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[1070] きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/05/11 18:32
そこは一つの世界だった。
剣の丘。そうとしか表現できないほど、目に見える全ての場所に剣が突き立っている。まるで、墓標のように・・・・・・。
誰もがこの世界を見ればこう思うのではないか。

なんと淋しい世界だろう、と。

まるで、生の鼓動など感じられないような世界にたった一人。
赤い衣服を纏った青年が立っていた。右手には、豪奢な装飾の長剣を握っている。
彼の体は、なぜまだ生きているのだろうと思えるほどに、ぼろぼろに傷ついていた。今にも崩れ落ちそうな体を、右手に握った剣を支えにどうにか立っている。

ああ、これはもうだめだな。
死ぬ。間違いないだろう。これだけの傷だ、ここまで戦えただけでも、よくもったほうだと思う。
死ぬのは怖くない――――と思う。
だけど、どうせ死ぬのなら。
あれ? 今何を考えてたっけ。声がきこえる?

「――――――――――――」

「契、約……?」

「――――――――――――」

それで願いがかなうなら。目を開けても見えるのは干からびた大地と、血溜まりだけ。

「我が死後を預けよう。だから」

目を閉じる。思い出せる、あの黄金を。

「シロウ―――――あなたを愛している」

そう言って消えた彼女と。間違いかもしれないけど。

「アルトリアと会いたい」

この気持ちはうそじゃないと思うから。
この瞬間、青年、衛宮士郎の意識は闇に沈んだ。
右手に握ったままの剣を感じながら。


意識が浮上する。ここはどこだ?俺はあの時
っつ! 何かに引っ張られる感覚!!
そして視覚が回復した。そして俺が見たものは。

「屋根!?」

落ちていた、それも頭から。とっさに体の向きを変えるだけで精一杯だった。
それはまさしく破壊音とでも言うのだろうか?
俺の体は、すさまじい衝撃をうけながら、屋根を突き破った。


痛みはなかった。あの速度で落下したにしては少々おかしい気がする。
そして周りを見渡す。居間、だろうか。ここまで来るともう感嘆するしかないほど、めちゃくちゃになっている。
む?これは……そういうことか。
頭ににさまざまな情報が流れてくる。すこしずつではあるが。
つまり俺はあのときの契約で、英霊になったということだろうか?
確かに死後を預けるといったが。やはりあの時私は死んだのだろうな。
しかし、どうも体が重い気がするのはどうしてだろう。何か問題でもあるのか?
むう、状況がどうも見えてこんな。
いまだ送られてくる情報は微々たる物。
わかるのは私が死んで、英霊になってここに落ちてきたということか。
まて! まさかあのときの願いもかなうのだろうか!!
瓦礫、といっても差し支えないだろう。もとはなかなかの調度品だったようだが、その上に立つ。
ん?視線が低い?おかしいぞ。この低さは。
そういえば自分の姿を見たか?
篭手、だと?俺はそんなものを着けていた覚えはない。
これではまるで、まさか――――――――

聖骸布。確かに俺はこれを着ていた。問題ないなろう。だけどこんな形じゃなかったはずだ。
鎧。俺が使っていたのはせいぜい革鎧で、ここまで見事な重鎧ではなかった。
篭手、そして小さくなったとしか思えない手。
鏡はないがやはりこの姿は。

「セイバー」

ああ、声も記憶にあるもの同じだ。力が抜けて、へたりこんでしまう。
だけどこれはないだろう?確かにアルトリアに会いたいと願いはしたが体だけ? 会っても。
これはまいった。アルトリアの体ということはやはりオレは女性になっているのか?
確かめる気にもならない。

「――――――」

目の前の扉から声が聞こえる。開けようとしているようで、取っ手がガチャガチャと動くが開かない。
当然だ。扉が大きくゆがんでいるのだから。
声からして女性、それもまだかなり若いようだ。
そういえば、まだこの家の持ち主にはあってなかったな。
その女性は何かを叫んだ後、扉を蹴破った。
そして出てきた女性は。

「遠、坂・・・・・・」

俺のよく知る人物の、懐かしい姿だった。

「・・・・・・」

不意打ちだった。遠坂に聞かれたかと思ったが、それは無いようだ。
ん?なんだ、呆然としているが、俺を見てそうなってるわけじゃないようだ。
その視線の先には。時計?なんでさ。
遠坂の視線が俺に移る。わずかに眼を見開いたような気がしたが。

「貴女、大丈夫?」

は? 聞き間違いだろうか。遠坂から、俺を気遣う言葉だと!?
呆然としてしまう。そんな、アリエナイ。

「顔真っ青だし、腰が抜けましたって格好だし」

「へ?」

そうだ、なんでか体がセイバーのものになっててそれで――――
くっ、落ち着け! なんかさっきから信じられんことばかりだが、全部真実だ。
ならば、いまできることをしろ!

あわてて立ち上がる。ちっ、予想以上に動揺しているらしい。

「だ、大丈夫だ。どこにも、問題なんかないぞ」

「そうかしら?思いっきり問題ありますって感じだけど」

「そ、そうかな」

だめだ。ごまかすのは失敗だ。くそ、どうすれば。
遠坂の顔は心配しているというよりは、呆れてるって感じに変わったような気がする。
そしてその顔が俺のよく知る―――――

「はいはい、大丈夫だって、別にとって食いなんかしないから。少し落ち着きなさい」

「お、おう!」

そのまま深呼吸をさせられる。ああ、なんだか、落ち着いてきた気がする。
遠坂はニヤニヤ笑っているけど。これ、弱みになるのかなぁ。
だが、遠坂の表情が真剣なものに変わる。
む、これは重要な話かもしれん。私も、思考を切り替えねば。

「それで、大事なことを聞きたいんだけど……。貴女は私のサーヴァントかしら? 」

だが、遠坂の言葉は、俺の予想を上回る。

「サーヴァント、だと?」




[1070] Re:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2005/10/23 13:02
「ん? どうしたの? 言いたいことがあるのなら早く言いなさい」

震えそうになる声を必死で隠して俺は尋ねる。

「君は、サーヴァントと言ったのか?」

「? ええ、そうよ。――――――――もしかして貴女、本当にサーヴァントじゃない?」

遠坂は少し不安げな顔をしているようだが、俺はそこまで気が入らない。
遠坂は俺をサーヴァントとして呼び出した?
つまり聖杯戦争のために俺はここにいる?だが、サーヴァントは聖杯から情報を得られるのではないのか?
いまだ少量ではあるが、情報が流れてくるが。聖杯戦争のことなどないぞ?

まあいい。聞いてみれば分かることだ。

「君はサーヴァントを呼び出そうとしたのか?」

「そ、そうよ。だからさっきから貴女はサーヴァントかって聞いてるじゃない」

む、遠坂、何をそんなにあせっているんだ?

「そうか。では君は聖杯戦争に参加するつもりなのか?」

「あたりまえじゃない。そもそもどうやって、サーヴァントを召喚しようってのよ。聖杯でもなけりゃ無理じゃない。それよりも、貴女は私のサーヴァントかって聞いてるの。早く答えなさいよ」

「まあまて、私は君に聞きたいことが――――」

「ああ、もううるさいわね。何でこんなことにも答えられないのよ。もういいわ」

「――――Anfang・・・・・・!」

な、まさか。

「うそだろ、こんなことで令呪を使う気か」

「うそじゃないわ。貴女は絶対私が呼び出したんだから、私の言うことは聞くべきでしょー!!」

「そ、そんなばかなことで使うやつがあるかー!!」

「うるさいうるさいうるさーい」

「なんでさー!!」
とりあえず、居間はめちゃくちゃだからということで遠坂の部屋に来ている。
しかし遠坂にはまいった。ほんとに令呪使っちまうとは。
まあそのおかげでいいこともあったんだけど。
遠坂にとっては結構無駄なことをしてしまったんじゃないだろうか。

「はあ、しかし君はなんと令呪を使ったんだ? よくわからんのだが」

「う、それは――――」

「それは?」

うむ。遠坂が動揺してくれるとこちらが冷静になれるから助かる。

「だって貴女、どう考えたってサーヴァントとしか思えないのに、いきなり放心状態だし」

ぐっ、それは。

「動揺はするは、腰は抜けちゃってるは、深呼吸なんかするもんだから」

つまり?

「ほんとにサーヴァントかな~って思ったら、令呪使っちゃった」

令呪を使えば、自分のサーヴァントかどうかわかるということか。
すまん。確かにあのざまでは不安になるのも仕方がない。
仕方がないが、彼女が何を命じたのかさっぱり解らん。何かを強制する様でもないし。

「それで、君はなんと命じたんだ?」

「あんたは、私のサーヴァントか? って命じたのよ」

なるほど。だから、私に聖杯から情報が来るようになったのか。
令呪のおかげで、聖杯と完全につながったということだろうか。
ん? だが、俺が遠坂のサーヴァントかどうかなんてまだ答えてないぞ。
俺の疑問を察したのだろうか。遠坂は

「ええ、おかげで貴女が私のサーヴァントであることはわかったわ。契約のつながりも感じるし」

と教えてくれた。確かに俺にも契約のつながりを感じる。

「で、貴女何のサーヴァント?」

俺についてわかったのはサーヴァントかどうかというだけなのか?
む。遠坂はなにか期待に満ちたまなざしを向けている。
そういえばあのとき遠坂はセイバーに並々ならぬ未練があるみたいだった。
たしかに、俺の体は小さな差異はあるが、セイバーのものの様だし。頑丈な鎧を着込んでいる。勘違いするかもな。

だが、聖杯の情報によると俺のクラスは

「セイバーじゃないの?」

待ちきれなかったらしい。

「いや、ちがう。私はアーチャーだ」

そもそも、俺がセイバーになることはありえないんじゃないだろうか。
俺は剣を使うことを極めることは出来ない。生み出すだけだ。

「あちゃあ。痛恨のミスだわ。あんなに宝石使ったのに」

まあ、セイバーじゃないのはかわいそうだけど、我慢してもらうしかないな。

「まあいいわ。ミスしちゃったのはしかたがないし。それよりアーチャー。貴女どこの英雄なの?」

「ああ、そのことなのだが。怒らないで聞いてくれ」

「どういうこと?」

さすがに俺の正体を言うわけにも行かないからな。遠坂には悪いけど。
さらにいえば、これが初めてだからな。呼びだされるのは。

「私は元々正規の英雄ではないのだよ。さらにいえば、この姿ですら、私の生前の姿とは異なるものだからな」

「は?ちゃんと説明しなさいよ」

「ふむ。今回君はサーヴァントを召喚するときセイバーが欲しいと思ったのだろう?」

「ええ、そのとおりよ。サーヴァントの中で最優とされるセイバー。欲しくないわけがないわ」

「その意思に引っ張られたということだ。元々私はこのような鎧を着けてはいなかったからな。そもそも過去の伝説に私の名前はない。確固たる姿がない以上、その姿が、いろいろな要因に影響されやすいのだろう。つまり今回私はアーチャーでありながら、セイバーの格好になってしまったということだ。もしかすると今回のセイバーはこれと似た姿なのかもしれん」

こんなことほとんどでまかせだ。俺の方こそ説明してもらいたいよ。
だがこの説明なら、もしこの世界でアルトリアがセイバーとして召喚されてもいいわけにはなる。

「えっと、それはマイナスってことなのかしら」

そう。それが問題だ。この体は俺のものではない。
つまり、俺はこの体で戦闘をしたことがないということだ。
ここまで体格が違うと、かなり戦闘方法も変わるだろう。
セイバーの体は本当らしく、スペックは相当高いようだが、俺に使えるのか?

「わからん。わからんが、問題ないだろう」

「問題ないって貴女。まあいいわ。それで貴女の宝具は何なの?アーチャーってからには弓なんでしょうけど」

「いや、基本は剣だ。そもそもアーチャーだからといって弓が宝具とは限らない。私がアーチャーに適正があるのはその戦い方によるものだろう。マスター。君が私をどう思おうが勝手だが、ほかのサーヴァントに妙な先入観を持ってくれるなよ。サーヴァントはたいてい多芸だからな。まあ、私のことは遠距離戦が得意とでも思ってもらえればいい」

「わかったわ、アーチャー。覚えておく」

ギルガメッシュなんか弓なんて使わないからな。

「それじゃあ、アーチャー。最初の仕事なんだけど」

ん? 何をさせる気なんだ、遠坂のやつ。
そして遠坂はほうきとちりとりを俺に投げてよこし、あろうことかこう言いやがった。

「下の掃除お願いね。あなたが散らかしたんだから、責任持って片付けてね」

な、あの廃墟をこれでどうやって片付けろというんだ?

「マスター君はサーヴァントをなんだと思っているんだ?」

「使い魔でしょ?ちょっと上等で、扱いが難しいけど」

「な――――――」

そういうやつだったな、遠坂は。

「わかった。地獄に落ちろマスター」

そう言って俺は部屋を出る。アーチャー、お前も大変だったんだな。
なんとなくだったけど、あいつも同じことをされたと思う。
あの赤いやつは気に入らなかったけど、なんか同情してしまった。同じ境遇としての親近感か?まあ、アレも〝俺〟らしいし……。

でも、結局真名は聞かれなかったな。まあ聞かれても俺自身なんと答えればいいかわからんが。
それよりも試さないといけないことがある。
俺はほうきとちりとりを部屋の隅に置いた。

「――――投影開始」

右手にある剣を投影する。
む? 投影自体は問題ないが、魔力消費が、二割増といったところか?
なら、あれの使用も、かなり魔力を消費するということか。
そのまま剣を振るう。動きは悪くない。少なくとも本来の俺より遥かに良い。良いが。
ずれがある。自分の体を完全に理解できてない。
このままでは自分の戦闘経験を体の方が裏切るかもしれない。
剣を振るう、振るう、振るう。
理解するのは簡単じゃなさそうだ。

「あっ」

気がついた。俺は何をしにここにきた?
あまりにむちゃくちゃになってたから忘れてた。
居間は、俺が暴れたことでさらにどうしようもなく悲惨な状態になってしまった。遠坂が起きなくてよかった。

「どうしよう、これ」

強敵だ。さっきまでではともかく、今のこの部屋は。
俺は、遠坂の顔を思い浮かべると、覚悟を決めるしかないと悟った。



[1070] Re[2]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2005/10/23 21:43
二月一日
「まあ、こんなものでいいだろう」

サーヴァントがするべきものでは決してないとは思うが、家事は嫌いではない。それに俺は新参者の英霊だからな。
居間が元通りになった後、ついつい台所の掃除や、他の事まで手をつけてしまった。
しかし、遠坂はいつになったら起きてくるんだ? とっくに日は昇ってる、というより学校も始まってしまった。
時計を見ながら思う。遠坂よ、何故時計が一時間も早かったんだ?
そういえば遠坂は朝弱かったけ。ものすごかったもんな。あれはまさしく怪獣だった。
あれでは千年の恋ですらさめる。この聖杯戦争で俺は遠坂が猫かぶってたのを知ったんだったな。
だが、姿見の鏡があって助かった。自分の姿を確認することが出来たからな。
やはり背格好はアルトリアと同じくらいだろう。顔の造作も同じ。ついアルトリアと同じ目に見入ってしまった。
だが、髪の色が違う。鋼のような銀髪。それに少し短いらしく、編み込むほどではなかった。
そして、ドレスの色も違う。漆黒のドレス。どこか不安にさせる色だ。
そして鎧とドレスの間に赤い聖骸布を重ねるように着ている。
ん? どうやら目が覚めたようだな。

「うわ、すごい。ちょっと見直したかも」

遠坂はすかっり元通になった居間を見て、幾分目を見開いている。
体が重いのか、全体としての印象は、憂鬱そうだが。
魔力が減ってるのか? 俺を召喚したせいだろうか。
まあ、ここまで元通りにしたのだからな。しかし遠坂、見直したって俺をどんな風に思ってたんだ?
いや、ごめん。確かにサーヴァントらしからぬことはやった。

「もう日は昇っているぞ。君はずいぶんとだらしがないな」

よし、もうあのことは忘れてしまおう。少なくとも、遠坂には認めてもらえるくらいにはせねば。せめて口調だけでも。

「おはよう、貴女はずいぶんリラックスしてるみたいだけど」

自分を鏡で見ていただけなんだけどな。

「まあ、君は私の召喚で本調子ではないようだからな。紅茶でも淹れよう」

遠坂に紅茶を淹れる。これでも生前執事の真似事をやったこともあるのだ。
まあ、この姿で執事というわけにもいかんだろうが。
む? 遠坂、何故俺を睨むんだ?

「確かに疲れてるのは事実だし、飲むわ」

そして差し出した紅茶を一口飲む。
俺の淹れた紅茶は、遠坂の満足のいくものだったのか、幸福げな顔を見せてくれた。
ああ、良かった。

あれ?遠坂がこっちを驚いたように見ている。何かしたっけ。
遠坂は驚いた様子から、何故かにっこっり笑って紅茶を飲んでいる。なんなんだいったい。


「ありがとう、アーチャー。とてもおいしかったわ。だけど」

「だけどなんだ?」

「その姿で紅茶を淹れるのは、違和感がありすぎるわ。それに見てる間ポッドを壊しそうで怖かったわよ」

「ぐっ」

た、たしかにこの姿で紅茶を淹れるのはなかなか難しいと思ったが、そこまで危なっかしく見られていたとは。
そりゃあ、指先が震えていたのは認めるが。だが決して鎧を解除するわけにはいかない。
ドレス姿で紅茶なんて淹れたら、遠坂になんて言われるか。
遠坂のやつはなんかにやにやしてる。
そのうちぎゃふんといわせてやる――――いかんいかん思考がガキくさくなっていた。気をつけねば。

「ふふ、それじゃあアーチャー、出かけるから支度して。街を案内してあげるから」

遠坂、今へんなこと言わなかったか?

「マスター、準備する必要などないぞ。すぐに出かけることが出来る」

「は?そんな格好で出かけるつもりなの?サーヴァントどころか変人って見られるじゃない」

やっぱり、遠坂のやつ。

「ふむ。どうもマスターは知らないようだが、霊体化すればいい。実体化してるなら着替えも必要だが、姿を消してしまえばその必要はない」

「なるほど、でもそんなことが出来るってことは他のマスターを探すのって相当難しいのね」

「まあ、われわれサーヴァントはお互いを知覚することが出来るがな。だが残念なことに、騎士あがりの私には距離の離れたサーヴァントを知覚することは出来ないがな」


「わかったわ。それじゃあ、アーチャー、出かけましょう。貴女の呼び出されたこの世界案内してあげるから」

ああ、遠坂。大事なことを忘れてるよ。いや、俺も自分の名前を教えていないんだから仕方ないことかもな。

「マスター。それはいいのだか、まだ私は君の名前を教えてもらっていない。これは大切なことだ」

「あっ、名前――――――――」

「ああ。それで私は君をなんと呼べばいい?」

「――――――――遠坂凛よ。貴女の好きなように呼んでいいわ」

少し赤くなっている様だな。まあ遠坂は朝弱いから仕方ないか。

「それじゃあ遠――――いや、凛と呼ぼう。うん、君にはこの響きがよく似合う」

そうだ。俺はこの世界では衛宮士郎ではない。だからこれからは遠坂のことを凛と呼ぼう。
これはけじめだ。凛は聖杯を望んではいないとは思うけど勝利は望んでいるはずだからな。
アルトリアのことが心配だけど。

うん? 凛の顔色がおかしいな。さっきから変だぞ。


凛と一緒に街に出る。
自分が生きていたころより少し昔の風景。
懐かしくないといえば嘘になる。まあ、それほど覚えていないのではあるが。
この街の雰囲気というものだろうか。この空気がひどく懐かしく感じさせる。
深山町、新都と歩き。


そして、あの火事の中心に来た。
新都の公園。この世界で十年前に起こった聖杯戦争の終焉の地。
聖杯は不完全なものだ。だからこの火事は起こってしまった。
必ず破壊しなければならない。そのためには今回の聖杯戦争、必ず勝たなくては。

凛は、俺に何か話したげな顔をしているが、どうも声をかけあぐねているようだ。
その顔が唐突にゆがむ。

「痛っ」

「どうした凛?」

「アーチャー、ちょっと黙ってて。――――誰かに見られてる」

周囲に目を向ける。弓兵としての視力。その能力を十分に発揮し、はるかな距離まで目を向けるが。

「だめだ。私には視線すら感じられん。おそらくマスターだろう」

やっかいなことだ。こちらは相手を見つけることが出来ず、向こうはいいように位置を知っている。

「まあいいわ。好きにさせておきましょう。向こうから襲ってくれるなら、探す手間が省けるってもんだし。どうしたの?アーチャー。何か文句ある?」

はは、まったく凛は、いつも俺の想像を超えるよ。いやこれでこそ凛であるとでもいうのかな。
俺とはスケールが違う。
そして、自然に笑みを浮かべてしまう。やはり凛は凛だと。

「いや、君はそれでいい。君はそのままが一番強い」
散々街中をつれまわされた。すでに日は沈み、世界は夜となっている。
もっともこの新都は、ぎらぎらと町の明かりと灯してはいるが。
そして今はおそらくこの町で最も高い建物、の屋上である。
さすがにこの高さになると、吹く風も相当に強い。だがここから見渡す景色は、それに勝るものがあるだろう。
こんなところがあった、とはな。

「どう?アーチャー。ここなら見通しがいいでしょ」

「確かにいい場所だ。だが最初からここにくれば町を歩く必要もなかったのだが」

「ん?何か言った?」

「いや、なんでもない。いい景色だと言っただけだ」

「そう」

そして街のつくりを見る。この街に住んでいたといっても、細部まで、覚えているわけではない。
少なくとも必要なところは把握しておかねばならないだろう。
しかしこの体はどこまでが俺で、どこからがセイバーのものなんだ?
多少不都合があるとはいえ、投影は出来る。視力も、問題ない。
だが、運動能力も、魔力も、自分のものとは思えない。まさしくアルトリアに近いのではないか。
なんだ?凛が何かに気づいたようだ。誰かいるのか?地上を見つめながら、殺気だっている。

「凛、敵がいるのか?」

「いいえ、ただの知り合い。ただの一般人よ」

苛立っているように見える。何が彼女の癇に障ったのか。
一般人か。気に入らない奴でもいたのだろう。

「どう? アーチャー」

「うむ。大体は把握した。あとは追々つかんでいくさ」

「そう。じゃあ帰りましょう。私も本調子じゃないし」

「ああ、そのことについて提案があるのだが」

「なに?」

少し試したいことがある。

「帰りは、私が君を抱いて帰っても良いかな」

「はぁ!?」

凛は顔を真っ赤にしている。どうしたんだ? 今日はよく顔を赤くするな。

「なに。この体は私にとっても初めてなのでね。調整みたいなものだ」

「まあ、そういうことならいいけど」

「そうか。なら遠慮なく」

すぐさま凛を抱き上げる。凛が何か言ったようだが、かまわず、隣のビルに飛び移る!
この身は弓兵。暗殺者ほどではないが、身を隠すのは苦手ではない。
一般人に見られることなどないよう慎重に、だが、全力で移動する。
ふむ。生前もよく女性を抱いて、駆けたっけ。
強い風が、とても心地よく感じた。

凛の家に帰り着いたときにはもう九時を過ぎていた。出かけた時間から考えても、相当連れ回されたことになる。
まあ、帰りは、俺の方が連れ回したみたいなもんだし、おあいこか。
遠坂は気持ちよかったと、ご機嫌ではあったが。
けど、だいたいわかった。この体は鈍い。
人間と比べれば十分早いが、少なくとも、アルトリアよりは劣る。いや、俺が見たサーヴァントと比べて、もっとも遅いのではないだろうか。
まあ、誰かと戦う前に解っただけでも、十分。戦闘中に隙を見せるわけにはいかないからな。

「それじゃあ、貴女はここを使って。私はもう眠るけど、何か質問はある?」

「いや、なにもない。君が今夜早く休んで魔力の回復を図るのは正しい」

「そう、じゃあ明日も、今朝の紅茶よろしくね」

何かを思い出したのか、凛はうっすらとではあるが微笑んでいた。
なにかくやしい気もするが、仕方がない。
明日は、とびきりおいしい紅茶を淹れてやるとしよう。



[1070] Re[3]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2005/10/24 12:27
二月二日


朝食の後、凛は学校に行くと告げた。凛はそう言うだろうと思っていたから、驚きはなかったが。
むしろ俺がすんなり納得したことに、拍子抜けしていたようだが。

「霊体化して護衛するくらいはかまわないのか?」

「もちろんよ。学校といわず、外に出るときは貴女に傍にいてもらうわ。護衛期待してるんだがら」

期待されてうれしくないわけがない。不肖ではあるが、この身は騎士の端くれ。
主を守ることが勤めならば、全力を持ってこたえよう。

「承知した。この身は凛の盾となろう」

だが、凛にはひとつ言っておきたいことがある。確か学校にはライダーの結界があったはずだ。
だが、肝心なこと。誰がライダーのマスターだったかが、さっぱり思い出せない。
しかし注意を促すぐらいは必要だろう。

「しかし、凛。もしもその学校に敵がいたらどうするのだ?」

「大丈夫よ。学校にはマスターはいないわ」

「君がそういうのであれば、それは本当なのかもしれないが、何事にも例外がある。油断だけはするな。君が気がつかなった魔術師がいるかもしれん」

「はいはい、わかったわ」

む。凛のやつ、あまり信じてないな。
しかもなんか笑ってやがる。

予想通りというか学校には、結界が張ってあった。俺のときと同じライダーによるものだろう。

「驚いた。もしもの話って本当にあるのね」

「だから言ったではないか。例外はあると。案外この学校にマスターが何人もいたりしてな」

「さすがにそれはないと思いたいわね」

「ふむ、だが凛の場合それはないと思ったことに限って起きたりするのかもしれないな」

「うっ・・・・・・。で、アーチャー、この結界どうなの?」

「ああ。まだ完全ではないが、準備は始まっているといったところか。しかしここまで派手なものだとするとよほどの大物か」

「とんでもない素人ね。普通はばれないようにやるものだわ。私のテリトリーでこんなことをして、ただで済むとは思わないことね」

凛はかなり憤慨しているようだ。確かこれは一般人を巻き込むような、いや一般人を対象とした結界だからな。
絶対にこれを発動させるわけにはいかない。
時刻は夕方。じきに日が沈み、夜となるだろう。
そうすれば、学校に人もいなくなるはずだ。ん?何か忘れている気がするが。
なんだったけ?
だが、凛の声で、俺は思考を中断された。

「はじめるわよ、アーチャー。まずは結界を調べて、消すか残すか決めましょう」

私はうなずいた。まあ見えてはいないだろうが。
今は結界のことを考えよう。
場所は屋上。やはりこの結界はどうにもならない代物らしい。
結界内の対象を融解させる結界。あの時は分からなかったが、今なら分かる。
これを解呪することなど不可能だ。この結界は魔術というより宝具なのかもしれない。
この結界を消すことは出来ないが、邪魔をするということで、話は決まった。
凛が魔術刻印のある左腕を地面につけ魔術を発動しようとして


「なんだよ。消しちまうのか、もったいねえ」

唐突に第三者の声が響いた。
何たる不覚。この距離になるまで、サーヴァントの接近に気がつかなかった。
振り返ったそこ。給水塔の上。青い騎士。ランサーか!

「これ、アンタの仕業?」

ランサーから放たれる獣じみた気配の中で、凛がたずねる。

「いや、俺は小細工なんてしねえよ。ただ命じられ戦うのみ。そうだろうそこのお嬢さん」

「やっぱり、サーヴァント!」

「そうとも。それが分かる嬢ちゃんは俺の敵ってことでいいのか?」

「――――――――っ」


凛はこの場所から脱することが最善だと感じているようだ。
さすが我がマスター、俺も同感だ。
同じように感じたのか、ランサーの顔に笑みが浮かび、その手に禍々しき紅い槍が表れる。

「凛!!」

一瞬で察したのか、俺をすぐに実体化させ、俺は凛を即座に抱えあげ――――
一瞬で突進してきた、ランサーの槍をかわし、屋上から、跳ぶ!!
落下の衝撃を殺し、即座に校庭へと走る。ランサーを引き離すことなど不可能だが、今はこれで十分。
追いついてきたランサーの前に凛を背にして立つ。
そして、ある長剣を投影する。この身はアーチャーだが、これで今はセイバーにしか見えないだろう。

「へぇ」

ランサーは心底うれしそうに笑う。あれは戦いを楽しむものの顔だ。

「いいねえ。そうこなくっちゃな。話の早いやつは嫌いじゃない。まあどっちも嬢ちゃんってのが、気に食わないかもしれねえがな」

「ランサーのサーヴァント・・・・・・」

凛がうめくように声を出す。まああいつがランサーなのは見たまんまだろう。
ゲイボルク。必ず心臓を貫くという魔槍。
あれが、発動してしまえば俺には防ぐすべがない。

「いかにも俺はランサー。そういうアンタのサーヴァントはセイバーかい?」

「はっ、そんなこと教えるわけないじゃない。アーチャーかもしれないし、ライダーかもしれないわよ」

「それこそまさかだ。これほどの存在感があって、セイバーじゃないわけがねえ!!」

どうやら、勘違いしてくれたようだ。確かにセイバーの様な姿だが、俺の技はアルトリアには及ばない。

「さあ、はじめようぜ、セイバー!!」

俺は何もこたえない。俺はただ凛の言葉を待つのみ。

「アーチャー、手助けはしないわ。貴女の力、ここで見せて」

その言葉を受け、自然と浮かんだ笑みとともに、ランサーへと突進する。
ランサーはまさしく神速といった速さで、槍を突き出してくる。
受け流す――――
エラー
分割した思考が、否を示す。
っつ、受け流すことは不可能。ならばはじくしかない。
すんでで、槍に剣をぶつける。

「グッ――――――――!」

だが、うめくはランサー。剣と槍が接触したときに発した光、魔力によるものか!
突進は止まってしまったが、ランサーも衝撃でたたらをふむ。
すぐさま第二撃を放とうとするが、

「ツッ――――――――!」

すかさず放たれた槍に迎撃にはしらざるをえない。
エラー
避けるのは不可能と感じた槍を叩き落す。
ち、予想以上に勝手が違う。雑魚ならともかくランサーもの相手にこの不具合はまずい!
今のは、直感に頼って避けられたようなものだ。
くっ、攻めるしかない。守勢に回っては、避けきれなくなる。
エラー
勘に頼って槍を叩き落す。
エラー
思考は否を出すが、かまわず剣を振るう。
まさしく剛剣。それはバーサーカーもかくやというべき重さ。
ランサーは一撃受けるだけで、体が泳ぐ。
だが、踏み込んだ間合いは、立て直したランサーの槍でまた広がる。
神速と、剛剣。青と赤。
ほぼ、互角、いや、わずかだが、俺が押している。
おそらく、ランサーの腕が、剣の衝撃で鈍っているのだろう。
エラー
だが、思考は警告を鳴らし続ける。
エラー
確かにこのわずかな優勢は、勘に頼ったものだ。
エラー
このままではいずれ致命的な攻撃を受けるかもしれない!
エラー
今まで直線的なだけだったランサーの攻撃が、払いに変わった!?
エラー

「ちっ――――――――!」

だが、勘に頼った剣撃は、ここでもランサーの槍を払う!
当たらない? 剣を受けたランサーに隙が出来る。
そして、結果的には攻めていることになる。
ランサーは、不利を感じたのか、大きく間合いを離した。
迅い! 追撃など不可能。

「っ、やはり嬢ちゃんはセイバーか。このままじゃ勝てねえな。アンタ一体どこの英雄だ?」

それは否だ。俺は勝ってる気がしない。これまでの優勢は全て、勘に頼った結果。
実力ではない。ランサーが手を抜いているのではと思うほどだ。
危惧はしていたが、戦闘経験がこの体には当てはまらない!

「それは、どうかな。今のが君の全力とは思えない。君は手を抜いているのではないのか?」

「ちっ、よく見てやがる」

どうやら、間合いを話して余裕があるようだ。小さく誰かを罵倒した声が聞こえた。

「ふむ。どうやら、マスターに恵まれなかったようだな」

ランサーのマスターが誰かは忘れたが、たしかろくでもない男だった気がする。

「まったくだ。その点嬢ちゃんのマスターはうらやましいぜ」

ふむ。凛のこととはいえ、褒められるのは悪くない。
なら、放つ言葉はこれ以外にない。

「そのとおりだ。私のマスターは、最高のマスターだからな」

ふんと鼻で笑ってやる。ランサーには何度も死ぬ目にあわされたんだ。
これくらいやっても悪くあるまい。
だが、予想に反して、ランサーのやつは笑ってやがる。
どういうことだ?

「なあ、嬢ちゃん。どうでもいいけどよ、その顔と声で、その話し方はどうにかならないのか?なんか子どもが精一杯背伸びしてるみたいで微笑ましくなっちまうんだが」

「なっ」

顔が赤くなるのが解る。くそっ、戦闘中になんてこと言いやがるんだあいつは!
遠さかも今笑わなかったか?
それにこの体になってから、動揺が顔に出すぎだ!

「た、たわけ! 貴様ににそんなこと言われる筋合いなどない! 貴様こそそのノリの軽さはなんだ! クー・フーリンとも大英雄が、そんなていたらくとはな!」

ランサーの気配が変わる。

「はっ、やっぱり嬢ちゃんはよく見てやがる。だが、知られたからには容赦しねえ。アンタは今ここで、殺す!!」

ぬう。信じられん。自分から死地に赴くとは。
これではただの馬鹿でガキじゃないか。
自身の愚行が、凛に対して申し訳ない。我が身の恥はマスターの恥となってしまう。

一分の好きのない構え。相手を殺すためだけの構え。
ランサーの構えはそういうものだ。

「ならば食らうか。我が必殺の一撃を」

「――――止めはしない。いずれは越えねばならんものだ」

自分で招いた愚行は。代価を払わなければならない。
避けることは出来ない。だが死ぬわけにもいかない。
今度こそ、鉄の、鋼の精神を。

ランサーの身が沈む。それと同時に、校庭の空気が文字どうり凍る。

「――――誰だ!!」

しまった! ランサーと戦うのに夢中になりすぎた。まさか人がいるとは。
走り去っていく足音。あの背中は間違いなく学生服。まさか! あれは衛宮士郎か!
なんてうかつ。確かに俺はあの時これと似た場面を見たではないか!
追いかけようとするランサー。まずい!

とっさにに弓を投影する。矢はエストックと呼ばれる突くことに適した剣。
それを一息に7射。校舎に向かうランサーに放った。

キンッ、キキキキキキンッ

まさか全てかわされるとは!

「凛!」

「っ、追って、アーチャー。私もすぐに追いつくから」

ち、サーヴァント最速のランサーに追いつけるのか?だが、追いつかねば。

しかし、間に合わなかった。
月明かりもないひどく冷たい廊下。そこに衛宮士郎はいた。
心臓を一突き。あっという間だっただろう。俺は自分ですら救えないのか?
俺にはどうすることも出来ない。ここまでの損傷は俺では直すことが出来ない。
なら、何故俺は助かったのか。その答えが、今だということか。

「アーチャー、ランサーを追って。マスターのところに戻るはずだから。そいつの顔でも見ないと割に合わない」

「――――」

ありがとう。凛。彼女ではない彼女に言う。口には出せないけれど。
校舎を走り抜け、ランサーを追う。
俺は本当はここで終わっていたはずなのだから。
だから、あの別れも、出会いすらもありえなかったもの。
だが、俺はそれを得ることができた。
感謝を――――



[1070] Re[4]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/11/29 18:59
ランサーを尾行するのは失敗した。あまりにも速度に違いがありすぎる。
まあ、こちらの町にはマスターはいないということがわかるぐらいが収穫といえるかもしれない。

ランサーとの戦闘を思い出す。あのままでは白兵戦はかなりまずいだろう。
俺が培ってきた戦闘経験と体とのズレ。先の戦いで勘が外れていたらと思うと、自然と表情が歪む。
だが、ランサーは俺の弓までかわした。あれはもしかしたら、加護の類かもしれない。
白兵戦が、あまり期待できない以上やつに有効な手段は範囲攻撃ぐらいだろうか――――

凛に報告する。

凛は、やはり、といった顔をしている。

「そう。ま、簡単にいくとは限らないわよね」

そして、それよりも訊きたいことがあるといった顔で、

「それよりもアーチャー、さっき言ってたのは本当?」

凛が言っているのはランサーの真名のことだろうか。
あのときのことは、俺の完全な失策だったが。

「ああ、間違いない。彼はアイルランドの大英雄。クー・フーリンだ」

「ふ~ん。まあ、それが判っただけましね」

「だが、私が弓を使ったことで、彼にアーチャーとばれた可能性が高い」

「そんなの問題ないわ。だって貴女は、私のサーヴァントなんだから」

「む」

ランサーに向かって言った俺のマスターの評価は、凛にも聞こえていたらしい。
思い出しているのか、喜びと楽しいという気持ちが、半々といった表情をしている。
しかし、凛からはどうも覇気が感じられない。落ち込んでいるようにも感じられたから、少しは気分転換になったかもしれない。
だが、ここに戻ってきたのは単に報告だけが目的じゃない。
ランサーは見失った。だが、ランサーがそのまま帰るとは思わない。いや帰りはすまい。
俺のときと同じく、衛宮士郎はまだ生きているのだから。

「凛、それよりも重要なことなのだが」

「なに?」

「先ほどの少年を、放っておくわけにはいかないのではないか?」

「あ――――!」

俺は凛を昨日のように抱えて夜の闇を走る。
午前零時。衛宮士郎の家を目指して走る。
凛の吐く息が白い。
凛はもう間に合わないかもしれない、と思っているようだ。
本当は、他の手段もあった。念話で衛宮士郎の家に向かうと凛に告げればよかったのだ。
だが、虫の息の衛宮士郎を見た瞬間。あの時のことを思い出す。
私が助けに行けば、セイバー、アルトリアは現れないかもしれない。
だが、助けに行かなければ必ずセイバーが現れると何故かそう思えた。
この世界が、過去、もしくは平行世界というものならば、現れるセイバーは私の知るアルトリアではない。
そもそも、もう彼女が聖杯を求めるはずがないのだ。
それでも、衛宮士郎が傷つくとしても、彼女と会いたかった。
そのために契約したのだから。
彼女は俺を知らない。それは解っている。解っているが――――
雲に覆われた夜空のした、武家屋敷にたどり着いた。
よほど風が強いのか、雲はかなりの速さで流れていく。
月は姿を見せない。
いる。ランサーが。
凛は俺に指示を出そうとしたのか。


そしてランサーを超える力が、屋敷の中に現れた。
それはまさしく太陽か。光が走る。
ランサーは逃げるように、屋敷から出て行く。

「アーチャー、やっぱり貴女の言った通りなのかな」

「今朝の言葉か?君がそう思うのであれば、そうなのだろうよ」

努めて冷静に言ったつもりだったが、凛は不審に思ったようだ。
そして、俺は冷静じゃなかったようだ。
俺はあの時この光景を違う視点で見ていたのに。
塀の上から彼女が現れた瞬間、俺は一瞬彼女に見とれてしまった。
反応が遅れる。凛はまだ反応もしていない。
踏み込み、敵を倒そうとする彼女。彼女には一瞬で十分。
俺は凛を突き飛ばすだけで精一杯。
そして斬られることを覚悟して、

「やめろ――――セイバー!!!!!」

斬られることはなかった。
それは令呪の効果か。本来なら止めることなど出来ぬはずのそれがとまる。
その隙を逃すわけにはいかない。凛を抱え即座に間合いをはずす。
俺のときとは状況が違う。俺はアルトリアを止めることは出来なかったが、この衛宮士郎にはできた。
そのことは感謝すべきことだろう。少なくとも、凛が危険な目にあうことは避けられた。

「なぜ止めたのですかシロウ! サーヴァントとそのマスターを倒すチャンスだったというのに!」

「なんでって、セイバー。いまのはまるで不意打ちみたいじゃないか」

「な! それは侮辱だ。私は騎士だ。そのようなことは決してしない!」

「だけど、相手は武器も持ってないじゃないか。騎士はそんなことするのか?」

「ぐっ―――――」

アルトリアいや、セイバーと衛宮士郎は何か言い争っている。
敵を倒すことは間違いじゃないと思うが、セイバー。かなり隙だらけに思えるぞ。

「――――ふうん、つまりそういうこと? 素人のマスターさん」

凛は、その会話を聞いて事情を悟ったのだろう。
丁寧のようで、刺々しい物言い。まさしく言葉の凶器。正直向けられる先が俺じゃなくて助かる。
そして、俺の目は常にセイバーを捉えてしまう。
先ほどまでは、月も隠れていた。しかし今はわずかではあるが、顔をのぞかせている。
彼女は俺の姿に気がついたようだ。
やはり、とでもいうべきなのだろうか。その表情は驚愕に満ちている。
マスター二人をそっちのけで、見つめあう。だが、その目に宿る感情は違う。

「アーチャー、悪いけど、ちょっと霊体になっててくれる?」

ん? 話は終わったのか?
俺はすぐさま霊体になる。

「遠坂、今のは――――」

「シロウ、驚くことはない。今のは霊体になっただけで、私にもそれは可能だ」

セイバーはそんなことなんでもないことだとでも言うように説明する。
そして俺と同じように霊体化してみせ、すぐさま実体化した。

な、に?
セイバーが霊体化できるだと。どういうことだ?
俺が知るセイバー。英霊としては、まだ半端な彼女は、霊体化できなかったはずだ。
ここは俺が知るものとは違う世界なのだろうか?
第一俺のときはセイバーとラインがつながっていなかった。
今回はセイバーに衛宮士郎の魔力が流れているのか?
だが俺の動揺が収まらぬまま、セイバーは凛の提案に同意し、衛宮士郎の家に入ることになった。

わずかだが、しかし確かな差異。
今はまだ二つか?
一つは衛宮士郎がセイバーを止めることが出来たこと。
二つ目はセイバーが霊体化できるということ。
何を勘違いしている!俺の存在こそ、大きな違いではないか。
やはり俺の存在が影響しているのだろうか?
だが、衛宮士郎はまた、ランサーに殺されかけたし、セイバーも召喚された。
大体のところは変わっていない。まだ、断定するのは早い。
ただ、思いもよらぬことがあると覚悟しておくほうが良いだろう。

余裕が出来ると、自然と武家屋敷、衛宮士郎の家に目を向ける。
家の門をくぐったとたん、懐かしさにがあふれた。
この家には何年も戻ってなかった。戻れぬまま死んでしまった。
それが懐かしくないわけがない。
なによりここは、短い間とはいえアルトリアと寝食を共にした場所。

そして例の窓ガラスが全壊した居間についた。

凛はあの時と同じように、窓ガラスを直し。

「こんなものはただのデモンストレーションみたいなものよ」

衛宮士郎は自分はほぼ素人だということを知られる。

「は? 俺はそんなこと出来ないぞ」

凛はそんなやつになんでセイバーがと、理不尽に思い、それでも借りを返さねばと息をつく。

「なんでこんなへっぽこにセイバーが」

くぅ。自分のこととはいえ頭が痛い。凛の言葉も堪える。
そして――――何も知らない衛宮士郎に聖杯戦争の何たるかを語った。



[1070] Re[5]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/08/19 20:02
衛宮士郎の反応は俺のときと大して変わらなかったと思う。
詳しく覚えていたわけではないが。
凛は教会に行くことを提案し、それを渋った衛宮士郎はセイバーに説得されて結局折れた。
教会、言峰がいるところか。何故だろう。あいつには何かがあったはずなのだが。いやな奴としか思い出せない。
サーヴァントのことは大体覚えているが、マスター、というより聖杯戦争関係だろうか。
それが記憶に残ってない。覚えているマスターは凛と衛宮士郎のみ、か?
ライダーのマスターもわかっていれば対処しやすいのだが。
黒く靄がかかっているようで、気分が悪い。

時刻は午前一時。徘徊する人影は皆無だ。
まあ、こんな時間に徘徊されても困るが。
幸い町は寝静まり、街灯が、暗い道を照らしている。
月は時折思い出したように顔を出すが、ほとんど雲に隠れてしまっている。
ただ、歩いているのは凛と衛宮士郎の二人のみ。
俺もセイバーも霊体化しているからだ。
セイバーが霊体化している以上、会話も二人しかしない。

教会に着く。予想外に凛と衛宮士郎は打ち解けたように見える。
ただ、衛宮士郎はこの無駄に豪奢な様相を示す教会に圧倒されているようだ。
教会。何かが引っかかる。ここには何かがあったはずだが・・・・・・。
思い出せない。何故聖杯戦争のことに限ってこんなに忘れているのだろう。
先と同じ疑問が頭を駆け巡る。

「シロウ、私はここに残ります」

セイバーはやはりここに残るらしい。実体化して、衛宮士郎に告げる。
もちろん雨合羽など着ておらず、鎧姿だ。

「凛、私も残ろう」

「わかったわ。じゃあ行きましょう、衛宮君」

凛は私が実体化したことについて何も言及することはなかった。不思議そうな目はしたが。
二人は教会へと入っていく。
風が強い。ここは郊外だからだろう。
「アーチャー、貴女は何者なのですか?」

やはり、セイバーは俺に疑問をぶつけてきた。
正直、彼女がそう尋ねるだろうと予想していたから、驚きはなかった。
あの時会ったときから、彼女は問いかけるような目をしていたのだから。

「何者と聞かれても、敵である君に正体を明かすとでも思ったのかね?」

「そうですね。私の失言でした」

そう言って彼女は黙る。
悪いが彼女には話すことは出来ない。俺の正体は。
いや、誰にも話すことは、出来ないかもしれない。

「ですが、知りたいのです。最初は感じなかった。だが、貴女を見ていると、何故か胸が熱くなる。だけど私は貴女を知らない。貴女は私を知っているのでしょうか? 私が知らないだけで。いや、私は変なことをいっている。忘れてください」

「――――――――――――――――」

声が出ない。これは不意打ちだった。何とか顔に出ないようにするだけで、精一杯だ。
まさかこんなことをいわれるとは。これでは愛の告白と変わらないではないか。
マズイマズイマズイマズイマズイ。
しっかりしろ。エミヤシロウ。体は剣で出来ている!


どうにか落ち着かせる。鼓動はまだわずかに早いか。
本当は俺もセイバーに訊きたいことがあった。あったが、今はそれどころではない。
俺は、彼女に会ってからほとんど霊体化していたはずだ。それがこんなことを言われるとは。
しかし、似ている理由ではなくて、知っているかどうかだと?
この姿に疑問は浮かばないのだろうか?


ん?どうやら、凛たちが戻ってきたようだ。
衛宮士郎が聖杯戦争に参加すると聞いたセイバーは何をいまさらというように、私は貴方の剣となると誓ったではないかとか何とか言っている。俺のときは何も言ってくれなかったのに・・・・・・。
む、握手だと。
どうも、無駄なことは結構覚えているらしい。

「ふうん、仲いいじゃないあなたたち。これなら敵同士私たちも容赦することはないわね」

凛が二人に話しかける。確かに今の俺たちの立場はまだ敵対関係だ。
凛が士郎をここまでつれてきたのはあいつがまだ何も解っていなかったから。

「――――?俺、遠坂達と戦う気なんてないぞ?」

まだよくわかってなかったらしい。ここはさすがというべきなのだろうか。

「まいったわね、これじゃあここに連れてきた意味ないじゃない」

凛がかなりがっくりきているようだ。疲れているともいう。

「凛。こいつに幾ら言っても埒があくまい。明日まで、見逃すくらいでちょうど良いのではないか?」

これくらいが妥当なのではないだろうか。
凛は衛宮士郎に借りを返したいだろうし。凛はこいつが令呪を使ったことを気にしているようだからな。

「む、仕方ないわね。町に着くくらいまではサービスしてあげるわ」

そして、凛は二人に目を合わせないようにして、歩き出した。
まあ、これくらいが限界だろう。


「どうしたの?早く行きましょう」

そうだな、ここに長居するのはあまりよくない。
理由はよくわからんがな。

四人で坂を下りていく。なぜ、四人かというと、俺とセイバーが実体化しているせいだが。
凛と士郎には、見つかる前に霊体化するといって説き伏せた。
サーヴァントなのだからそれくらいは問題ないとも。
俺が実体化したままなので、セイバーが警戒しているのだろうか?
士郎はともかく、セイバーは楽観的な性格ではない。
前のアーチャーのときとは違って、俺はピンピンしてるのだから。
いや、それはないのかもしれないな。
セイバーは敵のはずなのに、俺に戦意を持てないでいるようだ。
セイバー自身もそれを不審に思っているようだが。
だが、懸命に俺を睨みつけようとして失敗している彼女ははたから見ればかなり滑稽、いや可愛らしいと思う。
何故二人はセイバーの挙動不審さに気づかないのだろう?
坂道を下りきった交差点。深山町への大橋へ行くか新都の駅前に行くかの分かれ道。
どうやら、凛はここで二人と別れるみたいだな。

「悪いけど、あとは1人で帰って。私は探し物の一つでもして帰るから」

「捜しものって、マスターか?」

ほう。意外に察しがいいな。まあそのくらいはわかってくれないと俺も困るが。

「そうよ。セイバーを倒せなかったんだから、マスターの一人でも捜し出さないと割に合わないでしょう」

「――――――――」

士郎は声が出ない。

「だからここでお別れよ。明日からは敵なんだから、一緒にいるとまずいでしょ?」

やはり、凛は魔術士ではあるが間違いなく甘い。魔術師らしくないともいえる。
まあ、そこが凛らしいといえば凛らしいのか。
ややあって士郎は、

「遠坂、お前っていい奴なんだな」

うむ。お前もそう思うか。

「は?何言ってんのよ。おだてたって手加減なんかしないわよ」

「知ってる、でもお前たちとは戦いたくない。俺お前みたいな奴は好きだ」

「な――――――――」

くっ、凛。あいかわらず君は不意打ちに弱いな。まあ、衛宮士郎の方にも問題はあるがな。

「とにかくサーヴァントがやられたら絶対あの教会に駆け込みなさい。命だけは助かるから」

「――――ああ、一応聞いておく。でもそんなことにはならないだろ。どう見たって俺のほうがセイバーより短命だ」

「ふう――――」

まあ、凛がため息をつくのもわかる。マスターがやられたら、セイバーだってそれまでなのだから。
まあ、よっぽど幸運が重なれば、違う結果になるかもしれんが・・・・・・。
結局、セイバーたちとはここで別れた。凛と新都の方向へ進む。
凛は新都のマスターを探し出したい。だが、それより確実にサーヴァントと遭遇することが出来る。
バーサーカーと。
ふむ、これくらいの距離で良いだろうか。

「凛、新都で、マスターを探すのはいいのだが」

「なによ。なんか文句でもあるの?」

「いや、不満があるというわけではない。だが思うに、あの未熟なマスターを他のマスターが狙わないのだろうか?」

「――――!? でも、あのセイバーを見たら、並みのサーヴァントじゃ手を出せないわよ」

「いやなに。たいてい君がないと思ったことは、確実に起こっているようだからもしやと思ってな」

凛はちょっと考え込んだようだが、すぐさま私を睨みつけて

「何で早く言わないのよ、貴女は!」

などとのたまった。
そんなことは簡単だ。こんなセリフ

「なに、ついさっき思いついたのでな」

「つっ――――。これで何も起きてなかったら、後でひどいからね、アーチャー!」

凛を抱き上げる。今日はこうやって何度抱えただろうか。
バーサーカーと遭遇するはずの、交差点へと走る。
はっきりしているのは接近戦ではバーサーカーには勝てない。という事実。
戦うことは出来るが、セイバーの二の舞になってしまうだろう。
ならば手段は遠距離攻撃。それも不意打ちによる全力の一撃を。
セイバーは気に入らないかもしれないが、俺は出来ることをやるのみ。
凛と呼ぶと決めたときに、勝利を誓ったのだから。


屋根の上に音もなく降り立つ。
場面はバーサーカーが坂を一気に飛び降りるところか。
轟音と共に、セイバーとバーサーカーの剣が激突する。
結果はセイバーの敗北。彼女は押し戻され、バーサーカーの追撃を全力で防ぐ。

「なにあれ。バーサーカー? 桁違いじゃない」

凛は舌打ちをする。
無理もない。あのサーヴァントはあの大英雄ヘラクレスなのだから。
英霊としての質はまさしく最高。

「凛、あのバーサーカーをしとめるぞ」

「!? アーチャー、何をする気?」

凛が驚いたように声を上げる。俺は、弓を投影し、続いて螺旋状の剣を投影した。

「凛。私はアーチャーだぞ。ならばやることは一つだろう?」

はっとしたような顔をした凛は

「忘れてたわ。貴女はアーチャーだったわね」

む、アーチャー、アーチャーと呼んでいて、それが弓兵と忘れているとは。

弓を構える。だが、今は撃てない。セイバートバーサーカーの距離が近すぎる。
衛宮士郎は硬直しているし、それでなくても彼女は下がるまい。
そして、セイバーはバーサーカーに大きく吹き飛ばされた。

狙っていたのはこの瞬間!

「I am the bone of my sword――――我が骨子は捻じれ狂う」

大気が揺れる。この魔力は?

「偽・螺旋剣――――カラドボルグ」

微かな戸惑いを感じたが構わず剣を放す。
大気を捻じ切るように走る剣がバーサーカーの側面から襲い掛かる!
だが、バーサーカーは危険を感じたのか?
セイバーへの追撃から、体勢を変え、迎撃に失敗した。
カラドボルクはバーサーカーの胸を突き破る。致命傷。
バーサーカーを突き破った剣は、勢い止まらず大地に醜い傷跡を残して止まった。
妙だ。自分の経験と、剣の威力が異なる。
あれは防がれるタイミングだった。ならばこそセイバーと距離が開いたときに使ったのだ。
だが、放たれた剣は俺の予想外の速度と魔力を持っていた。何故?

ち、そんなことに気をとられている暇はない!
屋根から飛び降りながら弓を消し、バーサーカーとの間合いを詰める。
もはや、弓は効くまい!もとより狙っていたのは最初の一撃のみ。
ただ十二の試練を一度越えることが狙い。
バーサーカーは消えぬとはいえ、隙は生まれる!
そして俺は剣を―――――

「バーサーカー!!」

目の前に迫る鋼の塊。それは解っていても防げぬ代物だった。
それはどのような速さで、迫ったのか。
確かに死に体だったはずのバーサーカーは、圧倒的な速度で、俺との間合いを詰め。
それを越える速度で、斧剣を振るっていた。
その一撃はとっさに受けた剣をたやすく砕き、俺はその一撃をほとんどまともに受けた。
なすすべもなく吹き飛びながら、白い少女の体に浮かぶ紅い輝きを目にして、自分の失策に気がついた。

「アーチャー!!」

凛、追いかけてきたのか・・・・・・。
血だまりに伏す俺の前に立つ。

「あらリン。来てたの?どこの誰だか知らないけど、なかなかやるじゃない、貴女のサーヴァント」

追撃がこない。バーサーカーからは戦意が消え不動の巨人と化していた。
いつのまにか黒い巨人の傍らには白い少女がいる。
吹き飛ばされていたセイバーは胸から血を流しながら、立ち上がっているのが見える。
俺も、あらたに投影した剣を支えにして立ち上がる。


「っつ――――、アンタは」

こんなときでも白い少女は軽やかに笑い優雅に挨拶をした。

「ああ、ごめんなさい。リン。まだ名乗ってなかったわね。はじめまして、私はイリヤスフィール。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ」

「アインツベルン!」

ああ、そうだった。バーサーカーのマスターはイリヤだったな。
そして遠坂はイリヤに問いかける。そこにははっきりとした疑問の声が。

「貴女のサーヴァント、確かに殺したと思ったんだけど」

「ええ。確かに一度殺されたわ。だけどねリン。私のバーサーカーはヘラクレスなの。十二の試練といえば解るかしら?」

「十二の試練!? 命のストック――――」

「そうよ。私のバーサーカーは十二回殺されないと死ねないの」

「なんてデタラメ」

凛は小さく呟く。

「ああ、でもリン。貴女のサーヴァント。一度とはいえバーサーカーを殺しちゃうし、令呪も一回使っちゃったわ。今日はおにいちゃんを殺すつもりだったけど、気が変わったの。二人とも見逃してあげる」

バーサーカーが消えていく。

凛は何も言わない。今戦っても勝てないことは明らかだ。

「ばいばいおにいちゃん。また会おうね」

笑いながら去る少女。
だれも、夜の闇に消えていくイリヤを追う事は出来なかった。

後に残るは戦いの名残と、傷ついたサーヴァントとそのマスター。
俺は敗れたのだ。それも完膚なきまでに。
傷は少しずつだが癒えてゆく。俺は月が浮かぶ空を見上げた。
敗れたが、それと同時に嬉しくもあった。少し凛には悪いと思ったが。
俺の小細工をものともしないそのあり方。
英霊とはこれほどの存在か。その末席に身を置くことが出来たとはいえ、まだその力は計り知れない。
ならば今度こそ俺は、■■■■■■■になれるのではないか?
たくさんの人を救えるのだろうか?
そう――――思った。


そして、俺はいつのまにか傍らにいたセイバーに支えられていた。


【訂正】
またまた、指摘いただきありがとうございました。



[1070] Re[6]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2005/10/28 00:01
「二人とも大丈夫か?」

「アーチャー、大丈夫なの?」

バーサーカーとイリヤが立ち去ってからどれくらいたっただろうか。
凛と衛宮士郎がが心配そうに訊いてくる。

「ああ、問題ない。数時間もあれば、完治するだろう。もっとも、魔力は必要だが」

「そう、よかった」

凛は安心したとでも言うように息を吐いた。

「私も大丈夫です、シロウ」

俺を支えていたセイバーも答える。
衛宮士郎は血まみれの俺が心配なようだが、大丈夫だという視線でだまらせた。
ちょっと笑ったようにも見えたが。

確かセイバーの傷はバーサーカーによるものではなく、ゲイボルクによるものだろう。見た目は俺の方が重症に見えるはずだ。
だがセイバーの傷の方が治療するのは困難なのだ。

「それよりも凛。申し訳ないと思っている。しとめるとか言っておきながら返り討ちにあってしまった」

「そうねアーチャー。でも今回は許してあげるわ。貴女はバーサーカーに負けたというより、マスターとサーヴァントに、負けたようなものだから。その点で言えば、私もバックアップできなかったからおあいこでしょ。次は勝つわ。そうでしょ?」

「そうだな。ならば次は期待に沿うとしよう」

「ええ、期待してるわ」


そして凛は衛宮士郎に振り向いて言う。

「それで提案があるんだけど、衛宮君」

「ん? なんだ、遠坂」

「手を組まない?衛宮君」

「手を組むって、遠坂、さっきは敵同士だって」

「バーサーカーを見るまではね。正直アーチャーと私だけでも勝てないってわけじゃなさそうだけど」

(もしかしたら、アーチャー、やせ我慢かもしれないじゃない?)

(確かに。なんか弱みは誰にも見せたくないって感じだしなあ)

む? 何故声を小さくする。一体何を話しているんだ?

(そうでしょ。あの娘、プライド高そうだから。それに同盟を組んでる間は貴方の魔術教えてあげても良いわ)

(そういうことなら。俺はむしろありがたいくらいだ)

(なら、そういうことで)

(あ、すこし待ってくれ)

「セイバー、遠坂と手を組むのお前は反対か?」

「いえ、反対する理由はありません。むしろシロウがマスターとして成熟するのに凛からは学ぶことが多いでしょう」

「そうか、よかった」

「それに、アーチャーとは戦いたくありませんし」

「ん? セイバー、何か言ったか?」

衛宮士郎がセイバーに訊く。

「いえ、シロウ。ただの独り言です」


「そうか、じゃあ、遠坂。同盟ってことでよろしく頼む。それよりアーチャーには訊かなくてもいいのか?」

「いいのよ、私のサーヴァントなんだから。文句なんていわせないわ。こちらこそよろしくお願いするわ」

別に文句などないが、それは問答無用でこき使うということだろうか。
それよりも凛。いつまでという期限を設けなかったが。それは知ってのことか? それともいつものうっかりなのか?
しかし、セイバー。先ほどの言葉は本当か?
さすがにすぐ横で呟かれてもはっきりと聞こえるのだが。
何故セイバーはこれほど俺に好意的なんだ?
むう。疑問ばかりだな。はっきりと訊ねたほうがいいのかもしれない。

「なんかさ」

ん? なんだ、衛宮士郎。その微笑みは。

「セイバーとアーチャーってそうやってると、なんか姉妹みたいだな」

「なっ」

「そうですか?」

驚きの声は俺。セイバーはただ疑問に思っただけだろう。

「うん。二人とも、顔なんかそっくりだし。なんかそうやって支えあってると姉妹みたいだなぁって」

む、いつのまにか支えあう形になっていたのか。

「確かに似てるわ。まあ二人を姉妹としたら、セイバーが姉で、アーチャーが妹かしらね」

「ああ。俺もそう思った」

衛宮士郎が相槌を打つ。

「何故私が妹なのだ?」

「だって――――」

凛はよっぽど可笑しいのか笑いをこらえているようにも見える。
衛宮士郎も苦笑しているようだ。

「セイバーは頼れるお姉さん、アーチャーはちょっと背伸びした妹って感じかなぁ」

「貴方もそう思う? やっぱりアーチャーってそんな雰囲気でしょ? 一生懸命大人ぶってるっていうか」

「凛!君は私をそういう目で――――第一何故私が妹」

「ほう。アーチャー。貴女は私が姉では不満ですか?」

俺の反論は、セイバーによって止められた。顔は確かに笑顔だが。
・・・・・・セイバー。目が笑ってないのですが。

「いや、問題、ない」

負けた。この上なく負けた。そして初めての敗走でもある。
どうして、これほどセイバーや凛に弱いのだ、俺は。

「それじゃあ、そろそろ別れましょ。もう遅いから」

凛がそう言ってこの場で別れることとなった。
セイバーは俺を心配そうに見ていた。
それが俺の傷に関してなのか、どうしようもない敗北感にさいなまれた表情に関してなのかは俺にもわからなかった。

◇ ◇ ◇


二月三日

遠坂の家に戻り、ほどなくして凛は眠りについた。
さすがに疲れていたのだろう。
私も受けた傷の回復に専念したおかげでほぼ全快に近いと思う。
バーサーカーとの戦いの折、感じた違和感。
カラドボルクの投影。あれだけがあまりに異常だった。
他の投影は何も問題はない。だがカラドボルクだけが、違った。
神秘の劣化。投影により下がるはずのランクがほとんど感じられなかった。
確かに下がってはいるのだろうが、その差異が他の投影に比べて、あまりにも僅かだったのだ。
そしてあの威力。あれほどまでに力を引き出したのは初めてだ。
ほかにもこれと同じ現象が起こるのだろうか?


そして日は昇り、昼も近い今。
衛宮士郎の家に住む準備をしている。
今朝の疑問は考えても仕方がないということにした。
むしろ威力が上がっているのだから、歓迎しろと。
凛は大きなボストンバッグに荷物を詰め込んでいる。かなりの荷物だ。持って行くのはかなりの手間だろう。

「アーチャー、貴女も準備しなさい」

「む?どういうことだ凛。私は何も準備など」

「誰がこの荷物持っていくと思ってるのよ。そんな格好で荷物運ぶの?」

俺が荷物を運ぶのはもう決定済みなのか。
そういって服を渡される。ん? セイバーが着ていたのとは違うな。
これは――――色としてはむしろ凛の服に近いのか?
赤のブラウスに黒のタイ。タイと同じ色ののロングスカート。よくこんな服があったな。
ふっ。聖杯め。何故女性の服の着方まで、情報を送るのだ? こちらは助かるが・・・・・・。

「あら、結構似合ってるじゃない、アーチャー」

「ふむ、君は私に似合わないような服を着せたのか?」

「え? そんなつもりはないけど」

「なら、私に似合うのは当然のことだ。君が選んでくれたのだからな」

いつもいつも俺が赤面すると思ったら大間違いだぞ、凛。

衛宮士郎の家に着く。もちろん荷物は全て俺が持っている。
凛は、ためらわず屋敷に入った。少しは遠慮などはしないのだろうか?
セイバーは霊体化しているはずだから、道場にはいないだろうとも思ったが、そうでもなかった。
実体化したセイバーと何か話しているようだ。
荷物を道場の入り口に置く。“ドスン”と予想以上に大きな音がした。

「遠坂と、アー、チャー?」

ふむ、面食らった顔をしているな。そしてかなり間抜けな顔だ。
凛の私服姿を見るのは初めてだったか?
時間が止まるとはこのことか。しかしここまで硬直が長いとは思わなかったぞ。
俺はここまで驚いただろうか?
「な、な、な、な、何で?」

やっぱり間抜けだ。凛々しい表情のまま変わらぬセイバーがいるとなおさらに。

「何でって、私達がここにいること? それなら今日からここに住むからよ。これはその荷物」

「住むって、遠坂が俺の家に・・・・・・!!!?」

「貴方ね、手を組むっていうんだから当然でしょ。何だと思ってたのよ」

ふむ。それが当然かどうかは俺にはわからんな。
それでもこの衛宮士郎には十分か。

「あ、う――――」

「それで、私はどの部屋を使ったらいいかしら? 」

「あー、離れの部屋だったら、どこでも好きなもの選んでいいぞ」

「そう? じゃあ行きましょうアーチャー。どっこにしよっかなー」

「あ、ちょっと待った遠坂」

「ん? 何、士郎?」

「えーっと、そのアーチャーの格好は――――」

「ああ、この服? ここまで荷物を運んでもらったから」

俺が再び持ち上げた荷物を指しながらりんは答える。

「あ、いや、そうじゃなくて――――できれば、その、セイバーにも」

セイバーにも服が欲しいということか。まったく、衛宮士郎らしい。らしいが・・・・・・、読まれているぞ。

「大丈夫よ。貴方がそう言うと思って、ちゃんと持ってきてるから。アーチャー」

わかっているよ。出かけるとき、渡されたからな。
まあ、こう言われることは、凛も予測していたということだ。
俺は無言で、セイバーに服の入ったかばんを渡す。
もちろんアルトリアが着ていたのと同じ服だ。


凛は離れの一番良い部屋を選んだ。今度は俺が勝手にクッションを隣から持ってきたし、ビーカーや分度器もこの屋敷に来る前に忠告しておいたから、すでにある。
“君が言うへっぽこなマスターの家にそんなものがあると思うのか?”と言えば一発だった。
もちろんエアコンの使い方も俺が教えた。普通サーヴァントに訊くか?
改装には結構な時間を要したが、まあうまくいっただろう。ほとんど俺がやったのだが。
セイバーと士郎はどこかに出かけていたようだ。改装が終わったころに帰ってきた。
今は四人とも居間に集まっている。俺とセイバーは実体化したままだ。
衛宮士郎が居心地悪そうに見えるのが多少気になる。
長く続いた沈黙の後、凛が真剣な顔で切り出した。

「それで、これは重要な話なんだけど」

「なんだ? 遠坂」

「士郎は1人暮らしなんだから食事は自分で作っているのよね」

「ああ、毎日外食するわけにもいかないからな」

「そう。じゃあ、これからは夕食は当番制にしない? 一緒に住むわけだし」

「それは俺も助かるけど、朝食はどうするんだ?」

「それはいいのよ。私は朝はいらないから」

たしかにあれでは食事などろくにのどを通らないだろうな。
召喚されてから、見た大怪獣凛を思い出す。

「朝、食べないって、遠坂それは――」

「いいのよ。それが私の生活スタイルなんだから。とにかく、今日は士郎が当番ということで、食事してから作戦会議にしましょう?」

「わかった。それよりもセイバーとアーチャーは飯は食うのか?」

「いただけるのでしたら、是非。食事は大きな活力になる」

「いや、私には用意しなくても――――」

セイバーと違い俺は辞退しようとして、

「いや、だめだ。訊いといてなんだけど、アーチャーにも夕食は食べてもらう」

なんて衛宮士郎は言いやがった。

「凛、こいつに何とか言って――――」

「無駄よ、アーチャー。観念するしかないわ。彼、すごく頑固みたいだから」

凛は俺を見捨てたか。

「アーチャー、私も貴女が食事してくれると嬉しい」

セイバーにははじめから期待するだけ無駄か。

「わかった。私も夕食をいただこう」

諦めるしかないか。

衛宮士郎がエプロン姿で、食事の支度を始める。
その間に今後の方針を話し合う。正直なところ、衛宮士郎がいなくとも話は問題ない。
衛宮士郎の方も多少は気になるそぶりを見せたが特に怒っているといった様子はない。
といってもバーサーカーが次元が違う相手で、攻め込まれたら逃げるしかないという結論に至ったが。


そして夕食の時間。衛宮士郎の料理が並べられる。
うむ、悪くはないが、まだまだだな。
凛は握り拳を震わせている。衛宮士郎に勝った優越感か。なんにせよ食事の時間にそれはまずいと思う。
そしてセイバーはこくこくと頷きながら、食べている。懐かしい姿だ。
ああ、この顔を見れるのならば、俺も食事をする意義があるかもしれない。
そうだ、俺も料理をしようか。召喚されてから、まだやったことはないからな。
衛宮士郎はセイバーが箸を使えることに多少驚いているようだ。

「それで、結局どうなったんだ?」

衛宮士郎が凛に尋ねる。

「なにがよ?」

「さっき話してただろ。これからどうするのかって」

「ああそれ。とりあえずは学校に結界を展開しているサーヴァントが問題ね」

「結界?」

「――――凛、それははじめて聞きましたが?」

衛宮士郎がすっとんきょうな声を出し、セイバーが凛に迫る。

「そういえば言ってなかったわね。士郎は気がついてなかったけど、学校には結界が張ってあるの」

「ならば、シロウの学び舎にはマスターがいるということですか?」

「おそらくね。しかも相当たちが悪いわよ、あの結界は」

「そんなにやばいのか?」

「ええ。あの結界は発動すれば中にいる人間を溶解してしまう代物だもの」

「遠坂には消せないのか?」

「無理だったわ。私にはせいぜい結界の完成を邪魔するくらいしか出来ない。あの結界の精度は魔法に近いわ。張ったのは十中八九サーヴァントね」

「なら、マスターはわからないのか?」

「残念だけど確証はないわ。だから私達にできることは、いつもと同じように、学校に通ってマスターとばれないようにするしかないわ。結界を張ったサーヴァントも、その結界を発動する時しか出てこないだろうし。後手に回るしかないわ」

そして、学校に行くときはサーヴァントを霊体化させて一緒にいるよう凛は忠告する。
衛宮士郎は浮かない顔をしていたが、否とは言わなかった。

結界を張ったサーヴァント。ライダーか。
クラスまでわかっているのに、戦えないのが歯がゆい。あんな結界を発動させたくはない!

それで会議はお開きとなった。
凛。君はサーヴァントに風呂まで沸かさせるんだな。
まさかこの姿になってまで、風呂掃除をするとは。


時刻は午後十一時。
凛は早々と寝てしまった。今日はそれほど寝てなかったからな。それに俺が魔力もずいぶん治癒に持っていってしまった。
俺は実体化したまま屋根の上に立っている。
サーヴァントに睡眠は必要ないのだから、見張りというわけだ。
衛宮士郎が土蔵に向かっている。鍛錬するのか――――。
む、セイバーが屋根の上に登ってきた。彼女も実体化したままだ。

「いいのか?実体化したままで」

ふと疑問に思って訊いてみる。

「ええ、問題ありません。シロウから魔力は流れてきているし、戦闘での消費もそれほどありませんから」

ああ、そういえばセイバーの傷はランサーによるものだけだったな。
それに、夕食のとき気がついたが、衛宮士郎に流れる魔力の量が明らかにおかしい。
一人前の魔術師、いや下手すると、二人から三人分ほどの、魔力を感じる。
そのほとんどの魔力を、セイバーに送っているらしいが。
だからこそ、衛宮士郎も問題なくいられるのだが。

「それよりもアーチャー、隣に居ても構いませんか?」

「ああ、問題ない。今は共闘中だ」

「――――そうですね。しかし、凛は期限を設けなかった。貴女とは戦わなくて済むかもしれない」

「何を馬鹿な、君は聖杯を望んでいるのだろう?ならば私達二人が最後に残ろうと、戦うしかないではないか」

俺の方こそ馬鹿だ。セイバーとは戦いたくない。
セイバーは一瞬、顔を歪めたように見えた。
すまない。 頼むから。 悲しい顔は。 見せないでくれ。

「ですが、貴女とはどうしても戦いたくない。それが聖杯を手放すことになったとしても・・・・・・戦いたくないのです」

「――――――――そう、か」

俺はそれ以上何も言えなかった。
どうして、セイバーは今の俺にここまで好意を持っているのだろうか。
昨夜も感じた疑問が頭をよぎる。
セイバーに訊く勇気はない。
怖いから。
今朝はそれほど深刻に考えてはいなかった。
ただ、似ているからだろうと、安易に思っていたのだ。
隣に座っている、セイバーの存在を感じる。

「どうして」

誰にも聞こえないように呟いた。


だが、その問いに答えるものはいない。

ただ、月明かりが二人を照らしていた――――――――



[1070] Re[7]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2005/10/28 19:50
二月四日

ふむ、夜が明けたか。
結局、セイバーと二人で夜を明かしてしまった。
何の会話もなく。

衛宮士郎は結局土蔵から出てこなかった。おそらく鍛錬の後そのまま寝てしまったのだろう。
セイバーは自分のマスターが、土蔵に居ることすら気がついてないようだが。

まだ衛宮士郎が起きてこないとすると、朝食に支障が出るな。
よし、ならば私が腕を振るうとしよう。

「セイバー、そろそろ屋敷に戻ろう。もう朝食の準備をせねば、君のマスターも学校に間に合うまい」

そうは言うが、ふと思う。何故この時間に準備をせねば、間に合わなくなるのだ? 六時にすらなってないというのに。……まあいいか。
たいした事でもないだろう。

「分かりました、アーチャー。ですが、貴女が朝食を作るのですか?」

「む、君は私が料理を出来ないとでも言うのか?」

「いえ、そういうわけではないのですが」

「ならば、私の料理を食べて、判断するが良い」

「――――――――そうします」

何故そんな不安げな顔をする。そんなに俺が料理が出来ないように見えるのか?
くそっ、後で謝っても遅いからな!

衛宮士郎とは違うエプロンを探しだして料理をはじめる!
む? 何故、包丁を持った手が震える?
おかしいな。
ん? 衛宮士郎が起きてきたようだ。
俺の姿を見て、ものすごくあせった顔をしているな。

「あ、アーチャー、何やってるんだよ! 危ないじゃない――――」

俺から包丁を奪い取ろうとした、不届きものに最大級の殺気をぶつける。

「か―――――」

叫びは尻すぼみに消えていく。
ふん。誰にも邪魔はさせん! お前はそこでおとなしく見ているがいい。
では気を取り直して……。


「士郎ー、牛乳、頂戴―――――」

大怪獣凛が衛宮家の冷蔵庫に襲い掛かる!
衛宮士郎もその姿に唖然としている。ご愁傷様。だが、同情はしないぞ。
俺はそれをすでに乗り越えたのだからな。

「あれ? アーチャーどうしちゃったわけ?」

「わからないけど、なんかやる気になってるみたいなんだ。遠坂何とか止めてくれないか? あの包丁捌きを見てると心臓が止まりそうだよ」

「別にいいんじゃない? やりたいってんならやらせておけば。どうしても危ないようだったら、士郎が教えてあげればいいじゃない」

「それが出来たらな……」

凛よ、その言い方は少し気になるが―――援護してくれたのは助かる。

「私にも止められそうにありません。あの気迫には介入できない」

無理です、とセイバーが口を挟む。

そろそろ六時か。屋敷の前に人の気配が。


ピーンポーン


呼び鈴が鳴る。なんだ? こんな時間にこの男の家に誰か来るのか?
凛と衛宮士郎が玄関へと行ったようだ。凛の方が幾分か早かったようだが。
何かいやな予感がするな。

何か言い争って、いや言い争っているのか?
なかなか終わらんな。もうすぐ料理が出来てしまうぞ。
誰かが近づいてくる。むう、追い返せなかったのか。二人もいて。
そしてその誰か――――少女か。彼女は台所に入ってきて、

「え――――――――?」

調理器具の片づけをする私を見て、困惑した声を上げた。

「えっと貴女は、いったい」

「ふむ、私は――――――――桜?」

「えっ!?」

「いや、なんでもない。それよりも料理を運ぶのを手伝ってくれないか?」

「あっ、はい。わかりました」

危なかったな。桜か。彼女のことすら忘れていたとは。
衛宮士郎の日常の象徴。
適当にごまかそうかとも思ったが、今説明するのは、面倒くさい。
大体桜は居間にいるセイバーに気がつかなかったのか?
説明するなら、二人そろってで良いだろう。
だが、いやな予感の原因は彼女ではないようだが……。
二人で料理を運びながら思う。

「――――――――これは」

「どうしたのだ。なにかあったのか?」

何かを呟いている桜に尋ねる。

「あの、これは先輩が作ったのでしょうか?」

先輩? ああ、衛宮士郎のことか。

「いや、私が作った。なかなか良く出来たと思うのだが」

「――――!? そうですね。良く出来てると思います」

? 一体どうしたんだ? 何故そんなに何かを呟いているのだ。

「さ、桜。実は――――」

少しあせったような様子で、衛宮士郎が戻ってきた。

「戻ってきたか。もう朝食は出来たぞ。さっさと、席につくがいい」

言いながらも、ご飯をよそう。三人分だが。
凛にも絶対食べてもらうぞ。

「え? ああ、わかった」

「うそ、これアーチャーが作ったの?」

「遠坂? つっ! な、何であの手つきでこんな料理が――――」

ふっ、なかなかの反応だな。だが、驚いてもらうのはまだ早い。

「美味しい――――」

誰かが呟く。これは桜か。

「ま、負けた――――」

凛、そんなに落ち込まなくても良いのではないか?
衛宮士郎はまだ驚愕が抜けきれないといったところか。俺を驚いたように見つめている。
どうでもいいが、一口ぐらい食べろよ。

「なによ、これ。次元が違うじゃない」

凛が悔しそうな顔で、俺に言う。
うむ。そう簡単に負けてやるわけには行かないからな。

「その、アーチャー、私の分はないのですか?」

セイバー、そんな捨てられた子犬のような目で俺を見ないでくれ。

「いや、もちろん君の分も用意した。凛、そういうわけで、私達は、別の場所で食事させてもらう。私たちのことは食事の後にでも、紹介してくれ」

「そういうわけでって、貴女」

「君たちは知り合いらしいからな。その食卓を邪魔したくはないのだよ」


そう言ってから俺は、セイバーと自分の分の朝食を持って、居間を出る。
どうも、さっきからいやな予感が消えないからな。
ここで食事をするのは危険な気がする。問題は先送りになどせず、すぐに対処するべきだ。決して敗走などではないぞ。戦略的撤退というやつだ。
セイバーも慌てて後に続く。
食べる場所はセイバーの部屋で良いだろう。
ん? まて、そこではなく離れの方が良いかもしれない。

そして、俺達は、離れの凛の部屋の隣で食べることに決めた。

「待たせてしまったようだな、セイバー。すまなかった」

俺は軽くセイバーに謝罪する。

「いえ、少し不安にもなりましたが、貴女は私の分も用意してくれた。こちらこそ感謝を」

食事を始める。
小さなテーブルで二人きりの食事。

「これほどとは――――」

昨日より、さらに頷いている気がする。可愛らしいが、疲れないか?
ああ、だが喜んでもらえて何よりだよ。
この体での料理は勝手が違ったから、最初は戸惑ったが、なかなかのものが出来たと思っている。
食事だって、立派に人を救うことが出来るのだからな。
俺はその鍛錬だって、手を抜いてなどいない!

「む、アーチャー、貴女はもう食べないのですか?」

「ああ、私はそれほど、量は食べないのでね。それに私は食べるよりも、作ったものを食べてもらう方が好きだから。君がおいしそうに食べてくれると、こちらとしても嬉しいんだ」

「そ、そうですか」

はは、こんなときにセイバーの赤面が見れるなんて。
なんて、未練・・・・・・。


それからは、何も会話なく、セイバーの食べる姿を見ていた。
ん? いやな感じが消えている。脅威は去ったということか。

「こんなところにいたの?」

凛か。少々不機嫌な気がするが、逃げて正解だったか?

「まったく、あんたはあれを想像してたわけ?」

「あれとは何だ? 凛。そんな言い方では良くわからんのだが」

実際具体的には見当もつかない。何か良くないことが起こる気はしていたが。

「そうね。なんでもないわ。でも貴女は私を見捨てたってことは覚えておいてね」

よっぽどつらいことがあったのか、いや、あれは面倒なことがあったという類のものだな。

「何、旨い朝食が食べられたのだ。それでチャラだろう?」

「うっ、そういえば、あんたなんでそんなに料理が巧いのよ。英霊の癖に」

「何を言う、マスター。出来ないよりは出来る方がいいに決まっている」

凛はそれで、沈黙した。

「それで、凛。ここには一体何の用で来たのですか?」

「ああ、藤村先生――――えっと士郎の知り合いね。その人がもう出て行ったから、貴女達を呼びに来たのよ。桜にはもう見られちゃったんだから、紹介しないといけないでしょ」

そうか。いやな予感は、虎の気配だったというわけか。さぞかし、彼女を言いくるめるのは骨が折れただろう。
よく、わけのわからないことを言う人だったから。
それともあの大音量の咆哮を浴びたのかな?

「わかりました、では行きましょう、アーチャー」

セイバーは頷いてから、俺を促す。
まあ、少し待ってくれ。これを置いていくわけには行かないからな。
二人分の食器が載ったお盆を持つ。

「それで凛。先ほどの少女には何か私たちのことを紹介したのか?」

「ええ。藤村先生にも言ったんだけど、シロウの死んだ養父の知り合いだって紹介したわ」

「――――凛、何故、二人に説明しているのだ? わざわざ言うこともなかったのではないか?」

「仕方ないじゃない。士郎が紹介しちゃったんだし。どうせもう桜に見られちゃってるんだから、同じことよ。士郎が、隠し事なんて出来る筈ないじゃない」

それから凛はやたらといやな笑いを浮かべて。

「それにあんな料理作っちゃったんじゃ、誰かがいるっていやでも気づくわ。藤村先生も誰が料理作ったの? って不思議がったんだから」

「そうか、すまなかったな。私の短慮がいらぬことを起こしてしまった」

「もういいわ。さっきも言ったけどどうせ士郎には黙ってることなんて出来ないでしょうし」

居間に入る。
桜は朝食の片づけをしているようだ。
私はお盆を台所に持って行き

「すまない。これもお願いしてよいだろうか」

「あっ、はい。全然構いません。こちらこそおいしい朝ごはん、ありがとうございました」

「ああ。そう言ってくれるとこちらも助かる。それではまた後で」

「はい。わかりました」

桜はにっこりと笑って、食器を引き受けてくれた。
片づけが終わり、居間に皆が集まっている。

「えっと、さっきは紹介できなかったけど、二人は親父の知り合いで、セイバーとアーチャー」

衛宮士郎が桜に紹介する。

「セイバーです。よろしくお願いします」

「アーチャーだ。世話になる」

「えっと、間桐桜です。こちらこそよろしくお願いします。お二人は姉妹なんですか?」

「いや、私―――――――――――――」

「ええ。私が姉で、アーチャーが妹です」

私の声は、セイバーに遮られた。姉妹ということにするのか? どうでもいいがやはり私が妹なのだな。

「やっぱりそうですか。なんだか仲の良い姉妹って感じだったので」

「確かに。食事のときも、ここに呼ぼうとしたら、桜が二人の邪魔をするのは反対ですって言ってたものね」

「と、遠坂先輩!」

凛、あまり桜をいじめるなよ。

「えっと、二人も数週間ぐらいここに下宿する予定だから、仲良くしてくれると助かる」

こんなところか。しかし虎にも後で挨拶せねばなるまい。

それで紹介は終わり、凛たちは、登校の準備を始める。
俺とセイバーはそれぞれマスターに霊体化して護衛しなければならない。

「先輩、戸締りはどうするんですか?」

「ああ、二人とも家に残るからやらなくても良いぞ」

少しタイムラグがあるが、三人が出て行ってからすぐに、霊体化して追いかければ問題ないだろう。
三人が家を出るのを見送ってから、戸締りをしてセイバーと一緒に追いかける。


坂道くらいで、凛たちに追いつく。
三人は周りから奇異の目で見られていた。
凛は様子がおかしい。視線が気になるのだろう。
ふと思ったのだが、凛と、衛宮士郎が登校するだけで、いつも通りとは言わないような気がするな。
この視線が、それを肯定していると思うが。

校門をくぐる。

「そういえば、桜。朝練休んでも大丈夫なのか?」

「はい。今日は、兄さんも行かないといってましたから」

「慎二が?」

「ええ」

士郎と桜が部活動のことを話している。
慎二。間桐慎二か。こいつも何か引っかかるな。

校舎に入り、桜とまず分かれた。
そのまま階段を上がる。

「士郎、昼休み屋上でいいかしら?」

「わかった」

そう言ってセイバーたちとも別れる。

「凛、何か会議をするようなことでもあるのか?」

昼休みに、わざわざ会う理由がわからない。

「そういえば、貴女はいなかったわね。今朝テレビで新都の方で、昏睡事件の報道があったわ」

「サーヴァントか」

「多分ね。そのことを少し検討しよっかなって」

「なるほど。了解した」

教室へ入る。
そこは血の匂いなどしない世界。
魔術とは無縁のはずの世界。


私達は、日常の世界に埋もれる――――――――



[1070] Re[8]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/01/25 10:35
昼休み、学校の屋上で凛と共に衛宮士郎を待つ。
屋上だけあって、吹く風はかなり強い。
二月。季節は冬であり、幾らこの街が冬はそれほど寒くないとしても、さすがにここは寒いのだ。
つまり――――――――我がマスター遠坂凛は、なかなか衛宮士郎が屋上に現れないおかげで、不機嫌なのである。

扉が開く。
衛宮士郎がやっと現れた。
ここに人間は、凛と衛宮士郎しかいない。さすがにこの季節、このような場所で食事をするものがいるわけもない。
密談をするには、好都合ではあるが。

「遅い! 何のんびりしてんのよ士郎!」

凛だからといって耐えられるものでもないのである。
つまり先ほど述べたように不機嫌なのだ。
何故俺が二回も凛が不機嫌だと言うのは――――これで三回目ではあるが先ほどまで、彼女の怒りのはけ口となっていたからである。
たしかに隅で寒そうに縮こまっている姿は、哀れでもあり、笑いを誘う姿でもあったが。
だが、怒りの原因が現れてよかった。やっと凛から開放される。

「えーっと、遅れてきたのは悪いと思っているけど、その様子じゃ、差し入れは要らないか」

そう言って衛宮士郎は手に持っていた缶紅茶、ホットレモンティーをポケットに仕舞う。
惜しいな、衛宮士郎。それがミルクティーだったのなら完璧だったのだが。

結局凛は差し入れをもらいもう少し人目のつかないほうへと移動した。

「それで何の話なんだ? 学校に張られてるって言う結界の話か?」

「そうね――――。士郎、結界のこと何か感じた?」

「あー、おかしいっていえばおかしな場所は何箇所か見つけた。結界はよく判らなかったけど」

「そう。魔力感知は下手だけど、場所の異常に敏感なのかしら・・・・・・」

考え込むように呟く。しかし凛の魔力に気がつかないのだから、魔力感知は下手というより、出来ないというのが正しいだろう。

「士郎。それじゃあ、放課後おかしな場所ってのを教えてくれない?」

「わかった。放課後案内する」

おそらく全ての呪刻が見つかるだろう。俺でも出来るかもしれないが。まあ口出しはするまい。
セイバーもオレも霊体化したままで沈黙を守る。

「それで、今朝のテレビ覚えてる? 新都の昏睡事件のことなんだけど」

「ああ、あれか。あれがなにかあるのか?」

さすがに気づいてはいないか。だが衛宮士郎はそれは重要なことなのかと目で訴える。

「ええ。この時期にあんな事件が起こるってことは、聖杯戦争関係で間違いないと思うわ。調べてみないと詳しくは判らないんだけど」

「それじゃあ、学校のほかにも一般人を巻き込むような奴がいるってことか?」

凛はそれに頷くことで肯定した。

「それで、私は夜はアーチャーと巡回しようと思っているの。それで士郎はどうするか訊こうと思って。士郎も巡回する?」

凛はなんと答えるかわかって訊いているのだろう。

「何も関係ない人を巻き込むような奴がいるのなら、俺はそれを止めたい。セイバー、それでもいいか?」

衛宮士郎は正義の味方を目指しているのだから。
セイバーは同意するだろう。反対する理由はない。
だが、はたして衛宮士郎が巡回して役に立つのだろうか。
ろくに魔術を使えない半人前。戦闘になってもそれほど役にはたたないのは確実。
凛はそのことをどう考えているのだろう。
ふと、凛の方を見つめる。

そして、セイバー達も巡回することが決まり、また放課後に会う約束をし、屋上を後にした。
放課後の呪刻の発見はそれほど難しくはなかった。
最近物騒とのことで、帰宅時間が早まっていたのもそれを助けた。
完成を遅らせるための邪魔。それ以外の対策がないのが悔しいが、他に手がないのだから仕方がない。
まったく、何故ライダーのマスターを思い出せないのだろう。

「それじゃあ、士郎は先に帰ってくれる? 私はちょっと寄る所があるから。それとアーチャー。貴女も士郎と先に帰っててくれないかしら?」

「凛――――それはどういう」

「私はちょっと桜と用があるから。帰ってきて貴女たちがいなかったらおかしいと思うかもしれないわよ」

つまり実体化して、着替えていろということか。

「それに貴女に負けたままじゃ悔しいし」

「何か言ったか? 凛」

何か呟いたらしい凛に訊ねる。

「なんでもないわ。とにかく先に帰ってて」

慌てているように見える。しかし今日の凛は少々迂闊な気がするな。
まあ何を言っても仕方ないだろう。

凛と別れてセイバーたちと帰る。
人間1人に霊体二人か。
どこにも寄ることなく屋敷に着く。さすがに今の状況で、衛宮士郎はバイトなどとは考えないだろうが。
セイバーや俺が一緒にいる以上、そんなことは考えるはずもないか。

昨夜、俺達は凛と同じように部屋を与えられた。
衛宮士郎はそういうところが頑固だ。
霊体化出来るとはいえ、さすがに一緒の部屋は衛宮士郎にはきつかったのだろう。
セイバーの部屋は俺のときと同じ隣の部屋だ。
俺は部屋は一応凛の部屋の隣である。今朝セイバーと食事した場所でもあるが。
俺もセイバーも睡眠をとる必要がない以上、それほど使用することはないだろうが。
それぞれの部屋に戻り、自分の服を着る。
しかしこの服はどうにかならないだろうか。スカートは正直つらい。
自分の現状を否定しての仕方がないが、それにしてもどうしてと思いたくなる。
何故この体は女なのだ。

居間に移動する。他にはまだ誰もいないようだ。
二人とも部屋にいるのだろうか。
セイバーが入ってくる。俺の記憶と同じ姿。
何故凛は俺とセイバーに違う服を与えたのだろうか。背格好は同じだというのに。
赤は嫌いではないが。
無言でセイバーは座る。その姿は清冽で、俺は見とれてしまった。

「アーチャー、どうしたのですか?」

怪訝そうに訊いてくる。俺の態度を怪訝に思ったのだろう。

「いや、すまない。つい君に見とれてしまった――――」

なんてとんでもないことを言ってしまった。

「っ――――――――」

セイバーが赤面し、そのまま俯いてしまう。

馬鹿か俺は。何正直に思ったことを話しているんだ。
この悪癖はもう直ったと思っていたのに。どこかのくどき文句か!

「あれ? セイバーもアーチャーも何かあったのか?」

いつのまにか衛宮士郎が居間に来ていたようだ。
それにすら気がつかないとは、まったくどうかしている。
セイバーもかなり驚いたようだ。

「いえ、何でもありませんシロウ!」

セイバーはあたふたして言った。
俺もそれに追従するように頷く。何かしゃべると墓穴を掘りそうだ。
どうもこの体になってから調子が狂う。

「そっか。そういえば訊きたい事があったんだけど」

「なんでしょう、シロウ」

セイバーも居住まいを正す。もちろん俺も相応の態度をとった。

「学校の結界を張ったサーヴァントはまだわからないだろう。だから、今分かってるサーヴァントのことだけでも訊いておこうと思って」

そこで一度、間をとり。

「セイバー、アーチャー。もう一度バーサーカーと戦ったら勝てるのか? それとも出会ったら逃げるしかないのか? セイバーはやっぱり俺がマスターのままじゃどうしようもないのか?」

ほう。少なくとも、巡回する上で、最も警戒すべき相手は解っているという事か。

「シロウ。それは違う。バーサーカーは強敵だ。マスターが誰であろうと私は苦戦するだろう。このことで貴方が自分の未熟を責める必要はない」

「だけどセイバーはいろいろと制約があるんだろう。もし本来の姿だったら」

「いえ、私が万全であろうと彼を倒すのは難しい。いえ、どのようなサーヴァントでも、彼を追い詰めることは不可能かもしれない。シロウ、彼の宝具を聞いたでしょう?」

「ああ、確か十二の試練って、命が十二個あるってことだよな。アーチャーが一回殺したらしいから後十一個みたいだけど。確かにあれを十二回も倒すのはちょっと想像できないな」

「そう、十二の試練。確かに命が十二個あることも厄介ですが、おそらくはもう一つ特性がある」

「もう一つの特性?」

「ええ、おそらく。彼の宝具は命のストックであると同時に鎧です。それも概念武装といった魔術理論に近い。彼の体は神話にある十二の試練を越えた。つまりそれを下回る神秘はすべて無効化してしまうのでしょう。私の剣では通用しないはずです。彼がヘラクレスであるならば、その能力は、おそらくAランク。彼に傷を負わしたければ、少なくとも、同じ攻撃数値を用いなければならないと思います」

「それじゃあ、セイバーは・・・・・・」

「私の攻撃は通用しないでしょう。私は通常攻撃も風王結界もAランクには届いてない」

「それじゃあ、勝てないってことか?」

彼女は一瞬こちらに視線を向け、答える。

「いいえ、そうとも限りません。彼には対城宝具レベルの攻撃手段はない。襲われたところで、一撃で全滅するということはないでしょう。それに私の傷が癒えれば少なくとも対等の一騎打ちは出来る。そうなれば、シロウも撤退できるし、何よりアーチャーの援護があります」

「あ――――――――」

「彼女は一度、バーサーカーを殺している。ならば、彼を倒す可能性がないわけではありません」

「たしか、アーチャーは通常攻撃がAなんだよな。なら普通に攻撃してもバーサーカーを殺せるのか?」

衛宮士郎がセイバーから俺に話を移す。

「いや、おそらく接近戦では無理だろう。確かに傷を負わすことは出来るかもしれんが、致命傷には遠いだろう。何より私とバーサーカーでは速度に違いがありすぎる。セイバーならともかく、アーチャーの私では、バーサーカーに一撃は加えられまい」

俺は思ったことを話す。

「じゃあ、バーサーカーを倒すにはアーチャーの宝具に頼るしかないってことか」

「そのことだが、おそらく昨夜の宝具はもう通用しないだろう」

「あの攻撃がですか?」

セイバーが驚いたように訊ねてくる。

「ああ、彼は“あの”ヘラクレスだ。同じ攻撃は二度と通用しまい」

そう。バーサーカーにはカラドボルクはもう効かないだろう。
セイバーもそれで納得した表情となる。

「じゃあ、バーサーカーに会ったら撤退するしかないってことか」

「そうだろうな。少なくとも、私と凛がいる以上、イリヤが強力な魔術師でも逃げることくらいは出来るだろう」

奴を倒すなら、俺がカリバーンを投影し、セイバーが使えば一度は殺せるはずだ。
凛の魔術も全てが通用しないわけではないだろう。
だが、そのためには奴の力を弱らせなければならない。あの時カリバーンで七度も殺せたのは、あのアーチャーの力によるところが大きい。完全な修復ができていなかったから、バーサーカーを一度で数回殺すことが出来た。
六度分の死。それを成す事は難しい。俺が奴を六度も殺すには消滅覚悟で挑まねばならないだろう。
俺が不意打ち以外、真っ向勝負で奴を倒すなら、殺すか殺されるかだ。
今回セイバーは前回よりも魔力が多いはずからエクスカリバーを使っても現界不可能とまでは行くまい。
俺が出来る限り殺し、セイバーがカリバーン、もしくはエクスカリバーで勝負を決める。
それでセイバー達は勝てるかもしれないが、俺は確実に消える。
それでは凛を勝たせることは出来ない。
まだあのときのアーチャーのような場面ではない。勝つチャンスがある以上消えるわけにはいかない。

「そうか、それじゃあ他のサーヴァントだけど」

衛宮士郎が続けて問おうとしたが。

「シロウ。誰かが門をくぐったようです」

「どうやら凛が帰ってきたようだな」

俺とセイバーはほとんど同時にその気配に気がついた。

「お邪魔します」

桜も一緒か。

「ただいま。みんなそろってるのね」

買い物袋を提げた凛と、

「お邪魔します。先輩、セイバーさん、アーチャーさん」

どこか嬉しそうな桜だった。

しかし、凛の買い物袋は・・・・・・なるほど。

「セイバー、これから君の部屋に行ってもいいか? 食事の準備の邪魔をすることもないだろう」

「私は構いませんが。そうですね、行きましょう」

「では、桜。食事のときにまた会おう」

「それでは桜、また後で」

俺とセイバーはそれぞれ桜に挨拶して居間を出た。
時刻は六時前くらいか。
セイバーの部屋で向かい合って座る。
しかし無言だ。
セイバーの魔力。俺のときの彼女の魔力を1000としたら、今は1300くらいだろうか。
今回はバーサーカーの傷を癒す必要もなく、衛宮士郎から魔力も送られてきている。
しかも霊体化ができるのだ。本来の力ほどはないようだが、俺のときほどは消耗はしないだろう。
現界に必要な魔力が一日6程度に対して、衛宮士郎からは60~70送られてきているようだ。
何故衛宮士郎にそれほどの魔力があるのかは分からないが、これは嬉しい誤算という奴だろう。

衛宮士郎が部屋に戻ってきたようだな。

「入るぞ」

立ち上がり、返事を待たずして隣の部屋に入る。

「あ、アーチャー。何の用だ?」

「失礼します、シロウ」

セイバーも俺に続く。

「なに、先ほどの話の続きをしようというだけだ。まだ訊きたい事があったのだろう?」

「ああ――――それじゃあランサーのことなんだけど。セイバーはあいつの正体が分かるのか? アイルランドの何とかって言ってたけど」

それからセイバーは、ランサーの真名。宝具の使い勝手のよさを。
俺は奴の持っているだろう矢よけの加護を話し終えたころ、凛が夕食に迎えに来た。

夕食は中華だった。それも見るからに恐ろしく気合が入ったものばかり。
やはり、凛が料理したのか。

虎――――藤ねえは新たなジャンルの料理の登場に、喜びを隠せないらしい。大河と呼ぶか……。
だが、俺達の方を見て、

「士郎。この子達が、朝言ってた娘達?」

「ああ、セイバーとアーチャー。親父を頼ってきたらしいんだ。見てのとおり外国人さんだから、助けてくれるとありがたい」

衛宮士郎が紹介する。

「セイバーです」

「アーチャーだ」

「え~と、詳しい話はまだ聞いてないけど、とりあえずお姉ちゃんもうおなかペコペコだから、ご飯の後でいい?」

「かまいません」

「問題ない」

「そうですね。中華は冷えると殺人的に不味くなりますから。早く食べましょう」

凛が皆を促す。さすがに猫はかぶったままか。


そして夕食が始まった。全員がいただきますをする。
凛は俺の方を見て悔しそうにしていたが、衛宮士郎の方を見て複雑な顔をしていた。
衛宮士郎に勝ったのは嬉しいが、サーヴァントたる俺に負けたのが悔しいのだろう。
衛宮士郎は俺に続けて、凛に負けたのがよほどこたえたのか。
表情が少しう虚ろだ。
頑張れ。そうすれば、いつか俺くらいには必ずなれるはずだ。
桜は心からおいしそうに食べているし、藤ねえ――――大河は凛に満点をあげている。
セイバーがどうなのかは言うまでもないだろう。

賑やかなままで夕食は終わった。
さて、問題はここからか。
衛宮士郎は大河に改めて俺達のことを紹介する。
十分も説明しただろうか。大河は一応の納得をしてくれた。

「切嗣さんの知り合いじゃしょうがないか。えっと、それで朝のご飯を作ってくれたのは、どっちなの?」

「私が作った」

「そっか。ならアーチャーちゃんは合格ね。士郎より美味しかったし。それじゃあ次はセイバーちゃんか」

う~んと考え込んでいる。
俺の役割は料理……ということだろうか。

「たしか切嗣さんに士郎を守るよう言われたのよね」

確かにセイバーはそう言った。ということは――――

「じゃあ、腕前を見せてもらうわ」

やはりそうなったか。

大河は壁に立てかけている竹刀を手に取った。
どうやら俺のときとは違ってセイバーにも竹刀を渡すようだ。
セイバーは、手元の竹刀を見て興味深そうな顔をしている。
それに大河は何の合図もなくいきなり踏み込んで――――――――


忘れていたことも、似たような場面を前にすれば思い出すのか。
確かあの時は、何も持ってないセイバーに竹刀を叩き込もうとして。
いつのまにかセイバーの手に竹刀が移っていたのだ。

だが、今回はそれとは違う結果になった。
大河は竹刀を振ることも出来ずに止まっていた。
目の前に竹刀の先が現れたからだ。

そのまま振り上げていたいた竹刀を下ろす。

「う~ん。こんなに強いんじゃ、認めないわけにもいかないか。士郎のことよろしくね、セイバーちゃん、アーチャーちゃん」

「いえ、こちらこそよろしくお願いします」

「ああ、まかせるがいい」

予想外だ。ここまで聞き分けがいいとは。
あの咆哮を警戒していたのだが。
むしろ友好的だぞ。朝の食事が効いたのだろうか。

午後十一時。街が眠りに着いたころ、屋敷を出る。
桜も大河ももう帰宅した。

「とりあえず、新都に行くわよ」

凛の声に衛宮士郎は無言で頷く。俺もセイバーも霊体化しているから姿は見えない。
何も異常がないことが一番だと思う。
それでは手がかりは見つからないが。
夜の巡回。この静かな夜、安らかな眠りであらんことを――――――――



[1070] Re[9]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2005/11/20 19:09
鮮やかな月である。それが許容できる範囲であればよかったのだが。
今夜の月は鮮やか過ぎる。その鮮やかさが不安を誘うほどに。
新都のオフィス街には街灯の光しかなく、通行する人もいない。
月に照らされた、ビルが、奇妙な陰影を作り出して、街の姿をどこかあやふやなものに感じさせていた。


さすがに、退屈になったのか。それとも無言の世界に堪えられなかったのだろうか。
凛が、衛宮士郎に声をかけた。

「ねえ、気になってたんだけど、士郎が背中にしょってる袋って何が入ってるわけ?」

「これか? 一応木刀を持ってきたんだ。役には立たないかもしれないけど、強化すれば、身を守るくらいには使えるかなって」

「ふーん」

凛はまだ何か言いたいような顔だったが、それ以上何も言わなかった。
確かにサーヴァント相手に、強化したとしても、木刀が通用するとは思えないのだろう。だが少なくとも時間稼ぎくらいは出来るだろう。事実衛宮士郎はポスターを強化してランサーから生き延びたのだから。さすがに、バーサーカーの圧倒的な破壊力や、キャスターの魔法じみた大魔術にはなすすべもないだろうが。ライダーくらいなら短時間生き延びるくらいは出来るのではないだろうか。それでも可能性としてはごくわずかになるのだろうが。
まて、そもそも人の身でサーヴァントと戦うといった考えが間違いか。
第一、衛宮士郎には剣で戦う技術がない。やはり役にはたたないかもしれない……。


今夜も歩いているのは、凛と衛宮士郎だけだ。
俺とセイバーは霊体化して二人についていく。
イリヤに見つかってしまえば、十中八九逃走する事になるのだろうが、それ以外のサーヴァントなら問題ないだろう。そして自分が体験した聖杯戦争のサーヴァントを思い出す。
ランサー。宝具なしの戦いなら、俺はともかく、セイバーは問題ないだろう。だが、彼の宝具は厄介だ。
詳細を知っていたところで、あれを回避するのは難しい。
ライダー。彼女が記憶通りの者ならば、なんとかなる。これもあくまで通常の戦闘ではだが。
天馬を出された場合は対処するのに、俺もセイバーも相当の魔力を失うことになるだろう。
アサシン、キャスターは、判断できない。セイバーはアサシンとの対峙の後、気を失った。今考えるとあれは、エクスカリバーを開放しようとしたのではないだろうか。つまりアサシンは相当の実力者ということになる。キャスターも全て手の内を見せることなく、ギルガメッシュに倒されてしまった。負けるとは思えないが、油断は出来ない。
そして、ギルガメッシュ。こいつには――――――――

(アーチャー)

む。少し思考に没頭しすぎたか。その感覚は凛に遅れてやってきた。

(ああ、私にも感じられた)

違和感はあるビルから感じられた。それはごく僅かなもの。しかし確かな差異。
セイバーたちはまだ気がついていないようだ。
セイバーは騎士の身。衛宮士郎は半人前なのだから仕方がないといえば仕方がない。
凛は違和感を衛宮士郎に告げた。
凛と衛宮士郎は俺とセイバーを実体化しないままで、ビルへと入った。
危険がある可能性もあったが、感じられる魔力からはことが終わった後であろうと判断していた。
通路に明かりはない。月明かりがあるにもかかわらず、通路は闇に包まれている。
何を思ったか、衛宮士郎は木刀を取り出す。凛は何も言わなかった。
おそらく衛宮士郎は木刀を強化するつもりなのだろう。成功率が、圧倒的に低いことを忘れているのだろうか。
だが、奴は、俺の懸念を他所に強化を成功させた。それも10秒とかからなかった。かからなかったが。

(アーチャー、貴女どうしたわけ? ひどく落ち込んでいるように感じるのだけど)

どこか呆れたような響きで凛が言葉を送ってくる。
実体化していないというのに、よく俺の状態がわかったな、凛。
だが、どうしようもなかったんだ。自分のこととはいえ、その馬鹿っぷりには。

(凛、今の奴の魔術行使を見て気がつかなかったのか?)

(? よく見てなかったから判らないけど、何かあったわけ?)

――――確かに目の前の衛宮士郎は当時の俺とは比べ物にならないほどスムーズに強化を成功させた。
よく見ていないと気がつかないかもしれない。
俺には出来なかったことをする姿は嬉しいような悲しいような気持ちにさせるが、根本的な問題がある。
そう、何故忘れていたのだ。このときの俺は、魔術を行うたびにいちいち魔術回路を作り直していたことに!

(凛、落ち着いて聞いて欲しい)

(ええ、分かったからもったいぶらないで早く言いなさい)

そういえば、凛は衛宮士郎が魔術刻印を持ってないことも知らなかったな。

(衛宮士郎は今の魔術行使で、回路のスイッチを切り替えたのではなく、一から回路を作り上げて魔術を行使したのだ)

(なっ!!)

凛もその馬鹿さ加減に気がついたのだろう。呆れと、怒りの混ざったような視線を衛宮士郎に向けている。
それはそうだ。衛宮士郎は魔術を行うたびに死と隣り合わせになっているのだから。
魔術士が鍛錬で命を秤にかけるのは当然のことだが、衛宮士郎はやりすぎだ。

(なんとかしないといけないわね)

(ああ、出来ればきつい方法で頼む)

やはり俺のときのような――――いや。
それだけではだめだ。俺の魔術回路は二十七本。それも神経と一体化している。
宝石を呑むだけではそれは開かない。どうするか……。
問題の部屋の前にたどり着く。凛はそれを躊躇なく開けた。
木刀を持って構えている衛宮士郎が、少し滑稽に見えてしまったのがなんとも救いがない。
僅かな血のにおいと、魔力の残滓が感じられる。
部屋の中には十数人が倒れていた。生気が抜かれているのは、間違いないだろう。
だが、それは生命に危険があるようなものではない。悪くて二日三日の入院というところか。
これくらいの症状であれば、朝になろうが問題はないだろう。

衛宮士郎はそれを冷静に見ている。凛はそれが予想外の反応だったのか。
意外そうに見ている。
だが、それは当然のことだ。衛宮士郎がこの程度の光景を見て取り乱すことはない。
何故なら――――――衛宮士郎は死体には見慣れている。

「遠坂、これはどこに連絡すればいいんだ? 教会、それとも病院に」

「連絡する必要はないわ。これくらいならば、今でも朝になって発見されても変わらない。用が済んだらここを離れるわ」

凛は反論は許さないといった雰囲気を出している。
そして無言で、部屋を出る。
衛宮士郎は何も言わずについてきた。


屋上に出る。流れは柳洞寺へと続いているようだ。
凛の後ろに、衛宮士郎も無言で立つ。

(凛)

(ええ、わかってるわ。おそらくはキャスターね。新都の昏睡事件は柳洞寺のマスターによるものとみて間違いないわ)

キャスターの根城は柳洞寺ということか。ではアサシンとキャスターは組んでいたということだろうか。
だが、キャスターはあのときマスターがおらず、アサシンは消えたと告げた。
あのアサシンが敗れるとすれば、ギルガメッシュによるものだろう。
組んでいたアサシンが敗れ、マスターも失ったためにセイバーを欲したというところか。

(すでに、キャスターは柳洞寺に帰還しているようだが、どうする?)

(どうもしないわ。今日は帰るだけよ。出来ないことはやらないわ)

(そうか、それで)

「遠坂、何か判ったのか?」

衛宮士郎が声をかけてきた。凛が何かに気づいたことは、こいつも理解しているのだろう。

「――――キャスターの仕業よ。どうも柳洞寺に陣取ってるみたいね」

「キャスター? じゃあ、学校の結界は、キャスターの仕業じゃないのか?」

「たぶんね。だとすれば学校の結界はライダーかしら」

「それで、どうする? 柳洞寺に撃って出るのか?」

衛宮士郎が訊くと同時に、セイバーが実体化する。

「ええ。攻め込むわ。でも今日は遠慮するけどね」

「凛、それはどうしてですか」

すぐに攻め込まないのがセイバーは不満なのか。

「誤解しないで、今日は攻め込まないって言ってるだけよ。疲労したままで、戦いを挑むなんて、愚か者のすることよ」

「む――――」

セイバーが押し黙る。もう夜遅い。それに今の場所は新都だ。
今から柳洞寺に行くのでは時間がかかりすぎる。それはさすがに凛たちは疲れるだろう。
衛宮士郎も反論はしない。

「とりあえず、今日はもう遅いわ、戻りましょう」

「わかった」

衛宮士郎が返事を返し、セイバーもまた霊体化する。少し不満そうだったが。
おそらく、今日は1人で柳洞寺に突っ込むようなことはしないだろう。
しないと思いたい。
武家屋敷に帰り着いたのは、二時を過ぎたくらいであったか。
あいかわらず月は、鮮やかな色で天にある。
凛はさっさと部屋に戻り、衛宮士郎も日課の鍛錬に土蔵へ入っていった。


俺は、昨夜と同じく、屋根の上で、見張りを始める。
そしてこれも同じように、セイバーも屋根に上ってきた。

「なんだ、攻め込まなかったのがそんなに不満なのか?」

少し、表情が硬いセイバーに声をかける。

「いえ、不満などないのですが」

そんなことを言っても不満があるようにしか見えないのだがな。

「仕方あるまい、疲労したままで、戦いを挑んでも、良いことはあるまい。我々は問題ないかもしれないが、マスターを危険な目に合わすわけにも行くまい」

「それは――――わかっているのです」

「ふむ、1人で攻め込むなどとは言うなよ、セイバー。そうねれば君のマスターは必ず追いかけてくるだろう。それは一緒に攻め込むよりも危険かもしれんからな」

「そんなことはしません! 私は騎士なのだから、主に背くことなどしない」

そんなに声を荒げるところをみると、考えないでもなかったというところか。
顔を紅くして、ガアッとした顔で吼える。

その顔を見て少し嬉しくなりながらも、俺は考えを述べる。

「おそらくは優先順位の問題だよ、セイバー。確かにキャスターは一般人を巻き込んでいる。これは君や君のマスター、そして凛にとっても許されることではないだろう」

「貴女はどうなのですか、アーチャー」

「私も君と同じだと思うがな。だが、キャスターの所業は唾棄すべきことだが、実のところまだ甘い。誰も殺してはいないし、死ぬ、というほどでもない。魔術士として考えれば、まだ甘いんだ。セイバー、君も学校の結界に気がついているのだろう」

「ええ」

「あの結界は、中の人間を溶解するような代物だ。あれが発動してしまえば、下手をすれば死者が大勢出る。それはなんとしても回避したいことだろう。一般人に対する被害を考えれば、あれの方がはるかに大きい。凛はできるならば、あれの方を優先したいのだろう。無理をして攻め込んで、勝利を得てもその代償も大きいかもしれない。そのせいで、結界を止められないことにでもなれば、目も当てられまい」

相手はキャスター1人ではないだろうからな。

「確かに――――」

納得して、くれたようだな。

「だから、凛も万全な状態で挑みたいのだろう。心配しなくても、明日の夜は、攻め込むことになるだろう」

「そう、ですね。私と貴女がいれば、後れをとることなどないでしょう」

「そうだな」

セイバーの言葉が、単純に嬉しかったからなのか、俺がどうかしていたのか、自然とセイバーに向けて笑みを浮かべていた。
セイバーの顔が真っ赤になる。


気がつけばあれほど不安を誘っていた月も、今ではいつもと同じように、穏やかな光に感じられる。


セイバーは俯いてしまっているが、朝になるまで、二人で見張るのも悪くはない――――――――。



[1070] Re[10]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2005/11/24 13:53
二月五日


屋根から下りる。隣にいたセイバーもそれに続いてきた。
日中は見張りは必要ないと思っている。基本的に日が昇っているうちは、参加者は行動を起こさない。
何よりイリヤスフィールが行動するのは夜のみのはずだ。あくまでサーヴァントと行動するのは、だが。
俺は拉致されてしまったから、注意は必要だろう。

“あの時”よりも俺もセイバーも戦う条件は悪くないはずだ。
セイバーには、多少とはいえ魔力の供給。そして何より俺は、あいつのような負傷はしていない。
いや、負傷はしたが、すでに万全といって差し支えない状態だ。
戦力としては、十分だと思う。それにセイバーがエクスカリバーを一度開放したとしても、現界が危うくなるようなことにはなるまい。
ならば、積極的に攻め込んでも良いはずだ。
今夜、キャスターと、アサシンを倒す。
あの山がサーヴァントにとって鬼門だとしても、この身は弓兵。必要であれば、奇襲も可能だろう。
最悪、キャスターを倒しきれずとも、アサシンは倒せるはずだ。
なら何故、拭いきれないのだろう・・・・・・この粘つくような不安を。


む。気がつくと俺とセイバーの位置が変わっている。俺が先を歩いていたはずが、いつのまにかセイバーについていく形になっていた。セイバーも俺も、無言で歩いている。
さっきまで感じていた不安を無理やり、しまいこむ。この体になって、勘に助けられたことが多いが、それでも理由とするには薄い。襲撃を渋る理由にはならない。
ん、向かう先は――――道場か。そういえば、アルトリアもよく道場で正座して瞑想をしていた。
それに聖杯戦争の間、よく稽古をつけてもらったな。
遠いけど、消えることのない大切な記憶。輝かしい時間。しかしそれと同時に。
目の前のセイバーが、彼女とは、同じだけど違う。そのことを思い知らされる。
セイバーは、“彼女”と同じように、まだ間違った望みを抱いているのだろうか。

俺は道場の入り口で止まり、セイバーは、道場に正座して目を閉じる。
綺麗だと思った。彼女は、“彼女”とは違うけれど、それでも綺麗なことには変わりない。
できるならば、彼女にも答えを見つけてもらいたい。
それは俺の役目ではないかもしれないが・・・・・・。

ふと竹刀が視界に移った。
ふむ。

「セイバー、少しいいか?」

「なんですか?」

目を開けたセイバーが、視線をこちらに向け、訊き帰す。
俺はそれにすぐには答えず、まっすぐ竹刀のある方向へ歩く。そしてそれを二本手に取り、

「手合わせ、してもらえないだろうか」

先ほど思いついたことを口にした。
セイバーは少し驚いたようだが、その口に微かな笑みが浮かぶ。
どうやら、了承してくれるようだ。

「いいでしょう。喜んでその申し出、受けさせてもらいます」

立ち上がったセイバーは道場の中心へと歩いていく。
俺も、竹刀を二本手に持って歩き、セイバーに竹刀を手渡した。

「先日も思いましたが、この模擬刀はよくできていますね」

セイバーは手にした竹刀を軽く振ったりしながら、感想を言う。
セイバーからしてみれば、確かに新鮮かもしれない。セイバーの時代、訓練などはどのような剣を使ったのだろうか。
やはり、刃を削って丸くなった剣でも使うのだろうか。それでも、鉄製の剣では、命を落とすことも、少なくはあるまい。
その点竹刀は、遥かに安全だろう。それでも人死にがないとは言い切れないが。

「では、始めるとしようか」

俺は静かに、竹刀を構える。それを見たセイバーもまた構えた。

俺もセイバーも構えてから、まったく動かなかった。
隙がない。目の前のセイバーには真実隙がない。
あのころに比べれば、自分の技量は遥かに上がっているはずだが。さすがはセイバーというところか。
だが、今はどうでもいいことだ。
セイバーから打ち込んでこない以上自分から動くしかあるまい。
何よりこちらの方が格下なのだから。

「ふっ――――」

道場を破壊するわけにもいかないから、強く踏み込むことは出来ない。
それでも俺は、なだらかに間合いを詰め、竹刀を上段から振り下ろす。
セイバーは難なくそれをかわした。そしてそのままなぎ払おうとした竹刀は、俺が半回転しながら右手で放った斬撃を受け止める。
いや、受け止めたのではない、巧く流された! セイバーは体勢が僅かに崩れた俺めがけて、斬り込む。
俺は回転している体を無理やり止めて、すくい上げるようにしてセイバーの竹刀を止める。

それから俺は防戦一方になった。セイバーの竹刀を何とか避け、あるいは受け止める。
竹刀は俺たちが打ち合うことに耐えられるような丈夫なものではない。
俺達は手を抜いて戦っていることになるが、条件は同じ。
俺は敏捷さで、セイバーに劣る。斬撃の速さも向こうが上だろう。
この体になった俺が彼女に勝っているのは、筋力と、魔力だろうか。魔力などは自分でも恐ろしいほどに保有していると思う。
これなら相当な無理にも耐えられるはずだが、今は役に立たない!


最早俺とセイバーの竹刀は、普通の人間には視認するにも難しいだろう。
袈裟懸けに竹刀が振り下ろされてくる。
 エラー
ランサーのときと同じ、戦闘するために分割した思考が、否を示す。
自分の戦闘経験と、この体のズレ。だが、
(――――!)
思考とは裏腹に、体がなんとか竹刀を受け止める。思考が行動を決定する前に、体が自然に動いている!
受け止められたセイバーの竹刀が下からすくい上げるように迫る。
 エラー
本来なら、ここで終わり。俺には止めることは出来ない。
(っ――――!)
だが、体は動く。俺の理想の剣技とは違う。この体でしかできない、無理やりな動き。
竹刀が止めるが、僅かに後退する。
そこを逃さず、セイバーの突きが放たれる。
 エラー
思考は警告を鳴らす。だが、その警告は前ほど強くない。
他の思考が、この直感を、経験に組み込み始める!
(――――――!)
セイバーの打ち込み!
 エラー
(――――――――!)
だが、俺は先よりも、幾分容易に、それを受け止める。
セイバーの巻き込むような払い!
 エ
(――――――――――!)
警告が消える……? 戦闘論理がこの体に、適応し始めたのか。

追い詰められていた俺は、攻勢に転じることは出来ずとも、ほぼ完璧にセイバーの竹刀を、受け流し、あるいは止める。
いまだ、僅かな違和感はあるが、戦闘の要因に、直感が加わる。
戦闘の組み立てを、合理的な思考をベースに。だが、それに直感の比重が大きくなるだけのこと。
最早これは俺の戦い方ではない。この体の戦い方。

それからどれくらい時間がたったのだろうか。
幾ら力を抜いていると入ってもそれはサーヴァント。竹刀が限界に近づいていた。
そして俺はこの打ち合いの中で、幾度となく分けた思考の中でトレースしていた、反撃を実行に移す。

結果――――――――俺の竹刀は、突きの形で、セイバーののど元に、セイバーの竹刀は俺の頭の上で止まっていた。

俺達は竹刀を収め、互いに向き合う。竹刀はもうぼろぼろだ。

「さすがはセイバー、というところか。勝てなかったな」

「ありがとうございます。ですが、貴女の腕も相当なものでした。貴女の守りはなかなか崩せそうにありません」

「謙遜を。私は耐えるだけで精一杯だったというのに」

俺たちは互いに、微笑を浮かべる。

「えーっと、どういうことだ? 俺には相打ちで終わったように見えたんだけど。互角じゃないのか?」

剣を合わせているときに来たのだろう。衛宮士郎が疑問をぶつけてきた。
よほど集中していたのか、俺はこいつが道場に来たことに気がついていなかった。気がついたのは、竹刀を納めた後だ。

「見たままだ。私がセイバーに勝てなかった。そして互角ではなかった。ただそれだけなのだが」

負けもしなかったがな。ふむ、どう言えばいいのだろうな。

「シロウには難しいかもしれませんね」

セイバーも少し思案顔になったが、衛宮士郎に話し始める。

「シロウには相打ちに見えたと言いましたし、確かに先ほどの手合わせは相打ちで終わりました。ですが、互角ではないのです。私とアーチャーとの間には、明確な差があった。それは私とアーチャー、二人にしかわからないかもしれませんが。それがある以上アーチャーは私には勝てないでしょう」

言いたいことがあるのに言葉が見つからないということだろうか。セイバーは実に困った顔で考えを述べる。

「あー、つまりセイバーとアーチャーの間には、俺にはわからないレベルで実力に差があるから、セイバーのほうが強いって事か?」

衛宮士郎が頬を掻きながら答える。

「少し違います。私の方が、アーチャーより強いのではありません。ただ、私がアーチャーに剣技で勝っているということなのですが」

俺とセイバーでは考えに多少相違があるようだな。

「えーっと、どういうこと?」

俺はセイバーが何か言う前に自分の考えを述べる。どうも俺を買いかぶりすぎているような気がするからな。
衛宮士郎の問いは無視させてもらおう。

「ふむ。具体的に言えば、たとえ百回私がセイバーと先ほどのように打ち合ったとしても、一度も勝つことは出来ないということだ。彼女はそう思っていないのかもしれないが、真実私よりセイバーのほうが強い。それは確かだ。では、何故互角じゃないのに相打ちに出来たかというと」

俺は衛宮士郎に向けて微笑する。

「イカサマしたからだ」

「イカサマ――――!」

衛宮士郎の口があんぐりと開く。
セイバーは俺の方を見て何か言いたいことがあるようだったが、何も言わなかった。
俺の考えを汲んでくれたようだ。

「そう、イカサマだ。さっきのはイカサマで、何とか相打ちにもっていったんだ。だから私の方が実力は下。もうこの話は良いだろう? あまり手の内を話したくはないんだ。それよりも、何か用があって来たのではないのか?」

その言葉で衛宮士郎は何か思い出したようで、

「そうだった、朝ごはんが出来たから二人を呼びに来たんだった。用意できてるから、二人も居間に来てくれ」

「分かりました、シロウ」

「分かった、少し遅れるぞ」

どうやら食事と聞いてセイバーは喜びを隠せないようだな。

「ああ、だけど出来るだけ早く来てくれると嬉しい。じゃあ先に行ってるから」

そう言って、衛宮士郎は道場から出て行った。
そのとたんセイバーの顔が真剣なものに変わる。

「アーチャー、何故本当のことを言わなかったのですか?」

「なんのことだ?」

とりあえず、とぼけてみせるがそんなものは通用しないことは分かっている。

「ごまかさないでください。先ほどのことです。どうしてイカサマなどと、虚言を吐くのですか」

ふむ、実は相当怒っているのだろうか、セイバーは。俺が黙っているとそのままの勢いで、続けてくる。

「確かに貴女は、私には勝てないでしょう。ですが、私が貴女に勝つことも相当に難しいはずだ。確かに互角ではない。ですが、結果として、相打ちになる以上、私が貴女より強いというわけにはいかないはずだ。相打ちに出来るのは、貴女の実力でしょう。それをイカサマなどと、自分を貶めるような」

「それは違うぞ、セイバー。私は嘘など吐いていない。さっきのあれは真実イカサマのようなものだ。私は君に技量で劣る。実力で負けている私が、相打ちに持っていけるのはイカサマ以外ないだろう?」

セイバーは不満のようだが、俺はむしろ、満足していた。ランサー戦で感じた体の不具合。まだ完全とはいえないが、やっと体になじんできたということか。
セイバーと手合わせすることで、少しは解消しないかともくろんでいたが、予想以上に改善された。
そうでなければ、相打ちにすら出来なかっただろう。

「いえ、貴女の強さです。それだけは譲れません。第一私がイカサマだと思っていないのだから良いのです」

少し頬を膨らませながら、拗ねたように言うセイバーは吹き出しそうなる。
つまり、たとえ技量や、身体能力で相手より勝っていたとしても、結果が相打ちならば、両者の強さは同等、といいたいのだろうか。互角ではないが、強さは等価だと。

「イカサマは、相手にそれと気づかれなければ、イカサマではない、か。君は私が、イカサマをしたと断言したにもかかわらずそれを否定するというのか」

「そうです。貴女は私にイカサマと言っていますが、それはイカサマなどではないのです。ええそうですとも。私にわからないイカサマなど、それと認めるわけにはいかない。私がそれに気がついたとき初めて貴女は、イカサマに成功するのです――――大体私が気がつかないなんて」

むう、もうわけがわからんぞ。セイバーさんなんか言ってること変わってませんか?
ここは……ごまかすか。

「それよりもそろそろ居間に行こうセイバー、待たせておくのも悪いからな」

「む、そうですね、ですがこの話は後日、じっくりとしますから」

セイバーはそう宣言して、道場を出る。もちろん俺もそれに続く。
できれば朝食で、このことを忘れてくれるといいのだが。
衛宮士郎よ、朝食、期待しているからな。


【あとがき】
なんという致命的なミスを……、気がついてなかった自分が恨めしい。
指摘してくださり、本当に感謝を。



[1070] Re[11]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2005/12/13 12:08
俺の期待は裏切られたのだろうか。
いや、そもそも、朝食を衛宮士郎ではなく桜が用意する可能性のほうが高かったのだ。
その点から考えて、俺の期待は見当はずれだったのだろう。
朝食はそれほど豪勢なものでもなかった。いや、朝から豪勢な食事というのもおかしな話ではあるが。だがセイバーを基準とすれば、豪勢な食事も問題ないだろう。うむ、問題などまったくない。

トースト二枚にハムエッグ、サラダ等といった食事が並んでいる。
セイバーには物足りないのではと思ってしまうのは、俺が馬鹿なのか、セイバーを馬鹿にしているのかは分からない。あるいは両方かもしれないが。
まあ、手が込んでいるわけではないが、量はそれなりのようだから、何とかなるかもしれない。

不謹慎だった。
わざわざ桜が用意してくれたものだ。
感謝するならともかく、随分勝手なことを考えてしまった。
凛と桜、それに大河がお喋りしながら食事しているが、正直俺はその会話には入りたくない。
セイバーもその話に加わってないのが救いといえば、救いなのだが。
女性の体の体型の話などな……。

凛よ、何故君はこれほどまでに俺の天敵なんだ。
俺とセイバーは無理やり、会話に組み込まれた。

「アーチャーもセイバーも意外とたくさん食べるわよね」

凛が笑いながら話す。正直その笑いを見ると背筋が寒くなるからやめて欲しい。
しかし向けられる先がセイバーであるならわかるがなぜ俺まで加えられるのだ。

「そうでしょうか。私は適量だと思っているのですが」

セイバーがなんでもないというように、答える。さすがは王の貫禄か。
そうだろうな。少なくとも、セイバーが食べすぎなどということになるとは思えない。それは同じサーヴァントである俺もにも言えることだが、本来サーヴァントに食事など必要ないはずだからな。
なんとなくセイバーの場合はサーヴァント云々は関係ないような気がするが。こと食事に関してセイバーは怒らしていい相手ではない。
だが俺もそんなに食べていただろうか。それを素直に凛に訊いてみると。

「食べてるわよ。それはセイバーと同じくらいはね。それに二人とも表情変えないで、黙々と食べてるから、ちょっと――――」

む、何故そこで言いよどむ。しかし俺がセイバーと同じくらい食べているというのは。
俺の主観では少ししか食べていないつもりなのだが。どういうことだ。

「ほんと、二人ともいっぱい食べてるもんねー。お姉ちゃんもまけてられないんだからー」

「本当なのか?」

とりあえず、桜に訊いてみる。大河は無視しよう。
桜は少し困ったような顔をしたが、気まずそうに笑いを浮かべて、

「ええ。セイバーさんもアーチャーさんも、同じくらいたくさん食べています。――――――――それはもう何でそんなに食べて太らないんだろうとか思ったりしますけど、うらやましいなんて思っていないですよ。わたしはその、なんかには負けません。だから絶対私は姉さんにも――――――――」

なにやら、桜はうつむいてぶつぶつと呟き始めてしまった。
最初の方しか分からなかったのだが、どうやら本当に、俺はセイバーと同じくらい食べているらしい。

「えっと、桜……?」

凛が心配しているぞ。困った顔で。

「でもすごかったな、セイバーもアーチャーも」

突然思い出したように衛宮士郎が呟くように声を出した。
俺と同じように、凛たちの会話に別世界を見ていたようだが、どうやら抜け出したらしい。
だが、本人が別世界に旅立ってしまったのか。
少し恍惚とした顔で話されるのは引くものがある。

それが凛には聞こえたのだろう。

「え、何? アーチャー、セイバーと何かしてたの?」

疑問符を頭に浮かべてこちらに訊いてくる。
まずい。これではまたセイバーに――――――。
仕方ない。

「いや、道場で手合わせをセイバーに申し込んだのだが」

「ふーん、姉妹での手合わせってわけね。それで士郎がこんなになっちゃってるのか。それでどっちが勝ったの? やっぱりセイバー?」

意地の悪い笑みだ。セイバーが最優と知っていてそれを訊いているのだろう。

だが、それ俺が答える前に、

「いや、引き分けだったぞ。アーチャーは自分の負けだって言い張ってたけど」

衛宮士郎が答えてしまった。帰ってこなければ良いものを。
ここは黙っていたほうがいいだろうか。幸い、セイバーは食事に夢中で、気がついていないようだ。凛は、浮かべていた笑いを消して、真剣な表情でこちらを見ている。

「うそ!? 引き分けってことは、アーチャーちゃんもセイバーちゃんと同じくらい強いの? お姉ちゃん、士郎とられちゃうよ~」

―――――その年齢でその物言いは問題があると思うのだが、それがなくなってしまっては大河ではない、か。

「えっと、セイバーさんって、そんなに強いんですか? その、剣道が」

どうやら、桜も自分の世界から帰ってきたらしい。控えめに衛宮士郎に尋ねる。

「強いなんてもんじゃないよ。俺どころか、藤ねえでもぜんぜん相手にならない」

英霊と人間を比べるのは間違っていると思うのだが、あの頃の俺も同じような考えだったことを思い出し、嘆息するにとどめた。
この衛宮士郎も俺と同じようにセイバーの事を女の子だから―――――というようなことを考えているのだろう。

「えっと、アーチャーさん……」

「ん? なんだ、桜」

「その、もうサラダは……」

ああ、もうサラダがなくなっていたとは、気がつかなかったな。
結構な量があったと思ったのだが、セイバーが食べてしまったのだろうか。
事実、セイバーが俺の持つサラダの入っていた器を恨めしそうに見ている。
ふむ、よく見れば、彼女の視線は、俺にも向けられているようだ。

「アーチャーさんって藤村先生や、セイバーさんに勝っちゃうんですね」

「本人は気がついてないみたいだけどね。セイバーの事も気がついてないんじゃない?」

「でも、セイバーさんも、アーチャーさんもうらやましいです。あんなに食べて―――――」

「それを考えるのはやめなさい、桜。わたしだって、納得いかないけど。認めるしかないわ」

凛と桜がなにやら小声で話しているが、セイバーの視線に気をとられて、よく聞こえない。
セイバー、残念だが、もうないんだよ、サラダは。
だが、なぜかそれを言葉にする事は憚れた。それを言ってしまえば、命はない。そんな気がする。
何かが警鐘を鳴らす。
そう、これは捕食者に相対した獲物の心境か。
独りでこの状況を打破することは不可能に近い。
だが、援護はない。凛はどこか面白がっているようだし、桜は困ったように見ている。
大河ははじめから当てにはしていない。
ならば最後の望みは衛宮士郎一人のみか……。


衛宮士郎は最後までセイバーが俺と空になった器を見ている事に気がつかなかった。
朝食の後、やはりというかなんというか。セイバーと道場で、対面している。
無駄とはわかっていても。

「それで、話というのはなんだ、セイバー」

「とぼけるつもりですか、アーチャー。もちろん先ほどの話の続きです」

「わかった。話を聞こう」

「良い心がけです」

そう言って、竹刀を俺に投げてよこす。竹刀……?

「セイバー、話をするんじゃないのか?」

「もちろん、そのつもりです。油断していると痛い目にあいますよ」

「む……」

鋭い打ち込みだったが、防ぐのは難しくなかった。
だが、セイバーの竹刀は止まらない。やはり防戦一方か。ん?

「何故!」

なるほど、話とはこういうことか。なんともセイバーらしいというか。
さすがは剣の英霊か。

「朝食で」

「ぬ」

セイバーの竹刀が鋭さを増す。しかし、これは

「サラダを全部」

「くぅ」

「食べてしまったのですかー!」

「なっ」

慌てて、セイバーから距離をとる。
セイバーは追ってこなかった。

「セイバー、今のはどういう……」

「―――――わ、忘れてください、アーチャー。今のは何でもありません。間違いです、そう間違い。今度こそ本題です。さあ、構えなさいアーチャー」

「ま、待て、セイバー」

「問答無用ー」

顔を真っ赤にしながら、打ち込んでくる。
ここは、セイバーが落ち着くまで、耐えるしかないだろう。

十分も経っただろうか。

「先ほどは失言を。失礼しました」

どうやら、セイバーも落ち着いたようだ。

「いや、気にすることもあるまい。それで、話というのは」

「アーチャー、貴女はわかっていて聞いているのでしょう」

「ああ、そうだな」

打ち合いは続く。

「身体能力で言えば、速さで私、力で貴女といったところでしょうか」

俺は無言で竹刀を受ける。
俺の技はこの体に適しているわけではない。
そして俺に剣の才はない。
剣技ではセイバーに及ばないことは当然の理だ。

「確かに剣では私のほうが勝っているのでしょう」

セイバーは打ち込みながらまだ言う。
そんなにも納得がいかないのだろうか。セイバーが俺よりも強いことは覆ることのないものだと思うが。

「ですが、それは私が貴女より強いことにはならない」

どうしてもこの話をしたいのだろうか。
たしかに防ぐことはそれほど難しいことではない。
むしろ食事前のときよりも幾分たやすい作業だろう。
だが、それを差し引いてもセイバーより俺のほうが強いということにはなりはしない。
第一これは実戦ですらない。

「セイバー、何故君はそれほど拘るのだ」

「っつ」

セイバーの竹刀が鋭さを増す。
―――――セイバーの竹刀が俺の頭に触れるか触れないかの所で止められた。
今度は相打ちなどではない、俺の完全な敗北だ。
たやすいといっておきながら、防ぐことが出来なかったのだ。

「セイバー、やはり君の方が強い」

俺は竹刀を納めながら、セイバーに向かって言い放つ。
この話はこれで終わりにするという気持ちがあった。そして背を

「アーチャー」

決して大きくはないが、聞き流せない響きを持った声が私の動きを止めた。
それは王の威厳か。彼女が放つ輝きは俺の心をどうしようもなく揺さぶる。

「アーチャー、貴女は自分を過小評価しすぎる」

セイバーは、幾分悲しそうな目をする。だがそれも一瞬のことか。

「貴女は確かに数多、他のサーヴァントに劣るものがあるでしょう。ですが、貴女はきっと―――――負けない」

「―――何故、君はそう思うのだ。私はバーサーカーに負けたと思ったが」

「確かに貴女は傷を負いましたが、あのまま戦っていたとしても、負けないと思います」

ふっと軽く笑って、そんなことはないと言おうとしたが、言えなかった。
セイバーの表情は真剣そのものだ。そして真実、俺が負けないなどと思っているらしい。

「貴女は負けない。そしてそれが貴女だ。貴女は確かに勝てないかもしれない。ですが負けることもきっとない。それは剣が強いとか、才能があるなどといったものではありません。ただ、貴女はそのあり方が強い。貴女は立派な戦士だ。そのことを誇りこそすれ、卑下することは私が許さない」

力強く、言葉が響く。
そして、セイバーは緩やかに微笑を浮かべた。

「買いかぶりすぎだろう。私自身はとてもそうは思えない」

そう言いながらも、俺は心の中で、彼女の言葉を反芻する。
負けない……か。
それは真実俺の生き方。

「良いのです。たとえ貴女が信じなくても、私は貴女が強いことを知っている。そして貴女は私がそう思っていることを知っていて欲しい。だからこそ私は気づくことが出来た―――――」

ん? なんだ、今の違和感は。最後にセイバーが何か言ったようだが。
だが、呟くように放たれた言葉は聞き取ることは出来なかった。
違和感など今はどうでもいいことか。
会って間もないというのに、セイバーがそう思ってくれていること。
ならばそれに応えよう。
彼女が俺のあり方を強いというのならば、俺は自分のあり方を貫き通す。それにしても

「君の強情さにはさすがの私も負けるよ」

本当は感謝したいのに、ついそんなことを言ってしまった。
ずいぶん俺もあの頃から変わったと思い知らされる。

「なっ、強情なのは貴女でしょう、アーチャー。訂正してください」

「む、そろそろ戻ろうセイバー、凛たちが学校へ行く時間だ」

「つっ、待ちなさい! アーチャー!!」

道場を出た俺をセイバーが追ってくる。
聖杯戦争の最中にいささか不謹慎かもしれない。
でも、こんなことも悪くはないと思ってしまう。

もう何度見たのだろうか。顔を真っ赤にして追いかけてくるセイバーが堪らなく愛おしくて、悲しかった。


 



[1070] Re[12]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/01/25 10:44
夕食を終え、茶を飲む。そういえば死ぬ前は紅茶ばかり飲んでいたなと、ぼんやりと思った。
今夜はキャスターを討ちに行く。だがそれまでには少々時間がある。
また道場にでも足を運ぶか、セイバーが瞑想でもしているだろうと立ち上がる。

「ねえ、アーチャー、訊きたい事があるんだけど」

それを凛の声が止めた。

「なんだ、凛」

「ここで話すのもなんだし、私の部屋で話さない?」

聞かれたくない話なのだろうか。
だが、もうここにいるのは衛宮士郎だけなのだが。まあいい。

「そうか」


凛の部屋はまだ僅かな時間しか使っていないにもかかわらず、相当なものだった。
その、散らかり具合が。
俺の表情の変化に気がついたのだろう。咎める様な視線を送ってくる。

「何よ、なんか文句でもあるわけ?」

「いや、そんなものはありはしないさ。ただ私のマスターは少々整理が下手なのだなと思っただけだ」

「それを文句って言うんじゃない」

「君がそう思うのなら、そうとってもらってもかまわない」

そこで凛が諦めたように肩を落とす。

「わかってるわよ。貴女は整理が出来る様にしろって言いたいわけよね。はあ、それが出来てたら苦労はしないわ」

ん?

「君が泣き言とは珍しいな」

「そうね、こればっかりはね」

ふむ、ちょっと予想と違う感触に戸惑ってしまいそうだ。

「まあいいわ。それより本題に入りましょ。そのためにここに来たんだし」

凛の目が鋭いものへと変わる。

「それもそうだな。それで凛、訊きたい事というのは何だ?」

自然、俺も気持ちを切り替えた。それほどのものを凛の視線から感じたような気がしたのだ。

「貴女。自分は正規の英霊じゃないって言ったわよね」

「確かにそう言ったが、それがどうかしたのか?」

「アーチャー、貴女、セイバーの事知っているんじゃないの?」

一瞬時が止まったかのようにも感じた。訊かれるかもしれないとは思っていた。むしろ今まで訊かれなかった事がおかしかったのかもしれない。
訊かれた以上は答えなくてはなるまい。

「ああ、知っている」

「ふーん、貴女それを私に黙ってたわけね」

俺の苦手な表情だ。笑っているはずなのに怖い。

「――――訊かれなかったからな」

「そう。まあいいわ。それで、真名も知ってるの?」

――――いいのか?

「知っている……。凛は知りたいのか?」

「別にいいわ。セイバーの真名は黙ってていいわよ、アーチャー。それより訊きたいのは―――――貴女セイバーと生前会った事があるの?」

真名より訊きたいことがこれか?少し納得できないものもあるが、

「ある」

「あるのね? はぁ、やっぱり違うみたいね」

「何が違うのだ?」

俺の言葉から何かを確かめたようだが。見当がつかない。

「えーっと、はっきりとは言えないけど、夢を見たのよ」

「夢、か?」

「そう、夢! 言えるのはここまでよ。これ以上は訊かないで!」

「わ、わかった」

なにやらすごい顔で、部屋から追い出されてしまった。
俺の真名も訊かれなかった。しかし、夢とは、一体―――――


月明かりは流れる雲に幾度もさえぎられ街を照らすこともままならない。強く、そしてひどく冷たい風が容赦なく目の前の二人に襲い掛かる。時刻は午前零時。大多数の人間はすでに優しい夜の闇に抱かれて寝静まっている。
衛宮士郎は昨夜のように木刀を持っている。
目指す先は柳洞寺、昨夜とは逆方向だ。違うのはそれだけではなく、行程は無言のものとなった。






お山、その中腹まで続く長い階段。その階段を不吉を現すかのような闇が覆っている。懐かしいかどうかはわからなかった。

「アーチャー、サーヴァントの気配、察知できる?」

霊体化している俺に凛が訊いてくる。今俺が感じることが出来ているのは

「そうだな、正確には判らんが、1人、感知できている」

実体化して答えた。

「そう。士郎、セイバーはどう言っているの?」

「あ、セイバー、どうなんだ?」

「私もアーチャーと同じです。確かに1人、サーヴァントの気配を感じます」

セイバーも実体化する。

俺もセイバーもクラスは騎士。感知にはそれほど長けてはいない。
それに加えて、ここは柳洞寺。結界も邪魔している。
アサシンがいるかどうか判断は難しい。

セイバーの緊張感が高まり、張り詰めたものへと変わる。

「シロウ、それに凛とアーチャーも。この山は鬼門、いえ死地だ。くれぐれも油断しないでください」

凛と衛宮士郎は無言で頷く。
確かにここは死地なのだろう。キャスターが集めただろう魔力で山そのものが歪んでいる様に感じる。周りの木々は見えない血で染められ、風は怨嗟の声を運んでいる。苦痛と憎悪が吹き荒れる。
それはセイバーが戦ったという10年前の時よりひどいのだろう。
その階段をゆっくりと上る。これだけ長い階段だ。気づかれずに上ることは不可能だろう。


奇襲や罠に注意したためだろうか。僅かに残る記憶よりも若干時間がかかったような気がした。
そこには予想と違わず、侍が立っていた。その手には日本刀にしてはあまりに長すぎる得物。
俺の傍らにいるセイバーの殺気を受けるのではなく柳のように受け流している。
俺はアサシンに会うのは初めてだったが――――想像以上だ。剣では勝ち目はないだろう。負ける気はないが。

「――――侍、か」

セイバーが搾り出すように声を発する。その手にはすでに風王結界が握られているようだ。
凛も衛宮士郎も無言だった。奴の異常な気配を感じ取っているのだろう。
剣の腕だけで英霊と渡り合う魔人とも言うべきサーヴァント。

「騎士が二人・・・・・・セイバーとアーチャーか」

無色の敵意とでも言うのだろうか。そんな印象をアサシンの言葉に感じた。
そして、一見しただけで、俺とセイバーのクラスも見抜いたようだ。

(アーチャー、あれがキャスターのわけないわよね)

凛よ、その質問は少し面白いな。背後にいる凛と視線を交わさずに念話を交わす。

(さすがに侍姿の魔術師など想像したくないな)

(そ、そうよね。でもこいつがキャスターじゃないのなら)

(君が考えていることであっているのではないか? おそらくは手を組んでいるのだろう)

「アサシン、さしずめ門番役というところか。悪いが通らせてもらうぞ。今夜は奥の魔女に用があるのでな」

俺はアサシンに向かって声を発した。
アサシンとセイバーたちの両方から僅かに声が漏れる。
前者は軽い驚きの声が、後者からは幾分大きな驚きか。

「ほう、一目でクラスを見破るとは、たいしたものだな」

「そうでもない。貴様のような、ライダーやキャスターなど考えられまい。ただの消去法だ」

「そうか。では名くらいは自分で名乗っておこうか。アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎と申す。察しの通りここの門を守っておる」

視線を俺からセイバーへと移し、アサシンは薄く笑った。
名を名乗るとは。これではセイバーは。
見るとセイバーは軽く唇を噛み、それでも決心をしたように口を開こうとして

「ふむ、失言だったようだな、セイバーよ。名乗らなくてもよい。私が知りたいのは、其方の実力のみ」

アサシンに止められた。
そしてその殺気を、セイバーただ一人へと向ける。
それに答えるかのように、セイバーの気配も純粋な物に変わった。
名乗られて少し動揺したようだな。

「いいでしょう、そこまで言うのであれば、貴方を切り伏せて、通らせてもらう」

「なに、死合うのはこちらとしても喜ぶべきことだが、その少年をそのままにしてもよいのか?」

アサシンは口の端に微かに笑みを浮かべながら視線を俺達の後ろへと向ける。
空間転移! アサシンの言葉の意味はこれか!
アサシンの視線を追った先には今にも消えそうな衛宮士郎の姿があった。凛が何かを言ったが、声も届いてないようだ。
間違いなくキャスターの仕業だろう。アサシンの言葉も手遅れではあまり意味が無い。
アサシンの存在に気をとられすぎた。
俺やセイバーでは高すぎる対魔力のせいでどうしようもない。
凛でもこの段階で衛宮士郎を助けることは不可能だ。

「アーチャー!」

「わかっている、セイバー!」

「ふむ、押し通るか」

ふざけたことを。先の言葉は、俺にここを通れと言ったようにしか聞こえなかったぞ!
衛宮士郎の転移が完成しここから消えてしまうまで数秒もない。
俺の声と同時にセイバーは無言で、一直線にアサシンへと走る。
セイバーと同時に走り出し、だが速度差によりその後ろを追う形となった俺は、セイバーの剣とアサシンの長刀が重なった瞬間、門の上へと大きく跳躍した。
我が身は弓兵、ならば俺の出来ることは・・・・・・。

衛宮士郎とキャスターが遭遇すれば、なすすべもなく衛宮士郎は殺されてしまうだろう。そうなってしまえば、セイバーは力を失いほぼ無力化してしまう。キャスターの宝具を考えれば奴の狙いは前のときと同じ……。

鷹の目はキャスターと衛宮士郎を探す。
見つけた! 距離はかなりあるが、衛宮士郎は間違いなくあの場所に現れる。問題はその傍で、待ち構えている、キャスターの存在だ。衛宮士郎が幾ら鈍いといってもさすがにキャスターの存在には気がつくだろう。だがそれだけだ。対魔力のかけらもない衛宮士郎を殺すことなどキャスターにとっては赤子の手をひねるよりたやすい。
走る。場所を確定した瞬間、俺はその場所へ走り出していたがあまりに距離がありすぎる。

衛宮士郎が虚空から無様に落下する。
キャスターの腕が、指先が衛宮士郎という獲物へ向けられる。
その指先には禍々しくも強大な力が、光が灯る。
あれが放たれれば、衛宮士郎は死ぬ。
セイバーが、自分の主を救うことを、俺に託してくれたというのに。
だが、俺の脚では間に合わない。
ならば―――――――

間に合わないのであれば、間に合うものを。
救えないのであれば、救えるものを。
赤く染まる世界より
想像しろ!

思い描くは十七の剣。それらを一息に放つ。
放物線を描いてそれらは一秒と遅れず全て、衛宮士郎とキャスターの間に突き立った。
突き立った剣は、壁となり、数本折られながらも、キャスターの魔力弾を防ぐ。
恐るべきはキャスターの魔術か。曲がりなりにも、魔力を付与されていた剣をたやすく破壊するとは。だが、それは今ではあまり関係ない。何故なら、
俺はもう衛宮士郎とキャスターの間に立っているからだ。

「アーチャー?」

「まさか、間に合うとはね」

衛宮士郎の呆けたような声と、キャスターの忌々しげな声が重なる。

「まったく、門番すらも十分にこなせないとは」

む、これは。

「それはセイバーをなめすぎだ。一対一で彼女を抑えているだけでも、褒めこそすれ蔑む理由にはなりはしないと思うが?」

間に合ったことにほっとしながらも、一応、アサシンを弁護してみる。

「いえ、仮にも英雄という存在が門を守るのならば、決してそこを通してはならないわ」

「ふむ、だがそうであったとしても、私は弓兵だぞ。君なら解るのではないか?」

「――――そうね。貴女には関係ないかもしれないわね」

気がついたのだろう、キャスターは少し疲れたような声になった。が、

「でも、悪くないわ。貴女みたいな娘を躾けるのも」

それは、悪魔のような笑みに変わった。
瞬間、怖気が走った。キャスターから発したものは、俺が今までに感じたことのない種の妖気。
俺の存在そのものを食い尽くすような、貪欲なあり方。
あれはきっと俺にヨクナイコトヲスル。

セイバーだけでなく、俺すらも欲するとは、一体どれほどの魔力を。
魔力? 魔力、そしてキャスターの宝具は―――――

「アサシンは、すでに君のサーヴァント。そういうことか」

「あら、鋭い娘ね。ますます楽しみになってきたわ」

そう言ってキャスターは、目の前から消え、

「アーチャー、貴女にこれを防ぐことができて?」

その姿は空にあった。こうもりの羽のように広げたロープ。
彼女の目の前に十数の光球が現れる。

「なっ――――」

背後で衛宮士郎の驚きの声が聞こえる。
当然だ。俺ですら驚いているのだから。まさしく現代の魔術を超越した魔術。だが、

「やれやれ、衛宮士郎、私から離れるなよ」

「え? アーチャー、何言って、いぃー!」

強引に手をつかみ傍らに抱き寄せる。
自分の能力についてはもう驚くことはない。把握できている。
生前、いや、あの男ですら持ち得なかったこの力。
その力によって、降り注ぐ光の雨は俺の目の前で音もなく、消えた。

「あ」

衛宮士郎の気の抜けたような声が聞こえる。
一瞬この能力を隠そうかとも思ったが、残念なことに剣で弾く前に対魔力が、消してしまうだろう。
キャスターは呆然として動きを止めてしまっている。

「馬鹿、な。三騎士とはいえアーチャーが、何故これほど強力な対魔力を・・・・・・」

「さあな、だが、次は私の番だな、キャスター。君には消えてもらう」

無数の剣を投影する。投影に魔力がかかるといってもこの身にはそれを補って余りあるほどの魔力がある。浮遊させたそれらを、キャスターへ向けて放つ。
その剣の群れは、キャスターに防ぐ暇など与えぬまま襲い掛かった。
あの英雄王の所業ほどではないが、俺の剣はキャスターを切り刻む。
ロープ・・・・・・。なるほど、あの時と同じということか? む!

飛来する剣の群れ。俺は抱き寄せていた衛宮士郎を抱きかかえると、その場から、離れた。
まさか、ギルガメッシュが? なら、セイバーと凛は

「悪いが、彼女を殺されると、私にとっても都合が悪いのでね」

な――――――――この声は

俺は一体どのような表情をしていたのだろうか?

「ア、アーチャー、一体どうした? っつ」」

衛宮士郎の声が遠く感じる。


剣が飛来した方向。そこには黒い弓を片手に持った赤い騎士。
俺が最もよく知っているはずの男が立っていた。



[1070] Re[13]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/02/20 18:02


その姿は黒い弓をこちらへと向けて――――


「ちっ」


瞬時に右手に投影した剣で防ぐ。僅かに魔力を籠められていたのか。
衝撃に耐えられず、右手の剣が消え去る。
まずい・・・・・・。弓で打ち出されると早すぎて、投影で相殺できない。避けるか弾くしか手がない。
距離があれば違うかもしれないが。


「なるほど……」


「―――!?」


今、確かにあいつはそう言った。何故だかそれが理解できた。


あいつは、赤い外套を翻し、音もなくキャスターの隣に着地する。その手に黒い弓を持ったままで。


「遅いですよ、アーチャー。何をしていたのですか、貴方は!」


とりあえず助かったことでか、かどうかは判らないが、キャスターは姿を現す。その声は幾分余裕を取り戻した様でもあった。


「まぁ、そう言うな。間に合ったのだから問題あるまい」


記憶と同じように、あいつは皮肉気にキャスターに返す。
その声は俺の心にも幾分冷静さを取り戻す結果となった。
どうやらあいつはまた、アーチャーらしい。俺と同じ。まあ、俺もあいつもアーチャー以外、考えられない気もするが。しかし、この二人はまさか……。


「貴方は、自分の立場というものを理解しているのかしら」


キャスターは微かに頤を上げ誰がここの主なのかとでも問うように言葉を放つ。
あいつはそのキャスターの姿に、微かに目を細めると、嘲笑した。


「言ったはずだ、私はいつでも自由になれると。なんなら、君と同じことをしてもよいのだがね」


「っつ」


悔しげな声をキャスターは洩らす。
どうやら、イニシアチブはあいつのほうにあるようだ。しかもキャスターはわりと気が短いらしい。少し考えれば、今は、あいつにその気がないのは明らかだ。そうでなければ、キャスターを救ったりはしないだろう。おそらく、あいつとキャスターは協力関係。それもキャスターとアサシンの関係とは違った。まあ、友好的でないことは確実のようだが。
二人のサーヴァントは剣呑な気配を出してはいたが、俺は動けなかった。キャスターはそれほど問題ではない。彼女は戦いに慣れていないのだろう。どこか甘い印象を受ける。問題なのはあいつだ。あいつは決して俺を視線から外してはいない。その時、ちょうど隠れていた月が、姿を現した。あいつは俺をよく見てはいなかったのか? 一瞬、そう一瞬だけあいつの表情が動いた。驚愕したのだろうか。何に?
それに舌打ちをしたのか、苦々しい表情を見せる。
再び皮肉気な表情に戻ったようだが、あいつは位置を変えはしない。
この距離では俺の脚より矢のほうが早い。
どうやら引くのは無理のようだな。


(凛、無事か?)


(―――何かあったの、アーチャー。セイバーに何も起こってないから士郎は助けたみたいだけど。無事かって……)


ふむ、どうやら無事のようだ。とするとアーチャーは正面から来たわけではないのか。


(いや、少々気になってな。で、何かあったのかといえば、実はサーヴァントが一体増えてね)


冷静に考えれば、マスターに何かが起こって俺が気がつかないわけがないか。
俺も、まだかなり動揺していたようだ。


(増えたって、どういうこと、アーチャー!)


(どういうことも何も、キャスターは二体のサーヴァントと共闘していたというわけだよ。さすがの私も、この状況は考えてなかったな)


(嘘、じゃあ、ライダーもいるっていうの)


凛でも、これは驚くか。


(違う、ライダーではない……アーチャーだ)


凛が息を呑む様子が感じられる。


(アーチャーって、何でサーヴァントのクラスが重複してるの。ライダーはいないってことかしら)


(さあ、さすがにわからん)


あいつがサーヴァントとして存在している原因は不明だが、ギルガメッシュの例もある。何より俺がこんな姿で存在している以上、それほど驚くべきことではないかもしれない。
だが、恐らくライダーはいるはずだ。あの結界は宝具のはずだし、あれを他の奴は真似できまい。少なくとも俺には不可能だ。


(それで、突破できそうか?)


少し間があってから、答えは返ってきた。


(無理ね。あのサーヴァント。とんでもないなんてもんじゃないわ。剣の腕ならセイバー以上かもしれない。アサシンが攻めてくれば違うのかもしれないけど。その気もなさそうだし。アーチャー、戻れそう?)


(私一人なら、どうとでもなるのだがな)


ちらりと衛宮士郎を見る。あまり時間をかけすぎると、セイバーがアレを使ってしまうかもしれない。それにアサシン相手では凛の援護も期待できないだろう。


ふいに夜気を裂いてあいつの声が響く。


「ふむ、あまり待たせるのもよくないな。キャスターよ、そろそろ落ち着いたらどうだね。君のその様では呆れられても仕方ないぞ」


俺が凛と会話していたことに気がついたのか? あいつ。
意味ありげに笑みを浮かべる。
どうやらおしゃべりもここまでのようだ。
キャスターも気を静めたらしく、先程まで聞こえていた罵倒の声が止んだ。


「ふむ、キャスター。それで君はどうしたいのかね?」


アーチャーの声は、問というよりはむしろ確認の様に感じた。


「どうって――――。ふぅ、そうね。そっちの坊やは殺してしまいましょう。はじめからそのつもりだったのだし。ああ、きれいな形で殺して頂戴。令呪を剥ぎ取らないといけないから」


キャスターの殺気が足元の(まだ立ち上がっていなかったのか)衛宮士郎に向けられる。弧を描く唇は美しいとは思うが、それよりも不安を覚える。


「小さなアーチャーは、解るでしょう?」


「残念ながらな。まったく、君は節操がないな」


呆れながらもアーチャーの体が撓む―――!


「衛宮士郎、私から離れ―――」


アーチャーから放たれる九条の弾丸。その先は俺だけではなく。

「くっ」

俺は衛宮士郎を左手で抱え上げ、横っ飛びにそれらを避ける。
視界の端にアーチャーが消えるのと、キャスターが何かを呟いたのが見えた。
それと同時に現れる骨の兵士。竜牙兵と呼ばれるゴーレムの類か。
それは数えるのも馬鹿らしいほどの軍勢。それが俺達を包囲していた。
くそっ、衛宮士郎を俺から離さないつもりか!
瞬時に空いている右手に長剣を投影する。


「あ、アーチャー。俺を――――」


衛宮士郎の声を遮るように飛来する数条の矢。流星のようなそれは巧みに逃げ道を限定する。
衛宮士郎では避けることもできない速度。それをぎりぎりで避け、群がる骨をなぎ払う。
だが、その間にも銀の流星は休むことなく落ちてくる。
連射を優先させているらしく、先程のような威力は感じられない。だが、厄介さではそれ以上だ。
あいつが、弓兵に徹している現状。すでに狙撃されているという状態が完成している今、俺には接近戦を挑むか、撤退しか手が残されていない。
だが、接近戦は衛宮士郎を抱えているためさらに危険だ。撤退するにもゴーレムの数が多すぎる。まったく、キャスターの魔術は効かないなどと安心していたのか。自ら視野を狭くしていたらしい。


あいつはもう気がついているはずだ。確かめたのだから。
空気を裂いて迫る矢を避ける。
なら、隠す必要などないだろう?
何かを叫んでいる衛宮士郎を無視する。
この状態では、時間がかかる。
邪魔なゴーレムを散らす。
ほんの僅かに思考を割いて、取り出していく。
こちらを悠々と眺めているキャスターを横目に。


「投影、開始」


衛宮士郎に聞こえないよう、呟いた。
音もなく無数の剣を浮遊させる。


いまだ、不快な音を鳴らす無数のゴーレムとキャスターに向けて。
豪雨と化した剣群で一掃する。
まるで先程までの光景が夢であるかのようにすべてが消え去った。
剣も骨も残りはしない。
まだ、引くのは難しい。あいつの狙撃が


―――矢が止んだ?
それが油断だった。戦いの場では刹那の思考の停止が命に係わる。


「―――Ατλασ―――」


「しまった!」


空間を渡ったのか。視認できない以上、今は解らない。
キャスターから放たれた魔術は圧迫。たとえ、その効果を一瞬で打ち消せるとはいえ、隙には変わりない。
その間にあいつは――――全てを終えていた。






interlude






キャスターの声が聞こえた。そう思ったときには俺は中を舞っていた。


「がっ―――!」


地面に叩きつけられる。痛みに耐えながら、アーチャーの方へと目を向ける。キャスターの魔術か、アーチャーは固まっている。その双眸に諦観のような憤怒のような色が混ざる。それは一瞬ではあったが、次の瞬間悪寒が走った。


殺気。それはアーチャーに向けられているのに、その余波ですら、吐き気を催すほどだ。そう、あの騎士が弓に添えているのは俺が見たことのある。


その時聞こえるはずのない声が聞こえた。


「I am the bone of my sword――――我が骨子はねじれ狂う」


その声はひどく俺の頭に響く。
赤い騎士はあの夜がアーチャーが放ったモノと同じ矢を。


「偽・螺旋剣――――カラドボルグ」


その手から矢を放した。
“矢”はあの夜と同じ軌跡を描き、アーチャーへと襲い掛かる。
それは一秒となかったはずだ。
その僅かな間に大気を捻じ曲げながら目の前に迫る“矢”に向けて彼女は、


「I am the bone of my sword――――体は剣で出来ている」


赤い騎士とまったく同じ言葉を口にした。


「熾天覆う七つの円冠――――ロー・アイアス!」


轟音が境内に響き渡った。
真名と共に展開された七つの花弁を突き破ろうと破滅の矢は猛威を振るう。
それは盾だった。それも宝具と呼ばれる。
何故“アーチャー”を冠するはずの彼女が盾を持っているのか。
そしてあの赤い騎士がアーチャーと同じ“矢”を持っているのか。
解らないことはいくらでもあったけど、そんなことは考えられない。


「ああああああああああぁっ――――」


アーチャーの叫びに呼応するように盾が力強さを増す。
この調子なら、あの矢は盾を貫くことなく止まる。
だけど、この状態が間違い。きっとあの赤い騎士は―――


そう思ったときには走り出していた。
アーチャーとの距離は10メートルもない。その距離がもどかしい。


カランッ


“矢”が音をたてて落ちる。
そして消え行く盾を構えているアーチャーに飛びつく。


「なっ、馬―――」


驚いたようなアーチャーを押し倒しながら、その時、
背中に灼熱を感じた。


「う――――あ」


声にならない。力が入らず、アーチャーに圧し掛かってしまう。
駄目だ。これじゃ助けるどころか、邪魔になっている。
早くどかないとアーチャーが逃げられない。
だが、力が入らず、起き上がろうとして失敗した。
それも当たり前。なんてったって、血が流れすぎている。
あまりに鋭利な痛みは、あっという間に意識を奈落へと落としそうだ。


「ああ、なんて、間抜け」


助けることだけ考えて、その後は考えてなかった。
助けたつもりが、足手まとい。


あれ? おかしい。雲が見える。
アーチャーが何か言ってるけど。
ああ、いつの間にか俺はアーチャーに抱えられていたのか。
痛み以外の感覚がよくわからない。
怒っているのか、アーチャーは。
そりゃそうだ、助けに入って死にそうになられちゃ迷惑だよな。
あれ? おかしい。どうして俺は生きている?
追撃がこないなんておかしいだろう?
なあ、アーチャー。何であの赤い騎士は俺を見て呆然としているんだ?


赤い視界の中で、血に濡れた双剣を手に呆然とする騎士を見て、視界が閉ざされた。






interlude out



[1070] Re[14]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/02/23 19:43


気を失って脱力している衛宮士郎を抱え、一足飛びにその場から離れる。

生きている。これが重要だと思った。死んでしまってはどうにもならない。
常人では、致命傷と言っても過言ない衛宮士郎の背中の傷は、緩やかに、だが確実に修復されていく。

「っ―――あっ―――」

再び戻った夜の静寂に苦悶の声が響く。
それはキャスターの声だった。その姿はぼろぼろで、ローブは見るも無残に引き裂かれている。
座り込んだ地面は、彼女のものだろう血液で濡れていた。
先の攻撃は無駄ではなかったらしい。
それでも、これほどの傷を負った上で、あの魔術をかけたキャスターの技量には感服するが。
破損した身体の修復に魔力を全て回している様だ。
あいつ―――アーチャーを睨むその目には、痛みと激情が見える。

そう、あいつには俺を戦闘不能にすることができたはずだ。
だが、結果として、俺は倒れてはいない。
あいつは黒と白の双剣を握ったまま、立ち尽くしている。
ただ、呆然と、気を失った衛宮士郎を眺めている。

「アーチャー、 一体何を考えているのですか」

キャスターの掠れた様な声が静寂を破る。あの傷に耐えて俺の隙を作ったのだ。
必勝の機会を得ながらもそれを逃したあいつに、怒りを覚えるのも頷ける。
だがあいつは反応すらしない。茫洋とした沈黙がただ、不気味に続く。

それに耐え切れなかったのか、キャスターはもう一度先程よりは幾分はっきりした声を上げた。

「アーチャー、その態度は―――」

「―――――――は、はは、はははははは!」

だが、突如あいつがあげた狂ったような笑い声がそれをかき消す。
その瞳には光が戻り、心底可笑しいとでもいうかのように笑い続ける。

「な、何が可笑しいのですか、アーチャー!」

それを驚くほどの声量で以ってキャスターが破った。    
見ればキャスターの傷は外見だけは修復されている。だが、その中身は重症のまま。
これ以上の戦闘は無理だろう。それでも大声を上げることくらいはできる様になったらしい。
女の激情とは御しがたいものだが・・・・・・キャスターでなくても、あいつの奇行には声を荒げたくもなろう。
あいつは狂ったような笑いを止め、いつもの皮肉気な笑みを浮かべる。
先程まで瞳に浮かんでいた暗い輝きは消え去り、鉄のような鷹の瞳に戻っていた。

「これが可笑しくないはずないだろう?」

そう言って俺に視線を移す。気配でキャスターが戸惑うのが感じられた。

「お前なら解るのではないか?」

俺なら解る?
俺の戸惑う気配があいつにも伝わったのか、その目が鋭くなる。

「どんな経緯を経たのかは知らんが、お前はエミヤだろう?」

気づいているとは思っていたが、口にされると衝撃もだいぶ違う。
それでも表面上は冷静を保ったが、どうやら無駄らしい。あの目はすでに確信している。
だが、エミヤなら解るとはいったい―――

「む、勘違いか。かなり変質してしまったようだが、中身はほとんど変わらんと思ったのだが」

「それとも、お前は―――――――」

「まだ、見ていないのか?」

それはなにか重要な響きを持って放たれたような気がした。
理由もわからず、大地に膝をつきそうになる。
そう、姿なんかに関係なく俺とあいつの決定的な違い。

「どうやら、間違いないようだな」

そして、再び視線を衛宮士郎に移す。
明確な殺意が、俺ではなく衛宮士郎へ向けられる。

「お前は、俺よりもそいつ寄りの様だが」

それでも抑えていたのだろう、それは益々大きくなり。

「お前も先を知れば、俺と同じ選択をする」

あいつの双剣を握る手に力がこめられる。

「もっとも、それは不可能かもしれないがな」

あいつは突風と化した。
それと同時に俺もあいつから逃げるように離れる。


自分殺し。英霊となったエミヤによる過去の自分の殺害。
たしかに、衛宮士郎を見ていると、不快な気持ちを抱くこともなくはないが、殺意を抱くほどではない。
何があいつを変えてしまったのか。

「考え事とは余裕だな」

目の前を黒い切っ先が掠める。
元々速度が違う。予想より早く追いつかれた焦りを隠して、続けて放たれた刃をしゃがんでかわす。

「む?」

あいつが驚いたのは俺がしゃがむ前に衛宮士郎を上に放り投げたため。
その一瞬の隙に投影した長剣を力任せに下から切り上げた。

「ぬ、ぐっ」

あいつはそれを余裕をもって双剣で受けたが、その威力までは想像できなかったのだろう。
その長躯は僅かに地から離れる。そこに間髪いれず横薙ぎに剣を叩きつけた。
激突する二つの剣戟。だが、僅かに宙に浮いた上体では剣の重さに耐えられない。
大きく弾き飛ばされた、あいつの長躯が大きく弧を描いて落ちていく。
さすがに背中から落ちるようなへまはせず、身を翻して着地する。
その間に落下してきた衛宮士郎を掴み、そのまま駆け出す。

「驚いたな。まさかこれほどの馬鹿力だったとは。あの大英雄に匹敵しよう」

だが、俺には速度がない。奴もサーヴァントの中で速いというほどではないが、それでも俺に数段勝る。
あいつにもそれは解っているはずだ。

すでに二度ほど衛宮士郎に一撃を加えてみたが、まったく目を覚ます様子がない。
だからといって、衛宮士郎を放っておくわけにはいかない。
あいつは俺よりも、衛宮士郎を殺すことを優先させるだろう。
傷ついているとはいえキャスターも油断できない。今はただ、静観している様ではあるが。
俺が消えるのも遠慮したいが、セイバーを奪われるのも我慢ならない。

「ぬっ?」

風を切る声が聴こえる。これはまさか―――
いつの間に投擲していたのか、陰陽の双剣が、左右から襲い来る。
急制動をかけた体の前を双剣が横切る。

「ちぃっ」

足元に衛宮士郎を落とし、身体の向きを変え、
それを受け止めるあいつの双剣。身体を泳がせるあいつにかまわず

「づっ」

背後から飛翔した莫耶に浅く腕を切り裂かれる。
その隙に敵は干将を叩きつけ―――

「―――っはぁ」

それを渾身の力で弾き飛ばす。
だが、さらに背後から迫り来る干将。避けきれず、刃が頬を裂く。
そして、俺の無防備な胸元に敵の残った莫耶が叩きつけられ―――

俺はそれを打ち砕いた。

一秒に満たない攻防。

時間が凍る。
双方共に限界。
俺は完全に体勢を崩し、敵の手に刃はない。
だが、双方共にその先を知っている―――!

動きの取れない俺と、得物のない敵。
敵の手にはそれが用意され、カラの両手に双剣が現れる。
左右から繰り出される双剣。それを視っていながら避けることはできなかった。
肉体が思考についていかない。いや、そんなことは言い訳に過ぎない。
避ける事はできない。初めからそんなことは判っていた。何故なら足を止めてしまったときにもう終わっていたから。
エミヤという存在の必殺、干将莫耶の真意。
即ち

     鶴翼欠落不

     心技泰山至

     心技黄河渡

     唯名別天納

     両雄共名別

セイバーなら全て防ぐことも出来たかもしれない。
だが、俺に捌けたのは四手まで――――――。

「――――――あ」

意図せず声が漏れる。もっとも音にはならず、それはただ息を吐いただけかもしれない。
背中から倒れこむ。もっとも、ちょうど頭の部分に衛宮士郎の体があり、クッションになったが。
人の身では間違いなく致命傷。衛宮士郎に大量の血液が流れ落ちる。
鎧を貫通し、干将と莫耶は容赦なく内臓をばら撒いた。その一撃は背骨にさえ達している。

「ぐっ―――は、ぁ」

激痛に初めて声らしきものが漏れる。
通常なら即死しているはずの傷でも、この身体は死にはしない。
何故ならサーヴァントであり、彼女に酷似したこの身体には自然治癒力が備わっている。
強力な再生能力と、それを補うかのように有り余る魔力。
このままの状態ならば、十分と言わずに回復するだろう。
だが、動けるわけではない。今の無防備な心臓を突く事などたやすいだろう。
ましてや気絶している衛宮士郎を殺すことは赤子の手をひねるより簡単だ。


動ければ。


視線の先に、うつぶせに倒れたあいつが見える。
その距離は数十センチと離れてはいない。
双剣が俺を切り裂いた瞬間、俺は手にある長剣を捨て、両の手に干将莫耶を投影したのだ。
未熟とはいえこの身は弓の英霊。俺を背後から襲った双剣は、再び戦場に戻り、爆撃めいた一撃を放ったあいつを、刹那と間を置かず背後から切り裂いた。

柳洞寺の裏側。月は等しく皆を照らし、池の水面にその偽りの姿を映す。
この場に立つものは皆無。サーヴァントが三体も揃っていながら、夜の静寂を破ることはなかった。
そして動く者も皆無。ただ、ゆっくりと時間が流れる。

「ぬ―――む―――」

初めに動き始めたのは赤い騎士だった。
呼吸は乱れ、地に着いた両腕は情けなく震えている。
額には汗が流れ、その顔にも苦悶が浮かぶ。
それに対抗する様に俺も左手を強く握り締めた。



それでも立ち上がったのは、あいつが先だった。
その身を自らの血で益々赤く染め、辛うじて立っている。
対して、我が身は立ち上がること叶わず、ただ、凝視するのみ。
歩いて数歩の距離。それだけ進むだけであいつは衛宮士郎を殺すことができる。
その瞳は真っ直ぐ衛宮士郎を見つめ。

「な―――ぜ、いつ、を―――殺」

喉の奥から血液が溢れ、満足に声が出ない。
答えが返ってくるとは思えなかったが、それでも問わずにいられなかった。
ゆっくりとあいつの瞼が閉じる。

「私怨―――――――ただの八つ当たりだ」

吐き出されるようにして、答えが返ってきた。
そして一歩踏み出す。瞳には鉄の意志。

「お前が何故彼女の姿をしているのか。理由は知らんが衛宮士郎には消えてもらう」

さらに一歩。

「私だけでなくお前も消えるかもしれんが、キャスターには諦めてもらおう」

右手に干将が握られ。振り下ろされる直前―――

「アーチャー!」

如何なる奇跡か、絶望にも等しいこの状態を救ったのは、思いもよらぬ人物だった。
声と共に強大な魔力がこの身に叩きつけられる。
それはほとんどが俺の身体と、それに重なるように倒れている衛宮士郎に触れる前に霧散した。
だが、広範囲に放たれたそれは、全ては消えず赤い騎士を吹き飛ばす。

駆けてきた凛は俺と衛宮士郎を見て

「衛宮君、は生きてるみたいね」

ほうと息を吐いた。

「アーチャー、立てる?」

「ああ、なんとか」

言葉通りに立ち上がる。それでも、自力では立てないから、長剣を支えにしながらではあるが。
林の中を突っ切ってきたのだろう。凛の身体にところどころ枝が絡まっている。無茶もいいところだとは思ったが、その無茶に助けられたのだから、何も言えない。

「で、あいつが、あんたの言うもう一体のアーチャーってわけ?」

元々あいつは対魔力が高い方ではない。
先の一撃は致命傷とまではいかないもののかなりの傷を与えていた。
とくに左腕の傷がひどく、辛うじてつながっているだけに見える。

凛とあいつの視線が交わる。
その瞬間あいつはこちらに聞こえない声で、呟いた。
「凛」と。

いまだ戦況は劣勢。傷ついているとはいえ奴はまだ健在。キャスターも立ち上がっている。
大してこちらは、ポンコツが一人とたわけな似非眠り姫。
凛は無傷とはいえ、魔術師ではサーヴァントには勝てないことは彼女は十分に解っている。
凛のサポートを考慮に入れても勝算は低い。
それでも、戦うならば、勝たなければならない。

予想外の言葉が紡がれた。

「痛みわけという事で手を打たないか」

「貴方、何を」

「見逃すと言っているのだ、キャスター」

何か言いかけたキャスターを、あいつの声が封じる。

「このまま続けても、手には入らんぞ。それは君の望むところではあるまい」

「―――分かりました。好きにするといいでしょう」

そう言ってキャスターの姿が消える。おそらくは空間転移か。
存外あっさりと引き下がったが、それだけ傷が深かったのだろう。

「それでどうかな、アーチャーのマスターよ」

「いいわ――――行きましょう、アーチャー。見逃してくれるそうだから」

「そうか。それは有難い。私としてもその方が助かる」

「どういうことよ」

「ふむ、少々焦りすぎていた、ということにでもしておいてくれ」

凛は意味が分からず、今にも怒鳴りそうだ。
それが可笑しかったのか、笑みを浮かべ、あいつは飛び去った。

「なんだっていうのよ、まったく。なんかわけわかんない奴だったけど。アーチャー、あいつのいってた事の意味、解る?」

「いや、解らん。大方君が可笑しかったからからかったか何かじゃないのかね?」

「へっ?」

「気づいてないのか?」

そう言ってただ、凛を見つめる。ふむ、そうだな。

「それよりも先ほどは助かった。君の助けがなければ、危ないところだった。本当に感謝している」

まっすぐに。できるだけ真摯な表情を作り、礼を言う。

「な、何よ、改まっちゃって。私はアーチャーのパートナーなんだから当然のことでしょ」

「そうか、それは良かった。どうやら、相当急いで来てくれた様だからな、感謝しないわけにはいくまい」

考えないようにしてはいたが、中々に今の凛はひどい格好をしている。
適当な表現で表せば、寝起きのときの姿をもっとひどくすれば―――

「―――あっ」

気がついたのだろう、顔が一瞬で真っ赤に染まった。

「これで、目つきもアレなら完璧だったのだが」

「なんか言った? アーチャー」

「なに、怖いもの見たさというやつだな」

「ぐっ」

「まあ、そこの唐変木に見られなくて良かったと思うがな」

「うっ」

まったく、敵地にいるというのにこの緊張感のなさは、どうしようもないな。俺も凛も。

「それより、さっさとセイバーと合流しよう。セイバーが負けるとは思わんが、こいつの傷も浅くはない」

そう言って、衛宮士郎を抱え上げる。

「そうね、こんなところに長居は無用だわ」

境内へと走り出す。体は、凛をからかっている間に、走れるくらいには回復していた。




「音がない?」

そう呟きながら、境内にたどり着いた俺たちは山門を抜けた。

「アーチャー……、シロウ!?」

抱えられた衛宮士郎に気がついたのだろう。声に切迫した響きが感じられた。

「今宵はここまでだな、セイバー」

そう言って侍は刀を下げた。

「――――――?」

セイバーが僅かに首をかしげる。

「そのような、表情をされては、斬ることはできん」

セイバーに背を向け石段を登り始める。

「見逃すというのか」

「そうだ、今のお前では満足に戦えまい」

振り向きもせず、アサシンはセイバーに答える。
その言葉が、偽りではないと判断したのだろう。凛は石段を降り始め、俺もその隣に並ぶ。

「それに、傷ついた鷹を狩るなどしては、いささか趣に欠ける」

俺の状態に気がついたのか。凛が隣で息を呑む。

「ふん、後悔しても知らないわよ」

「それこそ望むところ。騎士王とまた果たしあえるならばな」

そう言い残し、アサシンの姿は消えた。



[1070] Re[15]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/05/06 18:17


苛立つ




「これは、シロウは無事なのですか?」

俺に駆け寄ってきたセイバーが、気絶した衛宮士郎を不安げな顔で見つめる。
アサシンを突破できず、衛宮士郎を助けに行けなかった彼女にしてみれば、この負傷は辛いものがあるだろう。

「――――傷は塞がっている。朝には目を覚ますだろう」

事実、衛宮士郎の傷は完全に塞がり、こいつが怪我をしていたという名残は、無残にも引き裂かれた衣服にしか残っていない。見ていて気持ちのいいものではないが、セイバーが悲しむよりはよほど良い、か。

「そうですか。感謝を、アーチャー。貴方がシロウの傷を癒してくれたのでしょう?」

むう。そういえばこの衛宮士郎はセイバーや凛に異常な再生能力を見せてはいなかったか。
セイバーの感謝の言葉に、俺はゆっくりと首を振った。否と。

「違う。私は何もしていない。衛宮士郎の傷は自動的に治ったものだ。復元、に近いものかもしれん」

「では、どうやってシロウは・・・・・・」

「はいはい。そんな話は後でもできるわ。それよりも先に戻りましょう。彼の目が覚めれば訊けばいいんだから」

凛が手を叩きながら、割って入った。

「そうですね。シロウを休ませることが先決です。アーチャー、私がシロウを運びます。貴女も体を休めたほうが良い。その傷は決して浅くはないはずだ」

「ありがたい。だが、君の格好は――――」

「アーチャー、私に衛宮君を抱えて帰れって言うわけ?」

「ふむ。凛が抱えたいというのであれば、私は止めはしないが」

そう言って笑みを浮かべている凛に笑みを返す。しかし愚問だったな。セイバーが鎧を解いたとしても、ドレスでは奇妙さはさほど変わりはしない。しかし、それを言ってしまえば女性に運ばれる衛宮士郎が問題なのだろうが。そもそも、起こそうにも手段がない。あのボディーブロー二発でもこいつは起きなかったのだから。もちろん、凛とセイバーに内緒で平手打ちもやってはみたが。

「行きましょう。二人とも」

微笑しながらセイバーが俺から衛宮士郎を受け取る。そしてふと、怪訝な表情をする。

「アーチャー、霊体化しないのですか?」

「セイバーが衛宮士郎を運ぶのだろう? 今更一人も二人も実体化していて差はあるまい。それにこの方が襲撃に備えやすいからな」

さすがに、この時間に出歩く人間はいないと思いたいが。
だが、セイバーの顔には不満げな表情が見えた。俺の負傷を気にしているようだが。俺の身は君と同じサーヴァントだというのに。
夜の闇も深い空を見上げて、そっとため息を吐いた。




苛立つ




衛宮士郎の呼吸は安らかであり、それを背負うセイバーも幾分落ち着いたものだった。
もし、衛宮士郎が少しでも呻き声を上げていたなら、セイバーは全力で衛宮邸へと走ったかもしれない。

「それにしても、アーチャーが何で、二人も召喚されてるのかしら。綺礼の奴、何も言わなかったけど、知ってたはずよね。アーチャーやアサシンに出来るとは思えないから、学校の結界はキャスターの仕業かしら」

最初の発言には答えようがない。俺はキレイとやらには会っていないし、記憶にも浮かび上がっては来ない。

「学校の結界はキャスターの仕業ではあるまい。柳洞寺から魔力を集めることが可能な彼女に、わざわざ学校などに結界を張る理由がない。それに彼女は魔女というには少々、非情さが足りないと思うがな」

凛の表情が少し不機嫌なものに変わる。どうやら、俺の発言が気に入らなかったらしい。だが、ここではとやかくは言うつもりはない様だな。後で何を言われるか少々気になる所だが。

「じゃあ、アーチャー。あれは他のサーヴァント。ライダーがやったとでも言うの?」

「サーヴァントが8体存在するとしたら、恐らくはな」

「そんなことが、ありえるのでしょうか?」

黙っていたセイバーも会話に加わってくる。第四回の聖杯戦争ではこれといったイレギュラーはなかったのかもしれない。

「さあ、私には判断の材料はないからな。だが、今回の聖杯戦争は常の周期とは違うのだろう?」

「――――そうね。前回の聖杯戦争からたった10年。イレギュラーがあったとしてもおかしくないかもしれない」

俺などよりは凛の方が余程、聖杯戦争には詳しいだろう。最も、彼女が前回の聖杯戦争について情報を持っているかは疑問だが。
凛のことだから、うっかり、調べてなかったなどと平気で言いかねん。前回の参加者とかいう神父に――――

「まあ、あんたみたいなアーチャー自体が、イレギュラーみたいなものか。なんだって剣士の格好してるんだか」

「未だに私がセイバーではないことを根に持っているのか。それは私の責任ではないと思うのだが・・・・・・」

「わかっているわよ。私がとちったのが原因なんだし。ちょっと思い出しちゃっただけだから」

「なるほど。確かにアーチャーのその姿では、セイバーのクラスと間違っても無理はない。凛も期待させられただけ、落胆のほども大きかったのでしょう」

「セイバー、君までそんなことを――――。いや、君の言うことも一理あるかもしれん。つまり」

そう言って鎧に回していた魔力を解く。膨大な魔力によって編まれていた鎧が音も無く消え去り。黒いドレスとその上に着ていた聖骸布の姿が露になる。

「これならセイバーには見えんだろう」

「た、確かに剣士には見えませんが・・・・・・」

「アーチャー・・・・・・。そんな格好した弓兵だっていないわよ。それじゃあ、騎士じゃなくて姫君じゃないの」

セイバーは遠慮がちだが、凛は呆れたという感情を隠しもしない。

「なに。今問題としていたのは、セイバーに見えるか見えないかということだ。他は関係などないさ」

「まあ、それはそうだけど。アーチャー、あんたってゴスロリが趣味なわけ?」

これには、俺の思考が多少止まってしまったとしても、許されるのではないだろうか。ゴスロリ、だと?
恐る恐る、自分の格好を――――

「それは――――否定したい所だが、この有様ではそれは不可能、か」

「無理ね。そのドレスじゃ、どうしようもないわ」

考えてみれば、今の俺の目線は、凛よりも低い。このことも凛の言動に拍車をかけているのかもしれない。
さすがに否定しようもない事実、これ以上は墓穴を掘ることになりかねん。沈黙が吉、だ。
気まずそうなセイバーと、どこか勝ち誇ったような凛の表情が印象的だった。俺は嘆息してばかりいる。




苛立つ




気持ちのいいだろう風が吹いていた。ふと、この家に住んでいたとき、こんな風に屋根の上で風を感じたことがあっただろうか。
最も、霊体化している身では、その心地よさを味わいはできないが。普通は屋根の上になどめったに出ないだろう。せいぜい屋根の修理くらいだろうか。もっとも、そんなことがこの屋敷に必要になる事態など、さほどなかったような気もする。
今は星も見えないが、いつかは見える夜もあるかもしれない。

さすがの凛も睡眠は必要と感じたらしい。奴――――アーチャーのことは衛宮士郎が目を覚ましてから聞く事にしたようだ。俺には何も訊いては来なかった。

イレギュラー。そう、異質なのは奴よりも俺の方だろう。少なくとも奴はエミヤシロウの筈だ。だが、この身はなんだ? エミヤシロウから大きく外れてしまったこの姿は。そう、この身はあまりにセイバーに似すぎている。先送りにしていたが――――いや、何を考えたとしても解決にはなるまい。単純に考えれば、セイバーが関係しているのだろうが。それすらも、確信にすらならん。

それより・・・・・・なんだ、この不快感は。
頭の中を螺旋を描くように渦巻くこの苛立ちは。決して奴の姿を見てからではない。この感覚はいったい何時から。

「まだ、見ていないのか?」

理解も出来ずに膝をつきそうになった一言。何かが見えたわけではない、だがそれは、俺を確かに切裂いたのだと思う。
奴が俺の見ていない何を見たのか。

苛立つ

奴が衛宮士郎を殺すということは、自分の抹消に他ならない。それが奴の望み。
自分が消えてしまいたいと、奴は思ってしまったのだろうか。後悔、しているのだろうか。

「私怨―――――――ただの八つ当たりだ」

脳裏に浮かぶ衛宮士郎の姿。あいつはとっさに俺を助けた。その後だ。奴がおかしくなったのは。
誰かを助けるという行為。それが許せないのか。

苛立つ

自身の命の保障などない死地に、無条件で飛び込んできた。それは、自身を鏡に映す行為。
それは当然のこと。俺たちは元は同じなのだから。

苛立つ

「――――アーチャー」

その、あいつの行為がなぜこんなにも俺を

「――――アーチャー」

苛立たせるのか。

「――――アーチャー?」

「――――!、セイバーか」

俺を見上げているセイバーを見つけると、実体化してその前に着地する。

「ふふ、そんなことでは見張りにはならないと思います」

その言葉とは裏腹に咎めるような口調ではない。笑みが浮かんだ彼女から察するに冗談なのだろう。
だが、俺が思考に没頭して、役目を疎かにしていたのは変えようがない。

「確かに。君には不甲斐ない姿ばかり見せる」

困ったようにセイバーの眉が動くがその笑みは変わらなかった。

「いえ、そんなことはありません。貴女には感謝しています。私に代わってシロウを助けてくれました」

そして、こんどは俺のほうが困ってしまう。

「む――――そんなことは同盟関係にある以上仕方なく」

「それでも、貴女はシロウを助けてくれた事実は変わりません。そして、貴女に感謝しない理由にはならない」

その時、俺はどんな顔をしていたのだろうか。少なくとも目を丸くしていたに違いあるまい。
どうやら、世界というのはよく出来ているらしい。かつて凛が、俺の再生能力を、運や、特に金に引き換えにしていると例えたが。
俺はこの姿と引き換えに、多分に動揺しやすくなってしまったようだ。まったく、俺は恋する乙女ではないというのに。

「衛宮士郎は、もういいのか」

――――こんなことしか言えない。自分に少し滅入ってしまうな。

「ええ、貴女の言う通り、朝には目を覚ますでしょう」

「――――そうか」

「ふふ、アーチャーはシロウが嫌いなのですか?」

「む、嫌ってはいないと、思う。ただ、少し苦手には思っているかもしれないが」

先ほどの苛立ちが僅かに浮かぶ。そう、苛立ってはいるが、嫌ってはいない。

「少し安心しました。貴女はシロウを避けている節があったので」

ああ、そうか。俺はセイバーに心配されているのか。彼女は俺が、誰に対して苛立っているのか解っている。
衛宮士郎に苛立つのは、あいつがあまりにも不甲斐ないからだろう?

「ふむ、そうだセイバー。衛宮士郎に稽古をつけてやってはどうかな」

「稽古、ですか? 士郎が望むのであれば、私は吝かではありませんが」

「なに、あいつのことだ、喜んでやるだろうよ。それに、あいつは戦いというものを知っておいたほうがいい。また懲りもせず飛び出す

ようではかなわんからな。君が教えてやってほしい」

「そうですね。士郎に相談してみましょう。ところで、アーチャー」

「なんだ?」

「シロウのことを、よく考えてくれているのですね」

「――――あいつは、危なっかしいからな」

セイバーから視線を外す。凛のように意図してのものならいくらでも対処しようがあるのだが。
あいつが、どんな道を行くのかはわからないが、
苛立ちが消えたわけじゃない。だが、苛立つということは、俺はあいつを気にしているという事に他ならないのかもしれない。
奴が、衛宮士郎を殺すというのなら、俺は全力で守ってみせる。奴が、後悔しているというのなら・・・・・・。


目を閉じる。確かに、俺が走った道は理想には届かなかった。

I am the bone of my sword.  (体は剣で出来ている)

俺達は傷ついてもやっていける。剣で出来た体は少しくらいじゃ壊れはしない。

Steel is my body,and fire is my blood.  (血潮は鉄で 心は硝子)

脆い心は鉄で塞いだ。弱い俺は必死に隠して。弱い俺は気がつかない。

I have created over a thousand blades.  (幾たびの戦場を越えて不敗)

退けば、自分が折れてしまうから。

Unknown to Death.  (ただの一度も敗走はなく)

ただ、ひたすらに前を向いて走り続けた。

Nor known to Life.  (ただの一度も理解されない)

何かが欲しいわけじゃない。

Have withstood pain to create many weapons.  (彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う)

ただ、理想を胸に剣を握る。

Yet,those hands will never hold anything.  (故に、生涯に意味はなく。)

歪んだ自分に救いはなく。

So as I pray,unlimited blade works.  (その体はきっと剣で出来ていた。)

それでも、それはきっと――――






[1070] Re[16]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/05/11 19:23


―――幕間―――



それは、もうそいつのものだった。最初、それが誰のもであっただろうと、失ってしまったりはしない。
当然だ。そいつとそれは、もう誰よりも結びついてしまっていたから。
だがら、あまりに近すぎるから、そいつはそれに気がつかない。
そいつは知らずに走り続ける。どんなに傷つき、裏切られても、その目は前だけを見て。
それは、いつもそばにいるから解っていた。そいつの心が、本当は脆く、砕けやすい硝子のようなものだと。
いくら、体を癒すことが出来ても、心は癒せない。
それでも、それは、そいつとともに。心から結びついたそれは、もうそいつだった。
そいつは■でそれは■。苦しみも、その想いも。たとえ、それが一方通行のものだとしても。
そして、気がつかずにそいつはいつしか、辿り着いた。紅く、枯れはてたそこは――――


そこには――――



二月六日


衛宮家の朝は早い。早いといっても常の住人は衛宮士郎一人なのだから、あいつの起床がとも言うが。六時半にでも起きようものならば、完全に寝坊の烙印を押されてしまうだろう。もっとも、今日ばかりはそうとも言えない…・・・はずだ。
それに、今は住人が衛宮士郎一人、というわけではない。が、大変遺憾なことに、我がマスター、遠坂凛は朝に弱い。あれはもう、壊滅的といってもいい。だから、寝坊したとしても、悪いとは言えないのだが。

「セイバー、そろそろ着替える必要がある。衛宮士郎を起こしてやらないと、朝食を逃してしまうぞ」

霊体化できるセイバーは本当なら、服など着る必要がない。だが、少なくとも、この家の食客だと紹介した以上、それは必要なことだ。
セイバーの表情が、和やかなものから、毅然としたものに。まさに戦闘者、いや、これは捕食者と言った方が正しいのかもしれない。

「それはいけない。朝の食事は重要だ。一日の活力はそこから生まれるといっても言い過ぎではない」

その姿は何かを決意した風でもある。
ではお先にと、セイバーは自室、衛宮士郎の隣の部屋へと走る。
昨夜、桜から、今日から数週間ほど衛宮邸に来れないと宣告がなされた。つまり、今の衛宮家の朝食調理担当者はあいつ一人。セイバーも必
死になる、か。だが、俺から漏れるのは嘆息ではなく、笑み。
クク―――。衛宮士郎め。セイバーに起こされたとあれば、無様にうろたえた姿も見せよう。
だが、それには、その現場に間に合う必要がある。ゆっくりとはしていられない!
セイバーに続いて、与えられた自分の部屋へと急ぐ。僅かではあるが、俺の部屋のほうが、位置的にはセイバーの部屋より近い。アドバンテージは有効に活用しなければ。


――――しかし、凛にもらった服に着替えながら思う。慣れたくはない、と。
自室を見回す。見たくはないが、見えてしまった。クローゼットには凛からもらった山ほどの服を。
これといった持ち物というものがない、サーヴァントたるこの身の部屋に、これでもかというくらい存在感を主張していては・・・・・・。
仮にも、いやいや、間違いなく俺は男だ。それがスカートやストッキング・・・・・・いかん眩暈が。
一刻も早く、セイバーと合流して、衛宮士郎を起こしてやろう。納得はいかんが、俺とセイバーとの二人で、衛宮士郎を起こしてやれば、破壊力も二倍、いや四倍。あいつの無様な姿でも見なければ、このストレスは発散できん。

結果を言えば、俺はセイバーのアクションには間に合わなかった。もっとも、衛宮士郎はまだ眠っていたのだが。 
幸運だったのは、セイバーが躊躇している、といえば良いのか。気合を入れていたといえば良いのか。彼女がまだ行動を起こさず、眠っている衛宮士郎を睨みつけているだけだったということだ。
さて、考えてもいなかったが、なるほど。彼女は、どう起こそうか、迷っているというわけだ。
衛宮士郎は、まだ寝坊したというわけではないのだ。時刻はまだ、そこまではまわっていない。
何しろ、起こす理由が、朝食のためなのだ。そのために衛宮士郎を起こしたのだと知られたら、彼女の誇りが許さないだろう。
しかし、上手い言い訳も思いつかない、といった所だろうか。仕方あるまい。

「セイバー、私も一緒に起こそう。君は例の事もこいつと話す必要がある。時間は有限だ。早く起こすに越したことはあるまい。第一、あの程度でここまで寝こけている、こいつがだらしないのだ。かまうことなどないだろう」

そう言ってセイバーの声すら上げる暇もない様、素早く衛宮士郎の枕元に移動する。
それを見たセイバーは、嘆息したものの、彼女からは否定の念は感じられなかった。

「アーチャー、貴女の言は尤もだとは思いますが、くれぐれも酷い起こし方はしないでもらいたい」

俺の胸の内を見透かしたかのようにセイバーが念を押す。安心してくれ。俺は、起こす方法に拘ってはいない。重要なのはその後だよ、セイ
バー。酷く歪んだ。そう言ってもいい感情を隠しもせず、俺はいたって普通に衛宮士郎を起こした。
心なしか顔を近づけて。セイバーも俺に続くように衛宮士郎の顔を覗きこむ。

「起きろ、衛宮士郎」

そう言って、体を揺さぶる。柳洞寺を出る前から、完治していたのだ。そう深い眠りでもないだろう。
そして、こいつは思惑通り、少し気の抜けたような吐息をしてから、ゆっくりとその目蓋を開いた。

「ん、セ、イバー?・・・・・・っ、アーチャー、うわあっっっっっ!」

そう言って布団から飛び起きる。ふむ、見た所特に問題はなさそうだ。眠気も飛んだことだろう。
クっ―――何よりその表情が俺の鬱憤を晴らしてくれる。顔が紅いのがポイントか・・・・・・。

「な、なんでセイバーとアーチャーが! 」

まだ、動揺冷め止まぬのか、手をバタバタさせながら叫ぶ。

「なんだ、そんなことか。起きれないようだから、起こしてやったまでだ」

「え、あれ?」

あれから、いきなり朝なのだから、仕方ないか。それとも、まだ寝ぼけているのか?

「セイバー、今のうちに話すといい。今なら頷かせるのは容易だぞ」

「しかし、それでは朝食の支度が・・・・・・」

セイバーは衛宮士郎からこちらに向きを変える。僅かに不機嫌さを滲ませている。やれやれ。

「代わりに私が用意しよう。卵は半熟でよいのか?」

立ち上がりながら、セイバーに提案する。自然、こちらを見ているセイバーの顔がゆっくりと放物線を描く。確か彼女は、朝はパンの方が好みだったか。凛も、そうだったか? まあ、今はとりあえず

「それは素晴らしい。アーチャー、よろしくお願いします」

セイバーのご機嫌を伺っておくとしよう。そして二人に背を向けながら言う。

「まかされた。ああ、それとセイバー」

「なんでしょう?」

「そこのニブイ男に昨夜の続きでも話してやってくれ」

俺が話すと、あの苛立ちが抑えきれなくなるかもしれない。それが、セイバーにも感じられたのだろうか。セイバーは少し躊躇ったものの、神妙そうに頷いた。

「―――分かりました」

そして俺の言葉に、遅れて反応した衛宮士郎が何か言う前に先手を打つ。

「そうだ、衛宮士郎。忘れていることがあったな」

そういって、衛宮士郎に振り返った。

「おはよう、衛宮士郎――――ふむ、まだまだ修行が足りんな。挨拶も出来ん様では先が思いやられる」

こちらに何か言いかけて固まってしまった、衛宮士郎に再度背を向けて部屋を出た。



朝食は、洋食にした。勿論邪魔する輩はいないから、随分と気持ちのいい時間だった。トーストとハムエッグ。凛にはそれでいいかもしれんが、とりあえず、サラダもある。まあ、和食じゃなくて衛宮士郎は気に食わんかもしれんが、どうしようもあるまい。おまえはこの家の家主にしてヒエラルキーの底辺だからな。

最早過去とはいえ、過ぎてしまえばいい思い出ではある。他人事とも言うが。

「へぇ~。美綴が、痴漢から逃走か。あいつにも苦手なものがあったか。まあ、そんなことでもないとあいつに女らしさってのを教えるのは
無理だろう」

「あら、衛宮君。楽しそうなところ悪いんだけど。私、綾子とは休みの日に一緒に遊びに行くぐらい仲が良いのだけど。知ってました?」

そして、迂闊な事を言ってしまうのも、今では遠い過去のこと。

「ああ、わかったよ。黙ってもらう代わりに、朝食は洋食にすればいいんだろう」

「そうそう、わかっているじゃない。あ、マーマレイドだけじゃなくてイチゴのジャムもよろしく」

衛宮士郎が何を言って、凛達に何を要求されようが――――

「アーチャー、もう食べないのですか?」

静観していた俺に、唐突にセイバーが訊いてくる。

「昨日に比べれば、随分食欲がないようですが」

「ああ、そういえば」

確かに昨日に比べれば、俺の食べた量は明らかに少なくなっている。セイバーと比較すればそれは一目瞭然だ。

「たぶん、料理している間に、かなり満足してしまったのだろう」

「それならよいのですが」

成る程。セイバーは俺の昨夜負った傷を心配していたのか。だが、俺から無理している気配は感じられなかったのだろう。
セイバーは自分の食事を再開する。彼女ほど熱心に食してくれると、調理した方としても自然と笑みを浮かべそうだ。
騒がしい大河や情けない衛宮士郎と会話している凛が一瞬、俺を見たような気がした。



大河をお送り出しても、まだ時間に余裕がある。
朝食の片付けを終えた衛宮士郎に、凛が声をかけた。

「士郎、ちょっと話が」

「悪い、遠坂。セイバーと約束があるんだ」

「ふーん。まあいいわ。それじゃ、今日の昼休み、屋上で話しましょう」

さほど重要なことでもないのだろう。

「解った。それじゃ、また後で」

ふむ、どうやら、稽古をするようだな。すでにセイバーが待っているのだろう。幾分早歩きになっている。凛が簡単に引き下がったのも、セイバーがらみだからか。そして、未だ茶を飲みながらくつろいでいる俺に、凛が声をかけた。

「――――アーチャー。それ飲んでからでいいから、私の部屋に来てくれない?」

「なに、待つこともない。これはほとんど空だ。一緒に行くとしよう」

言葉と裏腹に少し待たせてしまったが、凛は少し眉を吊り上げただけで何も言わなかった。
凛の部屋は、散らかっている、というわけではないのだろう。ただ、物が多すぎるだけか。それがこの部屋にゴチャゴチャとした印象を与えている。

「それで、用件はなんだ、凛」

「そうね、用はあるのだけど、その前に一言良いかしら?」

凛がもったいぶるとは、中々珍しい。

「ああ」

「アーチャー、貴女、今朝から少し変よ。落ち着きなさい」

「ふむ、まあそんなところだろうな」

凛の言葉は予想できたことだった。あれだけ、意味ありげな視線を送っていたのだから。もっとも、凛の方はそうでもなかったようで、憮然とした表情をしている。

「ふーん。アーチャー、あんた気づいてたわけ?」

「気づいていたかと問われれば、そうなるな」

「それで、どうして、士郎・・・・・・、衛宮君を意識しているわけ? まさか惚れたとかじゃないんでしょう?」

「それこそまさかだ。そんな事態は絶対に来ない。まあ、意識しているというのは正しいがな」

からかうような気配を見せていた瞳が、顔が真剣なものに変わる。

「それは、敵として、かしら・・・・・・」

「君が、あいつを敵と認識するはかまわんが。あのお人よしは凛の敵にはなるまい」

その言葉で、あっさりと気の抜けた顔に戻った。

「じゃあ、どういうこと?」

「そうだな、一言で言えば、あいつに苛立っているというのが、本音だ」

「そりゃあ、貴女じゃなくても、苛立つことはあるんじゃない? 彼、めちゃくちゃだもの」

「ああ、だが、問題なのはその苛立ちを、いまいち御しきれてないというわけだ」

「なるほど。でも、昨日までそんなことなかったわよね。どうして急にそうなったのかしら」

明確にはなってはいないのだが、おそらく引き金はこれだったはずだ。

「君には衛宮士郎の傷の理由は話してなかったか――――。俺を庇ったのだよ、あいつは」

凛は、俺の顔をまじまじと見てから、がくりと肩を落とす。

「まったく、衛宮君ときたら・・・・・・。そんなんじゃ、苛つかないほうがどうかしてるわ。マスターがサーヴァント。それも他人のサーヴァントを庇うなんて。はぁ」

心底、呆れたという感じだ。だが、その顔を、勢いよく上げる。

「だけど、アーチャー。貴女、衛宮君が庇ったことに苛立っているんじゃないでしょう?」

瞬間、体が固まったのが解った。凛に悟られないよう取り繕う。
ゆっくりと、息を吐き出すように、言葉を紡いだ。

「よく、わかったな」

「まあね。貴女は衛宮君が庇ったことじゃなくて、傷を負ってしまったことに苛立っているんだわ」

こうもたやすく見破られるとは。苦笑いするように答える。

「そうなる、だろうな」

「だけど、それじゃやっぱり――――――――」

そして、凛は何かを呟いたが、聞き取ることは出来なかった。

「ふう、仕方ないわね。そう簡単にどうにかなるようなものじゃなさそうね。自分でとっくに気がついてるんだし。だけど、アーチャー」

「皆まで言うな、解っている。戦いとなれば、我が身は君の刃だ。何も変わりはしない」

気負うでもなく、ただ当然のように応える。凛は俺の言葉に満足したのか。

「なら問題ないわね。期待してるわ。あーもう。そろそろやばいわね。良いわ。用件は、衛宮君と同じだし。昼休みに訊くことにする」

その言葉に首肯する。

「あ、そうそう、アーチャー」

その言葉に、何だと視線で問いかける。凛は、本当に愉快気な笑みを浮かべて。

「もう、俺なんて言っちゃだめよ。ただでさえ、強がって見えるんだから。そんなんじゃまた、からかわれるわよ」

顔が赤くなるのが、自分でも解った。前言を撤回しよう。凛だからといって、対処できるとは限らないらしい。
まったく、かなわんな。


ギクシャクと部屋を出ながら、そう思っていた。



[1070] Re[17]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/05/28 17:21



「もうそろそろ行かないと、時間に遅れるんだけど」

苛立ちを隠そうともしないで、凛が玄関でぼやく。

「ふむ。稽古に時間を忘れているのだろう。どうする、凛」

今も竹刀を振っているのであれば、どうやっても遅刻は免れまい。

「まあ、いいか。同盟を組んでるんだし、一組は拠点で待機ってのもありよね」

そう言って凛はなにやら頷いた。そして、組んでいた手を解き入口に手をかける。

「そういうことだから、アーチャーは衛宮君が学校に来るかどうか訊いておいてくれない? 学校に来るのはそれからでいいから。でも、稽古の邪魔はしちゃだめよ」

「それは構わないが。凛、一人で大丈夫か?」

「問題ないわ。なんてったて、私は貴女のマスターなんだから」

イリヤスフィールのような規格外のマスターに、魔力量で劣っているのは事実だ。だが、凛は最高のマスターと言っていい。魔術師としての力量を抜きにしても、彼女は強い。そのあり方が。
彼女のことだ。俺の心配など、笑って踏み越えていくだろう。

「そうだな。だが、学校は敵のサーヴァントの狩場だ。くれぐれも、気を付けてくれるとありがたい。君は、肝心なところでどこか抜けているところがあるようだからな」

とっさに表情を隠すように凛の手が顔を覆う。

「――――――――」

「どうして、そう思うのかとでも言いたげだな。なに、君のうっかりの最たるものが私の召喚だろう?」

下げられた手のひらの向こう側には、どこか悟ったような凛の顔があった。

「解っているわ。油断はしない。相手がどんな小物でも、かんっぺきに潰す。令呪を使ってでもね。その時準備が出来てませんでしたなんて言ったら、ただじゃおかないからね」

「ゆめゆめ忘れぬようにしよう」

「じゃあ、行ってくるわ」

そう言って凛の姿は扉の先に消えた。

「さて、奴の情けない姿でも拝むとするか」

そう呟いて、道場の方向へ足を向ける。凛に付いて行く筈だったから、姿は甲冑のままだ。だが、この姿では少々音が大きい。霊体化すればいいのだろうが――――。昨夜の鎧を解いた状態にする。普段から、実体化しておいた方が都合が良い。この身体をイメージ通りに動かすためにも。
まだ、稽古を始めて、三十分ぐらいだろうか。ゆっくりと歩きながら、自分の時セイバーとの稽古はどうだっただろうか、等と記憶を探ると、自然と顔は歪んでいた。そんな益体のないことをしていれば、道場は目の前に。
さて――――。

経験から言わせてもらえば、衛宮士郎は意外と見られることに弱い、と思う。

「まあ、邪魔することもあるまい」

俺が姿を現すことで、衛宮士郎が集中力を失ってしまっても仕方がない。
ただでさえ、意識を保つことが困難な稽古だというのに。まあ、見るのは奴がもう少し慣れてからでも遅くないだろう。情けない姿もお預けだ。
そう言い訳しながら道場に背を向ける。そう、これは言い訳なのだ。
まずは着替えるとしよう。この格好ではさすがに都合が悪い。
そしてその後、俺が進む先は、台所。肝心なことを忘れていたのだ。俺は。
掛けてある、エプロンを身に着ける。戸棚からは――――弁当箱を、と考えて重箱にした。
朝食の準備に気を良くして、すっかり昼食、弁当のことを失念していた。
冷蔵庫を開けながら、何を調理するか考える。――――稽古が終わるころには、出来上がるだろう。





予想に反して、弁当を包み終わった後も、稽古は続いているようだった。
セイバーのことを考えて、量は相当なものだ。まあ、彼女なら食べきれないということもないだろうが……。三人、いや四人分のつもりの目の前のブツに視線を戻す。

「ふう」

包みを持って、かつての――――自分の部屋へ向かう。
今朝、奴を起こしたことは気にも留めなかったが、この部屋は物が少ない。そのことを、一瞬ひどく忌々しく感じたが、構わず目的の物へと足を進めた。
衛宮士郎の鞄。それに、迷わず手にした包みを入れる。予想と違わず、容量の限界ぎりぎりの包みは、鞄を歪な物に変えた。それが、どうしようもなく、可笑しくて……笑えなかった。
それは数秒だったのか、それとも数分たっていたのか、どれくらいの時間そうして、鞄を見つめていたのかはわからない。どんな顔をしていたのかは判らないが、一度目を閉じ、立ち上がる。そして目を開き、再び鞄を見たが、今度は何も感じなかった。
ふと、あることを思いついて机を借りる。
こんなものか。
作業を終えて部屋を出る際、ふと後ろを振返る。
あまりこの部屋にはいたくなかった……。





道場に行ってみれば、ちょうど稽古の終わったところらしい。
涼しげな顔をしたセイバーと、ひどく汗を掻いている衛宮士郎が対照的に見える。

「これなら――――」

「――――ですから、シロウは」

極力、音を立てないようにしていたせいか、衛宮士郎も、何か講釈めいたものを話しているセイバーも俺の来訪に気がついてないようだ。はっきりとは聞き取れないが。
まっすぐにこちらに背を向けている衛宮士郎の背後まで歩く。
ふむ、別段気配を消しているわけでもないのだが、ここまで近づいても二人は気がつかない。

「ふーん。それじゃあ、セイバーもはっきりとは分からないのか」

「はい、何か引っかかってはいるのですが」

よほど、真剣な話をしているのか、とも思ったがどうやら難い話というわけでもないらしい。ならば――――

「おい」

そう言って衛宮士郎の肩に手を置いた。

「はははははは、はい!?」

予想以上の驚きように、声をかけた俺の方が驚いてしまう。セイバーの方も、相当に驚いたらしく、声は出さなかったようだが、顔と髪にそれが出ていた。
その間にも、衛宮士郎はわけの分からん表現を全身で表している。

「まあ、なんだ。落ち着け」

かつての自分がこんなだと、こちらとしても滅入る。だが、俺の疲れたような表情を見て、何故か平静を取り戻したらしい。普段と変わらぬ様子で訊いてくる。

「えっと。アーチャー? なんでここに――――遠坂は?」

「――――凛なら学校だ。そして私が何故ここに、というのは」

これだけ近いと、セイバーと変わらぬ身長の俺は、自然と衛宮士郎を見上げる形となる。それが否応なしに、自身の置かれた状況というものを認識させる。なにせ、一尺ほども縮んだのだ。それに苛ついた為か、自然厳しい口調になってしまう。

「貴様のせいだ」

「え、俺の?」

「そうだ。貴様が時間になっても、学校に行く気配がない。それで、貴様が学校に行くのかどうか訊くために俺はここに残った、というわけだ」

「それはなんというか、えーっと、ごめん」

謝罪してもらう必要はなかった。これは八つ当たりのようなものだからだ。この体になってしまった以上、受け入れるしかないことだが。申
し訳ないと言う衛宮士郎の目に、微かに憐れみのようなもの浮かんだ気がしたが。

「まあいい。だが、何故それほど驚いたのだ。セイバーは私が屋敷に残っていることなど気づいていただろう?」

そう言って、視線をセイバーへと移す。

「え! ええ。気がついてました。ただ、士郎の稽古中であったので――――失念していましたが」

どうやら、セイバーはまだ驚きから抜け切れていないらしい。表情に表さずとも、読み取るのは容易い。
まあ、聞かれては恥ずかしいことだったのかもしれない。食事のことであれば、セイバーも動揺することもあるかもしれん。

「驚かすつもりはなかったのだが、結果としてそうなってしまった。すまん、セイバー」

「い、いえ。気付かない私が未熟なのです。アーチャーが謝る必要はありません」

「そうか。いや、助かった。君に不快な思いをさせてしまったかと思ってしまった」

セイバーに笑みを浮かべてから、衛宮士郎に顔を向ける。

「で、どうするのだ、お前は?」

「どうするって――――悪かった! 俺が悪かったから怒らないでくれアーチャー!」

別に怒ってなどいないが、勝手に衛宮士郎が慌てている。さっきから何をしているのだ、こいつは。

「この時間なら、四時間目には間に合うな。アーチャー、遠坂に昼にはちゃんと間に合うって伝えておいてくれ」

衛宮士郎の言葉に頷いて、背を向ける。

「あれ? アーチャーはこれからどうするんだ」

「凛と合流するだけだ。お前が出るまでまだ時間があるのだろう?」

「あ、うん」

「そういうわけだ。お前にはセイバーがついているのだ。私まで加わる必要もないだろう」

そう言って歩き始めようとして、背中から何か訊きたそうな視線を感じた。

「なんだ?」

背を向けたまま、問いかける。

「あー、アーチャー。その格好で出かけるのか? その、霊体化とかは」

「心配するな。気付かれるような下手なことはせん」

「はい・・・・・・」

そして今度こそ歩きだす。そして

「アーチャー、気をつけて」

「――――ああ、行って来る」

最後にセイバーと声を交わした。






(凛、衛宮士郎は学校に行くようだ。昼には間に合うと)

歩きながら凛と会話する。今朝よりは幾分落ち着いた様子が感じられた。

(そう。ありがとう、アーチャー。こっちはまだいいから、ゆっくりしててもいいわよ)

戸を開けながら、苦笑して応える。

(――――ああ)

(それじゃあ、後で)

何かやることでもあるのか。さて、凛が何を考えて――――。
門から足を踏み出すのが躊躇われた。
危険を感じたわけではない。だが、何かがひっかかる。

(気のせい、か?)

付近で感じられるのはセイバーのものだけだ。そして、屋敷の、結界を出た瞬間。
目の前に矢が突き立った。
反射的に矢が飛んできた方向を目で追う。気配も感じられないような場所からの狙撃。こんな芸当が出来るのは

「アーチャー」

鷹の目を持つ弓兵の姿があった。成る程、違和感は奴か。嘆息しながら、奴の顔に皮肉気な笑みが浮かぶのが見えた。






「どういうつもりだ」

「いや、たいした理由はない。少し話をしてみたかっただけだ」

誰もいない公園で対峙する。少なくとも、目の前の弓兵に殺気はなかった。恐らく、本当に話がしたかっただけなのだろう。

「ふん。それはらしくない理由だな」

「それはお互い様だ。私のことを無視しなかった以上、君も似たようなものだよ」

「馬鹿な。私が無視していれば、お前は矢を射ていただろう? それこそうっとうしくて敵わん。まあいい。お前、何故キャスターの側などにいる」

その問いに目の前の弓兵は笑みを浮かべながら答える。

「何、彼女はそれほど悪人ではないのでな。協力してやろうと思っただけだ。彼女なら、聖杯を悪用する心配もない」

それが、キャスターに就いている理由か。

「――――魂食いはどう言い訳する」

「なんだ。そんなことは、言い訳する必要もない。瑣末なことだ。君も気付いているのだろう。確かに彼女は魂を集めてはいるが、殺してはいない。むしろ甘いといってもいいくらいだ。まあ、それは君のマスターにも言えることのようだが」

確かに。一般人を巻き込むが、殺しはしないキャスターより、問答無用で中の人間を溶解する結界の方が性質が悪い。
凛も非情になりきれないところがあるのは認めよう。あの夜、衛宮士郎を助けたことがいい例だ。もっとも、それが凛らしいといえば凛らしいのだが。高い対魔力を有する他のサーヴァントに勝つために魔力を集めるのは分かるが、さらにセイバーを欲する理由は――――

「バーサーカーを倒すためか」

俺の考えを読んでいたのか、弓兵が肯定する。

「そういうことだ。キャスターはセイバーも欲しいようだが・・・・・・。最低限、我々だけでもあの大英雄を倒すことは可能だ」

「随分と自信があるのだな」

「何、防衛戦でしか勝てんよ。それも三対一でやっと、というところだ」

防衛戦? 三対同時に攻めることは出来ないと言うことか? しかし、アサシンではバーサーカーに傷すら与えることは出来まい。アーチャーではあの大英雄に対して前衛を続けることなど――――

「アサシンは凌ぐ事なら可能ということか」

俺の言葉に頷きながらも、答えを返してくる。

「もっとも、キャスターの援護が必要のようだがな。それでも相性を考えれば驚異的と言わねばなるまい。不本意ながら、私は砲台と言うことさ」

事実としてアサシンはあのバーサーカーを撃退したということか。しかし――――

「何故、その時に倒してしまわなかった」

「簡単なことだ。その時私は召還されていなかった。ただそれだけのことだよ」

それは、キャスターに召還されたということか?

「いや、結果としてキャスターを主としているにすぎない」

「良いのか、こんなことを話して」

僅かに敵意を表面に現しながら尋ねる。

「君に知られて問題などないさ。確かに私達の誰か一人欠けるだけで、バーサーカーの打倒は難しくなるが。キャスターを倒すことの難しさは君もよく分かっているはずだ。ランサーほどではないが彼女も相当に生き汚いぞ。君としても、それほど戦う気はあるまい」

「何故そう思う?」

「ク、答えなくとも解っているのだろう」

「――――――――」

キャスターを倒すにはどうしても総力戦になる。そして、それはバーサーカを相手としても同じだ。そして、どちらと戦っても、結果浅くない傷を負うことになるだろう。一般人に対する危険から考えても、倒す優先順位としては間違いなく結界の主のほうが高い。キャスターもバーサーカーも、そして目の前の弓兵も倒すことに変わりはないが、それは今ではない、が。

「残念だが、見当外れだ。私達でもバーサーカーを倒すことは出来る。キャスターが脱落しても問題はない。第一、キャスターの放置など私の
マスターが許さないだろう」

もっとも、凛でもさすがに柳洞寺を攻める気はないだろうが。彼女が狙うとすえば恐らく・・・・・・。

「成る程。あの少女ならそうだろうな。ああ、それは二つの意味でだ。生憎と彼女の名前は思い出せないようだが」

まさか、凛の記憶がないのか――――弓兵は俺から視線を外し、 何かを思い出そうとしているかのように空を見上げた。

「まあいい、そのうち思い出すだろう」

そう言ってから、そのまま歩き出し、近くにあったベンチに腰掛けた。

「立ったまま話すのもなんだ。君も腰掛けてはどうかね」

「馬鹿な。お前と二人で腰掛けるなど考えられん」

「――――ふむ。見た目ほど差異はないわけか」

「何が言いたい?」

「どんな理由でそんな姿になったのかは知らんが、やはり君はエミヤだ」

そして弓兵は俺が黙っていることにも構わず、言葉を続ける。奴の目から、何を考えているかは読み取れない。

「それが何時になるかは判らん。だが、君は必ず選択を迫られる。好む好まざるに関係なく」

その言葉に込められた意味はなんなのか。分からずとも、胸に湧き上がる不快な気持ちを消し去るように言葉を吐く。

「その格好はなんだ。キャスターの趣味か」

「まさか。美しい少女ならともかく、彼女に私のような男を着飾って楽しむような嗜好はない。私が自分で選んだものだが――――似合わんかね?」

そう言って奴は自分の着ている黒系で統一された服を見ている。

「知るものか」

「ふむ。つれないな。だが、安心したまえ。誰が選んだかはともかく、君の服装は似合っている。自信を持っていい」

くだらない。自分で自分を褒めるなど何の益になろうか。

「もういいだろう。私も暇ではない」

そう言って背を向けるが、奴の視線がずっと俺に向けられている事に気づいていた。そして、

「ああ、そうだ、思い出した。遠坂、遠坂凛か。――――成る程。凛か。確かにこの響きは彼女に合っている」

奴が見ていたのは俺ではなく、この服だったのだと、その時になって気がつく。そして公園から出る際、再び呟くように弓兵は声を漏らした。

「気をつけることだ。何故かは知らんが、君は考えることが表情に出ている。読み取ることは容易い。騙し合いは無理だ」

「余計なお世話だ」

そう言い残す事くらいしか、俺に出来る事はなかった。
そして、ふと思う。


何故、奴は衛宮士郎のことを語らなかったのだろう。



[1070] Re[18]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2007/02/03 22:45


interlude


四時間目の終了の鐘が鳴り、約束の時間となる。
すぐさま、机に掛けていた鞄を引っつかみ、早足で教室を出た。
少し、いやかなり挙動不審な行為かもしれないが、今は仕方がないこと、と割り切るしかない。
なにせ、誰が見ても分かるほどの、異常に膨れ上がった鞄の異形。まさしくそれは弁当のカタチ。
大きすぎて、机にも入らぬその壮大なスケール。
クラスメイトの男子、特に後藤くんにからかわれたのは言うまでもない。
彼の推察は正確ではないが、あまりに的確すぎる。


「衛宮殿、その鞄から溢れ出さんばかりの姿はもしや、愛妻弁当でござるか?」

後藤くんのその言葉に、教室の男どもの視線が一斉に俺に向けられる。だが、その無数の敵意よりも、後藤くんは昨夜時代劇でも見たんだろうな~ってことよりも。愛妻弁当という言葉に俺は冷静さを失ってしまっていた。

「え? いや、そ、そんなこと、あるわけないですよ」

「いやいや、照れる必要はござらん。その態度が答えになっているでござるよ。いや、衛宮殿にも春が来たのでござるなぁ」

「なに~! 衛宮、貴様本当に愛妻弁当などという、リーサルウエポンを――――」

「違う、違うって」

その後、異様に盛り上がった男どもに詰め寄られた俺は、詰問、いや尋問を受ける羽目になってしまった。
一人だけ腕を組み、頷き続けている後藤くんが印象的ではあったが。
そして、それが処刑にまで発展しそうにまでなったとき、それはまさしく救世主のように、我等が教室に降臨した。
虎の降臨によって、処刑は無効。男どもの一部が虎に直訴するも、瞬く間に一蹴される。
その時は、藤ねえを神かとも一瞬、アホなことを考えてしまったが・・・・・・。
あの顔は、絶対に分かってやっている。今、俺を助けたのは恐らく、更なる深淵の地獄に叩き込むため。
奴の野生の勘がそうさせたに違いない。そっちの方が楽しいと。
おかげで、遅刻のことは殆ど咎められはしなかったが、それ以上に、疲れてしまった。


屋上に向かいながら思い出す。霊体化しているセイバーも勿論一緒だが。
俺の部屋でこの鞄を見たときは何事かと思ったが、中身を知った時のセイバーは、顔には出してなくとも、あれは相当に喜んでいたと思う。セイバーは大抵仏頂面だけど、食事の時は目の輝きが違うから。
もっとも、鞄を開けるまで中身が弁当だと、信じることは出来なかったけれど。
何しろ、アーチャーが弁当を作ってくれる理由がない。彼女は、セイバーはともかく、俺の事はあまり好きではないと思っていた。たまに刺す様な視線で俺を見ているときがある。あまり俺とは関わらない様にしている節もある。今朝は幾分今までとは違っていたけれど・・・・・・。
セイバーはアーチャーが弁当を作ってくれた事を不思議には思っていないようだったが。
やはり、セイバーとアーチャーは何か関係があるのだろうか。
セイバーも気にはなるが、会ったことはないとはっきり言っていたし・・・・・・。

屋上の扉を開ける。さすがに二月だけあって、かなり風が冷たい。

「遅かったじゃない、衛宮君」

どうやら、遠坂はすでに来ていたらしい。風でなびく髪を押さえてこちらに近づいてくる。

「あー、これでも急いで来たんだが。待たせたなら悪かった」

「いいわよ、謝らなくて。それよりその鞄は何?」

あれ? 遠坂は知らないのか?
人目に映らないような場所へ移動しながら、鞄からブツを取り出す。それにしても寒いな。ここは。

「ああ、弁当。アーチャーが作ってくれたみたいなんだけど――――遠坂、知らなかったのか」

不思議に思って訊ねると、かなり凶悪な顔をして、凛は手に持つサンドイッチを、凝視している。
ん? あ、これは――――。

「そんなの知らないわよ。知ってたらこんなの買ってないんだから。まったく、そんな大事なこと言わないなんて、朝の仕返しかしら」

「知らないって、アーチャーは? 先に行ったはずだけど・・・・・・いないのか?」

「ええ、まだ来ていないわ。どこをほっつき歩いてるんだか知らないけど、まあそのうち来るでしょう。それより衛宮君」

「ん、なんだ、遠坂」

包みを広げて、重箱を並べながら聞き返す。う~ん。セイバーはその格好じゃ、箸は使いにくいんじゃ――――む。これは、スプーンとフォーク、か。これなら、なんとかなるか。しかし、これはすごいな。セイバーの視線も常より熱いような。

「さっき隠した紙は何かしら?」

やはり気がついていたのか。

「あー、それはなんのこと」

「駄目よ、衛宮君。貴方嘘吐くの向いてないから」

第一戦は、惨敗。我が防壁は紙のように貫かれる。

「そうなのか、セイバー」

「そうですね。シロウに嘘は似合わない。出来れば、そのような事は控えて頂けるとありがたい」

む。なんか違う答えが返ってきたが。うーん、と考え込む振りをする。

「ごまかしても無駄よ。さあ、きりきりと吐きなさい」

笑顔で迫ってくる遠坂が怖い。今朝のアーチャーの三倍は怖い。何故か後藤くんがいたら、この遠坂の姿を的確な言葉で表してくれたんじゃないだろうか。まあ、結局のところ俺は負けたわけだ。遠坂の恐怖に。

「わかった――――。これ」

遠坂にメモを渡す。現状の危機を回避するためにメモを渡してしまったが、それは浅はかと言うしかない。
俺は気付かれるわけにはいかなかったのだ。それを不用意に物を鞄から――――

「ふーん、なになに。伝言メモか。昼食を作っておいた。凛と、それからセイバーと食べるといい。それだけの量は作ったつもりだ。凛との約束、忘れないように。アーチャー」

読み終わっても、メモから視線を外さない。メモが原形を留めなくなるまで、無残な姿に変わっていくのはきっと目の錯覚だろう。うん。

「衛宮くーん」

「お、おう」

思わず身構えてしまうが・・・・・・。遠坂は大きく息を吐いてから

「まあいいわ。気を荒立ててちゃ、ご飯もおいしくないわ。それに、セイバーを待たせるのもなんだしね。お昼にしましょう」

セイバーを見ながらそんな事を言った。そう言って箸を取る。そして皿も。どうやら、予想外に何も無いらしい。忘れてたこと、ばれてると思ったけど。それにしても、紙皿なんて家にあったかな・・・・・・。

「いえ、私は待ってなど。それにアーチャーが来てからでも」

かなりの葛藤があったようだが、食事よりアーチャーの方に、セイバーの天秤は傾いたらしい。本当に二人は仲が言い。それは、聖杯戦争の中では異常なんだろうけど。俺はその方が嬉しい。

「大丈夫よ。無くなったってサンドイッチもあるし」

って遠坂それはさすがに――――

「そんな。これはアーチャーが作ったものだというのに、その仕打ちはあんまりだ」

俺よりも数段早くセイバーが反論する。その素早さに俺は言いかけた言葉は、情けなく掻き消えた。
だが、遠坂はセイバーの剣幕などどこ吹く風で、

「冗談よ。昼休みが終わるまでには来るわ。それに、この量じゃ簡単に食べきるなんて事ないでしょ。それにアーチャーが言ったのよ。先に食べててくれって」

アーチャーと会話してるって事か。
確かに早々無くなる様な量じゃないけど。あー、でも食費がすごそうだ。
そういえば、二人の仲を遠坂はどう思っているんだろうか。アーチャーにはなんとなく訊きづらいけど、遠坂だったら。

「そういうことでしたら。いただきます」

セイバーはアーチャーの一言であっさり陥落。よし、俺も食べるとしよう。




「悔しいけど、ホント美味しいわ。確かに中華は弁当には向いてないわ。でも、なんで英霊がこんなに料理巧いわけ? しかも、あの包丁捌きで。」

アーチャーが危なっかしく見えるのは本当だけど、実はそれって見た目だけなんだよな。この味は相当の修練に裏づけされたものだと思う。

過去の英雄が料理上手ってのはちょっと意外だけど。それに、段々巧くなっているような・・・・・・。

「確かに・・・・・・。俺なんか洋食どころか、和食でも負けてるぞ。そういえば、セイバーは料理できるのか?」

「――――私にはこれほどの技量は持ち合わせていません。何しろ、シロウの食事を口にした時初めて、食事の素晴らしさを理解したのですから。これだけ言えばお分かりでしょう」

つまり、セイバーは俺の料理を食べるまで、食事に対して価値観が違ったということかな。そんなに不味かったのか。
思い出してでもいるのだろうか、セイバーは苦虫を噛み潰したような表情をしている。まあ、アーチャーの料理があればすぐに元に戻るだろう。

「それで、遠坂、話ってのはもう一人のアーチャーのことか?」

セイバーの表情も真面目なものに戻る。まあ、よろしくない料理のことを、真面目に考えていたのかもしれないけど。

「そうね、それもあるけど、これからの方針ってところかしら。だけど、とりあえず、そのもう一人のアーチャーって奴の話から聞くわ。どんな奴だったの」

セイバーも箸、いやフォークを持つ手を止めてこちらの話に注目している。

「あんまり、話せることはないぞ。俺はすぐに気絶したし、意識があるときもアーチャーに抱えられてたし」

「アーチャーに抱えられてたって・・・・・・。あいつも人の事言えないじゃない」

「ん? 遠坂、何か言ったか?」

「なんでもないわ。それより続けて。何も分からないってことないでしょう」

「ああ。外見は紅い外套を着て、白髪で軽装の騎士って感じの奴だった。戦い方ってことならアーチャーらしいアーチャーって感じかな。

出てきたときも、その後も弓で攻撃してきたし。威力も、状況によりけりって感じだと思う」

たった一つの矢で、防いだアーチャーが体勢を崩すこともあれば、防ぐのは簡単そうだけど、それこそ雨のように連射も出来るようだった。

確実なのはその狙いがどこまでも精密なのと

「それとアーチャーと同じ矢を使ってた。たぶんあれが宝具なんだと思うけど」

「アーチャーと同じって、バーサーカーに使ってたあれ? 見間違いじゃないの? 同じ宝具を使うなんて信じられないわ」

遠坂もだけど、セイバーも驚いているらしい。

「いや、見間違いじゃない。ほとんど静止してたし。それにあれ、矢だけど剣だったから」

捩れた剣を脳裏に映し出す。

「剣? 剣を矢にしてたって事?」

「ああ。かなり捻じ曲がってたけどあれは剣で間違いないと思う」

「アーチャーって剣を矢にする英霊って事かしら。それにしてもなんで同じ宝具を。あれを防いだってのも気になるし」

「それなんだけど、あのアーチャー、いや、あいつでいいか。とにかくこっちのアーチャーに放った矢は、バーサーカーを殺した矢より弱かった気がするんだ」

「威力が弱い? どういうことかしら・・・・・・。やっぱり、似てるだけで違うんじゃないの」

「そんなことないはずだけど。錬度が低かったのかなあ」

「シロウ、今何と言いました?」

今まで、黙って聞いていたセイバーが俺の言葉に反応する。

「え、錬度が低いのかって」

「なるほど、凛。確証はありませんが、シロウの答えであっているかもしれません。威力を絞っているのかもしれませんが、恐らく、そのアーチャーは持っているだけで使いこなせるところまではいかないのでは」

遠坂は、信じられないって顔で

「はぁ? 英霊が自分の持っている宝具を使いこなせない? そんなことあるの? 宝具ってのは英霊のシンボルみたいな物なんでしょう。たった一つの武装を――――」

「凛、それは違う。宝具がシンボルという事は概ね正しいですが、それが一つとは限りません。中には複数の宝具を持っている英霊も存在

しています。それに、武装が宝具だけとも限りません」

複数の宝具か。ギリシャのアキレウスとかたくさん持ってそうだな。それに、バーサーカーの斧剣も宝具じゃないみたいだし。

「そうか、宝具すら持ってない英霊なんてものものもいたわね」

「彼のようなサーヴァントは例外だと思いますが」

悔しそうにフォークを握り締めながらセイバーが呟く。道場で聞いた話だと、アサシンは宝具なしでセイバーと渡り合ったらしいけど。

「でも、あいつはこっちのアーチャーほど強そうには思えなかったぞ」

「どういうこと? 衛宮君」

「あー、なんていうか遠坂のアーチャーやセイバーに比べたら、その、存在感が小さいというか」

「シロウ、確かにそれは重要な事かもしれませんが、それがサーヴァントの強さに繋がるわけではありません。事実、アサシンは英霊としての格は低いようですが、簡単に倒せるような相手ではありません。戦い方、相性などもありますが」

「そういうこと。まあ、バーサーカーみたいのはそのまんまだとは思うけど。そういう点ではうちのアーチャーは、クラスに向いてないかもね。あれだけ存在感があると、狙撃するにも相当距離がいるんじゃないかしら」

「しかし、彼女はクラスの割には剣を使う方を好んでいるように見受けられますが」

「そういえば、ランサーとも剣で戦ってたっけ。姿といいアーチャーらしからぬ奴ではあるわね。料理も、家事も得意みたいだし」

本人がいないことをいいことに、言いたいことを言ってるな。ん、家事? なんでだ?

「私も、彼女に会ったことはないはずなのですが・・・・・・、気になります」

「あいつ、自分の召喚をイレギュラーだって言ってたわよ。姿も生前とは違うものだって」

「へぇ。それじゃあ、本当にセイバーの関係がある英雄なのかな」

姿が違うんじゃ、会った事があっても分からないかもしれないし。今の姿は似てるから、セイバーの親戚だったりして。

「でもセイバー、あいつの正体が知りたいなら、本人に訊きなさい。私じゃ答える事は出来ない」

「それは承知しています。共闘関係であるとはいえ、今は聖杯戦争だ」

「そうね。あいつの話はそろそろやめて、そっちに入りましょ。昨夜のことで分かったのは、キャスターの陣営は手ごわいってことね。言うまでもないだろうけど柳洞寺を攻めるのはもう最後の手段でしかない」

こっちは二体のサーヴァントという利点で、陣地を構えているキャスターを攻めたのに。その陣地にこっちを上回る三体のサーヴァントが

いては・・・・・・いくら、セイバーとアーチャーが強力なサーヴァントでも勝てる要素が少ない。それでもキャスターのやっていることは。

「衛宮君。そんな顔しないで。ほっとくなんてことないから」

「何か手段があるのか、遠坂?」

訪ねた俺に答えを返す前、遠坂は一度目を閉じて、そして笑った。

「そうね。力押しでは柳洞寺を落とすのは難しい。だったら、私達が狙うとしたらサーヴァントじゃなくて――――マスターよ。そうでしょ、アーチャー」

そう言った遠坂が振り向いた先に、セイバーとよく似た姿の、彼女はいた。



interlude out




[1070] Re[19]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/06/11 14:44


溜め息を吐く。
何故、俺はこんな所にいるのだろう? そんな諦観にも似た心境で、店が立ち並ぶ通りを歩く。
そこは、どこからどう見ても、商店街にしか見えるわけもない場所だった。平日の、昼過ぎのこの時刻、近所の奥さん方の姿も多々見られる。
てくてくと、身長に見合った速度で歩く。表情は、セイバーのように仏頂面をしているつもりだが、今日までの自分の有体を考えると、それも失敗しているような気がしてますます気が滅入る。
再び、肺に溜まった空気を吐き出す。その度に、何か大切なものまで抜き出ているような気もしてくるが、気のせいだろう。きっと。ふと、手に提げている買い物袋には今日の夕食の材料の姿が目に入る。
正に、お使いといった自分の姿に眩暈を感じる。疲れてるわけではないが、正直これはどうかとも思わないわけではない。




「ちょっと、いいかしら」

昼食の、弁当を片付けていると、凛が真剣な顔で声を掛けてきた。
マスターの話の件はもう終わっていたが、他に何か重要な話でもあるのかと、目を僅かに細める。

「アーチャー、今日の夕食は私の当番だから、材料買ってきてくれないかしら?」

「それは、今しなければいけないことなのか、マスター」

自分でも、馬鹿なことを訊いているとは思ったが、訊かないわけにはいかなかった。頬を一筋の汗が流れたことも気のせいではないだろう。

「ええ。授業が終わったら忙しくなるんだから、今出来ることをするのは当然でしょ。衛宮君のところにセイバーがいるんだから、貴方は偵察兼買い物。ちゃんと、必要なものはメモにしてあるから、ちゃちゃっと買ってきなさい。分からない所があったら、ちゃんと教えてあげるから」

俺が黙っていると、凛は何かに気がついたのか、続けて

「ああ、買い物が終わったら、家に戻ってていいわ。なんなら、おやつを買ってきてもいいから」

などと、言ってくる。

「君はサーヴァントを――――いや、なんでもない。地獄に落ちろマスター」





凛の性格はそれなりに熟知しているつもりだ。これは、俺がどうこう出来るものではない。どうやら、昼食の件の意趣返しのようだが・・・・・・。
とにかく、短いやり取りの間に、俺は捨て台詞を残して、目的の地へと向かわなければならなかったのである。
セイバーの、どこか痛みに耐えるような顔や、衛宮士郎の瞳に映る同情の色が、とかく痛かった。




思い出すだけでなんとも、情けないような疲れたような気がしてくる。
風がひどく冷たいこともそれに拍車を掛けているのだろう。そもそも、買い物をしながら偵察とはいかがなものか・・・・・・。
買い物袋の中にある、結局買ってしまったドラ焼きを見ながら思う。
一応人数分買ってはいるが、セイバーの分は普通の一人分よりは多いものである。
その横にジャムの瓶が。メモにあるリストには、夕食の材料のみならず、こまごまとした物もあった。

いかん、こんな事をいちいち考えていても、何の益にもならん。
実のところ、これがただの雑用だけでないことは理解していた。凛なりの配慮だと思う。
彼女は、どうやら今日の俺と衛宮士郎はあまり関わりにならない方がいいと感じたらしい。
意図せず、俺は衛宮士郎に度々、敵意にも似た視線を送っていたとのこと。
それでは、まるで奴――――アーチャーの様ではないかと、呟く。
そして、気付けば、俺の足は、今日アーチャーと話した公園へと向いていた。

寒いことが原因なのか、それとも時刻に問題があるのか、確かめる術は持たないが、とにかく。公園には、先の忌々しい時間と同じく、ご近所の子供達も、その母親達の姿もなかった。
それでも、音がある。人によっては耳に触るかもしれない、鎖の軋む音が。その音に誘われたのかどうかは分からない。
メトロノームのように一定の間隔で、音を奏でている。右に、左に、振れ動くそれは、お世辞にも美しい音ではない。
しかしそれはどこか、物悲しく、胸を締め付けるように、俺の心に響いた。
ああ、そうだ。■■■は――――

「こんなことをしていても、衛宮士郎には会えないぞ」

そう言って、ブランコを一人漕いでいる少女。白い雪のような髪持ち主に声を掛けた。

「誰!?」

跳ねるようにブランコから降りた、白い少女は警戒するようにこちらの方を向いた。
生憎と俺は戦うつもりも、驚かすつもりもない。その結果、買い物袋を手に提げた、なんとも微妙な姿を彼女にさらす事になったが。
それでも、彼女の警戒心を和らげる結果になったのならば、まあ、些細なことなのだろう。

「えーっと。リンのサーヴァント?」

どうやら、俺の事は覚えていてくれたようで、すぐに気がついたようだ。
もっとも、そこには、俺に対する敵意も、そして興味もさほどないようではあったが。俺の言葉には多少関心があったらしい。

「それで、エミヤシロっって誰のことかしら。アーチャー」

紅い瞳を僅かに細めて彼女は尋ねてきた。ふむ。どうやら、名前はまだ知らなかったか。
腕を組もうとして、手に提げた買い物袋に邪魔をされる。

「――――セイバーのマスターのことだ」

その変化は劇的、そういう表現しか思い浮かばなかったが、とにかくそういうものだった。
まるで、俺の事を者を見るような表情をしていた少女は、明らかにそれと分かる笑顔になっていたのだから。

「おにいちゃんの事!?」

弾むような声を上げて、こちらに近づいてくる。

「ねえ、ねえ。おにいちゃんの名前ってエミヤシロっていうの?」

そこには、今が聖杯戦争で、彼女がマスターである事など微塵も感じさせるものはない。

「ああ。正確には。衛宮士郎。士郎とでも覚えておけばいいのではないか。その方が分かりやすい」

「シロウ、か。単純だけどいい名前ね。なんか孤高な響きがするし。本当はおにいちゃんから直接聞きたかったけど。感謝するわ、アーチャー。それで、貴方最初になんて言ったかしら。おにいちゃんに会えないって。――――おにいちゃん死んじゃったの?」

どこか不安げな顔で少女は俺を見つめてくる。
彼女ならそんな事を知る事は造作もない事だろう。だが、これほど動揺するのは、やはりそれが衛宮士郎の事だからだろうか。

「いや、生きている。私が言いたいのは、あいつは学校に行っているから、ここで待っていてもあいつには会えないと言いたかったのだが。言葉がたりなかったようだな」

「良かった。まだ生きているのね。おにいちゃんは最後に私が殺してあげるんだから。他のマスターには絶対あげない」

言っていることは物騒だが、彼女が笑顔を見せてくれることはとても心地が良かった。それが、衛宮士郎に対してのものであったとしても・・・・・・。
分かりきった事だが、彼女は今の俺よりもまだ背が低い。その彼女が不思議そうに俺を見上げている。

「どうしたの? 嬉しい事があったの? それとも何か悲しいの?」

心の中を見透かされたかのような言葉に、声を上げそうになる。だが、それも一瞬の事で何とか平静を取り戻す。
どうやら、俺も人のことは言えないようだ。

「――――いや。なんでもない。気のせいだろう」

そう言うと、彼女は悪魔的な笑みを浮かべる。それでも、俺を見上げる姿は変わらなかったが。

「ふーん、そうね。アーチャーはリンのサーヴァントなんだからどうでもいいわ」

「そうだな」

確かに彼女にとってはそうだろう。衛宮士郎ならともかく、ほかのマスターを害虫と称した彼女だ。俺の事など蚊ほどの興味すらないのかもしれない。

そのまま、紫の服を着た、明らかに異国人と判る白い少女と、買い物袋を提げた買い物帰りといった、これまた日本人には見えないだろう俺が無言で見つめあう構図となってしまった。
そこに言葉もなく、運が良いのか悪いのか、誰も近くを通らない。最も俺はこの――――

「つまんない。アーチャー、貴女なにか楽しいお話はないの? 黙っているだけじゃ立派なレディーにはなれないんだから」

つまり、彼女はこんな俺相手でも話がしたいということか。それはいいが、立派なレディーとやらにはなりたくはない。とはいえ、彼女と話せることが喜ばしいことには違いない。

「成る程、では、何か面白い話など聞かせてはくれないかな」

そう、俺が言うと、彼女は少し拗ねた様な表情を見せる。

「わかんない、そんなの。私、今までお話しなんてしたことほとんどないもの。面白い話なんて知らない」

少し意地悪な言葉だったか。なら。

「む、ではどうやって、立派なレディーになるのかな」

「ふふ。私はリンとは違うの。もう立派なレディーなんだから」

ふむ。凛はどうやら彼女に、レディーとは認識されてないらしい。まあ、凛の淑女らしからぬ行動を見れば、その評価は当然というものだが。あの夜の会話だけで凛はその判断を下されたようだ。

「ふ~ん。貴女も大変なのね、アーチャー。マスターがリンじゃ、貴女の苦労している姿が目に浮かぶわ」

心の底から哀れんでいるような視線を受けては、さすがの俺も胸が痛い。もっとも、こんな会話や俺の表情を凛に知られたら、どうなることか。

「しかし、立派なレディーをエスコートするには、衛宮士郎ではいささか荷が重過ぎるのではないかね」

その言葉にきょとんとした彼女は、ゆっくりと俺の言葉を小さく口にした。

「エスコート。そっか。おにいちゃんにエスコートしてもらえばいいんだ」

――――まだ、そこまで考えてはいなかったという事か。まあ、嬉しそうに見えるのはいいことだ。
この事で衛宮士郎が被害を被っても、何の問題もない。
無邪気に喜ぶ姿は、その白銀に光る長い髪も相まって、本当に雪の妖精という表現が良く似合っていた。
雪は好きだと言っていた事を思い出し、それが今ない事を少し残念に思った。
しかし、彼女は寒いのは苦手だったか。体が弱い彼女は、故郷では殆ど自室で生活するしかなかった。

――――ドクン

その彼女からしてみれば、聖杯戦争の最中とはいえ、こうやって、外で会話するだけでも楽しい事なのかもしれない。
そう思ったとき、気がつけば俺は、彼女の頭を撫でていた。

「え? アーチャー、どうしたの」

驚いているようだったが、拒絶はされなかった。されるがままになっている。目を閉じたその姿は、日向でまどろむ猫を連想させた。

「綺麗な、髪だな」

そっと呟くように、声を出す。

「うん。私の自慢の髪なの。母さまがくれた、私のたった一つの女らしいところなんだから。父さまだって褒めてくれたんだから。雪みたいな髪だって。だから私、雪は好きなんだ。寒いのは嫌いだけど」

そして目を開けた彼女は、俺の、髪を見て笑みを浮かべた。

「アーチャーの髪も綺麗よ。長くはないけど、銀色で、私とおそろいだね」

「そうだな。おそろいだ」

そう言って俺も笑みを返す。彼女は手を伸ばして俺の髪に触れてくる。俺も彼女も、互いの髪に触れながら、ずっと、向かい合って立っていた。
「立って話すのもなんだし、座らないか?」

それから、幾分時間がたってから、俺は思い出したように、声を出す。

「そうだね。すわろっか」

そう言って彼女は、ベンチの所まであっという間に駆けていった。

「早く、早く」

そう声を上げる彼女は、本当に無邪気に笑う。それに、苦笑しながらもベンチまで歩く。
そのとき、ふと提げている買い物袋の重みを思い出した俺は、あるものに気がついた。

たしか、あの時もこれを彼女に――――

そう思いながら、すでにベンチに座って足をぶらぶらさせていた彼女の隣に座ると、俺はドラ焼きを取り出す。

「一緒に食べないか? 高いものでもないが」

そういって差し出した、ドラ焼きを見た彼女は、目を丸くしてそれを見ている。

「えっと、これ食べ物?」

「ああ。お菓子の類だ。衛宮士郎は甘いものは得意ではないが、これだけは違う。まあ、そういうものだ」

「いいの? 怒られない、アーチャー?」

少し心配げに訊いてくる。それを微笑ましく思いながら

「誰が、私を怒る権利があろうか。私がやりたい事をやって何が悪い。そう思うだろう?」

「うん。リーズリットもセラも、外で遊んじゃ駄目っていつも言うけど。私だって外に行きたいもの」

「だから、いいんだ。遠慮なく食べて欲しい」

「――――ありがとう、アーチャー」

そう言って彼女は両手で持ったドラ焼きを恐る恐る口元に持っていった。
だれしも未知の物を食すときはこのようになるのかもしれない。
それでも、気に入ってくれたのだろう。彼女は二口目からは、まさしく頬張るという表現がぴったりの姿だった。
俺もそれに習って、ドラ焼きを頬張る。セイバーは、その姿から考えれば驚くほどたくさん食べるが、決して口が大きいわけではない。むしろ小さいといってもいいかもしれない。もとの俺に比べたら。

二人の時間は、かつてのように、バーサーカーが起きたからという理由で、別れの挨拶も出来ずに終わってしまった。
それでも、俺は幸せな時間を過ごせたと思う。
こんな姿になった以上、彼女とこんな時間を過ごせるとは思わなかったのだから。そして――――

ありがとうと告げたときの、イリヤの笑う姿は本当に綺麗だったのだから。



[1070] Re[20]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2007/02/03 22:59
屋敷に戻る。


昼休みが終わると同時に学校を離れ、商店街に赴いたのだ。多少、時間を潰したとしても、屋敷の主や凛が帰ってくるにはまだ早い。当然ながら屋敷には人の気配はなかった。
渡されていた鍵で、錠を開ける。戸を開ける音も、どこか物悲しい。
両手に提げていたモノを処理してから、ひたひたと廊下を歩く。
俺の足はなんとなしに、道場へと向かう。この屋敷は、一人で住むにはあまりに広い。
誰もいない道場を見渡しながら思った。かつて、俺が経験した聖杯戦争の際。
セイバーはどんな気持ちで、この屋敷で俺の帰りを待っていたのだろうか。
公園でイリアと話したためか、それともあの男の影響なのか。理由など定かではないが、今はここにいないセイバーの姿を描く。
瞼の奥に映るは、目を閉じ、正座する少女の姿。何故、日本人ではない彼女が、好んで正座をしていたのか。それを考えると、自然に苦笑が漏れる。理由はどうあれ、彼女の姿はひどく清冽だった。それだけで十分な事。
そして、何をするでもなく道場を後にする。
歩く音は、どこか軽い。ひたひた、ひたひたと一定のリズムを刻む。
目指すは土蔵。土を踏むがために、歩む音は自然と変わったが。その足取りは変わらない。
それは庭の隅に立っていた。扉は重厚にして、無骨。入るのを禁じたのは誰だっただろうか。
思い出せぬ記憶に幾分苛立ちを覚えながらも、扉に手をかける。
あの夜、たやすく弾け開いた扉は、今度はゆっくりと、その身を動かした。
冷やりとした空気が、頬を撫でる。真っ直ぐ、中へと進む。外はまだ明るく、開いた扉から光が差し込むといっても、土蔵の中は十分に薄暗かった。有りと有らゆるガラクタが、押し込まれるように置いてある。何故こんな物がという類のものも少なくない。

衛宮士郎の部屋は、殆ど何もない。
だが、この土蔵は、それとは逆に、ガラクタの山・・・・・・。
これが、あの世界を模しているようで、思わず苦笑が漏れる。さて、俺はどうして先ほどから独りで笑ってばかりいるのか。それすらも笑う理由になる。
その笑みを浮かべたままで、俺はあの場所まで歩いた。そして迷わず腰を下ろし、瞼と閉じる。
思い描くは、一瞬。それは一秒とない、静止した時間。俺が何を忘れようと、決して忘れることなく、思い返すだろう姿。
鈴を鳴らすような音と共に舞い降りた彼女。けっして、纏っていたものが美しかったのではなかった。
ただ、無骨なそれを華美にさせる美しさを彼女が持っていただけだ。
あれほど、強かった風も、彼女が作り出した静けさを破ることなく。差し込む月の蒼い光も、彼女の美しさを際立たせる。
碧の瞳は穏やかに、金糸の髪は静かに流れる。そう、あの時振り向いた彼女は―――

「―――問おう。貴方が、私のマスターか」

その言葉をかみ締める。

「召喚に従い参上した。これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。―――ここに、契約は完了した」

忘れる事がないその言葉を、気がつけば口にしていた。
そう、契約は完了したのだ。彼女が俺を主としたように、俺も彼女の力になると、そう誓った。
たとえ、―――――ようとも、俺は彼女の―――

はっと、目を開ける。
どうやら、家主が帰ってきたらしい。
凛はまだのようだが、セイバーとその主の姿が中庭に面した廊下に見える。
まさか、これほどまで近づかれんと気がつかんとは・・・・・・。

「やれやれ」

そう言いながら、立ち上がる。彼女と同じはずの声は、俺の癖のせいか、同じ声には聞こえない。
まさしく、衛宮士郎とアーチャーのそれに似ている。
やけに錆付き、立て付けの悪い扉を閉める。その音で、二人とも、俺に気がついたらしい。
何か話していた彼女達が、俺の方を向いている。
むう。なにやら、セイバーの雰囲気が穏やかではないようだが。なにか小僧が彼女の気に障ることでもやったのだろうか。
二人の下まで、歩いてきたものの。彼女達は黙ってしまっている。俺の言葉を待っているようにも受け取れるが。

ほう、と息を吐いて見上げるように、いや真実二人を見上げた俺は口を開いた。

「ふむ、どうも穏やかではないご様子だが、とりあえずこれだけは言っておこうか。二人とも、おかえり」

「―――は、はい。ただいま帰りました、アーチャー」

「――――――あ。うん。ただいま」

二人とも、少し慌てたように、言葉を返してくる。さて―――。

「まあ、ここで話すのもなんだ、居間にでも行こう。凛がまだのようだがかまうまい」

そう言って、すたすたと屋敷に入って、居間の方角へと進む。
呆然と立ったまま、首だけを動かして俺を見ていた二人は、これもまた慌てたように歩き出した。




「ほら、セイバー。何をカリカリしているのかは知らんが、まずは茶でも飲んで落ち着くがいい」

そう言って俺は、淹れたてのお茶と、先の買い物の土産を二人に差し出した。一応ではあるが、俺の前にも用意する。

「これは、江戸前屋のドラ焼き? どうしてこんなものが」

「なに、事のついでだ。土産と思ってくれればいい」

俺の言葉で、何かに気がついたのか、気まずそうな目で二人が俺を見る。

「まあ、何を考えているかは大体察しが着くが―――、さあ、セイバー。早速食べてくれないか。買ってきた私としても、君の喜ぶ姿が見たくてそうしたのだが。その様な顔をされては、いささか悲しいというものだ」

「そうですね、いただくとしましょう。その前に、アーチャー」

「なんだ、セイバー」

そう畏まられると、こちらも身構えてしまうが・・・・・・。

「ありがとうございます。では―――いただきます」

そう言ってセイバーは微笑んだ。
その時のセイバーに見とれてしまったのは不覚だったが、鈍い衛宮士郎には気がつかれなかったようだ。
神妙そうに俺に礼を言う姿は笑いを誘うものだったのだから。
もっとも、二人から贈られた感謝の言葉が、少し照れくさく感じたのは仕方あるまい。
それほど、その時の俺の有様は、不本意なものであったのだから。



大抵の動揺は、時間さえあればどうにかなる。幸いにして俺のそれも時間が解決してくれるものだった。

「それで、衛宮士郎よ。どうなのだ?」

茶を飲みながら、衛宮士郎に問う。俺の分のドラ焼きは、早々にセイバーに食べてもらった。
最初セイバーは渋ったが、何とか言いくるめた。まあ話す事でもないろう。

「え、どうって、なにが?」

「屋上での事だ。その、一成とか言う生徒の事を調べるのではなかったのか?」

「あ、ああ。大丈夫。一成は無関係だった」

俺は、目の前の男の言だけでは信用できぬと、視線をセイバーへと移す。俺の視線を正しく受け取った彼女も、頷きながら同意した。

「ええ。彼はマスターではないでしょう。それだけは確かです」

つまり、彼女は無関係とは思っていないというわけか。なるほど。確かにキャスターであれば、本人にそれと知らされずに、何か細工をする事も容易いだろう。あれほどの魔術を苦もなく使用できるのだ。その程度のこと、目の前の男が相手でも笑いながらやってのけるに違いない。こいつの対魔力は一般人と大差ないからな・・・・・・。

「では、凛の当ては外れたという事か」

「―――ああ」

衛宮士郎は安堵と、悔しさが入り混じったような顔をしている。友人がマスターでなかった事に胸を撫で下ろそうにも、キャスターを倒す手段が見つからない現状、そうもいかないというところか。
アーチャーの言が正しければキャスターは、それほど非道ではないとの事だが・・・・・・。
目の前の男にとって、許容できる事でもない、か。
仕方ない。

「ふん。それほど悔しいのであれば、さっさと件の鍛錬でもしろ。貴様が、少しでも動けるようになれば、それだけでセイバーの負担は小さくなるのだからな。幸い、今日は凛が夕食を用意するのだろう? 時間はまだたっぷりある」

そう言って、唇を弧を描くように歪める。セイバーとの鍛錬が衛宮士郎にとって、気絶するかしないかといったぎりぎりのものであると知った上での悪意も、混じってないとはいえないが。
それから、真面目な顔に戻って、セイバーに視線を向ける。

「ええ。私もシロウの剣の指導は吝かではありません。シロウがよいのであれば、今すぐにでも」

そう言った彼女は俺に意味ありげな視線を向けた。今朝の件だろうか・・・・・・。その表情の穏やかさは心地よいものだったが。
どうやら、彼女の機嫌を直す事には成功したようだが――――後で理由は二人に訊くとしよう。

「ああ、そうだな。弱い俺ができる事なんて限られてる。なら、今できる事をやるしかないんだな。そんな事にも気がつかないなんて、馬鹿だったよ。ありがとう、アーチャー」

よせばいいものを、頭など下げてくる。所詮今の俺の言葉など、偽善者の都合の良い言い訳に過ぎない。
いや、違うか。俺の言葉は結局の所――――

「アーチャー、どうしたのですか? 顔色が悪いようですが」

「いや、なんでもない。それよりも、もう始めるのか?」

「ええ。貴女が言ったように、時間は有限ですから。限りあるものは有効に使わなければいけません。それに、シロウもやる気になっています」

立ち上がったセイバーは、気遣わしげな視線を俺に向けたが、どうにかごまかせたらしい。
遅れるように立ち上がった、衛宮士郎の方は、セイバーの言葉通りのご様子だ。

「そうか、なら、ここは私が片付けるとしよう」

そう言って、さっさと行けと衛宮士郎に手を振る。

「え―――わ、わかった。行こうセイバー」

「はい、シロウ。それでは、また後で、アーチャー」

居間を後にする二人を見送った俺は、肺腑に溜まった空気を吐き出す。
今の俺の顔など想像したくもない。ひどい顔をしている事だろう。





凛はどうやら、俺に内緒にしておきたい用事だったらしく、訊ねても帰ってくる応えはなかった。
彼女の用意した夕食に、鍛錬を終え、風呂からあがった衛宮士郎は、感動めいた表情を浮かべていたが、凛相手なら、まあ納得できる。
その凛に、感動をぶち壊される言葉を吐かれていたのが滑稽だったが。
セイバーについても問題はない。凛の腕前は、衛宮士郎を上回るほどだ。決してセイバーが“食べにくい”ものなど出てこようはずがない。
その“食べにくい”ものを作る彼女も、程度の差はあれ賑やかなものだ。
――――衛宮士郎ならこう言っただろう。いつも通りの食事だと。


今夜から衛宮士郎の魔術の指導も始めるらしく、凛は俺を使って衛宮士郎を部屋に呼び出した。おそらく凛の用事とやらも、それがらみだとは思うのだが、どうだろうか。
縁側に立って、深い色をした空を見上げる。

「なに、ぼけっとしてんのよ、アーチャー」

その視線の先に、月を隠すようにして、凛の顔が現れた。

「凛か。もう衛宮士郎の方はいいのか。随分と機嫌が悪いようだが」

今日のあいつは、いったい何をしているというのだ。セイバーといい凛といい、皆機嫌が悪くなっている。

「まあね。とりあえず、急造の課題を出してきたから。ああ、衛宮君が悪いってわけじゃないんだけど。せっかく用意したものが無駄になるってのは、ちょっと悔しいかなって思っただけよ」

「ふむ。つまりどういうことなのかね」

「あいつ、スイッチができてた」

なるほど――――それは

「まあいいけどね。宝石も使わずにすんだし。それよりも衛宮君の魔術。あんなに成功率が低いなんて聞いてなかったわ。あの時は一発で成
功させてたくせに」

本命はこっちか。

「まあ、土壇場に強いのだろう。集中し切れてないというわけでもないだろうが。普段は得にへっぽこなのだろうな」

「あ、その表現いいでしょ。ほんとに衛宮君にはへっぽこが似合うわ。本当に、どうやってセイバーを召喚したのかしら。一生分の金運を使っても無理な腕前なのに」

随分と楽しそうな顔をする。だが、

「君が何を言おうと構わんが、セイバーが困っているぞ」

「え? いつのまに」

まあ、その体勢では気がつかないのも仕方あるまい。

「どうしたのだ、セイバー。何か話があるように見えるが」

俺の背から飛び退くように凛が離れると、俺はセイバーの方に向き直った。

「それが、シロウの魔術についてなのですが……」

「あいつの魔術? 強化しか使えないって言ってたけど。それがどうかした?」

セイバーは凛の方に向いて、少し躊躇う様なそぶりを見せた後、こう口にした。

「シロウには強化ではなくて、何か他の魔術があったような気がするのです」

そこには強さはなかったが、確信の響きがあった。それは、投影魔術のことだと思うが。その言い方は少し不自然だ。それはまるで、忘れていたことを思い出すような。

「何、セイバー。衛宮君から聞いたわけ?」

「いえ、そういうわけではないのですが」

本人から聞いたわけではないのなら・・・・・・。

「セイバー。土蔵の中を見たのか?」

「土蔵ですか。確かにあそこで召喚されましたが。中のものまではよくは……。あの時は急を要しましたから」

と、なると。セイバーはあそこに散らばっているアレを見たわけじゃないのか。
なら、何故奴の魔術に気がついたのか。
―――と、凛が疑いの目を向けている。俺はまた中庭のほうに向き直り、足を投げ出すように座ると

「そうだな。知りたければ、凛も土蔵を覗いてみるといい。そこで何を思うかまでは保障できんが」

「ふーん。ということはアーチャーは何か気がついてるってわけね。それも私が機嫌を損ねるくらいの衛宮君の秘密を」

そう言って彼女は、中庭に降りる。その肩が怒って見えるのも幻ではあるまい。
別に衛宮士郎も隠しているわけじゃないのだが。魔術師にとってアレは少しばかり―――。

「セイバーは見なくてもいいのか」

「ええ。貴女が知っているのであれば、問題ないでしょうから。それに、本当に知りたくなったらシロウに訊きますから。そういえば、今日貴女は土蔵にいましたがその時に?」

「いや、そういうわけではないのだが。なんとなく行ってみたくなったとしか・・・・・・」

「そうですか」

そう言って彼女は俺の隣に腰を下ろした。それ以上は訊くつもりはないらしい。
月を見ていた俺を習うように、彼女も空を見上げる。視界の端に扉の開いた土蔵が見える。
さて、凛がどのような反応をするかは未知数だが、穏やかなものでもあるまい。

その時まで―――月を見るふりをして彼女を見ていてもいいではないか。そう、言い訳じみた言葉が、思わず浮かんだ。



[1070] Re[21]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/06/17 15:01


interlude




それは靄がかかって見えない。それは遠い記憶だからなのだろうか。それとも他に理由があるのか。
まあ、これは夢なのだから、そんな事は判りはしない。
でも、覚えがないってことは俺の記憶じゃないんだろう。

―――――■■の■■などというモノは―――――(あれ?)

そいつは、似ていると思っていたらしい。何をと訊かれても俺には答えられない。
でも、それはそいつの勘違い。そう思っていたのはそいつだけ。
似てなどいなかった。そいつが重ねていたヒトは、そいつよりずっと強くて。
逸らせない闇をつき付けられて、死の影を背負わされても、道を曲げないと。

―――――■■は本当に■■たいものこそを―――――(なんだ、これは)

そいつは、その言葉を聞かされたとき、気がついたのだ。
身体は鉛のように重くなり、満足に立っていられなくなる。そんな衝撃を心に受けた。
そいつは、自分が間違っていると気付かされたのだ。

―――――ければ、■■は■■に堕ちるだろう―――――(何かが)

そう、■■■すことはできない。なかった事になどできない。
あの涙も、あの痛みも、あの誓いも。消してしまっては、どこに行ってしまうと言うのだろう。
そう、やり残したことがあるのなら、悔い残すことがあるのなら。
それは、過去に戻って■■■すのではなく未来に築いていくべきだったのだ。

それでも―――――(混ざって)

求めるものなどなかった。欲しいものは全て揃っていたのだから。
ならば、胸を張って立とう。自分は間違っていなかったと。
自分が望んだ行為は、決して顔を伏せるものではなかったと、信じられる。


だからそいつは、今まで望んでいた間違った願いより、■■■が欲しいと言い切ったんだ。
それが彼女の出した答えで、俺はそれを――――(誰の)




interlude out




二月七日




(いいのか、凛)

制服姿の彼女に語りかける。今日は最初から凛についているため、姿を現すわけにもいかない。そのための念話であり、霊体化というわけだ。

(いいって、何が?)

(セイバーのマスターの事だ)

(確かに、土壇場で言われたのは、気に入らないけど。悪くないとは思うわ)

その言葉とは裏腹に、不満気な表情をしている。

(それは、そうだが。どうもな)

衛宮邸から、学校を結ぶ道。そこにセイバーのマスター、衛宮士郎の姿はない。それは昨日も同様だが、遅刻とはいえ学校に来るという体裁はとった。だが、今日は完全に学校をサボるらしい。
それを、出発するぎりぎりになって言うのは、少々問題だと思うが。

校門まで黙ったままだった俺に凛が声をかける。

(何、気にかかる事でもあるの。結界だって完成まで時間があるんだから、衛宮君がいなくても学校は問題ないと思うけど?)

その、結界の忌々しい境界に入りながら言葉を返す。

(結界か。だが、こいつは完成してなくても使えないわけではあるまい。本来の威力よりは下がるだろうがな)

(―――そうね、その事は考えてなかったけど)

結界が発動してしまっては、俺たちにできる事は結界の主、ライダーを倒すだけ。
だが、

(どうも、この聖杯戦争は予想を超えることばかり起こりそうな気がしてな)

昨日、単独で行動させた事は、我ながら失態だったかも、と思える。

(それは、忘れてないわ。消極的過ぎるのは嫌だけど、注意を怠る気もない―――ん? どうしたの)

見えていなくても、俺が見ている先には気がついたのか。凛は正しく俺の視線の先を追った。

(いや、無事だったのだな、彼女は)

昨日は、来てすぐ帰されたから確認できなかったが。

(ああ、綾子の事? 昨日は大事とって休んだみたいだけど。元気だったわよ。何かされたわけでもないみたいだったし)

そう言って凛は手を振る。なるほど、すでに確かめたと。

(まあ、今日もいつも通りってとこかしらね。この作業は、衛宮君がいてもあまり役に立たないし)

(そうか)

じきに授業も始まる。

(では、凛。私は屋上に居るとしよう)

(わかったわ。何かあったら呼ぶから、遅れないで来なさいね)

(善処しよう)

そういって俺は、屋上までの天井を通り抜けた。
屋上の給水タンクに座り、空を見上げる。
この校舎にサーヴァントの気配はない。少なくとも俺には感じられない。
こんな結界を張ったマスターが、サーヴァントなしで学校まで来るだろうか。なんとなく、そんなことを思う。
セイバーなら、もう少し精確な感知が出来たかもしれない。俺はその手の類はあまり得意ではないのだから。
昨夜の凛を思い出す。彼女の苛立ちは、相当のものだった。衛宮士郎の異能、その一端に気がついたことだろう。
おかげで、昨夜は宥めるのが大変だったが。
もっとも、今朝の彼女からは、それは感じられなかった。キレイに畳んでしまい込んだか、何とか消火したのか。
だが、普通の魔術師では、凛のようにはいくまい。彼女は魔術師としては優しすぎるくらいだからな。
む、もう昼か。そろそろ凛が来ても・・・・・・?
昼休みになってだいぶ立つというのに、凛が現れない。穏やかではない様子が、ラインを通して伝わってくるが。さて。
 
―――見つけた。何故か彼女は弓道場の前に居る。どうやら誰かと話しているようだが。後姿では、誰かはわからない。
ただ、我がマスターの顔は見える。あれは良くない。顔は笑っているが、目が笑っていない。
誰かは知らんが、合掌するとしよう。先は見えた。
む、動いた!
踏み込んだ足、腰の入り。そして目標まで一直線に打ち抜いた右拳。文句のつけようがないストレートだ・・・・・・。
哀れな犠牲者は尻餅をついて、凛を見上げている。それを見下ろしていた凛は、やはり冷めた目のまま背を向けて歩き出した。
怒れる大魔神。今の彼女に話しかけられる豪傑は、そうはいまい。
取り残された男の背中が哀愁漂っている。まったく。何を言ったら彼女をあそこまで怒らせる事ができるのか。
そういって視線を空へ戻す。何があったか知らんがそっとしておこう。
それより、あれほどの打撃を素手で行ってしまっては、凛の拳も無事ではないだろう。
後で治療する事も頭に入れておかねばなるまい。

それから十分くらい待っただろうか。凛は、紅茶とサンドイッチを持って、屋上に現れた。もう、昼休みも終わろうという時刻だ。どうやら、まだ興奮冷めやらぬ様子だが。ふむ。
実体化して、彼女に近づくが。

「アーチャーは黙ってて」

どうやら、機先を制されたようだ。そのまま肩をすくませて両手を挙げる。
凛は、少し大雑把にサンドイッチの封を開けると、無言で口に入れる。
いや、何か呟いているようだ。馬鹿とか、最低とか、罵倒の類のようだが。成る程、先ほどの男は慎二というのか。
時間は五時間目に突入し、何とか彼女の機嫌も直ってくれたようだ。

「あれ、アーチャー。あんた何でそんな面白い格好しているのかしら」

「ずっと、この体勢をとっていたのだがね。今気がついたというのなら、それだけ君は周囲が見えていなかったのだろうよ」

そう言って万歳していた手を下ろす。確かにおかしな格好ではあったが、別に誰かに見られているわけではない。
しかし、凛の様子では、彼女の怒りの様は、彼女とすれ違った皆に焼きついてしまっている事だろう。
彼女に物を売った人間の安否が気遣われる。心臓に良くないからな。

「し、仕方ないじゃない。頭にきてたんだから。昨夜の衛宮君のこともあったし」

「そんなに、気になるのか?」

「まあ、気にならないって言えば嘘になるけど」

そう言って彼女はアハハーと笑う。
さて、余計な事を聞いてしまったな。これは黙っていた方が吉か。今更以外でもなんでもないが、りんはドジと。

「で、先ほどの男はなんなのだ。君の怒りはそいつが原因だと思うのだが」

「見てたわけ、アーチャー」

「ああ。君が華麗な右ストレートをお見舞いした事も知っている」

「そう。まあ、殴った事に関しては訊かないで。私的な事だから」

そう言って、溜め息をつく。見られたのが堪えたのだろうか。

「そうか。まあ、安心したよ。魔力は感じられなかったから、マスターではないと思うが。それでも、君を危険な目には合わせられないからな」

そう言うと、凛はきょとんとしたような顔になる。

「ふーん、ありがと。心配してくれて。でもね、確かに慎二は魔術師じゃないけど、魔術師の家系ではあるのよ」

「魔術師の家系?」

ふと、視界の端に校門が入る。俺は、何故だかそこから視線を外せない。

「ええ。慎二の家は、衰退しちゃって魔術師の血脈はなくなっちゃったけど。あいつ、知識だけはあるみたい。だから、聖杯戦争のことも知ってるようなんだけど。さっきのはその話かな。その後の事は言えないけど、アーチャーが見たとおりね」

その校門に見知った顔の男が現れる。今日は来ないはずだが。その姿が校舎に消える。何故、ここに来る必要があった?
先ほどは何も感じなかった、男の後姿が何か引っかかる。
慎二、慎二?―――まさか。霞んでいた記憶の一部が、鮮明になっていく。
つまり、この状況は・・・・・・。

「どうしたのアーチャー、いきなり立ち上がって」

突然立ち上がった俺に、凛が戸惑うように声を掛ける。

「マトウシンジ。そいつが、ライダーの、マスター」

擦れたような響きで言葉が紡がれる。

「嘘、だってあいつは」

「時間がない、凛。確証はないがもう、結界が」

その時、視界の全てが赤に彩られた。っ、この気配は――――

「結界―――!?」

時間がない。躊躇している暇もない。

「凛、結界の基点はわかるか?」

出口に走りながら、訊く。

「3階! そこに基点があるわ」

やはり―――この事態はまずい。

「凛! サーヴァントが2体居る。4階と3階だ」

先刻まで、その影ですら感じられなかったサーヴァントの気配。それが二つ。

「セイバー、じゃないわよね」

「御明察。恐らくはライダーと」

扉を蹴り飛ばす。その下の四回の廊下には。
それを見た凛が答えを口にする。

「ゴーレム・・・・・・」

「キャスターの仕業か」

何故、ここでキャスターが襲ってくるのか。その理由はわからないが。
階段を一息で飛び越え、手の届く全ての骨人形を、叩き壊した。
こいつらは、数は多いが戦闘力はさほどでもない。
階段を下りてきた凛が、教室の惨状に、声を失う。

「凛! まだ誰も死んではいない。まだ間に合う!」

結界がまだ、完全のものではなかった以上、人一人殺すだけでも、まだ時間がかかるはずだ。
そのまま、骨をなぎ払いながら廊下の端、キャスター目がけて進む。

「凛、ここは私に任せて、君は結界の基点のほうへ。 あの馬鹿がセイバーも連れずに来ている。この事態で、あいつが令呪を使わんとも思えんが、このままでは―――ちぃっ」

「衛宮君!?」

言葉も終わらぬままに、窓の割れる音がする。それと同時に凛の声が。その瞬間、俺は長剣を骨の残骸の上に突き立て。
瞬時に投影した黒と白の陰陽剣を放り投げた。2本の中華剣は窓ガラスを破って外へ飛び出す。弧を描いて飛ぶそれは、落ちていく衛宮士郎をあっという間に追い越し。再び上昇する際に、衛宮士郎を引っ掛けた。それは、地面との激突を、一瞬だけ先延ばしにしたに過ぎない。
だが、それだけの時間があれば。
召喚されたセイバーが、そのマスターを大地に叩きつけられる事を防ぐ事ができる。
俺は結果を見届ける事もせず、剣を取ってキャスターへと疾走する。骨など、妨げにもならない。だが、凛の方はそうもいかなかった。
階下からも溢れてきたゴーレムに数で押されて、こちらのほうに後退している。片手に干将を投影して、背後に投擲する。校舎から外に飛び出し、再び校舎に戻って、凛の前の数体のゴーレムを破壊する。教室を経由して戻ってくた干将は、遅れて投擲した莫耶を追うようにそのままキャスターのほうへ向かう。
凛の方は干将が作った隙を突いて、ゴーレムを宝石による魔術で一掃したようだ。
ここまで全てが後手にまわっているが。これ以上事態が悪くなる前に、けりをつける!
俺は長剣を捨て、キャスターの前のゴーレムをあらかた破壊した二刀を手に取る。
そして、キャスターまで後数歩という所まで迫ったところで。

「アーチャー!」

背筋に、得体の知れない悪寒のようなものが走った。それと同時に凛の警告の響きを持った声が廊下に響く。サーヴァントを前にして、躊躇せず振り返る。
この感覚はマズイ。死の危険で言えば、キャスターなどより―――

そうして、俺が振り返った瞬間。俺の後頭部を、正体不明の衝撃が襲った。



[1070] Re[22]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/06/23 12:51


interlude




気がついたときは、すでに事は始まってしまった後だった。
体に走る違和感とともに、建物から飛び出した。自分の主がいない事に確信を持って走る。
その姿を目撃した人間がいたとしても、それは風に見えたのではないか。それほどの速度で彼女は走っていた。
それほどに、自身の迂闊さを恥じていたのだ。
気がついたときには既に、主の運命は死と隣り合わせ。
ふと、その真実疾風と化していた足を止める。急制動であるにもかかわらず、その立ち姿に揺らぎはない。
その行動は令呪の魔力を感じてのものだった。おそらく、今回もまた、呼ばれる事になるのだろう。
その時、考えていたことが不自然なものであったことに、気がつかないままで、彼女は主の元に跳んだ。

空間を越え、銀の甲冑を纏った彼女は、主の下に現れた。
その主からの命令がなくとも、彼女は瞬時に事態を理解した。即ち

「っ、はぁ…・・・」

背中から地面に激突しようとしていた、主の身を受け止める。

「・・・・・・す、まん。助かった、セイバー」

血まみれのまま、彼女の主は腕から離れる。
しかし、それでも主の身体は無事とは言いがたい。身体のいたるところに傷を受けている。特に両腕の傷が酷い。
落下を免れたとはいえ、その身体はすでに限界だ。確かあの時、■■■の身体は骨が――――
それでも、傷ついた、彼女の主は

「セイバー、状況は判るな」

どうにか立っているという様相で言葉を発する。重傷の主と、赤く染まったこの世界を見れば、訊かずとも良い状況でないことは理解できる。
感じるサーヴァントの数は三つ。四階に二つと、三階に一つ、それが感じられた。交戦しているのがアーチャーと敵だとすれば、恐らく彼女の敵は、ただひとりでいる―――

「――――ええ、判ります」

「なら、ライダーを頼む。俺は慎二を叩く」

「――――判りました」

彼女は、主の言葉に一瞬躊躇った。だが、反論しても無駄だという事は知っている。
彼女は頷くと、校舎まで全力で駆け出した。
主が手にしていた、2本の短剣の事に触れずに、彼女は走り出した。



interlude out




「がっ――――!?」

殴られた。これほどまで接近された事に驚いたのであれば、この距離で後頭部を殴られた事も驚きだった。
相手が誰かもわからないまま、躊躇せず一歩後ろに下がる。
それと同時にこめかみに走ってくる拳を視認する。真実、頭蓋を叩き割る力があろうそれは、まさしく素手の拳である。
避けることは不可能と判断。攻撃の軌道を予測できない。
それを跳ね上げた干将で防ぐ。だが、次の瞬間、それは鳩尾へと走り―――

「ぬ――――!」

左手の莫耶でかろうじて阻止する。
敵の拳が魔術で強化されている事を理解する。そして、その時から俺が攻めるという選択肢が失われた。
それは、まさしく拳の雨か。片腕だけといえど、それは俺の両の腕を持っても足りぬ速さ。
閃光のように放たれる拳は、鞭のようにしなり、さらにそこから直角に変動する。
俺が出来るのは、それに双剣を合わせる事だけ。長剣ではこのような戦いは出来なかっただろう。
一体いくつの拳を防いだのか、その毒蛇めいた腕が止まる。
それは、赤い結界が解かれた為なのか―――今まで無言だった目の前の灰人は、ここで初めて声を発した。
発するのはあくまで殺意。そこに敵意は微塵もない。

「――――目が良い。躱さないのはそれでか」

腕の変化を理解しきれていない。躱してもそれが蛇のように噛み付く予感がある。
躱せばそれを喰らう、そんな確信があった。
鷹の目と呼ばれる、自身の目ですら全てを追う事は出来なかったのだから。
男の構えは不動。巌のような立ち姿に歪みはない。
そのあまりの自然さに、戦いの最中であるにも拘らず、僅かな羨望を抱いた。それをかき消すように声を出す。

「――――君が、キャスターのマスターか」

だが、俺の問いを無視して、目の前の男が動き、拳が走る。これが答えか!
弧を描くその線はあくまで外側から、肘を支点に内側へ。干将で跳ね上げられた拳は、その勢いまで利用するように直角に落下する。

「ちぃっ―――!」

鎖骨を砕かんとした神鉄を辛うじて莫耶が防ぐ。
たった二撃。それだけで、俺の身体は流れてしまっている。
それは先程までと、何が違ったのか。一瞬脳裏に過った疑問を後回しにする。
それに歯噛みしながら、その光景に戦慄を覚えた。
男が半身を引いている。ここにきて、大砲か!
そう、今まで使われなかった右腕を目の前の男は放とうとしていた。

「ぬっ―――」

放たれた砲弾は、一直線に俺の首に迫る。これまで剣で受けてきた感触を信じるならば、直撃を喰らえば首が飛ぶのは必至。
回避しようもないそれを俺は、無理やりに下ろした左肘で相殺した。

「ずっ―――!」

それを相殺といっていいのか・・・・・・。
確かに拳は止まった。だが、それを止めた左肘は破壊され、莫耶を握る手に力が入らない。
腕に走る痛みをを頭から消し去り、男へと踏み込む。溜められた奴の一撃は、今までになかった、空白の時間を一瞬作り出している。その空白に、残った右腕で干将を振るおうとして、今だ引き戻されてない男の右腕に気がついた。
その手が握っているのは、砕かれた俺の左肘。それは、俺が干将を振り下ろすよりも早く、俺の身体を宙に持ち上げた。
そして次の瞬間、ぶちぶちと腕の肉が切れていくのを感じながら、俺の身体は背中から、コンクリートという大地に叩きつけられた。

「かはっ―――」

いったいどれほどの力で叩きつけられたのか。
衝撃で息が止まる。潰された左腕は、肘から千切れかかっている。致命傷ではないが、ダメージは深刻だった。息を吸わなければ、動く事もできない。
激痛に身を焼かれ、意識が失いそうになる自分がいれば、冷静に自らの傷を眺めている自分がいる。
そして、“敵”の足元に倒れている俺は、止めを刺すかのように放たれた拳と交差させるかのように、止まったままの呼吸で、右腕を振り上げた。




天馬の疾走によるものだろう、轟音と衝撃が階下を通して走る。
剣を向けた先に、男の痩躯はなく。俺の身体に傷もなかった。
ひび割れた、床に手を着き立ち上がる。
そして、いくらかの空間を置いて立つ、キャスターとその主の姿を視界に納めた。
恐らくはキャスターの魔術によるものだろう。俺が持つどの手段も、逃げを打たれては間に合わぬ距離だ。

「ここまでだ、退くぞキャスター」

どこまでも感情の感じられない、幽鬼の如き声を聞く。

「ええ、――――宗一郎、腕の方は・・・・・・」

キャスターの声は、今まで俺が聞いた事のないような不安げなものだった。
宗一郎と呼ばれた男のスーツの。右腕の袖から方の近くまで、一本の線が走っている。
鋭利な刃で印されたそこから、紅い雫が廊下の浅い亀裂へと流れ落ちていた。
無言で問題ないと頷く男から視線を移し、俺に憎憎しげな視線を送ると、キャスターは紫紺のロープを大きく翻す。
そして音もなく、その主従は姿を消した。




凛が駆け寄ってくる。俺の身体か瞬時に治癒したのは恐らく彼女のおかげだろう。それを証明するかのように、彼女の手の甲に二つあったものが、ひとつに減っていた。

「すまない。君に令呪を使わせるはめになるとは。私もまだまだだな。ありがとう、凛」

「そうね。でも私も貴女が傷を負うまで、気が動転してたの。だがら、謝るのは私の方だわ」

そう言った彼女の顔はどこか冴えない。キャスターのマスターの事もそうだが、結界による惨状に魔術師としての彼女に―――

「そうか。では凛。早々に観察役とやらに連絡を入れてくれると助かる。私はセイバーたちの様子を見てこよう。衛宮士郎がどうしようのない阿呆でも、結界を止めたのは奴だからな」

どうにも、衛宮士郎を褒めるのはどうにも苦手だ。自画自賛に近いもの、ということもあるだろうが。つい視線を虚空へとさまよせてしまう。
その俺の姿を凛はきょとんとした目で見ている。
俺の奴の褒め方が可笑しかったのか、それとも俺の態度にか。ともかく。凛はいつものような笑みを浮かべた。そして、おもむろに両手を上げて自らの両頬を、小気味よく叩く。

「よし、反省終わり! 私は連絡してくるから、衛宮君達をよろしく」

その声の響きに、俺も笑みを浮かべると、俺たちは別々の場所へと足を踏み出した。
その有様は階が一つ違うだけだというのに、まったくの別物だった。
あの疾走を許した場所だ。それは当然ともいえるが。
その破壊されつくした廊下に、気絶した主に肩を貸すセイバーの姿があった。

「なんとか、命は拾ったか」

「ええ。シロウの傷が心配でしたが、どうやら問題ないかと」

そう言ったセイバーは、衛宮士郎を抱えると俺のほうに歩き出した。
――――魔力量の違いか。衛宮士郎の傷の治癒が早い?
気絶してはいるが、目に見える傷はもうない。セイバーがさほど心配してないのもこのせいだろうか。

「とりあえず、下に行こうか。ここに留まってはまずいだろう」

「ええ、それには同意します。その前にアーチャー、これを」

そう言ったセイバーは、一体どこに持っていたのか。対の双剣、干将と莫耶を取り出した。
剣を取り出す際、危うく衛宮士郎を落としてしまう所で俺がそれを止める。甚だ不本意だが――――それはともかく。
セイバーはこれをどこに持っていたんだ? 少なくとも今までどこにも見えなかった。隠す、としたら着衣の下だろうか。
もしや、この服と鎧には何か秘密が・・・・・・。思わず自分の、セイバーとほぼ同じ姿を見てしまう―――。
まあ、とにかく。ここに持ってきたのはセイバーではなく衛宮士郎の仕業だろう。

「ありがとう、セイバー」

俺は感謝の言葉を発して、受け取った剣を消す。生憎とサーヴァントとしての宝具を持たない俺は、普通の宝具の消し方なんぞ知らんが。
まあ、問題あるまい。ふむ――――宝具、か。ん?

「どうした、セイバー。どこか具合でも」

「―――いえ。なんでもありません。行きましょう」

そう言って彼女は歩き出す。俺にはセイバーが、消えた干将莫耶を見ていたような気がしたが。




一階で凛と合流した俺達は、弓道場の方へと向かう。俺やセイバーはもちろんのこと、凛が学校に残っていても都合が悪い。
大河や生徒の容態が気にならぬといえば嘘になるが・・・・・・、そのうち判るだろう。少なくとも命に別状はないはずだ。
直に救急車も来ることだろう。雑木林を抜けてしまえば学校を出るのはたやすい。

「では、キャスターに襲撃されたと」

「ええ。マスターもわかったわ。ちょっと、いや、かなり予想外だったけど」

「それは、どのような意味ででしょうか、凛」

「そうね、いろいろあるけど。キャスターのマスターは葛木先生みたいなんだけど。そこらへんのとこは、どうでもいいか。ただ、あの体術は異常だわ」

そう言って凛は校舎を振り返る。その瞳が何を映しているかまでは読み取れない。

「葛木―――なるほど、確かに彼の者の呼吸は感嘆すべきものでしたが・・・・・・それほどまでに?」

「怪物も怪物よ。不意打ちしたとはいえ、アーチャーを圧倒したんだから。たぶん、何か魔術で強化してたと思うけど。キャスターが私みたいに呆然としてなかったらやばかったわね」

「アーチャーがですか!?」

驚いたように俺をセイバーが見る。俺は頷くと

「ああ、不甲斐ないことだが遅れをとった。セイバー、気を悪くするかもしれんが―――君でも初見では分が悪いかもしれん」

セイバーの戦い方との相性もあるが、たぶん間違ってはいないだろう。
セイバーは侮辱されたとでも言って怒るかとも思ったが。表面上は変化はない――――いや、これは。

「もっとも、近接戦の話だ。遠距離からの、特に魔術や宝具であれば倒すことは難しくない。キャスターのことを考えなければ、だが」

「でしょうね。だけど、相当の距離がないと私じゃ無理だわ。生半可な距離じゃ、すぐに間合いを詰められてジ・エンド。葛木がどこに住んでいるかは知らないけど、キャスターのマスターって事は、十中八九柳洞寺でしょう。先生が何を考えているかわからないけど、恐らくはもう」

「山からは出てこない」

凛の言葉をセイバーが引き継ぐ。

「はあ。せっかく、キャスターのマスターが判ったってのに」

「結局は振り出しに戻る、か。最悪の場合、こちらから攻めるか、もしくは誘い出すしかあるまい」

「それしか手はない、か。それで、ライダーの方はどうだったの? アーチャーは慎二がマスターだって言ってたけど」

「確かに、シロウはライダーのマスターのことをそう呼んでいたと思います。結局、逃がしてしまいましたが」

セイバーは悔しそうな顔をして俯く。その隣で、凛はなんとも形容しがたい目で、俺を見ていた。瞬きをする間もなく、凛の視線が移る。

「まあ、そのことも含めて、そこの眠り姫が起きてから考えましょう。まったく、サーヴァントなしで無茶しちゃって―――」

凛は柔らかい笑みを浮かべると、一人で先に行ってしまう。



それを、セイバーは僅かに笑みを浮かべて、俺は困ったように肩を竦めて追いかけた。





[1070] Re[23]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/06/30 23:22


「アーチャー、少しいいですか?」

セイバーの声に振り返る。予想していたとはいえ、こんなに早く彼女が事を起こすとは思っていなかった。
ほとんど傷も癒えていたが、まだ気を失ったままだった衛宮士郎を介抱して、すぐの事である。

「私はかまわないが・・・・・・。衛宮士郎の事はよいのかね」

「ええ、心配するほどではないようです。さほど時間もかからずに、目を覚ますかもしれません。それに、今は凛が傍にいてくれてますから」

「凛が―――?」

その言葉に、微かな驚きを覚えた。
確かに衛宮士郎など放っておいても、勝手に目を覚ますと思っていたが。わざわざセイバーではなく凛が―――
セイバーの視線に思考を中断する。殺気など含まれてなどいないはずなのに、背筋を冷たい汗が流れたような気がした。

「すまん。―――ここでは出来ない話なのか?」

セイバーは頷くと

「ついてきてください」

と言って歩き出す。その言葉には、確かに王としての響き、重きがあった。使いどころを間違っている気もするが。
俺はばれないように溜め息を吐くと、セイバーの後を追う。彼女の行く先はおそらく―――
間違いであって欲しいが・・・・・・。儚い望みだろうか。




予想は違わず、セイバーは道場に足を踏み入れた。その姿は肩を怒らせている様に、見えなくもない。
やはり、怒っているのだろうか。
セイバーのすぐ後ろを歩いていた俺は、道場の中ほどで足を止め、セイバーの後姿を眺めている。
歩む足は、実際には音をたてていない。しかし、彼女が歩を進めれば進めるほど、怪獣のような音をたてている気になってくる。この場合、竜だろうか?
彼女は竹刀を手にすると、それを持って俺の数歩先まで戻ってきた。

「アーチャー、先ほどの言葉を覚えていますか?」

竹刀を右手に持ったセイバーが訊ねてくる。

「そのような、曖昧な問いかけでは答えられんな」

おそらくは、というものは脳裏に浮かんだが口にはしない。

「そうですか。まあ、たいしたことではありませんからいいでしょう。私にも忘れていたほうが良いものという事が、稀にありますから」

やはり、相当に怒っているようだ。雑木林での俺の言葉は、そんなに気に障っただろうか。
直接的な表現がいただけなかったのか。しかし、回りくどい言い方をしても結果は同じだったかもしれない。

「では行きますよ、アーチャー」

セイバーが竹刀を正眼に構える。―――まさか、ここまで直接的な方法をとってくるとは。

「まて、セイバー。話をしにきたんじゃ―――」

「私は、少しいいですか、としか言ってませんっ!」

俺の言葉を遮って、音もなく踏み込んだセイバーが竹刀を振るう。
躊躇なく脳天を狙ってきた一撃を、とっさに足首を返して後ろへ跳んで避けた。
確かにセイバーは話がしたいとは言ってなかったが。

「ちっ―――」

どうやら、余計なことを考える暇は与えてくれないようだ。
空振りなど何の問題もないかのように、セイバーはすぐさま俺に突進してくる。
地を這うようにして俺との間合いを詰めた彼女は突進の勢いのまま竹刀を振るった。

「セイバー、少し、落ち着いてはくれないのか?」

「貴女が、おとなしく竹刀をうければ考えてあげましょう!」

「それは、無理な相談というものだ!」

あまりの展開に頭痛を覚えながらも、嵐のように襲い掛かる竹刀を何とか避ける。
最初はセイバーも手加減してくれていたらしい、が。どうやら俺があまりに避けるがためか、それが疎かになってきた。
正直、これ以上避けるのは難しいかもしれない。最早竹刀が、視認できないほど早く―――

「アーチャー、どうやらこれまでのようですね」

道場の隅に追い詰められた俺に、竹刀を向けたセイバーが、実にスバラシイ笑顔で死刑宣告を告げる。
その笑顔は常の仏頂面からは考えられないほど輝かしいものだ。状況が状況でなければ。
避ける、というより逃げるので精一杯だった俺はいまだ丸腰のままだ。
彼女の狙いが俺の頭なのか、ほとんどの竹刀は俺の脳天を定めたものだった。そして、追い詰められたこの場所なら―――

「では、アーチャー。覚悟してください」

ええい、ままよ―――!
そう心の中で叫んだ俺は、セイバーが踏み込むより一瞬早く道場の床を蹴った。

「あ―――」

俺に僅か遅れて、セイバーが動くが、それは予想どうりに正面から頭頂を狙ったもの。開始してしまった動作はそう簡単には変えられない。
低い姿勢からセイバーに突進した俺は、その身に竹刀が触れる直前にセイバーの腰に抱きつき。
勢いのまま押し倒した。

「ア、アーチャー?」

頭の上の方で、セイバーの当惑したような声が聞こえる。
肉体的に疲労などほとんどないはずなのに、自分の心臓の鼓動がやけにうるさい。

「―――もう、気はすんだか?」

二人とも倒れたまま、俺はセイバーに抱きついたままで、訊ねた。声が意図せず、蚊の鳴いたような小さなものになる。
セイバーのほうを見ずに、道場の出口を見ていた俺は、頬が紅くなるのを感じた。

「そう、ですね。貴女に一撃与える事ばかり考えていましたが。どうでもいいことでした」

その声は、俺が動揺しているのとは裏腹に、落ち着いたものだ。いつものセイバーの声だった。
だが、その声が俺の心を、少しずつ落ち着いたものにさせる。

そして、セイバーから離れようとして―――

「アーチャー、もう少しこのままでいてくれませんか?」

などと、セイバーは言った。
正直、真っ当な状態ではないと思う。仰向けに倒れたセイバーに覆い被さるようにして、腰に手を回した俺が抱きついているのだ。自分でやった事とはいえ、あまり感心できる体勢ではない。いくらセイバーの頼みと言えど。

「話を聞いてもらいたいのです」

その言葉は、魔法のように俺の抵抗の意思を奪った。動きを止めた俺を、肯定の意と認めたのか。

「醜態を見せてしまい申しわけありません。それに、貴女にいらぬ誤解をさせてしまったようです。貴女の言葉を侮辱と感じたわけではありません。合理的な考え方をする貴女なら、あの言葉も間違っているとは思いませんから。第一、貴女は私が負けるとは一言も言っていない。それに怒りを覚える理由などありはしない。不満がなかったといえば、嘘になりますが」

静かに、セイバーが言葉を紡ぐ。確かに俺は、単純にあの言葉がセイバーを怒らせていると思っていたのだが。
逆に気遣われるとは。

「うまく、言葉にはできないのですが・・・・・・。貴女といるとどこか心地よい気分になる。それと同時に―――どこか、胸を突き刺すような、その何か、痛みを感じるのです。もちろん、僅かなものですが」

「その、何か得体のしれんモノが俺を襲うきっかけになったと?」

「いえ、違います。本当は、貴女に怒りを感じていたのではなくて」

セイバーが少し言い淀む。

「つまり、衛宮士郎に対して不満があったわけか」

「―――ええ。それと自分にもですが」

「つまり、さっきのはただの八つ当たり、か?」

そう言いながらも、不思議と呆れた気持ちは湧いてこなかった。

「そう、かもしれません。一人で死地に向かってしまったシロウ。それに気がつかなかった自分自身に我慢できなくて。最初は、本当に貴女と話がしたかっただけだったのですが」

顔は見えないがセイバーが笑っている気がする。自分の鼓動と、彼女の体温を感じながら思った。

「そうか。そういうときもあるだろう。私でよければ気晴らしくらいなら―――つきあってもいい」

そう言って俺も笑った。顔を合わせないままで。




それからしばらくして、俺たちは立ち上がった。
時間にして数分くらいだろうが、あれから衛宮士郎に対しての、不満のようなものをセイバーから延々と聞かされた。
まったく衛宮士郎は、と頭を抱えたくなるが―――俺の知らない所でセイバーに迷惑を掛けていたのか? あいつは。

時刻は三時を過ぎようというところ。あの結界が発動してから二時間ほど、というところだ。
ふと気になって、廊下で足を止め、セイバーに向き直る。

「そういえば、セイバー。君は昼はもう食べたのかね?」

そう、俺が言った瞬間、セイバーの表情は、圧倒的な無念、それと渇望の表情を見せていた。
まるで、取り返しのつかないことをしてしまったかのように。

「いえ、シロウは食事を作ると言って、そのまま――――」

そのままライダーの下に行ったというわけか。ふむ。

「そうだな、軽いもので良ければ、私が何か用意しようか」

「是非とも」

即答だった。その速さはあの有名な髭のおじ様よりも速かったに違いあるまい。
セイバーは目を輝かせて、心なしかこちらに近づいている。

「そうか。では居間に向かうとするか」

セイバーは無言で頷く。
それからは、居間に向かう道で俺が早足になってしまったのも仕方あるまい。




「あれ、二人してどうしたわけ? 衛宮君ならまだ目は覚めてないわよ」

衛宮士郎を看ていた、と言ってもテーブルに両肘をついて眺めているだけだが、凛が不思議そうな目でこちらを見ている。

「いや、何か簡単なものでも作ろうかと」

「ふ~ん。そういえば今日は衛宮君が当番だっけ」

凛の目がセイバーのほうに行ってしまうのも仕方あるまい。

「その時までにそいつの目が覚めないのなら、私が用意してもかまわないが」

凛は俺を凝視すると、どこか諦めたように溜め息を吐いた。

「まあ、いっか。いまさら貴女にサーヴァントらしくないなんて言ってもどうしようもないし」

たしかに、家事をするギルガメッシュやバーサーカーなど想像すらできん。だが。

「どうかな、私だけがこんな事をしているとは限らないぞ」

そう言いながら冷蔵庫へ向かう。
奴――――アーチャーや、ランサー等が忙しく家事をする光景など、なかなかに滑稽な見世物だと思うのだが。む。

「どうしました、アーチャー」

何故か冷蔵庫の前までついてきたセイバーが覗き込みながら訊ねる。

「なるほど。そういうことですか。まさか、兵糧が尽きていたとは」

そう。冷蔵庫の中には見事に何もない。昨日気がつかなかった俺が迂闊だった。

「―――すまん。セイバー。これでは、夕食の分の食材も必要だろう。期待させておいて」

「いえ、かまいません。私はそこの果実でもいただきますから。気に病まないでください。決して貴女の責任ではないのですから」

そう言った衛宮士郎に向けられた視線は、忘れられそうにない。みかんがそれを亡き者にしてくれると助かるのだが。まあ、とりあえず。

「凛、そういうわけだから、私は少し出かけてくる」

もちろん買出しにだが。

「―――いいけど。お金はどうするのよ」

クッ、凛ともあろうものが愚問を。

「問題ない」

そう言って俺はあるものを凛に見せて笑った。

「アーチャー。貴女って思ったよりずっと抜け目ないのね」

そう言った凛はどこか挙動不審だ。

「安心しろ。凛は私のマスターだぞ。手などつけんさ。第一私に金が必要な事態がそうあるとは思えんが」

そう俺が言うと、凛はどこか納得したような、それでもまだ疑うような顔をしている。その双眸には普段の彼女からは珍しく、雑多で複雑な感情が秘められていた。そこにある感情を読み取ることはできず、その瞳に、何か感嘆のようなものを覚えながら、俺は居間を後にした。




おやつ、と言うには時間は過ぎてしまっているが、お茶請けの入った袋を提げる。そういえば、昨日は多めに買っておいたはずだが、きれいさっぱりなくなっていた。明日も買出しが必要か。そんな事を頭の片隅で思う。
必要なものを概ね買い終えた以上、後はおとなしく帰るだけだが。
その思考に反して、俺の足は屋敷への最短の道ではなく、少し遠回りの道を選んでいた。

なんとなく、似たような事をした覚えがあるものの、確証はない。
第一、時刻が違う。おぼろげに残っているアレと、今回はもはや別の道を進んでいる事は間違いない。
そして、彼女がこんな時間までいる理由など。そんな事を考えながらも、俺の向かう先が変わらないのは、昨日のあの笑顔が、脳裏に焼きついてしまったからだろうか。幾分躊躇を覚えながらも、俺はその一歩を踏み出した。

―――いた。一体どれだけの時間、ここにいたのかはわからない。彼女が何のためにいるのかも、誰のためにいるのかもだ。
だが、確かに存在する。どこかつまらなそうにも見える、その少女に、俺は声を掛けた。

「イリヤ」

「誰!」

弾けるように、少女はこちらの方に振り返る。
その声は、警戒の響きを含んでいた。だが、その瞳が警戒の色を映していたのは僅かな間だった。

「なんだ、アーチャーか」

がっかりしたような、楽しそうな声で少女は発する。そして、そのままゆっくりと近づいてきた。
木偶の坊のように立ったままの俺を、少女は面白そうに眺める。
それを俺は黙って甘受した後、少女は口を開いた。

「まあ、いいわ。おにいちゃんが良かったんだけど。光栄に思いなさい、アーチャー。今日も貴女で我慢してあげるわ」

「ありがたき幸せに存じます、姫」

俺も調子に乗って少女に傅く。凛相手では、冗談でもこのようなことはすまい。

「ふふ、姫か。やっぱりおにいちゃんが良かったかな。アーチャーは女の子だしね」

元々俺も男なのだが―――少女に女の子といわれるのはひどく堪える。
もっとも、少女の笑顔でそんなものは消し飛ぶが。

「今日は私で我慢してくれ」

その俺の言葉に、少女はむくれた様な顔をする。

「むー。駄目よ。アーチャー。そんな言葉遣いじゃ立派なレディーにはなれないわ」

俺は思わず困ったような顔をしてしまう。いや、実際困っているわけだが・・・・・・。

「ふふふ。ありがとう、アーチャー」

ふと、目の前の少女が、言葉を漏らす。
何が、とは訊かなかった。そんなものはすぐにわかったから。

「どういたしまして。今日は話はしないのか」

「うん。会えたらいいなって思っただけだから。もう帰らないと。今度会うときは殺し合いかもしれないね」

「―――そうだな。殺し合い、か」

不意に零れたその言葉に、少女が俺を少しは認めてくれていることが伺える。笑みを湛える少女。だが、その言葉はあまりに―――

「どうしたのアーチャー」

「え?」

気がつけば、少女は俺を見上げている。その瞳は不思議そうに、俺を見つめている。

「なんで―――ううん、なんでもない。じゃあね、アーチャー」

そう言って、少女は踵を返す。その姿が公園から消えても俺は動く事がなかった。


去っていくイリヤを俺は、ただ見ていることしか―――出来なかった。




[1070] Re[24]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/07/06 22:37


「お帰りなさい、アーチャー。随分遅かったじゃない」

ずっと居間にいたのか、屋敷を出たときとほとんど変わらぬ姿で、凛が声を掛けてきた。時計の針は五時を指す前、というところか。

「ただいま。少々遠回りをしてしまってね」

そう言って、凛から視線を衛宮士郎に移す。まだ、目は覚めぬか・・・・・・。

「ふーん」

凛は、気の抜けたような声を出すと、興味を失ったのかそれ以上追求してこない。

「それで、何か連絡はあったのか?」

冷蔵庫へと向かいながら凛に問いかける。凛は、俺が何を訊いたのか、瞬時に理解したのだろう。間断なく答える。

「皆、大事はないそうよ。結界の基点の生徒は、二三日入院が必要らしいけど。校舎の破損とかのフォローも問題ないわ。藤村先生も元気だったし。ただ、今日は来れないみたいだけど」

「そうか」

そう言って頷くだけに止める。凛は大事無いと言ったが、あの状況では、基点にいた生徒の後遺症が残る可能性がある。
結界の展開していた時間を、正確には計れないが、決して短いものではなかったはずだ。
それでも、大河が無事と言う事は―――俺の時より結界を発動させた日が早かったせいか? 確かに感じる圧力は、前のときより随分弱いものだったが。
まあ、大河は底なしの体力の持ち主だし、案外明日の朝にはいつものように食卓に現れるかもしれん。
もっとも、あれほど校舎が破壊されては、学校そのものは、休みになるだろうが。

「それで、セイバーは何処へ? やはり道場か?」

「そうでしょうね。瞑想でもしてるんじゃないかしら。彼女、平静を装ってるけど、やっぱり心配なのよ。衛宮君が。アーチャーも心当たりあるんじゃない?」

凛はみかんの箱を横目で視界に入れ、そこから衛宮士郎に戻す。
成る程・・・・・・。これほど減っているとは。
先の道場でのセイバーの行動も、凛の予想と相違ないだろう。衛宮士郎の事から、気が乱れたと言う事か。
この時間になっても、衛宮士郎が目を覚ます気配はない。それは、俺の判断は間違っていた、と言う事に他ならないのではないか。つまり、確かに外見上は治癒しているように見えるが・・・・・・。

「それだけ、というわけか」

「何か、言った? アーチャー」

小さく呟いた俺に、凛が訝しむような声を出す。

「いや、この小僧の事だ。目を覚ませば、今日はともかくとして―――。明日になれば、すぐにでもライダーを追うだろう、と」

「確かに、衛宮君ならやりかねないわね」

凛は衛宮士郎を凝視した後、諦めるように言った。

「だが、この様子では明日までに全快はすまい。こいつがライダー探索を止める事は出来ずとも―――。せめて日の出ているうちは、とは思うのだが」

今から丸一日あれば、さすがに身体の中身の方も何とかなるだろう。鞘の力は疑うべくもない。それだけの力がある。

「―――何とかなるんじゃない? 本当の事を言えば」

疑問が顔に出ていたのだろう。凛はそのまま言葉を続ける。

「そのままじゃ、足手まといだって。体調が悪いくせにそんなことをすれば、狙われるのは当然だってはっきり言ったらどうかしら」

自分の事など勘定に入ってないこいつの事だ。深く考えずに、自分よりも倒す事が重要などと言い出しかねんが。
衛宮士郎と言う人間の歪み。凛は気がついてないのかもしれない。どちらかといえば、俺のほうがそれを見てきた感がある。
間違いなく、こいつは衛宮士郎だ。自分で言うのは滑稽だが、柳洞寺での事がそれを際立たせる。
まさか、マスター、それももう一人の自分とでも言うべき者にに庇われる日がこようとは。憤りを感じないわけがない。―――アルトリアも、俺と同じように思ったのだろうか・・・・・・。

「どうだろうな。まあ、考えても仕方ないものかもしれん」

その呟きは、凛に対する答えと、アルトリアに対する思いが重なったものだったかもしれない。
衛宮士郎の歪さ。それは俺にとっても同じことだ。ただ、ひたすらに理想を追い続けた。
瞼の奥に映るのは、雪のような少女か。
―――そのために何を捨ててきた? そのために目の前のこいつは何を捨てる?

「っ―――」

姿見に自分の姿が映った。何を愚かな。自分が省みなかった全てを再び目にして、今何を思った?
かつて自分が否定したものを―――願う。
何を犠牲にしても譲れぬもの、それが自分の理想だったはずだ。何より、その象徴として、彼女の姿があった。
何よりも尊い幻想として、追い続けたのではないか。
ならば、どうしてかつての自分を否定できよう。

たとえ、この身が地獄に堕ちようとも、それだけは譲れぬはずだ。
今まで、振り返ることなく突き進んでしまった俺が、残してしまったもののためにも。

思考が短絡化し、そのまま迷走しようとしていたらしい。
まったく―――

「あら、考え事は終わりかしら、アーチャー」

「む、顔に出ていたか?」

凛の声に、内心の動揺を畳み、そう答えると、凛の顔が意地悪そうに歪む。

「ええ、それはもう。こっちが心配になるくらい悲壮な顔してたわよ。帰ってきたときからね。ま、なんとか落ち着いたみたいで安心したけど」

その時の俺は、とんでもなくいやそうな顔をしていたのだろう。凛の笑みから大体判る。
俺は少し乱暴に、掛けてあるエプロンを取ると、台所へと足早に向かう。戦略的には必要な行動だ。

「美味い料理でも、作らねば、割に合わん」

「もしかして、アーチャー照れてるわけ?」

ここで、声を出してしまえば負けな気がする。こんな所で敗北するわけにはいかない。そもそも、凛からこんな事を言われるのもすべて、そこ
の衛宮士郎のせいではないのか? 俺は衛宮士郎に精一杯の憎しみを視線に籠め、凛から見えないように、包丁を取り出した。




「そろそろ、セイバーを呼んできてくれないか?」

最後の料理をテーブルに運びながら、凛に声を掛ける。
今日はほとんど何もしてないのだ。これくらい頼んでも罰は当たるまい。

「別にかまわないけど、その間衛宮君を―――」

「やはり私が行こう。君はここにいたまえ」

凛の声を遮って、廊下へと向かう。何が悲しくて、衛宮士郎と。僅かな時間といえど虫唾が走る。

「そうさせてもらうわ」

そうして部屋を出た俺の背に、勝ち誇ったような凛の声が聞こえた。
どうにも調子が悪い。凛にやられてばかりいる。




「セイバー、食事の用意が出来た」

簡潔に伝える。静謐な道場で、目を閉じ瞑想するセイバーに、余計な言葉を掛けたくはなかったが。
―――食事は大事だからな・・・・・・。

「わかりました」

そう言って、目を開いたセイバーは、立ち上がる。

「それで、シロウはまだ・・・・・・」

「生憎と、まだ目は覚めてはいないな」

「そうですか。それでは――――シロウ、目が覚めたのですか!?」

僅かに細められていた目が、俺の背後に向けられ、大きく見開かれた。
どうやら、凛曰く、眠り姫とやらが意識を取り戻したか。何故、こうも都合よく、目を覚ますのやら。




すでに、眠りが浅かったのか。それとも、料理が刺激を与えたのか。どちらにせよ、衛宮士郎の目は覚めた事は事実だ。
俺が残っていれば、何かと説明しなければならなかっただろう。それを思うとぞっとしない。
結局は、早いお目覚めだったと言う事か・・・・・・。
そんな益体のないことを考えながら、目の前の二人を眺めている。
何処に隠していたのかと言っていいほど、セイバーは衛宮士郎に怒りをぶつけている。
それは心配していた事の裏返しである以上、甘んじて衛宮士郎は受けなければならない。まあ、奴の行動そのものが、苦言に値するものなのだが、そんなことはいまさらだ。
セイバーは「貴方のした事は紛れもない愚行だ」「私を追い詰めて楽しいのか」「何故、令呪をもっと早く使わないのか。二度も命を拾ったのは、幸運以外の何者でもない」等と、その口は留まる事を知らない。
二度と言うのは、柳洞寺の事から数えての事だろうか。
しかし、俺の記憶と違和感があるのは、やはりセイバーの心配が俺の知るものとは別だったからだろうか。
間違いなくセイバーは、衛宮士郎が助かる事を確信していた。満身創痍の姿を見たにも関わらず。
彼女の心配は、ひどい傷を負ったことと、それ故に中々目覚めない事を憂いたものに思える。それでも、多大な心配を掛けていたわけであるが。

「何? 妬いてるわけ、アーチャー」

思考が中断される。どうやら、結局凛も来たらしい。セイバーも衛宮士郎も忙しいらしく、凛の登場には気がついてない。

「馬鹿な、私が何を妬くと言うのだ。それこそ馬鹿馬鹿しい」

「まあ、あんたはそう思うかもね。でも、傍から見るとそう見えちゃうのよ、これが」

「――――気のせいだろう」

その声は力あるものではなかった。この体に成って―――今までにも、どんな顔をしているか把握できてないと思える指摘が多くあった。凛の指摘に反論できる材料がない。

「そういうことにしといてあげるわ」

私を追い抜きながらそう言った凛は、そのままセイバー等のもとへと歩いていく。
セイバーには悪いが、その状況は中断される事になるだろう。正直、ほっとしたのは事実だが・・・・・・。それこそ凛の指摘を裏付ける思考なのかもしれない。




まずは食事を、という凛の言葉でその場は片付けられた。
なるほど、そうでした。食事は大事だと、セイバーの同意を得、衛宮士郎もそれに倣う形となる。
たしかに、調理したものとしては、暖かいうちに食べてもらえると嬉しいが。
それが、顔に出ていたのだろう。またしても食事の際、からかわれてしまった。
セイバーは食への真剣さから、衛宮士郎はその妙な鈍さから、知られる事にはならなかったが。
この状況は忌々しき事態だと認識せざるを得まい。
満足そうに食べてくれるセイバーの姿は、頬を緩めるに値するものだが・・・・・・。その対価が―――。


「葛木先生がキャスターのマスターだったのか!?」

衛宮士郎が驚きの声を上げるのが聞こえる。夕食の片付けも大方終ろうというところだった。
セイバーと凛が、問答無用で、休ませようとしたのだが、何とか無理を言って、ここに留ませる事に成功した。
衛宮士郎の意識が戻ったと言っても、体の中は治っているとは言いがたい。
セイバーたちが無理をさせたくないと思うのは当然のことだろう。
だが、衛宮士郎はせめて今日の顛末を、俺は別の思惑から、不本意ながらも共同戦線を張る事となった。
強敵ではあったが、結果的には勝利と言う事で、この状況が成立したわけだが・・・・・・。
皿を水で濯ぎながら、横目でセイバーを盗み見る。彼女はもっと強引に押し切るかと思ったが。予想に反して、彼女はあっさりと引き下がった。その事が勝機につながったのだが。
セイバーの隣に衛宮士郎。卓をはさんで凛が座っている。どれだけ効果があるかは、伺い知る事はできんが、多少は早くなろう。

「葛木先生は、キャスターのしている事を知っているのか?」

その問いに、凛は答えず俺のほうを向いたのだろう。視線がひとつ、ふたつみっつと背中に感じられた。

「どうだろうな。ただ、キャスターのマスターは、傀儡と言うわけではあるまい。あの男は確かに自分と言うものを持っていた」

もっとも、あの死人のような目では、操られていなくても、キャスターの言い成りという可能性はある。

「キャスターは、自分の悪事を、マスターに隠しているかもしれないのか」

「その可能性は高いかもしれん。キャスターは、本当にマスターの身を案じていたようだからな」

脳裏に浮かぶは手傷を負った痩身の男に掛けられた、キャスターの声か。表情はフードに隠れ、知る事は叶わなかったが。
あの言葉には確かに情と、そして安堵が感じられた。
英霊といっても、知られたくない事は多少なりとも存在しよう。
そのまま、会話には加わらず、目の前のものに集中しなおす。否、集中しようとした、か。

「とにかく、正体を知られた以上、葛木先生は下には降りてこないでしょうね」

「ってことは、葛木先生は柳洞寺に住んでるのか?」

「まあね、調べればすぐにわかったわ」

名簿でも失敬したのかもしれんな。あの惨事だ。その程度のこと、凛なら苦もなく可能だろう。

「とにかく、今はキャスターには手を出せない。監視は怠らないつもりだけど。もしかしたら、バーサーカーの方がやりやすいかもしれないわ」

凛の言葉に返される言葉はなかった。俺が食器を洗う音が、変わらずに響く。
その止まりかけた時間を、衛宮士郎の言葉が破った。

「―――俺は、明日にでもライダーを追おうと思う」

「―――止めないけど、勝算はあるんでしょうね」

「ライダー自身は、それほど強力なサーヴァントじゃないと思う。だけど、最後のアレは―――」

凛の言葉に、一瞬考え込むような気配が生まれるが、その答えに淀みはない。どうやら、考えなしというわけじゃなさそうだ。
ライダーは、セイバーと比べれば劣るサーヴァントなのは間違いない。
だが、それが全てではないことも確かだ。かつてのように空中戦を仕掛けられては、たとえセイバーといえども、後手に回るのは必至。
ならば、その先にあるのは宝具の発動、ということになるが。
再度セイバーの姿を視界に入れる。現界出来ず消える、事はないだろう。されど、かなり枯渇することに変わりあるまい。
多少、魔力が供給されたとしても、もともとの器が強大。宝具の発動にも多大な魔力が必要となれば、結局は一発限りになるはずだ。
生前は、そのような縛りはなかったようだが。
凛も言うように、宝具を使われる前に、倒すことが肝要だが。ふむ―――

最後の食器を立て掛ける。どうやら、会議、のようなものは俺の片づけが終わるまで、という了解があったらしい。
エプロンをはずした、俺が向かうころにはもう、話しは終わっていた。

衛宮士郎は明日になれば、探索に繰り出す。これに変わりはない。
ならば、その先もさほど変わらずに進むかもしれない。ならば俺は。



衛宮士郎に向けて再開された、セイバーの小言を耳にしながら、俺は今夜、やるべきことを決めた。




[1070] Re[25]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/07/09 19:38


interlude


だからそれは、そいつが自分のために思った事。他人のためではなく、自分のために欲した事。
そいつが、そいつ自身の望みを持つ事を、誰よりも望んだ者が。そいつにその思いを抱かせた。
それが許される事ではないとしても、その思いは確かにあった。
自らの人生に悔いはなく、誰にも理解されずとも、受け入れらることなくとも。
そいつは、自分の歩みを、誇れるものだと気づいた。
気づいたが故に、過ちに決別を。長い夢から覚める事を受け入れた。
それでも、残り僅かな時間を。別れのときまでの出会いを。誇ることが出来る。
それはそいつが、一度も振り返らずに進んだ末に、得る事ができた奇跡だったのだから。


だからこそ、それは似ている。
一度も振り返らなかった、そいつの歩みも。
誰にも理解されず、受け入れられることなくとも。
伸ばされた手は、一つつかむ度に、失うものは多く。何時しか、外側だけを硬く覆っていた。
それでも、そこに後悔はない。
その先に、ただ独り、たどりついた剣の丘で、力尽きた。

そいつに、そいつ自身のための望みを持つ事を。望んだものこそ、最後まで。
最後の最後になるまで、自分のための望みを持つ事がなかったのだから。


泡のようなものだ。壊れやすく、脆く、今にでも消えそうな。
それでも、それは―――



目を開けた。
深く吸い込んだ息を、ゆっくりと吐き出す。二月の、冷たい朝の空気は、ゆるやかに眠気と、他の何かを削り落とす。
ひどく、曖昧だった夢は、それだけで失われていった。
どうやら、体は思ったより睡眠を欲していたらしい。昨日の午後を、ほとんどそれに費やしたと言うのに、時刻はすでに七時を指そうかとして
いる。所謂、寝坊と言う奴だ。
短く息を吐き、布団を上げる。その際、僅かに左腕が違和感を告げた。
だが、それだけ。昨日、あれだけの怪我を負ったというのに、それはほとんど感じられない。骨も軋む事はなかった。昨夜に比べれば全快と言っても差し支えないほど。
柳洞寺のときも、今回も、誰かが治療したわけではなく、俺の体が勝手に治癒してしまったらしい。
遠坂は、回復だけなら超がつくほどの能力と言っていた。セイバーと契約したための恩恵ではないかとも。
それでも、さすがに昨日は、遠坂もセイバーも、俺を強引に休ませようとした。事実、昨夜の時点では、正直体の中身が悲鳴を上げていたのは確かだ。それでも昨日は、せめて経過だけでもと、二人に頼み込んだわけだが。
何故、アーチャーは俺を援護してくれたのだろうか。


――――まだ、寝ぼけてたのか。
そんなことより、やらなきゃいけないことがあると言うのに。何を調子に乗って。
両頬を叩き気合を入れて、部屋を出る。
空っぽのように何も考えないつもりで歩を進めるが、居間に近づくにつれて、ある事を考えてしまう。
寝坊してしまった以上、早く朝飯を作らなければ。遠坂は朝は普段取らないらしいし。悪いけどセイバーが料理できるとは思えない。食事がなければ二匹の―――


まさか、そろって朝食を食べていたとは思わず、意思に反して思考が止まる。居間の戸を開けた状態で。
それでも、俺が居間にやってきた事実は変わらないわけで。目の前の俺に背を向けて食事していた人物が振り返った。

「おはようございます、シロウ。どうやらだいぶ良くなったようですね」

つまり、食事中だというのにセイバーが声を掛けてきたわけだ。自分の食事を中断して。それに何故か、僅かな感動を覚える。

「あ、おはよう衛宮君。先にいただいてるわよ、朝ごはん」

「うんうん。よかったよかった。元気そうじゃない、士郎。寝坊なんて珍しいから心配しちゃったよ」

続けて、遠坂、藤ねえの順で声を掛けてくる。
セイバーに匹敵する速さで、食する藤ねえの元気さには安堵以上に、さすがは野生。と言う思いが浮かばずにはいられない。
しかし―――このメニューは・・・・・・。

「何を呆けてるのか判らないでもないけど、とりあえず、座ったら? 朝ごはん、食べるんでしょう?」

案山子のように、その光景を見入っていた俺を、遠坂が苦笑しつつも、現実に引き戻す。
よく見れば、遠坂は一心不乱で食事する二人と違い、紅茶を飲んでいるだけだ。

「ああ」

とにかく、遠坂に頷いてふらふらと席に着く。
いつもと変わらぬ、それは少々語弊があるかもしれないがその姿に。
少しだけ張り詰めたものが緩み、柔らかな気持ちを覚えた。




「えっと、それで朝食はやっぱり」

自分の席に用意されていた、朝食を食べ終わって、片付けながら疑問を発する。
食べる前に訊かなかったのかは、訊くまでもないことだからだろうか。それでも、万が一ということもあるから、訊いたわけだけど。

「すでに、ご飯があるってホント天国みたいね~。遠坂さんとアーチャーちゃんのおかげで、いろんな美味しい物が食べれるようになったし。でも、アーチャーちゃんって恥ずかしがり屋なのかなー」

とのこと。昨日の夕食にに続いてまた、アーチャーが作ってくれたと言う事か。
確かに、藤ねえの言うとおり、その作った本人の姿がないけれど。その事を遠坂に視線で問いかけたら、無言でプレッシャーを与えられた。そ
れで、追求を諦めたのだが。セイバーには初めから援護は期待してなかったし。そのアーチャーを恥ずかしがり屋と称した虎は、正に殿様と化
している。今にも余は満足じゃだとか言いそうだ。虎の殿様・・・・・・。

遠坂は無言で紅茶を、セイバーは日本茶を飲んでいる。
この朝食がどのように用意されたか実際には知らない俺が、それを片付けるのは道理なわけだが。
藤ねえはこのざまで、嫁の貰い手があるのだろうか・・・・・・。

「うん。美味しいご飯も食べたし、士郎の元気な顔も見れたし。もうそろそろいかなくちゃ」

だれていた姿からは想像もできない機敏さで藤ねえが立ち上がる。
そして、見慣れぬ包みのようなものを荷物に入れると、あっという間に屋敷を出て行った。いつもからは考えられない早さだ。
おそらくは、昨日の事の後始末だろう。行く先は病院。
命に別状がないと言えど、結界の基点近くにいた生徒は、入院を余儀なくされている。
藤ねえは昨夜遅くまで病院を駆けずり回っていたらしいが。

さっきは藤ねえに対して、不謹慎な事を考えていたと、自分を戒める。
昨日ライダー、慎二の凶行を止められなかった以上、俺のやるべき事は一つ。
出来るだけ早く、慎二を見つけて令呪を捨てさせるか、ライダーを倒す。いや、出来るだけなどと悠長な事は言ってられない。
慎二の性格なら、俺が無防備な姿をさらせば、必ず何か仕掛けてくるはず。ならば

「やっぱり、行くつもりなのね」

溜め息を吐くように遠坂が声を発した。
藤ねえがいないから猫をかぶってはいないが。もうこの屋敷にいる間は、藤ねえの前でも、学校ほどかぶりものは厚くない気がする。うん、多分気のせいじゃないだろう。

「まあ、私は止めないけど。昨日言ったことは忘れてないわよね」

「ライダーは、宝具を使わせる前に倒す、か」

脳裏に浮かぶのは、無残に破壊された廊下。ランクで言うならば、あのバーサーカーですらダメージは免れない、らしい。
あれがセイバーに当たれば、セイバーの身は間違いなく消えてしまうだろう。そんなことはあってはならない・・・・・・。

「そう、それが大前提。長引けば長引くほど不利になるから。慎二を捕まえるのが一番手っ取り早いだろうけど」

「ああ。それで、遠坂はどうする? 出来れば留守を頼みたいんだけど」

「そうね、いいわよ。こっちはこっちでやることもあるし。ただ夜は、悪いけど無理だわ」

遠坂は一瞬視線を上に向けると、そう答えた。
ライダーと慎二の事ばかり考えていたが。キャスターの事もある。確信はないけど遠坂のやる事っていうのはキャスター絡みなんじゃないだろ
うか。

「ああ。それでかまわない。元々、こっちの都合なわけだし。それじゃあ、行こうか、セイバー」

それまで黙っていたセイバーは頷くと、立ち上がった。

「それじゃあ、いい結果、期待してるから」

遠坂の言葉に頷くと、俺は居間を出ようとして、ふと思い出した。

「忘れてた、アーチャー。朝ごはんありがとう。うまかったよ」

居るかどうかも判らないアーチャーへと声をかける。聞いてないかもしれないけど、その時はその時だ。その場合は面と向かって礼をするだけ
なのだから。
遠坂が笑っている理由が、いまいち判らなかったが、もう言い残すことはないと俺は、セイバーと連れ立って居間を出ようとして。

「あ、待って衛宮君」

遠坂に呼び止められた。

「なんだよ、遠坂」

「いいから、忘れ物よ。持っていきなさい」

そう言って、何故かセイバーの方に包みを持たせる。セイバーはそれを訝しむことなく受け取る。それは藤ねえにも―――
遠坂の視線が、何も訊くなと語っている。それは、どこか愉しげに燃えた目だったが。
俺は言いかけた言葉を飲み込み、今度こそ居間を出た。


屋敷の前で、とりあえずの今日の行動方針を告げると、まずは慎二の家のほうへ向かった。
セイバーは霊体化せず、遠坂から貰ったいつもの服装だ。その手には遠坂に持たされた包みの姿がある。何かは訊かなくてもわかるが。それにしても、これも・・・・・・。
そういえば、学校で俺が地面に激突するのを防いでくれた双剣。あれはアーチャーの物だったんだろうか? 前にも見たような・・・・・・。
結局、昨日は訊ねるのを忘れてしまってたけど。また、忘れてたみたいだ。

「どうしました、シロウ? まだ、どこか具合が悪いのですか?」

考え込んでいた俺を、心配してくれたのだろう。セイバーの声がやや硬い物になっている。

「いや、大丈夫だから。ちょっと考え事を。昨日俺が地面に落ちるのを防いでくれた剣。あれは、アーチャーの物だったのかなって」

そう言って、あの双剣をジェスチャーで表わしてみる。
セイバーは俺の言葉だけで気付いたらしく、いまいち判りにくいジェスチャーをする俺を、どこか不憫そうな目で見た。

「ええ。あの双剣でしたら、アーチャーの物です。シロウは気絶していましたから、私が返しておきました。それが何か?」

「まだ、その事でアーチャーにお礼言ってなかったから」

俺の言葉で、セイバーは一瞬大きく目を開くと、すぐに悔しそうな顔をした。

「迂闊でした。シロウを助けてくれていたというのに、私もアーチャーに礼を言ってない」

「む、ならアーチャーには二人でお礼をするか」

「そうですね。なら、ライダー等にもたついているわけにはいきません」

どうにも、昨日ライダーの宝具の話をしてから、セイバーのやる気が高まっている気がする。もっとも、それは頼もしいとも言える訳で。

「ああ、その時は頼む、セイバー」

「はい」

そのときの、当然ですといった風に頷いたセイバーが、とても印象的だった。



interlude out



どうやら、行ったようだな。
セイバーの気配を感じ取れなくなる。

「これで良かったのかしら? アーチャー」

実体化した俺に、凛が愉しそうに声をかけてくる。凛の問いには、一つでは括れない響きがあったが、他のことは無視するしかあるまい。
肩を竦めたい所だが、それも我慢して答えた。

「ああ。ライダーもそのマスターも、日が出ているうちは仕掛けては来ないだろう。そういった意味では、昼間の衛宮士郎の行動は無意味に近いが」

凛は黙って次の言葉を促す。

「ライダーのマスター。あの類の人間は、やられたら何倍にもしてやり返すタイプだ。日暮れまで無防備な姿で歩き回れば、嫌でも襲ってくるだろう。さらに言えば、ライダーはともかく、そのマスターは宝具の威力に錯覚でも起こしているのではないかな。敗北という可能性さえ、考えてないかもしれない。付け入る隙などいくらでもあろう」

「ふ~ん。それでも、アーチャーは援護する気なんでしょう?」

言葉を発せずに、視線だけで何故、と問いかける。

「さあね。でも、私を置いて行く、なんて言わないわよね」

「―――そんなことを言うつもりはないが。初めからそのつもりだったのか?」

「ええ。衛宮君にも言ったじゃない。貴方のことだから、日暮れには事を起こすんでしょう?」

「まあ、その少し前、だがな。それまでは、放っておく」

賭けに近い部分もある。ライダーが人目を憚らず仕掛けてくる可能性もゼロではない。
だが、見たところ衛宮士郎は傷はともかく、疲労が抜けきっていない。本人は気付いてないようだが。あの公園に向えば―――

「そんなに心配なら、貴女も行く? アーチャー」

「馬鹿を言え、凛。君を一人にするわけにもいくまい」

馬鹿げた事を言うなと、眉を顰める。

「そうね、お弁当まで作ってたし。邪魔するわけにも行かないか。もちろん出場亀も」

「―――あれは、セイバーのために作った物だ。小僧は勘定に入っていない」

「いいんじゃない、それでも。結局二人で食べることになるんだし」

「―――判った。私の負けだ。これで勘弁してくれ」

俺は両手を上げて降参の意を表す。俺が弁当を作ったのは、前に俺が不甲斐ないせいで、昼食を食べさせられなかった事を覚えていたからだ。朝食を作ったのも、俺以外に作る人間がいなかったから。
どうやら、凛は俺をからかって満足したらしい。それは俺の希望的観測かもしれないが。

「じゃあ、敗者である貴女は、今日の昼食その他もろもろの雑事担当でいいわね」

凛は口を喜悦に歪めて通告した。
どうやら先の思いは正しかったらしい。そして、俺にそれを断る力もない。せいぜいこう口にするだけだ。思いの丈を。

「判った。だが、これだけは言わせて貰う。地獄に落ちろマスター」

断じて捨て台詞などではない。もちろん、負け犬の遠吠えでも・・・・・・。





[1070] Re[26]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/08/19 20:00


そう、風がある日ではなかったが、このような場所まで来てしまえば、そのような事は関係ないというものだ。
完全に日の沈んでしまったこの時刻。眼下を走る車両の光が、思ったよりきれいに見える。
―――人の身であれば、好んでこのような場所までは来ないだろう。常人ならばそう思わずにはいられない場所。我が身が人ならざる存在といえど、必要を感じなければ立ちはしない。そういった場所だった。

「アーチャー、なんだってこんな場所を選んだわけ?」

風の強さだろうか、目を細めながら凛が問いかけてくる。立つ位置が同位である以上、自然、視線は彼女から俺へ緩やかな下り坂を描く。凛と向かい合って立っていた俺は、それが気に入らない事を丁寧に心の奥に折りたたんでから視線を新都、その中でも一際高い建築物、センタービルに向けた。

「私のクラス。それを最大限に生かそうと思っただけだ」

間にビルがあるとはいえ、問題はない。―――記憶が正しければあの戦いは、この方角から丸見えだったはずだ。

「まあ、そうよね。ここに来る理由なんてそれくらいしか思いつかないし。まあ、楽しかったから文句もなし。いつも同じような方法じゃ飽きるってもんだわ」

「いつも、か」
凛に聞こえないように小さく呟く。
確かに、この場所に来るまでに俺は、凛を抱えて歩道から車道へ。車道からアーチ状の鉄骨の上まで一息に登った。それが、楽しかったと言い放つ姿は、まことに凛らしいとは思うが。

なんだってこんな所に何度も来ているのだ、と言う意味を入念に編みこんだ視線を凛に送った。

「な、何よ。アーチャー」

「いや、なんでもない」

少し引きつった顔で訊ねてくる凛に言葉を返す。まあ、凛の表情は、俺の考えている事が言葉通りではないことを十分に察しているようだが。

「い、いいのよ。魔術師が高い所が好きなのはきっと長所だわ。穴倉に潜ってたんじゃかび生えちゃうし」

凛は、かの錬金術師達の事を言いたいのかもしれんが、確か時計塔もそれほど大差ないのが実状だったのではないだろうか。
何にせよ、迷いもなくあの夜、ビルの屋上に連れて行かれた身としては、彼女が高い所を好む事など、とっくに気づいていたのだが。
いや、それ以前から知ってはいたか・・・・・・。
何の動きも見られないセンタービルを見つめながら、そう口の中で呟く。まあ、美徳なのかもしれんな、アレは。
このまま迷走しそうな思考をどうにか落ち着かせ、弓を投影する。
手っ取り早く事を進めるなら、ライダーがセイバーと接触する前に倒してしまえばいい。
しかし、実体化しているならばともかく、霊体化している相手を視る事はできない。
ならば、狙うは屋上に至るまでのその過程。セイバーとの空中戦の最中に他はない。

時を待つ弓兵とその主を、照らす光は天にない。



interlude




「ふっ!」

短く息を吐き、跳びながら鎧を編む。金属が奏でる、心地よいとは言い難い、甲高い音を立てて、死の杭を弾き返す。
日が落ち、人通りもほとんど消えかけているオフィス街。その中でも高く、そして明かりのほとんど消えたビルから、それは自分の主の上に降ってきた。
半ば予想通りのライダーの強襲だった。彼女の宝具が考えるとおりのモノなら、仕掛けてくる場所も、ある程度は予想はついていた。
明らかな罠とわかる、殺気の誘いに乗ったのは、そのことも考えていたから。
問題はどう倒すのか。倒す方法が無いわけではないが、決して良い手ではない。
ビルの側面に張り付いているライダーを視界に入れたまま、マスターの傍らに着地する。

「セイバー、あいつは!」

「追います! シロウはここにいてください!」

「追うって、セイバー!?」

マスターの疑問に答えぬまま、大地を蹴った。
地上に止まっていては、関係のない人間まで被害が及ぶかもしれない。何より、主に危険が及ぶ。一度会ったライダーのマスター。あの少年は、自分以外の人間を手にかけることにためらいなどないだろう。だからこそ、わが主は自分の身も省みず、このような所までライダーの誘いに乗ったのだ。しかし、誘いに乗ったとはいえ、主を危険に晒す必要はない。私には戦いの場を空へ移すしか方法がないとしても。
考えが正しければ、ライダーは屋上を目指すだろう。完全には戦闘に思考を回さず、ライダーに追いすがりながら、剣を振るう。
手を抜くことに等しい事だが、その事に気を止めることもなかった。
この場所ではライダーには勝てない。それは、戦い始めてすぐに判った事だ。自分が、ひとつ、攻撃する事が可能ならば。ライダーはその間に、無数の刃を撒き散らす。紫に彩られた黒に、重力の縛りはなく、その姿は彗星のように、あらゆる方向から襲い掛かる!
この場で自分が勝るのは、瞬間的な爆発力のみ。それを証明するように、ビルの端を目指して跳んだ私に、追撃は来ない。

主には残るよう言ったが―――――あの少年はきっと屋上に上ってくるだろう。事実、マスターの姿は、眼下にない。

再び、ライダーに向かって、ビルを蹴る。ある種パターン化した行動は、大地からの距離を除けば、先の衝突と違いはない。
繰り出される攻防は違えど、傍から見れば、その動きは繰り返し。衝突し、離れる。頂上に辿り着けば終わってしまう、ただの繰り返し。
これがビルを盤面に見立てた遊戯なら、さぞや面白味のないものだろう。尤も、人の目に見えるような代物ではない。


アーチャーの事に括りすぎて気がつかなかったが。我が主、マスターは自分を蔑ろにしすぎるきらいがある。
昨日の今日で、朝からの捜索もそうだ。もっとも、本当に大丈夫そうではあったが。
アーチャーの心が不安定になっているのは、マスターのそのあり方を、忌々しく思っているからではないか。
なら、マスターはきっと屋上に現れるだろう。そこが彼にとっての死地だとしても。なら、私がすることは一つしかないではないか。


幾度目かもわからぬ激突の中覚悟を決める。主はもとより、凛やアーチャーですら気がついてないようだが。私にはシロウからは考えられないほどの魔力が流れている。召喚そのものがイレギュラーだったためか、基本的な力は確かに低下している。だが、これを使う分には―――
そう。決めた。聖剣を使うと決め、ライダーから離れた一瞬で。勝負は決していた。
それは一秒に満たない間のことだった。ライダーから離れ、再び壁を蹴り間合いを広げる。たったそれだけの間に戦いは終わったのだ。

人の目で見えたのは、光か。人間の範疇を超える速さで動く軌跡を、さらに上回る速度で、それは死を与えていた。
止まることもできず、ソレを視界に入れたまま、空を目指す。動揺して落下などしてしまえば笑い話にもならない。ただ、先とは違うのは、それが自分ひとりだけだということ。
―――もう、ライダーは空を目指せない。それをするための手も、足も半分しか残されてないのだから。

私とライダーの激突を上回る轟音は、ライダーに突き刺さり、その半身を奪っていた。
それはサーヴァントの身を持ってしても、致命傷。一般的な傷口のようなものは存在せず、血を撒き散らす事もない。
ただただ、消えてゆくだけ……。
あれだけの速さを持った何かなら、ライダーのみならずビルも無事では済まされないはずだが、その被害は驚くほどに少ない。
ライダーが何かを呟き、落下しながら消ええていく。それを追う様に、剣の柄のようなものが消えながら落ちていくのが見えた。
そう、確かにライダーを切り裂いたのは剣だった。それも、ライダーに匹敵するほどの長大な。
それがライダーを切り裂いた瞬間、熔けるように刀身が消えたように見えた。ビルに残された傷が少ないのはそのためだろうか。

ライダーが消えるのを見ないままに、屋上に足を着ける。
先程決心した聖剣の使用も、必要がなくなってしまった。
おそらくはアーチャーの仕業だろう。剣の飛んできたであろう方向を睨むが、その姿は確認できなかった。
圧倒的な距離からの狙撃だということだろうが。少し気に食わない。
きっと、自分が屋敷を出たとき、いや、それ以前からこうする事を決めていたに違いない。
勝利するためとはいえ、あのような不意打ちは―――。いや、あの夜の自分の行動を顧みれば、それを言う資格は、私にはない。
この場所でライダーに勝利するには、聖剣の封を切らねばならなかっただろう事も理解している。
―――違う。聖剣を使わなければならないのは、この場所にマスターが来るからだ。
ライダーの宝具は、この空の庭園を破壊してなお余りある力を持つ。自身の生存が可能でも、私のマスターはビルの破壊の中、生き残る技量はない。だからあの時、この場所で――――

「つぅ―――」

その瞬間、頭に激痛が走った。おかしい。おかしいおかしいおかしい。こんな場所で聖剣を使った覚えなどない。
あまりの痛みに耐え切れず顔が歪む。意図せず膝をつく。
知らない知らない。私が聖剣を使ったのはここじゃなくて―――
何より何故、ライダーと戦い始めて、あれほどに迷って

「ひっ、ああ、令呪が、令呪が燃える・・・・・・」

何かを落とす音と、どこかで聞いた事のある声が近くで聞こえる。それと同時に、走り出す音も。
だが、ますますひどくなる頭痛に、何の対処も出来ない。視界は明滅し、ほとんど何も映さない。何も出来ずにただ蹲る。
そうして、どれくらいの時間がたったのだろう。十分となかったはずだが、それは永劫にも等しく感じられた。

「――――しろ! セ―――! ――――――――イバー!」

体が揺すぶられるのを感じる。なのに、まるでそれは自分の体ではないみたいで。
私を揺らす手の持ち主が、何かを叫んでいる。それはとても聞き取りづらくて、ひどくいらいらする。
思い通りに動かない自分の体が、ひどく歯がゆくて、いまだに仮の名を叫ぶ彼に、少し抗議したくなる。そうだ。彼はもう知っているはずなのに―――。何故呼んでくれないのか。いつのまにか閉じていた瞳を、ゆっくりと開いた先に、彼はいた。

「シロウ?」

「良かった、セイバー。気がついたか」

「え―――?」

いつのまにか気を失っていたのか? 私の姿を映す瞳は、まだどこか不安げに揺らいでいる。
それに気がついたとき、まだどこか混乱していた思考が、常の冷静さを取り戻した気がした。

「申し訳ありません。心配をかけさせてしまいました。もう大丈夫ですから、その、手を」

「あ、ああ。悪い」

少し上ずった声で―――悲鳴のようにも聞こえたけれど。私の両肩から手を離し、バネのように立ち上がった。それを、内心微笑ましく思いながら立ち上がる。先程まで感じていた頭痛は、まるで夢だったと言うように全く感じない。

「それで、本当に大丈夫なのか? セイバー。ライダーにやられたってわけじゃ」

「大丈夫です。傷を受けたわけじゃありませんから」

本当は、原因不明の頭痛に不安があったが。ライダーにやられたわけではないのだからと。

「―――良かった。それで、いまさら訊くのもなんだけど、ライダーは? ここにはいないみたいだけど」

「―――彼女は討たれました。その時のことで謝罪を。ライダーのマスターらしき者を、みすみす逃がしてしまいました」

「それって慎二の事か? でもここに来る途中では会わなかったけど。入れ違いになったかな」

追いかけようという気はないのか、一瞬残念そうな顔をしたが反応はそれだけだった。それよりも、その前の言葉のほうが気になったらしい。

「あれ? セイバー。今、ライダーは討たれたって言ったっけ?」

「―――はい」

「それって、セイバーがライダーを倒したわけじゃないって事か?」

その言葉に頷く。

「確証はありませんが、アーチャーの仕業だと思います。長距離からの狙撃で、ライダーは・・・・・・」

そして、剣が飛んできた方向を指差す。おそらくは―――

「あの橋から、アーチャーに射抜かれたのだと思います。推測ですが」

「俺も目はいい方だけど、さすがにこの距離は判らないな。そうか。忘れてたけど、アーチャーはアーチャーだったんだっけ」

「―――シロウ。その発言はどうかと思いますが」

確かに、アーチャーはそのクラスらしからぬ様相ではありますが。

「あ、いや。ごめん。でも、そんな距離から狙撃できるんなら、ちょっと無敵すぎないか?」

む。確かに飛距離と言う点で優れている事は認めましょう。回りに与える被害の少なさも。その点では確かに勝っています。ですが

「―――あの程度の威力ではバーサーカーには通じません。そもそも私でも防げる代物です」

第一、私の聖剣だって大雑把な事を抜きにすれば、勝るものはあっても、劣るものなど何一つない。ライダーの宝具が何であれ、正面から―――。

「どうしました、シロウ?」

「あ――、セイバー。怒ってるのか?」

恐る恐るといった感で、妙な質問をしてくる。

「? 何故、私が怒る必要があるのですか?」

「―――なんか、ライダーの宝具を話してた時みたいになってるから。怒っているのかな、と」

「そんな事はありませんが?」

「それならいいけど。まあ、とりあえず今日の目的は果たしたようなもんだから・・・・・・。帰るか」

「かまいません。私としても、アーチャーに問い詰めたい事がありますから」

「うっ、じゃあそういうことで。慎二の事は、とりあえず遠坂達と相談してから決める、と」

それで良いですと頷く。そうして、歩き出したマスター、シロウの後をついていく。しかし・・・・・・。

「シロウ、何をそんなに緊張しているのかわかりませんが、そのままでは転倒しかねない」

「わ、わかった。善処する」

いったいどうしてしまったのだろう。シロウは。



interlude out




「どうやら、大丈夫のようだな」

そう言って安堵の息を吐く。記憶と違わず、ライダーが現れた時にもそれに似た気持ちを抱いたが、今のそれは、ライダーに関するものとは比べ物にならないほど大きなものだ。それだけ、不安も大きかったのだが。

「ふーん。さっきまで顔色が蝋細工みたいに真っ白だったのを考えれば本当みたいね、アーチャー」

宝具も使ってないのに突然倒れるセイバーを目にした俺の顔は、場所が場所にもかかわらず、はっきり見えたらしい。

「まあ、大丈夫なら良いわ。アーチャー、まだ帰る気はないんでしょう? これから回りたい所があるんだけど」

「ああ。別にかまわない―――」

「どうしたの?」

「いや、ライダーのマスターがビルから出てきたのでな」

意識して声が震えないようにする。

「慎二のやつね。サーヴァントも失っちゃったんだし、教会に行くでしょう。サーヴァントなしじゃ害にもならないわよ、あいつは」

「そうか」

その言葉に短く反応してから、合図もなしに凛を抱え、そのまま飛び降りた。
凛が何か言っている様だが、頭に入ってこない。

何故俺は、ライダーのマスターが生きていたことに、これほど動揺しているのだろうか。

思考の混乱とは裏腹に、武装を裏切るように、音もなく着地した。




[1070] Re[27]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/10/21 18:11
「こんなとこかな。終ったわ、帰りましょう」

軽い響きを持ったその言葉は、俺が考えていたよりも随分早く主の口から放たれた。夜気を裂く鋭さと軽やかさを持つはずのそれは、俺にとっては致命的な鈍器と化して。下手をすると、セイバーたちはまだ屋敷にたどり着いてないのではないだろうか。それでも、訊くだけ無駄だと知りながらも、その言葉を発する俺はやはり―――愚かなのかもしれない。

「もう、いいのか? 凛」

渾身で放ったストレートは、自身のイメージから大きくかけ離れ、凛がその甘い球を見逃すはずもなく。

「ええ。今の私たちにできることなんて限られているから。今日の事だって、下手すると何の意味もないかもしれないもの」

―――――――白球がスタンドへと吸い込まれた。観衆が割れんばかりだ・・・・・・。

「それはそうだが」

「ふふん。そんなに帰るのが憂鬱なわけ?」

その声の軽さを保ったままで、凛は楽しそうに笑う。

「――――――まあ。そうかもしれないな」

自然と緩んだ俺の口は、ある種の諦観を含んでその言葉を吐き出した。
自身が紡いだ言葉とは間逆に、進む足は幾分早くなる。―――先延ばしにする事はよくない。
妙な妄想をするほどに、俺の心は恐れているようだが。それは忘れている方が賢明だろう。きっと。

「あら、否定しないんだ」

「仕方あるまい。気が重い事は事実だ。否定など何の意味もないさ。まあ、認めたとて何も変わらんが」

吐き出した言葉が、どれだけ冷静を保っているのか、最早自分では知ることも叶わぬ。願わくば常と変わらぬ響きであって欲しいと願わずにはいられない。

「ふーん」

仏頂面をしている俺を見るのが楽しいのか、それとも他の事で笑みがこぼれるのか。とにかく凛の機嫌は悪くはない。
そうなると進む足も自然と早くなる。このままのペースで屋敷に向かうのなら、衛宮士郎は夕食の準備をするだろうから・・・・・・。

「道場で弁明せねばならんということか」

「それは、中々面白い事になりそうね」

「まったくだ」

つい声に出してしまった事を、凛にからかわれるが・・・・・・。今は良い切りかえしをする余裕もない。
む? 気がつくと凛が俺の顔を覗きこんでいる。どうやら俺は、知らぬ間に下を向いていたらしい。

「なんだ?」

「本当に余裕がないみたいね。まったく、図太いのか大物なのか判断に迷うわ」

凛が呆れたように言う。今の俺は確かに、褒められるような態度ではない。今は戦争の名を冠する時でもあるのだから。
先の狙撃の後。言い様がない不安と、違和感を感じたが。それは、地に帰ると同時に霧散してしまった。だが、それが一体なんだったのか詮索するほど俺の心は頑丈ではなかった。

「仕方ないから、私から質問。とりあえず貴女の気もまぎれるんじゃないかしら?」

中々に邪悪な表情だ。

「む、勘違いしないでよ。真面目な質問なんだから」

「そうか。いや、君の事だからまたとんでもない質問でもするのかと」

悪かったと言うように両手を挙げる。

「貴女が私の事をどう思っているのか、良くわかる台詞ね」

なるほど、確かに凛は意外といろんな意味で――――

「―――顔に出てるわよ?」

凛の目が据わっている。
自分でも不自然と思うが、何とか不機嫌そうな顔を作った。本当に作れているのか? 少し自信がない。

「じゃあ訊くわよ? 貴女が英雄になったのって、世界と契約したからかしら?」

その言葉を紡いだ凛の顔には何か強い決意と、確信のようなものが感じられた。

「――――――」

なるほど。私の正体に関する質問か。しかし、俺はこの問いに明確には答えられん。
だが、この程度の事ならば隠す必要もないだろう。そう胸中で結論付ける。これくらいで正体が割れるとは考えにくい。

「おそらくは、そうなのだろうとは思うが。断言は出来ないな」

他に理由が見当たらないのも事実だ。しかし、あの状態で契約が成立するとは、なんとも―――。

「断言できないってどういうことなの?」

「そうだな。はっきりとは覚えてないから、確かな事は言えないのだが。世界と契約した時、私は死に瀕していた。だから、本当のことは何も解っていない」

真っ直ぐに前だけを見て言葉を吐き出す。

「死に掛けてたって・・・・・・」

「気がついたらこのような身だ。他の連中のことは知らんが、案外似たり寄ったりなのかもしれん」

状況だけを考えれば、アルトリアのそれと似ているかもしれない。俺が知っている事実はアルトリアのそれだけだ。他の連中がどうかなど知りようがない。
横目で凛を見れば、あからさまにほっとした様な顔をしている。他にもあるようだが、読み取る事はできなかった。

「―――じゃあ、何か願いをかなえてもらったわけじゃないの?」

その問いには少々を考え込まざるをえない。確かに、アルトリアと会いたいと願ってしまったが。その願いが叶えられたのかどうか。

「願いはしたが・・・・・・。叶えられたかどうかは少々あやしいな」

自分の姿を考えると、声が硬くなるのも許される事だろう。
アルトリアの様な願いならともかく、世界との契約があのような――――。確かに契約と聴こえたが。

「じゃあ、アーチャーの願いは叶えられてないってこと?」

「ん。まあ、そういうことかな。もっとも、褒められるような願いではないから、このようなことになっているのかもしれんが」

凛の表情は、まだ納得できないと言うものだったが。こればかりはどうしようもない。聖杯につなげて考えるかもしれないが。
聖杯に関しては願うものなどはじめからない。訊かれたらアレの事も話してしまうだろうが。おそらく凛の事だ。愚かな事だと言うだろう。

「極めて私的な願いだよ。まあ、誰かを救うとか、世界平和などといった願いではない事は確かだ。詳しくは訊かないで欲しい」

そう、未練などないはずだった。彼女の生きた誇りと自分の理想のために、俺たちはあの時別れたのだから。
たとえ、この身が地獄に堕ちようとも、俺はあのときの姿を忘れはしない。月光に照らされ、見惚れてしまった彼女の姿を。あの夜の事を。その事に変わりはない。
彼女がいたからこそ、俺は駆け抜ける事ができた。俺よりも辛く、険しい道を歩んだ彼女がいたからこそ。目指し続ければ、手を伸ばし続ければと。届かぬ空を、星を求めて。たとえどれほど思い続けてもいつしか言葉は消え、その形も消えていく。
だが、死ぬときになって初めて解る事もある。失われぬものがある。
ああ、そうだ。それで、俺は願ってしまったんだ。

夢を。

最早叶わぬ夢を。

そうだ。覚えている! 彼女の姿も。その声も! たとえそのほとんどを忘れたとしても。何も辛い事はないと。
だが、それはごまかしだ! 零れ落ちそうになるものを必死で覆い隠しただけだ。

体は剣で出来ている。

だから、少しくらい傷ついても、俺は歩いてゆける。
その想いの周りに、剣をつき立て。見えないように、見ないようにしてきた。

そうか。初めて解ったんじゃない。初めて、自分を偽る事をやめたんだ。

血潮は鉄で心は硝子。

硬い血潮は自らをも傷つけ、ひび割れた硝子は鋭利な刃で心を抉る。

それでも、目指した彼女のように俺は走り抜けたのだと。
だから、後悔なんてない。倒れる前。見上げていた空は確かに青かった。それはいつか見た空と同じ。
其は辿り着けぬ理想郷。

ただ、最後に。願っただけ・・・・・・。それはきっと、自分のために―――――――


「アーチャー!」

凛の声に思考が引き戻される。声の種類は、悲鳴に近く、それでいて緊迫は無いに等しい。
どうやら、考え込むあまり凛の事を失念していたらしい。

「すまない。少し、思い出していた」

「思い出したって、生前の事? まあ、アンタのことは名前も訊いてないしかなり気になるけど」

言葉がそこで途切れる。

「後悔しているの?」

そして紡ぎだされたその言葉は、先の言葉よりも、より強い決意を持って、凛が発したように感じられた。

確かに逢いたいと願った。だが、それは過去をではない。

「―――いや、後悔などない。未練も。俺は俺の思うように生きたし、それを後悔する必要も無い」

「そう―――」

それきり、聴こえる音は二人の足音だけになる。
幾度、空虚な風が心に吹こうとも、あの別れを間違っていたとは思わない。

足音だけが響く。

「ふーん。アーチャー、貴女好きな人がいたわね?」

「り、凛、何を一体」

会話の流れからは少し想像していなかった言葉に、常より幾分高い声を発してしまう。その声が、自分でも滑稽でいっそう状況がひどくなった気分になる。
凛の顔は、例えようがないほど邪悪に染まっている、ように見えた・・・・・・。

「顔よ顔。私しか居なかったから良かったものの。だれが見たってその顔は―――」

そう言って俺の動揺を楽しむかのように手で顔を幾分隠す。指の間から見える瞳は、真にあくまの偉容。そしてそれは紡がれた。

「恋する乙女にしか見えないわよ」

それを聞いたときの俺の絶望の深さは、生涯忘れることなど、できぬかもしれない。
たとえ、その生がすでに終っていたとしても。ただの言葉だとしても。
やはり、この身にとっては地獄の業火に匹敵しよう。

「―――乙、女?」

不本意、と言ってしまう事は彼女に悪いのかもしれないが。
なるほど。確かに彼女に酷似したこの姿が・・・・・・、美しいという事は認めよう。――――事実は事実だ。
だが、それと、俺が乙女と称される事は別問題だ。この身は決してそのような――――

「はいはい。貴女が否定したいのは見てたら分かるけど。そのコロコロ変わる表情を直さない限りは、どうしようもないわよ」

凛の背は決して高いわけではないというのに。愉悦と微かな憐れみを宿した瞳は、僅かとはいえ確かに自分のそれよりも高い場所にある。
だが、背の低い事はどうしようもない事実であり。―――残念だが自分の考えている事が、表情に出る事も事実らしい。
凛だけに言われた事ではないという事実が、重く圧し掛かる。

「まあ、いいんじゃない。見てるぶんには楽しいし。貴女、可愛らしいのは確かなんだから。表情が変わらなくなっちゃったら、ちょっともったいないかもしれないわね」

「―――ふん。凛の判りにくい可愛らしさより、随分とましなのだろうな、私も」

切り返す言葉に、キレがない。案の定凛に軽く返される。

「そうでしょうね。悔しいけど貴女とセイバーは本当に綺麗だもの。それに負けてるのはそれだけよ。貴女には色香が致命的に足りてないんだから。まあ、貴女が惚れた相手にとってはうれしい事実でしょ」

思わず手を顔に翳し、溜め息を吐く。この俺に、色香などあってたまるか。しかし・・・・・・

「惚れた相手か・・・・・・」

「へぇ。その様子じゃ、ちゃんと結ばれたみたいね」

結ばれたという言葉に、心を無視して体が反応してしまったらしい。体は足を止め凛の方を向き、手はどこか中途半端な位置に掲げられていた。馬鹿な・・・・・・。
いかなるあくまの仕業か。戦いは絶望的で、今の俺にできることはその猛威にただただ耐え忍ぶのみ。
そのあくまはあかい・・・・・・。

「―――迂闊、そこで紅くなられるとは予想してなかったわ」

トーンを少し下げた声で呟き、俺から視線を外す。どうやら俺の反応は凛の想定外のことだったらしい。彼女にしては珍しい事なのか、それともそうではないのか。この状況が、件の癖を発揮する条件としては弱いと思うのだが。救われたことには感謝したくなる。アレで救われる事は意外に多い。しかし―――
まさか、顔が紅潮しているとは。今まで気にも留めなかったが自分の表情の変化に気づけないのは、かなりまずいのではないだろうか。
第一俺の顔が紅くなっているのは、凛のせいでもある。―――違う凛ではあるが。
あの夜、紅い騎士の犠牲の上で得る事ができた猶予。あの提案がなければあの大英雄に勝利する術などなかったのだが。
凛に倣うように空を見上げる。黒く濁った様な色はお世辞にも綺麗とはいえない。だが、風の冷たさが紅潮しているらしい頬を和らげる気がした。思い描くは彼女の姿。そして鏡に写して見た我が身。

だが、俺のこの偽りの姿がどうであろうと、彼女と比べる事すらおこがましい、と思う。
彼女の美しさは外観ではない。いや、美しいなどと言う形容では彼女を汚すかもしれない。それが否定できない彼女の一面だとしても。
彼女は美しい。だが、それ以上に彼女は、尊かったのだ。その想いが。そして生き方が。

彼女は一振りの剣。自分を形容する言葉は、かつて彼女のためにあった。
彼の君は剣。我が身は鞘、か――――。

結局黙ってしまった凛と共に、屋敷へと歩を進める。
もう、それほど時間は必要ないだろう。凛に少々遊ばれてしまったが、そろそろ覚悟を決めておかねばなるまい。


まるで戦場に向かうかのように体を強張らせる。いまさら、何も知らぬときの自分でもあるまいに。
過去の自分を、そして向かう先の主の姿を描いたとき、苦笑と共に緊張は消えていった。
隣を歩く凛の頬はまだ、紅く染められたままだ。一体何を想像したのか。

その姿に笑みがこぼれる。笑うくらいは判る。そろそろ屋敷が――――。

「凛!」

夜気を両断し、短く言葉を発する。その緊張を読み取ったのか、凛は事態の深刻さを瞬時に理解し、先行する俺に続く。

「これは・・・・・・」

夕刻まで、確かにあったモノがない。玄関の戸は開けられたままだ。
清冽であった空気は異質に汚れ、僅かに漏れ出した歪みがそこから僅かに体を縛る。
微かに唇を噛む。
あの時でさえ、失われたわけではなかった。

かつて、かの救い人がかけたモノ。結界が失われていた。
切嗣がかつて張った、敵意あるモノの侵入を知らせる結界が、無惨にも断ち切られていた。



[1070] Re[28]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/11/21 22:27



「アーチャー!」

凛の声に遅れることなく、敷地内に飛び込む。

(凛、君は―――)

「心配要らないわ。アーチャーは早く行って!」

幾らこの身がサーヴァントの括りでは遅いといっても凛よりは速い。いつかのランサーが襲ってきた時のように霊体化して屋敷に突っ込んだ。
凛なら大丈夫だ。そう言い聞かせて目的の場所まで急ぐ。数秒とないはずのその時間が、ひどく長く感じられた。
感じるサーヴァントの数は二つ。一つはセイバーに間違いない。もう一つの方は決してバーサーカーや、あの英雄王ではない。あの者たちに比べれば気配が小さすぎる。第一奴等が室内に入るとは思えない。理由はそれぞれ違うが。なら―――

最初に見えたのは蹲っている彼女の姿だった。
ソレを目にした瞬間―――俺は速度を落とさず間合いを詰め、セイバーの傍らにいた敵を両断した。
切り裂かれたローブが部屋に舞い散る。しかしそれだけだ。

「アーチャー!?」

叫ぶ言葉は衛宮士郎のものか。その声に応えず、気配を探る。
両断したはずの剣に手応えはなく、敵が健在である事を示していた。

「ふふ、せっかちな娘ね。そんなに頭にきたのかしら。この状況が」

周囲を舞っていたローブの切れ端が消え去り、無傷の敵が現れた。切り裂かれたはずのローブにすら損傷はない。その唇は弧を描き、さも愉快気に言葉を紡ぐ。嘲弄すら滲ませて。

「その様子だと、よく理解しているみたいね。セイバーのことを」

敵の余裕を理解する。―――ここでこいつは殺せない。

「―――キャスター」

この身まで裂きそうな殺意を、吐き出すように呟いて衛宮士郎の隣に降り立った。

「あ、アーチャー?」

呆けたような声を衛宮士郎が出す。その傍らにセイバーの姿はなく、代わりに一人の女性を抱いていた。
小さく、だが確かに胸が上下している。その事に少し安堵を覚えつつ、同時にキャスターに向けての敵意も膨れ上がった。

「衛宮君、無事!?」

そこに俺から数秒送れて凛が飛び込んできた。
だが、俺は凛の方を向くことなく、蹲ったままのセイバーを見つめ。そしてその後ろにいるキャスターを射殺さんと睨みつける。
それをまるでそよ風の様な取るに足らないものと受け流し、魔女はその笑みを深くする。

「ふふふ。お嬢さんを返すのをもう少し焦らせばよかったのかしら」

「―――オマエッ!」

キャスターの言葉の意味を悟ったのか、衛宮士郎が低く叫んだ。
なるほど。予想はしていたが、どのような経緯でセイバーがキャスターの手に落ちたのか、よくわかる。

あの惨劇の夜、キャスターの手にあった短剣を脳裏に描いた。
短剣。終ぞその神秘を見せる事はなく、あの夜、キャスターは消えてしまった。
今なら思い描くだけで理解できる。あれは神代に息づかうモノ。ある事柄に対しては絶対に位置する免罪符。
その正体に気づいていたというのに、この状況を招いてしまった愚に脳髄が焼き切れそうだ。

一度口を開いてしまえばそれは止まらぬとでも言うように、キャスターの言葉は終らない。

「だってそうでしょう? 確かにそこのお嬢さんはやってはならないことをしてしまったわ。だけどそれを躾けるのも、心躍ることだと思わない? でも――――!」

そう言ってかつて衛宮士郎の手にあった令呪を見せ付けるように手を掲げた。

「間が悪かったわね。手に入らないのであれば、消えてもらうわ。セイバー、アーチャーのマスターを殺しなさい。邪魔をするようなら貴女のマスターだった子も殺していいから」

「馬鹿な! そんなことを!」

力ない声で、しかし覇気だけは失わずにセイバーが叫ぶ。

「無駄よ、セイバー。貴女も私と同じ。意思にそぐわぬ行為に、後悔を知るといいわ」

キャスターの令呪が輝き、セイバーがいっそう苦しそうに呻く。そして、その身体がゆっくりと、まるで幽鬼のように立ち上がった。両手は力なく垂れ下がり、俯いた顔は表情を隠している。ただ、呻き声がセイバーの口から漏れ続ける。
それが油断だったのか。常のセイバーとまったく違う状態だったからか。
凛は、セイバーの動きに反応できなかった。

その姿からは想像もつかない速さでセイバーが動いた。セイバーの標的は俺ではなく凛。甦るはあの夜のことか。
しかし、あの時と違うのは俺が彼女に見惚れていないことと。ここが、室内という事!

「くっ!?」

真っ直ぐに凛へと踏み込むセイバーに、俺は目の前にあった食卓を引っ掛けるように蹴り飛ばした。それを追うように片手に投影した短剣を投擲する。
セイバーは眼前に現れた食卓を剣すら振るうことなく粉砕し、その影から迫る剣すら苦もなく叩き切る。だが、その行動でセイバーの速度が落ちる。俺自身も、無理な運動をしたために、一瞬時が止まる。
だが、それだけで、凛と衛宮士郎は動く事ができた。否、凛は動く事ができた。

「衛宮くん。早く!」

二対一の不利から判断したのだろう。凛は撤退の意思を告げる。
だが、そう言った凛の声の先に、大河を抱いた姿はなく

「な!? ば、馬鹿!」

キャスターの命のためか、邪魔をした俺に標的を変えたセイバーの剣は、俺ではなく、衛宮士郎の身体に突き刺さっていた。
おそらくこいつは、セイバーの動きに反応したのだろう。後先も考えず。

不可視の剣と交差するはずだった、剣は所在無げに垂れ下がる。
急速に身体が冷たくなっていく。だが、怒気が去ったわけではない。種類は違うが明らかに俺の身体を満たしているのはソレだ。
業火と化して身を焼いていたソレは薄氷の鋭さをもって胸を切り裂く。

かつての主を両断するなど容易いはずの剣は、致命傷に届く傷でその進撃を止めていた。
いや、僅かではあるが両腕は上がっていく。
そして、キャスターと凛が呆然とする前で、剣は衛宮士郎の身体から離れた。それと同時に衛宮士郎の膝が落ちる。それを、俺はいささか乱暴に襟首をつかんで、俺の横まで引きずった。俺の手から離れた衛宮士郎に、次いで凛の手が触れる。

「この、馬鹿!」

「ま、まて、遠、坂」

「いいから、早く」

有無を言わさず衛宮士郎の手を引く彼女の声に、迷いはない。
いささか強引に撤退を敢行する凛に、キャスターはなんら反応する事はない。ただ、呆然と。

「そんな、セイバーの対魔力は令呪にすら抵抗するというの?」

呟いた。キャスターの声からは先ほどまでの余裕は感じられない。

「は、やく、逃げ、て」

令呪に抗いながらセイバーは自分の意思を告げた。涙すら流しながら。それを見たからか、衛宮士郎は大人しく凛に連れられていく。
剣を持ったまま、振り上げた格好で動きを止めたまま。
俺自身はキャスターのようには使えまい。だがそれでも―――

「―――!」

俺の動作に不穏なものを感じたか、キャスターが手を翳す。
放たれた光は、俺に達する前に掻き消える。だが、その霧散する光は俺の視界を一瞬だけ、奪い去った。

「あ――――」

その声はどちらだったか。
俺の目の前にあるのは碧玉の輝き。だが、それはまるで、何か恐ろしいものを見たような。脅されたような瞳だった。
その瞳が見つめる先は、彼女の剣。俺の方を貫いた聖剣の風。その視線がゆっくりと移動し俺の視線と交差した。
それは、先と変わらず濡れていて。刹那の間、見惚れた。

「ぐっ」

肩を走る痛みに眉を顰める。
たわけが……。一体何をしていた。未熟も未熟。
屋敷から凛たちの気配は消え、それに変わるモノたちが気配を現す。
呆然と目を見開くセイバーの顔を見据えたまま、肩を貫く剣から身を捩り引き抜いた。

「あ、ああ」

「―――時間さえかければどうにかなるみたいね。いいわ。ここは退いてあげましょう。貴女の事は、まだ諦めてなくてよ」

セイバーは言葉にならない声を上げ、キャスターはまた余裕を取り戻した声で嗤い、聞き取れない声で何かを呟く。
それと同時にセイバーの指が剣の柄から離れ、二人の血を吸った剣は、滑稽な音を立てて畳に落ちた。
セイバーの震える両腕は、意思に反する身体を押し留めるように。僅かに見える唇が、“逃げて”と再び繰り返すのが見えた。
その瞬間、セイバーに働く対魔力すら無視して、キャスターはセイバーごと、俺の目の前から消え去った。





キャスターの置いていったソレらをあらかた無視して、凛達を追う。
セイバーから受けた傷は、回復したもののかなりの魔力を要することとなった。
先ほど胸を裂いた冷たさにも似た、夜気を切り裂きながら走る。

凛は無傷だが、衛宮士郎手負いの上、さらに人一人抱えている状態だ。二人に追いつく事は容易かった。
あと少しで追いつくというときに凛が俺の方を振り返る。俺が追いついた事に安堵したのか、動きを止めて―――

俺が空を見上げ、そして、凛が声を発した時、ソレは飛来した。油断した。気づくのが遅すぎる。
七条の光は俺の行く先を凛のもとに限定する。かろうじて、矢を避けた俺は凛の傍らへと着地した。
凛は完全に立ち止まり、それに伴って衛宮士郎もその傍で動きを止める。

これは、まずい―――!
奴の矢がひとつふたつならともかく。多数の矢を分散されては・・・・・・。

「わかってる。私じゃ防げない。いや、違うか、防げないんじゃなくて反応できない。移動しながらじゃ、もっと無理ね」

その言葉に頷く。一つ一つの威力は、塀の壁など容易く貫通するほどの威力。だが、それだけなら防ぐのは難しい事ではない。
問題はその速度。銃弾などを圧倒的に凌駕するそれは、防ぐ事を困難にしている。奴の精度に関しては考えるまでもない。
抱える大河に傷つけることなく、衛宮士郎を射殺してみせるだろう。
移動しながら三人を護る事ができない。
しかし―――衛宮士郎の傷も放置しておけるものではないはず。セイバーとの契約が切れた今、鞘の加護も失われて―――なんだ? 焦点の危うい瞳は変わらないが、傷が屋敷のときよりも小さく……。

「くっ!」

今度は三条。銀の光が走る。先ほどの射と違い、今度は真っ直ぐ射抜いてきた。
迎撃しながら、奴を探す。先の狙撃では判らなかった、奴の位置が特定できる!

数百メートル離れた先に、弓を構えた赤い騎士はいた。
背の高い木から見下ろすその顔は、不適に笑みを浮かべ……。

「ちぃっ!]

衛宮士郎に放たれた矢を叩き落す。
だが、それで終わりではないと、続けざまに狙撃される。
体が、鈍い! 自分だけならともかく、凛たちを庇っていては、ジリ貧か。
俺の速さでは奴との距離を―――
何より宝具を使われては―――
容赦なく二人を狙う剣を砕く。思考すら満足にできぬ状態で剣を弾く。

「なっ!」

背後で黙って見ていた凛が、俺の横まで来る。突然の暴挙に、慌てるも凛の眼前で剣を迎撃した。
そのまま横目で見て抗議しようとしたが、凛の表情に一瞬気圧され、言葉を飲み込む。
奴も凛が前に出た事に当惑しているのか、狙撃を中断し、弓を構えた状態でこちらを見つめていた。
衛宮士郎の視線も、先とは違った危うさではあるが、凛に向けられている。
可笑しなことに、凛に向けて三人の視線が向けられる。
凛は傍目にも大きく息を吸い

「ああーっ。なんでこんなせせこましい事するわけ! 仮にも英雄なら正々堂々戦いなさい!」

なんてこと言いやがりましたよ。俺の主は。
相当、頭にきているのだろう。常の凛ならこんな事は言うまい。
衛宮士郎にいたっては、思わず両手で耳を塞ぎそうになっていた。
予想以上に余裕だな。落とさなくて幸いだが。

息を荒げていた凛が、こちらを向く。状況が状況だけに凛の前に出たいが、奴の動きはそれを許してくれそうにない。なにやら愉快なものでも見るかのような態度だ。

「アーチャー」

荒げていた息を整えるのに数秒くらいかかっただろうか。
その声からは先ほどの激昂は感じらない。

「―――なんだ」

「後をお願い。多分、もう狙撃はされないから。ガツンとあいつに喰らわしてやってよ」

何を馬鹿な―――そう言おうとしてやめた。驚くべき事に、奴は先ほどまで構えていた弓を、その手から消していたのだから。
凛の声が聞こえたかは定かではないが、信じていいのかもしれない。

「わかった……。君の期待に副うよう努力する」

「―――お願い」

「随分しおらしいことだな。先ほどの威勢はどうした」

「―――ふん。言われなくてもわかってるわ。努力したって結果がついてこないと認められないんだからね。ちゃんと重たいのを食らわせないと帰ってきても入れてあげないんだから」

「―――了解した。衛宮士郎。生きているのなら、凛を頼む。この通りまいっているようだからな。先よりは随分楽になっただろう?」

「あ、ああ」

自分の常態に気がついたのか、瞳に驚きの色が混じる。

「では、マスターのお使いを済ませてくるとしよう」

そう言って俺はアスファルトを蹴り、奴の方へと跳躍した。





紅い騎士の手前に降り立つ。
奴は無言だ。それどころか俺の方を向いてすらいない。視線はずっと凛が走り去った方向へと向けられている。
だが俺の敵意を感じたか、その身体がゆっくりと俺のほうへと向きを変えた。

「なるほど・・・・・・。奴を殺す前に、やるべき事がまだあるのだな」

アーチャーは何かに、今気がついたとでもいうような不思議そうな顔をしていた。あれほど発していた殺気は霧散し、その身からは覇気すら感じられない・・・・・・。

「何の、ことだ?」

「―――きみのマスターの事だ。たいした事ではない」

その表情からは何も読み取ることができない。

「悪いが、殺させるつもりはないぞ」

よりいっそうの敵意を籠めて放つも、アーチャーは何も返さない。関心を示さない。

「オマエは、その姿になって永いのか?」

「―――何が言いたい」

その言葉に僅かに困惑しながらも聞き返す。

「その姿、力、魔力、ほぼ全ての面で、私に勝っているのだろうな」

―――――実際にそうだろう。俊敏さを除けば、この身体はエミヤシロウの身体とは比べる事も馬鹿らしいくらい優れている。だが、俺の考えていることを見抜いたのか、それともまた表情に表れてしまっていたのか。真偽はわからぬが、アーチャーは皮肉気な笑みを浮かべた。憎憎しいくらいのよく知る姿だ。先ほどまでの呆けたような姿がまるで嘘だったかのような。

「気づいてないようだが。それには落とし穴がある。君の身体の正体。セイバーの真名を知っている私が取る方法も、少し考えればわかることだ」

そう言ったアーチャーは、ある“剣”を投影した。

「なっ―――」

その瞬間、纏わり付くかのような不快感と共に、身体がひどく重くなった気がする。その重圧は、確かにアーチャーの持つ剣から放たれていた。その原因を理解する。

「アスカロン―――竜殺しの剣か!」

その言葉にアーチャーは笑みを深くする。
重圧の効果と、アーチャーの態度に内心舌打ちをしながら、手にした長剣を構える。

どうやら、きついお使いになりそうだ。




[1070] Re[29]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2006/11/29 23:42
対峙したままで時間が流れる。住宅地から離れた場所で、高くそびえる木々はいっそうここの闇を深くしていることだろう。もっとも、ある程度強度の感じられる枝に立っている両者には関係ないかもしれない。この戦い。今の奴にはさほどやる気は感じられない。戦う理由がないとでも言うのか、俺にとって天敵とも言える剣を投影したにも関わらず、何の動きも見せない。
俺から、仕掛けるしかないのか……。
そう結論付けると同時に仕掛けた。
彼我の距離はたいした距離ではなかったが、それでも、一瞬で間合いを詰めるに到らない。この様ではよほどのことがない限り、追撃や撤退の類を行うのは難しいだろう。素より俊敏さに欠ける身。こうなってしまっては割り切るしかない。
竜殺しの聖剣を片手に持ったまま、構えもなく佇む奴に、横薙ぎに斬りかかった。
予想に違わず避けられる。軽く跳躍したアーチャーは傍らの木の枝に。標的を失った俺の剣は勢いを落とすことなく木を深く切り裂く。速度は論外だが、膂力に関しては、まだこちらが上。しかし、この様子では最悪、剣を合わせられない可能性もある。剣を相殺できるとすれば、奴が攻勢に回った場合のみか! なら!

「むっ!?」

続けざまに放っていた斬撃を無言で回避していたアーチャーが、初めて声を漏らす。
避けられながら、使用していた長剣を消し、大英雄の岩塊を投影する。身の丈に勝るその斧剣を回転する勢いを加えながら、真横に振り切った。
大きく跳躍してそれを回避したアーチャーは、木ではなくその下。地面に着地する。それに一息遅れて俺はその数メートル前に降り立った。

背後で、今までのとは比にならないほどの音を立てて、両断された木が倒れる。

「ふむ、中々にひどいことをするな」

呆れたとでも言いたげに、器用に片方の眉を上げる。
その表情には余裕が張り付いたままで、気に食わない。
だが、今はまがいなりにも戦いの時。余計な思考は、行動に関与しない。

「―――このあたりはマスターの私有地のはずだ。問題ないだろう。だいいち君が私の剣を避けるからここまでひどくなったのだ。この責は君にある」

それなりにこの場所はひらけている。逃げなければ、木を切倒すこともないと目で告げる。
その俺の言葉に、奴はあからさまに溜息をついてみせた。

「それが本心からのものとすれば……。少々毒されすぎともいえるな。三羽目の鳥、か。そもそもそんな剣を喰らってしまったら、冗談ではすまないのだがね。私を撲ることが目的ではないのかね。―――もっとも君の馬鹿力だ。関係ないかも知れんな」

―――確かに。両断された奴を殴っても意味はない、のか?
だが、この戦い自体冗談のようなものだ。殺し合いの聖杯戦争の中で、両者ともに敵意はあろうとも、殺意はない。
これは、殺す事を前提とした戦いではない。
俺は斧剣が奴に当たらない事を理解しながら使い、奴も俺が思っていることを理解している。
矛盾している。当たれば容易く死ぬのだ。当たらないという事は絶対ではない。

しかし、

「何故、貴様が私の目的を知っている」

「―――たいした事ではない。君は、君のマスターに背を向けて私の所へと来た。その間に君のマスターが教えてくれたよ。中々にえぐいコンビネーションだったな……」

―――この事には言及すまい。
どこか遠い目をしている奴も、穏やかだか、引き攣っているのか判別し難い事だ。

両手で持っていた斧剣から左手を離し、小さく暗示の言葉を呟く。

「ほう。そうくるか」

それを見たアーチャーが、薄く唇を歪める。
斧剣を二つ、それぞれの手に持つ。自身との大きさの関係上、刀身がいくらか地面に埋まってしまっているが。
さぞかし滑稽に見えることだろう。

アーチャーに向かって無言で走る。斧剣が地面に痕を残していくが、かまわず引きずった。
そのまま間合いの数歩手前で、左の斧剣を逆袈裟に振るう。
無理やり振るわれた斧剣は容易く躱され地面に突き刺さる。それをそのまま手放し、右の斧剣を水平に放った。
左とほとんど同時に動かしたために身体が流れるが剣は揺るがない。
それを跳躍して躱したアーチャーは、左手に干将莫耶同時に投影し、瞬時に投擲した。
木々の間をすり抜けてそれぞれ見当違いの方向へと奔る双剣。だが、それは確実に我が身へと迫るだろう。
それが自分に襲い掛かるまで、時間がかかると判断。左手に再度斧剣を投影し、連続して斬りかかる。
しかし結果はこれまでと同じ。むしろ長剣と違ってモーションが大きくなったため、初撃以外は回避に余裕すら持たれている。

あまり使いたくはなかったのだが・・・・・・。試してみるか。

右手に残っていた斧剣に一瞬視線を移すと、今までの勢いと変わらず、だが後ろに下がる。
その瞬間、アーチャーの手前に双剣が飛来し、俺が踏み込んだであろう位置を切り裂いていった。
標的を捉えることなく空気を裂いた双剣が木々の間に消えていく。
その間に俺は斧剣を両手に持ち直していた。

「十を超えて、考えを改めたか。何、そう怒るな。自分から痛い目にあうような殊勝な性格ではないことは、君だって解っているのだろう?」

周囲に突き立てられた幾つもの斧剣を見ながら、アーチャーが軽口を叩く。
バーサーカーとは比べるべくもないが、それでも惨状といっていいくらいには傷が刻まれている。

応える必要は、ない。

再び突進。速さは衛宮士郎に毛が生えた程度か。両手持ちでも、引きずるのは変わらない。
変えるのは戦闘方針。アーチャーに対する行動予測に、不可解な直感を加算。
優先度は、最も予測値に近いものを選択。

空間そのものを切り裂くように、斧剣をアーチャーに振るう。

「む―――」

アーチャーが回避した方向にもう一度水平に剣を払う。
一度目の斬撃よりも間合いを詰めてのそれは、アーチャーに跳躍以外の回避を許さない!
空中で身動きの取れないアーチャーは初めて

「ぐっ―――!」

俺の攻撃を剣で受けた。剣の勢いに押されたアーチャーは地面に落ちる。
そこにすかさず、上段から斧剣を叩きつけた。
体勢を崩しながらも、アーチャーはそれを横っ飛びに躱す。大量の土を巻き上げた斧剣はそれを間断なく追跡する!
無理な跳躍で距離のでなかったアーチャーは、着地を断念。片手で無理やり木をつかみ身体を一瞬宙に留める。
その下を俺の斧剣は振り切るが、躊躇なく、アーチャーに三度叩きつける。


鈍い音が響く。
躱すことを断念したアーチャーの筋肉が膨れ上がり、俺の剣撃を止める。歯を食いしばりながら、なんとか押し留めた。

「―――ぬ、ぐ、随分と速くなったな―――。いや、動きそのものの速さは変わらんか。だが、行動に移るまでが」

食いしばった歯の隙間から、アーチャーが声を漏らす。
だが、そんな余裕を与えた覚えはない!

力任せに押し切り、再度アーチャーの体勢を崩す。

「!?」

その瞬間アーチャーが左手に干将を投影する。
その意味を瞬時に理解―――だが遅すぎる! 斧剣を放棄しアーチャーにコンマ数秒遅れて莫耶を投影―――

「っが!」

だが、間に合わずソレは俺の身体を背後から切り裂いていた。莫耶に切り裂かれた俺は前のめりに体制を崩す。
同時にアーチャーの背後に引き寄せられていた干将はぎりぎりでその標的を外し、木に突き刺さる。
俺を切り裂いた莫耶を頭上に通過させたアーチャーは

「まさか、運の勝負で私が―――ぬ!?」

俺が解いた聖骸布が結び付けられた莫耶をすんでで避ける。
だが、弧を描いて飛んだソレはアーチャーの動きを一瞬阻害し、俺は倒れこむように奴の足をつかんだ。
そして、そのまま躊躇せず力任せに引っ張る。

「これは、あまり嬉しくない状況だな」

馬乗りされた状態でアーチャーが口元を歪める。
まな板の上の鯉とばかりにアーチャーは動かない。聖剣と陽剣を持ちながら、ソレを使うそぶりもない。
――――重圧くらいは許してやろう。

「この状況で軽口をいえるとはな。せいぜい歯を食いしばれ」

そう言っておれは右手を一閃させた。
小気味よい音が響く。生前あまり経験した事ではないが、中々に上手くいった。

「―――まさか、平手、とはな。とは、いえ首が捻じ切れるかと、ごっ!」

さすがにかつての自分の顔を変形させる趣味はない。とはいえさほど堪えてないようだったので、本命とばかりに脇腹にフックをお見舞いした。さすがに効いたのか、アーチャーの顔から汗が噴き出し、苦痛に歪められる。
それを確認すると、俺はアーチャーから離れた。使ったのは僅かな間であったが、相反するソレは俺の頭に針となって突き刺さる。
―――あまり多用できるものではない。
痛みを振り払うように頭を振る。
それに遅れて、アーチャーが痛みに耐えながら、ふらふらと立ち上がった。

「一撃、余計ではないかね?」

口調は普通だが、顔色はあまりよくない。溜飲が下がるというものだ。

「ソレがあるだろう? 一撃では足りるまい」

そう言って遠慮するなと、腕を振る。そもそも俺も背中に傷を負ったのだ。
アーチャーはその言葉に、複雑な表情で自らの手に持つ竜殺しの聖剣を眺めた。どっちが利口かは考えずとも明白だ。

「丁重にお断りする。それで―――どうする。まだ続けるか」

孤高の鷹の目が鋭利に、声が谺したように錯覚する。殺気が放たれる。

「ふっ、馬鹿を言え。私が貴様を倒すとすれば、マスターが居るときだけだ。そうでなければ、ただの戯れだよ。今夜のようにな」

そう言うと奴は笑みを浮かべて殺気を消す。

「それは助かる。正直君の馬鹿力は持て余し気味でね。失神しそうだよ」

「馬鹿力馬鹿力としつこい。一度言えば事足りるものを。無駄に連呼しおって。第一バーサーカーよりはましだ」

憮然としたような声に、自分で言っておきながらも驚く。顔に出さないように努めたが、奴には隠しきれなかったらしい。
いっそう笑いを深くして、奴は徒手空拳に戻った。

「名残惜しいが退散させてもらう。再び殴られても叶わんからな」

「貴様にその気があるのなら、いくらでも進呈するが」

「結構だ。君の二の腕を見せて貰ったからな」

體を怖気が奔る。奴は正気か? アーチャーは冗談だとばかりに両手を上げる。笑みを浮かべているのは百歩譲って許せるとしても、珍奇なものを見るような瞳は許しがたい。

「だが、覚えておけよ。その身体のこと。理解してなければ、思わぬ失態を取りかねん。理解しているとは思うが、オレの目的はあの小僧を殺す事だけだ。だが、オレがあの小僧を殺す権利があるとするならば、お前にはそれを止める権利がある。つまらぬことで後れを取るなよ」

一転して真顔に戻った奴はそう言って飛び上がる。

「まあ、その前に君には試練が待っているがな」

そう言ってアーチャーはある方向を示し、姿を消した。
その方向を確認もせず、俺は呟く

「わかっているさ。それくらいのことは―――」

無数に突き立った斧剣を見つめて、俺は聖骸布を引き戻した。



「お帰りなさい、アーチャー。とりあえず最初に言っておくわ。お疲れ様。最初の平手打ちなんて惚れ惚れするスナップの利かせ方だったもの。でも、今の私の――――用件はわかっているのでしょうね」

遠坂の屋敷の扉をくぐって、最初に言われたのがこれだった。宝石の使い魔が見ていたのだ。弁解の余地もない。

「―――ああ、わかっている。言い訳はしないさ」

「結構。あれだけ荒らしたんだから、それだけの仕事はやってもらうからね。とりあえずは紅茶でも淹れてもらおうかしら」

「それくらいなら、御安い御用だ。罰にもなるまいよ。それで、どうなのだ」

予想よりも軽い御達しに、内心胸を撫で下ろす。

「どうって、衛宮くんなら、貴女が帰ってきたって聞いた途端倒れちゃったわ。ほとんど傷は治ったって言っても、まだ熱を持ってたから。セイバーと契約が切れても、治癒は残っているのね」

そういえば、衛宮士郎の身体に関して、俺は会議に加わってなかったな。セイバーのおかげという事で落ち着いたのか・・・・・・。アスカロンのことといい、鞘のことといい、この身体は真実セイバーを同じものなのだろうか。セイバーのことは思考から努めて除外する。
理性に負担をかけるわけにはいかない。

「いや、小僧の事ではない。それよりも大河の容態はどうなのだ?」

そう言葉を返すと、妙な種類の笑みを凛は浮かべた。生前はあまり記憶にないが、この姿になってからはよく見るようになったソレだ。不快でないとは言いきれない。

「元気ね。少なくとも身体は全然問題ない。ただ、キャスターの魔術による眠りだから、ちょっとやそっとじゃ」

「あまり心配せずともよいかも知れんな。彼女の事だ、心配せずともひょっこり目を覚ますのではないかな」

「そうね」

そのまま声を交わさず、ただ俺が作業する音が静かに鳴る。

「ねぇ、アーチャー」

あくまで静寂を汚さぬような呟きだった。

「―――なんだ?」

「貴女、あの紅い弓兵と、何か関係があるんじゃない?」

そう、彼女は、紅い弓兵が示唆した言葉を吐き出した。


interlude



扉が閉まる。場所が場所だ。それなりに音は響く。鋼を叩くようなそれ。慣れぬ訳ではないが、ふさわしいとも思わない。
厳粛さは失われぬままに静謐さを取り戻す。
そのまま視線を動かさず、一点を見つめる。扉の方向を。
なんの価値もない輩だが、使えないわけではない。かの悪意など甘美な蜜にも足らぬ。
その性質上、事を起こさずにはいられまい。その過程で、必ずあの腐った妄執も始末してのけるだろう。
自分にとっては、最早害すらない、どうでもよいことだが、容赦しないだろう。
それこそどうでもよいことを考えながら扉に背を向ける。

「―――ほう、今夜は騒々しい客ばかりだな」

何かに気づいたように頤を上げる。
入れ違いにやってきた客を出迎えねばなるまい。拒むなどはじめから内にはない。

しかし、場合によっては道化にもなろう。
それがもとより、変わらぬものであるならば。躊躇すらない。



interlude out




[1070] Re[30]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2007/02/27 23:08


「まいったわね」

受話器を置いた凛は、彼女にしては珍しく顰めた顔を隠そうともせずそう言った。面倒だという感情を隠そうともしない。
昨夜の処理の件だったのだろうが、うまくいかなかったようだ。

「何か、判ったのか?」

凛のために淹れた紅茶を渡しながら訊ねる。大河や衛宮士郎に対する処置で、結局この時間になるまで彼女が眠る事はなかった。気休めにしかならんかもしれんが、今はこの程度の事しかできない。別に用意はしているが、これからの状況次第だろう。

「まあ、ね。あくまで推測でしかないのだけれど。き、監督役が、殺されるか、それに近い状況なんだと思う」

監督役……。あの教会の主というわけか。

「もし、それが事実なら襲撃したのは……」

「十中八九、キャスターの仕業でしょうね」

「ふむ、しかしキャスターが教会を襲うメリットはなんだ? 隠蔽に手がかかるなど、私には利点が思い浮かばないのだが」

霊地として考えても柳洞寺には敵うまい。しかし、まだその一端しか感じ取れてはいないとはいえ、確かにキャスターの性格を考えれば、柳洞寺は彼女にとって好ましいものではないのかもしれない。ならば、多少劣るとしても陣地を変える事はおかしくはないかもしれないが。

「さあ、どうでしょうね。選定役っていうくらいだから、聖杯くらいしか思い浮かばないけど。まだライダーしか脱落しないじゃない。何か方法があるとしても、早すぎ―――」

「まて、凛。たしか教会に聖杯はないはずだが」

「そうなの? って、どうしてアーチャーがそんな事知っているのかしら?」

俺の言葉に対して聞き捨てならないとばかりに凛が詰め寄ってくる。
しかし、言ってから気がついたのだが。

「む、それは……何故だろうな。私にもわからん。聖杯からの知識―――ではないな」

俺の表情で分かってしまったのだろう。凛はすぐさまその矛先を納める。

「でしょうね。それなら、バーサーカー以外は皆知っていることになる。それにアーチャー、貴女聖杯がどこにあるかまでは知らないのでしょう?」

「そうだな。まったくわからん。しかし、今教会に聖杯がない事は確かだと思う」

「まあ、いいわ。詮索しても仕方ないし。そんな暇も私達にはない」

「無論だ。既にキャスターの下に2騎。セイバーまでつけば手がつけられん」

「時間がないのは確かね。そして、貴女が言うようにセイバーまでキャスターに回れば手がつけられなくなる。教会が落ちたというのなら……」

との言葉に、俺は閉じていた目を片側だけ開いた。

「使い魔はアサシンに斬られたわ。キャスターが柳洞寺に戻っているのか、確かな事は言えない。だけど、ぐずぐずしている理由はないわ」

ふむ。と頷く。だが、そうしながらも私は、私の思考の一部は違う事柄に対して回り続ける。
先の話で、いささか時間を取りすぎた。いささか堪えるものだったが。なるほど……的を射たところもあった。歪なこの身を鑑みれば頷ける。今はそんな事を考えること自体無駄な事だ。それこそそんな悠長な事をせず凛の言葉通りに、動かなければなるまい。
だが、まず教会へと向かう前に。

「それで凛、そこの男はどうするのだ?」

「そこの男? 衛宮君……目が覚めたのね」

俺の言葉に、振り返った凛はその存在を認める。意識が混濁しているわけでも、体が言うことを聞かない事もなく、健康体そのものだ。
傷そのものは既に癒えていたのだ。時がたてば大河と違い、目覚めるのは容易い。

「遠坂……」

二つの視線を受けながら、衛宮士郎は言葉を発した。

「なに、衛宮君。何か用があるみたいだけど。私達はそれに応えてあげる時間はないわよ」

魔術師としても、マスターとしても未熟な衛宮士郎は、セイバーを失っては容易く死ぬ。凛としてはこのまま衛宮士郎に降りてもらいたいのかもしれない。だが、生憎と鞘の効果は継続しているようで、人間離れした死ににくさは失われていない。それは、きっとセイバーとのつながりを連想せざるを得ない。だから、衛宮士郎はきっと、諦めない。

「だが、俺達は―――」

その言葉を最後に、俺は二人の会話をある程度聞き流し、思考に没頭する。
衛宮士郎は今や元とはいえ、セイバーのマスターだ。こいつの性格ならこんなところでセイバーを見捨てるなどという選択肢を選ぶはずもない。たとえそれが、今より酷い状況だとしても変わりはしないだろう。
ここで置いていっても、こいつは一人で行動する。奴が最後に言った言葉を気にしているわけではない。だが、奴はそれを見逃すのだろうか? 無防備に、愚かまでにこいつは。
――――叶わぬと知って走り続ける。それに憎しみを抱いたのは……

「まあ、まて。二人とも。それぞれに言い分はあるだろうが不要だ。君達の主張が合致する可能性は、現在の所無きに等しい」

「でも!」

「だが、凛。仮にこの小僧を脱落させるなら、それこそ自由を奪う以上に物騒な方法しかない。まして教会が落ちている可能性もある今、こいつに単独行動を許して死なれでもしたら私としても寝覚めが悪い」

「なによ。睡眠なんかとらないくせに」

そう言って凛は俺と衛宮士郎を交互に見る。

「わかっていると思うけど、アーチャー。これは心の贅肉よ。それだけの覚悟はあるんでしょうね」

「それこそ愚問だ。私はこれでも合理的なつもりだ。少々君の癖がうつったかもしれないが、なに、心配はいらんよ」

「心配なんかしないわよ。まったく。貴女って本当に口が減らないわね。その格好でそれじゃ、キャスターに気に入られるのも頷けるわ。アンタも狙われてたんでしょう? ああ、過去形じゃなかったわね。今もか。ほんと、いい趣味してるわ」

それから、少々口にするのは憚れるほど。それほど凛のガンドと比べても遜色ないほどの、口撃に私は合の手を放つ。
それが、終わる頃には凛も笑みを浮かべていた。
衛宮士郎は呆然としたままだったが。

「というわけよ。衛宮君。アーチャーがどうしてもって言うから、まだ同盟は継続よ。言っておくけど、足手まといになったら躊躇なくおいていくからね。もちろん、セイバーを助けたらきっちりと負債を帰してもらうわ。」

「ああ、それでかまわない。こっちこそ、すまない。俺にはセイバーを放っておけない。必ず助け出す」

「ふむ。まあ、それだけ吐き出せば少しは気が晴れただろう。しかし、趣味云々はわからんな。私にはキャスターが気に入るものなど見当が―――」

呆れたと、凛が溜め息を吐く。凛ならともかく、衛宮士郎まで、そのような顔をするのは気に入らない。

「―――驚いた。貴女、自分自身には不器用というか無頓着というか。まったく。自覚しなさい。貴女は貴女が思っているよりも自分に対して評価しなければいけないわ。その態度は私達からしてみれば減点一ね。キャスターなんて、絶対貴女に対してあんなことやこんなことをしたくてしたくてたまらないはずよ。いまだってセイバーが何されてるのか。きっとあんな格好やこんな格好を」

「むっ」

「なっ」

俺と同時に衛宮士郎が声をあげる。

「と、遠坂、それはいったい」

「まて、凛。仮にもキャスターは英雄だぞ。そのような趣味など」

しかし、思い浮かぶはキャスターの言葉。躾けるという言葉は……

「どうかしらね。食事に並々ならぬ執着を見せる英雄もいることだし、ありえないことじゃないと思うけど」

確かにアーサー王の幻想ははそうなってしまったが。
そこで、凛が見ている先が私ではなく、私が着ている服なのだと気がついた。
確かこの服は、凛の兄弟子から贈られたものらしいが。よほどその人物とは合わぬものなのだろうか。服に罪はないとはいえ、凛の目は厳しい。別のベクトルで。
だが、凛の懸念がその方向のものであれば。コルキスの王女までまた、妙な事実が浮かび上がるのか? 杞憂であるといいが。

「なら、尚更急いでセイバーを助けなきゃいけない。セイバーが望まぬ事を強いられているのなら、なおさら」

どこか間違った想像をしているようにも見えるが、あながち間違いとも言い切れない。もともと後先考えてないような小僧が熱くなったとしても、たいした違いはない。凛は、失敗したという顔をしていたが、これもまあ、いつもの事とも言える。

「そうね、無責任な事を言ったわ。ごめん」

「では、急ぐとしよう。朝食くらいはとっておけ。昨夜から何も食べてないだろう?」

そう言って俺は、別の部屋に用意しておいた簡単な食事に二人を誘った。



二月九日




まだ、夜が明けたばかりだが、太陽の光は曇天に遮られ、世界はひどく狭窄に感じる。
目的地が教会という事もそれを強くしているのかもしれない。
時間が時間とはいえ人がほとんどいないのは助かる。
かつて、セイバーが言った言葉だったか。あの教会はよくない。濁っているという点では、柳洞寺にすら負けてはいない。
いや、俺にしてみればこちらの方が幾分強いかもしれない。それは、あの夜には感じなかった、教会に近づくにつれて高まる不快感が関係しているのかもしれない。なるほど、本当にこれから向かう場所は良くない。

「どうしたってわけ、アーチャー。さっきの事まだ根に持っているの?」

「さっきのこと?」

思いがけない事を凛に訊かれ、首を傾ける。その隣で何故か衛宮士郎が噴き出していた。今は苦しそうに胸を押さえている。
どうやら、勘違いしたようだが、本当に俺には凛の言うそれが何か判らなかった。

「よかったわね、衛宮君。アーチャーったら、本当に覚えてないみたいだから。まったく、本当に自分に関しては無関心なのね。こりゃ重症だわ」

そうやって凛が天を仰いだ瞬間。衛宮士郎が俺の目の前で土下座していた。
人がいないとはいえ、こんな場所で頭を下げられる理由がない。

「む、何のつもりだ。衛宮士郎」

「悪い、アーチャー。許してくれなんて言えないけど、せめて。謝らせてくれ」

「むう、だから何のつもりだ。私には貴様に頭を下げられる理由はない。むしろ、理由がないのに謝罪されても迷惑だ。それとも、お前は私に蹴り飛ばして欲しいのか?」

俺が本気だと気がついたのか、衛宮士郎は慌てて立ち上がる。
まったく。こんな所で土下座などと、俺にも人並みの羞恥心は持ち合わせている。

「それで、何故私に謝罪などを? 本当に覚えがないのだが」

「それは……」

「さっき、アーチャーの着替えを衛宮君が偶然見ちゃったでしょ。それに対してよ。さっきから不機嫌そうな顔をしていたから、まだ怒ってるって思っちゃったんでしょう、きっと」

凛の言葉で、それが何のことか理解する。霊体で行くべきだと考えて俺がそうしたのに対し、凛が実態で行けと命令したわけだ。
おかげで、霊体化したと同時に、力を失うように地に落ちた服をまた着る羽目になった。それを、偶然衛宮士郎に見られたわけだが。

「馬鹿らしい。それなら貴様はすぐに謝ったではないか。それで足りている」

「だけど、アーチャーは意地っ張りというか」

衛宮士郎の言葉に、こめかみがひくつきそうになったが気のせいだろう。だが、それを抑えて溜め息を吐く。

「それについては私の方から謝罪しよう。別件だ。教会に関してだよ。お前が俺を見たことについてはとやかく言わない。謝罪なら一度で十分だからな。だが、セイバーに関しては容赦せん。例え、彼女が許しても俺が許さん。その時は俺が千殺してやるから、忘れぬ事だ」

そう言って、軽く衛宮士郎の胸を突く。がくがくと首を縦に振る衛宮士郎が滑稽だったが。俺は嘘は言ってない。
セイバーならきっと許すだろう。だが、俺が許さん。それだけだ。
まったく、馬鹿馬鹿しいことをいつまでも。まあ、緊張でがちがちになってたり、熱くなって冷静さを失っていたりするよりはましと考えればいいだろう。常に優雅たれ、との理想には程遠いが。

「それはいいけれど、アーチャー。俺って言うのは減点だからね」

―――仕方ないだろう。このような姿でも俺は男なのだから。
やはり、多少は硬くなって欲しいかもしれない。そう考えて俺は小さく溜め息を吐いた。
気味が悪いくらいに教会の周辺は静かだ。人どころか、動物の、虫の気配すらないように思える。
空を覆う灰色の雲はあまりにも陰鬱で、この場所の不快感を増す助けにしかならない。
町の喧騒からは無縁の郊外に立っているとはいえ、これはいきすぎだ。

「どう、アーチャー?」

「相手がキャスターでは、私の知らぬ気配を消す手段を持っているかもしれんが」

「と、いうことはサーヴァントの気配は感じないわけね」

凛は拍子抜けしたといった感じだ。ここは、嫌な場所ではあるが死地ではない。それを感じ取っているのだろう。

「残念だが、そうなるな。もっとも、確認するのなら、入らないわけにも行くまい」

「あたりまえじゃない。ここまで来て、帰るなんて選択肢は初めからないわ。衛宮君もそれでいいわよね」

「ああ。覚悟はできてる」

そう言って、衛宮士郎は頷く。それを見届けると俺は扉に手をかけた。
重苦しい音を立てて扉が開く。

背後の二人が息を呑むのがわかった。
床に血痕が残っている。点々と続く血の跡は教会の奥の扉へと続いていた。
おそらく、この血痕の持ち主はあの場所からこの扉まで、つまり教会を出たのだろう。気がつかなかったが、外にも血痕が残っているかもしれない。この量は、命に関るか。
何れにせよここに俺たち以外の存在はない。
俺は躊躇せず血の跡を辿る。後ろの二人は無言だ。
椅子の合間を抜けて祭壇へ。その先にある扉へと。

その血痕の続く先が何故こんなにも心を抉るのだろうか。そう、覚えがある。
         違う。
忘れていた何かが警鐘を鳴らす。
         それは、お前の、
それが何なのか、わからないまま血痕を辿る。不快感は胸に重く圧し掛かり、焦燥は沈殿していく。
         だから、
もはや、血痕を辿る必要もない。その場所を俺は、覚えていた。
         無意味だ。


「階段? ―――地下室」

衛宮士郎の呟きが聞こえる。知らなければ通り過ぎる。建物の影になったそれは、普通ならば見落とすものだ。
その闇に躊躇せず踏み込む。細い細い階段を降りていく。真っ当な歩き方など知らない。
下手をすれば、階下まで転がり落ちるような、無謀さにも似ていた。
石造りの部屋だ。明かりなどないのに、この場所は青白く燐光を帯びている。それは、まるで貪欲な生き物のように思えて眩暈がした。

「聖堂、ね」

そう言って凛が呟く。彼女もここは知らなかったのだろうか。
隠された聖堂ともいえるこの場所は、頻繁に使われていたらしく、埃や黴といった汚れは見当たらない。
既に持ち主は退場し、その生死も定かではない。
キャスターは確かにここを襲ったのだろう。その痕跡は僅かではあるが、確かに残っていた。
凛も、衛宮士郎も、正面のシンボルに気をとられて俺には気がつかない。

その間に俺は、その正反対にある黒い闇へとその身を投じた。

「―――あ」

知らず、自分でも意図せず声が漏れた。
何も、ない。何もなかった。何も残っていない。既に終わっている。
だが、それはなかったこととは違う。違うのは、僅か数日程度の違い。
ここには確かに苦痛が、不条理が、地獄があったのだ。

知らず、膝を突く。
かつて感じた地面の感触はなく、それはただの硬い石のそれだ。
忘れていた。そう、忘れていたのだ。ここに存在したものを。かつて見たあれを。
救えない。そんなことはわかっている。忘れていなかったとしてもそれは手遅れに変わりない。

「アーチャー、どこに行ったわけ? ああ、いたいた。やっぱり、キャスターは一度ここに来たみたいね。綺礼の奴はやっぱり見当たらないけど。って、どうしたの、アーチャー。真っ青じゃない」

「ああ、心配ない。すこしこの場所に当てられただけだ」

「当てられたって。あんた……」

凛の言葉を流して立ち上がる。四肢から抜け落ちていたかと思っていた力は、前以上の働きを持って身体を回す。

「それより、凛。ここの主は綺礼というのか」

「ええ。言峰綺礼。いけ好かない奴だけど、死体がない以上、生きているんでしょうね」

その顔は忌々しげに見えた。だが、俺の視線に気付き、顔を曇らす。
よほど俺は酷い顔をしているのか、凛も、そして聖堂に残っていた衛宮士郎も表情が優れない。
衛宮士郎の闇。その一つは、知られないままに終わっていた。おそらくはキャスターの手で。
そのことを伝える気はない。

言峰綺礼。忘れていた名を口の中で反芻する。
未だ忘れていることは多い。自分でも気がついてないものもあるだろう。

キャスターの姿もなく、たいした収穫もない。
だが、最後に立っていなければ、奴は現れまい。ならば俺は―――



[1070] Re[31]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2007/02/03 23:46


まだ、散策している二人に、見張りが必要だからと俺は逃げるように地下室を後にした。いや、事実逃げたのだろう。
煮えたぎるような感情を、理性という歯車で蓋をしているつもりだが。どんな顔をしているのか分からない。そして、それを俺は見られたくなかった。こと、表情に関しては俺の主観は尽く裏切られたのだ。今回もその例に漏れはすまい。
降りるときには気にならなかった音が、酷く耳に障った。


吐き出してしまいそうな不快感を、心の内の鞘に納める。棺に蓋を。今は必要のないものだ。そうして、俯いていた顔を上げた。
教会自体は、少々小さいながらもその姿は実に潔い。華美な装飾などなく、清廉なそれは本音を言えば嫌いではない。残っていた血痕がそれを侵しているとはいえ、その程度では失われるものはない。
隠り世から現世へ。それをつなぐ橋のような血。堆積した苦痛の残滓の上に、荘厳なる世界が浮かぶ。既に死人のこの身では、生者を助けること叶わず。それはキャスターとて同じこと。もっとも、俺が生きていたとて……変わるのは早いか遅いかだけ。
ほとんど無意識に、並んでいる椅子の一つに指を這わせる。何も纏っていない指に、椅子は冷たい。よく手入れされているのだろう。一人でこの教会を維持していたのだろうか。たった半刻程度のことだ。だが、それだけで俺の精神は疲れを感じていた。
トスン、と椅子に腰を下ろす。お世辞にも座り心地が良いとは思えなかったが、それだけで楽になった気がした。長椅子に背を預けながら、礼拝堂を見回す。ゆっくりとそれは移動し、最後に偶像を中心に据えて固定された。
――――はたして、奴は神を信じているのか?

「アーチャー?」

いつの間にここに戻ってきたのか、衛宮士郎の声が礼拝堂に響く。動くだけで判るものを、捉えることができなかった。この身が剣だとしても、まるでとんだ鈍だ。衛宮士郎の接近に気がつかなかったことが忌々しいのならば、そんなことを考える自分にも腹がたった。
偶像から目を逸らさぬまま、衛宮士郎に問いかける。

「もういいのか?」

俺が応えるとは思っていなかったのか。僅かに戸惑うような気配を感じる。俺は死人だが、ここにいる。などと、衛宮士郎に言ってしまいそうになった自分に、力が抜けた。あいつに死人などと言っては、諍いになってしまうだろう。

「あ、ああ。俺に判ることなら、遠坂は解っている。そもそも、俺が判ることなんてなかったけど」

「そうか」

それで用は終わりと、俺は黙る。しかし、衛宮士郎はそうではないらしい。

「ああ、だけど、アーチャー」

「―――なんだ?」

礼拝堂に音を響かせながら、衛宮士郎が近づいてくる。それでも俺は偶像から目を離さない。
そうして、衛宮士郎は俺から数メートルも離れてない場所で立ち止まった。

「何か、俺に隠し事してないか?」

「――――はっ」

思わず笑いがこぼれる。弱った理性は、感情の抑制をするに足らない。これが笑わずにいられようか。小さく吐き出すように漏れた笑いは、止まることを知らず、瀑布のように礼拝堂に響いた。

「あれ? 俺、なんか可笑しなこと言ったか?」

どこかむっとしているような、それでも、それに徹しきれてないような声だ。

「ああ、おまえの認識は正しいよ。今更何を言っている。俺がおまえに対して、何かを隠している? はっ、何を寝ぼけた事を。初めから貴様に全てを話すつもりはないし、義務もない。第一――――、知っても益はない」

そうして、俺は初めて、偶像から目を離し衛宮士郎の方を見た。だが、そこに居るのは衛宮士郎だけではなかった。入ってきたばかりなのだろう、奥の扉の閉まる音が響く。

「あら、益があるかどうかは、聞いてから判断するものだと思うわ。何かに気がついているのなら、詳しく教えてもらいたいわね」

何やってんのよ、あんた。と言いたげに凛は目を細めている。見張りがどうとかと言って、一足先に出たのだ。しかし、やっている事は長椅子に座って寛いでるのだから。しかし、まあ、いいか、と凛も椅子に腰掛ける。正しい座り方とは思えないが、俺から何かを聞くつもりなのだから、それは正しい座り方とも言える。その目は早くと、俺を促していた。

「ここに来て判ったことなど、凛と変わりない。キャスターがここを襲い、そして、もう居ないというだけだ」

「ふーん。まあ、そんなところでしょうね。キャスターはこの教会を襲い、そして綺礼は破れた。どうしてキャスターがここを襲ったのかも、そしてここに居ないのも、理由は判らないわ」

衛宮士郎は凛の顔に気がつかない。当然だ。顔が見えてないのだから。だから、俺が二人にまだ何かを隠していることを。そして、凛がそれに気付いていることに、衛宮士郎は気付かない。

「じゃあ、キャスターを倒すには」

「柳洞寺を攻略するしかないでしょうね。だけど、それは不可能。いくらなんでも四対一じゃ逃げることすら至難の業でしょうね」

無言で頷く。衛宮士郎が何か言いかけるが、それを手で制す。確かに、セイバーは令呪に抵抗できているが、それは一つの令呪に対してにすぎない。いくらセイバーが破格の対魔力を持っているとて、令呪を使うのもまた魔術師としては現代のそれとは桁が違うのだ。二つ目の令呪を使われれば、それこそセイバーは数分と持たないだろう。そして、これはただの四対一ではない。キャスターは柳洞寺に陣を敷いている。あの場所に限って言えば、俺は突破するだけでも難しい。セイバーですら一対一で突破できなかった山門を、剣技で劣る俺が挑むのだ。それはセイバーが抵抗している今も変わりない。三対一でも結果は同じだろう。だからこそ、キャスターがここに留まってくれれば、望ましかったのだ。
そして、ここに居る誰もが勝ち目がないことを理解している。そして、二人ともそれを打開する手段が思い浮かんでいるのだろう。

「なあ、遠坂。他のマスターはこの状況、どう思っているのかな」

最初に口を開いたのは衛宮士郎だった。俺自身は、今は何も言うつもりはない。どう決まるかはある程度の予想がつく。

「その言葉が、どうして出てきたのか訊きたいけど。そうね。キャスターについてないサーヴァントはバーサーカーとランサー。彼らのマスターが誰であれ、この状況を好ましいとは思ってないと思うわ」

その言葉に、何かが警鐘を鳴らす。それは、推測に過ぎない。危険な考えである事に変わりない。バーサーカーの主は、己が従える巨人の最強を疑いはしない。それは、未だ判らぬランサーの主とて同じ。そいつには、ランサーをハルカに超える切り札ガ……。
なんだ? 僅かに覚える頭痛に眉を顰める。未だ思い出せぬ、かつての聖杯戦争の欠落。それが致命的なものだと、何かが俺に告げている。その答えを、意識の大部分を裂いて探す。それが無意味と理解しながら。おそらくは内部の働きかけではこの欠落は埋まらない。
衛宮士郎が言葉を発するのを、凛が止めた。

「まって、状況を整理してみましょう? それからでも、衛宮君の考えを聞くのは遅くない。キャスターだけならたいした事はない。だけど、白兵戦に長けた葛木。アサシン、アーチャーにも護られているのだからさすがに手が出せない。そして、セイバーが操られるのも時間の問題。まだ、操られてないとしても、それはキャスターの気持ち次第に過ぎない。状況は時間とともに悪くなっていくわ。それを踏まえた上で、衛宮君、何か打開策はある?」

その凛の行為に意味はあったのか。先の言葉から衛宮士郎の意図は読めている。なら、この確認の作業は衛宮士郎のためではなく―――

「じゃあ、遠坂。俺達にできるのはやっぱり―――」

そこで、言葉を止めた衛宮士郎は、凛ではなく俺のほうへと視線を一瞬向ける。どちらにせよ、その顔では考えていることはだだ漏れだ。

「怒らないから、さっさと言え」

凛に先んじて衛宮士郎へ言葉を放つ。凛は頷きながらも俺に鋭い一瞥をなげた。

「他のマスターと共闘するしかないと思う。といっても、相手は一人しか思いつかないけど」

その言葉に凛はほうと息を吐く。凛はその言葉に否定はしない。内心どうあれ、それしか方法がないのだから。だが、気乗りしていないのは表情からも明らかだ。そんな顔をしているから衛宮士郎に気を使われてしまう。

「そうね。ランサーのマスターは不明。交渉可能なのはバーサーカーのマスター。イリヤスフィールなわけだけど」

「うん。あの子なら話を聞いてくれそうな気がする。無茶な要求もないと思うけど」

衛宮士郎は、話せば判ってくれると、イリヤに対して思っているのだろう。だが、楽観できることではない。彼女は天使な悪魔。彼女が無茶なことを言うのはおかしくはないのだから。

「うーん。判らないわね。私はあの時、その場に居なかったから。なんとなく衛宮君に執着があるように見えたんだけど。やばい要求されるかもね」

「う、脅かすなよ遠坂。まだ一度しか会ってないんだしそんなことあるわけないだろ。だいたいなんだよ、無茶な要求って」

その怯えは、両者の実力差を考えれば、当然のことである。そしてイリヤにはバーサーカーが居る。衛宮士郎が求められるのは

「――――そうだな、イリヤの使い魔にされて、彼女の玩具にされるくらいではないか? 別に命をとられるわけではないだろう」

二割の思考で応える。未だ、答えは発見できない。無理とは判断したが、探さないわけにもいかない。

「あ、アーチャー? なんでそんな具体的な例が出てくるのかしら?」

「そ、そうだよ。お、玩具って何さ」

二人とも顔が引き攣っている。想像してしまったのだろうか。玩具と言っても言葉の意味だ。だが、実際はどうなのか。彼女のことだから、不気味なものには転送しないだろう。あの部屋から想像するに。

「む、まあ、なんとなくだ。彼女のことだから、ぬいぐるみとか人形の類ではないか?」

「ぬ、ぬいぐるみ……」

「もっとも、そんなことになれば交渉はご破算だろうがな。今まで一人で出歩かなかったのは誇っていいぞ。ふわふわはみっともない」

あれは大甘らしいから。バッサリされるぞ。バッサリ。

「ふわふわ? それと一人で出歩く事の何の関係があるんだ? それなりに一人だったと思うけど」

それから、まだ何か言おうとした衛宮士郎に、凛が何かを耳打ちした。あまり関係なさそうなので意識はしないが。たいした事ではないだろう。あまり、衛宮士郎にかまってやれるわけではない。

「とにかく、今はイリヤスフィールに賭けるしかないわ。バーサーカーならアーチャーにアサシン、キャスターが相手でも負けないでしょう。こっちにもアーチャーが居るんだから十分勝機はある」

「それは、そうだろうけど。そう上手くいくのか? セイバーと取り返すってことは、キャスターを倒すってことだろ」

「キャスターの陣営でバーサーカーを傷つけられるのはアサシン以外全てだ。セイバーのマスターがキャスターに代わったことで、彼女がどれだけ力を取り戻しているかにもよるが、宝具が使えるのなら関係ない。侮ればバーサーカー共々散ることになろう」

「え、セイバーの宝具じゃ、十二の試練を―――」

衛宮士郎の言葉を凛が遮る。まだ、見つからない。やはり無理なのか。

「そう、それで、あなたにそれを防ぐ手段はある?」

「不可能ではない。だがそれはセイバー共々私が消えることを防ぐと言うのならば、だが。いや、他にも何か」

魔力の量から言えば聖剣の使用は問題ない。十全に引き出すことが可能だろう。だが、そんなことをせずとも俺にはそれを防ぐ手段がなかっただろうか?

「そう。とにかく、異論はないわけね。キャスターを倒すために、イリヤスフィールと手を結ぶ」

「まあ、あまり気は進まないが、心変わりするつもりはないのだろう?」

「ええ。時間がない現状で、これ以外の方法がないのなら、ね」

「じゃあ、決まりだな。だけど、どこにいるんだ? あれだけの魔力を持っているってのに。感じたことはないぞ」

すでに、二度ほど会った。

「大体見当はつくわ。昔、父さんから聞いたことがあるの。アインツベルンは郊外の森に別荘を持っているって」

あれは、別荘と言うよりは城だ。

「「――――――――――」」

「それで、すぐ動くのか?」

「詳しい場所は調べてみないと判らないわ。だけど、そんな悠長なことはしてられないか」

「いや、それくらいの時間なら」

「必要なかろう。森全てがアインツベルンのものなら、侵入すればすぐにばれる。誘導してもらえる、というのはただの希望的観測だが、隠れ家を探すのは弓兵の仕事でもある。私が何とかしよう」

「ま、アーチャーが言ってるんだし。今からで大丈夫なんじゃない? 私が言うのもなんだけど、一応アーチャーは弓兵だしね」

「アーチャーがすごいってのは判るけど、ほんとに大丈夫か?」

衛宮士郎の心配する声を聞き流す。些かニュアンスが違ったようにも思えたが。

「まあ、すぐに元に戻るわよ。とにかく、方針も決まったんだし早くここから出ましょう。あんまりいい場所じゃないんだし」

そう言って凛は立ち上がる。確かにいい場所ではないが、嫌いではない。これ以上は、やめよう。

「そんなに綺礼のことが気になるの? まだ、会った事もないのに」

「さあな。会ったことがない以上、なんとも言えない」

もう一度、偶像を見上げ、そして足元の血痕に視線を移す。はたして、奴は神を信じていたのか。

「そう。綺礼といえば、貴女が今着ている服も、あいつがくれたものだったわね……」

少し憮然とした顔で俺は自分の服を見つめた。セイバーや凛が着れば似合うだろう。俺としてはあまり意識したくないから除外する。

「服に、罪はない」

そう短く言葉にする。そう、この服に罪はない。セイバーの服にも、凛の服にも。もっとも、服に罪の所在を求めるなど、正気の沙汰ではないが。

「そうね。それでいいんじゃない。あんまり嬉しくないようだけど、貴女に似合ってるもの、その服」

最初の服とは違うそれを見る。セイバーに渡したものと違って、数はないらしい。今、俺が着ているのは黒のブラウスに黒のスカートだ。代わりにタイが赤。あまり、人に見られたくない。霊体で移動したかった理由にこのことがある。もっとも、どのような姿であれ、この姿をさらすのは抵抗があるのだが。考えないようにしなければ、精神が擦り切れそうなのだから。

「嬉しくない」

だから、そう言い返すのが俺には精一杯の抵抗だった。




[1070] Re[32]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2007/03/10 03:20


先頭に立つ衛宮士郎が、教会の扉を開いた。その際、どうしても扉が軋む音がする。外も内も大して明るさは変わらないというのに、一歩外に出るだけで、不快な胸の内はただの平静に戻った。元々教会というものが苦手だからか。それとも、あの神父に良い思い出がないからなのか。
立ち止まり背後にそびえ立つ境界を見上げる。神の家とはいえ、好きになれるわけではない。それがあの神父のせいなのか、それ以後のことが関係しているのか。
そもそも、何時から嫌いになったのか。記憶を辿ってみても思い出せるものではなかった。
無いものはない。しかし、神父を可能性から除外できないのは確かではある。
今は、胸に沈殿していた不快感が消え去っただけでも、よしとするほかないだろう。
もっとも、精神的陵辱を受けた傷は、今尚癒えることなく残っているが。数多く受けていたそれはこの身体と違い、容易く癒えるものではない。その点では、一つや二つ傷が増えたとて、今更たいした事ではない。
そうして俺は頭を振り前を向いた。

「とりあえず、戻るわよ。さすがにここからじゃ、足は用意できないし」

その言葉に無言で肯定する。
今からかの森に挑むとして、遅くとも日までは暮れないだろう。たいした準備が要るわけでもないはずだ。
教会から遠ざかる。地上へと戻る道すがら、不意にある事柄が頭を過ぎった。

ライダーのマスターはどうしたのだろうか、と。



新都から凛の家、そして衛宮の屋敷に戻る事一時間。それから、タクシーに揺られること一時間。
延々と続く国道を走る最中、その金額を考えなかったわけではないが。それも不毛と切り捨てた。出したのは衛宮士郎だ。全額。
私は霊体化させられるのかとも思ったが、普通にタクシーに乗る羽目になった。三人とも向かう先のことを考えれば、相応しい服装ではない。郊外の森に挑むにしては凛の服も、そして遺憾ながら自分の服も、その、なんだ。まあ、目的地は城だからと無理やり納得する。
他人と近いと否応に、自分のおかれている状況、状態を自覚させられる。普段は考えないようにしているが、やはり辛いのだ。
単独行動で、人から隠れるようにするそれとは違う。相手があるからこそ、ダメージが大きくなる。
しかも、最近は抑えが効かなくなってきたように思う。どうやら精神は、日に日に擦り切れているのかもしれない。
そうして、いくつかの山を越えて、森の入口に辿り着いた。
ただでさえ良くない空だというのに、それを隠すほど枝が覆い茂り、その先を見せない。日は天頂に届こうという時刻だが、そんなものは気休めにもなりはしなかった。朝靄のように白ばむ森が、時間の感覚ですら狂わせる。


間桐慎二の事は、ここまでの時間の中で、完全に頭から消えていた。考えるまでもないというのが実際だった。
問題はイリヤのことだ。彼女が協定、協力関係を受け入れるとはどうしても思えなかった。
イリヤは己のバーサーカーに絶対の自信を持っている。その彼女に対しての協力の要請とは、バーサーカーの力を疑う行為ととられるかもしれない。
もし、交渉が決裂するならば戦わなければならない。その場合どうするのか。タクシーの中で会話するわけにも行かず、かといって、念話で話す事もせずにここまできてしまった。
前を歩く二人を眺める。
凛は小さな鞄を、衛宮士郎は竹刀袋を手にしている。骨共を放っておいた屋敷だが、既にその痕跡すら残っていなかった。
凛の事だ、バーサーカーとの戦いは考慮しているだろう。そもそも、勝ち目が皆無なわけではない。その後が厄介な事になるだけで。
交渉が上手くいけば問題ないのだが……。

そうやって、柄にもなくうだうだと考えていたのが良くなかったのか。二人が話している事も、あまり耳に入っていなかった。
否、あまり、その意味を考えていなかった。

「ちょっと、アーチャー。悪いけど先に進んでくれない?」

「かまわんが」

凛の言葉にたいした詮議もなく、二人を追い越して森の中へと足を進める。何もない。何事もない。
そのまま十歩も歩けば完全に森の中だ。これでいいか? と足を止めて振り返る。

「あれ」

その事が予想外だったのか。凛の顔が、少し呆けたものに変わる。普段が普段だけに、僅かな変化だけでもその効果は大きい。
そのまま、少し考え込むそぶりを見せたが、「あ、そうか」とでも言うように、彼女は手のひらを叩いた。

「ごめん、衛宮君。アーチャーのところまで行ってくれないかしら」

「いいけど。なんか意味があるのか? 先に進むわけでもないし」

凛の言葉に、衛宮士郎はすぐさま了承した。
衛宮士郎から俺の距離はせいぜい十歩もない。たいして苦もない作業である。もっとも、別に先に進むでもなし、こんな所で道草を食っている事に疑問を持ったのか。
その声には少し文句の響きがあった。とはいえ、それは些細なもので、衛宮士郎は何のためらいもなく俺が居る場所へ。
森へと足を踏み入れた。

「うわっ―――、なんか、ビリッと来たぞ!」

そう言って、足を引っ込める。痺れたのは一瞬だけなのか。そして、それもたいした事がなかったのか。その表情には痛みよりも驚きという度合いが強い。―――静電気のようなもの、か? 傍から見ればそれなりに間抜けな表情だが、それを言ってやる義理はない。

「やっぱり、森全体に管理が行き届いているみたいね。その様子じゃ、識別だけかしら。考えたらアーチャーには対魔力があるんだから、意味はなかったわね」

「あ―――え? それって、まずいんじゃないか? 警報装置に引っかかったようなもんだろ?」

自分が実験台にされた事に、一瞬何かを考えたようだが、その結果に比べればたいした事ではないと、疑問を口にする。
ある意味では、聖人君子のようなものだ。誰かがストレスを溜め込むなといったことが思い出させる。
ストレスに感じているかどうかは、おれ自身にも判別不能だが。家事に精を出しているときはそうなのかもしれない。
―――あれは一種の逃げ道だ。

そうやって、ぼうっと見ている間に会話は続けられる。

「大丈夫よ。わたしたちは奇襲に来たわけじゃない。話し合いに来たんだもの。アピールしておいて損はないわ」

その言葉は少しおかしいと思う。そう言いかけて口をつぐむ。
たしか、あの時イリヤは出入りだけを認識していたのだったか。あの時、どうやって三人は森に侵入したのだろうか。
あの言動では森への侵入を、イリヤに気づかれているようではなかったような気がする。城はともかく。

「あ、気をつけろよ。ピリッとくるから、ピリッと」

「わかってるわかってる。衛宮君の見てたんだからどんなものかくらいわかって―――」

注意を促す衛宮士郎と、それを笑って流す凛。しかし、こと危険に対する嗅覚に限っては衛宮士郎のそれはある意味セイバーすらを―――
どうかしている。そう、口の中で呟き頭をふる。そのような評価は正当ではない。そもそもそんなものがあれば衛宮士郎は
そうして、凛から視線を外したために、俺は決定的な瞬間を逃してしまった。

それは、決して健康的な音ではなかったと思う。そもそも、その類の音が健康的であるかは判らないし、知らない。
多分健康的な程度なら音はしないのだろう。その点で言えばそれは健康的ではないのだ。音がしたのだから。

「うきゃ――――!」

そうして、その音にコンマ一秒と遅れず、森を愉快な奇声が揺らした。

「うわぁ」

耐え切れず衛宮士郎が声を漏らす。凛の足元は、残り香のように音を発し、落ち葉は間違いなく焼け焦げている。

「こ、個人差がある警報なのかな。俺のときは挨拶程度だった気がするけど」

努めて冷静を装って分析しているのがわかる。汗の量が普通ではない。なにしろ衛宮士郎はまだ、森に入ってないのだ。足を引っ込めてしまったせいで。
この警報がランダムで威力を選んでいるのならば、先のそれがたいしたことがなかったとしても、安心は出来ない。
自分の運の悪さは俺もあいつも十分理解している、はずだ。顔を見れば判る。
だが、衛宮士郎の不安も言葉も、凛の耳には届かなかったらしい。

「ふ―――フフフふ、ふ、ククク―――」

その笑いとも呻き声とも判別し難いそれは、聞くものの心の臓を縛り。

「やってくれるじゃない、あのガキ! 今笑ったの確かに聞こえたんだからね!」

獣のように、誰も居ない虚空へと怒鳴った。先の話し合いという言葉は過去の遺物とでも言うのか、まさしくその殺気は殺し合い専用。
グラップラーもかくやというやつだ。その剣幕には、さすがに俺の顔も引き攣る。
まあ、なんだ。人間というものは誰しも苦手なものがあるのだ。

「はあ、はあ。それより、衛宮君。早くこっちに来たら? 日が暮れちゃうわよ」

肩を怒らせて、猫科の動物が威嚇するような姿で、凛が言葉を発する。
それは、少し八つ当たりにも聞こえるから厄介だ。常人なら凛の様を見て躊躇うのは仕方ない。
躊躇わないのは頭のねじがどこか緩いかとっくに抜けてる奴で、衛宮士郎はそういう方面では普通だと思う。
そこに大物を含めないのは、中々それがいないことも関係しているが。いないわけではない。ここにいないが。
まあ、すぐに覚悟を決めて入るだろうが。こいつの奇声を聞いても、何の益もあるまい。

「あーちゃー?」

凛が不思議そうに、森を出る俺を見送る。そうして、衛宮士郎の場所まで戻った俺は問答無用で。
衛宮士郎を抱えて森へと踏み出した。
もちろん、何の衝撃もない。

「「あ」」

どちらが言ったものか、二人で言ったのか。間抜けな声である事は確かだ。
それに眉を寄せながらも凛の所まで足を進める。
その間、凛は目を丸くしながら俺のほうを見ていたわけだが、不可解にもその目を楽しげに細める。
―――あれはよくない。

「へぇ~。そんな方法があったんだ。それはともかく、衛宮君。貴方、お姫様抱っこ、好きよねぇ」

感知まで無効化できるかは判らないが、初めから凛もこうしておけば良かったのだろう。俺も凛も気がついてなかったのだからお互い様だが。それでも、やはりあの雷撃じみた経験はいただけないらしく。
その矛先は幸いにも俺ではなく、俺が抱えるもの。すなわち衛宮士郎へと向けられた。
その事にほっとしながらも、凛が指摘する内容が少し引っかかった。
お姫様抱っこ。この場合、されるほうという意味だが。そのような趣味は断じて持っていない。衛宮士郎にしてもそれはご同様のはずだ。
しかし、衛宮士郎にしてみれば、凛の攻撃は上手く流せるものではなかったらしい。
瞬く間に顔が赤くなり。意味不明の音を口から吐き出し始めた。

「あら、あかくなっちゃって。照れることないじゃない。立派な趣味だと思うわ」

玩ばれる対象が自分ではないということがもたらす安堵は、心地よいものである。あまり褒められた事ではないが、その対象が衛宮士郎だからかもしれない。しかし、近くで騒がれるのはあまりよくない。心身ともに。

「あ、ああ、あああああああ――――」

「ふむ、まあ何を言いたいのかは察しがつくが。落ち着け」

「あああ、アーチャー! 何というか、庇ってくれた、というか護ってくれたというか。ああ、助けてくれた事には感謝してる! ホントに。だから、早く降ろしてくれ! このままじゃ、遠坂の玩具だ!」

む、そういえばそうか。と呟く。完全に抱えたままで衛宮士郎を降ろす事を失念していたらしい。ならば、ご要望に沿えないわけには行かないだろう。

「ぐはっ!?」

俺は衛宮士郎を降ろした。簡潔に。

「あ、アーチャー?」

楽しそうだった凛が、また珍しい表情に変わっている。具体的に言えば「うわぁ~」というやつだろうか。

「どうした、凛?」

「それは降ろしたとは言えないんじゃないかしら……」

凛の視線は俺の足元。無様にのた打ち回る衛宮士郎へと向けられていた。憐憫と何か判別できない感情が瞳に映っている。
―――確かに。俺の行為は降ろすではなく、単純に手を放すというものだったが……。

「問題ないだろう。こいつは馬鹿みたいに頑丈だ。それこそそこいらの闇夜のものよりよほど化け物じみている」

いくら人外じみた治癒が働いていようと痛いことに変わりはないだろうが。それより重要なことは別にある。

「それより、凛。あまり気持ち悪い事を言うのは控えたまえ。さすがの私も背筋がうすら寒くなったぞ」

勘弁してくれとばかりに、俺は肩をすくめた。
その言葉には我慢ならなかったのか、衛宮士郎は驚くほど素早く立ち上がった。それこそ、つい先ほどまでの醜態は嘘だったのかと思うほど。

「ちょ、ちょっとまったぁ! 何だよ二人して。俺の趣味がお、お姫様抱っこなんて……。そんなの言いがかりじゃないか」

「あら、それならさっきのアレは何なのかしら? 衛宮君の趣味じゃないにしては、随分長い事抱かれてたわよ」

そんなに長い時間だったろうかという疑問もあったが、黙っておく。それより……。
それは蓋をしていた何かなのか。

「そ、それは……。驚いたというか、その―――いや! ともかく、俺はそんな趣味は持ち合わせていない!」

「三回、だ」

「――――え?」

「お前が凛の言うように、横抱きにされたのが先のを含めて三回だと言っている」

思考に没頭するあまり、周りとの対応をおざなりにした結果だ。三回目のそれは、俺に否があるのだろう。
そして、今、脳裏に浮かぶものはなんだ? 最強の巨人に両断された夜か? それとも、原罪の剣に切り裂かれた夜か?
理性の歯車は絶えず回り続ける。だが、それを回す動力は感情だ。ずらりと並んだ撃鉄は一つ一つが、そのスイッチ。
一つずつ、それがオチテイク……。加速するそれが一方的に言葉を紡いでいく。

「前に二度。一度は柳洞寺で。もう一つは、ライダーを逃がした後だ」

ああ、確かに目の前の存在はエミヤシロウだ。俺を庇うその様は、自身の原理と違いはない。
彼女をどれだけ苦しめたのか。今なら想像することくらいなら許されるだろう。もっとも、言い訳させてもらえばそれはご同様だったが。
彼女は今回ほど魔力に恵まれていたわけではない。鞘の風を解いただけで力を失い。聖剣の使用は彼女の存在を消し去る所だった。
あの胸の痛みを、俺は忘れてしまっていたのだろうか?
撃鉄がオチル、次々と……。

「あ――――」

これは同属嫌悪か。なんだ、男も女も関係ない。血を流されるのは困る。そんなものを見せられては困る。ああそうだ。そんなことをされては我慢など出来ない。

(衛宮士郎は、我慢できない人なのですね)

突き放たれるような声は、誰に告げられたものだったか。
なるほど、その通り。こんなだから、理解できない。剣と剣は引き合うのは、戦いという場だけだ。鞘とは違う。
なればこその、この感情なのだろう。
感情という撃鉄が、歯車を乱す。そら、どんなに優れたものだろうと、限界を超えれば破綻をきたす。

「何のことはない。お前が意識を失ったときに、そうやって運ばれたというだけだ。お前が知らんのも無理はない。なるほど、確かに今回のものに関してはお前に責はない。私が好きでやった事だ。だがな、衛宮士郎。今度はセイバーはいない。貴様が死に掛けたとて打ち捨てるつもりだから、そのつもりでいるがいい。決して俺を庇う等という愚行は考えないことだ。―――凛」

最後に衛宮士郎に背を向けるようにして凛に視線を移す。そして、彼女が頷いた事を確認すると、俺は二人を置いて先の見えぬ森へと跳ぶ。知らず、強く踏み込んだ両足は、自分が思う以上の力で、小さな身体を重力の楔から解き放った。



interlude



一言も発することなく、アーチャーが視界から消えるのを見送った。もっとも、彼女は人間に量れるような存在ではない。それがどれだけ可憐な姿であろうとも……。何か言葉を発する事ができたとしても、それはせいぜい一言、それも短いものに限定されたに違いない。
そう、事実として一言も発しなかったのではない。発することができなかったのだ。
衛宮士郎の脳裏に浮かぶのはアーチャーが発した言葉。それが、無数の棘と化し、抉る。

「何ぼけっとしてんの。行くわよ、衛宮君」

停止していた思考を打ち砕かれた俺は慌てて、先を進む遠坂の後を追った。
ざくざくと、地を踏む足には微塵の躊躇はない。小気味良いその音と、それよりも強く意思を持った声が、思考の渦から俺を引き上げていた。

「おい、勝手に進んでいいのか? 」

どこか肩を怒らせているようにも見える遠坂の背中に声をかける。多少躊躇はしたが、この際仕方がない。
アーチャーのことが心配だからという理由もある。もちろん、目的地の正確な場所が自分も凛も判らないという理由が一番なのだが。
アーチャーが一人先に進んだのがそれに関係している事は察することができたが。

「いいのよ。だいたいの方向は判ってるんだし。アーチャーだって私の位置は判るわ」

何か思うところがあるのか。遠坂の顔はどこか強張っているように見えた。その声は固さを含み、どこかいつもの精彩が欠けている様に見える。
それから、五分ほど会話もなく歩いただろうか。いまひとつ勇気の出せず、ずっと遠坂の後ろを歩いていたわけだが。
これは、どう考えても、気に入らないとかそんな感情を越えて……。

「もしかして、遠坂。怒ってるのか?」

その事実を確認するために、自らその戦端を開いた。
その言葉に、ぴたりと遠坂の足が止まる。

「あら、どうして衛宮君はそんなこと考えたのかしら?」

振り向いた遠坂の顔はびっくりするくらいの笑顔だった。そりゃもう、清々しいくらいの。
だけど、その顔を見ても素直に褒める事はできそうにない。女性は笑っているときが一番怒っているとどこかで聞いた気がするが。
成る程……。それは事実だったらしい。
そして、早くも俺の勇気は砕け散ってしまった。

「いや、その、何でだろうな。多分、俺の勘違いだ。気を悪くしたなら、あ、謝るから!」

慌てて目の前で両手を振る。正直ここまで怖いとは思わなかった。あまりの恐怖にいらぬ事を言ってしまいそうで、慌てて意味のない言葉でごまかす。男の自分が言っても仕方がないが、まあ、そんなやつだ。
その姿が、あまりに滑稽だったのか。遠坂は一瞬こめかみをひくつかせた後、盛大に溜め息をついた。
一緒に力も抜けていったように見えたが。

「勘違いじゃないわ。怒っているのは確かね。まあ、誰にとは言わないけど」

それは、俺のことじゃないのだろうか……。

「まあ、怒ってるっていえば間違いじゃないわ。だけど、貴方に関しては今に始まった事じゃないから、どうだってよかったのよ。だけど、この際だから言っておいてもいいかもしれないわね」

どうやら顔に出ていたらしい。

「今更話す事じゃないと思うけど。サーヴァントは自分よりマスターの命を優先させるわ」

その声の響きに、一瞬、身を硬くさせられた。

「マスターが消えれば、それを憑代としている自分も消えるから、か」

「そうね。そして、セイバーも、アーチャーもそれは変わらないわ。むしろ、顕著な例でしょうね」

否定したくても否定できない。最初の夜。今から会うであろう巨人との邂逅の日。セイバーは俺に逃げろと……。
あの時、結果としてセイバーはたいした傷を負わなかったが。一歩間違えば、アーチャーのように大きな傷を受けていた可能性はある。
何を馬鹿な……。セイバーの傷をたいしたことがないなどと。確かに直接バーサーカーに斬られたわけではない。だが、セイバーが吹き飛ばされた際、流した血を忘れたのか。あれは、ランサーの槍の傷が開いたものだったが。

「なのに、貴方はそのサーヴァント、この場合はアーチャーね。あの娘を二度もかばった。そうでしょ?」

柳洞寺と昨日の夜の事か。だけどあれは―――

「まって。貴方にも言い分はあるでしょうけど。それを認めるわけにはいかない。少なくともアーチャーはそう思っている。貴方はサーヴァントじゃない、ただの人間よ。しかもろくに魔術も使えないへっぽこ。それなのに自分から死ぬような事ばかりする。自分のサーヴァントですらないアーチャーのために!」

それは、自分のサーヴァントじゃないことなんて、関係ない。
俺は確かに聖杯戦争を戦うことを選んだけど。だからって、セイバーやアーチャーが傷を負うことを肯定したわけじゃない。

「それは、遠坂とは協力関係だから……」

「そんな事で死なれるのは迷惑だわ。まずは自分の命を大事にしなさい。全てはそれからよ」

そんなことされても、何も返すことが出来ない、と。
だからといって、自分の命を優先させる事ができるだろうか? 多分、出来ないだろう。何か目の前であったとしたら、他の事を忘れて飛び込んでしまうかもしれない。だけど、それは―――

「―――ああ、そうだな。ありがとう、やっぱり遠坂はいいやつだ」

どれだけ黙っていたのだろうか。俺が言葉を発するのを遠坂は待ってくれていたのだろうか。長い思考をはさんで、俺の口はそう言葉を発した。

「は? なんでそうなるのよ……」

呆れた、と遠坂は肩を落とす。学校じゃこういう姿は見ることが出来なかったけど、猫をかぶってたんだなぁと、つくづく思う。
まあ、こっちのほうが好きかもしれない。

「だって、遠坂はこんな俺でも、叱ってくれたから。冷たい奴はそんなことしてはくれないぞ」

「―――そんなの、気まぐれよ! それに言ったじゃない。迷惑だからって。だいたい、私は貴方に怒ってるんじゃないわ。私が怒っているのはアーチャーよ」

どうやら、相当に熱くなってしまったらしい。言わないと言った怒りの対象を言ってしまってる。
そうか、アーチャーに対して怒ってるのか……。
そして、また歩き出した遠坂に並ぶと、すぐさま疑問をぶつけた。

「なんでさ? アーチャーが言った事は間違いじゃない。俺が未熟なことは事実だし、それで迷惑をかけたのもそうだ。それなのに、何で俺じゃなくてアーチャーなんだ?」

「あの娘、アーチャーはね。あんな形してるけど、相当な現実主義者よ。そうは見えないかもしれないけど」

「そうなのか?」

その割にはなんだかんだで助けてもらったような気がする。そりゃあ、きついこと言われるけど。

「そうなのよ。重要なのは本来のあいつがそういう奴だってこと。まって、違うか。あいつの本来の姿は私にも判らない。ただ、あいつのスタンスがそうだってことよ」

「ふむ、それで、どうなるんだ?」

「それが徹し切れてないってことよ。セイバーもその原因の一つなんでしょうけど、一番の問題は貴方よ。衛宮君の存在がアーチャーに皹を入れている。気になってしょうがないんでしょうね」

「はあ」

俺の何が気に入らないんだ。そりゃあ、未熟な所って言われればそれまでだけどさ。

「衛宮君を無視できなくて、イライラしているってことよ。まさか、貴方に対しての敵意が好意の裏返しってことはないでしょうけど」

「そ、そそそ、それはないんじゃないか?」

慌ててその可能性を否定する。それはもう盛大に。頭と手を使って。

「まあね。今のは冗談よ。まあ、とにかく、さっきのあれはアーチャーの完全な八つ当たりだから。ちょっと頭にきちゃっただけよ。アーチャーらしくないじゃない。特にさっきのやつはいただけないわ」

あれは、八つ当たりだったのか。その割には結構ズバッと切り込んできた。
確かに、身に堪えるけど、遠回しに直せって言ってるようなもんだよなぁ。好意的に考えれば、だけど。

「む。まあ、あんなアーチャーも嫌いじゃないけど。たしかに変に強がってるようなアーチャーのほうが俺も好きだな。たしかにセイバー以上に抑揚のないアーチャーは怖い」

あれは、表情が消えて声も平坦になっていく感じだった。何かのスイッチが入ったようにも思えるけど。
そりゃあ、ちょっと変な感じをアーチャーからは受けるけど、それだって嫌う理由にはならない。

「そうね。あいつは変に余裕があるようなないような、そこらへんのさじ加減が微妙だから面白いのに。あれじゃあ、台無しだもの。そういう点では衛宮君の意識がないときは及第点だったかしらね」

それはなんか複雑だ。本当に俺を気にしているのか。

「やっぱり、セイバーのこと気にしてるのかな。だって、アーチャーはセイバーのこと好きなんだろ?」

何気なく口に出す。そっくりだし。恋愛感情みたいのとは違うと思うけど。アーチャーはきっと、セイバーに好意を持っているはずだ。
それはセイバーにも当てはまる。セイバーも何でかアーチャーに執着を見せていた。姉だ妹だ何だと言ってたけど。
だけど同時に思う。、アーチャーがおかしいのは本当に俺やセイバーだけが原因なんだろうか?

「衛宮君って、時々嫌になるくらい直球ね」

「え、そうかな」

「そうよ。自覚しておいた方がいいんじゃない」

遠坂の言葉に、少しの時間押し黙る。自覚、するというのは思いのほか難しい。だけど――――

「覚えとくよ。他でもない、遠坂の忠告だからな」

そう言って森を見上げるように、様子を伺った。動物の気配は感じない。未だ昼だが、この場所がいい場所とは思えなかった。
夜にこんなところに放っておかれたら悲鳴を上げそうだ。
未だアーチャーが帰ってくる気配はないが、それこそまだ彼女が先に行って十数分のこと。さすがにそれだけで把握するのは無理だろう。
たいして奥深くに入ったわけでもないのに、木々の海はこの森の広大さばかりを教えてくれる。

「それにしても、大丈夫なのか、アーチャー。この森随分深いはずだし。結構大変なんじゃないか?」

そう訊くと、遠坂はまるで獲物を見つけた肉食獣のような目をする。
何か遠坂においしい言葉を紡いだだろうか?

「あら、衛宮君も理解してないのかしら。あいつは“アーチャー”よ。単独行動はお手の物。それに便利なスキル持ってるもの。ある程度の距離まで判れば、あの娘なら十分よ」

「あ、ああ、そうだな。アーチャーは弓の騎士か。そうなんだよな」

剣で接近戦を挑んだり、でっかい盾を出したりしてたけど、確かにアーチャーだ。ちゃんと飛び道具使ってた。
というか、一番印象に残っているのが、見ててコワイ料理だというのがダメダメな気がする。なんとなく。

「認識が改まったんだったらそれでいいわよ。だけど、今までどう思ってたのか。随分と失礼な事みたいね」

俺の表情を見て、何を考えているのか読み取りやがったのか。そう言って、遠坂は笑った。いつもの不敵ながら、それでいてどこか自分のサーヴァントを我が事のように自慢するような笑顔は、俺を安堵させるのに十分な代物だった。
そういう私もついつい忘れちゃうんだけどね、という遠坂の告白はこの際、ご愛嬌という事で。



interlude out



森を駆ける。木から木へと飛び移る。蹴る足は枝を微塵も揺らすことなく、故に折れるものも散る葉もない。
もとより冬の木々は、生を感じさせぬものばかりであったが。
冬の大気は、風を切る際に心地よい冷気と化す。融解している精神を冷やすに十分足る。

何を、馬鹿なことを……。

先の自分の行動を鑑み、軽く溜め息を吐く。それくらいには、熱から冷めていた。
その理由にも頭が痛くなるが、それ以上に凛の様相を考えるのがいろいろと辛かった。
彼女は魔術士としてだけでなく、人間としても十分に甘い所がある。何か自分に良くない事が起こる気がしてならない。
何しろ自分の幸運値は最低なのだから。まさか、そういうものまで自分が数値化されるとは、あの頃は露ほども思っていなかったに違いない……。
中々に得がたい経験ではある。何より、聖杯によるそれだ。サーヴァントなどという規格外を召喚するもの。
間違いないだろう。それは、この体になって十分理解している。
―――まて。この身がサーヴァントとして正しい存在なのだとしたら、残るのは記憶、経験ではなく……。
やめよう。そんなことを考えても詮無いことだ。

そのままかつて辿った道を跳ぶ。生気の感じられぬ森だが、動く物がないわけではない。
居る所には居るものだ。森の主とやらも、何処かにいよう。

先の言葉は、あの場において相応しいものではなかった。減点ものである。
必要などなかったものだ。
どうやら、衛宮士郎のことになると、自分は笑って流すようなことは不可能らしい。
そう結論付けるしかない自分にまた、昂ぶりそうになるが溜め息を吐いてなんとか凌いだ。

まだまだ、この身は未熟というわけだ。

それで、衛宮士郎に関する思考を締め出す。あまりに嵌まり込んで、不覚を取っては目も当てられない。
そうして、記憶にうっすらと残る、城の方向を目指して空を駆ける。
凛から離れて十数分ほど経っただろうか。
あるものを見つけて、足を止める。距離にして数キロ。少し目的地とはそれるものの、俺はその方向へと向きを変え跳んだ。
そうして、あと少し、という所で地上に降り立つ。
とたん、空は木々に隠れ、本来の暗い森へと変貌する。太陽はくすんだ雲と灰色の森に遮られ一寸も姿を表すことができないでいる。
一歩足を踏み出すたびに、小さな音を立てる。が、それ以外に音はない。
一歩ずつ、人間の歩むそれと変わらぬ速さで向かう。鼓動が少しだけ早くなる。それに比例して歩く足もテンポが変わる。

―――目の前には、廃墟があった。その言葉が相応しいほどに、打ち捨てられたようにそれは建っている。
緑に侵食され、その亡骸は崩れることなくこの場所に在る。
それは感傷か。あれから、一度としてこの場所を尋ねたことがあっただろうか。
近づいて壁をなぞる。まったく同じで、少しだけ違うこの場所。
隠れ家という意味であの時は使われたが、その実結果を考えると微妙に違う。そうすると、自然と笑みが漏れたのがわかった。
声を出すそれではなく、唇が僅かに弧を描くそれ。
それも感傷だと、頭を振りながら廃墟の中へと進む。実際にどれだどうなどとはほとんど覚えていない。
もっとも、一階は覚える事ない木々の海、だが。問題は二階に関してである。
当然だ。冬木市どころか、衛宮邸ですら全てを覚えていたわけではないのだから。
だからこそ、それは強烈に印象に残っていたのかもしれない。それは寝具、または夜具。所謂ベッドと云う。
慌てて視線を他のものに向ける。彼女との思い出は大事なものだが、だからといって今、それを思い出すのは―――

ここは、予想以上に残っているものが多すぎる……!

一瞬で、トップまで上がったギアで選んだ思考は、とんでもない方向へと向けられる。

(今の、俺の状態を凛に読まれたらえらい事になる!)

刃金で鍛えられていたはずの理性は、瞬く間に融解し、思考は真っ白に塗りつぶされていく。
心はかつての自分をなぞるように圧迫し、迷い込み、グラングランして、恥らいだす。
そうだ、こんな風に俺は混乱していて……。

そして、凛があの時―――!

忘れていた。刹那の夢だと奥深くに仕舞いすぎていたらしい。久方に外の空気を吸ったそれは、最早制御不能のバーサーカー。
限界を超えた思考は更なる先を求めて基盤を壊し、溢れる光景が満たしたそれは更なる先へ先へ―――

(アーチャー!)

(ヒィ!)

(あ、やっと返事した。何かあったのかと勘ぐっちゃうじゃないの。そりゃあ、かなり頭に血が上ってたみたいだけど。―――あんた、大丈夫?)

思わず心の中で悲鳴をあげたが、なんとか返事として受け取ってもらえたようだ。

(あ、ああ、どこにも問題はないぞ)

(それならいいけど。なんか、また変な方向に熱くなってない? さっきとは違う感じがするんだけど)

その言葉に、つい先ほどまで頭に溢れていたそれをまた、認識させられる。
過去の映像は凛との衝撃的接触を終え、本命の文明の明かりはなく降り注ぐのは空にある希望ではなく月か星か太陽なのかそんな目で見られたら俺はそんな無理だまて彼女は×△□○☆!!!!!?

(う、あ……)

(何? アーチャー。今変な音がしなかった?)

(い、いや、何も聞こえないぞ。凛の思い過ごしじゃないか?)

まさか、爆発する音まで聞き取られるとは……。サーヴァントのつながりがアレなのか、それとも凛がすごいからなのか。
しかし、脳裏に浮かぶ光景は加速し、刹那に全てを終えた。ここまでくれば、コワイモノハナイ。
後は落ち着くだけだ。

(―――まあいいわ。それで、アインツベルンの城の場所。特定は出来たかしら?)

(―――――――――あ)

―――忘れていた。

(アーチャー? ねえ、どうしたの?)

(私の足であと10分、凛の足なら走って一時間といった程度の場所には来ている)

たしか、ここから北西に15キロ程度だったはずだ。こんな所で油を売っている場合ではなかった。

(そう、場所がわかっているのならそれでいいわ。戻ってきていいわよ。あんまり近づきすぎて下手打つわけにもいかないし。場所、わかるわよね)

(承知した。なに、君の位置なら把握している。すぐに向かおう)

凛達は、城の方向から大きくずれることなく、おそらくは正しい道を選んでいる。

(ええ、まってるわ)

念話が終わり、思わず大きく空気を吐き出した。あまり良好な精神状態ではない。
凛のおかげで、振り切った針は、なだらかに戻ったから良いものの。
背中を預けた場所は透明の壁だった。
たしか、あの時はここから星が見えたのだったか。夜明けの空を見たのか……。

それは一瞬だったのか、それとも一分くらいは見上げていたのか。
俺は窓から離れると、凛たちの元へと戻るために廃墟を後にした。


実際には場所は確認していない。自分の射程の限界、目標は巨大であるためそこまで近づく必要はなかった。
そして、ある程度の獣道を把握すると、俺はここに来たとき以上に速度を上げる。
少なくない数、木を倒してしまったかもしれない……。

いくつか、後ろ暗い事ができてしまったが、俺は何の問題もないと何食わぬ顔で凛と衛宮士郎の前に降り立った。

「アーチャー、減点ね。貴女の足ならもう少し速く戻れたんじゃないかしら?」

視線に「どこかで油売ってきたわけじゃないでしょうね」という念がこれでもかというくらいに籠められている。
勘が鋭い……。
衛宮士郎はそんなこと全然これっぽっちも考えていないというのに。

「まあ、まてよ遠坂。これだけ広いんだし。アーチャーだって大変だったはずだろ? そのくらいいいじゃないか」

「む、まあ、今回は衛宮君に免じて、追求はしないけど」

次はないわよ、と。衛宮士郎の言葉は、正直助かったが、なんとも複雑な気持ちだ。嬉しくない。

「助かる。確かに私の身体は叩かれたら埃がいくらでもでるからな。出来ればそっとしてもらえるとありがたい。ここからは私が案内しよう」

この場合、凛に言ってないのはほとんど核心部分だから、実は何の問題もない。
まあ、先のような醜態は、少し婉曲的に伝えればいいだろう。訊かれた際は。
しかし、俺は凛の嗅覚を甘く見ていたようだ。

「へぇ、面白そうじゃない。まだ、目的地は遠いんだし。話してみたらどうかしら? アーチャー」

言える程度の事ならさっさと白状しなさい、と。俺を先頭にしたまま、歩む速さは変わらぬまま要求する。
といっても、ほとんど横一列だ。少し顔を横にするだけで二人の表情は伺える。

「む……」

衛宮士郎は目をぱちくりさせて、先のような援護は期待できそうもない。
凛の顔は好奇に満ち満ちて……。

「どうしたの? やっぱり、言えないのかしら?」

観念するしかないのか。

「―――はあ、仕方ない。お望みとあらば応えねばなるまい。といっても、あまり面白い話ではないぞ」

「へぇ、どんな話かしら?」

「恋の話だ」

「へ?」

「そうだな。あれは、ここと同じような深い森だったか。すでに日は落ちてな。まあなんだ。そのような時間に森にいたのだ。当然女の方は満足に歩けなくてな。当然男がその女を抱えたわけだが。まあ、その森もここに負けず劣らず広大な奴でな。結局、森の中ほどにある廃屋で……」

「ちょ、ちょっとまったぁアーチャー」

「なんだ、凛?」

「そういうのはちょっと、その、ごめん。私が悪かったから。もうちょっと、軽い話はないかしら」

ふう。何とか都合のいい方向へと持っていけたようだ。正直に婉曲的に伝えるにしても、即興では思いつかん。

「ふむ、軽い話か。ならばちょうど良い奴がある。今から向かう場所も城だ。ある城での話を」

そう言って一度言葉を切る。なにぶん、人に話せるような笑い話などたいしてない。

「それは、まだ私が未熟も未熟。そこにいる男と変わらぬ程度の実力しかなかった時のことだ。自分の現状というものを理解していなかった私は、その時、敵対していた者に拉致されてしまってな。ある城に監禁されてしまったわけだ」

「アーチャーにもそんな時代はある、か」

「当然だ。私自身の才能はセイバーとは比べるべくもない。凡人だからな。失敗などそれこそ数えきれんさ」

そこには厳然たる事実のみが存在する。悔やみ嘆いた過去だが、それを否定するわけにはいかない。

「それで、続きは?」

凛に促され、脱線しそうになった軌道を修正する。

「勿論私は無力化された後、さらに拘束されたわけだが。何とかそれを解いてね。一応の自由は得たわけだ。しかし、私の能力値を見ればわかるだろう? 何分運はあまり良くなくてね。すぐさま、誰かの足音が聞こえてきたわけだ。当然、私は見回りの類と思った。」

「確かに、最低ラインね……」

誰と比べてくれたものやら。

「さて、時間のない私は選択を迫られることになったわけだ。ひとつは先手を打ち無力化すること。もうひとつは拘束が解けていることを隠して機会を伺うこと。そして最後は……」

「つまり、それを選んだってわけね」

「うむ。私が拘束されていた場所は、拉致した人物の私室、所謂寝室という奴でね。寝台があったわけだ。もともと未熟な上に拘束された際、厄介な事をされてね。本調子ではなかった。戦っても勝ち目はない。ならば身を隠すのが優先されると」

「ふんふん」

「―――ベッドに飛び込み、シーツをかぶって身を隠したわけだ」

「「は?」」

二人の声が調和する。不協和音ではない。なんとも嫌な調和だが。

「その言葉の意味はなんだ? いや、いい。私にも十分判っている」

「理解しているならいいけど。アーチャー、それ本気だったの?」

「残念ながら。何せ私はあの時心の中で、「フ、ふわふわで完璧だ。完全な密室トリックを前に来訪者は声もなく立ち尽くし」などと考えていたのだからな。忌々しい」

「ちょ、なんでこっちを睨むんだよアーチャー。俺は関係ないじゃないか」

「それで、結局どうなったのよ」

「ああ、すまない。察しの通り、すぐに見つかった。その時の言葉も覚えている。「何を遊んでいるのですか?」だ。あの声は心底呆れた声だった。思い出すだけでそれなりに堪えるよ。ああ、確か「それで、隠れているつもりですか?」とも訊かれた気がするな。ベッドからもそもそと出た私は視線で訊いたわけだ。「甘かっただろうか?」とな」

「そりゃあ、ねえ?」

凛が衛宮士郎と顔を見合わせる。

「返ってきた言葉はね、「大甘です。私が敵ならば一片の情けもかけずに両断する」と。まあ、拉致された私を心配して助けに来てくれたのに、あんな体たらくでは仕方がないことではあったな」

「あれ? ちょっとまって。その見回りって、アーチャーを救出しに来た人だったわけ?」

「その通りだ。まったく、ほいほいと出歩けるような状態ではなかったというのに。そして、その人物こそ私の……」

む? 今、俺は何を口走ろうとした?

「どうしたのよ、アーチャー? 口ごもって」

「いや、なんでもない」

ごまかす言葉はひとつとして漏れず、できたのは先とは違う少し固い声だけ。

「ふ~ん。成る程。つまりこの話も。結局はそこに落ち着くわけね。なんだ、ただの惚気話じゃない。ああ、乙女のピンチに颯爽と現れる王子様ってね。随分と間の抜けたお姫様みたいだけど」

いや、彼女は王様だから王子様ではなく―――いや、そうではない!

「何! 待て、凛。それは聞き捨てならない。訂正を要求するぞ」

惚気話!? 乙女!? お姫様ぁ!?

「ねぇ、衛宮君。貴方もそう思ったでしょ?」

「まあ、言われてみればそうかな。その、助けてくれた人ってのも、元気だったわけじゃないんだろ。だったら、十分にそうじゃないか」

まさか、衛宮士郎にまで……。ぬ、ぬぬぬぬ―――

「ぬ、これで話は終わりだ。以後質問は受け付けん。さっさと行くぞたわけが」

「あらあら、照れちゃって。話したのは自分からなんだから。諦めるのね」

そういった凛は俺を追い越し、跳ねるように先へと進んでいく。
これから、凛にからかわれるのだろうか。この森の道で。
アインツベルンの城までの距離、そして歩む速さ。それを考えると、正直頭が痛い……。




[1070] Re[33]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2007/03/20 20:39


「あれね。まったく……」

意外にも見つけたのは衛宮士郎よりも凛のほうが早かった。向かう先に何があるのか、理解していたという部分も大きいのだろう。
衛宮士郎にしてみれば、まさか、こんな場所にあれだけのものがあるとはさすがに思ってもいなかったに違いない。
それくらい、場違いにも思えるのだから。

ここまで来るのにおよそ二時間。森に入ってからそれだけの時間がかかった。
ひたすら変化の乏しい道を、どこかその場にそぐわないやかましさで歩いてきた。その賑やかさをほとんど一人で担っていた凛が静かになれば、おのずと静けさが戻ってきた。
彼女が見ているのは森の端から見える壁のようなもの。
今日俺が見る二回目のその威容。自身の視力では既に随分と前から捉えていたが、黙っていた。
さすがに見える距離ではなかったからだ。それにもとより自分が水先案内人。
だが、それももう不要。

「ついたか……」

幾分か疲れたそれを含んで、俺の口は言葉を発した。決して肉体的な疲労ではない。精神的な疲労ではあるが。
道中、援護はなく、凛にからかわれ続けたのも、城を見つけるまでのこと。
それまで幾分現実から逃避して胡桃の芽やどこかにいるだろう動物を探したのも許されることだろう。森の主は見つからなかったが。
衛宮士郎の不甲斐無さ、いや、その容赦のなさにはいっそ……因果応報か。思考形態は俺も変わりなかったはずだ。
それに悪夢の時間はもう去った。それを蒸し返してもまったくの無駄だ。そうやって、曲がりなりにも決着をつける。
すでに城の全貌は見えた。
その時には俺から城へと意識は傾いていったのだから。

「呆れた。本当にこんなもの持ち込んでるなんて」

凛は足を止めて、半眼で目の前の城を見渡す。
衛宮士郎も、目の前の巨大な建造物に目を奪われているようだ。
空を覆うほどの森を、見事にくりぬいた様はまさしく別世界。今まで隠されていた恨みを晴らすかのように空が広がっている。
もっとも、広がっているのは青空ではなく灰色の雲だったが。空は今も隠されている。

だが、空や木の存在感などこの場所ではたいした力を持ってはいない。この空間で最も存在感を持つのは、アインツベルンの城である。
だが、その存在感とは裏腹に、そこから感じ取れる生命の気配は希薄に過ぎる。
冬の古城。それはあまりに寂しい印象を覚える。イリヤ一人ではあまりに広すぎる場所。
もし、それが一人から三人になろうとも変わらぬかもしれない。彼女の部屋でさえ、寂しさを覚えるに十分たる代物だ。

「やっぱり、正面から入るのか?」

城の正面を見つめていた衛宮士郎が言葉を発した。それは疑問というよりは確認に近い響きだったが。
城そのものの持つ威圧感のようなものに、幾分気圧されているようにも見えた。

「ええ、真っ向勝負と行きましょう。でかいからって負けるわけにはいかないわ」

どうやら、凛は古城の放つ独特の威圧には何も感じる所がないらしい。
もっとも、凛の場合はそんなものより、あまりの浪費、というか金銭の使いっぷりに何か感じるものがあると思っていたが。
―――その面では、絶対に勝ち目はないぞ。と、想像と違わぬ姿に頭が痛くなる気がした。

「遠坂、負けるって、戦いに来たんじゃないだろう?」

「そうね。話し合いで済めばそれが一番いいけど。相手はイリヤスフィールよ。下手を打てば戦いになる可能性があるってこと忘れてないかしら?」

「それは―――判ってる」

そう言った衛宮士郎は押し黙る。それに小さく凛は溜め息を吐くと城へと足を踏み出した。
それに遅れることなく俺も足を進める。
城はこんな場所に在るというのに、随分と手入れが行き届いていた。
戦いになってしまえば、少なからず城も破壊されてしまうだろう。それは少しだけ嫌だった。
もとより敵意はなかった。協力関係が結べるのならば、それに越したことはない。
それは実体化しているとはいえ、服装でも示すことができるかもしれない。
例え武装していないとしても、サーヴァントが鋭利な刃物であることに違いはないのだから。
だが、それでも何かを和らげることが出来るのならば、この姿も悪いことばかりではないのかもしれない。
何しろ、本来の姿は悪く言えば強面だ……。俺自身は冷徹に、機械のように。
それを鑑みれば今の俺は随分と昔に―――

凛に先行し、巨大な門にたどり着く。それに手をついて俺は、二人を振り返った。
言葉なく、視線だけを交える。ここに来て躊躇う理由もない。俺は再び門のほうを向くと、それを触れる手に力を込めた。
音を立てて門が開く。城の中は、思った以上に明るいようだ。外に、日の光がないことも影響しているかもしれない。
城に相応しく、そのロビーもまた大きな空間である。正面にある階段まで、30メートルほどの通路が延びている。
この城には、その主に相応しいだけのものがそろっている。そして、絢爛な装飾がよく映えていた。
足音が響く。それすらも、どこか気品のようなものに変えてしまう。そんな気がした。

「ようこそ、アインツベルンの城へ。歓迎するわ、リン、シロウ」

城の主は俺達の来訪に気付いていたとでもいうように、門を開いたときから正面の階段の上に立っていた。
その所作は優雅にそして、気高い。セイバーが持っているものに似ているのだろう。

「ありがとうイリヤスフィール。用件はわかってるんでしょ? お茶くらい用意してくれててもいいんじゃない?」

あれだけのことをしてくれたんだから、それくらいは当然じゃないの? と凛の背中が語る。

「リンは、我侭ね。だけど、貴方たちをもてなすのにそれは必要ないもの。リンだって判ってたんじゃない?」

そんなことする理由がどこにあるのかしら? とイリヤは小悪魔めいた笑みを浮かべる。
あの奇声では、優雅も何もあったもんじゃない。
あれをもうすこしましなリアクションで耐えていれば、少しは変わっていたのかもしれないが。

「そうね。少なくともお茶を飲みながら、なんて状況は考えてなかったわ」

「ふ~ん。大方貴女たちがここに来た理由も、その対応も決めてたけど……。そうね、話だけなら聞いてもいいわ」

「なら、遠慮なく―――」

「―――イリヤスフィール。私達と手を組んで欲しいのだけど」

凛は一度言葉を溜めると、この城まで来たその目的をストレートに発した。
その表情は完全には、いつもの凛とはいえない。既に感じ取ってしまったのだろうか。この結末を。

「ふふ。キャスターを倒すためでしょ。たしかにサーヴァントが四騎もいるんじゃ、リンには手に負えないものね。貴女、可愛い所あるじゃない」

「―――ありがとう。それで返答はどうなの? イリヤスフィール」

「解ってて訊いてるんでしょ。ええ、答えは否。わたしにはバーサーカーがいるもの。いくら有名無名の英霊が揃おうと、わたしのバーサーカーの敵じゃないわ。それこそ、シロウのセイバーが加わっても」

「そう、それは残念ね。できれば穏便にことを運びたかったのだけど」

「ふ~ん、物騒なこと言うのね。それじゃあ、最初っからリンは覚悟できてるんだ」

「ちょ、まってくれ。なんでだ? どうして、だめなんだ?」

一触即発な二人に、慌てて衛宮士郎が介入する。
その様を滑稽に感じたのか、イリヤの意地悪そうな笑みは益々深まるばかりだ。

「じゃあ、訊くけど。どうして、わたしが協力関係を結ばなきゃいけないの? 言ったでしょう、わたしのバーサーカーは最強だって」

「な、それは……」

イリヤとの会話が凛から衛宮士郎に変わったのを期に、念で言葉を告げる。

(凛、まずいぞ)

(どうしたのよ、アーチャー)

視線を合わせず、会話を続ける。

(バーサーカーの存在がわからん。どこにいるのか知覚できん)

(どういうこと?)

バーサーカーが霊体化しているにしろ、何処にいるのかわからない。サーヴァントはサーヴァントを知覚出来るというが、現状この様だ。

(何かカラクリがあるのやもしれんが……。さすがはアインツベルン、とでも言っておくか)

(何言ってんのよ。それって、かなりやばいじゃない)

(無論承知している。うまい方法がないとはいえ、なんとか探ろうとしているのだが)

(それでも判らないってわけね。しかたない、か)

確か、結局の所あの時もイリヤは城にいたのだったか。それだけ近くにいたというのに、セイバーもアーチャーも知覚出来てはいなかった。柳洞寺のことも考えると、やはりアインツベルンの何かが絡んでいるのか。

「それは、バーサーカーにだって万が一って……」

その言葉にはむっとしたのか、イリヤの瞳がつりあがる。

「それが間違いだって言うの。やっぱり、無理よ。だって、リンはもう理解しちゃってるもの。あとはおにいちゃんだけなの。そうでしょ、アーチャー?」

両者の戦力を考えれば、絶対はない。だが、イリヤはそれを受け入れることは出来ないだろう。
それこそ、その時になるまで。

「―――そうだな」

発する言葉は感情を込めず。ただ、ひたすら平淡に。

「そういうことなの。だから諦めてね、おにいちゃん。大丈夫、今日は誰も逃がさないから。―――狂いなさい、バーサーカー」

そうイリヤは無邪気な顔で宣言した。
それが、戦闘開始の合図であり、その時点で俺達の敗北は決定していた。

あれほど探していた気配は頭上に。今の俺の五倍以上の質量が中空に現れる。
自身の警戒を軽々と超えられた―――!
そのまま背後に着地し、振るわれる圧倒的な質量。

その刹那の間に俺が出来たのは、それを受け止めるだけだった。

「ぐっ!」

斧剣を華美な装飾を施した長剣で受け止める。無理な体勢に全身が悲鳴を上げ、歯は折れそうになるまで食いしばる。それと同時に、姿は甲冑に変わる。
今度はいつかの夜の剣よりも、はるかに硬いそれ。一片の皹も入ることなく、バーサーカーの斧剣を受け止めていた。

だが―――

「あら、リンはもう寝ちゃったの? おにいちゃんだってまだ起きてるのに。だらしないわね」

例えるならそれは爆弾か。
振るわれた斧剣の爆心地にいた凛と衛宮士郎は、なすすべもなく吹き飛ばされていた。
バーサーカーの一撃は、サーヴァントとしても規格外。最上位に位置するものだろう。
英雄ヘラクレス。幾多の英雄の中でも最高の知名度を誇るに違いない。
剣先がかすりでもすれば、それだけで人間など絶命するだろう。無論二人はバーサーカーの剣に触れてなどいない。
だが、恐るべきはバーサーカーの剣か。完全にその刃が触れていないというのに、その剣圧だけで十分な凶器となる。
凛は俺と近かった。否、近すぎた。それは俺の失態だ。
結果、吹き飛ばされた二人は、衛宮士郎は何とか意識を保っているものの、凛はその意識を闇に落としてしまった。
その、衛宮士郎ですら衝撃に頭が朦朧としている。

無論、最初の一撃でバーサーカーの攻撃が止むわけがない。
俺は、俺達は、バーサーカーに一撃を許してしまった時点で、防戦を余儀なくされていた。
苛烈な打ち込みに足を止めて耐える。暴風のようなそれは、速度という点で俺を圧倒的に凌駕している。
僅か、ほんの僅かずつ、俺は後退していた。
天秤が完全に傾くまで、もうそれほど時間はない。

凛に目を覚ます気配はない。
俺もこの状態は長くは続かない。俺とバーサーカーが戦えば、周りはそれこそ破壊されつくすだろう。
そんな場所に、凛を無防備なまま晒しておくわけにはいかない。そして、まだそこまで破壊を撒き散らすわけにはいかない。

「衛宮士郎!」

戦闘に向ける意識をさらに、少しだけ他の部分に裂いた。
必殺の剣を振るうに等しい呼気を用いて、衛宮士郎を覚醒させた。

「凛を頼む。先にこの城から脱出しろ!」

それは、剣戟の音に負けない強さで。

「遠坂!? おい、遠坂!」

剣戟の中、かすかに聞こえる衛宮士郎の声で、その行動を推測する。
もはや、刹那の間も視線を外すのは自殺行為。

「落ち着け! 気を失っているだけだ。それよりも、早く凛を連れてここから離れろ!」

言葉を一つ発するだけで、天秤の傾きが大きくなる。

「でも、アーチャー、オマエは!」

「こうなってしまっては共闘は無理だ。私も何とか後を追う。だから先に行け!」

このままでは押し負けるから早く連れて行けと。
衛宮士郎も俺が足を止めて打ち合っている理由がわかったのか。
凛のことを優先してくれたのか、定かではないが。
決断してからの行動は早かった。

「っつ―――わかった。必ず追いかけてこいよ!」

そう言って衛宮士郎は凛を背負ったのだろう。十分な速さとはいえなかったが、バーサーカーの剣の間合い。外側を抜け二人はアインツベルンの城を脱出した。
だが、それに安堵する暇はない。
バーサーカーの剣を初めて回避すると後方へと跳んだ。すなわちイリヤがいる階段の下へと。
着地した俺に僅か遅れて動いたバーサーカーが俺を飛び越え、イリヤの後ろに着地した。

「なんのつもりだ、イリヤ」

バーサーカー無傷な今、逃走は難しい。だが、何故バーサーカーを控えさせたのか。

「本当にあの時言った通りになっちゃったね」

それは最後に会った公園の言葉のことか。

「む。それは些か違うぞ。私には君を手にかけるような意思は微塵もない」

それに眉を顰めながら反論する。
それと同じようにイリヤの眉も動いた。

「そうね……、貴女には無理だわ。それは気持ちとか、そういった問題じゃないの」

「それに、なんのつもりかって訊いたわね。だって、これが最後だもの、アーチャーと話せるの。なら、すこしくらいおしゃべりしてもいいじゃない。逃げられないのは解ってるんでしょう?」

そう、そして勝てない。それは厳然たる力の差だと。凛の助力なしでは俺の勝機は呆れるくらいに少ない。

「まあ、やるしかあるまい。イリヤは共闘する気はないのだろう?」

「もちろん。アーチャーを殺すのは最後にしたかったけど、ここに来ちゃったんじゃ仕方ないもの。おにいちゃんもセイバーがいないんじゃ、誰かにとられるかもしれないし」

それは、自分の手で衛宮士郎を殺したいという思い。

「それは困るな。さすがにバーサーカー一人ではキャスターには勝てまい」

柳洞寺は他とは少し状況が異なる。あそこはいかにバーサーカーといえども突破は難しい。
セイバーを加えてしまえば、キャスター側も火力に十分な余裕がある。

「ふふ、それならアーチャー、貴女だけ私のものになる? 今なら許してあげるわよ?」

それが最後通告か。だが、その条件は受け入れられない。

「それこそまさかだ。私は凛のサーヴァントだぞ。ならば、その責務を果たすまで」

その言葉も予想していたのか。イリヤの表情は変わりはしなかった。

「そう、ならバーサーカー。遠慮は要らないからアーチャーを殺しなさい。すぐにおにいちゃんたちも追いかけなくちゃいけないの。全力で、叩き潰しなさい!」

「■■■■■■■■―――」

バーサーカーが吼え、またしても跳ぶ。
先も知覚が遅れたが、強化したバーサーカーは驚くほど早い。それこそ、あの夜のランサー以上にすら思える。
先の不意打ちじみた攻撃も、ただ、イリヤの背後に実体化したバーサーカーがそれこそ疾風のごとき速さで移動しただけだ。
あの夜に等しい自身の失態。取り返すにはそうとうに高くつく。

時間が引き延ばされていく思考の中、バーサーカーの着地点から離れる。
二人の足は遅い。十分な時間を稼がなくてはなるまい。
僅かに一呼吸で間合いを詰められ、否応なく斧剣を受け止める。
無理な攻撃は、それだけで反撃を許すことになる。しかし、防戦だけでは俺自身がここから撤退することが難しくなる。
膂力も速度も、向こうが上。まったく、面倒なことこの上ない。
十二の試練の効果を再確認。自身の筋力はそれに届いているが、得物がそれを下回る場合、それが有効足りえるか不明。
彼我の戦力差を考えた場合、攻撃できる数は多くない。故に、狙うは全て必殺。B以下の宝具は対象から除外。
狂化したバーサーカーの攻撃は正に暴風。その一撃一撃に全力で対抗する。
振るわれる斧剣は、正面、袈裟、逆袈裟、胴、逆胴。
苛烈きわまる剣筋は、迷うことなく急所へと最短で襲い掛かる。

「ぬ、くっ」

受け止めるたび、ほんの、ほんの少しだけ力が奪われていく。
たしかに、バーサーカーは理性を奪われた獣だ。生前振るったとされる剣技、技など振るうことが出来ようか。
だが、しかし。彼が費やした修練は彼を裏切らぬ。技は失われても業は残る。

「こいつは、厳しい!」

意図せず悪態がもれる。そんな余裕、初めからないというのに。
一撃一撃が思い上に、空振りしても戻りが早い。
バーサーカーの体力は無尽蔵か。自身の技を半ば使えず、未だ業に至らぬこの身では十全に力を発揮できぬ。
まさしく圧倒的な格上と相手する上で、その齟齬は致命的。
バーサーカーの剣が深く大理石を削るに合わせて一際高く跳ぶ。
だが、狂戦士はその跳躍にも軽々とついてきた。

「ちぃ!」

「■■■■■■■―――!」

着地も出来ず中空で振るわれた斧剣を防ぐ。
腕力は僅かに劣り、それ以上に体重の差が致命的!

「ぐっ!」

ただの一撃で俺は垂直に壁まで吹き飛ばされる。何とか壁に激突する前に体勢を変えて両足で手すりに着地し、間近に迫る斧剣をすんでのところで躱す―――だが

「がっ!」

バーサーカーの剣を持たない空の手に、俺の足はつかまれていた。
そのまま落下するバーサーカーはつかんだ俺を容赦なく足元に叩きつけた。
俺の体そのものを得物として、大理石の床は圧倒的な力で破壊される。それも何度も。間断なく。

容赦なく意識を刈り取ろうとする。耳に聞こえるのは硬いものを破壊する音か。肉が潰れ、骨が砕かれる音か。
肺が圧迫され、大量の黒い血を吐き出す。――――このままでは、まずい。
回復が追いつかぬ!

思考は一瞬。これ以上この状況が続けば数秒後には意識を刈り取られると判断。
すでに意識の五割以上が失われている。
考えられる手順を全て放棄し、最短でそれを創造する。
必要なものは威力。過度な神秘は不要。最優先は―――
許された時間は僅か一秒に満たず―――
消え去ろうとする意識を全力で繋ぎ止め、剣の構成に全力を尽くす。

「投、影、開始」

俺はバーサーカーの頭上に、巨大な斧剣を投影する。
質量は十分与える初速は音速を超えさらにさらに速く早く、魔力は不要。傷を与える必要は必ずしもない!

顕現と同時に射出された斧剣は狙い通りにバーサーカーの腕に直撃する。音速を超えた斧剣の超重量は、衝撃波を伴い、瓦礫をさらに破壊する。
その刹那の間バーサーカーの腕に傷はなくとも、俺をつかむ手の力が僅かに緩んだ。
それを逃さず全力で足を引っこ抜き、そのまま手の力でバーサーカーから距離をとった。
しかし自身の体重すら支えることが出来ず膝をつく。つかまれていた足の損傷が酷い。未だ修復されていない骨もある。
だが、休む間はない。完全に体の修復も終わらぬまま頭上から斧剣が襲い掛かる。
それを片膝突いたまま、渾身の力で受け止めた。

「ぬっ」

床に亀裂が入る。刃と刃が擦れあう嫌な音が広間に響く。
不完全な体勢だからか。バーサーカーはそのまま剣で押し切ろうというのか。斧剣を戻さず上から押し込もうとする。
丸太と比べることすら馬鹿馬鹿しいほどの腕が、さらに膨れ上がり、俺の体が少しずつ瓦礫に埋まっていく。
このままでは力負けするのは必至。セイバーと同じような戦い方では負ける。
――――その考えが間違い。エミヤシロウは剣で戦うものではない!

「投影開始」

回路に火が入る。押し込まれる前に事を成さなければならない。
バーサーカーの宝具12の試練にBランクの宝具以下は傷を与えること叶わず。投影による射出も、剣そのものに神秘が足りなければ届かない。
二度の確認は不要。もとより自身の世界にそれ以上はたいしてない。放つ時は必殺の時に他ならない。
落ちた撃鉄は九。それが三度。使えるのは両手ではない。ならばそれさえも代用するのみ。
最初の一秒でそれを模倣し、次の一秒でそれを代用する。そして、最後の一秒、それは俺の周囲に投影される!

「■■■■■■■■■―――!」

バーサーカーが吼える。それは俺の意図を悟ったためか、しかしそれは既に遅く。
言葉と共に、力は放たれる。

「是―射殺す百頭」

同時に投影した剣による擬似的な技の模倣。さらにそれの改竄。高速の九連撃ではなく、それは運動能力を加えられたまったく同時の九連撃!

「―――■■■■■■■■■!」

一撃一撃がバーサーカーのそれに匹敵する威力。その力はバーサーカーの巨体を吹き飛ばした。
そのままバーサーカーは城の壁に激突する。
俺はそれに追従するように、未だ満足に力を取り戻してない足で床を蹴る。
手には百を越える斬撃を受け、イメージ瓦解寸前の長剣が。

「I am the bone of my sword――――」

足の力など要らぬ。これがセイバーと同質のものならば。全て魔力で代用できる!

「―――メロダック」

濃い霧のような魔力を纏い、バーサーカーの眼前まで跳んだ俺は、長剣を横薙ぎにすると同時に、力ある言葉を紡いだ。
真名は紡がれ、光となった斬撃は、バーサーカーの首を確かに切り裂いた。
その光の余波がバーサーカーの背後の壁に傷をつける。粉塵と化した壁は視界を奪い―――
埃を払うように振るわれた斧剣を察知する時間を奪っていた。

「づっ!!」

僅かも押し留まることが出来ず、吹き飛ばされる。その途中、階段の一部を破壊することで、俺の身体はやっと止まった。
斧剣を受け止めた剣が存在を維持できなくなり消え去る。

「ふふ、解ったでしょアーチャー。貴女じゃ、バーサーカーには勝てない。あの変な矢とか、さっきの剣みたいにたくさん宝具を持ってるみたいだけど。それももうバーサーカーには効かないわ。降参して楽になったらどう?」

バーサーカーを一度殺したというのに、イリヤの余裕は崩れない。
しかし、斧剣を振るうだけで精一杯だったのか。バーサーカーは動きを止めている。立ち上る蒸気のようなものは、肉体を修復するためか。
それが終わるのが数秒後なのか、それよりも先なのかは判らないが。多少の猶予は出来た。
新たな長剣を投影し、それを支えにして立ち上がる。
脳裏に浮かぶは先の自身の行動。

この身体は、セイバーと同じ……。
この体そのものに、バーサーカーと真正面から打ち合える力は存在していない。
それを可能とするのは、魔力放出というスキルのおかげだ。
だが、それは本当に、単純な攻撃力に及ぶだけのものなのか? もちろん、濃密な魔力はそれだけで防御力を向上している。
しかし、その二つは、自分自身が意識していたものではない。
すべて自動的……。任意のものではない。本当に、セイバーと同じ戦い方では、勝てないのか?

身体を廻る膨大な魔力を意識する。
イメージするのは脳裏に映る彼女の姿。
ランサーの遭遇より、精神と肉体の齟齬は少ない。だが、この身体を理解するには至らず。活かしきれていない。

目の前のバーサーカーが身を起こす。蒸気の晴れたそこには、幾分体躯の色とは違った、面が見える。
自身の修復も八割方終了。真名の解放は無用。神秘が届いているのなら、通常の斬撃で事足りる。
バーサーカーの回復の速度を鑑みて、真名解放後の隙は致命傷足りうる。
先の防御は運が良かった。

恐らく、細かい制御は不可能。
剣を腰に構え、僅かに身を低く。
身体を廻る魔力は循環し、爆発寸前の暴力で荒れ狂う。
本来俺にこれほどの魔力を制御する術はない。
今の俺ができるとすれば、ただひとつの方向へと。莫大な魔力に指向性を与えるのみ。

コマ送りのようにバーサーカーが立ち上がる。
加速する精神は今までのどれよりも早くは焼く速くハヤク―――!

「■■■■■■■■■―――!」

バーサーカーの最早咆哮とも呼べぬような、音と同時に足を踏み出した。

「はっ」

それは歓喜か。常の自分に数倍する踏み込みは、最初の一歩で音の壁を突き破り、狂戦士との距離を瞬く間に無に還す。
魔力を纏った体は一個の弾丸と化し、獣と化した大英雄と刹那の間交叉した。

動が一瞬だったなら、生は永遠か。俺もバーサーカーも交叉しての動きはなく、微動だにしない。
身体を中にある心臓ごと両断してなお、バーサーカーはその身体を崩さず。
それをなした俺は、自身の身体を止めるためにむりやり足を床に突き刺していた。
それでも勢いを殺しきれず、醜い傷跡が大理石に残る。

「嘘……。バーサーカーがたった一人に二回も殺されるなんて」

その静寂をイリヤが、どこか呆けたような声で破った。
それと同時に足を瓦礫と化した床から引き抜き、バーサーカーへと向き直る。
そう、まだ二回だ。どれだけ、大きな傷を与えようと、それが一回分の死に他ならないのなら、まだ終焉は遠い。
手に持ったままの長剣を捨て去り、後方へと跳びながら更なる得物を投影する。
そこに美しき装飾はなく、ただ煌々と鈍色に刀身が輝くのみ。

―――その剣は怪物の死と共に消え去った。

「I am the bone of my sword――――」

故に名前などなく、ただその役目を―――

魔力を込められた剣は閃光と化し、傷を癒したバーサーカーの身体を分断する。
ただ、“バーサーカーだけを”傷つけた剣は役目を終え、刀身が消え去る。

これで三回。これから先は、状況にもよるが自身の手で切り裂かねばなるまい。
少なくともこの位置はまずい。

そうして、俺の視線が自然にイリヤに向いた刹那の間。それは起こってしまった。
バーサーカーの死にイリヤは少なからず動揺していた。しかし、俺の視線に気がついたのか、俺とイリヤの視線が交差する。
その目が不可解なほど大きく広がった。刹那の後。

「―――あ」

俺の胸から、真紅の槍が生えていた。それは綺麗に心臓を貫いて……。
遅れて、やってきた風切り音と、口腔から血が溢れたのは、ほとんど同時のことだった。




[1070] Re[34]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2007/03/20 20:36


interlude


明りのない部屋。恵みたる日の光は僅かも入ることが出来ず、部屋を照らす灯もない。
ここは実際には存在しない場所。ある用途のためだけに造られた、あくまで仮初のものだ。

「っ――――は――――ぁ」

そして、それを為した主はいない。その人物はある程度、満足するとこの場所を去った。
その人物とて、ここを去るのは惜しいが、だからといってそれほど暇があるわけではない。

「ん――――っ、あ――――」

だから、この闇に潜むのはただ一人。
いや、それには少し語弊がある。なにしろ彼女は囚われの身だ。

「く……っ、あ……っ――――」

部屋に入口などない。秘密は頑なに守られ、誰とて近寄れるものではない。

「ふっ、はっ――――あっ――――」

その外部からの音とて完全に遮断するこの場を、定期的に囀るような雑音が漏れる。

それは、苦痛に呻く少女の声。
漏れる息は艶を含み、弱弱しく音を囀る。
それを聞くものが抱くのは保護欲か、嗜虐心か。

それは紛れもなくセイバーの姿だった。
半日以上も令呪に逆らい続け、額からは汗が零れている。
磔にされ、令呪に耐える姿はあまりに痛々しい。

「んっ――――あぁっ――――」

加えて、彼女の身体を、視覚化できるほどの魔術が苛んでいる。
内から精神を圧迫し、外から理性を責められる。
それはセイバーにとって、戦いで傷を負うよりも耐え難いものだった。

「っつ―――あ、あ……んん!」

セイバーの理性は既に溶かされている。
それでも彼女を保っていたのは、ひとえに誇りのおかげだった。
それだけは、いかに令呪であろうと、キャスターの魔術であろうと覆せない。

―――故に、責めは延々と続けられる。

身体はキャスターの嗜好の標的となり、白いドレスを着せられた。
それにすら抵抗することが出来ず、夜よりもさらに深い闇を、魔術の赤光と白い装束が照らしている。

「うっ――――、あ――――」

それを哂う魔女がこの場にいない今。何も変わることはない。
セイバーはただ、自身を苛む攻めに耐え続けるだけ。漏れる声とて、同じような繰り返しに過ぎない。
時間だけが過ぎていき、誇りとは裏腹に、サーヴァントとしての体が令呪に侵されようとしている。
誇りは、彼女をまだ、戦うことを許している。だが、それにも終焉はあるのだ。それが、かなり先のことであろうと。
セイバーはそのことを考える力もない。
溶かされた理性で物を考えることはできない。
ばらばらに散らばった理性は、さらに細かく、砂塵のように砂漠を吹く。
その中の一粒一粒を探すなど出来るはずもない。
故に、彼女は終わりがあることなど気付いてないし、気づくことができない。
ただ、終わりが来る最後の最後まで抗い続ける。


その、変化が起こるはずもない彼女に、起こり得るはずのないことが起こった。

拘束された体が反応する。それは、小さな動きで、彼女を誰か見ていたとしても、そうと気付かなければわからなかっただろう。
セイバーの身体は、何かに穿たれたように、小さく跳ねたのだ。
それが、どういうことなのか、セイバーを含めて理解できるものはいない。
だが、どういうことか。セイバーの目には、理性に光が戻っていた。
何がセイバーの理性をかき集めたのか。

それは痛みだった。
令呪の、自分を押し潰そうとする重圧でも、キャスターの魔術の自身を篭絡しようとする快楽ではない。
それは痛みだ。自身を抉る胸の痛みは体の中で棘を撒き散らし、令呪と、魔術とはまったく違うモノとしてセイバーに衝撃を与えた。
痛みは一瞬だったが、今は耐え難い吐き気として、それは、他の二つを圧倒し自分を責める。
それは熱さであり、悪寒であり、絶望にも似た死の気配だ。

(私は、これと似たような痛みを……覚えている)

それはいつのことだったのか、定かではない。
キャスターによりマスター、衛宮士郎との契約を解かれ、すでに彼との繋がりはない。
サーヴァントは、マスターの痛みを。今、この身を利用とする影を視る。奴の身に何かが……。

(違う!)

違う、違うのだ。
覚えている。これは、これはあの時、シロウが受けた胸の痛み。その痛みと同じ。
地に伏せ、死に瀕した彼は、地獄の中で、言葉を発したのだ。

急速に甦るこれは何なのか。
失われていたモノが、箍を外した獣の如く、凄まじいい速さで脳裏を走る。

シロウではないシロウ。おぼろげに、神の家、その闇を垣間見た。
かつて、私は彼と出会い……そして、答えを見つけた。すべては、すでにこの手にあったのだと。

彼は私の誇りを守り、私は最後に、言葉を―――

「シロウ―――貴方を愛している」

それは永遠の別れ。何者にも侵される筈のない黄金の別離。
もはや、彼と並び立つ未来はなく私は永遠に眠る。
もし、それがかなうのならば、それは泡沫の夢の中で。

そう、初めから不可解だったのだ。すでにこの身は聖杯を求めてはいない。
では、何故、呼びかけに応えたのかと。
未だ記憶は、霞に覆われている。

「くっ―――あっ―――」

現実に引き戻される。実際に理性が戻っていた時間は数秒に満たなかっただろう。
痛みによる思考の覚醒は一瞬。それこそ、まるで夢だったかのように、消え去っていった。
だが、今もなお、二つの責めは変わらずセイバーを蝕んでいる。
彼女の意識は闇に埋没し、深く、深く埋葬されていく。
はたして、セイバーの心は、先のことを覚えているのだろうか……。
闇はまだ、永い―――



interlude out



喀血と同時に膝が落ちる。
だが、膝が地に着く前に、さらに七つの衝撃が俺を貫いた。

「かはっ」

視界が真っ赤に染まる。心臓を貫いて、なお意識があるのは、この体がサーヴァントだからだろうか。

「たわけ、贋作者風情が。その姿をとるだけで罪だと思え。それは騎士王にだけ許されるものだ。あれは王たる我の物。その宝たる姿を盗むとは何たる冒涜。疾く消え去るが良いわ」

痛みは脳を空っぽにし、体の所在を失わそうとする。それをどうにかかき集め、必死になって縋りつく。
これは自分だけの痛みだ。それだけを耐えるなど、自分だけが耐えればいいだけ。
かつて繰り返した、鍛錬のように、意識を平静に保つ。
そうして、僅かながら余裕が出来ると、途端に思考はどうでもいい事を浮かべ始めた。

―――無茶を言う。俺とてこの姿は、どうしようもないというのに。

広間に足音だけが響く。破壊され、崩れ落ちる瓦礫も、バーサーカーですらこの時、音を発せずにいた。
それが俺の真横で止まる。

「ほう、まだ息があるとは。生き汚いとはこのことか。速やかに消え去れと言いたいところだが」

呼吸は千千に乱れ、あまりにか細い。
それでも、発した声には、まだ力があった。

「おまえは……英雄王―――ギルガメッシュ―――!」

かつて戦った英雄王とは少し違う姿だった。セイバーの剣すら阻んだ黄金の鎧はなく、逆立てていた髪も下ろしている。
鎧の代わりに着ているのは、黒いライダースーツだ。
最初の言葉とは裏腹に、何の侮蔑も嘲弄も浮かべてなかった真紅の瞳が、僅かに細められる。

「どうやら貴様、我のことを知っているようだ。よい、褒めてつかわす。我が神の仔を屠るまで存在することを赦してやろう。我の戦いを拝めるのだ。これはまたとない栄誉だと思え」

楽しげにそう言ったギルガメッシュは俺から視線を外し、広間の奥へと進んで行く。
―――視界が霞む。
さすがは英雄王と言うべきか。ただ、見られただけというのに弱った身体はその威圧でさらに力を失う。
頭を垂れ、ゴボリと、血が溢れた。
まだだ、まだこんな所で消えるわけにはいかない。

「何、貴方……」

呆然と、事の成り行きを見ていたイリヤは、まるで存在しないものを見たかのようにギルガメッシュを睨みつける。
その瞳には焼け付くような敵意と、信じられないという疑いが浮かんでいる。
そうして、後者のほうが勝ったのか、彼女は頭を振り言葉を発した。

「嘘、貴方、なんなの?」

「ふん? たわけ。この身はお前がよく知る英霊の一人だろう? その目は見た通りの飾りか?」

だが、彼女にとってはその事実こそあってはならないこと。

「知らない。私貴方なんか知らない。私が知らないサーヴァントなんか、存在しちゃいけないんだから」

そう言ってギルガメッシュを睨みつけるイリヤの体に、令呪の光が浮かび上がる。
待て、という声は音にならず、血によって阻まれる。もし声になったとしてもそれはあまりに小さく、届くはずもない。
そうして、イリヤが魔力の塊を放つのを黙ってみるしか出来なかった。

これはあの夜の焼き直し。
ギルガメッシュは目の前に鏡のような盾を取り出すと、イリヤの魔術は容易く跳ね返った。

「え?」

凛はここにいない。攻撃に全力を傾けたイリヤには、防ぐ手段は存在しない。
だが、ここには、イリヤの最強のサーヴァントが存在した。
階段まで跳び上がったバーサーカーがその身を盾とする。宝具に届かぬ神秘は、それで霧散した。

ギルガメッシュの赤い相貌と、理性なき狂戦士の視線が交錯する。
かつて、交わることのなかった組み合わせ。
最強たるバーサーカーと、黄金の英雄王。

イリヤはギルガメッシュを睨み続け、バーサーカーに命じるだろう。認められるものではないのだから。
だが、それは間違い。バーサーカーではギルガメッシュに勝てない。
そのことを、ギルガメッシュに対峙しているバーサーカーは理解している。その失われた理性ですら。

「ヤダヤダヤダヤダ。そんな奴嫌い! やれ、バーサーカー。そんな奴、生かしておくわけにはいかない!」

駄々をこねるようにイリヤが叫ぶ。

「■■■■■■■■■―――!」

「ふん」

バーサーカーは吼え、ギルガメッシュが哂う。
それが始まりの開始。存在しない鬨の声を耳にした気がする。
その瞬間、確かにバーサーカーは俺の目を見ていた。


ギルガメッシュの背後の空間が揺らめく。
陽炎のごとく、波うったそこに無数の刃が姿を現す。
その一つ一つが、そこらの凡百の刃物とは訳が違う。あれこそ、彼の英雄王が集めたという、財宝のほんの一部。

彼の鳴らす指を合図に、それらの聖剣魔剣。槍など竿状武器は、いっせいにバーサーカーへと襲い掛かる。
その大部分を

「■■■■■■■■■■」

バーサーカーは斧剣で弾き返し、残りを身体で弾くに任せた。

「ぬ」

バーサーカーの突進は阻まれる。だが、それはギルガメッシュの剣群も同じ。
表情こそ分からぬが、ギルガメッシュが哂ったような気配がした。

「なるほど。いやすまぬな、狂戦士とあなどったわ。さすがは我と同じ半神。生半可なものでは礼を欠いたようだ。相応のものを用意せねばなるまい」

そう言ったギルガメッシュの背後から先ほどの倍する揺らぎが発生した。
そこから覗く、凶器の一つ一つが、先のそれらの数倍の輝きを放っている。

「さて、貴様はかつて十二の試練とやらを越えたらしいが、我の下す試練も越えてみるか?」

その言葉の一つ一つに、隠しきれない嘲弄が混じる。

「■■■■■■■■■―――!」

俺に背を向けるギルガメッシュの顔に何が浮かんだのか。
対峙するバーサーカーは一際大きく雄叫びを上げ、一歩も進めぬまま、多数の宝具に命を散らした。

あまりにもあっけないバーサーカーの落命に、イリヤの表情が凍る。
ヘラクレスが一回くらい命を落とそうとも、イリヤの余裕が崩れるはずもない。
いくらヘラクレスが大英雄だとしても、相手はサーヴァント、同じ英雄だ。まして、圧倒的な力を得る代償に、その理性を奪われている。それでは、彼が持つ技能を十分には発揮できない。
中にはその命を奪うほどの英傑がいても、何もおかしくはないのだ。
だが、バーサーカーはそれを越えてなお、勝利をつかむだろう。命のストックはそれより遥かに多く、彼の宝具の性能からすれば一度の不覚も、二度はない。
そして、英霊の切り札はたいてい一つ。多くてもせいぜい四つが限度だろう。

それは相手が俺やセイバー、もしくはランサーであろうと。それほど、大英雄としての力、英霊としての精度は高い。

だが、相手がギルガメッシュでは無理だ。いくら英霊としての精度で勝っていても、根本から間違っている。
英雄では、王には勝てないのだ。

「ふむ、だらしがないな。これでは興が冷めるではないか。次は倍用意したのだぞ。余興とはいえ、我を楽しませるのは貴様の義務と知れ」

そう、イリヤが凍りつく理由。それは、湯水のようにバーサーカーに向けた数々の宝具が、それですら余興で片付けられる程度のものだと、理解したがためだった。そして、たったそれだけで、バーサーカーが勝てないことを理解してしまった。

その目は縋りつくようにバーサーカーを見つめ、俺の視線に気がついたのか、さらに泣きそうな顔になった。
誰か、助けてと。

それに応える暇も、力もなく、唇を振るわせた―――

「へぇ、お前、遠坂のサーヴァントじゃないか」

その時、ひどくこの場にそぐわない声を、俺の耳は捉えた。

「貴様は、ライダーのマスター……!」

「ふん、そんな様でよくそんな口がきけるね。僕が命じれば、お前を消すことなんか、簡単なんだぜ?」

俺の言葉が気に入らないのか、僅かに眉が動いたが、余裕を浮かべた笑みは変わらない。

「―――貴様が、ギルガメッシュのマスターだと?」

まったく想像もしてなかった事実に笑いたいような、泣きそうな気になってくる。ギルガメッシュのマスターが、よもやこんな男だと?
俺の驚きを別のものと勘違いしたのか、ライダーのマスター、間桐慎二はさも楽しそうに口の端を歪める。

「はは、びびってんだろ? それよりお前のマスター、遠坂はどうしたんだよ。まさか逃げ出したってわけ? バーサーカーが怖くて」

そう言った慎二はクツクツと笑う。

「貴様……!!」

凛に対する侮辱に、力ない四肢に熱が入る。
それこそ、視線だけで相手を呪い殺すかのごとく。

「な、なんだよ。バーサーカーさえ倒せば、次はお前だ。そんなお前が僕を傷つけるなんて許されると思ってんのかよ!」

「ぐっ!―――っ」

事実、身体を貫く八つの棘は、俺を満足に立たせることすらさせなかった。
そして、突き立ったままの異物は体の修復も許さない。

「はっ、無様だね。驚かせやがって。そこで自分の番が来るまで見てろよ」

そう言った慎二は移動しようとする。余裕があるように頤を上げてはいたが、口元は僅かに震えていた。
―――落ち着け。まだ、訊きたいことがある。

「待て! 何故ここに来た?」

「何故? これは聖杯戦争だろ? なら、サーヴァントを倒すのは当然じゃないか。それに、聖杯を手に入れるのもね」

「何、だと?」

「は、知らないのか? あの人間の振りした人形が、聖杯だって。まあ、詳しく言えば心臓が、なんだけどね。これだけ言えば、判るんじゃない?」

そう言って慎二は今度こそ、広間の隅へと移動した。
最低限のことは聞き出せた、と思いたかった。これ以上、時間を割くわけにはいかない。そんな時間はないのだから。
バーサーカーはすでにギルガメッシュの宝具の前に三度倒れた。俺の殺した数を合わせれば、既に六つ。
このままでは、バーサーカーは殺され、イリヤも同じ運命に陥る。慎二の言葉を聞き、それは確実のものとなった。
ギルガメッシュにイリヤを殺す罪悪感などない。そして、慎二にも。
このまま、黙って見ているわけにはいかない……。

―――心の臓を貫かれたというのに、この身は、まだ存在している。
消えない代わりに、血が流れ、口腔からどす黒く溢れ出す。
痛みは限界を超えてなお激しく、理性を溶かしていく。

理由など知らない。だが、まだ俺にもチャンスは残されている。
なら、俺がするべきことは……。

―――まずは、右腕を……。

胸の槍を抜くにしても、こいつが邪魔だ。
未だ力は入らない。当然だ。心臓は機能していないのだから。身体を廻る魔力は、異物に阻まれ、ほとんど力を発することができない。ほんの少し力を与えるだけだ。その魔力を糧に、僅かにしか動かない手に歯噛みしながら、絶望的な戦いを挑むバーサーカーを見る。
今、俺と、バーサーカーの思いに違いはないはず。なればこそ願う。
出来るなら、どうか一秒でも長い時間持ちこたえて欲しいと。
俺の手はまず、最初の一つにたどり着いた。



三つの命を失っても、バーサーカーの愚直な前進は止まらない。最初の位置から比べれば、確実にギルガメッシュとの距離は縮められている。なにしろ、ギルガメッシュはバーサーカーと対峙してから動いてないのだ。
だが、それは僅かの希望も抱くことは出来ない。未だ、両者にある溝は遠く、計り知れないのだから。
バーサーカーは最強だ。それに間違いはない。
即死する度に甦り、咆哮と共にギルガメッシュへと前進する。
竜巻の如く振るう斧剣は、死を繰り返すたびに弾き返す宝具の数を増やしていく。
岩盤を容易く打ち抜く宝具を散らす竜巻は、瓦礫を瞬く間に砂塵へと変えてしまう。
その勇姿は、なんら大英雄の名に恥じるものではない。
ギルガメッシュに殺されつくす前に、斧剣の間合いへと踏み込み敵を両断する。それだけが勝利するただ一つの方法だとしても。

しかし、そのバーサーカーの死を賭した前進も、ギルガメッシュにとってはただの遊戯に過ぎないはずだ。
ギルガメッシュの持つ財を持ってすれば、バーサーカーの命のストックを一度で破ることなど、たいした苦ではないだろう。
それこそ、かつて俺と彼女が、カリバーンを用いてやり遂げたことを、いとも簡単にしてのける予感がある。
それをしないのは、ギルガメッシュが、英雄王だけが許される、圧倒的な傲慢さから故のことなのだろうか。

とはいえ、今はその傲慢さだけが、俺の希望となっていた。
現状自分のこの様では、満足に動くことすら出来ないのだから。

右手に突き立った剣、届かぬ柄は無視してその刀身をつかむ。
背後からの不意打ちのため、引くのではなく押して抜く必要があったが。その剣は軽々と篭手の守りを抜き、刀身を握る手に傷を与えた。
それを無視して、握る手に力を込める。幸いにも、指は落ちることなく、剣を抜き取ることが出来た。
―――それと同時に、バーサーカーが四度目の死を迎えたのを、俺の目が捉える。

バーサーカーの命が削られていく。
その数は明らかに、俺の身体に突き立った剣の数よりも少ない。
それは、このまま悠長に、異物を抜き取る時間がないことを示していた。

意を決して、心臓を貫く朱色の魔槍に手をかける。

「ずっ、あ、あ――――っ!」

たったそれだけで、死に比する痛みをこらえていた意識は、それを越える痛みに絶叫を漏らす。
だが、それも必死で口の中で噛み殺した。

「ぐっ、ぐぅっ――――ぐ」

震える両手で槍を引き抜いていく。
右腕を貫いた傷も、左手に刻まれた傷も、治癒されていく気配はない。
それは、すでに心臓という核を破壊されたためなのか。それとも、剣に備わっている神秘のものなのか。
どちらにせよ、穴が開いた腕や、半ば切り裂かれた指では思うように力が入らない。
治癒しないのは終わりが近いせいなのか。
もしかしたら、本来サーヴァントといえどもとっくに体そのものが消えさるほどの傷なのかもしれない。
それが、まだ現界出来ているのは、アーチャーの単独行動のスキルのためなのか……。
爆散して、消え去りそうな自分を、必死に繋ぎとめる。

そうして、ランサーの槍と酷似した槍は俺の体から引き抜かれた。
だが、やはり心臓が治癒する気配はまったくない。

躊躇する時間も悲嘆にくれる時間も、今はなかった。



「■■■■■■■■■―――!」

六度目の死を迎えたバーサーカーは、瞬く間に身体を修復し、ギルガメッシュとの距離を縮めようと猛進する。
だが、同じことの繰り返しにギルガメッシュは飽きたのか。その発した言葉には、苛立ちが表れていた。

「ふん。同じ半神だからと、期待してみれば。できるのはただ獣の如く突進するだけとは。中々興のいった宝具を持つかと思えば、結局はその程度。つまらん。そろそろ我の前から消え去るが良い」

―――下された裁定と共に無数の宝具がバーサーカーを襲う。
バーサーカーはその大部分を斧剣で弾き、同時に大部分により、その命を奪われた。

「■■■■■■■■■■■■」

バーサーカーの動きが止まる。その身体は支えるものを失い崩れ落ちようとして。

その巨体は踏み止まり、全身にまとわりつく宝具を、その肉体ごと振り払った。

「む――――」

ギルガメッシュの声に、僅かな驚嘆が混じる。
最早死に体としか見えぬバーサーカーの巨躯は、宝具の驟雨が僅かに止んだ隙に、ギルガメッシュへと肉薄する。
さしものギルガメッシュも、少しは影響したのか、バーサーカーへと向かう宝具は、明らかに少ない。

「■■■■■■■■―――!」

バーサーカーは、斧剣の一閃で大部分を、残りが体を貫くことを省みず、ただただ間合いを詰める。
もはや、その身体は死体の如く傷つき、それでも尚、常と変わらぬ―――それ以上の力で。
それは、ついに後一歩でギルガメッシュを捉えるという寸前で。
先の光景が嘘であったかのような、宝具の雨により七度目の死を迎えた。

「ちっ、まだ形をのこすか。戦うだけの木偶ごときが」

未だ、その鋼の肉体は人の形を保ち、また甦ろうとしている。
その事実に苛立ちを隠せないギルガメッシュは、かつて使用しなかったモノを虚空より呼び出した。

「――――天の鎖よ――――」

それは鎖の宝具か。空中から無数に現れた鎖は傷の癒えぬバーサーカーを縛りつけ、その動きを封じる。
いや、それは封じるなどと生易しいものではない。鎖はあのバーサーカーを捩じり斬ろうという様に、際限なく絞られていく。

「―――これでも死なぬか。かつて天の雄牛すら束縛した鎖だが。お前を仕留めるに至らぬらしい」

空間そのものを軋ませるような、歪な音。
バーサーカーの力と鎖の力が相手を飲み干そうと拮抗する。
だが、それもすぐに片方へと傾くだろう。
バーサーカーであれば、それを成し遂げる。それは、ギルガメッシュにも解っている。
それでは、遅いということも。

「駄目! バーサーカー、戻って!」

イリヤの体に令呪野赤い光が灯る。―――だが、バーサーカーに変化はない。一歩も動くことすら出来ない。

「なんで? 私の中に戻れって―――」

「無駄だ。この鎖はな、かつて神を律するためだけにつくられたものだ。一度繋がれれば神とて逃れることが出来ん。それは神の仔たるバーサーカーとて変わらぬ。令呪による空間転移など我が許すものか」

そう、この状況がすでに手遅れ。
ギルガメッシュの指がコマ送りのようにバーサーカーへと向き、多数の宝具が、宝物庫より姿を現す。
最早一刻の猶予もない。動けないバーサーカーでは防ぐことも出来ない。

イリヤの目が愕然と開き、ギルガメッシュの指先がバーサーカーへ向けられる。
放たれる無数の聖剣魔剣の弾丸。
それらが、音速を超えバーサーカーに死を与える寸前に。

「熾天覆う七つの円冠―――」

真名を持って、赤い花弁がバーサーカーの眼前に姿を現す。

「えっ―――」

赤い花は、その花弁を散らしながらギルガメッシュの宝具を一身に受ける。
それは、バーサーカーに下された死を遮り、自らの役目を終えて消えた。

「っ、下郎―――!」

それが誰の手によるものか、誰よりも速く察したのだろう。
俺へと振り返ったギルガメッシュは、激昂と共に無数の矢を放つ。

―――それを満足に動けぬ身体で俺は、魔力放出に頼って避けた。
それはただただ直線的なだけの動き。速度は十分でも、細かい動きはできない。
そう、それはただの一歩なのだから。目的とする場所の前に障害物があれば、それを破壊して進むか、自身が砕けるかだけのこと。
だが、それで十分。初めからギルガメッシュと戦えるとは思ってはいない。
速射砲のように放たれた無数の矢は、直撃こそなかったものの、鎧を穿ち、篭手を破壊し、衣服すら引き裂く。
それでも、一つ足りない。最後の一矢がおれを貫くことを感じ取り、後ろでに投影した干将でそれを弾き、莫耶をギルガメッシュへと投擲した。

「ち、手癖の悪い―――我を何と心得る!」

たった、それだけで。治癒の叶わぬ右腕が死んだ。
だが、それでもいい。俺は目的とする場所にたどり着いたのだから。

「アーチャー」

眼前に立つイリヤが、呆然と呟く。
それも仕方がない。俺の身体はサーヴァントだとしても、生きているのが不思議なくらい壊れてしまっているのだから。
身体に突き立った宝具は全て、抜き取った。だが、急いたあまりに、身体はさらに傷ついてしまっていた。

「ふん。まだ、動けるとは思わなかったが。それで、どうする? 我と対峙して貴様に何ができる」

そのあまりに的確な言葉に、俺は静かに、振り向いた。
ギルガメッシュの顔は僅かな笑みを浮かべ、俺を見据える。
だが、答えることは出来ない。もう、俺には―――満足に声を発することもできない。

「すまない、イリヤ」

だから、囁くような声しか出すことが出来ない。

「え? アーチャー、何を? きゃっ!?」

何とか動く左手でイリヤを抱き上げる。
その際、イリヤの髪や服に、血がついたのがひどく申し訳なかった。

「なるほど。我に勝てぬとは理解しておるか。それゆえの逃走と。なれば、己の身一つで為せば良いものを。我がそうやすやすと逃すと思うか?」

ギルガメッシュが腕を組んだまま、酷薄な笑みを浮かべる。
その手が頭上に掲げられ……。
俺の目的を知ったイリヤが何かを言いかけ……。

「■■■■■■■■―――!!」

音の鳴らぬまま、バーサーカーが戒めの鎖を断ち切った。
その鬼気今までの比ではない。僅かに残った命を燃やし、猛然とギルガメッシュへと突進する。

「ちぃ!」

こんどこそ初めて、斧剣はギルガメッシュを間合いに捉え――――





――――その結果を見ぬまま、俺はアインツベルンの城を脱出した。
足に力が入らぬ。右腕はとうに死んでいる。生きている部分も、もはや常の十分の一もない。視界は罅割れ、残る部分も酷く霞んでいる。
それでも、変わらぬ速さを得たのは、ただ、変わらぬ魔力のため。ただ膨大な魔力を体の外側へ吐き出すことで、移動する。
呼吸は既に止まり、血もほとんど流されてしまった。イリヤを赤く染め、彼女が何か言う声も、既に耳は捉えていない。

ただ、彼女が一瞬身じろぎしたことが、少し申し訳なかった。

そうして、森の廃墟にたどり着いた。
イリヤを抱いたまま、勢いを落とさず中に飛び込む。
それで、僅かに気が緩んだのか、倒れこみそうになるのを何とか踏みとどまる。

障害物など無視してここまで来たが、それをここでやるわけにはいかない。
穴の開いた足で階上へと足を向ける。

――――それで限界。
こんどこそ、俺は瓦礫と化した室内に倒れた。
もう、イリヤを抱いているかどうかもよく判らない。それでも、倒れた時に傷つかないように何とか身体を捻ることが出来た。
五感は尽く失われ、僅かに触覚だけが機能していた。
どうやら、まだ身体は動いているらしい。
だが、もう意識の方が持たない。唇を噛もうとしても、何も判らず、体そのものの所在が不明。
これじゃあ、結局イリヤも守りきれない。―――こんな所で消えたら、凛に申し訳ない。
彼女とは別れすら交わしていないのだから。
顔を真っ赤にして怒るのだろうか……。
唇が虚空に、ここにない何かを呼ぶように何かを呟いた。
それがどんな言葉なのかは分からない。きっと、俺はここで終わるのだろう。
ならば、せめてイリヤだけは抱いていようと……、強く思いながら、俺の意識は闇に沈んだ。




[1070] Re[35]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2007/03/20 21:00


二つのモノがある。
もともとそれらが二つとも揃っていたわけではない。
ただ、結果として同じ場所に在るに過ぎない。
初めはここには二つともなかったし。
その後もずっと一つだった。ある時までは。
ただ、僅かな間、その一つがこの場所を離れていた間に、もう一つがここにきてしまっただけのこと。
本来なら相容れるものかどうかあやしい二つは、事実としてここにある。
予想以上にここが、頑丈だったのだろう。
ともあれ本来その二つはモノだ。それ故、何かを考えるということができるわけでもない。
理由はそれぞれに違ったが……。

さとて、便宜上“彼ら”と呼ぶが、少々不都合なことが起こった。
と、いうのも彼らが存在する場所そのものが危機に瀕していたのである。
場所がたとえ、消え去ったとしても“彼ら”が危機に陥るわけではないのだが。あまり歓迎できる状況ではなかったのである。
もっとも、不都合なのは一方の方に限ってだが。
もう一方にとっては、所詮この場所は仮初の場所。住処と定めた場所が近ければ、初めて動く程度の無精モノなのである。
ただ、もう一方にとって見れば、本当に由々しき事態だったのだ。
それこそ、もう一方―――彼の存在理由を揺るがすようなものである。
意志がないとは言ったが、そこはそれ、なんとも似合わないことをしてしまったために起きたものである。

それは、ある約束だった。
それを果たす前に、この場所を失う―――少し違った。
この場所そのものは本来の場所ではなく、“彼ら”片割れが作り上げた贋作である。
とにかく、それを失うわけにはいかなかったのだ。

何故なら、彼のした約束は簡単なものではなく、どちらかというと、むしろ不可能の部類に入るもので。
約束を交わした相手も、叶うとは露とも思ってなかっただろう。
そも、約束を交わしたかどうか、理解しているかも怪しい。
ただ、その意志などないはずの彼が、予想外に約束など交わしてしまった。
そんなものは無理だと切り捨てればよいものを、何を思ったか叶えようと、ありもしないやる気を出してしまったのである。
それが、その場所の恩恵というものなのかは、はっきりとは判らない。
本来のそれからは程遠いが、彼は結構力を持っているのである。交わした約束は、その彼の力をもってしても、長い時間が必要となった。
しかし、一度そう決めたのなら、中々に彼はしぶとかったのだ。
そして、彼は自分が思うよりも数段、お節介だった。
約束は厄介であったが、実際にはこの時にはもう叶っているはずだったのだから。
だが、彼は直前になって、考えを改め、さらに長い時間をかけることにした。

結果が今の状況である。
このままでは、今までの苦労がパーだ。
しかし、いくら彼に力があろうとも、それはこの状況を打開するものではない。
それができるのは、同じ場所に存在する、もう一つの方だけだった。
だが―――、今度は彼女にする。は少々というかかなりの頑固者で、それをしてくれそうにない。
他のものは、それこそ簡単に従ってくれていたから、高をくくっていたが。
やはり、それは真なるもモノと、その影のためなのか。
ここが、仮初とはいえ、それなりに長い時間過ごした場所なら、彼女も重い腰を上げたかもしれない。
だが、ここはその仮初のものの、さらにそれの仮宿。
といっても、相当に上等なそれは、かなりの恩恵を与えていたのだが。
それが、仇となったらしい。

外装があまりに完璧だから、油断も入っていたのだろうか。
少なくとも、彼女ではない彼女は、しっかりと動いてくれていたのだから。
だが、あくまで彼女ではない……。意味が無い。

彼だけでは、この状況を打破できない。彼女の協力が不可欠なのだ。
だが、彼女がそれを為すとは思えない。
結果、彼はあまり使いたくなかった手段だが、ある方法を取ることを決定した。
それをすれば、彼女の重い腰が上がることも間違いない。
そりゃもう、その件に関してはあっというまに解決する、所謂秘策みたいなもんである。
それは、実の所、ある意味約束の一部を違えることになるのだが……。
彼は悩むということに関しては得意ではなく、むしろそんなことしない。だから、彼はまあいっかと、それを容易く切り捨てた。

彼らに意志があるわけではない。
ただ、そうなっていく、というだけのこと……。


interlude


森をひた走る。木々が乱立し、足場が不確かなこの森で、遠坂を背負って走るのは、あまりうまくなかった。
走らずに歩くだけならば、たいして問題があるわけではないだろう。だが、そのようなわけにもいかず。
結果、こうして抱きかかえて、走っているわけだが。
そうするには、まあいろいろと葛藤があったわけで。
正直、前を向いてないと、どうにかなりそうだ。
もう、どれだけ走ったのだろうか。正確な時間はわからないが、少なくとも一時間はたったのだろう。
鼓動は早鐘を打ち、吐く息は白いというのに、流れる汗は少なくない。
もっとも、遠坂を抱えたままといった状況だが、まだこの程度で弱音を吐くような鍛え方はしていない。
体重が予想よりも軽かった、ということも、関係あるかもしれないが。
遠坂の前で言ったら―――余計なことは言わないでおこう。自ら酷い目にあいたい奴なんか、普通じゃない。まして、相手は遠坂だ。
サーヴァントとは違った意味でヤバイ。
とにかく、走り続けるだけなら、さほど問題はなかった。

アーチャーは結局、まだ追いついてきていない。
考えまいとしても、どうしてそれが出来るだろうか。

あの城で、俺は完全に場違いだった。バーサーカーの一撃。それの、ただの余波だけで吹き飛ばされる体たらく。
何とか意識を保ったものの、本当に何もできることがない。
初めてバーサーカーと遭遇した夜を、軽々と越える一撃。
―――もし、何かの間違いで俺が、誰かの盾になったとしても。俺ごと両断される……。そんな一撃だった。
少し、油断もあったのかもしれない。あの少女が、話を判ってくれる。そんな風に思っていた。
そんなこと、もしセイバーがいたならそれこそ、俺の甘さを修練という場で叩きなおしたかもしれない。
もちろん、そんな甘い考えを持っていたのは、きっと俺だけで、遠坂もアーチャーも油断なんてなかったはずだ。
ただ、バーサーカーがそれを上回っていただけ。

―――甘かった。
それは、アーチャーがいたからかもしれない。
バーサーカーは強い。アレは本当に規格外だ。バーサーカーの恩恵を受ける前とて、すでにサーヴァントとして一級品。
力を十全に発揮できぬセイバーを、容易く凌駕している。
だが、アーチャーは違う。俺とは比べ物にならない遠坂が、魔術師として、喚んだもの。
サーヴァントとしての“力”ではバーサーカーにすら引けをとっていなかった。
そう、少なくとも、あの城に行くまでは、そう思っていた。
アーチャーがセイバーと似ているだけに、自分の不甲斐なさがセイバーに申し訳なかったが。
そんなことを言うとセイバーは怒るだろう。
なんでも、魔力と耐久力では、自分が完全に顕現していても、アーチャーには敵わないとのこと。
それくらい、アーチャーのことを話すセイバーは誇らしげだったのだから。

だが、そのクラススキル、強化の恩恵を使うバーサーカーはそれ以上だった。
圧倒的な暴力。全てを破壊するような暴風めいた圧搾機のごとき剣撃。
聞いたバーサーカーの宝具を考えれば、逃走するだけでも一苦労のはずだ。
特に、アーチャーは、サーヴァントとして足は遅い部類のようだから。逃げるにしても、一度バーサーカーの足を挫く必要があるだろう。
アーチャーは俺―――、人間と比べれば、十分に速いのだが、本人は結構気に病んでいる様子だった。

アーチャーが負けるとは思いたくなかったけど。
本当にあの時、あの場所で、俺ができることはない。アーチャーの声がなければ、何も出来ずに瓦礫と運命を共にしていたかもしれない。
俺にできることは、遠坂の身体を、戦場から抱え、アーチャーの言葉を信じることだけだった。

遠坂の意識はまだ戻らない。
アインツベルンの城でも、幾度か呼んでみたが、反応はなかった。
そもそも、あれほどの剣戟の最中、目を覚まさぬのだからよほど深く意識は埋没していたのだろう。
森を駆ける今とて、寝ていられるような状態は決してない。
もし、頭を打っているのなら―――

悪い方へと走り始める思考を押し留める。
遠坂は、必ず目を覚ますし、アーチャーもきっと追いついてくる。

「っつ―――!?」

その瞬間、頭に鋭利な刃物が突きつけられた。そんな痛みを覚えた。
それは、たいした痛みではない。瞬間的な例を言うならば、指の腹に針を一ミリほど刺すくらいだろうか。
ただ、違うのはそれが、瞬間的なものではないということ。

(なんだ?)

声に出さず、自問する。
たいしたことがなかったはずの痛みが、増してきているような気がして、唇を噛んだ。

(気のせいじゃ、ない―――!?)

僅かだった痛みが、一歩進むだけで加速度的に増していくような。
たいしたことないと思ったことこそが、間違いとでも言うように……。

「ぐっ―――」

耐え切れず、足を止めた。
何故だかわからないが、この状態はよくない。
何かの魔術ではないことがかろうじてわかったが。
視界が真っ赤に染まり、吐き気は際限なく、喉元まであと僅か。
何が出てくるかはともかく、耐えなければならない。
頭痛は益々酷くなっていく。立っていられそうにない。
そう、弱音を感じる度に、崩れ落ちそうになる身体に喝を入れる。

あまりに赤すぎて、目が、前が見えない。
すでに、走ることはおろか、歩いてさえいなかったが。
あまりに所在無い身体は、どうなっているのか判らない。かろうじて、腕に遠坂の重みがあるだけだった。
必死で食いしばる。今まで幾度となく繰り返した魔術の鍛錬を現在と重ねる。ただ、それはあの地獄の中、手に水筒があるくらいの無力で。
瞬間的な痛みであるならば、まだ耐えられる。
だが、それが永遠に続くのであれば―――

「―――くん!」

(今、何か聞こえたような―――)

痛みでぐちゃぐちゃとなっていく思考に、僅かな隙間が開く。
僅かに見えたのは、予想外のもの。
隙間なく敷き詰められたようなそれは、確かに剣で、確かその場所は手があったはず……。
だが、それはただの一瞬で、赤い視界はもう、視界ではなく、ただ真っ赤な絵の具で塗りつぶされて。
痛みは終着駅がない列車の如く、アクセルは前回でブレーキは初めからナイ。
心は砂の中に、飛び散るそれはもう見つからないほど空へそらへソラヘ空へト―――

「―――!?」

その瞬間、頬に衝撃が走った。
それは、原因不明の痛みを消して、俺を現実へと引き戻す。
あれほど、頭を苛んでいた痛みは、どこにも残っていなかった。
ただ、その跡を、唇から流す血と―――

「やっと反応した。って―――、その、そんな顔されても、どうしようもないじゃない」

と、俺に抱かれたままの遠坂が、そっぽを向く。
烈火のごとき気勢かと思えば、たちまち鎮火してしまった遠坂を不思議に思いながらも見つめる。
あらぬ方向を向きながらも、視線はまだ俺の顔を―――

「っつ」

その寸前まで遠坂が見ていたものに気付いて、俺は左手で自分の頬をなぞった。

「きゃあ!?」

片手を離したせいで、支えきれなくなった遠坂が落ちそうになる。
その悲鳴とは裏腹に、危なげなく遠坂は大地に立った。
俺の腕から離れ、瞬時に離れる。
予想に反して、何も怒ってないようだ。それどころか、どこか覇気がない。

「―――涙?」

「そう、あんた。泣いてたのよ。判らないけど、いや、ごめん。―――とにかく、怒れないじゃない。とにかく、唇から血は流れてるし、目は焦点が合ってないわ涙流してるし」

それで、平手打ちか。多分これじゃあ、痕になってるかもしれない。
ただ、あれから俺を引き戻してくれただけでも、ありがたい。あの痛みに比べれば、頬の痛みなんて、なんでもない。

「ありがとう。遠坂、助かったよ」

「そう、ね」

そう言った、遠坂の声は、やはり覇気がない。
それが何故か、訊こうとして俺は、遠坂が手の甲を押さえていることに気がついた。

―――あれは、遠坂の令呪があった―――

俺の視線に気がついたのか、遠坂が僅かに微笑んだ。
だけど、それもすぐに崩れて、遠坂はそっぽを向く。
その顔はいつものように見えて、だけど、右手は白くなるほど強く握られている。
それが、怒りなのか、悔しさなのか、それとも後悔なのか。どんな気持ちかはわからない。だけど――――
それは、あまりに痛々しい姿で、不覚にも俺は初めて、彼女も年相応の女の子なんだと気がついた。

「はは、やっぱり気がついた? 大丈夫、言わなくてもわかってるから」

それで、アーチャーがどうなってしまったのか理解してしまった。
遠坂の令呪は右手にある。もし、セイバーがキャスターに奪われた時と同様に、サーヴァントが主の下から離れた時。―――消えた時も同様のことが起こるならば。

俺も、遠坂も言葉を紡がない。
アーチャーの消滅を悼んでいいのは遠坂だけだし、俺にはそれをする権利はない。
だが、もしそうだとしたら……。

「それじゃあ、バーサーカーは」

「―――さあ。私は結局何も出来なかったから。判断できない」

放つ言葉にもどこか力がない。

「それなら、急いでここから離れないと」

イリヤスフィールは誰も逃がさないと、あの時宣言した。
バーサーカーの速さは折り紙つきだ。
こんな所でグズグズして、バーサーカーに追いつかれたら、アーチャーが逃がしてくれたことに―――

「ううん。その必要はないわ」

と、遠坂の言葉は俺にとっては予想外のものだった。
ただただ、平坦に告げられた言葉は、決してなげやりなものではなかったけど、どこか不安を感じずにはいられない。
もっともその時、俺は結構間抜けな顔をしていたんだと思う。それは、遠坂の僅かに緩んだ表情からも明らかだったが、それよりも。

「―――なんでさ?」

とりあえず、落ち着いて遠坂の話を聞くことにした。他にもいろいろな感情はあったが、遠坂を差し置いて、俺がそれを面に出す権利なんてないはずだから。そして、どれだけ、俺の姿が滑稽であったとしても、それを笑う遠坂の表情が作り物のように見えてしまったから。

「何故かは知らないけれど、目が覚めてから、イリヤスフィールを感じないもの」

「それってどういうことなんだ?」

聞き返した俺は、森の出口の方へ緩やかに歩き出した遠坂を追う。

「衛宮くんも解ってると思うけど、ここはアインツベルンの森よ。いうなれば、この森全てがあの娘の森なの。今は関係ないけど、あの娘なら衛宮くんみたいなへっぽこ魔術士の意識くらい、そこらへんの木なんかに転移できるんじゃないかしら」

うん、まあ、ここでへっぽこ言う必要はないと思う。
遠坂が言いたいのは、ここがイリヤスフィールという少女にとって庭みたいなもの、と言いたいのだろう。もっと自由に出来るレベルでだけど。

「だけど、それを感じない。来る時は、ずっと見られてる感じだったのに。今は、まるで、この森にはいないような……」

見られてるって、俺は全然気がつかなかったけど。

「いないって言うのは、俺たちを見つけられないで、森を出ちゃったってことか?」

「衛宮くん。それ本気で言ってる?」

「いや、まあ、ないと思うけど」

慌てて否定する。割かし本気だったなんて言ったらどうなることか。
確かに、バーサーカーの存在感を考えれば、ちょっと近づかれただけで解る、と思う。
ただ、不用意な一言も、遠坂の力になるのならたいした問題ではないかもしれない。
遠坂の顔は、少しだけ、いつものそれに戻ったような気がしたから。

「安心したわ。もし衛宮くんが本気で言ってたなら、そうね。どうしたかしら、私?」

笑ってるけど目が笑ってない。それに、疑問系はやめて欲しい。
やはり、自分が標的になるのはつらい。
その俺の動揺した様を見ていた遠坂は、軽く息を吐くと今までで一番、泣きそうな顔で笑った。

「気を使わせちゃったみたいね。衛宮くんにまでわかるくらい下がっちゃってるなんて、ちょっとショックかもしれない」

「だけど、遠坂は―――」

間違ってない。アーチャーを失ったのは遠坂のせいじゃない。そう言おうとして、遠坂に止められた。

「解ってる。解ってるから最後まで言わないで。だけど」

それでも私は後悔してる。そう、遠坂は続けようとしたのだろうか。
だけどそれは適わず、紡がれたのはどこか間の抜けた声で。

「えっ?」

と、その瞬間、目の前を通過していった物体に、遮られる形となった。
恐ろしい速さで、しかも回転しながら飛んでいったそれは、そのまま近くにあった太い木に突き刺さる。

「「――――」」

二人して沈黙する。
突然、自分達の鼻先を、何か得体の知れないものが通過していったら、そりゃあ黙るだろう。
あと少しで掠るところだったし。思わず鼻先に手をやる。どうやら、怪我はないようだが。
ぎこちなく、二人してそのブツへと目をやった。不自然な動きは、どこからか音が聞こえてきそうだ。ブリキのような。
木に半ばまで突き刺さっているのは、中華風の短剣で、それは以前どこかで……。

「まさか……」

そうして、その短剣に手を伸ばそうとした瞬間。

「ひっ」

横手から白い塊が、同じ木に突き立った。
せめて、音が聞こえれば、もう少し対処のしようがあるのだが。思わず上げてしまった情けない悲鳴は、どうやら口の中だけだったらしい。横目で見た遠坂は、俺の悲鳴には何のリアクションもしていない。もっとも、またの飛来物には驚いているようだが。
それよりも――――

「やっぱり」

それは、アーチャーの双剣だった。
陽剣干将、陰剣莫耶。古の刀匠が鍛え上げた対の双剣。
それを初めて目にしたのは、夜の柳洞寺。血に濡れた視界の端で、赤い騎士が持っていたそれは、不思議と目に焼きついていた。
それは、俺自身の血で濡れていたというのに。
その朱ですら、黒と白の短剣を侵すことはできず、俺はあの剣に見惚れたんだ。
そう、あんな赤い騎士じゃなくて、アーチャーが持っていたら、なんて場違いにも思ったのだ。

そして、次に見たのは、あの赤い世界で。
またも、瀕死だった俺はアーチャーが投擲したこの双剣のおかげで、墜落死を免れることが出来た。
そう、あの時―――俺はこの双剣を手にしたんだ。

宝具は優れた武器であるなら、それが美しいことに間違いはない。
セイバーが持つ見えない剣も、その姿を顕せばさぞかし豪奢であろう。
だけど、この剣はそういったものとは違う。
これは、願いや幻想で編まれた物とは違う。
莫耶は干将のために命を賭し、干将は悲しみの中二振りの剣、彼ら二人の名を刻む夫婦剣を体現した。
そこには、戦意も、我欲も、競争心も、信仰すらない。魔剣、名剣に必要な創造理念が存在しない。
ただ、自身の鍛冶師としての、意義を問うかのような対の剣。
彼の心を映した鏡。白と黒、陰と陽を夫婦に表す鍛冶師の剣。

―――それが、美しいと感じたんだ。

左手で莫耶の、右手で干将の柄をつかみ、突き刺さった木から引き抜く。
その瞬間、先に感じた痛みと同質のものが、頭蓋を走る。

「その剣は、アーチャーの……」

それを、隣にいた遠坂が呆然と呟いた。痛みはたったそれだけ。二度目の原因不明の頭痛は、ただの気のせいだというように。
回復した視界で、双剣を見つめる。
それと同時に、遠坂は剣から目を逸らし、アインツベルンの城がある方向を、睨むようにその目を細める。
何故、まだ形を保っていられるのか……。それくらい、その双剣は剣としては、傷付きすぎている。
彼女が言う通り、もうアーチャーが消えてしまったのなら、この剣は何時放たれたのだろう?
俺はアインツベルンの城からここまで、逃げてきた。それがどのような速度であれ、相当な距離であることは確かだ。
だが、この双剣は今、この手にある。
それは、持ち主たる少女、アーチャーの名を冠する彼女の力ゆえなのか。

「遠坂……」

互いにサーヴァントを失い、相手取る力はあまりに強力だ。
柄に握る手に力を込めて。
だけど、間違ったなんて思ってない。ただ、うまくなかっただけだ。
古の鍛冶師を、そしてアーチャーを目の裏に。

「――――何?」

「このまま、終わるつもりなんて、ないんだろ?」

そう、力を込めて言葉を放つ。
遠坂の顔を見ずに、互いに背を向けて。

「ええ。もちろんよ。私はまだ、負けだなんて思ってないんだから」

僅かな沈黙の後、遠坂の声はいつものように、力を持って。羨ましくなるくらいの輝きを持って放たれる。
その言葉に、俺は笑う。両手の剣も同じように歓喜したのか、役目を終えたとでもいうように、その姿を無へと戻した。


interlude out







interlude B


そうして、両者の戦いは終わった。
狂戦士の消滅により、鳴り止まぬとも思えた戦いの戯曲は、終焉となったのだ。
それが、どのようなものであれ、互いに相手を打ち砕かんとした結果がそれだ。
広間は千千に罅割れている。もはや、かつての絢爛さなどどこにも残ってはいない。
もはや、廃墟といっても過言ではなくなってしまった広間の中央に、英雄王は立っていた。

その身体は、バーサーカーと対面した時から変わらず、傷一つない。
能面の如く表情のない顔は、何を考えているのか窺い知れない。ただ、その赤い瞳だけが、微かに、苛立ちと、他の何かを宿していた。

「な、何してんだよ、ギルガメッシュ。人形に、逃げられちゃったじゃないか!」

無言で佇むギルガメッシュに声をかけたのは間桐慎二だった。
その声には、怯えと、安堵が含まれている。
それは、先ほどまで続いていた戦いの苛烈さと、その恐怖によるものだった。

アーチャーがイリヤスフィールを連れてこの城から離脱した後、この城はそれまでの戦いが、ただの遊戯であったかのように一変した。
イリヤという守るべき存在がいた戦いで、バーサーカーには湯水の如く放たれる宝具を、ただ真正面から打ち破るしか方法がなかった。
少しでも逃してしまっては、一つ一つが岩盤を容易く打ち抜く宝具の矢だ。イリヤスフィールは無事ではすまない。
故に、ただただ、絶望的な前進を、ギルガメッシュに対して敢行するしかなかったのだ。

だが、アーチャーにより戦場からイリヤスフィールが離脱したとあれば話は違う。

本来敵であるはずの、何より殺し合いをしていたアーチャーが自分の守るべき主を連れ出したのだ。
常なら、対峙するギルガメッシュすら歯牙にかけず、それを追うはずだろう。
少なくとも、アーチャーがこの城から脱出した時、間桐慎二はそう思った。
ギルガメッシュは、ライダーとは比べ物にならないほど強い。
確かに、何を考えているのか得体の知れないところがあるが、それはそれ。
相手は結局サーヴァントだということで、自身の優位は絶対であると、感じていた不安には蓋をしていた。
ギルガメッシュの力なら、相手が狂戦士と化した相手でも、負けるはずがない。
しかし、無駄な戦いは慎二とて望む所ではない。勝手に潰しあってくれるのなら、それに越したことはなかったのだ。
アーチャーとバーサーカーの戦いに割って入ったことも、慎二にとっては不本意なことだったのだから。

だが、実際は思惑とは異なり、バーサーカーは変わらずギルガメッシュを、その岩塊で撃ち砕かんと咆哮した。
それは、もし観客がいたのであれば、まさに最高位の英雄同士の戦いに相応しいものと賛辞したことだっただろう。
結果として、ギルガメッシュの勝利となったが、それが決して圧勝などと片付けられるものではなかったことは、何より英雄王自身が理解していたのである。
バーサーカーに残っていた命は唯一つ。12の試練の加護を使い果たし、残るは本来の命のみで、バーサーカーは、それ以前の戦いを越える時を、戦い続けたのである。
今まで、受けるか弾くだけだった巨躯は、その重さを感じさせぬ動きで縦横無尽に動き回り、あらゆる方向からギルガメッシュの身体を砕かんと、斧剣を振るってきた。
その瀑布のごとき剣を防ぎ、なおかつ殺そうとするのだ。いくら、この広間が広大であろうと、回りが無事ですむはずもない。
ギルガメッシュは自身を守ると同時に、慎二というこの場においてはなんの術も持たぬ、無力な存在を守る羽目となった。
それは、奇しくも先の戦いの逆転。守る理由が如何に違おうとも、厄介なことに変わりはない。
そんなこと、露ほどもバーサーカーは思っていなかっただろうが。

たとえ、バーサーカーに戦いの幅が増えたとしても、勝者は揺るがない。
何より、それまでに蘇生という宝具を失っていたバーサーカーには勝機は笑えるくらいに薄かった。
そのありえないことを覆すのが英雄であろうとも、戦う相手も紛れもなく英雄。それは容易ではなく、結果、バーサーカーは敗北した。

戦っている最中は、恐怖のあまり腰を抜かし、震えることしか出来なかった慎二も今は違う。
自分の言葉に何も答えず、ただ黙すばかりのギルガメッシュに、平静を欠いていた感情は、簡単に針を振り切った。

「おい! 聞いてるのかよ、ギルガメッシュ! 」

そう叫び、広間の端からギルガメッシュのところへ足早に近づき、その肩に手を置いた。
その激昂した頭では気がつかない。ギルガメッシュが自分の肩に手を置いた慎二を、虫でも見るかのような目で見たことに。

「こんな所でグズグズしてないで、あの人形を追いかけろよ。聖杯に必要なんだろ!」

そう言った所で、初めて慎二は、自分のしたことに僅かな疑いを持った。
その瞬間、慌てて肩から手を離す。
その、出所の知れぬ不安は、間桐の屋敷で、間桐の修練場で感じたものと同じ気配だ。
不快な虫共、そしてその醜悪な主を滅ぼし、役立たずの妹に対して、理解不能の行動を起こした。
あの時と同質の、どこか底知れぬ得体の知れぬ感情。
本来存在せぬはずの、九人目のサーヴァント。前回から残り続けているという英雄王。
自身のサーヴァントとなってからも、常に感じていた不安が鎌首を持ち上げる。それをいつものように蓋をして平静を取り繕うと。
間桐慎二は、少々歪に、唇の端を吊り上げた。
それを無言で見届けた後、ギルガメッシュは城の出口を胡乱げに眺め、何かを考えるように目を閉じ、僅かに笑みを溢した。

「無駄だ、シンジ。追ってもどうしようもない。今は諦めろ」

「なんでだよ。お前なら何も問題ないだろ! 必要だって言ったのはお前じゃないか」

手に入れるはずだったものが、手に入らないと聞いて黙っていられるはずもない。
何より、わざわざこんな辺鄙所まで来たというのに、みすみす見逃すなど、間桐慎二には理解できなかった。
その苛立ちを隠そうともしない姿を見下ろしながら、ギルガメッシュは嘲弄する。
もっとも、間桐慎二はその侮蔑の視線に気がつきもしなかったが。

「残念だが。我にも出来ぬことがある。なればこそ、聖杯を求めるわけだが……」

それは嘘ではない。事実、英雄王とて覆せぬものは確かに存在する。
もっとも、必要としているのは願いを叶える万能の釜としてではなく、目的を自身の代わりに果たすモノとしてだが。

「まさか、偽者にも真作があろうとは。それもとびきりのものか。他人の真似事ばかりと思っていたが、なるほど、騎士王も存外我と似たところがあるらしい。行くぞシンジ。機会はいくらでもある。この程度のことで激昂していては器がしれるぞ?」

もう一度、ある方向を眺める。あれは、たとえ愛剣をもってしても、覆すことは不可能だろう。
手段がないわけではないが、それはあまりに面倒だ。

「は、はは、僕が、そんなことあるはずないじゃないか。わかったよ。お前に任せる」

そう引き攣りながらも笑みを浮かべる間桐慎二を一瞥して、ギルガメッシュは城を後にした。


interlude out




[1070] Re[36]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2007/04/08 00:19


何かが消え去ったような気がして、私はその違和感に目を覚ます。
それは気のせい。正しいのはこの世界だ。間違いはない。あるとしたらその前。
訳が分からない。自分が考えているというのに、表れるのは自分でもわからぬものばかり。

音が聞こえる。
それは、何かが泣くような音で、結局何なのかわからない。
それを、私はぼんやりと聞いている。

……何処だろう、ここは?
目が覚めたというのに、頭は思い出すという行為を面倒だとだらしなく停滞する。
起きているというのに、結局起きていないという惰性。
誰かが似たような人ではなかったか。

「ん、っ―――んあ」

力を込める。何故か動かぬ両手は無視して、首だけを動かすことだけに、身体を鞭打つ。
そのために漏れた言葉は、自由にならぬ体のように頼りない。
どうやら、私はベッドに寄りかかっているらしい……。

どれくらい、眠っていたのか。いや、どうして眠っていたのか。
それを、起きてない頭で、考えようとする。
僅かに走った頭痛は、眩暈を引き起こす。まるで誰かが言った泥酔後の朝のようだが。
私は酒に弱かっただろうか。眠る前に何をしていたのかも解らぬ頭で、酒を飲んだかどうか思い出そうとする。

「ここは、―――」

廃墟だろうか。
僅かに見えるのは、瓦礫だった。
瓦礫など、なってしまえばいくらも違いがない。そも、見えるのが瓦礫だけなら、ここがどこかなんて解らない。
ただ、こんな場所で酒を飲むほど、自分は酒に溺れてはなかったと思考の端が告げた。
そも、目がまだ良く見えない。

音がまた聞こえる。
規則的でない、きまぐれな音。それは音というよりはむしろ、何か意味のあるような。
部屋に光はない。おそらくは夜なのだろう。僅かに、窓から星の光のようなものが、射している気がする。
それでも、状況を把握しようとして私は、腕の中に誰かを抱いていることに気がついた。
明かりもない、目も良く見えない、思い出せない。
ないことばかりで、明確には判別できない。

それでも、その誰かが、小さな少女であるということだけは、気がつくことが出来た。
徐々に視界が回復していく。
あまりに緩慢な回復では、はっきりと少女を認識することが出来ない。
眠っているのか。視線を受けても反応のひとつもない。ただ、規則正しく、体が上下するだけ。
あまりに、それが微弱すぎるので、まるで寝ているというよりは、停止しているように思えて、微かに伝わってくる温もりに安堵する。
聞こえていた音は、その少女が発していたものらしい。
僅かに呟くような声が、まるで何かが鳴いているような、そんな音に聞こえたのだろう。

「――――」

とたん、少女が大きな反応をした。それに思わず自分もつられてしまった。
ともすれば、少女が起きてしまうくらいに強い反応を。思わず少女の顔を見つめ、ぼうとした視界は、それが安らかなものと理解した。
そうして、息を吐き出そうとして

「死な、ないで」

そうはっきりと聞こえた言葉に、胸を締め付けられた。
急速に視界が回復していく。同時に思考も、常の自分を取り戻した。
何故、此処にいるのかも。

「イリヤ……」

そう呟き、その白磁のような頬に残った涙を拭う。
魔力によって編まれていたはずの鎧は、目が覚めたときから消えていたらしい。
おかげで、胸に抱くイリヤが痛い思いも、そして涙を拭う手が物騒すぎることもなかった。

先ほどは気がつかなかったが、窓から射す光は星だけではない。
あれほど曇っていたというのに、今は月が顔を出している。
今が夜だという意味を理解すると同時に何故、という気持ちが湧きあがる。
自分がまだ現界していることも、イリヤが無事でここにいることも。

イリヤが目を覚まさないように、体を動かす。
視界も、思考も回復したが、どうやら身体の方はそうでもないらしい。
四肢に力は入らず、どうあっても立ち上がろうとすれば、抱いているイリヤにも余計な力を加えることになるだろう。
それでも、何時までもこうしているわけには行かない。
眠っているイリヤの顔をもう一度見て笑うと、私は力を込めようとして―――

「いいえ、無理をなさらず。貴女様はまだ本調子ではないのでしょう。そのご様子ではお嬢様が起きてしまいます」

いつのまにか近くに来ていたメイドに、阻まれることになった。

「―――む」

廃墟にメイドというなんとも妙な組み合わせに押し黙る。
決して、接近に気がつかなかったことを隠しているわけではない。なにしろ、本調子ではなかったのだし。
どうやら、メイドは二人いるようだ。
目の前に立つメイドの背後に、もう一人立っている。
どちらも、濃い闇の中で白い装束が映えている。あえて色で分けるというのなら黒と、青だろうか。
一見瓜二つのだが、よく見ると僅かに違う気がする。

「大丈夫。無理しないでいい。わたしが運ぶ」

どこかたどたどしい言葉を発した、メイド―――黒い方の少女が、近づいてきて、ひょいとイリヤごと私を抱き上げた。
私もイリヤも小さい部類とはいえ、二人合わせれば成人男性の体重に十分匹敵する。
それを苦もなく抱き上げた力に感嘆する。表情にはなんら、苦があるようには見えない。それどころか、ほとんど無表情。どちらかというと、その表情は柔らかな笑みを浮かべているような気がする。
しかし、今はそれよりも―――

「おちついて。イリヤが目を覚ます」

どこか、子供をあやす様な優しさで言われれば、熱を持っていた頭も、幾分冷ますことが出来た。
イリヤを見つめる視線の柔らかさや、イリヤと云う呼び方が、彼女とイリヤの近さを伝えてくれる。
まさか、俗に言うお嬢様抱っこという代物だったがために、気が動転してしまった。
よく考えれば、イリヤを抱いている以上二人同時に抱えるならこれしか方法がないとは、理解できるのだが。
頬が紅くなるのは、許してもらいたい。状況を冷静に見てしまうと、服越しとはいえその存在を主張するあれを意識してしまう。
しかし、これではあの小僧に言った言葉が、あまり効力を持たなく……。

「っ――――」

叫び声をあげそうになって、それを無理やりかみ殺した。
今の今まで気がつかなかった異常に歯噛みする。

今の私は、凛とラインで繋がっていない。
あれほど感じていたマスターとの繋がりが、露ほどにも残ってはいない。
魔力は、たいして減っているようには思えない。弓兵が持つスキルゆえのことだろう。
アーチャーである私は現界し、しかしそのマスターとの繋がりが絶えたということは。
まさか、凛は―――

「安心してください。私の美学に反しますが、お嬢様を助けてくださった貴女様のためです。貴女様のその状況の説明は出来ませんが、貴女様の主が現在無事であることは保障いたしましょう」

私の表情から、何を考えているのか読み取ったのか。初めに声をかけてきたメイドが解をもたらした。
その声はあくまで平坦だったが、その声の響きに嘘はない。
確か、彼女―――セラは卓越した魔術の使い手であったはず。ここにいない凛のことを把握しているのは、なんらかの魔術によるものか。
忘れていた記憶の封に亀裂が入る。ああ、つまり、俺を抱いているのがリズ、リーゼリットか。
二人とも、イリヤの―――

「ええ、ですから貴女様は今、為すべきことを為さいませ。その、力の入らぬ身では、貴女様の主にさえ辿り着けないでしょう。幸い、貴女様はお嬢様の恩人です。私共で、できるだけのことはいたしましょう」

「大丈夫、すぐによくなる」

二人の言葉に、一瞬押し黙り、小さく言葉を返した。

「―――感謝を」

「失礼。申し送れました。私どもはイリヤスフィールお嬢様のお世話をさせていただかせております。セラと、リーゼリットと申します。以後、お見知りおきを」

「よろしく、アーチャー」

凛がこれからも無事であるという保証は何処にもない。今が聖杯戦争という争いの真っ只中であることに間違いはないのだから。
だが、自分がこの体たらくでは、何をすることも出来ない。自分ひとりでは、この森を抜けることもできないかもしれない。
ギルガメッシュから逃げた時のような方法を使えば、何とかなるかもしれないが。マスターという依り代を失った現在、魔力の消費がどうなっているのか。
ならば、せめて自分の足で大地を駆けるくらいには回復する必要があるだろう。
何故、このように体が満足に動かないのかは解らないが、これが一時のものであることは間違いない。
二人のメイドの言葉は願ってもないことだ。
凛と衛宮士郎を信じて、私は自身の万全を目指そう。

「理解してくださいましたか。でしたら、大人しくしていてくださいませ。随分と―――安らかに眠ってらっしゃる様子ですから」

そう、イリヤを見つめるセラの視線も、リズに負けず柔らかい。
その視線の柔らかさにか、私を抱くリズの温かさにか、どちらにせよ、安心させられた私は、目を閉じる。途端に私を睡魔が襲う。その欲求に抗うことも出来ず、私はまるで揺り籠に揺れる赤子のように、深い眠りへと誘われた。
それは、この身になってから初めての、眠り、だった。



interlude




二月十日



キシリ、キシリと音がする。
決して綺麗な音じゃない。金属が擦れあう様な音が何十とする。もしかすると何百かもしれないし、もっとするかもしれない。
見えるのはどこか乾いた荒野と、一面に刺さる、墓標のような剣。
乾いた黄砂は、止まず吹き荒び、突き立てられた剣は、担い手すらいない。

空を覆うのは場違いな歯車だ。何を動力にしているのか、中空に浮いた無数のそれらは、止まることを知らず回り続ける。
ここはまるで廃棄場。
だけど、音がするのはこの場所じゃない。
剣は突き立っているだけで、音がするはずもない。砂を巻き上げる風も、回り続ける歯車も全ては音を発しない。
じゃあ、何が音を立てているのかと、自分の身体を見てみると―――

「ん、――――っあ」

目が覚める。窓の外はまだ暗く、曇天の雲は晴れる気がないのか。
吐く息が、僅かに白い。夜が更ける、少し前か。
冬木市がいくら暖冬といっても、さすがにこの時刻は肌寒い。

アインツベルンの森は遠い。
行きはタクシーを利用することも出来たが、帰りはそうもいかない。
結果、こうして自分の家に帰り着いた時には、とうに日は暮れていた。
状況は最悪だったが、諦めてはいなかった。
もはや、残された手段はほとんどないとはいえ、疲れたままでは頭が働かないでしょ、とは遠坂の弁。
強引に休息をとる羽目になったわけだが、やはり疲れていたのだろう。驚くほど簡単に、俺の意識は闇へと没した。

それももう、終わり。
何か、妙な夢を見たが夢は夢だ。自分の体が数え切れないほどの剣になったなんて考えるだけでもぞっとしない。
やはり、どこか弱気になっているのだろう。
いつもより、僅かに早い時間だったが、気合を入れるように両頬を叩くと、俺は立ち上がって行動を開始した。
疲れは取れたとはいえ空腹では、何かいい案が浮かぶわけがない。



食器の音がカチャカチャと鳴る。
時刻は朝の六時を過ぎようというところ。
音といっても、それはすでに片付けの段階だ。

「へぇ、衛宮くんって紅茶も淹れられたのね」

「ただのティーバッグだけどな」

洗い物を片付けながら遠坂に応える。
遠坂はもともと朝食を取らない主義だったらしいが、この屋敷に来てからはこうして食べてくれる。
たった二人きりになってしまったとはいえ、こうしていっしょに食事をする相手がいるということは嬉しかった。
その食事も終わり、今はこれから作戦を練る、という段階だ。
ただ、それだけでは味気ないので、とアーチャーが買っていたブツを使ったのだが。

存外上手くいったらしい。

遠坂に出した時は、何かよくわからない種の表情をされたのだが、黙って受け取ってくれた。
先の言葉は、紅茶を出したことではなく、美味く淹れる、という意味の言葉だったわけで。
内心、少し心配していただけに、その事実が少し嬉しかった。
エプロンを外しながら居間に戻る。
僅かに緩んだ頬を引き締めて、遠坂の前に座った。

「さて、これからどうするかだけど、何か考えある?」

「――――いや。状況は悪化してるし、いまいち解らない所もあるから」

どうして、遠坂が言う様にイリヤスフィールは追ってこなかったのか。
あの森にいなかったとしたら、あの少女は何処に行ったのだろうか。

「そうね。綺礼がいたら何か解ったかもしれないけど。あいつ、何処に居るのかしら」

そういえば、教会もキャスターに落とされてしまったんだった。
気に入らない神父だったが、監督役とやらがいなくて、聖杯戦争はやっていけるのだろうか。
ともすれば、弱気取られそうな言葉を慌てて飲み込む。その代わりに。

「まさか、俺たちの協力を断って、キャスターを討ちに行った、なんてことはないよな?」

ふと、思いついたことを口にする。
イリヤスフィールのあの口ぶりなら、そのくらいのことをやってしまいそうだが。

「――――どうかしら。それなら、キャスターも少なからずなにか打撃を受けてると思うけど」

遠坂にも判らないらしい。
もっとも、そんな不確定な要素に頼るわけにもいかない。
キャスターが三人ものサーヴァントを従え続けるのなら、魔術と関りない人間が犠牲になり続けるかもしれない。

「とにかく、イリヤスフィールと共闘は出来なかったけど、キャスターを放っておく訳にはいかない。なんとか、二人でキャスターをどうにかする方法を考えよう」

「そうね。何もいいアイディアないけど、それしかないか」

はあ、と溜め息を吐きながら紅茶を飲む。
それにならって自分も、さっき淹れた紅茶を口にした。

あ、おいしい。

そうして、二人して気を抜いた瞬間。

「あ―――、やめとけやめとけ。お前たち二人でキャスターをどうにかするだ? そんなの通用するかよ。間抜け」

そんな声が響き、かつての夜と同じように、天井からそいつは舞い降りた。
音を立てずに着地したそいつの手には、物騒な紅い槍。

「よ、お二人さん。いつぞやの夜以来だな。お互いしぶとく生き残ってるようで、結構なことだぜ」

かつての殺気は微塵も発さず、気安く声をかけてくる。
それだけたって、やっと俺たちは、襲撃者に反応することが出来た。

「ランサーっ―――」

「嘘、結界は何も反応を―――」

俺はかつて自分を殺した相手の名前を呟き、遠坂はこの襲撃に反応できなかったことに憤る。
サーヴァントを前に緊張を隠せない俺たちに対して、ランサーは鳥の羽のような軽さで、答えを告げた。
敵対しているのがまるで嘘のようなその大っぴらさは、その圧倒的な自分の力に対する信頼からか。

「あ―、あれね。何でかは知らねえけど、なかったぞ、その結界」

「あっ」

間抜けな声を出したのは俺か遠坂か。どっちでもいいが、セイバーを奪われたあの夜。キャスターに消されてそのままだった。
それを忘れていた二人ともが間抜け。強いて言えば自分の家なのに忘れていた自分の方が罪は重い。
だが、それも一瞬。ここは室内とはいえ、相手はあのランサーだ。今は敵意のカケラも見せていないが、油断など微塵もできるはずがない。奴の槍はこんな場所でも、まるで関係ないと美しい軌跡を描くのだから。

「それで、何の用なの、ランサー」

遠坂はいまにも魔術をぶっ放しそうに身構えて、言葉を発した。
それに、応えるように俺も咄嗟に掴んでいた竹刀袋から木刀を取り出す。

「そうだな、なんていうか。オマエ達二人の手助けをしてやろうか、なんてでしゃばろうかと考えている最中だ」

は―――? 今、なんて言ったこいつ?
何か思いもよらない言葉をかけられたような気がしたけど。

「それって、ランサー。貴方が私たちに協力してもいいって言ってるように聞こえるんだけど」

遠坂は冷静にランサーの言葉を受け取ったらしい。
その言葉で、迷走しかけた俺の頭も、なんとか真っ直ぐに立て直す。
あいつは本気で言っている。かつて、アーチャーやセイバーと戦ったことも、俺を殺しかけたことも。
あいつは何も気にしている様子はない。

「ああ、間違っちゃいねえよ。オマエ達二人じゃ、絶対にキャスターを倒すのは無理だからな。協力してやってもいいか、って思ってる最中なんだが」

そう言って、ランサーは視線を遠坂から俺へと移す。その瞳には何か含みがあるような気がして……。

「それが本当なら。こっちは助かるけど。ランサー、それは貴方の考えかしら?」

「いや、違うな。これはマスターの考えだ。キャスターがああなっちまった以上、家のマスターも協力者が欲しいんだと。ま、あくまでキャスターを倒すまでだがな。それで、オレがここに来たわけなんだが」

「そう。じゃあ聞くけど。なんで、バーサーカーのほうにいかなかったのかしら?」

「ん? オマエ達、知らなかったのか? バーサーカーは脱落したぜ。誰が倒したのかまでは知らねえけどよ。俺はてっきりこっちのアーチャーと相打ちになったんだと思ってたぜ。あいつとは再戦楽しみにしてたんだけどな」

残念そうな顔を隠しもしない。ランサーは思ってた以上に戦闘狂なのかもしれない。
だが、それよりも新たな事実に僅かに動揺してしまった。
バーサーカーが負けた? つまり、アーチャーが倒してしまった、ということなのだろうか。
だけど、アーチャーはいない。それは、やっぱりランサーが言うように相打ちで消えてしまったってことに。
俺がアーチャーのことで動揺している間に、遠坂は話を進める。
傍目には、ランサーの言葉で遠坂が何を感じたのか、窺うことは出来なかった。

「そう。それでランサー。さっきから煮え切らないみたいだけど、私たちに協力するのに、何か条件があるわけ?」

「まあ、待ちな。それでそっちの方はどうなんだ? 俺と協力する気はあるか?」

「ええ、貴方が手伝ってくれるなら、私も助かる」

「で、そっちの小僧は?」

「俺は―――」

遠坂は即答した。ランサーの人柄くらいは、俺でも何とかわかってきている。こいつは協力したら、裏切るなんてことは絶対にしない奴だろう。確かに一度殺され、殺されかけた相手だけど。マスター、いや魔術師にとってそれは何もおかしくはない。俺が半人前だとて、ここに立っている以上は―――

「いいだろう。俺も、協力することに問題はない」

はっきりと答えた。

「で、条件は? ランサー。さっきも言ったけど、あるんでしょ」

「へっ、まあな。嬢ちゃん。オレはアンタのことは結構気に入ってるんだ。だから、アンタに協力することは全然問題ない。だがな、オレはまだ、そっちの小僧のことは認めてねえんだ。あー勘違いすんなよ。お前がお人よしな奴ってのはわかる。なんてったって、嬢ちゃんが協力するくらいだしな。だがな、足りねえんだ、それだけじゃ」

そう言ったランサーは、にやりと笑う。室内だというのに、弧を描くように槍を振るいその切っ先を俺の喉元に向ける。

「だから、見せてみろよ、小僧。お前の覚悟って奴をよ」

「ちょ、ちょっと待って。それって―――」

「わかった。だが、ここでやるのは困る。庭でいいか?」

遠坂の言葉を遮り、ランサーに応える。ようはランサーに俺の力を見せろってことだろう。

ガチリと、何かが音を立てた。

「いいぜ、いいぜ、問題ない。結構話がわかるじゃないか」

「衛宮くん。あなた……」

「大丈夫。俺たちにはあいつの協力が必要だ。それに、おれもここで降りる気はないから」

手を出さないでくれ、と遠坂に瞳で謝った。
木刀を握って、縁側から庭に降りる。
ランサーは笑みを絶やさぬまま、俺と数メートル離れて向かい合った。

「安心しろよ。さすがに本気はださねえから。ま、でも楽しくないとな。あの夜よりは速くいくぜ?」

それには答えず、自己に埋没する。
強化するのは木刀。全ての工程を省き、瞬時に鋼鉄並みの強度を作り上げた。

「準備は出来たみたいだな。それじゃあ、始めるとするか」

これから、戦うというのにまるで、どこぞに買い物に行くような気安さだ。だが―――

「っつ―――」

閃光と化した槍の切っ先を、木刀で咄嗟に弾いた。
この通り、ランサーと俺にはそれを補って余りあるほどの、明確な差が存在する!

「ほぅ、随分とうまくなってるじゃねえか。じゃあ、もちっと速くするから、簡単には死ぬなよ?」

そんなことはない。今のは冗談みたいなまぐれだ。見えてすらいない。
それがもっと速くなるなんて。

「ぃつ!?」

考える暇もない。慌てて迫りくる槍に木刀を合わせる。
眉間、喉、心臓。瞬く間に放たれた槍をぎりぎりで回避する。
勢いを殺せず、思わず数歩下がってしまったが、傷はない。追撃はなかったが、僅か四度、ランサーの槍を受けただけで木刀は死んでいた。

「お?」

声はランサーのものだが、驚いてない人間はここにいない。
遠坂も、そして俺もそれ以上に驚いていた。

ランサーの槍は、手を抜いているとはいえ、俺くらいの技量で真正面から防ぐことは出来ない。
それは、遠坂にしても同様。
だが、防いでいる。防げている。セイバーと鍛錬したから? 否、ランサー以上に、セイバーは手加減してくれていた。
何より、あの鍛錬では防げてすらいない。
ライダーとの戦いが、俺に経験を与えた? 否、あの時出来たのはせいぜい命を守ることだけだ。
なら何故?
そもそも、どうして俺は、ランサーと戦うことに、何の疑問も抱かなかった?

「どうやら、その棒切れも限界みてえだが、それで品切れってことは、ねえよな!」

思考は一瞬。だが、それとて、この相手には命取り。
一歩踏み込んだランサーが、槍を突き出す。
それは、以前と変わらぬ閃光。稲妻の如き神速の槍。
それは、やはり、見えない―――

「がっ!?」

だが、木刀はそれを止めた。役目を終えて、その身は完全に死してしまったが。

「――――」

「へっ、ここまでか?」

遠坂が息を呑む。ランサーが笑う。第二刃が一秒を待たず放たれるだろう。
だが、手にはもう、防ぐものがない。

だが、なんだ? 何故、俺はこうまで落ち着いている?
加速していく思考は、ランサーの動きさえ緩慢に見せかけ、死への時間を長くする。
魔力は―――魔術回路には既に火が入っている。
回路は―――閉じていたものも、落としたときにこじ開けた。
不具合は―――問題ない。とうの昔に、終わらせた。
俺の意思を越えて、俺の身体はランサーに向かって一歩踏み出し―――

「―――投影、開始!」

その言葉を紡ぎだす―――

「お?」

「嘘!?」

俺は両手に持った双剣を全力でランサーの槍にぶつけていた。
やはり、手を抜いてくれているのだろう。
俺の力程度で、ランサーの槍が大きく跳ね上がっていた。

「っ、ず、はぁ―――」

陽剣干将、陰剣莫耶。森で手に取った剣と、寸分違わぬ双剣が俺の手に握られている。
大きく息を吐く。投影、しかも宝具の域に達している剣を模したというのに、身体は何の異常もない。
ランサーの槍を受けている両腕が、痺れているくらいだ。

―――だから、今はこの耐え難い頭痛をどうにかして欲しい……。

「へぇ、オモシレエモノ持ってるじゃねえか。次で最後だ。せいぜい死ぬな―――!」

速い―――見えない! 頭は敗北を認めようとしている。
俺じゃあ、アーチャーの剣を持っていても戦えない。衛宮士郎ではその技術がない。
だが、頭ごと吹き飛ばそうという第一撃を、右手の干将が跳ね上げる。
だが、右手が戻るよりも早く、引き戻された槍が心臓を貫く第二撃を、左の莫耶が打ち落とす。
そして、第三撃も第四も第五も第六も―――俺の両腕は打ち落とし
七つ目の払いで、俺の双剣は弾き飛ばされていた。

投影に成功しても、俺は負けを認めようとした。
だけど、身体は俺の心に反して、尽くランサーの槍をしのいだ。

なら、俺がそれに対抗するものを造らなくてどうする。
際限なく熱くなっていく内面と、眼前に迫る紅い槍。
俺は、まだ、ここで下りるわけにはいかない!

「っつ――――ああ!」

直前で間に合った、双剣がかろうじてランサーの槍をしのいだ。
自分の意思とは思えなかった最初の投影とは違い、今度の双剣はなんとも粗雑だ。
何しろ、たった一度、ランサーの槍を受けただけで、存在が薄れてしまっている。

だけど、これは間違いなく俺の意思だ。例え無様でも、俺自身はまだ、負けを認めちゃいない。

そう瞳でランサーを睨みつけたが、肝心のランサーはとっくに俺から離れていた。

「いいんじゃねえのか、それくらいできれば。協力してやるよ」

なんて、言いながら笑ってやがる。
それで、体の力がどっと抜けたのか、俺は無様にも尻餅をついた。

「ちょ、ランサー。さっきのはやりすぎなんじゃないの?」

「まあよ。俺としちゃあ、最初のだけでよかったんだけどよ。坊主がやる気出してるし、あんまり綺麗に捌くからよ。ちょっと楽しくなっちまった。いいじゃねえか、生きてんだし」

ランサーと遠坂の会話を、どこか人事のように眺めている。
聞き捨てならないことを聞いたかもしれないが、それ以上に両手に残る重さが心地よかった。

「それより、士郎! あんた大丈夫なの!?」

それは、ランサーの槍を受けたからなのか、投影をしたからなのか。とにかく、心配してくれるのはありがたいけど。
遠坂、よっぽど熱くなってるみたいだなあ。呼び捨てになってるし。
なんて、思わず遠坂の顔を眺めてしまった。
それに気がつかない遠坂はつかつかと近づいてきて、乱暴に俺の両手をつかんだ。

「どう? どこかおかしいところある?」

「いや、別に痛いところはない。せいぜい槍を受けた手が痺れてるくらいだ」

言葉通り、どこか悪いのかと訊かれれば、その程度のことしか答えることができない。
頭を悩ませていた頭痛も、二度目の投影の時に消えてしまった。
それよりも、そんな乱暴にすると、双剣で傷つけそうで怖いのだが。
両手を慌てて引っ込める。いくら投影で、精度もあまり良くないとはいえ、物騒な物に変わりない。

「ホントに!? 嘘じゃないでしょうね」

信用していないのか、遠坂はジト目で俺の顔を睨む。
あんまり、近くにこられると、俺としてはその―――

「それくらいにしといてやれよ、嬢ちゃん。坊主の顔、真っ赤になっちまってるぜ」

「何言ってんのよ。ランサー、貴方がやりすぎるから心配してるんじゃない。茶化さないで」

俺の顔が真っ赤になってることに気がつかないのか。遠坂は躊躇も何もない。別の意味で顔を真っ赤にしているけど。

「大丈夫だよ。さすがにランサーも殺すつもりはなかったみたいだし」

「いや、悪い坊主。けっこうマジにやばい所狙ってた。なんつーか、あの夜心臓刺しても生きてたから、なんとかなるかなーってな。もちろん、“ゲイボルグ”までは使うつもりはなかったけどな」

「無茶言わないで! 心臓刺されて生き返るなんて、もう出来ないんだから」

遠坂の熱はまだ冷めないらしい。なんでか、俺が死んでたこと知ってるみたいだけど、遠坂に話しただろうか?
それに―――今の俺に“ゲイボルグ”で刺されて、耐える自信はない。
あれは、痛い、なんて生易しいものではない。俺にはまだ、あのときのような耐えることが出来る理由―――欲がない……。

「衛宮くん、どうしたの? ぼうっとしちゃって。やっぱりどこか痛むの?」

「―――!? んあっ、大丈夫。大丈夫だから遠坂、もう少し離れてくれないか」

心配そうに遠坂が見つめている。どうやら、考え事をしていることが、どこか具合が悪いように映ったらしい。
それは素直に嬉しいのだが、やっぱり慣れないこの状況に鼓動が早くなる。

「本当でしょうねぇ」

「あ、ああ」

さらに顔を近づけてくる遠坂に向かって、かろうじて声を絞り出す。
掠れてしまった声は、それでもなんとか意思を伝えて。

「まあいいわ。それで、ランサー。貴方、自分の役目は解ってるんでしょうね」

遠坂はまだ、ランサーに対して怒りが収まらないのか、その声は物騒極まりない。

「まあな、最悪、三人が相手になるわけだが。ま、なんとかなるだろう」

「なんとかなるって、ランサー、本当に大丈夫なの?」

「あんまり、大丈夫じゃねえな。セイバーはともかく、あっちのアーチャーは、まだやり合ってねえし、アサシンの野郎は苦手なんだが―――受けるからには、なんとかしねえとな」

ランサーは獰猛な笑みを浮かべる。
あの顔は本当にどうにかするつもりだ。恐れなど微塵も感じていない。
陣容はアーチャーとランサーが変わっただけ。
アーチャーとランサー。二人に力の差はないように見える。いや、単純に存在感を比べるならば、アーチャーはバーサーカーと並んで圧倒的だ。その点に関しては疑いようがない。だが、強さの質がちがうのだろう。
ランサーの速さ。それはアーチャーにはなかったものだ。それが決定的な違いだろうか。
アーチャーの強さは力、だと思う。あの圧倒的な力は、一対一では強力だけど、多数を相手するには向いてないのだろう。
バーサーカーと正面から斬り合える強みはあるけど。そもそも、アーチャーなら弓が得意のはずなのだが……。
思考がそれた。とにかく、俺が知らないセイバーの宝具とやらも、ランサーの俊敏性とその戦闘経験から抑え込めるのかもしれない。

「それに、アサシンに限って言えば、門を越えちまえば手出しできねえしよ」

「それは、どういうことかしら、ランサー」

「もう知ってると思うけどよ。アサシンはキャスターに呼び出されたサーヴァントだ。そのせいで、本来呼び出されるはずだったアサシンとは違うものが呼び出されちまったわけだが。それ故に制約が存在する。あいつはあの場所そのものに呼び出されたわけだから、結局あの場所を動けねえのさ。厄介な場所だがな」

アサシンがキャスターに呼び出されたサーヴァント。それ自体はアーチャーに教えられたことである。
だが、その結果起こる弊害には気付いてないようだった。ランサーはどうやってそのことを見抜いたのか。

「そうか。忘れてたけど、ランサー。貴方って白兵戦だけが得意ってわけじゃなかったわね」

その遠坂の言葉で思い出した。ランサー、クーフーリンは影の国で原初のルーンを学んだ卓越したルーン使いだったのだ。
もちろん、それがアサシンの特性を見抜いたかどうかとは関係ない。
実際はランサーではなく、そのマスターが見抜いたのかもしれないからだ。
大事なのは、固定観念をもってはいけないということ。

「とにかく、俺がキャスターまでの露払いをするのが理想的なんだがっなっ!」

槍で肩を叩いていたランサーが、瞬きするよりも速く、俺の前まで移動し頭上で槍を払った。
それと同時に金属を叩く甲高い音が鳴った。
数は三つ。払われた矢が、庭に突き刺さる。

「まさか、そっちからやってくるとはな。それにしては、いささかお行儀が悪いんじゃないか、アーチャー?」

ランサーが叫んだ方向、そこには、紅い騎士。キャスターに付くもう一人のアーチャーの姿があった。
その手から、弓を消し徒手空拳になると塀から降り立つ。
その顔には、ランサーとは種類が違うものの笑みが浮かんでいた。

「そう言うな、ランサー。弓兵という立場上、まっとうな戦いは苦手でね」

「はっ、確かにな。俺からこそこそと逃げ回ってただけはある」

「何、無駄な戦いは好む所ではないのだ。今回は、まあ、私情という奴だ」

「はっ、どんなもんだかしれねえが。さっきのからすると、やる気はあるんだろ?」

ランサーが挑発する。アーチャーにやる気がないのは、誰の目にも明らかだ。
それが何故、俺に向けて矢を射てきたのか。
先ほどの矢は、かつて射られたときに比べると、手を抜いていたように思える。
まるで、何かを試すように射たような。

「仕方あるまい。まさか、君がそちら側に付くとは思わなかったのでね。あまり気は乗らないのだが」

やはり、まったくやる気はないようで、顔も少し呆れ顔だ。
だが、その顔とは裏腹に、奴は両手に、あの双剣を投影した。

「―――む?そいつは―――」

ランサーの声に驚きが混じる。ランサーは目の前のアーチャーと戦うのは、口ぶりからして初めてらしい。
そして、俺があの夜見た戦いでは、アーチャーは長剣を使っていた。

ランサーが今まで何をしていたのかは知らないが、恐らく二人のアーチャーがあの双剣を使っていたことを知らないのだろう。

ランサーはこちらまで切り裂きそうな、鋭い刃の如き殺気をアーチャーに向ける。
それに対して、アーチャーは全てを圧するような殺気でランサーを見据えていた。

もはや、どちらの顔にも遊びはない。
沈黙は、永遠の如く続くかと思えて、その実、一秒と続かなかった。

「しっ―――」

仕掛けたのは予想外にもアーチャーだった。
ランサーとの距離を疾走し、俺よりも遥かに巧みに双剣を使う。

だが、ランサーとて負けていない。
アーチャーを剣の間合いに入れまいと、瀑布の如き刺突を見舞う。

両者一歩も引かぬ刃の演舞。
俺も遠坂も見守ることしか出来ない。
俺程度の実力では、あそこに入るだけで容易く二桁は死ぬだろう。
遠坂の魔術はどうかしらないが、多分、今までの経験上結構大雑把な気がする。

あまりに高速な戦闘は、傍から見ても把握はできない。
ただ、ランサーとアーチャーは、筋力も、速さのどちらも、ランサーが上回っていた。

だからなのか。アーチャーは俺と同じようにランサーに自分の得物を弾き飛ばされる。
だが、ランサーが次の攻撃を仕掛けた時には既に、寸分違わぬ剣がアーチャーの手には用意されていた。

目に見える戦いは残像すら生まぬ高速のやり取り。
一瞬に見える攻防も、その実百を超える打ち合いなのだろう。
俺にやったのとは比べ物にならないランサーの攻撃は、度々アーチャーの双剣を虚空へと弾く。
だが、それすらもサーヴァント同士の戦いでは隙となりうるのか。
突きから払う動作に変える瞬間、僅かにランサーの戻りが遅くなる。
得物を飛ばされたはずのアーチャーは、どこからともなく得物を取り出し、その度にランサーへと足を進める。
ランサーは自身の領域は守るものの、一歩後退する。
それは―――弾き飛ばされることすら前提におかれた剣。
守りながらも、ただ進む、まるで作業のような戦いだ。

それが、また頭痛を呼び起こす――――

その時、ランサーが後ろに飛びのいた。
たいした距離ではない。せいぜい20メートルほどだ。
アーチャーには追撃する意志はなかったらしい。だが、どこか納得の行かない顔をしている。

「ちっ、いったいいくつもってやがんだ。20は下らないはずだぜ」

「それはこっちの台詞だ。まさか手を抜かれるとは思いもしなかった」

手を抜いている―――? 俺がランサーの戦う姿を見たのは全部で三回。
どれも、理解などできない高みでのそれだったが、そこにたいした違いはないように見えた。
だが、ランサーの顔はアーチャーの言が正しいとでも言うように憮然とした表情をしている。

「なるほど。そういや、テメエも同じようなことをしてやがったか。はっ、タヌキが。アーチャーってのはどいつもこいつも。こんなのばかりかよ」

「―――誰のことを言っているのか、大体解るが。比較されてもな……」

そう言ったアーチャーは、どこか気まずそうな顔をしている。
いけ好かない奴に見えたが、どうやら思いがけない顔も持つらしい。

「悪かったな。テメエなんかと比べたら、あの嬢ちゃんに悪かったな」

「まったくだ。君は判り易すぎるのは考え物だと思うぞ」

「ふん、知るかよ。俺は俺だ。それで文句あるまい。テメエは邪魔だ。ここでけりをつけるぜ」

「ふむ。君の望みにこたえてやりたいのは山々なのだが……。どうやら、そうもいかないらしい」

そう言ったアーチャーの体が光に輝いた。
その光は瞬く間に増していき、皆の視界を焼く――――

「ちっ、あれは令呪の光か。キャスターに呼び戻されたな」

ようやく視界が戻ったその時、ランサーがそう呟くのが聞こえた。









突如、サーヴァントとしての身に、逆らえぬ力が働く。
その強制力に逆らわず、初めての行使に身を任せたアーチャーは、改めてキャスターの魔術師としての力量に内心感嘆した。
同時に、それに抵抗するセイバーの強さに、僅かな羨望を覚える。
その、誇りというべきものを自分は持っていない。持つことが出来なかったから。

キャスターは、この時代の魔術師と比較すれば、呆れるくらいに正しい魔術師然としている。
確かに、慣れぬ外道の業を使い、当初などは加減の勝手も判らなかったようだが。
それでも、彼女の必要な時以外には、それを行使しないというあり方は徹底したものだった。
その反面、自分の害となるものに対しては容赦なく排除しようとする。

―――おそらくは、ただならぬ状況に陥っているのだろう。

それも、アーチャーを呼び出す必要に駆られるくらいには。
アーチャーにしてみても、ランサーとの戦いは望む所ではなかった。
そこからの離脱は、相当に難しかったはずだが、その点においてはキャスターの行為に感謝している。
まさか、かの夜からたいした時も経たぬうちに、彼女が消えるとは思っていなかったがために、強引な方法を取ってしまった。
どうやら、少し感情的になってしまったのである。
それが、衛宮士郎がランサーと見せた不可解な戦闘に関してなのか。
自分を二度も阻んだ相手が、あまりにもあっさりと消えてしまったことなのか。
アーチャーにも判断することは出来なかった。

令呪の強制力が霧散し、視界が通常のものに戻る。
その、最初の光景を見た瞬間にアーチャーは、これから臨む戦いがランサーと戦うそれ以上に困難であろうことを理解し、再び感情の歯車を固定した。


interlude out



「おはよう、アーチャー。気分はどうかしら?」

眼を開き、初めに聞いたのがそれだった。
僅かにぼやけた視界の先には、たくさんのぬいぐるみが見える。
―――もっとも、目覚めの言葉をかけてくれた少女さえ、自分の顔を隠して、ぬいぐるみで喋りかけているわけだが。

「ああ、悪くはない。だが、素顔のイリヤの方が、私は良かったかな」

身体を起こした私は、眼前の少女、イリヤにおはようと言った。

「おはよう、アーチャー。元気そうで何よりだわ」

ぬいぐるみから顔を出したイリヤは嬉しそうに、笑っている。
そして持っていたぬいぐるみを、他のぬいぐるみと同様に並べる。
その動に淀みはないし躊躇もない。まさに使い慣れて、いや、やり慣れているといったしなやかさ。
どうやら、ここはイリヤの部屋らしい。
彼女に相応しいものをと願う、セラの気迫も随所に感じられる。
まあ、趣向を凝らした調度品よりも目を引くぬいぐるみ達が、彼女の趣味かどうかは私にはわからなかったが。

私はイリヤのベッドに寝かされていたらしい。
イリヤと私を軽々と受け入れたであろう巨大な寝具。
イリヤを抱いたまま、リズに抱えられ、不覚にも私は眠ってしまったのだが。

「一緒に寝ていたのか? 私たちは?」

「うん、そうだよ。バーサーカーとは大きすぎて出来なかったけど、アーチャーくらいの背なら、このベッドで十分だもの。とても、気持ちよかった……」

嬉しそうな顔は、反面、瞳に残る悲しみを隠しきれていなかった。
バーサーカーが消えてしまったことを、私は理解している。
私には、イリヤとバーサーカーとの間に、どんな交流があったのかはわからない。バーサーカーがそのクラスにより真っ当な理性があったのかどうかも。だが、ギルガメッシュとの戦いで見せたあの姿は、イリヤがバーサーカーに寄せる信頼は。そんな障害など関係ないと、告げているように見えた。それこそ、サーヴァントとマスターの関係は千差万別であり、侵しがたいもの。尊いものだった……。

「ああ、私もイリヤと一緒に寝ることができて、よかった」

だから、出来るのはイリヤに微笑んでやるだけ。
そう言って、立ち上がる。まだ、十全とはいかないがかなりの力が戻ってきているようだ。
それと同時に扉を叩く音が鳴る。

「いいわよ、セラ」

「失礼します」

入ってきたのはセラだった。昨日と同じ、表情の変わらぬ顔で私を見つめる。

「おはようございます。どうやら、もう大丈夫のご様子ですね」

一目見ただけで、体の状況を把握したその観察眼は見事というほかない。
その瞳の奥には、なんとなく、私をイリヤといっしょに寝かせたことへの、何かの感情が渦巻いている。
それが、妬みなのか、憤りなのか、後悔なのか。判別することは難しかった。

「ああ、おかげさまで。それで、私はどれくらい眠っていたのだろうか?」

「せいぜい数時間といった所でしょうか。今は六時を、少し過ぎたといったところです」

「ありがとう。では―――」

理由は判らぬが契約が切れてしまった。だが、依然として私が凛のサーヴァントであることに変わりはない。
手を握る。今は六割くらいだろうか。どうやら、懸念していた魔力にしても、たいして減ってはいない。それだけあれば、凛の所へ赴くのに何の問題もないだろう。
新たな決意を胸に、感謝の言葉と共に、この城を去ることを告げようとして―――

「おまちください」

セラの声に引き止められた。

「どうやら、すぐにご出立されるおつもりのご様子。ですが、その様相はいただけません。せめて、その髪だけでも整えてはどうでしょうか?」

その言葉に、僅かな疑問を感じる。様相とは、この服のことだろうか。
それならば、鎧自体は魔力で編んでいる以上、戦闘に支障はない。身体はともかく、魔力に異常はない。
それだけならば、何のためらいもなかったのだが。

「もう、行っちゃうの? アーチャー」

イリヤの声に私は動くことが出来なかった。
不安そうな声を出すイリヤは、決して、私が凛のサーヴァントであることを止めてないことを理解している。
だから、その声に寂しさが混じることはあれど、それを押し留めようとする強い気持ちを持っている。
だが、それでも隠すことが出来ない不安があるし、その理由もあった。

(そうか、ギルガメッシュ―――!)

あれから、たいした時間が立ったわけでもないというのに、どうやらあれほどのことを忘れてしまっていたらしい。
ギルガメッシュの存在は無視できることではない。
理由は判らぬが奴はライダーのマスターと行動を共にしている。
得意げに話した声を思い出す。奴がイリヤを、その心臓を狙っているということを。

バーサーカーを失った今、イリヤが奴に襲撃されて生き延びる確率は皆無に等しいだろう。
いくら、イリヤがマスターとして優れていても。
メイドの二人が、魔術に精通し、サーヴァントに匹敵する膂力を持っていたとしても。
奴の存在はそれ以上、サーヴァントという枠に当てはめても尚強大なのだから。

私が凛の元へと戻る、それは確定だ。
彼女に勝利をという誓いは変わらず私の胸にある。
イリヤはすでにバーサーカーを失っている。だからといって、教会に身の安全を得るために赴くなどきっとありえないだろう。
何より、教会とてギルガメッシュにしてみれば、何の痛痒も呵責もないだろう。
何しろ、この世の全てが自分のものと思っている傲岸不遜な輩だ。
その言葉には、英雄として―――王として認めるべき部分もあるのだが。

「イリヤ。貴女は、この城に残るのか?」

イリヤに問いかける。
彼女はその意味をすぐに悟ったのか。
何も間違いはないというように、はっきりと意思を告げた。

「ええ。私には教会に行く意思はない。バーサーカーを失っても、私の場所は此処だもの」

「―――そうか」

誰もが理解している。
それは、座して死を待つことに変わりはないと。

「―――イリヤ。貴女も、私といっしょに来ないか?」

「え?」

「何を! アーチャー、何のつもりですか?」

イリヤが私の言葉に目を見開き、セラは眉根を寄せて、近づいてきた。
その瞳は、何を馬鹿なことをと、憤激に満ちている。

「私が、アーチャーといっしょに……?」

イリヤが呆然と呟く。

「私が凛のサーヴァントであることに変わりはないが。だからといって、イリヤ。貴女を放っておくことは出来ない」

それは偽りない私の気持ちだった。
確かに、自分の主も満足に守れないのに、欲張ろうとする私は、偽善にしか映らないだろう。
だが、それでも、イリヤを置いておくことを、耐えることは出来そうになかった。
共にいたとて、何も変わらぬかもしれぬとしても。

「幸い、衛宮士郎の屋敷には空き部屋が余るほどある。イリヤだけでなく、セラとリズがいっしょに来ても大丈夫だろう。凛や衛宮士郎は、私が何とかするから」

「―――いいの?」

「私が申し出たのだ。そうしてくれると、私も嬉しい」

「お嬢様!?」

冷静沈着を絵に描いたようなセラが、その細い体からは考えられないほどの声量で声を荒げた。
しかし、それも無駄とイリヤの顔をみた彼女は肩を落とす。

「分かりました。お嬢様が決めたことですから、私も従います。ですが、アーチャー」

「――――――」

「リズではありません。リーゼリットです。安易に略さないよう、お願いします」

思わず沈黙する。
確かに、私はイリヤとは懇意かもしれないが、セラとリズに関しては昨夜話をしたばかりだ。
セラの性格からすれば、私が取ったような態度は、馴れ馴れしすぎるのだろう。
礼を欠いていると見られたかもしれない。

「ふーん。セラ、それって僻みかしら? 自分が愛称付けられる名前じゃないからって」

「うん、イリヤあってる。セラ、一人だけナマエみじかいから」

だが、一人納得を終えようとした私を尻目に、イリヤとリズ―――リーゼリットがセラに噛み付いた。
イリヤは猫のように目を細めて、楽しそうに。リーゼリットはあくまで淡々と。

「―――!? リーゼリット、何時の間に!?」

「もういっちゃうの、くらいからいた。気がつかないの、セラだけ。けっこう鈍い」

「それは、貴女が気配を消すなど―――」

「関係ない。おはよう、イリヤ。おはよう、アーチャー」

セラをあしらって挨拶するリズに二人して挨拶を返した。
ちょっと無視された形となったセラは、コホンと咳払いすると。

「それより、アーチャー。何時までそんな格好でいる気ですか? 容姿がいくら優れているといっても、それではむしろ、無粋を極めているとうものです」

そうして、セラは鏡を見ることを催促する。切り替えの速さはたいしたものだ。
それに、笑い嘆息しながらも、言われたとおりに鏡をのぞいた。

「む――――」

思わず黙り込む。
服装は、黒いドレスだ。別段おかしなところはない。いや、何か足りないような気もするが、きのせいだろう。
口元を見る。涎の跡が付いているでもなし。問題ない。
瞳。濁ったような金の瞳は、我ながら自分の意思をはっきりと宿しているように見える。けっして、涙の跡などない。
そして、―――髪の毛。くすんだ金髪は、その……。

爆発していた。それはもう、盛大に。
何で誰も笑わなかったのか、というくらいに。
仕方ないではないか。私の髪は、編みこんでなどいないのだから、こういう事態もありえることだ。
と、自分を納得させようと試みる。
しかし―――

こんな状態で、さっきのような言葉を紡いでいたのかと思うと。
やっぱり、少し、堪える。
先のセラの言葉の意味はこの事だったのか……。後悔先に立たず。

「そっとしてさしあげましょう。誰しも、このような可能性からは無縁でいられないのです」

「なるほど。セラが、安物のケーキを食べてるの、見られるのと同じ」

「り、リーゼリット!?」

「うん、そうだね……。もう少し、早く言ってあげればよかったかな」

三人の私を見る目が、同情の視線が痛い……。
必死で、イリヤに道具を借りて私は、頭を正そうとするが。
その際のイリヤの瞳も、あまりに無垢に過ぎるリズの瞳も、どちらかというと、自分の弁明で必死なセラの瞳も。

むしろ、盛大に笑ってくれた方が、私にとってはまだ、助かったのだ。




[1070] Re[37]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂
Date: 2007/04/08 00:12



interlude


アーチャーが消えた場所を呆然と見つめる。眩い輝きは目を焼き、一瞬の後に赤い長躯は姿を消した。
確かに、あいつにはやる気は見られなかったけど、それにしたって呆気なさすぎる。
それに、ランサーがみすみす見逃したのが信じられなかった。ランサーは令呪だと言ったのだが。
アーチャーを煽っておいて戦端を開いたというのに、戦いはあまりに簡単に終わってしまった。

それはつまり……。

「どういうことかしら」

遠坂が俺の思っていることを口にする。
ランサーの言を信じるならば、キャスターの陣営を除いて、残っているサーヴァントはランサーだけのはずだ。
最大の難敵であったはずのバーサーカーが脱落した今、キャスターがわざわざアーチャーを呼び戻す理由は―――

「さあな。きっちりかっきり俺を殺すつもりなのか、はたまたどっかの誰かに襲われてアーチャーの手でも借りたくなったんじゃねえのか?」

「―――まさか!? あそこには呆れるくらい魔力が蓄えられて、おまけにセイバーって切り札もあるのよ」

信じられない、と遠坂は頭を振る。バーサーカーでもない限り、そんな芸当は無理だと。
だが、赤い魔槍で肩を叩きながら、ランサーは気楽に言い放つ。

「まあ、そうなんだけどよ。キャスターは確かに一流の魔術師だ。しかし、これが戦いでも一流かって言えばそうじゃねぇ。ありゃ、魔術師すぎて、出し惜しみが過ぎる。いくら切り札があっても、自分がやられてんじゃしょうがねえ」

「それは、戦力を一斉に投入しないで、逐次送り出すから各個撃破される可能性があるってことか?」

思ったことを口にする。
そもそも、セイバーがキャスターに下っているのかも解らない。アーチャーは令呪をもう一つ使われたら、セイバーでも抵抗することは難しいと言っていた。だが、キャスターがランサーが言うように、令呪も使うことを惜しんでいたら。
アーチャーが此処にいたから、柳洞寺の戦力はキャスターとアサシン、それに葛木だけになる。

「ま、似たようなもんだ。戦巧者ってならさっきのアーチャーの方が上だろ。さっきの令呪も実はあいつの指示だったりするかもな」

ランサーを確実に倒すため。その指示をアーチャーが出したというのか。その割には、アーチャーも令呪の光に若干戸惑っていた気もする。アーチャーとキャスターの関係は不明な点が多い……。

「でも、それなら誰が、キャスターを?」

「さすがにそれまでは解らねえよ。俺が言ってることだって推測にしか過ぎねえ。もしかしたら、何でもないかも知れねえし、セイバーが暴れてるのかも知れねえしな? こればっかりは行ってみねえとわからねえさ」

遠坂は、ランサー倒すため、という理由は頭にないらしい。

「なあ、遠坂。なんで、ランサーをぼこる、袋叩きにするためだって思わないんだ?」

思わず訊いてしまった俺を遠坂と、何故かランサーが睨む。

「だって、あのキャスターがそんなことのために令呪使うわけないじゃない」

やけにはっきり断定する。だが、ランサーは訳知り顔で頷いていた。
だが魔術師としては、俺は半人前もいいところだ。たいした反論があるわけではない。
俺に反論する意志がないことを見て取ると、遠坂は笑みを浮かべる。

「じゃあ、決まりね。此処で悩んでても仕方ないわ。柳洞寺に行きましょう。ランサーが協力してくれる以上は、さっさと行くに越したことはないわ」

即断即決。こういうときの遠坂は気持ちがいいくらい鮮やかだ。

「ああ、ちょっと待った。坊主、そっちよりこれの方がまだ使えるんじゃねえのか?」

そう言ってランサーは、俺が最初に投影した方の双剣を放り投げた。
緩やかな放物線を描いた剣が俺の足元に突き刺さる。
確かに、今手に持っている干将も莫耶も、今にも砕け散りそうなのだが。
さすがに仕方がない。これは、俺が初めて投影した干将莫耶なのだから。劣るのは当然だ。

「いや、そいつは置いておく。さすがに刃物持って移動するのはな。それに、どっちも投影したものだから」

そう答えて、遠坂にちょっと待ってくれと目で頼む。突き刺さっている双剣も拾うと、土蔵へと向かう。
入口の前で、もう一度地面に突き立てると、扉を開いた。

「ああ、そういや、そこでセイバーを召喚したんだったな」

ランサーが俺の後ろから土蔵を覗き込む。
あの時は、そのランサーにここまで吹っ飛ばされたのだが。
それには答えず、俺は手に二本ずつ対になるように剣を持ち、それを丁寧に棚に置いた。

「う!?」

だが、土蔵を出た瞬間、遠坂の表情に思わず悲鳴を上げそうになる。
理由は判らないが相当に怒っている。
その目は俺、というより持っていた剣に対してのような気が、ほんの少しだけした。
今は何も握っていはいない手を……。

「まあ、いいわ。怒っても仕方ないもの」

そう言った遠坂は俺に背を向けた。その足は、外へ出る方向へと向かっている。
俺にしてみれば、遠坂が怒る理由がわからないので、ほっとするより他ないのだが。
ランサーは口笛を吹くと、遠坂の後に続いていった。



二人を乗せた二号で疾走し、目的地の下へと到着した。
たいした速度が出るわけではないが、今回のような使用に限って言えば、一号より使いやすい。
ともかく、遠坂を降ろした俺は二号を停める。
此処までの道中、霊体化もせずついてきたランサーは、あの程度の速さはサーヴァントにとってどうということはないというように。
後ろに座った遠坂に様々なちょっかいを出していた。
俺はなるべく関らないようにしたが。遠坂はどうやらランサーと相性が悪いらしい。悪い意味ではない。多分……。

「いねえな」

階段の中ほどで、ランサーが一言呟いた。
さっきまでの調子の軽さは為りを潜め、猛獣のように瞳を輝かせている。

「どうしたの、ランサー?」

「ああ、アサシンの野郎、どうやら、討たれちまったらしい」

「アサシンが?」

「ああ。サーヴァントが……これは三騎、か? なんか、変なのが混じってるから、そいつの仕業かもしれねえな」

三騎―――アサシンを除けば、キャスター、アーチャー、そしてセイバーだろうか。
変なのというのが気になるがとにかく、そこに行ってみないことには―――

「む!?」

突然ランサーが消える。
それは、あまりの速さに、見えなかっただけだったが。
何かの気配を感じ……。

「うわっ」

「きゃあ!?」

慌てて、俺と遠坂はそこから飛びのく。
それと同時にランサーがいた場所を無数の鎖が通過していった。
その鎖は、何もない中空を恐るべき速さで奔り。

「ぬあっ」

ランサーの左足を絡めとっていた。それは瞬時にランサーを身動きの取れない空へと持ち上げる。
為す術なくそれを見上げた俺と遠坂を尻目に、鎖は、悪夢の如き速度でランサーを柳洞寺へと放り投げた。

「衛宮くん!」

それにあっけにとられる前に、階段を駆け上る。
ランサーが簡単にやられるとは思わないが、何が起こっているのか予測がつかない。
何しろ、たやすくランサーを捉えるような鎖が現れたのだから。

鎖―――ライダーも似たような得物だったが、あれとは全然格が違った。
ランサーを捉えた鎖、あれならバーサーカーだって捕まえてしまいそうな……。
顔を顰めながら駆け上る。
謎の鎖を持つ、まだ見ぬ強大な力の持ち主に歯噛みする。

そして―――

階段を駆け上り、そいつに出会った。

わからない。何が原因なのかわからない。だけど、身体が動かない。
視線を外すことすら、出来ない。

―――黄金の騎士。
黄金の甲冑を身に纏った姿は、明らかに真っ当な人間とは違う。
何より、その赤い瞳が、怖い―――。
それは、遠坂も同様なのか、その黄金の騎士を見る顔は真っ青だ。

「ふんっ」

正体不明の男は、短く鼻を鳴らすと、俺と遠坂の間を通っていく。
その視界には俺たちなんて入っていない。ただのモノにすぎない。
そいつはどこまでも傲岸で、どこまでもそれが正しかった。

俺たち二人は、まったく動くことが出来ず、それはきっとその騎士がいなくなってしまうまで変わらなかった。

「な、なんだったのあいつ」

まるで長い間息を止めていたかのような息も絶え絶えに遠坂が呻く。
その答えを俺は知らなかったが。
膝を付きそうになるのをこらえて、素直な観想を口にした。

「わかんないけど。あいつはヤバイ。バーサーカーでもあそこまでは……」

存在感じゃない。それなら、バーサーカーの方が凄かった。
だから、恐怖したのはそんなものじゃない。もっと根源の―――。

「やっぱり、あいつがキャスターを?」

「多分……ランサー!?」

「いけない、妙なことで戸惑った!」

残りわずかをなった階段を駆け上る。
身体は石のように重くなった気がしたが、どうにか歯を食いしばって耐えた。
その先では―――

高らかに鳴る剣戟に目を細める。

それは、予想された出来事で、信じたくない現実だった。

空気が重たい。自分に向けられたものではない、強い想念がこの場に渦巻いている。
それは純粋な殺気、なのだろうか。
呼吸もままならない。確かにしているはずの呼吸は、まるで酸素をとりこんでないかのように思えてしまう。

目の前ではランサーとセイバーが戦っていた。
キャスターの令呪に屈してしまったのだろうか。セイバーの動きに停滞はない。
セイバーはバーサーカーもかくやという暴風めいた斬撃を繰り返す。
それは今まで見たどれよりの強く、鋭い。
そしてそれをランサーは、今まで見たどれよりも速く、裁き、抗戦していた。

セイバーの力に圧倒される。自分の契約が不完全でセイバーが力を出し切れぬ身であることは知っていた。
だが、実際に目の当たりにしてみると、ただただ圧倒される。
これがアーチャーをして敵わないと言わしめたセイバーの実力。だが―――

「なんだ、セイバー。その様は」

ランサーが冷たくセイバーに声をかけた。
セイバーから一瞬の隙に離脱して、呆れたような口調で言う。

「それなら、バーサーカーの方がましだったぜ」

だが、セイバーは答えず、ランサーに向けてただ一直線に疾走した。
全ての面で力が増したのか、その速さはあの夜の比ではない。
しかし、ランサーはそれよりも遥かに、速かった。

「せっかく、こっちが全力で戦えるっていうのによ―――」

セイバーの剣が振り下ろされるよりも速く、ランサーの突きが放たれる。
咄嗟にセイバーはそれを払うが、その時には既に槍は旋回し、セイバーの足元を狙っていた。
ランサーの払いで、セイバーが体勢を崩す。

「肝心の相手が全力で戦えねえなんてな」

そこから、視認など出来るはずもない突きが幾多も繰り出される。
セイバーはそれを全弾叩き落すも、あまりの速さに防御だけで手一杯だった。
たまらず、押し戻される。
だが劣勢の状態に呼応するように、セイバーが纏う魔力が目に見えて増大する。

「ぬおっ―――」

ランサーの槍を迎え撃った剣は、ただの一撃でランサーの身体を後退させた。

「衛宮くん、あそこ!」

遠坂の声で我に返り、その指し示す方向を見つめる。

「あれ、は」

「何でか知らないけど、随分傷ついてる。多分、さっきの奴にやられたんだと思うけど」

遠坂の言う通り、視線の先にいる三人は、無傷なものは存在しなかった。
紅い騎士。遠坂と契約したアーチャーとは違う、もう一人のアーチャーは、その外套をぼろぼろにして、傷だらけだった。
随分と回復しているようだが、それでも全快とはいえない。
セイバーとランサーとの戦いには介入せず、ただ険しい目で見守っている。
キャスターはアーチャーに負けず劣らず傷だらけだったが、自分の身体は関係ないと、同じように傷ついた葛木を癒そうとしているようだった。

黄金の騎士―――そう形容するほかないような男を思い出す。
正体は分からなかったが、秘めている危険性は読み取ることができた。
怖い。最悪という言葉が相応しい。
あの騎士が、キャスターの陣営を破ったことに、何の疑いを覚えることもない。
戦う姿を見たわけでもないのに、微塵も!

戦闘の最中であり、あまりにも止まらず、戦いを敢行とするセイバー。その姿を完全には捉えられないが、もしかしたら、セイバーもどこか傷を負ったのかもしれない。
何にせよ、キャスターの戦力。アサシンを下し、セイバー以外に深手を負わせ、自信は無傷。
その事実に、俺は改めて黄金の騎士に戦慄した。

しかし今は―――

「遠坂、どうする」

「アーチャーに動きがない。あいつが動く気がないなら私たちじゃ二人まとめて返り討ちになる」

確かに、ランサーはセイバーを押えてくれている。だが、アーチャーにはその気がないのか。セイバーに加勢する素振りも見せない。
鷹のような相貌は、油断なくこの場を見据えている。
葛木は負傷していのようだが、キャスター共々まだ戦えるだろう。
人間と英霊、その中で最弱に位置するキャスターでさえ、人間との差は呆れるほどに大きい。
どうやら、今は葛木の治療に専念しているようだが、こちらから仕掛ければすぐに牙をむくだろう。

葛木の力をこの目にしたわけではない。だが、遠坂の様子から、その強さは多少なりとも感じることが出来た。
俺たちが勝つためには、せめて二対二に持ち込む必要がある。
いくら手負いでも、三人が相手では荷が勝ちすぎる。今はランサーの力を信じるしかない。

迂闊なことをおいそれと出来ない状況に、爆発しそうになる鼓動を抑え付け、俺は自己に埋没する言葉を唱えた。



interlude out


頬を撫でる森の冷気は、ある種の爽快感を持っている。
常ならば寒いと感じるそれも、僅かに感じるお互いの温もりが忘れさせてくれた。

「はは、速い速い―――!」

イリヤを抱きながら森を駆ける。お姫様抱っこというものはイリヤみたいな相手だと様になる。
もっとも、私が抱いている、という事実がかなりの部分を台無しにしてしまうのだが。
胸の中のイリヤは、相当窮屈だろうに、その声はどこまでも楽しそうに弾んでいる。

木々を縫う速さは、バーサーカーと比べればたいしたことがないと思う。
抱いているイリヤのことを考えれば、速度に差はないのかもしれないが。
ただ、バーサーカーとは体格の劣る私が、イリヤを運んだ場合、少々スリルが上がるのかもしれない。

私の姿は変わらず、鎧を排除したドレス姿のままだ。
もちろん、髪は常の私と変わらぬ、いや、それ以上に整えられてしまっていたが。
今は、多少崩れてしまっているかもしれない。



「アーチャー、上手くいかないのですか?」

セラの、私が自分の髪について知った時から変わらぬ、哀れんだような声を受けて、私の手はさらに加速した。
なんとか、おかしな髪を元に戻そうと躍起になったが、どうにもこういう作業には慣れてなかった。
いや、その言葉には語弊があるか。
ともかく、冷静さを欠いてしまっていたのだろう。
まるで戦場に挑むかのごとく握られた手では、直るものも直るまい。
結果、鏡にはいっそう酷くなった私の頭が映るのだが……。
理性で解っていたとしても、感情がそれを受け入れるかどうかは違うということだ。

「アーチャー、霊体化すればいいじゃない」

俺の醜態に見かねたのか、イリヤが助け舟を出してくれる。

「―――なるほど」

どうして、その時は霊体化すれば頭が直るなどと思ってしまったのか、甚だ疑問ではあるが。
そう思ってしまった以上仕方がない。
目の前の陰惨な情景をどうにかしたいという気持ちは止めがたいものだった。
私は、それで万事が解決したと、嬉々として霊体化しようと試みたのだが。

「どうしたの? アーチャー」

一向に霊体化しない私を不思議に思ったのだろう。イリヤの声には純粋な疑問が含まれていた。
二人のメイドもそれぞれ不思議そうな目でこちらを見つめている。

「霊体化、できないのだ……」

私は、なんとかその言葉を、吐き出した。
あれほど容易く出来ていたことが出来なくなった。それは、私に少なくない衝撃を与えた。
魔力供給を受けることが出来ぬ、まさにはぐれとなってしまったためなのか。
霊体化できないという異常。
そも、不可解なのはサーヴァントとして必要のないはずの睡眠を、否応なしに体が求めたということだ。
魔力を失っているわけでもなく、自由の利かぬ身体をどうにかするため、と何とか理由らしきものは浮かべることが出来たが。
サーヴァントでありながら、サーヴァントとしての知識がどうにも足りない。

「受肉、しているわけじゃないみたいね」

「まあ、考えても仕方がないことでしょう。アーチャー、そんな時間はないのでございましょう?」

確かに、現実を見るならば、この程度のことは放って置いてもいいのかもしれない。
何しろ、アインツベルンの皆が、たいした事とは捉えてないのだから。
悪い方向へと加速していた思考を遮断する。深刻ぶっても益はない。何の解決にもならないのだから。

「アーチャー、手が止まってる。わたしにまかせて」

ただ、結果として鏡の前で固まってしまった私は、リズに心配させてしまったわけで。
結局、この時に髪の手入れを、リズにしてもらったわけだが。



思わず、髪のことを思い出して、苦笑する。
どうやら、森ももうすぐ終わりが見えてくるはずだが……。

「イリヤ、本当に最後まで私でかまわないのか?」

「うん。私自身は魔術で一般人の目はごまかせるし。そもそも、アーチャーは普通の人じゃわかんないよ」

以前。私がイリヤと会ったときに、バーサーカーは連れていなかった。
イリヤが言うには森の入口まではバーサーカーに連れて行ってもらい、そこからはイリヤが車に乗って移動したらしいのだが。
驚いたことに、運転自体もイリヤの手によるものらしい。

だが、今回に限って言えば、今まで車に頼っていた部分の移動も、私にして欲しいとの事。
たいした苦ではないし、イリヤが喜ぶのであれば、私には断る理由がなかった。
車がどこにあるのか、少々気になりもしたが。

結局、イリヤは衛宮邸に移住する―――(どれくらいの期間になるかはこれからの状況にもよるだろう。)ことに承諾し、ひとまず私と先に向かうことになった。セラとリズは少し遅れて行くとのことだが。
下手すると、屋敷の主には気付かせずに、移住してのけるかもしれない。
まあ、どうであろうと、説明、説得の類は必要だろうし、それをすることに躊躇はないが。

公道に出る。車と同じ道を走る、という行為に躊躇いがないといえば嘘になる。
だが、他の道は知らないし。さすがにイリヤを連れて、飛んだり跳ねたりするのは心臓に悪い。私の心臓が。
鎧を解除している今は、それこそ音に匹敵することが出来る。
魔力の無駄使いと言われれば、おしまいなのだが。
さすがにそこまでする必要はない。イリヤを抱えたままで、そのような危険を起こすつもりはないが、なるたけ見つからないように気をつけねばならないだろう。
動きが直線的過ぎるあまり、小回りが利くとはいえないのが難点なのだが。



結局、飛んだり跳ねたりがお気に召したようで、屋根から屋根へと飛び移り、目的地の屋敷。
衛宮邸の庭に降り立った。

「誰も、いないみたいだね」

「―――そのようだ」

イリヤを抱いたまま、地面に刻まれた痕を凝視する。
衛宮士郎がセイバーを召喚した夜も、かなり酷く荒れていたが、これも中々……。

「これは、矢の痕だな。戦闘があったようだが、入れ違いになったか」

痕跡からして、アーチャーと戦ったというのだろうが、こっちの痕は……。
目に見える痕ではなく、魔力の痕跡を探る。

「これは、ランサーか?」

「うん、そう思う。バーサーカーと戦ったランサーが、こんな魔力だった」

残っていた残滓に、眉根を寄せる。
不可解だ。どちらのサーヴァントも敵には変わりない。
それが、ほとんど無力と化している凛と衛宮士郎の拠点のひとつでやりあうとは。

―――協力に成功したのか?

それしか思いつかない。そもそも、強大になりすぎたキャスターの陣容を潰すために、イリヤとの協力を求めたのだ。
それに失敗したとはいえ、ランサーを味方に出来ない、というわけではない。
一応の候補ではあったのだ。二択ではあるが。
凛のことだ。うまくやったのだろう。

もし、凛と衛宮士郎がランサーの協力を得たとして、ここにいない理由を考えるとするならば。

「柳洞寺に向かったか。相変わらず無茶をする」

「え? おにいちゃんたち、キャスターのところに行ったの? いくらなんでもサーヴァントなしじゃ無謀よ」

「恐らくはランサーが味方なのだろうが」

それにしたって、まずいことに変わりはない。
ランサーが私よりもそういう仕事に向いているとしてもだ。

「イリヤ……」

「うん」

イリヤをそっと庭に降ろす。
そして私は、キャスターが居を構える山、柳洞寺の方向を睨みながら鎧を魔力で編み上げた。
身体を、重厚な護りが包み、視界を金属の冷たさが制限する。

「あの夜とは、随分、変わっちゃったね」

「―――?」

イリヤが呟いた言葉の意味を計りかねて困惑する。
私を見上げる彼女の瞳に、何が浮かんでいるのか読み取れない。

「ううん、なんでもない。ちょっとひとりごと……だから」

「―――おいで」

イリヤに声をかける。わざわざ連れてきて、イリヤを一人にしてしまっては本末転倒だ。
それならば、戦いの場にいくにしても一緒に居るほうが安心できる。
森では、それで失敗したのだが。変えるつもりはない。
鎧姿の私は、イリヤを抱くには少し固すぎるかもしれないが……

イリヤにとってはかまわなかったらしい。
森を出る時と変わらぬ勢いで抱きついてきたのを受け止める。
今度は、私の左腕に腰を下ろすような格好だ。

私は、イリヤがしっかりとつかまったことを確認すると、地面を強く蹴り上げた。





[1070] Re[38]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂◆4c372ed3 ID:b0d830cf
Date: 2007/06/09 03:02


interlude


逡巡は僅かな間だった。状況は瞬く間に変化し、選択肢は消えてしまう。
ただ、変わったのは外界ではなく内界。
入れ替わろうとするそれは、埋没する意識をさらに奥深くへ埋葬する。
なす術もなく睨みつけていた時間はいとも簡単に終焉を迎えた。

それはギチリと、聞こえるはずのない音から始まった。

「くっ、は、う―――」

アーチャーを中心に据えていた視界が、真紅に明滅する。それと同時に、例の頭痛が俺の頭を襲った。
顔を顰めることに耐えられず、耳は、自分の荒い呼吸の音を拾う。
昨日から幾度と経験しているこの頭痛。決して慣れるということはない。
熱病に冒されたように、意識は朦朧とし、真紅の視界にはそれでも変わらず紅い騎士が存在していた。
それを振り払うように、歯を食いしばる。

これ以上は無理だ。すでに、許容量は限界を超えている。だから、これ以上は入らない……。
無理に入ろうとすれば、全てが失われる。
入らないなら、どうすればいいのか……?
そんなことは、わかりきっている。
だから結論を出すまで、たいした時間は要らなかった。

「―――――――!」

遠坂が何か叫んでいる。何故叫ぶのか、理由はわからないが、心配は無用。
目を閉じる。目蓋の裏に撃鉄が並び、それがひとつひとつ間断なく落ちる。
体を奔る回路に、悪魔的な速さで魔力が循環していく。まるでブレーキが壊れたように。
必要な分だけを取り出す。僅かな量を汲み上げても、流れるそれに変わりはない。
海は何時だって広大だ。
すべてを一瞬で凌駕する。
想像の理念も、基本となる骨子も、構成された材質も、製作に及ぶ技術も、成長に至る経験も、蓄積された年月も、あらゆる行程も―――

必要ない。

「投影、開始」

刹那にも満たぬ間に、自身の海から現実へと帰還する。
両手には、慣れ親しみ、幾度となく共に戦場を駆けた夫婦剣。

それを―――いつものように握り締め、再び赤い視界にアーチャーを納める。
葛木の両腕は負傷している。されど、人間の頭蓋を砕くことに苦はないだろう。―――否。関係ない。
キャスターはその身を真紅に染めている。されど、人間を粉微塵にすることに何の問題があるか。―――否。それも関係ない。
何故なら、打倒すべきものは己自身に他ならないのだから。

夢を見ているように不確かな思考は、同時にひどく鮮明だ。矛盾するそれに、なんら疑問を抱くことなく俺は叫びながら疾走した。

「衛宮くん―――!」

遠坂の声を置き去りにしながら、アーチャーへの間合いを詰める。
今の肉体を限界まで行使し、循環していた魔力を臨界まで上げる。
奴はその眉を僅かに、ほんの僅かに上昇させると俺と同様に、両の手に双剣を投影した。

それに一拍遅れて、右の干将を振り下ろす。
それは、ランサーとの遊戯の数倍ほどの鋭さで持ってアーチャーへと襲い掛かる。
それを、同じ剣で防がれるも、間を空けずに獏耶を振りぬく。
だが、それも同様に防がれた。

どちらも、必殺の鋭さを持って放たれた一撃。だが、それが決定打にはならない。
俺と同様に翻った剣は、同等以上の鋭さを持って俺の命を狩りにくる。
それに、疾風の鋭さを持って拮抗した。

そこからは、予想と違わず、四本の刃が、狭い空間で鬩ぎあう。
同様の剣技、同様の戦闘思考は、必殺を狙うもそれを得ることは敵わない。
まるで千日手。

数式を解くかのような、作業のような攻防が酩酊をもたらす。
戦闘の為に働く思考とは別に、不確かな思考が表出する。

――おかしい。

衛宮士郎ではアーチャーには敵わない。
衛宮士郎では、アーチャーの剣を防ぐことは出来ない。
衛宮士郎ではこれほどの剣技を持っていないし、これほど真に迫った双剣は投影できない。
俺はサーヴァントとは戦えない。

脳裏に浮かんだ思考を、戦闘の邪魔と即座に斬り捨てる。
戦闘に感情を介入させることはあまりに愚行だ。それはすぐにツケとなる。
僅かな、思考の遅延は、均衡を傾け、俺は即座に劣勢へと立たされる。
ただでさえ、体の性能は劣っているのだ。
身体能力の差は剣技に、戦闘思考にすら差を与える。
気を抜けば即座に首を断たれる。
終わらぬ等という考えは、ただの自分の思い込み、愚考でしかないというように、俺の領域は侵犯され、防戦一方となる。
そうして、決定的に俺の体を崩す一撃。それをを回避することが出来なかった。

「ぐっ」

だが、追撃はない。
それも当然。奴、アーチャーは俺を討つ絶好の機会に何故か、間合いを空けることを選択したのだから。
距離を開けた途端、魔力の光が襲い掛かった。
遠坂による魔術。
その幾多の光弾を、埃を掃うかのように、事もなげに双剣で弾きとばす。
まるで、それには興味ないというように、奴の目は俺だけを注視して。
その言葉を発した。

「何故だ」

わけの判らぬ問いに顔を顰める。
こっちは、既に呼吸も荒く、頭痛は耐え難いというのに、奴は呼吸一つ乱していない。
その事実に歯噛みし、再度体に力を束ねる。

「貴様は、誰だ?」

「――――!?」

その言葉は、すぐさま踏み込もうとした足を、まるで魔法のように止めた。
熱に浮かされていた思考に皹が入る。

「馬鹿な、―――俺は、衛宮士郎だ。それが、どうした!」

叫びつつも、足は踏み出さない。踏み出せない―――。

俺は、どうしてアーチャーに戦いを挑んだ?
人の身たる自分が、サーヴァントに勝てるはずがない。戦いになるはずがない。

「まあいい。確かに、貴様が衛宮士郎であることに間違いはない。だからといってそれでは、殺す価値があるかはわからんがな」

馬鹿にしたような笑みを、口の端に浮かべて、アーチャーが剣を納める。それと同時に、俺も、数歩後ろへ後ずさった。その間も、アーチャーを捉え続ける自分の目には、アーチャーの皮肉気な笑みが、今までと違ってどこか薄っぺらいもののように見えた。


ランサーとセイバーの剣戟が背後から聞こえる。
その苛烈さと間逆に、アーチャーの意識は穏やかに過ぎる。
奴には敵意どころか、やる気すら感じられない。

「どういうつもりよ、衛宮くん!?」

そこに、俺とアーチャーの戦闘をに、離れた所から介入していた遠坂が肩を怒らせて走ってきた。
アーチャーへの警戒を怠らず、それでいて俺へ叱責するという高等技術をやってのける。もちろん、警戒の対象はアーチャーだけではない。
キャスターと葛木は、自ら戦う力はないのかもしれない。
まったく、動く気配のない二人を視界の端に捉えながら、自身の行動を思い返す。

どうもこうもない。例の頭痛がして、気がついたらアーチャーと戦っていた。
どうしてこんなことをしたかなんて、俺の方が知りたい。
だが、結局俺がしたことなんだから、俺が責任を取るべきなのだろう。遠坂の叱責も甘んじて受けるべきだ。

何故だか、アーチャーの言葉で頭痛は治まって来たが、いまだに鈍器で殴られているような痛みが断続的に続いている。
戦っている時は熱に浮かされたようで気にもならなかったが、今の状態では辛い。

そのアーチャーの表情が僅かに変化する。目は見開かれ、視線は俺たちではなく、違う誰かを見ているよう。
そして、鳴り響いていた剣戟の音が、それに会わせるように止んだ。




奴の視線を追う。
それは、何時の間に現れたのか。
最初に浮かんだのは黒だ。真っ黒。そこに、白が混ざっている。

「うぐっ―――!」

それを認識した途端、頭痛は万力で頭を締め上げるが如く悪化し、一瞬視界を消失させる。
崩れ落ちそうになる体を必死で支える。
痛みは頭だけなのに、全身が腫瘍に犯されたみたいに熱い。
その中で、側に何か重いものが降り立つ音を聞いた。

「あ、アーチャー?」

遠坂の声が聞こえる。僅かに震えたように、それは頼りない。
その声を辿って、俺は側の人物を視界に入れた。

あの一瞬で、此処まで移動したのか。
それとも一瞬というのはただの勘違いなのか。
たしかに、それはアーチャーに似ていた。
セイバーに酷似した背格好は、成る程遠坂のアーチャーを思わせる。
ドレスだろうか。その色が黒というのも同じだ。
だが、髪の毛の色が違う。白銀に輝いていた髪は、くすんで金色に。
鎧から覗いていた真紅がない。すべてが黒一色。
鎧の形状が禍々しいほどに違う。これほど攻撃的な拵えではなかった。
その表情も、光を発しないただの黒の、ヘルムが隠している。

まるで、アインツベルンの城で別れたアーチャーを、違う色で塗り潰したみたいだ。
へたくそな塗り絵は、本来の姿を捻じ曲げて……。

黒い騎士は肯定するように頤を下げる。
やはり、彼女はアーチャーなのか。
頭痛で明滅する赤と黒に、違和感に気づいた。

―――さっき見えた白はいったい?

側に立つ騎士の色は黒一色だ。
なら、何が白に……。

「大丈夫?」

心配そうな声で、俺を気遣う声が聞こえる。それが、あまりに意外で思わず頭の痛みも忘れて声の方向へと振り向いた。

「イリヤスフィール」

それでも、言葉を紡ぐこと敵わなかった俺の代わりに、遠坂がその少女の名前を発した。
白い少女。まるで、どこかの童話に出てくる妖精のような少女は、心配そうに俺の顔を覗きこんでいる。
彼女には、いままでさんざん味合わされた殺気というか、敵意がまったくない。

「うん。よかった。怪我してるわけじゃないんだね。お兄ちゃん」

そして、安心したと微笑む。

「う、あ――――」

その笑顔に、言葉を失った。この場が戦場だというのに。
彼女が、バーサーカーのマスターであったことに間違いないのに。

「衛宮くん」

遠坂の声で我に返る。
どうにも、さっきから理性と言う歯止めが効かない。
遠坂と少女が話している姿を、ぼんやりと見上げる。

「訊きたいことがあるけど、今はいいわ。終わってからそうする。イリヤスフィール、それでいいわね」

「かまわないわ。リン。好きになさい」

そう答えてイリヤスフィールがアーチャーを見上げる。
アーチャーは頷くと、遠坂の方を向いた。

「ええ、いいわよ。それでいいわ」

どのようなやり取りがあったのか、遠坂が心なしか諦めたように肩を落とす。だけど、間違いなく遠坂の口元は笑っていた。
それを見ていたアーチャーの、唯一つ見えていた唇が薄く弧を描いた。
その俺の視線と、アーチャーの視線が交錯する。

その黒いヘルムに隠された瞳で、俺を一瞬眺めると。
爆発するような音と共に、俺の視界からアーチャーは消え去った。

それが、大地を踏んだ音だと気がついたときには、アーチャーはキャスターの眼前で今にも剣を振りぬく所だった。
黒い剣がキャスターを両断せんとする直前で、その剣は不可視の剣によって阻まれた。

目に見える魔力の光が輝く。
セイバーだ。ランサーと戦っていたはずの彼女は、現在の主を守るために、アーチャーを凌駕する速度で移動したらしい。
二人は、その石畳を踏み抜きながら鍔競り合いすると、ほぼ同時にそれを止め、全力で剣を打ち合わせた。

一際高い音を立てて、二人が離れる。

その一瞬の攻防を見て呆けた表情をしたキャスターに葛木が、あまりに感情を感じさせない声で命じた。

「引け、キャスター。これ以上の戦闘は無理だ」

「ですが、マスター。今の私ではセイバーを……」

「諦めろ」

キャスターの躊躇を葛木は一言で斬って捨てる。
それでも、キャスターは諦めきれないような表情で目を彷徨わせていたが、覚悟を決めたのか何かを呟く。
キャスターを逃すまいと、再び大地を蹴ったアーチャーだったが、またしてもその剣はセイバーによって阻まれた。
その隙にキャスターはそのローブを翻すと葛木を包み込み、俺たちの目の前から消えた。

「あー。こりゃ駄目だな。逃げに回られると、追いつけねえわ」

それを、のん気そうな声でランサーが、呟いた。

「何してんのよ、ランサー」

どこか怒ったように遠坂が問いかけるが。

「ま、見ての通りさ。この通りセイバーに振られた」

そういってランサーは肩を竦める。
その視線は、セイバーとアーチャーの戦いを。そして、何故か留まっているもう一人のアーチャーに向けられていた。

「奴さんにやる気はねえみたいだしな。そんなのと戦うのは趣味じゃねえ」

中庭で挑発した時とはうって変わって消極的だ。あの時とは、何かが違うのか……。

「それより、観戦するだけならもう少し離れた方がいい。単純な破壊力で言うなら、二人とも俺の比じゃねえぜ」

そう言って、ランサーは後退を促す。
反対する理由はない。
俺たちではランサー以外に、目の前の戦いに介入する力がない。
俺は論外として、遠坂も、そしておそらくイリヤスフィールも。魔術があの二人に通用しないのだから。
そして、唯一通用するランサーが介入する気がまったくないのだ。大人しく観戦するほかにない。
サーヴァントを失ったマスターが三人。
そして、目の前で戦っているのは、どちらもかつては共にいたサーヴァント。
セイバーとアーチャー。

その時ふと、歪な短剣が脳裏に浮かんだ。
頭痛は、先よりはかなり減じてきていた。

「力も剣速もほぼ互角。俊敏さはセイバーがかなり上。アーチャーは代わりにセイバーより堅えな。セイバーの野郎、俺と戦っている間に、勘を取り戻しやがったみたいだからな。勿体ねえ。―――それより、アーチャーの剣。あれは……」

ランサーが、僅かにいぶかしむように、戦いを、特にアーチャーが振るっている剣を注視する。
確かに最初に打ち込んでからは、アーチャーはセイバーの剣を防ぐことに徹しているように見える。
まるで、動と静。セイバーが何者をも破壊する暴風ならば、アーチャーは堅牢な城砦だった。
それも、隙あらば相手を両断せんとする。攻撃の手数はセイバーの方が上だが、アーチャーも、セイバーが僅かな隙を見せれば容赦ない一撃を繰り出している。

――――それよりも。俺もランサーと同じように、アーチャーの剣に魅入られていた。
そう、アーチャーが持つ剣は、初めて見るものだった。
いや、それには少し語弊がある。その剣は初めて見るものではない。だが、その姿は初めて見るものだったのだ。
漆黒の剣。
その、あまりに尊い幻想。あれよりも美しい剣も、豪奢な剣もないわけではない。
ただ、人々の思いによって編まれた幻想。星によって鍛え上げられた至高の一振り。

「エクス、カリバー」

知らず剣の真名を口にした。
そう、あれは表裏が入れ替わっているが間違いない。人類最強の聖剣……。

「嘘!?」

苛烈な音楽を奏でる戦場で、呟いたくらいの声量を遠坂は捉えたのか。その顔に驚愕を浮かべて俺を睨みつけた。

「いや、小僧の言ってることは嘘じゃねぇよ。英霊の座にいる奴なら、知らねぇ奴なんていねえ。ありゃ、ちょっと妙だがエクスカリバーだな。となると、アーチャーの嬢ちゃんがアーサー王ってことになるが?」

「―――知らないわ。私、アーチャーの真名教えてもらってないもの」

遠坂は憮然として答える。それに関しては、俺もセイバーの真名を知らないはずなので、何とも言えない。
もっとも、真名を知らない理由は違うだろうが。
俺はマスターとして未熟ゆえに、セイバーは真名を秘密とした。
そして、セイバーこそが間違いなく―――

「大丈夫?」

その声で我に返る。それは、先と同じ少女の声。イリヤスフィールの声だった。
一体どんな顔をしていたのだろうか。
とにかく、安心させるように笑みを浮かべる。大丈夫だと。
二度目ともなると、さすがに簡単には納得できなかったようで、少女はその細い眉を僅かに吊り上げた。
それから、何か言葉を紡ごうとでもするように口を開きかけたが……。

結局俺に見せたのは、どこか困ったような笑みだけだった。
そして、少女は戦いへと視線を戻す。
それにつられるように、俺もまた、意識を戦いの方へと向けた。

二人の剣は月を描く。黒い剣は黒い軌跡を下弦の月に。不可視の剣はその気配を上弦の月に。
二つの月は真円を描くことなく、反発しあう。月は触れ合うごとに星を撒き散らし、轟音を鳴らす。
セイバーの横薙ぎの斬撃をアーチャーが縦にした剣で受ける。
その時には反動で逆から襲い掛かる不可視の剣を黒剣がはねあげる。
その瞬間には両者の剣はまるで悪夢のように翻り、視認力の限界を超えた音速の刃となっていた。

互いに渾身の一撃を相殺し、セイバーがその場から飛びずさる。
戦力は五分と五分。二人の周りは戦闘の名残で、ズタズタに破壊されている。
圧倒的な破壊力は、その余波だけで周りに存在するものを切り刻む。だが、それでは二人の護りを突破することは出来ない。
事実、二人の騎士、セイバーとアーチャーは共に無傷だった。
セイバーは無表情。ヘルムに覆われて表情が伺えないとはいえ、アーチャーの唇も真一文字に結ばれている。

最初に動いたのはセイバーだった。
不可視の剣。それを正眼に構える。それから、その異変は起こった。
セイバーを中心にして、風が轟々と巻き上がる。
それは瞬く間に局所的な竜巻のように高まり、そしてあまり突然に静まった。

その手に握られていたのは。

「おいおい。あっちもエクスカリバーかよ。似てる似てるとは思ってたが、まさか宝具まで同じとは」

俺たちは絶句し、ランサーがかろうじて言葉を紡ぐ。
ランサーが言葉にしたように、それは黄金の聖剣だった。
セイバーの、彼女の正義の象徴たる黄金の剣。
剣を不可視にしていた風は聖剣の鞘だ。あまりに名が知れすぎた剣を隠すための。

セイバーが聖剣の封を解いた。その意図を察したのか、アーチャーが黒の聖剣を、セイバーと同じように構えた。

「やべぇ。もう少し離れた方がいいな」

ランサーが額に僅かな汗を浮かべながら、ぼやく。
すでに、セイバーとアーチャーの剣は光を宿し始めている。
最強の聖剣同士のぶつかり合い。込められていく魔力は際限なく、いつか見たランサーの解放とは比べるべくもない。
しかも、両者ともそれを放つ十分な魔力を擁している。
その余波が、どれだけの破壊をもたらすのか、考えたくもない。

咄嗟に側の少女を抱き上げる。
遠坂も石畳を蹴り、少しでもこの場から離れようと駆け出す。
視界の端に、ランサーが何かするのを目にする。
そうして、彼女をかばいながら地をけった瞬間。

「「約束された―――勝利の剣―――!!!」」

真名をもって聖剣は解放され、視覚すらを覆うほどの爆音が響いた。

イリヤスフィールを抱いたまま、暴風に耐えられず地面に倒れる。
僅かに見えたのは白と黒。両端に位置するそれは、圧倒的な光を放ち、世界を染めてしまった。
己以外の光はいらぬと、鬩ぎあう白と黒。

星の光を集めた最強の剣。
贋作ではなく、紛れもなく真作の二振り。

白と黒の拮抗する様を、僅かに開いた瞳で凝視する。
まったくの互角。
交わる場所を完全な中心にして、二つの光は両者を押し潰さんと懸命に先へと進もうとする。

こんどこそ、圧倒的な光が視界をすべて覆っていた。

パチパチと何かが焼ける音か。暑さと寒さが同時に存在するような、そんな矛盾を肌で感じた気がした。
ゆっくりと瞼を開く。
極大の光は、その通り道を無残にも切り裂き……
その傷は、二人が立っていた場所まで続いていた。

二人とも、まだ生きている。
セイバーは倒れ伏している。しかしアーチャーは死に体ながらも、剣を大地に突き刺し、辛うじて立っている。

「頑強さの、差が出たか……」

どこかで、ランサーの声が聞こえた。
鏡ではない、二人の斬撃は、そのほとんどを相殺しながらもそれぞれの体を切り裂いた。
タイミングも威力も同等。だから、結果を分けたのはランサーの言うように、耐久力。
聖剣の破壊力の前では、セイバーたちの防御もほとんど紙同然だろうが、ほぼすべてを減殺された聖剣の威力でなら、話は違う。
数値化されている明確な両者の防御力。その差がはっきりと出たのだ。

そう、今ならセイバーは動けない。
イリヤを腕から、そっと放す。

「――――あっ」

何もわからぬまま、まるでこの体が自分のものではないように、俺は走った。
走りながら、違う何かが、俺の心に潜っていく。

「セイ、バー」

彼女の名を呟きながら、右手に宝具が編みあげられる。
宝具としての格は、高いものではない。慣れぬとて、問題など微塵もない。
そうして、彼女の前に俺は立った。

「―――シ、ロウ?」

意識があったのか、ぼんやりとした瞳で俺を見上げる。
彼女の回復力は、生半可なものではない。
だが、聖剣を使用し、また、くみ上げていた魔力の海を聖剣の余波で失った今、彼女に供給される魔力は少ない。
致命傷とはいえない傷だが、重傷には違いない。修復は容易ではないだろう。
死者を前にしたように膝を突く。右の手にある重みを、両の手に握りなおし。
この体は躊躇なく、裏切りの短剣を彼女に突き刺した。

「うっ―――あっ―――」

彼女を縛っていた令呪が、キャスターとの繋がりが消え去る。
依り代を失い、彼女の力がさらに失われる。
この傷とこの状態では、セイバーが限界していられる時間も、僅かなものだろう。
そして俺は立ち上がり

―――告げる。
汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に。聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら―――

セイバーの目が、僅かに開かれる。瞳に意思の輝きが灯り始める。
ひどく緩慢だが、腕に力が込められ、聖剣を支えに立ち上がろうとする。

―――我に従え。ならばこの命運、汝が剣に、預けよう……。

差し出された俺の手と、セイバーの手が触れあい。

「――セイバーの名に懸けて誓いを。貴方を我が主と認めます、シロウ」

俺の知らぬ言葉と、偽りない俺の意思を同時に発した。
 
不完全ではない、二度目の契約。
十全に引き出せなかった力は正しき常へと。。
彼女が纏う魔力は、烈風の如く巻き上がり、傷ついた体を癒していく。
あの夜と違いなき強い意志は、先の人形めいたセイバーとは、完全に別物だった。

それが嬉しくて、頭の痛みも忘れて笑った。

それを―――名残惜しい安らぎを一瞬だけ。そっと置いて。
俺は、俺たちは黒い騎士へと振り向いた。

アーチャー。黒い剣とを杖とした騎士は、主を失って尚底なしなのか。
すでに、その傷をセイバーと等しく癒している。
だが、その顔を覆っていたヘルムは砕け、彼女の素顔を晒していた。
苦痛を耐えるかのごとく、苦しそうな顔をしていた。
それでいて、彼女を覆う魔力は、まるで減衰したようには見えない。
それはあまりに異常すぎる。
絶大な魔力を誇るセイバーと比べてさえ、アーチャーの魔力は桁違いだ。
まるで、どこからか汲み上げてでもいるかのように……。

「アーチャー」

俺の隣でセイバーが呟く。
やはり、先ほどまで意識はなかったのだろうか。かなり変わってしまったアーチャーの姿を見て、驚いているように見える。
アーチャーはセイバーと違い、まだ衝撃に朦朧としているらしく、瞳の焦点が合っていない。
俺と同じように、遠坂が向かったかと思ったが……。遠坂はアーチャーの元にたどり着けないでいた。
その側のイリヤスフィールも。

アーチャーは独り。
そのすぐ前で、ランサーと、紅い外套を纏う騎士が、対峙していた。

「何のつもりだ」

ランサーが槍を突きつけながら、問う。
紅い騎士に敵意はない。徒手空拳のまま、まるでランサーなど気にもならないと、悠然と立っている。
では、何故、この場に残っているのか。
戦う気がないのなら、すぐに離脱すればよかったはずだ。
だが、キャスターが離脱したにも拘らず、この場に残った。

そこで、ふと気づいた。
紅い騎士はランサーを見ていない。その瞳は、真っ直ぐに黒い騎士へと向けられていて。
「お前は誰だ?」

紅い騎士は小さく呟いた。
それは何故なのか。聞こえるはずのない問いが、俺にも聞こえた。
風はない。空の高い場所で無邪気に流れる風も、ここには入り込めない。
だから、本当に聞こえるはずのない声。

俺に向けられた問いとまったく同じものが、紅い騎士から黒い騎士へと問いかけられる。
意味を量りかねたのか、彼女――黒い騎士の目が瞬かれる。
まるで、その意味を探すように、ゆっくりと飲み干すように、彼女の唇が動く。
瞳は見開かれ、無防備にも俯いて、何かを呟く。

そして、彼女が顔を上げたとき―――

それは、まるで泣き出す寸前に見えた。



interlude out




[1070] Re[39]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂◆4c372ed3 ID:b0d830cf
Date: 2007/07/09 23:14


「お前は、誰だ?」


その言葉の意味に気がついたとき、私の心は凍りついた。
まるで、体を満たしていた魔力が抜けていくかのように、体が空っぽになる……。
両の手で支える剣が、ひどく重たいものに感じた。

目の前には、背を向けた細身ながらも強靭さを内に秘めた青いしなやかな体躯が。
その先に、問いを投げかけた、鋼の意志を相貌に宿した紅い頑強な長躯が。
他に、ここに存在する数多の視線が、私へと向けられていることに気がついた。
決して多いといえる人数ではない、その目が、目が、目が、私一人に向けられている。

ただ、それだけのことに、動揺した。
視線など、笑って受け流せるはずのものなのに。
その判断すら、まるで水面に走る波紋のように不確かだ。
それは何故か。
それは簡単なこと。
先の言葉が全てだ。

―――私は、誰だ?

自身に問いかける。
得体の知れぬものに追いかけられるように、心臓は早鐘を打ち、口の中が乾いていく。
自己の奥深くへと潜ろうと試みて、それができないことに愕然とした。
気がつかなかった。気がついていなかった。

消滅を覚悟した後、不可解にも現界していた事実。
確かにサーヴァントの核を貫かれ、ただ消えるはずだった自分は消えていなかった。
ありえぬ現界。
それに気をとられたのか、自分が何者であるのか、それすらも解っていなかったのだ。
まるで地面の下から大量の蟲が這い上がってくるかのように、不安が際限なく膨れ上がる。
それを振り払おうと、自己の内海を探し続ける。

干からびていく口の中で、粘つく唾液が最後の抵抗をするように残っている。
まだ、辛うじて立ってはいたが、四肢の力はまるで感じられなかった。

「おい、何のつもりだ」

ランサーは、質問の意味を問いかねてか、胡乱気な声を上げる。
彼の声は、アーチャーに比べて、ひどく遠くから聞こえてくるような気がした。
だが、アーチャーはそれを無視し私に言葉をかける。

「では、重ねて問うが、私が誰か、わかるかね」

その声はゆっくりと、私の心へと浸透していった。
ランサーと違い、その声ははっきりと聞こえる。
でも、目の前のアーチャーが何者なのか。知っているはずの私は、何処にもいない。
答えられず黙っていると、それでもいいのか。アーチャーはまるでかまわないと続ける。

「わからぬか。本来ならばこの場にいる誰よりも、私のことを知っているはずなのだがな。例えば、そこの衛宮士郎と比べても」

背後、と言うには少し遠すぎる衛宮士郎をアーチャーは示す。
その顔は、ある種の期待も含まれていたような気がした。だが……。
やはり、私は答えられず沈黙する。
衛宮士郎を知る私は何処にもいない。
わかるのは、セイバーのマスターであるという事実だけ。
そして、それが罪であるかのように、アーチャーの纏う空気が変わった。
失望へと。

「まあいい。どうやら、本当に知らぬようだ。早々にこれでは、少々気が抜けるが仕方ない」

「おい、待てよ」

ランサーが剣呑な声を上げる。表情はわからないが、獰猛な、それこそ肉食獣のような笑みを浮かべているような、そんな気がした。
アーチャーが見せた失望の表情が気に食わないのか、ランサーの殺気が、それこそ鬼気と言ってもおかしくないものへと増大する。
私自身は、殺気に晒されているわけではないのに、それが痛いほどに感じられた。

「ふむ、君とやりあう気はないのだがね。しかし、やる気がないかと思ったら、戦う気になるとは。君は本当にムラがあるな」

「ほっとけ」

ランサーは紅の長槍を回転させ、その穂先をアーチャーの咽元に突きつける。

「それで、やるのかやらねえのか。はっきりしな」

「やれやれ、やる気がないと言っても、君は逃がしてはくれないのだろう? それでは私に選択肢はあるまい」

アーチャーは溜息を吐きながら徒手空拳だった両手に、虚空から陰陽の双剣を取り出す。
しかし、視線はランサーではなく依然として私に向けられていた。
目の前の全てを、ただぼうと眺めていた自分と視線が交差する。
アーチャーの瞳に映る私の瞳は、ひどく濁っていて、綺麗には見えなかった。
そして、私の瞳を映すアーチャーの瞳も、失望と、何か違う感情によって濁っている。

「だが、忘れるな。君が自分自身を思い出さぬ前に、私は消えるつもりはないし、そこの小僧を殺すつもりもない」

それは、アーチャーの宣言。
決してこの場で負けるつもりはないと。

確かに、アーチャーは衛宮士郎を殺そうとしていた。だが、その理由はいったいなんだっただろうか。
マスターとしてでは、なかったのか。
現界してからの記憶。そのすべてを覚えてはいる。だがその行動の原理。そう自分自身の行動にすら、自身が何を思ってそれをとったのか、まったく解からなかった。
何をしたのかはわかる。何を考えていたのかがわからない。
自分がいったい誰なのか、思い出すことができないという恐怖。
自己があまりに、不確かだ。

私は一体どのような表情をしていたのだろうか。
私を移していた瞳は既に私を見ていない。
対峙するランサーに向けられている瞳は、すでに私とは違い鋼の意志を持っていた。

「もし、ワカラナイママナラバ、オマエハ、僅かにその手に残っていたモノまで、失うぞ」

その言葉が戦端となったのか、アーチャーがランサーへと疾駆する。
それを迎え撃つ、アーチャーを数段上回る速さで振るわれる魔槍。
青赤の騎士は、サーヴァントに恥じぬ戦いを、目の前で開始していた。

しかし、それは私の目には映らない。

その向こう側。
自分の主たる、少女と。
さらにその向こう側に。
紅い髪を持つ少年と。
紺碧と白銀の衣を纏う少女が。

私は、最後にアーチャーが発した言葉に、自分を見つめている瞳に耐えることができず、この場から逃げるように離れた。
いや、真実逃げ出したのだ。




interlude




「アーチャー!」

最初に叫んだのは、一番遠い場所にいたセイバーだった。
何かに怯えたような、そんな顔を隠そうともせず、この場から飛び去ったアーチャーを追おうと、足を踏み出しかけ。
何かに耐えるように、その足は大地に踏み下ろされた。
力を入れすぎた右足は容易く石畳を踏み抜く。
その破壊の大きさが、セイバーの感情の強さを表しているかのようだった。

「あの、馬鹿!」

凛の悪罵は、アーチャーに向けてのものだろう。普段と変わりなく、強い意思が込められた言葉だ。それこそ、開幕を告げた剣と槍の打ち合う音に負けないほどに。
だが、その言葉とは裏腹に、彼女の表情には不安が宿っていた。
その時、何十という剣戟の音が止み、ランサーとアーチャーが離れる。
アーチャーにその気はなかったのだろうが、ランサーが距離を開けたのだ。
そもそも速度に関して言えば、アーチャーではランサーに匹敵することも出来ない。
一度剣を打ち合う距離で戦いを始めてしまえば、アーチャーに主導権がわたることなど、ほとんどない。
しかし、一度始めた戦いを何故、こうも早く止めたのか。
その意を問うかのように、凛の瞳がランサーへと向けられる。
その瞳を真正面から受け止めながら、ランサーが言葉を発した。

「すまねぇな、嬢ちゃん。キャスターがあの調子じゃ、同盟の意味はないってな。うちのマスターが帰って来いとか抜かしやがる」

その言葉に凛は僅かに眉を顰めた。だが――

「ただよ。それじゃあ俺にとっても寝覚めが悪い。こいつはここで抑えといてやるから、さっさと逃げ出しちまったじゃじゃ馬を追いかけな」

笑みを浮かべたランサーの続けた言葉に一瞬目を丸くすると次の瞬間、凛は微笑み返していた。

「ありがとう! 行くわよ士郎!」

凛は真っ先に駆け出し、衛宮士郎も僅かに遅れながらもそれに続く。そして、その後から、イリヤスフィールを抱いたセイバーが、ランサーに一瞬意味ありげな視線を向けて、駆けていった。

「私に、彼女たちの邪魔をする気はないのだがな」

ランサーが仕切りなおしと、間合いを話した隙に、撤退を試みることもなく、律儀に待っていたアーチャーは、幾分ぼやく様に口にした。

「まあ、そう言うなって。うちのマスターがお前を消せってな、命令してきたわけよ」

槍を肩に担ぎながら、ランサーは気楽に答える。
その言葉にアーチャーは眉を顰めた。ランサーの言葉は行動と同じく支離滅裂だ。
溜め息を吐くような、心底面倒そうなぼやきにも似た言葉を吐く。

「帰ってこい、と命令されたのではなかったのかね?」

だが、ランサーはそんなアーチャーの鬱屈した気をかき消す様に笑い声をあげる。

「まあな。だが、あんまり俺が命令を無視するからよ。ならばお前を消してから戻れってな」

僅かな逡巡の後、アーチャーは皮肉気な笑みを浮かべた。
ランサーの主にとって、自身の存在はたいした障害ではないらしい。
いつでも排除できると思っている。
さすがはキャスターのサーヴァントとでも言うべきだろうか。
アーチャーの主の圧倒的な魔術の技量は、目の前のランサーのマスターの情報さえ手に入れていた。
ランサー、そしてギルガメッシュを擁しているのだから、戦力としては圧倒的である。
単純な火力で量れば、ギルガメッシュに匹敵する存在は、今回の聖杯戦争には参加していない。
だからこそ、キャスターの魔術師としての力量に素直に感嘆した。
自分が手の内を晒したのはこの場所でだけ。
それも、キャスターにより完全に外界と隔絶した状況においてだけだ。
先のギルガメッシュとの戦いでさえ、手の内は見せてはいない。
ギルガメッシュの眼は侮れるものではないが、慢心が消えぬ限り、固有結界までは見通すことは出来ない。
結果として、最後に勝利を収めれば良いのだ。
ランサーとの戦闘は大きな障害に違いないが、それでも限界値、というわけではない。
それと同時に、不意に、憐憫のようなものを感じた。
――あの神父をマスターにするのは、思っている以上に辛いものがあるだろう。

「難儀なものだ。君に女運はなさそうだが、それは女性に限ったことではないのやも知れぬな」

「はっ、それはお互い様だ。貴様だとて、たいした違いはあるまい」

「私のマスターは男ではない。それに、まあ、あれも判りにくい類の者でね。付き合ってみると、それなりに楽しめるものがある」

「あの女狐がか。趣味が悪いことだ」

戦わずに軽口で応酬する。
キャスターのそれは、部外者ではわからぬ代物だが、関れば自然に見えてくる。
もう消えてしまったようだが、アサシンなどは、それを肴にしている節があった。
どれもこれも、キャスターの主あってのものだが。

「それに、全て運が悪かった、と言い切れるものではないな」

そう言って目を閉じる。現在ではない。もう過ぎ去ってしまった時を。
運が悪かった、というわけではない。ただ、自分が愚かだっただけで……。
自分から離れてしまった。

「馬鹿言え。てめえは、そういうのからは縁遠そうに見えるぜ」

「そうかな。私にだって、焼きついたものはある。まあ、それを言えば、君の師も私のそれと変わらぬか。強いて言えば、それですべての運を使い切ってしまったのやもしれんな」

アーチャーの脳裏に浮かぶのは、月下の運命か。ランサーに去来するのは、できなかったことへの無念か。
二人して、何かを胸に感じながら、それぞれの獲物を握り締める。
そうして、二人の騎士は、無言のまま再度激突した。




  ◇◇◇◇◇  ◇◇◇◇◇  ◇◇◇◇◇


「セイバー! アーチャーがどこにいるか感じられる!?」

柳洞寺へと続く階段を駆け下りた凛が、訊ねてくる。
それに無言で首を振る。私自身の探知する力はせいぜい二百メートルほど。いかにあのアーチャーが強大なサーヴァントでも、その範囲を超えてしまっては、存在を感じることはできなかった。
それは再びの契約で、本来の力を取り戻した今とて変わらない。

「すみません。私の知覚できる範囲にいないとだけしか……」

自然と、自分の発した声もどこか頼りないものになっていた。
単独行動をもつアーチャーなら、サーヴァントにとって鬼門たる結界の中を行動することも可能だろうが。
それでも、自殺行為に違いない。単純に消えないというだけで、すぐに衰弱してしまうのは間違いないだろう。
その場合アーチャーが近くにいたとしても、感じることは出来ないはずだ。最悪、アーチャーが消滅してもわからないことになる。

「それより、凛の方はどうなのですか? ラインを辿れば――」

その言葉に凛は、僅か悲しげな色を瞳に宿したかと思うと、私に抱えられているイリヤスフィールを一瞬複雑そうに見つめた。

「そっか、セイバーは知らないんだったわね。今、あいつとはラインが切れちゃってるのよ」

「なっ!? それでは、アーチャーは現世との繋がりを失って……」

「そうよ。それなのにあの馬鹿。宝具、それもあんな強力な奴の解放をするなんて」

その言葉にはっとする。
魔力の供給どころか、自身の依り代すらないままに聖剣を使ったというのか。
聖剣に必要な魔力は尋常ではない。かつて不完全な状態で使用した自分は消えかけたのだから。

「ねえ、セイバー。貴女とアーチャーは、同一人物じゃないんでしょ?」

抱えていたイリヤスフィールが、少し身動ぎしながら私を見上げていた。
窮屈なはずだが、それに不満を持っている感じはない。
そういえば、アーチャーも同じように抱えていたのだったか。

「っつ――」

問いに答えず、考え込みそうになるのをすんでで堪える。

「え、ええ。私とアーチャーは同じ人間ではありません。確かに剣以外の得物を使えないわけではありませんが。私が該当するサーヴァントのクラスはバーサーカーを除けばセイバー以外ありえない」

だが、同一人物。アーサー王でないはずの彼女は、聖剣、エクスカリバーを持っていた。
かつて、シロウが、カリバーンを投影した時のような、真作から零れ落ちる影ではない。
あれは、私の持つ聖剣とまったく同一にして、真逆の存在。
自分の意志で放ったわけではないとはいえ、十全な魔力と言霊によって解放した極光は、黒い極光によって相殺されたのだ。
聖剣だけが同一ではそうはならない。使用者としての力量も私と拮抗していたということ。
それはすなわち、アーチャーが聖剣の唯一所有者たるアーサー王に他ならないということではないのか。

導き出される答えに頭を振る。
アーサー王が二人。
サーヴァントシステムと呼ばれるものの性質を考えるならば、それも考えられる。
しかし、彼女はアーチャーである。
セイバーたる自分には、彼女のように長距離からの狙撃を可能とする弓の腕や、数多の武装を持ち合わせてはいない。
故に、私が該当するのはセイバーのみ。
もちろん、バーサーカーにも該当しないとは思うが、聖杯の括りは侮れるものではない。
英雄には多かれ少なかれ、殺戮を表す部分がある。
キャスターが望まぬ行為を犯してしまったように、聖杯により望まぬクラスを与えられることになるかもしれない。
この地にある聖杯は、名と違い聖なるものではないのだから。

もし、アーチャーが聖杯により捻じ曲げられた存在であるならば、あるいは……。

「まずは、一度戻りましょう。アーチャーを探すっていっても、ただ闇雲に動き回ったんじゃどうしようもないわ。それに、逃げに回られたら、セイバー以外追いつけないし」

「私はかまわないわ」

私に抱かれているイリヤスフィールが承諾の言葉を放ち、続いてシロウが無言で頷いた。
それを見届けて私も答えた。

「わかりました」

多分、感情ではアーチャーを追いかけたかったのだろう。
だけど、かろうじて理性がそれを止めていた。
凛の言う通り、この街でアーチャーを探すのは容易ではない。
かつて、シロウが私を探した時と違い、ひとところに止まってはくれないのだから……。



武家屋敷。久しぶり、と言うのは少し大げさすぎるかもしれないが、最初に感じたのはそれだった。
それと同時に安堵が。
それほど、この屋敷には安心できるものがある。その反面、キャスターにとらわれていた時間は苦痛に満ちたものだったのだ。
しかし、それ故にアーチャーの不在が心を締め付ける。
彼女がいないということ、その失意が安堵の大きさに比例して高まる。
今すぐにここを飛び出し、彼女を探したかった。
それでも、アーチャーを追いたくて逸る気持ちを抑えるように、シロウが用意してくれた茶を一息に飲み干す。
下手をすれば火傷するほどに熱かったのかもしれないが、たいした痛みはなかった。

「それで、私が居ない間に一体何があったというのですか?」

テーブルを挟んで正面に座る凛に、少し身を乗り出しながら今までの経過を訊ねる。
あの時、テーブルは完全に粉砕したはずだが、自分のものではない魔力の残滓を感じる。
修復するのはシロウには少し無理があるから、おそらくは凛によるものだろう。
私の視線を真正面から受け止めた凛は、人差し指を立てて、それを自分の顎にあてがった。

「まず一つ。教会が、多分キャスターの仕業でしょうけど、落ちたってことね」

「教会が?」

「ええ。監督役の綺礼は生死不明。ま、死体もなかったし、あいつのことだから生きてるんでしょうけど。――もしかしたら、逃走したキャスターが逃げ込んでるかもしれないわ」

妙だ。ランサーとはつい先程対面したばかりだ。
ランサーのマスターが聖杯戦争の監督役だとしたら、キャスターに負けるとは思えない。
キャスターに単身で向かっては勝ち目はないだろうが、ランサーを呼べば事足りるからだ。
さすがに、呼ぶ暇もなく倒される、というような失態は、あの男にはないだろう。
それとも、ランサーの、本来のマスターは未だに無事で、マスターの所有権を奪われていないということなのだろうか。
それに、教会にはランサーだけではなく……。

「ま、とにかく。あなたが捕まって。それでなくてもキャスターの陣営にサーヴァントが三体。単独ではそうでもないかもしれないけど、さすがにアーチャー一人じゃ分が悪いってことで」

私の黙考を気にせず、凛が話を続ける。
その際、凛がちらりとイリヤスフィールを見た。

「そこにいるイリヤスフィールと共闘しようって話になったの。まあ、結局はご破談。私と衛宮くんは……敗走したってわけ」

凛は一瞬悔しそうな顔をしたが、すぐに真面目な顔に戻った。
詳しいことは語るつもりがないようだが、余程の失敗をしてしまったのか。
凛が敗走と言うからには、完膚なきまでにやられたのだろうか。

「そのときに、アーチャーの契約が切れたから、てっきりバーサーカーに、負けたのだと思ったのだけど」

凛の口調には自信がない。はっきりとした確信がないのだろうか。

「ランサーが言うにはバーサーカーも消えたって……」

従者たるサーヴァントが敗北し消滅すれば、もちろん契約は切れる。
バーサーカーほどの大英雄相手ならばアーチャーでもその可能性は十分にありうるだろう。
だが、そのバーサーカーはいない。
いるならば、イリヤスフィールがここにいる理由がない。

一体アーチャーとバーサーカーの間で何が起きたのか。

「イリヤスフィール。ここにいる中で、あのときの結果を知っているのは貴女だけ。できれば、話してくれないかしら」

凛が皆の気持ちを代弁し、私とシロウの視線もイリヤスフィールへと向けられた。

「いいわ。重要なことだし。アーチャーが勝ち残るためには、まずそのアーチャーに帰ってきてもらわないといけないし」

イリヤスフィールは幾分頬を膨らませて愚痴るように言葉を吐く。
アーチャーが、自分を置いていったのは面白くない、とでも言うように。
私が不在の間に、余程の信頼関係を結んだのか。イリヤスフィールはシロウよりもアーチャーに好意を向けているようにも見えた。

「そうね。結局私のバーサーカーと、凛のアーチャーは決着が付かなかったわ。アーチャーも傷をおったけど、致命傷には程遠かったし、バーサーカーもせいぜい三回しか死んでなかった」

簡単に言うが、あの、バーサーカーを殺すことは、並大抵のことではない。それこそ、戦いの場が崩壊するくらいには激しいものだろう。
その戦いでアーチャーがバーサーカーに負けたわけではない、という事実に凛の頬が幾分緩む。
もちろん、それは私にとっても嬉しい事実ではある。しかし――

「決着が付かなかったのに、貴女はバーサーカーを失った。それはつまり……」

「聡いわね。その通り。第三者の手によるってこと。最初にアーチャーがやられたわ。完全な不意打ち。大量の宝具で背後から滅多刺しにされて戦闘不能。バーサーカーは正面から戦うことが出来たけど、結果は一緒だったわ」

ある光景が脳裏に浮かぶ。それは幾度も体験したものであり、近いものではつい先程に対峙したものだ。
大量の宝具による、最早一掃とも言える圧倒的破壊。それを為し得る者とは。

「その第三者とはもしや」

「第八、いや、第九のサーヴァント。多分、キャスターを襲ったのもそいつなんじゃないかしら」

イリヤスフィールの目は確信に満ちている。
彼の戦いを一度でも見れば、柳洞寺の境内に刻まれた破壊の跡から推測するのは容易い。

「え、ええ。私はほとんど意識を縛られていましたが覚えています。彼、そのサーヴァントは湯水のように数多の宝具を使い、悪魔の如き破壊を撒き散らす。門を守っていたアサシンは破れ、私とアーチャーを動員して、やっと生き残れた。それでも、キャスターとそのマスターは傷を負い、戦える状態ではなかった」

「――あいつか」

「そう、なんでしょうね」

シロウ達も既に遭遇していたのか、僅かに顔を青くしながら二人で顔を見合わせていた。

「それで、セイバー。貴女はあいつの正体を知っているみたいだけど?」

「――はい。あのサーヴァントの真名は、ギルガメッシュ。人類最古の英雄王であり、この世のあらゆる財を手に入れたとされる、半神半人の超越者。世界に散らばる無数の宝具、そのほとんどが、彼の所有する財を原典としています」

「なんて、反則。それじゃあ、あいつは英霊が唯一無二とする宝具を使いたい放題選びたい放題ってわけ?」

「ええ。ただ、彼は所有者であっても、担い手ではありませんから、一つ一つの宝具に対する練度は高いものではありません。しかし、彼にも、彼だけを使い手とする宝具が存在します」

「その口調からすると、それがたいしたことないってことは、ないわよね」

「単純に言えば、私の聖剣では相殺すらできません」

「さっきの、あれ、で?」

「ええ」

二振りの聖剣による激突を思い出しているのか、凛も、そしてシロウの顔色もあまり良くはない。

そう――故に最強。数え切れぬ宝具を所有し、最強の聖剣を上回る剣を愛剣とする。
彼が真に本気になれば、敵う英霊など存在しないのだから。
しかし、私は自分の力で彼の正体を見抜くことは出来なかった。

「イリヤスフィールは、彼のことを知っていたのですか?」

「うん。アーチャーが言ってたから。やられてすぐに気がついたみたいだった」

その時の悲惨な姿を思い出しているのか、イリヤスフィールの表情はひどく曇っていた。
サーヴァントを失ったイリヤスフィールの表情は、あの時よりは和らいではいたが、それでも悲痛に満ちていることに変わりはない。
その言葉が確かならば、アーチャーは致命傷を負ったはずだ。

「よく、バーサーカーを失って助かったわね。イリヤスフィール」

「そう、ね。アーチャーが助けてくれたから。瀕死の状態で私を抱えて城から離脱したの。その離脱する時間をバーサーカーがつくってくれたんだけど――」

ギルガメッシュ相手では、いくらバーサーカーでも相手が悪い。
それも、あのような閉じた空間では、動きが制限される。ギルガメッシュの宝具を正面から受けては……

「それじゃあ、なんでアーチャーと契約が切れたのかしら。それに、アーチャーの格好が変わっているのも気になるし」

凛が眉を寄せながら考え込む。

「先にも言いましたがギルガメッシュは、王の財宝、その宝具の名が示すようにほぼ全ての宝具、それの原典を所有しています。イリヤスフィールが言ったように、アーチャーが多数の宝具で傷つけられたのならば、それによって契約が切れてもおかしくはないのかもしれません」

「だけど、契約が切れるだけなら、あんなに変わりはしないだろうし、力も全然衰えてない、というかむしろ力強かった気がするんだけど」

確かにそうだ。
いくら私の意識が自分の意のままにならぬとはいえ、アーチャーと剣を合わせたときの私は今と比べてもなんら遜色ない。
以前、アーチャーと揉めたが、単純な剣技で言えば、私のほうが勝っている。
だが、アーチャーはそれと真っ向から渡り合った。
そして、その太刀筋は以前とは違って私と――
あれではまるで、聖剣と同じように、私を反対にしたような……。

「私に、近づいている?」

それは呟くように発した声だったが、凛の、そしてイリヤスフィールの耳に入ってしまったらしい。

「え?」

「セイバー、よく聞こえなかった。今なんていったの?」

「いえ、ただ……」

「ただ?」

「私に近づいている、と」

「近づいている……。真っ黒に変わる前も随分と似てたけど、確かにどっちが似ているかって訊かれれば」

「今の方が、セイバーに似ている、と?」

今まで黙っていたシロウが言葉を漏らす。
その言葉には、あまり自信が感じられなかった。凛にしても同じようで、どこか歯切れが悪い。
それを取り払うように、イリヤスフィールの声が結論を告げた。

「つまり、セイバーだけがそう感じているってわけね」

「そういうことに、なるようですね」

曖昧に頷く。だが、それはある種の確信だった。
性質は似て異なるものだが、確実にアーチャーは私に近づいている、と。
一度口にしてしまえば、それがまるで真実とでも言うように、私の心はそれを受け入れていた。
確かな証拠などないというのに。

無言になってしまったこの場で、凛の口が躊躇いがちに開かれた。

「あいつは、今の姿が本来の自分のものではないって言っていた……」

その言葉に、私を含めた三人は声に出さず驚く。
アーチャーは正体を不明とするサーヴァントだが、姿形まで本来のものと違うとは思ってなかった。
凛に向けられた三者の視線は、無言で続きを促す。

「私、一度アーチャーにも言ったんだけど」

少し、言葉を選ぶように話す凛は、普段と比べてどこか口調が弱い。

「今回の聖杯戦争。さっきのギルガメッシュって奴を抜きにしても、サーヴァントの数が一つ多いじゃない」

ギルガメッシュの現界については、不振なことなどない。
説明するのも難しいことではないのだ。
前回から残っているサーヴァント。聖杯の中身を浴び、十年間もの間、二度目の生を謳歌していた存在。
確かに、あの時の遭遇は驚愕をもたらしたが、理由さえ判ればたいした事ではない。
やっかいさ、という点では何も変わらないが。

あの時の綱渡りめいた勝利を思い出す。
もう一度あれをやれと言われて、成功させることができるだろうか。あの英雄王相手に。

「それで、自分のサーヴァントだし、キャスターの側にいるあいつが最初はそうだと思ったんだけど」

続けられる凛の言葉に、思考を中断する。
キャスターの側にいるアーチャー。紅き衣を纏う騎士。

「本当にイレギュラーなサーヴァントだったのは、私のアーチャーだったんじゃないのかって」

そう。私が知る聖杯戦争で、登場しなかった人物こそ。目の前の凛を主とする、黒き騎士。アーチャーに他ならない。

「あいつは否定しなかったわ。多分そうなんだろうって」

「彼女は、自分がそうだと、理解していた?」

「ええ。本来ならば、キャスターについているアーチャー。あいつが君のサーヴァントだったのかもしれないって。あいつは言ったわ。『君は知らんだろうが、あいつと君には中々に複雑な事情があってね。いや、詳細は聞かないでくれ。詳しいことまでは知らないんだ』って」

確かに、私の知る凛のサーヴァントは、彼女ではなく、彼、だった。
状況は違うが、殿を勤め、バーサーカーと一騎打ちしたのも彼だ。
彼の戦闘を間近で見るのは今回が初めて、と言っても過言ではない。
前回は速攻により切り伏せたが、あの時の彼はあまりに脆すぎた。
その後シロウから、その脆さは何かしら原因があったからで、本来はもっと出来るのではないかと聞いていたが。
境内での戦いは、双剣を繰り、驚くほどの見事さで英雄王の宝具を凌いでいた。
身体能力は言うに及ばず、剣の腕も、私に勝っているとは言えるものではなかったと言うのに。
そして、話に聞いていた“矢”を彼は使おうとしなかった。
白兵戦を好み、ほとんどクラスを象徴する飛び道具を使わない。それは――
憶測かもしれないが、二人のアーチャーが似ていることに他ならないのではないか。
そして二人は同じ“矢”を使用した。

彼がどのような経緯でもって凛に召喚されたのかは私の知るところではないが、何かしら縁があったのは確かだろう。
だが、凛に呼び出されたのは彼ではない。
しかし、今代のアーチャーは二人。

しかし、イレギュラーという観点で考えるならば、自身もそれに当てはまる。

二度目、いや、三度目の聖杯戦争。
第四回と第五回に続けて参加する。その程度なら、まだ説明は付く。
しかし、五回目を二度、ともなると、これはもう、釈明の余地がないほどにおかしい。

ギルガメッシュを倒し、シロウと別れた。
そして、自身の時代に戻り、アーサー王としての最後を迎えたはずだ。

だが、覚えているのはそこまで。
何故、自分がここにいるのか。聖杯を欲するはずがないのだから、参加する理由がない。
そもそも、自分は英霊なのか。
霊体化が可能な時点で、すでに、時が止まっているわけではないことは解る。
死というひとつの終焉を迎えたことを。
それは確かだ。
だが、英霊に存在するはずの知識はまったくない。
それが、英霊として存在するわけではないからなのか、ただ、記憶が失われているのかもわからない。
識る手段がない。

そして、何故、私は還したはずの聖剣を所持しているのか……。
何故、彼女は聖剣を所持しているのか……。

彼女も、今の私のように自分の存在がイレギュラーだと理解していた。
その自身を理解していたはずのアーチャーは、何故、逃げ出したのか。

「何故、アーチャーは逃げ出したのでしょうか」

逃げ出す前のやり取りを、直接聞くことはできなかった。
ただ、何かを、宣告されたからであることはわかる。

「そうね。結局の所、あの娘は強くなんかないのよ……」

「アーチャーが強くないって遠坂。それはいくらなんでも――」

「ああ、ごめんごめん。戦闘力ってところで考えればアーチャーは規格外よ。もともとたいした力を持たないはずのアーチャーのクラスのクセに、単純な戦闘力で最優と呼ばれるセイバーに匹敵してるもの」

そして、私の聖剣ですらアドバンテージにならない。
単純な魔力の貯蔵量に関しては、現在私のほうが劣っている以上、宝具の打ち合いになればむしろアーチャー方に天秤は傾く。
だが、凛は自分の従者であるアーチャーを強くないと言う。

「あの娘の弱さは、心よ」

「こ、ころ?」

軽い驚きをシロウと同様に覚える。
アーチャーの心が弱いとは、どうしても理解できなかった。

「そう。あの娘の心はとても簡単に傷つくくらい弱い。それこそガラスみたいにね」

「そうなのか? 俺にはわからなかったけど。まあ、言われてみれば少し不安定だったような気もするけど」

「まあ、衛宮くんに対して何かしら思うところもあったみたいだし。気になってはいたみたいね」

「言われてみれば、確かにシロウに対してどこか手厳しい所がありました」

そう、私が言えるのはせいぜいその程度だ。
だが、凛には確信めいたものがある、らしい。

「そうね。とりあえず、そこはまた今度にしましょう。やっかいなのは。か弱いくせに、馬鹿みたいに我慢強いってこと」

他者との関わりで、何を知ることができるのか。
今まで見えていたものが偽りでないとは、決して言えない。
所詮私はセイバーであり、アーチャーではない。
アーチャーの心。もちろん、それを知ることができないとは言えない。
だが、私には凛のように。アーチャーの心を、弱いと言い切ってしまった彼女のようにはなれない。
凛の断定が、かつてのシロウと私のように、相手の内を覗いてしまった結果だとしても。

私は不意に沸きあがってくる、凛に対する嫉妬を抑えることに意識を裂いた。

「だけど、どんなに頑張って外側だけ硬くしても、中身が変わってないんじゃ、いつか限界が来る。さっきのがそれってことはないと思うけど……多分、あの娘、ひどく無防備になってるみたいだから」

「二人は聞こえなかったかもしれないけど、あの娘、多分、自分を見失ってる」

「見失っている、というのは?」

「何が原因かは知らないけど、自分が誰だかわからないのよ。きっと」

言葉を失う。
何故だか、言葉を発する気にはなれなかった。

まるで、皆が呼吸を忘れてしまったかのように、息遣いは聞こえない。
だけど、きっとそれはただの気のせい。
時計の音ははっきりと聞こえるし、凛の作業する音も同様だ。
では、何故、他人の息遣いが聞こえないのか。
それは、自分の吐く息と、鼓動の音が、耳から消えないから……。

「よし、出来た」

今まで、何かの作業を止めることなくしていた凛の手が止まり、微笑が浮かんだ。
それと同時に自身の感じていた閉塞感も失われる。

「それは、なんですか?」

「もちろん、アーチャーを家出娘を探すためのものよ。私じゃどう頑張ってもあの娘には追いつけないから、私ができることをするってこと。幸い、今はセイバーがいるしね」

凛の言葉は抽象的で、どこかはぐらかすように聞こえた。
だが、彼女の言葉には追求を遮る意思が感じられる。

「本当は、まだ、セイバーには訊きたいことがあるんだけど、それはアーチャーが戻ってからにするわ」

凛の目には私がギルガメッシュについて、おそらく知りすぎていることについての、不審のような色が混じっていた。
だが、言葉の通り、今は訊くつもりがないらしい。

「セイバーと衛宮くんが捜索。私とイリヤスフィールはここに残って」

そのまま、凛は連絡の手段などを説明する。
終わるまでは何も口を挟めぬ勢いに、私は完全に気圧されていた。

「それでは、ここが襲われた場合――」

言峰の生死は定かではないとはいえ、この聖杯戦争のカラクリを知るものがイリヤスフィールを狙うことは間違いない。
ギルガメッシュの狙いも、イリヤスフィールだったのかもしれない。

「その時こそ、アーチャーが来てくれると信じてるわ。ラインの繋がりがない? そんなのは理由にならない。ま、来てくれると言っても、奥の手まで使い果たしたその後になるとは思うけど、ね」

ラインの繋がりを失って――。

「わかりました。行きましょう。シロウ」

立ち上がり、シロウを促す。
心配がないわけでは決してない。
だが、凛の言葉は聞き流せるものではなかった。
たとえ、ラインの繋がりがなくても。きっと――
隣のシロウと、今思い描いたシロウは同じではない。
それに、少し、申し訳ない気持ちを抱きながら、二人で屋敷の外に出た。


空は、すでに日が天頂に昇ろうかというころだったが、生憎と雲に遮られてそれを見ることは出来ない。
それが、アーチャーを探すこれからを暗示しているようで、心は簡単に挫けそうになる。
屋敷の中で、考えていた事柄も、まるで益のない、ただ同じ所をくるくると回っていたような気になってくる。
それを振り払うように、隣を歩くシロウに声をかけた。

「そういえば、シロウは投影が出来る様になったのですね」

キャスターとの繋がりを破戒した契約破り、そしてアーチャーと打ち合った夫婦の双剣。
それを、脳裏に描きながら言葉をかける。
かつて、失った選定の剣を投影した彼と、シロウは別人だ。
戻った。戻ってしまった記憶が、愛していた、愛しているシロウを甦らせ、それがアーチャーがいないことと相まって、負の感情を際限なく高めていく。
そう、シロウは何も悪くないのに。
何かが壊れてしまったようで。
それでも、世界は。私を取り巻く世界は、ただそこに確として在った。
望む望まぬに関らず……。




interlude out




[1070] Re[40]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂◆4c372ed3 ID:066f75af
Date: 2007/09/09 21:44


 走る。何処へ向かって?
  
 走る。そんなことは知らない。

 走る。何故走る?

 走る。そんなことは明白だ。

 走る。私は、恐ろしいのだ。

 走りながら見上げた空は、何処までも無情に広がっていた。




 私は、心の奥底から染み出してくる恐怖に耐えられず、逃げ出した。
 そこに居る、大切な者達と言葉を交わすこともなく。
 全力で、逃げ出した。

 何故なら、怖いから。
 自分自身がわからないのが、怖いから。
 自分がわからないような自分が、触れ合っていいような人たちではないと、思ってしまったから。
 自分に、何の価値を見出せなかったから……。

 その考えはおかしい。
 彼女達が私に向けている感情は理解している。理解したうえで、逃げ出すということは彼女達を貶める行為であることもわかっている。
 それでも、今の私に他の選択肢は浮かばなかった。逃げる、ということ以外の。

 走る。石畳を、木の枝を、アスファルトを、家の屋根を蹴る。
 言葉通り風と化すように。全力で、走る。
 息は切れない。だが、心臓は壊れてしまったかのように、早鐘を打ち続ける。
そんなおかしな自分に、笑いたくなって、それが泣き笑いになりそうで堪えた。

 そうして、最初に、死のにおいがする場所へとたどり着いた。
 走るうち、身を包む鎧は解いてしまっていた。鎧に必要な魔力すら、駆ける力に用いた。
 あまりに凶悪な鎧は、人に見られれば不審の目を向けられることは間違いないだろう。
 だが、今の黒いドレス姿とて、この場に相応しいものとは思えなかった。
 そんなことを、心臓の音に隠れて考えている自分はほんとにちっぽけで。
 私はそんな姿でふらふらとその場所へと足を進める。
 教会の前へと。崩れ落ちそうな体を支えて、歩を進める。
 そこへ行きたいのに、行きたくない。
 矛盾する心を抱えて、それでも私の目は同じ場所へと向けられる。

 何もかも忘れているはずの私が感じているのは恐怖。
 そして、その忘れてしまったことへの焦燥。
 何か、とてつもなく大切なことを忘れてしまった気がしてならない。
 それを無くしたままで、私は大切な人たちと会えない。
 そう、思えてならない。
 何を忘れたのか。私は何を考えていたのか。
 何故この場所を目指すのか。
 衝動に駆られ、そこを目指す。
 そして、最初にたどり着いたのがここだった。

 いや、最初ではない。
 最初に思ったのは、円蔵山の柳洞寺。だが、そこでは何も思い出せなかった。
 それが、ひどく、自分の心を傷つけた気がして。
 そこから逃げたのだ。
 だが、それもすぐに終わった。
 下界へと続く階段。その場所に静かに下りた。
 その階段が、何処か切ないものを感じさせるようでたまらなかった。
 だから、それがわからない自分が許せず、私はここまで走ったのだ。だが――。

 何も思い出せない。
 この場所に何が在るのか。あったのか。
 自分との接点がほとんどない。ここに来たことも自分の記憶に関係があることではない、はずだ。
 だが、自分の中の何かが告げている。
 ここも、自分の中でかけがえのないものの一つだと。
 一点を見つめ続け、私は片膝をついた。
 そして、手を伸ばし地面をなぞる。
 硬い。ただそれだけ。

 それだけを確認すると、私は、この町で柳洞寺とは間逆にあるようにある教会の中へと足を進めた。
 ふと見上げた空は、一面灰色の雲に覆われていた。
 つい先日入った時とまったく変わらない。ただ、扉を閉めるまでひどく風が冷たかった。
 教会の主はなく、誰も居なくなってしまったただの祭壇。
 神はなく、そして悪魔もいない。
 数多の供物は長い年月を経て役目を終え、断罪されるものもない。
 ただ、この教会の奥から僅かに、怨嗟の匂いがした。

 何故、私は不快に思ったのだったか。

 教会の奥へと足を進めながら自問する。
 前に来た時と何も変わらない。
 変わったのは自分。ここに来たことも、何をしたのかも覚えている。
 だが、自分の心はわからない。
 そう、不快に思ったのだ。私は。ひどく気分が悪くなって。
 あの時、ここに戻ってきた。

 かつんかつんと、自分の鳴らす硬質な足音が響く。自分以外いない教会で、その音はよく響いた。
 それは心臓の音といっしょに、私の耳へと続く。
 響く音は足音の方がはるかに大きいはずなのに、心臓の音のほうが大きく聞こえた。
 その破裂しそうな心臓に手を添えながら、祭壇の前で足を止める。
 祈るでもなく視線を上げ、そして下げた。
 この礼拝堂で、目に付く異物は床に残った血痕だろう。なのに。
 私には、この礼拝堂が、教会の壁や床がデタラメに破壊された姿に見えたのだ。

 目を閉じ、僅かに頭を振る。
 そんな光景はないし、幻覚でも、ましてや魔術によるものでもないはずだ。
 では、今の光景は何なのか。
 少なくとも、この教会で戦いがあったことは間違いない。
 だが、ここではない。そう、血の跡からすれば、戦いはもっと奥。
 私が悪寒を感じた場所に他ならない。
 それに、一瞬見えた破壊の跡は、戦いなどではなく、ただここを通っただけ、というような気がした。
 それが凄まじい力だっただけのこと、だと。

 そんな考えをいだいたことに、先より大きく頭を振る。
 そんなわけがない。まさか、バーサーカーがここを攻めたわけでもないだろう。

 なのに、礼拝堂から先、地下聖堂への道が、無残に破壊されているように見える。
 見えるだけで、実際には正しく教会は存在している。
 壁や床に穴は開いていないし、柱も倒れてはいない。
 
「バーサーカー、ではないな」
 
 小さく呟く。
 呟くことに意味はあったのか。そんなことを自問しながら歩き続ける。
 すでに、この目に映る二重の光景を否定する気はなくなってきていた。
 それがなんであれ、自分の記憶を探すものに他ならないと、私の何かが告げている気がした。

「バーサーカーにしては、少々破壊が小さい」

 単純なことを言葉にする。
 破壊した主も申し分ない力を持っているが、バーサーカーではこのような破壊にはならない。
 彼がこの教会に突撃すれば、瞬く間に倒壊するだろう。
 壁に残った穴や、床を砕いたそれから考えるとバーサーカーよりはるかに小さな姿が浮かぶ。
 それこそ私とたいして変わらぬほどの。たとえば、セイバーのような。

 そして、地下への階段の前にたどり着いた。
 比較的、見える破壊は少ない。
 それはここが階段だからか。それも螺旋状の。
 なるほど。確かにここならこれまでの道のように障害をぶち抜く必要はない。最短で移動するなら落ちればいい。

 どうやら、この破壊を為した者は、余程急いでいたらしい。
 まだ、輪郭しか想像できなかったが、階段を転がり落ちる姿を思い描いた。

「クっ――」

 思わず笑みを浮かべる。
 自分の記憶がなくて、まるで少女のように泣きそうだった自分の心が軽くなっていた。
 そう、この光景の中に登場するはずの人物を想像するだけで、私の心は軽くなっていたのだ。

 まあ、ただ軽くなったような気がするだけだが。
 自分については何も解決してないし、皆の所に戻るつもりもない。
 サーヴァントとして考えるならば完全に不忠、失格だ。もっとも、それはすでに逃げ出したところから、か。
 多少冷静になってきた頭で思案する。
 やはり、帰れない。
 今の自分の冷静さも、それこそ気まぐれに戻ってきただけかもしれない。
 自分がわからぬことによる恐怖は、今も自分の胸に巣食っている。
 でも、ただ逃げ出すよりは余程良い。
 闇雲に何かを探すよりはずっと良い。
 階段の壁に触れる。ひんやりとした感触が、指先から流れ込んでくる。
 その冷たさで、恐怖を凍らせるように、今度は意識して笑みを作る。
 階段を降りる音は、心臓の音など気にならぬほど響いていた。

 かすかな死の匂いがする。
 それが、その光景の中でのことなのか、この地下聖堂が本来から持っているものなのかはわからない。
 ただ、それは確かに残っていて、痕跡の見えぬこの聖堂の奥から漏れている。
 死体の安置所。
 そんなフレーズが頭に浮かぶ。
 さりとて、奥の部屋に死体などない。残っていない。
 さて、生きた死体に囲まれて倒れていたのは誰だったか。
 僅かに感じた胸の痛みと共に、一瞬だけ何かが見えた。
 胸を押さえる。
 誰かが怪我をしたのか。
 
「痛い」

 何かが聞こえた気がして、周りを見渡す。だが、誰もいないのはあきらかだ。

「何処?」

 それでも聞こえてくるのであれば、それは現実とは剥離したものなのか。

「戻して」

 悲鳴にも苦痛にも懇願にも聞こえる声は、先の光景と同じ類のものなのか。

「痛いイタイイタイ」

「返してカエシテカエシテ」

「ねえネエネエ」

 この頭に響く声も、自分の記憶と何か関係があるのか。
 胸が痛い。吐き気を催すほどの痛みだ。それが響く声と共に自分を締め付ける。
 だが、言い換えれば吐く程度の痛みでしかない。
 はたして、本当にこんなものだったのか。

 自分の胸を見下ろす。
 なだらかに丘を為すそれに、何の傷もない。
 痛みを感じたのは誰だ。
 
「つっ――!?」

 唐突に視界が遮られる。
 見えるのは一面赤い世界。たくさんの火と、それ以上に消えていく数多くの命。
 炎で焼かれるのであれば、後に残るのは黒い何かだけ。
 なら、この光景を見ているものが、同じような結末を迎えないのはおかしい。
 等しく、黒焦げの何かになるだろう。
 こんな地獄で、何を得たのか。
 死んでしまうはずの地獄で命をもし拾ったとしても、その責め苦を受けた心は無事なのだろうか。
 声は際限なく増え、胸の痛みもまた同じようにひどくなる。
 地獄の中で膝をつく。
 立っていられないほどに痛くなった胸は、まるで穴が開いたようで。
 自分が倒れているような気になってくる。
 胸の穴から流れ出すのは、血だけじゃない。だけどここで――
  
 この痛みは、地獄によるものじゃない。
 見える光景は紅蓮に包まれた地獄でも、身を苛むのは胸を突き破りそうな痛みだけだ。 
 それと同様に、悔しさと、怒りが穴の開いた胸に溢れる。
 だが、穴は開いてない。
 矛盾した中で誰かが、歯を食いしばって答えを。
 だから、その言葉は。誰かの真実に。

 聞こえていた声が、胸の痛みが消えていく――

「う、あ?」

 そして、それが落ちた時に立てた音で、私は目を覚ました。

「なみ、だ?」

 知らず泣いていたのか。両方の目から熱いものが頬を伝っている。
 それが、雫となって落ちたのか。

「な、ぜ?」

 何故泣いていたのかが、わからない。
 ここで何があったのか、何が関係しているのか、わからない。
 胸の痛みが、紅い景色が何なのか、何もわからない。

 だけど、ここで何か特別なことがあったことは分かった。
 自分のことはわからない。だけど、自分がここにいることは、ここでの出来事なくしてはありえないと。そんな気がした。

 部屋に背を向ける。
 まるで、手招きするように影が私の先に佇んでいる。
 私の記憶を探すなら、その影についていけば良い。 
 それがここでの光景を作り出したものなのか。判るはずもないのに、何故かそう思った。

 教会の扉を抜け見上げた空は、やはり灰色に覆われている。
 ただ、こうやって空を見上げたのは誰だったのか。
 
 視線を下げると影が、墓地の方に立っている。
 待っていたのか、私が見ていることを確認するように顔のない目で見上げてから走り始めた。
 私の足は、影の後を追った。

 影は決して速くはない。ただ追いかけるだけなら容易いことである。
 だが、それはサーヴァントと比べた場合の話であって、人間の範疇から考えれば規格外といってもおかしくない程度には速かった。
 まるで、人の目を避けるように進む影であっても、人とまったく会わないということはありえない。
 ただ、影は私にしか見えていないのか、たとえ、横を通り過ぎてもその異形に気がつくような人間はいなかった。
 影が他人には見えないのだから、人目を避けるように移動しているのは、私のためなのかと勘ぐってしまうが。
 先にも言うようにまったく会わないというのは無理だった。
 だから、その後を付いて行くときに、私自身の姿を、とらえられないようにすることの方が難しかった。
 教会から離れていくほどに、その回数は増していく。
 まるで教会は生あるものとはかけ離れたものであるとでも言うかのように。
 幸いなことに、自分を探しているかもしれないマスターや、セイバーたちの姿はなかった。
 そして、それは他のサーヴァントたちも同様で。
 俺がわかる範囲では、まったく感知には引っかからなかった。
 
 影が降り立った場所は、新都と深山町を繋ぐ橋を越えた場所だった。

「公、園?」

 その場所に降り立った時に、影はまるでそれが夢か幻であったかのようにあっけなく消えた。
 空が晴れているわけではない。だが、時刻にすれば日は天頂にさえ辿り着いてはいないはず。
 なのに、この公園には人気というものがまるでなかった。
 そのかわりとでも言うように人気のない公園の中で、やけに飾られた街灯や噴水やらが存在感を放っている。

「ん?」

 なんとなく、両手を胸の前まで掲げた。
 冷たい。
 基本的にサーヴァントも人間の姿をとっている以上は、ある程度その法則に順ずる。
 寒い外気に長時間晒されれば熱を失ってもなんらおかしくはない。
 それが、戦闘に影響を及ぼすかは別だが。
 だから、私の手は冷たいはずはない。
 私は、夜の寒さに立ち尽くしていたわけでも、佇んだわけでもなかったのだから。

「くっ、また、か」

 教会の地下聖堂の時と同じように、体に痛みが走る。
 
「よほど、私の記憶には、痛みというものが付きまとうらしいな」

 問題は、この体が感じる痛みが、一つではないような気がするということだった。
 
「ぐっ」

 全身が焼けるように痛み、それと同時に体が二つに分かたれてしまったかのように痛む。
 むろん、現実に体には何の異常もなく、怪我一つない。
 だが、まるで魂が記憶していたかのような痛みは、たやすく私の体の機能を奪った。

「あ、あ」

 目が光を失い、視界が闇に堕ちていく。
 自分の感覚がつかめなくなり、立っているのかどうかさえわからなくなる。

「く、はは。私という奴は、どこかおかしいのか? こんな、のを経験して、何で生きている?」

 こうして喋る声も、自分のものなのに聞きづらくなっていた。
 胸の痛みも、ひどいものであった。
 あれも、死にはひどく近い。
 だが、今回のは別格だ。死に近いんじゃない。死んでなきゃおかしい。

「まさか、ゾンビでもあるまいし、記憶を、取り戻す、というのも――楽じゃない」

 ああ、そうだ。全身を焼かれていることより、ともすればずり落ちそうな上半身の方がいただけない。
 でもまあ、立ったのだろう。
 光のない目でそう信じる。
 でも、見えないってことは、立ったのは私ではなく
 焼かれたことは、ひどいことだけど。致命傷じゃない。
 見えないし、大地の感触も感じられないけど、時間が立てばすぐに元通りになれる。
 立ったのだろう。
 傷ついた誰かは立ったのだろう。
 己を焼かれたのだとしても、二つに断たれかけたのだとしても。
 ただ、誰かは何で立ったのか。
 何故立ったのか――

「はっ――!?」

 初めから倒れてなどいなかったのか。私は最初降り立った場所から変わらず動いていない。
 ただ、光の戻った目が最初に映したのは、光を失う前と寸分変わらぬ景色。
 
 その視線をゆっくりと地面に落とす。何もない。戦いの残滓もなく、この場所は平和に保たれている。
 だから、その地面に手を付いて、己の感じた痛みをかみ締めた。
 そう、誰のものでもない、あの痛みは自分のもののはずだ。
 また空を仰ぐ。空は変わっていない。
 だけど、空がいつも今みたいなわけじゃない。
 それこそ数え切れないくらい、空は表情を持っている。
 じゃあ、それを知る私は、数え切れないほど空を仰いだのだろうか。
 何を思って?

 いつの間にか、視界の端に、手招きする黒い影が見えた。




 interlude




「そういえば、シロウは投影が出来る様になったのですね」

 アーチャーの捜索で家を出て初めてセイバーが発した言葉が、それだった。

「ん、ああ。そういえば、セイバーには話してなかったっけ」

「ええ。まあ、シロウが投影を使えることには気づいていましたが」

 後ろめたそうな顔をするセイバーは、どこか申し訳なさそうにしている。

「あー、もしかして土蔵か?」

 投影に拘らず、魔術のことは土蔵に多くその跡が残っている。
 セイバーが俺の知らない間にそこを覗いても、まあ仕方ないのかもしれない。
 何しろ、あそこで寝てしまい夜を過ごしてしまうような人間なのだから。俺は。
 
「そ、そうですね。あそこで妙なものを見たものですから」

「あれは、強化の気晴らしにやってたようなもんだから。それに、中身のない出来損ないしか出来なかったし」

 なんとなく、セイバーが慌てていたような気がしたが、とりあえずは指摘せずに続ける。

「そういった意味では、きちんと使えるようになったってのは割と最近ってことになるのか」

 もっとも、投影に成功したものにも随分と差がある。
 ランサーとの戦いで、最初に成功したものに、それ以降の物はとどいていない。
 二つとも土蔵に残っているから、比べるのも容易だ。
 もっとも、比べるなんておこがましいほどに差があるが。

「しかし、どういった経緯で投影に成功したのです?」   

「あ~、いろいろあって、かな」

 俺の口調から察したのか、セイバーの眉に力が入る。

「つまり、話せば私が怒るようなことをしでかしたわけですね」

「そう、なるのかな。だから訊かないでくれると助かる」

「まあいいでしょう。いろいろ言いたいこともありますが、無事なら不問とします」

「しかし、アーチャーの双剣に、キャスターの呪剣、ですか。他には投影しようとした剣はないのですか?」

「え? ない、けど。どうしてだ? セイバー」

「あ、いえ、特には」

 顔をセイバーは紅くして俯く。
 変な質問じゃないのだから、そこまであわてる必要はないと思うのだが。
 セイバーの気分を紛らわすつもりで話題を変える。
 それにもともと、目的はこっちなのだから必要なことでもある。

「それより、アーチャーはこのまま歩いて探すのか?」

「ええ、そうですね。歩きましょう。なるべく、シロウとは離れたくない」

「そうか、って、ええ!?」

「ふ、深い意味はありません。バスなどで移動した場合、いろいろと不都合がありますから」

「それは、そうだろうけど。セイバー」

「なんでしょう、シロウ」

「なんか、さっきからおかしくないか?」

「っつ――」

 結局我慢できなくなってしまって指摘した。
 セイバーが息を呑む。いつも揺ぎ無い瞳が、どこか揺れている。

「すみません。私シロウが思っているほどに、強くないのです」

「強くないって、セイバーが?」

「もちろん、剣をとっての戦で負けるつもりはありませんが――」

 なるほど、そういった面での強さではないということか。 
 
「なんだ、アーチャーにそんな所も似てるんだ」

「そう、かもしれません。ですが、私は――いえ、なんでもない」

「とにかく、私達ができるのはこうして歩き回って、探すしかないでしょう。凛の方がうまくいけば、何か連絡をくれるでしょうし」

「そうだな。何をしてたのかはわかんないけど。遠坂の実力は本物だ。ところで、もし遠坂が見つけたとして、どうやって連絡をくれるんだ?」

 最後の言葉はセイバーにではなく、自分に問いかけたものだ。
 簡単に相手との通話が可能な文明の利器を、俺は持ってない。
 だとすると、連絡は魔術的な手段ってことに。
 
「まったく」

「どうしたのです? シロウ」

「いや、まだ見つけてもいないのに、見つけたときの算段をしてた。まったく、呆れるくらい未熟だよ、俺は」

 何しろ、今回の捜索は、襲ってくるとわかっていたライダーや、一所に留まっていたセイバーとは違う。
 本当に何処にいるかわからないという点で、やっかいさは尋常ではな――

「いっ――!?」

 一瞬頭に入った痛みの亀裂に眉を寄せる。

「どうしました!? シロウ!」

「いや、大丈夫。ちょっと、頭が」

 俺が言葉を発すると同時に、セイバーの気配に緊張が入る。
 大丈夫といった手前、平気な顔をしなければならないのだが、頭痛はどんどんひどくなっていた。

「シロウ。サーヴァントが来ます。注意を」

 どうやら、やってくるサーヴァントは俺達の探している方ではないらしい。
 それは、セイバーの何かを邪魔された時のような悔しげな表情からすると明らかだった。
 セイバーの視線の先から、赤い姿が降り立つ。

「つ、てめえか」
 
 心底嫌な奴に会ったと、顔を歪める。
 頭痛は一瞬だったらしく、顔を顰める必要はないのだが、こいつの前なら仕方ない。
 だが、それは奴も同様らしく、同じように苦りきった顔をしていた。ただ。

「その傷で何のようですか? まさか戦いに来たなどと冗談を言いに来た訳ではないでしょう」

 あまりに、傷ついたその姿は、その表情の原因が、痛みからによるものなのか、感情からくるものなのかをわからなくしていた。
 
「まさか。戦うつもりなどない。やっとのことで、ランサーから解放されたのだからな」

「ランサーを倒したのですか?」

「いや、彼は私以上に生き汚くてね。私以上にピンピンしている。まあ、今頃はどこかを駆けているのだろうよ」

 苦い顔をさらに苦くしたような、もうこれ以上ほどの渋面でぼやいている。
 だが、俺達の、特に俺の視線から自分が招かれざるものだと言うことは理解しているらしい。
 俺の視線に対して皮肉な笑みを浮かべると、アーチャーは口を開いた。 

「無論。会いたくて貴様に会いに来たのではない」

「じゃあ、何のようなんだよ」

「こちらとしても、これは予期せぬことだったのだ。私が会いたいのは貴様ではない」

「じゃ、誰にって。まさか」

 アーチャーを追っていたのか、と言う言葉を飲み込んだ。
 目の前の男の言葉で、あの時アーチャーはおかしくなった。

「なるほど、強い残滓の方を追ってきたが、その結果が貴様。ということは、そうか」

「何を一人で納得してやがる」

「ふん。お前にいってやる義理はないが。そうして激昂すればするほど、ことはうまく働くかもしれんな」

 説明する気がないのか、意味のわからぬことをアーチャーは口走るだけだ。

「どちらかといえば、あいつは――瓦解するのも容易いだろう。もっとも、あれはあれで何かの希望もある気がするが――」

「これは言っても無駄かも知れんが、そう、悲観することもあるまい。貴様が探さずとも戻ってくるだろうよ」

「なんで、そんなことがわかる?」

「言ってもわからぬ輩に、話してやる意味はないな」

「私が貴方をここで討つ、とは考えなかったのですか?」

「ふむ。それは君達と会った際に考えないでもなかったが。そもそも、その気がない者相手に必要あるまい」

 確かに、セイバーはサーヴァントと相対しているというのに武装すらしていない。いくら一瞬でできることとはいえ、戦うつもりなら武装をしない理由はない。

「なるほど。見破られていましたか」

「まあいい。そこの小僧も、おそらくは重要になってくる。探すなとは言わんが、今日が終わる前には必ず戻れ。それが一番の近道だろうよ」

 そう言ってアーチャーはこちらを向いたまま後方に飛び上がる。
 あまりに一方的な宣言は、何処までも不快に思えたが、その反面。
 奴も、アーチャーの記憶が戻って欲しいのではと、僅かだけだが思ってしまった。




 interlude out




 前を走る影は、今朝通った道を逆に疾走する。
 舗装された道を逸れ、再びアインツベルンの森へと私は足を踏み入れた。
 影の姿は深い森に遮られ、私の視力をもってしなければ見失っていたかもしれない。
 もともと太陽に光が射してない上に、森の木々が空さえも遮ってしまっているのだから。
 順番からすれば、妙なことこの上ない。
 柳洞寺、教会。橋。そして、郊外の森。
 魔力自体は、まだ余裕があるとはいえうかうかしていられるものではない。
 消えるはずだった自分が消えなかった、という以上はともかくとして。
 いくら不調がなくても依代なしに現界できるのはさすがに丸二日が限度だろう。
 それが私のクラススキルの限界だった。まあ、多少は無理できる、かも知れないが。
 その時になってみなければわからない。
 それまでに見つけられなければ……。

 私は自分が消えることを望むのだろうか。

 代わり映えのない森を疾走しながら、気持ちが沈んでいくのを止められずにいる。
馬鹿みたいに、気持ちが浮き沈みするのも、記憶がないせいなのか。
 それとも、私自身が元々持っていた性質なのか。
 はたして――

「ん?」

 アインツベルンの城まで行くのかと考えていたが、どうやら違ったらしい。
 リズとセラにイリヤを置いてきたことを咎められることを覚悟していただけに、少し気が楽になった。
 イリヤに謝り倒すことは間違いないが。

「く、は、はは――」

 さっきまで消える消えないを悩んでいたくせに、すでに戻る算段とは。
 思わず顔を手で覆って空を見上げた。
 森なんかなくても、手の平で空は見えない。
 自分があげる笑い声も、どこか乾いていて、遠くまで響くことなく消え去っている。

「ああ、すまない。またせたな」

 廃墟の前に立っていた影は、まだ消えずにどこか呆れたように方を竦めた。
 そのまま親指で廃墟の入口を示すと、霞のように消える。

「まったく、この影について行こうなんて考えた私も、どうかしてる」

 悪態をつきながら、廃墟の入口へと足を進める。
 もう、ここに来るのは三度目だろうか。場所柄を考えると、中々の頻度だ。
 逃げた場所。

「なんで、これが三度目なんだ?」

 そんな疑問が頭に過ぎる。
 単純だ、見つけたときと逃げ込んだとき。そして今。
 だから三度。
 しかし、何故私はアインツベルンの城に直接行かずに、ここに来たのだったか。
 疑問を封殺して廃墟へと近づく。

 廃墟。その言葉ほど相応しいものは無いといえる建物だ。
 それは緑に侵食された亡骸か。
 近づいて壁をなぞる。 
 そして、廃墟の中へ。
 一階は木々に侵食されすぎて、ほとんど機能を失っている。
 と、なれば二階なのだが。
 ここに居たのは一日も前ではない。
 それなのに、ここに来る理由とは。
 やはり、ここには夜具があるだけだ。
 階下に比べればまだましとはいえ、ここで何かあるとは思えない。
 確かにイリヤと夜を過ご――

「うっ、あ――?」

 唐突に体に異変を覚える。
 前の二回は、体の痛みだったが、これは――。

「何、甘、い?」

 何か熱いものを口にしたように。
 咄嗟に手を口元へと伸ばす。
 体が、熱い。
 ただ、それは身を焼くような熱さではなく、誰かと触れ合うようなそれ。

 ふらふらとベッドに腰掛ける。
 頭の中が白くなっていく。
 まるで夢の中に居るような心地になっていく。
 吐く息まで、どこか熱を持っているような気になってくる。
 視界が霞んで見えるのは、涙なのだろうか。
 そして、どこか耐え難い何かに押し流されるように私の意識は白く落ちていった。



「――ん、んん?」

 壊れた窓から空を見る。
 それが一瞬夜明けを映しているように見えて慌てた。

「うっ、わ」

 それで慌てすぎたためかベッドを滑るように落ち、結果として自分の尻を強かに打ちつけた。
 だが、そのおかげで目が覚めた。
 空は、変わらず灰色の空。夜明けなど来てはいない。
 一体どれくらい、眠っていたのかはわからなかったが、そう、たいした時間ではないかもしれない。
 そんなことを思いながらぼんやりと空を見上げる。
 今回のは特に意味がわからない。
 なんとなく、満ち足りたような気がするのは確かだが。
 雲がゆっくりと流れていたが、あまりに大きく、広く空が晴れる様子はない。
 ぼんやりとしているのは、さきの眠りの余韻なのだろうか。

「なるほど、こんな所にいれば小僧と間違うはずだ」

「なっ、アーチャー!?」

 予期せぬ来訪者に、心臓は壊れたように跳ね上がった。
 慌てて立ち上がり、奴の真正面に立つ。

「ふん、何故ここに、なんて質問はするなよ。お前とて本気で逃げていたわけではあるまい。そうでなければ、ここまで不規則に移動する必要もないからな」

「――なんのようだ」

「ふむ。思ったよりは……」

 アーチャーは私の問いに応えず、奴は思案するように眉を寄せる。
 そのことに抗議しようとした私の先をとるように。
 奴の視線が私を射抜いた。 

「衛宮士郎に会え。それがまあ、一番の近道だろう。もっとも、それはどちらにとっても災難になるだろうがな」

 そう言ったアーチャーはくつくつと、似つかわしくない笑みを浮かべる。
 そして、用はそれだけだと私に背を向ける。
 それで、初めてアーチャーが傷だらけだということに気がついた。

「邪魔をしたな」

「アーチャー、お前」

「ふん、勘違いするな。お前と違って、まだ切れたわけではない。まあ、セイバーの気持ちというものは少しわかったがな」

「ん? セイバー、の?」

「そうか、そうだったな。セイバーはそれほど不都合してなかった、か」

 溜め息をつくようなアーチャーの姿は、大きな体をどこか小さく見せた。

「お前が本当にそうなら、覚えているはずだ。思い出す必要さえない。そう、俺達は地獄に堕ちようと忘れないと、あの時思ったはずだからな」

 そう言い残すと、アーチャーは窓から木に飛び上がり、そのまま森の入口へと去っていった。

「思い出す、必要が、ない。 馬鹿な、私は――」

 いつの間にか、外に影が立っている。
 
「次は、どこだって言うんだ?」

 影は付いて来い、と走り出す。

「思い出す必要がないだと? ちぃっ」

 アーチャーの残した声が、頭から離れずにいる。
 僅かに見える空を仰いで、走り去った影を追おうとして、瓦礫に躓いた。

「あっ」

 手が、何かを探すように宙を彷徨い、敵わずして倒れそうになる。
 だが――

「えっ?」

 まるで誰かが彷徨っていた手を取ったかのように、私の体は宙で止まっていた。
 そして、何故だか顔が上気する。

「つっ――――――!?」

 それが本当にわけがわからなくて、瓦礫を蹴る足に力が入った。


 ライダーが死んだビルで空を見上げる。
 空を裂いたのは何故だったのか。



 何度も行った学校で空を見上げる。
 紅く染まったそらを、裂いて飛び込んだのは誰だったのか。



 瓦礫と化した道路に倒れて空を見上げる。
 消えていく意識の中、見たのは何だったのか。




「次は、ここ、なのか」

 太陽が沈み、深い闇が支配する夜に、消えかけている影が示したのは、衛宮邸。
 主たる凛の屋敷よりも長い間過ごした、武家屋敷だった。
 影は、塀をするすると昇り、敷地の中に入っていく。
 確か、このあたりは……。

「ふっ」

 一息で、塀に登り、音もなく降り立つ。
 どうやら、影が用があるのは土蔵らしい。

 霊体化できない身でさすがに屋敷の中に入るのは難しいと思ったが、土蔵なら何とかなる。
 もっとも、すでにセイバーには気づかれているだろうが。
 気づいているはずだが、動く気配がないようだが。
 まあいい。その方が、やりやすい。

 影は土蔵の前で待っている。
 さすがに扉を開けることはできないのか、何となく手持ち無沙汰にも見えた。
 扉を開く。静かな夜に、微かに扉が軋む音が響く。
 影は私が扉を開いている間に、するすると中へ入っていった。




 interlude




「どうやら、戻ってきたようですね」

 何気ない口調で言い出したのはセイバーだった。
 さっきまでもくもくと食べていた箸を止めて呟く。 

「ちょ、ほんと?」

 遠坂がテーブルを乗り出しながらセイバーに顔を近付ける。
 鼻先が触れ合いそうになるほど近づきながら、テーブルの上の食事にはまったく触れてないのがすごいといえばすごい。

「ええ。どうやら、土蔵の方にいるようですが」

「そう、帰ってきたのね。あいつ」

 そう行って立ち上がろうとした遠坂をセイバーが止めた。

「待ってください、もう少し待ってくれませんか?」

「もう少しって、なんでよ」

「それは――」

 言いにくいことなのか、セイバーの瞳が揺れ、表情が曇る。

「セイバー。それは、奴がアーチャーは戻ってくるって言ったからか?」

「奴って? 聞いてないわよ」

 もちろん、言ってないのだから遠坂が知っているはずがない。
 結局、一日探しても見つからなかったためか、遠坂の機嫌は決して良いものではない。
 まあ、そのおかげで連絡手段がなかったことも、問題ではなくなってしまったのだが。

「もう、およしなさい、リン」

 今まで黙っていたイリヤが、セイバーに言葉を放とうとした遠坂を止めた。

「イリヤスフィール!」

 結果、遠坂はセイバーに開きかけた口をイリヤに向けることになる。

「どうしてよ」

「リン、貴女がアーチャーのことを心配していることはわかってるわ。もうじき、アーチャーのクラスが持つクラススキルの恩恵も尽きるってことも」

「そうよ、そこまでわかっているなら」

「だからよ。消えるってことはアーチャーだって理解してるはず。それでも逃げ出したんだから。その覚悟もあったはずだわ。そして、戻ってきた。そう、戻ってきたのよ。貴女が、貴女たちがいるここに」

「そうね。まだ私達の所に顔を出してないことは気に食わないけど」

「だから、あと少しだけ待ってあげなさい。きっと、もうすぐ、アーチャーの探し物も見つかるのよ。きっと」

 イリヤはそう言うと、目を閉じて、ゆっくりと開いた。

「だけど、まってるだけじゃ、どうしようもないわ。そうね、五分。五分だけ待ってから、皆で行きましょう。それで良いわね、リン、シロウ、セイバー」

 遠坂が結局どっちなのよと呟くのが聞こえた。
 だが、それで納得したのか傍目にもしぶしぶと承諾する。

「わかったわよ。きっちり五分だからね」

「ああ、わかった」

「ありがとう、イリヤスフィール」

「私だって、もう眠いんだもの。そんなに待ってはいられないわ」

 にっこりと笑う姿が、敵だったことを忘れるくらい可愛かったことは、心の中に仕舞っておこう。




interlude out




「そう言えば、雲はなくなってたのか」

 暗いながらも、差し込んでくる光がどこか美しい。
 差し込む光を背に、土蔵の奥の壁まで歩く。
 指でなぞると、やはりというかひんやりとした。

「ふっ」

 そのまま体を180度回転させて、壁に背を預ける。
 そのままずるずると座り込むのに、数秒もかからなかった。
 
「ころされて、たまるものか?」

 何となく頭に生まれたフレーズを口にする。
 意味はわからないが、その言葉は今にも殺されそうなものが放つ言葉であることは間違いない。
 
「こんな場所で殺されかける、人間」

 そう、単純なことだ。
 英霊とはなんだ。それは必ずしも過去の人物なのか。
 ああ、セイバーやランサー、バーサーカーやギルガメッシュ。此度の戦いに呼び出されたほとんどの者はそうなのだろう。

「だが、私はアーサー王では、ない、はずだ」

 そう、私はセイバーではない。
 右手にエクスカリバーを握る。
 何故、これを持っているのか、何故これを使えるのかはわからない。
 こいつを持っていることに疑いはなかったし、真名を唱えることにも迷いはなかった。
 そう、セイバーとの宝具の打ち合い。それ以前にも使ったような気がする。
 それは、一日かけて出歩いた結果、ぼんやりと思うことのできた成果だ。
 
 私が見たもの、感じたものは、一人分ではなく二人。
 そう、混戦している。
 つまり、どちらかが本者で、どちらかが偽者。

「あれ?」

 ふと気がつく。扉は閉めていただろうか。
 いつの間にか差し込む空の灯がほとんどなくなっている。
 光の大部分が、開いた扉から差し込んでいたのだから、それが閉まってしまえばおのずと灯は少なくなる。

 その扉が、音を立てて開いた。

「あっ」

 その光景を、座り込んだまま私は見ている。
 ゆっくりと開く扉は、夜気に悲鳴染みた音を流す。
 少しづつ、月光が差し込み、扉を開くものの姿を照らし始める。

「セイ、バー?」

 しゃらん、という華麗な音。
 だが、そんな音がするような格好をセイバーがしているわけではない。
 白い服は確かに清楚だが、そこに華美なものは含まれてはいない。

 その姿に、無骨な鋼が重なる。
 目の前のセイバーの姿が、戦う装束を纏った姿と重なる。
 月が闇を冴え冴えと照らし、自分の鼓動の音すら聞こえぬ静けさに包まれる。

 そして、セイバーの唇がゆっくりと開かれ

 私の時間が、止まった―――


 



[1070] Re[41]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂◆4c372ed3 ID:bfe0e50c
Date: 2007/12/07 23:47

interlude

 五分だけ待ってから、というイリヤスフィールの提案が一番待ち遠しいと思っていたのは、どうやら私だったらしい。
 凛に頼み込んだにも関らず、私はきっかりかっちり時計の針が五分たったのと同時に立ち上がってしまった。
 その時に軽く、皆に笑われてしまったのはそのためなのだろう。
 もちろん、笑われて嬉しいわけはなく、恥ずかしさで表情を崩しそうになったがなんとか堪えた。
 笑われたことに憤っているわけではないが、とにかく皆が立ち上がるのも待たず、ひとりで歩き出す。
 皆から笑いが漏れたのも、どこか、アーチャーが戻ってきてくれたという事実に対して、安堵にも似た気持ちがあったためだろう。それが、いくらかの余裕に繋がる。笑われることはどうかとしても、そのことは嬉しかった。
 ただ、まだ解決したわけではないと、握り締めた手に力を込め、土蔵へと向かう。
 アーチャーは、土蔵に入ってから動いてはいなかった。

 本当は、気がついてからすぐにでも行きたかった。
 今日一日、アーチャーを探しても、結局何も収穫がなかったのだから。
 紅い姿を脳裏に浮かべる。記憶にあるよりも随分と悲惨な姿だったが。
 はたして、彼女とは異なるアーチャー。
 十年前、と言っていいのだろうか。あの黄金の王とも違うアーチャー。
 リンの、パートナーだった、だけどここでは違うサーヴァント。
 彼の言葉がなければ、今でもこの町を探し歩いていたかもしれない。
 それが、この屋敷に戻って待とうと思ったのは、彼がリンのサーヴァントと言う点で同じだったことに僅かな期待を感じてしまったからなのかもしれない。
 つまり、彼が、アーチャーを知っているということを。
 紅い装束。私が知らぬ間に姿が変わってしまってはいたが、その前の姿は確かに同じような赤い装束だった。
 そのことが、二人のアーチャーの関係を示しているような気がしてならない。
 そして、彼の言葉通りに、アーチャーは戻ってきた。
 もちろん、アーチャーも私の気配に気がついているはずだ。気がついてないわけがない。
 事実、敷地に侵入する際、彼女は僅かに躊躇するような気配を見せていたのだ。
 それでも、結局彼女はこの屋敷に戻ってきた。
 だが、それはまだ帰ってきたわけではなかった。
 帰ってきたなら、こんな戻り方はしない。
 きっとアーチャーにはまだやることが残っているのだ。
 だから、私は、僅かだけだけど、アーチャーを待つことにしたのだ。
 
 土蔵の扉は閉まっている。
 どうやら灯りを燈していないらしく、闇に包まれているように見える。
 空に浮かぶ月が、僅かに顔を覗かせ、庭を照らしていることによって益々、土蔵の中は暗いのではないかと思った。
 なんとなく一歩が遠い。重い。
 私は、アーチャーのところまで歩いて何を言おうとしているのだろうか。何をしようとしているのだろうか。
 今更ながら、一人で先行していることが心細く感じた気がして唇を軽く噛む。
 隣にシロウがいるだけで、自分の気持ちは、今とは違っていたのだろうか。
 剣をとって戦うことと比べ、何と難しきことなのだろうか。
 弱気になった心が、歩幅を小さくしているような気がして、両手を強く握った。

「そうやって、力むこともわかるけど、少しくらい肩の力を抜いたら?」

 そうして、土蔵の扉に手をかけようとした私の背に、リンの言葉がかけられた。
 リンだけじゃない、シロウもイリヤスフィールも私の後ろに立っている。
 ただ、それぞれが皆、程度の差はあれ、私のように緊張していることが、その気配からわかった。だから。

「そう、ですね。逸っても、この場合は仕方ありませんし」

 一度深く息を吸って吐く。そして、扉には手をかけずに振り向いた。
 アーチャーに動く気配はない。
 
「今から、開けます。ですが、その前に――」

「ああ、皆まで言わなくてもいいわ。私たちも力を抜けってことよね。うん、大丈夫。私はいつもと同じ」

 そう言いながらも、僅かに視線が厳しいリン。

「私もよ。リンはやせ我慢なんでしょうけど、私は本当に普段通りなんだから」

 リンに勝ち誇りながらも、少し舌が回っていないイリヤスフィール。

「俺も、大丈夫だ」

 シロウの言葉は、そのまま、どこか硬い。

「衛宮くん。少し硬いんじゃないかしら?」

「ほんとほんと。それじゃあ、アーチャーも怖がって、出てこなくなるじゃない」

 リンはともかく、イリヤスフィールの言葉はすこしひどい。だが、こういう軽口を交わすのも、悪くはない。
 だが、今朝のアーチャーの雰囲気は、逃げ出した彼女の危うさは、イリヤスフィールの言葉にあてはまるかもしれない。
 とにかく、私達の会話は聞こえているだろう。それなのに、何の気配の変化も感じられないのは。

 まあいい。
 会わずにあれこれ考えてもしょうがない。
 それに、私も含めて皆随分とリラックスできた。

「開けます」

 私は短く、そしてはっきりと宣言すると、扉に手をかけた。

 扉が軋む。冬の寒さを象徴するかのようなその音は、私の胸を熱くする鼓動を抑えるには到らない。
 扉に触れる手の平は、冷たさを脳に知らせる。サーヴァントであるが故に、冷たいことが不利益になるわけではないが、それでも、その感触は熱い胸を感じる頭を冷やす気がした。
 暗い土蔵の中へと足を進める。
 なんとなく、ある種の予感を感じながら奥へと足を進めた。

 そして、私はどこか覚えのある場所で、足を止めた。

 時間にして僅か数秒。そうだというのに、どこか永遠にも似た時間が流れていたように感じた。
 暗い土蔵に、月光が差す。
 青白く光るそれが照らすのは、座り込んでいる少女。
 格好は黒を基調とした、というよりは黒一色なのだが。声もなく私を見上げている姿は、私に一つの光景を思い出させた。

 そう、あの時も、そして今回も私はこう言ったのだ。

「――問おう。貴方が、私のマスターか」

 言ってしまってからはっとする。心の中で呟いたはずのそれが、言葉に紡がれてしまったことに。
 そのことに驚き、反射的に手を口元に持っていこうとして、それが果たされることはなかった。
 アーチャーが私を見つめていたから。その双眸に射抜かれてしまったから。

 私もアーチャーも、言葉なく見つめ合っている。
 その静寂が、あの夜と同じように感じてならない。

 シロウたちは、私が不意に発した言葉に僅か声をあげたものの、それからは黙って見守ってくれている。
 
 何故、召喚の際の言葉を発したのか。一度目と二度目の言葉はまったく同じ。その時に他意はなかった。
 何しろ、その時の私は、一度目を覚えていなかったのだから。
 なら、何故今、私はこの言葉を発してしまったのか。
 私のマスターはシロウだ。かつての別れで、言葉を交わしたシロウと、別人だとしても。
 契約を交わした事に、何の偽りもない。
 彼の剣となると、運命を共にすると誓った。
 その誓いは一度その繋がりを破られても変わりない。だからこそ、私はシロウの場所にいる。

 なら、何故、私はこんなことを言葉に乗せてしまったのか。
 土蔵を埋める静寂の中、僅かな風の流れを耳がとらえる。
 地上は安らかでも、高き空の風は強い。流れる雲は、月を遮ろうとして、敵わず通り過ぎる。
 あの時もその時間は僅かだった。
 風の強い夜。邂逅した際の僅かな時間、雲が風に流れ月が顔を覗かせていた。

 私とアーチャーを照らす光に変わりはない。
 この時間が一瞬なのか、それとも長い時間が流れているのか。
 アーチャーを見る瞳の力は変わらずとも、胸の奥の気持ちはそれを裏切るように、揺れていた。


  セイバーの瞳を、その姿を瞳に映して、心だけが他の場所へと旅立つ。

  迫るのは稲妻の切っ先。それが稲妻である以上は、人にそれを避ける術などない。
  なのに、それがひどくゆっくり見えたのを覚えている。
  本当なら見えるはずもない神速の一撃。
  自分の心の臓を、再度貪ろうと迫る、朱の魔槍。
  だから、その時出来たのは、その事実に諦めるわけでも。
  無理とわかっていてそれでも避けようと試みるわけでもなかった。
  ただ、吼えただけ。
  一度ではなく二度。何も出来ずにただ死ぬことを、死んでしまうことに腹を立てたのだ。
  意味もなく、再び死んでしまうことを。
  その地で、嘆息する。
  死ぬことを、意味がないと考えたことを。
  幾多の火を経験することで、無価値なものを知り、無意味なものは無いと知った。
  胸に手を添える。そこには、決して手放さなかった赤。
  ただ、死んでいくだけのものだったオレを、救ってくれたものの残したもの。
  
 
  あの死も、意味はあったのだ。
  意味がないなんて、そんなものはない。
  価値がないことなんて、数多く経験した。 
  それでも、今ある俺に価値がなくても、意味は確かにあったのだ。
  それがわかるようになったことも、始まりがなければわからなかっただろう。

  それは運命の始まり。この身を鉄火場へと投げ出す最初の物語。
  
  無残に、無造作に絶たれようとした命は、これも人に届かぬ刃にて救われた。
  稲妻を砕くのは魔法の煌き。刃が描く月の光。
  兇刃を退け、彼女は目の前に降り立った。
  時間は、この時だけ永遠となり、この場所は彼女に習うが如く静謐になった。
  
  この光景を忘れない。この胸の赤を忘れない。
  駆け抜けた夜を忘れても。潜り抜けた戦場を忘れても。
  忘れはしない。
  助けになると誓った。
  まだ、この赤を返してはいない。

  なら、やるべきことは一つだろう。

  帰ってくる。
  長いようで一瞬だったそれは、何を考えたかさえ、残してはいない。  

  冷たい地面に手を突く。
  地面に触れる手の平に、力が込められる。
  寸分変わらぬ光景に力が入る。

  だから、この光景を。覚えている。
  たとえ、この身が地獄に落ちようとも。たとえ、記憶を失おうとも。
  この光景を、忘れるわけがないのだ。
  オレは、■■■■■■なのだから。 
  今、抱いたものが、すぐに消え去るものだとしても。


 いつからか私ではない――いや、ここではない何処かを見ていたかのような、そんな風に見えていた瞳が、定まっていく。
 意志のない瞳に、意志ではない何かが宿る。
 それでも、どこか彷徨うような瞳の暗さに変わりはない。
 爛々と輝きを持っても、意思そのものは見当たらない。

 だけど、それを裏切るように、アーチャーは、ゆっくりと立ち上がった。
 暗い瞳に意志はなくとも視線は定まっている。
 何処か呆けたように、僅かに開かれた口に違和感を覚えても。
 その瞳だけは、不可解ながらも確かな力を持っている。
  
 アーチャーは鎧を纏ってはいない。故に、その足は音もなく踏み出された。
 アーチャーの踏み出す足は、まるで幽鬼のように頼りない。
 背を丸めた姿は、神に懺悔する殉教者の如く。
 緩慢に、力なく歩を進める。私との距離が一歩、また一歩と縮まっていく。
 私たちの距離ははじめ五歩。アーチャーの足が三歩目を刻んだとき、その目に映っているのが私ではないことに気がついた。
 アーチャーは、私を見ていない。
 では、一体誰を……。
 と、思う間にまた一歩、アーチャーは足を進めた。
 これで、私との距離は僅かに一歩。 
 私がいくらアーチャーを見つめようと、彼女は私を見てはいない。
 それが、何故かひどく、収まらない気持ちを胸に抱かせて、微かに唇を噛む。
 その間に、アーチャーの五歩目は刻まれ、私の横にその体は立っていた。
 私は動かない。私は、動けない。
 視線は、一瞬前までアーチャーの顔があったところに向けたままだ。
 アーチャーの瞳の変わりに、土蔵の壁を射抜く。
 そしてまた一歩、アーチャーは足を踏み出し私を置き去りにする。
 私の胸にある気持ちが一体何なのか。
 それを解決できず、ただ一点を見つめ続ける間もアーチャーは歩を進める。

「アーチャー、あんた……」

「なっ、え――?」

 リンの、躊躇うような声と、シロウの驚く声で、私はやっと、壁を見続け、固まり続けた自分の体を振り向かせた。
 私に何の反応もせず、ただ、通り過ぎてしまったアーチャーは。
 私の後ろにいたリンにも、イリヤスフィールに対しても反応を見せなかったのか、ただ、一番後ろに立っていたシロウを、シロウだけを見つめていた。
 アーチャーは、呆然と見つめるリンと、どこか悠然と構えているように見えて実はそうでないような不思議な表情で、一言も声を発しないでいるイリヤスフィールの間を抜けて、シロウへとその足を進めていた。
 アーチャーがシロウの正面に立つ。手を伸ばせば簡単に触れる距離。
 私と同じくらいの背丈であるアーチャーは、自然シロウの顔を僅かに見上げる形となる。
 シロウの顔を正面に。僅かに頤を反らして、アーチャーはその右手をシロウへと伸ばした。

「あ――」

「待ちなさい」

 私の口から漏れたのは、何なのだろうか。何の気持ちを言葉に乗せたのか。
 思わず、シロウへと駆け寄ろうとした私を、イリヤスフィールの手が止めた。
 ともすれば、イリヤスフィールを傷つけてしまいそうになるほど、強張っていた体を何とか押し留める。
 焦燥が身を包み、何故止めたのかと声を荒げそうになって、アーチャーの行動に目を奪われた。

 気がつけば、アーチャーの両手はシロウの肩にかけられている。
 シロウは、その顔いっぱいに動揺を表していたが、その足は硬直したように大地へと根を張っている。
 そして、それは足に限らず彼の体全て、瞳においても微動だにすらせず見開かれていた。
 そのシロウの顔に、アーチャーの顔が近づいていく。それも鼻と鼻が、唇と唇が触れ合いそうになるほどの間近に。
 驚愕を表しているシロウの顔が、アーチャーの頭で隠れていく。
 その行為が何を意味するのか、考える暇もなく、ただ、そのこと自体に対して自身の感情を押さえられず。
 今度こそ私が声を上げそうになる瞬間に。

 アーチャーの顔が、シロウの顔を避け、それを支える首筋へと目標を変えていた。

「え?」

 その声は私だったのか、それともシロウだったのか。どちらでもなかったのか。
 アーチャーの顔が、シロウの首筋にもたれかかる様に落ちた。
 自然、隠れかかっていたシロウの顔も、私の位置から伺えるようになる。

「っいっ!?」

 その瞬間、今度はシロウのものとわかる、悲鳴のようなものが上がった。

「シロウ!?」

 その時には、私はイリヤスフィールをすり抜けるように避けて、シロウの背後へと回っていた。

「あ、アーチャー? 何を?」
 
 そこで目にした光景に、心底目を丸くする。
 それはリンにしても、イリヤスフィールにしても、程度の差はどうあれ驚いていることに変わりはなかった。
 アーチャーはシロウの首に噛み付いていたのである。
 私の言葉に対する返答はなく、ただただ、アーチャーはシロウの首筋に歯を立てている。 

 思わず、それを止めようとして、噛み付かれている本人たるシロウに止められた。
 視線を背後に回った私へと向け、アーチャーに噛み付かれている首筋とは逆の方の手で、私を止める。
 たいした力で噛み付いているわけではないのか、シロウの顔に苦痛の色はない。
 しかし、それだとてアーチャーの口元から僅かに赤い色が見えることに間違いはなかった。
 我慢強い彼のこと、本当の痛みなど表情からだけで察することは難しい。

「血を、吸っているの……?」

 リンの声が擦れて響く。
 リンの言葉が正しいのかは、まだわからない。
 確かにシロウは血を流してはいるが、それが吸血されてのものなのかはわからない。とはいえ、ただ噛み付いている、という意味もまったくわからない行為だ。だとすれば、リンが言うようにアーチャーの行為が吸血であると、判断するしかないのか。
 頭を振る。リンの言葉の妥当性など本当はどうでもいい。私が否であると願っているのは、そのような意味ではない。
 もう一度頭を振って、アーチャーへと視線を定める。今は、それを認めるしかない、のか。
 彼女の視線は伏せられ、自身の行為に没頭している。
 だが、それにしてはアーチャーの吸血行為はお粗末だ。
 アーチャーも私も、鋭い牙など持たない。
 故にアーチャーは、シロウの首筋を食い破るかのごとく、深く噛み付いていたのである。
 シロウが止めなければ、すぐに引き剥がしていただろう。事実、そうする寸前だった。
 そして、そうしなければならないはずだった。
 だが、実際には歯を食いしばりながら、悲鳴を上げまいとするシロウを前に、ただその光景を見ているだけしか出来ない。
 リンもイリヤスフィールも、シロウが拒絶したことで、止める気はなくなっているようだった。
 ただ、私と違い、冷静さを欠いていなかったのか、二人は二人とも、アーチャーの行為が何なのか、理解に到ったらしい。

「まさか、アーチャーは――」

 言いかけてからリンが口元を押さえる。
 その視線はアーチャーから私へと向けられて、すまなそうに細められ。  

「そうね。アーチャーはシロウから奪っているんだわ。それも単純な“血”じゃないモノを」

 イリヤスフィールが、リンが言わなかったことを、言葉にした。

「え――?」

 言われて、初めて気がついた。そして、それが理解できなかった。
 サーヴァントは霊体である。それは今の私も、そして、その前の私も変わらない。
 そして、それはアーチャーもサーヴァントである以上は、逃れられない事実だ。
 故に、私たちが力とするもの、魔力とするものは、第二、第三要素となる。
 それを得るために、ライダーは学び舎に結界を敷き、キャスターは柳洞寺からそれを吸い上げた。
 自身の魔力とするために。
 
 しかし、シロウが魔力を、魂を吸い上げられているのなら、何故、私がそれに気がつかないのか。
 シロウ自身の魔力は、私が知っているそれとはまったく別物であるかのように違う。
 無論、私やイリヤスフィール、リンと比べれば劣ることは否めないが。それでも、並みの魔術師と比べれば十分すぎるほどだった。
 それ故に、今回の私は、能力値そのものは前回と同様だとしても、その持久力は比べ物にはならない。
 そして、再び契約を結んだ、今のシロウからは。
 アーチャーから魔力を抜かれることによって生じるはずのものが、感じられなかった。

「馬鹿な。シロウの魔力は減っていない」

 だから、自身が感じることの出来る事実だけを、ただ言葉にする。
 サーヴァントとしての範囲で理解できるシロウの状態は、まったく問題がない、としか言いようがない。

「でも、事実として、アーチャーはシロウから“何か”を吸い上げているわ」

 信じられないと、イリヤスフィールの言葉に眉を顰めながら、シロウへと向ける視線を強くする。
 少しでも、アーチャーが行っていることを見極めるために。
 
「あ――!?」

 そして、今になって、シロウの魔力が持つ魔力に対しての、違和感に気がついた。その驚きが、吐息となって漏れる。
 私が漏らした声には、リンとイリヤスフィールは気がつかなかったのか、何の反応も示してはいない。
 それに、何故かほっとしながらも、脳裏に浮かんだことを整理する。
 シロウの魔力は、かつて最後の戦いに臨んだシロウよりも明らかに多い。
 だが、それを生成していたのは本当にシロウだったのか。
 確かに今のシロウは、私が知らぬ間に、かつての彼と同様に投影魔術を用い、魔術師としての力を示しつつある。
 だが、何故、召喚された直後においても、シロウの魔力は今と変わらぬ量を持っていたのか。
 記憶になかったときとは違い、今ならその違いに気がつけた。
 自分が召喚された直後の、リンとシロウの会話を思い出す。
 だが、あの時初めて、リンはシロウが魔術師であると知ったのだ。同じ学び舎に通いながらもリンは知らなかった。シロウの魔力に、気づかない方が不自然だというのに。
 なら、シロウの魔力は、聖杯戦争が始まる時と、私が召喚された時と、そう変わらない時期に得たものなのだろうか。
 自分の手にはなく、しかしシロウが確かに持っていると感じる鞘の可能性を即座にきる。
 シロウは使い手ではなく、私が現界しなければその不死性は発揮できない。そもそも、鞘が原因なら前回もパスを正常に繋げた際と変わらぬ状態のはずだ。
 魔術の回路は、開いてなかったはず。前回と同様間違った方法を続けていたのではないか。
 なら、回路を開かずして何故、前回の数倍たる魔力を保有していたのか。 
 
 いつのまにか、アーチャーよりも、シロウのことに頭の中が占められていることに気がついたとき、目の前の光景が僅かに変化した。
 シロウに噛み付いていたアーチャーが僅かに呻く。
 実際に血を飲んでいたかは定かではなく、また、絶対にシロウから魂を啜っていたわけではない。
 ただ、“何か”をしていたアーチャーの視線に、意志の光が灯っていた。
 傍目からも判る、アーチャーの変貌に私だけではない、シロウを除いた三人の顔に、何らかの表情が浮かんでいた。 
 そのアーチャーの、光が戻った瞳に困惑の色が混ざる。
 それが、何に対してのものなのか、私たちが判別する間もなく。アーチャーは――

「なっ!? っぁあああああ!!!!!」

「あっ?」

 今までに類を見ないほどの驚きを表情に表し、つい先ほどまで噛み付いていたシロウを、力いっぱい突き飛ばしていた。
 慌てて、シロウが飛んでいった土蔵の扉から外へと走る。
 アーチャーでありながら私と同等、いやそれ以上の膂力を誇る彼女の力だ。
 何とか壁にぶつかる事だけは免れたとはいえ、突き飛ばされた際にシロウが受けた衝撃は生半可なものではない。
 事実、庭に倒れているシロウの肩は、何処か不自然なほどに、ズレていた。
 だが、シロウの中身が、何かされたような形跡は感じなかった。それにほっとしつつ、シロウに声をかけた。 

「大丈夫ですか? シロウ」

「――より、―――――は」
 
 痛みに、うまく声が出せないのか、私に何かを伝えようとするシロウの声は聞き取りにくい。
 それが、私の顔に出てしまったのか、シロウが微かに笑うと外れた肩も省みず、その手で土蔵の方を示した。
 震えながらも必死なその指先に私は頷くと、シロウを横抱きに抱え土蔵へと走る。
 そこには、今尚動揺収まらぬ、アーチャーの姿があった。

「な、ななななな、わ、私は一体何を! 小僧に! 何を、何故だ何故だ何故だ何故何故何故……」

「馬鹿! 落ち着きなさいアーチャー。そんなことしたって意味ないってわからないの!」

「だが、凛。衛宮士郎だぞ衛宮士郎。何故私が衛宮士郎にあのようなことをしなければならんのだ」

「知らないわよ。あんたがやったんだからあんたが責任持つのが筋ってもんでしょ」

「し、しかしだな、凛。私には何故このような、こ、このようなことをしてしまったのか皆目検討が」

「つかないっての? だけどね、あんたがしたことは間違いようのない事実でしょ。だったらそれを受け入れる他に、なにかあるわけ?」

「いや、それは、まあ、ないのだが」

「だったらいいじゃない。別に唇を奪ったわけでもなし。たいしたことじゃないでしょ」

「む、そういう意味ではなく、な、生理的に駄目だというか……」

 腕の中でシロウが落ち込んだのがわかった。今のアーチャーの言葉に、傷ついたのだろうか。
 そして、もう大丈夫だからと、私から離れる。鞘の影響か、それとも私が気付かぬうちに肩を入れたのか。
 シロウの体には、噛み傷も含めて傷は残っていなかった。

「あ~、はいはい。あんたが衛宮君を嫌いだって言うのはいいけど、だったらもう少し落ち着いたらどうかしら?」

「まて、凛。君は何か勘違いしている。私は心から小僧を嫌いだと」

「またまた。ほんとにそうかしら」

「なんだ、その表情は。私が嘘を言っているとでも? 馬鹿馬鹿しい。はっ、私が嘘吐きだと。百歩譲ってそうだとしよう。だがな、私が衛宮士郎を毛の先ほども好ましいと思うことは、未来永劫絶対にない」

「何? じゃあ、すごい好きってこと? アーチャーったらずいぶんと大胆なのね」

 どうにも止みそうにない争いに、だんだんと腹が立ってくる。
 視界に映るものが、だんだんと、アーチャーと凛に絞られていき。

「二人とも、いい加減にしなさい!」

 私はお腹の底から、大声を張り上げて二人を叱責していた。
 口論を止め、きょとんとして私を見る二人に続ける。

「まったく、いつまでそのような不毛な争いを続ける気ですか。そもそも、アーチャー。貴女は、そんなことをする前にまずやるべきことがあるのではないですか?」

「ほんっと。いつまでも続けるんだもの。あきれちゃうわ。二人とも、レディには程遠いわね」

 私の言葉に追随するが如く、イリヤスフィールも苦言をこぼす。
 さすがに決まり悪くなったのか、アーチャーと凛は二人揃って顔を見合わせ、めいめい取り繕うように咳払いや、埃を掃う仕草をした。
 
「で、アーチャー?」

「む、確かに少々信じ難い出来事だったとはいえ、小僧を全力で突き飛ばしたのはやりすぎだった。すまん、セイバー」

「わかれば良いのです」

「ちょっとまて、それは少し違わないか? それに、謝ってるのは俺にじゃなくて、セイバーにだし……」

 私は大仰に頷くと、シロウの言葉は黙殺して凛へと視線を向ける。

「リンもリンです。どうして、そんなに拘るのですか。貴女らしくないとは言いませんが、些か度が過ぎる」

「いや、その……あはは」

「そうよ。なのにリンったらだいたい……アーチャーが好きなのは、シロウじゃなくて私なんだから。ねぇ?」

 口元を手にやって目を泳がせながら笑うリンに、イリヤスフィールが勝ち誇るように言う。
 そして、その言葉尻を向けられたアーチャーは、僅か困ったような仕草で、イリヤスフィールを見つめていた。

「あ、いや。それは間違いないが」

 困惑した顔で頷く姿に、嘘は感じられない。

「それで、アーチャー。貴女、本当は最初に言わなくちゃいけないことが、あるでしょ?」

 リンが、アーチャーの真正面に立ち、私たちを代表するかの如く、宣告した。

「ああ、そうだったな」

 僅かとはいえ、柔らかな笑みを口元に見せると、アーチャーがそれに答えた。

「ただいま」

 ここからリンの表情は見えない。
 ただ、アーチャーの現状に対して、一番何かを感じていたのは、やはりリンだったのだろう。
 アーチャーの言葉に、一瞬、肩が震えたのがわかった。

「おかえりなさい」

 それでも、その口から出たのは、常と変わらぬ響きを持った声だった。
 ただ、それはどんな表情で放たれたのか。アーチャーは、僅かその笑みを深くすると、リンに近づく。

「ずいぶんと心配をかけた。また、よろしく頼む、凛」 

「馬鹿ね。心配かけすぎよ。返済できるの?」

「――努力しよう」
 
 ただいま。その言葉が、私にとってもひどく、嬉しい言葉だった。
 未だ、アーチャーに対して覚える、好意の感情は失われていない。
 今は、シロウのことにその比重が傾きつつあるが、こうしてまた共闘できることが、嬉しいことに変わりはなかった。
 
「浮かれるのはいいけどそれよりも、早くしないと時間切れになるわよ」

 だが、イリヤスフィールの言葉に、アーチャーを除いた全員がはっとする。
 
「契約しないと、アーチャー、もうすぐ消えちゃうわ」

 そう、アーチャーの存在感は希薄に過ぎた。魔術に関るものが、常のアーチャーを知るものなら、気がつけぬことこそ無理だというが如く。そして、おそらく鎧姿でないのも……。

「もしかして、もう限界が近いのか?」

「私の単独行動のスキルはBだ。正確には契約が切れた時間はわからんが、二日が限界だ。今すぐ消える、というわけではないが、時間がないのも確かだろう。聖剣の発動も無茶といえば無茶だったか」

 シロウの言葉にアーチャーはあっさりと自身の状況を白状する。シロウはその言葉を受けて考えるそぶりをすると。

「なら、遠坂。ここを使えよ。アーチャーが最後にここに戻ってきたんだ。理由は話してくれそうにないけど、やっぱり何かあるんだろう。いいよな、アーチャー」

 リン、そしてアーチャーに言葉を発した。そして、目だけで私にも。
 シロウの言葉にアーチャーは答えない。だが、辞退する雰囲気は感じられなかった。
 黙るアーチャーを承諾の意ととったのか、リンが言葉を返す。

「いいの? ここって衛宮くんの……」

「ああ、かまわない。セイバーもここで召喚されたんだ。契約もな。他のやつらなら気に入らなかったかもしれないけど、遠坂とアーチャーなら、かまわない」

 私も微かに頷き肯定の意を示す。

「ありがとう」

 契約とはいえ、たいした儀式を必要とするものではない。
 私たちがいることで、何か問題があるわけではない。
 ただ、こんかいのそれは、二人で行うべきだと、私たちは皆感じていたらしい。

「それじゃあ、私たちは行きましょう。もう、眠くてしょうがないわ」

 イリヤスフィールが先までの態度とは一変して、心底眠そうな表情を見せる。
 それに私とシロウは頷くと、土蔵の扉へと足を向ける。

 話すことは、この後でも十分出来る。サーヴァントたる私たちは、魔術師以上に昼夜関係ない。
 すでに、ほとんど眠りかけて、シロウにおぶさられているイリヤスフィールに、僅か謝りながらも。
 私はこの夜、アーチャーと話す未来に心奪われていた。
 リンとアーチャー。主従たる彼女達。話すことも少なくはないだろう。だが、それも永遠ではないのだ。
 まだ、夜は長いのだから。

 土蔵から微かに、凛が告げる言葉が聞こえていた。 

 
 interlude out



[1070] Re[42]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂◆4c372ed3 ID:bfe0e50c
Date: 2008/03/06 23:13
 閉じられた土蔵と言う世界の中に、凛の言葉が響き渡る。
 その言葉は夜気を切り裂き、私の元へと届く。

「――――汝が剣に預けよう」

 ゆっくりと、それでいて優雅に手が伸ばされた。
 その手に私は、重ねるように手を伸ばす。

「誓おう。再び君の剣となることを、凛」

 そして、契約の言葉を紡いだ。ゆっくりと、一つ一つの言葉をはっきりと紡いだ。
 失われてしまっていたものが、再び甦る感覚を覚える。契約によりつながれた線は、かつてと同じようにはっきりと存在していた。
 枯渇していたものが充足していく気分をかみ締めながら、契約の言葉を反芻する。
 これは、失敗に終わった最初の召喚では成されなかった言葉だ。
 知っていたのは言葉のみ。それは紛れもなく、目の前の少女と同じ人から聞いたものだった。
 何しろ聖杯戦争を二度も経験しておきながら、正式な召喚には終ぞ出会うことはなかったのだから。
 セイバーの場合は、召喚とはとても呼べない代物であり、そもそも、当時の私はそんな言葉を知っているはずもなかった。
 どのようなきっかけ、経緯で召喚の文言を知ることとなったのか思い出せなかったが。これは私にとって随分と感慨深い代物だったらしい。
 充足していくと同時に、魔力などでは説明できない熱いものが胸にこみあげてくる感じがした。
 結局、彼女がまとう雰囲気や髪形などの変化はあった。それこそ、信じられぬ態度を取ったこともある。それは言葉では表せぬような驚きではあったが、肝心の部分は成長しなかったせいか、ルヴィアに対して随分と歯噛みしていた光景も印象に残っている。敗北を認めまいと、それ以外の部分をことさら強調していた気もするが、それこそ気にしているのだと勝手に思っていたこともある。そうだ、一つ思い出せば、それに続くように懐かしき、置き去りにしてしまった様々なものが――

「はっ――!?」

 目の前の凛が微笑み、言葉を発する。その笑みに、過去から現在へと引き戻された。
 いや、正確には現在を侵食しようをしていた過去、とでもいうのだろうか。 
 
「こんどこそ、お帰りなさい」

 契約を行いながらも、違う人間のことを一瞬でも考えてしまった自分の愚考に呆れながらも、真剣な顔を作る。
 自分の不実に凛が気づいてないことを願いながらも、心から思うことを声に乗せた。

「ああ、世話をかけた。これでまた、君と並び立つことができる」

「ほんとよ。まあ、契約も成功したみたいだし。当分は大丈夫みたいね」

 儚げな笑顔であったそれは、まるで夢だったと言わんばかりに、自信に満ちた笑みを凛は浮かべる。まあ、それでも、珍しいものを見たことには変わりなかったが。
 先ほどの凛の笑顔により生じた感慨を隠すように、胸の高さまで掲げた右手を握り締め、感触を確かめる。指の端まで十分な力が満ちていた。

「ふむ、君ほどの魔術師がマスターなのだ。心配などしてないよ」

「そうなんだけど。戻らなかったのね。それ」

 凛が言いたいことを瞬時に理解し、自分の格好を見渡す。
 そこには、かつてのセイバーのそれとは違う、だが幾分見慣れてしまった、黒いドレスがあった。夜よりいっそう深い黒が、私の身体を纏っている。

「そのようだな。てっきり、契約に関係したものかとも思ったが」

 セイバーのそれと近しくなってしまった自分の髪を摘みながら呟く。
 この姿に変化したのは、少なくともギルガメッシュから逃走し、意識を失った後のことだ。
 目が覚めたときには、凛との契約が切れ、この姿になっていたことから、てっきり契約が原因だと思っていたのだが。

「違った、わけね」

 その言葉に頷く代わりに腕を組んだ。

「まあ、簡単に決めてしまうには難しいものがある。直接的な原因ではなくとも、それが引き金になった可能性もあるわけだが」

 普段の私のように、ふむ、と頷いた凛は口を開く。

「それで、その姿になって、何か変わったことはあるの?」

 凛の現実主義的な言葉に内心苦笑しながらも、その言葉の妥当さに舌を巻く。
 記憶も戻った今こそ、はっきりと自分の違いを認識するに相応しいのだろう。

「ふむ」

 微かに頷き、内界を走査する。それと同時に試してみるが、やはりと言うか無理だった。

「基本的な能力は変わってはないようだが、霊体化ができなくなっている。少なくとも、自分の意志では無理だ」

「それは、私が魔力の供給をカットしても同じなのかしら」

「おそらくは。そもそも、それなら君との契約が切れていた際に霊体化できないのはおかしい」

「なるほど。私が居ないときに一度試していたわけね。ふ~ん。まあ、霊体化においては仕方ないと諦めるしかないわね。ところで」

 若干、いや、随分と目を細めて凛が睨みつけてくる。
 その視線の鋭さに何を言ってくるのかと心の中で身構えた。

「あの宝具のことは言ってくれないのかしら?」

「――エクスカリバーのことか」

「そう、その聖剣。まあ、黙ってても貴女の宝具覧には載ってるからいいけれど」

 詳細として、どこまでが記されているのか興味がないといえば嘘になるが、それよりも重要なことはある。それは――

「つまり、その聖剣は私のもの、ということなのか」

「そうそう、その通り。だから、貴女の真名は――って、もしかして貴女!?」

 嘆息するように言葉にした私の態度にか、それとも言葉自体にか。こちらに身を乗り出した凛の視線は鋭い。

「おそらくは君が考えている通りだろう。私自身、自分が聖剣を、エクスカリバーなどを持っているとは知らなかったからな」

 そう言葉にしながら、聖剣を手に表す。
 記憶がなかったときの行為も、まったく問題なく記憶にある。
 意識せず表していた聖剣を、今も尚同じように取り出すことができた。
 黒い聖剣。
 セイバーのような不可視の結界を纏っているわけでなく。そして、その姿そのものも変容している、が。

「紛れもなく、この剣はエクスカリバー、らしいな」

 絶句したまま私を見ていた凛に苦笑いを浮かべつつ、言葉を続ける。未だに自分自身でも信じられないのだ。この手に贋作ならぬエクスカリバーが存在することに。

「色が、というか姿が変わってしまっているのは、この剣が聖剣でありながらも二面性を持つものだからだろう。とはいえ、ここまで変わってしまっても聖剣として成り立っているとは、恐ろしいものだな」

 この剣は聖剣だ。決して魔剣などではない。ここまでセイバーの持つものと対と成るものになったというのに、聖剣としての格を失ってはいない。しかし、聖剣でありながら放つそれは黒き極光。悪の聖剣である。何と矛盾した存在か。

「まあ、その剣が聖剣であるかないかはともかくとして、貴女、それちゃんと使えるの?」

「一度見ていて、それを訊くのか、凛。些か愚問ではないかね」

 しかし、凛の疑問も最もな言葉ではある。何しろ、たった一日の間とはいえ私自身は記憶を失っていたのだから。 
 しかも私自身の口から、アーサー王ではないと告げられたのだから。

「心配するな。使用に問題はない。どうやら、間違いなくこの剣は私の宝具らしい」

「その言い草じゃ、本当にそんな宝具を持ってるなんて知らなかったみたいね。まったく、いくつもってるのよ、貴女」

「強いて言えば、これのみだろうな。後の私の武装は宝具とは些か異なる」

 本当ではないが嘘でもない言葉で濁す。
 そして、聖剣を握っていないほうの手を、開き閉じする。
 聖剣の使用に問題はまったくない。そして私の記憶がなかったときに使っていた剣技は、まぎれもなく私のものではない。
 しかし今なら、それが自身のものと代わらぬ確信があった。
 この体は、呼吸と同様の容易さで、セイバーの剣を操り、力を振るうことが可能なのだろう。
 しかし、その代わりに自分自身が培ってきた戦闘技術。それを扱えるのか自信がない。
 そして、魔術も。現在も圧倒的な力でこの身体を満たそうと働いている回路は、慣れ親しんだそれとは違う。
 もし、この回路がセイバーのそれだとするならばはたして、私は投影を使えるのか。
 凛の前で度々使用してきたそれだが、その正体までは明かしていない。
 考えたくはないが、それがまったく使えないということになれば……。
 私は凛に対して自身の戦力を偽っていることになる。

「それにしても、あれだけの大威力。燃費の悪さはどうかとして、破壊力なら圧倒的じゃないかしら。よく壊れなかったわね。柳洞寺」

 エクスカリバーを主要兵装とした場合、霊体化できないことはそれなりに問題ではある。問題ではあるのだが、何を間違っているのかこの身体はセイバーの写し身だと考えても破格過ぎるほどの魔力を備えている。この身体に満ちる魔力のみで連続使用することすら可能だろう。とはいえ、最大出力については変わりない。

「まったく同一の宝具が正面からぶつかったのだ。結果、凛が見た通りほとんどが相殺されたわけだが。余波だけであの有様だ。運が良かっただけだろう」

 二つの聖剣が完全に拮抗していたからだ。少しでも均衡が破れていたらどうなっていたかわからない。
 まあ、想像することはできるが。一面の更地になってしまった光景が好ましいはずない。
 柳洞寺跡、などという場所になっても困るのだ。
 そんなことを考えると、背中を冷たい汗が流れる。
 かつて、奴との戦いで木々を多数薙ぎ倒した際にも凛の苦言を受けたのだ。
 あの程度なら、処理もそう難しいものではないかもしれないが、寺が丸々吹っ飛んだなんてことになっては、処理の仕様あるまい。学校の集団昏睡事件とも桁が違う。直下型の地震が起こったとでも……。

「凛。柳洞寺の処理はどうするのだ? 監督役の行方がわからぬ以上は君がどうにかするしかないのではないか?」

「そうなるわね。この土地の管理者が私である以上責任は取らなければならないわ」

 それは、あの戦いの処理を凛ができなかったということ。責任とは、凛の属する魔術協会から何らかのペナルティを課せられるのか。いや、それが協会だけとは限らない。教会からも――
 
「しかも綺礼の奴、自分以外のスタッフを用意してなかったみたいなのよ。いや、違うか。いくらあいつが気に食わない奴で優秀だとしても、一人で管理するはずがない。前回の惨事から考えれば尚更だし、居ないんじゃなくて、連絡がつかないと考えるべきか。とすると、やっぱりあの程度の報道で済んだのは……」

 私の思考を他所に、凛の言葉は続く。しかし、私の感情を表情から読み取ったのだろう。凛は手をパタパタと振ると明かる気な声を上げた。

「怒ってないわよ。あの時はセイバーも操られていたんだし。あれを防ぐなんて、同じものをぶつける以外には無理でしょう。第一、そこまでひどいことにはなってないわ」

 凛の言葉が真実であるかは別として、信じることにする。今、必要なことは聖杯戦争を勝つことだ。

「しかし、私もセイバーも切り札を見せてしまったことに変わりない」

 私の言葉の不穏さにか、凛の表情が僅かに硬くなる。

「でも、あの大威力を正面から打ち破るのはちょっと無理じゃないかしら。バーサーカーだって倒れたんでしょ。なら――」

「確かにバーサーカーはいない。だが、そのバーサーカーを殺したものが残っている」

「英雄王ギルガメッシュ……」 

 すでにその存在どころか正体を知っているということは、イリヤ、もしくはセイバーから説明を受けたのだろうか。確かに、イリヤがバーサーカーも連れずにいれば不審に思うだろうし、その理由を訊くくらいなら、凛であればするだろう。そして、あの柳洞寺の惨事と、キャスターの陣営の疲弊。あれは、私より先に到着していた凛達の仕業ではあるまい。ランサーと強力を結んだとしても圧倒的に戦力に差がある。あれほどまでにキャスターを疲弊させることは不可能だったに違いない。
 少なくともその名を知っていることと、数多の宝具を持っていることは凛の知るところとなっている。そう考えてよいだろう。そして、奴の愛剣を知っていて直、そう思うことに抵抗ない言葉を発する。

「奴が聖剣を抑え込む宝具を持っていたとしても、私は驚かん」

「いくらあいつ数え切れない宝具を持っているからって、その剣を完全に防ぐ代物を持ってるとは思えないわ」

「ふむ。確かに悲観的な考えなのかもしれない。だがな、凛」

 そこで一度言葉を止める。これは前回の知識。今回の聖杯戦争で、英雄王がそれを使ったのかは知らない。
 理性を失って尚強力なサーヴァントであるバーサーカー相手に使用したかも知れぬ。
 だが、少なくとも私自身はそれの使用を今回は見ていない。そして、凛も見ていないのだろう。
 だが、先の私の想像とは違い、英雄王が確実に所持している代物だ。

「これに勝る代物を、私は一つ知っている。できれば、それ以外持っていないことを願うがな」

 そうであって欲しい。かつてあの剣と相対したセイバーは、無残に敗れ去った。単純な出力を比較した場合、聖剣に勝ち目はない。

「つまり、あいつはでたらめな数の宝具を持った上に、あんたの剣に勝る代物まで持ってるって言うの」

「その通り。この聖剣は対城宝具だが、さらにその上。奴の愛剣は対界宝具などという出鱈目なカテゴリーに属するものだからな」

 これ以上険しい表情はないといった凛は、手を顔にあてがうと、呻くように言葉を吐く。

「最悪ね。セイバーが英雄の王なんて大それた呼び方をするのがわかった気がするわ。ただでさえ馬鹿みたいな数の宝具を持ってるのに、その上最強の代物まで持ってるってわけ?」

 宝具というものの全てを識っているわけではない以上、最強の宝具とやらがどんなものなのか判断することは出来ないが。それでも、私が知っている限りで言えば最大最強の破壊力を有していることには変わりない。

「となると、やっぱり使わせないことが大前提なんでしょうね……」

 腕を組んで考え込む凛に同意の頷きを返す。火力勝負に持ち込まれた場合勝ち目は薄い。単身では無理だろう。

「まあ、この辺りは私たちだけで考えても仕方ないことだわ。今は置いておきましょう。それより、もっと訊きたいことがあるのよ。貴女に」

「――なんだ?」

「貴女。本当は結局何のサーヴァントだったの?」

 いつか問われるだろうと覚悟していた言葉、いや、それに近い言葉が、凛の口から発せられた。それも、とりわけ軽い口調により。
 覚悟していたとはいえ、衝撃がないわけではない。私は口を開こうとして、それが失敗していることに気がついた。
 そのことになんとか苦笑いを浮かべると、肩の力を落とすように抜いて、息を吐く。

「君は、その言葉を確信しているのか」

「ええ、貴女は確かに私に対してアーチャーと名乗った。だから私もそうだと思ったわ。事実、最初はそう登録されていたもの」

 マスターが有するサーヴァントの能力を知る力だろう。
 どのような形で認識しているのかはわからないが、かつての私と大して違いがあるわけではないはずだ。

「つまり、私のクラスは弓兵ではない、と」

 凛は頷く。その所作に躊躇は微塵も含まれていなかった。
 私はもう一度、凛には聞こえないように深く細く息を吐く。

「いつから、そう思ったのだ」

「思ったってのとは少し違うかしら。もう一人の、キャスター側についているアーチャーを見てからね。本来ならばクラスの重複はありえないし、そもそもサーヴァントが七騎より多いはずがない。そして、あのアーチャーを見てから、貴女のクラスはわからなくなった。見えなくなったのよ」

 それは――それまでは、確かに私をアーチャーとして認識、もしくは登録していたということか。
 アーチャーと一戦交えたのは柳洞寺のことだ。聖杯戦争の中で限って言えば、随分と前ということになろうか。
 凛はあの時から、私がアーチャーではないと認識していながら、アーチャーと呼んでくれていたということになる。アーチャーという呼称に対して、たいした思い入れがあるわけではない、が。それでも、私が名乗ったそれを変わらず呼んでくれた事には少なからずありがたいと感じる。

「信じてもらえないかもしれないが、私は本当にアーチャーだと思ったのだ。事実、今でも私自身がアーチャーであることを疑っていない」

 かつて、凛のサーヴァントが、本来ならば私ではない可能性があったことを告げた。それは、アーチャーとして呼ばれた者が私だけであったなら考えなかった事柄だろう。だが、私の予想に反して、もうひとりのアーチャーという存在が現れてしまった。私と同じ――衛宮士郎を起源とするアーチャーが。
 もし、私がイレギュラーだとしても、それは仕方がないとは思っている。凛もそれを思ったが故に私に訊いたのだろうし、私もそう考えて頷いたのだ。何しろ、奴の姿はともかくとして、この姿の私はエミヤシロウから逸脱しすぎているのだから。
 しかし自身のクラスがアーチャーではない、その可能性は考えなかった。浮かび上がってすら来なかったのだから。だが、もし、私がアーチャーではないのであれば、何らかの情報が聖杯から送られてきてもいいはずだ。
 何しろ、聖杯がサーヴァントを呼ぶのだから。しかし、私は変わらず自分がアーチャーだと認識している。姿が変わった今も。自身のクラスを認識した理由が、自分の認識外の存在、つまり聖杯によるものだとすれば、それを疑うことは自分がサーヴァントであることを疑うに等しいのではないだろうか。
 考え込む私を前にして、凛は組んでいた腕を片方立て、指を一つ立てる。 

「疑問がもう一つ。セイバーは貴女と同じように英雄王の愛剣を知っていたわ。今回の戦いでそれが使われたことがなかったにも関らず」

「――知っていたのか。ということは、先ほどの反応は驚いたふりだった、というわけか」

 微かに息を呑んだ私は、溜め息を吐くように言葉を吐き出した。

「いいえ。心底驚いたわよ。いくらセイバーの言葉だからって、まさかエクスカリバーを凌駕するとまでは考えてなかったもの。せいぜい拮抗できる。その程度だと思っていたの。だけど、アーチャー。貴女までセイバーと同じことを告げた」

「先に防ぐなどという言葉を使ったのはそういうわけか……」

 私の口から吐き出された言葉は、ようやくと言った感じだ。力はない。

「確かに、英雄王なんて称される奴なんだから、英霊である貴女達がその宝具まで知っていてもおかしくはないわ。事実、知られないために真名を隠すなんてセオリーがこの聖杯戦争にはあるんだし。でも、それを考えても貴女、いえ、貴女達の言葉は少し不可解だわ。あまりに断定的過ぎる。まるで、一度戦ったことがあるかのように。ギルガメッシュとアーサー王じゃ、あまりに時代がかけ離れていると言うのに」

 そこで言葉を止めた凛は、私の瞳から何かを読み取ろうとでもするかのように、私の顔を覗きこむ。
 私は凛の瞳から視線を逸らさず、また凛も私の視線から逸らしはしない。

「貴女達は――あいつと一度戦ったことがある」

 そうして、凛はゆっくりと、その言葉を紡いだ。
 言葉にした途端、私から視線を外し、背を向ける。まるで黒板に板書をするために生徒に背を向ける教師のような風情である。だが、ここには黒板はないし、私は椅子に座っているわけではない。

「聖杯戦争なら、時代が違う英雄が出会うことも可能だし、必然的に戦闘も発生する。確かに聖杯戦争に何度も参加するなんて、最初はあるはずないなんて思ったけど。でも、その可能性は決してゼロじゃない。だって、いくらその可能性が低くたって起こりうることには変わりないもの」

 そこで言い終えたのか、凛は振り向き、私の言葉を待つ。月明かりのみが光源たるこの土蔵の中で僅かに覗く無表情めいたその顔からは、真剣さだけが、読み取ることができた。
 そうして、私は現界から何度目かもわからぬ溜め息を吐く。
 私の心は、言葉に出来ない、これまで感じたことがないような。そんな混沌な状態に置かれていた。
 話すつもりになったのは、その心と。そして、長い時間ではなかったが、目の前の少女が、師と呼んだ者と起源を同じくする人物だったからなのかもしれない。

「真名を話さなかった理由、それが一つある」

 何故、ここで真名の話をするのか腑に落ちなかったのか、凛の表情が怪訝なものに変わる。

「それは、私自身が、自分という存在に確証を持てなかったからだ」

 これは、常に考えまいとしていたこと。召喚された時。アーチャーが現れたとき。こうして、記憶を取り戻したとき。常に、脳裏から離れなかった不安。

「それは――どういう意味なのかしら?」

「今、凛の前に立っている私の姿が、本来のものでないことは話したとおりだ。だが、姿は変わってしまいこそすれ、己は確かなものだと、そう信じていた」

 そこで言葉を止め、視線を凛から外す。土蔵を見渡し、天を仰いで、再び凛へと視線を戻す。

「だが、さすがに記憶をなくすようなことが起こってしまうと、信じていたものも信じられなくなる。自分がサーヴァントなどという不確かなものであれば尚更だ」

 本当は考えても詮無いことなのかもしれない。少なくとも、思い悩んだとしても解決はしないのかもしれない。
 だが、考えまいとしても、ふとしたことで浮上するものがある。

「はたして――ここに立っている私は、本当に私なのだろうか」

 衛宮士郎は、かつて全てを失っている。それは家族であり自身の記憶でもある。
 その点で考えるならば、契約を失って私に起こった記憶の喪失とは、初めてのことではない。
 では、何故、あれほどに私は取り乱したのか。それは、記憶を失ったからなのか?

「私が信じている自分の記憶は、本当は偽者で、聖杯が作り出したただの仮初のものではないのか」

 否――。記憶を失ったことそれ自体に恐慌を感じたのであれば、冬の城で感じていただろう。
 では、何にそれを感じたのか。
 それは自身を確固として持っていなかったことにである。

「無論、君を主とする私の誓いに曇りはない。しかしな、凛。私は私自身を信用できないのだよ」

 この身体は、決して私のものではない。だが、私の記憶は確かに衛宮士郎のものである。
 だが、自身が衛宮士郎であると認識できなった時、私という存在は一体何なのだろうか。

「私はこんな聖剣を持っていた記憶はない。持っているはずがないのだ。アーサー王ではないのだからな」

 脳裏に浮かぶこの体の剣技は、決して衛宮士郎のものではない。かつて愚直に修練を重ね、戦場で鍛え上げたそれとは違う。
 記憶を失っていた間、私が使っていた剣は、紛れもなくセイバーの業だ。そして、今もその業をこの身体は放つだろう。
 何しろ、つい先ほど確信したのだから。

「ここに立つ私は、本来は別の人間で、今自身の記憶と信じているものが聖杯によって植えつけられたものだと、そう考えてしまう自分がいるのだ」

 私は、結局の所、英霊というものの存在を理解してはいない。私は自身がどういった存在であるのか、英霊であるのかわからない。
 私がこの聖杯戦争に召喚される前の記憶は、力尽き倒れたそれに他ならない。そして、それは人間の記憶である。
 アルトリアに会いたいという私の願い。それを報酬として私を英霊とするのであれば、一応の形で願いは叶えられてしまっている。
 私自身が英霊となるのは、実際はこの聖杯戦争の終結後になるのだろうか。
 つまり、私自身は、まだ英霊になっていないのだろうか。
 もし、そうであるのならば、かつてのアルトリアのように、不完全であれば霊体化ができない等というイレギュラーがあったはずだが、私は、今は出来ずとも、確かに霊体化出来たのだ。
 何故、霊体化できなくなったのだ。
 そもそも、ギルガメッシュに致命傷を負わされたはずの私が何故、現界しているのか。
 ここにいる私と、最初に凛に召喚された私は、同じ存在なのか。

「私は、今、自分の正体を信じられぬからこそ、その名を口にしたくはないのだ」

 自身が衛宮士郎であることを話さなかった理由は何時しか、こちらの比重が大きくなってしまったのだ。
 最初はたいしたことなかった不安も、徐々に膨らみ、積み上げられていけば大きくなる。

「つまり……貴女はギルガメッシュとの戦いを、聖杯戦争に参加したことがあることを否定はしないけど、あくまで真名は告げない。そして、信じられないからこそ、その過去をあまり話したくない。そう言いたい訳ね」

「そんなところだ。そして君の問いに答えるつもりはある。と言ってもこれはすでに認めたか。まあ、とにかく私はギルガメッシュと戦ったことがある。それも、君が言う様にアルトリアと共闘してな」

「アルトリア……。なるほど、それがセイバーの真名。アーサー王の本来の名前ってことね。といっても必ずアルトリアってわけでもないのかしら……」

 彼女の名前を口にするときに生じる、この感情が嘘だとは思いたくない。

「本来ならギルガメッシュとアーサー王が同じ時代に存在することはありえない。それゆえに、その戦いは君が想像したように、聖杯戦争においてのことだ」

 それはかつてアルトリアと同じように、此度に召喚されたセイバーが経験したであろう第四回とは違う。
 時間軸の違いではない、別の聖杯戦争。それは、奴が生きているときに経験したものと似ているのかもしれない。
 そして、私と奴もまた、別の存在であるように。

「しかし、私が知っているセイバーと、ここにいるセイバーが同じ存在なのかはわからない。違うかもしれないし、同じかもしれない。ただ、わかっていることは、彼女がここにいる理由がない、ということだ」

「まあ、私たちに伝わっている通り、男のアーサー王でも問題ないわけだし。貴女の知っている姿と同じでも、同一人物である保証はないってわけね。そもそも、サーヴァントである以上結局は複製に過ぎない」

 思いがけぬ凛の言葉に私は内心で驚きを表す。まったく考えていなかった事実に気づかされたからだ。
 だが、凛は私の動揺に気付かず言葉を続ける。

「そのはずなのに、貴女は自身とはかけ離れた姿で召喚されてしまった。あれは、やっぱり素で驚いていたわけね」

「――そうだな。だからこそ、召喚された時に君に告げた言葉は本心からのものだった。何しろ、記憶の中にあるセイバーの姿と細部は異なりこそすれそっくりだったのだからな。元の自分とは違う姿になってしまうなど、私には不可能なことだ」

 そう、それこそ聖杯――この冬木のもののようなものではなく、正しく稼動する聖杯でもないと無理ではないのか。

「貴女がアーサー王じゃないってことは知っていたわ。いや、今日確信した、と言うべきかしらね。もっとも、アーサー王だと疑ったのも今日だからあんまり関係なかったかもしれないけど。正解は、私が最初に睨んだものだった。決定的に間違っていた部分はあったけれど、多分、私は貴女が誰なのか、検討がついている」

「そうかも、しれないな」

 少なくとも、私自身をアーサー王だと思ってなかったことは、ギルガメッシュに関しての問いで理解できた。聖剣での件で見せた驚きがフェイクだったのかと思うと、凛に対しての認識を再確認させてくれる。
 自身の正体が、つまり自分がエミヤシロウだと知られてしまっていることは、さすがに衝撃ではあるが。
 
「貴女は自分を信じられないと言った。そうね、確かにサーヴァントは生前の人間性を取り戻す。だけど、それが全てメリットになるわけじゃない。貴女は、自分が信じられなくなってしまった貴女は、きっと弱い」

 凛の言葉を否定できず、そして目を逸らすこともできずに立つ私に、凛ははっきりとその意思を言葉にした。

「だから言うわ。わかっていると自惚れてしまった以上、何を信じるのか、一つだけ言うことができる」

「随分と、簡単に言うな」

 呟いた声は、本当に小さい。
 だが、凛は耳聡く聞き取ったらしく、表情を笑みに変えた。

「そう、そんなの簡単よ。あなたの信じる世界を。貴女が言う様に、自分が別人であるなら、その世界が存在することは不可能でしょうね。でも、貴女が貴女であるなら。貴女の世界は、決してあなたを裏切らない。そうね、貴女とセイバーのこと、今は訊かないわ」

 それでおしまいとでも言う様に、凛は私に背を向け土蔵から出て行く。
 そのまま庭の土を踏み、玄関を通って室内に上がる。
 人間を遥かに凌駕する私の耳は、土蔵から離れていく凛の僅かな足音を確かに捉えていた。
 そして、居間に入ったのを確認した所で、凛の足音を追うのをやめた。
 凛が何を話すのか、聞きたくなかったからだ。
 代わりに、土蔵の隙間から見える空を見上げる。お世辞にも、美しい空とは言い難い。
 そのままで、どれだけの時が経っただろうか。  

「私には、今、それを試す勇気すらないのだよ」

 これは、一度経験したことだ。一度私は空っぽになり、そこにあるものが収まった。
 収まったものが正しいかなどは関係ない。ただ、そこには確かなものがあった。
 だが、それすらもただの幻想に過ぎないのだとすれば。 
 身体は剣でできている。
 だが、その言葉すら忘れていた私は、自分がかつてそう信じた剣であることを、同じように信じることができない。
 自分以外誰も居なくなった土蔵で呟いた言葉は、ひどく擦れてしまっていた。
 かつて、ここで幾度となく繰り返した行為を、試す勇気はなかった。



 interlude



 今にも眠る寸前、といった様子だったイリヤスフィールがあてがわれた部屋に引っ込むと、居間には私とシロウの二人だけになった。
 アーチャーの帰還が食事中のことであったため、食卓の上に並んでいた夕食の残りは随分と冷えてしまっている。いくら五分の猶予があったとはいえ、それだけの時間で食事を終わらすことには至らなかった。何しろ私に関らず、食卓を囲んでいた皆は食事を中断していたのだから。
 夕食を用意したのが凛ということもあって、献立は彼女の得意な中華であった。いったい何時の言葉だったかは定かではなかったが、彼女の言葉は正しいと思っている。それでも、生きた時代に食したものに比べれば十分ではあった。冷めてしまったとはいえ、それだけで「まずい」と言ってしまうのは、実際私の悪夢の如き食生活をなめていると思う。
 確かに……「美味しいもの」を知ってしまった私にとって、残念ではあったけれど。
 その感情が、表情に出てしまったのだろうか。シロウが若干苦笑しながら、私の対面に座った。

「セイバー? 食べるのがきついなら、俺が何とかするけど?」

 つい先ほどまで台所にいたためか、少しだけ食卓の上の料理とは違う匂いがシロウからした。
 帰ってきたアーチャーのために下拵えだけでもと台所に立ったのだ。
 本来、霊体であるサーヴァントに食事は必要ない。それでも、私達――私とアーチャーは殆ど欠かさず食事をした。それは私の主たるシロウの意向でもあったし、それにかこつけた私の希望でもあった。
 口では不平を言いつつも、食事の際は私に匹敵する意思を見せていたアーチャーに、夕食がない等と言いたくなかったのか。シロウはイリヤスフィールが部屋に戻るなり、すぐに台所に立ったのである。
 下拵えだけなのは、土蔵に残る二人が、何時戻ってくるかわからないからだろう。
 契約自体はたいした時間を要さないとはいえ、二人がすぐに戻ってくるとは考えにくい。主従二人だけでしたい話、というものがあるはずだ。おそらく、居間に戻ってきてからでも間に合うようなものを準備しているに違いない。
 
「セイバー? 俺の話、聞いてるか?」

 いつの間にか手を止めて考え込んでしまったのだろう、シロウの声に気がつくと、目の前には中空で留まっている私の箸があった。
 それをゆっくりと私の口へと運ぶ。確かに覚めてしまってはいるが、この料理に込められた技巧は失われていない。

「ええ、もちろんです。シロウの手を煩わせる必要はない。冷めてしまったとはいえ、凛の料理には十分に満足していますから」

「そうか、それならいいけど」

 そう言ったシロウは、自分の分の食事に箸をつける。
 それからは、二人の食事の音だけが食事を支配することになる。
 だが、それも有限のことである。テーブルの上の食事は無限ではないのだから。

「アーチャーには悪いけど、一人で我慢してもらうしかないな」

 二人分の片づけを終え、お茶を淹れるシロウの声には、ここでも苦笑が混ざっている。
 その笑みの対象がいったい誰なのかはわからないが、負の感情は感じなかった。

「とりあえず、アーチャーが食べる間は皆ここにいる、というのはどうでしょう」

 シロウから湯飲みを受け取り、両手を暖めるように持つ。

「俺はそれでもいいけど、アーチャーはどうかな。落ち着かないような気もするけど」

 夕食を私たちに見守られながら食べるアーチャーを思い浮かべる。
 随分と熱心に食べるときもあれば、淡白なときもあった。前者ならば、おそらく気にならないだろう。だが、後者であれば、シロウの言葉通り落ち着かなく思うかもしれない。
 結局、彼女がどちらの反応をとるのかはわからないが、どちらかと言えば後者の感じを覚えたのは、やはり今朝の逃亡の印象が強いからだろうか。

「それは、確かにそうかもしれませんが」

「まあ、今日はともかくとしても。明日からはちゃんと一緒に食事できるから、そのセイバー?」

「? なんでしょうか」

「機嫌、直してくれないか?」

 シロウの言葉に眉を寄せる。意味がわからない。私が機嫌悪く見えるのでしょうか。

「シロウ。言っている意味がよくわからない。シロウは私の機嫌が悪いように見えるのですか?」

「いや、いつも通りに見えるけど、なんていうのかな。なんとなく、悪いのか、なぁって」

 私は湯飲みを置き、若干大げさに息を吐く。

「シロウ。それは貴方の思い過ごしだ。私は特に機嫌が悪いわけではありません」

 少し言葉を強調しすぎたのか、シロウはばつの悪そうな顔をした。

「ああ、いや、悪い。なんか、俺の気のせいみたいだ」

「気のせい、ですか?」

「ああ。なんというか、何故だろう。理由は判らないけど、食事に関してはセイバーを怒らせてはいけないような気がしたんだ。こう、痛い目に合うような」

 両手で竹刀を振る動作をシロウがする。それは、鍛錬の際に、私がシロウをひどい目に合わせる、という意味だろう。
 アーチャーに演じた失態はともかく、シロウに対してそのような面を見せたことは、今回はなかったはずだが……。

「私は、シロウに対して理不尽な怒りを向けたことはあったでしょうか」

「いや、そんなことはなかったと思うけど」

「つまり、さっきのはあくまで想像のことだと」

「ん? そういうことに、なるかな。鍛錬で何度もすっころがされる、様な気がしてさ」

 シロウにしては随分と珍しく、笑い方が大きい。想像して笑っているにしては随分と大げさだ。
 まるで、何か遠いことを思い出しているかのように。
 何となくシロウに覚えた違和感を口に出そうとして、シロウの言葉に先を越された。

「そういえば、セイバー。俺が最初に投影した剣ってなんだったけ?」

「は? 確か、シロウが最初に投影したのはアーチャーの剣だったと記憶していますが。私は居なかったわけですから、最初に見たのは私に突き刺したキャスターの短剣になりますが」

 前回と混ざらないよう注意して言葉にする。
 シロウが投影したのは決して選定の剣ではないのだから。

「だよな。俺が最初に投影した剣は干将莫耶だった。今だって土蔵にそれが残ってる。だけど……」

 そこで言葉を止め、頭をかいたシロウは、少し困ったような笑みを浮かべて続きを口にした。

「何故かな。俺が最初に投影したのは、なんというかセイバーの剣だったような気がするんだけど」

「それは――私のエクスカリバーを、ということですか?」

 微かな衝撃を受けた私は、できるだけ慎重な言葉を選んでシロウに返した。
 確かに、私の知るシロウが、聖杯戦争の中で最初に投影したのは私の剣だった。
 エクスカリバーではない。それは選定の剣。永遠に失われてしまった私の剣。

「いや、あれとは少し違ったと思うんだけど……」

 その言葉に、心臓が胸を突き破りそうになったけれども、冷静さを装い、慎重に言葉を選ぶ。

「アーチャーが私と似ているから間違っている、ということではないのでしょう? 昼間にシロウが話してくれた時はアーチャーの双剣だと確かに聞きましたし。私が知っているのはキャスターの短剣のみです。シロウが直刃の剣を投影したとは、聞いていません」

「あれ……そうか。そうだよな。よく考えればセイバーみたいな西洋剣は投影して、ないよな」

「長い間シロウから離れてしまった以上、私も把握はしていませんが……」

「じゃあ、何時、俺はこんなことを思ったんだろうか」

 可能性としてなら、一つ、考えられることがある。
 私は、今回の聖杯戦争では、睡眠を必要とはしていない。それ故に、私が、夢を見ることはないのだが。
 シロウの方は、私が眠ろうが眠らまいが、関係がない。シロウが夢を見る頻度まではわからないが、私とラインで繋がっている以上、私に関しての夢を見る可能性は十分に高い。
 その、私の夢を見たときに、かつての聖杯戦争でのシロウの姿が映る、ましてや、失われた剣を投影したシロウの姿が映る可能性はあまりに低いはずだが、零ではない。
 そして、かつてのことを、誰かに話す勇気は、私にはない。
 だからだろうか、私が次に発した言葉は、結局は逃避に違いないものだった。

「ところで、シロウ。先程アーチャーに噛まれた際、どうして止めたのですか?」

 土蔵を出てから、一度も話題にしなかった、アーチャーの行動について私は言葉にした。

「どうして、って。なんとなく、かな」

「なんとなく、ですか。噛み破られていながら?」

「まあ、結果的にアーチャーは元に戻った――外見は変わんなかったけど、戻ったんだし、いいんじゃないかな」

「しかしですね、シロウ。一応私たちはサーヴァント、魂食いであって、あのような方法は私もした事はありませんが、もしかしたらあなたは――」

「なんだ、セイバー。おまえ、アーチャーがそんなことする奴だと思ってるのか!?」

「あ――、いえ。そんなことは、決して。ただ、私はシロウが――その」

「ご、ごめん。セイバー。つい、大声出しちまった。ちょっと、セイバーがアーチャーを悪く言ったような気がして。すまん」

「いえ、私の方こそ……。軽率でした。」

 頭を下げながら、私は、内心の動揺を抑えるのに必死だった。
 私は今、何を羨ましいと思ったのだろう? アーチャーを? いや、それともシロウを?
 頭に浮かんだ二人が抱き合うような姿を、必死で消し去ろうとする。そこに――

「どうしたの? 大声なんか出しちゃって衛宮くん。随分遠くまで届いたみたいだけど?」

 私たちの奇妙な空気を吹き飛ばすような軽さと言えばよいのだろうか。実際はただ、障子を開けただけなのだが私にはそう感じてしまった。とにかく、凛が居間に戻ってきたことで、部屋に満ちかけていた暗い雰囲気が霧散した。
 予想していたよりも随分と早い。

「凛? アーチャーは一緒ではないのですか? 彼女の分の食事も……」

「もしかして、いつもみたいに見張りに立っちゃったのか?」

「え? いや、たぶん、まだ土蔵にいると思うけど」

 何時になく歯切れの悪い凛にわたしとシロウは顔を見合わせる。

「何か……あったのですか?」

 私の発した声には過分に深刻さが混じってしまったのだろう。慌てたように顔の前で手を振る凛の姿は、たいしたことはない、と、どうにかして取り繕っているようにも見えた。

「ねえ、衛宮くん。もし、私が貴女の代わりにこの家で育っていたら、どうなってたかしら」

「俺の代わりって、切嗣の養子(こども)ってことか?」

「別にそうじゃなくてもいいわ。単純に藤村先生の立場を私にしてみても……ってそれじゃだめね。衛宮君の言う通りでいいわ」

 考えてみれば妙な質問ではある。だが、シロウは本当に真剣に答えるつもりなのだろう。考え込む姿からは、私と鍛錬するときのそれと変わらぬ気持ちを感じ取れた。
 時間にしておよそ一分といった所だろうか。シロウがどんな想像をしたのかはわからない。

「たぶん、今と変わらないんじゃないか」

 まっすぐと凛を見つめて言葉にするシロウの瞳は力強い。

「遠坂は遠坂だろ。今とそれほど変わらないと思うけどな」

 自分が褒められたとわかったのか、微かに凛の頬が染まっているが、シロウは気づいていない。
 照れたのかはわからないが、凛はシロウからそっぽを向くように視線を逸らした。

「まあ、確かにそうかもしれないけど。全く変わらない、なんてことはないでしょうね。んー。質問が不味かったか。じゃあ、質問変えるから、答えてね、衛宮くん」

「お、おう。とりあえず、答えられるものならな」

「大丈夫よ。衛宮くんならできるわ」

「そ、そうか」

「じゃ、言うわよ。もし、貴女が女の子だったら、どんな娘に育ってたと思う?」

「はっ?」

 シロウの言葉も尤もだ。何しろ傍で聞いていた私でさえ、ぽかんと口を開いてしまったのだから。そんな質問は私がもし男だったらなんてものと変わらない。
 汗を一筋流しながら答えるシロウの腰が、若干引けていた。

「ま、まあ。想像するしかないけど。多分、俺も今と変わんないんじゃないかな。あくまで想像だけど」

「ふむ。まったく性格は変わらない。意地っ張りなのも変わらない」

「む。俺ってそんなに意地っ張りか?」

「そうね、自覚した方がいいわよ。で、多分、女の子だと、今より身長は低い、と。それで、歳をもう少し――」

 身長の件で、若干シロウの肩が落ちたような気がしたが、気にしないことにする。
 それより、凛の言葉の方が気になっていた。

「それで、凛。何故そのような質問を……」

「あ、ああ、ごめん。たいした意味はないから。セイバーはどっちかっていうと違うし、衛宮くんがそれっぽいかなぁって、思ったのよ」

「それっぽい? それは、シロウが誰かに似ている、ということですか」

「ま、そういうことにしておきましょう。そうね、似てる、というより、同じ。いや、開始の時点でまったく違うわけだし、やっぱり、別? でも私が男だったらなんて、やっぱりわかんないし……」

 途中から顔を俯かせ、凛は何かを呟き始める。
 注意して捉えていなかったためか、私に聞こえたのは「似てる」までだった。
 人間外の私でさえ捉えられぬ。それくらい、凛の呟きは言葉にならぬほど小さかった。
 凛はぶつぶつと呟き続けながら、居間から出て行く。それを溜め息つきながら見送ったシロウは、無言で凛の食事を片付け始めた。

「シロウ、アーチャーの食事お願いできますか? 私が持って行きますから」

「あ、ああ。わかった」

 私の言葉に頷いたシロウは再びエプロンをつけて台所へと向かう。
 それは、凛が似ているといった対象をアーチャーだと思ってしまったせいだろうか。シロウの背を見ていた私はいつしか、その背にアーチャーのそれを重ねていた。

「っつ――!?」

 それは、一瞬のことで、その背はすぐにシロウのものに戻っていた。



 interlude out





[1070] Re[43]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂◆4c372ed3 ID:ee6c5363
Date: 2008/07/05 22:16
 
 土蔵に座る。それ自体は私の記憶が確かであれば、かつて幾度となく繰り返してきたことである。何しろ日課であったし、目的を遂げるための大事な手段――そのためのものだったのだから。
 漆黒と言うには少々足りないかもしれないが、それでも黒いことは黒い。故に、汚れも目立つ。僅かな月光が頼りだというのに、私の目には服に付いてしまった汚れが見えていた。おそらくは座ったときについてしまったのだろう。そう結論付ける。
 今着ている服の良し悪しはともかくとして、ドレスと呼べるものを汚すことに微かな罪悪感が湧いた。何故、鎧を着ていないときはドレスなのか。そういった疑問がなかったわけではない。
 結局の所セイバーも、男として振舞っていたセイバーでさえ鎧の下に青きドレスを纏っていた。もちろん、サーヴァントとして召還される時には性別を偽る必要がなかった、と言う理由があるのかもしれないが。
 基本的にこの身体がセイバーを基にしているのであれば、そういった部分でも同様であることに問題はないのだろう。聖剣や鎧、そして身体と同じくして、僅かな差異はあるとはいえ。
 小さく嘆息する。何故、こうも自信がないのであろうか。
 何とかして、かつてそうしたように座ってみた。後は、試してみさえすれば良い。それでわかる。

「いや、そう簡単にはいかないか」

 嘆息する代わりに小さく声を出してみる。
 投影をしてみる。それ自体に現状を解決する力はない。例えば、投影に成功したとしても自身の不安は消えないし、例え失敗したとしても納得はしないだろう。そう、確信していた。
 結局、凛がいう様に自身の世界を形成するしかないのか、だが――それさえも解決にならない。
 何しろ、この身体はセイバーと同じ宝具を有している。身体を持っている。そんなことを可能とした聖杯が、固有結界の複製を可能としない理由がない。たとえ、固有結界をかつてと同じように展開したとしても、それは決定的な力を持たない。自分が衛宮士郎である確固とした理由にならない。
 どんなことをしても納得はしないなんて考えているのだから、これは正しく子どもの我侭と変わりはしない。変わりはしないのだが……。答えはほしいのだ。

 そこに、一つの疑問がある。
 何故、私は自分が衛宮士郎であることに拘っているのだろうか。
 先程の凛の言葉が甦る。
 サーヴァントは所詮、英霊のコピーでしかない。かつてのセイバーは例外だったとしても、それ以外の六騎は基本的には英霊の写し身にしか過ぎないはずである。
 ならば、この身体とで同じはず。もし、この戦で散ることになろうと、それはこの私が消えるだけのこと。
 本当の私に、ただの記録として、記憶にもならぬ結果として、事実として伝わるだけのもののはずだ。
 それは、今の私の苦悩が何の価値を持たない、そういうことになるのではないか。
 何しろ、みんな本物ではないのだから。 

「結局、私自身が弱い。その通りなのだろうな。心は硝子、か」

 凛の言葉通り、いや、それ以上に脆弱な自分の弱さに頭を抱えたくなる。だが、実際にそれをすることはできなかった。

「誰が、弱いのですか?」

「っつ――!?」

 慌てて立ち上がる。土蔵の主である衛宮士郎と違い、私の格好はこの場所に適しているとはいえない。つまりは、あれが翻ってしまったわけで。
 とにかく、不意打ちの如くかけられた声に私は過剰な反応をしてしまったわけだ。

「セ、セイバー?」

 私の反応に驚いていたのだろう。お盆を抱えたセイバーは、目を丸くしてこちらを見ている。しかし、徐々に事態を把握したのか、彼女は少し眉を顰めると、頬を少し膨らませた。

「アーチャー。今のはなんですか。これではまるで幽霊と見たときの反応と大差ない」

 それを言ったら、我々サーヴァントは間違いなく亡霊の類なのだが。つい、そう言おうとしてやめた。それではますます、セイバーの機嫌を損ねるだけだろう。

「いや、その。すまない。いろいろと考えていたものだから」

「そうですか。それなら仕方ありませんね」

 もともとたいして怒っていなかったのか。セイバーは微笑を浮かべるとこちらに近づいてくる。どうやら、お盆には食事が載せられているらしい。

「わざわざ、それを?」

 わかりきったことかもしれないが、一応訊いてみる。セイバーが衛宮士郎の食事を好むと言っても、さすがにわざわざ自分のためにここまで持っては来ないだろう。ということは、私の分、ということになるはずだが……。
 私が随分と失礼なことを考えている事を知らぬセイバーは、首を縦に振ることで問いに答えた。 
 そして、私に近づくとお盆を差し出す。

「どうぞ。アーチャー」

「あ、ああ。ありがとう」

 なんというか……これは少し、気恥ずかしい。
 私はお盆を受け取ると、照れを隠す必要もあって土蔵を見回した。ここは食事を摂るには少し……。
 私は、熱を持った頬が覚めていくのを待ってからセイバーに向き直る。

「とりあえず、セイバー。ここを出ないか?」

「そうですね。わかりました」

 私はセイバーが了承すると早速、と言った感じで足を踏み出そうとしたのだが、そこでセイバーが何かに気をとられていることに気がついた。出足を崩された形となったが、動揺は薄れる。私は気づかれないよう深く息を吸い込み、吐き出した。
 セイバーの視線は土蔵のある一点へと注がれている。
 その方向へ、セイバーが棚へと近づいていく。それに続くように私は両手に盆を抱えたままついて行った。
 セイバーが向かった先。その棚には、一対の剣が二組、大事そうに置かれていた。

「干将と、莫耶、か?」

 セイバーと身長が変わらぬ以上、背後にいても見えるわけがない。私は自然とセイバーの側面に立つことになっていた。
 ここに来た時も、凛と契約し話をしていた時も気がつかなかったが、棚に載せられているのは紛れもなく私が最も得意としていた双剣である。問題は、私がここで投影した覚えがないということ。つまり、これは――衛宮士郎の手によるものだということになる。
 何時から存在するのかはわからない。少なくとも、私は土蔵には殆ど近づかなかったし、中に入ったのは数えるくらいだ。あの時、セイバーの幻影を頭に浮かべた時には、なかったと思うが。

「これが、シロウが投影したという……」

 私を現実に引き戻したのはセイバーの言葉だ。関心はあっても触れるつもりはないのか、ただじっと双剣を見つめているだけである。それよりも、私が気になるのは。

「知っているのか? セイバー」

 この剣がここに存在している理由を、セイバーが知っているかどうかということであった。
 剣を見つめていたセイバーの瞳がゆっくりと私に向けられる。彼女の瞳は普段と変わらぬようにも見えるし、何処か違うようにも見えた。

「詳しいことは知らないのです。ただ、シロウはこれが初めて投影に成功したものだと。具体的にはわかりませんが、私が怒るような状況で使ったらしいのですが」

 話しているうちに少し不満が湧いてきたのか、セイバーの声は少し拗ねたような憮然としたようなものになっていた。セイバーに隠す、ということはおそらく……

「どうせ、サーヴァント。おそらくはランサーとでも打ち合ったのだろう。それならランサーと共闘していた理由もわかる」

「そんなところでしょうね。ランサーの性格なら、敵であっても認めさえすれば一時的な共闘くらいはするでしょうし」

 私とセイバー二人の、おそらくは別の存在であるランサーを思い浮かべても、出てくる答えはひとつだけだ。
 二回も私を、そのくせ足止めなど……。
 かつての自分がどう思ったのか。それをはっきりとは思い出せぬまま、ただ今の自分が思う言葉を口にする。

「あれはムラがあるというのだ」

 しかし、憮然とした声をしたつもりだったのだが、どこか違う口調になってしまった。これは、なんなのだろうか。

「これは、なんとも中途半端な」

「む」

 私の言葉を的確に言い表したセイバーに思わず唸る。
 ただ、セイバーの声は楽しそうではあるものの私の言葉そのものには笑いを抱いてはいないらしい。
 これなら咎める必要はないと、私は出しかけた矛を収める。
 だが、セイバーはそれさえも気づいてしまった、とでもいうように苦笑を浮かべた。

「しかし、貴女の気持ちもわかります。ランサーは英雄と呼ぶに相応しい者だ。それに、彼には借りもありますし」

「セイバー、借り、とは?」

 セイバーの言葉に違和感を覚えた私は、半ば反射的にセイバーに訊いていた。私が知る限りではランサーとの関わりがそんなにあったとは思えないが。
 
「え? それは、柳洞寺で――」

「いや、いい。大体わかった」

 柳洞寺の一言で自分の疑問が薮蛇だったことに気がついた。つまり、借りとは即ち――私に関することも含まれているわけだ。あの地での無様な自分と、微かな、あることに対する自惚れ隠すためにセイバーから視線を逸らし、干将・莫耶へ視線を向ける。

「しかし、これは……随分と精度に差があるな」

 両手が塞がっているため、触れることはできなかったがそれでも、二組の双剣に差があることは簡単に気づくことができた。
 それを話を変えるチャンスとして咄嗟に口にした。

「そう、なのですか?」

 気がついてなかったらしく、私が思った以上にセイバーが不思議そうに聞いてくる。確かに、干将・莫耶は宝具として高い部類にあるわけではない。むしろ下位に位置するわけで。それらに差があるとしても傍目からは看破することはできないかもしれない。
 それこそ、彼女の剣ならいざ知らず。

「ああ。この二つの剣。外見だけを見るならば一見変わりないようにも見えるが。中身において相当に差がある。それこそ、名剣と粗悪品と言っても過言ではないくらいにな」

 それくらい、この二つの投影品には差があった。中身のみを比べるなら衛宮士郎の料理と藤村大河の料理を比べるくらいに。精度の高いほうは信じられぬことだが、私のそれと変わらない完成度である。それに比べて低い方は……例えばこの高い方と数度打ち合えば崩れ去る。それくらいの強度、存在しか持ち合わせていない。
 これが同一人物の投影によるものであれば、随分と差がありすぎる。
 
「どちらにせよ戦闘中に投影したのだろうな。それでこれができるのであれば、あるいは」

 頭にある言葉が張り付く。そうだ、何を考えている。衛宮士郎ではサーヴァントと戦えない。ならば、奴が戦うべきは私と同じように……。
 頭を振る。

「悪い、セイバー。先に行くぞ」

 双剣から視線を外した私は、逃げるように土蔵の出口へと向かう。

「あっ、待ってください。アーチャー」

 その後を、セイバーは少し慌てるようにして追ってきた。
 あの時は逆だった。状況はまったく違うし、お互いの立場も違う。
 ただ、月が彼女を照らしていたことは変わらない。 
 銀の光を纏う彼女を、忘れはしないと誓ったのだ。
 自分の記憶を信じる、ということであればの話だが。
 よそう。セイバーと居る間に、そんなことを考えても益はない。価値はない。
 夜の空に浮かぶのは数多の星々と、一個の月。いくら私の目が良くとも、距離までは変わらない。ただ、なんとなくそれらに近づきたくなった。

「セイバー。不謹慎かもしれないが、屋根に上らないか?」

「フフ。貴女にしては珍しく、随分と弱気な。いつも屋根の上にいるではありませんか」

 言葉に混じってしまった私の感情を耳聡く理解したのか、セイバーに微笑が浮かぶ。それに敵わぬなと私は溜め息をついた。ついでに、彼女の言う「いつも」がどれを指すのか、それを考えるとますます敗北感が湧いてくる。

「さすがに、屋根の上で食事などしたことがないのでな」

 だからといって、このようなことを言ってしまうとは。そう思ったとてすでに後の祭りである。
 私はセイバーが何かを言う前に、屋根の上へと飛び上がった。

「まったく、どうかしてる」

 そして、口の中だけで愚痴をこぼす。私がサーヴァントなればセイバーも同じくサーヴァント。いかな騎士とはいえ油断はできない。

「そうですね。今日の貴女は随分と」

 しかし、私の試みは無駄だったようで。結局は聞かれていたようだった。
 すとんと屋根の上に腰を落とした私の隣に、セイバーがゆっくりと座る。私は彼女の方を見ることができず、ひたすら空を見上げた。
 それから、どれくらいの間空を見上げていたのだろうか。月の位置は殆ど変わっていなかったから、たいした時間ではなかったのだろう。セイバーが遠慮がちに私に声をかけてきた。 

「食べないのですか」

 先の私のような、何とも弱弱しい声である。その理由が何なのかは残念なことにわからなかったが、理由はわからなくとも彼女がそのような声で言ったことは間違いない。
 これは、少し失礼な考えかもしれないのだが……。

「君も、食べるかね?」

 そう言って、私はお盆を左手で差し出した。すでに、右手にはお握りを一つ握っている。

「良い、のですか?」

 セイバーの表情から、自分の心配が杞憂、いや、間違いだったことに気がついたが、今更出したお盆を引くのもおかしい。

「こうやって勧めているんだ。悪いわけがないだろう?」

「そう、ですか。では、お言葉に甘えることにします」

 そう言ったセイバーは少しためらいながらもお盆の上のお握りに手を伸ばした。
 お握りはおそらく、衛宮士郎が握ったのだろう。ただ、奴にしては珍しいことに形のほうがあまりよろしくない。
 私はセイバーがお握りを掴んだことを確認すると、一足先にいただくことにした。

「では、いただきます」

 そう言って一口お握りにかぶりつく。その時になって初めて、自分が随分とお腹を空かせていたことに気がついた。
 この身であれば食べなくても問題はないと言うのに。

「これは、美味しいな」

 悔しい、という言葉は意外なことに思いつかなかった。それくらい、お握りが美味しかったのである。
 ゆっくりと咀嚼し、お握りを楽しむ。いつの間にか閉じていた目を片目だけ開いて、横にいるセイバーの顔を盗み見た。
 そこにはいつもの、食事を楽しんでいるセイバーの姿があった。
 横にいるセイバーと、かつて夜を駆け抜けたセイバー。二人の違いを見つけられるかと問われれば自信はない。同一人物だと言われれば納得してしまうだろう。答えを見つけた彼女と、聖杯を必要ないと言った彼女。
 何をもって違うと言うのか。根拠は、ここに居る……その一点でしかない。
 やがて甦ると謳われ、眠りについているはずのアルトリアが喚ばれるはずがない。だから、ここにいるのは彼女ではない。そんな風に考えていたのではないか。
 そんなことを考えるのは――間違っているのではないか。

「どう、か、しましたか?」

 いつの間にか盗み見ていたことに気づかれたらしく、セイバーが微かに顔を赤くしながら私を見つめていた。

「あ、いや。すまない。ただ、実に美味しそうに食べるな、と」

 あんまりセイバーの仕草が可愛らしかったせいなのか、私はつい、思ったことを口にしてしまう。
 しかし、それはセイバーの頬を膨らませることになってしまった。

「それは、貴女も変わりないではないですか。私の感想も貴女と変わりないですよ」

「そ、そうか」

「そうです。ほら、ごらんなさい。お握りだってこんなに減っているのですから」

「む……」

 言われて気がつく。お盆の上のお握りが殆ど残っていない。随分と、それこそ山の如くあったような気がしたが。

「セイバー。いくらなんでも食べすぎでは――」

「ほとんど、貴女が食べたのですが」

「は――?」

 その言葉に思わず両頬を触りそうにり、すんででこらえた。落としそうになったお盆はなんとか手に残る。

「私はそんなに、食べたか?」

「それはもう。そもそも、私を見ていたのなら私が食べた数くらい覚えているのではないですか?」

「むむ……」

 言われればそうである。何しろ一口食べてからずっと見ていたのだから。そうだ、セイバーは確かに。

「三分の一も、食べて、ない?」

「当たり前です。そもそもアーチャーのために持ってきたものを私がほとんど食べてしまってどうするのですか」

「ということは、私が食べた?」

「先ほどからそう言っています」

「信じられない」

「アーチャー。貴女、まさか私のことをひどい大飯喰らいのように思っていませんか?」

「いや、そこまでは思ってはいないが。あの時は断食と冗談を言ったくらいでひどい目に……」

「む、何か言いましたか?」

 心の中で言ったつもりが口に出してしまっていたらしい。慌てて両手を口で塞いだが、そのために今度こそお盆が手から離れて――

「くっ!?」

 何もしなければただ、屋根の下へと落ちていくはずのお盆だったが、慌てて身を乗り出したセイバーがキャッチに成功した。ただ、乗り出した、ということが問題なわけで。

「ふう、危なかった。アーチャー、貴女は兵糧の大事さをわかっているのですか?」

「それは、重々承知しているが。その、なんだ。この体勢で説教を受けるのは、あれだ。少し恥ずかしいのでは、ないかな?」

 声が擦れて若干上擦ってしまう。私は、動揺していた。
 乗り出したセイバーは私の手から離れたお盆をキャッチしたわけで。それを掴もうとした勢いは中々止まらないわけで。その、つまりセイバーは今、私の膝の上に身体を乗せた状態なわけである。

「す、すみません。アーチャー! すぐに離れますから!」

 そう言ったセイバーだったが、状態が状態だ。両手が塞がっているため、手の力を使えないし、そもそも両手の位置が悪い。その結果、彼女は身を起こそうとして結局失敗することになってしまった。魔力を使えばこんな結果にはならなかっただろう。

「――すみません」

「いや、どちらかというと、これは私が悪いと思うのだが」

 セイバーの頑張りをただ眺めていただけである。本当なら手助けしなければならなかった。それをしなかったことで、セイバーがさっきよりさらに私に乗りかかってしまったのだから。

「とりあえず、お盆を私が持とう。いくらサーヴァントでもその格好はつらいのではないかね?」

「わかりました。お願いします」

 セイバーの後頭部より上にあったお盆を受け取る。これでセイバーの両腕は自由になった。そして私は、セイバーが身を起こすより早くお盆を高く掲げた。そうしないと、セイバーの頭にぶつかってしまう。
 とにかく、頭とお盆は衝突することなく、セイバーは無事に身を起こすことができた。
 ただ、なんというか……話しづらい。そんな雰囲気になってしまった。
 私は馬鹿みたいに掲げていた手を下げ、セイバーは私へと向いていた身体を九十度回転させる。なんとなく、お互いの顔が微妙に相手とは逆の方を向いている気がした。私がそうなだけで、セイバーはまっすく前を向いていたのかもしれないが。
 だが、意識が散漫になっていたことは確かだった。

「えーっと。大丈夫だったか? 二人とも」

「「――!!!!!?」」

 意図せず同じような声ならぬ叫びを上げた私とセイバーは、声の下方向を凝視した。
 月明かりのした私達を見上げている衛宮士郎は、なんともばつの悪そうな顔をしている。その顔には「全て見ていた」そう書かれていた。
 
「え、ええ、だ、大丈夫です、シロウ。私達は無事です! それはもう!」

 言い訳を口にするのは私よりセイバーのほうが早かった。しかし、動揺していることはまったく隠せていない。

「ん。まあ、セイバーがそう言うなら大丈夫なんだろうけど。アーチャー?」

 私は随分と厳しい視線を向けていたのか。衛宮士郎が若干後ずさったのがわかった。少し表情も引き攣っている。

「貴様――、どこから見ていた」

「見ていたって――」

 衛宮士郎は狼狽するが、そんな時間を与えるつもりはない。

「早く!」

「うわっ!」

「アーチャー、少し落ち着いては」

「セイバーこれは大事なことなのだ。頼む」

 そう、大事なことなのだ。奴が、どこから見ていたかによっていろいろと変わってくる。
 私の意図はともかく、その意思は伝わったのか。セイバーの瞳にも力が戻ってくる。

「ふう、貴女がそこまで言うのであれば。わかりました」

「ありがとう」

 私はセイバーの瞳を見つめながら礼を言う。先程のような気恥ずかしさはもうない。
 そして、なにより自分の言葉を優先してくれたことに、どこか後ろ暗い嬉しさを感じていた。
 それに浸ってしまったのを、鈍感なはずの衛宮士郎に気づかれてしまったのか。

「あー、アーチャー。もう話してもいいのかな」

「かまわん。さっさと話せ」

 ますます私の声は低く、ぶっきらぼうになってしまう。

「やっぱり嫌われてるのか? 俺……。俺が見たのは、その、セイバーがアーチャーの太腿? の上に乗っかってる所からだよ。だからちょっと珍しいな、と。なんかセイバーがアーチャーに甘えてるみたいだったし、俺にも気がついてないくらいだったからさ。そのセイバーが妙な格好でお盆持ってるのがよくわからなかったけど」

「なっ!? シロウ、それは誤解だ!」

 思わず小さく叫んだセイバーの横で私は目を細める。衛宮士郎が最初の方に何を言ったのかは聞き取れなかったが、重要なことは聞いた。先の表情を浮かべるような誤解はセイバーが解いてくれるだろう。
 説明することをセイバーに任せて、衛宮士郎の言葉を反芻する。セイバーが私に甘える、か。よくよく考えたら、この誤解は別に解かなくてもたいした不都合は私にはないのでは……。少々気恥ずかしいが。そんなことを考えていたのがまずかったのか。いつのまにか二人の会話を頭から締め出してしまっていた。

「アーチャー。貴女からもシロウに言ってください。決して私は甘えてなどいないと」

 とはいえ、さすがに私に向けて言葉をかけられれば反応くらいはできる。私は言葉を繰り返すことをやめ、視界を現実に戻した。肩をつかまれ揺さぶられるというオプションつきではあったが。

「わ、わかった。セイバー。言うから、言うから揺らすのはやめてくれ」

 セイバーの両手を肩からやんわりと離す。随分と興奮しているようだが、表情自体は取り乱しているように見えない。衛宮士郎の方は困ったような表情を浮かべているが、どこか譲らないぞとでも言うような意思を感じたような気がした。

「それで、何を言い争っているのだね、二人とも。一応夜なのだがな」

「聞いてなかったのですか?」

 離したばっかりのはずの両手がまた私の肩に乗せられた。自分に不都合な部分は聞き取らなかったのか、セイバーは微かに目を細めながら、声を大にして私がセイバーの説明を聞いていなかったことを咎めてきた。聞いてなかったこと、これについては何の弁解もできない。

「ん、まあ。衛宮士郎から聞きたい事は聞き出せたし。私自身は大して問題があるわけでは」

「大ありです! シロウは私が貴女に甘えているなどと言ったのですよ! 私はこんな誤解を許すわけにはいかない」

 そんなに甘える、というのがお気に召さないのか。セイバーの興奮は冷めそうにもない。
 そして、私が何かを言う前に、衛宮士郎がセイバーに向かって口を開く。

「だけどさ、セイバーがどうあれ俺にはそう見えたんだから仕方ないじゃないか」

 淡々と自分の意志を告げるその姿は、考えを変える気持ちはないと主張しているみたいで。私と同様にセイバーも思ったのか、視線を衛宮士郎に一瞬で戻すと、猛獣の如き激しさで口を開いた。

「だから! それはシロウの思い違いだと何度言えばわかるのです!」

 なるほど。こうやってセイバーの火に衛宮士郎が油を注いでいるわけか。
 しかし、これは見ようによっては随分と仲が良い、ともとれる。それはそれで、なんとなく気に食わない気がするのである。セイバーがここまで感情を露にしているのも。

 だから、私は二人が言い争いをやめる位には、大きな声を。低い声を。出したつもりだった。

「二人ともそれくらいにしたらどうだ。曲げられないものがあるのはわかるが、それにしてもこれは些か大人気ない、というか馬鹿馬鹿しい。衛宮士郎。お前は夜中に言い争いをするために出たのではなかろう」

 私の声で言い争いを中断した二人は、毒気を抜かれたような顔で私を見つめる。
 特に私に名指しされた衛宮士郎は、少し、と言うには些か以上ばつが悪そうだ。いい気味である。 

「いや、まあ、そうだけど」

 何故、セイバーがこうも妙なことに力を入れているのか理解できない。理解できないが、なんとなくセイバーが甘える、という言葉に懐かしい気持ちを思い起こさせられた。そう、かつて似たようなことを。
 それは自分の中に存在する嫌な感情に気づかされることでもあったが。

「――別に、お前の考えを曲げろとは言ってない。ただ、やるべきことをやらずして、通すものでもあるまい。お前は、まずやるべきことがあるだろう?」

 そして私は口の中で呪を唱える。

「干将・莫耶。よもやお前が私の剣を投影するとはな。とりあえず、見事とだけ言っておこう。だが、それは片方だけだ。もう片方は目も当てられん。どんな危機に際しても問題ない程度になる様、鍛錬するべきだ」

 片手にお盆、片手に干将と、よくよく考えれば馬鹿馬鹿しい格好――しかもよく考えれば座ったままであることはとにかく考えないようにして、私は土蔵を干将で指し示した。

「わかった。ちょっと、不謹慎だったかもしれない。アーチャーが言う様に俺は未熟だから、きちんと鍛錬しないとな。だけど」

「だけど?」

 衛宮士郎は私からセイバーに視線を移す。

「俺は納得してないから、セイバー。明日きっちりと話をつけるから」

 そう宣言した衛宮士郎にセイバーは答えない。だが、返事は期待してなかったのか衛宮士郎は私達に背を向けて土蔵へと歩いていった。
 その背を見送りながら右手の中の干将をくるくると回す。普通はこんなことはしないのだが、なんと言うか感触が常とは違うので、リハビリのような気持ちだったのかもしれない。
 そうやって私は、セイバーが言葉を口にするまで、延々と干将を回し続けた。

「何なのでしょうね」

 セイバーの声には、どこか冷たい所があった。先ほどの激昂とは正しく正反対のように思える。だが、それは表面的なものだったのかもしれない。熱いと感じるものが胸の奥に仕舞われただけ。そんな印象を受けた。

「どうして、あれくらいのことで私は怒ってしまったのでしょう」

 その問いに答える術を私は持たない。ただ、かつて似たようなことを私がセイバーに言ったことを思い出していた。何もかもが違っていたが。
 
「気に入らなかったのは、私が対象だから、ではないな?」

「――はい」

 なるほど、彼女はやはりセイバーであり、アルトリアである。疑いない事実であり、また哀しいことでもあった。
 かつては激情のままに彼女へと言葉を投げた。だが、今の私にそれを言う熱意も、資格もない。
 何しろ、私自身がそうやってここまで来てしまった。衛宮士郎を目の前にしながら、私は冷静で居られないというのに。
 私は短く。

「そうか……」

 そう言葉にして、右手の干将を地面へと突き刺す。ほとんど感覚的に放ったそれだが、地面に深々と突き立った。
 そして、残っていたお握りをセイバーに勧める。

「とにかく、こんなところで悩んでいても仕方あるまい。これでも食べて元気を出すのだな」

 最初はきょとんとしていたものの、私の言葉に無言で頷いたセイバーはゆっくりとお握りを口にした。その光景に微かな満足を覚えながら、私もお握りを頬張る。
 無言で残りのお握りを食べ続けるのは、普通ならそれほど妙な光景ではなかっただろう。
 ただし、ここは屋根の上であるし、時間も遅い。
 さぞや衛宮士郎の目には奇妙な光景に映っただろう。
 土蔵と、突き立てた干将を交互に見ていると、セイバーがポツリと呟いた。

「しかし、シロウが投影した剣が、まさかアーチャーのものだとは」

 その声に僅かな悔しさのようなものを感じた私は、何を言うべきか一瞬迷った。
 もしかしたら、セイバーは意図せずに呟いたのかもしれない。

「もし、奴が君の剣を投影したとしたら……」

 その迷いが、私の言葉を途中で止めてしまったのか。最後まで続けることができず、口を閉ざしてしまう。
 だが、それはセイバーの前では許されず。

「私が、どう思うと、貴女は考えたのですか? アーチャー」

 静かに続く言葉を問われた。
 
 長い沈黙が続いた。
 そして、セイバーの視線に負けて、私は言葉を発した。

「それは……嬉しいのかもしれないし。寂しいのかもしれないな」

 咄嗟に出てしまった言葉、本音は、自分でもあまり好ましいものではなく。
 慌ててそっぽを向くも、あまり意味はない。

「アーチャー。貴女は何を寂しいと?」

 セイバーの口調に楽しげなものを感じて、私はますますセイバーから顔をそらした。

「奴が、戦えるようになることに、感じるものがあるわけではないさ」

 本心からの言葉を言うも、これだけが真実ではない。真実を言うわけにはいかないのだ。
 奴が、セイバーの剣を投影していれば、嬉しかったかもしれない。
 だが、それは、私がセイバーの剣を投影したわけではないのだ。
 もし、衛宮士郎が、選定の剣を投影していたならば、私はきっと寂しかっただろう。
 隣にいる彼女が、かつて夜を駆け抜けたアルトリアとは違うのだと、突きつけられたような気になるだろう。
 それは、私が私であることを疑うことと、同じくらいつらいことだ。

 セイバーから顔をそらしているのは、自分の顔を見られたくないからでもある。
 考えていることが簡単に悟られてしまう今の自分では、どんな顔をするのかわからないのだから。

 つまらないことを考えまいと、小さく呪を呟き、獏耶を投影する。
 それを一回転させると、干将が突き立っている庭へと、同じように投げた。
 私の狙い通り干将の傍にに突き立った獏耶は、正しく夫婦の名を冠するに恥じない。

「私だって、シロウが貴女の剣を投影したことを羨ましいと思っているんですよ」

 先の悔しさを吐露するようなセイバー言葉だが、その口調は軽い。
 
「私は……私は自分の剣を投影されても、嬉しくない」

 その軽さにつられて、私はまたも本音を漏らしていた。
 それは事実である。
 嬉しいはずあろうか。衛宮士郎に投影されたのが私が得意とする剣だったなんて。
 確かにセイバーの剣よりもはるかに負担は少ないだろうが、それでも。気持ちよいものではないのだ。
 たとえ、私が用いる双剣そのものも投影によるものであるとしても、だ。
 そして、セイバーが羨ましいと言った言葉そのものが私にとって嬉しくない。
 それは、セイバーが衛宮士郎に、奴に投影してほしかった、と言っているわけで。
 衛宮士郎に望んでいるのだから。
 これではなく――

「あ、れ?」

 頭をよぎった違和感に、つい、言葉が漏れた。
 セイバーの視線を感じたが、私はそれどころではない。私はある場所を注視する。
 そうだ。私の視線の先には、私が投影した剣がある。
 私が。この手で。奴のものではない、私がこの手で――!

「―――はは、ははははははは!」

 それをはっきりと認識した途端。私の口からは笑い声が溢れていた。
 時間など関係ないと、私の理性を凌駕して、大きな声が上がる。
 太い声ではなく、セイバーと同じ声で笑うそれは、違和感があるものの、耳に心地よい響きでもある。
 
「アーチャー。いったい何を……!」

 突然の私の奇行と言っても過言ではない行動に、セイバーが慌てたような声を上げる。
 それすらも、楽しげに見えてしまった私は、ますますその声を大きくする。
 それでも、夜の静けさは私の声に勝っていた。

 空へと放たれる声は、私とセイバーの耳だけに。
 ほかの人間に伝わることなく。私が飽きるまで続けられた。
 
 無意識に行っていた投影は、何の解決ももたらさない。
 だが、それでも――私は可笑しく思えたのだ。
 たったこれだけのことが。この手にひとつの剣があることだけのことが。
 あの暗い苦悩を消し去るのかと。
 自分の苦悩がたいしたものではないと、そう思えて。
 私はセイバーの隣で、笑い続けた。
 銀色に輝く月の光の下で。私の不安はまるで通りもののように消えていた。



[1070] Re[44]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂◆4c372ed3 ID:49abab35
Date: 2008/07/20 22:40
 結局笑い続ける私を止めることは無理だと思ったのか、セイバーは私が満足するまで放っておいてくれた。
 それが嬉しいことなのかは、よくわからなかったが、その時の私が笑い続けたのは確かである。
 少しだけ、後悔しているかもしれない。その、恥ずかしさで……。



 二月十一日


 さすがに朝まで笑い続けたわけではない。
 それでも、自分の行動が少し恥ずかしかった私は、セイバーの横で小さくなっていたわけである。
 見張りというにはあまりにお粗末ではあるが、元々見張りなどただの建て前ではある。
 霊体化されれば、いかな鷹の目でもサーヴァントを捉えることはできない。そうなると、接近を知るのはせいぜい数百メートル程度のことだ。
 その程度の距離であれば、サーヴァントなら容易く詰めることができる。
 私の射程距離ではあるものの、それは油断をすると弓が仇となる距離でもあった。
 無駄とは言わない。見張りをしないとも言わない。
 それでも、夜に襲撃があるとするならば、私の目では捉えられないだろう。そんな確信はあった。そして、この見張りそのものがバーサーカー単体に対してのものだという勝手な考えも。
 だから、この時間は私の自己満足だ。そして重大な裏切りだ。
 見張りという名を借りて、セイバーとの時間を楽しんでいるのだから。
ただ……ある種、嫉妬を抱いていた腹いせでもあった。
 たしかに馬鹿らしいことから不安はどこかへと消えてしまってはいたが、衛宮士郎に対してのある感情は消えてはいない。
 それは常に感じるものとは違い、徐々に大きくなっていた感情だったが。
 とにかく、それを忘れるための時間でもあるわけで。 
 そして、お粗末な見張りの名を借りた二人の時間を謳歌をするのは夜だけだ。だけだったはずなのだが……。
 
「ふう」

 自分の湯飲みを置いたセイバーが小さくため息を吐く。
 私たちは空が薄暗くなったくらいから、屋敷に戻っていた。
 時間は八時を過ぎたところ。朝ではあるものの、早朝とはもう言えない時間だろうか。
 だが、居間には私とセイバーしかいない。
 空になったセイバーの湯飲みに私はお茶を注ぐ。
 その間、誰かがお茶を飲む音がするわけでもない。ただ、湯飲みに注がれるお茶の音がするだけだ。

 つまり、誰も起きてこないわけである。

「そんなに気になるのなら起こしに言ったらどうかね?」

 先ほどから何度目かわからぬ溜息を吐いたセイバーにたまらず私は言葉をかけた。
 本当はかけたくなかったのだが、さすがに落ち着かないセイバーを見ているのも忍びなかったのである。
 本当にかけたくなかったのだが。

「しかし……」

「何時までも土蔵で寝かせておくわけにもいくまい。奴の頑丈さは折り紙つきだが、それでも人間であることに変わりないのだからな」

 ある種の馬鹿である奴が風邪を引くとも思えんが。
 このままではセイバーがある種の病にかかってしまう。
 それに、もし。もしもだ。奴が風邪を引いてしまったら、それは私も困るわけで。

「そこまで言うのでしたら」

「ああ、ついでに朝食は任せておけ。適当に作っておくさ」

「適当、ですか?」

「――言い直そう。それなりに、作る」

「……それなり?」

「わかったわかった。しっかり作るから」

 降参と両手を挙げると、セイバーの視線が穏やかなものになる。
 
「ふふ。私を甘く見るからです。確かにシロウの事で落ち着かなかったのは確かですけどね」

 どうやら、からかわれていたらしい。だが、そのからかい方は、セイバー。

「ますます、駄目な方向にいってないか? それでは君が食いしん坊であることを否定できなくなるわけだが」

「――アーチャーには負けますから、問題ありません」

 失敗を悟ったのだろう。慌てたそぶりでセイバーは居間を出て行った。

「居たのが私だけでよかったな。セイバー」

 私はそう呟くと、掛けてあったエプロンを身に着ける。
 凛やイリヤが居たら、先のセイバーはそれこそ格好の餌食となってしまっていただろう。
 セイバーが残していった湯飲みを含め、テーブルの上を片付けると私は冷蔵庫の扉を開いた。
 たいした物はないが、セイバーの機嫌を悪くしない程度のものは作れるだろう。
 そう結論付けた私の背後に、いつの間にか世にも恐ろしいものが立っていた。
 
 それは決して死を招くような危機ではない。身体を侵すのではなく、あくまで心を押しつぶす類のものだ。
 それは初めて会うものではない。ただ、常に在るわけでもない。
 ただ、決して慣れぬもの。笑い飛ばせぬもの。怖れを込めて、私は下がる。
 私の背後に立っていたもの。その名を凛と言う。紛れもなく、私のマスターであった。

「な、に? おはよう……。どうした、の?」

 その、据わりに据わっている目が私に向けられる。何かあるのか、と。
 存在を観測したわけではないが、地獄の亡者も真っ青な威容を見せる凛に、私は首を振ることで答える。
 なんでもない、と。
 少々、というにはあまりに挙動不審な私の態度であったが、凛は気に留めなかったようだ。
 私が後ろに下がったことで空いた冷蔵庫へと、凛はゆっくりと足を進める。
 その一歩一歩が、普通に感じる時間よりも長く感じた。

 冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップへと注ぐ。そして、それを足取りの遅さからは考えられぬ速度で飲み干す。
 すでに何度も見た光景だ。
 この屋敷に来てから、凛は朝に大抵これを行う。
 まったく、慣れることができない光景である。むしろ慣れたくはない。

 牛乳を一気に飲み干したことで、頭が冴えてきたのだろう。
 髪は乱れたままだったが、凛の目にはいつもの鋭さが戻ってきていた。

「ふう。生き返った。ん? アーチャー、それ、何なわけ?」

 口についた牛乳のあとを手の甲で拭った凛が、目を軽く見開いている。

「あ? いや、朝食の用意をだな」

 腰が引けていたのを隠すように私は姿勢を正すものの、声に含まれる動揺は隠し切れない。
 そもそもどうして牛乳一杯でこうも一変してしまうのか。
 だが、凛は私のそんな態度には関心がないのか。細く鋭くなった瞳が見ているのは態度ではない、どこかのようであった。

「そうじゃなくて……、いや、関係はあるか」

 固まっている私を、私のおそらく首より下を見ながら凛がぶつぶつと呟いている。
 一体なんだと……。
 私の顔にその疑問が現れてしまったのだろう。凛は、大げさに溜息を吐いてみせると、妙に眉を寄せて私に口を開いた。

「その格好は、何、って訊いているの。まさか、気づいてないなんて言わないんでしょう? 言わないわよね」

 ある種、願いすら込められているような凛の言葉だが、生憎と、私にはまったくわからなかった。
 急いで自分の格好を見渡すがまったく何も思い当たらない。
 料理の際エプロンをすることに問題はないはず。たしかに、これは私のではなく、衛宮士郎のものではあるわけだが……。
 
「はあ。その様子じゃ気づいてないみたいね。自覚なし。なんてことかしら。いくら彼でもここまで無頓着じゃ。いや、でも結局推測に過ぎないわけだし。実際は全然。でも……」

 何やらぶつぶつと自分の世界に入ってしまった凛に、私は何もすることができない。
 このまま放っておいて、料理を再開するべきか。
 そう思った私だったが、それを実行に移すことはできなかった。

「ちょっと待った!」

 自分の世界に入っていたくせに、外界の変化にはずいぶんと敏感らしい。
 私はたった一歩歩いただけだというのに、凛は鋭い声で私を制止する。

「何だというのだ、凛。私には君が言う問題など何も感じないのだが」

 さすがに意味のわからぬことで料理を中断されるのはあまり気分の良いものではない。
 私の声には微かな棘が混じっていた。
 だが、凛がその程度で怯むような人間でも、主張を曲げるような人間でもないことも知っていた。
 実際に私の格好には何か問題があるのだろう。
 本当に、私が気がつかぬレベルで。

「もう。後悔しても遅いからね。アーチャー、あんた、自分の格好を言ってみなさい。それでわかるから」

「ふむ。エプロンをしているな。料理のためだ。問題などないはずだが」

「そうね。問題ないわ。私だって料理するときエプロンは使うもの。そう、エプロンだけなら問題ないわよ」

 その言葉に違和感を覚える。あまりにもあからさまないい様。エプロンだけ、とは。

「で、あんたの格好。まさかエプロンだけじゃないでしょ。ほかには何も着てないわけ?」

「まさか。どこかの馬鹿ならともかく、きちんと私は服を――」

 それだけで、それだけで十分だった。それだけで、私は凛が何を言いたかったのか、理解してしまった。
 いや、その言い方は少しおかしい。
 そう――やっと、私は気づいたのだ。

「あ、ああ……」

 驚愕の声は思ったよりも小さく、擦れたように鳴っただけだ。
 その私の狼狽を凛は黙って見つめている。
 まさか、まさか。私は――ずっと……。
 
「やっぱり気がついてなかったのね」

 ドレスのままで活動していたなんて。
 いや、それだけならまだ良い。まさか自分の格好に気がつかずに、その上からエプロンを着けていたなんて!
 頬が紅潮していくのがわかる。隠すつもりはなかったし、そもそもどうする事もできない。
 どうにもならない戦場での窮地をはるかに上回る混乱が私を襲っていたのだから。

「うあ、いや、その、凛。これ、はだな」

 うまく言葉にできないことに何の疑問も浮かばない。
 むしろこれくらいですんでいることのほうがありがたいくらいだ。

「はいはい。落ち着いて。深呼吸でもしてみたらどう?」

「む、むう。そうだな。すう――はあ」

 凛に言われて大きく息を吸うものの、背中から、腹の底から這い上がってくるような言葉にし難い感覚は消える気配がなかった。
 心臓が大きく鳴っている。
 今まで、気がついていなかったのか? いや、それは否だ。
 少なくとも、土蔵で一回は気がついていた。
 何時からこの格好だったのだ?
 少なくとも、森の廃墟で目を覚ましたときはこの格好だったはずだ。
 戦っているときは?
 ああ、問題ない。あの時は確かに鎧を纏っていた。戦うにふさわしい姿だったはずだ。
 じゃあ、奴に出会ったときは。
 残念。あの時は、すでにこの格好だった。奴の笑いはこれも含まれていたのかもしれない。
 では、では。この土蔵で皆に醜態を晒したときは? 衛宮士郎に――
 解っているだろう? 気づいたのは土蔵だ。なら、それがどういうことなのか――

「あ~もうっ! だからそこまでだって! 見てる分には面白いけど、度が過ぎるのも考え物よ!」

 加速する思考を凛が押し止める。
 
「とにかく! 私が言いたいことはわかったんでしょ! だったら今するべきこともわかってるでしょ!」

 わかっている。凛が忠告してくれなければ、ずっと私はこの格好でいたのだろう。それがどういうことになるのか――
 着替えなければならない。ならないのだが……。
 意外と衛宮士郎はなんとも思わないのではないだろうか。
 そんなことを思ってしまった。
 まるで、通りもののように。――そう思った。 
 そもそも、鈍い男だ。おかしいとさえ思っていないかもしれない。
 そう考えてしまうと、着替えなければならないという気は失われていった。
 それからは瞬く間に様々な補強が行われていった。
 セイバーは元々似たような格好をしているのだから何の問題もないだろう。ほとんど色違いのようなものだ。
 イリヤの前でもずっとこの格好だったのだ。今更何か特別なことを言われることもないだろう。
 そうだ。凛だったからこそ。私にこのような指摘をすることができたのだろう。
 何しろ、私ですら。自分の格好に違和感をまったく持っていなかったのだから。
 ……最後のそれは、あまりにも拙い言い訳ではあったが。それにすがるほど私には胸の奥底から湧き上がる感情があった。

 そう。私は着替えたくない。この格好が良いのではない。好んでいるわけではない。
 ただ、どういうわけか。私は着替えるくらいなら、この格好でいるという恥ずかしさを選ぶ。
 そんな確信があった。

「さっさと着替えてきなさい! そうしないと見てるこっちが恥ずかしい……って。どうしたの? アーチャー?」

「着替えないと、駄目か?」

「は?」

 信じられないと目をむく凛に畳み掛けるように言葉を続ける。

「いや、別にこの格好が気に入っているというわけではないぞ。断じて。それはもう。だがな、セイバーには私が料理を作ると約束したし、今から着替えに行ってしまうと、セイバーが戻ってきたときにがっかりするかもしれないわけだ。つまり、私は着替えにいくわけにも行かないということになる。なるのだ。決して疑ってはいけない。凛。これは大事なことなんだ。セイバーのためにも着替えるわけにはいかない。そりゃあ、この格好は恥ずかしいことこの上ないわけだが」

 できるだけ早口で、凛がすべてを聞き取れないように適当な言葉を吐く。もとより自分自身ですら把握できない言葉だ。何を言っているかなんて重要ではない。ようは、着替えに行かない、という状況に持っていければ良い。
 
「――わかったわ。まあ、あんたは紛れもないサーヴァントなわけだし。そう考えると格好なんか気にしてもしょうがない、か。もともと鎧の下はそれだったみたいだし」

 実際は少しだけ変わってしまったのだと思うが。それはどうでも良いことだ。
 今は、凛が私がこのままでいることを許したことの方が重要なのである。視線から後悔しても知らないわよ、といった凛の感情が伝わってきているような気がしたが。
 むしろ、着替えることの方が私には危険に感じるのだ。
 この直感は、間違いではあるまい。

 揺ぎ無き瞳で凛の視線を受け止める。私の意志に、凛はついに観念したのか。軽く息を吐くと、後ろ手に手を振りながら台所から出て行った。
 勝手にしろ、ということなのだろう。
 消えていく背中を見送ると、私は微かに力を抜き、朝食の準備に取り掛かった。
 すぐに凛とのやり取りは頭の端に追いやられていった。


 料理が好きか、と問われれば私はどう答えるだろうか。
 すくなくとも、好きとは言えない様な気がしていたのだが、現在の心境を考えるとそれも無理なのかもしれない。つまり、否定は無理である。
 そう判断する他ない状況でもあった。
 料理に限らないことではあるが、家事全般を行うとき私はどことなく楽しんでいるような気がする。
 そう、素直に思えるくらい、充実な時間を私に与えていた。
 たいしたものはつくっていない。でも、それでも私には十分だった。
 たった、一日、家事を行わなかっただけでそう思ったわけだから……実のところ。と思ったわけである。

 まあ、そんなことを思う余裕など、せいぜい料理を居間に運ぶまでのことだったが。
 没頭していたからか、居間に皆がそろっていることに気がついていなかった。もしくは気づいてはいたが、頭から締め出していた。
 結果だけを考えれば、皆この屋敷で暮らす人間だ。何事もなかったわけだから問題ないが、これが敵であった場合言い訳できない。
 殺気がなかったからとも、セイバー以外のサーヴァントを感じなかった、と、言い訳をすることはいくらでもできるが。誰の気配にも気づくことがなかったという結果、それがすべてだ。
 誰であろうと、私が気がつかなかったことに変わりはない。
 ただ、私はそんな真面目なことをいつまでも考えていられるほど冷静ではいられなかった。
 何しろ、自分の格好のおかしさ、という事実が料理の熱から冷めた私に容赦なく襲い掛かっていたからだ。それの前には、先の失態など敵にもならない。
 凛の前では強がって見せたが、実際に皆が私の格好に対してどんな反応をするのか予測がつかない。
 料理を運んで、残った僅かな洗い物をする間、私の心は平静とは言い難いものだった。

 だが、時間は待ってくれない。洗うものはすぐに無くなってしまったし、それ以外にも汚れは見えない。
 探せばあるのだろうが、それを今してしまうのはあまりに不自然すぎる。
 ゆえに、私が取れる選択肢は、居間に行くことだけだった。
 できるだけ自然に、皆の元へと向かいながらエプロンを外す。私を見ているのは凛、だけだろうか。下を向いている私にはその判断がつかない。
 そして、エプロンを外した私は自分の席に着いた。
 何もない。
 何もない。
 何もなかった。
 何も言葉をかけられない。誰も私に声をかけない。それが危機を乗り切った証であるととった私は、小さく、だが深く息を吐いた。
 そして、まだ自分が下を向いていたことに気がつくと、ゆっくりと顔を上げる。

「っつ――!?」

 そこで不覚にも私は、小さな叫び声をあげてしまった。
 私以外のテーブルを囲んでいた全員が私を見ていたからだ。

「な、なんだ? みんな」

 思わず、その意図を問う。

「何って、アーチャーが座るのを待ってただけだぞ。せっかく作ってくれたのに、一人だけ蚊帳の外ってわけにもいかないだろ」

 私の問いにすぐさま答えたのは衛宮士郎だ。
 当然のことだ、と言わんばかりの意思が、即答とも言える形を作り出したのだろう。皆で食べる、と言うことを疑っていないようにも思える。

「――そうだな。一緒に食べることができるなら、それが良いのだろう」

 それが……聖杯戦争の中悠長にそのような日常を残したことが、結果としてセイバーを奪われた原因であったとしても。
 衛宮士郎は、まだ……。考えを変えないだろう。
 そして、私も今は――

「ああ、藤ねえも桜もいないけどさ」
 
 私の思考を乱したのは衛宮士郎の言葉だ。そこには微かな悔恨が感じられた。それは先の私の考えが勘違いであることを示している。戦いになれば、日常は否応なしに壊されていく。
 思わぬ声の暗さに微かに場が沈んだが、イリヤにはまったく関係なかった。

「ねえねえ。早くしないと料理が冷たくなっちゃうよ。私、アーチャーの料理食べるの初めてなんだから」

 薄い頬を膨らませながら場を和ませる。
 
「そうね。食事の時間なんだから、あんまり暗いのは勘弁してほしいわ。衛宮くんもアーチャーでも見て元気出しなさい」

「は? ああ、うん」

 凛の最後の言葉の意図がわからなかったのだろう。微かに衛宮士郎は首を傾げたが、素直にまた私の方を見た。
 凛の意図は私にはわかる。私のドレスに気づかせるのが目的なのだろう。
 せっかく、皆の視線が外れたと言うのに――

「いや、やっぱり、意味がわからない。何で俺はアーチャーを見たら元気が出るんだ?」

「そりゃあ、ねえ。衛宮君、アーチャー好きなんでしょ?」

「そりゃあ、まあ。嫌いじゃないけどさ。だからって見ただけで元気が出るってのは少し違わないか?」

 私が衛宮士郎を見ても元気はでないな。好きではないから当然だろう。
 その点、セイバーを見ると、確かに、こう、なんとなしに何かが沸いてくるような気はするが。
 とにかく、衛宮士郎の注意を私からそらさなければならない。

「――セイバーの方が良いのだろう?」

 搾り出したように何とか言うことが出来たが、少し間違ったニュアンスになってしまったような気がした。

「あ、いや。アーチャー。別に俺は、そんなつもりじゃ」

 何故か狼狽する衛宮士郎に対して冷たい目を向ける。
 元々は自分自身だ。確かに消えてしまった部分がいくらかあるとはいえ、こいつがセイバーに対して抱いた感情ならわかる。
 それが、どんな感情であろうとも、あの光景を忘れはしないだろう。
 睨み続けていると、だんだんと衛宮士郎の表情が変わっていく。それを見ているのは中々に、良い。
 ただ、そんな時間は長くは続かなかった。

「もう! いつまで遊んでるの! いい加減にしないと、私怒るからね!」

 ついに癇癪を起こしてしまったのか、イリヤが立ち上がり万歳するように両手を点に掲げて声を張り上げた。
 それは怖れを抱かせるような種類のものではなかったが、私は毒気を抜かれたような気持ちになった。
 そもそも、注意を逸らそうとして私が見つめ続けるというのもおかしい。

「そうだな。少し遅いが、朝食とするか」
 
 私の声に凛や衛宮士郎は頷き、それぞれ箸を取る。

「へっへぇ。それじゃ、私の席はここだから」

 そう言ったイリヤは満面の笑みを浮かべながら私のすぐ傍にちょこんと座った。
 その態度の豹変振りに、私は微かな笑みを浮かべると、皆と同じように箸を手に取った。
 
 それからは元気に食事をするイリヤに押されっぱなしではあったけれども、随分と楽しげな朝食となった。
 ただ、ずっと黙ったままで食事を続けるセイバーが、少しだけ私は気になっていた。
 


 朝食の後片付けを終えて居間に戻ると、残っているのは随分と不機嫌そうな凛一人であった。
 昨日……昨夜は結局たいした追求もなく、またこれからの対策も練るのかと思っていたのだが。
 すんなりと片付けに入れるとは思っていなかったのだが、拍子抜けするくらい簡単に抜け出すことが出来た。
 そして、凛の不機嫌さはそれとはまったく関係ない。
 不機嫌な顔を隠そうともせず、テーブルに肘をついているわけだが、その理由は察することが出来た。つまりは――

「なんで、何も言わないのかしら……」

 私の格好に対しての皆の反応が気に入らなかったのである。

 「気にならなかったのだろうよ」などと言えたら良かったのだろうが、そこまで私の心臓は丈夫ではない。
 ガラスで出来ている、とは伊達では言わない。
 しかし、この頃は身体は剣で、とは言えぬ体たらくのようだ……。

「アーチャー、顔に出てるわよ」

 凛の指摘に対して神速で顔を覆う。あくまで無表情であるつもりで。

「だから、隠せてないってば」

 呆れた口調で止めを刺す凛に私は溜息を吐くと、開き直ることにした。
 
「そうか。なら、もう隠すまい」

 表情の変化を止めることが出来ないと言うのならば、最早それに括るまい。諦めるつもりはないが、今は不可能なのだろう。
 せめてその所作だけでも普段通りであれと念じながら凛に向き直る。

「ぷっ、何よそれ」

「そんなに、おかしいか?」

「ええ。最初のころより、もっとひどい。これじゃ衛宮君の言葉じゃ足りないくらいよ」

「……どの言葉だ」

 凛の言う奴の言葉がどれなのかわからなかった私は、憮然とした気持ちを抑えられぬまま問いを発した。
 気に食わない言葉は、結構な数言われたような気がするが、凛の言うそれがどれなのか判別がつかないのだ。

「ふふふ。教えない。その方が面白そうだものね。それより、行くわよ! アーチャー」

「――どこへ行こうというのだ?」

「道場よ、道場。まだ、認めてないんだから。私は」

 それだけで凛が何をしたいのが合点がいった。
 要するに、三度目の正直。最後の決着、というわけだ。私の格好に対しての……。

「ほら、行くわよ」

 そして、凛の手を振りほどく気力は私にはないのである。

 いくら衛宮の屋敷が、一般的な住宅と比べれば広大な敷地を有しているとはいえ、所詮は常識の範囲内である。
 少なくとも凛の洋館や、桜の家よりは小さい。近所迷惑にならぬよう、大河に注意を払う程度には。
 故に、道場への距離もそうたいしたものではないのである。
 そして、その道場への道すがら、聞こえるはずのものが聞こえなかった。
 それで、初めて気がついたのだ。

「セイバーが、いないな」

 小さく呟く。少なくとも私が感じ取れる範囲内に彼女はいない。
 それは聞こえてくるはずだった彼女の裂帛の気合が聞こえないことからも明らかである。

「居ないって、衛宮君をおいてどっか行っちゃったわけ?」

 凛が少なくない驚きを見せる。それも当然のことだろう。セイバーがマスターをおいて単独行動をするような短慮なサーヴァントではないのを凛は知っている。
 セイバーはサーヴァントという存在を正に体現するかのように、奴を、衛宮士郎を護らんとしていた。
 その彼女が、私が居るとはいえ自分のマスターを置いて出かけるなど、私としてもいささか信じ難いところはある。
 かつて、置いて行かれた経験はあるのだけれども……。

「少なくとも小僧は道場に居るな。二人で出かけた、というわけではないらしい」

 その事実に少しだけほっとしながらも、疑念は消えない。
 一度契約さえ奪われるといった不覚を演じながらも、何故、セイバーはマスターである奴の側を離れたのか。
 
「そう。ま、いいか。別にセイバーがいなくたって本命はいるんだし」

 だが、凛は私ほどに驚きを感じてはいなかったらしい。
 そもそも、先の私の凛に対する判断が間違いであった。そう思えるほどあっけらかんとしている。というか、残念がってるのは、なんというか。

「私の、考えすぎなのか……?」

「ん? 何か言った?」

「いや……何も」

 どう考えても、凛の驚きが聖杯戦争の最中、マスターを置いていったことに対するものではないことを理解した私は、疲れた声で否定するしかなかった。

「ま、いいじゃない。確かに不注意だとは思うけど。それだけ信頼されてるってことだと思うし。もちろん貴女を一番彼女は信頼してるんだと思うわよ。それこそマスターである衛宮君よりも」
 
 その凛の言葉に、私は勢い良く首を回転させてしまう。

「だから言ったじゃない、アーチャー。あんた、顔に全部出てるって」

 ニシシ。と珍しい笑いを浮かべる凛に私は絶句するのみだ。

「ま、楽しくしようじゃない。もう、そんな時間は少ししか残ってないんだし」

 それがどんな感情を元に発せられたのか。凛は道場の戸に手を掛けながら、随分と真剣な口調で言葉を発した。

 道場にいたのは、予想と違わず衛宮士郎とイリヤの二人だけだった。
 衛宮士郎はいつものようにセイバーと竹刀を合わせてはいなかったが、その手には確かに竹刀が握られていた。
 一人で素振りをしていたようだが、どこか違和感を感じさせる。
 そして、その違和感が何なのか気づくのにたいした時間はかからなかった。
 
 奴が見せるその剣は、まさしく私の――私がこの体になる前の。つまりは、かの紅い騎士が見せるそれと同じものだった。
 衛宮士郎にとって最適な剣。
 この体では最早かなわぬ技だ。
 それを、未熟な身であるはずの衛宮士郎が行っている。
 それは完璧なものではない。そもそも、私とて十年の歳月を掛けながら完成には届いていない。
 だが、それでも。今の衛宮士郎が見せる剣にたどり着いたのは聖杯戦争より随分と後だった。
 何を間違っても、聖杯戦争の只中に、これだけの剣技を身に着けたことはない。剣に振るわれたことはあったとしても、だ。
 次々と湧き上がる殺意にも似た感情を無理やり押し殺しながら、視線を凛に戻す。
 私の視線に気がついてもいない凛は、同じく私の視線に気づいていない二人へと声を張り上げた。

「ねえ、ちょっと! ちょっといいかしら?」

 それは張り上げた、と表現する必要がなかったくらいの声量だったのかもしれない。
 ただ、澄んだ空気に満ちた道場に思いのほか響いただけだ。私の邪念を吹き払う程度には。
 それは私にとっては随分と助かったことだったが、二人にしてみれば迷惑だったのかもしれない。

「何よ。リン。何か用?」

 目を細めながらイリヤが凛に目いっぱい低くした――それでも高いわけだが。不満げな声を掛ける。
 それを歯牙にもかけず凛は二人――イリヤと衛宮士郎へと近づいていく。
 そして、衛宮士郎が持つ竹刀の間合いのぎりぎり外。そのくらいの距離で足を止め、両手を腰に当てた。
 
「訊きたいことがあるのよ。二人に」

 それは決して人にものを尋ねるに相応しい態度ではなかったが、ここまではっきりとされると清々しいものかもしれない。
 第三者が見るなら、であるが。

「貴方達二人とも。アーチャーのこの格好見て、なんとも思わないの?」

「なんとも思わないって……。そりゃあ、思わないことはないけど」

「でしょう。で、何を思ってるわけ? 衛宮君は」

「いや、その、綺麗だなぁ、と」

「それだけ? 他には?」

「いや、特に。それ以外はなんとも」

「ふふん。なるほどね。リンはアーチャーの格好が気になるってこと」

「何がおかしいのよ。イリヤスフィール」

「だって。アーチャーはドレスを着ているだけなのよ。おかしい所なんてないんじゃないかしら?」

「そりゃあ、アーチャーは英霊だし。女の英雄なんていったらお姫様だっておかしくないかもしれないけど。だからといって、この場所で、この格好は! 不自然だと思わないの?」

「別に。おかしいとは思わないけど」

 口の端を歪めて、両手を腰に当てて凛に自信満々でイリヤは答えた。

「そんなこと気にするなんて、リンは少しおかしいんじゃないかしら?」

 続けられた言葉に凛は二の句を告げられない。
 その姿にますます機嫌をよくしたイリヤであったが、微かな別の感情もその顔に表れていた。
 何故凛がそんなにムキになるのかわからない。そんな顔をしているのだ。
 それは、イリヤが正しい日本の知識を有していないからだろう。
 誰が教えたのかは知らないが、イリヤの知識は随分とおかしい。

「ああ。そっか。遠坂はアーチャーがドレスだから気になってるのか」

 やっとわかった。とでも言うようにポンと手のひらに拳を落とした衛宮士郎に、凛はがっくりと肩を落とす。
 もはや撃沈寸前の様相だ。勝機はあるまい……。
 そんなことを考える程度には私には余裕があった。 
 そして、もう大勢が決まってしまった以上は、私はこちらのほうを優先したい。

「ところで、衛宮士郎。セイバーはどうしたのだ?」

 凛が絶句している隙に、私は衛宮士郎に問いを投げる。何故、ここにセイバーがいないのか。

「ああ、それは……」

「じゃ、じゃあ今はどうなのよ! 衛宮君! アーチャーの格好。これは許せるわけ?」

 そして、私の問いに答えようとした衛宮士郎を、奇跡的に蘇生した凛が遮った。
 ここまでくると、凛の意図がわからなくなってくる。凛はどういった反応がほしいのだろうか。
 遮るだけでなく、凛は休むことなく衛宮士郎を追求し続ける。凛は何を望んでいるのか。
 セイバーに関する問いを投げておきながら、自分自身が簡単に脱線してしまっていた。
 
「セイバーなら、買い物に言ったわよ」

 そして、私をもとの道に戻したのは、いつの間にか私の近くに寄ってきていたイリヤだった。

「買い物に?」

「何か思うところがあったんじゃない?」

 意味深なことを言うイリヤからは、先ほどの子ども染みた雰囲気が消えていた。

「そうか」

 イリヤの言葉はおそらく、真実をついているのではないか。そんな風に私には思えた。
 セイバーが何を思い悩んでいるのか、私にはわからない。
 ただ、自分のマスターをおいて出かけるくらいなのだから、その重さだけは察することが出来る。
 そして、置いて外に行った裏に、私への、私たちへの信頼があると、思いたかった。

「それで、アーチャーはずっとその格好なの?」

 私を下方から伺い見るように見つめてくるイリヤに私は苦笑する。
 イリヤの言葉は、ついに凛が膝をついたゆえのものだったからだ。
 結局、最後まで誰にも同意を得られることはなかった。むしろ私だけが、凛の考えに納得した部分がある。それは私としてはある種驚きでもあったが、結果は結果だ。
 そして、私はそれを歓迎するのだ。
 もちろん、この格好が好ましいとはとても思えない。だからといって、ずっと鎧を装着しているわけにもいかない。
 未だ理由がわからぬ霊体化できぬこの身が恨めしいことこの上ないが、出来ぬことを考えても益はない。せめて奴程度の装備だったなら、と思わずにはいられないことも事実だったが。
 そして、私は何故か、着替えるよりはこの格好でいることを望ましいと考えている。
 それはただの直感でしかなかったが、もとよりこの格好での経験がない身としてはそれに従うほうが賢明なのではないか。そう思ってさえいた。

「なら、私はずっと着替えずともこの姿で……」

 反対意見もなく、凛も撃沈された今、私を止めるものはないと思っていたのに――。

「それはいけない! アーチャー、それだけはやめていただけませんか」

 そんな甘い希望は、あまりに簡単に両手から零れ落ちてしまった。
 何しろ、最強最後の難関が現れてしまったのだから。 
 唯一最後とも思えたチャンスを潰したのは、いつのまにか帰ってきていたセイバーの言葉だった。



[1070] Re[45]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂◆4c372ed3 ID:49abab35
Date: 2008/08/19 23:04
interlude


「はぁっ!」

 裂帛の気合を込めて踏み込む。だが、それは声だけだった……。

 いつものようにシロウへと打ち込んだつもりの私の竹刀は、結局つもりでしかなく。お世辞にも鋭いものとは言えない代物となってしまっていた。
 いつもより、若干緩やかにシロウが後退する。吹き飛ばす、そのつもりで打ち込んだにもかかわらず、彼は微かに後退しただけだったのだ。
 それは、いくらシロウが私の良く知る彼よりも数段高い技量を持っているという事実。そのことを考慮しても、その結果はあまりに似すぎていた。
 ――かつての私に。

 だからこそ。私は我慢することが出来ず。シロウから逃げるようにして買い物に行くことを頼んだのだ。
 片手に買い物袋を提げたまま、私は聖杯戦争の最中にあるこの街を歩く。
 この時間の上では十年前、切嗣のサーヴァントとして戦った聖杯戦争に比べれば、遥かに今回のそれは穏やかだ。それは、どちらのシロウに関わらずとも変わりはない。
 確かに不穏な空気が漂っていることは認めよう。だが、こうして気を落ち着けることが可能であるくらいには確かに穏やかなのだ。仮初に過ぎないとはいえ、平穏は残っている。
 だが、その仮初の穏やかさに頼らなければならないほど、私の心は乱されてしまっている。
 それは昨夜の出来事から、確信に変わっていた。
 正しく、言葉に出来ぬ感情に、私の心は振り回されてしまっているのだ。表面的な平静すら保てぬほどに。
 ただ過ごすだけであるなら隠すことも出来ただろう。だが、剣は騙せなかった。
 先の私の剣の鈍さは、はっきりと私の心の乱れを現していたのだ。

「――はぁ」

 溜息を吐く。人の姿は見えないとはいえ、恥ずべき行動だとは思う。だが、耐え切れなかったのだ。
 すでに、目的に据え置いた買い物は終わってしまった。
 溢れんばかりに詰め込まれた食材は、枯渇しかけていたという備蓄を満たすに十分足るものであろう。
 シロウも凛も、そしてアーチャーも。十分すぎるほどの技量を持っている。これだけあれば、と――どうにか気持ちをよい方向へと持っていこうとするものの、それはもう一つの現実の方に容易く押しつぶされていった。
 買い物が終わった。それは、もう屋敷に戻らねばならないことを示しているのだ。
 そう、本来なら。用が終わったなら即座に私の足は屋敷へと向いていなければならない。
 そもそも、サーヴァントがマスターを置いて買い物に行くと言うことそのものが軽挙なのだ。
 それを自覚しているのであれば、早々に戻るのが正しい選択のはずである。
 しかし。それが分かっていても、私の足は屋敷とは若干違った方向へと向けられていた。
 私の心を支配するのは、サーヴァントとしてのあり方ではなく、まったく別のこと。

 たった、半日だ。
 たった半日で。私は。
 頭に浮かぶのは、言葉に出来ぬ感情ばかりだ。自分が抱く感情でありながら、それを制御することはできない。
 そして、制御できぬ感情が最後に行き着くのは唯一つ。そもそも――何故自分がここに居るのだ、ということ。
 それは――あの別れを選んだ私の、私たちの選択を裏切っているのではないのか。
 
 自分が聖杯を求めているわけではない。それだけははっきりと言えた。それだけは、あの別れを裏切ってはいない。
 だが、本当に自分は求めてなどいなかったのだろうか?
 朧げながらも、浮かぶのは最後の言葉。
 確か――私は。『違う夢ではなく、目を瞑れば、また同じものが現れると……?』そう言ったのだ。
 そこに、シロウとの再開を願う気持ちが一片たりともなかったと言えるのだろうか?
 自惚れではなく、シロウも……その、私を。愛していたと思う。
 そして、それでも。あの選択をしてくれたのだ。それをここに立つ私は裏切っているのではないのか。
 夢であるとしても、これは……。
 浮かべかけた言葉を慌てて消し去る。それは思ってはいけないことだ。考えてはいけないことだ。
 ベディヴィエールの言葉を謀りと誹るつもりはない。あの時の彼にはそうせざるを得ない状況だったのだ。
 それでも尚、恨み言の一つも言いたくなってしまうのは、私が弱っているということなのだろうか。
 何しろ――こんな夢でさえ、嘘とわかっていてさえ。縋りつきたくなっていることは事実なのだから。

 ――そうだ。

 裏切りであると自覚しながらそれでも。別人であると分かっていても。私はシロウにシロウを重ねずにはいられない。
 違うと断じてしまうにはあまりに二人は似すぎている。当然だ。どちらもシロウなのだから。
 愛しているかいないか。愛されているのかいないのか。
 そんな風に考えることはあまりに苦痛だった。
 ――聖杯戦争に英雄が望むものは、何も聖杯ばかりではない、のだと思う。
 かつての自分。死す前に時を止めた私は、確かに求めていた。だが、他の英霊が本当に聖杯を望んでいたのか。
 無論、私のように求めていた者もいる筈だ。だが、そうでない者も居たのではないか。
 例えば、そう。ランサーのように。
 彼が聖杯を求めているとはとても思えない。彼の望みはそれとは別にあるように思える。それはランサーだけに限らず。
 そもそも……あの時の戦いで聖杯を求めていた英霊は私以外に居たのだろうか?
 自分の意志で皆、聖杯戦争に参加したのだろうか。
 少なくとも、今回の私は。そうではない。
 それ故か。記憶を一部失っていた頃は、ほんの少し。戦う意志が弱かったのかもしれない。
 それが、キャスターに遅れをとる一端を担ったのではないか。そう思うことすら、今の私にはある。
 言い訳に過ぎないことは分かっている。自身の未熟を他に求めていることも。 
 
 それでも、考えずには居られないのだ。聖杯戦争という場所は、聖杯なくしても、英霊たちの願いを適えてしまう代物なのではないか。
 それこそ、私がもう一度と、願ってしまったように。
 ――やめよう。私は、結局のところ逃げ場を探しているだけに過ぎない。
 自分がここに居る理由を、自分の意思とは別のところにあると。そう思いたいだけなのだ。
 今度こそ、と、自分の弱さを振り切るように私は頭を振り、頭を上げた。

 気がつくと、私は公園と呼ばれる場所に立っていた。一人出来たことがあっただろうか。そもそも、一度でもここに来たことがあっただろうか。そんなことを考えながら、私は公園の中へと足を進めていった。
 大して広い場所ではないと言うのに、ここはほかの場所以上に聖杯戦争を感じさせない。そんな気持ちを抱かせる。
 だからこそ、次の瞬間かけられた言葉に、私は完全に不意を打たれたのだ。

「なんだ。随分と浮かない顔をしているが。まあよい。そのような貴様を愛でるのも一興というものだ」

 その声が私の耳に届いた瞬間、私は無様と形容されてもおかしくない驚きを浮かべたまま、背後へと振り返った。
 安穏とした空間を塗り替えるが如く、あまりに異質なモノに何故気がつかなかったのか。
 公園の入り口に立って、品定めをするように私を見つめる男は、つい先日、意思のなき私が矛を交えた英雄だった。
 傲慢さが服を着たような存在であるが、それが許されるだけの器を男が持っていることは認めざるを得ない。そんな男だ。
 その視線は、私をただのモノとしか見ていないかのような。そう思わせる底知れない冷徹さを秘めている。

「ふん、驚いてはいないようだな。まあ、すでに一度会ってはいるか」

 その言葉は、驚きを隠せぬ私を嘲笑うためのものか。それとも、ギルガメッシュの存在そのものには驚いていない私への言葉なのか。私には判断できなかった。
 あの時と変わらぬ姿。現世の衣を纏った英雄王が、薄く笑みを浮かべながら近づいてくる。
 違うのは一度目と二度目が同じ人物であっても、目の前の彼が、彼らと同じかどうかはわからないということだ。
 緊張しながらも、妙なことを考えていると頭の片隅で誰かが言ったような気がしたが、そんな余裕はたった一歩で霧散する。
 英雄王が歩を進める。その距離が近づくに比例して、私の緊張も高まっていった。

「そう構えるな。今、貴様に用があるわけではない」

「前のように戯言は吐かないのですか」

 必死に出した声は、ひどく硬く、また常より少し小さかった。
 それを気づかれまいと、さらに必死になって私は視線に力を込めた。目の前の男を視線だけで殺すと言わんばかりに。
 その視線をギルガメッシュは事も無げに受け止め、さらに口の端を歪めてみせる。
 私との距離はすでに十歩もない。

「そんなに我のものになりたいのか? そうであれば容赦はしないが。ふん。今は俺にも目的がある」
 
 用がないとは事実なのだろう。以前のような不快な執着はギルガメッシュからは感じられない。その理由は一体何なのか。

「目的?」

 思わず口を出た疑問であったが、ギルガメッシュの耳には届かなかったのか。おそらく、答える必要などないと、常の傲慢さを発揮したのだろう。執着こそ感じはしなかったが、モノを見るような視線は変わっていない。
 だが、何時の間にか歪んでいた唇は真一文字に閉じていた。
 その首が私以外の場所へと向けられ、唇が小さく開く。

「今の状況は中々に都合がよい。その時が来るまで一時の猶予を与えてやる。せいぜいままごとの日常を楽しむがよい」
 
 侮蔑にも似た視線を、私ではないどこかへと向け、再び口を歪めた。
 私より高い位置にある瞳を何時の間にか見ていた私の、不意を撃つかのようにギルガメッシュの瞳が私に向けられた。  
 そして、何も言わずあっさりと私に背を向けた。

 その紅き瞳に映る嘲弄を隠そうともせず、ギルガメッシュは公園から立ち去る。
 あまりにもあっさりしすぎる行動に、私は不振を感じざるを得ない。だが……
 その気配が消えるまで、最後まで。私は戦意を抱くことが出来なかった。

「――これは重症ですね」

 今度こそ誰もいなくなった公園で力なく呟く。
 確かに、単体で挑むにはあまりに強大な相手だ。かつて何とか勝利を拾ったとはいえ、それはあくまで紙一重のものだった。認めたくはないが十戦すれば確実に半分以上落とすだろう。それに……今の自分の精神状態を考えればかつてのそれよりさらに低くなる。
 そもそも、こんな浮ついた状態で勝てるような安い相手であれば、英雄などと呼ばれはしない。
 ギルガメッシュでなくとも、今の私が勝てるようなサーヴァントなど存在しないだろう。
 敵を前にしながら、武装をするということさえ行わなかったのだから。
 そんな体たらくで、シロウを守ることなど出来るはずがないのだ。
 出来るはずないが。そんなあまりに後ろむきな考えが少し、癇に障った。
 自分の主が誰であろうと。理由もわからずまた、聖杯戦争に呼ばれようと。あの別れは――あの誓いは、あの決意は。
 瞳を閉じれば、まるでつい一瞬前に起こったように思える反面、まるで遠い過去のようにも思える。夢。
 矛盾しながらも、胸にあるものはまったく色褪せることなく残っている。
 だが、瞳を開けばそこにあるのは広がる青空だ。あの朝焼けとは姿を異にする。それは、夢。
 夢だ。そして、夢ならば覚めねばならない。それがどんなに自分にとって安らかなものであっても。望ましいものでもあっても。
 今、ここに立っている自分が、現実なのだから。
 
 空元気でも、私は自分自身に気合を入れると、少し大股に公園を後にした。
 だというのに。
 だというのに。帰りついた先。道場では……。




 interlude out




 道場の入り口に立つセイバーはどこか表情が優れない。切羽詰ったような声と同じくして表情も険しかった。
 そんなに私がこの格好でいるのが嫌なのかと、微かに私は表情を曇らせてしまったが、セイバーの意志はそれを遥かに凌駕するものだった。私の表情が曇天ならば、セイバーのそれは雷が無数の柱となるような、そんな空だろうか。

「駄目です。アーチャー。そのような顔をしても、私は決して認めませんから」

 そう宣言するセイバーは、普段の彼女からは想像できぬほど肩に力が入っていた。心なしか声も震えているような気もする。頬が上気している理由が怒りではなかったら、逆に私も気恥ずかしくなったかもしれないが。そんな余裕があるはずもない。セイバーの言葉に対する不満は、顔に出てしまっていたようだが。それは私の意志ではないので余裕とはまったく関係がない。
 ただただ、セイバーの一挙手一投足を見守るばかりである。それは私に限ったことではなく、この道場に居るものたち全てがそうであった。
 
「―――っく」

 思わず喉を鳴らす。
肩を怒らせながらこちらへと近づいてくる姿は、怪獣……いや、竜の行進のように見えた。靴下は音を消していたが、まるでデフォルメされた足音が効果音のように鳴っているような気さえした。
 残念なことにセイバーの格好は赤くはないが、その、表情は紅い。
 距離が縮まった私とセイバーの視線がまったく同じ位置で交差する。
 だが、その瞳の強さは比べるべくもないだろう。
 私の瞳は、セイバーと違って力ない。完全に圧倒されていたのだ。敗北していたと言ってよい。烈火の如き気勢に、私の心はただただ翻弄されるばかりであった。
 そんな私の弱気をセイバーは畳み掛ける。

「いいですね、アーチャー」

「あ、ああ」

 それに私は頷く他ない。それしかできない。

「それでは行きましょう。ええ。今すぐにでも」

 そのセイバーのあまりの強引さに私は、口を開くことさえ許されず。道場から退場することとなってしまった。
 セイバーに手をつかまれた私は、体と足がずれたまま引っ張られる。先行する体に慌てて足を合わせようとした私の目に、一瞬だけ凛が映った。
 初めての凛への援護だ。勝ち誇っているかに思えた凛は、予想外にも複雑な表情をしていた。
 

 私の背中を押して(実際には私を引っ張ってだが)道場から退場させた張本人であるセイバーは、その手首に買い物袋を提げたままである。
 セイバーの手から何とか逃れようとした私の目に最初に映ったのは、まずそれだったのだ。
 冷蔵庫の中を埋め尽くすに十分な量のそれは、もしかするとセイバー本人の筋力だけでは持って帰るに不可能な重さだったかもしれない。それほどの量だった。
 いくら衛宮士郎とパスが繋がっていると言っても、決して燃費が良いとはいえないセイバーだ。魔力の無駄遣いは警告せねばならぬことのように思えるが、食事は彼女のモチベーションを高めるのに買っている。つまり、安易に怒ることは憚れるわけで。
 ――そもそも、今の私はセイバーに苦言を言えるほどに余裕があるわけではなかった。
 セイバーの剣幕に押されっぱなしだったのだから。
 剣幕、といってもセイバーが言葉を口にしているわけではない。ただ、無言で見つめているだけである。
 しかし、怒っているのはその瞳から、きつく結ばれた唇から簡単に察することが出来た。

「着替えてください。アーチャー。それはもう、風の如く」

 ややもしてセイバーから放たれた言葉に、私は一も二もなく頷くばかりであった。
 私に宛がわれている部屋へと一直線に向かったセイバーは、私が何を言う暇もなく器用にドアを開けて私を入れた、引っ張り入れたのだ。
 よく考えれば手首に買い物袋を提げたまま私の手を引っ張ることも器用といえば器用だろう。結局一度も私にそれは触れなかったのだから。
 セイバーの背、というよりもその手に提げる買い物袋に視線を合わせていたためにそんな考えが浮かんだのだろう。
 余裕がないと言っている割には、多少危機感がないのかもしれない。それとも、セイバーの怒りに対して楽観があるのだろうか。
 とにかく、まだ。私はセイバーの言葉をよく理解してはいなかった。いや、理解はしていなかったというより、まだ状況を把握してはいなかったのだ。
 着替える。それの意味はわかる。セイバーが何を持って、私の格好を不服としているのかはわからない。
 もしかすると、ほとんど差異がない私の姿に何か嫌な記憶でも呼び覚まされたのかもしれない。
 何しろ、彼女は王として――生きてきたのだ。ドレスは……どうなのだろう。
 想像することしか出来ず、真実は見えてこない。それもそうだ。今の私は、セイバーの歩みを夢で見ることもないし、そもそも夢を見ない。眠らないのだから。
 ……いや、眠ったとしても私は夢を見ることはない。いつかのセイバーの言葉が正しいのであれば、サーヴァントは夢を見ないはずだ。

「アーチャー? 何をぼんやりとしているのですか。私の話を聞いていますか?」

 言葉だけは丁寧に。だが、口調は激しさをもってセイバーが私に詰め寄る。だが、それでもまだ、私は単純にセイバーの言葉を実行しようとしただけだった。
 すなわち、ドレスを、片方の肩を外気に晒したところで。
 やっと、自分がしていることと……その状況に気がついたのだ。

「ななな、セイバー?」

 私の口から出た言葉はあまりにお粗末なものだった。
 こんな意味のない言葉では、セイバーには何も伝わるはずもない。
 案の定、セイバーは眉を僅かに顰めて、瞳に困惑を浮かべるばかりである。その困惑の色も、それ以外の強固な意志に比べると本当に僅かなものであった。それこそ、具体的な言葉を口にすることを躊躇させられるくらいには。

 だが、だからといってすぐに着替えることが出来るはずもない。

「セイバー。さすがこの状況ではその、なんだ……」

 目が覚めた今でも、セイバーに押されっぱなしの私であったが、さすがにこれは言わねばならなかった。まさかセイバーの前で着替えをするわけにもいかない。もっとも、着いてきたのではなく、私を連れてきたわけであるから、私の言葉は間違いではある。
 やはり、動揺は隠せない。だが、それでも譲れないことでもあったわけだが。
 セイバーの方も断固として譲るつもりがないのか、無言のまま重圧をかけてくる。
 女同士だから、良い。そう考えてでもいるのだろうか。しかし私は……。
 前の自分なら、と一瞬考えもしたが。それでもできるのはせいぜい上半身だけだ。といっても、かつて私はあの廃墟とここで……。
 そこまで考えて慌てて顔をセイバーから背けた。赤面してしまったからである。
 だが、その反応は思いもよらぬ効果を生んだらしく。

「わ、わかりました。アーチャー。部屋から出て行きますから」

 何故か、不沈の戦艦にも思えたセイバーを揺るがすことに成功してしまっていたらしい。
 どこか慌てたように出口へと向かったセイバーだったが、さすがは、と言うべきか。
 再び強張った表情を見せると一言。
 
「ですが、きちんと着替えてもらわねば困ります。十分後には戸を開きますからね」

 私の着替えに制限時間を付けたのであった。
 それに僅か私が絶句している間に、戸がゆっくりと閉められる。それでも閉まるときには微かな音がした。
 それで、私は微か開いていた口を閉じる。セイバーが宣言したからにはきっちり十分後には目の前の戸は開かれるだろう。
 現に彼女は部屋の前から動いていない。
 それは決して逃げられないことを示しているわけで。

「―――――はぁ」

 さすがに耐え切れず、私はセイバーに聞こえない程度の声量で溜息をついた。
 そんな風に溜息を吐く位だから、私とセイバーの力関係は知れている。私のほうが圧倒的に弱者だ。

「―――――はぁ」

 もう一度溜息が漏れる。
 今ならわかる。自分が何故着替えたくなかったのか。
 
 それは。今更ながら私が、自分の体を見ることに恥ずかしさを覚えているからだ。
 
「―――――くっ」

 その自分の考えに思わず苦笑が漏れる。随分と乾いたそれだが、今は相応しいのだろう。
 何が自分の体だろうか。これは決して自分の体などではないはずだ。
 だが、現実は無情である。
 私が何を思おうと、この体が突然元の体に戻ったりはしないのだ。
 今は、セイバーの偽者であるかのような、この体でしか。
 ……着替えよう。


 すべてを脱いだ私に次に降りかかった難題は、それを付けるか否か、と言うことであった。
 ここに来てから、凛に用意された(借り物では決してない。借り物であったら私は悶死してしまうかもしれない。すでに死人であることは別にして)服を着ていたのは間違いない。そして、それは同時にある物も付けていたことになる。
 何故、それを付けることに自分がたいした抵抗を持っていなかったのか。今の私には、つい最近の自分のことであるというのに理解できなかった。
 どうして、私は躊躇なく下着を、女物の下着を着けていたのだろうか。
 頭を抱えたくなる事実に、実際に頭を抱えた。
 無理だ。無理である。
 いくら現実的なことを考えれば付けるほうが好ましいとはいえ、元の私は男である。
 手の上にある物を横目でちらりと見る。どうしてか正面から見ることはできなかった。
 例えば、衛宮士郎がこれを付けている姿を。元の自分にもっと近いアーチャーが付けている姿を想像できるか。
 もちろん否である。それは、あまりに、つらい。
 それと同意なのである。自分がこのような姿になろうと。これを付けることは。
 下は男物で代用できるだろう。これからは間違いなく、それを穿く。だから、今まで履いていたことは封印すればすむ。忘れ去ればよいのだ。記憶から。
 消してしまえばよいのだ。この現実から。跡形もなく。証拠も何もかも全て……。

 しかし、上はどうするべきなのか。
 刹那にも満たぬうちに全てを終わらした私だったが、すぐさま問題は浮上してきた。
 何も付けない、というのも却下である。それは先ほど試して我慢が出来なかった。元より、その性に生まれたものなら気にならないのだろうか。等と益体もないことを考えはしたものの、私にはまったく関係がない。解決には繋がらないのだ。
 なら、どうすればよいのか。
 ――つまり、これよりは耐えられるものを付ければよい。
 それを思いついたのは、悩み始めてから随分と時間がたってからだった。

 だが、果たして可能だろうか。
 両目を閉じる。要は剣と、鎧と同じ要領のはずである。
 理論はわからない。だが、できると信じろ。そう心に念じながら、私は紅い色をイメージした。
 それと同時に、両の手の平に微かな重みを感じる。目を開けたそこには、思ったとおりのものが存在した。
 聖骸布である。紅く慣れ親しんだこの布が、まだ使えることに私は微かな喜びを感じた。
 投影と同じように。もう、この手には戻らないのではないかと不安に思っていたのだ。
 何しろ、召還されたときの姿と違い、今の私の体はこれを纏ってはいないのだから。自分の意思に関係なく、消えてしまっていたのだから。
 だが、これから行おうとしていることは間違いなく、聖骸布に相応しくないことだ。
 他のもので代用すれば良い。そう言われるかもしれない。いや、これの価値を知っているものなら間違いなくそう言うだろう。そのような軽挙はやめろと。冒涜だと。それとも、もしかして面白がるのだろうか。
 他愛もないことを脳裏に浮かべながら、私は両手で自分の胸に聖骸布をあてがった。
 つまり、私は――聖骸布をさらし代わりに使おうとしているわけだ。

「何時までかかっているのですか。アーチャー。開けますよ」

 そのセイバーのどこか焦れたような声に慌てて時計へと目を走らす。
 時間はセイバーが出て行ってからすでに十数分過ぎてしまっていた。
 その点で考えれば、私の予想は外れていたわけなのだが。問題は別にある。
 そう。時間切れだったのだ。
 宣言通り十分きっかりに入ってこなかったのはセイバーの優しさ上か、それとも単純に正確な時間がわからなかったためなのかはわからない。今問題なのはそれではなく、着替え終わっていないこの状況でセイバーが入ってきてしまうことにある。
 そして、それはあまりによろしくない姿をセイバーに晒してしまうことでもある。
 慌てて制止の声を上げようとした私だったが、それはかなわぬ事であった。
 勢い良く障子が開かれる。常なら壊さないかと冷や冷やするところだろうが、私には出来なかった。ただ。

「―――あ」

 と一言間抜けな声を漏らしただけである。

「アーチャー、それは何を穿いているのですか?」

「何をとは、セイバー、そのようなことを私に訊くのか?」

 恥ずかしさに表情が強張りそうになるのを必死で押さえ、渋面を作ることに専念する。

「ええ、これは大事なことですから」

 笑みを浮かべた顔は、どこまでも優しいが、それと同時にどこまでも恐ろしい。
 逃がすつもりは毛ほどもないようだ。

「答えられないようですね。では、どうして、などと言うことは聞かないでおきましょう。わからないでもありません。ですが、貴女が穿いているもの、私が理解していないとでも?」

 セイバーにも等しく聖杯からの知識は与えられている。なんとも無駄なそれだが、それが此処までの苦境をもたらすとは。

「それで、私は有罪なのか?」

 既に諦めきった口調で訊ねる。何しろ私では彼女には勝てない。無駄なことはしたくなかった。無駄に疲れることは。
 
「ええ、凛、少しアーチャーを借りて、いや、そうですね、凛もどうですか?」

 そこには、悲しいかな限りなく邪悪な笑みを浮かべた凛の姿もあった。




 結局、衛宮士郎も同行することになったのは、やはり安全を考えた上でのことだろう。
 それならばイリヤもつれてくるべきだったのかもしれないが、それはできなかった。
 何時の間にか衛宮低に来ていた二人のメイド。特に片方に許可がもらえなかったからである。
 もっとも、道場でなにかあったのかイ私が出かけることになったとき、リヤはすでに眠っていたわけで。それを起こすのも忍びない。メイドが外出を反対するのも仕方ないことなのだろう。
 ……イリヤのマスターとしての適正はともかく、肉体に関して言えばあまりにもろいのだから。
 そして、それを一番よく知っているのが彼女たちなのだ。終ぞ、私は詳しいことを知ることはなかったのだから。
 それでも微かな不安は残る。
 ギルガメッシュと共にいた間桐慎二の言葉を思い出す。
 奴はイリヤの心臓が聖杯だと言った。
 それは、奴にとってイリヤの心臓だけが目的と言うことに他ならない。それはイリヤの命を必要としていない、ということになる。
 かつての戦いでイリヤは誰か――何故かこの人物だけは思い出せなかったが、なんとなく推察は出来る。だが、確証がない。その男に連れ去られた。即ち、その男がギルガメッシュの新のマスターであり、所詮間桐慎二は仮初の主に過ぎない、はずである。
 あの時は、イリヤの命はあった。だが、今回のように何らかの事が起こり、ギルガメッシュが枷から解き放たれたのだとしたら。
 事実として、ギルガメッシュのマスター。言峰綺礼がキャスターの襲撃により姿をくらましたのは確かだ。サーヴァントと相対した以上死したのかもしれないが、そうは思えなかった。
 いくらこの男に関する記憶がすっぽりと抜け落ちていたとしても、状況と、残りの記憶を整合させれば奴が誰の主なのかは判断できる。
 言峰綺礼ではなく、ギルガメッシュがイリヤを狙うのだとしたら。奴はイリヤの命を必要とするのだろうか。
 そもそも……言峰綺礼とギルガメッシュの目的は同じなのだろうか。

 結局凛に詳しく答えはしなかったが、確かに私はかつてセイバーと共にギルガメッシュと戦ったはずである。
 記憶が正しいか、それ自体は関係ない。
 重要なことは。自分自身の記憶の中で、奴と戦った時間はたいしたものではない、ということだ。
 私は確かにギルガメッシュと戦いはした。だが、所詮は力なき衛宮士郎であった私は、奴を倒してはいない。
 それを為したのはセイバーであり、倒した光景が私の中にないのだから、私自身はその場にすらいなかったはずである。
 そして、その間の時間が記憶にない、ということこそ、私が最後に戦った相手が言峰綺礼であることを示している。
 だが、今、奴の姿はない。奴が死ぬとは思えなかったが。だからといって奴が死んでいる可能性がゼロだとも思わない。

 
 その私の不安を一蹴したのがセイバーの言葉だ。
 彼女は、決してギルガメッシュが襲撃してくることはないと断言したのだ。少なくとも、日が高いうち、という限定条件付ではあったが。
 その主張は、何故か私の疑念を理由なく吹き散らした。
 その理由はわからなかったが、それを考えるのは今ではないのだろう。

 何故なら、それは……不幸と言うべきか。いや、間違いなくそうであろう。そうにちがいない。
 私は、このようにして悩むことは許されぬ立場にあるのだから。
 何しろ。私は完全な異界にいるのだから。
 この状況を考えると、私が着替えることを拒否してしまったことそのものが間違いだったのだと思い知らされる。
 セイバーのように直感がこの体には備わっているのではないか。かつて、そう考えたこともあったが、それは間違いだったらしい。
 もしくは――間違いではないが。それ以上の運の低さにより裏目になってしまった。そういうことなのかもしれない。
 とにかく、何を嘆こうと、この状況が好転することはないのだ。

「何してるのよ。早くこっちに来なさい」

 そう呼ぶのは凛である。この場所に行こうと提案したセイバー自身は、この場所に来たことで満足したのか。衛宮士郎と二人で、同じ建物内の別の場所に行ってしまった。
 頼りないとはいえ、衛宮士郎がいれば少しは違ったかもしれない。
 惨めであることに変わりはないが、それでもある種の救いになったかもしれないと言うのに。

 それは、きっと嘘だろう。
 いや、おそらくそれは。つまり、結局のところは嫉妬に過ぎないのだ。
 セイバーと衛宮士郎が二人でいることに対して。二人の間にある、空気に対しての。
 醜い、嫉妬なのだろう。
 気に入らないのだ。二人でいることが。私には。
 衛宮士郎が私であり、そして私ではないことが。

 自嘲すればするほど、頭を垂れてしまう。見えるのは地面と、自分の格好だ。
 もちろん、今の格好は鎧下のドレスなどではなく、拠点を移す際にセイバーと時を同じくして渡された服である。
 下に付けているものは自前の品である。それだけは断固として譲れなかった。

「ああ」

 私は力なく凛に答えると、先ほど店員に進められたブツを手に、試着室へと足を進めた。
 だが、進めようと、半ば諦めていた心がそう決めてしまっても。実際には私の足は動かなかった。

「アーチャー?」

 返事をしておきながら、立ち止まってしまった私に凛が訝しげな声をかける。
 だが、不可解なのは私も同じだった。
 私はすでに諦めてしまっている。もはや覚悟を決めて……決めてこれを付けるしかないと諦めているのだが。
 私の両足は断固としてここより先に進もうとはしなかったのだ。
 そう、心は折れても、体は決して屈してはいない。
 そのことに、遅まきながら気がついた私は、小さく深呼吸をすると凛に向かってはっきりと自分の意思を伝えるべく口を開いた。

「凛。これを買うことは百歩譲ったとして、認めることは出来る。もともと君が買おうとしているのだからそれを止めることは出来ない。だが」

 そこで一度口を閉ざす。
 拒否を告げる言葉を吐くことすら、赤面しそうになるのだ。
 だが、言わないわけにはいかない。

「私はこれを、付けるつもりはない」

 そして、私は自分の意志を言い切った。
 そして凛が告げるであろう沙汰を待つ。何を言われるにしても、覚悟はしておかねばならない。
 それはきっと時間にすればほんの数拍分でしかなかったのだろう。
 だが、私にとっては永劫に等しく感じるものだった。

「仕方ないわね。一応買うだけで許してあげるから。でも、言い訳はセイバーにしなさいよ。それに、無駄なものを買うわけにはいかないから……付けなくても、ね」

 凛の告げた言葉は、私を人の生きる世へとすくいあげたものの、すぐに地の底へと落とす非情なものであった。
 それからのことは、何も言えない。
 ただ、衛宮士郎がいなくて良かったと、私は先の考えを覆すことになったのは確かである。
 それはセイバーも同様であり、心の底から安堵したのだ。
 そんなことで安堵せねばならぬ状況が、信じられぬほど悲しいことであったが。

 そして、その安堵すら絶望の前触れに過ぎなかったということも。
 衛宮士郎が不用意な言葉でも吐いたのか。

 結局、私はそれを着けることはなかったものの、二人に遊ばれるような形になってしまったのだ。
 凛はともかくセイバーがそんなことをするということが、あまりに異常だということも気づかぬくらい。
 何もかも消してしまいたいと思うばかりの時間が私に、襲い掛かったのだ。
 
 
 いくつの溜息を吐けば、この気持ちを表せるのか。私にはわからない。



[1070] Re[46]:きんのゆめ、ぎんのゆめ
Name: 志穂◆4c372ed3 ID:a8c87da1
Date: 2009/07/20 21:12
interlude

 光少ない空間に硬質な音が響く。反響する音はどこか煩わしい。
 地下聖堂と地上を繋ぐ階段。そこに赤い衣の騎士が立っている。それを見上げるのは暗い色の衣を纏う魔女だった。

「何の用ですか? アーチャー」

 苛立ちを隠そうともしないキャスターの口調は険呑である。
 それがキャスターの内心のすべてを表している。
 そう、それがすべてだ。キャスターの心は、どうしようもない絶望感に支配されている。
 それが今一歩のところで踏みとどまれているのは、まだマスターである葛木総一郎が生きている、それだけのことだった。
 跪くキャスターの傍ら。横たわる意識のない葛木を視界に入れたアーチャーは、キャスターの問には答えず別の言葉を放った。

「治りそうにないのかね?」

 そのあまりに機械的な口調が気に食わなかったのか、キャスターの危うい精神の均衡は簡単に失われてしまった。

「ええ!? 見ればわかるでしょう! あれから総一郎の傷は癒えないまま。今でもずっと血を流し続けている! 止まらないのよ。何をしても! 私の魔術じゃ総一郎の傷の呪いを解けないのよ!」

 溜めこんだ絶望が決壊したかのようにキャスターが叫ぶ。
 柳洞寺を襲ったギルガメッシュとの交戦。その際に葛木が受けた傷は今も癒えていない。
 同じように傷を負ったキャスターも、そしてアーチャーも、傷そのものは癒えているというのに。ただ一人。キャスターのマスターである葛木の傷だけが癒えていない。
 それはギルガメッシュが意図したものなのか、それとも偶然によるものなのか。
 キャスターにはその真偽を図る術がなく、そしてそれを知る意味もたいしてなかった。
 重要なことは、傷を癒すことができない。その一点のみ。
 葛木は、ゆるやかに死へと向かっているのである。
 キャスターが絶望するに十分な状況だった。

「そうか。それで、先ほどの君の問についてなのだがな。ギルガメッシュがこちらに向かっている」

「なんですって!? なん――」

「奴は、普通に歩いてこちらに向って来ている。もっとも、奴が受肉した英霊であるのなら、霊体化できんだろうから仕方ないともいえるな」

 キャスターの言葉を遮ってアーチャーが言葉を放つ。
 その言葉はまるで他人事のように淡々としていた。だが、キャスターにはそれを責める力もない。
 首は力なく下げられ、その目は虚ろに葛木を見つめている。

「君の見立てでは、何日持つのだ?」

「――総一郎だからここまで持ったのよ。でも、それももう長くない。長くて、あと半日」

 その事実を絞り出すようにして放つキャスターからは、先ほどのそれを遥かに上回る絶望が湧きだしていた。
 一時は聖杯まで一番近いと思えていた。それがあっというまに崖から転げ落ちるように。触れかけていた聖杯は離れてしまった。
 それだけにあきたらず、愛しい人の命すら。キャスターの腕から離れてしまおうとしている。

「落ちたのはここまでで三騎。それでは小聖杯を満たすにも足らん、か」

 キャスターの肩が震えるが、それに構わずアーチャーは言葉を放ち続ける。
 ただ、何か気に食わなかったのか。その言葉には先にはなかった苛立ちが含まれていた。

「そもそも、今の我々では残る陣営――二組のどちらに対しても勝ち目は薄い」

 アーチャーの言葉に、キャスターは唇を噛締める。その美しい唇から、真紅の血が流れ落ちていく。

「君には、マスターであるその男を救う術がない。よしんば、ギルガメッシュを倒せたとしても。呪いが解ける保証はない」

 淡々と事実を告げるアーチャーを前に、キャスターは俯くことしかできない。その姿に目を細めながらもアーチャーは言葉を続ける。

「その男は助からん。少なくとも、今はな」

 だが、その決定的な言葉に、宣告にキャスターは肩を震わす。
 それは、少なくともそれに抗う気持ちが失われていないことの証。
 眦の次は口の端を歪めたアーチャーは更なる事実を今思い出したとでも言うように口にした。

「ああ、そうだ。君は気が付いていないかも知れんが。ここらいったいは既に奴の何らかの影響を受けている。おそらくは君の逃走を妨げるものだろうが。――逃がすつもりはないらしい」

「くっ――――!」

 それを聞いたキャスターの声は、今までのどれよりも大きい。

「ふむ。それだけの覇気があれば十分だろう。」

 どこか満足したようなアーチャーは、キャスターにある物を放った。

「これ、は」

 慌ててを両の手胸の前に差し出すと、それは寸分違わずキャスターの手に収まる。

「所詮、紛い物に過ぎんが騙すこと、騙しきることくらいはできるだろう。本来の運用から外れたものを行うならば、持続時間も落ちる。その場合、君が取れる行動は限られてくる」

「――たとえ、たとえ貴方が言うそれを行えたとしても、ここから逃げることができなければ。意味がないわ」

「とりあえず、君が逃げ出す時間くらいは稼ごう。何、それくらいなら軽いものだ」

「貴方、何を言って――」

 キャスターにはアーチャーの言葉が信じられないといった表情が浮かんでいる。
 先程の――アーチャーが言ったギルガメッシュの手により何らかの干渉が行われていることは本当だった。
 おそらく、空間に何らかの仕掛けを施しているのだろうか。キャスターにはそれがどのような術理によって行われたものなのかまでは知ることがかなわなかったが、その効果だけは読み取ることができた。
 逃げるなら、それこそ。自らの足で逃げ出さねばならない。
 だが、それをギルガメッシュが許すのだろうか。たとえ目の前の男と戦闘していたとしても。
 あの、悪夢のような宝具の弾幕をサーヴァントとしての身体能力が低い自分が避けられるわけがない。キャスターにはそう思えたのである。

「何、別に歩いて逃げる必要もないさ。もっとも君が魔力を使いたくないというなら止めはしないが」

 自分が度々魔術の行使を使い渋っていたことを揶揄しているのか。
 柳洞寺に貯め込んでいた魔力の大部分は失われたとはいえ、現在でも自分が保有している魔力は十分すぎるほどにある。
 それこそ、無意味なまでに過剰な量を、総一郎の傷を癒すために使ったほどに。
 キャスターが反論しようとして口を開きかけた瞬間、またもそれを制するようにアーチャーの言葉が放たれる。

「そろそろ時間だろう。出迎えてやるとするか」

 そう言ったアーチャーは、まるでどこぞへと買い物にでも行くというような気やすさで階段をのぼって行った。
 キャスターはその背を呆然と見送る。
 アーチャーの真意が彼女には読めなかった。



 イレギュラーたる二人のサーヴァントが相対する。教会を背に赤色が。坂を登り来る金色が。陰りを見せ始めた空の明かりを感じさせぬ輝きを感じさせる。
 金色のサーヴァント――ギルガメッシュは一定の距離を置いて立ち止った。尊大な表情は変わらず、自身と同じサーヴァントと相対しているというのに両の手はポケットに入れたままである。

「こんな時間に何の用だね? そろそろお子様は家に帰る時間だと思うのだが?」

 最初に口を開いたのは赤い衣のアーチャーであった。腕を組み皮肉気な笑みを浮かべている。

「ふん。その家というのが貴様の背にある代物だ。どうやら我が不在の間に不遜にも勝手に使っている輩がいるようなのでな。こうして罰を与えに来てやったということだ」

 対するギルガメッシュの言葉は禍々しきまでの嘲弄に歪んでいた。だが、それとてアーチャーの笑みを消すには至らない。

「なるほど。ギルガメッシュともあろうものが神の家を住処としていたとはな。まったく、そこまで堕落していたとは」

「はっ。所詮は偶像よ。そんなものに我が気を使う必要がどこにある? この世は遍く我のものだ。それが神の家、と名のつくものであろうとな」

「なるほど。つまりは、此度の聖杯もそうだと?」

「そういうことだ。貴様らが殺し合うのは一向に構わんが、我のものを己がものにしようとするのは許されん」

 それゆえの、今、この時だと。ギルガメッシュは一層その口の端を歪め宣言した。

「とはいえ、我が本気になってしまえば、それもわずか一夜で終わってしまうのでな。一日に一人。消してやる数を決めたのだ」

 その言葉にアーチャーの眉が僅かに動く。

「オレが三人目、だと?」

「そうなるな。贋作者」

 たまたまアーチャーがキャスターよりも先に出てきたから殺す。ギルガメッシュの傲岸さにはそんな響きがあった。

「戦争などと大層な名をつけている割には、中々終わらんのでな。そもそも、殺し合う前に徒党を組むなどしおって。おかげで我が動くまでに消えたのはライダー一騎などと。サーヴァントの名が泣こう」

「もともと誇るものでもないと思うがね」

 アーチャーの言葉は誰に向けられたものか。ギルガメッシュか、それとも。
 溜息混じりに呆れた声を放ったそれはまるで世間話をするかのような気安さを錯覚させたが、それはあくまでサーヴァントの中での話。
 ただの人間にとっては、アーチャーから滲み出る鬼気は決して気安いものではなかった。

「う、あ」

 最初のアーチャーの視線に身を竦ませていた間桐慎二は、再び自分へと向けられたアーチャーの相貌に微かな呻き声を絞り出す。

「やれやれ。間桐慎二よ、何故このような所に来たのかね? ただの人間が立ち入ってよいものではないだろうに。アインツベルンの森ではよほど優しく接してもらえたようだな」

「なーお前、あいつと同じようなことを――」

「なるほど。やはり優しく撫でられたようだな。オレなら二度とこんな場に来るような気にはさせんのだが。この場に来たのは貴様の勝手だが、酷い目にあっても知らんぞ」

「おま――っ、くそっ」

 アーチャーの言葉通りか、アインツベルンの城は雄弁だった舌がここではまるでまわっていない。それほど、アーチャーから放たれる鬼気――怒気は間桐慎二にとって圧倒的だった。
 アーチャーは微かに肩を竦めると、視線をギルガメッシュに戻す。

「ふん、時間の無駄だな、英雄王よ。始めるならさっさと始めたらどうだ」

「ふん、茶番だな。そんなに死にたいのなら遠慮なく殺してやろう。真作と贋作の重みの違い。その身をもって知るが良い」

 両者ともに鼻を鳴らすと、それぞれの戦闘スタイルに合った変化がおこる。
 ギルガメッシュの背には、空間に走る淡い波紋のようなものが幾重も表れ。
 何事かを呟いたアーチャーの両の手には中華風の双剣が握られる。そして、戦端はアーチャーの疾走によって開かれた。
 僅かに身を低くし、アーチャーはギルガメッシュとの距離を縮める。
 それを許すまいと、未だ両の手をポケットに入れたままのギルガメッシュの背から幾つもの宝具が撃ちだされた。

 響く剣戟の音は八度。
 ほぼ一瞬の間に鳴ったそれはアーチャーが自らに迫る宝具をすべて叩き落した音だった。
 疾走は止められたもののアーチャーの体に傷はない。

「ほう。なかなか小賢しいな。これではどうだ?」

 取り出した右手をギルガメッシュが指を鳴らす。それと同時に先に倍する数の波紋がギルガメッシュの背後に浮かぶ。
 揺らぎから刃の先が現れたと見えた瞬間、遅れて暴力めいた轟音が響く。
 遥か音を置き去りにするほどの速度でギルガメッシュの宝具が放たれたのである。
 今度は甲高い音は鳴らなかった。
 故に、響く音はギルガメッシュの宝具が大地を破壊する音のみ。
 雨の如く降り注ぐ宝具を捌くことは無理と判断したのか、アーチャーは回避に専念していたのである。

「ふははははは。逃げ回るだけか贋作者よ。お得意の似非真似はどうした? それとも本当に逃げることしかできぬほど貴様は退屈な輩か?」

 ギルガメッシュの嘲弄がアーチャーに向けられるが、宝具の雨を潜り抜けるだけでアーチャーは応えようとしない。

「ふん。つまらん。早々に消えるがいい。少しでも貴様に期待した我が愚かだったようだな」

 不機嫌さを隠そうともしないギルガメッシュは再び手をポケットに納める。だが、その背後には更なる数の宝具がその身を表そうとしていた。

「――その傲慢さが、貴様の欠点だ」

 だが、宝具がその姿を完全に表す寸前に、アーチャーは小さく言葉を呟き、両の手に合った双剣をギルガメッシュに投擲する。

「む――」

 弧を描き一対の夫婦剣がギルガメッシュを襲う。
 だが、それがギルガメッシュに届くかと見えた瞬間、見えない壁に阻まれたかのようにあらぬ方向へと弾かれた。
 しかし、ギルガメッシュ顔に浮かぶのは、嘲りではない。

「小癪な」

 いつの間に投擲されていたのか、幾つもの夫婦剣がギルガメッシュを襲う。
 それはギルガメッシュに届くことは終ぞなかったが、その間ギルガメッシュが攻勢を行うこともなかった。

“―――unlimited blade works.”

 そして、その一瞬でアーチャーは最後の呪文を完成させていた。
 アーチャーの足元を起点とし、世界に火線が走る。

「な、これは――」

 その世界を侵食し始めた光景に、初めてギルガメッシュが動揺の声を上げた。
 赤錆びた色の空に無数の歯車が回る。
 見渡す限り突き立つのは無数の剣、剣、剣。

「固有、結界だと!」

 腹の底から振り絞ったような怒声とともに、この戦闘が始まって以来最大の宝具がギルガメッシュの背後に姿を現す。

「疾く消え去れ!」

 塗り替えられた世界。それが、別の固有結界であったならギルガメッシュの激昂は現れなかったかもしれない。
 むしろ、自ら踏み潰すに値する強者と喜悦を表したかもしれない。
 例えば、十年前での戦争でも、固有結界を使用する英雄と闘っているのだから。
 しかし、目の前の光景はギルガメッシュにとって、容認できるような代物では決してない。
 固有結界――「無限の剣製」これは全ての財を手にしたと謳われるギルガメッシュだからこそ決して許されない業だった。
 視界に映る全ての剣。その全てが贋作であることをギルガメッシュは理解することができた。ギルガメッシュだからこそ理解することができた。
 このようなこと、許されるはずがない。
 だが、その怒りのままに放たれた宝具の津波は、それを上回る数の同じ剣によって全て阻まれた。
 赤い丘の上に真作と贋作。二つの剣の残骸が降り注ぐ。
 それらは土の上に落ちる前に、悉くまるで雪のように消え去った。

「馬鹿な。全て阻まれたというのか!」

 自らの財が全て偽物に破壊されたことにギルガメッシュは動揺を隠せない。
 それを冷めた目で見つめるアーチャーは、自らが塗り替えた世界に存在するただ一人の人間。間桐慎二に忠告の言葉を放つ。

「死にたくなければそこを一歩も動かんことだ。いくらこの世界の主が私でも、自ら死にに来るような者から刃を引くつもりはないぞ」

 視線すら向けられていないというのに言葉だけで間桐慎二の腰が砕けた。
 自分の周りに突き立つ無数の刃が、ただの一振りで自分の命を断つことができることを理解してしまったからだった。
 恐怖に染められた顔は、これ以上ないほどの蒼白になっている。戦場に覚悟もなく踏み込んできた者の醜態だった。
 だが、それを嘲る余裕が、ギルガメッシュには存在しなかった。
 湯水のように吐き出し続ける宝具――刀剣の全てが、この丘にある贋作に打ち砕かれる。
 勝てはしない。敗れもしない。ただ、等しく真作と贋作は朽ちていく。
 そして、それは疾走するアーチャーを止められないことを意味していた。

「おのれ! よもや贋作者風情に我の剣を使うことになろうとは!」

 全てを盗み模されるというのであれば、それを出来ぬもの
 激昂を隠そうとしないギルガメッシュの深層では、脅威とみなしたアーチャーを確実に殺す方法を冷静に導き出す。が、あくまで、剣というカテゴリーにおいてのみの選択ではあった。
 ギルガメッシュは背後の空間に右腕を突き刺し、自らの愛剣を取り出す。
 それはおよそ剣と呼ぶにはあまりに似つかわしくないもの。

 だが、その行動に移るにはいかんせん遅すぎた。
 その剣に魔力が満ちるより一瞬早く、アーチャーの剣がギルガメッシュを薙ぐかに見えた。だが――

「っつぅ!?」

 干将がギルガメッシュの首に届く寸前、アーチャーはその腕を振り抜く寸前で動きを止めていた。
 それが自分の意思ではないことは明白。何故ならアーチャーの顔に浮かんでいたのは驚愕だったからである。
 そして、それはギルガメッシュも同じ。屈辱的な敗北の予感に、激昂を宿していたはずの瞳に別のものが宿っている。
 まるで絵画のように二人のアーチャーは静止していた。
 だが、それは一瞬のこと。
 ギルガメッシュの顔に喜悦が浮かび、アーチャーの眉間に深い皺が刻まれる。
 ギルガメッシュの哄笑は、乖離剣の渦巻く魔力の鳴動さえも打ち消した。

「ふはははははは――! 運がなかったな贋作者よ、それが王と雑種の違いだ! 消え去れ――天地乖離す開闢の星!」

 真名が紡がれ、世界を切り裂いたモノの力が解放される。
 ギルガメッシュの剣に魔力が完全に浸透し、決定的な隙を見せてしまっていたアーチャーのその身体に、至近距離からの対界宝具が放たれた。
 収束してなお、漏れ出していた魔力の嵐。
 突き出されたと同時に枷から解き放たれた嵐の化身は、目標たるアーチャーのみならず、この塗り替えられていた世界をも断ち切った。
 錆びた世界の空と大地が分かれ、遍く破壊にさらされた世界が終焉を迎える。
 それは、滅びゆく故の美しさか。


 後には、乖離剣の破壊の跡など微塵もない、塗り替えられる前の世界、丘の上の教会の姿が広がっていた。
 その場所に存在するは二人。
 一人は黄金の英雄王たるギルガメッシュ。そしてもう一人は間桐慎二である。
 虚空を睨むように佇んでいたギルガメッシュは、不意に教会に背を向けると口を開いた。

「帰るぞ。もう用は失せた」

 今なお座り込んだままの間桐慎二に一瞥すると、ギルガメッシュは歩き出す。
 眉間に刻まれていた皺は消えていたが、不機嫌さは全く損なわれていない。ただ、英霊の身でありながらその所作にはどこか稚気が見え隠れする。
 その、自分のサーヴァントにあるまじき行動に動かされたのか。
 はっきりとした激昂を表した間桐慎二は、バネのように立ち上がると自分に背を向けているギルガメッシュに声を荒げた。

「どういうことだよ、ギルガメッシュ。ここにはキャスターを倒しに来たんだろ? まだ何もしてないじゃないか」

 それははたして、先ほどの醜態からは考えられぬほどの姿。
 当面の脅威が去ったからか。目に見える死の危険に怯えていた間桐慎二は傲岸な姿を取り戻していた。

「そう熱り立つなよ慎二」

 足を止めたギルガメッシュは間桐慎二に振り向かず言葉を続ける。

「すでにキャスターは消えた。ここに居てもしかたあるまい」

「消えたって。逃げたってことかよ。お前、キャスターは逃げられないって自分で言ってたじゃないか。どういうことだよ」

「アーチャーの仕業だ。キャスターを封じ込めていたモノは、我を起点に発動していたからな。我自身がここから離れてしまえば、その効力も失われる。弱ったキャスターでも逃げだすには十分だったということだ」

 ギルガメッシュの言葉はまるで他人事の様でもある。

「所詮、ただの悪あがきにすぎん。我が手を下さずとも明日には消えていよう。それで、残りは4人だ」

「あ?」

 囁くように言葉を発した声は間桐慎二には届かない。ただ、何かを呟いたギルガメッシュに対して胡乱な声を上げるだけだ。
 そんな間桐慎二のことなど目に入らない、といった様相のギルガメッシュは歩を再開する。
 その思案に暮れた、常の彼からは遠いその表情からは何を考えているのかはわからない。

 ただ、聖杯戦争は終焉へと緩やかに向っていた。


interlude out


 縁側で空を眺める。
 生きていた頃、ほんの僅かな間だけ同じようにイリヤと空を見上げたことを覚えている。
 もっとも、私はこんな姿ではなかったし。遥かに未熟だったのだけれど。
 少なくとも、イリヤがすっぽり収まるくらいの体はあったわけで。

「う~ん。やっぱり私は隣に座るね」

 こんな風に気を使われることはなかったような気がする。

「なんだか、疲れてるみたいね。アーチャー」

「うん? ああ、そうだな。今日は、少し疲れたな」

 隣で私を見上げながら訪ねてくるイリヤに、私は苦笑とは言い難い微妙な笑みを浮かべて言葉を返す。
 肉体的な疲労ではない、精神的な疲労を生んだ原因となった出来事に眉間の皺を深くしながら、慌ててそれを脳裏から消し去る。

「まあ、仕方ないんじゃないかしら。

「仕方ない?」

 少し、イリヤの言葉が気になって聞き返す。

「みんなきっと不安なの。誰もかれも隠し事が多いから。それは私もだし、アーチャー、貴女もそうよ」

 穏やか、とは言い難い雰囲気を一瞬イリヤは浮かべ、すぐさま嘆息する。

「だから、仕方がないって言ったの。誰も何一つ隠し事がないなんてあるわけないもの。ただ、今はみんなそれが怖くなってるだけ。おにいちゃんも、リンも、セイバーも」

 戦っているうちはいい。命を奪いあう戦いの中で、無駄な迷いは死へとつながる。だからこそ、誰もが自分の奥に持ってるものを忘れてしまえる。
 だが、それはなくなってしまったわけではない。消えるどころか膨らみ続ける代物なのだ。これは。
 だからこそ、今日のように穏やかな日が冗談のように訪れてしまうと、それが溢れそうになる。
 それゆえの今日だったのだろう。不自然なまでの騒ぎ。凛のは地とも言えなくもなさそうだが。なるほど、イリヤに言われてみれば、皆一様にどこか不自然さを持っていたのかもしれない。あくまで、思える、と言うような曖昧な印象でしかないのだが。

「隠し事、か」

 口に出して言ってみると、それは思ったよりも大きく、私の心を圧迫した。
 動揺していることを悟られないよう、ゆっくりと右手を胸に押し当てる。
 今、この瞬間でさえ。私は偽りを続けている。それを、罪だと言わずにいれるのか。

「どうしたの? どこか苦しいの?」

「ああ。そうだな。私がイリヤを大切に思うことは許されるのだろうか、とな」

 それは決して口にするつもりがなかったはずの言葉。
 出してはいけないと固く心に誓っていたはずの言葉。
 それが、不意に。胸の内から零れてしまっていた。

「あたりまえじゃない。アーチャーが私に優しくすることに理由なんか必要ないわ。なんたって私が許してるんだもの。もっとも他の人間だったら、どうするかはわからないけどね」

 私は思わずイリヤのどこか勝ち誇った顔をまじまじと見つめ、ふと何か得体の知れぬ靄を吐き出すように笑った。

「うん。それは、なんとも。イリヤらしい言葉だな」

「そうよ。だから、私がおにいちゃん――シロウに優しくしてあげるのも当然なんだから」

 鼻息も荒く宣言するイリヤに私はますます笑みを深くする。

「そうか。そうだな。お姉ちゃんは弟を甘やかすもの、か。でも――駄目なことは駄目だと、怒ってやってくれ」

「――もちろん。シロウには立派な紳士になってもらわなくちゃ」

 でも、に続く言葉。本当に言いたかったことは口にはできなかった。
 衛宮士郎かつて私がそうであり、そしてアーチャーがそうであったもの。もはや、別人とも言うべき私たちの写し身。
 私達の誰よりも強くある想いを持っている持っている存在。
 ああ、そうだ。この手は終ぞ届くことはなかった。
 両の手には何も残ることなく、全て零れ落ちてしまった。だけど、この胸に残っているのは後悔だけじゃない。
 たとえ、イリヤに対して思う気持ちが、かつての自分の代償なのだとしても。今、ここにいる自分が隣のイリヤを愛おしいと思っていることは間違いないのだから。

 ふと、空に浮かぶ星へと手を差し出す。決して届くことがない星へとこの手をかざす。
 それは。これは。ここは。死の間際願ったゆめの場所。
 間違っていたばかりの私を、ここへ導いたのは世界とやらの意地悪なのか。
 そうだとしたら、その意志とやらはあまりに残酷で優しい――

「っつ――!?」

 とっさに立ちあがった私は、すぐさまイリヤを自分の背後へと押しやる。

「ちょっと、アーチャー! 何をするの、よ」

 突然の仕打ちに、抗議の声を上げたイリヤだったが、それは終息していった。
 私が見つめる先――
 目の前の暗がりには、魔術師のサーヴァントたるキャスターの姿があったからだ。


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