟ともども、くたばりかかって半死半生の有様ゆえに、妙な親近感が湧いてくる。
「……」
 鶴野は憔悴しきった顔で雁夜のほうを向いていたが、助けを求めないのは兄として生まれ落ちた最後のプライドなのだろう。
 鶴野を半死人へと追い込んだバケモノは、ここ数日の間の鬱憤を晴らそうと今にも飛び出しそうな勢いである。昨日は苛立つ自分をなだめていたが、やはり膠着状態などこのサーヴァントには似合わない。
 呆れかえった声が喉から漏れる。
「……バーサーカー。おまえはやる気無かったんじゃないのか?」
 バケモノは“フン”と大きく鼻を鳴らし、
「こんな蟲くさい所にいたら、せっかくの食欲が失せちまうわっ。外の空気吸ってせーはい戦争にでも参加してた方がなんぼかましだ」
 などと、このバケモノのことを知っている人間が聞いたら、つい反射的に。
――嘘つけっこの野郎!!
 と叫んでしまうだろうことをほざいている。特にもちゃもちゃとハンバーガーを食い漁っている今の有様を見せつけられては、何一つ説得力が無い。
 雁夜がそう絶叫しなかったのは、忍耐の賜物でも声を出せないほどに呆れかえってしまったわけでもなく、ただ単に、叫ぼうとした瞬間に気管に唾液がダイレクトに混入し、盛大にむせてしまったからである。
「ぐげぐほがはっ、ぐはぁごほっげぼつっごはっ……」
「ますたー……。おめぇ、ホントに大丈夫かよ……」
 げほげほと咳き込みながらも、
「うっ、ごほ、うるさ……い。俺の心配よりも……げほっ……じぶん……の……」
 なんとか精一杯の虚勢を張る。
 雁夜にとっても打って出ることに異論はない。
 最初に脱落してくれたのがアサシンであったのはこれ以上ないというほどの僥倖である。
 この強力なバーサーカーのアキレス腱は、業腹ではあるが紛れもなく自分なのだ。
 このバケモノの驚異的なステータスを“視た”マスターならば、正攻法での戦いを挑んでくることはないだろう。サーヴァントではなく、雁夜を標的にしてくるのは当然の策である。
 気配遮断スキルによる暗殺こそ、最弱のマスターたる雁夜が最も警戒する要素であった。
 それが無くなった以上、穴だらけの本拠地で籠城を決め込むのは臆病が過ぎるだろう。
 恐怖はある。なにがなんでも聖杯を獲得しなくてはならないというのならば、待ちの一手も確かに有効だろう。
 しかし最悪の場合、雁夜ではなく時臣が脱落する可能性さえあるのだ。そうなれば、永久にあの男と決着をつける機会を失ってしまう。思慕にも似た想いが脳髄を駆け巡る。あの男の咽喉元を食いちぎるのはこの自分なのだ。他の誰にも、あの男の首をくれてやるつもりなどなかった。
 居間のブラウン管は、相も変わらず冬木の物騒な有様を報道している。
 猟奇殺人の次は、連続児童失踪事件である。
 営利目的と判断された誘拐事件の場合、報道協定が敷かれ犯人逮捕、あるいは公開捜査になるまでその存在は一般に秘匿されるはずである。
 それが、24時間以内に起きた失踪事件までTVのニュースとして放送されていることが、この事件の異様な事態を裏付けていた。現在冬木で起きているのは10人単位の誘拐事件、しかも身代金の要求などは一切ない。誘拐場所は新都、深山町を問わず冬木市全域。
 その報道を見るたびに、ぐつぐつと煮えたぎるものが溢れてくる。
 寝息を立てている桜を起こして簡単な別れを言おうとしたが、雁夜はすんでのところで思いとどまった。
『ちょっと出かけてくる。すぐに戻ってくるからね』
 そんな他愛もない約束さえ、口にすることがはばかられた。
 臓硯が生きていた頃ならばいざ知らず、今の自分がそんなことをしたら心の内にある決意から闘志まで全てが木端微塵に吹き飛んでしまいそうな予感がした。
 この命は桜と葵のために使い捨てる覚悟があった。だというのに、臓硯の居ない数日を経験しただけで、その鋼鉄よりも硬いはずの意志は信じられないほどに柔らかく、揺らぎ始めていた。
 できることならば、桜の未来を見てみたい。全身を巣食う蟲どもを引きずり出して、いかなる手段を用いても生き永らえたい。
 そばに居られなくてもいい。一年前までのように、時々遠くから、幸せそうな家族を眺めているだけでもいい。最悪の想像ではあるが、その中にあの男がいたとしてもいいかもしれない。葵を、凛を、桜を幸せにしてくれるというのならば、ギリギリ許容の範囲内に引っ掛かる。
 未練である。
 希望であり、願望でもあり、欲望でもあるものだ。
 しかし、現在ではもう実現不可能な絵空事だ。
 甘く柔らかく、そして埒の明かない妄想を振り払い、兄の鶴野に桜のことを重ねて頼み、雁夜は屋敷の外へ出る。
 左半分の顔は、依然として麻痺したままだった。
 しかし、もう半分は刃のような顔になっていた。
 充血した恐い恐い眼をして、遥か向こうを睨んでいた。
 









 街中の視線がその二人へと注がれていた。
 奇異である二人の出で立ちを見咎めるというよりは、その二人の創り出した非日常と浮世離れに、寒ささえ忘れてしまったかのように、ぼうっと酔いしれている羨望の眼差しが大半ではあるが。
 一人は輝く銀髪にカシミアのコート。赤い瞳と新雪のような肌。その女性の洗練された所作は貴婦人のようで、踊るような足取りは年端もいかない少女のようだった。現在はこの冬木の夜景を視界に収め、街の灯り以上にその瞳を輝かせている。
 もう一人は、身長一五〇センチのダークスーツである。月を思わせる金髪に、凛とした緑翠の瞳。美少年とも美少女ともとれる中性的な顔立ちではあるが、スーツの上から表れているわずかな起伏や丸みが、女性であることを慎ましやかに告げていた。
 周囲を抜かりなく警戒するような立ち振る舞いが、まるで護衛の責務を任された年若い騎士のようで、さらなる非日常の空気を演出していた。
 貴婦人は、肘を預けている少女に全幅の信頼を預けていることが見て取れる。某国の姫君がお忍びで冬木に立ち寄り、年端のいかないボディガードが精一杯のお供をしていると説明されたのならば、さもありなんと納得してしまいそうな光景であった。
 ひとしきり夜景を眺めて満足したのか、アイリスフィールが供周りの少女に声をかける。
「……ねえセイバー、次は海を見に行かない?」
 



 アイリスフィールの絹糸のような銀髪が、北側からの潮風に弄られ天の川のように巻き上がる。
 海が好きかと問われて剣の英霊は、ほんの少しだけ言葉に詰まった。
 セイバーの記憶では、海は敵の押し寄せてくる場であり羨望の場所ではない。
 ただ、マスターの奥方が無邪気に喜んでいてくれるのを見ていると、そんなこと些事なように感じられた。
 感じられたのだが。
 セイバーが愛しているはずの夫のことに話題を変えると、弾んでいたはずの声色が不思議と沈んでいくのだ。
 天真爛漫なアイリスフィールが夫のことを語るたびに、輝く表情が物憂げな色に染まる。
――幸福であることに苦痛を感じる。
 その言葉を反芻するようにセイバーは噛み締めた。
「――己が幸福に値しない人間である、と、そう言う引け目を負っているのですか?」
 否定してほしいと考えて放った一言だった。
「――考えすぎよ、セイバー」
 そうあっけらかんと否定して欲しかった。この奥方の伴侶がそんな矛盾を抱えた男であって欲しくはなかった。自分の有り様を、口を利かないという方法で否定する稚気を持っていたとしても。
 しかし、遠い目のアイリスフィールの唇から放たれたのは、
「そうかも知れない。あの人はいつも自分の中で自分自身を罰している」
 聞きたくなかった肯定の声。
 物憂げな表情をして夫に想いを馳せる姫君を、なんとか慰めようと言葉を紡ごうとするセイバーの背中が粟立つ。
 異変を感じたアイリスフィールが声をかける。
「……敵のサーヴァント?」
「はい」
 身構えるセイバーを落ち着いた眼差しで見つめ
「前と同じ相手?」
「いいえ、昼間の相手はこちらと事を構えるつもりは無いようでした。もっとも、サーヴァントは仕掛ける気満々でしたが」
 セイバーの気配を意識しつつ誘うように移動している。 
 昼間の相手は、お互いが気配を察知した瞬間、凄まじい闘気を発散しこちらに近付いて来た。
 白昼の街中で事を構えるなど魔術師の常識に照らせば言語道断であるが、仕掛けられた以上は応戦せねばならない。
 そうセイバーが覚悟を決めた瞬間に、その気配が煙のように消えてしまったのだ。
 それ以降はどんなに警戒しても、仕掛けられる予兆さえなかったので、肩透かしを感じながらも街中の散策を続けていたのだが……。
 彼女は知る由もなかった。
 セイバーの気配を察知したバケモノが、制止するマスターの声を無視し、挨拶がわりにケンカを吹っかけようとしたのだ。
 姿を消したまま近づいている途中、急発進した自動車に跳ね飛ばされ、周囲の人間にその異形が暴かれてしまい、
「なにやってんだっ。バーサーカーっ!! いいから姿消せっ!! 姿っ!!」
 とマスターが半泣きで絶叫したことが、昼間の一件の顛末などと、彼女は知る由もなかった。








後書き。
大変申し訳ございません。
遅れまくって、大変申し訳ございません。
うう、わたしはウソツキデス。
もう少し早く上げるようにしますので、平にご容赦ください。




[5049] Fate/zero×spear of beast  13
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2009/09/16 19:34
 無機質な少女は、父親の制止する声を無視して玄関へと歩を向けた。
 寝起き特有のおぼつかない足取りと、うす昏い眼差しで。眼を覚ました少女の周囲にあるはずの、探しても、探しても見つからない二つの人影を追い求めて。
 声がした。とても優しくてとても物分かりの悪いあのひとが、この家に戻ってくるよりもずっと前、あの大きくてうそつきのオバケが突然現れるよりもっと前。
 ムシグラに入って少しして、どんなに泣いても叫んでも、誰も助けてくれないと悟ったその日から、少女の脳裏にこびりついて離れない声だ。
 誰の声か解らない。
 その声は桜の耳元で囁いていた。ほんの数日、臓硯による教育が中断された程度で、その声は桜の耳元から消えることはなかった。

――待っていても無駄だ。

――なにも望むな。

――悲鳴を上げるな。

――泣くな。

――祈るな。

――叫ぶな。

――期待するな。

――助けなど誰も来ない。

――いいことなんて何もない。

――これから先ずっと。

 言葉にならない言葉で、その声は桜に囁き続けていた。
 その声が、小さいのだ。あの物分かりの悪いあのひとが、うそつきのオバケがこの家にいるときには、その声がとても小さくなるのだ。
 だというのに、なにも言わないで居なくなってしまった。目覚めたら居なくなってしまった。
 あの人たちが居ないと、その声がとても大きい。
 その声が嫌で、堪らなくなって、桜は二つの人影を幽鬼のような表情で探した。
 桜の眼前の重たい扉が開く。
 その扉を開けた人影を見上げて、桜は笑みを零した。
――期待するな。

 その通りだった。
 桜は、不快な囁き声が完全に正しいことを認めた。

――祈るな。

 この声の言う通りだった。
 結局、この世界は自分には優しくないのだ。
 そんなことは、あの日からずっと解っていたというのに。観たくもない楽しい夢を見ていたのだ。
 桜を出迎えた人影は、少女が探し求めていたものとは違っていた。
 長身を撓ませた、漆黒のローブ。無垢な笑顔を浮かべた大きな双眸。なにも知らなかった頃ならば、本性を見誤ったかもしれないほどに穏やかな微笑み。
 しかし、その笑顔に、少女は見覚えがあった。
 少女の経験が、その慈愛に満ちた天使のような笑みの本質を見抜いた。
“おじいさまと同じだ”
 なぜそう感じたのか、桜にも解らない。
“このひとはおじいさまと同じだ”
 ただ、そう確信していた。

――助けなど来ない。

 おかしくって、おかしくって桜は微笑んだ。

――叫ぶな。

 確信に近い予感があった。
“わたしがなけばなくほど、このヒトはよろこぶ”
 初めて、ムシグラに叩き込まれたときの記憶が蘇える。
 泣いても、叫んでも、懇願しても、臓硯は少女を開放しなかった。
 いや、少女が苦痛にあえぐほど、臓硯はその顔を喜悦に歪めた。
 抵抗する方法など、なにひとつ自分には無いことを少女は誰よりも承知していた。
 だからせめて笑った。笑ってやったのだ。あの物分かりの悪いあのひとにも、うそつきのオバケにも見せていない笑顔で。

――悲鳴など上げるな。

 ずるり、ずるりとなにかを引きずるような耳障りな音が鼓膜を叩く。
 その人影から伸びた青黒くぬめり、蠢く触手の塊を目の当たりにしても、その触手が、自分の青白い腕に触れても、首に巻き付いても、背中を這いまわっても。
 おぞましさを押し殺して笑った。生ぬるい吸盤が顔に吸い付いても、その感触が不快であればあるほど唇を歪めて笑ってやった。
 その桜の様子を観て、もうひとつの人影が感嘆の声を洩らす。
「おおーっ。すげぇ!! マジにすげえっすよ、この娘!! こんな女の子、見たことない!! キュートすぎて惚れちゃいそう。新しい趣味に目覚めちゃうかも!! 青髭の旦那ぁ!!」
 最高の素材を発見した、歓喜の声だった。
「気に入りましたか、リュウノスケ?」
 門弟を教え導く柔和な声だった。
「気に入るも何もっ、最高だよ!!この娘ぉ。旦那あっ!! ……燃えてきたぁ!!」
 その天使のような二人の本性を、桜は見抜いていた。
 二人の後ろから延びた触手の奥、十人ほどの桜と同じ年端もいかぬ幼子がいた。
 そのいずれもが、意思の光を持たずに眠ったような表情である。催眠暗示の影響下にあることは明らかだった。
 少女の全身を、軟体動物が舐め回すように絡め捕る。
 これより先に、どんな暴虐と狼藉が待っているのか、想像することを許されているのは幼子の中で桜一人だけだった。


























 工業地帯のプレハブ倉庫の片隅に、雁夜とバケモノはいた。
 夜ともなれば、人通りなど皆無である。時折点滅するまばらな街灯が、申し訳程度に地面を照らす。
 激突する魔力を感じ、その正体がサーヴァント同士の衝突であると解った以上、捨て置くのは論外であった。
 敵となるサーヴァントの外見、クラス、あわよくば宝具と真名までを知る最大のチャンスなのだから。
 他のサーヴァントに気付かれないよう距離を取り、気配を殺し、物影に潜みながら間桐雁夜は、呆然と立ち尽くしていた。
 現在、雁夜の眼前で繰り広げてられている戦いの、桁外れに圧倒されて。
 物陰から覗いているその戦いの、桁違いに呆気にとられて。



 物語の中から抜け出てきたかのような、双槍の美丈夫と甲冑の美少女が、その得物を超高速で叩きつけるたびに、莫大な魔力が迸り破壊の奔流が吹きすさぶ。
 それはいつ終わるとも知れない、破壊の演舞だった。
 雁夜の使い魔たる、昆虫の複眼を持ってしても、その舞の影を追うことしか叶わない。
 弾かれた矛先がコンクリートの地面を抉り取る。受け流された剣先の風圧が、送電線をまとめて断ち切る。弾き飛ばされたコンクリートの断片が、雁夜の鼻先を擦過し倉庫の壁に罅を入れめり込む。
 衝突のたびに弾き出される電子の閃光が闇を切り裂き、雁夜の網膜を焼いた。
 戦いの中心に居る瞬速の双影を除いて、世界が砕けて行くのだ。
 マスターたる雁夜の右眼は、その二人の能力偏差を遠目ながらも読み取っていた。
 少女の方、恐らくは剣の英霊であろう。能力値もほぼAランクと恵まれている。
 しかし、己がサーヴァントの能力値と比較した場合、軍配が上がるのはあのバケモノであろう。
 能力値では、バーサーカーに劣るはずのサーヴァントですら、自分の理解をはるかに超えた戦いを演じているのだ。
 雁夜は恐る恐る、無駄に図体のでかいバケモノの体躯を見あげた。
――もしも仮に、この後ろに居る間抜けなバケモノがその気になったとするのならば……。
 そう考えると、雁夜は戦慄を禁じ得ない。自身が召喚したバケモノが、どれほどの規格外なのか初めて理解した。
 とんでもない戦いに、否、とんでもない世界に足を踏み入れていること、今更ながら実感する。
 少女の両腕から、圧搾された大気が噴出し、黄金の煌めきが露出する。
 赤と黄の渦巻が、白銀の騎士を押し込み始めた。
 均衡が崩れ始めた兆しだった。
 少女が、竜巻の如き魔力の渦を槍兵に叩き付けんと下段に不可視の刀身を構え――動いた。
 衝撃波が倉庫の硝子に蜘蛛の巣を張り、瓦礫を吹き飛ばす。大気と大地が悲鳴を上げる。
 少女が音速を超えた流星となり、宿敵の喉笛を食い千切らんと襲い掛かったのだ。
 迎え撃つは、端然と佇む槍兵の黄槍。
 刹那の交錯の後、花の様に散る槍兵の血潮。
――しかし――
 苦悶の表情を浮かべたのは、仕掛けた剣の英霊。
 余裕を残しているのは、 深手を負ったはずの槍兵。
 勝利の天秤が、槍兵の側へと明らかに傾いたと、雁夜の素人目にさえ見てとれたときである。
 悠然と、決着を付けようと歩を進める美丈夫と、不屈の闘志を燃やし逆転を狙う奇跡のような美少女。
 槍兵と剣の英霊のどちらかがこの交錯で消失する。その確信に近い予感を抱いた瞬間、 落雷の直撃を受けたかのような轟音が倉庫群を揺るがした。
 二人の英霊の決着に割って入ったのは、巨大な雄牛に引かれた空を駆ける戦車だった。
 巨漢が御する雄牛が、猛々しく嘶き虚空を踏みしめるたびに、車輪に取り付けられたブレードが大気を切り裂くたびに、稲妻を撒き散らす。
 こんな現実離れはサーヴァントでなければ不可能だ。
 よく見ると、世界の終りを予知した超能力者のような表情をした少年が、戦車の御者台にひしっとしがみ付いている。
 第三のサーヴァントが、二人の決着前に横やりを入れたのだと理解したとき、
「運が良いな、ますたー。ここで三人くたばるかもな……」
 戦いが始まってから、黙りこくっていたはずのバケモノが雁夜に声を掛ける。
「……なんの運が良いんだよっ!? どこが!?」
 声を潜めながらも、責めるように言う。
 運が良いなどと言われたのは生まれて初めての経験である。
 自分ほど運の悪い男は世界中探してもそうはいないはずだ。
 全世界、運の悪い男ランキングというものがあったのならば、下から数えた方が確実に早い。
 その雁夜の問いに、バケモノの答えは明快だった。
 戦車のサーヴァント――恐らくライダーであろう――は、雁夜たちと同じくあのサーヴァントたちの戦いを観戦しに来たのだろう。敵同士を咬み合わせ、消耗した所に乱入し漁夫の利を得ようとしていたのだろう。しかし、それならば、乱入するタイミングが早すぎる。もう少し咬みあわせるべきだった。
 二人は明らかに消耗しているものの、戦う力を充分に残している。槍兵と剣士は漁夫の利を得させまいと共闘するだろう。戦車のサーヴァントが撥ねられるのは必然である。そしてさらに消耗した二人をさらに咬みあわせ、自分たちが襲い掛かれば三人のサーヴァントが脱落する。アサシンは脱落しているのだから、後は時臣のサーヴァントとキャスターの二人を残すだけ。バーサーカーがキャスターに敗北するということは戦闘能力の差から考え難い。
「…………………………」
 その解説を聞いて、雁夜は意外なものを観るような瞳でバケモノを覗いた。
「……なんだよ……」
 その視線の意味をバケモノは理解し得なかった。
「いや、べつに」
 と嘯くマスターを尻目に大きく鼻を鳴らしただけである。
 言えない。絶対に。
『なんだ、おまえ。ちゃんと頭が付いてたんだな』とか、『悪知恵だけは働くんだな』とか、『バーサーカーって略すとバカになるよな』とか、思っていても言えない。絶対に言えない。
 この自分の欲望だけが行動原理のように見える、単細胞なサーヴァントが思いのほか狡猾な戦局眼を持っていたことが意外だった。
 確かにそんな状況になれば、目的の八割は達成したのも同じである。これ以上ないという状況だろう。
 しかし、その目論みは三〇秒後にあっさりと崩れさることとなる。
 撥ねられるはずのライダーが呵呵大笑し、大声で罵り声を上げたのだ。
「おいこら! 他にもおるだろうが。闇に紛れて覗き見をしておる連中は!」
 この倉庫街を通り越し、工業地帯を越えて新都までも響きわたるような大声だった。
「情けない。情けないのうっ!!」
 その罵り声に、雁夜のバケモノの目蓋がぴくりと蠢く。
「この期に及んで、こそこそと覗き見に徹するというのなら、腰ぬけだわな。英霊が聞いてあきれるわなぁ。んん!?」
“ブチブチブチブチブチ”
 雁夜の背後から、なにかが一斉に切れる音がした。

――まずい、マズイ、不味い!!

 全身の感受機関が最大量の警報を上げる。
 雁夜が振り返ると、そこには、
「……んだと、このヤロウ」
 頭部に血管を浮き立たせ、ライダーの単純極まりない挑発に乗って、いまにも飛びかからんとするバケモノが居た。 
「聖杯に招かれし英霊は、今!ここに集うがいい。なおも顔見せを怖じるような臆病者は、征服王イスカンダルの侮蔑を免れぬものと知れ!」
 ばちばちとバケモノは周囲に紫電を撒き散らし、
「ワシをみくびんじゃねえっ!! 牛野郎!! ああっ!! 行ってやろうじゃねえか!!」
 ライダーに負けず劣らずの大声で咆え猛る。
「待てっ!! バーサーカー!! お前!! 漁夫の利はどうした!!」
 ここで打って出るなど戦略的に無意味である。
 というか論外である。
 ただ一〇分ほど押し黙って、ボーっと突っ立っているだけで、五人の敵のうちの一人か二人、場合によっては三人が居なくなるのである。誰がどう考えても、ここは待ちの一手である。
 とんでもねえ大声を張り上げ、ご丁寧に稲妻まで打ち出してしまっているが、相手がよほどのマヌケならば此方のことに気付いていないかもしれない。
 なんとか己が下僕を押しとどめようと、バケモノに掴みかかった雁夜だが、英霊の筋力の前には、へばりついた薄紙ほどの足止めにもならなかった。
 胴体にしがみついた雁夜を無視したまま、バケモノは三匹の猛獣の檻へと突き進んでいった。全方位に稲妻と轟音を撒き散らし金色の鬣を逆立てながら。
 雁夜は自分の運勢が最悪であると確信した。





[5049] Fate/zero×spear of beast  14
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2009/09/16 19:38










 一触即発の空気の三すくみのなかに、雷神の化身たるサーヴァントが、盛大な電撃を撒き散らしながら一直線に駆けてくる光景を視て、この場に集結した、魔術師は、一様に言葉を失くした。
 見習いのウェイバーはともかくとして、時計塔きっての俊英のケイネス、千年続いた錬金術の大家が創り出したアイリスフィール、生粋の魔術師殺したる切嗣と舞弥でさえも、文字通り唖然としてしまったのだ。
 隆々とした、猫科の猛獣特有の筋肉。その女性の長髪のような鬣が、己が纏う紫電に揺すられて、巨躯を包んでいる。
 その顔面の隈のような縁取り、猛獣のような体躯、垂れさがった鬣、そして雷神を思わせる轟雷。
 呆気にとられていたのは、マスターだけではない。神秘の具現化たるサーヴァントも、驚きの色を隠せなかった。
 もしもかりに、ただ、第四のサーヴァントが、乱入してきたのならば居合わす者達に、さほどの過剰な驚きは無かったろう。たとえ、それが、どんなに強力な経歴を持つサーヴァントであったとしても。
 しかし……。それは、あくまで人間の形をしていればの話である。
 豪胆を誇るライダーが怪訝そうな面持ちで周囲を見回す。
 いかつい拳でゴリゴリと頭を掻き毟り、
「また面妖な奴が出てきおったな」
 と、困ったように呟いた。明らかに異形のサーヴァントである。蛮族の巫者……ですらない。アーチャーやキャスターではなく、その異形から察するに恐らくはバーサーカーだろう。恐らくは狂戦士―バーサーカー―のクラスではあろうが……。どこをどう視たとしても、三六〇°方向からこの乱入者を観察しても、それはただのバケモノでしかない。
「……征服王。アイツに誘いをかけてやらんのか?」
 ランサーの揶揄するような声。しかし、どことなく困ったような色が混じっているのは、はたして気のせいであろうか?
 胆力でその名を鳴らした征服王も、予想外の乱入者に対して、
「余は……ふむぅ。……その、なんだ? ……なにぶん野獣を懐柔するというのは初めてでな」
 残念ながら、冗談にもいつもの冴えがない。
 それも無理からぬことやも知れない
“貴い幻想”となった諸人の賞賛と憧憬を受けた英雄の中、明らかに妙な奴が一人混じり込んでいるのである。
 この戦に呼ばれることを誇りとしていた英霊ならば、当然の反応と言える。
 しかし、それらサーヴァントの動揺も、マスターたちの驚愕と比較するのならばたいしたものではなかっただろう。
 仮にも魔術師を名乗る者ならば、見間違えようはずのない偉容である。
 驚愕のあまり、うめき声の一つさえ上げる者もいない。
 魔術師ならば、このバケモノを知らないものなどいるはずもないのだ。
 この国で起きた数年前の“決戦”を知らないものが居るはずもない。
 この日本という国で、しかも数年前に、妖怪と人間を束ねて日本という国を救った英雄の片割れである。
 あの大妖を滅殺した霊槍の使い手の相棒なのだ。テレビ放送や新聞の紙面といった近代のメディアにさえその姿が上がった。秘匿されるべき神秘の具現でありながら、現代の世において多くの人間がその姿を目撃しているのである。
 神秘の体現が、近代メディアの俎上に上ったのだ。そのときの魔術師協会の狼狽たるや、筆舌に尽くし難い。
 魔術師たちの憤慨も、この国で最大の勢力を保有する実戦派の仏門には一切の痛痒を与えることはなかった。教会の代行者に匹敵する戦力を一〇〇〇以上も保有する、極東最大の呼び声も高い一派だ。
 西洋魔道を毛嫌いし、わずかな交流さえ良しとはしなかった勢力である。錬金術の技術を取り入れた識者が、即座に破門されたことさえある。
 そんな連中に、魔術協会が神秘の秘匿の協力を要請したとしても、一笑に付されるのがせいぜいだ。
 もしかしたら、共闘した同士の存在を隠蔽するということを、下らない感傷が良しとしなかったのかもしれない。
 結局、秘匿と隠蔽をこの国の魔術師が行い、光覇明宗は一切の協力をしないということで決着したものの、そのときの魔術師たちの狼狽は、筆舌に尽くし難い。
 秘匿されねば“神秘”は弱体化する。なんとか国全体に、忘却の暗示を掛けることに成功したものの、それに費やした資源は膨大なものだった。
 魔術師ならば、その際の悲喜劇を知らないものはない。言葉を失くしても致し方のないことだろう。
 驚の感情に固まり切ったウェイバーの額を、巨大な人差し指が直撃する。
「ひっ!?」
 痛みのあまり咄嗟に頭を抱え「ぁ―」とか「ぅ―」とかみっともなく御者台の上に崩れ落ちる矮躯の少年。むろんライダーは、蝶をつまむときのように限界まで加減をしてつついたのだが、そこは非力な魔術師と、素手で岩を砕くサーヴァントの圧倒的な差異である。
「そんで坊主よ。サーヴァントとしちゃ“あれ”はどの程度のもんだ? マスターの端くれなら、いろいろと見えるものなんだろう、かたまっとらんでよく見てみろ。こら?」
 理不尽な暴力に、マスターたるものの威厳を木端微塵に打ち砕かれたが、それでもなんとか粉々になったプライドをかき集め、口を開く。
「……字伏だ」
 腫れあがった額を押さえながら、低くしゃがれたこえで言う。ウェイバーは、言外に恨みと怒りの念を込めて言ってやったのだが、この剛胆を切り取って形にしたような男には、なんの痛痒も感じた様子もない。
「なんだぁ? それは?」
「だから!! 字伏だって!! ここ最近の英雄だよ!!」
 この日本と言う国を、数年前に救った英雄の片割れであること、二〇〇〇年前より存在する東洋の幻想種の一種であること、マスターの特殊能力で“視た”ところ、そのステータスはバカみたいな数値であることを手短に伝える。
「……な」
 どこからともなく声がする。
「……なに考えてんだぁ、この大馬鹿野郎ぉおおおおお!!」
 その声の発生源に、全ての瞳が集中する。よく見ると、乱入したバケモノの腰辺りに張り付いているのは、ボロ布の腰巻ではなく、しがみついていたマスターであったようだ。
 その張り付きながら抗議の声を上げるボロ雑巾のようなマスターを、ぺちんと地面に投げ捨てるとバケモノは、戦車上のライダーを指差し、
「けぇっ!! 牛野郎。舐めたことぬかしやがって!!」
 そう言うが早いか、全身に威嚇の稲妻を滾らせる。
 天空から、大地を刺し貫く雷はずのが、水平に疾走しライダーの鼻先をかすめた。
 その光景は、神経の細い者ならば心理的外傷のひとつも負ってしまいそうな凶悪なものだったが、ライダーの太い眉をしかめさせただけだった。
「おい坊主。狂化して理性を失くしている割には、普通にしゃべっとるぞ。アイツ」
 ひょいと襟首を持ち上げられたウェイバーが、叫ぶように、
「……知らないよ!! 大方、狂化ランクがバカみたいに低いんだろ!!」
 当てずっぽうで口から出た言葉であったが、実はそれが正鵠であったなど言い放った本人は知る由もない。
「そうか……。人語を解する野獣か……。ふむ、ふむ、おもしろい!! 是非!! 我が軍勢に!! よし、ここは一つ……」
「まて、お前。まだ誘いを掛ける気かぁ!? さっき総スカン食らったばっかりじゃないかぁ? これ以上敵を増やすんじゃない!! 懲りるってことを知らないのかぁ、お前はぁああああああああああ」
「もうすでに二人に嫌われとるんだ。それが三人になったところで大差あるまい? ほれ、坊主がどんなにチビでも、道を歩いている女、一〇〇人に声を掛ければ一人ぐらいは付いてくるというものだぞ」
「おおありだ、バカバカバカバカバカバカバカバカバカ。ナンパと聖杯戦争を一緒にすんじゃない。こんちくしょうっ!!」
 逆上したウェイバーは、非力な拳でグルグルと叩いていたが、当のライダーは全くの痛痒を感じた様子もなく、
「おなじようなもんであろう? 征服した国の道端に、見目麗しい女がいたら声を掛けるというのが礼儀であろうが? しかも、救世の英傑ともなれば見逃す手はない。おし、話はまとまったところで、そこのタテガミの長い奴」
 にんまりと、野太い笑みが分厚い唇に浮かぶ。たしかにどことなく好色な面持ちと言えないこともない。
「ぁあ? なんだ? てめえ」
 そう言いながら、刀剣のような爪を伸ばし、全身の毛を逆立たせる。
 もしも、この短気な野獣のごときサーヴァントが、「恭順して軍門に下り、一緒に世界征服しないか?」などと誘われたらどんな顔をするのだろう。
「ここはひとつ、我が軍門に降り聖杯を……」
 ライダーの人を喰った磊落な発言を遮ったのは、地獄から響くような怨嗟だった。
「…………バーっ…………サーっ…………カーっ…………。お……ま……え……。な……に……しやがるっ!!」
 かすれた小さな声であるにもかかわらず、それにこめられた恨みの念が身震いするような波動となって耳を打つ。
よく見ると、大地にへばりついていたボロ布がむくりと起き上がって、己がサーヴァントに食ってかかっていた。
「てめえ、こら。三人共倒れを狙うはずが、安い挑発に乗ってんじゃない!! どこが運がいいんだバカっ!! このバカぁ!!」
 いまにも泣くじゃくりそうな、それはもう哀れを誘う光景だった。
 非力極まりない魔術師の出来こそないが霊体の分厚い筋肉に、自由の効く右手で掴み掛っている光景。
 絶対服従の強権を持っているマスターの魂から出た追求を、バケモノのような外見をしたサーヴァントは、ひらひらと手を振って煩わしそうに、
「へっ、だったら“れいじゅ”だかなんだか使って止めりゃよかったじゃねえか」
「あんな急につかえるか!? バカっ!! しかも三回しか使えないんだぞ!? こんなくだらないことに使えるわけないだろ!!」
四頭の猛獣が角を突き合わせている檻だというのに、このいたたまれなさは一体なんなのだろうか。つい数分前までは、緊張に生唾を飲み込むほどの戦場であったのに。






 聖杯戦争の参加者として、こんな茶番劇を見せられたことを憤慨するべきか、それとも、二人の悲哀に満ちたマスターを憐れんでやるべきか、アイリスフィールは半ば真剣に悩みはじめたときである。
 アイリは己が騎士の異変に気がついた。
 今現在、最も動揺しているのは、剣の英霊たるセイバーであったのだ。
 表情こそ金色の前髪に隠れて読み取れないが、この少女の内心を小刻みに震える全身やクセ毛やらが表しているかのような印象を与えている。
 一寸考えてみればそれも仕方がないかもしれない。
この誇り高い少女が受けたいままでの仕打ちは、お世辞にも誉められたものではない。
 そもそもアーサー王の伝説は、悲劇によって幕を閉じる。この戦いに身を投じるに当り、少女はどれほどの決意があっただろうか。
 しかも、そんな伝説の英雄をわざわざ呼んでおきながら、夫は話すらまともにしようともせず、自分は妹が出来たかのように喜び、いろいろと着せ替えさせてみたりとまるで騎士扱いしていない。
 そして、ここに来ての茶番劇である。
 怒りが心頭を駆け巡ったとしても不思議はない。
 アイリスフィールは、恐る恐る剣の英霊の顔を覗き込みそっと声を掛ける。
「セイバー、大丈……夫?」
 覗きこんだときのセイバーの顔、その表情を観て、アイリスフィールは言いようのない感情に囚われる。
 ほんのりと紅潮した頬、大きく見開かれた緑翆の瞳、険のとれた相貌……。先程までランサーと斬り結んでいたときの険しさや、生来の生真面目さや、王としての威厳とか、騎士特有の凛烈さ。そういったものがころりと欠落した顔をしているのである。
 自分の置かれた環境に、竜の化身が怒り狂っている……というわけではないようだ。しかし、これではまるで、どこにでもいる少女の顔ではないか。
「セイバー?」
 二度目の呼びかけにも少女は応じない。
 かわりに、「……という試練」とか、「かくも……愛らしい……」だの、「獅子のタテガミと豹の縁取りが……姑息な」とか、アイリの理解できないことをぶつぶつと呟いている。
 それでいて、他三体のサーヴァントに対する警戒を怠っていないのは流石と言うべきか。
 三度目の呼びかけの際に、アイリは、すうっと息を吸い込み、
「セイバー、大丈夫!!? なにかあったの!!?」
 自分の護るべき女性の大声に、びくんとセイバーは反応し、本来の涼やかな顔にもどっった。それからきまりが悪そうに、アイリを一瞥した後、
「大丈夫です。セイバーのクラスの抗魔力は、最高です」
 やはり、よく解らないことを口走っていた。
 なにが何やらいまひとつ理解できないが、本来の表情に戻ったようであり、戦場でこれ以上の追及は己がサーヴァントの戦意の喪失を招きかねない。
 なんとか緊張の糸を張り巡らせようと集中し出したとき、アイリの眼前では、ライダーとバーサーカーの、
「なにが家来だ!? バッカじゃねえか!? わしはバケモノだぜぇ?」
「構わぬ。余の臣には、半神や半妖も珍しくはないぞ」
「全員ぶちころさねぇと、せーはいせんそーが終わらねーだろうが。配下に加えてどーすんだよ」
「ふふん。勝利してなお滅ぼさぬ。制覇してなお辱めぬ。それが、わが“征服王イスカンダル”の“征服”である!!」
「いすかんだる? てめえ、なんで角生えてねえんだよ?」
「ふむぅ? 誰が広めた噂か知らぬが、そういうことになっておるな。余の頭には角があったと。しかし、本物には生えておらん。まあそう言うわけだ」
「そういやあ、天竺よりもっと西から、えんえんとなんの目的もなく攻め込んでこようとしてたアホがいたな。あれ、おめーか?」
「いかにも。病に倒れねば、間違いなく大陸ごと征服していたであろうな。ふっふっふっ心躍るであろう?」
「てめぇ、なにしに出てきたんだよ?」
「なにをしに? ふん。理由とか、目的とか、そういった小難しいことはいちいち考えんようにしとるのだ。感じるまま、気の向くままに生きた後、歴史家なり研究家なりが適当にそれらしいことを言い出すであろう。それでよかろうが。それともキサマそんなナリをして、風になぜ吹くか、花になぜ咲くかと問うクチか?」
「……おめぇ、アホだろ。世界一の……」
「わっはっはっはっはっはっはっ!! ハハハッ! 良い良い!! まさに! 確かに! その通り! 余こそ、世界一の大馬鹿者である!! なんでも世界一とはいいものであるぞ!!」
 その緊張の糸を断ち切らんと必死になっているとしか思えないやりとりが、延々と続いていた。









 庁さん、Blueさん、トルコさん、シアーさん、ブレードさん、TASさん、takaさん、日ノ本春也さん、返しもせずに、4ケ月も放置しまくって申し訳ございませんでした。main板で雑談してんじゃねえ、という突っ込みはまさにその通りで、返す言葉もございません。
 今後は不定期の連載になります。大変失礼いたしました。



[5049] Fate/zero×spear of beast  15
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2010/10/21 22:45
 それはふとした一言だった。
 ライダーのしつこい勧誘を、鬱陶しそうに袖にした何気ない言葉。
「だいたいわしは、よわっちい人間とはちがうのよ。火もはけねえ、姿も消せねえ、ちょっこっと小突いただけでくたばっちまうようなくだんね~人間と、なんで慣れ合わなきゃなんね~んだよ?」
 しかし、それはくだらない茶番を、瞬間的に険呑な戦場へと引き戻した。
「ほお、つまりアレか? 貴様は余の力に不満があると、そう言いたいわけだな?」
 その声が本質的に変わったことに気がついたのは、やはり百戦錬磨のサーヴァント達だった。
 セイバーとランサーはお互いの得物を確かめる様に握り返し、バーサーカーはライダーを威嚇するように指を鳴らし刀剣のような爪を伸ばした。
「ふふん、ならば是非もない。余の力を貴様に示すだけのこと。我が車輪で蹂躙されたうえで改めて我が臣となるか、それとも朽ち果てるか貴様自身が決めるがよい」
――ぶちのめして、そのうえで無理矢理家臣として加える。
 傲岸不遜としか形容できない、ライダーの言いようにバケモノは心底おかしそうに笑った。
 マスターたる雁夜や、あの無機質な少女が見たことのない捕食者の笑顔だ。
「いいぜぇ、てめえ」
 ピンク色の舌を剣山のような牙の間からぬらりと出し、そう応じた。
「小難しいことをベラベラいわないぶんだけ、そういう分かりやすいのは大好きよ」
 バケモノの全身が落雷を放つ前の積乱雲のように帯電し、四方に閃光を放つ。
「けれど、ワシにそういうバカなケンカを売ったやつはみんなこういうのよ」
 それに呼応するように、ライダーの神牛も隆々とした筋肉をうねらせて蹄を虚空に擦りつけ、大気が稲妻とともに抗議の声を上げた。
「ほほーぅ? そりゃおもしろい。聞かせてもらおう」
 揶揄するような口調であるが、わずかにこわいものが混じっていた。先程までの放言にはなかったものである。
 そのライダーの声を、バーサーカーは哄笑とともに応じた。
「やめときゃよかったってなぁ」
 その言とともに、魔力の入り混じった稲妻を滾らせる。
 たまらないのはマスター達だ。サーヴァントの後ろに隠れているとはいえ、こんなふざけた戦場のど真ん中に何の因果か布陣して、ついさっきまで漁夫の利を狙おうとしていたのに、こんな降って湧いたギャンブルに、自分の命さえ含めた全ての掛け金をつぎこまなくてはならない状況は、雁夜とウェイバー二人の理性をあっさり超えて、令呪を使うという、マスターとしての基本的な思考さえ頭蓋の外に出るほどにうろたえていた。
「やめろっバカ。ふざけんな」
「バカバカバカっ!! お前らのいってることとやってること、どれも全部メチャメチャだ」
 とくに雁夜は自分の戦闘能力と状況を、正確に把握していた。
 自分の体調はほんの少々持ち直しているとはいえ、所詮は即席の魔術師で、半死人のありさまだ。
 サーヴァント同士の戦いであのバケモノの足を引っ張ることになるだろうし、魔術師同士の戦いであったとしても互角に渡り合うなど夢物語だろう。
 ゆえに全ての戦闘に姿を現さず、使い魔の『見蟲』を差し向けて状況を把握するという算段だった。
 マンホールの蓋をこじ開けて下水道の中にでも潜み、戦闘はすべてバーサーカーに任せようという心づもりであったのだが……。
 よもやまさか、ここまで己がサーヴァントがおバカだったとは、想像の範囲と理解の限度を超えていた。
「や―――やめろ! バカ、おぉ、おまえ。マスターのめいれっ、やめろ!! こんなところで無駄な力使うんじゃないっ!! このバカっ!! なに考えてんだ!! 考え直せ!! ふざけんなぁ!!」
 勝利へ繋がるか細い糸を、なんとか手繰りよせようとしているのに、なんかダメダメである。色々な意味で。
「そうだっ、らっいだぁああああ、よせっ、やめろ。せめてっ、ぼっぼっぼっ僕を戦車から降ろしてからに……」
 こっちもダメダメだった。あらゆる意味で。
 そんなマスター達の体たらくを、まるで見えないもののように無視し、二頭の猛獣は交錯して、倉庫街に金色の光が満ちた。






 渦巻く稲妻。人妖と征服王の錯綜。
 二つの青白い雷が水平に地表を駆け抜けてお互いの喉笛を噛み千切ろうと衝突する刹那、両者とも疾走を止め、強引に軌道を捻じらせて独楽が跳ねまわる様にスピンし、コンクリートの地面をえぐりながら急停止した。
 なにが起きたのかと思いを巡らす閑もあればこそ、ライダーとバーサーカーの激突したであろう地点を、金色の流星が着弾しクレーターを作り出す。
 吹きあがる土埃と粉塵と化したアスファルトが視界を遮る中、雁夜は身をよじらせるように振り返った。
 煙が晴れる。
 眩しい。
 暗がりに慣れた右目に多大な負荷を与えるような黄金の光が、雁夜の遥か上にあった。
 他のサーヴァントと、地上に並び立つことを良しとしないためであろうか?
 金色の輝きは、安定した地表より一〇mほどの高さの街灯頂上にあえて不安定な現界を果たした。
 整い過ぎた相貌。溶岩のように輝く双眸。金色に輝く甲冑とその偉容。
口元に浮かぶのは、侮蔑と傲慢さだ。
(オレ)を差し置いて、“王” を称する不埒な賊が、よもや二人も湧くとはな」
陶器のような唇をゆがめて不愉快げに放言する。不意打ちにも等しい所業をしておきながら、その表情に悪びれるなどまるで見られない。
その甲冑姿から、クラスはキャスターではないだろう。残されたクラスはアーチャーのみだ。
肌が泡立つ。雁夜は地べたを這いまわるような姿勢でその姿を捕えた。
――時臣のサーヴァント
見紛うはずもない。かつて時臣邸で、アサシンを一瞬のうちに屠り去った英雄だ。
大地に残した傷跡の規模から察するに、今の一撃はどう考えても宝具でなくては有り得ない。
自分の虎の子である宝具を開帳しておきながら、相手を仕留め切れなかったという悔恨や惜癪の色は皆無だ。
雁夜が召喚したバーサーカーとは全く違う金色に身を包んだアーチャーは、冷酷に、そして無慈悲に足元のサーヴァントとマスターたちを見下ろすと、
「しかし、一人はどこの馬の骨とも判らぬ雑兵に手傷を負い、もう一人は犬と戯れる。いかに有象無象の雑種とはいえ、仮にも“王” を僭称する程度には名を馳せた猛者であろうに、嘆かわしいにもほどがあるな」
アーチャーは侮蔑の見本としか言いようのない物言いを、さらりと言い捨てる。
 この物言いに、剣の英霊たるセイバーは唖然とし、ランサーは鼻白み、ライダーはいかつい掌で顎鬚を玩んだ。
 ようするにこの場にいる人間すべてが毒気を抜かれてしまったのだ。
 それでもなんとか気を取り直した人間がいた。
ライダーである。
「難癖をつけられてもなぁ? イスカンダルたる余は、世界に知れ渡る征服王にほかならぬのだが?」
「たわけ。真の王たる英雄は、天上天下に(オレ)ただ独り。あとは有象無象の雑種にすぎん」
 あまりにも度を超えた放言でありながら、それを超える自尊心と傲慢さがその言に説得力を与えている。
 ライダーの度量をもってしても、アーチャーの高慢さは手に余るものであったらしい。二、三、考えるような仕草をしたのち、溜息をついてから口を開く。
「そこまで言うんなら、まずは名乗りを……」
そうライダーの混ぜ返す声に、バーサーカーの笑い声が混じる。
「くかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかか」
 可笑しくて可笑しくてたまらないという笑い声だ。
 この倉庫街に集まった中で、唯一アーチャーの存在感と物言いにのまれていない。
 バーサーカーは、アーチャーを指さして、笑いながら転げまわっていた。
「ヒトのケンカに横槍入れて、なにを抜かすかと思えば、“王様”だぁッ!? “雑種”だぁ!? バッカじゃねえのっッ、オメェ?」
 その笑い声が、よもや自分に向けられたものだとは気がつかなかったのだろう。
 数瞬遅れて、アーチャーの艶やかな美貌に青筋が浮かぶ。
「…………………………………………度し難いほどに不愉快だ、時臣。おまえはこんな(ケダモノ)の戯言を聞かせるために、(オレ)をこの時代へと喚んだのか?」
 アーチャーはここにいないマスターに、憤怒の念話を送る。
 今にも噴火する前の活火山に表情があったら、こんな相貌をするかもしれない。
「誰に許しを得てこのオレに話しかけている? 犬の分際で、人語を解すだけならまだしも、(オレ)に、数々の無礼な物言い…………」
「うるせぇんだ、バカ!!!! 座なんかで寝ぼけた人間が、ドタマまで腐らせやがって!! 王様だかオレサマだか知らねえが、結局ぁ、空も飛べねえし、なんかあったらすぐにおっちんじまう、一〇〇年も生きられねえ人間だろうが? それを偉ッそうに」
 なにかが盛大に切れる音がした。
 アーチャーの顔色は赤を通り越して青味を益し、眉間の縦皺が剥き出しの殺意に漲る。 怒りのあまり、爛々と燃える両眼をバーサーカーに向けた。
「…………………………………………愚か者めが。犬の分際でその不敬、万死程度で償えると思うなよ。もはや塵一つ残さぬぞ!」
 アーチャー周囲の揺らぎ、ゆっくりと空間に波紋が広がり、燦然と輝く無数の刃が出現していた。
 剣、槍、刀、鎚、斧、ありとあらゆる武具が、豪奢にして壮麗な装飾と、常識では考えられない魔力に満ちていた。
 その全ての武具が、バーサーカーへと向けられている。
この時点で、バーサーカーとアーチャーの対決は不可避となった。





[5049] 番外編--遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです(キャラ改変あり)
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2011/04/26 00:14
番外編--遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです(キャラ改変あり)
※キャラ改変がありますのでそういったものが不快な方は見ないでください。








 夜の闇が迫る中、遠坂凛は図書室で一人頭を抱えていた。

 時刻は一七時半前。帰宅部が何の用事もなく居残るのには少々遅い時間だ。

 ただでさえ物騒な事件が頻発している時期だ。何の用もなく校内に残っている生徒は、ほとんどいない。

 罪悪感が疲労とともに胸の中に広がって、誇り高い父の顔が脳裏に浮かんだ。

“常に余裕を持って優雅たれ”と遠坂家の家訓を教えられたのは、一体いつのころだったか?

 はじめて頭を撫でられたときからずっと、あの人の教え通りにどんな難題でも余裕綽々と片付けてきた自分にとって、こんなことはありえないはずなのだ。

 なにゆえにこの遠坂凛は夕暮れの図書室で、命名漢字大辞典を片手にああでもないこうでもないと、知恵を絞りながらうなり声を上げなくてはならないのだろう?

 胃の周辺がキリキリと痛むので、お腹をさすっていたら、

「なんだ遠坂。妊娠したのか? 相手は誰だ?」

 本性を知られている友人に、そう声を掛けられた。

 うるさい黙れ。覚えてろ。

「どちらがさきに男を作るか。負けた方は相手を一日いいなりにできる」

 という勝負をしている相手がくつくつと笑いだしたのを見ると、解っていてそんなことを言い出したのだろう。

 挙句の果てには、この学校の生徒会長が、

「……………………………………………………………………………………遠坂」

 と、なんとも形容しがたい眼でこちらを凝視していた。

 穂村原の三大仏敵の一人として敵視されている身ではあるが、ああいう瞳で此方をのぞかれるのは、なかなかに傷つく。

 確かに年頃の美少女で文武両道、学年一の優等生が、命名辞典や、姓名判断本、赤ちゃんのための新しい名前の付け方だの、その手の本を広げてお腹をさすりながらうんうんと真剣に唸っていたら、邪推され安産祈願のお守りを渡されても文句は言えないが、不本意であることには変わりがない。

 全く優雅ではない。こんな風に両手で頭を抱える遠坂凛など全く優雅でないではないか。

 一〇の結果を求められれば、二〇の用意をしてそれに臨む自分が、そしてその努力とか修練とか呼ばれるものを決して他者に見せたことのない自分が……なにゆえ切羽詰まって頭を抱えなくてはならないのか? 誰でもいいから答えてほしい。

 ページをめくる手が止まる。

 いや解っている。理由なんて、そんなものは解りきっているのだ。

 つい先日召喚した、あのサーヴァントのせいだ。
 






 凛の苦悩は二日ほど前にさかのぼる。

 異様に早い目覚まし時計に叩き起こされ、疲労困憊の身体を引きずって学校から屋敷に帰ってきた遠坂凛を、留守番電話の伝言が出迎えた。

「さっさとサーヴァントを召喚し令呪を開け。もっとも、聖杯戦争に参加しないのなら話は別だ。命が惜しいのなら早々に教会に駆け込むがいい」

 そう用件だけ告げるとあっさり切れたメッセージ。言峰綺礼である。

 いちいち言うことが癇に障る兄弟子の忠告を、聞き流して召喚の準備を始める。

 この程度の事に苛々していては、あの変人神父の知り合いはつとまらないのだ。

 なにも怠けていたわけではない

 サーヴァントの召喚をしなかったのには理由がある。

 強力なサーヴァントを召喚するための触媒がないのだ。最良のサーヴァントであるセイバーを狙ってはいるものの、剣の英霊を呼び出すための英雄に縁の品物が手に入らなかった。

 ぶっつけ本番。強硬手段に訴えるのはさすがに気がひけたのだが、あの陰湿な兄弟子の嫌味を聞かされ続けるのは我慢がならない。

 魔力に物を言わせて強力なサーヴァントを召喚するという荒技に出たのは、そう言った事情があったからだ。思えば、それがそもそもの間違いだった。

 多少時間はかかっても、なんとか触媒を用意し、まともな方法で英霊を召喚するべきだったのだ……。









 地下室に降りて、魔力を注ぎ込んだ手持ちの宝石の半分を溶解し、魔法陣を描く。

 本来は術者の血によって描かれるものだが、触媒なしに最良のサーヴァントを引こうというのだ。いささか贅沢すぎる術式であることは否定しないが必要経費の範疇だろう。

 もしも仮に、もうすでに他の誰かが剣の英霊を引き当てていたら……と弱気の虫が脳裏をかすめることはない。たとえセイバーでなかったとしても自分がつかみ取るサーヴァントは最強だという自負があった。

 時計が深夜二時を指すまで後わずか。自分の魔力が最高になる時間帯だ。






―――Anfang

 大気の純粋なマナを取り込み、全身に魔力が満ち、身体が熱くなる。

 血流に、神経に魔力が混じる痛みとともに、身体がただ一つの装置へと変わる。

 全身に張り巡らされたメイン四十、サブが三十の魔術回路が高速で蠕動し、強烈な不快感と拒絶反応を訴える。

 とりわけ左腕の痛みは尋常ではない。遠坂家伝来の魔術刻印が、それ単独であたかも別の生き物であるかのように蠢き、独自に詠唱を始め神経を傷つける。

「―――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 ……………………視界が暗くなる。聴覚、味覚、嗅覚全てが遮断されていく。まるで自分の身体が生き物であることを否定するかのように……。ただ触覚だけは鋭敏に魔力の流れを感じていた。

 凛の心臓は、まるで機械のように人間ではありえないペースで拍動し、大気より取り込んだマナを固定化しようとする。

 その瞬間、衝撃が来た。

 掴んだ。いや、掴んだというのは正確ではない。

 とてつもなく大きななにか。その体毛に触れた。こちらは力いっぱい相手を掴んでいるのだが、相手は触れられていることにも気づいていない、そんな印象だ。

 確信があった。間違いなく最強。

 ありとあらゆるサーヴァントの中で、これほど巨大な存在はいないだろう。

 脳という、神経細胞の塊が、その存在を理解するのを拒絶するほどに強力で、本来この聖杯をもってしても、呼び出すことが叶わないかもしれないほどの存在だ。

 迷うことなく詠唱を続ける。

「――――誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

 最強のサーヴァントを召喚できる。

 その瞬間に、脊髄に電流が走った。

 エーテルが乱舞する中、自分が何を召喚しようとしているのかを唐突に細胞が理解した。

 冗談ではない。

 脳という肉くれは、事の重大さを理解できていないが、絶対零度の槍が全身を刺し貫く。それ以外の体細胞、本能と呼ばれる部分が理解した。

――コレをこのまま召喚してはいけない。

――巨大すぎる。これは人の手に余る存在だ。

 もう、詠唱は終了している。

 たとえ、このまま強制的に儀式を打ち切ったとしても、アレは凛の魔力を全て吸い上げ、現界を果たすだろう。

――このサーヴァントを御せない。人間である限り不可能だ。

――現界した瞬間に、このサーヴァントはこの世に地獄をもたらす。

 確信に近い予感だけがじっとりと背中に張り付く。

 魔力の暴走が止まらない。

 決壊したダムを前に立ちはだかることのできる人間などいるわけがない。

 これはそういうことなのだ……………………。




 まて。

 なにが、『これはそういうことなのだ』だ。

 なにやら怒りが湧いてくる。

「…………………ふ、」

――ふざけんじゃない。

 なぜ、これから呼び出すサーヴァントにここまで恐れおののかなくてはならないのか?

 サーヴァントとは使い魔だ。日本語に直訳すれば召使い。

 たとえどんな暴虐者だろうが、性格のひんまがったロクデナシだろうが、救いようのないサディストだろうが、主人に対しては絶対服従すべきものなのだ。

 それを……

――なにが悲しくて、召喚する前から、ここまで怖がらなくちゃいけないってのよ!?

 暴れ回る魔力を押さえつける。

 有らん限りの力を持って、強引に、無理矢理に、徹底的に。

「…………ふ・ざ・け・ん・じゃ…………」

 筋繊維という筋繊維が、神経という神経が、細胞という細胞が、痛みという名の抗議の声を絶叫している。

――うるさい。黙れ。根性無しども。

 凛は、ヒステリーをあげる肉体を叱咤すると、全身の魔術回路を過剰に励起させ、力技で呼び出した分のマナを集束させる。

――どんな怪物かは知らないけれど、首根っこを捕まえて、穴倉の中から引きずり出す。無理矢理言うこと聞かせてやろうじゃない!!

 それが遠坂凛の決定だった。

「ふ・ざ・け・ん・じゃ……………………な・い・わ・よ!!!!!!!!!!!!!!!!」

 有らん限りの力を持って、なおも収まる気配のない魔力を力づくで抑え込む。

「…………い・い・か・げ・ん・に…………し…なさいよ!! この、駄々っ子っ!!!!!!!!」

 ぶちっ。

 なにかが切れた。

――あ、マズっ!?

 身体の苦痛という警告を、故意に無視しまくった当然の結果。

 思考が急速に減退していく。

 あれほど全身を支配していた痛みさえも、頭蓋の外へとはじき出される。

 遠坂凛は、気絶してしまったのだ。




 爆発音がした。

 それも凄まじい音が。

 居間の方から。

 ダイナマイトに、炸裂弾に、大砲の着弾音を混ぜたような凄まじい音だ。

「……あれ?」

 凛は、がばっと魔法陣の上でうつぶせに寝っ転がった状態から跳ね起きる。

 朦朧とする意識の中、何が起きているのかを冷静に分析する……。

 あれだけ派手に飛び散っていたエーテルが、マナが、魔力が、この地下室に欠片も見られない。宝石を溶解して描いた魔法陣が、ぼうっと鮮紅色を放っていた。加えて居間からの炸裂音。

 結論なんてひとつしかない。

――ミスった? うん。ミスった。

 やらかした。間違いなくやらかした。

 壊れた居間の扉を蹴りとばし、なんとかこじ開ける。

 グチャグチャのめちゃくちゃとしか形容しようのないありさまの中、そいつはいた。

 涙目で頭をさすりながら、奇跡的に無事だったソファーにちょこんと体育座りしている あり得ない格好をした少女がいる。まだ10代に届かない程度の。

――アレだ。アレが間違いなく下手人だ。

 漆黒の大陸風衣装に身を包んだ、白銀の髪の少女。とてつもない美貌。否、魔貌としか言いようのない美貌だ。

 しかし、あり得ないのは人間離れした美の結晶としての相貌ではなく、その頭に生えた獣耳だ。

 いや、頭に生えた人外の耳だけではない。よく観察すると、お尻のあたりからぴょこぴょことよく動く尻尾が生えている。

 純白の体毛ゆえに、どの動物のものか一瞬で判別は付かなかったが、あれは恐らく狐だろう。

「―――――――」

 声を無くした。

 これがサーヴァントというものなのだろうか?

 相対しているだけで、目の前の純白の少女が桁外れ中の桁外れな魔力を帯びていることが判る。

 外見は妙な狐コスプレをした幼女だが、その本性は間違いなく人間ではない。

 そのことを感じ取ると、闘志がわきあがる。

 アレは、自分の下僕として召喚されたものなのだ。

 ここはきっちりと主従関係というものを示しておく必要がある。一番初めにはっきりとどちらが主でどちらが従者なのかを判らせないと、後々まで尾を引くことになる。

「――確認するけど、貴方はわたしのサーヴァントで間違いない?」

 圧倒されまいと抵抗する心理が働いたせいか、必要以上に高飛車な声をあげてしまった。

 その声を受けて少女のサーヴァントは……

「痛いのじゃ。頭を打って痛いのじゃ」

 さらっと無視しやがった。

「ちょっと、貴方? わたしの話を聞いてるの?」

「痛いのじゃ。頭を打ったせいか、なにも聞こえん。無理矢理力づくで召喚されたかと思ったら、地上五〇メートルの空中に投げ出されるなんて前代未聞なのじゃ。こんな中途半端な召喚しかできない魔術師の話なんて聞きたくないのじゃ」

 泣き真似をしながら天井を指さすサーヴァント。

 見上げると、そこには破れた屋根と冬の星座。あの衝撃音は、どうやらこのサーヴァントが地球の重力に引かれ、屋根を突き破った音らしい。

「………………………………………………………………」

 気まずい沈黙。

 その件について、まったくもって言訳が出来る立場ではない。どうやって取り繕ったものかと凛が頭をひねっている間に、

「ああ、なんと我はかわいそうなのじゃ。こんな半人前に召喚されて、馬車馬のように戦わされねばならぬとは……。ほれ、見るがいい。我のまえに悪魔がおるぞ。赤い服を着た悪魔じゃ。鬼じゃ。悪魔じゃ。餓鬼畜生じゃっ」

 可愛らしい顔に似合わぬ罵詈雑言を並べ立てる。

 頭の中で何かが切れる音がした。

「……貴方ねえ。わたしが聞いてるのは貴方が他の誰でもない、このわたしのサーヴァントかって事だけよ」

 にやっと正体不明のサーヴァントは邪悪な笑みを浮かべる。

「召喚に失敗して偉そうなのじゃ。普通は失敗したら謝るのじゃ。謝罪もできないやつは半人前なのじゃ。半人前のくせに態度がでかいのじゃ。態度のでかいだけの半人前が我に質問するなど一二○○年ほど早いのじゃ」

 見事なまでの五段論法。ソファーの上をゴロゴロと転がりながら、偉っそーにケンカをマスターに売ってくる。にやにやと笑いながら、凛を半人前扱いしているサーヴァント。

「だ・か・ら……もういちど訊くわよ。一番初めに確認するのは召喚者の務めよ。あんたはわたしのサーヴァントでいいのね?」

 貴方からあんたに格下げになった。

 返答しだいでは掴みかかって張り倒し、主従関係を身体で判らせてやるという気配さえにじみ出ている。

 その険呑な空気を感じ取ったのか、それとも悪態をつくのに飽きたのか、少女のサーヴァントはころりと態度を変えた。

「そういちいち確認せんでも判るであろうが。ほれ、主人の魔力がラインを通じで我に流れ込んできておる。なによりの証拠じゃろ」

 急に素直になったサーヴァントに妙な違和感を感じつつも凛は自分の身体を確かめてみる。身体の中にあった神経の一部が、少女へと繋がっているかのような違和感があった。その通路に沿って、凛の魔力のおよそ八割が白髪狐耳の少女へと流れ込んでいる。

 とてつもない燃費の悪さだ。

「……それで、貴方なんのサーヴァント? セイバーじゃないの?」

 これだけの魔力消費量でセイバーでなかったら目も当てられない。

 気を取り直して問う凛に、少女はまた邪悪な顔をして、

「知らん。覚えとらん。つい先刻頭を打って忘れた」

「殺すわよ?」

「アーチャーのようだぞ。弓の弦なんて生まれてからこの方、引いたことなどありゃせんがの。大方、他のクラスが埋まっておって、適当に空いてる席に放りこまれたんじゃろうなあ」

「……………………………………………………………………………………」

 軽く落ち込んだ。

 時価総額数億円。手持ちの宝石の半分を消費して、召喚したのはアーチャー。それも狐耳の少女。これで落ち込まないマスターがいたら教えてほしい。それも、伝説級の弓使いや、救国の射手とかを召喚したのならまだ判るが、適当に空いてる席に放りこまれたアーチャーを、何が悲しくて引き当てなければならないのだろうか?

「なにをしょげておるのじゃ、主よ? 我を召喚したのがそんなに不本意であったのか?」

 確かに不本意だった。

 しかし、それをまさかサーヴァントに直接告げるわけにはいかない。その凛の遠慮を、サーヴァントの少女は全く別の意味に解釈したようだ。

「確かにのう。我のように空に輝く日輪のごとき美少女サーヴァントは、主のような半人前にはもったいない。主よ見直したぞ。未熟者で、怒りっぽくて、高慢ちきで、高飛車で、毒婦で、仏敵で、無知蒙昧で、アバズレで、何一つ見るべきところのないロクデナシじゃと思っておったが、ちゃんと身の程というものをわきまえておったのじゃな!! うむ。それでこそ我のマスターじゃ!!」

「あー、いろいろとダメみたい父さん。わたしそろそろ限界です」

 聖杯戦争を始める前ではあるが、このろくでもないサーヴァントを令呪で呪殺してやろうかと、凛は真剣に悩み始めた。そんなマスターの心中に全く気付かづに少女は続ける。

「しかし、臆することはないぞ。我は最強無敵じゃからな。どんなサーヴァントが相手でも我にかかればちょちょいのちょいじゃ。ヒンデンブルグ号や戦艦ポチョムキンに乗っかったつもりで居るがよいぞ!! 」

 全然安心できない。そのたとえを出されて安心できるバカはこの世の中にいないだろう。

「この体たらくで、一体どうやって大船に乗ったつもりでいろって言うのよ!? しかも、あんたみたいながきんちょで!?」

「ふむう。それでは情けないマスターを安心させてやるとしようかの。これ、そこな主人。我のギリシャ彫刻も裸足で逃げ出す美貌を凝視する特権をくれてやろう。我をジッと見つめるがよい。ただし惚れてはいかんぞ。我は年端もいかぬ女の子じゃからの。主人の愛情を受け止めてやるわけにはいかんのじゃ。条例的に」

 まるでマスターとの主従関係を、その辺に転がっている石ころかなんかだと言わんばかりの態度のサーヴァントに頭痛を感じつつ、ステータスを観察するために凛はサーヴァントを凝視する。

 ぼんやりと浮かぶ生意気極まりないサーヴァントのステータスを見て……絶句した。



マスター       遠坂凛
真名          ??
性別         女性
属性        混沌・善

筋力A++ 魔力EX
耐久A++ 幸運E-
敏捷A 宝具??

クラス別能力
対魔力:C 二節以下の詠唱による魔術を無効化する。大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

単独行動:D マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自律行動可能。ランクDならば、十二時間は現界可能。


 破格なんてものではない。
 考えられうる限りで、ほぼ最強の数値だ。
 幸運だけ異様に低いことを除けば最強のサーヴァントだと言えるだろう。
「………………なるほど、大口叩くだけの事はあるじゃない」
 相手はゴーストライナー。精霊の類いだ。
 召喚したときの手ごたえは大当たり。
 どうやらサーヴァントというものは、外見だけで判断できるものではないようだ。
 このマスターをマスターとも思わない、横柄で尊大な態度も、ある種必然であったのかもしれない。
「当然じゃ。我を召喚しようとするのなら、一〇〇〇人単位の贄でも用意せねば本来は不可能なのじゃぞ。生贄なんぞ、いまの我には貰っても迷惑なだけじゃがの。せめて万国旗を飾った歓迎会の準備ぐらいはあって然るべきじゃぞ。こんな殺風景な場所に呼びつけおってからに。いまからでも遅くはない。ほれ、地べた額を擦りつけて汝の不明を詫びるがよいぞ」
――やっぱり殺したほうがいいかもしれない。

 そう考える凛を無視するように、満面の笑みで狐耳の幼女サーヴァントは続ける。

「ほれほれ、保有スキルも一杯あるのじゃぞ! こんな無敵のサーヴァントを使役できる喜びに打ち震えて悶え苦しむがいい!!」

――まあ、いいか。

 ぴょこぴょこと尻尾を振りながら、天衣無縫な様子で自分自身を自慢する少女サーヴァントにムキになっても仕方がない。

 もしも、指示に従わない事があれば、令呪を用いて言うことを聞かせればいいのだ。

 そう感じながら保有スキルを確認していく。


陰謀:B
自分に敵対する勢力を弱体化させる戦略。一定ランクの知性や冷静な判断により看破・軽減される。

妖怪変化:A+
妖怪が使用可能な透過、飛行、変化、憑依等の能力をBランクで常時使用可能。しかし、ペナルティとして、破邪・聖属性の武器や魔術、結界に対して二〇〇%の追加ダメージを負う。

妄執:D
嫉妬する対象と戦闘する際に、パロメータに有利な補正が得られる。

転生:A
転生することにより獲得。生前のイメージとは全く異なる姿・性格に変貌してしまう。このスキルは“死ぬ”ことによってのみ取り外し可能。

千里眼:C
遠距離の様子を視力で知覚する能力。Cランクでは使い魔のバックアップなしに、詳しく遠距離を観察することは困難。

絶対悪:E-(B)
揺らぐことのない悪。確固たる悪性のため精神干渉系魔術を一定確率でシャットアウトする。本人が自分の悪性を否定しているため、極めてランクダウンしている。

厄災:A+
攻撃範囲が不特定多数の広範囲に渡るほど、攻撃力が上昇するスキル。後世に残るような甚大な破壊行為ほど有利な補正が得られる。ランクA以上は、複数の国を滅ぼす破壊規模。

深淵の怪物:A++
周囲の負の感情を自身に吸収する能力。敵対者が、恐怖・憎悪・嫉妬など、負の感情を抱いている場合、筋力・耐久ランクが大幅に跳ね上がる。高ランクになると、負の感情を抱いた敵はこのサーヴァントを打倒できない。

令呪耐性:A+++
文字通り令呪に対する耐性。高い魔術耐性を持っているサーヴァントに極めて稀に発現するスキル。ランクが高いほど令呪に対する耐性が高くなる。Aランク以上になると、複数の令呪を使用しても、全く言うことを聞か……くぁwせdrftgyふじこぉきじゅhygtfrですぁq

――なんだ? これは?

「……なに、これ?」

 声が上擦ってしまうのが判る。

「ふむ、最後の方が文字化けしとるようじゃの? 強引な召喚をしたせいじゃ。これに懲りたら、主は女性らしい所作を身につけよという天啓じゃな。厳粛に受け止めるがよいぞ?」

「いや、そこじゃなくって……」

 保有スキルを見るに、どう考えても英雄ではない。

「貴方、昔何やったのよ?」

 一体どこの世界のラスボスなのか、まずはそこから問い詰めたい。 

「確かにこの世を儚んで、世界を滅ぼそうとした過去があったかも知れんが、そんな暗い過去は屑籠にポイじゃ。人間は、前向きに生きるべきなのじゃ」

 そもそも人間かどうかが怪しいが、そういうものだろうか?

 深く追求しても、得るものはなさそうだ。藪をつついて悪魔が出て来てもなんなので話題を変える。

「……この令呪耐性っていうのは?」

「我はやりたい放題生きてきたからの。それが保有スキルとして反映されておるのであろうなあ」

 遠い眼をして彼方を見つめるサーヴァント

 胃が痛い。眩暈もする。

 こんなアーパーなサーヴァントと、令呪なしでどうやって主従関係を結べというのだろう?

 そもそも、歴史に名を残す英雄という連中は、個性が強い。召喚された魔術師なんて、青白い顔をしたガリ勉ぐらいにしか思っていないやつばかりだ。そいつらに言うことを聞かせるために令呪というシステムがあるのだ。

 令呪が意味をなさないというのならば、魔術師とサーヴァントの主従関係など成立するはずがない。そう思考する凛に、

「我が主人に反抗的なことを心配することはないぞ。条件次第では小生意気で性格がひんまがった我も、令呪なんて下らんギミックを必要としないぐらいに、未熟な主に絶対服従してやらんこともない」

 聞き捨てならないことを告げる。

 主従関係をはっきりさせるはずが、逆に交換条件を持ち出されている。

 まったくもって、なんたる無様。

 しかし、背に腹は代えられない。

「いいわ。その条件ってのを、とりあえず言ってみなさい」

 令呪の効かないサーヴァントが、絶対服従すると言っているのだ。

 とりあえず聞いてみる価値はあるだろう。

「本当に言ってよいかの?」

「もったいぶらないでさっさと言いなさい」

 短い付き合いだが判ることがある。このサーヴァントは、人を騙す際に嘘はつかない。

 嘘をつくのはどうでもいい時だけだ。

 真に騙そうとするときには、認識の違い、誤解、見解の相違、足りない説明などを用いてヒトを引っ掛けるタイプだ。

 こんな風に勿体をつけて条件を出してくる場合は、そんなに危険はないだろう。

 そう身構える凛に狐耳のサーヴァントは、意を決したように口を開く。

「名前じゃ」

「名前って? 人が人を呼ぶときに使う、あの名前?」

「他に一体どんな名前があるというのじゃ? 全く、これだから未熟な主よの。卵から孵った雛鳥のようじゃ。そんなことではこれから戦は生き残れんぞ?」

 本日何度めかの殺意が湧く。

 それを何とか押し殺して凛は混ぜっ返す。

「名前って、そういえば、あんた真名は? どこの英雄なのよ?」

「知らん。忘れた。覚えていても言いたくない。我は未来に生きると決めたのじゃ」

 言いたくないことは全て忘れた。

 いっそ、ここまで来ると清々しい。

「魔術師と言えば、この国では道士とか陰陽師とかと同列じゃろ。当然気の利いた名前の一つや二つ思いつくであろ。主人がいかに半人前とはいえ、名前を付けるのはお手の物であろうが。ここはひとつ、我に名前を付けてはくれんかのう?」

「………………名前ねえ。確かにわたしたちの稼業では、重要なものだけれど」

「ただの名前では嫌じゃぞ。我にふさわしい名前を、どうか」

 急にしおらしくなって、手のひらを床にぺたっとつけたまま座礼をするサーヴァント。

 どうやら本当に名付け親になって欲しいだけらしい。

「アーチャーじゃダメなの?」

「嫌じゃ。そんな役職みたいな無味無乾燥なのは」

 下げていた頭を跳ね上げて、即答する。

 その様子は、こまっしゃくれた今までの態度とは違い、外見相応の可愛らしいものだった。

「貴方、そんなにわたしに名前を付けて欲しいの?」

「可愛らしい名前を、どうかお願い致します」

 そう言って、今度は地べたに頭を擦りつける。あの幼い外見で、座礼と土下座の違いをわきまえている辺り、只者ではない。

 確かに願ってもない提案だった。

 名前を付けるというのは、主従関係どころではなく、親子の関係にまで匹敵するほどの上下関係の表れだ。

 しかも名前を付けてくれたら、絶対服従するとまで言っているのだ。

 もし、その言葉がウソだったとしても、名前を付けただけだ。実害はないに等しい。

「ほれ、この通り。がりがりがりがりがりがりがり」

 可愛らしい顔を、冷たい床の絨毯に、がしがしと擦りつけている。

 その豹変した態度に気圧されて、ついに言ってしまった。

「いいわ、考えてあげる」

 この一〇文字を、凛は後々死ぬほど後悔することになる。

「本当かっ!? 魔術師に二言はないぞ!? 後から『やっぱりダメ』なんて意地悪なことを言い出したら、祟るぞ。子孫末代まで。いや、子孫が残せないように祟るっ!!」

 顔を上げて、ずびしぃっと此方を指さすサーヴァント。

 しかし、口元にはにんまりと笑みが浮いている。案外単純な性格のサーヴァントなのかもしれない。

「はいはい。せいぜい期待してなさい。そのかわりに貴方、これ」

 喜びのあまりに高速で回転してダンスを踊りだしそうな狐耳少女に、凛はホウキとチリトリを手渡した。

「――む、なんじゃこれは?」

「ここの掃除お願いね。貴方が空から降ってきてぶっ壊したんだから、責任もって、きれいにしなさいね。その間に貴方の名前を考えておくから」

「ふむぅ。我は人間の屋敷を掃除したり、こき使われるような存在ではないのだが……」

「嫌ならいいわよ。そのかわりアンタの事、ずっとアーチャーって呼ぶから」

「今回だけは乗ったぞ。観ているがよい。この廃墟のようなオンボロ屋敷を、紂王も失神して喜ぶぐらいの宮殿に作り変えてやるぞよ」

――こいつの正体は妲己か?

 色々と思い当たる節がある。

 ひんまがった物言いといい、狐耳とぴょこぴょこと動く尻尾といい、その可能性はかなり高い。

 狐に所縁のあるサーヴァントというのは、かなり限られる。妲己、玉藻御前、安倍晴明とその母の葛の葉。恐らくはそんなところだろう。

「余計なことはしなくていいわ。掃除だけよ。いいわね?」

 重ねて念を押しておく。

 空想具現化でもあるまいが、ふざけたステータスのサーヴァントである。

 もしかしたら、本当に一夜にして宮殿を作り出しかねない。

 サーヴァントを召喚したときの疲労がたまっている。生意気極まりないサーヴァントのために良い名前を考えてやってから、一眠りするとしよう。

「うむ。期待しておるぞ。主よ」

 ホウキを握りしめていそいそと働くサーヴァントに、ひらひらと手を振りながら、凛は二階の自室へと戻った。
 





 凛が、あまりの寝苦しさと倦怠感に眼を覚ますと、もうそこは夕暮れだった。

 全身があまりにもだるい。

「…………午後四時……色々と末期だわ……」

 あんなふざけたサーヴァントを召喚したせいで、魔力と精神力の消費が激しい。もう、学校は完全に終わっている時刻だ。十四時間近く寝ていたことになる。寝坊で連絡もせず学校をサボる。全く優雅ではない……。

 それにしても眠る前に召喚したサーヴァント。能力は申し分ないが、あの性格と燃費の悪さはどうにかならないものか?

 身体を流れている魔力が通常の二割しかないというのは、尋常ではない。

「まあ、しょうがないか……」

 そうつぶやくと、着替えを済ませて、重たい身体を引きずるように階下へ向かう。

「……うわっ。よくぞここまで」

 瓦礫の山は跡形もなく消えていた。

 チリ一つ落ちていない。

 ボロ雑巾のようになった絨毯も、破壊されつくした家具も。全て新品と見分けがつかないように補修されている。

 それだけならまだ判るのだが、壁紙から家具に至るまで、全て中国風西洋趣味のシノワズリ調に改装されているのは、明らかに片付けた人間の趣味によるものだろう。

 悪趣味に改造されたのなら「ふざけんなっ!!」と怒鳴ってやるところなのだが、なかなかよい趣味をしていると認めざるを得ない。

 当の本人は、

「うむ。マスカットフレーバーじゃのう」

 などとほざきながら、ティーカップを傾けて、独特の芳香を放つ赤い液体を嗜んでいた。このワインのように甘い匂いは、間違いない。セカンドフラッシュの最上級品だ。

 甘味と爽やかな渋みに裏打ちされた最高級の芳香を放つ茶葉だ。

 凛が買ってきた、未開封のものである。

 どんな紅茶にうるさい人間も、この葉で真っ当に淹れた紅茶を不味いとは言わないだろう。

 台所に目をやると、日本産のミネラルウォーター数種と浄水器から汲んだと思しき水が無造作に置かれている。恐らくは、水の硬度を調節するための処置だ。

 一般に紅茶を淹れる際には鮮度の高い軟水がよいとされている。ミネラルが含まれていると、雑味が出るし茶葉からの抽出が阻害されるからだ。しかし、あまりにも硬度が低いと、逆に苦味成分のタンニンなどの抽出が促進されてしまうため、超軟水は不適との見解もある。なので、いくつかの水をブレンドして、自分の好みに合った硬度の水を作り出したのだろう。

 紅茶の道とは深い。それはもう、こだわり出したらあまりにも深い。しかし、水のブレンドからこだわって紅茶を淹れるサーヴァントというのは、この世界始まって以来だろう。

 突っ込みどころしかない光景を目の当たりにして、どこから突っ込んだらいいものかと凛が真剣に悩み始めたとき、

「おお、主よ。寝ぼすけじゃな。我は待ちわびたぞ。まずは駆け付け一杯どうじゃ?」

 のんきに声をかけてくる。居間を勝手に改造され、秘蔵にしてお気に入りの茶葉を使われて憤懣やるかたないのだが、ごろごろとソファーの上を転がりまわっている狐耳少女に怒鳴り散らしたところで意味などない。

「……いただくわ」

 その声を聞いたサーヴァントは、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように、台所へと向かいティーセットを用意し始める。

 あらかじめ温めたティーセットを使って、高いところからお湯を注ぐ辺り、基本はできているようだ。

 不味かったら、延々と小言をいって、いじめてやろうという魂胆だったが、

「…………………………………………」

 残念ながら一口目で、いや、ティーカップに口を付ける前から判ってしまう。

 口に出すのは癪に思えるので、なにも声を出さずに黙々と味わう。

――――おいしい。腹が立つぐらいにおいしい。

 その様子をアーチャーは、無邪気な瞳で覗き込んでくる。

 それはもう、無邪気に。

 なんとか笑顔にならないよう、顔面神経痛を患ったかのように顔の筋肉を引きつらせている凛にとって、なんとも罪悪感をそそる顔で此方を凝視してくる。

 いかに英霊、サーヴァントとはいえ、外見はただの幼い少女だ。それも凛よりもずっと年下の。その少女が、自分に紅茶を淹れてくれて、何かを期待しているかのような顔で此方を凝視しているのだ。

――なによ。これじゃ、わたしが悪役じゃない。

 心の贅肉とは判ってはいるが、絞り出すように声を出す。

「……ご……うさま」

「ん、なんじゃ? よく聞き取れんかった?」

――――ええい、このいじめっこめ。

「ごちそうさまっ、美味しかったわっ!! これで文句ある!?」

――言った。言ってやった。

 肩を震わせながら叫ぶ凛を、不可思議なものを観察するような目で眺めた後、

「何の話をしとるんじゃ、主は?」

「はい?」

「まさか、今のが我の名前か?」

『ごちそうさま』が姓で、『美味しかったわ』が名なのか? そう続けると、部屋の隅でうずくまるサーヴァント。

「………………主はウソツキじゃ」

「ちょっと、貴方。待ちなさい」

「………………我に、可愛らしい名前を付けてくれると言ったのに、そんな三秒で思いつくような適当な名前を付けるなど、我の心はギザギザハートじゃ。子孫が出来んように祟ってやる……。全身にウソツキって痣が浮き出るように呪ってくれる……」

 部屋の絨毯に、指で何か書いている。

「貴方、お茶の感想を聞きたかったんじゃないの?」

「……そんなんどうでもいいに決まっておるじゃろ。我が欲しいのは名前じゃ。エレガンスかつビューティで、かわいい名前。その名前が欲しいから、こんなよく解らん戦争に参加したというのに。主さまはひどい女じゃ。毒婦じゃ。オニババじゃ……」

 口に出す単語は最悪だが、拗ねる仕草は妙に可愛らしい。

「なんだ。安心しなさい。貴方の名前は別にちゃんと考えてあるわよ」

「本当か!? ほうほう、てっきり我の出した茶の美味さゆえ、忘我の境地にまで達してしまったのではないかと心配しておったが、杞憂であったようじゃの。それでは勿体付けず、ズバッと名付けるがよいぞ!!」

 そう期待されると、ついつい焦らしたくなるが、今にも飛びかかってきそうな瞳の色である。ここはさらりと名付けてやるのが、大人の対処というものだろう。

「貴方の新しい名前は、これよ」

 そうして凛はポケットから折りたたまれた半紙を広げ、黒墨で書かれた文字をサーヴァントに見せつける。

――白狐

 まさに名は体を表す。白い体毛の狐。これ以上の名前はないだろう。狐に所縁のある英霊なのだから、“狐”の文字は外せない。気品にあふれていながら、それでいてさりげない。まさしく優雅だ。エレガントだ。

 この小生意気で憎めないサーヴァントも、ぷるぷると小刻みに震えている。自分のネーミングセンスの見事さに打ち震えているのだろう。

「いやじゃ、こんな名前。安直じゃっ!!」

 即座に否定された。

「――――はい?」

「もっと可愛らしい名前がいいのじゃ。らぶりぃさが足りんのじゃっ!!」

「なんですって?」

「我はこの身体の色も嫌いじゃし、白い狐とか呼ばれると死にたくなるのじゃっ!! 主には再提出を要求するのじゃっ!!」

 言うのが早いか少女は床に寝っ転がって、駄々っ子のように手足をばたつかせながら泣き叫ぶ。

「貴方ねえ……名前って本来は、どんなに気に入らなくても他人から勝手につけられるものでしょうが?」

「嫌だったら嫌なのじゃっ!! そんな名前で呼ばれるぐらいなら、座に帰るのじゃ!! ごーほーむなのじゃっ!!」


 一体この駄々っ子のどこが英霊なのだろうか。

 凛は、子どものこういう態度が心底苦手だった。もっと正確に言うのならば、理解が出来ないのだ。自身にそういう時期は存在しなかった。否、駄々っ子であることを許されなかった。

 心底呆れながらも、このサーヴァントの態度は苦手ではあるが不快ではなかった。

 もしかしたら、本当にあり得ないことだが、笑いたきときに笑って、泣きたいときに涙を流し、つきたいときに嘘をつくこのサーヴァントの天真爛漫さがうらやましかったのかもしれない。

 自分とは全く逆の存在だ。普段は別人格の優等生を演じている身としては、このサーヴァントは少々眩しい。

 まあ、身体の色がコンプレックスだというのなら仕方がない。

「解ったわ。他のを考えておくわ」

 そう口にして溜息をつく。

「ホントじゃな? 今度こそらぶりぃで、ぐろーばるで、ついつい抱きしめてしまうようなキュートで可愛らしい、一番いいのを頼むぞ!!」

「はいはい、任せなさい」

 なんというか、主従関係というよりは、手間のかかる妹が一人増えたという心境だった。

 こんなサーヴァントを召喚してしまったわが身を呪いたい。

 心の深い部分がズキリと痛む。もう、そんなところが痛むとはまるで想像しなかった部分が痛みを訴えていた。いや、今まで感じていなかった痛みを自覚したというほうが正確かもしれない。

 あまり愉快ではない方向に思考が進んでいる。これならば、駄々っ子サーヴァントの名前を考えていた方が、いくらかマシというものだ。

 そうして凛は、命名辞典を取りに書斎へ向かった。







 今にして思えば、油断していたのだ。

 それはもう、圧倒的に油断していたのだ。後からやってくるから後悔なのだと誰かが言った。その言葉は一〇〇%正しい。

 あのサーヴァントが名前にかける情熱というものを、遠坂凛は完全に見誤った。

 それはもうトノサマガエルとアマガエルぐらいに見誤ったのだ。

「弓恵って結構いいと思うのよ」

「アーチャーだから弓とは、同じく安直じゃ。再提出を要求する」

「深雪はどう?」

「ダメじゃ。ハイソさがたりん。金田一少年の幼馴染を思わせるのしの」

「じゃあ、花音は?」

「ふむ、悪くはないが、もう一声といったところかの」

「千尋はどうよ?」

「神隠しに遭いそうな名前じゃの、主よ」

「琴音は?」

「変態二人に惨殺されると総画数が告げておる」

「美羽は?」

「無礼者。我に失恋しろというか?」

「瑞希なんてどう?」

「漢字は美しいが、水着を連想させる響きじゃの。再提出じゃ」

「沙羅なんていいんじゃない?」

「我は仏門が苦手じゃ」

「さつき、これってなかなか可愛いんじゃないの?」

「不幸にまみれて生きていくしかないと、第六感が警告音を鳴らしておる」

「澪は人気あるわよ」

「我は右利きじゃ」

「沙耶。これで決まりっ!!」

「人類を滅ぼしたくなる名前じゃな」

「詩音でいいわよもう」

「ヤンデレじゃーっ。嫉妬に狂って親兄弟殺しそうじゃー!!」

 …………この調子である。

「のう、主よ」

「なによっ!?」

「もう、眠らなくてよいのか?」

「――――」

 もうすでに時計の針が、午前三時の終わりを告げようとしていた。このままこのサーヴァントに付き合っていたら、明日も寝坊で学校を休まなくてはいけない。全く持って厄日である。
 そう感じながら、凛は二階の自室へと戻った。


 



――夢を見た

――天地が二つにわかれるときの夢だ

――天に昇るものと

――地へと降るもの

――空へと上がっていく、キラキラしたものに憧れたのに

――自分は、深く深く堕ちていく

――あまりにもうらやましくて、

――殺した

――あこがれが強くなりすぎて

――引き裂いたのだ

――数多の国を滅ぼして

――憎悪と悲哀を撒き散らすたびに

――全身が心地よく疼いた

――白い体毛が歓喜に震えた

――そうするたびにこの身体は、より強力に

――より深く奈落へと落ちて行った

――無常の理を信じるのならば

――この無敵の妖と化した自分も

――いずれ敗れる事があるのだろう

――そのときには、誰か名付けよ

――断末魔の叫びからでも

――哀惜の慟哭でもなく

――静かなる言葉で

――誰か、我が名を呼んでくれ

――我が名は……………………







[5049] Fate/zero×spear of beast 16
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2011/04/26 00:15
 金色の英雄王の憤怒は、決して生来の癇性によるものでだけではない。
 バケモノの言葉が、金色の王の急所をしたたかにに衝いていたからだ。
 いかな栄華を誇った王も、常勝不敗を旨とした武将も、最強の称号を欲しいままにした英傑も、この世を統べる無常の理の前には塵芥と等しいものだと。
 永遠を生きることのできる人間など、この世には存在しないのだと。
 この世全ての知恵を集め、魔導の秘術の限りを尽くし、冥府に魂を売ったところで、永遠を叶える人間はこの世にはいない。
 もしもかりに、それを叶えられる存在がいるとしたら、それもうは人間ではありえない。
 それがこの、この世のすべてを我が物と信じて疑わない英雄王であっても。
 人間である限り、永遠であり続けることはできない。
 そのことを理解しているものは、この場には誰も居ない。
 沸きたつ怒りにその身をゆだねている、英雄王本人でさえも。
「目障りな狗めが」
 もはや口を開くのも煩わしいというように、言葉少なく吐き捨てる。
 空間が波紋を広げ、途轍もない数の宝剣と宝槍。目視でその数はざっと五十を超える。それらすべての刀身が、冷たい水のように月光を反射して、主の号令を待っていた。
 どれ一つとして凡将などいない。
 全てが世界に記録された英雄であり、その数だけ忘れられることのない伝説があり、色褪せることのない武勲に彩られている。
 救国の将軍。龍殺しの英傑。乱世の奸雄。暴虐者の首切り刀。深淵の怪物。
 それらの武具が、全てバーサーカーの方向へと向けられて、主人の号令を待っていた。
「……ありえない」
 誰かがうめくように呟いた。
 それは、宝具の数について向けられたつぶやきだろうか。
 それとも、その強力さについてであったろうか。
 瞬きの音さえ、聞こえるほどの静寂。
 不意に王の宣告が夜の闇に下った。
「とく消えよ」
 その冷然とした一言とともに、全ての武器がバーサーカー目掛けて疾走する。
 この現場にいるマスターと、サーヴァントの全てが確信した。この戦いはこの瞬間に決着をみると。
 いかにバーサーカーのスペックが桁外れであっても、この規格外な宝具の物量を前にしては、鏖殺されるのは必定だ。一撃でも直撃を許せば、致命傷を免れることの出来ない魔力に満ちている。
 音速にも昇る宝具の雨。
 爆撃音と魔力の奔流が静寂を粉砕し、倉庫街にいくつものクレーターを作り出して地形を塗り替える。
 アスファルトに隠されていた土砂が、大量に巻き上げられて視界という視界を覆い尽くした。
 いかなるサーヴァントであっても、どんなステータスのサーヴァントであったとしても、この爆撃を全てを避けることなど不可能。
 ゆえにバーサーカーの脱落は、規定事項なはずだったのだ。
 有り得ないことだった。
 驚愕以外の感情を、眺めている誰しもが持たなかった。
 粉塵に遮られた視界の中で、そのバケモノは己へと殺到する死の流星を、その太い腕で弾き飛ばし、刀剣のような爪で打ち返し、猛獣の口で噛み砕き、肉食獣の脚で避けて躱し、必殺のはずの宝具を全て打ち払っていた。
 そればかりか、隙あらばアーチャーの喉笛を噛み千切らんと、猫科の猛獣特有の、前掲の構えを見せて、距離を推し量っている。
 宝具をあたかも無尽蔵のように使う攻め手も、その攻撃を野獣のように弾き返す受け手も、ともに尋常ではない。
 先程のセイバーとランサーの戦法とは全く対照的な、闘争本能と物量の激突である。
 瞬殺を確信していたアーチャーの表情に、憤怒以外のものが、わずかばかり浮かぶ。
 しかし、それは刹那の事。わずかに混入した驚愕の色は、罠にかかった獲物を嘲笑する喜悦に塗りつぶされた。
 あり得ぬことだった。
 バーサーカーの分厚い胸筋から、ぬるりと赤黒い血に濡れた刃が生えていた。
 一本ではない。七本の宝具が、バーサーカーの身体を貫いている。
「……………………………おっ?」
 誰の目からも、明らかな致命傷であると知れる負傷だ。
 バーサーカーの牙の間から鮮紅色の液体が吐き出される。
 一体いかなる魔力を秘めた武具であったろうか。地面に無造作に打ち払われた宝剣のいくつかが、人手によらず宙に浮き、バーサーカーの背後から襲いかかったのだ。
 攻防の均衡がそれで崩れた。
 大量の魔力を帯びた宝具に貫かれたとあっては、もうバーサーカーの脱落は間違いない。
 かかるうえは、捨て身の突貫を用い、せめて相打ちを試みようとするバーサーカーを、アーチャーは汚らわしいものを見るかのように一瞥し、
「消えよ。醜悪なる妖」
 まばゆい閃光とともに、アーチャーの無数の宝具がバーサーカーの特攻を無慈悲に撃ち落とした。
 無数の宝具を雨あられのように浴びせられた大地は、アスファルトをはぎ取られ、地形を変え、あたかも近代の面制圧兵器を手加減抜きに大量使用したような有様だ。
 鼓膜が聞き取れる量を遥かに超えた大音響が、倉庫街に響き渡る。
 大量の宝具によって、大地に縫いとめられたバーサーカーは、魔力が解れ、姿が霊体化し、断末魔の悲鳴とともにその存在が聖杯へとくべられる……………………そのはずであったのだ。いかにこの世の理から外れたサーヴァントであっても、無敵を誇った英霊であったとしても、それが摂理であり、戦場の掟だ。
 よもやまさか、濛々と吹きわたる粉塵の中から、大地に縫いとめられたバーサーカーが、突き刺さった数多の宝剣を無造作に引き抜いて、その朱色の体躯を起こすなど、この眼で見てもそうやすやすと信じられる者はいなかった。
 バーサーカーは健在だった。大量の宝具に千切られた手脚が、ずるりずるりと地面を擦りながら巻き戻されたフィルムのように復元し、鮮血に彩られた長身を気にかけた様子もない。
 今までと異なるのは喜悦に染まった表情だ。爪にこびりついて固まった血を、ピンク色の舌で、ぬらりぬらりと舐めとりながら、狂暴な捕食者の笑みを浮かべている。
「……やるじゃねえか。弱っちい人間のワリには」
 たとえ耐久値が桁外れで、再生能力を持っているサーヴァントであろうとも、あり得ぬ現象だ。
 不死属性の宝具か、保有スキルの効果でなくては。この目の前に起こっている現実は、説明がつかない。
 この世全ての不遜を切り取って形にしたかのようなアーチャーですら、その異様な現象ゆえに初歩的な戦術を見誤った。
 バーサーカーの消滅を確信していたのだろう。
 殺したはずの相手が立ちあがったのならば、戦場では王も匪賊も関係なく、間髪入れずに止めを刺し、再度墓穴に叩きこむのが当然の行動である。
 宝具の投擲による追撃を、バーサーカーが立ちあがってから、丁度、呼吸三つ分中断するという隙を見せてしまった。
 当然その隙を見逃すバケモノではない。
 風さえのけぞり返るような勢いで、疾駆すると一気に間合いを詰めて、金色のアーチャーの喉元を狙う。
 アーチャーは紅蓮に瞳を燃やし、即座に宝具投擲にて迎撃を試みた。
 しかし、バーサーカーは止まらない。バネ仕掛けの人形が跳ね上がるように、森の木々を縫い跳び回る山猫のように、必殺の宝具群をすり抜ける。すり抜けられぬ宝具はそのまま避けずに喰らいながら前進した。逞しい腕が、カモシカのような脚が引き裂かれ、大地に零れ落ちても、このバケモノは停止しない。
 バーサーカーとアーチャーの距離は僅か三間。バーサーカーの脚力ならば、踏み込めば刹那の距離だ。
 当然、様子見などに徹するバケモノではない。
 相手の戦力を推し量る様子もなく、狂乱の戦士が獲物にそうするように、頭から襲い掛かる。
 たとえいかな宝具を投げつけられようと、際限なく続く無限の宝具であろうが、バーサーカーの牙が甲冑ごとアーチャーを噛み砕くのが先を行く間合いだ。
 その様子を見るのが速いか、アーチャーは戦略を変更した。
 アーチャーの手元の空間が揺れる。
 その手には大鎌が握られていた。
 宝具の投擲でバーサーカーの動きを絞り、その手に握った宝具でバーサーカーの首を刈る。これがアーチャーの戦術だった。屈折延命の不死殺し。不死系スキルを無効化する怪異滅殺の蛇狩りの鎌。これで首を落とされれば、いかなる不死身のサーヴァントであっても絶命は免れないだろう。
 急加速して突っ込んだバーサーカーは、自ら首を落とされに来た罪人も同然だ。
 黄金の王の不死殺しの刃が、バーサーカーの首を目掛けて振り下ろされる。
 避けようのないはずのない一撃。たとえそれがサーヴァントであっても。決して避けようのない一撃だ。ただの人間のサーヴァントには。
 一体何度めの驚愕であったことか。そのバーサーカーの首が、絶命の刃を躱しつつ、大蛇のように伸びて敵の顔面を狙うなど一体誰が想像し得ようか?
 双方の罠、異形の戦法。
 時間が凍り、そしてバーサーカーの身体が弾き跳ぶ。
 交錯の雌雄を決したのは全くの偶然だった。
 アーチャーが無意識のうちに放った、巨大な戦鎚がバーサーカーの胸板を打ち抜いたのだ。
 もしかりに、宝剣や宝槍のような質量の小さい宝具であったのなら、どちらかの攻撃が先に致命傷を与えていただろう。
 大地に叩きつけられたバーサーカーを、アーチャーは紅蓮の瞳で一瞥した後、
「なるほど。犬は犬でも山狗か……」
 憎悪だけに支配されていた口調に、わずかながらにその口元に浮かぶ表情が緩む。笑みというよりはもっと別なものに支配された表情だ。
 頭部から一筋の赤い糸が、アーチャーの端麗な美貌を彩る。
 先程のバーサーカーの特攻が、頭部の皮を霞めたのだ。
 金色のサーヴァントの相貌が、今までの殺意とはまた別のものに塗り替えられる。
「そうか……ならば、山狗にふさわしい死にかたをくれてやろう」
 そう玲瓏な声で口にした瞬間、アーチャーの視線が遥か彼方のあらぬ方向へと向けられる。
 鷹の目で見据えるのは深山の住宅地。己がマスターを憤懣やるかたない眼でにらんでいた。
 口の中で、いくつか誰に聞こえるでもない会話を繰り返した後、
「時臣め。これほどの怒りを我に抑えよとは。忠臣面をしていても、案外厚顔の徒であったな」
 そう誰ともなく吐き捨てた。
 瞳には依然と憤怒は燃えていたが、もうこれ以上この場での戦いを続けるつもりがなかったのだろう。
「命拾いしたな、雑種ども。精々喰い合って数を減らしておくがいい」
 文字通り見下しながら言う。
 その言葉とともに、空間に展開された無数の宝具が鳴りをひそめ、音もなく虚空へと消えた。
「……それと山狗。貴様は必ず我が殺す。二度とこの世に迷い出てくることの無いようにな」
 そう言い放つと街灯の上の踵を返す。
 鎧の輝きが減じたかと思えば、その姿が周囲を威圧するオーラとともに消失する。
 実体化を解いてマスターのもとに帰還したのだろう。後には、闇だけが音もなく残っていた。




 セイバーは、凛とした表情とは裏腹に戦慄していた。
 バーサーカーとアーチャー二人の、常の法を超えた激突にである。
 聖杯戦争を勝ち進めば、いずれ間違いなくぶつかる相手だ。
 宝具を湯水のように使い捨てる金色の王も、異形の戦法を見せたバーサーカーも、つい先ほどまで相対していた槍兵も、悠然と佇む征服王も、安易な敵は誰一人としていない。
 己が腕にある最強の聖剣が使えるならば、遅れを取るつもりなど僅かばかりもない。
 しかし、それはランサーとの戦いで左指の傷を負う前の話だ。宝具を使えないというハンデは、あの怪物たちを前にしてはあまりにも大きすぎる。
 アーチャーに天空から地面へと撃ち落とされたバーサーカーが、音もなくむくりと起き上がる。並のサーヴァントならば致命傷になるはずの一撃をまともに食らっておきながら、何事もなかったかのように。全身の体毛は自身から出た血液と埃で汚れきっていたが、当の本人は、何の痛痒もなかったかのようにかつて標的のいた場所を、射るような眼光でにらみつけていた。
 それからなにかに気がついたように、周囲をブンブンと見渡すと、なにやら倉庫街の隅に打ち捨てられているボロ布をぶらんと持ち上げる。よく見ると、宝具射出の巻き添えを食らって吹き跳び、気絶している自分のマスターのようだ。マスターとサーヴァントは似たものが召喚されるというが、豪気なサーヴァントの割にはどうにも釣り合いがとれていない。
 残された四頭の猛獣の中で、静寂を破ったのはランサーだった・
「……名残惜しいが、我が主からの命令だ。今夜はここで引かせてもらう」
 この英霊の外見には似合わない、苦渋に満ちた声色だった。
 真意を測りかねるセイバーに、槍の英霊は続ける。
「我が誇りに掛けて、貴様を討ち果たすのはこのディルムッドだ。今宵はこれまでだが、ゆめどこの誰とも判らぬ者にその首くれてやるなよ」
 気の遠くなるほどの美貌のくせに、生真面目極まりない表情でセイバーを見据える。
 その言葉と態度があまりにも抜き身でありながら、騎士の誇りに満ちたものであったので、剣の英霊の口にも笑みがこぼれる。
「ええ、結着はいずれまた……」
 その言葉を聴くが早いか槍兵も実体化を解き姿を消した。
 潮の風と夜を照らす星の光。
 全く気持ちの良い敵であった。
かつて、多くの合戦を駆け抜けた剣の英霊は知っていた。
 良い敵と言うのは、優秀な味方以上に得難いものであるということを。
 そう考えると、残った二人に対する視線は必然的に冷やかなものになる。くるりと残された二人を振り返ると、とてつもなく手厳しい声を向ける。
「結局、貴公らはなにをしに出てきたのだ? 再度、我らの決着を邪魔立てしたら、そのときは貴公らとの結着から先につける。なんならば、今この場でも構わぬぞ」
 その糾弾に征服王は首を鳴らしながら、
「よせよせ、そう気張るでない。その方らは、余を相手にするには消耗しすぎておる。余は勝利を盗み取るような真似はせぬ。セイバーよ、まず貴様はランサーとの因縁を清算しておけ。では、さらば!!」
 そう言うが早いか、ライダーは轅を返し、雷を撒き散らしながら走り去っていった。
 雷の音が遠くなっていくのを確認してから、セイバーは残った一体に向き直る。
「貴公はどうする? この場で私と結着をつけるか?」
 本心を言えば、このバーサーカーと戦うのは望ましくはない。あのアーチャーの宝具群を前に一歩も引かず渡り合ったこの英霊を過小評価するほど、セイバーは愚かではない。
 しかし、それはバーサーカーが無傷であった場合だ。アーチャーの宝具投擲をその身に喰らっておきながら、何の消耗もないはずがない。もしもそんな不条理が存在するというのならば、それこそ化物だ。決してセイバーが一方的に不利なわけではない。バーサーカーでありながら理性を失っていないこの英霊ならば、今自分と戦って負傷するよりも、出直した方がお互いに良いと計算するだろう。もし、ここで二人が咬み合ったところで他のサーヴァントに利するだけだということは判り切っている。
 案の定、小さな舌打ちが聞こえたかと思うと、バーサーカーの身体が綿毛のように宙に浮かんだ。
 恐らくは本拠地へと帰還するのだろう。
 意識のないマスターを脇に抱え、南西の方角へとゆっくりと飛んで行った。
 後にはセイバーとアイリスフィール、波の音だけが残されていた。






 ステータスが更新されました。

CLASS       バーサーカー
マスター       間桐雁夜
真名          ??
性別          不明
属性        混沌・中庸

筋力B+  耐久A++  敏捷A++  魔力B  幸運B  宝具??



クラス別能力

狂化:E-
筋力をごくわずかに上昇させる。しかし、代償として記憶の一部を消失している。




保有スキル

対魔力:E-
極めて弱い抗魔力。おまじない程度の呪いならば防ぐことが可能。

諱の隠蔽:-
真名を隠蔽し、看破されにくくなるスキル。しかし、真名を隠蔽してからの方が有名な英傑の場合、意味はない。

妖怪変化:A+
妖怪が使用可能な透過、飛行、変化、憑依等の能力をBランクで常時使用可能。しかし、ペナルティとして、破邪・聖属性の武器や魔術、結界に対して二〇〇%の追加ダメージを負う。

不死:A
死という概念に対する耐性。しかし、破邪・聖属性の武器や魔術、埋葬儀式に対しては適応されにくい。高ランクになればなるほど、致命傷を受けても死ににくくなる。また、死亡したとしても、節理として長い時間をかけて蘇生することもある。

悠久の知恵:D
極めて長い期間生きたとされる英雄に、ごく稀に発言するスキル。生前獲得した知恵や知識、技術を、“思い出す”ことによって使用可能。狂化スキルの影響で、ランクダウンしている。




追記 というわけで遅くなって申し訳ございませんでした。ロリ白面の番外編の続きが早く出来てしまいそうな感じで……。全く申し訳ないです。誤字訂正しました。



[5049] 遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです2
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2011/05/21 17:43
遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです2(無謀にも続編を書いてしまった)








 なにやら虫の居所が悪い。

 覚醒する前のぼんやりとした意識の中、それだけが判った。

 温かな泥に包まれたまどろみの中、少しずつ覚醒していく感覚。

 なにが不機嫌の原因なのかを、活性化していない脳細胞で思考していくたびに、あのおかしな夢に思い当たる。

「……一体何なのよ」

 そう言葉にならない声を口の中で呟いた。

 最低の夢だった。

 自分が邪悪の権化として、この世を地獄に変えようと全精力を傾けている夢など、気持ちが悪いだけだ。

 口にするのもおぞましい、気色の悪い蛮行の数々が、ゆっくりと頭の中で反芻される。その夢の中で、自分は王を狂わせ、妊婦の胎を引き裂いて、国々を滅ぼした。

 そして、なにより気味が悪いのは、その行為に耽っていた自分が、心の奥底では楽しんでいなかったことだ。もしも仮に、殺戮を、惨殺を、暴虐を、喜悦の下に行っていたというのならば、共感はできなくても理解はできる。

 吐き気はするが、そういった人種がいることは知識として知ってはいる。

 しかし、自分の根底にあったのは喜びでも娯楽でもない。もっと別の、快感や悦楽とは無縁のものだ。

 玩具を持っている子供を、持っていない子供が見つめるときのような、そんな感情を夢の中でずっと味わっていたのだ。

 そんな渇望を抱いたまま、信じられないほど長い夢を見ていた。

 心底楽しんでいたのなら解る。楽しんでやったのならば理解できるのだ。

 楽しくもないのに、そんなことをする人間の感情など理解できるわけがない。

 面白くない夢を見続けた朝。

 夢での人格など、結局のところ自分ではない。重ね合わせるのは愚かなことだ。自分と重ね合わせたところで、なんの意味もない。

 下らないことを考え続けていたせいで、いつのまにか眠りから覚めてしまったようだ。

 なんだか倦怠感が全身を包んでいる。

 もぞもぞと大きな芋虫が腰や胸のあたりを這いまわっているかのような錯覚を覚えた。いや、錯覚ではない。間違いなく何かがべたべたと、寝間着の腰のあたりにへばり付いている。

 嫌な予感がして、体温と同じ温度になった毛布を引っぺがす。

 背筋がちりちりとする。

 抱きつかれていた。それもがっちりと。

 見覚えがある。幼いながらも整った顔立ち。頭からちょこんと伸びた狐耳と、お尻の辺りから生えた尻尾。

 見間違えるはずなどない。昨日、自分が召喚したサーヴァントだ。

 そのサーヴァントが、自分に抱きついて、胸のあたりに顔をうずめていた。

“なにやってんのよ、あんたはっ!?”

 そう怒鳴ったあと、しがみついている幼女サーヴァントを引っぺがし、べちんと地面にたたきつけてやろうと思ったが、あまりにも幸せそうな顔をしていたので、毒気を抜かれてしまった。

 なんというか、こんな顔をしている小学校低学年ぐらいの年齢の少女を、力任せに張り倒せる人間はいない。

 しかも、このサーヴァントは、あろうことか「……うみゅう……主よ……心配するでないぞ。我は……最強じゃ。主は……我が……まもるのじゃ」などと寝言を垂れ流しているのだ。

 このサーヴァントが目覚めたら、「勝手に布団の中に潜り込むんじゃない」とか「魔力の無駄だから、必要のないときは霊体化してなさい」と、色々と小言を言ってやろうと心に誓いつつ、今だけはもう少し抱きつかせてやっていてもいいかもしれない。

 いかに英霊とはいえ外見は口を開かなければ、その辺の少女とまるで大差ない。

 しかし、何時になったらこのサーヴァントは目を覚ますのだろうか? 悪い気はしないが、ずっと抱きつかれているわけにも……と思考した瞬間、しがみついていたサーヴァントがややこしいところに頬擦りしてきた。

――な、なにしてんのよ、アンタ?

 そう叫び出しそうになったのをなんとか堪えた。

 まるで、子供が母親に甘えるような仕草で、そっと顔を胸に押しつけてくる。

 安心しきった寝顔だ。

 自分にもこういった時期があったのだろうか?

 もう、一〇年以上も前の事だ。とても思い出せない。

 眠ったふりをして、もう少しこのままでいるのもいいかもしれない。

 このサーヴァントが起きたときに、この可愛らしい寝言をネタにして、からかってやるのも面白いだろう。

 そうして、このサーヴァントのうわ言を、一字一句聞き逃すまいと耳を澄ます。

「ふにゃぁ……主は……ペタンコじゃ……ぬりかべじゃ……聖杯に……胸を大きくしてもらうと良いぞ……」

 なにかが霧散した。

 それはもう盛大に。

 その後も、

「我の乳も……分けてあげたくなるほどの……貧乳じゃ……タコヤキじゃ……まな板じゃ……扁平じゃ……洗濯板じゃ……哀乳じゃ……つるぺたさんじゃ……肋骨がゴリゴリと音を立てておる」

 とかなんとか言っていたような気がするが、凛の耳には届いていなかった。

 なんというか、やるべきことはいろいろある。聖杯戦争は始まっているのだ。こんな風にのんびりとしている暇はない。ダラダラと眠るのは、それこそ死んでからでもできる。サーヴァントの寝顔を覗いていても、良いことなどなにもない。

 さあ、やるべきことをしよう。

――とりあえず……

 最初にすべきこととして、凛は自分にしがみついて惰眠を貪っているサーヴァントを、二階の窓から外に放り出した。













「なにをするのじゃっ、主よっ。幼女虐待じゃっ。児童相談所は一体なにをしておるのじゃ」

 軽く済ませた朝食の後も、主を主とも思わないこのサーヴァントは、ぶつぶつと何か言っていた。

 二階から庭へと投げつけられたことが、やはり相当におかんむりであったらしい。

 案の定、アバズレだの、毒婦だの、淫乱だの、自分を召喚した主のことをネチネチと朝から罵倒している。

 こめかみのあたりがヒクヒクと痙攣するが、一言でも言い返したら、このサーヴァントのペースにはまってしまう。そうなったら負けなのだ。

 そんなこちらの思いを知ってか知らずか、

「全く、前代未聞なのじゃ。こんな美少女を、窓から投げ捨てるなどとは。さては主よ、我の美貌に嫉妬しておるな?」

 ぷちん。

 頭の中で音がする。

「あんたがっ!!!!!!!!!! わたしの……その……を、寝言でバカに……するから……」

 怒った。

 ストーブの上で空焚きされたヤカンのごとく怒ったのは良いが、相手に自分の正当性を叩きつけるためには…………その、自分の胸のサイズについてコメントせねばならず……………………結局、尻すぼみになってしまう。

 いや、自分は貧乳ではない。

 確かに大きいか? と問われれば、大きくはないが、小さいか? と言われれば、決してそこまでは小さくはない。適正サイズのはずだ。

 そもそも、あまりにも大きいサイズは下品だと言われた時代もあったのだ。自分は古き良き時代の体現なのだ。誰に恥じることもない。優雅さを切り取って形にしたのが自分の胸囲ではないか?

「いや、主よ。我が寝言でなにを口走ったのかは知らんが、いくら我でも……寝言にまで責任は持てんぞ?」

 あきれ顔でこちらを除いてくる幼女。たしかに自分も寝言にまでは責任は持てない。冷静に考えると、どうやら此方のほうがずっと分が悪いようだ。癪ではあるが別の方向へと話をそらす。

「大体アンタ、なんでわたしのベットに潜り込んでたのよ?」

「うむ。寒いからじゃ。決して一人は寂しいからとか、主に抱きついて驚かせようとか、そんな下らん理由ではないぞ」

 身も蓋もない返答。

「あんた、霊体化してれば、寒いとか熱いとか関係ないでしょうが」

 そもそもである。サーヴァントがなんの必要もなく現界していて、良いことなど何もない。この世界に現界させる分の魔力は、マスタのー持ち出しになるし、むしろデメリットしかないと言ってよい。

「味気ないではないか。主よ。現界せねば、ろくに茶も飲めん。まさか命を掛けて主のために戦うサーヴァントに『茶も飲まず馬車馬のように働け』というほど鬼畜ではあるまい?」

 結局、勝手に他人のベットに潜り込まないようにすること、空き部屋の一つをこのサーヴァントの部屋に割り当てることで手打ちとなった。

 この家は、自分しか住んでいない。一人暮らしにしては大きすぎる屋敷だ。

 大師父の書斎に父の部屋や、母の部屋、あの娘の使っていた部屋以外にも、空き部屋はいくつもある。そのうちの一つを、この生意気なサーヴァントの部屋として割り振ったのだ。

「うむ、殺風景じゃが、改造のし甲斐のある部屋じゃなっ!!」

 と喜んでいた。

 何か改造とか聞こえたが、きっと気のせいだ。改装の間違いだろう。

 そして、この下僕の淹れた紅茶を飲みながら、今後の方針をきっぱりと口にした。

「ほう、主は今日から学び舎に行くのか?」

「ええ、そうよ。何か問題があるかしら?」

 何か問題があるかどころの話ではない。真っ当なサーヴァントなら必ず一言あるはずだ。

 学校という場所は不意の襲撃には極めて備えにくい場所だ。主の身を守ることを最優先に考えるサーヴァントならば間違いなく、不特定多数の人間が出入りする場所に主が行くことを嫌うだろう。そして、もっと厄介なのは人質の存在だ。魔術師にとっては、一般生徒を盾にすることには何の抵抗もないだろうし、操って傀儡や手駒にする方法はいくつもある。魔術を秘匿しながらならば、そのような手段に訴えてくる敵と言うのは十分考えられることだ。

 しかし、この下僕にとってはそんなことは大した問題ではなかったようで、

「てっきり、主のことを、現在流行りの不登校ではないかと思っておったのだが、ちゃんと学び舎に通う程度の勤勉さを持ち合わせておったとは、下僕としては鼻が高い。きちっと勉強して立派な大人になるのじゃぞ!!」

 などと腕組みしながら偉ッそうにうなずいている。

 一体何様だ、お前は。

――というか、あんたはわたしの母親か?

「……当然、貴方にもついて来てもらうわよ。学校に限らず、外に出るときには必ず側についてきてもらうからね。貴方の役割はわたしを守ることなんだから」

 と念押ししておく。

「うむ、心得たぞ。しかし、主よ。仮に学び舎に敵がいたらどうするのじゃ? 教師や生徒に敵がいないとは言い切れんであろう?」

 などと、痛いところを突いてくる。しかし、だ。それはありえない話だ。

「大丈夫よ。この街には魔術師の家系はわたしのところを除くと残りは一つで、そのあと一つの家系も落ちぶれててマスターにはなってなかったし」

「マスターになっていないと確認を取ったのか? まさか……主よ。うん、やっぱり主はアバズレじゃ」

 一体どこを、どう考えたら、そう言う結論に達する?

「いや、確認する方法など……。裸に引ん剥いて、令呪の有無を確認するしかあるまい? 年頃の娘のくせに……全校生徒にそんなことをするなど、主はスケベじゃ、どスケベじゃ」

 こいつは、この遠坂凛と言う人間をなんだと思っているんだ?

「……黙りなさい、あんた。魔術師なら、他の魔術師には敏感なのよ。居たら間違いなく気がつくわよ。うちの学校にいるのはわたしの他は、マスターになる実力のない魔術師見習いってだけ。単なる消去法よ」

「ほう、そうかそうか。それならば、学び舎にいるときは安全と言うことじゃな」

「そうね。まあ、絶対に安全とまでは言い切れないけれど、そこまでは危険地帯のはずがないわ」

「ならば、学び舎にいる間も我のビューティフルかつエレガントな名前を考えることが出来る訳じゃな。側で監視しておるから、じっくりと励むがよいぞっ」

――あんたの頭の中はそればっかりか?

 そう心の中で反論しつつ、凛は登校する準備を始めた。












 視線が痛い。

「他には魔術師がおらんと言っておったの?」

 背後からの視線がとても痛い。霊体化して背後霊のごとく背中に張り付いているサーヴァントのものだ。

「“居たら間違いなく気付く”とか自信たっぷりであったの?」

 反論のしようがない。まさかこんなことがあるとは、想像だにしなかった。

 正門をくぐった瞬間に、ちょっとでも霊感のある人間なら感じてしまうほどの違和感。

 つい三十分前の自信たっぷりな発言は、あっさりと裏切られた。

「仕方ないじゃない。まさか本当に、こんなことをする魔術師がいるなんて普通想像しないわよ。それにしても、これ……もう結界が張られてない?」

「まあ、下準備と言った所じゃな。範囲はこの学校全体じゃ。効果はまだはっきりとはわからんが、ロクでもないシロモノであることは間違いないの。発動したら、恐らく範囲内の人間の命は無かろうな」

 教室へと入っていく人波の中、二人だけが静止している。

 事の重大さを理解しているのは、恐らく自分を除けばこのアーチャーとして召喚された、このサーヴァントだけだろう。

「ここまで派手にやるってことは、余程の大物の魔術師か……」

「ただのバカな素人じゃの。一流の術者なら、発動するまで隠しておくのが常道じゃ。こんな風にすぐにばれる結界を張ってしまっては、あっさり対策を立てられてしまうではないか」

 …………美味しいセリフを盗られた。しかし的確な指摘であるので、黙って聞いているしかない。

「それで、主はどちらだと思うのじゃ?」

「さあ、一流だろうが三流だろうが知ったことじゃないわ」

 一旦言葉を切り、それから決意を込めて口から吐き出す。

「わたしのテリトリーでこんなふざけた下種な真似してくれた奴なんて、問答無用でぶっ飛ばすだけよ」

 ふん、と鼻を鳴らし、吐き捨てるように呟いた。我ながら青臭いことだとは思うが。

「まあ、我にかかればこの程度の結界なら、破れんことはないがの」

 その言葉に反応して、背後からサーヴァントが聞き捨てならないことを言った。

「本当にっ!?」

 思わず大声を出してしまう。

 周囲の生徒が此方を驚きのまなざしで凝視している。学園きっての優等生が急に叫び出したのだ。驚いて当然だろう。しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「結界って言っても種類や効果は千差万別よ? ここまで大規模な結界を本当に破れるの?」

 解っていることは、結界の規模が学園全体の大規模。標的は無差別。発動したら、その中の人間の生命活動は圧迫されるということぐらいだ。

 そんな不安を、打ち消すかのようにサーヴァントは自信満々に答える。

「今は無理じゃが、そうじゃのう。放課後の人の少ない時間にならば、あっさりと破ってやっても良いぞ」

 その声が、あまりにも当然と言った口調であるので逆に驚いた。

 結界と言うのは術師を守るために張られることがほとんどだ。必然的に、魔術師の技術の粋が集められることになる。

 いかなサーヴァントであってもそう簡単に破るなどと断定できるものではないはずなのだ。

「我を誰だと思っておるのじゃ。我に破れぬ結界なんぞ、頼もしいことに、この世界では一つか二つじゃぞ」

「自分を誰だと思ってるって、あんた自分の真名を隠してるんでしょうが」

 そう指摘しても、声の主は何一つ痛痒を感じた様子もなく、満ちている自信を隠そうともしない。

「まあ、放課後を楽しみにしておるがよいぞ。結界破りは我の得意中の得意じゃ。この程度の結界を破るなど、赤子の手をひねるよりも容易いことじゃ。だから主よ、そんなに不安がらず、放課後までは我の名前を考えておるが良い。サボるでないぞ、主の鞄の中に資料を色々と入れておいたからの」

 はっきりと理解した。このサーヴァントの名前に対する執心のほうが、この結界なんかよりもずっと怖い。














「……まいったな。これ、わたしの手には負えない」

 放課後、校内に張り巡らされた結界を詳細に調査した結論だった。

 校舎の各ポイントに、結界の基点は存在した。そこにある魔力を打ち消すことは可能だ。しかし、打ち消したところで、この結界を張った人間がまた魔力を通せば元通りになる。

 尋常な結界ではない。

「――これで七つ目か。とりあえずここが基点みたいね」

 屋上の入口の壁には、赤紫の刻印が堂々と描かれていた。八角の刻印であり、使用されている文字は見たことすらなく、いかなる方法で刻まれたのかはそれこそ見当もつかない。

 しかし、効果だけは解った。

 結界内の人間の体を溶解させ、分離した魂を抽出する魂食いだ。

 魂などを集めたところで、使い道など限られてくる。少なくとも魔術師には使い難いエネルギー源だ。

――思いつくのは、

 つい反射的に後ろを振り返ってしまう。

「我には不要じゃ。人間の魂なんぞ。そんなもの喰わずとも十分我は強いからの」

 どうやら言わんとすることを察したらしい。

 この結界は、サーヴァントを強化するために魂を無差別に収集するものだ。

 しかし、この結界は尋常な結界ではない。効果は解るが、一体いかなる術式なのか……。少なくとも、ここ最近の魔術師が使う方式の結界ではない。千年以上前の術式の可能性もある。

 一体どのようにして、この刻印が描かれたのかが解らない以上、完全に無力化するのはほぼ不可能。爆弾の構造が解らない素人が、ドライバー片手に時限爆弾を分解しようとするようなものだ。

 しかし、今朝のサーヴァントの言を信じるならば、彼女にはこの結界を破る算段がもうすでにあるらしい。

「貴方、これを本当に破れるの? この結界がどうやって創られたかの見当もついてる?」

 声には残念ながら疑いの響きが混じってしまう。それほどに、この結界を破る方法と言うのがこの自分には思いつかなかったのだ。

「いや、どう創られたのかはまるで判らん。せいぜい見てとれるのは――大陸はの神代のもの――であることぐらいかの」

「だったら、どうやって、貴方この結界を破るつもりだったのよ?」

 その非難に満ちた質問を、このアーチャーはにんまりと邪悪な笑みを浮かべて、

「結界破りなんぞ簡単じゃ。まあ見ておれ」

 そう言うが早いかアーチャーは呪印の前に立ち、月光に青白く濡れた尻尾を、二度、三度と振り回す。

――そのたびに、なにやら途方もない魔力が大気に溶けて

 唐突に、このサーヴァントがなにをしようとしているのかを理解した。

 冗談じゃない。

 やめろ、こら。

 ふざけるな。

 なんとか無理矢理止めようとしたが、もう遅い。

 かくなるうえは、強引に魔力を耳に集め、なんとか鼓膜を強化する。

 それだけでは足りない。両耳に手を当てて、聴覚を来るであろう衝撃から保護する。

――その瞬間、来た。

 明らかに人間の鼓膜が、聴覚細胞が受け止めきれる以上の負荷が来た。

 それが、外耳から中耳、内耳を通じて、聴覚細胞を侵す。

 いや、聴覚だけではない。大気の振動を皮膚が、肉が、骨が、全て受け止める。

 まるで空気が圧力を持って身体を絞ったかのような錯覚。金属が震えるような不快な残響が、頭の中を駆け回って……。

「どうじゃ!! 跡形もなく消え去ったであろう!! 後はこれを全ての基点で繰り返すだけじゃ!!」

 自慢げなサーヴァントの言葉の通り、たしかに呪印は跡形もなく消え去っていた。

 屋上への入口ごと。文字通り……跡形もなく。瓦礫や小石さえも残っていない。

 残っているのは、建物が焦げたような異臭だけ。

 空間ごと抉り取ったかのような、見事な一撃だった。

「どうじゃ、すごいであろうっ!! さあ、頭を撫でて思いきり誉めるがよい!!」

 確かに凄い。ここまでとは思っていなかった。

 このサーヴァントを見くびっていたようだ。

 パタパタと尻尾を振っているこちらに笑顔を振りまいているサーヴァントに、にっこりとほほ笑み返すと、靴を脱いで思いっきり頭に叩きつけてやる。

「ぷぎゃっ、なにをするんじゃっ!! ここは『良くやった』と我を神のごとく崇め奉るところではないかっ!?」

「やかましいわよっ、この大馬鹿サーヴァントっ!!」

 ここまで馬鹿だとは想像できる次元を超えていた。

 一発では足りない。全然足りない。

 二発、三発と、脱いだ靴でアーチャーをべちべちとぶっ叩く。

「痛いっ。やめるのじゃっ!! 暴力反対じゃっ!! 幼女虐待反対じゃっ!!」

「うるさい、バカっ。この、このっ。こんなバカでっかい音たてて……。そんな結界の破り方したら、この学校が穴だらけになっちゃうでしょうがっ?」

 まだ足りない。全然足りない。

「あんたっ、目立つことはするなってあれほど言ったでしょうが。あの性格ドクサレ神父に隠蔽工作を頼まなきゃいけないじゃないっ。しかも、こんなにバカみたいな音を立てて。いい? 魔術師って言うのはね、隠密行動が大原則なの。魔術を使ってるところを見られちゃいけないのっ。一般人にわたしたちが魔術を使ってるところを見られたら……」

 そこで言葉を切る。

 アーチャーが射るような瞳をこちらに向けていたのだ。

「……見られたらどうするのじゃ。消すのか?」

 周囲の気温が急激に下がったかのような錯覚に陥る。喉の奥がひりひりと乾く。

「どうするのじゃ?」

 その声は確認するように静かでありながら、有無を言わせぬ響きにあふれていた。

「……別に。そこまではしないわよ。記憶を消して家に帰すわ。他の連中はどうするか知らないけれどね」

 魔術師には善も悪もない。そう、それは基本中の基本。初歩の初歩だ。

 目撃者を消すのは魔術師のルール。

 しかし、無用の犠牲を肯定するほど腐ってはいない。

 その目撃者を、どう消すのかは見つかった魔術師の裁量だ。命を盗ろうが、記憶を改編しようが、それは魔術を目撃された間抜けがどう責任をとるのかという話だ。

 目撃者の心臓を抉ろうが、脳の中枢の情報を弄ろうが、魔術の隠蔽と言う点においては差などない。魔術師にとっては両方とも同じ意味しかない。

 ならば、どちらを選ぶかは、遠坂凛という人間に委ねられるはずだ。

 我ながら、心の贅肉だが、これを譲ってしまっては自分が自分ではなくなる。

 そんな青臭いセリフを素面で吐いてしまったマスターを、アーチャーは覗き込むと、

「そうか、それならばなんの問題はないのじゃ」

 けたけたと声を立てて笑いだした。

 なにやら腹立たしい。

 自分が笑われているのは間違いない。

 被害妄想だとは判っているが、“お前は甘ったれの魔術師失格だ”とでも言われたかのような、そんな印象を受けてしまう。

「ところで主よ」

「なによっ!!」

 八つ当たりではあることは、百も承知だがサーヴァントに苛立ちをぶつける。

「死にたくなくば、我の側を離れるでないぞ」

「――え?」

 問いただす閑もなく、唐突にアーチャーは凛の手を掴むと、己が尻尾に魔力を漲らせた。その体毛の全てが、白銀の針へと形を変える。
直後、そのうちの数本が音速にも昇る流星となって給水塔へと突き刺さった。

「なんだよ。気付いてたのかよ」

 一〇メートルほどの上空。給水塔の上から良く通る男の声が響き渡る。

 給水塔の縁に、腰かけた男のものだ。月の光を跳ね返す、群青の鎧。

 美系と言って差し支えない相貌だが、その表情に浮かぶのは獣のような捕食者の笑み。

「これは、お主の仕業かの?」

 アーチャーが剣針の塊と化した尻尾で、かつて結界の呪印のあった場所を指し示しながら問う。

「いいや。そういう回りくどいことをやるのは趣味じゃねえ。オレ達はただ命じられたまま戦うのみ。だろう、そこのお嬢ちゃん」

 給水塔の縁に腰掛けながら、軽口を叩いている。しかし問題なのはそこではない。

 群青の男から発される、人間では持ち得ないほどの魔力と獣臭に満ちた殺気。

 間違いない。同類だ。

「……サーヴァント」

「そうとも。で、それが判るお嬢ちゃんたちは、オレの敵ってコトでいいのかな?」

 胃が痛む。吐き気もする。背中に氷を突っ込まれたような寒気。

 直感が告げていた。間違いない。この男は自分達を殺しにこの場にいるのだ。

 淡々とした口調とは裏腹の、抜き身の殺意。十数年の人生の中で、自分を殺しに来た人間を見るのは、初めての経験だ。いや、自分を殺しに来る人間と会話するという経験など、体験する人の方が珍しいだろう。

 身構える。戦うための構えではない。背中を見せず、後ろに跳ぶための構えだ。この屋上という逃げ場のない地点で、この男と正対しているのは「殺してくれ」と言っているに等しい。

「……ほう。なかなかわきまえてるじゃねえか。ど素人かと思ってたら、きっちり要点は押さえてやがる」

 そうつぶやいて男は立ち上がり、手を無造作に振る。

 なにも手にしていなかったその腕の中に、真紅の長物が握られていた。

 煮えたぎる溶岩のように、燃えたぎる魔力に彩られた呪いの魔槍。

 その瞬間、跳ぶよりも速く、思いきり腕を引かれた。

 抗議の声を上げるよりも早く、身体が宙に浮いた。

 自分の身体が、綿毛のように空を舞う。

「――ちょっ」

 声を出したのと同時に、一秒前までいた空間を赤い光がなぎ払った。

「はっ、やるじゃねえか」

 信じられない。信じられるわけがない。

 いかにサーヴァントがこの世の理を超えた存在であったとしても、十メートルの距離を一瞬で詰めるなど……。

 しかし、相手が神速を持って襲い掛かるというのならば、此方はそうと知った上で対策を立てるまで……

「Es ist gro……ふぎゃっ、なにすん……ぎぇふっ」

 左腕の魔術刻印を励起させ、魔術を組み上げようとした瞬間、腰に小さな手が回されて、抱えあげられる。いわゆるお姫様抱っこだ。

「ここは少々場所が悪い。主を守るには不向きじゃ。逃げるぞ。あと口を動かしておると、舌を噛むぞ」

――あと二秒ほど早く言え。

 そう抗議したかったが、そんな暇もなく。抱えられた身体は加速し、フェンスを越え、重力に引かれて地上に落下した。

 衝撃。お尻のあたりにとんでもない負荷がかかる。

 痛い。それはもう。

 ある程度は着地の際の衝撃をアーチャーが吸収してくれたのだろう。そうでなければ地上五階からの落下だ。命はない。

 しかしそれでも痛いものは痛い。

「はやっ!? ちょっと、貴方。降ろして、自分で走れ……ぎゃじぇ」

 また舌を噛んでしまった……。

 屋上から校庭までおよそ五秒フラット。距離にして一五〇メートル。

 それもヒトを一人抱えながら。金メダルを三つ四つ貰える偉業だ。

 というか、幼女にお姫様抱っこされて、全力ダッシュされたなど、目撃されたら生きていけない。とりあえず凛は、誰かいないか周囲を確認する。もし、誰かに一部始終を見られていたら、そいつの記憶を消さなくてはいけない。それはもう、念入りに。ついでに思いきりぶん殴ってやろう。

「――鬼ごっこは終わりかい。お嬢ちゃんがた?」

 背後から声がする。

「ええ、終わりよ。ここで相手をしてあげる」

「主よ。そういうセリフは我から降りてからいうべきではないかの?」

――うるさい。黙ってろ。

 急に気恥ずかしさが襲い掛かってくる。

「さてと、ここでなら文句は無かろうな。ランサーよ」

「なんでランサーだって解った? って、聞くだけ野暮か。如何にもその通りだ」

 そんな魔力の塊みたいな槍を持っていて、むしろランサーでない方が驚きだ。

「そう言うお嬢ちゃんは、セイバー……って感じじゃねえな。まともに一騎打ちするようなタイプじゃねえ。何者だ?」

「うむ。キャスターじゃ」

――嘘をつくな。アーチャー。

 と心の中で突っ込みつつ、凛は出来る限り感情を表情に出さないようにする。

 このサーヴァントの大陸風の黒い衣装と幼い風貌。キャスターに見えないこともない。

 確かに、相手がアーチャーのクラスを勘違いしてくれるのならば、それに越したことはない。

 聖杯戦争は情報戦でもある。相手のサーヴァントの正体やクラスを知っていれば、その分対策が立てられる。自分の召喚されたクラスを偽るという行為は、ある意味で定石と言えた。

 群青の槍兵の殺意に満ちた表情に、初めて別の感情が混ざる。なんとも言い難い苦笑のような困った顔だ。

「……いや、お嬢ちゃん。それは無しだぜ。他の奴には通じたかもしれねえが、キャスターの奴と、直接やり合ったことのあるオレには意味がねえ。その年齢でなかなかの女狐っぷりだが、運が悪かったな」

「そうか? ならば、我はバーサーカーじゃ」

 姦計を見抜かれて悪びれるどころかさらに正体を偽る辺り、自分で召喚しておいてなんだが、やはりこのアーチャーは只者ではない。

「いや、お前。理性失ってねえじゃねえか……」

 ぬけぬけとしたアーチャーの態度に、腹を立てるどころか、なにやら感じるものがあったらしい。失笑とともに、殺意が掻き消えて涼やかな表情になる。
夏から秋にかけて、海から吹く熱気と温かさを含んだ柔らかな風のような顔だ。

 凛々しい瞳と眉に精悍な相貌。口元に浮かぶ柔らかな表情。どのような美形でも真似できない、観る者を安らがせる微笑み。

 しかし、それも一瞬のこと。

 すぐに戦場の顔へと切り替わる。

「ところでよ。その、なんだ? いつまでご主人様を抱えてるんだ、オマエ? さっさと降ろしてやれよ。これでも女への礼は弁えてるからな、それぐらいは待ってやる」

 その通りだ。さっさと降ろせ。

 とりあえず、戦いにくいとか邪魔だとかいう以前に恥ずかしいことこの上ない。

「そうか? ならばその言葉に甘えるとしようかの」

 そう言うと、アーチャーはマスターを地面に降ろし、相手のサーヴァントに向き直る。

 自分とランサーの対角線に割って入ったのだと凛が気付いたとき、アーチャーはくるりと振り向いて、

「ところで主よ」

「なによ?」

「もう戦ってもよいかの?」

 戦場とは思えないほど平然とした声。それはつまり自信の裏返しに他ならない。

「――ええ、貴方の力見せて頂戴」

 その凛の言葉がきっかけとなった。

 アーチャーの尻尾に魔力が漲り、闇の中、白銀の光が奔り衝撃音が響く。

 魔力によって針剣へと変化した体毛が、疾風のようにランサーへと向かい、ひとつ残らずたたき落とされたのだ。

 それらは狙いなどなく、ただ投げ付けられただけのものだ。しかし、数が違う。

 目視できるほどの速度ではなく、避けきれるほどの数ではない。

 それを全て槍で全て叩き落とすなど、尋常な腕前ではない。

 ランサーは今の攻防で、このサーヴァントを飛び道具に特化した英霊だと辺りを付けたらしい。

「なるほど、アーチャーか。お嬢ちゃんにしては良い腕だ。でもな」

「ほう――――?」

 異様な光景だった。

 とてもではないが信じられるものではなかった。

 まるでアーチャーの攻撃が、当たることを避けているかのようさえ感じられた。

 アーチャーの声に驚きが混じる。

 明らかにおかしい。闇の中、身を躱す隙間もないほどの飛得物の攻撃。視認さえ困難な連撃を如何にランサーが敏捷に特化した英霊とはいえ、一撃も当たらないはずがない。

 その疑問にはランサー自身が答えた。

「俺にそれは上手くないぜ。生まれつきでな。眼に見えている相手からの飛び道具なんざ通じねえんだよ。よっぽどのモノじゃない限りはな」

「どうやらそのようじゃ。ならば、これはどうじゃ?」

 やおらアーチャーの攻撃が、あらぬ方向へと向けられた。ランサーではなく空へ。

 凛には判らないアーチャーの意図を、敵対するランサーだけは正確に汲み取った。

「即興の策としちゃ悪くないが、それも無駄だな」

 そう呟くとランサーは持ち前の敏捷さを活かし、敵の懐へと潜り込む。

 槍と言う長物ゆえの振りの大きささえ、この英霊の技量にとっては、些細なことであったらしい。

 槍ゆえの振りの隙が存在しない、小さくそれでいて鋭い神速の連突。高速の刺殺は必殺にして、連続でアーチャーの針剣をことごとく撃ち落とす。

 あと一息で真紅の槍がアーチャーの喉元に届く間合いとなったとき、少女は妖艶な笑みを浮かべた。罠にかかった猛獣をあざ笑う、罠師の微笑だ。

 頭上より落下する無数の針剣。風切り声を立てて、篠突く雨の如く空から襲い掛かる。

 狙いも密度もでたらめな、感に任せた空からの奇襲。そしてそれゆえに予測不能な攻撃だ。

 頭上から降り注ぐ刃を躱そうとすれば、正面のアーチャーの攻撃に無防備な姿をさらすことになる。

「――――」

 いかなサーヴァントと言えど、無傷で済むことはありえまい。ただのサーヴァントには。

 あり得ぬことだった。真紅の槍によって弾かれた針剣が、頭上から降り注ぐランサーに当たるはずの刃を弾き飛ばした。

 偶然なわけがない。狙ってやっているのだ。

 身体能力だけではない。このランサーは、技巧さえもこの世の常を超えている。

 空から降ってくる殺意のこもらぬ刃を、いかなる方法で知覚して撃ち落としているのか。

「じゃあな、嬢ちゃん。そういう未来もあるさ」

 上空からの最後の一本を弾き飛ばし、そう軽口を叩くと槍兵は、一息のうちに閃光と見紛うばかりの打突を繰り出す。

 狙いは正中線。額、眉間、顎、喉、心臓、水月、脾臓。全て急所。

 その一撃を、アーチャーは針の塊と化した尻尾でなんとか受けきる。

 弓兵が腰の物を抜き、相手の得物を防いだということは、弓の利点である距離が全て喰われ、白兵戦になったということ。

 ランサーの絶対的優位な距離だ。

「――間抜け」

 そう呟いたのは一体誰であったか。

 その瞬間、アーチャーの尻尾が爆ぜた。

 いや、爆発したというのは正確ではない。

 細かった針剣の尾が、あたかも大蛇のようにうねり、全ての針が伸びて大剣のサイズに変化するなど、誰が予想出来ようか。

 槍兵に襲い掛かったのは剣の壁。烈風のごとく飛び込んだ槍兵は、自ら猛獣の牙に飛び込んだのも同じことだ。

「くぬぅ…………!」

 ランサーは身をよじらせて、跳び退る。

 しかし、無傷ではなかった。両腕はアーチャーの尻尾によって無数の斬撃を受けていた。

 夥しい出血によって、青い鎧が赤黒く染まっている。傷は深い。なんとか皮一枚で繋がっているような有様だ。

 いかに再生能力を備えているサーヴァントとはいえ、無視できないほどの深手。

 その様子を見てアーチャーが笑う。呵々大笑。可笑しくて可笑しくて仕方がないと言った顔だ。

「くく、ふふ、ははっ、ふあははははははははははははははっ、ほほう、アレを躱したか? 流石は槍兵と言ったところじゃな、見事見事。じゃがな、ヌルいのう。ぬるま湯じゃ。こんな手に引っ掛かるとは。まさか、我の懐に入れば勝負ありとでも思っておったか? 最初から全力を出さぬから、要らぬ手傷を負うのじゃ」

「――全力だと?」

 そう混ぜっ返すランサーに、アーチャーは上機嫌で応える。 

「我の姿が可愛らしい美少女だから、ついつい下らぬ手加減をする。男であれば仕方がないがの。それを油断と言うのじゃぞ、槍兵。どんと来るがよいぞ」

――全力。

 サーヴァントの全力とは、一つしかない。

 宝具の使用だ。

 サーヴァントの象徴。最大にして強力無比な伝説の武器。

 神話の、伝説の中にしか存在しない、悪魔殺し、龍殺し、救世の武具たち。それの使用に他ならない。

 サーヴァントの強力さは、この宝具によるところが大きい。つまるところ、宝具の開帳はサーヴァントの最強の一撃だ。

 それを使えとアーチャーは挑発しているのだ。

「惜しいな」

 口から無念そうな声が漏れた。

 深手を負い、追いつめられているのはランサーのはずだ。

 だというのに、ランサーの口から出てくるのはアーチャーを気遣い、そして惜しむ声だった。

 あの人智を超えたふざけた攻防は、本当に全力ではないというのだろうか。

「あと一〇年もすりゃあ、どんな英雄にも劣らねえ良い女が出来上がるだろうに」

 その苦いものを吐き出すような声とともに、空気が凍る。

 大気に満ちていた魔力が集束していく。

 ランサーの持つ真紅の槍に。

 周囲の魔力を喰っているのだ。魔槍が、真の姿を見せるために。

 凍てつくような殺気。今までのモノとは異質な密度でぶつけられる殺意に耐えかねて 堪らず凛は叫んだ。

 アレは不味い。アレだけは不味い。

 あの槍はアーチャーの天敵だ。あのランサーの槍が、真の姿で放たれたらアーチャーは脱落する。

 根拠などない。予感であり直感だ。

「アーチャー!! 避けなさいっ!!」

 凛はその瞬間、自分の失策を悟った。

 にらみ合う両雄は動く切っ掛けを探していたのだ。そして、自分の声が開始の合図になってしまったということを。

――真紅の槍は、より赤く輝き

 狐を狩る猟犬のように猛り狂った。

















 あープロットの半分ぐらいしか終わってないのに、分量が増える。という言い訳でした。



[5049] Fate/zero×spear of beast 17
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2011/07/18 17:57

――花を買った。
――生まれて初めてのことだった。
――別に花でなくてもよかった。
――「女に送るのなら花だ」
――そう、誰かが言っていたから花にしたのだ。
――宝石でも、金貨でも、布でも、敵将の首でもよかった。
――色々と考えたが、花にしたのだ。
――恥を忍んで、いけすかない貴族の一人に相談した。
――その貴族は、自分の言葉を聞くと、阿呆のような顔をして、呼吸することを忘れたかのように笑いだした。
――貴族は、笑い過ぎたあまり涙を流しながら、なんとか「女に送るのなら花だ」といった。
――笑われていたのは自分だ。普段ならば、思いきりぶん殴ってやるところだが、今回ばかりはそんな気分にならない。
――礼を尽した後、市場へと向かった。
――花以外にもいろいろなものを買った。
――市場で花を買うということが、こんなにも恐ろしいことだとは、知らなかった。
――背なの肉が汗ばむ。臍の上の辺りが万力で締め付けられる。
――戦場で千の敵兵に囲まれたときよりも、ずっと脚が震えた。
――花以外にもいろいろなものを買った。
――しかし、自分が花を指さすと、やはり物売りは阿呆な顔をして此方を凝視した。
――陸に上がった魚のように口を動かし、「は、花ですか?」と判り切ったことを訊ねられる。
――宝石を投げるように渡す。花の代金ではない。
――余計なことを言いふらされないためだ。
――女に花を贈る。
――ただそれだけのことだ。
――普通の男ならば、誰でもする。当たり前のことだ。
――その誰もが出来る当たり前のことが、なぜこんなにも難しいのか。
――歩いた。花を持って。
――ただひたすらに。
――あの姉弟の元に。














風の流れる音がする。
いや、耳に大量の空気が流れ込む音だ。
寒い。気温が低いのだ。
 全身に、なにか柔らかいものが巻きつけられている。
 今更驚くほどの事でもない。
 目を開けた現実が、いかに絶望に満ちたものであったとしてもだ。
 いつ命の灯し火が、死神のきまぐれによって吹き消されたとしても不思議ではない。自分の意識が、古くなった蛍光灯のように点滅を繰り返した所で一喜一憂などしてはいられないはずなのだ。
しかし、疑問もある。本当に自分は死ぬのだろうか?
 臓硯に聞かされていたサーヴァントを使役する負荷というのは、この程度ではなかったはずだ。そもそもサーヴァントが現界を保つにはマスターの魔術回路からの魔力供給が不可欠だ。
雁夜が魔力を生成するということは、体内に埋め込まれた刻印虫が雁夜自身をむしばむことに他ならない。
サーヴァントが戦闘をするたびに、骨肉の中で覚醒した刻印虫が蠢き、荒ぶるはずなのだ。刻印虫が筋肉を喰らい、骨を砕き、内臓をその毒で汚染する。その苦痛は、臓硯の行った調整の比ではないはずなのだ。
全身の毛細血管が破裂し、皮膚は爛れて腐り落ち、歩くことさえままならず、脳は神経からの痛覚信号に疲弊し、痛みさえも感じることなく、思考することさえ出来ぬ。生物としての機能は全て停止し、それでもなお身体が動くのは、ただ体内に埋め込まれた刻印虫が無理矢理に、宿主を生かそうとしているからだと、他ならぬ臓硯が、そう嬉々として語ったのだ。
 よもやまさか、雁夜を怯えさせるためだけに、つまらぬ嘘を弄した――とも考えにくい。
 だとすると、この状況はどういうことなのか?
 僅かにだが、萎え掛けた脚に、痺れ切ったその指に力が戻ってきているような錯覚さえ覚える。
 意を決して目を開ける。
 右目に飛び込んだのは大量の星。
 遠い。
 地面が。
 吹き飛んだ。なんか色々。
 以前、航空写真で見たことがある景色だ。アレは上空1000メートル? いや2000メートルの写真であったか?
 アレは誰だったろうか? 以前取材したオーダーメイドで人形を作る職人の言葉だったろうか?
 人間が、高いところから地面を見下ろしたときに一番最初に感じる感情とは何か?
 それは怖いでもなく、死ぬでもなく“遠い”なんだそうだ。それがいったい人形造りと何の関係があるのかわよく解らなかったが、ただ一つ。彼女の言っていたことが正しかったということだけは認めなくてはならない。
 そして、そのあとから色々な感情が噴出してきた。
 自分がしがみついていたのは、バカでかい己がサーヴァントの胸板であったようだ。
 その胸板の主に、本能のまま浮かんでくる言葉を雁夜はぶつけた。
「お、おい。お前、降ろせ。なんで、空……バカっ、なんだ、これっ!! 降ろせ、とりあえず、今すぐに。バカっ!!」
「相変わらず、やかましいな……ますたーは」
「うるさい、バカっ!! さっさと……」
「……降ろしてもいいけどよ、死ぬぞ」
「降ろすな。絶対にだっ!!」 
 なんとか呼吸を整えて己が下僕に食ってかかる。
「なんで空飛んでるんだよっ!! お前はっ!?」
「バケモノが空飛んで何が悪いんだ? ますたー!?」
「…………」
 動悸がする。
 息切れもだ。
 断じて体調が急変したわけではない。
 このサーヴァントの常識の無さに驚いただけだ。
 そうだった。こいつはそういうやつだった。
 性格がおかしいとか変人とかいうよりは、種族自体が違うのだ。
 奇天烈な外見だけ見てもわかるように、人間の常識など通じる相手ではないのだ。
 自分が息切れているのは、心拍が乱れているのは、このバケモノが非常識だからである。
 断じて体調が急変したわけではないのだ。
 おかしい。
 異様なことだ。
 半死人の自分が、こんなにも自分の体調が、持ち直しているのか?
 こんな些細な感情の変化に、全身が反応できるほどに、余裕が残っているのか?
 本来ならば、体調の変化など気にできる身分ではない。
 自分の体はもうすでに魔力を生産するだけの動く屍で、魔力を生産するたびに、ただひたすら崩壊し続けるだけの存在のはずなのだ。
 サーヴァントを召喚した後は、その崩壊に拍車がかかり、刻印虫が全身を食い漁っていなくてはおかしいはずなのだ。
 ふと思い当たる。解答などひとつしかない。
 ただ、この疑問を口にしたのならば、自分とサーヴァントの関係は、一気に変質してしまうかもしれない。なぜ、そのようなことをするのか? 意図がまったく読めない。
 しかし、だからこそ訊ねなくてはならない。
 何の意図があってそんなおせっかいを焼くのか。その意思がどこにあるのか確かめなくてはこれから先、戦い続けることなどできるわけがない。
 何とか意思を集約し口にした。
「それで、なんでお前。俺の魔力を使わないんだ?」
 声にしてから、いいようのない後悔の念が押し寄せてくる。こんなにも自分が臆病者であるとは想像さえしなかった。
 なぜ、この間桐雁夜の体調が持ち直しているのか?
 その解答は、このサーヴァントが自分からの魔力供給を意図的に絞っているからに他ならない。
 いかに、狂化スキルが有名無実名ほどに低いとはいえ、これほどに魔力消費が低いことなどありえるはずがないのだ。
 ましてや戦闘の後である。どんなに燃費の良いサーヴァントでも戦闘の際の魔力消費は、通常の現界の数倍に上る。それなのに雁夜の体にかかる負荷は皆無と来ている。これで気づかないはずがない。
 今から振り返ってみれば、サインはいくつもあった。大量に食い散らかされた食料。強敵との対決の際の宝具の不使用。
 全て、自分の魔力を吸い上げないようにする、このバケモノの配慮だったのではないのか? 返答を待つことはできなかった。
 もしも仮に、考えていた通りの答えが返ってきたのならば、その回答を自分は受け止め切れないかもしれないという恐怖が問いを重ねさせた。
「お前、それで勝てるのか?」 
 後からの質問には、すぐにつっけんどんな声が戻ってきた。
「……どうしてもワシにほうぐを使わせたかったら、れいじゅを使え」
 それは、令呪をもって命令されない限り、宝具を使うつもりはないということだろうか。
 しかし、それでもしも敵との戦闘で敗北するというのならば本末転倒ではないか? そう問いかけようとして思いとどまる。
 バケモノが何を言わんとしているかに思い当たったからだ。
 令呪は三度しか使えないサーヴァントに対する絶対的強権の発動だ。自身に背いたときに無理やり命令を聞かせたり、サーヴァントの実力をはるかに超えた無理難題を可能にさせる三辺の刻印。
 しかし、それはあくまで表の令呪の使用法だ。
 令呪には裏の顔がある。
 大量の魔力を凝縮した、聖痕としての顔だ。
 外付けの使い捨てフィジカルエンチャントとして、その魔力を食うことにより極めて法外な魔力を行使することもできる。
 その魔力を宝具使用に回せと言っているのだ。
 三度しか宝具を使えないと考えるのは、実戦的ではない。
 過去の聖杯戦争を振り返るならば、令呪を使い切らぬうちに脱落するマスターというのは事実多い。参加するマスターが、使いどころを見誤っているうちに敗退するためだ。大量の予備令呪が教会の監督役に保管されているゆえんだ。
 そもそも、宝具の開帳ということ自体が、そう何度も行われることではない。常時開放された何らかの能力付加型の宝具でもない限り、そう何度も真名を開放する機会というものは訪れない。真名を晒すときは相手を始末するときというのは定石だ。
 かなり強引ではあるが、ギリギリ戦術としては成立しているラインだ。
 元より、全てのサーヴァントを打倒する必要はない。
「ワシからも訊かせろや」
「なんだよ」
「おまえ、なんのために戦ってるんだよ?」
 その質問は以前にされた質問だった。
「時臣に真意を聞くためだ。前にも言っただろ」
 このサーヴァント。やはり頭が悪い。もう忘れてしまうとは。
「あ、ーそーじゃなくってだな」
 バケモノは、こちらをはじめて振り返ってそう尋ねた。
「ますたー。おめぇには叶えたい願いはねえってのかって訊いてんだよ」
 そのバケモノからの問いは、まったくの奇襲だった。
「せーはいだかなんだかに、くたばりぞこなった体治してもらって、そんであのネクラのガキの親父になるとか考えたことはねえのか?」
 想像したことさえない。いや、あえて目を背けてきたと言ったほうが正解かもしれない。
「一度もないよ。そんなこと、夢にも思わなかった」
 嘘ではない。
 厳密には嘘ではないが、本質はそれと変わらない返答だった。
 甘い誘惑だった。これ以上ないほどに、全身を甘い毒が駆け巡る。
 そんな、人並みの幸福など、一年前のあの日に捨てた。捨てたはずなのだ。
 しかし、もしも聖杯が万能の願望機であるというのならば、それが叶うやもしれない。
 いや、それ以前に、過去に戻ってあの言葉をやり直すことができるかもしれない。
 あの人との出会いを、やり直してあの男よりも先に想いを伝えることさえできるのだろう。
 冷え切っていたはずの心の一部が熱を帯びる。これほどまでに業の深い感情が自分のどこに眠っていたのだろうか?
 だが、そんな願望も、幸福も結局自分はもてあましてしまうのだろう。
 これまで自分がずっとそうしてきたように。
 ずっとそうだ。自分は失ってからでなくては本気になれない人間だ。それぐらいのことは解っている。解ってはいるのだ。
「……なんでぇ、つまんねぇ人間だな」
 自分の嘘に気付いているのかいないのか。バケモノは振り返らずにそうつぶやいた。
 点でしかなかった街の街灯が、ちらちらと光を放ちこちらに近づいてくる。
 バケモノも雁夜も、それから間桐の屋敷に戻るまで、口を開くことはなかった。



 二人が間桐邸の中庭に帰還したのは、昔から草木も眠ると言われるころだった。
 誰一人として空中に浮く2人が、誰にも見咎められなかったのは、ひとえに深夜といえ、ありえないほどの人通りのなさだろう。
 度重なる猟奇事件に誘拐事件。善良な人間はおろか、裏社会に所属している悪人やろくでなしも、貧乏くじを引くのは御免とばかりに自分の家に引きこもっている。静寂が街を支配するようになってから数日。何事も起こらないのは新しい嵐の前触れでしかないことを経験として知っているからだ。
 最初に異変に気付いたのは、バケモノだった。屋敷の中から漏れ出す闇に溶けた異臭、腐敗した血肉の残り香を発達した嗅覚が捕らえた。
 そして、屋敷の中から鳴り響く、黒電話のベルの音。
 屋敷に駆け出すバケモノ、雁夜がそれに続く。
 何が起きているかは判らないが、なにかが起きているということだけは理解できた。
 血が凍る。まったくの油断だった。
 聖杯戦争において、本拠地を構えている以上、襲撃される可能性を考えていなかったわけではない。
 しかし、いかに没落したとはいえ、間桐の屋敷は魔術師の根城である。外敵への備えがないわけではない。
 侵入されればそれと気付くはずだ。
 いかに結界が穴だらけになったとはいえ、正面からこの館の最大の防護結界を掻い潜るには数ヶ月を要するはずだ。臓硯が存命しているときから準備せねば、侵入できない期間である。
 あの自己保身に長けた策略家が、そんなふざけた真似を許すはずがない。
 もしも仮に魔術の術理を嘲笑うペテン師の手管をもってしても、ただの人間が雁夜が家を後にした半日程度の短時間で潜入できるわけがないのだ。
--ただの人間には。

 例外が存在することを雁夜は知っていた。
 常識の断りの外に生きる魔術師。その魔術の常識さえ軽々と乗り越える人外の存在。
 しかし、そんなことができるのは、まず気配遮断スキルを持つ暗殺者たるアサシンのクラス。しかし、アサシンはあの男のサーヴァントによって、聖杯戦争開始直後に脱落したはずだ。
 残されたクラスでそれが可能なサーヴァントは一つしかない。
 魔術師のクラス。キャスター。
 戦闘能力は最弱ではあるが、特殊能力とあらゆる姦計に長けたクラスである。
 ならば、なぜ、空き家を狙うのか?
 問題はまだある。
 キャスタークラスは、その低い攻撃能力とは裏腹に、こと陣地作成スキルによる防衛能力はあらゆるサーヴァントを凌駕している。それゆえに、穴熊をし続けるのがキャスターの唯一にして絶対の戦術のはずなのだ。
 ありえないのだ。こんなことはありえないはずなのだ。
 感情が、脳細胞が、己の失策を認められず、現実を否定しようと躍起になっている。
 しかし、この屋敷に何者かが侵入したことは、否定のしようのない事実なのだ。
 走る。引きつった半身を無視するように。
 あまりの腐乱臭に吐き気を催しながら、その異臭の源へと近づいていく。
“-----------------”
 もう思考が言葉にならなかった。
 自分が何を口走っているのか判らない。
 ただ、なにか同じ言葉を繰り返しつぶやいていたような気がする。
 探した。
 他の何がなくてもかまわない。
 ただ一つあればかまわない。
 バケモノが立ち止まる。
 雁夜もそれにつられて静止する。
 異臭の源へとたどり着いたからだ。
 開け放たれた玄関の扉、大量にこびりついた何物かの粘液、なにかうわごとを放つ兄の鶴野、脱ぎ捨てられた子どもの赤い靴。
 ただ、それだけが残されていた。
 立ち尽くす雁夜の背後から、電話のベルが、ただひたすらに鳴り続けていた。




 と言うわけで更新しました。遅れた理由はただひとつ。イラストを描いていたからですorz
 ロリ化を描こうと思い立ち描いてました。途中ハルヒの佐々木を書いたりペンタブ買って、PCを買ってといろいろやってました。pixivでも見れます。
IDは kanenooto7248 です。よろしければどうぞ。

 と言うわけで次は番外編の更新となります。



[5049] 遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです3
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2011/08/18 21:08
遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです3








「嬢ちゃん。バカだぜ。あんた」

 誰に聞こえるでもなく槍兵はつぶやいた。

 その声にはかつての劣勢を忘れたかのように確信に満ちていた。

 赤い魔力の塊のような槍を持つ、獣のような英傑。

 ヒントはいくつもあった。

 影の国はスカアハの元で修行をし、ただ一人その槍を授かった猛犬の名を持つ英雄。

 その槍は、投げれば必ず心臓を貫き、敵を絶命させる呪いの朱槍。

 心臓を食らう槍を持つ、クランの猛犬。

 敵の真名は判った。おそらく間違いない。

 そして、それを認めることは、己のサーヴァントの脱落を意味する。

 あの槍兵のあの宝具は天敵だ。

 驚異的なステータスを誇るアーチャーの中で唯一陥没しているLUCの値。そして、それこそが、あの宝具の前には命取り以外の何物でもない。

 突いては三十の鏃となって破裂し、突けば三十の棘となって心臓を抉り取る真紅の槍。

――その名前は
刺し穿つ(ゲイ)

 まるで槍がせがんでいるかのようだ。

 目の前の敵の心臓を、早く食らわせろと。

 男の力ある言葉とともに、槍はその魔力を増し、

死刺の槍(ボルク)

 その言葉とともに、本性を現した。







 それは異様な刺突だった。疾いことは疾い。鋭いことは鋭い。おかしいのはそこではない。

 その刺突は、朱槍を受け止めようとするアーチャーの剣の尾を、あたかもすり抜けるかのように軌道を変えた。

 いや、槍そのものは変形していないし、その軌道も変わっていない。

 だというのに、そのアーチャーの防御をすり抜けて、甲高い音とともに心臓を貫いた。

 あたかも、最初からアーチャーの心臓に突き刺さるのが決まっていたかのように。

 その一撃を受けたアーチャーは軽いものが地面に落ちる音を立てて、倒れ伏した。

 防ぐはずの防御をまるでないものかのように無視し、残ったのは、心臓を貫くという結果だけ。

 思い当たる現象など一つしかない。

 背中に冷たい汗がじっとりと湧き出る。

 あと、数秒もしたら滝のように滴り落ちるだろう。

「――因果の逆転」

 かわすとか防ぐとかそういった過程を無視し、先に当たっているという事実を作り出す宝具。それがあの男の刺し穿つ死刺の槍(ゲイボルク)

 ケルト神話の大英雄。半神の光の御子。クーフーリンの持つ魔槍だ。

 結果として槍が心臓を貫いているのだから、いかな敏捷でそれをかわそうとしてもそれは無駄なことだ。

 それを防ぐには、余程の加護かさもなくば、さもなくばあらゆる攻撃を防ぐことのできると決まっている同等以上の宝具が必要。

 心臓を貫かれてはいかなる耐久も無意味でしかない。

 結果としてアーチャーは脱落し、そして、自分はこの槍兵と対峙している。考えられうる限り最悪の結末だ。

 しかし、ランサーは己が魔槍を握り締めたまま、戦闘態勢を解こうとしない。 残された貧弱な魔術師など、この男にとっては、赤子の手をひねるどころか、手に止まった羽虫を潰すよりも簡単なことのはずなのにだ。

 それどころか、憤懣やるかたないといった表情でアーチャーの死体を眺めている。

「――防いだな、アーチャー。我が必殺の刺し穿つ死刺の槍(ゲイボルク)を」

 腹の底から搾り出すような声だった。

 とてもではないが勝者の声ではない。

 そのランサーの言葉に反応して、大地に打ち捨てられたはずのアーチャーの屍が動く

「――くく。くくく。ふふ。つくづく、我等は相性が悪いの。共に打つ手打つ手が見抜かれて防がれて……。我が死んだと早合点して主を仕留めに掛かったところを背後から……と思っておったのじゃが。つくづく我とおぬしは相性が悪い」
 そして、何事もなかったかのようにアーチャーは立ち上がる。

「アーチャー!? 貴女!?」

「許せ。敵を騙すには何とやらじゃ」

 どうやら動かなくなったのは、ただ死んだふりをしていただけらしい。

 問題なのはそこではない。この性格がひん曲がってるサーヴァントのことである。腹立たしいが追求するだけ無駄である。

 あの実質回避不能、防御も無意味の一撃をどう防いだのか?

 そちらのほうが問題だ。

「なに。簡単なことよな。そこな槍兵が我が尾が一本だけと早合点しただけの話じゃ」

 パキパキと金属が剥がれ落ちる音と共に、アーチャーの服から、鈍色に光るもう一本の尻尾が出てきた。

「ふふ。見事な一撃じゃが、我が相手で残念であったの。あの槍すら防いだ我が鉛の尾よ、いかな宝具といえど、そう簡単には乗り越えられるわけにはいかぬ。ましてや他の槍に、我が負けるわけにはいかぬ」

 アーチャーが取り出した尾には、中心に抉れたかのような痕跡がはっきりと残っている。あれがランサーの必殺の一撃を防いだのだ。

 あれほどの宝具を防いだもの、それは宝具でしかありえない。いつ使用したのかは見当もつかないが、あの尻尾こそがアーチャーの宝具であることは間違いないだろう。

「さて、お互い手の内も見せ合った所じゃ。ここで決着と行こうかの」

 その声にこたえるようにランサーは槍の握りをたちかめてからこちらに向き直る。

「ああ。うちのマスターは情報収集なんてヌルいことを言ってるが、もうそんな状況じゃあねえな」

「――くく。短い付き合いじゃが、呪いの朱槍を使う凄腕の英傑がいたことだけは覚えておくぞ」

「ぬかせや。嬢ちゃん」

 二人とも、剣呑な気配を隠そうともせずに睨み合い、隙あらば、お互いの咽喉もとめがけてその刃を振り下ろそうとしている。

 宝具を開帳した以上、対策を立てられる前に相手を屠るのは聖杯戦争の鉄則だ。お互い間違いなく、この場で相手と決着をつけるつもりだろう。

 もしも、この戦いが止めることができるものがあるとしたら、それはマスターの命令ではない。

 それは、

「――――誰だ!?」

 ランサーが叫ぶ。

 まったく予想だにしなかった、この戦いを目撃してしまった哀れな第三者の登場だけだ。

「――」

 その言葉と共に、きびすを返し、その視線の方向へと走り去る槍兵。

「逃げるか!?」

 そう言うが早いか、アーチャーは剣針を尻尾から打ち出すが、その攻撃も無為に終わる。

 ランサーは逃げたのではない。

 宝具を開帳した際は、相手を必ず屠り去るときというルールをより優先度の高いルールのために曲げただけだ。魔術を行使しているのを見られたら、その相手は消さねばならないというルールは、魔術師にとってあらゆる掟に勝って優先される。

――つまり、ランサーは……

 思考よりも先に口が反応した。

「アーチャー! ランサーを追ってっ!!」

 それは命令というよりは悲鳴に近い声だった。

「追えぬっ!!」

「何で!? いいから追いなさいっ!?」

「業腹じゃが、我より奴より素早い。我が追えば主が狙われる。無防備な主を置いてはいけぬ!!」

「ああっ、もう!? 一緒に行くわよ。くそっ。なんて間抜け……!!」

 ああ、腹立たしい。自分の間抜けさのあまりに自分で自分を呪殺したくなる。

 目撃者に気がつかなかった自分とサーヴァントも、こんなときに限って目撃する阿呆も。

 ありとあらゆるものが腹立たしい。

 薄く月の光が入った校舎の中、血溜まりに倒れている生徒がいた。

 冷たい床に広がり、もうすでに固まり始めている血でできた水溜り。

 とてもではないが正視出来ない。しかし、自分の愚かさの証としてこの光景を脳裏に焼き付けなくてはならない。

 こんな事態を防ぐために、なにか方法があったはずなのだ。

 この赤毛の少年が理不尽に殺されたのは、自分の責任だ。

 受け止めきれない。しかし、受け止めなくてはいけない。

 まだ、息はある。息はあるが、この少年が死ぬことには変わりがない。

 ランサーの槍が貫いたのは、心臓。脳への血流が止まり、もう長くはないだろう。

 せめて、顔を確認して、最期の言葉を聞くぐらいのことしかできないが、それをやらなくてはけない。それが、この遠坂凜という間抜けに残された義務だ。

 そうして、うつ伏せになった少年の顔を起こす。

 時間が止まった。

 よく見知った顔だった。向こうはこちらのことを良く知らないだろうが、こちらはこの少年のことを良く知っている。

「やめてよね。なんであんたが……」

 その横から、場の空気を読もうともしない、のん気な声がかけられる。

「ふむ、見事にやられておるの。もってあと三十秒といったところかの? 主よ? なぜ助けぬのじゃ?」

「助けられるなら助けてるわよっ!!」

 八つ当たりだ。本当にみっともない。心臓破裂、脳死寸前の人間を何事もなかったかのように治す魔術など、この遠坂凜は習得していない。いや、しかし、アレを使えば……しかし、そう葛藤する自分の横から、

「まったく、本当に未熟な主じゃの。どれ、不甲斐無い主に代わって、我がこの赤毛の小僧を治してやるとするかの」

 そうして、無造作に自分の尻尾の一本を引き千切り、傷口に埋め込んだ。

 アーチャーのしたことは、ただそれだけだった。しかし、ただそれだけのことであるのに、凜の腕の中にいる彼の心臓に空いていた大穴は塞がり、止まりかかっていた呼吸音は安定したリズムを刻み始めた。

 恐らくは治癒を掛けると同時に、自分の尾を、欠けた体の部分と置換したのだろう。言葉にすれば、ほんのわずかだが、時間にしてほんの数秒でこれだけの芸当をやってのけるなど、伝説級の魔術師でもそうできることではない。

「主よ。ただ、血がドバドバ出て、心臓に穴が開いて脳袋が死に掛かっておっただけではないか。これぐらい治せなくては一人前の魔術師とはいえぬぞ?」

 言葉もない。あまりのことに悪態の一つもつけない。

 これほど見事な手際で、この程度のこと出来て当然といわれると、毒気を抜かれるしかない。 

「……そうね。確かにこれじゃあ、未熟者で半人前だわ、私」

 いろいろ感情が渦を巻いて、そしてどこにも行き場をなくし、そしていつの間にか平静へと戻ってしまった。

 その変化に精神が追いついていない

 伝説として歴史に名を残すサーヴァントと自分自身を比べる自体が詮無きことではある。詮無きことではあるが、しかし、このサーヴァントが言う自分が未熟者の半人前であるという指摘は否定しようのない事実だ。

「……行こ。アーチャー。こいつが目を覚ます前に帰らないと……」

 その言葉を聴いて狐耳のサーヴァントは、

「我をアーチャーと呼ぶでない。ほれ、帰りながらよき名前でも考えておくのじゃぞ。未熟な主よ」

 そう不機嫌そうにつぶやいた。










 もやもやが晴れない。なにか大事なことを忘れているような気がする。

 サーヴァントの淹れたお茶を飲んでも、なにか自分はとんでもないミスをしているのではないかという気が晴れない。

「しかしのう、主よ。記憶を操作するというのは結構じゃが、いったいどんな記憶を変わりに入れたのじゃ?」

 時間が凍った。

「……あんた、体を治すついでに、記憶を消したりしてない?」

「……しとらんぞ? それは魔術師の主がやるべきことじゃろ?」

 マズイ。非常にマズイ。

 もしも、消したはずの目撃者が生きていたら?

 しかも、そいつの記憶が消えていなかったら?

 答えは一つだ。

 再度殺す。今度は念入りに。もう二度と迷い出てくることの無いように。

 そもそも、アイツを助けたいと思うのならば、ただ傷を治すだけでは不十分だ。記憶を消して、なおかつ、そのことを周囲のランサーのマスターにアピールしなくてはいけない。

 そこまで思考が進んだ瞬間、私たちは二人そろって夜の街を同時に駆け出した。











「主よ? あの死に損ないの赤毛の家は知っておるのか」

「ええ。私は中に入ったことはないけれど、知り合いが良く行くのよ」

 空気が冷たい。

 電柱を飛び越え、屋根を駆け抜ける。誰かに見られるというリスクよりも、アイツをすぐにでも保護したいという願望のほうが勝った。

 アイツが死んでからざっと三時間。もしかしたらもう一度殺されているかもしれない。それとも、布団の中で丸まって寝息を立てているかもしれない。どちらかは判らないが、できることならば後者であってほしい。

 ただの妄想だ。現実がそうである義務などないが、しかし、それでもそうであってほしい。

「ふむ、ここまでくれば我にも判る。臭いがするの」

「一体なんの!?」

「槍男の臭いじゃ。近くにおるな」

「急ぐわよ!!」

 古くは武家屋敷であったらしいそこに間違いなくランサーの気配はあった。

 度重なる衝撃音。

 間違いない。ランサーがこの屋敷の中でアイツを殺そうとしている。

 この音が止んだときがアイツの死んだときだ。

 一秒の猶予もない。

「アーチャー!! 行って!!」

 そう命令を出した、その瞬間だ。

 何かが来た。

 覚えがある。

 これは、自分がこの隣にいる狐耳のサーヴァントを召喚したときと同じ感覚だ。

「――うそ?」

 なんでこの屋敷でサーヴァントの召喚が行われているのか? アイツは魔術師でもなんでもないただの高校生のはずなのだ。

 思考が混乱し錯綜し、そして停止する。

 その間にランサーの気配と、新しく生まれたサーヴァントの気配が激しくぶつかり、そしてランサーの気配が屋敷の中から弾き飛ばされた。

 状況を正確に把握できない。

 一体何が起きているのかわからない。

 屋敷から一陣の風が吹く。

「主よ!? なにを呆けておるのじゃ。来るぞ!?」

 その風と凜の間にアーチャーが割って入る。

 塀を飛び越えて舞い降りたのは、風ではなく、白銀の騎士だ。

 柔らかな月光を照り返す金髪に、緑翠の瞳。

 少年のような瑞々しい、それでいて柔らかな少女の起伏を持った肢体の少女。

 その少女がアーチャー目掛けて、容赦のない連撃を繰り出している。

 ランサーの刺突を完璧に防いでいたはずのアーチャーが押し込まれている。その理由はすぐに氷解した。

 少女の獲物が見えないのだ。

 武勇に特化した英霊ならば、その獲物の形状に辺りをつけて、勘に任せて切り合うことをができたかもしれないが、アーチャーはそういったタイプのサーヴァントではない。いかにステータスが相手を上回っていたとしても、接近戦で相手の凶器が見えないというのならば、戦いになどなるわけがない。

 あと数合の切り合いでアーチャーに不可視の剣が届く、かといって、その切り合いに自分が援護することは出来ない。宝石魔術を使えばアーチャーを背中から撃つことになりかねない。

 つまり自分は見ていることしか出来ない。

 アーチャーがなんとかするのを期待するしかない。

 ここでも自分は無力だ。

 その瞬間、

「止めろ、セイバーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」

 どうしようもないバカの声が夜の街に響き渡った。











 とりあえず、バカを正座させた。

 アーチャーは自分のことを半人前だというが、それならば目の前にいるこいつは一体なんだ? 素人のマスターで、モグリの魔術師もどきだということは判った。しかし、この町にいる魔術師で聖杯戦争のことを知らないというのは一体どういうことなのか? しかも、こんな奴にセイバーが召喚されるとは、世の中の構造が間違っているとしか言いようがない。

「衛宮くん。令呪って三回しか使えないのよ? 判ってる? 仮にも敵のマスターを助けるために使うって貴方正気?」

 そこに追い討ちを掛けるのはバカによって召喚されたセイバー。

「その通りです。あのときに貴方が令呪を使わなければ、確実にこのアーチャーとマスターは倒せていました。それを令呪を使ってその機会を逃すということはどういうことなのか? 真意を聞きたい、そうでなくては勝てるものも勝てません」

「いや、そのすまん。聖杯戦争とか、その良くわかってなくってだな……」

 敵のマスターと味方のサーヴァント二人に延々と問い詰められながら説教されるバカの図。

 味方は……いた。

「いや、皆の者。そう責めるでない。我は感心しておるのじゃ。義理人情紙の如しというが、命の恩を命で返すというその姿勢が気に入ったぞ!!」

「アーチャー……あんたは黙ってなさい」

「何を言うか、主よ。学校でランサーに殺されかかっておったこやつを助けたのはどこの誰だと思っておるのじゃ? ここは一つ恩を着せてじゃな……」

 黙れバカ2号。そうやって恩を着せるのが嫌だから、その話題には触れなかったのだ。そもそも、コイツが死に掛かったのはわたしの責任だ。それを治したところで恩を着せるなんておこがましいだけだ。自分で火をつけて、自分で消火しているようで気味が悪い。

「……そうか、助けてくれたのは、遠坂だったのか」

 バカはそう言い出してからこちらをなんともいえない眼で覗き込んだ。

「やめてよね。これから私と貴方は殺しあうのよ。ありがとうとかごめんとか言い出したらぶん殴ってやるわよ? それに助けたのは私じゃないわ。この娘よ」

「そうじゃぞ、言葉だけで済まそうなどと片腹痛し水虫かゆしなのじゃ。礼とは形に表してはじめて意味を持つのじゃぞ。ところでお主。料理は出来るか?」

 意味がわからない。何ゆえ料理の話題が出てくる? というか、心底黙れ。バカ2号。

 そんなこちらの心の声を無視して会話を続けるバカ二人。

「ああ、出来る……と思うぞ」

「ほう、それは重畳じゃ。ところで我は小腹がすいておるのじゃが?」

 厚かましい。厚かましいとしか言いようがない要求である。

「命の恩人に、なにか美味いものを振舞う度量ぐらいは当然あろう? そう思わぬか、剣の英霊よ?」

「…………同意します」

 セイバーは生真面目そうな顔を、少々曇らせてそう言葉少なく呟く。

 なにやら嬉しそうにエプロンなどを取り出しているのは、バカ一号こと衛宮士郎その人だった。

「わかった。命の恩人に、ちゃんとお礼しないとな!」

 自分とセイバーに、もうこれ以上お説教されるのは御免とばかりに、台所への逃走を図っている。

「ところでアーチャー。作るのは稲荷寿司でいいかな?」

「うむ。命の恩人に精一杯のもてなしをするが良いぞ。ところでセイバーのマスターよ。大方この耳と尻尾を見て稲荷寿司と気を利かせたのであろうが、狐だからただ稲荷寿司で喜ばそうとは安直じゃぞ?」

 図に乗るなアーチャー。

「……そうか。すまない。確かに安直だった。なにか別なものに……」

「早とちりするでない。ただの稲荷寿司ではといったのじゃ。究極とか至高とか言って二〇年間も親子ゲンカしておるツンデレどもが作るような稲荷寿司でないと我は満足せぬといっておるのじゃ」

「――わ、わかった」

 台所へと避難しようとした衛宮士郎。しかし、そこも残念ながら安全地帯ではなかったようだ。

 心の贅肉ではあるが、一応あの狐耳サーヴァントの保護者として声をかけてやることにする。

「衛宮くん。小さい子どもって、あんまり甘やかすと調子に乗るわよ」

 その言葉と共に、バカ一号こと衛宮士郎は、がっくりと肩を落とした。







「うむ。不味くはない。鰹出汁でさっと炊いた油揚げに何ともすっきりした味の寿司飯じゃ。千鳥酢に白ザラメで味をつけたな? 中に入っているのはよく煎ったゴマにほんの少しの柚子で、ふむ。何とも上品な味付けじゃな」

 すっかりご満悦のバカ2号を無視して、当座の方針を決めるために話し合うことにする。

「衛宮くん。これから時間を少し頂戴。貴方をこれからこの聖杯戦争の監督役のところへ連れて行くわ」

「監督役? なんだそれ?」

「ふむむ、一転変わって刺激的な味じゃ!! 葉胡椒の佃煮に、青唐辛子のみじん切り、むむ、ぴりりと辛いのは山椒じゃな!! びりびり、ひりひり、すーっとして、これは堪らん!! セイバーのマスターよ。貴様、良い腕じゃ」

 うるさいバカを無視して話を続ける。

「貴方、聖杯戦争について何も知らないのでしょう。このゲームについてよく知っている奴に会いに行って、貴方に一から説明してもらうの。衛宮くんは、聖杯戦争について知りたくはない?」

「知りたいけれど、こんな時間に、あんまり遠くに行くのは良くないんじゃ……」

「むほほ、今度は鶏肉のそぼろじゃ。三つ葉のみじん切りと煎り卵が滾滾と良い味を出しておる。止まらぬ。止まらぬぞ!!」

「大丈夫、隣町だから急げば夜明けまでには帰ってこれるわ。なに、行きたくないの? 衛宮くんがそう言うんだったらいいんだけれど……セイバーは?」

「アーチャー。貴方は食べ過ぎです。もうすでに半分以上食べているではありませんか。むむ、これは。戦いの最中に食べ物の観想を言うというのは不謹慎とのそしりを免れませんが、たしかに美味しい。確かに、それぞれが別の味で趣深い。いや、見事です。マスター。あ、凜。なにか言いましたか?」

 バカが三人になった。

「……もういいわ。とりあえず食べてなさい。食べ終わってからゆっくりと今後のことについて話をしましょう」

 なんだか泣けてきた。 

 何がどうだかわからないが、とりあえず、どこかひとりになれるところはないだろうか……。







※誤字のいくつかを訂正しました。まだあるかも…… 申し訳ないです。







[5049] 遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです4
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2011/08/20 18:32





「この坂を上ると教会よ。衛宮くん、あそこのエセ神父に会ったことはある?」
「いや、ない。昔、孤児院だったっていうことは知ってるけれど、教会の中に入ったことはないよ」
「そう。なら、今の内に言っておくわね。その神父、性格が歪んでるから」
「……神父さんなのに性格が歪んでるのか?」
「腐ってるわね」
「……腐ってるのか?」
「ええ、そうよ。だから気をつけてね。下らないことを吹き込まれないようにね。気を許したりしちゃだめよ。神父って言うよりは旧約聖書にでてくる蛇か、悪魔ね。嘘はつかないけれど、それ以外のことで他人を騙すことぐらい、何とも思ってないような人間ね」
 その忠告を、彼は反芻するように口の中で繰り返してから、ふと気がついたように此方に問いかけてきた。
「なんでそんな奴が神父なんてやってるんだ?」
 ……その質問は、今まで考えたことのない問いだった。あの男はなぜ神父などやっているのだろうか? 魔術師である父の弟子であり神父。その時点で異様な経歴の持ち主であるとしか言いようがない。
 本来敵対する組織であるはずの教会と協会。
 聖杯戦争の参加者になるため、父に師事したというが、それ自体がそもそもおかしな話である。
 もしもかりに、あの男が魔術に惹かれた背徳者だというのならば、教会は破門されていて然るべきだろう。だというのにあの男はいまだに教会の神父として、十年間もあそこに居座っている。
 いかに元代行者とはいえ、「魔術師に師事して魔術を学べ」などという命令、拒否しようと思えばいくらでも出来たはずだ。
 歩きながら考える。
 あの男の本質。
 自分の直接の師匠であり、そして、父親を守りきれなかった憎むべき相手。
 そして、それ以上のことは知りたくもないし、知ろうともしてこなかった。
「わからないのか?」
 不意に背後から声をかけられた。
 長い間思考していたせいか、ずいぶんと黙り込んでいたようだ。
「ええ、わからないわ」
 そう正直に答えた。仕方がない。長い付き合いではあるが、いまだに自分はあの男の性格を完全にはつかみかねているのだ。
 知りたいとは髪の毛の先ほども思わないが。












「アーチャー。貴方も残るとは意外でした」
 主たちが教会の中へと消えて数分。残されたサーヴァントの中で口火を切ったのは、セイバーだった。
「我をその名前で呼ぶでない。そんな蒸留水に食卓塩を混ぜたような無味乾燥な名前で呼ばれるのは我慢ならぬのじゃ!!」
 問いかけられた狐耳のサーヴァントは手足をバタバタさせて、目一杯の抗議をしている。
「では、アーチャーではなく、なんと呼べばよいのですか?」
「うむ。今はまだ名前はないが、あの未熟で半人前のマスターが、我にぴったりのエレガントかつ、ビューティーあんど、キュートでハイソな名前をつけてくれる予定なのじゃ!!」
 満面の笑みでセイバーを覗き込んでくる。
「それでじゃな。まあ、さしあたっては“貴方”とか、“御屋形様”とか呼ぶが良いぞ!! ところで剣の英霊よ、此方から問うが、貴様の真名はなんじゃ?」
 幼女の口から出たのは、聖杯戦争の参加者的にはありえない質問だった。
「……言えません」
“唐突になにを聞いてくるのだ、この幼女は!?”と困惑するセイバーに、
「そうか、いえぬような恥ずかしい名前であったのか。これは失礼をしてしまったようじゃな。許すが良い」 
 なにやら、とんでもない誤解が向けられる。
「いや、わかるぞ!! 我も呼ばれたくない名前で有名になる苦しみは痛いほど良くわかる!!」
「私の真名は、恥ずかしくなどありません! 真名を隠すのは聖杯戦争の定跡というだけです!」
「いや、ひらに、ひらに。許すが良い。我はどうやら触れてはならぬ傷を開いてしまったようじゃ。同じ傷を持つもの同士、無理強いはせぬぞ!! ところで最初の質問は、――なにゆえ主たちに付いていかなかったのか――ということであったな?」
 まったく人の話を聞かないアーチャーに辟易しつつもセイバーは頷く。
「うむ。付いて行く必要がないからじゃ。もうすでに使い魔を放っておるのでな。中の様子は手を取るように判る。ほれセイバー、お主も見るが良い」
 そういうが早いか、アーチャーの尻尾が“ぐるり”ととぐろを巻くと変形し、スクリーンのように輝いて、教会の様子を照らし出した。映像だけならばともかく音まで完全に筒抜けになっている。
「覗き……ですか? あまり良い趣味ではありませんね」
「もしものときの用心じゃ。うちのマスターは未熟ではあるが、あれでなかなか見所がある。そのマスターが信用できぬ相手だというのならば、その神父は本当に信用できぬ相手であろう?」
 セイバーは、二、三考える仕草をした後、混ぜっ返した。
「しかし、あの神父がマスターたちに危害を加えようとしていたとしても、今、この場でというのは考えにくい。我々がそばにいるときに、そのような真似を出来るものでしょうか?」
「確かにそうじゃな。しかし、それは物理的に危害を加えようとした場合のみじゃ。お主のマスターは、近来稀に見る素直な人間、悪く言えば、ただの阿呆じゃ。根性のひん曲がった人間から見れば、妙なことを吹き込んだり、思い出したくない過去を呼び起したりと、打つ手はいろいろある。そうなったときには間違いを正してやらねばならぬじゃろ?」
 言うことは解る。しかし、それでは辻褄が合わない。
 最初の質問に答えていない。
「ならば、一緒についていけばよいだけの話ではありませんか? そもそも、貴方が私のマスターにそこまで肩入れする理由がない」
 そうなのだ。なぜ、このサーヴァントは自分のマスターを助けた?
 一般人が犠牲になりそうになったのを助けたというのはならば、よほどのお人よしという点で、まだ理解が出来る。しかし、その後は余計だ。
 マスターだとわかった時点で、このサーヴァントにとっては、衛宮士郎というマスターは討ち果たすべき敵であるはずなのだ。それをここまで気にかける理由がどこにある?
「なに。我のようなヒネクレ者が近くにいるとわかったら、同類はそう簡単には尻尾を見せぬ。こっそり覗いておったほうが本性も早く暴けよう。さて、なぜ、おぬしのマスターに肩入れするのかという話しじゃが、おぬしはあの男をどう思う?」
 意味がわからなかった。
 どう思うと聞かれても、――自分のマスターであり、自身はあの少年の剣になると誓いを立てた――それ以外に答えようがない。
「うちのマスターが半人前だとするならば、おぬしのマスターは卵から孵化したばかりの目も開いとらん雛鳥じゃ。敵を前にして、相手を殺すなとかいうアホウじゃ。それもただのではなく、とびっきりのアホウじゃな。半人前どころか足手まといにしかならん。どこぞの人間が、『無能な働き者の味方は銃殺刑にしろ』と言ったそうじゃが、アレはまさにその類じゃ」
「よ、容赦がないですね」
 そこまで直接的な物言いをする気はないがセイバーも見立て自体はあまり変わりがない。とてもではないが、あの非情極まりない男の縁者とは思えない。マスターとしては最弱の部類、間違いなくお荷物だろう。
「じゃが、それゆえに愛いではないか。ただのアホとなれば珍しくもないが、とびっきりのアホウとなれば肩入れの一つもしたくなろう? とてつもなく未熟で、吐き気がするほど愚か、それゆえに将来なにが出て来るか解らん。青臭い正義感を、あの年で捨てずに持っておるあたり、大したものじゃ。ほれほれ、どうやら我の見立ては間違っておらんかったようじゃぞ」
 アーチャーの尻尾には、十年前の大災害を再び起こさせないために戦うと誓う赤毛の少年が映し出されていた。
「確かに、そういう意味では好ましいマスターです。貴方の言うとおり」
「ふむ、そうじゃな。他に強いて理由を挙げるとするならば、似ておるところか」
 ともすれば聞き逃してしまうような声で、アーチャーはつぶやいた。
「マスターが似ている? 誰とですか?」
「言うたところで理解できず、聞いたところで知りえるわけもない人間じゃ。そやつの名前など最初から知らぬ。知っていたのかも知れぬが忘れてしもうた。しかし、あの顔も声も手も脚も眼も、あやつ等のことなど、忘れたくても忘れらぬよ」
 それっきり狐耳のサーヴァントは押し黙って、尻尾に映し出された映像を凝視していた。
 まるで愛おしいものをそっと遠くから眺めるように。











 言峰綺礼、自身の後見人にしてエセ神父との面談は、時間にして三十分ほどだったが、実際にはそれ以上に長く感じられた。あの神父と会話をするときは、いつもそうだ。
 延々と人の傷をほじくりかえし、気付かなくても良い感情を掘り起こそうとするからだろう。
 今回も、「余計なことを吹き込むな。必要な概略だけを簡潔に話せ」と、念を押しておいたのだが、それでもなお、性格ドグサレ外道神父は余計なことしか言わなかった。
 扉を開けて、坂を下るとそこには二人の少女がこちらの帰りを待っていた。
「おお、戻ったか? 此方は待ちぼうけの退屈さんじゃ。なにか土産はあるか?」
 狐耳の少女が尻尾をパタパタ振って、上機嫌で自分たちの周りをくるくると回り始める。
「シロウ。話は終わりましたか?」
 そう隣にいる少年に声をかけて来たのは、青い甲冑に身を包んだ少女。
 しかし、こうしてみると、この二人の少女たちが、とても世界に記録された英雄たちだとは思えない。この世のものとは思えないほどの武勇や魔力を誇っているとはにわかには信じられない。
 赤毛の少年は、ほんのわずかにはにかんだあと、正面から剣の英霊を見据えて、
「ああ、俺に務まるかどうかはわからないけれど、でも、戦うって決めた。半人前以下で悪いけれど、俺がマスターってことでいいか、セイバー?」
 そう宣告した。
「ええ、私は貴方の剣になると誓った身です」
 剣の英霊も 真正面から、目を逸らさずに応える。
 赤毛の少年は、かわいそうなぐらいにうろたえていた。セイバーほどの美人に見つめられれば、恥ずかしいとか以前に気後れしてしまう。同性の自分であっても妙に意識してしまうだろう。
「そ、そうか。そうだったな。うん、それじゃセイバー、握手しよう」
 ……なにかわけの解らない事を言い出した。しかし、気持ちはわからないでもない。どうしようもなく好きな人とか、美形とかと正対すると、人間は普段とは違う行動にでてしまうものだ。
「――え、ええ。今一度誓いましょう。私は貴方の剣となり、この身ある限り貴方の敵を打ち倒し、貴方の道を切り開くと」
 大人の対応だ。それもすさまじく。ここで笑ったり、挙動不審になったりしたら、マスターの顔をつぶすことになる。
 しかし、これではどこかのボーイ・ミーツ・ガールではないか?
 しかも、衛宮士郎。頬が心持ち赤くなっている。
 アーチャーと視線が合う。
 どうやらヒネクレモノ同士考えていることは一緒であったらしい。
 すなわちからかい倒す。
「なんじゃ、あの二人? いつの間にそういう関係になったんじゃ?」
「本当ね。あっという間に仲良くなってるわ」
 その声にビクリっと反応し、あわてて手を離す衛宮士郎。
「い、いや、この握手はそういう意味じゃない。」
 などと慌てている。
 うん。男のくせに可愛いやつである。
 もっといじめたくなってしまう。
「本当? いいのよ、別に。セイバーは美人だし、衛宮くんは男の子なんだから」
「本当だぞ。そういう意味はない」
「じゃあ、私とも握手しましょう?」
 そうして、ずいっと顔を近づける。 
「え、え、いや、その!?」
 なにがおきたのか状況を把握できていない、衛宮士郎の左腕を取る。
 混乱している半端もののマスターを無視して呪文の詠唱を始める。
 自分の右手の甲に痛みが走り、そして消えた。
「遠坂、なにを?」
 どうやらここまでやっても、自分の身に何が起きたのかわかっていないようだ。
「鈍いわね、衛宮くん。令呪をよく見てみなさい」
 殊更、あきれたかのような声で左手を見るように促す・
 先に状況を悟ったのはセイバーだった。
「凜。貴方は何を!? 聖杯戦争に参加している貴方ほどの魔術師ならば、令呪がどれほど稀少で得がたいものか知っているでしょう!? いかに私のマスターが、事情を知ったばかりの未熟な参加者だとしても、そこまでしてもらう必要はありません!!」
 そこには一画も失われていない令呪があった。アーチャーに襲い掛かるセイバーを止めるために使用し、消費された令呪が完全な形に復元していた。
 変わりに、自分の右手の甲からは令呪が一つ消失している。
 令呪の譲渡。相手の令呪を無理やり奪い取るということでないのなら、それ自体は、難しいことではない。いや、目を瞑っていても出来るほどに簡単な術式だ。
「なんで、俺に令呪を寄越すんだ?」
 心底わからないといった顔でこちらを凝視してくる。
「衛宮くん。私を助けるために令呪を使った。だからその分は、今この場で返すわ。これで貸し借りなしよ。今日別れたら、その瞬間から私たちは敵同士。命のやり取りをするのよ。だから、今この場でその借りを返しておくの。いつ返せるかわからないから。もしも、明日出会ったら、私は貴方を躊躇なく殺そうとするわ。そうなったときには、全ての借りは返してるんだから命乞いなんかしても無駄だから」
 教師が物覚えの悪い生徒に解説するように、目の前の少年に、そして自分自身に言い含めた。
 そうしないと、お互いが妙な感情移入をして、殺し合いどころの話ではなくなってしまう。
「ああ、遠坂は本当にいいやつだな」
 なにを突然言い出すのだ?
 このバカは?
 これから殺しあう宣言をした相手に、どこの世界に『本当にいいやつ』なんて言い出す愚か者がいるというのだ?
「なんのつもりか知らないけれど、おだてたって容赦しないからね?」
 再度念を押しておく。
 これでダメなら諦めるしかない。
「知ってる。けど、遠坂やアーチャーとは戦いたくない。俺、遠坂やアーチャーみたいなやつが好きだから」
 ……。心底重症だった。
 もうなにを言っても無駄だろう。
 いくらこの衛宮士郎という男が、真性の阿呆でも、セイバーがいる限り、そう簡単に殺されることはないだろう。
 なので諦めてさっさと帰宅することにした。
「――――――ねえ、お話は終わり?」
 少女の声が、坂の上から響いた。
 ついさっきまで自分たちが通った道から。
 つまり、待ち伏せされていたということになる。
 教会にわざわざマスター登録をしに来た、律儀でうかつなマスターを待ち伏せしていた敵がいたということだ。
 声の先には一人の少女がいた。雪のように白い肌と銀髪が月光を照り返し、赤い瞳が罠にかかった獲物を侮蔑するかのような光を宿してこちらに向けられていた。
 外見だけでわかる。あれは、アインツベルンのホムンクルス。そして、その背後にいる巨人。とてつもない筋肉と殺意に満ちた狂気の塊。
 あれほどの混沌に満ちた殺意を持つクラスは一つしかない。
「――バーサーカー」
 そう口が勝手に呟く。
 理性を失い、敵を殲滅するまで戦い続ける狂戦士。
「こんばんわ。こうして会うのは二度目だね。お兄ちゃん」
 そう白い少女は歌い上げるように話しかける。
 しかし、あの少女は、戦力としては無視していい。過去アインツベルンのホムンクルスのマスターは、全てその肉体の脆弱さ、攻撃手段の欠如により敗退してきた。問題なのはあの巨人だ。
 瞳を凝らし、あの巨人の持つ能力を読み取る。
「――気をつけて、アーチャー。アイツ、スペックなら貴方と同等よ」
 幸運以外の全てのステータスがAランク以上。尋常な値ではない。
「どうやらそのようじゃな。さて、客はそこの小僧に用があるようじゃが?」
 見捨ててはどうか? と言外に訊ねて来る。
「敵になるのは明日から、って言ったわよ?」
「主よ、そういうのを心の贅肉というのじゃぞ?」
「分かってるわ。でも私は魔術師で、魔術師は自分の決めたルールはなにがあっても守るものよ。それこそ死んでもね」
 くくく、と狐耳のサーヴァントはかみ殺すような含み笑いとともに
「まったく、これだから。…………人間は美しいの」
 そんなことをもらした。
「さて、お主たちはどうする?」
 そう、アーチャーは残りの二人に声を掛ける。
 どうするも何も、決まってる。
「セイバーはともかく、衛宮くんは戦力にならないわ。セイバーは、衛宮くんを連れて安全なところまで逃げなさい。もっとも、死にたいというのなら止めないけれどね」
 心の贅肉はここまでだ。そうでないと、今度はこちらが殺される。
「相談は済んだ? なら自己紹介するね。はじめまして、リン。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えばわかるでしょ? じゃあ、殺すね。やっちゃえ、バーサーカー」
 そうして白い少女は屈託なく笑った。
















※すみません。コメント返しはもう少々待ってください。



[5049] Fate/zero×spear of beast 18
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2011/10/15 23:55




 思考が言葉にならない。
 ただ、名前を何度もうわごとのように呼んでいた。
 乾ききった咽喉から、誰に聞かせるわけでもない声で。
「桜ちゃん」
 一度では足りない。
「――桜ちゃん」
 それは、形を変えた悲鳴だった。
 泣き叫ぶわけにはいかない。
 今ここで、泣き叫び壊れてしまうわけにはいかないのだ。
 だから変わりに、名前を呼んだ。
 それは呪文だった。
 自分をかろうじて正気に押しとどめるための呪文。
「桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん」
 いま、自分が立っているのか座っているかも倒れているのかも解らない。
 ただ、砂浜に打ち揚げられた魚のように、焼けたアスファルトに投げ捨てられたミミズのように身悶えながら屋敷のなかを、もう一度探す。
 狂っていた。
 間違いなく。狂っていた。
 自分が今どんな顔をしているのかもわからない。
 苦しい。体の蟲どもが宿主の異常を察したのか、ギチギチと耳障りな音を上げる。
 怒りに酔っていたのならば、その中に憎しみの甘さを見出すことが出来ただろう。
 完全に壊れていたのならば、痛みを感じることさえなかったろう。
 ここで、悲鳴を上げたのならばあるいは、完全に壊れることが出来ただろう。
 しかし、ここで壊れるわけにはいかない。
 だから悲鳴の変わりに名前を呼んだ。
 せり上がって来る胃液の匂いと共に、のた打ち回りながら名前を呼んだ。
 がらんどうの全身を、痛々しいまでの空虚さが支配していく。
 その身体に僅かな熱を灯すべく、その言葉を繰り返し呼んだ。
 限度を超えた不安と絶望が引き金となって、蟲どもが励起する。
 筋肉と皮の間を刻印蟲がグチャリグチャリと体の中から耳障りな音を立てて、うごめき始めた。
 足りない。全く足りない。
 空っぽの胃の中身を絨毯にぶちまけても、絶望が体の中から抜けていかない。
 正視するに堪えない醜態である。
 現実を受け入れきれず、ただ、大切な玩具がみあたらずに、ジタバタと手足を叩きつけているだけの癇癪を起こしただけの子どもだ。
 不意にものすごい強大な腕力が、雁夜を持ち上げる。
 なにか皺枯れた声が、背後から掛けられた。
 だが耳には入らなかった。否。鼓膜には届いていたが、雁夜の意識は認識していなかった。
 もう一度、皺枯れた声が掛けられる。
 もがく。ただ、ジタバタするためだけに。
 そうしなければ正気を保てない。
 正気に戻らなければならない。そうでなければ探せない。
 さっきからずっと探している自分は、正気でなくてはならない。見つかれば正気に戻れる。正気でなくては自分は探せない。
 もう何を考えているのかわからない。思考が循環し、論理性が崩壊し、怒りと悔恨と絶望が濃密に煮詰まっていく。
 ただ、見つかればいい。元に戻れる。この狂った世界から元に戻れる。
 あの黒髪の、最愛の人の面影を残した少女が自分のそばにいてくれるだけでこの狂気に満ちた世界が元に戻ってくれる。
 瞳に光が戻らなくてもいい。時間は掛かってもいいから、自分以外の他の誰かが、あの娘の瞳に光を灯してくれるだろう。
 自分のそばにいてくれなくてもいい。
 自分の知らないどこかで、ほんの僅か、人並みの幸せを手にしてくれればそれでいい。
 だというのにこの状況は一体なんだ?
 脳が理解することを拒絶し、ただこんな現実は認めないと駄々をこねている。
 だから、ひたすらに正常な世界に戻るための呪文を繰り返し唱えた。
「桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん」
 唐突に頭に痛みが走る。
「ぎゃふっ!?」
 ぶつぶつと呟いているさなかに何かが頭をぶん殴ったせいで、したたかに舌を噛んでしまった。
 痛い。
 口の中に、塩辛いような生臭い鉄の味が広がる。
「何しやがるんだっ!?」
 振り向くと同時に絶叫する。
 こんなことをする奴は一人しかいない。
 主を主と思わないサーヴァント。
 いつの間にか金色の鬣を持つバケモノが雁夜を持ち上げていた。
「落ち着け、ますたー」
「俺は、落ち着いてるっ!!」
 嘘である。大嘘である
「ウソこけ」
 あっさり突っ込まれた。
「俺の何処が落ち着いてねえっていうんだよっ!!!」
 ぜひ、ぜひっと息切れしながら叫んだ。
 サーヴァントは雁夜の激昂を、人の悪い笑顔で眺めると、
「こ~んな顔して『桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん、桜ちゃん』とか言ってるやつのどこが落ち着いてるんだよ、ヴァ~カ!!」
 頭の血管が切れそうになる。そうだ。こいつはそういう奴だった。
「お前は! 平気なのか!?」
 このサーヴァントにとって、あの娘はそんなに軽い存在だったのかと訴える。
 聖杯に招かれる英雄にとって、少女の一人や二人、吹けば飛ぶような軽い存在なのかもしれない。
 しかし、自分が子どものころ心を焦がした英雄というのは、たった一人のためにその全存在を賭けてくれるヒーローではないのか?
「平気だな」
 心が凍る。最も聞きたくない言葉だった。
 いや、判りきったことではあった。
 こいつは、無理やりこの場に呼ばれて来ただけのバケモノで、かなえたい願いなど存在しない。
 今まで共闘関係にあったのは、成り行きでしかない。
 利害関係が一致したわけではない。そういうことなのだろう。
 憎い。何が憎いのかわからない。
 ただ、自分の召喚したバケモノを直視できない。
「おい、ますたー」
「なんだよっ!?」
 もしも、ここで口を開いたら、何を言ってしまうか。どんな、取り返しのつかないことを口走ってしまうかわからない。
 顔を上げられない。自分のみっともない顔を誰にも見られたくない。このバケモノが、どんな顔をしてこちらを見ているのか。きっと、阿呆を見るような顔でこちらを嘲笑っていることだろう。
 誰に文句をいう筋合いのことではない。勝手に期待して、裏切られたような失望感を勝手に抱いているだけ。それだけのことだ。
「あせるなバカ。盗られたもんは、取り返せばいいだけの話だろうが」
 あまりにもあっさりと、自分自身を否定された。
 どこがどう否定されたのかわからない。
 雁夜が立ち止まっているものを、あっさりとなんでもないように笑い飛ばす。
 その強靭さが、気が狂いそうなぐらいに羨ましい。それこそが、自分が追い求めて、ついに手にすることの無かったものだ。いや、追い求めてすらいない。ただ、憬れていただけだ。
 悔しい。このサーヴァントは雁夜を内心で嘲笑っているんだろう。
――簡単だろうが? こんなことは?
 そう言って、自分の立ち止まってしまったハードルを軽々と飛び越えてしまう人間たち。あの男も、葵のそばにいたあの男もそういった男だ。
 しかし、今は羨ましがっている場合ではない。自分には決して出来ないことを出来る味方がいる。初めて知る。殺したいほどに羨ましい人間が、味方がいるということが、こんなにも頼もしいことなのだと。
「……いーかげん、電話出ろよますた~」
 雁夜の懊悩を、呆れ果てた様な目で眺めつつ、黒電話を指で示す。
 気がつけば、何分前からかは判らないが、相当前から鳴っていたような気がする。
 いなくなった桜と、鳴り続ける電話。
 単純に考えて、最も確率が高いのは、誘拐した下手人からの脅迫の電話だ。
 聖杯戦争の最中にサーヴァントを使っての誘拐劇である。営利目的の誘拐のように金銭を投げてやれば人質を返してくれるという訳はないだろう。
 身代金代わりになるのは、恐らくは数角の令呪。場合によっては令呪を用いてのサーヴァントの殺害など要求が提示されるかもしれない。
 しかし、それらは相手から提示されてからの話だ。今この場でしり込みしていても何の意味も無い。
 意を決して受話器を取り、右耳にあてる。
 その受話器からの声は、良く知った以外な人物のものだった。
「間桐くんか? 遅い時間に済まない。いや、早い時間といった方がいい時間かな?」
 その声に、張り詰めていた緊張の糸が緩む。誘拐犯からの電話ではなかった。
「守矢さんですか。こんな時間に何かあったんですか?」
 そもそも、守屋はなぜ、この家の電話番号を知っているのか?
 教えた覚えは無い。
「いや、非常識な電話だというのは判ってはいるんだが、まあ、勘弁してくれ。間桐くん。本当はもう少し早く連絡する予定だったんだが、電話帳で調べたら遅くなった」
 どうやらこの東京TV局の記者様は、冬木市の電話帳でこの間桐邸の電話番号を調べあてたらしい。古典的な手法ではあるが、間桐という姓は珍しい。そんなに時間が掛かるわけはないから、やはり電話をかけようとしたのは非常識な時間だとしか思えない。
 もっとも、記者というのは取材対象の迷惑など考えずにべったりとくっついて記事になりそうなものを探す人種だから、仕方が無いといえば仕方が無い。自分にも覚えがある。とやかく言えないのが辛い所だ。
「間桐君に確認したいことがあるんだ」
「それは連続誘拐殺人事件のことですか?」
 かつては東京に帰るように自分は忠告した。しかし、それとは別に、もしも守屋という男からもたらされる情報が誘拐事件に関連することならば、収集する必要があった。
 どんな小さな情報でも、その件に関しては聞き漏らすわけにはいかない。
「それとはまた別に、妙な人間がこの街に来ていてな。君がそのことを知っているかどうかを確認しようと思ったんだ」
 どうやら誘拐殺人事件とは、関係の無いことであるようだ。しかし、この街にこの時期に来ている妙な人間というものの心当たりは一つしかない。
「関わらないほうが良いです。警察の手に終える相手じゃありません」
 精一杯の忠告だった。相手が聞き入れるかどうかは別だが、一応世話になったこともある。魔術師の世界に一般人が絡んで、相手が無事に帰してくれるとはとても思わない。殺される猫は、いつだって好奇心を抑え切れなかった猫だ。
 その言葉を待っていたかのように守屋は続けた。
「それは衛宮切嗣のことか?」
 国際指名手配されているテロリスト。交番に顔写真は張られていないが、国際部の記者ならば、ピンと来るはずだ。紛争地域における狙撃や毒殺。誘拐に脅迫は序の口で、挙句の果てには大規模爆破テロ。それら全てが衛宮切嗣の犯行であると目されている。
 とりわけ有名なのが、ニューヨークにおけるジャンボジェット航空機の地対空ミサイルによる撃墜だ。その下手人が、なんの組織にも属さず思想背景も持たない日本国籍の10代の少年であると知ったとき、世間は少なからず動揺した。
 10年前までは、ありとあらゆる紛争地帯に顔を出し、そして、ありとあらゆる陣営に雇われ、乞われるままに死体の山を作り続けた怪物。
 しかし、それは飽くまで世間一般の衛宮切嗣像だ。
 衛宮切嗣には裏の顔がある。
 アインツベルンと契約した魔術師専用の殺し屋。
 臓硯は、衛宮切嗣をアインツベルンのマスターとあたりをつけていたが、実際にセイバーと共に居たのは白銀の髪をした女だった。恐らく、衛宮切嗣が担当するのは諜報活動や暗殺などの裏方だろう。
 誘拐犯としての衛宮切嗣。連続誘拐殺人事件の下手人。
 その可能性は一考の価値がある。
 しかし、それならば有って然るべきものが存在しない。即ち脅迫状だ。
「守矢さんはなんで、衛宮切嗣がこの誘拐事件に絡んでいると知っているんですか?」
 声色に僅かな落胆を交えながら、電話の主は答えた。
「驚かないんだな。こっちとしては最大の切り札だったのに。まあ、それはどうでもいい。衛宮切嗣が何をしているか、ということなんだが。恐らく、誘拐事件は彼の仕業ではないな。ああ、なんでそう言い切れるのかっていうことなんだが、それは彼とつい数時間前まで一緒に居たからだ」
 言葉も無い。というか、この守矢という男、よく無事でいたものだ。
「ああ、心配してくれているのか? いや、間抜けな話でね。向こうが現役のテロリストだったころの写真しか頭の中に入ってなかったせいか、まさか自分の隣に居た人間が衛宮切嗣だとはこれっぽっちも思わなかったのさ。いや、三十路の無精髭を生やした同士、ずいぶんと頭の回転が鈍くなったもんだ。まあ、そのせいでこちらは助かったわけだから、文句は言えないか」
 一息付いてから、守矢は核心に触れた。
「だから彼が誘拐犯である確率は限りなく0だ。彼が俺と一緒に居る間にも、ずっと誘拐事件は続いていてね。今日だけで四十人だぞ? 一時間弱に付き一人のペースだ。共犯という可能性も考えたが、それも不可能だ。とてもではないが一人や二人で出来る規模の誘拐劇じゃない。衛宮切嗣の犯行ならば、全て単独犯であるはずなんだ。彼は犯行の際に共犯者をほとんど使わない。だからと言って、無関係とも思えない。これが今こちらの持ちえる情報だ。それで、ますます判らなくなってね。それで、君に尋ねようと考えたのさ」
 落胆と安堵が全身を包む。つまり、ほとんど何もまだ守矢という男は、つかんでいないということだ。
 しかし、この男。嗅覚が尋常ではない。これから先、忠告できることは無いかもしれない。なので、これが最後のつもりで口を開いた。
「一つだけ。衛宮切嗣の他に、外国人には近寄らないほうがいいです」
 この言葉が守矢の好奇心を刺激してしまう可能性はある。しかし、それだけのことを考えている暇などない。もしもそうなったのならば、それはそれで仕方の無いことだろう。
 危険から遠ざかるか、それとも近づいて真実を探ろうとするか。どちらを選んだとしても、それはこちらのあずかり知ることではない。相手は子どもではない。結果として野垂れ死にしたとしても、それは仕方の無いことだ。
 そんな思わせぶりで断片的な情報でも、守矢は何か嗅ぎ取ったようだ。
「案外ケチだな。間桐君は。ああ、そういえば、こちらも一つだけ言い忘れてた。今日、冬木の港でかなり大きなの爆発事故が有ったらしい。管理会社の危険物が引火したということになっていたが、妙な情報が入ってきてね。その管理会社の警備員が妙なものを見たというんだよ。ああ、この世のものとは思えない美人さん二人が誰も居ない暗い港の中に入っていくのを見たんだそうだ。それだけではなくて、後から他に、左半身を引きずってフードを被った男が居たとかいないとか。警察のご厄介にならないように気をつけたほうがいいな、君は。それじゃ」
 果たして、電話を切ったのはどちらが先であったか。受話器を置くタイミングはほぼ同時であったのだが、少なくとも雁夜は、自分が受話器を叩きつけるのが先だと確信していた。
 ぜひぜひと、いつの間にか呼吸が荒くなっている。動悸が止まらない。なぜに、自分の周りにはこうも敵いそうもない人間ばかりが集まってくるのだろうか?
「済んだか。ますた~?」
 済むも何も…………………………………………………………………………。
「……で、お前は何をやっているんだ?」
 思考が止まる。
 ………………………………………………………………………このバケモノは一体なんで、桜ちゃんの靴の匂いを嗅いでいるのだ?
「匂いを嗅いでるんだよ」
 人のことを散々ロリコンだ変態だと言って置きながら。そうか、こいつも変態だったか。
「…………ホントは嫌なんだけどな~」
 などと言いながら、赤い靴の匂いを嗅いでいる猛獣。
 どう考えても変態である。
 一応、義理で、念のために聞いておく。
「なんで、匂いを嗅いでるんだ?」
「何処に行ったか探すんだろ。あのガキ?」
 ………………………何か違和感がある。
 匂いを嗅いで、人を探す。
 つまり、警察犬が泥棒の遺留品を探すように……。
 どうやら好きこのんで、桜の靴の匂いを嗅いでいた訳ではないようだ。
 サーヴァントには似たものが召喚されるというルールがある。
 ここで、変態が召喚されたら、自分にも変態の嫌疑が掛かる。まともな理由があったということは、嬉しいといえば嬉しいのだ。嬉しいのだが。
 何とか率直な感情を声にする。
「お前は犬か?」
「…………」
 何処からともなく小さい舌打ちが聞こえる。
「……だからいやだっつったろーが」
 と消え入りそうな声も聞こえた。
 バケモノの体毛がシュルシュルと音を立てて雁夜の身体に巻きつく。
 締め付けるような力ではなく、何処となくむず痒い印象を受ける。
「行くぞ」
 バケモノが、そう皺枯れた声を振り返らずに掛けてくる。
 とてつもなく不機嫌で気恥ずかしそうな声だ。
 不意に悟った。なぜ、バケモノが振り返らなかったのか。
 それは恐らく、自分がさきほど顔を上げられなかったことと、同じ理由だろう。いや、厳密には同じではないだろうが、似たようなものだ。
 ずっと確かめるのが怖かった。
 このバケモノが何を考えて、この戦いに参加しているのか。
 しかし、今ならばわかる。
 このバケモノも、無敵の人外も、動機に強弱はあっても自分とその一点では何も変わらない。
 かつて、この屋敷に舞い戻ったときには、ただ一人だった。
 怒りに酔いしれていたとはいえ、使命感と罪悪感に満たされていたとはいえ、消え入りそうな不安と恐怖は隠しきれるものではなかった。小刻みに震える脚を、滝のように流れる冷や汗を、忘れられるものではなかった。
 右の口元にだけ、自然と笑みが浮かぶ。状況は依然として最悪だ。
 怒りはある。
 不安も。
 罪悪感も。
 恐怖も。
 しかし、絶望はない。
 この間桐邸を出るときは一人ではない。ただ、それだけのことなのに、それだけのことがこんなにも頼もしいとは知らなかった。
 もう一度行こう。今度こそ間に合う。
 そうして二人はまた、夜の闇へと消えていった。
 大切な人を取り戻すために。






 

 遅くなってすみません。短くてすみません来週中に、多分もう一話本編上げます。

追記 すみませんてこずってます。もう少し掛かりそうです。



[5049] Fate/zero×spear of beast 19
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2011/10/21 11:38




 言峰綺礼が遠坂時臣の書斎を訪れたのは、雁夜とサーヴァントが間桐邸を飛び出したのとほぼ同時刻だった。
「ほう、ついにキャスターを補足したか」
 弟子からの報告に時臣は満足そうにうなずいた。
「さすがに魔術師の英霊であって、“アサシンたち”であっても気取られること無く工房の中まで潜入するのは不可能です。よって、工房周囲にアサシンを展開し、監視下に置いています。また、キャスターは現在工房の中におらず、外部にて活動しています」
「ほう? キャスターが工房から外に出て活動していると?」
 それは聞き逃せない。情報であった。
「はい」
 防衛戦は最強でありながら、それ以外は最弱のクラスであるキャスターにとっての定跡は、穴熊であり、それ以外の戦略を取るということは、間違いなく自殺行為だ。
 しかし、その自殺行為をしているということは間違いなくそれに見合うだけの多大なリターンが存在するはずなのだ。その狙いが何なのか? アサシンのクラスならば、もうすでに掴んでいよう。
「綺礼くん。キャスターの目的は。当然掴んでいるのだろう?」
 時臣は今まで一度も口に出したことは無いが、この弟子に対する信頼には絶対的なものがあった。
 いかに旧知の友人の息子であったとはいえ、元はといえば敵対している組織は異端殺しの代行者。魔術師と敵対する組織の最前線にいた人間をよくここまで信頼する気になったものだと思う。
 それほどに、この綺礼という男は優秀で理想の弟子だった。
 いかなる苦行にも、いかなる試練にもこの弟子は耐え、そして常に師の期待に応えて来た。
 まるで、苦難を求めるように。いや、この言峰綺礼という男は、苦難こそが自分を成長させ、そして人間の魂を研ぎ澄まさせるということを知っているのだろう。
 そして今も献身的に自分に尽くしてくれている。
 この戦いが終わったとしたら、この弟子は派遣された聖堂教会へと戻るのだろう。しかし、この綺礼という青年を手放すのが惜しいと感じている自分に時臣は気付いていた。
 もしもかりに本人が望むのならば、凜の兄弟子として自分を支えてほしいと願い出るつもりである。教会の代行者を弟子として抱えるなどという
「それが、その…………」
 いつも寡黙に、献身的に自分に仕えてきた綺礼が物言わぬ貝のように押し黙るのは、珍しいことではない。
 しかし、このようになにか言いにくそうに口を閉ざし、そしてまた、なにかをこちらに伝えようとすることは初めてだった。
「なんだね? 遠慮せずに言いたまえ」
 報告しにくいほどに重大な案件であることは予想が付いた。
 しかし、それほどに厳しく重大な問題であるならば、それを受け止めるのは師である自分の責務だ。もしも、打ち明けてもらうことが出来ないのならば、それは、三年もの間、この弟子と共に居て信頼関係を築くことが出来なかった自分の責任だ。逃げることも糾弾することもしない。
 柔和に、しかし威厳を持って語りかける時臣に、綺礼は淡々と出来る限り感情を交えずに報告した。
「キャスターとそのマスターの二人は深山町はおろか、新都全域まで股にかけて就寝中の児童を誘拐して回っています。家族が目を覚ました場合は皆殺しにするという挙に出ているとの報告です。また、キャスターは人目に憚ることなくその魔術を行使し、一切の証拠の隠滅、魔術の秘匿を行っておらず、目下のところ聖堂教会のスタッフが対処に当たっています」
 とてもではないが、魔術師であるならば、看過できないようなことである。
「…………なぜ、そのようなことをする? そのキャスターのマスターは何者だ?」
 魔術師が人間を攫い、魔術の実験台にすること事態は珍しいことではない。しかし、術の痕跡を消さず、一切の秘匿を行わないなど、常の魔術師のすることではない。
「キャスターの召喚者は以前から似たような犯行を繰り返し行い続けていたような男で、正規の魔術師ではなくアサシンたちの報告を勘案しますと、巷で騒がれている冬木市の悪魔、連続殺人犯ではないかと」
「……なぜ、そのような男が聖杯に選ばれたのか……」
 独白のような時臣の問い。平静を装いつつも、心中は穏やかではない。
「キャスターは一番最後に召喚されましたゆえに、過去に存在した数合わせということではないでしょうか?」
「なるほど。ありえる話だ。過去、魔術の資質も素養も無い一般人が選ばれたということは無いわけではない。それで、そのキャスターとマスターの素性の手掛かりは?」
「マスターは雨竜龍之介と、キャスターは青髭と名乗っています。キャスターの真名はその行動と言動から察するに、ジル・ド・レェ伯で間違いないかと…………」
「それで、キャスターとマスターの目的は? それだけの生け贄を集める以上、大掛かりの儀礼魔術を行うつもりなのだろう?」
 未熟なマスターが、人間の魂をサーヴァントの供物にするというのは、珍しいことではない。しかし、それにしては誘拐した人間の数が多すぎる。
「……それが、理解しがたいことなのですが、その二人。集めた児童をなんの儀式に使うわけでもなく、ただ、自身の享楽のために殺しているようなのです。むしろ、聖杯戦争は二の次で、殺すことそのものが目的であると断じざるを得ません」
 苦渋に満ちた沈黙が部屋を包んだ。
 最強のサーヴァントを召喚し、これ以降はもう消化試合でしかなかったはずが。これほど常軌を逸した案件が迷い込んでこようとは
 しかし、悪い報告はこれで終わらなかった。
「……それと、非常に言いにくいことなのですが……」
「なんだね? 遠慮せずに言いたまえ」
 内にある動揺を、優雅さと余裕で塗り固めた表情で覆い隠し、弟子にうながす。この綺礼という完璧なる弟子の報告を聞くことに、躊躇いを与えている己が未熟を恥じながら。
 やがて意を決したように綺礼は口を開く。重々しい扉が引き攣った音を立てて動き出すように。
「………………その、拉致された児童の中に…………御息女がいらっしゃる様なのです」
「―――――――なんだと? 凜がっ!?」
 声を荒げていることさえ忘れ、時臣は叫んでいた。
 何のためにあの娘を、禅城の家に預けていたのか、いや、それ以前に、禅城の家を見張っていたアサシンは一体何をしていたのか。そう問い詰めようとする時臣に、綺礼は更に言いにくそうに続ける。
「いえ。そちらの御息女ではなく、間桐の家にいらっしゃるほうの桜さんが……」
「――――――――――――――――――――――――」
 その綺礼の報告に、時臣の顔が苦渋に満ちる。
 なぜ、この弟子がここまで言いよどんでいたのか理解した。
 間桐邸を定期的に観察しているアサシンは居た。しかし、桜が自分の娘であることまでは知らない。責めるわけにはいかない。
 そもそも、あの娘はもうすでに遠坂の管理下ではない。
 間桐の家にて、間桐の魔術師になるべく訓練を受けている。それはつまり、魔導の世界においては、断絶を意味する。どれだけ想いが募ろうが、そんなものはあの娘たちにも自分にも足枷でしかない。そんなことはわかりきっていることなのだ。判り切っていると言うのに。
「間桐のご老体は何をしているのだっ!?」
 常に余裕を持って優雅たれという家訓から、程遠い物言いであることを理解しつつも、そう言わざるを得なかった。
 魔導の素養が枯渇しかかっている間桐にとって、桜はありとあらゆる犠牲を払ってでも護らなければならない至宝であるはずなのだ。
「……それが、聖杯戦争が開始し、全てのサーヴァントが召喚されてから、間桐臓硯の姿は確認されていないとの報告です。これはアサシンの情報を勘案した上での私個人の感想ですが、恐らくは召喚したサーヴァントに弑逆された可能性が高いかと――」
 唇をきつく噛み締める。
 あの男が、あの落伍者が、あの強力なサーヴァントを御せるとはとても思えない。間桐の怪老とはいえ、サーヴァントに不意を衝かれてはひとたまりも無いだろう。
 私情と魔術師としての理を秤に賭ける。
 キャスターを放置しておくことは魔術師の遠坂時臣としても看過できない。
 聖杯戦争以前に冬木のセカンドオーナーとして、魔術を秘匿せずに行使する外道を放っておくこと事態がそもそも論外だ。
 そう自分に言い聞かせながら状況を整理し策を練る。
 この状況を打破する方法は一つしかない。いかに最弱のクラスのキャスターとはいえ、サーヴァントに対抗するにはこちらの最高戦力を投入せざるを得ない。 相手はサーヴァントとそのマスター。クラスはキャスターであり、このアーチャーならば、一方的に鏖殺可能だろう。マスターは猟奇殺人犯とは言えただの人間。戦力としては考慮する価値さえない。
 聖杯戦争の敵を討つ。魔導の道から外れた鬼畜をセカンドオーナとして処理する。
 どちらも理は通っている。
「綺礼君。キャスターの根城の位置はつかめているのだろう?」
「はい」
「王の中の王に出陣を促す。同行してくれるね」
 そうして時臣は綺礼を真正面から見据え――
「――」
 言葉にならならなかった。
 今見たものは見間違いであろう。そう言い聞かせて時臣は踵を返した。
 きっと気のせいのはずなのだ。あの献身と克己に満ちた理想の弟子が、よもや、このような師の苦境に際して――っているなど。
 そんなことあるはずが無いのだ。





 アーチャーは遠坂邸の思いもよらぬところに居た。
 即ち、綺礼の部屋だ。
「時臣よ。貴様は(オレ)を愚弄するつもりではあるまいな?」
 綺礼のキャビネットから酒瓶を取り出して勝手に飲みあさっているサーヴァントに、キャスターを補足したゆえ出陣するように進言する時臣に、呆れ返ったかのような声でそう応えた。
「ライダーのあのけしからぬ放言を覚えて居よう? 王を僭称する下郎ではあるが、しかし、その言には一理ある。あの侮蔑を受けて姿を現さぬ鼠など、(オレ)が狩り落とす獅子には値わぬ。まさか(オレ)に鼠を狩れと進言するつもりではあるまいな?」
 アーチャーのサーヴァントとしての自覚など一切無い放言の数々を浴びせられながら、それでも時臣は不快な顔を一つせずに再度説得を試みる。
「しかし、王よ。あのキャスターめを放置しておけば、この戦いに致命的な影響を与えることになりかねません。どうかご決断を……」
「くどい」
 時臣の説得をアーチャーは、きっぱりと斬って捨てた。
「鼠を捕るのは貴様ら召使の仕事であろう? 下がれ」
 そう一蹴すると、綺礼の部屋の酒をグラスに注ぎ直し、一気に呷る。
 もう、これ以上、時臣に付き合うつもりが無いということは見て取れた。
 一礼し退出する師父を見送った後、綺礼はアーチャーに向き直る。
「綺礼、貴様は下がらぬのか?」
「ここはもともと私の部屋だ」
 そう毅然と言い返す。いかに、伝説となった英雄王とはいえ、所詮は師の時臣に仕える存在。それならば自分と同じ時臣の配下として、無暗に恐れる必要も、へりくだりおもねる必要も無い。
 そもそもが、である。
 このアーチャーは、無断で人の部屋に居座って酒をかっくらっているくせに、悪びれる気配も無い。
 飲んでいるのはル・モンラッシェの75年物。白ワインの最高峰だ。緻密な風味と味わいが特徴的なワインである。
 あの酒の真価を知っているものならば、目をむいて怒り狂い、追い出しているところなのだろう。しかし、綺礼の奇癖により収集した逸品ではあるが、本人自体には、それほどの愛着があるわけではない。いかに、どれだけ芳醇な風味であろうが、通人の舌を蕩かそうが、綺礼の心を満たしてくれるものではない以上、所詮は値段が高いだけの液体でしかない。
「さて、貴様ならば知っていよう? 時臣が何を隠して(オレ)にあのようなことを言い出したのか。話すが良い」
 ワイングラスを手で玩び、照明にかざしながらアーチャーは綺礼を見据える。
「なに?」
「時臣が(オレ)に隠していることがあるであろう? それを話せといっておるのだ」
 その言葉は少なからず綺礼を驚かせた。師父である時臣は、おくびにも私情をはさめず、ただ出陣を促したようにしか見えなかった。しかし、この英雄王はその魔術師の奥底に潜む懊悩を、目ざとく見つけたようだ。
「どうなのだ?」
 師父の私情の内実を同じ下僕に全て話すことなど、本来はあるまじきことなのだろう。しかし、この人心を惑わす魔力に満ちた赤い瞳を前に隠し事などできる人間など居るわけがない。それは、この感情が碌に働いていない綺礼であっても例外ではなかったようだ。
 いや、そうではない。このサーヴァントが、師父の胸中を知ったときに、どう反応するのかが知りたかったのだ。
 いくら傍若無人な男とはいえ、遠坂家の特殊な事情を知り、時臣の胸中を斟酌すれば重い腰を上げるかもしれない、そう期待してのことだと綺礼は思うことにした。
 アーチャーはわずかに口の端を歪めて笑った。
「なるほど、事情は判った。(オレ)が現界していられるのも時臣の魔力あってのこと。臣下の身命を賭しての願いであれば聞き入れぬわけにはいかぬな。つまらぬ男だとは思っていたが、なかなかどうして見所があった。これだから人間というものは度し難い」
 もってまわったアーチャーの言い回しに辟易しながらも、綺礼は促す。
「ならば、手遅れにならないうちにキャスターのを狩りに行くがよい。居場所は未音川を遡った先にある貯水槽だ。」
「なぜだ?」
 心底意外そうにアーチャーは混ぜ返す。
「貴様は先ほど師父の願いならば聞き入れぬわけには行かないといったばかりではないか」
「勘違いするなよ、綺礼とやら。確かに臣下の願いを聞いてやるのはやぶさかではないが、それは忠臣の身命を賭した魂の慟哭だけだ。時臣のアレでは(オレ)を動かすにはもの足りぬ。時臣の義理立てを加味しても、我に鼠を追い回す道化をさせるほどのものではない。気付いておらぬのか、綺礼よ?」
「なにがだ?」
「時臣めには、(オレ)に言うことを聞かせる方法が無いわけではないということをだ」
「――」
 言葉に詰まる。
「そういうことだ。(オレ)に桜とかいう小娘を救出させたいのならば、時臣が手の甲に後生大事に仕舞い込んでいる魔力の塊を一画使えばよい。
 (オレ)も忠実な臣下のたっての願いであるならば、無碍に断ることはせぬ。小煩い諫言であったとしても、それを元に誅罰を与えるような真似をするのは王ではない。令呪だかなんだか知らぬが所詮はただの高密度な魔力の塊でしかない。それを使いもせぬ願いを(オレ)が聞き入れる理由がどこにある。
 要するに、時臣にとっては、その桜とかいう小娘よりも右手にある下らぬ痣のほうが大事というわけだ。
 もしも、その様な道理さえも頭の中から抜け落ちてしまうほど桜とかいう小娘のことを想うあまりに狼狽し、(オレ)の前で五体投地でもしたというのならば話は別だがな。
 全く魔術師というものは何を考えておるのであろうな? 自分の娘を助けようとするときですら、下らぬ小理屈をこねて、算盤を弾くのだから」
 一部の反論の隙もない。
 時臣が令呪の使用を拒んでいる真の理由をここで告げるわけにもいかない。それを差し引いたとしても、アーチャーの指摘は致命的なものがある。魔術師として聖杯を求めることと、父親の情というものが両立しないというそれだけのことを、酷薄に斬って捨てる。
「さて、(オレ)が聞きたいことは全て聞いた。用が済んだら去るが良い」
――ここは私の部屋だ
 とは言っても無駄そうであるので、綺礼は口をつぐんだ。
「それにしても、時臣は哀れであるな。このような不義理者を弟子に持って」
 揶揄するような視線が綺礼に掛けられる。
「なに?」
「まったく、主人の苦境の何が面白いというのか。不実な弟子も居たものだ」
「何の話をしている?」
 そう怪訝そうに問い糾す綺礼を、アーチャーは呆けたような顔で眺めたあと、誰に憚るでもない高笑いを上げた。奇跡のような美貌を下品にゆがめ、悶える様な仕草でつばを飛ばしながら。
「――なにが可笑しい」
「気付いておらぬのか――ハッ――これまた奇矯な道化も居たものだっ!! これだから、いつの世も人間というのは面白いな――」
 そうしてアーチャーは、ひとしきり哄笑を上げた後、垂らした涎を手で拭いながら陰惨な笑みを浮かべ、こう囁いた。
「鏡を見てみるが良い、綺礼よ。今の貴様は、いやおそらく、師である時臣が魔術師と父の情を天秤にかけたそのときから――」
 耳を閉ざしたかった。
 それは綺礼が直視しないようにしてきたものだった。
 他人に今まで見抜かれることが無く、自分さえも欺き続けていた核心だ。
「――貴様は笑っているぞ。綺礼よ」
 口元に手を当てる。
 僅かに。しかし間違いなく、口元が釣り上がっている。
 血の気が引く。
 こんなはずはない。
 こんなことがあるはずが無い。
「さて、理解したか? ならばとく去ね。綺礼とやら。(オレ)は不忠者を好まぬ」
 アーチャーの言葉を最後まで聞かずに、綺礼は踵を返した。
 いや、正確には部屋を飛び出した。
 何処に行けばいいのかなど判らない。
 ただひたすら走った。
 これまでに感じたことの無い羞恥と、空虚さが全身に広がる。
 この身体を満たす温かなものがあるというのならば、熱というものがあるというのならば、誰でもいい。それを教えてほしい。回答がほしい。
 ありとあらゆるものをなげうってもよい。
 何でも良い。ほんのわずかでいい。他人が感じているもののほんのわずかでいいのだ。
 この世のどこかにあるはずだと信じて、それでも報われることの無かった渇望。
 もしも、この世のどこかに自分が愛せるものがあるとするのならば、それを自分は全存在を賭けて守ろうとするだろう。この世全てを引き換えにしても、いや、この世の全てを敵に回しても。
 ずっとそう思ってきたのだ。
 だというのに、それが、こんなにも皮肉な形で報われるなどあってはならない。
 このような結論などあってよいわけがない。
 涙を流していた。
 なんの涙かは解らない。
 ただ恐怖だけがあった。
 そして綺礼は祈りをささげた。
 何度捧げたか解らない祈りだ。
 綺礼にとって祈りとは哀願だった。
 この地獄に終わりが来るようにと。
 いずれ世界から与えられる解答が、魂が震えるほどに美しいものであるようにと。
 













 児童たちが再び眼を覚ましたそこは、暗闇であった。
 生臭いほどに濃密な血と腐敗した肉の臭気が、未熟な呼吸器を圧迫し息苦しさを覚え、それでも母親を呼び泣き叫ぶ子供達の中に、間桐桜は居た。
 床に滴り落ちた鮮血はもうすでに血餅となり、足を動かすたびに、ねちゃりねちゃりと不快な音を立てる、
 ただ一人だけ、桜だけが涙を流していなかった。声を上げて涙を流したところで、誰も助けに来ないということを熟知していたからだ。
 あの日から、どれだけ助けを待っても、救出の手が差し伸べられたことなど無い。なんと滑稽なのだろう。呼んでもこないのならば、ただ、押し黙るしかない。そんな簡単なことがなぜこの子たちには判らないのだろうか?
 ただ、希望を捨ててしまえば楽になれる。
 それだけのことなのだ。
 勝手に信じて、勝手に期待して、勝手に裏切られる。
 死ぬ前に、そんな独り相撲をするつもりなど、桜には無かった。
 そして、一人、また一人と悟り始める。助けを呼ぶために大声で泣き叫ぶのを止めて、自己憐憫への小さいすすり泣きに変わるのだ。
 だというのに、一人だけ、名前を呼ぶのを止めない物分りの悪い娘がいた。
 まるで、あの人みたいに物分りの悪い娘だった。
「……りんちゃん……りんちゃん……」
 自分よりも強い人には逆らってはいけない。
 助けを期待するだけ無駄なのだということを、まだわからないのだろうか?
 そういう桜自身も、自分を嘲笑う。自分もそのことに気付くのに、蟲倉で三日も悶えていたのだから。
 従順に、そして叫び声さえもあげないことが唯一の対処法だということをなぜ判らないのだろうか。
「…………やだよぉ…………りんちゃん…………たすけてよぉ…………りんちゃん」
 ただ、ひたすら、その娘が呼んでいる名前が妙に癇に障る。
 黒々とした感情が全身に広がる。
「……こわいよぉ……りんちゃん……たすけて……」
 その名前を呼ぶのを止めさせたかった。
 だから、口を開いた。
「あなた、こわいの?」
 そうして、泣いているその娘の頬を白い手で桜は挟み、そっと抱きかかえた。
 桜に抱きかかえられていた少女は、その後も当分泣き続けていたが、ようやく少しばかり落ち着いたのか、あごを引いて肯いた。
「……ぅん」
 普段はとても愛らしいであろう相貌を涙と鼻水と涎でくしゃくしゃに歪めながら、その少女はうなずく。
「こわいことなんてないよ」
 この少女が何を恐れているのか、桜には理解できなかった。
「だれもたすけにこなくたって平気だよ」
 あの二人はただ、苦しめて殺すだけだ。
 生殺しを延々と続けて、飽きたら他の人間を殺すだけだ。
 無限に続く責め苦を続けることなど出来はしない。
 それならば何も恐れることはない。
「死ぬだけだよ。いたいだけ」
 そう少女に言い聞かせる。
「……………いたいのはいやだよ」
 過呼吸気味だった少女の息は大分落ち着いていた。
 もう、あの名前を呼ぶことはない。しかし、それでも震えは治まっていない。
 桜には思い当たることがあった。未知への恐怖だ。
 間桐の屋敷に連れられて、初めて蟲蔵に投げ落とされるときには、自分もこんな風に震えていたのだろう。
「だいじょうぶ、すぐになれるから」
 それならば、ならば恐れることなど何も無い。
 自分のような弱虫でも耐えることが出来たのだ。
 きっとこの娘も耐えることが出来るだろう。
 ことが始まったのならば、泣き叫ぶのだろう。自分と同じように。
 しかし、桜はこの少女が羨ましかった。
 自分が蟲蔵に放り込まれたときは、一人きりだった。
 泣き喚いてもその泣き声を聞いてくれる人間さえも、自分には居なかったのだから。












  更新が予告より一週間ほど送れて申し訳ございません。次回はリョナ表現が満載になる予定ですので苦手な人はお気をつけて。



[5049] Fate/zero×spear of beast 20(リョナ表現注意)
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2011/11/30 18:32
 むき出しのコンクリートの床にへばりついた血が、ヘドロのように酸腐な臭気を放つようになって、もうどれほど経つのだろうか?
 蝋燭のオレンジの灯りが、ぼんやりと周囲の惨状を照らしている。
 この小さな暗い世界には二人の絶対的な支配者しか居ない。
 あの龍之介という、優美な男の指が、この貯水槽に集められた子どもたちの臓物を抉り出すというだけの簡単なルール。あのカメレオンのような眼で水晶玉を眺め歓喜の声を上げて抜け出した男には、誰も逆らうことが出来ないという簡単な決まりだ。
 そんな薄暗い闇の中、蛇が溜息を漏らすような呼吸音が、シュルシュルと子どもたちを取り囲んでいる。
「…………ひぃっ…………うぃっく……」
 消え入りそうなすすり泣き。
 泣きつかれて眠っている者。疲れ果てて声を上げることさえあきらめている者。
 そんな子ども達の中で、まだ泣き声をあげているのは、コトネだけだった。
 なんと愚かな少女なのだろうかと桜は歯噛みする。
 鈴の音を転がすような、柔らかい声。その手の趣味の男ならばいても立ってもいられなくなるだろう。
 以前に比べては小さな声だが、それでもあの男に、目をつけられるには十分だった。
「ねえ、君。とっても可愛い声だねぇ? 名前なんていうの?」
 一昔前の映画にでも出てきそうな軟派男のように軽薄な口ぶりで、龍之介はコトネに話しかける。
「ひぃっ」
 龍之介の慈悲に満ちた笑顔に、コトネは弱々しい悲鳴で応えた。
 いわぬことではない。
 なぜ泣くのだろうか? 涙を流しても無駄なのに。
 ただ、声を殺し自分の番が来るまで待っていれば、その間だけは安全なのだ。
 それだけの話だというのに、なぜ、この子はそのことに気がつかないのだろうか。
 思えば、あの物分りの悪い人もそうだ。わざわざ自分を助けるためでもなく、ただ一緒に苦しむためだけに戻ってきた。
 なぜ、こんなにもこの人たちは、愚かなのだろう?
「ねえ、名前教えてよ。なんていうの?」
 爬虫類のような視線を向けて、龍之介は続ける。
「コトネちゃん? へえ。可愛い名前だねえ。うん、君に似合ってる。ところでさあ、コトネちゃん。キミ、オルガンになってみない?」
「お、オルガン?」
 その龍之介の言葉と同時に、周囲の物体が軋みを上げた。
 椅子が、机が、絵画が、一斉に鳴り出した。
 それら全てが怨嗟に満ちた悲鳴を、新たな犠牲者を嘲笑う嘲笑を響かせる。
「もう止めてくれ」「これいじょうの犠牲者を出さないでくれ」「お前たちもすぐにこうなるんだ」「もっと苦しめばいい」「殺してくれ」
 小さな、それでいて怨嗟に満ちた声だ。あの男が作り出した、犠牲者たちが上げる悲鳴。早く殺してくれ、苦痛から開放してくれという哀願。
 それらがもはや言葉にならず、呻きの不協和音となって貯水層を満たしていた。
 次に訪れる犠牲者に、早く殺してくれと、あの男たちの目を盗んで、自分たちに安息を与えてくれと。
 コトネは理解した。周囲にあった物体が、もともとは自分たちと同じ人間で、今もって生きている、否、無理やり生かされているということを。
 その事実がコトネの精神の精神の許容量を超えた。
 龍之介の手から逃れようとして、血まみれの床にのたうちまわる。
 それだけならば、桜は押し黙っていただろう。
 しかし、どうしても桜にとって許容しがたい名前を、コトネは呼んだ。
「いや……りんちゃん……りんちゃん」
 耳障りな名前だった。その名前を呼んだところで、その人は絶対に助けに来ない。来たのは、あの物分りの悪い人だけだった。
 本当に苦しいときに援軍など来ない。わかりきった事だ。
「大丈夫、キミはオルガンになるんだよ。死ぬのがこわいんだったら大丈夫。むしろ死ねないってところが肝心だったりするんだけれど」
 そうして龍之介の顔にサディズム的な表情が宿る。
「まず、君のお腹にねナイフを当てて、腸を取り出すんだ。そして、それをピアノ線で鍵盤とつないでそれで完成。簡単でしょ? でもさあ、これだと、君みたいな女の子はすぐ、感染症とか、出血とかですぐ死んじゃうんだよね。だから、死なないように、治癒再生魔術が……って言っても判らないか。大丈夫。死ぬのはこわくないってこと」
 恐らく龍之介の言っていることの半分も理解できていないだろうが、それでも、コトネは悲鳴を上げた。もう、声も枯れ果てたような、それでいて可愛らしい声で。
「……りんちゃん……りんちゃん。こわい、やだ、いやだよ……」
 この少女も、もう理解しているのだろう。
 助けなど来ないことを。だから、泣く声がこんなにも儚くなるのだ。それでも泣くことを止めようとしない。神経に障る。一体なにが怖いというのだ?
「でもさあ、最近はそれも悩みどころじゃない? ほら、ここ貯水槽だから、腐らないで生きてるうちに、蟲とかネズミとかがわらわら湧いてきちゃうんだ。でも大丈夫。ほらぁ、色々防虫グッズを買い込んできたから。キミは安心してオルガンになってよ」
 なんのことはない。
 底の割れた手品だ。
 あれはただ、コトネを事が始まる前に脅かして喜んでいるだけだ。
 心底くだらない。
 この男はその程度だ。
 あのトカゲのような眼をした怪物はともかく、この男はおじいさまとは比べ物にならない。
 もう、ここが限界だった。堪えきれない。
 あふれ出てくるものが止められない。
「…………ふ…………ふ…………ふふ……ふふふふふふふ」





 桜は笑った。
 笑った。
 おかしくて、おかしくて。
 淫靡に、嘲笑を込めて。
「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
 下品に。涎を垂らして、転げまわった。
 もしも普通の人間がこの桜の狂態を見たら、拷問への恐怖でおかしくなったとの観想しか抱けなかったろう。
「え? え? キミ、どうしたの?」
 しかし、龍之介の見立ては違った。この少女はその程度の恐怖でおかしくなるような少女ではない。
 しかし、桜は問いに答えず笑った。おかしくて、おかしくて、おかしくて、おかしくて、おかしくて、おかしくて、おかしくて、おかしくて。
「えっと? もしかして、俺バカにされてる? なにかおかしいこと言ったかな?」
 龍之介は困惑していた。正体を明かす前ならばいざ知らず、獲物にこんな風に嘲笑われたことは無い。
 そんな龍之介を尻目に桜は呼吸を整えて言葉をつむぐ。
「あなた、私の悲鳴が聞きたいですか?」
 それは挑発だった。
 なぜ、そんなことを言い出したのか桜にも判らなかった。
 こんなことを口にしてもいいことなど一つもない。
 むしろこの男の機嫌を損ねるだけだ。
 だが止まらない。この口は一体どうしてしまったのだろうか?
 龍之介は戸惑ったような声で、
「え、と。キミ。名前はなんていうの?」
「間桐桜」
「あ、あ。桜ちゃんていうの。良い名前だね」
「私の悲鳴が聞きたいですか?」
 龍之介にとってもこれは初めての経験だった。獲物が豹である龍之介の前に立っておびえずに質問してくるなど、想定外だ。この獲物は極上品だとは思っていたが、このような対応をしてくるとは予想の範疇をあまりにも超えていた。
「え、えと。どういう意味? よく分からないや」
「聞きたくないのなら帰ります。さようなら」
 そうして何事もなかったかのように、桜は踵を返し、貯水槽の出口へと向かう。
 当然、キャスターの工房から、子どもが無傷で出ることなど出来る訳が無い。数えるのもバカらしいほどの大量の海魔が、出口までの通路をふさいでいるのだ。
 もしもバカ正直に自分の足で帰ろうものならば、あの有象無象がこの少女を引き裂いて捕食してしまうだろう。
 それはあまりにも惜しい。
「へ、え? ちょっと待ってよ。そんなの無いよ。お楽しみはこれからじゃない?」
 細い青白い指が桜の手のひらを掴む。
 この少女は間違いない。自分の最高傑作になるものだと龍之介は確信していた。
 誰よりも愛情を込めて殺すはずだったのに。
 こんな簡単に手放すつもりなど微塵も無かった。
「なら、私の悲鳴が聞きたいんですか?」
「うん、マジで聞きたい。超ーっ聞きたい!」
 そう引き止める龍之介を、にべもなく桜は拒絶した。
「無理です。貴方ではわたしに悲鳴を上げさせるのは」
 桜は妖艶な微笑を浮かべて、答える。
「ふぇ? え? どういうこと?」
 わからない。龍之介には、この少女が何を言っているのかは理解できなかった。
「本当のことを言ったまでです。この娘を泣かせることはできても、貴方はわたしの悲鳴を上げさせることはできません」
 この少女は最高の素材だ。滅多なことで手に入る素材ではない。一期一会、もう二度と出会えないかもしれないほどの逸材だとはわかっていた。だからこそ龍之介は、この少女を“作品”にするのは最後と決めていた。
 もしも、この桜という少女を作品にしてしまえば、他の子どもたちでは満足できなくなるかもしれない。それほどにこの少女は魅力的だった。ガラスのような感情の無い瞳が、苦痛の色をたたえるのを想像しただけで、この礼儀正しくて挑戦的な物言いが、悲鳴と哀願に染められるのを夢想しただけで、背筋が音を立てるほどの快感が走り抜ける。
 何ゆえこの少女がこうも自分を挑発するのか? 龍之介は周囲を見回し、そして一つの結論を出した。
「まさか……きみ? このコトネちゃんのことかばってるの?」
 おびえるコトネという少女、その前に立ちはだかる桜。
 自分が犠牲になれば、その分コトネの番が来るのは遅くなる。おびえる友人の代わりにその身を差し出そうとする行為。そんなものは陳腐な物語の中にしかないと思っていたのだが、それがまさかこんな形でお目にかかれるとは夢にも思っていなかった。
 龍之介は、桜の返答が無いのを肯定と解釈した。
「ズゲエ!! やっぱ、そうなんだ。スゲェ。スゲエよ。マジですげえ。惚れちゃいそうだ。旦那の聖処女ってのもこんな感じだったのかなっ!? うん、うん。わかってる。マジでわかってるよ。ああ、そうだよ。これだよ。今なら俺、人類愛だって信じられちゃうかもっ!!」
 そう言うや否や龍之介は、背骨を仰け反らせると哄笑を上げた。
 歓喜だ。自由自在に自分の思うままに、全てをぶつけていい素材を見つけたのだ。
 我、見出したり!!
 この少女が苦痛に耐えかねて、悲鳴をあげ、かばおうとしていた少女に呪詛を撒き散らし、自分の足元にすがりつく光景を思い浮かべただけで至福の感情が止まらない。
 だがそれには、もう一押し必要だ。
「ねえ、桜ちゃん。俺と賭けをしないかい?」
「賭け?」
「そう、ギャンブル。キミのその心意気に免じて。俺がキミをオルガンに出来たら俺の勝ち。その子達はここで俺の作品になる。代わりに俺がキミをオルガンに出来なかったら俺の負け。その子達は家に帰してあげる。それでどう? この勝負受ける?」
 勝負ですらない。
 どんな精神力の人間であっても、この龍之介の手に掛かれば、うめき声や悲鳴を上げないで済むはずがない。
 これは、桜の無表情を取り去るための儀式の第一段階だった。
「そうしたいのなら、そうすればいいです」
 しかし、龍之介の期待とは裏腹に、桜の表情は変わらない。
 まるで、そんなことは心底どうでもいいかのように。
 この時点で龍之介は間桐桜という少女の本質を、決定的に読み間違えていた。
 





 黒い服を脱がされた桜の幼い肌に、龍之介の優美で白い指が触れる。恐ろしく決めの細やかな肌だ。その手の先にある小さな貝殻のような小指の爪をペンチで、無造作に引き剥がした。大人であっても、痛みに耐えかね悶絶してもおかしくないその行為に、桜は眉一つ動かさなかった。
 脈絡の無い体の一部の欠損。しかし、この獲物はその程度の苦痛では悲鳴やうめき声を上げることはなかった。そうでなくてはいけない。
 美酒の瓶の蓋が簡単に開いては興ざめというものだ。
 龍之介はすぐに次の作業に取り掛かる。薬指、中指、人差し指、親指と予告なく爪を剥がしていく。
 右手が済んだら左手、その次は左足、そして右足。
 通常の人間ならば、泣き叫び、身悶えて気絶してもおかしくない。
 すぐに泣き出すと高をくくっていていたわけではないが、ここまで我慢強い素材だとは龍之介は思いもよらなかった。
 全ての手足の爪が龍之介によって剥がされても、桜は眉一つ動かさなかった。
 肌にはじっとりと脂汗が浮かび、涙腺はもうすでに決壊し大量の涙を流しているというのに、肝心の悲鳴をあげてはくれない。
 よく研磨された冷たいナイフが、桜の腸を傷つけないように滑り込んだときも、桜はうめき声を上げなかった。
 人間の身体には限界がある。どんな対拷問訓練を受けている人間であったとしても、これほどの耐久性と精神力を持っていることなどありえない。しかも十歳にも届かない少女が自分の拷問にここまで耐えるなど、とてもではないが信じられるものではない。 しかし、それでこそ、この少女の精神の均衡が破れて、悲鳴をあげ、自分の足元にすがり付いて許しを請う様を想像するだけで文字通り心が躍る。
 周囲の子どもの救い主が、汚泥にまみれ、落胆の眼差しに貶められるのを、想像しただけで、絶頂に導かれるかのようだ。
 酒瓶の蓋が強固であればあるほどに、その中の美酒の味へと思いが募る。
 どんな声でこの少女は泣くのだろうか?
 甲高いガラスをこすり合わせたような声だろうか? それとも、しゅうしゅうと息を漏らすような鳴き声だろうか?
 そのときを夢見ながら龍之介は、腹の中から、ぬらりぬらりと光る腸管を抜き出し、机に金属片で縫いとめる。
 青髭の魔術により、痛みを麻痺させる脳内物質は遮断されている。
 この少女の強靭な精神力も遠からず陥落するはずなのだ。
 ゆっくりとそのときを待てばよい。
 だというのに、ピアノ線が内臓に括り付けられ鍵盤に縫いとめられても、
 最後の最後、調律するために鍵盤を金属片ではじいても、少女は呪詛どころか悲鳴一つ上げなかった。
「……なんだよ? これ?」
 背中がじっとりと濡れている。
 龍之介は自分が作品にした相手が何者なのか理解できなくなっていた。
 間違いない。
 この目の前にいる少女はただ、嬲られているだけだ。
 だというのに、なぜ、自分が畏怖しなくてはならないのか?
 自分の拷問に耐えるなど、あってはならないことなのだ。
 解らない。
 この少女は、龍之介の理解を超えていた。
「ウソだろ?」
 なぜ、この少女を壊せない?
 どんなに強固なものであったとしても、形が有る限りそれは壊れるのだ。
 それが摂理であり、掟だ。
 ましてや自分は、人間の精神の壊し方の専門家だ。
 死の司祭。殺戮の芸術家なのだ。
 だというのになぜ、この十に満たない少女を壊すことが出来ないのだ?
 龍之介には理解できるはずなど無い。
 この少女がもうすでに、誰かの作品として、龍之介が行う以上の責め苦に耐え抜いてきたことなど。
 間桐桜という少女が何ゆえに、龍之介を挑発したのかなど解るはずがない。
 この少女は、怯えていた。
 自分が悲鳴を上げることで、あのコトネという少女が、あの人の名前を呼ぶことを。
 憎んでいた。
 自分の身さえも護れない弱虫たちを。
 恨んでいた。
 何度、助けを呼んで泣き叫んでも救出に来てくれなかった人々を。
 しかし、それ以上に。本人も全く気づいていないが。
 間桐桜は、ぐつぐつと煮えくり返るほどに、小さな体が黒く染まるほどに。理不尽な仕打ちと、この世界に、心の底から怒っていたのだから。






 遅れてすみません。次回は来週中に上げます……たぶんorz



[5049] Fate/zero×spear of beast 21
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2011/12/25 03:54




 アサシンは真剣に悩んでいた。
 原因はいくつもある。というか、悩まなくて良い理由を探すほうが難しい。
 聖杯戦争に、一番最初に召喚されたアドバンテージを最大限に生かして、情報戦で圧倒しようと思ったのも束の間。
 自分を召喚したマスターは、最初からこの戦争を勝ち抜く気などさらさらない。
 しかも、師匠である魔術師の時臣は、間違いなく自分達を使い捨ての駒として考えている。
 さらに、他のサーヴァントは全てバケモノじみたスペックを誇り、とりわけ時臣のアーチャーは最強であり、寝首をかこうとしても、そうそうできるものではない。
 戦いが煮詰まってきたら、間違いなく使い捨ての駒として令呪により聖杯へとくべられるだろう。
 このまま聖杯戦争が進んで、アサシンたる自分が勝ち残り、願望を叶えるなどは夢のまた夢である。
 何とか新しいマスターを調達するか、それとも今のマスターが自分の師匠を裏切って聖杯戦争に本腰を入れて名乗りを上げるように唆すように考えていたのだが、このマスターの言峰綺礼という男は変人だった。
 聖杯戦争に、選ばれるマスターには、聖杯を手にするための動機が存在する。聖杯によってかなえたい願いと言い換えても良い。しかし、言峰綺礼という男は、そんな渇望を抱ける男ではなかった。
 いや、もっと正確を期すならば叶えたい願いがないということが、この男の欠落である。名誉も、巨万の富も、理不尽な世界の改変も、死んだ人間を蘇生させるような大望も、天地を喰らう野望も、この男には存在しない。
 欲望というものが、この言峰綺礼という人間にないわけではない。
 アサシンの観察では、この主人は目的意識や安息といったものを見つけられずにいるだけの求道者だ。この世のありとあらゆる物を美しいとも思えず、愛することも出来ずに、自分を痛めつけているだけだ。
 この世には、自分を満足させてくれるものがあるに違いないと、このこの地獄の中に答えがあると。魂の安息を求めて歩むだけの人形。それが得られないのならば、せめて苦痛を持って自らを追い込む壊れかけの人形。己のマスターの言峰綺礼は、そういう人間だと思っていた。
 サーヴァントとマスターは似た者同士が召喚されるという。ならば、自分を召喚したマスターも何らかの心理的欠落を持っていたとしても驚くほどのことはない。むしろ、自分と同じように異様な心の在り方に苦しむ主人に僅かばかりの共感さえ覚えていた。覚えていたのだ。
 しかし、今のマスターの行状は一体何だろうか?
 アーチャーに何か吹き込まれるや否や、涙を流しながら遠坂邸を飛び出した。
 おそらくは、自己の在り方の歪さを、したたかに突かれたのだろう。あのアーチャーの紅い瞳は同じサーヴァントでも、対抗しがたい魔力を秘めている。
 脚の赴くまま夜の街を走るマスター。そこまでは良い。若気の至りというやつだ。そこまでは良かったのだ。
 己がマスターは何を血迷ったか、深夜営業している中華料理屋に駆け込むと滂沱の涙で顔を濡らしながら麻婆豆腐を注文した。
 泰山とかいう中華料理店ののやたらと子供っぽい店長の「おー、言峰さん。いらっしゃいアル」という挨拶から察するに常連のようだ。
 そして、辣油と唐辛子と山椒を煮詰めた地獄の釜のような麻婆をむさぼり食い始めた。
 ガツガツと。水も飲まずに、ザパザパと掻き込むように。
 延々と泣きながら。
 観ているだけで暑苦しい。
 これはアレだろうか?
 元から妙なマスターだと思ってはいたが、ついにおかしくなったのだろうか?
 今すぐに主人が正気かどうかを確認せねばならない。
 霊体化した状態で話しかけても、このマスターは耳を貸そうとはしない。
 実体化して問いただそうにも、さすがに人前にアサシン衣装で実体化する訳にはいかない。
 業を煮やしたアサシンの首領は、一番近い隠れ家から現代用の衣装を調達して来店した。
「おー、美人さん。いらっしゃいアル」
 と、何処からどう見ても小学生の店長が声をかけてくる。
「ここ。相席よろしいかしら?」
「おお、逆ナンっ!? どうぞどうぞ。馬に蹴られて死にたくないアル。注文が決まったら呼ぶといいネ」
「そうですか? それなら、とりあえず紹興酒をお願いします」
 そして、アサシンの首領は言峰綺礼の対面に座る。
 子細に挙動や言動を観察し、主人の異常がどの程度かを調べるためだ。調べるためだったのだが、延々と溶岩の如き麻婆を喰い荒らす主人。額に玉の汗を滲ませ、一滴の水も飲まず、ひたすらにレンゲを動かす神父。
 アレは絶対におかしい。直視してはいけない。
 これはもうダメかもしれない。自分の願いの統合された一個の人格が叶う未来など、永久に訪れないかもしれない。
 神父はこちらにやっと気がついたのか、レンゲを止めて……
「異国のお嬢さん。一口いかがですか?」
「いりません」
 一体何を考えているのだろうか。このマスターは。
 というか、目の前にいる女が自分のサーヴァントだということに気づいていない。
 たしかに、褐色の肌に端整でシャープな外見。
 髑髏の面をはずしてスーツに身を包んだだけなのだが、それだけで妙齢の美女が出来上がっている。本来は男を篭絡し手駒として使うときのために用意した衣装であったのだが、なに悲しくて激辛麻婆豆腐をむさぼり食ってるマスターの前で、着なくてはならないのだ?
 ほんの僅かないらだちを隠し、アサシンは酒を呷る。
「何をしているのですか? マスターは?」
 どうやら声で、その主が自分のサーヴァントだと悟ったようだ。
「見ての通り食事中だ」
 いや、麻婆豆腐を食っているのはわかるのだが、アサシンはそういうことを聞きたいのではない。
「こんな聖杯戦争の真っ只中に? 敵マスターの監視をせねばならないときに、一体何をしているのですか? しかも、貴方は一応脱落者として教会に保護されているということになっているのですよ? こんな店で悠長に食事をしている暇があるのですか?」
 一息にまくし立てたアサシン。口調は穏やかだが心中は平静とは言いがたい。
 とりあえず返答次第では、当身の一発も叩きこんで担ぎ上げ、教会まで連れて帰ろうかという程度には呆れ返っていた。
 やっと麻婆豆腐を食い終わって一息ついた主人は、妙なことを言い出した。
「アサシン。貴様には美しいと思えるものがあるか? 思想や理想、哲学といったものだ。いや、趣味とかそう呼べるものでもいい。自分はなんのために生きているのか、その解答を持っているか?」
 質問に対して質問で返すあたり、この男のコミュニケーション能力を疑うが、しかし、汗ばんだその表情がまるで藁にもすがる求道者のような表情である。どうにか答えたいという欲求を覚えた。
 この百貌のハサンという身にあって、好ましいと感じるものはあるだろうか?
 考える。
 理想と呼べるものは、組織にはあっただろうが、この百貌のハサンには信じるべきものなど存在しなかった。哲学など、異形の心には
「……噂話とか、談合とかならば、趣味と呼べるかも知れません」
 全くもって面白くない答えである。
 しかも、その噂話とかディスカッションというのは、全て自分の頭の中でやっていることである。この多重人格障害のせいで、それぞれの人格に友人と呼べるものは存在はするが、アサシン個体の友と呼べるものは居なかった。
「……そうか。貴様にもあるのか」
 そうつぶやくと、失意に満ちた顔で激辛麻婆を追加オーダーする。
「一体何の話ですか?」
 そう訝しがるアサシンに、綺礼は誰に聞かせるでもなくつぶやく。
「私には何も無い。しかし、いつの日か崇高な理想がこの目に見える時が来ると信じていた。必ず報われる日が来ると。この孤独を分かち合える友がいると。しかし……こんな形で報われるなど……………………………」
 そう口にすると、言峰綺礼は運ばれてきた麻婆豆腐にむしゃぶりついた。
「貴方の理想が断片でも見つかったということですか?」
 そう。もしも、それが見つかったとするのならば、これ以上ない僥倖だ。
 衛宮切嗣とかいう男に主人が執着する必要はなくなった。
 主は気づいていないが、ハサンの観るところあの男は綺礼とは全く別の男だ。あの男の解答とやらが言峰綺礼に利することはまずないだろう。
 この主人が、求めるべき理想や願望を見出したというのならば、それはすなわち、聖杯を求める理由ができたということに他ならない。師匠を裏切り、聖杯戦争に本腰をいれてくれるやも知れない。
 現時点で、アサシンの生存を知覚しているのは、共に謀ったアーチャーを除けばセイバー陣営のみである。しかも、アサシンの見立てでは最強のサーヴァントたるアーチャー陣営の懐に深く潜り込んでおり、遠坂時臣は言峰綺礼に全幅の信頼を寄せている。獅子身中の虫どころの話ではない。喉元に短剣を押し当てているのに当の本人は気づいていないも同然だ。
 アサシンにとっては絶好のシチュエーションと言っても差し支えはなかろう。
 わずかに熱を込めて混ぜ返すアサシンに、綺礼は吐き捨てるように応えた。
「…………こんな答えならば、永久に迷っていたほうが、まだ救いがあった…………」
 そうして綺礼は麻婆豆腐を飲み物のように胃に流し込んだ。
「あの、綺礼さま?」
 なおも問いかけるアサシンを一瞥し、
「まだ居たのか……」
 そう漏らすと、店主に麻婆豆腐を追加注文する。
 たまらないのはアサシンである。
 たしかに自身は影。聖杯戦争においては、主人に完全なる忠誠を誓う傀儡である。少なくとも表面上は。
 その忠誠を誓う下僕に、このあまりにも素っ気ない態度は一体なんだというのか。
「『まだ居たのか』ではありません。綺礼様。それは、あなたの心に吹いていた風を止ませる方法が見つかったということですか? それならば、喜ぶべきことではありませんか?」
「なにが喜ぶべきものか。こんな他者の艱難辛苦を蜜とする悪徳など……。自分が救われざる罪人の魂だと知って、一体何処の愚か者がそれを喜ぶというのだ? 判ったら早くここから去り、他のマスターの監視に戻るがいい」
 これには流石のアサシンも閉口した。
 何やらふつふつと怒りが湧いてくる。
 というか、怒らない理由が見いだせない。
 アサシンは怒りのあまりに酒瓶を鷲掴みにし、グラスに注ぎ、一息に呷る。
 そもそもが、である。影に生きる身ではあるが、このハサン・サッバーハは、アラムート山城を拠点にした暗殺教団の主の一人である。世界に名を刻んだ英雄の一人、それがなにゆえこんな麻婆男に邪険にされなきゃならないのだ?
 しかも、心に悩みを持つ同類だと親近感を抱いていたのはどうやら自分だけ。
 冷徹なる暗殺者とはいえ、これはさすがに苛々するしかない。
 こんなふざけた麻婆マスターのサーヴァントなどやっていてはストレスのあまり、新たな人格が誕生してしまいそうだ。
 アサシンの首領たるもの、いつも冷静に。怒りを沈め、心を落ち着けて。
 自身を律することこそ、プロフェッショナルの証だ。こういうときは大きく深呼吸。
 言うべきセリフは“承知しました、マスター”である。 
「…………ふざけんなよテメェ」
 無理だった。
 今まで抱えていたものが、堰を切ったように流れ出てくる。
「甘えてんじゃねーってんだよ!? ヴォケがっ!? ああんっ!?」
 完全にマスターに対するサーヴァントの物言いではない。
 一度ダムに罅が入ってしまうと、もう後は穴が広がり決壊するだけだ。
 しかし、止まらない。
 気持ちいい。困った。
「あ、アサシン? どうした?」
 忠実なはずの、感情を持たないはずの下僕が、唐突に怒鳴りちらしているのだ。
 さすがの朴念仁のマスターも、何事かと怪訝そうな顔をし始めたが、遅きに失していると言わざるを得ない。
「おめー一人だけが、苦労人面してるんじゃねーって言ってるんだよドアホのボケェがよぉ!! ああ? 死にてえのかッ?」
 阿呆である。間違いない。このハサンは阿呆だ。それもとてつもない。
「……アサシンっ?」
 グラスに注ぐ手間も惜しい。紹興酒を瓶から直接ラッパ飲みする。
 喉が焼けるような強烈な感覚。そして、胃に熱い塊が流し込まれる。
「大体よぉ、サーヴァントを呼び出しておいて、当て馬に使う気満々ってオカシイだろうがよっ!? どーせ最後はアーチャーが勝たせるつもりなんだろ!? だってのにいつまでも、私達が、おとなしく言うこと聞いてるとでも思ってんのか? このタコがっ!!」
 令呪を使われて「叛逆するな」とか言われたら、とりあえずアサシンの命運はここで尽きる。尽きるのだが、昂った感情というのは暴走したダンプカーである。ブレーキの壊れた機関車である。
「たかだか理想が見つからねえ程度なだけで、全世界の不幸を背負ったような顔してるんじゃねえっつてるんだよ。ダボがっ。あたしはなあ、多重人格だぞ? それも八〇人格っ!! 統合された唯一の人格を求めて聖杯戦争に参加したってのに、マスターはやる気ねえし、他のマスターのパシリだし、他のサーヴァントにちょっくらいじめられただけでぴーぴー泣くし。呑まずにやってられるかってんだよ? 酒ぐらい飲ませろっ!!」
「…………」
「おいっ!! マーボー神父っ!!」
「……なんだ?」
「『なんだ』じゃねえ。このネクラがっ!! てめーも呑め!!」
 無理やりグラスを押し付けて、酒を注ぐ。
「……いや……」
 知っている。言峰綺礼という男は、酒を集めるだけ集めるが、全く飲もうとしない。しかし、今のハサンにとってはそんな事はどうでもいい。
「女の酒が飲めねえのか? それでも神父かっ。おら、グッといけ」
「ウチは中華料理屋であって、飲み屋じゃないんだけどネ」
 などと、やたら迷惑そうな声が聞こえたような気がしたが気にしない。
 いつの間にか、完全に出来上がっていた。
 酔っぱらいが道に迷った青年にすることなどただひとつである。
 すなわち説教。
「てめーはアホかぁ? 人の不幸が蜜の味だからって、それがなんだってんだよっ。他人がひでぇめに遭っているのを密かに喜んでた自分に気付いて『自分は汚い人間だった。かわいそうな僕ちゃんを甘えさせて~』って、一体どこの中学生だよっ?」
 酒臭い息を、“ばふう”と綺礼に浴びせかけながら、アサシンは断言する。
「いや……、それは我が信仰の道においては許されないと……」
「だからそこが馬鹿だって言ってるんだよ。神父なんてやってるくせにそんな事も知らねえのか? いいかぁっ? 完全な人間に信仰なんていらねえんだよ。不完全で、他人の不幸を喜ぶゲスい人間だから、信仰が必要なんだよ。そのぐらい悟ってろ。バカめ」
 ……たしかにそう言われれば一部の隙もない理論である。
「……アサシン。お前、当たり前のように酒を飲んでいるが、教義的にそれはいいのか?」
「暗殺者だ。任務の途中に酒ぐらい飲む機会いくらでもあった。てめーだって神父のくせに結婚してるくせしやがって。知ってるんだぞ? イタリア美人と結婚してたの」
「アサシン。なぜ貴様、そのことを知っている?」
 綺礼の口にわずかに憤怒が混じる。
 そこは綺礼にとっては他のだれにも触れさせたことのない、いわば心の聖域だった。酒に酔っ払ってくだを巻いている下僕ごときに触れられて良い場所ではない。
「あんたの親父のアルバムにあったぞ。この銀髪フェチが。あんな美人と結婚してるくせに、どーせ『私は他人を愛することができない~』とか寝言抜かしてたんだろ? この外道が。そのくせ、子どもまで作りやがってっ。お前、ちゃんと『愛してる』って優しい言葉をかけてやったんだろうな?」
 言ってない。というか、もっとどうしようもなかったような気がする。
「……己のマスターに対して、よくもそこまで憚りなく言えたものだな……」
「あー、そーですか。どーせ、このままでも私の願いは叶わずに、使い潰されて死ぬんですー。令呪なり何なり好きに使えばいいじゃないですか」
 脅し文句も、酔っぱらいには無意味でしかなかった。
 そもそも、こんな下らないことに令呪を使う奴がいれば、マスター失格でしか無い。
「綺礼くん。何のために令呪を使ったのかね?」→「飲んだくれサーヴァントの説教が鬱陶しいので、止めさせました」
 ただの阿呆の所業である。
 ということは、延々と酔っぱらいの説教を聞くしか無い。
 そんな現実にげんなりしながら、麻婆を肴に無理やり注がれた酒を舐める。
 アレだ。欝い。
「大体なあ。おめー馬鹿だろ。聖杯にせっかく選ばれたくせに、なに考えてあんな妙ちくりんな師匠に義理立てしてるんだよ? しかも、魔術殺しの代行者のくせに」
 もう、ありとあらゆる所にツッコミを入れてくるサーヴァントに、辟易としながら答える。
「師父の仮説では、聖杯が遠坂陣営に二人分の令呪を与えるための措置ではないかと言うことだが……」
 アサシンは煩わしそうにひらひらと掌をふり、
「ハッ。そんなことあるわけねーだろ。バッカじゃねーの? そんなんだから主人は阿呆なんだよ」
「…………」
 酔いが覚めたらどうしてくれようか。このアホサーヴァントは。
「聖杯が最初のほうに選ぶ人間は、間違いなく聖杯を切実に欲している人間だけだってのは大原則だって、聖杯戦争の参加者なら誰だって知ってることだろう? だってのに、下働きして本当の願いを叶えないなんて、アホ以外なんて言えばいいんだよ?」
「しかし、私には叶えたい願いなど存在しない。そうである以上、聖杯を獲得することに意味など無い」
 そんな血を吐くような言峰の言葉も酔っ払いには通じない。
 むしろ、余計に機嫌を損ねたようだ。
 ウワバミのように酒を食らいながら、ふんぞり返って放言する。
 せっかくの引き締まった美貌が台無しである。というかオヤジの所業である。
「あー、嫌だ嫌だ。ネクラな主人はよぉ。自分の性格が嫌いだってんならよぉ、聖杯に矯正してもらえばいいじゃねえか」
 しかし、その放言は言峰綺礼という人間の鼓膜を捉えて離さなかった。
 聖なる盃によって、自分の歪みを修正する。その言葉は思いもよらない魔力を秘めていた。
 ありとあらゆる苦行も快楽も、自分を満たすことはなかった。挙句の果てに唐突に突きつけられた解答が、師の苦行に笑みを浮かべ他人の不幸を喜ぶという罪悪。
 聖杯によらねば救われることがないほどに、この魂は生まれながらに罪を背負っていたというのだろうか。それが神から与えられた唯一の解答なのだろうか?
 それならば、自身が聖杯にマスターとして招かれたことにも説明がつく。
 そう思考する暇もあればこそ、
「なにボーっとしてやがる。おい、おめー」
「なんですか?」
 つい反射的に敬語を使ってしまう。
「おら、飲め。飲んで忘れろ」
「はい」
 そうして、グラスからあふれるほどに注がれた酒を味わう。
 奇妙だ。
 酒精など散々味わったはずなのに。
 今まで感じたことのない芳香。
 どことなく苦いようなそれでいて心地よい風味。
 自分が味わったことのない感情。
 それに敢えて名前をつけるのならば、それは期待とか希望とか、そんな綺礼には似つかわしくない感覚であったかも知れない。 










 とりあえず、作者の正気を疑われる21話です。遅くなってすみません。 



[5049] Fate/zero×spear of beast 22
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2012/02/04 19:35
「ランサーよ、居るか?」
 そうロード・エルメロイは夜の街を眼下に捉え、振り返ることなく呟く。
 冬木ハイアットホテル最上階の客室に彼は居た。
「――はい、此処に」
 音もなく精悍なる槍兵は現界を果たす。
 膝を折り、君主に忠を誓う騎士のように。
「今夜はご苦労だった。流石はフィオナ騎士団随一の騎士、ディルムッド・オディナの武勇、存分に見せてもらった」
 臣下の労をねぎらうかのような主の台詞だ。
「恐縮であります、我が主人よ」
 無論、ランサーはその裏にある不信に気がついていた。
 しかし、その上で感情の起伏を見せずにランサーは応じる。
 ひとたび忠誠を誓った君主に疑念を抱かせているのは、己の不徳の故。ならば、揺らぐことのない信頼を勝ち取るため、ただひたすら主のために尽くすのみ。聖杯を捧げたその時こそ、主は己の忠を真として受け入れるだろうと。
 だが、そういった慎み深い態度が、余計に主人たるケイネスの不信を煽っていることに、ランサーは気づかない。
「まあ、欲を言えば、あの場でセイバーの首級を上げるのが最善はであった。しかし、結果だけを鑑みるにそう悪い戦況ではない。いろいろ不満もあるが、これで良しとしよう」
 あのセイバーと渡り合い、左腕の自由を奪うことがどれほどの偉業なのか。その重みを、この主は理解しようとしない。それも仕方がないことである。
 主人は武人ではなく研究者だ。象牙の塔の中で、戦場の血臭と土埃の匂いを理解することなど土台からして無理な話だ。
 しかし、それ故にランサーの心は別の方向からの重圧を感じる。
 この主は、戦場に理屈を求めすぎる傾向がある。しかし、こと戦場においては、全てが理のみに集結することなど無い。チェスのように全ての盤面を見渡すことができない以上、必ず不確定要素が存在する。いかに情報技術が進んだ現在であったとしても、それは例外ではない。戦場の霧と呼ばれる現象だ。
 いかに他の分野で優秀であったとしても、命のやり取りをしたことがないのならば、強力な魔術の担い手であっても、戦いにおいては素人である。
 そのときに、なんの前触れもなく防災ベルが鳴り響き、フロントからの連絡が入る。
 受話器を耳に押し当て、二、三、言葉を交わし、ケイネスは笑った。魔術師らしい、陰惨な微笑だ。
「何事ですか?」
「火事だよ。何箇所かで火の手が上がったそうだ。まあ、何処の誰かまでは判らないが人払いの計らいだろうな」
 ケイネスの口元に浮かぶ笑みが、ランサーには不吉なものに映る。そう、あれは、血気にはやる新兵の笑いだ。
 殺し合いの本質を知らず、修羅場に立つ前の新兵の末路を連想し、ランサーは暗澹たる気分に襲われる。
 ランサーの不安な表情をケイネスは、恐らく別のものとして捉えたのだろう。唱うように命じる。
「ランサー下の階に降りて迎え撃て。ただし、無碍に追い払ったりするなよ?」
「襲撃者の退路を断ち、この階におびき寄せるのですか?」
「そうだ。結界の数二十四層、魔力炉三基、猟犬がわりの悪霊数十、異界化した空間。ご客人には、このケイネス・エルメロイの魔術の粋をぜひ堪能してもらうことにしよう」
 “城”の強固さを唱うように並べる主を余所に、ランサーの表情は晴れない。
 ケイネスは敵が攻めてきたことに明らかに興奮を覚えている。
 戦場における初陣の高揚は、勇敢さではない。ただ、敵を恐れることを知らないだけだ。敵を恐れ、正当に評価することは臆病ではなく慎重さだ。そういったものを、持ち合わせてないのならば、いかに才能に溢れている主であっても、戦場に出るのはこの上なく危ういのだ。
 不安材料はそれだけではない。
 主の自信とは裏腹に、この城は脆いと考えていたからだ。主人を守りながら戦うにはふさわしくない。
 魔術師の魔術師の工房とは内部への侵入者には強固だが、外部からの攻撃には、ことのほか脆い。この“城”は侵入してくる敵に対する備えは完璧に近いが、城の外にいる敵に対する攻撃手段は存在しない。火攻め、水攻め、矢ぶすま、投石機、そういった外敵からの攻撃には無防備に近い。つまり、外からの攻撃には、最大の戦力である自分が打って出る以外に外敵を排除する方法がない。主が考えているような展開にはならないだろう。
 もしも相手が策士ならば、まず、遠距離からの攻撃で散々城を弱らせた後で、じっくり料理しようとするだろう。
 この時刻、先の戦闘の後、こちらに攻め込んでくる陣営といえば十中八九セイバーとそのマスターであろう。こちらに受けた傷を解呪するための当然の処置だ。
 セイバーを圧倒した先の攻防から、主人はランサーの優位を確信しているのかも知れないが、事態はそう簡単ではない。
 かの騎士王は、肝心かなめの至高の宝剣を宝具として使用してはいない。この差は大きい。左手の不利を覆すほどに。
 ランサーは宝具を開帳して彼女の左腕を奪ったが、彼女は剣の英霊たる黄金の剣の真名を叫んではいない。人類最強とまで言われたアーサー王の聖剣のその力は未知数、星が鍛えたと言われる至高の宝具である。その評価はA+を下ることはあるまい。決して安易な相手ではない。左手の優位を勘案しても五分。それが、ランサーの見立てである。
 ともすると、怯懦のそしりを免れぬ考えであるが、それほどにディルムッドはセイバーたる彼女を高く評価していた。
 もしも仮に、ランサーがこの“城”を攻めるとするのならば、取りうる策は二つ。
 まず一つは、マスターとサーヴァントの戦力を分断した陽動策だ。城から自分を誘い出して、その間にサーヴァントという破壊槌がこちらのマスターを襲うという古典的な、それ故に効果は絶大な戦術である。ただでさえ強い魔力耐性を持つサーヴァントだ。もしも仮に攻めこんでくるのが、セイバーとそのマスターだとするのならば、事態は更に深刻だ。対魔力Aの前には、マスター自慢の結界や罠など紙の防壁のように破られてしまうだろう。
 そしてもう一つは――そこまで思考が進んだとき、地面が揺れる。
 何が起きたのかを唐突に、理解した。
 思考よりも早く口と体が動く。
 何事かと訝しがる主人に叫ぶ。
「主、奥方様!! お覚悟を!! 床が崩れます!!」
 僅かながら体重が軽くなるような浮遊感。
 自由落下運動の前兆。
 一瞬の呆けた顔の後、ロード・エルメロイも何事かを悟ったようだった。
 襲撃者の悪辣なる罠に対し、憤怒に相貌を歪ませる。
 ゆっくりと、しかし確実に崩落し始めた部屋のなか、ランサーはほぞを噛む。
 敵の取った手段は、最も単純で、最も効果的で、戦に美学を求めるのならば最も恥知らずな方法だった。
 すなわち、“城”そのものを崩しに掛かったのだ。退路もなくただ宙に浮かんでいる城ならば地面に叩きつけてやればそれだけで事足りる。大量のガレキとともに、およそ200km/hでの激突に耐えることの出来る備えなど、この城には存在しない。
 謀られたという悔恨の念よりも、よくぞやったという賞賛よりも、単純な驚きがまさった。
 この敵は奸計の使い手だ。勇猛なるサーヴァントさえ頼りにせず、姿さえ見せぬまま、最も効果的で、最も辛辣な方法を躊躇なく用いてくる。
 まだ見ぬ敵に畏怖を感じながら、ランサーはただ暗い地面へと落ちていった。








 初めに異変に気づいたのは言峰綺礼だった。
 わずかに傾けたグラスの液面がほんの僅かに揺れ、ほぼ同時に遠雷のような衝撃音が聞こえた。
 なにか大きな建物が崩落したのだと悟った瞬間に、酔いは覚めた。
 なにが起きているのかはわからない。しかし、異常事態であることは間違いない。
 とりあえずの相棒に声をかける。
「アサシン、今の音を聞いたか?」
「ふぁい~? なにをですかぁ~? マスター。もっとのめぇ~!!」
 回らない呂律。トロンとした視線。鷲掴みにした酒瓶。
 完全に酔っ払っていた。いや、泥酔している。サーヴァントのくせになにをやっているのだ?
 こいつはもうダメだ。とりあえず、新しいサーヴァントを探そう。
 そう心に決めて、綺礼は席を立つ。
「ご店主。絶品の麻婆をいつもありがとう。勘定は此処に置くぞ」
 あの物音が聖杯戦争に絡んでのことであることは間違いない。
 すぐに確かめる必要がある。
 そうと決まれば善は急げだ。踵を返し、酔っぱらいを置き去りに――
「――言峰さん。このおねーサン、連れて帰ってネ」
 ――出来なかった。心底迷惑そうな声が、背後から掛けられる。
 小学生店長に言われては仕方がない。出入り禁止にされなかったのがせめてもの救いだ。
 心底業腹であるが、呑んだくれている阿呆を担ぎ上げて綺礼は中華料理屋を後にした。当分此処には来れないと肩を落としながら。
 本来ならば、アインツベルンが最も狙いそうなランサー陣営を監視するのが、自分の目的からすれば常法なのだろうが、この酔っ払いをおんぶしながら、一体なにをどう監視したらいいというのだろうか?
 よしんば首尾よく衛宮切嗣が現れたとしても、
「衛宮切嗣。貴様に話がある」→「どうでもいいが、その酔っぱらい女はなんだ?」→「私のサーヴァントだ」→「………………」
 却下である。ダメダメだ。マスターとして、いや、人間の尊厳としての問題だ。
 酔っぱらいのサーヴァントを担ぎ上げている状態で与えられるほど、この言峰綺礼の人生の解答は安っぽくないのである。
 可哀想な目で見られるのならばまだいいが、笑われでもしたら、きっと立ち直れない。
 唐突にアサシンを道端に投げ捨て、素知らぬ顔で教会のベッドに潜りこむという、どうしようもないプランが頭をよぎる。とてつもなく魅力的な計画だが、アサシンの首領を冬の寒空に放り出したら、アサシンとの関係は決裂するものと考えたほうがいいだろう。とりあえず、次のサーヴァントが見つかるまで保留ということにしておこう。
「――綺礼様」
 声の主は視界にいない。声に聞き覚えもない。というか、覚える気さえ無い。
 しかし何者かは解る。自分の下僕の八十分の一。それ以外の認識は綺礼にはなかった。
 というか、心底どうでもいい。
 一人一人自己紹介されたような気もするが、はっきり言って仮面をつけた八十人をこんな短期間で覚えろというのは無茶振りである。
「アサシンか?」
 その言葉と共に、黒い影が現界を果たす。
「アサシンが一人、ユースフに御座います」
 そんな三秒後に忘れている名前なんぞどうでもいい。
「人前にみだりに姿を晒すなといっておいたはずだが?」
「申し訳ございません。早急に伝えるべき議がございまして……」
「なんだ、言ってみろ」
「実はその……」
 とアサシンが口を開きかけた所で、もう一つの気配が闇に増える。
「――綺礼様」
 また聞き覚えがあるんだか無いんだかわからない声がする。
「アサシンか?」
「アサシンが一人、ウスマーンに御座います。早急に伝えるべき議がございまして」
 もう一人増えた。
「用件は?」
「実はその……」
 そう口にしたときに、またもう一つの気配が背後に生まれる。
「……アサシンだな」
 段々辟易としてきた。
「アサシンが一人、ジャマル。火急の議によりまかりこしました」
 そして最後に現れた影が、他の二人を差し置いて綺礼に話しかける。
「まてぃ貴様!! 儂の方が重要な案件だぞ!?」
「横入りすんじゃねえ!! 後ろに下がってろ!!」
「うるせえ黙れ。お前らみたいな阿呆よりも俺のほうが大事な報告に決まってんだろっ!!」
 などと主人の前でアサシン同士がケンカを始めた。
 これはアレだ。
 飲み過ぎたのだ。
 知らないうちに酒を飲み過ぎて酩酊しているんだろう。
 早く教会に帰って寝よう。疲れているのだ。
「ああ、主待たれよ!!」
「お待ちくださいませ、マスター!!」
「本当に火急の事態なのでございます!!」
 などとかしましく、綺礼の後を追ってくる。しかも姿を消さずに。
 これが他のマスターに目撃されでもしたらと思うと、気が気ではない。
 とりあえずバカ三人を霊体化させてから、近場の公園で会議を始めた。
「右から順番に話せ、いいな?」
 そうしてユースフ、ウスマーン、ジャマルの順に話すように促す。
 ユースフの報告によると、あの遠くから聞こえた物音は、ランサー陣営の本拠地がアインツベルンによって爆破されたものであるらしい。さすがは魔術師殺しの衛宮切嗣である。
 ウスマーンの報告は、ライダーとそのマスターの根城の判明であった。老夫婦に暗示を掛け、そこを根城にしているらしい。
 そして、ジャマルの報告は、禅城の家にいる筈の凛がいなくなり、どうやらこの冬木の街に来ているらしいということだった。
 ユースフ、ウスマーンについては、戦略上大きな案件ではあるが、今すぐにどうこうする必要はない。ランサー、セイバー、ライダー陣営にそれぞれ関しを続けていれば良い。
 しかし、最後の一件はそうは行かない。
 なにより厄介なのは、凛がアサシンに補足されていないということだ。
 禅城の家にはアサシンの監視が付けられていなかった。安全地帯だと判断されていたからだ。
 それが裏目に出てしまったことに、僅かな焦りを感じる。
 凛が何のために冬木に来たのか?
 あの御転婆娘である。おそらくは大人が想像もつかないほどに突拍子も無い理由に違いない。
 それにしても、今は時期が悪い。この冬木には魔術師はおろか、魔術師の理さえも踏みつける無法者が二組いる。
 もしも、そのどちらかに凛が捕まったとしたら、それだけで遠坂の陣営はとてつもない苦境に立たされることになる。
 人質にされた場合は、極めて重大な譲歩を迫られることだろう。
 どの陣営よりも早く確保せねばならない。
 しかし、あの少女が何のためにこの危険地帯の冬木に戻ったのか?
 それは全く綺礼には理解できない。
 彼女が何のために冬木に来たのかなど、この自分にはきっと永久にわからないのだろう。




 バケモノに桜の匂いを辿らせている最中、間桐雁夜は、信じられないものを見つけた。
 それを見つけたのは全くの偶然であり、その点において、自分は幸運であることは認めざるを得なかった。
 最初は何が起きたのかわからなかった。自分の脳が異常をきたし、幻覚を見せているのではないかと疑った。
 それほどに、その人影は、この時間帯この場所に似つかわしくないものだったからだ。 
 その人影は、深夜の街灯に小さく照らされて、そのくせ、やたら堂々とした足取りで、かと思えばあっちに行ったり、こっちに行ったりしながら、雁夜のもとに近づいてきた。
 よく観察してみると、こちらが振り返るたびに、電柱の影に隠れたりと、どうやらこちらに気付かれないように尾行しているつもりらしい。
「おい、ますたー。あのちびっこいのはオメーの知り合いか?」
 どうやらバケモノも気づいたようで、姿を消しながらも、こちらに話しかけてくる。
「ああ、知ってる……」
 知っているどころではない。
 軽くウェイブの掛かったツインテールの黒髪、利発そうな目の輝き。年齢よりも、ほんの僅かに大人びた顔立ち。
 間違いない。
「あー。あのサクラってガキの身内か?」
「――どうして判った?」
「匂いが似てる」
 バケモノの嗅覚に、いちいち驚いている暇はない。いまや、この冬木の街は想像もつかないほどに、とてつもない危険地帯だ。
 いかに凛に、少々の魔術の心得があるからと言って、この街を闊歩している怪物たちに比べれば、ただの子どもと大差ない。
「……で、どうするんだよ?」
 バケモノが姿を表さずに呟く。
 ……それが問題だ。
 この街は遠坂凛という少女には危険過ぎる。
 あの強力なサーヴァントのアーチャーを目撃したマスターならば、時臣にそのまま真っ向勝負など挑むまい。遠坂の娘の存在を見つけたのならば、人質として利用を試みるだろう。
 一代にて悲願を遂げることが不可能である以上、魔術師にとっての後継者とは、自分の命よりも重いことさえある。令呪の削減はおろか、時臣を聖杯戦争から離脱させることさえ、“交渉”次第では可能だろう。
 人質として使うつもりのない雁夜が凛を保護できるのならば、それはこれ以上ないほどの僥倖なのだ。
 普段ならば、なんとか葵に連絡をつなぎ、時臣に知られないように迎えに来てもらう方法を探るところだが、今は生憎そんなことをしている余裕が無い。
 そう立ち止まって考えているうちに、凛の動きがピタリッと静止する。
 僅かな沈黙。
 そして、こちらと反対方向に全力で走りだした。
 おそらくは、こちらが尾行に気がついたことを察したのだろう。しかし、ここで逃がす訳にはいかない。
 なんとしても自分が凛を確保するしか無い。
 追った。
 しかし、すぐに脚がもつれ、もんどりうって倒れる。
 息が続かない。ほんの僅かに走っただけだというのに、呼吸器が発火したかのように熱く、喉の奥がせり上がる。
「……待って……」
 ここで逃げられる訳にはいかない。
 絶対に逃げられるわけには行かないのだ。
「……凛ちゃん……待って」
 倒れながら名前を読んだ。
 顔面をしたたかにコンクリートに強打したせいか、視界に火花が飛ぶ。
 鼻の奥から塩辛い血の味が溢れてきた。
 怖い。また間に合わない。
 その恐怖が、壊死しかかった呼吸器に大量の空気を送り込む。
「凛ちゃん!! 待って!!」
 魂を吐き出すような声が出た。
 少女の足が止まる。ゆっくりと慎重に、様子を伺うような足音がこちらへと近付いて来る。
「カリヤおじさん、ですか?」
 尋ねるような声が掛けられる。
 白く染まった髪、枯れ果てた肉。目深にかぶったウィンドブレーカー。そして硬直したままの左の顔。
 成長期の少女の記憶に残っている自分とは、全く違う姿である。
 しかし、彼女に自分が覚えられているということは、ほんの少しだけ無様を晒している自分にとって、慰めになった。
「ああ、そうだよ。間桐雁夜だ……」
 本来は、大人として、子どもがこんな真夜中に街を出歩いていることを叱らなければならないのだろう。
 しかし、そんなことをしている余裕はない。
「何処か具合がわるいの? すぐ救急車を呼ぶから」
 そうして公衆電話を探しに行こうとする凛を呼び止める。
「大丈夫。ちょっと躓いただけだから」
 救急車など呼ばれても困る。アレは、死なない人間のためのものだ。
 それに今は、医者などに掛かっている暇はない。
「凛ちゃんは、なんでこんな所にいるんだい?」
 最初は重い口調だったが、「お父様やお母様には内緒にしてくれる?」という言葉に雁夜が頷くと、ぽつりぽつりと話し始めた。
 どうやら攫われた少年少女の中に、同級生が居たようでその娘を探しに来たようだ。
 そして、より強い魔力に反応する魔力針をたどってここまでたどり着いたようだ。 
 凛と自分が出会ったのは偶然ではない。バーサーカーの垂れ流している魔力に、おそらくは針が反応していたのだろう。
 御転婆というよりは、自殺願望というかなんと言うか……。正直に言って無謀としか言いようがない。
「凛ちゃんは今の冬木がどんなに危ないところなのか知ってるのかい?」
 ついついお説教じみたことを口にしてしまう。
 今は勇気や誇りがモノを言う状況ではない。
「……でも雁夜おじさんだって魔術師じゃないのに……」
 ぷうっと頬をふくらませて言う。
 おそらくは、凛は自分のことを聖杯戦争の参加者だとは知らないのだろう。
 さて、この厄介な状況を、この娘にどう説明したものかと、思案にくれていると、
「……ああ、まったくまどろっこしいなあ!!」
 いきなりバケモノが姿を表した。
 雁夜の時間が止まる。
 凛の時間も止まる。
「ますたー。てめー、急いでるんだろうか!!」
 凛が口をパクパクさせ、手足をバタバタと羽ばたかせてそれからやっと口を開く。
「………………かかかかかかかか……雁夜おじさんっ!!! オバケっ!!! オバケっ!!」
 ペタンと尻餅をつく。
「お、お前っ!! 何考えてんだっ!? もっとソフトに登場しろよ!! 凛ちゃんが心臓発作起こしたらどうするんだよ!?」
「やかましい」
 たてがみが拳へと変わって、ゴンッと殴られた。
 痛みに耐えてうずくまる雁夜を余所に、バケモノは続ける。
「おう、小娘。ことねとかいうガキをたすけるために来たんだな?」
 凛は、こくこくと頷く。
「ならワシらについてこいや。オメーの探してるガキも多分ソコにいる」
 バケモノは雁夜の体を担ぎ上げて歩き出す。
「まって」
 硬い声が掛けられる。
「なんだ?」
「貴方、雁夜おじさんのサーヴァント?」
 振り返るといつのまにやら震える脚で、しかし仁王立ちしている少女が居た。
「だったらなんだ?」
 バケモノの歩みが止まる。
「おじさんは、マスターなんですね?」
 そう問う声は、警戒と悲しみと、ある種の威厳に溢れていた。
 この娘に嘘は付けない。
 昔からそうだった。
 この娘は嘘や白々しさを見抜く。
「ああ」
 そう答えるのが雁夜にとって精一杯だった。
 凛の悲しみに雁夜は気付いていた。
 街頭に照らされた、彼女の目に浮かぶ涙の意味も。
 あのこらえている涙は間違いなく自分のせいなのだ。
「雁夜おじさん。わたしも連れて行ってくれますか?」
 その言葉には、わずかにだが、線引きというか、他人行儀な物が混じっていた。
 もう、この娘は解っているのだ。いずれ自分の父親と、間桐雁夜という人間が敵対するということを。その上で、父親の敵に助力を乞うているのだと。
 なら大人として、いや聖杯戦争の参加者としては、こう答えるしか無い。
「ああ。でも危険だし怖い思いもするかもしれない。僕やコイツは凛ちゃんを守れないかも知れない。それでもいいのかい?」
「はい。雁夜おじさん。よろしくお願いします」
 その言葉は、決別だった。
 凛にとって、日常への。
 雁夜にとって、つまらない、それでいて捨て切れない感傷への。
 
 






[5049] Fate/zero×spear of beast 23
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2012/03/08 11:31


 未遠川のほとりに三人はいた。桜の匂いをたどって川のほとりまで来たは良いものの、そこから先に進めずに居た。川の大量の水に匂いがかき消されて追跡が不能になったのだ。
「……どうする。おい」 
 雁夜は、焦燥を押し殺し相棒に話しかける。
「慌てるなマスター」
 そうつぶやくバーサーカーは、なにかを待っているかのように佇んでいた。
 全神経を集中させ、体毛を逆立てて。
「凛ちゃん。その魔力針は?」
「ダメです。そのサーヴァントにしか反応しません」
 どうやら、最も近くにある強い魔力にのみ反応する仕組みであるらしい。
 となると八方ふさがりだ。 
 向こう岸にわたり、河口から汲まなく匂いを探せば再度追跡することが可能かもしれないが、そんなことをしていたら時間がいくらあっても足りはしないだろう。
「『慌てるな』って、何か探すあてがあるのか?」
「あのガキが正気なら、多分な」
 そうつぶやくと、バケモノは押し黙った。 
 なにかを待っているかのように。




 腐敗した血臭のなか、雨生龍之介はただ一人佇んでいた。
 屈辱と敗北感まみれながら。
 自分は生と死の調律師のはずだ。
 人間の人生を操り、弄び、愛し、そして深淵を覗き込むのが雨生龍之介のはずだ。
 苦痛と悲鳴を上げる人間オルガン。それはこの自分の最高傑作になるはずだったのだ。
 だというのに、この少女はただの一言も悲鳴をもらしてくれない。
 生と死の悲劇を歌い上げる楽器のはずなのに、この少女は悲鳴をあげない。
 苦痛のかさが足りないのではないかと、龍之介の知る限りありとあらゆる試行錯誤を繰り返したが、この少女は悲鳴をあげてくれないのだ。
 とり出された腸管に貼りつけられたワイヤーが震えただけで、人間ならば失神は免れないほどの苦痛を感じるはずだ。
 悲鳴を上げるどころか、眉一つ動かさない少女。最高傑作どころか、人間パラソルに続いての大失態である。苦悶の声を上げさせることによって、この少女は芸術作品になるはずだったのだ。
 いや、それ以前の問題だ。
 悲鳴とは、苦痛の開放だ。それさえできないのならば、この自分は死と生を司る司祭として落第だ。
 しかし、これ以上あの少女を追い詰める方法を、雨生龍之介は知らなかった。
 いや、それ以前に龍之介はこの少女と賭けをしていた。この少女をオルガンにすることが出来なかった以上、他の子どもたちは開放しなくてなならない。
 捕らえた獲物を解放するなど、今までただの一度もなかった。豹が獲物を取り逃がすなど、沽券に関わる。
 この少女を更に追い込むのは、自分では無理だ。
 しかし待てよ? と思い当たる。たしかに龍之介ではダメだったが、青髭の旦那ならばどうだろうか。
 この龍之介でも思いつきもしなかった、犯し方、殺し方をいくつも知っている。あの旦那ならば、桜という少女の悲鳴を引き出せるかも知れない。
 闇色の空気が大きく揺らぐ。この工房の主の帰還を知らせていた。
 燭台の横にゆっくりと照らしだされた矮躯の魔術師。
「あ、おかえり。旦那、ちょっと相談があるんだけど……」
 出迎える龍之介に、キャスターはすがりついた。刎頚の友にするように。
「おおおお、龍之介っ。この世にはなんと痛ましいことがあるのでしょう! 麗しの聖処女は! あらゆる尊厳を奪われて、あらゆる陵辱を加えられ! それでもなお悲鳴を上げてくれない! わが聖処女が、なぜ私めを頼ってくれないのですかっ!」
「旦那?」
 カメレオンのような瞳から、大量の涙を溢れさせキャスターは嘆く。
「死した後も、あの聖処女は、まだあのような辱めを…………オオオオオ、生前の過去を忘れ去り、ただ自分のことをセイバーと。あのような忌まわしい呪いを、ぜひとも解放して差し上げねばならない……。龍之介、それには貴方の協力が必要です! 力を貸していただけますか?」
『青髭』は龍之介は師弟であると同時に、世界に二人といない友であった。
 なにがなにやらわからないが、返答は決まってる。
「うん。旦那、できることなら何でもやるよ。そういえばオレも旦那に聞きたいことがあってさ……」
「なんですか、龍之介?」
「ちょっとこの娘を見てくれない?」
 血みどろのワイヤーが括り付けられた少女と鍵盤。誰の目から見ても瀕死の少女と、ガラクタの束にしか見えないが、キャスターは創作者の意匠を正確に汲みとった。
「おお、オルガンが完成したのですね!」
 気不味そうに龍之介は頭を掻く。
「いや、そのはずなんだけど、さあ……」
 鍵盤を血に濡れた指で弾く。鍵盤に括り付けられたワイヤーが腸へ縫いとめられた金属片へと振動を伝え、オルガンの素材になった人間に耐えがたい苦痛を与えるはずなのだ。しかし、桜はピクリとも反応しない。
「こんな具合でさあ、旦那なら、このオルガンを調律できるんじゃないかな~なんて思ったりしたんだけど……」
 事情を聞いたキャスターはニンマリと破顔する。
「なるほどなるほど。ならばこうしてはどうでしょう」
 キャスターは蜘蛛のような掌で、犠牲者となった家具の頭を砕く。
 頭蓋骨の割れる音。飛び散る脳漿。
「聞いたところ、貴女はここの子どもたちの身代わりになったとのこと。気高いですねえ。愛しの聖処女を思い出しますねぇ」
 そうして、ねじりとった残骸の首を桜の前につきつける。
「貴女が叫び声を挙げないと、ここにいる子どもたちを皆殺しにます。いかがですか?」
 唐突なルール変更。
 もしも、この少女が慈愛の精神で身代わりになったのならば、悲鳴をあげずにはいられないはずだ。キャスターと龍之介はそうふんだ。
「さあ。恐れることはありませんよ。慈悲の精神をお見せなさい。気高さを捨て涙を流し、あなたの内にある嘆きを解放するのです。窮地に助けの手が来ることなどない、辱めを与えたものに怒りの声を、気高さを哀願に、尊さを卑しさに、希望を絶望に歪ませるのです!」
 熱を込めたキャスターの演説。
 期待に満ちた誘導。
 しかし、桜の口から溢れでたものは「ふ…………ふ…………ふ…………ふふ……ふふふふふふふ」という嘲笑だった。
 息も絶え絶えの声。
 誰を笑っているのかはわからない。
 いや、本当は解っている。
 あるのだ。助かる方法はあるのだ。
 しかし、それをする勇気がない。
 もしも、“アレ”をやって助けが来なければ、こんどこそ自分は壊れてしまうだろう。
 いまならばまだ、今ならばまだ耐えられるのだ。
 あのオバケと物分りの悪いあの人はきっと来てくれるんだろう。でも万が一こなかったら、今度こそ自分は終わりだ。
 それに、もうあの金色の髪留めを引く勇気はない。
 怖かったからだ。あの髪留めを思い切り引っ張って、それでなにも怒らなかったら、そのときは完全に壊れてしまうだろう。
 相変わらず意気地なしの臆病者だ。
 そんな自分が滑稽で、桜は笑った。
 本当は泣くべきなのだろう。しかし、泣き方を忘れてしまった。
 どうやれば涙を流せるのか? どうしたら悲鳴をあげられるのか?
 そんな桜の様子をまじまじと見つめて、キャスターは何かしらひらめいたようだ。
「なるほど。なかなか強情なお嬢さんのようですね。では、まず、この子から生贄になっていただきましょうか?」
 そうすると、キャスターは無造作に少年を一人掴み上げると何やら呪文をつぶやいた。
 周囲から極太のロープのような触手が、少年に殺到する。そして、万力のような力を込める。
「お嬢さん。これから私が一〇数える間に、貴女が悲鳴を上げればこの少年は助かります。よろしいですね」
 桜はみじろぎひとつしなかった、いや、出来なかった。
 自分が悲鳴を上げればあの少年は助かるのだ。しかし、どうしたら、悲鳴を挙げられる?
 どうやれば、涙をながすことが出来るのだ?
 わからない。
 こんな時にどうして自分は笑うことしかできないのだろうか?
 すすり泣きが聞こえた。
「……りんちゃん、いやだよぉ。助けてよぉ……」
 耳障りな声だった。
 その声を聞くと、心の中に黒々とした汚泥が溜まっていくかのようだ。
 暗い地下室の中で、桜の髪留めが金色に輝いていた。
「苦しいときには誰も助けになんてこない」
 そうつぶやく桜にバケモノが、
「もし、なにかあったらそれを思い切り引っぱれ」
 と、ぶっきらぼうにと桜に寄越したものだ。
「他の弱っちい奴とワシは違うのよ。ワシは誰よりも強いからな」
 そう誇らしげに言った。
 あのオバケは、あの金色の糸を引っ張れば、ここに駆けつけるのだろう。物分りの悪いあの人も一緒に。
 助けに来なかったあの人達とは違って、きっと来てくれるのだろう。
 しかし、もしかしたらこないかも知れない。99.99999……%いや、もしかしたらそれ以上の可能性で助けに来てくれるのだろう。しかし、こない可能性が0ではない。だから桜は金色の紐を引くことが出来なかった。
 もし、もう一度助けを呼んで、あの物分りの悪いおじさんと金色のオバケがこなかったら、自分はこんどこそ壊れてしまうだろう。
 それだけではない。あのコトネという少女は、桜が壊れたら凛の名前を呼ぶだろう。
 嫌だ。あの人の名前をよばれるのは嫌だ。
 そう思うと、桜の中に衝動が生まれた。
 胃の中に、心臓の中に、精神の奥底に沈殿していた
 異変はそれだけではない。
 ゆっくりと、しかし間違いなく、桜は変貌していった。艷やかだった黒髪が、灰色から純白へ、純白の肌は昏く闇色に。まるで、漆黒のドレスを纏ったかのような。
「……旦那ぁ? これって」
 それは異変だった。生贄だと感じていた生き物が、突然危険な毒液をまき散らしたかのような。
 だれが知るであろうか。間桐桜の希少な架空元素という属性が、苦痛により発現したなど。
 ゆっくりとしかし確実にこの貯水槽に、影が広がり、すべてを覆い尽くそうとしていたなど誰が知り得ようか。
 闇色の影がゆっくりと広がり、龍之介の創りだした、家具、衣類、楽器、食器、絵画を飲み込む。
「……ああ、なんだよぉ、これは!? ヒデエッ……ッ! なんなんだよこれェっ!」
 心血を注いだ“アート”が、桜から広がった沼に引きこまれて、同情を誘うような悲鳴を上げる。
 広がる影の中心。
 その中心で、桜は酸素の足りない水槽で口を動かす金魚のように何かしらつぶやいていた。
 誰にも聞き取れない声で。
「…………」
 本当はただ、一言「助けて」とつぶやけば良いはずなのに。
 金色の髪留めが、影に触れて燃え尽きる。まるで、紙切れが炎に触れたかのように。




 体毛を逆立てていたバケモノが、ビクリっと反応した。
「……くっ」
 喉の奥から閊えているものを押し出すような声だ。
「………くっ……くっ……く………………くっ……く……」
 バーサーカーは向こう岸の一点を注視していた。
 貯水槽のから注ぎ出された排水口。
「くくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくく」
 バーサーカーの体毛が雁夜と凛に巻き付く。しっかりと、離さないように。
「おいっ! バーサーカー! 桜ちゃんが、どこにいるのか判ったのか?」
 下僕は言葉ではなく行動で応えた。
「くぁははははははははははははははははははははははは」
 有無も言わさずに、バケモノの躰が浮く。
 雷をまき散らしながら、最高速で、一直線で、ただひたすらに。
 橋を飛び越え、向こう岸へと一瞬で渡り、下水管の中にひしめく水性の怪魔を、蹴散らし、焼き尽くし、引きちぎり、殺しつくしながら。
 あの少女の元へと一瞬でも早く辿り着くために。








[5049] 遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです5
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2012/03/10 08:33




 黒い巨体が坂の上から飛んだ。
 文字通り、一瞬で飛来した。
「下がっておれ、セイバーとそのマスター」
 そういうが早いか、アーチャーの尻尾は剣針となり、バーサーカーの黒い巨体へと降り注ぐ。
――闇に走る銀光。
 アーチャーの体毛が変化し無数の針となって降り注ぐ。
 ただの針ではない。一発一発が魔力に満ちた必殺の矢である。
 高速で飛来するそれは、あえて言葉にするのならば絨毯爆撃だ。
 しかし、
「うそ? 効いてない?」
 有り得ないことだった。
 アーチャーの力は凛が一番良く知っている。間違いなく最強。バーサーカーがいかに狂化でステータスを底上げしていたとしても、アーチャーの攻撃を受けて無傷などということはありえないはずなのだ。
 しかし、解き放たれた無数の剣針はバーサーカーの肉はおろか皮を裂くことさえ叶わずに地面へとはじき飛ばされる。
 黒い巨人は、アーチャーの攻撃には、なんの痛痒を感じた様子もなくいともたやすく懐に潜り込むと、巨大な岩剣を叩きつけるように振るった。
 それはあたかも竜巻のような剣撃であった。
 一合振るうたびにアスファルトがえぐれ、電柱をなぎ倒しアーチャーの首を狙う。
 その破壊の凄まじさは、あえて比べるものがあるとするのならば近代兵器の手加減抜きの集中運用であろうか。
 しかし、それらの当たれば絶命を免れない暴風のような剣撃を、アーチャーは一歩も引かずにその尻尾で受け止めている。
「ほほ、やるのぅ黒い奴」
 いや、引かずに受け止めているだけではない。野獣の如きバーサーカーの連撃を巧みに受け流しつつ、その尻尾をバーサーカーへと叩きつける。
 しかし、バーサーカーの躰には傷ひとつついた様子もなく、大剣でアーチャーを薙ぎ払う。
「アーチャーっ!?」
 ほぼAランクのステータスを誇るアーチャーがはじき飛ばされた。
 なんという怪物だろうか? アーチャーの尻尾を物ともせずに戦い続けるあの屈強さ。間違いない。アレは何かしらの能力が付加された加護か、あるいは『法則』か? そうでなければ説明がつかない。
 数十メートル弾き飛ばされたアーチャーに、トドメを刺そうとバーサーカーは突進する。
 倒れているアーチャーに斧剣を叩きつけようとするバーサーカー。
 しかし、白銀の旋風がその斧剣を受け止めていた。
「セイバー?」
 なぜ、この場にセイバーが居る?
 疑問は氷解した。
 振り返ると、そこには馬鹿な顔をした赤毛の少年が居た。
 無理やり手を引くと、一気にまくし立てる。
「なんであんたがここにいるのよ! こっちに来なさい」
 そうして物陰に士郎を押し込める。
「なに考えてるのよアンタっ! 逃げろって言ったでしょ! 聞こえなかったの? 衛宮くんは戦う手段がないんだからここにいるだけ邪魔な足手まといよ?」
「い、いや、そんなに怒らなくても」
「怒るに決まってるじゃない。今日一日は私はあなたの味方で、敵になるのは明日からだって言ったわよね? なら、ちゃんとあなたには生き延びてもらわないと困るのよっ!」
「えっと、俺が死ぬとなんで遠坂が困るんだ?」
 ……そう言われると困る。
 これはルールだ。魔術師としての沽券の問題だ。
 無関係な人間を巻き込まない。巻き込んだ場合は自分で責任を取る。それが魔術師遠坂凛が己に課したルールだなどと、こんなドシロウトに説教した所で理解されることはないだろう。
 そう悶々としていると、
「それに、遠坂とアーチャーは俺達のためにああして戦ってるんだろう? ならオレとセイバーが離れる訳にはいかないじゃないか。それに、もし立場が逆だったら遠坂は逃げるのか?」
 身も蓋もない、それでいて反論しようもない正論を少年は吐いた。
「そのとおりね。判ったわ。でも、これだけは覚えておいて。野垂れ死には自分もちよ?」
「ああ、わかってる」
 セイバーの加入により、戦況は変わったかに見えた。
 しかし、圧倒的な力と速度。それに加えて巨体ゆえの間合い。
 いかに高いステータスを有していたとしても、セイバーは少女、アーチャーにいたっては幼女である。
 バーサーカーの嵐のような剣撃を受け止めるだけの力を二人は持っていない。
 大地ごと叩き割るかのような岩剣の一撃に、セイバーが吹き飛ばされる。
 バーサーカーの大剣を受け止めたものの、大きく体勢を崩し膝をつく。
 その隙を見逃さずに嵐のように襲いかかる剣をアーチャーが尻尾で受け止める。二人で隙を補い合って、やっと互角の戦い。
 絶え間なく繰り出される暴風雨のような攻撃。加えて、こちらの攻撃は、何らかの加護によって無効化されている。これでは勝負になどなりはしない。
 一合ごとに削られる体力と、魔力。このままでは最悪二人とも脱落する。
 そして、均衡が崩れた。
 セイバーが岩剣をかわし損ね、弾き飛ばされたのだ。
 なんとか、剣を杖がわりにして立ち上がろうとする少女。
 しかし、全身に鮮血が溢れている。ひと目でわかる。もはや立ち上がることさえ不可能な傷。並の人間ならば致命傷だ。
「いいわよ、バーサーカー。そいつ再生するから一撃で仕留めなさい」
 不味い。セイバーが殺られる前になんとか手を打たないと……。そう考える凛の横から、
「こ----のぉおおおおおおお………!!!!」
 全力でかけ出した馬鹿が居た。
「衛宮くんっ!?」
 止める暇などありはしなかった。
 おそらくはセイバーをバーサーカーから守ろうとしたのだろう。
 その結果、バーサーカーの一撃を士郎は受けた。
 腹から下が、抉り取られるような剣撃。
 時間が止まった。
 アーチャーもセイバーも、そしてイリヤスフィールも、目の前で起きた状況を理解できなかった。
「ごふっ--」
 肺に溜まっていた空気を士郎ははきだした。
 完全に致命傷だ。
「--なんで?」
 銀髪の少女は信じられないものを見たかのようにつぶやく。
「もういい、こんなのつまんない。今日のところはこれで終わりにしてあげる。リン、次会ったら殺すから」
 そう言うと、バーサーカーを呼び戻し立ち去った。
「…………あんた、なに考えてるの? そんなに死にたいのっ!!」
 これ程酷い外傷に、治療魔術など気休めにしかならない。
 死にかけている人間を蘇生させるなんて、芸当はこの遠坂凛にはできない。
「アーチャーっ! 早く来て、コイツを治せる?」
「我をアーチャーと呼ぶでない。まあ、造作も無い。少々魔力を回してもらうことになるが、良いかの?」
「いいわ。好きなだけ持って行きなさい」
 そう言いながら傷を見る。酷い。背骨だけが残っているが、内蔵という内臓がすべて吹き飛んでいる。
 即死でないのが奇跡な部類だ。
 しかし、おかしいのはそこではない。
 内蔵が、ひとりでにズルズルアスファルトをつたい勝手に治り始めたのだ。
「なに? これ? アンタがやってるの?」
「いや、我はなにもしとらんぞ?」
 おかしい。
 仮説はいくつか立てられるが、そのどれもが、疑わしい。
「ところで主よ」
「なに?」
「何やら聞こえぬか?」
 聴覚を強化してみる。サイレンの音だ。
 こんな路地で、アレだけ派手にやらかしたのだ。
 数分以内にこの場所に公権力が来るだろう。
「アンタはセイバーを運んで。私は衛宮くんを運ぶから」
「了解じゃ、主よ」
 そうして凛たちは衛宮邸へと士郎を運んだ。




 目を覚ますと見慣れた部屋に居た。
 しかし、いつもの目覚めと違うのは……三人の少女が怒りに満ちた顔で士郎をのぞき込んでいることだ。
「おはよう、衛宮くん。勝手に上がらせてもらっているわね……」
 三者が三者とも、今すぐにも爆発しそうな活火山のような顔をして。
「あ、あの。遠坂さん……?」
 セイバーもアーチャーも、いかにも怒ってます、という表情だ。
「衛宮くん。正座して」
「マスター。正座してください」
「正座せい」
 なぜこの三人がこんなに怒り狂っているのか?
「――まて」
 思い出した。なにをのんびりと寝っ転がっているのか。
 セイバーを助けようとして失敗し、バーサーカーの一撃を食らったのだ。
「うっ……」
 途端に吐き気が押し寄せてくる。よく見ると腹部に包帯が巻かれて、全身に痛みが走る。
「俺……あの怪物に……ばっさり殺られたんじゃ……」
「思い出したかの? 自分がどれだけバカなことをしたのか。まさかサーヴァント同士の戦いに生身で突っ込んでくるなど、お主は本物の阿呆じゃな」
「その通りです! マスター。貴方はなにを考えているのですか? マスターが死んでしまえばサーヴァントは現界できない。ゆえにマスターがサーヴァントをかばうなど言語道断です!」
 二人のサーヴァントに凄まじい剣幕でまくし立てられる。
「……遠坂っ」
 と助け舟を期待して横目で遠坂を見る。
 遠坂は、ふん、と鼻を鳴らしいじめっ子のような表情でこちらを覗き込む。
「沢山の説教してもらいなさい。衛宮くん。それが貴方のためよ。もう一度あんなことしたら、今度は誰も貴方を助けようなんて思わないんだからね?」
 その言葉を待ってましたとばかりに、二人のサーヴァントは口を開く。
「大体じゃな、やられそうに見えたのは、我の演技じゃ!! 本当はあそこから我の華麗な逆転劇が始まる予定だったのじゃぞ!! それをお主が余計な真似をするから仕留め損なってしまったではないか!!」
「その通りです。確かに戦局は不利でしたが、私にも決して勝算のない戦いではありませんでした!!」
「我の宝具を使えば、あの程度の筋肉ダルマなぞチョチョイのちょいじゃ! それを余計な真似をしおってからに!!」
「わ、私の宝具も捨てたものではありません! 確かにバーサーカーは強力な敵ですが、それでも宝具さえ使えれば決して遅れをとることなど……」
 二人の美少女の剣幕にたじたじになる。
「あ、あの……」
「「黙って聞け」」
「……はい」
 僅かな反論も許そうとしないサーヴァント二人。
 その二人を横目に遠坂は席を立つ。
「と、遠坂ぁ」
 一人にしないでくれと哀願する士郎。
「衛宮くん。私は朝食の準備をしてくるわ。その間二人にしっかりとお説教してもらいなさい。それが貴方のためよ」
 そうして後には正座して説教される衛宮士郎だけが残された。
 








[5049] Fate/zero×spear of beast 24
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:6aee6c44
Date: 2012/03/29 12:19


 報告を受けた綺礼は各陣営の監視を最小限にし、残りのアサシンをあのお転婆娘の探索へと向かわせた。
 衛宮切嗣への執着も、各陣営の動向も、流石に師の娘の行方より優先させる訳にはいかない。
 とりあえずアサシンに身柄を拘束させたら、禅城の家から奥方を呼び出して、こんな阿呆なことをもう二度としないように、言い含めてもらうことにしよう。
 なぜ、遠坂凛がこの街に戻ってきたのかはわからないが、よりにもよってこんな時期に何をしに舞い戻ってきたのか?
 もしもくだらない理由だったら、叱るふりをして思い切り一発殴っておこう。
「――綺礼様」
「アサシンか?」
 黒い影が現界を果たし、報告を始める。
「遠坂家のご息女の足取りが掴めましたので、ご報告に上がりました」
「ほう、そうか」
 案外早い発見の報告に、綺礼の表情がわずかに緩む。
「ならば話が早い。遠坂家のご息女はどちらにいる?」
「それが……」
 アサシンは何やら言いにくそうに言葉を濁した。
「どうした? 報告ははっきりとしろ」
「一足違いですでに、他のマスターとともに行動しており、確保するのは事実上不可能かと」
 頭痛がした。
 それに目眩もだ。
「凛を拐かしたのは、どの陣営だ?」
「バーサーカーと、そのマスターです」
 最悪である。
 考えられうる限り最悪のシチュエーションだ。
 バーサーカーのマスターは、時臣師に対する個人的な恨みで聖杯戦争に参加している。あのお転婆娘に危害を加えることは考えにくいが、しかし、それであっても、どんな要求をしてくるのか判ったものではない。
「それで、バーサーカーのマスターは今どこに?」
「拉致されたもう一人のご息女を探しに未音川のあたりを徘徊しております。おそらくはキャスターの根城を探しているのではないかと……」
「凛を連れたままでか?」
「そのようです」
 もはや状況は、最悪を通り越して一刻の猶予もないことが知れた。
 間違いなくバーサーカーとそのマスターの雁夜は、キャスターの根城に攻め込み、一戦交える腹づもりだろう。
 最弱のクラスと言われるキャスターであっても、それは真っ向勝負に関してのみの話である。こと防衛戦においては、キャスターは陣地作成スキルによって最高のアドバンテージを誇るクラスだ。
 バーサーカーとの一戦はとてつもなく激しい物になるに違いない。
 いくら凛が魔術の手ほどきを受けているとはいえ、少女の学んでいる魔術など、この街を闊歩している怪物たちから見れば一般人と何ら変わらない。
 凛が戦いに巻き込まれて、最悪命を落すようなことになれば、それこそ時臣師は聖杯戦争などに参加している余裕さえ無くすだろう。
 そうなれば、衛宮切嗣との邂逅も不可能になる。
 となれば自分が凛を奪還する以外に方法はない。
「案内しろ。連中はどこにいる」
 極めて危険で分の悪い賭けだが、それ以外に対策が思いつかないのだから仕方が無い。
 綺礼はアサシンの首領を背負ったまま、未音川のほとりへ駆け出した。




 



「旦那ぁっ! なんだよコレ!」
 龍之介の狼狽は頂点を極めていた。
 この龍之介にとって、死体とは破壊された肉体ではない。人体という素材を元に、創り出されるものだ。それは、人間をただひたすら殺したり、傷つけたりする野蛮な連中には理解することさえできない境地である。
 本当の美とは、芸術とは、情熱と感性の爆発だ。
 陶芸家が泥の塊から、意匠を凝らして芸術品を作り出すように、自分は人体から精魂を込めて至高のアートを作り出したのだ。
 ただの土くれではない、人間をキャンバスに芸術を実行できる人間など、この龍之介の他に一体誰がいようか?
 それは言わば奇跡だった。
 俗世の法や倫理に縛られずに、丹念に人体を創作し殺害するという行為。
 それを与えられた特権に、龍之介の創作意欲は最高に湧き上がった。
 龍之介が“創った”ものは、絵画やオブジェなどの芸術品だけではない。
 衣類や雑貨などの日用品、食器や家具などの工芸品にまで及んだ。
 それら、龍之介が精魂込めて創りだした“作品”が、一人の少女の体から漆黒の影に汚染され、飲み込まれようとしているのだ。
 この異様な自体は龍之介の精神を超えていた。
 しかし、龍之介の狼狽を余所に、青髭は賞賛の声をあげた。
「素晴らしいっ!! そんなものよりもあの、少女を見なさい!!」
 少女の体から発される圧倒的な死の匂い。
 生と死のせめぎあいの中でこそ最大限に輝くものであることを知らなかったわけではない。
 しかし、コレは一体なんだ?
 腹部を裂かれ、腸がむき出しのまま縫いとめられた少女から伸びた影が、人間の死体を飲み込んでいるこの光景。
 正しく悪夢と呼ぶにふさわしい。
 子供の頃に見た理不尽な夢。どう回避しても避けることのできない死の運命。
 そうなのだ。コレを表現したかったのだ。
 全てはコレを作り出すためだったのだ。
「……COOLだ……超COOLだよ、コレ!? 本当にこれ俺が創ったのっ!?」
「ええ、貴方が創ったのです。胸を張りなさいっ! リュウノスケ、貴方は誰にも負けない天上の芸術家です!」
 高揚感が止まらない。
「旦那ぁ! 俺天才かもしれないっ!」
「ええ、そうでしょう。そうでしょうとも」
 このまま射精してしまいそうだ。
「こんなに凄いの創っちゃって――バチとか当たらないかなっ!?」
 その言葉をつぶやいた瞬間、キャスターの表情が、動作が、急に冷めた。
 龍之介の肩を、その蜘蛛のような手のひらでつかみ、カメレオンのような巨大な双眸が顔を睨みつける。
「いいですか。リュウノスケ、コレだけは言っておきます。天罰などというものはこの世には存在しません」
 今までの熱を帯びた口調とは異なる、淡々とした物言いだ。
 しかし、リュウノスケの肩を掴むその腕には、言いようのない激情が込められていた。
「だ、旦那?」
「もし、天罰があるというのならば、あのオルレアンの乙女を、聖処女を、陵辱し汚し、挙句の果てには火あぶりにした匪賊共に、なぜ天罰がくだされないのですか?
 いいえ、かつては私も天罰を受けようと思いつく限りのあらゆる暴虐と冒涜を試みた。最も弱き幼子にです。しかし、煮ようが焼こうが殺そうが、一〇〇〇人の幼子を手にかけても、この身に下るはずの天罰はなく、天罰を待つ私は八年もの間放任された」
 こんな静かな声で語る青髭を、龍之介は初めて見た。
「聖処女は、なぜ聖なる声を聞いたことを否定しなかったのか。ただ一言、否定してくれれば、陵辱の果てにあのような最後を迎えることはなかったであろうに…… 天罰を待つ私を裁いたのは、欲得に目の眩んだ人間でした。天罰など有り得ません。貴方もそのような世迷言を口にするのはお止しなさい」
 キャスターの弁舌に反論するでもなく、龍之介はただ、その言葉を聴いていた。
 コレは恐らく青髭の旦那の奥にある、誰にも見せたことのない本心なのだと言い聞かせて。
「…………青髭の旦那。ゴメン」
「いいえ、分かれば良いのです――っ?」
 キャスターが、そう口にした瞬間、遠くから破壊音が響いた。
 その音は遠雷のように遠く。しかし、少しづつ近付いて来る。
「旦那、あの音って?」
「リュウノスケ、下がっていなさい!」
 ジル・ド・レェは、かつて一国の元帥である。過去、軍を率いた経験と直感が物音の正体を正確に知らせていた。
「敵襲です。もう聖杯戦争は我々の勝利し、聖杯はこのジルめを選んでいるというのに、そんな単純な理も判らぬ蒙昧な輩が押しかけてきたようですね」
 もう静かな激情は消えて、いつもどおりの青髭へと戻っていた。
「聖杯戦争って、アレ? あのすげえヤツっ!? 旦那もすげえことやったりするの? 手からビーム出したり、ものすごい速さで走ったり!!」
「ええ、リュウノスケ。そこで存分に御覧なさい」
 そういうが早いかキャスターは、どこからともなく装丁本を取り出した。
 ――螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)
 おびただしい数の海魔を召喚し、更には死骸からも海魔を再生する大容量の魔力炉を備えた宝具である。
 いかなるサーヴァントが現れたとしても、この魔書により生み出された怪物共が、その行く手を遮ると確信し、キャスターはそのページを開いた。






 そのサーヴァントは、雁夜と凛を背に載せたまま、あたかも流星のように、あるいは落雷のように貯水槽の下水管へと飛び込んだ。
 巨大な下水管の中は、無数の触手と牙を兼ね備えた水性の海魔の中が、犇めき合うようにして侵入者を阻んでいた。
 もしも、この奥にいる子供たちを取り戻そうと、やってきた哀れな人間がいたとしたら、一呼吸も持たずに肉塊へと変貌するであろう。
 しかし、ここに侵入したのは人間ではなかった。
 炎と雷の化身。その真名は未だに明かされぬが、宝具を湯水のように使うアーチャーとも互角に渡り合った怪物である。
 雷を纏いながら塵芥共には目もくれず疾走するそのバケモノの表情は、あたかも蟲を踏みつぶしながら走り去る肉食獣のそれだ。
 飛び散る肉片。雷に触れて蒸発する体液。前方さえ見えぬほどの密集した汚泥。
 バーサーカーは水性海魔どもの抵抗など、紙でできた防壁のように破り捨て走り続けた。
 雁夜は凛の呼吸器を覆いかぶせるように抱きとめる。そうしなければ大量の海魔の血飛沫と体液によって、凛は呼吸さえままならずに窒息してしまっただろう。
 雁夜の体の中の蟲共が、腐敗した肉片の匂いに目ざとく反応し、体の外に出ようと煽動を始める。
 体内を異物が駆け抜ける不快感を押し殺し、雁夜は前を見据えた。
 ひたすら膨大で、先の見えないほどに敷き詰められた怪物共の先に、必ずいるはずの少女を見つけ出すために。
 濃密な汚泥に塗り固められていた海魔の壁が次第に薄くなり、海魔共のカーテンが突き破られた。
 貯水槽の闇の中を照らすのは雁夜のサーヴァントの身体を走る稲妻を除けば、人影の隣にある燭台だけだ。
 大量の海魔が密集して群生する貯水槽の中、燭台の隣にいる二つの人影。そして、その傍らで怯える一〇名以上の年端も行かない子どもたち。
 その中に、凛の探している少女が居た。
「コトネっ!! 貴女っ。大丈夫なの!?」
 しかし、その声に子供たちに届いた様子はない。 おそらくは魔術の影響だろう。深い催眠状態のような様子で、凛の呼びかける声には反応しない。
 二つの人影のうち一つが、頭をたれて慇懃に一礼をする。
「ようこそおいでくださいました。ジル・ド・レェが魔の城へ。短い間のお付き合いになるとは思いますが、その間はよしなに」
 目を凝らせば、あのくだらない口上を並べた人物に“ステータス”が見える。それが、サーヴァントであることを知らせている。
 気遅れることもなく、雁夜は声を絞り出す。
「……桜ちゃんはどこだ」
「桜っ? 雁夜おじさん。桜がここにいるっていうの?」
 異形の表情のサーヴァントは、訝しがる。
「……サクラ? リュウノスケ、貴方は知っていますか?」
「桜ちゃん? ああ。知ってる。もちろん知ってるよぉ。ほら、旦那ぁ。例のやつ」
「おお、なるほど。長の口上、失礼つかまつりました。お客様にはそれ相応のおもてなしをしなくてはなりませんね。我が友リュウノスケの、空前にして至高の芸術をお見せしたのですが。どうぞゆっくりご堪能あれ」
 そういうが早いか、貯水槽の一画に配置された海魔たちが、するすると退く。
 まるで、隠していた幕が取り去られるかのように。
 時間が静止した。
 何が起きたのか判らなかった。
 凛が何かを叫んでいた。
 ただひとつわかることがある。
 間に合わなかったのだ。
 憎い。
 気が狂いそうなほどに憎い。
 探していた少女は、髪の毛の色が変わるほどに、嬲られて、内蔵を抜き出され、醜悪なオブジェのように打ち捨てられていた。
 何が憎いのかわからない。
 凛の視界を塞ぎ、この惨劇を見せないようにするということも、頭の中から抜け落ちていた。
 憎悪のあまりに叫んだ。
 何を叫んでいたのかはわからない。
 これ程に人間を憎んだことは今までなかっただろう。
 臓硯よりも、積年の恨みを募らせたあの男よりも憎い。
「殺せっ…………」
 高じた憎しみは、どこまで行っても憎しみだった。
 時臣に対しては怒りもある。悲しみもある。挫折も。屈辱も。
 しかし、これほどに憎いとは思わない。
 苦しい。
 全身から棘のような黒々とした感情が溢れ出て止まらない。
 一片の歓喜も悦楽もない。
 ただひたすら、叫んだ。
「殺せっ!! 殺すんだ!! バーサーカー!! あいつらを殺せっ!!」
 ただ殺しただけでは、気など済むわけがない。
 一〇〇〇回殺そうが、気など済むわけがない。
 しかし、それ以外に何が出来るのか。
 それ以外に、この雁夜にいったい何が出来ただろうか。


 
 





[5049] Fate/zero×spear of beast 25
Name: 神速戦法◆c678cf47 ID:7606e436
Date: 2012/06/03 23:47
Fate/zero×spear of beast 25

 ――憎い。
 気が狂いそうなほどに憎い。
 この世のあらゆるものが憎い。
 ――殺してやる。
 ありとあらゆる苦痛が、葛藤と絶望が、怒りに変わる。
 胸に湧き上がってくる憎悪は臨界点を超え、獣のような咆哮が、咽喉の奥から漏れた。
「殺せっ!!」
 叫んだ。
「殺すんだ!! バーサーカー!! あいつらを殺せっ!!」
 震えた。全身が。
 苦しい。立っていられないほどに憎い。
 その瞬間である。
 大きな力が、雁夜を包んだ。
 バーサーカーが雁夜を、いかついのその腕で抱えていた。
「落ち着け、ますたー」
 そう言われて、落ち着けるものではない。
 全身を悶えさせるように、暴れる雁夜。
 しかし、その視界に、己のサーヴァントの顔をみつけて、僅かばかり冷静さを取り戻した。
 地獄から抜け出てきたような悪鬼の形相で、憤懣に満ちた相貌で、キャスターとそのマスターを睨みつけていた。
 怒りに打ち震えているのは、自分だけではない。
 このサーヴァントも、狂いそうな焦燥を抱えている。
「……よく見ろ。聞こえるか?」
 言われたとおりに耳を澄ます。
 指をさされたモノ。桜の口から、ほんの僅かだが聞こえた。
「……………………………………ぁ…………」
 呼吸音だ。微かだが間違いない。
 鼠が喉を鳴らすかのようなか細い声だが確かに聞こえた。
 もう、既に常人ならば息絶えていて当然の傷だが、しかし、桜にはまだ息がある。
 魔導の家系ゆえの奇跡だろうか?
 それとも、間桐の“教育”ゆえに、苦痛に対する耐性を、獲得したのかもしれない。
 あるいは、それ以外の全く別な要因かもしれないが、それはどうでもいい。
 ――桜ちゃんにはまだ息がある。
 その事実が、雁夜を正気に戻した。
「あの気色悪い青瓢箪は、ワシがぶち殺す。だが……」
 わかっている。あのジル・ド・レエと名乗ったキャスターを血祭りに上げるよりも、優先させなくてはいけないことがある。
「……ああ、解ってる」
 あのサーヴァントを殺すよりも先にやらねばならないことがあるのだ。
 できるだけ早く、この場所から生き残った幼子を保護し、桜を連れて脱出しなくてはならない。
 この場所から桜を連れだしたとして、治療が可能な医療施設はあるだろうか? あの傷は、素人目に見ても致命傷だ。治癒魔術が使えぬ我が身がもどかしい。
 自分にできる魔術は、翅刃虫を使役して襲いかからせることのみ。海魔の一匹や二匹を撃退することは出来たとしてもその程度だ。治療魔術のような魔術は刻印虫の後付魔術回路を体中に這わせただけの雁夜にとって、あまりにも高度すぎる。
 場合によっては監督役の聖堂教会に、なんらかのペナルィを覚悟で助力を請わねばならないかもしれない。あるいは錬金術と治療魔術でその名を轟かせているアインツベルンに、多大な譲歩と引換えに治療を依頼せねばならないかもしれない。
 しかし、それは全て、キャスターから桜を奪い返した後のことだ。
「ぬかるなよ、ますたー」
 大量の怪魔から視線をそらさずに、バケモノはそうつぶやいた。
「ああ、解ってる」
 自分にできるのは、凛を抱えて守りながら戦況を把握し、サーヴァントが宝具を使う際のサポート程度がせいぜいだ。しかし、ならばその役割を果たすまでだ。
 雁夜の言葉を聞くと、バケモノは逆巻く風のように海魔の群れへと突貫した。
 ただ、雁夜にだけわかる憤怒の臭いを後に残して。
 




 むせ返るほどの腐乱臭を吹きすさぶ烈風が切り裂く。まるでバケモノは汚泥のなかに降り立った竜巻だった。
 大量の青黒い触手が金色のバケモノの、爪に、脚に、顎に引き裂かれ、踏み抜かれ、噛み砕かれ、拍子抜けするほどにあっさりと乾いた血の海に無造作に散らばった。
 いかに大群とはいえ、雑兵の群れ。
 吹けば飛ぶ籾殻のように海魔の体ははじけ飛んだ。
 群れをなす怪物の群れは、抵抗の手立てを持たない一般人には恐るべき脅威となったであろう。しかし、神秘の具現化、尊い幻想となったサーヴァントには、薄く重なった紙の防壁にすぎない。
 突っこんだバーサーカーに、全方位からおぞましい吸盤に覆われた触手が蛇のようにまとわりついて、鉄骨さえも粉砕しかねない万力のような力で締め上げる。深海の大王烏賊の触手にも勝る緊縛である。常人ならば全身の骨を、文字通り粉砕されて、瞬時に死に至ったことであろう。
 しかし、バーサーカーはこともなげに全身に稲妻を漲らせ、一瞬で触手を焼きつくす。おぞましい腐臭を放つ粘液に覆われた海魔の触手は、煙さえ残さず蒸発して消滅する。そして、金色のサーヴァントはその光景を気にもとめず、また突進を繰り返す。
 最優のサーヴァントであるセイバーを超えて、白兵戦能力においてはバーサーカーは最強の(クラス)である。空間を埋め尽くす触手から放たれる牙も、爪も、溶解液も、全てなんの痛痒も与えていない。
 キャスターのサーヴァントが召喚した海魔たちを前に、バーサーカーは殴り、引き裂き、食いちぎり、襲いかかった。
 確実に一匹また一匹と、海魔を血祭りに上げる。
 迫りくる怪物を千切り投げ飛ばし焼き尽くしたその量は、数えるのも馬鹿らしい程に甚大だ。
 だというのにおかしい。
 バーサーカーが倒した海魔の数は、もうすでに一〇〇体をゆうに超えている。
 それなのに、敵の数が減っていない。
 雁夜の疑問はすぐに氷解した。
 打ち捨てられた怪物の死骸から、血溜まりから、蒸発した体液から、次から次へと新たな海魔が再生されては、バーサーカーへと挑みかかる。
 あたかも汚泥から新たな生命が誕生するかのように続々と。
 バーサーカーが海魔を殺す速度よりも、新たに召喚され再生される怪異の数が多いのでは、永久にキャスターへとバーサーカーの牙が届かないことになる。
 いかに紙のように薄い防壁とはいえ、それが無限に続くとなれば話は別だ。
 どんなに薄い紙であっても、無限に続くのならばいかなる刃も押し留めてしまうことだろう。
 桜を助けるために短期決戦を目論んで、敵陣深くへと突貫したはいいが、これでは埒があかない。
 バーサーカーもそう感じたのだろう。
 青白い轟雷。閃光と爆音が室内を満たした。
 バーサーカーが放った稲妻が、キャスターを狙ったのだ。それを防ごうと大量の海魔が覆いかぶさり、分厚い盾となる。
 四〇匹。たった一度の稲妻が、瞬時に屠りさった海魔の数だ。
 しかし、それだけのこと。もうもうと立ち上る煙と肉が焦げる悪臭の中、バーサーカーの稲妻が開けた穴は泥沼が塞がるように瞬く間に埋まり、元通りの肉の壁に戻る。その様相はあたかも泥沼に竪穴を穿ったかのようで。
 こうなってしまっては、持久戦の様相を呈してきた。
 それは不味い。バーサーカーは雁夜に負荷をかけまいと、意図的に雁夜からの魔力供給を絞っている。持久戦こそ最も避けねばならない局面だ。マスターからの魔力供給がなければ、膨大なバーサーカーの魔力もいずれは枯渇するだろう。
「うぉおう。すっげえ! 今の稲妻、マジかっけえ! オレ死ぬかと思った! ねえ、アンタ。アンタの使い魔、サーヴァントっていうの!? 写真とってもいいかなァ! 旦那もすげえけど、アンタのもすげえよ!」
 そう奇声を張り上げて、今にも笑い転げそうな表情の龍之介が、海魔の壁の向こうから雁夜に話しかけてきた。
「ほら、アンタ知らない? アメコミのさあ!! なんて言ったかな!! 全身から雷出すヤツ!! あれ俺すっごい好きで、ああ、もうホントマジかっけえよ、ビリビリって何でもかんでもぶっ殺ししちゃうやつ!!」
 薬物でも摂取しているかのようなテンションで笑い転げながら叫ぶ。
「ひゃはは、でもざんねーん。俺の旦那はもっとすげえんだぜぇ! なあ旦那! とびっきりCOOLに決めちゃってよ!」
 話しかけられたキャスターは、温和に微笑みながら龍之介に振り返ると、
「まだまだこれからです。先を急いてはいけませんよ。よく見ておいでなさい。貴族の戦いというものを貴方に教えて差し上げましょう。いまこちらに攻め込んできているあの怪物の憤怒に満ちた獰猛な顔が、いずれ困惑し、諦観に塗りつぶされます。恐怖し、絶望し、屈辱に歪むのです。ああ、その勝利の美酒に酔いしれることに比べれば、即座にとどめを刺すことなど勿体無くて出来るものではありません!」
 業腹だがキャスターの放言の通りだった。あのバケモノが屈辱にまみれている様子など想像できないが、魔力が枯渇すれば負けるのは必然だ。
 歯噛みする雁夜に、キャスターの手にした装丁本が目に入る。
 誇らしくキャスターが掲げるその本は、雁夜の素人目にも解るほどに、高密度の魔力に満ちていた。
 海魔たちが再生され増殖するたびに、その魔力がうねり迸る。
 そもそもが、である。キャスターがいくら魔術師のクラスであるとはいえ、何の詠唱もなくこれだけの雑兵の群れを召喚、使役し、再生させることなど魔術師の常識から考えれば不可能だ。
 この異様な事態を作り上げているのはあの本。
「バーサーカー。あの本を狙え!!」
 そうと分かった瞬間、雁夜は声を上げていた。
螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』――それこそがまさに、この戦況を作り出している元凶だ。詠唱もなく、こんな常識外れを行える以上、それは宝具でしか有り得ない。
 しかし、だ。そう叫んでから、雁夜は自分の口にしたことの矛盾に気がついた。
 あの宝具を狙うには、どうしても、キャスターに近寄らねばならない。しかし、宝具がある以上近寄れない。
 突き付けられたのは単純極まりないパラドックス。ふざけた物量を一気に焼きつくす方法でもあれば話は別だろうが、そんな方法は果たして……。
 際限なく出現しては打ち捨てられる海魔の群れ。
 いったい幾度目であろうか? 僅かに動きの止まったバーサーカーを無数の触手が覆い尽くし絡め取り、バーサーカーに万力のような力を込めて締め上げる。
 このままではいつまでたっても埒があかない。また、稲妻を使って焼きつくすか? しかし、それではいずれ魔力が枯渇する……。
 そのときだった。バーサーカーがこちらを振り返ったのは。
 確信に満ちた表情で、雁夜を覗き込んでいる。
 バーサーカーの唇が、こう動いたような気がした。
「ワシの考えていることぐらい解るだろ」と。
 その瞬間に雁夜は全てを悟った。
「バーサーカー! 行けるな?」
 雁夜のその問いかけに、バーサーカーは全身を触手に巻きつかれながらも僅かに首肯いた。
「さて、お客様。末期の祈りは済みましたかな? ウフフ。それでは窒息してお果てなさい。大丈夫です。寂しくなどありません。あなた達を慰めるために、このすぐ後に、無数の子供たちがあなた方の後を追いますから! それではおさらばです。名前も知らない英雄よ!」
 悦に入った嘲笑。
 しかし、その嘲りは雁夜にもバケモノの耳にも入っていなかった。
 視力の残った右目が見据えたのは、右手に刻まれた令呪だった。
 三画のうち一画。聖杯戦争を勝ち抜くための切り札。桜を助けるために使うことに一切の迷いはない。
 雁夜は凛を抱きかかえながら、全力で声を上げる。
「間桐雁夜が令呪を持って命ずるッ!! バーサーカー!! 宝具を使い、この戦いに勝利せよッ!!」
 ――そうして間桐雁夜の身体は令呪を一画、文字通り飲み込んだ。
 令呪という圧縮された魔力の塊が、封印を解かれ元の圧倒的な質量へと変貌を遂げ、擬似的に後付された刻印虫の魔術回路から溢れだし、髪の毛の一筋にまで、毛細血管の一本にまで魔力が漲る。
 ――さながら全身を台風が駆け抜けたかのような、迸る力の波。
 その圧倒的なエネルギーが全て経路(パス)を通じてバーサーカーへと流れ込んだ。
 バケモノの体が金色に帯電し、周囲に颶風が吹きすさぶ。
 この貯水槽という閉鎖空間が全てバケモノの放つ光によって満たされる。
 バケモノはまるで一つの魔力炉だった。
 猛然と稲妻を漲らせ、その圧倒的な輝きは、今まで放ってきた雷撃の比ではない。
 近くにいた海魔たちは触手もろとも瞬時に蒸発し、近寄ることさえ出来ずにいる。
 それを見て取ったキャスターは全力で螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)を稼働させ、触手の壁を増やそうとするが、もう遅い。
 雁夜の素人目でも、見ても解る。文字通り、アレは全てを焼きつくすだろう。もうアレは止まらない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
 バケモノが吠えた。
 その猛り狂う叫びとともに、帯電していた雷撃が解き放たれる。
「ひぃいいッ!?」
 主の窮地を救おうと、大量に召喚された海魔たちが全力で群がって膨大な肉の壁となる。
 しかし、それは無駄なこと。
 どんなに紙が分厚く群がったところで、近代兵器の集中打を防ぐことが出来ないように。
 稲妻が吠える。
 その敵を灼き尽くせと。
 ここにいるのは雷神の化身。
 解き放たれた電撃は更に電圧を増し、文字通り一瞬で無限の循環の源だった、撒き散らされた屍肉の山もろとも、全ての海魔を飲み込んだ。
 その青白い稲妻は荒れ狂う竜のようにうねり、奔り猛り狂う。
 誰が知るであろう。
 過去、九つの尾を持つ大妖を屠りさった最強の稲妻であろうと。
 瞬く間に一〇万の化物を灰へと変えた破邪の轟雷であろうと。
 その稲妻は勢い余って、貯水槽そのものの天井を崩落させ、天へと登り、そして静まった。
 対人宝具でも大軍宝具でも不可能な破壊規模。最大の出力を誇り、城さえ落とす対城宝具でなくては不可能な破壊規模だ。
 一撃でキャスターの無限の軍勢は、灰燼へと帰した。
 襲い来る静寂。
 もしも、キャスターの後ろに桜と気を失っている子供たちがいなかったのならば、バケモノはそのままキャスターもろとも正面方向に稲妻を放っていただろう。背後に人質がいる以上、バーサーカーの宝具の雷鎚は前方の海魔を焼き払うにとどまったのだ。
 しかし、それも、キャスターの寿命をほんの僅かに伸ばしただけにすぎない。
「あ、あっ」
 たたらを踏んで後退り、言葉もなくその場にへたり込むキャスター。
「あ、ああっ」
 なんとか再び海魔を召喚しようにも、目の前にいる怪物はそのような隙を与えるはずがない。
 霊体化して逃走しようにも、この貯水槽は袋小路だ逃げ場所など有りはしない。
 全身を魔力が駆け抜けた余波から、未だに立ち直り切れない雁夜ではあったが、その瞳は怒りに滲んでいる。
「あ、ああああああああああ、来るな来るな来るな来るなああああああああああ!!」
 キャスターは表情を歪め、よだれと鼻水を垂らしながら叫ぶ。
 いかに自信過剰なキャスターとはいえ戦闘力は最弱のクラスである。なんの策もなく戦闘力は全クラス最強のバーサーカーを前に太刀打ち出来るわけがない。
 驚愕のあまり螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)を取り落とし、それを拾おうとする細腕を、バケモノの脚が無造作に踏みつけた。
“べきりッ”と乾いた音がする。
「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
 こうなってしまっては、最弱のサーヴァントたるキャスターに逆転の要素はない。
 恐る恐る頭を上げるとそこには、憤怒に満ちた表情のバケモノがいた。
「……終わりだ。外道ども……」
 雁夜はバケモノの代わりにそうつぶやく。
「バーサーカー。とどめを……」
 そのときだった。
 雁夜とバーサーカーにあらぬ方角から声がかけられた。
「動くな! だ、旦那を放せ! コイツを殺すぞ!」
 そこにはコトネと呼ばれた少女を抱え、みすぼらしい刃物を少女につきつける龍之介がいた。
 それは恐らく苦し紛れの悪あがきだったのだろう。
 よもやこの襲撃者に人質が有効だ、などとは思わなかったにちがいない。
 しかし、それは思わぬ展開をもたらした。
 いまにもキャスターを食いちぎり引き裂こうとしていた牙と爪はなりを潜め、雁夜の表情に苦渋が満ちる。
 これには、龍之介も呆気にとられた。自分たちに襲いかかってきたのは、ウィンドブレーカーを目深に被り顔の半分が硬直した怪人と、豹のような獅子のような電撃を纏う怪物であったのに。よもやまさか、子どもを一人、人質にした程度で、その怪物どもが動きを止めるなどとは、想像だにしなかったのだ。
「悪あがきをっ……!」
 雁夜は苦々しげにそうつぶやいが。こうなってしまっては相手の出方を見るしかない。
「コトネを離しなさい。人質なんてとって恥ずかしくないの!?」
 凛は叫んだが、その言葉も空しい。龍之介とキャスターにとって、今やコトネは空から降ってきた、救いの糸だ。自分たちが逃げ出すまで、決して手放すことなどありえない。
「まずは、旦那を離してくれないかなあ? 俺達が、ここを逃げ出したら解放してあげるからさあ……」
 龍之介がそのナイフをコトネの首筋に当てながら言う。
 余りにも刃とコトネの頸動脈の位置が近い。
 如何なサーヴァントといえど、相手に先んじるには不可能な距離だ。
「…………ちっ……」
 バケモノは小さく舌打ちすると、キャスターを踏みつけていた脚をどけた。
「おおおおおおおおおおおおお、リュウノスケぇええええええええええ!! 貴方という人はぁああああ!!」
「旦那ぁ、大丈夫かい!? すぐにここから逃げようよ!!」
 二人は、固く抱擁を交わし感涙にむせび泣く。
 雁夜はその二人を苦渋の表情で睨みつけるが、残念なことに襲いかかる隙がない。
 人質をこれ見よがしに盾としながら、キャスターどもは貯水槽の入り口までじわりじわりと歩を進める。
「その子を放せ」
 なんとか人質を奪い返し、仇敵を仕留めようとしている雁夜とバーサーカーに、龍之介はひとの悪い笑みを浮かべる。
「あー。アンタたちさあ」
 そう呟き、コトネの喉をナイフで切り裂いた。
「人良すぎだよ」
「――!?」
 何が起きたのか理解できない。
 この少女は、あのキャスターどもにとって、あらゆる犠牲を払って守らねばならないチェスのキングではないのか?
「慌てない慌てない。この出血量だとさあ、一〇分ぐらいで死んじゃうかな? その間にさあ、医者に連れていけば助かるよ。つまり、俺達にかまってるヒマはないってわけ。解る? それじゃあね?」 
 ヒラヒラと手を振ると、コトネを放り出し、二人の狂人は脱兎のごとく逃げさっていった。
「――!! バーサーカー、飛べるか!?」
 極めて業腹で有るが、敵ながらうまい手だ。まだ息のあるコトネや桜を無視するわけにはいかない。こうなってしまっては、今はあの二人にかまっているヒマなどない。
 コトネの首から溢れ出る鮮血を手のひらで押し留めながら、雁夜は叫ぶ。
「ああ、ワシにかかればひとっ飛びよ」
 そう頼もしく相棒はそう告げるとうなずく。向かう先は、冬木新都の聖堂教会。
 あそこならば、聖杯戦争の隠蔽工作のスタッフや医療魔術の使い手が何人か詰めていることだろう。
 そう。これは時間との戦いだった。今までずっと間に合わなかった雁夜にとって。そして、傍らに立つバケモノにとっても。





[5049] Fate/zero×spear of beast 26
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:29f6bb0f
Date: 2013/03/31 10:41


 できるものならばさっさと帰りたい。
 言峰綺礼はそう考えていた。
 各陣営の監視に割いていたアサシンたちも、最低限の人員を残して大半はこの場に集結させた。
 六〇体以上のアサシンによる強襲。バーサーカーとキャスターの二者が噛み合い疲弊したところを、アサシンがほぼ総戦力で襲いかかり凛を奪還する。それが言峰綺礼の立てた即興の策だった。
 普段の冷徹なる代行者としての綺礼の判断能力が告げている。これは明らかに常軌を逸した下策であると。
 このハサンは諜報活動に特化した英霊だ。数は多いが戦闘能力は間違いなく歴代ハサン最低の部類だろう。それが戦闘をすることになるのならば、間違いなく多大なる犠牲を払わなくてはならない。綺礼とアサシンの真の脱落も覚悟せねばなるまい。
 しかしそれがどんな下策であろうとも、それ以外の策が思いつかないのだから仕方がない。
 可能であればキャスターの工房の中に斥候を送り、内部の様子の探りを入れたいところだったが腐ってもキャスターの工房である。どんな備えがあるのか分かったものではない。結果、慎重にならざるをえない。
 しかし、この貯水槽の前で様子を見計らっていても埒が明かないのは確かだ。
 バーサーカーと間桐雁夜が、なぜキャスターの根城に強襲を仕掛けたのか? 
 合理的に説明を考えれば、間桐桜の奪還だろう。しかし、綺礼にとってそこはどうでも良い。もう彼女は遠坂桜ではない。師父である遠坂時臣も彼女の救出を断念した。ならば言峰綺礼にとって間桐桜は関係のない人物でしかない。
 捨て置けないのは凜だった。彼女は師の後継であり決して失われてはならない至宝だ。だがそれは裏を返せば、遠坂時臣の娘という立場が重要なのであり、遠坂凛という少女の無事そのものには一切の興味が無いということでもある。
 自分に課せられた魔術師に師事するという埒外の任務。第八秘蹟会に所属していた綺礼に課せられた厄介な試練の一つでしかない。手に入らないものを埋めるためのいたずらに繰り返された修身という名の自傷行為。
 それでもなお、綺礼はその試練や鍛錬といった自傷行為を手放すことが出来ない。“目的意識”や“崇高なる理想”を心の中に抱けない、この綺礼という名の人格が、その自傷行為さえも止めてしまったら恐らくはその人格さえ崩壊してしまうだろう。矛盾である。考えれば考えるほどに。
 内心ではどうでもいいと思っている任務にこの言峰綺礼という人間は命を懸けているのだから。
 しかし、任務自体は別にどうでもいいとは言うが、限度というものがある。
 自分は衛宮切嗣を見つけてあの男と対決しなくてはならないのだ。
 本来の予定ならば、脱落したマスターという偽りの身分を最大限に活かし、衛宮切嗣の探索に専念したいというのに、なんの因果かあの男を探そうとするのを邪魔するかのように次々と難題が降って湧く。
 師の呼び出した金ピカサーヴァントは、自分の気づきたくもなかった心のヒダををねちねちと指摘してくるし、自分の呼び出したアサシンは飲んだくれて説教してくるし、安全な場所にいたはずの妹弟子は何を血迷ったのか危険地帯へと舞い戻りご丁寧にも敵の手中に落ちた。
 これは陰謀だ。世界を背後から操っている悪の組織がこの言峰綺礼に“答え”を得させないために手練手管を用いて嫌がらせをしているに違いない。
 アレだ。正直もう勘弁してほしい。
 言峰綺礼という人間が答えを得るためには、そこまでの荒行をこなさなくてはならないというのだろうか?
 そんなことを悶々と考えているときだった。
 反応するいとまもあればこそ、凄まじいとしか形容のしようのない魔力の拍動が綺礼とアサシンを叩いた。
 キャスターかバーサーカーのどちらかが宝具を使用したのだと綺礼が思い当たったその瞬間、轟音とともに眼前に光の柱が生まれた。
 青白い稲妻が巨大な柱となって突入先の貯水槽から立ち上り天を焦がす。
 圧倒的な魔力。膨大な熱量が顕現する。
 貯水槽を覆い被せていた土砂とコンクリートが大量の埃となってなって舞い上がり視界を覆う。
 この破壊規模は明らかに対軍宝具ではない。宝具の中で最も強力とされる対城宝具のそれだ。稲妻の宝具という点から察するに、恐らく宝具を使用したのはバーサーカーの方だろう。
 考える限り最悪の展開だ。城を落とすほどの大規模破壊の宝具。それはつまりアサシン唯一の数の利が、バーサーカーの前には通用しないということだ。数を頼みに襲いかかったが最後、一網打尽に焼きつくされるだけだ。業腹ではあるがバーサーカーが対城宝具を持っているということを突入前に知ることが出来たのは、僥倖以外の何物でもない。
 色々と感情がろくに働いていない綺礼ではあるが、自殺願望は幸いにしてまだない。なんとかバーサーカーとことを構えずに凛を奪還する方法はないものかと策を巡らせている綺礼の耳に、小さな物音が届いた。
 貯水槽の奥から二つの足音が近づいてくる。物陰から出てきた主はキャスターとそのマスターだった。満身創痍といった様相だ。
 これは綺礼にとって予想外の事態だった。あの稲妻は間違いなくバーサーカーのものだ。てっきり対城宝具を使用された以上、キャスターの脱落は確定事項であると踏んでいたのだが……。
 一体どういう因果のめぐり合わせか、キャスターは生存しているようである。
 しかし這々の体で息も絶え絶えに駆けているそのさまは、キャスター一味が明らかに敗残者であることを雄弁に物語っていた。ここで奇襲をかければ、キャスターを倒すことはできよう。根城から出てきた魔術師を手に掛けることなど、それこそ赤子の手をひねるようなものだ。
 しかし、凛を奪還する前に、アサシンを用いて攻撃を加えれば、気配遮断スキルは大幅にランクダウンし、バーサーカーにもアサシンの存在が露見する。凛の奪還は間違い無く失敗するだろう。かといって放置するのも不確定要素を増やすだけである。
 僅かな逡巡の後、綺礼はを判断を下した。「一体だけ監視につけておこう。新たに工房を作る前に処理をすれば問題はないだろう」
 とりあえず、近場にいる小柄なハサンのひとり(名前は知らないし覚える気もない)を適当に見繕って、キャスターを監視するように命令しておいた。
 これからしばらく後、綺礼はそう判断した自分を絞め殺したくなるほどに後悔するだがそれはまた別の話である。
 代行者としての蓄積と経験から、奇襲はタイミングこそが全てであることを、綺礼は知っていた。心理的に安堵しきったその瞬間をつくことが出来れば、とてつもない実力差のある相手であったとしても、拍子抜けするほど楽に倒すことが可能なのだ。それ故に踏み込みアサシンを解き放つその瞬間は綺礼が判断せねばならない。
 アサシンは能力が高いサーヴァントではない。奇襲とはいえ戦闘能力最強のバーサーカーに挑ませるのだ。しかも相手は対城宝具を持つサーヴァントである。宝具を使う前に目的を達成する必要がある。
 通常、対城宝具のような高出力な宝具はその燃費の悪さ故に連発が効かない。
 しかし、それはあくまでも通常のサーヴァントであった場合である。あのバーサーカーの異形の戦法と高密度の魔力をみるに、そんな楽観的な一般論に身を任せるつもりは綺礼にはなかった。事実、あのアーチャーとして召喚された英雄王は、底なしの宝具によるバックアップにより、乖離剣と呼ばれる宝具の連続使用が可能であることを時臣師から聞かされていたからだ。
 勝利するつもりはない。最初の一撃で凛を奪還し、その後は数を頼みに足止めを行ない逃走を図る。これが綺礼の考えられうる限り最大の策だった。しかし、この消極策であってもアサシンの令呪による能力の底上げが必須だろう。最低でも一画、場合によっては二画もちいる局面になるやもしれない。
 水音を立てないように腰を落とした独特の歩法を用い、キャスター工房の中心地へとゆるやかに近づいていく。
 そのさなか、アサシンの数人(名前は忘れたしそもそも覚える気がない)が、冷や汗をダラダラと流しながら相談を始めた。
「…………」
 綺礼はその数人を無視して歩を進める。
「……あの、綺礼様。非常に申し上げにくいのですが」
 無視である。
「……あの、綺礼様……聞いていらっしゃいますか?」
 サーヴァントに返答したところでサーヴァントとの念話は敵には聞こえないが、いま名前も知らない下僕と会話している暇などないのである。
「……あの。綺礼様、というか無視しないでいただけますか?」
 と行く手を遮られてツッコまれた。
「……なんだ?」
 しかたがないので不承不承に応える。
「非常に申し上げにくいのですが……バーサーカーが……その……逃げました」
 ものすごい速度で遠ざかっていくバーサーカーの気配。
 そのことをアサシンはこちら側に告げる。
「…………逃げたとは……どこからだ?」
 ここは先は脱出路のない貯水槽、いわゆる袋小路のはずなのだが。
 サーヴァントだけが宝具や特殊な保有スキルを用いて壁抜けしたと言う事ならば話はわかるが、マスターも同時にそのような行為に出るとは考えにくい。
「……恐らくは先程の対城宝具にて、天井に大穴があいており、そこから空を飛び脱出したのではないかと」
 ぴちょんぴちょんと滴る湿った水音。
 気まずい沈黙。
 アレだ。
 自分はいったいなんのために背中にアサシンの首領を抱え、こんなでっかい下水管の中にいるのだろうか?
 やめよう。深く考えるのはやめよう。
 うん。そうだ。
 アーチャーにいびられてこんな夜中に外をさまよい歩いたのが、そもそも間違いなのだ。
 布団をかぶってなにも知らなかったように眠ろう。遠坂師父からは、明日改めて話があるだろう。そのときに初めて聴いたようなふりをして驚いたら完璧だ。
 八極拳の吐納法を繰り返し行ない、深呼吸を数度。
 うん。心が落ち着いた。さあ、帰ろう。教会へと。
「……あの……綺礼様」
 踵を返す綺礼の手をワッシとアサシンはつかみ、暗闇の奥を指さす。
 耳を凝らすと、鼓膜を震わせるすすり泣き。損壊した人間の身体と残された泣きじゃくる子どもたち。
「…………あの子たちは……どうしましょうか?」
 まぶたの上がぴくんぴくんと痙攣する。
 十数人の年端もいかない子どもたち……。あの子どもたちを保護するために教会の工作員を連れて来なくてはならない。記憶を消して、なにかしら面倒くさい工作を経て、公的機関と渡りをつけ、親元まで送り届けなくてはならない。ならないが……。
 誰がやる? 自分しかない……。
 げんなりとしながら綺礼は言峰教会に連絡を入れるため最寄りの公衆電話へとゆっくり歩いて行った。




――掛け値なしの戦場だ。

――これから起きるのは臓物と糞便が飛び散る掛け値なしの戦場なのだということを雁夜は知っていた。

――だというのに自分はなにをしている。

――自分はいったいなにをしているのだ。

――中央門の警備を任せられた大将軍の自分が女の手を引いていた。

――戦場となる祖国を捨てて一人の女とともに山の中を逃げていた。

――わかっている。

――なにをしているのかわかっている。

――いままではどんな戦でも自分がいれば勝てた。

――いままでの戦ならば自分さえいれば勝てたのだ。

――しかし今回の敵は強国だった。

――自分が強いだけでは覆すことの出来ない数の敵が襲いかかってくることが自分にはわかっていた。

――相手の国は誰一人として残す気はないだろう。

――いままで攻められた国はどこも皆殺しにされてきた。

――自分だけならば、あるいは生き延びられるかもしれない。

――しかし、それは、自分だけしか生き延びられない。

――それでは意味が無い。

――だから逃げたのだ。

――逃げるわけにはいかないと訴えるラーマの姉の手を強引に引いて逃げたのだ。

――あの姉弟だけを安全なところに連れていくために。

――だから守るべき国も、愛すべき民も、自分は見捨てた。

――それでいい。自分は呪われた子どもなのだから。自分が強いのは呪われているからだ。

――呪われた将軍に、あいつらも守って欲しくはないだろう。

――利己の念だった。この姉弟を助けたいというのは、醜い妄執と利己心の発露だ。

――その証拠に右肩が疼く。何者かが生まれてくるかのように右肩が疼いた。

――ほの暗い山道を駆け抜ける。

――嫌な予感が消えない。自分は大きな間違いをしているのではないかという予感が、後頭部のあたりにこびりついて消えない。

――視界が開けたその瞬間、雁夜は自分の失策に気づいた。

――山道を包囲する弓兵たちが、その鏃をこちらに向けていた。

――敵は誰ひとりとして逃がす気などなかったのだ。

――放たれた矢はひどくゆっくりに見え、

――篠突く雨のようにラーマの姉へと降り注ぎ――









 いつの間にか、気絶するように眠っていたようだ。
 気がつくと、雁夜の膝の上で凛が寝息を立てていた。
 重傷のコトネと呼ばれた少女と桜を抱えて、中立地帯である言峰教会へと駆け込んだのは、キャスターとの一戦の直後だった。
 聖堂教会は聖杯戦争の監督役であり、表向きはいかなる勢力にも肩入れしない中立者だ。教会に保護されるのは、サーヴァントを失い脱落したマスターのみだ。間桐のマスターである自分が身内の治療を願い出ることは、その中立性を犯すことにほかならない。ましてやキャスターとの一戦後に中立地帯に駆け込むなど、消耗したその身を隠す反則行為ととられても仕方がない。場合によっては令呪削減などのペナルティを覚悟せねばならなかった。だが、そのようなことは全て些事だ。もしもかりに、全ての令呪の削減を交換条件として提示されたとしても、雁夜はそれを甘んじて受けただろう。
 流星が地上に落ちるように着陸し、教会の扉をこじ開けて少女たちの治療を申し出た。出迎えた璃正という名の神父は、一目で事態を把握したようだった。驚きを覆い隠し、こちらから依頼するよりも先に治療を申し出てくれたのは僥倖としか言いようがない。
 聖堂教会の医療スタッフが、応急処置を行なっている間、璃正神父は何処かへと連絡を取っているようだった。それからしばらくすると、長身の男が教会の扉を開け、こちらへと向かってきた。初対面ではあったが雁夜には見覚えがあった。
 幾分かやつれた表情で教会の扉を開けたのは、間違いなく最初に脱落したアサシンのマスターの言峰綺礼だった。脱落したはずのあの男が、なぜ教会の外にいるのか? てっきり教会の保護の下、聖杯戦争が終わるまで中に入っているものとばかり思い込んでいた雁夜にとってこれは意外な光景だった。
「ご存じないかもしれませんが、息子が聖杯戦争に参加したのは本意ではございませんでした。令呪を偶然に授かったため、聖堂教会の代理人として数合わせで参加したまでです。マスターとして脱落した後は教会の工作員として聖杯戦争の隠蔽工作に従事させております」
 訝しがっているのを見て取ったのか璃正神父がこの状況を解説した。教会が遠坂びいきなのはいわば公然の秘密だ。聖堂教会の工作員として働いているということは遠坂のための情報収集という可能性もあるが、そんなことを気にしている場合ではない。
「綺礼。連絡したとおりだ。こちらのお嬢さんは一命を取り留めたが、間桐家のご令嬢は依然として危険な状態だ。今すぐに治療を始るように」
 治癒魔術においては師である遠坂時臣を凌ぐと言われている。あの魔術師然とした男以上の腕前とあらば、近代医術では匙を投げるしかないほどの重傷の桜であっても治療することが可能だろう。 
「息子が治療をする前に、一つだけ間桐のマスターに確認したいことがあるがよろしいかな」
 と前置きをしてから、璃正は雁夜へ向き直った。
「私どもの工作員が掴んだ情報だが、間桐の陣営が遠坂の御息女を拐かしたとの報告があるが事実かな? もしも、そうならば監督役として看過できない。治療を請負うのはやぶさかではないが、戦いに無関係な人間を巻き込むことを容認するわけにはいかない。こちらに引き渡していただきたい」
 明らかに遠坂の陣営に有利になるような申し出である。しかし、そんなことはどうでも良い。いかなる条件を出されたとしても、例えばこの場で、神父の脚にすがりついて靴の裏を舐めるように要求されたとしても、雁夜は喜んで従っただろう。
 しかし、雁夜が返答するよりも早く、小さな影が雁夜の後ろから踊り出る。
「璃正おじさま。私は誘拐などされていません。失礼ですがそんなことよりも早く桜の治療をお願いしたいのですが」
 言葉そのものを聞いてみれば可愛げのないこまっしゃくれた子どものものだ。物分りの悪い大人にわがままをいうときの口調そのものだった。しかし、瞳にいっぱい涙を溜めて、震えながら。いままで口答えなどしたことない少女が大人の世界に精一杯の勇気で踏み込んでいた。
 凛の強い意志を感じたのだろう。璃正は雁夜ではなく凛に問うべき質問を投げかけた。
「凛くん。君は自分の意志でこの冬木市に来たのだね。この間桐雁夜、間桐のマスターに脅されたりはしていないというのだね?」
「はい。私はわたし自身の意思でここにいます。雁夜おじさんは関係ありません。あとでお父様にどんな罰をいただくことになってもかまいません」
 二、三呼吸ほどの逡巡の後、璃正は重ねて綺礼に桜の治療を申し渡した。




 それからの記憶は少ない。治療の同席を申し出た雁夜と凛は、清潔さを保つという理由で治療室の外に追い出され、礼拝堂のソファーの上で桜の治療の成功を祈っていた。力が及ばない事態には、ただ祈ることしか出来ない。大して信心深くもない自分の祈りなど聞き入れられるはずもないが、雁夜の隣で嫉妬や怨讐を知らない少女の祈りならば、きっと聞き入れられるだろうと信じて。どれほどの間そうしていただろうか。意識が戻ったときには、教会のガラス窓からは、ぼんやりと真昼の光が差し込んでいた。
 諦観や恐怖が心臓の隙間から入り込んで全身を侵食していく。
 もしも、桜が助からなかったら。
 隣の部屋で行われているのが、完治の見込みのないただの延命処置だったら。
 そんな不吉なことなど考えることさえ許されない罪だ。あの木造の扉の向こう側で、桜は小さなその体で死という怪物と戦い続けているのだから。不明瞭な意識のなかで自身を叱咤する。それでも最悪の事態への想像が消えなかった。
 唐突にその扉が重々しい音を立てて開いた。
 あの男だった。桜の治療を命じられた陰気で長身の神父だ。まったくの無表情でこちらを一瞥した。
 その姿が雁夜には神々しい天の御遣いのようにも、無慈悲で凶々しい布告を携えた死神のようにも思えた。
「そ……神父。……桜……ちゃんは――」
 呂律が回らない舌をなんとか動かして、呻り声とも取れない声で問いかけた。
 歯の根が噛み合わない。震えが止まらない。
 実際には数秒の逡巡であったろうが、返答までの時間が雁夜には無限なように感じられた。
 綺礼の顔には困惑が色濃く浮かんだのだが、そのことに気づけるほどに雁夜には余裕がなかった。
「案ずる必要はない。雁夜、君の身内はもう冥界の門をくぐることはないだろう。もう少し容態が安定したら、中立地帯である教会から、市内の病院へと輸送するが構わないかね?」
 もって回った言い方ではあるが、一命は取り留めたことを綺礼は遠回しに告げる。
 全身から力が抜けた。
 今すぐにでも倒れ込みたくなる衝動を抑えこみ、質問を続ける。
「桜ちゃんには、その……会えるのか?」
「会いたければ会うがいい。意識が戻るにはまだ時間が必要だが、意識が戻れば差し支えないだろうな」
 綺礼は心底他人事であるかのような、まったく興味を持たないような、無機質な口調で答えた。それが果たして興味を覆い隠すための物であることに本人自身が気づいていたかどうか。誰も気づきえない心の動きであっただろう。それだけ言うと。また治療のために部屋へと戻っていった。
 しばらくして、雁夜は別の聖堂教会工作員から桜の意識が回復したことを告げられ、病室へと招かれた。
 桜が乗せられた台はベッドと呼ぶには極めて簡素な、クッションの上にシーツをかぶせただけの粗末な代物だった。切り開かれた腹部には赤い包帯とおぼしき布が厚く巻かれていた。
 損傷した内臓の多くを消毒したうえで修復し、元の位置へと縫い直す。言葉にするのならばそれだけのことだが、近代医術の力の及ぶ所ではない状態だった桜を回復させるのには聖堂教会の、言い方を変えるならば言峰綺礼の魔術の技量が必要不可欠であった。魔術を嫌悪する雁夜ではあるが、綺礼がその力を用いて桜を治療したことには感謝の念を禁じ得ない。
 恐る恐る雁夜は桜に近づいた。自分はいつも怯えてばかりだ。大切な人を前にするといつもこうだった。
 怯えている雁夜を視界に収めると、桜は無機質な瞳を向けてから、血色の薄い唇をたどたどしく動かす。
「来るの…………おそいです。雁夜おじさん―― 金色のオバケ――」
 自分と姿を消している相棒への言葉だった。わかっている。助けに行くのが遅れた自分を責めていることは。だが、しかし。なぜこんなにも涙が止まらないのだろうか。
「――うん。桜ちゃん。ごめん」
 わかっている。自分が卑怯者だということは。
「雁夜おじさん、泣いてるの?」
「うん」
「どうして泣いてるの?」
 心底不思議そうな声だった。
「なんで泣いてるのか、僕にもわからないんだ」
 そうして涙が止まるまで雁夜は桜の白い手を握りしめて泣き続けた。








[5049] Fate/zero×spear of beast 27
Name: 神速戦法◆c678cf47 ID:59468073
Date: 2013/06/15 03:48
Fate/zero×spear of beast 27

 やっと眠れる。
 ああ、やっと眠れる。
 それが言峰綺礼の嘘偽らざる本心だった。
 徹夜で呑んだくれたあとに、妹弟子を探索しながら修羅場をくぐり、キャスターがかどわかした子どもたちを連れて教会に戻ったら、半死半生の間桐桜の治療を父親に言い渡された。しかも、桜の症状は、綺礼の神業ともいうべき治療魔術の腕でも難儀するほどの重傷で、ほとんどすべての魔力と半数に近い魔術刻印を使い果たした。サーヴァントの現界する程度の魔力は、まだなんとか残っているが、それでもほぼ二日間にわたる徹夜である。
 確かに聖堂教会の代行者としての任務には、もっと過酷なものもあった。一週間以上もの間、不眠不休で死徒を狩ったり、外道へと堕ちた魔術師の工房へと殴りこみを掛け、五〇近い使い魔を一人で倒したこともある。。
 しかし、今回の件は、単純な疲労よりも精神的な負荷のほうが大きい。
 眠い。ひたすら眠い。というか眠らせろ。
 本来は間桐桜の治療など、綺礼には一切関係ないのだが、父親の命令では仕方ない。はっきり言えばめんどくさかった。しかし、酒臭いにおいをプンプンさせながら、父親の命令に逆らう度胸はさすがに綺礼にもない。
 そして、半日にも及ぶ綺礼の心霊手術の結果、間桐桜は一命を取り留めた。苦痛によって魔術回路が暴走し、起源が発現しかけていたが、自分の治療そのものは上々の出来といえる。あと数日も、一般病棟で安静にしていたら、退院できるだろう。
 別に、手を抜いて治療するという選択をしても良かった。しかし、あれだ。こういったことで、手を抜いたことは綺礼にはない。むしろ、どんなことであっても手を抜くとか、いい加減に力を抜くということが綺礼にはできない。克己の果てに、自分の求める答えがあると信じていた。信じていたのだから。
 しかし、あれだ。損な性分である。
 全くもってサイテー極まりない。
 しかも、何より最悪なのは、そんな疲労ではない。
 懇願するかのような顔でこちらを覗いていた間桐雁夜に、自分が何をしようとしていたのか。
 考えるのもおぞましい。
 あの恐怖に怯える雁夜の顔が、慚愧と絶望に塗りつぶされるさまを××たいと感じていたのだ。
 間桐桜を治療しながら、ずっと考えていた。間桐桜が、どのような境遇にあったのかは、アサシンの調べでだいたいわかっている。魔道の世界ではよくある話だ。そんな境遇の少女を観て、綺礼の心は常人とは全く別の方向へと動いていた。
 もっとこの少女を××めたいと。この少女が×き×ぶ姿が見たいと考えていたのだ。
 そのときのことを思い出すだけで、頭の芯にぼうっと霧がかかる。
 あれだ。
 寝よう。
 寝て忘れよう。
 そう考えて、教会の自室に急いでいたら、空気が揺らいだ。
 大量の魔力の塊。サーヴァントの気配だ。協会にいるサーヴァントは2体。一体目は教会に駐留している自分のアサシン。アサシンは自分の気配を遮断して、決して間桐雁夜が協会にいる間は、決して姿を見せるなと言い含めている。そしてもう一体は間桐雁夜の使役している…………。
 そこまで思い当たると、思考よりも先に綺礼の口が動いた。
「バーサーカー。今更、サーヴァントのいないマスターを相手に、いまさら一体何用かね?」
 “脱落したマスター”と言わないあたりが、この綺礼の損な性分の所以である。“サーヴァントのいないマスター”というのは、紛らわしいが嘘ではない。綺礼は、相当追い詰められなければ全くのウソというものを口にすることはない。もっとも、わざと勘違いさせるように言っているのだから、ただの嘘つきよりもタチは悪いのだが、本人に罪悪感は一切ない。
「あの“さくら”を助けるたぁ、いい腕だな。オメェ」
 バーサーカーは現界するなり、しわがれ声でそうつぶやいた。
 普段の聞くものを威圧するような剣呑な気配は、鳴りを潜めている。
「礼ならいらないぞ? バーサーカーよ。私は神父だ。助けよというのならば、助けよう。死にたいというのならば、死なせよう。しかし、あの少女は生きようとしていた。だから祝福したまでのことだ」
 助けたいから助けたわけではない。助けるのが神父の使命だから助けた、と言っているのだ。
 随分と周りくどい物言いに、バーサーカーはぶっきらぼうに応えた。
「今回は、オメェらを見逃しといてやる。影でコソコソ嗅ぎまわってる奴らもな」
 そうして小さく舌打ちをした。
 綺礼の心身に、小さな慄きが生じた。アサシンの気配遮断スキルはAランクだ。一体、いつバーサーカーはアサシンの生存に気づいたのか? いかなる失策で綺礼たちの奸計が看破されたのか……。
 いずれにしても、ここで誤魔化したところで意味は無いだろう。
「なぜ気づいたのか聞かせてもらえるかね? バーサーカーよ」
「気配は消せても臭いは消せねえ。キャスターの根城の近くで嗅いだ臭いがこの“きょーかい”で、ついたり消えたり幾つもしやがる。一体、後何匹アサシンとやらがいやがるんだ?」
 そう、ぶっきらぼうに応えた。
 人間の英霊の嗅覚では不可能な芸当だが、そこは異形のサーヴァントである。常識外のスキルを持っていても不思議はない。
「すべてお見通しか。それならば仕方がない。しかし、バーサーカーよ。なぜ私を見逃す? 敵であるマスターを殺しておいたほうが何かと都合が良いのではないかね?」
 ここで、もしも「それなら」などとバーサーカーに気を変えられたら綺礼の命運は詰むのだが、ひねくれ者に生まれた綺礼である。聞かずにはいられない。
「ますたーは聖杯せんそーで勝つのに興味がね~し、わしも叶えたい願いなんてね~から見逃しといてやるんだよ、ボケ」
 これは綺礼にとっては聞き逃せぬ情報だった。
 よもやまさか、叶えたい願いのない英霊が、召喚に応じるなど信じられることではなかった。
「それは本当か?」
 小さくバケモノは頷く。
 見逃すということは、つまり、綺礼と聖堂教会の実質の癒着や遠坂陣営の不正を黙認するということだ。
 聖堂教会に匿われている脱落したマスターのサーヴァントが、実は生存していたなど、これ以上ないほどのスキャンダルである。聖堂教会の監督役としての威信が地に落ちる。場合によっては遠坂陣営と教会に、他のマスターすべてが結束して敵対することにもなりかねない。それを見逃すということは、マスターである雁夜への重大な背信行為ではないだろうか?
 綺礼の巡らす思いを断ち切るように、バケモノはその口を開く。
「だから、わしらをこれからさきのぞくんじゃねーぞ。うっとーしい」
「善処しよう。見逃してくれるというのならば是非もない」
 あっさりと取り決められた密約だった。
 遠坂師父へは、今後バーサーカー陣営についてのみ虚偽の報告をすることになるだろう。
「おい、しんぷ。わしのマスターをどう思う?」
「間桐雁夜のことか? なぜそのようなことを聞く?」
「テメーは見たままを答えりゃいいんだよ」
 なんともぶっきらぼうな物言いだ。どうして金色のアーチャーといいこのバーサーカーといい、英霊という連中は、こうもアクが強いのかと鼻白みながらも聞かれたとおり返答する。
「特になにも思うところはない。強いて言うのならば聖杯戦争の参加者。おまえの主でわたしの敵。教会内でアサシンが暗躍してマスターを殺すなど、ありえない状況であるがゆえにアサシンには襲わせていない。一年前までは魔術の修行をしたことが一切なかったそうだが、貴様のような強力なサーヴァントを召喚し、維持している時点で先天的には相当なマスター適正を持っていたのだろう。よりにもよって、他人の娘を助けるために魔術師になるなど、命知らずの極みだが本人がそれを贖罪だと思うのならば、私がどうこういう筋の問題ではないだろう。しかし、分別の付いた大人ならば笑うかもしれないな。ましてや命をかける戦いに、なんの願いもなく参加するなど、まったく正気ではない。しかし、正気ではないところに間桐雁夜の怖さがある。敵として見た場合、狂気に毒された敵ほど恐ろしい敵はいないからな。しかし、狂気ゆえに自滅を待てば、対処のしようはある。自分以外の何者かと噛み合わせるのが上策だろう。しかし、ここ最近の様子を伝え聞くに、遠坂師父への怒りがやわいだとも見て取れる。間桐の怪老を弑逆したことで、間桐桜を救い出すという目的を果たしたつもりになっているのかもしれないが、そこは本人に聞かねば分からないたぐいの話だ」
 特になにも思うところはない、などといっておきながらこれほどの観察を間桐雁夜に対して行なっていた。それを執着というのだが、綺礼だけはそのことに気づいていない。
「そんで、オメーから観てうちのますた~は、あと、どれぐらい持つ」
「マスターの命数を計るか? 全くなんとも不遜なサーヴァントもいたものだな。サーヴァントとマスターの関係とは、長くともせいぜい2週間程度。聖杯戦争が終わるまでの仮初の主従関係だ。間桐雁夜の命数など、知ったところで埒もない話だろう」
「さっさと答えろ。食うぞコラ」
 バーサーカーは不機嫌さを増したかのようにつっけんどんに応えた。
「問われたらば答えよう。間桐の虫は、体内にいるだけで適性の少ない魔術師の寿命を縮める。刻印虫が体内に居るだけでいずれ死ぬが、命があるというのであれば、三月は持つだろう。しかし、体の中に入っている間桐の虫の毒素は、魔力を使えば使うほど生成されることから考えるに、聖杯戦争に参加してサーヴァントを使役するなど自殺行為だろう。宝具を使うなどもってのほかだ。もしも聖杯戦争に参加して、マスターとして自身も戦うというのならば、一〇日持つまい。最悪、明日死んでいたとしても、私は驚かない。しかし、貴様が全面に出て戦い、魔術師として戦わないというのならば、聖杯戦争中は持ちこたえるだろうな」
 淡々と事実だけを告げる。
「もし、オメーがうちのますたーの体から、虫けらをひきずり出したらどうだ?」
 それは思いも寄らぬ言葉だった。
「まさか、バーサーカーよ。貴様はわたしをそのために見逃すのか?」
 マスターの体から、魔術回路として働いている虫を取り除くということは、つまり現界する手段をなくすということにほかならない。それはサーヴァントの実質的な死を意味することだ。そこまで考えて始めて頭に思い浮かぶものがある。
「…………」
 沈黙。
 数秒の間であったが、あるいはもっと長かったかもしれない。
 根負けしたかのように口を開いたのは綺礼だった。
「もしもかりに、私が治療を引き受けたとしても、いつまで持つかはわからない。正直わからない。しかし、いつ死ぬかわからない程度には伸びるだろうな」
 一年か、三年か、あるいは五年か……。いずれ死ぬ。それ程に雁夜の体は衰弱している。しかし、それを言うのならば、人間は必ずいつか死ぬ。必ず死ぬ。いつ死ぬかわからないということは、もしかしたら普通の人間と同じ命数であるかもしれない。
「こちらからも聞かせてもらおう。バーサーカーよ。それは、私とアサシンを見逃す見返りの取引と考えて良いのだな?」
 是非もない。こちらの命の掛かった取引である。引き受けるのが得策であろう。利害だけを考えればまさにそのとおりだ。最低でも、聞いたふりだけでもしておけば良い。それこそが賢いやり方であろう。
 しかし、綺礼は色よい返事をしなかった。
「了解はできない。私と間桐雁夜は敵同士だ。少なくとも聖杯戦争中はな」
 なんとも命知らずなことだ。
 しかし、安易に引き受けるわけにはいかない。
「それに、もしも、延命が可能であるとして、間桐雁夜自身がそれを望むだろうか? 死の中にこそ、彼の求める安息があるやもしれないぞ? バーサーカーよ。生きる意思のないものに、治療を施す愚を犯すはめになるやもしれないぞ」
 助けて良いのは助かる意志のある人間だけだ。あの女のように。
 間桐雁夜の状況は、これからまさしく、生きることが苦痛という状況になるだろう。そのときに、雁夜は命数を伸ばすという選択肢を選ぶだろうか?
 思い出そうとすると、頭が痛む。自分を愛していると言った聖女のように。
「それでかまわねえよ。本人が死にてえってんだったら、そんときゃ勝手にくたばらせろや」
 死にたいというのならば、そのまま死なせておけ、ということならば、断る理由はない。 
「今すぐ了解はできないが、聞いたということだけは覚えておこう。もしも、聖杯戦争が終わった後に、私と間桐雁夜が存命であったのならば」
 なんとも歯切れの悪い返答だ。
 しかし、バケモノはそれを了としたようだ。
 そして、二、三考えるような仕草をした後、
「ところでしんぷ。おめーアレか? 何が楽しくて生きてんのかわかんねークチか?」
 まったくの不意打ちを浴びせてきた。
「……なぜ……解った?」
 人間が誰にも知られていなかったはずの本性を言い当てられたときの反応は、全く独創性から程遠いものになる。
 それは感情がろくに働いていない綺礼であってもそこは同じであった。
「もしかして、なにやってもつまんねえし、熱くもなれねえ、嬉しいとも思わねえ、天才ってやつか?」
「貴様は、私がどうしたら良いのか知っているのか?」
 叫びだしたい衝動をなんとか押し殺して聞いた。
 答えを見出したい。なんとしても。それがこの場で与えられるというのならば。
 愛するということはなんなのか。この空しさを止める方法はあるのか?
 そう懇願したい衝動を何とか抑えて聞いたのだ。
「昔っからたまーにいるんだよ。おめーみて~な奴は。強いくせにその力をどう使っていいのかわからない間抜けはよ。英雄とか天才とか言われてる馬鹿どもが、心に風が吹いてるとか何とか言いやがって。チョックラ小突いたら死ぬくせに、好きに生きられねえ。だからよわっちくてキレエなんだよ。あくせくしながら好きなコトやって生きてりゃいいくせに。ニンゲンは」
 そう吐き捨てると、怪物は子どもっぽい仕草でそっぽを向いた。
 もしかすると、この言峰綺礼の欲する答えを、この異形のバーサーカーは知っているのだろうか?
 ならば問わずにはいられない。
「…………もしも、その私が好ましい、と思う行動が、他者から見て許されざる悪徳だったとしたらどうしたら良いのだ? 他者を苦しめるときにのみ、快楽や愉悦を感じられるような罪深い人間だったとしたら、果たしてそれは許されるのか?」
 覚悟を決めて、尋ねた。
「ニンゲンなんてそんなもんだろうが。わしから見りゃあ、弱っちくて小さいくせに、自分より強い奴にケンカ売って、笑いながら死んでいく偽善者のほうが気持ちわりぃわ。おめえアレか? 自分から好んで貧乏くじ引きたがる馬鹿か?」
 分からない。綺礼にはこのバケモノがなにを言っているのかわからない。
「……貴様は、私のような人間を知っているのだな? その男は、満足して死んだか?」
 それは祈りに近い心情の吐露だった。懇願といっても良いかもしれない。
「さぁな」
 バケモノは音もなく消えた。
 最後にただ一言。
「思い出しちまった」
 とだけ言い残して。




 雁夜は桜が再び眠りについてから、部屋の外に出た。
 ここに居なければならない、もう一人の人間。凛を探すためだ。
 凛と桜が一緒にいる姿が見たい。もう一度、姉妹のように屈託なく話している声が聞きたい。
 せめて、桜が眠っている傍にいて手を握ってあげてほしい。
 その自分勝手な願いを叶えるために、雁夜はおぼつかない足取りで、教会の中を歩きまわった。
 聖堂教会のスタッフと思しき人間には、何度かすれ違ったがいずれも工作活動のために慌ただしく歩きまわっており、声をかけにくい雰囲気を漂わせていた。どうやら子どもが一人、どこに居るかなどという些事には、構っている余裕はないようだ。
 ムダに広い教会の敷地内をゆっくりとした足取りで歩きまわっていると、小さな人影が、礼拝堂の椅子に腰掛けているのが目に映る。
 緩やかなウェーブのかかった黒髪が、可愛らしい髪留めで2つにまとめられた後ろ姿。
 できるかぎり感情をこめないように、名前を呼んだ。
「凛ちゃん」
 ピクン、と小さな肩が揺れた。
 わかっている。この察しの良い少女がどんな思いを抱えてここにいるのか。
 臆病者の自分が、この聡明な少女にお説教をするなど噴飯物だ。そもそも事の元凶である自分が、偉そうに何か言えた義理ではない。
 しかし、それでも口にせずにはいられなかった。
「桜ちゃんには会いに行かないのかい?」
 声に出した途端に、言いようのない恐怖と後悔が押し寄せてきた。しかし、逃げるわけにはいかない。
「いま、会わないと一生後悔するかもしれない」
 まったくどの口が言うのだろうか。赤面せずにはいられない。
「わかっていますっ!」
 叫ぶような声だった。
 自分でも予想したよりも大きな声を出してしまったのだろう。驚いたように息を吸い、顔を真っ赤に染めた。
「……わたしは、わたしは、もうあの娘の、桜の、姉じゃないんです!!」
 それはまるで堰を切ったかのような感情の本流だった。
「わたしがこの街に戻ってきたのはっ――桜をたすけっ助けるためじゃないんです。あの娘っ――どんな、どんなめにあってるのかも知らないでっ。お父様のいいつけだから――まちがいはない――から、わたしにはっ、同しようもないからって――」
 強い意志を秘めた瞳を開けたまま、大粒の涙は音を立てずにこぼれ落ちて。
「お父様のいいつけで――桜のことは忘れよう、もう、あの娘とは、わたしは――かんけいないんだって。桜を助けたのは、おじさんとおじさんのサーヴァントで――桜に会えないんです。どんな顔したらいいのかわかりません――。優しいお姉ちゃんの顔して、逢えません」
 会うのが怖い、今は会えない、なにを話していいのかかわからない。すべてがもっともで、どうしようもない。
「わたしは、あの娘が幸せに、間桐の家で過ごしてるって思ってたんです。お父様の後はわたしが継げば、あの娘は痛いのや苦しいのとは関係がなくなるって。間桐の家で、魔術師としてつらい目に会ってるなんて全然想像もしないで、勝手にわたしが頑張れば、その分、桜が幸せになると思ってたんです」
 雁夜にはどう声をかけていいのかわからない。以前ならば、すべて時臣のせいにして、復讐心へと転嫁することも出来ただろう。しかし、今の自分にはできない。なにを言っても、運命から逃げ続けてきた自分には、かけられる言葉などない。
 だから、そっと肩を抱いた。
 かけられる言葉がないのなら、怯える凛の肩を、震えが止まるまで抱えるようにそっと抱いた。
 どれぐらいそうしていただろう。
 凛が落ち着くまで、五分かそこら、いや、もう少し長かったかもしれない。
「凛ちゃん、僕といっしょに行こう」
 少女は小さくうなずく。
 それはまるで、叱られるのを怖がる少女が、大人が一緒に謝りに行こうとするかのような錯覚に陥る。
 その様は、年齢相応の幼さの残ったものだった。












[5049] 遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです6
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:f11a85bb
Date: 2013/08/06 03:02
 カリカリに焼いたベーコンに半熟のゆで卵。細かく刻んだ野菜にごま油を混ぜたドレッシングをかけた中華風サラダ。缶詰のコーンをミキサーに掛けて裏ごしし牛乳を加えたコーンスープ。まあ手抜きといえば手抜きなのだが、それなりにご機嫌な朝食が仕上がった。
 遠坂凛が朝食を準備している間、時間にしておよそ三十分ほどであったか。隣の居間では、哀れにも衛宮士郎はずっと正座のまま、アーチャーとセイバーにお説教をされていた。少女二人が左右からひっきりなしに、衛宮士郎に怒りをぶつけていた。プンスカと怒っているかのように見えないこともないが、魔術師ならばあの圧倒的魔力を誇る二体のサーヴァントに詰め寄られて、延々とお小言を言われ続けるなど軽くトラウマものだろう。少なくとも自分は勘弁してほしい。同情するつもりはさらさらないが、もうすぐパンが焼ける。「お説教にかまけて料理が冷めてしまいました」など、人生最大の無駄である。縮こまる衛宮士郎に襲いかかる二体のサーヴァントに声をかけた。
「セイバー。それに……貴方。衛宮くんをいじめるのはひとまずやめて、食事にしない?」
 “アーチャー”と自分のサーヴァントを呼ぼうとして、とっさに踏みとどまれたのは、僥倖であった。あの狐耳のサーヴァントは“アーチャー”など呼んだらヘソを曲げるにちがいない。絶対に曲げる。
「いただきましょう。話の続きはそれからにしましょう。マスター、いいですね?」
「ふむ、そうするか。ところで剣の英霊のマスターよ。お主の家に茶はあるか?」
「あ、ああ。番茶なら、そこの戸棚にあるけれど」
 倒れ伏しそうな表情で衛宮士郎は頷く。
 戸棚を物色しながらアーチャーは、
「ふむぅ。ろくな茶ではないな。しかも袋を開けてから随分と経っておるの。ちゃんと乾燥剤を入れておらんから、香りが抜けておるではないか。今日のところはこれで勘弁しておくが、明日までに新しい茶を買ってくるがよい。良い茶を飲まぬと人間が小さくなるぞ」
 何やら小姑のようなことを言っていた。


 朝食が終わり、「うむ。こういう武家屋敷で飲むのは日本茶に限るのお」などと、まったりしながらこたつに入っているバカサーヴァントは無視して、今後の方針を立てることにした。
「ところで衛宮くん。話があるのだけれど。セイバーもいいかしら?」
「私はかまいませんが、マスターは?」
「……俺も別に問題はないぞ。話ってなんだ」
 と、何やらびくつきながら聞いてきた。先ほどのお説教地獄がなかなか堪えたようである。
 本当は遠回しに尋ねたほうが何かと都合は良いのだろうが、生憎そんな遠回しな聞き方は、この遠坂凛の性に合わない。単刀直入に聞くことにした。
「貴方、昨日の夜はマスターとして戦うと決めたみたいだけど、改めて聞くわ。降りる気はない? 今ならまだ間に合うわよ?」
「――凛!? 貴方は何を!? 何を言っているのかわかっているのですか?」
 セイバーの抗議は至極もっともだ。通常のサーヴァントは聖杯を求めてこの戦争に参加したのだ。まあ、「マスターにかわいい名前をつけてもらおう」というくだらない理由で参加するアホもいるが、それは例外中の例外。たいていは叶えたい願望を抱えて聖杯の招きに応じるのだ。ここで、マスターに脱落をうながすなど、セイバーにしてみれば宣戦布告にも等しい行為である。
「まあ、話は最後まで聞いて。こんなことを言い出すには、それなりに理由があるの」
 いきり立つセイバーを制止しながら話を続ける。
「衛宮くん。貴方、昨日一日だけで、何回死にかかったか覚えてる?」
「………………」
 セイバーはこちらの言わんとしていることを察したようだ。何かを言いたそうに、しかし、なにもいえずに押し黙った。
「もう一度聞くわ。聖杯戦争開始一日目で、貴方は何回死にかかったの?」
「さ、三回かな?」
 考えるような素振りを見せた後、つぶやくように答える。
「すごいわよね~。三回。一〇年前の聖杯戦争は二週間以上続いたそうだから、貴方最低でもあと四〇回は死ぬわよ。このペースだと。一回目はアーチャーに。二回目はセイバーに、三回めはなんだかわからない現象に助けられたみたいだけど。貴方まさか、こんな偶然がいつまでも続くなんて思ってないわよね?」
 そうなのだ。
 この衛宮士郎は死ぬ。間違い無くこのままだと死ぬ。
 幸運というのは、貯金通帳に似ている。使い続ければいつかは必ずなくなる。いや、それどころか衛宮士郎の幸運残高は、とっくに0になっていてもおかしくはない。
「貴方。三回も死にかかって、戦う理由が『戦いをやめさせる』とか、『一般人を巻き込みたくない』とかそんな理由だなんて本気?」
 あえて「正気か」、とは聞かなかった。魔術師とは多かれ少なかれ狂気を抱えているからだ。
「貴方、『自分から敵のマスターは倒さないし、他のマスターが悪事を働いたら殺さないけれど止める。それで殺されました』なんて、一体どこのライトノベルの主人公よ。矛盾してるにもほどがあるわよ」
「む、むむ、むむむ。つ、都合のいい事を言ってるのはわかってるけれど、そ、それ以外の方針は思いつかない。それだけは絶対に替えないからな……」
「まあ、貴方がそうしたいのならそうすればいいわ。でも貴方、絶対に死ぬわよ。昨日の、あのバーサーカーのマスターを覚えてる? なんの因縁があるかは知らないけれど、あの娘は必ず衛宮くんを殺しにくるわよ。しかも、バーサーカーはセイバーよりも強い。どうするの?」
 そうなのだ。衛宮士郎の理想は崇高だ。実現できるのならば、これほどに理想的な世界もないだろう。しかし、そこには絶対的な法則が立ちふさがる。即ち、正義を唱える人間は悪よりも強くなくてはならない。暴力をとめられるのはより大きな暴力だけだ。そして、衛宮士郎は弱い。おそらく、この戦争に参加したマスターの中で最弱だろう。
「もしも、ここで降りるというのならば、懸命な判断ね。今は朝だし、まさかバーサーカーも街中で襲いかかっては来ないでしょう。教会に避難しなさい。セイバーは……そうね。もしセイバーが望むのならば、替りのマスターを紹介してもいいわ。おそらく監督役の教会には、七人の魔術師が集まらなかった場合を考えて予備の魔術師のつてがあるはずだから。まあもっとも、その魔術師は衛宮くんみたいに、一般人を巻き込まないとか、敵を殺さないなんていう妙な正義感は持ち合わせてないだろうけれど」
 なにも知らない一般人が、数合わせでサーヴァントを召喚し、大惨事になったことも過去にはあるらしい。そのときの教訓を踏まえ、聖杯戦争が始まって、七人のサーヴァントが召喚されなければ、予備の魔術師がマスターに派遣されることになっていたはずだ。ましてや、最良のサーヴァントのセイバーを得られるとなれば、衛宮士郎の替りを見つけることは、そう難しいことではないだろう。
 沈黙。
 しかし、それはすぐに終わった。
「俺は……参加する。戦うって決めたんだ」
 その表情に、迷いはなかった。
 ならば仕方がない。他人がどうこういうたぐいのことではない。あくまで他人には。
「そう? ならいいわ。せいぜい後悔しないことね。じゃあ、この話はここでおしまい。別の話に移りたいんだけどいいかしら?」
「い、いいけどなにかな?」
 叱られてばかりいたのがよほど堪えているようだ。おっかなびっくりこちらの方をのぞき込む。
「わたしたちと手を組まない?」
「え?」
 そんなに妙なことを言ったつもりはないのだが、衛宮士郎には意外であったようだ。阿呆のほうに口をぽかんと開けている。
「――て、手を組むって、俺と遠坂が? でもなんでだ。遠坂と俺が組んで、いいことなんて一つもないだろ」
「そうでもないわ。あの昨日のバーサーカーを観たでしょ? わたしのアーチャーは強力なサーヴァントだけれども、あのバーサーカーには攻撃が通用しなかった。確実に何かあるわ。その秘密を暴くまでは、貴方と同盟関係にあったほうがいい。当然、同盟の対価は払うわ。マスターとして知るべき知識は全て教えてあげる。同盟が終わったあとも衛宮くんを殺さないし、可能な限り貴方を守るわ。ああ、あと暇があれば衛宮くんのからっきしな魔術の腕も見てあげるし、貴方の傷が勝手に修復した例の現象の調査もさせてもらうけれど?」
 我ながら大盤振る舞いだ。いや、出血大サービス。心の贅肉ここに極まれりだということはわかっている。しかし、この同盟にはそれほどの価値があると踏んでいた。
「遠坂。気持ちは嬉しいんだが……その……」
 これだけの条件を出して、断るつもりだろうか? このトーヘンボクは。
「いや、その。俺が遠坂と同盟して、俺は遠坂になにをしたらいいんだ?」
 …………。なるほど、それは確かに一言必要だったかもしれない。
「なにもしないでいいわ」
「え?」
「はっきり言えば、バーサーカーと渡り合うのに、アーチャー一人だとちょっと心もとないから、セイバーの手を借りたいって思ってるだけだから、衛宮くんにはなにも期待してないわ」
「期待してないのか?」
「当然でしょ。へっぽこ。むしろ貴方、昨日の有様で何か役に立てると思ってるの? それよりも衛宮くん。そろそろ答えを聞かせて欲しいんだけど?」
 じぃーっと半眼で凝視する。衛宮士郎がどちらを選んだとしても、自分はおそらく問題はない。しかし、この提案に頷いて欲しいとは思う。なぜかは知らないが、そう思った。
「――分かった。その話に乗るよ。遠坂。そうしてもらえるのなら、助かる」
 ほっとした。なぜほっとしたのかわからないが、緊張していた一本の糸が緩んだ。
「そう、衛宮くん。それじゃあ、私、今日からここに住むから。あの娘もね。部屋を2つ用意してね」
「え?」
「協力するって言ったでしょ。いつ襲いかかってくるかわからない敵を相手にするんだから、一緒にいる以外に方法はないじゃない? それとも衛宮くんが私の家に泊まりたいっていうのならそれでもいいけれど」
「い、いや、それは……」
「そう? それじゃあ、荷物取ってくるわね。そうだ。セイバーは霊体化出来ないんだったわよね」
 衛宮士郎が気絶している間にいくつかのことを聞き出していたが、彼女はアーチャーのように姿を消すのを嫌がっているのではなく、能力として霊体化する事ができないらしい。
「そのままの鎧甲冑じゃあ、ちょっとアレね。いいわ。私の服に似合いそうなのがあるから取ってくるわね」
「り、凛? そ、その、あなたの服、ですか?」
 とセイバーは、面食らったような声を出す。何やら膝下に視線が注がれるが、まあ、アレだ。気にしないでおこう。
「ほら、あんた、いつまでぼーっとしてんのよ。一回家に戻るから着いて来なさい」
 そうして煎餅をかじりながら、こたつでのったりとしているアーチャーの首根っこを捕まえて、自分は自宅へと戻ることにした。





「ところで主様よ」
 ボストンバックをかついだ私の背後から声がかけられた。
 遠坂の家を出てすぐのことだ。
「なによ」
「この服は主様のおさがりということじゃが、主様は昔からこういう趣味なのか?」
 アーチャーの声には不服そうな響きはない。ひょこひょこと私の周りを落ち着きなく回りながら歩いているところを見ると、むしろ気に入っているのかもしれない。
「いいえ、その服を選んだのはお母様よ。でもまあ、昔と似たような服を今でも着ているから、趣味といえばそうかもね」
 アーチャーに着せているのは、昔、私が着ていた赤のトップスに黒のスカート。考えてみれば、今着ているものと変わりがない。三つ子の魂百でもあるまいが。
 それにしてもだが、このアーチャー。異様に可愛らしい。セイバーが物語に出てくる凛とした王子様だとすると、この少女は昔話に出てくるお転婆なお姫様だ。ぴょこぴょことせわしなく動く狐耳と尻尾に、物憂げで切れ長でくりくりとした瞳。風にたなびくのは銀糸のような髪。あと五年もしたら、交際希望者が鈴なりになって行列を作るやもしれない。どことなく敗北感を感じるのは気のせいではないだろう。
「しかし主様の服は、我にはともかくあの剣の英霊には似合わんじゃろ。まさか、そのミニスカアバズレ衣装を剣の英霊に着せるのか? 同盟関係が一日目から破綻しかねんぞ?」
「黙りなさい」
 まあしかし、言っていることは正しい。服装というのは心の鏡だ。人間の価値は着ているものでは決まらない、といわれるかもしれないが、そういう意味ではない。どう観られたいか、自分はどんな人間なのかというシグナルを外見に表す機能が服にはある。あまりに精神性とかけ離れた衣装を纏わせて、本人にも周囲にも良いことは一つもない。セイバーに似合う生真面目で、実直な、清く正しいやつを見繕ってある。
「まあ観てなさい。セイバーに似合う、特別なやつを用意してきたから」
「と言うことは主様には似合わんということじゃな。おそらく清楚で質素で、それでいて礼儀正しい奴に違いないのう」
「……殺すわよ」
「おお、剣呑剣呑。決して悪意があったわけではないのじゃ。許すが良い」
 嘘つけ。悪意しかないくせに。
 まあしかし、その悪意は決して不快ではない。悪戯とか悪巫山戯とか、まあそういったたぐいのものだ。少なくとも、アーチャーは人間として許されない一線を超えることはないだろう。
「それでじゃな。主様よ。我から言っておかねばならぬことがあるのじゃが?」
「なによ?」
 と聞き返しつつ、なにを言われるかはわかっていた。このサーヴァントは発言はムカつくし、主人を主人とも思わないし、いつも悪巫山戯ばかりをしているが、決してバカではない。サーヴァントならば、必ず尋ねずにはいられないはずの質問があるはずだ。アーチャーに相談せずに決めた士郎との同盟の件は、まともなサーヴァントならば不平の一つも出ようというものだ。
「あの小僧の家に行く前に、買い物に行かぬか? ほれ、この街には緑茶と紅茶の専門店があるそうではないか。いやいや、我の生きておった時代には、茶というだけで高級品で、一般庶民が汗水たらして働いても茶の一杯にもならなかったものじゃが、現代ではそのへんの小僧の家にも茶がおいておるのじゃ。いやいや、人間というのは大したものじゃ。のう? 買いに行かぬか? 商店街に」
「…………」
「良いか? 茶というのはな、いわば平和の象徴じゃ。美味い茶を飲んでおれば戦争など起こす気にならぬものじゃ……って、主よ。一体何を面白い顔をしておるのじゃ? 口の中で苦虫が一〇〇匹爆裂したかのような、面妖な顔じゃぞ。黙っておればそこそこ美人のくせに、まるでおかめが腹膜炎を起こしたような珍妙な顔をしておるぞ?」
「……………………。いや、自分の呼び出したサーヴァントがほんとにバカだったんだなーと思って、ちょっと落ち込んでただけだから、気にしないで」
「そうか、具合が悪かったのか。それならば仕方ないのう。小僧の家についたらゆっくりと休むが良い」
「……………………………………………。あんた、本気で言ってる?」
「主様よ? さっきから殺気をプンプンと放っておるが、近くに敵でもおるのか? 我にはまったく感じぬが?」
 ぷちん。
 なにが「さっきから殺気」だ。ちっとも面白くもない。伝説の英雄ならもう少しマシな冗談を言え。
「ま、待つのじゃ、主様よ。我ののほっぺたをなぜつねるのじゃ!? いふぁい!! ふぁれはえいれひでも、ひたいものはひたいのじゃ!!」
「黙りなさい。私は茶坊主を召喚した覚えはないのよ!! てっきり衛宮くんとセイバーに肩入れしすぎるなとか、同盟関係を結ぶ必要はないから切り捨てろとか、そっちの方を聞かれると思ってたのに!! 誰が戦争中に茶を買うために商店街まで行かなきゃいけないのよ!? 大体あんた、なんでそんなに茶にこだわってんのよ? 千利休や古田織部ならともかく、あんたどう見ても日本人じゃないでしょ?」
「ふぉ、ふぉれにはりゆうがあるのじゃ、ふかいりゆうが。ふぁなせ、ふぁなすがよい」
 なにやら、アーチャーのお茶好きには理由があるらしい。とりあえあず理由があるそうだから、話だけでも聞いておこう。
「ふむ。これは我の出自と言うよりは、聖杯戦争のルーツに連なる話になるのじゃが……」
「もったいぶらないでさっさと話しなさい」
「うむ。実はのう。話せば長くなるが、主様が召喚するサーヴァントは、決まっておったのじゃ」
「は?」
「アカシックレコード。根源の渦。因果の螺旋。世界の理。運命の系統樹。まあ、いろいろ呼び名はあるがの。主様が召喚するサーヴァントは、本来は我ではなかったのじゃ」
「……はい?」
 アーチャーのお茶好きの話が、なにやら急に大きくなってきた。
「うむ。まあ、主が召喚するはずだったサーヴァントは小物中の小物で、本人も自分の名前を忘れておるほどの超絶小物。世界も名前を記入し忘れるほどのどうしょうもない、ちっぽけな英雄でのう。我と其奴は座で意気投合したのじゃ」
「……なんで?」
「ふむ。まあ我は名前を呼ばれたくなかったし、あやつも名前を忘れておるしで、まあウマがあったのじゃろうな。妙に気のつくやつで、執事服を着せると妙に似あってのう。英霊の座が案外近くにあったことも合ってのう。それが縁で我の世話を色々としてくれたのじゃ」
 いや、そんなことを聞いているのではない。
「うむ。それでのう。その名も無き小物は英霊として召喚されるたびに、泣きながら帰ってくるのじゃ。『もういやだ。こんなことのために英雄になったんじゃない。こんなことなら正義の味方にならなければよかった』といい歳した大人がピーピー泣いて帰ってくるのじゃ。いい加減鬱陶しくなってきてのう」
「…………あなた、英霊の座にいたときの記憶があるの?」
 召喚された英霊が、座に居たときの記憶を持っているなど、聞いたことがない。前代未聞と言っても良いだろう。
「あるぞ? それが何か問題か?」
 なにかどころの話ではない。聖杯戦争に呼ばれるサーヴァントにあるのは生前の記憶だけのはずなのだ。そんな馬鹿な話があるのか? にわかには信じられない。このサーヴァントを召喚した時からずっと抱えていた違和感が更に大きくなる。このサーヴァントはイレギュラーだ。本来呼ばれるべき英雄ではない。間違いない。
「それで、名も無き英霊が、『今回も呼ばれているから行かねばならない』とか死にそうな顔でつぶやくのじゃ。我はちっとも呼び出しを食らわぬのに、あやつばかり呼ばれてずるいではないか。そこで我は言ったのじゃ『なに? なんじゃそれは? もう戦いたくないじゃと? 正義の味方を辞めたいじゃと!? ならば我がこれからは代わりに行ってやろうではないか!! 実は我は一度、正義の味方というのをやってみたかったのじゃ!! お主のかわりに正義の味方引き受けた!!』と」
「…………」
「我は座でずっと退屈しておったことだしのう。じゃからこうして主の呼びかけに応じて、替りに召喚されてやったのじゃ。光栄に思うが良いぞ」
 お茶好きの話から、スケールが大きくなりまくっている。どうしてこうなった?
「ふむ、それでじゃな。我が、なぜお茶にこだわるのか? ということじゃが、聖杯戦争に参加する際に、座と大聖杯とで、我をどのクラスに配属するかでだいぶ揉めてのう」
「大聖杯と座って、話し合うんだ……」
 もうどうでも良くなってきた。
「うむ。我に合うクラスは、バーサーカーかキャスターかのどちらかということになったのじゃが、バーサーカーとキャスターはとっくに埋まっておったし、空いているのはセイバーとアーチャーしかなくてのう。大聖杯の方から、『やはり我ではなく、召喚される予定であった名前の無い英雄を連れてきてはくれませんか? 彼ならばアーチャーとしての適合性がピッタリですので、是非』との打診があったのじゃ」
 聖杯戦争と言うよりは、派遣社員の配属先を決めているような印象だ。
「そこで我は言ったのじゃ。『我がアーチャーでなにが悪い。いや、我ほどの悪りょ……英霊ならば、セイバーでもアーチャーでも立派にこなせる!! むしろ我こそ最強のアーチャー。アーチャー・オブ・アーチャーになれる』とな!!」
 それは格好がいい場面なのだろうか? 得意顔なアーチャーの顔を観ていてもどうにもイメージが湧かない。
「その後も大聖杯はいろいろごねておったが、我が座を通じて脅迫……説得したら、渋々OKしてくれたのじゃ。無論、交換条件はあったがの」
 脅迫って言ってるし。
「交換条件ってなによ?」
「うむ。我は強すぎるので、そのまま召喚しては冬木の霊脈が今後一〇〇〇〇年にわたって枯渇しかねん。全力を出せぬように能力にいくつかの制限を加えるということが一つじゃ」
「まだあるの?」
「うむ。能力の制限の他に、我が生前の姿で登場するのはさすがに反則じゃし英霊というカテゴリからは外れると。なので、性格や容姿に多少の変更が加えられることになったのじゃ。それならば我も、一度子どもの姿になってみたいと思ってのう。この姿になったのじゃが、いちゃもんがついてのう。大聖杯から、我の戦い方は『アーチャーじゃないだろ』とツッコミが入ったのじゃ。『お願いですから聖杯戦争の開始までにアーチャーらしい所作を身に付けてください』という嘆願……ではなかった。命令があっての。召喚される予定であった名も無き英霊から、アーチャーとしての立ち振舞いや戦い方、育児、洗濯、料理、裁縫に至るまでアーチャー育成訓練を受けることになったのじゃ」
 半分以上はどう考えても、聖杯戦争になんの関係もない。
「いやいや、育児や洗濯などはともかく、料理は特に面白かったのう。その名も無き小物が『私のかわりにアーチャーを名乗るのならば、最低でも茶を淹れる技能だけは習得してもらわなくては困る』と熱心でのう」
 どうやら、諸悪の根源は一番最初。私が召喚する予定だったサーヴァントの性格にあるらしい。おそらく生前は生粋の茶坊主だったに違いない。
「我が茶を淹れる特訓をしている間、我の座に他のアーチャー候補者たちがワラワラとやってきてのう。『アーチャーになるならば、茶を淹れるのは裏技能として必須です』とか『召喚されるまでの間、俺たちがみっちりと教育するぜ。お嬢ちゃん』とか『弓なんか引ける必要はないね。まず茶の淹れ方を覚えるのが先決よ』などと説教を垂れるのじゃ。アレには辟易したが。茶の道というのは、やってみるとなかなか面白い。なんでも、大聖杯は優秀なアーチャー候補者のことを符牒で、『緑茶』とか『紅茶』とか読んでいるそうじゃ」
 冬木の大聖杯は正気なのだろうか?
 くだらないダジャレにも程がある。いっその事、叩き壊したほうがいいのではないか?
 いや、そもそも、おかしいのは世界の弓兵たちかもしれない。
「そんなワケで、我は茶にこだわらねばならぬ。そうでなくてはアーチャーの座の代表として招かれた、我の沽券に関わるのじゃ!!」
「あ……ああ、そう。アーチャーってクラスは結構大変なのね……」
「うみゅ。決して美味い茶でも飲みながらゴロゴロと遊んでいたい、というだけではないぞよ? というわけで商店街に我を連れて行くが良い」
 なぜそうなる? いや、まあ茶葉を買いに行くぐらいならば、大して問題無いだろう。幸いにも今は朝だ。こんな真昼間から襲い掛かってくるアホもいないだろう。
「……あんまり高いの買うんじゃないわよ? いいわね。約束しなさい」
「吝嗇もほどほどにせんと、良い女になれぬぞ? 主よ」
 まあ、そんな他愛のないことをブツブツと呟きながら、私たちは、茶葉を買に出かけることになったのだった。




「あんた、それで買い物は終わりなのね?」
 遠坂凛とアーチャーはまず手始めに商店街へと買い物に向かったのだが、どうやらアーチャーはそこの品揃えに満足できなかったようで、結局、新都のデパートまで足を伸ばす事になった。
 ティーセットは遠坂の家にあったものを使うことにした。しかし、日本茶を淹れるための道具は結局買うことになってしまった。茶葉に急須と茶碗はともかくだ。ほうじ器もまあ、想定の範囲内。しかし、茶杓、蓋置、建水、柄杓、茶筅、茶巾、帛紗を欲しがり始めたのにはさすがに辟易した。
 なんでも衛宮邸には茶室が存在するらしく、アーチャーは茶道に対して妙なあこがれを持っているようで「一度やってみたい。何事も経験じゃ!!」だそうである。
 無駄な出費は遠坂凛の主義に反するのだが、「命をかけて戦うしもべに、茶器の一つも買えぬとは、なんともしみったれた主人じゃな」等と言われては仕方がない。現金一括払いで買うことにした。無駄な分割払いは危険である。ローンというのは結果的に高くつくようにできているのだ。。
 アーチャーはといえば、デパートで買い込んだ茶道具一式を、唐草模様の風呂敷に詰め込んで、ほくほく顔であった。
 そのアーチャーから念話が届いた。
“主よ。気づいたか?”
 アーチャーは天真爛漫に振舞って緊張した様子など一切漏らさずにいるが、念話には冷ややかなものが混じっていた。
“なによ?”
“何者かが我らを覗いておるな。遠見の水晶球か、使い魔か。少なくとも主の正体は割れたと思って良いであろうな”
 遠坂凛は、監視されているということにまったく気が付かなかったが、しかし、サーヴァントであるアーチャーはその気配を敏感に感じ取ったようだ。
“本当に覗かれてるの? 気のせいじゃなくて?”
“主が気づかないのも無理はないの。周到に隠蔽された千里眼の魔術じゃ。我に千里眼のスキルが無ければ、うっかり見逃しておったろうよ”
 これでも遠坂凛は生粋の魔術師である。歳は未だ若く、伝説級の魔術師に比べればいささか見劣りはするが、一級品の魔術師であることに疑いを挟むものはいないだろう。しかし、その遠坂凛の目をかいくぐってこちらを監視できるものといえば……。
“キャスターね。監視の主は。貴方が気づいたってことはバレてない?”
“そればっかりは解らぬ。まあ、キャスターごとき最弱の英霊に覗かれていたとしても大したことはないがの。相手も覗いているのがバレた程度で、監視を解くことはなかろうよ。それよりもあれじゃ。このまま小僧の家に帰るのか? 覗かれたままだと剣の英霊との同盟関係がキャスターめに露見することになるが?”
 わずかに考える。
“……構わないわ。いつまでも隠しおおせるものでもないし。同盟を組んでいると見れば、迂闊に仕掛けてこないでしょう。いい牽制よ”
 セイバーはキャスターにとって最大の鬼札だ。
 最強の抗魔力を持っているセイバーに、ちょっかいを掛けることは自殺行為でしかない。となると考えられるのは……。
“危険なのは、むしろあの小僧じゃろ”
 そうなのだ。サーヴァント同士の相性が悪い場合、マスターを狙うのは定跡といっていい。
“まあ、セイバーと一緒にいる限り、危ないことはなかろ”
“一緒にいればね。今日帰ったら、絶対に一人になるなって念押ししておかないと”
“キャスターが美人だったら、コロッと騙されそうじゃからな。あの小僧。我なら色仕掛けで迫るであろうなあ”
“……士郎が美人に弱そうなの同意するけれど、さすがにロリコンの気はないんじゃないの?”
“いや、解らぬぞ? あのつるぺたな剣の英霊にドキマギするような変態じゃ。我のような、条例に引っかかる年頃の幼女にムラムラくる可能性もなきにしもあらずじゃ”
“さすがに名誉毀損のような気がするけれど……”
“ならばこうしてみてはどうじゃ? 我が「士郎お兄ちゃん。一緒にお風呂に入ろうよ」と誘いを掛けてみるのじゃ。それで少しでも妙な反応をしたら主様がガンドで撃つというのは?”
“なにそのおとり捜査……。まあいいわ。バカなこと言ってないで帰るわよ”
 そうして凛とアーチャーは衛宮邸に帰宅した。
 おとり捜査の結果は衛宮士郎の名誉のために秘匿する。







[5049] Fate/zero×spear of beast 28
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:d7b3c115
Date: 2020/06/27 21:33
「…………はあああああああああああああああああああああああああああああ」
 時間が経ったコーラーをコップに開けた時のような、どうしようもない声が漏れた。
 情けない。みっともない。どうしようもない。
 あのときのことを思い出すと、心臓の下のあたりがどうしようもないやるせなさで重たくなって、地面に激突しそうになる。昔の人はうまいことを言った。落胆とはよく言ったものだ。
「…………鬱陶しい野郎だな」
 何もないはずの空間から雁夜に声がかけられた。老人のような、猛獣のような、重々しい声だったが、その音色には多分にうんざりしたものが混じっていた。
 そうなのである。姿を消しているサーヴァントが呆れているのはわかる。わかってはいる。こんなところで、気の抜けたため息を付いている暇など無いのである。無いのではあるのだが……
「…………あううううううううううううううううううううううううううううう」
 どうしてもダメだ。気合が入らない。
 清潔なシーツと消毒液の匂いが充満する病院の中で、雁夜が大きなため息を漏らす理由はひとつしか無い。
 隣にいるサーヴァントもわかっている。なぜ自分の主人が、こんなにもどうしようもないダメ人間のような声を出しているのか、わかっている。わかっているが、鬱陶しいのはいかんともしがたい。
「しんきくせー声出すなっつってんだろ。ますたー」
 呆れ返った声を出して、姿を表したバケモノは、周囲に人間がいないことを確認すると、べちん、と雁夜の頭をぶっ叩いた。
“なにすんだよっ!? コラァッ!?”とでも言えば、まだ救いはあるのだが、雁夜は「あうあうあうあう」と、しぼんだ風船に穴を開けた時のような音とともにうずくまった。
 雁夜がなにゆえこんなにも打ちひしがれているのかにはわけがある。
 隣の病室で寝ている桜である。
 桜は容態が安定したと判断され、言峰教会から新都の総合病院へと移送された。それ自体は喜ぶべきことなのだ。喜ぶべきことなのだが……。
 教会で、凛に桜と対面するよう説得したのは、他でもない雁夜である。雁夜なのであるが、よもやあんな結果になるとは、想像だにしなかった。
 思い出すだけで、胃がぐにゃりと歪むような錯覚に陥る。
「……桜、ごめんなさい。くるのがおくれてごめんなさい」
 と涙を流さないように、それでも真っ赤な目をした凛に対する桜の対応は、大怪我をした後の病人であることを差し引いても、冷たすぎるものであったろう。
 感動の対面を期待した雁夜の認識も甘かったと言わざるをえないが、よもやまさか桜の口から、
「誰でしたっけ?」
 という返答が出てくるとは、よもや想像しなかった。
「さ、桜ちゃん……。ほら、凛ちゃんだよ、桜ちゃんのお姉ちゃんの……」と、なんとかとりなそうとする雁夜に向けられた言葉は、更に酷薄極まりないものだった。
「わたしにお姉ちゃんや、お母さんはいません」
 その一言で、空気が凍った。
 あるいは、雁夜が気づいていなかっただけで、もっとずっと前から絶対零度に凍りついていたのかもしれない。悲劇を乗り越えて、引き裂かれた姉妹が出会うのだ。陳腐な言い方をしするのならば、感動の対面というもののはずだが、そんな暖かさは微塵も感じられなかった。
--手遅れになってくれるな。
 それだけが雁夜の願いだった。それだけが雁夜の願いだったのだ。
 間桐臓硯が死んで、桜に対する“教育”は終わりを告げた。しかし、一年という期間は、幼い少女の体と精神に、極めて大きな傷跡を残している。挙句の果てに、キャスターとそのマスターに嬲り者にされ、これほど大きな絶望を抱えた少女はそうはいないだろう。
 桜を癒やすのは、葵であり、凛である。この少女を癒やすのは自分ではない。自分にはその時間がもう無い。凛と葵の元に返せば、いずれ桜の傷は、長い時間がかかってもいずれは、と勝手に思い込んでいたのだが、まさか桜が遠坂凛という人間を拒絶するとは予想だにしなかった。
 そのあとも、雁夜は場をとりなそうと、何かを口にしていたような気もするが、なにを言ったのかは覚えていない。『それで……いいのかい?』とか、なんとか、きっとばかみたいなことを言ったのだろう。
「きょうは、もうつかれました。雁夜おじさん、ねむってもいいですか?」
 その言葉で、ようやく悟った。これ以上の対面は“間桐桜”にとっても、“遠坂凛”にとっても、無益、いや、二人のことを考えるなら有害でしか無いと。
 それは凛も同じだったようだ。
「雁夜おじさん、桜。お邪魔しました」
 そう口にするや、教会の処置室から退席した。その目には、もう涙は浮かんでいなかった。その代わりに瞳に浮かんでいた決意の色に、気づいた人間はおそらく居なかっただろう。
 事の顛末を、どこからともなく戻ってきたバケモノに話したら、
「ますたー。おめーアホだろ?」
 と、的確かつ反論のしようのない返答を食らった。
 どうしようもない。言い返すことさえできない主人に呆れ返ったのか、バケモノはそれ以来、この件については触れようとしてこなかった。
 凛が教会から遠坂邸に引き取られた後も、桜の容態が安定してからも、ずっとバケモノはこの件については口にしなかったのだ。
 しかし、さすがに雁夜の不甲斐なさに辟易したのだろう。
「あせるんじゃねー、ますたー」
 そんなことを言った。
「俺はあせってなんて無い」
 叩かれた頭を抑えながら反芻する。多分焦ってないはずだ。きっと、焦っていないはずだ。焦ってない、と思う。
「前にも言っただろ。あのコムスメがそう簡単に、もとに戻るわけねーだろ。あの凛とか言うコムスメと、なにか喋った程度で何もかも元通りになるんだったらおめーが苦労する必要ねーだろうが。バケモノみたいにベタッと貼り付けりゃあすぐにくっつくわけじゃねえだろうし、ゆっくり治りゃあいいだろーが」
 理屈はわかる
「……でも……桜ちゃんが……」
 桜が負った傷というのは、臓硯が死んで、遠坂の家に桜が戻れば治る、などと、そんな単純なことでないのはわかった。しかし、どうしたら良いのかはわからない。それほどに桜が凛と葵を拒絶したというのは、雁夜にとっては衝撃的だったのだ。あの優しい時間を、あの三人をまさか桜が否定するとは思わなかった。
「まだなんかあんのかよ?」
「でも俺たちと一緒にいるときは、その……もっと……柔らかいっていうかさ……無表情でも、もっと、その、ちがう桜ちゃんだったような気がするんだよ」
 それに桜の凛への態度の冷たさは、心の傷だけでは説明がつかないような気がする。もっと別な何かがあるような気がする。言葉にならない焦燥が、余計に雁夜をじらすのだ。
 その様子を観て、バケモノは顎を外したほどポカンとした大口を開けて、呆れ返った。
「オマエ? まさか、本気で気づいてなかったのか?」
「なにがだよ」
 雁夜にはバケモノが何故あきれ返っているのかわからない。何の話なのだろうか? 全くわからない。
 その様子を観て、余計にバケモノは呆れ返ったらしく、雁夜の懐から財布を抜き取ると、
「買い物に行ってくらあ」
 などと踵を返した。どうせまた、大量のジャンクフードを買い込んでくるつもりなのだろうが、一抹の不安がある。
「おい、バーサーカー。お前、その姿のままうろつくつもりじゃないだろうな!?」
 このバケモノの知性というのは、高いとか低いとか一概に断じることはできないが、とにかく常識というものが存在しない。一人で行動させるのは危険だ。
 そう不安がる雁夜に、バケモノはめんどくさそうに手を振ると、体毛が渦を巻く。瞬く間に、巨大な体が人間サイズになったかと思えば、どこかで観たような人間の姿に变化した。どことなく見覚えがある。アレは確か病院のテレビに写っていた、ニュースのレポーターの姿であったような気がする。
 雁夜には想像の及ばないことであったが、バケモノには桜が凛を拒絶した理由というのはおおよその見当がついていた。いや、見当がついていたとか、予測できたとか、そんな面倒臭いことではない。見ればわかるとか、わからないほうがどうかしているとか、そういったたぐいのことだ。口にしたらバカバカしいほど単純で、赤面してしまうほどくだらないことだ。
 桜が凛を拒絶した原因は、ほかならぬ雁夜にあるからだ。遠坂の家に桜が帰ったら、雁夜は一人で死ぬことになる。それが桜には、ただ嫌だったのだろう。桜自身が意識しているかどうかは怪しいうえに、もしも尋ねたら「違います」と否定されてしまうような感情の機微であっただろうが。
 バケモノが主人の鈍感さに呆れ果てて、端的かつぶっきらぼうに回答を口にしたら、こう言ったかもしれない。
「おめーだけがトクベツなんだよ」と。





 言峰綺礼は頭を抱えていた。悩める求道者である言峰綺礼である。悩み続けてきた人生だ。
 しかし、だからといって今回の苦悩は、いままでのものとは全く異なる。どうしてこうなった? としか言い様が無い。やっと眠れると、自室のワインセラーから適当に一本、寝酒を飲んだ。それから先の記憶はない。しかし、情況証拠の結果、なにをしてしまったのかは理解している。
 目を覚ましたベッドの上。いつの間にか、綺礼は服を脱いでいた。鍛錬と修練により引き締まった腹筋が視界に写る。それはいい。だが、綺礼の隣で薄い毛布に包まった人影はなんだろうか?
 頭痛がした。
 額のあたりに血管が浮き出ているのがわかる。
 毛布を恐る恐る引き剥がす。
 そこには褐色と言うよりは、少々浅黒い色の肌があった。思ったよりも、華奢な体つきの鍛えぬかれた瑞々しい裸身だ。その刃のように整った寝顔から、黒色に染めた絹糸のような黒髪が、白いシーツに流線を描いていた。
 なぜこうなった?
 わからない。
 ありのままの状況を整理しよう。
 酒を飲んで寝て起きたら、服を脱いでいた。隣に黒色の肌の美人が、寝息を立てている。
 理解ができない。
 いや、正確に言えば、理解はできるし、それ以外に答えはないということもわかっているのだが、理解したくない。
 酔っ払って寝た勢いで、記憶に無いうちに自分の下僕に手を出してしまったなど、正直理解したくない。いや、まだそうと決まったわけではない。
「……ぅん……」
 と隣で寝ていたアサシンの首領が喉を鳴らす。
 その様子に綺礼の背筋に冷たいものが走る。
「なぜこうなった? 確かに回答は得た。進展は大きいさ。ところがな、これが全くなんの解決にもなっていない。問題を省略して、回答だけ手渡されたとしても、これではどうしても納得などできない。この世界には必ずこの奇妙な回答を導き出すだけの方程式が存在するはずだ」
 とりあえず、心中を適当に口走ってみたが、意味がわからない。
 試練多き人生だった。しかし、これも答えを得るために必要なことだ。そう思おう……と自己肯定してみた。どう考えても現実逃避している。
「うん……。あぅ……。マスター……いえ、キレイ。おはようございます」
 綺礼が煩悶としていたせいで、いつのまにやら猫のような声を上げて、アサシンの首領が目を覚ましたようだ。
 問題が一つ。なぜ、マスターではなく綺礼の名前で呼ぶ?
「アサシン、私のことは……」
 綺礼は「名前で呼ぶな」と言おうとしたのである。しかし、その二の句は、アサシンの首領の柔らかな人差し指によって阻まれた。
「キレイ。その昨日のことは忘れてください」
 アサシンの首領は、子猫のような上目遣いで綺礼をのぞきこんでくる。
 とりあえず、「嫌だ」などと拒絶できるような状況ではない。
「その、なんだ? 昨日のことなのだが……」
 綺礼の言葉を無視するように、アサシンの首領は言葉を続ける。
「その、覚えていませんか?」
 どうやら逃げ場はない。言峰綺礼はそう悟った。
 アレだ。泣きたい。



 とりあえず、時計を見るに、綺礼が眠っていたのは六時間ほど。常人ならば二日二晩の徹夜の回復をはかるには短すぎる睡眠時間であろうが、そこは代行者の綺礼である。足取りに疲労の色は一切ない。あくまで肉体的にはであるが。
 教会の内部が騒然としているのに気づいたのは、その時だった。
 父の璃正が通信機で慌ただしくやりとりをしていた。
「父上。いかがなさいました?」
「綺礼か。目覚めたところ悪いが、もうひと働きしてもらうぞ。やれるな?」
「はい」
 厳かな口調で返答した。
 綺礼は用件を聞く前にそう答えた。それが綺礼という人間の生き方だ。命令には決して逆らうことはない。それだけが自分だからだ。
 ふと綺礼の中に皮肉な笑いがこみ上げてきた。もしも、自分が、聖杯戦争の最中、下僕と情を交えたかもしれないことを包み隠さず伝えたら、父はどんな顔をするのだろうか? 落胆するだろう。綺礼に対する誇りや信頼を失うかも知れない。しかし、自分の心の奥底が蠢く。××する父が観たいと。また、頭にぼうっと靄がかかる。
 アレだ。考えないようにしよう。自分のサーヴァントにに手を出すなど、正気の行為ではない。しかし、心を落ち着かせようと綺礼に投げかけられた璃正からの指示は、即座に首肯できないものだった。
「もはや一刻の猶予もない。至急、アサシンを総動員してキャスターとそのマスターを屠り去れ。この際、アサシンの生存が露見しても構わぬ」
 それはつまり、遠坂時臣陣営のアドバンテージをすべて投げ捨てるに等しい行為だ。しかし、解せない。キャスターの工房は、バーサーカーの宝具によって完膚なきまでに破壊された。工房を失ったキャスターである。放っておいても、いずれ脱落するはずのペアを、なぜ、そこまでの犠牲を払ってまで撃滅せねばならぬのか? 合理的ではない。いや、どう考えても異様な命令である。
「時臣師は、同意しておられるのですか?」
「無論だ。昨日の深夜、バーサーカーに工房を破壊されたキャスターは、逃走する最中手当たり次第に幼子の誘拐を繰り返し、その数は現時点で一〇〇人に登る見込みだ。しかも、一切の秘匿を行っていない」
 即座に理解した。
 もう放置などできない。力づくで排除するしか無い。昨日、保護した少年少女たちの数は一〇名ほど。それでも、ほぼすべての聖堂教会のスタッフが動員して隠蔽にあたった。その一〇倍ともなれば、これ以上は、教会と魔術協会の隠蔽能力を超える案件だ。
「キャスターに懸賞を賭け、他のマスターに討滅を促しては?」
 アサシンがキャスターを付け狙うのでは、いささか心もとない。キャスターほど大きく聖杯戦争の枠組みを逸脱したペアならば、すべてのマスターたちの敵である。聖堂教会の権限を使えば、すべてのマスターをキャスター討滅に動かすことも可能だろう。
「無理だ。時間の猶予がない。キャスターとそのマスターの行状を観るに、一〇〇人の子供が全て皆殺しにされることも考えられる。そうなれば、もう隠蔽は不可能だ」
 キャスターとアサシンでは数の利を加味して、恐らく五分。その五分にかけねばならないほど聖堂教会の状況は切迫しているということだ。
 そこまで理解するや綺礼は踵を返し、一番そばに居たアサシンに声をかける。

「キャスターの所在は?」
「深山の住宅街を子供を引き連れて西に一直線に向かっています。子供を連れての行軍ゆえに我らの足ならばいずれ追いつけるかと」
「私も行く。すべてのアサシンを集結させる。構わないな?」
 その一言に、名前も知らないハサンの一人はビクンと反応し、綺礼の方を向き直ると、
「その、綺礼様。首領はどうしましょうか?」
 などと、どうにも返答に困ることを聞いてきた。
 あえて考えないようにしていたのだが、そう聞かれると困る。
 戦力はひとりでも多くほしい。しかし、酒乱である。挙句の果てには、全く記憶にないが、自分と情を交わした相手かもしれない。他のハサンの士気に係るかもしれない。というか、顔を出来る限り合わせたくない。
「アサシンの首領は、教会の内部にて伝令役をやってもらう。それでいいな?」
「承知いたしました」
 それにしても、と思う。
 しくじった。
 いろいろしくじった。
 あの貯水槽の外で遁走するキャスターを、あのときにすかさず仕留めておくべきだった。そうであれば、こんな面倒くさい状況は起こらなかったのに、と。
 悔恨と呼ぶにふさわしい感情を抱えながら、綺礼は教会の扉を開けた。
 ありとあらゆる面倒事から逃げ出すように。
 



[5049] 遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです7
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:34cc8b3c
Date: 2014/07/26 18:17





 

 夜が更けていく。
 時計の針が11時を回った頃。
「------眠れん」
 そうつぶやくと、目蓋を開く。
 理由はわかっている。
 隣の部屋に金髪の美少女がいるからだ。
「………なんだって、こう--」
 時計の針の音に紛れて、穏やかな寝息が聞こえる。
 あの、物語から抜け出てきた、凛とした姫騎士のような英霊。
 いかに人外の力をふるう恐るべき使い魔であったとしても、あの黒い巨人と正面から撃ち合う剛力を持つ剣士であったとしても、姿は少女である。
 同じ部屋に寝ると言って聞かないセイバーを、なんとか拝み倒して、「隣の部屋に寝てもらう」というところまで妥協させたのは僥倖であった。
 隣にセイバーの寝顔があったら、自分を抑えられる自信がない。いや、自分はそんなケダモノではないのだ。ケダモノではないのだが、万が一ということもある。
 冷静に考えれば、セイバーを無理やりどうこうできるわけなどないのだが。
 しかし、身長以外の発育は良好な健康男子である士郎にとって、ちょっと年下に見える美少女がすぐそばで無防備に眠っているというのは、生殺しに近い。
「ああああ。もう、眠れるわけ無いだろう!!」
 とつぶやくと、布団からゆっくりと音を立てないように抜けだした。
 あの、剣豪と呼ぶにふさわしい技量の持ち主のセイバーである。もしかしたら、セイバーから離れようとする気配を察知されるのでは? と危惧していたが、そんなこともなく衛宮亭の庭へと脱出は成功した。
 離れの方に目をやる。遠坂凛と、その使い魔のアーチャーの部屋がある。
 今はもう明かりはついていない。
 もうすでに眠りについたようだ。
 狐耳のアーチャーは、
「うむ。我に茶室をあてがうとは。お主の性癖は特殊じゃが、なかなか見どころはあるやもしれぬ。これから先も励むが良いぞ」
 などとぴょこぴょこ茶室に私物を配置していた。
「我の使い魔が、鷹の目でこの家を見張っておるから、敵の奇襲など心配する必要はない。安心して眠るが良い」
 など自信満々であった。
 その使い魔であるが、
「どんな使い魔なんだ?」
 と聞いたはいいものの、
「トラウマになるゆえ見ないほうがお主のためじゃ」
 だそうである。遠坂凛も姿形は知らないようだが、
「この子が見ないほうがいいっていうんだから、多分見ないほうがいいわよ」
 と、あまり深く詮索する気はないようだ。
 そんなことをぼんやり考えているうちに、目的地の土蔵の入り口へとたどり着いている。
 昨日ランサーに殺されかかった場所であり、セイバーが召喚された場所。
 そして、半人前の魔術師の工房でもある。
 もっとも、成果と呼べるものは何一つない、セイバーが召喚された魔法陣以外、一切魔術的要素のかけらもない工房。
 どちらかと言えば、精神統一のための鍛錬の場所といったほうが近いかもしれない。
 桃色に染まってしまった頭のなかを浄化するために、一日の総仕上げとしての、魔術の鍛錬をすることにした。
 扉を閉めて、土蔵の真ん中に座り、意識を集中する。結跏趺坐。
「ふぅ--」
 呼吸を整え、頭のなかを真っ白に。思春期特有のピンク色に染まりやすい頭のなかを白く白く染める。
同調-開始-(トレース オン)
 この言葉に意味などない。
 南無阿弥陀仏でも、臨兵闘者皆陣列前行でもなんでも良いらしい。
 ただ、自分に暗示をかけるための言葉だ。
 その言葉と同時に、自分の背中に焼けた鉄の棒が突き刺されるイメージを繰り返す。
 背骨に突き刺さった棒が、魔術回路に接続される。
 使う魔術は強化。目の前に転がっている鉄パイプの構造を強化するだけの魔術。しかし情けないことに成功率は0.1%といったところである。
 半ば失敗を覚悟しながらの魔術鍛錬。
 そのさなか、ほんの僅かにゆらぎが生じた。意識よりももっと奥。本能とか起源とか呼ぶような部分が蠢く。
 真っ白に染まった脳裏の中にぼんやりと、何か鋭利な影が浮かぶ。
 幾千もの微細な傷が刻まれながらも鈍色に光る穂先。赤い布が無造作に巻かれた太刀打ち。いつも頭に思い浮かぶ金色の宝剣ではない。
 歴戦の戦いを駆け抜けた白銀の槍。それが脳裏に浮かぶ。
 その姿を“観た”瞬間、願望が生まれた。
 その槍を、創り出したい。この両腕に握りしめたいという、根源的で原始的な欲望だ。
 鋭利で強靭。化け物はその刃鳴を聞いただけで滅びを感じ、その使い手を観ただけで終焉を予感する。
 幾多の妖怪変化と戦い、その使い手は不敗。魂を削りながら、持ち主に獣の如き敏捷さと、化け物の怪力を与え、その穂先は触れただけで化け物を消失させ、その刃腹は天を貫く轟雷さえ弾き返す。
 
 作りたい。
 造りたい
 創りたい。 

--ガチリ--
 
 予期しないうちに撃鉄が起こされる。
 いつの間にか魔術回路が励起し、炉心に火がくべられ、銑鉄がさらなる錬成を求めて赤く光を放つ。
 こうなってしまっては、もう鉄パイプの強化などできるはずがない。
 もう一度つぶやく。
投影-開始-(トレース オン)
 基本構造を想定、構成材質の分析と複製、鍛造の技術を模倣、そして想像を創造へと導く。
 その作業で終わるはずだった。
 自分にとっては強化よりも投影のほうが性にはあっていた。しかし、魔力で編むと言う性質上、0から武具を作り出すよりも、実在する武器を強化するほうがずっと効率が良い。
 それ故に強化を学ぶことになったのだ。投影は、実在しないものをどうしても魔術儀式で模倣せねばならないときにのみ使われる、いわば代用魔術である。それが魔術師にとっての常識だ。
 しかし、自分は見てしまった。あの、槍を。
 見てしまったら“贋る”しかない。
 
 基本構造を想定、
 構成材質の分析と複製、
 鍛造の技術を模倣、
 そして想像を創造へと導く
 
 投影魔術の工程はそれだけだ。
 そして魔力を編み、実体化する。
 その槍が実在の質量を手に入れるか否かというその瞬間、唐突に
--脳髄に汚泥が流し込まれた。
 黒い。瘴気。泥。沼。熱い。
 腐臭を放つような怨念が神経を侵食していく。

 なにが起きたのかがわからない。完全なる不意打ちだった。
 もう一度、投影の作業工程を見直す。
 その刹那、最大の失策に気づいた。
 見落としていた。
 本来真っ先にすべき、創造理念の鑑定を。
 その槍が「なんのためにつくられたのか?」
 この槍は----だ。
 憎い。憎い。憎い。憎い。憎しみが止まらない。
 全身の神経を流れる電気信号が憎しみに染められる。
 唐突に理解した。
 この槍は呪いの槍。憎しみの権化なのだと。
 人間が創りだした暗黒。
 暗黒を打ち倒すために作られた暗黒の槍。
 これは人間が創ってはいけない槍なのだ。
 たとえ複製物であったとしても。それが投影魔術による贋作であったとしても。
「ぎ----く、ああああああああああああああ…………!!!!!」
 叫んだ。
「……え……か」
 足りない。叫び足りない。
「く-くう、う、ああああああ、あああああああああああああああ」
 苦しい。
「聞こ…………たら……返事を……」
 全身が焼ける。血管という血管にくろぐろとした廃液が回る。
「ぐ、く、くああああああああああああああああああ」
 息ができない。全身に酸素が行き渡らない。水槽の外に飛び出した金魚のように全身をばたつかせ、のたうち回る。
「ええい!! 我の声が聞こえぬか? 剣の英霊の主よ!! 意識を我のほうに向けよ!! 向けねば命はないぞ!! いや、あるかもしれんが、人格と意識は無事ではすまぬぞ!?」
 何かがそう耳元で叫ぶと、なにか小さいものがものすごい力で頬に激突した。
 ばちん!! と乾いた音を立てて、痛みが頬に走る。
「……っか……っはあ!?」
 暴走した炉心の熱が軟いだ。が、それも一瞬のこと。
 並べられたドミノが倒れていくように、魔力回路が一旦始まった錬成を止めようとしない。
 一度命じられた命令を取り消すことができない壊れた装置のように。
「聞こえたら返事をせい。頷……だけで………。え……こ………」
 さっき聞こえた叫び声がまた小さくなる。ゆっくりと、しかし急速に削れていく。
 意識と呼ぶべきものが、墨汁を流し込まれた水のように黒く黒く染まっていく。
 魔力の暴走による自傷事故だ。初歩の初歩の魔術師が最も恐るべき現象。
--終わりだ。
 そう予感した。 
 そのとき、唇に柔らかいものが触れた。いや、触れただけではない。口の中に柔らかいものが入ってきた。それは生き物のように士郎の舌に触れると、ゆっくりと這い回るように動いた。
 冷たい。
 いや、唇にふれたものの温度は人肌で温かいものだったような気がする。
 しかし、柔らかいものが口に差し込まれて呼吸を十も数えた頃だろうか?
 暴走状態だった炉心は冷却剤を流し込まれたかのように熱を失い、魔力回路を駆け巡っていた高密度の黒い電流は士郎の口に入ったものを通じて、大部分が体内へと排出された。
 目眩がする。
 吐き気もだ。
 加えて頭が麻酔なしで手術されたかのような強烈な頭痛。
 しかし、それは、まだ「痛みを感じる機能が残されている」ということに他ならない。
 魔術回路の暴走事故は、起こってしまえば、死。運が悪ければ廃人となる。とりわけ感覚神経へのダメージは深刻だ。
 しかし、痛みをまともに感じられるということは、なんとか最悪の事態は回避されたということなのだろう。
 ゆっくりと目を開けた。
 そこには顔を真赤にして、小刻みにプルプルと震えるアーチャーが居た。
 なにが起きたのかを理解した。アーチャーが口から直にパスをつないで、暴走していた魔力をあちら側に吸いだしたのだ。
 口から直にパスを繋ぐということは、つまり、そういうことだ。
 あまりの恥ずかしさに、いっその事気絶できればいいのにと心底思った。  










「……我は怒っておるのじゃぞ」
 10分ほど押し黙ってお互いがお互いの顔を見ることが出来ない時間が流れたあと、狐耳のアーチャーは小声で口を開いた。
 いつもの天真爛漫さは鳴りを潜め、目尻には涙まで浮かんでいる。
「あ……。その……。ごめん、アーチャー。キスまでさせちゃって。本当に俺が悪い」
「アホか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 貴様は!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?」
 耳が痛い。
 思い切り怒鳴られた。
 土蔵の天井からパラパラと埃が落ちてくる。
「我の第二の人生のファーストキッスの代償はいずれ返してもらうのは当然じゃがな!? お主が身の程もわきまえずに、“あの槍”を無から創りだそうなどとたわけたことをしておることのほうが我は許せんのじゃぞ!? 己は自分の軽率さを割腹自殺して詫びるのが先じゃとは思わぬのか!?」
「あの槍って、アーチャーは、アレが何なのか知ってるのか?」
 あの憎しみを煮詰めて形にしたような、殺意と怨恨の塊のような銀色の槍。投影しようとしただけで人格ごと塗りつぶされそうな暗黒の奔流。それに心当たりがあるというのだ。尋ねずにはいられなかった。
「まず、何度も言うておることじゃがな。我をアーチャーと呼ぶでない。もしも今日、もう一度我をアーチャーと読んだら、剣の英霊と我が主をたたき起こして、『ロリ宮士郎に無理やりファーストキッスを奪われた。舌まで入れられた』と言って泣き喚くぞ?」
「はい。二度と言いません」
 ちなみにさっきから言われるまでもなく正座している。
「あの槍はの。我を殺すためだけに作られた外法の槍じゃ。宝具として換算したら最低でもA++は固いの。お主のような雛鳥が形だけを真似るにしても荷が重い。脳髄があの槍の重さに耐え切れずに造る前に焼け落ちてしまうのが当然の理じゃ。そんなことよりも我の問にも答えよ」
 そうして銀色の瞳がこちらを見据える。
「お主、あの槍をどこで知った? なぜお主があの槍のことを知っておるのじゃ?」
 その瞳の色は、今まで見ていたいたずら好きの子供の瞳ではなく、もっと温度の低い冷酷な観察者の色をしていた。
 その目に打たれてしまった以上、嘘などつけない。真実を話すしかない。
「信じられないかもしれないけれど、ただ思い浮かんだんだ。魔術の鍛錬をしようとしたら……」
 銀色の双眸が舐めるようにこちらを観察する。二呼吸ほどの間をおいてから、
「嘘はついておらぬようだの。ならば……ふむ……なるほどのう……。そういうことか……。うむぅ……。そうなると無碍にお主を責めるわけにはいかんのう」
 と一人で何やら納得しだした。
「あの槍はのう。おそらく我の記憶じゃ」
「記憶って、……のか?」
 危うくアーチャーと呼びそうになって、うめき声で隠す。命の危険があったとはいえ、さすがに子供にしか見えないアーチャーといわゆるアレなキスをしたのは間違いない。
 社会的信用を失うのはさすがに避けたい。
「うむ。昨日の学び舎でお主を助けるために我の尻尾の一本を、お主の体の中に埋め込んだのじゃが、そこから我の記憶がお主に流れ込んでおるのやもしれぬな。これから先も、我の記憶が時々流れ込むかもしれぬが、気にするでない。何か見えたとしても他言無用じゃぞ。剣の英霊や、とりわけ我の主人にはな」
 解せない。
「セイバーに黙ってるのはわかるけれど、遠坂にも言わないほうがいいのか?」
 アーチャーと自分たちはいずれは敵になる。だから情報を与えないようにするというのはわかる。しかし、遠坂凛はアーチャーと仲間のはずである。なぜ隠すのか理由がわからない。
「我の記憶にろくなものなど何もない。我がマスターにもお主にも百害あって一利もなかろう。主人は我の過去を知れば、間違いなく悩むであろうよ。くだらぬことで悩むぐらいなら我の名前を考えさせておいたほうが我はうれしいのじゃ」
 アーチャーの顔を見ると、いつもの少女の顔に戻っていた。その顔を見ると、どんなお願いでも聞いてしまいたくなる。ましてや、魔術回路の暴走から助けてもらった身である。断れるわけがない。
 自分が首を縦に振るのを見ると、アーチャーはふと気がついたように尻尾を弄り始めた。
「無論ただで、とは言わぬ。そうじゃな。お主にはこれをくれてやろう。しっかり励むが良いぞ」
 白の光と黒の闇が閃いたかと思うと、次の瞬間、目の前に白と黒の双剣が屹立していた。
 鋭利な光と重厚な刃厚。間違いなく宝具レベルの武具だ。
「我が叩き折った剣の複製じゃ。名前も忘れたが、お主が学ぶにはちょうどよい代物であろ」
 息を呑む。
 これほどの業物をこともなげに複製し、あまつさえ叩き折ったと語るアーチャーにだ。
「それと今日はもう休むが良い。体の中から毒気の大半を抜いたとは言え、昨日今日だけで四回も死にかけたのじゃ。おとなしくしておるのが良いであろうな。もう一度ど下手な魔術鍛錬などしようものなら、今度は脳髄が腐り落ちるぞ? その時にも我がお主を助けるなどと思っておったら大間違いじゃからな?」
 そうして狐耳のサーヴァントは踵を返す。
 その背中に声をかける。
「俺から質問してもいいかな?」
「なんじゃ?」
「どうして俺が魔術回路を暴走させたってわかったんだ?」
「我の使い魔が鷹の目でこの屋敷を見はっておるというたであろうが。お主の秘蔵のエロ本の隠し場所も性癖も、我には筒抜けじゃ」
 冗談であってほしい。それだけは本当に冗談であってほしい。
「用はそれだけか? それならば我は寝るぞ」
 それだけじゃない。どうしてもこれだけは言っておかなきゃいけない。
「あの……。いまさらだけど、感謝してる。助けてくれて……ありがとう」
 その一言で、アーチャーはビクリっと動きを止めて、油が切れた機械じかけの人形のようにギギギギギギギギギと首だけ振り返る。
 その顔は土蔵の闇の中でもはっきりわかるほど紅潮していて、思いもかけない不意打ちを食らったようなそんな表情だった。
 アーチャーはぐぬぬぬぬぬぬぬぬ、とうめき声をもらしたあと、
「我は寝るぞ!!!!!!! もう寝るのじゃ!!!!!!!!」
 と大声で叫ぶと、大股で離れの方角へと立ち去っていった。
 また、怒らせてしまったのだろうか。
 結局、今夜の一件のことは、セイバーと遠坂凜には黙っていてもらえるのかと不安になりながら、こっそりと母屋の布団に戻り眠りについた。
 寝苦しさはいつの間にか消えていた。 






[5049] 遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです8
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:25ae1f0c
Date: 2020/06/27 22:05
 人間は美しい。
 間違いなく美しい。
 そうでなければ滅ぼそうとは思わなかった。
 そうでなければ妊婦の腹を引き裂いて、男女の性を賭けようなどとは思わなかった。
 なぜ自分は濁っているのかと思わなかった。
 なぜ自分は汚れているのかとは悩まなかったのだ。
 我はなぜ、ああじゃない。
 我はなぜ、こんなに暗い。
 神に迫る力を持ち、世界の半分からできた自分を呪うことなどなかったのだ。
 我よりも愚かで弱いものになぜ憧れねばならないのだ。
 我よりも蒙昧で儚いものになぜ嫉妬せねばならないのだ。
 ありえぬことだ。
 世界の半分の闇が。
 漆黒よりも昏い形ある暗黒が。
 火すら吐けず、首を撥ねられただけで死んでしまう生命に。
 みじめで儚く、100年足らずの刻すら形を保てずに消えてしまう塵芥に。
 憧憬を抱くなどありえぬことだ。
 我が働く暴虐がただの無様な嫉妬だと、誰に知られてもならぬ。
 あの空に輝く日輪すらそれは知らぬこと。
 時の闇に生きる仙妖たちすら思いもよらぬ。
 このことは、誰にも知られてはならぬ。
 このことは、誰にも悟られてはならぬのだ。
 この秘密だけは深海の亀裂の、そのまた奥に封じておかねばならぬ。
 数理の秘奥よりも、神々のみ知る奇跡の法則よりも、根源の渦の最奥にある世界の成り立ちよりも、秘しておかねばならぬ。
 もしも、このことをみやぶるものがいたら、もしもこのことをみやぶるものがいたら。
 我は憎むだろう。愛するだろう。殺さずにはおかぬだろう。
 しかし、もしかしたらとも思う。
 もしかしたら、とも思うのだ。
 そういう破廉恥な賊こそが、秘するべき神秘の禁裏に土足で踏み込んだ匪賊こそが、あるいは我の……。







 夢を見ていた。
 海の深みから空を見上げているだけの夢。
 予感はある。なんの夢なのかは大体わかっている。これでも7代続いた魔術師だ。
 契約したサーヴァントから、不純物が流れ込んでいるのだ。
 しかし、気づかないふりをしておくのが良い。放っておいてもすぐに忘れる。これまでもずっとそうだった。
 もしも、この夢のことを、あの狐耳の少女に馬鹿正直に伝えたらどうなるか。
 想像しようとして、考えるのをやめた。
 どう考えてもろくなことにはならない。虎の尾を踏むことはない。
 どうせ、目を開けた頃には砂のような記憶しか残らないだろう。
 そもそもこうして朝からまどろみながら、だらだらしてるのは家訓に反する。とりあえず目を覚まそう。
 …………と考えてからおそらく10分ほどかけて、ようやく毛布の中から這い出ることができた。
時計の針は6時ちょうどを回ったところ。
 ずるずると芋虫の様なしぐさで寝間着から着替える。
 さすがに年齢の近い異性の家に押しかけているのだ。あのヘタレのことだから妙な誤解することはないだろうが、寝間着でうろうろしてたら、健康で一般的な男子ならアホな勘違いをしないとも限らない。備え付けの化粧鏡をのぞいてみる。すさまじい顔をしている.
 それもこれも自分の魔力の8割も持って行ってる無駄飯ぐらいのせいである。魔力が吸われるということは結局のところ生命力を奪われていることに他ならない。全く持って燃費が悪い。
 自宅にいるときは外出するまで身支度はしないのだが、いまは居候の身である。
「せめて髪ぐらいは梳かすか……」
 と、櫛に手をやった瞬間、遠くから何か聞こえた。
「…………士郎…………………の子は………………」
 微妙に聞き覚えがある声だ。それに加えて、
「どうして……先輩…………絶対に…………」
 忘れたくても忘れられない声まで、なんか聞こえてきた。
 思考回路に心を巡らせる。
―あーそうだった。
 唐突に失策を悟った。どうやら聖杯戦争にいっぱいいっぱいで、覚えておかないといけないことをきれいさっぱり忘れていた。
「アイツ、桜に通い妻させてるんだった」
 しかも桜だけではなく、どういうつながりか冬木の虎までいるようだ。
―人の縁とは妙なものよねー。
 と、妙な感慨が湧いてくる。反面、提出期限の過ぎた宿題を部屋でゴロゴロしてるときに思い出してしまったような、バツの悪さは禁じ得ない。
 うら若いセイバーだのアーチャーだのを名乗る金髪の絶世美少女と、銀髪幼女が一人暮らしの健康な男子の家に突如居候しだしたら、良識のある一般市民はとりあえず犯罪を疑う。下手をしたらお巡りさんを呼びかねない。
 ここはひとつ、自分が納めるしかないだろう。
「3.2.1。よし!」
 と、掛け声を一つ。ほほを軽く二回叩き、気合注入。
 制服の上を羽織ると優等生の皮をかぶり、のっしのっしと大声のする方へ歩いて行った。





 とりあえず事態は余計に混乱した。
「なんで遠坂さんまでいるのよ――――――――――!?」
「なんで遠坂先輩までいるんですか――――――――!?」
 自分のプランはこうだった。
「おはようございます。藤村先生。あら? 間桐さんも。こんなところでお会いするなんて珍しいわね」
 と何事もなかったかのように割って入って、優等生のスマイルを一つ。それでいろいろ口八丁手八丁で誤魔化すつもりだったのだ。
 しかし、結果としては火に油を注ぐことになってしまった。
「遠坂さんまで連れ込んでたの? 一体どこのハーレム? ああ、おねーさんは士郎をこんなスケベに育てたつもりはありません!」
 と冬木の虎が雄たけびを上げる。しかも目尻に涙まで溜めている。
「セイバーさん? アーチャーさん? その名前はいったいどういうことなんですか。しかも遠坂先輩までどうして朝からここにいるんですか。わかるように説明してください!」
 普段は控えめな大和撫子と評判の間桐桜すら、かなりの剣幕で士郎に詰め寄っている。
 そしてちゃぶ台には「むっつり」という顔で鎮座するセイバーとアーチャー。こちらにどんよりとした視線を向けている。その視線は言葉にすると、
「おうおう、お前、いったいなんだこの展開はよぉ。段取りが悪すぎじゃねえの? 仕切りぐらいちゃんとしろや。これから聖杯戦争が始まるってのに一般人がどうしてこんな場所に居るんだよ。ああん? いっそ一発あて身でも食らわせて記憶の操作でもして追い返せや。おめー。ひよっこの魔術師でもそれぐらいできるんだろ?」
 と言い出しかねないぐらいに、批難がましいもので、
――わ、わかってるわよ。ちょっと待ってなさい。
 とアイコンタクトを送る。
 正直、記憶を失う魔術は使えないことはない。使えないことはないがあまり得意ではないのだ。そもそも、記憶の「置換」というのは要するに、人体においてもっとも複雑かつ謎の臓器、脳を直接いじくりまわすことに他ならない。そりゃあやってやれないことはないが、かけられた人間の負担はかなり大きい。数日間アッパラパーな言動をするかもしれないし、下手すりゃ、一生涯にわたり慢性的な記憶障害を起こす可能性だってないわけではない。
 もしも、桜に「えいや」と適当な記憶の置換と暗示を掛けて、2週間程度衛宮亭に近寄らないように工作したとしよう。学校の教室を自宅と勘違いして、制服を脱いだりするかもしれない。桜が露出狂になってしまう。学校生活はおろか、嫁入りに影響するかもしれない。うん。却下だ。それに桜にはかなりの確率で効かない可能性がある。
 藤村先生は大丈夫だ。普段から、言動がけっこうおかしいし。
 とりあえず、藤村先生にだけ、軽い暗示をかけよう。あくまで軽く。せいぜい今日一日は、アッパラパーになるかもしれないが、藤村先生のことだから、生徒もそんなに気にしないだろう。
 冬木の虎さえ抑え込めば、あとはなんとでもなる。
「藤村先生。そう興奮をしないでください。いまきちんと理由を説明いたします」
 と、がっしと顔をつかんでこちらにグイっと向けさせる。相撲でいうところの合掌ひねりだ。
 そして、魔力を混めた視線をじーっと5秒ほど藤村先生の涙目に向けて「おちつけー、おちつけー、おちつけー」と3回ほど暗示をかけた。この間、実に5秒。
 あからさまに強引な力業だ。セイバー、アーチャーはともかく、士郎は苦笑いを浮かべ、桜はなんかよくわからないがドン引きしていた。
 まあ、これで何とか落ち着いて話はできるはずだ。たぶん。
「あら、そう。じゃあ説明をお願いね。いやー、士郎の家にはよく来るんだけれど、こんなかわいい娘が朝から三人もいたら、おねーさん心配しちゃったのよー」
 うん。上手くいったっぽい。
「実は、衛宮くんの父上の切嗣さんと、私の父の時臣は旧知の間柄で、いまは疎遠になってしまいましたが、衛宮家と遠坂家は昔から親交があったんです。なんでも父が大学時代に世界を放浪した際の一緒に回って歩いた友人だったとか」
 まあ、知り合いというのは嘘ではないだろう。ただし、大学時代に世界を放浪したなどというのは嘘っぱちである。正確には聖杯戦争での殺し合いであり、それはもうより深く関わっただろう。詳しくは知らないが。
「先日、セイバーさんと、アーチャーの二人はその時の共通の知己だったそうです。ここでは話にくい諸事情あって、遠坂家と衛宮家を訪ねてきたのですが、運が悪いことに遠坂の家が老朽化して、ちょうど風呂釜がガス爆発しまして……恥ずかしながら改装中なのです。新都のホテルに3人で当分済むことも考えたのですが、改装費用が思いのほかかさんで、どうしようかと途方に暮れていたんです」
「まあ、そうだったの」
 ちょろいなー。藤村先生。もう少し疑ってもいいんじゃないかな。暗示の効果は「おちつけ」だけだったはずだが。いや、これは藤村先生の素が出てるのだろう。
 素直で優しい教師なのだ。だから生徒からも人気は厚い。しかし残念なことに騙しやすすぎる。
「衛宮くんに、たまたま出会って、事情を説明したところ、『そんなら家に、3人とも来たらいい。客間も開いてるし』とおっしゃってくれて、この際は、好意に甘えさせてもらうことにしたんです」
「そうじゃそうじゃ。我等は昨日、遥々と遠く、英国から衛宮切嗣殿と遠坂時臣殿を訪ねてきたのじゃが、まさか御両人ともお隠れになられたばかりか、遠坂殿の家がガス爆発で泊まれないとは……」
 尻馬に乗るアーチャー。本当に嘘を平然とつくなぁこいつぁ、と妙に感心する。よく見ると狐耳はぺたんと髪にまぎれ、尻尾は服の下に綺麗に隠れている。一応一般人を驚かせないように気を使っているらしい。
 幼女に士郎が狐耳コスプレをさせている疑惑が沸くと、余計に話が面倒になる。ファインプレーなのだわ。アーチャー。
「そうよね。セイバー?」
 と矛先を向けてみる。
「……え、ええ。切嗣殿とは、その。私とは古くからご縁があります」
 なにか、とてつもなくイヤっそうな空気感が混じった気もするが気にしないでおこう。
「それにしても日本語上手ね~。セイバーちゃんもアーチャーちゃんも。でもアーチャーちゃんは、話し方が少し古風ねえ」
 アーチャーと呼ばれ、ブスっとし始めた狐耳少女を無視して、ここからさらに出まかせを一つ。
「この子は時代劇で日本語を覚えたから、日本語に妙なくせがあるのよ」
 さらに憮然とし始めたサーヴァントを無視して、とどめを畳みかける。
「間桐さんもそういうことでいいかしら? これから2週間ほどお世話になるから」
 桜の頬が引きつっているが、まあそれは仕方ない。高校生の年頃の女が通い妻をしてるということは、要するにそういうことだ。あの朴念仁が気付いてるとは思えないが、桜のほうはいじらしく好意を遠回しに伝えているつもりなのだろう。
 他人の恋路を邪魔した罪で、野生の暴れ馬が10頭ぐらいこちらに全力疾走してきている気はしないでもないが、それでも言うべきことは言わねばならない。
「だから間桐さん。これから当分の間、この家には来ないでくださいね」
 当たり前のことを述べたつもりだった。これから聖杯戦争の真っただ中である。桜はもう一般人だ。犠牲者を出さないのはこの街の管理人の務めである。
 しかし、その一言のせいで桜の顔色がスゥっと変わった。
 今までは興奮してちょっと赤みかかっていた頬が、見事に青くなった。
―あ、これ、地雷を踏んだ。
 気づいたときにはもう遅い。
「遠坂先輩は、なにを言ってるんですか?」
 冷たい。心が凍えるような冷たい声だった。みぞおちの辺りが痛くなるような底冷えするような音色だ。
「遠坂先輩は居候ですよね。どうして遠坂先輩がそんなことを決めるんですか? 衛宮先輩や藤村先生に言われるならともかく、遠坂先輩にそんな権利があるんですか?」
 言われてみればその通りだった。士郎から言わないと角が立つ一言だった。なのに、ついうっかり言ってしまった。
「いや、その。住まわせてもらうからには、食事の準備とかは私たちがやろうかなという話になって……」
 などと言っても、いいわけにしか聞こえない。いや、事実いいわけなのだけれども。
「行く場所のないかわいそうな遠坂先輩とお二人を、住ませようとする衛宮先輩の気持ちはわかりました。でも、私が来ちゃいけない理由はないですよね?」
 眼力が強い。不動明王みたいな眼力で、こちらをにらんでくる。
 正直ちょっと怖い。
「な・い・で・す・よ・ね」
 と士郎のほうに向き直り、力づよく念押しした。
「あ、ああ。桜が来ちゃいけないなんて、俺が言うもんか」
 とは、家主である衛宮士郎の声である。
 こいつ、押しに弱いなあ。桜も桜である。最初からその勢いで押してたら、とっくに士郎は落ちていたと思うぞ。
「じゃあ、朝食用意しますね。遠坂先輩はそこに座っててください」
 と、桜は台所にエプロンをつけて向かっていった。
“のう、主様よ”
 と唐突に、念話が届く。
“なによ”
 この至近距離で念話ということは、つまり、他の誰にも聞かせたくないということだ。
“桜とかいう、ばいんばいんの娘は主様のなんじゃ?”
 直球に聞かれた。
“面倒くさいならさっさと暗示なり、なんなり掛けて放り出したほうがあの娘のためじゃろ。あの藤村とかいう年増にはあっさり暗示をかけて、なぜか桜とかいう小娘にはそれをしないということはあの娘には暗示を掛けたくない理由があるということじゃな”
 このサーヴァントは余計なところで鋭い。本当に余計なことだ。心のぜい肉と言ってもよい。
“昔からの知り合いでね。いろいろあるんだけれど、あの娘に暗示は効きにくいのよ”
“いろいろあるのか?”
“いろいろあるのよ”
 わずかの沈黙ののち、
“まあ良いわ。言いたくないことを根掘り葉掘り聞くのは野暮の極みじゃな。
 などとわかったようなことをいう。
“それにこの屋敷にいる間は大丈夫じゃろ。我の使い魔が千以上の数で見張っておるからな。下手に襲い掛かってくる奴がおったらサーヴァントだろうが蜂の巣じゃぞ” 
 などと聞き捨てならないことを平然と言う。
“千の使い魔ぁ? あたしはそんな使い魔、一匹も見たことないわよ”
 いかに隠形に長けた使い魔であっても、さすがに千匹もの使い魔を見逃していたということになったら、魔術師としての沽券にかかわる。
“それは主が未熟者だからじゃな。我の使い魔はすごいぞ! 見てくれは悪いが性能はピカ一じゃぞ!”
“千って数が多すぎない? 魔力の無駄遣いじゃないの?”
“失敬な事を言う主様じゃの。数だけならこの100倍も容易いが、さすがに数を増やすだけでは能がないと思ってこれでも減らしておるのじゃぞ。昔の人はいいことを言ったのぉ。「戦は数じゃ」と。数をそろえられん将は無能の証じゃぞ”
 ますますムカつくことを言う。生意気にもほどがある。
 そもそもがである。衛宮士郎のようなモグリの半人前なら気付かないのは仕方がないが、この遠坂凛が千匹もの使い魔に気づかないというのはさすがにいただけない。
 しかし、そんなコンプレックスを正直に伝えたらますますこの狐耳サーヴァントは調子に乗るだろう。
 ここは気づかれないようあえて話題をそらす。
“そんなことどうでもいいわよ。問題は、桜がこの家に居ないときどうするかよ。あと藤村先生も”
“そうじゃな。我の使い魔を100匹ほど付けておけば大丈夫じゃろ。見たところ剣の英霊も我の使い魔には気づいておらぬし。他の英霊もキャスター以外は気づかんじゃろ。我の使い魔は強いからの。不意打ちは不可能じゃ。時を稼ぐも逃ぐることもおちゃのこさいさいじゃな”
 もっと聞き捨てならないことを言い出した。セイバーにすら接近を気付かれない使い魔を、さらに200匹自立単独行動させるとか、はっきり言って不可能事だ。キャスターなら百歩譲って可能かもしれないが、こいつはアーチャー。弓兵である。
 ツッコまずにいられなかった。
“本当に居るの? その使い魔。ちょっと見せてみなさいよ”
 さすがに実在が疑わしくなってきた。「アーチャーの見栄じゃないのか?」と思うのも無理はないだろう。どんな雑兵使い魔でも、千匹も使役するには大型魔力炉が最低でも3つは必要だ。武闘派魔術師の工房であってもそんな数の使い魔を放っているなどという話は聞いたことがない。そもそもそんな数の使い魔など、制御できなかったら大事故になるし、隠蔽に支障をきたす。下手すりゃ魔術協会に粛清されるし、もっとひどければ聖堂教会の代行者がダース単位で送り込まれる。
 それを、その100倍は行けるだの、他の場所に護衛として放つだの、我慢の限度をあまりにも超えている。
“見せてもいいが食事前は止めておくのじゃな”
“いいわ。食事が終わった後、見せてみなさい”
 見なければよかった。アーチャーの使い魔を目撃し、心底そう思うのはこれより一時間後だが、それはまた別の話である。







 やっぱりきちんと説明したほうが良かったかもしれない。
 そう後悔したのは、登校直後だった。
 野獣のような足取りで、一限目に教壇に立ったのは藤村先生だ。
 冬木の虎との異名から、強めに暗示をかけた結果、多少の奇行があっても大したことはないと思っていた。思っていたのだった。
 アレでなんだかんだ、愛されキャラなのだ。冬木の虎というのは愛されキャラの称号である。
 言動が変であってもそこは大丈夫だろうとたかをくくっていたのだ。
 しかし、今日の藤村先生は虎ではなかった。
 ジャガーマンだった。
「ジャガーマン藤村ですにゃ、イングリッシュ。英語。英語と話せると5億人と話せる。しっかーし、スペイン語は4億人。おのれ憎き征服者ども。我が故国、蹂躙させぬ、蹂躙させぬぞー!」
 と開口一番叫んだあと、滔々とアステカ神話の成立から歴史までを臨場感たっぷりに身振り手振りを交えて語りだし、嵐のように去っていった。
 霊体化していたアーチャーだけは、
「あの年増。講釈師としての才能があったのじゃな」
 と妙に感心していた。
 他の生徒はというと、
「なんだったんだ? タイガー」
「まあ、藤村先生だし」
「タイガーだし」
「だよな」
「うん」
「いや、ジャガーだろ」
「きっとつらいことがあったんだよ」
「そっとしておこうぜ」
「そうしよう」
「そうしよう」
 そういうことになった。
 すまぬ。藤村先生。
 ごめんなさい。




  
ステータスが更新されました。

 使い魔(大群):EX
 極めて大量の使い魔を、体毛や尻尾の数だけ魔力を使わずに分身として使用することが可能。アーチャーとして召喚されているため大幅にランクダウンしているはずなのだが、それでも規格外であることは揺るがない。本人もどれだけの数を同時に使役可能なのかは正確には把握していない。




[5049] Fate/zero×spear of beast 29
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:25ae1f0c
Date: 2020/09/15 22:14
 冬木は地方都市だ。新都には再開発の手が入り、それなりの賑わいを見せる。しかし、居住区域は思いのほか狭い。深山町の住宅街沿いの国道を十分も行けば、すぐに森林にぶち当たる。
 東京に若者が仕事を求めて故郷を捨て、過疎が社会問題となっているのは、この冬木も例外ではない。
 だから早朝ともなれば、神父姿の男がこんな風に徒歩で国道を歩いていても、誰にも見とがめられはしない。
 それに加えてただでさえ車通りの少ない国道は、冬木の悪魔が凶行を繰り返しているとあって、皆無と来ている。
 言峰綺礼はその森へとつながる国道を、代行者の健脚でひたすら走っていた。霊体化したアサシン総勢70体強を引き連れている。
 魔術師としての理を外れ、一般人をなんの隠蔽もなく殺害して回るキャスターペアを不意打ちで倒すためだ。そして、一〇〇名以上の攫われた子供たちを奪還し、記憶を消して親元に返すという難問も同時にこなさなくてはならない。
 可能ならば、児童保護の大型車両を数台手配して乗り込みたいところだが、そんなことをしたらあまりにも目立って仕方がない。冬眠中の熊であっても起きだしかねないのに、最強の感知能力を持つキャスターが気づかないはずがない。
 一人で挑んでも感知されるだろう。しかし、最高の気配遮断スキルを持つアサシンによる奇襲とあれば話は別だ。総勢70人を超えるサーヴァントの同時奇襲である。もしも、キャスターが海魔を無尽蔵に展開する前であるならば、令呪を3画用いての奇襲で勝機はぎりぎりあるかもしれない。そのためには、キャスターペアにはできる限り油断してもらわなくては困る。単身を装って挑まねばならない。
 魔力の残渣を追っていけば確実に追いつく。相手は意識を失った子供を連れての行軍だ。こちらは生身の人間とは言え怪魔殺しの代行者の足。いずれ追いつく。
 問題は、キャスターペアがどこに向かっているのか。魔力残渣は市街地を離れ、ますます森の奥深くへと迷い込んでいく。
 森中のその奥に根城を構える陣営はただ一つ。
「アインツベルンか」
 キャスターペアの目的に思い当たる。なぜかは知らないが、キャスターペアはセイバーに御執心らしい。興味はさっぱりないし全く理由はわからない。サーヴァントがサーヴァントに執着するなどということは理解を超えている。しかし、綺礼も似たようなものかもしれない。自分は、可能ならば衛宮切嗣とどこかで邂逅し、死線をくぐることにより衛宮切嗣の得た答えを覗きたいと執着しているのだから。
 国道のガードレールを越え、草の生い茂る山道へと足を向けた瞬間だった。
『おやおや。これは奇矯な巡り合わせだな。泣く子も黙る聖堂教会の代行者が、このような場所に何の用かね?』
 反響するような、距離感のつかめない声に語り掛けられた。視界も意識もはっきりしているし景色の遠近感も狂ってはいない。幻術ではない。恐らくは隠形により、声の出どころを隠しているだけだろう。
 すかさず黒鍵を抜き周囲を警戒する。声の主の姿はない。
『アーチャーにアサシンを挑ませ真っ先に脱落したはずだ。そうではないか? 言峰綺礼くん。脱落したマスターは教会の奥で震えているのが常識。しかしなぜこんなところにいるのか? 私の目は節穴ではないよ。良からぬことを考えているのではないかね?』
 他者を値踏みすることに慣れ切った声。神経質そうな高慢な研究者のそれには聞き覚えがった。
「ふむ。時計塔のきっての俊英に名前を憶えられているとは光栄だな。代行者冥利に尽きるというものだ」
 その声はロード・エルメロイ、ケイネス・エルメロイ・アーチボルドのものに間違いない。
 軽口をたたきながらも状況を分析する。この遭遇は間違いなく偶然だ。なぜならつい1時間前まで、自分もアサシンを連れて出撃するなど全く考えてもいなかったし、アサシンの生存が露見した様子もない。もしもアサシンが生きているともろバレしていたら、優秀な魔術師ほど、再度穴熊を決め込むわけで、こんな風に話しかけてくるわけがない。時計塔のロードである。それぐらいの知恵はあるだろう。
『それは代行者の殺しの名簿に載るということではないかね? まあ良い。“ランサー”』
 その言葉と同時に、正面の空間が揺らぐ。魔力が収束し折り重なり、双槍の美丈夫が現界する。
『いかな代行者といえど、サーヴァントの前には無力。それは理解しているだろう? これから君は私の質問に正直に答えるように。正直に答えれば見逃してやる。嘘だと感じたら殺す』
 冷酷極まりないセリフではある。しかし、その言葉の音色を聞いて、綺礼には若干の余裕が生まれた。その余裕をあえて言葉にすると「素人だな」とか「人を脅すことに慣れてないな」というたぐいのものだ。いかに強力な魔術師と言えど、こういう脅迫には縁がない人間の脅し方だ。もしも、武闘派の魔術師ならば、とりあえずランサーに襲わせて腕の一本でも切り落とすだろう。痛みとは雄弁なものだ。どんな強固な意志であっても圧倒的苦痛の前には揺らがざるを得ない。尋問するのはそのあとだ。
 相手は鉄火場の機微を知らない素人であることをこの時点で綺礼は確信した。
「命を助けてもらえるというのであれば仕方がない。どんなことでも訊ねるがいい」
 黒鍵を手から離し両手を上にあげる。こんなポーズは代行者の技量を生きた知識として知っていたら、服従の証として信用してよいものではないと理解しているだろう。しかし、その形だけの降伏を見て影の声は気を良くしたようだった。
『ほう。意外に素直だな。教会の代行者というのはどいつもこいつも話の通じない狂信者とばかり思っていたが、存外、話が早いじゃないか』
 声に明らかに弛緩したものが混じる。しかし、目の前の槍兵は、緩んだ様子がみじんもない。むしろ、主の油断の分だけ警戒を強めたか、破魔の赤槍を綺礼の喉元に突きつける。
 その光景を目にしてさらに上機嫌になった声が、投げかけられる。
『ふふん。その辺にしてやるがいい。ランサー。明らかに尻尾を撒いている獲物を嬲るのは、君の騎士道に反するのではないかね?』
「主殿がそうおっしゃるなら」
 と槍兵が一歩引く。
 尻尾を撒いたつもりはさらさらないが、ロード・エルメロイはそのように受け取ったらしい。勝手に優位を確信している。「あ、こいつは初陣で、しかも近いうちに早死にするな」と綺礼の経験が告げていた。こういう自惚れ屋のナルシストタイプは、どんなに才能があっても早死にする。戦場の初陣でついうっかり初見殺しの嵌め手とか、バカ詰みに引っかかって才能の1割も出せずに死ぬタイプだなぁと他人事のように思ったりする。。
――なら、せいぜい有効活用するのが手か
 とあっさり結論を出す。
『綺礼くん。きみはなぜアインツベルンの根城を目指しているのかね? もしや、まさか聖杯戦争で敗北を認めずに、サーヴァントをどこかから調達し、再度参戦しようと考えているのではないかね?』
 まるで、神経質な教師が生徒の校則違反を咎めるような口調であった。
 そこは表面上は超絶優等生の言峰綺礼である。こういう手合いはどう転がせば、こちらを気に入るかなど知り尽くしていた。
「大変な誤解だ。私は代行者だ。そもそもこんな聖杯戦争などに選ばれること自体、全く持って迷惑千万だった。私には聖杯でかなえたい願いなどない。万能の願望機の力を借りて、個人的な欲望を叶えるなど、それは貴様ら魔術師のやり方で我々には許されざることだ」
 こういう手合いをひっかけるには、相手の先入観を否定しないで、都合の良い情報だけを与える。これに尽きる。この場合は、「代行者が魔術を学んで聖杯戦争に参加することなどアホの所業である」という先入観を最大限に利用するのだ。
『しかし、君は結果として参加した。断ろうというつもりはなかったのかね?』
「代行者としての任務指令に拒否権はないと思っている。やれと言われたらやらざるを得ない。だから、全く興味のない魔術も学んだ。しかし、勝ち負け自体はどうでもいい。ただ数合わせのために参加しろと言われただけだ。だから、アサシンをアーチャーにぶつけて戦いそのものから降りた」
 嘘は言ってない。嘘は。
 誤解されるように言っているが、言葉が足りないだけである。あと八〇体ほど残っており、霊体化して気配を遮断し、すぐそばに待機しているということだけは黙っておこう。
『……そ、そうか。代行者というのは案外大変な職業なのだな』
 何らかの哀れみに満ちた声がむけられる。ぶっきらぼうな綺礼の発言が何らかの好奇心を刺激したようで、エルメロイ先生の詰問はどうでもいい方向に進んだ。
『君の経歴を見ると、明らかに出世コースだったと思ったが、なぜ代行者になどになったのかね』
「かつては枢機卿になるのでは、とか未来を期待されていた身だった。しかし、教会内の権力闘争に上司が負けた。流れ着いて代行者になった」
『そ、そうか。出世争いの結果の敗北だったか。』
 嘘ではない。しかしどうでも良いことだった。むしろ、つらい修業が待っているならその先に答えがあるのではとか淡い期待を抱いていた。そちらの方が重要だった。むしろ志願した。 
『資料には妻帯者とあるが、こんな危険な戦いに赴くことに反対されなかったかね?』
「3年前に他界した。娘とは、それ以来逢ってない」
『……………………………』
 気まずい沈黙だった。プライベートな不幸にむやみに踏み込んでしまったことに気まずさを覚えたらしく沈黙してしまった。
 基本的に善人なのかもしれない。ますます魔術師の戦いに向いてない。
「あ、主殿!」
 と、ランサーが発言を促す。
「おっと、そうだった。やりたくもない仕事を押し付けられてマスターになったことはよくわかった。私にも覚えがある。派閥争いなどは組織の梅毒だ。くだらんことこのうえない。さて、そのうえで問うが、やる気のないマスターがこんな危険地帯になぜいるのかね? 何の目的があってここに来た」
 最初の高慢な態度が消えて、妙に同情的な音色が混じる。やはり善人だ。ゆえに御しやすい。せいぜい利用しよう。そして裏切る。裏切られたとわかった時にこの善良な男はどんな顔をするのだろうか。そう思うと××くてたまらない。
「今回の聖杯戦争は、隠蔽工作を考えないで無茶苦茶なことをやる陣営が多い。サーヴァントを失ったマスターとはいえ代行者は代行者。監督役の手足としてこうして働いているというわけだ」
 サーヴァントは確かに失った。八〇人中たったの1人だけだが。嘘は言ってない。嘘は。
『なるほど。確かに無茶をやる陣営は確かにいる。何を考えているのか。魔術師の風上にも置けない汚い手法を使う匪賊が間違いなく居る。嘆かわしい限りだ』
 妙に納得しだした。そういえば、ロード・エルメロイは住んでるホテルを爆破されて、丹精込めて作った出先の工房が一瞬で崩壊されたのであった。全く持ってお気の毒である。そう考えると××しくなってしまう。
「追っているのはキャスター陣営だ。マスターはイレギュラーとして選ばれた殺人鬼で、これまでに二〇人もの子供を攫っては生贄に使うでもなくただ殺すだけの外道であることが判明した。しかも一切の隠ぺい工作を行っていない。そして現在は一〇〇人もの子供を殺害するために攫い、アインツベルンの森に向かっていることが判明した。監督役としても代行者としても看過できない。それゆえに、急遽私が後を追っていた」
『なんと!? そのような外道が!!』
 素直に驚いたような声色だった。そこには疑いの音色はなかった。
 すかさずに畳みかける。
「そういうわけで先を急いでいる。すまないが見逃してはもらないだろうか。これは魔術の隠蔽という点で、決して魔術師の理から外れた提案ではないと思うが」
『君一人で戦うつもりか? 相手は最弱とはいえキャスターだ。いかな代行者とはいえ蛮勇が過ぎるというものだろう』
 その一言で「釣れたな」と確信する。
「それが私の使命だ。できるできないは最初から埒の外だ。それに勝算が全くないというわけではない。相手は正規のペアではない。マスターは素人だ。マスターを先手を打って仕留めることができれば勝機はある。もう問うこともないだろう。それでは私は行く」
 と踵を返したその瞬間
『まて』
 と、綺礼の待ちに待った言葉が投げかけられた。
『魔術師の理を外れた鬼畜外道がいるとあっては、時計塔のロードとして見過ごすわけにはいかない。聖堂教会の監督役の不手際を本来糾弾するべきなのだろうが、そんな状況でもないようだ』
「どういうことだ?」
 心底わからないような声を出す。あくまでも、理解できないことが起こったように演技する。
『不必要に聖堂教会の領分に介入するつもりはない。しかし、このエルメロイのみたところ、もうすでに状況は教会の管理できる事態ではないようだ。ここは私が助力してやろう。そう言っているのだ。良いな? ランサー』
「は。幼子を助けるのは騎士の本懐。このディルムッド、主の度量に感服する次第」
 と頭を下げ、槍を捧げる。
「キャスター討滅に助力してくれるというのか? 本当ならば願ってもないが……」
 と訝しんで見せる。降ってわいた幸運を信じられないというような口ぶりでだ。
『ただし、何の見返りもなくというわけにはいかない。そこはわかっているだろうね? 綺礼くん』
「なにが望みだ」
『冬木の教会には、過去の戦いで使用されずに残った令呪が回収されていると聞いた。それをもらい受けたい』
 利害だけなら本来ならば考える場面ではない。一も二もなく飛びつくべきところである。しかし、ここは気を持たせた方がいい。騙しの手管というやつである。
「それは……。私の一存で決められることでは……」
 と、わざと勿体をつける。
『嫌なら構わんよ。君一人でキャスターに挑むというだけならば止めはしない。さあ、いますぐいまこの場で選びたまえ』
 自分の優位を確信した声である。
 しかし、綺礼の腹はもうすでに決まっていた。すなわち利用するだけ利用しつくす。後で裏切る。そこに罪悪感は全くない。なぜならそれが代行者だからである。「魔術師をだまして何が悪い」が常識の職場である。
「わかった。しかし、あくまで私の権限で自由になる分だけだ。もしもキャスターを討ち果たした暁には、聖堂教会にて保管中の令呪の一画を譲渡することをこの場で確約しよう」
『そうか。一画か。まあ良い。それでは簡易的ではあるが、こちらのセルフギアススクロールに署名してもらえるかね』
 と、声が届くが早いか、すぐそばの木陰からその姿が現れた。意外に近くに潜んでいたようだ。
 写真で見たときよりもわずかにやつれた顔だが間違いない。
 ケイネス・エルメロイ・アーチボルドだ。
 てのひらに収まりそうな羊皮紙のスクロールを取り出すとそこに筆記体で文言を刻む。「教会に保管してある令呪一画譲渡。聖堂教会の全権委任者、言峰綺礼からケイネス・エルメロイ・アーチボルドへ。ただし、ランサーがキャスターを討滅した場合に限る」と乱雑に即興で書きこまれる。
 この男はわかっているのだろうか? ここに署名をするということは、裏切りが露呈したとしても、令呪に固執する限り令呪を受け取るまでは綺礼を殺したくても殺せなくなるということだ。
 恐らく裏切られるなど微塵も考えていないのだろう。鉄火場をくぐってきた男なら「裏切ったら自殺する」とか「キャスターが死ぬまで絶対服従」ぐらい書くものである。
 おそらく、騙されたことがないのだろう。
 そして、綺礼の予感が告げていた。こいつはたぶん、令呪を受け取る前にリタイヤするだろうなあと。
 手短にサインをしながら綺礼は思う。「あの男ならこんな手には引っかからないだろうな」と。
 










[5049] 遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです9
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:25ae1f0c
Date: 2020/07/05 14:58
――「戦いたくないと、そう申すか。いいじゃろう」
――「しかし、そうなると、今回の勝者は遠坂の小娘じゃのう。今回の依り代もサーヴァントも、遠坂の娘は出来過ぎなほどに良くできておる。今回勝つのは紛れもなくあの娘であろうな」
――そう耳元で妖怪がそう囁いた。
――それだけで。少女の心にごくわずかな揺らぎが生まれた。
――それだけで。少女の心はもう無理だった。
――あらゆる虐待に耐えてきた堅牢な砦が、城砦の防壁に亀裂が走った。
――そのわずかな亀裂をどうほじくれば人間が壊れるか、どうほじくれば聖者が堕ちるのか、人の形をした蟲は知り尽くしていた。
――邪悪な魔術師は知り尽くしていたのだ。








 冬は日没が早い。放課後ともなれば、後者にも夕日が差し込んで、まぶしいことこの上ない。
 士郎には明るいうちにさっさと家に帰るように言っておいた。
 近くに人の気配がないと踏んだのか、あっさりと実体化してアーチャーが話しかけてきた。
「主殿よ。結局、昼飯を食わなかったがよいのか? 腹が減って勝った奴はおらぬぞ」
 などと余計なことを言ってくる。
「大丈夫よ。あんたの使い魔を見たせいで食欲が吹っ飛んだだけだから。気にしないで」
 この体型を維持するのには、それはもう涙ぐましい努力が必要なのだ。
 常に余裕をもって優雅に体系を維持する努力。それは誰にも悟られてはならない。一食二食抜いたところで我慢できないほど意志は弱くない。
「昼を抜いて夜だけ食うと太るのだぞよ」
「大きなお世話。それよりもアンタの使い魔、本当にひどい外見ね」
 なんでも卑妖という名前らしい。くり抜いた目に人間の耳が付いたとしか思えない正直グロテスクな外見だ。ホルマリン漬けの人体の一部を連想して、気持ち悪いことこの上ない。
 その目と耳で諜報活動を行うだけではない。あらゆる場所に潜み、物体と同化し、体を硬質化させ、侵食し、襲い掛かり、挙句の果てには人間や機械に憑りついて思い通りに操ったり、記憶を出し入れしたりもできるらしい。
「性能は確かに桁外れかもしれないけれど、もう少し見た目に気を使わなかったの?」
「うむ。わざと醜く作った」
 なぜか自慢げに言う。
「なんでよ」
「怖がられたほうが我の能力的に効果的じゃからな。あの使い魔を見て、嫌だなー、キモいなーと思われたら我の勝ちも同然じゃ」
―あー、そういえばそうだった。
 コイツはなんか知らないが、敵対する相手が「恐怖、嫉妬」とか、嫌だなーと思う感情を持っていると能力が跳ね上がるらしい。
 いったいどんな人生を歩んだら、そういうねじくれまがった特殊能力が手に入るのか。知りたいような知りたくないような、両者の境界線ギリギリの話題なのでそこはツッコまないでおく。なので矛先を少し変える。
「あんた、もっと愛されキャラになりたいんじゃなかったの。前向きに生きるとかなんとか言ってたじゃないの」
 と、何気なく聞いてみたところ、
「むむむむむむむむむむむ……。そういわれると……らぶりぃな第二の生を目指すには、あの見てくれはひどかったかもしれぬ。もう少し愛らしいほうがよいか。外見だけでも全部作り直すから、魔力を回してもらってもよいかの?」
 と真剣に悩みだした。
「ダメに決まってるでしょ」
 ただでさえ8割の魔力を吸われているのに、これ以上空腹状態で魔力を持っていかれたら、下手すりゃこの場でぶっ倒れかねない。
「で、なんで小僧を先に帰したんじゃ?」
「見回りよ。見回り。ここ最近、妙な事件ばかり多発してるでしょ。新都での集団衰弱事件よ。あれも多分、どっかのマスターがやってるんだと思うけれど、これ以上続くようなら容赦してられないから」
 ふと考えるようなしぐさを見せるアーチャー。
「それは教会の監督役とかいう男の仕事ではないか?」
 確かにそうではある。そうではあるのだが、同時に無意味な指摘でもある。
「ダメよ。あいつの性格は前にも言ったでしょ? 勤労意欲なんかゼロにきまってるじゃない。聖杯戦争の隠蔽はしても、人助けなんかするガラじゃないわよ」
 ますます怪訝そうな顔をしてこちらを見てくる。
「すると、主様はアレか? 戦争中に人助けをしたいということか?」
 まっすぐな目で聞いてくる。そう聞かれると途端に気恥ずかしくなってくる。
「そうよ。悪い? それにこれは私の義務。私はこの街の管理人なの。この街で一般人を襲ったり、妙な事件を起こす奴は、ただじゃおかないの。これは聖杯戦争なんか関係ない、遠坂凛の義務よっ!」
 気恥ずかしさのあまり、一気にまくしたてた。
 言ってることは間違ってないと思うが、こういうことを口に出すと恥ずかしいったらありゃしない。
「さんざんあの赤毛の小僧を小ばかにしておいて主殿も案外お人よしじゃ。さて、どこの誰じゃろうな。そんなことをする下手人は、槍男の主か。それとも騎兵か、術士か、刺客か、それともあの黒い奴の主か」
 アーチャーは下手人の可能性を指折り数えている。
「誰でもいいわよ。そんなの」
 大方の見当はついている。しかしそこは心底どうでもいい。
 本当はどうでもいいのだ。
 アーチャーはこちらの言うことを察したようである。
「『わたしのテリトリーでこんなふざけた下種な真似してくれた奴なんて、問答無用でぶっ飛ばすだけよ!』じゃな?」
 決め台詞を奪っておいて、さも楽しそうににんまりと笑いながらこちらの覗き込んでくる。
「…………」
―コイツは本当に性格悪いなあ
 腹いせに後で、珍妙な名前を提案して嫌がらせしてやろう。そんなことを考えていた。


 






 それはほれぼれするような手口だった。
 魔術師ならば感嘆の声を漏らさずにはいられなかっただろう。
 新都のビジネス街に私たちが着いたのは午後5時頃。
 わずかな魔力の揺らぎを感知して、ビジネス街のビルに侵入した。
 そこで、集団衰弱事件に見事出くわしたわけだ。
 集団衰弱が発覚するのは、毎回、帰宅が遅いことを心配した家人が会社や警察に連絡して発覚するパターンだ。
 都市ビルの有毒ガス発生や、過労、集団催眠だのと報道は適当なことを言っているが、魔術師からすると見解は全く異なる。
 聖杯戦争中に、冬木で一般人が集団で昏倒するなど答えはおのずと限られる。
 すなわち魂食い。
 一般人の魔力など数人吸ったところでたかが知れている。数十、数百となれば話は別だ。
 一般人の中にも10人に1人、100人に1人と言った魔力容量を持った人間は間違いなくいる。
 そういう不特定多数の人間から魔力を集めまくるというのは、理論上は辻褄が合う。あくまで理論上であるが。実際にやるとなったら至難の業だ。
 これまでの手口から察するに、おそらく魂食いを仕掛けるのは午後の帰宅時間前であろうと踏んでいた。
「近くにおるのぉ」
 狐耳のアーチャーはサーヴァントの気配を敏感に感じ取ったようだ。
 予感は的中。
 スーツ姿の男女が、床に倒れ、机に突っ伏し、昏倒していた。
 何より恐ろしいのは、その誰もが死んでいないことだ。ビジネスフロアのすべての人間を眠らせる。百にものぼる人間の魔力容量を的確に見抜く。死なない程度に魔力を吸い尽くす。
 それぞれが、言うは易く行うは難し、だ。
 もしも、一人でも逃せば魔力を吸う前に大事件になる。わずかでも加減を誤れば死体の山だ。
 相手の技量は間違いなく人間業を超えている。
「臭うのぉ」
 たしかに。この匂い。甘いような、頭の芯がぼぅっと蕩けるような……。空気が桃色がかかって見える。魔術師の耐性をもってしても軽く意識が飛びそうになる。
 まるで2日間徹夜した後でベッドにもぐりこんだような……。
 もうこのまま意識を飛ばしてしまいたい…………。
 なんとか抗魔力の詠唱を唱えようとしたその瞬間、
「眠り薬じゃな」
 そうつぶやくとアーチャーの尻尾が急に伸びて、顔面にばふうっと押し付けられる。
「ふぉっと。ふぁにふんのふぉ(ちょっとなにすんのよ)」
 と抗議したところで、急速に意識が覚醒していく。
「この甘ったるい臭いが消えるまで我のしっぽを通じて息をするがよいぞ。いま風通しをよくするゆえのぅ」
 そういうが早いか、もう一本の尻尾が伸びて剣針へと変わり、すべての窓ガラスに降り注ぐ。
 乾いた音をして窓ガラスが全て粉砕されて、気圧差から大量の冬風が吹き込んでくる。
 感謝の言葉はいいたくない。こいつのやることはいつも一言足りない。そして寒い。
 外気が急速に流れ込み、桃色の空気が1か所に押し集まり、人影になり、そして実体化していく。
 紫のフードを目深にかぶり、杖を構えた女性の形へと収束していく。よく目を凝らすとステータスが見える。
「サーヴァントね」
 間違いなくサーヴァント。  
 ステータスは魔力のみ特化しており、総じて他は低い。つまりは魔術師タイプだ。
“ええ。そうよ。お転婆なお嬢さんたち”
 どこからともなく声が響く。すぐそばにいるのだからそのまま話せばいいのに、勿体付けている。間違いなく見栄っ張りである。
 キャスターの魔術師であることは、ほぼ間違いない。
 その手口や技量から、本来ならば格の違いをひしひしと感じているところなのだが、アーチャーがそばにいるせいで、戦力については全く不安はない。
 油断しているわけではないが、心にはまだ余裕はある。ぜい肉ではない。断じて。
「白兵戦はからっきしのクラスなのに、こんなところで人間の魔力を吸うなんて、最弱のクラスは大変ね」
 と、軽く挑発しながら相手の様子を見る。ここで戦うのはまずい。何とか場所を移して決着をつける必要がある。この場で魔術戦などは最悪だ。どんなに一般人を傷つけないように立ち回ったとしても限度がある。もしも倒れている人間を盾にでもされたら寝覚めが悪いことこの上ない。
 キャスターはこちらの考えを知ってか知らずか余裕たっぷりにほほえみを浮かべる。
“ふふ。その最弱なクラスに貴方たちはこれから負けるのよ。キャスター風情と侮った貴方たちの負け……”
 そう大見得を切るキャスターに、突如アーチャーが大量の剣針を浴びせた。
「ちょっ!? 何考えてんのアンタ」
 抗議の声を上げざるを得なかった。こんな場所でバチバチやられたら大量の人死にが出る。それどころか、倒れてる人たちを手駒として使役されるまである。そうなったら……。
 と思うが早いか、キャスターの体が文字通り霧となって霧散した。
 さっきまでキャスターの居た空間に、ぽとりっと小石のような硬質な何かが落ちる。
 狐耳のアーチャーは、その硬質な物体を指で拾い上げ弄ぶように確かめた後、こちらに投げてよこした。
 びっしりと神代文字が刻まれている。骨。あるいは幻想種の歯である。
「影。分身じゃな。口を動かして話せばよいのに、勿体をつけておるから怪しいと思ったわ」
「じゃあ本体は?」
「もう遠くまで逃げ出した後じゃな。おそらく我らの気配を感じたあたりで分身を残し、脱兎のごとくというやつじゃ。もう魔力は吸い取った後だから用なしということじゃ」 
 こともなげに言う。
「ぶっ飛ばし損ねたわ」
 強がりである。ほれぼれするような手並みだ。一般人を襲い、生気を吸うという非道をやりながら、無駄に殺すでもなく弄ぶでもない。やることをやったら即座に撤退。その目的と行動には一貫性があり、手段も手際も迷いがない。悔しいが、魔術師としては紛れもなく一級品。手玉に取られたということは認めざるを得ない。
 とりあえずオフィスの受話器を取る。
「どこに掛けるんじゃ?」
「聖堂教会よ。この人たちを放っておけないでしょ。監督役だとか偉そうにしてるんだったら、きりきり働いてもらうんだから」
 八つ当たりである。警察に連絡しても良いが、とりあえず八つ当たりだ。あの性格ドぐされ外道神父に八つ当たりせずにはいられない。そうして、数少ない暗記している電話番号を力を込めてプッシュした。







 なんとか空腹をこらえて帰宅した。
 キャスターにいいようにやられてしまった疲労感をこらえての帰宅である。正直しんどい。収穫はあった。
 とりあえず、セイバー、アーチャー、ランサー、キャスター、バーサーカーはこれで出そろった。その中で、学校の結界はキャスターの物ではない。あれだけ効率的に魔力を集めているサーヴァントが、学校にあんなわかりやすいあからさまな人食い結界を作るわけがない。
 キャスターのやり口を見るに、間違いなく一流の魔術師だ。無駄に人を殺すような結界は一流の魔術師の流儀に反する。となれば、あの結界は、おそらくライダーかアサシンが設置したという予測できる。今回は、キャスターの顔が見れただけでも良しとしよう。
 玄関を開けた瞬間に、胃袋を刺激する匂いがする。
 醤油があっためられて微妙に焦げたような薫り。日本人に生まれたら、この匂いには抵抗できないのだ。
 ついつい「いい匂いがするのだわ」とか「おなかすいたぁ」などと言ってしまいそうになる。しかし、そこは他人の家である。
 油断せずによそ行きの顔を無理やり作る。
「お帰り、遠坂。ご飯できてるぞ」
 とエプロン姿の士郎が出てきた。緊張感はまるでないが、そこはまあ仕方ない。さすがに限界。これ以上は我慢できそうない。
 そこには、行儀よく座るセイバー、そわそわしてる藤村先生、そして桜がいた。
「さきに食べててよかったのに」
「いや、いま出来たところだ」
 アーチャーに手を洗わせて一緒に座る。
 鶏もも肉の照り焼き、里芋の煮っころがし、蒸し大豆と野菜の白和え、ミニトマトとブロッコリーのサラダ。
 自分が作らないでも、きちんと料理が用意されている喜びに、ほほが緩んでしまう。
「「「「「いただきます」」」」」
 美味しい料理を食べながらついつい顔を見てしまう。
 向こうはこちらをどう思っているのだろうか。
 考えてみれば、こんなふうにそばで夕餉を囲むようなことがあるとは全く思わなかった。
 妙なものだ。
 そのうち「間桐さん」ではなく、「桜」とか呼び捨てにしてみたらどうなるのだろうか。
 機会があったらやってみたい。失った時間が取り戻せるとは全く思わないし、正直、なれなれしいレベルだとおもう。いまはダメだ。いまはダメだが、もしかしたら、これから先にはそんな機会が訪れるかもしれない。
 あちらはこっちをどう思っているのだろうか。泥棒猫、とか思ってたらどうしよう。残念ながら「その気がない」とは全く言い切れないのがつらい所である。
 顔には出さずに悶々としているうちに、藤村先生が帰り、士郎が桜を送ろうしたら断わられた。
 おそらくこれは衛宮の家の日常であり、私たち3人が、おそらく紛れ込んだ異物なのだろう。
 後は寝るだけ。そういう段になってから、セイバーがこちらに話しかけてきた。 
「凛。いいですか。話があります」
 改まったような顔でこちらに話しかけてきた。どうやら士郎には聞かれたくない話であるようだ。
 しかし同盟を結んでいるとはいえ、自分以外のサーヴァントと一緒に密談するなど、正気の沙汰ではない。
 そう考えていると、
「なんじゃ、そっちもか。我もこの小僧に用があったところじゃ」
「あ、ああ。俺もちょっと野暮用が」
 などといつのまにか、士郎とアーチャーがよくわからないことを言って土蔵の方へと向かっていった。
 マスターを交換して人質にとったことになる。一応、形だけは対等だ。
 しかし怪しい。あの二人、なぜに暗い土蔵に行くのだ?
 セイバーはというと、微妙に困った顔をしながら、話を始めた。
「実は。その、士郎のことなのです。士郎は私と一緒に寝るのが嫌なようです」
「……そりゃあ。ねえ」
 セイバーはそれはもう美少女だ。それもけた外れの美少女だ。こうしてジッと見つめられたら、その気のない自分ですらおかしくなってしまいそうな、凛とした圧倒される魅力に満ちている。
「士郎は弱い。他のサーヴァントに狙われたらと思うと気が気ではないのです。同盟を結んでいるとはいえ、貴方にこんなことを頼むのは筋が通らないとはわかっています。しかし、その……。私と一緒に寝るように士郎を説得してもらえないでしょうか」 
 いきなり無理難題を頼まれた。
 どうしろというのだ。これ。
「学校に行っている間は凛とアーチャーがいるので心強く思っています。しかし、寝込みを襲われたらどうでしょうか。昨日も……その。恥ずかしいことですが、私が寝ている間に部屋を抜け出したようなのです。士郎の魔力の乱れを感知したときには……」
 なぜか言いよどむ。ひどく言いにくそうだ。
「土蔵でその、士郎がアーチャーと接吻をしていました……」
 ちょっと待て。話が一気に飛んだわ。10光年ぐらいワープしたわ。
 そうかー、あいつロリコンだったかー。本物の。
 とりあえず聖杯戦争どころじゃないのだわ。
「いえ……。どうやら、その、あの。士郎が魔術鍛錬中に魔力を暴走させたところを、助けてもらったようなのです。そこは心配しないでください。大丈夫です。しかし、士郎はまるで目を離すと危ないことをする子猫のようで……。出来ることなら一時も目を離したくないのです。凛からも私と一緒に寝るように説得してはもらえないでしょうか」
 要約すると、魔術が暴走したロリコン士郎が。アーチャーとキッスしてたのを見たセイバーが、士郎の身を案じた結果、自分と一緒に寝てほしいから協力してほしいということらしい。
 魔術師は人間の倫理観などにとらわれない。魔術のためなら絶対にダメなこともOKというのが魔術師だ。
 しかし限度というものがある。
「絶対にダメ。セイバー。貴女はもっと自分を大切にするのだわ」
「凛? あ、あの。なにか勘違いをなさっているのではありませんか?」
「勘違いではないわ。いいわね。ダメなものはダメ」
 誤解が解けるまで、これから1時間ほど押し問答することになった。
 どちらの誤解だったのかは恥ずかしいので黙秘させてもらう。






 土蔵は暗い。
 しかし、暗い方が感覚が鋭敏になって魔術に集中しやすい。
 ぴょこぴょことアーチャーは、その辺のやかんとか、まな板とかを手にとっては興味深げに覗いていた。
 過去を黙っている交換条件として、魔術の腕を見てくれる。そういう話になったのだが
「ほれ、十分に真似るがよいぞ」
 と、白と黒の中華剣を指さす。
 それについて、言っておかないといけないことがあった。
「いや、その、アー……、御屋形様の言うとおり投影のほうが得意なんだけど、でも強化のほうが実用的なんじゃないかって思うんだよな」
「なぜじゃ?」
 きょとん、と言い返された。
「いや、投影はコストパフォーマンスが悪いし、魔力は消えるし、あくまで物がないときの代用品だって……じいさんも遠坂も言ってたから。俺もそうじゃないかなあと」
 おずおずと反論する。
「それは普通の人間の場合じゃな。あの暗黒の槍を形だけでも真似てしまうような小僧が、強化などちゃんちゃらおかしいわい」
 誉められてるのだろうか。
「でも、武器が欲しいなら、強化でその辺の棒を強化したりすれば……」
「何を言うておる。強化だのなんだのと、くだらんことを言って鉄の棒を硬くしても、結局それは固い鉄の棒じゃ。あの槍を形だけでも真似られるなら、最初から宝具レベルの強い剣を作って振り回したほうがよっぽど良いわ」
 そういわれたらそんな気もする。
「それにのう。お主? 正義の味方の武器とはなんじゃ?」
「け、剣かな」
「それじゃ! 冬木のレッドになるがよいぞ!」
 というわけで投影をすることになった。
「投影だけは、なんでか知らないけれど、スイッチを作らずにできるんだよな。御屋形様は、なんでかわかるか」
「スイッチなんぞ一回作れば十分だからじゃろ。強化も同じスイッチを使えばよかろ。だいたい家電製品に何個も同じ電源があったら迷惑じゃろうし使いにくかろうが」
「…………そうなのか?」
「一体どこのトーヘンボクじゃ? そんな阿呆なことをお主に教えたのは。いちいち生きるか死ぬかの戦いをしてるさなか、魔力の切り替えからやっておったら戦いにならんじゃろうが。そもそも」
「じゃあ、俺が毎日やってたことは」
「無意味じゃな」
「特別な他の効果は」
「ない」
「じゃあ俺の今までの努力は」
「ただの自己満足じゃな」
 毎日瀕死になりながらスイッチを作っていたのが、他人から見ればただのバカだったということが分かり、落ち込んだ。
 そんな俺のがっかりしている様子をニマニマと笑いながらアーチャーはのぞき込む。
「ああ、もうすこし、その……」
 やさしくしてほしい。
「なにを落ち込んでおる? お主は幸運じゃぞ。本来は人間などに魔道を教えるときには、相手を手ごまにするためにしかやらんかった我の特別講義を受けられるのじゃ。西洋魔道はおろか、アラビア、インド、中国、日本、我はあらゆる魔道のエキスパートじゃぞ。我に学べば優秀なものの10年に1日で追いついてしまうのじゃぞ。そこは感涙にむせび泣き、『御屋形様ありがとうございます』と喜ぶところじゃ」
 いつの間にか眼鏡をかけている。めちゃくちゃノリノリだ。
「じゃ、じゃあ、投影するからな」
「うむ。しっかり励むがよいぞ。我とお主はパスがつながっておるからの。最初のころは共同作業というやつじゃな。」
 と、尻尾をパタパタ振っている。
投影-開始-(トレース オン)
「うむ。うむ。良いぞ良いぞ。」
―基本構造を想定
「ダメじゃ。もっと解像度を上げよ。想定ではならぬ。再度、基本構造を根底から創底しなおすがよい」
 今まで行っていた投影のとは比べ物にならず密度が急激に跳ね上がる。
―構成材質の分析と複製
「もっと精度をあげよ。形だけ分析してはならぬ。もっとじゃ。原子の密度と結合状況まで複製するつもりでやるのじゃ」
 分析精度と複製精度が急激に底上げされていく。
―鍛造の技術を模倣
「ただの模倣であってはならぬ。魂のこもらぬ模造品などただのガラクタじゃ。本物を超えて自分が本物に成り代わるつもりで模倣せよ。そうして初めて真に迫れる」
 鍛造の技術が模倣から進化へと一気に飛躍した。
―そして想像を創造へと導く……
 焼き入れが終わった。
 ぶしゅぅうううううううううううううううう、と魔力に混じった煙とともに二対の中華刀が現界する。
 触れてみる。重い。冷たい。そして何より、剣そのものが意志を持っているかのようだ。
 振ってみた。
 空気が切り裂かれる。自分の体が剣に導かれるような。剣そのものが技術を教えてくれるかのようだ。
「どうじゃ。これからは我のことを師匠として崇め奉るがよい。こんなに上手く行ったのは我と一緒に投影をしたからじゃぞ。お主一人ならこんなに上手くはいかなかったのじゃぞ! 自分一人でもできるように反復練習を怠るでないぞよ」
 アーチャーがティーチャーになった。
 ぴょこぴょこと物欲しそうにおねだりするような上目遣いでこちらをのぞき込んでいる。
 これはアレだろうか。やらねばならないのだろうか。
「ああ、ありがとう。これで俺、聖杯戦争で誰かの役に立てるかもしれない」
 と感謝の言葉を述べつつ、アーチャーの頭をなでる。狐耳のサーヴァントは、態度がこまっしゃくれているが間違いなく良い子だ。
 こういう良い子に感謝するときは頭をなでるのが良いはずだ。気恥ずかしいが、おねだりされているのだから仕方がない。
「にゃああああああああああああ、何をしとるのじゃぁ!? 小僧!?」
「いや。頭をなでてほしいのかなあって……」
「違うに決まっておろうが。そこは平伏して、我に絶対服従の五体投地をすべきところじゃ!」
 どうやら違ったらしい。
「もうよい! 我は寝る。我は寝るのじゃ!!」
 怒りながらアーチャーは茶室へと帰っていった。猛然と。のっしのっし足音を立ててと怒りながら。




















――おいで。
  夜、布団の中で声が聞こえた。
  アーチャーの指導の下、投影の魔術をやらされて。
  そのあと自分で反復練習
  そのあとなぜかセイバーと遠坂の見る目が冷たかったような生暖かかったような。
  セイバーがどこの部屋で寝るのか揉めていたが、結局また隣の部屋で寝ることになったらしい。
  やることを全て終えて布団に入った。
  戦争中であることを忘れるほど穏やかな一日の終わり。
――おいで。
  また聞こえた。
  甘い声。少しだけ甘い妖艶な声。
――おいで。
  
 眠っているのに腕が動く。
 眠っているのに脚が動く。
 眠っているのに体が動く。
 
――おいで。

 靴を履き、玄関の扉を開ける。

――おいで。

 だれ一人歩いていない夜道を歩く。

――おいで。

 その声の方向へ。

――おいで。

 柳洞寺の方角へと。



[5049] 遠坂凛が狐耳少女を召喚したようです10
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:25ae1f0c
Date: 2020/07/26 21:22
「――おいで」
 声が聞こえる。
 この声は聞いてはいけない。
「――おいで」
 だというのに体が反応してしまう。
 月は高い。頭の芯はぼうっと蕩け、まるで眠っているような起きているような。
「――こっちへいらっしゃい坊や」
 不愉快な残響でありながら妖艶な声。
 足が勝手に動く。冬の寒気をどこか他人事のように感じながら、それでも体が動いていく。
――まずい、まずい、まずい
 そう気づいていながら、まるで夢を見ているような非現実感。
 なにかが大量に後を追ってくる感覚があった。恐らくは味方。
「――あら? そんなものがいたのね。まあいいわ。全部撒いてあげる」
 ひたりひたりと歩くたびに、路地の曲がり角を曲がるたびに、その心強いはずの味方の数は減り、そして柳洞寺が見えるころには心強い背後の気配は全て消えていた。
「――残念ね。坊や。邪魔者は消えた。さあこっちへいらっしゃい」
 そしてまたひたりひたりと、歩き続ける。
“キャスターが居るとしたらおそらく柳洞寺でしょう。あそこは天然の霊脈に加えてサーヴァントの潜入を阻む鬼門です。陣地を作成して籠城するとなればそこでしょう”
 昨晩の会議を思い出す。
“一般人を襲っているとわかった以上、様子見はするべきではない。キャスター討滅のために打って出るべきです。私が破城槌として突貫し、凛たちが援護をしたら勝利できるでしょう”
“待って。確かにセイバーは強力よ。キャスターにとっては切り札になることは確か。有利なのは間違いないけれど、そう上手く行くとは思えないわ。さっきキャスターと対峙したけれど、相手は間違いなく超一流の魔術師。どんな手を使ってくるかわからないわ。セイバー対策は確実に打っているでしょうね”
“凛。それはあまりに消極的ではないですか。戦うべき時に戦わなければ勝機を逃します。様子見を続けていても、状況が良くなるとは限らない。むしろ無辜の民から魔力を吸い取らせ続ければ、キャスターはより強力になるでしょう”
“まあ、待つのじゃ。剣の英霊。今、いま我らが踏み込めば、おそらく勝利は固い。しかし相手はキャスターじゃ。めちゃめちゃやるぞ。寺とは良いところ逃げ込んだものじゃな。攻めるに備え、坊主を盾に使うことも容易い。坊主や下男どもを人質に取られては、寝覚めが悪かろう?”
“それでは貴女に策はあるのですか”
“ないこともない。まあ、多少えげつない方法ではあるがな”
“どんな方法なんだ。聞かせてくれ”
“我の使い魔を柳洞寺に送り込む。閉ざされた寺とはいえ、人間の往来ぐらいあろうが。人間の中に我の使い魔を潜ませて内部の様子を探ればよい。そうすれば我らの勝ちじゃな”
“貴女の使い魔は優秀だと聞いてはいます。しかし、使い魔でサーヴァントが打倒できるものでしょうか”
“セイバー、こいつは、キャスターのマスターを探してそいつを先に倒そうって言ってるのよ”
“マスターを倒すって、殺すのか”
“そこまでする必要はなかろう。我の使い魔を憑りつかせて、令呪を使わせればよい。すべての令呪を使用してキャスターに戦いから降りるように命じればよい。我の使い魔は強力じゃぞ。気付かれなければ訓練された魔術師や、僧侶であったとしても一次的に意識を意識を乗っ取るのならば容易い。一般人であれば一瞬じゃ”
“士郎はどう思いますか? 私はアーチャーの策に乗るのも手としては悪くないと思います”
“そうだな。犠牲者が少ないのならそれに越したことはないよ”
 ぼうっと思い出す。そのあとアーチャーと投影の訓練をして寝た。
 寝たはずだ。いや、いまも寝ている。寝ているはずなのにこうして歩いている。
「――おいで」という声のする方向へと。
 長い石段に足をかける。
 この階段を上ってはいけない。
 いますぐ引き返すべき。
 そう理解しているのに頭の芯がぼうっともやがかかり、足だけが勝手に動いている。
 石段を上っているあいだ、刀を持った侍がいたような気がした。
 しかし気のせいだろう。
 ずるり、ずるりと脚を引きずるように歩く。
 この門をくぐるとどうなるのか。死ぬのだろう。
 死ぬしかないのだ。
 そんなことを考えていた。しかし、体が止まらない。
 境内まで来た。来てしまった。
 月の光に照らされた、深夜の寺。
 ふいに背後から声がかかる。
「ようこそ。いらっしゃい。坊や。私の神殿に。歓迎するわ」
 振り返る。
 紫色のローブを着た女性がいた。ぼうっと浮かび上がるステータス。とりわけ高い魔力値。つまりサーヴァント。
 声を出そうと思った。しかしうまく出せない。逃げ出そう。そう思っても、動けない。全身に紫の魔力が充満しとても身じろぎすらできそうにない。
 さっき振り返ることができたのは、自分の意志ではない。振り返させられたのだ。唐突に気づく。
「まったく。この時代の魔術師は、本当にレヴェルが低くなったのね。あの男といい、この坊やといい。全く嘆かわしい限りだわ」
 そうキャスタは―そうつぶやくと ぱちりと指を鳴らした。
 のどに合った違和感が消え、声が出せるようになる。
「お前。キャスターか」
「ええ。そうよ。坊や」
 嘲笑を隠そうともしない音色だった。
「こうも簡単に術にかかってしまうなんて。逆に驚いてしまったわ。本当に魔術師なのかしらねぇ」
 とこちらの顔をじろじろとのぞき込んでくる。
 殴りかかってやりたいほどに、息がかかるほど近く。
 体内に残っているキャスターの魔力を押し流そうと、魔力を生成しようとする。「ふふ。かわいいことをするのね。でも無駄なことよ。坊やはもうとっくに私に呪われてるのだから」
 しかし全く動かない。まるで元栓を閉じられているような、そもそも命令権すら上書きされているような状況だ。
 頼みの綱の令呪すら、魔力が通らなければ無用の長物だ。セイバーを呼び出すことさえ叶いそうにない。いや、そもそもこの柳洞寺はサーヴァント払いの結界の中にある。令呪をもってしても、サーヴァントは呼び出せない。
 こんなことならばセイバーと一緒に寝ておくんだったと後悔した。多少の気恥ずかしさなど無視しておけばよかった。
「俺と、お前は初対面のはずだ。いったいいつ術を掛けたっていうんだ……」
 身体の自由を奪うほどの術を掛けるには、因と果、最低でも対面して何らかのアクションを起こす必要がある。もしくは術の一部となる物体に触れさせるとか、食べさせるとか、そういう因果が必要だ。
 しかし、キャスターとは間違いなく出会ったことすらない。
「それが、貴方程度の常識なのね。まあたしかに、普通の魔術師には無理でしょうね。普通の魔術師には。でも神代を生きた私にとってはそう難しいことではないわ。それに、坊やも悪いのよ」
 くすくすと含み笑いを漏らす。
「この時代の魔術師は、力不足も甚だしい。セイバーもアーチャーもバーサーカーもランサーも、みな優秀なサーヴァントではあるけれど、そのマスターはみんな私から見れば小物。しかし、坊やはその中でも飛びぬけて最弱よ。普通の一般人と変わらない抗魔力なんて。それはちょっかいを掛けたくなっても仕方ないというものでしょう。しかしこうも素直に私に会いに来てくれるとは思わなかったけれど」
 完全に優位を確信している声だった。
 恐怖を押し殺しなんとかキャスターをにらみつける。
「まだ余裕があるようね。もしかして、あのかわいいセイバーと生意気なアーチャーが助けに来るのを待っているのかしら。無駄よ。異常に気付いて向かったとしても、山門には私の手駒が道をふさいでいる。サーヴァントである以上ここに来ることは不可能よ」
 ぎちぎちと背中が音を立てる。悔しい。
 しかしその悔しさを悟らせることは余計に悔しい。何とか意地と虚勢をはる。
「俺を殺すつもりか」
 その一言が引き金だった。
 ぷーと息を吹き出しキャスターはこらえきれなくなったように笑い出した。
「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ、貴方は本当に愚かね。殺してどうするの。そんなことをして私に何の得があるの。貴方みたいな小物を殺してもいいことなど一つもないわ。もう少しお頭を使わないとお猿さんになってしまうわよ」
 目尻に涙すら浮かべて、ひとしきり笑った後、やっと収まったようだ。
「貴方たちが昨晩、何を話し合ったのか思い出してごらんなさい。そうしたら私が何をしようとしているのかわかるはずよ」
「聞いていたのか?」
「ええすっかり。アーチャーは優秀な使い魔を使うようだけれど、盗み見、盗み聞きは弓兵の専売特許ではなくてよ。むしろ諜報活動だけでいえば、キャスターは最強。一日の長があるわ。そうでなければキャスターのクラスはただの噛ませ犬よ」
 キャスターは手袋を外し素肌となった右手で、ぺたりとほほに触れる。
「マスターを探し出して操り人形にする。令呪を使用してサーヴァントを殺させる。なかなか良い作戦よ。アーチャーはよく知恵が回ること。しかし、そんなことをされたらたまらない。先にその策を採用させてもらったわ」
「俺の令呪でセイバーを殺すつもりか……」
 いや、違う。予感があった。この女はもっと悪辣なことを考えている。
「いいこと。未熟な魔術師さん。セイバーはとても優秀なサーヴァント。紛れもなく最優よ。でも残念ながらあなたが未熟なせいで、全力を出せないでいるの。もしも私が使ったとしたらどうかしら?」
 冷汗が背中から浮かび、じっとりと滝のように流れ堕ちる。
「ただ、アーチャーは必要ない。むしろああいうタイプは排除しておくに限るわ。いろいろ厄介な奥の手をいくつも持っているようだし。抜け目のないアーチャーだけど、もしも仮に、不意打ちでセイバーの宝具を受けたらどうかしら? さすがに即死するのではなくって? セイバーはそのあともあの厄介なバーサーカーまで倒してもらうわ。有効に活用してあげる。坊やよりもずっと」
 何とか抵抗して逃げ出そうとあらゆる手段を考えた。しかし何一つ手段がない。詰みにハマった。
 だから全力でにらみつけた。
 声を何とか絞り出す。
「そんなことは……させない」
 具体的にどこをどうしたら止められるのかわからない。ただ許せない。
 その懊悩を、キャスターは恐怖だと曲解したようだ。
「ああ、そんなに怖がらないで。大丈夫。無益な殺生をするのは三流よ。坊や。心配は無用よ。命“だけ”は助けてあげる」
 まるで治療を怖がる子供をあやすような声だった。
 そうしてキャスターは視界を覆うように掌をかざした。魔力が紫色の輝きを放ち……。そして炸裂音とともに爆発した。












 衝撃。全身が境内の砂利にたたきつけられた。状況が理解できない。
「――――――――っ。坊や!? 貴方っ!?」
 驚愕の声を上げたのキャスターだった。
 その右手には数本の棘が突き刺さっていた。アーチャーが使う剣針によく似ている。岩を切り出してそのまま投げつけたような棘がキャスターの右手に突き刺さり鮮血が噴き出してた。
 そして、キャスターと自分の対角線上に人影があった。
 長身で地面まで届く黒髪の美女。その相貌は美女と呼んでよいだろう。しかしひときわ目を引くのはその表情だ。陰鬱な表情。この世のすべてを侮辱し、呪い、軽蔑した後で諦めきったような陰の気を塗り固めた表情だった。
 その女はこちらをくるりと振り向くと、がぱあっと口を開けた。顎のあたりまで。まるで犬科の肉食獣、野干のようなありさまだ。その口の中にはびっしりと牙が生えていた。
――人間じゃない
 明らかに魔性だった。
 しかし残念ながら、自分にはこんな魔性も知らなければ、助けてもらう覚えもない。
「貴方……まさか。そんな強力な幻想種を心臓に飼っていたの!? そんなはずは……。いいえ、事実は事実として受け止めるしかないわね……」
 キャスターは大きく後ろに飛び退ると、宙空から錫杖を取り出す。
 そのしぐさにも声にも、先ほどまでのこちらを舐め切った勝利者の余裕はない。こちらを明らかに敵として、脅威として認識していた。
「評価を撤回するわ。坊や、無害な子犬のふりをして、こんな猛毒を隠し持っていたなんて。貴方は立派な魔術師ね」
 気が付くと呪縛は解けていた。
 体は動く。手を確かめるように握る。
 キャスターのほうを向く。そして正直に答える。
「――いや、俺にもなにがなんだか」
 正直さっぱり何が起きたのかよくわからない。
 しかし様子がさらに火に油をそそいだようで。
「黙りなさい! カマトトぶって! これだから、若い男は信用ならないのよ!!」
 すごい勢いで怒ってる。なんか知らないが、助かったと思ったのは甘かったようだ。
「いや、本当にわからないんだが」
「黙りなさいと言ってるでしょう。こんな強力な幻想種に不意打ちをさせておいて、わからないわけがないでしょう。すっかり騙されたわ!」
 烈火のごとく怒っている。
 しかし全く身に覚えがない。
 キャスターは中空に音もなく浮く。そして背後には大型の魔術陣がぼうっと輝く。その数七つ。 
「サーヴァントに手傷を負わせたことは誉めてあげる。大魔術師であってもなかなかできることではないわ。でも不意打ちは一回だけ。二度目はない。この神殿は私の陣地。噛みつく場所を間違えたようね。全力でお相手してあげる」
 唐突に理解した。キャスターの背後に浮かび上がる魔法陣。アレは砲台だ。とんでもない魔力が収束されている。あとはひたすら連射して放つだけ。アレそういうものだ。
 取りつく島もない。
 もう一人のほうはというと美人は美人なのだが怖い。正直怖い。
 特に目が怖い。
 キャスターとはまた違う怖さだ。あっちはこちらを侮るサディストだとすると、こちらはもう完全に意思疎通が図れるとは思えない。
 なんかもう、目が完全に異次元を見ている。
「なあ、あんた、助けてもらったのはありがたいんだが説明してくれると嬉しい」
 びくびくしながら訊ねる。
 その女は指をこちらの左胸を指さすと、
『――私は――斗和子――御屋形様の命令――仕方なィ――下がって』
 直接頭にその声が響いた。音色には聞き覚えがあった。アーチャーの声によく似ていた。もしあの少女が、あと20年もして大人になったらこんな声になるのかもしれない。
 しかし、その音色は不承不承、壊れた機械がかろうじて面倒くさそうに返答するようなモノだった。
 その目を見ると「あーいやだいやだ。なんでこの私が、人間のガキを助けなくちゃなんねーんだよ。馬鹿らしい。というかむしろ絶望して死んでいくところが見たかったんだけど。あーほんと、さっさと死なねーかなコイツ。むしろ死ぬ間際のじたばたあがきながら恐怖に溺れる姿が見たいわー。見たくて仕方ないわー。でも仕方ない。ほんっとうに嫌で嫌で仕方ないが、上司の命令だから助けてやるか」
 と雄弁に物語っていた。
 恐らくはこの斗和子というのは、アーチャーの使い魔なのだろう。きっと。
 しかし天真爛漫なアーチャーの使い魔とは思えないほどに、なんというか、怖い。
 そうして、ひらひらと手を振る。これは後ろに下がれということか。
『――さっさと逃げなさィ――無力なニんゲン』
 明らかに壊れた機械のような声。
 後ろに後ずさる。
「逃がすわけないでしょう。セイバーのマスター。その小癪な幻想種もろとも吹っ飛ばしてあげるわ。腕の一本や二本覚悟しなさい。楽に死ねるとは思わないで。無理やり生かし続けて骨の髄まで有効活用してあげるわ」
 その言葉が開始の合図となり、キャスターの唇は高速で詠唱を繰り返し、砲門から無数の砲弾が放たれた。









「――嘘っ!? 貴方、そんな能力まで。いいえ、そんな魔獣がこの時代にまだ残存していたの!?」
 驚愕の声はキャスターだった。
 キャスターの放った砲弾は紛れもなく必殺の大魔術弾だった。人間の魔術師ならば、手練れの魔術師であっても10以上の詠唱を数十秒かけて行う文字通り必殺の一撃。それを湯水のように連発し手加減抜きに集中運用した。
 まるで爆撃。境内の砂利は吹き飛び土砂はめくれ上がり、衝撃と爆音が全身を覆う。土煙で視界が遮られ、大気がヒステリーを上げる。そんな中、斗和子と名乗る幻想種は自分とキャスターの射線軸に入ると全く何の痛痒も感じた様子もなくその魔術弾に身を晒す。
 キャスターの放った、光弾が、光線が、間違いなく斗和子に当たる。しかしその瞬間、光線は偏光し、反射され、右へ、左へ、そして魔術を放ったキャスターへとはじき返される。
――魔力を反射している?
 セイバーのように抗魔力で魔術を無力化しているのではない。魔力そのものを反射しているかのように見えた。
「冗談じゃない。貴方、いったいどこでそんな幻想種を!? これほどの魔性、私の時代でもなかなかいなかったわ!! 貴方のような未熟者がっ。使役できるはずがないわ。答えなさい!!」
「答えるかバカ!!」
 知らないものは答えようがない。
 何とか境内から脱出しようとすると、そこを狙ってキャスターが魔術弾を放ってくる。それを斗和子が弾く、その攻防が繰り返された。
 いったいどれほどそうしていただろうか。斗和子に対する砲門による魔術弾はまるで効果がない。
 急に斗和子が、四つ足の構えを取った。そして、がぱぁっと、口を開ける。咽喉の奥が光ったような気がした。その瞬間、大量の火炎がキャスターを襲った。肉を焼く赤い炎でもない。鉄を焼く青い炎でもない。空間に存在するあらゆるものを焼却せしめる白い炎だ。
 それはまるで話に聞く、最強の幻想種、龍種が敵を粉砕するために吐く火炎のよう。命中したのならば、サーヴァントであっても消失と免れない絶滅の獄炎だった。
 キャスターの人影が消えた。
――やったのか
 と思った瞬間、真横、右側から大量の魔術弾が降り注ぐ。
 高速移動、もしくは空間転移。キャスターはすんでのところで斗和子の火炎を回避していた。
「もう許さないわ。全力で相手してあげるわ。光栄に思いなさい」
 そう言うが早いか、キャスターの攻撃がバリエーションを増した。
 それは火炎だった。
 それは氷塊だった。
 それは病風だった。
 それは竜巻だった。
 それは稲妻だった。
 それは岩塊だった。
 それは鉄片だった。
 それは爆撃だった。
 それは斬撃だった。
 四つ足の構えを取った斗和子を大量の現象と化した、複数の魔術が襲った。
 セイバーの様に魔術そのものを無効化しているわけではない。魔力そのものによる攻撃が反射されるだけならば、魔力効果の薄い属性で押し込む物量作戦だった。
 それら攻撃を斗和子は弾き、かみ砕き、蹴飛ばし、応戦する。まるで野獣の動きだった。
 幾たびそうしただろうか。数十分、いや、もっと長かったもしれない。もっと短かったかもしれない。
「これで終わり。もうそいつの動きは見切ったわ。覚悟なさい」
 キャスターが指を鳴らした。
 その瞬間、四方、八方、空中、全方位から無数の魔術が降り注いだ。
――逃げ場がない
 そう思った刹那、斗和子の腰の辺りから尻尾が伸びた。
「きいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」」
 野獣の、否、化物の叫び声だった。
 尻尾は酷熱の火炎となり、縦横無尽に伸びて、すべての魔術を飲み込み焼き尽くし粉砕する。
 それがおそらく斗和子の奥の手だったのだろう。
 全力・必殺の奥の手をさらけ出した、そののちに発生するわずかな隙。見逃すキャスターではない。
 地面がぼうっと光る。
 巨大な魔法陣が発動した。
 斗和子の動きが縫い留められた。まるで罠に縫い留められた野獣の様に暴れ、自分の縫い留められた体を破壊するように脱出を試みる
「これで終わりって言ったでしょう。空間ごと固定しているのよ。抜け出そうとするだけ無駄なことよっ!」
 キャスターは錫杖を構え、斗和子の体をより強く締め上げる。
 そしてゆっくりと近づいていく。
――とどめの一撃を打ち込むためだ。
 そう思うとじっとしていられなかった。
「このおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
 じっとしていることなどできなかった。
 投影-開始-(トレース オン)
 上手くできる保障など何もなかった。
 しかし、両腕にかかる負荷。白と黒の双剣の重さが限界する。
 動きが止まった今なら、そうしてキャスターに駆けだそうとした刹那、斗和子がこちらを向いた。
『来るナ、ニンゲン。侮辱すル気か? 来たラお前ゴと焼こロス』
 頭蓋に機械音のような強烈な声が響いた。
 脚が止まる。止まらざるをない。
「仕留めるわ」
 とキャスターが錫杖を構えながら近づく。もう手が触れられるほどに近い。
 斗和子の体の体はねじり切られるほどに絞り上げられ、もはや人の形に見えないほどに引きちぎられそうな有様だった。
 苦悶に悶える斗和子の口がガパァと開く。喉の奥が光る。至近距離からの火炎攻撃。空間転移で逃げた瞬間に全力を振り絞って脱出をする肚か。
 しかしキャスターは逃げる素振りすら見せない。
「――それを待っていたのよッ!」
 キャスターの声に喜悦が混じる。
 火炎を吐いて、キャスターを焼き尽くそうとする斗和子。その開けられた口に、膨大な魔力弾が降り注いだ。火炎を吐こうとした斗和子の体に魔力弾が誘爆し、斗和子の体は爆発四散した。
『――――――……様ァああああああああああああアアあああああああああああ』
 断末魔の苦しみが直接脳に響く。人間の声の様にも、人間以外の化物の様にも聞こえた。 
 あとには焼け焦げた匂いと、消耗しきったキャスターだけが残されていた。
「――口の中にまで反射能力はなかったみたいね」
 荒い息。そしてキャスターの顔には、強者を倒したときにのみ得られる勝利の充足感があった。
「悔しがることはないわ。私に、ここまで魔術戦をさせたことは立派なことよ。その健闘に免じて、貴方は私の工房の一部に加えてあげる。あれほどの魔獣をどうやって未熟な坊やが使役できたか。興味が尽きないわ」
 要するに脳髄をぶった切ってホルマリン漬けにしてから研究するということだ。全くうれしくない。
 汗が止まらない。あれだけの魔術を繰り出すキャスターとこれから戦わねばならない。
 自分はあの「斗和子」という怪物に助けられた。
 逃げろと言われながら逃げることすらできなかった。
 自分にできることは何だろうか。
 アーチャーに教わった、この双剣で戦うことだろうか。しかしこの剣で本当にあの魔法使いにも迫るキャスターに勝てるのか……。
 腕の中にある刀が語り掛けていた。すべて余計なことだと。
 心が細くなっていく。余計なことだ。
 すべて余計なこと。勝利できるか、生き残れるか、それは余計なことだ。この双剣が作られた製造理念がそう語りかけてきた。
 やりたいことをやれ。お前は正義の味方になりたいのだろう。目の前に悪を成す奴がいるのに見逃すのか、と。
 ならば行くしかない。構えは剣が教えてくれる。
 こいつをここで逃せばまた、今日使った力の分を蓄えなおすためにまた人を襲うだろう。
 それはできない。
「坊や、まだ抵抗する気? やめなさい。今の私には手加減できる余裕はないわよ。死にたいの!?」
 キャスターが何か言っている。
 しかし耳に届かない。届いていたかもしれないがどうでもいいことのように思えた。
 構える。右手を下に、左手を上に。腰を落とし、上体を撓ませる。
「いいかげんにしなさい。この駄々っ子」
 まるで聞き分けのない子供を前にしたような顔でキャスターは魔術を放った
 魔力弾を剣で弾く。腕に信じられないほどの現実の負荷がかかる。めちめちと筋繊維が弾ける音がした。
 それは手加減した一撃だったのだろう。しかし、現実という圧倒的な壁に耐え切れず白剣が粉砕される。
 もう一合。本命は下からの黒剣。その一撃。受け止めたのは金属音だった。
 壁。不可視の壁に剣は激突し折れ飛んだ。
「――もう。いいかげんに諦めなさい」
 その言葉とともに放たれる魔力放出。
 しかし、立ち上がってしまう。もう一度、投影から。今度はもっと真に迫るように……。
「こうも愚かだと吐き気がするわ。貴方異常よ」
 投影のさなかにまた叩きつけられた。
 安酒に酔ったような酩酊状態。
 可能ならば朝まで寝ていたい。
 だというのに、ずるり、ずるりと、立ち上がてしまった。
「もういいわ。そのまま眠りなさい」
 何度目だろうか。こうして吹き飛ばされるのは。
 そしてまた立ち上がる。脚に力が入らない。腕にも。そのくせ痛みだけは、はっきりと感じ取れる。
 キャスターは案外優しい。手加減する余裕はないと言いながら、結局、死なない程度の攻撃をしている。一般人を襲っても、無駄に命を取らない。超一流の魔術師と遠坂が言っていたのはそういうことなのだろう。アレはきっと誉めていたのだ。
 わかりにくい。もっとわかりやすく言ってくれれば、良かったのだ。そうしたら話し合うとかそんな結末もあったかもしれない。もう今はあり得ないが。
「これが最後よ。都合五度の警告を無視された。これ以上はもうあり得ないわ。降伏しなさい。その愚かさに免じて悪いようにしないわ。貴方の自由を奪いはするけれど、戦争が終わったら記憶を書き換えて無事に家に帰してあげる。私に敵対しない限り安全は保障するわ。私の真名に賭けて契約してあげる。だから諦めなさい」
 なぜこんなところで意地を張っているのだろうか。
 くだらない意地だ。しかし残念ながら譲ることができない。キャスターは悪人ぶっているが善人だ。しかし魔術師としてだ。人を襲うことに罪悪感はない。あくまで殺さないだけだ。そして無駄に人を殺さないというだけで、もしも理由があったとしたら、それしか方法がないとなったら殺すだろう。だから、戦ってやめさせねばならない。
「このっ! 大莫迦っ」
 そして大量の魔力弾が撃ち込まれ、視界が白濁し――
「キャスターの言うとおりです。貴方は本当に愚かだ。大莫迦だっ!!」
 無数の光弾の前には、召喚した少女。セイバーがいた。












[5049] Fate/zero×spear of beast 30
Name: 神速戦法◆0a203bcd ID:25ae1f0c
Date: 2020/09/16 17:32
 アインツベルンの森は、それ自体が要塞であり、外敵を阻む仕掛けがなされている。
 悪霊こそ放っていないものの、人払の結界にはじまり、幻視、混乱、その他幾重にも張り巡らされた外部からの備えは、魔術師の工房としては水準以上を誇っている。
 春の時期には、山菜を求めて迷い込んでしまった市民が、遭難してしまい幾多の偶然の後、城まで来てしまった例は、何度かある。
“冬木の森の奥には城がある”アインツベルンの関係者は知る由もないが、そんなうわさがアウトドア関係者には、四方山話、都市伝説の類としてひそやかに伝わっていたりする。
 しかし、季節は冬である。そんなうら寂しい森の奥にわざわざ侵入してくるやつはまずいない。
 聖杯戦争の関係者を除いては、である。
 アイリスフィールの遠見の水晶玉で、森の結界に引っかかったのは、まず、キャスターとそのマスターである。キャスターが、セイバーをジャンヌ・ダルクと勘違いしてストーカー化していると聞いた際、切嗣は一つのプランを速攻で立てた。
 すなわち、キャスターが籠城せずに外に出てくるなら、セイバーを囮にしてがら空きのマスターを暗殺する。これに尽きる。網を張って待てば良い。それが最適解だ。
 しかし、気がかりなことが一つ。幼児をざっと100人は連れて入ってきたのだ。
 おぼつかない足取り、精気のない瞳。間違いなくキャスターの魔術下に意識をコントロールされた幼児たち。これは切嗣の合理的な思考にとって異物だった。
 合理主義者が間違いを犯す最大の要因は、「相手も合理的に動くに違いない」という思い込みに尽きる。この時点で切嗣はキャスターの意図を完全に見失っていた。
 まず、考えたのは「人質」である。しかし、無意味である。赤の他人の子供を人質に取られて、魔術師の交渉材料となると考えているのなら、見込みが甘すぎる。いかに正気を失った言動をしているとしても、元はフランスを救った救国の元帥である。そんな間違いはしないであろう。
 次に思い当たったのが、「生贄」である。魔術行使のための生贄ならば、どうか。しかし、100人もの幼児を生贄に使うような魔術が果たして存在するか? ないことはない。しかし、それらは「儀式」的意味合いが強い。とてもそんなことをして戦略的にも戦術的にも意味があるとは思えない。
 さしもの魔術師殺しも、正解が「道楽」であり、そこに意味などないということには気づかなかった。魔術師が正気を失い、研究に快楽を求めるようになった例は切嗣もよく知っている。しかし、最初から快楽を求めるためだけに、なんの言い訳もせずに子供を大量に殺そうとするなど、埒の外だった。
 まさか、「想い人と勘違いしたセイバーの前で、幼児を大量に殺して怒らせたいだけだった」などとは想像だにしなかった。求愛行動として、死体を女性に送りつける狂人の存在は、切嗣のような合理主義者にとっては、知識として存在はしても、それを現実の戦いに結びつけることは困難だった。
--一体何を考えているんだ?
 相手の思考をトレースし、先回りし、悪辣な罠を仕込むのが切嗣のやり方である。しかし、完全な狂人の行動は読みようがない。合理性がまったくないからだ。それが余計に切嗣を焦らせた。
 切嗣は昨夜から一睡もしていない。三十路に徹夜は堪えるのだ。魔術師とはいえ睡眠は必要であるのだが、妻であるアイリが弱音を吐く素振りも見せないので旦那の自分が先に音を上げるわけにはいかないのだ。
 さらに切嗣を困惑させたのは、後を追うように現れたロード・エルメロイと、言峰綺礼の姿である。
 様子から察するに、おそらく同盟を結んでいる。
 これが、もしもキャスター討滅のための当座のものであれば問題はない
 しかし、教会が遠坂陣営に何らかの便宜を図っているのではないかというのは、アサシン生存から察するに容易に想像はつく。加えて時計塔のロードまでがこの密約に加わっていたとなると、事態は深刻だ。アーチャー、アサシン、ランサーの、ほぼ半数の陣営が秘密裏に同盟を結んでいることになる。
 こちらも裏切ることを前提にではあるが、偽りの同盟で手駒を揃え、数の面で対抗せねばならないかもしれない。キャスターは論外としても、ライダーか、バーサーカーを陣営に引き込む必要があるかもしれない。
 思索にふけっているうちに、ロード・エルメロイと言峰綺礼が接敵した。
 エルメロイが、なんか魔術師らしい口上を述べてキャスターを挑発していた。
 ふと思い当たる。
 エルメロイ、言峰綺礼、キャスターとそのマスター。一直線上にいる。
「宝具でマスター三人、サーヴァントもろとも吹っ飛ばせるかもしれない。アイリ、本当にセイバーの宝具は使えないのか?」
 切嗣がなんかひでえことを言い出した。
 アイリは「困ったなあ」と表情を曇らせて、セイバーは憮然とした。
 確かに、この状況ならば、キャスターのマスターに、ロード・エルメロイ、そして言峰綺礼の3人を吹っ飛ばせる。うまく行けばサーヴァントごと吹っ飛ばせる。それは間違いない。しかし、周囲に居る子供が100人犠牲になる。ぶっちゃけありえない。
 普段は玲瓏とした騎士王を苛つかせているのは、邪道極まりない切嗣の提案だけではない。
 切嗣のセイバーに話しかけないルールは聖杯戦争が始まってからも続いていた。
 さっきからずっと思索にふけりながらもセイバーは意図的に無視している。
 イライラが募ってもしかたがないのである。
「あ、あの。切嗣。もうそろそろ、その遊びはやめたほうが良いんじゃないかしら」
 とアイリが何度かとりなしてくれたのだが、余計意固地になってしまった。切嗣は三十路だが、変なところで少年臭い。そういうところがアイリには可愛いと思えるのだが、セイバーから見ればただのパワハラ上司の嫌がらせである。「直接聞けば良いでしょう。いいかげんに良い年した大人なんだから無視するのをやめてください」という至極まっとうな話にしかならない。
 両者の板挟みになり、仕方がないのでアイリが代わりに答える。
「それが、その。ランサーの宝具は思ったよりも強力で、令呪を使っても、ランサーの武器効果が解呪されない限り“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”は使えないみたい」
 切嗣は、ジロッとセイバーの方をにらむ。しかし目を合わせようとしない。
 チッ、というあからさまな舌打ち。
 ぼそっとなんか聞こえた。
「使えないな」
 とか聞こえた。
 間違いなく聞こえた。
 部屋の気温が一気に冷えた。 
 恐る恐るセイバーの顔をアイリは覗いた。
 間違いなく「このクソマスター。後ろからぶった切ってやろうか」
 というヤバめの表情をしている。
 三回ほど深呼吸の音が聞こえる。
 そして、ついにいじめられっ子セイバーがキレた。
「切嗣。いい加減にしてください。子供ですか貴方は。いい年していつまで私を無視するつもりですか。それでも無精髭を生やした子持ち三十路ですかっ! 妻の後ろに隠れずに、はっきりと言いなさいはっきりと!」
 と面と向かって言ってやった。
 怒りに震えながらついに言ってしまったのだ。
 セイバーと切嗣の関係性に、ビキぃっと入った修復しがたいヒビが音がした。
 どう考えても悪いのは切嗣なのだが
 したたかに急所を突かれ、少年のような心が傷ついても、平静を装いながら切嗣は言う。
「とりあえずは出方を見る。言峰綺礼。あいつの出方が気になる」
 本来はセイバーを囮に使ってキャスター、ランサー、それにおそらく隠れているアサシンを引きずり回し、マスターを三人まとめて狙撃なり爆殺なりで始末するのが上策だ。
 しかし、その中に言峰綺礼がいる。あの男はただの難敵ではない。危険な男だ。セイバーを状況に介入させた途端、生存したアサシンを放ち、手薄になったこちらが襲いかかられる可能性は極めて大だ。
 いざというときには舞弥にアイリスフィールを任せて逃走させねばならない。
 この時点で切嗣が最も恐れていたのは、紛れもなく言峰だった。









「何者だ!? 誰の赦しがあって、この私の行く手を阻もうとするか?」
 カメレオンのような瞳を怒りにもやし、キャスターは叫んだ。
 ケイネスと綺礼は、とあわよくば奇襲をかけようとしたのだが、最弱と言われるが、そこは魔術師の英霊。
 隠形を解き、木陰から身を晒す。計画は徒労に終わった……かのように見えた。しかし実際には、綺礼の虎の子であるアサシン、実際に奇襲を仕掛ける本命は、気配を遮断し、霊体化しながらぬかりなくその瞬間を待っていた。
「アーチボルド家、九代目当主、ケイネス・エルメロイである! これより魔術師としての最低限の誇りを捨てて、外道に堕落した貴様らに誅伐を加えるっ!」
 やたらとよく通る声。その声には、紛れもない怒りがあった。嘆きがあった。魔術師としての誇りがあった。
 その声に呼応するように、ランサーが魔力を編み、現界する。
「貴様らの狼藉、天が赦しても、このディルムッドが赦さん!」
 などと正義の怒りに燃えるランサーとその主人の口上を、綺礼はどこか他人事のように聞いていた。自分には、こんな正義の怒りという感情はない。もしもそのように心底怒ることができるのならば、おそらく別の人生を歩んでいたのだろう。
 くるりっとエルメロイが、綺礼に振り向く。
「綺礼くん。君もこの外道どもに誇りある口上を聖堂教会の代行者として投げてやりたまえ。それがこういうときの礼儀ではないかね?」
 などと言ってきた。この男、本当に本質は善人なのだろう。目の前の男が、これからもう少しで裏切る算段とタイミングを図っているとは全く気づいていない。
「代行者には外道共に語る舌などない」とか適当にでまかせを言っておいたら、なんか納得した。そういうことにしておこう。
「この匹夫どもがぁああああああ」
 などとキャスタはーキレていた。一応、挑発としての意味はあったようだ。
 問題はタイミングである。できる限り、子供の死者は一〇人以下に抑えたい。そうでないと隠蔽工作が不可能になる。
「青髭の旦那。こいつらも昨日みたいな敵なの? これからまたやっちゃうの?」
 などと、隣りにいたチャラい男が囃し立てる。
「ええ。昨日は遅れを取りましたが、今日はそうは行きません。聖処女にお目通りをするはずが、こんな匪賊共を相手にするつもりはなかったのですが、降りかかる火の粉は払わなければならぬでしょう。リュウノスケ。良いですか。戦いは数です。それも膨大な数っ!」
 わかっているのだ。問題はタイミングなのだ。キャスターは膨大な数を召喚する召喚士である。子供を大量に連れているのは、その死体と血肉を召喚の触媒にするためだろう。そこまではロード・エルメロイに伝えている。
 肝心要の、「無尽蔵な召喚を行える」「その永久機関的召喚は手にある定開放型宝具の本の成せる業である」ということは、あえて伝えていない。
 最弱のクラスであり、三騎士のランサーならば敵ではない、そう思わせた。侮れぬ厄介な難敵であることはあえて伏せた。
 この奇襲はタイミングが全てである。
 キャスターが海魔を展開する前では早すぎる。
 子供が巻き添えになるようでは遅すぎる。
 ランサーとエルメロイが、怪魔に囲まれつつ、アサシンが子供を救出できる機を見計らう必要がある。
「ねえ。青髭の旦那ぁ。この子たちどうすんの。もうすりつぶしちゃう?」
 と、意識を失っている子供たちをリュウノスケと呼ばれた男が呼び指す。
「いいえ。つまみ食いはいけませんよ。その子らは聖処女のための供物です。この芥虫をすりつぶしたあとで聖処女に捧げるのです。そうでなければ」
「聖処女って、あの金髪の? 俺も会えるの?」
「そのとおりです。貴方の無垢なる信心。きっと聖処女に拝謁する資格があります」
 そのやり取りを聞いて内心綺礼はほくそ笑む。初手から子供を殺されたら、多大な犠牲を覚悟せねばならなかった。この外道は、現時点では、この子供たちを召喚の触媒にするつもりはない。
--これでやりやすくなった。
 そういびつな心が笑う。
 ロード・エルメロイが流体魔術の粋、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)を展開し、ランサーが、右手の長槍「破魔の紅薔薇()」と、左手の短槍「必滅の黄薔薇()」を構える。
 綺礼も合わせて黒鍵を両手に構えた。
「さあ、怯えなさい。性懲りもなく次々と現れる芥虫ども。我が掌の中で、絶望の悲鳴を上げて果てるがいい」
 そのキャスターの言葉とともに、血煙が上がり、障気とともに大量の海魔が召喚される。その瞬間、代行者としてのくぐり抜けた修羅場の経験が、全身を電流のように駆け巡る。
--ここ、まさにこの瞬間。令呪を用いて奇襲をかけるのはこの瞬間。
 七〇を超えるアサシンの投擲による“全方位”奇襲。
 アサシンは、キャスターと並ぶ最弱のクラスだ。八〇にも霊基が分割されたアサシンはとりわけ最弱だろう。気配遮断スキルが特権としてAクラス相当与えられるが、攻撃に転じる瞬間にその特権は失われる。だからこそ、この瞬間しかない。両者が襲いかかろうとするこの瞬間。脱落したとの錯誤、サーヴァントは一体という常識の盲点、令呪による底上げ、他の敵に対する警戒、偽りの同盟、すべての切り札をすべてつぎ込んで組み上げた勝負手。
 賭けは一度きり。
 戦いの高揚感。緊張感が弾け飛び、矢が放たれる。
 令呪で能力を底上げした全方位からの短剣(ダーク)による奇襲だ。
 標的は、海魔、キャスター、龍之介、そして、ランサーにロード・エルメロイも含まれた、子供と言峰以外の全員。
 大量の海魔が大量キャスターを守るべく覆いかぶさり血漿を撒き散らし、魔力へと変換される。ランサーは反射的に主人をかばい、水銀の壁が短剣を弾き飛ばす。
 とっさのこと故に、さしものサーヴァントも、天才と謳われた時計塔の俊才すらも、意識の外からの奇襲に対して防御の姿勢を取り状況の判断を誤った。その瞬間、すべての陣営の注意が子供から離れた。
 賭けに勝った。なにが起きたのか誰も正確に状況を把握できない。
 無限にも感じられる、文字通り一瞬の隙。
 畳み掛けるように追加の令呪を使用する。
--追加の令呪を用いて命ずる。すべてのアサシンは子供を抱えて全力で安全な場所まで退避
 と、命じるが早いか、アサシンたちは七〇以上もの疾風となり、意識を失った子どもたちを、あるものは小脇に、体格の良いものは両脇に抱えて、全力で遁走した。
 綺礼もそれに倣って、黒鍵を最も強力な難敵、この場合はランサーとロード・エルメロイに全力で投げつけて、遁走する。
 脇目もふらずに遁走。脇目もふらずに。
 代行者の健脚で……。
 しかし、心が騒ぐ。いや、そんなこと……。と葛藤がある。一瞬にも満たない逡巡。全力で疾走する体と裏腹に、顔だけは後ろを振り返る。
 黒鍵は、惜しくも月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)に弾かれていた。しかし、そこには阿呆のように目を丸く見開き、口を呆然と開け、唖然としたロード・エルメロイの顔が間違いなくあった。
 未だに自分が謀られた事に気づいておらず、状況をまったく把握できずあっけにとられる善人の顔だ。
 心から湧き上がる謎の衝動。
 涙腺が緩む。
 ××しい。××しくてたまらない。
 振り向いておいてよかった。
 キャスターはランサーが始末してくれる。もしも始末できずに返り討ち似合ったとしてもそれはそれ。改めて他のサーヴァントに任せるとしよう。とりあえず、子供を救出するという大目的は果たした。
 本来ここでアサシンを使い潰すこともあり得た展開だったが、令呪2画で子供たちは取り返せた。首尾は上々と言える。
 しかし一番の収穫は、あのロード・エルメロイの顔を見れたことだった。
 そう思いながらアサシンとともに、綺礼は森の中を疾走した。
 なんだかよくわからない充実感とともに。






 切嗣は一部始終を見ていた。セイバーも観ていた。アイリスフィールも。舞弥も。
 遠見の水晶玉を通して確かに見た。
「危険なやつだ」
 そうつぶやくのが精一杯だった。
 面倒くさい敵を押し付け、自分だけ目的を達成したら即座に逃げる判断力。味方すら巻き添えに奇襲をかける卑劣さ。そして、なにがおかしいのか笑いながら走り去る不可解な精神性。
 見誤っていた。言峰綺礼を、もっと空虚な男だと思っていた。
「あの笑顔……」
「どうしたの? セイバー」
 険しい顔をしているセイバーにアイリが話しかける。
「いえ、知り合いの魔術師にああいう顔で笑う人物がいたものですから……。つい」
「円卓の騎士かしら」
「いいえ、魔術師です。悪戯好きで、善行も為すのですが、よく人を陥れてケタケタと笑っていました。正直面倒くさい人でした。その笑顔によく似ていたので」
 切嗣は、言峰綺礼のことを見誤っていた。空虚に自傷行為を繰り返し、自分のことを無価値だと断じる暗黒の底が見えないクレパス。
 そういう男だと思っていた。
 実際の言峰綺礼は、もっととらえどころがない何者か、だった。
 謎。謎極まりない怪物。
 特に、恐ろしいのは最後。
 ロードエルメロイに黒鍵を投げつけ、全力で遁走する際に見せたあの表情。
 あの笑顔は一体何だったのか。
 切嗣が、いままで戦ったことのない未知の生命体。
 異端の怪物。
 切嗣は、言峰綺礼に対する考えを大幅に修正せねばならない必要性を認めざるを得なかった。
 





感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.076994895935059