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[29843] Fate/Unlimited World―Re 【士郎×鐘(×綾子) 傾向:シリアス】
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2015/02/09 01:01
Fate/Unlimited World-Re

更新履歴:第65投稿

─────Prologue─────

子供の頃に置いてきた夢を思い出した
幼い色の哀しみを細く甘く歌う

何も終わることのない永遠を知っていた
もう誰も語らない二人の物語

約束を残して君は何処へ行く
燈火を残して劫火に消えて行く

ずっと遠くへ歩いていく懐かしい面影
ずっと遠くが君の家 辿り着けはしない

夢のような永遠は閉ざされたままで
傷は深く隠されたままで 消えていく夢の道
君がもう見えない

いつもの場所を抜けて君は帰っていく
振り返り手を振って明日へ去っていく

君を好きになって永遠は終わる
生きていく喜びと痛みが始まる

─────Chapter─────
Chapter.00 Towards Zero
◆ゼロ時間へ

Chapter.01 While the Light Lasts
◆光が消えぬ限り

Chapter.02 Destination Unknown
◆死への旅

Chapter.03 Evil under the Sun
◆白昼の悪魔

Chapter.04 Fresh Blood Shrine
◆鮮血神殿

Chapter.05 Endless Night
◆終わりなき夜に生まれつく

Chapter.06 Nemesis
◆復讐の女神

Chapter.07 Unlimited Blade Works
◆無限の剣製

Chapter.08 Appointment with Death
◆死との約束

Chapter.09 March Au Supplice
◆断頭台への行進

Chapter.10 Fate
◆定められた運命

─────a Preface─────

この作品は「Fate/stay night」の氷室ルートを構想した作品となっております。
文字や言葉使いなどに問題、間違いがある可能性があります。ご指摘してくださった場合、修正することがあります。
それ故に途中で修正が入ることがありますが、ご了承ください。
また、この作品には独自解釈や独自設定などが含まれております。
それを了承し構わない、という方はどうぞお読みください。
少しでも多くの読者様に読んでいただけるよう、日々精進してまいります。

今後とも「Fate/Unlimited World―Re」を宜しくお願い致します。

投稿開始日
 2011年9月20日 夢幻白夜



[29843] ep.00 / 全ての始まり  chapter.00 / Towards Zero
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/01 21:08
chapter.00 / Towards Zero / ゼロ時間へ

ep.00 / 全ての始まり

─────sec.01 / 夏の公園

海で囲まれた島国、日本は例年にない猛暑日を記録していた。
全国で900人を超える熱中症患者が病院に搬送される一方で、日本一暑い街を目指す地域すら存在する。

どうあがいても暑いのだから、いっそのこと売りに使おうという精神である。

ここ冬木市もその猛暑の例外に漏れない。
テレビニュースで記録的な暑さの報道、小まめな水分補給を促す報道が連日の様に続いている。

冬木大橋。

未遠川に掛かるその橋は、『新都』と呼ばれる区域と『深山町』と呼ばれる区域を繋げる重要な役割を担っている。
近代化が進む新都と歴史ある深山町の町並み、異なる趣の明確な線引き場所となっている橋である。

その傍には公園がある。
特筆するほど珍しいものではないが、近所の子供たちが集い遊ぶには不都合もない。

一通りの遊具は揃っており芝生も一部植えられて傍には未遠川が流れているという、とっておきの憩いの場である。
当然そこには子供だけではなく、その母親達も穏やかな一時を過ごす姿が見受けられる。

滑り台で遊ぶ子供、ブランコに座り親に背を押してもらって楽しむ子供、他の子供と一緒になって駆け回る子供達。
その親たちもまたそれぞれの時間を過ごし、交流を楽しんでいた。

夏真っ盛りにも関わらずこれだけ活気づいているのは、通う学校が夏休みの時期だからである。


そんな平和な一時が流れる公園でポツンと一人、ベンチに座っている子供がいる。
年齢は七歳前後だろうか、灰色の長髪が特徴の少女。

公園にいる子供達と遊ぶでもなく、この公園の景色を眺めているでもないらしい。
白いワンピースを着、麦わら帽子を被った少女はただ一人静かにベンチに座っている。

「─────」

と、ここで少女が立ち上がり、木陰へと向かって歩き出した。
炎天下の中、ベンチに座っているのが耐えられなくなったのだろう。

だが長時間座っていたために軽い熱中症になっていた。
足元がフラつき、こけてしまった。

「───いた……、あ」

腕に力を入れて立ち上がろうとした少女に手が差し伸べられた。
─────赤い髪の少年。

「大丈夫? ひーちゃん」

太陽の光の所為で顔はよく見えなかった。
けれどその少女にとっては見間違えなどない姿、聞き間違えなどない声。

「うん、大丈夫だよ。し……」

差し伸べてくれた子の手を取り立ち上がるも、再びフラついて倒れそうになる。
その少女の体を少年が抱きとめた。

「ひーちゃん、無茶しちゃダメ。ほら、あっちに行こう」

少女がこけないようにしっかりと手と肩を掴み木陰へと入る。
暑い夏ではあるが、木陰に入ると若干暑さは和らいだ。

「はい、これ」

そういって渡されたのは一杯のお茶だった。
少年が持ってきていた水筒に入っているお茶。

「ありがとう」

感謝の気持ちを素直に伝えてお茶を飲む。
こくこく、と可愛らしく喉を潤していく。

「大丈夫? お茶、まだ飲む?」

「ううん、もう大丈夫」

そんな少女を見ていると額から汗が流れているのが目についた。
おもむろにポケットに手を入れると、そこからハンカチを取り出して少女の汗を拭いていく。

「─────ありがとう」

少女は少年の顔を見て、向日葵のような笑顔でお礼を述べた。
それを見た少年もまた笑顔で応じていた。

木陰に移動してから少し時間が経った頃に少年が訪ねてきた。

「今日はどこ冒険しよっか」

どうやら公園にある遊具で遊ぶ気は無いらしい。

「どこでもいいよ? 一緒に遊べたら楽しいから」

少女もまた遊具で遊ぼうとは考えていないらしい。
普通の子供ならブランコなり、滑り台なりジャングルジムなりに遊びに行きそうなものである。

「それじゃあ僕の家にくる? 庭に向日葵が咲いたんだ。それ見ながらスイカを食べようよ」

「うん、それじゃ行こう!」

二人は少年の家に向かうため歩き出した。
手を繋いでまるで仲の良い恋人のように。

今日も夏の日差しは暑い。
けれど、二人一緒にいる彼と彼女にとってそれはあまり関係のない話のようだった。



─────sec.02 / 向日葵の咲く家

暑いアスファルトの道を、二人は手を繋いで歩く。

公園を出てから何分経っただろうか、もう公園の姿形も見えなくなっていた。
その代わりに目の前に少年の家が見えてきた。

二人はこの間もいろいろな会話をしていた。
昨日の晩御飯は何だった? 今日は何時に起きた? 今日はいつぐらいに公園に着いた? 

二人は明確に会う時間を決めている。
けれど二人揃って相手よりも早く会う場所へ着こうとするため、予定の時間よりも早く会うことになる。

一緒にいる時間は長くなり、遊ぶ時間も長くなる。

二人にとってそれは幸福の時間。
好きな相手と少しでも長い間、一緒に遊べるという時間。

だから二人は一日の大半を一緒に過ごしている。
二人の両親も旧知の仲なので、互いの家に行っても二人は歓迎されていた。

「ただいまー」

「お帰り。あら、いらっしゃい」

「お邪魔します」

家に入る二人。
少年の要望を聞いた母親が、宛がわれた子供部屋にスイカを持ってくる。

二人はそのスイカを食べながら、綺麗に庭に咲いた向日葵を眺めている。
勿論会話は弾んでいるようだ。

食べ終えたら次は眺めていた向日葵のスケッチ。
大きめの画用紙にそれぞれがそれぞれの向日葵を描いていく。

少年は絵を描くのが得意ではないらしく、悪戦苦闘していた。
一方少女は反対に綺麗にスケッチをしている。
大よそ七歳前後の子供が描いたとは思えないようなスケッチだ。

「ひーちゃん、上手だねー。いいなあ、ひーちゃんみたいに上手くなりたい」

互いのスケッチを見せ合いっこするや否や、少年は描かれたスケッチを絶賛する。

褒められた少女は嬉しそうに顔を緩めた。
好きな相手から褒められることは誰でも嬉しいものである。

しばらくして子供部屋に母親が入ってきた。
覗いてみれば、スケッチを終えた二人は眠ってしまっていた。

それを見た母親が夏用のタオルケット一枚を二人のお腹にかける。
二人の手は繋いだまま、安寝やすい顔で眠っていた。

夕方。
先に目を覚ました少女は隣で寝ている少年の顔を覗き込んだ。

「……ふふ」

薄らと笑い、ほっぺたを指でつつく。
何度かつついている内に少年が目を覚ました。

「おはよう、しろ君」

「ん…、おはよう、ひーちゃん」

寝起きではあったが笑って挨拶。
少女が幸せそうに笑っているのを見て、少年も無意識のうちに幸せそうに笑っていた。

その後部屋でテレビゲームをすることとなった二人。
スケッチの時とは打って変わってこちらは少年の方が上手だった。

「わぁー、負けたぁー」

くやしい、という言葉を言いつつも少女の顔は笑顔だった。

夜。
少女の親が車で少年の家に迎えに来た。

夏でまだ少し明るいとはいえこの時間帯を子供が一人歩いて帰るのは躊躇われたからだろう。
少年の母親が連絡を入れたのだった。

迎えが来たことに少し残念そうな顔をする少女。
しかし家に帰らないわけにもいかないので呼んでいる親に着いていく。

「ひーちゃん」

その背中に声がかかった。
反応して後ろを振り返ったら

「また、明日も遊ぼうね」

そういって笑顔で小さく手を振っている少年がいた。

今日という日は終わる。
けれどそれは同時に明日という日がまたやってくるということ。

明日は何をしよう? そう考えるだけで心は楽しくなっていく。
だから

「うん、明日も遊ぼうね。絶対に約束だよ、しろ君!」

親に手を引かれ車に乗り込み走り去っていく。
それが見えなくなるまで少年はずっと手を振っていた。

そんな我が子の姿を見た母親が話しかける。

「士郎、鐘ちゃんとは本当に仲良しだね。大切な人は大切にしなさい。泣かしちゃダメよ、いい? お母さんとの約束」

そう言って小指を出した。
指切りのつもりだろう。

「うん、わかってる。ひーちゃんを泣かせる悪い奴は僕がやっつけるんだから!」

いかにも歳相応の答えを返しながら小指を出して指切りをする少年。
かわいい答えに小さく笑いながら、母親もまた指切りをしたのだった。



─────sec.03 / 無機質な冬の街

夏とは打って変わり冬木市は一段と冷え込んでいた。
清潔で華美ながら無機質で無個性な新都のオフィス街が、より一層寒さを誇張しているようにも感じる。

当然同じ市内である深山町も寒さは同じ。
だがそんな寒い冬でも元気溌剌な子供達にとってはあまり関係がない。

雪が降ろうものならば、喜んで外に出てはしゃぎ遊びまわっている。
大人は交通機関の乱れや雪かきの手間で頭を抱えてしまうというのに。

所謂“子供は風の子”ということである。

そしてそれはこの二人の子供にも当てはまる。
違う点は少し遠出をして───といっても歩いていける距離だが───様々な冬の景色を見たり、他の子供が見れば頭を傾げるような楽しみ方をしているところか。

少し大人びた感じもするが、ピクニックと称して持参している食べ物を見るとやはり子供だということを思い知らされる。

オフィス街として予定され、着実に建設工事が進められている新都。
時折ある小さな公園はオフィスで働く人たちがたまにやってきて息抜きをする場所として最適である。

二人は歩く。
人気の少ない道から公園を抜けて人通りの多い道へ。

鉄筋と硝子とモルタルの現代建築の建設ラッシュが続く新都。
東京中心部のような都会、というわけではないが、小さな子供だけでいくには少し威圧されてしまう。

しかしこの二人には関係ない。
いつも一緒の二人、様々な場所を開いて回って景色を見てきた二人はこういう道も歩いていたからだ。

歩いている最中に少女が地面の段差に躓いてこけてしまった。
膝を小さく擦りむいた程度だったが、やはり痛いものは痛い。

これじゃいけないと少女に肩を貸すようにして歩いていく。
その距離は手を繋いで歩くときよりもさらに近い。

そうして先ほど通り抜けた公園に戻り、ベンチに座って休憩する。

「大丈夫?」

「ん………、ちょっと痛いけど平気だよ」

怪我をした膝へ目をやると薄らと赤くなっており、血が僅かに滲み出ていた。
残念ながら救急道具は持ち合わせていない。

傷を見ながら二人が会話をしているところに、人が近づいてきた。
それに気が付いた二人が視線をやると、そこには

「あら? 怪我をしてるわね、大丈夫?」

白い女性が立っていた。
白い帽子に白いコート、そして白い長髪に赤い瞳をした女性だ。

「大丈夫………です」

子供でも一目で外国人とわかる姿。
そんな見知らぬ人から突然声をかけられた少女は戸惑い、少年の服を握る。

少年もまたその見知らぬ外国人から守るように少女の前に立った。
二人は「知らない人にはついていっちゃいけない」と親から教え込まれている。

その相手が男性であろうと女性であろうと“見知らぬ人”には変わらない。
ましてやそれが外国人であるならばなおさらで、必然的に警戒心が高くなる。

しかしその声をかけた女性はというと二人の警戒を気に留めた様子もなく、近づいてきたもう一人の外国人に声をかけた。

「ねぇ、セイバー。絆創膏ってあったかしら?」

「は? 絆創膏、ですか。確か鞄の中にあったとは思いますが。アイリスフィール、どこか怪我をされたのですか?」

一言で表すとするならば「白」の女性が、同じく一言で表すならば「黒」の“男性”と会話をしている。
どちらも今まで見たことがない人物。

「いいえ、私じゃないわ。その……灰色の長髪の子。膝に擦り傷があるみたいだから。渡そうかなって」

「………なるほど」

黒の“男性”が少年と少女に視線をやる。
少女の膝には確かに擦り傷があった。

白の女性の意思を確認した黒の“男性”は、鞄の中から絆創膏を取り出して白の女性に手渡した。

「はい。これを膝に貼れば痛いのも直るわ。スカートが汚れることもないから安心して」

手渡された絆創膏。
受け取った少女は一瞬きょとん、とした顔になったが親切にしてくれたのだと理解した。

「あ………ありがとう、ございます」

少し緊張しつつも子供にしてはしっかりとした言葉使いで白の女性にお礼を言った。
手渡された絆創膏を傷口に貼る。

「ありがとう、お姉さん」

そんな光景を見た少年もまた素直に感謝の言葉を述べた。

「どういたしまして。貴方がこの子の騎士ナイトなのかな?」

「な…ない、と? は…はい、そうです………?」

問いかけてきた言葉の意味をイマイチ理解できない少年。
答えこそしたが理解できていない、ということは白の女性もわかったようだ。

「あら、ごめんなさい。ちょっと難しかったかな。けど、見た感じでは間違ってはいなさそうね」

少年の目線と合う様にしゃがみこんでいた白の女性は立ち上がった。

「どうかしましたか? アイリスフィール」

「いいえ。いろんなところを見て回ろうとして少し細い道に入ったけれど、正解だったなって」

「正解……、というのは?」

「ほんの数十分前の私とセイバーを見てるみたい、ってこと」

その言葉にまたもや頭を傾げる黒の“男性”。
当然ベンチに座っていた少女も、その傍に立つ少年も意味を理解することはできない。

「行きましょう、セイバー。まだ見てみたいところは沢山あるんだもの。それじゃあね、エスコート頑張ってね」

手を振って去っていく白の女性と同伴する黒の“男性”。
最後もまた二人にはイマイチ理解できない言葉を残して去って行った。

二人が視界からいなくなるまで茫然とその姿を眺めていた。

「なんだったんだろうね、あのお姉さん」

しかしそんな事を知る由もない少女が答えられる筈もなく

「多分………外国の人だよ」

と、誰がどう見てもわかる答えを答えとして返していた。



夕刻時。
今日は不思議な人と出会ったものだと二人会話しながらいつもの場所で別れる。

別れる時はすごく寂しい。
それが好きな人となら尚更である。

そして加えるとこれから少し、二人は会えなくなる。

「明日から遊びに行くんだよね? ひーちゃん」

「うん。……私はしろ君と一緒に居たいけど……」

「ひーちゃん。お父さんとお母さんが遊びに連れて行ってくれるんだから、ちゃんと楽しまなきゃダメだよ」

俯いて少し暗い顔をしていた少女に笑いかける。

「だから、帰ってきたらどんな事をしたか教えてね、ひーちゃん」

それは。
また帰ってきてから遊ぼうね、という約束。
赤い髪の少年が、灰色の長髪の少女に投げかけた約束。

「うん!お土産も持ってくるから一緒に食べようね、しろ君!」

だから少女も笑う。
屈託のない真っ直ぐな笑顔で。

そうして二人は別れた。
少しだけ会えないけれど、また必ず会って一緒に遊ぶ。

二人はそう心に誓った。



─────sec.04 / そして絶望がやってくる

少女が帰宅できたのは夜も遅い時間だった。
流石にこの時間から外へ出歩くわけにもいかない。

(だから、明日)

そう思って眠りにつく。
また明日からあの少年に会える、その事実で頬を僅かに緩めながら………。

***interlude In***

地響きがする。
どこかの家屋が倒壊した音だろうか。

視界は真っ赤に燃え上がり、あちこちから黒い雲が立ち上る。
走れるだけの体力はすでに無く、走れるだけの気力もない。

─────目が覚めたら家が燃えていた。

父親が部屋に助けに来た。
何が起きたかも理解できないまま、けれどこの状況は明らかにおかしいという認識。

急いでこの家を出ようと、少年の腕を掴もうと近寄った時だった。

地面が揺れた。
子供である少年にはそれだけしか認識できなかった。

近づいてきた父親に突き飛ばされ、その光景を目の当たりにする。
見たこともないような大きな瓦礫が、今さっき自分がいた場所にあった。

一瞬何も考えられなくなって、けれどそこから見えた腕が少年に事実を突きつけた。
下敷きになった人物の名前を叫び助け出そうとするが、腕はぴくりとも動かない。

そしてその行為も母親によって止められた。
自分が今いるこの家から逃げることとなる。

母親と一緒に家の外へ。
そこへ家の完全崩壊が少年へと襲い掛かった。

それが理解できるほど、今の少年は正常ではなく。
結果落下してくる家の一部から母親が身を呈して少年を助け出した。

─────そう。先ほどの父親と同じように。

「お母さん!!!!」

必死に助け出そうとするが、火の手が強く近づくことができない。
それでも助け出そうと泣きじゃくりながらも近づこうとする。

「逃げ……なさい……!」

それを母親は許さなかった。

「ここから遠くへ、逃げなさい!士郎はいつも街を歩いていたんでしょう!? なら、士郎なら逃げ切れる。だから……」

「嫌だ、いやだ!なんで、お母さんが、お母さんも……!なんで、なんで!?」

現状の理解ができない。
子供である少年にとって今まで何も変わらない一日だった筈。

いや、正確には少し外を出歩くのを控えなさい、と注意されてはいたが、大筋として変化はなかった筈だ。
それが夜眠って目を覚ましたら赤く染まっていたのだ。

「士郎!早く……逃げ、なさい。貴方が死んだら……鐘ちゃん、悲しむでしょ。お母さん、言った……よね? 泣かせない、って」

「─────」

ピタリ、と動きが止まった。
母親の言葉を聞いて脳裏に浮かんだのは、あの灰色の髪の少女の姿。

今、この絶望とはまるで無関係の様に笑っている姿が思い浮かぶ。
そして同時に、ある日母親と指切りをして約束した事もこの混乱の中で蘇ってくる。

「お母さんとの……約束、守れない……? 士郎」

「約束は……守る、お母さん」

泣きじゃくりながらも母親の言葉を理解しようとする。
嘘つきにはなるな、なんてどこの家庭でも言われそうな事を思い出しながら。

「なら─────ここから逃げなさい。鐘ちゃんの家は、わかるでしょ……? 少し、遠いけど……士郎なら預かってくれる」

「でも、お母さん、お母さんが……!お父さんも……!!」

火は確実に迫ってきているのに、それでも動こうとしない。

否、動ける筈がない。
目の前で自分の親が死にかけているのに、どうしてそう簡単に動けようか。

この間にもどんどん逃げ道が失われていく。
これ以上脱出が遅れようものなら、少年も家の中で焼け死ぬだろう。

そんな事だけは決してあってはならない。
体の半分は家の燃え盛る瓦礫で潰れてしまっている。

そこで分かる。分かってしまった。
もう、自分にも先はない、と。

だからこそ。
だからこそ。
未来ある自分達夫婦の、たった一人の大切な息子だけでも。

───助かってほしいと、切に願った。

「士郎! 早く行きなさい!!」

涙を溢しながら。
こんな恐怖でいっぱいになる状況下でありながら、それでも母親である自分を助けようと頑張った幼いその勇姿をしっかりと目に焼き付けて。
最愛の夫と、生涯自慢できるであろうその息子との記憶達が走馬灯の様に目の前に現れて。

彼女の視界は赤く染まった。


母親の最期の叱責。
それは少年が今まで聞いたどれよりも強い口調だった。

耐えきれなくなった少年は出口に向かって走り出す。
その間にも火の手が襲い掛かり、母親の場所を包み込んだ。

だが、振り返らない。
振り返るな、走って進めと言われたから。

家を出て見慣れた筈の街を走る。
その街はあまりにも知っている光景からかけ離れていた。

ただひたすらに走り続けた。
涙を流し、恐怖に蝕まれ、熱さで朦朧としながらそれでも約束を守る為に前へと進み続けた。

だがその間にも落下物の障害にあったり、瓦礫に躓いてこけて血が出たりと体はボロボロになっていた。
走れるほどの体力もなくなりただ茫然と歩いている。

それ以上に少年の精神は完全に果てていた。
両親が目の前で死に、街のあちこちに倒れている人がいる。
涙は枯れて、今にも倒れそうな体をほとんど無意識に歩き続かせていた。
 
(ひーちゃ……ん)

それは。
最後の理性が、それでも彼女の家キボウに向かおうと脚を動かしていたのである。
約束を守る為に。
助かりたい為に。
会いたい為に。

ああ、そうだ。
もし無事に会う事が出来たら彼女に抱きつこう。
抱きついて、涙を流して。
今まで耐えてきた分を少しだけ外へと出して。
そして約束を守ろう。
会えたら────

(────────────────────────)

ふと、何かが視界に入ってきた。

瓦礫の下敷きになっている人がいる。もう何度も見た光景。
だが、それは今までのどれとも違う衝撃を与えた。

(─────ぁ)

その下敷きになった人は俯せに倒れている。顔は見えない。
首より下が瓦礫の下敷きになっていてどうなっているかわからない。

年齢は同じくらいだろうか、小さい子供のようだ。
少女らしく、髪が長い。

そして、その髪が黒色のはずなのに灰色に見えた。
見えてしまった。

「─────」

違う、と否定する。
だが見えてしまった。
そして想像してしまった。

─────そもそも

この火災が尋常じゃない事くらい、子供である少年にも理解できる。
じゃあなぜそこで考えなかったのか。
…………この火災が自分だけではなく、彼女にも被害を加えているかもしれないと。

考えたくなかった。
父親も母親も。

目の前で押しつぶされて燃やされて。
死んでいくさまを見て。

彼女だけは。
あの灰色の少女だけは無事であってほしいと願った。

願ったからこそ、考えなかった。
考えそうになる頭を無理矢理切り替えて、考えないようにしていた。

のに。

─────限界だった精神に強大な、これ以上ない負荷がかかった。

「あ」

その時。
少年の言葉が失われた。
手はそこで憤怒を失くし、
足はそこで希望を失くし、
己はそこで自身を失くした。

「あ あああああああ ああ あ  あああ!!!!」

そうして────絶望が少年を支配する。

─────ここに、「しろ君」と呼ばれていた少年は今、呆気なく死を迎えた。


***interlude Out***

地響きで飛び起きた少女の両親が、夜にも関わらず明るくなっていることに気付く。
消防の音が耳触りに聞こえるほどに五月蠅い。
すぐさまベランダに出て、そして即座に理解する。

大火災。

一言で的確に表現するのであれば、何よりもその言葉に尽きた。

だがその大火災は少女の両親が今まで見てきた火災のどれよりも遥かに大きいものだ。
経験したことなど当然なく、二人ともただ固まってその光景を見ていることしかできなかった。

そう。
一人の少女がベランダに出てくるまでは。

「お母さん、どうしたの………」

灰色の長髪の少女がやってくる。
けたたましいサイレンの音が鳴り響いているのだ、目が覚めない方がおかしい。

しかしまだ眠いのだろう。目は完全に開ききってはいなく、擦りながらベランダに出てきた少女。

「………え?」

それもここまで。
次には意識が覚醒する。

ベランダから見た光景は、はたしてこのような真っ赤な光景だっただろうか。
あの少年と一緒に眺めていた光景は、はたして黒煙が立ち上るような世界だっただろうか。

違う、と少女は断言する。

あの少年と一緒に見た光景はこんな赤くはなかった。
あの少年と一緒に眺めた街はこんな世界ではなかった。

そうして気付く。
あの燃えている方角は、いつも少年に会うために向かっている方角だと。

「しろ、君………!」

小さく呟いたその言葉を、両親は聞き逃さなかった。
ベランダを出て玄関へ向かおうと走り出す少女を父親が止める。

「鐘、どこに行くんだ!」

「しろ君が!しろ君が、あの中にいるの!だから、だから行かなきゃ!」

そう叫んだ少女は腕を掴む父親の手を放そうと躍起になる。
だが少女の力では大人、しかも男性の手を引きはがすことはできない。

「はな・・・して、お父さん!離して!」

「鐘!落ち着きなさい!」

「離し………て!」

その瞳には涙が滲み始めていた。
ベランダから見た光景が、脳裏から離れない。

少し視線をベランダへ移せば、真っ赤な空が見える。
あらゆるものを焼き尽くす、この世を焼き尽くす死の劫火。

ああ、大人な両親にとっては確かに大火災ではあるが、この世を焼き尽くす、なんてことはありえない。
せいぜい地獄を見せる『業火』だ。それでも十分な破壊力はあるが。

だが、この少女にとっては違う。
文字通り、言葉通り、この世を焼き尽くしかねない『劫火』なのだ。

一体何を以てしてこの少女はあの火災をそう判断したかはわからない。
大人にしかわからない世界があるように、子供にしかわからない・理解できない世界も確かに存在する。

だからこそ。

「離して、お父さん!!!」

泣きじゃくりながら父親の掴む手を叩きながら、必死に体を動かす。
もはやその声は両親が聞いたことがないほどの叫び声………否、『悲鳴』だった。

「鐘、消防車がやってきて火を消してくれる。士郎君もきっと助かる!だから──」

「やだ、やだやだやだぁー!!」

母親の言葉すらも否定する。
正常な判断などもうそこにない。

自身の内にある、経験したことがないほどの不安と恐怖を一秒でも早く解消しなければ壊れかねない。
──あの火災は、一目見ただけの少女を一瞬で突き落すほどの精神的破壊力を持っていた。

「いい加減にしなさい!!」

だが、それは少女だけに当てはまるものではない。
混乱の度合いこそ少女よりマシではあるが、少女の両親とて少なからず混乱している。

だからなのだろう。
こうやって叫んでしまった。

─────それを、父親は一生後悔することとなる。

父親の叱責に驚いた少女の体がビクッ、と停止した。
その顔は驚きを隠せずに、そして恐怖が滲み出ていた。

その顔を見て、自分の思考がどうなったかを確認する前に父親はすでに次の行動へと移していた。
その行動を後になって想う。
子供相手にすら、大人である自分の行動・思考に自信が持てなかった故なのだろう、と。

「きゃあ!」

父親は無理矢理少女の部屋へと連れて行き、ベッドの上に放り投げた。
小さな体が宙を舞い、ベッドの上に落ちる。

それを確認した父親は部屋の扉を閉め、そして出られない様に扉の前に家具を置いた。
ガチャガチャ、とドアノブを動かす音と、扉を開けようとして家具にぶつかる音が家に響く。

「開けて!出してよ、お父さん!」

ドンドンドン!と、少女の悲痛な懇願の声が両親の心を痛めつける。
だが、決してその扉は開くことはない。

理由は明白だった。

「鐘、お前が行ったところで何もできない。消防に任せるんだ」

「鐘、貴女が心配しなくても士郎君は大丈夫。信じなさい。………きっと、生きていると信じていれば生きているわよ」

………はたして、母親の最後の言葉は愛娘に向けて言った言葉だっただろうか。

消防に任せたところであの大火災を早々に鎮火することはできない。
それにただ願うだけで人が救われるようなファンタジーな世界でもない。

少女の両親はそれを理解している。
だが、現に少女の両親にさえできることはない。故に心のどこかに諦観があったとしても、それをすることしかできなかった。



どれほどの時間が経っただろうか。
どれほどの涙を流しただろうか。

いくらドアを叩いても、子供の力で壊れるほど軟な作りではない以上。
こうしてどうしようもなくベッドに倒れこむ他なかった。

「痛い………」

叩き続けた小さな手はあまりにも叩きすぎた所為か血が滲みだしている。
その手で叩き続けた所為でドアには僅かに、ほんのわずかにだけ血が付着している。

何もできない。
そう分かったから、少女は母親が言った様にただあの赤髪の少年が生きていることを願った。

僅かに赤く滲む手。

ふと、思いだした。
道でこけて、あの少年に支えられて公園まで歩いたことを。

どちらがより痛い状態だったか。
怪我の度合い的には断然道でこけた時だろう。

だが。

「う………ううぅ………」

枕を抱く腕に、力が入る。
あの少年を思い出すと、どうしようもなく悲しくなる。怖くなる。苦しくなる。

─────嘘

少し前の少女なら、絶対にこう言い返していただろう。
あの赤髪の少年との記憶はどれもこれも幸福に満ちていた。

そこに嬉しさを感じることはあっても。
決して、決して。
悲しくなるなんてことはなかった筈なのに。

幼い少女はそこまでの思考は働かない。
だが、働かなくともその心に訪れるもの。
如何とも耐え難い、苦痛だか息苦しさだかわからない、経験したことのないものを味わっている。

体が熱くなる。
心が熱くなる。

それは心地よいものではなく、経験したくない感覚。

─────ああ、なら眠ってしまえ

少女自身がそう思ったかどうかはわからない。
ただ事実として少女の震えは止まり、そして意識は闇へと落ちていった。

恐怖で押し潰されそうな心の中で、それでも彼の少年が生きていることを願って─────



─────sec.05 / 赤い人形

気が付いたら焼野原にいた。

見慣れた筈の街は一面廃墟になっていて、映画で見る戦闘跡のようだった。
建物のほとんどが崩れていて、その中で自分だけが原型を保っているのが不思議なくらい。

この周辺で生きているのは自分だけ。
それはわかった。周りに立っている人が一人もいなかったから。

生き延びたからには生きなくちゃ、と思った。
周りにいた人達のように、黒焦げになるのがイヤだったわけじゃない。

─────きっとああなりたくない、という気持ちより、もっと別の理由で心が括られていたからだろう。

周囲には倒れている人がたくさんいる。
時折吹きつける風は熱波の如く耐え難い苦しさを与え、その耳には呪いじみた低い風切音のようなものが聞こえる。

─────なんで、あそこにいたんだろう

目の前に瓦礫に埋もれた黒髪の女の子。
俯せになって顔こそ見えなかったけれど、生きていないことくらいはわかった。

─────ナンデアソコデ立チ尽ツクシテイタンダロウ

そこで思考を切った。

周囲を見渡してもそこは赤い世界。助かる道理はない。
幼い子供ですら理解できるほど、その場所は地獄だった。

ならば今の思考に意味はない。
遅かれ早かれ周りと同化するのであれば、今の思考は無意味だから。

そうして倒れた。
空を見上げたら今すぐにでも雨が降りそうな灰色の空模様。

─────ああ

その時何を思ったかなど少年にはわからない。

─────雨が降れば、この火事も終わる─────

息もできないくせに口を動かした。
両親が死んだこともわかった。周りにいなかったから。

家がなくなったのも覚えている。
家があった場所も覚えている。

しかしそれだけだった。
そしてもうそれすらも意味がない。

もう何も残っていない。
残っているのはこの地獄のような光景を記録した記憶だけ。

簡単な話。
何もかもを失って、それでいて子供の体が残っている。

要約すれば。

生きる代わりに、心が死んだのだった。



目を覚ましたら、見知らぬ場所にいた。
どうやら病院らしい。

周囲には怪我をした人達がいる。
大怪我をしているようだが、どうやら助かった人達らしい。

そんな場所に数日が経ち、漸く物事が何とか呑み込めるようになった。

ここ数日のことは思い出せるようになった。
けれどそれより前のことはどうも無理だった。

たまに診に来る医者は『大丈夫、少しずつ回復するよ』と、その一言だった。

両親は消えて、体中は包帯だらけ。
状況は分からないけど、独りぼっちになったんだということは分かった。

納得するのも早かった。
周囲にいるのはみんな子供だったから。

これからどうなるのだろう、なんて考えながら漠然と天井を見ていた時に、その人はやってきた。

「こんにちは、君が士郎君だね?」

その人はしわくちゃの背広にボサボサの髪だった。

「率直に訊くけど、孤児院に預けられるのと初めて会ったおじさんに引き取られるのと、どっちがいいかな」

親戚なのか、と問うと赤の他人だよ、と答える人。

ここに倒れている身としたら、どっちに行こうとも同じ。
だったらこの人についていこうと思った。

─────どうせ、何も残っていないのだから

「そうか、よかった。なら早く身支度を済ませよう。新しい家に一日でも早く慣れなくっちゃいけないからね」

そう言ってその人は慌ただしく荷物を纏める。
慣れていないのだろうか、子供から見ても雑だった。

「おっと、言い忘れた事がった。うちに来る前に一つだけ教えなくちゃいけないことがある」

これからどこに行く?なんて気軽な口調で言うその人。

「─────うん、初めに言っておくとね、僕は魔法使いなんだ」



─────sec.06 / 灰色の人形

あの大火災から既に数日が経過していた。

テレビニュースは連日冬木市の大火災が取り上げられている。
『大火災!死者500人超えか!?』『被害家屋は数百世帯!』などといった報道が飛び交っている。

「……………」

その報道を見るたびに少女はテレビのチャンネルを変える。
どれだけ両親がそのニュースを見ていたところで、無言でチャンネルを変えていく。

今の少女にとって必要な情報は死者の数ではない。
ましてや焼け焦げた家の数なんかでもない。

生存者の確認。
それが彼女にとって最大の問題。

ただ機械的に、無言でテレビに向き合う姿。

─────まるで人形みたいだ

なんて、愛娘に対して思ってはいけないことを思ってしまった。
無論、そんなものを見続けたくなど断じて無いので、父親は自分のできる範囲で捜索を開始する。

だが、どこにもあの少年が、あの家族が保護された、救出されたという情報はなかった。
病院・役所・避難所。

火災地一体は軒並みインフラが壊滅しており、それの対応もあってかロクに情報が入ってこない。
だが、それでも駆け回る。

日に日に弱っていく少女。
その顔に笑顔など微塵もない。

あるのは崩れそうになる心の大部分を、それでも『生きている』という細い希望の柱でなんとか支えている姿。

あの少年との仲が良かったことは十分に理解している。
あの少年と一緒にいた時の少女が一番輝いて楽しそうだったということも知っている。

─────その欠片など、微塵もない

その事実が、各所を巡る父親の足をより一層早くしていた。

そして既に数日。
発見が遅れれば遅れるほど生存確率は低くなる。

大人である両親は十分承知していたし、幼い少女も漠然とではあるがそれを理解していた。

一日が過ぎる度に崩れる心の瓦礫は量を増し、それを支える柱はより細くなっていく。
だが、それでも支える。
その姿は、あの赤い少年が助かってほしいという希望と同時に「助けてほしい」という自身の懇願も含まれていた。

あの少年が、少女が好きになった少年が生きていると信じて。どこかに保護されていると信じて。
そうでもしなければ、あの大火災当夜の得体のしれない恐怖によって、今度こそ崩れてしまう。

─────そうして、とうとうその日はやってくることはなかった。

帰宅する父親に駆け寄って少年がいたかと確認する。
いつもの父親ならば『まだ回っていないところがあるからわからない』と言って答えをはぐらかしてくる。

最初は本当にまだ捜索していない場所があった。
次は一度全て回ったが、もう一周するために同じ答えを返した。

それが、いつからだっただろうか。
単純に先延ばしをしているだけのものとなってしまっていたのは。

返事を渋る父親に答えを聞かせてと乞う少女。
嘘を言ったところでこの世界にあの少年はいない以上、ここが限界だった。

「………見つからなかった、鐘」

その瞬間。
少女の足元が崩れ去ったような気がした。

欠けてしまった少女の顔から血の気が引いていく。
全身がひどく冷めていく。

自分の心の支えだった少年がいなくなった。
その事実が少女の体を、脳を、心を蝕んだ。

立っていた足に力が入らなくなり、両膝をついて座り込んだ。
表情は凍ったまま、父親の言葉を理解する。

彼と一緒に遊んだ日々。
彼と一緒に寝た事もあったし、一緒に夕食を食べたこともあった。

お互いがお互いをスケッチしあって。
手を繋いでいろんな場所に行って、いろんな景色を見た。

それがもうやってこない。
あの幸せだった日々はもう戻ってこない。帰ってこない。

大好きだったあの赤い髪の少年はもう、イナイ。

「─────ぁ」

泣いて、泣いて、泣いて。
枯れた筈の涙が頬を伝っていた。

泣いていると気付き、もう帰ってこないと解り、別れなければならないと悟る。
しかし今までの幸せと別れることなど永久にできない。
あの少年といつまでも一緒にいたい。

再生され続ける記憶。
その再生が終わった………あの大火災へと辿り着いたとき。

心を支えていた柱は簡単にへし折れた。
支えていた心の瓦礫は容赦なくその下にいた少女へ落下する。

─────そこから先はもう何もない。

プツン、とまるでテレビの電源を切るように簡単に、そして呆気なく全てが終了した。



─────sec.07 / そうして二人はいなくなった

目を覚めして気が付けば、そこは自室の天井ではなかった。
周囲を見渡すとどうやら病院の個室らしい。

傍には花が入った花瓶があった。
時折吹きこむ風がカーテンを靡かせる。

なぜこんなところにいるのだろう、と少女は考える。
思い出せないことに気が付いて、思い出そうと必死になる。

家にいて、テレビを見ていて、火事があって。

─────ズキリ、と頭が痛む

コンコン、とノックの音と共に人が入ってくる。
両親と医者である。その姿を見て少女は安堵する。

「ねぇ、お母さん、お父さん。なんで私病院にいるの?」

その言葉を聞いた両親は僅かに言葉を詰まらせた。
ショックによる記憶障害だろう、という診断結果を医者から伝えられていた。

実際にこの火災によって記憶を失ってしまった子供はまだ数人いたらしい。
少女は比較的軽微で、実生活には支障はないと判断された。

だがそれで安心してはいけない。

突如として襲ってくる『フラッシュバック』等で再経験してしまう恐れは十二分にあった。
故にPTSD(心的外傷後ストレス障害)やASD(急性ストレス障害)になってしまうこともあり得なくはない。

ならば、事実は言うべきではない。

だから両親は嘘をつく。
一生、墓の下まで持っていく嘘をつく。

たった一人の最愛の愛娘を守るために、優しい嘘をつく。

「体調不良で念のために病院に入院していただけよ、鐘」

「体調不良………? 私、あの火の近くにいたの?」

その言葉を聞いてギクリ、と体を強張らせた。
だが、少女の言っている内容が微妙にずれていることがわかり、答える。

「あ、いや違う。単純に気持ちが悪くなって倒れたということだ、鐘」

「そうなんだ………御免なさい、お父さんお母さん。もう大丈夫だよ」

そういって笑う少女。
その姿を見て両親は思う。

あの本当に幸せそうな自分達の娘の笑顔は、記憶と共に永久に失われたのだと。

彼女の記憶から、あの少年に関する記憶が完全に忘却の彼方へと葬り去られていた。
それは彼女が生きるための、脳の防衛本能なのだろうか。



真実は誰にもわからない。



[29843] ep.01 / それぞれの日常 chapter.01 / While the Light Lasts
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/06 21:37
chapter.01 / While the Light Lasts / 光が消えぬ限り

ep.01 / それぞれの日常

Date:01 / 31 (Thur)

─────sec.01 / とある少女の朝

ピピピピピピピ………

薄暗い一室に目覚ましが鳴る。
音源はあるのはベッドから離れた机の上だ。

どう考えてもベッドから手を伸ばして届く距離ではない。
普通に考えれば目覚ましの配置ミスと思うだろうが、彼女の場合はこれが正解である。

氷室 鐘。

彼女は朝には強くはない。
それにも関わらずこの薄暗い早朝に起きるには理由がある。

彼女の通う学園『穂群原学園』は彼女の家から少し遠い。
それ故にバスによる通学のため、本人がどれほど朝に弱くとも遅くまで寝ている訳にはいかないのが現状である。

さらに加えるならば彼女は陸上部の部員である。
大会も近いということもあり朝練があるため、部活動を行っていない他生徒よりもさらに早く学校へ登校する必要がある。

そんな二重の強制力によってこの時間での起床となる。
つまりちょっとした寝坊をするだけで即遅刻に繋がりかねないような状況である。

しかし朝に強くない彼女はそう簡単に起きることはできない。
そのため目覚ましをわざわざベッドから離れた机の上に置いているというわけである。

止めるためにはベッドから降りる必要があり、そうすれば多少なりとも意識はあるから大丈夫、という魂胆。
………誘惑に負けて止めた後にベッドインするならば話は別だが。

「眠い………」

そう言いながらもベッドから立ち上がり、机の上に置いた目覚ましを止める。

過去に一度ベッドの近くに置いていた時に、鳴り響く目覚ましを止めて二度寝を決めてしまったことがあった。
結果母親に起こされるまで眠り続け、見事に朝練に参加できなかったという過去が。

その教訓も得てのこの目覚まし時計の配置である。

「自分を律するためとはいえ………面倒なことを」

しているな、と呟きながら薄暗い自室の中で愛用している眼鏡手に取る。
視力はお世辞にもいいとは言えないので当然手探り。

冬の家は寒い。
とりわけ暖房をしていない廊下はその代表格だ。
スリッパを履いているからよかったものの、なければつま先で足早に移動していただろう。

当然冷水で顔や髪を整えようとは思わないので温水にして身嗜みを整える。
顔を洗い、髪を櫛で説かす。

髪は長い部類に入るのでそれなりに気をつけている。
もっとも、気を付けていたところでそれ以上の進展などないのだが。

自室に戻り制服へと着替える。
朝食まではまだもう少し時間があるのでそう急いで着替える必要もない。

遅すぎず早すぎず。
そうして着替えはするが、やはり朝食まで時間が余る。

朝食を用意してくれるのはいつも母親で、鐘が起きたことを確認してから用意する。
出来立てを食べてほしい、という親心である。或いは一料理人としての当然の考えか。

彼女の趣味は読書や人間観察、探偵稼業(といっても本当に探偵をしているわけではない)が主である。
読書は推理系が好きで、様々な思考を持ち合わせながら読んでいく。
無論他のジャンルにも手を出そうとはしているが気が付けば冊数はそういう類が多くなっている。

では朝のこの余った時間はそれに費やすのかと問われればそうではない。
一度読書をしてしまい半端なところで中断すると続きが気になって仕方がない。

勿論それでその後の行動に大きな支障をきたす………などあり得ないが、どうせならばキリのいいところまで読み進めたい。
なので読書は時間があるときにゆっくりと読む、これが彼女の方針だ。

彼女が朝、この僅かな時間で思考するのは今朝方見た自分の夢の内容。
夢とは時に小説よりも奇なりで、意味もなく突拍子もない映像を見せてくる。

無論夢である以上、そこまで真剣に考えることはないし特別意味がある、というわけでもない。
が………

「どんな夢を見ていたのだったか。………思い出せないな」

つまりところこれが夢の性質である。
早いものならば朝目が覚めたと同時に内容を忘れ、覚えていたとしても学校で教養に預かればその間に見事に飛ぶ。

「まあ無理に思い出す必要もないだろう。所詮は夢だ」

母親から声がかかり、リビングへと移動する。
椅子に座り、テーブルに用意された朝食を食べる。

「朝食………か」

そういえばと思い出した。

蒔寺 楓と三枝 由紀香。
この二人と鐘とは友人関係にある。

以前この二人と一緒に昼食を食べていたときに、朝食の話題があがった。
食べる食べない、パンご飯、そういった類の話だ。

そこで朝食は必ず食べるという鐘の言葉を受けて質問されたのだ。
なぜ食べるのか、と。

朝食で摂った栄養素が代謝されるのに熱を発生させ、それに伴い体温や脳の温度も僅かに上昇し、脳の活性化へと繋げ『やる気』を起こす。
つまり朝から思考停止状態を招くことなく、通常通りの自分を引き出せる。
加えるならば朝にお世辞にも強いとは言えない自分には朝食は必要なのだ、と説明。

『やる気? そんなもんやる気でカバーするぜぇ!』と蒔の字こと楓が答え、
『あはは、さすが鐘ちゃん。そこまで考えてるんだね』と由紀香が答えた。

「………蒔の問いに答えたのだが、案の定アレには通じなかったな」

朝食を食べ終わり、歯を磨く。
最近購入した電動歯ブラシはこういった時間にあまり猶予がない時は便利でいい。
少し値が張るのが問題だが。

身支度も整えバスに間に合うように家を出る。
といってもバス停までの距離は近いため、バス到着五分前に家を出れば頃合いだ。

冬の寒い空の下で歩いていく。
同じ方向へ歩く人を抜かし抜かされながらバス停に着く。

そこにまだバスは到着していない。
その証拠にバス乗車待ちの列ができていた。
長蛇の列というわけではないため、バス一台で事済む程度だ。

と、ここで同じ制服の女性を見つけたので声をかけた。

「おはよう、美綴嬢」

「お、氷室。おはよ。今日も一段と寒いね、こりゃ」

気さくな口調の彼女は美綴 綾子。
鐘と同じ二年A組のクラスメイトであり、色々曰くのある人物である。

「昨日は夜遅くまで起きていたのではないのか、美綴嬢」

「あー、まあね。氷室がいなくなった後も少しやり続けてたかな」

昨夜は二人でネット対戦型のゲームをプレイングしていた。
意外に見えるかもしれないが、彼女達はゲームがうまい。

綾子にいたっては好きなものが『ゲーム全般』と言うだけあって、様々なジャンルに手を出している。
対する鐘もゲームはうまいのだが、生憎目の前にいる綾子ほどの情熱は持ち合わせていない。

「それで今日もしっかりと起きているのか。羨ましいものだな、私は朝がつらいというのに」

「そこは気合いの違いだよ。ピシッと起きれば問題ないし」

似たような科白を学校での昼食時に聞いたなと思ったがそれは心に留めておく。

バスに乗り込み、学校へ向かう。
車内はまだ時間が早いこともあって人は少ない。

無論道中のバス停に停車はするが、そこから乗ってくる人もそう多くはない。
つまり悠然とバスの座席に座ることができる。

「美綴嬢は今日も朝練か。弓道部はどうなのだ?」

「氷室だって陸上朝練だろ。弓道部、部員は多いけどその分問題児も多いし、巧い奴は一人減ったし。
四月からの新入生獲得の為に少しくらいは見栄えよくしとかないと、ってね」

やれやれ、といった感じで肩をすくめる綾子。
巧い奴、と聞いて誰かという詮索をする一方で

「そうか。気苦労が絶えないのだな、美綴嬢」

「他人事だからって言ってくれるわ。それで、そっちはどうなんだ?」

「近々ある大会に向けて皆気合いを入れて取り組んでいる。私もその大会には出場予定ではあるから、今日もその調整だな」

「感心、感心。もちろんきっちりトップ狙うんだろ、走り高跳びのエースさん? 頑張れよ」

特別悪意ある言葉でもなし、素直に受け止めて礼を言ったところで学校付近のバス停に到着。
そのまま学校へと向かう。

その学校の正門前に見知った顔がいた。
二年A組、遠坂 凛である。

「あれ、遠坂? 今日は一段と早いのね」

鐘の隣にいた綾子が声をかける。
それに反応する凛の姿は

「………はぁ、やっぱりそうきたか」

と、軽い溜息をついていた。
珍しいものを見た、と内心思う。

「おはよ、今日も寒いね」

「ごきげんよう、遠坂嬢」

「おはよう、美綴さん、氷室さん。ところで、つかぬ事を聞くけど、今何時だかわかるかしら?」

「うん? 何時って七時前じゃない。遠坂寝ぼけてる?」

大丈夫? という意味だろうか、ひらひらと手のヒラを振る綾子。

「うちの時計一時間早かったみたい。しかも軒並み。目覚まし時計はおろか、柱時計まできっかり」

「それは何とも珍妙な出来事だな。一体どうしてそうなったのか聞いてみたいものだ」

「ええ、またの機会にね」

全ての時計が一時間早まっていたという事実を知った凛は軽くショックを受けているようである。

「─────と、私はこれで失礼する。ではまた後で、美綴嬢、遠坂嬢」

「あいよ。練習頑張ってな」

「ええ、また後で」

鐘は二人と別れ、部室へと向かった。
僅かに後ろを見れば二人はまだ校門前で話しているようだ。

凛とは同じクラスメイトではあるが、鐘自身とはそう繋がりはない。
そのため特に話し込むような仲ではないのが現在の状態である。

部室へ入り、鞄をロッカーへと入れ更衣室のカーテンを閉めて着替える。
流石にこの時期のこの時間帯は寒いので、冬用の運動着である。
着替え終えてカーテンを開ける。そこに

「おはよー、氷室。今日も頑張ろうぜー」

「鐘ちゃん、おはよう。調子は大丈夫?」

楓と由紀香がいた。

「おはよう、蒔、由紀香。調子は問題ない」

特に調子が悪いわけでもなく、かといって好調というわけでもない。
いたっていつも通りだった。

「それでは、練習へ向かうとしよう」



─────sec.02 / とある少年の朝

暗かった世界に光が射し込む。

「─────っ」

その世界にいた人間は眉間にしわを寄せて目を光から隠す。

「先輩、起きていますか?」

聞き覚えのある声がする。
目をゆっくりと、光が馴染むように開ける。

「………ん。おはよう………桜」

冬の冷気が暗かった世界に入り込んできた。
そこに寝ていた住人、衛宮 士郎はそう言って起き上がる。

「はい。おはようございます、先輩」

冷気もあってか完全に意識が覚醒した士郎は、自分を起こしに来た人物、間桐 桜に挨拶をして立ち上がった。
ぐぐっと背を伸ばしながら目の前にいる少女に視線をやり、そして小さく溜息をついた。

「と、─────今日は桜の勝ちか。………やっぱり、もう仕度済みか?」

「はい。私の勝ちです、先輩。準備も出来ています。いつも先輩は朝早いから、こうして起こすためには頑張らないといけませんね」

桜はそう言って下ろしていた腰を上げる。

早く起きて厨房に立っていた方が勝ち、というルールの競争。
これを提案したのは桜だ。

以前彼女が朝食を作ってくれた際に、士郎が

『朝練もあるのに朝早く起きて朝食を作らせるなんて申し訳ない』

といったところ、紆余曲折を経て

『じゃあどっちが先に朝食を作れるか競争しましょう』

ということになった。
今思えばこれこそ桜の思惑通りだったのだが、それに気付いたときはすでに士郎自身了承してしまった後だった。

一見この提案はこの家に住む士郎の方が有利なのだが、それを申し込んできた桜はそれ以来少し早く衛宮邸に来るようになった。
当然毎日毎日厨房に立たせるのは申し訳ないという士郎もそれに対抗して起床時間を早めようとした結果、現在の状態が築かれている。

「先輩、朝食の準備は任せてここの整頓をした方がいいんじゃないですか? 散らかしっぱなしだと藤村先生に怒られちゃいますよ?」

「─────だな。悪い、桜。片付けて着替えたら居間に向かうよ」

「はい。ゆっくりしてくださって大丈夫ですよ、先輩」

そう言って桜は土蔵から出て行った。
士郎が寝ていたのは寝室ではなく、庭の端に建てられた土蔵。

「さてと、片付けますか」

散らかった周囲の部品を集めだした。
昨夜手直しした目の前にあるストーブを改めて見る。

「完成したところまではよかったけど、そのまま気が抜けて寝ちまったなんて………。修行が足りない証拠か」

次はビデオデッキだな、などと考えながら部品を一か所に集め終えて制服に着替える。
土蔵は彼にとって部屋であり、生活必需品は一通りここに揃ってある。

「さて!今日も一日頑張って精進しよう」

両手で頬を叩いて気合いを入れ、土蔵を出る。
空は文句なしの晴れ模様。

父親が死んでから五年。
魔術を教わって、少しでも父親に近づくために今でも鍛錬は怠っていない。

教わった当初はそれこそ魔術の『魔』すら体現できていなかったが、日々の鍛練により上達はしていた。
五年という歳月を考えると伸びの悪さは否めないが、こればかりは近道などない。

日々鍛錬、ということで日課をこなす為に道場へと向かう。
中に入り、朝の日課となっている運動を行う。

彼は特に武道は習っていない。
剣道を父親に少し教授してもらった程度である。

それでも父親の
『まずは身体を丈夫にしないと』
という言葉に従ってこちらも魔術鍛錬と同様に続けている。

「九十九っ、………百、………と」

規定回数到達。

彼の得意魔術は強化。
日々の鍛練によって自身の身体もある程度ではあるが強化できるようになっていた。

だが身体強化は己の限界を知り、さらにその先があることを理解しなければ効果は低い。
身体の動かし方を知っていなければ強化を施したところで意味がないのだ。

その為にもまずは身体を鍛える、という鍛錬を行っていた。
当初は一体何の意味があったか分からなかったが、『強化』という点から見ればこの鍛錬にも意味があったということだ。

「そろそろ行くか」

時刻は六時十分。
居間に続く障子を開けると、朝起こしにきた桜とはまた別の女性が部屋にいた。

「遅いぞー。お姉さん待ちくたびれちゃったじゃない」

と、自分をお姉さん呼ばわりするこの女性の名は藤村 大河。
士郎は彼女のことを藤ねぇと呼んでいる。

そのまたの名をタイガー。
しかしこの名前で呼ぶと吠えるので取扱いには要注意。

「桜ちゃん、あんまり士郎を甘やかしたらダメよ? そのうち士郎がつけあがっちゃうんだから」

「甘やかすなんて。先輩も疲れていたんですよ」

自分の居間の定位置へ座り、箸へ手を伸ばす。
じとり、と大河を見て一言。

「大体毎朝毎晩食事時を狙ってやってくるなんて、それこそつけあがってるとは言わないのかよ。………いただきます」

「いただきます」

「いただきます。─────私は士郎が立派に育つまで親の代わりになるって切嗣さんに誓ったんだよ? だから毎日様子を見に来る責任が」

「はいはい、様子見るだけなら学校でも会えるよな。桜、そこの醤油とってくれ」

軽く受け流しながら食事を進める。
まともに受け答えをしていたら朝の時間はあっという間に過ぎてしまう。

「はい、先輩。とろろに使うんですか?」

「ああ、とろろには醤油だろ」

桜が醤油を渡し、それをとろろにかけようとする士郎。
だが………

「………くらえ、藤ねぇ」

自分のとろろへは入れずに大河のとろろへ醤油を投下した。

「ぎゃー!!な、何してるのよ、士郎!」

「うるさい。なんで醤油瓶にソースが入ってるんだよ………」

げんなりとしながら醤油瓶を指で軽く左右に振る。
中身がたぷたぷと揺れるが色は同じである。

「ば、ばれた!? なんで!?」

まるで子供の悪戯がばれた時のように狼狽える大きい子供一名。

「なんで、じゃない!台所にいつも立ってる俺を舐めるな!そりゃ、醤油とソースの色は似てるけど注視すればわからなくないだろ!」

以前にも似たような仕打ちを受けて痛い目を見た士郎はそれ以来注意深くなっていた。
ちなみに以前は醤油瓶にポン酢が入っていた。

「くっ………!なるほど、そっちにはそういうアドバンテージがあったというわけね。うっかりしていたわ………」

「感心するな!つうか、今年で二十五のクセに未だに藤ねぇは藤ねぇなんだな!そんなんだからいい相手が─────」

「衛宮君? 何を言おうとしているのかな?」

「………いえ、ナンデモアリマセン」

攻勢だった勢いは一発で殺された。

「ま、いいわ。これからテストの採点もしなくちゃいけないから急がなくてはいけないのだ」

そう言ってズダダダダーと朝食を食べ終える。
ソースの入ったとろろも何事もなく食べおおせた。

「御馳走様、桜ちゃん。朝ごはんおいしかったよ。それじゃ私は行くけど、遅刻したら怒るわよー」

そしてだだだだだーと走り去っていく大河。
その光景を見て士郎は一人呟く。

「あれで学校の教師だっていうんだから、世の中絶対間違っている………」

あはははは、と困ったように笑いながら桜もそれに同意していた。



朝食は桜に作らせてしまったので、せめて食器の片付けはしようと立ち上がる。
桜は当然のように手伝おうとしたが休むように士郎が断った。

『それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます』

そう言って食器の片付けが終わるまでの間、居間のテレビで朝のニュースを見ていた。
そのニュースから最近よく聞く事件がまたも報道されている。

『昨夜のガス漏れ事故により搬送された方々は未だに意識が回復しておらず─────』

そんな物騒な報道が聞こえてきたので、茶碗を洗いながらちらりとテレビへ視線をやる。
昨夜にも見た映像が映っていた。

「またか………。最近新都でガス漏れが妙に多いよな」

「そうですね。私たちも気を付けないといけませんね」

「気を付けるって言ったって、俺か桜が台所に立つ限りガスの元栓を閉め忘れる、なんてことはないけどさ」

「それもそうですね。安心してください、ちゃんと3回は元栓を閉めたかをチェックしてますから」

茶碗を洗い終わり身支度を整える。
勿論ガスの元栓はチェックし、家の戸締りもしっかり確認したうえで鍵をかける。

桜が弓道部の朝練のため、早めに学校へと向かう。

長い堀を抜け、坂を下りれば人気の多い住宅街へと出る。
衛宮邸は街の中心から離れた場所の坂の上にあるので行き道は下りである。

しばらく歩くと交差点へ辿り着く。
ここから隣町へと続く橋や学校、柳洞寺に商店街、別側の住宅地など様々な分岐点となる場所だ。

七時になったばかりで生徒の数もまだ少ない。
ぶらりぶらりと歩きながら学校へ到着する。

「じゃあな、桜。部活、頑張れよ」

そう言って校門で別れるのも日常。
というのに今日の桜は動かない。

「桜? どうした、体の調子でも悪いのか?」

「いえ………そういう事じゃなくて、その、先輩。たまには道場の方には寄っていきませんか?」

「いや、別に弓道場に用はないぞ。それに今日は一成の頼みで生徒会室に行かないとまずい」

「そ、そうですよね。ごめんなさい、余計なことを言ってしまって………」

「余計なことじゃないって。また今度な、桜」

「はい」

そうしてペコリ、とお辞儀する桜。
軽く手を振って

「─────それじゃ、またな」

「はい、また後で」

桜と別れ、校舎へと向かう。
桜もまた弓道場へと向かっていった。



「一成、いるか?」

生徒会室の戸を開けながら声を投げかける。
そんな声と彼の姿を見て、中にいた生徒が反応する。

「いるぞ、衛宮。今日もいつも通りだな」

「実を言うと少し寝坊したんだけど。その分他を急いだからな」

パイプ椅子に座る。
そう決して大きくはない生徒会室を見渡すが、部屋にいるのは士郎と一成の二人だけである。

「にしても、一成だけか。他の連中はどうしたんだ? この時間なら登校してるもんじゃないのか?」

「いや、生憎とうちのメンバーはビジネスライクでね。働く時間帯はきっちり決まっていて、早出と残業はしたくないそうだ」

「それで生徒会長自ら雑用か。ここはここで大変だな、一成」

少し熱めのお茶をすする男の名は柳洞 一成。
彼は士郎と同じクラスメイトで優雅な顔立ちをしており、生徒会長でもある。
女子からの人気も高いのだが、本人は色恋沙汰には興味がないらしい。

「それで、今日は何をするんだ?」

「ん? ああ、とりあえず茶を出そう。まだ時間に猶予はある。茶を飲みながら説明することにする」

出された少し熱めの茶を飲みながら説明を受ける。
その内容を士郎は承諾し、二人で生徒会室を出た。

向かった先はとある教室。
暖房器具が怪しいので診断してくれとのこと。

他にも患者は多いらしく、美術室や視聴覚室といった校内に留まらず部室にある校内用のスピーカーなどの患者もいた。
一成曰く、直せるものならば直していきたいとのこと。
士郎もその意見には賛同なのでこうして校内の患者巡りをしている。

士郎は魔術使い。
特に物の構造を把握することには長けていた。
自分の身体能力を強化できる程度のレベルではあったので、物の構造把握は容易い作業だ。

だが行使しているところを見られるわけにもいかないので、集中するという理由で一成には席を外してもらう。
長時間魔術を行使するわけでもなく、大それた魔術をするわけでもないが、一応念のためである。

作業自体は対象物に触れて構造を理解しているだけの簡単な作業だ。

「終わったぞ、一成。次はどこだ? 視聴覚室か?」

廊下に出たところで一成に声をかける士郎。
と、そこにもう一人知っている顔がいた。

遠坂 凛。
美人で成績優秀、運動神経も抜群で欠点知らず。
正確は理知的で礼儀正しく、美人だということを鼻にかけない、まさに男の理想みたいな人間である。

「なんだ、一成。遠坂と話をしてたのか。悪い、邪魔したな」

「いや、特別問題はない。そうだな、次は視聴覚室だ。………にしても、衛宮。ここ数か月は特に作業速度が上がってきたな。おかげでこちらは大助かりだ」

「そう言ってもらえるとやってる甲斐もあるかな。ま、さっさと行こう。まだ他にも患者はいるんだろ?」

「うむ、少しでも予算を文化系に回したいからな。余計な金はかけられん」

そう言って一成は歩いていく。
しかしまるっきり無視するのもあれなので一応率直な意見を述べる。

「おはよう、遠坂。朝は早いんだな」



─────sec.03 / とある二人の朝

陸上部の部室に来ていた。
備え付けのスピーカーの調子がおかしいらしい。

脚立の上に乗り、スピーカーを修理している。
構造の把握自体は既に済ませているので、一成も何かあった時のため下で待機していた。

時刻はホームルーム開始10分前。
そろそろ陸上の朝練が終わり、戻ってくる時間だ。

「どうだ、終わりそうか、衛宮」

「ああ、もう少しで終わる。朝のホームルームには間に合うよ」

そう伝えてスピーカーの修理を続けている。
そこへ陸上部の面々が帰ってきた。

「あれ、柳洞に衛宮か。何してんだ?」

所謂『陸上三人組』と言われる楓、由紀香、鐘の三人だった。

「見ての通りだ。もう直るとのことだからしばらく待て」

「へえ、衛宮が直してるのか。………っていうかさ、衛宮ってスパナがよく似合うよな」

「………それ、褒められているのかバカにされているのかよくわからないんだが?」

よっと、と言って脚立から飛び降りる。
手には工具が。

「終わったのだろうか、衛宮」

「ああ、終わったぞ、氷室。もう大丈夫の筈だけど、チャイムとか放送が流れればわかるだろ。
 悪かったな、俺たちはもう出ていくから。三人ともホームルームに間に合うようにな」

三人にそう伝えて、脚立と工具箱を持って部室を出ていく。
その後を追うように生徒会長も

「では、失礼する」

一言伝えて部室の戸を閉めたのだった。

「衛宮君ってなんでも直せるんだね」

「流石便利屋なことだけあるよなー」

由紀香の言葉に反応するように楓が腕を組みながら答える。
士郎はいろんな場所にちょっかいを出して手伝ったりしており、学園のブラウニーなんて影で呼ばれていたりもする。

「蒔、由紀香。そろそろホームルームだ。着替えて教室に向かわなければ、衛宮の忠告を守れなくなるぞ」

「ん、そうだな。それじゃ着替えて面倒な授業を受けるとしますかー」

更衣室へ向かい、着替える。
その最中放送が流れた。

以前までは聞こえなかったスピーカーからしっかりと放送の内容を聞き取れる。

「………しっかりと直っているようだな」

スピーカーが修繕されたことを確認しながら着替え終える。
運動着などを鞄に入れて三人とも用意が済んだところで校舎へと向かう。

階段を上がり、教室へ向かう三人の目の前に、さきほど陸上部の部室で別れた二人と再び出会う。
士郎の手には持っていた工具箱がなかったあたり、どこかに置いてきてそれの帰り、ということだろう。

「お、どうだった。さっき放送が流れてたけど、ちゃんと聞こえたか?」

「ああ、確認した。あそこが流れずとも外からは聞こえるが、聞き取りにくかったのも事実だ。
他部員の代表として礼を言わせてもらう。それにしても、衛宮はこういう才能に特化しているのだな」

鐘も士郎が様々なものを直している、ということは聞き及んでいる。
それがまさか備え付けのスピーカーとまでなると、感心するものがあった。

「そうか、ならよかった。まあ才能っていうほどのものじゃないけど、褒め言葉として受け取っておくよ、ありがとう氷室」

その言葉を聞いて一瞬驚いた鐘だったが、士郎も隣にいた一成も気付いていなかった。
というより彼女のポーカーフェイスが完璧だったからなのだが。

三人の横を通りすぎ、自身の教室へ入っていく二人。

「………自身に無頓着なのか、無関心なのか。まあ、いい」

ホームルームがもうまもなく。
廊下の先には担任の姿も確認できたため、三人とも教室へと入っていった。



─────sec.04 / とある三人の昼

四時限目が終わり、教室は賑やかな昼休みを迎える。
この学校には食堂や売店もあるので、教室に残るのは三人のように弁当組がほとんどだった。

「ね、ねぇ。遠坂さんも誘っていいかな?」

由紀香が鐘と楓に訪ねる。
特に親しい間柄でもないが、一緒に食事するのを拒むほどの関係でもない。

「私は別に構わないが」

「えー、無駄だって由紀っち。遠坂は来ないよ。弁当持ってきていないんだから」

鐘と楓で異なる答えを出す。

「そ、そんなのはわからないよ」

由紀香は窓際に座っている凛へと近づいていく。
その行動は心なしか固い。
それを見届け、二人が会話する光景を離れた場所から観察する鐘と楓。

「あ、あの、遠坂さんっ………!よ、良かったらお昼ご飯一緒に食べませんか………!」

緊張しているのか? と、思うような口調。
しかし特に気に掛けることもなく、鐘は由紀香と凛のやりとりを眺めている。

「ありがとう三枝さん。けどごめんなさい、今日は学食なんです」

「あ、や、そうなんですか………。ごめんなさい、そうとも知らずに呼び止めてしまって。私、余計なコトしましたね」

「余計なコトだなんて、そんなことありません。今日はたまたまだから気にしないで。また明日、これに懲りずに声をかけてください」

由紀香の、まるでお預けを受けた子犬のようなしゅんとした姿を見た凛は、慌てて言葉を紡ぐ。
にっこりと笑って感謝の意を由紀香に伝えた。

「それじゃ、食堂に行ってきます。三枝さんもごゆっくり」

「はい、遠坂さんも」

凛は教室を出ようと席を立ち、由紀香もまた鐘と楓の元に帰ってきた。
そしてその一部始終を見ていた楓。

「お、フラれたね由紀っち。だから言ったでしょ、遠坂は弁当持ってこないって。釣りたかったらアイツの分もメシ用意しないとねー」

そんなことを言う楓。
そこに当然疑問はある。

「………蒔の字。それは私たちも食堂に移動すればよいだけの話では?」

「だめだめ。食堂は狭いんだから弁当組が座れるスペースなんてねーっての。
 それに遠坂と同席してみなさい。男どもの視線がうざいのなんの。
 前の休みでもさー、二人で遊びに行ったのにアイツだけ得しちゃってさー。
 やだよねー、美人を鼻にかけた優等生は」

由紀香の机を取り囲みつつ、言いたい放題の楓。
しかし三人組の中で一番観察力が高い一名は、その言葉に僅かに反応した人物の顔を見逃さなかった。

「………蒔の字。君の陰口は遠坂嬢に聞こえているようだが」

鐘の言葉を聞いて、陰口を言った本人は驚いた顔をして凛の方を見る。
当然二人の視線は合うわけで。

「あ、やべ。めっちゃ睨んでるじゃんアイツ………!」

睨んでいると言われている凛を由紀香も見るが、彼女から見た凛は至って笑顔だ。
とてもじゃないが睨んでいるようには見えない。

「え………遠坂さん、蒔ちゃんを睨んでなんかいないと思う、けど」

ちなみに鐘には表情での判別はつかない。
生憎と楓のようにそこまでプライベートで接してはいないからである。

「睨んでんだよアレ。あいつは笑っている時が一番怖いんだから」

まあ自分の陰口を言われたというのに、笑顔を返していたら流石に『笑っていない』ということは鐘も理解できる。
時に笑顔は睨みつける顔よりも、人に恐怖を与えるものだ。

─────無論、これは楓の因果応報というモノなのだが。

「なんだよー、いいじゃんか愚痴ぐらい。大目に見ろよー、あたしと遠坂の仲だろー。タイヤキ奢ってやっただろー」

ほっぺたを膨らませて割り箸をブン回す。
それを見た由紀香はどうしたらいいのかと迷い、鐘は特別気にすることもなく会話に耳を傾けている。

「三枝さん、気にしなくてもいいのよ? それと蒔寺さん? 奢らされたのは私で、品物は鯛焼きではなくクレープでした。
 無意識に事実を改竄する悪癖、次あたりに直さないと考えますよ?」

「げ、マジ怖えぇ、あの笑顔」

ササッ、と弁当箱の蓋で視線を遮る。
臭いものには蓋………ならぬ、見たくないものには蓋、である。

どこからどう見てもチグハグな三人に挨拶をして、凛は教室を出た。
それを確認した楓が聞こえるように声を出したのだった。

「ぶー。なんだよー。大差ないじゃんか、タイヤキもクレープもー。どっちも甘いものを皮で包んでいるんだからさー」

………一瞬、鐘の中の時が止まった。
今までの会話をただ聞いていただけだったが、流石の鐘もこの言葉を聞き逃すわけにはいかない。

「………蒔。クレープと鯛焼きを一緒にしてはいけない」

はぁ、と息を吐きながらとりあえず楓に一言。
冷静に突っ込んだのだった。



[29843] ep.02 / それぞれの日常-夜
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/13 02:16
ep.02 / それぞれの日常-夜

─────sec.01 / 夕暮れ時の揺り籠

そうしていつも通りの授業が終了した。
部活動に勤しむ生徒もいれば早足で帰宅する生徒、用もなく教室に残る生徒、そのあり方はさまざま。
士郎はそのどれにも該当しない。

「すまない衛宮、少しだけ構わないか。今朝の続きがあるのだが、今日は時間あるか?」

「いや………予定はあると言えばあるけど」

士郎はアルバイトをしている。
一人暮らしである以上、生活費は稼ぐ必要がある。
そのために弓道部を辞めている。

「悪い、一成。今日はこれからバイトなんだ。結構時間がかかるものなら明日になるんだが」

「む、そうか。いや、大したことはない。衛宮ならそんなに時間はかからんだろう」

「ならいいや。よし、じゃあその問題の患者を教えてくれ」

そう言って声をかけてきた人物、一成を二人で教室を出る。
廊下を歩き、着いたのは実験室。
どうもストーブの調子が悪いらしい。

「っていうか、予算が偏りすぎだろ。なんで劣化したストーブがこんなにもあるんだ?」

美術室に視聴覚室、普通の教室と今日だけで4つめ。
流石の士郎も備品購入・修理の予算が一体どうなっているのかが少し気になってしまう。

「ふむ、運動部の活動の方に予算が行き過ぎているのだ。おかげで文化系はいつも不遇の扱い。
 まったく、どうにかせねばいかんな。─────どうだ。直りそうか?」

「ああ。比較的軽症だし、この程度なら問題なさそうだ。─────と、悪い。集中するから席を外してくれないか?」

「うむ。衛宮の邪魔はせん」

一成が教室から出ていく。
それを確認したら、後はいつも通りに。

「さてと、ちゃっちゃと終わらせますか」



こうして患者の診察を終えた士郎が教室から出てきた。

「終わったか、衛宮」

「ああ、軽い症状だったからすぐだったよ。─────と言ってももう少しで完全下校時間だな。
 俺のバイトもそろそろだし、帰ろうか一成」

「そうだな。まだ患者はいるだろうが衛宮の私生活を犠牲にするほど急用でもない。また明日に頼むとする」

「ああ、そうしてくれ。じゃあ明日も早めに来ればいいんだな」

「うむ、すまないな衛宮。一人で出来るのならば直しておきたいのだが」

「いいって。誰だって得手不得手はあるんだからさ」

校舎を出て薄暗くなりつつあるグラウンドを抜ける。
学校には完全下校時刻が迫ってきているということもあってか、すでに部活動の生徒はほとんどいなかった。

「一成。バイトだからバスに乗っていく。今日はここでお別れだな」

「そうか、確かアルバイトは新都の方だったな。気をつけろよ、最近ガス漏れによる昏睡事件が後を絶たない」

「ああ、気を付ける。一成も早く帰れよ」

校門前で一成と別れた士郎は、駆け足気味に学校付近にあるバス停へと向かった。
バス停には何人か生徒が並んでバスが来るのを待っている。

間に合ったか、と内心思いながら歩く速度を落とす。
結構ぎりぎりまで粘ったので、これで乗れなかったら遅刻してしまう。

「ん?」

ふと、列の最後尾に見覚えのある後ろ姿があった。
その最後尾にいた人物は足音が聞こえたのだろう、後ろを振り向いて視線があった。

「よっ、氷室。今から帰りか」

「………衛宮か。君の家はこちらではない筈だが?」

陸上部の走り高跳びのエースがいた。

「ああ、今からバイトなんだ。新都の方」

「そうだったか。では途中まで同じバスということだな」

士郎と鐘が会話をしている。互いに嫌い、というわけでもないが特別好き、というわけでもない。
趣味趣向が必ずしも合うわけでもない二人だが、ポツリポツリと途切れない程度の会話はしていた。

「そうか。もうすぐ大会があるのか。………なるほど、だから部活で残っている人が多かったのか」

「ああ。皆、記録を残そうと奮闘しているところだ」

「ふぅん………。氷室はどうなんだ? 大会、出るのか?」

「そのつもりだ」

「そっか。頑張れよ、氷室」

そう言って笑いかける。
それを見た彼女は何とも言えない表情で視線を外した。

橋を越えて数分。
バスが停車し、ドアが開き乗り降りする人が動く。
ここで彼は降りてバイト先へ向かう必要がある。

「じゃあな、氷室。楽しかった。また明日な」

話し相手になっていた彼女にそう告げて、彼はバスを降りた。
その後バスが走り去ったのを見て、歩くスピードを速める。

バイトまでの時間はぎりぎりではあるが、早歩き程度の速度でいけば普通に間に合う。
歩きながらここにくるまでの事を考える。

「────ま、笑いこけた、ってわけじゃないけどな。────うん、楽しかったな」

いつもならただバスに乗って目的地がつくまでボーっと景色を眺めているだけ。
バスの中で何かできるわけでもなし、しゃべる相手がいたわけでもなかったので今日は新鮮さが感じられた。




そう言って彼はバスを降りて行ってしまった。

「…………」

返答しようとしたのだが、すでに降りていたので挨拶はできなかった。
バス停から歩いていく彼を視線だけ追いながらバスが離れて行く。

自分の目的地までは後数分の時間がある。
今まで話をしていたので気が付かなかったが、案外ここまでの時間が短く感じられた。

(一人でいるよりはよかった、ということか)

そんな軽い考えで外の流れる景色を眺める。
最後に会話した内容を思い出し、そして彼と同じ意見を出した。

(私も楽しかった、衛宮)

そこに特別な感情はない。
ただ本心から楽しかったと思ったからそう感じただけ。

基本的にバスに乗っている間は何もしない。
美綴嬢がたまに同じバスに乗っていることがあるのでその時は話す。

しかしいつも一緒、というわけではなくむしろ一緒の方が少し珍しい、という程度。

つまり基本的に一人。
加えて異性と二人きりで話こけるという事はなかった。
だから、今日の会話は新鮮さが感じられた。

(まあ、もうこんな事もあるまい)

目的地にバスが到着し、下車する。
後は歩いて数分の場所にあるマンションへ向かえばいい。

冬の夕刻はすでに薄暗い。
最近は物騒にもなってきているので学校の方で完全下校時刻が定められた。

つまり、放課後の部活動が制限されたということを意味し、そのツケが朝練へと回ってきている。
朝起きるのがつらい私にとっては何ともいい迷惑である。

マンションに入りセキュリティ解除のために持ち歩いている鍵を鍵穴に入れ、エントランスへ入る。
広めのエントランスを横目にエレベータへ向かい、自宅がある階のボタンを押す。

一瞬の重力と浮遊感を感じてエレベータを降りる。
当然外の景色が見える訳だが、もうすでに周囲は薄暗くなっている。

夕日の明るさはもう彼方にある。
そんな見慣れた光景を見て、一瞬、スポットライトが当たったように眩暈がした。

─────その時に見えたのは赤い世界だった。
 
たまにある。
ここから十年前の火災を見て、私は泣きじゃくって体調をくずして病院で一夜を過ごした(らしい)。

その時の事はよく覚えていないが病院に運ばれるあたり相当怖い思いをしたのだろう。

だから、この思い出はここでおしまい。
思い出したところで何一つとしていいことはない。

………だと言うのに、思い出す度に何かがチクチクと私の体を刺す。

もちろん、物理的に後ろから針で刺されているわけではない。
その痛みを感じるたびに何とも言えない気分になる。

だが。
それも繰り返せば気にしなくなる。

気にはなるけれど、気にしなくなる。
気にするな、と自分に言い聞かせる。

家のドアのロックを解除して中へ入る。
ドアを閉めたらロックはしなくていい。

このマンションはオートロック形式で鍵を使うのは外から中へ入るときだけ。
唯一内側からかける鍵と言えばチェーンロックだけだろう。

「おかえり、鐘。疲れたでしょ、着替えて居間へきなさい。もう夕食できるわよ」

帰ってきたことを確認して、母親が声をかけてくる。
無論いつまでも制服のままでいるつもりはないので自室へ戻ろうとする。
その前に。

「ただいま、お母さん」

挨拶はしなくてはいけないな。


─────sec.02 / 姉との一時

「お疲れ様でしたー」

そう言って酒屋兼居酒屋であるコペンハーゲンを後にする。

彼のバイトは基本的に短時間ハード。
体を鍛えられてお金を貰えて一石二鳥である。

「う………ん、と。今日も終わり。早く帰らないとなあ」

背を伸ばして気持ちを入れ替えて、そのままバス停へと向かう。
ここから歩いて帰れない距離ではないが、明らかにバスを使った方が早い。

バス停に着き、時刻表を見る。

「っと、まだ十分程度余裕があるか」

時刻を確認した士郎はそのまま傍らに設置されたベンチに座る。

ここにいるのは彼一人だけ。
この時間帯にバスに乗る人はあまりいない。

特にすることもなくボーっとバスがくるまで周囲の人の、車の流れを眺めている。
流石に新都ともなると、この時間帯も人は多い。

といってもほかの都会と比べると少ない部類にはなるだろうが、少なくとも彼が住んでいる町よりはずっと多い。
バスが到着し乗車するが、やはりバスに乗っている人も少ない。

ここでも同じ。
特にすることはなく、バイトで酷使した体をゆっくりと休めている。

これが普通である以上、何も感じることなどない。
ただ今日は行く道中少し新鮮味があったので、その分静かになってはいたが。

目的地のバス停に到着し、下車する。
ここから家までは歩いて十分前後。

道中で人とすれ違うことはない。

この時間帯に加えて最近押し入り強盗による殺人事件が報道されていた。
人通りが無いのも学校の完全下校時刻が十八時なのもこれが原因だろう。

今日のバイトは十八時から二十時半までの二時間半だった。
これがある日は十七時から二十時までの三時間だったり、十八時から二十一時までの三時間だったりとする。
だが、基本は二十時までのバイトを選んでいる。

「………ガス漏れに強盗か。物騒になってきたよな」

毎夜にやってくる桜。
歩いてほどほどの時間がかかるうえ、こうも物騒だと帰り道が心配だ。

安全になるまでは来るのを控えてもらうように言うべきか、なんて思案する。

「………ん?」

ちらり、と坂上に視線をやる。
考えに耽っていたために坂上にいる人物に気が付くのが遅れた。

その相手は士郎がこちらに気が付いたことに気が付いたのだろうか。
ゆっくりと下りてくる。

会話をするわけでもなし。
坂上から降りてきた人物───白い髪の少女───は横を通り過ぎていく。

彼もまた特別気にかけることもなく通り過ぎようとする。
だが互いが通り過ぎようとしたときに、不意に声がかけられた。

「早く呼び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん」

「え?」

そう言って振り返るが、視線の先は何事もなく坂を下る少女の姿があっただけである。

(………? 聞き間違いか)

そう結論を出して、止めた足を再び動かして家へ向かう。
坂を上がりきって、さらに少し歩けば衛宮邸の門が見えてくる。

家の明かりがついているところを見ると、まだ桜と大河は残っているらしい。
この二人は一人暮らしの彼の家に最近ずっとこうして毎朝毎晩夕食を食べにやってくる。

士郎はそれを不快とは思わない。むしろ家族のように接している。
一人暮らしにとってはこの二人の存在はありがたかった。

「ただいまー」

そう言って玄関に入る。
そこには靴があるのは当然だが、数が一つ少なかった。
居間に入ると、彼の姉役の大河の姿だけがあった。

「あれ? 桜はいないのか、藤ねぇ」

「あ、おかえりー士郎。桜ちゃんは夕食の支度だけした後帰ったわよ。今日は用事があるとか」

嬉しそうに話す。
この人にとって食事を作ってくれる人はみないい人なのだろう。
女性としては致命的な感じも否めないが。

「そっか、確かに最近物騒だしな。しばらくはその方がいいかもしれない。桜にも明日伝えておくか」

「え? それじゃ、晩御飯は誰がつくるの?」

きょとんとした顔で聞いてくる姉役兼教師。
その様子を見てため息しかでなかった。

「誰って………俺しかいないだろ。何言ってるんだ、藤ねぇは。俺は藤ねぇに飯作れっていう無理難題を押し付けるつもりはない」

「えー!はんたーい。士郎帰ってくるの遅いじゃない。それから晩御飯作ってたら食べるの十時過ぎになっちゃうよー」

「………あのな、そこに自分の家で食べるっていう選択肢はないのか。アンタは」

「え? ここが私のうちだよ?」

何を言ってるの、と言わんばかりの顔で言う。
なんとなく頭痛がしてきた。

「………藤ねぇ。それはなんだ。余計なモノだったら即廃棄処分だぞ」

頭を押さえた士郎の視界にあるものが入ってくる。
如何にも不要そうなもので、使い道もなさそうなもの。

「これ? えーと、うちで余ったポスターだけど」

はい、といって渡してくる。
どうせ人気のない歌手のポスターや関心も示さない政治家のポスターだろうと思いながら広げて見てみると………

「どれどれ? えーっと、『恋のラブリーレンジャーランド。いいから来てくれ自衛会』────って、これ青年団の団員募集だろ!!」

漫才師の突っ込みのように声をあげる。
想定していたものよりもはるかに下回っていたが故の心からの叫びであった。

士郎の手に握られているポスター。
一体それのどこに興味を持って入団するのか謎である。

「それ、いらないからあげるね」

「うわぁ、そこで普通に渡そうとするその精神が信じられん。俺だっていらねぇよ、こんなの!」

広げたポスターを丸めて大河の頭めがけてポカッと殴ろうと振りかぶった。
しかし彼女は隠し持っていた別のポスターを取り出し、

「甘いっ!」

「うがっ!?」

ガィン! と士郎の頭部を叩きつけたのだった。
大よそポスターとは思えない攻撃音が居間に響く。

「ふっふっふ。士郎の腕で私に当てようなんて甘いわよ。そう、ソフトクリーム並に甘い!悔しかったらもうちょっと腕を磨きなさいね」

よほどきれいに決まったのがうれしかったのか、腰に手を当てて胸を張る大河。
しかし攻撃を受けた本人はそれどころではない。

「~~~~!………そ、そんな問題じゃないだろ。藤ねぇ、そのポスターに何を仕込んだ………!?」

頭に手を当てながら訪ねる。
触れた部分が僅かにコブになってるっぽく、触れると少し痛い。

「え? あ、ごめんごめん。こっちのポスター、初回特典版で豪華鉄板使用だった」

「鉄製かよっ!!藤ねぇ、いつか絶対に人殺すぞ!特に俺!」

渾身の突っ込みをいれるのだったが、しかし殴った当の本人は

「大丈夫よ、士郎は死んでないから。今も生きてるし」

からからと笑っていた。
それを見て大きくため息をつく士郎なのであった。



─────sec.03 / 魔術使いの夜

食事を終え、渋る大河を送り出し、風呂に入る。
今日も特別大きな問題もなく一日が終わる。

しかし士郎には日課としていることがある。
土蔵に籠って魔術の鍛練である。
よっぽど体調が悪い日でない限りはこうして毎晩鍛錬は欠かさない。

「─────」

呼吸を整え、精神を集中する。
今までの大河との喧噪から気持ちを切り替える。

「─────同調、開始トレース・オン

口に出して言う必要のない自己暗示の呪文を唱える。
呪文を唱え発動する魔術も父親から多少なり教授しているが、この呪文は本当にただの自己暗示だ。

『僕はね、魔法使いなんだ』

父親が言った言葉、あれは本当だった。
大よそ理解できない事を士郎の目の前でして見せた父親。

それに憧れた士郎は魔術を教授してもらうようになった。
無論、その当時からいた大河にはばれない様に。

だが魔術師というものはなろうとしてなれるものではない。
生まれ持った才能が必要であるし、知識も相応に必要である。

士郎が教授してもらった当初は無論知識なんて無いし、父親の言う『才能』があるかというのも分からなかった。
教授して何度目かに父親が出した結論は、『とりあえず魔術行使ができるだけの才能はある』ということだった。

何も知らない一般人が、魔術行使が可能な魔術回路サイノウを持ちえることなどありえるのか。
そんな事を抱いた父親だったが、それを調べる気は起きず、そして調べる術もなかった。

簡単に言えば『頑張ればそこそこ行使できる』というレベルの士郎。
その士郎に父親は『強化』の魔術に集中するように伝えた。

それ以来、士郎は強化の魔術を中心に日々の鍛練を続けている。
少しずつだが努力を積み重ねる毎日。

そんな士郎の未来に何を見たかはわからない。
父親は士郎に魔力の制御をするように指示をした。

といっても繊細な制御を指示したわけでも、豪快に魔力を使うように指示したわけでもない。
“極めて父親らしい”指示だった。

曰く─────魔力を隠しなさい

魔術師である以上は魔力を帯びることは避けられない。
だがそれは生粋の魔術師で、何年も魔術に触れる人間のことだ。

魔力自体は一般人も帯びる。
それは自己の魂そのものだ。

それよりも顕著に魔力を帯びた人間がいればそれは魔術師か、もしくは特異体質の人間。
或いは─────人外。

一般人が帯びる程度の魔力にできるのであれば、それに越したことはない。
この地がどのような地で、この地にどのような人物がいるかを理解していた父親からしてみれば、士郎に与えた指示は至極真っ当なものであった。

魔術回路のオン・オフの制御の鍛練。
当初は魔術を行使する度に回路を構成するという無意味なことをしていたが、父親の指導で矯正し習得する。

それ以来は強化の魔術を中心に鍛錬を続けている。
その努力もあってか、自身の身体を多少ではあるが強化できるレベルまでに到達した。

だが強化という魔術はオーソドックスなものであったとしても、それを極めることは困難な魔術に位置づけられる。
加えて自分の限界と、その先を知っていなければ仮に身体に強化を施してもただ『身体能力が少し向上しただけ』でしかない。

更に言うと身体能力が向上したからと言って、体力が増えるということはない。
それどころか、普段の身体能力との差異も相まって体力の消費が激しくなる。

どれだけ取り繕ったところで元は普通の身体である。
動かせば疲労が溜まるのは当然であり、強化による通常時の限界を超えた酷使だというのであればその分の消費が大きいのも当然。

この世にメリットしかない魔術など存在しない。
否、魔術に関係なくこの世の中は等価交換の世界。
メリットがあるということは求められる代償も存在するというのは世の条理である。

これがもう数段上の強化魔術の担い手ならば、あるいは今上げたデメリットを打ち消すだけの施しができるだろう。
だが残念ながら『そこそこ』のレベルである士郎は、今もその境地には辿り着けていなかった。

一方の知識の方はと言うと、士郎はからっきしであった。

それは士郎が一般人だから、というのも挙げられるが父親が教えることもほとんどなかったからだ。
せいぜい『協会』や『教会』の存在を教えたりと、魔術を使う上では避けられないものぐらい。

そんな知識を教える時間よりも、魔術行使の知識を教える時間の方が圧倒的に長かった。

気配遮断、衝撃緩和、認識阻害、強化などなど。
どうやれば魔術が発動し、どのような場面で使えば効率的か。
父親の口から教わった魔術こそ多岐にわたるが、それを士郎が全てマスターできたかと言われれば否と答えるしかない。

元より一般人に毛が生えた程度の才能。
加えて父親自身もこの家を空けることが多く、総じてレベルの高い魔術が教えられることもなかった。

しかし子供だった士郎にとってはそんなものは教わる魔術のレベルなどどうでもよかった。
ただ『父親と同じ魔術が使える』という事実だけで嬉しくなり、それだけ使えれば父親みたになれるのではないか、と思ったからだ。

父親が家にいる間は、合間を見て教えを請い。
父親が留守にしている間は、大河に見つからない様に教わったことを反復練習。

魔術師にはそれぞれ得意とできる魔術分野とそうでないものがある。
そういった意味では士郎が父親から教わった魔術の大部分は自分の肌に合わないものばかりだった。

特に気配遮断やら認識阻害など、自身に行使したところでそれを観測できる父親がいなければ、果たして魔術行使がうまくいったかどうかもわからない。
そういった意味でも強化がまだとっつきやすい分野だったが故に今も鍛錬が続いている、といったところだろうか。

魔術師には魔術回路が必須であり、これがなければ魔術を使うことが原則できない。
中には例外があって使うことができる者もいるらしいが、そのような稀なケースを気にする必要もないと教わった。

そんな話を聞けば当然疑問を抱く。
なぜ自分には魔術を行使できるだけの回路があったのか。

『もしかしたら士郎の家系も、元々は魔術師の家系だったのかもしれないね』

父親に訪ねたら、こんな答えが返ってきた。
もはや本当の父親と母親の顔も思い出せない士郎にとって、火災以前に魔術を習っていたかという記憶などないし、気に留めることもなかった。

─────過去に一度だけ、父親がどんな魔術を使えるのかを聞いたことがあった。
特別な力を使えるという父親に、それがどんなものか気になり聞いてみた士郎は、その内容に驚いた。

固有時制御。
かなり簡潔に説明すると、自分の体内の時間を操作するという魔術。
これを使えば高速移動の類が可能だという。

強化の魔術を鍛錬していた士郎にとって、その言葉には一種の関心があった。
父親に教えてくれと懇願したのだが

『流石にこれは教えられないよ』

と断られてしまった。

『肉親にしか魔術刻印が伝承できないから、士郎には無理だよ』

とのこと。
流石にそれは仕方がないので諦めることになったが。

魔術を習う際、父親は渋々ながらも承諾してくれた。
その時に言った。

『いいかい、魔術を習うということは常識からかけ離れるという事。死ぬときは死に、殺す時は殺す。魔術とは自らを滅ぼす道に他ならない』

その言葉は今でも士郎の記憶に残っている。

『士郎に教えるのは、そういう争いを呼ぶ類のものだ。だから人前では使ってはいけないし、隠せるのなら隠しておく。
 難しいものだから鍛錬を怠ってもいけない。─────けど、それは破っても構わない』

そしてその時の顔も、父親が自分の頭に手を置いて撫でながら言った言葉も覚えている。

『一番大事なのはね、自分の為ではなく他人の為に使うということだ。そうすれば士郎は魔術使いではあっても、魔術師ではなくなるからね』



「─────基本骨子、解明」

少し雑念が入った。
だが今更やり続けた強化が失敗する筈もない。

「─────構成材質、解明」

しかし意識にぶれは許されない。
完了に至るまでの工程を進めていく。

「─────基本骨子、変更」

どんな魔術でも気を抜けば命取り。
それを肝に銘じて魔力を通す。

「─────構成材質、補強」

形が整い、魔力が満ちる。

「─────全行程、完了トレース・オフ

終了を告げる自己暗示と共に、改めて手に持ったものを見つめる。
強化は完了した。しかし

「………はぁ、やっぱりきついな」

強化自体は成功したが、軽く溜息をつく。
完成しているものに強化の手を加えるということは、つまり完成度を貶めるという危険性も含んでいる。

物体の構造以上の魔力を通しすぎれば内部から爆発の如く失敗する。
構造にない部分へ魔力を通せば、予期せぬ破壊が起きてしまう。

傑作の芸術作品に筆を入れて良くしようという行動と同じ。
成功すれば更に良いものへとなるだろうが、筆を入れる場所を間違えればそれに価値はなくなる。

これこそが強化がオーソドックスであっても、極めるのは困難と言われている理由である。
半端な強化では意味はなく、かといってやりすぎた時の失敗は大きい。
難易度は高く、好んで使う人間はそういない。

─────ならば。
いっそのこと、一から作り出してみてはどうだろうか。

「─────投影、開始トレース・オン

発音は同じ。しかし心構えは微妙に違う。
彼が強化を習う前に使えるようになった魔術、投影。

此方の方が、気が楽に使える。
作り出すのは代用品で、完成品に手を加えるわけではないのだから、筆で書き入れて失敗することもない。

しかしそうやってカタチだけ再現した投影品は中身が伴っていなかった。
設計図は完璧にイメージできているのだが、肝心の中身が空っぽの状態。

否。
中身があったものもあった。

それは包丁。
様々な投影を行ってきたが、一度だけ刃物として包丁を投影してみた。

結果はこれまでになかった成功。
その時はなぜ包丁だけ? と頭の中が疑問符でいっぱいになった。

ただ士郎は無類の刃物好きという物騒な人間ではない。
そもそも包丁の数は足りているし、他の刃物なんて必要もなかったので刃物の投影はそれ一回きりだった。

「─────」

投影したものを見て軽く溜息。
案の定中身がからっぽの投影品。

「一成風に言えば『まだまだ修行が足りん!喝!!』ってところか」

苦笑いしながら鍛錬を終えて寝室へと帰って行った。



[29843] ep.03 / 春遠き如月
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/24 21:17
ep.03 / 春遠き如月

Date:02 / 01 (Fri)

─────sec.01 / 武家屋敷の朝

「………ん」

自然と目が覚めた。
僅かにぼやける目で外を見るが、外はまだ薄暗い。
日時は二月一日の午前五時を十五分ほど過ぎたところ。

「寒………」

流石にまだこの時期のこの時間は布団の外は寒い。
しかし朝の冷気に負けじと起き上がり、気合いを入れるために頬を叩く。

どんなに夜更かししても、大抵はこの時間に起きられる。
勿論例外はあるので、絶対にとは言い切れない。
昨日がいい例だろう。

「朝飯………作らないとな」

昨日は桜に朝食を作らせてしまったため、今日こそはと洗面所へと向かう。
男性である士郎は必然的に女性と比べ必要とする時間も短い。
寝癖などはそんなに酷い部類には入らないので、顔を洗い必要最低限の身嗜みを整える。

その後台所へ向かいエプロンをして包丁と秋刀魚を手に取った。
寝る前に炊飯器を六時に出来上がる様にセットしているので、既に機械がご飯の準備を進めている。

家に来るであろう自分含め3人分の秋刀魚に包丁を入れて塩をまぶし、後は焼くだけの状態にする。
味噌汁は玉ねぎと海藻が入ったシンプルなものを用意。
定番のだし巻卵は秋刀魚を焼いている間に用意できるので、今はおいておく。

「とりあえず朝食の準備はこんなところか」

一旦朝食作りを中断する。
時計を見ると五時四十分を過ぎたあたり。

「少し時間あるし、掃除しとくか」

そういって次は屋敷の掃除を始める。
今日もバイトが入っているので帰宅するのは遅い。

当然日中は学校にいるし、家には誰もいなくなるので掃除をするとすればこの時間しかなくなってしまう。
とはいってもこの広い武家屋敷全てを掃除するほど時間に猶予があるわけもなし。
日常的によく使う場所に重きを置いて掃除をする。

ちなみに人の入りが少ない場所は、休日に何時間かけてしっかりと掃除している。
とある部屋は埃だらけ………なんてことはない。

午前六時。
めぼしい部屋を掃除し終えたところで桜が家にやってきた。

「おはようございます、先輩。今朝はもう済ませてしまいましたか?」

「おはよう、桜。朝食はもう準備してる。後は秋刀魚に火を通すのとだし巻を作るだけだ。─────藤ねぇもそろそろ来るだろうから用意しておくか」

「あ、それならお手伝いします。先輩はだし巻卵を用意しちゃってください」

二人で台所に立ち、士郎はだし巻卵を、桜は秋刀魚を焼いていく。
その合間に食器を取り出し、三人分の朝食を用意していく。
その手つきは既に慣れたもので、どこに何があるかというのは分かっているようだ。

「これで全部ですか? 先輩」

「ああ、これで朝食の準備完了」

食卓に朝食を用意したところで、今朝も変わらぬ声が聞こえてきた。

「しろーぅ、おなかへったー!」

毎朝毎晩食事時を狙い澄ましたかの様にやってくる姉役である。
廊下を勢いよく走ってきて、その勢いそのままに襖を開け放つ大河。

「お、朝ごはん出来てるじゃなーい。じゃ、早速食べよう!」

「あのなぁ藤ねぇ。アンタの頭の中には食べることしかないのか。というか廊下を走ってくるな、一応教師だろ」

「それだけお腹が減ってるってこと。いっただっきまーす!」

士郎の問いかけに話半分で答え、食事に手を付ける。
呆れるばかりの士郎だったが、これもまたいつものことなので特に気にすることもない。

「いただきます」

「いただきます」

「むっ!士郎、このだし巻、いいじゃなーい!やっぱり出来立ては美味しいわぁ。お姉ちゃん、これだけで生きていけそう」

「大袈裟だなぁ、藤ねぇは。そんな慌てて食べなくともちゃんと用意してるんだから、落ち着いて食え」

食事をとる三人。
その間も会話はボツリボツリと続く。

「む………。美綴の奴、まだ桜に俺の文句を言ってるのか?」

「はい。美綴先輩は卒業するまでに何としても射でうならせてやるって、毎日頑張ってますよ」

「はぁ。今じゃアイツの方が段位高いだろうに。アレかな、思い出は無敵ってやつかな。
 美化されてるのは悪い気にはならないけど、それも人によりけりっていうか」

「美綴先輩ってすっごく負けず嫌いですから。きっと心の中で先輩をライバルみたいに思ってますよ」

朝食を終え、食器を洗い、出かける支度をする。
大河は例の如く食べ終わって学校へ走り去った。
食事時といいもう少し落ち着きは持てないのか、と内心思ったのだが同時に

『無理だな、藤ねぇだし』

と早々に結論づけた。

戸締りをしっかり確認し、学校へ向かう。
交差点で信号待ちをしている前をパトカーが数台、サイレンを鳴らしながら通り過ぎていく。

「なんでしょう………先輩」

朝から騒がしい。
ここ最近は物騒になってきたこともあり、心配そうな声で尋ねてくる。

「わからん。………あんまり気にするな、桜」

「はい………」

交差点の信号が青になり、横断歩道を渡る。
そこで昨日の事を思い出した。

「そうだ、桜。ここ最近さ、物騒になってきただろ? 特に夜とか。
 だからさ、夜はなるべく外出しないようにしてくれないか?」

「え………? でも─────」

「いや、桜の言いたいことも分かる。けどもし桜が俺の家からの帰り道で誰かに襲われたーなんてことがあった桜に申し訳が立たなくなる」

桜の顔を窺うが、心なしかその表情は曇って見えた。
その表情を払拭するように気軽に話しかける。

「そんな顔するなって。別にもう二度と来るなって言ってるわけじゃない。
 物騒な事件のほとぼりが冷めるまで夜は家に居てくれってことだからさ」

「先輩がそう言うのでしたら………」

渋々了承する桜。
流石にばつが悪いので話題を振る。

「その分朝食は少し豪華にしようかな。桜にもいっぱい食べて貰いたいし」

「そうですね。先輩の作ったご飯はおいしいです」

「ははは、ありがとう。けど、桜だってこの前の味噌汁おいしかったぞ? コツとか掴んだんじゃないのか?」

そう会話をしているうちに学校へ到着する。
さあ学校だ、ということで校門を潜ろうとしたときだった。

「ん………?」

今まで感じなかった筈の違和感が左腕に奔った。
思わず左腕を見るが、特別変わった様子は見られない。

「どうしましたか? 先輩」

「いや、なんでもない。桜、朝練だろ? 頑張ってな」

「はい。それじゃ、行ってきますね」

手を振って桜は弓道場へと向かっていった。
その背中を見送り、昨日一成と約束した仕事を終わらせるため生徒会室へと歩を進めた。



─────sec.02 / 如月の小異

朝日は隔たりなくこの冬木市を照らし出す。
それは武家屋敷も集合住宅も同じである。

昨日と変わりなく朝に起き、母親の用意してくれた朝食を食べ、身支度を済ませてバスに乗る。
鐘のいつも通り変わらない朝の行動。

昨日と違うといえば同じバスに綾子がいなかったことぐらいか。
ただ彼女とはいつも一緒に登校しているわけではなく、そういった約束事も結んでいない。

同じマンションに住んでいるが故に同じになることがある、というだけ。
一緒になったなら一緒になったんだな、くらいの軽いものだった。

学校付近のバス停に到着し、学校へと向かう。
グラウンドに描かれた白線のトラックを横目に陸上部の部室へ。

部室には数名ほど同部員がいた。
近々大会があるというわりには少ないのだが、彼女が学校にやってくるこの時間帯はいつもそうだ。

これがあと十五分もすれば人が増える。
鐘はただ単にその人の多い部室で着替えるのが嫌だったので、少し早めに学校に来て着替えを済ませている。

「おはよう、蒔、由紀香」

「おっ、氷室。おはよー」

「おはよう、鐘ちゃん」

1年の頃から共にいる二人に挨拶。
性格が全く違う三人だが、仲の良さは本物である。

「ん? 由紀香、何かしているのか?」

「うん。皆の健康状態を把握するように、って。ほら、最近練習中に怪我をする人とか調子がすぐれない人とかいっぱい出てるから………」

「学校からの指示か。確かにここ最近は怪我人が増えていることもあるから、その調査といったところか」

無論怪我人を排出しているのは何も陸上部だけではない。
流石に文化系の部活が怪我人を出すことはかなり稀だが、運動系の部活生が怪我をして保健室へ厄介になっているという話は聞く。

「それでね、皆の健康状態を聞いて回ってるの」

由紀香は厳密に言うと陸上部員ではなく、陸上部のマネージャーである。
それゆえに由紀香にこの仕事が与えられた、ということだろう。

「………聞いて回る、か。まあ何もしないよりはいいのだろうが。ああ、私は大丈夫だ由紀香。体に問題はない」

「わかった、鐘ちゃん」

手に持ったクリップボードに書き込んでいく。
健康診断の予定もない以上はこういったことで現状を把握・改善していくほかはない。

「大会も近い。私たちも怪我と体調に注意して取り組むとしようか、蒔の字」

「おうよ!優勝は私のモンだぜ!」

少なくともこの人物には風邪や不調といった類の心配は不要だろう、と鐘の心の中で書き留めておく。

由紀香はこの学校に入学当初、料理同好会に入ろうかと考えていたらしい。
しかしそこに楓の勧誘(と言う名の拉致)にあい、そのまま陸上部のマネージャーとなっている。

当初は戸惑いも多く何をしたらいいのか、と全く分からない様子だった。
だが1年半経った今ではすっかり板についており、今回の部員達の健康調査もその独特の雰囲気を以てしてこなしている。

そして鐘自身も由紀香と同じであった。
彼女は絵を描くのが得意だったため美術部への入部を希望していた。

そこに降りかかる楓の強引な勧誘により陸上部へと入部。
最初は渋々だったものの今では陸上部の走り高跳びのエースと称されるまでになっているあたり、彼女は文武共に稀有な才能の持ち主らしい。

グラウンドに出てそれぞれウォーミングアップを行う。
楓は短距離走の選手なので走り込みがメインであるが、鐘は高跳びの選手なので短距離走の選手ほど走り込みは必要としない。

むしろ少し早めにアップを終えて走り高跳びに必要な機材をセッティングする必要がある。
そう言う点ではグラウンドに白線で描かれた場所をひたすら走りこむ短距離走選手よりも面倒な作業をしなくてはならないが、それを拒んでいては走り高跳びなどできない。

早めにアップを終えた彼女は走り高跳びの準備を行うために、陸上部の機材がしまってある倉庫へ向かう。
ふと、そこにその場所とは無縁な人物がいた。

「─────そこで何をしている? 寺の子」

「む、役所の子か」

陸上部の倉庫前に腕を組んで立っていたのはこの学校の生徒会長、柳洞一成だった。
誰もいないと思っていた場所に意外な人物を見たので、訝しげな表情を作りながら生徒会長の傍へと近づいていく。

「何、ここの倉庫の電灯とスピーカーが天授を全うされていたことは知っておろう? それを直す為に衛宮が中で作業中でな。
 集中を阻害せぬように外で待機しているということだ」

「………天授を全うされているのであれば、流石の衛宮でも直せないと思うのだが?」

「俺から見れば天授を全うされている、というだけの話。衛宮ならばあるいは、と思い頼んでみたが、いや全く頼りになる男だ。
 見事直してみせるとのことだったからな」

「………なるほど。しかし私はこの倉庫の中に用があるのだが、今はまだ入ってはいけないのだろうか?」

「当然。毎度の事だが、修繕をしている間はそれに集中するために人払いをさせるほどの徹底ぶりだ。
 しかしそのおかげで衛宮が修繕したものは再利用が可能になっているのだから、これくらいは大目に見るべきだろう。
 異論は断じて認めん」

毅然とした態度で言う一成。
鐘はその態度と答えを聞いて、改めて彼の仕事の高さは理解したのだが、倉庫に入れないのでは機材を出すことができない。

そう考える一方でその修繕の邪魔をするのも躊躇われた。
最近は電灯が付かなくなって薄暗い倉庫の中で機材の出し入れすることを強いられていた。
それ故に明かりがつくのであればそれはそれで助かることでもあったからだ。

「わかった。では、もう少し時間をおいて来るとしよう」

そういってグラウンドへ戻ろうとした時だった。

「一成、終わったぞ」

倉庫に背を向けた直後に、士郎が倉庫から出てきた。
つまり振り返れば当然視線は合う。

「あ、氷室。おはよう、倉庫に何か用事があるのか?」

「ああ。おはよう、衛宮。少し機材を出そうと思ってここまで来た」

帰る足を返し、倉庫へ近づく。
鐘がその場に行くよりも早く、一成が士郎に話しかけていた。

「衛宮、修繕の方はうまくいったのか?」

「ああ、どっちも問題なく終わったよ。電灯が少し厄介で取り換えるだけじゃ済まなかったから、少し時間がかかっちまった」

「そうか、天授こそ全うしていなかったが重体患者ではあったか。だが、流石だな衛宮。お前が頼りになるときわめてうれしいぞ」

「………一成? お前たまに変な日本語を使うな?」

苦笑している士郎にさも自分のことのように胸を張る一成。
その光景を見ていた鐘は、ふと思い出したように二人に尋ねる。

「衛宮、一ついいだろうか?」

「ん、なんだ?」

「生徒会長である『柳洞 一成』とそこに頻繁に出入りしている『衛宮 士郎』は、実はそっち系の関係がある、という噂が密かに立ち始めている。
 ………これに対して、実際はどうなのだ?」

少し意地悪く訊く。
それは聞いた士郎は残像が見えそうな勢いで右手を左右に振った。

「じょ、冗談じゃない!俺も一成もそういう付き合いはしていない!」

なかなか必死になって反論してくる。
もう一方はというと、

「そっち系とはなんだ?」

と、訊き返してくる始末だった。

「いや、一成。知らないのであれば知らなくていい。そして知っていてもすぐに出てこないのであればそれで全く大丈夫だ」

「? まあ衛宮がそういうのであれば、それでいいだろう」

尋ねた鐘自身もこの噂は単なるデマだと決めていたので、特別気にも掛けなかった。

「すまない、衛宮。かくいう私もデマだとはわかっていた。だが、そういう噂が立ち始める要因があるのも事実。
 火の無い場所に煙は立たない。誤解を招かない程度には周囲にも気を配るのだな」

「まったく、なんでそんな噂が。─────とりあえず、ありがとう。氷室の言うとおり、誤解されないように配慮することにする」

「賢明だ」

話題も終わり。
おしゃべりはこれくらいにして、走り高跳び用の機材を出せなくてはいけない。

「そういえば倉庫に用があるって言ってたよな。何か持ち出すものがあるのか?」

「ん?─────そうだな、走り高跳びの練習をするための、その準備だ」

何事もなく、問われたから答えた鐘。
だがそれを聞いた士郎は一瞬呆気にとられたような表情を作った。

「………なにか、私の答えに分からない点があったか? 私が陸上部員ということは知っているものだと思っていたが」

「え? あ、いや氷室が陸上部員ってことは知ってるぞ。ただ走り高跳びの準備を氷室一人でするのか?」

「? そうだが。今は私一人しかいないのだから当然だろう」

部室の混雑を避けるべく早めに来ているのに、他の部員がやってくるまで走り高跳びの準備をしないという道理はない。
それに走り高跳びの準備は一人では時間がかかるものだが、準備をしているうちに他の高跳びの部員達もやってくる。

これを常習的に行っているため、準備作業が苦であるとは微塵も思っていない。

「………ふむ。明かりは問題なさそうだな。これは助かる」

「ああ、いや。直したのにつかないと困る」

入口付近になったスイッチを入れると、今までつかなかった電灯が倉庫内を照らす。
これで薄暗いせいで煩わしかった作業も捗るだろう。

鐘が倉庫の少し奥に置かれている走り高跳び用の厚めのマットを両手で引きずり出してくる。
その光景を見た士郎は後ろにいた一成に声をかけた。

「悪い、一成。残りの修繕は後でいいか?」

「ん? ああ。別に構わんがこれからどうするのだ、衛宮」

「氷室を手伝う。修繕はそれが終わってからでいいだろ? 終わらなかったら昼にまたやるよ」

一成にそう告げて、鐘が引きずり出そうとしているマットの持ち手を握った。
当然隣にいる鐘は少し慌てるように断りを入れた。

「衛宮、別に無理に手伝う必要はない。君は君で他にやることがあるのだろう?」

「確かにあるけど、今すぐっていう事じゃない。それに一人より二人だ。手伝った方が氷室も楽だろ?」

「─────いや、気持ちはありがたいが。衛宮、これはいつもの事だから別に気に掛ける必要は………」

と、ここまで言って自身の言葉が失言だったということに気付く。
士郎の表情が一瞬むっ、と眉を顰めたからだ。

「いつも一人でやってるのか?………他の奴らは何やってるんだか。─────なら一層手伝う。なんなら明日からも手伝うぞ? 氷室」

流石学園内でも有名なお人好し、と確認する。
しかし部員でもない彼に手伝ってもらうのも如何なものか。

「重ね重ね気持ちはありがたい。だが、部員ではない衛宮の手を煩わせるわけにはいかない。気にしないでくれ」

「部員だからとかは関係ない。実際、今ここにいるのは氷室だけだし。俺は氷室を手伝いたいから手伝うって申し出てるだけだからさ。
 ………あー、でも。氷室が迷惑だ、って言うなら大人しく引き下がるけど………」

「いや………迷惑─────というわけでもないのだが………」

「なら決まり。明日も手伝いに来る。女の子がこれを毎日用意するのは大変だろ? 遠慮なく俺を使ってくれ」

これはもう動きそうにないな、と判断した鐘はそれ以上何をいう事もなかった。

一人でいつも引きずるように出していたマットも二人で持てば引きずる必要もない。
走り高跳び用の機材も比較的軽いものを鐘が持ち、それ以外は士郎が運ぶ。

運ぶ時間が半分で済んだのなら、セッティングする時間もまた半分だ。
そうしてかかった時間は当然ではあるがいつもよりも短い。

「よしっ、終わりっと」

セッティングが完了したのを確認し、士郎が独り言のように言う。
手伝ってもらって助かったのは事実なので、ここは素直に感謝しておこう。

「すまない、衛宮。助かった」

「明日もこの時間には用意するんだろ? なら俺もこの時間帯に倉庫の前にいるから。また明日も手伝うよ、氷室」

どうやら彼の中では既に決定事項になっているらしい。
梃子でも動きそうにないので、彼の申し出を受けることにした。

「終わったか、衛宮」

少し離れたところで走り高跳びの準備を眺めていた一成が話しかけてきた。

「ああ、見ての通り。悪いな、一成。まだ時間はあるから他の修繕箇所へ向かおう」

歩き出そうとする士郎だったが、その行く手に腕を伸ばして動きを止めた。

「まあ待て衛宮。………まったく、人が良いのも考え物だな。衛宮がいてくれると助かるが、衛宮の場合来る者拒まず過ぎるぞ」

「? 別に氷室を拒む理由なんてないだろ?」

そう言いながら後ろにいる鐘を見る。
別に彼女が何か悪いことをしたわけでもないので、当然拒む理由などない。

「たわけ、誰が彼女一人を対象として言った? 彼女は誠意もあるからいい。だがこれでは心ない馬鹿どもがいいように利用するやもしれん。
 断るときはしっかり断ることも必要だぞ、衛宮」

「一成。流石の俺も善悪の判別はできるし、無理な頼みならしっかり断ってる。一成が心配することもないよ」

「しかしな、衛宮のは度が過ぎるというか、このままいくと潰れてしまうというか。─────そうは思わんか、役所の子」

話を振られた鐘は返答に僅かに窮してしまう。
それは唐突に話を振られたから、というよりは一成の話の内容に対してどう答えるべきかでシークタイムが発生してしまったからだ。

「こらこら一成。いきなりそんな話を氷室に振るな。………まあ、一成の忠告は受け取っておくよ。じゃあな、氷室。朝練頑張ってな」

そう言って二人は去って行った。
彼らの後ろ姿が見えなくなり、鐘は一人思考する。

「………私がもう少し衛宮の人間性について知っている間柄であるならば、答えられたのかもしれないが」

生憎と彼女が知っていることは、彼を知る人ならば知っているようなことしか知らない。
その最たる人物がほかならぬ一成ではなかろうか。

その最たる人物が抱く危惧を肯定なり否定なりするには、少なくとも彼よりも士郎について知れる間柄である必要があるのではと考える。
たとえば、恋人関係とか。

「………練習に戻るか」

ふと頭の中に過った思考は放棄し、走り高跳びの練習を始めた。

二月一日。
まだ春の産声は程遠い。



─────sec.03 / 4人と一人

予鈴十分前。
朝練をしていた生徒達はすでに着替えはじめている時間。

一成は2年A組の担任、葛木 宗一郎に呼び出されて職員室へ行っていた。
士郎はその間にも頼まれた備品の修繕を行い完了し、校舎へ向かためグラウンドを歩いていた。

「や、おはよう衛宮」

バッタリと弓道部の主将、綾子と出会った。
その姿はまだ制服ではない。

「何だ、まだ着替えてなかったのか美綴。もうすぐホームルームだぞ。俺なんかに挨拶してる場合じゃないだろ」

「あはははは!いや、ごもっとも。相変わらずつれない野郎だねぇ、衛宮は!」

何が楽しいのか、人目も気にせず豪快に笑う。
その様子を見てぼんやりと

(まあ、精神年齢は実年齢より若干上のお姉さんタイプだよな。いつも思うけど。言ったら怒られるから言わないけど)

そう頭の中で考える士郎だったが、何かを感じ取ったらしい弓道部主将はむっとした表情で話しかけてきた。

「あん? 今アンタ、よからぬ感想を漏らさなかったかもし?」

「そんなものは漏らさない。あくまで客観的な事実を連想しただけだ。それで気を悪くするのは美綴の勝手だが」

「お、言うね。正直に答えるクセに、何をどう考えてたかは口にしないんだもの。慎二と違って隙がないな」

とおかしなことを言う。
当然疑問に思うわけであり

「慎二? なんでそこで慎二が出てくるんだ?」

「何でも何も、友人だろ? 慎二の男友達ってアンタだけ。それにお忘れかもしれませんが、あたしはこれでも弓道部主将なの。
うちの問題児と辞めちまった問題児をくっつけるのは自然な流れだと思わない?」

その言葉を少し考える士郎。
慎二とは士郎との同級生であり、男友達の一人だ。
桜の兄であり、それなりに仲はいいが現在は少し疎遠状態。

「─────ああ、確かに自然な流れだな。弓道部っていうのは関係ないけど、慎二とは腐れ縁だしな」

至って普通に答えたつもりだったが、どうやら気に障ったらしい。
綾子はムッとした顔で士郎につっかかってきた。

「あ、カチンときた。アンタね、弓道部の話になると急に冷たくなるでしょ。
いいご身分よね、慎二をほっぽっといて自分はさっさと退場しちまうんだから」

「………む、慎二の奴、またなんかしたのか?」

「一年365日、あいつが何かしない日なんてないけどさ。それでも昨日のはちょっとやりすぎか。
一年の男子生徒が一人辞めたぐらいだから」

はあ、と深刻そうにため息をつく。
新入生獲得のために日々奮闘しようとしている彼女にとって、間桐 慎二は悩みの種であった。

「なんだよ、部員が辞めたって」

「慎二の奴が八つ当たりしたのよ。初心者の子を矢が的にあたるまで笑い物にしたとか」

「はあ!? お前、そんなバカげたことを見過ごしてたのか!?」

「見過ごすか!けどさ、主将ってのはいろいろと忙しいんだ。いつも道場にいるわけじゃないって、衛宮だって知ってるでしょ」

「………それは、そうだけどさ。にしても慎二のヤツ。必要以上に厳しくなることはあっても、他人を見世物にするような奴じゃないだろうに」

それを聞いた綾子は心底呆れた顔をしてため息をついていた。

「────呆れた、衛宮ってば本当にアレだ」

「む、アレってなんだ。今お前、良からぬ感想を漏らさなかったか?」

「あーら、あたしはあくまで客観的な事実を連想しただけさ。それで気を悪くするのは衛宮の勝手だけどね」

「………っ、この、ついさっき聞いたような返答をしやがって。
────いいよ、それより慎二はどうしたんだよ。なんだってそんな真似を?」

「んー、聞いた話じゃ………」

「遠坂嬢にふられたのだろう、美綴嬢」

不意に背後から声がかけられた。
振り返る士郎に、覗き込む綾子。
そこに鐘と由紀香、楓の三人がいた。

「お、三人ともおはよう。今日も相変わらず一緒だねぇ」

「おはよう、三人とも。朝練はもう終わったんだな」

「おはよう、衛宮君に美綴さん」

「おっす。こんなところで世間話か?」

ストロータイプの水筒を口にくわえながら、楓が二人に問いかける。
彼女達の様子からしてつい先ほど朝練が終わったようだった。

「いや、ちょっと弓道部について話をしてたんだよ。………で、美綴。氷室が言ったことって?」

「いや、その通りだよ。相変わらず耳が早いね、氷室は」

「情報収集は常識ではあるからな。当然だろう」

普段通りの振る舞いで言う。
さすがパーフェクトクールビューティ、と内心感想を言いながら綾子は続ける。

「ともかく、慎二のヤツはそのせいで昨日からずっとその調子。おかげであたしもこんな時間まで道場で目を光らせてたって訳」

ふぅん、と答えながら学園の高嶺の花を思い浮かべる。
……………。

「………そうか。大変だな、美綴。頑張ってくれ」

「はいはい。あ、そろそろ時間がまずいな。じゃあね、衛宮。今度あたしの弓の調子を見に来てよ」

「ああ、また機会があれば行くよ」

そう言って去って行った。
それを見送る四人。

と。
ここで自分の状況を改めて確認する。

「………あ。工具箱持ちっぱなしだ」

「………気が付いていなかったのか、衛宮」

少し呆れ顔で鐘は士郎の格好を見ていた。
制服姿なのは同じだが、持っているものが工具箱という絵面。
しかしそこに違和感を感じないという不思議。

「っと!少し急がないといけないか。じゃあな氷室。そっちも間に合うように教室に行けよ」

士郎も小走りに去って行く。
その背中に向かって声を出す人物が若干一名。

「おいー!私と由紀香は無視かー!」

「間に合うようにいけよー、三人ともー」

「なんだよそれー!」

走り去る彼に文句を言って、その返答が帰ってきたのでさらに文句を言う。
どうやら自分と由紀香が無視されたように感じて腹がたったらしい。

が、当然士郎にその気はない。
由紀香も文句を言った楓も、大して気にはしていなかった。

「蒔、私たちも急がなければ」



─────sec.04 / 日常での出来事

四限目の講義が終わり、穂群原学園は昼食の時間に入る。
授業中の静かな空間から一転して騒がしい空間へ早変わり。

この学校には食堂があり、大抵の生徒はそこで昼食をとる。
他に購買で昼食を購入して教室で食べる、という手段も。

珍しいところでコンビニではなくマウント深山商店街まで走って弁当を買ってくるという強者。
さらに珍しいところでは新都まで行って五限前に帰ってくる、なんて猛者がいるという噂も。

「………もはやそこまでいくと昼食を食べに行っているのか、タイムトライアルをしているのか分からなくなる荒行だな」

「それだけじゃないぜー? 食べに行ったまま学校のコト忘れて、そのまま新都で遊び回る奴もいるって話だ」

「そ、それは流石にまずいんじゃないかなあ………?」

かくいうこの三人は弁当組なので、先ほどのどのパターンにも該当しない。
食堂の騒がしい喧噪に巻き込まれることも、タイムトライアルじみた昼食をとることもない。

「ごちそうさま」

他愛ない話をしながら昼食を食べ終わる。
三人ともあとは五限が始まるまでフリータイムだ。

「そういえば、鐘ちゃん。今朝、深山町こっちで起きた事件のこと、知ってる?」

「事件………いや、わからないな。朝のテレビニュースならば見ているが」

「あー、あれね。流石に今朝方起きた事件がその日の朝のニュースにはならないって」

事件、という言葉を聞き少しだけ気になった。
どうやら由紀香の顔や、楓の言った言葉からしてよい事件ではなさそうだ、と瞬時に判断する。

「それで、その事件というのは? 由紀香」

「うん、二丁目の交差点付近で殺人事件があったって」

「殺人………。交差点、というと柳洞寺へ分岐する交差点で合っているか?」

「そうそう、その交差点。深山町こっちに住む他の奴らにも聞いたんだけどさ、四人家族で子供一人残して両親と姉は殺されたって」

学校の付近で殺人事件。
しかも子供を残し三人が殺されている。

「その犯人と凶器は見つかったのだろうか。そこのところは何か知っているか?」

「あ、………うーん、詳しくは私もわからないかなあ。聞けば、凶器は長物だっていう噂。
 犯人は捕まったっていう話は私も聞いてない」

「長物………? それはナイフや包丁といった類ではない、ということか」

今まで聞いた情報を元に想像してみる。

今朝方発覚したということから、犯行は深夜あたりが妥当か。
その時間帯に押し入ってきた誰か。

不当な暴力。例えるならば交通事故。
一方通行の略奪。

日本刀じみた長物の凶器で、目の前で斬り殺される両親。
訳も分からず次の犠牲になった姉。
その陰で、家族の血に濡れた子供の姿。

「………新都の方では欠陥工事によるガス漏れ事故。此方では殺人事件。学校の門限が早まるのも当然だな」

人は何かを想像するとき、自身が持っている知識や映像を元にしてそのイメージを作り出す。
当然だが鐘は目の前で人が殺されるのを見たこともなければ、日本刀を持った犯罪者に迫られたこともない。

それゆえに想像の内容はドラマや漫画、小説といった産物から来るものだ。
それはあくまでフィクションの内容であり、ノンフィクションではない以上『リアルさ』というものに欠ける。

無論、そんな『リアルさ』を経験しないことこそが最善の生き方ではあるのだが。

「にしても珍しいよな、氷室がこの手の話題を知らないなんて」

「私は警察ではない。今朝発覚した事件だ。テレビや新聞にはならない、と言ったのは蒔の字だろう。
 生中継でもしていない限り、今朝方からそれを把握するには無理がある」

「いや、確かに言ったけどさ。ほら、朝練で他の生徒から聞いたとかさ」

「………今朝は今朝でこちらもいろいろあったからな」

そういって、ふと思う。
今朝、倉庫前にいたあの二人。

あの二人は両方とも深山町こちらの住人だ。
となれば、今の殺人事件については知っていたのではなかろうか。

「─────そもそもあったこと自体を知らなかったから、仮に彼らが知っていたとしても尋ねなかっただろうな」

それこそ士郎や一成が今の話題を鐘に言わなければ知る術はない。
そして唐突にそのような話をする間柄でもない。

「ふっふっふ。けどまあ、なんていうか。博識な氷室が知らないことを、その氷室に教えるっていうのは、なんかこう優越感に浸れるよな」

─────ぴくり、と。思わず眉が動く。
何やら聞き捨てならない科白が聞こえてきた。

「………ほう。ならば蒔。君が知っている他の博識とやらを教えてもらいたい。生憎と私も人の子でね、知る事しか知らない人間だ。
 故に知らない事を知る事は私にとってプラスになる。君が私以上に博識であるならば、是非ともその知識を披露していただきたい」

仕方がないとはいえ、鐘が知らず楓が知っている、というのも彼女の癪に障っていた。

「え、ちょっ………」

「ああ、いや無理にとは言わない。なんなら今度の期末試験で私よりも上位に立ってくれればいい。それで私も納得しよう」

「や、ヤメロー!!私が頭を使う名参謀に敵うわけないだろー!」

「私は君の参謀ではなく、ましてや君は我々の指揮官でもない、蒔」

普通ならばこのような手合いは神経に障って駄目な鐘なのだが、二年来の楓はもはや慣れの世界にいる。
むしろこれが古式ゆかしい実家で振袖を来て折目正しくしている方が、違和感が多くて駄目だ。

「あ、あははは………鐘ちゃんはいっつも上位にいるから。すごいよね」

そんな二人のやり取りを聞いていた由紀香は少し困り顔。

「─────いや、すまない。少し意地が悪かったな」

流石にやり過ぎたかと反省する。
ただし。

「そうだそうだ! ちょっとは反省しろー!」

この人物に対してはそうもなれなさそうだが。




[29843] ep.04 / 平穏なる夜
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/25 08:18
ep.04 / 平穏なる夜

─────sec.01 / コペンハーゲン

学校が終わり、完全下校時刻である十八時に間に合うように下校する。
昨日は道中で同じバスに乗車した士郎と会話をしていたため早く到着する様に感じたが、実際の時間は変わらない。

(まあ、流石に二度目はないか)

今日はどうだろうか、など思っていた鐘だったがバス停には現れなかった。

しかし別に落胆するわけではない。
そもそも一人が普通だったので気にすることもなくバスへと乗車する。

(そういえば、今日は遠坂嬢がいなかったな)

今日一日欠席扱いになっていた人物を思い浮かべる。
最近流行りの体調不良に侵されたか、あるいは別の理由か。

(体調不良を起こすような人物には見えないが)

─────気にしたところで仕方がない事柄ではある。

学校からバスで約二十分。
家の近くではないバス停へ降りる。

帰りにワインを受け取るように母親から頼まれていた。
大きなスーパーマーケットで買うのもいいが、こういう酒場にこそ隠れた逸品がある、というのは言われればわからなくもない。

「それはいいのだが、この工場地帯に臨む僻地とは」

別にそこの店に行きたくないわけではないし、こういう場所だからこそゆったりできるかもしれないというのはある。
しかし単純に店としてやっていけているのだろうか、と思う。

カランカラン、と音と共に扉を開ける。
それに反応した店員が荷物運びをやめてこちらへやってきた。

「はい、いらっしゃいま………」

「………」

その店員を見た瞬間硬直した。
その顔は今朝にも見た顔だったからだ。

「なんだ、氷室じゃないか。どうしたんだ?」

店員は赤い髪をしていた。
そう、衛宮 士郎だった。

「いや。母親の頼みでワインを受け取りに来た。まさか衛宮がここでアルバイトをしているとは思わなかった」

昨日は確かに同じバスに乗り、今日自分が降りたバス停で彼が降りて行ったが、まさかここで働いているとは想像もしなかった。

「そうなのか、氷室のお母さんがワインを。てっきり氷室が一人でお酒を飲むために買いに来たのかと」

「衛宮、私はまだ未成年だ。お酒に興味もないし、飲む気もない」

士郎の言葉にきっぱりと答える。
が、彼は本気で言っていないと容易に分かったので、特に不機嫌になるわけでもない。

「うん、そうだな。未成年はお酒を飲んじゃいけません。………と、氷室の爪の垢を煎じてとある人物に飲ませてやりたい」

「それは………。私は特別意義のある言葉を使ったつもりはないのだが。誰に飲ませたいというのかな、衛宮」

「ああ、いや、とある女性に。まあ最近はそんなこともなくなってきたからいいんだけどさ。
 それとは別で氷室みたいにもう少し落ち着きを持ってほしいな、なんて。あ、一応本人の名誉の為に名前は伏せておく」

士郎の頭の中で約一名の顔が浮かぶ。
が、例え氷室女史の爪の垢を煎じて飲ませたところで変わらなさそうな気がする、と士郎の脳が答えを出す。

「………いや仮に大人しくなったらなったで、こっちが落ち着かないか。
慣れないうちにならそれでもよかったのかもしれないけど、今になって急に変わられたらこっちが調子狂いそうだ」

「一体誰を思い浮かべているかは分からないが、その女性とは付き合いが長いようだな?」

「長いぞー? もう十年来の付き合い。そのくせ十年前からほとんど変わってないんだから、逆に感心するぐらいだ」

士郎の言葉を聞いて思考に浸る。
女性、と聞いて彼に悟られない程度には好奇心が湧いたが、言い方からしてどうも期待した人物ではなさそうだ。

「ふむ………十年来とは。その言い方からしても恋人、という関係ではなさそうだな」

「─────おそらく、そういった類の話はこの冬木市………いや、もしかしたら西日本一縁遠い存在だ。
弟分としては、多少なりとも頭が痛いんだが」

頭を抱えながら軽く溜息をつく士郎。
そんな姿を見て彼は彼なりに苦労しているのだな、と思う鐘であった。

「と、引き留めて悪かった。確かワインの受け取りだったよな。今ちょうど仕入れたお酒を含めて棚卸しをしてたところだから。どんなワインか分かるか?」

「このワインだ。分かるだろうか?」

そう言って手に持ったメモを士郎に渡す。
それを見た士郎は一旦店の奥へと入り、出てきた手にはワインが。

「一応確認してくれ。これで合ってるよな?」

「………私が確認できるとすればせいぜい商品名と値段が一致しているかどうかぐらいなのだが」

「それで十分。何も味見して確かめてくれって言ってるわけじゃないんだからさ」

メモと士郎の手にあるワインの名前を確認する。
そのメモを元にワインを取ってきたのだから、それが違っているということはない。

「よし、じゃあ梱包するからレジまで来てくれないか」

レジにてワインの梱包を行う士郎。
その手つきはそれを初めて見る鐘でもわかるくらいには手馴れていた。

「手馴れたものだな、衛宮。ここでアルバイトをして二年目だろうか?」

単純に高校一年からアルバイトを始めれば今年で二年目。
そう思って特に気にすることもなく士郎に尋ねたのだが………

「いや、二年目じゃないな。今年で………五年目くらいだったか」

さらっと、なんでもないかの様に答えが返ってきた。
当然ではあるが鐘はそれをおかしいと思うわけで。

「………衛宮。私の聞き間違えでなければ、五年目と聞こえたのだが」

「ああ、聞き間違えじゃないぞ。今年で五年目だ」

隠す気が、微塵も見当たらない。
単純に知らないだけなのだろうが、ここまできっぱり言われると反応に困る。

「─────って、なんでこっちを哀れそうに見ているのか、氷室」

「………衛宮に、一つ知識を。君は十六・七歳の高校二年生だろう? その五年前、つまり小学生の高学年から既に働いていた、ということになるのだが」

労働基準法第六章の第56条。
簡単に言えば『小学6年生までの児童は雇用できず、中学1年の誕生日を過ぎ中学3年までの生徒は特別な業種のみだけ許可をもらった場合のみ雇用が可能』という内容。

「………あー。えーっと、その………」

予期していたことではあったが、やはり彼は知らなかったらしい。
彼の言葉や挙動を見てそう判断する鐘。

「………昼食時に蒔にも話したが、私は警察ではない。君を告発するようなことはしないから安心していい。
 ただ、私以外に先ほどの事は言わない事を強く勧める。ここに君がいるあたり、幸い今まで警察の手は及んでいないのだろう?」

「─────いや、ホント。氷室女史には頭が下がります………」

深々と頭を下げる士郎。
なんというか、ここまでされると逆にこちらが悪いことをしたかのような錯覚を覚えてしまう。

「ま………まあ、もう過ぎたことだ。今の年齢ならば特別問題もないだろう。今の話は私と君だけの秘密としておこう」

「─────すまん。恩に着る、氷室」

ワインの梱包が終わり、それを鐘が受け取る。
これでこの店での要件は果たした。

後は帰るだけなのだが─────

「衛宮は何時頃までここでアルバイトをしている?」

ふと、気になったことがあったので話しかける。

「ん、大体二十時から二十一時までの間くらいか。今日は二十時までだから、あと一時間半ってところか」

時刻は現在十八時半。
二十時までは残り一時間半。

「そうか。では帰りは遅くなるのでは?」

「そうだな。帰ってきてから夕飯食べると、遅い時じゃ二十二時になる。………ま、最近は早く帰るようにはしてるけどな」

最近は物騒になってきたし、と付け加える。

「ああ、今朝方深山町で起きた殺人の件もある。悪いことは言わない、寄り道をせずに帰宅するべきだろう」

時計へ目をやると、もうまもなく家へ向かうバスがやってくる時間だった。
これ以上話していては、次は自分が帰宅時間に遅れてしまう。

「そろそろバス停へ向かう。衛宮、重ねて言うが夜道は気を付けるのだな」

「そういう氷室こそ、帰りは気を付けてな。寄り道、するなよ」

まるでどこかの教師のような科白を吐いた彼は笑って店から鐘を送り出した。
その際

「氷室、心配してくれてありがとうな。また明日、学校で」

そんな言葉を耳にした。

「──────────」

一瞬、思考に空白が生まれた。
どういった理由かは自身でも定かではなかったが、それは確実だった。

「………いや、氷室。そんな『意外だった』みたいな顔をされるのはちょっと」

気まずそうに声をひそめる士郎。

「─────い、いや。確かに今のはこちらが悪い。すまない、衛宮。それでは、また明日」

そう告げてコペンハーゲンを後にした。

酒場から歩くこと数分。
バス停に到着し、その数十秒後にバスがやってきたので乗車する。

「─────」

バスの座席に座り、軽く息を吐いた。

心拍数が上がっている。
それが如何なる理由なのか、やはり先ほどの空白の時間同様に不明瞭だった。

「………らしくない。少し、落ち着こう」

ここから目的地までは後数分かかる。
店内での士郎との会話を思い出しながら、外を流れる夜景を眺めていた。



─────sec.02 / 無機質な冬の夜

午後八時前。

予定よりも十分ほど早く仕事を終えたのは、士郎が単純に頑張り過ぎただけだ。
途中コペンハーゲンにやってきた意外な人物との会話でリラックスできたのも頑張れた要因だろう。

「………まいった。まさか三時間で三万も貰ってしまうとは」

端から牡丹餅とはまさにこのことだろう。

バイト先のコペンハーゲンは酒屋兼居酒屋の場所で、取り扱っているお酒もそこそこ種類がある。
棚卸しをするなら何人もの人手が欲しくなる。

無論毎日そんなことをするわけでもなく定期的な業務なので、その時に限っては四、五人ほどの人手が必要だ。
だというのにそこの店長はいつもの調子で

『手伝える人は手伝ってねーん』

などと、かなり軽い調子で言ったものだから他のバイトの人も特に大丈夫だろうと感じたらしい。
フタを開けてみればバイトに来た人は士郎ただ一人。

それまでは店長とその娘の蛍塚ネコの二人だけで作業を行っていたという地獄がそこにあった。

『バカだね、あんた。そりゃあ誰も来るわけないじゃん』

と、店長をなじっていたネコ。
そこに現れた救世主………もとい生贄が一人。

『おおー』

なんて緊張感のない拍手で出迎えられては引き下がることもできない。
結果として出来る範囲で倉庫整理をしよう、ということになった。

店を三人で回す。

普段のコペンハーゲンならば十分ではあるが、棚卸しをしながらお客の対応ともなれば話は別だ。
倉庫の中を行ったり来たり、たまに来るお客の会計処理、店の外と中を行ったり来たり。

ただそこは伊達に五年も働いているわけではない。
それなりのコツやノウハウは心得ているつもりである士郎。

三時間という地獄めいた仕事をできる限り効率よくすすめていく。
だがいくら効率よく進めていても疲労は溜まるし、気分転換もしたくなる。

「だからこそ、あのタイミングで氷室が来てくれたのはある意味助かったな」

そう思った時にやってきた知り合いと会話ができたのはいい気分転換になった。
話の内容は少しばかり痛いものではあったが。

そんなこんなで激動の三時間アルバイトが無事終了。
椅子に座りこんでいた士郎に店長が

『驚いたなぁ、士郎君。君はアレかな、ブラウニーか何かかな?』

なんて作業後の一服と称したこげ茶色のケーキを食べながら話しかけてきた。

『違いますっ!力仕事には慣れてますし、倉庫の何処に何があるかは把握しているからです!伊達にガキの頃からここで働かせて貰ってません!』

ちなみにブラウニーとはスコットランドや北部イングランドで伝承されている伝説上の妖精のこと。
民家に住み着いてその家を栄えさせるなどの逸話がある。

流石に妖精扱いはされたくないのでここはきっぱりと否定しておかなければいけない。

『そっかー。あれ、士郎君ってもう五年だっけ?』

『………そのぐらいですね。切嗣オヤジが亡くなってからすぐに雇ってくれたのは、店長のところだけでしたし』

何も知らなければ何とも思わないのだが、残念ながらその話は鐘と話したばかり。
雇ってくれたことには素直に感謝しているのだが、いつから働いていたかというのは口外しないようにと改めて決めた。

きっと自分が知らないところ、もしくは覚えていないところで何かしらの公的手続きをしてくれていると、根拠もないものを信じることにする。

『ありゃりゃ。うわー、ボクも歳をとるワケだ。………んー、けど助かったわー。
 こんだけやってもらって、お駄賃が普通のバイト料金ってだけだとあれだし。はい、これボクからの気持ちね』

もむもむとラム酒入りのケーキをほおばる店長が手に取ったのは三枚の紙幣。
─────万札三枚である。

一週間フルで働いても届かない、三時間程度の労働には見合わない報酬だった。
流石に驚いたが貰えるものは貰っておく。

「藤ねぇにお土産は………いいか別に」

駅前ということと、夜もまだ始まったばかりもあって人は多く、道を行く自動車も途絶えることはない。
寒さに僅かに体を震わせながら冬の街を歩いていく。

「今日の臨時報酬はでかいからなあ。半分は生活費にあてるとして、半分はどうするかな」

特にお金を使う必要があるような趣味は持ち合わせていない。
となれば使うところは必然的に衣食住………とりわけ食になる。

ファッションに疎く、家に不自由どころかむしろ持て余している以上、お金を使うところは食しかない。
料理を少しだけ豪勢にできるかな、なんて考えながら夜に聳え立つビルを見上げ、歩く。

新都で一番大きなビルは、流石に上の方となると見づらい。
ただ夜景を楽しむために見上げていると、そこに不釣り合いな何かが見えた。

「─────?」

目を凝らして見る。
ビルの屋上、街を見下ろす様にその人物は立っていた。

「………あれ、遠坂?」

何の意味があってあそこにいるのかが理解できない。
彼女が士郎に気付いている様子はない。

いや、見えている筈がない。
人並み外れて視力のいい彼が、魔力で視力強化して漸く判断できる高さである。

あのような場所に一人で立っているからこそ分かるわけで、地上で人波の中にいる士郎に気付くことはないだろう。

と。
その合うはずのない視線が、合ったような気がした。

「………視線が合った?」

そう呟いたすぐ後に用を成し終えたのか、赤い彼女は屋上から姿を消した。

「─────何してたんだろ、あいつ」

いない人物に向かって呟く。
が、返答なんて当然返ってこないので適当に頭の隅に追いやっておく事にしよう。

「ヘンな趣味をしてるんだな、遠坂って」



─────sec.03 / 武家屋敷の夜

バス停に到着しバスから下車する。
新都とは違ってこちらに人影はなく通りを行く人も見当たらずに静まり返っていた。

「………当然か。辻斬りめいた殺人があったばかりなんだし」

坂を上きって家の前に着く。
玄関に明かりが灯っているので、まだ家に大河がいるのだろうと判断して玄関戸を開ける。

「ただいまー………ってあれ?」

玄関先の靴を見ると、いるであろう人物の靴とは別にもう一足ほど靴があった。
その靴もまた見覚えがある靴で疑問を抱きながら居間へと足を進める。

「おかえりー、士郎」

「おかえりなさい、先輩」

やはり思い描いた通りの人物がそこにいた。
しかもまるで何事もなかったかの様に夕食の支度をし終えていたのだ。

「さ、桜。物騒だから夜は来なくてもいいって………」

「はい。ですからそれは明日からでしょう、先輩? なので今日は来ちゃいました」

「来ちゃいましたって………いや、まあ、もう来ちゃってるからいいけどさ」

居間のテーブルへ目をやればそこには夕食が。
どれも出来立てらしく、ほくほくと湯気が上がっている。

「えっと、もしかしてまだ二人とも食べてなかったりするわけ?」

「そうよー。桜ちゃんの晩御飯とも一旦お別れってことになるから、最後は一緒に食べようってことになったのよ。ねー、桜ちゃん」

「はい。先輩が大体この時間に帰ってくるっていうのは分かっていましたから。用意して待っていたんです」

笑って答える桜と、立ち上がって士郎を無理矢理居間に座らせる大河。
この虎は目の前に用意された夕食を早く食べたくて仕方がないらしい。

「はい、それじゃいただきまーす!お姉さんはもうハラペコだよー」

「先輩、今日はたくさん作りましたので、いっぱい食べてくださいね」

「………確かにいつもの倍はあるよな、これ。けど、ちょっとタンマ」

無理矢理座らされた士郎が立ち上がる。
それに疑問符を作る二人─────いや、一人は涙を滲ませている様にも見えた。

「ええい、そんな駄々っ子の様な顔で見上げるな、二十五の大人がやったところで何もかわいくないぞ、藤ねぇ」

「先輩、どこに行くんですか?」

「とりあえずは手洗い。あと鞄も置いて来るから先に食べててくれ。すぐに戻る」

桜にそう告げて居間を後にする。
洗面所に行き手洗いを済ませ、自室へ鞄を置く。

着替えは風呂上りに一緒に済ませるということで、先に食べているであろう二人の元へ。
そう思って居間の障子をあけると、そこにはまだ食事に手を付けていない二人が。

「ヴァー………早くタベサセロー………」

「………どこのゾンビだよ。桜も別に食べててくれてよかったのに」

「いえ、すぐに戻ってくるということでしたので、待つことにしたんです」

「………そっか。すまない、桜。─────よし!それじゃあ食べよう」

士郎がその言葉を言うや否や、物凄い勢いで姿勢を正した人物が一名。

「オッシャー!タベルゾー!!いただきまーす!!!」

言葉が先か手が先か、気が付けば茶碗を持ってガツガツと食べる姿が。
一応教師ということで言葉が先だったと信じたい。

「藤ねぇ、お前は食に飢えた虎か。そんな調子で食べてると─────」

「虎って言う………!? ん、んー!」

案の定喉に食べ物が詰まったらしい。
あまりにもベタベタな展開に深く溜息をついて、茶を渡す。

「それ見た事か。ほら、茶だ」

「─────!」

物凄い勢いで士郎からコップを奪い、茶を流し込む。
苦しそうな表情はそこで消え、次にはいつも通りの笑顔があった。

「ぷっはー! ありがとう士郎、おかげで助かったわー」

「はぁ、俺はむしろ頭痛がしてくるぞ、藤ねぇ」

そうは言うが目の前に置かれているおいしそうな料理の数々。
士郎自身も空腹ではあったので、虎に全部持っていかれる前に食さねば。

「桜が作ってくれた料理だ。余すことなく食べさせて貰います。─────それじゃ、いただきます」

「はい、いただきます」

時刻は午後九時。
夕食というには少し遅すぎる時間ではあるが、一人で夜食を食べるよりかは全然マシだ。

「桜、また一段と上手くなったよな。これじゃ俺も追い抜かれそうだ」

「はい、先輩を射程圏に捕らえました。いずれ追いついて、追い越してみせます。
 覚悟してくださいね、先輩。いつか参ったって言わせて見せます」

「うわー、言い切ったな………。まったく、うちに来るまではサラダ油の存在すら知らなかったクセに。
 今では虎視眈々と師の首を狙ってやがる。なんだってそんな目の仇にするんだよ、ほんと」

「そんなの目の仇にしますっ。先輩の方が料理が上手なんてダメなんですから!」

「いや、ダメと言われても………。ともかく、俺も桜の射程圏から逃れるために料理技術を向上させねばいけないな。
 見てろよ、桜。また距離をあけて遠い存在になってやるぞ」

「ふふ、それはちょっと嫌ですね。先輩と同じ場所に立てるように精進します」

ゆったりと。
桜が作ってくれた料理の数々を一品ずつ味わって食べる。

どれもこれも士郎好みな味付けが施されていて、そこいらの料亭よりもずっとおいしい。
ご飯が何杯でも食べられそうだ。

「─────おお」

味噌汁を口に含む。
そこから味覚に伝わる味に思わず感嘆の声をあげてしまう。

「桜、この味噌汁かなりうまい。流石だ」

「あ、ありがとうございます!」

「あー………これはちょっと本気で精進しないと。さっきああ言った手前でまさか舌でそれを実感するとは思わなかった」

「私もああは言いましたけど、実際先輩にそう言われると上達したんだなあって実感できて嬉しいです」

二人穏やかに食事をするその傍らから腕が伸びてきた。
その先にはご飯が入っていた茶碗が。

「桜ちゃん、おかわり!」

「あ、はい」

いそいそと茶碗を受け取る桜。
その光景を見て、ふと気が付いた。

「藤ねぇ。一つ聞くが、今ご飯何杯目だ? まだ食事を始めてから十分程度だと思うのだが、なぜに残りご飯量と食卓のおかず群がこうも目に見えて減っているのか」

「んー? 何杯目だっけ? というか十分も経っちゃった? うわー、おいしいものを食べてると夢中になれるって本当だったのねぇ」

「………そうか、藤ねぇの中ではまだ食事を始めて五分程度しか経ってないのか」

これはうかうかしていると本気で虎に全部持っていかれかねんと再認識。
ここから先はおかずの取り合いの体を成してきそうな雲行きだ。

「おいしいから箸が進むっていうのもわかるけどさ、もうちょっと味わって食えよ、藤ねぇ。作ってくれた桜に申し訳ないだろ」

「いえいえ、いいんですよ。先輩みたいにじっくり味わってくれるのも嬉しいですけど、藤村先生みたいにいっぱい食べてくれるのもそれはそれで嬉しいですから」

「むー、士郎は私が味わっていないって思ってるのかしら? 安心しなさい、今日の桜ちゃんの夕飯の意気込みは十分伝わってきてるから」



─────こうして遅めの夕食は終わりを告げる。
空になった食器をシンクへと運び、テーブルを拭いてとりあえず居間は片付け完了。

「さて、それじゃあ俺は桜を家まで送るとするかな。藤ねぇ、悪いけどちょっとの間だけ家で待っててくれないか?」

「え? い、いやいいですよ、先輩。一人で帰れますから。それにまだ食器の片付けが………」

時刻は午後九時半を過ぎている。
夜は当然だが真っ暗で、まだまだ寒い時期だ。

「よくないだろ、最近物騒になってきたんだからさ。それに桜ン家はちょっと遠いだろ? 
 食器は俺が洗っておくから今日はもう帰って休め、桜」

「でも………ごめんなさい。気持ちは嬉しいんですけど、先輩は休んでいてください。家までだったら慣れてますし、一人でも大丈夫ですから」

「いや、それはそうだろうけど。今日は特別だ」

「でも、やっぱり………」

「はいはーい、そこで提案です、二人とも」

「「?」」

互いに引きそうにない状況と見た大河は、二人の間に入るように声をかけてきた。

「なんだよ、提案って。言っとくけど変な事だと即、却下だからな」

「別に変じゃないわよ。士郎は家にいて食器を洗えるし、桜ちゃんは夜道の危険に曝されないで済む方法があるわよ?」

「………それって藤ねぇが送って行くってことか?─────まあそれなら」

「ぶぶー、残念でした。正解は、今日はこの家に泊まっていく、でしたー」

「あーそれなら確かに………──────────って、ちょっと待て」

一瞬納得しかけた自分に喝を入れる。
大河の提案を聞いた桜も驚いた顔をしていた。

「えー? でも問題ないじゃない? 家は広いし、私たちが止まっても何の問題もないでしょ? 
 ………ははーん、もしかして士郎。変なこと考えてたりする? けど、残念。そんなことは教師である私が許しません」

「広さ的な問題はないとしても、藤ねぇは何を言っているんだ………。
 ─────というか、単純に食い過ぎて動きたくないからその提案出しただけだったりしないよな?」

「ぎっくぅ!!そ、そんなことないわよ!お姉さんはそんなだらしなくはありませんっ!!」

「………図星か」

はあ、と溜息をつく。
この家に帰ってきてから既に何回溜息をついただろうか。

「それに、だ。桜は家に帰らなくちゃいけないんだから、無理に泊まらせるなんて迷惑だろ?」

そうだよな? という意味を込めて、会話に参加していなかった桜に問う。
が、我に返った様に意識を取り戻した桜は

「そ、そうです、先輩! 私なら全然平気なので今日は泊めてください!」

「え? い、いや桜?─────わかった。分かったけど、その、本当に大丈夫なのか?」

「はい、大丈夫です!」

テンションの高さにたじろぎながらも士郎は了承し、二人は衛宮邸に泊まることになったのだった。



シンクにて食器を洗う士郎。
居間にはテレビを見る大河と桜がいる。

言うまでもない常識だが、夕食を食べ終わった後は食器の片付けをして、お風呂に入って寝るだけである。
小さな差異こそあるだろうがこれはごく普通の流れであり、当たり前すぎて本当に何も問題はない。

が。

「………あの、藤村先生。相談があるんですけど」

桜が遠慮がちに尋ねてきた。
その不思議な仕草に疑問を浮かべる士郎と大河。

「ん? なになに、言ってみそ?」

「あのですね………その………」

何かを言おうとしているようだが、歯切れが悪い。
そんな姿を見て大河は何やら思いついたらしく、ポンと手を叩いた。

「あ、そっかそっか。着替えの問題があったわね。んー、寝間着はどうしよっか。私のでいいのならあげるよ。
 それとも浴衣着る? 冬場だから少し寒いと思うけど、浴衣ならこの家にあるから。
 あとは家に帰って取ってくるっていう手もあるわねー」

「………藤ねぇ? 桜を夜道に出すのは危険だからこの家に泊まろう、って話じゃなかったっけ?」

一応はそういう事で泊まることとなっていたはずだ。
しかし寝間着を取りに帰るというのは

「そ、そうですよ藤村先生。家に取りに帰ったらそのまま家に居ればいいだけですから」

「あ、あはははー。そうだったわね」

ということである。

「………」

もう溜息すら出なくなり、黙々と食器を洗うことに専念する。
寝間着の問題なら浴衣でも用意すればいいだろうと判断したが、大河はそうでもないらしい。

「で、寝間着の話だけど、私ので大丈夫かな。下着も私のでいける?」

「あ、いえ………その、先生のだと、胸がきついと思うんですけど」

「むっ。そっか、桜ちゃん胸大きいもんねー。…………………………………その肉をワケロ」

士郎の耳に問題発言が聞こえてきたのと同時。
学校の教師があろうことか桜の胸を揉む様に触ろうとしている光景が。

というより実際少し揉んでいる。
当然それに反応する桜。

「きゃーーーーー!せ、先生何するんですかーっ!」

「あはははは、冗談冗談。………けど、困ったわねー。桜ちゃんサイズの下着なんて持ってないし、当然この家には無いし。桜ちゃんってつけて寝る派?」

出来る事ならば別の場所で話をしてほしい、と内心思う士郎なのだがそんな事などつゆ知らず。
かといってそれを口に出したら出したでまるで自分が意識しているみたいになってしまうのでここは聞こえていないふりをしてやり過ごす。

そんな士郎の内心を感じ取っているのかいないのか。
士郎の方をチラチラと見ながら大河が質問していた。

「え、あ、はい。………一応は、その」

「だよねー。おっきい人はそういう人多いよねー。けど苦しくないの、と素朴な疑問を投げかけてみる」

「………く、苦しいですけど、ですね。そ、そういう時はその………ごにょごにょごにょ」

耳打ちをする桜。
それを聞いた大河はなるほどーという顔で納得していた。

「若いっていいなー!んじゃ、さっそくうちの若いのに連絡入れて今から持ってきてもらうかー」

「え? い、今からって今からですか?」

「ん? そうよ?」

「あ、い、いや大丈夫です、藤村先生。今日は浴衣を着て寝ますから。一日くらい平気です」

「あれ、いいの?………でもまあ確かに今日だけの為に用意するのもあれかな。
 分かったわ、桜ちゃん。じゃあ浴衣の準備はしておくから、お風呂にでも入ってきなさい」

「………はぃ」

一連の会話を終えて真っ赤になりながら居間から出ていく桜。
それを見送った大河が、次は食器を洗う士郎の顔を見てにやけた。

「あれー? 士郎、顔が赤いけどどうしたのかなー? やっぱり桜ちゃんの話、気になる?」

「─────藤ねぇ。まさかとは思うが俺の反応を見たいが為にわざと聞こえるように話をしていたのか?」

「さぁーどうでしょう。お姉さんはふっつーに会話してただけだけどなあー」

にやにやしながらテレビをお笑い番組のチャンネルへと変える大河。
その背後。

「─────ふふふ。藤ねぇ………覚悟おぉぉぉ!」

居間の片隅に置いてあって紙製ポスター(昨日持ってきてそのままだったもの)を丸めて持ち、背後から頭部へ振り下ろす。
直撃コース。しかも相手は無防備かつ背後からの襲撃。

物凄い卑怯な先制攻撃だったが、これくらいしてもバチはあたるまいと思った矢先だった。
きらん、と大河の目が光ったと思ったら

パァン!!

と、大よそ紙製ポスターに相応しくない音が鳴り響いた。

「………………」

手に持っていたポスターを落とし、現状の理解に努める。
ポスターは大河の頭部に届くことはなく、自分の頭部に竹刀が。

「ふっふっふ………」

「………藤ねぇ、どっからその竹刀を取り出した? あれか、アンタはどこぞの青いネコ型ロボットか?」

「見えなかった? 服から取り出したのよ」

「それがどういうことか分からないんだよっ!!」

心の中から湧き出た渾身の突っ込みを吐きだして、盛大に溜息をついた。
この出来事だけで、全ての疲労が一度吹き飛んでそれ以上の疲労が一気に蓄積したような感覚に陥った。

「この不良教師め………」

とぼとぼと中断した食器洗いの続きを再開する士郎。
気をよくした大河はそのままお笑い番組を見ている。

「─────ほんと、一度氷室の爪の垢を煎じて飲ませてみようかな………」

コペンハーゲンにて冗談含めて言った言葉を、わりと真剣に考える士郎だった。




[29843] ep.05 / 運命の日 chapter.02 / Destination Unknown
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/27 04:38
chapter.02 / Destination Unknown / 死への旅

ep.05 / 運命の日

Date:02 / 02 (Sat)

─────sec.01 / 変わらない筈の日常

炎の中にいた。

崩れ落ちてくる家と目の前で焼かれていく人たち。
走っても走っても風景はみな赤色。

長く、思い出すことのなかった過去の記憶。
その中を、再現するように走った。

目的地がどこだったのかは分からない。
錯乱して無意味に走り回っているのか、それとも行くべき場所があったのか。

─────この結末は知っている

悪夢だと知りながら出口はない。
走って走って、どこまでも走って。

目の前で下敷きになった同年代の死体を見て。
走る気力すらも失って。

行き着く先は結局、歩く力すら尽きて助けられる、幼い頃の自分だった。




「─────」

嫌な気分のまま目が覚めた。
額に触れると、冬だというのにひどく汗をかいていた。

「………ああ、もうこんな時間か」

時計は六時を過ぎていた。
耳を澄ませば台所からトントンと包丁の音が聞こえた。

「今日は桜の勝ちか」

流石に二月の朝は寒い。
しかしこのまま起きないわけにはいかないので布団より起き上がる。

布団をしまい、制服に着替え、身嗜みを整えて居間へと向かった。

居間に入ると大河と桜が朝食の準備を済ませていた。
おはよう、と二人に挨拶をしていつもの場所に座る。

「………食べきれるのか、これ?」

テーブルに用意された朝食は普段に増して多かった。
夢見も悪かったせいで、これほどの量を食べられるほど食欲はなかった。

「えっへへへ、こっちはお昼のお弁当用!今お財布ピンチだから助かるわ、桜ちゃん」

なるほど、と理解する。
確かに二食分くらいの量があるなとは思っていたが、昼用だというならば分かる。

だが。

「………藤ねぇの弁当用かよ。桜に作らせるなんて職権乱用だぞ?」

自分の財布がピンチという理由で弓道部顧問である大河が、弓道部員である桜に弁当を作ってくれと言われれば作らざるを得ない。
そもそも自分の財布がピンチというのは自身の管理の甘さからくるツケなのだから、その賄いで桜に労力を強いるのはよくない。

「いえ、私と同じものですから手間は同じですから、大丈夫です。はい、先輩」

「─────桜がそういうなら深くは言わないけどさ。ありがとう」

そんなことを考えもしたのだが、よくよく考えれば自分も桜の朝食にあやかっているのであまり大きい声で言えたものではない。

「………他人の振り見て我が振り直せ。もうちょっとしっかりしないと」

「んー? 何を直すの、士郎。また何か土蔵でやってるの?」

「違う。こっちの話だ、気にしなくていい。─────いただきます」

まず味噌汁に箸をつける。
昨日に実感したことだがやはり今日の味噌汁も相変わらずおいしい。
これだけで十分活力は湧いてくる。

「ふふ、士郎。桜ちゃんお手製のお昼を食べたかったら昼休み、弓道部に顔出せばー? そうしたら分けてあげてもいいよー」

「………そんなことしたら本来藤ねぇ分のが少なくなるぞ。それでいいって言うなら考えるけど、少なくなったからって言って他の部員からメシを集るなよ?」

「─────うーん、やっぱり士郎は自分で購買とかで準備してきて」

「なんだそりゃ」

そこは『そんなことしません』と否定してほしかったのだが、こっちの考え通りに動かない教師。
が、そうは思ってもそれ以上は言わない。

この朝っぱらから虎に突っ込みを入れるほど元気ではない。
というより朝からこの虎が人並み以上に元気すぎるのだ。

「そういえば士郎。今朝は遅かったけど、何かあった?」

味噌汁を飲みながら士郎に視線を向ける大河。

(………ったく。普段は抜けてるクセに、こういう時だけ鋭いんだから)

「昔の夢を見た。寝覚めがすっげー悪かっただけで、あとはなんともない」

「なんだ、いつもの事か。なら安心かな」

とりわけ興味もなさそうに会話を切る大河。
士郎も別に気にしているわけでもいないので、ムキになる話でもない。

十年前。
まだあの火事から立ち直れていなかった頃は頻繁に夢にうなされていた。

それも月日が経つごとになくなって、今では夢を見ても比較的軽く流せるぐらいには立ち直れている。
ただそれでも当時はひどく、その頃からいた大河は士郎のそういった部分には敏感なのだ。

「士郎? 今朝に限って、食欲ないとかはない?」

「ない。流石にこの量全部を朝で食べきることはできないけど、いつもの朝並みにはある。あるから人の夢にかこつけてメシを横取りするな」

「ちぇっ。士郎が強くなってくれて嬉しいけど、もちょっと繊細でいてくれた方がいいな、お姉ちゃんは」

「そりゃこっちの台詞だ。もちっと可憐になってくれた方がいいぞ、弟分としては」

ふん、と互いに視線を合わせずに罵りあう。
それが元気な証拠となって、大河は安心したように笑った。

「─────ふん」

士郎にとってその心遣いは嬉しいものだった。
しかしお礼を言おうものならつけあがることは確定なので、いつも通り不満そうに鼻をならしておくことにする。


食事を終え、大河は先に家を出て行った。

今日は土曜日。
学校が休みのところもあるが、穂群原学園は土曜日も午前中だけだが授業がある。

ちゃちゃっと食器を洗い終えて戸締りの確認。
そして門を潜って外へ向かう。

「先輩。今日の夜から火曜日までお手伝いにこれませんけど、よろしいですか?」

「? 別にいいよ。桜だって付き合いあるんだし、気にすることないよ」

というかまさか今日の夜も実は来る気でいたのだろうか、と桜の言葉を聞いて思った士郎だったがここは言わないでおく。
その当の桜はというと少し慌てたように手を振った。

「え─────そんな、違います………!そういうんじゃなです、本当に個人的な用事で、ちゃんと部活にだって出るんですから!
 だ、だから何かあったら道場に来てくれたら何とかします!
 別に遊びに行くってわけじゃないです、だから、あの………ヘンな勘違いはしないでもらえると、助かります」

「???」

挙動不審というか、かなり緊張しているようだ。
なぜそんな態度をとるのかわからなかったが、あまり深くは聞かない方がいいだろう。

「分かった。何かあったら道場に行くよ」

「はい、そうしてもらえれば嬉しいです」

そう言って胸を撫で下ろす桜だったが、視線を落とした先のものを見て一転顔を強張らせた。

「先輩、その左手………」

「─────左手?」

桜の言葉につられて左手を見る。
ほたり、と赤い血が地面に零れた。

「あれ………どっか怪我したっけ?」

左手、左腕共に痛む箇所はない。
念のために袖をまくって確認すると、確かにそこに血が滲んでいた。

「なんだこれ。昨日の夜、ガラクタいじってて切ったか?」

そうは言ったが怪我をするようなことはなかった筈である。
となると眠っている間にどこかにぶつけてこうなったか、あるいは気付かないうちにどこかにぶつけてしまったか。

にしては痛みがない。
傷だって、腕にミミズ腫れのような痣があるだけ。

痣は肩から手の甲まで一直線に伸びていて、小さな蛇が肩口から手のひらを目指しているようにも見えた。

心底疑問だらけだったが、その隣で桜が心配そうに見ているのに気づき、なんでもないように笑い飛ばした。

「大丈夫だよ、桜。痛みはないし、特に気にする必要もないだろ」

「………はい、先輩がそういうんでしたら」

血を見て気分を悪くしたのか、桜は俯いたまま黙ってしまった。



桜は朝練に参加するために弓道場へと向かっていく。
士郎もそれに続いて学校内に足を踏み入れた、その時だった。

「─────!」

─────ドクン、と。
酷い違和感があった。

見渡してもそこにあるのはいつも通りの学校。
朝練に励む生徒たちは生気に溢れ、真新しい校舎には汚れ一つもない。

「………気のせいか、これ」

そう思って目を閉じると雰囲気が一変する。
校舎には粘膜の様な汚れが張り付き、校庭を走る生徒たちはどこか虚ろな人形みたいに感じられる。

「………疲れてるのかな、俺」

軽く頭を振って、校舎とは別方向へ向かう。
とりあえず先ほどの違和感は気になったが、それは頭の片隅に置いておく。

「氷室はもう来てるのか?」

昨日の朝に約束した手伝いをするため、士郎は陸上部の倉庫へと足を進めていたのだった。



─────sec.02 / 空白の夢

その光景を見ていた。

真っ赤に燃える街と、暗い筈の夜をさらに黒く染める黒煙。
見たことも無いようなその景色は、一度見ただけで十分だった。

それを見て、走って家を出ようとする。
まるで何かに突き動かされたかのように。

─────どこに?

それは間違いなく私だった。
ただ今の自分の思考・感覚と、走ろうとして腕を掴まれている私とは、ひどく乖離していた。

まるで他人事のように、私を見ている私がそこにいた。

腕を掴まれている私が振り返り見たその先の光景。

真っ赤な夜空。
ならそれは通常ならば白のような色、あるいはこの状況ならば赤色にも見える筈の太陽じみたナニか。

………なぜ、その太陽が黒く見えるのか。

それを見た乖離した私は一層掴む腕を引きはがそうと躍起になっている。
だが、思考・感覚である私はひどく恐怖を感じた。

夜なのに太陽がある。
黒い太陽が、そこにある。

─────ああ、いや。乖離などしていない、か

違いがあるとすれば、明確に意識出来ているか出来ていないかの違いだけ。
結局、乖離した私も思考・感覚の私も、今この瞬間に持ちえた感情は同一のものだろう。

─────『違う』

部屋に閉じ込められ、乖離した私がベッドの上に小さくなって枕を抱えている。

この火事が原因で私は一度だけ入院した。
後にも先にも今のところ入院はこの一度だけ。

過去の映像。
似たようなものは何度か見ている。

ならいい加減に起きよう。
この映像にいい思い出などない、視るだけ無駄だ。
そう、意味なんて。

(          )

─────え?

気が付けば、その『空白』へ………幼い手を伸ばしていた。



「─────」

一人薄暗い部屋で起き上がった。
そのまま自分の胸に手をあてる。

心臓が脈打つのがしっかりと分かった。
次に時計を見ると、時刻は五時半だった。

「………まだ、こんな時間か」

耳を澄ませば台所からトントンと音が聞こえた。
母親が料理をしている音だろう。

「─────目が、覚めてしまった」

夢でうなされるということはなかったと思うが、急に目が覚めて心臓がうるさかったことは何度かあった。
要するに嫌な夢を見てとび起きたということなのだが。

「起きるか………」

珍しく目覚ましが鳴る前に起きて、目覚ましを解除して部屋を出る。
台所から漏れてくる明かりが寝起きの目には少し眩しい。

「あら? どうしたの、鐘。まだ五時半よ?」

「目が覚めただけ………顔洗ってきます」

嫌な夢を見たものだ、と内心思ったが気にしても仕方がないのでさっさと顔を洗い身嗜みを整える。
部屋に戻り、制服に着替えて学校の用意を完了させた。

特に何の問題もなく、いつも通りの朝の支度。
起床時間が早かった分母親が早めに朝食を用意してくれたので、こちらも少し早い朝食を食べる。

食べ終えて自室へ戻るが、時刻はまだ三十分ほど余裕があった。
いつもより三十分早く起きたのだから当然だろう。

「─────」

自然と、気が付けば先ほど見た夢の内容を考えていた。
目覚めと同時に忘れる夢もあるが、今回のは珍しく鮮明に覚えている。

それほどまでに違和感と疑問が多かった。

「黒い太陽………」

正直に言うとあれは誇張だろう。
まだ幼かった私が、火事の恐怖で見た幻想の類だ。

そうでなければ説明がつかない。
夜に太陽というだけでもおかしいのに、それがまるで全てを吸い込むブラックホールの如く真っ黒となればいよいよ現実離れしている。

「何か違う………?」

恐怖を覚えた。
それは分かった。

あれほどの火災となれば恐怖を感じることは不思議ではない。
その所為でベッドの上で、まるで何かに耐えてるかのように蹲るのも理解できる。

─────それが『違う』

「違和感が………拭えない」

だが、その違和感も黒い太陽も、最後の『空白』で上書きされる。

「声………? いや─────」

一番肝心な部分であろうところが、ほぼ完全に抜け落ちている。

現実離れした太陽も、違和感だらけの恐怖も。
それら全てを受け入れてもなお手を伸ばそうとした『空白』が、私には見えない。

「………もうこんな時間か」

気が付けば三十分が経っていた。
嫌に感じるほどに時間の経過が早い。

「行ってきます」

気になることではあったが、これ以上思考に浸っているわけにもいかない。
リビングにいる母親に声をかけるとともに見えたテレビには、『あの火災からもうすぐ十年』という字幕が出ていた。



─────sec.03 / 終わる筈のない日常

いつも通りのバスに乗る。

さきほど考えていた事は頭の片隅に追いやっていた。
どう頑張っても疑問が晴れることはないし、そもそもこれは夢である。

過去の夢を見たと言ってもそれが全てとは限らず、それが事実とも限らない。
後ろ髪を引かれる様な感覚はあったが、気持ちを切り替える。

学校に到着し部室へ向かう。
そこにはいつも通り楓と由紀香がいたので挨拶をして運動着へ。

しかし。

「………」

どうも調子があがらない。
どこかが悪い、ということでもなければ何かが悪い、ということでもない。

ただ単純に『調子があがらない』。

「………いつも通りと言えばいつも通りなのだろうか」

ストレッチをしながらそんな事を呟いた。
そこに深い意味などなかったのだが、どうやら近くにいた二人は気にしたらしい。

「ん、どうした氷室? 何がいつも通りなんだ?」

「調子があがらないということだ。無論不調、というわけでもないのだが」

「え? 鐘ちゃん、どこか気分がすぐれないの?」

マネージャーである由紀香が尋ねてきた。
昨日の今日ということもあり、そういう話には少し敏感になっているようだ。

「いや、気分が悪いというわけではない、由紀香。体調に関しては今日も変わらず良好だ」

「そうなの………。それならいいんだけど」

「ということは何かね、氷室名参謀殿はやる気が足りていないというのかね? この前言ってた朝食は食べたのか、うん? それとも寝坊して慌ててバスに飛び乗ったかー?」

「………私の返答も聞かないまま捲し立てるが如くの質問攻めには、最早呆れを通り越して感心すら覚える。
 そしてその質問全てにおいて一言言わなければ気が済まなくなるような内容にも見事だと褒めてやろう、蒔の字」

気が付けば口元が知らず笑っていた。
─────無論、目は笑っていなかったが。


ストレッチをしたのちに体を温めるため軽くグラウンドを走る。
大会も近いこともあって、走り高跳びの選手である鐘は早めに切り上げる。

そしていつもと同じ様に準備の為に倉庫へと向かう。
だが、その倉庫が見えてきた時に彼女の足は止まった。

「─────失念していた」

額に片手を当てる。

鐘が見た光景。
昨日コペンハーゲンで見た人物がそこに立っていた。

(昨日、『明日も手伝う』と言っていたではないか。まったく、なぜ忘れていたのか………)

自分に対して毒を吐きつつ近づいていく。
鐘に気がついた士郎が小さく手をあげた。

「お、氷室。おはよう。今日は少し遅かったんだな?」

「少し蒔の相手をしていた。─────いや、せざるを得なかった、と言った方が正しいか。
 そしてすまない、衛宮。君がいるということを先ほどまで忘れてしまっていた」

「なんだ、忘れてたのか。いや、別に構わないけどな。流石に氷室がこのまま来なかったらアレだったけど、忘れてても氷室はここに来るんだし結果オーライだ」

謝罪する鐘に対し、士郎は特に気にする様子もなく倉庫の中へ入っていく。
薄暗い倉庫の中だがパチリ、とスイッチを入れると明かりが天井より落ちてくる。

「それに友人と仲良くするのは当然だろ。今日は別に生徒会の用事もなかったから、ここで五分十分待ったって問題なかった」

「………衛宮がそう言うと、君の行為に甘えている私が言えることは何もないな………」

倉庫の中に入っていく姿を見て、足は士郎を追いかけていた。

「さて、それじゃセッティングをしよう。最初は俺一人でやってもいいかなって想ったけど、部員でも無い奴が一人で準備してると流石にうまくないだろうって思ってさ」

「そうだな。まだ君が元陸上部員であれば周囲に話は通じただろうが、陸上部には入っていないのだから立つ言い訳はないだろう」

「ヘタすれば氷室に迷惑かけちまうしな。それだけは避けたかったからこうして待ってた」

マット運びから始まり、走り高跳び用のスタンド、それに掛けるバーを持ち出していく。
バーはグラスファイバー製のバーと天然竹のバーの二種類があるが、この学校に用意されているのは竹。

天然竹製であれば安いものでは十本セット一万五千円ほどで買える。
少し背伸びをして高級品を選んでも一本で同じ値段だ。

だがグラスファイバー製の物ともなれば、安くても一本で先ほどの竹製のバー十本セットと同額の値段。
高いものならば余裕で一本あたり二万円を超える。
セット物となればそれこそ生徒会と戦争じみた交渉をする必要が出てくるだろう。

そして今、運動部には逆風が吹き荒れている。
生徒会の長、柳洞一成。

運動部に偏り過ぎた予算を是正しようと力を注ぐ彼は、運動部の申請を悉く却下してきた。
特に合宿の類は軒並み却下。

その度に楓が鐘に文句を言うのだが、それを生徒会長に言うようにとその都度提案していた。
鐘に文句を言ったところで申請が許可される道理はないからだ。

そのためバーも一番コストが低いものが選ばれる。
一本当たり千五百円程度で済むものと、一本で二万円するものを比べれば必然的に前者になる。

「─────いや、なんか運動部は運動部で苦労してるんだな、氷室」

「そうだな。私自身は大して不自由は感じていないが、蒔が何かと食いつく。
 あれは皆で騒ぎたい故に合宿を提案している節があるからな。これで他の運動系の部が合宿を許可されれば真っ先に生徒会室へ乗り込んでいくだろう」

そんな舞台裏の事情がある以上、使えるものは使えなくなるまで使う。
自分が持っているバーに視線を落とす。

「………テーピングをすれば、まだ使えるか」

幸い痛んでいる箇所は軽微なので適当に修繕すれば問題はないだろう。



「すまない、衛宮。今日も助かった」

「いや、別にいいって。俺が好きでやってるわけだからさ。氷室は練習頑張ってくれ」

そう答えた士郎は用意した練習場を眺めている。

「………衛宮?」

「? なんだ?」

「いや、何をしているのかと」

準備が終わったのだからさっさと離れろ、なんて言うつもりはない。
だが特別眺める価値があるような代物ではないのも事実だ。

「ああ、ごめん。いや、氷室が跳んでるところを近くで見たいなーって思っただけだ。邪魔だったなら謝る、すまん」

鐘が考えすらしなかった答えが返ってきた。
その顔は冗談で言っている顔ではなく、だからこそ困惑した。

「………謝る必要はない。しかしどうしたのだ? 急に見たいとは」

「あー………俺さ、四年くらい前に走り高跳びやってた事があったんだよ。まあその時の名残っていうか、気分っていうか」

またもや意外な言葉を聞いた。
これもまた考えもしなかったことだったが、彼は陸上の、しかも元走り高跳びの選手だったということだろうか?

「ほう。つまり衛宮は陸上部だったということか?」

「いや、陸上部じゃない。けど、ひたすら走り高跳びをしてた。………ちなみに理由や結果は訊かないでくれるとありがたい」

そう言って視線が鐘から外れた。
どうやらうまく跳べなかったらしい、と察する。

「まあ、確かにじっと見られてちゃ集中の邪魔か。氷室だって近々大会あるんだったよな? それは乱すのはいけないな」

「あ、いや。衛宮、私は別に………」

構わない、と言いかけた時だった。
背後より聞き馴染みのある声が聞こえてきた。

「氷室ー、どうしたんだ?」

「蒔寺に三枝か、おはよう」

「あ、おはよう、衛宮君」

「おはよう、衛宮。─────で、お前は何でこんなところにいるんだ?………まさか氷室にちょっかい出してるんじゃないだろうな?」

「いや、蒔。彼は─────」

ちょっかいなど受けていない。
寧ろ準備を手伝ってくれたのだ。

だが、その当の本人は別の事を考えたらしい。

「ん、確かに邪魔したかな。そう思ったから離れようとしてたところだ」

「衛宮ー、氷室は大会控えてるんだからさ、邪魔するなよー?」

「安心しろ、蒔寺に追いかけられる前に撤収するから。じゃ、氷室。練習頑張ってな」

そう言って立ち去って行く。
小さくなっていく背中。

「ぁ………」

何とも言えない気持ちになる。
自身が遅れたにも関わらず待っていてくれて手伝ってもらったというのに、最終的には追い返すような形で別れてしまった。

「氷室、高跳びの練習は………って、どうした?」

「………蒔の字。君は一度冷水で顔を洗ってくるといい」

士郎の後を追う。
このまま終わるのはどうも後味が悪すぎた。

「え? あ、おい。氷室ー?」



「衛宮」

前に歩いていた士郎を呼び止める。
振り返るその顔は近づいてきた人物を確認するなり、少し驚いた表情を見せた。

「氷室。どうしたんだ? 練習は?」

「いや、その前に君に謝っておかなければいけないと思って」

「………謝る? って何を?」

「手伝ってもらったのに追い返す様な形で立ち去らせてしまったのだ。謝罪をするのは当然だろう?」

少なくとも親切心でやったのに追い返される様な仕打ちは間違っているだろう。
仮に鐘がその立場ならばいい気はしない。

だが………

「そんなことか。いいよ気にしなくても。俺は気にしてないからさ。むしろ蒔寺の言った事は正しいだろ。
もうすぐ大会、ついでに期末試験も控えてる。集中する必要がある時期に邪魔する俺が悪いんだからさ」

「いや、そもそも邪魔だとは………。例え君が気にしなくとも私は気にかける。
 それにそれでは何というか………酷いだろう? これでは衛宮が報われないではないか」

「報うって………。別に俺は見返りが欲しいからやってるわけじゃないぞ? よかれと思ってやってるんだから、氷室が助かったなら俺も本望だよ」

それに、と士郎が続ける。

「別にこれが初めてじゃない。過去何度か似たような経験はあるし、その時も別に気に掛けた事はなかった。
 人の為に役に立ったんだからそれでいいだろ」

「─────」

………言葉が出なかった。
彼はそれを気に掛けることもなく

「俺の事なら大丈夫だからさ、氷室は練習に戻ってくれ。大会の調整はしないとまずいだろ? それに、二人も後ろで待ってるぞ」

鐘の後ろを指さす。
つられて後ろを振り返ってみると、そこに楓と由紀香がいた。

「それじゃあな、氷室」

軽く別れの挨拶を言って、彼は校舎の中へ消えていった。
その後ろ姿を茫然と眺めながら、先日の会話を思い出した。

『しかしな、衛宮のは度が過ぎるというか、このままいくと潰れてしまうというか。─────そうは思わんか、役所の子』

最初は何を言っているのか、と思ったが今ならば生徒会長と同じことを思えるだろう。
─────このままいくと彼は破綻する、と。

少し不安な、心配な、何とも言い難い気持ちになったが、そんな自分に気付いて追い払う様に頭を振った。
そして次に自分のこれまでの行動を思い改める。

(待て、違和感がありすぎる。何故私は衛宮を気に掛けた? そもそも私と衛宮は気安く語らいあえるような仲だったか? 昨日といい、今といい。これでは、その)


─────私が衛宮の事を好きみたいじゃないか


自分で考えてその結果、自分で顔を赤くした。
何とも言えない感情に支配されたが、次には冷静な彼女の理性が働いて落ち着かせた。
が、体温はまだ上がったままだ。

「蒔の字に言えた事ではないな。………私も冷水で顔を洗ってくるべきか」

「鐘ちゃん、どうしたの? 衛宮君と何かあったの?」

背後より近づいてきた由紀香が話しかけてくる。
それまで自分の世界に入り込んでいた鐘は意識を戻し、後ろを振り返った。

「いや、衛宮に礼を言った。走り高跳びの準備を手伝ってくれたのでな」

「なんだ、衛宮に手伝ってもらってたのか? なら言ってくれればいいのに。衛宮に頼らなくたって手伝ったのにさ」

相変わらずの口調の楓。
隣にいる由紀香もいたって普通である。

「さ、氷室。練習に戻ろうぜ」

二人は踵を返してグラウンドへ向かっていく。
その後ろ姿を見て鐘も歩き出すが、校舎へ一度だけ振り返った。

そこに士郎の姿はない。

「………今朝といい、今といい。─────いや、気にする必要はない」

そう自分自身に言い聞かせる様にグラウンドへ向かう。
しかし、言い聞かせるにしてはあまりにも複雑な心情であった。



─────sec.04 / 死への旅

土曜の学校は午前中で終わる。

午後からは部活動に勤しむも、帰宅し新都で遊ぶも、学校に残って試験勉強するもよし。
過ごし方は基本的に自由だ。

士郎は午後から特に予定はなかった。
そこに一成から生徒会の手伝いをしてほしいという依頼が。

それを快く引き受けた士郎は学校の備品の修理やら一成の手伝いやらをしていた。
途中、

『すまない、衛宮。俺も別件で寺の用事がある。もうそろそろ切り上げるが、衛宮も適度なところで切り上げてくれ』

と、言われた。
そこで終わってもよかったのだが、生憎と目の前には修理待ちの患者達が。

『分かった。とりあえず今はキリが悪いから、こいつらを直したら俺も上がる』

『そうか。すまないな、衛宮。では、武運を祈る』

なんて、やはり少し間違っていそうな日本語使いで去って行った。
その後集中して器具の修理に取り掛かり、あと少しというところで外を見てみると太陽は地平線に沈み、星空が見える。

「やべ………。さっさと終わらしちまわないと」

目の前にはストーブが。
『使えなくなった』ということでその教室の生徒がわざわざ持ってきてくれたものだった。

神経を集中させ、構造を解析する。

(断線しかかっている部分が二つ。………一応補強しておこう。放っておいたらまた修理行きだ。電源コードは………難しいな。絶縁テープでいけるか?)

確認し終えたところで工具箱から工具を取り出し、修理を開始する。

まずは該当箇所を修理するためにパーツを分解。
ここで分解した際にでるネジなどを無くしてしまうと後で痛い目を見るのでしっかりと無くさない場所に保管。

断線しかかっているところを思い切って切断し、ダメになった部分を破棄。
ケーブルを覆っている被膜を一センチほど剥がし、内部の何本も束になった細いケーブルを広げる。

それらを重ねてねじり、接続させる。
その後接続部分を保護するためにテープを巻きつける。

ただこれだけでは数か月でダメになる。
巻きつけたテープの上からロックタイでしっかりと補強する。

「よし、とりあえず軽い方はこれで………。問題は電源コードの方だな。ここまで来たんだ。これを終わらせて帰るか」



午前の授業が終わった後、いつも通りに由紀香と蒔の二人で昼食を食べ、一息ついたところで陸上部の部室へと向かった。

午後からはしっかり陸上の部活だ。
いつも朝は一時間半程度、平日の放課後も平均二時間程度の活動しかできない分、こういう午後の時間はしっかりと練習に取り組める。

「お疲れー、氷室。ちゃんと跳べたかー?」

部室に一足先に戻っていた蒔が私に尋ねてきた。

「ああ、大丈夫だ」

「ふーん、ならいいんだけどさ。怪我とかには気をつけろよ?」

衛宮と別れた後、いつも通りに走り高跳びの練習を再開した。
だがやはり気持ちの切り替えが甘かったらしく、バーに触れて落としてばかりだった。

そんな私の状況と近頃の周囲の状況もあって、由紀香も蒔も気に掛けたようだった。
無論、怪我などはしていない。

「蒔の字、由紀香。すまないが、先に帰っていてくれ。私は少しやり残したことがある」

「え? 鐘ちゃん、やり残したことって? 手伝うよ?」

「いや、手伝ってもらうほどの人手は必要としていない。私一人でも平気だ。それにバスまでまだ少し時間もある。気にしないで帰ってくれて構わない」

着替え終えて部室を出た私を追う様に二人も部室から出てきた。
空は既に暗く、吐く息が白く見える。

「氷室、完全下校時刻まであと少しだからな。遅れないように帰れよ?」

「忠告は感謝しよう、蒔の字」

ばいばい、と手を振る由紀香と蒔に別れを告げ、陸上部の倉庫へと向かう。

もう一年の頃から馴染みのある倉庫。
その鍵のかかっていない倉庫に入り、問題のバーを手前に持ってくる。

これからやるのはバーの修繕。
別に私がやる必要はないのだが、だからといって他人がやる必要もないので私がやることにした。

バーをテープでぐるぐると巻いていく。
途中歪んだりしてしまって悪戦苦闘。

「慣れないことはするものではないな」

応急処置ではあるが完了した。

誰の悪戯か、或いは事故なのかわからないが、一部欠けていた竹のバー。
それがバーの端なら問題はなかったのだが、それが丁度選手が跳ぶ部分にあるとなると放っておけない。

欠けた部分に勢いをつけた体がかすれば、それだけで皮膚が切れて出血してしまう。
さきほど行った修繕はそれらを隠す作業だ。

これがもう少し致命的な損壊だったなら大人しく捨てるところ。
だがテーピングをするだけでまだ使えるのであれば使ってく。

「思ったより時間がかかってしまった。もう下校時刻は過ぎているか………」

この倉庫には鍵がない。
そのため鍵をかける手間と鍵を職員室に返しに行く手間が必要ないのはありがたいが、防犯面という意味では問題だ。

「………最近は物騒になっているのだから、鍵の一つでも用意してはどうなのか」

或いは生徒会に鍵の購入の申請でもしてみようか。
真っ当な理由がある以上、この申請は通るはず。

「……………?」

そんな事を考えながらグラウンドに向かっていた。
だが、いつからか何かの音が聞こえてきた。

「金属が………ぶつかる音?」

倉庫から走り高跳びに使うスタンドを取り出す時、誤って倉庫の壁にぶつけてしまう事がある。
今聞こえてくる音はそれと似たような甲高い音だ。

グラウンドに近づいていくと、それに比例して音が大きくなって聞こえてくる。
何事かと思いながら音の発生地であるグラウンドを覗いて─────

「─────な」

─────その光景を見て、意識が凍った。

言葉も続かない。
足も動かない。

私の目線の先に、何かよくわからないモノがいた。

赤い人間と青い人間。
時代錯誤なんてレベルはとうに越えて、冗談とすら思えないほどの武装をして、どこかの時代劇の様に斬りあっている。

見せつけられる光景は、夢としか思えない内容。

(夢………ではない。何かの撮影?─────いや、そんな話は聞いていない。じゃあこれは………)

一体なんだ、と。
私の中で必死に現実の何かに置き換えようとする。

けれど、置き換えられない。
私の知っている全てを総動員しても、“アレ”はどれにも該当しない。

“アレ”は人間ではない。人間に似た何か別のモノ。
あんなもの、誰が見たところでそう思うだろう。

人間という生き物はあれほどのスピードで動ける筈がない。
陸上の私が言うのだから、間違いない。

だからこそ、“アレ”の説明が、理解ができない。
─────だから、“アレ”は関わってはいけないモノだ。

………気が付けば、足が後ろへ一歩下がっていた。

青い人間<の様なモノ>が持つ物。
始めはそれすら見えなかった。

けれどそれが凶器だということは分かった。
二人が対峙していて、金属音を鳴らしている以上、それは凶器以外にありえないから。

青い人間<の様なモノ>が動きを止めて、ようやくその凶器が見えた。
………紅い、槍。

(……………ぅ)

それを見た時、昨日由紀香から聞いた話の内容を思い出した。
確か、子供を除く三人が“長物”の凶器で殺害された。

(まさか………)

じゃあ、目の前にいるモノは何だ。
長物、槍、人間の様な人間ではないモノ、殺し合い。

(逃げ、ないと………)

─────その結論に至るまでに、信じられないほど時間がかかった。

そう、逃げる。
逃げなければ殺される。

確証なんてないが、直感でわかった。
だから逃げなければならない。

なのに私の足は動かない。
距離は四十メートル強。

気付いていない筈だ。
─────けれど、背中を向けて走り出そうものなら、その瞬間にあの紅い槍が背後から自分の胸を穿つ様な気がして、満足に息もできない。

目の前の光景に、恐怖ではなく、恐慌に陥っていた。
体がうまく動かない、言葉が出ない、息すら………満足にできない。

「………!」

赤い男と青い男が動きを止めた。
構えていた槍の穂先は戦いを停止したことを表す様に地面へと向いていた。

なら、もう戦いは終わったと、私は一人安堵した。
その安堵からか、満足にできなかった息を初めて意識的にしたときだった。

「っ……………!」

ぞわり、と。
言いようのない寒気が私の体を駆け巡った。

歯がカタカタと鳴る。
あまりの寒さに対応しようと、シバリングをしようとしている体。

その震える体を必死に押さえつけた。
これ以上ここにいてはいけないと、また一歩だけ、ロクに足も上がらないのに後ろへ下がる。

「!? ひゃっ………!」

体のバランスが崩れた。

足を上げないまま動けば、段差で躓く。
そんな子供でも分かるような失敗を、あろうことかこの場でしてしまった。

極度の緊張状態にあった所為で、そんなことで声を出した。
─────校庭にいるモノは、それを聞き逃す様な存在ではないと、理解してた筈なのに。

「誰だ─────!!」

怒号が、私の耳に届く。
青い男が私を見つけた。

「─────っっ!!」

その声色と、見つかったという事実だけで、瞬時に理解した。

─────“アレ”は、私を殺す気だ。

青い男が姿勢を変化させる。
それだけで、標的は私に切り替わったと理解できた。

「─────…………!!」

声は出ない。
そんな指令はきっと、脳から発せられてはいないだろう。

勝手に手足が動く。
それが死を回避する為に動いたものだと、体が動いた後に理解して、逃走する為に私は全力を注ぎこんだ。



─────sec.05 / 運命の夜

「はぁ─────、は─────ぁ」

これほどまでに息があがったことはない。
それほど全力で、長い距離を走った。

どれだけの時間を走って、どれだけの距離を走ったかなど、今の私には分からない。

長距離走の選手ではないが、陸上部に入ってよかったと心からそう思ったのと。
あの時由紀香や蒔と一緒に帰ればよかったという後悔が。
そして殺されるかもしれないという恐怖が、私の中に氾濫していた。

─────そんな状態では、この無音の世界に響く些細な音ですら私を恐怖させる。

ガラッ

「!─────っ」

声を必死に抑えて、音のした背後へと視線を向ける。
そこに

「あれ? 氷室じゃないか。どうしたんだ、こんなところで」

………信じられない人がいた。

「衛………宮」

普段と、今朝と変わらない様子で彼はそこにいた。
その姿を見て、不意に涙が零れた。

「………っ!」

見せないように背を向ける。
今の、こんな自分を誰にも見せたくはなかった。

「? どうした、氷室。何か忘れ物でもしたのか?」

なるほど、と彼の言葉を聞いて妙に納得する。

完全下校時刻を過ぎた夜にまだ学校にいる。
私は走ってきた所為で息があがっている。

いるはずのない時間に、息が上がった状態でここにいる。
ならば走って忘れ物を取りに来た、そんな風に見えるだろう。

「………氷室? 大丈夫か?」

返事をしなかった私を変に思ったのか、或いは僅かに見えた私の顔色が優れなかったのか。
近づいてきた彼は、私の肩に触れた。


─────だめだ、衛宮。私に触れないでくれ。今の私は─────


「………!おい、氷室。どうしたんだ、何かあったのか!?」

そんな言葉をかけてきた。
きっと普段の私ならば『それは君の思い過ごしだ』と切り返せるだろう。

けれど今の私にそんな余裕はなかった。
そして耐えられなくなって泣き崩れる訳にもいかない。

深呼吸をして、無理矢理にでも気持ちを落ち着かせる。
こんな状況で言えたことではないけれど、冷静であることこそ、私の取り柄だと。そう言い聞かせて。

(………撒けたのか?)

幸いあの青い男が近づいてくる音はなかった。
あまりにも楽観的すぎる思考を頭の片隅に置きながら、彼の問いかけに応じる。

「………別に、何かあったわけじゃない。君の言った通り、忘れ物をしてそれを取りに来ただけだ。
 そういう君こそ何をしている? もう完全下校時刻をとうに過ぎているぞ?」

………冷静になれた、元に戻れた………とは、正直言い難かった。
矢継ぎ早に言葉を続けてしまったのがその証拠だ。

流石の彼でもそんな私をおかしく思ったのだろう。
一瞬怪訝な目で私を見たが、

「ああ、一成の手伝いをしてたんだよ。ストーブの修理だったんだけど、思ったより重体患者で終わったらこんな時間になっちまってた」

笑いながら彼はそう答えた。

(一成?……………ああ、生徒会室、か)

彼が出てきた部屋の札を見る。
そこには確かに生徒会室と書かれていた。

(ということは、私は無意識に階段を駆け上がってきていたのか………)

何が冷静さが取り柄、だ。
自分が上がってきた階にすら気づいていないじゃないか。

「氷室、本当に大丈夫か? 無理しなくてもいいぞ? 何なら家まで一緒に行くぞ?」

“俺は本気で心配しているぞ”、という顔で私を見てくる。
………その言葉に『私』が揺らいだ。

「──────────、」

けれど、それはダメだ。
そもそもこんな廊下で話をしていることが間違いだと気付く。

「いや大丈夫だ、衛宮。心配してくれるのはありがたいが、君は君で早く家に帰った方がいい。この学校に長居は無用だ」

暗に『早くこの学校から出ていけ』と言った。
ストレートに言うとその理由を問われかねないからだ。

「………いや、そんな顔色の氷室を一人にしておくわけにはいかない。長居は無用だって言うのは同意見だけど、それは氷室も同じだろ?」

─────この、お人好し。

「言っただろう? 私は忘れ物を取りに来たと。まだ回収していない。私は取ってから帰るから衛宮は先に帰ってくれていい」

「じゃあ俺は氷室と一緒に忘れ物を取りに行って一緒に帰る。ほら、これなら何の問題もないだろ?」

─────こ、の、お人好しで頑固者。
そもそもこの場にいることが間違いなのだから─────!

「大有りだ!そもそも衛宮は─────」

………その私の言葉が続くことはなかった。

私の前にいる彼の後方。
そこに


「よう、嬢ちゃん。─────追いかけっこは終わりか?」


紅い槍を持った、青い死神が立っていた。



[29843] ep.06 / ランサー
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2014/12/31 22:37
目の前にいる男。
持っているモノ。

─────魔術師として半人前である士郎でもわかるような、“異常”だらけの存在。

自身の後ろにいる少女。
その言動、顔色。

─────先ほどこの男が発した言葉。

そうして士郎は理解した。

その行動に難しい理由なんてないし、必要じゃない。
“衛宮士郎という人間が取るべき行動”だからこそ─────体は動いた。




ep.06 / ランサー

─────sec.01 / 青い死神


鐘は、目の前に現れた男を見て言葉を失っていた。

まともに思考が働かない頭で、それでも出した現在の状況。
その状況は、大よそ考えられる中で最悪の状況だった。

もう、逃げられない。
それはつまり、殺されるということ。

その漠然とした、けれど確実で揺るぎようがない事実が目の前にある。
意識がブレる。前後の記憶が呼び出せなくなる。上下の感覚が消失する。熱さと寒さを受け取れなくなる。

─────棒立ちのまま、全てがモノクロに変わっていく。

「─────え?」

けれど、それが次には消え失せた。

「え………衛宮………?」

気付けば前にいた士郎が庇う様に、あの男の前に立っていた。
必然的に鐘の視界情報は士郎の背中のみになる。

「ん? なんだ、坊主」

青い男、ランサーはただその光景を機械的に判断した。
あの少年が取った行動がどういう意味を持っているかなんてすぐに理解できる。

「おい、坊主。かっこつけてるところを悪いんだがよ、俺はその後ろにいる嬢ちゃんに用があるんだ。どいてくれねえか?」

「………断る」

「………あ?」

笑いかける様に尋ねたランサーだったが、答えを聞いて一転、殺さんとばかりに睨みつける。
その声は先ほどの問いかけとは比較にならないほどに、ただただ低かった。

そんなランサーを前にしても、士郎は睨み返す。

「お前が何をしたかは知らない。けど、氷室がここまで怯えてるんだ。
 ………お前が氷室に何もしないなんて考えると思ってるのか。そんな凶器を持ってる奴を信用するわけないだろ!」

声を張り上げる。
夜の校舎。その静寂で廊下に響く。

─────なぜ、と。
その光景に、鐘はただ疑問を抱くことしかできなかった。

そこで気付く。
“今の自分は疑問を抱くことが出来ている”ということに。

「─────ぁ」

我慢していた涙が、再び零れた。

体も動かなくなって、思考も停止して、呼吸すらままならなくなる。
感覚は狂い、意識は正常さを失っていく。

それらの原因があの男を意識したが故に起きる事だとするならば。
それ以上の意識が別へ向けば、必然的にあの男の恐怖を受け取る力は和らいで、その結果として削がれていた彼女の様々な機能は復活を果たす。


「─────へぇ」


士郎の目の前で、その男は笑った。
人に安心や笑顔を与えるような笑いとは正反対の、人に恐怖心を与えてしまうような笑い。

「坊主、死にたくはないだろう? 大人しくするっていうなら、悪いようにはしねぇが?」

紅い槍が揺れ、穂先が真っ直ぐ士郎へと向く。
それが意味することなど容易に想像がつく。

「断る。氷室、大丈夫か? 走れるか?」

視線は目の前の男からそらさず、後ろにいる鐘の手を求めた。

その手を見て、言葉も出ず、思考も働かなかった。
けれどそれはあの男を目の前にして陥ったモノとは別のモノ。

自然と手が出て、士郎の手の中に収まる。
それを離さないと、強く強く士郎が握る。

伝わってくる手の温もり。
冷え切った自分の手と比べたら、それはあまりにも温かかった。

「─────」

歯を食いしばって、声を噛み殺す。

状況は何も改善していない。
それどころか悪化の一途を辿っている。

彼女の思考が一時的にでも回復したというならば。
この次に待ち受けているであろう現実が、容易に想像できてしまう。

このままいけば、この温かい手の人が─────しまう。

「走って逃げる気か? やめとけ、俺からは逃げられねえよ」

「………そんなの判らないだろ。少なくとも、何もしないでお前に殺されてやるつもりはない」

そう言って士郎は一歩後ろへ後退する。
それは後ろにいる鐘に走る準備をしろ、ということを告げていた。

「そうかい。じゃあ坊主。てめぇもそこの嬢ちゃんと一緒に死んでもらうぜ。─────死人に口なしってね!」

ランサーが床を蹴って、士郎に突進する。
その速度は先ほどの戦闘と比べると明らかに遅い。

だが相手は一般人で、片腕だけで事が済む程度の相手。
ならばそんな相手に全力を出す必要性はどこにもない。

「苦しまないように一撃で葬ってやる!足掻くなよ!」

スピードが遅いとは言っても、魔術も使えない一般人からしてみれば反応できるレベルではない。
相手はこの槍を防ぐ術も持たず、回避するだけの術もない。

心臓目掛けて槍が吸い込まれる様に動く。
次の瞬間には心臓を貫いているだろう。

─────だが。

ガキィン!! 

と、貫く筈の槍が何かに弾かれた。

「………なに?」

完全に油断しきっていたランサーは、その一瞬の出来事を把握できなかった。
出来事自体は大したことではなく、士郎が持っていた自身の鞄で槍を弾いただけだ。

しかしそれはあまりにも不自然である。

まず始めに、いくら油断しきっていたとはいえ“普通の人間”がランサーの攻撃に反応して迎撃など到底できない。
仮に偶然迎撃できたとしても、では普通の鞄で槍を弾くなどできるだろうか?

答えは、否である。

だが事実はその反対を往く。
そしてつい先ほど、一瞬ではあるが感じた感覚。
それが意味するのは。

「ハッ!そうか、てめぇは─────」

言いかけた時、ランサーの顔面目掛けて何かが飛んでくる。
それを、まるで何事もなかったかのように槍を突き立てた。

無論、力を込めて。

歪な音を立てて槍に突き刺さった。
視界に入ってきたその物体は、先ほどランサーの槍を防いだ士郎の鞄だった。

二人がいた場所へ視線を戻す。

そこに二人の姿はない。
耳に小さくではあるが、遠ざかる足音が聞こえる。

「本当に走って逃げた………か」

槍に突き刺さった鞄を放り投げ、二人を追いかけるべく疾走する。
逃がすつもりなど毛頭ない。

「へッ、上等!ちったぁ楽しませろよな、魔術師!」

魔術師が走って逃げたところで、サーヴァントに勝てる道理はない。
加えて一般人を連れて逃げている以上、逃げ切る事は永劫不可能。

そして彼の者の名は、ランサー。
………最速の名を持つサーヴァントである。



─────sec.02 / 行為の代償

暗闇の学校。
廊下の明かりはなく、月明かりだけが頼りとなる。

息を荒げながら士郎は鐘の手を握って走り続ける。

「くそ………!」

つい先ほどの光景を思い出す。

あの槍に咄嗟に反応できた強運と、一回だけでも攻撃に耐える事ができたのは行幸だった。

だが問題はその後。
走り去る直前、逃げるために投げた鞄はいともたやすく穿たれた。

(つまり、アイツは俺たちを殺すって言いながら、全然本気じゃなかったってことか………!)

そしてあのスピード。
本気じゃなかった筈なのに、魔術で強化した反応はぎりぎりだった。

(─────これじゃ、学校内から出ることもできない!)

今の現在地から外へ逃げるには、どう頑張ってもグラウンドへ出る必要がある。
しかし当然ながらグラウンドに遮蔽物はなく、それは相手に自分を見つけて下さいと伝えているようなもの。

かといってこのまま校内を永遠逃げ続けることもできない。
速度で負けている以上、逃げたところでいずれ追いつかれる。

(けど、一階で隠れてやり過ごせば逃げれるか………!?)

どちらにせよ逃げるには一階に行く必要がある。
だから階段で向かうは下の階だというのに。

「─────っ!!」

下から伝わってくる妙な感覚を感じ取った。
そうして気付いた時には、降りようとしていた足は階段を駆け上がっていた。

─────それがアーチャーのものである、ということを士郎が知る由もなかった。

駆け上がった先に行き着く場所。
そこは屋上である。
昼ならば生徒たちが弁当を持ち寄って談話しながら昼食をとっていただろう。

だが今は完全下校時刻をとうに過ぎている。
周囲は完全な暗闇で、当然ながら生徒なんていない。

「はぁ………ぁ、─────大丈夫か? 氷室」

廊下を全力で走り、階段も全力で駆け上がってきた。
息は多少なりとも上がっている。

だが、士郎よりもさらに疲労の色を隠せないのが鐘であった。

「──はぁ、──はぁ、─────ッ」

至極当然。
士郎に出会った時には既に全力で逃げてきた後だったわけであり、そこからもう一度全力疾走をすればいくら陸上部の彼女といえど息は切れる。
そしてこの尋常ならざる状況であるならば普段のパフォーマンスも出せない。

士郎の問いかけにも答えられないくらいに息があがっている。
ゆっくりしている時間は無いとは言え、少しは休息を取らなければ走ることが出来なくなってしまう。

「とにかく隠れないと。どこか、隠れれる場所は………」

一度離した手を再び握ろうとしたが、鐘はその手を振り払った。
そうして一歩、遠ざかる様に後ろへ下がる。

「もう………もういい、衛宮。私があの男の前に出る。君はその隙に逃げろ」

肩で息をしながら、俯いていた顔を僅かにあげた。
その彼女が言った言葉を、士郎は決して容認しない。

「なっ………バカ言うな!そんなことできるわけないだろ!」

「バカは君だ、衛宮!君はこんな事に巻き込まれる必要はなかった!なぜ庇った!─────助けてくれと言った覚えなど、ない!」

普段では聞くことがないような叫び声。
その彼女の姿に、士郎の胸が潰れる様な痛みをあげた。

あまりにも弱く、脆く、今にも消えてしまいそうな横顔。
この高校で彼女と接していた時間は長くはないが、それでも普段の彼女を知る士郎だからこそ、胸が余計に痛む。

「………なんだ、この展開は。─────まるで三流の小説を体現したかのような感じは、一体なんだ………?」

灰色の長髪の所為で、俯いた横顔をはっきりと窺い知る事はできない。

けれど、僅かに顔をあげて士郎を見た時に、その顔が確かに見えた。
ボロボロの笑みを浮かべた、鐘のその顔が。

「君が助けてくれたおかげで、あの場は逃げる事が出来た。………けれど、分かっただろう?─────このままでは、二人とも殺される」

彼女の『日常いつも』は、あの青い男に出会った時点で木端微塵に砕け散った。
何もできないまま、ただ追いかけられて殺される。

どうしようもなくどうにもできない相手。
抵抗しても逃げても懇願しても結果は変わらない。

「………これが三流の小説と言うなら、体を張って誰かを助けるというのもまたありきたりな話。衛宮、君は本来狙われる理由なんて」

何かに諦めたような、遠い夢を見ているような目で、士郎を見ていた。

「………氷室」

そんな姿に、ほとんど反射的に言葉が出た。

「もし、この展開が氷室の言う『三流の小説』だって言うなら、氷室が犠牲になるのがその三流小説にありきたりな話だって言うなら─────」

ボロボロの笑顔で、そんな目で。
そんな彼女が、士郎には許せなかった。

彼女に怒りを覚えたわけではない。
けれど、彼女がそんな表情になるのが許せなかった。

放っておくわけにはいかない。
そのつもりは毛頭ないし、ボロボロになってしまった彼女を死なせるつもりもない。

ましてや相手が規格外の“異常”だというならば、魔術師である自分こそが戦うべき相手だ。
─────ならば。

「俺が一流の小説にしてありきたりをコワしてやる」

必ず助け出す。
嘘でも偽りでも冗談でもなく、視線を逸らさずに真っ直ぐに目の前にいる鐘の顔を見る。

「─────」

その言葉に、鐘は心底驚いたように士郎の顔を見返した。

一瞬、理解ができなかった。
目の前にいる彼が言った言葉の内容を、意味を理解することができなかった。

「な、にを………。衛宮、君は“アレ”が普通じゃない、異常なものだとわからないのか?」

彼が言った意味は、つまり自分を助ける、という意味である。
それが理解できない。
先ほどの出来事を見て、それでも助けると言うのだろうか。

「分かってる………、けど、氷室を犠牲にするなんていうのは嫌なんだ」

目の前の少女は自分を助けるために、命を投げ捨てようとしている。
そんな自分の事より他人の事を想う少女がボロボロになって、殺されて─────そんな事で得られる日常なんて、欲しくもなかった。

「俺の、な理想はさ『正義の味方になる』ってことなんだ。─────笑っちまうだろ? けどさ、助けたい人を助けられるっていうのは、いいことだろ?」

「─────」

もう、言葉が出なかった。
ふと、思い出してしまったからだ。

─────『度が行き過ぎて、壊れてしまう』─────

何かを言わなければいけないのに、言葉が出ない。
何かを考えなければいけないのに、思考が纏まらない。

「だから俺は氷室を助ける、助けてみせる。………間違っても氷室は絶対に死なせない。だから─────」


「─────だから、どうするって?」


「「─────………!!」」

校舎内へと続く扉の向こうから、聞きたくもない声が聞こえてきた。
士郎は即座に鐘を背中にやり、屋上へと出てくるランサーと対峙する。

月明かりだけがゆっくりと体を照らし出し、全身が闇より現れる。
不敵に笑い紅い槍を持つその姿は、自分達がどうしようもなく『狩られる側の存在』だということを認識させられてしまう。

「あの防御はなかなかだったぜ、坊主。その後の咄嗟の気転もな。突然顔面に視界を隠す様に物を投げられちゃ、こっちとしてもそれに対応するしかないからな」

低く笑いながら一歩ずつ距離を詰めてくる。
それにつられて士郎と鐘も一歩、また一歩と後退していく。

「だがまあ分かっていたはずだ。あんな程度じゃ一瞬の足止めにしかならねぇってことくらい。
………あぁ、そういう意味ではその一瞬でここまで駆け上がってきたことは褒めてやるよ。
 嬢ちゃんにいたっては下からぶっ通しだった筈だ。いや、本気でいい脚だ」

一歩、一歩。
まるで死を宣告するが如くゆっくりと近づいてくるランサーから、何とか距離をとろうと後退し続ける。

「だからこそ、この失策は残念だ。下りたならば何か策はあったかもしれねぇが─────屋上………ここには何もない」

ガシャン、と鐘と士郎の背中から音がなった。
姿勢はそのままで僅かに後ろを振り向けば、屋上に設置されているフェンスまで追い込まれていた。

詰みチェックメイトだ。坊主、嬢ちゃん」

ギリ、と歯ぎしりすら聞こえてきそうなくらいに歯を噛み締める士郎。
だがそれでも鐘の前より動こうとはしない。

左腕で鐘を庇いながら、右手で後ろにあるフェンスを掴む。
どれだけ強く握ったところでそれがすぐに壊れるようなことはない。

「─────」

逃げ場はなく、隠れる場所もない。
助けなんてどこにもいないし、目の前の“アレ”に対抗できる術もない。

鐘はこの危機的状況を、最早どこか諦めたように分析していた。
なまじ頭の回転がいいと突破できる観点を見抜きやすい点、詰んでしまった時の諦めも早い。

(ここままでは、衛宮まで死んで………)

見てしまっただけで殺されるというとんでもない理不尽。
だが前にいる彼はそんな自分を庇ったというだけで殺されてしまうふざけた理不尽。
─────そんなことが、あっていい筈がない。

(せめて………衛宮だけでも─────)

そう思って─────だから、目の前の男に声をかけようとして………

「………詰みチェックメイトには、まだなってない」

彼女の言葉が出る事はなかった。



─────sec.03 / 命がけの逃亡

「ほう? つまり何か、坊主。この状況に置かれてもまだ何か策があるっていうわけか?」

そんなことはありえない、と言いたげに訊いてくるランサー。

先ほどのアーチャーのマスターは見事この屋上から逃げ切った。
だがそれは生粋の魔術師だからであり、かつ一人身でサーヴァントまで従えていたからこそだ。

今ランサーの目の前にいる二人はそうではない。
赤い髪の少年は魔術師ではあるが、先ほどのアーチャーのマスターと比べると下位の存在であることは明確であるし、もちろんサーヴァントなんて従えていない。
そしてその少年の後ろには魔術師ですらない少女がいる。

少年一人で逃げるというのであれば、頑張れば逃げ切れる可能性は千回に一回の割合であるかもしれない。
だがその少女と共に一緒に逃げるというのであれば億単位の回数を施行しても一回があるのかどうか。

「ああ─────お前から逃げ切ってみせる」

ランサーの目の前にいた少年は、そう言い切ってみせた。
視線を後ろにいる少女に移すが、その顔は理解しているようには見えない。

「クッ………クククク。いいねぇ、坊主。そう大見得張ったんだ、─────女の手前無様な死に方は晒すなよ?」

槍を構える。
月夜の光が槍を紅く、妖しく照らし出す。

相手は魔術師だが、やはり取るに足らない存在。
こちらが万に一つも敗北はおろか傷すらつくことがない戦い。

ならばこの状況で相手が何をするのか興味を持ち、それを見てから対応するのも悪くはない。


「氷室」

場が一気に緊迫する。
それを感じ取った士郎は後ろにいる鐘に小声で話しかけた。

どうやら作戦の内容らしい。
必死に冷静になって士郎の言葉を聞く。
何らかの彼の意図、真意が判るかもしれない。

だが、そうして聞いた内容はあまりにも意味が分からないもので………

「え?」

と、聞き返してしまった。
しかし斜め後ろから見えるその顔は終始真剣な顔で言う。

「頼む。気が引けるかもしれないけど、こうするのが一番安全なんだ」

そう言われてしまっては従うしかない。
数秒先の自分の状態をやんわりとだが想像する。

(………しかし私が衛宮に─────など………)

仮にこれが夢だったしても、蒔や由紀香には言えないな、なんて場違いな考えをしていたのであった。

「よぉ、作戦会議は終了か? いくぞ!」

何をするのかという一種の期待を持って、ランサーは今日二度目の突進を仕掛けた。

距離は十メートルと少し。
サーヴァントが突進などしたらあっという間に詰められる距離。

だからこそ、これからの行動は常に士郎たち自身が持ち得る最速で行動しなければならない。

「氷室!」

大声で鐘に呼びかける。
その声を聞いて、鐘は士郎の背中から手を回し、胸の辺りで手を繋いだ。
格好としては鐘が士郎の背中から抱きつくような格好である。

ランサーはそんな場違いな彼女の行動に呆気にとられたのか、一瞬、ほんの一瞬だけ気が緩んだ。

が、それも一瞬。
刹那、ランサーは元の状態に戻っていた。

(その一瞬で十分!)

どっちだ!? と紅い槍と握られている腕を凝視する。
槍で常識的に考えられる攻撃方法は薙ぎ払いか突きのどちらか。

突きは全く軌道が見えない上に一瞬の攻撃である。
槍を見てから対応したのでは遅い。

つまり見るのはその攻撃の“予兆”。
そうしなければ突きの回避なんて士郎にはできない。

対して薙ぎ払いは大きくこそないが、振るう為の腕の動作が攻撃前に発生する。
ランサーがどれだけ人間離れしていようとも、人間の骨格を持って人間の体で構成されている以上、その動作を完全に消す事はできない。

士郎が見るのはその二つ。
“予兆”と“攻撃前の動作”、この二つが二人の命運をわける。

そのためにも見極める必要があるのだが、そのためにも出来る限り顕著にそれらを見せてもらわなくてはいけない。
少しでも隙があったほうが士郎にとってプラスに働く。

ここで彼女にしがみつくように願い出た一つ目の理由。
ランサーは戦い慣れている。きっと何をしても動じないだろう。

ならば、戦いにはまるで不向きな行動を目の前でされたときはどうするのか。
おそらくはその行動がどのような脅威に成りえるのか考察する。

つまり、そこに一瞬の隙が生まれる。
その隙を突く。

士郎の身体能力はすでに魔術によって強化されている。
常人の動きよりも素早く行動はできる。
だから、様々な思惑の絡んだ結果に生まれた攻撃を回避できる。

(突きっ!!)

そう判断した瞬間、心臓を突き抜こうとした槍を魔術でブーストされた体は紙一重に避ける。
衣類の一部が破け、皮膚が僅かに切れるが行動に支障はない。

ガシャン! と“フェンスが突き破られる”音がする。

「…………!」

ランサーは避けられた事実に一瞬だけ驚愕するが、やはりそれも一瞬。
“フェンスを突き破った槍を引き戻すことなく”横薙ぎの一閃をいれる。

ガガガガガッ! と“フェンスが削られる音”が屋上に響く。

「─────坊主、てめえ………!」

その違和感に気付く。

“フェンスが削られる音”。
果たして、ランサーの腕力と槍を以てしても、“フェンスは削らなければならない”のだろうか?

答えは否。
ランサーの力を以てすれば、フェンスなど豆腐を切るのと変わらないくらいの軟なものだ。
動作的にも“削る”と言うよりも“斬る”と言う方が正しい。

いくらフェンスが頑丈だからといってランサーの攻撃が軽減されるわけはない。
二人にとってはそんな攻撃ですら必殺の一撃となる。

だが突きを避けたその驚愕と、フェンスの強度がランサーの想定よりも“上がっていた”という二つが重なった。

誤差にして0.1秒かもしれない。
士郎にとってそれは何よりも大きい。

横へと薙ぎ払われた一閃をしゃがんで回避する。
ランサーの紅い槍が空を斬った。

ここでしがみつくように願い出た二つ目の理由。
いくら士郎が攻撃を回避できたところで、鐘が攻撃を回避できなかったら意味がない。
なので彼女には抱き着いてもらって、士郎が回避したとの一緒に回避させようと試みた。

しかしただ抱き着くだけだと振り回された時点でわずかな遅延が発生する。
その遅延は死に繋がりかねない。

それを防ぐために背中に思いっきり引っ付くような形でしがみつくように頼んでいた。
当然普通にしがみつくよりもさらに密着するため遅延の幅も狭まる。

魔術強化していないと回避などできない。
だが、今は逃げる為に身体能力を強化している為、鐘くらいの女性が抱き着くくらいならば回避にかかる影響はなんとか消すことができる。

しゃがんだ際に足をとり、抱き着いている鐘を背負う。

(今だっ!)

槍を横に薙いだ隙を突いて、士郎はランサーにではなく破損されたフェンスに向かって突進した。
ガシャン! という音と共に削られたフェンスは無様に壊れて落下する。

無論、跳びだした士郎としがみついていた鐘も一緒に落下することになるのだが─────

「へっ、それで逃げ切るっていうのか!? 坊主、俺を甘く見んじゃねぇ!!」

言葉の最後はもはや怒号の声で発しながらランサーが槍を構えた。

伊達に聖杯戦争のランサーというクラスには収まっていない。
槍を返す速度は人間のそれをはるかに凌駕する。

だが、士郎はそれに動じない。
彼が異常だということなど当の昔に理解しているからだ。

(わかってる、お前が弱くないなんて最初見た時にわかってた。それにこのままだとアウト。だから─────)

─────お前の槍を利用する

同調、開始トレース・オン!)

背中にいる彼女に聞かれることがないように心の中で叫び、渾身の強化を一瞬で完了させる。
五年の鍛錬を経て、実った成果だった。

強化したのは鐘の鞄。
自身の鞄と同様に盾に使うために強化する。

ヒュッ、と風を斬る様に槍が突き出された。
まだランサーの射程圏からは離脱できていない。標的は背後にいる彼女。

「させ………るかっ!」

しかしその標的は彼の行動によって強制的に変更させられた。
無理矢理体を反転させた士郎は、槍を突き出したランサーを正面にとらえる。

身体が悲鳴をあげたが無視して体を動かした。
正面をとらえたそこには、当然紅い槍が迫ってきている。

それを見てから防御したのでは間に合わない。
ならば回転させ、振り向きざまに盾を構えるしかない。

まず始めに。
防御する箇所が少しでもずれていたのならこの盾は意味はなさない。

次に。
たとえ運よく防御する箇所があっていたとしても即席の盾であの必殺の槍を止められる理由がない。

強化した鞄がぎりぎり耐えられる角度にして受け流すことができるように構えなければ、貫かれて即死する。

これらはいずれも一瞬の出来事。
例え事前準備をしていたとしても出来る道理はない。

─────だからこそ、この結果は奇跡である

ギギギギギギギッ!! と大よそ鞄の音とは思えない音を出す鐘の鞄。
その音が続く間、外へ押し出される力を受けている。
丁度よく、貫通されないだけの角度と強度をもった鞄が今現在、二人の命を守っていた。

しかし全てを受け流すことはできなかった。
ギャリッ!と鞄の端まで受け流された紅い槍は士郎の左肩にわずかに刺さった。

「!─────ッ!!」

ギリ、と歯を食い縛る。

しかし刺さったとはいえどあの必殺の槍にしてはあまりにも弱い攻撃。
それだけ受け流すことに成功したということであり、例え攻撃を受けた所で大したダメージにはなりえなかったのである。

そして跳びだした時には届かなかったが、ランサーの攻撃の力を受け取った二人は今現在“ちょうどよく”木の上にいた。

体が傾く。
重力に従い落下し始めた。

しかし今現在地面側にいるのは鐘である。
当然このまま落ちようものなら彼女が大怪我をするのは必定。

完全に射程圏から離脱したことを確認した士郎はランサーの手前でやってみせた空中反転をもう一度行う。

先ほどは前後だったが、次は上下。
父親から習った魔術を同時に準備しながら二度目の反転。

下にある木々。
今は葉もついていない木ではあったが背だけは高かった。

バキバキバキッ! と枝木がへし折られていく音。
自然落下をわずかに枝木で押さえている間に、全力で魔術行使を準備する。

強化が得意な彼にとって、父親から教わったそれ以外の魔術を使用するには時間がかかる。
その時間を稼ぐために木々の上に落ちようと画策していた。

木々の上に落ちることによって時間稼ぎと衝撃の緩和。
この二つを得ていた。

ここでしがみつくように願い出た三つ目の理由。
きつく抱き着いてもらうことにより彼女の視界を背中に制限すること。
彼女の身長は士郎の身長より10cm程度低いため、魔術行使をしても見られることはない。

地面が近づく。
まだ魔術更新の準備が整っていない。
その間にも地面は近づいてくる。

(間に合え………っ!)

そして────

地面にぶつかる直前で魔術を発動させることに成功した。
衝突寸前に、一瞬だけ時間が停止したかのように体が浮いてその後不時着した。
落下のダメージこそなかったが、突然重力に逆らって一時停止したものだから二人には通常よりも強い重力が加わる。

その重力に耐えながらも着地に成功した後は、即座に校舎の窓に向かって跳び、窓ガラスを破って中に入った。
その後簡易的な気配遮断の魔術を行使してランサーから逃げる用に消えたのだった。



─────sec.04 / 殺人考察

今から追いつこうとすれば、問題なく追いつける。
それどころか、落下中にその背中を二人分貫通させることすらできた。

だが屋上に残った青い男ランサーは、士郎が落ちて行き視界から消えた場所を茫然と眺めていただけだった。

(俺に隙はあった、それは認めよう。だが、その隙も刹那とも呼べる時間だ。その時間の間にあれだけの判断と動きができるのか?)

否、できるわけがない。
ランサーはそう考えたが、実際にしてしまった人間がいる以上は認めざるを得ない。

フェンスに触れ、それを片手だけで握りつぶす。
それだけでフェンスはぐにゃりと曲がり、原型を失ってしまう。

「………そうか。あの小僧がここまで来たときか」

左腕は後ろの少女を庇う様にしていたが、右手はフェンスを握っていた。
或いはその時に何かをしたというならば、先ほどの不自然なフェンスの抵抗力にも納得がいく。

「なるほど。場当たり的なモノではなく、僅かにあった可能性にかけた、ってことか。─────にしてはお粗末な部分が多すぎだがな」

例えば初撃が突きではなく、薙ぎ払いだったら?
例えば突いた後に蹴り飛ばしていたとしたら?

落下に追いついて空中で攻撃を加えたら?
下に回り込んで着地したところに攻撃を加えていたら?

─────どれもこれも二人の命は消え去っていただろう。

それほどまでに“相手に依存しすぎた逃亡”だった。

「自分達じゃどうしようもできねぇが、それでも自分達が取れるだけの事をした、か。
 ─────ああ、いいぜ。褒美だ、坊主。“後ろの奴”の相手をしている間だけは見逃してやる」

そうしてランサーは再び対峙する。

「………ったく、俺の邪魔をしてくれてんじゃねぇよ、アーチャー!」

「ふむ、貴様の邪魔をするのは当然だろう? 何せ私達はサーヴァント。敵であるサーヴァントを倒す為にここにいるのだからな」

「ああ、戦うためにここにいるっていうのは正解だ、同意するぜ。………だがな」

槍を構え、アーチャーは虚空より出現させた双剣を握る。

「俺の邪魔をしていいっていう理由にはならねぇんだよ!」

叫んだランサーはアーチャーとの戦闘を再開する。

彼らのやり取りになんら変化はない。
ただ、戦闘場所がグラウンドから屋上へと変わっただけである。




[29843] Fate/Unlimited World―Re 第7話 二人の長い夜
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:33
第7話 二人の長い夜


─────第一節 避難─────

窓ガラスを破り校舎の中へ跳び込んだ。
気配遮断を行使して、すぐさま破った場所から離れる。
廊下に出て別の教室へ隠れこもうとするが、どこも施錠されていて開いていない。

「くっ………そ」

こういう時に限って施錠している教室が恨めしく感じる。
しかし廊下でうろうろしているわけにもいかない。
こうしている間にもあの男は追ってくるだろう。

どこかに隠れることができる場所がないかと廊下を歩き回り、手当たり次第にドアに手をかける。
だがやはりというべきか、どこも施錠されており隠れることが出来ない。

「─────」

焦燥感ばかりが増えていく。こんな見渡の良い廊下にいつまでもいられない。
それを感じ取ったのだろうか。
背中に背負われている鐘は小さい声で、しかし背負っている士郎には確実に聞こえる声で呟いた。

「………陸上部の倉庫なら開いている」

咄嗟に現在地からのルートを頭の中に思い描き、鐘を背負ったまま陸上部の倉庫へと向かう。
一旦外にでる必要があったが幸いにも倉庫の近くにいて、かつ倉庫のある場所に行くまでに遮蔽物が多かった。
周囲に気を配りながら夜の校舎を歩く。
電気などもちろんついておらず、足元を照らすのは月の光のみ。

「─────」

二人は息すらも殺している。
僅かな物音を聞き逃さないように。
そうして倉庫に到着し、中に入る。
無論倉庫内の電気はつけない。
倉庫の小さな窓から光が漏れてしまうからである。

窓から入る僅かな光だけが倉庫内を照らしている。
ゆっくりと運動マットの上に背負っていた鐘を降ろし、その横に座る。

「─────づ…………!」

先ほどの反転と、左肩の傷、限界レベルでの体の行使による反動が襲ってきた。
額に汗をかき、痛みに耐えるように体を押さえつける。

「衛宮………!?」

隣に座っていた鐘は士郎の異変に驚き、顔を覗きこんだ。
それに視線を合わせる士郎。
鐘の頬や額、腕や足などに軽い切り傷があった。
枝木やガラスによって切れたのだろう。

「大丈夫………!」

対する士郎も傷は深くはない。
左肩から血がでているが、ほかは彼女と同じように切り傷や痣があるだけだ。
しかし問題なのは体の内部。
体のあちこちが痛みを訴えている。
空中で二人分の体重を反転させる行為など今まで一度もなかった。
それを考えるとあの一瞬の時間で二度もできたのは僥倖だろう。
体の痛みを無理矢理意識力で抑え込む。

フラフラと立ち上がり倉庫入口に耳をあてた。
ヘタに覗き込んで見つかるくらいならば足音を聞く方がまだ安全だ。
幸い周囲は静かなのでよほど慎重に相手が歩いてきていない限り聞き逃すことはない。
逆に言えばこちらの少しの物音でも聞きつけられてしまう可能性があるということなのだが。

その様子を見ていた鐘も運動マットから立ち上がろうとする。
が。

「あ、れ………?」

腰に力が入らない。
立つ事ができない。

「氷室………? どうした?」

そんな彼女の様子が気になった士郎が近づいて目の前にしゃがみ、顔を覗きこんだ。
対する鐘は少し視線を逸らすように俯いてしまう。

「ぁ………いや、その」

言いよどむ。
まさか腰が抜けてしまったとは恥ずかしくて言えないだろう。

「?…………外、音だけだけど確認してみた。アイツは追ってきていない、このうちに学校を出よう。氷室、立てるか?」

立ち上がって手を差し伸べる。
その手を見て、戸惑いながらも掴んだ。
そして引き上げたのだが………

すとん、とまた座り込んでしまった。

「氷室………?」

「~~~~~~!!!」

顔が真っ赤になる。
まさか自分が腰を抜かすなんてことを想像したことなどあっただろうか。
しかも男性の前で。

「氷室? 疲れてるのはわかるけど、学校にいるとアイツが…………」

わかっている と心の中で呟いて意を決し、告白する。
隠し続けた所で意味はないのだから。
だが、中々立たない彼女を見た士郎は別方向の心配をしてしまう。

「─────もしかしてどこか怪我を………!?」

「い、いや………そうではなくて、だな。その、これからいう事を笑わずに聞いてくれないか………?」

「? 笑うって………今の状況で笑うようなことなんて何もないと思うけど。───いや、わかった。何かあったなら言ってくれ」

真剣な表情で見つめる士郎。
その表情が余計に彼女を困らせてしまうのだが、彼はそれに気づかない。

「実は………その、」

「ああ」

「───────腰が抜けて、立てない」

訪れる静寂。
無論、士郎は笑っていない。
笑うというよりは唖然としたような顔。
対する彼女は顔を真っ赤にして彼の視線から逃れるように顔を俯かせていた。

「─────。…………。…………あー、氷室?………その、大丈夫か?」

「………大丈夫じゃないから立てない、のだが」

「………だよな、ごめん」

立ち上がっていた士郎は再びしゃがみこみ考え始める。
その顔に終始罵るような表情は出てこなかった。

「どうするかな………ここにいたっていずれ見つかるだけだろうし。見つからないにしても一日を此処で過ごすわけにもいかないしな………」

「わ、私が立てば何も問題はないのだろう。すまないが衛宮、もう一度ひっぱりあげてくれないか?」

「え………いや、別にそれは構わないけど………」

手をとり引っ張り上げる。
当然体は立ち上がる、が、

「っと、危ない!」

機材に頭を打つように倒れそうになったところを抱きかかえられたのだった。

「す、すまない………?」

小さく息を吐いた直後だった。
ぐらり、と視界が歪んだ。
心なしか体も少し熱く感じる。

「氷室?」

「ぁ………ぅ………?」

暑さと疲労が体に襲いかかってくる。
意識が急速におちていく。

すぅ、と目の前が真っ暗になった。

ある種当然といえば当然である。
彼女はあくまでも一般人。心的疲労や肉体的疲労だって溜まりやすいのである。

─────第二節 無実は苛む─────

アルコールを口にしたことのない私だったが、酔ったような感覚に襲われる。
少し気持ちが落ち着く。

────曰く、好きな人の匂いをかぐと落ち着くとか

そうして目が覚めて気がついたら浮いているような感覚。

「え………?」

目の前には彼の顔があった。

「大丈夫か、氷室?」

そう言って私の顔を見る衛宮だったが何かおかしい。
見える風景がおかしい。

彼が見えるのはいい。
じゃあなぜその後ろが“夜空”なのだろうか。

そう考えた時………冷水がかけられたように意識が覚醒した。

「ちょ、ちょっと待て…………!」

ものの見事に抱えられている。
私の意識がはっきりしていなかった以上背に抱えるのは無理で、だから今私は衛宮の胸元に抱きかかえられている。
恐らくはあの倉庫の後に気を失ったのだろう。
で、あそこにいるわけにもいかないのでこうして運ばれている、と。

「衛、宮………!待て、降ろしてくれ。この格好はまずい………!」

夜で人通りは少ないとはいえ街中でその……お姫様抱っこをされるなどとは思わなかった。
………というより普通はしない!

「う………せっかく気にしないようにしてたのに。────でも氷室を歩かせるわけにもいかないだろ。嫌かもしれないけど我慢してくれ」

「いや、別に嫌というわけでは………ではなく!この格好がまずいんだ。誰かに見られたら………」

今私は何を言いかけようとした!?
………いや、今は置いておこう、というよりはまず落ち着………

「…………いや、今のところは見られてないけどな。あ、もしかして彼氏とかいるのか?ならそれはまずいか………」

「交際している相手はいない…………という問題でもない!こ、こんな状況がいかにまずいかわからないか!これでは………その、なんだ、」


─────恋人同士みたいじゃないか


………言って後悔した。今の言葉は思考を反映せずに反射的に出てしまっていた。
彼が何か言う前に言葉を続けなければ!

「と、とにかく!もう私は大丈夫だ。降ろしてくれ、衛宮」

「え? あ、ああ………。もう歩けるのか?」

「問題はない、早く降ろしてくれ………!」

これだけ顔に血が上ったのも初めてではないだろうか。
ようやく地に足着く感触。
アスファルトの感覚が足から伝わってくる。

「………っ」

「っと。氷室、大丈夫か?」

フラついたところに衛宮が咄嗟に腕を掴んでくれた。
フラつきはしたが、しっかりと地面に足は立っている。

「あ、あんな風に抱きかかえられれば動揺して平衡感覚など失う」

「………そうか、その、すまん」

こちらを見ずにそっけない態度で答える。
もっとも、私とて恥ずかしさからそっけなくはなっているのであるが。

「氷室? その、歩けるか?」

「何とか。だが………少し頼みがある」

「何だ?」

「うまく歩けそうになるまで、腕を掴んでも大丈夫だろうか?」

「ああ、それなら問題ない」

そう言って私は彼の腕をとって歩き出した。
当然といえば当然なのだが、体が触れ合っている。
というより、この状況よりもさらにまずい状況が先ほどあったばかりなのだが、意識のある場所が違うのでこちらのほうが余計に気になっていた。

互いに言葉が出ないというこの何とも言えない空気を払拭するべく、隣で歩く衛宮に訪ねた。

「衛宮、どこに向かっているのだ?」

「俺の家。流石に意識失ってる氷室を抱いてバスに乗るのは躊躇われたから………」

当然だ………、といいながら歩く。
というよりそんなことをされたら次からは歩いて学校に来なければならなくなる。

私の知らない道を衛宮と二人で歩いていく。
歩いている間、彼の腕をとっていた。
ちらり、と顔を見るのだが視線が合う度に彼は視線を外していた。
つまりそれは私が見ていないときは私を見ていると言う訳で…………

「大丈夫か、衛宮?………顔が赤いが」

言った私も顔が赤いのだがそれは置いておく。

「…………大丈夫。単に俺の修行不足なだけだから。氷室こそ大丈夫か? もうすぐ家に着くけど」

「ああ………まだ少し違和感を感じるが問題はないと思う」

問題がないなら腕を離してもいいのだが、なんとなく躊躇われた。
坂を上りきって歩くこと数分。彼の家の門が見えてきた。
立派な武家屋敷だ。思わず感心してしまう。

「とりあえず家に入ろう。体も冷えてるから温かいお茶でも出して温まった方がいいだろ?」

そう言って私を連れて家に入って行く。
客観的に見てこの状況は彼氏の家に泊まりに来た彼女ではないのか………?
その光景を想像してしまって即座に頭から追い出したが………イメージは払拭しきれなかった。

家に入り居間に案内される。
きれいな居間だった。
日本家屋に相応しい部屋にはそれを壊さないように液晶テレビが置かれている。
埃は見当たらなく、しっかりと手入れされているのが伺い知れる。

「ちょっとまっててくれ、お茶入れてくる」

衛宮はキッチンへと向かっていく。
先ほどのあの男との対峙したときの緊張感は何だったのかと思ってしまったが、私だってあんな緊張感は味わいたくない。

ここは大人しく彼の用意するお茶を待ちながら、私は何をすべきかと部屋を見渡していた。
その視界の中に、彼が持っていた自分の鞄を見つけた。
手に取って見る。

そこには不自然な傷跡がついていた。
そういえば何か金属同士がこすれあう音がしたような気がする。

傷を見て気になり始めた。
そもそもなぜ私たちは屋上から落ちて無事でいれたのだろうか。

「お待たせ。はい、氷室」

「あ、ああ。すまない。恩に着る」

渡されたお茶をゆっくりと飲む。
冬の夜風にあてられて体が冷え切っていたので温かいお茶は身に染みた。

「氷室、とりあえず傷の手当をしよう。大したことはないと思うけどしておいたほうがいいだろ」

お茶を入れた衛宮は自分のお茶を飲むことなく救急箱を取り出した。
消毒液やら包帯やらを用意していく。

「あ、いや、衛宮。私の傷はどれも大したことはない、それよりもその左肩を………」

「俺のだって大した傷じゃないよ。氷室は女の子なんだからさ、傷は早めに手当して直しておくべきだろ」

そう言って傷薬を取り出して私についた切り傷を消毒し始めた。
先ほども感じたことだが、こうなった衛宮は動かそうにもきっと動かないだろう。

「っ………!」

「と、ちょっとしみるかもしれないけど我慢な」

体にできた切り傷は数か所。
そのうち衣服を着てても見える部分だけ手当をしてくれた。

「すまない、衛宮」

「どういたしまして」

そのまま衛宮は自身の左肩の傷の手当をしようとするのだが

「い………つ………」

どうやら倉庫のときの痛みが再発したらしい。
そのまま畳の上にゆっくりと倒れてしまった。

「え、衛宮。大丈夫か?」

倒れた彼に近づいて声をかける。
少し表情は歪んでいたが、

「あー………大丈夫。ちょっと気が抜けて痛みが戻ってきただけ。横に………なれば」

と、平気だアピールをしてくる。
………無論、それが強がりだというのは流石にわかった。

「………とりあえずその左肩の傷の応急処置はしよう」

救急箱を近くに持ってきて道具を用意する。
ガーゼに包帯、ハサミにテープに消毒液。
大よそ必要そうなものを取りだして手当をしようとしたときだった。

…………彼の服を脱がさなければいけない。

(…………)

どうしたものか、と考える。
服を脱がせるという行為をするのは果たしてどうなのだろうか?

それは彼も思っていたらしく、

「氷室、俺は平気だからお茶でも飲んでてくれ。向こう行って一人で手当するから」

確かに一見すればそれが正しいようにも見える。
だが手当してもらった手前、それに従うのはどうだろうか。

「───いや。衛宮は手当してくれたのに、私だけ何もしないというのはおかしいだろう?」

別に何か変なことになるわけではない。
それに男性は海やプールに入る時には上半身は裸だ、問題はないハズだ。
そう言い聞かせて、私は衛宮の服を掴んで脱がそうとする。

「ま、待て、氷室。服ぐらいは自分で脱げる!」

「む、そうか。てっきり服を脱ぐのも億劫なものだと思っていたが」

「いや、さすがにそれはない。痛むけど動けないわけじゃないからな」

左肩が見えるように左腕だけ服を脱いだ。
その肩には直径数cm程度の穴が開いていてそこから血が出ていた。
それを見て息を呑む。
…………浅いのが救いだった。

「衛宮………これは」

こんな傷を負うのは状況的にも得物的にも一つしかない。

「うん、あの槍に刺された」

だというのに当の本人は軽い感じで答えるのだから苛立ちを覚える。

「衛宮、君の方が私よりも重症ではないか。なぜ自分を優先して手当しなかったのだ?」

そう言いながらも私は周囲についた血をふき取って必要最低限の手当をする。
明日にでも病院にいくべきではないだろうか?

「いや、別に放っておいても死ぬような傷じゃないしさ。氷室の傷は言う通り浅いけど女の子だろ、傷なんてついちゃいけない。残ったりでもしたら大変だ」

「………気持ちはありがたいが………」

ある程度の処置を施して包帯を巻き終えた。
それを見た衛宮はありがとう、と言ったあとに訊いてきた。

「応急処置、上手なんだな。どこかでやったことあるのか?」

「私は陸上部の走り高跳び、しかもハイジャンプに挑戦している人間だぞ? 当然同級生や後輩が怪我をすることだってある。応急処置くらいはできているつもりだが」

「ああ、そうか。………うん、確かに一年の頃から楽しそうに跳んでたよな。────なるほど。となれば、そういうのも結構あったってことか」

納得がいったようなので用意されたお茶に手を伸ばそうか────

「────」

待て。
────今なんと言った?

「ずっと見てた………?」

「? ああ、陸上には目が行きやすかったんだ。グラウンドでやってたっていうのもあるけどな」

見られていた。
別にそれは大したものではない。
もとよりこそこそと隠れてやっていたわけではないのだから見られることなど当然だろう。
しかし。

「………つかぬ事を訊くが、衛宮。今朝、跳んでいるところを近くで見たいと言ったのは………?」

「ん、そういうこと。確かに今朝言った理由もあったけどさ。今まで遠くから眺めていただけで、近くで跳んでるところを見たことがなかったから。いい機会かな、って思ったんだ」

「…………そうか」

お茶を飲む。
何故だろうか、お茶がさっき飲んだ時よりもおいしく感じられた。
そう。ここで終わっていればいいのに

「その中でも走り高跳びで本当に楽しそうに跳んでる氷室に目が行った。だから氷室の顔は一年の頃から知ってたんだ。最初は名前と一致しなかったけど。で、一度近くで見れたらいいな………って、どうした?」

「………何も心配はいらない。頼むからそう顔を覗き込まないでほしい」

────どんな顔をしてるかわからないから。



「アイツには見つからなかったからたぶんもう大丈夫だと思う」

「そうか………。衛宮、警察に通報とかは?」

「………内容を説明したら、多分まともに取り合ってくれないと思う」

「────そうだな」

それだけ二人の前に現れたあの男は常識外だった。
殺すことを平然とやってのける。
人間離れした動き。
そんなことを説明したところで普通の人は信じない。

ここで疑問が生まれた。
普通の人は信じない様な人間が現れた。
その人間に狙われた二人はなぜ平然とできているのだろうか。
気になった。気になってわからない以上は調べるしかない。

「衛宮」

そう。
正面にいる少年に尋ねる他はない。

「いろいろと訊きたい事があるのだがいいか?」

「………ちなみに。助かったから全て良し、という選択肢は?」

「ない。気になった事は調べるのが私の性分なのでね。悪いが質問には答えてもらう」

「────む」

少し彼が押し黙ったところで質問を開始する。

「まず。なぜあの常人離れした人間の動きに対応できたのだ、衛宮? 警察すらまともに取り合おうとしないくらいのレベル相手に君は私という荷物を背負いながら回避できた。それがおかしいということに気が付いているか?」

「………あれはただの偶然。相手も油断してたみたいだし。もう一回同じことしろって言われたらたぶんできない、と思う」

「偶然、か。────では次の質問。なぜ私たちは屋上から飛び降りてこれだけの怪我で済んでいるのだ?」

「それは校舎近くにあった木の上に落ちたから、かな。あれがなかったら多分俺も氷室も死んでた」

彼の言葉に迷いはない。
真実を言っている、と彼女は感じた。
しかし、それは別の疑問を生み出すだけにすぎない。

「では、なぜ屋上から木の上に下りれたのだ? 私を背負ったまま跳び下りても木の上にはたどり着けなかった筈だが。それに木の上に落ちたとして、この程度の怪我で済むわけがない」

「────む」

「それにこの鞄の傷は何だ。明らかに不自然だろう。私はあの時衛宮の背中しか見えていなかったが音は聞こえていた。金属音だ。………一体どうなっている?」

「────」

完全に黙ってしまった。
それは『話したくない』というよりも『どう納得してもらうか』という方向に近いものだった。
ずっと黙っている士郎を見る鐘。
それは説明してほしいという願望を込めた眼差し。
至極当然。
それは彼女の性分にも合うからというのもあるが、人間が理解不能なことに陥った時、努めて冷静にいられるように情報を欲しがるのは当然だから。

「────わかった。氷室に嘘なんかつけない。というより、俺自身嘘が上手くないしな。ついたところで氷室なら簡単に見破るだろうし」

そう前置きを置いたうえで

「これから言うことは他の誰にも言わないでほしい。………氷室の心の中に閉じ込めてくれたら、俺は話す。────それでもいいか?」

他言無用、ということに了承する。
これから一体何を話そうとするのか。
一種の期待、そして一種の恐怖を抱きながら言葉を待つ。

「実は────」

だが、その言葉は続かなかった。

「────!?」

カランカラン と警鐘が鳴り響いた。
ここは間違っても魔術師の家である。
敷地に見知らぬ人物が入ってきたら警鐘がなる程度の結界は張られている。

「───何?」

対する鐘は突然明かりが消えた事に驚く。
警鐘が鳴ったのは彼女も聞こえていただろうがそもそもそれの意味を知らない以上は反応のしようがない。

「────なんで」

一方士郎は焦っていた。
このタイミングで、あの異常な出来事の後でこの家に誰が侵入してきたかなんてわかりきっていた。
家に帰ってくるまで誰かにつけられてはいなかった。
なので、完全に追ってきていないと思い込んでいたのだ。
しかし実際には追ってきた。

「衛宮、これは一体────え?」

何か言おうとして口を閉じた。
否、閉じられた。
衛宮が近くに寄って口を手で塞いでいた。

「────?」

「氷室、悪い。ちょっとだけ静かに聞いてくれ」

口に当てていた手を離す。

「“アイツ”が追ってきた」

「────!」

その言葉だけで鐘の背筋が凍った。
なぜ、という思いでいっぱいである。
確かに追ってくる可能性はあった。
だけど、起きていた間だけだったが周囲には気を配っていたし後ろに誰かがいたわけでもなかった。

「───────」

屋敷が静まり返る。物音一つしない闇の中。
二人は確かに、あの時感じた嫌な感覚──殺気──が近づいているのがわかった。

「………っ」

息を呑む。
背中には針のような悪寒。幻でも何でもなく、この部屋から出れば即座に串刺しにされる。
その映像が手に取るように見えた。

「────はぁ、────っ」

落ち着かない心を懸命に抑える鐘。
何も知らない彼女ですら、この状況がどれほど危険かは理解できる。
そんな状況で悲鳴を出そうものなら、この家に潜んでいる殺人鬼は歓喜の声を上げて二人を殺しに来るだろう。
立ちあがった彼の傍に寄り服を掴んでいる。その手は気がつけば僅かに震えていた。

どうしようもない恐怖。
数秒後の未来か、或いは数分後の未来だろうか。
二人に襲いかかるのは間違いなく『死』。
今はただ殺されるのを待っているだけ。
そんな絶望的な状況に

「────ふざけんな」

言葉が響いた。

「………いいぜ。やってやろうじゃないか」

その言葉を聞いた鐘は驚愕を露わにする。

「衛宮………!?無理だ、衛宮では………」

────勝てない

相手の異常性を少なくとも彼よりは知っている、と鐘は自負していた。
彼ではあの男には敵わない。認めたくなくとも冷静でいる自分がそう結論を出してしまっている。
どれだけ彼を信じようとしても覆ることのない、自身が導き出した答えがそれを否定してしまっている。
勝てない。────だからもう何をしても意味がない。
助からない。────だからもう何をしても無駄だ。

「大丈夫、氷室は必ず守る。約束したろ? 絶対に死なせない」

だと言うのに目の前の人物は諦めない。

「………まずは武器を何とかしないと」

そう言って部屋を見渡す。
土蔵に行けば武器となるものはあるだろうが、丸腰のまま出て行くわけにはいかない。
ナイフや包丁はリーチが短すぎる。
槍という獲物の前では活路は見いだせないだろう。

「うわ………藤ねぇが持ってきたポスターしかねぇ………」

部屋の隅に置きっぱなしになっていたポスターを見てガックリと肩を落とす。
が、同時に覚悟は決まった。

「衛宮………やはり無理だ………」

「大丈夫だって。………ここまで最悪の状況ならもう後は力尽きるまで前進するだけだ」

そう言ってポスターを取り、目を瞑る。
この場の緊張感を塗り替えるような雰囲気を纏い、一度息を吐く。

「………衛宮?」

人前では魔術を使ってはならない。
それは魔術師として当然のこと。
しかし、彼の父親はこう言っていた。

「一番大事なのは………魔術は自分のために使うのではなく、他人の為に使うものなんだ」

────同調、開始トレース・オン────

自己を作り変える暗示のもとに、強化は何も知らない鐘の目の前で開始された。
あの紅い槍をどうにかするためには今までの鍛錬よりも更にランクの高い強化が必要。
故に全神経を集中させる。隅から隅まで魔力を通し、固定化させて武器とする。

「────構成材質、解明」

ポスターに魔力を浸透させる。

「────構成材質、補強」

その光景を見届ける者が一人。

「────全工程、完了トレース・オフ

目をあけて完了したポスターを手に取る。
紙製ポスターの外見が鉄色の様に変化している。
しかしそれ以上に変化したのは中身。
紙の重量を持ちながら、鉄の硬度よりもさらにランクが上がっている。

「これなら…………」

────やれる

自身の強化に手ごたえを感じ、言葉を漏らす。
しかしそんな事は目の前の少女にとっては関係がない。
今目の前で起きた事。それはどれほどの異常か。

「衛宮………? 今、のは────」

「────悪い、氷室。言ってなかったよな」

腕を降ろし顔を見て薄らと笑う。

「実はさ………俺、魔法使いなんだ」



今、彼は何といったのだろう。
魔法使い───確かにそう言った。

───ありえない 

そう頭の中で結論を出す。
当たり前だ。魔法なんて現実のこの世界で存在するわけがない。
魔法と言うのは、それこそ漫画やアニメ、小説などの世界のお話。
MPを消費すれば人が生き返るなんて非現実はありえない。

そう。ありえない。
そのはずなのに。
では今目の前で起きた出来事は何か。

紙だったはずのものが鉄のような光沢を放っていた。
目の前でそんな出来事を見せられて、その後に名乗られては否定しようにもできない。
私の動揺を見た彼は

「───うん。信じられないのは当然だよな。………別に信じてくれなくていい、それが『普通』だから。けどアイツは何とかするっていうのは信じてくれ、氷室」

何も言えない。
目の前に起きた事がかけ離れていた。

────衛宮。君は一体………

そう言おうとした声が、喉から出ることはなかった。


─────第三節 戦闘開始─────

「氷室っ!!!!」

そう叫びながら士郎は彼女に跳びかかった。

「え?」

対する彼女は何が起きたかわからない。
突然顔色を変えた士郎が自身に跳びかかってきたのだから。
押し出される。

それと同時に。
ドスッ!! と不吉な音が居間に鳴り響いた。

「………………………え?」

自身が立っていた場所にあの『紅い槍』が刺さっていた。
一瞬の殺気に気づいた士郎が咄嗟に突き飛ばしたおかげで鐘に直撃することはなかったのだ。
しかし。

「あっ─────ぐ」

彼女を押し出した士郎の左腕にその槍が突き刺さっていた。
左腕を地面に張りつけられている。

「はぁ、は───う、────ぁ」

苦痛に顔を歪めながら突き刺さっている槍を抜こうとする。
対する助けられた彼女は今実際に目の前で起きた出来事に脳の処理が追いついていない。
────そして、さらに場は混乱する。

「────俺の殺気を感じ取ったか。なるほど、やはりそれなりにはできるようだな、坊主」

倒れた士郎の後方、何が起きたか一瞬理解できずに茫然と眺めている鐘の前方にその男は現れた。

「うおおああぁぁっ!!」

その声を聞いた直後、左腕に刺さった槍を力の限り右腕で引き抜き、その勢いのまま後ろにいる敵へ突き立てる。
ブチブチブチ! と左腕が嫌な音を出したが今は気にしている場合ではない。

「へえ、わざわざ引き抜いて俺に『返してくれる』とはな。気が利くじゃねぇか?」

「なっ………」

突き立てたはずの槍はあの男の手の内に『戻っていた』。
その光景に驚愕を露わにするが、この男相手にはそれは致命的だった。

「おいおい、一瞬の隙をついて逃げ切った奴が隙作ってんじゃねぇ………よっ!」

言葉とともに強烈な蹴りが士郎の腹にクリーンヒットした。

「ご────ぁ」

呼吸が停止する。意識が一瞬飛びかけた。
後方へ吹き飛ばされ鐘の後ろへと転がり、勢いよく壁に叩きつけられた。
腕の血が壁に塗りつき体が沈むとともにその血の痕もズルズルと描かれていく。

「衛宮………!」

目の前の異常性をようやく理解し、後に飛ばされた方士郎に振り向く。
そこにはしゃがみこんでしまった士郎の姿が。
そして、それの行動はランサーに背を向けるということ。

「………余計な手間を。見えていれば痛かろうと、オレなりの配慮だったんだがな」

背後。
そこにはすでに槍を構えたランサーがいた。

「─────」

後ろは振り向けない。
振り向いた瞬間死ぬ。振り向かなくとも死ぬ。
この距離で、この相手で、逃げ切れるはずもない。

(────ああ、私はここで死ぬのか)

漠然とその感想だけが思い浮かんだときだった。
目の前の少年が勢いよく起き上り

「あああああぁぁぁぁっ!!」

ブンッ! と強化魔術がかかった体で、文字通り全力投球で『鉄製』のポスターを投げつけた。
同時に士郎の体が跳ぶ。
ガンッ! と槍でポスターを弾き、突進してきた拳を避ける為に二歩後ろへ下がり回避するランサー。

その彼の目の前に映し出されたのは、廊下でみたあの光景。
大きく違うのは正面にいる彼の左腕がだらしなく垂れ下がっている部分か。
右手には『強化』されたポスター。
背後にはしゃがみこんでいる鐘。

「氷室!立てるか!?」

「────っ、衛宮、腕、左腕が………」

しゃがんみこんでいる鐘の視野の中には士郎の左腕が映る。
そしてその先に見えるはずのない部屋の向こう側が見えた。
つまり、槍が突き刺さった部分が完全に穴が開いていたのだ。

肩の傷とは比べ物にならない。もう彼の左腕は機能しないだろう。
しかし彼はそんな自身の左腕を気にもかけてない。

「よし、氷室。立てるな? 早くここから逃げろ、俺なら大丈夫だから………!」

「そんな………!嘘だ、大丈夫な筈が………!」

「氷室!早く行け!!」

聞いたこともないような大声で怒鳴る。

「─────っ」

ビクリ、と一瞬震えた鐘は何かに耐えるように俯いた後、鞄も持たずに立ち上がった。
言いたい事すらいえないまま鐘は居間から廊下へ向かい、玄関へ向かって走って行く。
足音が遠ざかり、その光景を眺めているランサー。

「…………なんで今の間に殺さなかった」

「へっ、そこまで無粋じゃねぇよ。だがな、坊主。ここであの嬢ちゃんを逃したところで意味ねぇぜ?」

「………逃げ切れるかもしれないだろ」

「ああ、そりゃ無理だ。─────そうだな、冥土の土産に教えてやる。俺がどうやってここを探し当てたか。────簡単だ、ルーンを使った」

「ルーン………!」

魔術系統の一つ、ルーンを用いた魔術のことであり、『ルーン文字』を刻むことで魔術的神秘を発現させる。
それぞれのルーンごとに意味があり、強化や発火、探索といった効果を発揮するのである。

「そうだ。言っただろ、『俺からは逃げらんねぇ』って」

槍を構え直す。
士郎もまたそれを見て強化されたポスターを構えた。

「いいぜ─────少しは楽しめそうじゃないか」

男の体が沈んだ、その刹那。
横殴りの槍が放たれた。

ガキィン!! と、顔面に放たれた槍を、確実に受け止めた。

「こんなのっ───!」

「いい子だ。ほら、次だ………!」

ブンッ! と振られる槍。
一体この室内でどういう扱いをすれば引っ掛からないのだろうか。
今度は逆側からフルスイングで胴を払いに来た。

ガキィン! と確実に受け止める。
だが、反動がさっきよりも大きい。
証拠に辛うじてポスターは握っているが、右腕が痺れてきている。
それを見たランサーはうれしそうに笑った。

「よし、ここまでは耐えたな。───なら、次はどうだ?」

再び横薙ぎの一閃。
速度は先のどれよりも速い。

「ぐっ────!!」

それを受け止める。
が。

「うぁ────ぐ!」

強化された筈の右腕が折れたかのような感覚に襲われる。
それだけの威力と速度。
強化したはずのポスターはへこみ始めている。

「ぐ、この────!!」

一気にランサーの懐に踏み込んで顔面めがけて強化したポスターを振った。

「おお?」

その攻撃に驚いたが、しかしそんなものはどこ吹く風。
槍の柄だけで受け止めて弾き返してきた。

「くそ………!」

左腕は使い物にならず強化されたポスターは限界に近づいている。
加えてそれを持っていた右手は痺れてしまっていてもう感覚すらない。
それでも握っていられるのは魔術強化のおかげではあったが。
左腕と腹部の激痛は痛覚を故意的に魔術で麻痺させているためまだ動ける。

「はぁっ!!」

ここから逃げていった彼女を守るためにランサーからは逃げない。
恐怖を押し殺し、痛みを押さえつけて、再び懐に入り込もうと開いた距離を詰める。
対するランサーは面白い玩具を見つけたかのように笑っていた。

「ククク………、なかなかいい動きするじゃねぇか。ちゃんと“与えた機会”を活かしてしっかり攻撃を仕掛けてくる。魔術師に斬り合いを望んでも仕方ねぇと思っていたが………」

向かってくる士郎にランサーは“さらに早い横一閃”を放った。

「うっぐ………!」

「どうして期待に応えてくれるかな、魔術師!」

轟! とランサーが“本気で”振り抜いた。
強化されたポスターごと受け止めた体が浮く。

「─────!!」

「………吹っ飛べ」

ガシャン!! と内と外を分けていたガラスをぶち破って外へと放り出され、そのまま家の塀に叩きつけられた。

「が────はっ」

呼吸が止まり、息ができなくなる。
だがそれを整えている時間はない。

「ッ!!」

もはや止まっているだけで死ぬという強迫概念が体を動かした。
横へ跳び逃げた直後にその場に紅い槍が突き刺さっていた。

「────っ」

驚愕する。
もはや投げられた槍に反応すらできなかった。
それでも避けれたのは本当にただの偶然。
右手で辛うじて持っていたポスターはすでに折れ曲がっている。

「………ホント、よく砕けなかったな………コレ」

歯を食い縛りながら士郎は庭の隅にある土蔵へと走る。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第8話 違う世界
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2013/04/30 00:21
第8話 違う世界


─────第一節 終局─────

折れ曲がったポスターはもう使えない。
そう判断した士郎は土蔵へ向かって走り出す。
そして何の確証もなしに

「はぁっ─────!」

体ごと捻って背後に一撃を放った。
キィン! と金属音が鳴り響いた。

「ぬ─────」

「まだっ!!」

振り向きざまに払った右腕を返して折れ曲がったポスターをランサー目掛けて投げつけた。
同時に足を一瞬で強化して背後へと跳び退く。
が。

「おせぇ」

「なっ…………」

跳び退いた筈の彼の正面にランサーがいた。
にやり、と笑って一言。

「─────もう一回飛べ」

ドゴッ! と人間の体が出してはいけない音を出して後方へ吹き飛んだ。
地面に叩きつけられ、それでも勢いが死なずに地面の上を二回、三回と跳ね跳んで土蔵へ押し込まれた。
ガタン!! と並べられた置物たちが衝撃で崩れ落ちてくる。

ランサーはゆっくりと土蔵へ向かってきている。
それはもう動けないだろうと確信しての余裕。
対する士郎は土蔵の天井を朦朧とした意識で眺めていた。

(──────────)

左腕からはどうしようもなく血が流れている。
右腕は完全に痺れていてまだ感覚が戻らない。
蹴りを食らった腹は胃が破れたかのように熱く感じている。

(─────悪い、氷室。俺………死んだ)

そんな弱音吐いて、同時に鼻で笑いとばした。

「───間抜け。助けるって言った奴が諦めてどうする。自分の出来ることをやるって決めてるじゃないか………!」

同時に体を確認する。

───首。繋がってる。大丈夫だ。
───左腕。穴が開いている。使いようがない。
───右腕。感覚は戻ってないけど魔術が通る。まだ動ける。
───右脚。まだついてるし動ける。
───左脚。さっき吹っ飛んだせいで痛い。魔力で無理矢理動かせばまだやれる。

左腕以外の体に魔力を通して身体を動かす。
近くに落ちてあったパイプを強化して武器とした。
敷いてあったブルーシートの一部を切り取って血が止まらない左腕に当てて血を止める。
流石にこれ以上血を流すわけにはいかない。
そして土蔵の奥に身をひそめ、気配遮断の魔術をかけた。

「………気配を消した?」

入ってきたランサーが呟く。
周囲を見渡すが士郎の姿は伺い知れない。

「………面白れぇ。正面から勝てないから次は闇討ちか? いいぜ、相手になってやる。来い、坊主………!」

闇討ちは本来士郎にとっては使いたくない手。
しかし相手が相手である以上、出来ることは全てやる。
闇討ちされるとわかっている格上の相手を奇襲するなどもはや正気の沙汰ではないが、このまま正面きって戦ったところで結果は同じ。
訪れる静寂。
緊張感は高まっていく。

ガシャンッ! と何かが割れた。

「そこかっ!?」

ランサーが音のした方へ振り向いたが、そこには誰もいない。
だが………。

「………なんてな」

そのまま背後へと槍の柄を突きだした。

「ぐっ────!」

柄の突きを食らって後ろへ倒れこむ。
ランサーにとってこの程度の闇討ちは闇討ちとは言えない。

「切羽詰まっているっていうことはわかるが、やめとけ坊主。お前はアサシンには向かねぇよ」

「…………っ!」

激痛に耐えながら即座に首目がけて尖ったパイプを振るうが、ランサーは難なくそれを弾き飛ばした。
その衝撃で握っていたパイプは吹き飛ばされ、丸腰になってしまう。
もはや魔力で強化した右手の握力すら奪われてしまっていたのだ。

「そら、これで終いだ…………!」

心臓に向かって槍が突き出される。
それを

「ああああああっ!」

身体を捻って“左腕で”受け止めた。
肉を抉る不愉快な音と共に鮮血が土蔵内部に飛び散った。

「────てめぇ」

動かない、動くことがない左腕を犠牲にする。
所謂『肉を切らせて骨を断つ』である。

「次ぃ!!」

最後の力を振り絞って隠し持ったパイプを握り、ランサーの首めがけて突き出した。
ランサーの槍は今現在士郎の左腕に突き刺さっている。
ガードはできない。それを見越しての攻撃。

しかし。

ドゴッ!! と、再び不吉な音が鳴り響いて後方へ飛ばされた。

「ごほ─────っ、あ……………!」

視界が歪む。
呼吸は停止し、握っていたパイプは床へ転げ落ちた。
そのまま座り込む。最後の攻撃は簡単に阻止された。
すでに身体は満身創痍。

「詰めだ。今のは割と驚かされたぜ、坊主」

眼前には槍を突きだしたランサーの姿。

「─────」

もはやこの先は存在しない。
槍はぴったりと士郎の胸に向けられている。
どうしようもない死が数秒後にやってくる。

「もしかすると、お前が七人目だったのかもな。ま、だとしてもこれで終わりなんだが」

ランサーの手が動く。
それは今まで見たのと比べるとスローモーションの様に見えた。
走る銀光。
自身の心臓に突き刺さる。
一秒後には血が出る。
そんな自分が見える。

不意に。
彼女の顔が思い浮かんだ。
泣かしたまま無理矢理家を追い出した。
追い出した。

ひどい仕打ちだ。
彼女も言っていた。
『手伝ってもらったのに追い返すような形で立ち去らせてしまったのだ。謝罪するのは当然だろう』と。
肩の傷を手当してもらったのに、追い返すような形で立ち去らせてしまった。

───なら謝罪しないと。


───そうだ、認める訳にはいかない。
殺した後に目の前の男は彼女を殺しに行くだろう。
───そんなのを許す訳にはいかない。
自分の死は全くの無意味となる。
───無意味に死ぬわけにはいかない。

生きて義務を果たさなければならないのに、死んでは義務が果たせない。
それでも槍は心臓を貫く。
頭にくる。
そんな簡単に人が死ぬ。そんな簡単に殺される。
あまりにもふざけすぎて頭にくる。
だから

「ふざけるな、俺は─────」

黙ってなんかいられなかった。

「氷室を守るんだよ!」

ランサーの槍が心臓を貫こうと動いた
士郎が迎え討とうとした

その時、

ランサーの後ろにあった魔方陣が
士郎の左手の甲が

突然光りだした。


─────第二節 セイバー─────

ランサーの槍が士郎の心臓を貫こうとする。
一体この光景は何度目か。
1度目は、ランサーが一般人だと思い込み完全に力を抜いていたとき。
2度目は、校舎の屋上で鐘の行動に一瞬呆気にとられたとき。
そして3度目。
この国には「3度目の正直」という言葉がある。
この言葉通りにいけば今回のランサーの攻撃は成功する。

だがそんな言葉もむなしく、彼の一撃は横から割って入ってきた人物によって弾かれた。
金髪の、青っぽい鎧を着た女性、いや少女というべきか。
その少女がランサーの槍を弾いていたのだ。

「───!!」

ランサーは一気に距離をとり、そのまま壁をすり抜け外へとでていった。
一方の士郎は一体何が起きたのか理解できなかった。
金髪の少女が後ろを振り返り言葉を発する。

「サーヴァント、セイバー。召喚に従い参上した」

まだ理解ができない。
金髪の少女、セイバーは続ける。

「問おう。貴方が私のマスターか」

凛とした声で訪ねてきた。

「え………マス……ター?」

朦朧としていた意識はランサーに怒鳴りつけた時点で半覚醒していたが、これで完全に覚醒した。
理解ができないが、理解できた。
それは彼女が外に出て行った男と同じ存在だという事。
同時に感覚が失ったはずの左手から痛みが感じられた。
思わず左手の甲を押さえつけた。
それが合図だったのだろうか。少女は静かに言った。

「これより我が剣はあなたと共にある。あなたの運命は私と共にある。───ここに契約は完了した」

「な────契約って………何の──っづ!?」

驚きのあまり忘れていたが体はとても叫べるような身体ではない。

「マスター………!? かなりの怪我を………!」

土蔵は暗い。
月の光がわずかに差し込んで中を照らしているが見づらかったのは確かである。
だから彼女はマスターの傷が想像以上にひどいことに気付くのが遅れた。

「マスター、とにかく自己治癒の魔術を使ってください!その傷では………」

「は………。いや、悪い。自己治癒なんて魔術は、俺は使えない………んだ」

「………! では、とにかく安静に!」

しかし安静にしているだけでは意味がない。
傷を塞ぎ、出血を止めなければいけない。
一番ひどいのが左腕。
大きな穴が二つもあいている。もはや左腕は絶望的だろう。

「何か傷を塞ぐ………包帯などはどこにありますか?」

「救急箱は、居間に………。────って、その前に………!」

激痛に顔を歪めながらセイバーに訪ねる。
これだけは聞いておかなければ安心などできたものではないからだ。

「あのさっきの奴、どこ行った?」

「さっきの奴…………ランサーのことですね。彼は私の攻撃を受けて外にでてそのまま離脱しました。彼はもう“この周囲にはいません”」

「──────────は?」

その言葉を聞いて自身の痛みが吹っ飛ぶ。
彼女の言う言葉の意味を、士郎は一瞬理解できなかった。

「マスター?」

「いないって………? じゃああいつ………」

簡単な話。
もともとランサーは鐘を殺すためにここまで追ってきた。
この場にいないということはつまり

「氷室が………殺される………!」

激痛なんてものに構っている暇などない。
即座に立ちあがってランサーを追うべく闇雲に家の外へ走り出した。

「マスター!?」

その姿を見て慌てて追いかけてくるセイバー。

「マスター!その怪我でどこへ行こうというのですか!まず止血をして………」

「悪い。心配してくれるのはありがたいけど、そんなことはどうでもいいんだ」

「どうでもいいとは………!自身の身体以上に何があるというのですか!?」

「氷室が殺されるんだよ!」

後ろに振り返ってセイバーの顔を睨む。

「俺はあいつを守らなくちゃいけない!守って謝って安心させなくちゃいけない、けど今はそのどれもできてない!放っておいたらアイツに殺される、それだけは何が何でも避けなくちゃいけない!」

真剣にセイバーの顔を見る士郎とその真剣さを正面から受け止めるセイバー。
少しの沈黙のあと、士郎は再び前を向き

「………悪い。お前に怒っても仕方がないよな。全部俺が弱い所為なんだから。────助けてくれたことには感謝する、ありがとう」

そう言って再び走り出そうとする。
だがそれをセイバーが腕を掴んで止めた。

「何を────」

「追うのはいいです。ですが、追ってマスターランサーに勝てるのですか?」

「────っ」

返答に窮する。
今のさっきまで成すすべなく殺されかけた士郎がランサーに勝てる道理などどこにもない。

「それに今から走って追うにしても間に合うのですか?」

「くっ────」

セイバーのいう事がイチイチ正論であるがために余計に血が上ってきてしまう。

「───だからって………何もしないなんてできるか!」

そう言って掴まれた手を振り払おうとする、が…………振り払えない。
彼女の力が強いのか、はたまた振り払えないほどに弱りきってしまったのか。

「今のマスターでは一人で追っても何もできずに殺されるだけです。そもそもサーヴァント相手に対等に戦おうという考えが間違っています」

「サー………ヴァント………?」

またしても知らない単語。
日本語に直訳すると召使という意味だが残念ながらそんな趣向は持ち合わせていない。

「サーヴァントを倒すためには同じ存在をぶつける必要がある。───言った筈です、私が貴方の剣となると」

セイバーはそう言って掴んでいた手を自身の肩に回して

「え………っと、ちょ………」

「跳びます。舌を噛まぬように」

一瞬で庭から姿を消した。

自分の眼下に普段歩いている道が流れている。
風をきる音が耳につき、空気が体にぶつかる。
空中にいながらその速度は自転車に乗っているよりも速く感じる。
それほどの速度。

「───!!??」

「今ランサーを追っています。まだ私の感知できる距離にはいるので追えます」

屋根から屋根へ、屋根から電信柱へ、電信柱から屋根へ。
新感覚のシェットコースターかと思うようなスリリング。
そんな状況に目を白黒させながら、振り落されないようにセイバーの肩をしっかり持っている。

「………わ、わかった。すごいことはわかった。………けど、追いつくのか?」

「わかりません。距離にして約70メートル。全力でいけば………っ!」

「どうした………!?」

「………ランサーの速度が上がりました。追われていることに気付いたようですね。このままでは追いつくのが困難になります」

「なっ………」

追いつけない。
それはつまり彼女が殺されることを意味する。
そして同時に理解する。
自身が荷物にしかなっていないということ。

「セイバー………だっけ」

「? はい、そうですが」

「────俺を置いて行け」

「なっ───、それはできません。マスターを守護するのがサーヴァントの役目。マスターを置いていくなど………」

「けど、それじゃ追いつけない」

その声は低く響く。
自分の非力さを呪う声。

「頼む………。俺じゃ氷室を守れない。氷室を助けてくれ………!」

歯を食い縛り、顔を俯かせる。
結局この数年間で得た魔術では一人として救うことができなかった。
悔しさがこみあげてくる。

「─────」

対するセイバーはそんな主を見る。
悔しさが滲み出てきているのは手に取るようにわかった。
自身に対する怒りが満ち溢れているのがわかった。

「…………わかりました」

着地した屋根から道へ下りて士郎を降ろす。

「マスターの命とあらば従います。必ずその『ヒムロ』という人をランサーから守ってみせます。────ただし、マスター。敵は一人ではありません。十分に気を付けてください」

「………ああ。頼む………!」

「では………すぐに戻ります」

ダンッ! とアスファルトを蹴りランサーを追うべく飛躍する。
あっという間に姿が見えなくなり、士郎は一人夜の町に取り残された。

ガン! とすぐ傍にあったブロック塀を思い切り殴りつけた。
その腕は僅かではあるが、確実に震えている。

「…………何が守る、だ。………最後は人頼みか………!」

力を得てなお理想の欠片すら触れる事ができなかった男の声が闇に溶けていった。


─────第三節 狂い廻る歯車─────

ランサーはセイバーが出てきた直後、咄嗟に土蔵から飛び出した。
体勢を立て直し、土蔵を睨みつける。

「まさか………本当に七人目になっちまうとはな」

自身の幸運とも不幸とも呼べる運命に感謝しながら出てくるのを待つ。
だが………

『何をしている、ランサー』

その声がはっきりと聞こえてきた。

「何って………お前さんの言う通りこれから敵サーヴァントと一戦やらかすんだが?」

『その前にやることがあるだろう』

聞いたランサーはあからさまに舌打ちをした。

『目撃者は速やかに排除しろ、これは最優先事項だ。セイバーはその後で構わん』

「チッ────わかったよ!」

反転して逃げて行った少女を殺すために庭を後にする。
ただし速度は控えめであるが。

「どうした………坊主。あそこまで張ったんだから当然追ってくるよな? じゃねぇと………本当に殺しちまうぞ」

衛宮邸から少し離れた民家の屋根の上でルーンを行使して逃亡している鐘の位置を把握した。
そうして再び跳んだそのとき

………追ってきたな。これなら問題はねぇな」

そうしてランサーは速度をあげる。
早く追って来いと言わんばかりに。



彼の家から全力で走ってきた所為で安定していた心拍数は再び上昇している。

「はぁ───はぁ───はぁ───」

走れなくなって足を止めて肩で息をする。
周囲はすでに暗い。街灯が道を照らし、この道にいるのは私一人だけ。

「衛宮…………」

そう言って振り返るが当然彼の家が見えるわけはない。
私を助けるために彼は左腕を失った。
私を助けるために彼はあの男と対峙した。
私を助けるために大声で叫んで逃がした。

「私は…………何をしているのだろう」

例えばこれが性質の悪い夢で、目を覚ませばそこには変わらぬ日常があって。
変わらぬように行動して学校にいけばそこに彼がいる。
そんな考えが浮かぶ。
もし夢ならこんな夢から早く覚めてほしい。
だってそうだろう。
殺されそうになって助けてくれた人が魔法使いでその人が私を逃がすために戦っている。

「─────どこの小説だ…………この状況は」

そしてさらにその小説のメインステージに立っているのが私ときている。
それだけで夢ではないか? と思うのは当然だ。
しかしそれ以上に嫌なのが

「衛宮が………死んでしまう………」

そんなのが現実だなんて認めたくないに決まっている。
だからこれは性質の悪い夢であってほしいと願う。
だが、そんな願いに溺れれるほど私は浮遊者ではない。
これは現実で、殺されかかって、彼が殺されそうになっている。

気がつけば大橋まで来ていた。
この橋を渡りきれば新都へと出る。
時間が時間なだけに新都へ行っても人は少ないだろう。

「どうして………こんなことに………」

震えて呟く声は闇に消える。
その問いに答えてくれる人は誰もいない。

私は結局助けてもらっただけ。
手には傷がある。
その傷は手当されている。
その傷が否応なしにあれは現実だということを教えてくる。
その傷が否応なしに彼と一緒にいたということを示している。
その傷が否応なしに彼の傷を思い出させた。

穴のあいた左腕。
本来見えるはずのない肉、骨。
そして赤い血。

「う………ぶ────」

咄嗟に手を当てて吐き出しそうになったモノを抑え込む。
今まであの男の前に居て、生きた心地がしなかった。
何度も感じた死の感覚。
実際は死んでいないが一体何度死にかけたのだろうか。

「────っはぁ、───はぁ………」

無理矢理抑え込む。
今まで自分は客観的な物見が出来て、努めて冷静でいれて、何があってもそれなりの冷静さを保てると思っていた。
だがそんなものはただの空想論。
実際に所謂『殺意』と呼ばれるものを全身に受け、見たことのない殺し合いを間近で見て、見たこともないような重症を負った人間を至近距離で見た。
そこに日常で培った自分が思っていた『自分』などただの空想論でしかないと分かった。
自分は少しだけ良家の家に生まれて、至って普通に生きてきた人間。
ゲームや小説で自身のオプションを空想化したって、それが現実に引っ付いてくるはずなんてない。

今日はいろんなことがあった。
働かない脳が一つずつ思い出していく。

グラウンドの件から始まり、
今まで感じたことのない恐怖を感じ、
初めて男性の背中に抱き着き、
あまりの出来事に腰を抜かし、
気がついたら抱かれて町を歩いていて、
彼と少しだけ温かい一時を過ごして、
そして、…………逃げ帰ってきた。

彼は助けてくれた。

「────────────あ」

そこで己の失態に気付く。
おそらくは生きてきた中での最大の失点。
それに気づいた瞬間に、もう何も言えなくなった。
今の今まで、一度も言わなければいけないことを言っていなかった。
それでおしまい。
冷静な自分は木端微塵に砕けきった。
だってそうだろう?

助けてもらったっていうのに────今の今までお礼すら言う事を忘れていたのだから。
冷静でいれたのならばそんなことは気が付いて真っ先にお礼を言ったはずだ。
それを言えてない。何が冷静か。
感謝の言葉すら言えていない。


そして。
目の前に現れた男を見て、もう何もかもがどうでもよくなった。

「よう、嬢ちゃん。ずいぶんと逃げてきたな」

「─────」

言葉なんてもう必要ない。

「逃げられないってのは、誰よりも判ってたんだろ? なに、やられる側ってのは得てしてそういうもんだ。恥じ入る事じゃない」

目の前の男の言葉なんて、もう耳には入らない。
ここにあの男がいるということは。
私を逃がすために対峙した彼は────

「………もう、いないんだな………」

立つ事すらもやめて膝をついて地面に座り込む。
その姿を見てあの男はどう映ったのだろうか。
いや………どうでもいいか。
もう私は死ぬのだし、もし死後の世界っていうものがあるのなら彼に是が非でも会いに行って謝罪し続けるだけだ。

「運が悪かったな、嬢ちゃん。ま、見たからには死んでくれや」

男が槍を持ち上げて構えた。
数秒後には感覚を失って地面に倒れこむ。
涙腺が熱を帯びている。目の前がぐじゃぐじゃになっていく。
だがそうだと言うのに恐怖は感じなかった。
この感覚に覚えがある。

   (───いつだっけ)

足元から壊れていくような感覚。
  
   (───どんな時だっけ)

ふと脳裏を掠める記憶があった。
赤い世界。

「なんで───」

あの火災が過ったのだろう。
何かがあった。何かを知っていた。

「───ああ、そうか」

こんな時に思い出すなんて。

(───あの時誰かを失ったんだ)

疑問が少しだけ解消されて私は目を瞑った。
考えることもこれで終わり。氷室 鐘という人物はここで終わる。
あとは永久に消えない罪とその罰を受けるだけ。

だけど。
私の耳には確かに聞こえた。

『死なせません。伏せなさい、ヒムロ』

その言葉を理解するよりも早く私は地面に倒れこんだ。

ギィン!! と甲高い音が夜の大橋に響く。

「ぐっ────!」

男の声が聞こえた。
そしてその後に、すぐ近くに着地するような音。
ゆっくりと目をあける。映るのは足。
ただし、その足は普通の靴じゃない。銀色のブーツ、いや鎧?
ゆっくりと視線を上げる。次に見えてきたのは青いスカートと銀色の鎧。

「─────」

その姿を見て唖然とする。
私の目の前に立ち、青い男と対峙していたのは女性だった。
いや、見た目の年齢と言い身長と言い、私よりも幼いように見える。

「立てますか、ヒムロ?」

視線は目の前の男に向けながら訊いてきた。
なぜ私の名を知っているのだろうか。

「え………? あ、何とか………」

目に溜まった涙をぬぐいながら立ち上がる。
こうも場が混乱してしまってはもう理解することすらどうでもよくなってくる。
見えるのは少女の背中。やはり私よりも身長が少しだけ低い。

「ヒムロ、ここから少し離れていてください。危険ですので」

私よりも小さな少女が何かを構える素振りをする。
手には何も持っていない。何のつもりなのだろうか。

「待………待て。貴女は一体………? それにどうする気だ?────まさかあの男と戦うのか?」

「はい、そのまさかです。貴女をランサーから守る様にマスターに命令されていますので」

相変わらず少女は此方へ振り向かないまま答える。

「守る…………? マスター………?」

全く理解できない。
情報が少なすぎる。
いきなり現れて私を助けろと命令した誰かに従って戦う?

「ようやく来たかい、セイバー」

「ランサー………一般人を手にかけるなどと、貴様は英雄としての誇りを持たないのか」

「まさか!俺だって誇りはある。…………が、例えいけ好かなくともマスターの命令とあっちゃぁ否応が無しに従わざるを得んだろう。無抵抗の女を殺すのは趣味じゃないしな」

そう言って前の男が紅い槍を構え直す。

「だが、だ。一般人に見られるのも不都合なのはまた道理。セイバー、お前は今言ったな? 『マスターの命で守るために来た』と。なら、俺を倒すか退かせなきゃその命令は守れねぇぜ?」

「───そうか。それが目的か、ランサー」

「へっ、そういうことだ。マスターの命令に従いつつ、てめぇと存分にやり合うために利用させてもらった。ま、もっとも間に合わなかったとしてもお前さんとはやり合う予定ではあったが───」

男の体が沈む。
対して目の前の少女の体も沈む。

「こっちの方が互いに退くことができねぇから好都合だろ!!」

ドン!! と言う音がしたと思ったらすでに目の前で打ち合いが開始されていた。


─────第四節 セイバーVSランサー─────

「な────」

鐘は我が目を疑った。
目の前で繰り広げられている光景。
ギィン!という甲高い音を上げて繰り広げられる剣劇。
月明かりの中で、闇の中で火花を散らす鋼と鋼。

「ハァァァァァッ!」
「ウォォォァァッ!」

数回打ち合った後に互いが跳び引く。
と思った矢先に突進し、槍を突きを放つ。

「くっ!」
ガキィン!!

紅い槍が見えない何かに防がれ、横に薙ぎ払う形で槍が振るわれる。
少女はそれに押され体勢を崩した。
払った槍をそのまま一回転、再び槍の先端を向け突き刺そうとするが、少女は男の上を越えるように跳び背後に着地して回避して攻撃を仕掛けている。

ガキィン! と、見えない何かを紅い槍が防ぐ。
一旦距離を離したかと思えば、即座に接近し打ち付ける。
槍の攻撃を見えない何かで往なし、即座に反撃する。

「チッ!」

強力な打ち付け。
その攻撃を槍で受け止めるが、一瞬硬直してしまう。
そこに

「ハアァァァァァッ!!」

大きく振りかぶった少女の攻撃が繰り出される。
その体型には似合わない、かなり重い攻撃。

「うぐっ!」

それをランサーは何とか受け止める。
その光景を見て信じることができなかった。
セイバーと呼ばれた少女は確実に圧倒的な力を持った敵を圧倒していたのだ。

戦いを見ていた鐘は彼女の持つ見えない何かを考えていた。
校庭ではあまりの出来事に驚いて戦闘など何も見えなかったが、少し落ち着いているというのとこれが数度目ということもあり、何となくではあるがこの戦闘を目で追えていた。
無論、一般人が反応できるような速度ではないのだが。

………構え、戦い方、セイバー………
それらを考えた結果

(見えない剣………?)

そう結果を出した直後、ランサーが距離をとった。
忌々しげに舌打ちをし、セイバーの持つ不可視の武器を睨みつける。

「やりづれぇ、武器の間合いがわからん………!」

そんな言葉を無視し、セイバーはランサーを斬り伏せる。
一撃、二撃、三撃。
その一撃一撃が重いのだから、ランサーとて気は抜けない。
加えて恐らくは剣であろう武器の間合いが判らないのだから、攻めにくいのは当たり前だった。

「テメェ………!」

その勢いで反撃もままならずに後方へ押し出される。
セイバーの間合いが分からない以上無闇に攻め込むことは迂闊すぎた。
後退するランサーに休息の刹那すら与えないほどの剣劇が繰り出される。

「チ────」

よほど戦いづらいのだろう。
守りに入った相手は、斬り伏せるのではなく叩き伏せられるのみ。
セイバーはより深く踏み込み、叩き下ろすように渾身の一撃を放った。

「調子にのるな、たわけ───!」

ランサーは消えるようにその場から後退して、セイバーの攻撃が空を斬った。

「ハッ!」

一瞬で数メートル跳び退いたランサーが巻き戻しのように爆ぜた。
対するセイバーは地面に剣を打ち付けたまま。
その隙は致命的だった。

一秒と待たず舞い戻ってくる紅い槍と────
だが、“それ以上に早い速度で”コマのように体を回転させる少女。

「ッ!」

故にその攻防は一秒以内。
失態に気づいたランサーと、それを両断しようとするセイバーの一撃。

ガッキィン!! と、ひときわ大きな音を出し、ランサーが弾き飛ばされた。

「────」

弾き飛ばした方のセイバーも不満だというのが伺えた。
ランサーを一刀両断の名のもとに倒そうとしていた必殺を防がれたのだ。
例え己の窮地を凌いだとしても、その攻撃に価値はなかった。

大きく距離が離れて互いが睨み合う。
先ほどのように即座に戦闘が開始されるわけではなかった。
それほど両者に負担がかかっていたという事になる。

再び距離が離れたところでセイバーが口を開く。

「─────どうした、ランサー。止まっていては槍兵の名が泣こう。………そちらが来ないなら、私が行くが」

「────は、わざわざ此方に来るか。それは構わんが────死ぬぞ?」

セイバーとランサーが再び構えを見せた。
だが、今までランサーが見せてきた構えとは違う構え。

(なんだ…………?────何か嫌な予感がする)

それが所謂「宝具」の発動の前兆だということは一般人である鐘はわからない。
ランサーが姿勢を低くし、同時に殺気が放たれる。

「────っ!!」

その殺気を感じた鐘は後ずさってしまう。
その感覚はかつてのグラウンドで感じたものと同じだ。

「宝具…………!」

対峙しているセイバーはより精神を研ぎ澄ませた。
相手の異常が一体何をする前兆か、などランサーの気迫を見れば容易に見て取れる。

「その心臓!貰い受ける!!」

ランサーが跳ぶ。
紅い槍はさっきよりも増して紅く光っている。

そこより繰り出される超高速の突き。
士郎に繰り出した攻撃とは比較にもならないほどの速度。
だが、セイバーはそれを回避。
反転し攻撃を仕掛けようとするが………

刺し穿つゲイ………」
「!」

セイバーが攻撃を避けようと動く。
対してランサーの槍はセイバーを捉えていない。

死棘の槍ボルク!!」

だが。
あたるはずのない角度で突き出されたはずの槍が、鎧を貫いた。


―Interlude In―

士郎は一人夜の町を歩いていた。
左腕はだらしなくぶらさがり、指先から血が滴り落ちている。
向かうは大橋。
別にセイバーからいる場所を尋ねたわけではない。
単純にセイバーが跳んで行った方向と、彼女の家の方向を考えれば大橋は必ず通るからだ。

「はぁ───、は────ぁ、─────ぁ」

腹部の激痛に左腕からの激痛。左脚に右脚に右腕。
全ての体が休め、治療しろ、動くなと警鐘を鳴らし続けている。
顔はすでに蒼白となっており、冷や汗が止まらない。
だが歩みを止めるわけにはいかない。

「ぐ…………!」

脇腹を右手で抱えて歩き続ける。
だが────

「う………」

ドサッ と、道端に倒れこむ。
痛覚を騙し続けるのもすでに限界を超えている。
加えて血を流しすぎている。出血死に至る量にはまだ届いていないが、それでもこの状態が続けばいずれ死ぬ。

「でも………まだ死ぬわけにはいかない………!」

ブロック塀に寄り添いながら立ち上がり再び歩く。
そうしてセイバーと別れてから数十メートル離れた地点で再び倒れた。

「う…………ごけ………!この、………ポンコツ………?!」

だが動かない。それどころかどんどん力が抜けていく。

───ふざけるな

そう心の中で叫ぶが、もう微塵も動けなくなった。
意識が遠のいていく。
ふざけるな、と口に出すが声がでない。

(………セイバー、氷室………)

意識は夜の闇へと溶けていった。

―Interlude Out―


「っ!!」

その光景を見た鐘は絶句する。
一体何が起こったかわからなかったが、確実にあの槍がセイバーの鎧を貫いたことはわかった。

だが、彼女は跳び退くように着地して倒れはしなかった。
必殺の一撃をぎりぎりで回避していたのだ。

「はっ────、く………!」

しかし見てみれば鎧の一部は砕かれ、傷を負ってしまっていた。
血が流れている。
今までかすり傷さえ負わなかった少女が、その胸を貫かれて夥しいまでの血を流している。

「呪詛………いや、今のは因果の逆転か…………!」

そう言っている間にもセイバーの傷口が修復されていく。
あれだけ流れていた血はもう流れていない。
その光景を見る鐘はもはや蚊帳の外の状態だ。

「躱したな、セイバー………。我が必殺の『刺し穿つ死棘の槍ゲイ・ボルク』を………!」

「───っ!? 『刺し穿つ死棘の槍ゲイ・ボルク』!では、御身はアイルランドの光の御子か!」

対するランサーは忌々しげに舌うちをした。

「………ドジったぜ。コイツを出すからには必殺でなけりゃヤバイってのに。まったく、有名すぎるのも考え物だな」

そう言って槍を構え直すランサー。
対するセイバーも再び構える。

「さて、正体を知られた以上はやり合うぜ? その後ろの嬢ちゃんも“マスターの命令で”殺さなくちゃいけねぇからな」

「私も退くつもりは…………っ!?」

答えようとしたセイバーが一転して顔が青くなった。
レイラインから伝わってくる異常。
それは。

「あ? どうした、セイバー。…………まさかとは思うがあの坊主、治癒魔術も使わずに死んだんじゃねぇだろうな?」

「……………」

ランサーの問いかけには答えない。
だが、明らかにセイバーが焦燥しているのはランサーにもわかったしセイバーの後ろにいる鐘もわかった。

「ちっ、まさか治癒ができない野郎だったとはな。────ならしかたねぇ。てめぇが消える前にさっさと…………!?」

ランサーが言葉を続けようとした直後に、ランサーの槍が空を斬る様に振るわれた。
ガキィイン!! と言う音とともにランサーの背後に“何か”が弾き飛ばされた。

「チッ、アーチャーか!センタービルから狙撃してやがるな………!」

忌々しげにランサーが言う。
対するセイバーもそれを聞いて余計に焦燥に駆られていた。

この大橋で隠れれる場所はない。
加えてマスターである士郎からの魔力供給が完全に停止した。
それだけ今の彼の中に魔力がないということでもあり、それだけ危険な状態まで陥ってしまっていたということでもある。

「…………く、ここは引かせていただきます、ランサー。このような場所では一方的に狙撃されるだけだ」

「ああ、同感だな。戦いに横槍入れられたんじゃあ萎える。俺はこの場は引き上げてもいいんだが────」

そう言って槍を構える。
その構えを見たセイバーが咄嗟に反応し────

「生憎とその嬢ちゃんは殺す必要があるんでね!!」

轟!! とセイバーの横を通り抜けんとするランサー。
だがそれを食い止める為にランサーの目の前に立ちランサーを食い止める。

「へっ!そんな嬢ちゃんなぞ見捨ててマスターのもとへ走らなくていいのか、セイバー!?」

「そうしたいのはやまやまだが、それをしてしまえばマスターとの誓いを破ることになる。約束を反故にするつもりはないし、彼女を見殺しにするつもりもないっ!」

ガキィン! とランサーを吹き飛ばす。
そして同時に後方へ跳び退き鐘を抱える。

「え!?あの────」

「ここから一刻も早く離脱してマスターのもとへ向かいます!捕まっていてください!」

そう言った直後に彼女の直感が告げた。

「─────っ!!!!」

抱えた鐘を放り投げて振り向きざまに不可視の剣を振る。
ガキィン! という音と共に紅い槍が防がせる。

「よく防いだ、セイバー!」

「今、貴様と戦っている暇などない!!」

セイバーとランサーが鍔迫り合いをしているその場所に。

『────偽・螺旋剣カラドボルグ

「「!!」」

両者は一瞬でその場から跳び退く。
同時に

壊れた幻想ブロークン・ファンタズム

大気を揺るがす閃光に、視界を奪われ、その爆音で音が掻き消された。

「チィッ!」
「くっ!!」
「きゃぁあ!?」

三者三様の反応を見せてその場から急速に離脱した。


―Interlude In―

大橋で起きた爆発は大橋を落とすほどのものではなかった。
否。
彼が本気になったのならば大橋は落ちていただろうが、さすがにそれは躊躇われた。
事後処理がとんでもなくめんどくさくなるだろうから。

だがそれでもセンタービル屋上から見えた爆発は大きく、そのマスターである凛は少し不安になった。

「ねぇ、アーチャー? 大橋は落とさないようにお願いしたけど?」

「………大丈夫だ、凛。落ちないように力は抑えておいた」

そう返答するアーチャーではあるが、様子がおかしい。
否。
ランサーと二度目に対峙する前から様子がおかしかった。
凛はそのことについて先ほど訪ねたが帰ってきた返答は「問題ない」ということだった。

「そう………ならいいけど。───で、ランサーとセイバーはどうなった?…………あとその“マスター”も」

「さすがに三騎士と呼ばれるサーヴァントだけはある。両者とも大橋から離脱したよ。セイバーは深山町に戻ったがランサーはこちらの新都方面に向かって逃げてきた。無いとは思うが念のために場所を移すぞ」

「わかったわ。………とりあえず、ランサーを追いましょう。学校の件といいマスターの顔を拝まないと割に合わないわ」

「了解した、凛」

二人はビルの屋上から飛び降りてランサーを探すべく、新都の町へ消えて行った。

「それにしても………まさか“氷室さんが”セイバーのマスターだった、なんてね」

アーチャーはその言葉を聞いて考えに耽るしかなかった。

―Interlude Out―



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第9話 明けない夜
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:37
第9話 明けない夜


─────第一節 嵐の前の静けさ─────

爆発音とともに深山町方面へ跳び退くセイバー。
腕には鐘が抱えられている。

「くっ………!アーチャーめ、私もろともランサーと一緒に撃破する気でしたね………!」

そう呟いて爆発した箇所を一瞥してラインを頼りにマスターである士郎のもとへ急行する。
対する鐘は屋根から屋根へと高速で移動する光景を見て困惑するしかなかった。

「あ、あの。セイバー………さん?」

「なんでしょう、ヒムロ」

「その………助けてくれて感謝します」

「私はマスターに指示に従っただけです。────少し速度を上げますので舌を噛まぬように」

ドンッ! と屋根を蹴り、速度を上げる。

「─────!」

とりあえずこの状況で話をするのは無理そうだ、と感じた鐘は言われた通りに口を閉じた。
屋根から屋根へ、屋根から電信柱へ、電信柱から屋根へ。
そうして見えてきたのは鐘にとって見たくもない光景。
否、セイバーにとっても許容できるような光景ではない。

「衛宮!」
「マスター!」

着地して倒れている人物へと駆け寄る。
セイバーと別れた地点から数十メートル離れた場所で俯せに倒れている。

「衛宮、衛宮!!」

どんどん焦燥感に駆られていく鐘に対してセイバーも焦燥感を隠しきれなかった。
しかしふと左腕をに視線がいって

「─────腕の穴が塞がっている………?」

「え?」

セイバーの呟きを聞いた鐘は彼の左腕を見る。
左腕は血だらけだったが、反して彼女が見た筈の大穴がなかった。
声に反応してわずかに体を動かして、重い瞼をあけた。

「………氷室………、それに………セイバー………?」

弱弱しい声ではあったが、それでも口調は比較的しっかりとしていた。
二人は僅かに安堵して彼の背に手をやってゆっくりと起き上らせる。

「悪い………。氷室、無事だったんだな………よかった」

そんな感想を漏らす士郎だったが、心境は複雑だった。
対する鐘は士郎がとりあえず無事なのを確認して、落ち着きを取り戻した。

「セイバーさんに助けてもらった。─────ということはやはり、マスターというのは衛宮のことか」

「─────俺も少しばかり混乱してるんだけどな」

そう呟いて鎧姿の少女を見る。
改めてみると美人であり、その容姿は鐘や士郎よりも少し下に見える。

「………ありがとう、セイバー。氷室を助けてくれて」

「いえ、マスターの命令ならば当然です。それに私としても一般人が殺されるのを見過ごす気もなかった」

ブロック塀に凭れてその言葉を聞く士郎は首を傾げる。
が、ここで、しかもこのような格好でいるのもどうか、ということもありとりあえず

「とりあえず家に戻ろう。いろいろと訊きたい事とかあるけどそれからでいいだろ? 二人とも。

「そうですね。このような外で話すのは得策ではない」

「─────そうだな。私も少し整理したい」

二人の同意を得て立ち上がろうと腕に力を入れる。
と、ここで気が付いた。

「─────あれ? 左腕の傷が塞がってる?」

「? 衛宮、自分で治癒とか施したんじゃないのか? 魔法使いなら『ケアル』くらい使えるのだろう?」

「俺は治癒魔術なんて使えないんだ、氷室。あと何で『ケアル』?」

「………その『ケアル』が一体何なのかは知りませんが、左腕は大丈夫なのですか? マスター」

二人のやり取りを見て少し疑問に思いながらも訪ねる。

「いや─────痛みは残っているし動かそうとしてもかなり反応が鈍いけど、さっきまでみたいに感覚がないっていうことはない、かな」

「では、ひとまずは大丈夫ということですね、マスター」

「多分。─────それと、セイバー。その………俺はマスターっていう名前じゃなくて『衛宮士郎』っていう名前なんだ」

「そうでしたか………。では、シロウと。─────ええ、私にはこの発音の方が好ましい」

簡単にではあるが自己紹介を済ませて立ち上がる。
だが彼の体の傷が塞がったとはいえ、ダメージは体内に蓄積されている。
足元がふらついて体が傾く。

「衛宮………!」

傾いた体を鐘が横で支える。
その光景は最初に二人が衛宮邸に来たときとは逆の関係。

「悪い………ちょっとふらついた」

「無理はしないでくれ、衛宮。支えてやるくらいなら私だってできる」

「───助かる」

見栄を張ったところで意味はない。そう考えて素直に感謝の意を示して肩を借りて歩き出した。
セイバーは二人の後ろについて歩いている。
鐘は彼の腕を自身に肩に回して、左手を彼の背中に当てて支えながら歩いている。

「───衛宮」

呟くような声で言う。

「ん?」

「ありがとう、助けてくれて。君がいなかったら私は………きっと死んでいた」

言い忘れていた言葉。
それは今すぐ隣にいる彼に伝える。その言葉を聞いた士郎は小さく驚いたが

「───いいよ、気にしないで。言ったろ、助けたいから助けるって。本当に………氷室が無事でよかった」

同じように呟いたが、その顔は優れなかった。

「…………衛宮?」

そんな顔をしている彼を見て不安になり声をかける。
だがその直後に。

「こんばんは、セイバー、お兄ちゃん。お兄ちゃんは会うのは二度目だね」

幼い声が夜の町に響いた。
歌うようなそれは、紛れもなく少女の物だ。視線が坂の上に引き寄せられる。
月にかかっていた雲はいつの間にか去っていた。
月明かりが示すしるべのその先に。

軽く二メートルはある巨体。
そしてその傍らにいる白い少女。
影絵の世界に、それはあってはならない存在だった。


─────第二節 バーサーカー─────

「────バーサーカー………ですね」

背後にいたセイバーが二人の前にでて戦闘態勢に入る。
現在セイバーはマスターである士郎からの魔力供給を受けていない。
彼の魔力がほぼ空の状態なので受け取ろうとも供給されていなかったのだ。
そんな状態で戦うのは好ましくはないが、むしろ万全の状態で戦える方が珍しいので泣き言は言ってられない。
何より前方にいる少女が三人を見逃すとは思えなかった。

「バーサーカー…………」

セイバーの言葉につられて声に出して呟く士郎。
目の前にいる少女に訪ねる事などない。
アレは紛れもなく敵であり、殺しに来た者だとわかったから。
そしてその敵が放つ殺気は、ランサーよりも威圧的であった。

隣にいる鐘は目の前の敵に呆気を取られていたが、士郎の呟きで我に戻り体をわずかに震わせながら、それでも彼を守る様に半歩分だけ前に出た。
彼女があの巨体に対してできることなど皆無だろうが、しかしそれでもこれ以上傷ついた彼を見たくないという思いもあった。
が、大きく出ることもできず、結果半歩という状況になっていた。
何を中途半端な事をしているのか と自問しながら目の前の少女に視線を向ける。
その光景を見た白い少女は首を傾げる。

「そっちの人はだれ? 魔術師………じゃないよね? お兄ちゃんの協力者?」

首を傾げる少女。当然ながら協力者ではない。
それを聞いて士郎が否定の意を伝えようとする前に

「ま、いいか。どっちにしろ殺すことには変わらないんだし」

微笑みながら少女は殺すと口にした。
その笑顔はこの場には似合わない。
だがその無邪気な笑顔が背筋を寒くした。
─────と。
少女は行儀よく、この場に不釣り合いなお辞儀を見せる。

「そういえばまだ名前、言ってなかったね。知ってるかもしれないけど一応言っとくね。私はイリヤ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

「アインツベルン─────?」

聞き覚えのない名前。
だが二人の前にいたセイバーだけは僅かに反応した。
無論後ろの二人は気づかなかったが。

「さて、挨拶はこれくらいでいいよね。どうせ死んじゃうんだもの」

「クッ………」

セイバーが不可視の剣を構える。

「ふふ………じゃあ、殺すね。やっちゃえ!バーサーカー!!」

「■■■■■■─────!!!」

巨体が宙を舞う。
坂の上から飛び降りてくる。

「───シロウ、ヒムロ。下がってください………!」

同時にセイバーがあの巨体に向かって駆けた。
バーサーカーの落下地点に急行したセイバーは即座に不可視の剣を振り上げた。
同時にバーサーカーの大剣が振り下ろされる。

ガキィィン!! という轟音が夜の町に鳴り響く。
同時に巻き起こる突風。

「うわっ………!」
「………!」

突風に吹き飛ばされそうになる。
咄嗟に士郎は鐘を自分の方に引き寄せて衝撃から守る。
そうして目に映った光景はセイバーが押される光景。

「っ─────」

口を歪めるセイバーのもとに
轟!! と暴風染みたバーサーカーの一閃が襲いかかってくる。
受け止めるその音はまさしく轟音。
大気を裂きかねない鋼と鋼のぶつかり合いは、セイバーの敗北で終わった。
ざざざざ、という音を立ててセイバーが後退する。
バーサーカーの大剣を受け止めたものの、その力に圧倒されて押し返されていたのだ。

「くっ………」

体勢を崩しながらもそれを立て直そうとするセイバー。
その彼女のもとへ

「■■■■■■─────!!!」

轟! と、バーサーカーが接近し大剣を叩きつける。
避けることなどできない。
その時間すら与えられないまま大剣を受け止める。
バーサーカーの一撃は全力で受け止めなければならない即死の風だった。
故にセイバーは受けに回るしかない。
何とか隙を見出して反撃に移ろうとするが───

「■■■■■■────!!!」

大剣が振るわれる。
その速度はセイバーを上回っている。
バーサーカーが大剣を振るう。
そこに技などない。必要がない。
圧倒的な力と速度を以っていて敵を叩き潰す。
振るわれるたびに大気が揺れる。
電信柱など豆腐のように簡単に砕け、地面は瓦の様にヒビが入り、割れる。

「─────逃げろ」

呟く声はセイバーには聞こえない。
だが彼を支える彼女にはしっかりと聞こえた。
そんな彼の言葉などお構いなしに大剣は振るわれ続ける。
セイバーはランサーとの戦いにおいて傷を負っている。
加えてそれを治癒させてやれるほどの魔力は今現在士郎の内部には存在しない。
故にセイバーは傷を負ったまま戦っていた。

轟!!と繰り出される大剣。
嵐のように襲ってくる大剣を捌ききれずに体勢を崩したところに放たれた一撃。
それを轟音を伴いながら無理な体勢で防いだが、彼女の体が浮いた。
致命傷だけを避けるために取った行動は、結果勢いを殺せずに吹き飛ばされた。
大きく弧を描いて落ちる。地面に叩きつけられる前に身を翻して着地する。

「………ぅ、つ………」

だがその体から血が流れている。
胸の周囲からも血が出ていた。

「………あれは」

その姿を見て鐘が思い出した。
ランサーとよばれた男が放った槍。
あれが直撃した箇所だった筈だ。
傷が修復されていたので気に止めなかったが、外見だけだったとするならば彼女のダメージは深刻の筈である。

「つ、う─────」

胸を庇うように構えるセイバー。
しかしそんなものは暴風であるバーサーカーには関係がない。
傷ついたセイバーに斬りかかる。

「………っ!! だめだ、逃げろ、セイバー!!」

弱り切った体で、それでも渾身の叫びを響かせる。
にもかかわらず、彼女は敵うはずのない敵へと立ち向かった。

ガキィン!!という音を再開の音としてその後も幾度となく轟音が響き渡る。
バーサーカーの攻撃に終わりはない。受ける度にセイバーの体が沈み、どんどん追い込まれていく。

「「逃げろ(るんだ)!セイバー(さん)!」」

その二人の叫びもむなしく、大剣の一閃が完全に防いだ筈のセイバーもろとも薙ぎ払った。

だん、と。
遠くで何かが落ちる音。
見えるのは赤。鮮血。
その中でもはや立ち上がる事の出来ない筈の体で

「っ、あ…………」

それでも必死に立ち上がろうとしている少女がいた。



「──────────」

心のどこかで彼女なら大丈夫だと思っていた。
先ほど目の前で起きた光景。
あの時は彼女が圧倒していた。きっと彼女なら大丈夫、そんな確証もない思いを懐いていた
けどそれは間違い。愚かな間違いだった。
少女を斬りつけた巨体は動きを止めている。
それはまるで命令を待っているかのようで………

「あは、勝てるわけないじゃない。私のバーサーカーはね、ギリシャ最大の英雄なんだから」

その言葉を聞いた私は未だに理解できない。
英雄が何だと言うのだろうか。

「─────ギリシャ最大の英雄………?」

「そうよ、そこにいるのはヘラクレスっていう魔物。お兄ちゃんが使役できるような英雄とは格が違う、最凶の怪物なんだから」

イリヤと名乗った少女は私の質問に律儀に答えて目を細める。
それは憐みなどの目ではない、楽しむ愉悦の目。

────それは敵を倒す。
────敵とは誰か。言うまでもない。

彼女が殺される。それを防がなくてはいけない。
じゃあどうしろというのだろうか。
彼女に代わってあの怪物と戦う?
そんなことはできない。私に力はないし、そもそも半端な覚悟で近づくだけで心臓が止まりそうだ。
どうすればいい。
助けてくれた彼女を見捨てるのか。
何もできないと言って、死にかけている彼女を見殺しにするのか。

必死に何か策はないかと考えを張り巡らせる私に

「氷室」

声をかけてくる衛宮。

「悪い。ちょっとだけ………離れる」

「え? えみ………」

私が声をかける前に彼は走り出した。

「いいわよ、バーサーカー。そいつ、再生するから一撃で仕留めなさい」

活動を再開する巨体。

「こ─────のぉおお…………!!」

一気に坂を駆け上る。
衛宮ではあの怪物をどうにかできるわけがない。ましてや今の状態ではそれこそ塵同然だ。
だからせめて、傍にいる少女を突き飛ばして巨体の一撃から助け出さなければいけない。そう考えたのだろう。
ドン! と少女を突き飛ばすことに成功した。
………けれど。

グチャッ。

目の前で、ナニカが潰れるような音がした。

ばた、と倒れる衛宮。
その顔は心底何が起こったかわからない、という顔。

「──────────え」

その光景を眺めていた。
そして彼が突き飛ばした時から彼が倒れるその時まで一部始終見ていた。
何てことはない。あの巨人が振るう大剣が“早すぎた”。

「が───は」

吐血。
地面に倒れている衛宮。
その傷から見えるのは血だけではない。柔らかそうなもの、白っぽい枝………。
私もセイバーさんも、そして敵であるイリヤという少女も、その光景を見て停止していた。

「───ごふっ」

また吐血。
どんどん彼の顔から生気の色がなくなっていく。
死ぬ。
目の前で鮮血を噴き出して。
倒れこんで。
吐血して。
シヌ。

「な………んで」

気がついたら走り出してた。
知らない。
あそこに行くことで死ぬとか知らない。
躓いてこける。膝を擦りむく。
そんなことは知らない。
立ち上がって坂を駆け上がる。
今度こそ彼の傍にたどり着く。

赤。
アカ。
体は赤く染まっていた。

「衛宮!衛宮!!」

必死に意識を留めるために呼びかける。
いや………そんなこととは関係なく、ただ名前を叫び続けていた。
彼の声が聞こえない。ぐったりと力の抜けた彼の手足。
顔は赤く染まり、瞳は壊れたオートフォーカスの様に半開きのまま停止している。
全身にあの攻撃を受けて、激痛を伴っているハズなのに、抱えた彼は叫びもせず、体を動かすこともせず、ピクリとも動かなかった。

「……や…………」

判断能力なんて吹き飛んだ。
すぐ近くに彼をこんな風にした敵がいるのに、それすら完璧に頭の中から消え去った。

「────なんで」

白い少女が呟いた。

「────もういい。こんなの、つまんない」

そのまま巨人と少女は去って行った。

「衛宮………」

私には見えない。
腕の中にいる彼しか見えない。

「衛宮ぁぁッ!」

気がつけば私は彼を抱いて叫んでいた。


─────第三節 ヴェールをかけた女─────

今日の夜だけで行われた戦闘はすでに3つ。

アーチャーVsランサー
ランサーVsセイバー
セイバーVsバーサーカー

その戦い全てを観察しながら、しかしその戦いに干渉しなかった人物がいる。

「…………本当に、馬鹿な子」

水晶越しにその戦いの一部始終を見ていたフードを被った女性。名をキャスター。
とある一部の人物からはそう呼ばれている。

「まったく─────セイバーのマスターがここまで無知で無能で愚かだとはね………」

そう言いながら水晶から目を離す。
もはやこれより先で戦闘は行われないだろう。

「けどまだ生きてはいる、か。………案外悪運はあるのかしらね」

そう言って口に手を当てて思案する。
キャスターはサーヴァント中最弱と呼ばれている。
それはキャスター自身の自覚しているため、だからこそ彼女は策を張り巡らせる。
キャスターが根城とするのは柳洞寺。
そしてその城を守るのはキャスターともう一人、アサシン。

未だこの柳洞寺に敵サーヴァントの侵入を許したことはない。
だが、それでも不安要素はあった。

「あの野蛮人が襲ってきた場合、私とアサシンだけでは心許ないわね。せめて迎撃できうる駒は必要………か」

すでに柳洞寺はキャスターの城と化している。
その城の内部では圧倒的な力を発揮できるのだが、だからと言ってキャスターが慢心になることはまずなかった。

「セイバー………彼女達を調べてみる価値はあるわね」

キャスターの中にはすでにセイバーをどのように引き込もうかという策が複数個存在していた。
自身の宝具を使い引き入れる。
マスターごと引き入れる。
そして………

「彼女を利用する………という手もあるわね」

魔女は呟き、妖艶に嗤う。
貝紫のローブが翻った一瞬の後、そこにあった筈の彼女の姿は元から存在していなかったかのように消え失せていた。

柳洞寺。
長い石段の上ある寺。
訪れた参拝客を最初にもてなすのは山門。
その山門に紫紺の陣羽織を風にはためかせる一人の男の姿があった。誰がどう見てもそれは現代に生きる者の出で立ちではない。
何より、その侍の右手に携えられた長大な業物が、振るわれる時を待ち侘びていたのだから。
アサシン。
そう呼ばれる彼はキャスターによって召喚され、山門の守りを任されていた。
そんな彼の前に現れた男が一人。

「───さて、もう夜も更けきって後は日の出で目覚めるだけという今宵。このような時限に参拝に訪れたわけではあるまい? そこの青髪の男よ」

山門の前に佇む侍が問いかける。
そこに敵意は無く、殺意も無い。澄み渡る静寂の水面のように無形。

「お生憎さま、俺は仏教徒じゃねぇんでね。用があるのはお前だ、アサシン。─────まさかキャスターの膝元に居やがるとは思わなくってよ、探すのに手間取っちまった」

「そうか、私に用があったか。てっきりこの先にいる人物に用があると思ったのだがな」

侍の手の中にある刀が揺れる。
刀と呼ぶには余りにも長いそれが月の光を一身に浴びたまま、訪れし敵へとその切っ先を差し向けた。

「無論、その用とはただの世間話などではなかろう?」

「当然だ。サーヴァントとサーヴァントが出会ったんだぜ? やることなんて一つしかねぇだろ!」

轟! という音と共にランサーが石段を駆け上がってきた。
その姿を見ながらも悠然と佇むアサシン。
そして。
ガキィイン!! という金属音が夜の山道に響き渡った。



山道に響く金属音。
槍と長刀が奏でるその音を聞きながら遠くでそれを観察する人物が一人。
腰元、いや足元まで流れる紫紺の髪。
すらりとした長身に肌を大きく露出させた黒の衣装。見紛うほどの美しさ。
ライダー。
彼女は二人の戦いを悟られぬように観察していた。
聖杯戦争は始まったばかり。
まずは情報収集から入るのが戦いに生き残るための定石。
これは現代の魔術が全く関与しない戦争でも同じ。いかに相手の情報を手に入れて自分に有利な状況で戦うことができるか。
彼女自身のマスターは残念ながら優れた魔術師ではない。
いや、魔術師ですらない。ただ魔術という知識を持っただけの人物。
そのくせお世辞にもあまり優れた性格・判断を下せる人物というわけでもない。
ライダーはそんな自分の不利的状況を少しでも打開するために、夜な夜な情報収集に奔走していた。
無論マスターにはその事を伝えているし、その間は大人しく家にいるように懇願しているため、離れている最中に狙われるという事はない。
そもそも彼女のマスターは他マスターの探知には引っ掛からない。
なぜならマスターは魔術師ではないからだ。



月下流麗。
月の光が山道照らし、その石段で踊るのは紫紺と群青。閃くのは銀の清流と紅の奔流。

紅い槍と長刀。
その姿の通りの戦いをするランサーに対して、対峙する男、アサシンは大よそそのクラス名とはかけ離れていた。
侍の剣閃は一撃一撃が必殺の太刀だった。
命を刈り取る鋭利な刃。それをランサーは手に握る槍で迎撃し、その次の瞬間には次の剣戟が繰り出されている。
必死の攻防の中に活路を見出して突き出す槍は、しかし直撃することなく受け流され、そしてそれは相手の剣速を引き上げる糧とされていた。
相手の得物は長刀でありランサーの槍のアドバンテージもあまり意味を成さなかった。
懐に入りさえすれば勝負は一瞬で決着を見るだろうが、ランサーとて短剣の様な至近距離戦で真価を発揮する武装ではない。
互いが互いの間合いを維持したままに火花が飛び散る。
たとえそこまで行けなくとも、弾いた直後ならば次の一撃までに普通の剣よりも長い隙がある筈。
しかも相手の剣筋は円。それは最速とは程遠い、無駄だらけの軌道である。故にランサーはその一瞬こそを待ち望んだが、その時は終に訪れることはなかった。
一撃弾く度に速度を増し繰り出される閃光。それは本来有り得ない剣速。踏み込む度、打ち合う度、侍の剣は躱す事すら赦さないとばかりに速度を上げる。
円を描きながら線より速く。不敏を思わせておきながら点より尖鋭。その侍には、その軌道こそが最善であると言わしめるだけの何かがあった。
ランサーは反撃の糸口すら掴めず、ただただ侍の剣戟を受け続ける。
そしてその光景を見ていたライダーもまた、疑問に囚われていた。
なぜあそこまで正面切って戦えるのか。仮にもアサシンであるならばランサーと正面衝突した場合、押されるはずである。
それでも戦えるように高レベルの気配遮断のスキルなどがあるのだ。
だがあの侍は隠れようともせず、悠然とランサーと剣劇を繰り広げる。
それはアサシンというよりもセイバーに近い。
否、セイバーをも凌駕するかもしれないその剣劇は確実にランサーを押していた。
足場の不利もあり、ランサーは距離を取る。

「ち─────やりづれえな、お前」

「ふ………。褒め言葉として受け取っておこうぞ、ランサー。………して、跳び退いて我が刀から離れたはいいがどうする?」

「………どうするっていうのはどういうことだ」

「なに、こうして戦いあえるのは僥倖ではあるが─────」

アサシンは刀を下げた。
それがどういう事を意味するか。

「本気を出せない相手を斬るというのは釈然としないものでな。できるなら貴様には立ち去ってもらいたいものなのだが」

「─────気づいていたか」

「気づかぬ道理などあるまい。大よそ不本意なマスターの命令を受けたのであろう? その覇気に対して戦いに入る力はそれに似合わない」

互いの殺気が完全に消える。
これで戦いは終わり。

「去るというのならば追わん。生憎と私の役割はこの門を守ることだけなのでな。─────もっとも、気に入らぬ相手であれば死んでも通さんし、生かしても帰さん」

そう言ったアサシンはある場所を凝視する。
視線を感じ取ったライダーはすぐにその場から離脱した。

「やれやれだな、おい。戦いに水を差されるのは今日だけで三度目だ」

「ほう。それはまた難儀だな、ランサー? 相当に運に恵まれていないようだ」

「うちのマスターそのものがそもそも幸運なんてもの持ってるかすら怪しいもんなんだがな」

そう言ってランサーはアサシンに背を向けて去って行く。

「借りはいずれ必ず返すぜ、アサシン」

そうして山道の戦いは終わりを告げた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第10話 静かな崩壊 Chapter3 Evil under the Sun
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/14 16:12
Chapter3 Evil under the Sun

第10話 静かな崩壊

Date:2月3日 日曜日

─────第一節 崩壊の序曲─────

───遠い記憶。
その光景は生きてきた中で何度も見てきたものだ。
その夢を見て跳び起きるなんてことはない。
目覚めが悪かったことは何度かあったが………。
けれど、今日の夢はそれ以上に最悪だった。
夢に見たのはあの夜の光景で、あの赤い世界。
私が抱きしめた彼は反応がなく、人形のように止まっていた。
その姿は死んでいるようで───

「う………ぁっ!!」

跳び起きた。
体は依然として震えていて、額には汗が滲んでいる。

「────はぁ」

悪い夢を見たのは枕の所為だ、などと半ば八つ当たりをしながら周囲を見渡す。
いつもの洋室ではない和室。少しだけ離れた場所に夢に出てきた彼が眠っている。日はすでに高い。
昨日彼が倒れた後にセイバーさんと二人で驚いた。
彼の傷がどんどん塞がっていっていたからだ。
衛宮を抱えて急いで彼の家へと戻り、応急処置をしたがその時にはもう傷がほとんど塞がっていた。
一体何が起きているのかわからなかったのだがその当事者である彼の意識がないため結局はわからずじまい。
それに彼自身もそれ以前の反応を見る限りじゃわからないようだったので調べようもない。

血のついた私の制服と彼の制服は揃って風呂場行きとなった。
間違っても血の付いた服を着て家の中をうろうろするわけにもいかなかった。
その後両親に電話を入れ、由紀香の家に泊まると言って彼の家に一泊することとなった。
しかし当然私は着替えなどもってきていないわけで、結果浴衣を拝借する形となっている。

「セイバーさんは………どこに?」

昨夜三人で同じ部屋にいた筈だった。
流石に彼と同室で寝るのはどうかと思ったのだが、セイバーさんの「護衛しやすい」という言葉を聞いて反論の余地はなくなった。

「………………っ」

「………衛宮?」

彼の声が聞こえた。寄って彼の顔を見る。
瞼がゆっくりと上がっていく。

「………氷………室?」

「そうだ。私だ、衛宮。体は大丈夫か?」

傷は確かに塞がっていた。だがそれでも安心はできなかった故の言葉。
口調はいつも通りではあるが。

「………う、口の中………まずい………」

上半身を起こし、言った後に咳き込む。
どうやら口の中に血が残っていたらしい。

「大丈夫か、衛宮? 洗面所に行って口の中漱いできたらどうだ?」

「………悪い、そうする」

そう言って立ち上がろうと体を動かそうとする。
だがそんな彼の体は反して崩れ落ちかけた。

「衛宮!」

倒れそうになった体を支えるように壁に手をあてている。
すぐに彼を支えるように腕をとる。

「わ………るい。ちょっと眩暈がし………」

口に手を当てる。
吐き気もあるらしい。

「衛宮………洗面所まで連れて行くくらい、私にもできる」

彼の体を支えたまま私は寝室を後にして昨夜使わせてもらった風呂場へと続く洗面所に連れて行った。
洗面所について彼が手のひらで水を救って口を濯ぎ、顔を洗う。
冬で寒い筈なのに水道の冷水を髪に直接濡らしている。
息遣いが荒い。横から彼を見ているとこちらもつらくなってきてそうだ。
それほど彼の状態はよくなかった。
だというのに

「………よし、少しは落ち着いた」

なんていうものだからむっときてしまう。
確かに先ほどと比べてましになってはいると思うが、もっと自分の体を大切にしてもいい筈だ。

「氷室………家に泊まったんだな。…………その浴衣は─────」

「ああ。すまない、制服は血だらけだったので浴衣を拝借している。ちゃんと洗って返す所存だ」

「───い、いや、別にそこまでしてくれなくてもいい」

そう言って俯いてしまった。どうしたのか、と思った次には
パンッ、と両手で頬を叩いて気合いをいれていた。

「よしっ。氷室、昼飯食べてないよな? ご馳走するから食べて行ってくれ。話はそれからにしよう」

普段通りの彼に戻っていた。
首を傾げる私に背を向けてドアを開けようとするが、

「ここに居ましたか、シロウ、ヒムロ」

入ってきたのは昨日であった少女、セイバーさん。

「セイバー………!」

視線を僅かにそらした。
まああの姿を初めて見た時は驚くだろう。

「体の方は大丈夫のようですね、一時はどうなるかと思いましたが安心しました」

「あ、ああ………。お蔭様で………」

「? どうしましたか、シロウ。まさかまだどこかに傷を………!?」

「………いや、とりあえず言いたい事があるんだが言っていいか?」

しかし視線は別の方向を向いている。
気持ちは分からなくもない。

「………なんでドレス姿?」

確かに私も見た時は驚いた。女の私ですら綺麗だと思ったくらいだ。
なるほど、鎧姿しか知らなかった彼にはインパクトが大きすぎたということか。

「何故、と言われましても鎧を常時身に着けている訳にはいきませんから。戦闘と関係ないときは鎧は消してあります」

平然と答える。
その回答はあっているのだろうが、彼が言いたい事はそれではないような気がする。

「あー………そうだな。セイバーに着るもの用意しなくちゃな、流石に」

「確かにドレス姿はこの日本の日常生活ではまず見ないだろう。そして日本家屋にはまずありえない服装ではある」

二人して彼女の服装に同意見を出す。
そんな私たちの反応を軽く受け取って

「シロウ、昨夜の件について言っておきたいことがあります」

かなりの不機嫌さで言葉を走らせてきた。

「立ち話もなんですので、居間へ来てください。そこで話をしましょう」

スタスタと歩いていくセイバーさん。
それに首を傾げながらもついていく衛宮。そんな彼の後ろについていった。



「───で、話ってなんだ? セイバー」

緑茶を用意し、テーブルをはさんで向かい合うセイバーと士郎。
鐘はセイバーの隣に座っている。

「ですから昨夜の件です。シロウはマスターなのですから、その貴方があのような行動をしてもらっては困る。戦闘は私の領分なのですから、シロウは自分の役割に徹してください。自分から無駄死にをされては守りようがない」

きっぱりといいきったセイバー。
それを聞いて今までのどこか素気なかった雰囲気は完全になくなった。

「な、なんだよそれ!あの時はああでもしなけりゃお前が斬られていたじゃないか!」

「そのときは私が死ぬだけでしょう。シロウが傷つくことはなかった。今後はあのような行動はしないように。マスターである貴方が私を庇う必要はありませんし、そんな理由はないでしょう」

淡々と事務的に語る彼女を見て

「な────バカ言ってんな、女の子を助けるのに理由なんて必要ないだろ………!」

ダン! と机を叩いて怒鳴る。
流石に驚いたのだろうか、セイバーは一瞬固まったがしかしそのあとは、彼を見つめていた。
鐘も少し驚いたが、次には相変わらずな顔に戻っている。

「う………、と、とにかく………うちまで運んでくれたのは助かった。それに関しては礼を言う。氷室もありがとうな」

「いや、衛宮を放っておくわけにはいかなかったからな」

「サーヴァントとしてマスターを護衛するのは当然ですが、感謝をされるのは嬉しい。礼儀正しいのですね、シロウは」

「いや、別に礼儀正しくはないと思うぞ、俺。───と、それより聞きたいことがあるんだ」

士郎は彼女の顔をしっかりと捉えなおして

「そもそもセイバーって一体何者なんだ? 昨日の二人の奴といい普通の人間じゃないのはわかった。サーヴァント、とか言うけど正直何なのかわからないんだけど」

この質問は彼女の隣に座っている鐘も聞きたかった内容だろう。
どう見ても人間という領域から離れている彼女の素性は知りたかった。

「………そうですね、まずはそこから話しましょう。シロウにとってもヒムロにとっても、もう関係のない話ではありませんから」

一息ついた後に

「聖杯戦争というのはご存知でしょうか?」

「………いや、知らない」

「当然だが私も知らない」

「そうですか。では、一番初めから簡略的ではありますが説明します。聖杯戦争とは名前の通り『聖杯』を手に入れるために行われる戦争で、七人のマスターが七人のサーヴァントを用いて繰り広げる争奪戦です」

「聖杯って………まさか本当にあの聖杯だっていうんじゃないだろうな?」

聖杯、という言葉を聞いて思考を巡らせる。
ちなみに彼女の聖杯という言葉に関する知識はおもに小説や歴史書などからきている。
無論『聖杯』という言葉と大まかな知識を持っているだけで詳細など気にもかけなかった。
複数の該当する知識があったが、さてはたして昨夜の異常さと関係するのか、という疑問があった。

「衛宮、聖杯とは何だ?」

念のために訊く。
間違った思い込みを持ったまま話を聞き続けるのは良いことではないだろう。

「聖杯っていうのは聖者の血を受けたって言われる杯で聖遺物の中でも最高位にあって、様々な奇跡を起こすことができる、だった筈。………で、それを手にしたものは世界を手にする、とか言われてた」

大よそではあったが自分の知識とそれなりのデータは一致していた。
が、当然知っていてもそれが現実で存在するなんて考えない。

「………すごいな、もうそれだけで小説がかけそうな気がする」

あまりにもスケールが大きく、現実離れしすぎた発言に呆れてしまう鐘。
彼女にはすでに理解しがたい世界になっていた。

「いや、そうは言ってもそもそも聖杯っていうのは存在自体が“有るが無い物”に近いんだ。世界各地にある伝承とかに顔を出しても、そんなものを実現させるだけの技術はない」

「ふむ、まあ考えてみればそうだろうな。もしそんなものが本当に実在していたのなら、とっくの昔にこの世界は変わっているだろう」

「そういうこと。───だから、セイバー。その聖杯戦争の『聖杯』って本物なのか? そんなものが本当に実在するとは思えないんだけど………」

「いえ、本物です。その証拠として昨夜のランサーや私をはじめとした我々サーヴァントがここにいる」

さっきまでそんなものはない、と話をしている中でしかしそれは本物で実在する、と言う。
しかし彼女が嘘をついているようには見えないのも事実だった。

「………わかった。仮に聖杯があったとして、じゃあサーヴァントっていうのは何だ? 聖杯とどういう関係にあるんだ?」

「サーヴァントとは過去に存在していた英雄のことです。英雄として名を馳せ死後それでもなお信仰の対象となった存在は、輪廻の輪から外れ一段階上の存在へと昇華されます。亡霊というより精霊や聖霊に近い、或いは同格とされる存在、定義的には英霊とするのが一般的でしょうか。そしてそれらを引き連れてきて使い魔としているのが、この聖杯戦争のサーヴァントです」

つまり、それは英霊ということ。
英霊は生前に卓越した能力を持った英雄が死後に祭り上げられたもの。

「ちょ………ちょっと待て。過去に存在していた英雄を呼び出して使役する? そんな魔術聞いたこともない」

「ええ、これは魔術ではありません。あくまでも聖杯が行っていることで、魔術師であるマスターはその力を利用してサーヴァントを呼び寄せているだけなのです」

「───いや、そりゃあ聖杯が本物ならそんな『奇跡』だって起きるかもしれないけどさ…………」

二人とも驚いた顔を隠せない。
目の前にいる少女が英雄だ、なんていってもまず信じられないだろう。

「過去の英雄…………ということはセイバーさんも過去に存在していた英雄ということなのか?」

どう見たって英雄には見えない少女に尋ねる。
確かにあのランサーと打ち合ったところを見れば実力のほどは窺い知れるのだろうが、こんな少女の英雄など存在したのだろうか? なんて考えるのは普通である。

「ええ。でなければ私はサーヴァントとして呼ばれることはまずありません」

「…………ということは、昨夜のあの女の子が言っていた『ヘラクレス』というのは………」

「………バーサーカーのマスターが言った通り『ギリシャの英雄』でしょう」

それを聞いた鐘はもう疑うことをやめた。
ここで嘘をつくメリットはないだろうし、仮に嘘であったとしてもあの怪物の存在が消えてなくなるわけでもない。
彼女のいう事は本当だろう、と結論づけたのだ。

「なあ、セイバー。マスターっていうのはその過去の英雄を従える魔術師のことだよな。それはいいんだけど、セイバーのことがよくわからない。それにランサーにバーサーカー………だっけ? 聞いてはいるけどどうも本名じゃないような気がするんだが。バーサーカーには『ヘラクレス』って名前があるのに『バーサーカー』ってあの女の子も呼んでたし」

「ええ、私たちの呼び名は役割毎につけられた呼称にすぎません。………そうですね、この際ですから大まかに説明していきましょう」

「ああ、頼む」

「私たちサーヴァントは英霊です。それぞれが“自分の生きた時代”で名を馳せたか、或いは人の身に余る偉業を成し遂げた者たち。どのような手段であれ、一個人の力だけで神域にまで上り詰めた存在です」

「つまり、セイバーさんも神域に上り詰めるまで有名なことをした者………というわけなのか?」

失礼だとは思うがどうもそうは見えない、と心の中で感想を漏らす。
ただし昨夜の戦闘を見る限りではその限りではないが。

「ええ。しかしそれは同時に短所でもあります。私たちは英霊であるが故に、その弱点も記録している。名を明かす───正体を明かすということは、その弱点をさらけ出すことになります」

「───そうか。英雄っていうのは大抵、何らかの苦手な相手がいるもんな。だからセイバーとかランサー、っていう呼び名で本当の名前を隠しているのか」

「はい。もっとも、セイバーと呼ばれるのはそのためだけではありません。聖杯に招かれたサーヴァントは七名いますがその全てがそれぞれの“役割”に応じて選ばれています」

サーヴァントのクラスはその数と同じ七つ。

 騎士─────セイバー
 槍兵─────ランサー
 弓兵─────アーチャー
 騎乗兵─────ライダー
 魔術師─────キャスター
 暗殺者─────アサシン
 狂戦士─────バーサーカー

だと言う。
そして有名な英雄ほど歴史に経歴や特徴、武器、能力、弱点などを残している。
それでその名、あるいは武器でもいい。
それを知られれば生前苦手とした事項、或いはは致命的な弱点を探られる可能性がある。
それを隠す為のクラス名という訳である。

「………………」

「どうかしましたか? まだ何か分からないことがありますか?」

「いや………俺は聖杯戦争っていうふざけた殺し合いに巻き込まれて、セイバーを召喚したっていうのは理解したつもりだ。そして既に契約しているというのも事実だ。けど俺にはまだ、マスターなんて言われても実感が湧いてこない」

「………ええ。何も知らないということは知らないまま私を呼びだした、ということですからね。しかし過程がどうであれ私は貴方に呼び出され、マスターであるという事実は揺るぎません。その証拠として令呪………痣の様なモノがあると思いますが」

「………これか」

翳した左手を見る。
士郎の手の甲には赤い紋様のような刻印が刻まれていた。

「令呪とはサーヴァントに対する絶対命令権にしてサーヴァントを繋ぎとめる楔でもあります。サーヴァントを律すると同時に、サーヴァントの能力以上の奇跡を可能とする大魔術の結晶の名。ですが使えるのは三回だけです。それに長期的な命令よりも瞬間的な命令の方が効果は強力ですので、使う場合は良く考えて慎重にお願いします」

「…………繋ぎとめる楔、か。なあ、セイバー。俺が仮にこの令呪を放棄した場合は―――」

─────俺を殺すのか?

そんな言葉を口にする。
今までの話を総合すれば、マスターとはサーヴァントを従える事が条件なのだろう。
それを可能としているのがこの令呪。
それを放棄すればマスターではなくなり、聖杯戦争への参加権を手放すことになるということなのだろうと推測しての質問。

「マスター…………それは戦いを放棄する────ということですか」

一転して鋭く睨んでくるセイバー。

「いや………分からない。セイバーには助けてもらった恩もあるから恩返しはしたいとは思っている。けど聖杯なんてものは俺はいらない。戦う理由は………」

「ない、ですか。確かに聖杯戦争を知らない者が突然参加したのですから、聖杯に望むような願いはないのかもしれません。ですがすでにランサー、バーサーカーはシロウを狙うべきターゲットとしています。仮に令呪を放棄したところでそこで安全が保たれるという保障はどこにもない」

「────っ………そうだよな。氷室なんか魔術師でもないのに殺されかけたんだ。もう………逃げるっていう選択肢すらもないかもしれない」

そう呟いて拳を握りしめる。
自分はこれからどうすべきか。
どうあるべきなのか。

「────なぁ、セイバー。ランサーとかバーサーカーは、まだ………氷室を狙ってくるのか?」

「…………っ」

そう。彼女もまた狙われている。
理由は単純。『見たから』。
たったそれだけで彼女の命は消されてしまいそうになった。
もう現実味の欠片すら感じられないような話ではあるが、その非現実が彼女を殺そうとしていた。

「可能性としては………ゼロではありません。────いえ、もしかすると昨夜の出来事でさらに狙われる確率は増えたかもしれません」

「………どういうことだ?」

「ランサーはマスターの命令により殺そうとしていたようです。ランサー自身は殺す気はないらしいですが、サーヴァントはマスターの命令に基本的には絶対遵守。マスターの意志が変わらない限りは狙い続けてくるでしょう」

それはまたランサーと彼女が顔を合わせるときがくる、ということである。

「バーサーカーもまた命令に従います。バーサーカーのマスターは昨日の言葉からしてヒムロをシロウの協力者と思っているようですので、こちらも危険性がないとは言えません」

それと、と加える。
思い出すのはランサーとの戦闘後の出来事。

「昨夜はランサーからヒムロを守る際に、アーチャーからの遠距離攻撃を受けました」

「アーチャー………弓兵か。たしかに弓は接近して撃つようなものでもないからな………」

「はい。アーチャーが一体どこから見ていたのかは知りませんが、最悪の場合私のマスターはヒムロ、と思い込んでいる可能性があります」

「なっ………」

「ま、待ってくれ。私がマスター? 私は魔術師という存在を昨日知ったばかりだというのに勘違いで殺されるかもしれないのか?」

「アーチャーが詳しい事情を知っていたのならばその限りではないでしょう。しかし橋の一件だけ見たとするならばそうとられてもおかしくはない」

そう言われては反論のしようがない。
確かに昨夜の橋の一件は何も知らない敵からしてみたらそう映るだろう。

「そして厄介なのがキャスターです。キャスター自身はその場にいなくても魔術によって遠距離で行われている戦闘や行動が筒抜けになってしまう恐れがあります」

「つまり昨日のことも見られていた可能性がある、か。厄介っていうのは………」

「キャスターは全サーヴァント中最弱の部類に入ります。しかしそれ故に様々な策略を練って攻撃を仕掛け、生き残ろうとします。────ここまで言えばわかるとは思いますが………」

「………つまり、氷室を人質にして動きを封じてくるかもしれない、というわけか」

「アサシンについては残念なが何も言えません。アサシンはそのクラスの特性上、高度な『気配遮断』を有します。戦闘能力自体は私よりも劣りますが、気配がない故にアサシンはサーヴァントではなくマスターを優先的に狙ってきます」

「マスターを狙うっていうのは………」

「サーヴァントはマスターを依り代としています。故にマスターがいなくなってしまうと、依り代となるマスターを早急に見つけないと存在できなくなり消滅してしまいます。逆に言えば───」

「マスターを殺してしまえば、自分より強いサーヴァントと戦う必要はない………か」

「はい。アサシンがいたのかどうかもわかりません。もしかしたらあの場に居合わせていなくてヒムロのこともシロウのことも知らないという可能性もあります。しかし知っている可能性もある。そうなった場合、マスターを殺しに来るでしょう。そして最悪の場合はアーチャーと同様に『ヒムロがセイバーのマスター』と思い込んで暗殺してくることです」

「くっ…………!」

士郎は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
鐘も俯くしかない。
昨日見た、というだけで大量の敵から狙われるかもしれないという日常を送ることになるというのだろうか。

「ライダーに関してはこの件には全く絡んでいないと思われますが………ここまでくるとあまり意味はありませんね」

「………6人中5人が狙ってくるかもしれないんだろ。一人知らないなんてことで安心できるわけもない」

そう言って黙ってしまった。
セイバーの隣で話を聞いていた鐘自身も悩むしかない。

(私では誰かを守るとかそんな大層な考えの前に自分の身すら守ることができない)

仕方がない、といって逃げてもやってくるのは死ぬという結末だけだろう。
何もできない。
その結論だけが鐘を苦しめていた。
続く静寂。
それは決して軽い静寂ではない。重い、『殺されるかもしれない』という事実を知って生まれた沈黙。

「────わかった、セイバー。教えてくれてありがとう」

そんな沈黙を破ったのは彼の言葉だった。
鐘とセイバーを見据えて口にする。

「俺は氷室を守る。狙ってくる奴がいるならその全員と戦って守り抜いてやる。他にも無関係な誰かを巻き込もうとする奴がいるなら、俺は絶対に止める。その為なら俺は自分の意思で戦える。その為に俺はマスターとして戦う」

それは明確に聖杯戦争に参加するということ。
そしてその理由が────前に座っている少女を守るためだということ。

「衛宮。私のために、なんて理由で戦わないでくれ。どこの小説だ。そこまでする義理だってない筈だ」

彼女ではサーヴァントを止める事などできない。
しかし『自分のために死ぬかもしれない戦場に行く』なんてことを言われて『はい、そうですか。では私のために頑張って死に物狂いで戦ってください』なんて言うような人間ではない。

「いや、このままだと氷室が殺されてしまうかもしれない。俺はそんなのを黙って見過ごすつもりもないんだ」

そう言って鐘に向けていた視線を隣に座るセイバーへと移す。

「………セイバー、マスターとしての知識もない。戦う理由も聖杯戦争を勝ち抜くことじゃない。それでもおまえは、俺と一緒に戦ってくれるのか?」

「当然でしょう。そもそも彼女を全サーヴァントから守り抜くというのであればそれは聖杯戦争に勝ち抜くということと同義です。行き着く先は同じですし、何より私はシロウの剣になると誓った身です。異を唱える理由など存在しません」

互いが互いの意志を確認する。
目的こそ違えど目指す方向性が同じならば手を取り合ってそれぞれの目的を成すために進んでいけるだろう。
そんなやり取りの最中、鐘だけは優れない表情をしていた。

「氷室………?」

「………なんだ、衛宮」

「いや、何か難しそうな顔をしているから………」

「そうか…………私はいつも気難しそうな顔をしていたか」

「い、いや。そんなことないぞ? どうしたんだ?」

「………何も問題はない」

返答が素気なくなっている。
なぜこんなにも素っ気なくなってしまっているのだろうか、彼女自身もわからなかった。

「…………シロウ」

「ん?」

「ヒムロは魔術師ではありません。今の話にシロウほど早くは対応できないでしょう。少し席を外して考える時間を与えた方がいいかと思います」

「………それもそうか。悪い、氷室。気付けなかった。────もう昼だし昼食の準備をするか。メシ、食って行けよ。ご馳走するからさ」

そう言って二人を残して彼はキッチンへと向かった。


─────第二節 苦悩─────

キッチンで士郎が昼食の準備をしている間、鐘は一人脱衣所に来ていた。
いつまでも浴衣姿でいるわけにはいかない。昨日洗った制服は乾いており着る分には問題はなかった。
目立たない程度に小さいシミが出来ていたが大丈夫だろう。

浴衣を脱ぎ、制服を着る。
昨夜は親に電話して友人の家に泊まる様に言っておいたため家に帰らなくても問題はなかった。

深呼吸をする。
今まで聞いた情報を整理する為に一度頭の中をからっぽにしてもう一度組み立てる。
考えてみれば異常だった。
昨夜の学校の一件から今日まで。
もちろん得体のしれない人物に命を狙われるという事実も異常であるが、彼との絡みもまた異常だった。
そもそも彼と彼女は顔や名前は知っている程度だった筈だ。
会話も何度かしたことはあったが、ここまでのものではなかった。

(つまり特殊な環境に陥った故の逃避行動、或いは衰弱状態で優しくされたが故の心の緩み、ということか?)

何度も言うが彼女は魔術師でもなければ魔術を知っている人物ですらない。
あくまでも普通に生きる真人間であり、魔術の世界とは無関係。
当然、本当に殺されそうになるなんてイベントは普通に生きている限りは皆無であるし、目の前で大怪我をして死んだような状態の人間―しかもそれが顔見知り―を見るということなどまずない。

いわば昨日は全てが異常。
自身の周囲に起こった出来事も自身の内の感情もその全てが異常。
情報を整理し終えて、混乱していた自身は回復した。
無論、殺されるときに震え上がらなくなった、というわけでもない。
人は誰だって死にたくはないし、怖がるのは当然である。
そんな本能とは別の、自身の内の感情だけは冷静でいなければならない。

「彼はなぜあそこまで他人の為に、と言う理由で立ち上がることができる? あれほどの思いをしたというのに」

士郎の発言はまさしく『どこの小説だ』という発言だった。
彼の言った『他人を守るために戦う』。確かに人を救うということは大切だろう。
警察や消防だってそうだ。犯罪者や火事から人を守るために彼らは存在する。
けれど、自身の身がどう考えても危ない時は消防隊だって死地には入ろうとしない。
死んでしまっては元も子もないからだ。
ある程度の危険はあったとしても入れば100%死ぬしかない、と言う火災の状況にGOサインを出す消防隊の上司などいない筈だ。

だが彼は違う。
平気でそんな状況でも入ってきて人を助けようとする。
自身が死ぬかもしれないというのに。
たとえば店のアルバイトに入っていたとする。
最初に習うマニュアルは『刃物など凶器を持った人物の言うことを聞く』だ。『金を出せ』といわれて『嫌だ』とは習わないだろう。
それは自身の身の安全を優先するために習う事。

しかし彼には“そんな常識がない”。
自身の身の安全を考えない人間は絶対にどこか人間として欠落している。
空想論で『そんなことは自分だってできる』と言ったところで、実際にできる人間は果たして何人いるのだろうか。
ましてや守る対象が知っている人間じゃない、或いはそう繋がりが深い人間じゃない人の場合、それをできる人はさらに少ないだろう。
自分の命を顧みず、また助けた報酬をも顧みず、ただ人を助けるという行為をする。
冷静で客観的な物見ができ、状況判断もそれなりにできると自負している彼女にとって、彼の行動は理解できない。

確かに彼は力は少なくとも彼女よりはあるだろう。自身を『魔法使い』(実際は魔術使いだが)と呼ぶのだから一般人と比べて上位にいることは間違いない。
しかしそれでも勝てなかった。
それを知っているはずなのにそれでも他人の為に死地へと赴く。
無論、赴いたから必ず死ぬわけではないだろうがそれでも危険性は高すぎた。昨日がよい例だ。

だからこそ彼女は突き付けられた難問に頭を悩ませていた。

「頭が痛くなってくるな…………」

死にたくはない。それは彼女だって同じ意見。
自分の力で自分を守れるなら何も問題はなかっただろう。襲いかかってくる敵を迎撃するだけでいいのだから。
けれど何度も言う様に彼女は真人間。迎撃できるだけの力は持っていない。
となると、彼の言う通り彼に『守ってもらう』という選択肢しかなくなるわけなのだが………

「理解できても納得はできない」

そもそも見たという理由だけで殺されるのが彼女にしてみれば理不尽なのだ。納得なんてできるわけもない。
しかし現実は最早彼女自身の力ではどうしようもなくなっていた。
となると、どう考えても彼に頼るしかなくなる。
ふぅ、と軽いため息をついた後

「彼を信じろ、というのか。生き残ることを」

別に信じたくない訳ではない。
むしろ信じたい。が、それとは別に何もできない自分にイラつきを覚えていた。
それに信じるなんて行為にどれほど力が存在するのだろうか。
甚だ疑問ではあるが、それ以外に方法がないのもまた事実だった。

コンコン、とドアがノックされる。

「衛宮か?」

「いえ、私です。ヒムロ、入っても構わないでしょうか」

「………どうぞ」

ドアが開かれて入ってくる。その姿は相変わらずのドレス姿。
対する鐘はすでに制服に着替え終わっていた。

「何か?」

「一つ貴女に言っておくことがあります」

その表情は真剣そのもの。

「本来、魔術師でもない一般人には聖杯戦争について語られることはまずありません。しかしそれでも話したのは知っていた方が今後の行動にも僅かに影響がでると思ったからです」

「………知らないよりも知っている方が理にかなった行動はできるだろう、という配慮ですね」

「はい。ですが、今言いました通りこれは語られるべきことではない。故に─────」

「他言無用でお願いする、ということでしょう。………わかってます。彼からも昨夜言われましたので」

他人行儀で、冷静に、分析しながら答えていく。
彼女はこのことを誰かに言うつもりなど全くなかった。
言ったところで信じてもらえるとは思えないし、もしかしたら伝えたことでその人も狙われるかもしれなかったからだ。

「わかっているならば結構です。では、失礼します。もう間もなく食事ができるとのことですので居間へいらしてください」

そう言って出て行くセイバーの後ろ姿を眺めていた。
彼女には悪意はない。事実を冷静に彼と自分に伝えただけ。
けれど。

「何か乗せられたような気がしてならないのは、私の気のせいだろうか」



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第11話 発覚
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:39
第11話 発覚


─────第一節 腹が減ってはテンション高まる─────

「………なんだよ。断っておくけど、俺は暇じゃないぞ藤ねえ」

食事が出来てさあ食べようとしたところに鳴り響いた電話。
その相手は藤村大河であった。
食事時を狙ったようにやってくる奴だったがまさか食事時を狙って電話をかけてくるまで至ったか、などと無意味に感心しながら受話機を握る。

『なによ、わたしだって暇じゃないわよ。今日も今日とて、お休み返上して教え子の面倒みてるんだから』

「………不思議だ。見えない筈なのに胸張っている姿が見える」

受話器片手に頭を抱えながら呟く。
鐘とセイバーはそんな彼を見ながら食事をしている。

『ん? なーに、士郎? 何か言った?』

「教え子の面倒見てるんなら、世間話をしている場合じゃないなって話だよ。こっちは火事も泥棒もサーカスも来てないから、安心して部活動に励んでくれ」

じゃ、といって手短に切ろうとする。

『ちょ、ちょっと待ったー!恥を凌いでお姉ちゃんが電話してるっていうのに、用件も聞かずに切ったらタイヘンなんだからー!』

こちらは昨夜からタイヘンなのだが、それをこの人に言ったところで仕方ない。

「はいはい………。んで、用件はなに」

『士郎、わたしお弁当が食べたいなー。士郎の作った甘々卵焼きとかどうなのよう。他にもいろいろあるとお姉ちゃんうれしいなー』

「………………………」

『以上、注文おわり。至急弓道部まで届けられたし。カチリ』

訪れる沈黙。
士郎は受話器を見つめていて、二人はそんな彼を見ていた。

「……………ほんと、なんなんだろう。あの人」

受話器を置いて二人に向きかえる。

「っていうわけで、これから藤ねぇに餌を与えに行かなくてはならなくなった。しかも早急に」

「それは今の会話でわかった。衛宮、藤村先生とは仲がいいのだな?」

「まぁ………毎朝毎晩食事時に家を強襲してくる人だからな」

「さきの電話の主はシロウの家を襲ってくるのですか?」

「無論殺しに来るわけじゃないぞ、セイバー。─────いや、家の経済的には一時死にかけた時期があったけど」

「………大変だな、同情する」

「…………ありがとう、氷室」

自分用に用意していた食事を弁当箱に綺麗に盛り付ける。が、虎の要望である卵焼きはないので作る必要があった。
卵焼き自体は簡単かつ手短に作れるのでちゃちゃっと作り終える。で、虎を静める為にさらに数品追加。
そして被害にあっているだろう弓道部員………おもに桜のためにさらに分量追加。
なんてことをしていたら豪華三段弁当となった。

「……………作りすぎではないのか、衛宮?」

「いや─────あの虎を静めるにはこれくらいは必要だ。もし静めれなければ明日の弓道部はきっと存在しなくなっている」

真顔でかつ平坦な声で言うのだから、笑い話として流そうにも流せない。
鐘は食費で一時期死にかけたというのもこの弁当を見ていたら何となくわかる気がする、などと思いながら食後のお茶を飲んでいた。

「ってことでセイバー、留守番頼む。氷室は好きに家使ってくれていいから。すぐに戻ってくるから待っててくれ」

そう言って廊下に出て玄関に向かう。
が、彼の後ろについてくる二人。
気になったが何も言わずに玄関で靴を履く。
で、隣には無言で靴を履く氷室さんとセイバーさん。

「…………もしもし?」

「何かな、衛宮」

「何でしょう、シロウ」

息ぴったりだな、などと感想を懐きながら恐る恐る訊いてみる。

「えーと。何をしているのでしょうか?」

「私は学校にいくつもりなのだが。いつまでもここにいるわけにもいかないだろう。それに陸上部も部活動はある。昼から参加するつもりだ」

「外出するのなら同伴します。サーヴァントはマスターを守る者なのですから、シロウ一人で外を歩かせるなど危険です」

何となく予期できた回答をしてくる。
ここで言い含める必要があるだろう。

「わかった。氷室は確かに学校に行く理由があるから一緒にいこう。けど、セイバー。今は昼なんだから人気のないとこに行かない限り戦闘になんてコトにはならない」

「それは承知しています。ですが万一という場合もある。シロウはマスターとして未熟なのですから常に護衛する必要がある」

「つ、常にって…………。そりゃ他のマスターと比べたら未熟かもしれないけどさ。…………いや、護衛するにしてもその服装は駄目だ!絶対ダメだ!」

「─────む」

そう。セイバーは未だにドレス姿だった。
彼女の他の服がないのだから当然ではあるが。
切り札を得たと言わんばかりに追撃する。

「護衛してくれるっていうのはありがたいけどさ、その服装だとまず間違いなく目立って浮く。だからセイバーは家で留守番しててくれ。危ないようなことにはならないからさ」

「…………わかりました」

その言葉を聞いてほっと安心する士郎。
間違ってもあのドレス姿で学校に同伴されては明日の朝日は拝めない。
というか街中で一緒に歩いただけで殺されかねない。
主に視線で。

「────この服装でなければいいのですね」

直後。
横にいた鐘の手をとり玄関から猛ダッシュ。
余計な事言ったー!などと心の中で叫びながら急いで家を後にした。


─────第二節 忘れているのではなく─────

「いきなり走り出すから驚いたのだが、衛宮」

「すまん………。一刻も早くあの場から逃げる必要があった」

坂道を下る。
学校へ歩いて三十分の距離である。
ゆっくりとした歩調で歩いていく。

「いや………しかし氷室と一緒に登校するとは思わなかったな。藤ねぇとか桜となら一緒に登校したことはあったけど」

「そうなのか?」

「ああ、二人とも朝食とか夕食を食べに来るんだよ。桜に至っては俺の用意ができてなかったりすると準備もしてくれてたことがあったし。藤ねぇは食事時を狙ったようにやってくるけど」

「なるほど、なら間桐嬢は通い妻ということか?」

鐘は少し笑いながらからかうように言う。
が、隣にいる少年から帰ってきた反応は少し想定と違った。

「通い妻…………か。考えたことなかったな、どっちかっていうと妹って感じだな。ちなみに藤ねぇは姉」

「つまり、衛宮にとっては二人は家族のようなものということか。………………そういえば衛宮の両親はどうしたのだ?」

不意に疑問が湧いたので訊いてみた。

「そうか、氷室は知らなかったか。十年前の火災で孤児になってさ。親父…………衛宮切嗣って人に拾われたんだ。それで親父も五年前に他界しちまったんだよ」

だから家は俺一人、と何ともないという顔で答えた。
だが、訊いた当人はそうもいかなかった。

「それは…………。すまない、不躾に踏み込んたことを聞いてしまった」

「いや、気にしなくていいぞ。この歳まで紆余曲折こそあったけどしっかり育ってるわけだし」

本当に気にしていない、という素振りで答える。
なぜそこまで穏やかな調子でいられるのか、それとも彼にとっては普通ことなのだろうか。
理解できなかった。
そして同時に彼女の探究心も疼いた。

「…………重ねて不躾になるかもしれないが、もう少し衛宮の話を聞かせてはくれないだろうか」

「え? 別にいいけど、俺の話をしても楽しいかはわからないぞ?」

三十分という時間をただ無言で歩いていくというのもどうかと思っていた。
ポツリポツリと会話をする。
どうでもいいことから少しだけ踏み込んだ話まで。

「…………では、君は父親と母親の顔は思い出せないのか?」

「まあ、あの火事の時に一回死んで生まれ変わったようなもんだからな。家のあった場所とかあの時の風景とかは否応が無しに思い出すことはあるけど、それ以前の記憶はさっぱりかな」

「調べようとしたりしたことは?」

「ないなあ。それに多分調べようにも調べられないと思うぞ?」

「どういうことだ?」

「大火災だったからな。身元不明の焼死体なんて数えきれないほどあっただろうし、孤児になった子供だって場合によっちゃ名前すらわからない。戸籍記録も無くなってめちゃくちゃ。それに捨て子だって起きていた可能性はあったはずだろ?」

「…………慰霊碑が立てられるほどの大火災ではあったから、そういうのも横行していたかもしれないが」

冷酷な話ではあったが捨て子をするにはもってこいの規模だった。
急な開発で社会の格差が広がった時期でもあったので、こういうことは横行したのかもしれない。
また、火事の前に流行った子どもの誘拐事件というのもあった。
彼女自身もそのころはあまり外出した記憶がない。家にいることが多かったか? と思い出す。
そして大火災後の政府の対応がまずかった所為もあり、生きている人間にはちゃんと籍が設けられたが、必ずしもそれは血縁による系譜とは一致しないという事も多かった。

「しかし生まれ変わったとは………。衛宮、それは思い出せないだけで脳は覚えているものだぞ?」

「そうなのか………? 忘れているから思い出せないんじゃないのか?」

「いや、人間が物事を『忘れる』ということはない。思い出せないだけで脳にはしっかり残っている。それでも思い出せないのは『忘れている』からではなく『思い出すきっかけ』がないからだ」

「そ、そうなのか…………。いや、俺には脳医学なんてわからないからよくわからないけどさ」

「無論、私は私の知っている知識を言っただけだからもしかすると間違っているかもしれない。適度に受け流してくれればいい」

そうこうしている内に学校が見えてきた。
ゆったりとした速度で到着し校門から学校へ入ろうとする。
だが。

「………………」

歩みが止まる。
一方の鐘は平然として校内へ足を踏み入れていた。

「? どうした、衛宮」

「………………いや、何でもない」

気のせいか? と内心疑いながら校内へと足を踏み入れた。
だが気分はあまりよくない。
少なくとも昨日学校に入った時よりはそう感じる。

「では衛宮。私は陸上部の部室へと向かう。君は藤村先生に弁当を届けるのだろう?」

「ああ。今頃藤ねぇがどうなっているかわからんから少し心配だ」

「ふむ。ではせめて健闘だけは祈らせてもらおうか」

「ああ、祈っててくれ。弓道部が消えて無くなるようなことは阻止しないとな」

冗談を交わして二人はそれぞれの目的地へと向かった。


─────第三節 残滓─────

「あれ、衛宮だ。なに、もしかして食事番?」

気心の知れた知人、というのはこういう時に便利ではある。
弓道部主将・美綴 綾子は士郎の顔を見ただけで、その用件まで看破していた。

「お疲れ。お察しの通り飯を届けに来た。藤ねぇは中に居るのか?」

「いるいる。いやあ、助かった。藤村先生ったら空腹でテンション高くて困ってたのよ。学食も休みだしさ、仕方ないんで買いだしに行こうかって考えあぐねてたところ」

「そこまで深刻だったか。─────で、買いだしって、まさか下のトヨエツに一人でか?」

「そこ以外に何処があるって言うのよ。ただでさえ備品で金食ってるんだから、非常食に金はさけないでしょ」

まあ一成と士郎の奮闘もその派生から来て様々な備品を修理することになっているのだから間違っても虎の餌代になることは阻止せねばならなかった。
そして無駄を嫌う弓道部主将。
ちなみにトヨエツとは商店街にあるスーパーの名前で、弓道部では走り込みと称して買い出しに行かされる。
腕を休めるための走り込みの筈が、帰りには大量の荷物を持たされるという矛盾した習慣である。

「まあ節約のために日々奮闘してるのに食事代で消えるなんてばからしいよな。ほら、弁当。遅くなって悪かったけど藤ねぇに渡してくれ」

ほい、と弁当の入った紙袋を差し出す。
が、それを受け取ろうとはせずただ中身だけを覗き込む綾子。

「お、豪華三段セット。いいね、久しぶりに見た。衛宮はこういう細いの上手なのよね」

「そんな笑って何が嬉しいんだか………。ほら、嫌味はいいから受け取れ。中、藤ねぇが暴れまわってタイヘンなんだろ?」

「そうね。そう思うんならさっさと中に入って、藤村先生に手渡してあげるべし。だいたいね、入口で帰したなんて言ったらあたしがしごかれるじゃない。ほら、ここまで来たなら観念して中に入りな」

仕方ないな、などと諦めて促されるように中へと入ろうとする。
が、綾子が近づいてきて内緒話をするように体を寄せる。

「…………で、衛宮。後ろのあれ、何者よ? すっごい美男子だけど、知り合い?」

「……………へ?」

後ろ? 言われてくるりと振り返る。
そこには

「こちらにいましたか、シロウ」

セイバーがいた。
その姿はもちろんドレス姿でも鎧姿でもない。
男性用の喪服を着たセイバーがいた。
女性だというのになるほど、確かに美男子にも見える不思議。

「……………………」

口をあけたまま目の前の光景を見て固まる。
そりゃあもう予想なんてまったくしなかったのだから当然である。

「たしかにあの姿で街中を歩くことは私もどうかと思いましたのでこの服を借りています。これならば問題はないでしょう」

ああ、確かに問題はないが問題だらけだ と心の中で呟きながら我に戻る。

「シロウって呼んだよな?………ってことは知り合いか。誰? あの人」

「とりあえず知り合いってことで通してくれ。…………あと、少しだけ時間をくれないか?」

「? ああ、それは構わないけど。藤村先生も待ってるだろうから、手早くね」

「わかってる」

綾子から離れ、セイバーに手招きして弓道場の脇へと移動する。

「なんでしょう?」

「いや確かに服装はあのドレスよりはましだけどさ。どうしてここにいるってわかったんだ?」

「マスターとのつながり…………ラインを辿れば探すことは容易いのです、シロウ」

普通に答えるセイバー。
こりゃあ走った意味なかったな、などと思いながら諦めた。

「とにかくここに危険はないだろう? 俺もすぐに帰るから、セイバーは先に帰っててくれないか?」

「? 危険がない? シロウ、貴方はここに残る魔力の残滓がわからないのですか?」

「─────何?」

周囲を見渡すが別に何も感じられない。

「シロウ。貴方とのラインはしっかり感じられますし、魔力も多いとは言えませんが供給されています。ですが、大よそ魔術師としての能力がないと思うのですが?」

「うっ…………結構響くな、それ。────けど、まあ確かに才能がないのは当たりか。切嗣に教えてもらったのは魔術の使い方だけだからな。感知なんてものは習わなかったし教わってもたぶん会得出来てないと思う」

頭を掻きながら問いに答える。
しかしその答えを聞いたセイバーは驚いた表情を見せていた。

「………セイバー。いくらなんでも失礼だろ。そりゃ、俺の魔術師としての才能はないとは言ってもさ」

「────あ、いえ。別にそこに驚いている訳ではないのですが。………いえ、今は止しましょう。後で時間をいただければ説明します」

「む、そう言われると余計に気になるんだが…………。でもまあ確かに今は藤ねぇの空腹を静めるのが先か…………」

弓道部の中から僅かに聞こえてくる悲鳴。
ああ、また誰か一人虎の餌食になったか、なんて思いながらて弓道場へと戻る。

「話はついたのかい?」

「ああ。それと悪いが頼みがある。アイツが部室に入ってもみんなが騒がないように言い含めてくれると、とんでもなく恩に着る」

「……………オッケー。事情は気になるけど、その交換条件は気に入った。衛宮、あとでチャラってのはなしだから」

綾子はそう言って二人を連れて道場へと入った。



「────被害は甚大か。変わらない光景だが憐れだ………」

詳しくは割愛するが、端的に表すならば生徒の要望を台風の目と化した担当教諭が理不尽な返答を以って斬り捨てているという感じだった。

「さて…………」

いつまでもこの光景を眺めているわけにはいかない。
手に持った対虎用兵器を見せなければいけない。

「お、ちょうどいい。おーい、桜ー」

弓かけの前にいる女生徒に声をかける。

「え、先輩…………!?」

桜は手にした弓を置いて、目を白黒させて駆け寄ってきた。

「先輩! ど、どうしたんですか今日はっ。あの、もしかして、その」

「ああ、藤ねぇに弁当を届けにきたんだ。悪いんだけど、あそこで無茶苦茶言ってる教師を連れてきてくれ」

「ぁ─────はい、そうですよね。…………そういえば先生、電話してました」

「?」

さっきの笑顔はどこにいったのか、桜は元気なく肩をすくめる。

「そういうコト。藤ねえ、ハラ減って無理難題言ってるんだろ。手遅れかもしれないけど、とにかく弁当作ってきたから食わせてやってくれ」

「………はい、わかりました。けど………」

ちらり、と士郎の後ろに視線を向ける。
そこには弓道場に不釣合いな、金髪の青年が立っている。
いや、訂正。美青年が立っていた。

「あの…………先輩?」

「ん? なんだ、もしかしてホントに手遅れか? これで藤ねぇを撃破できなきゃ明日、学校から弓道場は存在していないっていうくらい気合入れて作ってきたんだが。一応桜の分もあるんだけど、無駄?」

「え………、いえ、そんなコトないですっ! わた、わたしもお腹減ってますっ…………!………その、先生に半分あげちゃったから」

「うん、そんな事だろうと思った。桜のはすぐに食べられるようにしといたから、そう時間は取らない筈だ。…………ま、みんなもそういう事情なら昼食を再開しても文句ないだろうけどな」

「そ、そうですねっ。あの、それじゃご馳走になりますけど……………先輩、今日はずっと道場にいるんですか?」

「ん、そうだな…………」

尋ねられて考える。
士郎としては別にここに居ても問題はなかった。せっかく来たのだから眺めているのもいいだろう。
だが、先ほどのセイバーとのやり取りで気になる発言があったのも事実であった。
しかしやはり。

「できるならその弁当を一緒に食べたいんだがいいか? 昼食べてないんだ。分量は大めに作ってるから量は足りるはずだけど」

「なんだ、衛宮。昼食べてないのか。量は少し多いかなっと思ってたけど」

後ろより近づいてきた綾子が会話に加わってきた。
さきほど弁当を見た時に疑問に思っていたのだろう。

「ああ。ってことで弓道部主将様に尋ねるが食べても構わないか?」

「ん、あたしなら構わないよ。邪魔になるわけでもないしね」

尋ねてきた綾子に確認を取り、頷いてくれた。
主将のお墨付きをもらえれば臆する必要はないだろう。

「はいっ! 先輩のご飯楽しみです! それじゃ、藤村先生を呼んできますね!」

笑顔でそう答えた桜は、台風の目となって周囲に被害を出している大河の元へと駆けて行った。

「じゃ、あたしも行くよ衛宮。アンタの要望にお答えしないといけないからね」

「ああ。悪いけど頼む」

ぽん、と肩を叩いて去っていく綾子の後姿を眺めた後、部員達に好奇の目を向けられている青年を呼ぶ。

「なんでしょう、シロウ」

「とりあえず口裏合わせ。セイバーは親父………切嗣を頼って外国からやってきた知人ってことで通してくれ」

「────わかりました」

これで口裏合わせ完了。
聞かれてもあとは切り抜けられるはずだ、 と一息つく。

その後台風の目を呼んできた桜とともに休憩室に入り昼食をとる。
セイバーはすでに昼食を食べた後なので休憩室出入り口のすぐ近くに立って三人を見ている。
当然、そんな彼女…………いや、今は彼が気になるのだろう。セイバーをちらちらと見る桜。
それに対して台風の目は─────

「んー!おいしいっ!やっぱり卵焼きはこうでなくっちゃねー。あ、士郎。それいらないなら私がもらうわよ」

セイバーなんて視野に入らないのか、入っていても認識能力がそちらへ向いていないのか、とにかくスルーだった。
────そして十数分後。

ずずー、とお茶を飲みながら一息つく台風の目。
もうすっかりおとなしくなっていて台風の脅威は去っていた。

「あー、お腹いっぱい。糖分も頭に回ったし、これでようやく本調子ね」

デザートの羊羹を頬張りながら静かにお茶を飲む。
静かになったおかげで弦と矢の風切り音が響いている。

「先生、私も射場に出ますから、失礼しますね」

「はいはーい。あ、控えにいる美綴さんに、話があるからこっちに来るように伝えてもらえる?」

「はい。先輩もゆっくりしていってください。出来れば、久しぶりに指導してもらえると助かります」

桜は一礼して去っていく。
ただ、その合間。
壁際で静かに様子を見学していたセイバーを、不安げに見つめていた。

「で? 士郎はこの後どうするの? 部活は五時に終わらせるけど、それまでは見学していく?」

「………うーん」

なんでセイバーのことを突っ込まないんだろうか、などと考えながら士郎はセイバーをちらりと見る。
セイバーはセイバーで弓道場の様子に興味があるみたいで眺めている。

魔力の残滓がどうとかと彼女は言っていた。
ならばそれについて訊いてみなくてはいけないだろう。

「学校にはまだいると思う。そこら辺を散歩してくるよ。 ちょっとしたらまた戻ってくる」

「散歩? いいけど、物好きなコトするのね。切嗣さんも地味な趣味してたけど、士郎もそーゆー属性?」

「属性も何も散歩は地味な趣味じゃないと思うけど? ま、いいや。じゃあちょっと行って来る」

「はいはーい。気をつけていってらっしゃい」

それに手を振るだけで応えて、セイバーに声をかけて弓道場を後にした。


─────第四節 魔術師は二人─────

セイバーと共に弓道場を後にし、校庭にいる陸上部の面々を脇目に迂回するように校舎を目指す。
体育館もバレー部やバスケ部などが使っていると思うから人はいるだろう。
だが、休日の校舎の中は流石に人影はまばらだった。
校舎に入り、誰もいない廊下に自分達の靴音だけが響く。
念の為に周囲に人影がないことを確認した後、

「セイバー。さっきのコトを説明してくれ」

そう切り出した。

「わかりました。まずはじめに、この場所にはシロウ以外の魔術師がいます」

「えっ!」

驚愕を露わにする。
自分以外にも魔術師がいるなんて今まで気付かなかった。

「やはりその反応を見ると知らなかったようですね」

「…………ああ、今初めて知った。ソイツは今ここにいるってことか?」

改めて周囲を警戒するが、残念ながらそれらしい反応は感じなかった。

「いえ、今はいません。ただ、この場所に適時通っているものと思われます」

「…………となると、生徒あるいは教師か。どちらかは判別出来ないな………」

この学校に通う者の中に魔術師がいる。
それを一目で看破したセイバーが凄いのか、今まで通っていてまったくその事に気づけていない士郎自身が鈍いのか。

「どうして魔術師がいるって判ったんだ?」

「魔術師は魔力を帯びているものですから、その痕跡を探れば見つかります。濃い魔力を残していることから、この学校に通う誰かだと判断しました。一度来た程度ではこれほどの残滓は残せませんので」

つまり自分と同じように学校に通う誰かが魔術師であり、士郎はその人のことを知っているかもしれないということ。

「それに、この学校には違和感を感じます。シロウは何か感じませんか?」

「違和感…………ねぇ。まあ俺も何かこの学校に入ったときに違和感は感じるけど。セイバーもか?」

「はい。今はまだそれほどの危険性は無いとは思いますが、恐らくは結界かと思われます」

「結界、か………。どんな感じの結界かわかるか?」

「いえ、私は騎士であって魔術師ではないですし、まだ結界としての能力を発動させるほどの強い違和感を感じませんのでそこまではわかりません」

そんな問いに頭をひねって考えてみるが、その結界をどうやって調べたらいいのか皆目見当もつかない。

「………シロウは切嗣からどのようなことを指導してもらったのですか?」

「うん? 親父から、か。そうだな、強化を教えてもらったのと、気配遮断に衝撃緩和、ちょっとした防音魔術と認識阻害くらいかな。他にもいくつか教えてもらったけど全然ダメだった。それに強化以外に言った魔術もあんまりうまくいかないしやろうとしても時間かかるしで得意の分野には入らない」

不意に尋ねてきたセイバーの問いに答える。
それを聞いたセイバーはふむ、と少し考えるような仕草で

「気配遮断に認識阻害に防音魔術………大よそ切嗣らしいレパートリーですね………」

と呟いた。
しかしその呟きは彼には聞こえなく

「ん? セイバー何か言ったか?」

「いえ、気にしないでください。ではシロウ、その切嗣からこの聖杯戦争については何も聞かされていないのですか?」

「親父から? 親父はこんな戦争のこと知らなかったんじゃないのか? だって何も言ってこなかったし、第一親父がこんな戦争に参加していたとは思えないしな」

「─────そう、ですか」

つまり衛宮士郎は何も知らされていないということ。
この状況を安堵していいのか、それとも悲観するべきなのか。
そして本当の事を伝えるべきなのか、否か。

「第一『魔術は手段であり道具だ』っていう方針だったからな。おかげで魔術の使い方は教わったけど知識のほうは疎いぞ。まあ俺自身魔術の使い方覚えるのに必死だったし、それでよかったから別にいいんだけどな」

つまり彼女の目の前にいるのは魔術師ではなく完全な魔術使い。
魔術師は魔術を以って根源へ至ろうとしている人間たちの事を言う。
だが彼はそんな目的を微塵も持っていない。故に魔術使いだった。

「とりあえず学校内をうろつきながら弓道場に戻ろうか」


※男性用喪服姿のセイバー=Fate/Zeroのセイバーと似たような雰囲気ととってくれれば幸いです。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第12話 侵される日常
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:41
第12話 侵される日常


─────第一節 恐れを知らない風景─────

「たしかに陸上部は大会が近いってことは知ってたけどさ…………」

校庭の陸上部の部活光景を見て、士郎の開口一番の言葉がそれだった。
現在は冬。
3月まで残り1カ月とはいえまだ寒い時期。
であるにもかかかわず、校庭から聞こえてくる喧騒はそれを感じさせないほど明るい声が響いてくる。
しかしなぜだろうか、時折悲鳴のようなものすら聞こえてくるのだから不思議で仕方なかった。

「陸上部ってあんなにハードだったか?」

一年生を追い立てるように上級生が走り回っている。
というより一年生を追い立てている人物が目立つ限り一人しかいない。

「いや、熱心なのはいいけど止めなくていいのか、あれ?」

蒔寺 楓。
陸上部短距離走エースにして自称・穂群の黒豹である。
なるほど、時折聞こえてくる悲鳴は彼女に追いたてられた一年生のものだったらしい。
穂群原のブラウニーなどと称され、機材の修理などで駆り出される士郎は当然彼女のことも知っていた。

「…………同情するぞ、一年生。だが悪い先輩に捕まったと思って諦めてくれ」

周囲の上級生を見る限り誰も止めようとしないので恐らくこれが大会に近づいたときの練習光景なのだろう。
そんな練習光景へ近づいていく女子生徒が一人。陸上部のマネージャー、三枝 由紀香。
大量のペットボトルのつまった籠を持って校庭に運んでいた。

見ていて不安になりそうな足取りではあったがそれに気づいた楓が近づいていき荷物運びを手伝っていた。
そんな光景を見ながら視線は走り高跳びへと向く。
ポールを飛び越える姿。
走り高跳びをしたことがあるのは事実なのでそちらにも気が向いてしまうのは道理かもしれない。
そんな跳ぶ人たちの中に彼女がいた。

「…………特に問題はなさそうだな」

昨日の今日で普段通りに振舞えるのか心配であったが特に問題なく振舞えているので安堵する。
いくらかその光景を眺めていて、その後休憩に入ったことを確認して立ち上がった。

「シロウ」

隣で同じように陸上部活動の光景を眺めていたセイバーが声をかける。

「ん? どうした、セイバー?」

「ヒムロは今後どうするのでしょうか? 護衛をするのであればシロウの家に泊まらせるのがいいかと思うのですが」

何気に物凄いことを言ってくるセイバー。
たしかに護衛するとなればできるだけ近くにいるほうがいいだろう。

「そりゃあセイバーの言っていることもわかるけど、氷室には両親だっているんだから無理だろ。泊まらせるってことになれば説明だって必要だ。当然だけど説明なんてできないだろ」

「ではどうするのですか? このままだと危険性が高まるだけですが」

確かに護衛ができなければ彼女が狙われても守ることはできない。
かといって彼女の両親に『娘さんが戦争に巻き込まれて危険なのでうちで預かります!』なんて言ったところで信じないだろう。
というか逆にちょっと危ない子と認識されるかもしれない。………それはちょっと嫌だ。

「泊まらせることはできなくても周辺護衛ならできるだろ。それにセイバーのマスターは俺だって示せば勘違いしている奴が氷室を狙うこともなくなる」

「つまり………護衛しながら自身を囮にすると?」

「簡単に言ってしまえばそんな感じ。登下校に関しては…………どうしようか。そこのところは氷室と相談するよ」

そうして休憩に入った彼女に近づいていく。
一方の鐘はとっくに彼ら二人を見つけていた。

(セイバーさんは喪服を着てついてきたのか………)

彼女がついてくるかもしれないとは思っていたが、まさかあんな格好で来るとは思わなかった。
あれでは美女というより美男子だ。

「氷室、休憩してるところ悪いけど、ちょっといいか?」

近づいて休憩している鐘に話しかける。
美男子となっているセイバーを後ろにつけて話しかけてくるのだから周囲からみれば奇異な光景にもみえる。
一方の鐘は士郎の申し出を断る理由もないので

「ああ、構わない。では少し向こうへ行こうか」

と答えて歩き出す。
周囲の目が集まっていたので、場が混乱する前にさっさとその場から離れる。
そうして周囲に聞き耳を立てる輩がいないことを確認して

「で、話はなんだ、衛宮?」

「ああ、これからのことなんだけどさ。氷室は家に帰るんだよな?」

「…………どうした方がいいのかな、私は」

このまま家に帰ってもいいのだろうか、と考える。
狙われるかもしれない自分が家に帰ったら両親にも影響がでるかもしれない。
となれば士郎の家に泊まるという選択肢もあるだろうが、そうすると次は両親にどう説明すればいいかという問題が発生する。
昨日は一泊だけなので問題はなかったが、これからもとなると一泊ではすまないだろう。
連泊するとなるともっともらしい理由が必要になる。生憎と彼女の両親は放任主義ではない。
それに一人暮らしの男性の家に泊まるというのも大きなハードルとなっている。
正直に答える必要はないかもれないが、嘘がばれた時は逆に追い詰められる。
別の友人と口裏合わせをしようとしても数泊するとなると嘘をつきとおせない確率が高い。

「セイバーはうちに泊まっていけって言うけど、確か氷室の親って市長だったろ? ってことはそんなの許されないと思うからさ、だから俺が氷室の周囲を護衛しようと思う」

仕方がない状況とはいえ一体どこの有名人だろうか、などと思いながら

「周囲を護衛、か。確かに衛宮の家に泊まるのが困難となればそうなるのだろうが…………」

「そう。で、相談なんだけどさ。登下校はどうしようか。迷惑じゃなければ一緒に登下校しようと思うんだけど」

その言葉を吟味してみる。
確かに狙われているなら登下校も一緒に行動したほうがいいのかもしれない。
しかし問題もある。

「一緒に登下校と言うが衛宮。君の家と私の家がどれだけ離れているか知らないのか?」

「新都の方だろ? とてもじゃないけど一緒に登下校できる距離じゃないってことはわかってる。けどそこのところは俺がそっちに行けばいいだけだからさ」

平然と言う。
士郎の家から鐘の家までは歩いたら軽く一時間以上かかる。
バスを使ってもそれなりにかかるのだが、本当に理解しているのだろうか? と疑問に思う。

「登校時には周囲にも人がいるし、下校時は登校時ほどではないが人はいる。護衛してもらうほど危険ではないと思うが」

朝はバス待ちの人がそれなりにいる。
夕方も朝ほどではないが人の気配はあるし、登下校にバスを使うので一人っきりという状態にはならないだろう。
なるとすればバス亭から家に行くまでの少しの距離くらいだ。
その言葉を聞いた士郎は少し考えて

「朝なら襲ってこないか…………? そこんところはどうだ、セイバー?」

後ろにいたセイバーに尋ねた。
半端な知識しかない自分よりもよく知っている筈であろう彼女に訊いた方がいいと判断したのだ。

「聖杯戦争は基本的に秘匿のため夜に行われます。夜ほど活発にはならないでしょう。むしろこれから夜になる夕方を警戒すべきではあると思います」

もっともそれもマスター次第ではありますが、と付け加える。

「なら氷室を家まで送るっていうのは決まりかな。どのみち夜は周辺を見て回ろうとは思ってたし」

「…………見て回ろうとは?」

尋ねる。
だが、その答えも鐘はまたある程度予想はできていた。

「ん? 夜は氷室の家の周囲とかをうろつくってことかな。サーヴァントが寝込みを襲ってくるとも限らないし」

やはり、と一人呟いて正面にいる顔を見る。
確かに襲うなら寝込みが一番だろう。
安全かつ誰にも見られずに敵を暗殺できるのだからこれほどいい条件はない。

ならばそれを防ぐために周囲を警備するというのは常識ではある。
しかしそう頭では理解していてもやはり躊躇いはあった。それは夜中の間目の前にいる青年はずっと外にいるということになる。
春が近づいているとはいえまだ冬。夜の冷え込みは十分に厳しい。
だがそこまでしなくても…………とは言えないのが現状でもあった。

そして朝はどうするか、という話に戻る。
朝に行動しないとは限らないが可能性は低い。
彼女が活動する時間帯は同じく他の一般人も活動している時間である。
活動が停止していく夜よりは人目もあるだろう。加えて光があるということが常識的ではあるが利点である。
可能性はゼロではないが常識的に考えて確率は低いだろう。
それを踏まえた結果朝は各自で登校することとなった。
そうして休憩時間が終わる。休憩していた部員たちがまた活動を再開し始めた。

「練習だな…………。じゃあ氷室、頑張ってな。終わるのは5時くらいか?」

「まあ………完全下校時刻が6時だからな。それに間に合うようには終わる必要がある」

「わかった。じゃあその時間帯にはまたこっちにきたらいいか?」

「…………いや。バス停の傍で待っててもらえれば私がそちらに行く。下校時は途中まで蒔の字と由紀香と一緒に行動していることが多いからな」

「そうか、じゃあ終わったらバス停で待ってるよ」

そう言って二人は離れていく。
そんな後ろ姿を見ながら、しかし鐘は改めて自分の非力さに頭を悩ませていた。


─────第二節 夜へと続く道のり─────

時刻は五時。太陽は空を紅く染め上げて、今日という日の終わりを告げるようにゆっくりと闇色に近づけていく。

「あ。そういえば美綴、慎二のヤツはどうしたんだ? 今日は姿が見えなかったけど」

弓道場の前。
部員が全員外に出たのを確認してから、最後の戸締りをしている彼女に話しかける。

「アイツはサボリ。新しい女でも出来たのか、最近はこんなもんよ」

なんでもない事のように言って、校舎の方へと足を運ぶ。

「じゃあね。あたし、職員室に用があるから。アンタも色々あったみたいだけど、とりあえずお疲れさん」

「ああ、そっちこそ」

それだけの言葉を交わして部室のカギを指で弄びながら、弓道部主将は一足先に去っていく。
その後ろ姿を眺めながら

「美綴」

彼女を呼び止める。

「ん? なんだ、衛宮?」

「最近物騒になってきたんだから早く帰れよ?」

「お、なんだ。衛宮はあたしのことを心配してくれるのか?」

紅い夕日がニヤニヤと笑っている綾子を染めている。
そんな彼女を見ながら

「ああ。美綴だって女の子だろ。いくら負けん気が強いからって夜は危ないんだから早く帰れよ?」

なんて平然と言ってのける。
一瞬呆気にとられた表情を見せるが

「はいはい。ま、そんなに遅くならないように家に帰るよ。心配してくれてありがとうな」

背を向けてヒラヒラと手を振りながら校舎へと去って行った。
普段なら彼女にこんな言葉もかけないだろうが、士郎に突き付けられた現実には無関係な人間である一人の同級生が殺されかけたという事実がある。
それもあって念のため、ということで綾子にも声をかけたのだった。

─────そうして正門前。
正門には大河と桜がいる。

「士郎―、帰るわよ」

手を振って呼びかけてくる担任教師。
いつもならこれに応じて一緒に下校するのだが今日はそう言う訳にもいかない。

「悪い、藤ねぇ。桜と一緒に先に帰っててくれ。俺は用事があるから一緒には帰れないんだ」

「? 用事って何? あ、もしかしてアルバイト?」

「んー、ま、そういう感じかな」

実際には全く違うのだが本当の事を言う必要もない上、話したら話したで理由を問われかねない。
その理由に事実を言うのもまた躊躇われたため勘違いをそのままにする。

「もう、最近は物騒になってきたんだから早く帰ってきなさい。士郎は断らないっていうのは知ってるけど、控えめにしておきなさい」

腰に手を当てて生徒に言い聞かせるように言う大河。
こんな仕草を見ているとさすが教師だなー、と思う士郎であった。
ただし家の行動を見ていると子供が大きくなっただけにしか見えないのだが。

「ああ、なるべく早く帰るよ。それじゃ、そんな物騒な夜になる前に二人とも家に帰れよ? 藤ねぇ、桜」

「ふーんだ。士郎は人に言う前にまず自分の身振りを直しなさい」

「はい、先輩もお気をつけて」

いつも通りの大河に対して桜は少し元気がない。

「どうした桜。具合悪いのか?」

彼女の視線は手前にいる士郎とその後方にいるセイバーを交互に見ながら会話をしていた。

「いえ、なんでもありません」

「なんでもないわけないだろ。体調が悪いなら言ってくれた方が俺も助かる」

「本当に大丈夫ですから。気にしないで下さい」

儚げに笑われてしまったら返す言葉はない。
見た感じは別に体に異常があるようには見受けれないので勘違いか、と完結させて二人と正門前で別れた。

「さてと………バス停に行くかな」

二人が向かった方向とは別の方向に向かって歩き出した。
後ろには相変わらずセイバーが控えている。
歩いて数分でバス停に到着する。
無論バスに乗るワケではないので並んでいる列の最後尾につくわけではない。
鐘を待つためにバス停の傍で待機することになる。

バス停に着きながら列に並ばないでただ眺めている士郎とセイバー。
そんな二人を列に並んでいる人達はチラチラと奇異な視線を向ける。
いや、確かに奇異ではあるかもしれないが彼らの行動自体は見る人からしてみれば些細な事だろう。
多くの人の視線は彼の隣にいる“美男子”セイバーに視線が集中しているところから見て、よっぽど気になるのだろう。
まあ当然だよなー金髪だし、外国人だし、目の色緑っぽいし、なんて他人事のようにそんな光景を眺めている。
バスが到着し並んでいた人達がバスへと乗車する。その光景を見ながら、しかし氷室はこないなーなんて感想を懐いていた。
バスの戸が閉まり、発車する。
そのバスが去って行く方へ視線をやり、見えなくなったところで学校の方へと視線を向ける。

「…………セイバー。思うんだけどそんなきっちり着てて暑くないか? 昼からずっとその格好だろ?」

日中も現在も日のあたるところに長い時間居た。
いくら冬とはいえ黒色の喪服を着ていれば熱も籠るハズである。

「いえ、私は大丈夫です。この程度の着物は着なれていますから」

はて、ドレス姿のセイバーがなぜメンズスーツが着なれているなどと言うのだろうか。
セイバーの回答を聞いて疑問が湧いたが、着る機会なんていくらでもあったのかな、などと適当に結論を出して鐘が来るのを待っていた。
夕方。先ほどのバスで並んでいた人達がいなくなったのでバス停にいるのは二人だけ。
赤く染まる街並みを見ながら

「あ~、一日が短く感じるな」

と、特に意味もなく呟いた独り言に

「しかし最近は少しずつではあるが日が落ちるスピードは遅まっているぞ」

なんて返答が返ってくるのだからあわてて後ろを見る。

「氷室か、驚いた。急に話しかけられたから何事かと思った…………」

「ふむ、君の驚く姿は少し見物だったな。セイバーさんはわかっていたみたいだったが」

「…………そうなのか、セイバー?」

「はい。ヒムロが近づいてきたのはすでにわかっていましたから」

なんだじゃあ俺だけ知らなかったのか、などと呟きなががっくりと肩を落とす士郎。

「どれほど待っただろうか?」

「ん、五分くらいか。さっきバス行っちゃったぞ?」

「構わない。あの時間帯のバスは混みやすい。だから私は一本ずらしてバスに乗ることもあるんだよ、衛宮」

「そうなのか。…………まあ言われてみれば、並んでる人は少し多い方だったかな」

と、ここまで会話が進んでいたが止まってしまう。
行動としてはバスがくるまでの残り数分を待つだけなので体を動かすようなことはない。
坂を下った先にさらにバス停があるが、この時刻だとそこに向かうよりここで待っている方が乗れる。

「ところで氷室。俺の鞄見なかったか?」

ただ立ってバスが来るのを待っていた中で訊かれる。
彼の問いに答えるために自分の記憶を引っ張り出す。
だが。

「…………いや、残念ながら私は見なかった。どこかに落ちているということはないのか?」

そもそも彼女は部室と校庭と倉庫を行き来していただけであり、校舎の中には入っていない。

「そう思って校舎の中歩いたんだけど見つからなかった。あれ、大穴あいてるだろうから見つけて回収しようと思ってたんだけどな。どこ行ったんだろ」

鐘と別れた後、弓道場に向かうために校内を散策しながら向かっていた。
目的は違和感の正体・結界の実態を掴むことと、自分の鞄の回収。あとあわよくば魔術師の手がかりだった。
無論全てがうまくいくとは思わなかったが、まさか今日一日でそのどれもが達成できなかったとは考えなかった。
せめて鞄は見つけておきたいなーとは思っていただけにこの結果は予想外だったのである。

「シロウ。敵がその鞄を持ち去ったという可能性は?」

喪服姿のセイバーが尋ねてくる。
確かに見つからないのであればだれかに回収されていると思うのが普通だろう。

「いや、そりゃあ可能性としてはありえるだろうけどさ、全部学校で使う小道具とかばっかだし。盗む価値があるものなんて入ってないぞ」

そもそも昨日だって朝は普通に登校してきたのだ。
そんないつも通りの日常になると思っていた中でその日に限って特別な何かを持ってくる筈もなかった。
そんな返答に「そうですか」、と答えて黙ってしまうセイバー。
その姿を見て今日起きた事を思い返す。

「結局、藤ねぇはセイバーに関して何も訊いてこなかったなぁ。折角打ち合わせしたのにな」

そう。
食事中、弓道部に戻ってきた後、そして校門前とセイバーと顔を合わせる機会はあった筈なのだが全く訊いてこなかった。
藤ねぇにはセイバーが見えていないのか、と疑問を通り越えて心配になった士郎だった。
そんな彼らのもとにバスがやってきた。先ほど並んでいた人数と比べると確かに人は少なかった。

「ほんと、一本違うだけでここまで差が出るんだな?」

妙に感心しながらバスに乗る。

「ああ。急ぎの用がなければ基本的にこの時間のバスに乗っている」

続けてバスに乗る鐘。
その後ろにはセイバーがついてきた。
プシューという音を立てて戸が閉まり、アナウンスが車内に響いてバスが発進する。

車内でもセイバーは人々の視線を浴びていた。
無論じろじろまじまじと見られているわけではないが、美男子と言う言葉がぴったりなセイバーが気になっているのだろう。
セイバー自身も見られているということを感じながらも、平然とした態度は崩さなかった。
そんなセイバーを鐘もまた見ていた。時折見せる仕草は何か考えているようにも見える。

「どうした、氷室?」

気になったので問いかける。
もしかしたら自分に気付かない何かに気付いたのかも、と思って声をかけたわけなのだが───

「む。いや、セイバーさんみたいな人をどこかで見たような気がするのだが」

要するに自分の記憶との照合を試みていただけだった。

「喪服姿の人なんていっぱいいるだろ? まさかセイバーみたいな美男子………(今はだけど)と会ったことがあるとか?」

「いや、残念ながらそこまでは思い出せない。思い出せたらきっと済し崩しのように解消されていくと思うのだが」

そう言って再び考え込んでしまう。
そんな姿を見ながら今日の夕食は何にするかなーと考えていたところで突然思い出した。
思い出して少し青くなる。

「なあ、セイバー?」

「なんでしょう、シロウ」

「喪服着て家を出たんだよな?…………家の鍵、どうした?」

そう。今更ではあるが大問題に気付いた。
家の鍵は現在家主である衛宮 士郎という人物が所持している。ということはつまり後から出てきたセイバーは鍵を持っていないのである。
加えてスペアキーは桜に渡しているのでつまり鍵はない。

「鍵をかけようと思ったのですが鍵が見つからなかったために玄関戸は内側から閉めて、入口から遠い窓から出てきました」

「そ、そうか。ならまだ少し(?)は安心か…………」

セイバーが気の利く人で本当によかった、と心から安堵したのだった。


─────第三節 平穏から破滅へ続く道筋─────

バスに搭乗してから約25分。目的地であるバス停へ到着した。
ここから歩いて数分の距離に彼女のマンションがある。
ちなみにバス代は先日3万円という破格のバイト料を得ていたのでセイバーと自分二人分を支払うことになっても苦はなかった。
時刻はすでに午後6時半。
春に近づいてきているとはいえまだ冬。日が落ちる速度は遅くなってきているとはいってもまだこの時間は暗いままである。
あと1カ月もすればこの時間帯でも“暗い”ではなく“まだ少しだけ明るい”というレベルになるだろう。
そんな夜の中を三人は歩く。冬の夜は寒い。12月に比べるとまだマシではあるが寒いものは寒かった。
鐘と士郎は並んで歩き、その後ろにセイバーがついて歩く。
周囲を見渡しながら

「この時間帯とは言っても人は少ないんだな。薄暗いし…………」

隣にいる鐘に話しかける。

「そうだな。最近は物騒になっている、ということもあって足早に帰宅する人も多い。大概の人は日のあるうちに帰宅するのではないか?」

新都の中心街へいけばこの時間帯でもそれなりに人はいる。
だがほんの少し離れただけで人通りはまばらになっていた。
まあそれでも深山町に比べれば人はいる方なんだけどな、などと自分の住む町と比べながら歩く。
数分歩いたら前にマンションが見えてきた。

「あれが氷室の住んでるマンションか?」

「そうだな」

結構な高さを誇るマンション。
管理は行き届いているらしく周囲の道はきれいに清掃されている。
駐輪場を見てもしっかりと並べている辺り、ここの管理者はしっかりと仕事はしているようだ。

マンションの入り口から中を覗きこむ。
防犯カメラがあった。おそらくはここ最近の事件を考えて設置したのだろう。
流石市長の住むマンションだな、なんてあまり関係のない感心を懐きながら一緒に入口を入る。
鍵を使ってロックされていた自動ドアが開く。普段通りにエントランスへ入って行く彼女を見送る。

「ここまできたら安全かな。防犯カメラもあるみたいだし、襲ってくる奴はいないだろ」

「そうかな。来るときは来るものだと思うがな、私は」

ニヤリ、と少し怪しい笑みを見せる。

「物騒なこと言わないでくれよ………」

そんな彼女の言葉を聞いて少し不安になりながら苦笑いを見せる。

「何、自分の城というものはそういうものだ。完璧であると思えば思うほどに隙間などないと信じている。だから綻びが生じた時の驚愕は尋常ではなく、致命的な失敗を招くこともあるものだぞ。私はそうならないように考えを馳せているだけだよ、衛宮」

そんな彼女の言葉を聞いて感心したように

「ヒムロの考えは立派ですね。万が一という事を常に考えて行動できるのならば咄嗟の出来事にも冷静に対応できるでしょう」

と、セイバーが賞賛した。
そういうものかな、なんて感想を漏らしながら

「じゃあ、氷室。また明日学校でな。朝練、するんだろ? また手伝うよ」

「君の心遣いには感謝するが、恐らく明日は蒔の字達が手伝ってくれる。無理はしなくていいぞ、衛宮」

「ん、そうなのか。まあ確かに部外者が手伝うよりかは自然か」

そう言って自動ドアが感知しないように離れる。
それを感知したドアがゆっくりと閉まって行く。

「衛宮はこれからどうするのだ?」

不意にそんな事を訊いてきた。

「俺はこの辺りを調べてみる。氷室を狙ってくるとも限らないからできるだけ周囲を動き回って存在をアピールする必要もあるしな」

学校で決めた事を伝える。
人質として囚われるのも勘違いで彼女が殺されるというのも許容できない話なのでこの対応を取ることに何の不満も疑問も抱かなかった。
自動ドアが閉まり二人を隔てた。
それを確認した士郎は手を小さく上げて別れを告げ、彼女に背を向けて外へと出て行った。
彼女もまたその姿を確認して自分の家へと帰って行く。

「…………何もできないのだな、私は」

その呟きは誰にも届かない。
自分を苛めるのは無力と言う言葉だけ。
だがもう悩むのはやめよう。
信じがたいことではあるが受け入れて前へ進む。
この超難題の課題をどう克服してクリアするか、それだけを考えよう。



マンションを出て再び外へ。
如月の冷気をその身に感じながら

「よし、それじゃ家に帰ってメシを食うかな」

と、歩き始めた。
確かにこの時間帯、人は少なくなってきているが就寝時間にはまだほど遠い。
加えてマンションということもありマンション内には人が大勢活動しているだろう。
本格的に行動するのはもっと夜が進んでから、と結論を出して足早に帰路へと向かう。
ここから歩いて帰ると着くのは8時を超えるだろう。
バスを使えばもっと早く着くのだろうが、見回りと囮も兼ねる為に歩いて帰ることは決定事項だった。
ついでに商店街によって夕食の食材を買って帰れば無駄はないかな、などと主夫的な考えも持ちながらマンションをあとにした。

時刻は午後6時半過ぎ。
すでに周囲は完全な夜となっていた。
セイバーと二人で新都へと足を運ぶ。
周囲を見渡すとさっき見た時よりもさらに人は少なかった。………というよりは人が見当たらない。
先ほどはバスが止まった所為もあったのだろう。
だが今は当然バスもないために閑静な住宅街となっていた。
褒め言葉であるのだろうが、この時に限っては寂しくも感じる。
ここらの道にはあまり詳しくないが自身の感覚を頼りに少し細い路地へと入る。
後ろについてくるセイバーもまた何事もなくついてきた。
何も言わないのだろうか、と思って声をかけようとして後ろを振り向いたとき─────

ドンッ!と細い路地から出てきた誰かがぶつかってきた。

「うわっ!」
「なっ!」

突進された勢いで倒れる。
ぶつかってきた人…………女性もまた反対側に尻餅をつくように倒れた。

「いてて………。す、すみません。大丈夫ですか………?」

後ろを向いて前の確認を怠ったのだから謝るのは当然か、などと思いながらぶつかってきた女性を見る。
その服装は彼が通う穂群原学園の制服だった。
次に顔を見てみると………

「あ、あれ? 美綴?」
「え、衛宮?」

少し前に学校で別れた美綴 綾子だった。
少しだけ安堵した士郎は立ち上がって手を差し伸べる。
その手を掴み立ち上がる綾子。

「ごめん、前見てなかった。大丈夫か美綴。どうしたんだ、そんなに慌てて?」

「な、なんであんたがここに…………」

見る限り動揺しているらしい。

(まあ確かにこっちは俺の活動圏じゃないからな)

と思う士郎だったがどうもいつもの彼女とは様子が少し違う様に見受けられる。

「………? 美綴、何かあったのか? 顔が少し青く見えるけど?」

「!─────そ、そうだ。えみ……………」

綾子が何かを言いかけた直後。

「! シロウ、伏せて!」

今までその光景を見ていたセイバーが一瞬で鎧化した。
その姿と言葉を聞いて咄嗟に綾子を抱きしめてその場に倒れこむ。
キィン! と甲高い音が閑静な住宅街に響いた。

「……………何だ?」

守る様に綾子を抱きながらしかし首だけはその音のした方向へ向ける。
そこには。

「…………あいつは?」

大よそ現代の格好には不釣り合いな眼帯をした紫色の長髪の女性が立っていた。
その女性と対峙するように立つセイバー。
すでにセイバーは鎧化をしておりいつでも斬りかかれるという状態。

「……………貴様もまた一般人に手を出すか。誇りはないのか、貴様は」

セイバーが問いかけるが対する長身の女性は

「………………」

無言でその場に立っていた。
その姿を見て士郎は不気味に感じた。
そしてこの状況。つまり狙われたのは今自分の下にいる彼女だとわかった。

「美綴、大丈夫か?」

抱いていた手を解き、相変わらず長身の女性から守る様に立ち上がる。
彼女の手を取って立ち上がらせた。

「……………あ、ああ。すまない、衛宮」

この状況に戸惑いながら何とか返事をする綾子。
無事そうだな、と確認した士郎は再び対峙している二人へと視線を戻す。
セイバーは構えをとっているが、対して長身の女性はただ立っているだけである。
手には釘のような短剣が握られている。
互いに動かないことで訪れる静寂。だがこの静寂は突然終わりを告げた。
ヒュッ と投げられた短剣がセイバーを突き刺そうとする。
だがそれを容易く不可視の剣で打ち払い、そのまま相手に斬りかかろうと動くが─────

「………………逃げたか」

長身の女性は投げたと同時にその場から速やかに闇へと逃げていた。
鎖付の短剣がジャラジャラと音を立てて勢いよくその闇へと戻って行く。
これを追いかければ彼女に行きつくのだろうが、マスターである士郎と離れる訳にもいかない。
そうして突然の会合は終わりを告げた。
危機が去ったことを確認して視線を後ろにいる綾子に戻した士郎は

「おい、大丈夫か美綴? なんであいつに追われてたんだ?」

もっともな疑問をぶつける。
あの女性もまたサーヴァントであるということはわかった。
ならば狙われる理由など多くはないはずである。

「知らないよ。突然現れたかと思ったら襲ってくるんだから…………」

一方の綾子も何が何だか、という感覚で述べている。

「理由もなく襲われたのか…………? なんでまた」

「あたしに訊かれても困る。あたしはただいつも通り帰ってただけなんだからさ」

「………まあそうだろうけどさ」

呟きながら考えるのだが考えた所で思いつくわけでもない。
ここは一旦打ち止めとして

「美綴。家、近いんだよな? 送って行くよ」

と提案を出す。
先ほどの事といい放っておくわけにもいかない、と士郎は考えたのだ。

「え……………、いや別にいいよ。家はすぐそこだし」

一方誘いを受けた彼女はというと驚いた表情を見せる。
どことなく挙動不審に見えるのは気のせいか。

「はあ、まだ強がり言ってるのか。あんなことあった手前で美綴を一人にさせておけないだろ。ほら家どこだ? 送って行くからさ」

落ちていた彼女の鞄を拾い、手渡す。
受け取った綾子は鞄を見て、そして手渡した彼を見て、そしてその後ろにいる鎧姿のセイバーを見て

「………そうだな。訊きたい事もあるし、それじゃお願いするかな」

そう言って歩き出した。
士郎もまた彼女の横に並んで歩く。

「で、衛宮。さっそく訊いていいかい?」

「……………答えられる範囲なら」

何を訊かれるか何となく予想がつくが、一応答える。

「なんでここにいるんだ? あんたの家、こっち方向じゃないだろうにさ」

「まあそれはとある私用で。ここにいたのは偶然だ」

嘘はついていないので問題はないだろう。
あの路地に入ったのもまた偶然ではあったので問題はない。

「じゃあ次なんだけど…………」

体を寄せて耳打ちする。

「後ろにいる人………誰なの? 昼は喪服着てなかったっけ? なんで鎧つけてんの?」

「あー……………それは、だな」

さてどうしようか、と悩む。
彼女の身の説明なら打ち合わせ通りに言えばいいだろうが、鎧姿の説明がつかない。
が、黙っていても疑問は晴れないので

「あの人はセイバーって言って、俺の親父を頼りに来た人なんだ。で、いろいろ街を案内していたら偶然ここで美綴と出会ったんだよ」

我ながらそれっぽい嘘を言えた、と内心感心するがやはり鎧姿の説明にはなっていない。

「んー……………」

何か納得いかないなー、なんて考えながら当然のようにその穴を突く綾子。

「いや、衛宮。あんたがここにいる理由はそれでいいとしてもあの鎧姿の説明には─────」

後ろを振り向きながら再度セイバーの姿を確認するが

「…………あれ?」

喪服姿のセイバーに戻っていた。
今まで鎧姿だと思っていたので、当然目が点になる。
一方彼女のマスターもまた目が点になっていた。

「……………何か?」

平然とした態度で尋ねてくるものだから

「あ、いえ………何でもありません」

なんて律儀に返答をして再び前を向いて歩き始める。
あれーあたしの見間違いかなーでも確かに鎧姿だったよなー? なんて一人呟きながら歩を進める綾子。

で。

辿り着いた場所は先ほど鐘と別れたマンションだった。
まさか一日で二回も見上げることになるとは、なんて思いながら本日二度目の自動ドアをくぐる士郎。

「美綴もこのマンションに住んでたのか」

何気なく言った言葉だったのだが

「? そうだけど………。衛宮、今のセリフ、おかしくなかったか? あたし“も”って別の人も住んでること知ってるような口ぶりだったな?」

まずった、と思ったが言った言葉が戻ってくるわけでもなし。

「で、衛宮。あんたがここにいる本当の理由は何?」

笑みを薄らと見せながら顔を覗き込んでくる。
言っても問題はないだろうが、逆に言わなくても問題はないので言わないことにする。

「別に。さっき言った通りセイバーの道案内だよ」

ふーん、と適当に相槌をうってロックされていた自動ドアを開ける。

「そういえば、さ」

何やら改まって尋ねてくる。

「これからどうするのさ。警察、連絡入れといたほうがいい?」

ああ、そうだよな と理解した。
いくら強気な彼女とは言え女の子であることにはかわりないし、一般人であることにもかわりない。
彼女の出した提案は至極まともなものだろう。
だがサーヴァント相手に警察など意味はないということは重々承知していた。

「いや、警察の方は俺から連絡入れとくよ。美綴は家に帰ってゆっくり休んでてくれ。あ、間違っても夜出歩くなよ? また俺が近くにいるとも限らないからな」

警察に連絡する気はないが、そう言わないと理由を尋ねられかねない。

「ん、わかった。じゃあ警察の方は任せる。で、衛宮もこれから家に帰るのか?」

その言葉を聞いて少し考える。
出た答えが

「………まあそういうことになるんだと思う」

なんて曖昧な返答だった。
当然そんな曖昧な返答で納得する弓道部主将ではない。

「衛宮、なんでそんな曖昧なんだ。……………あんた、まさか」

「ん、まあ見て回りながら帰ろうって話だよ。知り合いの女の子が追われてたんだ、気になるのは当然だし守るのも当然だろ」

父親から女性には優しくしなさいと教わってその実その通りに生きている士郎にとってはいたって普通だった。
そんな返答を聞いて

「女の子…………ねぇ」

何を思ったのか、少し考える素振りを見せる。

「にしてはさっきおもいっきり抱きしめてくれちゃったわけだけど、そこんとこの感想はどうなの?」

聞いた直後に思い出して

「ぶっ!!」

思わず吹き出した。
確かに抱きしめたしその時何か柔らかい感触があったしいい香りもしたけど! と咄嗟に出てきた感想を無理矢理抑え込むが慌てた様子までは隠せない。
顔を真っ赤にしてその熱を逃がすように頭を振る。

「い、いや!さっきのは咄嗟のことだったからそんな状態になっちまったんだ!決してやましい気持ちがあったわけではない─────ていうか御免!謝るの遅れて!」

頭を深々と下げる。
そんな慌てた様子を見せつけられて

「ははは、いいって。守ろうとしてくれた咄嗟の行動っていうのはわかったから、気にはしないよ」

「そ、そうか。すまん、美綴」

頭を上げて綾子の顔を見るが、その姿はどこか素気なく見えた。
が、当然そこまで頭が回る士郎ではなかった。

「じゃあな、美綴。また明日、学校でな」

「あいよ」

そう言って少し足早に出て行く姿を見送る。
見えなくなったところで足を動かして家へと向かう綾子。

「まあ守ろうとしてとった行動っていうのは理解できるけどさ」

その身に覚えた感覚を思い出し少し顔を赤めながら

「あんな強く抱きしめられたのは初めてだったわけで。あたしもドギマギしちゃってるんだよね………衛宮」

あはははは、と困ったように笑みをこぼしながら彼女も家へと到着した。




[29843] Fate/Unlimited World―Re 第13話 騒乱への案内人
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:42
第13話 騒乱への案内人


─────第一節 巡回開始─────

「はぁ………間抜け。まず始めに謝らないといけなかっただろうにさ」

マンションから再び外へと出て、冬の夜空の下で呟く士郎。
さっきの言葉が未だに頭の中に残っていた。そしてきっかけがあると思い出すのが人間。
不意に浮かんだ光景は昨夜の鐘とのやりとり。
今思えばトンデモナイ光景だと思い出して、口が微妙に引き攣るのが自分でもわかった。
そんな自分に喝を入れる為に一度深呼吸をして両手で頬を思いっきり叩く。

「………修行不足だな」

小さく呟いてため息をつく。
今日学校に行く道中に話した“思い出せない云々”の件は正しいんじゃないだろうか、などと考えながら周囲を見渡す。
周囲はすでに暗い。
人影もぱっと見た限りでは見当たらなかった。

「シロウ、これからどうしますか。当初の目的通り一旦家に戻るのでしょうか」

相変わらず控えているセイバーが尋ねてくる。

「ん、そうだな………」

当初の予定では、夕食を食べ終わってから再び見回りに出る予定だった。
この時間帯ならまだまばらではあるが人はいるだろうと思ったからである。
だからこそ人がいるであろうこの時間帯に家に戻り準備を整えて………と思っていたのだが見込みが大きく外れた。
すでにこの時間帯から動き出している敵はいる。さきほどの長身のサーヴァントの様に。
綾子の一件を受けて考えを改めて方針を変更する。

「いや予定変更だ、セイバー。さっきの奴を探そう。まだ近くにいるかもしれない」

そう言ってマンションの周囲を回る様に歩き始める。
このマンションには狙われている知り合いが二人もいる。重点的に調べまわるのは当然であった。
巡回する、ということは自分を危険に晒すという事でもある。
囮になると決めた以上は殺される覚悟を決めなければならない。
自分から戦うと決めた以上は、ランサーやバーサーカーの時のような過ちを犯す訳にはいかなかった。
半人前かもしれないが魔術師としての心構えは毎夜鍛えてきたつもりである。
一度深呼吸をして周囲を警戒しながら歩みを進めて行った。

「そういえばセイバー。さっき鎧姿だったのに今はまた喪服だよな? あれ、どうしたんだ?」

さっき気になった疑問をぶつけてみる。

「あの鎧は私の魔力で編まれた物です。解除すれば消すということであり、自分の意志と魔力で着脱はいつでも可能なのです」

「ふうん。なんだ、あの武装はいつでも出したり消したりできるって訳か」

「はい。ですから心配は無用です。ここで敵が襲ってきても、シロウは私が守護します」

「そっか。うん、そりゃ頼もしい」

今さきほど自分の状況を改めて意識してしまった反動か、つい本音でそんな感想を漏らしてしまった。
セイバーは気づかれない程度の僅かな反応を見せたが何も答えずに、とつとつと歩いていた。



30分ほどマンションの周辺を巡回した。
目に見えて判る異常などは全くなく、セイバーもサーヴァントの気配を感じなかった。

「────ここら辺に異常はなし、か。これだけ無防備に歩き回れば何か反応の一つくらいあると思ったんだけど」

時刻は午後7時半。
歩き回った結果、会社帰りの人間をたまに見かける程度であり、サーヴァントやマスターらしき人物は見当たらなかった。

「まだ近くにいるものだと思っての行動だったんだが、考えが甘かったか?」

「いえ、シロウの行動自体は正しい。少し時間帯として早いとは思いますが、夜の巡回は決して無駄ではありません。今は手応えがありませんが、続けて行けば何等かの成果は上がる筈です」

「………、まぁそうだといいんだが」

どうも自分のスキルの無さの所為でうまいこと捜索できていないのではないか、と不安になる。
だが不安になったところでいきなり自分のスキルが上達するわけでもないのでそこは諦めていたが。

「とにかく次はもうちょっと範囲を広げよう。 セイバー、大体どれくらいの距離までなら感知できるんだ?」

「大よそ半径200メートルといったところでしょうか。ただし相手が何らかの能力を行使している場合に限ります」

「そうか。なら、このマンションを基点として半径200メートルの距離まで足を運ぼう。それでも変化がないようなら新都の方にまで範囲を広げるか」

感知できないところまで離れるのは少し躊躇われるが様々な場所へ赴き、自分の存在を示す必要もあるため決断するしかなかった。

「わかりました。───ですが、シロウ。夕食はどうするのでしょうか。休養を取る必要もあるかと思いますが」

「いや、今はまだ大丈夫。それに腹減ったらコンビニに寄って何か買えばいい………ってそうか。セイバーは嫌か?」

「いえ、私たちサーヴァントは基本的に食事は必要としないため嫌も何もありません。食事をとれば多少なりとも魔力補給ができるのは確かですが量は多くありませんから不要でしょう」

つまり食事はないよりはあった方がいいということだろうか。

「ふうん…………まあサーヴァントがどうのっていうのはわかったけど。セイバー自身はどうなんだ? 食べたいのか食べたくないのか」

「用意してもらえるならば是非。食事は重要な活力源ですから」

最初からそう言えばいいのに なんて思いながらまだ巡回していない場所を歩き始めていた。
未だマンションに変化は見られない。
願わくば今夜は何も起きないでほしい、などと感想を漏らしながら巡回を続けていく。


―Interlude In―

私は夕食を食べ終えて母親と二人でリビングにいた。

「最近、物騒になってきたわね」

ニュースを見ていた母親がそんな言葉を口にする。
今現在報道されているのは深山町………学校がある方の町で起こった殺人事件。
学校に比較的近い、ということもありこの事件に目が行くのも当然か。
私もまたそのニュースを見ていた。
こちらの町………新都で続発しているガス漏れ事件。
欠陥があっただのなんだのという理由で起こったと言われているが、それにしても数が多い。
確かに開発を急いでいた所為ということもあるだろうがそれにしたって多い。

「鐘、部活動があるのはわかるけどおわったら早く帰ってきなさいね」

父親は自室に籠って何やら難しい問題を抱えているらしく、書類とにらめっこ状態。
父親はこの冬木の市長であり、当然ここ最近の事件への対策も考えない訳にはいかない。

「できるだけ早く帰ります」

そう返答だけはしておく。
昨夜の事は言っていない。言ったって信じないだろうし、巻き込みたくもないから。
傷のついた鞄は親に見つからないように隠し通している。
こんな状況で余計な不安を煽るのもいやだから。

ピピッ と電子音が鳴る。
湯が溜まり終えたということを知らせる音だ。

「お風呂先に入りますね」

「ええ、どうぞ」

母親にそう伝えて風呂場へと向かう。
服を脱ぎ、風呂場へ入りシャワーを浴びる。
家に帰ってきてから今まで特に変わったことはない。
ちょっとした物音に敏感に反応してしまうという私自身の変化は多少あったがそれ以外には何も変わっていない。
ここまで何も変わっていないと今までのやりとりが嘘のようにすら感じてきてしまう。

(いけない。気を抜くな………)

頭からシャワーを浴びる。
湯が長い髪を伝い濡らしていく。そんな中で瞼を閉じて最悪のケースを想像する。
もし家にいる間にサーヴァントなる者、マスターなる者が強襲してきた場合。
それを考える。
私はこの場合どう行動すればいいか。
私だって死にたくはない。だが、母親や父親を巻き込みたくなんてない。
襲って来た者は私に用があるはずである。ならば両親が巻き込まれる前に大人しく捕まるべきか。

「────────」

そう想像したとき少しだけ震える。捕まるという事は死ぬことになるのだろうか。
衛宮と別れてから『自分は一体何ができるのか』ということを何度も考えてきた。
普通は一般人である私は知りえることなどない“聖杯戦争”ということについて教えてもらった。
本来秘匿されるべき事柄をそれでも教えてもらったというのは“何も知らないよりも知っている方が行動に差が出るから”。
知っている方が僅かにでも今後の活動に影響がでるだろうという配慮。
だからこそ何をどうすべきかを私は考えなければならない。
しかし考えても考えても現状を打破できるような考えが浮かんでこない。

「全く………自分の手持ちのカードがここまで意味を成さないとは」

疲れ切った頭をほぐすように髪を洗い、体を洗う。
こうしている瞬間に後ろから殺されるかもしれないという恐怖はある。
だが、そればかりを気にしていたら何もできなくなってしまう。
彼が周囲を警戒してくれているのならばせめてその不安で体の調子を崩さないようにしなくてはならない。

冷静に、冷静に。そう言い聞かせて目を開く。
考えをまとめよう。
私は殺されそうになっている。なぜか。
勘違い、もしくは見たから、という理由が主。
勘違いの方はすぐに誤解が解けるだろうが、見たからと言う理由で狙ってくる敵は問題なく狙ってくるだろう。
ではこれから逃れる方法は?
私自身には術がない。どう考えても私一人ではどうしようもない。
となると彼に甘えるしかない。もうこれに関する思慮はやめだ。なってしまった以上は彼に守ってもらおう。
ならば次。

「どうすればこの『聖杯戦争』とやらが被害を出すことなく早期に終わらせることができるか」

これに限る。取り払えない脅威ならば早々に終局に持ち込むほかない。
湯船に浸かりながら今後の方針を決める。
こうなったら現状を打破するために逃げるのではなく立ち向かうべきだ。
私ができることは少ないだろう。
いや、もしかしたらないかもしれない。
しかしいつ殺されるかもしれない恐怖に怯えながら、自分が人質として捕まるかもしれない不安を抱きながら毎日を過ごしたくはない。
またその所為で彼に余計な負担もかけたくはない。

「………明日、衛宮達とも話合うべきだな」

オカルトの分野を全く知らない私が一人で考えても限界がある。

「手伝えることと言えば………彼の家に泊まって負担を減らす、があるか。私ができそうなことは」

しかし理由をどう説明すればいいか………。

「ふむ。これはまた別の意味合いで難関だな………」

湯船にしっかり浸かりながらどうしようかと悩んでいた。

―Interlude out―


「で」

現在の時刻は午後9時半を過ぎたあたり。
士郎とセイバーはマンション入り口付近にあるベンチに座っていた。
このマンションにきてからだと既に3時間、見回りを開始してからだと2時間半が経過していた。

「結局何の手がかりも反応もなしか」

大よそのところを歩き回ったが何一つとして変わったことはなかった。
そして流石に小腹が減ったので途中コンビニに立ち寄りおにぎりを購入して現在座って食べている。
軽い夜食、といったところだ。

「セイバー、口に合うか?」

隣で同じくおにぎりを食べるセイバーに尋ねる。

「ええ。問題はありません。ですが、このおにぎりよりもシロウが作ってくれた昼食の方が美味でした」

「………そうか。じゃあ明日はセイバーが満足するようなものを用意するよ」

おにぎりを食べ終えて今後の行動をどうするかを確かめる。
次は新都の中心近くまで歩いての捜索である。

「ふぅ………流石に冷えるな」

冬の夜の下で3時間も歩き回っていた。
時折吹く風は容赦なく体温を奪う。

「シロウ、大丈夫ですか」

「ああ。ま、何とかなるだろ。風邪はひく性質じゃないから大丈夫」

ベンチから立ち上がり巡回を再開しようとする。
これだけ探し回って気配の欠片も見つけられないのであれば今夜は誰も襲ってはこないのではないだろうか。

「シロウ、この巡回が終えたら一度家に戻り体を休めるべきです。万が一の時に体が調子を崩していた場合は元も子もありません」

「────む。確かにそうかもしれないけどさ、その間に襲ってきたりしたら………」

「可能性として無くはないでしょうが、疲労を残したまま戦っては勝てる戦いも勝てません。体を休めるという事もまた戦いです。動き回るだけではいずれ敗北します。それに3時間も探し回った結果何の手がかりもつかめないということは、もうこの周囲にはいないかと思われます」

「………まあ、そうだろうけどさ」

それは感じていたことでもあった。というより普通に考えれば当然といったところか。
いくらなんでもこれだけ探し回って影すらも捉えられないのだからこの場からとっくに去ったとみていいだろう。

「他サーヴァントに関してもそうですね。なるべくならば人に見つからないように単独になっているところを狙う。もうこの建物には多数の人がいます。ここで派手な行動はできないでしょう」

つまりはマンションという場所が功を奏したということなのだろうか。

「美綴を狙ってたやつがもう一回人目を気にしてマンションに侵入するのは考えにくいか………? 聞けば美綴は何もしてないっていうことだから通り魔として判断してる。そこまで躍起になって狙ってくることもない?」

そう考えれば彼女が再び狙われるということは限りなく低くなるだろうが別の問題も発生する。
なぜサーヴァントが通り魔のようなことをしているのかということ。

「なあ、セイバー。サーヴァントが一般人を襲って利点なんてあるのか?」

「あります」

きっぱりと言い切るセイバー。

「簡単に言いますが、我々霊体であるサーヴァントの最も効率的な魔力の補充方法は他者を襲い魔力を奪う事です。通常魔力を持たない一般人も魂はある。その魂を奪えば魔力は補充できます。マスターからの供給でも十分でしょうが、“保有する魔力は多いに越したことはない”。故に人を襲うことに利点はあります」

「人を襲って魔力補充………!? まさかどのサーヴァントもこんなことを平然とするのか………!?」

「いえ、少なくとも私は断じてそのようなことはしない。昨夜のランサーやバーサーカーも同じでしょう。それこそ令呪で命令されない限りは己の魔力補充の為に人を殺そうとはしない」

これまた言い切るセイバー。
確かに彼女は昨夜といい先ほどといい一般人である二人の知り合いを助けた。
そう言える奴でよかったと安堵しながら考えを巡らせる。

「じゃあ美綴が襲われたのもそれに沿った行動ってことか。なら美綴に固執することはないか」

なら大丈夫かな、と完結させる。

「氷室についてだけど………」

「彼女の場合は先ほど助けた女性とはケースが違う。一概に安全とは言い難いでしょう」

「だよなあ………」

綾子を守るというのももちろんだが当初の目的である彼女を守るということが達成できなかったら意味はない。

「えーっと、氷室を狙ってくるかもしれない奴はどいつだっけ?」

「わかっている者はランサーですね。キャスターとアサシンに関しては可能性でしかない。アーチャーは大橋のやり取りを見て勘違いしている可能性がありますが、私たちが囮として歩き回っているのですからいずれ真実に辿り着くでしょう。バーサーカーはヒムロではなくシロウを狙ってきているので可能性はあってもかなり低いです」

「で、ライダーはこのことを恐らく知っていないと………」

つまり一番警戒するのはランサーということか と結論を出して今後の方針を決める。
昨夜の戦闘でランサーはこの新都の方へ逃げたと聞いた。ならばこの新都にマスターがいるということなのだろうか。

「よし、じゃあ次は新都の中心まで足を運ぼう。何も異常がなかったらそれでよし。家に帰る前にもう一度ここによってから帰るってことでいいな?」

「わかりました。マスターがそういう方針で行くのならば従いましょう」

そうして二人は中心街へ向かって歩き出した。
現在時刻は午後9時半すぎ。
新都の見回りをしてから家に帰るとなると時刻は12時を超えるだろう。


─────第二節 骨の軍団─────

―Interlude In―

─────不自然な闇を抜ける。

人気の途絶えた夜。
月明かりに照らされながら一寸先も見えぬ通路を抜けて、彼女はその室内に踏み入った。
そこはとある新都の中心地から少し離れた場所にある建物。
その建物の一室で収容された従業員は50人程度。
そのほとんどが男性であり、皆糸が切れた人形のように倒れていた。

「─────」

彼女は歯を食い縛る。
闇で視界が制限されているのが幾分かは救いになった。
そして室内には草の香りが煙となって満ちていた。

「何の香だろう、これ。アーチャー、貴方はわかる?」

「魔女の軟膏だろう。セリ科の、愛を破壊するとかいうヤツだろう」

「それってドクニンジンでしょう。愛を破壊って………ああそういうコト。男に何か怨恨でもあるのかしらね?」

「だとすると相手は女かな。いや、何の恨みがあるかは知らんが、サーヴァントになってまで八つ当たりするとは根が深い」

「能書きはいいから窓を開けて。………倒れてる連中は────まだ息はあるか。一応連絡は入れておくか。用が済んだら手早く離れるわよ、アーチャー」

一面の窓を開け放ち、特別状態の悪い人間の手当をして、彼女は室内を後にする。

「………チ。服、クリーニングに出さないと」

くん、とコートの匂いを嗅ぐ。
特別触れたわけではなかったが、密室空間の中の床には五十人もの人間が吐き出した血が溜まっていたのだ。
臭いがコートに残ってしまっていた

密室となっていた部屋がある建物の屋上へと足を運ぶ。
彼女の背後にいた気配がカタチを得る。
彼女───遠坂 凛の背後に現れたのは、赤い外套を纏った騎士だった。
霊体として遠坂 凛を守護していたサーヴァント、アーチャーである。

「それで? やはり流れは柳洞寺か?」

「………そうね。奪われた精気はみんな山に流れていってる。新都で起きている昏睡事件はほぼ柳洞寺にいるマスターの仕業よ。マスターがどれだけの奴か知らないけど、こんなのは人間の手にあまる。可能だとしたら、キャスターのサーヴァントだけでしょう」

「柳洞寺に巣くう魔女か。───となると、些か厄介そうだな」

「キャスターは七騎のサーヴァント中最弱に類する。けど───いえ、だからこそ搦め手で他のサーヴァントに対抗しようとする。この大規模な魔力の蒐集もその一環でしょう」

「だろうな。ならば厄介な事になる前に叩き潰すのが定石と言えるが………さて、どうする?」

キャスターの気配は薄らとではあったが残っていた。気づきにくくなってはいるが、今から追えば尻尾くらいは掴めるかもしれなかった。
それに何よりも、魔術師のルールを逸脱した振る舞いを自分の管理する土地で行う“敵”に怒りが沸き起こっていた。

「まだ、仕掛けない」

だが、彼女から零れたのはそんな感情を押し留める言葉だった。
冬の風が黒髪を揺らす。彼女が告げた言葉には友人の誘いを断るような気軽さと上品な優雅さが窺えた。

「賢明な判断だな。先の戦いで君は疲れているだろうし、その手の輩相手に深追いは厳禁だ。自ら火に飛び込む必要はない。それに逃げに徹する魔女を捕らえるのは骨が折れる。古代より魔女の逃げ足は速いものと相場は決まっているからな」

「………それ、どこ情報よ?」

「私の情報だ」

ふーん、と微妙な反応を見せて、先ほどまで行っていた戦闘を回想する。

通路に夥しく蠢いていた骨作りの雑魚ゴーレム達。その全てを、彼女は一人で破壊し尽くした。
事実、その程度の軍勢にアーチャーの力を借りる必要などなかったし、そんな事でアーチャーの能力を晒け出す気もなかった。
ただ外道を行く敵に怒りがあっただけ。だから戸惑いすら見せず、徹底的に敵勢を粉微塵に砕いた。
たとえその骨の材料がつい先日まで生きていた誰かだとしても、一切の情をかけることなく滅した。

「─────」

その戦いで彼女が負った傷はない。
ただ一つ。
必死に、吐き気を堪えながら戦った代償に、唇を噛み切ってしまっただけである。

「今判っている敵は四人。単独行動をするランサー。柳洞寺に巣食うキャスター。学校に結界を仕掛けた何者か。そして────」

昨夜確認したセイバーのマスター、クラスメイトの氷室 鐘。

「────ふむ」

そんな彼女の言葉を聞いて今一度考えるアーチャー。

「キャスターの動向も気になるけど、目下の敵は学校の結界の主と氷室さんかな」

「その氷室という人物が結界を張っているとは思わないのか? もしくはキャスターが学校に結界を張っているとは?」

「キャスターは外道だけど、最後の一線は守ってる。さっきの人達も誰一人死んではいなかったし。けど学校の結界を張ったヤツは畜生よ、際限ってものを知らない。キャスターは街全体から魔力を吸い上げれるのに、わざわざ学校に結界を張るのもおかしい。それに根こそぎ吸い取るのならとっくにやってるはず」

「では、セイバーのマスターは?」

「………氷室さんはそんな事をするとは思えないわね。彼女は頭もいいから、もしやるとしても学校には張らないわよ。もっと自分の関係ないところでやるわ、考えれる人ならね」

これらはあくまで推測である。
だがどちらにしても結果は同じだ。
キャスターだった場合は“わからない誰か”がキャスターになるだけだし、セイバーのマスターであるならば“わからない誰か”が氷室 鐘になるだけである。
なら敵は複数いると考えて動く方が足元を掬われ難いだろう。

「氷室さんは手強いかな。クラスメイトでありながらその実魔術師だなんて全く気付かなかったし彼女もそれらしい言動も行動もとってないから見抜けなかった。相当隠れるのが上手みたいね」

そんな彼女にセイバーか、ある意味納得もできるかな なんて一人の世界に入り込んで考える凛。

「けど私だってボロは出してない筈だから少なくともサーヴァントのマスターとは気づかれていない筈。これは有利な点よ。いろんな作戦が立てられる」

そんな彼女を見てアーチャーは声をかける。

「凛、一つ尋ねていいか?」

「? 何よ?」

「いや何、本当にセイバーのマスターはその少女だったのか、と言う話だよ」

「何が言いたいの? アーチャー」

「私たちが大橋で見た光景だけで言うならば、なるほど彼女がマスターと見て取れても問題はないだろう。だが、セイバーが“本来の主の命令で”彼女を救ったとするならば?」

「………やけに否定したがるわね。何? もしかしてマスターが女だったら敵対したくない、とかいうワケ?」

「いいや、そんなことではない。だがセイバーのマスターは彼女ではないのではないか、と思ってな」

「………ちなみに聞くけど、それは確証があってのこと?」

ジトリ、と効果音が合いそうな視線をアーチャーに向ける凛。
確かに凛自身も氷室 鐘が魔術師だったとは知らなかったが、昨日の一件でセイバーの後ろで戦いを見守っていた。

「いや、確証はない。強いて言うならば勘や感覚、といったところか」

「つまりは第六感ってワケね。なによ………あてにならないじゃない」

天高く聳え立つ摩天楼より夜に飛び込む。
アーチャーは主の身を包むように手を添え、凛は己の従者を信頼しその身を預ける。
星空は遥か遠く、地上も悠遠の彼方。
夜に沈む深淵なる闇を、赤き主従が翔けて征く。

「………全ては明日。学校にいけば確認できる。氷室さんがいなければ黒。いてもサーヴァントがいたら黒。いなくてもかまかけてみて反応次第では黒。これなら問題ないでしょ?」

全ては明日────学校にて。

―Interlude Out―


「………結局新都にもマンションにも異常なし、か。まあ何もないのが一番なんだけどさ」

とあるマンションから歩いて離れていく士郎とセイバー。
巡回初日となる今日は長身の女性………恐らくは消去法からしてライダーと思われるサーヴァントと出会っただけで他は何もなかった。
現在の時刻は11時過ぎ。今から家へ向かえば日付が変わって数分後くらいに家に到着できるだろう。

「────深山町に戻ろう。新都がダメなら、次は地元を見て回ろう」

正直に言うとこのマンションから離れてしまうことに不安はあった。
だが、総計約5時間歩き回り探し回って何も収穫がなかった以上は見切りをつけなければいけない。

「わかりました。こちらの護衛も必要ですが自分の足場の確認をしなければ落ち着くこともできませんね」

深山町へ戻る。
大橋に人影はなく、道路を走る乗用車の影もない。
戦闘の痕も残っていないところからして痕跡を残さないように細工したのだろうか。
そんな静まり返った夜の中、士郎とセイバーは大橋を渡っていた。

「確かここで戦ったんだよな? セイバー」

大橋を歩きながらすぐ傍にいるセイバーに尋ねる。

「はい。昨夜はランサーとここで打ち合いとなり、アーチャーの攻撃により戦闘が終わりました」

「にしては、全く元通りになってるよな」

戦闘があったという大橋を歩きながら周囲を見渡す。
そこには不自然な戦闘の痕など全く残っていなかった。
まさか痕が残らないように考慮して全員戦っているわけではあるまい。となると誰かが戦闘の痕跡を隠滅したということになる。
まあある種当然か と内部で完結させる。
目撃者がいたら即殺そうとする者すらいるくらいなのだ。隠滅が可能な範囲の戦闘痕跡などすぐさま消してしまうだろう。
特にこの大橋の様な朝には人が大量に行き来する場所は。

「狙撃されたっていうけどさ、どこら辺から狙撃されたとかわかるか?」

「ええ。攻撃が飛んできた方角は今私たちがいた街の方から、あのビルになります」

指差された方角の先にあるビルを二人で見る。

「………センタービル? また物凄い距離があるんだが。アーチャーのサーヴァントってどれだけ目がいいんだ?」

センタービルを一瞥して視線をセイバーに戻す。
魔力で強化してセンタービルを見てもよかったがそんな事をしてもあまり意味はない。
仮に見えたところで士郎には攻撃手段などないのだから。

「アーチャーのサーヴァントは鷹の目を持つと言われています。アーチャーにとってはこの距離など何の問題もないのでしょう。それにアーチャー………弓を射る者が目が悪い訳がない」

「まあそれもそうだよな。遠くにいる相手が見えなきゃ弓使って攻撃あてるなんて無理だろうし」

大橋を渡り終えた直後。

「───シロウ」

背後にいるセイバーが肩を持ってきた。

「ん? どうしたセイ………」

言おうとした言葉が出なくなる。
それはすぐ近くに彼女の顔があったから、というのもあるがそれ以上にその顔が真剣な表情をしていたからだ。

「敵が………近くにいます」

「………………!」

違えようのない感覚。この大橋からセイバーが感知できる距離内にまるで挑発するかのように気配を放っている。
その者は明らかにセイバーを意識していながら、しかしゆっくりと距離を離す様に遠ざかっていく。

「我々を誘っているようですね。シロウ、どうしますか」

「……………」

誘う敵。戦争だというのだから当然倒さなければならないだろう。
が、誘ってくる敵に合わせて喧嘩を売りに行くのはどうなのだろうか。
そこが相手に有利な場所だったならば? そこに致命傷に至りかねない罠があったならば?
危険はかなり高いだろう。ならばそこにむざむざ足を踏み入れるのはどうなのだろうか。

「罠の危険性もあるから行くのに気乗りはしないな。…………けど、深山町に敵がいて、俺達に対して威嚇してきてるってことはこのまま家に帰れば危険は増すだけ、か」

少し考えた後に出した結論は

「よし、追う。放っておくわけにはいかないし。けど、セイバー。深追いはするなよ、あと危険だと感じたらすぐに退く。誘ってきている以上は何らかの手段があってのことだろうからな。いいな?」

「わかりました。それに今はシロウには身を守る武器がない。そんなマスターの傍を離れる訳にはいきませんし、離れるつもりもありません」

士郎は学校に昼食を届けに来てからそのまま現在まで巡回をしていた。
当然武器となるような得物は持っていない。そんなマスターを残してまで戦いにめり込む彼女ではない。



「どうだ? セイバー」

「近いですね。………恐らくは先に見える公園内かと」

見えてきたのは深山町にある少し大きめの公園。とはいっても新都にある中央公園や大橋のすぐ傍にある公園に比べれば小さい方ではあるが。
罠がないか十分に確認した後に公園に入る。
公園内にある街灯が公園のところどころを照らすがそれでも暗く、視界は悪い。
見通しのきく広場とベンチやテーブルなどが設置されて憩いの場として設けられている場所があった。

「見える限りでは罠も人影もないな。…………セイバー、もしかしてアサシンか?」

もしそうだとするならばこの状況はいかがなものか。

「いえ───」

だが、セイバーは否定する。視線は目の前の闇。

「敵が“今”現れました」

そこには今宵別の場所でアーチャーのマスター、凛が片っ端から排除した骨の兵がいた。

「! こいつら…………一体どこから?」

周囲を見渡すと姿かたちは違えども同種の兵士が取り囲んでいた。
数は二人の数倍以上。加えて士郎は武器になるようなものを持ち合わせていない。
そして当然だがこの兵士達はサーヴァント、アサシンではない。
この様な事ができる可能性が一番高いのは…………

「キャスターだな。なるほど、自分は誘うだけ誘っておいて影から兵士を操り私たちを襲うか」

鎧化し、不可視の剣を構えるセイバー。一方の士郎は何か武器がないか周囲を見渡していた。
だが都合よく武器になるようなものが落ちている訳がない。最近物騒になってきていることもあり、昼間の間に凶器となりえるものは役員たちが回収しているだろう。
となるといよいよ武器などなくなるわけだが、そこは強化魔術を使える士郎。
武器ではない物もある程度の強度を持った武器にすることはできる。そう、例えば少しだけ太い木の枝とか。

「セイバー。あそこの木の枝を斬れるか? 強化して一時的に武器にしたい」

無論、手に入れた枝がたまたま木刀のように形の整ったものだったなどはありえない。
だがそれでも手ぶらよりは断然マシであるためにこの後の行動は早かった。
動き出そうとした骨の兵士を一瞬で斬り伏せてすぐさま木の傍へ移動。枝を斬り、木をそのまま足場として跳んで再び士郎の傍へ舞い戻ってきた。
セイバーが離れた一瞬に近づこうとしたゴーレム達だったが、“それ以上に速い”セイバーによって阻止された。
セイバーが渡してきた枝を手に取る。なるべく木刀に近い形にするために余計な枝を折り、強化を施す。

同調、開始トレース・オン────」

何度もやってきた工程。故に間違えることはなく、数秒後の士郎の目の前には強化が施された枝があった。
たがこれも気休めではある。長さにして木刀には遠く及ばない。短剣を少しだけ伸ばした程度のリーチしかない。

「このような木偶をいくら集めようとも!」

セイバーは襲いかかってくる骨の兵士を片っ端から斬り崩していく。
一介の魔術師にすら劣る骨の兵士が英霊の、しかも最優と謳われるセイバーの相手が務まるわけがない。
対する士郎も自身に強化魔術を施し、襲いかかってくる骨の兵士を迎撃していた。
強化した枝木によって崩れていく骨の兵。
が、当然ながら急ごしらえのリーチもない武器では多対一など対応できるわけもなく、何とか踏ん張っているところにセイバーの援護が入って敵が崩れ去る、という光景だ。

「けど、これじゃきりがないぞセイバー!減っている気がしない!」

「ええ、恐らくは術者の術を止めなければいけないでしょう。────しかし」

ザン! と振り返りざまに剣を振るい骨の兵を切り崩す。その振り返った背後。士郎の視線の先。そこに自分たちを取り囲んでいる者とは別の者が立っていた。
その者が手をセイバーに向けて翳したと同時に閃光が起こり

「セイバー! 後ろ!」

ドォン! という爆発音を響かせて爆炎がセイバーを包み込んだ。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第14話 倒すべき敵、守るべき者
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2013/04/30 00:22
第14話 倒すべき敵、守るべき者


─────第一節 ソード&マジック─────

「っ───、セイバー!」

爆風により姿勢が崩れかけるが何とか持ちこたえる。
吹き込む風の向こうへ視線をやるが、肝心の彼女の姿が見えない。
爆炎が立ち上り確認がとれないのだ。

「そんな………まさか!」

攻撃が直撃して無事なわけがない。
すぐさまあの爆炎の中にいるであろうセイバーを助け出し、すぐさまこの場から離脱しようと動く。
だが───

「ぐっ………この!」

骨の兵士達が次から次へとやってくる。
攻撃を何とか食い止めるがセイバーの援護がなくなった手前、思う様に歩が進まない。
敵の数が少なければ即席の武器だろうと強引に突破できるだろうが数が多すぎた。

「おや───」

不意に聞こえてきた声。
この場にはセイバーと士郎しかいなかった、にもかかわらず声が聞こえてきたということは───

「ひょっとしてこれで片が付いてしまったのかしら? 今のはほんの挨拶代わりでしたのに………」

「お前が………!」

その声の主を視界内にとらえるが、周囲から襲いかかってくる骨の兵を相手にしなければならないため直視ができない。
だがそれでも僅かに見えるその姿。
ローブを身に纏うその姿はなるほど、昔話に出てきそうな魔女の姿にも見える。

「貴方がセイバーのマスターね。…………貧弱な魔力反応だこと。その程度でマスターとはね」

「…………なんだって?」

士郎には魔術回路はあった。衛宮切嗣から教わった魔術があった。
だがそれでも士郎は魔術師としては半人前程度の腕しかない。

強化魔術が自身の中で得意の分類に入るとしても、強化を扱える一流と呼ばれる魔術師はみな彼程度の強化は行える。
神代の魔術師であるキャスターから見れば、士郎はまさに『格下の魔術師』にしか映らないだろう。

「まったく………世は移り時が流れたとは言え、この時代の魔術師とはこの程度のものかしら? これではセイバーが気の毒ね」

「図に乗るな、キャスター」

流石の士郎も言われっぱなしは癪だったので何か言葉を返そうとした矢先、彼の意をくみ取ったかのように声が響く。
収まり始めた爆煙を吹き飛ばすかのようにセイバーがそこに現れた。

「この程度の魔術で私が倒せると思ったのか」

キャスターは確かに挨拶代りと言った。
だとしても攻撃は直撃していた筈だ。
なのに彼女は“全くの無傷”であるのだから少しその姿に驚く。

「セイバー、大丈夫なのか?」

「ええ、シロウ。ですが気を付けてください。彼女の魔術は古い時代のもののようだ。何が出てくるかわかりません」

現在二人の周囲には約十七体の骨の兵。
そしてその奥にフードを被った女性、キャスターがいる。

「これはこれは。私の魔術を受けて全くの無傷なんて、相当な“対魔力”をお持ちの様ね?」

対魔力。
文字通り魔術に対して行える抵抗能力のことである。

「それを判ってなお逃げない貴様の度胸は認めよう。だが勝ち目はないぞ、キャスター!」

「逃げる? ええ、いずればそうなるだろうけどそれは今じゃないわね。そして───」

手を翳す。
その先には先ほどに似た光源が。

「──────逃げ出すのは私じゃなくて貴女たちではなくて?」

僅かにキャスターの唇が動く。
たったそれだけで彼女の目の前から紫色の弾丸の嵐が放たれた。

「無駄だと言っているのが!」

パァン! と弾丸が振るわれた不可視の剣によってかき消される。
続く弾丸も同様に、問答無用に消されていく。

「ええ、貴女には効かないなんて今ので承知よ。ではセイバー。なぜ貴女は受けても無傷で済む攻撃を“わざわざ剣で打ち払っている”のかしら?」

「………!貴様は………」

ニヤリ、と口元が邪に歪む。
キャスターの視線の先。

「そこの坊やが貴女の弱点よ、セイバー」

同時に、今まで静観していた骨の兵士達が一斉に襲いかかってきた。
キャスターがいる前方から八体。左右から二体ずつ。士郎がいる後方からは五体が。

「この………!」

士郎目掛けて襲いかかってくるのは前方以外の敵、計九体。
それだけでも問題だが、それ以上に問題なのが突撃してきた骨の兵の後方に新たな骨の兵がいるということである。
キャスターは言葉通り“マスターである士郎を襲う”ことを実行している。

「シロウ!」

自分に近づいてくる敵を一蹴し、即座にマスターである士郎に近づく骨の兵を叩き潰す。
士郎も攻撃を受けまいと必死に戦ってはいるが数が違う。
圧倒的な性能差があれば質は量に勝る。セイバーと骨の兵がこれにあたる。
だが基本的に戦争は物量作戦である。
士郎と骨の兵のように特別大きな差がない場合、数で攻める骨の兵が勝つ。
絶え間ない攻撃を仕掛ければ相手をすぐに倒せずとも確実に弱めていける。

セイバーだけならばキャスターに突進して斬り伏せる事が可能かもしれないが、セイバーには士郎がいる。
セイバーが離れるという事は十体近い骨の兵を一人で相手にするということであり、それはたとえ完全な木刀を持っていても難しい。
否、武器など即席であろうが前もって準備した木刀だろうが関係なかった。
近接系の武器を主体としているからこそ難しい。
それこそセイバーのように圧倒的な力で斬り伏せるか、遠坂 凛のように中距離程度からの魔術攻撃ならば問題はなかっただろう。
だが残念ながら士郎はそんな力も魔術もない。

考えが甘かった、と認めざるを得なかった。
なぜ自分は武器となるものをもってこなかったのか、と。
だが仕方ない部分もあった。学校に木刀なんて間違いなくもっていけるわけがないし、学校の帰りは鐘を送り届けた。
その後に一旦戻って、と思ったが綾子が襲われかけた手前その場を離れる事を気にかけた。
即席の武器で痛い目を見ているのに学習してないな、 なんて心の中で自分を罵倒しながら骨の兵士を潰していく。

「フフフ、その竜牙兵は私が竜の牙より作り出したもの。一体ずつの力は弱いけどもいくらでも数は用意できるわよ」

さらに数は増える。二十体。二十五体。
加えて───

「さすがにこの数、そして魔術による攻撃からたった一人でマスターを守るとなると精一杯でしょう、セイバー?」

ヴン! という音と共に士郎とセイバーの頭上に魔術が展開される。

「シロウ!」

咄嗟に士郎を抱えてその場を跳び退く。
同時に落雷のようにその場に魔術攻撃が放たれていたのだった。


─────第二節 風王結界─────

跳び退いた先で崩れた姿勢を立て直し、視線を戻す。

「シロウ、無事ですか!?」

「あ、ああ。なんとか」

だが状況は変わっていない。
再び現れる竜牙兵。
こうなってくるとこの場から完全に撤退するか、キャスターを倒すかのどちらかしかない。

「キャスターを倒せばこの無限に湧いてくる敵もいなくなる。セイバー、何か手はあるか?」

近づいてくる敵を一体ずつ破壊していく士郎。

「あるにはあります」

ザン! という音を立てて真っ二つに竜牙兵を斬り伏せるセイバー。

「なら、それを使えば切り抜けられるか?」

「恐らくは」

その言葉と同時に不可視の剣に風が巻き起こる。
その風はみるみる強く、大きくなり、そしてついには暴風と例えても問題ないほどの風を放っていた。

「っ………く」

流石に近くでそのレベルの風が巻き起こったら立っているのがやっとの状況になる。
それは近くにいる竜牙兵も同じで、近づこうとする前に吹き飛ばされまいと踏みとどまるので精一杯の状態である。

「た……しかに、この風圧なら周囲の敵は一掃できそうだけど………!周囲の被害は大丈夫だよな?」

「さすがに全くの被害なし、とはいきませんがもう一つの宝具を使うよりは断然被害は小さく済みます。民家には影響は出ないでしょう」

ゴオォォ という風の音が耳に響く。
また聞きなれない単語が出てきたが今は問う時間ではない。

「よし………!セイバー」

「ええ………少し離れてください」

同時に身に纏っていた鎧が消える。
その姿は最初のドレス姿であった。

「へえ。すごい風ね? それにそのドレス姿も………」

「覚悟してもらおう、キャスター」

竜牙兵越しにキャスターを睨むセイバー。
士郎はセイバーが行うであろう攻撃の余波に巻き込まれないように、周囲を牽制しながら少しずつ離れる。

キャスターとセイバーが睨み合う。
距離にして約20メートル。間には十四体の竜牙兵。
ゴオォォ!! とさらに耳に響く音が大きくなる。
周囲を警戒しながらも、士郎の視線はセイバーに向く。
その直後。


 ─────轟!! と


まさしく疾風という言葉がふさわしいほどの速度でキャスターに突進する。
セイバーのスキル『魔力放出』。
手にした武器や四肢に魔力を高圧で蓄積し、任意のベクトル方向に放出することにより運動能力を格段に高めるという荒業。
鎧に使う魔力を『魔力放出』に使った場合、パワー・スピードともに60%の増加が見込める。
それは十分に一撃必殺を狙える破壊力と言える。
そんなセイバーを竜牙兵が止められるはずもなく、次々に粉々になっていく。
加えて────

風王結界インビジブル・エア─────解放」

ばん! という破裂音とともにセイバーが“さらに加速した”。
その際に垣間見えた黄金の剣が、士郎の目に焼き付く。
大気を圧縮し屈折させる幻惑の『風王結界インビジブル・エア』。
これには二次的な活用法があり、超高圧に凝縮されていた空気を烈風の一撃として敵に叩きつけるという一度限りの遠隔攻撃法がある。
これを『風王鉄槌ストライク・エア』と呼ぶ。

今セイバーが行ったのはそれのさらに応用法。
敢えて剣先が背後にくるほどに大きく振りかぶった構え、その意図は真後ろに大気の噴流を放ち、突撃の速度を大幅に加速させるものだ。
その速度は『魔力放出』と重なって超音速の域まで達していた。
こうなった彼女に触れた竜牙兵はその役割を果たすことなく、“ただ触れただけで”木端微塵に吹き飛ばされていた。

「…………!列閃エレ・ヘカテ!」

対するキャスターは再加速したセイバーに驚愕し咄嗟に魔術を放つ。
キャスターのスキル『高速神言』。
神代の言葉を用いて、呪文・魔術回路を使用せずに術を発動させることが可能なスキル。

口が早いキャスターの、音速クラスで突進してくるセイバーを視認してからの魔術発動。
呪文などがない分通常の魔術師よりもずっと早く魔術を発動させることが可能。
故に魔術は発動され、紫色のレーザーのような魔術がセイバーに襲いかかる。
相対速度を考えればセイバーにとってそのレーザーの様な魔術は音速以上の速度を誇る。
加えてセイバーは大きく振りかぶったまま。剣で弾くことはできない。

しかし、彼女には強力な対魔力がある。
現代の魔術師ではセイバーに傷一つ負わせることができないほどの対魔力。
Aクラス以下の魔術を無力化してしまう彼女に、キャスターが放ったAランクに届かない魔術は通用しなかった。
直撃したと思われた魔術は消え失せて、残ったのは無傷のセイバーのみだった。

そしてなおその速度は減衰することなく、キャスターをその剣の射程圏にとらえた。

キャスターはセイバーの能力をある程度理解していた。
それはバーサーカー、ランサーとの一戦を観察していたからである。
魔術に特化した彼女はセイバーが『魔力放出』のスキルがあると理解できた。
なのでセイバーが鎧を解除した意味をキャスターは容易に推測できた。

セイバーが身に纏った魔力密度を計算し、突進スピードを見積もる。
結果として問題はない、と判断下す。

だがそれは間違いだった。
彼女の不可視の剣が纏い始めた風は攻撃に使用するものだと思い込み、それを計算から除外していたのだ。
実際はその風すらも加速に利用し、キャスターの計算の上を行く速度でセイバーが突進してきた。

計算の上を行く結果を突き出された以上は、この結果は必然である。
振り下ろされる黄金の剣はキャスターの体を斬り裂いた。
だが────

「────!?」

斬り裂いた筈のセイバーの顔が驚愕の色で染まる。
斬った筈の手応えがまるでなかった。
斬り裂かれたキャスターはユラリと煙の様に消えていく。
つまりはあの超音速の攻撃の最中に攻撃と転移の魔術の詠唱を完了させていたのだ。

英霊。キャスターとて伊達に聖杯に召喚されたわけではない。セイバーが剣の達人だと言うならばキャスターは魔術の達人。
人間離れした魔術発動の速度を誇っていても不思議ではない。

「驚いたわね、セイバー。まさかあの速度で突っ込んでくるなんて………」

セイバーの背後に転移するようにキャスターが現れる。風王結界インビジブル・エアの解放による加速は一度きり。
ならば次の加速は無いと考え、セイバーがいるであろう先に視線を移す。
そこに───

───すでに黄金の剣を振りかぶったセイバーがいた

ザン! と、今度こそ確実にキャスターを斬り伏せた。
左肩から右脇腹にかけて真っ二つに両断されたキャスター。
普通ならばしゃべることすら叶わない。

しかし。
キャスターの口から洩れてきたのはクスクスという笑い声。

「ふふふ………見事。転移の瞬間を狙うとは………」

────その力、是非私のものに………

もはや聞き取れないほどの小さな声のあとに、キャスターは完全に消失した。
が、それはサーヴァントが消失した感覚のものではない。
キャスターがいた場所に輝きを失った宝石が一つだけあった。
つまりは。

「これは………傀儡か」

ギリ、と歯を食い縛る。

「小賢しい!」

地に落ちていた宝石を踏み砕き、すぐさま残った竜牙兵と応戦している士郎のもとへと駆けて行った。



「そう………」

同時刻、士郎とセイバーが戦っていた公園を望める場所に彼女がいた。

「まあこれでセイバーのマスターがはっきりとわかったわけだな、凛」

凛とアーチャーもまた士郎とセイバーと同じように新都から深山町に戻ってきていた。
戻ってきたときに感じた魔力。
それが戦闘によって発せられたものだとわかり、監視できる場所に位置取った。
覗いてみればそこにいたのはフードを被った女性に金髪の少女、そして知っている顔があった。

「たしかに………これで氷室さんがアーチャーの言う通り、ただ助けられただけという可能性がでてきたわけね」

「────む。他にまだ別の可能性があるのか?」

アーチャーとしては凛の勘違いを解けたと少し安堵していたのだが、当の本人は別の事も気にかけているようである。

「氷室さんが直接のマスターでないとしても『協力者』という可能性は残っているわ。前回の聖杯戦争でもそういう人はいたみたいだから」

前回の聖杯戦争のことを凛は詳しくは知らない。
だがある程度の記録は残っているし、以前の聖杯戦争に生き残った腐れ縁の知り合いもいるのでちょこちょこと内容は知っていた。

「………なるほど、確かにその可能性もあることにはあるか。しかし」

「ええ、仮に協力者だったとしても私たちが狙うのはマスターとサーヴァントだけ」

公園にいる二人を一瞥し、今度こそ本当に家へと戻る。
今回の収穫は最大級のモノだったと言えるだろう。
キャスターの姿を確認できた。セイバーのマスターを確認できた。
そして、セイバーの正体を看破することができた。

「今日は帰って寝るわ。明日どうするかは明日決めましょう。アーチャー、また紅茶をお願いね」


─────第三節 その名は─────

「………これで終わりですね。」

セイバーが最後の竜牙兵を叩き潰し、戦闘は終了した。
周囲に敵となるような気配はなく、セイバーは鎧化を解いてもとの喪服姿に戻った。

「助かった、セイバー。恩にきる」

素直に士郎はセイバーに礼を言う、士郎だけではあの数の竜牙兵を対処することは不可能だった。
武器が武器なだけもあるが、そもそも数が違う。
そんな中で袋叩きにだけはならぬように立ち回った士郎もなかなかなものだった。

「いえ、マスターを守るのはサーヴァントの役目です。むしろ僅かでも離れてしまったことを許してほしい」

「何言ってるんだ。セイバーがキャスターを倒してくれたからこそ、こうやってこいつらを倒せたんだから」

キャスターがいなくなった後竜牙兵が増えることはなかった。
ならばあとは減るだけ。竜牙兵一体の力は高くない。
タイマンならば士郎でも勝てる程度なので多少の傷は負ってしまったがこの戦闘は二人の勝利で終わった。

「一つ質問いいか?」

「どうぞ」

「宝具ってなんだ?」



その後簡単な説明を受ける。
言ってみると宝具とはサーヴァントが持つ必殺技のようなもの。
戦いを決するような絶大な威力を持つものもあれば、派手さはかけるが戦いを有利にすすめる能力をもつものもあるという。
サーヴァントにはそれぞれ宝具を所有しており、一人に一つ、多いものであれば3~4つ所持しているという。

「無論、例外というものも存在しますが」

というセイバーの忠告もあったが。
で、セイバーが、というよりは黄金の剣が発生させていた風が宝具にあたるという。
正確に言うならば後者。戦いを有利にすすめる類のもの。うまく使えば勝敗を決する切り札にもなる。

しかし当然ながらリスクも存在する。
宝具を使うということは相手に自分が何者であるかを知らしめるのとほぼ同意。
つまりは宝具を使った以上は相手を殲滅する気で叩く必要がある。でなければ自分の素性を調べ上げられ、弱点を突かれかねないからだ。

セイバーはキャスターを倒すつもりで宝具『風王結界』を使用した。
その結果キャスターは倒せたが、それは傀儡であり実際としてセイバーの手の内を晒しただけとなってしまった。
『風王結界』は黄金の剣を隠すための鞘であり、正体を隠すために使用していたものだった。当然それを解放すれば黄金の剣が目に映る。
正体を自分だけ晒してしまったセイバーは一転して不利な状況に陥ってしまっていた。

が、絶望になるまで不利な状況になっているわけでもない。
知っているのは恐らくはキャスターのみ。
そしてキャスターは戦闘においてセイバーには敵わない。剣術はもちろん、ランクの低い魔術は無効化してしまうセイバーとは相性は最悪だろう。

つまりはキャスターが仕掛けてくるとすればセイバーの弱点をつく、という手をとるだろう。
ならばそれを逆に利用する。狙ってくるものがわかっているのであれば、誘い出して裏をかいて叩く。リスクもあるがうまくはまれば一撃で倒すことが可能。
これが次のキャスター襲撃時にセイバーが考えた方法だった。
無論、キャスターもそこのところは考えている筈だろうから100%安心はできなかったが。

「とにかく帰ろう、セイバー。流石に疲れた」

鐘をマンションに送り届けてからすでに6時間が経過していた。
流石の士郎もこの冬の夜の中にいたのだから疲労は少なからず溜まっていた。

玄関戸の鍵を開けて家の中に入る。
同時に家の中から風が吹いてきた。

「………なんで家の中から………ってそうか」

思い出す。そういえば結局家の修復をしていなかった。
主に天井からの穴とか床にあいた穴とか自分の血とか割れた窓ガラスとか土蔵の中とか………

「………今日の昼間は結局修復する時間なかったもんなあ」

起きた後にセイバーの説明を受けて昼食の用意してそのまま学校。
修復なんてする時間はなかった。
で、今現在はすでに日付が変わってしまっている。
今日は月曜日で学校がある。早く睡眠をとっておかないと学校に支障がでるだろう。

「風呂入って寝るか」

今夜の鍛錬はもうできないかな、なんて思いながら風呂場へ向かい風呂を用意する。
湯が張るのにかかる時間は約15分。その間にできる限りの修復はしておくべきだろう。

「シロウ、私も手伝います」

そんな後ろ姿を見ていたセイバーが声をかけてきた。
流石に15分で全てが終わるとは思わなかっただけにこの申し出はありがたかった。

「お、助かる。………そうだな、それじゃ天井の穴をお願いできるか?」

金槌と板を手渡す。傍には脚立があった。

「わかりました」

セイバーはそれらを手に取って脚立に乗り、天井を修復し始めた。
士郎はそれを見て床に開いた穴を塞ぐために畳補修シートなるものを取り出す。
幸か不幸か腕を貫通して畳に突き刺さったため、畳自体の穴の深さはそうなかった。
穴も大穴ではないので補修シートで十分カバーできるものだった。

「………ま、ちょっとだけ不自然だけど問題ないだろ。セイバー、そっちはどうだ?」

「終わりました。流石に不自然さが残りますがこれでよろしいですか?」

「ああ。十分だよ、ありがとう、セイバー」

ということで家の中の残りは窓ガラスだけになったのだが………

「さすがにこれはガラスを張りなおす必要があるんだけど」

無論この衛宮邸に代えのガラスなんておいていない。
そしてそういう業者はこんな真夜中に仕事はしていない。
適当にシートを張りつけて風が入ってくるのを軽減しておく。

「………ってすっかり忘れてた」

セイバーがこれからこの家に泊まるのだから当然部屋とか用意しなくてはいけない。

「セイバー、部屋に案内するよ。流石にセイバーは布団よりベッドの方がいいだろ?」

見事なまでに外見からの想像で決定してしまっている士郎。
ベッドがある部屋は離れにしかない。ならばセイバーの部屋はあの離れで決定かな、なんて結論がでていたのだ。

「部屋………ですか?」

「ああ、案内するからついてきてくれ。本当なら家の全体を説明していくべきなんだろうけど、流石に夜も遅いからさ」

離れへと向かう。セイバーは後ろについてきている。
ついた先は離れの一室。エアコンにベッドに机にと、必需品は揃っていた。
そしてこの部屋の鍵を渡す。

「ここがセイバーの部屋な。もう何年も使ってないけど掃除はしてるから問題なく使えると思う。あ、寒かったらエアコン使ってくれ。使い方はここのボタンを押して温度設定すればいいから」

「はあ、わかりました。ですがシロウ、貴方の部屋はどこなのですか?」

「ん? 俺の部屋か?」

「はい、案内してもらいたいのですが」

「わかった。俺の部屋はこっちだ」

離れから一転してまた屋敷へと戻り、部屋へ到着する。

「ここが俺の部屋だ」

「………ここがですか? あまりにも物がないので、ここはただの寝室だと思っていたのですが」

バーサーカーに士郎がやられた夜。セイバーと鐘はこの部屋に士郎を寝かせた。ここに布団があったから寝室だと思ったのである。
しかし『寝室』であって活動する『自室』だとは思わなかった。

セイバーは城暮らし。寝室と活動する自室はわけられていた。今では考えにくい話ではあるが。
いやそれもあるだろうが、何よりこの部屋には物がない。
自室と言うのであれば多少なりとも物があってもおかしくはない。

「俺は基本的には寝に帰ってくるだけだから自室=寝室みたいな感じなんだよ。物がないのは当たり前だ」

「………そうですか。意外でした、シロウはもっと雑多な人となりかと思っていましたので」

まあ使いそうなものは全部土蔵に置いてあるんだけどな、なんて思いながら時計を見る。
風呂の準備をしてからすでに15分が経過していた。湯はすでに溜まっているだろう。

「風呂の準備できてるだろうからセイバー、先に入ってくれていいぞ。俺は後から入るから」

「いいのですか? シロウは疲れている。先に入り体を休める方が先決かと」

「それを言ったらセイバーもだろ。今夜はセイバーが一番頑張ったんだ。頑張った人を労うのは当然だろ。ほら、入ってこい。風呂上りにお茶………いや紅茶か? 用意しておくから」

「………わかりました。マスターがそういうのであれば従いましょう。では、先に失礼します」

「ああ。あ、それと着替えは浴衣用意してるから安心してくれ。喪服は脱いだら近くの籠に入れておいてくれ」

わかりました、と喪服姿のセイバーはマスターである士郎に一礼し風呂場へと向かった。
そんな後ろ姿を見送って、あまり入れた事のない紅茶を入れ始める準備をするのであった。


─────第四節 綾子の夜─────

「………やる気、出ないな」

自室で一人呟いてパソコンの電源を落とす。
こうなってくると後は寝るだけである。
弓道部や勉学で忙しい一方で、しかし趣味であるゲームは欠かさずにやっていた。
だが、今日だけは違った。何かやる気が出ない。

「………アイツはもう家に帰ってるかな」

このマンションの周囲を見回ると言っていた。止めようとも思ったが、止まるような奴ではないとわかってもいたので止めるようなことはしなかった。
心配をしていないというのは嘘になるが、しかし特別不安になるようなこともなかった。
自分はあのときは一人だったし自分で言うのもなんだが女性である。狙われやすいということはあるのだろう。
だが彼は男性だし、セイバーとかいう男性もいた。おそらくは大丈夫だろう。

「あたしの場合、そのセイバーさんとかいう人が気になるんだけどな」

無論襲いかかってきた奴が一体何者か、というのも気にはなるのだが、なまじ知り合いの知り合いという立場にいる彼が気になった。
というより気にならないわけがない。
喪服姿だった筈の人が女性のようなドレスに鎧を纏って襲いかかってきた人と対峙していたのだから。
で、次に見たら昼間に見た喪服姿に戻っていると言うマジック。

「うーん、やっぱり衛宮に聞いてみるしかないわけかな」

何かある、と思っている辺り彼女もなかなかの鋭い勘の持ち主かもしれない。

「寝るか………明日も早い」

電気を消してベッドに横になる。
目を閉じて眠る。

明日もまた変わらぬ一日が迎えられると思って。


─────第五節 鐘の夜─────

「こんな時間か………」

時刻はまもなく1時。学校の課題を終わらせていたらいつの間にかこんな時間になっていた。
普段ならもっと早く終わっている。
しかし今日は思いのほか時間がかかってしまっていた。
というのも、お風呂から上がって問題点の定義、およびその考えられる解決方法をノートに列挙していたからである。
物事を判りやすく理解するにはこうしてノートなどに列挙して眺めてみるという方法がある。

「列挙してみたはいいが、どれも私一人では解決できないものばかりだな………」

唯一あるといえばやっぱり衛宮邸に泊まるために親を説得するということくらい。
しかしそれもまた難しい問題であることには変わらない。

「これ以上は考えても仕方ない。明日に備えて眠るとするか………」

電気を消して真っ暗闇となった自室。ベッドに入り天井を見る。
もしかするともう目が覚める事はないかもしれない そんなことを考える。
死にたくはない。当たり前。だから死ぬかもしれないという恐怖は常にある。
だからこそ前を向いて進んでいく必要がある。

変わってしまった日常。
しかしそれでも、もとの日常を取り戻すことを決意する。
そうして目を閉じて眠りについた。


─────第六節 思惑─────

「高い対魔力アンチマジックがあるとは判ってはいたけれど、あそこまで高いものだったとはね」

柳洞寺の一室。キャスターは先ほどの戦いで得る事の出来た情報を整理していた。
聖杯が関わっていようがいまいがこれは“戦争”。
情報収集で敵を知り、対策を立て、有利な展開へ持っていく。

戦争の常識である。力がない者ならばなおさらこれは必要事項だろう。
バーサーカー、およびランサーの戦闘を観察していたことである程度の情報は得ていたが実際戦ってみて(といっても傀儡だが)貴重な情報を得ることができた。
高レベルの対魔力、魔力解放を使った加速に風を使った加速、そして黄金の剣。
いくら生きた時代が違うとはいえ、あの黄金の剣は有名だった。

「ふふ………さて、どうしてあげましょうかね?」

この戦いはキャスターの敗北で終わった。
だが勝負に負けただけであり、試合には圧勝したと言っても過言ではないだろう。
いくら最優と呼ばれようとも弱点を突かれればひとたまりもない筈。倒すことは今までよりも容易になったと言える。
だが、キャスターはセイバーを倒そうとは考えていない。いずれ切り捨てるとはいえあのセイバーは有効活用したいという思惑があった。
バーサーカー。
まず間違いなくあれが脅威になることは簡単に想像がつく。
キャスターはバーサーカーが苦手である。彼女の下にはアサシンがいるが、正直に言ってバーサーカー相手では心もとないだろう。
ならばセイバーを此方側に引き込んで対バーサーカー用として置いておくのはどうだろうか。

否、セイバーを取りこめた時点でこの聖杯戦争は勝ったも同然となるだろう。
7騎中の3騎が一陣営となっているのだ。しかもそこには最優の騎士セイバーと様々な魔術を行使できるキャスター。
アサシンは………まあおいておくとして。
セイバーが手に入ったあかつきにはこちらからバーサーカーを潰しにかかりにいこうかしら? などと思考を巡らせる。

つまりはキャスターの場合、脅威となりえるのは現在バーサーカーのみ。
セイバーをどうやって引き込むかを考えれば、勝利は掴める。
そしてセイバー捕縛方法の案として複数彼女の中に候補があがっていた。
そのどれもがその気になれば成功してしまいそうに思えてくる。

「けれど、あと少しだけ時期を見ようかしらね」

現在キャスターは魔力を街全体から補充している。完璧なる神殿を形成するためだ。
それもあとわずかで完成する。そうなれば遠慮なくセイバーに対してカードをきることができる。


さて、今宵の月は綺麗だろうか。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第15話 攻略戦
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:48
第15話 攻略戦

Date:2月4日 月曜日

─────第一節 学校=登校─────

─────光が射し込む。
閉じた瞼越しに感じる光は、朝の到来を告げるものだ。
布団にもぐった体に寝返りをうって、光から逃れるように顔を隠す。

「ん─────」

まだ眠気がとれない。
日の光や外の寒さからして時間は5時半………といったところだろうか。

「─────」

セイバーを離れに押し込めて結局寝たのは2時を過ぎたあたり。
3時間程度しか寝ていない。
加えて昨日は休日だというのに一日の4分の一をただ歩き回るだけに使い果たした。
そして戦闘。
今日くらいはあともう少し寝てもバチはあたらないんじゃないだろうか、なんて思いながら重い瞼を開ける。

「…………あれ?」

霞んでよく見えなかったが、ここにいてはならないような人がドーン!と布団の横に鎮座していたような気がする。

「………………」

そういえば心なしか人の気配がする。
じーっと見られていて落ち着かないというか、それはつまり─────

一人の筈の部屋に誰かがいるってこと。

「……………!!!!」

言葉なんて出ない。
ガバッ! と起き上ってすぐさま距離をとる。
見えたのはセイバー。しかも浴衣姿でもなく喪服姿でもなくドレス姿。
起きた横にドレス姿の美女がいては流石に言葉も出ずに驚くのは男性として間違ってはいないだろう。

「せ、せせせせせ………セイバー!? なぜに俺の部屋にいるんだ? 昨日ちゃんと案内もしたろう!」

「それなのですが、昨夜も言いましたがやはり問題があります。部屋には案内されましたが、あの部屋はシロウの部屋から離れすぎている。貴方の身を守るには、常に傍に控えている方が適切です」

「常に傍にって…………!じゃあ何か? 寝る時も一緒の部屋で寝るってことか?」

あはは、そんなまさか なんて思いながら尋ねてみるが

「はい、その通りです。マスターを守るなら同じ部屋で夜を過ごした方がいいでしょう」

はい、爆弾発言。
理性にヒビが入りました。

「 」

言葉は出ない。
現在理性を補修中。

─────補修完了。同時に問題発生。

「? シロウ、どうしましたか?」

「…………あー、いや」

修復した理性が再び警鐘を鳴らす。
そう、今日は学校。学校なのだ。今まで普っ通に『あ~明日は学校だな~』なんて思っていたが学校なのである。
つまりはそういうことである。ご理解できるだろうか?

「シロウ、貴方の顔色が優れないようですが何かあったのでしょうか?」

そうかそうか、俺はそんなにも顔色悪いかー なんて無駄に考えながら

「いや、その。言い忘れてたことがあるんだが」

正座をして向き合う。
さて、どうやったら理解を得られるだろうか?


―Interlude In―

「…………ぁ」

ベッドの上で目を覚ます。
見渡すは自室。何ら変化はない。
額に手を当てて、未だ鳴り止まない心音を静めるために瞼を閉じ、深呼吸をする。

「やれやれ………まさかあたしが悪夢見て跳び起きるなんてね」

夢に出てきたのは昨夜の出来事。
ただし、夢の中には衛宮はでてこなかったが。
逃げ回るあたしに鎖付の釘のようなものを投げつけて足を束縛し、その所為でこける。それでも逃げようと必死に起き上るが両手を鎖でくくりつけられて身動きがとれなくなってしまう。
あとはもう襲って来たやつの好き放題。こけた際に頬に擦り傷を負うが襲って来たそいつは嬉々としてその傷を舐めてそのまま─────

「…………シャワー浴びてくるか」

なんていう夢を見たんだ、なんて思いながら自室を出る。
軽くシャワーを浴びて悪夢の所為でかいた汗を流す。
気分もだいぶ落ち着いてきた。

「………衛宮がいなかったら夢の通りになっていたかもしれない、ってことか」

その可能性はあった、というより十分すぎるなんて言葉を通り越してもはや確定していたと思う。
そう考えると昨夜衛宮と会ったことは幸運だったと言えるよな。

勝手に朝食をとる。
あたしの親は基本的に放任主義。だから親が朝起こしに来ることはない。
朝食も自分で用意して勝手に食べる。弟もいるがうちの学校にはいない。来年に入学するみたいだが。

「………ま、昨日もお礼は言ったから別に問題はない………んだろうけども」

何となく締まりが悪い。
というのもあんな夢を見てしまった所為かはたまた“あんな事をされた”からか。

「学校行ったらもう一回礼は言っておくか」

ないない、と思い出しつつも否定しながら朝食を食べる。

―Interlude Out―


「…………………………………」
「…………………………………」

士郎はいつもの朝と変わらずに朝食の準備をしていた。
が、そこにある空気はいつものそれとはまったく違う。

(視線が痛い………)

タンタン、と音を立てて食材を切る最中、居間で行儀よく正座で待機しているセイバーはむくれっ面だった。
『今まで通り学校に行く』。
そう切りだした後のセイバーとの口論はずっと平行線のままだった。セイバーは勿論反対。
昨日に学校にマスターがいて結界を張っているということが分かった以上は一人で行かせるのは危険だ、とのこと。

しかし士郎には今までの生活がある。
学校を休んだりなんかしたら姉役兼教師役の大河が不審に思うだろうし、ずっと家に居ては外の状況はわからない。
それにセイバーと外に出る、というのはつまり敵に警戒をさせるという事でもある。
無論それもいいかもしれないが、一人で外の様子を伺う、というのもそれなりの成果はありそうに感じる。
加えて鐘や綾子の様子を伺うという点でも家に籠っている訳にはいかないし、結界の件も放っておけない。
なにより

『マスター同士の戦いは人目を避けるものなんだろ。なら日中は安全だ。よほど人気のないところに出向かない限り仕掛けられることはない』

ということである。
が、セイバーはそれでも安心できないと言う。
確かに100%なんていうものは存在しないのだからそうなってしまうのも仕方がないだろうが、しかし。

「セイバーを連れて普段の学校に行ける訳ないだろうにさ………」

連れていけばどうなるかなど火を見るより明らか。
多分校庭の端にある木に宙吊りに吊るされるに違いない。

「シロウ、何か言いましたか?」

「い、いや独り言。この豆腐固くて………」

独り言がでてしまうほどの固い豆腐なんてあるのだろうか、なんて自分の苦し紛れの言い訳を思いながら弁明する。
今日の教訓。
セイバーは怒らせてはいけない。根に持つタイプであり、感情的になるのだから手におえない。
しかも地獄耳。彼女相手に冷戦してはいけないだろう。

「はい、おまたせ」

食事で機嫌を直してもらおう、という考えではないがせめてもうちょっと丸くなって欲しいと思ってテーブルに並べていく。
いただきます、と言って箸を持つセイバー。
…………ドレス姿に箸。

「…………合わない………絶対に合わない。早急にセイバーの普段着を用意するべきだな」

呟きながら時計を見る。
普段なら桜と大河がやってくるが桜は今朝は来ない。
先日今日までは手伝いにこれない、ということを言っていたからである。それに合わせて大河もこない。

『桜ちゃんがこないならその分私が桜ちゃんの分を───』
『よし、じゃあ用意するのは俺一人分だけでいいな』
『な、なんでよー!』

こんなやりとりがあったため、桜が再び手伝いにくる火曜日………明日以降に大河もまたやってくるだろう。
そして目の前にいるのはドレス姿のセイバー。
二人には悪いが、今日二人がこなくて非常に助かったと安堵していた。

(家にセイバーみたいなドレス姿の美女がいたら絶対にただじゃすまないよな)

つまりは明日までにセイバーが着るものを用意する必要がある。

「………氷室に相談してみようかな」

まさかセイバーの………女物の服を男が買いに行くわけにはいかないだろう。
加えて士郎はファッションには当然のように疎い。
ならばセイバーが女性だと知っていてかつ頼めそうな人物は一人しかいなかった。

「シロウ、一つよろしいですか?」

「ん? なんだ、セイバー?」

白ご飯を頬張りながらセイバーが尋ねてきた。

「朝はヒムロとは一緒に登校しないのでしょう? ならせめて無事であるかどうかの確認は取ったほうがよいのではないでしょうか? そのための“ケイタイデンワ”ではないのですか?」

「…………あ」

すっかり忘れていた士郎。何かあったときのため、という名目で彼女の携帯電話の番号と自分の家の電話番号を交換していた。
ちなみに士郎は携帯は持っていない。というより必要性を今まで感じなかったので買っていないわけだが。

「時間は………流石に起きてるかな。電話かけてみるか」

そう言って昨日メモした電話番号に電話をかける。
朝学校に行けば会えるだろうが、セイバーの言う通り確認は早いに越したことはないだろう。


―Interlude In―

ピリリリリリ………

電子音が部屋に響いた。味気ない電子音。
電話帳に登録していない者からの電話はこの音に設定している。

「…………」

歯磨きをしながら携帯電話にかかってきた電話番号を見る。
やはり知らない電話番号…………ってちょっと待て。

(この電話番号どこかで見たような…………っ!?)

それが衛宮の家の電話番号だと気づいて即座に通話を開始する。

『もしもし? 氷室か?』

携帯電話にかけてきたのだから基本的に私が出るのが普通だろうに…………。

そう思って答えようとする………が、歯磨き中なのでまともに会話できる状態ではなかった。
洗面所に向かい、口の中の液体を吐いてとりあえず会話をする───

『もしもし? もしもし?…………ちょっと、セイバー。氷室の反応がないん───』

「待て、衛宮。私なら大丈夫だ。少し返事が遅れただけだ。心配しないでもらいたい」

何やら大事になりそうだったので、とりあえず制しておく。

『あ、氷室か? いや、すまん。返事がなかったからちょっと取り乱した』

「いや、こちらこそすぐに返事が出来なくてすまなかった」

というより、今回の件は完全に此方に非があるだろう。
電話番号を教えてもらったのに登録し忘れていたのだから。

『いや、まあこんな時間にかけてきた俺が悪いからな。ってもしかして何か取り込み中か? それなら切るけど』

「取り込み中………といえば取り込み中ではあるが、特別大切なものではない。衛宮こそ何か用事があるから電話をかけてきたのではないのか?」

取り込み中とはいっても歯磨き。
時間もまだ余裕はあるので用件を聞くくらいは問題ないだろう。
というより学校で話をすれば問題ないのでは? なんて疑問も過る。
だが想像もしなかったような爆弾を彼は投下してくれた。

『あー、いや。俺のは大したことじゃないんだ。氷室の声を聞きたかったんだ。うん、聞けてよかった』

「な゛っ……………!?」

何でそんなことを平然とっ…………!! と、危ない。落ち着け、私。

まさか衛宮がそんなことを言うとは思わなかったがちゃんと意味を理解しよう。
彼は昨夜このマンションの周囲を巡回していた。で、その結果私は問題なく朝を迎えることができている。
そして彼は電話をしてきて声を聞きたがっていた。
つまり、私がちゃんと生存しているかどうかを確認するためのさっきの言葉だ。
うん、そうだ。そうに違いない。

『おーい、氷室ー?』

「っ───、何だ、衛宮? 私はちゃんと生きているぞ。怪我もないし変わったところもない。大丈夫だ」

『そうか、そりゃよかった。悪いな氷室、取り込み中だったよな? 邪魔してすまなかった、また朝学校でな』

「あ、ああ。また学校で」

プツッ、ツーツーツーツー…………

ふぅ、と小さいため息をつく。まったく、朝から脳を総動員させるような発言をしてくれたものだ。
歯磨きの途中だったし、磨きなおす………って

「何でしょうか、お母さん」

鏡に映った母親がいた。
声をかけながら電動歯ブラシを銜える。

「いえいえ、ついに鐘にも“ボーイフレンド”が出来たんだなあって」

「ごほっ!?」

噎せた。盛大に噎せた。
これ以上ないほどに噎せた。

「あらあら、そんなに噎せちゃって大丈夫? 顔も少し赤いわよ、鐘?」

「違………!───というより、どの辺りから聞いてましたか?」

聖杯戦争に関しては会話をしてないからばれていないだろうが、やはり気になった。

「うん? 鐘が慌てて携帯もって洗面所に行ったあたりからかな?」

…………つまり全部っていうことですね、お母さん。

「にしても鐘も変わった返答するのね? 『声が聞きたかった』って言ってきたのに『生きている』とか『怪我はない』とか『変わったところもない』って」

もう会話内容もばっちりですね、お母さん。

「…………言葉のアヤです」

聖杯戦争についての会話だとは言える訳もないので、そう答えるしかない。
そしてまさか娘である私が殺し合いに巻き込まれているとは微塵も考えていないだろう。

「そう? まあ鐘がそれでいいっていうならいいけど。えーっと───こういうのってなんていうんだっけ? ツン…………」

「失礼します!!」

がぁーっと中断していた歯磨きを強引に終わらせて自室へ戻っていく。
断じて私はそんな性格ではないです、お母さん!
っていうよりお母さん、貴女はそんな性格でしたか?

―Interlude Out―


「ヒムロは無事だったのですね?」

「ああ、最初返事しなかったのは何か取り込み中だったからみたいだ」

最初の空気はどこへ行ったのか、普段通りの朝食を二人は迎えていた。
ちなみに士郎は自分が放った爆弾発言の所為で鐘が大変なことになっているなどとは知らなかった。

朝のテレビニュース。
そこにはまたも新都の方でガス漏れの発生を伝える内容が。

「また新都でガス漏れ事故か。なになに? オフィス街にあるビルで、フロアにいた五十人近い人達がまた同じような症状。帰りが遅い事に不信感を募らせた家族が会社に電話を入れてみるも、警備員はその惨状に気づかなかった………何だこれ、職務怠慢じゃないのか?」

そう呟きながらテーブルのおかずをとっていく。
が、その箸がピタリと止まる。

「────ってもしかして、これ。聖杯戦争と何か関わりが………?」

学校に張られた結界。あちらがどんな効果を持っているのかはまだよくわかっていないがよいものではないと直感が告げている。
学校の結界同様この時期、このタイミングで起こり続けている事故。この状況でこれが聖杯戦争と無関係だと確信出来るほど士郎は楽観的ではなかった。

「セイバー、どう思う?」

「………無関係とは思えませんが、確証もありません」

確かに現場に行ったわけでも犯人を見たわけでもない。
故に断ずる事は出来ない。

「ほぼ確実に他のマスターの仕業だとは思います。ですが今シロウが気にするべき事は学校に張られた結界の方かと」

「───それはわかってるけどさ」

新都で起きているガス漏れ事件は不定期で場所もバラバラ。
士郎が知りうる中では規則性なんて見当たらない。
そんな『次はどこで起きるかわからない事故』よりも『自分が通うべき場所に張られた結界』が一体何なのか、というのを突き止めるのが先決である。
あそこには士郎だけではなく、一成や桜、大河に綾子に鐘と無関係な人が大量にいる。
何も害がないものならばそれでいいが、どうも害がないとは考えづらい。早急に調べる必要はあるだろう。

「ちなみにシロウ。学校に行かないという選択肢は?」

「それはない。結界は調べる必要があるし、氷室や美綴だっている。また狙ってくるとも限らないんだから学校にはいくよ」

きっぱりと答えた。
それを見たセイバーはやれやれ、といった面持ちをした後に真剣な顔で真っ直ぐ見つめてきた。

「わかりました。マスターがそう言うのであれば従いましょう。ですがシロウ、いくつか言っておきたいことがあります。よく聞いていてください」

セイバーはそう言って士郎の左手…………令呪を覆う様に手を重ねた。

「マスターが問題ない、というのであれば私は信じるしかありません。ですが、約束してください。危険を感じたら必ず呼んでほしい。シロウが私が必要だと思えば、私に伝わります。間に合わないと判断した場合は、令呪を使ってください」

「ああ、約束する」

「そしてもう一つ。日中、人前では流石に相手も動かないでしょうが、念のため常に周りには気は配っておいてほしい。最も危険なのは日が暮れ、一人になった時です。私が敵ならばシロウが一人になっていれば必ず接触します。ヒムロのように様々な想定をして、冷静にいれるように努めてください」

「ああ………わかった」

彼女の真剣を真剣に返答していく。
言葉にすると短いが、その意志ははっきりとくみ取ったし、互いに真剣だということも伺い知れた。

朝食の後片付けをして、支度をする。
とは言っても昨日は自分の鞄を見つけられなかったので別の鞄になるのだが。

「じゃ、行って来る。留守番頼む。帰りは………そうだな部活が終わる6時前くらいに学校近くにきてくれたらいい。また氷室を送るからな」

「わかりました、6時ですね。場所は昨日のバス停でよろしいのですか?」

自分が持っている鍵を渡す。
スペアは桜が持っているので自分の鍵を渡すほかはない。

「ああ、そこでいい。じゃ、鍵。家出るときは鍵かけてくれ。あ、あとここに木刀あるから家出るときに持ってきてくれるとありがたい」

玄関すぐそばに竹刀袋に入れられた木刀を用意していた。これで昨夜までの失敗を繰り返さずに済むだろう。
ちなみに学校には持っていかない。持っていったら間違いなく没収だろうし、理由を問われかねない。
かといってナイフのようなものを鞄の中に仕込もうとも思わない。っていうか銃刀法違反です、はい。

玄関を出てセイバーに見送られ屋敷を後にする。
どうなるかはまだ分からないが、やれる限りは自分の力で何とかするしかない。
昨夜のキャスター戦は全く無事であったが、バーサーカー戦のように彼女に負担をかけたくはない。

セイバーの言った約束は守るができる限りのことはすると心に決めて空を仰ぐ。
朝の冷たい空気が肺を満たす。少しの不安を胸に学校へと向かった。


―Interlude In―

「お、氷室」

「………美綴嬢か。おはよう」

あたしはバス停に並ぶ氷室を見つけて、声をかけた。

「おはよう。どうした? ちょっと不機嫌?」

「いや、特別不機嫌なわけではない。朝にちょっとイベントがあっただけだ」

少しそのイベントとやらに興味があったが、何か“突っ込まないでほしいオーラ”を放っているのでここはあえて質問しないでおこう。

「ふうん………。ま、あたしも今朝は少し嫌な夢みちまったからな。イベントっちゃイベントだよな」

「嫌な夢………?」

「そ、まあ聞かないでくれると助かるかな」

ではそうしておこう、と氷室は引き下がった。
バスがやってきて乗車する。
後は約30分乗っていれば学校に到着する。

「そういえば、昨日衛宮とマンション近くで会ったんだけどさ。変な喪服姿の人と一緒だったんだ。氷室、あんたは知らないかい?」

なんとなく気軽に尋ねた。
あいつがマンション近くを歩いていたなら氷室も知っていると思ったからだ。

「…………いや、いることは知っていたが、彼女が何者かは私は知らないな」

が、返答はNO。
昨日の衛宮の反応からしてただ街の紹介でここに来たとは考えにくい………というよりあんなマンションを案内するか? 普通。
となると、別の目的でここに来たと考えるのが普通だろう。
で、あの言葉からしてあたしのマンションに何かあったように感じた。ならば同じマンションに住む氷室なら何か知ってるかと──────

「………なぁ、氷室? 昨日衛宮と一緒に学校に帰った?」

「な、なんでそんな結論になる?」

少し慌てたような感じで氷室が問いただしてくる。

「いやだって、喪服姿の人って言っただけなのにあんた『彼女』って言ったじゃんか。あたしは女だとは言ってないよ?」

「…………あ」

しまった、というような顔をする氷室。
とりあえず何となく読めた。

「………氷室、今日は自爆する日? その朝のイベントとやらの影響か?」

「………これ以上聞かないでくれるとありがたいのだが」

氷室は、はぁ と軽いため息をついてた。
これ以上は氷室に聞くより衛宮に聞いた方がいいかな、なんて思いながら外を眺める。
バスは大橋を渡って深山町に入っていた。

―Interlude Out―


いつも通りの時間より遅く学校に到着する。というよりホームルームぎりぎりだった。
正門を通り抜けて、校舎へと向かう。

「────」

しかし足は止まり気分が悪くなる。
間違いない。この結界は絶対によくないものだ。
甘ったるくて粘ついた液体の中にいるような不快感。そんな状況にいる所為か、敷地内に活気がないように感じられる。
校舎に向かう生徒たちだけではなく、木々や校舎そのものも、どこか色褪せて見えるような錯覚だった。

「よう、衛宮。どうしたんだ、遅刻するぜ?」

背後から声をかけられる。
聞き覚えのある声。

「慎二」

いたのは間桐 慎二。桜の兄で弓道部の副部長をしている。士郎とは旧知の仲である。
しかし最近は疎遠になっていたが。

「あれ? なんだ、顔色悪いんじゃないの? それにその鞄どうしたんだ?」

自分の顔はそんなにも苦しそうな顔をしているのか、とその言葉を聞いて思う。

「ああ、いやなんでもない。ただの立ちくらみだ。鞄はちょっと家でなくしちまって見つけられなかったからこれにいれてきた」

ふうん、と特に興味もなさそうに慎二が士郎の横を通りぬけて校舎へ入っていく。

「心配させんなよな。今にも死にそうな顔してるぜ?」

心なしかニヤニヤと笑っているように見えた。
今日は機嫌がいい日なのだろうか なんて考えながら一度目を瞑り深呼吸。

(焦るな。まだ結界は発動はしていない。学校の人全員を人質に取られたようなもんだが、下手打って思惑から外れたら無駄になる)

まずは相手の尻尾をつかむ。結界が一体どれほどの威力を誇っているのかは知らないが、今日学校に入ってみて理解できた。
こんな結界が良いものであるはずがない。ならばこれを張った相手の尻尾をまず掴む。それまでは無暗に動いてチャンスを潰さないようにしないといけない。

気を持ち直して歩みを再開する。
校舎前に昨日関わった二人がいた。

「よ、氷室、美綴も。おはよう」

「ああ、おはよう衛宮」

「…………おはよう、衛宮」

鐘が少しだけ元気がない。
どうしたのだろうか、と思っているところに綾子が話しかけた。

「衛宮、昨日は結局何時くらいに家に帰ったんだ?」

「ん………確か12時すぎていたのかな?」

実際にはそのあとにキャスター戦をしていたので実質1時近くになっていたのだが。

「何でまたそんな時間まで………。そこまでしなくても警察呼べばよかっただろうにさ」

まあ正論ではあるが、今回に限ってはそれは間違い。

「まぁまぁ。美綴にも俺にも何も問題はなかったんだからそれでいいじゃないか」

深く突っ込まれると厄介なので流す。
綾子の横にいる鐘は二人の会話を聞いて何か考えていた。

「とりあえず教室向かわないか? ホームルームが始まっちまう」

深く突っ込まれても困るので適当に切り上げて教室に行くように促した。
時計はもうすぐでホームルームが始まる時刻を示している。

「ん、そうだな。っていうか衛宮。聞きたいことがあるんだけど」

「私も聞きたいことがある。………が、時間がないな」

綾子と鐘が士郎に問いかけようとするが、士郎が学校に来る時間が遅かったために保留となった。

「っていうかさ。衛宮、今日は遅かったわけだけど、どうしたんだ? もしかして寝坊? で、その鞄はどうしたんだ?」

「美綴………。いっぺんに訊かれても一つずつしか答えられないぞ」

そう前置きを入れた上で

「いや、朝に少し時間かけすぎただけだ。決して寝坊ってわけじゃない。鞄の方はなくしてしまって見つからなかったからとりあえずこの鞄に入れてきた」

朝は鐘と電話してセイバーと話し込んで、セイバーの分の昼食とおやつも用意して、喪服も準備してと、とりあえずいつもやる事とプラスしてやることが多かったため時間がかかった。
鞄については昨日の一件通り。
三階に上がって教室に向かう。人で溢れる廊下。その雑踏の途中、廊下の壁にもたれかかっている一人の生徒が目に留まった。

─────遠坂 凛である

何をしているのか知らないが、腕を組んだまま背を壁に預け目を閉じている。
教室はもうそこなのに、本当に何してるんだろうか。
それを思ったのは士郎だけでなく、後ろの二人も同様の事を考えていたらしい。

「よ、遠坂。何してるんだ? こんなところで」

綾子が凛に問いかける。
その疑問に特に慌てた様子もなく

「別に。何となくこうしてただけよ」

そう言って視線を綾子から外して士郎と鐘に向けた。
その視線が気になりはしたが────

「おはよう、遠坂。それじゃ、氷室、美綴。俺、教室向こうだからいくな。また後で」

特別親しいわけでもないので軽い挨拶だけして前を通り過ぎる。
と、すれ違う瞬間。

「………そう。舐められたものね」

なんて、呆れと怒りの入り混じったような声が聞こえた気がした。
だがその音も同じく廊下にたむろする連中の雑談や朝の挨拶の声に掻き消され、本当に凛が呟いたものかどうかも怪しかった。
振り返ってみても、そこには既にさっきまであったはずの凛の姿はない。綾子と鐘の姿もなかった。
教室はすぐそこだから、中に入ったのだろう。

「……………?」

その音が妙に気になったが、それも教室に入ると上書きされてしまった。
教室にもあの違和感が漂っている。お菓子のような、微かに甘い香り。

「これからどうするべきか…………」

そう呟きながら男連中に挨拶をして席に着く。
あと少ししたら担任の大河が駆け込んでくるだろう。


─────第二節 昼休み─────

昼休みになった。

「………一成の奴、もう行ったのか」

気がつけば一成の姿がなかった。
今日の彼は少し様子がおかしかった。
どことなく眠そうに見えたのだ。
寺の一日は規則正しい筈なので眠たいように見えたのは気のせいか、それとも彼が単純に夜更かししたのか。

士郎もまた先に行ったであろう一成の後を追って生徒会室に行こうと席を立つ。
教室で弁当を広げる気にはならない。
教室にいると人の弁当を虎視眈々と狙うクラスメイトに襲われる危険性があるからだ。

「衛宮」

教室を出たところで声をかけられた。

「ん? 美綴か。どうした?」

「どうした、って今朝言ったろ。聞きたいことがあるって」

やれやれ、と言った面持ちで言ってくる綾子。
今朝のやり取りを思い出す。確かにそんなことを言っていた。

「ああ、そういえばそうだったな。で? 聞きたい事って?」

「ん、それなんだけどさ。とりあえずメシ食いながら話さないか? せっかくの昼休みなんだからさ」

その言葉を聞いて吟味する。

(ということは今日は美綴と一緒に弁当を食べることになるのか)

いつもは生徒会室で一成と一緒に食べている。が、別に約束しているわけでもないので問題はないだろう。
というより

(そういえば氷室が言ってたよな………。俺と一成がそっち方向の気があるとか…………)

思い出して少しだけ苦笑いの表情になってしまった。
こりゃあ一成には悪いが今日は美綴と一緒に過ごさせてもらおう なんて結論を出した。
が、目の前にいる綾子は士郎の苦笑いを見て別方向の事を考えてた。

「む、何だい衛宮。そんな苦笑いしちゃってさ。あたしと食べるのがそんなに嫌か?」

「違う違う。別のことを思い出してただけだ。よし、一緒に食べるか。俺も美綴と一緒に食べたいと思ってたし」

「…………へ?」

一瞬言葉に詰まった綾子。
そんな彼女に気付くことなく

「じゃあどこで食べる? やっぱり食堂か?」

なんて普通に問う。

「あ、ああ。そうだな、じゃあとりあえず弓道部に行こうか。昼は開いてるし人もいないから静かでいいだろ」

一瞬フリーズした綾子だったが、次には元に戻り場所を提案してきた。
弓道部、と聞いて少し考える。
もと弓道部員とはいえ、今は辞めた身。そこに入っていいものなのだろうか。

そう考えたが、目の前にいるのはその弓道部の主将である。彼女がいい、というのであればいいのだろう。
加えて射をしにいくわけではない。

「わかった。それじゃ弓道部にいこうか。美綴、他に誰かいるってことは?」

「ないな。昼は活動してないし鍵は職員室か私か藤村先生が管理してるから誰かが入り込むってことはないよ。で、その鍵は今あたしが持ってる、と」

チャリ と音を鳴らして鍵を見せびらかす。

「さすが弓道部主将。それじゃ、行こうか」



「で、聞きたいことってなんだ?」

士郎は弁当を広げて食べていた。
対する綾子は売店で買ったパンを食べていた。

「ん、昨日のことなんだけどさ。その事を話すのにここ選んだんだ。なんか人にはあんまり聞かれたくないだろ?」

なるほど、と納得する。
確かにここなら誰かの視線を気にする必要はないし、誰かが聞き耳を立てていると警戒する必要もない。

「衛宮。昨日アンタ氷室と一緒に帰ったんじゃないの? で、その帰りにあたしと出会った、と」

箸が止まる。

「………なんで美綴が知ってるんだ?」

「ってことはやっぱり氷室と一緒に帰ったわけか」

なるほどね、と一人納得する綾子。
一方の士郎はまたやっちまった と言わんばかりの顔をして額に手をあてた。

「いや何、昨日聞いたときから少し違和感はあったんだけどそれが確信に変わったのは今朝かな。氷室と一緒になったときに聞いてみたら気になる反応したからね」

「氷室が? 珍しいな、氷室の行動で確信に変わったなんて。てっきり俺が地雷を踏んだのかと………」

「ん、何やら今朝イベントがあったらしいよ? で、その影響で少し浮ついてたみたい」

イベント? と疑問符をうつ。
そういえば今朝は何か取り込み中だとか言っていた。もしかするとそれかな、なんて考える。
士郎の行った行為それ自身がイベントだとは気づくことはないだろう。

「で、もう一つ訊きたいことがあるんだけど。なんでセイバーさんは男装してたの?」

「…………は?」

次もまた箸が止まる質問。
えーっと、それはつまり?

「ん、いやセイバーさんって女性なんでしょ? なのに男性用の喪服着てたし。まあ恐ろしいほど似合ってたから問題ないけどさ」

つまり目の前の弓道部主将はセイバーが女性だということを知っているわけです。

「………まあセイバーは女性だけどさ。どうしてわかったんだ? 氷室に訊いたのか?」

「いや、訊いたっていうよりは自爆して漏らしたって言った方が正しいかな?」

………自爆? と頭の中に疑問符が大量に出てくるが答えはでない。
ちなみにその自爆も士郎の所為なのであるが、もちろんそれを知る士郎ではなかった。



昼食を食べ終わり、お茶を飲む二人。
風はまた少し肌寒いが冬の日差しは温かく、食堂の様な喧騒もない。
食堂ならばこんなゆっくりとはできないだろう。

「いつもは生徒会室で食べてたから何か斬新な感覚がするな」

「まああたしはたまにここで食べる事があるからそうは思わないけどね」

ずずず と二人して温かいお茶を飲む。
外の気温とも相まって絶妙な熱さ加減となっていた。

「美綴」

「ん? なんだ、衛宮?」

ふと思い出す様に案が出た。
昨夜の一件。セイバーについて知っている。鐘と同じ場所に住んでいる。
ならば。

「今日は一緒に帰らないか?」

「え…………?」

まあある種当然の反応を返してくる綾子。
そんな反応を見ながら

「いやだってさ、昨日美綴を狙ってきた奴いたろ? あいつ、結局見つからなかったんだ。もしかしたら美綴を狙ってるかもしれないから、それなら一緒に帰った方が少しは安全かなって」

昨夜は綾子一人で帰っていた。その結果無防備の彼女を狙った奴がいるのだから、サーヴァントという存在を知っている士郎からすれば当然の申し出だった。
いくら彼女に固執していないだろうとはいえ、それは可能性。また狙ってくる可能性だってあるのだから予防線は張っていても損はないだろう。

「ん、そりゃあそうかもしれないけどさ。衛宮ン家って真逆だろ? そこんところは─────」

「昨日だって真逆の場所にいただろ。問題ないぞ」

あぁそういえばそうだった なんて呟きながら考え込む綾子。
しかしそんな彼女に考える時間はなかった。
鳴り響く予鈴。午後の授業開始の一分前になる予鈴だ。

「っと!次は確か葛木先生の授業だった筈。やばい、急がないと!」

話し込んでいた所為で時間を忘れていた。
慌てて士郎は弁当を持って弓道部を出る。

「ほら、美綴。急ごう!」

「あ、ああ。わかってる!」

靴を履いて外へ。
綾子は弓道場に鍵をかけて、急いで二人は校舎へと走っていった。


─────第三節 分岐点─────

夕方。

「おわ………ったぁー」

ぐてっと机に突っ伏すのは蒔寺 楓。
陸上部短距離走エースで、氷室 鐘の友人の一人。

「よっしゃー!これからまた走りこむぜぇ!」

しかし次の瞬間には勢いよく立ち上がってやる気マンマンになっていた。
陸上部の部活動に励むのはいいが、もう少ししたら学期末テストがあるということを彼女は覚えているのだろうか。

(いや、覚えていない………というより存在していないだろうな)

冷静に分析しながら自分も鞄の中に教材を入れる。
傷のついた鞄ではあるが、カモフラージュのためにいろいろと手を凝らした結果、なんとかばれないようになっていた。
といっても同じ色の布と糸を用意して無理矢理隠す様に縫い付けただけだが。
そして鞄に縫い付けるという作業は中々に重労働だったので、終わった当初は指が思う様に動かなかった。

「衛宮との話は帰りでいいか………」

そう呟きながら席を立ち、部室へと向かうため教室を出ようとする。

「おーい、氷室」

「?」

後ろから声をかけられる。
振り向いた先にいるのは綾子だった。

「何かな、美綴嬢?」

「あんたってさ、今日も部活だったよね? 6時くらいまで?」

「6時前には終わる予定だが………。何か用事でも?」

「いや、一緒に帰ろうかなって思ってさ。おんなじマンションだろ?」

と、言って肩に手を置いてくる綾子。
その申し出、昨日から士郎と一緒に帰っている鐘はそれを了承するわけにはいかなかいと断ろうとするが―――

「衛宮も一緒に帰ろうって誘って来たからさ。四人で一緒に帰ろうってことになったんだ」

「…………む。衛宮が美綴嬢を誘ったのか?」

彼女が、自分が士郎と一緒に帰っているということに気付いたのは今朝の失策だろうと考えた。
なので彼女が知っていても驚きはしなかった。おそらくはその事を彼に話したのだろう、と推測をたてて横にいる綾子に尋ねる。

「ああ。あたしが断る理由もないからさ。まあ、別に氷室に伝えなくてもよかっただろうけど、一応のためにあんたにも伝えておいたってわけ。………てことでまた帰りな、氷室、“衛宮”」

「え?」

視線を隣にいた綾子から正面に戻す。
そこには赤毛の士郎が立っていた。

「ああ、じゃあ部活終わったらバス停に集合な。そこにセイバーもいる筈だから。俺も6時くらいになるまでは学校内にいることにするよ」

それじゃ、といって横にいた綾子は階段を下りていった。

「悪い、氷室。氷室にもちゃんと伝えるべきだったんだろうけど遅れた。ちょっと時間いいか? 説明するからさ」

この後には部活がある。
もう恐らくは先に行っている楓と由紀香が部室にいるだろう。
が、説明がほしいのも事実だったので

「ああ、ではよろしく頼むとしよう。場所は移動した方がいいかな」



屋上にきた。
先ほどの場所では教室にまだ人はいたし、廊下にも人がいたために話をするわけにはいかなかった。
特に昨日の件については。

「────なるほど。サーヴァントに狙われていたとは思わなかった」

昨夜、鐘と士郎が別れた後、綾子と出会ってそこで起きた事件の説明をうける。
相手がサーヴァントでたとえ通り魔のような形で狙われたとしても、まだ狙われているかもしれないのだから一緒に帰ろうと提案したのは納得がいった。

「そう、だから今日から一緒に帰ろうって誘ったんだ」

「ふむ、事情は理解した」

セイバー、士郎、鐘、綾子。
4人も固まって移動するのだ。しかもそのうち二人は魔術師とサーヴァント。
ヘタには襲ってこないだろう。

「では今日もバス停前、ということでいいな?」

「ああ、そういうことになる。悪いな氷室、時間とらせちまって。大会、近いんだろ? 練習頑張ってな」

「善処しよう」

そう言って二人は屋上を後にする。
士郎は一旦教室へ。鐘はそのまま階段を下りて部室へと向かった。

教室に戻り、一成がいないのを確認して生徒会室へ足を運ぶ。

「一成? いるか?」

と、扉の向こうへ声をかけるが返事がない。
はいるぞ、と一言断って扉をあける。
返事がないので当たり前だが、一成の姿はなかった。
疲れているみたいだったし今日は早めに帰ったのだろう、と思って生徒会室を後にする。

「さて、となると生徒会でやることがなくなったわけだが─────」

これから6時まで残り1時間と少し。
何をして過ごそうか?


1. 陸上部の様子を見に行く
2. 弓道部の様子を見に行く
3. 少し早いがバス停に行って待つ
4. この学校の結界について少し調べてみよう



※この選択肢、あんまり意味はありません



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第16話 暮れ泥む冬の空
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:52
第16話 暮れ泥む冬の空

4番選択 
(※おまけ有 そのため通常の約1.8倍とかなり長い話となっています。あと一部多少ネタ含んでます)

─────第一節 魔術師と魔術使い─────


「決めた。結界を張ったヤツを見つけよう」

そう言って校舎の中を散策することに決定する。
それもこちらから相手を見つける手段がない以上、向こうからの接触を待つしかない。
相手が士郎をマスターだと知っていなければ意味がないが、こちらはまだ可能性がある。昨日の巡回で多少なりとも効果があったと信じたい。
セイバーが言うには、サーヴァントも連れずにマスターが出歩いていれば、他のマスターは必ずなんらかの行動を起こす、と言っていた。

日中はそんな気配は微塵も感じられなかったが、陽が落ちようとするこれからの時間なら接触してきてもおかしくはないだろう。
綾子と鐘の様子を見に行ってもよかったかもしれないが、それぞれ部活があるし部員もいるだろうから一人になるようなことはないだろう。
バス停に行くにはまだ早すぎる。予定の時間まで一時間もあるのだ。セイバーだってまだ来ていないだろう。

「─────」

ここからは細心の注意を払わなければならない。
最悪のパターンはノーアクションでサーヴァントからの襲撃を受けること。この手を取られたら全力で逃げるしかない。
サーヴァントの力は今までの経験からいやというほど思い知らされていた。
しかし逃げるだけなら何とかなるかもしれない。
ランサーからも辛うじて学校から逃げ出せたのだから。
それに今朝知ったマスターとしての切り札………令呪の使い方。
これを使えば逃げずに対処は出来るだろうが、あくまでそれは最終手段として取っておく。

まずは適当に周囲を散策する。
主に窓から下を覗いて、不自然な人間がいないかどうか。
普段人があまり入らないような場所に目を向けてみる。
しかし、やはり普段通り人はいない。ところどころ特に不自然に感じるところを記憶しながら校舎内を散策する。
結界が張られているとわかっていても自分では壊すことができないのが歯がゆい。

屋上。
先ほど鐘と一緒に居た場所。上から下を見下ろすには絶好の場所だろう。
先ほどと同じように不審者がいないか探す。が、やはり見当たらない。
グラウンドでは陸上部が走ったり跳んだりしている。
鐘もまたその中にいた。
その姿を一瞥して再び校舎の中へ戻る。
上の階から順番に見て回る。不審者、不審物。
何かあったら………と思って常に注意を払っているが見事にスカしている。

「…………今日はいないのか?」

そう呟きながら開いている教室を見て回る。が、誰もいない。
廊下に戻る。
外はすでに茜色の空となっている。
夕日は地平線に沈み始め、あと一時間くらいすればすっかり暗くなるだろう。
いつもの鞄ではない鞄を手にぶら下げながら階段を下りようとする。
その時、がたん、と頭上で音がした。

「?」

何の音かと思って頭を上げる。
そこには

「…………」

上の階へと続く階段の踊り場で仁王立ちしている遠坂 凛が立っていた。
おかしいな、と考える。
4階は一通り見て回ったが人の気配はなかったし事実誰もいなかった。
だが、それほど驚くこともなかった。士郎が別の教室に入ったときに彼女が上にあがって階段で鉢合わせしただけだと思ったからだ。

しかし。
その考えは一瞬で破棄させた。セイバーが言っていたことを思い出す。
自分が一人になったとき、相手は接触してくる。
今はまさにその状態。

「まだ『こんにちは』の時間よね、衛宮くん。………少し、時間はあるかしら? ま、ないって言っても無理につくってもらうけど、ね」

残陽はその人の影を後光のように美しく照らし上げ、微かに窺える表情は天上の笑顔。
その立ち姿はさながら女神のような振る舞いだろう。

しかし、今の士郎にはそう映らなかった。何も知らなければそう映っていたかもしれないが、士郎は知っている。
彼女だとは思っていなかったが、タイミングを考えるとそう考えるのが妥当だろう。

「────ああ。こんにちは、遠坂。俺も少し話があるんだけど、時間は………いいよな」

そう精一杯の強がりを口にした。
上と下。反するカタチで相手の瞳を睨みつける。
こうやって対峙していても、士郎は信じられなかった。
成績優秀、穂群原一の優等生、憧れの対象たる遠坂 凛が、こちら側の人間───魔術師であり、聖杯戦争の参加者───だったなんて。

否、それはどうでもいい。信じられなくとも理解は出来る。こうして相対している以上、彼女がマスターである事はほぼ間違いない。
この学校の中に敵のマスターがいると知った時点で、それが誰であろうと受け入れる覚悟は出来ていたのだ。
だから今の士郎は冷静でいることができる。
士郎は何も知らない部外者ではなく、知った上でここにいる当事者なのだから。

だが彼女がこの学校に結界を張り、何も知らない他の人達を巻き込もうとしている事だけは、信じたくはなかった。

「へぇ? 結構冷静ね。私が何で声をかけたか、判ってるってことかしら?」

「…………そのつもりだ」

「…………でもその割にはサーヴァントも連れないで出歩くなんて正気?」

感情の無い声が聞こえてくる。

「見ての通り、俺は一人だけど? んで、遠坂には俺が気が狂っているように見えるのか?」

内心の焦りを見せないようにできる限りの演技をする。
こんな言葉を言ってくるということは近くに彼女のサーヴァントが存在しているのだろう。
今は姿が見えないがどこで見ているかわからない。
となると、これは不利である。
が、まだ自分のやれるだけのことは全くしていないのでまだセイバーは呼ばない。

「………そう。考えがあって………てコト。じゃあ、素人魔術師の衛宮くん? その考えってものを訊かせてくれるかしら?」

答えなければどうなるかわかってるわよね? 
士郎にはその言葉も付随されたように聞こえた。
ここでやられる訳にはいかないし、そもそもその考えも隠すようなことではないので正直に話す。

「………こうして一人になれば、俺がマスターだって知ってる奴なら向かってくると思った。んで、そいつに少し言いたいことがあったんだ」

「なによ」

棘のある口調。いつもの優等生然とした遠坂からはかけ離れた声色だった。
が、そんな彼女のイメージ云々よりも今はこちらの方が大事。

「遠坂。今すぐこの学校に張った結界を解除しろ」

「─────はぁ?」

「惚けるなよ。この学校に結界が張ってあることは知っている。どんな効果があるか詳しくは知らないけど、明らかに悪いものだというのはわかる。学校の人間を巻き込むようなマネはするな」

精一杯、力を込めて凛を睨む士郎。
彼女がサーヴァントと口に出して問い詰めてきた以上は彼女がマスターであることは揺らぐことはない。
この学校にいるマスターは結界を張ったヤツで、つまりそのマスターは目の前にいる遠坂 凛だ。
そう結論を導き出して凛に問い詰めるのだが…………

「─────って………おい、遠坂?」

目の前の少女から凍てつくような気配が周囲を覆い始めた。
たらり、と何か嫌な予感に囚われる士郎。

「───へえ、面白い冗談を言うのね、衛宮くん」

パキリと。その凍てついた空間に亀裂が入ったような音が聴こえた。
無論、比喩ではあるのだが今の彼女にはその幻聴すら聞こえさせるようなオーラを発していた。

「え………えーっと? と、遠坂、さん?」

今度は士郎が困惑する番だった。
怒りに打ち震えるような様を見せる彼女が、左手の袖を捲り上げて中空にかざした。

「………?」

白く細い腕。
女の子らしいその腕に、ぼう、と。
燐光を帯びた、入れ墨のようなモノが浮かび上がった。

「───な」

令呪ではない。
士郎は持っていないが、魔術師の証と言われる魔術刻印とかいうものではないだろうか。

「説明する必要はないわよね?────あと、死んだら聞けないでしょうから、先に言っておくわ」

「なにを…………っ!?」

士郎が問いただす瞬間に、蟀谷部分に何かが掠った。
ぱん、という乾いた音が二人しかいない場所に反響し、視線を後ろに下げてみると弾痕のようなモノがあった。
否、弾痕と呼ぶにはそれは大きすぎた。
拳大の焼き跡が廊下の床に亀裂を奔らせながら、ゆらゆらと煙を上げている。

「は………?」

「いくら素人っていっても、ガンド撃ちこれくらいは知ってるでしょ?」

ガンド。
北欧に伝わる呪いが起源。
対象を人差し指で指差し、呪うことで体調を崩させる、というもの。
そのフォームゆえに「ガンド撃ち」とも呼ばれる。「人を指差す行為は失礼にあたる」というのはこれが由来なのだとかいう話もある。
以上のように本来は呪詛の類なのだが、強力なものになるとその魔力は魔弾と化し、物理的破壊力を伴うようになる。この強力なガンドは特に「フィンの一撃」と呼ばれる。

(いや、ちょっと待て。それでも威力おかしくないか………?)

自分の中にある僅かな知識を引き出して、今後ろにある弾痕と比較する。

「私じゃない」

凛は指先を士郎に突きつけたまま、そんな言葉を口にした。

「………なんだって?」

「結界を張ったのは私じゃないって言ったのよ。どこのどいつだかは知らないけど、この学校にはもう一人、魔術師がいる」

てっきり凛が学校に結界を張ったのだと思い込んでいた士郎だったが、確かに三人目がいれば彼女だと断じる根拠はなくなるかもしれない。
しかし。

「証拠でも………あるのか?」

嘘をついてる可能性もゼロではない。
聖杯戦争という殺し合いに参加している以上、腹の探り合い、言葉の駆け引きはあって然るべきである。
ましてや無関係の人間を大量に巻き込む結界を苦もなく張るような輩は、そんな嘘で心を痛める筈がない。
だから凛の言葉をそのまま鵜呑みにする事はさすがの士郎にも出来なかった。

「私じゃないって証拠はないわ。けどね、私は魔術師として外れた者を、目の前で堂々とこんな真似をする奴を許すつもりなんて毛頭ない。───遠坂の名に懸けて、この意志に嘘は絶対ないわよ」

この言葉だって嘘かもしれない。
けれど、彼女の真っ直ぐな目を見て、彼女の言葉が本心であり嘘偽りなんて欠片もないとわかった。
少なくとも、人を躊躇なく巻き込める奴ができる目ではない。

「…………。いや、悪い」

両手を上げ、他意はない事の証とする。

「そうだな、疑って悪かった。ごめん、遠坂」

「────へ?」

彼女の間の抜けた声が聞こえてきた。

「だから悪かったって。遠坂はこの結界を張ったヤツじゃないんだろ? じゃあ俺はそれを信じることにする」

士郎はむしろそうであって欲しいと願っていた。
そこに見えた彼女の意志。ならば彼女を信じようと決めた。
それなら凛と敵対する理由もないし、あわよくば協力してこの結界の主を探し出すことも出来るだろう。

「………何? 私の言うことを信じるの?」

「? おかしな奴だな。信じてもらいたいから言ったんだろ? 嘘じゃないってわかったんだ。だから俺は信じるって言ったんだ」

躊躇いなくそう言う士郎を見て凛ははぁ、と小さくため息をついた。

「ねぇ、アーチャー? こいつ、バカなんじゃないの?」

「今頃気づいたか。私はこいつを一目見た時からわかっていたぞ」

すぅっと音もなくアーチャーが凛の傍に実体化する。

「アーチャー………!遠坂、アーチャーのマスターだったのか」

「ええ、そうよ。驚いた?」

それは驚くだろう。
大橋でセイバーに攻撃を仕掛けたのはアーチャーと聞いていたのだから。

「………まあ驚いたけど。今はそんな話じゃなくて、結界の話だろ。遠坂じゃないとするなら誰か心当たりがあるのか?」

話がずれかけたので軌道修正する。
しかしそんな修正もアーチャーの前では無意味だった。

「ふん、根拠もなく敵の言葉を信じるなど、莫迦以外がする所業ではあるまい。一目見て判っていたが、これで裏付けされたようなものだな」

鼻で笑って見下すアーチャー。
その姿がなぜか無性に腹が立つ。

「お前………ばかばかって………!」

士郎はアーチャーを一目見た時から合わないと感じていたが、ここにきてそれが明確になった。
ここで文句の一つも言っていいかもしれない。
が、ここは我慢して無視。所謂精神攻撃(無視)。

「………で、遠坂。返事は?」

「さっきも言ったと思うけど。もう一人魔術師がいる。この魔術師が誰かわかっているならこんな言い回しはしないわよ」

「─────む。そうか。それもそうだよな………」

そう呟いて考え込む。
結局結界を張った主はわからずじまいだ。

「………………」
「………………」

「な………なんだよ?」

二人からの視線が妙に痛い。
今日は何か無言のプレッシャーを浴びてばっかりだな なんて感傷に浸る。

「アーチャー、帰っていいわ。私一人で十分よ」

「何?」

「私が引導を渡すって言ったのよ」

「なら君がやる必要などないだろう。私が速やかに殺して見せるが?」

アーチャーがそう言った直後、彼の手には二対の剣が握られていた。
白と黒の夫婦剣。
自然とその剣に目が惹かれる。不意にも美しいとすら思ってしまった。

「必要ないわよ。それともアーチャーは私があいつに負けると思ってるの?」

「まさか。奴に敗れるような君ではあるまい」

「なら黙って帰る。“私が”決着をつける」

やれやれ、という面持ちを見せてアーチャーは再び空に消えた。

「………なあ遠坂、その消えるのってどうやるんだ?」

「は?」

何気ない質問だったのだが、どうやら凛にとっては意外な質問だったらしい。

「え………っと、俺、変な質問したか?」

「………ええ。かなりすごい質問したわよ、衛宮くん」

そう言って降ろしていた指を再び向ける。

「じゃあ、ど素人の衛宮くん。これから行われることはわかっているわよね?」

出会った時と同じように、上と下という位置関係は変わらず互いを見据えている。
ただ違う点があるとすれば彼女の指先が士郎に向けられている事と、その彼女が結界の主じゃないと判った事だけ。
後者は士郎にとって朗報である。
また新たに魔術師を探さなければならないから一概に喜ぶワケにはいかないが、安堵していた。

ただ前者の、敵意満々で睨まれているこの状況をどうするべきなのだろうか。

「その指、下してくれないか?」

「却下。あんた、今さっきの会話聞いてたでしょ。それすら覚えてないとか言わせないわよ」

「…………そこまで呆けてないけどさ。戦う理由がないだろ?」

「何いってるのよ、やっぱりあんたバカでしょ」

「バカって………いや、まあいいや。遠坂は結界を張ったヤツじゃないんだろ。むしろ止めたいとさえ思ってる。ならさ、遠坂と敵対するだけの理由がないし、それがないってことは戦う理由がないってことだろ」

士郎がそもそもこの聖杯戦争に参加した理由が『狙われている氷室を守る』ためである。
少し拡大解釈して『無関係な一般人を守る』ということでもある。
つまりは巻き込むような奴を止めるのが士郎の目的であり、目的を同じとしている凛と敵対する理由が彼にはなかった。

「言わなきゃわからないの? マスター同士が出会った場合、やることは一つ。殺し、殺されるのを了承してこの舞台に立っているのだから───」

「ま、待て!俺は遠坂とは戦うつもりは────っ!?」

「貴方にはなくても!!」

ドンッ! とガンドが発射された。
うわっ! と咄嗟に跳び退いて何とか回避する。

「私にはあるのよ! 覚悟なさい、衛宮くん!!」

ドンドンッ! と次は二連射。

(まずいっ!)

そう思って階段の前から跳び退く。

「安心しなさい。殺すつもりはない!」

ドドドドドッ! ともはや何発連続発射しているのかわからないくらいの発射音を響かせてガンドを放ってきた。

「うおおおおおおっ!?」

ガンド撃ちがどんなものか、というのは知識にあったがしかし。

「ガトリング並とか聞いてませんけど────!!?」

とにかく距離を取って隠れようと廊下を走る。
壁や床に生々しく弾痕が植えつけられて、煙をあげる。

「殺すつもりはない!? 当たったら死ぬぞ!」

「大丈夫よ! 当たり所がよかったらね!」

凛が廊下に出てくると同時に飛来してくるガンドの量が途端に増えた。
まずい、と内心焦る。
廊下は直線。隠れる場所がないし、体勢も立て直す必要がある。
今は身体を強化していない。走りながら走っている身体を強化するのは中々に困難。
一度停止して強化をすれば身体能力は向上するが、止まることは死を意味する。

「とにかく!!」

近くに扉の開いていた教室があったのでそこに逃げ込む。
頭部を掠ったが直撃しなかったので本当によかった。

同調、開始トレース・オン!」

自己暗示の言葉を発して自分の身体能力を強化する。
少なくともこれ以上のガンド撃ちをされると通常の身体能力ではまず回避できないし逃げ切れない。

「って………もう来たのかよ………!」

走ってくる足音。辛うじて身体能力の強化には成功していたが、どうすればいいか、という思慮時間までは与えてくれなかった。
教室の後ろの出口付近にいた士郎は前の出口に向かって走り出す。
それと同時に壁を貫通して後ろの出口付近から放射状にガンドが放たれた。

「見境なしかあああああああああっ!」

強化された身体能力で一気に教室の前まで走り抜けて反転する。
後ろの出入り口から凛が入ってくる。
二人は前後の出入り口の扉に手をかけた状態。
距離は約4メートル。強化された士郎の身体能力ならばこの距離からのガンドはぎりぎりよけられるだろうが、ガトリング弾のようなガンドを全てよけきれるとは思わなかった。

「逃げるっ!!」

廊下に跳び出て別の階段の方へ全力疾走。

「待てって言ってんでしょ───!!」

廊下に跳び出た凛が同時にガトリング並の連射力でガンドを撃ってきた。
というかもはや発射音がリアルな銃声にしか聞こえない。

「冗談!あんなの相手にできるか! 戦力が違うぞ、戦力がっ………!」

相手はガトリング並みの連射力を持ったガンドに対して、こちらは使えても強化魔術。
他にも気配遮断や認識阻害など一見有用そうな魔術を使えるが、残念ながらこんな切羽詰まった状況で即座に使用はできない。
そもそもそれらの魔術は士郎にはあまりあわない。使えるだけであって、使おうとすると強化に使用する魔力と時間よりも大幅にかかってしまう。

「そこ、動くな────!!」

「っ─────!?」

もはや直感だけを頼りに狭い廊下を咄嗟に横に回避する。
同時に。
ばきゅん!! とこれまでの連射型の音とは違う不気味な銃声が鳴り響いた。

「なるほどなるほど、ガトリングとは別に一発の威力重視も撃てるってわけか~」

あははははーと直撃した壁を見る。
明らかにさっきみた弾痕よりも大きい弾痕があった。

「ふざけるなああああああっ!?」

体勢を立て直して階段を跳び下りる。
身体能力を上げたからこそできる『秘儀 階段全跳ばし』。
一気に中間の踊場までジャンプで跳び下りる。

「~~~~!!」

足元から痺れやってきたが

「逃がすか──!!」

背後に現れた凛も同様にジャンプで下りてきた。
が、彼女は士郎と違ってスカート。
加えて全跳ばしなんてやるもんだからスカートがめくりあがりそうになる。

「うぇ!?」
「っ!」

両手でスカートがめくりあがるのを防ぐがその所為で着地に失敗し、彼女もまた両足から痺れがやってきた。

「こんの………!」

ギロッ! と士郎を睨めつけるが当の本人は別のことに気を取られていた。

「い、いや遠坂? 気をつけろよ? スカートの中、………見えるぞ?」

カチリ。
士郎君はたった今彼女の地雷を踏みました。

「こ………殺すっ…………!!」

ばきゅん!!

「だああ!!」

再び跳び下りて距離をとる。
威力性のガンドを紙一重で回避してすぐ傍の教室へ駈け込む。
再び袋小路。残された思慮時間は僅かしかない。
その中で必死に考える。

「そうだ………武器。武器があれば」

そう言って周囲を見渡す。身を守るための武器。
それさえあれば何とか切り抜けられる。
と、ここで自分の握っているものに目がいった。

「…………また鞄か」

そして即席の武器。
もう何度目の即席なんだろうか なんてため息をつきながら

同調、開始トレース・オン

本日二回目の呪文を唱えた。


─────第二節 人間同士の戦い─────

「あはははは!何それ!? 勇者ごっこのつもり!?」

教室に入るや否や士郎の持っていたものを見て笑い出す凛。
一方の士郎も自分のやってることに半ば涙を流しながら、しかしこれしか手段がないということで現在の状態になっている。
左手に盾。右手に剣。
否、補正しよう。
左手に鞄。右手に箒。

「ぷっく………くくく。笑い攻めって初めてよ。でもまさか、それで逃してもらえるなんて思ってないわよね?」

左手が士郎に向く。

「笑わせる事で逃がしてもらえるなら何度でも笑わせてやりたいんだけど?」

じりじりと出口へと近づく。
が、牽制のガンドを足元に食らい、動きを止められる。

「ま、当然無理ね。さあ、もう後がないわよ。そんなもので本当に身を守れると思ってるわけ? 諦めて投降なさい」

「断る。止まる気はないし、負けてやるつもりもない。それにこれで戦えないかどうかなんて、やってみなくちゃ判らないだろ?」

お互い魔術師なんだからさ、と付け加える。
凛は士郎が強化の魔術を使用していることに気が付いている。
彼から発せられた魔術反応。階段からの跳び下り。

そして彼の今の行動。ならばあの鞄と箒にもそれぞれ強化がなされているのだろう。
となると、あの手に持っているのは間違いなく盾と剣。
ならば近づかなければいいだけの話。
強化されたとは言っても所詮は鞄。いずれ突破できるだろう。

「ふうん、面白い冗談ね? お笑い芸人になれるんじゃない、衛宮くん?」

ただし

「生きて帰れたらの話だけどね─────!」

ドドドドドッ!! と銃声が発せられる。
それを盾である鞄で防ぐ。彼女が取った行動は完全な数攻め。とにかくうちまくって彼の鞄を壊し、足を止める。
剣である箒ではこの数を迎撃しきれないだろう。ならばあとは壊れるまで破壊するだけ。

「ぐっ………うううう!」

対する士郎は劣勢である。
彼女の連射するガンドは命中精度がいい。
つまり、彼女が意図して指を動かさない限りほぼ着弾地点は同じである。故に幸運にも鞄で防御できた。
これが命中精度が悪く、ブレるようなガンドだと鞄一つで防御はできなかっただろう。
箒については彼女を攻撃するつもりは毛頭ないが、威嚇程度になればと思い武器を用意した。
しかしこの距離だと威嚇も何もない。
接近戦ならば剣に分があるだろうが、距離が離れていれば銃が強いのは当たり前だ。

だが────

「何も………鞄だけ強化したとは言ってない!」

放たれる攻撃の最中に剣として持っていた箒を投げつける。

「武器を捨てるなんて自棄かしら!?」

それを難なく威力性のガンドで打ち抜く凛。打ち抜かれた箒は真っ二つに折れてしまった。

「ふん、強化の魔術っていっても衛宮くんじゃその程度かしら?」

「はっ!!」

一瞬だけ止んだ隙に近くにあった机を身体能力で底上げした脚で蹴り上げる。

「っ!」

咄嗟にその机に向かって再び連射性のガンドを放つ凛。
しかし貫通しない。

「この………!なんで!」

咄嗟に回避して再び士郎に視線を戻す凛。
この行動はランサー戦と同じ。投げつけて視線をそちらに集中させて、自分は退避する。
すでに凛の目の前から士郎は去っていた。

実は箒には強化魔術を一切施していなかった。なので当然ガンドを受けて真っ二つに折れる。
しかし凛は箒に魔術を行使していると思い込んでいた。
その状態で箒が折られたのだから当然『威力重視のガンドなら容易く突破できる』と思い込む。

そこに放たれる机。
強化していないと思い込んだ凛は威力性のガンドではなく連射性のガンドでその机を迎撃しようとする。
が、この机には強化魔術が施されていた。威力性ならば貫通したかもしれないが連射性のガンドだと盾である鞄と同様に貫通することはできなかった。
故に迎撃できずに蹴られた勢いそのままで突っ込んできた机を回避せざるを得なかった。
で、その隙をついて士郎は脱出。

「やってくれるじゃない…………!」

目の前で起きたことを即座に理解して廊下へ逃げた士郎を追う。



「ここまで巧く行くとは思ってなかったけど、なんとかなるもんだ」

階段を駆け下りながら、憤怒の形相をしているであろう優等生の顔を思い浮かべる。

(………あれ、まるっきり別人だよな)

昨日まで、というよりついさっきまで士郎の中にあった遠坂 凛像がガラガラと音を立てて崩れていく。
そして今の彼女が素で、あの優等生然とした方が猫被りなのだと、なんとなく解ってしまった。
二段飛ばしで階下へと足を急がせ、とうとう一階へと辿り着いた。

人気は少ない。が、二階や三階のように無人というわけではない。近くに人影はないが、遠く、廊下の向こう側の方に薄く人の姿が見える。
このまま人気の多いところまで逃げ切ってしまえば、流石の遠坂も追っては来ないだろうと思った───その矢先。

「逃がすかあ!」

ドクンッ と背中に何か熱いものが直撃した。

「っ────!?」

ガンドである。
体を貫通しないところを見ると、比較的魔力は込められていないようだが、途端に体が重くなった。
ガンドは呪い。体調を崩す病気のようなもの。食らった時点でそれは効きはじめる。
強化を施していなければ一瞬で意識がブラックアウトしていたかもしれない。
そして次にくる攻撃には反応する暇さえなかった。
眼前に舞い降りた凛は口元に笑みを貼り付けたまま、士郎に向けてガンドではなく胸に寸頸を打ち込んだ。

「がはっ!?」

予期していなかった攻撃に思考は停止し、たたらを踏む。
今現在士郎は身体能力を強化している。その強化したうえで怯んでしまった。
凛もまた強化を使い、彼に攻撃を加えていたのだ。
故に互いの攻撃力と防御力が上がった今、互いの強化魔術は意味を成さず、結果として生身で互いに打ち合っているのと同義となっている。

「ぐっ………この!」

何とか離れようと手に持っていた鞄を振り回す。
だが、それを凛は難なく回避して、よろめいた士郎の意識を刈り取ろうと追撃をしかけた。

ドコッ! と完璧に腹に入る。

「は………ぐ………」

呼吸が一旦止まった。
しかし意識だけはまだ何とか保っている。
とにかく反撃しなければ と思って闇雲に正面にいる凛を殴ろうとする。
突き出された拳。
しかし パァン! という音を立てて防がれた。対打を以って相殺されてしまったのだ。
驚愕を隠せない士郎を余所に突き出された腕を使って凛は一気に大纏に持っていく。

「な、え、………っ!」

体勢を崩されて地面に叩きつけられた。
倒れた士郎の上に座り込むように乗り、動きを封じる凛。
そして眼前に指を突き立てて一言。

「………チェックメイト」

皮肉にもその言葉は先日ランサーの一件で使われた言葉。あの時は見事逃げきることができたが今回は完全に捕まった。
捕まったうえで、彼女の指が黒く光る。

「大丈夫、殺しはしない。けど………しばらくは眠っててもら………!?」

言いかけた直後、凛はその場から跳び退いた。
直後に近くに何かが落ちる音がする。
見事なまでの攻撃二発と、背中からの叩きつけで意識は朦朧とする。
一体何が起きて彼女が跳び退いたかわからなかった。

何かが近づいてくる。その方角を見て、その姿を見て─────

「………氷室?」

そんな一言を呟いた。



一体何の悪い冗談だろうか。

午後6時前。私は先にバス停前にいたセイバーさんと美綴嬢と三人でまだ来ていない衛宮を待っていた。
しかし6時になってもまだこないため、様子を見に帰ってきた。
セイバーさんもついていくというようなことを言っていたが、平日の学校でそれをされては敵わない。
美綴嬢と二人で探してくると伝えて彼女には待ってもらった。
二人で手分けして彼を探していたところに聞こえてきた音。
一体何の音かわからないまま様子を伺ってみると、そこから出てきたのは衛宮と、同じクラスメイトの遠坂嬢だった。
跳び出て逃げ出してきた衛宮とそれを追いかけるように出てきた遠坂嬢。

「何だ………?」

二人が出てきた教室内を見て唖然とする。
まるで戦闘の痕。壁には弾痕のような痕があった。
そして理解する。これは魔術師同士の戦いだと。
ならば遠坂嬢もまた魔術師で衛宮と戦っているということは容易に想像できた。

「どうすれば………」

いいのかわからないまま、とにかく階段を下りて行った二人を追う。
とにかく衛宮を助けよう、 そう考えて階段を下りた先に見た光景はその衛宮が遠坂嬢の中国拳法にされるがままの光景。

「チェックメイト」

その言葉を発したと同時に彼女の指が黒く光る。
その言葉には聞き覚えがあった。そう、その言葉はあの時の夜と同じ─────

気が付いたときには手に持った鞄を遠坂嬢目掛けて投げつけていた。
普通なら気づかないような、例え気づいても避けれないような距離を彼女はいともたやすくよけてしまった。
遠坂嬢が離れた所で駆けつける。
彼の意識は朦朧としており近づく私を見て

「氷室…………?」

と小さく呟いただけだった。



「衛宮!大丈夫か!?」

想像以上の反応をされた鐘は彼を抱える。
ガンドを直に一撃食らって、しかもその後に中国拳法、八極拳をもらってしまった。
どれだけ強化を施してもガンドの呪いを無効化させるようのことはできないし、同じ強化を以ってして攻撃してきた凛の攻撃は軽減できなかった。

「氷室さん─────か。そう、見ちゃったわね」

少し離れた所から凛が駆け付けた鐘を見てそう漏らした。

「─────遠坂嬢、まさか君が魔術師だったとは………」

驚いた顔で魔術師、遠坂 凛を見る鐘。
対する凛は特に驚いた様子もなく

「そ、私は魔術師。そういうあなたも衛宮くんの協力者ってことね」

そして指を向ける。
その指は黒く光っている。

「大丈夫よ、氷室さん。殺しはしない。貴女の方は記憶を、衛宮くんの方は令呪と記憶を消して終わらせるから」

「な………え、令呪?」

令呪。その言葉を聞いて思い出すのはセイバーとの家での会話。たしか令呪とはサーヴァントを繋ぎとめる絶対命令権だった筈。
そして彼女は物騒なことを平然とした面持ちで言っていた。記憶を消す?

「そ、令呪。それを剥がしてマスターの権利を剥奪する。神経も一緒に剥がさないといけないから想像を絶する痛みにのたうち回る事にはなるでしょうけど、腕の一本くらい、死ぬよりはマシでしょう?」

そしてその言葉はさらに想像の上を行った。
目の前にいるのは知っている顔をした知らない人物。
そう結論が出るが遅い。
冷たい目が鐘と士郎を見抜く。

「じゃ、おやすみなさい、衛宮くん、氷室さん」

ドン! とガンドが発射される。
訳がわからないまま、しかし飛来するガンドを脅威と感じて咄嗟に士郎を抱え込むように下を向いて瞼を閉じた。
だが、そのガンドは誰に命中するわけでもなく、士郎の持っていた鞄によって防がれた。

「…………まだ抵抗する気なのね」

「あたり前………だ………!」

抱えられていた士郎が目を覚ましてガンドを防いでいた。
鐘と一緒に立ち上がるが、先ほどまでの覇気はない。ガンドの呪いが効いてきているのだ。

「抵抗するな、とは言わないけど。しないほうが身の為よ。じゃないと………本当に苦しくなる」

息が上がっている士郎を見て少し俯きながら、しかしはっきりと宣告する。

「けど………!俺はこれを放棄するつもりは………ない!」

対する士郎は前を向いて、朦朧とする意識の中でもはっきりと答えた。

「そう………。なら、徹底的に─────」

『きゃあああああああああ!』

「「「!?」」」

悲鳴を聞いて三人が悲鳴の聞こえた方向─────非常口へと視線をやる。
その傍に未だ残っていた女生徒が床に倒れる様を目が捉えた。

「─────!」

ふらつく体に鞭を打って走り出す士郎。

「え、ちょ─────衛宮くん!?」

「衛宮!?」

「話はあとだ………!あの生徒を助ける!」

それだけを言って走り出す。
凛が見たかどうかは判らないが、士郎は見た。鐘ももしかすると見えたかもしれない。
あの女生徒が倒れるほんの少し前。黒い影を────




※おまけ1

1番選択

「…………」

陸上部が活動しているグラウンドへやってきた。
相変わらず短距離走のエースさんが一年生を追いかけている。

「─────いや、だからあれ止めなくていいのか?」

昨日も思った事だが、今一度呟いてみる。
だが、士郎の近くには誰もいない。彼の呟きに答える者は誰もいない。
視線は走り高跳びの方へ向く。走り高跳びをしている鐘の姿を見つけた。

「しかし氷室は─────」

本当に楽しそうに跳ぶよなぁ なんて感想を漏らした。

「衛宮くん、鐘ちゃんを眺めてどうしたの?」
「っ!?」

心臓が一瞬止まりかけた。
慌てて後ろを振り向いてみると、陸上部マネージャー、三枝由紀香が立っていた。

「あ、あ、ごめんね? 驚かせるつもりはなかったんだよ?」

あったかオーラ全開で謝ってくる由紀香。

「あ─────いや。大丈夫」

ちょっと心臓がバクバクなっているのを感じながら

「ところで三枝は何してるんだ? こんなところで」

と、問いかけた。
陸上部のマネージャーなのだから何か用意をしていたのだろうか、と思いながらその両手を見るが特に荷物らしい荷物は持っていない。

「え………とね、遠坂さんを探してたんだ」

「遠坂? 何か用事があったのか?」

「うん、遠坂さんの近くに“白い髪の赤い服の男の人”がいたから誰かなって聞きたかったの」

「…………?」

由紀香の言葉を聞いて文字通りはてなマークしか浮かんでこない士郎。
はて、学園のアイドル『遠坂 凛』の近くにそんな男はいただろうか?
っていうかいたらこの学校の『遠坂 凛ファンクラブ』なるものが黙っていないと思うのだが。

「え………っとそれ、どこら辺で見たんだ?」

どこか………そう、新都の街中でショッピングでもしていた、なんてことになれば大ニュースだろう。
しかし、そんな大ニュースならこの学校でもっぱら噂になっていそうだが………。

「学校だよー」

「─────は?」

目が点になる。
学校にそれらしい人物なんて見かけなかった。というか、そんな奴がいたら間違いなく教員たちがその男を捕まえているだろう。

「むぅ?????」

頭を悩ませるしかない。
目の前にいる少女は少なくとも嘘をつくような人ではない。となると─────

「三枝、それ、見間違いじゃないのか? 俺はそんな奴見かけなかったぞ、今まで」

「あー、衛宮くんも信じてくれないんだー。けど、ちゃんといたよー」

ちょっとすねたように顔を膨らませる由紀香。
いや、信じるもなにも見たことないからどうしようもないんだけど……… なんて考えていると───

「どうしたー、由紀っち?」
「どうしたのだ、由紀香?」

楓と鐘が傍に来ていた。
二人が話していたのが見えたのだろう。なかなかないツーショットだったので気になってきたのだ。

「あ。あのね、衛宮くんも信じてくれないんだよ? 遠坂さんのすぐ傍に“白い髪をした赤い男の人がいる”って」

「あー、またその昼の話か由紀っち。誰も見てないって、そんな奴」

「えー? でも確かにいたもんー」

どうやらこの話はこの二人にもしたらしい。
うーん、と考え込む士郎。
今までの学校生活の凛の周辺を思い出してみるが、そんな男がいた記憶など微塵もない。

「衛宮」

考え込んでいるところに鐘が話しかけてきた。

「ん?」

「少しいいか?」

手招きをしてくる鐘。
何事かと思って少しだけ楓と由紀香から離れる。

「由紀香の言っているのはサーヴァントのことではないだろうか?」

「へ?」

予想外の発言。

「いや、サーヴァントは英“霊”なのだろう? なら姿を消すことも可能ではないだろうか?」

「う、そう言われるとそうかもしれないけど………」

しかしそれだと矛盾が起きる。

「じゃあなんで三枝は見えてるんだ? 見えないなら三枝にも見えないだろ?」

「む─────確かにそうなのだが………」

うーん、と二人してまた考え込む。
その光景を見ていた二人は

「「何の話をしてるの(してるんだ)?」」

質問をしてきた。
ひそひそ話をしているのだから当然気になるだろう。

「ん? あ、いやその“白い髪の赤い男”のことで誰かなーって話」

「そうだな。しかし誰か見当もつかないな」

二人して考え込むが、その姿をみた由紀香は

「鐘ちゃんと衛宮くんって仲がいいんだねー。付き合ってるの?」

「!?」

「へっ………?」

何気ない一言が場の雰囲気を一変させた。

「なんだとおおおお!?」

「おぶっ!?」

それを聞いた楓は素早く駆け寄ってきて士郎の襟を掴み、勢いよく腕を動かしてきた。

「衛宮!いつから付き合ってた!いつからだ!答えろおおおお!!」

「ちょ………!ま………首!首締まっ……… 、く、くるじ………!」

「ま、待て、蒔の字! 君は由紀香の言葉を鵜呑みにしすぎだ!」

顔を少し赤くして止める鐘。
今朝の母親との一件がよみがえってきてしまった。
そしてトドメをさすのは天然の由紀香。

「だって、さっきも顔近づけて内緒話してたし、前は鐘ちゃんの手伝いしてたんでしょ? だからそうかなーって─────」

「えーーーーみーーーやーーーー!」

「く………!苦しい…………って!」

無理矢理楓の手から逃れて距離をとる士郎。
しかし目の前には楓の姿が。

「逃がすかああっ!」

「なんでそうなるんだああああああ!!?」

追いかけてくる楓から逃げる為に全力疾走。

「ふはははは!この『穂群の黒豹』から逃げられると思うなよー!」

「こんなことで短距離走の能力を使うな!あと、それを呼んでるのは蒔寺だけだけどなっ!!」

以下、逃げ回って振り切ったところで遠坂さんと合流しましたとさ。
めでたし。めでたし。


※おまけ2

2番選択

「………さて、弓道場に来たのはいいけど」

周囲を見渡す。そこに感じられるのは甘い違和感。
この学校に入ったときに感じた違和感。それと同じである。
否、それよりも強く感じる。

「………気持ち悪いな」

あまりこの辺りに長居はしたくなかった。
しかし弓道部の様子を見にきたのだから何も見ずに帰るのは本来の目的と反する。

「あれ? 先輩!」

弓道場の戸が開き、出てきたのは慎二の妹、桜だった。

「部室に何か用ですか? 先輩」

「よ、桜。まあ用ってほどではないけどさ、久しぶりに顔見せようかなって思ったんだ。美綴にも調子を見てほしいって言われてたから」

「ほ、本当ですか!?」

士郎の言葉を聞いてなぜか瞳を輝かせる。
ちょっとその勢いにのまれながら

「あ、ああ。まあ嘘をつく理由もないし………。一応確認とってくれるか?」

「はいっ! じゃあ主将に聞いてきますね!」

再び弓道場の中へ戻って行く桜。

「………桜、何か用事があったから外に出てきたんじゃないのか?」

そう呟いて待つ事30秒後。

「おー、衛宮。まさか来てくれるとは思わなかったな」

先ほど別れたばかりの弓道部主将、美綴 綾子が出てきた。
服装は制服ではなく弓道に用いられる服装である。

「なんだ、美綴が『弓の調子を見に来てくれ』って言ったからきたのにさ?」

「はは、悪い悪い。それじゃ、まあ上がってよ」

靴を脱いで弓道場へ入る。
そこには見知った顔もあったし、顧問の大河の姿もあった。

「あれぇ? 士郎じゃない、どったの?」

「調子を見に来たんだけど? そういう藤ねぇはちゃんと仕事してるのかよ」

「むっ、失礼ねー。私だってちゃんと顧問してるわよ」

そうですか、といって別れる。
次に声をかけたのは桜。

「よ、桜。弓の調子はどうだ?」

「は、はい。え、っとそこそこです」

「なんだそりゃ。まあ今日は美綴の様子見に来たんだけど桜の調子も見るよ。俺でよければ、だけどな」

「そ、そんな!むしろ先輩に見てほしいです!」

「お、おう………。そんな大きな声出さなくても聞こえてるからボリューム下げていいぞ? けど先客は美綴だからその後でいいよな?」

「はいっ。じゃあ向こうで練習しながら待ってますね」

とたとたと小走りに向こうに去って行く桜。
周囲を見渡していない人物に気付く。

「そういえば美綴。慎二はどうしたんだ?」

「用事があってこれない、だとさ」

やれやれ、といった面持ちで士郎の問いに答える綾子。

「何だ、相変わらずか。最近はいっつもなのか?」

「ん、そうだね。相変わらずめちゃくちゃさ。おかげでこっちは苦労してるよ。衛宮が代わりに部長になってくれるならあたしは大助かりなんだけど?」

「よせよ………ガラじゃないって」

和やかな会話ムード。
二人に視線を向けている約一名はあまり穏やかではなかったが。

「はいはい………。それじゃ、あたしの射、見てってくれるんだろ?」

「そのためにここに来たんだけどな? まあ俺も辞めて長いから今じゃ美綴の方が巧いだろ?」

「ふぅ………皮肉? 残念ながらまだ衛宮に到達したとは思ってないけどね、あたしは」

カチャカチャ、と準備を始める綾子。
その姿を眺めながら

「む。俺を高く評価してくれるのはうれしいけどさ、美綴も巧いんだからもっと自分に自信持てばいいぞ? 俺が見ても美綴は巧いって思ってるんだからさ。きれいなんだし」

「………ちょっと聞き違えると、ものすごい恥ずかしいセリフだよな、それ………」

ちなみにきれいというのはフォームが、という意味合いで言ったつもりである。
矢を用意し、弓を構える。左手人差し指に矢をそえて、的を見る。
イメージするのは常に的に当たる光景。
集中して自分の世界に入る。周囲の喧騒は聞こえなくなり、見えるのは的とその数秒後の光景のみ。
キリキリ………と音を立てて引いた矢が綾子の指から離れた直後、的に吸い込まれるように的中した。

「─────」

ゆっくりと構えを解く。
集中していた世界がゆっくりと広がっていき、周囲の喧騒が入ってきた。

「…………」

その姿を見た士郎は何も言葉がでなかった。
フォームがきれい、と言ったが想像していたものよりも遥か上をいっていた。

「どうだった、衛宮?」

凛、とした表情から一転、普段通りの表情をして話しかけてくる綾子。
彼女は精神を統一し、自己の世界に入り込んでいた。射法八節に則った美しい姿勢。
足踏み・胴造り・弓構え・打起しと流れるように体勢を作る。
引分けで弓を押し弦を引く。
会で引分けは完成し、離れで弓が放たれる。
矢は的の中心に命中している。
否、矢が的に当たることは予め決まっていたのだ。矢を放つ前から。
そしてその後の残心。
それがすべてを物語っていた。
非の打ち所がない完璧すぎる射。
少なくとも士郎はそう感じていた。

「おーい、衛宮?」

「………ん、あ、ああ。ごめん、ちょっと見惚れてた………」

「え゛っ………」

一転して顔が少し赤くなる綾子。
そんなことは露知らず

「いや、完璧だった美綴。弓道部主将っていうのも美綴なら全然問題ない。まったく、何が“俺に及ばない”だ。俺なんて超えてるんじゃないのか? 本当に」

褒めまくる。

「今みたいな綺麗で完璧な射をできる奴は、俺は美綴以外に知らないな。思わずきれいすぎて言葉もでないくらい見惚れたよ」

ははは、と笑いながら賞賛する士郎。
勝手にライバルだと思い込んで日々精進していた綾子にとって、素直にここまで賞賛されると悪い気はしない。
加えて先日の一件で無意識ではあるが士郎を意識していたこともあって、ちょっと狼狽えてしまう。

「あ、ああ。ありがとう………。衛宮にそう言われるとうれしいもんだな………」

語尾がちょっと小さくなったが問題はない。
が、

「先 輩」

綾子にかけられる声。

「ふぇっ?」

突然話しかけられて、変な声を出してしまった。

「さ、桜か。どうしたんだ?」

「先輩の射は終わりましたから、次私の射を見てもらいたいんですけど、いいですか?」

にこり、と微笑む桜。
何故か少し黒いオーラが見える気もするが気のせい、気のせい。

「あ、ああ………わかった。そ、それじゃ美綴。また後で………」

「う、ああ。またな」

以下桜の弓を見ていたのだが、弓道部主将との一件を見ていた他の女子弓道部員から“なぜか”お誘いがあり、何やら不穏な空気が漂い始めたため目線だけで綾子に救援を求めた所それでさらに悪化。
うやむやにしたまま主将と顧問に任せて弓道場をあとにして、校舎へと戻る。
で、やっぱり遠坂さんと出会って、ガチバトル勃発。
めでたし、めでたし。


※おまけ3

3番選択

「少し早いけど、バス停に行って待つか………?」

階段を下りながらそんな思案を巡らせる。
が………

「………いや、早すぎるよな。セイバーだってまだ来ていないだろうし」

まだ1時間以上残っている。
今から行っても何もないだろうし、誰もいないだろう。

「………一応、電話してみるか」

一階に設置された公衆電話から家に電話をかける。
コールすること3回。

『はい、………もしもし』

「お? セイバーか。俺だ、俺」

『………申し訳ありませんが、オレオレ詐欺は受け付けておりません』

なんでそんな事知ってるんだよ、と心の中で突っ込みながら

「いや、悪い。士郎だ。衛宮士郎」

『ええ、わかってますよ、シロウ。用件は何でしょうか? もしやサーヴァントやマスターが?』

わかってるのかよ、と突っ込むがそれも言わないでおく。

「あ、いやそうじゃない。セイバーはまだ家にいるかな、って思っただけだ。もしかしたらもう家を出ちゃってるかもって思ったからさ」

『シロウの家からあのバス停までにかかる時間はそれほどではありません。私ならば5分もせずに到着できます』

「そ………そうなんだ」

改めてサーヴァントのすごさを実感する士郎。

「じゃあ、セイバーは今なにやってるんだ?」

『睡眠をとっていました。活動しない時は眠っていれば魔力は消費せずにすみますので』

「そっか。昼メシとかはどうだった? 口にあったか?」

『はい、シロウの作ってくれたご飯は非常に美味でした。あの和菓子というのも私好みでした』

「そりゃよかった。で、今まで眠っていたというわけだな、セイバー」

『ええ。あともう少し眠って時間が来ましたらそちらへ向かいます、シロウ』

「ああ、わかった。それじゃバス停前で」

ガチャッ と、受話器を戻す。
会話を思い出しながら階段を上って行く。
屋上についてグラウンドを眼下に夕焼けを見つめる。

「やることがないと『くっちゃね』になるんだな………セイバー」

仕方ないけどさ。

その後屋上から降りてきたところで遠坂さんと遭遇して鬼ごっこ開始。
めでたしめでたし。

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[29843] Fate/Unlimited World―Re 第17話 何の為に戦うのか
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 20:59
第17話 何の為に戦うのか


─────第一節 守るために─────

ガンドの呪いによって視界は霞み、思考能力も止まってくる。
今の士郎はインフルエンザにかかって高熱を出しているような状態だった。
そんな体では満足に走ることも難しいが、自身の身体に魔力を通して無理矢理視界をクリアにし、体を強引に動かす。
一見便利に見えるが、等価交換は世の条理である。
つまり、ここで無茶をする分は必ず後でそのツケを払うこととなる。

「………良かった、気を失っているだけか………」

女生徒の傍に駆け寄り、無事を確かめる。
見覚えのない顔からして恐らくは他学年。見た感じは一年生だろう。
意識はないようだが目だった出血はなく、危険な状態には見えなかった。

「………!ちょっと、退きなさい!中身空っぽじゃないの!」

士郎の後を追いかけてきた凛が横たわった女生徒を見て慌てた様子で座り込んだ。

「生命力………魔力がほとんど持っていかれてるわね。血ごとごっそり持っていくなんて」

「血ごと………? 吸血行為をしたっていうのか………?」

「そういうことになるわね。でもこの程度なら何とかなる………かも」

凛はそう言って懐から宝石を取り出した。
魔力を込めて治療をしようとした、その時。

「っ!? 遠坂嬢、危ない!」

鐘が叫んだ。
凛は倒れた女生徒を、士郎は凛を見ていた。鐘は一番遅れてやってきたために視野は二人よりも広い。
だからこそ見えた。士郎の横、凛の背後にある開け放たれた非常口。
外から投げられる“何か”を。

しかし、その姿を確認しても鐘では間に合わない。助けようにもまだ少し距離があり、彼女では凛を救えない。
一方の凛はその声を聞いて背後へ視線をやろうと振り返っていた。しかしその僅かな時間が命取りとなる。このままだと顔面に飛来してくる“何か”が彼女を突き刺すだろう。
となれば───

「っ────!」

ドシュッ! と音を立てて凛の顔を庇うために突き出した右腕に、杭のような短剣が突き刺さった。
位置的に凛に近く、視線を僅かに逸らすだけで非常口を確認できる位置にいた士郎しか彼女を助けることができなかった。

「な………何よそれ………!衛宮くん、腕、腕にグサッって………!」

「衛宮………!」

「あ────が………!」

激痛で目を反射的に閉じていた士郎は目をゆっくりと開けて右腕を見る。
刺さっていたのは、もはや短剣と呼べるほどの杭が、ものの見事に彼の右腕を貫通していた。

「はぁ────はぁ───」

魔力通さなくても意識はクリアになったな なんて強がるが体は傾いてしまう。

「衛宮!!」

駆けつけてきた鐘が倒れそうになった士郎を抱き留める。
体は熱く、熱の所為で意識はぼぅとばやけている。
その朦朧とした意識で激痛を発する右腕に刺さった杭を注視する。

(これ………は)

ドクン と士郎に緊張がはしる。
それと同時に杭が消え、大穴が露わになった。
あまりの痛みに右腕の感覚が麻痺してしまっている。

「消えた………? い、いや、とにかく今は傷の手当を…………!」

同様にそれを見ていた鐘も驚いた。
しかし、今はそれに驚いているわけにはいかない。
抱き留めた士郎の体は熱く、顔も赤いことから正常の状態ではないと判断した。
一方の当の本人はというと別のことを気にかけていた。

「氷室………美綴は学校にいるのか?」

一つの不安。先ほどの短剣には見覚えがあった。
だからこそ尋ねる。“あの敵”がいる以上、彼女を狙ってくる確率は捨てきれない。

「え………? あ、ああ。君を探すために…………って、衛宮!?」

「───遠坂、その子任せた」

ダンッ! と床を蹴り、外へと飛びだす。
すぐに周囲を探るが視界にはサーヴァントらしき敵は見当たらない。
しかし。

「あっちか………!」

目も瞑れば士郎でもわかる魔力。それは露骨に移動していた。
追うために士郎は駆ける。その体に鞭を打って。
速度は通常よりも早い。強化魔術で身体能力を底上げしているのだから当然だろう。

敵を追って移動中にとある長い棒を見つけた。

「走り高跳びのバー…………か」

すぐさまそれを手に取ってちょうどいい長さにへし折る。
このバーは先日鐘がテーピングで補強したものだった。
数日はもったが、昨日の長丁場の練習でついに寿命がきてしまったのでここに置かれていたのだ。

同調、開始トレース・オン

自己暗示の呪文をかける。通常ならば問題なく手にもったポールに強化がかかる。
しかし今は

「っ、ぐ、う…………!」

一流魔術師、凛のガンドの呪いがかかっている。
通常状態では考えられないほどの負荷。当然、こんな高負荷状態での強化などやったことはない。
いくら慣れた工程だとは言っても集中力を欠けば、その反動は自分に戻ってくる。

「─────基本骨子、解明」

精神を統一させるために口に出す。

「─────構成材質、解明」

慣れている工程を一つ一つ確実にクリアする。
助けるために強化魔術を使って自滅する、なんて話はお笑い話にもならない。

「─────構成材質、補強」

しかし時間をかけていられないのも事実。
一気にラストスパートをかける。

「─────全工程、完了トレース・オフ

強化は無事に終了した。
左手にはしっかりと即席ではあるが、昨夜に比べれば立派な武器が出来上がっていた。
鞄はその場に置いておく。
左手しか使えない以上、武器を持つのに鞄は邪魔だった。

「美綴っ…………!」

そう呟いて再び走る。
右腕はだらしなくぶらさがっている。
相変わらず痛みの所為で感覚が戻らないが今はどうでもいい。一刻一秒でも早く、このドス黒い魔力を放つ者に追いつかなければいけない。
この者が綾子を狙うという確証があるわけではないが、確率は高い。
昨夜、先ほどの武器を持ったサーヴァントは綾子を狙ったのだから。

「は────はぁ、はぁ、は───」

右腕をぶら下げながら走る。
ガンドの呪いは強化魔術によって誤魔化しているが、それでも少しずつ体は不自由になってきていた。
加えて肘から下は血で真っ赤になっている。

(腕に因縁が────あるのかな)

ランサーが家に強襲してきた時、そして今。どちらも修復困難なほどの穴が開いていた。
引きちぎれそうな腕の痛みに耐えながら抱えて走る。

「────弓道場…………!」

見えてきたのは弓道場。
焦りは余計に倍化する。弓道場は綾子の活動圏の中でもかなりいる確率が高い場所。
部活が終わった今、そこに彼女がいるとは限らなかったが、ひどく不愉快に感じる。
まるで彼女をまだ狙っているかのようにすら今は感じてしまうのだ。

弓道場の正面近くまで来て周囲を見渡す。

「っ───このあたりだな、間違いない………」

詳細な位置までは把握できないが、感覚がそう言っている。
目を瞑れば、黒い闇めいた魔力が移動しているのが感じとれる。

「弓道場の裏………雑木林か………!」



「あんの、ばか!ガンドの呪いもダメージも無理やり抑え込んで追いかけたっていうの!?」

非常口の向こうへ跳びだしていった士郎を見て、凛はいない人物を罵倒した。
今すぐにでも追っていきたいが、目の前にいる女生徒を放っておくわけにはいかない。

「氷室さんも慌てて追いかけに行っちゃったし………!」

宝石を取り出して目の前に倒れている女生徒の胸あたりに翳す。

「二人とも…………勝手にやられたりしたら許さないんだからね!」

鐘には警告を、士郎には助けてもらった。
借りを作られっぱなしのままどこかへいかれてしまっては彼女のプライドが許さなかった。


―Interlude In―
時間は少し戻る。



部活が終わってバス停にいたあたしは

「やれやれ………誘った奴が遅刻するなんてね」

再び学校内にいた。


あたしは時刻通りにバス停前に来た。
そこにいたのは昨日、衛宮と一緒にいたセイバーさん。

「や、え…………っと、セイバーさん。こんにちは」

「貴女は確か昨日の…………」

「その件についてはどうも」

昨日出会ったんだけどまともな会話をしていないため、とりあえず自己紹介しておいたらいいだろうか?

「え………っと、あたしは美綴。美綴 綾子っていいます。まあ衛宮と同級生です、よろしくお願いします」

「………アヤコ、ですね。よろしく。 ところでシロウは見かけませんでしたか?」

「いや、あたしは見てないです。ここで待ち合わせしてるから、待ってたらくるんじゃないでしょうか?」

「そうですか。………は、貴女もヒムロと一緒に?」

む、なかなか鋭いお人。

「そういうことなりますね。まああとは当の二人を待つだけです」

そう話しながら彼女の顔を見る。
きれいな人だなーって思う。これでセイバーさんが女の子だと知らなかったらまさしく『美男子』として認識してたかも。
っていうか、この人相手に敬語を使うべきなのかわからない。
年齢的にはあたしの方が上のように見えるんだけど、なんかこう……敬語使っておかないといけないような、そんなオーラ的なものを感じるだよね。

「む………美綴嬢。先にいたのか」

「お、氷室。………ってことは残るは衛宮だけだな」

後ろから声をかけられて振り返ってみると氷室がいた。

「こんにちは、セイバーさん」

「こんにちは。今日も何事もなくて何よりです」

なにやら変な会話をしているけど、特に興味はないし衛宮がくるまで待っときますか。

午後6時。
正確にはそれから五分ほど経過している。

「衛宮の奴、こないな。あいつこういうのは守る性質のはずだけど」

「直線距離にして約230メートル。6時に学校を出たとしても5分あれば到着する筈なのだがな」

「よくまあそんな距離まで…………。っと、仕方ない。学校に戻って衛宮を探すとしますか」

待ちぼうけもそろそろ飽きてきたのでこちらから出向いてやろう。
そして一発ガツンといってやらないとな。

「では私もいこう。一人だけでは何かと都合はよくないだろう?」

「ん、じゃあそうしようか。見つけたら携帯電話で呼ぶってことで」

学校に向かって歩きはじめるけど、その後ろからセイバーさんが声をかけてきた。

「待ってください。私も行きます」

その言葉を聞いて少し考える。
昨日は休日だったからよかったけど、今日は平日。
学校に部外者をいれるのはどうなんだろうか。

「セイバーさん、流石に今日は平日なのでセイバーさんが入ると教員が騒ぐと思います。セイバーさんはここに残っててください」

横にいた氷室がセイバーさんを説得する。

「そうそう、それにもし衛宮がすれ違いでここに来たときに誰もいないと困るだろうから、セイバーさんはここに居てください」

援護射撃するようにあたしも続ける。

「そうですか…………。わかりました」

そう言ってセイバーさんはバス停の前で待つ事にしたらしい。
そんな彼女を背にしてあたし達は再び校舎の中に入った。


で、現在に至る。
学校に入って二手に分かれた後、それぞれ衛宮がいそうな場所を探し回っていた。
が、結果空振り。

「んー、生徒会室にも教室にもいなかったから…………もしかして弓道部?」

そんなわけないか、なんて思いながら、しかし他に思いつく場所もないためとりあえず向かってみる。
鍵を開けて中に入る。
が、当然いない。鍵を閉めたのがあたしなんだから当然っちゃ当然だったけど。

「となるとやっぱり校舎の中かな」

呟きながら弓道場内を一回り見て外に出ようと出口へ向かう。
氷室からの電話はない。と、いうことはまだ見つかってないんだろう。

二人して探しているのに見つからないなんて。
かくれんぼしているわけじゃないんだぞ。

「やれやれ………誘った奴が遅刻するなんてね」

そう呟いて靴を履いて外に出ようとする。
扉に手をかけたとき

『弓道場の裏………雑木林か………!』

と、何やら聞きなれた声がした。

「……………?」

そう思って戸を開けるがそこに衛宮はいない。

「おかしいな………衛宮の声がしたと思ったんだけど」

周囲を見渡す。
が、やはりいない。
そして視線を弓道場の傍の雑木林へと向けてみると───

「衛宮………?」

走って雑木林の中にかけて行く衛宮の後ろ姿があった。

「……………」

ほどなくして見えなくなる。
が、おかしかった。
なぜ衛宮は雑木林の中に走って行ったのか。あの中には何もない筈だが。
約束をすっぽかしてまで何か大切な用事が?

「……………血?」

視線を落としたところに血の痕があった。
点々と続くそれは雑木林の方へ続いていた。

「…………」

何か胸騒ぎがしたあたしは一度弓道場に戻り、弓道の一式──といっても弓と矢だけだが──を持ち出して衛宮を追うことにした。

「とりあえず…………説明はしてもらうよ、衛宮。」

弓道場から再び外に出たところで次は氷室と出くわした。

「美綴嬢っ!?」

何やら慌てたよう様子で近づいてくる氷室。
その腕には衛宮が持っていた鞄があった。
その姿を見て、そして地面に残る血の痕を見て、いよいよ異常な状況だとわかる。

「衛宮は雑木林の中に走ってった。急ごう、氷室」

そう言ってあたしは走り出した。

―Interlude Out―


─────第二節 倒すために─────

結論を言おう。
気配を追ってきた結果、そこに美綴 綾子の姿はなかった。
それを確認してとりあえずは安堵する。

この敵は昨日考えた通り、綾子に対して固執していないのだろうか。それとも士郎が追ってきた所為もあって襲うのをやめたのだろうか。
どちらか判別できないが、他の女生徒を襲ったことは到底許されることではない。

「慎二?」

雑木林に入ってほどなくして顔見知りを見た気がした。
だがすぐにその意識は別方向へ向けられる。

「────!!」

張り巡らせた神経が頭上からの攻撃を辛うじて身体を回避させた。
だが完全に躱す事は出来ず、脳天を打ち貫かんと突き出された釘のような短剣が頬を掠めた。

「くっ!!」

だらりと剥げたように頬の皮膚が裂けている。頬から真っ赤な血が垂れ、足元に散らばる枯れ葉へと滴り落ちた。
しかしこれでも幸運と言えるだろう。一瞬でも飛び退くのが遅ければ、今頃頭蓋を貫かれ串刺しにされていたのだから。

「────」

目の前に現れたサーヴァントは昨夜と変わらず無口。
しかしそれがかえって不気味さを醸し出している。

「痛っ────!?」

何もない右腕に奔る激痛。
そこに

「─────」

短剣による一閃が士郎の喉目掛けて振り払われた。

「っ…………!」

咄嗟に跳び退いて、喉を斬り裂かんとする攻撃を回避する。
しかし反応が僅かに遅れた結果、士郎の喉の皮膚はずらりと裂けていた。
喉元から血が出てくる。右腕、頬、喉と出血している部分は多い。

「目が…………!」

僅かにぼやけてきた。
出血に肉体ダメージに呪いと三重攻め。もし鐘や綾子がこの状態に陥っていたならばとっくに倒れているだろう。
魔術使いたる士郎は自身の気合いと強化魔術によって、今はまだ倒れるまでには至っていない。

「消えた…………!?」

黒い女が視界から消失する。

「────ぐ!」

殺されると直感した士郎は、無我夢中に左手の武器で、自らの頭上を振り払った。
ギィン! と互いの得物がぶつかり合い、一旦距離をとった黒い女………ライダーは木に張り付く。

「蜘蛛か…………っ! お前っ…………!」

霞む目で睨みつける。
睨まれた女はそんな視線など意に介すことなくまた消えた。

「ここは」

危ない。そう考えて走った。
今までの三回の奇襲。それを防ぎ、躱せたのは偶然。
これ以上の偶然を期待するわけにもいかない。
木を背にやって周囲を見渡す。

「あんな目立つ格好してるのに、どうして───」

見つけることができないのだろうか。
強化は視力にも及んでいる。そこいらの視力のいい人間よりかずっと物は見えているはずである。
しかしそれでも見つけることができない。
地上に姿が一度も確認できないことから、恐らく枝から枝に飛び移っているのだろう と推測をたてる。

「────!」

ギィン!
左から迫ってきたライダーに直感だけで武器を振るう。
ガンドの呪いに始まって様々な状態に陥っている士郎だったが、それでも何とか反応できたのは僥倖だった。

「────いい反応です」

また消える。とことんヒットアンドアウェイの戦法。

「なら────攻めたててやる…………!」

左手の武器を離さぬように強く握りしめる。

『驚いた…………令呪を使わないのですか、あなたは』

確かに士郎のコンディションやこの状況を考えれば令呪を使ってセイバーに頼るのが正解かもしれない。
しかし使うのはどうなのか?
自らこの死地へ飛び込んだ。ならば責任は全うすべきだしなにより───

「貴重な三回だけの令呪だ。こんなことに使ってられるかよ!」

───まだ自分はやれる。

「────そう、勇敢なのですね、あなたは。確かにその強化の魔術のおかげかもしれませんが。しかし────」

ジャラ、という音が聞こえた。

「上…………!」

ギィン! と、ライダーが打ちこんできた。それを利き腕ではない左手で受け止める。
ライダーは跳び退いて、すぐさま突進を開始する。それはたかが人間に奇襲を数度も受けきられた苛立ちか。
しかし、その攻撃を弾き返し────

「!?っそんな───!?」

攻めたてる。

「はぁっ!!」

身体強化に強化された武器。
この二つを以ってして逃さないように連撃をかける。
防勢から一点、攻勢へと転じる。片手で武器を固く握り締める。
足を踏み出し、敵の懐へと入り込む。

「シッ!!」

左袈裟斬りから逆袈裟。
後ろへ下がったライダーに踏み込んで、振り上げたパイプを下ろし左脇構えに入り横胴へとつなげる。
外せば僅かにパイプを返して再び右からの横胴。振りぬいてそのまま逆袈裟とつなげ片腕だけで右袈裟斬り。
持てる力の全てを込めて、ただひたすらに連撃を見舞う!

「くっ────!」

ぎん、と鈍い音を響かせライダーは大きく後方へと跳躍し、距離をとる。

「はあ、はあ、はあ、………は、はははははははっ!」

喉から笑いが漏れる。

(戦えている)

サーヴァント相手に士郎は善戦出来ていた。
身体のハンデを無理矢理強化で捻じ込んだ身体を動かして。

偶然。
しかし、ではこれはなんだというのか。
サーヴァントからの攻撃を防ぎ、攻めたてている。
偶然がここまで続くものだろうか。これが偶然以外の要素で成り立っているのであれば。

「おまえ、ランサーに比べたら全然大したことないな!」

追撃をかける。
足元の腐葉土を蹴り、ライダーに攻撃を仕掛ける。
その姿を確認したライダーは咄嗟に短剣を投擲するが、身体強化された士郎にはそれが見えた。
左手の武器でそれを打ち払い、ライダーに肉薄する。

「…………!」

眼帯の所為でその表情を伺うことはできないが、驚いているように見えた。

(やれる────!)

邪魔をするものはなくなった。
後は残り数メートルの距離を詰めてそのまま────


─────第三節 救うために─────

「…………いいえ、そこまでです。貴方は始めから私に捕らわれているのですから」

がくん と体が停止する。
否、無理やり止められた。右腕に奔る激痛。

「まだ判りませんか? 貴方の腕に刺さったそれは、私の杭だという事に」

「………!」

咄嗟に右腕に視線をやる。
そこには“消えたと思っていた杭が見事なまでに刺さったままの状態”だった。

「な…………!」

痛みの所為で感覚が麻痺していたとしても、なぜ刺さったままのこれに気が付かなかったのか、と考える。
しかし、今さら発見して考えても遅い。

「さて…………その右腕、どこまでもつのでしょうね」

血に濡れた腕はひとりでに持ち上がり、そのままどこまでも上昇していく。
ずずっ、と右腕に刺さった杭が疼く。

「ぎっ────!あああぁぁぁっ!?」

苦痛を無視して、刺さった右腕は持ち上げられ伸びきった。
簡単な話。木の枝を支点として鎖を使って士郎を引き上げたのだ。

「はっ───はっ───…………この…………!」

持っていた武器を捨て、動く左腕で何とか刺さっている右腕の杭を引き抜こうとするがそれよりも早く───

「さて、その誤った認識をしてしまったその瞳────濁った瞳を抉り出してあげます」

ライダーが体をかがませて飛躍しようとしたその時。

「おまえは────」

「「!?」」

「衛宮になにやってんだ!!」

ヒュッ! とライダー目掛けて放たれるのは矢。
一瞬何事かと驚いたライダーは、しかしそれでも冷静に跳んできた矢を撃ち落とした。
しかし、その隙をついて

「ぐっ───!!」

士郎は右腕に刺さっていた釘を強引に引き抜いた。
ドン! と、受け身も取れないで地面に落ちる。

「っ─────」

背中を強く打ってしまった。
それに追い打ちをかけるのはガンドの呪いとそれまでの蓄積ダメージ。
意識がとびかける。

「「衛宮!」」

近づいてくる影。
視線をそちらに向けると見知った顔が二人。

「────っ美綴、氷室…………!」

「衛宮、大丈夫か!?」

鐘が倒れた士郎の傍に駆け寄る。

「────あんたは昨日の奴だよな? 今日は絶対に許さないよ!」

綾子はライダーと対峙するように矢を構えた。
その状況を見て、一瞬でまずい、と士郎は判断する。
間違ってもここにいる三人ではライダーに勝てないだろう。

(令呪を使ってセイバーを………!いや、でも美綴は…………)

鐘と違い、綾子は聖杯戦争が何か、なんてものは知らない。
今ここでセイバーを呼べば、それが露見することに────

(って、四の五の言ってる場合か!)

士郎はまだ何とか立てるがとてもライダーと戦えるような状態ではない。
士郎の傍にいる二人は論外だ。魔術師ですらない。
守る手札はここにはない。ならば呼ぶほかに道はなかった。

「シロウ!!」

しかし令呪を使うことはなかった。
目の前に現れたのは鎧姿のセイバー。
彼女の前から綾子と鐘が去ってからさらに数分。それでも帰ってこない三人の身を案じて学校へ向けて歩いていた。
そして彼女が感知できる距離────200メートルまで近づいた時点で中のサーヴァントの反応に気付いた。
すぐさま鎧化して士郎とのラインを頼りにより詳しい場所へかけつけたのだ。

「シロウ、ヒムロ、アヤコ! 無事ですか!?」

視線はライダーから離さずに背後にいる三人の身を案じる言葉をかける。
一方のライダーは

「─────」

身を翻して、木の枝へと跳躍し、そのまま獣のように遠ざかっていった。

「────また、逃がしたか」

「セイバーさん!衛宮が!」

ライダーがいなくなったことを確認して、セイバーはすぐさま士郎のもとへと駆けつけた。
鐘と綾子が座り込んだ士郎を支えていた。

「セイバー…………あいつは?」

「ライダーならばこの場から去りました。もう大丈夫でしょう。あとは私が守護します。今は身体の方を」

「そう…………か。美綴、怪我とかないか?」

「え? あ、ああ。あたしは大丈夫だよ。い、いや、とにかく血止めしないと!衛宮、何か巻く物持ってるか…………!?」

それを聞いてよかった と安堵しながらハンカチを取り出す。

「氷室は? 大丈夫か? どこも怪我してないか?」

「────私は大丈夫だ。それより自分の心配をしたらどうなのだ、衛宮。…………使っていないタオルなら私の鞄に入っていた筈だ。少し待ってくれ…………」

「俺? 俺は大丈夫だよ、氷室。悪い、心配かけて」

ははは、と笑ってみせるが周囲からの視線は変わらない。
顔は赤くなって額には汗、顔と喉には切り傷があり、右腕には大穴。
この姿を見て大丈夫だな、と思う楽観主義者はここにはいなかった。

「衛宮くん、無事…………!?」

一足遅れてやってきたのは凛だった。

「っ…………!」

鐘は彼女の姿を確認して、咄嗟に庇うように士郎の前に移動する。
さきほどのやりとりがリフレインしてきたのだ。
そんな彼女の姿を見た二人はそれぞれ別の反応をする。
綾子は当然知り合いが来て──なぜここに来たのかは知らないが──焦ったような鐘を見て疑問を持ち、セイバーはその姿の意味を理解して士郎達の前に出た。

「────」
「────」

凛とセイバーの間で続く沈黙。
セイバーには士郎の状態を見て疑問を抱く点があった。
切り傷や右腕の大穴。それはライダーによってつけられたものだと判別できた。
では、士郎が額に汗をかいて顔を赤くしているのは?
ライダーがやったという点も考えられなくはないが、サーヴァントがマスターを呪術で呪ったならばとっくに死んでいるだろうし、わざわざ近づいて戦闘をする必要性はない。

となれば、これは別の者によって受けた攻撃だと判別するのは普通だった。
そこに至ったところでの鐘の反応。またこの場所に来た凛の存在。
彼女が何かのサーヴァントのマスターであることは容易に想像できた。

「…………遠坂? 何でこんなところにいるんだ?」

そんな事情など全く知らない綾子は、友人である凛に尋ねた。
彼女がここにいる理由がまったくわからない。

「ちょっと衛宮くんに用事があってね。…………衛宮くん、ちょっといいかしら?」

「…………」

対する士郎は厳しい眼つきは変えない。
のこのことついて行って令呪を奪われた挙句、鐘と一緒に記憶を失う、なんてことになるかもしれない。
笑えない冗談である。

「大丈夫よ。“さっきの続きはしない”。………その体を“診てあげる”だけだから」

士郎の考えを読み取った凛は、他意はないと示すため両手をあげた。
士郎が凛にやった行為と同じである。

「────わかった。すまない、遠坂。恩にきる」

「………!? いいのか、衛宮」

「ああ、大丈夫。さすがに遠坂もだまし討ちみたいなことはしないだろうし」

「信用していいのですか、シロウ」

「大丈夫。────そんな心配ならついてきたらいい。何も起きないからさ」

ふらり、と立ち上がった士郎を支えるようにセイバーが肩を貸す。
無論、目の前の敵が何かをしようとしたら即刻斬り捨てるつもりである。

「美綴嬢、私たちもここに居続ける理由はない。三人についていこう」

「え………? あ、そうだな」

何が何だかわからない綾子はとりあえず鐘の言葉を聞いて歩き出した。



時刻は午後6時半。
外はすっかり夜になっていた。

「とりあえずガンドの解呪はしておいたから」

現在の居場所は弓道部の休憩室。
そこにいるのは凛、士郎、そしてセイバーの三人。
鐘と綾子は隣の部屋で待機中。

「ああ………さっきよりだいぶ楽になった、ありがとう、遠坂」

「────ま、借りを作りっぱなしは性に合わないからね。で、次はこの右腕だけど」

綾子と鐘がしてくれた応急処置を解く。
途端にまた血が出てきてしまう。

「遠坂………っ?」

「わかってる………痛いと思うけどちょっと我慢して」

脈をとりながらブツブツと呪文らしきものを呟く。
血止めと痛み止めらしく、右腕が少しだけ楽になっていた。
解いたハンカチは血で汚れていない部分を傷口にあてて、ぐるぐると右腕をタオルで巻いていく。

「────」

そんな横顔を見て、再確認する。
遠坂は信じた通りの人物だ、と。

「───これで終わり。さっきの応急処置もよくできてたけど………魔術使った方が効果は高いから一旦解かせてもらったわ」

そうか、と返答して右腕を動かしてみる。
確かに今までよりはマシになっているように感じた。

「で………何があったの? なんで綾子────美綴さんまでここにいるのよ?」

「あー………話せば少し長くなるけど、それでもいいか?」

「向こうで待ってる二人にも気を払ってくれるなら構わないと思うけど」

「じゃあ簡潔に説明する。美綴のことだよな?」

「ええ、他にも聞きたいことはあるけどまずはそれね」

凛にこれまでの事を説明し始める士郎。
紆余曲折はあったが、いい人だとはわかったし話すことで協力が得られるかもしれないと考えたのだ。


5人を弓道場に残して、夜は更けていく。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第18話 進展 
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/04/16 22:55
第18話 進展


─────第一節 これから先の事、選択すべき事─────

「………おおよその事情はわかったわ」

眉間にしわを作りながら難しい面持ちで凛はそう答えた。

『ライダーが美綴を狙っている』。
士郎はそれを防ぐために一緒に帰ろうとした。
それを凛が止めたせいで探しにきた綾子もあの場に居合わせた。

以上が簡潔に説明した内容だった。

「とりあえず美綴さんとは友人の関係だから、助けてくれたことには感謝するわ、衛宮くん」

「え? いや別にお礼なんていいぞ。俺だって助けたいって思ったから助けただけだから」

「でも一応筋は通しておく。それをしただけよ」

そう答えた凛は再び気難しそうな顔をして思案を開始してしまった。
一人の世界に入ってしまった凛を少しの間見ていたが、戻ってくる気配がなかったので

「もしも~し………遠坂サーン?」

「ねぇ、衛宮くん。もう少し尋ねてもいいかしら?」

士郎の言葉を軽く無視して凛が尋ねてきた。

「どうせだめだって言ったって訊いてくるんだろ………。いいよ。で、何が聞きたいんだ?」

「美綴さんを家まで送った後に衛宮くんはどう行動するつもりだったの?」

む? と首を傾げる。
まだその後の予定は詳しくは決めていなかったが、しかしやることは昨夜と変わらないか、と考えた。

「そうだな、とりあえず美綴の家の周りを巡回かな。で、異常がなかったら家に戻る………って感じになると思う。昨日もそうだったから」

「………正気? そんな護衛で意味あると思ってるの? そんなの帰った後に襲えば終わりじゃない。それこそやるんなら家に泊まるか泊まらせるかくらいのことやりなさいよ」

「泊まるって………説明どうしろってんだ。親に説明できるわけないだろ」

はぁ と軽いため息をつく。
が、それを見た凛は

「説明しなくてもいいでしょう。両親に暗示かけてそれっぽいこと伝えて連れて帰ればOKじゃない」

と、士郎よりも深いため息をついた。
そんなことも考えつかないのか と半ば呆れかえっているようである。
対する士郎はそんなことは全く考えなかった。
というのも

「いや、俺は暗示の魔術は使えないんだ。だから俺は巡回してたんだよ、遠坂」

士郎は衛宮切嗣から暗示を教わらなかった。
というより教わることができなかった、といった方が正しい。
彼の父親が家を空けることなど日常茶飯事で教わる時間は限られていたし、士郎自身が『暗示を教えて』とせがることなどもなかったからである。

「え、なに? じゃあ衛宮くんは暗示も使えないようなへっぽこ魔術師だっていうの?」

「うっ………その言葉、何気に傷つくんだけど。─────いや、遠坂からしてみれば当然か。まあ確かに俺は遠坂と比べて劣ってるぞ、俺は」

あんなガンド撃てないし、などと口にする。
それを聞いた凛は余計にため息をついてしまう。
そして一言。

「なんであんたみたいな奴にセイバーが………」

同時刻の遠坂邸。

「─────くしゅんっ」

アーチャーがらしくないくしゃみをしたのは置いておこう。
場所は戻る。

「ま、もう済んだことだしいいわ。─────とにかく」

指を立て、ずいっ と凛が近づいてくる。
目と鼻の先まで迫ってきたその顔で。

「いい? 衛宮くんの護衛は穴だらけ。それじゃとても守るって言っても守りきれるようなものじゃない。私も協力してあげるから、これからもっと身を入れて頑張りなさい」

わかった?と返事を求めてくる。
そんな彼女に上半身をのけ反らせながら

「あ、ああ。わかった………」

と、返事をするのであった。
凛は頼りなさそうな士郎の返事に軽いため息をつきながら姿勢を元に戻す。
が、まだ凛の表情は優れない。
暗示をかける、と言う点ではこれを実行しないわけはない。
だが問題はその後の行動。

「衛宮くん。美綴さんにはどうやって事情を説明するわけ?」

答えを出すためにもこれは訊いておかなければいけない。
でなければ、今後凛自身がどうやって振舞うべきか変わってくるからである。

「…………」

質問を聞いて士郎は黙る。
士郎の中では恐らくどうするのがいいか、という思案がめぐっているのだろう。
やや間をあけて

「襲って来た奴が何者なのか、セイバーが一体何者なのか。おそらく美綴はそれを聞いてくる。二人のことを説明しようとすると本当の事を言うしかなくなると思う」

半端なウソは美綴には効かないからな、と付け加える。
目の前で人外極まる動きを見せたライダーに、突如鎧姿となって空から降ってきたセイバーを見れば説明を要求してくることはわかりきっていた。
加えてその人外になぜ士郎が狙われているのか、というのもついてくる。
敵の正体と狙われている理由を説明しようにも“一般人が納得するような常識的説明”ではもはや納得できない領域にいる。
加えて士郎は嘘が致命的にまで下手というのもあったが。

「………それは自分の正体を─────魔術師だってことを話すってこと?」

ギロリ、という効果音が似合いそうな目で睨んでくる。
魔術師が一般人に正体を明かす、なんて普通は言わない。

「ああ、そういうことになる。もちろん、美綴には黙っておくように懇願するから大丈夫だぞ、遠坂」

それを聞いて再び考える。
『誰にも言わないでくれ』と言われれば彼女の性格なら言わないだろう。
それに一般人が魔術を知っている、というケースだってあることにはある。その例が凛の母親である。
が、この場合は違うだろう。

(最悪すべて終わったあとに綾子の記憶を消すっていう手もあり、か)

友人を手にかけるのは心痛むが、こればかりはどうしようもない。
それに正直に話せば今後の活動がしやすいのも確かではある。
彼女自身に降りかかるであろう危険性や事の重大性が明確に教えることができるのだから。

さて、ではまずは凛が綾子に正体を隠す場合を考える。

(魔術師が正体を一般人に悟られぬように身分を隠すのは常識)

まずは正体がばれぬように先回りして暗示をかける。
電話で『テストが近いので家に泊まる』という暗示をかけると士郎と打ち合わせをして、“さも自分が説得したかのように”綾子に振る舞えば、たとえ荷物を取りに帰ってきた綾子と会話になっても問題はない。
そのように振る舞えるかは心配だが。
つまるところ暗示をかけたのは士郎、ということにしてしまえば凛が表へ出てくることはない。

(これなら大丈夫………か? メリットとしては魔術師として話さなくてもいいこと。デメリットはその分協力体制が取りにくくなること、かな)

当然士郎は守るためにつきっきりになる。
その分凛との協力はできなくなることを意味する。

(次に正体を明かして行動する場合)

魔術師が一般人に己の存在や魔術を教えるのは厳禁だが、さっきの考えた通り、終わってから消しても問題はない。
それに明かすことで自身も彼女の護衛に参加できるようになるし、説明ができる分協力しやすくなる。
加えてサーヴァント2体ということでかなり安全にもなる。

(こっちの方がいいかな。デメリットとして魔術師であることを教えるのがあるけど、今思いつくデメリットはこれだけだし)

メリットの数が多い。
役割分担もできるだろう。頭を悩ましているこの学校の結界だって解決に近づけるかもしれない。
加えて暗示をかける際の面倒なやりとりをする必要がない。

「なら、決まりね。美綴さんに事情を説明した後に両親に暗示をかけて家に泊まるように仕組む。こんなところね。他に何かあったかしら」

凛の言葉に士郎が反応し、待ったをかける。

「………遠坂、美綴のことともう一つお願いがある」



「美綴、氷室。俺の家に泊まってくれないか?」

凛と入れ替わりで休憩室に入ってきたのは鐘と綾子の二人。
入ってきて怪我の具合を聞かれ、問題ないと答えた士郎。
その後に話がある、と区切って言った言葉の第一がそれだった。

「ちょっと待て、衛宮。いきなりどうしたんだ? 唐突すぎてあたしには理解できない」

突然の言葉に面食らった綾子は一瞬フリーズしたが、何とか持ち直してそう問いかけた。

「まあそうだよな、説明する。………けどその前に、一つだけ約束してほしいんだけどいいか? 美綴」

真剣な眼差しで綾子を見つめる士郎。
彼が一体何を言おうとしているか何となくよめた鐘は黙って話を聞いている。
一方の綾子はその真剣な表情を見て少し驚いたが、しかし次には真剣な表情になり

「………その表情からしてただ事じゃないってのはわかった。けど、そういうのって約束の内容によるね。一体どんな約束なんだ?」

「俺がこれから言う事を他の誰にも話さないっていう約束だ。………いいか?」

その言葉を腕組みして少し考える。
そもそも誰かに言いふらすようなことはするつもりなどない。
出た結論は

「いいよ。その約束は守ってやる。だから、衛宮。話すことはきっちり話してもらうからね。あとあんたをあんな風にした“あいつ”の事も知ってること洗いざらい」

「………ああ。そのつもりだし、言わなきゃ納得してくれるとも思ってないからな」


―Interlude In―

冬木市新都。
人気の少ない路地裏を一人の男が歩いていた。

「チッ………!昨日、今日といい全く邪魔してくれるな、衛宮は………!」

間桐 慎二。
桜の兄で弓道部の副部長をしている士郎の同級生である。

「おい、ライダー。結界の準備は順調だよな?」

誰もいない空間に向かって問いかける。

『はい、一部呪刻が破壊されていましたが、当初の予定通り結界は発動できそうです』

誰もいない空間から現れた“それ”は、かつて綾子を襲おうとし、女生徒を襲い、士郎を殺そうとした女性。
ライダー。
長い髪に眼帯をし、露出が少し多めの黒い服を着たスレンダーな女性である。

「ふん、ならそれでいい。壊したのは十中八九遠坂だろうしな。─────いくら遠坂が優れていても結界の呪刻を破壊しきることはできない」

笑う慎二の顔は邪だ。

「僕はどうあっても聖杯を手に入れなければならない………。そうさ、桜に、爺さんに、美綴に!」

ガン! と傍に置いてあったプラスチック製のゴミ箱を蹴り飛ばした。

「そしてあの鬱陶しい衛宮を………見返すためにもね………!」

慎二は間桐の生まれ。
幼いころに自分が魔術師の家系だと知り、いつ自分に当主として指名されてもいいように知識を溜めこんできた。
しかしいつまでたってもそれは来ず、痺れを切らした慎二は家にある本を片っ端からあさりまくった。
その中に見つけた一冊の薄めの本。父親の書記に記されていた内容。

 ―魔術回路がない―

簡潔に言ってしまえばその一言。
それが認められなくて、認めたくなくて、マスターとなった。
魔術回路がなければ魔術は扱えず、魔術師にはなれない。だから聖杯を欲する。
魔術師になるために。

彼にとって“それ”は強迫概念に近い。
だからこそ固執する。無いならば聖杯を以ってして得よ。
そして己を見下した者たちを罰せよ。

「くっ………くくく。もうすぐだ。まずは美綴、お前からだ………!昨日偶然衛宮が通りかかっただけでこの僕から逃げ切れるとは思わないことだな………!」

綾子を思い出して、次に必然的に思い出されるのはその綾子を庇った士郎の姿。

「その姿を見て衛宮の悔しがる姿を見るのも愉快そうだ!あはっ、あはははははははっ!」

慎二が綾子に固執する理由。
弓道部の活動で辱めを受けたから。
それを恨み、ライダーに襲わせようとした。
慎二が士郎に固執する理由。
魔術師じゃないと思っていた士郎が魔術師で、しかも魔術を行使して一瞬だけであるがライダーに肉薄した。
狙っていた綾子を庇ったこともあり慎二の苛立ちは倍化していた。

「─────そうだな、そのためにもまずは“食事”はとっておくべきだよなぁ?」

───なあ、ライダー?

―Interlude Out―


「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

場所は弓道場休憩室。
そこにいるのは4人の人間。いや、そのうち一人はサーヴァントなので3人、というべきなのかもしれない。

「まだ完全には理解が追いついてないけど………ようするに、さ」

瞳を閉じていた綾子が瞼を上げ、士郎を見据える。

「わたし達はそのサーヴァントとかいう規格外の人間に命を狙われてるかもしれない、ってワケか」

サーヴァント。英霊。規格外。

「………ああ」

「そいつらから守るために衛宮とセイバーさんは昨日、夜歩き回ってたのか」

魂喰い。補充。殺し合い。聖杯戦争。阻止。巡回。

「………そうだな」

「それであんたはさっきみたいに宙吊りにされていたのか………」

守る。倒す。救う。

「………そういうことになる」

訪れるのは長い沈黙。
綾子の心中は複雑だった。雑木林で見かけた黒い女性、ライダー。
その女性相手に士郎が宙吊りにされているのを見て、無我夢中に矢を射った。
規格外。その女性は飛来してくる矢を眼帯をしているにも関わらず、一閃で弾き落とした。
その後前から立ち去る際のあの運動能力。素人の目でも普通ではないことくらい容易にわかった。

そしてその規格外から守るために知り合いが戦って殺されかけているという事実。
しかしその規格外が自分たちを狙っているかもしれないという可能性。
その狙われている理由が己の糧にしようとしているというだけの、此方側からすると理不尽極まりない真実。
そして自分たちを狙ってくる奴を自分たちの手ではどうしようもないという現実。

「大丈夫だ、美綴」

難しい顔をして考え込んでいた綾子を見て、士郎がそう答えた。

「俺が守るし、セイバーだっている。大船に乗ったつもりで、とまでは言えないかもしれないけど必ず守ってみせる」

だから信用してくれ と士郎は言った。
真剣な表情で、巻き込まれた一般人二人を守るために戦って守り抜くと言った。

「─────まったく、そんな真剣な顔でそんな事言われて、言い返せるかっての………」

背もたれに背中を預けて困ったような表情でため息をついた。
その表情は先ほどよりは柔らかくなっている。

「悔しいけど、矢を平気で叩き落とせるような奴相手にあたしが勝てるなんて思えない。あたしじゃ何もできないんだね」

「仕方がありません、アヤコ。サーヴァントは人間とは違う。ましてや貴女達のような一般人とは次元が違います。恥じる事など一つもありません」

「ん………まあ、話を聞いた限りじゃそうなんだろうけどさ」

そして横に座っているクラスメイトに目をやる。
鐘。
自分と同じ境遇にいるクラスメイト。

「氷室はだいぶ落ち着いてるようだけど、どう思ってるの?」

「私か。………そうだな」

一呼吸おいて今まで整理した自分の気持ちを間違えることなくこの場にいる人物に告げる。

「私も聞いたときは驚いた。そして美綴嬢同様に何もできない自分を悔やんだ。しかし、悔やんだところで何も変わらない。なら、せめて自分ができることをしようと考えた」

「………」

「だから、私は衛宮の負担になるような事を避けたいと考えている。衛宮の家に泊まることで負担が減るというのならば、私はそれに協力したい」

真っ直ぐに士郎を見て答えた。
聖杯戦争という事実を知らされた時、自分の置かれた立場に鐘だって苦悩した。けれど、そんな苦悩をしている間にも敵は襲ってくるしそれらから守るために戦っている人間がいる。
自分は被害者だ、という概念にとらわれてただひたすら苦悩したところでその間に摩耗していくのは守っている士郎である。

「せめてこの、まるでゲーム世界のような出来事を早く終わらせて日常に戻りたい。だから私は、そのためならできる限り協力する。私はそう結論を出した」

だから私は衛宮を信じると、そう鐘は言った。
終わらせても、今まで通りの日常に戻れるか確証はない。
しかし、少なくとも何もできない自分の代わりに目の前にいる彼が消耗していくようなことはなくなる筈だ。

「うん、そうだな。氷室たちには少しでも早く元通りの日常に戻って欲しいし、そのためなら俺は───」

「衛宮」

士郎の言葉を遮る様に声をかける。

「私の言っている“日常”というものの中にはな、君の存在も含まれているのだぞ。………そこは理解してほしい」

セイバーはその言葉を聞いて、思う。
ランサー戦、バーサーカー戦。そして先ほどのライダー戦。
いずれの戦いにおいても士郎は傷を負っていた。どれもこれも重傷。
そしてその3戦すべて、鐘は見ている。傷ついた士郎を。
心配したような顔を浮かべ、時には叫んだこともあった。

(………まるで)

あの時の子供のようだ、とセイバーは思う。
前回の聖杯戦争。前回の仮のマスターとなってくれた者、“アイリスフィール・フォン・アインツベルン”。
彼女と一緒に訪れた公園で、アイリスフィールがほんの少しだけ触れ合った二人の子供。
恐らく彼女はその二人の子供を─────正確には灰色髪の女の子を見て、城に置いてきた子供を思い出したのだろう、とその時は判断した。

怪我をしている灰色の少女を庇うように赤い髪の少年が自分たちを睨んできたのは覚えている。
アイリスフィールはそれを見て“プリンセス”と“ナイト”と呼んだ事も覚えている。
王女を守る騎士。そういう意味合いで恐らくは呼んだのだろう。
なるほど、とその言葉を聞いて思った。少女を庇う少年は確かにそのように見えたのだから。

「─────はあ、何だ。結局覚悟が最後までできてなかったのはあたしだけか」

やれやれ、と言った面持ちで二人を見る。
二人の決意は想像以上に決まっていた。
ならば自分も覚悟は決めるべきだ。

「氷室の言ったことももっともだな。嘆いても仕方ない。衛宮、あたしもあんたに協力するよ。………あたしの命、あんたに託すよ」

この場には不似合いな笑顔を見せて言った。理不尽さは残っているだろう。殺されるかもしれないという恐怖だってあるだろう。
知り合いが魔術師だと聞いて混乱だってしているだろう。

しかし彼女は言った。
衛宮、お前を信じる と。

「私もだ、衛宮。………よろしく頼む」

行儀よくお辞儀をする。彼女もまた明確に、言葉として彼に伝えた。
その二人の言葉を、顔を、行動を聞いて見てセイバーはふっ、と小さく笑う。

「シロウ、これからはより一層身を引き締めて行動しなければいけませんね」

「いやまったく。いざこういわれると気恥ずかしいところもあるけど………」

ははは、とばつが悪そうに笑う士郎。

「氷室、美綴、セイバー。これからよろしく頼む」

今日、この日、この瞬間、聖杯戦争を勝ち抜く仲間として美綴 綾子、氷室 鐘が加わった。

激動の第五次聖杯戦争が再開する。


─────第二節 僅かな余白と次へつながる予兆─────

「終わったようね」

休憩室から出てきて待っていたのは遠坂 凛だった。
凛が4人と同席しなかった理由は至極簡単。
校舎内に残った戦闘の痕を消せる範囲で消していた。窓ガラスとか壁とかetc………。
ちなみに修復不可能のレベルは教会へ連絡することでフォローをしてもらう。

「遠坂か。いや、あんたのことも知っているって思ってたんだけどね。まさか衛宮と同じ魔術師だったとは思わなかったよ」

その言葉を聞いて少しだけ複雑な心境にもなるが───

(記憶に関しては全てが終わってからでも問題はない、か)

となれば、あとは開き直ってさっさとこの戦争を終わらせるだけである。

「まあ私も衛宮くんに協力することになったからよろしくね、二人とも。さて、これから衛宮くんの家で匿うことになるのだけれど、その前にやる事があるっていうのはわかってる?」

「………両親への説明、だな」

それは鐘が悩んだ内容。
真実を教える訳にもいかないし、かといってうやむやにしたままだといずれ大変なことになる。

「そ。けれどバカ正直に説明する必要はないわ。私が手伝うから安心して頂戴(っていうかバカ正直にこれ以上一般人に説明されても困るし)」

「じゃあ行こう。ここからだとバスに乗って30分近くかかる」

弓道部を出るために士郎が外へ出て、その後にセイバーが続いた。
綾子もセイバーに続いて出て行く。
鐘も彼女らの後を追って出ようとしたとき

「ちょっといいかしら、氷室さん」

凛に声をかけられた。

「ん、何かな遠坂嬢」

歩み寄ってくる凛に視線を合わせる。

「氷室さんってさ」

「?」

「─────意外と大胆よね」

「!?」

ピキリ、と鐘の時間が一瞬停止した。
心なしか全身灰色っぽくなってるように見えるが気のせい。

「おーい、鍵閉めるぞ? 早く出てきなよ、二人とも」

中々出てこない二人を急かす様に綾子が声をかけた。

「ええ、わかったわ」

「  」

凛は外へと出るが、鐘はまだもう少し灰色になったまま。

「? どうした、美綴」

「いや、氷室が出てこないなって」

「ん? 氷室ー?」

「ッ!!!???」

突然(鐘の中では)かけられた声に、鐘はビックゥ!! と肩を大きく震わせた。
当然それを見た士郎は不審に思う訳で………。

「………どうした?」

「いっ、いやなんでもない。それより遠坂嬢はいるか? いるよな? むしろいてくれ!」

足早に弓道場から出て凛を発見し素早く他の三人から引き離すためにずるずると引っ張っていく。
勿論その光景を見たセイバー、綾子、士郎には、はてなマークしか思い浮かばない。

「あら、どうしたのかしら。クールビューティの氷室さん? そんなに慌てちゃって」

最ッッ高の笑顔で笑いかけてくる凛。
対する鐘はどことなく顔が赤い。

「その笑顔。今見ると非常に不愉快極まりないのだがそれは置いておこう。それより、さっきのはどういう意味かな? 遠坂嬢」

「あら、別に深い意味はありませんよ? ただ“目の当たりにしたことに対して率直な感想を言った”だけですわよ?」

なぜかお嬢様言葉な凛。
そして相変わらずの無駄に最高な笑顔。

「心当たりがないのであれば、私から説明してあげますけど? ねぇ、衛宮くん?」

「ん? なぜに俺?」

近づいてきた士郎に声をかける凛。
対する鐘は凛が何を言いたいのか瞬時に理解。その時間、わずか0.1秒。

「ねぇ、衛宮くん? 氷室さんのから─────」

「衛宮!時間がもったいない、早く行こう!時は金なりと言うだろう? さあ行くぞ!」

凛の言葉を遮り強引に士郎の手を握って凛から引き離すように引っ張っていく。

「ちょっ………わかった。確かに時間は大事だから、いや手、手痛いって………」

「あらあら、氷室さんって強引なんですねー」

「………あたしはお前が怖いよ、遠坂」

「…………」

強引にひっぱる鐘の姿と引っ張られる自分の主を見てセイバーは思う。

(先ほどの回想は間違いだったのでしょうか)



「じゃあまずは綾子の家からね。少し待ってて」

そう言って中に入って行く綾子と凛。
待つ事20秒。

「終わったわ」
「はやいな」

間髪入れずにツッコミを入れる士郎。

「当たり前でしょ。一般人に暗示かけるなんて簡単な─────っとごめんなさい。“私からすれば”簡単なことよ」

「何で訂正したんだ。何気に傷つくんだけどその言葉」

「自分を恥じなさい。それじゃ、次は氷室さんの家ね♪」

「遠坂嬢、なぜ語尾に『♪』がついているのか教えていただきたい」

「ついてないわよ。さ、行くわよ。時は金なり、なんでしょ?」

「セイバー。ここにいて美綴の手伝いをしてやってくれ」

「わかりました」



氷室の家の前で待つ事数十秒。

「暗示はかけ終えたわ」

そう言って遠坂は家から出てきた。
その後ろには氷室もいた。

「そうか。手伝ってくれてありがとうな、遠坂」

「別にいいわよ………。それじゃ、あたしは綾子の方を見てくるから、衛宮くんは氷室さんの手伝いをしてあげなさい」

「ああ、わかった」

暗示をかけ終えた遠坂は美綴の家に向かうため階段を下りて行った。
その後ろ姿を確認して、前にいる氷室に確認をとる。

「氷室、俺に何か手伝えることはあるか?」

「残念ながら何もないかな。第一何を手伝うというのだ? 私の下着を選んで鞄の中に入れてくれるのか?………興味はあるな、衛宮がどのような嗜好の持ち主かというのがわかりそうだ」

「それ言うなら氷室の私物見て、氷室がどんな趣味を持っているのかって─────いや、スミマセン。無理です」

残念だが俺にそこまでの度胸はない。っていうか、無理だろ………!
一方の氷室もそれはわかっていたらしく『むしろ手伝われては困る………』と呟きながら家の中へ入って行った。

これから数分くらいは一人の時間。
そう思ってマンションの廊下から街を見下ろす。
眼下に広がるのは広大な夜景。マンションの階こそそう高くはないが、十分遠くまで見渡せる高さだった。

「氷室も、美綴も………無関係なのにな」

彼女ら二人の家族に暗示をかけて匿う。
正しい行動ではあるかもしれない。
しかし暗示をかけて嘘をついている。
何とも言えない気分になってしまう。
そもそも彼女達は巻き込まれただけだった。本来ならばこんな暗示に頼る必要性なんて全く皆無だった筈。

「無関係………か」

そう呟いて頭の中に再生されるのはあの火災。
きっとあの火災の発生原因は自分には無関係だった筈。もし関係していたならあの場で立ち往生なんてしていない。
無関係だったのに火災が発生し、両親を失い、家族を失い、記憶を失った。
あの火災には自分と同じように無関係な人がいた。逃げる自分に助けを求めてくる人がいた。

─────ケレド、オレハソレヲタスケナラレナカッタ

助けようともした。けれどその前に炎が行く手を遮って助けれなくなったり、瓦礫が落ちてきて目の前の地面が真っ赤に染まったり。
そんな事ばかりだ。いい思い出なんて当然だけど一つもない。
無関係なのに巻き込まれて死んでいった者達。

「………大丈夫。絶対に………守る」

あんな悲劇は繰り返してはいけない。無関係に巻き込まれて死んでいくなんて、そんな無意味な死に方なんてしちゃいけない。
助けなければいけない。守らなければいけない。幸せにしなければいけない。

「絶対に後悔だけは………しないように生きる」

俺は改めて二人を守ると誓った。
そうさ、そのための………『魔術』なんだから。



「こんなところか………。持っていくのは本当に最低限必要な物だけで構わないからな」

着替え数点と勉強道具一式。
生活必需品数点とあと数個のエトセトラ。

「鐘、用意はできた?」

母親が尋ねてくる。
遠坂嬢の暗示によって私は『二週間程度衛宮の家に泊まる』ということになっている。
そこで何の疑問も湧かずに『そう、わかったわ』で返事をさせる遠坂嬢の催眠。
結果衛宮が“男”だと判っていてもなんの抵抗もなしに送り出してくる。

「はい、終わりました」

こういう場面では便利だろうが、同時に怖くも思う。
どのような理不尽でも催眠で操れてしまうのだから。

「そう、なら迷惑かけないようにね」

「…………」

迷惑、か。
もうとっくに迷惑をかけているのだが………。

「はい、それじゃ行ってきます」

「行ってらっしゃい。玄関までだけど見送りするわよ」

玄関で靴を履き戸を開ける。
目の前には背を向けて夜景を見ている衛宮の姿があった。

「お、荷物整理は終わったのか、氷室」

「ああ、すまない。待たせてしまって」

「いや、いいよ。それじゃいこうか。多分遠坂たちも下で待ってる」

そうだな、と答えて歩き出そうとしたとき

「えっと………そちらの方が衛宮さん?」

母親が尋ねてきた。
催眠がかかっているとはいえ、確かに気になる存在ではあるだろう。

「あ、はい。衛宮です、衛宮士郎です」

声をかけられた衛宮は軽い自己紹介をして頭を下げる。
それを聞いた母親の顔は………

「衛宮………シロウくん?」

少し様子がおかしかった。

「お母さん?」

「士郎くん、少し顔を見せてくれないかしら」

「? はぁ………」

下げていた頭をあげる衛宮。
その顔をみた母親の顔は驚いているようにも見えた。

「………一つ、質問いいかしら? どこに住んでる人?」

「? 深山町に住んでいますが………?」

「………そう。ちょっと待ってね」

ぱたぱた と走って家の中へ入って行く。
少しして母親は何かを持ってきて私に見えないように衛宮に見せた。

「これ、………“知ってる”?」

「─────」

どうやら写真らしい。
それを見た衛宮は少しの間固まっていた。

「衛宮くん?」

「─────あ、いや………すみません。“覚えてない”です。ちょっと判断はできません」

「そう………。ならやっぱり人違いかしら」

「お母さん? 一体何を………」

母親の持っていた写真を見ようとするが、

「あ、何でもないわよ。それじゃ、行ってらっしゃい。衛宮くんに迷惑かけないようにね」

そう言って家の中に帰って行った。

「?」

その行動や動作が不可思議に思えた私は衛宮に訊いてみる。

「衛宮、お母さんから何を見せられたのだ?」

だが衛宮の様子も少しおかしい。
反応がない。

「衛宮?」

「………!あ、いやある人の写真を見せられたんだ。で、ちょっと心当たりなかった。で、考えてたんだ」

「………そうか。まったく、お母さんは何を考えているのか。」

最近、というよりは今朝から母親の性格がちょっとわからなくなってた。
………まぁ気にかけるほどでもないだろうが。

エレベーターに乗り、一階のエントランスへと向かう。
到着して入ってみれば案の定三人が待っていた。

「ようやくきたわね。氷室さんの身支度に時間がかかったのかしら」

「あ、いやそういうわけじゃない。ちょっといろいろあっただけだ」

「いろいろって何かしら………? あ、もしかして今後のお付き合いの予定とか?」

「なっ、なんでそんなことになる、遠坂嬢。母親が衛宮にいくつか質問していただけだ。変な事になってはいない」

誤解されないように事実を言っておくことにする。

「ふぅん………質問、ね。………ま、いいわ。それじゃ衛宮くんの家に行きましょう。衛宮くん、道案内よろしく」

「あ、ああ。こっからだとまたバスに乗らなきゃいけないな。歩いても帰れるけどかなり時間かかっちまう」

そう言って私たちは歩き出したのだった。
衛宮の様子が少しおかしいのが気にはなったが。


─────第三節 とある5人の共同生活─────

「到着っと」

坂を上りきり、衛宮邸の前につく。
少しだけ大きめの鞄をもった綾子と鐘そして………士郎。

「っていうか………遠坂。お前この中何入ってんだ………? かなり重いんだけど………っ!?」

「いろいろ必要品よ。間違っても地面には降ろさないでね」

つまりは凛の鞄を士郎が持っていたということである。
凛がこんな重い鞄を持たせたのは理由がある。
彼女も衛宮邸に泊まるのだ。
それを聞いたときは『はぁ!? 何で遠坂まで泊まるんだよ!』と反発しのだが………

『じゃあ貴方とセイバーの二人だけで守りきれるっていうの? 戦力は多いに越したことないでしょ。それに協力関係なんだからそれくらい当然じゃない』

と言われ、セイバーには

『確かに。流石の私でも三人を同時護衛するのには少し厳しいものがある』

と言う言葉まで貰ってしまい反論できなかった。
結果、凛の在宅も許可することとなり、重い荷物を士郎に押し付けて無事家に到着したわけである。

ちなみに荷物は『衛宮くんはこの中で唯一の男の子なんだから力仕事は任せるわ♪』と、NOを言わせない物言いで押し付けられた。
とことん学校とのイメージのギャップに悩まされたが、ここまでくると『猫かぶってたんだな』と納得して開き直った。

「とりあえず居間に荷物を置こう。部屋に関してはそれから決めよう。あと夕飯の用意もする必要があるな。………食材足りたっけかな」

そんなことを呟きながら居間に荷物を置き、冷蔵庫の中を確かめる。

「ふぅん………これが衛宮くんの家ね。─────で、なんでガラス戸がシート仕様なの?」

「あー、ガラス割れちゃってまだ張りなおしてないんだよ。………と、これなら夕飯と明日朝飯は大丈夫か。明日の帰りに食材買う必要が………」

「………思いっきり主夫ね。ま、いいわ。これくらいなら別に………」

ガラス戸に近づき、外に落ちていた破片を拾う。
そして───

「────Minuten vor Schweisen」

粉々に砕けていたガラスが元通りの姿になっていた。
その光景を唖然としてみる綾子。

「いや、すごいもんだね、遠坂。これでいつガラスが割れてもあんたに頼めば一発解決ってわけだ」

「ちょっと綾子。私は便利屋じゃないし、こうやって使うのも貴女達が魔術っていうものを知ってるからよ。普通はこんなことしない」

はぁ、といって居間に座る。と、そこに出されるのはお茶。
持ってきたのは士郎ではなく鐘だった。
ちなみにセイバーはテーブルに置かれた蜜柑と格闘中。

「とりあえず体冷えたろうからこれ飲んであったまっといてくれ、とのことだ」

「そ。気が利くわね。じゃ、ありがたく頂こうかしら」

ずずっ、と茶をすすりながらテーブルに置いてある蜜柑の皮を剥く。
綾子、鐘も同様だ。ちなみにセイバーはすでに蜜柑3個目(!)に突入。

「ん、いい匂いね」

居間に漂ってきた香りを嗅いでキッチンの方へ顔を出す凛。

「なんだ、遠坂。まだできないぞ。あともう少し待っててくれ」

「ん、それはわかってるわよ。何作ってるのかなーって。………で、これ和食?」

「ああ。とりあえずみんなを持て成そうと思って」

ふうん、と料理を眺めていた凛は唐突に

「ね、夕食の当番は“みんなで”交代制にしない? これからしばらく一緒に暮らすんだし、その方が助かるでしょ?」

この場にいる全員に聞こえるように凛が言った。
無論この全員の中にサーヴァントであるセイバーは含まれていないが。

「………ふむ。ついいつもの調子で考えて作ってたけど、みんながうちで暮らすっていうなら家族と同じだ。飯ぐらい作るのは当たり前だし、俺も楽でいいか」

「へぇ、面白そうだね。毎日日替わりで作る人が変わるのか。ってことは当然メニューもバラバラ。………うん、いいね。その話乗った」

士郎、綾子が凛の提案を受け入れる中、一人だけは渋っていた。
氷室 鐘である。

「………交代制、か?」

「? ええ、そうよ? その方が─────ってナルホド」

ニヤリ、と笑う凛。その笑顔は先ほども見ました。
そんな笑顔を見て僅かにたじろぐ鐘。

「いや、別にいいのよ? たとえ“氷室さんの手料理が食べれなくても”死ぬわけじゃないから。氷室さんは“いつも通り”でいいわよ」

「くっ───」

肩を小さく震わせながら視線を逸らしてしまった。
今のところ凛VS鐘の戦いは鐘の全敗である。

鐘は料理ができない。かつて「教室を酸の海に沈める」という偉業すら成し遂げてしまうほどの下手っぷりであった。
その後の努力により「でも味は普通」まで伸ばすことに成功。
しかし、それでもまだ人に自信を持って出せるほど料理が上手くなったわけではなかった。

そんな鐘を見て居た堪れなくなった士郎は

「遠坂、作れない人に強制させるな。氷室もさ、この際挑戦してみたらどうだ? 何なら俺も手伝うからさ。練習していけばうまくなるって」

という提案を出してきた。
当然困惑するわけで

「い、いやしかしだな。衛宮の手を煩わせたくはないし、時間もかかる。私がやるよりは───」

「そんなことじゃいつまでたってもうまくならないぞ、氷室。俺も氷室の手料理は食べてみたいし、迷惑じゃないしさ。むしろ歓迎するぞ?」

さらっという所が実に士郎らしい。フリーズする鐘。
それを聞いた綾子と凛もまたフリーズしていた。

「あ、ところで朝飯はどうするんだ? 夕飯が交代制なら朝飯も交代制か?」

キッチンの近くにまできていた凛に問いかける。

「え? あ、ああ。朝食ね。ん、私は朝食は食べないからいいわ。やるなら3人でやったらいいわよ」

「───なんだそりゃ。勝手なコトいうな、朝飯くらい食べないと大きくなれないぞ」

「余計なお世話。人の生活スタイルに口を挟まないでちょうだい。………とにかく衛宮くんは夕飯を作ることに専念なさい!ちゃんとしたもの作らないと許さないからね」

何が気に食わなかったのかはわからないが、凛は士郎を不機嫌そうに睨んでいた。

「………了解。あ、そうだ。みんな何か食べれないものとかあるか? アレルギーとか。そういうのあったら教えてくれ。使わないようにするから」

「私はないわね」

「………あたしもないな」

「そうか。氷室は?」

視線を向けるが返事がない。
プシュー、と聞こえてくるのは多分気のせい。

「おーい? 氷室ー?」

「ッ!? あ、ああ。私も食べれるぞ、和食は」

「いや、話噛み合ってないし」

セイバーは9個目(!?)の蜜柑に手を出していた。



士郎が食事を作り終えるまであと少しかかる。

「リン、今後の方針は決まっているのですか?」

「さぁ? 情報が無いから何とも言えないけど、とりあえずは他の奴の居場所を特定するってことかな。それにこの家をそう簡単に留守にもできないしね」

そんな会話の中、凛はセイバーをじろじろと見ている。

「? 何でしょうか?」

「ねぇセイバー? なんで喪服なんて着てるの? 他に服はないわけ? っていうか霊体化しないわけ?」

「服はこれと私自身が元から着ていた服しかありません。あと霊体化に関しては貴女には答える必要はないかと思われます。

「ふぅん………ガード、固いわね。ま、いいわ。サーヴァントもマスターもそれで不自由しないっていうなら私からいう事は何もない。なら、セイバー。ちょっとついてきて欲しいんだけど」

「? 何でしょう」

「その服よ。まぁ騙されたと思ってついてきなさい」

セイバーの手を取り、凛は別室へ向かっていった。



士郎が食事を作り終えるまであともう少しである。

「少しいいだろうか、美綴嬢」

「ん?」

テレビを見ていた綾子は後ろを振り向く。

「美綴嬢は食事を作れるのだろうか?」

どうやらまだ少し引き摺っているらしい。

「ん、そうだな。あたしも料理はできるぞ。合宿とかでもよく作ってたし。うちは放任主義だから自炊することも多々あったしな」

「そうか………」

ふぅ、と少し落ち込む鐘。
やはり料理ができない、というのは女の子にとっては気になるらしい。
ましてや男性である士郎が作れているのだから余計に落ち込んでしまう。

「ま、いいんじゃない? 衛宮が言った通り、この際衛宮に教えてもらいなよ。手取り足取りさ」

ニヤリ、と笑いかけてくる綾子。
そこに何かを感じます。

「て………手取り足取りなどと………!」

「はいはい、照れない照れない。上手くなって衛宮に手料理食べさせてあげな」

「─────善処する」

プイ、と視線を逸らした先に士郎の姿が映った。

「おーい、メシできたから運ぶの手伝ってくれー」

食事の時間である。
時刻は夕飯とは少し言いにくい時間帯であった。
カチャカチャ、と運びながらテーブルへ並べて行く。流石に5人分は一人で運ぶにはきつい。
居間にいた鐘と綾子も手伝って並べ終える。
5人………というだけあってちょっと大きめのテーブルも埋まってしまった。

「………っていうかよくこれだけ作ったよな、衛宮。いくら5人とはいってもさ」

「みんながどれだけ食べるかわからない、っていうのもあったからな。少なく作って足りないーっていうよりは多く作って残った分を明日に回した方がいいだろ?」

「ん………まあ一理あるか。でも衛宮。こんな作って明日は大丈夫なの?」

「いや、全く大丈夫じゃない。明日の朝食分で完全空だな。昼食分は食堂か売店で済まして、学校帰りに商店街によって食材買いまくらないと………」

う~ん、と明日の食事の心配をする士郎。
それを聞いた鐘はふと思い出した。

「衛宮、君の財政事情は大丈夫なのだろうか? 前回藤村先生により一時経済難に陥ったとか言っていただろう?」

「あー、それは大丈夫。少なくとも今のところは。つい最近だって一日3万のバイト代貰ったからそれをそっちに当てれば大丈夫だ」

本当にあの3万円は助かったなーと、バイト先の店長に心の中でお礼をしておく。

「一日3万円って………どんなバイトよ。────ま、いいか。それじゃ、冷める前に食べよう」

「ああ、そうだな。────ってセイバーと遠坂はどこいったんだ?」

「どこかへ行ってまだ帰ってきていないようだが………」

「おまたせー」

噂をすれば何とやら。居間に凛とセイバーが入ってきた。
凛の姿は制服姿から変わっていない。
そしてセイバーはというと上品な白系の洋服に着替えていた。

「おー。セイバーさん、似合ってる。やっぱり喪服よりそういう服装の方がいいかもしれないな」

「セイバーさん、似合ってますよ。それにその服なら家の中でも街中でも問題はなさそうだ。

「そうですか………ありがとうございます」

その姿を見て二人は賞賛する。
セイバーは素直にお礼を言っていた。

「ほら、士郎はどうなのよ? 感想は?」

と、凛はまだ感想を言わぬ士郎の感想を求めてきた。

「あ? ああ………。いや、似合ってると思うぞ? セイバーらしい、というか清楚に感じるし。似合ってる」

士郎は率直な意見を述べてから今朝思ったことを思い出した。
『セイバーの服を何とかしよう』。
それを今日の出来事で見事に忘れていた。

「ですって。よかったじゃない、セイバー」

「そうですね。マスターがそう言うのであれば私としても問題はない」

「………何か言い方が気になるけど。その服どうしたんだ?」

「私があげたのよ。第一普段着が喪服ってどうなのよ。もっと身軽な服用意してあげなさいよ」

「………俺もそれを今朝までは覚えていたんだけどな?」

はぁ、と小さいため息をつく。

「ま、とにかくメシを食おう。おかわりもあるからじゃんじゃん食べてくれていいぞ」

「ん、そうね。流石にお腹すいたし。いただくとするわ」

「さて、衛宮の手料理を頂きますかね」

「そうだな。しかしこの量は食べきれるかどうか………」

「ではシロウ、私もいただきます」

こうして遅めの夕食が始まった。




セ「ふむ………ふむふむ………」
凛「よしっ、これなら勝った………!」
士「ちょっと待て、それはどういう意味だ」
綾「いや、衛宮のメシはうまいね」
鐘「…………(都合のいいときに衛宮に教えを乞う事にしよう………)」


夜は更けていく。



―an Afterword―

ここまでのご愛読ありがとうございました。
18話をもって前半戦終了をお知らせいたします。
初心者が書くSSということで、何かと問題などあったかとおもいます。

皆様のご指摘、意見、感想はしっかりと読ませていただいております。
声援を糧にしてこれからも精進してまいりたいと思います。

これからも「Fate/Unlimited World―Re」をよろしくお願いします。

次話より中盤戦に突入です。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第19話 加速し始めた日常 Chapter4 Fresh Blood Shrine
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:12
Chapter4 Fresh Blood Shrine

第19話 加速し始めた日常

Date:2月5日 火曜日 

─────第一節 黒い太陽─────

─────熱い

どうしてこんなコトになったのか。
フトンをかぶって、目をとじて、ちゃんとおやすみなさいと言ったのに、つぎにやってきたのはマッカなけしきだけだった。
うるさくて、熱くて、目をさます前にお母さんが起こしてくれた。
よるなのにとても明るい。
お父さんがだき上げてくれて、ごうごうともえるロウカを走っていく。

─────苦しい

お父さんを見た。
                止められた。
いなかった。

お母さんといた。
                約束をした。
いなかった。

─────痛い

外もうちのなかと変わらなかった。
みんなまっか。 ぜんぶまっか。 どこもあつい。
だからあつくないところに行きたかった。“そこ”に行けと約束したから。

─────目が痛い

なきながら走った。
うちに帰りたかった。けど、うちがどこにあったのか、もうわからなくなっていた。
だから走った。“そこ”にいけばきっとみんな“そこ”にいるっておもったから。

─────体が痛い

走っていた足がおそくなった。
歩いていた足が止まっていた。
うしろをふりかえる。
おうちもみえない。お母さんもお父さんもいない。

─────怖い

いたい。      あつい。
目がいたい。    目があつい。
頭がいたい。    頭があつい。
腕がいたい。    腕があつい。
足がいたい。    足があつい。
体がいたい。    体があつい。

いたい、いたい、いたい、あつい、あつい、あつい。
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

いきをすうとノドがヤける。
そこにいるだけでこわれていく。
足が重い。それが仲間にしたいとツカんでくる人たちのものだってわかった。

そらには太陽が見える。………みえる?
おかしい。よるだったはず。
太陽が黒い。………くろい。
ぼくは関係ない。ぼくはヒトなんだ。
にげなきゃいけない。こわい。
あの黒い太陽がコわい。あのカゲがコわい。
アレにつかまったら、もっとこわいところにツレテイカレルだケなんダから。
ダカラ───ニげた。



────空を見上げる。
いずれ雨が降るあの灰色の空に手を伸ばし、そしてゆっくりと手は落ちる────

どうして────
“あの写真”が引っ掛かるのだろう?


─────第二節 忙しない朝─────

「─────っ、あ」

目が覚めた。体が少し重い。頭痛が酷い。体が熱い。
暑い。熱い。

「冬………のはずだけど」

小さく呟きながら周囲を見渡す。そこには誰もいない。
昨夜は夕食の後に一悶着あった。………部屋の問題である。
凛はずかずかと家の中を散策し、気に入った離れの部屋を発見して侵略していった。
まさに侵略者といっていいような姿である。

が、もう彼女が泊まることは家に来た時点で決定していたし、離れの部屋は比較的快適に過ごせる空間ではあるので問題はなかった。
強いて言うなら侵略するその態度に少し頭を抱えたくらいである。
問題は残る三人。
鐘と綾子の部屋をどうしようか、という話になったときにセイバーが出してきた提案。

『護衛がしやすいように同室で休むべきです』

この発言を聞いたとき、士郎は口に含んだ茶を噴出しそうになった。
つまりは士郎の寝室にセイバー、鐘、綾子、士郎の4人が一緒に寝るということである。

『待てセイバー!それは無理だ、絶対に!』

まず空間的な問題として士郎の寝室に4人も寝れるほどの広さはない。
いや、無理に詰めれば4人寝れるかもしれないが、そうなると別の問題がより肥大化してしまう。
士郎の精神的な問題で、寝れるほどの広さがあったとしても精神面で眠ることができない。
うんうん、と横で聞いていた綾子と鐘もうなずいていた。

『ですがシロウ。私はマスターである貴方を守る義務があります。睡眠中はその典型と言ってもいいでしょう。加えてヒムロとアヤコもいる。一か所に居てくれた方が護衛はしやすいのですが』

セイバーの言うことはもっともだろう。
だがそれに屈してしまっては、いろいろとまずい士郎は必至に何とかしようと説得を試みる。
空間的な問題をセイバーに伝えて上で

『三人にはなるべく近い部屋を用意する。だからそれで勘弁してくれ』

加えてこの家の結界も説明してなんとか静めることに成功した士郎だった。
結果セイバーは隣の部屋。鐘と綾子はそれぞれすぐ傍の部屋という采配となった。
どちらもすぐに駆けつけることができ、かつどちらもすぐに逃げてこれる、という配置である。

「………メシ、作るか」

気だるい体を起き上らせようと動かす。
が………

「あ………れ?」

思う様に動かない。
頭もぼぅっとして浮いているような感じである。

「うわ………体、きもちわる………」

汗をかいていたこともあって、今すぐにでもシャワーを浴びたくなってくる。
が、そんな事をやってられないのも事実。時刻は5時40分。
少し寝坊である。
なんとか布団から抜け出し、着替えを済ませるために服へ手を伸ばす。
と、ここで手が止まった。

「…………藤ねぇと桜にはどうやって説明をすればいいんだ………!?」

非常事態発生エマージェンシーである。
昨日はもういろいろありすぎて考えることすらなかったが、今日から朝だけではあるが二人がやってくる。
隠れてやり過ごすことなんてできるわけがない。
となるともう開きなおって説明すればいいのであるが問題はどう説明するか、である。

「まさか聖杯戦争のことを説明するわけにもいかないし………」

うーん、と唸る士郎だったが

「─────痛って………」

頭痛の所為でうまく考えが纏まらない。
加えて朝食の準備もしなくてはいけない。いつもよりも人数が多いため当然ながら量がいる。
つまりはそれだけ時間がかかるのでいつもより早く準備をしなくてはいけない。

「まず、顔洗って………すっきりさせて………作りながら考えるか」

傍に置いてあったタオルで体の汗を拭きとって着替える。
気だるい体を引き摺り、洗面所へと向かう。

「………何で寝たのに疲れてんだろ」

ボヤキながら洗面所へとつながる戸を開け、洗面所で顔を洗う。
と、そこへ声が聞こえてきた。

「………お。衛宮か。早いな」

洗うために下へ向けていた顔を僅かに横へ傾けて入ってきた人物に目をやる。
美綴 綾子だった。
すでに制服に着替えている。

「おはよう、美綴。美綴も朝早いんだな。よく眠れたか?」

バシャバシャと顔を洗いながら尋ねる。
その背後では洗面台が空くのを待つ綾子が。

「ああ、お陰様で。いつもとは違う雰囲気っていうのもあった所為か少し目が覚めるのが早かったけどね。ま、問題はないよ」

顔を洗い終えた士郎は洗面台を綾子に譲り、顔を拭く。
まだ頭痛は治っていないが、先ほどよりはマシになった………と思う。

「そうか、そりゃよかった。これから朝食の準備するから少しだけ待っててくれ」

「衛宮、あたしも手伝おうか? 一応この家に泊まらせてもらってるわけだし」

そんな申し出を受けた士郎。
5人+2人の朝食を準備するとなると一人ではきついだろう。

「そうだな、手伝ってくれるなら助かる。朝も忙しくなりそうだしな」

「ん、わかった。ちょっとしたら手伝いにいくよ」

洗面所で顔を洗っている綾子と別れて居間へ入り、キッチンへ向かう。
昨日の夕食の残り分がまだ少しだけ量があったが、流石に7人分を賄えるほど残ってはいない。
これは昼食用へと回し、朝食を新たに作る。

「………7人って。昨日までは二人だったのにな」

食材を取り出しているところへ

「───おはよ。朝早いのね、アンタ」

見るからに不機嫌そうな凛がやってきた。
その姿を見て唖然とする士郎。

「と、遠坂?……………何かあったのか?」

いつものその姿からは想像ができないほどの姿だったのでそんなことを尋ねてしまう。
想像できない、という点では昨日からすでにイメージとはかけ離れていたのだが、これはこれで別の衝撃である。

「別に。朝はいつもこんなんだから気にしないで。………早く目、覚ましてすっきりしとく。綾子たちもいるからね………」

幽鬼のような足取りで居間を横切っていく凛。
もうすでに起きてしまっている士郎に見つかるのは仕方ないとして、同じ女性である二人にはなるべく見られたくないようだ。

「………脱衣所の洗面台を使うならそこの廊下から行ったら近いぞ。………顔洗いたいだけなら、玄関側の廊下に洗面所がある。あと言っておくと脱衣所の方には美綴がいる」

「………じゃあ玄関側のを使う」

どこまで話を理解しているかわからない態度で手を振りながら廊下へと出て行った。
時刻は午前5時50分。
凛としては少し早起きであるが、その理由に先ほどの言葉が関係しているのだろう。

(………昨日遠坂が二人の起床時間聞いていた理由がそれか)

昨日の出来事を思い出しながら納得する士郎だった。
再びキッチンへと向かい合って朝食の準備をする。

「………頭、痛いな。薬飲むべきか………?」

相変わらず頭痛がして体も少し重い。
浮いたような感覚も感じられる。
できることなら薬に頼りたくはない士郎ではあるが、頭痛が酷いために物事に集中できない。

「もしかして………風邪ひいたのか? 俺。」

風邪をひくような体ではないつもりではいたが、この状況は如何ともし難い。
はぁ、とため息をついたときに

「何? もしかして風邪なのか、衛宮?」

居間に入ってきた綾子が尋ねてきた。
タイミング悪く、士郎が呟いたときにはすでに襖を開けていたのである。

「─────む。いや、それっぽいかな、って話であって風邪を引いたとは言ってない」

「無理するなよ、衛宮。人間、体が資本なんだからさ。無茶して倒れられたら衛宮に申し訳立たない」

「心配してくれてありがとな、美綴。俺は平気だから朝飯作ろう」

調理器具を取り出していく。
今朝の献立は鮭のムニエル・ピーマンとレタスと鶏肉炒め・トマトと胡瓜のサラダ・キャベツの味噌汁に白米と比較的ヘルシーに仕上げる。
で、これとは別にセイバーの昼食も用意しなければいけないので結果8人分となる。

「白米はもう炊飯器で炊きあがるから置いといていい。俺はムニエルと味噌汁作るから美綴は炒め物頼んでいいか?」

ちなみにサラダは昨夜のうちに作って冷蔵庫に入れてあるので調理は不要である。

「ん、わかった。まな板と包丁借りるよ」

キッチンの一部を借りて綾子は野菜を切り始めた。
自炊したこともある、というのは伊達ではなくなかなか上手に切っている。

「ふうん………。美綴、結構うまいんだな」

横目で観察しながら鮭を焼いていく。

「ま、あたしが得意なのは大量生産できる食事だけどな。カレーとか」

「カレーか。合宿とかではほとんどお決まりのメニューだな」

そんな会話をしている最中に凛が居間へ帰ってきた。

「あら、二人で朝食作ってるの? 綾子」

「おはよ、遠坂。人数多いし朝は忙しいから手伝った方がいいかなって。あ、ちなみにあんたの分も作ってるからな?」

「別にいらないって言ったのに………。ま、いいわ。用意してくれたなら食べるわよ。当然の礼儀だし」

そこへ次に入ってくるのはセイバー。
こちらは寝起き、という雰囲気ではなくいつも通りの姿である。

「おはようございます、リン、アヤコ、シロウ」

「おはよう、セイバー。今起きたの?」

「いえ、少し前から起きていました。先ほどまで精神統一のために道場にいました。声が聞こえてきたのでこちらへ戻ってきたのです、リン」

「へぇ、朝からそんなことしてるんだセイバーさん」

感心したように綾子が言う。
確かに普通の人間が早朝に起きて道場で精神集中、などはしないだろうし士郎なんかがやると眠ってしまいそうである。

「おはよ、セイバー。もう少ししたら出来上がるから茶でも飲んで待っといてくれ」

「わかりました。………しかしシロウ。体調がすぐれないのですか? 顔色があまり良くないようですが」

「あ、やっぱりセイバーさんも判るんだ。ほら衛宮、あんまり無茶するなって」

「何? 士郎ってば体調崩したの?」

三人の視線がムニエルを作っている士郎に向けられる。
が、当の本人は別に慌てた様子もなく

「いや、体調崩したってほどじゃない。ちょっと頭痛がしてぼぅっとする程度だから、熱だってあったとしても微熱程度だと思うぞ。この程度なら気合いでなんとかなる」

そんな会話をしながらでも調理する手は止まっていないのは日ごろの行いのおかげなのだろうか。
対する綾子もこの程度は慣れている、と言った感じで野菜たちを炒めている。

「ふぅん………なら心配するほどでもないか。─────やっぱりガンド受けた後に解呪もしないで強制的に体を酷使したツケかしら」

ガンドの呪いの解呪は行ったのだが、酷使したところに入り込んだ呪いダメージまでは解呪が届かなかったらしい。
ただそれでも少し違和感がある程度の微熱まで抑え込めたのは一重に凛の能力の高さのおかげだろう。
解呪してもまだ呪いの破片が士郎の体調を変調させることができている、というのもまた凛の能力の高さの所為でもあるのだが。

「ま、確かに普段よりかは思考能力とかに影響でるかもしれないけど何も考えられないってわけじゃないし学校に行っても問題ないぞ」

「………まあ衛宮がそう言うなら大丈夫なのかもしれないけどさ。あたしとしては倒れるところは見たくないんだけど?」

炒め物を皿に移しながら横にいる士郎に視線をやる綾子。
そんな視線を受けながら士郎もまたムニエルを皿に盛っていく。

「大丈夫だって。間違っても熱程度で倒れることはない。っていうか熱で倒れたことなんてないからな」

「シロウが大丈夫だと言うならば、私からはこれ以上何も言いません。しかし体を第一に考えてください」

「わかったわかった。さ、メシできたし食べよう。運ぶの手伝ってくれ」



トゥルルルルルル…………
と、各自が皿をテーブルに運んでいるときに居間に置いてあった電話が鳴った。

「ん? こんな朝っぱらから誰だ………?」

呟きながら電話の受話器をとる士郎。
いや、何となく予想はできないこともないが。

「はい、衛宮ですが」

『もっしも~し!こちら藤村ですがー、衛宮士郎君ですかー!』

「…………………………………………………………………」

眩暈がした。
頭痛がしている士郎にとってこの声と音量はかなり効いた。

「………今の藤村先生か? ここまで声が聞こえてきたんだけど」
「先日の人の声ですね。この早朝から何用なのでしょうか」
「朝っぱらからうるさいわね………」

つまり一番近い士郎にとってはこの上なくうるさかったのである。

「………なんだよ藤ねぇ、朝から電話してきて!せめて声のボリューム下げろ!」

『あはははは、ごめんねー。ほらよく言うじゃない、『腹が減ってはテンション高まる』って』

「言わない。言わないし聞いたことない。で、何の用だよ。っていうか電話かけてきてるってことは家か? 朝飯あるぞ?」

『そう、それ!それについていいたかったのよー』

待ってました!と言わんばかりの声で『朝飯』という単語に食いつい来る虎。
というよりここまでくると虎というよりハイエナ。

『昨日テストの集計とかしてて寝るの遅れたっちゃわけなのよー。で、今さっき起きてこれから士郎ン家に向かってご飯食べてると朝練に間に合わないワケ!』

「つまりは朝飯を弁当として朝練を監督している藤ねぇのところへ持ってきてほしい、そういうわけだな。言っとくが朝っぱらから出前はしてないから登校したときになるぞ」

『できるだけ早くね!加えて昼食も持ってきてくれると先生は士郎を抱きしめてあげてもいいかなー』

「いい、遠慮する。藤ねぇに抱き着かれてもうれしくない。………つまり今朝は家にこれないってわけだな、藤ねぇ?」

『That’s right!さっすが士郎!お姉ちゃんの言いた事をすぐに理解してくれて助かるわぁ。それじゃよろしく!ブチっとな』

ブツッ………ツーツーツーツー………

受話器を持ったまま流れる沈黙。
ゆっくりと受話器を元に戻し、視線を食卓へと向ける。

「………美綴。悪い、そこの引き出しに頭痛薬入ってると思うからそれとってくれ」

「………わかった。なんか………とりあえず、お疲れ、衛宮」

「………ああ」

流石に頭痛に耐えきれなくなったようである。


─────第三節 慣れない朝─────

朝の騒動が一通り収まり、テーブルに全て食事が並び終わる。
あとは食べるだけなのであるが………

「氷室、起きてこないな。それに桜も来ないし」

氷室 鐘がまだ起きてこなかった。
時間は6時を10分ほど過ぎている。
桜も普段この時間帯には来ている。
しかし未だに来ないのでどうしたのかと思う士郎。

「とりあえず氷室さんを起こして来たら? 朝練もあるんでしょ?」

「………そうだな」

……………。

「何やってるのよ、士郎が起こしに行きなさいよ」

「えっ、俺がか?」

指名を受けて驚く。
士郎はてっきり女性陣が起こしに行くものだと思っていたのだ。

「士郎が守るって言って家に泊めたんだから、それくらいはしなさいって話。わかった?」

「む…………そういうものなのか?………わかった。じゃあ起こしに行ってくる」

そう言って居間から出ようとした士郎の動きが止まった。
その光景を見て首を傾げる三人。

「………なあ遠坂。おまえ、いつから俺を名前で呼び捨てるようになったんだ?」

「あれ、そうだった? 意識してなかったから、わりと前からそうなってたんじゃない?」

凛の言葉を聞いて思い出してみる。

「………なってた。昨日からすでになってた気がする」

どこからか、というのは曖昧で覚えていないがすでに昨日の夕食時には名前で呼ばれていた記憶があった。

「そう。イヤなら気をつけるけど、士郎はイヤなの?」

尋ねてくる凛の姿を見ながら友人、一成がかつて言っていた言葉を思い出す。
曰く『魔性の女』だとか。
士郎は少し同意せざるを得なかった。

「………いい、好きにしろ。遠坂の呼びやすい方で構わない」

「そ? ならそういうコトで」

疑問を解決させた士郎は居間をあとにして鐘がいる部屋へと向かった。
鐘のいる部屋は和室。
当然、ノックできるような扉ではない。

「氷室? おきてるか、氷室?」

声をかけてみるが返事がない。
時刻はあと少しで長針が3を指そうとしている。
彼女も朝の部活があるのだからこれ以上遅れることがあると、それこそ走るような支度をしなければならない。

「………優等生の氷室でもこういうことってあるんだな」

鐘は学校のテストでも常に上位にいる優等生。
それくらいは勉強があまり得意ではない士郎でも知っていた。

「氷室ー? 起きてないのか?」

声をかけるがやはり返事は返ってこない。
女性が寝ているであろう部屋に入るのは憚られるが、こうしている間にも時間は過ぎる。
部活に遅刻させてしまっては彼女に申し訳ないだろう。

「………お邪魔しまーす」

なぜか緊張して小声になる。
襖を開けて奥に敷かれている布団を見る。
少し膨らんでいるところからして、まだ眠っているようである。
ふぅ、と少し気持ちを落ち着かせて周囲を見渡す。
布団の“すぐ傍”に目覚まし時計が置いてあった。

「なんだって時計をセットしといて………」

目覚ましの時計は問題なく長針が3を指している。
つまりは正常に動いている。となれば当然セットされた時計は時刻通りに鳴った筈である。
にもかかわらず音が止まって鐘が寝ているということは。

「─────止めて二度寝しちまったってことか」

彼女が寝ている部屋は生憎と家の内側に属しているため朝日は直接入ってこない。
隣の部屋から差し込む僅かな光が部屋を薄暗くしていた。
おそらくはその少し暗い所為もあったのだろう。
意外な一面を見た士郎は寝ている鐘に近づいて声をかけようとする。
が、足音が気になったのだろうか。背中を向けていた鐘がごろん、と寝返りを打ち、士郎の方へ向いた。

「ん…………」

寝返ったときの動きでわずかに布団がめくれ、彼女が来ているかわいらしい寝間着が見えた。
小さな吐息。様子からしてまだ眠っているようである。実に安らかに眠っていた。
まるで眠り姫である。
が、その姿を見た士郎はそうもいかない。

「───────────────」

思考が一瞬で漂白される。
呼吸は止まり、わずかに差し込む光で見える彼女の姿を見て眼球は固定されてピクリとも動かない。
今まで同世代の女性の寝姿など見た事がない士郎にはインパクト十分であった。
加えて彼女の着ている寝間着が普段とギャップがありすぎて余計に緊迫してしまっていた。

「─────っ」

ここで失敗は許されない。
今後聖杯戦争が終結するまでは彼女と一緒に住むことになるのだ。
今後の活動を円滑に進めるためにも、ここは何事も無かったかようにこの部屋から出なければいけない。
ここで鐘を注視していたことを彼女に知られれば絶対何か気まずい空気になりそうな感じがすると考えて、ゆっくりと近づいた足を後退させる。
本来起こしに来たのだから彼女の肩に触れて揺すって起こせばそれで終わりなのだが、今の士郎にはそんな考えは浮かばない。
微熱がここで少し思考能力を鈍らせているようである。

(もう少し………!もう少しで安全圏へ離脱できる!)

あと4歩。
それだけ後退したら何事も無かったかのように襖を閉めて外から大声で呼べばいい。流石に彼女も起きるだろう。
その間にも視線が鐘から離れない。逸らせばいいだけなのに離れないのだから性質が悪い。
はたから見れば眠っている女性を見てドギマギしている男性、というどこの新婚、あるいはどこの変態か、と突っ込まれることこの上ない体裁となっている士郎。

が、当の本人はそんなのには構っていられない。
自分がまずい状況に踏み込んだと自覚がある分余計に焦ってもいたからである。
しかし─────

「ん…………」

「…………ぁ」

眠り姫の目がゆっくりと開き、正面にいた士郎を捉えた。

起きてしまった。
さすがに無音の足音で外まで出ることはできない。
加えて最初の声掛けの所為で眠りが浅くなっていたところに人の気配。目が覚めるのは道理である。

「─────」
「─────」

時間が停止して互いが互いを見つめ合う。
時間はすでに4を指そうとしている。

「お、おはよう、氷室。………今日もいい朝、だな」

もはや見つかった以上は逃れることはできない。
何とか体裁だけは整えようと挨拶をする。だらり、と嫌な汗がでてきそうであるが。
というかその言葉はどういう意味だ。

「…………衛宮?」

寝起きの鐘はその声を聞いてはっきりと理解する。
そして─────

「っ!!??」

自分の状況を確認して布団を被った。
そんな彼女を見て余計に焦燥感が拭えなくなった士郎。

「ひ………氷室? その、とりあえずもうすぐ6時半になるから起こしに来たんだけど………」

「わ、わかっている。すまなかった。が、なぜ衛宮なんだ。美綴嬢でも遠坂嬢でもいいだろうに………!」

「あー………いや、遠坂に『守るって言ったんだからそれくらい責任持て』って言われたから」

「遠坂嬢か………」

何やら含みがある声だったが気にしないことにする。
というより昨日から行われてる凛の“鐘いぢり”をちょくちょく見かけるような気がする。

「だ、大丈夫!別に変なことはしてない!本当にただ起こしに来ただけだから!」

必死に今ここにいる理由を説明するが、雰囲気は変わらない。

「………ではなぜ君はそんなところで固まっていたのだ?」

布団の中から頭を出して尋ねてくる。
その視線を浴びて顔を逸らしてしまう。

「いや………気にするな」

「………そういえば、先ほど言っていたな?」

「へ?」

目が点になる。
何か言っただろうか?

「………いい朝だ、とかなんとか。………私の寝姿を見ていい朝、というわけか衛宮」

「                」

どっと冷や汗が噴き出した。
というか微熱が一気に高熱にまで上昇したんじゃないだろうか?
対する鐘は鐘で顔が赤くなって怒っている………ように見える。

「イ………イヤ? ソ、ソンナ他意トイウカ、変ナ考エハデスネ………」

勿論士郎に他意はない。
ただ場に困ったが故の苦し紛れの挨拶だったのだが、それが逆に首を絞めている事に今更ながら気が付いた。
これではただの変態である。
傍に置いてあったメガネをかけて再度士郎の顔を見る鐘。

「そんなに見物だったか………私の姿は」

何やら怒っていそうな雰囲気を感じたので言い逃れはやめる。
というか一人眠る女性の部屋に男性が入ってきた時点で間違いだったのである。

「………いや、本当にすまん。起こしに来たところで氷室が寝返り打って、服見えちゃって。で、停止していたところで氷室が起きて以下略します」

「ということはやはり私の服は見たのだな………」

ジトリ、と視線を浴びてしまうが勘違いされないように誤解をとこうとする。
間違っても変態レッテルは張られたくないし、侮辱するようなことも考えていない。
というか生活一日目でそんなことを思われてはもう彼女に頭が上がらないです、はい。

「い、いや。固まってた理由は『変』とか『似合わない』とかじゃない。そうだな………その、意外っていうか『似合ってた』とかそういう系統に入ると思う」

言ったはいいが、また場が静寂に包まれてしまう。
が、これは本心であり偽りはない。
故に後は鐘の返答を待つのみなのだが、時間停止したように鐘からの返答がない。

「…………そうか」

少し間があったものの、ふぅ と一息ついて返答が返ってきた。

「すまなかった、衛宮。私が起きるのが遅くて手を煩わせた。すぐに着替えるから待っててくれ」

「ああ、わかった。メシ、用意してるからな」

布団を被ったままの鐘のいる部屋から出て居間へと向かう。
時刻は6時20分。今から出ないと7時の朝練には間に合わないだろう。

「あら、遅かったわね士郎。何かあったの?」

居間には凛とセイバー、綾子が朝食をとっていた。

「…………いや、特に問題はない。返事がなかったんで少し手間取っただけ」

座り込んで目の前の食事に手をつける。
まあ間違ってもこの三人には言えない。
少しだけ時間が経ってしまったが味噌汁は温かかった。


─────第四節 代替とされた犠牲者─────

時刻は午前6時半を少し越えたあたり。
士郎と鐘はまだ食事をしていた。
他の3名よりも食べ始める時間が遅かったからである。

「じゃあ士郎、私たちは先に行くからね?」

綾子と凛はそう言って学校へ向かった。
弓道部には朝練があるのでこの時間帯に出ないと7時には間に合わない。
で、一人にするわけにはいかないということで凛は綾子と共に登校したというわけである。

「氷室は朝練大丈夫なのか? 大会近いんだろ? 練習とかは………」

「ここからだと30分はかかるのだろう? 今から出ても遅刻してしまうし朝はキッチリ食べなければ今日一日の行動に影響もでる。幸い朝は強制参加ではないから問題はない」

「………まあ氷室がそう言うなら」

TVのニュースを見ながら食事を進めていく。
芸能ニュースや天気予報、スポーツニュースと話題が変わっていき………

『次のニュースです』

画面が切り替わり、次のニュースへと変わる。

『昨日夜、深山町の路地裏で女子高校生が倒れているのを通行人の男性が発見、警察に通報しました』

映し出されるのは学校からそう遠くない位置にある建物の路地裏。

『発見された女生徒は、穂群原学園の女子学生“蒔寺楓”さん ●●●●●●●●●●●●●●●●●で─────』

眺めるようにそのニュースを見ていた二人は突然聞き覚えのある名前を聞いて固まった。
セイバーも目を細めて、そのニュースを見ている。
二人の箸は止まっていた。
TVを注視する。そこに出ているのは紛れもない彼女の名前だった。

『病院に搬送されましたが、意識は回復しておらず、また体に不自然な痕が残っていることから何らかの事件に巻き込まれたものとして─────』

「蒔の字………」

「なんで………蒔寺が」

理由はわからない。しかしこの報道が嘘ということは考えられない。
そしてここにいてもこれ以上のことはわからない。

「氷室、とにかく学校に行ってみよう。何かわかるかもしれない」

「あ………ああ」

残っていた朝食を適当に片付けて学校に向かう。

「セイバー。悪いけど、茶碗だけ洗っておいてくれないかな」

「わかりました。シロウ、ヒムロ。二人も気を付けてください」

「ああ………わかった。家は任せた、セイバー」

「いってきます、セイバーさん」

二人が駆けて出て行くのを見送って居間に戻る。
TVにはまだ先ほどの続きが流れていた。



『なおこの事件は最近三咲町で起きた“吸血鬼事件”と似ている部分があり、警察はそれらと関係があるかどうかを─────』



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第20話 陽だまりの一日
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:13
第20話 陽だまりの一日


─────第一節 心遣い─────

坂道を下って行く。
士郎の家から学校までは歩いて30分の道のり。
現在時刻は朝の7時を少しすぎたあたり。学校まではまだ距離がある。
時間も早い所為か生徒はまだ見当たらなく、静かな朝の街の姿をみせている。
そんな静かな朝の街を士郎と鐘は歩いている。

「………衛宮、少し尋ねたいことがある」

「………蒔寺が巻き込まれたとかっていう事件について、だろ?」

流石の士郎でも何を訊いてくるかはわかった。

「蒔の字は………聖杯戦争に巻き込まれたのか?」

現在進行形でこの街で行われている戦争、『聖杯戦争』。
一般人の常識など易々と破壊し、圧倒的なスペックで殺し合いをするサーヴァント。
そんな輩に自分とクラスメイトの綾子が狙われたこともあるという現状。
自然とそちら方向への心配となってしまうのも無理はなかった。

「わからない。確証があるってわけでもないし、蒔寺がどんな状態だったのか、っていうのもわからないから何とも言えない。………けど、確率は高いと思う」

魂食い。
人を襲い魔力を補充する行為。サーヴァントは今後の戦闘活動のためにそれを行うことがある。
そのターゲットとなるのは一般人である。

「………そうか」

彼女も予期はしていたのだろう。
驚いた様子は見せずに歩いていく。

「氷室」

「?」

「学校が終わったら病院に行ってみよう、お見舞いに。もしかしたら何かわかるかもしれないし、わからなくともお見舞いすることに意味はあるだろうからさ」

「………そうだな」

「よし、そうとなれば何をお見舞いに持っていくか、だな。氷室、蒔寺が喜びそうなモノって何か知ってるか? 早く元気になってほしいし、やっぱり喜ばれるものを持っていきたいよな」

明るめに鐘に話しかけてくる。
それは別に不謹慎というわけではない。
落ち込んでいる鐘を少しでも気を楽にさせようという士郎の配慮。

「………ありがとう、衛宮」

「ん? 何か言ったか?」

あまりにも小さい声だったので、士郎には聞き取れなかったようだ。

「いや、何でもない。そうだな、蒔の字が喜びそうなもの、か。さて、何があったかな………」

楓はTVの内容を見る限りでは意識は回復していない、とのこと。
が、死んでいるわけではない。
いずれ意識は回復し、元気になるだろう。
鐘だって早く元気になってほしいし、喜んでもらいたいのは同じである。
患者を元気にさせるのに接する人が暗かったら患者だって暗くなる。
ならば明るく接して元気にさせた方が心にも体にもプラスになるのだ。
それを士郎は実践しているだけ。
そんな彼に感謝しながら学校へと向かう。

二人で一緒に歩く。
そんなデジャビュを気にかけて。



学校にはすでに朝練を開始している人たちがいた。
士郎と鐘はグラウンドに目をやるが、当然ながらそこに楓の姿はない。

「士郎」

ふと視線を戻すとそこに先に登校した凛がいた。

「聞いた? 蒔寺さんが何か事件に巻き込まれて病院に搬送されたって話」

「ああ、聞いた………というよりニュースで見た。遠坂、この件って聖杯戦争と?」

「ええ、多分ね。といっても容体を見ていないから絶対とは言い切れないけど確率は高いと思う。手口次第では一体どいつがやったかはわかるかもしれない」

「本当か?………なら学校帰りに病院に行こう、お見舞いも兼ねて。何かわかるかもしれない」

「ええ、そうね。………チッ、こんなことなら昨日も見回りするんだった」

凛と楓は知り合いである。
休日には二人でどこか出かけるということもよくある。
綾子といい楓といい、凛の友人が狙われているというのは凛自身にとっても不愉快だった。

「あ、鐘ちゃん!」

三人でいたところに陸上部マネージャー、三枝 由紀香がやってきた。

「由紀香」

「鐘ちゃん………あ、衛宮くん、遠坂さん、おはよう。ねぇ、聞いた? 蒔ちゃんが入院したって話………」

不安そうな顔をしている由紀香。
つい昨日まで元気に振る舞っていたのに事件に巻き込まれて搬送されたのだ。
心境は十分理解できる。

「私も聞いた。………由紀香は何か詳しい事情は知っているか?」

「ううん、私もニュースで見た程度の事しかわからない。意識は回復してないけど、命に別状はないとか。“吸血鬼事件”と似ている部分がある、とか」

「吸血鬼事件?」

何やら不穏当な言葉を聞いた士郎が問いかける。

「衛宮くん、知らない? 三咲町っていう街で最近あった事件のことよ。結構ニュースにもなってたけど」

「………ああ、そういえば」

結構TVの話題で上がっていたことを思い出す。
連続殺人鬼、なんて結構な話題にもなっていた。

「遠坂さん、やっぱり蒔ちゃんは………?」

「いいえそれはないと思うわ、三枝さん。その事件だって今は収束しているし、その後三咲町では事件は起きなくなったでしょ。……どうも腑に落ちない点は残るけど。ただ本当に“似ている部分がある”ってことでしょうね」

吸血鬼事件は悲惨極まるものが多かった。
気になるのは当然である。

「………由紀香、他になにか知っている情報はあるのか?」

「ううん、私はこれくらいしか………。葛木先生なら多分何か知ってると思うけど………」

「葛木………か」

士郎は一成と話をしていた顔を思い出す。
葛木宋一郎。
鐘や綾子、楓のクラス担当教員。
確かに彼ならば自分の生徒の事情を収集しているかもしれない。

「由紀香、葛木先生はどこにいるか知っているか?」

「あ、うん。職員室にいると思うけど、今は職員会議やっているから入れないと思う」

「そうか………」

「こんな早朝から職員会議………。なるほど、蒔寺さんのことを受けて先生たちが集まったって訳か。弓道場から出ていった藤村先生もその会議に出席するためね」

となれば朝のホームルームで何かしらの動きは出るだろう。
どこまで判るかは不明ではあるが。

「由紀香。学校が終わったら蒔の字の見舞いに行くのだが、由紀香も来るか? 行くなら一緒の方がいいだろう?」

「え………、うん!一緒に行こう?」

「綾子も誘った方がいいわね。一人にさせるのも危ないし」

「そうだな」

こうして5人が学校帰りに病院に行くことが決定したのだった。


─────第二節 基点─────

昼休みになった。
一時的にせよ授業から解放された生徒達は、忙しなく校舎を行き来している。
今朝のホームルームでは蒔寺に関することは触れられなかった。
事件とは言っても『巻き込まれた可能性がある』ということであり、衰弱しているが命に別状はないというのもあり余計な混乱を避ける為に言わなかったようだ。
が、その代わり6限まであった授業は5限で打ち止め。放課後の部活動も今日は禁止ということになり、早々に帰宅するように言われた。

「────にしても」

一段と“甘く”なっている気がする。
ここまでくると気持ち悪さしか感じない。

「一成はもう生徒会室に向かったのか」

見渡せばそこに一成がいない。
最近寝不足なのだろうか、うとうととしている場面を良く見かける。
今日は弁当がない。当然、一緒に居た遠坂、美綴、氷室も弁当はない。
となれば食堂か売店にいくしかない。

「食堂は………人がすごいから避けるかな」

席を立とうとして周囲の男どもの様子がおかしいことに気付く。

「おーい。どうした、何かあったのか?」

「何かあったではござらん。それ、教室の外を見てみるがよい。ただしこっそり、あくまで隠密」

………後藤のヤツ、昨日は良からぬ時代劇を見たんだな、と納得しつつ、言う通りに廊下を見る。

「─────な」

と。
廊下には、後藤以上に挙動不審な影が一つ。
遠坂 凛だった。
その姿を見る度に何か雰囲気が違うだの、イライラしているだのと騒ぐ男共。

「………俺、だよな。どう考えても」

後で尋ねられることは間違いないだろうが、ここで放っておくわけにもいかない。
廊下に出て遠坂に近づいて声をかける。

「遠坂、何してんだよ、こんなところで」

「………ようやく気づいたわね、このあんぽんたん」

………できることなら記憶を数日前に戻したい。

「悪かったな。で、どうしたんだ? あ、もしかして昼飯か? お金持ってないのか?」

「士郎に奢ってもらわなきゃいけないほどおちてないわよ」

「そうか。なら別にいいよな。じゃ、俺は売店に行くから」

「───あんた、わかってて言ってるでしょ。話があるのよ」

「あのな、遠坂。話があるなら先に言えよ。………っていうか俺が出てくるまで待たなくたって呼べば済むだろうに」

「─────、ええ、悪かったわね。じゃあついて来なさい。ついでに一緒に昼食をとりましょう」

つまり作戦会議するから屋上にこい、ってことだろうにさ。



「寒い」

途中士郎は売店でパンとホットコーヒーを購入し、連れてこられたのは屋上だった。
夏ならば見晴らしの良さと風通しの良さから生徒で賑わう屋上だが、冬場に屋上にやってくる人物はかなり少ない。
加えて士郎にとって屋上は鐘と一緒に命を賭けた逃亡をした場所でもあった。

「男の子なんだから我慢しなさい」

そんな士郎の意見をキッパリと切り捨てる。
仕方ないので風避けのために凛の隣に座り、売店で購入したパンを頬張る。

「で、話ってなんだよ。人気がない場所選んだあたり、そっちの話だとは思うけど」

「と、当然でしょ。私と士郎の間で、他にどっちの話があるっていうのよ」

「ああ、それもそうだな。で、どんな話なんだ」

「………なによ、随分クールじゃない、あなた」

「………まあ、寒いからな。手短に済ませたいとは思う訳だが、遠坂は違うのか?」

「────!ええ、そうね。じゃあ単刀直入に言うけど、あんた、この学校に張られている結界についてどこまで知ってるわけ?」

学校の結界、という言葉を聞いて改めて考え直してみる。
規模はわからない、どんな効果を持っているのかは知らない、けれどよくないと直感が告げている。
そんなレベルである。

「………この結界がよくないもの、っていうくらいしかわからない。遠坂、何かわかるのか?」

「当たり前じゃない。じゃないと、あんな夕方まで居残ってないわよ」

あんな夕方、というのは先日士郎と戦った時のことを言っているのだろう。

「かなり広範囲に張られた結界で、発動すれば学校の敷地をほぼ包み込むくらいの大きさ。種別は結界内から人間の血肉を奪うタイプ」

「血肉を奪う………それって」

「ええ、つまり発動したら“溶解”されて結界内にいる人全員死ぬ………ってことよ」

息が止まる。
先日学校の人たちを人質にとられたようなものだ、と思いはしたがそれでも衰弱レベルだと思っていた。
が、そんな生易しいものではなく発動すれば死を招くような結界。

何とかできる限りイメージしてみる。自分が思い描ける最悪のイメージ。
溶解、溶ける、死ぬ───

「──────────」

ぐらり、と一瞬目の前が歪んだように見えた。
士郎が想像したのはかつて自分がいたあの火災だった。
火災で焼けただれた人間が自分の前に横たわっていた。そんな光景を思い出す。

「ちょっと、士郎? 大丈夫?」

顔に手をあてた士郎に凛が声をかけてきた。

「あ、ああ………大丈夫。───それで、この結界は破壊できないのか?」

「試したけど無理だった。結界は恐ろしく高度で十中八九サーヴァントの仕業。私じゃせいぜい結界の基点を壊して一時的に弱めて結界の発動を先延ばしにするだけしかできない」

「先延ばしにできるってことは………遠坂がいれば結界は張られない?」

尋ねる士郎だったが、凛の表情は冴えない。

「………そう願いたいけど、そう都合のいい話はないでしょうね。現に結界は張られていて、発動のための魔力は少しずつ溜まってきてる。アーチャーの見立てだとあと数日程度で整ってしまうとか」

はぁ、とため息をついてしまう凛。
破壊したくとも破壊できず、先延ばしもそう続かないのではため息の一つも出るのは当然だろう。

「マスターか、サーヴァント。このどちらかがその気になれば学校は地獄に変わる。それまでに見つけ出して叩かないといけない」

「………けどさ、遠坂。学校に結界が張られた時点でソイツの勝ちのようなもんだろ? ならマスターは結界が発動するまで表には出てこないんじゃないか?」

放っておけばあとは発動するだけの結界で、自ら発動前に表に出てくるとは考えにくい。

「そうね、恐らくマスターは出てこないでしょうね。とことん逃げ込む気だろうし。………となれば」

「サーヴァント、ってことになるけど。………ライダーがこの結界を張ったんじゃないのか?」

昨日士郎を襲って来たサーヴァント、ライダー。
綾子、一年の女子生徒とこの学校の生徒をターゲットにしている節がある。
現在考えられるサーヴァントはライダーが一番確率が高かった。

「可能性はかなり高いわね。マスターが見つからない以上はライダーを探すしかないけれど………それも望み薄ね。昨日の件もあるでしょうから、結界発動まで姿を見せないと思うし」

つまりマスターは誰か判別できず、ライダーは居場所がわからない。
となれば現状打つ手はなく、基点を破壊して結界完成の妨害をし続けるしかない。

と、ここで無機質なチャイムが鳴り響いた。
次は5限目である。

「とりあえず話は打ち止め。学校が終わったら病院行くんでしょ? 教室の前で待ってるわ」

じゃあね、と告げて凛は屋上から去って行った。

「──────────」

士郎の気分は優れない。
この無関係な人達を殺してしまう結界が張られていて、それで破壊もできない。
止めるにはマスターかサーヴァントを探さなければいけないが、手がかりもないために見つける事もできない。

「………大量殺戮者じゃないか、こんなの」

ぎり、と歯を食い縛る。
無関係な人間を巻き込むだけではなく、殺してしまう結界。
それはあの時の火災と同じ。
無関係なのに巻き込まれて、何もわからないまま死んでいく。
それはあってはならないこと。
無意味に死んでいくことなんてあってはならないこと。

「結界が発動される前に見つけて、何が何でも止めさせないと………!」

寒い冬の屋上を士郎もあとにした。


─────第三節 病院─────

5限目が終わり帰りのホームルームが始まる。
これから私、衛宮、遠坂嬢、美綴嬢、由紀香の5人で蒔の字が入院している病院へ向かうことになっている。

「帰りのホームルームを始める。全員、静かにするように」

葛木先生が教室に入ってきて声をかける。
その声で静かになり、帰りのホームルームが始まった。

「今朝話した通り、今日は放課後の部活動は禁止だ。各自速やかに家に帰宅し、以後家から出ないように。また明日からは朝の部活動は禁止だ。今朝の部活動で怪我人が続出している。部活動に励むのはいいが、体はきっちりと休ませるように。─────以上だ」

「起立─────礼」

こうして帰りのホームルームが終わり、教室から生徒の姿が減っていく。

「氷室、美綴。お前たちも早く家に帰る様に。親に心配かけないようにな」

相変わらずの表情でそう言い残して葛木先生は教室から出て行った。

「親に心配かけないように、か。………まあ、ある意味配慮はしての、っていうことではあるんだけどな、氷室」

「仕方がないだろう。私達のいる状況は普通ではないのだから」

そう、仕方がない。
けれど、それだけで終わらせようとは思わない。
何か一つくらい衛宮や遠坂嬢の手助けくらいはしたいものである。

「終わったか、美綴、氷室」

教室から廊下へ出た先に、衛宮がいた。

「お、衛宮。待ってたのか」

「ああ、ちょっと早く終わったからな。………遠坂と三枝は?」

「おまたせ」

私達の後ろから由紀香と遠坂嬢が出てきた。

「さて、それじゃあの陸上バカのお見舞いに行きましょう。お見舞い品は………スタンダードに果物とか花とか?」

「病院に凝ったものを持って行ってもあまり意味はないだろう。遠坂嬢の言う通りの品物で大丈夫ではないのか?」

そんな事を相談し合いながら校舎を降りて校庭へでる。
学校から病院まで歩いていこうとするとかなり時間がかかるために近くのバス停からバスに乗って向かう事となる。

校門を出てバス停へ。
私の前方には遠坂嬢と美綴嬢が並んで歩き、その後ろで由紀香、私、衛宮という順番で歩いている。
前の二人は二人で何やら話に花を咲かせている様子。

「ここから大体15分くらいだよね、鐘ちゃん?」

「ああそうだな。しかし行く前に見舞いの品を買わねばいけないから途中で買い物をしていく必要がある」

「バス停から病院に向かうまでに買える場所ってあったっけ?………なかったような気がするんだが」

衛宮が病院の周囲のことを思い出している。
が、どうも思い当たる場所がないらしい。

「ああ、確かになかった。となるとどうする? バスで約15分。歩いていくとその倍はかかるとみていいだろう」

う~ん、と衛宮が考え込む。
しかし私はニヤリ、と笑った。

「確かに“バス停から病院へ向かう道筋”には買える店舗はないが“バス停に近い場所”ならそういう店はある。そちらに向かえばいいだろう?」

「………氷室。それを早く言ってほしかったな」

「君が“行くまでの道の間”と言ったのではないか。私としては何も間違ってはいまい? 衛宮こそ視点を“病院の傍”から“バス停の傍”に変えれば気づいただろうに」

「まあ氷室の言ってることは正しいけどさ………」

そういえば何か店あった気がするなー、などと呟きながら財布の中身を確認していた。
そんな彼を見ていると横にいた由紀香が袖を引っ張ってきた。

「? 何かな、由紀香」

対する由紀香は小声で

「やっぱり、鐘ちゃんって衛宮くんのこと好き?」

「なっ─────」

何を言うのか、と問いただそうとするがすぐ横にはその当人がいる。
コホン、と一つ咳払いをして同じく彼に聞こえないように小声で問いかける。
そんな私を見て衛宮は首を傾げて疑問符を作っている。

「何を言いだすのだ、由紀香。第一どこを見てそう感じた?」

「だってさっき衛宮くんと話してるとき笑ってたよ? それに今も少し顔が赤いし………」

「それは由紀香がそんなことを言い出すから慌てたのだ。それに笑ったのだって………彼の言葉の隙をついたからであってだな………」

「何そんな小声で話してるんだ?」

私の隣を歩いていた衛宮が声をかけてきた。
まあ彼からすれば二人でいきなり小声で内緒話をし始めたのだから気になるのは当然だろう。

「あ、ううん? なんでもないよ?」
「あ、いや。大したことではない」

「? そうか、なら別にいいんだけど」

そんなやり取りをしながらバス停に到着。
ほどなくしてバスが来てそれに乗り込む。
ここからは約15分のバスの旅である。



冬木総合病院。
総合、と言うだけあって冬木市の中にある病院でも大きい部類にはいる病院。

「──蒔寺楓さんの病室は207号室です」

「そうですか、ありがとうございます」

聞いた病室へ向かう。
どうやら個室らしいので5人で行っても問題はないとのこと。

「失礼します」

コンコン、とノックをして中に入る。
そこには眠っている状態の楓の姿が─────

「おぉっ!? 由紀っちにメ鐘!あと遠坂に美綴もいるじゃん!………あ、衛宮もいた」

いなかった。

「………思った以上に元気そうね、貴女」

少し呆れ顔の凛。
綾子が持つ見舞いの品に視線がいき、楓が興味津々な様子で尋ねてきた。

「へへ、まぁね。っと、お見舞い品か? どれどれ………って花かよ、どうせなら食べもの持ってきてくれればよかったのにさー」

中身を見て不満をまき散らす楓。
そんな姿を見てほっと一安心の由紀香と鐘。

「すまないな、蒔の字。君がまだ目が覚めていないかもしれないということで花にしたのだが………この分を見るとその心配は杞憂だったな」

「蒔ちゃんが元気そうでよかったぁ」

「悪い悪い、心配かけちゃって。昼前に目が覚めてさー。お腹減って死にそうだったんだよねー」

「だから食い物のお見舞い品がよかったってか。あんたは相変わらずだね」

花を括っていた輪ゴムと新聞紙を外す。
安くもないが高くもない、至って普通の花。

「で、他の4人はいいとして。何で衛宮までお見舞いにきてるんだ?」

「なんだ、まるで俺がいたらおかしいって感じだな」

花瓶に水を入れて綾子から花を受け取り、ベッドの傍の台に置く。
なるほど、病室に花はそれなりに絵にはなる。

「だってクラス違うし?」

「一応知ってる奴が入院したっていうから他の人と一緒に見舞いに来たんだけど」

ふぅん、と特に気に掛ける様子も無く適当に相槌をうつ楓。
そんな彼女に凛が本題を聞く。

「で、昨日何かあったの?」

「あ、またその質問ー? それ聞き飽きたんだよなー。昼過ぎたくらいに警察の人きてさー」

どうやら昨日のことはすでに警察に話したらしい。

「蒔の字。TVでは事件に巻き込まれたと報道されているが………本当か?」

「それがわからないんだよねー。昨日、ちょっと用事で夜出歩いてたところまでは記憶あるんだけど………そのあとの記憶がなくてさー。気が付いたら病院で寝てましたっていうオチ」

「つまり鐘ちゃん、何も覚えてないってこと?」

うん、と答える楓。
そんな彼女の反応を見ながら士郎と凛は小声で彼女に起きたであろうことを推測する。

「遠坂。これ、どう思う?」

「記憶を消された………という可能性もあるわね。もしくは何が起きたか確認できないまま気を失ったってことも。話だけじゃ判別できないわね」

ならば有益な情報を手に入れるべきだろう。
不自然にならない程度に質問をしていく。

「ねぇ、体に何か痕とか残ってるとか聞いたけど、それってどんなのなの?」

「んー、ここにあるらしんだけど自分じゃ見えないんだよねー」

そう言って楓は自分の首筋付近を撫でている。
その部位に覚えがある凛。

「ちょっと見せて」

凛が覗き込んでその痕とやらを確認する。
そこには確かにおかしい傷があった。
そしてそれを凛は一度見ている。

(─────これで犯人は確定したわね)

「で、蒔寺。アンタいつくらいまで入院することになってるんだ?」

綾子が傍にあったカレンダーを見ながら尋ねる。
今日は2月5日火曜日である。

「んー、大事をとってあと1日か2日は様子を見ようだってさ。まあその時に容体が急変したら話は別だろうけど、このままいけば明後日くらいには退院かなー」

「ま、今のあんたを見てる限りじゃ今日退院しても問題なさそうだけどね。じゃあ残り1日2日ほどゆっくり療養しとけよ」

「それじゃお暇するわ。また学校でね」

「蒔寺、しっかり休めよ」

「蒔の字。何かあれば私の携帯に連絡してくれ」

「蒔ちゃん、また学校で会おうね」

時間にしてそう長い時間ではなかったが、特に深刻な状況ではなかったし、当の本人は先ほどのようにピンシャンしているので大丈夫だろう。
病室を出て病院を出る。

「ではここで解散というわけかな。由紀香はこの後どうするのだ?」

「私はこのまま家に帰るよ。鐘ちゃんも家に帰るの?」

「ああ、帰ることには帰るが少し寄る場所があるのでな。そちらに向かってから帰る」

「それじゃ、ここでお別れだね。また明日ね、鐘ちゃん。美綴さんと遠坂さんと衛宮くんも、またねー」

手を振って由紀香が去って行った。
ある程度見えなくなるまで見送ったあとで、これからの予定を尋ねる。

「氷室、どこか寄るところがあるのか?」

「図書館に。借りていた本を返さねばいけない。ここからそう離れてないから歩いて行ける距離だ」

「ふうん、それじゃ俺もついていくよ。どうせ帰りに買い物していかないといけないし。………ってことで、美綴!」

ひょい、と手に持った家の鍵を投げ渡す。

「先に帰っててくれ。家にはセイバーもいると思うし」

「ああ、わかった」

「綾子。家に帰る前に私の家によるけどいい?」

「ん? 別に構わないよ」

凛と綾子がバス停へと向かっていく。
それを確認して鐘と士郎は図書館へと向かう。


─────第四節 赤色&灰色&銀色─────

図書館に入り、入口すぐ傍にある受付で本を返す。
たったそれだけなのだが………

「………結構な広さだな」

図書館という場所に足を運ぶことがまずない士郎にとっては物珍しかった。
きょろきょろと周囲を見渡す。
とにかく、本、本、本である。図書館だから当たり前ではあるが。
学校にある図書室も一年の時に紹介された時以来近づいていない。
借りる本などないし、勉強も図書室では行わない。

(そうえいばまだ一回も図書室の備品を整備したことがないな)

もちろん、高校の図書室には本の貸し出しなどをチェックする担当の人がいる。
士郎よりも長い時間そこにいるわけだから、必要な備品は自分で用意するなどする。

つまり図書室の備品は士郎に頼まれる前に修理などの処置が行われている。これに該当するのは他に職員室や生活指導室など。
所謂『先生が使う頻度が高い場所』は士郎の手を必要としていない。(その前に事務系の人がやってしまうから)

─────ちょっとなんとなく先生方がズルく思えてきた士郎に鐘が声をかけた。

「どうしたのだ、衛宮。何か興味深い本でも見つけたのか?」

「あ、いや。そういえば図書館なんて滅多に来ないなーって。学校の図書室もほとんど利用していないしさ。何ていうか図書館の雰囲気を感じてた」

「なんだ、君は調べものをする際に図書館は利用しないのか?───まあ今はネット社会だから、検索をかければ大抵はわかってしまうか」

「ちなみに俺はパソコンも持ってないけどな。バイトしたり家事したり手伝いしたり鍛錬したりで忙しいからそんなところに行くことも少ないんだと思う」

図書館の自動ドアをくぐり外へ出る。
まだ日が高いとはいえ外は寒い。時折吹く風が体温を奪う。
そんな中を二人は商店街へ向けて歩いていく。

「確か君は携帯も持っていなかったな。………何か一昔前の人物のように思える」

携帯もパソコンも持っている鐘は、同じ現代っ子である士郎のズレを少し疑問にかけているようだ。

「まあ必要性は今のところ感じてないからいらないんだけどな。………と、あのバスか、急ごう」

前方のバス停へ走って行くバスを見て駆け足になる。
鐘もそれを見て同じように駆けだす。
丁度よくバス停にバスが止まり、乗車する。
このまま深山町方面へ乗って、商店街近くで下りて買い物をして帰れば問題はない。

「あ、そうだ。氷室」

「? 何かな」

「今日、氷室がメシ作ってみるか? 何か作りたいものあれば教えるぞ。………って言っても和食だけだから、レパートリーは限られるだろうけど」

「─────む」

そんな士郎の言葉を聞いて考え込む鐘。
鐘の料理は決して食べられない、というものではない。が、自信を持って出せない。
そんなレベルでいきなり目の前にいる士郎含めた4人に食べさせるとなるとどうしても不安が生じてしまう。

「ちなみに衛宮、何を買おうというのだ?」

「家にある食材はほとんど空だからな。今日の献立次第ってことで氷室に尋ねたんだけど。………たしかじゃがいもは少し残ってたはずだから………」

うーん、と少し考えて出た料理の名前が

「よし、肉じゃがを作ろう」



ということで現在商店街のスーパートヨエツ。

「まあ、貯金の方は気にしないでいい。生活費まで気にし始めたら聖杯戦争なんて出来たもんじゃないからな」

カゴを持って私と衛宮は店内に入っていく。

「肉じゃがを作るってことになったけど、氷室。何の食材が必要かとかはわかるか?」

どうやら課外授業の開始らしい。

「何って………じゃかいも………はあるのだったな。他に人参や肉じゃないのか?」

「ん、正解。っていうかまあこれくらいはわかるよな。それ以外にお好みでグリンピースやら椎茸や玉葱とか入れる」

野菜売り場で人参をカゴに入れ玉葱、グリンピースをいれていく。

「グリンピースを入れると見た目もよく見えるから買っとこう。んで、もう一品くらいおかずとして欲しいよな。何にするか。氷室は何か作りたいとか、これなら作れるってやつあるか?」

「………あることにはあるが………」

………言いにくい。
私の母親はフランス料理が得意。当然、教えてもらったのもフランス料理なのだ。
よって和食でいこうとしている衛宮に言うには少し抵抗がある。
が、言ってしまってフランス料理に切り替わったら切り替わったでとんでもなく困る。
先ほど衛宮が言った『和食だけ』ということはつまりフランス料理は教えることができないということ。
となると、フランス料理でいこうとすると私自身が先導することになるのだが間違ってもそれはできない。
加えて教わったといっても一人だけで作れるほど教わったわけでもないのでやはり言い出せない。

「氷室? どうしたんだ?」

「あ、い、いやなんでもない。そう、だな。魚ものを食べてみたい」

苦し紛れに目についた魚を言葉に出す。
………こんなことならもうちょっと母親に教わっておけばよかった。

「魚ものか。さて………何がいいかな」

途中で豚肉をカゴに入れて魚売り場へと向かう衛宮。
その後を私がついていくのだが………何かこの光景はまずい気がする。
はたからみたら学生服の男女が夕飯の献立を相談しながら店内を歩いている。つまり、その、あれだ。
………いけない。落ち着け、落ち着け。

「………お。鰤が安いな。ってことは鰤の照り焼きに………いや、ここはもう一捻りして鰤大根にしてみるか。氷室はそれでいいか?」

「あ、ああ。私はそれでも構わない」

「? どうしたんだ、氷室。顔赤いぞ? 熱でもあるのか?」

寧ろ平常運航している君がうらやましい。
あれか? 私一人だけ暴走してしまっているという状況か?
それとも君は何も感じていないのか?
………それはそれで悲しくなるかもしれないが。

「いや、私は─────」

視線を戻した先に見えたのは。

「ん、熱はないみたいだけど。無茶するなよ? 疲れてるなら言ってくれたら早々に切り上げるから」

手が私の額に添えられていた。

「────!!??」

ババッ!と身を退く。
そんな私を見て衛宮が少し驚いた顔をしているが、それどころではない。
周囲に人がいないかを即座に確認する。

─────よかった。幸運にも誰もいない。
まだ早い時間だっただけに買い物に来ている主婦たちはいないようだ。

「ど、どうした、氷室?」

「─────君はもう少し周囲への配慮をしてもらいたいのだがな」

ふぅ、と落ち着かせて買い物を再開する。
これで献立は肉じゃがと鰤大根とおかずが決まった。

「となると、常識的に考えて後は味噌汁か。何を作るつもりでいるのだ?」

「そうだな。ま、ここは簡単に玉葱の味噌汁ってことでいいか。ちょうど入れてるし」

その後も様々な食材や調味料などを購入し、『誰が何を作っても大丈夫』なぐらいの量と種類を購入した。
金額は軽く1万を超えていたような。
で、当然袋いっぱいになるわけであり。

「………衛宮。もう少し持とうか?」

私が比較的軽い袋一つに対して

「いや、大丈夫だ。これくらいなら平気だからさ。さ、帰ろう。」

私の後ろにいた衛宮はその5倍近くの袋を持っていた。

スーパーの外へ出て衛宮の家へと足を向ける。
意気揚々と帰ろうとしている彼のすぐ傍に小さい子供がいた。
その子供はくいくい、と衛宮の服を引っ張っている。

「あ…………」
「なにごと………?」

衛宮が振り向いて、彼女が完全に見えた。
その少女には見覚えがあった。
見間違いなどせず、忘れるわけもない。
銀色の髪をした、幼い少女。

「な、ええ───!?」

驚いた衛宮が一瞬で跳び退いて私の前に立つ。
咄嗟に構えた衛宮を見て、にこやかに立っている少女。

「「………?」」

何か雰囲気が違う。
あの時………あの夜とは雰囲気が違う気がする。

「よかった。生きてたんだね、お兄ちゃん」

そう言って嬉しそうな顔をしてくるのだからいくら私でも訳がわからなくなってきた。

「え─────と、たし、か………イリ、ヤ?」

彼も混乱しているのだろう。
彼女の名前を呟く程度に言葉に出した。

「─────え?」

それを聞いた彼女はきょとんとした顔で此方を見ていた。

「あ────いや、違った………!イリヤス………そう!イリヤスフィール・フォン・アインツベルンだった………!間違えてごめん!」

そう言って頭を下げる衛宮。
対する少女は少し不満げな顔をして

「─────名前。貴方達の名前、教えて。私だけ知らないって不公平じゃない」

そんな言葉を聞いてぽかん、としてしまった。
衛宮と顔を見合わせる。
もちろんあれは幻想の類ではないし、今聞いた言葉だって幻聴ではないだろう。

「聞こえなかったの? お兄ちゃんたちの名前、教えて。私だけ知らないの不公平」

何というか歳相応の反応を見せるのだから、戸惑ってしまった。
まあこのまま泣かせるわけにもいかないので自己紹介くらいはしてもいいだろう。

「俺は衛宮、衛宮士郎っていうんだ。で、俺の後ろにいる人が氷室鐘っていう人」

「エミヤシロ? 不思議な発音をするんだね、お兄ちゃんは。それとヒムロカネ、か」

「氷室の発音はあってるけど、俺のが違うぞ。それだと『笑み社』じゃないか。衛宮が苗字で士郎が名前だ。呼びにくかったら士郎でいい」

「『笑み社』か。………ふむ、悪くない」

「氷室ー、何考えてるー?」

彼女の発音があまりに奇天烈だったため、少し面白かった。
で、私につっこみを入れてくる衛宮を宥めていると………

「むー、楽しそうだね。えっと、こういうのってなんていうんだっけ?」

「? 何?」

「たしか、えっと…………そう!夫婦漫才!」

えっへん!と胸を張る少女だったのだが、言われた私達は当然固まってしまう訳で。
というか彼女はその意味を理解しているのだろうか。いや、きっと理解していない。
周囲の人が何やらひそひそ話をしているけどきっと気のせい。

「シロウ、シロウ………か。うん、気に入ったわ。響きがキレイだし、シロウにあってるもの。これならさっきのも許してあげるー!」

そんな周囲の目を気にしないで私の開いている手と衛宮の手を自分の体に引き寄せる様に抱き着いてきた。

「ちょっ───!? まままま待て、イリヤスフィール!何するんだ、お前………?!?」

「ううん、さっきみたいにイリヤでいいよシロウ!あ、カネもね!私もシロウとカネって呼ぶんだからこれでおあいこだよねー」

買い物袋をぶら下げた学生服を着た男女二人にしがみつく少女というこの構図。
周囲が何かトンデモ発言を言ってる気がするが聞こえない。というより認識したくない。

「ま、待ってくれイリヤスフィ………じゃなくてイリヤちゃん。君は何をしに私達に会いに来たのだ? こうしてくるところから見て前の続き………という訳ではなさそうだが、ただの偶然だろうか?」

「だーかーらー、イリヤでいいよ、カネ!私はセラの目を盗んで、わざわざシロウに会いにきたんだよ。だからシロウ、コウエイに思ってよね」

話を聞く限りでは衛宮に用事があって会いに来たとの事。

「─────えと、それは戦うつもりでってわけじゃなくて、単純に会いに来たってことか?」

「うん、私はシロウとお話しにきたの。今までずっと待ってたんだから、それくらいいいでしょう?」

「─────」

困った様子で私に視線を向けてくる。
いや、私に救援を求められてもどうしようもないのだが………。

「………イリヤ。君は戦いに来たわけじゃないと言ったが本当なのだろうか?」

とりあえず大事な事を尋ねておく。

「? そうだよ。第一まだお日様高いじゃない。お日様が出てる間に戦ったらいけないんだよ? それにシロウもセイバー連れてないし私もバーサーカーは連れてない。ほら、おあいこ」

どうやら本気で話をしたいらしい、と衛宮にアイコンタクト。

「それともシロウは私と話すのはイヤ?─────うん、シロウがイヤなら帰るよ。本当はイヤだけど、したくないことさせたら嫌われちゃうから」

イリヤは彼の顔をしっかりと見上げている。
何か悲しそうな顔をする彼女を見て衛宮は

「わかった………話だな。じゃあとりあえず別の場所に行こう。あと離れてくれないか、イリヤ」

「やった!それじゃ、近くに公園があったからそこでお話ししよう!」

彼が言うや否や、彼女は舞う様に走り出した。

「ほら、早く早く!急がないと置いていっちゃうからね、シロウ、カネ───!」

「………衛宮に用事がある筈なのに私もなのか?」

「───ま、なるようになるだろ」

ここまでされてついていかないわけにもいかなくなったのでついていくことにした。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第21話 行動準備
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:13
第21話 行動準備


─────第一節 イリヤと公園─────

公園には誰もいなかった。
砂場で遊ぶ子供もいなければ、ブランコに揺られる子供もいない。
こんな小さな公園はもう流行らないのか、はたまた最近の事件の所為で外で遊べずにいるのか。
それに寂しさや憤りを感じながら、ベンチに三人で座る。
傍目から見ればおかしな光景。
士郎と鐘は同年代に対して、イリヤはどう見ても歳が離れているうえに外国人。
姉妹や兄妹には見えず、友達としても見えないだろう。

「………で。話って何話すんだ? 誘って来たからには、何か訊きたいコトがあったのか?………もしかして、セイバーのコトとかか?」

「え? なんでセイバーのことなの?」

「だって俺たちマスターだろ。敵サーヴァントの事は知りたいと思うだろ」

「イヤよ、そんな話つまんない。もっと面白い話をしてよ」

「つまんないって言われてもな………。じゃあイリヤは何が面白いんだ? 俺はイリヤの事をよく知らないから何を話していいかわからない。訊かれたくないこと訊かれて嫌な思いはしたくないだろ?」

「あ………うん。それはそうだけど………。じゃあ何を訊けばいいのかな。シロウ、何を訊いても怒らない?」

心配そうに尋ねるイリヤを見て士郎は

「ああ、なんとか。俺の方がお兄ちゃんなんだから、大人な対応を努力する」

と答えた。
それを聞いたイリヤは満面の笑みを浮かべて


「そっか。じゃあシロウ、私のこと、好き?」


「ぶっ─────!!」

体内の空気を全部吐き出してしまうような勢いで吹いてしまった。
横で聞いていた鐘も驚いた表情を隠せなかった。

「あ、嘘つきだっ。シロウ、怒らないって言ったのに怒った!」

「ば、ばか、怒ってない、むしろ呆れてる!人をぶった斬っといて好きか嫌いかもないだろ!」

「なによ、あれは違うもん!シロウがよわっちいくせに飛びだしてくるからじゃないっ!わ、私は悪くなんてないんだからっ!」

「悪くないワケあるかー!初めから殺る気満々だったくせに………それがどうしてこう、突拍子もなく好き嫌いの話になるんだっての」

「!え、衛宮………!」

「………あ」

気付いたときはもう遅い。
ぴくり、と肩を震わせてイリヤは黙り込んでしまった。

「………あー、イリヤ?」

僅かに見える顔にはわずかに涙が見えた。

「っ………なるもん。なによ、シロウのバカ。私が止めてあげなくちゃ死んでたクセに、口だけは達者なんだから」

「……………」

俯くイリヤと横にいる鐘に視線をやる士郎。
彼と目が合い、鐘は無言で首を縦に振った。

「────こほん、あー、そのな、イリヤ」

一呼吸置いて士郎は口を開く。

「───知り合ったばかりでイリヤのコトはよく知らないけど、イリヤは嫌いじゃないぞ。少なくとも、今みたいなイリヤだったら仲良くなりたい」

「───ほんと?」

「あー、その、妹みたいで楽しい。これは嘘じゃない。………信じてもらえるか?」

士郎の言葉を聞いたイリヤは満足そうに笑った。

「うん!シロウがそういうなら信じてあげる………!」

ばふっ、とタックルの如く士郎の腕に抱き着いてきたイリヤ。

「………ったく、なんなんだ、お前」

士郎は文句を言いつつもイリヤの髪を撫でている。
手触りはやはりと言うべきか、女の子なだけあってさらさらである。

「………衛宮。文句を言う割にはそれほどでもないという顔だな。もしかすると君はそちら方面に気があったのか?」

そう言ってくる鐘はどこか笑っているようにも感じる。

「冗談言うなよ………。けど、まあ………悪い気はしないのは確かかな。敵意なんてないんだから慌てるのも失礼だろうしさ」

「ふむ………。想像以上の大物だな、君は」

「むー、シロウ!カネとばっかり話してないで、私ともお話しよう!」

抱き着いてきたイリヤが右腕を振る。

「はいはい………」

撫でていた髪を見る。

「イリヤの髪は綺麗だな。………雪みたいだ」

「あ、シロウも父さまと同じこと言ってくれた。父さまもね、イリヤの髪は白くて雪みたいで綺麗だって言ってくれたんだよ。この髪はね、イリヤの自慢なんだから。私の中で唯一女の子らしい、母さま譲りの髪なんだ」

嬉しそうにイリヤは笑う。
その姿を見ている二人は麻痺してしまいそうなくらい違いを感じられた。
バーサーカーのマスターとして二人が自分の目で見ていなければまずそれを嘘だと言って斬り捨ててしまうだろう。

「イリヤ嬢の母親か。イリヤ嬢がこんなにも綺麗なのだから母親もさぞかし美しかったのだろうな。名前は何というのだ?」

「アイリスフィール。アイリスフィール・フォン・アインツベルンだよ」

嬉々として答えるイリヤ。母親が褒められたことは子供にとってうれしいものだろう。
何気なく訊いた問い。そして何気なく帰ってきた回答。
しかし。

「アイリスフィール…………?」

その言葉を聞いて引っ掛かりを覚える。
どこかで聞いたような、そんな感覚にとらわれる。
そんな鐘などお構いなしにイリヤはシロウに話しかけてきた。

「ね、シロウは? シロウはお父さんから譲ってもらったものってあるの? あ、魔術刻印っていうのはなしよ。マスターとしてじゃなく、お父さんとして譲ってもらったものだよ」

「え? 俺………? うーん………最後に貰ったのは家かな。その前は苗字。で、最初に貰ったのは………死にかけてたこの命、かな。イリヤみたいな肉体的特徴は受け継がなかったけど、それに負けないくらい多くのものは受け継いだと思う」

士郎の言葉を聞いて我が身のことのように笑うイリヤ。

「けど、その言い方だと魔術刻印は受け取らなかったみたいよね。おかしいなあ、それじゃシロウはマスターじゃないの?」

「? 魔術刻印のない半人前のマスター………ってところかな。そういうイリヤはマスターだから魔術師だよな」

「え? 私は魔術師じゃなくてマスターだよ? 普通の魔術なんて習わなかったし」

「はあ………? じゃあイリヤも魔術刻印を持っていないのか? あれだけのサーヴァントを従えてるのに………」

「バーサーカーは私のサーヴァントだけど………魔術刻印ってマスターになる為のものじゃないの? だから私はマスターだよ?」

はてな、と首を傾げるイリヤ。
対する士郎もまた首を傾げるしかなかった。

「氷室、この会話をどう思う?」

隣で何か考え事をしていた鐘に声をかける。

「え? あ、いやすまない。少し考え事をしていたので話を聞いていなかった」

「そうなのか。いや、ならいいんだ」

会話のキャッチボールがちゃんとできていないのが少し気になっている士郎だった。



ありきたりな話からなんでもない話。
色々な話をした。士郎とイリヤで話していて、時折士郎の隣に座っている鐘に話が振られてくる。
そんな会話だった。
そんな会話をイリヤは喜んで聞いていた。
会話が一段落したところで次の話は何か、と尋ねてくるイリヤ。
しかし流石にネタが早々に思い浮かんでもこなくなってきたので、イリヤは何か訊きたい事あるか、と士郎が尋ねる。

「そうね………」

チラリ、とイリヤが鐘を見る。

「じゃあ、シロウとカネのこと聞かせてよ」

そんな言葉に疑問を持つ鐘と士郎。

「イリヤ………俺はともかくとしてもなんで氷室のこともなんだ?」

「当たり前でしょ、英霊相手にシロウを庇うような仕草をした一般人カネに興味を持つのは。普通の人間ならそんなこと絶対しないもん」

む、と言って黙ってしまう。
確かに常識的に考えれば鐘が士郎を庇うようにたとえ半歩であっても前にでることなんてない。

「それにシロウが倒れたあと、カネってば近くにバーサーカーがいるにも関わらずに近づいてきたじゃない。私が攻撃を止めとかないと二人とも死んじゃうっていうのに」

押し黙ってしまう鐘。
確かに今思えば無謀以外の何物でもないだろう。
サーヴァントでも、ましてや魔術師でもない彼女がサーヴァントの前に出る行為など無価値で無意味だ。

「それは俺が不甲斐無い所為だ、イリヤ。別に氷室が特別力を持ってるから何かしようと前に出たとか、そんなんじゃない。そうだろ?」

隣に座る鐘に確認をとる。
が、ここで素直に肯定すればそれは『衛宮士郎は不甲斐無い奴』も肯定することになってしまうのでうなずくことはできない。
少なくとも鐘自身は彼が不甲斐無い、なんて微塵も思っていないのだから。
だから否定する。

「衛宮。別に君が不甲斐無いという理由で君の前に出たわけではない。むしろ君には感謝しているのだからどう間違ってそんな感想に成りえると言うのかを私が聞きたいくらいなのだが」

鐘にとってこれは本心である。
助けて貰ったのにその助けてくれた人物を不甲斐無いと両断する気はないし、するつもりもない。
が、士郎にとっては負い目を感じている部分があった。

「いや………ほら、あの時学校で、家で言ったろ。にも拘わらずさ、結局俺はただランサーにやられていただけだ。セイバーがいなかったら俺も氷室も死んでた」

つまり、結果的には両者とも生きているが士郎にとっては彼女に対して嘘を言ってしまったと思っているということ。
セイバーに頼りっきりで自分は何もできなかったこと。
それが回りまわって鐘に申し訳ないという気持ちへと行き着いていた。

「え、何? シロウってばサーヴァント相手に一人で戦ったの?」

信じられない、という面持ちを見せるイリヤ。
事情を知っている魔術師ならば至極当然の反応だろう。
そんな彼女の反応に苦笑しながら

「戦ったっていっても一方的にやられてただけだけどな。一矢報おうにも報えなかったし、俺は何もできてないよ」

「そんなの当たり前じゃない。シロウじゃランサーどころかサーヴァント中最弱のキャスターすら倒せないわよ」

士郎の言葉を聞いて怒ったような、呆れたような、そんな態度を示した。

「シロウ、駄目なんだからね。私が知らないところで勝手に死んだら」

むー、と睨みつけてくるイリヤだったが8歳前後の子供が睨めつけてきたところで恐怖など微塵も感じない。
あの夜のイリヤならば話は違うかもしれないが。

「わかったよ」

気にかかる物言いだったが、特に深くは考えないことにした。

その後少しして、イリヤはバーサーカーが起きる時間だと言って公園を出て行った。
どうやって帰るのか、と聞いたところ

「車だよ?」

と言ったので誰か保護者がいるものだと思っていたのだが、イリヤの後についていって見た時は唖然としてしまった。
そんな士郎と鐘を余所に普通に運転席に乗り込んだイリヤは意気揚々と帰って行った。

しばらく硬直したまま動けなくなったが

「………帰るか、衛宮」
「………そうだな、氷室」

さっきみた映像は忘れることはないだろう、と思いながら二人は家へと足を向けた。


─────第二節 話に華を咲かせて─────

学校が5限………つまりは午後2時半には終わってから病院、図書館、スーパー、公園と歩き回って気が付けばすでに周囲は薄暗くなっていた。
交差点に差し掛かったところで、士郎は鐘に一つ質問をする。

「なあ、氷室。自分の子供のころのことって覚えているか?」

交差点の信号が青になるまで幾許かの時間。
その合間を縫って出された質問。

「? 突然何を言い出すのかな。子供のころ………といっても定義は広いぞ。中学生のころか? 小学生のころか?」

「小学生………の低学年か、それよりもう少し前くらいかな」

彼の言葉を聞いて考える。
月日にすれば大体10年前だろう。そのときのことについて思い出してみる。
真っ先に思い浮かんだのはあの火災だが、恐らく彼が聞きたいのはそれではないだろうと判断し別の何かを考える。

小学校低学年。
無論鮮明になど覚えている筈もないが、物心はすでについていたのでぼんやりと思い出せる。
小学校入学時。
一年生の教室で親の顔を探しながら先生の言葉を聞いていたという記憶がある。
では入学前は?

「……………」

火災のことが蘇る。
それは正解ではない。10年前の火災といえば小学校1年の冬あたり。
彼が問うている時期はそれよりも前なのだから正解の解答ではない。
というのに、しかしそれしか思い浮かばないあたり何ともやるせなくなってくる。
隣にいる衛宮士郎という存在は火災の所為で生まれ変わったといってしまうほど過去のことを覚えていない。
そして自分もまた、火災の印象が強すぎてそれ以前の記憶がかなり曖昧になっていた。

「………誰かと遊んでいた、とか。どこかへ遊びに行った、程度しか覚えていないな」

胸が痛む。
慣れたはずの痛み。気にならない痛み。気にしない痛み。誰にも言うことのなかった痛み。表情にも出さなかった痛み。

「そうか」

たった一言そう言って青になった交差点を渡る。
鐘もまた士郎の後を追うように交差点を渡って行く。
坂道。
ここを登りきれば家はもうすぐそこである。

「衛宮、一つ尋ねていいかな」

「別にいいけど」

声をかけられて歩きながら後ろを振り向く。

「なぜ唐突に子供のころのことを聞いたのだ? 質問の出所はなんだ? 疑問には理由がある筈だろう? それを聞かせてもらいたいのだが」

例えばの話。
友人がいきなり唐突に何でもない質問を尋ねてきたとする。
当然訊かれたからにはその質問には答えるだろうが、同時に『なぜそんなことを訊いてきたのか』という疑問を持つのは普通だろう。
鐘もまたそう思ったから聞いただけに過ぎない。

「イリヤを見てるとさ、氷室の小さい頃もあんな感じだったのかなって思ったから聞いただけだ。別に深い意味はないぞ」

士郎が返してきた理由はそれだった。
何となくわからなくもなかった。

「そういうことか。理由はわかったが衛宮、“銀”と“灰”は違うぞ?」

「けど、似てるだろ」

そんな会話をしながら家へと向かっていく。



「じゃがいもはこうして皮を………そうそう。で、切った後は─────」

現在衛宮邸の台所にはエプロン姿の士郎と鐘が居た。
現在鐘は士郎に肉じゃがの作り方を指導してもらっている。
士郎の料理に対する指導は中々厳しいものがあった。
が、それで根をあげるほど鐘も弱くはないので、何とか食らいつくように懸命になって料理の指導を受けている。
フランス料理を習っていた(といっても手伝えるレベル)鐘はそれこそ包丁を持つのも初めてというわけではないが、士郎から見れば初心者レベルだった。

鰤大根を作るために、大根を切ったり、鰤の用意をしたり。
味噌汁に肉じゃがに鰤大根にとよくもこれだけ同時進行しながら混乱しないものだと鐘は半ば自分を褒めながら料理を教授していた。
そうして出来上がった時刻は定刻よりも若干遅め。
何やらセイバーは耐えかねてダンボール単位でもらった蜜柑を10個程度頬張っていたが気にしなことにしよう。

並べられたメニューは鰤大根に肉じゃが、玉葱の味噌汁に白米と漬物。
漬物に関してはもとから冷蔵庫にあったものだったが、他は全て作ったものだった。

出来上がってテーブルに並べられた夕食を見て鐘は一つため息を漏らした。
最初から上手くできるようであるならば教えなど必要ない。上手くできないからこそ教えてもらい、精進する必要があるのだ。
そうはわかっていてもため息をつかずにはいられない。
教わって食べさせる相手が一人ではなく4人もいるのだ。
しかもその全員が料理上手(4人のうち一人はカウントしない)なのだから、どういった反応が返ってくるのか気が気ではない。

だが予想に反して帰ってきた反応は

「教えて一日目でこれか。もう俺いらないんじゃないのか?」
「………うん、なかなかできてるじゃない、氷室さん。士郎のおかげかしら?」
「氷室、本当に料理できないのか? 十分食べれるぞ?」
「ヒムロ、問題はありません。シロウ、ご飯のおかわりを」

意外にも賛辞の言葉だった。

「え………?」

知らずのうちに声を出していた。

「氷室、教えて一日目でこれだけ作れるなら問題はないって。そりゃお客さんに出すにはまだかもしれないけど、ちゃんと料理になってるし食べれる。これで和食初めてなんて言うんだったら………」

呆れ顔で鐘を見てくる士郎。
そんな姿を見て凛が

「士郎が手伝ったからじゃないの? 初めてのわりには問題ないんじゃない?」

「いや、手伝いはしたけど味に関してはほぼノータッチだ。桜にも料理を教えた事もあるし、教え方は心得てるつもりだ」

ふぅん、と頷きながら箸を進める凛と士郎。
綾子もまた

「しかし衛宮が少しは教えたのも事実だろ? よかったじゃん、氷室。いい師匠見つかって」

陽気に笑いかけてくる綾子の隣ではセイバーはもくもくと食べている。
すでにおかわりは3杯目であった。

「あ………そうか。………それはよかった」

4人の意外な反応と、綾子の言った言葉に納得し、教えてくれた士郎に感謝しながら自分もまた箸を動かすのだった。


─────第三節 方針─────

夕食も終えて『後片付けも含めて料理』という士郎の方針のもとで無事すべての工程を終了させた鐘。
そんな彼女の労を労うべく食後のお茶と和菓子を用意して一息いれる。
現在時刻は午後9時。外はすでに夜で暗く、人はいないだろう。
リビングに綾子と鐘を残し、セイバー、凛、士郎は凛の部屋へと向かった。
作戦会議である。

「じゃあまずは現状の確認から。学校には結界が張られていて張った犯人はサーヴァントと思われるが正体は不明。確率的に言って昨日現れたライダーとそのマスターが高い」

「ああ。美綴を襲った事といい、恐らくは。マスターも学校関連者とみていいと思う」

「では、そのマスターとライダーをどうやって探し出すか、ですが」

「マスターと思われる反応はあるわよ。けれどそれがライダーのマスターかどうかは定かではないし、いることはわかっても誰かっていうのが明確にわからない」

「つまり………マスターを探し出せない状態ということですか」

「そういうことね。同じくライダーもあっちから行動を仕掛けてこない限り見つけれないでしょう。あとは結界発動まで隠れてればいいだけだし」

「それを少しでも防ぐために結界の基点を壊しながら捜索を続けるんだろ?」

「ええ。このまま何もしないでただ待つだけは性に合わないもの」

学校に関しての議題はこの程度。
学校に張られた基点を破壊しながら捜索活動を続け、見つけ次第叩いて解除させる。
万が一発動されたら現れるであろうサーヴァントかマスターを即座に叩き、即行で解除させる。
後手に回ってしまうのは士郎にとって許容しえないことであった。
しかし打つ手がない以上、結界の基点を破壊する凛の活動に手を貸すくらいしかできない。
そんな自分に一種の苛立ちを抱きながら学校の結界を張ったマスターを想像していた。

「ねえ、士郎。最近街中で起きている昏睡事件…………知ってる?」

「ああ。─────遠坂、やっぱりあれも………」

「ええ、サーヴァント、キャスターの仕業よ。そいつのマスターは柳洞寺にいるわ」

「柳洞寺………!? 一成のいるところにか!」

「ええ。けど、厄介な相手だがら手を出すにも慎重にならざるを得ない。霊脈を利用した魔力の収集。魔術工房。攻めようにも驚くような罠があるとも限らない。戦力は未知数よ」

ふぅ、とため息をついて

「日に日に強くなっていってるから早々に潰したいんだけど、学校の件をおろそかにもできない。よく言うでしょ、『二兎追うものは一兎も得ず』って」

そんな凛の言葉を聞いて一つ考えつく。

「なら、俺か遠坂のどちらかがライダーを牽制して、どちらかがキャスターを止めにいけば………」

「それは無理ね。大体、なんで綾子と氷室さんをこの家に泊めてるのよ」

「ぁ─────」

どちらかがライダーを、どちらかがキャスターを狙って動けば守りは完全になくなる。
つまり二人が同時に動くことは彼女たちを危険に晒すのである。当然敵はこの二人だけではない。
あの日以来姿を隠している一番の危険人物の足取りだってとれていない今、無闇に守りを解くことはできなかった。

「まったく………。この戦いを終わらせたいっていう気持ちは買うけど、もうちょっと落ち着きなさい。柳洞寺の件だってアンタ、柳洞くんが関わってるかもしれないって思って言ったんでしょ」

「う………まあそうだけど」

「柳洞くんは昨日も問題なく来てたんでしょ? なら心配することはないと思うわ。キャスターが巣を張ってるのは昨日からってわけじゃないから」

「けど、一成、何か眠たそうな感じだったぞ? それって関係ないのか?」

「なんとも言い切れないわね。単に柳洞くんが夜更かしするような事をしているってこともありえるし、学校の結界による影響ってこともある」

可能性を提示されて、それらも否定できない士郎はこれ以上何か言おうとはしなかった。
彼女の言ったことは普通に考えればあり得る話であるし、真相は明日聞けばいいだろう。

「危険度が高いのは間違いなく学校の結界よ。キャスターはまだ一線を守ってるけど、学校のアレは発動したら中にいる人を殺す。優先度を考えると学校の結界をどうにかするのが先でしょうね」

「けど、その敵は今どこにいるのか掴めていないんだろ? なら居場所が判明しているキャスターを叩きにいくべきじゃないのか。力をつけられると厄介だろ」

ライダーの居場所はわからず、マスターも不明。
キャスターの居場所は判っているが、戦力は未知数で、日に日に魔力を補充している。
どちらも無関係な人間を巻き込んでいる。
ライダーの所在が不明な以上狙うならキャスターだろうが、同時に危険でもある。
昏睡事件は数日前からすでに発生していたし、自分の城ともいえる場所ならば相応の準備をして攻略に挑まなければならない。

「士郎、戦争っていうのはね情報戦でもあるのよ。数日前にキャスターと戦ったでしょ? 相手の手の内を一体どれだけ把握できたの? 私見だけど二人がキャスターの情報を掴んでいる量よりキャスターがセイバーの情報を掴んでいる量の方が多いと思うわよ」

「─────待て、遠坂。なんで俺達がキャスターと戦ったことを知ってるんだ?」

「たまたま戦闘を感知できる範囲内にいたから気になって見に来たらアンタたちがいたのよ」

まるで気づかなかったな、なんて感想を漏らす。
それだけあの時は周囲の敵が多くて必死だったということでもあるが。

「セイバーはどう思う?」

隣にいたセイバーに話しかける。

「そうですね。確かに柳洞寺に至る霊脈に作為的なものを感じますから、リンの言ってることは間違いないでしょう。あの山はサーヴァントにとって鬼門です。軽はずみな侵攻は避けたい」

「じゃあ今夜は巡回に留めて、柳洞寺はもう少し情報を手に入れてから探りを入れるか? 相手の正体だけわかっているとは言ってもそれは相手も同じだろうし、何があるかもわからないまま突っ込むのも無謀か」

「いえ、その必要はありません。確かにキャスターが私の情報を手に入れていることは明確でしょうが、早々に決着をつけるというならば正面から力で打ち破るのみです」

「けど、それって危険じゃない? 自分が予想しえない罠で弱点とか突いてくるのかもしれないわよ?」

「むしろ好都合です。自分のことは自分が一番理解している。弱点を突いてくると言うならば突いてきたところを叩くだけです」

「………わざと狙わせてそこに合わせるように攻撃を仕掛けるってワケ。なるほど、なかなかリスキーな考えね」

セイバーの言動と現状を鑑みる。
確かに危険度はあるが、放置しておくわけにもいかない。

「よし、柳洞寺に行く。けどセイバー、相手の本拠地に乗り込むんだから慎重に行くぞ。想像以上の危険だと判断したら一旦退こう。………情けないけど、俺にセイバーの援護はできないからな」

「………判りました。最終的な判断はシロウに委ねます。どうするかは貴方が決めてください」

「─────む。それはそれで嬉しいんだが怖いな。打倒し得る脅威だったとしても臆病風に吹かれて退却するかもしれないぞ?」

「なるほど、そう言った場合も考えられますね。シロウは戦闘経験が少ないですから。ですがランサー、キャスター、ライダーと戦っている。それほど心配になることもないでしょう」

「そう言ってくれると励ましにはなる。けど、やっぱり少ないのは事実だからな。間違っていたときは忠告してくれると助かる」

「はい。ではシロウが間違っていた時は私から忠告を。勿論、それではシロウのためにはなりませんから、シロウが判断を誤った場合は、何らかのペナルティを負ってもらう事にしましょうか」

ペナルティ、という言葉を聞いた士郎は僅かにセイバーから後ずさる。

「─────ちなみに、ペナルティって、内容は何さ?」

「さぁ、それを口にしては面白くない。数少ない楽しみでもありますから、私だけの秘密にしましょう」

そんな彼女の言葉を聞いて背中に冷や汗を感じる士郎。

「なあ、一体誰の影響だ? 氷室か? 美綴か? 遠坂か? テレビか? それとも自前か?」

「面白そうね。なら私からもペナルティを出しましょうか。そっちの方がより気を引き締めることができるでしょ?」

セイバーと士郎の会話を聞いていた凛がトンデモ案を出してきた。
当然士郎は止める。

「待て、遠坂。そんなことをしなくても十分気は引き締まってるからやらなくていい。あとその笑顔が微妙に怖い」

「失礼ね。───まあいいわ。それじゃ今日は二人が外に出るってことで。私とアーチャーはこの家に残ってるから安心しなさい」

「わかった。遠坂も気をつけろよ。………今から行っても大丈夫か?」

「う~ん………少し時間帯としては早いんじゃない? あと1時間・・・くらいすれば他の奴らも活発的になると思うわよ」

「では、それまで私は道場にいます。何かありましたら呼んでください」

今日の方針を決定し終えてセイバーは凛の部屋から出て行った。
その姿を確認して士郎も立ち上がる。

「それじゃ、遠坂。帰りは待ってなくていいからな。寝てろよ」

「別にアンタに言われる筋合いはないわよ」

そうかい、と言って部屋を出て行った。
ふぅ、と一息つく凛。改めて彼と共闘関係になってよかったと思っていた。
無論敵であることには変わらないが彼が寝込みを襲ってくることはまずないだろうし、彼が敵対しようと思っていない以上は安心できる。
彼のサーヴァントもまた優秀でマスターの意に反して襲ってくる、なんてことはしないだろう。
つくづくセイバーを手に入れれなかった自分に呆れてしまう。

「リン、今君は何か不躾な考えを抱かなかったか?」

すぅ、と部屋に現れたのは赤い騎士アーチャー。

「気のせいよ。何もアンタに失礼なことは考えちゃいない」

ばふっ、と用意されていたベッドに飛び込む。
この時間帯からベッドに横になれたのはいつぶりだっただろうか。

「アーチャー。今夜の私達の方針は聞いてたわね?」

「ああ。奴が外に出て敵を摩耗させている間、我々は体力を温存し次に備えておくということだろう。君は最近動いてばかりだったからな。今日一日はゆっくり体を休ませてもバチはなかろう」

「─────まあ当たってるっちゃ当たってるけど。私たちはあくまでも綾子と氷室さんを守る必要はあるんだから、外の監視は任せたわよ」

「言われずともわかっている。仮に護衛する者がいなくともマスターの就寝中を警護するのはサーヴァントの役目だ」

相変わらずの態度で言ってくるアーチャーであったが、すでに出会ってから数日共に過ごしている凛はすでに慣れていた。



セイバーは道場に、士郎はリビングに戻ってきた。
リビングには風呂から上がった綾子とまだ入っていない鐘がテレビを見ていた。

「美綴は風呂から出たのか。氷室はまだ風呂入ってないのか? 入ってくれていいぞ?」

「いや、私はまだ遠慮しておく。遠坂嬢やセイバーさん、それに君だって入っていないだろう。私は最後で構わない」

「昨日もそう言って最後だったよな。最後が好きなのか、氷室?」

「………まあそういうことにしておいてくれ」

ふうん、と言いながらテーブルに置いてあった空になった急須を台所に持っていき、再びお湯を入れる。

「で? 衛宮は遠坂と何話してたんだ? ここから出て行って結構時間経ったけど」

「今後どうしようかっていうことだ。美綴たちが気にするようなことは何もないよ」

自分の湯呑に茶を注ぎ一服する。

「あ、氷室。まだ入らないなら先に遠坂に入るように言っておいてくれ。俺とセイバーはもう少ししたら出かけるから。だから先に入って寝ててくれればいい」

「出かける………とは。また巡回、なのか?」

手に取っていた湯呑を見る。
そこには自分の顔が薄らと写りこんでいた。

「ああ、まあ………巡回かな。一応目的地はあるからそこらを調査もするけど」

「………目的地、ね。衛宮、ちなみにその目的地ってどこなんだい?」

「それこそ別に美綴が気にすることはないぞ。あ、ちゃんと家には遠坂がいるから夜は安心していい。仮に警鐘が鳴ったらすぐに遠坂のところにいけば大丈夫だ」

衛宮邸には侵入者が入ってきたときに警鐘が鳴る。
綾子はまだ知らないが、鐘は一度聞いているので問題はないだろう。

「っと。それじゃちょっと土蔵に行ってくる。先に寝ててくれて構わないし、何か飲みたくなったりしたら遠慮なく冷蔵庫の飲み物を飲んでくれていいぞ」

茶を一気に飲み干してリビングを立つ。
障子を開けて廊下へ出て

「じゃあな。おやすみ、氷室、美綴。しっかり寝ろよ」

一言そういってリビングを後にした。


―Interlude In―

日も完全に落ちた夜のマンション。

「………そう、わかったわ。それで、これからどうするの?」

「どうするも何も、彼の確認はとるべきだろう」

場所は変わって氷室宅。
氷室 鐘の母親、氷室 鈴。冬木市市長の氷室 道雪。
話の内容は昨日この家に訪れた一人の少年の身元確認。
自分の夫が市長ということもあって、市長を通して素性を調べるのは一般人のそれと比べると容易い。
無論、個人情報を侵害するほどまで調べたわけではないが。

彼の父親の名は『衛宮切嗣』。
10年前にこの街にやってきて住み始めた男性で、その息子の名は『衛宮士郎』。
そして肝心の母親の名前がなく、『衛宮士郎』は『衛宮切嗣』の捨て子を拾った養子扱い。
少なくとも市の記録にはそう残っていた。
10年前の火災を考えてみれば、そういうことだってありえただろう。捨て子をする親がいれば拾う大人もいる。
つまり『衛宮士郎』は『本来別名として生きていた』ということである。
その事実を知って、母親は一人もの思いに更けていた。

彼の姿を見た時は驚いた。
かつて遊びに来ていた子供を成長させたら恐らくはこんな風になるだろう、という姿そのものだったからだ。
その驚きそのままに『もしかして』という一縷の思いを持って、知られないように大切に保管していた数枚の写真の中の一枚を彼に見せた。
無論、そっくりさんということだってありえる。
世界には似た容姿の人物は3人はいるとも言う。だが果たして士郎という名のそっくりさんがいるのかと言われれば否、と答えるだろう。
そう思ったからこそ『知っているか』と問いかけながら写真と、その写真に書いたメッセージを見せた。
見せた写真は自分の愛娘とかつての少年が笑っている写真。その下には即席で書き上げた一つのメッセージ。

『鐘には言わないように』。

それを見せられた衛宮士郎という少年は唖然とした姿を曝け出していたが、尋ねてみると『覚えていない』との返答だった。
その場には自分の娘もいたし、これから出かけるというのだからこれ以上追及しようとも思わなかったので特に何も言わずに送り出した。

その言葉を聞いたときは『やっぱり同名の別人だったかな』という思いであったが、彼の返答を改めて確認して違和感を覚えた。
『知っているか』という問いに対して『覚えていない』と答えた少年。
通常ならば『知らない』と答えるのが普通ではないだろうか。そんな深い意味などなく答えたということもあるかもしれないが。
ここでかつての医者が言っていたことを思い出した。
『事故のショックによる記憶障害』。自分の娘もかなり軽度ではあったがそれになった。
ならば。

あの火災の中心地に住んでいたあの子供が万分の確率で生きていて、けれどショックにより記憶が失われたままの状態で養子として衛宮を名乗る様になったならば?
可能性は十分にあった。無論もともと彼は『衛宮士郎』として生きているという可能性もあったので、二人が出て行った後に夫と二人で話し合い、まずは調べてみようという結論に至った。
そうして調べてみた結果、衛宮士郎という人物と衛宮切嗣という人物に血縁関係はなく、養子として受け取られたという記録が残っていた。
これで衛宮士郎は『衛宮士郎』として生きていた訳ではないということがわかり、いよいよ『もしかして』という考えが現実味を帯びてきた。

だが、これ以上の詮索はしてはいけない。
この10年間を彼は『衛宮士郎』として生きてきた。
家に訪れたときの咄嗟の写真提示は仕方なかったとしても、これ以上深く掘り下げると彼の今のアイデンティティに大きく問題が生じる。
そのためにも彼には一度可能性を言わなければいけない。彼が拒否するのならば、これ以上の詮索は無駄であるし無意味。忘れてくれと言って今まで通りの日常に戻ればいい。
けれど彼が許可するのであれば。
鈴も、その夫たる道雪も徹底的に調べるつもりであった。もとよりそのために写真を未練がましく残していたのだ。
母親と父親の死体が確認されたにも関わらず、その子供だけがその死体を確認できないという当時の捜査結果。
しかし彼と思われる姿はどこにもなく、また教会に預けられた孤児たちの中にもその姿はなく、いよいよ行方不明のまま死亡扱い。
もはや生きていないと諦めながら、しかし諦めきれずに写真を隠す様に大切に保管していた。

許嫁、という言葉がある。
自分の娘あるいは息子と、先方の息子あるいは娘が将来結婚する相手を事前に親同士が決めるという意味を持った言葉。
あの士郎という子供の両親とそういう話し合いがかつてあった。
彼の両親の人柄の良さは十二分に承知していたし、自分の愛娘の夫となりうる子供の事もよく知っていた。
知った上で彼ならば─────という思いを持っていた。
無論、当の本人たちは知り得もしなかっただろう。
そこに突然訪れた終焉。
やりきれない気持ちになるのは当然だった。

だからこそ、可能性は大切にしたかった。
そうして今に至る。
結果を受けて、さあ次はどうやって話をつけようか。
そんな事を考えながら保管していた写真を眺めていたその時だった。

「面白そうな話ね? 私にも聞かせて貰えないかしら?」

突如聞こえてきた声に鈴と道雪は家から跳びあがるように立ち上がった。

「誰だ!?」

一家の大黒柱たる夫、道行が家の中を見渡しながら大声をあげるが誰もいない。
気のせいか? とも思ったが、夫婦そろって声に反応するのだからどこかしらから声をかけられたのだろう。
果たしてそれは、例えば隣の家から大音量のテレビのセリフが聞こえてきたならば。
これはただの驚き損で済む話だ。
だが。

「─────!?」

ぐらり、と視界が歪む。それは傍らにいる妻も同じようだった。
それが自分が倒れる寸前の視界だったともわからずに、意識の途絶えた二人はリビングに倒れてしまった。

「─────ふうん」

魔術師は一人、テーブルに置かれた数枚の写真を見る。
年齢こそ違うが、そこに写っていたのは間違いなく水晶越しに見た“あの”二人の幼い時の写真だった。
そして今しがた話していた夫妻の会話内容。

「………衛宮士郎。調べてみる価値はあるかしら?」

今宵もまた魔術師は魔力を集める。
今回それが新都中心部分ではなく、ほんの少し離れた場所にあったどこにでもありそうなマンションだっただけの話である。

―Interlude Out―





[29843] Fate/Unlimited World―Re 第22話 柳洞寺へ
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:14
第22話 柳洞寺へ


─────第一節 慶長の侍─────

屋敷の明かりがまだ残る午後10時半。
結局誰一人寝ることなくこの時間がやってきた。
対する町の方はというと、連日の騒動もあってすっかり寝静まっている。

「………で、別に見送りなんていいのに」

玄関で靴を履いている士郎の後ろには鐘と綾子の姿が。
セイバーはすでに靴を履き終えていつでも動ける状態にいる。

「なんだ衛宮。せめてこれくらいしたってバチはあたらないだろ? なんなら帰ってくるまで起きててやろうか?」

「冗談。別に起きてなくてもいいから寝てろ」

「すまないが生憎とこの時間はまだ普通でも起きている。君が何時に帰ってくるかは知らないが起きている可能性だってある」

「いや………だから寝てればいいのに。」

靴を履き終えて、竹刀袋の中身を確認する。
中には竹刀ではなく木刀が入っている。
心許ない部分もあるが、用意できるものといえばこの程度なので仕方がない。
下ろしていた腰をあげて立ち上がる。
玄関戸を開ければ、いつもと変わらない光景が見える。

「それじゃ行ってくる」

そう言い残して冬の夜空の下へと出る。
体温を奪う様に外気が襲ってくる。

「衛宮、気をつけろよ」

綾子が玄関からそう声をかけてきた。
後ろを振り返れば、家の中には2人の姿が。

「─────ああ。2人とも、ちゃんと寝ろよ」

そう告げて玄関戸を閉めた。
背後にいるセイバーに振り返り、顔を見る。

「────行くぞ、セイバー。ここからはマスターとしての時間だ。他の事は考えない」

セイバーと共に屋敷を後にする。
月は高く、夜の闇はなおこれから密度を増していくだろう。
─────風があるのだろうか、上空の雲が速い。
白々とした月が見え隠れする中、士郎はキャスターがいる柳洞寺へと歩き出した。



今夜の件の中心地となる柳洞寺が見えてきた。
セイバーはすでに武装化している。
この先は敵地であり、顎の如く罠が張り巡らされている可能性もある。

「─────」
「─────」

士郎とセイバーはお互い、敵の攻撃や罠に備えて神経を張り巡らせている。
山門に至る階段は長く、吹く風は山頂付近だというのに生温かい。

そこは夥しい魔力によって汚された山だった。
上空には死霊が鴉のように徘徊し、木々に育った葉は視えない血に濡れていた。
集められた魔力、剥離された精神が残留し、山は禿げ山の如く訪れたモノを食らうだろう。
世に死地があるというならば、ここは紛れもなく最低の極上地帯であった。
無論、生身の人間である士郎はそこまでわからないが、一種の霊であるサーヴァントのセイバーにとって居心地のよい場所ではなかった。

なるほど流石敵の本拠地だ、とセイバーは納得する。
柳洞寺には山門以外から柳洞寺に入ろうとすると魔力を削がれ、大きな痛手を負わせる結界が張ってある。
敵地に攻め込むのにただ入るだけで魔力を削がれてはたとえ勝てる戦いであったとしても勝てなくなる。
加えてこの死地のような場所。キャスターが籠城しているというのを裏付けるのは十分すぎる手掛かりだった。

そして同時に危険性はこれで最高レベルにまで高まった。
一体この死地に何があるかわからない以上マスターを護衛するセイバーは士郎以上に周囲に気を張り巡らせる必要がある。
よもや自分が一緒にいながら敵の罠を見抜けずにマスターたる士郎に傷を負わせてしまったり致命傷に至るような結果に陥らせてしまったら、士郎に顔向けなどできないだろう。
無論、士郎の家で無事の帰還を待つ綾子や鐘にも申し訳が立つはずもない。
かといって士郎一人残して単身乗り込むのも得策ではない。
確かに守るべき身は自分一人となり行動しやすくなるだろうが、同時にそれは離れたマスターに危険が発生したときにすぐに駆けつけることができなくなることを意味する。

守るしかない。
主を守ると誓った身である。ならば己が身にかかる火の粉など、顧みるにも値しまい。
その決意を胸に抱きながら周囲を警戒する。
長い階段。直線的で長距離。
敵に感知されずに山門をくぐるなどを不可能。必ず奇襲があるだろう。
そんな階段をのぼり、あと十数メートルという距離まで迫ったときにソレは現れた。
さらり、という音さえする程の自然体。颯爽と現れた男の姿はあまりにも敵意がなく、しかし隙など全くなかった。

「─────」

士郎とセイバーの間に言葉など不要だった。
その男がサーヴァントであるなどその手に持っている長刀を見た時点で判りきっていた。
セイバーは士郎の前に出て士郎もまた木刀を取り出して強化を施す。

「………侍、だな」

「─────そのようですね」

目の前の男が放つ異常性を感じながらセイバーは侍を見る。
サーヴァントに違いないが、英霊特有の宝具や魔力すらも持ちえない。
ならば打倒するのは容易いと思った反面、油断するなという直感がセイバーに告げていた。
わずかに剣を構え直し、目前の敵を睨むセイバー。
正体は不明だが、キャスターでないことくらい明白である以上この侍がどのようなクラスであるかは確認しなければならない。

「………訊こう。その身は如何なるサーヴァントか」

士郎を背にやり、セイバーは到底帰ってくることなど無いであろう質問を投げかけた。
だが、その問いを聞いた男はにやり、と笑ったあと

「─────アサシンのサーヴァント。名は佐々木小次郎」

予想だにしない返事を突き付けてきた。

「な────」

サーヴァントは本来自分の正体を隠すもの。
それを自ら、堂々と告げるサーヴァントはいない。

「………お前、自分の名前を」

「当然であろう? 立ち会いの前に名を明かすのは条理であるし、そもそも訊いてきたのはそちらだ。ならば答えるのは道理。それとも・・・お前は違うのかな、赤髪の倅」

サーヴァントとしての格はわかった。
アサシンはそう優れたサーヴァントではない。ならば御しやすいと下す反面、セイバーの直感が告げている。
剣の勝負────単純な剣の試合では、この相手には勝ちえないと。

「セイバー、気をつけろ。佐々木小次郎っていうのは日本にいた侍だ。日本でもかなり有名な侍で、慶長の時代に世に並ぶ者なしとさえ言われていた剣士だ」

さすがの士郎でも佐々木小次郎という名前は聞き覚えがある。
日本のある場所では像まであるほどの人物。
しかしそこまで記録に残りながら彼自身の情報はまるで信憑性がないものばかりで出生も不明で、実在したかも不明な人物だった。
だがこうして今士郎の前にいる以上は実在したのだろう。

「─────なるほど、世に並ぶ者なしとさえ謳われた身でしたか」

自身の直感の裏付けが取れたセイバーは構えを一旦解く。

「………名乗られたからには、こちらも名乗り返すのが騎士の礼です。ましてやその様な経歴を持つ者ならば貴公が名乗り上げるのも当然」

セイバーとしては名乗ることにリスクは大きい。
だが、それは勝利するためのもの。
そんなもので騎士の信念を汚すことなど、彼女にはできなかった。

「小次郎、と言いましたね。────アサシンのサーヴァントよ、私は」

「よい。名乗れば名乗り返さねばならぬ敵であったか。………フ、無粋なことをしてしまったな、セイバーよ」

あくまで優雅に石段を下り、アサシンはセイバーと対峙する。

「そのような事で私は敵を知ろうとは思わぬし、過去の経歴などどうでもよい。我らにとって、敵を知るにはこの刀だけで十分であろう」

一歩セイバーへと近づく。

「真明など知らずともよい。ただ、セイバーと呼ばれたサーヴァントが、この刃によって斬り裂かれるだけの話だ。言葉で語るべき事など我らには皆無」

ひゅ、と剣先のセイバーに向ける。
月の光を反射して光るその長刀は怪しく紫色に光る。

「それに知ったところで何も変わるまい。貴様は己が主に私を聞いた。では、問おう。聞いたことによって聞く前と何が変わった?」

何も変わっていまい、と眼差しがセイバーを射る。

「─────そうか、確かにその通りです」

言ってセイバーは再び深く剣を構え直す。

「それで良い。では、サーヴァント随一と言われるその剣技、しかと見せてもらおうか。─────果たし合おうぞ、セイバー」

アサシンの言葉を最後に、二人は動いた。
銀の光が山道を照らす。
剛と柔。
そのあまりに違う剣士の戦いは、月光の下で火蓋が切られた。


─────第二節 燕返し─────

──風巻く山頂に火花が散る。

切っ先が交差し、幾度にも振るわれる剣線。
幾重もの太刀筋。弾け、火花を散らし合う剣と刀。

繰り広げられる攻防は互角。
数十を超える立ち合いは互いの立場を変動させない。
アサシンは退くことなく、セイバーは詰め寄ることができず、徒に時間と気力を削いでいる。
士郎もまた何か手を考えていたが、手元にあるのは木刀のみで何もできない。

気が付けばセイバーが数歩後退している。
アサシンの卓越した技量と、絶対的な足場の不利。

「─────さすがにやりにくいな。視えない剣がこれほど厄介とは思わなんだ」

対するアサシンは不動である。
迎え撃つだけなので後退するセイバーに無理に追撃をかける必要もなし、上に位置するという優位性を捨てる筈もない。
故に待つだけでいい。

「セイバー………!」

下がったところに士郎が近寄ってきた。

「シロウ………。いえ、大丈夫です」

視線をアサシンに戻し、そしてその奥を見る。
見えるのは柳洞寺の山門。その先にキャスターがいる。
士郎とセイバーの本来の目的はキャスターの打倒であったが、思わぬ手練れの防衛のために未だその門を超えられずにいた。
今はまだそれらしい反応はみられないが、いつキャスターがアサシンの援護に出てくるかはわからない。
さすがのセイバーもこの手練れとキャスターの魔術を相手に戦うとなるとかなりの消耗戦となる。
そうなる前にアサシンを倒しておく必要があるだろう。

「シロウ、キャスターが手を出してくる前にアサシンを倒します。………少し離れていてください」

不可視の剣を構え直す。
その不可視の剣に僅かな風が渦巻く。それがかつてキャスターにやってみせたものと同じだとわかった。

「………やれるのか? キャスターのときとは違うぞ」

立ち位置、敵の持つ武器、戦い方。
その全てが違う。近接戦闘でいうならばキャスターよりも目の前のアサシンの方が数段強いだろう。

「ええ、わかっています。確かにあの手練れに対して突進は危険を伴いますが、何も突進するだけ●●●●●●●●しかできないわけではありません」

セイバーが数十と打ち合って感じ、判明したこと。あの刀に何か魔術的な仕掛けがあるわけではない。
この後にはキャスターもいる。戦闘配分は考えなくてはいけない。

「─────そうか。わかった」

セイバーの言葉に応じ、士郎は数歩後ろに下がる。
それを流れるように眺めていたアサシンはさも残念と言わんばかりだった。

「しかしセイバー。いつまで鞘に納めたまま戦っている? よもや鞘に納めたままで私に勝てると?」

「────いや、もとより手加減などない。貴様の謳われた存在、今までの剣劇。それを確かめていた。………なるほど、こと剣技に関して言えばその歴に相応しいものだ」

だからこそ、とセイバーは言葉を続ける。

「私もこれからは本気でいかせてもらう。───我が一撃、受けきれるかアサシンのサーヴァント!」

構える不可視の剣は今までとは違い、風が巻き吹いている。
その姿を見たアサシンは

「ほう………不可視の正体は風であったか。しかし───よもやその程度の風ではあるまい」

しかし悠然と構えている。
アサシンは上段に、セイバーは下段に。
距離として8メートル。サーヴァントにとってコンマ数秒で到達できる距離。

「はぁ─────ッ!!」

セイバーのいた場所が爆ぜた。残り6メートル。
同時にセイバーの不可視の剣を覆っていた風の結界が解除され突如として突風が吹き荒れる。
圧縮。圧縮。圧縮。
超圧縮された風を剣が纏う。その剣を大きく振りかぶり───

「む─────」

即座に反応したアサシンが即座に構える。
それは今まで無形を保っていた彼が初めて見せる構え。
しかしその構えが通常のソレとは大きく異なり、奇異に写る。
完全に懐に入った長刀はその意味を成さない。
だというのにソレはそれこそが正解だと言っていた。

風王鉄槌ストライクエア─────!」

────そして振るわれた。
残す距離4メートルの時点で放たれた風の砲撃。
これを防ぐ術をアサシンは持ち合わせない。防ぐには純粋に上回る魔力がなくてはならない。
魔力の痕跡が全く見受けることのできない長刀。
故にこれを防ぐことはアサシンには不可能。そう断じてセイバーは風王結界を解き、風王鉄槌を放った。
加えてこの距離ならば躱すことも敵わない。故に必中。


そう確信していたからこそ、次の一手には遅れてしまった。


「秘剣───」

衝突したと思われた突風。
その中から聞こえてくる声。

「─────燕返し」

必殺せんとする閃光がセイバーを襲う。


─────第三節 優先するべきは─────

「─────!」

その息を呑むよりも早く、彼女の直感が振り下ろした腕を再び振り上げていた。
ギィン!! と甲高い音が暴風の音の中に響く。
アサシンの姿はまだしっかりと確認できなかったが、しかしその刀の長さの所為で刀だけが浮き上がってくるように襲いかかってきたのだ。
そのような状況で攻撃を弾いたセイバーの技量は賞賛するに値するだろう。

だが。
燕返しは一刀だけの攻撃ではなかった。

「──────あ」

彼女の卓越された直感が、認識するよりも早く階段から転がり落としていた。
受け身も何もなく、ただ転がり落ちるセイバー。
必死に体を倒し、勢いを殺さずに階段を転がり落ち続けた。

「セイバー!」

後ろに控えていた士郎が転がり落ちてくるセイバーを抱き留める。
しかしそれでも勢いがなかなか止まらなく、受け止めた場所から数段落ちた所でようやく止まる。

「つ───ぅ」

ガン! と頭部を石段に強打してしまった。

「く───!」

倒れていた体を起こすセイバー。
傍にいた士郎も体を起こす。

「! シロウ、血が………!」

どうやら頭部を強打したときに頭部の皮膚を切ったらしい。
頭部から血が出ていた。

「ただのかすり傷だ。それよりも………」

先ほどまでいた場所を見上げる。
そこには以前と変わらず、悠然と佇む長刀の剣士の姿があった。
だが、そのさらに先。
柳洞寺の山門の上に別の人物の姿もあった。

「キャスター………!」

風王鉄槌はアサシンでは防げない。
しかし、キャスターの援護が加わったならば話は別。
この場所ならば風王鉄槌を防ぐほどの防御壁を瞬時に張ることもできるだろうし、アサシンを空間移動させて攻撃をやり過ごすことだって可能だろう。
それこそ魔法の真似事すらも可能としてしまいかねない。
果たしてどのようにしてセイバーの攻撃をやり過ごしたかは不明だが、アサシンも、その先の山門も目立った外傷は見当たらない。

「キャスターよ………余分な手出しは無用と伝えた筈であるが?」

「余分ではなかったでしょう。あれを受けていたらひとたまりもなかったでしょうからね」

背後に現れたキャスターに顔を向けることなく会話をするアサシン。
そんな二人を見上げながらいよいよどうするか迫られる士郎とセイバー。

「───続行か撤退か。セイバー、今の状態は?」

「………アサシンの攻撃を掠りました」

そう言って左手を見せる。
手を覆う様に纏っていた鎧が完全に砕けていた。
寧ろあの状況からの必殺の攻撃を凌いだのだから幸運と言えるだろう。

「──────」

この状況をどうするか。

(戦闘続行。………いや、だめだ。そうなると今度はあの二人と同時に戦わないといけない。2対1じゃセイバーでも無理がある)

自身がセイバーの力になれないと分かっている以上、別のやり方でセイバーを守るしかない。
間違ってもバーサーカー戦のようにセイバーだけを傷つけたくはなかった。

「それにしてもセイバーのマスター?」

眼下にいるセイバーと士郎を見下ろすキャスターだが、そのフードの下の顔は窺うことができない。

「………なんだよ。お前と話すことなんてないぞ」

「ええ。私も少し前までは気にもかけてなかったわよ。けれど、少し事情が変わってね」

「事情?」

時折吹く風が場にいる者たちの衣服を靡かせる。
しかしキャスターの服装だけは風が吹いているというのにまるで風の影響を受けていないようだった。

「そうね。けれど今はまだその時ではないわ。いずれ時期がきたら。それまでは見逃してあげるわよ、坊や」

「何を世迷言を、キャスター」

士郎とキャスターの会話を両断するように声をあげるのはセイバー。
手に握られた黄金の剣は夜にも関わらず、圧倒的な存在感と輝きを放っている。

「敵であるサーヴァント同士が出会ったならば雌雄が決するまで戦うのがこの戦いだ。どのような言葉で誑かそうとも無駄だ」

黄金の剣を構える。

「あら、この2対1の状況で勝てると?」

「貴様たち二人に遅れはとらない。見事勝ってみせよう」

セイバーの視線は上にいる二人に向けられている。
2対1ともなるといよいよ彼女の最大の宝具を以ってして挑まねばならないだろうがこの戦闘で6人中2人がいなくなると考えれば聖杯戦争も進展するのは確実。
加えてセイバー自身、自分の宝具に絶対的な自信を持っている。故に退くつもりはなかった。

「………よほど聖杯が欲しいようね」

「当然だ。もとより我らサーヴァントはそのためにここにいる」

「さて、どうかしら。────まあいいわ。今は貴女の意見は聞いてないの。そこの坊やの意見を聞いてるのよ」

「………俺の?」

キャスターとセイバーの視線が士郎に集まる。
アサシンは山門に凭れかかり、事の行く末を静かに聞いていた。

「──────坊やのここに来た目的。それは私を止める為?」

「そうだ。お前は街の無関係な人間を巻き込んでいる。それを止めるためにここにきたんだ」

「そう、なら坊やの目的は達成されたわ」

「………何?」

キャスターの言葉を聞いて問い返す。止めるためにキャスターがいるこの場所まで来た。
が、それをする必要はないと言う。

「もう魔力集めはしないわ。つまり─────もう街の人間を襲う事はないっていうことよ。………もっとも、この場で大量の魔力を消費させてくれるようならその限りではないでしょうけど」

「………いうことだ。お前は」

「どうも何もない。必要分はすでに集め終えた。あとは貴方達のように自ら足を踏み入れてくる敵を屠るだけ。そういう意味よ。それとも、貴方は私にまだ魔力集めを続けてほしいのかしら?」

「そんなわけあるか!────けど、お前の言うことを鵜呑みになんて出来やしない」

敵の言葉をそのまま受け入れることは士郎もしない。
仮のこの言葉が嘘でこれからも続けるようなことをするかもしれない。
そういう考えを持っていた。

「そうね。確かに敵の言葉は信用ならないでしょう。けれど、もうしないと言っている敵よりも優先すべきことが貴方にはあるのではなくて?」

「──────」

思い浮かぶのは学校の結界。
こうしている間にも学校の結界は着々と完成へと続いているだろう。

「あの建物に張っている結界。あれは中々に高度なものでキャスターである私でも解除するには骨が折れるわ。しかもやろうとしていることは私よりも悪質」

思い返すのは凛の言葉。
尺度の問題で言えば、あちらのほうが数倍悪質だろう。
が、かといって目の前の敵がやったことが許されるわけでもない。

「その結界を張っている輩が、今この夜の街で人を襲っていると言ったら、貴方はどうするかしら?」

「な──────」

どくん、と全身が凍りついたように停止した。
キャスターの言った言葉を努めて理解する。

「────どういうことだ、キャスター」

士郎ほどではないにしろ、驚いた様子を見せたセイバーが尋ねる。

「言葉通りの意味よ。あの結界だけでは飽き足らず、夜になった街に出歩いている人間を無差別に襲って魔力を集めている。あれだけ動き回れば私に見つかるのも道理よ」

「────つまり、お前は何が言いたい?」

キャスターを睨む。
否、彼女から答えを聞かずとも士郎にはわかっていた。
攻めに来た敵を止めて、攻めに来た理由を問い、別の敵を示す。
にやり、と笑うキャスターが次に言うべき言葉はわかっていた。

「早く行かないと間に合わないわよ、セイバーのマスター」

「っ────」

キャスターを強く睨む。
自分のしてきたことを棚に上げて、とも思ったがキャスターのいう事が本当ならば一刻も早く止めなければいけないだろう。
しかし。

「貴様のいう事が本当だという確証などどこにもない。それを信じろと?」

セイバーが問いかける。
その視線は睨み殺さんといわんばかりのものだが、キャスターはどこ吹く風の如く受け流す。

「信じなければ信じなくてもいいわよ。────ただし、朝になったら後悔するかもしれないけど。ねぇ、坊や?」

「────」

唇を噛み締め、目を瞑って考える。
これが嘘だったなら? その時はまたここに攻めてくればいい。それに犠牲者がいないならそれでいい。
これが本当だったなら? その時は一刻も早く止めなければいけない。犠牲者が出る前に。
第一、 この聖杯戦争に参加した理由は?

そう考えた時にはすでに答えは出ていた。

「────教えろ」

閉じていた眼を開け、キャスターを見る。

「そんなこと言うからには場所くらい知ってるんだろ。────さっさと教えろ」

「新都と深山町を繋ぐ大橋があるでしょう? その近くにある公園………。ここからだとセイバーに手伝ってもらわないと間に合わないわね?」

「貴様………!」

セイバーが剣を構え直すが、それを士郎が手で制す。

「シロウ………」

「行こう、セイバー。キャスターのいう事を信じるわけじゃないけど、無関係な人間が巻き込まれるのは防ぎたい」

士郎の答えを聞いて、構えを解き────

「………わかりました。では捕まってください。────跳びます」

肩に手を回してキャスター達に背を向けた。

「もし、間に合わなかったときは教会を尋ねなさい。────何らかの指示は与えてくれるでしょうね」

キャスターの声をこれ以上聞くこともなく、ダン という音と共に二人は山道から姿を消した。



士郎は現在セイバーの肩を持ち空中を跳んでいる。
この経験は一番初め、セイバーと共にランサーを追ったときに経験している。
だが────

(うわっ)

一瞬の無重力感からの落下。
ジェットコースターなどの急降下でよく感じる事ができるソレと同じなのだが、状況が違う。
命綱たるものになりうるのは自分の腕と自分を支える少女の腕のみ。
ゴガッ! と貯水タンクの上に跳び下り、そのまま目的地である大橋付近の公園へと向かう。

「大丈夫ですか、シロウ」

「なん………とか」

一度経験しようが慣れないものは慣れない。
が、弱音を言っている暇もない。
仮にキャスターが言っていることが本当ならば何が何でも止める必要があるからだ。

「見えてきた………!」

二人の目の前に件の大橋が見えてきた。
あとはその傍にある公園へ向かうだけである。

「公園から何か感じるか、セイバー?」

「………いえ、今のところサーヴァントらしき反応は感知できません」

「………そうか」

何も起きていないならそれでよし。
最悪の場合は全てが終わったあとだった場合。何としてもそれだけは阻止しなければならない。
そのためにこの聖杯戦争に参戦した様なものだからだ。

「あそこだ………!」

大橋の傍の公園の前の道路に着地し、そのまま脇目もふらず公園に駆け込んだ。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第23話 衛宮士郎という存在
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:14
第23話 衛宮士郎という存在


─────第一節 真夜中の帰還─────

公園へ駈け込む。
だというのに重苦しい空気だけが流れてくるばかりでサーヴァントやマスターの姿が見えない。
隣にいるセイバーもまた同じようだった。
そこに残る僅かな魔力は先日学校内で対峙したサーヴァントのソレと同じだということはわかっている。
が、あまりに薄い。この薄さでは士郎では気づかないだろう。

そして各々が感じるソレは、重大で取り返しのつかないことになっているということを感じさせていた。
嫌な空気。そこに居た者の魔力が薄まっているという現状。誰も見つからないという状況。
違っててほしい、間に合ってほしいと願いながら公園内を探索する。

「─────」

その瞳に映るモノを見た時、二人は一瞬停止する。
公園内に設置されているライトがぼんやりとソコを照らしていた。
その姿を確認し、士郎とセイバーはすぐさま駆けつける。

「─────息がある。まだ、間に合う………!」

首筋からわずかに血が流れている。
女性の呼吸はあまりにも弱弱しく、危険な状況であるというのはすぐに把握できた。
ならばどうするべきか。
今現在士郎達にこの倒れている女性を救う術はない。

「そういえば………」

この現状と似たものを見た覚えが士郎にはあった。
学校の非常口付近で襲われた女生徒。
それを治療したのは一体誰だったか。

「そうだ、遠坂がいる………!」

「リン………? リンは治療ができるのですか?」

「ああ。学校で襲われた女生徒を助けたのもあいつだ。あいつ………まだ起きてるかな」

凛の就寝時間を把握していない士郎は彼女が起きているか判らなかった。

「とにかく家まで運ぼう。遠坂に頼めば助けてくれる」

「わかりました。では私が女性を。シロウは離れないようについてきてください」

女性をセイバーに預ける。
セイバーの力は十分に理解しているので士郎自身が担いで運ぶよりもずっと早いだろう。

「では先行します。離れずについてきてください」

セイバーの体が流れる。
その速さに引き離されぬように、士郎も全力で走り出した。



真夜中に家に帰宅する。
さすがに家の明かりは消えていた。
鐘と綾子を起こさぬように凛のいる離れの部屋へ向かう。
ノックすると中から返事が聞こえた。

「入るぞ」

「どうぞ。もう帰って─────ってなによ、その女性!?」

「公園で倒れてたんだ。多分ライダーがやったんだと思う。で、治療してほしいんだ、遠坂」

「え? そりゃあ、治療はできるし学校でもやったけど………」

「頼む、遠坂。遠坂以外に頼れる奴がいないんだ」

頭を下げる。
そんな士郎を見て、難しい顔をした凛だったが

「─────はあ、わかったわよ。じゃ、とりあえず治療に専念するからあんたは部屋から出といて。あとセイバーは何かあったときの為にここで待機しておいて」

「わかりました」

「すまん、遠坂。恩に着る」

「いいけど、貸し一ね。ほら、服の下も様子見ないといけないからアンタは外へ出る」

「あ、ああ、わかった。じゃあ遠坂、セイバー、頼んだ」

二人に連れてきた女性を任せて部屋を出る。
そのまま離れから居間へと戻る。

「─────はぁ」

居間に腰を下ろす。
とりあえず士郎がやれることはやったつもりである。
今は凛を信じて、こうして結果を待つしかない。

「────────」

無機質な時計の音が居間に響く。
今こうしてここにいてあの女性を助けれたのはキャスターの助言があったからだ。
無論キャスターのやってきたことを許すつもりはないが、今回ばかりは無関係な人間が死ぬのを防ぐことができた。

が、素直に感謝することもできない。
この微妙な気持ちを落ち着かせるために少し一人になっていた。

「…………衛宮? 帰ってきてたか」

背後から名前を呼ばれる。
視線を後ろへ向けると居間の光を遮る様に腕をあげていた鐘が立っていた。

「氷室か、ただいま。寝てたんだろ、どうしたんだ?」

「いや、少し喉が渇いてね」

そう言って居間に入り、キッチンへ向かう。
鐘はひざ下まである白のワンピース風の寝間着に、上から上着を軽く着ている姿だった。

「…………」

しばらくの間、鐘の姿を何となく眺めていた士郎。

「………? 何かな、衛宮」

そんな彼の視線が気になって、手に持っていた水の入っていたコップ片手に尋ねる。

「いや、今朝は布団被るほど慌ててたのに、今は何ともないんだなって」

「………ああ、そのことか」

手に持っていたコップの水を飲み干し、自身の寝間着をみる。
しばらく自身の姿を見た後に、こちらを眺めている士郎に疑問を投げかけた。

「────どこか変かな、私は。」

「? いや、別に変じゃないぞ。そうだな………そのよく似合ってると思う───って俺が訊きたいのはそれじゃなくて」

「今は慌てていないのになぜ今朝は慌てていたのか、ということかな」

「そう」

「………そうだな、それに答えてもいいがその前に此方からも質問がある。それに答えてくれれば答えよう」

「質問?」

「ああ。君の、なぜ私が今朝と今で違う反応なのか───という質問だが、では君はどうなのだ?」

「どう………って─────」

言いかけた時に今朝の自分の対応を思い出す。
お世辞にも良い状態ではなかったと覚えている。

「どうした? 答えないのか、衛宮」

「え、っと」

どう言い回しをすればいいのか、と考えてたところに話題を変えてくれる人物が現れた。

「シロウ、ここですか?」

二人が話しているところにセイバーがやってきた。

「ヒムロも起きていたのですか」

「いや、私は喉が渇いたので水を」

「そうでしたか」

彼女が起きている理由に納得し、視線を士郎へと戻す。

「セイバー、どうだった?」

「ええ。持ち直したとのことです。しかしその後は本人次第だけど、とのことです」

「────そうか。じゃあ遠坂にも礼を言っておかないとな」

居間から立ち上がり、電気を消すために手を伸ばす。

「その件ですが、話したい事があるとのことですのでリンの部屋に来てほしいと」

「話………? わかった。居間の電気消すけど、氷室もまた眠るだろ?」

「………そうだな。水も飲んだことだからまた眠ろう」

パチ、と居間の電気を消す。
セイバー、鐘と廊下へ出て最後に士郎も廊下へ出る。
冬の廊下は寒いものがあったが────

「………月が、綺麗だな」

ふと、廊下を薄明るく照らす月を見る。
その月の形こそ違うが、いつか見た月にそっくりで─────

「衛宮、どうした?」

外を眺めていた士郎に鐘が気づく。
そしてその視線の先を見る。

「………月か」

「ああ」

空に浮かぶ月を少しの時間眺める。
そんな士郎を横目で観察する鐘。

「…………衛宮、一ついいかな」

「ん? なんだ?」

「君にそういうのは似合わない、と私は思うのだが」

「に、似合わないって………」

苦笑いをして返答する。
確かに自分の姿を考えれば似合わないかもしれない、などと考える。

「シロウ」

廊下で止まっている二人を見て少し先へ進んでいたセイバーが声をかける。

「ああ、わかった。今いく。────じゃあな、氷室。おやすみ」

「ああ、君も」

そうして二人は元いた場所へと戻って行く。


─────第二節 教会─────

再び凛の部屋に戻ってきた士郎。
床には複数のクッションと枕の上に寝かされた助けた女性が横たわっていた。

「遠坂、この人は………」

「ええ。できる限りの処置は施したから何とか大丈夫でしょう。────といっても、十分ちょっと遅かったらそれこそ助からなかったでしょうけど」

凛のそんな言葉を聞いて、胸を撫で下ろす。
間に合ってよかったという安堵であった。

「にしても士郎? セイバーから聞いたわよ。キャスターの言葉を信用して柳洞寺から公園へ向かったらしいわね」

「む───」

ジトリ、と視線を向けられるが士郎にもあまり良い言葉には聞こえなかった。

「遠坂。俺はキャスターのいう事を信用したわけじゃない。ただそれが本当だったとき、情報を知っておきながら助けなかったってことになる。そんな後悔はしたくないから公園へ向かったんだ」

「………そういうのをある種、信じたっていうと思うんだけど。───まあいいわ。ところで士郎、『教会』のことについて知ってる?」

「教会?」

冬木市にある教会、と言われて思いつくのは新都にある教会である。
冬木市の中心地から外れた郊外、昔ながらの街並みと外人墓地があり、その上に教会が鎮座している。

「ああ、知ってる。………といってもあそこが孤児院だった、ということくらいしか知らないけど」

「そう………。なら、教会が聖杯戦争にどんな役割を持っているかは知らないわけか」

口元に手をあてて呟くように確認する凛。
そんな彼女の言葉を聞いて士郎が尋ねる。

「役割? あそこの教会って聖杯戦争と何か関係があるのか?」

「ええ。一応あそこは聖杯戦争の『監視役』がいる場所よ」

「あの教会に監視役が………」

士郎は教会の場所は把握していた。
しかしそこの神父に出会ったことは一度もなく、近寄ったこともない。
行く機会などなく、行く必要も全くなかったからである。

「士郎、セイバーから聖杯戦争について一通りは聞いたのよね?」

「ああ。けど、遠坂のいう『役割』っていうのは知らないな」

「ま、そうでしょうね………」

少しの間考え込んでいた凛だったが、視線を士郎と寝ている女性を見た後に提案を出してきた。

「士郎、この人を教会まで運んで行ってくれる?」

「────は? なんでさ?」

「そこに行けばこの人を預かってくれるでしょうからね。この人に関する事後処理とかやってくれるのよ」

「事後処理………って、隠蔽とかか?」

「ま、そんな感じ。けど、ここにいたら私達がそれをすることになる。はっきり言って、私達がそれをやっている余裕がないのはわかるわよね?」

「───理解はできるけど」

現在士郎達は聖杯戦争真っ只中である。
知り合いである鐘や綾子ならまだしも名前も知らず、住所も知らず、顔も初めて見る女性のフォローをするとなると少し骨が折れる。
加えて凛にはまだ理由があった。
この女性がただ気絶しているだけならば記憶を消して帰せばそれで終わりだが、この女性はまだ楽観視ができるほど完全には安定していない。何らかの要因で体調を崩す可能性もある。
となると、どうしても身動きがとりにくくなってしまう。
それはこの聖杯戦争では不利になる点であった。

そもそも凛にはこの女性と面識がないため、そこまでやってあげようという気持ちも強くなかった。
ならばそのフォローを担っている教会側に連れて行き保護してもらえば、此方の負担も減るというもの。

「教会にはこっちから連絡入れておくから今から行ってこの女性を受け渡せばいいわ。ついでに教会に役割も聞いてきなさい」

「今から? もう深夜だぞ?」

「むしろ聖杯戦争は深夜に起こるんだから深夜にこそ目を光らせてるわよ。それに連絡を前もって入れるんだから大丈夫よ」

あいつに頼むのは少し癪だけどね、と小声で呟く。

「───ともかく。この女性を教会に連れていけばもう大丈夫なんだな?」

凛の呟いた言葉が少し気になったが、今は寝ている女性について気になっていた。

「ええ。この家じゃいろいろと限度があるし、万が一ってこともある。教会の神父に任せればあとはやってくれるわよ」

「そうか、なら安心か。じゃあ今から連れていこう」

「セイバー。また少しこの人を背負って士郎と一緒に教会まで行ってくれる? 士郎、教会の場所は知ってるのよね?」

「ああ。場所だけなら知ってる」

凛の言葉に答える横で、セイバーが横たわっていた女性に負担がかからないように丁重に背負っていた。

「じゃ、もう時間も時間だし、早く行って早く帰ってきなさい。明日も学校だし、士郎にも手伝ってもらうことがあるんだから」

「手伝ってもらう事………?───学校の結界のことか。わかった。じゃあ明日に影響でないように早く帰ってくる」

「ええ。私は電話した後に寝るけど、問題ない?」

「ああ。多分問題はないと思う」

「そ、じゃあいってらっしゃい。道中には気を付けて」

軽い感覚でそう言いながらひらひら、と手を振っている凛。
そんな凛の姿と、今までの行動を思い返す。
最初こそいろいろあったとはいえ、友人である綾子が襲われそうになったのを助けたらお礼を言ったり、楓が襲われた時は見回りをしておけばよかったと言ったり。
目の前にいる彼女は、学校で見る彼女とはあまりにも違う。
しかしそれでも遠坂 凛は、士郎の、否、学校の人間が思っていた通りの彼女でもあった。

「───ああ。ありがとうな、遠坂。本当に、遠坂が居てくれて助かった。俺、お前みたいなヤツは好きだ」

そう思ったからこそ、士郎は凛に対して感謝の気持ちを示した。

「な───」

そんな言葉を聞いて凛は黙ってしまった。
やや間があって凛が口を開く。

「と、とにかく!さっさと教会に行ってその女性を預けてきなさい。で、教会の役割もついでに聞いてくること。明日寝坊なんてしたら承知しないわよ」

視線を士郎へ向けずに別の場所を見ている。
そんな彼女の顔は少しだけ赤くなっているようにも見えた。

「ああ、わかった。学校の結界も放っておけないよな。柳洞寺のこともまだちゃんと話し合ってないし、明日一緒に話そう」

下していた腰を浮かせて立ち上がる。
今から教会に行って帰ってくるとなると時間がかかる。
少し急ぐ必要はあるだろう。

「じゃ、行ってくる」

椅子に座っていた凛に一言そう言って部屋を出ていった。
セイバー、士郎、そして見知らぬ女性が出て行き、再び一人となった凛。
アーチャーは家の外で周囲を見張っている。

「──────はぁ」

深いため息とともにベッドに腰を下ろす。

「バカ───協力してるとはいえ敵同士なのよ。馴れ合い過ぎると、後になって返ってくるだけだっていうのに………」

凛の呟きは誰にも聞こえることなく、部屋の中だけに響いていた。
だが、そんな彼女はあることを思い出した。

「あ………神父が一筋縄じゃいかないっていうこと、言い忘れた………」



衛宮邸から向かう事数十分。
なるべく早く着くように近道を使った最短距離を走っていた。
無論、セイバーが背負っている女性の容体を崩さないように心掛けながら、である。

橋を渡り、新都の郊外へ向かう。
新都といえば駅前を中心としたオフィス街が真っ先に思い浮かばれるが、駅から離れれば昔ながらの街並みが残っている。
かつて鐘、綾子のマンションに行ったときもそうだった。
こちらの方面ではなかったが、同じく新都中心部からは離れていたので似た雰囲気を持っていた。

なだらかに続く坂道を登って行く。ふと後ろを振り向けば海が臨めるだろう。
少し歩いていくと教会らしき建物の一部分が見えてきた。
今まで近づこうとも思わなかった神の社に、聖杯戦争絡みで近づくことになるとは一体誰が想像しただろうか。

「────あるのは知ってたけど………すごいな、これ」

目の前に見えてきた光景は想像以上のものだった。
教会はかなりの豪華さと敷地を誇り、その奥に建てられている教会は一種の威圧感すら醸し出していた。
言峰教会。それがこの教会の名前である。

「明かりがついていますね、シロウ」

「本当だ。遠坂が話を通しておいてくれたのかな」

教会の入り口前まで近づく。
近づいてみればより一層威圧感のようなものを感じる。
教会からこんなに威圧感を感じてもいいのだろうか、などと思う士郎。
そんな士郎にセイバーが声をかけた。

「シロウ、この女性を」

「? ああ」

セイバーから女性を受け取る。

「では、私はここで待ちます。ここはあくまでも『監視役』がいる『中立地帯』とのことです。1サーヴァントである私が入るには何かと問題があるでしょう」

「ああ、そういうことか。わかった。じゃあ少しだけ待っててくれ」

女性を抱えて礼拝堂へ続く扉を開ける。
その背後でセイバーが聞こえるように呟く。

「………気を付けてください、シロウ。たとえ何者であっても、気を許さぬように」


─────第三節 言峰 綺礼─────

中は広く設置されている席も多かった。
これだけ席があるということは、日中に訪れる人も多いのだろう。
これほどの教会を任されているのだから、よほどの人格者とうかがえる。

「待っていたぞ。───お前が、凛の言っていた、『衛宮 士郎』………だな」

扉の開いた音が聞こえたのだろうか、奥から神父服の男性がやってきた。

「──────」

現れたのは背の高い男だった。
胸にロザリオを身に着けた、おそらくはこの教会を取り仕切る神父であろう男。
何も恐れる必要などない。

「再三の呼び出しにも応じぬと思えば、珍妙な客をよこしてくるとは。………凛も困ったものだな」

士郎は知らず、足が退いていた。
何が恐ろしい訳でもない。この男に敵意を感じる訳でもない。
だというのに、肩にかかる空気が重くなるような威圧感を、この神父から感じていた。

「私はこの教会を任されている言峰 綺礼という者だが。────ふむ、その抱えている女性が凛の言っていた人物だな。では、こちらで預かろう」

「あ、ああ………」

綺礼に女性を受け渡した。
その女性を抱えて一旦奥へと戻って行く。
少しして女性を奥に寝かせてきたのだろう。再び手ぶらで礼拝堂へ戻ってきた。

「では衛宮士郎。改めて問おう、君が七人目のマスターかな」

そう訪ねる綺礼の顔はどことなく笑っているように感じられた。
その笑みが士郎にとっては悪寒にすら感じられる。

「────ああ、そうだ」

そんな悪寒の所為か、返す言葉は短くなっていた。
そんな彼の様子をみた綺礼は

「さて、凛からここの役割を説明しろ、と言われているのだが。肝心の君がそんな様子では理解半分、といったところに落ちるだろう。深呼吸でもしてみればどうだ」

なんてことを言ってきた。

「─────っ、余計なお世話だ」

綺礼からの視線を外すかのように視線を横へずらす。
はぁ、と小さく息を吐き綺礼の言葉を聞く前に疑問に持ったことを尋ねる。

「その前に一つ訊きたいことがある。お前、遠坂の事を『凛』って呼んでたよな。どういう関係なんだ?」

「関係、か。そうだな、私と彼女は師を同じくした者同士だ。私達の師の亡き後、彼女の師の真似事もしているが、如何せん私は彼女に手酷く嫌われていてね」

何となく遠坂が嫌うのもわかる気がする、と内心思いながら視線を綺礼へ戻す。
が、ここで綺礼が言った内容に違和感を覚えた。

「師を同じく………? どういうことだ、たしか」

「魔術師と教会は相容れないものだ、というところか?」

士郎が話そうとしていた話の核心を突いてくる。
魔術師が所属する大規模な組織を魔術協会と言い、一大宗教の裏側、普通に生きていれば一生見ないですむこちら側の教会を、仮に聖堂教会と言う。
この二つは似て非なる者、形の上では手を結んでいるが、隙あらばいつでも殺し合いをする物騒な関係である。

教会は異端を嫌う。
人ではないヒトを徹底的に排除する彼らの標的には、魔術を扱う人間も含まれる。
教会において、奇跡は選ばれた聖人だけが取得するもの。それ以外の人間が扱う奇跡は全てが異端。
それは教会に属する人間であろうと例外ではない。教会では位が高くなればなるほど魔術の汚れを禁じている。
こういった教会を任されている信徒なら言わずもがな、神の加護が厚ければ厚いほど魔術とは遠ざかっていく、というのが通説である。

「─────が、この質問は君に話す内容とは関係のないものだ。第一、知ったところでどうする?」

諭すような口調でありながら、綺礼の一言一句には重圧の言霊でも乗せたかのような重苦しい響きがあり、士郎に響いてくる。
言葉を発せられる度に気圧されていては堪らない。
そう感じた士郎は、瞼を閉じて深呼吸。意志を強くし

「ああ、そうだな。あんたがどういう立ち位置にいるのか、なんてのは関係なかったな」

言い放った。が、綺礼は特に気にした様子もなく質問をぶつけてきた。

「君にここの役割を言う前に幾つか尋ねておくことがある。君のサーヴァントはセイバーで間違いないな?」

「………ああ」

「では、もう一つ。君のその顔はすでに戦いを決意している者の顔だ。そんな者が果たしてここの役割を知らない、などとは考えにくい。───となれば君は予期せずマスターとなった、と推測したがどうだ」

「………大体あってる。俺は突然マスターになった」

「ほう。そしてセイバー、か」

何やら含みのある言葉だったが、気にしていられなかった。
そんな士郎の内面を気遣う様子など微塵も見せずに問いただしてくる綺礼。

「よかろう。では改めてここの役割を説明しよう。ここは先ほど君が連れてきたように一般人の保護を行っている他、サーヴァントを失ったマスターを保護する役目も備えている。もし君のサーヴァントが戦争の最中で倒れた場合、速やかにこの場所に避難することを勧める」

「………保護、か」

いつぞやの時は、マスターを続けるか、という問いを考えていたことがあったが、今は違う。
確かに巻き込まれてこの戦いに参加した。
しかしこの三日間で、この戦いの犠牲になるかもしれない人々の話を聞き、実際に襲われた人、襲われかけた人を見てきた。
今までにすでに助けているし、放っておく事など出来はしない。
故に士郎は戦うと決めた。彼自身の意志で。

「………けど、おかしくないか? サーヴァントを失えばもう聖杯戦争とは関係なくなるんじゃないのか?」

「いや、令呪を宿す限りその者はマスターで在り続ける。例をあげると、サーヴァントを失ったマスターとマスターを失ったサーヴァントがいた場合。両者は再契約する事が可能だ。この場合、他のマスターにとってみれば倒した筈の敵が戦線復帰し再度立ちはだかる障害となる。その様な面倒を避ける為、例えマスターがサーヴァントを失おうとも他のマスターによる殺害の対象から外れる事はない」

綺礼の言葉を聞いてバーサーカーに襲われた次の日の会話を思い出す。
セイバーが言っていた内容と似ている部分があった。
ということはすなわちここの教会は、放棄した者を巻き込ませないためにあるのだろう。

「………一つ、訊いていいか」

「ああ、いいだろう。何かな」

「ここの聖杯が本物だっていうことは理解してる。けど、じゃあなんでこんな殺し合いをやっている? もし本当の聖杯なら求める者に平等に分け与えても問題はないんじゃないのか?」

「………そうだな。全ての人間で分け合ったところで足りないなどいう事はないだろう。だがそんな自由は我々にはない。聖杯を手にする者はただ一人。それは私達が定めしルールではなく、聖杯自体が決めたルールだ。故にこれは“試練”と言えるだろう」

「………何が試練だ。無関係な人間を巻き込んでまでやることかよ」

同時に士郎はこの神父がこの聖杯戦争を微塵にも“試練”とは考えていないだろうと断言できた。

「そうだな、事が公に露見することは監督役の私からしてもあまり喜ばしいことではない」

果たして本当にそう思っているのか、士郎にそんな感想すら抱かせる綺礼の言葉だった。

「だが、聖杯はあらゆる願望をかなえる万能の窯だ。それさえ手に入ってしまえば他の者は手出しができなくなる。故に過程で魂食いをしようが手に入れてしまえば何も問題はあるまい。魔術協会だろうと手出しはできんのだからな」

「─────なんだよ、それ。聖杯さえ手に入れちまえば何をしてきたとしても許されるのかよ」

「許す、許さない、という問題ではない。“手出しができなくなる”。………そもそも聖杯戦争というものはそういう性質のモノだ。覚えておくといい」

「─────っ」

胸の中の蟠りは残ったままとなってしまった。
この教会の役割はすでに訊き終えている。ならば、もうここの教会には用事はないだろう。
小さく息を吐く。

「とにかく。あの女性は任せた。ここの役割も聞いたからもう特に俺に用はない。帰っても大丈夫だな?」

「まあ、まて。確かに話すことはないが訊いておかなければいけないことがある。説明をして、質問に答えてやったのだ。こちらの質問に答えるくらいはしてもいいだろう」

祭壇の上に立っていた綺礼が、背を向けようとしていた士郎を止める。
このまま帰ってもよかったが、曲がりなりにも情報は得た。
ならば質問を受けるくらいはいいだろうと思い、とどまった。

「………わかった。で、なんだよ。訊きたい事って」

「この教会は聖杯戦争による被害をフォローする役割を持っている。………つまり、街には教会の人間が複数存在するということだ。そして、その報告は監督役である私に逐次連絡が入れられる」

「そうかよ。で、それがどうしたんだ」

「何、先ほど連れてきた女性は一般人だったが、“君にはもう二名ほど一般人がいる”のではないのか? そちらの二人は教会へ連れてこなくてもいいのか」

「…………!」

綺礼の言葉を聞いて、鐘と綾子のことが思い浮かんだ。
確かに保護の役割を担っているのなら預けるのは道理かもしれない。
しかし。
さっきからずっと感じる悪寒、威圧感。
何か、これ以上ここにいては善くないモノを目の当たりにしてしまいそうな、妙に確信めいた予感もあったから。
間違ってもそんなところに二人を頼もうとは思わなかった。

「いい。あんたはさっきの人のフォローもあるだろ。そっちを優先してくれ」

「そうか。─────まあいい、では最後に一つ確認だ。衛宮士郎、君はこの戦いに自らの意志を以って臨むか」

「────ああ。俺は戦う。ここに来る前からとっくにその覚悟は出来てたんだ。今更アンタに確認されるまでもない」

その言葉を言うのにもはや迷いはなかった。
最初の覚悟はできている。そして学校で決意新たに再び覚悟を決めている。
この場所を訪れたこの今でも何一つ変わったことなど無い。
もし、それがあるとするならば、この士郎の正面に立つ男、言峰 綺礼に出会ってしまったことくらいか。
女性だけ預けてさっさと帰ればよかったか、などと考えてしまう。
そんな士郎の思いなど知らず、綺礼は満足そうに笑みを浮かべた。

「ならば衛宮士郎。己の意志を以ってしてこの戦いに勝利し、聖杯を掴むがいい。─────そうだ、そうなれば何もかもが元通りになる。その裡に溜まった泥を全て掻き出す事も出来だろう」

「………なにを、いきなり」

「故に望むがいい。もしその時が来るのなら、君はマスターに選ばれた幸運に感謝するのだからな。その目に見えぬ火傷の跡を消し去る為に、そう────最初からやり直す事とて可能だろうよ」

「─────」

眩暈がする。
一体何を言っているか、まるで要領を得ない。聞けば聞くほど士郎は混乱していく。
だというにも関わらず、その言葉は士郎の厭に胸に浸透し、どろりと、血のように粘り着く────

「君は知っているかな。十年前の大火災のことを」

「十年前………」

忘れる筈もない。
士郎自身がその大火災の被災者なのだから。

「この街で生きる者なら誰しもが忘れ去ることなど出来ない惨劇。死傷者五百名、焼け落ちた建物は実に百三十四棟。未だ以って原因不明とされるあの火災こそが、聖杯戦争による爪痕だ」

その一瞬。
あの地獄が士郎の脳裏に浮かんだ。

「────待ってくれ。それじゃ、聖杯戦争は………」

「そうだ。これで都合五度目。魔術師達の狂宴は繰り返され、その過程で彼らの行いは暴虐を極めた。そんな魔術師としてのルールを逸脱する輩を戒める為に、私のような監督役が派遣される。だが魔術師にとっての逸脱とは神秘の漏洩、この一点にのみ集約される。故に事前に行動を制約するのではなく、事後処理を担うだけだ。………そして君も良く知るあの大火災こそが、先の四度目の戦いの最後に落とされた撃鉄の代償。闇に葬られた事の真相だ」

五回。
過去に四回、聖杯戦争が、殺し合いが行われていたということ。
その事実を知った士郎の目の前が、ぐにゃり、と歪む。
では、過去にも先ほどのような、自分が経験したようなことが行われていたということなのだろうか。
暴虐を極めた、というのならば、無関係な人間を大量に巻き込んだのだろうか。
否、その答えはすでに出ている。
聖杯戦争による大火災。それが前回の聖杯戦争の結果ならば、無関係な人間を巻き込んでいない、などと言える道理は微塵もなかった。

「あの焦土の中、生き延びたのは一人。救われたのは君ただ一人だ。だが聖杯の力に拠れば、救えなかったものとて救うことが出来るだろう。取りこぼしてきたものでさえも、その手に掴むことが出来るだろう。衛宮士郎もまた、『衛宮』となる前の、本来あるべき筈だった己へと立ち返ることすら容易だろう」

そんな士郎の状態を愉しむかの如く言葉を続けてくる。
吐き気がする。
神父の言葉は胸を抉るように、無遠慮に傷口を押し広げていく。
視界がぼやけ、焦点を失って、視点が定まらなくなる。
何処に立っているのかすら定かではなくなり、ぐらりと身体が崩れ落ちるような感覚にすら囚われる。
が────

「────っ!」

何とか踏みとどまる。
頭を数回左右に振って気持ちを切り替える。
倒れかねない吐き気を、ただ、沸き立つ怒りだけで押し殺した。

「しかし………情けは人のため為らず、とはよく言ったものだ。興が乗ってつい、私自身も楽しんでしまったか」

それにまだ早い、と要領を得ない言葉を呟き、綺礼は士郎に背を向けた。

「話は以上だ。用が無ければ立ち去りたまえ。そして覚えておけ、衛宮士郎。聖杯戦争が終わるまで、この教会に足を運ぶことは許されない。許されるとしたら、それは」

「………サーヴァントを失って保護を願い出るとき、って言いたいんだろ。わかってる、覚えてる」

そう言い捨てて背を向け礼拝堂の出口へ向かう。
外にはセイバーが待っているだろう。明日────すでに今日ではあるが学校もある。
これ以上ここに長居する理由はないし、居続ける気もない。
ここにくるつもりは毛頭ない、と出口へと近づく。
その背中に。

「────喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う」

振り返った瞳が見たものは、祭壇に立ち、そう──神託を下すように告げた神父の姿。
そしてその言葉は士郎自身も気づいていなかった、衛宮士郎の本心ではなかっただろうか。

「────なに?」

「判っていた筈だ。明確な悪がいなければ君の望みは叶わない。たとえそれが君にとって容認しえぬモノであろうと、正義の味方には倒すべき悪が必要だ」

「っ──────」

目の前が真っ暗になりそうだった。
綺礼は言う。
士郎という人間が持つ最も崇高な願いと、最も醜悪な望みは同意であると。

─────そう、何かを守ろうという願いは、
同時に、何かを犯そうとするモノを、望むことに他ならない────

「───おま、え」

しかし、そんな事を望む筈がない。望んだ覚えもない。
あまりにも不安定なその願望は、ただ、目指す理想が矛盾しているだけの話。
だというのに綺礼は謳う。士郎の胸を刺すように、“敵が出来て良かったな”と。

「なに、取り繕う事はない。君の葛藤は、人間としてとても正しい」

「っ──────」

神父の言葉を振り払って、士郎は出口へと歩き出す。
もう振り返るつもりもない。立ち止まるつもりもない。これ以上この男の言葉は聞いてはいけない。聞き続ければ大切な何かを失いかねない。
そんな予感を、しかし確実に抱きながら士郎は礼拝堂を後にした。


―Interlude In―

士郎が出て行った後、礼拝堂で一人立ち尽くす綺礼。
先ほどまでの士郎とのやりとりを思い出していた。

「ふ………しかし。思いの外、狼狽していたように見えたな。」

あれは実に愉しかった、と言わんばかりの様子だった。
そんな綺礼に声をかける者が礼拝堂の奥からやってきた。

「何か貴様の機嫌を良くする者が現れたのか、言峰」

「………あまり表には出るな、と言っておいたが?」

声をかけてきた金髪の男性に視線をやる綺礼。
が、そんな言葉如きでこの男が素直に従う訳も無し。

「そう邪険にするな。─────それで? 一体誰がやってきた?」

「………セイバーのマスターだ。巻き込まれた一般人を連れてきた」

「ほう………セイバーのマスター、とはな」

その言葉に少しだけ興味を持ったかの様な声で呟く金髪の男。

「そのセイバーだが、“あの”セイバーだ………ギルガメッシュ」

ギルガメッシュ、と呼ばれた金髪の男はさも当然、と言わんばかりの顔で

「だろうな」

たった一言だけ呟いた。
その言葉に込められた意味を、果たしてどれだけ掬うことができるだろうか。

「すでに事は動き始めている。さて、今回はどのような結末が待ち受けているのか───」

そう言って綺礼とギルガメッシュは再び礼拝堂の奥の暗闇へと帰っていった。


―Interlude Out―

ギィと軋むような音を立て、その扉は閉じられた。
神聖な神の家であるというのに、この場所は酷く淀んでいるように今は感じる。
士郎は胸の内に溜まった熱を外気で冷ますように深呼吸を繰り返す。肌を突く寒冷な空気は、常に圧し掛かっていた重圧を溶かすには充分すぎる冷たさだ。
綺礼との問答は衛宮士郎という存在を確実に揺さぶった。心を静めるように士郎は呼吸を繰り返し、僅かに欠けた月を仰ぎ見た。

「シロウ」

入口から少し離れた場所にいたセイバーが士郎の姿を確認し近づいてきた。
そんな彼女を見てると何か気が抜けたように感じる。今はそれが何よりもよかった。

「? どうしましたか」

「いや、何でもない」

「?」

疑問符を作っていたセイバーだったが、そんな彼女に声をかける。

「話はちゃんと聞けた。この場所にはもう用はないから、帰ろう」

確かに話は聞けた。その中でもとりわけ耳に残ったのはあの火災──十年前の惨劇がこの聖杯戦争によって引き起こされたという事実。
それが真実なら、士郎の戦う決意はより強くなる。正義の味方という理想を目指す士郎にとってそれは容認しえる事ではない。
あんな惨状を二度と起こさせてたまるものか。あれがこの戦いの末路だというのなら、何が何でも止めるだけ、と。
そう決意をより固め、二人は帰路へとつく。



流石にこの時間帯はもう誰も起きてはいなかった。

「寝よう………。流石にこれ以上起きてると寝坊する」

セイバーは道場に一旦行くと言って別れた。
お風呂にまだ入っていないが、朝風呂をするということで寝室へ向かう。
自分の寝室の襖に手をかけようとして止まる。

人間は何かのきっかけがあれば、ふと思い出すことがある。
今朝のやりとり。
それを思い出した時、足は自分の部屋ではない別の部屋へ向かっていた。
そっと音を立てずに襖をあける。
覗けるだけの隙間を作り、中を見る。
鐘の眠っている姿がそこにあった。

“衛宮士郎もまた、『衛宮』となる前の、本来あるべき筈だった己へと立ち返ることすら容易だろう”

神父のその言葉がよみがえってくる。
それを倍化させているのが、鐘の母親から見せてもらった写真だった。
自分にはそんな記憶はない。いつかの登校の時に鐘に話したように『生まれ変わった』といってもいいほどのものだった。
それほどまでに火災以前の記憶は思い出せない。
だというのに、その写真には小さい自分としか思えない子供が写っていた。
そしてその隣には幼い頃の鐘の姿もあった。現在も過去もあの灰色の髪はそのままだった。

だからこそ尋ねた。

“なあ、氷室。自分の子供のころのことって覚えているか?”

しかし返答はやはり、というべきか曖昧なものしか返ってこなかった。
当然だろう。十年前のことをはっきりと覚えている人間などあの火災は別として、そうはいない。
だからこそ、『あれは良く似た人違い』ということで片付けていたというのに、綺礼の言葉によってまた揺さぶられた。

「くそ………遠坂の奴も、前もってどんな奴かくらい教えてくれればよかったのに………」

無意味な、らしくない八つ当たりを一人呟いて開けていた襖を閉める。
寝室へ戻り、寝間着に着替えて敷いた布団に入る。
途端に眠気が襲って来た。
柳洞寺に行って、公園に行って、教会に行ってと移動しまわった所為もあるだろうが、何よりも教会の神父とのやりとりが一番疲れを感じていたのかもしれない。

「『衛宮』になる前の自分………か」


一人呟く声は部屋に響くことなく、堕ちるように眠りについた。



[29843] Fate/Unlimited World―Re 第24話 変革へのシナリオ
Name: 夢幻白夜◆d1278e81 ID:0cef6c3b
Date: 2012/08/11 22:15
第24話 変革へのシナリオ

Date:2月6日 水曜日

─────第一節 淡い色の夢─────


─────ふと目が覚めた

広い夜。
見渡せばそこは見覚えのある武家屋敷で、そんな中に一人だけ仰向けで空をぼんやりと眺めていた。
周囲には誰もいない、人の気配もなければ小鳥の気配すら皆無だった。
一人でぼんやりとして縁側に寝転がっていたのだが、そのまま寝てしまっていたらしい。

月が近く感じる。
それだけ周囲が明るく見える、ということ。
これだけ明るいとここがまるでどこかのステージの上にいるようにすら感じられる。

けれど、このステージに幕はない。
あるものはこの家と月だけで、いるのは自分ただ一人。

他は誰もいない。

─────なんて、静かだろう。

誰もいない。

独り。


「どうしたの、─────?」


声が聞こえた。

「え………」

そこに居たのは子供。
誰? と思った。
そんな疑問が浮かんだと言うのに、疑問として感じなかった。

縁側に座って話をした。
あの時と同じように、何でもない話をする。
今までのことや、これからのことが話題にあがったのは多分、本当にわずかな時間だったと思う。

「じゃあね、─────」

また会おうね、なんて言いそうな、そんな軽い声でその子は去って行く。
止めることはできないし、止める理由もない。

けれど─────

なぜか手を伸ばしていた。
届かないのに、手を伸ばしていた。
それを見た子供はたった一言

「また、会おうね」

そう言って消えた。
風に浚われたように、一瞬で消えた。


─────第二節 騒がしくも日常の朝─────

朝5時20分。
まだこの時間帯は薄暗く、気温も低いため布団の外はかなり寒い。
そんな中で目覚ましが鳴る。

止めようと手を伸ばすが届かない。
そのように置いたから。

仕方がなく布団から出て時計を止めて、周囲を見渡す。

「寒い………」

今すぐにでも布団に戻ってしまいたかったが、それをすると昨日の二の舞となる。
いくら朝練がないからと言っても、二度寝をしては彼の手をまたも煩わせることになる。

そもそも早く起きたのだってこの所為である。
流石にこの時間帯なら起きていないだろうと考え、寝間着のまま廊下へと出た。

私は今やどこにいけば何があるか把握したこの和風の家を歩いて洗面所へと向かう。
その際に居間の傍の廊下を抜けるのだが、居間には明かりはついていなかった。
寧ろ朝練がないのだからこれが普通だろう。

洗面所へとつながる戸を開ける。
顔を洗って意識を覚醒させて、着替えて─────と、そんな事を考えていたのだが………

「へ………?」
「え………?」

目の前の彼の姿を見た瞬間、すべて吹き飛んでしまった。

「ひ、氷室!?」
「~~~~!?」

バン! と勢いよく戸を閉めて背中を預けるように凭れかかる。
目の前に飛び込んできた光景は、恐らく彼が風呂から上がった直後のものだったと思う。
腰回りにタオルが巻かれていたのがせめてもの救いだった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!今着替えてるから!」

中から聞こえるように言ってくるのだが、あまりに唐突に映像を見てしまった所為でまともに理解できなかった。
心臓の鼓動がやけにうるさい。

「お、落ち着け。落ち着くんだ………」

背中を預けたまましゃがみこんでしまう。
出来る限り何も考えないようにして目を瞑る。
はぁ、と深いため息をついて気持ちを落ち着かせる。

「氷室? もう入ってきていいぞ」

そんな彼の言葉が聞こえてきたので、ゆっくり立ち上がってノックをする。
無論、入っていいと言っているのだからノックをした後はそのまま入る。
中にはちゃんと服を着た衛宮がいた。

「お、おはよう、衛宮」

「あ、ああ………」

どうしても少し直視できなくなってしまう。
それは彼も同じようで、ドライヤーを取り出して髪を乾かし始めた。
私も洗面所に向かいあって顔を洗う。
ちょうど、ドライヤーの音が聞こえなくなる時に顔を洗い終えたのだが、鏡に写っていた顔はまだほんの少し顔が赤いようにも見えた。

「今日は早起きなんだな、氷室」

先に元通りに戻れたらしい衛宮が私に話しかけてきた。
流石の私も元に戻る。

「昨日は君の手を煩わせてしまったからな。今日も同じことをさせてはまずいだろう」

顔についた水をふき取って、髪を整える。
もともと変に髪を弄ってはいないため、寝癖がつくこともほとんどなく、櫛を通す程度で済むのは朝の忙しい時間帯には助かるだろう。
逆にセイバーさんのように髪を括っていると大変なのではないだろうか、などとも思ってしまう。

「あれくらいなら俺は問題ないけどな。─────っと、じゃあ氷室も起きてきたことだし、お茶でも入れるか。朝練もないからみんなもう少し遅く起きてくるだろうしな」

使っていたドライヤーを元あった場所に戻し、居間へ向かうために廊下へと向かう。

「氷室、お茶入れて待ってるぞ」

そう一言言って彼は廊下へ出て行った。

「お茶か………」

まあこの和風の家で、和風好みの彼が紅茶を入れるとは私も思わない。
普段の朝は大抵がパンで同時に紅茶やコーヒーなどがでてくる。
だから朝から和風の朝ごはんやお茶が出てくるというのは多くはなかった。

「待っていることだし、早く着替えて居間へ向かうか」

流石に寝間着姿のままで行くのは躊躇われた。
温かいお茶を飲みながら他の人が居間にくるのを待つのもいいだろう。
そう考えながら私は洗面所をあとにした。





鐘が着替えて居間に向かったのは5時半。
すでに急須にお茶は用意されており、キッチンには士郎が立っていた。

「お、着替えてきた