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[1035] Rag Doll
Name: mゆたか
Date: 2007/01/04 13:53
注 原作「天のドレス」(セイバールートでイリヤに人形にされるやつ)後の二次創作。ちょいダーク展開やもしれません。


/ いつかの幕間

 断絶していた意識がつながる。
 ノイズ混じりの光景が、テレビの感度が上がるように段々とクリアになっていく。

「――ああ、朝だ」
 寝起きのような胡乱な頭はそんな莫迦なことを考えた。
 天蓋つきの豪奢なベッド。ぬいぐるみに溢れたその場所で、ゆっくりと目蓋を開く。

 ――それも錯覚。もはやこの体は瞬きどころか、呼吸すら必要としない。
 手を動かそうとしてみる。当然、それも徒労に終わった。
 四肢は文字通り真綿を詰められただけの木偶で、視界すらプラスチックの円盤に固定されている。
 この体に、俺の自由になるところなんて何一つない。


「う、ぅーん」
 傍らに、気配が一つ。それが身じろぎした拍子に体を倒された。視界が揺れて、目に見える世界が傾く。


「ぅ? ん」
 傍らの何者かが身を起こした。
 寝ぼけ眼のままキョロキョロと周囲を窺って、何かを探している。
 やがて倒れている俺を見つけると、腕を引っ張って俺の身体を抱き寄せた。


「おはよ、シロウ」
 小さな体で力一杯抱きついてくる少女。
 冗談のように、抱きしめられる感触だけは伝わってきた。
 それと同時に淡い芳香が鼻腔をくすぐる。勿論、そちらは気のせいだろう。

 動かない口を開いて、挨拶を返す。


 ――おはよう、イリヤ。


1/


 暗い森を抜けると、開けた視界には小ぶりだか精巧で瀟洒な造りの城が聳え立っていた。
 場違いな光景に一瞬虚を衝かれ、思わずセイバーの足が止まる。
 だが其処が城であろうが東屋であろうが関係ない。己のマスターが捕らわれているという一事のみが問題なのだと、思考から余分を切り落とすと、セイバーはアインツベルンの根城に向けて足を踏み出した。

 その一瞬の間にも、凛は立ち止まることなく先に進んでいた。
 少女の手によって、重厚な城の扉が重々しい音を立てて開かれ、そして躊躇うことなく城の中に這入っていく。
 すぐさまセイバーはアーチャーとともにそれに続いた。

 幸いにも侵入者用のトラップはなかった。
 それでも此処は魔術師の根城だ。油断は死に直結する。
 セイバーは逸る心を抑えて、慎重に辺りに視線を配った。

 城のエントランスは広い。
 そして外見同様、暗い森の奥には場違いなほど豪奢な造りをしていた。
 比較対照が自分の記憶しかないため、セイバーの知る城とはいささか赴きは異なる。
 それでも一目で“城”とわかる絢爛さだった。
 此処に来るまでに通った薄暗い森との格差のためか、それは一層煌びやかに目にうつる。


 そして、そんなエントランスの中央には、場違いな人形が一つ。


 無機質な円盤状の目が、じっと侵入者を見つめている。
 思わぬ出迎えに先頭を行く凛の足が止まった。
 それにつられるようにセイバーも立ち止り、少女の横に並び当惑に顔を見合わせる。

 両者が当惑を言葉にするよりも早く、殿を守る弓兵が出し抜けに口を開いた。
「凛、手遅れだ」


「え? なに、アーチャー?」
 セイバーと凛が振り返ると、弓兵は視線で前方を示した。
 その先には無垢な顔をしたぬいぐるみが鎮座している。


「その木偶が、衛宮士郎だ」
 咄嗟に言葉の意味が理解できず、セイバーは戸惑いとともに再度“それ”を見つめた。
 何度見返しても、彼女の目にはそれはただのぬいぐるみにしか見えない。


「そんな……人形に魂を転送(アポート)したっていうの? 魔法レベルじゃない!」
「おそらくは、遠見の魔術の応用だろう。転送先を選ばなければ不可能な話ではない」
 取り乱し気味の凛に対し、アーチャーは淡々と言葉を重ねる。
 セイバーにはその声がひどく遠くに聞こえた。彼女はただ呆然と眼前の人形に見入る。


「――どう? リン。新しいシロウの器(からだ)は気に入ってもらえた?」
 不意に、頭上から幼い声が響く。

 弾かれるように顔を上げ、視線を人形の背後、二階へと続く階段の踊り場へと向ける。
 そこには声の主、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの得意げな顔があった。

 セイバーの隣で、凛の肩が驚愕と緊張に強張る。
 先ほど、森に入る以前、彼女たちはイリヤスフィールを乗せた車が街に向かうのを見ている。
 それを確認した上でこの城に忍び込んだのだ。相手が車を使っていたといえ、先回りできるはずはない。
 だが、いるはずのない少女はこうして目の前で冷笑している。

 隙をついたつもりが、まんまと出し抜かれた。
 相手を見誤っていたと、セイバーは自分の読みの甘さに歯噛みする。

 そして、そんな塊根の念が霞むほど、少女の傍らに佇むサーヴァントの存在感は圧倒的だった。

 今の今までその存在に気付かなかったのか不思議でならない。
 巌のように聳える狂戦士はただ其処に在るというだけなのに、それほどまでに強烈な死の気配を放っている。

 セイバーが横目でうかがうと、凛はきつい視線で前方を睨みつけていた。
 あまり表情には出ていないが、その焦りは見て取れた。
 それも当然だ。彼女たちはバーサーカーとの正面きっての戦闘は想定していない。
 それは絶対に避けなければいけないことだった。


「悪趣味なものね。魂を封じ込めて人形遊び?」
「シロウは特別よ。リンはちゃんと殺してあげるから、心配しなくていいわ」
 凛の挑発のような悪態もイリヤスフィールは意に介さない。少女はただ無邪気に微笑んだ。

 その言葉に嘘はないだろう。
 一度手を合わせているため、セイバーは狂戦士の力がどれほどのものか身をもって知っていた。
 故に今の自分ではまるで相手にならなず、もし出会ってしまったら逃げるほかない。――そう思っていた。

 だが、実際に狂戦士を前にして、その考えさえ甘かったと思い知らされた。
 今アレに背を向ければ、その瞬間に絶命しているだろう。直感によらずして、セイバーはそのことを確信する。

 敗北は必至。状況は絶望的。

 ――どうするべきか。
 少なくとも、士朗の魂を宿すというぬいぐるみは確保しなければいけない。
 そう思って、眼前の人形に眼をやる。そうして、何を写すでもない無機質な瞳と眼が合った。

 唐突に、認識が追いつく。

 眼前のそれが彼女の“シロウ”なのだと、セイバーは今になってようやく理解した。
 彼とのレイ・ラインは繋がれていないが、サーヴァントシステムはそれなくしても主従の縛りを教えてくれる。
 それは間違いなく目の前のぬいぐるみが己のマスターであることを指し示していた。

 そして、それを理解すると同時に心が決まった。
 何を為すべきか。それは考えるまでもないことだった。

 ――マスターを前に、サーヴァントが為すべきことなど決まっている。

 足が前に出る。
 横に並んだ凛から一歩先へ。剣のサーヴァントは一歩、マスターへと近づく。


「凛、逃げてください」
 彼女の口からは自然と言葉が出た。


「ちょっと、どうするつもり?」
 ひどく不機嫌そうな凛の声。セイバーはその声で、彼女はとうにこちらの思惑など理解しているのだと気付いた。
 それでも尋ねるということは、彼女にも他に術がないということだ。


「ここは撤退するべきです。…わたしが殿を務めます」
 わかりきった答えを返す。

 ――誰か一人を囮に。この場でそれ以外の答えはあるまい。

 凛が何かを言おうとして、言葉を詰まらせた。
 その気配を背に受けて、セイバーはさらに一歩、歩を進める。

 歩みと共に鎧を身に纏う。
 たったそれだけのことで、体を襲う希薄感に息が詰まらせる。
 魔力不足はもはや眼前のバーサーカーと変わらぬほどの死活問題だ。

 ――ならば、躊躇うことなどない。

 世界から追い立てられているような圧迫感を無視して、セイバーは更に足を前へ進める。
 剣を持たぬ手で主を拾い上げ、ベルトに押し込んで固定する。

 その間にも、何故かバーサーカーからの攻撃はなかった。
 見上げると、イリヤスフィールは嘲笑を浮かべてセイバーの行動を見下ろしている。
 それは己が圧倒的優位にあると確信している者の余裕だった。

 事実ゆえに、その態度も不快ではなかった。
 それに余裕は常に油断に繋がる。この一瞬がセイバーたちにとって有利に働いたのは確かだ。
 たとえ僅かでも目的に適うのならば否やはない。


「出来る限りバーサーカーを引き付けます。そのうちに凛は…」
「――わかった。ここは貴女に任せる。…貴女も適当なところで逃げなさい」

 ことさら平淡な声色の返事。セイバーはそれにあわせるように無表情で頷きを返す。


「ええ。…後ほど、シロウの屋敷で落ち合いましょう」
 おそらくその時は訪れないだろう。
 互いにそれはわかっていた。
 交わされる言葉に意味はなく、それは単なる儀式だ。
 セイバーは自分の行動さえも、それと大差のないことをわかっていた。

 だが儀式であるからこそ、意味はなくとも為さなければならない。
 そう思い、彼女はまた一歩前へ踏み出す。同時に凛が背後へ下がる気配を感じた。

 だが動くのは凛の気配は一つだけだ。彼女の従者は未だ其処にある。


「アーチャー」
 凛が促す。それでもアーチャーの気配は動かず、かわりに声が投げかけられた。


「老婆心ながら忠告させてもらうがね。セイバー、それは捨てておけ」
 凛が絶句する気配を感じる。「それ」とは勿論ベルトに差し挟んだマスターのことだろう。


「…あんた何言ってんの?」
 凛の声に怒気がこもる。だがセイバーはその暴言に対しなぜか冷静でいられた。
 彼女自身がその理由に思い至る前に、背中にアーチャーの淡々とした声が降りかかる。


「わからんのか、凛。あれは既に衛宮士郎ではない。アインツベルンの傀儡だ」
 その言葉に再度凛が言葉を失う。
 セイバーは彼女の探るような視線を感じたが、その後にもアーチャーの指摘を否定する言葉は出てこなかった。
 沈黙する凛に追い討ちをかけるように、感情を欠いたアーチャーの声が続く。


「それを持っていれば、バーサーカーのマスターに居場所を知らせているようなものだ。最悪、寝首をかかれることにもなりかねん」
 その言葉にセイバーは心の中だけで嘆息する。
 理屈によらず、彼女はそのことを直感していたのだろう。
 だからアーチャーの言葉にはそれほど衝撃を受けなかった。
 だが、たとえそうであっても直接指摘されると気が滅入る事実でもある。


「重ねて言う。それは捨てておけ」
 静かに叩きつけられる声。

 アーチャーは既に衛宮士郎をセイバーのマスターとして見ていない。
 イリヤスフィールの使い魔として、排除すべき敵として認識している。
 それをしないのは、近づきさえしなければ今の衛宮士郎は限りなく無力だからだろう。

 だからといって、彼はセイバーが士郎を後生大事に抱えることも許すわけにはいかない。
 囮であるセイバーが敗北する時間が早ければ早いほど、アーチャーのマスターの身が危険に晒される可能性も高まる。

 セイバーはアーチャーの言葉が正しいことを理解していた。
 そして、ここまで付き合ってくれた彼女らに報いるつもりなら、その言葉に従うべきこともわかっていた。

 その胸に一瞬だけ迷いが生じる。だが次の瞬間に口から出たのは謝罪の言葉だった。


「…申し訳ないがアーチャー、それは出来ない」
 間を置けず弓兵の嘆息が聞こえる。まるで彼はその答えを予想していたようだった。


「忠義心は結構だがね、それを持ち帰ったとしても、凛にはどうすることも出来んぞ」
 その行為に意味はない。アーチャーはそう言っている。

 その言葉にセイバーは安堵する。
 ここで「囮としての役割」について言及されたら、彼女は再び思い悩んでいただろう。
 だが彼はそれをしなかった。


「すみません」
 セイバーはただ謝罪の言葉を繰り返す。

 アーチャーは処置なし、というように再度ため息をついた。
「謝るくらいならその木偶を手放したまえ」

 疲れたようなその口調にセイバーは思わず苦笑を返した。
 弓兵の憮然とした表情が眼に浮かぶ。
 だが、同じ立場であれば彼も同様のことを言ったであろう。セイバーはそれを確信していた。
 皮肉の一つでも言いながら、彼もこう言うに違いないと。


「…シロウは、わたしのマスターですから」
 アーチャーはもはや何も言ってこなかった。それは凛も同じだ。


 だが、その一言は、思いがけない反応を引き起こした。
「シロウはわたしのサーヴァントなんだから!」
 唐突に、イリヤスフィールが苛立たしげに声を震わせて叫んだ。
 それまでの余裕が嘘のように、彼女は眉を吊り上げて感情を露にした。
 高潮した顔に浮かんだのは、驚くほど激しい憤りの表情。

 過剰なまでの反応に呆気にとられるセイバーをよそに、イリヤスフィールは感情を持余すように体まで震わせて激昂する。
「バーサーカー!」

 唐突な開戦の合図だった。
 呼びかけに従い、鉛色の巨人が跳躍した。
 雄たけびを上げ、地響きとともにホールの中央に降り立つ。
 勢いを落とすことなく、巨人は砲弾のごとくセイバーに迫った。

 迎え撃たんと騎士は剣を構える。その背後では、凛とアーチャーが走り出す。
 バーサーカーの剛剣が空を割く。
 セイバーが覚悟を決める。敗北の瞬間を刹那でも遅らせるのが務めと、剣を握る手に力を込めた。


 ――だが、斧剣がセイバーに届くよりも、その体を呪いが縛る方が早かった。


『俺の魔力、全部持っていけ!』
 唐突に脳裏に響いた、声。

 もう何年も聞いていなかったように感じるほどの懐かしさ。
 驚きにセイバーの思考が停止する。

 そして言葉の意味を理解するより早く、呪いが形を成す。
 今まで閉ざされていたマスターに繋がる魔力の道が音を立てて接続された。

 叩きつけられるように流されてくる魔力。
 決して豊潤とはいえなかったが、それでも枯渇しかけた体を仮初の生命で満たしてくれる。

 同時に別の繋がりが失われる感覚。――令呪だ。セイバーがそう気付いた時には次の呪いが発動していた。

 再び脳裏に響く、声。
『俺を置いて逃げろ!』

 途端にベルトに挟んでいた士郎が転げ落ちた。
 そして足はセイバー自身の意思とは関係なく、限界以上の魔力を吐き出して身体を強引に後方へと運んでいく。
 眼前に迫っていたバーサーカーの振るう岩塊は唸りを上げて空を切った。太刀風にあおられて、士郎の体が勢いよく床を転がっていく。

 ――そうして、セイバーを縛る最後の令呪が失われた。

 一瞬だけ流れ込んできた主の思考も途切れる。
 自分の浅慮に対する後悔。不甲斐なさへの悔恨。無力に対する無念。続けられる闘争への憂苦。マスターに逆らうことへの苦痛。少女に対する心痛。最期までマスターたらんとした決意。

 そんな彼の想念が消えていく。

 残るのは、身を縛る最後の令呪の強制力だけだ。視界に移る景色が高速で前方に流れていく。


「くっ」
 歯を食いしばり、セイバーは全力で最後の命令に抗った。
 補充されたばかりに魔力が何割か抜け落ちていくが構わなかった。
 足を床に突き刺すように、なおも後退しようとする体をその場に押し留める。

 令呪本体が失われているためか、その抵抗はそれほど難しくはなかった。
 床に足と剣の爪あとを残しながら、セイバーの体は城の外へ飛び出す前に止まった。

 バーサーカーを前して絶望的な隙であったが、何故か追撃はなかった。
 我に返って狂戦士を見ると、敵は追撃の姿勢で止まっている。
 彼にそんな真似を強要できる者は一人しかいない。
 視線を巡らすと、アインツベルンのマスターは階下に降りて、転がる士郎を拾い上げているところだった。

 少女が立ち上がると、ぬいぐるみを抱きしめながらセイバーを睨みつける。
 凍てつくような視線がセイバーに突き刺さった。


「あら、逃げないの? シロウはそう命令したんでしょ?」
 氷点下の笑みを浮かべたまま、イリヤスフィールが嘲笑する。

 その言葉でセイバーは漠然と理解した。軽く睨み返しながら答える。これもまた儀式だ。
「見くびるな、イリヤスフィール。確かに令呪は失われたが、私の誓いは顕在だ。シロウは私のマスターだ。この身がある限り、私は彼の剣となり、盾となる」

 案の定、その言葉をイリヤスフィールは頑なに否定した。
 譲れぬと、自分こそが正しいのだと厳かに告げる。


「違うわ。シロウはわたしのサーヴァントなのよ」
 それが戦闘再開の合図だった。



[1035] Re:Rag Doll
Name: mゆたか
Date: 2007/01/30 00:39


 迫る巨人。それをセイバーは不可視の聖剣で迎え撃つ。
 与えられた魔力のおかげか、初撃は真っ向勝負でも力負けしなかった。
 撃ち合う鋼の音が戛然と鳴り響き、飛び散る火花が両雄を一瞬だけ照らし出す。
 その光が消えないうちに第二撃が繰り出される。

 ぶつかり合う鋼から新たな剣戟音が雷鳴のように響き渡った。瞬く間に光の乱舞と金属音の轟きが辺りを埋め尽くす。
 バーサーカーの剣風は片時も止むことがない。瀑布のように打ち下ろされる剣戟を、セイバーはひたすらに打ち払う。

 だが、やはりバーサーカーは圧倒的だった。
 直撃こそなかったが、捌ききれない剣の濁流にセイバーの鎧が徐々にこそぎ落とされてゆく。
 止まることのない猛攻に、終わりの時がじりじり近づいていく。
 それでも、その時を少しでも伸ばすのが自らに課せられた役目と、セイバーは剣を止めない。

 最速をもって斧剣が薙ぎ払われる。
 セイバーは剣を縦にしてそれを防いだが、剣圧に耐え切れずに姿勢が崩れた。
 喉から出かかった呻きを、騎士は歯を食いしばって押し込める。

 微かな、しかしこの局面において致命的な隙。
 黒い巨人は勝利の咆哮を上げ、岩塊を振り下ろす。最速よりもなお早く、激しく、全てを叩き潰す必殺の一撃。
 視界を埋め尽くして迫る岩塊。
 絶体絶命の瞬間。それでもセイバーは諦めない。
 何故ならば、彼女の直感が告げている。

 ――この攻撃は当らない。

 五感から得られる情報からはその直感を導く要素は欠片も見つからない。けれど、気付けば体は直感に従っている。
 そうして意識が身体に追いついた。防御や回避を無視して、渾身の一撃を叩き付けんと前に向かって踏み込む。

 巨人の剣が振り下ろされた。
 だが、それはセイバーには届かない。
 斧剣は身体一つ分離れた左側面を唸りをあげながら通り過ぎていった。
 纏う風圧さえ刃となり、剣はたやすく床を打ち砕く。
 爆弾でも炸裂したかのような轟音。破片や粉塵が勢いよく宙を舞い、風圧がセイバーの身体を圧す。

 粉塵が煙る向こう、バーサーカーの巨体が揺れている。
 そこ目掛けてセイバーは大上段に振りかぶる。
 一撃を放った直後の狂戦士にはこの攻撃を避ける術はない。

 その決定的なチャンスの瞬間、彼女の直感が、今度は警鐘を鳴らす。
 咄嗟に振りかぶった剣を、セイバーは己の左方向に向かって叩きつけた。

 確かな手ごたえ。
 今度も理解は行動に追随する。目の前には己を両断せんと迫る斧剣があった。

 敵も然る者。あろうことか、バーサーカーは半ばまで埋まった大剣を床ごと振り払っていた。
 タイミングから考えるに、その剣勢は先ほどの一撃に勝るとも劣らない。
 剣を打つ反動で宙を飛ぶ。仕切りなおすようにバーサーカーとの距離が開く。

 一瞬の幕間。
「へぇ、逃げてなかったのね、リン」
 その時、イリヤスフィールの口から意外な言葉が漏れた。その視線はバーサーカーの足元に注がれている。
 見ると、そこには一本の矢が大理石の床を穿っていた。

 バーサーカーの剣撃には及びもつかない小さな穴。
 それでも、巨人の足元を崩すには充分。この時になって、セイバーはようやく気付いた。
 その“矢”こそがバーサーカーの一撃から彼女が逃れ得た理由だった。

 驚く間もなかった。突然、入口側の城の壁が轟音を立てて弾け飛んだ。続いて無数の風切り音が高く響き渡る。
 飛び散る瓦礫の合間を縫って、何条もの光が正確に巨人のこめかみを貫く。
 正確無比な射撃。それは間違いなく“弓兵”による射撃だった。
 だが人一人軽く吹き飛ばすであろう砲弾は、巨人の皮膚に傷一つつけることすらできなかった。
 バーサーカーは飛来する矢に視線を向けることすらなく、再びセイバーに襲い掛かる。

「そうよ、バーサーカー。アーチャーは無視しなさい。どうせ貴方の宝具を超えることなんてできないんだから」
 イリヤスフィールが嘲笑する。それに応えるようにバーサーカーは降り注ぐ矢の雨をものともせず、真っ直ぐにセイバーに向かって迫る。
「くっ」
 思いがけないアーチャーの登場に、セイバーが一瞬だけ判断に迷う。
 しかし、バーサーカーは答えを出す時間をくれるほど甘くはなかった。
 なし崩し的に先ほどと同様の攻防に持ち込まれる。

 内心は忸怩たる思いで、セイバーは剣をあわせる。
 アーチャーの攻撃が意味をなさない以上、この攻防は先ほどの焼き直しだ。
 違うのは、彼我の消耗の度合いだ。
 バーサーカーと違って魔力の補充のできないセイバーは、先ほどと同様には闘えない。
 せっかくの時間稼ぎが無駄になったと、彼女は内心で凛とアーチャーの判断を呪う。

 ――だが、彼女がそう思うのは早計だった。
 バーサーカーの攻撃はセイバーに届かない。
 無論、セイバーが早くなったわけでも、バーサーカーが遅くなったわけでもない。それなのに明らかに攻勢は逆転している。

 それまでの劣勢が嘘のように、セイバーはバーサーカーの剣を避け続けることが出来た。
 それだけでなく、彼女の剣は何合かに一度、わずかだが巨人の肌に達する。

「バーサーカー!」
 イリヤスフィールの叱咤が飛ぶ。巨人の剣は勢いを増すが、セイバーはそれを捌ききった。捌ききることが出来た。

 ――大勢を決したのはアーチャーだ。
 矢は片時も止むことのない驟雨のように降り注ぐ。
 それはどのような神技か。
 目まぐるしく立ち回る両雄の中、矢は一度たりともセイバーを傷つけることなく、バーサーカーにのみその牙をむく。
 足元を崩し、剣勢を殺ぎ、視界を遮る。

 確かに、そんなものは僅かな妨害にしかならないだろう。
 しかし天秤を傾けるには充分な差。それ故にバーサーカーの剣はセイバーに届かない。

 アーチャーの矢はバーサーカーに傷一つつけられない。
 それでも、この戦場を支配しているのは彼だった。

「なにしてるの、バーサーカー!」
 イリヤスフィールの苛立たしげな声が響く。そしてそれを合図にしたように、再度の轟音が城を揺るがした。
 壁を崩されて自重を支えきれなくなった天井の崩壊が始まる。セイバーの視界の端を雨のように瓦礫が降った。

 だがそれすらも彼女の戦闘の妨げになることはなかった。それは狙ったようにバーサーカーの動きのみ阻害する。
 ――いや、それも違うか。
「なによ、アイツ」
 半ば呆然としたようなイリヤスフィールの呟きにセイバーも内心で同意する。

 彼は狙っているのだ。
 バーサーカーに向けられる矢の数と精度に変化はない。
 その上でなお、アーチャーは天井から降り注ぐ瓦礫さえも統制してセイバーを援護していた。
 セイバーの動き、バーサーカーの動き、瓦礫の動き。その全てを読みきって、弓兵の矢は戦場に吹き荒れる。

 その時、一際大きな軋みが頭上から響いた。
 剣を打ち払いながらセイバーは一瞬だけ天井に視線を転じる。
 本格的な崩落が始まったのが見て取れた。一際巨大な塊りが、シャンデリアを貼り付けたままゆっくりと落ちてくる。

 さすがにこれはアーチャーでもどうにもならないだろうと、セイバーは瓦礫から逃れるため後方に飛び退る。
 狂戦士もそれを追う。

 ――そして、その瞬間に勝負は決した。

「Stilschieβt(全財投入)、Beschieβen Erschieβung---!(敵影、一片、一塵も残さず……!)」
 その声は、あろうことかバーサーカーの上方から聞こえた。
 降り注ぐ瓦礫の影から、両手に宝石を翳した凛が躍り出る。

 アーチャーの神技は巨人の視界を遮るだけでなく、イリヤスフィールからも凛の姿を完璧に隠していた。
 気取られないよう、直前まで魔力を抑えて身一つで射程内にまで迫った凛の思い切りの良さも驚嘆に値する。
 そして何よりも驚くべきは、その宝石に込められた魔力だ。

 閃光。一瞬だけ遅れて爆音。
 唸りを上げる魔力は猛々しいままの暴力となって、鉛色の巨人をつるべ打ちにする。
 砲弾のようなアーチャーの矢ですらかすり傷一つ負わせられなかった狂戦士の肌を、凛の宝石に込められた魔力は易々と切り裂いていった。

 その威力は初対面の時にセイバーに向けられたものの比ではない。
 それはライダーの宝具にも似た、凶暴な魔力の猛りだった。

「■■■■■――!」
 巨人の咆哮。振り払った左腕が魔力の奔流を浴びて瞬時に溶解する。
 圧倒的な魔力はそのままバーサーカーの全身を濁流のように呑み込む。
 その余波だけで床のタイルは弾け飛び、あるいは融解し、先ほどまでとは比較にならないほどの粉塵が巻き起こった。

「…へぇ、中々やるじゃない、リン」
 己のサーヴァントの窮地だというのに、イリヤスフィールの余裕は変わらなかった。
 むしろ小ばかにしたように、少女は凛の奮闘を鼻で笑う。

 しかし凛はそんなイリヤスフィールの態度には取り合わない。
 接近した時以上に素早く後退すると、背後に向けて命を下す。

「アーチャー、駄目押し!」
 見えるはずのない森の中。弓兵が唇を歪めた気がした。

「――I am the bone of my sword(我が骨子は捩れ狂う)」
 そんな呪文が響いた。

「偽・螺旋剣(カラドボルク)」
 真名が開放される。
「セイバー!」
 凛が叫ぶ。咄嗟にその意味を察し、セイバーは凛の前まで飛びのく。
 すぐ脇を空間さえ穿つ“矢”が掠めていった。
 凛の巻き起こした粉塵を巻き込み、切り裂いて、“矢”は巨人へと突き進む。

 着弾。そして空白。
 閃光と轟音が感覚器官の許容をあっさりと超える。先ほどの凛の攻撃を凌ぐ“狙撃”が城を揺さぶった。

 実際には刹那にも満たない長い時間の後、ようやく視界が回復する。
 眼前には様変わりしたエントランス。戦闘前の絢爛さの面影は欠片もない。
 中央には新たにクレーターが一つできている。その周囲では融解した床が煙を上げ、陽炎が揺らめいていた。

 そして、そんな地獄のような風景の中、その巨人は悠然と屹立していた。

「…バーサーカー、Aランクの宝具を受けてなお無傷とは」
 セイバーの口から知らず呻きがもれた。凛は険しい表情で傷一つない狂戦士を見下ろしている。

 崩壊したエントランスに楽しげな笑い声が響き渡る。
 巨人の主、バーサーカーのマスターはさも可笑しそうに破壊の痕跡を睥睨した。

「褒めてあげるわ、リン。まさかバーサーカーを二回も殺すなんて」
 イリヤスフィールの一言で凛は全てのカラクリを理解したようだった。忌々しげに眉を寄せ、盛大に舌打ちをする。
「二回? …なるほど、ヘラクレスなら十二回の試練は乗り越えるってわけね」

「そういうこと。十二の試練を乗り越えて神へと至った不死の呪い。それがバーサーカーの宝具。…残念ね。リンとアーチャーがあと十回、同じ攻撃をできたら貴女の勝ちなのに」
 歌うように、白い少女はそう言った。

「…なんて、インチキ」
 悔しそうに凛が毒づく。イリヤスフィールは絶対の自信のもと、それを愉快そうに笑う。

 決定的な状況を前に誰が動きを止めたその一瞬。
 …だから続く光景を予想できた者は、それを引き起こした本人しかいなかった。

「なるほど、根競べというわけか」
 突然現れたその男は、ふてぶてしく嗤ってそう言った。

「――I am the bone of my sword(我が骨子は陰り狂う)」
「え?」
 イリヤスフィールが声の主を見上げる。その時にはアーチャーは既に“矢”を放っていた。

「偽・光帯剣(クラウ・ソラス)」

 瞬間、光が走った。
 視認さえ不可能な一射。矢が放たれたその瞬間に、その“剣”はバーサーカーの首を落としている。
 そして次の瞬間には、首は何事もなかったように元の場所にある。

「あと九回」
 穴の開いた壁で弓を構えた弓兵は、そう言って不敵に唇を歪めた。

 誰もが自失する中、狂戦士だけがそれに反応した。
 アーチャーこそ最大の敵と見なし、咆哮を上げて駆けよる。
 だがアーチャーが第三射をつがえる方が早い。
 気付いたときには、弓兵はその手に三本目の“剣”を握っている。

「――I am the bone of my sword(我が骨子は猛り狂う)」

 三度目の魔力の奔流。三度、真名の開放が世界を揺さぶった。

「偽・嚇怒剣(グラム)」
 光と焔の尾を引く流星が巨人を貫く。それを防ごうと翳された腕ごと身体を両断され、狂戦士は絶命した。
 絶命しつつもなお狂戦士は駆ける。

 既に両者は指呼の距離に迫っている。
 アーチャーが壁を蹴った。その手にはいつの間にか白と黒の夫婦剣が握られている。

 中空で狂戦士の斧剣が唐竹に振るわれるが、アーチャーは夫婦剣を斧剣の側面に叩きつけるようにして、その反動で身を逸らす。
 続いて薙ぎ払われた岩塊も同様の方法で捌き、そしてその勢いに乗じて今度はバーサーカーの側面に飛ぶ。

 再び両者の距離が開く。しかしアーチャーは弓を構えることすらできなかった。
 そんな余裕はなく、開いた距離はバーサーカーの突進によって一瞬で詰められる。再度、三本の剣が交錯する。

 新たな剣戟音が鳴り響く中、ようやくセイバーは我に返った。
 巨人の攻撃をいなすアーチャーを援護せんと、狂戦士に駆け寄る。

 だがその行動は、援護しようとしたアーチャー自身に阻まれた。
「たわけ! 今は退け!」
「なっ! 何を言っているのです!」

 怒声を浴びて、セイバーの足が止まる。
 一方のアーチャーにはセイバーの言葉に答える余裕もなかった。
 吹き飛ぶようにバーサーカーの剣を捌くと、宙にいるうちに双剣を投擲する。

 直線と放物線の軌道に放たれた二本の剣は絶妙のタイミングで狂戦士の動きを阻害した。
 バーサーカーが二本目の剣にわずかに足を取られたのと、アーチャーが着地するのは同時だった。
 そして弓兵の手には“剣”をつがえた弓が握られている。

「――I am the bone of my sword(我が骨子は殺め狂う)」

 退くことを知らぬ狂戦士は、正面から弓兵に挑む。
 そして、四度目。四本目の“剣”の名が明かされる。

「偽・殺戮剣(ダインスレイフ)」

 禍々しい鳴動を繰り返す“矢”が巨人を襲う。
 それを脅威と感じたのか、狂戦士は防御のために剣を振い、“矢”を打ち払った。
 だがその“剣”は弾かれても勢いが衰えることさえない。ありえない軌道を描いて、剣は執拗に敵に迫る。
 バーサーカーは相手をするのも無駄だと悟ったのか、その命を一つ差し出す。

 5回目の死。心臓が穿たれる。
 しかしその間に狂戦士は間合いをつめている。

 巨人の挙動に突き動かされ、再度、セイバーはバーサーカーに向かわんとする。
 それを、今度は凛が彼女の腕を掴み、その動きを阻んだ。

「今のうち。セイバー、来て!」
 従者と同様、アーチャーへの援護を否定するその言葉に、セイバーは困惑より怒りを覚えて凛を睨んだ。

 それでも凛と向かい合った途端、反論しようとする言葉は封じられた。
 彼女の瞳にはこちらに有無を言わさぬ力があった。そこに諦観の色はない。

 彼女たちには策がある。そしてセイバーの直感はそれに従うことを是としていた。

「…わかりました。今は凛に従います」
 彼女は目だけで頷くと、すぐさま城の外へと駆け出した。
 振り返ることもなく、崩壊した壁を乗り越え、城の外へ向かう。セイバーもそれに続く。

 走り出した瞬間、それまで呆然としていたイリヤスフィールが我に返ったようだ。
 後退する彼女たちの背後から己の従者を叱咤する少女の声が聞こえる。

「なにやってるの、バーサーカー! そんなヤツさっさと殺しちゃいなさい!」
 イリヤスフィールの叫びを受け、バーサーカーが雄たけびを上げた。
 太刀風の音と共に剣が砕かれるような高い音が響く。それでいて剣を打ち鳴らす音は途絶えない。

 そして、またも厖大なマナが大気を振るわせた。

 誰もが息を呑む。
 宝具とは本来唯一無二の存在だ。それが“矢”のように無数にあるはずがない。
 いや、そも一人の英雄があれほど多彩な“矢”――“宝具”を持つこと自体異常である。

 夫婦剣でも、螺旋剣でも、光帯剣でも、嚇怒剣でも、殺戮剣でもない。
 そのどれでもなく、しかしそれに劣らぬ幻想により編まれた神秘。

「――I am the bone of my sword(体は剣でできている)」

 背後からそんな呪文が聞こえてきた。



[1035] Re[2]:Rag Doll
Name: mゆたか
Date: 2007/01/30 00:40


2/

「…やってくれたわね、リン」
 廃墟と化した城の森の孤城で、イリヤスフィールは忌々しげに吐き捨てた。

 砕かれた天井を抜けた光が、弱々しく彼女の足元を照らす。

 目の前の光景はつかの間に一変し、絢爛を誇ったエントランスは見る影もない。
 見えるのは散乱した瓦礫と、その中心に7つの命を失った半神の英雄だけ。

 敗れた敵の姿はない。
 弓兵は血も残さず、その姿は大気中のマナに溶け込むように霧散した。

 イリヤは瓦礫から眼を離し、その先に広がる森にをみやる。
 その先にあるものが、思いがけない事態に自失していた彼女を現実へと引き戻した。

 突如現れた膨大な魔力の塊り。
 アインツベルンの魔力で塗り込められた森で、それはあまりにも異質な気配だった。
 ただ在るだけで、その異常は強烈に自己の存在を主張している。

 その気配は、つい先ほどもイリヤの前にあった。
 だがその魔力の在り様は、その時とでは比較にならない。
 あまりにも弱々しかったそれが、今は彼女の巨人にも匹敵する強大さとなっている。

 そは最良と謳われる剣の英霊。サーヴァント・セイバー。
 ――真名をアーサー・ペンドラゴンという。

 イリヤは小さな拳を握り締め、懸命に苛立ちを抑え込む。
 意味もなく叫びだしたくなる衝動に歯を食いしばることで耐えた。
 余計なものを排除して、少女は必要な冷静さを装う。

 故に、イリヤはアーチャーの正体を詮索することを自らに禁じた。
 現状、あの異常な英雄の正体がわかったところで情勢に影響ない。
 彼の成し遂げた、それこそ奇跡のような結果を受け入れるだけでいい。

 そして弓兵のみならず、イリヤは衛宮士郎すらその思考から切り捨てた。
 彼女の愛すべき従者は、この状況において戦力として機能するものではない。
 弓兵の宝具を目にしてからというもの、彼はひどく動揺し、精神的安定を欠いているのは気付いていたが、今のイリヤにそれを慮るだけの余裕もなかった。
 少女は眼前の敵にのみ、その意識を振り向ける。

 敵――遠坂凛はまったくもって強かだった。

 単騎ではバーサーカーを打倒し得ないと見て取ると、彼女はアーチャーを使い捨てた。
 アーチャーをこの場に残し、自身はセイバーとともに後退。
 そして魔力を使い切ったアーチャーが消滅するやいなや、マスターを失ったセイバーと再契約。

 口惜しさに、イリヤは強く唇を噛む。
 バーサーカーなら、最強のマスターである自分なら、彼女はこの戦争に勝利することなど容易いものと思っていた。
 無造作に、バーサーカーに一言命じれば、全てのサーヴァントを打ち倒せるものだと高をくくっていた。

 だが現状は彼女の甘さを嘲笑っている。
 バーサーカーは既に7つの命を失った。
 凡百のマスターであるはずの遠坂凛に1度、名もない弓兵に6度。想像もしなかった事態だ。

 そして、遠坂凛という充分な魔力供給源を伴ってのセイバーの戦線復帰。

 万全のセイバーは、決して侮っていい存在ではない。
 イリヤはライダーを討ったセイバーの宝具を間近で見ている。A+を誇るライダーの宝具を一瞬で蹴散らしたその威力を知っている。

 バーサーカーが万全の状態であれば、たとえ100%の力を発揮したセイバーが相手とあっても負けるとは思わない。
 だが現状、あの宝具を残った5つの命で凌ぎきれるのか。
 …可能かもしれない。しかし、絶対とは言い切れない。

 イリヤは思い知る。
 確かにバーサーカーは最強だ。そして、自分は最高のマスターだ。
 それでも、決して無敵ではない。

 ここにきて、イリヤスフィールは初めて敵に相対する。
 自らの命、全身全霊を賭すべき戦場を知った。

 ――退くか。
 矜持さえ冷静さで抑えつけ、アインツベルンのマスターは採るべき手段を模索する。
 そして最初に浮かんだその考えを即座に否定した。

 最強を誇った自分が退却する。それは自らの危機的状況を敵に教えるようなものだ。
 遠坂凛がそれを見逃すとは思えない。
 そも、あのセイバーが元マスターを捨てて、このまま引き下がるはずがない。

 無意識のうちに、イリヤは遠坂凛だけでなくセイバーに対する認識も改めていた。
 もはや彼女はセイバーを道具としての使い魔とは考えていない。
 あれは彼女の大切な従者を奪おうとする「敵」だ。

 徐々にイリヤの顔から表情が消えていく。
 呼吸さえ止めて、彼女は自らの思考に没頭していった。

 気付けば、彼女はエミヤシロウの器をきつく抱きしめていた。
 プラスチックの眼球が胸にあたる感触に我に帰る。
 力んでいた肩の力が抜け、イリヤはなんとなしにその従者と顔をあわせた。

 つぶらな合成樹脂の瞳は何も語らない。
 狂乱の態にある彼の思考は、言葉さえ受け付けてくれない。

 それでもイリヤは乱れきった自分の気持ちが安らいでいくのを感じた。

 ――わたしはシロウのマスターだ。
 強く、そのことを思う。決して離れはしないと、繰り返し心に刻む。

 彼は、ずっと一緒にいることを誓ってくれた。
 たとえその場しのぎの方便であっても、それは契約として厳然とここにある。

 その事実は覚悟を後押ししてくれる。負けたくない、勝ちたいと、少女は勝利を渇望する。
 この瞬間、誇り高きアインツベルンのマスターは遅すぎる覚悟を決めた。

 イリヤスフィールは俯いていた顔をゆっくりと上げる。

「――行こう。シロウ、バーサーカー」
 最強のマスターは、己の従者たちに莞爾と微笑みかけた。



3/


 遠坂凛は森を駆けていた。

 前方には闘気と魔力を漲らせた騎士王。
 お互いに言葉はない。ただ敵の待つ城へと急ぐ。

 事態は、アーチャーの目論み通りに進んでいる。

 アーチャーは凛に宣言した通り、あれから6度、狂戦士を殺してみせた。
 セイバーとの再契約を邪魔されない距離まで退くだけの時間もくれた。
 潔く散って、凛が他のサーヴァントと再契約できる条件まで整えてくれた。
 凛はただ彼の言葉に従っただけだ。

 残る狂戦士の命は5つ。
 全てが予定通りの展開だ。あと5回、あの巨人を殺せばいいだけの話。
 何一つ余分はない。

 ギリ――と、凛は音が鳴るほどに歯を食いしばる。

 何一つ余分はない。だから、雑念もいらない。
 彼女は新たな剣を帯び、自らの役目を果たすため再び戦場に舞い戻る。
 自らにそう言い聞かせて、凛は睨みつけるように眼前のセイバーの背を見つめ、無心に駆けた。

 森を抜けた。
 無残にも傷ついた城が眼の前に聳える。

 しかし破壊孔から覗く内部に狂戦士とそのマスターの姿はない。
 予想外の事態に、少女の足が一瞬だけ止まる。
 ――よもやすれ違ったか。凛はたった今通った道を振り返ろうとして、しかしそれは先行するセイバーの声によって遮られた。

「凛、こちらです」
 そう言って、再び騎士王が駆け出した。
 そちらを見ると、森の一角が強引に切り開かれ即席の道となっている。
 それは見るからに真新しい。

 ――逃がしはしない。
 遠坂凛は駆ける足に力を込めた。
 相手を追い詰めているという高揚感が彼女を高ぶらせる。

 だが、すぐに凛は自らの思い違いを知る。
 ものの数分で彼女の前を走っていたセイバーが立ち止った。

 追い詰めたからではない。
 敵はそこで待ち構えていた。

 鬱蒼とした森を抜けて現れたその場所は、ちょっとした広場になっていた。
 頭上には延びた枝が茂り、熱い樹冠に遮られて陽光はわずかしか届かない。
 薄暗い広場の反対側、彼女たちの敵は出会ったときと変わらず、悠然と構えていた。

 見たところ、巨人の身体に傷はない。
 だが凛は動揺しなかった。失われた命が再び12まで戻っているのなら、わざわざ戦場を移す意味はない。

 おそらくは小回りがきくセイバーに有利な、障害物が多い地形を嫌ったのだろう。
 余裕が失われている証拠だ。敵は間違いなく消耗している。

 凛の命令を待つまでもなく、セイバーが駆けた。
 その勢いは先ほどまでとは雲泥の差である。
 これまでのものが疾風なら、今はまさに雷光だ。その勢い、苛烈さはバーサーカーにもひけを取らない。
 迎え撃つバーサーカーも駆け出し、両者の剣は図ったように広間の中央で重なり合った。

 ぶつかり合う鋼。不可視の聖剣と、無骨な岩塊が交錯する。
 その体格差にも関わらず、セイバーの剣はバーサーカーの剛剣相手に一歩も譲らなかった。
 刹那の間をおいて、次の一刀が振るわれる。

 猛る魔力。宙を割る太刀風、降り注ぐ火花、空気を振るわせる刃鳴り。
 嵐のような攻防の中、二人の英雄は相手を打倒せんと一心に刃を煌かせる。

 凛は高ぶる心を静め、つとめて冷静にその戦闘を眺めていた。
 バーサーカーはさすがに強い。
 凛との契約により万全の状態となったセイバーといえども、総合的な基本スペックではわずかに劣る。
 それはバーサーカーが理性を失ったことによって負う不利を補うに足る能力差だ。

 セイバーが勝利するためには、宝具を使う他ない。
 あの何物にも替えがたい至高の剣が直撃すれば、いくらバーサーカーとはいえ無事ではいまい。

 故に凛の役目はバーサーカーが隙を見せた瞬間、令呪を使ってでもセイバーが宝具を使えるようサポートすることにある。
 そのため、凛は瞬きさえ惜しんで戦闘を注視する。

 そう気負う彼女の眼前で、バーサーカーの大振りな一撃が宙を切った。
 セイバーは半身を反らせてそれを避けている。刹那の瞬間、バーサーカーが無防備な体勢となる。
 令呪の援護さえ必要としない文句なしの好機。

 だが、その瞬間に凛の口から出たのは罵声だった。
「…アイツっ!」

 その悪態が誰に対するものか、彼女自身にもわからなかった。
 目の前ではセイバーが彼女以上の渋面で剣を振るっている。しかし彼女の持つ宝具はその真の力を発揮してはいない。

 剣は狂戦士を傷つけるが、その命を奪うまでにはいたらない。
 それどころか、バーサーカーが傷をものともせず斧剣を振るったため、相打ちに持ち込まれ、セイバー自身も浅くない傷を負ってしまう。

 傷自体は魔力により一瞬にして癒えるため、互いに目に見えるほどのダメージはない。
 そうしてまた、それまでの焼き直しのように激しい攻防が繰り返される。

 セイバーがバーサーカーの巨体を翻弄するようにスピードを上げる。
 廻り込もうとしたセイバーの動きを、バーサーカーは剣を薙いで阻害した。
 その攻撃をセイバーはバックステップで避ける。
 無理な体勢で剣を振るったバーサーカーは姿勢を崩し、宝具を撃つには充分な瞬間。

 それでもセイバーは撃たない。
 そして凛は自分の考えが正しいのだと確信した。

 セイバーの射線上、その先にはバーサーカーのマスターの姿があった。

 無論、それだけではセイバーが攻撃を躊躇する理由にはならない。
 その理由はイリヤスフィールの右腕に抱かれているものにある。
 イリヤスフィールの持つ衛宮士郎の成れの果て故に、セイバーは宝具を使えない。

 衛宮士郎があちらの手にある以上、セイバーの正体と宝具が知られていても不思議はない。
 それに思い至らなかったのは自分の落ち度だと、凛は自らの迂闊さを呪った。

 瞬間に湧き上がった激情に、頭が沸騰しそうになる。
 だがそれを理性によって押さえつけ、凛はこの状況で勝てる手を、必死に打開策を模索する。

 衛宮士郎を切り捨てることはできない。
 それは心の贅肉の問題ではなく、セイバーとの信頼関係の問題だ。こればかりは令呪に頼るわけにもいかない。

 セイバーの“マスター”は衛宮士郎だ。
 凛との再契約は、マスターの命を救うためにやむもなく取られた非常手段にすぎない。
 ここで衛宮士郎を見捨てたら、セイバーは決して凛の剣とはならないだろう。

 凛の最終的な目的が聖杯戦争の勝利にある以上、この状況でセイバーを失うことは絶対に避けなければいけない。

 バーサーカーは倒す。けれど、人質になっている衛宮士郎は殺さない。
 笑い出したくなるような勝利条件だ。

 そしてなによりも最悪なのは、アインツベルンの少女が、あの“バーサーカー”をある程度コントロールしているということだ。
 さもなくば、あの狂人が自身とマスターを同一射線上に置くように立ち回るなど、出来るはずもない。

 もし同じ立場に置かれたら、凛であれば自分から射線上に飛び込んでいただろう。
 だが信じられないことに、イリヤはバーサーカーを制御する方を選んだ。
 それはイリヤの身体能力が高くないことの証明にもなるが、同時にマスターとしての能力の高さを示す事実でもある。
 少なくとも、凛と比べた場合、マスターとしての能力は敵の方が圧倒的に上だ。

 無論、だからといって退けるものではない。

 ――いいじゃない。やってやるわよ。
 凛は深呼吸一つで心を沈め、同時に覚悟を決める。

 相手が人質を前面に出さないのがせめてもの救いだ。
 「人質の命が惜しかったら降参しろ」など言われたら、彼女とて生き延びるために令呪を使う他ない。
 おそらく、そうしたこちらの立場も見越した上で、ああいった手段を取っているのだろう。

 ――まるで刃上の均衡だ。
 諧謔に凛の頬が歪む。
 歪な笑顔を浮かべたまま、彼女は広場の反対側にいる少女に言葉を投げかけた。

「人質なんて、アインツベルンのマスターも地に落ちたものね」
「あら、形振り構ってられないのはお互い様でしょ、リン」
 アーチャーのことを揶揄しているのだろう。
 そんな悪口を叩き合いながらも、二人のマスターはまるで茶飲み話でもしているように微笑みを交わしあった。
 その滑稽さに、なぜか凛は自らの家訓を思い出してそっと苦笑を漏らす。

「そうね、形振りなんて構ってられないわね」
 瞬時に呼吸を戦闘用に切り替え、同時に全身に魔力を巡らせる。
 術の完成を意識するより早く、凛は駆け出した。
 セイバーの動きに合わせ眼前の戦場を迂回し、側面からイリヤに接近する。

 無論、向こうも黙っていない。巨大な魔力の塊りが唸りを上げて迫ってくる。
 だが単に込められた魔力が大きいだけの稚拙な攻撃だ。

 一工程でこれだけの魔術を行使したことは驚嘆に値するが、威力と速度はあっても、動きは単純かつ単調。
 凛は走る速度を緩めることもなく、半身を反らせただけでそれをかわすと、第二射がくる前にイリヤの懐に飛び込んだ。

 狙うは肉弾戦。
 イリヤに接近することで自らもセイバーの宝具の射線上に飛び込むことになるが、この場合はやむを得まい。
 アーチャーの弓術とは違い、凛の魔術には士郎を傷つけずにイリヤだけを狙うような精度はない。
 士郎がイリヤの術中にある以上、ぬいぐるみを奪うことも危険を伴う。
 一撃離脱でイリヤをどついて、射線外に押し出すのが最も手っ取り早い方法だろう。

 踏み込みと同時に鋭く呼気を吐く。
 相手を倒す必要はない。セイバーが宝具を使えるようするだけでいい。
 間違っても衛宮士郎を殺さないように、凛は鋭いならがも慎重に拳を突き出した。

 しかし魔力で強化された拳が届くその寸前、彼女は咄嗟にその魔力を足に移し、肉体が悲鳴をあげるのを無視して強引にその場を飛び退った。

 横合いから飛び出した影が、凛に踊りかかる。
 突き出された刃は一瞬前まで彼女の頭があった空間を薙ぎ払った。

 ――本当に形振り構ってないわけね。
 伏兵の存在は予想外だ。
 これでまた一つ条件が厳しくなったと、胸中で悪態をつきながら、凛は続けて振るわれる刃を避けるために距離を取る。
 空いた空間には、すかさず敵が身体を割り込ませてくる。

 ようやく、凛は伏兵の姿を認めた。
 そして、その場違いな姿形に彼女は目をむいた。

「イリヤ、大丈夫?」
 ひどく平淡な声と表情で、その華奢なメイドはイリヤを気遣った。
 黙って立っていれば気品さえ溢れるほど完璧な造形の顔立ちだが、手に持った身の丈以上もある無骨なハルバートが全てを台無しにしている。

 ――冗談にも程がある。
 莫迦らしさを感じながらも、凛は雑念を振り払って、再び前に飛び込んだ。

 行く手を遮るメイドに向かって拳を突き出す。
 イリヤに注意を向けた隙をつかれ、拳は易々とメイドの柔らかな身体にのめり込んだ。
 メイドには手加減する必要もないため、全力の一撃である。通常なら内臓が破裂するどころか、背中に孔があくほどの会心のできだ。

 だがメイドは眉一つ動かさなかった。
 何事もなかったように巨大なハルバートを乱暴に振り回すと、一瞬だけ反応の遅れた凛の髪を数本奪った。

 攻撃が効かないのはともかく、相手を一歩も動かすことができなかったことに、凛は驚きよりもむしろ呆れを感じた。

 おそらく、目の前のメイドはアインツベルンお得意のホムンクルス。その近接戦闘タイプであろう。
 それにしても、バーサーカーといい、アインツベルンの「闘い」というものに対する考え方がよくわかる相手だった。

 アインツベルンは本来戦闘向きの魔術師ではない。
 そもそも戦闘指向の魔術という存在自体が魔術師の本分をはずれたものである。
 故に戦闘技術が拙いのは仕方ないない。
 だが素人丸出しの力押しも、ここまで徹底するといっそ爽快だ。

 そう思いながらも、凛は攻撃の手を緩めない。
 一方で、そのハイスペックのホムンクルスに対し真っ向から挑もうとも思わなかった。

 無論、肉弾戦に拘る必要もない。
 軽いステップでイリヤを射線からはずすと、凛は有無を言わさずガンドの嵐を相手に叩き込んだ。

 勿論この程度でこの頑丈な相手を倒せるとは思っていない。
 そもそも、相手を倒す必要はないのだ。
 セイバーが宝具を使えるようにするために、イリヤを一回蹴り飛ばせれば充分だ。
 メイドにはその一回を邪魔させなければいい。

 しかし、その思惑もアッサリと打ち砕かれる。
 メイドは降り注ぐ呪いをものともせずに、遮二無二突き進んできた。

 見ると、呪いは対象に達する前にうっすらと輝く魔力の壁に阻まれて消失している。
 突進してきたメイドの槍をかわしながら、凛は素早く障壁の術構成を探る。

 今度は凛も舌打ちを堪えなかった。
 壁は目の前のメイドが作っているものでも、概念武装の類によるものでもなかった。
 発生源はイリヤの更に後方、森の中にある。

 敵はもう一人いた。

 再び槍が振るわれる。勿論受けることなど出来ない。
 一撃目は屈みこんで避けたが、常識外の速度で振るわれる斬り返しは後ろに飛んで避ける他なかった。またイリヤとの距離が開く。

「リーズリット、あまりお嬢様から離れすぎないように」
 背後の森からかけられた声に、目の前のメイドは無言で頷いて、槍を構えたままその場に仁王立ちする。

 おそらく、今の声の主が障壁を張った本人だろう。
 ――攻撃と防御。なんてわかりやすい役割分担だ。

 だが感心してばかりもいられない。

 視界の外では、英雄たちの打ち鳴らす剣戟の音が響き続けている。
 今の所両雄の力は拮抗しているが、長引けばセイバーは不利だ。
 あまり時間はかけられない。

 勝負を急ぐ必要があった。
 間合いをはかりながら、凛は次の手を捜す。

 肉弾戦は阻まれ、一工程の魔術は効かない。
 この分だと宝石魔術にも何らかの対策を立てているだろう。
 今までの傾向からいくとそれも力技だろうが、ソレを押し通すだけの馬力が相手にあるのも事実だ。
 わざわざその押し相撲に付き合うこともない。

 切り札を出し惜しみしている余裕はない。
 凛はアッサリと決断を下した。

 無造作に槍を持ったメイドへ近づく。
 相手は警戒しながらも、先刻同様、豪快に槍を振るってきた。

 確かに早く、鋭く、そして重い一撃だ。
 その一方、攻撃としては余りにも単調で読みやすい。
 回避に専念すれば、倒せずとも持ちこたえることくらいは出来る。

 そして望んだ一撃を引き出すのに、それほどの時間は掛からなかった。

 大きく振りかぶられた槍が頭上から袈裟切りに振るわれる。
 凛は相手の外側に半身を逸らしてそれを避けた。
 顔面のすぐ右横を、槍は唸りをあげて通り過ぎてゆく。

 その鋭さに、狙い通りサイドに結った髪の一束がまとめて断ち切られた。

 風圧に流される髪を横目に、凛は叫んだ。

「Binde(戒めよ)――!」
 その一言で、宙を舞う髪が蛇のようにのたうつ。

 たった一節の短い呪文。
 それでも“髪留め”による長年の枷を外された魔力は、行き場を求めて、堰を切って暴れ出した。

 咄嗟にメイドが槍を引き離そうとするが、それも遅かった。
 髪は生き物のように槍に絡みつき、這いずってその持ち主に襲い掛かる。

 皮膚に達すれば突き刺さり楔を打ち、傷に達すれば神経にもぐり込み蹂躙する。
 ホムンクルスが槍を取り落とすのに、半秒も掛からなかった。

 落ちた槍は持ち主を襲いそこねた髪が地面に縫い付けているだろう。
 その時を待たずに凛はイリヤに向けて駆け出している。
 メイドは針山のようになった腕を振るってそれを阻まんとするが、槍の間合いで闘っていた彼女の手は凛には届かない。

 駆け抜ける時は一瞬。既に敵は眼前に迫っている。
 フェイントで右フック。相手が身構えた隙にしゃがみ込んで足払い。宙に浮いた一瞬を逃さず、タックルで弾き飛ばす。
 なけなしの宝石を追い討ちに。風を巻き起こして叩きつける。

「お嬢さま!」
 森にいたメイドは、この時になってようやく悲鳴を上げた。
 彼女はイリヤの前に飛び出し、体を張って受け止めようとしたが、それも無駄だ。
 勢いのついた少女はその程度では止まらず、二人はもつれ合うように広場の端まで吹き飛び、木の幹に打ち付けられてようやく止まった。

 だが、目論見を成功させた凛とて、一息ついているような暇はなかった。
 背後から追い縋ってきた前衛のメイドの打撃をかわしながら、彼女は更にイリヤに向かって追撃に走る。

 流石というべきか、イリヤは攻撃を受けてもバーサーカーを御す手綱を放さなかった。
 セイバーが宝具を撃つ気配はなく、相も変わらず必殺の一撃は封じられている。

 こうなれば、マスター同士で決着をつけたほうが早い。
 今度はイリヤの頭部を叩き潰す気概をもって、凛は次の一手を放つ。

 懐から、新たな宝石を取り出す。
 振り向きもせず、それを背後に向けて放った。
 属性は風。先ほどイリヤに使った魔術を、今度は自分と前衛のメイドに向けて放つ。

 二度目の暴風。
 真後ろに迫ったメイドはなす術もなく吹き飛ばされた。凛自身は追い風を受けて弾丸のように疾駆する。

 途中、前方のメイドとイリヤが我武者羅に魔力塊を放つ。
 稚気に等しい攻撃だが、飛ぶように駆けている凛には避ける余裕もない。
 痛みを無視して、全身にめぐらせた魔力で力押しに跳ね除ける。

 今度の力技では、凛に軍配が上がった。
 魔弾の豪雨を抜け、凛は再度イリヤの眼前まで迫った。
 疾走の勢いのまま、メイドごとイリヤをタックルで押しつぶす。

 崩れ落ちるメイドの腕の中から、イリヤが転げ散る。
 その頭部を宝石を持った手で掴んだ。
 腕一本犠牲にする覚悟で、腕とその延長にある宝石に魔力を流す。


 ――その瞬間、突如後頭部を貫いた鈍痛に凛はたたらを踏んだ。


 有り得ないはずの事態に、凛は一瞬だけ軽い恐慌に陥った。
 凛の計算では、前衛のメイドは未だ空中にいるはずだ。
 眼前の二人にも攻撃をする余裕などない。

 その時、霞む視界を隅に、凛は自分の髪を纏わりつかせた白い腕を認めた。
 ――凶器は右ストレート。ただし、二の腕から上はない飛び道具。

 あろうことか、あのメイドは使い物にならなくなった腕ごともぎとったらしい。
 いくら空中で他に攻撃方法がないとはいえ、強引にも程がある。
 度を越した出鱈目さには、悪態すら浮かんでこなかった。

 そして、凛が何よりも呆れたのは自分自身だ。

 ――遠坂凛は、ここ一番でポカをした。
 勝利を早合点して、つまらないことで虚をつかれ、挙句の果てには狼狽して隙を見せた。
 まったく自分が嫌になる。

 イリヤの紅い瞳と、目と目がかち合う。
 腹に押し付けられた小さな手には、呆れるほどの魔力が集まっている。
 何か反応するよりも早く、それが爆発した。

 なす術もなく、今度は凛の体が宙を飛ぶ。
 そして体勢を立て直すより早く、常に全員の立ち位置に気を配っていた凛は、自分の体が何処に向かっているのかを理解した。

「凛!」
 頼もしいパートナーの悲鳴は、狂戦士の剣が巻き起こす風圧に遮られた。
 直撃ではない。
 そもそも、狂戦士の眼に背後から飛んでくる凛は映ってもいないだろう。
 彼はただ眼前のセイバーに己が剛剣を振るっただけだ。

 それなのに、バーサーカーの巻き起こす剣風は易々と凛の柔肌を切り裂き、その体を地面に叩きつけた。

 血飛沫が視界を染める。
 凛はぼんやりとそれを眺めた。


 脈絡もなく、呆けた脳味噌は無意味な光景をちらつかせる。
 目の前の光景から連想したのだろうか。記憶のなかの赤い景色。夕焼けの中、出来もしない高飛びに何度も挑む少年。

 凛はじっとそれを眺めている。
 そんな真似は凛には出来ない。意味のないことをする前に、自分に出来ることをするのが彼女の性分だ。
 だから出来ないことは諦める。

 ……そっか、私、諦めたんだ。

 それにしても、走馬灯にしては的外れな記憶だ。
 そう思いながら、凛は最期までじっとその赤い景色を見つめていた。



[1035] Re[3]:Rag Doll
Name: mゆたか
Date: 2007/02/21 22:38


Interlude


 間桐桜は蟲倉の底に沈殿する。

 耳元では絶えず蟲の這いずり回る粘着質な音が反響している。
 だが耳障りなそれもやがては環境音楽に。脳髄には届いても意識には上らない。

 蟲たちが身体を蹂躙する感触も同様。
 視界いっぱいに蠢く様も、鼻腔にまとわりつく腐敗臭も、どれも彼女の心まで届くことはない。

 彼女の意識が知覚から乖離して久しい。魔術師は檻の中、澱の底へ。

 ――不意に、雑音が意識を乱す。

「ふむ、柳洞寺も落ちたか」

 蟲倉の底で間桐桜はゆっくりと視線を上げる。
 蟲槽に浮かぶように顔を現すと、四角く切り取られた彼女の視界の真ん中で矮躯がしわがれた声をあげた。

 感覚が戻る。意識が徐々に現実に侵食されていく。

「…おじいさま」

 吐き出した声は老婆のようにかすれていた。
 陽的なものは自分とは無縁なのだと、彼女は習慣的に自虐する。

 矮躯――マキリ臓硯は弟子の呼びかけを無視した。
 ぼんやりとした眼を宙に向け、独り言のように呟きをもらす。

「残るサーヴァントはこれで二体。ランサーはまだしも、よもやバーサーカーまで残るとはの」

「…え?」

 間桐桜がその言葉を理解するより早く、不意に老人の視線が彼女を捉えた。

 淀む思考。意識はどろどろと渦巻いて鈍化する。
 師の声はやすやすと彼女に浸食した。

「こうなってみると、お前の言う通りであった。…慎二を無理に参加させる必要はあらなんだ。出来が悪かったとはいえ、肉親を失うのは辛い」

 悲しげにもれる嘆息。遣る瀬無いと、老人は大仰に首を振る。

 窪んだ眼窩の底でじっと見下ろす瞳。
 同意を求めるその視線に、桜は促されるように機械的に首を縦に振った。

 間桐慎二は戻ってこない。それは確かなことなのだから。

「お前の父も儂より早く逝ってしもうた。…儂もこれ以上は辛い思いをしとうない。悔しいが今回はマキリの負けじゃ」

 桜は我が耳を疑う。
 あれほど聖杯に執着していた祖父が、ここにきてそれを諦めるという。

 闘わずに済むことへの安堵より、その豹変した態度への困惑が強い。
 だが老人は彼女の戸惑いを無視するように、淡々と、独り言のように言葉を重ねた。

「…いや、マキリはまだマシな方なのかもしれんのう。生き残った者には未来がある。その意味では我らもまた勝者じゃ。よもやマキリの滅亡なぞを勝者が聖杯に望むとも思えん。死者の復活をも為し得る聖杯に、そんな些事を願う愚か者はおらんじゃろうて。のう?」

 じわじわと、師の言葉が桜を蝕む。

 意味を理解するよりも早く、身体は機械的に相槌を打っている。

 またも肉体から乖離し始めた思考で、桜は必死に言葉の意味を探る。

 生き残った者は生者。

 …それはつまり、

「しかし、遠坂や衛宮の子倅も不憫よのう。若い身空であのような定めを負わねばならぬとは…」

 鈍磨した桜の思考がノロノロと這い進む。

 残るサーヴァントは二体。

 先輩のサーヴァントはセイバー。
 遠坂先輩のサーヴァントはアーチャー。

 残るサーヴァントはランサーにバーサーカー。

 …それはつまり、

「ぁ」

 頭痛がする。蟲がキチキチとうるさい。
 蟲は相変わらずざわめいている。粘着質な声で這い回る。

「では、桜。正式に令呪を放棄しようかのう」

 ビクリと、マキリ桜の身体が震えた。



4/



 ――お嬢さまは変わられた。

 はしゃぐイリヤを眺めながら、セラはつらつらとそんなことを思う。

 窓辺からは森の中にいる彼女の表情までは窺えないが、遠目にもわかるほど少女の纏う空気は明るかった。

 最近のイリヤはよく笑う。

 そのこと自体はとても良いことだ。だが、笑顔の理由を考えるとセラは複雑な気分にもなる。

 その理由がエミヤシロウにあることは明らかだ。

 イリヤは四六時中彼の人形を手放さない。

 就寝時はともかく、食事時や入浴時にさえ一緒なのは度を越えている。
 当初は口やかましく叱ったが、改める気配がないどころか、一度さえ彼女の要求は通ったことはなかった。
 それ程にイリヤはあの人形がお気に入りだ。

 最近はセラも諦めつつある。

 言ってきかぬことばかりが理由ではない。

 今回の聖杯戦争も終わりが見えてきた。
 すなわち、イリヤに残された時間は多くない。
 その時を安らかに過ごせるのならば、この閉じた世界での作法など些細なことだと、そう思えないこともない。

 ひょっとすると、その笑顔は聖杯戦争を順調に勝ち進めていることよりも、寧ろ得がたいものなのかもしれない。
 そう思ってしまうほど、イリヤの表情は明るかった。


 今日も、イリヤはセラの目を盗んで城を抜け出し、森で人形と戯れている。

 昼間に出てよいのは中庭まで。その約束が有名無実になって久しい。
 どうも彼女は城の外の森も「中庭」の範疇に含めているようだ。

 苦労人の教育係としてはため息をつかずにはいられない。
 それとも、以前のように街まで行かなくなっただけでも改善されているのだろうか。

 それもまた小さな変化である。
 そして、その事にもまたエミヤシロウが関係しているのだろう。
 良くも悪くも、エミヤシロウという人間はイリヤに多大なる影響力を与える者だった。


 ――不意に、歓声が高く響く。

 その声に、セラはハッと我に返る。
 見ると、少女は森のとば口で人形相手に珍妙なワルツを踊っている。

 折りしも降り始めた粉雪の下、イリヤは全身で雪を浴びるように、くるくると忙しく体を廻す。

 危なっかしい様子にはらはらしていると、案の定、イリヤは体勢を崩した。
 目を回したのか、フラフラとよろめきながら地面に倒れる。

 危うく悲鳴を上げそうになったセラだが、それはイリヤの立てた笑い声に掻き消された。
 何が楽しいのか、少女は泥だらけの地面に倒れたまま、けらけらと笑い転げている。

 唖然と呆然がない交ぜになった表情で頭を振り、セラは盛大なため息をついた。

 イリヤの豹変ぶりは、完全にセラの手に余る。
 それは童心に返るといったような言葉で納得のいくようなものでもなかった。


 あるいは、苛烈さの反動なのかもしれない。


 無邪気にはしゃぐ主の様子を眺めながら、セラは昨夜の山門での戦闘を思い出す。

 激しくはあったが、それはひどく単調なものでもあった。

 戦闘開始直後の状況は、初戦となんら変わるところはなかった。
 アサシンの剣技はまさに神憑っており、侍は最強のサーヴァントを相手取り、山門から先への進入を一歩も許さない。
 キャスターの援護があったとはいえ、その働きは見事という他ない。

 その一方で、彼らにもバーサーカーを退ける術はなかった。

 こちらの攻撃は当らず、あちらの攻撃は効かない。
 かといって、アサシンをやり過ごそうにも、ひしひしと感じられる第三者の気配がそれを許さない。
 互いに状況を動かすような手はなく、あさに絵に描いたような膠着状態。
 昨夜の戦闘は、そんな所まで初戦の焼き直しだった。


 以前のイリヤであれば、途中で切り上げていただろう。
 漁夫の利を狙う者の前で消耗戦を演じるなど、愚の骨頂だ。

 だが、イリヤは動かなかった。

 キャスターが大量の竜牙兵を召喚し、物量をもってマスターを狙ってきた時もイリヤは表情一つ動かさなかった。一言、リーズリットとセラに迎撃を命じただけだ。

 そのこともまた変化の一つでだろう。
 イリヤはセラ達を戦闘に伴うことにも頓着しなくなった。

 そうして彼女たちが闘い続けている間も、イリヤは自らの身を危険にさらすことを厭わず、ただじっと己の従者の勝利を待ち続けた。


 …結局、明け方まで続いた拮抗は、キャスターの逃走という形で瓦解した。

 それからは呆気なかった。
 アサシン一人では、たとえ令呪のバックアップがあったとしてもバーサーカーに抗し切れるものではなかった。

 柳堂寺という霊脈を失ったキャスターもそれは同じだ。
 魔女は懲りずに遠坂の土地を次の陣地に選んだが、前衛を持たない魔術師など所詮、狂戦士の敵ではない。
 それまでの激戦が嘘のように、バーサーカーが勝利を収めるのに半時も掛からなかった。

 終ってみると、ひどく味気ない結果のように感じる。
 しかし紛れもない勝利であり、おそらくはイリヤ以外ではありえない方法での勝利だ。

 あの長丁場に耐え、最後まで聊かも付け入る隙を与えないなど、バーサーカーとイリヤ以外の誰が出来るだろう。
 アサシンとキャスターはつまり、正面から彼らに対峙した時点で負けていたのだ。

 愚直なまでの力押し。それが可能な純粋な暴力。

 一見、変化などないようにも見える。
 しかし、以前はあくまで“一蹴”だった。
 あんな泥臭い戦い方では決してなかった。

 それでも、見苦しくも勝利を得ていることは確かだ。
 その戦い方こそが、最も狂戦士の在り方に相応しいものでもある。

 …果たして、この変化は良いことなのか。
 自分にはそうしたことを理解できる機微はないのだと、セラはただ戸惑っていた。


 イリヤが変わったのは何時からだろう。

 衛宮士郎を手に入れた時からだろうか。
 アーチャーとセイバー相手に苦戦した時からだろうか。
 それとも遠坂凛と直接対峙した時からか。

 この街に来てからセラがイリヤから目を離したことはないが、それでもその切欠は判然としない。
 ただイリヤの変貌が聖杯戦争の展開を加速させたの事実だ。

 ――ひょっとすると、お嬢さまの聖杯戦争すでに終わっているのかもしれない。

 ふと思い浮かんだ突飛な考えに苦笑いがもれる。

 確かにイリヤは衛宮士郎に執心で、毎夜その動きを探っていたのは事実だ。
 だからといってイリヤが衛宮士郎のいない聖杯戦争には興味がないと判断するのもあまりにも短絡的だ。


 いずれにせよ。敵はあとランサー一人。
 終幕は近い。現に最後のサーヴァントはすぐそこまで迫っている。

 森に侵入した気配のことを主に知らせるべく、セラは窓辺を離れた。

 山門の時点でランサーの横槍があったら、展開は変わっていたかもしれない。
 だが敵はアサシンとキャスターの二人を相手取るよりも、バーサーカーと一対一で戦うことを選んだ。

 その選択が誤りだったと、もう間もなく証明されるだろう。


 …そして、聖杯戦争は終わる。
 もはや思い悩む時は残されていない。

 セラはただ結末に従うだけ。
 そして、イリヤがいるならば、それだけで充分だ。



5/



 辛気くさい森を抜けると、眼前には崩れかけた城があった。

 昔日の絢爛さは影もなく、人気のなさと相まってまるで廃墟のようだ。
 先日の戦闘のまま、修理もしていないらしい。

 ――そんな余裕もねぇか。

 それきりそのことを思考の隅に追いやって、ランサーは廃墟の奥へと視線をやった。
 まだ視認するには至ってないが、隠しようもない存在感に全身が総毛立つ。
 知らず顔を愉悦に歪ませ、槍兵はその奥へと踏み入った。

「最後まで単独行動? 貴方のマスターもとんだ腰抜けね」

 廃墟に入ると同時に幼い声が投げかけられる。
 入り口の正面上方、半壊した階段の最上段で彼のお目当てとそのマスターは悠然と構え、こちらを睥睨していた。

 少女は厳しい表情だが、その腕に抱かれた人形が全てを台無しにしている。そのことに気付いていないのは滑稽でもある。
 ランサーはわずかに苦笑を漏らしながらも、少女に合わせて大真面目に答えた。
 もっとも戦闘前の高揚で上機嫌になっているのは隠そうともしない。

「あの野郎が腰抜けかはともかく、何考えてんのかわかんねえのは確かだな。ここまできたらやり合う他ねえだろ。なぁ、バーサーカーのマスター?」

「そうね。すぐ終わらせてあげるわ」

 簡潔明瞭な言葉に、ランサーは喜々として己の得物を構える。

「はっ、そりゃこっちの台詞だ」

 紅い死槍は主の昂ぶりを受けたように鳴動している。
 それを心地よく感じながら、ランサーは最早言葉は不用と最後の敵に向かって駆けた。

「バーサーカー!」

 少女の呼びかけに、傍らのサーヴァントが雄たけびで応える。
 吼えながらバーサーカーも前へと突き進む。

 鈍重そうな見かけによらず、バーサーカーの動きはランサーに劣るものではない。
 激突は両者の中間、階段の最下段で。頭上から襲い掛かる斧剣をランサーはバーサーカーの胸元に飛び込むようにして回避した。その勢いのまま槍を突き出すが、それは素手の左手で打ち払われる。
 どちらも大木を薙ぎ倒すような一撃であったが、槍も左腕も傷一つ負っていない。

 間をおかず振り上げられた斧剣の切り返しが、未だ宙にあるランサーを襲う。
 だがその時にはランサーは石突でバーサーカーを打ち、その反動で斧剣の軌道から逃れている。
 斧剣はまたも空を切るが、止まることを知らぬようにすぐに次の一撃が振り下ろされる。
 それも当然と、ランサーは槍を振るって打ちかかる。

 刹那の攻防は一撃ごとに必殺。刃の上で踊るような均衡の中、ランサーは喜々として槍を振るう。

 バーサーカーの剣は当たらず、ランサーの槍は傷をあたえられない。

 バーサーカーにとって、それは良くある展開だ。
 そしてこうした場合、いずれの戦闘でも最後にはバーサーカーが勝利をおさめてきた。

 ランサーも偵察でそれを知っている。
 だが、自分はルーンの加護と宝具で相手の防御を超えられる。
 そのことを確信していたランサーにも焦りはない。槍を振るいながら、虎視眈々とその機会を待つ。

 ランサーにとって、問題は敵よりも寧ろ己のマスターだった。
 既に令呪を通してこちらが闘っていることを察しているに違いない。
 あの不可解な男がそれを知ってどう行動するかを予想できないことが、彼にとってこの戦闘における唯一の不安材料といってよかった。

 だが、それもどうやら杞憂のようだ。

 時間が経つとともにランサーはマスターが接近してくる気配を感じていた。
 それでいながら制止のどころか、何の命令も下されていない。
 ようやく重い腰を上げたのかと、ランサーは舌打ち交じりに安堵する。

 更に数度の攻防の後、マスターの到着を察し、ランサーは一旦バーサーカーから距離を取った。
 孔の開いた壁まで退くと、見計らったように背後から陰気な声が掛かる。

「お前には待機を命じたはずだが」

「けっ、最後くらいまとも闘らせろよ、このくそ神父」

 バーサーカーを見据えたまま、背後に悪態をつく。
 マスターの声からはからかうような響きが感じられる。
 おそらくは、こちらが独断専行することくらい予想していたのだろう。
 まったくもって言峰綺礼という神父はいけ好かない男だった。

 聖杯戦争の監督役がマスターでもあるのが意外だったのか、バーサーカーのマスターは険しい顔をしてこちらを睨んでいる。

 それも当然と思ったが、しかし少女の口から出た言葉はランサーの予想したものではなかった。

「なに、ソイツ。わたしそんなヤツ知らない」

「は?」

 一瞬マスターが変わったことを言っているのかと思ったが、少女の視線は言峰を捉えていない。
 槍兵は訝しげに眉を顰める。


 ――そうして、ランサーはようやくそのサーヴァントの存在に気づいた。


 視線だけで振り返る。

 そこには言峰の他にやたら世慣れた格好の男がいた。
 だがにじみ出るような高圧的な風格と、輝かんばかりの金髪赤眼が明らかに浮世離れしている。
 目が合うと、紅い瞳が蔑むように見つめ返してきた。

 見覚えはない。7体のサーヴァントであるはずがない。
 だが、それでもその男はサーヴァントだった。
 ランサーの嗅覚はそれが己と同位の存在だと告げている。

 ――だが、何かが違う。

「…誰だ、そいつ」

「なに、お前と同類だ。気にすることはない」

 こちらの問いの意味がわかっていながら、神父ははぐらかすような答えを返す。
 睨みつけるが、それも暖簾に腕押しだろう。言峰は涼しい顔で薄笑いを浮かべている。

「てめぇが裏で何をしてようが知ったことじゃねえが。…邪魔だけはすんな。何もしなけりゃ聖杯はくれてやる」

「心外だな。寧ろ私はお前の望みをかなえてやろうと思っているのだがね」

 心底嫌そうな顔をしたランサーを見て、言峰は愉快そうに笑う。

「ふむ、信用されていないようだな」

 そう言って、神父は令呪の刻まれた左手を掲げた。

「いいだろう、ランサー。“存分に闘え”」

 目を見張るランサーの眼前で令呪の最後の一画が輝く。
 呪いはすぐさまその効力を現し、身体が絶調を超えて高揚する。
 ランサーは無意識のうちに槍を握る手に力を込めた。

「てめぇ、何のつもりだ」

 もはや言峰には視線も向けていない。視線はひたすら眼前の敵へ。

「なに、足止めを命じただけだ。餞別代りと思ってくれればいい」

 あざ笑うように告げて、言峰と第8のサーヴァントはランサーの脇を悠々と抜けていく。
 彼らはもはやランサーには一瞥もくれようとしない。

 だが、それはランサーとて同じだ。
 もはや彼の頭には“戦闘”以外の余分はない。

「ふん」

 一つ鼻を鳴らしつたのを合図に、ランサーは駆けた。
 瞬きの間に前を行く二人を抜き返し、偏に敵へと突き進む。

「バーサーカー! 構わないからみんな殺っちゃいなさい!」

 主の命を受け、巨人が咆哮を上げて立ちはだかる。
 だがその時にはランサーは攻撃を終えていた。

 空気と共に虚空の魔力が鳴動する。力ある言葉がそれに形を与えた。

 ――真名が、開放される。

「刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)!」

 槍は愚直なほど真っ直ぐにバーサーカーの胸板に向かっていく。
 バーサーカーが斧剣で弾くが、その勢いは止まらず、逸れた軌道も不自然に元に戻った。

 槍は、獣のようにひた走る。
 令呪とルーンにより強化された呪いはバーサーカーの宝具を超えてその心臓を穿つ。

 鮮血が吹き散る。槍を巨人の胸板に残し、斧剣の間合いから飛び退ったランサーは無表情に呟いた。

「まず、一回」

 その言葉を合図にしたかのように巨人が再動する。
 胸板の槍を手に取ると、一層の血が飛び散った。それに頓着せず、バーサーカーは躊躇なく槍を引き抜いた。

 そしてその瞬間、呪いが発動した。

 ランサーは獰猛な笑みに顔を歪める。
 バーサーカーは引き抜いた槍を無造作に放る。

 槍が放たれる。そうして死槍の呪いが形を成す。

「王者の槍は、王者に当る」
 呪いの言葉に、大気が震えた。

 放り捨てられた槍が、弾かれたように宙を飛ぶ。
 有得ない軌道と勢いに乗って、槍はその切っ先を主へと向ける。
 だがランサーは動かない。笑みを貼り付けたまま、光の御子は死槍を凝視した。

 槍が、その腿をかすって後方に流れた。
 そして背後から肉を裂き骨を砕く音が響く。

「な、」

 マスターの驚愕の声に、槍兵は狂相を浮かべたまま振り返らない。
 バーサーカーを見据えたまま槍の位置まで飛び退くと、言峰の心臓に突き刺さったそれを当然のように引き抜き、再び構えなおした。

 槍に引きずられるように、言峰の体が地に伏す。

「ほぅ」

 第8のサーヴァントが感心したように声を漏らした。
 己のマスターの死体を一顧だにせず槍兵が嗤う。

「あー、死んじまったか。――人を呪わば穴二つ。ま、仕方ねえな。王者のマスターはマスターの中の王者ってことだ」

 ――果たされぬ呪いは呪者に還る。抵抗された呪いはそのまま呪者を呪う。
 バーサーカーが健在である以上、呪いが還るのは当然の結果に過ぎない。

 クー・フーリンの呪槍とて例外ではない。彼自身は投擲した槍を投げ返されて斃れた。

 だが、王者は2回の幸運を得た。すなわち彼は三度槍を投げ、三度投げ返された。

 一度目は愛馬。二度目は御者が彼の身代わりとなった。
「王者の槍は、王者に当る」
 その言葉とともに投げ返された呪いは馬の王と御者の王に還り、三度目にして王者の中の王に還った。

 それが、クー・フーリンの呪い。己の槍による死を縁者のある限り逃れる加護。

 本来は呪詛返しを回避するための特性だ。
 だが今世において、ランサーはその業をマスター殺しのために利用した。
“存分に闘う”ことを阻害する要因には、邪法を使うことへの躊躇いもない。むしろ令呪の力さえ利用して、槍兵は呪いを放った。

 そしてランサーは更なる一撃のために後方に大きく飛びのく。
 すれ違いざま第8のサーヴァントに言い捨てた。

「てめぇはさしずめ王者のサーヴァントだな」

 ――次は貴様だと、槍兵は呪いの言葉を吐く。

 第8のサーヴァントが振り返る。
 その顔に薄笑いを浮かべ、完全に見世物でも見ているような態度でこちらを見下す。
 気に食わないが、その不遜さは好ましくもある。

 応じるように自らも笑みを浮かべ、全ての敵を滅ぼさんと、ランサーは自らをも破滅させる呪いの力を槍に込める。

 狂人が待ち構えるように佇んでいるのは、こちらの意図を悟ったからだろうか。
 つまり、当然のように呪詛返しを果たすつもりでいるということだ。
 それもまた腹立たしくも血湧く態度だ。

「耐えてみせろよ、バーサーカー。我が最強の一撃だ」

 必殺の意図を込めながら、同時に相手にはそれを凌ぐ強さを求める。
 様々な矛盾を、ランサーは当然のように呑み下して糧とする。
 クランの番犬は狂戦士にこそ相応しい笑みで敵に対した。

 槍を口に咥え、獣のように地を駆ける。
 加速は一瞬にして最大。そして跳躍。高く、全身を弓となし引き絞る。
 全てはこの一投のために。担い手の魔力は槍となる。

 渦巻く魔力が真名をもって形を成す。

「突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)!」

 一撃は神話へ。

 音の壁を突き破り、槍は大気を割く。

 巨人の咆哮がかすかに聞こえる。だがそれもすぐに槍の呪いの声にかき消される。
 魔力の爆発が視界を染め、一瞬の空白が辺りを染めた。


 ――そしてその空白の後、巨人の雄姿は未だ其処に在った。


 地を穿つ半球状の痕。廃墟のエントランスには三つ目のクレーターが生まれる。
 其処に立つものは常に一人。
 最強のサーヴァントは数多の命を奪う対軍宝具を受け、なおも健在だった。

 槍兵の顔が狂喜にゆがむ。
 先ほどの令呪を越える昂ぶりが身体を振るわせる。
 己の全霊をかけた最強の一撃も凌がれ、もはやランサーにはこれ以上の手は残されていない。
 それでも彼はこれからの死力を尽くした闘争になおも心躍らせていた。

 だが、それにはまず済ませておくべきことがある。
 ランサーは逸る心を抑え、呪いを成就させるべくバーサーカーがその身体に突き刺さった死槍を引く抜くのを待った。

 バーサーカーが引き抜いた槍を手放す。

 呪いが、顕在化する。

「王者の槍は、王者に当る」

 呪いの言葉を受け槍が宙を駆ける。
 その先には槍の主の姿がある。
 だが主の手に届く前に、その途上で槍は生贄を求めるだろう。

 ランサーの視線の先、丁度バーサーカーと彼を結ぶ軸線上に第8のサーヴァントが悠然と佇んでいた。
 あろうことか、そのサーヴァントは背後から迫る槍に視線を向けようともしなかった。
 睨みつけるランサーを嘲笑うように見下している。

「けっ、言峰同様、気に食わねぇヤツだな」

 ランサーが悪態をついている間に、呪いの槍は獲物へと届いた。
 ランサーの視界から槍が男の背に隠れて消える。


 ――そうして、死槍が弾かれた。


「なっ」

 二重の驚愕に、呆けた声が漏れる。

 槍は獲物を捉える寸前、突然男の背後に現れた宝具によって弾かれた。
 ランサーの必殺の呪いさえも弾き返すその宝具に目を奪われる。

 ――それは槍だった。

 ランサーにとって、それはとても馴染み深いものであった。
 だが、それがこの場にあって良いはずがない。なによりも、目の前の男が持っていて良いものではなかった。

 それは光の神の長き腕。“貫くもの”の名を冠された至宝の槍。

 クー・フーリンの父が持つ、その投槍を「ブリューナク」という。

 あってはならない物を前に、ランサーは呆然と立ち尽くす。
 だが、その間にも死槍の呪いは獲物を求めて止まらなかった。

 それも当然。彼の槍は“ゲイボルク”。
 一度担い手の手から放たれれば、命を奪わずには戻らぬ必殺の槍である。

 肉が割かれ骨が砕かれる感触にランサーは自失から我に返った。
 そうして忌々しげに己の胸に突き刺さった愛槍を見下ろす。

 ――人を呪わば穴二つ。

 成就しきれなかった呪いは術者に還ってきた。
 先ほど自分が吐いた言葉が思い出され、ランサーは苦笑を漏らす。
 それと同時に肺に溢れた血を吐血され、体を紅く染めた。

 だが、倒れることだけはしない。
 胸を刺す槍に縋るように、瀕死の英雄はそれでも両の足で大地に立つ。

「ふむ、確かに真の王は最後に残るものだな。王のために下郎が身代わりになるなど実にもっともなことだ。余興としては上出来であったぞ、ランサー。褒めてつかわそう」

 遠く、第8のサーヴァントの声が響く。

 ――ぬかせ、てめぇは運が良いだけだ。

 返すランサーの言葉は、喉から溢れる血に紛れて男には届かなかった。

 そうして、王の中の王は、生前と同様、自らの槍の呪いに散った。


(注)


 ランサー戦の呪詛返しは、クー・フーリン伝説の超拡大解釈です。

「王者の槍は、王者にかえる」とは、伝説では、敵役の詩人の台詞です。
 モノによっては全然違う訳をしていますが、クー・フーリンが槍を奪われ、それにより敗北するという展開は概ね共通しているようです。

 ふぁて原典では、ゲッシュのため敵に槍を渡さなければならなかった、という話を採っていたような。
 この展開の場合、クー・フーリンはそもそも槍を投げておらず「人を呪わば穴二つ」とは全く関係ないですね。
 原作の設定を遵守していないのは仕様です。



[1035] Re[4]:Rag Doll
Name: mゆたか
Date: 2007/04/01 23:03
6/


 そうして、6体目のサーヴァントが聖杯へと還った。

 吹き抜けの回廊に身を潜め、リーズリットは散りゆく英霊の最期と、それを見送る彼女の主を見ていた。

 イリヤは無表情に前方を見据えている。
 その顔には最後のマスターとなった感慨もない。
 胸元の人形をきつく抱きしめ、少女は無言で階下を見下ろしていた。

 やがて、彼女はゆっくりと残る敵へと視線を向けた。
 その動きに合わせるかのように、黄金のサーヴァントがイリヤへと向き直る。

「さて、座興は終わりだ」

 尊大な、宣戦を告げる言葉。
 この期に及んで交わす言葉もない。返事の代わりに、イリヤは従者へと命を下した。
 短い一言。それを受けてバーサーカーが雄叫びをあげながらはせる。

 狂戦士の大気を圧する叫びに、壊れかけの回廊は今にも崩れそうなほど震える。
 恐ろしくも頼もしい咆哮。
 その力強さに、リーズリットの胸にあった僅かな不安も払われていく。

 確かに、ランサーのマスターが教会の監督役であったことも、彼が二体のサーヴァントを擁していたことも予想外の事態だ。
 そして目の前のサーヴァントは得体が知れない。

 だが、それもバーサーカーが勝てばどうでも良いことだ。
 敵がどんな小細工を弄しようと、イリヤとバーサーカーはそれを打ち砕くだろう。

 既に監督役とランサーはすでに舞台を降り、生き残ったマスターはイリヤだけ。
 彼女の主は晴れて第5回聖杯戦争の勝者となったのだ。

 あとはあの余分なサーヴァントさえ倒せば良い。

 リーズリットは敵が単騎となって時点で、バーサーカーの勝利を疑っていなかった。
 むしろ注意を払うべきは、サーヴァント以外の伏兵だ。
 そうした些事からイリヤを守る。そのためにこそ彼女はこの場にいる。

 自らの役目に専念するため、リーズリットは階下の戦闘から注意を逸らす。
 巨人への信頼ゆえ、激しい戦闘の音さえ気にならなかった。


 だからその悲鳴を聞いたとき、リーズリットは我が耳を疑うほど驚いた。

「バーサーカー!」

 泣き声のようなイリヤの叫びが響く。
 慌てて一階を見下ろすと、眼下には有り得ないはずの光景が広がっていた。

 無敵を誇る狂戦士が、幾重にもわたる鎖によって動きを封じ込められている。
 何者にも押し留めることの出来なかったはずの狂人が、一見するとただの鎖に身動きが取れないでいた。

 そして、続く光景にリーズリットは息を呑んだ。

 金髪のサーヴァントの背後、その虚空から幾本もの武具が現れ、それが狂戦士を串刺しにする。
 武具のあるものは剣、あるものは槍、あるものは斧の形をしている。
 それが顕在すると同時に、身動きのとれぬバーサーカーをつるべ打ちにしていく。

 その攻撃は先日のアーチャーを思い起こさせた。
 放たれる武具は、その全てがバーサーカーを傷つける神秘を秘めた唯一無二の神秘――すなわち宝具だ。
 それでいて、その数はアーチャーの射撃の比ではない。
 弓兵が一矢ごとに厖大な魔力を消費した一撃を、金髪のサーヴァントは無造作に連射する。

 アーチャーが六つの宝具を放ったことすら異常なのに、このサーヴァントは既に十を超える武具によってバーサーカーを切り刻んでいる。
 しかもその攻撃の勢いは衰えることをしらない。

「■■■■■――!」

 耳を聾する巨人の咆哮が響く。
 だが、鎖によって拘束されたバーサーカーには反撃の術はない。
 その鋼鉄の皮膚が打ち続けられる武具によって埋もれていく。


 左胸を穿った剣に、バーサーカーの身体が大きく痙攣した。

 狂戦士を呼ぶイリヤの悲鳴。
 その声にリーズリットは自失から我に帰る。
 同時に、自分の為すべきこと。その覚悟が決まった。

 回廊の反対側にいるセラに目配せする。
 すぐに彼女にもこちらの意図と覚悟は伝わった。
 セラがいつもの厳しい顔で頷くのを確認して、リーズリットは回廊からエントランスに飛び降りる。

 先日の戦闘で、右腕は失われたままだ。
 そのせいで、着地の際に微かにバランスを崩したが、それも一瞬。残された左腕でハルバートを構えて駆ける。

 そんなリーズリットを、黄金のサーヴァントは見向きもしなかった。
 気付いていないわけがない。だか男はリーズリットの存在に視線を向けるほどの脅威すら感じていなかった。彼はただ虚空に腕を振るっただけだ。

 それだけで充分だった。

 その一動作で、リーズリットの身体は完膚なきなでに破壊された。
 腕の一振りで虚空に現れた武具は、セラが作った障壁をアッサリと突き崩し、リーズリットの身体を紙よりも容易く切り刻んでいく。
 槍が、臓腑をえぐる。斧が右足を粉砕する。
 襲い掛かる神秘の鉄槌に意識が吹き飛ばされそうになる。

「リズっ!」

 だが、そんな中に響くイリヤの悲鳴。それはリーズリットを振るわせる。
 だからリーズリットは止まらなかった。

「ん、」

 苦痛を押し殺し、リーズリットはそれでも前へと進む。
 金髪のサーヴァントはこちらに一顧だにくれない。
 彼我の距離は砕かれた足にとって絶望的に遠い。それでもリーズリットは足を止めない。

「んっ!」

 数歩。それだけ距離をつめて、リーズリットはハルバートを振るった。

 死力を尽くした一撃は、確かに目標に届く。
 黄金のサーヴァントの遥か手前、バーサーカーを戒める鎖の一つに、その一撃はわずかに亀裂を入れた。

 たったそれだけのことが、リーズリットに出来る全てだった。
 そしてそれだけのことに、命を懸けるだけの価値があった。

「なっ」

 敵が出す驚愕の声を聞いて、リーズリットは崩れ落ちながらも微笑む。

 後はあの巨人に任せればいい。
 もとよりリーズリットとて、自分のような欠陥品が英霊に敵うとは思っていない。
 この鎖の形をした宝具に傷をつけただけでも上出来だろう。

 自分に出来ることはバーサーカーが動けるようにするお膳立て程度だ。
 そして、それさえ叶えばあの大英雄がイリヤの期待を裏切ることはないと、リーズリットはそう固く信じていた。

「■■■■■――!」

 狂戦士が吼える。
 狂気すらも侵すことのできなかった戦士の直感は、正しくこの好機を理解した。
 一瞬だけ崩れた均衡を逃さず、バーサーカーは渾身の力でもって戒めを引き千切る。
 そしてその勢いに乗せ、必殺の一撃を繰り為す。


 ――それでも、黄金のサーヴァントには届かなかった。


 男が自らの剣を引き抜く方が早い。
 その僅かな差が勝敗を決した。

 轟音と共に、斧剣が砕け散る。
 唸りを上げて魔力を撒き散らす男の魔剣は、文字通りバーサーカーの剣を粉砕した。
 突き立てる勢いも衰えず、それは易々と地面を穿つ。

「…くっ、木偶が。よくも我が友を」

 剣を引き抜きながら、黄金のサーヴァントは憎悪のこもった眼差しでリーズリットを睨みつけた。

 万策尽きて床に倒れ伏しながらも、リーズリットも男を睨み返した。
 その程度で敵の注意を引きつけられるのならば安い仕事だと、リーズリットは視線に力を込める。

 この期に及んで諦めていないどころか、気落ちすらしていない自分をリーズリットはおかしく思う。
 命がけの反撃を凌がれて、彼女はもう立ち上げることも出来ない。
 今の彼女に出来ることといえば、せいぜいハルバードを一投することくらいだ。

 それはもう悪あがきにすぎないだろう。
 金のサーヴァントの力は圧倒的だ。
 現に男はリーズリットを睨みながらも、バーサーカーへの攻撃の手を緩めてはいない。
 鎖は再度巨人を戒め、尽きることをしらない宝具の嵐は止むことなくその巨躯を切り刻む。
 それだけのことをしつつもなお、男にはリーズリットに構うだけの余裕があった。

 金のサーヴァントが虚空に浮かんだ柄を握り締める。
 大気さえも焦がす、灼熱の刀身が姿を現した。
 その場でその剣を一振りするだけで、リーズリットの下半身と、右半分の上半身が焼き切られた。
 咄嗟にセラが援護してくれていなければ、全身が一瞬で蒸発していただろう。

 だが、そのセラも返す一刀で斬り捨てられた。
 一瞬の後には、セラのいた回廊は周囲の廃墟ごと溶解され、その痕跡すら残っていない。

 それでも、頭と左腕だけになりながらも、リーズリットは足掻き続けた。
 半身さえ失いながらも、必死に残りわずかな命に縋りつく。

 セラがいないのならセラの分も頑張らなきゃと、無表情に足掻き続ける。
 バーサーカーが宝具の雨に埋もれて動かなくなっても諦めない。

「ふん、死に難いのもここまでくると聊か見苦しい。そろそろ終りにするか」

 金のサーヴァントが輝く剣を振り上げた。
 その先には、最早立っているのが不思議なほどに傷ついたバーサーカーの姿がある。
 それでも男は死に体のバーサーカーに向けて何度も剣を振り落す。
 自分だけでなくバーサーカーも足掻いているのだと、リズはその無残な姿を見ながら、不思議と残った体に力がみなぎるのを感じた。

 男が剣を振るう腕を止めた。
 彼は汚物でも見るような目つきでバーサーカーの成れの果てを一瞥すると、その亡骸を迂回するように階上のイリヤの元へと向かう。

 バーサーカーは動かない。
 だがリーズリットはそれでも諦めない。

 なぜなら、バーサーカーは現界している。彼の巨人はまだ足掻いている。
 だからリーズリットも足掻きを止めない。

 たった一つでも反撃の術が残されている以上、リーズリットはその一つのために全てを賭けること出来た。
 諦観などが入り込む余地はない。

「来ないでっ!」

 イリヤの悲鳴が響く。
 同時に投げつけられた人形が金のサーヴァントの胸に当った。
 抵抗ともいえないその行為を嘲笑い、男は身を翻したイリヤを追って、ゆっくりと階段を上っていく。

 リーズリットはそれをじっと見つめる。
 今はまだ動く時ではなかった。

 彼女は主の意図を間違わなかった。
 イリヤが衛宮士郎を手放し、あまつさえ敵に背を向けて逃げ出した。――それは決して見たままの行為ではない。この危機的状況において、イリヤは何よりも衛宮士郎の存在を優先した。リーズリットにはそれがわかる。
 だからリーズリットは待った。
 主の意を汲んで、衛宮士郎が巻き添えを食わない場所まで転がり落ちるのを待った。

 衛宮士郎の身体が瓦礫の破片に引っかかって止まる。
 バーサーカーよりも少し手前の戸口側。
 距離にも位置にも問題はない。リーズリットは残る右腕に力を込める。

 ――だが、リーズリットがハルバートを投擲するより、金のサーヴァントが振り返る方が早かった。

「ほう」

 気取られたのかと、リーズリットの身体が硬直する。
 しかし男の紅い眼はリーズリットを捉えていない。
 それは彼女の眼前に転がる、何の変哲もないぬいぐるみに注がれていた。


 ぬいぐるみが、立ち上がっていた。


 リーズリットの眼が驚きに見開かれる。
 その眼前で、何の力も持たないはずの人形が覚束ない姿勢で立ち上がっていた。
 下手な人形劇のようにふらついている様子がひどく微笑ましい。
 そして、それがどうしようもないほど滑稽だった。

「はっ、はははははははっ」

 金のサーヴァントの哄笑が響き渡る。
 崩れかけた城が奮えるほどの大声で、男は狂ったように笑い続けた。

「シロウ!」

 事態に気付いたのか、逃げ出したはずのイリヤまで戻ってきた。

 イリヤにとっても誤算だったのだろう。
 彼女はもう一度泣きそうな声で従者の名を呼ぶと、階段を駆け下りてその元へと走る。

 金のサーヴァントの狂笑が止まった。
 自分の脇を抜けようとしたイリヤを蹴り飛ばして止めると、男はぬいぐるみへと向き直る。
 そうして嘲笑を浮かべながら階下に戻り、わざわざその正面に近づいていった。

「なるほど人形戯びか。まさかこんな奥の手を用意しているとはな。危うく笑い殺されるところであったわ」
 笑う男の眼前で、ぬいぐるみが必死に魔力を集めているのがわかる。
 だがそれをわかっていて、金のサーヴァントは嘲るようにそれをただ眺めていた。

 じれったくなる時を経て、ぬいぐるみの魔力がようやく形を為す。
 次の瞬間、物を掴めぬその手の上に一組の双剣が現れた。
 黒と白の夫婦剣。弓兵が多用していたはずの宝具が現れたことにリーズリットは目をむくが、その眼前で双剣は重力に引かれて落下し、そしてその衝撃に耐えられずにアッサリと砕け散った。
 同時に取り落とした剣に引き摺られるように、ぬいぐるみも姿勢を崩してパタンと倒れる。

 一泊遅れて、金のサーヴァントの爆笑。
「はっ、はははっ。ははっはっ、いや、苦しい。嗚呼、木偶、木偶よ木偶よ。我をこれほどまで追い詰めたのは貴様が始めてだ。はははっ、笑い死にしてしまうわ」

 金のサーヴァントは腹を抱えて笑う。


 ――そうして、男は狂戦士に完全に背を向けた。
 狂える巨人が、最期の咆哮を上げた。


「■■■■■■■―――!」
 笑い転げていた背中が床に叩きつけられる。苦痛の叫びは雄たけびに掻き消された。

 しかし、敵とて英霊の端くれ。
 バーサーカーの一撃とはいえ、それだけで終るほど軟ではない。
 続く巨人の拳は虚空に現れた剣によって弾かれた。

「死にぞこないがぁ!」

 怨嗟の声を挙げ、金のサーヴァントが跳ね起きる。それと共に現界する無数の武具。
 だが、バーサーカーは怯まない。
 自身が傷つくのを厭わず、呼ばれた武具ごと男を叩き潰した。
 腕が裂けようが、血が噴き散ろうが、バーサーカーは拳を止めない。

 倒れた男を守るように呼び出された武具がバーサーカーをつるべ打ちにする。
 その隙に再度男が立ちあがり、更なる武具を呼ぶ。
 一瞬前の光景の繰り返し。
 傷ついた様子など微塵も見せず、バーサーカーも更に拳を振り上げた。

 そうして振り上げた両の拳の前に、誘われるようにあの夫婦剣が現れた。
 バーサーカーが瞬時にそれを握り締める。その握力にさえ耐えられず、剣は砕け散った。
 それでもバーサーカーは構わず拳を振るった。
 武具が吹き飛ぶ。血飛沫が飛び散る。バーサーカーはなおも腕を振り上げる。

 次に現れた双剣は巨人に握りしめられることに耐えた。
 弾かれる武具がわずかに数を増やす。それを為した剣は砕ける。そうして、また現れる。

 砕け、そして現れる。

 リーズリットの眼前で、いつのまにか、再び人形が起き上がっていた。
 ぬいぐるみはか細い魔力をかき集め、愚直なまでに何度でも出来の悪い双剣を誘い続ける。

「おのれおのれおのれおのれ!」

 その都度激しさを増してゆく攻撃に、金のサーヴァントが激昂する。
 防御を無視したバーサーカーの攻撃に、男は振り上げられた拳を狙わざるを得ない。
 そうしなければバーサーカーの拳は止まらない。
 だがその拳を守るように双剣は現れ、その都度頑健さを増してゆく。
 それはもはやそれは剣の形をなしておらず、黒白の鉄塊にしか見えない。
 その鉄塊を、バーサーカーが狂人に相応しい我武者羅さで繰り返し叩きつける。

「■■■■■■―――!」
「調子に、乗るなあぁ!」

 両雄の叫びが重なった。
 互いに全霊を込めた一撃を放つべく振りかぶる。

 そして、リーズリットはその瞬間を逃さなかった。

 ハルバートの一投が金のサーヴァントの肩に突き刺さる。
 男の手が、わずかにぶれる。魔剣の柄を掴み損ねた手が、一瞬だけ空を泳いだ。
 人を呪い殺せそうなほどの憎しみを込めて、男は振り返り、リーズリットを睨みつける。
 視線の先、全霊を尽くしたリーズリットは既に事切れている。
 それでも王のサーヴァントは傷つけられた誇りの気高さゆえ、眼前の危険をかえりみずに叫んだ。

「この木偶がぁあ―――」

 そうして、その叫びは鉄塊に断ち切られた。


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