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[7038] リリカル in wonder Ⅱ【完結】
Name: 角煮◆904d8c10 ID:63584101
Date: 2010/05/11 14:32
5月11日:HP作りました。
http://110136.web.fc2.com/index.html

この作品は、『リリカル in wonder』の二スレ目になります。
随分と長い話になってしまいましたが、これからもよろしくお願いします。

※追記:この度、由家さんから挿絵を描いていただきました。今回もらった分は前スレにURLを載せます。作中の雰囲気を見事に再現してあり、素晴らしいできです。ありがとうございます。

まとめはブログへと移動しました。

十月十日:えせるさんのとらハ板にある作品 続いてゆく道 の最新話に友情出演なのかなんなのか良く分からないキャラクターが出没しているような違うような。

追記:上のはお互いにお遊びで行っていることです。誤解を招いてしまい申し訳ありませんでした。

十一月十日:以前作ったプロットに思うところがあり、変更することになりました。
あらすじを公開しておいて変更することになってしまい、申し訳ありません。





[7038] カウントダウン5
Name: 角煮◆904d8c10 ID:63584101
Date: 2009/03/07 02:30
仕事を終えた後、待ち合わせの場所に急ぐ。

時間にまだ余裕はあるが、ずっと気になりながらも先延ばしにしていた事柄だ。

そのせいか、どうしても急ぎ足となってしまう。

人混みの中、目的地にたどり着くと、その場で周囲を見渡した。

いないか。流石にまだ早かっただろうが――

「お、早えぇな、エスティマ」

雑踏の音に紛れて、ここ最近聞いていなかった声が耳に届く。

振り返ると、そこにいたのはゲンヤさん。その隣に、ギンガとスバル。

「……お久し振りです、ゲンヤさん」

「おう、久し振り。なんだ、ちょっと見ない内に背ぇ伸びたか?」

「いや、そんなことはないと思いますけど……」

「そうか。よし、今日は遠慮せずにたらふく食え。俺の奢りだ」

そう言いながらバンバンと背中を叩かれる。

やたらテンションが高い気がするが、それも仕方ないのかな。

ちら、とギンガに視線を向けると、彼女はバツが悪そうに目を逸らした。

……胃が痛い。ゲンヤさんはああ言ってくれているけれど、あんまり食えそうもないかな。

「おとーさん、早く行こうよ!」

「待てスバル。もう少し話してから――」

「おーにーくー!」

ちなみに奢ってくれるのは焼き肉である。まぁ、人数が少ないわけでもないし妥当か。

空気を読むには歳が足りないスバルは食欲に駆られて暴走気味。引っ張られるゲンヤさん、哀れである。

「おうエスティマ、お前、何か食べたい――」

「おとーさん、今日はどれぐらい食べて良いの!?」

「静かにしろスバル。ええと、それでエスティマ――」

「おとーさん、早く行かないと席がなくなるよ!」

「分かったから黙ってろ。それでなエスティマ――」

「おーとーさーん!」

「ああもう、ちったぁ大人しくしろって!」

話を振ろうとしてくれるも、一向にスバルが言うことを聞かない。

……ウチのシグナムは良い子なんだなぁ。

いやまぁ、もう少しワガママを言っても良いぐらいだけれど。

スバルがゲンヤさんにくっついているせいで、自然と俺はギンガとペアに。

しかし、会話が皆無である。

こっちから何を言えばいいのかさっぱり分からないし、向こうからも何も言ってこない。

……年下の女の子に何を怯えてるんだろう。情けない。

中身の年齢入れたら二回り近く離れてるのに。

けど、彼女の顔を真っ向から見ることができないのだ、俺は。

ギンガを見ていると、クイントさんを思い出してしまうから。

焼き肉屋に辿り着くと、四人席に通される。

通されたのは良いんだが、座の配置がまた胃に悪い。

俺の向かいはゲンヤさん。それは良い。

ただ、隣がギンガだ。顔を背けていてもプレッシャーを感じる。Gジェネのハマーン的な。

ファミリープレートといくつかの単品を頼んで、注文を終える。

……ファミリープレートを頼まれて少し反応しそうになったのは、きっと俺の被害妄想だろう。

……あんまり食べない方が良いかもな。戻したら悪いし。

箸を割ってぼーっとしていると、肉が運ばれてきた。ちなみにスバル、意味もなく割り箸を大量に割ってゲンヤさんに怒られている。

ゲンヤさんに声をかけられるが、あまり内容が耳に入ってこない。焼け焦げた肉の匂いが鼻に籠もって胃がキリキリと痛む。

淡々と肉を焼く作業を繰り返していると、

「んじゃま、そろそろ良いか。ちっと遅れたが、エスティマの快復祝いだ」

名前を呼ばれたからか。はっと顔を上げると、困ったようにゲンヤさんが笑みを浮かべていた。

「おにーさん、おめでとう!」

「……おめでとう、ございます」

「あ……うん」

言葉に詰まる。どう応えたらいいのかさっぱりだ。

……くそ、謝るつもりだったのに。

そんなことを考えていると、

『エスティマさん』

『ん、ギンガちゃん?』

『あまり暗い顔をしないでください。最近になって、ようやくスバルが元気になったんです』

『そっか……ごめん』

バレないようにこっそりと溜息を吐いて、笑顔を作る。

そうして箸を動かそうとし、

『それと』

『うん』

『遅れましたが、勲章、おめでとうございます。
 きっと母さんも喜んでると思います』

『……そっか』

……なんだかな。素直に受け止めることができない。

この子なりに励まそうとしてくれているのか、それとも、遠回しに責めようとしているのか。

……穿ちすぎだな。

『ギンガちゃん』

『はい』

『ありがとう。少し、元気が出た』

『いえ』

















リリカル in wonder
















クロノに頼み事をするため、久々にアースラへと足を運んだ。

あと数年で廃艦処分になるとは思えないぐらいに元気に動いているが、見えないところにガタがきているのだろうか。

そんなことを考えながら廊下を進み、クロノの部屋へ。

ドアを開けると、クロノは机に座った状態で手を挙げてきた。

「良くきたな」

まあ座れ、と促されたので、部屋に上がって遠慮なしにソファーへ腰を下ろす。

代わり映えしないクロノの執務室。周りを見渡しても、執務官補佐としてコキ使われていた頃と大差ない気がする。

本や書類の配置などはもちろん違うのだが、なんと言えばいいのか。雰囲気は欠片も変わっていない。

「クロノ、そっちに変わりはないか?」

「ああ。いつものように、だ。特に大きな事件を担当するわけでもなくね。
 まぁ、闇の書事件のような大事件がそう頻繁に起こられたらたまったものじゃないが」

そう言い、クロノは苦笑する。

「君の方は活躍しているそうじゃないか。こっちまで噂が聞こえてくるよ。
 陸のエース・アタッカーは優秀だ、と」

「その名で呼ぶな。あとその噂、皮肉だから」

「知っている」

……この野郎。

人が地味に傷付いているのを知っていてこの言いよう。性格が悪いとしか思えない。

「最年少の勲章持ちストライカー。毎日のように違う管轄に首を突っ込んで現場を引っかき回しているらしいじゃないか。
 ……大丈夫か?」

「肩身が狭いことに違いはないよ。けど、もともと三課は火消し部隊――悪い言い方をすれば尻ぬぐいを担当していたんだ。
 実際に動いている人間が一人になれば、ヘイトが集中するのは仕方ないさ。
 や、有名人は辛いね」

「……限界ならすぐにそう言え。また倒れられたらこっちの寿命が縮む。
 今だって、あまり顔色が良くないように見えるぞ」

「気のせいだろ。ま、気を付けるさ」

軽く流そうとするも、クロノがジト目を向けてくるものだから嫌な汗が流れる。

そんな俺の様子に、クロノは額に手を当ててこれ見よがしに溜息を吐いた。

「それで、頼み事とはなんだ?」

「ああうん。デバイスに明るい執務官補佐が欲しくてね。A級ライセンスを持っている人とか、余ってない?」

「余ってない」

「マリーさんとかスカウトしたい」

「無理だ」

ですよねー。

「それにしてもいきなりな話じゃないか。君はマイスターの資格を持っているんだし、今まで必要なかっただろう?」

「んー、まあそうなんだけど、最近は現場に出ることが多くてデスクワークにかまける時間がないんだ。デバイスの調整も。
 もうそろそろ補佐官がいないと限界でさ」

「君が声をかければ、いくらでも人が寄ってきそうなものだが」

だからですよ。

とは言えず。

開発部から三課に戻ってくる前、それとなく声をかけてはみた。

しかし、Seven Starsを弄ることのできるだけの技術を持っている人はいても、既に重要なプロジェクトに引き抜かれていたりで適当な人材がいなかったのだ。

中将パワーで強引に引き抜いてこれ以上やっかみを向けられるのも嫌だし。

最終手段でシスター・シャッハやはやてに泣き付くというのもあるにはあるが、これ以上頼ると俺の立場がヴェロッサ以下になってしまいそうだし。

そうなると、頼る先は自然とここだけになってしまうのだ。

陸と違い、海には高ランク魔導師が多く配属されている。故に、自然と大出力に耐えられるデバイスに明るいマイスターもこちらに集中する。

俺個人としてはレイジングハートやバルディッシュを魔改造したマリーさん辺りが欲しいのだけれど……。

「マリーはアースラの重要な技術スタッフだ。早々手放せる存在じゃない」

「ううむ……じゃ、じゃあ、適当な人材を紹介してくれない?」

「……まぁ、それぐらいなら」

「悪い。恩に着る」

「そう言って恩を返された覚えがないんだが、気のせいか」

「返す言葉も御座いません」

「まったく……」

再び溜息を吐かれた。

……うわぁ、もう一つ頼み事があるのに、非常に言い出しづらいですよ。

「あ、あのさ、クロノ」

「今度はなんだ」

「ハラオウン家の財政に余裕はある?」

「いきなり人の家の財政事情を聞いてくるとは、失礼な奴だな。
 ……まぁ、余裕はある。母さんも僕も働いているし、出費らしい出費もしていないからな」

「仕事の虫め。せめてエイミィさんぐらいには金使えよ」

「余計なお世話だ! というか、君にそんなことを言われたくないんだよ!
 ああもう、その件はユーノを交えて今度だ!
 何が言いたい貴様!」

しまった。逆鱗に触れてしまった。

バン、と机を叩いて身を乗り出すクロノ。怒り笑いの表情が実に怖いです、はい。

「えっと……リンディさんに話を通してもらいたいからクロノにも言うんだけど」

「なんだ」

「一人の男の子を、引き取ってくれない?」




























ミッドチルダのクラナガン郊外。綺麗に舗装された広い道に沿って、広大な敷地を使った豪邸が並んでいる一角。

その中の一つ、モンディアル家の邸宅を塀の外から見上げ、さて、と胸中で呟いた。

以前、他の部隊の増援として遺伝子操作技術関係の研究施設を調査したときのことだ。

その施設はプロジェクトFを始めとした研究を行っていた。

防衛システムを完全に黙らせた後、何かスカリエッティに関する手がかりはないかとデータを漁っている最中に、俺はこの家の名前を発見した。

モンディアル家。ミッドチルダの富裕層。数々の研究に資金援助を行っており、その中にはクローニング治療に関するものもあった。

……おそらく、足がかりはそこだったのだろう。

バタフライ効果が起こりすぎて最近あまり使い物にならなくなってきた原作知識だが、本編とは縁の薄い部分ではまだ使いようがあるのか。

エリオ・モンディアル。短い人生を閉じた彼は、しかし、今も立派に生きている。

そう、原作通りに。

本来ならば、彼は近い内にどこぞの研究施設へ送られモルモットとして扱われる。プロジェクトFの成功例は貴重だから、あまり珍しい話ではないだろう。

しかし、その研究施設というのは、先の任務で俺が潰してしまった所なのだ。

俺が施設の調査に関与しなかったら、おそらくエリオは両親から引き離されて、誰にも助け出されぬまま一生を過ごすことになったわけだが……なんの因果だろうね。

ざ、とアスファルトを踏んで足を門の方に向ける。着慣れていないスーツが息苦しい。

今の俺は陸士の制服ではなく、グレーのスーツ姿。

管理局のガサ入れですよー、と真っ向から行ったところで素直に話を聞いてくれないだろうしね。

今日の俺は執務官エスティマ・スクライアではなく、スクライア一族のエスティマ君である。資産家のモンディアルさんに援助を受けにきた。

そういう設定だ。

インターフォンを鳴らすと、一言二言声を交わして門が開かれる。

邸宅まで続く五十メートルほどの道を進み――この金持ちめ――ドアを開こうとした時だ。

不意に内側から扉が開かれ、目に映ったあまりの光景に言葉を失う。

……メイドさんだ。メイドさんがいる。

いらっしゃいませ、と恭しく頭を下げるメイドさんがいる。

こちらへ、とメイドさんに先導される。ブロークンファンタズムされる破壊力無限大のおばさんメイドではなく、年若いメイドさんに。

――この金持ちが……!

そんな風に顔に出さず色々な理不尽を呪っているときだ。

「うわぁ……!」

子供特有の甲高い声が聞こえ、思わずそちらを向いた。

廊下の曲がり角から、赤毛の少年が顔だけを出してこちらを見ている。隣にいるのは、髪の毛に緩いウェーブのかかった女性だ。

「ママ、ぼくあの人知ってるよ! エース・アタッカーだ!」

「こら、エリオ。失礼でしょう? お部屋で大人しくしてなさい」

ぶーぶー文句を言いながら母親に連れて行かれるエリオ。シグナムよりちっちゃい。子供というか幼児だ、あれは。

……俺の同族か。そう思い、苦笑しそうになるのを堪えた。

メイドさんに応接間に通されると、そこには既に一人の男性が待っていた。

上品に――上品なのか?――整えられた髭。細いが、病的というほどではない体躯。

エリオの父親。初めまして、と挨拶をすると、彼は朗らかな笑みを浮かべながら握手を求めてきた。

……なんぞ、と一瞬呆気にとられるも、すぐに握り返す。

「初めまして、エスティマ・スクライアくん。いや、君とこうして顔を合わせることがあるとは思ってもみなかった」

「はぁ……」

「さあ、どうぞ座ってくれ。融資の話だったかな? 遺跡発掘には興味があっても、今まで手を伸ばしたことがなくてね。
 それと、後でで良いんだが、君個人にも頼みたいことがあるんだ」

……へぇ。

あまりにもフレンドリーな対応に驚いたが、そうか。

渡りに船、といった感じなのかもしれないな。

「……モンディアルさん。僕個人に頼みたいこと、とはなんでしょうか。
 そちらの方を先に聞かせてもらえるとありがたいのですが」

「ああいや、大したことじゃないんだよ」

話を振ると、どこか焦りを含んだ表情で誤魔化される。

……まぁ、そもそもスクライアとしてここに来たこと自体が嘘っぱちなんだ。そっちから話を始めた方が、俺もやりやすい。

「モンディアルさん。先に謝らせてください」

「何をかね?」

「今日、僕はスクライアへの融資を頼みにきた、となっていますが、それは嘘です。
 本当の目的は、あなたの御子息に関することです」

「……一体、なんの――」

僅かな沈黙の後、喘ぐように声を上げるモンディアルさん。

別に脅すつもりはない。なるべく柔らかい笑顔を作ると、それを彼に向ける。

「落ち着いてください。事を荒げるつもりなら、あなたの思うようなことをしに来たのなら、執務官としてこの場に立っています。
 そうでしょう?」

「う……む」

モンディアルさんは薄く唇を噛むと、視線を落とし、次いで項垂れる。

そして、たっぷり十秒ほど待つと、ここへ来る前に整理しておいた事柄を口にし始めた。

「モンディアルさん」

「なんだ」

「エリオくんと、離れたくはありませんよね?」

「……当たり前だ」

項垂れたまま両手を固く結んで、押し殺した声が上がった。

……そう、当たり前だ。親の心境なんてきっと俺には分からないが、それでも大切な人が死んだら、陳腐な奇跡でも良いから蘇って欲しいとは思う。

そんな当たり前の感情故に、きっとこの人はエリオを蘇らせた。

その割には簡単に彼を手放した気もするが、多分それは、どこかで罪悪感を抱いていたからなのかもしれない。

プレシアがフェイトをアリシアだと認められなかったように、エリオをエリオと認めたら、元のエリオはどうなるのか、と。

……ならば、俺はその罪悪感に付け入ろう。嘘を嘘のままにしてやろう。

戦力が足りない。金が足りない。力が足りない。

俺の敵を倒すには、それらのすべてが欠けているのだから。

「提案しよう、モンディアルさん。
 エリオくんを、養子に出しませんか?」

「何を――!」

「そう遠くない内に!」

激昂しようとした彼を、それを上回る大声で黙らせる。やっていることがヤクザじみているが、この際無視だ。

「エリオくんは、あなたが縋ったのと同系列の研究者に攫われるでしょう。プロジェクトFの成功例は貴重だから。
 僕がどうやってここへ辿り着いたのか知っていますか?
 それは、とある研究施設に彼の名前と素性が記されてあったからだ。
 ねぇ、モンディアルさん。何も一生エリオくんと会えなくなるわけじゃない。
 簡単には手出しできない者に彼を預ければ、ずっと一緒にいることは叶わなくとも、息子と縁を切る必要はなくなる。
 ……もう一度言います。彼を養子に出してください。
 そして、自首を。
 クローンを誰に依頼して作成したのか。その司法取引に応じてもらえば、悪いようにはしません。最低でも面会だけはできるよう、努力しますよ。
 エリオくんにも、自分がどういう存在なのか知られないよう気を付けます」

そこまで言って、一つの忘れていたことを思い出す。

――自首をしたくないのならば、時空管理局地上本部に資金援助を。それで手を打つ、と伝えろ。

そう、中将から選択肢を与えるように言われていたのだった。

しかし、今から一言付け加えるのも間抜けな話だ。

……分かってる。俺としても中将としても、そっちの方が良いってことぐらい。

ただ、こればっかりは上手く言葉にできないが、気持ちが悪くて言えないような気もする。

なんでだろう、と考え、そして、すぐに答が出た。

思わず苦笑する。それでモンディアルさんが怪訝な顔をした。

……なんてことはない。金で都合の悪いことに目を瞑る。まずそのこと自体が、俺の体を散々弄り回した連中のやっていたことと同じだからで――

そしてもう一つ。エリオを――ある意味フェイトや俺の兄妹とも言える存在を金を払わせた上に奪い取るようなやり方に、猛烈なまでの嫌悪を感じるのだ。

……変なところで潔癖性なのかもな、俺は。割り切れたら楽なんだろうけど。

中将と結託までしているのに、変な話だが。

「さあ、選択を」

「……違法行為に手を染めたことがバレた以上、もう言い逃れはできない、か。
 危ない橋を渡っている自覚はあったがね。
 分かった。君の出した提案に乗ろう。
 ……エリオを、頼む」

「……はい」

小さく頷いて、その時になって、ようやく気付いた。

いつの間にか手が震えている。足に上手く力が入らず、熱っぽい。

……胃が痛い。気分が悪い。
















モンディアルさんとのやりとりを終えて部屋を出ると、ふと、足元に小さな影を見付けた。

首を傾げつつ下を見ると、そこにいたのは赤毛の幼児、エリオである。確か、約三歳。

彼は何故だか知らないけれど、妙に輝いた目で俺のことを見ている。シグナム以上に純粋な視線が存在しようとは思わなんだ。

「えっと……エリオくん?」

「はい! エリオです!」

「そう、元気が良いね。はじめまして、僕はエスティマ・スクライア。よろしくね」

「はい! ね、お兄さんってエースアタッカーだよね?」

「……あーうん。そうだよ」

やっぱりそっちの方が通りが良いのかなぁ。本当に好きじゃないんだけど、この二つ名。思いっきり皮肉から付けられたものだし。

……けどまぁ、そんなことをわざわざ口にして話の腰を折るのはアホらしいし、この子に言っても分からないだろう。

しゃがんでエリオと目線を会わせると、笑みを浮かべる。

「すごいねエリオ。詳しいな」

「えへへ」

褒められたからなのか。くすぐったそうに笑う彼の表情には、影らしい影はない。

天真爛漫に毎日を過ごしているんだろうなぁ。

「……エリオ、魔法に興味はある?」

「はい! ぼくも大きくなったら魔導師になりたいんです!」

そう言ってエリオは手を差し出すと、掌からバチバチと電気を発した。

……騎士じゃなくて魔導師か。また変なところでバタフライ効果が……いや、まだ子供だし違いが分からないのかもしれない。

しっかし、魔導師志望か。まぁ、男の子なら分からなくもない。自分に魔力資質があると自覚しているのならば尚更。

「魔導師、なりたいんだ」

「はい!」

「そか。……あのね、エリオ。今日、パパとママのところに来たのは、君をスカウトしたかったからなんだ」

「すかうと?」

「んー……魔導師になるための勉強をさせてあげませんか、って」

「本当に!?」

「本当だとも。才能あるからね、エリオは」

別に嘘じゃない。十一歳でAAランクは充分なほどの素質があると言って良いだろう。陸戦と空戦の違いはあるが、稀少技能を抜いて考えれば直接的な戦闘能力は俺より上じゃなないかな。

「パパとママから近い内に話があると思うから」

「はい!」

「よし、良い子だ。……それじゃあ、またね」

頭を一撫でして立ち上がる。そして玄関へ向かおうとするが、とことこと足音が聞こえたので振り返った。

見れば、エリオはにこにことした笑みを浮かべたまま俺の後を着いてきていた。

苦笑を一つ。

「玄関まで案内してくれる?」

「まかせてください!」














その一月後のことだ。

エリオをハラオウン家へと養子に出し、モンディアルさんが自首する日。

ちなみに、リンディさんとクロノの元に行ったのはモンディアル家で話を付けたその日の内に、である。

考えさせて、とずっと返事を保留にされていたが、二週間ほど前にやっと養子の件を了承してもらえた。

やはりプロジェクトFの成功例であることが判断に時間を必要としたのか。それでも、受け入れてくれて助かった。

リンディさんは次元航行艦から降りるつもりがあったらしく、これをその良い機会とするようだ。

今はまだアースラの艦長を続けているが、今の任務が終わり引き継ぎを果たしたら―― 一月もしない内に、アースラから降りるらしい。

……あと一月。その間、エリオをどうしているかと言いますと、

「シグナムお姉ちゃん、魔法つかえるの?」

「もちろんだとも。空もとべるぞ」

「すごいすごい! いいなー、ぼくも空とびたいなー」

……なんでこんなことに。

思わず両手で顔を覆ってしまう。

スケジュール調整、もっとちゃんとやってれば良かった。いや、自首をこれ以上遅らせるわけにもいかなかったわけで……。

深々と溜息を吐きつつ顔を上げる。

視線の先にはレヴァンテインを起動させてお姉さんぶってるシグナムの姿と、デバイスを羨ましがってるエリオ。

一月限定とはいえ……早く帰ってくるよう心がけないとな。

「エスティマくん、どうしたん?」

「ん?」

エプロンを着けたままのはやてが、俺の隣へと座る。

さっきまで洗い物をしてくれていたのだ。俺がいるときはやらなくて良いって言ってるのに……本当、頭が上がらない。

胃袋握られてる上に家事までやってもらって、この子がいなかったら悲惨な生活を送りそうだ、本当。

「なんか暗い顔しとるよ。また悩み事?」

「また、ってなんだよ。俺が四六時中悩み事しているみたいな言い方」

「えー、だってそうやもん。はやてさんのお悩み相談室はいつも開いてるから、どーんときてくれてかまへんよ?」

「最近、友達の女の子に家事をやらせてしまっています。申し訳ないのですが、どうすれば良いでしょうか」

「むふー、なかなか難しいですなぁ。遊びに連れて行って、ご機嫌を取ってみると良いかもしれません」

「……善処するよ」

「別にええんよ。好きでやってることやし。そりゃ、遊びに連れて行ってくれたら嬉しいけどな?
 うん、それに……」

「それに?」

「だ、旦那様の――」

『旦那様』

「なんだ」

Seven Starsがいきなり口を挟んだせいで、はやてが何を言おうとしたのか聞きそびれた。

「えっと、はやて?」

「……ええんよ。ええねんよ」

あ、あれ? なんかすごい落ち込んでるんだけど。しかも何か悟ったような顔で。

良く分からないけどごめんなさい、と胸中で呟く。

「で、どうしたSeven Stars」

『よろしいのですか?』

「何がだ」

『ベランダを御覧下さい』

「あ?」

言われ、窓の外に視線を向ける。

するとそこには、元気に空を飛ぼうとしているシグナムとエリオの姿が!

「ばっ、エリオは空飛べないっつーの!」

「ば、バインドを!」

突撃する我。そしてバインドを発動するはやて。

……なんでこんな気苦労をせにゃならんのだ。
























暗い、暗い部屋。

多くの本棚に囲まれ、遮光カーテンによって窓を覆われた部屋。

その中を、光源となるいくつもの紙片が舞っている。

イエローの光を纏った紙片。そこに書かれている古代ベルカ語を頭の中に入れながら、カリム・グラシアはマルチタスクを使用して文字の羅列――予言の内容を見極めようとしていた。

彼女の稀少技能、予言者の著書。それに記される事柄に、ここ最近、一つの新たな項目が増えたのだ。

内容は目を通す度に変貌する。まだ確定していない、いくらでも変化を起こす未来のことなのだろう。

ただ、その内の一つ。四行からなる予言の三行目が、一定の方向性を持ち始めている。

「王の――」

口に出し、これで合っているのかと疑問を浮かべ、

「王の資格……いえ、印? を持つ者……力果て、死者の列に加わり……」

そうして読み上げている内に、再び文字の羅列は変化する。

カリムは椅子の背もたれに体重をかけると、顎を上げて溜息を吐いた。

「何か大事なことが書かれているのは間違いないのだけれど」

ただ、たった今変わったばかりの部分の中で、一つだけそのまま残っているものが存在する。

「王の資格。もしくは、印を持つ者。……これが、深く関わるということかしら」






[7038] カウントダウン4
Name: 角煮◆904d8c10 ID:63584101
Date: 2009/03/12 10:38
本局から繋がっている地上本部の転送ポートで待つこと既に三十分。

腕組みしながら溜息を吐くも、一向に待ち人は現れない。

通りかかる人からぶしつけな視線を向けられるが、もう慣れたことだ。名前が売れてしまっているので、最近はスルーする人の方が少ない。

……しっかし遅いなぁ。連絡もないし、何かトラブルでもあったのか。

何分か遅れるって連絡があったらそこら辺の喫茶店で時間を潰せるが、いつ来るか分からないから動けない。

いや、隊舎で待ってれば良いんだろうけど……迎えにくるって伝えちゃったしなぁ。

などと考えていると、不意に転送ポートが重く、くぐもった稼働音を上げた。

いつの間にか俯いていた顔を上げると、丁度人影が転送ポートに現れる。

キャリーバッグを引き摺る、眼鏡を掛けた女の子。着ている制服はちゃんと陸のものだ。

シャリオ・フィニーノ。本来ならばフェイトの執務官補佐となるはずだった子。クロノが紹介してくれたのは、彼女だった。

年齢は俺の二つ下。これより三課は、お子様二人の部隊となる。書類上では違うけれど。

「ああああああ、遅れちゃった! すみませーん! エスティマ・スクライア執務官はいらっしゃいますかー!」

「ここにいますよ」

「きゃああああ! 申し訳ありません、本当にごめんなさい!
 シャリオ・フィニーノ通信士、ただ今到着しました!」

「いえ、急に引き抜いたのはこっちですから。準備も慌ただしくなったでしょう。
 じゃあ、行きましょうか」

「はい、よろしくお願いします」

申し訳ない、といった様子で、もう一度彼女は頭を下げる。

その様子に、思わず苦笑してしまった。

遅刻して悪びれなかったらやっていけるか本気で心配だったが、杞憂だったか。

「気にしなくても良いですよ」

「そんな……今後こういったことがないよう、気を付けます」

「だから、良いですって」

そんなやりとりをしながら本部内を歩き、隊舎へと向かう。

「あの、スクライア執務官」

「なんでしょう」

「私の上官なのだから、そんな固い言い方じゃなくても……」

「あー……そっちの方が気が楽だと言うのなら。
 ん、じゃあ固くならないよう気を付けるよ、フィニーノさん」

「フィニーノ……あの、シャーリーと呼んでください。
 ほら、発音しづらいじゃないですか、私の名前。だからそっちで」

シャーリー。なんだか叫びたくなる名前だ。

「分かった」

「はい。あの、スクライア執務官」

「何?」

「スクライア執務官」

「なんですか」

「スクライア執務官」

……なんだよ。

延々とファミリーネームを呼ばれて怪訝な顔をする俺。

しかし彼女は気にした風もなく、じっと顔に視線を向ける。

「ああ……本局まで噂は届いていますよ。
 勲章持ちのストライカー。エース・アタッカー。
 陸のトップエースにこうやってご指名いただけるなんて……」

「あ……うん」

なんだか悦に浸っている彼女に若干引きそうになる。

忘れてた。この子、ミーハーだった。

「それに、ハラオウン執務官に聞いていたよりもずっと落ち着いていますし。
 やっぱり実物は違うなぁ」

「へぇ……ちなみに、クロノはどんなことを?」

「えっと……君をあんなロクデナシに引き渡して済まない。苦労すると思うがよろしく頼む、と。
 ……実はけっこう不安だったのですが、杞憂でした」

「なんだと」

「あはは、変な人だったらどうしようって心細かったんですよー」

「なんだと」

……クロノの野郎。

エイミィさんに脚色無し、男の子クロノの生態でも報告してやろうか。いや、そうしようそれが良い。

やや固さの残った……というか、どこかずれた認識をお互いに抱いたまま会話を続けて隊舎へと。

そして、第三課の部屋へと辿り着くと、フィニーノさん……もとい、シャーリーは緊張した面持ちで咳払いをした。

「ここが首都防衛隊第三課の……」

「あ、緊張しなくて良い――」

と、途中まで口にして、勢いよく彼女は扉を開けた。

「遅れて申し訳ありません! シャリオ・フィニーノ通信士、ただ今着任いたしました!
 本日より――」

と、そこまで言って、あれ、と首を傾げる彼女。

それも当然か。

第三課の中に人はいない。薄く開けられたブラインドカーテンから差し込んだ日光が、時間の止まった部屋を薄く照らしているだけだ。

「……えっと?」

「皆、今は長期任務に出ていてね。他の部隊に派遣されてるんだ」

「はぁ……そうなんですか」

首を傾げる彼女を尻目に、部屋に入って電気を点ける。

三日掛けて掃除をしたから、埃っぽさ……というか、廃墟然とした雰囲気は抜けている。

最近は俺一人しかここで活動していなかったから酷い有様だったのだ。

「シャーリーのデスクはここ。端末の調整はある程度やっておいたから」

「ありがとうございます」

キャリーバッグのカラカラといったホイールの音が部屋に響き、彼女は指定された机に座る。

そして端末を起動させ、立ち上がるまでの時間を使ってバッグから次々と荷物を出し始めた。

……ん、人の荷物を見るのは良い趣味じゃないし、こっちも業務を始めますか。

俺も自分の席――本来ならば部隊長の席に着くべきなのだろうが、俺は元の場所を使っている――に座って、端末を起動。

オーリスさんから届いた中将の指示にざっと目を通し、どうしたものか、と首を傾げる。

最高評議会から怪しまれないためにスカリエッティのアジトそのものを調べるわけにはいかない。そのため、それらしい施設を教えてもらってはいるのだが……なぁ。

それとは別に三課の仕事もあるし、あまり俺の目的に集中するわけにもいかない。

俺が管理局に居続ける理由を優先したいが、居続けるために仕事もこなさないと。

どうしたもんか、と背もたれに体重を預けて画面を眺めていると、

「あの、スクライア執務官」

「ん?」

「設定、完了しました。早速ですが、デバイスを預かっても良いですか?
 ハラオウン執務官から私が必要とされた理由がそれだって聞いていますし……それに」

「それに?」

「エースのデバイスがどんな子なのか、すっごい興味があるんです!」

「無愛想な天然だよ」

『世間ではそれを、クールビューティーと言います』

「クールビューティー違う。黙ってろ」

胸元に下がっていたSeven Starsをシャーリーに手渡すと、彼女は早速端末に黒い宝玉を接続する。

そして、わぁ、と声を上げたあと、

「……え、何これ」

表情を凍り付かせて、絶句した。

「外装はともかく、この構築……それに材質。スクライア執務官、これって自作ですか?
 もしそうなら、設計図を下さい」

「悪い、そのデバイス、もう解散したプロジェクトの忘れ形見なんだ。
 設計図も何もかも、残ってない」

なんて嘘を吐く。

そんなぁ、と頭を抱えるシャーリーを尻目に、俺は本棚から百科事典ほどもある参考書を引き抜いた。

それに俺がまとめたレポートを付けて、シャーリーの机に置く。

「これ、Seven Starsに使われている材質の。それとこっちは俺の分かる範囲での整備方法」

「んー……あー、思い出しました。これ、ちょっと前に発表されたばっかりの液体金属。
 でも、実用段階にこぎ着けていたなんて、聞いてませんよ?」

「まぁねぇ」

「うわぁ……予想の斜め上だぁ……」

そう言い、頭を抱えるシャーリー。

だが、数秒間そうしていたと思ったら、すぐに彼女は顔を上げて拳を握り締めた。

「ふ、ふふふ……燃えてきましたよ。実戦配備すら始まっていないデバイスを弄れるだなんて。楽しいですねー!
 よろしく、Seven Stars」

『よろしくお願いします』



















リリカル in wonder

















……目を覚ます。

身を起こして目元を押さえると、溜息を一つ吐いた。

随分と懐かしい夢だ。もう、一年前のことになる。

暗い仮眠室の中をふらふらと歩いて電気を点けると、洗面台で顔を洗って制服を身に着けた。

時計を見れば、もう昼過ぎ。

少し寝過ごしたか。それでもシャーリーが起こしに来なかったってことは、飛び入りの任務がなかったのだろう。

上着からリングペンダントを取り出して首に下げると、寝癖がないかどうかを確認して仮眠室を出た。

……夜戦任務があると体内時計が狂うな。無理矢理寝るか、貫徹するか。今日はどっちにしよう。

三課のドアを開けると、聞こえてきたのはテレビの音。

どうやらまたテレビをラジオ代わりにして作業をしていたようだ。

今に始まったことじゃないから気にしないが。二人っきりの部隊だから、規律も緩い。少人数でガッチガチに固めたら居心地が悪くなる。

「あ、エスティマさん、おはようございます」

「おはよう。もう昼過ぎみたいだけどね」

「はい、ぐっすりでしたね」

シャーリーは端末をタイプしたまま、顔だけをこちらに向けて喋っている。なんとも妙な光景だが、もう慣れた。

「どう、調子は?」

「はい。Seven Starsも上々です。エクセリオンも段々と安定してきましたし。
 あ、けど乱用はいけませんからね?」

「分かってるよ。んで、エクステンドの方は?」

「基礎設計は終わりました。あとは予算さえ確保できれば……」

「了解」

自分の机に座り、端末を起動。

真っ先に目に付いたのは、シャーリーから送られてきたであろう基礎設計図だ。

画面の隅にあるのは3Dで再現された純白の片手槍。エクステンド・ギア、と呼ばれるデバイスの強化外骨格シリーズだ。

シャーリーを三課に招いたのは勿論Seven Starsの整備をお願いするためだが、それとは別に、俺は彼女に前々から考えていた強化プランへのアドバイスを頼んだ。

……もっとも、開発部に提出した設計図は「デリート!」と星が付きそうなほど綺麗な顔で消されたんだが。

エクステンド・ギア。それは、新デバイスを指すものではなく、現行のデバイスをカスタマイズするものである。

現在、デバイスのパーツにはメジャーどころだとカートリッジやヴァリアブルバレット形成用のバレル、魔力刃形成用の銃剣などが存在する。

しかし、それらは接続端子の規格が違ったりするせいで現在陸に配備されているデバイスとは相性が悪いのだ。B級マイスターでも改造できる範囲とはいえ、配備されているすべてのデバイスを改造するわけにもいかない。

それに、もし改造したとしても機能拡張したせいで容量が増え、収納機能の限界を超えてしまいスタンバイモードにすることが出来なくなる場合もある。

そうなるとデバイス本体の容量も増やさなければならず、しかし、いちいち改造する手間も費用も足りず……と。

そこで俺は考えた。

規格が合わないのならばコネクタを作ればいい。収納できないのならば、そもそも収納しなければ良い。

そのアイディアを前面に押し出した強化外骨格、『デンドロビウム』――は、シャーリーに消されたのである。畜生。

ただ、アイディアだけは悪くなかったとか。シャーリーに言わせれば、発想の勝利。

収納をせず外装を持ち歩いて現場に向かう以上、なるべくコネクタを小型化。機能拡張をするならば、本体となるデバイスの容量を取らない軽いドライバを。連結して強度が落ちないよう、頑強な作りに。

その三つさえクリアすれば――というか、その三つがメインであり全てなのだが――完成するわけだ。

パーツとコネクタを買うだけで強化できます。安上がりです、と中将に説明したところ、割と好評。

実戦配備はまだまだ先。というか、正式配備すら決まっていない段階。

それでも興味を持ってくれたゲンヤさんが人柱になってくれて、あの人の部隊で試験運用をしてもらっている。

……面倒見の良い人だ。何から何まで、本当に。

そして、試験運用で蓄積したデータを元に作っているのが、画面の隅に移っている片手槍。

開発コード、『カスタムライト』。Seven Stars用の追加外装。そもそもエクステンド・ギアを思い付いたのがSeven Starsの外装交換システムを弄っている最中のことだった。

……ちなみにシャーリーにはカスタムライトの開発コードを教えたときに、

「改める光ですか!」

とか感心された。違うねん。軽い、って意味やねん。

今更訂正もできないが。

……ただ、このカスタムライト、製作に金がかかる。

ただでさえ性能の高い、現在のSeven Starsを更に機能拡張するわけで、それは小金で作れるような代物じゃないのだ。

魔力保有枠だけではなく、予算も俺一人が使っているようなものだから他の部隊よりも好き勝手はできるのだが、流石にこれはなぁ。

「……自腹を切るしかないのか」

「かもしれませんねー。陸が貧乏ってのは本当だったんだって驚いてますよ。
 や、特許とかで予算を確保するのも手かなぁ。もう遅いですけど。
 エスティマさん、なんで特許をミッドチルダ地上本部にあげちゃったんですか?」

「……予算の足しになると思ったの」

中将への点数稼ぎって意味もあったが。

ちなみに、これでアインヘリアルの予算が浮く、とあの人は大層喜んでいた。なんでそこまで拘るんだよぅ。

「ままなりませんねー。……おや?」

不意にシャーリーがずっと聞き流していたテレビへと目を向ける。

釣られてそこに目をやると、画面に映っている、風化した記憶が少しだけ蘇った。

マンションのベランダで、女の子を人質に取った強盗。手に持った包丁を振り回し、喚き散らしている。

「……これは」

「これはもう捕まりますね。ベランダまで顔を出して。……航空武装隊が出張ってるみたいですよ?
 これ、あの面白い人のところじゃないですか?」

シャーリーが口にした面白い人、とは、ヴァイスさんのことだ。

ん……間違いはない。部隊名は合っているし、事実、そうだろう。

どうするか、と眠気の残っていた頭が回転を始める。

このままならば、ヴァイスさんは狙撃に失敗するかもしれない。必ず失敗する、というわけではないだろうが。

もし失敗したのならば、原作と同じようにトラウマが生まれて武装隊からヘリパイロットへと転向、か。

さて、どうしたものか。

現段階で六課は作られないと半ば決まっている。だからヴァイスさんが狙撃に失敗するのは、純粋にミッドチルダ地上本部の損失になるだろう。

エース級の狙撃手を失う痛手。このまま見過ごして良いものか。

……そして、一人の女の子から光を奪うことを見過ごしても良いのか。

最後に浮かんできた考えに、思わず苦笑する。

馬鹿が。そんなこと、今は関係ないだろうに。

「……シャーリー」

「はいはい」

「急にテレビに映りたくなった」

「へー……って、はぁ!?」

「そーゆーわけなので、ちょっと出てくる」

「へ? って、ちょ、エスティマさん!?」

Seven Starsをシャーリーから奪い取ると、意味が分かりませんよー! と響くシャーリーの声を無視して部屋を出て、走りながら携帯電話を取り出した。

繋げる先はオーリスさん。

出るかな飛行許可。






























なんでこんなことに、と、薄く唇を噛み締めながら、ヴァイス・グランセニックはストームレイダーのスコープを覗き込んでいた。

引き金にかけた指は、まるで針金でも通っているかのように動かない。

視線の先。スコープの先。ドットサイトの交わる先は、ひっきりなしにブレている。

錯乱しているのだろうか。女の子――妹のラグナを人質にとっている強盗は、意味もなく包丁を振り回している。

そのせいで狙いが定まらない。抱き寄せられたラグナがすぐそばにいるのもある。

もし外したら、狙撃手に気付いた強盗がどんな風に取り乱すか――そんなこと、考えたくもない。

この程度の狙撃は、過去何度も成功してきた。ヘリからの狙撃すら可能とする自分には、この程度、造作もない。そのはずだ。

だのに、らしくもなく心臓が激しく脈打っている。冷静に相手を狙い撃とうと自分自身に言い聞かせても、なんの足しにもならない。

……当てられる気がしねぇ。

武装隊に入って、狙撃の腕を買われて……エースとまで呼ばれているのにこの有様だ。

『どうしたヴァイス。急げ』

『分かってます』

上官からの念話に舌打ちしたい気分になりながら、ヴァイスはスコープから目を離して額の汗を拭う。

その際、手を見下ろすと、みっともなく震えていた。

ぎゅっと握り締めても収まらない。

「ストームレイダー……みっともねぇな」

『There is not such a thing』

「ありがとよ。けど……こりゃ、今までの任務の中でも一等難しい狙撃だ」

『Aim calmly』

「分かってる」

呟き、再びスコープに目を当てた。

その時だ。不意に、強盗犯が動きを止めた。

撃つなら今だ。そう考え、引き金を引こうとして――もし引き金を引いた瞬間に目標が動いたら。そんなことを考えてしまった。

指は痺れたように動かない。力を込めても緩やかに上下するだけで、最後まで押し込むことができない。

くそ、と自分自身に悪態を吐き――

『……くそ。ヴァイス、狙撃中止だ』

『ま、待ってください。俺は出来ます。やらせて――』

『分かってる。お前は優秀だ。これぐらい造作もないことぐらい、充分に知ってる。
 だが、中止だ。フォローに回れ』

『フォロー?』

『ああ。噂の執務官様がおいでなさった。邪魔をするなと上からのお達しだ。
 ……ったく、いい気なもんだな、花形部隊は』

尚も上官の悪態は続くが、ヴァイスの頭には届かない。

噂の執務官。花形部隊。その二つから脳裏に浮かんだのは、同じ学校を卒業した年下の友人だ。

アイツが? 何故?

先程までの緊張感も相まって、ぐるぐると思考が渦を巻く。

その時だ。

『A fellow』

「……ん?」

ストームレイダーの呼びかけで我に返り、ヴァイスは目を細めて視線の先をはっきりと見据える。

マンションのベランダを駆け抜ける小さな影がある。ストームレイダーが呼びかけたのは、あれのせいか。

なんだ、と思い――

「……あれは」

金毛赤瞳のフェレット。数度、見たことがある。

フェレットは軽快な足取りで走り続けると、強盗犯のところまで行って脚を止めた。

そして、小動物らしく首を傾げる。

不意に現れた動物に、強盗も、腕に抱かれたラグナも呆然とし――

強盗が手に持った包丁が、フォトンランサーによって弾き飛ばされた。

間髪入れずにラグナがフープバインドで固定され、フルオートで連射されるサンライトイエローの直射弾が次々と叩き込まれる。

遠く離れているというのに、ヴァイスの元まで届く強盗犯の悲鳴。

そして、強盗犯がラグナを手放したときだ。

フェレットの体が光に包まれ、元の姿――奇妙なバリアジャケットに身を包んだ少年、エスティマ・スクライアへと変わる。

彼はラグナを抱きかかえてベランダから離れると、デバイスを起動させずに足元にミッド式の魔法陣が展開した。

そして左腕を突き出し、

「サンダー……スマッシャー!」

轟音を伴って、トリガーワードと共に砲撃魔法がぶち込まれた。デバイスを使っていないため完全ではなかったのだろうが、それでも魔導師ではない一般人には間違いなくオーバーキルだ。

紫電が散り、スコープを覗き込んでいたヴァイスは思わず目を閉じる。

そして、再びスコープを覗き込むと、そこには泡を吹いて白目を剥いている強盗犯の姿。

……終わった、のか?

十秒にも満たない救出劇。ただ見ていることしかできなかっただけに、あまり実感が湧かない。

それでも、エスティマが小脇に抱えている妹の姿を目にして、ヴァイスは放心と共に深く息を吐いた。

「……ったく、余計なことを」

ひょっとしたら借りになるのか、これは。































ラグナちゃんを現場の捜査官に引き渡した後、てめぇそこで大人しくしてろ、と放置プレイをくらった。

何やら、意味のない横槍を入れた俺に航空武装隊はお冠なようだ。当たり前だが。

任務の成功はともかくとして、本来ならばヴァイスさんが狙撃をして一件落着。そうなるはずだったのだから。

強盗犯をこのマンションまで追い詰めたというのに、最後の最後で手柄を横取りされて怒らない奴がいるわけがない。

……だからって、現場検証が終わるまで放置ってのも露骨な嫌がらせだが。

携帯電話を取り出すと、シャーリーからメールがきていた。

テレビに映ってますよ部隊長、良かったですね。だそうだ。冷たい。

……ま、良いけどさ。

今以上に肩身が狭くなった代償として、優秀な魔導師を潰さずに済んだんだから儲けもの。

ただ、もう勝手なことはできないのかもな。前ならともかく、今は三課にシャーリーがいるんだ。俺一人にやっかみが集中するならとにかく、彼女を巻き込むのは悪い。

考え足らずに軽率な行動を取ったか。しばらくは大人しくしていよう。

などと考えていると、

「おう、エスティマ。久し振りだな」

「ヴァイスさん」

振り向けば、そこにいたのはヴァイスさんだ。彼は疲労を引き摺った笑みを浮かべながら、こっちに近付いてくる。

……んー。

『ヴァイスさん。俺と喋ると面倒なことになるかも』

『ああ、気にすんな。今回のことを注意していた、って言えば問題ねぇだろ』

念話を一旦打ち切ると、ヴァイスさんは神妙な顔をしながら口を開く。

「……なぁ、エスティマ。お前の管轄じゃねえだろ、ここは」
『直接顔を合わせたのは二ヶ月ぶりぐらいか? どうだ、あの眼鏡っ子とは仲良くやってるかよ』

「はい。近い場所にいたので、つい」
『ぼちぼちやってますよ。シャーリーも元気です』

「つい、じゃねえだろうが。まぁ事件も丸く収まって問題ないから良いけどよぉ」
『まぁ、あの人懐っこい子が元気がないってのも想像できねーけどな。
 また今度、遊びに行くか』

「すみません。どうしても見過ごすことができなくて」
『良いですね。シグナムもラグナちゃんに会いたいって言ってましたから。シャーリーもヴァイスさんのことを面白い人って言ってましたよ』

「すみません、じゃねぇだろ。まぁ、何も起こらなかったからこれ以上は言わねぇけどよ」
『面白い人……褒められてんのかねぇ。
 ん、まぁ良い。そっちに合わせるから、空いてる日を教えてくれよ。
 ……なぁ、エスティマ』

「……はい」
『なんですか?』

『ラグナを助けてくれてありがとな。……ま、お前がこなくても俺がなんとかしたんだが』

『でしょうね。航空防衛隊のエースには余計でしたか』

『ん……まぁな』

歯切れが悪い。あの人が何を考えているのか薄々分かってはいるので、なんとも悪い気分だ。

『ともかく、借りが一つできたか……何か困ったことがあったら言えよ。できる範囲で力になってやる』

『ありがとうございます。……早速一つ良いですか?』

『なんだよ』

『会いたかったぞ、ガンダム! と言ってください』

『……意味分からねぇ。一応、真面目に言ってるんだけどよ、こっちは』

『お互い、真面目なんて似合わないでしょうに』

『そうだな』

「んじゃあな」

「はい。また」

最後だけは肉声で別れを告げる。

……考えなしに今回の行動を取ったわけじゃないが、これが吉と出るか凶と出るか。

微妙なところだな。

ヴァイスさんが今の部隊に所属し続ければ、彼をどこかの部隊に引き抜くことはできなくなる。

今でさえエースと呼ばれている彼を三課に取り込むなんて、それこそ燻ってる火種に油を注ぐようなもの。航空武装隊と三課の仲が最悪になるだろう。

しかし、ただのヘリパイロットとなったヴァイスさんを引き抜く必要性も感じない。だったらエース級魔導師として活躍してもらった方がマシだろう。

……ま、今回のは三課にとってマイナスな行動ではあった。少し考えればこの結果は分かっていた。

本当、これがどう出るんだろうかね。































暗い、暗い部屋。

多くの本棚に囲まれ、遮光カーテンによって窓を覆われた部屋。

その中を、光源となるいくつもの紙片が舞っている。

イエローの光を纏った紙片。そこに書かれている古代ベルカ語を頭の中に入れながら、カリム・グラシアはマルチタスクを使用して文字の羅列――予言の内容を見極めようとしていた。

彼女の稀少技能、予言者の著書。それに記される事柄に、ここ最近、一つの新たな項目が増えたのだ。

内容は目を通す度に変貌する。まだ確定していない、いくらでも変化を起こす未来のことなのだろう。

ただ、その内の一つ。四行からなる予言の二行目、三行目が、一定の方向性を持ち始めている。

それを見極めようと目を細め、彼女は側に立つ緑髪の少年に声をかけた。

「ヴェロッサ」

「なんだい」

「陸の様子はどうでしたか?」

「どうもこうも、相変わらずさ。海で起こることには無関心を決め込み、自分たちの仕事をするので手一杯。
 ……ま、仕方がないとは思うけどね」

「そうではありません。例の――」

「ああ、分かっているよ」

聞きたくない、とばかりにヴェロッサはカリムの言葉を遮る。

彼女はそれで少しだけ眉間に皺を寄せたが、すぐに表情を元に戻した。

「旧い結晶と無限の欲望が交わる地。
 死せる王の下、聖地より彼の翼が蘇る。
 死者達は踊り、中つ大地の法の塔は虚しく焼け落ち。
 それを先駆けに数多の海を守る法の船は砕け落ちる――だったね。ああ、それに対する備えとしてパイプを作っておくのは忘れていないさ」

「ええ。まだはっきりとした解釈は終わってないとはいえ、肝心な部分――これが管理局システムの崩壊を予言していることは十中八九確かでしょう。
 その前に、出来ることをせねば」

「そのための供物かい? はやては。
 ……っと、ごめん。言い過ぎた」

「気にしていません」

カリムが気にした様子もないので、ヴェロッサは胸を撫で下ろす。

供物。別にそういうわけではないが、事情を知っている者が穿った見方をすればそう受け取ることができるだろう。

八神はやて。自分たちの妹分とも言える存在。

彼女は以前から管理局に入りたいと言っていた。カリムのように籍だけを置くのではなく、ヴェロッサのように一人の局員として働きたいと。

しかし、彼女が所属しようとしているのはヴェロッサのいる海ではない。陸の首都防衛隊第三課を希望しているのだ。

首都防衛隊第三課。防衛長官であるレジアス・ゲイズ直属の部隊群。その一つには、ヴェロッサの友人であるエスティマが所属している。

はやてがそこへ入りたいと望む気持ちは充分に分かる。微笑ましい理由だ。

ただ――その彼女を足がかりにして、ミッドチルダで聖王教会や本局勢力を動きやすくするというのに、どうしてもヴェロッサは良い気がしなかった。

しかし、カリムの言いたいことも分かる。予言された災厄がいつ起こるか分からない以上、なりふり構っている場合ではないのだから。

それに、パイプ作り。最初から利用するつもりでエスティマに近付けと言うのならば簡単にこなせただろう。だが、それよりも先に自分は彼と知り合ってしまったのだ。

友人や妹分を利用するようなやり方には、どうしても嫌悪感を抱かずにはいられない。

……こういうところが、青さなのかねぇ。

早く大人になりたいような、なりたくないような。

「カリム。そっちの予言はともかく、もう一つの方はどうなんだい?」

「こっちの方は、さっぱりですね。
 抽象的で……どうやら個人を指しているらしい、というのまでは特定できたのですが」

周囲を囲むページの一つを掴み、カリムはゆっくりと口を開く。

「王の証、もしくは印を持つ者、邂逅を果たす。
 暗幕の跡地で力果て、死者の列に加わり――ここまでね」

予言のページはまだ埋まっていない。

それが何を指し示しているのかは、分からない。

今はまだ。

本来存在しないはずの予言は、未だその輪郭をはっきりとさせていない。






[7038] カウントダウン3 前編
Name: 角煮◆904d8c10 ID:63584101
Date: 2009/03/30 21:47
光源は背後にある大窓。差し込む日光に照らされた先にあるドアに目を向けながら、レジアスはここ最近に起こった出来事を頭の中で整理していた。

一時期に比べれば平穏と言って良いだろう。今のミッドチルダは、劇的とは言えないまでも、緩やかに検挙率が上がっている。

現状に満足しているわけではないが、目に見えて状況が好転していることに対して悪い気はしない。

悩みの種とも言えたスカリエッティも最近はめっきり大人しい。もっとも、それは戦闘機人事件の失敗で最高評議会が彼を日陰へと追いやっている部分も大きいのだが。

それ以外の要因は――おそらく、これからこの部屋に訪れる少年が獅子奮迅の活躍をしているからか。

エスティマ・スクライア。まだまだ子供と言って良い年齢の執務官。

限りなく黒に近い存在である自分と手を結ぶなんて、過激な手段を使ってでもスカリエッティを捕まえようと足掻く少年。

彼の顔を思い出し、もう二年か、とレジアスは息を吐く。

エスティマがストライカーと呼ばれ始めてから。自分と共闘を始めてから。

たった一人で戦い始めて二年。補佐官を得てもそれは変わっていない。

……それも今日で終わりか。

そう考え、心のどこかにあったしこりが少しだけ和らいだ気がした。

高ランク魔導師といえど人間だ。それはゼストと付き合いがあったレジアスだからこそ知っている。過酷な任務をこなしていれば疲労は溜まるし、たった一人で何もかもこなせるわけではない。

そんな状態を二年間も続けただけで充分だろう。エスティマが自分で望んでいる境遇とはいえ、哀れみすら感じる。

最初こそ良いように使ってやろうと思っていたが、今はエスティマに軽い親近感を抱いていた。

頼れるものは自分の身一つ。何もかもが足りない状況だが、しかし、命じられたことはしっかりとこなす。

それがどれだけ困難なことかは、理解しているつもりだった。

「中将。スクライア執務官が到着したようです」

「通せ」

傍らに立つオーリスに指示を出すと、空気の抜けるような音と共にドアが開く。

スライドして開いた扉の向こうにいたのは、陸士の制服に身を包んだ金髪の少年だ。今年で十三歳。二次性徴が始まる頃か。しかし、中性的な印象は抜ける気配を感じない。

「失礼します」

声変わりが始まったせいだろう。以前と少しだけ調子の違う高さの声を、エスティマは上げる。

「良く来たな、スクライア。では、早速報告を頼む」

「はい。指示を受けた研究施設の調査は続行中です。四カ所の内三カ所は、スカリエッティ、最高評議会系列のものではありませんでした。
 残る一カ所は近い内に踏み込みます。
 海と聖王教会にそれとなく知らせたレリックの件ですが、まだ本格的な捜査は始まっていないようです。ガジェットも、ミッドチルダ以外では姿を現していないでしょう。
 ……それと、一つ、頭の隅に置いておいてもらいたいことが」

「なんだ」

「聖王教会から盗み出された聖王の遺伝子データのことです。聖王教会が今、血眼になって探している。
 確か、最高評議会は聖王のゆりかごというロストロギアを保有しているはず――ですよね?」

「いや、聞いたことがないな。彼らは俺にすべてを明かしているわけではない」

「そうですか。では、後でそのゆりかごに関するデータを送ります。オーリスさんに渡せば良いでしょうか?」

「ああ、頼む」

「はい。まぁ、データと言っても聖王教会に伝わっている伝承程度のものしかないのですが――ともかく。
 そのロストロギアの起動には聖王が必要になっています。盗み出された遺伝子データの件を放置しておけば、いずれ面倒なことになるでしょう。
 それらしい情報を掴んだら、教えてください」

「……お前にとってそれは、寄り道ではないのか?」

「いえ。遺伝子データを使って聖王のクローンをプロジェクトFで復活させようとしているんですから、大なり小なり、スカリエッティの影はちらついているはずです」

「そうか」

どこからそんな情報を仕入れてくるのだろうか、この執務官は。

エスティマは海と聖王教会の中枢に繋がるパイプを持っている。意味もなく。そこから拾ってきたのだろう、とはレジアスも思うのだが、釈然としない。

……こいつには諜報活動をやらせた方が良いのではないか?

そんな考えさえ浮かんでくる。

「俺から報告することはそれぐらいです」

「そうか。では、次は俺の番だな。……第三課の増員のことだが」

その話題を口にした瞬間、目に見えてエスティマが眉を潜め、目に見えて不機嫌になる。

しかしレジアスは構わず、先を続けた。

「聖王教会所属の魔導騎士、八神はやて。今日付で彼女は首都防衛隊第三課に配属となるわけだが――」

「魔力リミッターの決定には一週間ほど猶予をください」

「かまわん。それで――」

「部隊の動きも変えなければいけないので業務が滞ると思いますが、ご容赦を」

「分かっている。それで――」

「増員による予算の――」

「人の話を遮るな!」

「はい」

だん、と机を叩くレジアスに、エスティマは肩を竦める。あまりにも態度が悪いが、そうする彼の気持ちも分からなくはない。

八神はやて。彼女が首都防衛隊第三課に入ることによって、今までとは部隊の勝手が変わるだろう。それを彼が忌み嫌っていることは、十分に理解できた。

まず目に付くところで魔力リミッター。冗談なほどに高い魔力を保有している八神はやてが部隊に入るため、自然とエスティマも魔力リミッターを設ける必要がでてくる。

二人の魔力を平均にしてもAAAまで落ちるだろうか。それに、今までは部隊が身軽だからこそできた手段――転戦を繰り返すことができなくなるだろう。

だが、それを差し引いても自分以外の高ランク魔導師が増えることは悪くない。普通は。

それを嫌がるというのは、どういうことだろうか。

……いや、そうだな。

おそらく、自分がゼストに何も告げることができなかったようなものだろう。

世間一般では汚いと言われる仕事に関わる自分の姿を、八神はやてに見せたくないのか。

そんなところまで自分と同じだ。

「中将」

「なんだ」

「そもそも約束が違います。どういうことですか、これは。俺は一人でスカリエッティを追いたかったからこそ、あなたと手を組んだんだ。
 たった一人の実働部隊も、動きやすかったから。なのに、これは――」

「ふん。文句なら八神はやてに直接言えばいい。幼馴染みなのだろう? 
 俺だって素直に受け入れたわけではない。聖王教会から無理矢理ねじ込まれたようなものなのだ。あの忌々しい稀少技能保有の女狐が……」

女狐、と口に出し、脳裏に一人の女性が浮かび上がってくる。

カリム・グラシア。騎士の称号を持つ聖王教会の予言者。

どんな考えがあるのか知らないが、八神はやてを送り込んできたのは彼女なのだ。

高ランク魔導師が手駒に加わること自体は嬉しいが、どのような思惑の下に八神はやてを――貴重な古代ベルカ式を会得している少女を送り込んできたのか。

八神はやてを第三課に入れるのは聖王教会からの指示だが、レジアスとしてはエスティマを監視として置きたいという思惑もある。

本局と結託して地上に探りを入れようとしているのではないか――そんな被害妄想じみた考えがあるから。

「ともかく。既に決定したことだ、これは。文句を言っても何もできんぞ」

「……分かってますよ」

拗ねたような口調。そこだけは、年相応だ。

溜息を吐きたいとも苦笑したいとも言える心地になりながら、以上だ、と会話を終わらせる。

「オーリス。スクライアを出口まで送ってやれ」

「はい。行きましょう、スクライア執務官」

「はい」

オーリスはレジアスの側から離れると、エスティマと並び立って出口へと向かう。

踵を返そうとしたエスティマに向け、レジアスは深い意味もなく声を発した。

「エスティマ」

「なんですか?」

「部下の動きは把握しておけ。何かあっても、後悔することしかできんぞ」

「……どうしろってんだよ」

舌打ちと共に発せられた小声を、レジアスは聞かなかったことにした。

執務室を出て行く二人の背中を見送りながら、レジアスは腕を組んで背もたれに体重をかける。ぎし、と軋む椅子の音を聞きながら天井に視線を向けた。

……少し考えれば、八神はやてがどのようなつもりで第三課にきたのか分かるだろうに。

半透明のデータウィンドウを呼び出して、レジアスは苦笑する。

闇の書事件の被害者。もし運が悪ければ、犠牲者の一人になっていたかもしれない少女。

そうならなかったのは一重に彼女を止めた人物がいるからだ。

事件の概要を書類上でしか知らない自分には断言することができないが、それでも、思春期に差し掛かった子供がどのような心情になっているのかは理解できる。

これでも、人の子の親ではあるのだから。



















リリカル in wonder


















「エスティマさんエスティマさん、もうそろそろ新しい人が来る頃じゃないですか?」

「そーだねー」

「どんな人なんでしょう。まだ無名だけど高ランク魔導師……ああ、新しいエースの誕生を間近で見ることができるのかなぁ」

「そーだねー」

「……エスティマさん、テンション低いですよ」

「そーだねー」

頬杖をかきながら溜息一つ。

低くもなるさ、テンション。

シャーリーが口にした新しい人とは、はやてのこと。

管理局に籍を置いた彼女は、どういうことだか俺のいる首都防衛隊第三課に入ることを希望し――どうやら中将が圧力に負けて折れてしまったようだ――その要望が通ってしまった。

まぁ、陸に高ランク魔導師が入ることを拒否する理由がないんだろうけどさ、中将には。

それに管理局から聖王教会に協力を要請するのではなく、向こうからねじ込んできたのならば受け入れて借りを作る意味もあったのかもしれない。

……酷い話だ、まったく。

これが原作ならばまだ分かる。ただ、今の彼女はなるはずだった本来の彼女と似てもにつかない状態なのだ。

特別捜査官として学生を続けながら本局地上部隊で数々の事件を解決に導く存在となる――が、その可能性は俺が潰してしまった。

今の彼女は聖王教会に所属している。だから、てっきり俺は教会騎士団の一員として聖遺物の回収に勤しむと思っていたのに。

……わざわざ地上にきた理由が分からない。本当に。

友達がいるから、といった理由もなくはないだろう。しかし、それにしては大袈裟すぎる。ねじ込み方が強引なのだ。

今挙げた理由だとするならば、力技を使わなくて済みそうな海の方に行ってなのはと一緒に――とも考えられるのに。

なんで、はやては首都防衛隊第三課に入ろうと思ったんだ。

背後に何か思惑が広がっているのか、それとも難しい理由はないのか。さっぱり分からない。

「エスティマさん」

「何?」

「八神さんとは幼馴染みなんですよね?」

「四年前に知り合ったばっかりだし、幼馴染みってほど縁が深いわけじゃない」

ここから長い付き合いになるのだろうから、幼馴染みにはなるのだろうが。

四年前、と呟くと、シャーリーは顎に人差し指を当てながら首を傾げる。

「四年前。……闇の書事件の頃ですか?」

「良く知ってるね」

「はい。エスティマさんの戦績はちゃーんと把握してますから。ファンを嘗めちゃいけませんよ?」

「ファンだったのかよ。初めて聞いたぞそれ。
 ……ああ、そうだ。隠す必要もないし、少し調べれば分かるから教えておくよ。
 はやては、闇の書事件の中心となった人物なんだ。最後の被害者。
 怪我の功名というか、その時に遺産として譲り受けた稀少技能を保持している高ランク魔導師。
 彼女とは事件が始まる少し前から知り合ってて、色々と世話になってたんだ」

「はー……数奇な運命ですねぇ。知り合った人が闇の書に関わりがあったなんて」

「そうだね」

自分から関わったわけだが、そこら辺は説明する必要もないだろう。

「人懐っこい子だから、すぐに仲良くなれるんじゃないかな。
 シャーリーも人見知りしない方だし」

「そんなことはないですよ。人並みに人見知りはしますってば」

「初対面でいきなりニックネームで呼ぶことを要求してきた奴が何を言うか」

「別に良いじゃないですか!」

思い出して恥ずかしくなったのか、シャーリーは頬を上気させながら頭を抱えた。

その様子に笑いを噛み殺す。年相応の反応がどうにも微笑ましい。デバイスを弄っている時の彼女とギャップがあるからだろうか。

……いや、あれもあれで年相応かな。

「それはともかく」

「はい」

「急かすようで悪いけど、カスタムライトの完成を急いで。一週間の猶予をもらったからそれまではSeven Starsを使えるけど、それ以降はね」

「あー……分かりました。
 エスティマさん、常々思うんですけど、Seven Stars系列の子は陸と相性悪いですよ。
 魔力リミッターが設けられたら使えないようなものじゃないですか」

「そうだね。けど、仕方ないさ」

Seven Starsの起動には高い魔力資質が必要となる。

リミッターをかけられてAAAまで魔力ランクが落ちてもSeven Starsで戦うことは可能だが、しかし、それより下になった場合、もうSeven Starsは使えない。

フレームが物理的にガジェットを粉砕できる強度に至らないのだ。

はやてと俺でAAAまでランクを落とせば良いが、それだと不安が残る。彼女の最大の長所はその莫大な魔力を元に放たれる広域殲滅魔法なのだ。

だからこそ、はやてをS、俺をAAとするのが理想だろう。

……部隊の規模を大きくするか? いや、中隊まで大きくした場合、今の人員にはやてを追加しただけでは怪しすぎる。今でさえかなり胡散臭いのに。

ああクソ。魔力ランクの低さを無視して魔導師ランクを重視した前第三課の人選が正しかったのだと今更になって実感する。

高ランク魔導師二人。戦力的には陸の中隊規模の作戦が可能だとしても、人が少なすぎてもう誤魔化しが利かない。もし本局から査察が入ったら一発でバレる。今の状態でも危ういのに。

「厄介な任務をこの一週間で片付けて、その後は慣らしといこうか」

「普通は逆ですけどねー」

「言うなよ。で、シャーリー。カスタムライトは一週間でできそう?」

「試作三号機が実用段階にはなってます。それをチューンしようと思っているのですが、良いですか?」

「……予算が底を着く予感がする。駄目なら最悪、汎用デバイスを使うことになるかなぁ」

「出力に耐えられなくて壊れるからお金の無駄ですよ」

「だな。……OSをミッド式に書き換えて、頑丈なアームドでも使うか」

「うわ、外道改造する気ですか。デバイスが泣くから駄目ですよ、そういうの!」

「はいはい」

などとやっていると、だ。

控え目なノックが部屋に響き、俺とシャーリーは会話を止めた。

そして同時に制服の乱れを直すと立ち上がり、はい、と返事をする。

一拍置いて扉が開き姿を現したのは、はやて――と、他二名。

リインフォースⅡと狼形態のザフィーラだ。

……はやてが来るとは聞いていたけど、リインとザフィーラまで一緒とは。

流石にヴィータは引っ張って来れなかったのか。

それにしても……いや、少し考えれば分かることだったのだろうけど……最近、あまり彼女と話してなかったからな。

扉を閉めると、はやてとリインはその場で敬礼を。ザフィーラはその場に座り込む。

そして、

「はじめまして。八神はやて三等陸尉、リインフォースⅡ陸曹、捜査犬ザフィーラ号、本日より首都防衛隊第三課に配属となりました。よろしくお願いいたします」

……捜査犬?

いや、そういう存在がいるのは知っているけど……捜査犬。

ザフィーラ……っ。

原作の機動六課のようにこれも一つの裏技なのか。それにしたって酷すぎるだろう。

目頭を押さえたい気分になっていると、シャーリーが破顔してはやてへと歩み寄った。

朗らかな笑みを浮かべ、手を差し出す。一瞬だけはやては戸惑ったようだが、すぐに彼女の手を取ると笑みを浮かべた。

「はじめまして。第三課の通信士、デバイスデザイナーを担当しているシャリオ・フィニーノです。シャーリーと気安く呼んでください」

「あ、はい。よろしくお願いします、シャーリーさん」

「呼び捨てで良いですよー」

「あ、あはは……」

……どこが人並みに人見知りをする、だ。

「リインフォースさんも、ザフィーラ号も、よろしくね?」

「はいです!」

「……わん」

それぞれ挨拶をしていると、不意にシャーリーがこちらへと視線を向けてきた。

急かすような目つき。次は俺、ってことなんだろうけれど。

「……よろしく、はやて。堅苦しいのはなくて良いから」

「うん。あ、あんな、エスティマく――」

「それじゃあミーティングを始めようと思う。リインのデスクははやての隣に用意しておいたから」

「ありがとですよー!」

「ザフィーラは……」

視線をザフィーラに向ける。

ハチ公よろしく行儀良く座り込んだザフィーラ。彼はじっと俺に視線を向けながら、ゆっくり尻尾を振っていた。

「……床で」

ピタリ、と尻尾が止まって項垂れる。

しょうがないだろ!?



























ミーティングが始まり、この部隊の概要が説明される。

最近になって声変わりが始まったエスティマの声を聞き、しっかりと彼の話を頭に入れながら、はやてはマルチタスクを使って考え事をしていた。

さっきの、まるで話しかけられるのを嫌がるような反応。

やっぱり怒ってるんかな、と考えて、彼女は肩を落とした。

たった二人の実働部隊。あまり良くない周りの反応。そんな状態だからこそ力になってあげたいと思ったけれど、迷惑だったのだろうか。

開発部にいたころは良かったが、最近になってまた、エスティマの顔には疲労の色が滲むようになった。

帰宅する時間も遅くなったし、稀に泊まり込みで仕事をすることもある。

ストライカーと呼ばれて期待とやっかみを一身に集める存在。そんな彼の状態に、いい顔をしない人は多い。

例えばそれはシグナムであったり、シスター・シャッハであったり、ヴィータであったり。

ヴェロッサなんかはやりたいようにやらせろと言っているが、一度倒れた彼の姿を見ている者としては、今の状況を放っておきたくはない。

ふと、二週間ほど前の喧嘩を思い出す。

いや、喧嘩といえるような代物ではなかったのかもしれない。

上級キャリア試験を通り、これでエスティマと共に局員として働くことができると――そう思って彼に三課への配属を願ったのだが、その時は適当にあしらわられてしまった。

なんでそんなことを言うのか、と一人で熱くなった自分とは正反対に、エスティマの態度は一貫していた。

最初は、一人でも大丈夫。最後の方は、はやてに三課は似合わない、と。エスティマは何を言っても自分を三課に入れようとはしなかった。

結局は頭に血が上って、こうやって押し掛けるように三課に配属されたが――やはり迷惑だったのか。

……別に良い。迷惑がられたって。

胸中でそう呟き、開き直る。

そもそも、たった一人で局員として活動を続けているエスティマの方が意味が分からないのだ。

そんなことをする必要なんてない。事件を解決するならば、一人よりも多くの人で捜査を行った方が良い。

はやてからすれば、一人で部隊を動かしているエスティマの在り方は意固地になっているように見えた。

……なんでそんな風になっているのか、教えてくれればええんやけど。

しかし、エスティマは一人で戦い続けている理由を一切教えてくれない。

重要な部分で他人を頼らず、一人で何もかもをこなそうとする悪癖は悪化の一途を辿っている。

本人はそれで良いのかもしれないが、自分を含めた友人たちからすれば無視できる状態ではないのだから。

「――以上です。じゃあシャーリー、はやてたちに隊舎の案内を……」

「あ、あの、エスティマくん! 二人っきりで話したいことがあるんやけど」

言葉を遮られ、ぴくり、とエスティマは眉を動かした。

はやてはたじろぎそうになるも、しっかりと彼を見据える。

その光景をどう受け取ったのか、

「あ、じゃあリイン陸曹とザフィーラ号、案内するから着いてきてー」

「はいです!」

「……わん」

「ちょ、シャーリー!」

調子の変わらないリインフォースとずっと気落ちした様子のザフィーラは、大人しくシャーリーの後について行く。

三人が部屋から出て行くと、エスティマは額に手を当てて溜息を吐いた。

「それで、はやて。話って?」

「うん。……エスティマくん、まだ怒っとる?」

「最初から怒ってなんかない」

「嘘や。だってここ最近、ずっと変な顔しとるし」

考え事をしているような、無愛想とも無表情とも言える顔。

元々エスティマの考えていることなど分からないが、そういった状態の彼は余計に何を考えているのか分からない。

だからこそ、言いたいことがあるならば言って欲しいのだが。

「エスティマくんは私を三課に入れたくなかった……けど、それはなんで? 危ない任務があるとかは、分かってるよ。
 けど、そんなのは三課だけやない。他の部隊だって一緒。海でも、教会騎士団でも。
 ねぇ……私はお邪魔なん?」

「……別にそういうわけじゃないさ。それに、今更だ。もう君は三課に入ったんだから、そんなことを説明する必要もないだろう。仕事をこなすだけだ」

「あるよ。エスティマくん、私が管理局に入る前に聞いても教えてくれなかった。
 そうまでして私を遠ざける理由は何?」

「遠ざける……か。そうか。そうだね」

そう言い、何かに納得した様子でエスティマは頷く。

そして一分近く黙り込むと、ようやく彼は口を開いた。

「どうしても知りたい?」

「うん」

「そう。でも、教えてあげない」

「なんで!?」

「遠ざけたいから」

短く、しかし、はっきりと告げられた言葉にはやては絶句した。

……遠ざけたい? そんなに自分は邪魔なのか?

じわり、と涙が滲みそうになるのを耐えて、はやては口を引き結ぶ。

そうしていると、

「……あのさ」

言い辛そうにエスティマは声を向けてきた。

「俺が戦っている理由そのものなんだよ、今の三課は。戦闘要員が俺だけなのも」

「……どういうこと?」

「詳しくは言えない。言いたくない。けど、たった一人で戦うことに、意味はあったんだ。
 だから、はやてを三課に入れたくなかった。
 ……大事なものは遠くに置く主義なんだ、俺」

そんな風にようやく聞けた、大部分を隠された理由。

けど、それが自分に言える精一杯なのだろう。エスティマもそれ以上を言うつもりがないようだ。

はやてにはあまり理解が出来ないが。

大切なものを遠くに置く。そうだろうか。大事なものは手元に置いて守りたいと思うものじゃないのかと……。

違う。そうじゃない。

混乱する頭を振ってなんとか落ち着こうとするも、上手くできない。

「悪い。大人げなかったね、最近。
 これからよろしく、はやて」

「あ……うん」

……なんだか誤魔化されたような気がする。

そう思いながらも、はやてはゆっくりと頷いた。

隠し事をされているのは嬉しくないけれど……。

「ねぇ、エスティマくん」

「ん?」

「大事なものは遠くに置く……私、大事?」

「あ、当たり前だろ」

「そか」

照れ臭そうにそっぽを向く彼に、思わず笑いを噛み殺す。

今はこれだけで満足するべきか。

……誤魔化されてるなぁ。




























業務を終わらせて、はやてと一緒に帰宅。

登下校ってわけじゃないのに、肉体年齢がアレなせいかそんな風に感じてしまう。

しっかし……大切なものは遠くに置く、ね。

遠ざけるって聞いて初めて気付いた気がする。

ん……前は大切なものを手元に置く主義だった気がするが、変わってしまったのかもしれない。

きっとそれは、人に言えないことが多くなったせいってのもあるだろう。

俺の周りには、やたらと人のお節介を焼くお人好しがたくさんいる。

なのは然り、はやて然り。ユーノやクロノも。フェイトだって、きっと妹という立場じゃなかったらそうだっただろう。

そんな気の良い連中に囲まれているからこそ、何も言えない。

口にすれば最後。自分の身にどんな面倒が降りかかるのか分かっていながらも首を突っ込んできそうだ。

ユーノだって、何も言わないのが俺にとって一番だと思っているからこそ三課のことに触れてこないのだろうし。

……だからこそ、俺は一人でスカリエッティとの決着をつけたかった。

大事になればなるほど巻き込まれる人も多くなる。そんなことはもう、腹一杯なんだ。

けれど……もうそれも限界かな。

はやてが三課に入ったのは、良い悪いは別にして、転機となるだろう。

人員の増えた三課で今までと同じように戦うか。それとも、他人を巻き込んで戦うか。

……どうしたものかねぇ。

などと考えていると、リビングにシグナムが顔を出した。

彼女は騒がしくないていどに急ぎ足で俺の元へくると、俺の座っているソファーの隣に腰を下ろす。

「父上」

「なんだ」

「今度、連休があります」

「そうだな」

「……どこにも行かないのですか?」

と、何かを期待するような視線が。

いつもならば、買い物にでも行くか、という話になるのだが……。

「そうだな……キャンプにでも行くか」

「そうですか。買い物に……って、え!?」

信じられない、といった様子で俺を見るシグナム。

ちなみにキッチンにいるはやても目を見開いて凍り付いている。

……なんだよその反応。

「ち、父上がどこかにつれていってくれる……? これは何かの夢でしょうか」

「シグナム、これは夢やない」

「あ、あれ……?」

そんなに俺は休日を無為に過ごして……。

……いや、そうだった。出かけはするけど遠出は滅多にしませんでしたね、はい。

いや、だって疲れが残るようなことを休日にしたくなかったんだもの。

「父上、キャンプにいくのですね!?」

「うん」

「どこへ行くのですか? 海ですか、山ですか? ミッドチルダですか、別世界ですか?」

「あー、ええと……」

目を輝かせて身を乗り出すシグナムに押されながら、頭の中でスケジュールを組み立てる。

「……第六管理世界の、アルザス。そこに行くつもり」

そう。

もうそろそろ、良い頃だろう。






















暗い、暗い部屋。

多くの本棚に囲まれ、遮光カーテンによって窓を覆われた部屋。

その中を、光源となるいくつもの紙片が舞っている。

イエローの光を纏った紙片。そこに書かれている古代ベルカ語を頭の中に入れながら、カリム・グラシアはマルチタスクを使用して文字の羅列――予言の内容を見極めようとしていた。

彼女の稀少技能、予言者の著書。それに記される事柄に、ここ最近、一つの新たな項目が増えたのだ。

内容は目を通す度に変貌する。まだ確定していない、いくらでも変化を起こす未来のことなのだろう。

ただ、その内の一つ。四行からなる予言の二行目、三行目が、一定の方向性を持ち、四行目が明かされようとしている。

それを見極めようと目を細め、彼女は側に立つ緑髪の少年に声をかけた。

「ヴェロッサ」

「なんだい」

「はやての様子はどうですか?」

「ああ、エスティマと喧嘩していたようだが、上手く仲直りできたみたいだ。
 部隊にも馴染んでいるみたいだし。悪くないんじゃないかな」

「そうですか」

声だけは興味がなさそうに。しかし、口元には安堵したかのような笑みを浮かべながら、カリムは宙を舞う紙片の一つを手に取る。

完全な翻訳の難しい古代ベルカ語。それをなんとか飲み込もうと頭を回転させるが、はっきりとした文字列に直すことは容易ではない。

「ねぇ、カリム」

「なんですか?」

「もうそろそろ、はやてにもこの予言を教えた方が良いんじゃないのかい?」

「そうですね。頃合いかもしれません」

いつ起こるとも分からない災厄。それに対する備えは、早いに越したことはない。

例えそれが杞憂だったとしても、だ。

『―
 王の証、もしくは印を持つ者、邂逅を果たす。
 暗幕の跡地で力果て、死者の列に加わり。
 親しき者との別離が、緩やかな終焉の始まりとなる』

この上なく不吉な内容だ。

おそらくは個人の出来事を記している内容。

まずはこの、予言の中心人物となる者を探すべきか。いや、それは砂漠の中から宝石を探し出すようなものだ。

だとしたら、やはり、この個人によって引き起こる悲劇に備えることしかできないだろう。

……後手にしか回れませんね。

それを悔しく思いながら、カリムは目を細めた。





[7038] カウントダウン3 後編
Name: 角煮◆904d8c10 ID:63584101
Date: 2009/03/30 21:49
どこまでも突き抜けるような青空。文明による大気汚染は皆無に等しく、鮮やかな青色が眩しい。

人の手が入っていないお陰なのだろう。大地を被う木々も鬱蒼と生い茂っており、どれも背が高い。

第六管理世界。そこの辺境とも言える地域のアルザス。そこを縦断するあぜ道から外れたところで、幼い一団が騒いでいた。

もっともそれは見た目だけであり、守護騎士二名のせいで平均年齢はおそろしく高いのだが。

「おーし、それじゃあ野営の準備すっぞー!」

「はい!」

「ああ」

「了解や」

とてもキャンプを楽しみにきたという服装ではない、普段着のヴィータ。狼形態のザフィーラは慣れた様子でタープの部品を、次元転送で呼び出した荷物の山から引きずり出す。

それを感心した様子で見ているのはシグナムとはやて。ちなみにリインフォースは、寄ってくる虫と格闘中だ。

「はー……やはり一流の騎士ともなれば、キャンプの準備だってぞうさもないのでしょうか」

「や、私より前の夜天の主と放浪している最中に身に付けたらしい」

「そうなのですか。経験がものをいうのですね」

小さく頷くと、シグナムは腕まくりをしてヴィータの元へと駆け寄った。この日のために買ってもらったトレッキングシューズが、小さな足跡を地面につける。

ポールを組み立てている段階だから、邪魔にはならないか。

騎士たちの姿を眺めながら、はやては深々と空気を吸い込んだ。しかし、あまりにも緑の匂いが濃すぎてむせてしまう。

ベルカ自治領もかなり自然が多い方だが、ここと比べることはできないか。まったく人の手が入っていない地域なのだから。

「はやてちゃん、はやてちゃん! 虫除けのために結界を張って! 張ってください!」

「り、リイン、どうしたん?」

「蚊が凄い勢いで寄ってくるですよ! なんとかしてくださいー!」

本気で頭を抱えるリインの様子に、はやては苦笑してしまう。

文字通り虫除けスプレーを浴びたのに、その効果がないのか。

「害虫害獣除けの結界なー。……ちょお待って」

断りを入れて、はやては蒐集された魔法の中から適当な術式を一つ選び、発動する。

白い古代ベルカ式が足元に。眼前にミッドチルダ式の魔法陣が展開すると、結界が完成する。

マルチタスクをいくつか割けば維持し続けても大した負荷ではないだろう。

周りをぐるぐると回っていた虫が不自然な離れ方をすると、ようやくリインフォースは安堵する。

そしてはやての肩に突っ伏すと、溜息を吐いた。

「あうー、大自然はリインの敵ですよー。森の中を行けば虫に食われ、空を行けば大型猛禽類の餌食。生存競争が厳しすぎです」

「あはは。けど、これで虫は大丈夫やから安心し」

「ありがとですよ、はやてちゃん。……けど、安心しては駄目です。この世界には竜がいるのです。大型猛禽類なんて目じゃないです」

「せやね。まー、ヴィータやザフィーラがいるし大丈夫やろ」

「そうなんでしょうか。リインはまだ実物の竜を見たことがないからなんとも言えないですよ」

自分より大きいものがよっぽど怖いのか。へたれたリインの頭を指先で撫でながら、はやては苦笑する。

「エスティマくんが言うには、人を襲うような竜は隔離されて管理下に置かれてるらしいし、心配するようなことはないと思う」

まだ彼が海で働いていたときに、この世界へ来たことがあると言う。その時の経験からなのだろうが、四年も経っているらしいし絶対とは言い切れないか――

……うん。皆強いし、怖がってもしゃーない。今はキャンプを楽しまんと。

「はやてー、タープ張ったよー!」

「あ、うん。今行く」

リインフォースを肩にぶら下げたまま、はやてはヴィータに呼ばれて調理場の設営を行う。

……外で料理を作るのは初めてやけど。

今日も美味しいご飯を作ろう。小さな握り拳を作って、彼女は騎士たちの元に急いだ。




















リリカル in wonder



















「あー、腹が立つ。俺を人攫いか何かと勘違いしているんじゃないのか?」

「まぁ、そう怒らずに。あの人たちの言いたいことも分かるでしょう」

「そりゃまあ、そうだけどさ」

だからって言い方ってもんがあるだろ、と溢す俺に、エクスは苦笑する。

アルザスへ到着すると、俺ははやてたちと別行動を取ることになった。

野営の許可されている地域からル・ルシエの集落がある場所まで少しばかり距離があるためなのだが……見事に無駄骨だったわけで。

そもそもこの世界にきた理由はキャンプではなく、近い内に集落から追放されるキャロの保護。もとい、スカウト。

だったのだが事情を聞いたところ、困っていることは何一つ無いから帰れ、と一蹴された。

……あー、失敗しました、なんて言ったら睨まれるんだろうな。

高ランク魔導師になれそうな子を保護しに行くので休暇をください、と中将にお願いしたら渋い顔をしながらも許可をくれたからこそこうやって遊びに来られたのだ。

世間一般では祝日でも俺にとっては平日。仕事は普通にあったのです。

「それにしてもエスティマさん、少し高望みしすぎだったのではありませんか?
 あのキャロという女の子は、この土地の守護竜に選ばれた巫女らしいですし……引き抜こうとしても、そう簡単には」

「うん、そうなんだよね。……っかしいなぁ」

そう。

変な話だが、現時点でのキャロはル・ルシエの中で祭り上げられているような状態だった。

この歳で守護竜に――と。いわゆる神童扱いだ。

……何か覚え間違いでもあっただろうか。彼女はヴォルテールに気に入られたから追放されたのだと思っていたが、違うのか?

過ぎた力があったからこそ……だよなぁ。あ、まだフリードが生まれてないからか? ちらっと見えたキャロは、カンガルーみたいに大きな鞄を抱えて卵を持ち歩いていたし。

それとも、原作で描かれなかった何かがあるのか。

分からないなぁ。

「そんな困った顔をしないでください。主が見たら、きっと心配します」

「ん、そうだね。……変な顔、してた?」

「ええ。眉間に皺を寄せて」

くすくすと口元を隠して笑うエクス。思わず眉間を人差し指で擦ってしまう。

「ああ、それにしても外は良いですね。緑の匂いも、最近はご無沙汰でしたから」

「ん……ずっと屋内で研究だっけ?」

「そうなんですよ。古代ベルカ語の翻訳などが聖王教会には溜まりに溜まっていて。仕方がないのは分かっているのですが。
 ……今日は仕事の話はなしです、エスティマさん。私は今、自由なんです。
 ああ、今日の晩ご飯はなんでしょうか……久し振りの、電子レンジで暖めてないご飯。
 その後の露天風呂も楽しみだなぁ」

『旦那様』

「なんだ」

『リインフォースEXはどうしてしまったのでしょうか』

「疲れてるんだよ」

『納得しました。状態が休日の旦那様と酷似しています』

「……それはないだろ」

言われ、休日の過ごし方を思い出す。

朝の九時に起床。

ちなみに一度、六時にシグナムが起こしにくるもスルー。なんで子供は日曜日に早起きするんだろう。いや、俺も身に覚えがあるけどさ。

ニュースを見ながら朝食。シグナムと軽い番組争奪戦が勃発する。

昼までだらだら。

昼食を食べ、三時頃までだらだらとデバイスを弄る。

外へ行きたがるシグナムに押されて買い物へ。たまにエクスを除く八神家が一緒に来る。最近、来るようになった。

帰宅して七時。ご飯を食べる。風呂に入る。色々な、そう、色々な物事の処理。寝る。

……いや、疲れてるんですよ?

というかこれ、日曜日の親父の姿じゃねぇか……。

「何これ……子供の、それも思春期のそれじゃねえだろ」

「お互い大変ですねぇ」

エクスと一緒に遠い目をする。

そうこうしている内に、キャンプを張っている場所へとたどり着いた。

もうタープもテントも張り終わり、今は夕食の準備をしているのか。少し離れたところで、リインが作ったのであろう氷をシグナムが溶かして水にしていたりする。

が、俺の姿を発見したシグナムは自分の仕事を放り投げると、こっちへ駆け寄ってきた。

「父上!」

「ん、どうした」

「釣り、釣りがしたいです!」

「ここら辺、たしか狩猟が禁止されていたような気がするから止めておきなさい」

「……そんな、ばかな」

ガガーンとショックを受けた風のシグナム。

しかし諦めの悪い我が娘は、拳を握って何かを訴えるように顔を上げた。

「じゃ、じゃあ、竜を狩っていわゆる漫画肉を食べるのは……」

「アウト」

「そんなっ……!?」

更に追い打ちを受け、その場に膝を着きそうなシグナム。

よしよし、と頭を撫でていると、不意に野菜の皮を剥いているはやてと目があった。

彼女はにっこりと笑みを浮かべると、再び作業に戻ってしまう。

んー、材料からして、今日はカレー? バーベキューかと思っていたけれど。いや、カレー+αなのかもしれない。

「……父上」

「どうした?」

「何をすれば良いのですか、ここで」

「んー、野鳥観察とか楽しいぞー。あと虫」

「虫はきらいです」

おや。

んー、何かすることってあるかなぁ。

良いと思うんだけどね、野鳥観察とか。癒されて。鳥だけじゃなくて動物もいけます。

しかし、このお子様は動かないのを好まないだろうし。

「……じゃあ、暗くなる前にバドミントンでもするか」

「……え? いいのですか?」

「良いとも。……普通にやっちゃつまらないし、デバイス使ってやるかー」

「デバイスをつかうのですか」

「ああ。スリッパ卓球というものが存在するように、デバイスバドミントンだってあっても良いでしょう」

『Nein』

『そのようなことに使わないで下さい』

「お前ら、アイゼンだってゲートボールに使われてるんだから気にするなって」

『私はハルバードです。ラケットではありません。レジャー用品と同列に扱わないでください。どんな恥辱ですかこれは』

『Ich denke so auch』

「いいではないか、レヴァンテイン。父上、今、羽をもってきますから!」

「転ぶなよー」

卸ろしたての上に歩きづらい靴を履いているから、シグナムの走る姿はどこか危なっかしい。

それでもはしゃぐ彼女の後ろ姿に苦笑しながら、俺は皆に念話を送った。

『手伝いできなくてごめん。シグナムと遊んでるよ』

『気にせんでええよ。ご飯ができたら呼ぶね』

『いつも遊んでやれない分、しっかり付き合ってやれよ』

『気兼ねなく遊ぶと良い』

『リインも、リインも遊びたいですよー!』

反応は様々。

気の良い奴らだ、と思いながら、俺はシグナムとデバイスバドミントンで遊ぶことに。

……ちなみにエクスだが。

彼女は椅子に座ってぼーっとしながらお茶を啜っていた。ずっと。





























「やっぱり良いなぁ、露天風呂」

「屋外で風呂に入るというのには、違和感があったが――成る程、悪くない」

湯気の立ち上るお湯を手で掬い、顔を洗う。シグナムと遊んで少しだけ汗が出たな。

ちなみに今入っているのは、即席露天風呂。

穴掘って地面にフィールドバリアを展開し、リインフォースに作ってもらった氷を炎熱で溶かしてお湯を沸かした代物である。

魔法様々。

少しだけ温くなってきたので、魔力を炎熱変換して温度を上げる。

戦闘に使えるレベルじゃないけれど、お湯を沸かすぐらいなら俺だって出来るのだ。

氷の塊からお湯にするのは骨が折れるのでシグナムにやってもらったが。

湯船――もとい、フィールドバリアの縁に肘を置いて息を吐く。空を見上げれば満天の星空。本当、悪くない。

虫除けの結界が張ってあるからだろう。少し離れたところから聞こえる虫の鳴き声が、清々しさを助長する。

これはなかなか悪くない。

ちなみにこちらは男湯。離れたところに作られた女湯からは楽しそうな話し声が聞こえてくる。

無論、覗きとかはしません。今のあそこは、次元一おっかない女湯です。

「ザフィーラ」

「なんだ?」

「ほーら電気風呂」

「む……これはなかなか。
 ……よせ、止めろ! それ以上出力を上げるな!」

いつもむっつりとしているザフィーラの慌てる姿が面白くて、あっはっはと笑い声を上げる。

「まったく、何をいきなり子供じみたことをするんだお前は」

「お子様ですよ俺は。いやー、しかし悪かったねザフィーラ。無理に着いてきてもらって。
 女所帯だとどうにも肩身が狭くて」

「気にするな。俺も楽しませてもらっている。そもそも、お前のところの家族旅行に割り込んだようなものなのだ。
 すまないな」

「良いって。はやてがいなかったら食事とかどうなっていたのか分からないしね。
 仲の良いご近所さんと一緒に旅行ってのもアリでしょうよ」

「仲の良いご近所さん、か。……なぁエスティマ」

「何?」

「お前ももういい歳だ。好きな女の一人ぐらいはできたか?」

「……え、ザフィーラ、熱でもあるの?
 っていうか俺、まだ十三歳なんですけど。いい歳とか言わないでよ」

「失礼な奴だなお前は。俺でもこういった話はするぞ」

温い、と言われたのでお湯の温度を上げる。

少しずつ暖かくなる風呂に二人同時に溜息を吐くと、話の続きを。

「いやな。古代ベルカでも今のミッドチルダでも、社会に出る年齢が早いのは変わらない。
 そうして多くの人と触れ合っている内に、好きな女でもできたのではないかとな。
 ましてや、お前の場合は一つの部隊を任されている立場だ。魔導師ランクも高い。
 言い寄ってくる者だって少なくないだろう?」

「まー、いるにはいるけど、忙しいから相手にしてないよ。邪険にもしてないけど。
 それに、好きな人って言ってもねぇ……」

言いつつ、首元に下がったリングペンダントを掌に乗せる。

……好きな人。どうなんだろうな。

かけがえのない人はたくさんいる。約束を交わした人もいる。

けれど、その中に特別な人は――

「……分からない、かな。いや、魅力的な人はいっぱいいるんだけどね」

そう嘯く。

もともと視野が狭くなる傾向のある俺のことだ。一人の女の人に惚れ込んだら、きっと何もできなくなるだろう。

だから、今は誰か一人を大事にしようとは思わない。

そんな俺の内心に気付かず、ザフィーラは先を続ける。

「ほう。魅力的な、か。例えば誰だ?」

「シスターとか、カリムさんとか、エクスとか。あと……オーリスさんとか」

オーリスさんの名前を出した瞬間、中将の顔が脳裏にちらついた。それだけでアウトです。

「ベルカ系の女が好みか」

「いや、どうだろ」

「ならば、年上が趣味なのか?」

「……そうなるのかな?」

その時、なぜか女湯の方で悲鳴じみた声が上がったけれど、何を叫んだのかは聞き取れなかった。

いやだって、この身体の同い年っていうと……ねぇ。

会話を続行。

「そういうザフィーラはどうなんだよぅ」

「俺か?……俺は、主を守ることに手一杯でそういうのはな」

「うっそだー。お前だって男なんだからいるだろ?」

「む……いや、な」

そこまで言って、ザフィーラは口の端を持ち上げると、目を瞑る。

表情は何かを懐かしんでいるようだった。

そしてたっぷり十秒ほど黙った後だ。

「馬鹿な奴と笑われるかもしれんが」

「うん」

「生涯愛すると誓った女がいる。だから、その手のことはここ最近、考えたこともない」

「へー、誰誰?」

「歴代の夜天の主、その中の一人だ。もっとも、記憶も掠れて声も、顔すら思い出せんがな」

「……ごめん」

「気にするな。話を振ったのは俺の方だ」

……踏み込んじゃまずい話でした、はい。

なんとも居心地が悪くなり、視線を意味もなく夜空に投げる。

生涯愛する。……そういうのは、格好いいと思う。ザフィーラが言うように馬鹿な奴と笑う人だっているだろうけれど。

実現不可能で信じられないと思えることだからこそ、尊いものがあるように。

……ただ、俺にはまだ無理かな、そういうの。

色々な要素が絡んでいるけれど、結局は自分のことだけで手一杯なんだ。

誰かを好きになるのも、きっと障害となるものを片付けてからになるだろう。

「ただまぁ、お前はそれで良いのかもしれん」

「え?」

「好きな女がいない、という話だ。
 もしできたら、自堕落っぷりに拍車がかかりかねん」

「なんだと」

「間違ったことは言ってないと思うぞ?」

「なんだと」



























風呂上がりに皆でかき氷を食べた後、雑談して就寝。

……の予定だったのだが、寝付くことができなかったため、俺は男組テントから這い出て睡魔が押し寄せてくるまで暇を潰すことにした。

最小にしてあったランタンの灯りを明るくすると、ステンレス製のマグカップにコーヒーを入れる。

湯気の上がるカップを片手に椅子に座ると、起動したトイボックスをテーブルに置いた。

ついでに、少しだけ肌寒かったので普段着型バリアジャケットの装備を。

この世界だと今は夏らしいが、やはり夜ともなれば冷える。早朝のことを考えて、少しだけ身震いした。

いや、大丈夫。男組テントにはザッフィーがいるのだ。一緒に寝ればぬくいはず。

向こうからしたら男に抱き付かれてたまったもんじゃないだろうが。

コーヒーをちびちびと飲みつつ、片手でキーボードを打つ。留守の最中に何かなかったかメールを確認してみるが、これといったものはない。

あるとするならば、他の部隊が担当した研究施設への踏み込みで妙なことがあったことぐらいか。

最高評議会傘下の研究施設に踏み込むも、もぬけの空……そんなことが数回連続で、か。

俺が駆けずり回っていることをいい加減、鬱陶しく思い始めたのだろうか。やっぱり中将も信用されていないのかもな。

その内、警戒の意味も込めて罠でも張られるかもしれないが……さて。

こっちとしてはそれも好都合。

最高評議会の手札がどんなものか熟知しているわけではないが、ナンバーズがそこに入っていることだけは確実だろう。

……罠だろうとなんだろうと、かまわない。それで捕らえることができるのならば。

そこまで考え、しかし、不意に三課の――はやてたちの顔が脳裏に浮かんできた。

俺は良い。何をやられたって負けてやらない。どれだけ傷付こうと最終的に勝てば良い。

約束を――そう、Larkやフィアットさんと交わした約束さえ守ることができるのならば。

だが、彼女たちを巻き込むことは……いや、今更だ。

来てしまったならしょうがない。今の三課の状態でスカリエッティを追うしかない。

……なら、危険を冒すことは避けるべきだろうな。

大切なものを取り戻す対価として同等のものを差し出すだなんて馬鹿げている。何かを払うとしたら、それは自分自身の血肉だけで充分だ。

……そのはず、なんだけどな。

少しだけ温くなったコーヒーを一気に呷ると、背もたれに体重をかけて夜空に視線を向ける。

ミッドチルダと違い、この世界はやたらとデカイ衛星が飛んでいるわけでもないようだ。

不自然に瞬いている星は、きっと人工衛星か何かか。こうやって眺める夜空だけは、どの世界もそう大差ないかもしれない。

や、ミッドチルダの夜空は良く分からないことになっているけれど。

「……お」

ぼんやりと空を眺めていると、ふと、見知った星座を見つけた気がして声が出た。

しかし、良く見てみれば別物。一つだけ足りないのだ。

『旦那様。どうかなされましたか?』

「ああ。北斗七星があったと思って驚いたんだけど、そんなことはなかったよ」

『北斗七星……私の名前の元になったものですか?』

「ちが……うんそうだよ」

煙草ですよ元ネタ、とは言えない。カスタムライトも。

『旦那様。北斗七星とはどんなものなのでしょう。以前、星の配置だけは教えてもらいましたが、あまりピンときませんでした』

「だろうね。んー……北斗七星、どんなだったかなぁ」

星座云々のことは小学校以降触れてないからなぁ。

星座にまつわる伝承とかも、中二病の時に調べたっきりだから大分忘れているし。

『何かないのですか?』

「んー……あー、あったあった。死兆星ってものがあってだな」

『はい』

「北斗七星の隣にある星で、それが見えなくなると死ぬっていうね」

『北斗七星は関係ないではありませんか。ちゃんと思い出してください』

「ん? 珍しくムキになってるな。どうしたんだ」

『別に。ただ、興味があっただけですから』

それっきりSeven Starsは黙り込んでしまった。夕飯前にラケット扱いしたし、それもあって拗ねてしまったのかもしれない。

人差し指でデバイスコアをつついてみるも反応はない。

拗ねる……ね。こいつもこいつで、人間臭くなったんだか違うんだか。

「……半ばこじつけだけなんだけどさ。
 北斗七星は、ひしゃくの先端を真っ直ぐ伸ばすと北極星を捕まえることができるんだ。夜空の中で動くことのない天の北極。
 それと同じように、暗闇の中で俺の手に入れたい何かを掬い上げるのがお前の役目だ、Seven Stars」

返答はない。

ただ、黒い宝玉は頷いたように小さく光を放っただけだ。

そんな様子に苦笑して、コーヒーのおかわりでも入れようかと腰を上げる。

その時だ。

視界の隅で動く影を見つけ、首を傾げる。

パジャマの上から上着を羽織ったちぐはぐな姿。そんなことする必要もないだろうに、腰を屈めて何かから隠れるように脚を進めている。

彼女――はやては男組のテントまで行くと、そっとファスナーに手を掛けた。

中にはザフィーラしかいないわけだが。何か用事でもあるのだろうか。

「はやてー」

「え!? な、何!?」

その場で飛び上がりそうな勢いで驚く彼女。周囲を忙しなく見て俺の姿を見つけると、完全に硬直する。

なんぞ。

「何やってんの?」

「え、えーと……何をやっているでしょう?」

何故に疑問系。

「ほらほら、もう夜も遅いんだからちゃんと寝ないと駄目だろ? ゴーホーム」

「そんなこと言ったらエスティマくんも。せっかくの休みなんやからちゃんと寝なきゃあかんよ?」

「そうなんだけどさ。いや、普段は平日じゃんか、今日。だから身体が寝付いてくれなくてね」

「お仕事が身体に染みついてる、と」

「そういうこと」

困った人やなぁ、と溜息を吐きながら、彼女は俺の隣に座る。服の裾を尚したり髪の毛を手櫛で整えたりと、妙に落ち着きがない。

「はやても寝付けなかったの?」

「あ、うん……ちょおヴィータたちと話し込んでて、気付いたら私だけ起きてる状態だったんよ」

「そっか。お子様リインは最初に寝たろ?」

「あったりー。ちなみに二番目はエクス。エスティマくんと違って、日頃の疲れが限界に達したみたいや」

「酷い話だ」

デスマ組まれてるみたいだし……うっ。

「どうしたん?」

「いや、なんでもない」

不思議そうに首を傾げるはやて。うん、常にリインフォースⅡの製作現場のような状況に身を置いてるって聞いたらドン引きすると思うよ。

はやては空になった俺のマグカップを見ると、自分の分と一緒にコーヒーを煎れてくれた。

ありがと、と受け取り、口を付ける。焼けるような刺激が喉に痛いような心地良いような。

「やー、しかしエスティマくんと旅行に行けるとは思わんかったなぁ。ようやっと家族サービスをする気になったか」

「そうだね。今までシグナムと旅行に行くなんてことなかったし。これで満足してくれたかどうかは分からないけれど」

「シグナム、楽しそうやったよ? 昨日なんか買ってもらった靴とかずっと眺めてたらしい。パパさんの面子は保たれたと思う」

「そか。なら、良かったかな」

……シグナム、か。

あの子が真っ直ぐに育ってくれていることは、何かの奇跡なんじゃないだろうか。

遊びに連れて行ってやることも少なくて、仕事のことで心配させて。滅多にないが、帰らないことだってある。

子供は勝手に大人になる、と言うけれど、真っ当な大人になれそうな今の彼女は、育った環境を考えれば、本当に信じられないぐらいの良い子だろう。

散々な扱いを受けているのに俺のことを父と慕い、周りの大人たちには滅多にワガママも言わず。

本当に、俺には過ぎた娘だ。

「ね、エスティマくん」

「ん?」

「シグナムとシャマルの管理局入り、もうすぐやね。
 ……あの子たちは、前の自分がやったことを受け入れてくれるかな」

「分からない。養っているだけの駄目親父だからね、俺は。
 あの子が何を考えているか、正直なところ……どうにも。
 良い子すぎるんだよ、シグナム。管理局に入らないといけない理由を話しても、きっと我慢する。そんな気がする」

だからこそ、せめて恵まれた――シグナムの境遇に理解のある配属先を探してやりたい。

何も知らないあの子に投げ付けられる誹謗中傷。それから守ってくれる人がいる部隊。

いつくかの候補は考えているが、まだ彼らに話を切り出してはいない。

「シャマルはともかく……シグナムはやっぱり、三課に入れるの?」

「いや、そのつもりはないよ」

「え?」

どうして、といった、心底からの声。

はやてと目を合わせず、湯気を上げるコーヒーの水面に視線を落としながら、俺は応える。

「シグナムのランク、シスターに聞いてみたんだよ。どんなもんか、って。
 返答は、空戦Bランク相当。偏った魔法しかない古代ベルカ式なのに、あの歳でBランク。素質も腕前も、ミッド地上じゃ一線級だ。
 ……けど、三課に入ったらただのお荷物になる」

「そんな言い方って……」

「でも、事実だ。一等危険な任務を割り振られて、スケジュールも人を殺せる三課に入ったら成長する前に潰れる。
 だったら俺は、もっと安全なところにあの子を送りたい」

「……エスティマくんがそう言うなら、きっとシグナムは我慢して受け入れる。
 けど、本当にそれでええの? 我慢させることになるんよ?」

「誰も彼もが、自分のやりたいことをできるわけじゃないさ。それに相応しい実力がなければね。
 ……そう。あの子が三課でも戦えるだけの実力をつけたら、その時は――」

「それも不器用なパパさんの愛情?」

「どうだろ。俺の都合を押し付けているだけかもな」

むしろ、そっちのウェイトが大半を占めている気がする。

……けれど、あの子を三課に迎え入れて潰したくないというのは本当だ。

愛着がないわけじゃない。潰れるのが目に見えている場所へ入れることなんか、できやしない。

俺のことを父と慕ってくれるのならば、せめて、大切にはしてあげないと。

「やっぱ、子は親に似るんかなぁ」

「え?」

「シグナム、変なところでエスティマくんとそっくりになりそうで怖いなーって。
 律儀に理不尽なことに付き合ったりとか」

「……好き勝手にやっているだけで、理不尽に付き合った覚えはないけど?」

「そう思ってるのは本人だけやって。
 うん、でも……そんなところが――」

背筋を伸ばし、はやては口ごもりながら言葉を紡ぐ。

心持ち、語り口に熱が入っているような気がするが――

その時だ。

何かが爆ぜる音と、耳に痛い不快な咆吼。

慌てて音の聞こえた方に目をやると、夜空が薄く橙色に染まっていた。

「またか……!」

「え、何?」

「……ううん、なんでもあらへん。あらへんよ」

今にもテーブルを殴り付けそうな勢いで怒声を上げたかと思えば、すぐに落胆した様子になるはやて。

そんな彼女に首を傾げながらも、俺はSeven Starsを握り締めて立ち上がった。

流石に今の物音を無視できなかったのだろう。それぞれのテントからヴィータとエクス、ザフィーラが顔を出す。シグナムとリインはおやすみですかそうですか。

「おいエスティマ、何かあったのか?」

「分からない。ただ、様子は見に行ってみようと思う。
 エクス、トイボックスを貸すからこの世界の管理局に連絡の準備をしておいて。
 それと……今はミッドだと早朝か。一応、いつでもオーリスさんに通信を繋げることができるように頼む」

「え、えと、こういう場合は……」

「非常時は管轄に関係なく迅速に対処。そして担当世界の管理局に連絡」

まだ管理局に入って日が浅いせいだろう。テンパっているはやてにそう告げて、俺はキャリーバッグからカスタムライトを取り出した。

回転式弾倉型カートリッジシステムを搭載した純白の片手槍。いや――ガンランス。デバイスコアに当たる部分は黒く、ボディは白だが、形状は以前俺の使っていたものと――そう、Larkのものと一緒。

デバイスコアを紐から取り外すと、カスタムライトのデバイスコアに当たる部分をスライドさせて、スタンバイモードのSeven Starsを挿入する。

「スタンバイ、レディ」

『ドライブ・イグニッション』

そして、エクステンドギア・カスタムライトが起動する。

片手槍の長さだったロッドが一気に延びて、両手用に。日本UCAT型のバリアジャケットを装備すると、アクセルフィンを発動させて空へと上がった。

――カスタムライト。エクステンドギアのノウハウを元に生み出した、Seven Starsの強化外骨格。

スタンバイモードのSeven Starsをデバイスコアに当たる部分に挿入することで起動。

カスタムライト単体でもストレージデバイスとして運用することは可能だが、Seven Starsを中枢にはめ込むことによってインテリジェントデバイスとしての機能を無理矢理に持たせた機体。

これによって液体金属を使用せずとも、擬似的にSeven Starsを使って戦うことができる。

……もっとも、この用途は本来想定されたものではない。はやてが三課に入ると聞いて、急造した緊急措置だ。

本来の使い道は――

「おいエスティマ! 一人で先行するんじゃねーよ!」

ソニックムーヴで急行しようとしていたところに、ヴィータの声が届く。

地上に視線を向ければ、寝ぼけ眼のシグナムとリインの姿があった。

ガリガリと頭を掻きながら、どうしたものか、と溜息を一つ。

取り敢えずは、

「エクスは管制をお願い。ザフィーラは護衛で。リインフォースは……」

「はいです!」

「……ヴィータとユニゾン」

「なんでリインとのユニゾンをそんなに嫌がるですか!?」

「嫌がってないよ。俺とはやてはリミッターがかかっているから、ヴィータとユニゾンするのが一番だって。うん」

何も間違ったことは言っていません。

「それじゃあヴィータ、はやて。行こう」

「分かった」

「おう」

「父上、私は!」

空へと上がろうとすると、今度はシグナムの声が上がる。

こちらを見上げる彼女の表情は真剣そのもの。口は硬く引き結ばれている。

ついさっきまではやてと話していたこともあるからか。どう声をかけたら良いのだろうと迷ってしまい、

「シグナム。オメー、まだ局員じゃねぇだろ? ここで大人しくしてろ」

「ですが、私だっていれば何かの役に……!」

「前線でガチンコできねぇレベルのベルカの騎士がなんの役に立つんだ。今日はそこで現場の空気に慣れてろ」

あまりにもな言い草に、シグナムはヴィータを睨み付ける。

しかしヴィータはそれを気にした風もなく視線を逸らすと、俺の肩を叩いてきた。

「急ぐぞ」

「……ああ」

「シグナム、エクスのお手伝い頼むな?」

「……はい」

納得のいかない表情をするシグナムに苦笑し、セットアップを完了したはやても空へと上がる。

そして最後に、リインフォースとユニゾンして白い騎士甲冑をヴィータが身に纏うと、俺たちは夜空を緋色に染めている原因へと向かう。

それぞれの魔力光を吐き出しながら空を疾駆している最中だ。

『ヴィータ、悪い。憎まれ役をやらせて』

『気にすんな。事実だろ』

短く念話を交わし、徐々に見えてきた光景に眉根を寄せる。

酷い――いや、なんと言えば良いだろうか。

生い茂った木々が火の手に犯され、焦げ臭い匂いが鼻を突く。野火、いや、山火事か。

それだけならば大規模災害と一言で片付けられるだろうが、これは違う。

踊る炎の中で蠢く影がある。大木よりも巨大な姿。竜だ。

もういい加減に慣れたと思っていたが、流石にこの光景には面食らう。炎の中に竜。まるでファンタジーだ。

「うわぁ、これは……」

はやても俺と同じ気分なのだろう。大火災とそれを引き起こした竜という組み合わせに、頬を引き攣らせていた。

……っと、いつまでも呆けている場合じゃないな。

「ヴィータと俺がトップで引きつける。はやては逃げ遅れた人がいないか――」

「ざけんなタコ。なんのためにアタシがリインとユニゾンしていると思ってんだ。
 フロントはアタシに任せて、オメーはセンター、はやてはバックス。
 足早いんだから、エスティマが救助者を引っ張り上げてはやてが治療だ」

「……あの、俺の立場は」

「行くぜリイン! トカゲモドキなんざ、アタシらだけで充分だ!」

『はいです!』

俺をガン無視して、ヴィータは雄叫びを上げながら突撃を開始。

……俺の、出番。

「あ、あはは、エスティマくん。ヴィータも色々と気にしてるんよ。分かってあげて?」

「気にしてるって?」

「……エスティマくんが倒れたときのこと。間に合わなかった、って」

「そっか」

……本来ならばなのはを心配するところに、俺が割り込んでいることになるのかね。

なら、これも仕方がないことなのか。

「はやて、エリアサーチをばら撒く」

「了解や」

気を取り直して、こちらも救出作業を開始。

はやては竜が暴れ回っている地点から離れたところで消火作業と救助者の転送を。俺は駆け回りながらエリアサーチをばら撒いて、発見した怪我人を安全地帯へと運ぶ。

捜索途中で空いた時間でエクスへと連絡を取り、近隣部隊がどれぐらいで着くのかを確認すると、軽く舌打ちしたい気分になった。

……流石辺境。空士部隊もすぐには駆け付けられないようだ。

……しかし、何があってこんなことになったのだろうか。

大災害が起きるような日に旅行がぶち当たったのは偶然なのか? そんなこと――

……いや、自意識過剰なのかもな。

「はやて! これから指定する場所の避難は完了した! 氷結魔法を頼む!」

『了解!』

パチパチと木の爆ぜる音の合唱が響く中、救出者を抱えて空へと。

遠目に見えるのは白い魔力光と、巨大な魔法陣。甲高い射出音が鳴り響くと、半透明のキューブが森へと落ちて氷結が始まる。

ヴィータと竜の格闘は今も続いているようだ。術者の危険に呼応して暴走するならば、ル・ルシエ全体の危機である今、パニックに陥った召還魔導師の数だけ竜は出てくる、か。

いくらヴィータといえども、無尽蔵にわき出てくる魔獣を相手にするのは分が悪いだろう。意地でも負けようとしないのだろうが、俺にはそれが怖い。

救助者を一カ所に集めると、カートリッジを四発ロードして治癒魔法陣とサークルプロテクションの発動。それを切っ掛けにして、魔法を使える者はそれぞれ治療魔法を怪我人へとかけ始めた。

それを見て小さく頷き、再び空へと上がって――

「……嫌」

掠れた記憶を呼び起こす、いつか聞いた覚えのある声が耳に届いた。

思わず目を見開く。嫌な予感しかしない。この場で昏倒させてでも、とカートリッジロードをSeven Starsに命じようとし、

「嫌あぁぁぁぁぁああああ!」

噴き上がる膨大な魔力に、思わず目を細めてしまった。

俺の発動した治癒魔法陣と重なるように展開された、ピンク色の菱形。召還魔法陣。

母親だろうか。隣にいる女性に押さえ付けられて、落ち着くように叫ばれても少女の悲鳴は止まらない。

膨大な魔力が少女、キャロから発せられ……いや、違う。

オーバーSなんて括りでは収まらない、化け物そのものの力がゆっくりとその姿を現す。

鎧じみた黒い体躯に、折りたたまれた巨大な翼。拗くれた二本の角を持つ真竜。

アルザスの守護竜ヴォルテール。はやての氷結魔法が届かず、未だに紅蓮に染まる森の中に黒い火竜が降臨した。

俺も、はやても、ヴィータも。ついさっきまで暴れていた竜すらも動きを止めた中で、ゆっくりと瞼が開かれる。

金色の瞳に宿っている色は、優しげなものではなく狂乱。

ヴォルテールは歯を剥き出しにして周囲を見渡すと、まるでその光景に怒りを覚えたかのように咆吼を上げた。

ビリビリと震動する大気は、音だけではなく気迫のようなものも含まれている気がする。

重々しい音と共にヴォルテールは一歩踏み出すと、巌のような拳を作って近くにいた竜を大地に叩き伏せた。

断末魔と共に聞こえたのは、湿った布を叩き付けたような破裂音。

ヴォルテールの動きは止まらない。一撃で、文字通りに粉砕した竜を棒立ちになっている竜に投げつけて動きを止めると、畳まれていた翼を広げる。

そうして、森を燃やしている炎を集め――

「射線上から退けヴィータ! はやて!」

『いきなりなん――』

「急げ!」

問答無用と上げた叫びに、ヴィータとはやては移動魔法を発動してヴォルテールから距離を離す。

一拍置き、ヴォルテールから放たれる殲滅砲撃、ギオ・エルガ。射線上にいた竜を跡形もなく蒸発させて直進し、遠くにあった山の山頂部分に着弾。爆ぜた。

……なんだこれ。

人間の使う魔法を嘲笑うかのような大威力。なのはの使うスターライトブレイカーすらも凌駕しているだろう、これは。

勝てる勝てないの問題ではなく、こんなものと関わり合いになりたくない。心の底から。

今の一撃を放ってもヴォルテールの暴走は治まらない。

チャージ時間を短縮したギオ・エルガを連射して、逃げ惑う竜を一方的に蹂躙する。歯向かってきた竜を拳で潰す。咆吼を上げる。

その光景に、俺は呆然とするしかなかった。

……なんだこの圧倒的な暴力は。

どうやって倒せって――

『旦那様』

「……なんだ」

『エリアサーチの消滅を確認。AMFです。ガジェットの存在を確認しました』

「ガジェットだと?」

なんでアルザスにガジェットが。

ガジェットが行うことは、レリックと同種の高エネルギーを持つマテリアルの回収のはずだ。

それなのにこの世界へ姿を現すとは、一体どういうことなんだ。まさかレリックがこの世界にもあったのか?

いや、それとも――

ギリ、と奥歯を噛み締める。

見たこともないはずの高笑いが脳裏に浮かび、胸の内に熱が灯った。

「エクス! オーリスさんを通して中将に連絡、限定解除の申請を!」

『はい』

「はやては上空で待機。最大威力の砲撃魔法の準備を! ヴィータ、時間を稼ぐぞ!」

『ちょお、エスティマくん!?』

『エスティマ、正気か!? 落ち着け! 長距離転送で救助者を移送すればそれで良いじゃねぇか!
 こんなもんに付き合う義理はねぇって!』

「見逃してやる義理もないんだよ! これ以上の勝手なんて、させてたまるか!」

消費したカートリッジをクイックローダーで装填し、ガンランスの刃に魔力刃を発生させるとアクセルフィンに魔力を送る。

一気に接近して、擦れ違い様に目元を斬りつけた。すぐさま反転し、ラピッドファイアをヴォルテールの目に向けて連射。

砲口からサンライトイエローの光が連続して吐き出され、苦悶の声が上がる。

迎撃でギオ・エルガの連射が殺到するが、それらの全てを回避して、ラピッドファイアのフルオート砲撃を叩き込み続ける。

十発に一度のカートリッジロード。計六十発を吐き出し終えると、回避行動を取りつつ排莢、装填。

弾着の煙でヴォルテールがどれだけのダメージを受けたのか分からないが――

その瞬間だ。

燃え盛る木々から立ち上る黒煙を引き裂いて、腕――否、尻尾が横薙に迫ってきた。

舌打ち一つし、

『――Phase Shift』

稀少技能を発動して、回避すると同時に再び接近。斬りつけて離脱。

……効いてないのか。非殺傷とはいえ、かなりの魔力ダメージを叩き込んだというのに。

豆鉄砲を受けた野犬が苛立つように――実際そのていどの効果しかなかったのだろう――ヴォルテールは俺へと目標を定めて、再び火球の連射。

大振りな攻撃だ。面で吹き飛ばされない限り、当たらない自信はある。

だが、負けないだけで勝てはしない。この世界の空士部隊が到着したのだとしても、果たしてヴォルテールを止められるかどうか。

キャロは……いや、おそらくヴォルテールをコントロールするのは不可能。できるのならばもうやっているはずだし。

だとしたら打てる手はなんだ。ミストルテイン、大規模氷結魔法、殲滅砲撃。どれも力技すぎて思わず苦笑する。しかも全部はやて頼みだ。

『詠唱完了! 離れてヴィータ、エスティマくん!』

回避運動を取りつつ射撃魔法を叩き込んでいた俺とヴィータは離れ、上空にいるはやては小さく頷く。

そしてシュベルトクロイツを振り上げ、足元に巨大な古代ベルカ式の魔法陣を展開すると、

「遠き地にて、闇に沈め……デアボリックエミッション!」

広域殲滅魔法を発動。黒い球体がヴォルテールを中心にして発生し、その巨体を飲み込んだ。

今までの苛立ちや怒りといった類ではなく、痛みを受けた叫びが緋色の夜空に木霊する。

……これで少しは。

しかし、それすらも甘い考えだったと嘲笑うようにデアボリックエミッションの中から火柱が上がる。黒い球体は爆ぜ、ヴォルテールは再び姿を現した。

そして――

「――っ、ヴィータ!」

「分かってるよ!」

『カートリッジロード。
 ――Phase Shift』

『Gigantform!』

上空にいるはやてへとギオ・エルガを放とうとしたヴォルテールに、俺とヴィータは一気に接近。

俺は膝裏を全力で叩き、ヴィータはギガントフォームに変形したアイゼンで顔面を殴り付ける。

夜空を縦断する紅蓮の火柱。無理矢理転ばせたことで外せたが――!

再び稀少技能を発動し、ヴィータを小脇に抱えて離脱する。急加速にヴィータは悲鳴を上げたが、許して欲しい。

くそ、これでも駄目ならどうする?

魔力の続く限り全力攻撃を続けるのが最善か。それとも何か別の手で。

その時だ。

『旦那様。限定解除、承認されました。リミッターの全解除が可能です』

「……全解除?」

『はい。この世界の地上部隊からの後押しがあったようです』

「そうか」

有り難い話だ。

……よし。

「はやて、限定解除が承認された! もう一度、今度は全力全開で頼む!」

「分かった!」

「ヴィータ、俺が正面からアイツの動きを止める。背後から手加減無しのを!」

「任せな!」

二人に指示を出して、俺は距離を取りつつヴォルテールの前へと。

『旦那様、よろしいのですか? 彼の者に手札を明かして』

「切り札は他にある。これはただの狼煙だ」

『了解しました』

そしてカスタムライトからSeven Starsのデバイスコアを取り出し、

「幸福を示す七。
 闇夜に輝く七ツ星。
 力続く限り白金に輝く斧槍。
 俺が望む形となり、力となれ。
 幸いを切り開く揺光。
 Seven Stars、セットアップ!」

『ドライブ・イグニッション。
 カウリング・ガンハウザーをセレクト』

黒いデバイスコアを中心にして渦を巻く液体金属。魔力を通すことで一本の槍となり、金色に染まる。

装着されるのは重厚な砲撃戦用の外装、ガンハウザー。

左手に持ったカスタムライトは片手槍へ。それを経て、ロッドをヘッドへと完全に収納する。

外装の下部。砲門の下に新しく刻まれたスリット。カスタムライトの隠し武器となっているピックが起き上がると、それをスリットに通して連結。ロック。

……二連装の砲口。二つの回転式弾倉。

そう。

これが。

「Seven Stars・カスタムライト!」

『モードB・EX。
 フルドライブ。エクセリオン、スタート』

これこそがカスタムライトの真骨頂。

各外装に対応した、外付けの強化外骨格。

モードBの場合は砲口が二つになって、という単純すぎる強化。しかし、だからこそ、今まで以上の無理が利く。

二つの砲口、ガンランスの刃を向け、

「……ケリを付ける」

『――Zero Shift』

稀少技能が完全開放される。

視界の全てが遅い。

雲の流れも、立ち上る黒煙も、踊る炎さえも。

そんな中で動けるのは俺と、Seven Starsのみだ。

「ハウリングランチャー」

『カートリッジ、全弾ロード』

「ファイア!」

連続する炸裂音と共に、ガンハウザーの大口径カートリッジとカスタムライトのカートリッジ。合計十二発の圧縮された魔力が弾ける。

ぎちり、と軋む胸に顔を顰めながらも歯を食いしばると、俺は砲撃魔法――ディバインバスターを放つ。

着弾を待たず、少しだけ横にずれて第二射。第三射。第四射。

おそらく上空のはやてから見れば、サンライトイエローの扇ができているように見えるだろう。

狙いは一発目を顔面。そこから徐々に下へとずらし、十二発目の砲撃を撃ち終えたところで、俺は稀少技能を解除した。

音速超過の全力砲撃。たった一人で放たれた弾幕。ディバインバスターのバリエーション、ハウリングランチャー。

全て狙いを違わずヴォルテールへと突き刺さり、

「轟天爆砕――」

ぐらり、と上体を傾けたヴォルテールの背後には、最大出力のアイゼンを振りかぶったヴィータの姿がある。

「――ギガント、シュラーク!」

延長し、しなったロッドに遅れて叩き付けられた鉄槌。ヴォルテールの咆吼と同種の轟音が上がると共に、巨体が地面へと崩れ落ちた。

「駄目押し行くよー! 響け、終焉の笛――」

足元に展開されたミッドチルダ式の魔導陣。眼前に展開された古代ベルカ式の魔法陣。それぞれが白の魔力光を放ち、

「――ラグナロク!」

振り下ろされたシュベルトクロイツ。一拍の間を置いて放たれる、拡散砲撃。

うつ伏せに倒れたヴォルテールを押し潰すように、白光が大地を塗り潰す。

非殺傷でなければ間違いなく地形を変えるであろう砲撃だ。

これだけの全力攻撃を受ければ……。

煙が晴れ、倒れ伏したヴォルテールの姿が見えてくる。

うっすらと浮かび上がる巨体はピクリとも動かない。

しかし、

「……おいおい」

「……嘘や」

「……マジかよ」

地響きのような唸り声を上げながら、ヴォルテールは必至に身体を持ち上げようとする。

しかし、腕を支えに身を起こそうとしても果たせず、崩れ落ちる。

それを三度繰り返した後、ようやくアルザスの守護竜は止まってくれた。

……二度と相手にしたくねぇ。


























ヴォルテールを沈黙させた後、俺たちは再び消火作業に戻って、遅れて到着した空士部隊と共に夜を徹して対処に奔走した。

夜明け頃には消火作業も終了したのだが、ヴォルテールの放った殲滅砲撃のおかげで随分な被害が出たことに。

焼け落ちた部分を九十七管理外世界の単位で示すなら33万ヘクタール。大火災と充分に言えるだろう。

行方不明者は三名。重傷者はなく、軽傷が大半だったのは魔法を使える人が多かったからか。

……それにしても疲れた。休暇だったはずなのになぁ。

腰に差したカスタムライトに視線を落として、溜息を一つ。

ハウリングランチャーを撃つことは出来たが、オーバーヒートで逝っちまった。今回のことは予想外だったので、追加予算の名目にはなると思うが……ねぇ。

幸いなことに稼働データはSeven Starsに収まっているから、今回のことを試作四号機に反映させることはできるのが不幸中の幸いか。

なんてことを考えていると、だ。

「……おいこの野郎」

ドスの利いた声と共に、鈍い痛みが後頭部に。

なんだ、と見てみれば、ヴィータが目を据わらせて俺を睨み付けている。リインとのユニゾンは解除したのか、いつもの赤いドレスを着ていた。

俺を叩いたのはアイゼンの石突きか。

「痛いな。何するんだよ」

「エスティマ。オメー、今回の事件で何発のカートリッジ使った? 一度に十二発ロードなんて、アタシは初めて見たぞ。
 それにフルドライブ。どれだけの負荷が溜まったのか、分かってんのか?」

「や、ヴィータだってギガント使ってたじゃ――」

「アタシは良いんだよ! 本気の出しどころぐらいは見極めてんだ!」

何その理不尽。

お説教のマシンガンと共に、ゴツゴツと石突きで頭を小突かれる。

ちょ、やめ、痛い。痛い。痛いって。

「痛いっつってんだろうが!」

「痛くしてんだから当然だ! ったく、今日みたいなことばっかしてたら、今度こそ本当に死んじまうぞ!
 お前、本当に馬鹿だな! バーカ!」

「こっの、言わせておけば……!」

「ヴィータ、ストップ! エスティマくんも落ち着いて!」

慌てた様子で飛び込んできたはやてが、俺とヴィータの間に押し入る。

視線が交差しないように困り顔で割り込むと、手で俺たちの頭を押さえ付けた。

「ほら、二人とも喧嘩はあかんて! ヴィータ、乱暴はあかんよ?
 エスティマくんも! 流石に私だってあれは見過ごせん」

そう言い、押さえ付けた頭を無理矢理に下へと。

「二人ともあかんことしたんやから、謝り」

「……悪かった」

「……すまねぇ」

「よろしい」

はやての手が頭から退くと、俺は後頭部をさすりながら目を逸らす。

……そりゃ、端から見たら酷い無茶をしたってことぐらい分かっているさ。

けど、丸く収まったからそれで良いじゃないか。

そう考え、いや、と苦い顔をしてしまう。

悪い思考だ。結果論がすべてってわけじゃないだろうに。

溜息一つ。

「……ヴィータ」

「なんだよ」

「心配させてごめん。けど、大丈夫だから。定期検診は欠かしてないし、どれだけの無理が利くかは把握してる」

「そもそも無理をすんなって話なんだけどな」

「無理無茶無謀が求められる立場の人間に何を」

「だからってそれを率先してやるのは何か間違ってるだろ。
 ……ああ、クソ!」

苛立たしげな声を上げて、ヴィータは灰の積もった地面を蹴り付けた。

……はやてからヴィータが俺のことを心配しているのだと聞いている以上、今の彼女にどう声をかけたものかと考えてしまう。

そうしていると、だ。

「……あの、スクライアさん」

妙にしわがれた声に呼ばれ、振り返った。

そこにいたのは、ル・ルシエの部族服である外套をまとった一人の老人。

彼はおずおずといった様子で、しかし、はっきりと口を開く。

「あなたにお願いがあるのですが、よろしいでしょうか」

「はい」

「……昨日の話ですが、いくつかの条件付きで受けさせていただきたい」

「と、言いますと?」

「アルザスの大地が焼けてしまった。ここの修繕が終わるまで、我々は難民として各地を転々とすることになるでしょう。
 ……ですから、せめて。
 申し訳ないのですが、魔導師として働ける者を管理局に雇って貰えるよう口利きをしていただけませんか」

昨日、エクスとル・ルシエを訪れた時とは違う、酷く腰の低い物言い。

……どう答えたものかな。

管理局に入れるよう口利きしたと仮定した場合。

大半はこの世界の地上部隊に配属されるだろうが、ミッドチルダにはどれだけの数がくるか。

中将からすればおそらく、ないよりはマシ、といった程度のはず。

それに、彼らは強力な魔導師というわけではない。まだ数は確認されていないが、ヴォルテールによってかなりの竜が殺された。竜使役のできない彼らは、ただの魔導師でしかない。

そして竜使役が可能だとしても、こんな騒動の後だ。引き取ってくれる部隊があるかどうか。

『エスティマくん、どうするん?』

『流石に今すぐ答えるわけにはいかないよ。口約束でも勝手なことをしたら上司に睨まれる』

『そうやね』

おそらくはやての想像した上司は首都防衛隊の総隊長だろうが、俺の方は責任者の中将である。

本当、どうしたもんか。

『可哀想やから、なんとかしてあげたいけれど』

『責任負わされる覚悟でなんとかしてあげるだけの根性がないからね、俺には』

それではやてとの念話を打ち切り、老人に向けて口を開く。

取り敢えず、今日のところは保留となった。

……管理局が駄目なら、実家頼りになるかね。





























火災現場周辺の警戒やら何やらで騒がしくなってきたのでキャンプは中断。

もう一日はここで過ごす予定だったが、俺たちはミッドチルダへ帰ることにした。

のんびりと遊ぶ環境じゃないのだ。風に乗って灰は飛んでくるし、川は濁って楽しむようなものではなくなっているし。

動物の影だってめっきり減った。ここから元の環境に戻るまで、どれだけの時間がかかるのだろうか。

……それはともかくとして。

帰り支度を始めた一向。その中にいるシグナムは、すっかりしょげてしまっている。

睡眠不足で元気がないというのもあるだろうが、ヴィータの言葉と、せっかくの旅行が台無しになったことが響いているのだろう。

……ん、よし。

帰り支度を中断すると、俺はシグナムへと近付いてぽんと頭に手を乗せた。

驚いたように彼女は顔を上げるが、すぐに表情は暗いものへ。

「……父上」

「ごめんな、シグナム」

「いえ、しかたがありません。運がなかったのです」

「そうだな……なぁ、シグナム」

「はい」

「遊園地と温泉、どっちが良い?」

「え……いや、私は……」

「五秒以内に答えないと両方になります。一、二、三、四……」

「お、温泉でっ!」

「じゃあ遊園地な」

「そんな子供っぽいところにきょうみはありません!」

荷物は適当なロッカーに預けるか、聖王教会に無理矢理転送して預かってもらうかで良いだろう。

金にはまだ余裕があるし、たまの散財ぐらいは由とするべきかな。

ぐりぐりとシグナムの頭を撫でていると、うーうー唸って彼女は俺の手から逃れてしまった。

ありゃ。

「父上は行きたいのですか、遊園地」

「いや……うんまぁ、行きたいな遊園地。すげー行きたい」

「ならば仕方がありません。あわせましょう」

しかたがないのです、と満足げに頷くと、シグナムはリインフォースのいる方に走って行った。

そしてお子様二人と共に、何やら盛り上がり始める。

……これで良いのかな?





























暗い、暗い部屋。

天然の光源は何一つなく、部屋を照らす物は人工的な、蛍光色のライト。

いくつものディスプレイに囲まれ、手元の鍵盤型キーボードを叩きながら、黄色の目を爛々と輝かせる男がいる。

ジェイル・スカリエッティ。碩学にして狂人。違法研究に手を染めなければ、間違いなく歴史に名を残しているであろう天才。

彼はモニターに映る昨晩の戦闘映像を見ながら、口を三日月の形に歪めていた。

ユニゾンしたヴィータ。夜天の主。聖王教会の誇る精鋭だが――しかし、彼の眼は二人を追っていない。

目を釘付けにしているのは、白いバリアジャケットに身を包んだ一人の少年だ。

手に持った二連装の大口径砲撃戦用デバイス。自分の作り上げたそれを、自己流でアレンジするとは。

満面の笑みを浮かべて、スカリエッティは届くわけのない声を上げる。

「ハハ。
 嗚呼……久し振りだねエスティマくん。
 少し見ない内に、また面白いことを始めたようじゃないか。
 エクステンドギア。成る程、凡人のための技術かと思えば……そういった使い道もあると。
 ハハハ。
 嗚呼、エスティマくん。
 日増しに力を増す君に、私は追い付けているだろうか。
 いや、追い付けているだろう。そして君も私に追い付き、それが延々と繰り返されるのだろう」

くは、と引き攣った吐息と共に、頬を涎が伝う。

それに構わず、スカリエッティは盛大に両腕を振り上げると、こひゅう、と喉を鳴らした。

「そのための障害を!」

金切り声を上げ、右手側にデータウィンドウが。

「そのための敵を!」

そして、左手側にも。

「嵐の中でこそ輝く君に、最高のプレゼントを持って、最高の敵として立ちはだかろう!」

は、と連続した歓喜の笑いが部屋の中に木霊する。

……新たに開かれたウィンドウ。

そこに映っている、レリックウェポンシリーズ。そして――ナンバーズType-R。

それらを引き連れて彼がエスティマの前に姿を現すのはまだ先のこと。

今はまだ、エスティマの敵に相応しいものを用意できてはいないから。

今は、まだ。




[7038] カウントダウン2
Name: 角煮◆904d8c10 ID:63584101
Date: 2009/03/30 21:46

『あの、キャロが字の練習を始めたので、その一環としてお手紙を書くことになりました。お元気ですか? 兄さん。
 いざ書き出してみると、上手く書けないな。電子メールじゃないのは慣れてないからかもしれない。あまり経験がないから。
 たくさん思い出を作った学校を卒業してから、私はスクライアでいつも通りの毎日を送っています。
 いつもは護衛隊の一員として発掘に付いて行って、それと、嘱託魔導師の資格を再取得したので管理局のお手伝いをしたり。
 よく、なのはとも顔を合わせるようになれたのは嬉しいな。
 兄さん、そっちはどう? 怪我はしてないよね? あと無茶も。何かあったら遠慮せずに呼んでね。力になるから。

 フェイト
 
 追伸 バルディッシュの調子が最近良くないので、一度見て欲しい。近い内に帰ってきて欲しいな』

『やあエスティ。元気にしているかな? こっちはボチボチ。君のお陰で賑やかになってる。
 ル・ルシエの人たちもようやく馴染んできたようで、問題らしい問題もないよ。
 こっちのことは気にせず、君は君のやりたいことを済ませると良い。とっととね。

 ユーノ

 追伸 非童貞クロノの増長がいい加減に鼻につくから、今度二人で叩こうか』

『帰ってこい馬鹿!

 アルフ』

『はじめてお手紙書きます。
 アルザスではヴォルテールを止めてくれてありがとうございました。
 それと、誕生日プレゼントでデバイスありがとうございました。だいじにします。
 魔法の勉強、がんばってます。
 がんばってください。

 キャロ』



読み終わった手紙を折りたたんで、封筒へと戻す。

最後にスクライアへ戻ったのは随分前だからなぁ……もうそろそろ帰らないと。シグナムを連れて行けないから、どうしても長居はできないのがネックだ。

しっかし……紙一枚にでかでかと殴り書きの文句ってのはどうなんですかアルフさん。

一番インパクトがあったよ。おかげでキャロのたどたどしい手紙の印象が吹き飛んだ。

……馴染んでいるようで良かった。それがある意味一番の心配だったからなぁ。

アルザスにキャンプへ行ってからそれなりに時間が経ったが……ようやく事件も解決って感じなのかね。

アルザスの森を焼き払ったことでル・ルシエは居場所をなくし、引取先を俺に打診してきた。

中将にそれとなく話を振ってみると、育成の手間がかからない者だけならば引き取るとのこと。一人で生活できる者は引き抜かれて、結局は管理局に入ることになった。

そして残った者たち。魔法は使えても、使えるだけ。正規の教育を受けていない者や、魔導師としての資質を持たない者たちは、俺の実家――スクライアが引き取ることとなった。

とは言っても、スクライアが受け入れたのは子供やその親が大半だ。老人などは難民として管理局に保護されている。労働力にならない人を受け入れるほどスクライアにも余裕があるわけではない、とのこと。

……ま、俺ができるのはこれぐらいだ。不満があるなら何かやからしたであろうスカリエッティに言って欲しい。

ちなみに、キャロはスクライアに引き取られたル・ルシエの中でも孤立している。同族の彼らから見ても――いや、同族だからこそか。キャロの召還したヴォルテールはよっぽど異常に見えたのだろう。

そうして一人じゃないのに一人になってしまったキャロだが、お人好しのマイブラザーとマイシスターが放っておけるわけもなく。

いざとなったヴォルテールを止めることもできるということで、キャロの面倒はユーノたちが見ることになったのだ。

……召還魔法に関してだけは、どこぞのネゴシエーターに頼んでいるけど。激しく不安だ。

そんなことを思い出しつつ、手紙を戻した封筒を指先で撫でる。

あー、なんだろう。なんかわくわくするな、こういうの。

どんな返信をしてやろうかと考えるだけで、妙にくすぐったい気分になる。

「……んー? どうしたん、エスティマくん」

ふと声をかけられ、顔を上げる。

そこにいたのは、はやて。彼女は身を乗り出しながら首を傾げ、俺の手元を覗き込んできた。

体重をかけられた机がきしきしと軋みを上げている。上目遣いでそんなことを問われ、少しだけ椅子を引いた。

……角度的な理由でそれとなく目を逸らし、口を開く。

……もう女の子女の子し始める年齢なんだからさぁ。もうちょっと他人の目とかを気にした方が良いんじゃないかなこのお嬢さんは。

「何が?」

「なんか、すっごい楽しそうな顔してる。良いことあったん?」

「ああ、うん。今朝ポストを覗いたら手紙が入っててね。実家の兄妹ズから」

「あー……ユーノさんやフェイトさんからな」

二人の名を口にした瞬間、はやての表情に陰りが生まれた。

しかしすぐにそれを打ち消すと、彼女は温かくなるような笑みを浮かべて、良かったやん、と口にして乗り出した身体を元に戻した。

「仕事人間と化しているエスティマくん、ちーっともスクライアに帰らんからな。
 縁が断絶してないか、ちょっと心配やったよ?」

「スクライアには帰ってないけど、ユーノたちとはクラナガンで会ったりしてるんだ。
 だからまぁ、全然顔を合わせてないってわけじゃない」

「そっかー」

よしよし、と頷くはやて。そんな心配しなくたって大丈夫だってば。

どんな風に見られているんだか。

……しっかし、この時期に手紙とはね。

狙っているんだか狙っていないんだか……いや、考えすぎだろう。

手紙を送ってくれたこと自体は嬉しいけれど、嫌な偶然もあったものだ。




















リリカル in wonder


















「なのはちゃん、大事なお話ってなんですか?」

「ん……込み入った内容だから、着いたらね」

はーそうですかー、と不思議そうな顔をするシャマル。彼女と繋いだ手をきゅっと握り、なのはは聖王教会の本部へと続く道を歩いていた。

市街地から離れるにつれ、道が煉瓦で敷き詰められたものとなる。

それがカウントダウンのようにも思えて、なのはは唇を少しだけ噛んだ。

……今日、遂にシャマルに隠してきた事実を伝える。シャマルだけじゃない。エスティマが預かっているシグナムにも、だ。

この日がくるまで短かったような長かったような。

シャマルを高町家で預かってから四年近くが経っている。もう九歳か十歳。二人も自分が管理局で働き始めた年齢になった。

だからなのだろう。これから二人に以前の自分たちが行ったことを打ち明け、管理局に所属しなければならないことを明かす。

避けることができない日が、やってきてしまった。

気付かれないようにシャマルへと視線を向ける。これから何を伝えられるのかも知らず、おそらく、ヴィータやザフィーラ、シグナムたちと会うのを楽しみにしているであろう守護騎士は、鼻歌をうたいながら、なのはに歩調を合わせている。

……この子には随分と助けられた。任務に連れていくようなことはしていないけれど、夜遅く帰っても待っていてくれて、治癒魔法で疲れを癒してくれた。

厳しい訓練を続けることができたのも、きっとこの子が支えてくれたからだろう。守護騎士という意味で、シャマルは充分に自分の役に立っている。

……足が重いよ。

行かなければならないと分かっていても、どうしても駄目だ。

以前の自分たちが何をしたのか知ったら、きっとこの子の笑顔は曇る。

シャマルは何も知らない――そう、何も知らない、ただの女の子なのだ。

少しだけ魔法の使える、どこにでもいる女の子。できることなら何も知らないまま第二の人生を過ごして欲しいと願ってしまうぐらいに。

……けど、約束だから。

そうだ。自分は約束をした。闇の書を破壊する際に、二度と間違いを犯さないよう導いてやって欲しいと。

この子をそんな風に育てられただろうか。

悪いことは見過ごさない。人には優しく。そんな当たり前の価値観を持つ子に育ってくれたとは思う。

ただ、芯の強さだけは分からない。

どんな風に――

「よう」

考え込んでいると、不意に声をかけられた。

見れば、エスティマが壁に背を預けてこちらに手を振っている。仕事帰りなのだろう。茶の陸の制服姿だ。隣にいるシグナムも、学校の制服を着ている。

「シグナム!」

「シャマル!」

久し振りー、とはしゃぐ二人の様子に苦笑しつつ、なのははエスティマへと念話を送る。

『少し時間に遅れてるぞ』

『ごめん。転送ポートが混んでて』

『それならしょうがないか。さ、行こう。皆待ってる』

『皆?』

『ああ。はやてにヴィータ、ザフィーラ、シスター。それにクロノも。あいつが闇の書事件の担当だからね』

シスターとは、おそらくシャッハのことだろう。

小さく頷くと、なのははシャマルとシグナムを連れて聖王教会の建物へと入った。

年季の入った廊下を進みながら、エスティマくんはどう思っているのかな、と疑問が浮かぶ。

自分と同じように守護騎士を預けられた彼は、今日のことをどう考えているのだろうか。

『エスティマくん』

『なんだ』

『大丈夫?』

『何がさ』

『その、シグナムちゃんのこと……』

『ああ……ま、蓋を開けてみなけりゃ分からないかな。ウチの娘がどう思うのかは。
 駄目親父だからね。性格やらなんやらは把握しているつもりだけど、何を考えているのかはさっぱりだ』

その言葉に、なのははエスティマの顔を見上げた。最近では彼の方が身長が高いため、自然とそうなるのだ。

『幼年期の終わり、ってね。満足に導いてやれなかったことを嘆いてもしょうがない。
 今度は独り立ちが出来るよう、補助輪役をしてやるだけさ。
 お、今なかなか上手いこと言った気がする。元ネタと絡めて』

『ごめん分からない。
 ……それにしても、なんだか突き放した言い方だね』

『カルチャーショックだなぁ。
 それにしても……まぁ、そうか。あんまり心配して、いざ悲しまれたらやっぱりそれなりにショックだし……護身なのかもな』

それで念話を打ち切って、エスティマは歩調を早めた。

先に進んだエスティマに追い付こうと、シャマルと話していたシグナムは駆け足になる。

それに気付いたエスティマは振り返ると、彼女の手を取って一緒に進み始めた。

エスティマに先導されて皆が待つ部屋へと入ると、彼が言っていた人たちが既に揃っていた。

はやてと目が合うも、これから話すことがことだからか、彼女は小さく頭を下げるだけ。なのはも同じように返すと、勧められた椅子へと座る。

ようやく全員が揃った。それを確認すると、クロノが席を立って周囲を見渡した。

「それでは、早速話を始めようと思う。まず最初に、自己紹介をしよう。
 シグナム、シャマル。僕は闇の書事件を担当している執務官、クロノ・ハラオウンだ」

している。していた、ではなく。まだ終わっていない闇の書事件。それの終わりが、ようやく始まろうとしている。

「まず君たちには、現状の確認から行おうと思う。ヴォルケンリッターである君たちが、なぜエスティマとなのはの守護騎士となったのか覚えているか?」

「いえ、分かりません。私は父上の守護騎士として呼び出されただけですから」

「はい。私もなのはちゃんに」

「そうか」

疑問にも思っていなかったのか。思うには幼かったというのもあるのだろうが。

クロノの神妙な顔に、シグナムとシャマルの二人は顔を見合わせる。

クロノは苦虫を噛み潰したような顔をした後、慣れた調子で無表情になり、先を続ける。

「それでは、君たちに知ってもらおう。ヴォルケンリッター、烈火の将シグナムと湖の騎士シャマル。君たちが何故、本来の持ち主から離れているのか」























お腹の中に重い何かが溜まった感じ。妙に息苦しくて、胸が潰れそう。

握り締めようとした手は震えていて、上手く力が入らない。

「……そうですか」

隣から上がった声に、びくりと身体を震わせた。

真っ先に思ったことは、なんで、の一言。

私の隣にいるのは、シグナム――同じ守護騎士のシグナム。一緒に初期化された子。

俯いて桃色の前髪で隠れていた顔は上げられ、瞳に真摯な色を浮かべている。

それがどうしても信じられなくて、私はどうすれば良いのか分からなくなった。

たった今聞かされたこと。私たちが初期化された理由。

闇の書が危険なロストロギアだった頃、私たちは魔力を蒐集するためにたくさんの人を殺したという話。

冗談なんかじゃないことは、ここにいる皆の顔を見れば分かった。

けど、だからこそ私はシグナムが信じられない。

……なんで受け入れることができるの?

だって、そんなこと……!

「どの道、私は管理局に入るつもりでした」

「……シグナム」

……そう。そうなんだ。

今の一言で、自分とは違うんだと分かってしまう。

これから自分がしなければならないことと、したいことがぐちゃぐちゃに混ざって分からなくなる。

俯き、ぎゅっと両手を膝の上で握り締めた。

「シャマル」

そうしていると、不意に隣から延びてきた手が私の握り拳を包み込む。

なのはちゃん。私のマスター。

おずおずと顔を上げて、どうか、と思うけれど――

なのはちゃんが思い詰めた顔をしていて、本当なんだ、と今度こそ納得してしまった。

本当に私は人を殺したんだ。

絶対にやっちゃいけないことだと、桃子お母さんやお父さん、お兄ちゃんたちから口を酸っぱくして言われたことをやっていたんだ。

「や――」

「あのね、シャマル。シャマルも――」

「やだ!」

なのはちゃんの手を振り解き、その場から逃げ出す。

後ろから誰かの声が聞こえたけれど、止まるつもりはない。

段差とも言えない段差に躓いて転び、ふえ、と泣き声を上げそうになる。

それを必至に我慢して廊下の隅まで這うと、私はその場で体育座りの格好になった。

膝を抱えて顔を埋める。ぎゅっと腕に力を込めるも、身体の震えは一向に収まってくれない。

知らない。人を殺したことなんて覚えていない。良い子で――そう、なのはちゃんに迷惑をかけないように、ずっと良い子でいたのに。

それなのに、なんでこんなことになったんだろう。

思わず、以前の自分に対して怒りを向けてしまう。どんなことを考えていたのか知らないけれど、なんでこんな……。

「う……」

しゃくり上げるのを必至に我慢するけれど、震える喉は止まってくれなかった。

なんとか口だけは閉じるけれど、うー、と声が漏れてしまう。涙が埋めた腕に染みて、湿っぽい。

「わたし、は、なにも、悪いことなんか、していないのに……!」

ず、と鼻を啜りながら、なんとかそれだけを呟いた。

けれど口にしてみたところで、誰もそれを肯定してくれない。

違う。私の知らないところで、私は悪いことをしていたのだ。

怖い。怒られる。誰に、かは分からない。

私が人を殺していたことを皆は知っていたのかな。

知っていたのなら今までずっと優しくされていたのが嘘だ。だからきっと、知らないと思う。

……怖い。もし私が人を殺していたなんて知ったら、皆は私をどんな目で見るんだろう。

ふと、酷く冷たい目をした家族の顔を想像して、ぞ、と鳥肌が立った。

絶対にやっちゃいけないよ、って言われていたのに……。

……それに。

「魔導師になるだなんて……できるわけないです」

私にはマスターみたいな才能があるわけじゃない。怪我を治すのが精一杯。

だから守護騎士でも、なのはちゃんの疲れや怪我を癒して、おかえりを言うぐらいしかできないのに。

……ううん、違う。

そんなのは言い訳で――

「……なりたかったのに」

口に出した瞬間、じわ、と涙が量を増す。

お菓子屋さん。桃子お母さんと一緒にお菓子を作って皆と仲良く食べて。

けれど、私は管理局で働かなければならない。お菓子屋さんになる修行は大変よ、と言っていた桃子お母さんの言葉がどこかから聞こえた気がして、胸に宿っていた熱が急激に冷え始めた。

……諦めなきゃ。

悪いことをしたら謝って、罰を受けなければならない。そんなことは学校でも言われていること。

だから私は、罰を受けるために管理局に入らなければいけなくて――きっとお菓子屋さんにはなれない。

……ううん、絶対になれない。

それを認めちゃった瞬間、なんとか否定しようとしていた熱が一気に冷めて、諦めなきゃ、と思い始めた。

せっかくお菓子の作り方を教えてもらったのに。

海鳴のなのはちゃんのお友達にも、頑張って、って言われたのに。

きっと美味しいお菓子を御馳走します、って約束したのに。

応援してくれた皆に申し訳なくて、嘘を吐いてしまったみたいで、お腹が痛くなる。

どうしよう。どうすれば良いんだろう。

本当にこれから自分がどうすれば良いのか分からなくて――

「シャマル、やっと見つけた……!」

息切れに混じった声と一緒に、なのはちゃんの声。

なのはちゃんは胸を上下させて汗を頬に浮かべながらも、私ににっこりと笑顔を向けた。



























シャマルが飛び出して行ったのを目で追って、そうか、とどこかで納得する。

流石に放っておけないからか、なのはが後を追うように部屋を飛び出した。

それを声もかけずに見送る俺たち。

……こっちにはこっちで、しなきゃならない話があるだろうしね。

溜息一つ。それで諦めとも決意ともつかないものを飲み込むと、俺は娘であるシグナムに顔を向けた。

守護騎士シグナム。彼女はクロノの説明を聞いて、あっさりとそれを受け入れた。

どんな心境なのか。それを見極めて、正しい方向に導く。それが俺の役割だろう。

「シグナム」

「はい、父上」

「お前が管理局に入るつもりなのは前から知っていた。
 それは、守護騎士として俺の部隊に入りたい、ということか?」

「そうです、父上。私はあなたの守護騎士です。いつもそばに立ち、脅威からあなたをまもる盾です。
 父上が管理局にいるのならば、私は管理局にはいります。はいって、父上をまもります。
 ……そうです。もう二度と、私の手の届かない場所で父上がたおれることのないように」

そう言い、シグナムは胸に手を当てて目を瞑る。

さっきの言葉。そして、何かを思い出しているその様子。

……もしかしたらシグナムは、三課が壊滅した任務で俺が重傷を負ったことを引き摺っているのか?

だから、あんなに平然と管理局に入ることを受け入れたのだろうか。

それは……どうなんだろう。

別に問題はないんだけど、さ。

これでも俺だって執務官の端くれだ。贖罪を行う場合、本人が何を考えていようと、まともな勤務態度で管理局所属の魔導師として戦ってくれればそれで良いことぐらい、分かっている。

ただ、それとは別の部分。守護騎士である以上ある程度は仕方がないのかもしれないが、今のシグナムは過去の罰よりも今の――非常にアレな言い方をするならば、俺のために管理局入ろうとしている。

……重ねて言うが、それ自体に問題はない。誰も普通は気にしないことだ。

ただ、それが露見したとき、周りがシグナムをどう受け取るか。

……彼女にとって幸いじゃない状況になることだけは確かだ。

罪を償うために管理局に入ったはずの者が、違うことを目的として働く。プログラムとはいえ人間のようなものなのだ。そういったことがあっても不思議じゃない。

不思議じゃないが――

「……シグナム」

「はい、父上」

腰を上げて、椅子に座ったシグナムの前に立つ。そして腰を屈めると、彼女と目線の高さを合わせた。

真っ直ぐに俺の瞳を見る視線は真剣そのもの。そして、おそらく先程の言葉……いや、宣言に対しての反応を待っているようだった。

……悪いな。

シグナムが本来とは別の意図で管理局に入る。そこに問題はない。

しかし、周囲との摩擦から守ってくれる緩衝材に、俺はなれないのだ。

そう、

「俺は、お前を第三課に入れるつもりはない」

「……え?」

そうだ。近くでこの子を守ってやることなどできない。

ずっと胸に秘めてきたことだったのだろう。それを一言で否定され、シグナムの瞳が揺れた。

しかし、視線はすぐに力強さを取り戻すと、彼女は舌で唇を湿らせ、おずおずと口を開く。

「なぜ、ですか?」

「首都防衛隊第三課は、ミッドチルダ地上部隊の中でも過酷な任務をこなしている部類に入る。
 だから、お前を受け入れる余裕はないんだ」

「任務が過酷ならば、私がひつようなはずです!」

「いらない。必要ない。空戦Bランク程度の魔導師なんて、いても役に立たない」

「な……!?」

『エスティマくん!』

シグナムが絶句すると同時に、だ。

ゴツ、と後頭部を殴り付けるような念話がはやてから届いた。

『言い方ってもんがあるやろ!? そこまで正面から否定せんでも、ええやんか!』

『……駄目だよ、はやて。この子は本気だ。本気で俺の役に立ちたいと思っている。
 だからこそ、柔らかい言葉で宥め賺そうとしても最後まで食らい付いてくるさ。
 ……気持ちは嬉しいんだけどね』

『せやけど……。
 ……ううん、ごめん。私が言えた義理やないもんな』

『気にしないで。助かってるから』

……本当に。俺には勿体ないぐらいだ。彼女も、シグナムも。

はやての時でさえあれだけ渋ったのだ。それが彼女よりもランクの低いシグナムとなれば、俺がどんな態度を取るのか分かったのだろう。

……少し考えれば、シグナムの好意に俺が折れた場合の未来が容易に予想できてしまう。

戦闘機人が闊歩する戦場に、シグナムがいてどうなる。この子を守ってやれる余裕が、その時の俺にあるわけがないんだ。

今の三課を、前の三課と同じ結末を辿らせるつもりはない。

あんな悲劇は、苦しみは、もう腹一杯なんだよ。

「……いや、です」

ポツリと呟かれた言葉に、いつの間にか外れていた視線を彼女に戻す。

シグナムは俯き、前髪で目元を隠している。どんな目をしているのかは分からない。

しかし、注意せずとも分かるほどに悔しさの滲んだ声色。引き結ばれた口元からは、拒絶の意志が見て取れた。

「私は父上の守護騎士です! それ以外にどう在れというのですか!?
 嫌です。嫌に決まっています!
 父上の背中を守るために、ずっと鍛錬を続けていました!
 それがようやく花開くと思ったのに、なんでそんなことを言うのですか!?」

だん、と肘掛けを拳で叩いて、シグナムは椅子から跳ね上がった。

そしてポケットから待機状態のレヴァンテインを取り出すと、ペンダントを握り締めて顔を上げる。

青い瞳は、薄く涙で濡れている。

「戦ってください。
 あなたが思っているほど弱くはない。私は、父上に守られてばかりじゃありません!」

「……そうか」

短く応え、俺も胸元にSeven Starsを握り締める。

……この子もベルカの子だもんな。

だったら、こっちで分からせた方が早いか。

『旦那様。カスタムライトは局の方に置いてきましたが』

「……問題ない。切り結ばなければ良いだけの話だ。
 分かった、シグナム。お前がそれで納得するのなら、戦ってやろう。
 俺を切り伏せることができたら、認めてやるよ」

「……分かりました」

全力ではないことに不満があるのか。シグナムは憮然とした表情をしながらも、小さく頷く。

ピリピリとした空気にそれぞれが神妙な顔をした部屋を後にして、俺とシグナムは模擬戦を行った。

……別に勝負の結末を詳しく記す必要もないだろう。

バリア出力にものを言わせて接近し、切り伏せる。そのスタイルはこのシグナムも変わっていない。

ただ、それを補佐する技能、技量があまりにも低い。

彼女は逃げ続ける俺に追い付くこともできず、ヴァリアブルバレットでの削りに対処することもできず、敗北した。

……それで全部は終わり。そうなるはずだった。はずだったんだが――

どうやら俺は、地味に親馬鹿だったらしい。

これから配属される部隊では俺のことを考えず、きっちりと仕事をする。

そして、AAAランク。そこまで実力を付けたら俺のことを守ってくれと、そうシグナムに約束した。



























「そっか。ショックだったんだね」

「……はい」

ぐすぐすと腕の中で鼻を鳴らすシャマルを抱き締めながら、なのははシャマルに気付かれないよう、目尻を下げた。

ついさっき、はやてから念話が届いた。

どうやらエスティマの方も穏やかに説得することができなかったらしい。

エスティマの部隊に行きたいというシグナムの願いを断り、模擬戦になったと。

模擬戦への流れはともかくとして、

……分からない。なんでエスティマくんは、そんなことを言ったのかな。

腕の中でしゃくり上げるシャマルを見て、とても自分にはそんなことができないと、軽い怒りすら感じる。

考えなしに彼がそんなことをしないことぐらい、なのはも理解している。

きっと自分とは違った考え方が、彼にはあるのだ。

しかし、エスティマだって言われたはずだ。導いてやって欲しいと。

……そう。私はこの子を導いてあげなければならないんだ。

胸中で渦巻くものを仕舞い込んで、なのはは笑顔を浮かべる。

守護騎士と言っても、まだ子供。魔法を覚えたばかりの自分と同じ歳。

……私だってたくさん迷って、色んな人に助けてもらったんだ。だから、今度は私が助ける番。

「シャマル」

「……はい」

「シャマルには夢があるんだよね。大事な夢が。
 だったら、それを諦めちゃ駄目だよ」

「でも、私は管理局で働かなくちゃいけなくて……」

「そうだね。でも、それだけが全部じゃないから。
 大丈夫。誰かがシャマルを責めても、私が一緒にいてあげる。
 だから、大事なことを捨てたりしないで。
 一緒に頑張ろう。そして、考えよう?
 一人で抱え込んだりしないで。シャマルの周りには、たくさんの人がいるんだから」

「けど、私は悪いことをして……」

本当は嫌われてるんじゃ、とシャマルが口にした瞬間、なのははシャマルを抱く腕に、少しだけ力を込めた。

どんな言葉をこの子にかければ良いのだろう。

闇の書事件の被害者遺族。償いをしたとしても尚向けられる怨嗟に、シャマルやシグナムは耐えられるだろうか。

すべての人がシャマルに恨みを持っているわけではない。それはなのはの家族がそうだし、友達もだ。

しかし、全ての人がそうではない。この子はそれに気付いてくれるだろうか。

純真なままのシャマルでいることができるだろうか。

……ううん、いさせるんだ。

それが、この子を預かった私の役目だから。

罪を償うために、シャマルたちは生まれ変わった。そして今は、罪を償う以前の問題として、これからどう生きて行けばいいのか分からなくなっている。

罪の償い。それとどう決着を付けるのかは、なのはにも分からない。

ただ今は、この子が潰れずにいるにはどうすれば良いのか。それだけを考えよう。

「守ってあげる」

「……え?」

「折れず、曲がらず。シャマルが今のまま、夢を追い続けるままでいられるよう、私が一緒にいて守ってあげる。
 シャマルが一人で大丈夫になるまで」

「……けど」

「守ってあげるから」

再びぎゅっとシャマルを抱き締めて、なのはは心の中で小さく呟く。

……寄り道になったとしても構わない。この子と一緒にいよう。

シャマルが自分で決着をつけることが出来るようになるまで。




























暗い、暗い部屋。

多くの本棚に囲まれ、遮光カーテンによって窓を覆われた部屋。

その中を、光源となるいくつもの紙片が舞っている。

イエローの光を纏った紙片。そこに書かれている古代ベルカ語を頭の中に入れながら、カリム・グラシアはマルチタスクを使用して文字の羅列――予言の内容を見極めようとしていた。

彼女の稀少技能、予言者の著書。それに記される事柄に、ここ最近、一つの新たな項目が増えたのだ。

内容は確定してしまった。もはや避けることのできない未来なのだろう。

四行からなる予言。

それを見極めようと目を細め、彼女は同じテーブルについている二人に声をかけた。

「わざわざごめんなさい、はやて。忙しいところに、ごめんなさい」

「ええんよ。大変なのはエスティマくんやなのはちゃん。
 私には、二人の手伝いしかできへんし」

そう言い、はやては力なく笑う。

少なからず無力感を味わっているのだろう。元は彼女のものだった二人の守護騎士。愛着だってあったであろう彼女たちを、ただ見ていることしかできないのは。

カリムは目を伏せて息を吐くと、意識を切り替える。

今は彼女を呼び出した用件を伝えないと。

周囲を舞っていた紙片の内一枚が、不意にはやての手元に飛んでくる。

はやては首を傾げながらそれを手に取ると、眉を潜めながら書いてある文字列を解読しようと試みる。

しかし、さっぱりだ。古代ベルカ式の魔法を使うとはいえ、言語まではマスターしていない。

「カリム、これは?」

「私の稀少技能は知っていますね?」

「あ、うん。前に言っていた、予言の。
 それが、これ?」

「ええ。そこに記されているのは、ここ最近、ようやく確定した未来の情報です」

「……ええっと、ごめん。何が書いてあるのかさっぱりです」

そうでしょうね、とカリムは苦笑すると、小さく喉を鳴らして、予言の内容を口に出す。

「法を守る者たちと彼らの砦が焼け落ちる中。
 王の証、もしくは印を持つ者、邂逅を果たす。
 暗幕の跡地で力果て、死者の列に加わり。
 親しき者との別離が、緩やかな終焉の始まりとなる。
 ――と、予言にはそう記されています。
 内容の方は解析が進められていますが、未だはっきりとしません。
 しかし、いくつか分かっていることがあります」

「分かっていること?」

「はい。これに記されている、王の証、もしくは印を持つ者。
 この人物が鍵となっているようです」

「王の証……」

「はい。そして重要なのは、王の証を持っているだけで、王である、と断言されていないことでしょう。
 ……王の証、と一言に言っても色々あります。既に失われていますが、聖王教会ならば、ずばり聖王の血筋。
 聖王に限定しなければ、古代ベルカで他に王の証明となったものも多くあります。
 ミッドチルダの場合もまた、色々と。
 それに関わる者のリストをあとで送るので、あなたにはその人物をそれとなくマークして欲しいのです」

「分かった」

二つ返事で、はやては頷きを返す。

管理局に籍を置いていると言っても、はやては聖王教会の人間なのだ。上司であるカリムの頼み事を断ることなどできない。

それにこれは、頼み事ではなく命令に近いものなのだろう。

そこから続くカリムの説明を聞きながら、はやてはマルチタスクで先程聞いた予言を思い出して、それにしても、と呟く。

焼け落ちる中。酷く不吉な一文。

もし予言に記されたできごとが起こったのだとしても、発生すること自体が既に災いではないのか、と。

……後手に回るのが前提か。せやけど、無視することはできひん。

小さな覚悟を決めるも、嫌な予感がどうしても拭えず、はやては言い表せない気持ち悪さを感じた。




[7038] カウントダウン1
Name: 角煮◆904d8c10 ID:63584101
Date: 2009/04/25 13:06


冷たい風が髪の毛を揺らす場所。人の温もりや活気といったものが欠落した都市。ミッドチルダのクラナガン、そこの辺境ともいえる、廃棄都市郡。

その一角に、管理局の制服を着た者たちが指揮車を中心にして展開していた。

地面に広がるアスファルトはひび割れて、雑草がたくましく顔を出す道路には不釣合いな現役の車両。その脇には一組の男女がいる。

いや、男女とは言えないだろう。二人とも少年少女の域を出ていない。

顔にはまだあどけなさが残っているが――それとは上手く混ざり合わない真剣な表情を、少女、八神はやては浮かべていた。

バリアジャケットは既に展開している。黒いボディースーツの上から白い上着。ベレー帽を頭に乗せている彼女は、手に持ったシュベルトクロイツの先端を地面に下げ、身長差があるため見上げる形でエスティマ・スクライアに視線を送っていた。

エスティマもまた、バリアジャケットを展開している。白を基調にした装甲服。マントの裾を揺らしながら、彼は送られてくる通信をじっと聞いていた。

――今日、首都防衛隊第三課がここへきたのは、上からの命令があったからだ。いつの間にかクラナガンに入り込んでいた違法研究組織。害虫が知らぬ間に巣を作るように、彼はいつの間にか廃棄都市郡に根を張っていた。

その根が深いのかどうかは、まだ分からない。ただ、大規模な戦闘が予想されるという。

……それにしても、とはやては胸中で呟く。

今回の任務は予定にない急なものだった。今日になって出動要請がきて、そうして三課はここにいる。

要請に応じたときのエスティマの顔。それを思い出して、はやては首を傾げたい気分になった。

通信がくる少し前までは自分たち――はやてやリインフォースⅡ、シャーリーと談笑していたとは思えないほどに乾いた表情。

そして今もエスティマは気を抜くことなく、不機嫌にも見える顔色を一切変えずに通信に聞き入っていた。

片手槍のカスタムライトを握る彼の手は、やや強めの力が入ったままだ。

……緊張しているんかなぁ。

そこまで重要な捜査なのだろうか、これは。そう思うも、確信はできない。

エスティマがこういった顔をすることが稀にあることを、はやては知っていた。

しかし、彼が今と似た顔をしている状況を思い出してみても、共通点は見当たらない。

強いて言えば、任務中であること。任務中に緊張感を持つのは当たり前なのだから、共通点とは言えない。

なんでこんな顔をしているのだろう、とはやては疑問と共に、不安が湧き上がってくる。

聞いてもきっと教えてくれない。隠し事が下手なくせに、エスティマは隠し事をしたがるのだ。それはずっと近くにいるはやてだからこそ知っていること。

きっと今も、何かを隠しているんじゃないか。勘でしかないが、はやては確信していた。

……隠し事なんて。そんなことせんで、頼ってくれてもええのに。

そう考えるも、いや、と自分自身で否定する。

最近になってようやく分かってきたことだが、隠し事をする場合には、隠したい、隠さなければならない、といった二つの違いがある。

はやてもエスティマに隠したいこと――プライベートなこと――と、隠さなければならないこと――聖王教会の仕事――があるように。

部隊長ともなれば、部下に言えないことの一つや二つはできるはずだ。彼が今隠しているのは、それなのかもしれない。

……それでも知りたい。頼って欲しいって思ってしまうのは、きっとワガママやね。

自分は独占欲が強いのかもしれない。

そんなことを考えていた時だ。

「……はやて、ザフィーラ。リインフォース」

「はい」

「行くぞ。戦闘機人プラントが発見されたらしい。それと同時に、違法研究を行っていた研究者も。
 防衛用の機械兵器に苦戦しているらしい」

はやてはリインフォースとユニゾンで後衛。ザフィーラが先頭で。そう短く告げると、エスティマは裾を翻して先に行ってしまう。

足元にいるザフィーラに目を向けると、彼は尻尾を一度だけ揺らして、彼の後に付いていった。

はやても遅れないように、駆け足で続く。

「……はやてちゃん」

「なんや、リイン」

「なんだか、空気が重いですよー」

目線の高さで空を飛ぶリインフォースが、がっくりと肩を落として息を吐いた。

この子も場の空気が読めるようになったか、と少しだけ感慨深くなりながら、はやては苦笑する。

「しゃーない。ちょっと大変そうなお仕事やからね。せやけど、大丈夫。
 ちゃちゃっと終わらせて家に帰れば、いつもどおりになるよ」

「うー……早く終わらせて帰るです」

肩にへたり込んだリインフォースは、そのままずぶずぶと沈みこんでユニゾンイン。なんとも気合の入らないセットアップである。

スレイプニールを使わず、はやては飛行魔法を発動して宙に浮く。

突入口である地下水道の入り口に遅れて到着すると、片膝をついたエスティマがザフィーラの頭を撫でていた。

しかし、視線だけは間隔を空けてライトに照らされている地下水道に向けられている。

彼は腰を上げるとカスタムライトのロッドを伸ばし、戦闘態勢へと移行すると、サンライトイエローの光に身体を包む。ブリッツアクションか。

本来は空戦魔導師であるはずなのに、最近では陸戦も板に付いてきたエスティマ。これも聖王教会と関わりが深いからだろうか。

シスター・シャッハに感謝するべきなのか、呆れるべきなのか。

「行くぞ。はやて、ザフィーラにブーストを」

「分かった。盾の守護獣に、守りの加護を――」

『――祝福の追い風を』

リインフォースに詠唱が引き継がれ、強化魔法が完成する。

狼形態のザフィーラはくすぐったそうに身を震わせると、一度だけこちらを向いて、下水の流れている隣にある通路を進み始めた。

そうして第三課の任務は開始される。

はやてはエスティマの背中を追いながら、リインフォースと強力していくつもの魔法を構築する。

ある意味、バックアップは何も起きていない時が最も働いているだろう。いざというときのためにフィールドバリアの準備。治癒魔法。追加の強化魔法。バインドの用意。戦闘が開始されれば、自分の身を守りつつそれらを迅速に発動させなければならない。もっとも、すべてをフォローできるが故に彼女の仕事が増えているのだが。

三課に入ったばかりの頃はエスティマと肩を並べて戦いたいと不満もあったが――彼とは相性が悪すぎる。自分と一緒にいたら持ち前の速度を殺してしまうのだ。

脚を止めて戦うならまだしも、移動しながら戦う場合は足手まといになってしまう。

だから彼女は少し離れたところから彼を手助けする。それが一番。

ひたすらに通路を進んでいると、不意に閃光が瞬いた。

迫る熱線をザフィーラが弾くとほぼ同時に、

『ガジェットドローンⅠ型を六機確認』

エスティマとザフィーラに念話を送る。

分かった、と二人から念話が返ってくると同時に、走り続けているザフィーラとエスティマの足元に古代ベルカ式、ミッドチルダ式の魔法陣が展開する。

鋼の軛。地面から生まれ出でたライトブルーの刃で三機の機械兵器が。ザフィーラの背後から放たれるようにして出現した六発のサンライトイエローの誘導弾が二手に分かれて三機のガジェットドローンを食い散らかし、爆散させる。

僅かに歩調を弱めて周囲を警戒してみるが、何もない。はやてがエリアサーチをこの場に残したことを確認すると、三人は再び進軍。

その調子でどれだけの機械兵器を鉄屑に変えた頃だろうか。

不意に通路が途切れ、開けた場所に出る。

目に映ったのは、いくつもの生体ポッド。空のものもあれば、人か、人のようなものが浮いているものもある。

思わずそれに目が行ってしまうが、暗い空間の中、その隅に動く人影を見つけた。

白衣を着た三人の男。それを守るように、二人の女が立っている。長身と小柄。

女の方は二人とも青を基調にしたボディスーツを身に付けている。ただ、小柄な――長い銀髪が特徴的な方はその上にコートを羽織っているが。

彼らを目にして、はやては気を引き締めなおした。

相手が機械兵器ではなく人ならば、エスティマが彼らに――

ぎゅっとシュベルトクロイツを握り締める。しかし、エスティマは一向に口を開かない。

そして、それは向こうも同じだ。はやてたちが管理局員なのだと気付いているだろうに、動き出す気配がない。

……何かあるん?

問いかけようとして、はやてはエスティマの背中へと視線を向けた。

そこで、不自然なことに気付く。

カスタムライトを握る彼の手が震えている。ぶるぶると、切っ先が定まらずに揺れている。

「……エスティマく――」

「……はは」

はやての呼びかけを遮り、エスティマの口から言葉が漏れた。

彼がどんな表情をしているのか、はやてに分からない。ただ、震えていた声からは、濃密な感情を読み取ることができる。

それはきっと、

「ははは……」

歓喜だ。

流石にザフィーラも様子がおかしいと思ったのだろう。こちらを伺うように、戦闘機人を警戒しながらも顔を向けてくる。

しかし、エスティマはそれにも構わず、

「はははは……!」

ひゅん、と風切り音を上げて、手の中でカスタムライトが一回転。

そして切っ先を戦闘機人に突き付けると、

「見つけた……ようやく見つけた!」

『カートリッジロード』

ガン、ガン、ガン、とカートリッジが炸裂する。

「Seven Stars!」

『魔力刃形成』

ガンランスの刃に、サンライトイエローの光が集い魔力刃が形成される。

バチバチと大気を焼く音。左腕でロッドを握っているせいなのか、魔力刃には雷撃が負荷されているようだ。

その時になって、ようやくはやては我に返った。

呆然としている場合じゃない。様子がおかしいならば、まずは落ち着かせなければ――

『――Phase Shift』

しかし、はやてが行動を起こすよりも早く、エスティマは稀少技能を発動させてしまった。

瞬間、彼の姿が掻き消える。ベルカの騎士といえど一握りの者しか反応ができないほどの速度。それをもって彼は戦闘機人へと突撃し――

ガギン、と、酷く重々しい音が連続して、火花が何度も瞬くと共に再び姿を現した。

見れば、手首に魔力刃に似たエネルギー翼を発生させた戦闘機人とエスティマが鍔迫り合いの状態に。

……わけが分からへん。何が起こっとるの?

状況に追いつけないはやてたちを無視して、エスティマは声を張り上げる。

「失せろトーレ! お前は眼中にないんだよ!」

「エスティマ様、私を邪険に扱いますか。なかなかに屈辱ですよ!」

離れた場所にいるはやてたちに聞こえるほど大きく舌打ちして、エスティマは裾を翻す。

鍔迫り合いをした状態のまま脚を僅かに持ち上げ――切り結んでいる方とは違う、石突き。ステップを踏みながらそれを後ろ回し蹴りの要領で蹴り飛ばし、蹴りに乗せた殴打で戦闘機人を弾き飛ばす。

不意打ちを受けた長身の戦闘機人はガードをする間もなく連撃の魔力刃で切り裂かれ、たたらを踏みながら胸元を押さえ、くつくつと笑い声を上げる。

しかし、エスティマは彼女に注意を向けない。

演舞のようにガンランスを振り回し、ステップを踏んで、カスタムライトのカートリッジを更に一発ロード。

刃を振り上げ、エスティマは銀髪の戦闘機人へと身体を向ける。

その際、長い後れ毛に隠れて僅かに覗いた彼の横顔は、口元を三日月のように吊り上げたものだった。






















リリカル in wonder





















蛍光色の照明に照らされた通路。そこを、青を基調としたボディスーツに身を包んだ少女が二人、歩いている。

浮かび上がった身体のラインは、どこか幼さが残っている。十四、五歳といったところか。

その片方。後ろで髪の毛を束ねた少女――ディエチは、隣にいるセインへと顔を向けた。

「今頃、会ってる頃かな。チンク姉」

「かもなー。感動のご対面ってやつ?」

「そうはなってないと思う」

「だよねー」

ディエチとセイン――というよりは、現在起動しているナンバーズにとって、エスティマとチンクの因縁は半ば常識と化していた。

友達として接して、それが実は敵だった。ありがちな話とは思うが、それは物語だった場合だ。実際そんな状況が身近で起きれば、話の種になるだろう。

事が起こったのはもう随分と前だが、今でもこの話題は引っ張られている。

それは話の中心人物であるチンクが未だにエスティマのことを忘れていないから、というのもあるが、彼女たちの環境が閉鎖的、というのも理由になっているのか。

しし、と笑いながら、セインは会話を続ける。

「まー、トーレ姉とメガ姉も一緒にいるしねー。案外、あの子がこっちに引き込まれたりして。力ずくで」

「かもね。力ずくで」

「けど力ずくで一回ボロ負けしてるからなぁ」

「ボロ負けしてるね」

言いつつ、二人は脚を進める。

行き先は訓練室。日課となっているトレーニングは、嫌な話だが彼女たちにとっては娯楽の一つだ。

訓練室に入ると、既に先客がいた。

バリアジャケットである茶色の外套を翻しながら、淡々と槍を操っている姿。

ゼスト・グランガイツ。レリックウェポン二号機。エスティマが試作機ならば、実験機とも言える存在。

彼はセインたちを一瞥するも、反応はそれだけだ。腕を休ませることなく、日課のトレーニングを行い続ける。

相変わらず無愛想、とセインは彼から視線を外すと、ディエチと共に訓練を開始した。

どちらも直接戦闘を行うタイプではないので、コンビネーションを。

そうして一時間ほど身体を動かすと、彼女たちは腕を止めた。

この二人でできることはそう多くない。やはり他の姉妹たちがいないとどうも――と。

これから何をしようか、などと考えていると、訓練室に小さな影が入ってきた。

五歳ほどの少女。紫の長髪と、黒を基調とした、フリルの多い服が特徴的な。

ルーテシア・アルピーノ。彼女もまた、ゼストと同じレリックウェポン。その三号機。

だが、その物騒な身の上とは思えない仕草――胸に四つのボトルを抱えて、無表情ながらも必至そうな様子――を見せながら、彼女はふらふらと歩いていた。

彼女はゼストへとボトルを渡すと、一言二言交わしてセインたちの方へと。

「……はい」

「ありがとうございます、ルーお嬢様」

「ありがとう」

「……ん」

小さく頷き、彼女は手元に残ったボトルに口を付ける。自分の分も準備していた辺り、妙にしっかりしている。

両手で持ったボトルから伸びるストローをちうちうと吸う姿に、和むー、とセインは表情を弛ませる。

「お嬢様は訓練したりしないんですか?」

「しなくて良いって、ゼストが」

「そうですか。ま、いつ何があるか分かりませんから、魔法の訓練はやっておいた方が良いと思いますよ」

『セイン』

『何さディエチ』

『こっち睨んでる』

誰が、とは言わないが、なんとなく察することができた。

顔を向けず、指先のペリスコープをゼストの方へ。ディエチが念話で言うように、こちらを睨んでいた。

……まー、悪い虫っちゃあそうなんだろうけどさぁ。

「んじゃあ私たちはこれで。飲み物、ありがとうございました」

「……うん」

それじゃ、とルーテシアに手を振って、セインたちは訓練室を後にする。

そしてドアが閉まると同時に、どはー、と息を吐いた。

「ゼスト様、やっぱ私たちのことを嫌ってるねぇ。その内態度も軟化するかと思ったけど、ありゃあ駄目かも」

「仕方がないとは思うけど」

「ま、一度殺された上に兵器として復活させましたー、なんて言われたらしょうがないだろうけど。
 でも、殺気立つことないだろうにねー」

言いつつ、二人は通路を歩く。

そうしていると、ふと、通りがかった分かれ道で見知った顔を見つけた。

培養ポッドを見上げる小さな姿。一声かけようかと思うも、セインは止めて脚を進める。

「ルーお嬢様もそうだけど、やっぱり親って大事なもんなのかねぇ」

「大事なんじゃないかな。良く、分からないけど」

「私らの場合はドクターだけど……親って感じがしないしなぁ、あの人」

脳裏にスカリエッティの顔を思い浮かべてみるが――喜色全開で笑い声を上げる光景が浮かび、思わず溜息。

「まぁ、私たちには分からないことだ」

「そうだね……って」

ディエチが脚を止めると同時に、セインも脚を止めた。

そして、通路を歩く三人の姿に目を見開く。

「ちょ、三人ともどうしたの!?」

「すまん。手を貸してくれ」

現れたのは、トーレ、クアットロ、チンクの三人だ。

任務から帰還したのだろうが――何があったのだろう。彼女たちの姿は、誰でもそう思ってしまうであろう有様だ。

チンクは身に纏ったシェルコートが引き裂かれている。頬に細かい切り傷があるが、怪我と言ったらその程度。

他の二人、気絶してチンクに引き摺られているトーレとクアットロ。トーレの方は、右腕が嫌な方向に折れ曲がっている。青色のスーツは赤黒く染まっているが、どうやらそれは返り血のようだ。

トーレと比べれば幾分マシだが、クアットロも普段の余裕ある様子からは考えられない状態。

眼鏡のレンズは割れて蜘蛛の巣状に罅が入り、フレームが辛うじて耳に引っかかれていた。縛った髪の毛は解け――いや、片側が見事に切り取られているのか。

「いや、油断した。リミッター付きだとしても、技量は変わらないものだな」

「……油断したの、クアットロだろうね」

「いや、冷静すぎない二人とも!? ドクター、急患ですー!」



























「……よし、終了。左腕はまた後日。
 薬は窓口で受け取れ」

「どうも。いつもすみません」

「いつも、だな、本当に。こっちは常連なんか欲しくもないんだが」

そう言って舌打ちする医師に、思わず苦笑。

目の前にいる中年男性は、俺の専属とも言って良い医師だ。中将と共闘することになってから、ずっと身体の調子を見てくれている人。

最初の頃はもっと口調が丁寧だったりしたのだが、今はこんなんだ。

まぁ、ことある毎に病院のお世話になっているから、恨み言の一つや二つ言われてもおかしくないんだが。

空いている左腕で、額に触れる。包帯のざらざらとした感触。フィアットさんのISで起こった爆発を防ぎきれず、ぱっくり額が割れました。

ちなみに右腕はトーレと刺し違えて、あわや切断、と。捕まえたぁ!→バスターコレダー! のノリです、はい。

その他、五カ所の打撲と骨にヒビ。魔法で治療されたから重傷というわけではないけれど、二、三日は戦えないだろう。

……くそ。

折角、あの人と会えたっていうのに取り逃がしてしまった。

次のチャンスが巡ってくるのがいつになるのか分からないっていうのに――

「スクライア執務官」

「あ、はい」

思考に没頭しようとしていたところに、医師の声が届いた。

顔を上げると、彼は呆れ顔でカルテを机の上に並べている。

「この間見せて貰ったリミットブレイクのプランなんだがな」

「はい。何か問題が?」

「……リミットブレイクそのものが医師としては頭痛の種なんだが、まあいい。
 意見が欲しい、ってことだが、これはどういう意味だ?
 死なない範囲でどこまで戦えるか、ってのを予想しろってことか?」

「はい、その通りです」

「ああそうかい」

再び舌打ちされた。まぁ、当たり前か。

彼はしかめっ面のまま、トントン、と机を指で叩く。

「何度も言ったし、あんたも耳タコだろうが、もう一度。
 死にたがりの人間を治すのは、俺の大嫌いなことの一つでな。
 治してもそれを嘲笑うようにまた怪我をされちゃ、たまったもんじゃない。治す甲斐がないわけだ。
 ……仕事だから手は抜かないがな。
 だがそれでも、言わせてもらおうか。
 死んでもやらなきゃならないことなんて、ないんだよ。生きてこそ、だ。
 死に急ぐ執務官様は、そこら辺を分かっているんでしょうかね?」

「分かってますよ。だから、ギリギリのラインを見極めて欲しいんです」

「っとうに……!」

苛立たしげに頭を掻きむしると、彼は深々と溜息を吐いた。

そして手で目元を覆うと、自分自身を落ち着けるように深呼吸する。

「……まあいいさ。
 で、リミットブレイクだが。
 俺の予想では、三回。負荷、魔力量から考えて、これが限界だ」

「そうですか。もっといけると思っていたんですが」

「普通の人間なら、このリミットブレイクを三度も使うことはできない。負荷に耐えることも。
 ……レリックウェポンに改造されたのだとしても、魔力放出量やらなんやらが飛躍的に上がったわけじゃないんだ。
 大魔力に対応した身体に生んでくれた両親に、感謝しろ。
 もし並の身体ならば、とっくの昔に壊れてる」

「そうですね」

言いつつ、苦笑する。

フェイトの失敗作なのだとしても、人造魔導師として作られたこの身体のポテンシャルは高い。

それを証明するように、俺は原作のゼスト隊長のような身体の不調を感じたりはしていないのだ。

古いベルカの血を引く隊長は、あまり魔力量が多い方ではなかった。だからこそ、インプラントされた魔力結晶体の生み出す莫大な魔力に身体が耐えられなかったのではないか。

しかし俺は、九歳の時点でAAランクの魔力を持っている。だからこそ、魔力を持て余して、目に見えるレベルで身体を傷付けるようなことはない。

……もしレリックウェポンなんかに改造されなかったら、最終的にはどこまで魔力量は伸びたのだろうか。

今更なことを考えながら、席を立って医師に頭を下げる。

またよろしく、と声をかけたら、殺されそうな目で睨まれた。……他意はないんだけど、やっぱり不謹慎だったか。

通路を歩きながら、頭を締め付ける包帯と、首にかかる違和感に痒みを覚える。

首から吊した右腕が重い。数日でおさらばとはいえ、このまま生活をすると考えると気が沈む。自業自得なんだけどね。

この後はどうしようか。時刻はもう夕方の六時。一度隊舎に寄るべきなんだろうけど――

そんなことを考えていると、通路に置いてあるベンチに見知った顔を見つけた。

「……エスティマ、おめぇ、どうした?」

ゲンヤさん。陸士の制服を着た彼は、目を見開きながら腰を上げる。

なんでまたこの人がこんな所に。

「えと、任務でドジっちゃいまして……」

「大怪我じゃねぇかよ。大丈夫なのか?」

「痛覚は魔法で切ってますから、動く分には問題ありません。二、三日で完治するようですし」

「それなら良い……良いのか? まぁ、問題ないならかまわねぇが」

と、胡散臭い目で俺を見るゲンヤさん。

え、何その視線。不思議生物でも見るような。

「ゲンヤさんはどうしたんですか? 先端技術医療センターなんて、滅多に来る場所じゃ……」

そこまで口にして、ああそうか、と納得する。

ゲンヤさん本人に必要はなくても、ギンガちゃんやスバルには関係があるのか。

定期検診か何かだろうか。

しかし、どうしよう。口にした言葉は引っ込めることができない。

俺にかけられた言葉に、ゲンヤさんも目を逸らしている。

「えっとな……えーと、そう、そうだ。痔が酷くてよ」

「……そ、そうですか」

「そ、そうなんだよ」

……酷い切り返し。何も言えない。言うつもりもないけど。

「……お大事に」

「おう」

身体を張った嘘ですか。……嘘だよね?

どんな目でゲンヤさんを見れば良いんでしょーか、と言葉に出来ない心地となる俺。

話を逸らさないと。

「えと、そうだ。この間の件、ありがとうございます」

「ん? ああ、気にすんな。優秀な魔導師が入ってくれれば、それだけでこっちは助かるんだからよ。
 それに、そう何度も礼を言われちゃ、逆にこっちが畏まっちまう」

そう言い、笑うゲンヤさん。

この間の件とは、シグナムのこと。

あの子が所属する部隊は、陸士108部隊になることが半ば決定しているのだ。

最初はヴァイスさん辺りにでも頼もうと思ったのだが、俺が介入したおかげで幸か不幸か、あの人は一人のエース級魔導師として日々こき使われている。

そんな状態のあの人にシグナムを預けても、酷い重荷になるだろう。

任務をこなしつつ、他のことも。それがどれだけ負担がかかるかは、分かっているつもりだ。

そうなると、俺が頼りに出来るのはゲンヤさんしかいなかった。

クロノに頼むのも手だろうが、シグナムを海にやれば俺との距離が離れ、きっとあの子は今以上に切羽詰まった状態になるだろうから。

「シグナムのことは任せておけ。あんま口にすることじゃねぇんだろうが、俺の部隊は人間できてる奴らが多いと思ってる。
 可能な限り俺も気を配るから、心配しねぇでお前は自分の仕事をやってろ」

「すみません」

「だからもう良いって」

そうしてると、

「あ、見付けた! エスティマくん油売ってないで、はよう帰ろ――」

通路を早足で通りかかったはやてが、俺に気付いた。

「あれ、はやて? なんでここに?」

「なんでって……エスティマくんの診察が終わるのを待っとったんよ」

「先に帰っても良いって言ったのに」

「なら、帰らなくてもええやん」

「そうだけどさ」

俺の言葉に唇を尖らせるはやて。どうやらご機嫌斜めの様子。

……っと、そうだ。

「あ、ゲンヤさん。紹介します。この子、三課で働いてくれている――」

「八神はやて、言います。……って、あれ?」

はやてはゲンヤさんの襟元に付いている階級章を見ると、慌てて姿勢を正して敬礼を。

その様子に驚きながら、気にすんな、と苦笑する。

「よろしく、ゲンヤ・ナカジマだ。陸士108部隊の部隊長をやっている。
 しかし、仲良いみてぇだなお前ら」

「ええ。九歳からの付き合いだから……もう、五年になりますね」

「五年かー……なんや、もっと長い気がする」

「そう? 俺は短い気がするけど」

「そりゃエスティマくんは駆け足に色々やってたからなー。
 私だってここ数年はエスティマくんと一緒やから、早く過ぎたなー思うけど」

などと会話しつつ、ゲンヤさんも忘れないように話を振らないと――

と、顔を向けたら、何やらニヤニヤとした笑みが向けられていたり。

……何?

「幼馴染みかお前ら」

「まぁ……そうなるんでしょうね。少し遅めですけど」

「こっから長い付き合いになるんだろうから、幼馴染みさ。なぁ? 八神の嬢ちゃん」

「えっと……はい、そうですね」

こくり、と頷くはやて。

まぁ、そうだろうけど。

「エスティマ。幼馴染みってのは、大事なもんだからな。歳を取ると自分のことを分かってくれてる奴ってのは減っていくもんだ。大切にしろよ」

「あの……」

はやては少しだけ顔を俯かせると、何やらもごもごと口にする。

「幼馴染みで終わらせるつもりは、ないんで……」

「ん?……おー、そうか。
 なんだエスティマ。お前ぇ、不憫かと思ったらそうでもないんじゃねぇか!」

「いや、この怪我とかどう見ても不憫……ってマズイマズイ! 背中叩かないでゲンヤさん!」

痛覚切ってるからその分怖いよ!

悪い悪いと謝るゲンヤさん。

そのまま会話を続けていると、彼は時計を見て立ち上がった。

娘たちがもう出てくる頃なのかな。変に食い下がったら迷惑になるだろうから、はやてと一緒に先端技術医療センターを出る。

話し込んでいる間に、とっぷりと陽が沈んでしまった。車のライトと街灯が照らす夜道を、ゆっくりと歩く。

「なぁ、エスティマくん」

車の騒音に負けないよう、はやてが大きめの声を上げた。

なんだろうか。電灯が点いていると言っても、暗いものは暗い。

上手く表情を読み取れないでいると、彼女は先を続ける。

「あの人がシグナムを引き取ってくれる人?」

「そうだよ。男手一つで娘二人を育ててる立派な人だ。あの人なら、きっとシグナムを悪いようにはしないさ」

「そか。少しだけ胸が軽くなったなー。
 それにしてもエスティマくん、あんな偉い人と知り合いやったの? 最初見たときは普通に話してたから、驚いたわ」

「ん、プライベートでね。三課……今の状態になる前の三課で、俺の面倒を見てくれた人がいてさ。
 その人の旦那さんが、ゲンヤさん」

「……女の人?」

「うん。ギンガちゃんにそっくりな――ああ、ギンガちゃんは、その人の娘なんだけど――」

「ふーん」

話の途中なのに、興味なさげな相槌を打たれた。どうやらまたご機嫌斜めな様子。

どうしたんだろうか。

「はやて、何かあった? 妙に不機嫌だけど」

「べっつにー。……いや、あったわ、不機嫌な理由」

え、何その今思い出したみたいな言い方。

「エスティマくん、今日の任務でなんであんな馬鹿みたいなことしたの?」

と、いきなり口調に怒りの色が混じった。

……その内、言われると思っていたけどさ。

「ノープランで突っ込むから、ザフィーラも私もどうフォローして良いかさっぱりやった。
 隊長さん、指示も出さないで何やっとんの?」

「う……それは……」

「それで二対一で袋叩きに合って大怪我。戦闘機人がもう一人いるのに私らが気付かなかったら、もっと酷いことになっていたかもしれへん。
 もう自重してとか、そういう次元じゃない」

ぐうの音も出ない。

……そう。本日の任務であった内容は、はやてが言ったような感じである。

ナンバーズを前にして目の前が真っ赤になった俺は、そのまま突撃。トーレを半ば無視する形でフィアットさんを捕らえようとしたが、邪魔が入って散々なことに。

最終的にはトーレと相打ちの形で俺は戦闘不能になり、ザフィーラに首根っこを咥えられて長距離転送で離脱。

その後、はやてのデアボリックエミッションで区画ごと魔力ダメージを叩き込むという力業で決着となった。

しかし、俺たちが退いた後に送られた陸士部隊の報告によると、戦闘機人の姿はないという。逃がしてしまったわけだ。

冷静になった今ならどれだけ自分が馬鹿なことをしたのか分かるが……またナンバーズが目の前に現れたら、落ち着いて戦えるかどうか。

「……あんな、エスティマくん」

「うん」

「今日のエスティマくん、らしくなかった。
 それに戦闘機人を見たときの、ようやく見付けた、ってどういう意味?
 何か理由があって無茶をしたなら、それをちゃんと教えて。
 じゃなかったら、また今日みたいなことが起きる。
 ……私は、エスティマくんに怪我して欲しくないんよ。危ない目にも、遭って欲しくない。
 三課が陸の主力として扱われているんやから、私が馬鹿なこと言ってるんは分かってる。
 けどそれでも……」

言いながら、はやては腕を持ち上げて、俺の左袖をきゅっと掴んだ。

言葉にできない何かを訴えてるような、そんな行動。

脚を止め、どう言ったら良いものかと考え込んでしまう。

……本当、どこまで言ったら良いものか。

「……あのさ、はやて」

「うん」

「さっき言った、前の三課の話なんだけど。
 ……部隊が壊滅した事件には、あの戦闘機人たちが絡んでいるんだ。
 だからどうしても、彼女たちを見ると大人しくしていられない」

「……仇討ち?」

「どうだろう。それとは違うんだけどね。
 ……罪を。そう、罪を償わせたいんだ」

「ん……ちょお、難しいな」

はやては困ったような口調で口を開くと、袖から手を離した。

そして今度は、ゆっくりと、俺の手へと。

手を重ねるのではなく、指と指を重ねる形で手を繋ぐ。どこか遠慮しているような。

はやての手は、なぜか汗でしっとりと湿っていた。

気温が高いわけでもないのに、どうしたのだろうか。

「はやて?」

「よう分からへんけど、エスティマくんがそうしたいってのだけは分かったわ。
 けど、それと無茶は別。放っておいたらどっかに飛んで行ってしまいそうなエスティマくんは、捕まえておかんとな」

ほな帰ろ、と口にすると、はやてはプイっと顔を逸らしてしまった。

どんな表情をしているのか分からない。まだ不機嫌なのかねぇ。

どうしたもんか、肩を竦める。

――そうすると、首から提げていたリングペンダントが動いて心地よい音が響く。

チリン、と。

























握り締めると、チリン、と、手の中のリングペンダントが音を上げる。

それをじっと見つめながら、ナンバーズの五番。チンクは小さな息を吐いた。

仰向けにベッドへ寝転がり、投げた四肢がシーツに皺を作っている。

……アイツ、背が伸びていたな。

隣立ったらどうなっているだろうか。もう、私の方がずっと低いんじゃないか。

そんなことを考えて、彼女は口元を綻ばせた。

しかし次の瞬間には、自分自身を戒めるように引き結ぶ。

久し振りに出逢ったエスティマは、自分のことを目にして、驚くほどに戦意を高揚させていた。

あの夜に交わした約束を、忘れていないのだろう。

それが嬉しいと思う反面、どうしたものか、と考え込んでしまう。

エスティマが自分を捕まえ、罪を償わせる。彼の決めたルールはそれだ。

しかし、それは果たされるのだろうか。

分からない。

いつまでもエスティマに甘えては悪いと分かっている。戦闘機人事件から三年だ。三年経って、ようやく顔を合わせることができた。

しかし、自分から捕まりに行くのは何か違う。

ここまできて管理局に自首するなど、どんな尻軽だ。それに、エスティマへの負い目もある。

彼が決めたことにぐらいは従ってやらないと。我ながら不器用だと分かっているが、しかし、もう二度と彼を馬鹿にするようなことはしたくないのだ。

「次に会えるのは、いつだろうか」

どんな状況で会えるのだろうか。今度は負けてしまうのか、勝ってしまうのか。

……駄目だ。妄想が止まらん。

いかんいかん、と枕に顔を埋めて、チンクは呻き声を上げた。


























暗い、暗い部屋。

天然の光源は何一つなく、部屋を照らす物は人工的な、蛍光色のライト。

いくつものディスプレイに囲まれ、手元の鍵盤型キーボードを叩きながら、黄色の目を爛々と輝かせる男がいる。

目の下にできた濃い隈が瞳の輝きを助長して、彼の印象をより狂気的な方向に強めていた。

ジェイル・スカリエッティ。碩学にして狂人。違法研究に手を染めなければ、間違いなく歴史に名を残しているであろう天才。

彼はモニターに映る戦闘映像を見ながら、どこか不満げに溜息を吐く。

それでも、楽しそうな表情は変えずに。

「ふむ。限定解除をせずとも、トーレとは互角に戦うか。
 隠密行動しかできない故の経験不足が、ここに来て響いているのだろうか。
 このままではその内、押し切られてしまいそうだよエスティマくん」

そう、今のままでは。

「ドクター」

すっと、暗がりから女が姿を現す。

ナンバーズ・ウーノ。彼女はスカリエッティに近寄ると、脇に抱えたバインダーを手渡す。

受け取ったそれを流し読みながら、スカリエッティは小さく頷く。

くつくつと、喉を鳴らして。

「同士たちの準備は、整ってきているようだね」

「はい。作戦の要である転送魔法も、アルザスの魔導師を捕らえたことで調整できました。
 あとは、ガジェットの生産が規定数に達するのを待つのみです」

「よろしい!」

ウーノの報告を聞いて、スカリエッティは靴の踵を鳴らし、両腕を開き、振り上げる。

「ははは、嗚呼、楽しみだ! 楽しみだとも!
 そうだろう、ウーノ?」

「はい、ドクター」

スカリエッティの喜びようになんら疑問を持った様子も見せず、彼女は笑い声を上げる彼に笑みを送る。

これから起きることを想像するだけで、徹夜に徹夜を重ねて蓄積した疲労も吹き飛ぶというものだ。

興奮を抑えられないと言うように身体を震わせ、スカリエッティは唐突に身を折り、不気味な格好でキーボードを叩く。

蠢く指の動きが尋常ではない。それが彼の胸中を表しているかのよう。

「遂に、遂に迫ってきた、この時が!
 私が真の敵になる時が。エスティマくんが真の敵となる時が!」

キーボードを叩き、いくつものディスプレイが浮かぶ。

そこには稼働中のナンバーズが映されている。

Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅹ――

「私の娘たちが最大級のもてなしをしよう!
 ……君は満足してくれるかね? 私を満足させてくれるかね?」

――Ⅷ、Ⅸ、ⅩⅠ、ⅩⅡ

本来ならばこの時期に起動していないはずのナンバーズ。Type-Rの名を持つ者達も。

歓喜が多分に含まれたたった一人の喝采が、研究所に響く。

――カウントダウン・0。

彼の秒読みは、ようやく終わった。






[7038] カウントダウン0 前編
Name: 角煮◆904d8c10 ID:63584101
Date: 2009/05/06 20:21

暗い、暗い部屋。

多くの本棚に囲まれ、遮光カーテンによって窓を覆われた部屋。

その中を、光源となるいくつもの紙片が舞っている。

イエローの光を纏った紙片。そこに書かれている古代ベルカ語を頭の中に入れながら、カリム・グラシアはマルチタスクを使用して文字の羅列――予言の内容を見極めようとしていた。

彼女の稀少技能、予言者の著書。

カリムは確定してしまった予言をじっと見詰めながら、ため息を吐いた。

いつ起こるとも分からない災厄。それを防ごうと動いていても、成果といえる成果はない。何が起こるのかすらはっきりとしない。

自分たちに出来ることといえば、忠告を関係者に行い、有事の際に備えておくことぐらい。

ミッドチルダ地上本部へ、予言の内容を伝えはした。しかし、それで何か動きがあるとは思えない。

彼らが聖王教会を好んでいないことも関係しているのだろうが、それ以前に金も人も足りない。

必ず起こると断言できない以上、それに注意を払いたくはないのだろう。

……まぁ、それならそれで。こちらは勝手に動きますが。

「はやて」

「はい」

カリムと同じテーブルに着いていたはやては名を呼ばれ、背筋を伸ばす。

「報告をお願いします」

「うん。指示された人物の調査は終わった。せやけど、予言に記されていたような、大災厄の火種になりそうなことをしとる人はいなかったわ」

「そうですか」

短く応え、カリムは目を伏せる。

……成果らしい成果はなかったか。しかし、それは自分たちも似たようなものだ。

ならば、次は違うアプローチを行うべきだろう。手段が何かは、まだ決定していないが。

「ありがとう、はやて。忙しい中わざわざ」

「ううん。これもお仕事の一つやし、しゃーない。それよりごめんな。何か成果があれば良かったんやけど」

「いえ。何もなかった、というのも一つの答えですよ」

「そか」

どうしたものか、とカリムは小さく溜息を吐く。

はやてを信用していないわけではないが、彼女が調べた人物を、違う視点を持つ人物からも調べて貰ってはいたのだ。

しかし、その人物からも報告らしい報告はない。

もしかしたら予言が示しているのは、まだ先のことではないのか。

そんなことすら考えてしまう。

「……では、はやて。引き続き調査をお願いします」

「分かった。他に何かある?」

「いえ。……ああ、そうだ」

そう言い、カリムは動かしていなかった頬を、笑みに変える。

「……今日は管理局のお祭りがあるんでしたね。三課は何かをするんですか?」

「んー、サイン会とかをなー。エスティマくんは勿論やけど、私も一応ストライカーに数えられているみたいなんよ」

「それはそうでしょう。ミッドチルダ地上ならば、オーバーSランク級魔導師はそういませんからね。
 あなたもストライカーの一人でしょう」

「そうかなぁ。あんま実感湧かないんやけど」

照れ臭そうに笑うはやてに、カリムは苦笑する。

自分を過小評価しているのだろう。しかし、それも仕方ないのかもしれない。

前線で戦う三課。その主力は、部隊長であるエスティマと、表向きは捜査犬扱いのザフィーラだ。

はやては補助と、いざという時の大火力。積極的に戦闘をするタイプではないのだから。

「あ、そだ。私は出ないんやけど、今年もエスティマくんとなのはちゃんの戦技披露会があるんよ。
 やっぱり目玉イベントらしくて、皆楽しみにしてたわ」

「らしいですね。シャッハも楽しみにしていました。はやて、どちらが勝つと思いますか?」

「なのはちゃんの方が魔導師ランクは高いからなぁ。けど、エスティマくんがどれだけ強いかは良く知っているし、なんとも。
 オッズはなのはちゃんの方が――」

「賭博は禁止じゃ……いえ、まぁ良いでしょう」

首を傾げながら、まぁ良いか、とお茶を濁す。

「それでは、はやて。頑張ってくださいね」

「うん。それじゃあ」




















リリカル in wonder


















さて、と。

……どうしたもんだか。

椅子の背に体重をあずけて、ギシ、と軋む音が耳に届く。

ブラインドカーテンから差し込む陽光。細かい埃の舞っている三課のオフィスで、俺は一人思案に暮れていた。

考えることは一つ。現時点での原作との相違点だ。

もはや考えることすら馬鹿らしいと言っても良い事柄なのだが、昨日のことを思い出して、どうしても考えてしまう。

現在、なのはの住んでいる世界――第九十七管理外世界は、ゴールデンウィークへと突入した。

その時に、本来ならば一つの事件が起こるはずなのだ。

空港大火災。スバルが魔導師になる切っ掛けとなる、重要な事件。

今日、クラナガンでは地域住民との交流を行う、管理局祭りが開催される。そこで遊ぶため、ギンガちゃんとスバルの二人はゲンヤさんの部隊へと遊びに来ているのだ。

移動には飛行機を使う――そう、実際に使って彼女たちはクラナガンへと到着した。

無論、俺もただ黙っていたわけではない。

……クイントさんから頼まれたこともあるしね。

レリックの爆発事故が起こる可能性があります、と中将に無理を言ってその日一日をフリーにしてもらい、ゲンヤさんに許可をもらって彼女たちを迎えに行き、いつ事が起こっても良いよう備えていたのだが――

……何も起きなかった。

実際のところは酷い肩透かし。ギスギスした空気の中、二人をゲンヤさんの元へと届けて一日が終わったのだ。

セメント対応のギンガちゃんに、俺と話をしようとしないスバル。正直、胃が痛んだ。

……それはともかく、だ。

どう考えるべきだろう。何かしらのバタフライ効果で、積み荷の日程がずれたのだろうか。

空港火災はいずれ起きる。そう考えるべきか、回避されたと思うべきか。

どうにも気持ちが悪い。今までターニングポイントに関わってきた所為なのだろうか。自分が何をして今の結果が生まれているのか。それが分からないのが、酷く不気味だ。

良いか悪いかで言えば、良いことだろう。空港火災が起きなかったことは。

施設が一つ消し炭にならずに済んだし、運が悪ければ、死人だって出たかもしれない。

だから喜ぶべきことなのだろうが――

「……変な話だ。介入して、目に見えて好転したら不気味がるんだからな」

『何を言っているのかは分かりませんが、好転したこと自体は喜ばしいことではないのですか?』

「どうだろうな」

首に下げたSeven Starsを人差し指で突きつつ、息を吐く。

……最近、息を吐くことが増えてきた。身体が煙草を吸いたがっているのかもしれない。

まぁ、息切れやだるさは魔導師の天敵なので吸うつもりはないが。

失って分かる健康のありがたみ、ってね。今以上に身体を虐める趣味はない。

……それにしても、空港火災は別にして、このままスバルが魔導師にならなかったとしたら、それは良いことなのか悪いことなのか。

彼女が六課以前に所属していた部署で救うはずだった命は、どこかの誰かが救ってくれるのか。それとも、誰にも救われず散ってゆくのか。

本当、今更だ。無限書庫が動いていないだけでも、かなりの影響が出ているというのに。

動いている状態をこの目で見たことがないから、どう違うのかはさっぱり分からないが。

「まぁこんなこと、考えたって意味はないのかもしれなけどさ」

などと考えていると、

「だーれだ」

不意に視界が塞がれた。

目元に暖かな感触。手で押さえられているのだと分かる。

「……フェイト」

「正解!」

手を解いて、俺の座っている椅子をくるりと回すと、フェイトは俺を正面にもってきた。

背中に流れる金髪。最近はそうでもないが、それでも俺と似通った顔立ち。

シャツの上に黒いジャケットを羽織り、下はジーンズ。男性的な格好はアルフの趣味だろうか。

それでもこの子が女だと一目で分かるのは、女性的な体つきになってきたからだ。

……しかし、お茶目なことをするようになったもんだなぁ。

フェイトは悪戯っぽい笑みを浮かべ、おはよう、と声を上げる。

「すぐにバレちゃった。もうちょっと悩んでくれても良いのに」

「フェイトの声、間違えようもないからね」

好きな声優だったし。

しかし、どんな風に受け取ったのだろう。

喜色満面といった感じで、そっか、と彼女は頷く。

「それにしてもフェイト。なんで施設内に入っているんだ? 関係者じゃないだろう」

「え? 受付の人にお願いしたら、通してくれたけど」

……まぁ、男が美人に弱いのはどの世界でも共通だけどさぁ。

「それで、変身魔法を使ってフェレットになってここに潜入。覚えてみると便利だね、これ」

「使い道は間違ってないけどさぁ」

「む……あ、そうだ。受付の人なんだけど、兄さんの妹だって言ったらサイン欲しいって言われたり。
 兄さん、思っていたよりも有名人だったんだね。
 妹としても鼻が高いかな」

どこか誇らしげに胸を張るフェイト。なんだか破壊力が増している気がする、この仕草。

「それにしても、ここが兄さんの仕事場かぁ。
 うん、きちんと掃除しているみたいで安心した」

「いや、掃除しているのは俺じゃないし。清掃員さんだし」

「机の上とかだよっ。だって兄さん、スクライアにある自分の机がどうなっているのか覚えてる?
 油汚れで酷いんだから。工作機械で作った傷とかも」

……すみません、自宅の机もそんな感じです。

しかし、そんなことを言えば久し振りにあった妹様の機嫌を損なうので黙っておく。

「兄さん、これからどうするの? 朝ご飯は食べた?」

「出勤する前に少しね。フェイトはまだ?」

「うん。けど、そっか。兄さんが食べちゃってるなら――」

「いや、付き合うよ。コーヒー飲むぐらいしかしないけど」

「充分。ありがとう、兄さん!」

行こう、とフェイトに腕を引っ張られ、ふらふらとオフィスを後にする我ら。

と、いうかだね。

「こらフェイト。腕を引っ張るのは止めなさい。逃げないから」

「ん……しょうがないなぁ」

少しだけ唇を尖らせながらも、繋いだ手だけは離さず、フェイトは歩調を緩める。

……もういい歳なんだからさぁ。

なんだかなぁ、と思いつつフェイトを見ると、えへへ、とくすぐったそうに笑っていた。

……まぁ、良いか。

「どこでご飯食べようか。せっかく隊舎にきてみたんだし……食堂とか興味あるかも」

「やめといた方が良いよ。部隊の食堂は盛りつけがアホだから。
 動いてないのに朝からあの量は泣ける。
 ここの近くに二十四時間営業の喫茶店があるから、そこにしよう」

「分かった。……アホ盛り、ちょっと興味あったんだけどな」

「太るぞ」

「失礼だなぁ兄さん。私、あまり太らない体質なんだよ?」

「栄養が胸に行くってか」

「セクハラ! セクハラです!」

「兄妹でセクハラも何もないだろうに」

「そうかもしれないけどっ! デリカシーが欠けてると格好悪いよ!」

「気を付けます」

ぷりぷりと怒るフェイトの声を聞き流し、隊舎から外へ。

ちなみに現在時刻は朝の七時。手を繋いでいるせいなのか、なんか視線が突き刺さる。昼間にこれは辛そうだ。あと釘を刺しておこう。

管理局祭りが本格的に始まるのは十時から。

今は最終準備に局員の皆様が奔走していたり。シャーリーもそうだ。はやてとザフィーラ、リインフォースはまだ出勤していないが。

エクスやヴィータ、シスターも来るようだし、今日は賑やかになるな。

喫茶店に入ると、禁煙席へ。全席禁煙ではないこの店、良心的である。

俺はブレンドを。フェイトはモーニングセットを頼んで、再び談笑へと。

「ユーノたちは?」

「まだホテルだよ。キャロ、朝弱いから。散歩がてら、私だけ先にきたんだ」

「そっか。まー、局員でもない奴らをおおっぴらにオフィスへ通すわけにもいかないから、フルメンバーでこられても困るんだけどさ」

と、言っていると注文したものが届く。

フェイトの元に届いたのは、ホットドッグとミルクティー。腹が空いているわけじゃないけど、こうやって目の前に食べ物を置かれると食べたくなるのは人のサガか。

……いやぁ、食べ過ぎるのはどうにもね。午後にはあんちくしょうとの模擬戦もあるし。

フェイトはホットドッグを口に運び、一囓り。プチ、ともなんとも言えない、ソーセージの弾ける音。

「ん、おいし。ねぇ兄さん、そういえば、身体の調子はどう?
 なのはが気にしてたよ。本調子じゃなかったら困る、とか」

「そっちかい。戦う気満々じゃないか」

「だって、兄さんとなのはが戦って決着がついたことないじゃない。
 なんだか今年は妙に気合いが入っていたよ、なのは。隠し球があるから、それで驚かせるって」

「……あのさ、フェイト」

「うん」

「隠し球の存在をお前が言ったら、俺は驚かない」

「そうだよね。あははは。
 ……ごめん、なのは」

ふむ。隠し球か。

しかし今年はこっちにも隠し球があるのだよ。

試作に試作を重ねて、試作九号機・改×5となったカスタムライト。

ようやく公衆の面前で使っても恥ずかしくない出来になったのである。

シャーリー、本当にお疲れ様。

「あ、兄さん。コーヒー少しもらって良い?」

「どうぞー。味でも気になった?」

「うん。あ、私のもどうぞ」

言いつつ、それぞれのカップを交換する。

「あ、フェイト。ミルクと砂糖は入れないように……って遅かったー!」

「ご、ごめんなさい」

いやに手際よくミルクと砂糖を入れちまったフェイト。真っ黒だったコーヒーが、一気に濁る。

……いいよもう。おかわりすれば良いんだ。

肩を落としつつフェイトのミルクティーを一口。甘い。や、そういう飲み物だけどさ。

ふと、手に持ったカップに視線を落とすと、フェイトが口を付けたであろう場所に薄く唇の跡が残っていた。

……もう化粧する歳になったんだなぁ。

感慨深いようなそうでないような。

まーそれでも、

「兄さん兄さん」

「どうした?」

「これ、間接キスだよ」

「そうだね」

「……照れてくれない」

中身は変わってない気がする。





























人が次々と出てくる転送ポート。

そこから少し離れた場所にあるベンチで、私はなのはちゃんを待っていた。

なのはちゃんが来るであろう時間までは少し余裕がある。手にもった文庫分に視線を落としながら、人が出てくる度に顔を上げる。

……少し早く来すぎたかなぁ。

後悔、というほどではないけれど、肩身が狭いことに息苦しさを覚えたり。

無遠慮ではないけれど、そこら中から視線を感じる。

込められている感情はきっと、物珍しさとか、そういったもの。

……なんだかんだ言っても、やっぱり三課は有名やし。

エスティマくんに言わせるとやっかみが集中している三課だけれど、しかし、それだけというわけではない。

確かに私たちが決まった管轄を持たずに首を突っ込むことを善く思わない人だって多いけれど、それと同じぐらい応援してくれる人もいる。

広報の記者さんが三課にくるのがその証明だと思うし。

……それでも、人に見られるのはいつになっても慣れないけれど。

エスティマくんとかすごいからなぁ。不満たらたらだけどカメラの前だと笑顔作れるし。

本人曰く、黒歴史の遺産らしい。どういうことだろう。

「はやてちゃん、はやてちゃん」

「んー? なんや、リイン」

隣に置いたバッグを見ると、リインハウスから顔を出したリインフォースⅡが。

ようやく二度寝から起きたか。まだお子様のリイン、朝は弱いもんなぁ。

「なのはちゃんはまだですか?」

「もうすぐ来ると思うよ。えっと……」

『待ち合わせまではあと三分です、主』

念話で答えてくれたのはザフィーラ。

ありがとな、と頭を一撫でする。

「あと三分やって」

「三分ですかー。短いような長いような。
 そうだ、はやてちゃん! 聞いて欲しいです!」

「どうしたん?」

「エスティマさん、酷いんですよ! 今日の戦技披露会で、リインと一緒に出てくれるって思ったのに!」

「あー……だってリインは私のデバイスやからなぁ。それにその言い方だと、リインが主役みたいや」

「違いますけど、リインも一度で良いから晴れ舞台に昇ってみたいです!」

「んー、ちと難しいかもなぁ。私が選ばれればリインも出られると思うけれど。
 ほら、決闘とか向かないやろ?」

「むー……ちゃんとユニゾンしたときの名乗りとか考えてたのにー……」

「そうやったんか。ちなみに、どんな?」

「はい! グレート・エスティマGXです!」

「……そうか」

「エスティマ・ザ・グレートとかもあるですよ!」

「……センスとしてはダサカッコイイ部類かもしれへんけど、絶望的にエスティマくんの名前と噛み合っとらんな」

こう、プロレスラーみたいな。

マッシヴな名前はエスティマくんに似合わない。うん。

もっとスマートなイメージだ。

「……も、もしかしてリインのネーミングセンスのせいでユニゾンを拒否されているのですか!?」

「やー、違うやろ」

おそらく融合事故を恐れているんだろうけれど、しっかりと調整を重ねて、今ではその可能性がゼロに近い。

それでも嫌がっているのは、何か理由があるからなのかなぁ。

「うう……はやてちゃんからも言って下さい。リインともたまにはユニゾンして欲しいですよ」

「ふむん。私とユニゾンするだけじゃ、リインは不満なんか?」

「そ、そういうことじゃないです! はやてちゃんとの融合相性はバッチリなので気持ちいいです!
 ……けど、エスティマさんと一緒に戦うと、とりゃーって感じで暴れることができて、気分がすっきりするですよ。
 ああいうのもたまには悪くないです」

「と言っても、エスティマくんがリインとユニゾンしたのって片手で数えられるしなぁ」

融合事故で一回。調整で二回。お仕事で一回。

その最後の一回がよっぽど気に入ったのだろう、リインは。

『主。高町とシャマルが到着したようです』

再びザフィーラからの念話。

リインから転送ポートへと視線を移すと、ザフィーラが言ったとおり、なのはちゃんと、手を繋いだシャマルの姿があった。

一緒に出てきたのはクロノくんとエイミィさん。そして、エリオくん。

なんだか大人数だ。これにフェイトさんやユーノさん、エスティマくんやシグナムが加わったらすごい人数。

席を立って手を上げると、なのはちゃんがこっちに気付いてくれる。

バッグを持って近寄り、ザフィーラたちと一緒に皆と合流。

「おはよう、みんな」

「おはよう。ザフィーラさんも、リインフォースも」

「おはようです!」

元気良く挨拶するリイン。ザフィーラは尻尾を一振りしただけ。

「おはようございます、八神さん!」

「んー、エリオくんもおっきくなったなぁ」

腰を屈めて頭を撫でてあげると、くすぐったそうに笑うエリオくん。

その様子に、クロノくんは苦笑していた。

「元気だったか」

「はやてちゃんもまー、大人っぽくなって」

「私もエスティマくんも元気です。それに大人っぽいっていったら、クロノくんだってすごい背が伸びたし。
 エイミィさん、良かったじゃないですか」

「いや、どうなんだろうねー。私としては可愛げが段々抜けてるから、どうしたもんかって感じ」

「……可愛げ」

「小憎たらしくもあったんだけどねー」

そう言い、脇でクロノくんを突くエイミィさん。

……良いなぁ。

なんとなく、そんな感想が浮かんできた。

バカップルじゃなくて、落ち着いてる。良いなぁ……。

あまり転送ポートの前で喋っているのも邪魔だから、皆で移動を開始。

エリオくんはザフィーラが気に入ったらしく、歩きながらおっかなびっくり触ってる。

リインフォースは久し振りに会ったシャマルと話し込んでいたり。

私の方は――

「はやてちゃん、どう? 最近」

「何か進展あった?」

女の子三人で話し合いです。クロノくんはエリオくんのお守り。お兄さんが板に付いてきているみたい。

「え、と、進展って……」

「なのはちゃんから聞いたよ? エスティマくんの世話をずっと焼いてるんだって?
 まー、世話の焼き甲斐ならクロノくんと良い勝負っぽいからね、あの子。
 それで、どうなの? 今どんな感じなんだい? お姉さんに言ってみなさい」

「私も気になるなー」

「なのはちゃんまで!? や、そんな、進展とかっ……!」

なんでこんな話に!?

一気に顔が熱くなるのが分かる。私はどんな顔をしているんだろう。

うう、と口ごもりつつ二人の顔を見てみるけれど、逃がしてくれそうにない。だって楽しそうなんだもの。

「ねぇ、なのはちゃん。
 はやてちゃんって確か、エスティマくんの家に入り浸ってるんだよね?」

「はい。時間があればいつも一緒にいるみたいで」

「いつも一緒とか、ちゃうって! ご飯作りに行ったりしているだけやし!」

「毎日一緒に出勤してるとかー」

「エスティマくんが先に行くこともあるから、いつもじゃないです!」

「ふむふむ。いつもご飯を作りに行って、何かない限りは一緒に出勤。同じ職場で愛を囁き合っているわけだね」

「シャーリーやザフィーラ、リインもいるからそんなこと出来へんって!
 っていうか愛って!?」

「……あれ?」

「……あれ?」

そこまで言って、不思議そうに首を傾げる二人。

「……なんやの、二人とも」

「えっと……間違ってたらごめん。はやてちゃん、エスティマくんと付き合ってるんだよね?」

「つつつつつ、付き合ってるとかないですよ!」

あれ? と再び首を傾げる二人。

つ、付き合うとか!

「なのはちゃん、なんだか話がずれている気がする」

「……おかしいなぁ。ねぇ、はやてちゃん」

「……なんや」

「エスティマくんのご飯とか作ってあげてるんだよね?」

「うん」

「お弁当とかもだよね、確か」

「うん」

「時間が合うなら一緒に出勤退勤、って前に言ってたよね?」

「うん」

「……付き合ってなかったの?」

「だ、誰がそんなことを言ったんや!?」

「……考えてみれば誰も言ってなかった気がするの」

「……ごめん、はやてちゃん」

「ごめんね」

……謝られても、余計に辛いだけなのはなんでかなぁ。

や、そりゃー私だってエスティマくんとは、その、お付き合いしたいとか、ずっと考えているけれど。考えているけれど!

けど、いざ勇気を出そうとすると毎回毎回何かしら邪魔が入るんだからしょうがないやんか。

……うう。

「げ、元気出してはやてちゃん!」

「そうだよ。もうそこまでしてるなら、はやてちゃんに落ち度はない!」

と、自信満々に言い切るエイミィさん。

「クロノくんもさぁ、まんざらでもない態度をずっと取っている割には何もしてこなくて。
 本当、どうかと思うんだよねそういうの。
 だからこっちから――」

「エイミィ、今は陽が昇ってるんだぞ!? そして公衆の面前だ! なのに何を言おうとしていた!?」

「げ、聞き耳立ててたの? クロノくん。最低。気を利かせなさい。
 せっかく女の子同士で楽しく話してたのにさー」

「そういうことじゃないだろう! 常識的に考えてだな――」

「はい、これが上手いこと言いくるめて煙に巻こうとする駄目な男の典型です」

「それは酷くないか!?」

さっきまでの話はどこかへ行って、クロノさんとエイミィさんの夫婦漫才が始まった。

尻に敷かれているクロノさん、なんだかんだ言って、やっぱり楽しそう。

……良いなぁ。

「はやてちゃん」

「ん、何? なのはちゃん」

「私、そういうのに疎いからなんてアドバイスもできないけどさ。
 エスティマくんに、はやてちゃんをどう思っているのかそれとなく聞いてみようか?
 もしくは、発破かけたり。それぐらいしか出来ないけど」

「ありがとう。けど――」

エスティマくんが私をどう思っているのか。それは、本当に知りたい。

けど、それはやっぱり……。

「――出来る限り自分でやってみたいんよ。
 やっぱり、その……す、好きな人のことやから」

好きな人。それだけを口に出すだけでも一苦労だった。

さっきからずっと顔が熱い。付き合うとか、好きな人とか。

そういう話は、ちょっと刺激が強すぎる。

……だからって今のままで良いってわけでもないけれど。

駄目だなぁ。いつの間にか、変な癖がついているのかもしれない。

エスティマくんの隣は心地が良い。心配することがたくさんあっても、だからこそしっかり見てあげないとと思ってしまうし。

何より、仕事や、好きなことに打ち込んでいるエスティマくんの姿は格好が良いから。綺麗な顔が生き生きし始めると、なんだかずっと見ていたくなる。

それに、オフの時にだれているエスティマくんは可愛いし。

フラれて今の関係が壊れてしまう、などとは思わない。きっとフラれても、私は近くにいる気がする。

問題は――そう。今のままでも満足してしまっていることだ、きっと。

高望みをすれば、彼氏さん彼女さんの関係とかになりたいけれど。

彼が私をどう思っているのかは知りたい。けれど、付き合っていなくても一緒にいることはできる。たまに甘えて構って貰えれば、エスティマ分は充電できるし。

……こういう考えだから、なのはちゃんやエイミィさんに誤解されていたのかもしれへんなぁ。





























フェイトと喫茶店を出ると、近況報告をしながらの散歩を堪能。

スクライアではやはり目立ったことはないようで。基本的な話題は、キャロのことだった。

妹分ができて本当に嬉しいのか、キャロのことを話すフェイトは、お姉さんそのものだ。

わがままをあまり言わないのが悩みの種。困ったところはそれぐらいで、すごく良い子。

フェイトの話から想像できたキャロの様子は、そんな感じ。

……さて、実際に会ったらどんなもんなんでしょうね。

シャーリーに九時までには戻ると連絡すると、ユーノたちが泊まっているホテルへと脚を向けた。

奴らの朝食はバイキングらしい。プチブルジョアめ。

ロビーを通って、そのまま部屋へ。暖色系の灯りに照らされたカーペットを踏みながら廊下を進むと、ようやく着いた。

「ただいま」

「ただいまー」

カードキーをスリットに通して部屋へ。家に帰ってきたわけでもないのに、ただいま。変な気分だ。

部屋を覗き込むと、アルフと並んでテレビを見ているユーノがいた。

眼鏡をかけているのは原作と一緒。ただ、髪の毛は伸ばしていない。

……きっとまぁ、共通の黒歴史のせいなんだろうなぁ。

「おかえり。ん、エスティを連れてきたねフェイト」

「おかえりフェイト……それに、エスティマ。
 なんだい、局の制服も着こなせてきたじゃないか」

「まぁねぇ。何年着てるんだって話だし」

アルフの言葉に苦笑しつつ、フェイトと並んでソファーに座る。

こうして四人揃うのはどれぐらいぶりだろうか。二ヶ月……や、三ヶ月?

たしかそれぐらい。

「それにしても、泊まりがけでよくきたな」

「うん。キャロが遊園地に連れていって欲しい……とは言わないんだけど、行きたがってはいたみたいだから。
 こう、雑誌の特集ページがそこだけ折り目ついていたりとか、テレビのCMをずっと見ていたりとか。
 だから旅行も兼ねてだよ」

「へぇ。しっかし、露骨なのか、お前が目ざといのか」

「酷い言い様だなぁ。エスティ、君だってフェイトに似たようなことをしていたじゃないか。
 兄さーん、って甘えてくるフェイトに流されて」

「む、昔の話だよ!? 今は甘えてない!」

「水族館連れていったりとかなー」

「それと、動物園に行ったりとか」

「兄さんもユーノも楽しんでたじゃない!」

「……そのどっちも、アタシは連れていってもらってないんだけどねぇ、二人とも」

「ごめんなさい」

懐かしい。懐かしいが、根に持っていたのかアルフ。

「そうだ、ユーノ。もう一泊して明日も遊び歩かないかい? 博物館とか、アタシも行ってみたいんだ。
 これでもスクライアの一員だしねぇ。興味があるんだよ」

「魅力的だけど予算の問題で却下だって、アルフ」

「ちぇー。まぁ、良いけどね。昨日だけでも充分写真は撮れたし」

まだ写真に飽きてなかったのかアルフ。

「ね、兄さん。クラナガンって、遊べる場所はどんなのがあるのかな」

「どうだろ。あんまり俺も遊んでるわけじゃないからなぁ。
 ……そうだ、カラオケ行こうぜ! 面白い機種見付けたんだ!」

最近趣味の一つとなった一人カラオケ。それで偶然行った店のカラオケ機器が頭悪くてなぁ。

DOM・ディメンション。各世界から楽曲引っ張ってくるという恐怖のマシーン。何が怖いって、権利とかそこらへん。

カラオケ、と聞いてフェイトは興味が湧いたらしい。が、逆にユーノは無表情に。

「……エスティ。君は、吹っ切ったんだね」

「トラウマなんてくだらねぇぜ! 俺の歌を聴けぇ! ってな」

けど女装だけは勘弁な。

そんな風に会話を続けていると、奥の部屋から小さな姿が出てくる。

眠気眼を手で擦り、ずるずると枕を引っ張っている女の子。着ているパジャマは髪の毛と同じ、桃色だ。

「……お腹空いた」

「キュクルー……」

「……ってフリードに起こされました」

ずるずると引っ張っている枕に噛み付いて、ずるずると引っ張られているフリード。

あっちは眠いのかお腹空いているのか。両方なのか。

全員がその姿に苦笑する中、真っ先に席を立ったのはフェイトだった。

「ほらキャロ、顔洗おうか。それで着替えたら、ご飯食べよう」

「はいー……」

フェイトはフリードを抱きかかえると、キャロと一緒に洗面所へと消えていった。

さっぱりして眠気が抜けると、

「え、エスティマさん!? お、おはようございます!」

なんか異様に恐縮されたり。

なんでだ。





























フェイトたちと別れたあと、隊舎に戻って打ち合わせ。

三課の全員が揃うと、管理局祭りの会場へと。

午前中はサイン会。……魔導師のサインなんてなぁ、などと思うけれど、需要はあるのか。

まぁ、雑誌で特集が組まれるぐらいなんだ。サイン欲しがられてもおかしくはないだろうよ。

そして会場入り。

純度百%の作り笑顔で対応し続け、握手し続けて腫れた手を治癒魔法でなんとかしつつ、午後へと。

午前中のサイン会は前座である。メインは午後の戦技披露会。

ミッドチルダ地上部隊の精鋭と、海のエース級の対決。

大将戦というか、目玉は俺となのはの勝負、となっている。

……スポーツ感覚で戦うのは楽しいけれど、なのはの相手は疲れるんだよなぁ。

「エスティマくん、ご飯食べよ」

……っと。

視線を向けると、はやてが重箱を手に持っていた。

「ん、じゃあ行こうか。
 シャーリーはどうする? 一緒にくる?」

「あー……行きたいのは山々なんですけど、私も家族とか友達がきているので、そっちに行きます。
 また午後に会いましょう」

それじゃあ、と一礼して、シャーリーは退室した。

俺たちも行くかね。

ザフィーラとリインフォースⅡを引き連れて、待ち合わせの場所へ。

疲れたなー、などと世間話をしつつ廊下を進んでいると、108部隊の皆様と顔を合わせた。

シグナムの様子を見るために何度か脚を運んだから、顔見知り程度にはなっているのだ。

が、彼らの中にシグナムの姿はない。ゲンヤさんもだ。

まだ何かしらの作業をしているのかな?

そんなことを考えていると、

「先輩方、昼食の準備が――ち、えと、スクライア執務官」

背後から声をかけられ、振り向く。

そこにいたのは娘を連れたゲンヤさんとシグナムだ。

皺の寄っていない真新しい制服。細かい規律まで守っているように、服装にも乱れがない。

シグナムは俺を見ると、脚を閉じてきびきびと敬礼を行う。

「ご苦労様です。何か用事でしょうか」

「や、通りがかっただけなんだけど……シグナム、これから皆に会うんだ。
 一緒に昼食を食べよう」

「……その、申し訳ありません。まだ仕事が残っているので」

失礼します、と頭を下げて、シグナムは俺の横を通り過ぎてしまう。

彼女の様子に苦笑するのは、ほぼここにいる全員だ。

最近のシグナムは、ずっとこんな調子。

……反抗期、ってわけじゃないんだろうが。

やっぱり、突き放したことが原因なのかね。

「すまねぇな、エスティマ。じゃ、またな」

「また」

ゲンヤさんに続いたのはギンガちゃん。スバルは、顔を背けてシグナムのあとを追って行った。

振り返って二人の様子を見てみれば、年齢が近いからなのか、普通に言葉を交わしている。

……良かった、かな。

俺だけじゃなく、シグナムにも無関心無反応を徹底されていたら少しだけ困ったのだが、違うようだ。

「その、エスティマくん」

「ん?」

「行こう」

「……ああ」

ぼーっとゲンヤさんたちの後ろ姿を眺めていると、はやてに心配そうな声をかけられる。

ザフィーラなんかは俺の脚を頭で押して、急かしていたり。

……行くか。

止めていた脚を、再び待ち合わせ場所へと。

予約しておいた個室に行くと、すでに何人かは――というか、海側の皆様は到着していたようで。

フェイトたちはまだみたいだ。

「ようクロノ」

「エスティマか。それに、はやても」

「リインとザフィーラもいるですよう!」

「そうだったな。今日はお招きありがとう――と言えば良いのか」

「どうだろ。提督様を招待したわけだからなぁ」

「様をつけるなエース・アタッカー。
 ユーノはどうした?」

「その名で呼ぶな。
 どこに集まるかは伝えたから、大丈夫だろう。迷ったら局員に聞くだろうし」

「いい加減だな」

「信頼してるんです」

クロノと会話をしつつ、視線をはやてたちの方に。

普通に話しているみたいだけど、フェイトたちが来たらどうなるのか。

同窓会気分で顔を合わせるのも良いことばかりじゃないってか。

『で、だ。エスティマ。
 悪いんだが、少し仕事の話をさせてもらうぞ。
 お互い忙しくて顔を合わせることも少ないからな』

『どうぞ』

マルチタスクを使い、雑談をしつつ念話を交わす。

明るい表情をしているが、念話の口調には苦いものが混じっていた。

何かあったのだろうか。

『ここ最近のことなんだが、別の世界からミッドチルダに違法研究組織が集まっているようだ。
 水際で捕まえているんだが、それでもいくつか取り逃がしてしまっている。
 そのことは知っているな?』

『ああ』

知っている。

ここ最近の中将の悩みがそれだから、何度か愚痴も聞かされたし。

ここ最近、と言っても、事が起き始めたのは二年前ぐらいからだろうか。

分かり易いものならばプロジェクトFやレリック、他は質量兵器スレスレの機械兵器。

そういったものを主に研究している者たちが、ミッドチルダに流れ込んでいるのだ。もしくは、彼ら宛の資材やら何やら。

もっとも、それが最初というわけではない。駆り立てられた獲物がどこかへ逃げ込むことは珍しくもないこと。

問題なのは、逃げるというよりは、助けを求めるように、彼らがミッドチルダへ向かってくることだろうか。

今のところ目立った動きはないが、それでも、無視できないレベルにはなっている。

重ねて言うが、これは別に珍しくもないこと。

ただ海と陸の境界線を跨ぐ事件が多い所為で、縄張り争いで捜査が難航している。

そのせいで、他の事件と比べたら目に見えた成果を挙げられないのだ。

『で、それがどうした?』

『三課も捜査に協力しているのは知っている。
 だが、今の火消しのようなやり方は非効率的だ。
 もうそろそろ腰を落ち着けるつもりはないか?』

『腰を落ち着けて、そっちとの合同捜査の橋渡しをしろってか』

『ああ。無理を言っているのは分かっている。そこをなんとか頼めないか?』

『どうだろう。俺は一介の課長にしか過ぎないからね。上司の意向も聞いてみないとだから、即答は無理だ。
 ……ただまぁ、そうだな。
 知り合いに密輸品の捜査を主にしている部隊の人がいるから、それとなく話をしてみるよ。
 資材の流れから、取り逃がした連中の足取りも掴めるはず』

『頼む。その人は当てにできるのか?』

『有能な人だよ。それに、クロノも会ったことがあるはず。
 戦闘機人事件のとき、指揮を執っていたから。覚えてる?』

『ん……いや、はっきりとは思い出せないな』

『そっか。ま、顔見知りってだけでも随分とマシだろうさ』

などと話していると、

「エスティマくん」

「ん? ああ、なのは」

いつの間にか女性陣から離れて、なのはがこちらに来ていた。

「や、久し振り。今日の調子はどう?」

「握手のし過ぎでデバイス握れないかも。それと、頭痛が痛い。
 模擬戦は無理っぽいかな」

「そっか。楽しみだね、模擬戦」

「人の話を聞けよ。そんなに模擬戦が好きかお前は」

「頭痛が痛い、なんて日本語間違った嘘言えるぐらいには元気じゃない。
 それに、私は模擬戦が好きなわけじゃないから。
 人をバトルフリークか何かと、勘違いしているんじゃないの?」

違うんですか、とは言えなかった。

……まー冗談はおいといて、実際のところこの子は、魔法を使うのが楽しい、ってタイプだし。

それでいつの間にか俺をライバル認定するもんだから、決着付けるのを楽しみにしているのか。

なんて思っていると、レイジングハートとSeven Starsがチカチカと光り始めた。

……また喧嘩でもしているのだろうか。

「……レイジングハートも、いつもは大人しいんだけどね」

「……ウチのも。変な確執とか、いつできたんだろう」

「……いや、マスターの影響じゃないのか?」

「クロノくん。その言い方だと、まるで私とエスティマくんが仲悪いみたいじゃない」

「良くもないけどな」

「そこは否定しようよ!」

なんだかご機嫌斜めのなのはさん。

まぁ良いの、と彼女は腕を組むと、じっと俺の方を見てくる。

「とにかく、今日の調子は良いんだね? 体調不良とかじゃないなら、手加減無しの全力全開で戦うから。
 今年の私は一味違うよ?」

「お互い限界突破しない範囲で全力な。それに俺だって、伊達に前線で戦い続けているわけじゃない。
 簡単に勝てると思うなよ?」

「教導隊のエースを、甘く見ないで欲しいの」

ふふ、とお互いに不敵な笑みを浮かべる。

そして――

……そして?

ふと、俺となのはは同時に視線を落とした。

腰ぐらいの高さに、何やら赤毛のお子様が。

妙に瞳を輝かせて、俺となのはを見ているエリオ。

どうしたんだろう。

「エリオ、どうした?」

「エスティマさん、なのはさん! 一緒に写真に写ってもらっても良いですか?」

そう言い、エリオはポケットから一枚のカード、いや、待機状態のデバイスを取り出した。

……S2U? クロノにもらったのだろうか。それとも、同型の?

どうなんだろう、と考えていると、困った風に笑うクロノがエリオの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「すまないな、二人とも。こいつ、エース級の魔導師に夢中なんだ」

そうなのかー。

いや、初めて会った時からそんな感じはしていたけれど、まだ飽きていなかったんだね。

「エスティマさん、僕、魔法が少しだけ使えるようになったんです! 今度A.C.Sの使い方を教えてください!」

「駄目だ。こいつに教わったらロクなことにならない」

「なんでさ兄さん!」

「あー……なのは、頼む」

「うん」

話をなのはに放り投げるクロノ。面倒に思ったのか、宥められないと思ったのか。

……というか、俺、別にA.C.Sが得意ってわけじゃないんだけど。

どんな目でパンピーに見られているんでしょうか。

「あのね、エリオくん。なんでお兄さんが駄目って言っているか、分かるかな?」

「……危ないから」

「じゃあ、なんで危ないか私と一緒に考えてみようか」

エリオ相手に始まるなのはさんの魔法講座。

とは言っても、子供でも分かるように説明を噛み砕いているのは流石か。

なのはの説明を復習のつもりで聞いていると、フェイトたち、そしてヴィータやエクス、シスターたちが到着した。

大人数になると、やはりいくつものグループができるもので。

俺、ユーノ、クロノ。

お子様組と教会組。

なのは、フェイト、アルフ、エイミィさん。はやてもそこに入ってはいたが、何か話を振られない限り愛想笑いをしているだけだったようだ。

ちなみに男達の挽歌の方では、時折勝ち誇った顔のクロノが恋バナを振ってくるのが酷くウザかった。

増長いくない。



























「で、シグナム。おめぇ、本当に良かったのか?」

「何がでしょうか」

「エスティマと一緒にメシ食わなくても、ってことだ。
 友達だってきてたんだろう?」

「はい。ですが、私は部隊の皆さんと食事を取りたかったので」

そう言い、シグナムは空になった弁当箱の山に容器を乗せて、緑茶を口に運ぶ。

彼女を見て、どうしたもんか、とゲンヤは胸中で呟く。

エスティマからシグナムを預かってしばらく経つが、部隊に彼女がいる時間が増えるのに比例して、どうにも二人の距離が空いているような気がするのだ。

シグナムの面倒を見ている部下から聞いた話では、エスティマに無断で寮への転居も考えているのだとか。

親離れ――とは、少し違うだろう。

何が彼女をそこまで追い立てているのか、聞くべきか聞かないべきか。

歳が近いことからギンガやスバルに頼もうと思っても、娘たちがどんな感情をエスティマに抱いているのか分かっているつもりだ。

それで変にこじれては、シグナムを預かっている意味がない。時間が経って一時よりはマシになったと言っても、クイントのことを娘たちは忘れていない。

ままならない。

娘が一人増えたみてぇだ、と苦笑して、ゲンヤは温くなった緑茶を口に含む。

娘。ならば、エスティマは長男か何かだろうか。

クイントとの間には、結局子供を作ることができなかった。

ギンガやスバルがいるから満足はしているが、それでも息子の一人は欲しかったかもしれない。

「……私は」

「ん?」

「私には、スクライア執務官と一緒にいる資格がないのです。
 今はまだ。
 それを手にするまでは、戻りません。そう、決めたんです」

「……そう、か」

喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、相槌を打つ。

言いたいことはあるが、余計なお世話か。

……説教臭くなっていけねぇ。

歳は取りたくないものだ。

空になった紙コップを握りつぶして、ゲンヤは昼食を終えた。

































『セットアップ! レイジングハート・ヱルトリウム!』

『セットアップ! Seven Stars・カスタムライト!』

仄暗い広間の中に浮かぶディスプレイ。

そこに映っているのは、管理局祭りの会場で行われている戦技披露会の大将戦。

お互いに白を基調としたバリアジャケットを着た、少年と少女。

エスティマ・スクライアと高町なのは。

高町なのはが握っているデバイスは、デバイスコアの下に二つのパーツが取り付けられている。

マギリング・コンバーターとカートリッジシステム。つい先日までアヴァランチと名付けられていたデバイスは強化され、ヱルトリウムと名を新たにしていた。

一方エスティマは、左手に片手槍を。右手には白金の手斧を握っていた。モードA・EX。

両者は一言二言言葉を交わすと、開始の合図と共に空へと上がる。

その光景を見ているのは――いや、見ているのだろうか?

数多のプレートが浮かぶ空間の中、シリンダーに収められた三つの脳髄。

生命維持装置の重い駆動音が響く中、スピーカー越しの声が発せられた。

『足がかりになれば良いと思っていたが、よもやここまでとは』

『ああ。我らの悲願である、優れた指導者による次元世界の救済。
 それを実行する者を生み出すための、人造魔導師計画。
 まだ不安定な技術故に、彼には捨て駒になってもらうつもりでいたが――試作型であるあの少年が、もっとも理想に近いとはどんな皮肉か』

『我らが望む王は、あの程度では足りぬ。
 しかし、無視できないのも事実。
 レジアスの後釜として、今から鎖に繋ぐのも悪くないやもしれぬ』

最高評議会。

旧暦の時代から生き、人の姿を捨ててまで生きながらえている存在。

彼らはエスティマとなのはが戦う映像を見ながら、これからの進路を決めようとしている。

彼らがスカリエッティを飼っているのには、先程上がったように、一つの目的があったからだ。

生命操作技術によって、人の姿を模しながらも人を越えた存在を生み出し、それを傀儡として次元世界を統べる。

王の選定者とでも言えばいいのだろうか。いや、人を導く存在を選ぶのではなく、生み出す。それに拘る彼らは、また別か。

彼らが望む王とは、魔導師としての絶対的な力と、人を統べる能力を兼ね揃えた者。

未だにそれを誕生させることは出来ていないが、その踏み台とするはずだったエスティマが、今や彼らの理想に近付いている。

故に、レジアスと同じ次世代への繋ぎ。その役目を彼に負わせようかと、彼らは考えているのだ。

『ジェイルも一時と比べ、成果といえる成果を出せていない。
 やはり計画を白紙に戻しつつ、人材を入れ替えての再起を図るべきではないのか?
 幸いエスティマは、プロジェクトFの素体だ。組織運営に関する記憶を焼き付ければ、すぐに使えるだろう』

『しかし、計画は順調と言えなくとも進んではいる。焦って博打に出る必要もないだろう。
 我々に残された時間も多くはないのだ』

『左様。方向性を変えることで、また違った――』

言葉を重ね、議論を交わす。

それを不毛と取るかどうかは、人によるだろう。

そうしている内にディスプレイの向こう側で行われていた戦技披露会が終了する。

――そうして、

パチパチと、どこからか拍手の音が上がった。

気怠げではなく、手を打つ音には熱が籠もっている。

ゴボリ、とシリンダーに気泡を発生させ、最高評議会は言葉を止めた。

『……誰だ』

「これは失敬。邪魔をしてしまいましたかな?」

カツカツとプレートを踏み締める、革靴の音。

暗がりからゆっくりと姿を現した人物。

ジェイル・スカリエッティ。

両手にはデバイスである、グローブが嵌められている。

白衣の裾をはためかせながら、彼はゆっくりとシリンダーへと近付いてゆく。

暗がりでも分かる、猫のような金色の瞳。それを目にして、最高評議会は焦りを滲ませた声を上げた。

『貴様、なぜここにいる』

「そう邪険にしないでもらいたい。今まで世話になったスポンサーの顔を、一目見ようと足を運んだだけですよ。
 しかし、なかなか辺鄙なところにお住まいだ。や、私も人のことは言えませんがね」

『失せろ、ジェイル。貴様に用はない。こんなところで遊ぶよりも、やるべきことがあるだろう』

「それがそうでもないのですよ。あなたたちの悲願に、これは重要なことですから」

言いつつ、スカリエッティは右腕を持ち上げた。

目の前で開いた右手をゆっくりと握り締める。ぎちり、と鈍い音と共に、シリンダーの周りに浮かぶ赤い魔法陣。

『ジェイル! 貴様、なんのつもりだ!』

「なんのつもり? 言ったでしょう、あなたたちの悲願に必要なことなのだと。
 ――偉大な王をご所望でしたな、蒙昧な老人方。
 しかし、ああ、いけない。
 別に私は、あなたたちの理想とやらに興味はないのです。
 私の夢の手助けをしてくれるのならば、大人しく使われているフリぐらいは出来ました。
 ……ですが」

ゆっくりと閉じていた手は、勢いよく握り込まれる。

それと同時に魔法陣からは魔力で編まれた数多のワイヤーが飛び、シリンダーを刺し貫く。

スカリエッティは満面の笑みを浮かべ、

「いけないなぁ! ああ、無視できない!
 エスティマくんは私の敵だ! 決して、同じ側に立ってはいけない! いけないのだよ!」

『ジェイル――!』

「死に給え、哀れな亡霊よ!
 あなた方の悲願は、役目は、私が継ぐとしようじゃないか。
 誕生するのは、少しばかり暴君かもしれないがね?」

腕を一薙ぎし、シリンダーとその中身がバラバラに切断される。

だが、既に彼らから興味を失ったのか。

培養液とガラスが爆ぜる音の中、スカリエッティは右手で顔を覆いながら、笑い声を上げる。

「はは」

指の隙間から覗く瞳は、戦技披露会を映していたディスプレイへと向けられていた。

なのはと一緒に担架で運ばれるエスティマに。

「ははは……!」

顔を押さえながらも身を折り曲げ、左手で腹を押さえる。

それでも口は開いたままで、スカリエッティは笑い声を上げ続ける。

「はははははは……!
 ……ステージは整った。
 あとは役者が揃うのを待つのみだ!
 さぁ、顔合わせといこうじゃないかエスティマくん。
 君が満足してくれるよう、最大級のもてなしを用意した。
 嗚呼――滾る。
 夢のような闘争を、始めようじゃないか!」



[7038] カウントダウン0 後編
Name: 角煮◆904d8c10 ID:21e37608
Date: 2009/05/06 20:23
パチ、と目を開くと、真っ先に見えてきたのは白い天井。

知らない天井とは既に言えない。もはや知ってる天井である。

医務室……あー、そうか。戦技披露会。

最後はどうなったんだろうか。ヱルトリウムバスターを紙一重で避けて突撃したところまでは覚えているんだけど。

っていうか何あれ……集束砲撃にカートリッジ追加とか。馬鹿か。

最近になってカートリッジシステムは安全と言っていい水準に達しているけどさぁ。

額に手を当てて身を起こし、胸元に寂しさと覚えた。

……ペンダントがない。それと、Seven Starsも。

ベッドサイドを見てみるが制服の上着があるだけ。

誰かが預かってくれているのだろうか。

そう思っていると、不意にベッドを囲むカーテンが開かれた。

窓から差し込む陽は、もう赤くなっている。

眩しい茜色を背負って姿を見せたのは、はやてだ。

「ん、起きた?」

「はやて。……今、何時?」

「六時をちょっと回ったぐらい。お祭りも一段落したわ。
 エスティマくん、よー寝てたね」

「みたいだね。頭もすっきりしてる。……身体の節々は痛いけど。
 そういえば、俺となのはの模擬戦、どうなった? 良く覚えてないんだ」

「んとな、引き分け。
 モードB・EXのA.C.S.で突撃したのはええんやけど、魔力刃突き刺して零距離砲撃を連射している最中になのはちゃんがバスター振って顔に当たったんよ。
 で、ドロー。今年も決着つかずやね」

「またか。勝てると思ったんだけどなぁ」

ま、顔で良かった。身体に当たったらレリックは爆発していたし。

中将も俺がレリックウェポンだって知っているんだから、いい加減に戦技披露会から外してくれても良いのになぁ。

思わず溜息。するとはやては、くすくすと控え目な笑い声を上げる。

「結果が引き分けで、みんなも悲喜こもごもって感じやったよ」

「む。俺が負ける方に賭けてる奴もいたのか」

「そりゃなぁ」

失礼します、とはやては一言いって、ベッドに腰かける。

そして身を捩り、顔をこちらに向ける彼女。

……顔が近い。なんとなく身体を引こうと思ったのだが、布団に着いていた手にはやての手が重ねられて、動きを止めた。

……え?

え、や、何?

手を着こうとして偶然重なった……って様子ではない。

いつもの彼女なら慌てて引っ込めそうなものだけど、今は違う。

きゅっと俺の手を握り、控え目だが、離さないとでも言っているようだ。

「はやて、どうかした?」

「えと……うん。どうかしてる」

何その答え。

そう茶化そうとして、できなかった。

「……あんな」

はっきりと聞こえるぐらい、深呼吸に近いほど、大きく彼女は息を吸い込む。

しかし言葉の続きが吐き出される様子はない。

じっと黙ったまま俺の手を握って、彼女は固まっている。

俯き加減になってしまっているので表情は分からない。

耳まで真っ赤になっているような気がするが、それは夕陽のせいなのか、違うのか。

外から聞こえてくる喧噪が遠い。日常から隔絶したような錯覚。

……変な雰囲気。

最近は――というか、もう十年近くご無沙汰だった雰囲気じゃないのかこれは。

気付いた瞬間、まさか、と考えを切って捨てる。

だって俺だぞ? 散々迷惑をかけている。

仲が良いって言っても、それは幼馴染みだとか、友達とか、ご近所さんとか、そういったものだ。

……そうだと、ずっと思っていたんだけど。

今まで抱いていた彼女への印象と現在のギャップがあんまりにもあんまりで、どう動いたら良いのか分からない。

すると、

「あんな、エスティマくん」

掠れて、ようやく絞り出した声がはやての口から漏れた。

「エスティマくんは、誰かを好きになったことって、ある?」

「……ないなぁ」

「そ、そっか……あ、言っておくけど、likeやないからな!?
 loveの方やで!?」

「分かってるってば」

「……本当かなぁ」

疑わしげに声を上げる彼女。それでも顔は俯いたまま。

誰かを好きになったことはある。

もっとも、それはずっと昔のこと。元の世界での話。

エスティマ・スクライアとして誰かを、異性として好きになったことはないだろう。

……ない、はずだ。

そっと胸元に触れても、ペンダントの感触はない。

服ごと手を握り締めても、シャツが潰れる感触があるだけ。

「誰かを好きになるって、すごい幸せなことだと思うんよ。
 何をしたら喜んでくれるのかって考えるだけで楽しいし、感謝されたらすごい嬉しい。
 けどな、きっと人って、貪欲やから。
 どんなに楽しくて嬉しくても、もっと大きなものが欲しくなる」

「……うん」

「それでな。私も、その、貪欲な子だったりするんよ。
 今が幸せでも、もっと幸せになりたいって思ってしまうような。
 ……だからな」

はやては舌で唇を湿らせると、ずっと俯いていた顔を上げた。

吐息が熱っぽいと思うのは、俺の勘違い……じゃないんだろう。

「エスティマくん。私、ずっとエスティマくんのことが好きやった。
 それで、えと、その……これからは、好き以上になりたいと思ってる。
 ……あはは、何言ってるんやろ。意味分からない」

笑ったはやての顔は、今にも泣き出しそうだった。

段々と握る力が強くなる手からは、彼女の本気が伝わってくるようだ。

……俺は。

どう答えたら良いんだろう。

今まではやてが俺にしてくれた数々のことを思い出して、無下に出来ないと打算的な考えをする自分がいる反面、受け入れても良いのだろうか、と弱気な自分もいる。

嫌な言い方だが、はやてが俺に好意的な感情を向けてくれるのは闇の書事件の云々があったからだと思っていたんだけれど。

……いつから彼女は、俺を異性として見ていたのだろうか。

それが分かってところで、何が変わるというわけでもないが。

「……はやて、俺は――」

「な、なんちゃって!」

「……へ?」

「なんちゃってーって。エスティマくん、驚いた?
 こういう話を切り出したら男の子がどんな反応するのか、ずっと気になってたんや。
 あはは……は……。
 その……ごめんな?」

重なっていた手が離れ、はやてはベッドから腰を上げる。

どうしよう。……うわ、情けねぇ。

どうしようって、生まれてから何年経ってるんだよ自分。

何か言わないとと、そればかりを考えて、

「……ありがとう」

「え……? あ、うん。
 って、なんやそれ。イエスかノーじゃなくて、ありがとうって」

「う……」

かっと顔が熱くなる。

……恋愛回路がすっかり錆び付いているみたいだ、俺。

「けど、嬉しかったから」

「だーかーらー、嘘やって。嘘なの! 私はエスティマくんをからかっただけだけ!
 この話はおしまい!」

俺に背中を向けて声を上げるはやてだが、肩は下りてて落ち込んだ様子。

……先延ばしに先延ばしを重ねている人生だけれど、もうそろそろ、色んな決着をつける時期がきたのかもしれない。

あれがしたいこれがしたいとワガママばかり言っているのも、限界かな。

――その時だ。

今までの穏やかな雰囲気を吹き飛ばすように、轟音が部屋を揺らした。

違う、これは爆音。それも魔法ではなく、質量兵器の。

反射的にSeven Starsを握ろうとしたが、アイツはここにない。

舌打ち一つしベッドから飛び出ると、はやてを対象に入れたサークルプロテクションを発動させた。

「な、何!?」

「分からない。取り敢えず、外に――」

「主!」

窓から外へ出ようと思っていると、医務室の扉が廊下側から勢いよく開かれる。

顔を出したのはザフィーラ、ヴィータ、リインフォースにエクス。

……タイミングが良いな。不自然なほどに。

首を傾げつつサークルプロテクションを解除して、ベッドサイドに置いてあった制服に袖を通す。

ネクタイはポケットに突っ込んで、と。

「何があったん?」

「まだなんとも。しかし、AMFが周囲に展開されています。おそらくはガジェットが……」

「取り敢えず、アタシは空に上がるから。エスティマ!」

説明をするザフィーラ。ヴィータは俺の名を呼んで、手に持っていたスーツケースとSeven Stars、そしてリングペンダントを投げて寄越す。

「サンキュ」

「先に行ってる!」

「頼んだ。はやて、俺たちも空に上がろう。リインフォース、はやてとユニゾン。
 悪いけど、エクスも協力してくれ。まだ会場に残っている聖王教会の人と協力して一般人の避難誘導を。
 ザフィーラは彼女の護衛を」

「心得た」

「分かりました」

小さく頷き、二人は足早に外へと。

……さて、それじゃあ。

はやてと顔を見合わせ、お互い、セットアップを開始する。

日本UCATの装甲服型バリアジャケット。握るのは、白金のハルバード。

カスタムライトは片手槍の状態で腰に差し、窓から二人で空へと上がる。

「……あれは」

思わず目を細める。

ガジェットがいるのはザフィーラからの報告があったので驚かない。

しかし、問題はそのガジェットを吐き出しているもの。

正四角形――いや、菱形か。見覚えのある魔法陣が次々展開されて、際限なくガジェットが吐き出されている。

……あれはアルザスの召還魔法じゃないか?

いや、今は考えている場合じゃない。

「はやて、破片や残骸の処理を頼む。リインフォース、シャーリーと連絡を」

「了解!」

『はいです!』

「やるぞ、Seven Stars!」

『はい、旦那様』

右手に握ったハルバードのロッドを脇に挟んで、左手で片手槍のカスタムライトを構える。

そして術式を構築しつつ、脚を止めて施設を爆撃するガジェットへと狙いを。

『ショートバスター』

Seven Starsとカスタムライトからそれぞれ、砲撃魔法が連続して放たれる。

一撃で風穴を開けガジェットはスクラップへ。落下する破片をはやてが人のいないエリアに吹き飛ばす。

近寄るガジェットⅡ型を、Seven Starsで粉砕する。

……キリがないな。

「はやて、少し派手に蹴散らす!」

「いつでもええよ!」

左手に握ったカスタムライトを再び腰に差し、両手でSeven Starsを握る。

……よし、戦技披露会の状態のままだ。リミッターは解除されてる。

「フルドライブ、エクセリオン!」

『アークセイバー、プラス』

莫大な魔力を吸い上げ、全能力が底上げを。

……なのはとの模擬戦があったからか、疲れが身体に残っている。

それでも泣き言を言える状態ではない。

ピックに鎌の魔力刃を生みだし、刃の腹に手を添える。

バチバチと爆ぜる音と共に魔力刃が変形し、鎌が十字の巨大な刃と変わる。

「引き裂け……!」

『Zero Shift――ファングスラッシャー』

スイングすると共に、アークセイバー、否、十字型の誘導式魔力刃、ファングスラッシャーが射出される。

音速超過で放たれた刃は高速回転をしながら、次々とガジェットを食い破る。

AMFにより少しずつ刃を小さくされるが、それでも計二十機ほどの爆装したガジェットを落とし、ファングスラッシャーは消滅した。

だが、全てのガジェットを撃破するには――

「……あれは」

再び、轟音。

今度は爆発音ではなく、砲撃魔法によるものだ。

桜色と金色。なのはとフェイトが放ったであろうそれは、密集していたガジェットを次々と蹴散らしてゆく。

……戦力過多だな、こりゃあ。

取り敢えず、フェイトは嘱託として三課から協力依頼が、とでもしておこう。

緊急時とはいえ、あとあと面倒なことになるし。

「リイン、シャーリーとの連絡は?」

『念話でこっちの様子は伝えたです。けど、通信が繋がらないですよぅ』

「なんだって?……Seven Stars」

『はい。どうやら、民間、管理局、両方の通信システムがダウンさせられているようです』

「……悪い、はやて。少し頼む。もっと上に行って、周りの様子を見てくる」

「え?」

「わざわざ通信システムをダウンさせてここだけ襲うってことはないだろう。
 ……嫌な予感がする」

「分かった。気を付けてな」

小さく頷いて、大気を引き裂きながら上空へ。

そうして、高度を二百メートルほどまであげた辺りか。

一望できる夕日に染まる街並み。

だが、所々で黒煙が上がっているのはやはり……。

『旦那様』

「なんだ」

『どうやら、襲撃を受けているのは管理局に関係のある施設のみのようです』

「……無差別テロってわけじゃない、か」

……そんな馬鹿げたことをする奴を、俺は一人しか知らない。

だが、これはなんだ? 知らない。こんなことが起きるなんて――バタフライ効果だっていうのか、これも。クソが!

……落ち着け。悪態を吐いている場合じゃない。

今成すべきことは……戦技披露会の会場に残っている部隊と連携して、避難誘導を終わらせると共に現状の把握。

それぐらいしか出来ない。どんなに魔導師として実力があったとしても、こんな風に同時多発テロなんか起こされちゃ、どうにもできない。

諸悪の根源であるマッドサイエンティストを捕まえようにも、部隊の連携が取れていない状態じゃあどこにいるのかすら分からない。

ギリ、と奥歯を噛み鳴らして、俺は再び地上へと。

『エスティマくん!』

『どうした』

『ガジェットが施設内に入り込んだ。空は私やなのはちゃんでなんとかなるけど、屋内はマズイ』

『分かった、急いで向かう。フェイト!』

『に、兄さん!?』

『ユーノたちは?』

『うん。クロノと協力して民間人を安全な場所まで転送してる。けど、終わるまでまだ時間がかかるよ』

『分かった。今、どこにいる? これから施設内に入り込んだガジェットを一掃しないとなんだ。
 手を貸してくれ』

『分かった』

フェイトに指示を出し、一気に地上へと向かう。

途中で擦れ違ったはやてに頷きを返し、着地。

そしてSeven Starsを握り締め、

「モードC!」

『モードC・EX。メーネ』

ハルバードの外装が剥がれ落ち、フレームが流動。

鍔もとにデバイスコアの収められた片手剣と盾が形成されると、腰からカスタムライトを引き抜く。

片手槍。ロッドが短くなり、ダガーと言っても良いほどになる。

そして、ガンランスの刃とSeven Starsの柄から高出力の魔力刃が。バリアジャケットのブーツに脚甲が追加構成されると、俺は施設内へと突撃した。

エリアサーチをばらまいて廊下を疾走しながら、目に付いたガジェットへと肉薄して一閃。一撃で両断し、次を。

何体が入り込んだのだろうか。放たれるレーザーを回避し、左腕の盾で弾きながら淡々とスクラップを量産する。

そうしていると、だ。

AMFの影響なのだろう。掠れて、何を言っているのか読み取れない念話が届く。

指向性のない、全方位への念話だが――

『――すけて』

『待ってろ』

辛うじて聞き取れた、助けを求める声に気付いて、念話を返した。

エリアサーチには誰も引っ掛からない。フェイトの方も、念話を送った人物を見付けていないようだ。

どこかの部屋に籠もられていたら発見が遅れるが――

焦りを抱きながらガジェットを破壊し、廊下を進んでいると、剣戟の音が耳に届く。

それだけじゃない。気迫を込めた叫びもだ。

カスタムライトの柄尻を壁に叩き付け、

『ブレイクインパルス』

壁を粉砕し、踏み込む。

壁の向こうにいたのは、十人ほどの民間人。それと、四人ほどの倒れ伏した局員。

ガジェットの残骸もあるにはあるが、まだ戦闘は続けられていた。

戦闘を続けているのは、ピンクのポニーテールと騎士甲冑。両手で握った長剣。一目で誰だか分かる。

それともう一人。

紫に近い青の近代ベルカ式魔法陣を展開して、民間人をガジェットから護っている女の子。

二人は壁を粉砕して入ってきた俺へと顔を向けて、目を丸くする。

……戦闘中に敵から顔を逸らすなって。

思わず苦笑し、

『――Phase Shift』

迷わず、稀少技能を発動させる。

視界のすべてが遅い。

ガジェットによって引き起こされた火災。踊る炎も。

シグナムやギンガちゃんの動きも。護られている民間人も。

そんな中で動けるのは、俺だけだ。

Seven Starsとカスタムライトの柄尻を連結させて振り上げると、俺はガジェットに接近する。

振り下ろした一撃で一体。物理破壊設定だったので、魔力刃が地面にめり込んでしまう。

裾を翻し、ステップを踏んで、脚甲で魔力刃を蹴り付ける。

勢いを乗せて、返す刃でもう一体。更に一体を破壊して稀少技能が切れると、最後に魔力刃をアークセイバーとして射出。

この部屋にいたガジェットを殲滅すると、シグナムたちの方を向いた。

……取り敢えずは、民間人の方を。

抜き身のレヴァンテインを力なく地面に向けたシグナムの横を過ぎ去りながら、彼女に念話を送る。

『ちゃんと民間人を守れたじゃないか。良くやった』

『……いえ』

自分一人でガジェットを潰せなかったことが堪えているのだろうか。それとも、俺の力を借りたくなかったのだろうか。

気落ちしたようなシグナムが気になるが、今は後回しにしないといけない。

駄目な親、と苦笑したくなるのを堪えて、ギンガちゃんの方へ。

「時空管理局執務官、エスティマ・スクライアです。救助にきました。
 現在外では安全地域への転送が行われています。誘導するので、着いてきてください。
 怪我をしている方は――」

ざっと救助者を見回して、最後にギンガちゃんへと目が行く。

右の太もも。酷くはないが、火傷をしている。おそらくはガジェットのレーザーが当たったのか。

怪我をしているのは彼女だけのようだ。

「ごめんよ」

「あ、ちょ、エスティマさん!?」

カスタムライトを腰に差して、ギンガちゃんを肩に担ぐ。お姫様抱っこ、なんてもんじゃない。荷物か何かのような扱い。場合が場合なんで許してください。

「シグナム、レヴァンテインに外までのルートを送る。先導、頼めるか?」

「はい、スクライア執務官」

エリアサーチで得た情報をシグナムへと。

救助者を置いていかないように歩調に気を付けながら、急ぎ足で外へと。

そうしていると、肩のギンガちゃんが居心地悪そうに身動ぎした。

『ごめん、変な運び方して』

『いえ、気にしないでください。
 ……けど、驚きました』

『何が?』

『救助とか、するんですね。戦うだけだと思ってました』

『そういう風に見られていたか』

不謹慎だが、思わず苦笑してしまう。

……っと、

視界の隅に映ったガジェットへと、ヴァリアブルコーティングしたクロスファイアを放って撃破。

『まぁ、この通り、戦うのがメインだけどね。
 基本的になんでも屋かな』

『色々あるんですね。
 ……その、エスティマさん』

『なんだい?』

『……ありがとうございます。念話に気付いてくれて』

『気にしなくて良いさ。それに、頼まれたからさ』

『……頼まれた?』

『……あ、いや』

そこまで言って、やべ、と自制する。

……クイントさんにギンガちゃんとスバルのことを頼まれた、なんて言ったらどんなことを言われるか分かったもんじゃない。

俺が悪いのは分かっている。死なせたくないと思っておきながら、結局はあの人たちに命を救われて、今の俺がいる。

だから、責められたら甘んじて受けるべきだとは思うのだけれど、それが辛くないわけじゃないんだ。

居心地の悪い沈黙。その中を、先導するシグナムの援護をしながら淡々と進む。

そしてようやく外に出ると、施設の出口付近では掻き集められた部隊が展開していた。

「クロノ!」

「エスティマか?」

「追加の救助者! あと、この子に治療を頼む!」

「あ、ああ」

「部隊長!」

「あ、あの、エスティマさん! 頼まれたって――!」

何か言いたそうなギンガちゃんを肩から降ろすとクロノに任せ、後ろからの呼び声に振り向く。

そこにいたのはシャーリーだ。

彼女は血相を変えて俺に駆け寄ると、肩で息をする。

「ご無事で、何より、です……」

「そっちも無事だったみたいだな。
 悪いけど、分かる範囲で今の状況を説明してくれるか?」

「はい。転送魔法によって出現したガジェットとクラッキングで、大分混乱しています。
 現状把握に手一杯で……。
 民間人の転送はかなり進んでます。フェイトさんが助けた人たちが到着したら、それが最後になるでしょう」

「分かった。
 なぁ、シャーリー。なんとか通信だけでも復旧できないか?」

「はい。インテリジェントデバイスを介したネットワークの形成を、やっつけ仕事ですが現在――」

『プログラムを受諾します。
 ……。
 旦那様。通信が入りました』

シャーリーの説明が途中だというのに作業を始めてしまう辺りはコイツらしいというかなんというか。

「誰からだ?」

『この場で通信を繋がないことを推奨します』

……ここで繋がるとマズイ相手、ってことか。

真っ先に浮かぶのはマッドサイエンティストなんだが、それはないだろう。

だとすると、中将かオーリスさん。

シャーリーに一言二言告げて物陰に行くと、通信を繋げる。

画像は送れないらしい。サウンドオンリーと浮かんだディスプレイが、展開する。

「エスティマです」

『儂だ、エスティマ。今、どこにいる』

通信の相手は中将か。声には怒りが込められているように、酷く低い。

何か指示があるのか。それとも、別のか。

「戦技披露会の会場です。ここの避難が完了次第、近辺の避難誘導を行うつもりです」

『それはいい。お前には――いや、三課には、他の任務に当たってもらう。
 三時間ほど前から、最高評議会との連絡が途絶えている。
 それと、今し方繋がった通信で、彼らの生体反応がロストしたことも報告された。
 今から指定する場所へ部下を引き連れて向かえ』

「……そこに、何かがいるのですか?」

『ああ。目的地にある建物は破壊ではなく、占拠されている。
 ならば、何者かがいると見て良いだろう。だが、偵察を送るような余裕はどこにもない。
 ……もし最高評議会が生きているのならば、彼らの指示に従って、このテロを起こした連中を捕らえろ。
 もし生きていないのならば――』

そこまで中将が言った瞬間だ。

死んでいた通信システムが、唐突に復活――否。

本来の役目を奪われ、ディスプレイには不愉快な顔を。スピーカーからは、耳障りな笑い声が響く。

上空に位置したガジェット。もしくは、施設の巨大ディスプレイに、男の顔が映った。

紫の頭髪に、黄色の瞳。スーツの上から羽織った白衣。

奴の背後に見えるのは、数多のプレートが宙に浮かんだ空間。

……あの場所は、たしか。

上空に映し出されたそれを見て、呆然としながらも、思わず手を握り締めた。

『ミッドチルダ地上の管理局員諸君。
 祭りの最後は、華麗に飾れたかな?
 はじめまして、と言っておこうか。私の名前はジェイル・スカリエッティ。
 この祭りの演出家。
 君たちによって、違法研究者の烙印を押された者さ。
 それは、私だけではないのだがね。
 治安維持。ロストロギア規制。そういったものに圧迫された。
 そうとも。
 今日という日は、祭りなのだよ。怒りの日。
 そう、法の名の下に日陰へと追いやられた我々が、立ち上がる日だ!
 駆り立てられるばかりではない。一矢報いるために、我々は団結し、君たちの目の前に広がる火の海を作り上げた。
 ……我々「結社」は、君たち管理局に反抗する。
 今は違法研究者のレッテルを頂いているが、それが撤回されるまで――』

長々と続く口上。

奴の声が耳に入る度に、腹の底へドロドロとしたものが溜まってゆく。

同時に、背筋を凍らせる悪寒も。

耐えきれずに壁を殴り付けるが、痺れるような痛みが広がるだけで何も解決しない。

くそ。

……クソォ!

何がどうなってる。こんな大惨事を起こすような引き金を、俺はいつ引いたっていうんだ!?

今すぐにでも叫びだしたい衝動を必至に堪え、歯を噛み締める。

『聞いたな、エスティマ』

「……はい」

『首都防衛隊第三課に命じる。
 ジェイル・スカリエッティを捕らえろ。場合によっては殺傷も許可する。
 部隊との連携が復活次第、増援も送ろう。
 どんな手を使っても構わん。必ず奴を捕らえろ』

「はい」

それだけ答えて通信を切り、へたり込みたくなるのを我慢して、脚を動かした。

頭の中でぐるぐると今までのことが回想される。

俺はどこで間違ったんだ? こんな……もう、最悪とも言えない状況を引き起こしたのは、何が原因なんだ?

分からない。有り得ない。

「……なんで、こんな」

『旦那様。愚痴を言っている暇はありません。
 戦ってください』

「分かっているさ」

『分かっていません。これはチャンスです。
 幸せになる、という、あなたと私の勝利目標。
 ある意味、今の状況はそれを達成できる、またとない機会です。
 戦ってください、旦那様。私にその役目を命じたのは、あなたです』

「分かってるよ!」

Seven Starsに怒声を放ち、少しだけ頭が冷めた。

そう。そうだ。スカリエッティを捕らえればいい。挽回は利く。

アイツを捕まえれば――排除すれば。

……そうだ。絶対に排除しなければならない。

酷く重い足を引きずって、物陰から出る。

スカリエッティの宣戦布告があっても、局員がやることは変わらない。

次々と送られてくるガジェットを相手にし、今も修羅場は続いている。

その中に見知った顔を見付けて、俺は足を向けた。

「……なのは」

「エスティマくん? もう、どこ行ってたの!?」

声を荒げる彼女だが、俺の顔を見てすぐに口を閉じる。

なのはの目を真っ直ぐに見て、

「なのは、頼みがある。協力してくれ。
 さっきの放送に映っていた、この事件の首謀者。
 アイツを捕らえるよう、命令が下ったんだ」

しかし、なのはの反応は芳しくないものだった。

彼女は視線を動かし、負傷した局員の集まっている方を見て――そこにはシャマルがいる――口を引き結ぶ。

「……ごめん。私、ここで戦わないといけない」

「なんで」

「側で護ってあげるって、約束したから。だから、ここを動けない。
 ごめんね」

申し訳なさそうに頭を下げるなのは。

そんなことを言っている場合か、と喉元まで言葉が出かかる。

しかし、それは、そう。いつからか擦れ違った、俺と彼女の違いなのだろう。

ここでシャマルを含んだ大勢を守る。それが彼女の選択か。

……良いさ。

なのはに背を向けて、空へと上がる。

その最中にザフィーラとはやてへ念話を送り、ことの詳細を説明。

どうやらフェイトは別の地区へと向かってしまったようだ。三課の戦力だけで、なんとかしないとならない。

合流すると、中将から送られたポイントへと向かう。

ずっと空間制圧を行っていたせいだろう。はやての息は上がっている。ザフィーラだって顔に出していないが、疲れているだろう。

俺だって、戦技披露会でのダメージやら何やらがある。

しかし、戦わないといけない。

俺がやらないといけない。こんな状況を作る切っ掛けは、きっと俺が生み出してしまったのだから。

「ねぇ、エスティマくん」

「なんだ?」

「これから向かう場所に、スカリエッティがいるん?」

「多分ね」

「そか」

意識を向けなければ、はやての声を聞き逃してしまいそう。

何を考えているわけでもないのに、意識がぐらつく。

相当キてるな、これは。追い詰められている自分を、客観視してしまう。

飛び続けて、十分ほど経った頃だろうか。

ようやく見えた目的地は、中将が言っていたようにガジェットによって占領されていた。

突破するのも、建物に取り付くのも一苦労か。

おそらく、中にもガジェットが入り込んでいるのだろうし。

……鬱陶しい。

「Seven Stars、建造物のデータを呼び出せ。地下まで貫くぞ。角度修正は任せる」

『了解しました』

「ちょお、エスティマくん!?」

握り締めたSeven Starsを変形させる。

モードB・EX。巨大な砲口と地上へと向け、カスタムライトを接続。

フルドライブ・エクセリオン。

莫大な魔力が放出されると共に、高揚感が身を包む。

深く息を吸い、吐き。

両手でグリップを握り締めると、腰だめにSeven Starsを構えた。

「ディバインバスタ――!」

『Zero Shift――エクステンション』

Seven Starsの、カスタムライトのカートリッジがそれぞれ二つずつ炸裂する。

サンライトイエローの光が上下の砲口に集まると同時、限界まで溜められた砲撃魔法が解放された。

音速超過で放たれたサンライトイエローはガジェットを薙ぎ払いながら地表へと激突。

轟音を茜色の空に響かせながら地面を掘削する。

十秒近くの放出を終え、ずきり、と痛みを訴えるリンカーコアに顔を顰めながら、Seven StarsをモードAに戻してカスタムライトを腰に差す。

今の砲撃でやられたとは、とても思えない。

確実にこの手で倒さなければならない。

そう――俺が、アイツを倒さなければならない。

「……はやて、ザフィーラ。俺はたった今作ったルートを通ってスカリエッティの元へ行く。
 お前たちはここで、ガジェットの相手をしてくれ」

『旦那様。それは無謀です。敵がどれだけの戦力を用意しているのか分からない今――』

「黙れ。それじゃあ、頼むぞ」

静止の声が聞こえた気もしたが、今はかまっていられない。

可能な限りの速度でバスターで開けた穴へと向かう。殺到してくるガジェットを切り払い、ひたすらに突き進む。

そしてぽっかりと空いた空洞に身を投げ、真っ直ぐと。

視線だけは真っ直ぐに。それでも頭の中を占領しているのは、何が悪かったのか、という考えだ。

スカリエッティの存在を知りながら、アイツを捕らえる努力を怠ったのが悪いのか?

幸せだなんだと言って、足枷を作り続けたのが悪かったのか?

中将と結託して奴を追い詰めるのではなく、すべての縁を切り捨てて、ひたすらに奴を追うべきだったのか?

分からない。

順調だと思えていた毎日が、急速に色褪せてゆく。

……違う。

間違いなんかじゃない。

楽しかった。皆と一緒に生きる毎日が、どうしようもなく居心地が良かった。

辛いことがなかったわけじゃない。けどそれ以上のものを、皆は俺に分けてくれた。

それを間違いだなんて言わせない。思いたくもない。

……そうだ。

だからこそ、ここでスカリエッティを捕らえて終わりにしてやる。

諸悪の根源を排除して、俺は――

『――Zero Shift』

「――っ!」

空洞を抜けた刹那、Seven Starsが勝手に稀少技能を発動して俺の腕を動かす。

それと同時に感じたのは、激突の衝撃。

戦闘経験により条件反射と言えるほどになった姿勢制御を咄嗟に行い、ぶつかってきた相手を目にする。

「またお前か!」

「雪辱戦といかせてもらいましょうか、エスティマ様ぁ!」

戦闘機人Ⅲ、トーレ。

彼女が叩き付けてきたのは、インパルスブレードにも似たサーベル。追加装備なのだろうか。

それがSeven Starsの斧とぶつかり合い、火花を散らす。

ハルバードを一閃し、距離を取る。が、すぐに肉薄され、咄嗟に左腕を。

紫電を散らす掌でサーベルを受け止め、

「スカリエッティはどこにいる!?」

「今目の前にいるのは私でしょう!?
 ……そう、眼中にもないのですね。
 ですが、それは――戦闘機人である私にとって、この上ない屈辱です!」

「知ったことか! お前に構っている暇はないんだ!
 この前といい、今といい、どうしてそう――!」

「あなたが私を敵と認識しないからだ!
 戦うために生み出された私は――!」

ギリ、と俺とトーレは同時に歯噛みする。

「俺の話を――!」

「私の話を――!」

「――聞けぇ!」

異口同音の叫びと共に、お互いの得物をぶつけ合う。

……上等。そんなに戦って欲しいのならば、やってやる。

これを倒したら次はスカリエッティだ。それだけのこと。

屋内ではあまり飛び回れないため、バリアジャケットの剥離効果は期待できない。

なら、

「アークセイバー、プラス!」

『ファングスラッシャー』

音速超過で放たれた魔力刃がトーレを追う。

プレートの浮かぶ空間を縦横無尽に飛び回る奴と魔力刃。

回避したところで、ファングスラッシャーは奴を襲う。

そして、トーレが切り払う動きを見せた瞬間、

「ブレイク!」

重なっていた魔力刃が分離し、二枚のアークセイバーとなって左右からトーレへと殺到する。

それらをインパルスブレードで受け止めて防ぐが、動きは止まった。

宙に浮かぶプレートへと足を付け、このまま砲撃に――

その瞬間だ。

がっちりと足首を掴まれる感触。

目を落とせば、プレートから突き出した手が俺の足を掴んでいる。本来ならば有り得ない光景。

特殊なIS――セインか。

更に、

『高エネルギー反応。ISにより隠されていたのだと推測します』

上を見れば、動けない俺を楽しげに見下ろす影があった。

クアットロ。それに高エネルギー反応は、俺を狙っているディエチか。

戦闘機人四体を同時投入? フィアットさんは――余計なことを考えるな。

足首を掴む力は強い。Seven Starsで切り裂くとしても、その前に砲撃が突き刺さるだろう。

ならば――

「モードB・EX――リミットブレイク!」

『リミットブレイク――Ashes to Ashe 1st ignition』

瞬間的に変形したSeven Stars。

そしてガンハウザーとなった金色のフレームが、燃え上がるように光を放つ。

――胸が軋む。

「ぐ……!」

『Zero Shift――デュアルバスター』

胸だけじゃない。全身に走る慣れない激痛に顔を顰めながら、それでもSeven Starsを保持し、砲撃魔法を放った。

発砲は同時。

二つの砲口から放たれた砲撃魔法と、イノメースカノンからの物理破壊砲が激突し、薄暗いフロアを照らす。

そして――

刹那の間拮抗した光と光の衝突は、サンライトイエローが正面から打ち砕くことによって終了した。

砲撃魔法によって吹き飛んだのは二人。クアットロとディエチは防御手段を展開する間もなく光の奔流に押し流されて、壁へと激突。

今のを予想していなかったのだろう。足首を掴んでいた力が弛んだ隙に再び飛行し、Seven StarsをモードAに戻す。

リミットブレイクによる今の一撃。文字通り限界を超えた攻撃の反動で、身体から悲鳴が上がる。

ただでさえ万全とは言えなかった身体にヘドロのような疲労感がのし掛かり、指先に軽い痺れが。

……あと二回。大丈夫。使える。

自分自身を宥め賺して、気を抜けば遠退きそうになる意識を保つ。

消費した魔力をフレームに供給。

次はトーレを――

プレート群の中からトーレを見つけ出そう警戒していると、不意に、手を打ち鳴らす音が響いた。

同時に、四つの転送魔法陣が宙に展開する。

その中から姿を現すのは、どれも小柄な影。

全員が身に付けている青を基調としたボディスーツにより戦闘機人だと分かるが……戦闘機人?

待て。今まで戦ってきたのに加え、更に四機?

後期組のナンバーズ……だとしても時期が早い。早すぎる。

もしかしたら、あいつらは違う存在なのか? それに、後期組ならば残る一体はどこだ?

現れた四体の戦闘機人を見つめながら、薄ぼけた記憶の中の姿と照らし合わせる。

目の前にいる彼女たちに保管されるようにして、イメージはピッタリと合った。見た目だけは同じようだが……。

そこまで考え、ふと、四人の中の一人――髪の色は違うが、スバルと瓜二つの容姿である少女――ノーヴェに目が行った。

正確には彼女に、ではない。彼女が腕に嵌めているデバイス……リボルバーナックルに。

見間違えるわけがない。何度もこの手でメンテナンスしたんだ、あのデバイスを。

ギリ、と奥歯を噛み締める。

……そうか。どうりで。

『旦那様』

「なんだ」

『オーバーSランクの魔力反応を、転移してきたすべての者から感知しました。
 撤退を推奨します。勝利条件が達成困難と分かった以上、退いて戦力を立て直すべきです』

オーバーS? 戦闘機人じゃないのか?

なら、俺と同じレリックウェポン?

だからノーヴェがリボルバーナックルを使っているのか?

……いや。だとしても、俺がすることに変わりはない。

「黙れ。退くつもりはない」

『……了解しました』

Seven Starsとのやりとりを終える。

そして、それを待っていたかのように、暗がりからゆっくりと姿を現す者がいる。

「なるほど、なるほど。なかなか面白いところに目を付けた。
 今のリミットブレイクは、Seven Starsの機能拡張と考えるべきだろう。
 フレームの構築に使われている魔力を解放し、攻撃に転化する。
 強力無比な一撃必殺。より過激になったカートリッジシステムとでも言うべきか。
 ……随分と重い一撃のようだね、今のは。君にとっても」

それを目にして、思わず目を見開いた。

「はじめまして、エスティマ・スクライアくん。
 君の敵である、ジェイル・スカリエッティだ」

恭しく一礼する、白衣の男。

――無意識の内に、俺はSeven Starsの矛先を向けていた。

放たれるショートバスター。

だがそれは、奴を打ちのめすことなく歪む。

逸らされる、とも違う。展開されたシールドに着弾すると同時に、進行方向をねじ曲げられた。

……ディストーションシールド?

高ランクの空間歪曲式防御魔法か。

……それがどうした。

奴がどんな魔法を使おうと、関係ない。

「おやおや。随分と手荒い歓迎だね。もっとも、君らしくはある。
 嗚呼……エスティマくん。君ならばここへ来てくれると信じていたよ」

「黙れ! なんのつもりだ……こんなことを、遊び半分に!
 外が今どんな状況なのか、分かっているのか!?」

思わず声を荒げてしまう。

つむじが焦げ付くような、爽快感にも似た怒りが際限なく沸き上がる。

しかしスカリエッティは、

「面白半分……?」

心外だ、と、顔を横に振った。

「私は本気だというのに……それを感じ取って貰えないとは、悲しいなぁ。
 せっかく今日という日に、君の妹たちも間に合わせたのだがね」

「……妹? そんなもの、一人しか心当たりはない」

「そうだね。君の妹と言えるのは、兄妹機であるフェイト・テスタロッサ嬢だけだ」

フェイトを素体扱いする言い様に、喉元まで怒声が込み上げてくる。

しかし、ここで話を中断するわけにもいかない。

ご丁寧にもあの戦闘機人たちについて説明してくれるのならば、聞いてやろうじゃないか。

「ふむ。腹違いの妹、といったところだろうさ。この子たちは。
 君が積み上げたレリックウェポンとしてのデータを反映させて生み出した、ナンバーズの第二期モデル。ナンバーズType-R。
 そして彼女たちの使うデバイスは、Seven Starsと名付けられたそれの量産機だ。
 ……AMF下でも、そうでない状況でも、絶対的な戦闘能力を発揮できる存在。
 なかなかのものだと、自負しているよ」

嘘ではないのだろう。自らの作り上げた娘たちを手で示し、スカリエッティは胸を張る。

……そうだな。厄介そうではある。

なら、成長する前にここで叩き潰せば良い。倒すべき敵が増えただけ。それだけだ。

黙り込んでそう考える俺に、スカリエッティは肩を竦める。

「反応が芳しくないなぁ。もっと驚いてくれても良いだろうに。
 しかし、それも仕方のないこと。
 ようやく顔を合わせたのだ。相互理解をしなければ」

「お前と話すことなど何もない。
 ……時空管理局執務官、エスティマ・スクライア。
 俺は、お前を捕まえる。そのためだけにここへ来たんだ!」

暗い空間に怒声が響く。

俺の声を聞いたスカリエッティは、両手で身を抱き、ぶるぶると震える。

だが、それは恐怖や戦慄。そういったものではない。

俯き、顔を上げ、奴は笑い声を上げる。

はは、と、甲高い不愉快な笑い声を。

「熟成された憎悪が、こうも心地よいものだったとは!
 ……だが、いけない。
 いけないなぁ、エスティマくん。
 まだ純粋ではない。
 私はね、管理局の執務官ではなく、宿敵であるエスティマくんに会いに来たのだよ。
 故に――
 一つ、昔話をしてあげよう」

「……昔話?」

「そうとも。これを聞けば、あるがままの君に戻れるはずだ」

語るスカリエッティの笑みには狂気が混じり、嫌な予感しかしない。

しかし、隙を突こうにもどうするか。

再びゼロシフトでのリミットブレイク……いや、軽々しく使える状態じゃない。

敵も更に増えた。トーレだって、まだどこかに潜んでいるんだ。

……どうする。

考えている内に、スカリエッティは口を開く。

楽しげに、どこか思い出すような表情をしながら。

「今から、そう、五年近く前のことになる。
 あるところにいた、主人想いのデバイスと、そのご主人様の話さ」




























エスティマ・スクライアのデバイスであるSeven Starsは、今の状況を分析しながら、どうすれば勝利することができるのかと考えを巡らせる。

もし主人が万全な状態ならば、少しは打ち勝つ確率も上がるだろう。

だが、それは仮定の話だ。

限りなく零に近い――否、零だ。勝てない。主人は敵対する者たちに勝つことはできないだろう。

エスティマと同種の高魔力反応に、戦闘機人のエネルギー反応。あの四体の戦闘機人はおそらく、レリック搭載型の戦闘機人なのだと察することができる。

通常の戦闘機人と戦うだけでもリミットブレイクを一度使っている。残り二回。もし戦闘機人を倒すことが出来たとしても、それは相打ちに近い形だ。

さきほどスカリエッティの見せた歪曲シールドを突破できるだけの余力は残らないだろう。

主人が上手く戦闘を進めたとしても詰む。敗北は目に見えている。

そう、エスティマがこの場で勝利することは、不可能なのだ。

ならば、自分はどうするべきか。

主人の未来を切り開く役目を科せられた武器である自分が取るべき最善の行動は、何か。

……最終的に勝利を納めることができるならば。

人工知能が導き出す酷く屈辱的な回答に、Seven Starsは歯噛みしたい気分になる。

現行最高性能と言っても間違いではない自分が、こんな――
































「スターライト――ブレイカー!」

振り下ろしたシュベルトクロイツから放たれる、巨大な桜色の光。

一体のガジェットに着弾すると、それを中心にして光は膨らみ、次々とガジェットを飲み込んでゆく。

びっしりと額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、私は唇を噛んだ。

『主、休んでください。この程度の敵ならば……』

『あかん。ここのガジェットを倒せ、ってエスティマくんに言われたんや。
 ……だからここのを殲滅して、エスティマくんの助けに入る。それで文句も言われへんやろ』

『……はやてちゃんもエスティマさんも偏屈ですよぅ。
 ここはザフィーラに任せて、エスティマさんを助けに行けば良いじゃないですか!』

『分かってる。私だってそうしたい。
 けど、ガジェットを放っておくわけにもいかん。AMFが強くなったら、私らなんもできなくなる』

敵のまっただ中にいるエスティマくんが魔法を使えなくなったら。考えただけで嫌な汗が出そう。

エスティマくんを側で守ることができないのならば、できることをしないと。

気持ちを再び身体に込めて、騎士杖を握る手に力を込める。

次はどの魔法を使うべきか。

魔力は無尽蔵と言われるだけあって、尽きる気配はない。

しかし、戦闘を続けているせいで疲れが無視できない。

いくら魔力があっても、体力が限界に達すれば戦えなくなる。

なるべく負荷の少ない魔法を――いや、やはり大技で一気に――

そんな風に、どうするか、と考えあぐねているときだ。

『はやてちゃん! Seven Starsから通信です!』

『Seven Starsから?』

エスティマくんからじゃなくて?

嫌な予感を抱きながら、私はSeven Starsと念話を繋げる。

『どうしたん?』

『はい。敵の増援が現れ、旦那様の勝利が不可能になりました。
 しかし、旦那様に退くつもりはないようです。
 八神はやて、お願いです。どうか、旦那様を連れてこの戦域から離脱してください』

『……分かった』

淡々とした口調で届いた念話に感情の色は見えない。

けれど、そのお陰で私は慌てずに状況を飲み込める。

『撤退するよ! 私もエスティマくんを助け出したら転移する!
 ザフィーラはギリギリまで時間を稼いで!』

『心得ました』

『行くで、リイン!』

『はいです!』

人間形態のザフィーラが鋼の軛を振ってガジェットを粉砕するのを尻目に、私はエスティマくんの開けた空洞へと身を投げる。

防御、回復、転移、強化。

必要だと思うすべての魔法を組み立てながら、突き進む。

そして、狭かった視界が一気に開き――

目の前に広がった光景に、眉を潜めた。

視界の中心には、こちらに背を向けたエスティマくんがいる。その向こうには白衣の男――スカリエッティが。

彼の周りには、戦闘機人の身に付ける戦闘スーツに身を包んだ四人の女の子。歳は十歳ぐらいか。

『は、はやてちゃん……』

『分かってる』

ユニゾンしたリインが、怯えたような声を上げる。

それもそうだろう。センサーを使わなくても分かる。余裕でオーバーSを越えた魔力量を保つ敵が四人もいるのだから。

……なのはちゃんやフェイトさん、ヴィータやザフィーラがいたらなんとかなるかもしれんけど。

しかし、今は違う。ここにいる味方は三人だけだ。それも、満身創痍の。

……退くしかない。

それは分かっている。けれど、視界の中心にいるエスティマくんの背中は、欠片もそのつもりがなさそうだった。

それを証明するように、エスティマくんから念話が届く。

『下がれ、はやて』

冷たいとも、刺々しいとも違う、怒りの燻った声。

返答に困ってしまうような声色に、言葉に詰まる。

そんな私にかまわず、スカリエッティは大仰に手を開き、はは、と笑い声を上げる。

それが酷く楽しそうで、不愉快だった。

「中断して悪かったね。それでは、続きだ。
 エスティマくん、君も分かっていたんじゃないのかい?
 一応は技術者なのだから。
 フルドライブならば耐えられた。なのに壊れたのは、封印したリミットブレイクが発動したせいなのだとね」

「だとしても、Larkは俺のために死を選んだんだ!
 お前はアイツの死まで汚す気か!?」

声が掠れるほどの叫びをエスティマくんが上げる。

……Lark。Seven Starsの前にエスティマくんが使っていたデバイスの名前。

あの子を馬鹿にされてエスティマくんが怒らない理由はないけれど……なんで今、そんな昔の話を?

「だからそれが間違っているというのに。
 彼女は君のために壊れたのではない。私に壊されたのだよ。
 この違いが、分かるかい?
 ……ああ、そうだ。せっかくゲストが見えたのだし、あの子にも分かるように説明してあげよう」

「余計なことを――!」

するな、と続く言葉は、呻き声に変わった。

血のような魔力光が瞬くと共に、エスティマくんがワイヤー状のバインドで絡め取られる。

強固なのだろう。バインドブレイクを実行しているのにもかかわらず、一向に引きちぎれる様子はない。

助けないと!

しかし、

「そこのお嬢さん。八神はやて、と言ったか。
 エスティマくんと私の因縁を、知りたくないかい?」

「はやて、聞くな!」

不意に名を呼ばれ、続いて怒鳴りつけられ、思わず身体を震わせた。

元よりスカリエッティの言葉を聞くつもりはないけれど――

「君にも関係あるのだよ? なんせ彼との付き合いは、闇の書事件が切っ掛けになって始まったのだから」

――闇の書事件。その単語一つで、再び私は動けなくなった。

「黙れこの野郎っ……!――この、バインド如きで!」

エクセリオンの出力を上げたのだろうか。エスティマくんの身体が魔力光に包まれ、ワイヤーが千切れ飛ぶ。

しかし、追加で生み出された紅い糸が再び彼を絡み取る。

足掻くエスティマくんをじっと見つめながら、私は動くことができなかった。

……闇の書事件からエスティマくんが? 戦闘機人事件からじゃなくて?

それは一体――

「知っていると思うがね。彼はヴォルケンリッターによって、一度殺されたことがあるのだよ。
 ここで一つ問題だ。死人が生き返る。そんなことが有り得ると思うかい?」

……生き返らない。

それは身に染みて分かっている。

お父さんやお母さんがいなくなったように、たくさんの人が犠牲になって闇の書事件が終わったように。

死んだ人は絶対に生き返らない。

分かっている。けど、それと今の話になんの関係が?

……いや、死んだ?

死、という単語が頭に引っ掛かる。

何か、大切なことを私は忘れてしまっている。けれど、それがなんなのか思い出すことができない。

「有り得ないんだよ。死んだ人間は生き返らない。
 だが、不思議だろう?
 ヴォルケンリッターに殺された彼は、今もこうして生きている。
 だが、違う。
 彼は生き返ったのではない。生まれ変わったんだ。再び戦うため、レリックウェポンとして二度目の生を受けた。
 そして戦い続けるためにデバイスを失い、仲間を失い――
 そう。彼がこんなにも足掻いているのは、私の目に留まってしまったのは、一度死んでしまったからなのさ」

そうだ。

エスティマくんは一度死んで――だからこそ私は、ユーノさんやフェイトさんから恨まれている。

けど、エスティマくんは生きていて――違う、生まれ変わった?

分からないことが多い。理解できない単語だってある。

けれど、一つだけ分かるのは――

「……私の、せいなん?」

エスティマくんが大切なデバイスを失ったこと。

普通の人なら逃げ出してしまいそうな状況に身を投げていること。

私が支えてあげなければいけないと思うような境遇に彼がいるのは、私のせいなの?

「違う! 全部俺が悪いんだ! シグナムやシャマルが俺を殺してしまったのも、こんな状況を作ったのも!
 だからはやて、何も聞くな! 俺だけ恨んでいればいい!
 ――くそ、頼むから、もう止めてくれよっ……!」

「おや? まだ振り切れないのかい?」

エスティマくんの涙混じりの叫びに、場違いな、意外そうな声をスカリエッティが上げた。

だが彼の表情は、虫をいたぶって喜んでいる子供そのものだ。

私は、その光景をただ見ていることしかできない。

動こうと思っても、麻痺したように身体が言うことを聞いてくれない。

「ははは……!
 それにしても、残念だったねぇ。
 兵器として生まれ変わり、大事なデバイスを失ってまで得た束の間の平穏も、これで終わりだ。
 君の努力も、犠牲になった人たちも――
 無駄だったわけだ」

「………………無駄?」

「そうとも。君を庇った女性たちも、さぞ無念だろうねぇ」

「……そう、か」

……エスティマくん?

がっくりと項垂れた彼の姿に、怖気が走った。

意気消沈とは違う。Seven Starsを握る手からは、ギチリ、と鈍い音が上がっている。

カチカチと鳴り始めた音は、歯の根が合っていない証拠。けれど、それは恐怖や寒気からではない。

あれは――

「……バラバラにしてやる」

触れることを躊躇うほどに、熱の籠もった怒りだ。

足元にサンライトイエローのミッドチルダ式魔法陣が展開される。

それと同時に、彼を縛っていたバインドが一斉に弾け飛んだ。

一歩踏み出し、足元の地面を割り砕いて、エスティマくんは顔を上げる。

「お前だけは殺す……刺し違えてでもだ!」

『……Ashes to Ashe 2nd ignition』

『はやてちゃん!』

胸の内から怒声が届く。

聞かずとも分かる。

何をしている。これで良いのか、とリインフォースⅡが、泣きそうになりながらも声を上げてる。

……そうだ。

……どんな罪があっても関係がない。

私はエスティマくんが好き。

彼がどんなつもりで戦ってきたのか分からないし、私のことをどう思っているのか知るのが怖い臆病者だ。

けど――それでも。

自分でも驚くほどに早く術式を完成させ、今にもスカリエッティに飛び掛かろうとするエスティマくんをバインドで拘束する。

そしてフラッシュムーヴを発動させて距離を詰めると、彼を抱き締めて強制転送を発動。

彼が何をしたとしても、どれだけ必死で歩いてきたのか知っている。

誰よりも近くでこの人を見てきたのだ。何をしていたかは分からなくても、どれだけ頑張ってきたのか分かってる。

だから、こんなところで死なせない。

死なせてたまるか……!

古代ベルカ式魔法陣と私の魔力光が瞬く。

そして一瞬の内に転移が終わると同時、視界が真っ暗になった。

地面に転がり込んで、青臭い草木の匂いが鼻に満ちる。

周囲は暗い。もう、夜になってしまったのだろう。それでも視界が確保できるのは、赤色混じりの光が木々の隙間から差し込んでいるせい。

勢いのままにエスティマくんを抱き締めて転移したため、押し倒す形になってしまった。

私の下にいるエスティマくん。

お互い、息づかいが聞こえるほどに顔が近い。

「……なんでだ」

ポツリ、と彼が呟いた。

彼がどんな顔をしているのかは分からない。

しかし、声にまったく感情が込められていない、さっきと正反対の声色に不安が押し寄せる。

けれどエスティマくんは先を続けた。

「……なんで止めた、はやて」

「……だってエスティマくん、死ぬつもりやった。
 刺し違えても、って……本気でしょ?」

「ああ」

「だったら、当たり前やんか」

「……当たり前。当たり前、か。
 はは……こんな命に、どれだけの価値があるってんだ。
 踏み台にしてきた人たちが無駄じゃなかったと証明もできず、奴を殺すこともできず。
 ……まるっきり役立たずじゃないか、俺は」

退いてくれ、と押し上げられる。思いの外腕に込められた力が強くて、私は転がるように横へ。

エスティマくんはSeven Starsを杖のように地面に突き立てて、一歩一歩、歩き出す。

ボロボロの背中。バリアジャケットも裾が破れ、見ただけで身体が限界なのだと分かる。

それでも彼は地面を踏み締め、脚を動かす。

「……どこへ行くの?」

「戦いに。まだクラナガンじゃ、ガジェットが猛威を振るっているだろうから。
 ……俺には、これぐらいしかできない」

多分に自虐の混じった言葉。

彼にどんな言葉をかけたら良いのか、私には分からない。

手を伸ばしても、ゆっくりとだが、彼は前に進んでしまって届かない。

私ができたことは――黙って、彼のあとを追うことだけだった。































ジェイル・スカリエッティを中心に結成された違法研究者集団。通称、『結社』。

この日を境にしてミッドチルダ時空管理局地上部隊は、彼らとの小競り合いを続けてゆくこととなる。

彼らの掲げる、違法研究の合法化。それを呑むことなどできるわけがないために。

AMF搭載型機械兵器と戦闘機人を中心とした彼らの戦力に対抗できる魔導師は地上部隊に一握りしか存在しないため、地上部隊は徐々に劣勢へと追い込まれる。

聖王教会と連携することで盛り返すこともできたが、それでも、お互いが疲弊した故の小康状態に持ち込んだのが限界だった。

そして、すべての切っ掛けとなった日から三年後。

時空管理局本局が、ミッドチルダへの本格的な介入を決断。

『結社』対策部隊として、陸、海、聖王教会の戦力が集まった大隊が設立されることとなる。

――舞台は、stsへと。








[7038] sts 一話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:21e37608
Date: 2009/05/06 20:33
ジェイル・スカリエッティの率いる違法研究者集団、『結社』が設立されてから三年。

その間に繰り広げられた管理局との激突は一進一退のものであった。

決起の日もそうだが、それ以降に彼らが狙ったのは、決まって管理局と関係のある施設のみ。

大規模な戦闘は多くはない。しかし、ガジェットに対抗できる魔導師を使い潰さなければならない状況に、ミッドチルダ地上部隊は徐々にだが疲弊していった。

一握りのストライカー級魔導師が戦闘機人にぶつけられることによって一方的な戦いにこそなってはいないが、それにより、数少ない優秀な魔導師たちも消耗する。

それを無視することのできなかった聖王教会はミッドチルダ地上部隊へ人材を派遣して、崩壊寸前だった地上部隊は持ち堪えることができた。

聖王教会が肩入れした理由には、彼らが聖遺物と呼んでいる古代ベルカの遺産を『結社』が使用していることに起因するのだが――閑話休題。

聖王教会の協力により持ち直し、悪い言い方をすれば泥沼化した戦いは、三年目にしてようやく動き出す。

混乱していた局内人事を海の三提督が纏め、海のミッドチルダへの介入が行われ始めたからだ。

海に所属する魔導師がミッドチルダへと派遣され、その中でも最も注目された動きは、『結社』対策部隊とも言える存在だろうか。

部隊所属は海。しかし、実際に部隊が活動するのはミッドチルダの地上なので、部隊長は陸の者に。

海、聖王教会との橋渡しを行うのは、両方と縁の深いエスティマ・スクライア。彼を中心として、新たな部隊が設立された。

――『結社』の戦力の要とも言える戦闘機人に対抗するための部隊。

――『結社』の使う古代遺物を回収するための部隊。

――『結社』によって乱されたミッドチルダの秩序を回復するための部隊。

通称、機動六課。

物語は、部隊が動き始める場面から開始される。



























あの日――『結社』などという違法研究組織が産声を上げた日。

まさかお祭りの最後があんな惨劇で締められると思った人はいなかっただろう。

私だって、そんな人の中の一人だった。

戦技披露会を見た後、入隊を目指している空隊の隊舎を見学に行って。

自分が歩こうとしている道がどういうものなのかをもう一度確かめて、また明日から頑張ろうと決意して。

そうして――その時だ。見学に行った部隊の隊舎が、ガジェットドローンと呼ばれる機械兵器に襲われたのは。

運が悪かったのは、避難場所らしい避難場所が近くになかったことだろうか。

やむを得ず隊舎の中に大勢の民間人を匿って、局員の人たちはガジェットとの交戦を開始した。

けれど――局員になって初めて知ったのだが――ガジェットの狙いは局の施設や魔導師。そこに匿われている私たちにも、ガジェットの攻撃が飛んできたのだ。

狙ったもの自体は隊舎なのだろうけれど、そんなことをされれば中にいた私たちがどうなるかだなんて考えるまでもない。

ガジェットに搭載された質量兵器によって外壁が吹き飛ばされ、弾け飛んだ破片がたくさんの人を飲み込む。

運良く無事だった私は壁に生まれた亀裂から空を見上げると、黒煙がたなびく夜空には、いくつもの魔力光と、ガジェットのライトが瞬いていた。

その光景に漠然と、ああ終わりか、なんて子供心に思った。

魔導師が射撃魔法を放っても、ガジェットに当たった瞬間に歪み、煙のように掻き消える。そんな光景が、ずっと繰り返されているのだ。

諦めも何もない。なんとかしようと思うよりも早く、目の前の現実が押し付けられる。

終わるときはあっさりと終わるものなんだと、無力な子供でしかない自分は痛感して――

だからこそ、その時、空を引き裂いて現れた存在に目を奪われた。

重い黒煙を薄いヴェールに変え、燦然と輝くサンライトイエローの光を撒き散らしながら、空隊の魔導師たちが手こずっていたガジェットを駆逐してゆく。

それぞれ片手に握った槍とハルバードで突き、引き裂き、二丁拳銃のように砲撃や射撃を連射して。

雨のように降り注ぐレーザーを曲芸機動で悉く避け、次々とガジェットを撃墜してゆく。

そんな圧倒的な――そう、魔力資質を持つ者ならば誰もが憧れる、ストライカー級魔導師の姿に。

心を折られるかもしれなかった出来事は、一瞬で憧れへと移り変わった。

兄のように――あの魔導師のようになりたいと。

自分には分不相応な願いかもしれないけれど、しかしいつまでも色褪せない願いが、この日、胸の奥に刻まれたのだ。

……その出来事から三年後の今、だからこそ私はランク昇格試験のあと、あの人の話を聞いて、その場で頷いたのかもしれない。






















リリカル in wonder



















ゆっくりと流れる外の風景をぼんやりと眺めながら、胸元のリングペンダントを片手で擦っていた。

元々良い物ではなかったからだろうか。メッキが所々剥げて、見た目が随分と古ぼけてしまっている。

しかし、そのざらついた表面の感触が心地よい。

そんなことを考えていると、ふと視界の隅に、真新しい局の制服を着た一団を見付けた。

新人だろうか。雑談を交わしながら道行く彼らは、笑みを浮かべている。疲れている様子もない。

これから配属される部隊でやっていく気が充分にあるのだろう。

頼もしいと考えるべきか、どうなのか。

「兄さん、どうしたの?」

「ん?」

振り返ると、そこには車のハンドルを握って前を向いたままのフェイトがいた。

少し前までは慣れない運転が酷く危なっかしかったけれど、今はそうでもない。

運転しながら気軽に話すぐらいの余裕はできたようだ。

「や、まだ局の窓口が空く時間でもないのに制服着た連中がいてさ。
 あいつら新人かな、って思ったんだ」

「そんな時期だからね。なのはのところは春っていうらしいよ、この季節」

「ああ。ミッドチルダは四季がないようなもんだから、春って言われてもあまり実感湧かないけどな」

「うん」

車がインターチェンジへと登り、外を流れていた風景が壁に閉ざされる。

フェイトと同じく前を向くと、ステレオの上部にある時計へと目を向けた。

時刻は八時。部隊の皆が集まるまでは、まだ充分に余裕がある。

その前に男子寮へ寄って、荷開きでもするか。

愛しの我が家ともしばらくお別れ――とは言っても、あまり寂しくは思わない。

シグナムが家を出て行ってから、もう二年ぐらい経った。最近は寝床としてしか使っていなかったせいか、愛着が薄れている。

それでも解約せずに部屋を残している辺り、まだ未練があるのだろうか。酷い金の無駄だ。

どうだろう、と苦笑して、シートに体重を預けた。

道路を覆っていた壁が開けると同時に、運河を跨ぐ大橋へと差し掛かる。

もう湾岸地区か。六課の隊舎まで、そう長くは掛からないだろう。

「ねぇ、兄さん。マリンガーデンって知ってる? ここから伸びるアクアラインの先にある場所なんだけど」

「ああ、知ってるよ。遊園地やらショッピングモールやらが集まった、巨大レジャー施設。
 このご時世に……ってわけでもないか。一般市民からすれば、『結社』と管理局の小競り合いなんて興味も薄いだろうし」

「すぐネガティブに入っちゃ駄目だよ、もう。
 ……それでね、そのマリンガーデンなんだけど、海底トンネルの近くに遺跡が発見されたんだって。
 その調査でユーノが呼ばれて、こっちに来てるみたい。
 もし時間に余裕があったら、皆でご飯食べようよ」

「ん、悪くないな」

と、返しつつ、何かが頭に引っ掛かる。

はて、なんだったか。

何か大事なことのような気もするが。

……あー、そうか。

「けど、俺もキャロも時間が取れるかどうか分からないぞ。
 俺は俺で、今日から部隊運営始めました、って挨拶して回らないとだし。
 キャロも教導が始まるからなぁ。
 ユーノだって無限書庫での仕事があるから、あまりこっちにもいられないだろう」

そう。

使われていなかった無限書庫は、最近になったようやく使われるようになったのだ。

『結社』の使うロストロギアや、AMFへの効率的な対抗手段。それらを掘り起こすために、管理局本局が俺を通してスクライアへと依頼を行ったのだ。

それに、キャロ。

確かなのはは、初日から教導を始めていたはず。

基礎の固め直しとはいえ、楽じゃないだろう。

……まだすっきりしないが、そんなところか。何か忘れている気がするのは、きっと業務の何かだろう。

俺の言葉にフェイトは唇を尖らせると、そっか、と短く返した。

「みんな忙しいのは分かるけど……やっぱり集まりたいな。家族なんだし」

「そうだな。……最初の一月はドタバタしているだろうけど、それを過ぎたら集まることもできるさ。
 それに、フェイトだって暇なわけじゃないだろう?」

「そうだけど……」

「頼むよ、寮母さん」

「補佐だもん。……嘱託も兼任だけど」

「なのはの手伝いも、な」

「分かってます!」

いいもんいいもん、と拗ねた様子のフェイトは車線を変えると、スピードを上げる。

法定速度は守るように。一応、執務官が隣にいるんですよ?

まぁ、執務官業はしばらくお休み。今日から部隊長。それも三佐なんて肩書きがくっつくんだけどさ。
































まだ着慣れていない制服のせいか、肩に力が入ってしまう。

リラックスしなきゃ、と肩を動かしてみるけれど、変な動きをして誰かに笑われていないか心配になって、思わず俯いてしまったり。

き、緊張します。

こうやってじっとしていることに慣れていないからかもしれない。

他の人はどうなんだろう、と見上げてみると、皆さんは――正規の局員さんたちは、背筋を伸ばして神妙な顔をしていた。

うう……やっぱり私と違う。やっぱり管理局の学校でこういう時の対応とかを、みっちりと仕込まれるものなのかなぁ。

そう思うと、今の私の態度が余計に変じゃないか気になりだした。

『キャロ、どうしたの?』

『エリオくん』

不意に届いた念話は、エリオくんから。

なんだろう、と思って隣の彼を見ると、不思議そうな顔で私を見ていた。

『なんだか居心地が悪そうだけど』

『うん……こういう時、どうすれば良いのか分からなくて』

『こういう時?……ああ』

エリオくんは首を傾げたけれど、すぐに納得がいったというように頷いた。

『何かの式とかの場合、ってことだよね』

『うん』

『あはは……最初は僕もそうだったけど、あんまり真面目に考えなくても良いんだ。
 皆も神妙な顔をしているけれど、実際は念話でお喋りしてたりするし』

『……え?』

『あ、でも、話が始まったらちゃんと聞かなきゃだよ』

『うん。けど、そうなんだ』

なんだか意外。局員の人は真面目なものだと思っていたけれど。

けど、そんなものかもしれない。いつも肩肘張っていたら疲れちゃうし。

なんて思っていると、

『けど、人それぞれかな』

『え?』

『訓練校の教官や兄さんなんかは、念話が使えるからって――って言うんだ。
 ほどよい緊張感は持っておくべきだ、って。
 だから、念話を使って暇潰しする人もいれば、そうでない人もいると思う』

『そっか。……エリオくんは?』

『ん?』

『エリオくんはどっちなの?』

『僕は――』

そこまで言った時だ。

廊下の奥から、男の人がゆっくりと歩いてきた。

陸士の制服を着て、その襟元に金色の髪の毛が垂れている。フェイトさんと同じで、癖のないストレート。

頬は少しだけ痩けているけれど、それでも貧相な感じがしないのは、制服の上からでも分かる引き締まった身体のせいか。

生気の宿った赤い瞳も、この人の凜とした印象を出すのに一役買っているかもしれない。

エスティマさんに続いて、私の所属する小隊の隊長――八神さんや、なのはさんがやってくる。

「機動六課の課長。そして、この本部隊舎の総部隊長、エスティマ・スクライアです」

エスティマさん。アルザスであった災害に居合わせて、部族の皆を助けてくれた人。

今言ったようにここの部隊長でもあるのだけれど、私にとってはお兄さんでもある人。

あまり一緒にいたことがないから、実感がないけれど――それでもお兄さんなのだと思うのは、ユーノさんやフェイトさんがエスティマさんのことを良く口にしていたからかもしれない。

……あ、お話を聞かないと。

周りの人が拍手を始めたので、慌てて私も合わせる。

「平和と法の守護者。事件に立ち向かい、人々を守ってゆくことが我々の使命であり、成すべきことです。
 実績と実力に溢れた指揮官陣。若く可能性に溢れたフォワード陣。
 それぞれ、優れた専門技術の持ち主のメカニックやバックヤードスタッフ。
 全員が一丸となって、事件に立ち向かってゆきましょう」

再び拍手を返して、式は終わり。

エスティマさんは私たちとは別の部隊――交替部隊の人たち――の皆さんと一緒に。私たち新人のフォワード陣は、顔合わせに。

エリオくんは知っているけれど、他の人は全然知らない。上手く話せるか自信がないなぁ。

ティアナ・ランスターさんと、スバル・ナカジマさん。……名前は間違っていないはず。ちゃんと覚えてる。

ちら、とその二人の方を見て、小さく頷く。

おさげの人の方がランスターさん。もう片方がナカジマさん。うん、完璧だ。

ユーノさん、フェイトさん、アルフさん。キャロは頑張ります。

先生に鍛えられた魔法の力、生かして見せます。




































「全員が一丸となって、事件に立ち向かってゆきましょう――だっはっは! 似合わねー!」

「うるせーですよヴァイスさん。ああいうのが似合わないって、身に染みて分かってますから」

「あー!? 聞こえねーぞ!?」

「んなこたぁ分かってんだよこのシスコンが!」

「耳元で叫ぶな!」

ヘリのローター音が響き渡る屋上で、三文芝居中。

交替部隊との打ち合わせを済ませたあとに向かったのは、ヘリポートの置かれている隊舎の屋上だ。

俺たちの様子を目にして溜息を吐くのは、六課所属のヘリパイロット。ヴァイスさんの後輩でもある、アルト。

どうやらヴァイスさんは、後輩の様子見も兼ねて六課にきたようだ。

ちなみに、溜息を吐いているのはアルトだけではない。三課から引き続き俺の補佐官をやっている、シャーリーも。

本来ならばフォワード陣の訓練がすぐに開始されるのだろうが、彼女が俺に付き合うから、しばらくはミーティングをするらしい。

シャーリーはバインダーを小脇に抱えたまま、腕時計に目を落とす。

「二人とも、時間に余裕がないんですから遊んでる場合じゃないですよー!」

「あいよ! けど、このヘリなら本部までそう時間はかからねーぞ!」

「それでも余裕を持って行動したいんですー!」

大声でやりとりをしながら、一同はヘリへと搭乗する。

なんでヴァイスさんまで乗っているのか……って話だが、本局に行った後は空隊にも挨拶に行くのだし丁度良いか。

後部座席に乗り込むと、アルトがヘリを浮上させる。

ぐっと身を起こしたヘリの動きに、シートに座ったヴァイスさんは楽しそうな声を上げた。

「やっぱ良いなぁ、この機体は。流石新型だ」

「ヘリ好きですねぇ」

「おう。武装隊に入るのは決めてたが、それでも魔導師かヘリパイかで、かなり迷ったしなぁ……ま、随分前の話だけどよ」

「その時にパイロットの方を選んでいたら、エース級魔導師にもならなかったんですねぇ」

「そうだな。まぁ、今は今で満足してらぁなぁ」

意外そうにヴァイスさんの話を聞くシャーリー。

本当の分岐点はそこじゃなかったわけだが、口にする必要もないさ。

「おいエスティマ。ところで、六課のことなんだけどよ」

「はい」

「本当に上手く動けんのか? 陸、海、聖、と三つ揃った――と聞こえは良いが、実際そんな良いもんじゃねぇだろ?」

「そこはそれ。ぶっちゃけるとほぼ俺の身内部隊みたいなものなので、部隊内で問題らしい問題は起きないでしょう。多分。
 ……問題は、他の部隊との連携でしょうね」

「やっぱそうか。オメーに隊舎を助けられたこともあるし、ウチは割と好意的なんだがなぁ」

「そうでない部隊もありますよ。ま、海が介入するのが遅れて、なんで今更、って感情が陸に溢れてますからね」

六課の所属は本局扱い。そこの部隊長を俺が勤めると決まった時、一悶着あったと聞いている。

そりゃここ数年、三課は陸の切り札扱いされてたからなぁ。切り札の割にはバンバン使われていたけれど。

それを一時的にとはいえ本局へ所属を移すのだから、中将を始めとした人たちもいい顔はしないさ。

……海が介入しなければ『結社』と決着をつけることなんてまず不可能なのだが、それはそれか。

自分たちの縄張りは自分たちで、といった感覚は抜けきれないのだろう。

どこの部隊も、それなりの修羅場を経験しているだろうし。

「気持ちは分からなくもねぇけど、もう手段を選んでる場合でもねぇのになぁ。
 ま、本格的な地獄を見てるのは一握りのエース級魔導師だけだから仕方ねぇのかもしれねぇが。
 ガジェットの相手なんざ、まだ良いじゃねぇかよ。
 戦闘機人を前にしたら、そんな甘っちょろいこと言ってらんねぇぜ」

「戦闘機人に並の部隊をぶつけたら壊滅するでしょうに。甘いことすら言えなくなります」

「そうだけどよ。……ったく、俺らばっか割喰ってる気がするぜ。
 で? 本当にやれんのか? なのはさんとかフェイトちゃんの腕を疑うわけじゃねぇが、魔力リミッターがあるんだろ?」

「ご心配なく。いくつか逃げ道を用意したんで」

「なら良いけどよ」

憮然とした表情で腕を組むヴァイスさん。

どうやらこの人さえも、フラストレーションが溜まっているようだ。

……戦闘機人に当てられる一握りの魔導師は、本当に地獄を見ているからなぁ。

無力感や取り返しの付かない怪我で、リタイアした人だって少なくない。

戦闘機人に対してオーバーSランクならば一人で。AAAならば二人。AAの場合は連携の取れた者が三人。

それが陸で考えられている、対戦闘機人戦の理想的な構図。

もっとも、これは本当に理想。実際はこれ以下の戦力でなんとかしなければならないのだ。

……ナンバーズType-R。レリックを搭載した、新型の戦闘機人。

三課の頃に奴らとは何度も戦ったが、それでも捕らえることはできなかった。

後先考えなければ一体や二体は削れたんだろうが……俺やはやてがダウンしたら、陸の主力が抜けて面倒なことになっただろうし。

それを躊躇していたら今度は奴らも経験積んで、今ではオーバーSランクですら拮抗している有様だ。

相手との相性次第、ってところもあるんだが。

本当、泥沼な戦い。これからは少しでもマシになれば良いんだけれど。

「あ、あのー……」

考え事をしていると、アルトが遠慮がちに声を上げた。

「なんだよアルト」

「先輩。……身内部隊だとか逃げ道だとか、今の話って……」

「おう」

「口にしない方が良いんですかね?」

「三佐殿が何考えてるか分からねーが、まー言い触らさない方が良いわなぁ」

「うわー! 私は何も聞いてないー!」

あ、この人、俺が三佐だって分かってたんだ。

あまりにもな態度だったから忘れてるんだと思っていた。



































――人は痛みを知らなければならない。

動物は成長する過程で、痛みがどういうものかを理解する。生きること、狩ることの意味を身体で覚え、忘れない。

しかし、人はどうだろうか。

痛みを知っているかどうか、と聞けば、知っている、と答える者が大半だろう。

むしろ、知らないと口にした者がいるならば、笑い者になるか、常識を疑うような目で見られるのではないか。

だがしかし、そうではない。

人は、忘れる生き物なのだ。たとえ心や身を削る痛みを経験したところで、時間の経過と共にそれを忘却の彼方へとやってしまう。

だからこそ人は生きることができるのだ、と言うものもいるだろう。

だが違う。それでは駄目だ、と男は考える。

忘れ得ない痛みがあるからこそ、人は分別というものを覚える。

心を締め付ける苦しみがあるからこそ、越えてはいけない一線があるのだと初めて分かる。

だのに、それを知らない者が多い……だからこそ、どの世界からも争いがなくならないのだ。

理性で分からせようと言葉を尽くすなど、もはや手緩い。

人間は自分たちが思っているほど、利口ではない。

だからこそ、誰かが、痛みというものを本能に刻んでやらなければならないのだ。

自らの中心に据える信念を再確認して、男は小さく頷く。

薄暗い通路を一歩一歩踏み締めながら、目的の場所へと急ぐ。

バラバラに、それぞれの理想を追い求めていた同士たちを一つにまとめ上げた人物の元へ。

「……ここか」

扉の上部に取り付けられたプレートに刻まれた名前を目にして、彼は深く息を吸い込む。

……ここが私の始まりだ。

彼と手を結ぶことを切っ掛けにして、いずれは祖国にも……。

夢が少しずつ現実になろうとしている今、彼はまるで夢の中にいるような心地だった。

ボタンを押して彼の秘書である女に一言告げると、間を置かず扉が開く。

部屋の中には壁に沿って並んだ培養ポッドと、巨大なデスクがある。

机の上で腕を組んでいた男――ジェイル・スカリエッティは男を目にすると、猫のように黄色の目を細めた。

「長旅ご苦労様。海の監視網をよく潜り抜けて来られたね。
 やっと顔を合わせることができた。歓迎するよ、同士」

「いえ。私もこうやって顔を合わせることができ、光栄です」

「畏まらなくても良い。そんな大層な立場にいるわけでもないからねぇ、私も。
 私としても、君と会えたのは光栄さ。
 活動家としての君の名前は良く耳にするよ――トレディア・グラーゼ」

活動家として――考古学者としての自分のことを言わないか。

分かっているのか、違うのか。

「それで? 何か大切な用事があるからこそ、私の元へときたのだろう?
 早速、用件を聞こうじゃないか」

「はい」

言うべきことを頭の中でもう一度整理する。

……大丈夫だ。上手くやれる。これが私の第一歩となるのだ。

そしてそれは、祖国再生の第一歩にも繋がるだろう。

男――初老の男性、トレディア・グラーゼは、唾を飲み込むとスカリエッティを見据え、口を開いた。

「私の発見したロストロギアについては資料の通りに。
 それの制御ユニットであるイクスヴェリアの捜索に協力して頂きたい」































大雑把な機動六課の人員配置

ロングアーチ
00 非公開
01 エスティマ・スクライア
02 フェイト・T・スクライア(嘱託) 
03~交替部隊の皆様

スターズ小隊
01 高町なのは
02 八神ヴィータ
03 スバル・ナカジマ
04 ティアナ・ランスター

イェーガー小隊
01 八神はやて
02 リインフォースⅡ
03 エリオ・M・ハラオウン
04 キャロ・スクライア(嘱託)

出向
シャッハ・ヌエラ
ヴェロッサ・アコース

医療チーム
高町シャマル
先端技術医療センターの皆様+エスティマの専属医

捜査犬
ザフィーラ号

主な連携部隊
108陸士部隊
首都航空隊

民間への捜査協力
無限書庫でのロストロギア資料捜索をスクライアへ依頼





[7038] sts 二話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:21e37608
Date: 2009/05/20 12:15


「中将。スクライア三佐が到着したようです」

「通せ」

手元にある書類の内容を頭に入れながら、オーリスの言葉にレジアスは短く答えた。
各部隊の指揮官が集まっての会議を先程まで行っていたはずだが、もう終わったのか。
そこまで考え、ようやく始まるのかとレジアスは溜息を吐きたい心地となった。

『結社』などという違法研究者集団がミッドチルダに生まれてから三年。それに対抗するべく生まれたと言っても過言ではない部隊、機動六課。
陸からすれば明らかに異常である戦力を掻き集めた部隊が、ようやく動き始めるのだ。
三年間で一部の部隊を除き、ミッドチルダ地上部隊は疲弊しきっている。その為に海や聖王教会の力を借りることに、レジアスは我慢のならない――

というわけではなかった。
今のミッドチルダの状況は、もはや地上の戦力だけでなんとかできるような次元の話ではないのだから。
元より地上部隊は最高評議会からの援助があって成り立っていた部分もあったのだ。それがすり替わっただけ。もし最高評議会がまだ存在している状態で海や聖王教会からの横槍があれば話は違ったのだろうが、もう彼らはいない。

皮肉なことに、背に腹を変えられない事態が三者が協力している状況を実現させたのだ。

だからと言って、やはり自分たちの管轄で好き勝手されるのは面白くないのだが、幸いにも機動六課には陸の人間が部隊長として存在している。
最低限、陸にとっての悪い状況は回避してくれるだろう。

……それに、エスティマを始めとした三課の者たちには無理をしてもらったからな。
そのつもりはなかったとしても、この三年間を耐えることができたのは、首都防衛隊第三課を使い潰す形で運用し続けてきたからだ。
魔導師ではないレジアスにはいまいちピンとこないことだが、エスティマの専属医から無視できないダメージが蓄積していると報告もきている。彼だけではなく、その部下たちにも。
エスティマも八神も、指揮を執る立場になったことで少しでもダメージを回復できればいい。そのための火除けとなり、その上で結社の戦力を削ってくれるのならば、六課もそう悪くはないだろう。

今更だが、レジアスも陸の有する二人のストライカーを失うつもりはないのだ。六課が結社を潰すことに成功したとしても、その後がある。
その時のための戦力を手放したくはない。
力を借してくれるのならば、海だろうが聖王教会だろうが頭を下げよう。だが、ただでは転ぶつもりはないのだ。

「失礼します」

男にしてはやや高めの声と共に、執務室の扉が開く。
部屋に入り敬礼をしたのは、エスティマとその補佐官であるシャリオ。
二人が自分たちの前まで進んでくると、レジアスは小さく頷いた。

「ご苦労。どうだ、六課は」

「はい。選抜した新人の育成がある程度進むまで、大きな行動を取ることはできません。
 まだ完全稼働といえない状況ですが、それでも三課だけで動くよりはマシでしょう」

「そうか。……海や聖王教会の方はどうだ?」

「はい。海の方は、基本我々と変わりません。
 聖王教会の方は、アコース査察官に身内の調査をお願いしましたが……すんなりとはいかないでしょうね」

「……本当に大丈夫なのか?」

「まぁ、個人的な依頼、と頼んでおきましたから」

そう言い、エスティマは困ったように笑った。

彼の言う依頼とは、聖王教会の中に結社へ聖王のクローン作成依頼をした人物がいるかどうか、ということだ。
身内を疑う、という物騒な話にレジアスはいい顔をしなかったが、無視できることでもないのか。
最高評議会は、聖王のゆりかごというロストロギアを保有していたことが分かっている。
最高評議会が暗殺されたため所在は不明だが、存在することは確かなのだ。
もしそれが敵の手に渡り、その起動キーである聖王のクローンが作られたら――その可能性を潰すためにも必要なことだと、エスティマは言っている。

だが、エスティマの言っていることが当たっていたとしても、物事が上手く回ることはないだろう。
司祭によって聖王の遺伝子データが盗み出されたというだけでも充分な汚点。更に結社へ聖王クローンの作成を依頼しているのだとしたら、表沙汰にする前に消されるはずだ。
エスティマが頼み事をしたアコース査察官は管理局に籍を置いているとはいえ、それ以前に彼は聖王教会の人間なのだ。
いざとなったら管理局と聖王教会のどちらを優先するかは、深く考えなくとも分かるだろう。

管理局が後手へ回るのはいつものことだが、仲間同士で足を引っ張り合って手遅れになったら目も当てられない。

「……保険の方はどうなっている」

「ロングアーチ00の連絡待ちです」

「そうか」

それだけ応え、レジアスは溜息を吐いた。

結社の保有する違法研究技術。それはあまりにも魅力的な力だ。
それに目を向けてしまうのは、管理局や聖王教会だとしても変わらない。
実現不可能。あるいは、実現してはならないと定められていた奇跡を形にする集団は、力以上に彼らの再現する技術が絡んでこの上なく面倒だった。

我先にとぶら下げられた餌に食らい付こうとするのは、どこの組織も同じか。
そういったものに目が眩まない人物をエスティマに揃えさせたつもりではあるが――彼や彼女たちの上が何を考えているのかは、さっぱり分からない。
……コレが権謀術数にもう少し長けていたら。
レジアスはじっとエスティマに視線を注ぐが、彼は首を傾げるだけだ。

聡いのかそうでないのか。何も考えていないのか、違うのか。




















リリカル in wonder




















中将の執務室を後にして扉が閉まると、シャーリーは張っていた肩を落として盛大に溜息を吐いた。
このフロアは人通りが少ないから良いが、上司と顔を合わせたあとにこうなるとはねぇ。

「シャーリー、疲れた?」

「当たり前ですよー。私は一介の技術者でしかないのに……なかったはずなのにぃ」

もう嫌、と今にも叫び出しそうな様子の彼女。

再びシャーリーは溜息を吐くと、脇に抱えたバインダーを胸へと抱え直した。

「ああ……もう、私はデバイス弄りだけをしている時間だけが至福です」

「そうだねぇ」

ここ最近、ずっとデバイスを弄ってないな俺も。
貫徹しながら趣味に時間を注いでいた頃が懐かしい。

行こうか、とシャーリーの肩を叩いて、先に進ませる。
ボタンを押し、馬鹿みたいな階数を表示しているエレベーターのパネルを見上げた。

「そうだ、エスティマさん。新人の子たちのデバイスなんですけれど」

「うん。何かあった?」

「ランスターさんとナカジマさんはともかく、キャロちゃんとエリオくんはどうしましょうか。
 二人とも専用のデバイスを持っていますから……カスタマイズの方向で行くか、新規作成で行くかで結構迷っていて。
 なのはさんからも意見をもらったんですけど、エスティマさんはどう考えているんですか?
 ほら、エスティマさんは二人と長い付き合いみたいですから」

付き合いの長さで言ったらスバルもなんだが……それは意図的に除外。

余計なことを考えないようにして、んー、と声を上げる。

「キャロはブーストデバイスを新規作成する方向で。今彼女が使っているのは、俺が作ったのだからバランス悪いんだ」

「みたいですね。一点特化でエスティマさんらしい仕様だなー、って思いました」

「どういう意味だそれ」

「どういう意味でしょう」

む、とシャーリーを睨んでみるも、彼女は得意げに笑うだけだ。
くそう……俺だって時間があればA級ライセンス取りたいっつーの。そうすればもっと良いの作ったっつーの。

「で、エリオだけど」

「はい」

「……S2U、スペックだけ見れば性能良いんだよね」

「そうなんですよねぇ。一世代前のモデルですけど、そんじょそこらの子より性能良いし」

「ああ。だから無理に新規作成するよりも、使い慣れている今のをカスタマイズする方が良いとは思うんだけど」

流石はクロノというかリンディさんというか、外見はS2Uでも中身はほぼ別物なのだ、あれは。
OSは近代ベルカとミッドチルダの両方に対応し、カートリッジも搭載している。
クロノが使っている時には存在しなかった変形機構も、だ。

「……俺はカスタマイズの方向に一票。本人の意思となのはの意見を参考にして、シャーリーが決めて」

「うわ、最後は私任せですか!?」

「頑張れA級マイスター」

ひどー! と声を上げるシャーリーを無視しつつ、ようやく到着したエレベーターに乗り込む。

しかし、カスタマイズか。S2U・ストラーダとかになるのかな、名前。
この後は108に顔を出すつもりだったのだけれど、シャーリーには先に六課へ戻ってもらうとしよう。
なのはだって早く教導を始めたくてうずうずしているだろうしね。

ガラスに手を当てて、少しずつ――それでも結構なスピードで――下へと降りてゆく景色を眺める。
目の前に広がるクラナガンは三年前の決起から復興を遂げていた。人の通りが少ない場所などはまだ爪痕が残っていたりもするが、視界を広くして眺めてみれば完全に立ち直ったように見える。
基本的に襲撃されたのは管理局に関係のある施設。だが、ガジェットを狙って放たれた物理破壊設定の砲撃魔法やら何やらで周囲にも被害は出たのだ。
俺も直接じゃないにしろ、撃墜したガジェットの破片でそれなりに損害を出したはず。

……あの黒煙で染まった街並みは、今になっても夢に見る。
今考えれば、事前に止める方法はいくらでもあったと思える。スカリエッティがあんなことをするとは、どう頭を捻ったところで当時の俺が気付けるはずもなかったが。
それでも、出来ることはあったはずだ。
拘りを捨ててひたすらにスカリエッティを追っていれば。保身を考えず、執れる手段をすべて使っていれば。

……今更だと分かってはいるけど。

あの事件を止めることができたのは、きっと俺だけだったから。どんな手を使ってでも稼働中のナンバーズを先に減らしておけば、もしかしたらスカリエッティはテロに踏み切らなかったかも知れない。
状況に流されるままテロを許し、スカリエッティも取り逃がした。三年かかってもナンバーズを一人も捕らえることができていない。
どこまで無能なんだって話だ。三課が決して無能だったわけじゃない。はやてやザフィーラ、リインフォースにシャーリー。これだけの味方がいて何もできなかったんだ、俺は。

……今日からもう、不様は晒さない。

無意識の内にガラスに爪を立てて、俺は唇を噛んだ。






























「四人とも、データには目を通した?」

全員を見回しながら問うと、僕を含めた四人がほぼ同時に頷いた。

その様子に、なのはさんは満足した笑みを浮かべる。

「うん。なら早速――と言いたいところだけど、訓練施設のセットができるメカニックの人が出ちゃってるから、少し話をしようか。
 まずは私が皆にする教導のことを。
 ティアナとスバルは局員として現場に出たことはあるけれど、武装隊経験はなし。
 エリオとキャロは、現場に出たことはないよね。
 だから、ってわけじゃないんだけど、今からしばらくの間――体力や技術、コンビネーションが一定水準に達するまでは基礎の固め直しをやろうと思っているの。
 地に足を付けて、確実に技術を習得できる地盤を作るから。
 教導内容は地味になると思うけれど、着いてきてね」

「はい!」

スバルさんが大きく声を上げ、驚きながら僕たちも続いた。

……基礎の固め直しか。

なのはさんの話を聞いて、そうだろうな、と思う反面、どこか落胆したような気持ちも湧いてくる。
つい最近まで僕は訓練校に通っていた。基礎技術はそこで教わったし、それとは別に訓練校に入る前からも――リンディ母さん。稀に兄さんにも――だ。
並の武装隊員としては充分な戦力になれると思ってはいるのだけれど――分かってる。僕らが戦うことになるであろう相手のことを考えれば、並の武装隊員では足りないことぐらい。

頭では分かっているのに、どうしても納得できない部分がある。

……兄さんに知られたら、天狗の鼻をへし折ってやろう、と怒られそうだ。そのつもりはないのだけれど……いや、少しはあるのかな?
早く現場に出て、局員として役に立ちたい。その気持ちに待ったをかけながら、僕はなのはさんの話をじっと聞いた。

「次は、基礎訓練を終えたあとのことを。
 小隊単位で分けてあるけれど、基本的に四人は一組で動くことになるの。
 場合によっては交換部隊の人たちと一緒になると思うけれどね。
 だから、コンビネーションは二人じゃなく、四人で行うって頭に入れておいて。
 ……事前に伝えるのはこれぐらいかな。あとは、教導の中で一つずつ教えるから」

「はい!」

「うん。……それじゃあ、まだ少し早いけど、先に外へ出てウォーミングアップを始めようか」

一時的に解散して、僕たちはそれぞれ更衣室へ。

訓練用のトーレーニングウェアは、もうロッカーに入れてある。

キャロたちと別れて、まだ慌ただしさのある六課の廊下を歩きながら、僕はこれから一緒に教導を受ける人たちのことを思い浮かべた。

スバル・ナカジマさん。ポジションはフロントアタッカー。僕と同じ近代ベルカ式の使い手。
ランクはつい先日Bに上がったばかり。ミーティングの前に聞いた話だと、シューティングアーツという格闘技と魔法を組み合わせたスタイルらしい。
同じ前衛ポジションだから、少しだけ気になる。どんな風に戦うのだろう。

ティアナ・ランスターさん。ポジションはセンターガード。ミッドチルダ式のガンナー。
ナカジマさんと同じ部隊出身で、ペアを組んでいたらしい。おそらく、僕たち新人の中ではこの二人のコンビネーションが一番だと思う。少なくとも今は。
魔導師ランクはともかく、魔力ランクは低いみたい。高さは、ナカジマさん、僕、キャロ、ランスターさんの順だ。
おそらくランスターさんは、力押しではなく技術で勝負する人だろう。カートリッジが普及している今でも、元となる魔力資質の高低である程度のスタイルは決まってしまうし。

ただ、決して魔力がすべてというわけではない。魔力資質が高くなくても中には兄さんのような人だっているのだし。
なんでもできる上で、大規模氷結魔法という切り札を持つ兄さん。だからだろうか。ランスターさんが兄さんのイメージと被ってしまい、もしかして一番強いんじゃないか、と思ってしまう。

次に、キャロ。兄さんたちが集まるときに何度も顔を合わせていたので、彼女がどんな魔法を使うのかは知っている。
攻撃は召還に頼りっきりで、個人ではバックアップのみ――兄さん曰く、ユーノさんにそっくりとのこと――だけれど、豊富な援護スキルを持っている彼女は同じ小隊員として心強い。
これから一緒に戦うことになるのだし、今まで以上に仲良くしよう。

「……よし!」

自分の名前が入ったロッカーを見上げ、拳を握る。

ここが新しいスタートだ。
今日から局員の一人として、頑張っていかないと。
僕を引き抜いてくれたエスティマさん。送り出してくれたハラオウンの家族に恥をかかせないため。それに、今もミッドチルダで生活している父さんと母さんを守るためにも、一生懸命戦おう。






























通信士のシャリオさんが到着すると、私たち新人は訓練場へと移動して早速訓練を始めることになった。

海上に浮かんだ練習場が廃棄都市群と良く似たフィールドにセッティングされると、私たちはデバイスを起動させてウォーミングアップを始める。

「……スバル。アンタ、まだそれ使うつもりなの?」

「え? うん。特に問題ないから」

「ま、良いけどね」

私の手元に視線を向けながら、ティアが呆れの混じった声を上げた。
視線の先にあるのは、両手をすっぽりと包むように装着された手甲型アームドデバイスがある。カートリッジシステムが搭載されていること以外なんの変哲もない代物だ。
これとローラーブーツは私が自分で作った。シューティングアーツと近代ベルカ式に対応したデバイスとなると、どうしても自作しないといけないからしょうがないのだけれど。

……うん、分かってるティアが言いたいのはそういうことじゃない。
もっと良いデバイスを持っているのだからそっちを使えばいいのに、ってことだ。
勿論私だって頭では分かっている。形から入る――というのは、ナカジマ家のご先祖様がいた世界の諺だっただろうか。
良い道具を使えばそれだけ上達も早くなるって分かっているんだけど、ね。

けれど、妙な拘りを捨てきれない私にティアは踏み込んでこない。
いや、過去に踏み込まれたことはあるけれど、この話題はそれっきりになっている。
自分のデバイスにカートリッジを装填して調子を見ながら――アンカーガンを改造した拳銃型デバイス。ドア・ノッカー、だったか――視線をイェーガー小隊の方に移した。

『しかし、こんなチビ共が私たちとほぼ同じ……ハラオウンの方はAランクじゃない。
 流石エリート部隊ってところかしら。新人を集めるにしても念が入ってるわね』

『上には上がいるってことじゃないかな。ほら、なのはさんだって九歳の頃にはAAAランクだったらしいし』

『どんな九歳よ。広報の誇大妄想を真に受けないで、もう』

念話を打ち切ると、ティアは毅然とした態度で、それでも私には分かる程度に言葉尻を優しくしながら、イェーガーの二人に声をかけた。

「これからチームを組むんだし、呼び捨てで呼ばせて貰うわよ。
 えっと、エリオにキャロ。私たちもアンタらも、お互いに何ができるか分からない状態だから、今回は自分のできることだけをやってみましょうか」

「はい!」

「はい!」

「……あんま固くならなくて良いからね」

多分、年下の子たちにどう接して良いのか分からないのだろう。
バツが悪そうに頭を掻くティアの姿に、思わず苦笑してしまう。

『それじゃあ四人とも、準備は良いね?』

なのはさんの言葉が聞こえると、地面に青い魔法陣が現れ、そこからゆっくりとターゲットが姿を現す。
徐々に浮かび上がってくる姿を見て、私は目を細めた。

ガジェットドローン。三年前からそれほど珍しくもなくなった、AMF搭載型の機械兵器。
並の局員では手こずる相手だけれど……これがこの部隊にとって、普通の相手なのだろうか。

『それじゃあ、始めるよ!』

「はい!」

四つの声が上がり、訓練が開始される。

ビルの屋上から私たちの様子を眺めてるなのはさんを一瞥すると、私は拳を握って術式を組み立てた。

――あの日、クラナガンが燃えた日に助けられた恩は、この部隊で返します。
憧れを憧れのままにしないため、しっかりと力を付けてよう。

































「良く動く。やっぱり新人はあれぐらい元気じゃないとな」

『旦那様。確かに陸の基準で考えれば優秀なのでしょうが、彼らはこの部隊の戦力になるのでしょうか』

「才能は折り紙付きだ。それに、戦力にならないのなら戦力になるよう育てればいい。手間を惜しんだら何もできないぞ」

『そうですか』

眼前に浮かんだディスプレイに映るフォワード部隊の動きを見て、少しずつ不安が解けてゆく心地となる。

俺の使える最後の原作知識とも言える、新人フォワードの才能。それに間違いはないようで一安心だ。
その中でも目を惹くのは、やはりエリオか。
ハラオウンに預けられていたことだけあって、動きは基本に忠実だ。やや速度に偏ってはいるが、戦い方そのものはミニマムクロノといった感じ。
スバルが追い込んだガジェットを設置型バインドで捕らえ――AMFで無効化されたが、着眼点は悪くない。というか、本当にミッド式と近代ベルカを一緒に使っているのか。

キャロはキャロで、ほぼ原作と同じような動きを。ガジェットから攻撃が飛ぶようなことがないから、今はあの子の援護スキルが輝いていない。

ティアナは……なんだろう。使っているデバイス、どこかで見たことあるな。
あの頭の悪いフォルムとか、カートリッジの口径とか。
深く考えないでおこう。

そして、スバル。使っているデバイスを見て、思わず眉尻が落ちた。
リボルバーナックルがノーヴェに使われてしまっているから、その代わりになるものを贈ったのだが、やはり使ってくれていないか。
……ギンガちゃんは使ってくれているから安心していたのだけれど、やっぱりスバルは違う、か。

もうここまで来ると、恨みとか憎悪とかじゃなくて、習慣になっているんじゃないか。思わずそんなことすら考えてしまう。

……後ろ向きな考えは止め。深く考えないように。

じっとディスプレイを眺めていると、

「おや、部隊長さん。こんなところで油を売っていてええんですか?」

背後から声がかかった。

「……今は休憩中。すぐに次の所へ行くさ」

「そか」

振り向かずに応えると、彼女――はやてが俺の隣へやってきて、ディスプレイを覗き込んだ。

「……うん。荒削りやけど、悪くない。一月ぐらい鍛えたら、前線に出られるんやないか?」

「そこら辺はなのは次第だろうけどね」

「そか。まぁ、教導隊所属の人が集中的に教えてくれるなんて、かなりの贅沢や。
 生かさず殺さずのラインを見極めて、しっかり育ててくれるやろ。私やフェイトさんも協力するしなぁ」

「そうだね。頼むよ、小隊長さん」

「うん」

それっきり会話が途切れてしまう。
いつからだろうか。余計な会話というものを、彼女と続けることが難しくなってしまったのは。
シャーリーやリイン、ザフィーラがいればまた違うのだけれど、二人っきりになると駄目なのだ。
見えない境界線が引かれてしまったような錯覚。今が勤務時間ということや、前とは違って部下が多くいる、というのもあるだろうが、原因はそれだけじゃないはずだ。

「あ、あんな、エスティマくん」

そして、それは彼女も思っていることなのだろうか。
無理矢理といった感じで口を開くと、上擦った声で言葉を紡ぐ。

「何?」

「今日は何時頃帰ってくるの?」

「いつかな。これから108に出向くし、本局に行ってクロノとユーノにも会うつもりだ。
 早くても夕方。多分、夜になる」

「ご飯は――って、そうか。ここ、食堂があるんやった」

「それに、女子寮と男子寮で別れてるだろ? 前みたいに飯を作ることもないよ。
 今まで面倒かけて悪かったね」

「……うん」

「じゃあ、もう行くから」

「ん、頑張ってな」

はやてに片手を上げて応え、俺は逃げるようにその場を後にした。
なんつーか……もっと上手い具合にやれないのだろうかと、自分自身に呆れてしまう。

変に意識するからこんなことになっているんだろうが、はやてを意識しないようにするなんてこと、不可能だ。
……ギスギスしているな。原因は俺なんだから、文句は言えないんだろうけれど。

もっと軽い男になれたら良いのに。






























ゆっくりと、それでも逃げるように隊舎へと向かうエスティマくんの背中を見ながら、私は顔を俯けた。

部隊が新しくなって、それが切っ掛けで意識の持ち方も変わると思ったのだけれど、そう簡単なことじゃなかったみたい。
やっぱり根が深いな。仕方がないけれど。

擦れ違っている、とは言わない。けれど、肝心な歯車の一つが噛み合っていない状況は、あの日からずっと続いている。
私とエスティマくんの関係は何も変わっていない。三年も経ったのに、だ。
時間の経過と共に変わるのが自然な人間関係がそのままな違和感は、ここにきて無視できなくなっている。

どんな風に接すれば良いか分からないなんて言うほど、もう私は子供じゃない。
前と同じ関係に戻れないのならば――エスティマくんがそれを望んでいないのならば、また違った何かになれば良いのだと、分かってはいる。

すっぱりと割り切った男女の関係や、仕事仲間。深く考えなくても例を簡単に思い浮かべることができる。
けれど彼は変なところで頑固だから、責任や確執、そういったものをなかったことに出来ないのだろう。

困った人、と口の中で呟いた。

色んな経験や人との摩擦の中で変化らしい変化をしていない彼を好ましくは思うけれど、煮え切らないが抜けないのはどうなのだろう。
大事なことを忘れない部分だけは凄いと思うのだけれど、今のエスティマくんはそれに囚われて身動きが取れなくなっているような気がする。

それが何かは分からない。想像するのならそれは、闇の書事件のことや三年前のテロといったところだろうか。
その時に救えなかった人に対する負い目がのし掛かって、もう彼は限界なんじゃないだろうか。

身体もそうだが、心も。

薬を欠かしていないことは知っているし、彼の前の家の洗面所に血の跡があったことも珍しくなかった。
魔導師が胃潰瘍。普通に笑い話になりそうだけれど、私は笑えない。

一度彼の心根が折れたことを知っているから余計に。

強いからこそ色んなものを抱え込めると思い込んでしまって、それに潰されてしまう弱い人。駄目な男の人。
子供の私はそれを支える人になりたいと思っていたけれど、今は違う。
いや、根っこの部分である、支えたいというのは変わっていないのだけれど――少しだけ、変わったのだ。

あの人を理解してあげたい。しがらみや重荷を背負い込む理由を。

他人の幸せを考えて自分を蔑ろにし、底なし沼に沈もうとしている彼を引っ張りあげたい。駄目なら、一緒に沈んだって良い。

ただ問題は、肝心な部分で他人を遠ざける彼の悪癖だけれど……。

「もう今の関係も限界やで、エスティマくん。
 あなたは、どうしたいの?」

返事を期待せず、ぽつりと呟いた。






[7038] 閑話sts
Name: 角煮◆904d8c10 ID:21e37608
Date: 2009/05/20 12:15

新暦70年。この頃、ジェイル・スカリエッティは水面下で違法研究組織の結成を進めていた。
ミッドチルダ地上部隊は未だそのことに気付けず、切り捨てられた研究者たちを捕らえて回っている。
その中にはエスティマのいる三課の姿もあったのだが――

それはともかくとして、スクライアではユーノとアルフが腕を組みつつ眉根に皺を寄せていた。
それを見るキャロとフェイトは、どう反応したら良いのかといった様子だ。

「えっと……どうしたの? 二人とも」

「どうしたの、じゃないよフェイト」

「そうさ。これはちょっとマズイよ」

ユーノが応え、アルフがそれに続く。
二人の様子をフェイトの膝の上から見ているキャロは、可愛らしく首を傾げた。

「なにかあったんですか?」

「何かあったというか……もう無視できないというか……」

「いやー、アタシもユーノに言われるまで気付かなくてねぇ」

「いや、そこは気付こうよアルフ」

「だから二人とも、何を言ってるの?」

「……フェイト、ちょっとバリアジャケット姿になってみて」

「良いけど」

言われるままにフェイトはバルディッシュを握り締め、セットアップを開始した。
アルフと色違いのマントは今も変わらず、その身体を包んでいる――

「……もうそろそろデザインを変えた方が良いと思うんだ」

「……どこか変かな?」

「変っていうかマズイよ! 目に毒だよ!」

「そうなの?」

「そうさ! 例えば――」

そこまで言ったところで、アルフの指が跳ね上がりユーノの両目に突き刺さった。
しっかり瞼を閉じたため怪我はないし、アルフも怪我をさせるつもりはないが、それでも痛いものは痛い。
ソファーから転げ落ちてゴロゴロと悶絶する彼を余所に、アルフは溜息を吐く。

「もうフェイトもお年頃だからねぇ。悪い虫……というか害虫が湧くような格好をしているのもどうかと思うのさ」

「え、でもこのバリアジャケット、すごく動きやすいし……」

と、深く考えずに口にしたフェイトだが、徐々に頬が朱に染まってゆく。
基本的にバリアジャケットを着るのは戦闘中なので意識がそっちに向いているのだが、日常の中でこの姿になると、普段は意識の回らない部分に考えが及ぶ。
最初から気付けよ、という話だが、深く気にしてはいけない。

「じゃ、じゃあこうするのはどう!?」

と言って、フェイトは慌てた様子でマントで身体をすっぽり覆った。
てるてる坊主のような姿になるが――

「……それはマズイ、フェイト。マント下がどうなっているのか知っている人からしたら、色々なものが倍増する」

と、涙目になったユーノが身を起こしつつ指摘して、彼女は余計に顔を赤く染めた。
頭の中に色々な――そう、昔のことが浮かび上がってきて、加速度的に顔が熱くなる。
PT事件でバリアジャケットをボロボロにして戦っていた自分。
闇の書事件でエスティマに抱き付いたこと。この格好で。
スクライアの仕事をこんな格好でこなしてきたこと。

……すごくえっちだ、これ!

「アルフ、ユーノ、もっと大人っぽいバリアジャケットを作らないと!」

「だからそう言ってるのに……ん? 大人っぽい? なんだかすごい語弊があるような……」

はわわ、と慌てふためきながら、フェイトはその場にしゃがみ込む。
取り敢えず普段着に戻ったら、という突っ込みは誰もしない。

結局この騒ぎとも言えない騒ぎは、エスティマが送りつけてきたstsデザインが採用されて終わることになる。
なのはとお揃いにするだとかなんだとかで二転三転したのはまた別の話。

――ちなみにクロノは、エイミィとデートで忙しかったため蚊帳の外であった。



























新暦71年。ジェイル・スカリエッティは違法研究者たちを纏め上げ、遂に結社が形となる。
あとは戦技披露会と被せたテロが勃発すれば、ミッドチルダは混乱の渦中へ突き進むことになるだろう。

それはともかくとして、ある日の八神家。
リビングに揃っているのは、女性ばかりだ。
はやてにヴィータ、エクスにシャッハ。女性と言えるか微妙なリインフォースⅡも、いるにはいる。

五人はテーブルに座りながら、はやての煎れた飲み物を口に運びつつ、今日集められた理由を彼女が口にする瞬間を待っていた。

茶菓子を囓りつつ雑談を終え、一段落すると、ようやく彼女が口を開く。

「……さて。そろそろ今日の本題に入ろうと思うんやけど、ええかな?」

「真面目な話?」

「うん。大事な話や」

ヴィータの問い掛けに頷くはやての表情は真面目そのもの。
いったいどんなことが告げられるのかと、全員は背筋を正し――

「エスティマくんの女性の好みについて、考えてみようか」

「……エクス、ヴィンデルシャフトのオーバーホールの件ですが」

「ああ、はい。急いでます。頑張っているのでこれ以上のデスマは本当に……」

「私は大真面目やで!?」

一瞬でだらけきった二人に声を荒げながら、口をとがらすはやて。
その様子にシャッハは額に手を当て、天を仰いだ。

「……そんなこと気にしなくても良いじゃありませんか」

「そんなことやない! これは私の人生設計に関わる大事な案件や!」

えぇー、と白い目になるエクスとシャッハ。シャッハはともかくエクスはそれで良いのか、守護騎士。

「大丈夫だって、はやて」

「そうですよー」

「気休めは止して、ヴィータにリイン。いつぞやのアルザスへ行ったときに発覚した、エスティマくんの年上好きは無視できひん。
 年上になるのは物理的に不可能やから、他の好みを把握して、もっとアグレッシブに攻めへんといつまで経っても今のままや」

「だから大丈夫だよ。だってはやて、アイツの胃袋握ってるじゃんか」

「それだけじゃなくて、家事もですよー」

「エスティマさんの下着を洗ったのも一度や二度じゃないでしょうに」

「もう家族ですよ家族」

ヴィータ、リイン、エクス、シャッハは呆れた様子でそれだけを言った。
それでも釈然としない顔で、うう、とはやては唸る。

「ってゆーかー、これで逃げ出したらもう、食い逃げ犯が土下座するぐらい神経図太いぞアイツ」

「エスティマさん、リインを介してはやてちゃんと間接ユニゾンしてますしー」

「リイン、それは何か間違ってます。……まぁ、羞恥心らしい羞恥心もあまり残ってませんしねお互い」

「というか、男の子の趣向を女で話し合うのはどうにも……そうだ、ロッサに聞いてみましょう」

「ああ、あかん。もう聞いてみたんやけど、『男は女の子を分け隔て無く愛する生物なのさ』とか言ってたわ。
 つまりは節操なしってことで、全然役に立たんかった」

ヴェロッサ哀れ。割と偉いことを言っているのに、しかも本人は本気で言っているのに、御覧の有様だよ。

「ともかく! まず細かいところから埋めていこうか!
 最初におっぱいのサイズ!」

「……どうせ男なんてみんな大艦巨砲主義だよ」

「うわー、ヴィータちゃんがやさぐれた風に言うと説得力あるですよー」

「んだとリイン!」

脱落者二名。はやての話をそっちのけで、二人は言い争いを始めてしまう。
それにめげず、はやては続きを話す。

「じゃあ、おっぱいは大きめってことで仮決定。
 髪の色とか人種とか!」

「ベルカ系の女が好きなんじゃ、とザフィーラが当たりをつけていましたね」

「そうなのですか?」

「ええ。確か彼が上げた女性の名前は、上司の方とカリムさんとあなたでしたよ」

「あらあら」

さりげに自分を外しているエクスと、ませてるなぁ、と苦笑するシャッハ。
それを目にして、はやての不機嫌具合が加速する。

「……これは保留。次や」

「はいはい」

「性格とか髪型はどうなんやろ」

「そこら辺はさっぱりですね。彼の周りには色んな人がいますから。
 エスティマさんと仲の良い女性といえば……主ぐらいしか思い付きませんよ?」

「そ、そか。照れるなぁ」

不機嫌な表情を一変させて、はやてはにやけ顔になった。
そこから惚気が始まり、げんなりする一同。
そうして三十分後に我に返るはやてだが、話が前に進んでいないことに気付き頭を抱える。

「……あかん。何も分かってないようなもんや」

「……もう面倒だからアイツの情報端末で画像検索かけようよ、はやて」

「……それだっ!」

ナイスアイディア、とテーブルを叩くはやてに、それぞれ困ったような笑みを浮かべる。
そしてエスティマ宅にはやては受け取っていた合い鍵で乗り込み、情報端末で画像検索をかけようとしたのだが――

プライベート用情報端末の隠しフォルダを開けようとし、三度失敗。警告音と共にHDがプログラムに従って昇天なされた。

父親エスティマ、シグナムの情操教育に悪影響を与えないよう――自分のおかずを知られないよう――自決も辞さない覚悟であった。
自決したのはHDだが。

帰宅したエスティマははやて達をあまりの気まずさから怒るに怒れず、クロノへと愚痴電話を入れる。
が、クロノはエイミィとの乳繰り合いで忙しいため三分で電話は切られてしまうのであった。アーメン。































新暦72年。結社のテロによりミッドチルダ地上の管理局施設へ壊滅的な打撃が与えられ、クラナガンは日々再興の喧噪に包まれていた。
クラナガン郊外では連日のように結社と管理局が小競り合いを続けており、スタートから劣勢へと追い込まれている地上部隊はどこも余裕のない状態になっている。

それはともかくとして、とある休日。
クラナガンの繁華街近くにあるファミリーレストランのボックス席で、エスティマとユーノは頬杖を着きながら溜息を吐いていた。
ちなみに、目は死んでいる。

本来ならばここにはもう一人の青年がいるのだが、彼は急な用事ということで帰ってしまった。
二人で残されただけならば別に腐る必要などこにもないのだが、その急な用事というものが二人を死んだ魚の目にしている。

「すまない、エイミィに呼ばれたんだ」

「また今度誘ってくれ」

クロノの声真似をしながらブツブツと呟く二人。
見た目が整っているせいか、陰鬱とした雰囲気がより一層強調される。

「……あの野郎、付き合い悪いからこっちから誘ってみれば」

「しかも、また誘ってくれとか。向こうから呼ぶ気はゼロってわけだね」

『それは流石に穿ちすぎではありませんか?』

そこまで言って、二人は同時に溜息を吐く。
ちなみに、二人がここまでグロッキー状態でやさぐれているのはクロノが途中で帰ったからではない。
クロノが帰るまで話していた惚気話が突き刺さっているのだ。

最初の方は興味本位で耳を傾けていた二人だったが、時間が経つにつれて胃の腑に形容しがたい何かが溜まりに溜まっていた。

「女ができるとあそこまで変わるもんか……いや、知ってたけどさ。
 それでもクロノまでああなるとはなぁ」

「なんだろう。付き合い始めたときに祝福したのが、今になって間違いだったんじゃないかって思い始めたよエスティ」

「同感」

『どこまでやさぐれているのですか』

再び溜息を吐くと、エスティマはボタンを押してウェイトレスを呼ぶ。
間延びした電子音が鳴ると、一分も経たない内にオーダーを取りに来た女性へ注文を言い、テーブルに突っ伏した。

「この後どうする?」

「カラオケ行こうぜカラオケ」

「好きだなぁ。ま、良いけど。……ねぇ、エスティ」

「何?」

「エスティは彼女とか作らないの?」

「冗談。俺が彼女とか作れるわけないだろ。そういうユーノは?」

「……仕事ならともかく、女の人ってあんまり得意じゃないから」

「良く言うよ、女好きの癖に」

「それはエスティもだろ」

『昼間から不健全な話をしようとしないでください』

お互いのHDに何が入っているのか大体把握している仲なので、深くは突っ込まない二人だった。

注文したアップルパイが届くと、エスティマはナイフでそれを切り分けようとする。
が、切れ味が悪かったのか顔を顰めると、彼は魔力刃を形成してパイを手際よく分割した。

「少しもらうよ。しっかし器用だなぁ。皿切れてない?」

「大丈夫大丈夫。……で、だ。
 前々から気になってたんだけど、アルフとはどうなってんの? 仲、良いんだろ?」

「良いけど、別にそういうのじゃないし……」

「言葉を濁したな兄貴。それが答えになってると思ってOK?」

「僕のことは良いだろ? エスティはどうなのさ。
 なのはが、八神さんと同棲同然の生活をしているとか言ってたけど」

「それは、だな……」

「言葉を濁したね」

「俺のことは良いだろ」

『お二人とも、私の話を聞いていますか?』

エスティマはアップルパイを口に押し込むと、無理矢理話を打ち切った。
というか、この天然奥手とヘタレは、受け身なのが悪いのだと何故気付かないのだろうか。

そしてずっと無視されているSeven Starsはむくれたようにチカチカと光っている。

「……お互いモテないなぁ」

「そうだねぇ」

「空から女の子とか降ってこないかなぁ」

「降ってきて欲しいねぇ、巨乳な子」

「……大艦巨砲主義はもう古いぞユーノ」

「声が大きいだけのマイノリティー意見なんか知らないよ」

『ただ今の時刻は午後三時。そういった話をするのは、日が暮れてからでもよろしいのではありませんか?』

淡々と突っ込むSeven Starsを無視し、尚も話は続く。

余談だが、偶然ファミレスにやってきたオーリスさんに話を聞かれ、エスティマが中将に小言を言われるのは別の話。
























新暦72年。エスティマがユーノとファミレスで腐っていた頃、スカリエッティのアジトではナンバーズが作戦の打ち合わせを終えて雑談をしていた。

勢揃いとまではいかないが、ウーノ、ドゥーエ、まだ稼働していないセッテを除く全員がテーブルを囲んでお茶を楽しんでいる。
話題がある程度尽きた時だ。すっかり冷め切ったミルクティーをちびちびと呑んでいるウェンディが、思い出したように口を開いた。

「そういえばクア姉」

「何?」

「クア姉は彼氏とか作らないんスか?」

「……いきなり何を言うのかしらこの子は」

可哀想な子を見る目をウェンディに向けるクアットロだが、生憎この場ではマイノリティー。
面白そうだと思ったセインが眼を細め、会話に加わる。

「そういえばそうだよねぇ。いないの? メガ姉」

「いないわよっ! というか、男とか必要ないでしょう、私たちには!」

「けどクアットロ、前期組なのに一人だけそういう話がないし」

ポツリと呟いたのはディエチだ。
言われてみれば、とその場にいる中期、後期組のナンバーズは思わず頷いた。

ウーノはスカリエッティの秘書。というか、奥さん。
ドゥーエは言わずもがな。
トーレとチンクは首ったけの相手がいる。トーレの方はベクトルが違うような気がしなくもない。
しかし、クアットロは――

「……行かず後家っつーんだったか?」

「行かず後家!?」

スポーツドリンクを飲んでいたノーヴェの発した一言に、クアットロは目を見開く。
しかし、口元をひくつかせながらも、なんとか落ち着こうする辺りは流石か。
だが、

「ロマンスのロの字もないよね、クア姉」

「まぁ性格悪いしクアットロ」

「言いたい放題言ってくれて! 第一、まだ行かず後家って言われるような年齢じゃないわよっ!」

「どうせ行き遅れになるだろ」

「弄ぶことはできても、それだけじゃあ無理っスよねぇ」

「ああもう、そんなことに構っている暇はないでしょうが!」

ダン、とテーブルを叩くも、一向にクアットロ弄りを止めようとしない妹たち。
ゲラゲラと笑われて、いい加減クアットロの怒りが有頂天。

「うっひゃー、怖い怖い。チンク姉、こんなクア姉に一言お願いします」

「ん?……ああ、別に良いんじゃないか? そういうのは、時期が来れば勝手に始まるものだ」

「……チンク、余裕だ」

「流石チンク姉は格が違ったっス。クアットロより若いのに」

「そんなに歳はとってないでしょうがっ! 歳はっ!」

「うわ、後家が怒った! みんな逃げるよー!」

「待ちなさい! 弄ばれたままなんて許すもんですか!」

蜘蛛の子を散らすように逃げ出す中期組。

ちなみに勝ち組であるチンクとトーレは、二人でお茶を飲みながらやれやれと溜息を吐いていた。
































新暦73年。ゼストがスカリエッティによって切り捨てられた研究施設からアギトを助け出したりなどの動きがあった。
一方で、管理局地上部隊と結社の抗争は、一つの山場を迎えている。
建造途中であるアインヘリアルの破壊を計画したスカリエッティによって、すべてのナンバーズが初めて同時展開。
果たして、首都防衛隊第三課はアインヘリアルを守りきることができるのか――

それはともかくとして、クラナガン沿岸部上空。
アインヘリアルを守るように敷かれた防衛ラインでは、ナンバーズⅢ、Ⅷ、ⅩⅡの三体がエスティマと対峙していた。

息を切らせ、両手でSeven Starsとカスタムライトを握りながらエスティマはこの場をどう切り抜けるか、マルチタスクを駆使して考える。
分割された思考の中にはいつものように自爆系の案がある辺り、彼も懲りてない。

「一騎打ちではないのが残念ですが……ここで終わりにしましょう、エスティマ様!」

「ほざけ。ここで終わるのはお前の方だ!」

ISのテンプレートが瞬き、オーバーSクラスの魔力が三つ、夜空を極彩色に染め上げる。
エスティマはカスタムライトのカートリッジを炸裂させ、三度のリミットブレイクで一人ずつ潰してやると覚悟を決め――

「エスティマさん、お待たせですよー!」

――今にも激突しようとしていた空気をぶち壊す存在が転移してきた。

トーレは焦れた視線を、エスティマはジト目を。オットーとディードは首を傾げ、リインフォースⅡへと目を向ける。

「……リイン、何しに来たんだ」

「Seven Starsから通信があったのです。崖っぷちです、ピンチです、デンジャラスです、って。
 なので、はやてちゃんに助けに行ってあげてって頼まれたのですよ」

言われ、思わずエスティマは口ごもる。
確かに、今の自分は尋常じゃないピンチ具合。ユニゾンすれば今よりもずっと有利に戦いを進められるだろう。
しかし、どうしても引っ掛かることが一つ。融合事故だ。
どれだけ安全を保証されても、半端ない――目覚めたら男に言い寄られていた――トラウマに思わず足踏みしてしまう。

ちなみにナンバーズは、律儀にユニゾンを待ってくれている。

だが、エスティマも分かっている。あまりにも分が悪いこの状況を打破するには、リミットブレイクを使用するか、それ以上の何かがなければいけない、と。
拘りを一つ捨てれば、勝てるかもしれない。それは酷く甘美な誘惑だ。

「……リイン、ユニゾンするぞ」

「最初っからリインはそう言ってるですよ! それじゃあユニゾン、イン!」

リインフォースがエスティマの体内へと入り込み、ユニゾンが開始される。
Seven Starsとリインフォース、エスティマの思考がリンクし、サンライトイエローとはやての魔力光である白がマーブル模様を描く。
リインフォース介してはやてからの魔力供給を受け、Seven Starsのフレームがその輝きを増して――

『あ、エスティマさん、すごいダメージが溜まってますねー。
 リインが治してあげるですよ』

「ちょ、馬鹿! ユニゾン中に余計なことするとバグる――」

そして案の定、バグった。
光の繭が弾けると同時に姿を現したのは、エスティマにとって悪夢でしかない存在。
その名は、

「――横っぴぃーす! 外道リイン、再・臨・っですよー!」

ピースサインを横に構えた、外見だけならフェイトそっくりのリインがナンバーズにウィンクを飛ばす。
そんなポーズを取って、片手に持っているのはハルバード。ミスマッチな外見はどう見てもコスプレにしか見えません本当にありがとうございました。

「……相手があれでは、もはや用はない。私は帰る。後は頼んだぞ、オットーにディード」

「……ボク、あれの相手はしたくないんだけど」

「待って二人とも。あれを無視してアインヘリアルだけでも壊さないと、そろそろクアットロが憤死する」

「むっ。何やら邪険に扱われている気配。しかしこれはきっとチャンス!
 Seven Stars、トランザムりますよ!」

『……Zero Shiftです』

「む……うお、なんだこれは!?」

士気がガタ落ちしたナンバーズに向かって突撃するリイン。
割とワンサイドゲームな動きをしているのはユニゾンのおかげなのか、コミック力場でも働いているのか。

そして困ったことに、スペックだけは高いリインはナンバーズを撃退してしまい、意識を取り戻したエスティマは怒るに怒れないのであった。































新暦74年。アインヘリアル防衛戦は引き分けで終わり、この戦いの消耗で、聖王教会はミッドチルダ地上部隊に本格的な援助を始めた。
辛うじてメンバーは欠けていないものの、満身創痍となった首都防衛隊第三課。
部隊長であるエスティマは、遂に専属医師から出撃禁止を言い渡され、Seven Starsを没収される。
今のままでどこまで戦うことができるのか。暗い雰囲気の漂う第三課に、聖王教会から鉄槌の騎士が派遣され――

それはともかくとして、とある休日のこと。

ミッドチルダにあるハラオウン家に、エスティマとユーノが訪れていた。
フェイトが引き取られていないためハラオウン家は海鳴ではなく、ミッドチルダにあるのだ。

インターフォンを押して聞こえてきたのはリンディの声。
お久し振りです、と声をかけて家に上げてもらうと、二人はクロノの部屋へと向かった。

ちなみにリビングでは、エリオが熱心に戦技披露会の録画映像を見ていたりする。
邪魔するのも悪いのでそっと二階へ上がり、ドアを開いた。

この部屋で二人が……とか考えると大変入りづらいのだが、そこら辺は考えないようにしているエスティマとユーノである。

部屋の中は整理整頓されているが、床に詰まれた本のせいで一見汚く見える。
それでも、本の表紙は漫画などではなく実用書だったりする辺りクロノらしい。

「……よくきたな、二人とも」

「元気ないなぁ」

「で、なんなんだ? いきなり呼び出したりして」

「いや、最近疎遠になっていたから、会いたいと思ってな」

クロノに対する視線は、なんか言ってるよコイツ、といったもの。
二人はクッションを受け取ると腰を下ろして、お互いに顔を合わせた。

なんで呼ばれたと思う?
会いたいだけじゃないよね。

念話ではなくアイコンタクトでそう語る。エスティマとユーノの中でのクロノ評はデフレスパイラルに陥っているのだった。
彼女ができてから蔑ろにされれば、そりゃー当たり前って話である。

「エスティマにユーノ。最近、どうしてた?」

「特に何があるわけでもないけど」

「うん。いつも通り」

「いや、そんなことはないだろう。仕事はともかくとして、プライベートはどうだった?」

「何かあったかなぁ……ああ、そうそう。こないだ、なのはがランク試験でSS+になったって知ってる?
 あん畜生、そっちもランクアップ試験を受けたら、とか焚き付けてきやがった」

「フェイトはこの間、Sになったんだよね。エスティの方はどうなの?」

「試験受ける暇がここのところなかったしなぁ。ま、良いとこSS-かS+ってところじゃない?
 俺、なのはより戦闘継続時間とか短いから」

「戦闘以外のスキルが多くてもそこら辺は魔導師ランクに反映されないからねぇ」

「まーな。事務方のスキルがなのはより多い分、なのはより先に昇進させてもらったけど。あんだけ働いてやっと一等陸尉だ。
 執務官がエリートって言っても、やっぱり士官学校出てないとこんなもんかもしれない」

「ここから昇進するのが大変になるかもね。……ま、エスティには丁度良いんじゃない?
 給料と一緒に責任も上がるもんだし。階級に押し潰されてもおかしくないもんなぁ」

「む、どういうことだよ」

「そのままだって」

ほとんどユーノとエスティマばかり喋り、クロノは愛想笑いをしながら話を聞きに徹している。
……なんかおかしい。
調子が狂う、と二人は首を傾げた。

「……で、クロノ。お前は何かなかったの?」

「……ん、僕か」

「そうそう」

おそらく、クロノにも話したいことがあると思っている二人。
外ではなくわざわざ家に呼んだ辺りから、余計にそんな感じがする。
ちなみに、エスティマとユーノがハラオウン家に遊びにくるのはこれが初めてであった。

「そういえば、エイミィさんとの結婚とかどうするの?」

「そ、それは……だな……」

エスティマが適当に話を振った瞬間、クロノが目に見えて狼狽えた。
目を逸らしてどもったり。わざとやっているんうじゃないかと思えるほどだ。

なんかあったな。
別れ話を切り出されたとか?

再びアイコンタクトを交わし、首を傾げる二人。
敢えてクロノを放置して、言いたいことを言わせてみようと黙ってみた。
すると、

「……なんだか、最近エイミィがよそよそしいんだ」

「ほうほう」

「話をしようとしてもはぐらかされたりとか――」

と、そこから始まるクロノのトークショー。
穿った聞き方をする二人には惚気話にしか聞こえない不思議。
ついに破局か、とクロノの不幸を楽しみはしないのだが、どうせすぐ仲直りするっしょー、と話半分に聞いている。

「……二人とも、僕の話を聞いているのか!?」

「聞いてる聞いてる」

「聞いてるよ勿論」

「君たちは……」

と、そこまで言ったところで、クロノの情報端末が音を上げた。
ちょっと待ってろ、と二人を手で制すると、彼はボタンを押す。
ウィンドウに映ったのはエイミィの姿だった。
うわぁ居心地が悪い、と思う二人だったが――

『あ、エスティマくんとユーノくんもいるんだ』

「どうも。お久し振りです」

『久し振り』

そう応える画面の向こうのエイミィは、何か考え込むように顔を伏せた。
彼女はすぐに顔を上げると、二人に向けた視線をクロノへと向ける。
やけに真剣は表情をしている。

『あのね、クロノくん。大事な話があるの』

「あ、ああ。なんだエイミィ」

『……子供が出来た、って言ったら、どうする?』

「……は?」

瞬間、クロノの動きが固まる。
それはエスティマとユーノもだったのだが、他人事である分クロノよりも回復は早かった。
そして意地の悪い笑みを浮かべ、

「おめでとう、エイミィさん!」

「おめでとうございます!」

『え、あ……』

「ちょ、お前ら……」

「よっしゃあ、ユーノ、俺はリンディさんに報告しに行ってくる!」

「分かった。僕はフェイトたちに連絡するよ」

「おま、ちょ、落ち着け君たち!」

ウザいことこの上ない二人の反応だが、この場はクロノが圧倒的に不利。
そして結局、クロノはこの日を契機として年貢を納めることとなった。

結局は幸せそうなクロノだったが、次はお前らの番だ、とエスティマとユーノに言った時、間違いなく恨みが滲んでいたりしたのは気のせいではない。

それはともかく。
結婚式に出るので、とエスティマが休暇を貰いにいったとき、オーリスの機嫌が悪くなったのだが、それはしょうがないのかもしれない。
年齢的に。







[7038] sts 三話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:21e37608
Date: 2009/08/05 20:29
蛍光色の光に照らされた部屋の中、ジェイル・スカリエッティは机の上に広がった書類を眺めていた。
頬杖をつきながら文章を追う彼の視線には、輝きというものがまるでない。
目の前にあるものを、ただ文章の羅列としか思っていないかのような顔付きだ。

そんな状態の彼の隣には、一人の女がいる。
ナンバーズⅠ、ウーノだ。彼女は主人の胸中を察しているのか、表情が明るくない。

「どうしたものかね」

ぽつり、と呟いたのはスカリエッティだった。ウーノの反応を求めていない独り言。
それが分かっているため、彼女は口を開こうとしなかった。

「お客様は神様だ、とはどこの世界の言葉だったか……ここまで短絡的な神ならば、早々に見切りを付けるべきだと私は思うよ」

「しかし、ドクター。彼らは我々結社を維持するために必要な存在です」

「分かっているさ」

結社の規模は小さくない。そこで日夜進められている研究には、莫大な費用がいる。
しかも結社は、管理局に真っ向から喧嘩を売って存在している組織なのだ。研究資材一つを取っても密輸ルートを使わなければならないため、何をするにしても金がかかる。
そのために自分たちの技術を秘密裏に必要とする者と商売をしなければならないが――スカリエッティは彼らを金づるとしか思っていない――商売とはこんなにも面倒だったのかと、スカリエッティは嘆息していた。
トントン、と音を立てて書類を叩くと、彼は額を抑える。

「彼らは何も分かっていない。ガジェットなど、戦闘機人をより効果的に運用するための駒でしかないというのに。
 いくら普通の魔導師を無力化できるのだとしても、一定以上の者に対しては限りなく無力なのだよ。
 戦術を駆使して戦略を嘲笑う悪魔が跋扈するのが次元世界だ。
 その上、我が娘たちに対する評価もこの程度とは……ケチるところを間違えているとしか言い様がない」

机に並んでいる書類の大半は、どれもガジェットそのものの購入か、開発データを買い取りたいといった内容だった。
中にはガジェットとセットで戦闘機人の技術も、といったものもあるが、提示されている金額にスカリエッティは納得いかない。
こちらの足元を見ているのか、それとも自分の娘たちの評価がこの程度なのか。
そんな愚痴が胸中に渦巻いているのだが、何も知らない者から見れば、適正価格と言えるだろう。

まだ冷静なウーノはそのことを分かっているため、主人を宥めるべく声をかける。

「仕方がありません、ドクター。ガジェットはともかくとして、戦闘機人に関する評価に関しては。
 管理局との抗争をデモンストレーションとするやり方は確かに有効でしょうが……相手が悪い」

ウーノが言う相手とは、エスティマ・スクライアのことだ。
結社が設立されてからの三年間、ナンバーズとミッドチルダ地上部隊がぶつかり合うことは何度もあった。
しかし、その際にナンバーズが彼を撃破したことはない。時には三人がかりで相手をしたというのに、だ。
戦闘機人の評価が頭打ちとなっている最大の理由は、それだろう。いくら強くとも、ストライカー級魔導師を倒せるほどではないと思われているのだ。
……しかし、エスティマがナンバーズに倒されないことで、結社にも利益はあった。
それは、

「ふむ……これを見たまえ、ウーノ」

「これは……」

「今月きた依頼の中で、最も大口のものだよ。
 プロジェクトFの技術を利用して、エスティマくんのクローンを作り出し、Type-Rの戦闘機人として……とね。
 オプションでSevenシリーズのデバイスも付けろとご所望だ。しかもデザインだけではなく、製作依頼。
 こういう金に糸目を付けない依頼は好意に値するが――」

「しかしドクター、その依頼は受けないのでしょう?」

「勿論だとも」

そう。最大の障害であるエスティマも、彼の作品なのだ。彼が勝ち続けていることで、レリックウェポンの評価は非常に高かった。

クク、と短く笑い声を上げ、スカリエッティはさっきまでの表情を打ち消し、口の端を吊り上げる。
何も分かっていない。
エスティマ・スクライアが最大の敵として居続けているのは、何もそのポテンシャルだけが理由ではない。
いくらレリックウェポンとはいえ、彼に使われている技術は既に旧式となっている。
カタログスペックだけならば、稼働しているType-Rに及ばないだろう。

それでも尚ナンバーズと互角に戦い続けているのは、十年を越える長い実戦経験と、常に追い詰められている精神状態。
それに、改造を重ねられて完全にスカリエッティの手を離れたSeven Starsが負けを許さないのだ。

「分かっていないなぁ。エスティマくんは機械ではない。人間だからこそ、スペック以上の力が出せる。
 同系列の素体で彼以上の存在を作り出したとしても、彼以上になれるものか。
 ……すまない、話が逸れたね」

「いえ。ドクターが彼の話をするのは息抜きになっていると思うので、かまいません」

ウーノの言葉に、スカリエッティは苦笑した。

もっとも、スカリエッティの気が変わって依頼されたエスティマのクローンを作ろうとしたところで、今はそれだけの余裕が結社にはない。
Type-Rに使うレリックにも限りがあるのだ。依頼を受けて管理局に対抗する力を失ってしまっては本末転倒だろう。

今の環境――自由に研究を行えるという自分の夢を、スカリエッティは手放したくなかった。
商売をしている以上ある程度の妥協はしているが、それでも最高評議会の下にいる時よりは随分とマシなのだから。

「見透かされているなぁ……まぁ、ともかく、だ。
 私の作る戦闘機人がこの程度の評価というのは、納得が出来ない。
 ――デモンストレーションといこうか」

「はい、ドクター。どのように?」

「そうだねぇ……」

考え込むようにスカリエッティは口元を隠すと、猫のように眼を細める。
そして十秒ほど間を置いて、

「タイプゼロはもう局員になっていたはず……ファーストの方が良いかな。
 我が娘たちがあれの性能を完全に凌駕していると、見せ付けてやろうじゃないか。
 そのための手段は――そう、そうだ。トレディアくんを使うとしよう」

そう言い、スカリエッティは椅子を吹き飛ばして立ち上がった。
両手を振り上げ、目を見開く。
顎が外れんばかりに大口を開け、耳障りな笑い声を上げた。

「はは、楽しくなってきた! やはり私にはこちらの方が合っている!
 ああ、どんどん構想が湧いてくるぞ……!
 今日の執務は終わりだ、ウーノ!」

「……はい、ドクター」

スカリエッティの様子にこっそりと溜息を吐きつつ、ウーノは苦笑する。
スカリエッティが趣味に走るしわ寄せはすべて秘書の彼女にくるのだが、仕方がない。
子供のようにはしゃぐ姿が彼には似合っていると、ウーノは思っているのだから。


















リリカル in wonder


















……あー、うっさい。

鳴り響く目覚まし時計を黙らせると、私は二段ベッドから抜け出した。

カーテンの隙間から差し込む朝日が目に痛い。朝の五時だというのに、太陽はもう自己主張を始めている。
いつもの通りだ。季節というものがないクラナガンでは、規則正しく朝日が昇る。

それに負けないよう私も、とは思うのだけれど、駄目だ。
低血圧ではないにしろ、我ながらこの寝起きの悪さはどうにかならないものか。

なんて考えている間にも睡魔に負けて床に――

「ほら、駄目だよティア! ちゃんと起きて!」

「起きるわよぉ」

「声が起きてないってば! ほら、トレーニングウェア!」

無理矢理手渡された服を寝ぼけ眼で見下ろし、もそもそと寝間着を脱ぎ始める。
気付かぬ内にスバルは起きていたみたい。顔を上げれば、きびきびとした動きで着替えを進めている。
……目が覚めた。相棒に先を越されてなるものか。

ぐいっと目を擦ると、意識して力を込めながらトレーニングウェアを着込む。
もう朝日も眩しくない。オッケー、おはよう私。

服を着ると、今度は髪を。鏡で寝癖をチェックした後、リボンを口に銜えつつ髪を束ねてツーテールに。

大体の準備が終わると、私は机の上に置いてあるデバイスに目を向けた。
立ち上がり、ホルスターを装着して、それを手に取る。

アンカーガンのカスタムモデル、ドア・ノッカー。
毎日の手入れは欠かさないけれど、それを上回って傷だらけになるこの子を見ると、どうしてもしょげてしまう。
塗装は所々剥がれ落ちて、機能に問題はないにしろ、細かい傷が増えてきた。
いつも訓練が終わる頃には魔力が尽きているから、リカバリーで修復してあげることもできない。
……ごめんね相棒。今度の休みに直してあげるから。
意思を持たないデバイスへ心の中で声をかけると、ホルスターに収める。

そうして、慣れてきたな、と今更なことに気付いた。
六課への配属が決まってから、私はこの子を使うことに決めたのだ。
前の部隊にいた頃から持ってはいたが、とても実戦で使う気分にはなれずケースの中に仕舞いっぱなしだった。
傷を付けるのが惜しかったというのもあるし、何より、市販のデバイスより性能の良いこの子に頼ってしまうようで気が引けたから。
それでも私がドア・ノッカーを使おうと、それこそキヨミズの舞台から飛び降りるほどの――そういうものだとスバルが言っていた――決意をしたのは、やはりあの人が六課へ誘ってくれたからだろう。

「ティアー、準備できたー?」

「良いわよ」

「んじゃ行こうか。今日も一日、頑張ろう!」

気合いを入れるように鉢巻きを巻いて、小さくガッツポーズを取るスバル。
いつもの光景だが、それだけに私も気合いが入る。
今日も一日頑張ろう。

女子寮を出ると、門の前にはエリオとキャロが既に揃っていた。
……このちびっ子二人は、なんで朝に強いんだろう。
キャロはスクライア全体が早寝早起きだから、なんて言っていたけれど。
エリオの方は、やっぱり親がしっかりしているからかもしれない。
エリート士官を出し続けているハラオウンの子――だけど、それに驕らない姿勢は好印象だ。
子供として出来すぎている気がするけれど、接しやすいのだから今は良いか。

「おはよう、二人とも」

「おはよー」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

元気良く挨拶を返す二人に苦笑しそうになるのを堪え、訓練場へ。
海辺を歩いていると、海上に不自然な市街地が浮かんでいた。
今日もなのはさんが一番乗り、か。教官なのだから当たり前なのかもしれないけれど、教えられる私たちからすれば、早起きに付き合わせてしまうようで申し訳ない。
訓練の成果を早く出して報いなければと、どうしても思ってしまう。

全員でなのはさんに挨拶をすると、今日の訓練が始まる。
内容は初日に説明があった通り、基礎の復習。
とは言っても、その密度と要求される精度が訓練校とは段違いで、馬鹿にできない。
流石は教導隊、と言うべきなのかしら。
本来ならば小隊長クラスの人間――それこそエース級と呼ばれる魔導師を教育する立場の人に教えてもらえるのはなんとも贅沢な話。
なのはさんが指導してくれる、とは聞いていたけれど、ここまで付きっ切りでするとは思わなかったし。
なんだか、色々と申し訳ない気分になってくる。
さっきの贅沢と言ったこともそうだけれど、現在の六課で動いているのは交替部隊と呼ばれる人たちだ。
本来ならば三小隊で稼働しなければならないのに、彼らは私たちが育つまでの時間を作ってくれている。
本当、何から何まで面倒を見てもらって……これで成果を出せなかったら人間として終わるわ。
この状況を重いと取るか、期待されていると取るかは人それぞれなんだろうけれど……。

ちら、と訓練している皆の姿を見て、重荷に感じている奴はいないだろうと思った。

「ほらティアナ、余所見しない!」

「す、すみません!」

……不覚だわ。






……本当、なのはさんは生かさず殺さずのレベルを良く見極めていると思う。
ほどよく疲労の乗った身体を押して、私たちは食堂へと足を運んでいた。
前衛組が元気いっぱいなのはいつも通りだとして、私やキャロがこれからの訓練を受けても問題ない程度にしか疲れていない。
無茶をさせないギリギリのラインを分かっているというか……見方を変えたらえげつないわ。

いつもの席に私とキャロが席取りすると、しばらく経ってスバルとエリオがやってくる。
私たちの分の食事を取ってきてくれたのはありがたいんだけど……。

「……ねぇスバル」

「何? ティア」

「なんで私の分までアホ盛りなのよっ!」

「あはは……おばちゃんが勘違いしちゃったみたいで……」

いやー参った、と頭をかくスバル。
ぐぬぬ、と唸り声を上げてしまう。
トレーに載っているのは、スクランブルエッグにサラダ、スープにパン。それは良い。朝だから重くない、胃に優しいメニューだ。
けど三人前なんてどう処理しろってのよ!

「……アンタに取りに行かせたアタシが迂闊だったわ」

「ら、ランスターさん。私も手伝います……!」

「いいわよキャロ。この馬鹿に責任取らせるわ」

「えー、馬鹿はちょっと酷……分かった、食べるよティア」

まったく、と思わず悪態を吐いてしまう。
悪気がないのが余計にタチ悪い。
スバルの皿に料理を分けると、食事開始。雑談混じりに料理を嚥下する。
会話の内容はさっきの訓練のこと。それは良い。
けれどそれが世間話に移ると、途端に口数の減る子がいる。
エリオだ。さっきまで普通に話していた彼は、愛想笑いを浮かべて相槌を打つだけになっていた。
まぁ、それも仕方ないでしょう。女三人の中に男一人。私が逆の立場だったら……まぁ、会話に入れないってことはないけど、居心地の悪さは付きまとうはずだ。
年頃の少年は大変だわ。

「ねぇ、エリオ」

「は、はい!」

急に話を振られて、エリオは上擦った声を上げた。
そこから私は無理矢理エリオを話に入れようと――何よ馬鹿スバル。ニヤニヤするな。

そして朝食を終えると、少しの休憩を挟んでまた訓練。
いつものように――といきたいところだったけれど、今日は違った。

時刻が十時を回った頃だ。
シャーリーさんと一緒に、フラっと、思いがけない人物が訓練場に現れた。

片手にスーツケースを持つ、陸士の制服を着た中肉中背の男性。日光に輝く金髪は、遠目でも分かった。
彼はシャーリーさんと話しながら、ゆっくりと訓練場に近付いてくる。

……っと、落ち着け私。何カートリッジを使おうとしてるの。良いところを見せる必要なんてないでしょーが。
思わず勇み足を踏みそうになった自分を律する。
けど、慌てたのは私だけじゃないようだ。
エリオは私と違って派手にカートリッジを炸裂させているし、キャロはびっくりした様子で片手杖型デバイスを取り落としていた。
スバルは黙々と動き続けているけれど。

彼――スクライア部隊長がきたことに、なのはさんも気付いたのだろう。
皆に声をかけて訓練を続けるように言うと、部隊長の方へと歩いてゆく。

しかし、珍しいこともあったものだわ。
六課に配属されて一週間が経ったけれど、部隊長が訓練場に顔を出すなんて今日が初めてだ。
脚を向けた理由はいくつも想像がつくけれど、実際のところはどうなんだろう。
頭の片隅でそんなことを考えていると、五分ほど経った後になのはさんが手を止めるよう指示を出した。

「ちょっと皆、集まって!」

「はい!」

なんだろうか。そんなことを考えながらも、ついつい視線は部隊長の方へ向いてしまう。
ランク試験や部隊が設立した時に顔を見て随分とやつれていると思ったけれど、今は血色が良い。
楽、とは言わないけれど、後方に下がったことで体調が戻ったのだろうか。
首都防衛隊は激務だと聞いているし、しかもそこの主戦力だったのだから、六課の部隊長になったことで少しは疲れが抜けたのかもしれない。
……対戦闘機人戦のスペシャリスト。単独戦闘ではミッドチルダ地上部隊最強と言われている魔導師。エースタッカー。
大仰な肩書きをいくつも持っている人を前にして、どうしても彼を意識してしまう。
気付けば、目はなのはさんじゃなくて部隊長の方に向いているし……駄目だ、しっかりしろ私。

「これから私と部隊長が模擬戦をするから、しっかりと見ておくように。
 陸戦じゃないけれど、それでも得るものはあると思うから」

「本当ですか!?」

「ほんとほんと。まぁ、全力全開ってわけにはいかないけれど」

食い付きの良いエリオに、なのはさんと部隊長、シャーリーさんは苦笑する。

部隊長は手に持っていたスーツケースを開くと、その中からデバイスを取り出した。
収納機能をオミットして基本性能を向上させたタイプのデバイス。エクステンド・ギア、といった種類のものだ。
スーツケースを持ってきていたってことは、最初からそのつもりだったのかしら?

「なのは、何かルールはあるか?」

「うん。見本にならないから、AAランク以上のスキルは使わないように。あと、エスティマ・マニューバは禁止」

「……エスティマ・マニューバ?」

「慣性無視連続機動のこと。そう呼ばれてるの、知らなかった?」

「ああ。しっかし、センスない呼び方だなぁ……セットアップ」

黒いデバイスコアを純白のガンランスに挿入すると、部隊長の身体がバリアジャケットに包まれる。
白を基調とした……ええっと、その、遊び心のあるデザインだ。それは、なのはさんも一緒だけれど。
……いけない。他人のバリアジャケットにケチつけるのは失礼だわ。

なんてことを考えていると、なのはさんと部隊長は空に上がり、模擬戦が開始される。
お互いに牽制の誘導弾を放ちながら、なのはさんは必要最低限の動きを、部隊長は動き回って有利な位置を。
腹の探り合いのような応酬が続くと、部隊長が動いた。
太陽を背にしてデバイスを掲げ、急加速。目が日光になれると、ガンランスの刃にストライカーフレームが形成されていたのが分かった。
なのはさんはそれを無数の誘導弾で迎え撃とうとするが、それらを悉く避けて、部隊長は桜色のバリアへと突き刺さった。

……AAランクまでだから、高等技術の零距離砲撃は使わない、か。
私の使っているドア・ノッカーにはそのための機能があるから見てみたかったけど、しょうがない。

あそこからどうするのかと思っていると、カートリッジが炸裂して部隊長の身体がブレる。
そして次の瞬間には、なのはさんが吹き飛ばされて、部隊長は鎌の魔力刃を振り切った状態だった。
ガンランスの横からピックが飛び出し、そこから鎌が生まれているのだ。隠し武器なのだろうか。

「急加速、突撃からの反転攻撃……ソニックムーヴで代用できるかな」

「反応するのが厳しいと思うけど……私が補助すれば、エリオくんならできるかも」

「うん。その時はよろしく、キャロ。
 ナカジマさんも、A.C.S.は――」

「……そうだね。参考になる」

エリオにキャロ、いかにも危なそうな技を真剣に使おうと考えないように。
熱心に二人の戦いを見るお子様に胸の中で突っ込みを入れつつ、私はなのはさんの挙動をじっと見る。

私が見るべきは、ガンナーの動き。
近接タイプとの一対一でどう戦うのか、しっかりと覚えないと。それと、完成した近接型がどんな風に仕掛けてくるのかも。

さっきの一撃以降、なのはさんは設置型バインドと誘導弾で部隊長と戦っている。
私だったら幻影を駆使して、といったところか。
……もしかしたら、さっきの一撃はスバルとエリオのためにわざと受けたのかもしれない。
手を抜いているわけではないが、それでも私たちに戦い方を見せるために戦う二人に、そんなことを考えた。

結局この模擬戦は、部隊長が被弾ゼロ、なのはさんはダメージらしいダメージなしで終わった。
エリオとキャロ、それにスバルは隊長格の戦闘で興奮したようだけど、私はどうにも。
スバルに付き合ってなのはさんの戦闘映像を見たことがあったし、部隊長もどんな魔導師か知っていたから驚きはしないけど――私は意外とミーハーなのだ。秘密だけどね――再確認した。
二人とも、化け物だわ。私は身の丈に合った戦い方を覚えよう。
自分に向いた戦い方をする、というのも、たった今目の前で見せられた気がするし。






午後の訓練が終わってへとへとになりつつシャワーを浴びて食堂へ向かうと、珍しい人を見付けた。
いや、珍しいというのも変な話か。昼間に会ったばかりなのだし。

私たちが座っている席から離れたところにいる、部隊長。
同じテーブルに座っているのは、寮母兼嘱託のフェイトさん。双子らしく、性別の違いを除けばそっくりだ。
談笑している二人の姿を遠目から見る感想は、絵になる、といったもの。
もっとも、兄妹だからカップルとかそういう風に捉えることはできないけれど。

あ、そういえば。

「キャロ。アンタは向こうに行かなくて良いの?」

「はい。フェイトさんとは毎晩一緒に寝てますし、エスティマさんとも三人でたまにお話しします。
 だから、今は二人っきりにしてあげようかなって」

あらら、そうだったの。
……というか、二人っきりにしたいって。下衆な想像しちゃうから気を付けなさい。色んな意味で。
そう思っても口にせず、苦笑するだけにした。キャロは分かっていないようで、不思議そうに首を傾げる。
……ま、私の頭が湧いているだけだしね。

さてこれから夕食を――と、フォークを手に取ろうとすると、

「ここ、良いかな?」

「ど、どうぞ!」

不意に現れたなのはさんに声をかけられ、スバルがコンマ一秒で返事をした。
どう答えるか分かっているとはいえ、皆にも許可取りなさいよ。……まー、気持ちは分かるから良いけどね。

ありがとう、となのはさんは微笑むと、ゆっくり腰を下ろす。

「時間も経って飲み込んだと思うから聞くけど、昼間の模擬戦はどうだった?
 ためになったかな?」

「はい!」

「良かった。けど、今日のを見たからって無理に背伸びする必要はないからね。それだけは心配だから。
 ……それじゃ、何か質問あるかな?」

「はい!」

勢い良く返事をしたのはエリオで、それに続いてスバルもなのはさんに質問する。
やっぱり前衛は食い付きが良いか。
一方、私やキャロは何を聞いたら良いのか分からない。
なのはさんのは……なんていうか、立ち回りが上手かったのではないか。模擬戦中に使っていた技術はすべて、今の私たちが習得可能なものだったから。
そりゃ、空戦と陸戦の違いはあるけれど。
戦うための技術を教えられたというよりも、見本となる動きを見せられた感じ。

「ティアナ?」

考え込んでいると、なのはさんに声をかけられた。
いつの間にか俯いていた顔を上げれば、なのはさんはどこか申し訳なさそうな表情をしている。

「は、はい」

「ごめんね。一対一じゃ、センターの動きは分かりづらかったと思う。
 私やティアナの真価は集団戦だから……今日のところは、一人でいるところを狙われた場合の時間稼ぎ、って考えれば良いよ。
 キャロもね」

うわぁ、見透かされてた。






夕食を終えるとそのまま寮へと戻り、自室に直行した。
すぐにでもベッドへ倒れ込みたい衝動を必死に堪え、机にドア・ノッカーを置くと工具を取り出す。
最低限のメンテを……せめて汚れぐらいは取らないと……。

部屋に戻ってきたせいだろうか。一気に押し寄せてきた睡魔に耐えながら、分解作業を始める。
取り敢えずは銃口部分……ここだけはしっかりやっておかないとね。
このデバイスの中で最もデリケートなのはカートリッジシステムだろう。通常規格を外れた大口径は、扱うのにも神経を使う。
その次に気を配らなければいけないのは、銃口部分に施された対フィールド加工だ。
……射撃用デバイスに零距離攻撃を推奨するような仕様。これを作った時にあの人が何を考えていたのか、心底分からない。
けれど、このデバイスを作った時点であの人はエース級魔導師として活躍していたのだ。きっと、何か深い理由があるのだろう。
今はまだ未熟な私が気付けないだけで、もっと魔導師として戦術の幅を広げれば分かるはずだ。

よし、と気合いを入れて眠気を追い払うと、早速作業に取りかかる。
ちなみにスバルは、部屋の隅っこで熔けている。や、実際に熔けているわけではないけれど、それぐらいにだらけている。
……違うわね。なのはさんと訓練以外で話をしたから、悦に浸ってるんだわ。
本当、この馬鹿。……自分ばっかり。

「ティアー。やっぱり、なのはさんって凄いねぇー」

「そうね」

「私たちと五歳も離れてないのに、大人っていうかなんていうかー」

「そうね」

「ああいう余裕のある態度が取れるのも、やっぱりエース級魔導師のエチケットなのかなー」

「そうね」

「……なんか冷たいよティア」

「うっさい馬鹿スバル! こっちは精密機械を弄ってるんだから話しかけないで!」

「いつもは話ぐらいしてくれるじゃんかー。……分かった、あの日?」

「おっさんかアンタは!」

「うひー、ごめんなさいー」

と言いつつも全然申し訳なさそうにしていない辺りはコイツらしいというかなんというか。

結局この日は、私が寝入るまでスバルの話に付き合わされた。眠い。

























小劇場 割と平和な六課 1


結社対策部隊、通称、六課。
この部隊に集められた者たちは、いずれもライトスタッフである。
フォワード陣は勿論のこと、バックヤードスタッフも。
そして医療スタッフも……なのだが……。

「良いか貴様ら! 今日から俺たちはあの死にたがり部隊長の専属医療団となった!
 だが治すのはあの馬鹿だけじゃねぇ! あの小僧の下で働く小娘共もだ!
 分かっているな!?」

「はい、班長!」

「ようし、良い返事だ! ならもう一度確認しておくぞ!
 貴様ら、俺たちの仕事はなんだ!?」

「医療! 医療!」

「この部隊ですることはなんだ!?」

「医療! 医療!」

「これから先、あいつらが怯えるものはなんだ!? 怪我をしたらどうなるか――馬鹿でも分かる教育方法はなんだ!?」

「医療! 医療!」

うおおおおおお! と真っ白な医務室には場違いな、どす黒いオーラが立ち上る。
医療スタッフだというのに士気が異常に高いのは、良いことなのか悪いことなのか。





それはともかくとして、

「うぅ、ぐす……桃子お母さん。私、六課で働いてゆけるのでしょうか……」

『どうしたの? シャマルちゃん? 泣いてるの?』

「な、泣いてません……」

色々と哀れなシャマルであった。








[7038] sts 四話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:d2eca28f
Date: 2009/08/05 20:30
局で使用されている車と、立ち入り禁止のテープで封鎖された街の一角。
廃棄都市区画に近い場所であるそこでは、茶色を基調とした陸の制服に身を包む局員たちが動いていた。
その中にいる二人の少女は、床に引かれた白いラインを見下ろしている。

「……今月に入って、少なくともこれで四件目、ね」

「ええ」

ギンガとシグナムだ。管理局に入ってから三年以上が経つシグナムは、もう随分と制服を着こなしていた。
年齢はおよそ十四から十五歳といったところか。
幼さは抜けきっていないが、それでも、近寄りがたさを感じさせる目つきや落ち着いた立ち振る舞いは、彼女がエスティマと共に暮らしていたときと似ても似つかない。
烈火の将、と呼ばれていた以前のシグナムに近付いている。

二人は険しい顔をしながら、自分たちの追っている事件がどうして二転三転としたのかを考えていた。
二人の所属している108部隊は、管理局としての通常業務の他に、密輸品の調査などを行っている。
最近では主に結社へと届けられようとしていた物資の流れを突き止めることや、同じようにミッドルチルダの影から影へと回されるロストロギアの確保など。

その108部隊に所属している二人は調査の末、今朝方、廃棄都市区画付近にロストロギアの密輸に関わる者が潜伏していると踏んでこの場所に踏み込んだのだが――
そこに人気はなく、残っていたのは一つの遺体のみであった。
喉に刺し傷が一つ。それが致命傷となり死亡。他殺なのか自殺なのかは、調査中。
しかし二人は、他殺だろうと予想していた。

さきほどギンガが口に出したように、これとまったく同じ事件が連続しているのだ。
二人が知っているだけで四件。まだ報告の上がっていないのを含めたら、もっと多いのかもしれない。

この事件にも結社が関わっているのだろうか。どうなのだろう。
判断に苦しむ、とギンガは首を傾げた。

違法研究者集団である結社の掲げる目標はただ一つ、違法研究の合法化だ。
違法とされる研究の成果で管理局と小競り合いを続け、自分たちの主張を認めさせるという酷いやり口だが――
しかし、それと今回の事件は関連性がないような気がする。
筋が通っていない、とでも言うべきだろうか。

結社が直接的な手段に出る場合、基本的に標的となるのは管理局に関係のあるものに限られている。
だが、今回は違うのだ。
今回の事件と同じように殺された者たちは、美術商や聖王教会の技術者、そして結社と繋がりがあると予想されていたバイヤー。
彼らを結社が狙ったのだとしたら、今までと方向性が変わっているのではないだろうか。

ならばこの事件を起こしたのは結社ではなく、彼らを隠れ蓑にした便乗犯か。
まったく、と溜息を吐いて、ギンガは踵を返した。

「行こうか、シグナム。もう私たちにできることはないだろうし」

「はい。……しかし、我々がここへきたのは何故でしょうか。
 現場検証などより荒事の方が……」

「んー……まぁ、それはね」

心底から不思議そうなシグナムに、ギンガは苦笑する。
二人がこの場所にきているのは、ゲンヤのお節介だった。
何がどうお節介なのか、というと――

「あ、きたみたい」

「……あれは」

新たに到着した車両から降りてくる人物を見て、ギンガは心持ち表情を明るくし、シグナムは目を逸らす。
車両にペイントされているエンブレム――狼のシルエットが基本デザインのもの。ザフィーラに似ている――は、二人が良く見知ったものだった。
それは結社対策部隊として注目を集めている、六課と呼ばれる部隊のエンブレムの一つ。交替部隊と呼ばれる小隊につけられたものだ。

車両から降りてきたのは、ロングアーチに所属している魔導師であり、部隊長のエスティマ・スクライア。
その彼に続いて、ザフィーラと男が二人――おそらく交替部隊の者だろう――が降りてきた。

わざわざ部隊長の彼が出てくるなんて……と、ギンガは思わない。
彼がこの現場へくることは、父からきいていたからだ。
だからこそ、現場検証を行っている場で出来ることのない二人がこの場にいる。近況を聞いてこいと、ギンガはゲンヤに言い付けられていた。

エスティマは鑑識の者と話し込んだ後、封鎖テープを乗り越えて白線の近くまで歩いて行き、片膝を付いた。
とことこと後ろを付いていたザフィーラも、彼の隣に座り込む。
何を考えているのだろうか。エスティマはしきりに首を傾げながら、手持ち無沙汰になった手でザフィーラの頭を撫でている。

「で、シグナム。行かないの?」

「必要がありません」

ギンガが声をかけると、シグナムは淀みなく応えた。
しかし言葉とは裏腹に、彼女は物陰から顔を出してエスティマをじっと見ている。
怪しすぎ、とギンガは苦笑した。

会いたいのなら会えば良いのに、とも思うが、そう単純な問題ではないのだろう。
家族ぐるみの付き合いがあるため、ギンガはシグナムがどんなつもりで108部隊にいるのかを知っている。
AAAまで魔導師ランクが上がるまでは、父親の側に立ってはならない。父に言われ、自らに課したその誓いを守るべく、彼女は今の部隊で力を付け続けているのだ。
現在のシグナムのランクはAA+。あと一歩で約束に手が届くのだが、この間のランク認定試験では資格を掴むことができなかった。
……六課の設立に間に合わなかった、と落ち込んでいたシグナムをギンガは知っている。だからこそ、彼女がエスティマの前に行きたがらないことも理解できた。

「……父上、元気そうです」

「そうなの?」

「はい。少し前までは、歩くときにどこかしらを庇っているような固さがありましたから。戦闘時以外は、大体気怠そうでしたし」

……本当、良く見ている。自分にも父親がいるからこそ、シグナムがどれだけエスティマを気にしているのか、ギンガには分かった。
おっかなびっくりといった様子で父親を覗き見るシグナムに、どうするかなぁ、とギンガは腕を組んだ。
様子を聞いてこい、と父には言われているけれど、シグナムを一人にしてエスティマの元に行くのは気が引けた。
んー、と少しだけ考えて、結論を出す。
無理にシグナムを彼に会わせる必要はないだろう。それに近況報告は、やろうと思えばいつでもできる。今日の仕事上がりに六課へ寄っても良いし。

そう決めると、ギンガはシグナムが飽きるまで、この場で様子を見ることにした。
そして、ふと気付く。
ザフィーラが僅かに振り向いて、こちらの様子を窺っている。
流石にどんな表情をしているのかは分からないが、それでもどこか、呆れたような、柔らかな笑みを浮かべているような気がした。




















リリカル in wonder





















『顔色が優れないな。どうした? エスティマ』

『ん……そう?』

『ああ』

車に揺られながら外を見ていると、ザフィーラが念話を送ってきた。
ちら、と視線を送ってみれば、ザフィーラは床に突っ伏してリラックスしている。尻尾もへたっていたり。

心配しているというよりは、世間話のつもりなのだろう。

『どうにも血の臭いってのは慣れなくてね』

『そうなのか? てっきり、もう慣れたものだと思っていたが』

『や、そりゃー血を吐いたり匂いを嗅いだりしてるけど……好きになるものじゃないだろ』

『それもそうだな。……それで、どうだ。あの事件現場から何か分かったか?』

『さてね。ゲンヤさんも何を考えて俺をあそこへ向かわせたんだか』

そんなに暇じゃないのに。帰ったらシャーリーのところに顔を出さないとだし。
管理職は辛い。

『ザフィーラは何か分かった?』

『あの場には人の匂い以外にも、火薬のそれが残っていた。気付いたのはそれぐらいか。
 人の匂いも薄い。あの場所に訪れる者はそれほど多くなかったようだ』

『犯人らしい奴の匂いは――って、匂いだけで犯人特定できたら苦労しないよな』

『まったくだ。……ただ』

『ただ?』

そこで一拍置いて、ザフィーラは考え込むように喉を鳴らした。
そして前脚に乗せていた頭を動かす。

『火薬の匂い以上に微かな腐臭が漂っていた。殺された者のよりは古いだろう。
 気のせいかもしれないがな』

腐臭に火薬。その二つの手がかりと、108から挙がった手がかり。
この二つを合わせて何が出てくるだろう?

考えてみても、これといったものはない。
俺がベテラン捜査官だったりすれば違うのだろうが、生憎と管理局に入ってから力ずくの仕事ばかりしていたからなぁ。

『……この事件、六課は介入するのか?』

『どうかな。設立目的のとおり、俺たちの部隊は結社に対抗するべく生み出された部隊だ。
 それが結社と関係のない事件に首を突っ込めば、まぁ、上と下から色々と文句が飛んでくる。
 ……今のところ、実績がまるでないからなウチの部隊』

そう。
設立されたのは良いものの、今のところ目立った戦果を六課は上げていない。
交替部隊を結社と鉢合わせした部隊に派遣して、というのはやっているが、たったそれだけのことしか出来ないのならば予算の無駄だ。
求められているのは、もっと分かり易いもの。戦闘機人を捕らえたり、アジトを潰したり。

ま、それが簡単にできたらこの戦いももっと楽になっているわけだけれど。

『……管理局は基本的に後手だからね。俺たちに出番が回ってきても既に手遅れ、って状況もありえるかもしれない。
 それを少しでもマシにするために、出来る限りのことはするさ』

『ああ。まぁ、頑張れ』

『どこか他人事な感じがするのは気のせい?』

『生憎、俺は一匹の捜査犬だからな。できることは少ない』

『……なんか色々とゴメン』























「あの、エスティマさ……部隊長となのはさんって、どっちが強いんですか?」

午前の訓練が終わって一休みしていると、不意にエリオがそんなことをいった。
なのはさんを見るエリオの表情は、好奇心一色に染まっている。きっと悪気はないんだろう。

確かに、私も気になることではある。戦技披露会で何度も戦って、引き分けが延々と続いている二人だし。
聞きたいことは山々なんだけど……。

「……うん?」

一拍置いて、にっこりと笑顔を浮かべたなのはさん。
それを見て、非常に居心地が悪くなる。

私だけじゃなく、多分スバルも。キャロは……お腹を空かせたフリードをあやしてる。
お子様め……っ。

普通に考えて、あんまりよろしい質問じゃないでしょうがそれは。
興味があるのは分かるけど、ライバル的な人とどっちが強いの、なんて誰が聞かれても微妙な反応するわよっ。

「あはは、どっちが強いかなんて、それは勿論……」

「……勿論?」

エリオに聞き返され、なのはさんは咳払いを一つ。
心持ちプレッシャーが和らいだ気がする。

「なかなか難しいよ、それは」

……なんだか煙に巻かれた気がする。

「そうなんですか?」

「うん。状況によるかな。
 ほら、エスティマくんと私って戦闘スタイルがまるで違うから、よーいどん、で全力全開の模擬戦を始めたとしてもそのときの状況次第で勝敗は変わると思うの」

「状況、ですか?」

「でもでも、なのはさんなら距離を置けば一方的に部隊長に勝てると思います!」

「いや、全弾避けるでしょう部隊長なら」

「ティアはどっちの味方なの!?」

うわ、なんかこっちに飛び火してきた。
なんだかムキになったスバルを宥めながら、私はなのはさんへと視線を移す。

そんなスバルに、なのはさんも苦笑していた。

……別に私は部隊長の味方ってわけじゃない。
ただ、あの人ならヒラヒラと砲撃や射撃を避けて接近戦で勝つんじゃないかと思っただけだ。他意はない。

「けど状況次第っていっても、やっぱり自分の本領を発揮できる状況へもっていく能力も問われるわけだから……実際どうなんだろうね。
 私と模擬戦するとき、なんでかエスティマくんは全力じゃない気がするし」

「本気じゃないんですか?」

と、不思議そうに問うエリオ。
だが、なのはさんは困った風に笑うだけだ。

多分だけど、本気と全力の間に微妙なニュアンスの違いがあるんだろう。
それが何かは、良く分からないけれど。

「ま、この話題はここまでにしようか。みんながもう少し強くなったら、また考えてみよう?
 そのときは違った見方ができるようになっているはずだから」

それでこの話題は終わり。
もう少し経ったら、違う見方ができるようになっているのだろうか。

確かに、今の私たちは――他の部隊ならともかく――半人前だ。
一人前の力をつけて、経験を積んで判断力を養ったら、また違ったものが見えてくるのかもしれない。

それがいつのことになるかは分からないけれど、少しだけ楽しみだ。



















その日の業務が終わる頃、携帯にメールが届いた。
送ってきたのはギンガちゃん。なんでも、お食事でもどうですか、とのこと。

無論、二人っきりというわけではない。ゲンヤさんと……あと、シグナムもくるらしい。

断る理由もないし、むしろ楽しみなので定時で帰ろうとしたのだが、

「やっぱり夕方はラッシュが酷いなぁ、エスティマくん」

……なぜか、はやてと一緒にいる俺。
軽い渋滞となっている湾岸線の車道をうんざりした目で眺めながら、彼女はハンドルを握っている。

彼女はまだ茶色い陸士の制服姿だ。俺は一旦自室に戻ったので、袖と裾の所に白いラインが走っているポロシャツとジーンズ。

ちなみにはやて、愛車を持っています。俺と違って免許持ち。
……俺だって時間に余裕があったらバイク免許取りたかったよ。車も。
通院の時間をそっちに割けば、はやてみたいに取れたんだけど……ねぇ。

「……別に送ってくれる必要なんかなかったのに」

「ええやんか。私もギンガやシグナムと会いたかったし」

「……え?」

と、思わず声を上げてしまったが、はやては気にしていないのかなんなのか。
……別にはやてと一緒が嫌なわけじゃない。
けど、はやてと一緒にいるとゲンヤさんの反応が……なんつーか……しつこいんだよなぁ。

「エスティマくん、そういえば今日、現場に行ったみたいやね。どうやった?」

「どうもこうも……捜査官としての腕は二流以下だからね俺は」

「武闘派執務官やからなぁ、エスティマくん」

「そういうこと。そういうのははやてに任せるよ」

「んー、私、期待されてる?」

「期待も何も。三課でずっと働いてきた相棒として信頼してるよ」

「そか」

とんとん、とハンドルを指で叩き、はやてはゆっくりとアクセルを踏む。
ゆっくりと進む風景を眺めながら、俺は首もとのSeven Starsに目を落とした。

その仕草だけでSeven Starsは宝玉の表面に、『メールなし』『現在時刻、18:27分』『待ち合わせまで残り三十三分』と表示する。

「エスティマくん」

「ん?」

「そういえば最近、シャーリーと妙なことやってへん?」

「……やましいことは何もしてないけど」

「そういうことやなくて!」

変な風にブレーキを入れたのか、ガクン、と車が揺れる。
見てみれば、はやては唇を尖らせたまま視線を前に向けていた。

シャーリーをそういう風には見れないしなぁ。眼鏡かけてる女の子は好きだけど。
彼女はなんていうか、そう。趣味友達みたいな感じ。

「夜遅くまで開発室に入ってるやんか……ちょお気になって」

「新人たちのデバイス設計やってるんだって。俺はその手伝い」

「……なら、sts計画って何?」

ぽつりと彼女が呟いた。
やけに真面目な表情をしているが――

「ああ、そのこと」

「ああ、って……そんな軽く。何? そんなに重要なことやないの?」

「ああ。計画ーなんて大仰なのが付いてるのは、俺たちの趣味だし。
 ま、六課の新人メンバーをデバイス面でバックアップしようって構想のことだよ。
 三課の頃と比べて予算も増えたからね。それもあって、色々と遊んでる。
 sts、なんてコードネームは一種の願掛けさ」

「無駄遣いはあかんて」

「データ上で弄くり回しているだけだってば」

……今のところは。

まぁそんなことをいったら当たり前のように白い目で見られるから口にはしない。
それにしても、どこから漏れたんだか。一応、秘密ってことにはなっているのに。

新人のデバイス開発という名目で、結社に対する切り札を作っているのがsts計画の正体。
なのはのブラスターやフェイトの真・ソニック以外にも、だ。

これの構想は三課の頃からあったのだが、まとまった予算が取れた今になって本格始動している。
形らしい形になったら隊長、副隊長には話しておこうと思っているが……まだ早い。

隠し事をしているようで申し訳ないが、今は秘密にするしかない。
……まぁ、形にならなかったときに格好がつかないってのもあるし。

「とりあえず新人たちのデバイスは設計が終わって、これから製作に入るよ。
 今は――」

「あー、技術系の話はあかん。やめてー」

つれない。

「……けど、よかったわ」

「何が?」

「ん、また身体に優しくないことやってんかなって、心配やったから。
 エスティマくんの身体ボロボロやからね。その癖、皆が寝静まった頃になったら訓練場を起動して……。
 そんなんやから治りも遅い」

「……なのはの奴、秘密にしろとあれほど」

「ん、なのはちゃんは関係ないよ? 私が気付いただけやから。
 別にええやんか。指揮官として六課にいるんやし、戦いに備える必要なんかあらへん。
 中将やって、エスティマくんのことを心配しているから前線から外したと思う」

「……かもしれない。けど、いざって時に実力が発揮できないのは怖いんだよ」

漏れたような言葉。
はやては、そか、と短く応えて、会話が止まる。

そうして車の走行音だけが響くようになってからしばらくして、俺たちはゲンヤさんたちが待っている居酒屋に到着した。

車を駐車場に止めて降りると、へんてこな建物に眉を潜めてしまう。
和風建築……のように見えて、全然そんなことはない場所。

百円回転寿司の店を機械的にした感じ。分かりづらいと思うが、そうとしか言えない。
ミッドチルダでの暮らしにはもう慣れた――というかこっちのほうが自分の世界という意識が強くなっている――けど、流石にこういうものを目にすると違和感を覚えてしまうのはしょうがないだろう。

はやても俺と似たようなことを思っているのか、しきりに首を傾げている。

……行くか。

二人で店にはいると、既にゲンヤさんたちは席に座っているようだった。
店員に案内されて座敷に進むと、制服姿の三人がいる。

「こんばんは。お疲れ様です」

「おう、きたかエスティマ」

まぁ座れ、と勧められ、腰を下ろす俺たち。
俺の対面にはシグナム、はやてはギンガちゃん、といった配置だ。

「三人とも、今日は上がりですか?」

「ああ。ここんところ働きづめだったからな。明日は休みだし、今日ぐらいってな」

「そうですか。それにしても、こうして揃うのも久し振りな気が。……スバルにも声をかけた方が良かったですか?」

「いや、良いだろう。この面子でしか話せねぇこともあるしな。またの機会だ」

会話をしながら、マルチタスクの無駄遣いで注文を決める。
店員さんにオーダーを頼むと、シグナムへと視線を移した。

シグナムはどこか落ち着かない様子で、メニューに視線を落としている。
……こうして顔を合わすのも久し振りな気がするな。

シグナムが108へ行ってから、会うことはほとんどなかった。
シグナムが家を出て一緒にいる時間がなくなったこともあるし、この子がいなくなって俺が仕事に没頭したこともある。

そうやって疎遠になっていって……今では、シグナムが何を考えているのか良く分からない。
少し前までは大体分かっていたんだけど……なぁ。

「……シグナム」

「は、はい」

「最近、どうしてる?」

「はい。今は、最近になって起こり始めた連続殺人事件を――」

「そういうことじゃなくて」

生真面目に返事をする娘の姿に、思わず苦笑する。

「飯、ちゃんと食べてるか? お前がどんな暮らしをしているのか分からなくて、俺はちょっと心配だよ。
 根を詰めるところがあるからなぁ。あんまり無理をしないように。体調崩して――」

「……大丈夫です。問題ありません」

むっとした表情で、言葉を遮られた。
気のせいか、シグナムは俺と視線を合わせようとしていない気がする。

……なんだかなぁ。この歳の子は説教されるのが嫌いだって、自分の経験から分かっているだろうに。
だがそれでもそれっぽい言葉をかけてしまうのが親心ってやつなのか。

……親、ねぇ。

なんか子持ちのパパさんがこっちを見てニヤニヤ笑っているのがムカつきます。

「なんですかゲンヤさん。そしてギンガちゃん」

「いやな、コイツにもこういう時期があったなーってよ」

「うぅ、お父さん」

「いつだったかなぁ……おお、そうだそうだ。結社の奴らが迷惑千万な声明を出した時ぐらいだったか。
 あの頃から妙に険が取れて――痛ぇ! 抓るなギンガ!」

「年甲斐もなくはしゃがないで下さい、お父さん」

「……おう」

……娘に尻に敷かれてる。苦労してそうだなぁ。

「エスティマさん、シグナムなら大丈夫ですよ。勤務態度も真面目だし、訓練も。
 生活だって心配するようなことありませんから」

「そっか」

なら安心……なんだけど、少し寂しいような。
今からこんなことを思っていたら、この先どうなるんだか。

「ところで、そちらの方はどうですか? 八神さん」

「ん、目立ったことはなんもないなぁ。新人フォワードはまだ訓練中で、他はヴィータが交替部隊の方に行って頑張ってくれてるし。
 私も結社を追ってるけど、今のところこれといった進展はなし。
 ま、六課が全力稼働するような状況なんて、起きないことに越したことはないんやけど」

「そうですか。……何も起きなければいいんですけどねぇ」

溜息混じりにそういうギンガちゃん。
まったくその通りなんだが……そうもいかないだろう。

いつぞやの結社設立やアインヘリアル防衛戦の時と同じように、今の沈黙は次への溜めのように思える。
いつになるかは分からないが、大なり小なり、奴らはテロを起こすだろう。

原作知識がまるで当てにならないから、何が起こるか分からないが。

そう思っていると、料理が運ばれてきた。
陶器の皿がテーブルに置かれて、こつこつと音を立てる。

シグナムと俺の間に置かれたのは、鶏の唐揚げ。
料理とお互いの顔を交互に見る。お互いに。

「……父上からどうぞ」

「……遠慮しなくていいから」

「……はい」

いただきます、と断って全員が箸を動かし始める。

しっかし、酒が飲めないのに居酒屋ってのはどうも。
まだ未成年だからなぁ、この身体。酒が飲めないってわけじゃないだろうけど、執務官が法を破ってどうすんの、とアルコールを口にしたことはない。

物足りない。ご飯が欲しいな。

「……ご飯が欲しいです」

……あれ、口に出した?
と思ったら、シグナムだった。

見れば、シグナムは一瞬だけ俺と目を合わせると、焦った感じで俯き加減になってしまう。

ううむ……どうしたもんか。

思春期の娘とどう接したら良いのだろう。
考えてみても、そう簡単に良い案が思い浮かぶこともなく。

『はやてはやて』

『何?』

『このぐらいの歳の子って、どうやって接すれば良いんだろうか』

『うーん。パパさんとして、って考えると私には難しいなぁ。
 やっぱりゲンヤさん辺りに聞くのがいいと思うけど』

当たり前の答えが返ったきた。
けど、あの人は念話使えないからこの場で聞くことはできないか。

困ったもんだ。

「その……父上」

「……ん?」

どうしたものかと考えていると、シグナムが声をかけたきた。
しかし、視線は俺のに向いているわけではない。
微妙に逸らされたまま、彼女は口を開いた。

「次のランク昇格試験で、AAAに挑もうと思っています」

「……そうか」

「はい」

それだけいって、シグナムは料理へと。
……約束だからな。

「期待してるよ」

「はい。頑張ります」

無理はしないように、とはいわない。
……変なところが俺に似てしまったシグナムだ。きっと目的を達成するためならば、どんな無茶でもするだろう。
そして俺と同じように、それを邪魔されるのを何よりも嫌っているはずだ。

……本当、似て欲しくないところが似てしまったなぁ。

黙々と食事をすすめるシグナムを眺めながら、俺は俯き加減で苦笑した。


























小劇場 割と平和な六課 2


結社対策部隊、通称、六課。
この部隊に集められた者たちは、いずれもライトスタッフである。
フォワード陣は勿論のこと、バックヤードスタッフも。
そして医療スタッフも……なのだが……。

「なのはちゃん、おやつを持ってきましたー」

「あ、シャマルありがとう」

陸士の制服の上から白衣をまとったシャマルが、バスケットからクッキーの詰まったランチボックスを取り出す。
新人フォワードに飲み物とお菓子を配るシャマル。
いやに表情がいきいきとしている。

「どうですか?」

「美味しいです!」

「そうですか! まだまだありますから、たくさん食べてくださいね!」

といってシャマルはバスケットから更にランチボックスを取り出す。
一つ、二つ、三つ、四つ……。
正直、作りすぎじゃね? と思わなくもない。

「……シャマル?」

「なんですか? なのはちゃん」

「シャマル、ストレス溜まるとお菓子を大量に作る癖があったよね……」

「……」

「シャマル?」

「……うっ、ぐすっ」

「シャマル――!?」






[7038] sts 五話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:d2eca28f
Date: 2009/08/05 20:27

クラナガンにある美術館では現在、一つの特集が組まれている。
聖王教会の協力の下に企画された古代ベルカ展。

結社によって根付きつつある、ロストロギアがただの危険物だという間違った認識を少しでも緩和できたら。
そして、今のミッドチルダの人たちにベルカの文化に少しでも触れてもらえたら。
この美術展は、やや物騒な空気が流れているミッドチルダでは明るい類のニュースとなるだろう。

――いや、なるはずだった、というべきか。

「……ああ、くそ」

フェレットモードに変身したユーノは、物陰に隠れつつ悪態を吐いた。
右前足には浅くない傷がある。折れているだろう、と頭の片隅で考えながら、ユーノは耳を立てて神経を研ぎ澄ませる。

ユーノは最近、管理局からの依頼を受けてスクライア一族を挙げて無限書庫での仕事を行っていた。
その彼がどうして美術展の会場にいるのかといえば、深い理由があるわけではなく、考古学会の一員として開会式へ招待されたというだけだ。

……それがこんなことになるなんてなぁ。

行き場のない苛立ちを胸に抱きながら、ユーノはことの始まりを思い出す。
それは、つい二十分ほど前のことだ。

美術展の準備が終わり、学会や聖王教会の知人たちと雑談をしていると一人の女が会場へと現れた。
彼女に気付いた内の一人が、一般の入場は明日からだと注意しようと女に近付き――そもそも彼は気付くべきだった。警備員が止めれば、こんなところに人が入ってこれるわけがないのだ――質量兵器らしきもので攻撃され、倒れた。

そこから先は詳しく説明することもないだろう。
ブランクがあるとはいえ美術展の関係者の中で唯一戦闘経験のあるユーノが囮となり、知人たちを逃がしたのだ。

そこまでは良かった。しかし、そこからがいけない。

侵入者の目的はなんなのだろうか。防御魔法をいつでも発動できるように準備しながら、ユーノはマルチタスクで考える。
美術展で公開されているロストロギア?
そんなことはないだろう。ロストロギアといっても、この美術展に展示されているものの中に危険物といえるものはない。
そんなものを展示するなんて馬鹿げたことをするわけがない。

もしかしたら自分たちが気付いていないだけなのかもしれないが、だとしたって犯人が美術展の関係者を襲う意味が分からない。

……なら、最近流行りのテロかな。

嫌な流行だよ、と毒づいて、ユーノは溜息を吐く。

あの女の考えていることが分かれば、どうにか……管理局の陸士部隊が到着するまで時間を稼ぐことができるかもしれないけれど。

「――っ!?」

機械が蠢くような、微細な金きり音。
ユーノが飛び退ると同時に、彼のいた床が吹き飛んだ。

魔力による攻撃ではない。質量兵器によってもたらされた破壊だ。
一撃だけならユーノにも止める自信はあるが、連射されたらたまったものではない。

足を止めず、前足を庇いながら移動を続け、ユーノは女へと視線を向けた。

黄色のボディースーツに、緑の髪。バイザーで目元を隠しているため、表情は分からない。
女の腕を目にして、ユーのはわずかに息を呑んだ。

変形している、のだろうか。女の腕は、肘から先が銃器へと姿を変えていた。

……新手の戦闘機人? だとしたら、相手が悪すぎる。

真っ向からやり合える相手じゃあない。ここへ到着する陸士部隊だって、半端な錬度じゃ返り討ちにあるのがオチなんじゃないか。
なら、呼ぶのは六課か――

「うあ……っ!」

マズルフラッシュ。一拍置いて、弾丸がユーノへと吐き出される。
咄嗟に展開したラウンドシールドで防ぐが、勢いを殺せず、ユーノは床に転がった。

カーペットの敷かれた展示場の床に、点々と血が飛び散る。
早く立ち上がらないと。ユーノは四肢に力を込めるが、前足の痛みと衝撃で息を整えるのがやっとだった。

『あなたは、知っているはずです』

声がかけられ、ユーノは頭を持ち上げた。
バイザーに点った光は、まっすぐに自分へと向けられている。
妙にひび割れた、出来の悪いスピーカーから放たれたような音は女の声だったのだろうか。

『イクスはどこにありますか?』

「……イクス?」

イクス――それを聞いて薄ぼんやりと浮かんできたのは、戦闘能力を持たない知人たちの避難を任せた、知人のエクスだった。
語感は似ているが、違うだろう。

「悪いけど、分からないね」

『いいえ、知っているはずです』

いいながら、女は腕を持ち上げて――
ユーノは再び銃弾が吐き出されるよりも早くフラッシュムーヴを発動させ、なんとか生きながらえた。

……ものを訪ねておいて、殺そうとするか!?

あまりにも無茶苦茶な、考えなしともいえる女の行動に怒鳴りつけたい衝動に駆られる。
それを必死にこらえながら、ユーノは魔法を構築しつつ女と対峙した。

転送魔法で逃げるという手もある。だが、それは一つの選択肢だ。
この女を捕らえるつもりなど、ユーノにはない。正面から戦うつもりもない。

ただ、この手の厄介ごとはほおって置くと面倒になる。
今までの人生経験からそれを知っているユーノは出来る限りの情報を集めてからここから逃げようと考えていた。

……それに苦労性の弟を少し楽にできるかもしれないしね。

『イクスの場所を教えてください』

「待ってほしい。君のいうイクスがなんなのか僕には分からないけれど、情報をくれれば何か近いものを思い出すかもしれない。
 何か――」

『その必要はありません。イクスの場所を、あなたは知っているはずです』

……なんだこれは。
粗悪品のインテリジェントデバイスと話しているような気分になってくる。
こちらの話を理解はしているようだが、会話をしようとする意思を感じない。

話の通じる相手と思うことがそもそもの間違いなのだろうか。

なら、

「……君の名前は?」

駄目もとでユーノは言葉を放った。

『……マリアージュ』

マリアージュ。何度か見たことがある単語だ。
古代ベルカの言葉だったはず。意味は時期によって変わるので、ピンとくるものはないが。

他に得られる情報は何があるだろうか。この言葉が通じているのかも怪しい女は、どんな単語に反応するのだろうか。

そう考えていると、

『ユーノ!』

不意に届いた念話に、肩の力が抜けた。

『フェイト?』

『うん、大丈夫!? もうすぐそこまで――十秒で辿り着くから!』

焦りに焦ったフェイトの念話に、場違いな苦笑を漏らしてしまう。
残り十秒。それぐらいならば、簡単に逃げ切れるだろう。




















リリカル in wonder

















六課の医務室で、治療の終わったユーノはベッドに腰掛けている。
俺はユーノから聞いた情報を頭の中で整理しながら、ううん、と唸り声を上げる。

「――大体そんなところかな」

「ん、分かった。悪いなユーノ、余計なことをさせて」

「良いさ」

疲れの滲む笑みを浮かべたユーノを視界の端に入れながら、腕を組みつつ思考する。
美術館であったテロ。その実行犯である女は、フェイトと交戦を始めてから数分後、自爆した。

……そう、自爆だ。ぞっとしない。どこぞの紛争地域でもあるまいに。
フェイトは爆発に巻き込まれ、怪我こそないものの気絶。今はカーテンで仕切られたベッドで眠っている。

ユーノの証言とバルディッシュに記録された映像データを見てみるが、イマイチぴんとこない。

見たことあるような、ないような。俺はこいつを知っていたのか?
……まあいい。知っていたのだとしても、この女はもう死んでいる。
女の素性ももちろん重要だが、今はこれと結社の関連性だ。

美術的価値しかないといっても過言ではないロストロギアを奪取……しにきたわけではない。
イクス、という物、あるいは者を探していた……のか?
……分からない。犯人の行動に一貫性がなさすぎて、何をしたかったのかがさっぱりだ。

「……ユーノ、この女は本当にイクスっていっていたのか? エクスじゃなくて?」

「うん。イクス、だったよ」

「そうか」

……エクスだったらまだ分かる。彼女の持っている古代ベルカに関する記憶には価値があるからだ。
ただ、それが違うとなると……イクスとは何を指しているのやら。

ったく、連続殺人事件の次は自爆テロか。
忙しいことこの上ない。

ともかく、フィールドワークは六課だとはやての役割だ。
ユーノから聞いた情報を彼女に話したら……そうだな。密輸ロストロギアと関わりがあるかもしれないし、ゲンヤさんに話をしておこう。

溜息一つ。

「……それにしても、タイミングが良いのか悪いのか。無限書庫へ近い内に顔を出そうとしてたから、手間が省けたよ。
 そっちの進行状況はどうだ?」

「一応、毎日日報は上げてるけど……まぁ、そうだね。ようやくレリック、聖王のゆりかご関連の資料の絞り込みの目途が立ったところ。
 ここから先は少しずつ解析作業に移行するよ」

「順調なようで何より――まぁ、そこまでは日報に目を通してるから知ってるさ。
 どうだ? 無限書庫での働き心地は」

そう聞くと、ユーノは苦笑した。

「一族総出での仕事だから、雰囲気は悪くないよ。のびのび仕事をさせてもらっている。アルザスの人たちも手伝ってくれてるしね。
 ……ただ、こういう機会でもない限りあんまり近付きたくないなぁ、あそこ」

「なんでまた」

「整理した端から資料が詰まれてゆくんだよ? 用件が絞られている限定的な依頼だからいいものの、あそこを整理しろーなんていわれたらどれだけの時間がかかるか。
 十年は投げ捨てる覚悟で挑まないと駄目なんじゃないかな?
 まぁ、珍しい資料が山積みだから考古学者としては興味あるけどさ」

……その十年を投げ捨てる覚悟で挑んだのが原作のユーノなんだが、何もいうまい。
本来ならばともかく、今のユーノは原作以上に考古学者として、そしてスクライアの人間として人生を謳歌している。
だからだろう。きっとユーノには無限書庫で働くという選択肢がないのだ。

「それにしても」

「ん?」

「久し振りに身体を動かしたから、ちょっと筋肉痛が……まだ動けるつもりだったけど、駄目だね。
 フィールドワークと戦闘は別物だって痛感するよ。もう戦闘からは引退かな」

「そもそもPT事件、闇の書事件のときだって戦闘要員でもなんでもなかったんだから、当たり前っちゃあ当たり前なんだけどな」

「いえてる。思い出してみれば、あの頃は随分と無茶したもんだよ。
 まぁ、どこかの誰かさんは今でも無茶を続けているみたいだけど」

「お前から見て無茶でも、俺にとっては当たり前なんだって」

「どうだか。……そうそう、例の資料だけどさ」

そこまでいって、ユーノは念話に切り替える。

『レリックウェポンに関する記述と、技術関係の資料。見付けることができた』

『早いな』

『当たり前だよ。エスティ、自覚あるの? 君の身体のことなんだからね?』

どこか怒ったような視線を向けられる。
管理局からの依頼は別として、ユーノはレリックウェポン――人造魔導師の資料を探していた。
別に俺が頼んだことじゃないのだが……。

『少しはエスティの治療に役立てればいいんだけどね。いかんせん古すぎて、何が書いてあるのか読み取るだけでも精一杯だ』

『あんまり根を詰めなくても良いんだからな』

『はいはい』

軽く流される。もう今更ともいえるやりとりか。
無論、ありがたくはある。ガタのき始めているこの身体が持ち直すのなら、その分戦うことができる。
……ユーノが俺を戦わせるつもりで資料を探しているつもりじゃないってのは、充分に分かっているさ。

けれど、俺は――

「フェイトおおおおおお!」

と、唐突に静かな雰囲気をぶち壊す存在が医務室に突撃してきた。
医師の皆様――特に先端技術医療センターから派遣された皆様――からの白い目を無視しつつ入り口を見てみれば、そこには子供フォームのアルフが。
……そして首根っこを掴まれて目を回しているキャロと、服の裾に噛み付いているフリード。

「ユーノ! フェイトが怪我したって!?」

「や、怪我はしてないから大丈夫だって。気絶しただけで――」

「フェイト、どこだい……そこか!」

ひくひくと鼻を鳴らして、アルフはカーテンで仕切られたベッドに突撃した。
微妙に苦い顔をしていたのは、薬用アルコールの匂いがキツかったからか。

「んん……あれ? アルフだ。おはよう」

「フェイト! 大丈夫かい、フェイト!?」

「目が回りましたー……」

「キュクルー」

「ああもうほら、しっかりしてキャロ。フリードも、いつまでも噛み付いていないように」

……慌ただしい。非常に慌ただしい。
けれど、これがいつもの俺たちな気がする。
血の繋がりなんて俺とフェイトにしかない兄妹の揃った光景。
そんなに懐かしいわけでもないのに、何か胸に込み上げてくるものがあった。




























「ありがとうございました!」

「うん。それじゃあ今日の訓練は終わり。しっかり休んで、明日も頑張ろう」

「はい!」

既に夕陽が沈んで、夕食時すら過ぎて、深夜ともいえる時間。
夜間訓練が終了すると、新人フォワードたちは一斉に地面にへたり込んだ。

疲れた、と口々にいうこの子たちの姿はいつ見ても微笑ましい。
全力全開で訓練に当たり、近い内にくる初陣の準備に、精一杯力を注いでいる。

どうかこの努力が報われますように――いつものように、私は胸の中で呟いた。
へとへとの皆は、重い足取りで寮へと向かう。
その際、振り返って私に声をかけてきた子がいた。

「なのはさんは、まだ帰らないんですか?」

声をかけてきたのはスバルだ。
顔には疲労がこびりついているけれど、瞳には気力が溢れている。
身体が普通の人と違うっていうのもあるだろうけれど、それでも芯の強さは後天的なものか。
彼女は興味深々といった様子で、首を傾げていた。

「うん。少しだけクールダウンしてから休むつもり」

「すごい体力……なのはさんはやっぱり違うなぁ。
 それじゃあ、お休みなさい! また明日、よろしくお願いします!」

小さく手を振ってスバルを送り出すと、大きく深呼吸をする。
さて……と。
あまり根を詰めるつもりはないけれど、今日も訓練、始めようか。

けど、その前に。

「エスティマくん、いるよね?」

「バレてたか」

隠れる必要なんてないのに。思わず呆れ混じりの笑みを浮かべてしまう。
仮想訓練場の生み出されたビル群。その影からトレーニングウェア姿のエスティマくんが出てくる。
一度は自室に戻ったのかな。

エスティマくんは新人たちの訓練が終わると、こうして訓練場に顔を出す。
お医者様からはあまり激しい運動をしないように、って言われているはずなのに。
……けど、エスティマくんの気持ちも分かるから、私は彼の訓練を黙認している。

戦うことで身体が蝕まれるのは当たり前だ。けれどそれを言い訳にして腕を鈍らせるのは――そう、怖い。
きっとそれは、私みたいな戦うことしかできない人間が……エスティマくんと近いからこそ、分かること。

彼と私は根っこにあるものが違う。それは随分と前に気付いたことだけど、表層はすごく似ていると思う。
据えているものが違うから行動も違う。けれど、守るために戦うというのは一緒なはずなんだ。
……そう。守るために力を振るう。もし自分の力が及ばないことがあれば、それは大事なものを守れないことと同じ。
だから彼は万全の状態を維持したいのだと思う。

身体を酷使するのは良くないことだと理解しているけれど、そうまでしてやらなきゃいけないことがあるなら仕方ないんじゃないか。
私はそう考えている。

ただ、納得している反面どうしても彼にいい顔をできない自分がいる。
それは、はやてちゃんのこと。
……はやてちゃんがどれだけ心配しているのか知っているくせに。
もしエスティマくんの身体に何かあったらはやてちゃんがどれだけ悲しむか、知っているくせに。

この頑固者は、少しぐらい妥協というものを覚えても良いんじゃないかな。

「まったく、こんな時間まで訓練することもないだろうに。随分待たされたぞ」

「うん。新人たちも体力ついてきたから、この時間まで訓練しても次の日に響かない程度にはなったかなって」

「そういうことをいってるんじゃなくて……まぁ良いけど」

ガシガシと頭をかいて、エスティマくんは腰に差していたカスタムライトにSeven Starsを挿入する。
バリアジャケットは未展開。訓練場でダミーの攻撃を受けても衝撃があるだけだから、トレーニングウェアのままで良いのだ。

「じゃあ三十分ぐらい借りるぞ。
 Seven Stars、ガジェットドローンⅡ型を二十機、難易度最高」

『はい、旦那様。状況はどうしますか?』

「んー……今日は防衛戦の気分だ」

『了解しました。指定エリアを突破されたら敗北とします』

「あ、エスティマくん」

「ん?」

「私も一緒にやっても良い?」

「……そうだな。たまには良いか」

行くぞ、と合図のように声を上げて飛行魔法を発動した彼に続いて、私も空に。
バリアジャケット・アグレッサーモード、起動。

私と一緒なせいなのか、さっき設定した数よりもガジェットは多い。
四十はいるだろうか。
けれど、

「……お前と一緒じゃ訓練にならないんだよなぁ」

「む、どういう意味?」

「この程度、楽勝ってことだよ。……援護よろしく! いくぞ、Seven Stars!」

『はい』

カスタムライトを一閃。ガンランスの刃に魔力刃を形成して、エスティマくんがガジェットの群れに突撃する。
雨のように降り注ぐレーザー。けれど、繊細な、それでいて大胆な機動でそれらを避け、近くにいたガジェットに魔力刃を突き込んだ。
次いで、カートリッジロード。ガンランスの砲口から零距離でのショートバスターが吐き出されて、ダミーが爆散。
その煙に隠れ、タイミングをずらして再度ガジェットへと。

……見てないで私もやらないとね。

「レイジングハート!」

『all right』

クロスファイアとアクセルシューターを同時起動。
クロスファイアをトラップとして設置、シューターをエスティマくんの援護へと。

次々と減ってゆくダミー。最後に一体が残ると、エスティマくんから念話が飛んできた。

『最後は派手にやるか!』

『オッケー!』

明らかにオーバーキルといえる誘導弾をばらまいて、ダミーの足を止める。
動きの鈍ったダミーをエスティマくんが吹き飛ばし、その弾け飛んだ方向へと先回り。

私はレイジングハートをバスターモードにし、カートリッジのマガジンを掴んでフラッシュムーヴを発動。
挟み込むようにラピッドファイアを二人で連射し――普通のガジェットならばこの時点で粉微塵だろうけれど――ダミーを挟んで衝突。

ガンランスの刃が、バスターモードの穂先が、ダミーへと突き刺さり、

「ディバイン――!」「ディバイン――!」

砲撃魔法で消し飛ばす。
サンライトイエローと桜色が夜空に弾け、爆炎がそれを彩った。

射線が交差しないように細心の注意を払った、私とエスティマくんのコンビネーション。
……まぁ、エスティマくんと肩を並べて戦ったことは少ないから、実戦で使ったことはないんだけどね。

全機撃墜。
二人で地上に降りると、エスティマくんは汗に濡れた前髪をかきあげ、笑った。

「だから訓練にならないっていったのになぁ」

「あはは、そうだね」

「ま、久し振りに馬鹿できたから楽しかったよ」

馬鹿、ねぇ。
この程度のことで息抜きになるのなら、たまには付き合ってあげてもいいかもしれない。

息を整えて、額の汗を拭うと、私は少しだけ疑問に思ったことを口にする。

「ねぇ、エスティマくん」

「ん?」

「三課で戦っていたときも、今みたいに誰かとコンビネーションを組んだりしてたの?」

「ああ。ザフィーラが一番多かったけど……次ははやてかな」

「あれ、そうなんだ」

少し意外。はやてちゃんとコンビネーションを組むにしても、距離が離れてて難しいというか、無理な気がするけれど。
そんな私の疑問に気付いたのか、

「ああ、はやては個人戦闘もそこそここなすぞ。んー、空戦AAぐらいには。
 やっぱり本領は超長距離からの広域魔法だけど」

「そうなの?」

「ああ。本来の――っと、ええと……まぁ、守護騎士四人の術式を起動してたら重かったろうけど、今はヴィータとザフィーラだけだからさ」

「微妙に答えになっていない答えな気がするけれど……」

「……まぁ、伊達に戦闘機人を相手に戦い抜いてないってことだよ。
 防戦に専念すれば、はやてだって――」

「確かに戦えるけど、私はあんまり前に出たくないなぁ」

エスティマくんと一緒に声の方へと振り向く。
そこには、手にタオルと飲み物をもったはやてちゃんがいた。

こんばんわー、と訛りのある挨拶をして、はやてちゃんは私たちへと近付いてくる。
それを目にして、エスティマくんが身体を硬くしたのを私は見逃さない。

……まったくもう。

「お疲れ様、なのはちゃん。はい、これ。
 エスティマくんも」

「ん、ああ。ありがとう」

いきなり挙動不審というか、情けなくなるエスティマくん。
微妙に目を逸らしながらタオルを受け取る姿は、なんというか、夜更かしを親に見付かった子供みたいだ。

「なのはちゃん、こんな夜遅くまでエスティマくんに付き合わせてごめんなー」

「えと……」

確か、はやてちゃんはエスティマくんが夜な夜な訓練しているのを善く思っていなかったはずだけど。
それを欠片も感じさせないのは、すごいというか怖いというか。

『もう、ええんよ』

「え?」

「どうした?」

「な、なんでもないから」

いきなり届いた念話に、思わず声を上げてしまった。

『もういいって?』

『んー、止めても無駄なら仕方ないなぁって。
 ま、今に始まったことやないからな』

……うう、なんだか心が痛い。
女の子にここまでさせるとか、エスティマくん、本当にそれってどうなの?

と、考える私やはやてちゃんを余所に、エスティマくんは呑気に飲み物を喉へ流し込んでいた。
はやてちゃんには悪いけど、どうしてなんだろうなぁ。

今度じっくり話を聞こう。
……それとなく惚気られる可能性が大だけどっ。























小劇場 割と平和な六課 3

結社対策部隊、通称、六課。
この部隊に集められた者たちは、いずれもライトスタッフである。
フォワード陣は勿論のこと、バックヤードスタッフも。
そして嘱託魔導師も……なのだが……。

「魔力光が付いたり消えたりしている……。
 あはは、大きい……SLBかなぁ。
 いや、違う、違うなぁ。SLBはもっと、バァーって出るもんね」

「ふぇ、フェイト、どうしたんだい?」

「また兄さんがなのはとばかりコンビネーションを――!」

「お、落ち着いてよフェイト――!」

と、騒ぐ怪我人を一歩下がってみている医療スタッフ。

「……おい、あんまり騒ぐと班長がうるさいぞ。
 誰か注意してこい」

「けど近付きづらくてなぁ……美人さんすぎるってのも考えもんだ」

「よし、シャマル。こういうのは下っ端の仕事だ」

「ふぇ!? というか、私って下っ端だったんですか!?」




[7038] sts 六話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:d2eca28f
Date: 2009/08/09 11:48

父のエスティマ・スクライアは、時空管理局ミッドチルダ地上部隊のエース。
母はいない。弟妹もいない。父子家庭というやつだ。
……正確にいえば、私はあの人の娘というわけではないのだが。

けれど、あの人――父上は私を娘として扱ってくれている。
それを嬉しいと思う反面、どうしても気負うものがある。
……私は守護騎士であり、主人を守るための存在なのに。

……そう考える私は、シグナム・スクライア。今はただの非力な学生でしかない者だ。

友人たちと雑談しつつ帰路につき、交差点で別れると、自宅へと早足で進む。
まだ日の高い時間だ。道を往く人は主婦や私と同じ学生、それと教会の関係者の姿がちらほらと見えた。

そんな彼らを横目で見ながら家に着くと、父上から預かった鍵でドアを開く。
冷たい空気の流れる部屋。こうして帰ってくる度に、親子二人で住むには少し広いと感じてしまう。
けれど、それも父上が帰ってくれば別なのだ。がらんとしたこの部屋にも暖かみが宿る。

靴を脱いで揃えるとリビングへ。まず真っ先に確認するのは留守番電話。
チカチカと光っているボタンを押せばいつものように、

『ああ、シグナム。すまない。今日も遅くなる……そうだな、八時には帰るから。はやての作ってくれた夕食が冷蔵庫に――』

……またか。
そう思ってしまう思考を、頭を振って打ち消す。
父上は今、大変な時期なのだ。首都防衛隊の一部隊を任されて、毎日を戦っている。
それを応援こそすれ、ワガママなんていってはいけない。

気付かない内に握り締めていた手を解くと、自室で制服から運動着へ。
今日は、シスターシャッハのレッスンがない日。毎日相手をして欲しいけれど、そんな贅沢はいってはならない。

着替え終わると、レヴァンテインと携帯電話、それに財布を持って市民公園の公共魔法練習場へ。
軽いランニングのつもりで走り辿り着くと、そこには顔見知りの教会騎士団の人たちが素振りをしていた。

彼らに挨拶をして、レヴァンテインを起動する。
今の私では扱えないので、レヴァンテインは機能制限を受け、刀身が短くなっている。
なんとも情けない話。溜息を吐きたいのを必死にこらえて、私は素振りを始める。

こうやって素振りをして、何か変わるのだろうか。早く追い付きたいと思うのならば、もっと……。
雑念が腕を重くする。それを振り払うように力を込めて、深呼吸。

焦らなくていいと父上はいってくれる。記憶を初期化されたのだから、また地道に経験を積んでいかなければ、と。
けれど、それは無理な話だ。
だってそうだろう? それを鵜呑みにして何が守護騎士だ。
まどろみのような心地よい日常へ身を浸らせれば、きっと私は守護騎士ではなくなる。

それでは意味がないのだ。
きっとこうしている今だって父上は戦っている。それを眺めることすら許されない私は――。

「痛……っ」

ずるり、とレヴァンテインが手の中で滑った。それで血豆が潰れて、鋭い痛みが走る。

「……すまないなレヴァンテイン。汚してしまって」

『Nein』

……今日はもう止そう。
レヴァンテインを待機状態に戻して、タオルで掌を拭うと私は公園をあとにする。
ひどく足が重い。どうやら今日は、いやに考え込んでしまう日らしい。

家に帰っても、やっぱり父上は帰っていなかった。
時刻は夕方の六時。当たり前だ。時間まで、まだ二時間はある。

痛みを耐えながら手を洗ってテーピングを施すと、冷蔵庫から牛乳を取り出す。
父上のいっていたご飯は、ちゃんと入っていた。

冷たいご飯。暖めればいいのだろうけど……。

『Machen Sie es zum Abendessen?』

「いい。父上と食べる」

レヴァンテインにそういうと、コップに牛乳を注いで一気に流し込んだ。
……早く身長が伸びて欲しい。

リビングを眺めながら、これからどうしようかと考えてしまう。
今日は珍しく宿題はない。それなのに鍛錬を早めに切り上げてしまったため、やることがなくなってしまった。

テレビを見るといっても、あまり興味はない。父上とだったら一緒に見てもいいのだけれど。

特に何を考えるわけもなくリビングをぶらついて、ふと、脚を止める。
目の前にあるドアは、父上の部屋のだ。

あまり入るなといわれているけれど……。

そっと、自分でも分からないけれど音を立てないようにドアノブを回す。
扉を開いて感じたのは、私たちの家の匂いに混じった油臭さ。デバイス整備に使うオイルの匂い。

カーテンが開けたままにされていたので、父上の部屋は夕陽で朱色に染まっている。
両側を本棚とデバイスの工具やパーツが詰まった棚に囲まれ、奥にある窓の下には大きめの机が。

入り口のすぐそばにある安物のパイプベッド――けれどマットレスは良い物を使っている――の上には、寝間着が放ってあった。

「……しかたのない人です」

私のと比べたら随分と大きいそれを畳んで、ベッドの隅に置いておく。
そして――そして、そのままベッドに倒れ込んだ。
枕に顔を埋めれば、父上の使っているシャンプーの香りがする。

……どうしても独りぼっちでいると、寂しい、と思ってしまう。
分かっている。父上は立派な人で、仕事は大勢の人を救うための貴いものなのだ。
それを私のワガママで邪魔してしまうなんて、あってはならない。
あってはならないけれど……。

「……まだですか、父上」

……。

……――。

『Stehen Sie bitte auf』

「……んぅ?」

いつの間にか眠っていたようだ。

レヴァンテインに起こされて、目を擦りながら――って、いけない。涎が枕にっ。
そもそもシャワーも浴びてないのに布団に寝てはいけないといわれているのにっ。
どうしようどうしようと慌てると、いつの間にか夜になっていたことに気付く。

何時だろうと目を凝らすと、ベッドサイドにあるデジタル時計が深夜の十時を示していた。

音を立てずに部屋を出る。リビングは真っ暗なままだが、細かな寝息が聞こえてきた。
術式を発動させずに、構築だけで、足元に魔法陣を展開して部屋をうっすらと照らす。

どうやら父上は帰っていたみたいだ。腕を目の上に置いた状態で、ソファーで眠っている。

……ここで寝ているのは、やっぱり私がベッドを占領していたせいだろうか。

そっと近付いてソファーにかけてある制服を手に取ると、父上の部屋へ持って行った。
そして、冷蔵庫の晩ご飯を温める。
……もう十時か。夜食になってしまうけれど、しょうがないか。

「……ん、シグナム?」

「はい。お帰りなさい、父上」

「あちゃ、眠ってたか。少し横になるだけのつもりだったのに。
 ああ、俺がやるから――」

「いえ、今日は私がやります。父上は待っていてください」

参ったなぁ、と頭をかきながら父上は立ち上がると、部屋の電気をつける。

私が温めた夕食をテーブルに並べると、夕食開始。
こうやって二人で夕食を食べるのは、我が家の習慣だ。ただ、週に一、二回は八神家のお世話になるけれど。

夕食のときに話すことは、今日学校であったことなど。
……それを少しぐらい脚色したって、きっとバチは当たらないだろう。

けれど、この話をしている最中にいつも思ってしまう。
もっと面白い話をすることはできないだろうか、と。

けれど、違う話をしたら父上は退屈じゃないだろうか、とも。
だからいつも無難な、ただの報告に近い話になってしまうのだ。

「……んー」

「ど、どうしました?」

「いやね。変な風に眠ったから目が冴えてさ」

「ご、ごめんなさい」

私がベッドで寝ていたから――と思って謝ったのだけれど、父上はなんで謝られているのか分からない様子。

「たまには夜更かしするか」

「えっと……」

「シグナム、眠い?」

「だいじょうぶです!」

思わず声を荒げてしまった。
けれど、父上は苦笑しながら夕食を食べる。

「……それじゃあ、レンタルDVDでも借りて映画でも見ようか。
 何がいい?」

「え、ええと、ですね……」

そのあとは、父上と一緒に映画を借りにいった。
なんだか父上は執拗に怪獣特撮映画を薦めてきたけれど、私はそんなに子供じゃない。
結局借りたのは、私の選んだヒューマンドラマもの。……背伸びをしたと少し後悔。

家に帰って、真っ暗な部屋でスナック菓子を食べながら映画を見るのは、なんだか悪いことをしているようで楽しかった。
いつもは夜更かしをするなって父上はいっているのに。

けれどどうしても睡魔に打ち勝つことができなくて、日付が変わる頃には眠くなってしまい、映画のエンディングを見ることはできなかった。
次の日は二人とも寝坊して、慌ただしく支度をして――

この日は、特別な日というわけではなかっただろう。
けれど、父上と一緒に夜更かししたこの日は、私にとって――



















無機質なアラーム音によって、ゆっくりと意識が掬い上げられる。
つい三時間ほど前に、眠気が取れなくて仮眠を頂いたのだ。
疲れは取れたが、あまり気分は良くない。

なぜだろうか。何か夢を見ていた気もするから、悪夢でも見たのかもしれない。
息苦しさを感じて、思わず胸元を押さえてしまう。

「……またか」

こんなところばかり成長して。また新しく下着を買う羽目になる。
少しだけ憂鬱になりながら、洗面所へいって顔を洗うと、これからの予定を思い出す。

この間あった美術館の自爆テロで、警邏任務のシフトが厳しくなった。
そのせいで、これから私はギンガと一緒に見回りだ。

……見回り、か。
もうすぐ大事なランク昇格試験があるというのに。
いや、仕事は大切だ。サボろうという気は起きない。
けれど、目標としているものがすぐそこまで迫っているせいでどうしても焦りを感じてしまう。

AAAランク。それだけの実力がつけば父上の守護騎士として、ようやく戦うことができる。
そのためだけに、ずっと腕を磨いてきた。
次の試験こそ、必ず目標を達成せねば。
そうすれば、きっと私は以前の――以前の、なんだろうか。

幼少時の生活が脳裏を過ぎ去り、頭を振った。
あの時間にはもう戻れない。無邪気に父上を見上げていた頃には。
別に今が不幸というわけではないのだ。真っ直ぐに目標へと近付いている毎日は、充実しているといえる。

……そうだ。後悔なんてしていない。
自分の意思であの家を出たのだから。それが正解だといえる結果は、今の私という形になっている。

この身は主の剣である。ただ守ってもらっていたあの頃など、夢のようなものとして忘れてしまえ。
……そう思うのに、気分は少しもよくなってくれなかった。
まるで嘘を吐いているように、気分が悪い。




















リリカル in wonder



















「娘たちの調整は終わったよ。待たせてすまなかったね、トレディアくん」

「分かりました。
 ……それにしても、ありがとうございます。ガジェットだけではなく、ナンバーズまで」

「いやいや、私もイクスヴェリアには興味があるのさ。そう畏まらないでくれたまえ」

蛍光色の照明に照らされた執務室に、二人の男と女がいる。
ジェイル・スカリエッティに、トレディア・グラーゼ。それに、ナンバーズ・ウーノ。

ウーノは二人を見つめながら、いよいよか、と胸中で呟いていた。
ナンバーズとガジェットを投入した、イクスヴェリアの奪取。そしてトレディアの持ち込んだマリアージュの本格的なお披露目でもある。

ただ、好意的な笑みを浮かべてトレディアと話しているスカリエッティの腹の中は違う。
イクスヴェリアにもマリアージュにも大した興味はない。
彼が今回の作戦でやろうとしていることは、ナンバーズType-Rの有用性を世界に知らしめることだった。

自分の作った作品たちに正当な評価を――ガジェットのようなやっつけ仕事ではなく、技術と知識の粋を集めて生み出された娘たちのための舞台。
トレディアの行おうとしている願いや行動は、ただの踏み台に過ぎないのだ。

それを知らず、これから行われることに興奮を滲ませるトレディアに、ウーノは哀れみすら込めた視線を送った。
彼は出身世界の紛争を止めるべく、マリアージュの大量生産を行うためにイクスヴェリアを――そして、多くの人に戦うことで受ける痛みを知らしめることで争いをなくそうとしている。

普通に考えたらおかしな思考だ。単純な話で、殴られて怒らない人間はいない。仕返しをしてやりたいと思うのが当たり前だろう。
どういった経緯で彼がこの手段をとろうとしているのか、ウーノには理解できない。

営利目的などではなく、ひたすらに理想を追い求めていることから、彼が純粋であることは分かる。

だからこそウーノはトレディアを哀れむのだ。
スカリエッティと手を組むのがまず間違っていた。
確かに、彼にとってスカリエッティと手を組むのは魅力的なことだったのだろう。
しかしスカリエッティからすれば、トレディアなど数多くの協力者の内の一人にしかすぎないのだ。

他人と自分、期待と欲望を天秤にかければ、自分の生みの親は間違いなく後者を取る。
そんな者に理想の大事な部分を任せてしまうのは、賭にしてもあまりに分が悪い。

だから、これから起こる戦闘はスカリエッティの一人勝ちとなるだろう。
いや……戦闘がどうなろうと、トレディアの夢が破れるのはすでに分かっていることだった。

マリンガーデンの海底に位置する遺跡。その中で眠っているロストロギアともいえる者の調査レポートは既に入手している。
トレディアが欲しているものがどういう状態なのかは、把握しているのだ。

ただ、トレディアがそれを知らないはずがないのだが……。

「それじゃあトレディアくん、観戦しようじゃないか。我々の作品が彩る舞台をね」

「……いえ。申し訳ありませんが、私は現場に出ようと思っています」

トレディアの言葉に、ウーノは目を細めた。
これから激戦区になろうとしている場所に出向いて――いよいよウーノは、この男が何を考えているのか分からなくなってくる。

「分かった、いいだろう。チンクを護衛につけようじゃないか。
 作戦開始時刻も少し遅らせないとだね」

「ありがとうございます。それでは」

靴音を上げながら、トレディアは執務室をあとにする。
首を捻りたい心地になっていると、そのウーノにスカリエッティは笑みを浮かべた。

「何か不思議なことでもあったかね? ウーノ」

「はい、ドクター。彼が何を考えているのか、私にはさっぱり……」

自慢ではないが、常人の思考回路からずいぶんと離れたスカリエッティの秘書を長年務めてきているのだ。
あの手の輩が考えていることは大体分かると思っていたウーノだが、トレディアに関してはさっぱりだった。

クク、と短く笑い声を上げて、スカリエッティは背もたれに体重をかける。
ギシリ、と軋んだ音に一拍遅れて、彼は口を開いた。

「彼は凡人で、弱い人間なのだよ、ウーノ」

「弱い、ですか」

「そう。弱い。弱いからこそあんな理想を抱いているのだ。今の行動も、それに起因する。
 ……そうだね。それに気付けないのは、きっとウーノが見てきた弱者とベクトルが違うからなのだろう」

ずっと見てきた弱者、とはなんだろうか。
眉根を寄せるウーノとは違い、スカリエッティは心底楽しそうな笑みを浮かべ続ける。

「達成困難な目標にぶつかったとき、どうするか。諦めてしまうか、歩み続けるか。
 弱者は常にその二択を迫られていると思わないかい? そして彼は、諦めた側の人間だよ。
 妥協に妥協を重ねて歪んだ人間。それが間違っているとはいわないがね。
 まぁ、私にはまったく無縁の話なのだが」

……ああ、そうか。
ようやくスカリエッティのいいたいことが分かり、ウーノは納得できた。

つまりこの人は、例の少年――いや、今はもう青年だったか――とトレディアを比べていたわけだ。
……まったくこの人は。どれだけあの青年に期待しているのだろう。

自分の手がけた作品が歯向かってくる、という状況も一役買っているのだろうが、それだけではないはず。
……そうだ。
きっとこの人がさっき挙げた強者と弱者を使って例えるならば。
この人は、強者である自分に屈せず挑み続けるエスティマ・スクライアの姿勢が心底から気に入っているのだろう。

それは、ガラスを隔てた場所にいる動物を刺激する楽しみに似ているのではないだろうか。























……そろそろ実戦に出ないとまずいんじゃないかしら。
そう思っているのは、きっと私だけじゃないはず……というか、エリオ辺りはもう我慢が限界近い気がする。

それも分からなくはない。結社対策部隊の一員として呼ばれたはずなのに、やっていることは訓練、訓練、訓練、だ。
いや、今の私たちじゃ役に立たないから鍛えられているっていうのは充分に理解しているんだけど。

「こらティアナ、集中!」

「は、はい!」

不意に聞こえたなのはさんの声で背筋を伸ばして、少し下がっていたドア・ノッカーの銃口を跳ね上げる。
ヴァリアブルバレットを形成して――前は一発でもギリギリだったのが、今では複数のクロスファイアにコーティングすることができるようになった――スフィアを狙い、発射。

うん。一日一日は微々たる進歩しかしていないけれど、六課にくる前の自分と比べれば、間違いなく強くなっている。
なのはさんの教導は私たちに力を与えてくれていて……ああもう、力がついていることが分かるからこそ、焦れったいのに。

こんなことをしていていいのか。もっとこの部隊は貪欲になって、それこそ血眼で結社を追うはずなんじゃないのか。
それを行っていないのは、小隊二つがまだ完成していないからなんじゃないか。

お荷物っていう意識が少しずつ強くなっている。そんなことない、となのはさんはいってくれるんだけど。
溜息吐きたいのを堪えて、横目でスバルを見る。

ウィングロードを駆けながら拳でダミーを砕く姿は、とても悩んでいる風に見えない。
あれはあれで割とナイーブなところがあるんだけど……やっぱり信じてる人に引っ張ってもらっているのが大きいのかしら。

キャロにも焦りらしい焦りは見えない。けど、それも当然かもしれない。
キャロは戦うことを新人の中で最も嫌っているように見えるし、そもそもあの子の役目はフォワード陣がロストロギアを確保したときの封印担当。
学んでいる戦闘技術は、そのほとんどが自衛のためのもの。持って生まれた宝を腐らせないように、召還魔法に関する手ほどきも受けてはいるけれど。

はぁ……私はまだ、この部隊の役に立っていない。

「……んー、ちょっと休憩するよー!」

号令一つ。それで、私たちは腕を止める。
私たちだけではなく、エリオとキャロも身体を止めて息を切らせながら地面に座り込んだ。

なのはさんは少しだけ肩を落として――それでも顔を顰めたりとか、そういったマイナスのものは一切見せず――口を開く。

「なんだか最近、集中が途切れることがあるね、ティアナにエリオ。
 何か訓練のことで疑問があったりするかな?」

「え、と……」

思わず私は口ごもってしまう。
だけど、

「……なのはさん」

幼いということもあるのだろうけど、根が真っ直ぐなエリオは躊躇いながらも手を挙げた。

「うん、どうしたの?」

「あの……僕たち、こんなことをしていていいのでしょうか。
 確かに未熟だけど、それでも訓練漬けの毎日じゃ、なんだか交替部隊の人たちにも申し訳なくて……」

「……ティアナも?」

「……はい」

そっか、と頷くと、なのはさんは考え込むように視線を地面に。
けどすぐに顔を上げると、元気付けるような口調で声を出した。

「焦らなくてもいいんだよ……ってだけじゃ、納得できないよね。
 それじゃあ、私たちがエリオたちに期待していることを、少しだけ教えてあげる」

「期待、ですか?」

「うん。私たちが相手にしようとしている結社、その主力となっている戦闘機人。
 皆には、これを倒せる魔導師になってもらおうと思っているの」

にっこりと笑って言われた衝撃の事実に、私たちは固まってしまう。
え……っと。てっきり私は、ガジェットとかの露払いだと思っていたんだけど。

だって戦闘機人って、質に差はあるけれど、ストライカー級の相手だ。
それに勝つだなんて……。

「あ、あはは……違う違う。皆が思っているようなことじゃないよ。
 一人一人をそこまで育て上げる腕なんて、私にはないし。
 私たちが期待しているのは、四人で一人の戦闘機人に匹敵するチームになってくれることなの」

……四人で一つの、か。
成る程。それなら、私たち四人が集められたのもなんとなく分かる。

フロント、ガード、センター、バックス。
一人だけではどこかバランスの悪い、それぞれに突出した技能を持つ者たちだけど、それを一つにまとめることができれば、と。

……まったく、なのはさんも難しいことを期待してくれるわ。
それともこれは部隊長の差し金だったりするのかしら?

「とりあえず、私たちの考えているのは今話したことだから。
 ……それと、せっかくだから教えちゃおうかな」

「何をですか?」

「うん。皆が今の調子なら、実戦も近いよ。エス……部隊長もそのつもりだから」

その一言で、目に見えてエリオが元気になった。
現金なもんね……ま、私も人のことはいえないけど。

「それじゃあ休憩終わり。訓練に戻る――」

と、その時だ。
夕陽が沈もうとしていた訓練場が、サイレンと共に赤く明滅する。
アラート――それも、一級警戒態勢の?

「なのはさ――」

声をかけようとなのはさんを見ると、私たちに向けたことのない表情になっていたことで、思わず言葉を止めてしまう。
宙を睨むようにして、そっと胸元のレイジングハートを握り締めていた。

そして間を置かずに、ブリーフィングルームへ集まるよう通達が届く。

私たちはデバイスを待機状態にすると、駆け足で隊舎へと戻った。























「交替部隊は現地部隊から避難誘導の引き継ぎを頼む。
 スターズ、イェーガーは?」

「はい。八神小隊長とヴィータ三等空尉は、現地から向かうとのことです。
 高町一等空尉とフェイトさん、新人たちは、ブリーフィンブルームに」

「分かった」

『エスティマ、俺はどうする?』

『待機してくれ。あのクソマッドのことだ、隊舎を狙うってこともありえる』

『承知』

オペレーターから届く情報をマルチタスクで聞き分け、グリフィスと足元にいるザフィーラに指示を出しながら、込み上げてくる罵倒を辛うじて飲み込む。
落ち着け。醜態を曝していい立場じゃないんだ。

帰宅ラッシュから微妙にズレた時間帯。それほどここから遠くない湾岸地区に、多数のマリアージュと戦闘機人が出現。転送魔法によって、ガジェットが次々に転送されてくる。
それと遭遇した108陸士部隊が戦闘機人の内、一体と交戦中。

他の戦闘機人とマリアージュはまっすぐに進行中。目的地はマリンガーデンと予想される。

意味が分からない。なんだこの規模は。
いつぞやのアインヘリアル防衛戦ぐらいの規模があるぞ。

どこにこれだけの戦力を注ぎ込む必要が……。

そこまで考え、頭を振る。

いや、今は目の前の事態に対処しなければならない。

グリフィスからなのはたちが揃ったと報告を受けて、俺は通信ウィンドウを開く。
画面の向こうにはフォワード陣、それにフェイトがいる。

軽く息を吐いて落ち着くと、口を開いた。

「見ての通り一級警戒態勢だ。湾岸地区に戦闘機人とマリアージュ、ガジェットが出現した。
 対象はマリンガーデンの方向に進行している。
 現在確認された戦闘機人は、陸戦型のⅨ、ⅩⅠの二体だ。質問は?」

『兄さん、マリアージュって……』

「分かってる」

フェイトの疑問はもっともだ。交戦した彼女だからこそ、ともいえるだろう。
しかし、俺たちに分かることはない。
自爆したマリアージュの破片らしいものはなかったので、調べるにも調べられなかったのだ。
もしかしたらマリアージュは、簡易量産型の戦闘機人なのかもしれない。

……何かが引っ掛かる。何かを忘れている。
蜘蛛の巣が頭の中に張ったような感覚を覚えるも、先を続けた。

「本部からの通達で、マリアージュを戦闘機人の一種と分類することになった。
 戦闘機人の量産型、というのが見解だ。他に何かあるか?」

画面に映る部下たちを眺める。
フェイトやなのははいいとして、新人たちはどこか不安な面持ちだ。
いや、その中で一人だけ、不安と他の感情を混ぜた視線を感じるが、今は無視するしかない。

「なら、指示を出すぞ。
 高町一等空尉、君は火砲支援でマリアージュの相手を頼む。
 スクライア嘱託魔導師は戦闘機人と交戦している108の応援を。
 配置はデバイスに転送する」

「あの、私たちは……!」

声を上げたのはティアナだった。

「……お前たちがあれの相手をするのは、まだ早い。
 今回は隊長、副隊長だけの出動になるだろう。その場で待機を。
 シャーリー!」

「はい!」

「デバイスから送られてくる戦闘映像をブリーフィングルームへ頼む!」

「了解です!」

その後に細かい指示をなのはたちに出し、いよいよ本格的な戦闘態勢へ。
六課初の全力稼働の相手にしては、少し難易度が高いが……負けてたまるか。

『エスティマ』

『何? ザフィーラ』

『あまり気負うな。指揮官は余裕をもって構えているものだ。
 お前の、大隊指揮官としての初陣。失敗がないわけがない。今から焦ってもしょうがないだろう』

『そうはいってもね……』

『お前の集めた部下を信じるといい。ミスの一つや二つ、俺たちがカバーしてやろう』

そういって鼻を鳴らし、ザフィーラは尻尾を揺らす。
……見透かされてる。参ったな。

『……ありがとう』

『気にするな』























戦闘の始まった街を見下ろせる位置。ビルの屋上に、チンクとトレディアはいた。
目の中のカメラをズームアップしながら、チンクは妹を見る。相手は108陸士部隊のフォワードか。
その中に見覚えのある姿を見付けて、チンクは眉尻を下げた。

桃色の髪をポニーテールにまとめた娘。あれは確か……。

「君は行かないのかい?」

「私はあなたの護衛ですから」

「そうか」

思考を遮るようにかけられた言葉。トレディアは短く返して、皮肉げに口角を釣り上げた。

「少し、質問してもいいかな?」

「どうぞ」

「君たち戦闘機人は、戦うために生み出された存在だ。
 それに疑問を持ったことはないのかい?」

なぜそんなことを聞いてくるのだろう。
それは戦闘機人として生まれた者ならば、誰もが一度は抱く問いだ。
ふと、姉妹たちのことを思い出してみる。
ウーノは自分の有り様を見付けているのだろう。おそらく、ドゥーエも同じく。
トーレは戦闘機人という意味では純粋な存在だ。流されるままに戦っているのではなく、自ら望んで闘争に身を投じているだろう。そうある自分に価値を見出している。
クアットロは、自分たちはそういうものだと思考停止している節がある。そういうものだから、何をしてもいいという免罪符にして楽しんでいる気もするが。
セインは境遇がどうあれ、今を一番楽しんでいるだろう。
そのあとに起動した妹たちは、まだそういった障害にぶつかっていないはずだ。

そして、自分は……。

「疑問、というほどのものは抱いていません。時期がきたら分かることでしょう」

「……そうか。気の毒だとは思うよ。人でありながら、兵器として生きることを運命付けられた君たちは」

「そうでしょうか。それほど、悪いものでもないと思っていますが」

トレディアにそう応え、チンクは頭の中に一人の青年を思い浮かべる。
ずっと昔に交わした約束を、彼はまだ覚えているだろうか。

もう言葉を交わしたことすら、懐かしいと感じてしまうだけの時間が経ってしまった。

もし彼が約束を覚えていて、それを果たしてくれるなら。
もし彼が約束を覚えていなかったら。

この二択できっと自分の未来は変わるだろう。

そう考え、苦笑する。
トレディアが怪訝な目を向けてくるが、かまわない。

約束を覚えていなかったら――そんなことを考えるくせに、ちっともそんな気はしない。
きっと彼は律儀に約束を守ろうとしている。

そのために彼が設立したのがあの部隊――というのは、流石に度を過ぎた乙女的思考だろうか。
けれど、どうしても思ってしまうのだ。

「……きたか」

「きましたね」

喧噪の上がる夜空に瞬く、桜色と金色の魔力光。
自分たちを追い詰めるべく生み出された部隊が目の前へと出てくるのを見てしまえば、彼が自分を忘れているなど有り得ないと実感できるのだ。

「行きましょう。ここでは少し目立つ」

そういって、チンクはトレディアを目で促した。

今夜もまた始めよう。私と彼の、人生を賭けた鬼ごっこを。




[7038] sts 七話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:d2eca28f
Date: 2009/08/28 21:59
「……ん、分かった。急ぐわ」

『頼んだぞ、はやて』

「まかしとき。あーもう、そんな情けない顔を指揮官がしてたらあかんて」

『茶化すな。……それじゃあ』

エスティマとの通信を切って、はやては顔を上げた。
今、彼女がいるのは雲が下に見える上空。
そこを、己の騎士であるヴィータと共に進んでいる。

目指す先はマリンガーデン。そこに陣取り、長距離砲撃で上空のガジェットを殲滅して欲しいとエスティマから連絡がきた。
転送魔法を使って一気に跳びたかったが、AMFの影響で失敗したら怖い。

地道に飛んでいくしかないことを歯がゆく思いながら、彼女はスレイプニールに魔力を込める。

「はやて、現場はどうなってるの?」

「ん、まだ被害はそれほど広がってないみたいやヴィータ。
 でも、困ったなぁ。まだ六課は完全稼働にほど遠い状態やし、エスティマくんがテンパってないとええけど」

「ザフィーラがいるし、大丈夫だって。変に焦っても、冷や水浴びせられれば冷静になれるよアイツ」

「んー、どうかなぁ」

ヴィータの言葉を聞きながら、そうだろうか、と胸中で呟く。
指揮はともかく、戦闘機人がいるのに現場に出られないという状況に彼は慣れていないはずだ。
焦りと不安。混ぜるな危険の二つが相まって大変なことにならなければ良いのだけれど。

「ま、私らが頑張ればそれだけエスティマくんも安心させることが出来るやろ。
 ヴィータも頼むで?」

「任せて、はやて。シスターも向かっているみたいだし、大丈夫」

そういい、力こぶを作るポーズをヴィータが。
リラックスさせようとしてくれてるのだろうか。ありがとう、と小さく呟いた。

「さてヴィータ、六課の初陣、華々しく飾ろうか!」

「うん!」
  

















リリカル in wonder

















バリアジャケットの裾をはためかせながら、夜空をゆく影が二つ。
魔力光の色は金と桜。
六課所属の魔導師、高町なのは一等空尉とスクライア嘱託魔導師だ。

二人はデバイスに転送された情報を見ながら、自分のなすべきことを確認する。
なのはは空からマリアージュを。完全に機械化されているのか非殺傷設定による攻撃では動きを止められない、と報告が上がっているので、物理破壊設定で。
街を破壊しないことが前提の命令なので、精密射撃の技量が高い彼女に白羽の矢が立ったのだ。

そしてフェイトは、戦闘機人と交戦している108部隊の応援。
まだミッドチルダ地上部隊だけで結社の相手をしていた頃、三課を苦しめた者が相手だ。油断はできないだろう。

それ以外にも、救援に向かう者たちに思うところがある。
それをバルディッシュを強く掴んで考えないようにして、フェイトは隣を飛ぶなのはへ視線を。

「なんだかこうやって二人で飛ぶのって、久し振りだね」

「うん、少し懐かしいかな。
 ……ねぇ、フェイトちゃん」

「何?」

「余計なお節介かもしれないけど……シグナムのこと、助けてあげてね」

「……うん、大丈夫」

なのはのいいたいことが分かって、フェイトは苦笑した。
きっと彼女は、闇の書事件の確執云々のことを考えて、釘を刺そうとしたのだろう。
釘を刺す、というほどではなく、心配ていどの軽いものだろうけれど。

確かにフェイトにも思うところはある。
けど、あのシグナムは兄を一時的とはいえ自分から奪った者とは別人なのだ。
それに、エスティマが倒れたときよりも自分は大人になっている。兄を取られた、なんて今は思わない。
それぐらいの分別ぐらいはできていると思う。

「なのはの方こそ、気を付けてね。マリアージュの使う武器は質量兵器だから。
 いつもの感覚で戦うと、少し危ないよ」

「あはは、そうだね」

「あはは……ん、もうそろそろ現場に着くね。
 それじゃあなのは、私は行くよ」

「うん。それじゃ、また後でね!」

軽く手を挙げてなのはと別れると、フェイトは飛行魔法に使用する魔力を増やす。
途端に、なのはと併走していたときと比べものにならないほど、速度が増す。

夜風に風がなびき、回りの風景が引き延ばされるように。

……それにしても、戦闘機人か。

エスティマを中心とした三課の者たちが戦った戦闘映像を、フェイトは何度も見た。それこそ、飽きるほどに。
少しでも兄の力になるべく、寮母の仕事の合間に何度も何度も。

ずっと警戒していたのは空戦の三体だったが、今日の相手は陸戦。
地上での戦闘は空と比べ、それほど自信はないのだが――

「やるしかないよね、バルディッシュ」

『sir』

ならば、切り結ぶような状態になる前に一撃で勝負を決めよう。
長距離から一気に接近し、零距離からの砲撃。

……どんな皮肉だろう。一度だけ行ったその戦法を使った相手を、助けるために使うだなんて。
口の端を吊り上げながら、フェイトはバルディッシュに変形を命じようとし――

「――っ!?」

前触れもなく横から突撃してきた影を、バルディッシュのロッドで受け止めた。
だが、それでは終わらない。

弾かれた影は、両手に握った刀――刃の部分が光っているのは魔力か、別のエネルギーか――を振り上げ、再び突撃してくる。
咄嗟にフェイトはバルディッシュをハーケンフォームに変形させ、横薙ぎに。
しかし相手は慣性を感じさせない動きで減速し、魔力刃は空を切った。

「くっ――!」

咄嗟にディフェンサーを展開し、金色の魔力光と刀の発する紫が明滅し、火花を散らす。
その際、フェイトは相手の顔へと目を向け、目を見開く。

こいつ――

「……笑って?」

「ハハ……!」

薄気味悪さを感じて、フェイトはバリアバーストを発動。
それで敵は弾き飛ばされるが、油断はならない。
バルディッシュを握る手に力を込め、目を凝らした。

煙が晴れると共に敵の姿がはっきりと目視できるようになる。
戦闘機人特有の青いボディースーツに特徴的なヘッドセット。
手首や足首、腰に発生しているインパルスブレード。

「……手強い奴か」

戦闘映像を思い出し、フェイトは目を細めた。
目の前にいる敵は、戦闘機人の三番、トーレ。
執拗に兄を付け狙い、何度も刃を交えている相手だ。

トーレは右手の刀――インパルスブレードと同質の刃を発生させている――の切っ先をフェイトに向け、喜色満面の笑みを浮かべる。

「その顔立ち。高機動戦闘。なんという僥倖だろうか……このような任務にも出てきて正解だった!」

……何をいっているのか分からない。そういった目でフェイトはトーレを見るが、彼女は気にしていないようだった。

「お初にお目に掛かります、フェイトお嬢様。私は戦闘機人のⅢ。トーレと申します」

「丁寧にありがとう……私は時空管理局嘱託魔導師、フェイト・T・スクライア。
 自分たちの罪状は、いわれるまでもなく分かっていますね? 投降しなさい」

「ご冗談を! せっかく会えたのです、刃を交えねば嘘だ!」

しっ、と息を吐いた音を残して、トーレの姿が掻き消える。
フェイトは舌打ちしたい気持ちを抑えながら、ソニックムーヴを発動させた。

そしてバルディッシュを相手の得物を打ち合わせ、歯を噛み締める。
一撃一撃は軽い。けれど、斬撃が鋭い。刺突ともなれば反応がやや追い付かないぐらいに。

厄介な相手だ。兄さんが手こずるのも分かる。
伊達に管理局を相手にテロを起こしていないということか。

「応援、少し遅れるかな……?」

「そう急がずに……エスティマ様とまた違った手強さを、是非魅せてください!」

「この……っ!」

何? この戦闘機人。
早く行かなければならないと分かっていながら、フェイトはトーレの相手をするしかない。
この場を去ろうとしても、尋常じゃないしつこさで追い付いてくる。

胸中でエスティマに謝りながら、フェイトはカートリッジをロードした。
























時は少し遡る。

警邏任務で湾岸地区をギンガと共に回っていたシグナムは、両脇をビルに囲まれたビジネス街の雑踏の中に見知った顔を見付けた。
いや、見付けた、というのは変な話かもしれない。

知人によく似た顔をした少女に、つい目を奪われた。

燃えるような赤い髪の毛。有名なメーカー製のジャージに身を包み、肩にはスポーツバッグを背負っている。
どう見ても知人の――そう、スバルのするような格好ではなかったのだが、顔立ちが良く似ていたのだ。

しかしあまり顔を見ては失礼と、シグナムはすぐに目を逸らす。
しかし、

「……へぇ。アタシが"当たり"か」

奇妙な独り言を耳にして、シグナムは眉根を寄せる。
当たり……?

「なぁ、そこの局員」

「なんでしょう、か?」

その少女は、こちらへと声をかけてくる。
応えたのはギンガだ。一瞬声が止まったのは、おそらくシグナムと同じことを思ったからだろう。

「教えてやるよ。もうすぐここでテロが起きる。一般人、避難させた方がいいぜ」

「……あなた」

挑発的な口調で、嘲笑に近い笑みを少女は浮かべる。
そのときになって、シグナムは――そしてギンガは、ようやく思い出す。

ヘッドセットをしていないから気付くのが遅れたが、この少女は……!

「……なんだよ、急げって。やる気ならいいけどさ」

苦笑し、少女はジャージの胸元から待機状態のデバイスを取り出す。
それを掲げ、彼女はセットアップを。

それと同時に、魔法陣が上空に展開される。
転送魔法。ならば、出てくるのはガジェットか。

「シグナム!」

ギンガの叫びに首肯して、シグナムは一般人の避難を開始する。
それと同時に、近隣部隊へと報告も。
上空に展開した魔法陣を目にして、既にパニックを起こしている人も中にいた。
彼らを落ち着かせながら大丈夫だと言い聞かせ、焦りを感じながら、シグナムは取り敢えずの避難誘導を完了させる。

そして、

「行くぞ、レヴァンテイン!」

ペンダント状態のレヴァンテインを握り締め、シグナムも騎士甲冑を纏う。
シグナムは知らないが、ずっと昔から身に付けていた甲冑に身を包み、レヴァンテインを鞘から抜き放つと、滑走するように低空を飛んだ。

『ギンガ、避難誘導はとりあえず終わった。状況はどうなっている?』

『ごめん、余裕が……!』

返ってきた念話には、苦みが含まれていた。
人気のなくなった道を進み、角を曲がると、戦闘機人と戦うギンガの姿が見える。

シューティングアーツを駆使して拳を交える、ギンガと戦闘機人の姿。
その光景は、一見ギンガに傾いているように見えた。
手刀、掌、拳を駆使してガードの上から攻撃を加え続けている。隙を与えぬ、とその姿が語っている。
だが――

上段回し蹴りを放とうとした瞬間、後から動いたにもかかわらず、戦闘機人の拳がギンガの腹に突き刺さる。
どれほどの力が込められていたのだろうか。
バリアジャケットこそ吹き飛ばさないものの、ギンガは宙に舞い、ショーウインドウに突っ込んだ。

「ギンガ!」

「ったく、所詮は旧式かよ……ようやく勝負できると思ったのに」

一撃でギンガを吹き飛ばしたというのに、戦闘機人は苛立たしげに地面を爪先で蹴った。
ローラーブーツのデバイス。銀の装甲と、その隙間に見える金のフレーム。あれは……。

いや、デバイスというのなら、もっと見るべきものがある。
それは、両腕に通された手甲型のアームドデバイス。
ギンガの使っているリボルバーナックルⅡ――エスティマが作った物だ――によく似ている。いや、瓜二つといっていいかもしれない。

戦闘機人はローラーブーツを鳴らして、シグナムへ身体を向ける。
敵と対峙した瞬間、勝てるのか? と、言葉が脳裏に浮かんできた。

……いや、勝つのだ。
戦闘機人は父の敵といってもいい存在。
主の剣であるならば、彼女たちを倒せるだけの存在にならなければ意味がない。

日頃から自分を追い詰めている思考に急かされるように、それが蛮勇であるという考えが、抜け落ちる。
レヴァンテインの切っ先を戦闘機人に向けると、シグナムは唇を湿らせた。

『ギンガ、一度退いて回復に専念して欲しい。ここは私が押さえる』

『……あなたが何を考えているのか、なんとなく分かるわ。
 けど、無謀よ。馬鹿なこといわないで』

ショーウィンドウの破片を浴びたギンガが、なんとか身体を持ち上げる。
それを視界の隅で捉えながら、シグナムは一歩踏み込んだ。

――それが、この事件の始まりだった。
シグナムたちへの応援は、ガジェットとマリアージュに阻まれて届かない。
もっとも早く動けたのは近くにいた六課だが、フェイトは上空でトーレと戦っている。

遠く響く喧噪を耳にしながら、二人は戦闘機人と闘い続けていた。

「この……!」

レヴァンテインを袈裟に走らせるも、ローラーブーツが後退し、刃は空を切る。
その直後、シグナムの背後からローラーのグリップの音を響かせ、ギンガが戦闘機人へと拳を叩き付けた。

リボルバーキャノン。カートリッジを使っての打撃。
黄色のシールドが発動するのに一拍遅れ、ギンガの拳が叩き付けられる。

だが、

「リボルバー……キャノン!」

高らかに響いたのは、戦闘機人の声だ。
ナックルスピナーが高速回転する唸り。わざわざ同じ技を使って、ギンガと真っ向からぶつかり、両者は大きく弾き飛ばされる。

頬を流れる汗を鬱陶しく思いながら、シグナムは戦闘機人を見る。
戦闘機人。生半可なものではないと思っていたが、ここまでとは思わなかった。

ミッドチルダ地上部隊の中でも稀少なAランクのギンガとAAの自分二人で、ここまで手こずるなんて。
戦闘機人は本来、AMF下での運用が基本となっている。だからこそ、自力ではそれほどの脅威ではないと思っていた。

しかし、目の前にいる戦闘機人は違う。強化された五感に加え、どういうことか魔法まで使う。
後期の戦闘機人がそういう存在だと資料の上では分かっていたが、ここまでとは。

……だが、あと一歩で攻めきれないのには、もう一つの理由がある。
それはギンガだ。
この戦闘が始まってから、彼女の様子がどこかおかしい。
時折戦闘機人のデバイスに向ける視線には、戸惑いが混じっているようにシグナムには見えた。

なぜそうなっているのか、シグナムには分からない。戦闘中に聞くべきことなのか、ということもある。
……しかし、このままではジリ貧だ。何か手があるのならば――

『シグナム』

『ギンガ?』

『一気に決めるわよ。このままじゃ溜まってゆくダメージでその内押し切られる』

『分かった』

そう応え、どうするか、と再び自問する。
全力で戦うならば、そこに雑念が混じってはいけない。
それが勝機に繋がるならば尚更だろう。

『ギンガ』

『何?』

『先程から、何か迷っているような気がする。何かあったのか?』

『…………あの子に、聞きたいことがあるのよ』

逡巡のあとに吐き出された念話には、やはり迷いが混じっていた。いや、これは動揺だろうか?

『大丈夫か?』

『ええ、勿論……悪いけど、付き合ってねシグナム』

……全力、か。
彼女のいった、悪い、という言葉。
それはシグナムに刺さる。
全力を出すならば魔力が必要となる。
それはシグナムの内にあるリンカーコアだけではなく、主人――エスティマとの間に繋がっているラインからの魔力も使えということだ。

……分かっている。妙な拘りは捨てるべきだ。
魔力を父から奪うこと。それが実力ではないなど、そんなルール付けは自分でしたもの。
使えるものは使うべきで、今がそのときなのだろう。

『……分かった』

『ごめんなさいね』

気にするな、と返して、シグナムは意識を集中させる。
自分とエスティマの間に通っているライン。普段は余程のことがない限り閉じているそれを、こじ開けた。
その途端に流れ込んでくる魔力の量は膨大だ。自分とは別種の、しかし、暖かみのある魔力が身体に満ちる。

身に纏ったパンツァーガイストが、ジジジ、と悲鳴を上げる。
ラベンダーと混じり合うサンライトイエローの魔力光。解放された力の余波に、戦闘で砕けたコンクリートの粉塵が舞う。

そして、ギンガも。

「フルドライブ……リボルバー、オープン!」

掛け声を鍵に、両腕のデバイスが変形と呼べない変形を行う。
リボルバーナックルの後部、ナックルスピナーよりも後ろの装甲が弾け飛んだのだ。
その下から現れたのは、腕を囲む六発装弾の回転式弾倉。
確かに一撃に込められる魔力は強大だろうけれど、普通に考えて常軌を逸した代物。

いつか必要になるから、とエスティマが付加したフルドライブ。今の今まで実戦で使ったところを、シグナムは見たことがなかった。

「へぇ、やる気かお前ら……いいぜ、かかってこいよ」

戦闘機人から発せられるプレッシャーが心持ち強くなる。
だが、関係ない。全力で当たる以外に、選択肢は今捨てたのだ。

『私が先に仕掛けるから、シグナムは……』

『分かった』

レヴァンテインにカートリッジを限界まで装填し、息を整える。
やるぞ、レヴァンテイン。そう己のデバイスに念話を送ると、寡黙なデバイスはコアを瞬かせることで応えてくれた。

……この戦闘機人を倒すことができれば、きっと自分は父上の守護騎士としてやっていける。
そのためにも、この戦いは勝たなければならない。最低でも引き分け。負けるなど論外だ。

「行くわよ!」

「こいよ旧式!」

拳をかまえ、両者は一気に距離を詰める。
その激突を見るよりも早く、シグナムは動いた。
飛行魔法を発動し、ギンガと戦闘機人の頭上へと。そこで身を捻り、急降下を行う。

その間に、ギンガと戦闘機人の衝突は終わっていた。
常識の範疇を逸脱した口径のカートリッジが炸裂し、魔力を帯びた拳が真っ直ぐに突き出される。
戦闘機人はそれをナックルスピナーの回転で受け流し、その瞬間にギンガはバックステップ。カウンターが入ると、予め予想していた動き。
そして、予測は裏切られず、戦闘機人の掌がギンガの胸へと――

『ぐっ……今よシグナム!』

「覚悟……紫電、一閃!」

落下のエネルギーを乗せた刃を唐竹に振り下ろす。
炎を纏った刃が戦闘機人の背中へと迫る。しかし、咄嗟に振り返った戦闘機人はシールドを展開した。
だが、一撃で終わるとはシグナムも思っていない。

シールドを砕いてレヴァンテインを振り抜き、返した刃を横薙ぎに。
その際再びカートリッジをロードし、刀身のまとう炎が燃え上がる。

さすがに危機感を覚えたのだろう。戦闘機人は咄嗟に右腕を上げ、レヴァンテインは手甲型デバイスへ吸い込まれるように刃を立てる。
ナックルスピナーの回転に弾かれるか、否か――

「紫電――一閃!」

火花を散らす衝突は、鋼を砕いたレヴァンテインの勝ちとなる。
手甲型デバイスを砕いた瞬間、戦闘機人の目が大きく見開かれた。次いで、それが激怒に彩られるが――

「てんめぇ!――っ!?」

横から伸びてきたギンガのウイングロードが戦闘機人の腹に突き刺さり、彼女はビルへと貼り付けにされた。
……これで終わりだ。

カートリッジを二連続ロード。すべてを使い果たし、シグナムはレヴァンテインを変形させる。
第二の姿、連結刃。
それを渦を描くように振り上げ、

「飛竜――一閃!」

サンライトイエローとラベンダーの魔力光をまとった連結刃が殺到し、爆炎を上げた。
























「面倒っスねぇ」

盾ともサーフボードともいえないデバイスで散発的に撃ち込まれる射撃魔法を防ぎながら、少女――戦闘機人、ウェンディは道を歩いていた。
特に危機感を抱きもせず、堂々と、だ。

自分を包囲した管理局の部隊は、一対一では勝てないと踏んだのか陣形を作って散発的に攻撃をしかけてくる。
そんな彼らに微塵も興味を抱かず、ウェンディはマリンガーデンを目指して歩き続けていた。

ウェンディたちが行っている今回のテロには、一つの目的がある。
それはイクスヴェリアの確保という建前ではなく、もう一つの、自分たちの有用性を客に提示することだ。

その際にスカリエッティから指示されたことは二つ。
戦う相手は選ぶこと。雑魚を蹴散らしても見栄えがいいだけで効果は見込めないからだ。
そしてもう一つ。戦闘機人のタイプゼロと、エスティマ・スクライアの守護騎士であるシグナムを発見した場合、撃破すること。

指示の内、前者は今回の目的そのものといえるだろう。タイプゼロの破壊も、旧式と自分たちの違いを見せるパフォーマンスか。
しかし後者は違う。これはドクターの趣味のようなものだと、長女であるウーノが苦笑していたのをウェンディは思い出していた。

曰く、彼を本気にさせる生け贄だ、とのこと。
タチが悪いっスねぇ、とウェンディは思う。

陸戦である自分は、エスティマ・スクライアと戦ったことはない。顔見せだけならしたことはあっても、空戦組のいう厄介な執務官と激突したことは一度もないのだ。
だからウェンディからしてみれば、エスティマにご執心のドクターや姉妹たちの心境がイマイチ分からないでいた。

「……っと」

デバイスを持ち上げ、頭部に向かってきた魔力弾を弾く。
深緑色の魔力光。どうやら優秀な狙撃手が一人だけいるらしい。こちらの気が緩んだ隙を狙って、呼吸を合わせるように弾丸を撃ち込んでくる。
……一向に獲物が現れねーっス。もうこれを倒して終わりにするっスかねぇ。

なんともやりがいのない仕事だ。もう一人の陸戦型であるノーヴェは、ターゲットの二人を相手によろしくやっているらしいのに。
それにしてもノーヴェのことだ。変に熱が入って、殺しているかもしれない。

スカリエッティがついでで指示を出した、タイプゼロの撃破。
しかしこれは、ノーヴェにとって意味のある相手なのを、ウェンディは知っていた。

髪の色こそ違うものの、同じ遺伝子提供者から生まれた同型モデルの戦闘機人。
もし何も事情を知らない者がノーヴェとナカジマ姉妹を見ればそういうだろう。

しかし、それ以外にも一つ。
ウェンディにはあまり分からない感情だったが、ノーヴェはタイプゼロの二人に嫉妬しているようだった。
そう、嫉妬だ。
ノーヴェ本人の口から聞いたわけではなく、面白半分にクアットロがいっていたのだが。

母親といえる者が身近にいるというのに、その愛情を与えて貰えなかった自分と、与えて貰っていたタイプゼロ。
培養ポッドの中で今も眠っているクイント・ナカジマへの思い入れが反転して、そのままタイプゼロに向かっているらしい。

いわれてみれば確かにそうだろう。
いえばもっと性能の良いデバイスをスカリエッティが作ってくれるはずだというのに、ノーヴェは骨董品のリボルバーナックルを使っている。
強化改造も何もせず、昔の状態のままで。

それにシューティングアーツなんて武術も自己流で学んでいたし。

そんなノーヴェの姿から、家族の絆は大切なのだろう、となんとなく分かる。
分かるが、ウェンディには理解することができないことだった。

自分たちには姉妹がいる。生みの親としてはちょっと……いや、かなりどうかと思うが、スカリエッティも。
家族というのならばそれで良いのに。偏屈な姉妹ばかりだけれど、一緒にいて充分に楽しいと思える。

「ん、これは……?」

顔を上げると、空を制圧してAMFを展開していたガジェットが、白い魔力光の砲撃で吹き飛んでいた。
長距離、広範囲の砲撃魔法。こんなことができるのは、八神はやてという魔導騎士のはずだ。

向こうも体勢が整ってきたらしい。あまり時間をかけると、形勢逆転もありえるかもしれない。
自分が負けるだなんて、ウェンディは微塵も思っていないが。

「撤退命令が出る前に、エース級をぶっ叩かないといけないんっスけどねー」

このまま出会うことができないのなら、やはりそこら辺に隠れている狙撃手をやってしまおうか。
それとも、マリアージュを叩いている高町なのはの方に行ってしまおうか。
そう思った瞬間だ。

視界には何もないけれど、センサーが接近警報を鳴らし、ウェンディはデバイスを真後ろへと叩き付ける。
重い手応えに、金属同士が噛み合う鋭い音。
デバイスを装着している右腕を振って襲撃者を弾き飛ばす。が、敵は間髪入れずに襲い掛かってきた。

クロスレンジは得意じゃないんスけどねぇ……!

四肢に力を込め、強化された筋肉と骨格が軋みを上げる。
ただそれは苦しみなどではなく、獣が伸びをするのに近い。

背後から飛び掛かってきた相手を見て、ウェンディは舌なめずりをする。
得物はトンファー……だろうか?
よく分からないデバイスをかまえた女。アームドデバイスだろうから、ベルカの騎士か。

ギリギリまでセンサーから隠れていたことから、高い隠密能力を持っていたことが分かる。
その癖、真っ向からやる気満々なのだから、少しはできるのだろう。

少なくとも、遠巻きから射撃を撃つしか能のない平局員よりは。

ようやく戦いらしい戦いができるとウェンディが息を巻いていると、今度は上空に魔力反応が出現した。

顔を上げると、夜空をバックに赤いバリアジャケットをまとった少女がいる。
彼女は肩に担いだデバイスをウェンディへと向けると、

「管理局だ。戦闘機人のⅩⅠ番、てめはここでぶっ叩く。
 もう好き勝手はさせねぇぞ!」

「ああ、アンタは守護騎士の……六課が本格的に出張ってきたっスねぇ。
 相手としても申し分なし、と……」

これで充分だろう。
ただ、今の今まで呑気に散歩をしていたせいで少し時間に余裕がない。

……最初から全力で行くっスかねぇ。

「……レリックコア、解放。出力全開」

呟いた瞬間、ウェンディの胸の内に眠るレリックと同化したリンカーコアが活性化。
それて、魔力を戦闘機人のエネルギーに変換するコネクタが、ギアチェンジを行った。

――戦闘機人Type-Rとは、レリックを埋め込み、戦闘機人のISと魔法の使い分けを行える存在である。
鋼の骨格に人工筋肉。遺伝子調整とリンカーコアへ干渉するプログラムユニットによって高い戦闘能力を持つ戦闘機人。
それを超える存在として生み出されたのが、Type-R。
AMF下でも戦闘機人としての性能を発揮でき、しかしそれ以上に、強化された肉体と魔法の力を持った人間以上の存在として戦場に君臨する兵器。

本来ならばISへのエネルギー供給だけで精一杯のリンカーコアは、レリックを得たことでそれ以上の機能を身体に宿らせる。
それは、魔法と機人の共生だ。

「――ツインドライブ、スタート」
























「な……!?」

シュラゲンフォルムの刃を戻そうとしたシグナムは、それがなせないことに声を上げた。
ギリギリとワイヤーが音を上げ、引き戻すことができない。

砲撃に匹敵する威力を持つ飛竜一閃を撃ち込んだ場所は、もうもうと粉塵が舞い、何が起こっているのか分からない。
しかし、手応えはあった。自分にできる最大威力の攻撃は、確かに相手を打ちのめした。

……そのはずだ。

このときほど、シグナムはバインドの使えない自分を恨んだことがなかった。
煙の向こうにいる敵は、どんな状態なのか。レヴァンテインを動かせない今、追加の攻撃を撃ち込むことだってできない。

「シグナム、気を抜いちゃ駄目よ!」

「……分かっている」

ダメージのたまっている状態でフルドライブを使ったせいだろう。ギンガの顔色は悪い。
いかに頑丈な彼女だろうと、堪えるのだろう。

しかし、原因はそれだけじゃないだろう。
煙の向こう側。そこからは、さっきよりも強い――激しいとすらいえる力の脈動を感じる。

「……やりやがったな」

ガラ、と瓦礫の崩れる音。
それを切っ掛けに、煙が徐々に晴れてゆく。

飛竜一閃を叩き込まれたビルは、クレーター状にヒビを走らせている。
コンクリートの塊が路上に転がり、シグナムの一撃が尋常ではない威力だったことを示している。

なのに――

ローラーブーツが地面を踏み締める音と共に、戦闘機人が一歩踏み出す。
左手に握られているのは連結刃の切っ先。
右腕のデバイスは、紫電一閃を受けて砕けている。

戦闘機人は右腕に目を落とし、今にも泣きそうな顔をしていた。
彼女は顔を上げると、右腕のリボルバーナックルを収納して片腕を素手にする。
そしてシグナムとギンガの二人を見据え、睨むと、

「もう決めた。ぶち殺す……!」

激情のこもった呪いを吐き出し、戦闘機人の足元にISのテンプレート――否、それと近代ベルカ式が混じったような、歪んだ魔法陣が展開する。
そして、弾けるように加速した。
反応するよりも早く、雄叫びと共に素手の右手がシグナムへと肉薄する。

刃を放されたことで、シグナムはレヴァンテインを振り上げた。
息を吹き返したように連結刃がビルの谷間に踊り、ある種の結界を形成する――
が、戦闘機人はそれを無視して、ひたすらに突撃してきた。

刃にシールドを削られるも、かまわない。いや、気にする必要はない。
火花を散らすがそれだけで、レヴァンテインは戦闘機人のシールドを破ることができないのだから。

「死にやがれ……!」

構えられた左のリボルバーナックルが唸りを上げ、シグナムへと向けられる。
咄嗟にパンツァーガイストの出力を上げるか、迎撃するかの二択が脳裏に浮かぶが、遅い。

「させない!」

「邪魔すんな!」

棒立ちになったシグナムを救うために、横合いからギンガが入り込む。
だが、戦闘機人はグリップ音を響かせて方向をズラし、かまえた左腕をそちらに突き出す。

そして、

「旧式がぁ……!」

左拳と左拳の激突。
両者とも砲撃魔法を発動させようとしていたのだろう。青紫と黄色の魔力光で編まれたスフィアが挟まれ、歪んだボールのようになる。
しかし、拮抗していたのは刹那だけ。
暴力的な質量を持つ黄色の魔力光が青紫を駆逐し、リボルバーナックルⅡに大きなヒビが走り――

「調子にのってんじゃねぇよ!」

「ぎ……!?」

物理破壊設定の砲撃魔法が零距離から、衝突したギンガの左腕を吹き飛ばした。
口から漏れた悲鳴は一瞬で、体勢を崩した彼女は吹き飛び、アスファルトの地面を転がった。

傷口は焼き切れたのだろうか。血は流れ出ない。
だからだろうか。シグナムには、ギンガの左腕が消し飛んだという事実に頭が追い付かなかった。

……何が?

目を見開き、横たわったギンガを呆然と見つめてしまう。
そんな自分を叱咤するようにレヴァンテインが何かをいっているが、シグナムには届かない。

柄を握る手がかたかたと震える。
どうやって……いや、違う、早くギンガを助けなければ。

意識してか違うのか、シグナムの頭から戦闘機人のことが抜け落ちた。

「ギン――!」

「おい」

ギンガに駆け寄ろうとしたシグナムにかけられた声。
それと同時に右手が伸びてきて、喉を掴むと共に持ち上げられた。

喉が詰まり、風船から空気の抜けるような音が喉から漏れる。
じたばたと足を動かし、レヴァンテインの柄で戦闘機人の腕を叩くが、ビクともしない。

そんなシグナムを見上げる戦闘機人の瞳は、憤怒で彩られていた。

「どこ見てんだ? てめぇの相手はこっちだろ?」

馬鹿が、と罵倒を吐きかけられ、リボルバーナックルがシグナムの腹に添えられた。
掌打でもなんでもなく、やんわりと、しかし、ギンガの左腕を破壊したのと同質の砲撃魔法と共に。

轟音と共に放たれる砲撃魔法。パンツァーガイスト、騎士甲冑を吹き飛ばし、腹に熱を感じた。
吹き飛ばされ、地面を不様に転がる。

息をすることすら忘れるほどの痛みが頭をかき乱し、視界が赤一色に染まったようにすら見えた。
生存本能といわれるものが作動したのかは分からないが、シグナムの身体はエスティマからの魔力を貪り、自動復旧を始めようとする。

だが果たして、この状況でそれは幸運といえるのだろうか。
傷の再生するむず痒さ。そこから生まれる気持ち悪さで、辛うじてシグナムの意識は繋ぎ止められていた。

地面に倒れたシグナムの耳に、ガシャガシャとローラーブーツの音が届く。
それにどうしようもないほどの恐怖を――そう、恐怖を感じて、シグナムは必死に身体を動かそうとした。
















「高町一等空尉、指定地区に存在していたマリアージュの殲滅を完了しました!
 ですが、先行していたマリアージュがマリンガーデンへ向かっています!」

「なのはをフェイトの方に向かわせてくれ……108のフォワードは?」

「……通信途絶。スクライア嘱託魔導師は未だ戦闘機人と交戦中、です」

絞り出すように吐き出したシャーリーの報告を聞いて、俺は机の下で拳を握り締めた。
向かわせたフェイトがトーレに足止めをされているせいで、シグナムたちは孤立無援。
いくら並の魔導師よりもランクが高いといっても、相手が悪すぎる。どんな状況になっているのかなんて、手に取るように分かった。

こうしている今も魔力は俺からシグナムに供給されている。魔力リミッターをかけられているせいで、潤沢といえるほどの量はないのに。
もし俺の魔力が切れたら――そう考えるだけで、すぐにでも現場に駆け付けたい衝動が込み上げてきた。

何が身内部隊だから安心できる、だ。だからこそこうして何もできない状態が辛いっていうのに。
……いや、六課はよくやってくれている。今までにないぐらいスムーズに敵を減らすことができているのだ。戦況そのものだって悪くない。
痺れをきらしそうになっているのは俺の勝手だ。シグナムに気を取られて、さっきから嫌な汗が止まらない。

「ヴィータ三等空尉とシスター・シャッハ、戦闘機人と交戦中。苦戦しています。
 ……ガジェットⅡ型、殲滅完了。八神一等陸尉からの通信が入りました。繋ぎます」

「……頼む」

『エスティマくん、こちらはやて。防衛戦が抜かれたみたいや。
 どないする?』

「マリアージュか」

『せや』

頷くはやて。
あまり彼女に単独戦闘はさせたくないのだが、今は仕方ない……のだろうか。

手駒が少ないということもあったが、防衛戦を抜かれたのはマリアージュをなのはで対応できると思っていた俺のミスだろう。
このままでは、マリンガーデンの海底になる遺跡に――
……遺跡? なんで俺は――そうか、そうだ、そうだった!

マリアージュ、イクスヴェリア、この時期ならばトレディア・グラーゼ。

忘れ去っていた事柄が、それを切っ掛けにして一気に思い出される。
けれど、それも今更だ。

悔しがる俺をどう捉えたのだろう。
俺を安心させるように微笑んで、はやては強気な声を上げた。

『大丈夫。任せてっていうたやんか。
 それとも、私じゃ頼りないっていうんか?』

「……すまない」

『謝る必要ないやんか。手が足りないのはしゃーない。
 それじゃ、あとでな!』

通信が切れる。彼女の顔が消えたディスプレイをじっと見ながら、たった今思い出した事柄を元に、これからの方針を修正。
イクスヴェリア、か……可哀想だとは思うが、最悪、連中にくれてやっても良い。どうせ使い物にならないのだから。
それに彼女は結社からすれば貴重なサンプルだろう。無闇に実験に使って壊すようなことはない……と思いたい。
いずれくるチャンスのときに救出すれば問題はない。

ならば、俺がやるべきことは一つだ。

「グリフィス、五分……いや、三分だけ席を外す。代理を頼めるか?」

「え……あ、はい。どちらに?」

「ロングアーチ00に連絡を取る」

「……分かりました」

消化不良、といったグリフィスの表情は当たり前だろう。
唯一公開されていないロングアーチのスタッフ。誰で、何をしているのかもさっぱりの人物にこのタイミングで連絡を取る理由なんて、誰でも気になるはずだから。

「ザフィーラ」

名を呼ぶと、戦術画面を見続けていたザフィーラが顔を上げる。
彼の目を真っ向から見つめながら、俺は口を開いた。

「リインフォースと一緒に、マリンガーデンへ行ってくれるか?」

『いいのか?』

「ああ。頼む」

『承知』

短く応え、ザフィーラは爪を床に打ち付けながら管制室をあとにした。
この状況になった以上、やるべきことはこれ以上湾岸地区に被害が広がらないことと、部下を失わないこと。
ザフィーラならば何があってもはやてを守ってくれるだろう。

奴らの目的云々は、切り捨てても良い。

……さて、俺も行かないとな。

ポケットの中の携帯電話を握り締めて、俺も続いて部屋を出た。




















「第四波……いくよ!
 フレース――ヴェルグ!」

ミッドチルダ式魔法陣から、長距離砲撃魔法が放たれる。
こちらへ向かおうとしていたガジェットⅡ型が直撃をうけ、破片すら残さず掻き消えた。

空のガジェットはこれで打ち止め。
ならば次に行うことは。エスティマに指示を仰ごうとしたとき、はやては視界の隅にマリンガーデンへと向かってくる集団を目にした。

……防衛戦を抜かれたか。地面に向かってフレースヴェルグは撃てへんしなぁ。
なら、着地してフォトンランサーを使うのが順当かもしれないが、マリアージュが質量兵器を搭載している事実を思い出し、はやては肩を震わせた。

「……なんてな。局員が犯罪者を怖がってどうするんや。
 エスティマくん、こちらはやて。防衛戦が抜かれたみたい。
 どないする?」

『……マリアージュか』

「せや」

返事をしたエスティマの表情は暗い。管制室が薄暗いということもあるだろうが、戦況のせいもあるだろう。
増援は望めない。ヴィータとシスターは戦闘機人と戦闘中。フェイトも同じく。なのはは今、フェイトの方向へ向かっている。
そして、シグナムとギンガは通信に出ない。

特に最後の二人が、心配でしょうがないのだろう。
できることなら助けに行きたい、というのが表情から見て取れた。

そんな彼を元気づけるように、はやては精一杯の笑みを浮かべる。
あなたがいなくても大丈夫なのだと、諭すように。

「大丈夫。任せてっていうたやんか。
 それとも、私じゃ頼りないっていうんか?」

『……すまない』

「謝る必要ないやんか。手が足りないのはしゃーない。
 それじゃ、あとでな!」

エスティマとの通信を切って、はやては地上に降下する。
音を立てて降り立つと、シュベルトクロイツの切っ先をマリアージュへと。
そして夜天の書を捲り、使用する魔法の項目を呼び出した。

「アルタス・クルタス・エイギアス……フォトンランサー、ジェノサイドシフト」

足元にミッドチルダ式の魔法陣を展開して、はやては意識を集中する。
だが、マリアージュの群れの中に人影を――小柄な少女と初老の男――見付け、戸惑いつつも術式を止めた。

……人? なら、物理破壊設定で撃つことはできない。だったら凍結させて……。
そこまで考えて、再び思考がズレる。

小柄な少女の影。ロングコートの下にきた青いボディースーツから戦闘機人だと分かる。
だが、はやてにとって彼女はただの戦闘機人ではなかった。

長い銀髪とその体躯は、しっかりと記憶に焼き付いた存在だから。
まだ三課で戦っていたとき、あの戦闘機人が出る度にエスティマの様子はおかしくなった。

首都防衛隊第三課が壊滅した事件に絡んでいる人物。それ以上のことをエスティマは教えてくれない。
ただ自分自身の手で捕まえて罪を償わせると、ずっと彼はいっている。
しかし、
……二人の間に何があったのか知らんけど、エスティマくんにとっては最大の心労の元や。

彼には悪いけど、必ずここで捕まえる。
ぎゅっと騎士杖を握り締め、はやてはマリアージュではなく、その群れの中にいる戦闘機人、チンクを睨み付けた。

『主』

『ザフィーラ?』

『今、そちらに転移で向かっています。リインフォースと共に。
 敵の相手は自分がするので、空で待機を』

ザフィーラをこっちに向かわせたのは、エスティマの指示だろうか。
……心配性な彼のことだ。充分に有り得る。

『……分かったわ』

口ではそういいながら、はやては地上へと降り立った。
よく分からないけれど……勘、だろうか。
あの戦闘機人は自分が捕まえなければいけない気がするのだ。
























マリンガーデンを背に、たった一人で立ち塞がる魔導師をチンクは見付けた。
闇夜に映える白い魔力光をまとう少女。あれは確か、エスティマの同僚だったと思い出す。

エスティマと共にずっと結社に抗い続け、今日まで闘い続けた歴戦の勇士。
ミッドチルダ地上部隊の、もう一人の切り札。

それが彼女についている肩書きだが、チンクにとっては違う。
……ずっとエスティマの隣に立って、共に笑い合っていた者。
戦闘が終わったあとにエスティマの姿を盗み見ようと思って、そんな二人の様子を目にしたのは一度や二度ではなかった。

そんな女が自分の前に立ち塞がるのは、なんの因果だろう。
苦笑を一つし、チンクは隣に立つトレディアに顔を向けた。

「どうやらまだ管理局の魔導師が残っていたようです。
 あれの相手は私がしますから、あなたはマリアージュと共にイクスヴェリアを」

「マリアージュを使って倒してしまった方が、手っ取り早いんじゃないかい?」

一理ある。むしろ当然か。そう思いながらも、いえ、とチンクは断りを入れた。

「マリアージュはあなたにとって貴重なものなのでしょう?
 ここは私に任せて、先に行ってください」

「……すまない」

相手を思いやるようにして、実のところはまったく違う。変なところがドクターに似てしまったのかもしれない。
マリアージュと共にマリンガーデンに向かうトレディアを視界の端で捉えながら、チンクははやてとの間合いを詰めた。

向こうもマリアージュに注意を払っているようだが、視線はチンクへと固定されていた。

「こんばんは」

「こんばんは、犯罪者さん。もう随分と長い付き合いやね。
 もうそろそろお縄についてもらってもええと思うんやけど」

モードⅡ、とはやてが呟く。
すると、騎士状が変形を開始し、十字を彩っていた円が消失。
近接用の十字槍へと変貌し、その切っ先をこちらへ向けてきた。

「私の記憶違いでなければ、八神はやて……お前は近接戦闘をしたことがないと思うのだが」

「手ほどきぐらいは受けとるよ。伊達に教会に所属してへんからな」

なるほど確かに、とチンクは頷く。
しかし、本当に言葉の通りなのだろう。

はやてが槍を構える姿は、基礎を終えたばかりの人間のように、どこか隙が見える。
とてもじゃないが威圧感も何もあったものじゃない。

そのていどの技量しか持たない者が戦闘機人に挑むなど、どれほど無謀か……三課に所属していたのならば、分からないはずがない。
それでも自分に向かってくるのは、何故だろうか。

……決まっている。

「悪いが、お前如きに負けるつもりはない」

「……如き、ときたか」

「ああ。私を負かせる者がいるとしたら、それはエスティマぐらいだろう」

瞬間、はやての瞳に剣呑な輝きが宿った。
それを見て、チンクはようやく彼女が自分に挑んできたことに納得する。

「訂正しよう……何故だろうな。お前には負ける気がしない」

「……上等や」

呟き、はやての足元に近代ベルカ式の魔法陣が展開する。
身体能力強化か、それとも別の魔法か。

懐からスティンガーを取り出して五指に挟み込み、両者は本格的な戦闘態勢に入った。










[7038] sts 八話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:d2eca28f
Date: 2009/08/20 21:57
「ええ……よろしくお願いします」

ロングアーチ00への連絡を終えると携帯電話をポケットに突っ込んで、俺は溜息を吐いた。
のんびりしている暇がないのは分かっている。すぐにでも管制室に戻らないといけない。

フェイトはトーレと。ヴィータたちはウェンディと。なのははマリアージュに。
そして……はやては、フィアットさんと、だ。

マリンガーデンへと辿り着いたマリアージュと共にいた彼女と初老の男。男の方はトレディアだろうか。確証はないが、そちらはともかく。
彼女の顔を俺が見間違えるわけがない。
彼女が戦場に出てきているというのに、俺はここから動けず。

唇を引き結んで、思わず制服の上からリングペンダントを握り締めた。

Type-Rよりも前のモデルとはいえ、彼女だって立派な戦闘機人だ。あの人とぶつかって、はやてが無事である保証はない。
ザフィーラが向かってくれてはいるが、もし間に合わなかったら……。

嫌な想像が頭を過ぎり、よりキツく手を握り締める。
あの二人が戦うところなんて、正直見たくもない。どれだけ巡り合わせが悪いんだ。

……いつまでもこうしちゃいられない。
俺は止まっていた足を管制室へと向け――その瞬間、ねらい澄ましたかのように携帯電話が震えた。

ロングアーチ00からかと思ってディスプレイを見れば、表示されていた名前はオーリスさん。
通話ボタンを押すと、冷ややかな声が届いた。

『スクライア三佐。戦闘中に管制室から離れるのは感心しませんね』

「……すみません。けど、なんでそれを」

『さきほど、そちらに連絡をしましたから。用事は一つだけです』

そこまで感情の籠もらない声で言い切ると、一拍置いて、オーリスさんは咳払いを一つ。

『今から五分間、結社によるジャミングで地上本部からそちらの様子を把握することができなくなるでしょう』

「……はぁ」

『ですから、勝手に限定解除などを行わないでくださいね、三佐。
 ……では、これで。中将は戦果を期待していますよ』

ブツリ、と通話が切れる。
今のは……やっぱりそういう意味だろうなぁ。

「規律に厳しいのか、違うのか。まぁ、形振りかまってられないのはどこも一緒だけどさ」

『急いでください旦那様。五分は、貴重です』

「分かっているさ」

釘を刺してくるSeven Starsを指先でつつくと、俺は今度こそ管制室へと戻る。
インチキだが、この五分で形勢を逆転できれば。
いや、するしかないんだ。


















リリカル in wonder

















沿岸地域上空。シグナムたちがノーヴェと戦っている場所からそれほど遠くない上空で、黄金色の魔力光とISの光が交差を繰り返していた。
バルディッシュを握り締めながら、フェイトは表情を歪ませる。

一瞬の交差のあと、トーレは鋭い弧を描いて、再びフェイトへと突撃してきた。
射撃魔法で迎撃を――そんな考えが浮かび上がるも、一瞬でそれを却下する。

もし兄ならば、稀少技能を使った上で射撃魔法を撃つことは有効だろう。
しかし自分では、相手の速度から考えて簡単に避けられるであろうことが予想できる。

なのはのように誘導弾を使えば、まだ戦いようがあるかもしれない。
しかし、誘導弾より直射弾を使い慣れている自分だ。この局面で不慣れな魔法を使う気にはなれなかった。

「くっ……バルディッシュ!」

『sonic move』

選択の末に使用したのは、得意といっても良いであろう魔法。
発動すると共に、視界が一気に引き延ばされる。

ハーケンフォームのバルディッシュを肩に担いで、お互いに得物を振り抜く。魔力刃とインパルスブレードが激突し、激しく紫電を散らした。
どうやら単純な推力ですら負けているらしい。トーレは両手に持った刃を交差させてバルディッシュを押さえ込み、そのまま押し出す。

フェイトは額に汗を浮かべながら、

『Plasma Lancer』

どういう形であれ動きを止めたトーレに射撃魔法を放とうとする。
スフィアが発生すると同時に、トーレは舌打ちしつつフェイトから離れた。

だが遅い。出来る限り最高の速度で生み出されたスフィアからは、即座にプラズマランサーが射出される。
が――

「射撃など、無粋な……!」

肉薄する黄金色の射撃魔法を、トーレはすべて切り払った。
再びトーレの番とでもいうように、彼女は右の突きをフェイトに放つ。
フォトンランサーを使用したため、フェイトは接近戦へ思考をシフトするのが一拍遅れてしまった。

主人の虚をフォローするようにバルディッシュがディフェンサーを発動。
魔力光とISが瞬いて、夜空を照らす。

光に照らされたトーレの顔は、フェイトとはまた違った意味で歪んでいた。
不満をありありと浮かべ、目を細め、彼女は歯を噛み締める。

「歯応えがない……手を抜くか、それとも私を侮辱するか……!」

とんでもない、とフェイトも目を細める。
もし地に足を着いて戦うのならば、長物を使っている自分が有利だっただろう。
しかし空戦で、小回りや速度は向こうが上だ。接近戦が得意といっても、それは速度あってこそ。
純粋な白兵戦の技量では、ベルカの騎士に及ばない。

違った歴史ならば、トーレとも良い勝負ができただろう。
しかしそれは、もしもの話だ。
はやてがガジェットを破壊したことでAMFは消滅しているが、それでもフェイトとトーレの間には、埋めがたい技量の差がある。

ディフェンサーに突き込んでいた刃を放し、トーレは距離を取る。
そして一気に加速をつけると、その勢いを乗せた刃をフェイトへと――

「どうすれば――分かった、バルディッシュ!」

肉迫するトーレを視界の中央に置いて、フェイトは彼女を見据える。

「フェイトお嬢様、引導を渡しましょう!」

そしてお互いの手が届くほどの距離まで彼女が近付くと、

『Full drive.
 sonic form』

高速でカートリッジが炸裂し、フェイトの姿が掻き消えた。
インパルスブレードが空を切り、トーレは目を見開く。
しかしすぐに我を取り戻すと、彼女は再び顔に獰猛な笑みを張り付けた。

「そうだ……それとやりたかった……!」

トーレの視線の先。フェイトの姿は、さきほどと違ったものになっている。
マントが消失し、服の両袖がなくなっている。厚手のワンピースを着たような状態。

真・ソニックではない、通常のソニックフォーム。ようやく出された限定解除により、この状態へと移行したのだ。
ハーケンフォームのバルディッシュを構えて、フェイトはトーレへと。

刃を交わす二人の間に、もはやスピードの差はない。
あるとしたらやはり、近接戦闘の技量か。

しかし今度は、フェイトがその差を力押しで誤魔化そうとする。
フルドライブとなり出力の上がった魔力刃でトーレのインパルスブレードと切り結ぶ。
が、一層、色を強めた魔力刃はインパルスブレードに食い込み、それを切断した。

「ハハ、これほどとは……!」

しかし、形勢が逆転しようとしている場面だというのに、トーレは一切怯まない。
むしろ笑みさえ浮かべている。

「まだ笑って……!?」

「当然ですとも! これが楽しくなかったら嘘だ!」

互角、もしくはやや不利となった状況だというのに笑みを浮かべるトーレが信じられず、フェイトは困惑する。
戦うことで楽しみを感じる。フェイトだってそういったことが全くないわけではない。しかしそれは、命のやりとりとは無縁な、スポーツ感覚でやる模擬戦などだけだ。
負ければ未来のなくなる実戦でそんなことをいう神経が、フェイトにはとても理解できなかった。

「私は純粋に戦いのを望む! そう、戦闘機人として!」

フェイトの瞳に、微かな哀れみが浮かんだ。
戦闘機人として。その言葉には、自分の存在をただ一つに定めているような響きがあったからだ。

「あなたは……」

――随分と昔。母親に認めてもらいたくて戦っていた、自分のように。
フェイトの目には、トーレがそう映ったのだ。

「投降してください。ちゃんと罪を償えば、あなただって……!」

「何を! これは、私が望んだことだ!」

しかし、

「戦闘機人として! 戦うことほど存在を充実させることはない!」

返ってきたのは拒絶の言葉だった。
自分が進まなかった――彼女は、自分が兄のお陰で踏み越えなかった一線の向こう側へ至った者なのだと、理解する。

「戦うだけの人生なんて……!」

しかし、理解したからといって納得できるわけではない。
黄金色の魔力光を撒き散らしながら、フェイトはハーケンを振るう。
トーレは半ばで断ち切られたインパルスブレードを交差してそれを受け止めた。

「それが私だ! 戦闘機人だ!」

バルディッシュを蹴り飛ばしてフェイトを弾くと、トーレは両手首のインパルスブレードと刀を再構築。
それに最大までエネルギーを回し、限界まで巨大化させた。

「確かに人として生きる、人並みの幸せを求める。そう願う者も中にはいるでしょう。
 しかし、私は違う! 戦闘機人であることに誇りを持っている!
 あなたの兄であるエスティマ様だって、この私と同じ存在だ!」

「……それは、それだけは聞き捨てならない!」

ギリ、とバルディッシュを握り締め、ハーケンとインパルスブレードが閃光を放ち、残光を放ちながら舞い踊る。

「兄さんはあなたなんかとは違う!」

「違いませんよ、お嬢様! あの人は戦ってすべてを手に入れる類の人間だ! すなわち、私と同類でしょう!」

「違う……! 兄さんは好きで戦ってなんかいない!
 ……そうだ。あなたみたいな人がいるから、兄さんは……!」

そうだ、とフェイトは叫びを上げる。
戦闘機人がどんな風に兄を捉えているのかは知らないが、フェイトにとって今の発言は許せなかった。
兄が戦っている理由を把握しているわけではない。しかし、戦うこと自体が好きではないことだけは分かる。

戦って色々なものを手に入れたのは結果にすぎない。本来ならば兄は、スクライアで自分と――兄妹に囲まれて過ごしていたはずだったのだ。
穏やかな日常がきっと似合う人。
だというのにずっと闘い続けているのは、目の前の――自分の欲求を満たすためだけに戦う者が後を絶たないから。

……許さない。

『Zamber form』

更にカートリッジを炸裂させ、フェイトはバルディッシュを変形させる。

「あなたは自分のエゴを押し通しているだけ……その歪み、ここで断ち切る!」

「吠えましたね、お嬢様!」

魔力光とISの光が、最高潮に達する。
両者は武器をかまえ、雄叫びを上げながら最高速で、引かれ合うように――

『フェイトちゃん!』

『なのは!?』

灼熱していた思考が、不意に届いたなのはの念話によって冷める。

『交差するタイミングに砲撃を撃ち込むから。上手く避けて』

『分かった!』

なのはの念話に返事をして、フェイトは神経を研ぎ澄ませる。
そして指定された、交差するタイミングに――

『Maneuver ON』

兄の技術である、慣性無視の機動を発動。
激突するタイミングの寸前で速度を殺さぬまま、直角に真上へと機動を変化させる。

その際のGに胃に酷い重みを感じたが、かまっている暇はない。

そして、指定されたタイミング。
インパルスブレードを空ぶったトーレへと、桜色の砲撃が突き刺さろうとするが――

「水入りか……!」

トーレもまた慣性を感じさせない動きで、まるでステップでも踏むかのように、紙一重で砲撃を避けた。

「今日はここまでに。フェイトお嬢様、また会いましょう」

「逃がすとでも……!」

後退しようとするトーレを追おうとするが、シグナムたちのことを思い出して、フェイトは動きを止める。
……そうだ。自分のなすべきことは、あの戦闘機人の相手じゃない。

去ってゆくトーレの後ろ姿を見ながら、フェイトは唇を噛んだ。

「フェイトちゃん、大丈夫?」

「うん」

「よかった。それにしても、あの戦闘機人……」

視線を向けると、なのははトーレの去った方に視線を投げていた。

「あのタイミングで避けるなんて……」

言葉には微かな悔しさが滲んでいた。
確かに、あれを避けるのは普通じゃないだろう。自分はなのはから念話があったから別だが、不意打ちの中距離砲撃を避けるなど普通ではない。

しかし彼女は頭を振ると、表情を改める。

「行こう、フェイトちゃん。シグナムたちを助けてあげないと」

「うん、なのは」

頷き、二人はシグナムたちの元へと。

急行しているフェイトの頭の中には、トーレの言葉が残っていた。
……違う。兄さんはあの戦闘機人と同類なんかじゃない。

「そうだよね、バルディッシュ」

『sir』

主人の問いを、バルディッシュは肯定する。
彼女のデバイスもまた、戦闘機人の発言に対して思うところがあるようだ。

そんな二人に、なのはは不思議そうな顔をする。

「どうしたの?」

「ううん、なんでもないよ」

















リリカル in wonder

















「この……!」

シュベルトクロイツを突き込むも、紙一重で避ける戦闘機人に、はやては焦りを覚える。
マリアージュはかかってこない。この戦闘機人は、一人で自分の相手をするつもりなのだろう。

熱くなっている一方で、冷静な自分がいる。戦闘機人の相手をしている場合ではないと、分かってはいる。
しかし目の前の少女を見ていると、どうしても堪えきれない衝動が身体を突き動かすのだ。

術式を構築しながら、敢えて魔法を使わず、はやては騎士杖を振るう。

「……センスがないな」

「余計なお世話や!」

横薙ぎしたシュベルトクロイツをバックステップで避け、チンクはスティンガーを投擲してきた。
それらをシールドバリアで弾いて、突撃。はやては大上段から騎士杖を叩き付ける。

チンクは前進することによって、刃を避けて腕で騎士杖を受け止める。
そしてボディースーツでロッドを受け流しながら接近すると、掌をはやての鳩尾へと。

咄嗟に騎士杖を引き戻して受け止めるが、その衝撃にはやてはたたらを踏む。
足元がふらついた瞬間を狙って、チンクは後ろ回し蹴りで足を払った。

衝撃の後、浮遊感。飛行魔法でなんとか体勢を立て直そうとするが、独楽のようにチンクは動き、縮めた足をバネにして跳び蹴りを。
今度こそ防ぐことはできず、胸に足裏が突き刺さった。
かは、と空気を吐き出しながら吹き飛ばされ、はやては地面を転がる。

騎士杖を支えに立ち上がろうとする自分を見据える戦闘機人。
構図そのままに見下されている気がして、どうにも我慢がならない。

……こうなることは分かっていた。自分が接近戦を挑めばどうなるかなんて。
しかし、

「まだまだ……!」

あまり痛みに耐性がないせいか、蹴られただけでも随分と響く。
萎えかけそうな意思を叱咤しながら、はやては立ち上がった。

「……まだ分からないのか? お前では私を倒すことなどできない」

「分からんなぁ。私、阿呆やなくても馬鹿やから。あんたを前にして引くことなんかできんわ」

「……そうか」

呟き、チンクは再びスティンガーを指に挟んだ。
間髪置かずに、それを投擲。しかし、投げナイフていどで破れるほどはやてのバリア出力は低くない。六課でも上から数えた方が早いぐらいなのだから。
甲高い音を立てて弾け、地面に転がるナイフを見ながら、はやてはマルチタスクの一つを使って目の前の戦闘機人を分析する。

それも、戦闘とはまったく関係ない、不謹慎な用途で。

……外見は、まぁ悪くない。小柄というよりも子供な身体も、そっち方面の趣味な人なら喜ぶだろう。
エスティマにそっちの趣味は――まぁ、ないだろう。ずっとシグナムの面倒を見ていたのだし。考えたくもないことだけれど。
性格はどうなのだろうか。まず間違いなく最悪だとは思うけれど、それは敵として対峙しているからなのかもしれない。

もっとも……エスティマがこの戦闘機人に惹かれているなんて、まだ分からないことだけれど。
この戦闘が終わったらきっちり聞き出そうと、決める。

「いいのか? マリアージュのことを放っておいて」

「さて、なぁ」

術式を構築しながら、はやては完全に立ち上がる。再び騎士杖をかまえると、呼吸を整えた。

「それにしても、随分と余裕やね」

「本気を出すまでもないだろう?」

「はっ、優位に立ってると思い込んでるんか」

「実際にそうだろうさ。……八神はやて、お前を殺しはしない。
 ただ私の勝手で、圧倒はさせてもらう」

「できるもんなら。その余裕も、今になくしてやるわ」

切っ先を戦闘機人に向けて、はやては慣れない調子ながらも魔力刃を形成する。
どう考えても悪足掻きだ。魔力刃なんて滅多に使わないから、慣れていないせいで余計な負荷がかかる。

そして、それは見透かされているのだろう。
戦闘機人は微かに片眉を持ち上げただけで、別に興味もないといったように、戦闘態勢を維持した。

『はやて、何をしてるんだ! 一人でその人の相手をするだなんて――』

唐突にエスティマから通信が入る。当たり前だろう。ザフィーラがくるまで上空で待機しているはずだった自分が、こうして地上で戦闘を行っているのだから。
そんな報告を受ければ、焦りに焦った彼が通信を入れるのも無理はない。
わがままを押し通して悪い、と思う一方で、一つ、気に障ることが。

……その人?

敵をそんな呼び方するなんて、どういうことなん?
今すぐにでも聞きたくはあったが、すべてはこの戦闘が終わってからだ。

『はやて!』

通信に応えず、はやては再びチンクに向けて騎士杖を突き出した。
魔力刃によってリーチは伸びた。それを利用して、ひたすらに突きを繰り出す。

しかし戦闘機人には当たらない。長い髪を翻しながら、ステップを踏んで彼女は避け続ける。
そして再びチンクは接近して――

――今や。

騎士杖をかいくぐり打撃を叩き込まれる刹那、はやては意図的にリアクターパージを発動させる。
さすがに向こうも予想はしていなかったのだろう。
バリアジャケットの爆ぜた勢いに、二人は弾き飛ばされる。

上着を失い、黒いボディースーツと、頭にベレー帽を引っ掛けているだけとなったはやて。
彼女は地面を転がりながらも、接近戦を挑んでいる最中に構築し続けていた魔法を発動させる。

「……チェーンバインド」

トリガーワードを呟いた瞬間、地面にいくつも設置された魔法陣が展開する。
そこから伸びたバインドが戦闘機人に巻き付いて、チンクを締め上げた。

「形勢逆転やね。私を甘く見てるからそういう目に会うんよ」

「くっ……このていど!」

ギリギリと音を立ててバインドが一本一本引き千切られる。
しかし、

「ストラグルバインド」

あらかじめ設置しておいたバインドを更に発動。チンクを雁字搦めにして、動きを止める。
締め上げられ、チンクの顔が苦痛に歪む。

それを見据えながら、はやては砲撃魔法の構築を行う。

「チェック。私の勝ち――」

そして戦闘機人を昏倒させようとした瞬間、嫌な機械音に気付いてはやてはフィールドバリアを展開した。
次いで、衝突音。威力を殺しきることができず、バリアを展開しながらもはやては吹き飛ばされる。

見てみれば、自分を狙ってきたのはマリアージュだった。
数は随分と減っている。残りはどこへ行ったのか。

一撃飛んできたことを切っ掛けに、マリアージュから次々と質量兵器による砲撃が届く。
傾斜をつけて生み出したシールドバリアでそれを防ぐが、完全に防ぐことができない。

徐々にヒビの入るシールドに顔を歪め、どうするかと思案する。
やはり空へと上がるのが一番だろう。しかし、ここから離れてせっかく捕まえた戦闘機人を取り逃がしてしまいたくはない。

どうするか。そう考え――

僅かな照明しか残っていないマリンガーデンが、光に照らされた。

「きたか」

『主……上空で待機していて欲しいとあれほど……』

呆れと焦りの混じった念話。送ってきたのはザフィーラだ。
上空に生み出された光の繭が弾けると、その中から大きな影が地上へと落ちてくる。

僅かな音を立てて降り立ったのは、白い毛並みの狼だった。
リインフォースとのユニゾンを果たし、体色を変えたザフィーラ。
彼は敵であるマリアージュをざっと流し見ると、顔を僅かに上げる。

そして、咆吼を上げた。
普段の人の声ではなく獣の声帯から発せられたウォークライ。

敵を威嚇するための叫びと共に、ユニゾンザフィーラはマリアージュへと突撃する。
雨のように降り注ぐ砲弾は、ザフィーラの前面に展開したバリアに弾かれる。

質量兵器による攻撃をものともせずに、ザフィーラは近くにいたマリアージュへと襲い掛かった。
迎撃のためにマリアージュの腕が変形する。肘から先を鋭い刃と成す。
が、それを軽やかに避け、ザフィーラはマリアージュの喉笛に噛み付いた。

鋭い牙が肉を断ち、そのままザフィーラは敵を頭から地面に叩き付ける。
ブチブチと肉を噛み千切って顔を上げると、次の獲物へ。
倒れ伏したマリアージュに背を向けた瞬間、動きを止めたそれは、地面から生えた無数のライトブルーの刃によってバラバラにされた。

四肢を動かし、ジグザグに移動しながらザフィーラはマリアージュへと躍りかかる。
あと一歩で、という距離にまで近付くと、四肢を縮めて地面に這うように。
そして飛び掛かり、今度は前脚をマリアージュの腹へと叩き付けた。

猫や犬が前脚で飛び掛かるのならば、それほどの衝撃はないだろう。
しかし、大型犬よりも尚巨大なザフィーラが加速して突撃すれば、どれほどの重さが乗るだろうか。

ザフィーラによって吹き飛ばされたマリアージュは、近くにいた味方に衝突。
そしてまた、地面から生えたライトブルーの刃によってバラバラに解体される。

マリアージュを圧倒するザフィーラの姿を見て、さすが、とはやては感心した。
やはり自分と違って接近戦を得意とする者は迫力や戦い方が違う。

……さて。

「戦闘機人さん。こっちの勝ちは確定したようなもんや」

「そう思うか?」

声をかけると、バインドで拘束されたチンクは僅かに口の端を持ち上げた。
そんな状態で強がるなんて、と思いながら、はやては気を引き締める。

「……さて、聞かせてもらおうか。なんの目的があって、あんたらはマリンガーデンにきたんや?」

「海底遺跡だ。そこに眠るロストロギア目当てに、私たちは攻め込んだ」

「へぇ、素直に教えてくれるんか?」

「ああ。……私たちの勝ちだからな」

その言葉にはやてが、何を、と思うよりも早く。
チンクは足元にテンプレートを展開する。

「IS発動、ランブルデトネイター」

その上、

「……自爆しろ、マリアージュ」

「なっ……!? ザフィーラ、防いで!」

しかし、遅い。
はやてたちができたことは、己の身を守ることだけだった。

チンクがはやてとの戦闘で撒き散らしたスティンガーと、ザフィーラに一方的に蹂躙されていたマリアージュが、閃光を放ちながら爆発する。
そして同時に。

先行し、地下に潜ったマリアージュ。マリンガーデンを支えている柱に取り付いた彼女たちもまた、爆ぜた。
爆炎と轟音に続いて、金属の軋む音がマリンガーデンに響き渡る。

そして――

海上に建てられていたマリンガーデン。その一部のフロアは崩壊。
はやてたちはそれに巻き込まれた。




























グラーフアイゼンを両手で掴み直して、ヴィータは荒い息をなんとか整えようとしていた。
ちら、と視線を横に流せば、ヴィータと同じように息を荒くしたシャッハの姿が見える。

二人はデバイスを構えつつも、攻めあぐねている状況をどう打破しようかと念話を交わしていた。

『どうするシスター。五分だけだが、限定解除の許可が下りたぜ』

『ギガントですか……あまりオススメはできませんね』

『同感だ』

ヴィータの握るグラーフアイゼンは、第一形態のハンマーフォルム。
思うところがあり、彼女はそのままの形態で闘い続けている。

「どうしたんスか? こないならこっちから行くっスよ?」

その二人に対して、場違いな陽気な声が浴びせられた。
戦闘機人、ナンバーズType-Rのウェンディ。

彼女はデバイスの先端を二人に向け、足元にテンプレートとミッドチルダ式の魔法陣が混ざったような、歪んだものを形成する。
そして、宙には魔力光と共に無数のスフィアが浮かび上がった。
十や二十じゃきかない数。直射弾だからといっても、これだけの射撃魔法を制御できるのは流石に戦闘機人か。

「ほら、上手く避けるっス!」

丁寧にも掛け声を添えられ、一拍遅れて一斉にスフィアが瞬く。
射撃魔法の発射速度は、早い。それに威力も高いといっていいだろう。

ヴィータとシャッハはその優れた反射神経を使って、ビルの合間を動き続けながら魔力光のシャワーを避ける。
……ずっとこんな感じだ。

射撃型の戦闘機人。一撃の重さはないものの、大量のスフィアから放たれる射撃魔法は、厄介なことこの上ない。

「……っと!?」

射撃魔法が放たれて生まれた一瞬の隙を突いて、ビルの狭間から深緑の魔力弾が放たれる。
戦闘機人の気が逸れた。ヴィータは瞬時に魔法を構築し、

「アイゼン!」

『Pferde』

射撃魔法の弾道を読み切り、移動魔法を発動して、隙間を縫うようにヴィータは急接近する。
視認の難しい、人によっては不可能な速度。
だというのに、戦闘機人はヴィータを目で追う。

そして振るわれたアイゼンに合わせてデバイスを持ち上げ、ハンマーを盾ともサーフボードとも見えるそれで受け止めた。
重い手応えを感じながら、ヴィータは顔を歪める。

……やっぱりそうだ。エスティマのデバイスと打ち合った感じに似てやがる。

ベルカ式の使い手である二人は、どうしても非殺傷設定での攻撃で犯罪者を捕まえるのが不得手である。
そのため、相手が魔導師である場合はデバイスの破壊をしてから戦闘能力を奪う、というのが常套手段なのだが、それが戦闘機人には通じない。

どんな材質なのだろうか。どれだけ打ち込んでも、傷こそつくが破壊はできない。
ギガントならば破壊できるのか? しかし、それは分の悪い賭けだ。
破壊できるか分からないもののために速度を犠牲にして取り回しの悪い武器を持てば、今度はあの弾幕を抜けられるかが微妙。

しかし、戦闘機人本体を狙って攻撃しようにも、異常といっていい反応速度で絶対に防がれる。
現に、

「――烈風一陣!」

戦闘機人の意識がヴィータへと向いている隙を突いて、シャッハが地面から飛び出し、ヴィンデルシャフトを一閃した。
しかし、それも防がれる。甲高い音と火花を散らして敵のデバイスを削るが、やはり破壊できない。

迎撃に放たれた射撃魔法を避けて距離を取ると、二人は再び息を整えるべく戦闘機人の様子を窺った。
もう長期戦は覚悟の上だ。あれだけ派手に魔法を使っているならば、向こうが先に息切れをするだろう。

それまで食らい付いて、なんとしてでも一撃を叩き込まなければ収まらない。

そんなヴィータたちを余所に、攻撃を防いだ戦闘機人は、未だに余裕を見せている。

「あちゃ、外装が……」

やるっスねぇ、と呟いて、戦闘機人はデバイスに声をかけた。
瞬間、デバイスの外装が剥がれ落ちる。

露わになったフレームは、金一色。傷は一つもついていない。
それを見て、やっぱりそうだ、とヴィータは確信した。

戦闘機人の使っているデバイスは、エスティマが使うインチキ臭いデバイスと同じ系列なのだろう。
魔力を込めれば込めるだけ、その性能を増す代物。盾という形状は、材質である液体金属の特性を最大限に生かしているかもしれない。

戦闘機人は予備の外装を虚空から呼び出し、デバイスは新品同様の状態へと戻る。
また振り出しかと、ヴィータたちはどうしても気を重くしてしまう。

誘導弾を使おうにも、向こうの射撃能力が高いため撃ち落とされる。その上、手数は負けている。
シスターも、ベルカの騎士らしさがこの戦いでは裏目に出ている。近接戦闘に特化した彼女と射撃戦に特化した戦闘機人が相手では分が悪い。
そして、二人の持つ一撃の威力も、優れた反射能力とあの胡散臭いデバイスによって防がれる。

手詰まりというわけではない。しかし、分は悪い。
もしこの場にいる面子が違うのならば、とヴィータは歯噛みする。

決してシャッハが悪いわけではないし、ましてや、弱いわけでもない。
だが、高い防御能力を持つ敵を相手にするには、フロント二人だとどうしても手数や使える手段が少なくなる。

せめて近接戦闘ではなく、サポートに特化した味方が一人でもいれば……。
そんな風にどうしても考えてしまうのだ。

「んー、なんだかお二人とも、お疲れのようっスねぇ。
 もうそろそろトドメを刺して、楽にしてあげるっスよ」

重い音を上げて、戦闘機人はデバイスを構える。そして歪んだ魔法陣を展開し、彼女の周囲にいくつものスフィアが浮かんだ。
射撃魔法ではない。あれは、機雷か何かか。

二人はデバイスを握り締め、相手の出方を窺う。
向こうが決めるつもりならば、こちらはそれを凌ぎきって一撃を叩き込むだけだ。

魔力光がビルの合間に満ち、緊張が臨界寸前にたっしようとする。
その時だ。

「……えぇ? 撤収っスかぁ?
 んー、分かったっス」

スフィアは解除されないが、戦闘機人はデバイスを下ろすと、溜息と共に肩を下げた。

「んじゃ、さいならっス。また会うことがあったら、その時こそはトドメを刺してやるっスよ」

それじゃー、と陽気な声と共に、戦闘機人は手を振る。
そして、なんの前触れもなく彼女の身体が地面に吸い込まれた。

僅かな波紋と共に、ずぶずぶと吸い込まれてゆく。
呆気にとられたシスターはすぐに我を取り戻して後を追おうとするが、ヴィータはそれを手で制した。

「一人で行っても無茶だろ」

「ですが、ヴィータ……!」

「分かってる。分かってるよ」

キツく手を握り締め、ヴィータは戦闘機人の消えた地面を睨み付ける。
見逃してもらった。そういう形になるだろう。
倒されもせず、倒せもせず。まるで情けをかけられたような形。

ベルカの騎士である二人にとって、それはこの上ない屈辱だった。































うっすらと開いた目へ最初に飛び込んできたのは、黄色い照明に照らされたコンクリートの残骸だった。
何があった、と思い出しながら、はやては頭を押さえつつ起き上がる。

「……起きたか」

「ん……って、あんたは!?」

声のした方を向き、はやてはシュベルトクロイツを握り締め――ようとするが、手元に騎士杖の感触はない。
バリアジャケットこそ着ているものの、武器はないようだ。

なんで、と考え、爆発に巻き込まれたことをはやては思い出す。
ならばここは瓦礫の下だろうか。デバイスがなければ、脱出は難しいかもしれない。

そんな風に現状を確認するはやてに視線を向けているのは、戦闘機人のチンクだった。
彼女は瓦礫の一つに腰をかけて、開いた胸元から取り出したアクセサリーを指で弄っていた。

チリン、と涼しげな音を上げるリングペンダント。
見覚えのあるそれを目にして、はやては瞳を揺らめかせた。

……なんでエスティマくんと同じ物を。

そんな言葉が喉元まで出かかるが、彼女は必死に我慢した。

再びはやては現状確認に戻る。
今の自分がいるところは、てっきり瓦礫の隙間だと思っていたが、どうやら違うようだ。

戦闘機人を中心にして発生しているバリアフィールド、だろうか。それが瓦礫を押し退け、自分たちを守っている。
パラパラと当たるコンクリート片に嫌な予感を抱きつつも、はやては戦闘機人に視線を向けた。

「……自分で爆破したのに生き埋めか。世話ないなぁ」

「予定どうりだ。脱出手段はある」

「そか。ところで、私に捕まるっちゅー可能性は考えとらんの?」

「やってみればいい。そのときは即座にハードシェルを解除するが。まぁ、押し潰されて終わりだろうな」

なんとも単純な脅しだ。
八方塞がり。戦闘機人も自分も、救助を待つしかないようだ。

ザフィーラは大丈夫だろうか。リインフォースとユニゾンしているからあのていどの爆発でどうにかなるとは思えないが、心配なものは心配だった。
それにしても、命令無視してその挙げ句にこの様。
なんとも酷い話だ、とはやては自嘲する。
今なら、人が散々口を酸っぱくしても言うことを聞かなかったエスティマの気持ちが分かるかもしれない。

「……八神はやて」

「なんや?」

「エスティマは元気にしているか?」

「……なんでそんなこと」

「言いたくないのならば、別にいい」

そういって、戦闘機人は再びアクセサリーを弄った。
軽やかな音を立てるそれに、はやてはじっと視線を注ぐ。

それに気付いたチンクは、微かな笑みを浮かべて――はやてにはそれが、どこか勝ち誇っているように見えた――口を開いた。

「どうした?」

「……その、リングペンダント」

「ああ。これがどうかしたのか?」

「私の知り合いに、それを持ってる人がいるんや」

「そうか。奴はまだ持っているのか」

そういって、くすくすとチンクは笑う。その笑みが、今まで見てきた戦闘機人の表情とは別の性質込められているようで、はやては呆気にとられた。
子供というには少し無理があるが、それでもその無邪気さは童女のよう。
なんでそんな顔を――そう考え、エスティマのことだからだ、とはやては判断した。勘で。

「……その人とあんたは、どういう関係なんや?」

「どう、とは?」

「そのままの意味。犯罪者のあんたと、局員の彼にどうして繋がりがあるんや?」

「どうしてだろうな。犯罪者だから……というのは言い得て妙か」

いいながら、戦闘機人は何かを思い出すような顔付きになった。昔を懐かしんでいるような表情だった。
それがどうしてもはやてには癪だった。

「……その人な。多分、あんたのことで気を病んでる。
 あんたが思ってるより、ずっと。そんな顔ができるのは、それを知らんからや。
 なんのつもりなん? 後生大事にそんなもん首に下げて。
 あんたは彼のなんなんや」

「私はアイツの……」

そこまでいって、チンクは言葉を止めた。
先を聞きたいような、そうでないような。ぐるぐるとよく分からない感情が胸の中で渦巻く。

そして、

「おそらく、大切な人間だろう」

その一言で、はやての我慢は限界に達した。

「それが分かってる癖に、あんたは何をしとるんや!
 自分がどれだけエスティマくんの心の中で場所取ってるか……分かってる癖に!」

「ああ、分かってる」

「だったらなんで早く捕まらないんや!? あんたが逃げ続けている限り、エスティマくんはずっと宙ぶらりんな態度を――
 そう、あんたのせいで……っ」

この戦闘機人とエスティマの間に、何があったのかは分からない。
しかし、一つだけ理解した。

結社と対峙し続けている生き方も、一途に誰かを想い続けているような態度で、他の人にギリギリでなびかないのも、すべては目の前にいる敵のせいだと。
自分の勝手でエスティマを苦しめるその態度に、はやてはたまらなくなった。

しかし、それはチンクも分かっているのだろう。
眉尻を下げ、俯き加減に、彼女は口を開く。

「……アイツが決めたんだ。自分の手で私を捕まえる、と。
 ならば私はその通りにしようと決めたのだ。
 他の誰にも捕まらず、ただアイツが私に辿り着くのを待とうと。
 ……それでアイツが納得するなら、私はそうしてやりたい。アイツの意思を尊重してやりたい。
 それがアイツの信頼を裏切った私にできる、アイツに対しての罪滅ぼしだ。
 ……そうだ。私はアイツの望むことすべてを、受け入れてやりたい」

自分の意思ではなく、エスティマにすべてを委ねると。
そう、チンクはいう。

言葉尻や表情、雰囲気から、はやては目の前の敵がエスティマを想っているのだと確信した。
しかし、その在り方がどうしようもなく気に入らない。

待つだけで自分からは一切動かない。それなのにエスティマの心に住んでいる戦闘機人。
彼女のやっていることは、まるではやてのことを嘲笑っているようだから。

……始まりは本当に些細なことだった。偶然といってもいいだろう。
しかしそこから少しずつエスティマ・スクライアという人間を知っていって、駄目なところも引っくるめて魅力的に思える彼に振り向いて欲しくて、色々なことしてきた。

けれど、背中は手の届く場所にあるというのに、どうしても肩を掴んで振り向かせることができない。
きっとエスティマの視線の先には、この戦闘機人がいるのだろう。

……まるで今までやってきたことが全て無駄だったといわれたような、そんな気分だ。

「……なぁ」

「ん?」

「アンタはエスティマくんのことを、どう思ってるんや?
 彼がどう思っているのかは、この際どうでもいい」

「……私、は――」

「私はな」

自分から話を始めておいて、はやてはチンクの言葉を遮る。
瞳に激情を乗せながらも、淡々と声を出す。

「私は、エスティマくんのことが大好き。
 彼は本当にしょうもない人で……けど、しょうもないのは、どうしても大事なことを優先してしまうから。
 私は彼のそばで、取りこぼしたことのフォローをしてあげたい。
 そして、目指していたものを掴んだとき、誰よりも早く祝福してあげたい。
 そう……今までそうしてきたし、これからもそうするつもりや。
 折れそうな心を必死に保って、歯を食いしばる彼の横顔が、笑顔になるように」

 だから、とはやては置いて、

「その邪魔をするのなら、私は容赦せんわ」

「……お前がどう思おうと関係ない。私がどう思おうとも。
 選ぶのはアイツだ」

「せや。だから……エスティマくんが誰かを選ぶまで、私は彼の側に立つ。
 敵であるアンタにできんことをな」

リングペンダントを握り締めるチンクと、毅然とした態度を取るはやて。
二人は視線を絡ませたまま、まるで先に逸らした方が負けとでもいうように、睨み合っていた。
































湾岸地区の一角。フェイトとなのはが目指している場所では、未だシグナムとノーヴェの戦闘が続いていた。
いや、もはや戦闘ではないか。

レヴァンテインを構えるシグナムには、既に活力というものが残っていない。
目に宿っているのは濃い疲労のみで、闘士ももはや萎えかけている。

ギンガは戦闘機人に腕を吹き飛ばされたっきり、起き上がらない。
たった一人でノーヴェの相手をし続けている状況が、シグナムの精神をごっそりと抉ってゆく。

「おら、どうした? もう限界か?」

返事をする余裕もない。ひどく手を抜かれた拳をレヴァンテインで受け流す。
が、そこから続いた回し蹴りに反応できず、横っ腹に打撃を受ける。

バリアジャケットの上から響く衝撃に、顔を歪め――
顔面を左手に掴まれ、持ち上げられ、そのまま地面に叩き付けられる。

後頭部への衝撃で意識が明滅し、全身の疲労も相まってこのまま気絶したいと、誘惑にかられる。
そうすればどれだけ楽だろう。もうこの戦いとも呼べない蹂躙と目を合わす必要もなくなる。

――しかし、

ここで負けてしまったら……そう、負けるわけには。
もう力では戦闘機人に勝てないのだと、理解してしまった。磨いてきた技術も圧倒的な力を前に、粉砕されたのだ。

けれど、戦うしかない。私は守護騎士だ。
守る対象がいるならば、それを守るのが役目で……それを果たせないのならば、父上の守護騎士になどなれるはずがない。

「ぐ……っ」

意識が飛んでいた。
走馬燈のように何かを考えていたような気がしたが、シグナムは深く追求せず、身体を動かした。

「流石はプログラム。頑丈だな」

顔に押し付けられた戦闘機人の腕を掴んで、レヴァンテインで相手を突き刺そうとする。
が、腕に力を込めた瞬間に手首を踏みつけられた。

ローラーブーツのブレードがギロチンのように、手首へと填り込む。
骨を砕かれそうな感触と痛みに息をするのも忘れ、シグナムは喘いだ。

「これで終わりにしてやるよ……」

押し付けられた指の隙間から、戦闘機人の拳にスフィアが形成されたのが見えた
魔力の集束する音と、瞬く魔力光。

どこへ撃ち込まれるのだろうか。そこにパンツァーガイストを集中すれば、防げるだろうか。
……不可能だ。

諦めに心を蝕まれ、ついにシグナムはレヴァンテインから手を離す。
目を閉じ、そして砲撃魔法が放たれようとして、

「そこまでにしておけ」

野太い声と共に、魔力の集束する音が止んだ。
何が、と目を開けば、さっきまでいなかった長身の男が戦闘機人の腕を掴んでいる。

フードで顔が隠れているため、鼻から下しか分からない。誰だ、と思う余裕もなく、シグナムは戦闘機人と男を見ていた。

「……なんだよオッサン。アンタの出番はないはずだろうが」

「あるていどは好きに動くことを、お前たちの親から許されているものでな。
 ……撤退命令が出たぞ。それに、ここもじきに包囲される。
 遊ぶのは勝手だが、お前が余計な手間をかけたことで味方に損害が出ると思わんのか?」

「……ちっ」

舌打ち一つし、ノーヴェはシグナムを解放し、立ち上がった。
ノーヴェから離されたシグナムだが、もはや戦う気は失せている。
呆然と二人を眺めることしかできなかった。

二人の身体は紫色の魔力光に包まれる。法陣こそ出ていないが、じきに転送が始まるのだろう。
そのとき、シグナムは自分に視線が注がれていることに気付いた。

フードを被った長身の男。彼は口を開かず、じっとシグナムを見ている。
向けられた目がどこか柔らかい気がして、馬鹿な、と思った。

戦闘機人を止めてくれはしたが、相手は敵だろうに。

そして、周囲に魔力光が満ちると、二人の姿は掻き消えた。
たった一人残ったシグナムは、気絶したギンガ以外の誰もいない空間で、のそのそと起き上がる。

そして地面に転がったレヴァンテインを手に取ると、それをぎゅっと抱き締めた。

胸に鍔元を押し当てて、ぎゅっと目を瞑る。
戦闘の最中からずっと堪えていた様々な感情――恐怖や悔しさ。そういったものが溢れ出して、我慢の限界を超えた。

「くっ……ううっ……レヴァンテイン、私は……」

『……』

嗚咽を漏らす主人に対して、レヴァンテインは何もいわない。
いえる言葉を持たない。

「私は……っ!」

磨き続けた技を破られ、父から借りた力も届かず。
挙げ句の果てには、あの男が止めなければ、死すらも受け入れようとしていた。

この様で何が守護騎士だろうか。何を守れるというのだろうか。

「私は…………守護騎士に、なれない……」

ぽつり、と呟いた言葉。
誰にも聞かれることのなかった声は、いやに響いた。










[7038] sts 九話 上
Name: 角煮◆904d8c10 ID:8544082d
Date: 2009/08/28 21:57

上階から響いてきた轟音を聞き、トレディアは脚を止めて天井を見上げた。
どうやら予定通りに進んでいるようだ。

この作戦で1マリアージュの役目は、局員の足止めと、このマリンガーデンへ侵入した際の障害の排除。
海底トンネルからでは遺跡に進むことはできない。マリンガーデンの地下にある、まだ管理局が発見していない地下空洞を通る必要があるのだ。

だが、その上に建っているマリンガーデンが邪魔だ。埋め立てられた通路を開くため、トレディアはマリアージュを自爆させて道を開いた。
上のフロアを崩壊させたのは、単純に管理局がこの場所を発見しないようにする必要があったからだ。

フロアが崩壊したことで管理局が地下に進むことができなくなったとしても、結社は別。
無機物の中を自由に行き来できるISを持つ戦闘機人を保有しているので問題はない。

トレディアは一人、地下空洞をゆっくりと進む。
ここへ来るために、すべてのマリアージュを使い果たしてしまった。

しかし、問題はない。イクスヴェリアを確保すればマリアージュなどいくらでも調達することができるようになる。
マリアージュのコアを生成する古代ベルカ、ガレアの王。あれを手に入れることができれば、無尽蔵の兵器を手にすることに繋がる。
人の手を汚すことなく戦う屍兵器の持つ圧倒的な火力と物量。それさえあれば、オルセアで今も続いている内乱に終止符が打てるだろう。

「……なんとしても手に入れてみせる」

あれさえあれば。延々と争いが続き、泥沼と化している世界に平穏を取り戻すことができる。そのはずだ。

マリアージュとイクスヴェリアを見付けるまで、トレディアはオルセアに数多ある勢力の一つに身を寄せていた。
その勢力が掲げていることは――といっても存在するすべての組織が似たり寄ったりの主張をしているが――ただ争いを終わらせようとするために、手段を模索している。

今まで、マリアージュを見付けるまで何もしていなかったわけではない。
話し合いによる解決など、いくつもの手段を試してみた。
けれど、その結果は今も続いている紛争という形で答えが出ているのだ。

終わりの見えない戦争に、オルセアという世界は疲弊しきっている。管理局の介入すらも拒んで、閉じた世界で争いを続けている。
そして、その争いを続けている者たちはもう、引き返せない場所まできてしまっているのだ。
あまりにも多くの血が流れすぎてしまっために、もはや和平など考えている者は鼻で笑われるか、軽蔑されるかのどちらかだ。
怨恨の蔓延した故郷を救う手段は、もう力ずくで……それしか残っていないのだ――そう思うからこそ、トレディアはイクスヴェリアを求めている。

痛みを受けたから痛みを返す。そんな我慢という名の理性を忘れ去った者たちに、本当の痛みというものを思い出せさてやるのだ。
そうすればきっと、今度こそ人は争いがどれだけ馬鹿げたことなのか理解してくれる。

――その行いこそが紛争をより激化させるのだと、トレディアは考えていない。
万が一マリアージュとイクスヴェリアが正常に機能してしまえば、オルセアが二度と立ち直れない状態になると気付いていない。

いや、気付いているのだろうか。
それとも気付いていながら彼は、このような手段を選んでいるのだろうか。
それは誰にも分からない。

長年蓄積した憎悪や諦めは、彼以外の者に理解できないだろう。
だからこそ、ねじ曲がった考えを否定する者は現れない。
頭ごなしに綺麗事をぶつけられてもトレディアは聞き入れないだろう。

そしてまた、同じ境遇、同郷の者に否定されたとしても、彼は考えを改めないだろう。
端的に言えば、彼は歳を取りすぎたのだ。自分の目で見て、聞いて、人生から導き出した答えになんら疑問を抱いていない。
そこに疑問を抱いてしまえば、それは自分の人生を否定することに繋がるだろうから。
どう考えても恵まれてなかった人生だが、それでも自分の意思で生き続けたのだ。
それを好転できると信じている博打が間違っているなどと思えるはずもない。

足音を響かせ通路を進んでいると、微かな光が岩肌を照らしはじめた。
高鳴る鼓動に急かされる足をなんとか落ち着かせ、先へと。

そして角を曲がると、目の前にあるものを見てトレディアは目を見開いた。
スカリエッティのアジトにある物とは違う形式だが、培養ポッドが開けた場所に鎮座していた。

近付けば、その中にいる人物がはっきりと見えてくる。
薄手のワンピースを一枚だけ着た、幼い少女。くくられた細く、長い二尾の髪が液体の中で踊っている。

「……この子がイクスヴェリアなのか?」

ぽつりと呟くが、応えてくれる者はいない。
……遺跡のポイントはここで合っているはずだ。ならば、きっとこの子が。

一歩一歩近付き、ポッドが手の届く場所までやってくる。
これで私はやっと――そしてトレディアは手を伸ばし、

「そこまでにしてもらおうか」

コツコツと鳴り響く靴音。そして静止の声に、彼は振り向いた。

暗がりの奥に誰かいる。
目を凝らしても、そこに誰がいるのかは分からない。
トレディアは故郷から持ち込んだ懐の自動式拳銃に手を伸ばしながら、じっと相手の様子を窺う。

「……誰だ」

うっすらと空洞を照らす培養ポッドの光。それを反射して、暗がりの中に二つの瞳が浮かび上がった。

「君こそ誰だい?」

問いが向けられる。涼しげで余裕のある男の声。
しかし、目標まであと一歩までこぎ着けたからだろうか。
落ち着きのある声を聞いたというのに、トレディアの胸は焦燥に満たされた。

トレディアの態度から答えるつもりはないと見たのか、男は嘆息と共に溜息を吐く。
そして彼の背後にある培養ポッドに視線を向けると、口を開いた。

「確か、イクスヴェリア……そしてマリアージュだったかな。
 婚姻、祝福を意味するもの。
 息絶えた人を武器へと変えるもの。
 ――ガレアの冥王」

最後の言葉。男がマリアージュの存在を知っていると理解し、トレディアは懐から拳銃を取り出した。
そして、発砲。マズルフラッシュが瞬き、真っ直ぐに弾丸が男へと飛ぶ。

しかし、

「質量兵器。わかりやすい敵意だね」

男は倒れない。トリガーを引き続けるも、空洞内に轟音が反響するだけで男は倒れない。
続く言葉にも揺るぎない自信が込められていた。質量兵器を前にしているというのに。

「監視は……どうやらないようだ。管理局も結社も未熟……いや、後者はわざと、なのかな?」

余裕を感じさせる声を発すると共に、男は足を動かした。
そして、一歩一歩近付くにつれ、彼の姿が露わになる。

緑の長髪が特徴的な男。
酷く場違いな白いスーツは、バリアジャケットなのだろうか。

彼は足元から伸びた影を身に纏っていた。
おそらく、それで銃弾を防いだのだろう。そう考えなければ、生きているはずがない。

男が一歩踏み出すごとに、トレディアは一歩後退る。

そんなトレディアの焦りを余所に、男は薄ら笑いすら浮かべて歩みを進める。
そして彼は左手を額に添えると、

「な……!」

「提案しよう、名も知らぬ君――」

足元に古代ベルカ式の魔法陣を展開して、声高く宣言した。

「――食事の時間だ!」

「なんだ貴様は……っ!」

男の周囲が――ざわめき、沸き立って、うねる。
見えているものは、影とも泥ともつかぬ流動する何か。
魔力の迸りと共に、溢れ出す。

ぐるりと男を取り巻く黒い何かは、彼の足元から吐き出され、周囲で蠢いて回転し、不定形の何かへと変貌する。
黒い何かが、ボコボコとその姿を変えてゆく。

未だ多くの黒い何かが変態する中、男はいった。

「喰らうよ」

そして――

黒い何かが、形を持つ。
四肢を持ち、その頭部に、赤い光が宿って。

姿を現したのは猟犬だった。
小さく鼻を鳴らして、犬は主を見上げる。
男は猟犬へと小さく頷きを返す。すると、何をすべきか察したように、ソレはトレディアへと牙を剥いた。

一匹だけではない。二匹、三匹、四匹――
次々と生み出される猟犬。それを前にして、トレディアは自らの人差し指がただ動いているだけなのだと今更気付いた。
カチカチと壊れたようにトリガーを引く指。
その行為はトレディアの内心をそのまま表している。

……目の前にいる男は一体なんだ。何を目的として――
いや、そんなことはどうでもいい。今はイクスヴェリアを、私の目的を――

「イクスヴェリアを狙う哀れな者よ」

脱兎の如く駆けだして、トレディアはイクスヴェリアの収められているポッドへと。
しかしその行動に驚いた様子もなく、男は声を張った。

「君の声は届かない――」

馬鹿な、どうしてこんな、と現状を認めようとしない思考がトレディアの頭を占める。
目的である物が目の前にあるというのに、追い詰められているこの状況は一体なんだというのだ。

「う、あ――!」

……そう、追い詰められている。男が自分に何かをしたわけではない。
しかし、質量兵器の直撃を受けても生きている人間が、そしてイクスヴェリアのことを知っている者が、彼女を奪いにきた自分を見逃すとは思えない。

そしてその通りだとでも言うように、

「残 念 だ っ た ね !」

その言葉を合図にして、猟犬たちは一斉にトレディアへと群がってきた。
拳銃を振り回すも、腕に噛み付かれる。太ももを食い千切られる。身を折ったことで下がった顔へ牙を立ててくる。


「ぎ、あ――!」

吹き荒ぶ風を伴い、男の足元から猟犬が放たれ続ける。
影色の怪物たちは瞬時にトレディアへと食らいつき、その身体を粉砕する。

したたる血は影に吸収され、不思議なことに一滴も残らない。
バキバキと人が上げるにしては無機質すぎる音と共に、トレディアは破壊されてゆく。
元の形がなんであったのか認識できない、バラバラの破片に至るまで、刹那の内に。

「や、め、ろ……!」

トレディアはなんとか言葉を放つが、自らが咀嚼される音に混じって蚊の鳴くような音にしかならない。

「た、す、け……!」

彼の脳裏に、故郷の風景、同士たちの顔、今までの人生が明滅する。
それを振り払おうとするかのようにひたすらに声を上げる――もう彼にはそれしかできない――が、トレディアの身体はごっそりと抉られてゆく。

懇願。悲鳴。絶叫。断末魔――人であるトレディアが、物のように破壊される。

とてもではないけれど、常人では正視できないような光景。
それを眺めながら、男は再び口を開いた。

「は は は――
 ベルカの王をものにしたいのならば。
 このていどで死ぬな。引き裂け。
 あらゆる魔力を己のものへと変えろ。
 はははッ!」

男の声は虚しく空洞に響き渡る。
猟犬たちが群がった後には、骨や肉、髪に至るまでのすべてが残っていない。

トレディアを食らい付くし、役目を終えた猟犬たちは洞窟の闇に解けるように姿を消した。
血の一滴さえも残さない――この場へ誰かが踏み込んだという証拠を消し去って、男、ヴェロッサ・アコースは満足げに目を細める。

そして彼は振り返ると、ことの次第を見守っていた姉と慕うシスターに声をかけた。

「これで良いのかい? シャッハ」

「ええ、ご苦労でした、ロッサ」

シャッハの姿は戦闘機人との戦闘で、バリアジャケットの所々が破け、砂埃がついている。
彼女はヴェロッサへと歩み寄ると、つい、と視線をイクスヴェリアへと移した。

「ここには誰も来なかった。
 この場にあるのはロストロギア……ガレアの王そのものがいるだなんて気付かれたら、五月蠅い人たちが出るからね」

「はい。申し訳ありませんでした。ここへ侵入されることだけは防ぎたかったのですが……」

「仕方がないさ。戦闘機人のType-R……厄介な相手だったんだろう?」

「はい。……次こそは」

ぎゅっとデバイスのグリップを握るシャッハの顔には、濃い悔しさが滲んでいる。
それを見て見ぬふりして、ヴェロッサもイクスヴェリアへと目を向けた。

「いやぁ、しかし助かったね。
 ロストロギアを血眼になって探している結社なんてものが結成されずにマリアージュが進行してきたら、この子を奪われているかもしれなかった。
 古代遺跡に対して神経質になってて良かったよ」

「そうですね……結社などという者たちに感謝などするつもりはありませんが」

「まったくだよ。……それで、どうするんだいシャッハ。この子はこの場に安置するのか。それとも――」

「カリムからの要請で、秘密裏に教会本部へ移送することになりました」

「……六課には?」

「泥を被ってもらいます。申し訳ないとは思いますが」

「そうかい」

ヴェロッサの瞳に、微かな哀れみが浮かんだ。
初の大規模戦闘。その結果、戦闘機人とマリアージュ、ガジェットは撃退できてもロストロギアは奪われる……か。
エスティマの顔が脳裏に浮かび、ヴェロッサは申し訳なく思った。

これはきっと裏切りのようなものだろう。所属している組織が違うから、といくらでも言い訳できるが、面倒事を六課に任せておいて美味しいところを持って行く。
友人として自分のことを見てくれるエスティマには悪いとは思う。

しかし、今の聖王教会もそれほど楽な立場ではないのだ。
管理局だけではなく、教会騎士団も結社とは決して楽ではないロストロギアの奪い合いをしている。

その上、結社の主力である戦闘機人。その力の源となっているレリック――古代ベルカの遺産というだけで聖王教会を逆恨みする輩すらいる。
マリアージュに量産型の戦闘機人と誤った認識を持たせたことも、その者たちへの対策だった。

……聖王クローンの追跡。彼から請け負った仕事は、きっちりやろう。
そう考えて罪悪感を減らし、ロッサは踵を返す。

イクスヴェリアのことはシャッハがどうにかしてくれるだろう。
あと自分にできることは……姉にエスティマを必要以上に責めないよう、お願いすることぐらいか。

そもそも彼は責められるようなことをしていないのだが。そして、カリムもそのことを分かっているはずだ。
なんとも心苦しいね、とヴェロッサは苦笑した。

聖王教会に所属する二人に、トレディアが何を望んでいたのかなど関係ない。
ましてやロストロギアを悪用しようとする輩に――それも目下最大の障害である彼に躊躇する必要もない。
力を手にしようとしていたトレディアは、あと一歩というところまで近付き、圧倒的な力によって叩き潰された。
これは、何かの皮肉だったのだろうか。

















リリカル in wonder

















湾岸地区を中心に巻き起こった今回のテロ。マリアージュ事件と呼ばれるこれは、戦闘機人の撤退を切っ掛けとして終わりに向かい始めた。
六課の損害はゼロ。限定解除に対するおとがめも、おそらくないだろう。

ただ、陸士部隊の損耗具合は馬鹿にならない。マリアージュの素体となり、命を落とした者もいる。
結社の設立テロのときほどではないが、それでも、決して小さくない被害だろう。

今は事件の事後処理も終わり、なのはたちから上がった報告に目を通しているところだ。
流石に限定解除が遅れたせいで、撃破はゼロ。奴らがどれだけ厄介かは、俺が一番良く知ってるんだ。次に期待しよう。

次に各部隊からの報告書をまとめたものに目を通しながら、小さく溜息を吐く。
戦闘機人は撃退したものの、イクスヴェリアは奪われる、か……。

あれが使い物にならないことは知っているため、それほど焦りはない。
けれど、初の大規模戦闘でみすみす相手の目標を達成させてしまうなんて。
その上、我が子可愛さのためにロングアーチ00に危ない橋を渡らせてしまった。

仕方がないとは思う。原作知識がなければ、誰も奴らがイクスヴェリアを狙っていただなんて分かるはずがないのだから。
それでも納得できないのは、やはりスカリエッティに出し抜かれたからか。

いつか見たあの男の高笑いが脳裏に蘇る。思わず手を握り締めてしまい、爪が掌に食い込んだ。
こんな痛みじゃ、自責にすらならない。自虐趣味があるわけじゃないが、それにしたって。

俺が出ていれば少しは違った、と思うのはきっと自惚れなのだろう。
もう一執務官ってわけじゃないんだ。いい加減、認識を変えないといけない。

そんなことをマルチタスクの一つで考えつつ、六課の報告書を作り上げる。
そして見直しをした後に背伸びをすると、背後の大窓に目を向けた。
まだ空は暗いが、夜明けは近い。

……今回の戦闘で倒すことはできなかったが、次はもっと上手い具合にやってくれるだろう。
一度手合わせした相手の分析を怠るようじゃあ、エースとは呼ばれない。そしてウチの隊長や副隊長たちは、エースと呼ばれる者たちだ。
俺でさえ分かる、奴らの弱点を自分の目で確かめたことだろう。ならば次の結果がどうなるかは分からない。

俺からいわせれば、陸戦のType-Rはそれほど厄介じゃない。本当に相手をするのが面倒なのは、空戦の三人組だ。
その内の二人が今回出てこなかったのは、良いことなのか悪いことなのか。

『エスティマ、今いいか?』

『――っと、ザフィーラ? 大丈夫だけど』

『そうか。失礼する』

そう念話を返すとドアが空気の抜けるような音と共に横へスライドし、ザフィーラが部屋へと入ってきた。
狼形態のザフィーラは、てくてくと歩いてくると俺の座る机の前に座り、顔を上げてじっと視線を向けてくる。

「ザフィーラ、どうした?」

『主のことで、少しな』

誰もいないというのにわざわざ念話を飛ばしてくるザフィーラ。
彼は俺を見据えたまま、一度、床を掃くように尻尾を振る。

……フロアの崩壊に巻き込まれたはやては、あのあとザフィーラによって助け出された。
瓦礫を部分的に氷結させ、それを鋼の軛で串刺しにしつつ持ち上げて――そして発見された彼女は、戦闘機人の五番と一緒だったと報告を受けている。

発見された直後にセインが割り込んで、チンク――フィアットさんは捕まえることはできなかったようだ。
それを安堵するのは、流石に不謹慎すぎるだろう。

『……エスティマ?』

「……ん。ああ、ごめん。それで?」

『戦闘が終わってから、主の様子がどこかおかしい。高町やヴィータに声をかけられても調子が戻らないようだ。
 俺が何かいっても、あまり意味はないだろう。すまないが、お前から主に声をかけてもらえないか?』

「それにしたってね……」

どうなのだろう。
戦闘が終わってからの各隊長からの報告時に、命令違反のことも含めて二言三言言葉を交わしはしたけど、なぁ。

『あれは高町やヴィータの前だったからだ。主もいいたいことをいえなかったのだろう』

「……考えを読むなよ」

『苦虫を噛み潰したような面をしていれば、誰でも分かる』

フ、と鼻を鳴らすと、ザフィーラは立ち上がり、出口へと。
おそらく、俺が断るとは思っていないのだろう。合っているのだけれど。

……はやて、か。
フィアットさんと二人っきりの状態で、二人は言葉を交わしたのだろうか。
あの人を逃したことや埋まっていたという状況から、戦闘をしていなかったことは分かる。
ならば何をしていた――分からないのか、考えたくないのか。

……うじうじ考えていても仕方がないさ。
俺は席を立つと、情報端末をスタンバイモードにして部屋を出た。

六課の隊舎はまだ明るい。あんなテロが起こったあとだから、低レベルだが警戒態勢が維持されているのだ。
ひとけの薄い廊下をゆっくりと進みながら、はやてに念話を飛ばす。
どうやら彼女は休憩所にいるようだ。心持ち元気のない返答に、腹の底に何かが溜まる感覚が増す。

やや重い足を動かしながら休憩所にたどり着くと、そこに彼女はいた。
シャワーを浴びたばかりなのだろうか。シャツとスカート姿で、上着とタイは隣に置いてある。
横長のソファーに座っている彼女は、タオルを頭にかけた状態で俯いていた。

「……はやて」

なんとも声をかけづらい状態だったが、なんとか声を出す。
はやてはゆっくり顔を上げると、俺を目にして、頭からタオルを下ろし立ち上がった。

「エスティマくん……なんか、飲む?」

「え、ああ……」

「奢るわ」

有無を言わさぬ、といった感じで彼女は自販機にカードを翳す。
自分の分と俺の分。ブラックコーヒーとミルクティー。逆がいいとは、とてもじゃないがいえなかった。

ガタン、と音を立てて転がり落ちてくる缶を手に取ると、彼女はミルクティーを俺に手渡してくる。
そして別々のソファーに座ると、お互いにプルタブを開けた。

……どう言葉をかけたもんかな。

取り敢えずは……命令違反のこと、だろうか。
作戦終了後のミーティングでも一応注意はしたけれど、今度は部隊長としてではなく、一個人として。

「なぁ、はやて」

「何?」

「命令違反のことなんだけどさ。もうあんなことするなよ? 無茶通り越して無謀だって、あんなの。
 陸戦の戦闘機人を相手するのに自分まで地上に降りて……あんまり心配――」

「……どの口が」

いわれ、思わず口を噤んだ。確かに俺がいえたことじゃあない。
しかしそれより気になったのが、はやてらしくない、酷く重い声色だった。

ただ、自分のことを棚上げしてでも彼女にはいっておきたい。

「……分かってるさ。けど、心配したのは事実だから。俺は、あまりはやてに無茶なことしてほしくないんだ」

「自分はよくて、私は駄目やっていうんか?」

「……なんだか、妙に噛み付くね。どうしたの? らしくないよ」

「私らしいってなんやの? いっつもニコニコしてるのが私らしいって?」

「いや、だから――」

「……ごめん」

そういって、はやては俯き、言葉を切った。
目を伏せて、手に持った缶をぎゅっと握る。
いいたいことと感情を、必死に堪えているような姿だ。

彼女は溜息とも、深呼吸ともとれる深い息を吐く。
そして顔を上げると、じっと俺に視線を注いだ。

彼女の瞳に映る俺の顔は、なんとも情けない。困惑を隠しもしないで、ただはやてを見ているだけだ。
俺たちは口を開けないまま、見つめ合う形になる。

そうして経った時間は、三分ほどだろうか。十分は経ったような気もする。
何がはやてにあったんだろうか。やっぱりフィアットさんと――

そんなことを考えていると、唐突に彼女は口を開いた。

「……ナンバーズの五番と、話をしたんや」

「……そっか」

「うん。ねぇ、エスティマくん。教えて欲しいことがあるんやけど……ええかな?」

許可を求める言葉だけれど、彼女の瞳には微かな怒り――怒りは怒りだが、それに悲しみが混じっているのは気のせいだろうか――が混じっていて、とてもじゃないが嫌とはいえない。

「何? はやて」

「うん。ねぇ、エスティマくん。エスティマくんは私のこと、好き?」

「い、いきなり何を……」

あはは、と乾いた笑いが口から漏れた。
が、はやての頬は微動だにしない。真剣な眼差しを向けられるばかりで、俺は肩を落とす。

「……好きだよ」

「ありがと。じゃあ、愛してる?」

「……はやてのことは大事だと思ってる」

「つまり、NOってことやね」

「それは……」

「違うん?」

念を押されるように聞かれてしまえば、俺は何もいえない。
好きか嫌いかでいえば、俺ははやてのことが間違いなく好きなんだ。
けど、それは異性として――いや、異性としても間違いなく好感が持てるとは思う――愛してる、といえる感情じゃない。

少し前までは、そんなことをしている場合じゃないと思考停止していた。
そして今。この宙ぶらりんな関係が限界だってことぐらい、俺も気付いている。
はっきりしない態度を取り続けて、どれだけはやてを苦しませているかも理解している。

けど、甘い言葉を吐くことだけは絶対にしたくない。
それはきっと、傷の舐め合いみたいなもんだ。
その場しのぎの嘘みたいな台詞で、俺なんかを慕ってくれる子を騙したくない。

それがどれだけ酷薄なことだったとしても、はやてが大事だからこそ。

「……否定せえへんの?」

「……ごめん」

だから、俺には謝ることしかできない。

「そか。なら、あの戦闘機人は?」

「……え?」

話は終わりだと思っていたら、唐突にフィアットさんのことをはやてが聞いてきたので、反応が遅れた。
やっぱりはやての様子がらしくないのは、あの人と顔を合わせたからなのだろうか。

「あの戦闘機人のこと、エスティマくんは好きやの?」

「……俺は、」

「ごめん、やっぱええわ」

「はや――」

「あはは……ご、ごめんな、エスティマくん」

「え?」

「少し意地悪やったわ。
 明日になったら、いつも通りに戻るから……今は一人にしてくれへん?
 ちょっと考えたいことがあるんや」

「分かった。その……ごめんな、はやて」

「……エスティマくんは、何も悪くないやんか」

そっか、と呟いて、俺はソファーから立ち上がる。
はやてをちらりと見ると、彼女は不思議そうな顔をしていた。

それじゃあ、と手を挙げて休憩所を去る――その間際に、最後に一度だけ、はやてを視線を送った。
一人残った彼女は、肩を落として俯いている。
どんな表情をしているのか、俺には分からない。






















酷い自己嫌悪。消えてなくなってしまいたいとすら思うほどに。
片手で額を抑えると、私は小さく溜息を吐いた。

ついさっきまで目の前にあったエスティマくんの顔を思い出して、本当にごめん、と声に出さず謝る。
一人でいじけてその末に八つ当たりだなんて……馬鹿みたい。
話をした戦闘機人、ナンバーズの五番。彼女の落ち着いた態度と今の自分を比べてしまって、余計に落ち込んでしまう。

あの二人がどういう経緯で出会って、どんなことがあって今の関係になっているのか聞くだけの勇気が私にはなかった。
私の知らないところで、何があったのだろう。どうしてお揃いのリングペンダントを持っているんだろう。

少しでも気にすれば、まるで蟻地獄にでも落ちるように際限なく気分が落ち込む。
そのせい……なのかな。いつもは簡単に――とても簡単に押し殺せるぐらいの感情が沸き立ってしまう。

柳に風……とは少し違うかもしれない。けれど、彼自身がどうしたいのかがまったく分からない態度にどうしようもなく苛立ってしまう。
……いや、分かっている。彼は、どうしたくもない。答えの出せる状況が整うまま、今のままでいたいと望んでいる。

私だってそれを分かっているからこそ、ずっと彼の側にいるだけで我慢していたのに――

「……焦ってるんやろうね」

エスティマくんの側にいるのは自分の専売特許だと思っていたし、事実、今もそうだ。
さっき心配になって様子を見にきてくれたことだって素直に嬉しかったし、そんなことをしてもらえない戦闘機人に対しての優越感もある。

……けど、それだけじゃあとても足りないと思ってしまうのは、

「欲張りなのか、浅ましいのか……」

焦らされているのに近い現状に――それも厄介な恋敵が現れたことで、渇きにも似た衝動が湧いている。
さっきの意地悪だって、私のことで気に病んで欲しいという部分がないとは言い切れない。

「……だとしたって、エスティマくんを困らせてどうするんや」

その問いに答えは出ない。
なんとも情けないスパイラルに陥ってしまって、立ち直るのには少し時間がかかりそう。

……けど、いつまでもこうしてたって意味がない。
それに、明日になったら元に戻るって約束したんだから、気分を入れ替えなければ。

そう思っても、萎えた心は上手く立ち直ってくれない。
……きっとこれが恋の病とか、そういうものなんじゃないだろうか。

今更かもしれないけれど、こんなにもエスティマくんが好きなのだと、少し驚いた。
























ちゃぷ、と重い水音が上がる。
大浴場の湯船の中、フェイトは体育座りをしながら水面に視線を落としていた。

長髪はタオルで纏められ、露わになったうなじには玉の汗が浮かんでいる。
もう風呂に入り始めてからどれぐらい経っただろうか。もともと彼女は長湯する方だが、それでも今日は長い。

明るくない顔でフェイトが思い出しているのは、先の戦闘で衝突した戦闘機人のことだった。
ナンバーズの三番、トーレ。彼女に叩き付けられた言葉がぐるぐると頭の中を回っているのだ。

戦闘機人として生まれ、望まれた闘争者として自分の存在を確立していた彼女。
あれと兄が同じだなんて、断じて違う。

頭で考えるよりも先に感情がそれを拒絶する。
差別のような色が混じってしまうが、兄と戦闘機人には大きな違いがあるのだ。

人として生まれて、人として何かの目的のために戦っている兄。
それは単純に局員としての義務をまっとうしているだけなのかもしれないし、何か別の理由があるのかもしれない。
ともかく、そういった目的があるだけで戦闘機人と兄はまったく違う。

何かのために戦う兄と、戦うために戦う戦闘機人。あのどうしようもなく歪み、それを受け入れた姿勢は思い出すだけでも苛立ってくる。
……なぜそう思うのかを、フェイトは気付くことができなかった。

単純な話、トーレはフェイトの影みたいなものなのだろう。
もし兄に助けてもらわなければ、自分は母の元でどうなっていたのか。気を引きたい一心で努力をして、戦っていた自分はどう成長していたのだろう。
考えてみても分からないことだ。

そんなIFのことよりも、フェイトは今の自分の方が大切だった。
勿論、まだ幼かった頃のフェイトならそんなことは思わない。
しかし、フェイトの人生はPT事件の前よりもその後の方にたくさんの思い出がある。

母親のことだって今のフェイトにしてみれば、そんなこともあった、という認識になっていた。
無論、プレシアのことを思い出せば寂しさは込み上げてくる。けれど、不安に駆られるようなことはもうない。

彼女にとって大切なのは、過去よりも明日だった。
長い時間がかかったが、闇の書事件での因縁に折り合いをつけることで、彼女は人間的にも成長している。

悲しいことがあったとしても、新しく迎える明日の思い出で乗り越えよう。
そう思える、本来とは別種の強さを彼女は持っている。

しかし、だからこそ、フェイトはトーレの言葉を無視することができないのだ。
昔のフェイトを肯定するような在り方。自分を救ってくれた兄を侮辱するような言い様。
今さえよければ未来など必要ないと――まるで燃え尽きる寸前のままで止まっている蝋燭のような生き方だ。

今のフェイトに根付いている価値観と真っ向からぶつかるトーレは、ある意味、フェイトの天敵といえた。
だからこそ彼女を簡単に忘れることができないし、許すこともできない。

トーレのいったことを認めることなどできたいため、フェイトの思考は堂々巡りを繰り返す。
そうしている内に、段々とクラクラしてきた。もう上がろうか、と思っていると、

「あれ? フェイトちゃん、まだ入ってたの?」

大浴場のドアを開けて、なのはが入ってきた。
タオルで前を隠している彼女は、洗面台の方に行くと身体を洗い始める。

その様子を、フェイトは浴槽の縁に頭を乗せて見ていた。
……動くのが億劫になってきた。

ざばーとお湯をかけて汗を流すと、なのははフェイトの方へとやってきた。
フェイトの様子を見て、あはは、と彼女は苦笑する。

「フェイトちゃん、大丈夫?」

「……大丈夫」

「あ、あまり無理はしない方が……というか、なんで無理してるの? 顔真っ赤だよ?」

「うー……」

「フェイトちゃん、考えごとでもしていたの?」

「少しね」

そういいつつも、フェイトは先の戦闘でトーレと交わしたことをなのはに伝える。
アルコールが入っているわけではないが、茹だった頭でえっちらおっちらと話すフェイトの口調は酔っぱらいじみていた。

呂律の上手く回らない口で紡がれる言葉に、頷きを返しつつなのはは耳を傾ける。
そしてフェイトが話し終わると、身体が冷えたのか、彼女は湯船に身体をつけた。

「……フェイトちゃんは、お兄ちゃん子だから」

「そんな簡単な話じゃないよ、なのは」

「そうかもしれないね」

「もうっ」

なんだか軽くあしらわれているようで、フェイトは真っ赤になった頬を膨らませる。
その様子になのはは笑みを深くして、手でお湯を弄ぶ。

「……そういうのってさ。あまり深く考えても意味がないんじゃないかって思うんだ。
 手を取り合うことは大事だけど、本当に価値観の違う人とは、たぶん理解し合うことができない。
 意見のねじ曲げ合いになっちゃって、キリがないもの。
 だからフェイトちゃんは、フェイトちゃんが信じるものを大事にすればいいんじゃないかな」

「……大事なもの」

そう呟くフェイトの脳裏に浮かんできたのは、兄の、スクライアの皆の顔だった。
結局のところどう考えたって、大事なものが色褪せたりはしないらしい。

親友から助言をもらって、気が抜けたのだろうか。
ぐるぐるとしていた頭の中が、だんだんと愉快なことになってきた。

「……きゅう」

「……フェイトちゃん? フェイトちゃん――!?」

完全に伸びたフェイトを抱きかかえてなのはは、シャマルー! と念話を飛ばす。
ちなみにクラールヴィントに叩き起こされたシャマルは、寝ぼけたままの抱き枕を抱えた状態でやってきた。


























情報端末とにらみ合いながら、ヴィータは腕組みをしている。

ちなみに画面とにらみ合いをしているヴィータの横で、リインⅡは机に突っ伏して熟睡していた。

リインの寝言と寝息を聞きながら、時折思い出したように腕を動かし、キーボードを叩いて、画面には文章の繋がりがない箇条書きが並ぶ。

彼女はナンバーズとの戦闘で気付いたことを、報告書とは別に、個人的にまとめていた。
相手の攻撃手段。それに対してとった行動。今考えて、有効ではないか、と思える対抗策。

グラーフアイゼンもナンバーズとの戦闘記録を掘り返し、主の手助けをしている。
そうしていると、やっぱり、と呟いて、ヴィータは椅子の背もたれに体重をかけた。

そして床を蹴ってデスクから離れると、その場でくるくる回る。

強化魔法ではなく、肉体そのものを強化され、その上普通ならば一握りの人間しか手にできない莫大な魔力をその身に宿した敵。
手合わせしてみた感想は、非常に厄介、というもの。しかもあの様子からまだ底を見せていないのだろうと予想できる。

防戦に徹すれば一人でも相手をすることは可能だ。しかし時空管理局の局員として犯罪者を逮捕しなければならないと考えれば、多人数でかかったとしても非常に難しい。
多人数で時間をかけて消耗させれば――と思わなくもないが、戦闘機人とやり合える面子を一カ所に回せば他が手薄になる。
そして、殺傷設定で暴れ回る戦闘機人を長い間相手にしていれば、それだけ周りの被害が面倒なことになる。

ベルカの騎士に一対一で負けはない、という誇りはこの際捨てるべきだと分かってはいる。
捨てた上で、どうやって相手を捕まえるかをヴィータは考えていた。

ハイリスク、ハイリターン……そうなるよな、やっぱ。

「……何をしている、ヴィータ」

「……なんでもねぇよ」

くるくると回していた椅子を止める。
見れば、いつの間にかザフィーラが呆れ顔でこちらを見ていた。

少しだけ気恥ずかしさを感じつつも、ヴィータは見られたことをなかったことにして、腕を組んだ。

……その様子に、フッ、とザフィーラが鼻を鳴らして、頬がヒクつく。

「ザフィーラ。喧嘩でも売りにきたのかよ」

「何、いささか暇でな。丸くなるのにも飽きて、今は散歩をしているところだ」

「気楽でいいよな、おめぇは」

「……これはこれで辛いのだが、まぁいい」

ザフィーラはとことこ歩いてくると、ヴィータの隣にやってきて、腰を下ろす。
そして顔を上げると情報端末の画面を見た。

「戦闘機人か」

「ああ。……なぁ、ザフィーラ。エスティマの奴、本当にあんな連中を複数相手にして戦えてたのか?」

「劣勢ではあったがな。だが、稀少技能を持っていることもあるし、奴は我々と違って全局面に対応できる魔導師だ。
 バランス型も突き詰めれば馬鹿にできん、ということだろう」

「アタシの持論が適応できねぇって話だな」

ヴィータの持論とは、マルチスキルと直接的な強さは関係がない、というものだ。
しかしバリア出力を除いた全技能が平均を超えている上に稀少技能という一芸を持っているエスティマは、対応力そのものが強さと繋がっている。

もっとも、それはエスティマだけではなく、自分にも適応できる話だが。
エスティマと違い、自分の場合は一撃の破壊力。

ただあの戦闘機人には、その一撃が通じなかった。だからこそ、みすみす取り逃がすという決着となったわけだ。
リミットブレイクでも使えば話は違うのだろうが、今度は近付くことが困難になってしまう。

やはり、一人では限界があるだろう。

「エスティマの野郎は、たしか空戦組とやり合ってることが多かったよな。
 参考にならねーかもしんねーけど、三課の方に頼んで、戦闘映像でも取り寄せるか」

「ふむ。フィニーノに頼んでおこう」

「悪ぃな」

「気にするな。……それで、ヴィータ。何か良い案はあるのか?」

「どうだろうな。攻守共にバランスの良い敵なんだが……まぁ、付け入る隙はある」

「ほう?」

「あいつら、アタシたちのことを嘗め切ってた。だからまぁ、そういうことだ」

「なるほどな」

そんな風に話をしていると、不意に非常警戒態勢が解除された。
これからは通常業務か、と思いながらヴィータが窓の外を見ると、見慣れた後ろ姿を発見した。

ようやく朝日が昇り始めた時間。顔を出したばかりの朝日が差し込む駐車場に一台のタクシーがやってきて、それに乗り込む青年。

「ありゃ、エスティマか?」

「ああ。……おそらく、行き先は先端技術医療センターだろう。
 命に別状はないとしても、知人が重傷を負ったのだ。それに、シグナムのこともある」

「ああ、ナカジマの……まぁ、上から目線で首突っ込むのも野暮だ。
 それとなくフォローするぐらいにするか」

「そうだな」

そういって、二人は再び情報端末の画面に顔を向けた。
戦闘機人のことを突き詰める二人だが、しかし、彼女たちはずっと同じことを考えつつも敢えて口には出していなかった。
何があっても頭の中にあること。それは、主――はやてのことだ。

しかし気になるからこそ、二人はエスティマとはやてのことに触れない。
どれだけ主がエスティマのことを想っているのか知っているし、それに口出しするのがどれだけ野暮かも理解している。

大体、自分たちが口出ししてどうにかなるような状況はとうの昔に過ぎ去っているのだ。
もはや第三者の介入でどうにかなるような問題じゃないことを、二人は分かっていた。

ヴィータもザフィーラもエスティマに言いたいことは山ほどある。
しかし、それをいったところでエスティマの神経を削るだけ。きっと彼は自分の態度を改めないだろう。

見守ることしかできない歯痒さはあるが、きっとそれが一番なのだ。
それに、守護騎士の二人もエスティマのことは気に入っている。今の状況を延々と続けるほど駄目な奴じゃないと、思っている。若干希望が混じってはいるが。

「……んにゅ、ザフィーラですかぁ?」

「起きたか」

「おはようですよー……って、まだ四時? リインはもう一眠りするです」

バタリ、と倒れ込んで、すぐさま寝息を上げるリインⅡ。
すやすやと眠る末っ子に、二人は苦笑した。













[7038] sts 九話 下
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/09/09 22:36


タクシーが目的地に到着すると、運転手に料金を支払って、俺は足早に外へと出た。
顔を上げる。その先にあるのは、まだ顔を覗かせたばかりの朝日に照らされた、先端技術医療センターだ。

昨夜の戦闘で、かなりの人が搬入されたのだろう。
慌ただしいほどではないとはいえ、自動ドア越しに見えるロビーには人の姿がちらほらと見えた。
駆け出したい気持ちを抑えながら、俺はゆっくりと歩くように心がけて、建物の中へと入ってゆく。

メールをくる途中にゲンヤさんへ送り、返ってきた内容を信じるなら、ギンガの様態は落ち着いているらしい。
今も意識は戻っていないらしいが、それは薬で眠らされているからだそうだ。
怪我こそ酷いが、命に別状はない。安堵していいのか分からないが、いくらか焦りは薄めることができた。

顔見知りの医師と擦れ違って会釈を送りつつ、淡々と脚を動かす。
そして目的の場所―― 一般人は立ち入り禁止となっている戦闘機人に関係する区画に到着する。
受付の看護士に局員IDを提示して許可をもらうと、真っ白な廊下を進んだ。

少し進むと、壁に沿う形で設けられたソファー、そこに座るゲンヤさんを見付ける。
顔には濃い疲労が浮かんではいたが、それだけだ。悲しみなどの、そういった感情は浮かんでいない。

「ゲンヤさん」

「おう、きたか」

俯いていたゲンヤさんは、俺を見ると立ち上がる。その際、少しばかりフラついて彼は苦笑した。

「大丈夫ですか?」

「気にすんな。……俺ももう歳だな。緊張続きで徹夜をしたらこんなだ」

「……自覚があるなら、まだ元気ですね」

「失礼な奴だな。……まぁ、座れよ」

「はい。失礼します」

ゲンヤさんの隣に腰を下ろすと、二人して同時に溜息を吐く。
徹夜をしているのはお互い様。気疲れしているのも、だろう。

「……スバルちゃんはどうしてます?」

スバル。警戒態勢になってはいたが、俺はあの子に持ち場を離れる許可を出していた。
六課にいたって何もできない、という理由もあるが、それ以上にギンガちゃんの側にいさせてやりたいというのもあったのだ。

「泣きっぱなしでな。疲れたのか、今は病室のベッド借りて寝てるぜ……そっちはどうだい」

「六課でも問題は――」

そこまでいって、はやてのことを思い出すが、この人にいう必要はないだろう。
なるべく平静を装いながら、続ける。

「――問題は、ありません。まぁ、みすみす結社にロストロギアを明け渡してしまったんです。
 その上で損害があったら、見事に俺は無能でしょう」

「おめぇはそうネガティブに走るなってのに。そもそもやっこさん連中の目的なんざ、俺たちにゃあ分からねぇんだ。
 被害が部隊になかったのなら、それで良しとしようや」

……それで良いのだろうか。
スカリエッティを捕らえるために戦い続け、無理をしたツケが回ってきてしまった俺。
直接的な力の代わりに手に入れたのは、指揮官という別種の力だが……あまりに重い。
行いたいことは山ほどあるというのに、行うべきこと――部隊長としての責任がついて回って、身動きが取れないことだって珍しくはない。

今回のことだってそうだ。出来ることならフェイトではなく、俺自身が救援に向かいたかった。
ずっと自分の力だけを頼りに戦ってきたせいだろう。人の力を借りる今の状況が、どうしても窮屈に感じる。

……本当、ままならない。部隊長の仕事に追われて、自分の成したいことを忘れないようにするのが精一杯だ。

「……ですが、六課に何もなかったとしても、救援が遅れたせいでギンガちゃんは」

いってから、失敗したと後悔する。
弱音を吐くためにここへきたわけじゃないのに。心労でいったら、俺よりもゲンヤさんの方がずっとあるはずなのに。

しかしゲンヤさんはうっすらと笑みを浮かべるだけで、俺を責めようとはしなかった。

「死んだわけじゃねぇんだ、そう重く受け止めるなって。
 ……ああ、ギンガだけどな。機能停止状態でここに運び込まれ、緊急手術。腕をスペアと交換、だ。
 それ以外の怪我は打撲と擦過傷で、大したことはねぇ。
 新しい腕を馴染ませるのに、それなりの時間がかかるらしいが、無事は無事だ。
 ……ギンガが戦闘機人であることを、有り難く思うとはな」

少し自嘲気味に、ゲンヤさんは笑った。らしくない。
背中を起こして、ゴツ、と壁を後頭部で叩く。
どうしたもんか、と二人で再び溜息を吐いた。

「……危うく、クイントの忘れ形見を失うところだった。
 今更かもしれねぇが、ギンガとスバルを局員にしたことを後悔してるぜ。
 今、ミッドチルダ地上に勤務している武装隊員は、普通に死と隣り合わせだからな。
 嫌な時代になったもんだよ」

「それをなんとかしたいとは思いますが……すみません」

「だから、気にすんなって……ああ、そうだエスティマ」

「はい?」

ゲンヤさんは背筋を伸ばすと、真面目な――疲れを感じさせない目を向けてきた。

「シグナムのことだ」

彼女の名前を聞いて、思わず下唇を小さく噛んだ。
怪我はそう酷くはないと聞いている。が――

「酷く弱ってたぞ。話ぐらいは聞いてやれや」

「……そう、ですか」

「ああ。まぁ、シグナムが話してくれねぇってことも有り得るがな。
 ギンガのことを気に病んではいるんだろうが……あの落ち込みようは、それだけじゃねぇだろうよ。
 もうそろそろ、あの子が何を考えているのか知ってやっても良いんじゃねぇか?」

「……様子を見るつもりではありました。けれど、そこまで踏み込んでいいものか、計りかねてて。
 あの子にとって俺はなんなのか……重荷になっていないかどうか。
 あの子が守護騎士になりたがっているのは知っています。けれど、俺は――」

「別の生き方をして欲しい、ってか?」

「はい」

「そいつぁ、無理だろ」

断言され、思わず呆気に取られる。
しかしすぐに我に返ると、すぐにゲンヤさんを――気を付けなければ睨み付けてしまいそう――見た。

「いくら外見が同じっつっても、あの子は普通の人間と違う。
 それを分かったつもりで、一般論を説くんじゃねぇよエスティマ」

その言葉は、きっとこの人なりの教訓なのだろう。戦闘機人の姉妹を育て上げて得た。
納得したくはないと思いながらも、そうだろうな、と思ってしまう。

シグナムがいくら人に近いといっても、俺に向ける好意や懐きようは、きっと根底に自分は守護騎士であるという認識があるからだろう。
だからこそ俺の役に立ちたいと思ってしまう。守護騎士として、主を守ろうと。

その意思を尊重してやりたいと思う反面、親として接していた内に抱いてしまった情が、それで良いのかと待ったをかける。
思ってしまうのだ。もっと別の、器用な生き方があるんじゃないかと、どうしても。

それは俺の傲慢なのだろうか。
分かってはいる。何か一つのことを目指している者に忠告や説教をしたって、そんなものは雑音にしか感じない。
身に染みて分かっていることだ。

けれど、守護騎士を目指すことで苦しんでいるならば……俺は。
いや、これも分かっている。なんの苦労も障害もなく目標を達成できるわけがないことぐらい。

……はは、馬鹿か俺は。
分かっていても納得できないのは、結局俺がシグナムに甘いからだ。
あの子の意思を尊重するなんて言っておいて、その実は俺の意思を押し通そうとしているだけじゃないか。

「……俺も親馬鹿ってことですかね」

「まぁ、な。子供が可愛くねぇ親なんかいねぇんだ、恥じる必要はないだろう。反省は必要だろうがな」

「はい……それじゃ、俺はもう行きますよ。お大事にとギンガちゃんに伝えてください」

「おう」

立ち上がると、俺は考えを巡らせながら立ち去る。
何が最良なのかは、まだ分からない。
ただ、俺とシグナムのやりたいことの齟齬に気付いて、その折り合いを付けようと思えるぐらいにはなった。
















リリカル in wonder















時計のアラームに急かされて、私はむくりとベッドから起き上がった。
寝ぼけ眼で部屋を見回してみても、いつも先に起き出している相方の姿はない。
どうしたんだろう――そうだ。ギンガさんのお見舞いに行ったんだったわ。

どんなことが起こったのかは分からないけれど、昨日の戦闘でギンガさんと、一緒に戦っていた108のフォワードの人は戦闘機人に敗北。
戦闘を見ていた私たちだけど、送られてくる映像はなのはさんとフェイトさん、八神隊長とヴィータ副隊長のデバイスから送られてきた映像だけなので、どんな戦いがあったのかは分からない。

なのはさんとフェイトさんが到着した場所にあったのは、惨敗を喫した二人の姿。
特に、片腕を失ったギンガさんの姿は今も頭に残っている。
スバルは大丈夫って強がっていたけれど……あのあと、先端技術医療センターに飛んでいったのを見るに強がりだと思う。

ベッドから抜け出すと、ん、と声を上げながら固くなった背筋を伸ばす。
あんな大規模な事件があったばかりだけれど、私たちは今日も訓練。なのはさんもタフだわ。

身支度を調えながら、昨日見ていた戦闘を思い出す。
災害救助の局員として働き続けていた私たちには、遠かった戦場。そこで繰り広げていたストライカー級魔導師のぶつかり合いは、想像を軽く超えていた。

雲上人だと思っていたなのはさんたちの戦い。それに対抗する戦闘機人。
今の私たちじゃあ、とてもじゃないけど割り込めない世界だった。
多人数で当たることが前提とはいえ……本当にあんな連中に勝てるのかしら。

トレーニングウェアの裾を引っ張って準備を終えると、待機状態のドア・ノッカーをポケットに収めて私は部屋を出る。
人気のない廊下を、一人で進む。なんだか慣れない状況に首を捻りながら寮のロビーを抜けると、外には既にエリオとキャロが待っていた。

「おはようございます」

「おはようございます」

「おはよ、二人とも」

挨拶を返しながら、どことなく元気がないわね、と胸中で呟いた。
いつもは朝だというのに眠気を欠片も見せない様子だっていうのに、今日は違う。

やっぱり、この二人も昨日のことが抜けていないんでしょうね。
けど、わざわざそれを声に出して指摘するのも野暮ってもんでしょう。私も人のことをいえないもの。

……なんて風に、不干渉を貫けたら良いんだけどね。

「ほら二人とも、あんまり暗い顔をしていたらなのはさんが心配するでしょうが。
 私たちだって一応は六課の隊員なんだから、空元気ぐらい見せてみなさい」

ま、今はスバルがいないんだから、私があいつの代打をやったって良いわよね?
そんな気持ちで放った言葉だったんだけど、お子様二人組は不思議そうに私を見上げる。

……分かってるわよ。らしくないことぐらい。
思わず腕を組んでそっぽを向くと、くすくすと笑い声が聞こえた。

「……ほら、とっとと行くわよ!」

「はい!」

とても二人の顔を見ることができなくて、私は一人で先に歩き始める。
けれど、追ってくる二人の上げた声は、さっきよりも元気が篭もっているような気がした。

























「やー、遊んだ遊んだ。やっぱり身体を動かすのは楽しいっスねー」

アジトの廊下を進みながら、ウェンディはご機嫌な調子で髪を揺らしていた。
彼女の機嫌がいい理由はただ一つ。久々の戦闘で、歯応えのある相手とぶつかり、その戦いを十分に楽しめたことだ。
鉄槌の騎士に、教会騎士団の中から選ばれた、予言者の護衛を務める者。
その二人を相手取って、終始有利に戦いを進めることができたことは、ウェンディにたまらない爽快感を与えている。

「アンタも頑張ったっスね、マイルドセブン。ワックスがけをしてあげるっス」

そういって、ウェンディは待機状態――腕輪の形状になった、自分のストレージデバイスへと声をかける。
外装を壊されはしたが、本体は無事そのもの。術者、道具、共に無傷のようなもの。
ドクターにいわれた目標は、達成できただろう。

今日のご飯は美味しく食べられそうだ――そんなことを考えているウェンディだが、気になることが一つ。
ちら、と背後を除いてみれば、そこには肩を落としたノーヴェの姿がある。

どうしたもんスかねぇ、と誰にともなく、声に出さず問いかけた。

どうやら戦闘中に大事にしていたリボルバーナックルが大破したらしい。
そのことを気に病んで、アジトに戻ってきたというのにこの様だ。
ドクターに頼めば修復ついでに改造までしてくれそうだが――きっとノーヴェはリボルバーナックルを強化しようとは思わないだろう。

こだわりがあるのは分かるが、それに足を引っ張られて危ういところまで行ったなんて、冗談じゃない。
ため息を一つ吐いて、ウェンディは足を動かしながらも振り返った。

「ノーヴェ、ノーヴェ。いい加減、デバイスに拘るのもどうかと思うっスよ」

「……うるせぇ」

「いや、今日は云わせてもらうっス。大事にするのはノーヴェの勝手だから好きにすればいいとは思うっスけど、ね。
 負けたらどうなるかも分からないアタシたちは、必ず勝たなきゃいけない。
 ノーヴェだって、負けたくないっスよね? そんなことになったら、お母さんと離ればなれっス」

「うるせぇってんだろウェンディ! 云われなくても分かってんだよ!」

叫びを上げて、ノーヴェはウェンディを追い越し、先に行ってしまう。
ありゃりゃ、と声を上げてはみるが、ウェンディに悪気はない。
普通に考えれば分かるだろうに、なんでそんなことに拘るのか。

もし負けて管理局に捕らわれてしまえば、眠っているクイント・ナカジマと離ればなれになる。
そうなってしまったら二度と会うことはないだろう。管理局だってわざわざ掴まえた戦闘機人――それもType-Rを逃がすような下手は打たないはずだ。
それに、スカリエッティに捕らわれたサンプルを、そう簡単に管理局が奪還できるとは思えない。

もし、本当にもし、管理局がクイントを奪還したとしても再び会うことはないだろう。
自分を生きたまま長い眠りにつけて、十年近くの年月を奪い取った組織の一員と顔を合わそうと思う人間なんていないだろうし。
いるとしたら、それは馬鹿かよっぽどの変人だ。

大事な人と会えなくなる。そんなものを賭けて戦っているのだから、形振りかまっている場合じゃない――とウェンディは思うのだが、ノーヴェは違うらしい。
よく分からないっスねぇ、と首を傾げると、ウェンディは真っ直ぐにスカリエッティの元へと向かった。






















ソファーの背に身体を預けながら、チンクはシャワーを浴び水を吸って重くなった髪を指で弄んでいた。
くるくると巻いたり。結ぶつもりのない三つ編みにしてみたり。
無表情で淡々と手を動かすその様子に、隣に座っているセインは居心地の悪そうな顔をしている。

うわぁ……苛立ってる。絶対に苛立っているよチンク姉……。

とほほ、方を落として、セインはチンクを回収した時のことを思い出していた。
何があったのか、自分がISを使って顔を出した場所には八神はやてとチンクが一緒にいたのだ。
それもご丁寧にシェルコートで相手を守った状態で。

何かあったらしいとは思うのだが、それをチンクは説明しようとしない。
だというのにこんな態度を取られていれば、気になって仕方がない。
しかし、怖くて聞けるわけがない。

どうすりゃ良いの、とセインは困り果てていた。

そうしていると、チンクと同じように髪を濡らしたトーレが休憩室に現れた。
彼女はチンクを一瞥すると、首を傾げながら手に持ったドリンクを一気飲みする。
喉を鳴らしながら飲み干すと、満足したようにため息を吐いた。

一応、女の子なんだけどなぁ……そんなことを思うセインだが、目の前にいる姉は生物学的に女というだけで、別の何かなのかもしれない。

「……なんだチンク。浮かない顔をしているな」

「……そういうお前は、機嫌が良さそうだ」

「ああ。久々に――エスティマ様以外で、歯応えのある敵と相まみえることができた。
 生き甲斐が増えれば、嬉しいのも当然だろう?
 次の作戦が楽しみになるというものだ」

よっぽど充実した時を過ごしたのだろう。戦闘を思い出しているのか、トーレの声には恍惚が滲んでいるようだった。
そんな彼女とは逆の、苛立ちを浮かべた少女。チンクはちらりとトーレを見ると、再び髪の毛を弄る。

「……気楽で良いな、トーレは」

「ほう?」

「……いや、なんでもない。すまなかった」

すぐに言葉を取り消すチンク。その姿に、トーレは訝しげな顔をする。
今になって、ようやく様子がおかしいと気づいたのだろう。

どこか値踏みするような目つきでチンクを見ると、ふむ、と頷く。

「どうした。エスティマ様関係で何かあったのか?」

「……あったとも言えるし、なかったとも言える」

「嘘だな。お前がそんな風に悩むこと、エスティマ様以外にないだろう。
 何があった?」

その言葉に、チンクは顔を強張らせた。
よく見ている、とセインは感心する。
伊達に初期起動組というわけではないのか。それとも、年長者という矜持がこの姉にも一応はあるのか。それは分からないが。

「……私は何をしているんだろうと思ってな」

「……なかなかに難しいことをいう。私としては分かり切っていることだとは思うが。
 チンク。お前は、好きでドクターの下にいるのだろう?
 ならば、疑問を挟むことは今さらだろうに。
 目的がどうあれ、お前だって一人の闘争者じゃないか」

「目的……目的か」

そう呟いて、チンクは立ち上がった。
何を考えているのかは、セインにもトーレにも分からない。
ただ、髪の毛を一房三つ編みにして、首のリングペンダントを揺らし、彼女は立ち去った。

「……トーレ姉」

「なんだ、セイン」

「チンク姉が気難しいっていうか……色々と複雑なのは分かるけどさ。
 どうしてこうなったんだろうね」

こう、とは何を指しているのか。口にしたセインにも分からない。
しかしトーレには通じたのか、彼女は楽しげに口の端を釣り上げた。

「まぁ、お前には分からないことだろう」

「む……トーレ姉にそう云われると、なんか癪なんだけど」

「……何故だ? まぁ、良いか。
 要するに、チンクにはやりたいことがあるのだ。無論、私にもある。
 今はただの戦闘機人でしかないお前に、それを理解することはできないだろう」

「どういうこと? ただの戦闘機人って……どう転んだって、戦闘機人であることに変わりなんかないじゃんか」

「生き甲斐だ。夢、ともいえる。そういったものを見つければ、自ずと分かるさ。
 ドクターの生み出した戦闘機人。しかし生まれがそうであるだけで、戦うだけが人生のすべてとなるわけではない、ということだ。
 ……もっとも、私は少し違うがな」

にやり、と笑う姉に、うへ、とセインは顔を背ける。
セインからすればチンクと同じように、トーレもよく分からないのだった。

戦うために生み出された存在である戦闘機人。"そう"いうものに生まれてしまったのだから仕方がない、というのがセインの考え方だ。
だというのに、チンクやトーレは違うという。
しかしチンクはともかく、トーレも違うというのはどういうことか。

戦うしかないから戦っている自分たち。それとトーレがどう違うというのだろう。

「……セイン。お前はもう少し物事を深く考えたらどうだ?」

唸っていると、トーレにそんな声をかけられた。
……心外だ。





















ベッドの中で丸くなりながら、シグナムは回らない頭で色々なことを考えていた。
睡眠から覚めて、もう一度寝直そうとしても上手く眠れない。
なので、寝ぼけた頭で繋がりのない思考を繰り返している。

ギンガを助けられなかったことや、戦いに負けてしまったこと。
そこから始まり、段々と今までの人生を振り返ってゆく。
深く考えず、眺めるように思い出す毎日は、果たして、意味があったのだろうか。

エスティマの明確な敵と相対し、打ち勝つことができずに負ける。
主を守ることが守護騎士の役目だというのに、今の自分はまったくの逆だ。
主に守られている守護騎士だなんて、ただの笑い話にしか思えない。

まだ幼い。経験が少ない。そういった言い訳などいくらでもできる。
しかし自分は言い訳などしたくはなかった。真っ向から敵に当たり、主の障害を排除し、外敵から主を守れる存在になりたかった。
もう何も知らない子供のように、日だまりの中で過ごすことなど許されないというのに。
……私は守護騎士になれない。それだけの力がないし、絶対に諦めないと思っていた心根も、強大な敵を前にして折れてしまった。
……守護騎士になれない自分に、どんな価値があるのだろう。

そんな風に考えても、シグナムは答えを出さない。
悩んでいるふりをして、その実、考えてはいない。
ずっと休みなく走り続けてきた彼女にとって、認めたくはないが、失意に沈んだ今の状況は安らぎを覚える。

緊張もなく時間を過ごせるのはどれぐらい振りだろうか。
いけないと分かってはいても、無力感にすべてを投げ出してしまいたくなる。

そうしていると、枕元に投げてあったレヴァンテインが声を上げた。
来客らしい。誰だろうか。今は誰とも会いたくない。
休憩時間はまだ残っているのだし、と言い訳をして、シグナムは狸寝入りを決め込むように枕へ顔を埋めた。

しかし、どうやら相手は立ち去る気がないらしい。
シグナムが眠りに落ちようとすると、思い出したようにインターフォンが鳴る。
十回目ほどになってようやく、シグナムは顔を上げた。
そして、モニターの向こうにいる人物を見て目を見開く。

「……ち、父上?」

シグナムの部屋の前にいたのは、エスティマだった。
彼はじっとインターフォンのカメラに視線を注ぎながら、ドアが開けられるのを待っている。
どうしようか、と迷うも、シグナムはベッドから抜け出した。

そして床に投げてあったトレーニングウェアに足を通して――髪はまとめず、広げたままで顔を洗うと、玄関のドアを開いた。
ゆっくりと開かれた扉の向こうにあるエスティマの顔を、シグナムは直視できない。
伏し目がちで見上げても、口から上を見ることがどうしてもできない。
どんな顔を見せて良いのか、分からない。

「……おはよう、ございます」

「おはよう、シグナム。上げて貰ってもいいか?」

「はい。散らかっていますが」

どうぞ、とエスティマを部屋に上げて、シグナムはキッチンへと。
二人分のインスタントコーヒーに電気ポッドからお湯を注ぐと、リビングへと持ってゆく。

コトリ、とテーブルにカップを置くと、湯気の立つそれをエスティマは口に運んだ。
シグナムもエスティマと同じように腰を下ろして、コーヒーに口を付けた。

熱く、苦い飲みものでずっと霞がかっていた頭が冴える。
一口飲んだあと、伺うようにエスティマを見ると彼は視線をテーブルに向けたまま何かを考えているようだった。

「……シグナム。怪我は大丈夫か?」

「あ、はい。それほど深いものでもなかったので」

「そうか。なら、良かった」

「……あの、父上。それを聞くためだけに、わざわざ?」

鬱陶しがるような響きの篭もった声を、思わずシグナムは上げてしまった。
しかし仕方がないのかもしれない。今のシグナムにとって、エスティマはもっとも会いたくない人物の一人だ。
叱責にしろ同情にしろ、どんな感情を向けられたって辛い。

エスティマはそんなシグナムのことを分かっているのか、薄く、困ったように笑った。

「いや、話をしにきたんだよ、シグナム」

「話、ですか?」

「ああ。随分と遅れてしまったけれど……シグナムが何を考えているのか。どんなことがしたいのか。
 それを、いい加減に知らなきゃならないと思ってさ」

「……別にそんなこと」

「……そうだな。けれど、俺は知りたいんだ。余計なお節介なんだろうし、干渉を嫌がるシグナムの気持ちも分かる。
 けれど、はっきりさせよう。今のままじゃ、きっとロクなことにならない。俺もお前も」

……今更のことだ、とシグナムは思う。
自分が何をしたいかだなんて、あの日、管理局へ入ることを決めた時に伝えたはずだ。
自分は父上の守護騎士になる。そのための力をつける。
考えていることだって、ちゃんと伝えたはずで――

……いや、違うか。
最初はそうだったかもしれない。けれど、擦れ違っていた数年で、自分の考えも変わった。
ほんの少しだけかもしれないけれど、純粋だった子供の頃の願いは、今になって色褪せている。
思い通りにならない現実や、芳しくない結果。
それを前にして生まれてしまった諦めは、夢や願いを蝕んでいる。

「シグナム。守護騎士になりたいという願いは、今も変わっていないのか?」

「……はい。けれど、私は」

守護騎士になれるのだろうか。
そう続けようとして、上手く口が回ってくれなかった。

上がらない魔導師ランク。手も足も出なかった敵。
そういったものを前にして、誤魔化しようもなく折ってしまった心根。

「私は……」

こんな自分が、果たして守護騎士になれるのだろうか。
そう考えてしまうと、堪らなく不安になる。

「……自信がなくなった?」

「……はい。私は今まで、父上の守護騎士となるべく歩んできました。
 けれど、今のままで本当になれるのだろうかと、思ってしまって。
 ……いえ、違います。なれないのだと、思ってしまった」

その諦めがあまりにも重くて、同時に、もう背伸びをしなくて良いのだ、という囁きが心地良い。
駄目だ駄目だと分かっていても、思うように身体が動いてくれない。
これ、という理想や夢はある。けれど、その過程でぶつかる障害を目にしてしまうと気持ちが揺らぐ。

「……教えてください、父上。私は、あなたの守護騎士になれるのでしょうか?」

なれる。そう云って欲しい。そうすればまだ頑張れる。
酷い話だ。守るべき主に縋って、甘い言葉をねだるなんて。

けれど、

「どうかな。俺には、分からないよ」

返ってきた言葉は、望んだものと違った。
思わず落胆してしまう。

「……そう、ですか」

「ああ。俺が思う守護騎士と、お前が思う守護騎士はきっと違う。
 シグナム。お前のなりたい守護騎士ってのは、どんな存在なんだ?」

自分は、何になりたいのか。
それは酷く単純な問だ。
あらゆる脅威から主を守り、主の目的を達成するための刃となる。
そのために必要とされるのは、完全無欠の力で――今の自分は、それとは程遠い。

「俺はな、シグナム。お前には幸せになって欲しい。
 本当のところは、守護騎士として俺に尽くす人生のどこが幸せなんだって思っている」

「そんなことはありません。私は、そのために生まれたのですから」

「……そう、だな。俺がどう思おうと、それがお前の幸せで、やりたいことか。
 なら、シグナム。これからお前はどうするんだ?」

「……え?」

「さっき、お前は俺に守護騎士になれるのかと聞いた。
 俺には分からないことだよ、それは。今のままでも十分だと思っているから。
 お前を遠ざけたのは、俺と一緒にいれば今回みたいな――戦闘機人と戦う羽目になって、命の危険に晒されるからなんだ。
 AAAランクなんて無茶をいったのも、せめて生き残れるだけの実力を身につけて欲しかったから。
 ……どんなことが起きるのかは、その身で覚えただろう。
 その上で、お前はまだ守護騎士になりたいと思うのか?」

「……はい」

少しの間をおいて、シグナムはそう答えた。
どんな危険があろうとも、自分は父上の守護騎士になりたいと思っている。
不安なのは、いざというときに父上を守れないのでは、ということのみだ。
それがあっても――やっぱり守護騎士になりたいと願ってしまう。

……私は、父上の守護騎士になっても良いのですか?
その問に対する答えはない。
ただエスティマは、近くにいても戦い抜けるだけの実力をシグナムに求めている。

……過保護な人だ。
要するに、娘である自分を危ない目に遭わせたくないのだろう。
だから最低限の譲歩として、何があっても切り抜けられるだけの実力をシグナムに求めた。

それが分かって、シグナムは安堵した。
……私は必要とされていた。勿論それは守護騎士としてではなく、娘として、だが。
ずっと、シグナムは不安に思っていたのだ。
主を守るために存在する守護騎士。なのに、自分は幼い頃から守られているだけだった。
以前の自分が罪を犯していたということもあるだろうが――それを含めて、手元に自分を置いてくれないことは、父上にとっての邪魔になったからではないのかと。
そう思っていたのだ。

私は、あなたの傍にいても良いのですね。

しかし、安心すると同時に反骨心が湧き上がってきてしまう。

「……父上」

「なんだ?」

「私は、いつまでも守られるだけの子供ではありません。
 あなたが思っているほど、弱くもありません」

拗ねたような口調で、シグナムは云う。
その急な態度の変化に、エスティマは面食らっていた。

「えっと……シグナム?」

「いつか……いえ、近いうちに、必ず父上の隣に立ってみせます。
 父上の方から守ってくれと云いたくなるような、立派な騎士になってみせます。
 だから――」

シグナムの脳裏に、幼い頃の思い出が浮かんできた。
主人と守護騎士の関係ではなく、親と娘の。
あの頃に戻れるというのならば、私はいくらでも頑張れる。もう一度立ち上がるなんて、簡単だ。

そうして気付く。
ああ、そうか。
自分はあの頃に戻りたい一心で、ずっと背伸びを続けていたのか。

「だから、父上。もう少しだけ、待っていてください」

「……ああ。期待してるよ」

じっと見上げるシグナムの視線に、エスティマは微笑みを返す。
そして彼は手を伸ばすと、少し躊躇いながらシグナムの髪に触れた。
ポニーテールを解いた彼女の髪を、ゆっくりと撫でる。
懐かしい気持ちになりながら、シグナムは目を細めた。

「……頑張ります」
















頭を撫でられ、気持ちよさげに目を細めるシグナム。
この子が何を求めているのかは、なんとなく分かった気がする。

守護騎士になりたい、というこの子の願いに、きっと果てはないのだろう。
俺の傍に立って、未来永劫に主を守る。守護騎士となって何かをしたいのではなく、守護騎士になるのがこの子の夢なのだろう。

ひたむきなシグナムの姿勢に、俺自身の姿がダブる。
はやてのこともそうだ。俺は、こんなにも危うい姿に見えていたのか?

命を賭けて何かを成す。聞こえは良いかもしれないが、指をくわえて見ている立場からすれば怖くて仕方がない。
そんな気持ちを、今まで人に味わわせていたのか?

……それでも良いとは、思っていた。
どれだけ迷惑をかけようとも、目的さえ達成できれば満足だと思ってはいた。

けれどそんなことを繰り返していたら、すべてを失ってしまうのではないだろうか。
自分の命もそうだし、守りたい人たちに愛想を尽かされたり。

今更生き方を変えられないとは思う。しかし、それで良いのかとも思う。
俺にとって大切なこと、守りたいものとは、身近にいる人々と、自分を含めた皆の平穏。
しかし、それのために支払う代償はどれほどのものなのだろうか。
身体を痛め付けて戦い、それですべてが終わったあとに、何が残るというのだろうか。

もし俺がまた無茶をすれば、おそらく、六課の皆はそれを防ごうとするだろう。
昔ならばともかく、今のはやてやなのは、フェイトたちにはそれが出来るだけの力がある。

その時俺は、彼女たちを巻き込むことを良しとするのだろうか。
……そんなこと、出来るわけがない。
この戦いは俺がすべきもので――しかし、拡大した戦いは、既に俺一人のものではなくなっている。
それこそ、俺一人の命を注いだところで何も変わらないほどに。

俺の変わりに誰かが傷つくだなんて、考えたくはない。
けれどそれは、俺以外の人も同じように思っていることだろう。

本当、今更だ。指示を出す立場になって、初めて痛感するだなんて。
すぐ近くにいるシグナムや、はやてたちを失う。俺がそれを嫌だと思うのと同じぐらいに、彼女たちもそう思っている。

それを理解した瞬間、例えようのないざわつきが胸を襲った。
……なんだろう。死ぬことなんて、怖くなかったはずなのに。
怖いことといえば、何もできずに失うこと。為す術もなく翻弄されるぐらいならば、死ぬ気で抵抗してやると思えていたのに。

今の俺は、死ぬ気で、なんてことを口にすることすら躊躇ってしまう。
これを弱くなったと考えるべきか、成長したと考えるべきか。

「……シグナム」

「……はい?」

「あまり、根を詰めるなよ。俺を残して死んだりなんて、絶対にするな」

「……父上、何を当たり前のことを云っているのですか?」

「ああ、そうだな。当たり前だよ、本当」

不思議そうに首を傾げるシグナムに、苦笑する。
……本当、当たり前のことだっていうのに。





[7038] 閑話sts 2
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/09/09 22:37


「ニンジンいらないです!」

「そおい!」

ごしゃあ!

「……あう」

トレーへ山盛りにされたニンジンを見て、涙目になるキャロ。
こんな量、いくらなんでも処理しきれない。エリオに食べて貰うにしたって多すぎる。

とぼとぼとテーブルに向かうキャロ。
流石にティアナとエリオも、山盛りのボイルキャロットに唖然としていた。

「キャロ……どうしたのそれ」

「うう……いらないって云ったら、山盛りにされました……」

「もう罰ゲームの一種でしょう、それは」

というティアナだが、今のキャロには反応するだけの気力がなかった。
フォークでニンジンを突き刺し、口に運ぼうとする――が、匂いに耐えきれなくなったのか、皿に戻す。

「にしても、ここの食堂で働いている人って変わってるわよねぇ」

「うう……そうなんですか?」

なんとかフリードに食べて貰おうと交渉するキャロ。しかし、肉にしか興味のないドラゴンはそっぽを向いている。

「ほら、見てみなさいよ」

と、云われてキャロはカウンターへと視線を向ける。

「すみません。ミルクと食い物。それと、調味料をありったけ……」

「そおい!」

「……どうも」

とぼとぼと歩いていく局員。二つ持ったトレーの片方には、調味料が並んでいたり。

「……何に使うんでしょうか」

「というか、そおい、で意思疎通が取れてる不思議に気付きなさいよ……。
 あ、部隊長」

列の中にエスティマの姿を見つけて、目で追うティアナ。

「あ、少なめでお願いします」

「そおい!」

「……いや、あの、少なめで」

「そおい!」

「……いや、あの、多い! 多いってこれ!」

「そおおおおい!」

「人の話を聞いてくださいよ!」

エスティマ、意志の疎通が取れないことに肩を落としてテーブルへと向かう。
優秀なバックヤードスタッフ……? と背中が語っていた。

ところがどっこい。

「あ、お肉いりませんからー!」

「そおい!」

「もっと少なくて良いですよー!」

「そおい!」

「Motto Motto!!」

「そおおおおおおい!」

置いたらテーブルの足が折れるんじゃね? と思わずにはいられない量の食事を持ったスバルが、やってくる。
表情はご満悦。呆れ顔の三人を見て、不思議そうに首を傾げた。

「どしたの?」

「いやうん……そうよね。そういう使い方が正しいわよね」

「あはは、天の邪鬼だからねあのおばさん」

といいながら、物凄い勢いで料理を消費するスバル。
その光景から目を逸らしつつ、ティアナはキャロの方を見てみる。
するとどうでしょう。そこには、ニンジンを食べ尽くしたキャロの姿が――!

あるわけがなく、青い顔をしたエリオがテーブルに突っ伏していた。

「もう……しばらくニンジンはいりません」

「でしょうね」




















夜も更け、クラナガンの街並みが煌々と輝く時間。
六課隊舎から続く訓練場に四つの人影があった。

エスティマ、はやて、なのは、シスター・シャッハ。
それぞれ手に持っているのは、ようやく完成した新人たちのデバイス。

それのテストを行うために、四人はここにいるのだ。

「じゃあ、変な癖を付けると悪いからAIは切って」

「了解」

そうして、四人はセットアップを行う。

クロスミラージュはなのはが。
マッハキャリバーはシャッハが。
ケリュケイオンははやてが。
強化されたS2U。S2U・ストラーダは、エスティマが持っている。

「うん。じゃあ、軽いテストはシャーリーがやってくれたから、私たちは実戦テストをやろう。
 それじゃあ、今ダミーを……」

そこまで云って、なのはは言葉を句切る。
なんだかエスティマが呆れたような顔をしていたからだ。

「何? エスティマくん」

「なのは」

「うん」

「その歳でそのバリアジャケットは、どうかと思うんだ」

「そういうエスティマくんだって、短パンはどうかと思う」

「……うるさい」

「まーまー、二人とも落ち着いて」

「あ、あの、私は放置でしょうか?」

そう。四人は新人たちが着用するバリアジャケットを装着している。
エスティマが云うようになのはの格好は非常にアレだが、エスティマもエスティマで酷い。

一番酷いのは年齢不詳のシスターだが、誰もそれには触れなかった。

「借り物のバリアジャケットなんやから、そんなこと気にしたらあかんて」

「……はやてちゃんは良いよね。魔法少女っぽい格好で」

「いや、なのは。魔法少女ってのには語弊があるだろ」

「ひどっ!? っていうか普段の自分のバリアジャケット見てからそういうこと云って、二人とも!」

「……え、何か問題あるの?」

「ある……かな?」

「あの……私は?」

センスがズレてる。え、私が悪いの? と焦るはやて。
そんな彼女を放って、視線をぶつけ合うエスティマとなのは。そして蚊帳の外であるシスター。

「ともかく……人のバリアジャケットにケチつけるのって、趣味悪いよエスティマくん」

「悪くて結構。ティアナならともかく、お前にそれは似合わないだろ」

「……そう。はやてちゃん、シャッハさん。メニュー変更。
 機能テストを兼ねてちょっと模擬戦するよー」

えぇー、といった顔をするはやてと、乗り気のエスティマとなのは。
そして、くつくつと一人で笑うシスター。
結局おっぱじめやがったので、つき合う羽目になる。

が、

『シスターが、掴まえて! シスターが、画面端! (バリア)バースト読んで、まだ入る!
 シスターが……シスターが、近づいて……! シスターが決めたあああああああ!』

ご覧の有り様だよ、っといった感じに。

歳とバリアジャケットに触れてはいけません。




















フェイト・T・スクライアは、六課の寮を管理する者の一人である。
嘱託として呼ばれる時以外は、基本的に隊舎とは別にある寮の掃除などをやっている、のだが――

男子寮の一室に、そろりそろりと侵入するフェイト。
お邪魔しまーす、と声を上げてみるも、返事はない。

そして周りを見回す。ここはエスティマの部屋である。
どんなものかと見て――あまりの放置っぷりに、フェイトは頭を抑えた。

「……兄さん」

引っ越ししてきた時のままであろうダンボールが放置された空間。
寝床だけは綺麗なものの、それ以外は倉庫としか云いようがない。

しょうがないなぁ、とため息を吐いて、フェイトは兄の部屋を掃除する。
放置されっぱなしだった本棚を組み立て、ダンボールからひょいひょいと本を取り出しては収める。

それが終わると、今度は衣類の番。

「……わ、大きい。兄さん、こんなに背が伸びてたんだ」

手に持ったTシャツを自分の身体に合わせて、驚くフェイト。
大人になったんだなぁ、と思いながら発掘作業をしていると、手が止まる。

「……こ、これは」

えっちい本だ……。
ガガーン、とショックを受けるフェイト。
兄さんに限ってそんな……などと思う彼女は、そこら辺の情緒が間違いなく育っていません。

「えっちなのはいけないと思うんだ、バルディッシュ」

『……』

いや、この歳になったら流石に良いじゃないの、と思うも、言葉を返さないバルディッシュ。
それを肯定と取ったのか、フェイトは小さく頷いて写真集をゴミ袋へ。

「まだ他のがあるかもしれない。寮の風紀を取り締まるのも、寮母さんの役目だよね」

『……』

それはちょっと過大解釈しすぎなんじゃないかなぁ、と思うも、返事をしないバルディッシュ。
またも肯定と受け取ったのか、腕まくりをするフェイト。

その後、ガサ入れを続行したり、疲れたから兄のベッドで昼寝をしたり、兄の服を身体に当てて一人ファッションショーをしたり。
そして夕方頃になったら、エスティマの部屋は見事に生活空間となっていた。

「完璧だね、バルディッシュ」

『……sir』

綺麗になったし良いんじゃないかなぁ、色々と捨てられたけど。
そんなことを思うバルディッシュは、真剣にブラコンのマスターにどう接すれば良いのか悩んでいた。

一方その頃、

「ああ、ヴァイスさん? もうそろそろ預かっていた本、返しても良いですか?」

『おう、すまねぇなエスティマ。ようやくラグナが帰ってくれてよ』

「まぁ、妹にそういうのが見つかるのは、なんとも気まずいですからねぇ。
 っていうか、本とか場所取るでしょうに。データにしたらどうです?」

『動画派のテメェとは、きっと未来永劫相容れないな』

などと会話をする二人は、まさか預けていた物、預かっていた物が灰になっているとは知らず。
「俺の魂ガー!」とヴァイスが絶叫するのはまた別の話。





















「ソープに行くぞっ!」

と、叫び声を上げるヴァイス・グランセニック。
一人で盛り上がっているソレを余所に、酷く乾いた視線をエスティマとユーノは送っていた。

というか、ここではないどこか、というか、泣き虫小僧的な世界でも似たようなことを云っていた気がするのは気のせいか。
許可は取ってあります、はい。

「おいおいお前ら、今日は給料日だろうが! そんなテンションでどうする!」

「エスティ、給料の使い道は?」

「んー、気に入ってるメーカーが新しいデバイスのパーツを出したから、それかなぁ。
 あとは貯金か。ユーノは?」

「僕も欲しい本買ったら、貯金だなぁ」

「無視すんなよ!」

ダンダン、とテーブルを叩くヴァイスを迷惑そうに見る二人。
というか、六課の喫煙所で叫んで良い話じゃない。

「ヴァイスさん、モラルがないですよモラルが」

「まだ通常業務時間終わってないですから」

「細けぇこたぁ良いんだよ!」

と、豪快に腕を上げて話題を吹っ飛ばすヴァイス。
それに対して、どうしてくれよう、無理じゃない? と念話を交わすエスティマとユーノだった。

「大体だな。お前ら、色々と人生損してるんだって!」

「損っスか」

「おう。仕事を言い訳にして青春潰す人生は、なんとも惜しいと思わねーか?
 素材は良いんだから、それをもっと生かせよ」

「と、云われてもなぁ」

「……ねぇ。ソープと青春は繋がりませんよヴァイスさん」

「そんなことはねぇ! そこから広がる――!」

と、ヴァイスが反論&熱弁を振るおうとすると、

「なんや、面白い話をしてるみたいやね」

「アタシたちも入れて貰おうか」

背後から聞こえた声に、エスティマとユーノが凍りついた。
ギギ、と錆びついた調子で首を回してみれば、そこにいたのは、はやてとアルフ。

「……悪ぃ、二人とも。用事を思い出したからもう行くわ」

「ちょ……!」

「で、エスティマくん。詳しく話を聞かせて欲しいなぁ」

「ユーノ。アタシも聞きたいねぇ」

動けジ・O、なぜ動かん! とばかりに硬直する二人。そうしている内にヴァイスは逃げてしまう。
あとで潰す、と心に誓いながらもこの場からどうやって逃げ出そうかと考える二人。

『おいユーノ、どうするこれ。というか、なんでアルフが怒ってる風味なんだよ!』

『そっちこそ、八神さんのプレッシャーがなんかヤバイんだけど。怒らせるようなことしたの!?』

心当たりはない、と頷く二人は色々と駄目人間。
しかし非はないと思いつつも、上手いこと弁解の言葉が浮かんでこない辺りは実にらしい。

「で、ソープがどうしたん?」

「あ、あはは……いやぁ、ヴァイスさんがこの間行ったって話をだね」

「へー。アタシには、これから行こうって風に聞こえたんだがねぇ」

「誤解だよ!」

しかし向けられるのは白い視線。
なんでこんなに息が合っているのだろう、この二人。

どうしよう、と考えるエスティマ。男なんだし別に普通のことじゃないか、と開き直りたいけれど、第六感が止めとけと叫んでいる気がする。
一方ユーノは、ソープという単語を使って聞き間違いという方向に持っていこうと、その頭脳を無駄に回転させている。

が、二人の慌てっぷりを見て満足したのか、はやてとアルフはクスクスと笑う。
遊ばれていたのか、と燃え尽きそうな男二人。






「……ま、それはそれとして」

「……本当に行ってたら、どうしていたか」

「なんや、悔しいからなぁ」

「本当にねぇ」

苦笑する二人であった。






[7038] sts 十話 上
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/09/15 22:59
「つ、疲れた……」

「しっかりして下さい部隊長。まだ次があるんですから」

「……分かってるよ」

そう返事をして、机に突っ伏していた身体を起こす。
仕方がない、と俺を見るグリフィスの顔には、俺と同じように疲れの色が浮かんでいる。

ついさっきまで通信ウィンドウ越しに顔を合わせていた人たちとの会話が胃にきているんだろう。俺もそうだ。
六課が参加した初の大規模戦闘。その際の失態を、六課の設立に協力してくれた人たちに責められていたのだ。

クロノ・ハラオウンとカリム・グラシア。
前者の方からはマリンガーデンを崩壊させたことからの警告。次は庇えない、と。
後者の方からはロストロギアをみすみす奪われたことに対する叱責が飛んできた。
もっとも、予想していたよりはずっと柔らかくて助かったのだが。
むしろロストロギアの件よりも、その後に続いた、はやてを危険に晒したことへの方が厳しかったかもしれない。

魔導師として戦場に出ているとはいえ、彼女が聖王教会にとって貴重な存在であることに変わりはないのだから。

命令違反とはいえそれを止めることができなかったのは指揮官の責任であり、俺はその責任者なのだから、仕方がない。
はやて本人に対する処分は、減給と三日間出撃シフトから外れること。結果論だが、特に問題があったわけでもなかったのでこの措置だ。

部隊は損耗していないものの、被害は甚大――マリンガーデンがその筆頭だ――その上、戦闘機人を捕らえることもできず。
初陣ということで大目に見てもらった部分があるにしても、責められて然るべき有り様だろう。

「グリフィス、次の予定は?」

「ゲイズ副官が査察に訪れるのは……大体、一時間後ぐらいでしょうか」

「了解。まぁ、後ろ暗いことは何もしていないから問題ない……とは思うが」

さて、どうなんだろうか。
このタイミングで査察にくるってのは、外へ向けてのポーズなのか本気なのか。
どちらにしろ、やられることに変わりはないんだろうけれど。

椅子を軋ませながら立ち上がると、グリフィスを伴って執務室を後にする。
とりあえず、いつオーリスさんがやってきても良いように最後の見回りでもしておこうか。

「部隊長」

「なんだ?」

「査察と関係あるかどうかは分かりませんが……ロングアーチ00のことは、まだ非公開のままなんですか?」

「ああ、まだしばらくな。それに、非公開のままでも問題はない。海や教会はともかく、地上本部は誰だか知っているし」

「……そうだったんですか?」

「ま、そうでもなければ素性を明かさない人員を部隊に突っ込むことなんかできないって」

「それは、そうですが……」

納得できない様子で、グリフィスは口を噤む。
あまり深入りしては悪いと思ったのだろう。

コツコツと靴音を上げながら通路を進む。
幸先の悪いスタートで……この部隊は、順調なのかどうなのか。














リリカル in wonder














「査察、査察、都合の悪いデータはなーいっかな、っと」

即興で非常に微妙な歌を口ずさみながら、シャーリーはキーボードを叩いていた。
査察が入るという状況の割に表情は楽しそうであり、指の動きも軽やかだ。
そんな彼女の様子を、はやては空いている席から眺めていた。

シフトから外されているはやては、書類仕事を終わらせてしまえばこれといってやることがない。
自分の部下――エリオたちの様子を見てもいいが、自分が教える側に立ってもいいのだろうか、という考えがそれを躊躇わせていた。
スキル一つ取っても特殊な自分が、人にものを教えられるのかどうか。

新人たちの元へ行くという選択肢を消すと、はやての足はデバイスの設計室へと向いた。
リインフォースやシュベルトクロイツの調子を見る必要もあったし、丁度良いと思ったのだが――いざきてみれば、査察の対応に忙しそうだ。

なんだか申し訳のない気持ちになりながら、はやてはデバイスのデータを眺めていた。

新人たちのデバイスは完成間近。
というか、本来ならば今日にも渡す予定だったのだが、先日の慣らし運転で無茶をしたせいで再調整する羽目になっている。
そのため、お披露目は数日先延ばし。しかし、怪我の功名というべきなのか、完成度は上がっているようだ。

あとは新人たちの慣熟訓練の終了を待って実戦投入。
最初に予定していたスケジュールに若干の遅れはあるが、これはきっとエスティマの指示なのだろう。
実戦で万が一がないように、というのはいかにも彼らしい。もし自分ならば、やや早めの実戦投入に踏み切っていたかもしれない。

ここら辺は価値観の違いだろうか。
自分自身のことはともかく、他人に関わる問題となれば途端に慎重、というよりは臆病になる彼。
おそらく、どれだけ新人たちに訓練をさせてもエスティマは満足しないだろう。

はやてとしては、早く経験を積ませて自信を持たせたいと思っているのだが、それはそれ。
よっぽどのことでないかぎり、はやてはエスティマの指示に異を唱えるつもりはなかった。

微妙に調子の外れた歌を聴きながら、はやてはデータを流し見る。
そうしていると、妙な名前のフォルダを発見し、それを開いた。

「んー? sts計画?」

「査察、ささ……うわ」

「なんや、うわ、って。なんか見られてまずいもんでもあるん?」

「や、ないと云えばないんですけどー……」

答えに困り、誤魔化すような笑いを浮かべるシャーリーを横目に、はやてはフォルダの中身を見る。
中にあったのは、デバイスの改造に関する仕様書だった。
Seven Starsだけではなく、レイジングハートやバルディッシュ、リインフォースまでが対象に入っている。

……聞いていた話と違う。sts計画というのは、新人たちのデバイスを作成するためのものではなかったのだろうか。
仕様書を見ても、専門知識のないはやてには何が書かれているのか把握することはできない。

しかし、エスティマから聞かされていた計画と中身が違うことは、一目瞭然だった。

「……シャーリー。エスティマくんとグルになって、また危ないことしてるんか?」

「ノー! 違いますよ! 冤罪です!」

「やけに強く否定するんやね」

思わず、はやてはシャーリーに疑うような視線を向けてしまう。
しかし、それも仕方がないことだ。
知らぬ内にデバイスを改造して、またエスティマが力と引き替えに身体を虐めようとしているのではないかと思えてしまうのだから。
せっかく身体が治りかけてきたのに、また無茶を――そう思うと、怒りを通り越して悲しくなってくる。

「だから、本当に違いますってば! 少なくとも今は!」

「……今?」

「はい」

気分が沈みそうになったはやてに、シャーリーは声を上げる。

「少し前までは、まぁ、いつもの調子だったんですけど……。
 この間の戦闘が終わってから、もう一度洗い直すことになったんです」

「どんな風に?」

「えっと……」

はやてにも分かるように、頭の中で言葉を整理しているのか。
五秒ほどの間をおいて、シャーリーはゆっくりと口を開いた。

「術者の安全を考えた上での強化プラン、ってことになってます」

「その安全って、死ななければ良いなんちゅーボーダーやない?」

「違いますよ……あー、なんて云えばいいのか……強化プランって、リイン准尉とのユニゾンが前提なんです。
 融合した際に行われるダメージの肩代わりを利用したもの、といいますか」

「……ん」

そういい、はやては顔を俯けた。
融合騎は、ユニゾン時にダメージを術者と共有する。普通ならば両者に割り振られるそれを、融合騎の方に回すという話だろうか。
いくら人に近い形をとっているといっても、結局のところリインフォースはデバイスだ。
修復不可能なほどに破壊されない限り、修理することは可能――大事な騎士を物のように扱うことへ罪悪感を抱くも、はやてはそれを押し殺した。
リインフォースを他人と天秤にかけるわけではない。しかし、人間はデバイスほど頑丈ではないのだ。
傷を負えば、それが一生残ることもある。それにはやては、はやてだからこそ、人がどれだけ脆いかを知っている。
それならば――と。

そんなはやての葛藤に、シャーリーも気付いたのだろう。
彼女は小さく頭を下げる。

「秘密にしててすみません。
 仕様が決まったら、きちんとお話するつもりだったんです」

「……ん、ありがと。けど、気にせんでええよ。
 わがままいえるほど余裕のある状況じゃないことぐらい、分かってるつもりやから。
 な、それより、仕様書通りに進むとどうなるん?」

「あ、はい。それはですね――」

話題をさりげなく切り替え、はやてはシャーリーから噛み砕かれた説明を聞く。
それを頭の中で整理しすると、どうにも納得のできないことに思い至った。

……エスティマくんの考え方が変わった?
前まではひたすらに力を追い求めていたというのに。
けれど、それにしたって――

しかし、それもシャーリーの説明によって頭の隅へと追いやられる。
なぜ宗旨替えなんてしたのだろうか、という彼女の疑問に答えは出なかった。





















「問題らしい問題はないようですね」

「……もう良いんですか?」

「ええ。もともと今回の査察は、ポーズのようなものですから」

時刻は四時を回っていた。傾いてはいるものの、まだ太陽が沈みかけてすらいない時間だ。
呆気なく終わった査察に、俺は思わず溜め息を吐いた。
その様子を見て、フ、とオーリスさんは口元を歪める。この人なりの苦笑だ。鉄面皮を保とうとするせいで、嘲笑じみた形に見えるけれど。

執務室の中には、俺とオーリスさんしかいない。中将からの指示が俺個人にあるからと、グリフィスには余所へ行ってもらった。
オーリスさんは脇に抱えたバインダーを掴み直し、それにしても、と口を開く。

「あんな戦闘があったあとですから、もっと緊張感なりなんなりがあると思いましたが。
 いえ、良い意味ですよ?」

「ありがとうございます。
 緊張感を持ち続けても無駄に疲れるってことは、三課の頃に学んだので」

「そうですか。……なんにせよ、調子が悪くないようで安心しました。
 中将も言葉にはしませんが、あなたや八神さんを心配していますから」

「そう……ですか」

違和感があるような、ないような。悪い人ではないと分かってはいるから不思議ではないのだけれど。
厳めしい顔をしたあの人に、心配なんて似合わないとは思うが……神経細いからなぁ。

「六課に関しても、計画が持ち上がった当時はともかく、今はあまり悪感情を抱いてはいないようです。
 今回の事件で、公共施設へのものはともかくとして、人的被害はずっと少なくなっていましたから。
 中将はその点を評価していましたよ」

「ありがとうございます」

「ただ……」

「次は周りをもっと見ろ、と」

「はい。それと、部下の統率はしっかりするようにと」

……どこでも云われることは同じか。
ま、しょうがないと分かってるんだけどね。

「……そうだ、三佐。中将からの伝言を預かってます」

「はい?」

「ロングアーチ00からの連絡ですが、どうなっているのか、と」

「ああ……」

どう答えたものかと考え込んでしまう。
連絡らしい連絡は特にないのだが――

「特には。ただ、元気そうではありましたよ」

「そうですか。……父さんには、それで十分ですね」

そう云って、オーリスさんはくすくすと笑った。
今度は鉄面皮など脱ぎ捨てて、そのままの表情で。
普段がああだから、こうやって笑う彼女は絵になる。美人であるのは間違いないのだから。
が、普段が普段だからなぁ……。

「……何か?」

「いえ、何も」

なんて思っていると、普段のオーリスさんに戻ってしまった。
指摘されたら怒られそうなので、黙っておこうか。

その後、オーリスさんとこれからの部隊の動きなどを話し合い、査察は拍子抜けするほどあっさりと終わった。
そもそもの目的がポーズなので、当たり前なのだが。





















「て、ティアさん……元気出してください」

「そうだよティア。直せば良いんだし……」

「……うっさい」

スバルたちにそう声を返すも、ティアナはがっくりと肩を落としていた。
その原因は自分自身……というか、デバイスだ。

拳銃型デバイス、ドア・ノッカー。彼女の相棒であるそれは今、真ん中から真っ二つに割れている。
カートリッジを装填しようとした際に手が滑り、連結部が折れてしまったのだ。
ティアナのせいではなく単純に金属疲労なのだが、慰めにならない。

ヒビが入ったり、細かい傷がついたりは今まで何度もあったが、ここまで分かり易く壊れたのは初めてだった。
直せばいいと分かってはいるのに、どうしても気が沈んでしまう。

うう……こんな風に壊したことなんて、一度もなかったのに。

なのはがシャーリーの元へドア・ノッカーを持って行ったため、現在、訓練は中断中。
もし簡単なパーツ交換で直らないなら、このまま解散になる。

なのはが設計室へ行っている間、休憩しているよう指示があったのだが、ティアナはとてもそんな気分になれない。
壊れたのなら直せばいいと分かっているのに、どうしても割り切れないのだ。

「あの、ティアさん……何か、あのデバイスに思い入れでもあったんですか?」

エリオに声をかけられ、ティアナは俯いていた顔を上げる。

「……え?」

「いや、なんだかそんな気がして……僕もS2Uを一度壊したことがあるから、なんとなく」

「そうなんだ」

苦笑するエリオ。彼のデバイスは義兄からのお下がりだ。
ティアナの落ち込み様を見て、自分のことを思い出したのだろう。
ドア・ノッカーはまたそれとは違うのだが。

「……まぁ、思い入れはあるわよ。局員になって初めて出たお給料で買ってね。
 それからずっと大事にしてきたから」

それも少し違う。本当はエスティマの作ったデバイスだから買ったのだが、それを云おうとは思わなかった。
バイクを買う資金にするつもりが、街で見かけたドア・ノッカーを目にして衝動買い。

酷く短い話だが、それとは逆に思い入れはあった。
それこそ、今みたいに落ちこむぐらいには。

などとティアナが腐っていると、不意に通信ウィンドウが新人たちの目の前に開いた。
映っているのはなのはとシャーリー。
その後ろに、誰か――制服の上着を脱いで、作業台に向かっている後ろ姿が見える。

『予定変更。皆、少し早いけど切り上げようか。夜間訓練は一時間前倒しで始めよう』

「はい!」

『うん。それとティアナ。デバイスの修理はすぐに終わるみたいだから、設計室に取りにきてもらえる?』

「あ……はい」

返事をすると、新人たちは隊舎へ。
スバルたちは先にシャワーへと向かったが、ティアナは設計室へ。
少しずつ足を進める内に鼓動が高鳴ってゆく。
何故だろうと思いながら設計室へと入ると――

「失礼します」

ああそうか、とティアナは納得した。

部屋の中にいたのは通信に映っていた二人。
しかし、ドア・ノッカーを弄っているのは、そのどちらでもなかった。

作業台に向かっている人物――エスティマは制服の上着を椅子にかけ、ワイシャツを腕まくりした状態でドア・ノッカーに真剣な視線を注いでいる。
その見たことがない姿は新鮮で、ティアナは思わずぼーっと眺めてしまった。

「お疲れ様、ティアナ」

「……え? あ、はい! お疲れ様です!」

「えっと……どうかしたの?」

「なんでもありません」

ごほん、と咳払いをして姿勢を正す。そんな彼女に、なのはは首を傾げた。

「ああ、ティアナ。もう少し待って欲しい」

「はい! ありがとうございます!」

「……そんなに畏まらなくてもいいから」

と、ティアナの方を見ずに淡々と手を動かすエスティマ。
素手でドア・ノッカーを弄っているせいで、段々と白い指先が油で汚れてゆく。
しかし気にしていないのか、デバイスを組み上げる速度は変わらない。

組み上げが終わると彼は椅子に座ったままドア・ノッカーを構え、握りを確かめる。
そして小さく頷くと、はい、とグリップをティアナに差し出した。

「あ、ありがとうございます」

「いや、気にしないで良いよ。シャーリーの仕事を息抜きついでに横取りしたわけだし。
 それに、お礼を云うのは俺の方かな」

「え?」

「手入れ、欠かしてないみたいだ。そこまで丁寧に扱って貰えると、作った人間としても嬉しいよ」

「そ、そんな……私はただ、自分の手足になる物だから」

違う。本当はあなたが作ったからだ。そう云いたかったのだが、勿論口に出せるはずがない。
ドクドクと心臓が煩い。変な汗すらも出そう。
ドア・ノッカーを待機状態に戻すと、落ち着け私、とティアナは息を整える。

そんな彼女を余所に、なのはは感心した風にエスティマへと話しかけた。

「ティアナのデバイスって、本当にエスティマくんが作ったんだ」

「ああ、かなり前に。オークションに流したから誰が持っているかも分からなかったけど」

「ふぅん。……それにしては、落ち着いたデバイスなんだね」

「……言葉の通りに受け取ってやるよ」

あっはっは、と笑う二人。その間には非常に微妙な空気が流れている。
シャーリーは慣れたもので、見て見ぬふりをしていた。

「っと、なのはは別に良いとして……ドア・ノッカー、少しだけチューンしておいたから」

「別に良いって……」

「あ、ありがとうございます!」

「だからそんなに畏まらなくても……旧式のパーツを取り替えただけだし。
 それに、あまり意味がないかもしれないしね」

「……え?」

「もうすぐティアナたちのデバイスが完成するんだよ」

「はい。今はもう、最終チェックの段階ですから」

……新しいデバイス、か。
聞かされて楽しみだとは思うが、同時に、ティアナは僅かな寂しさを覚えた。
ドア・ノッカーは決して悪いデバイスではなかったが、やはり最新式の――それもインテリジェントタイプには敵わない。

六課の隊員として戦うのならば、デバイスを乗り換えるのだって必要なことだとティアナにも分かっている。
しかしそれとは別の、思い入れの部分が、それを素直に受け容れようとしなかった。

「ああでも、ドア・ノッカーはなんだかんだで一芸に秀でてはいるから、使う機会はあるんじゃないか?」

……そんななんでもない風に云われた気遣いに、ティアナはほんの少し救われた気分になった。

「そうなの?」

「ああ。フィールド防御を無視した零距離射撃。砲撃でも良し。落ち着いた仕様だろう?」

「……前言撤回、全然落ち着いてないよ。
 第一そんなの、ティアナのスタイルとは真逆じゃない」

と、なのはは恨めしそうな目でエスティマを見る。
実戦で使うかどうかはともかく、聞けば誰でも試したくはなる。
ティアナが実戦で使ったら――そんな可能性を考えてしまったのだろう。

「スタイルとギャップがあるからこそ、奥の手になるんじゃないか?」

「クロスレンジの技能がそう簡単に身につくわけがないって、知ってていってるでしょ?」

「あ、あの……私、試したりしませんから」

見た目だけは楽しそうにしながら火花を散らす二人に、ティアナは割り込む。
っていうか、部隊長となのはさんって仲悪かったの……?
目の前の様子に、そう思わずにはいられなかった。

しかしティアナとは違い、あはは、とシャーリーさんが笑い声を上げる。

「二人のじゃれ合いは、分かりづらいですからねー」

「じゃれ合い?」

「ああやって意見のぶつけ合いをするのが、部隊長もなのはさんも好きですから」

「……んなわけないだろ」

「……まったくなの」

憮然とした表情で、同じ反応をする二人。
仲が良い……のかしら?
どうなんだろう、とティアナは首を傾げた。




















「ユーノさーん、お客さんですよー!」

「あ、はい! すぐ行きます!」

無限書庫の下層から届いた声に、ユーノは顔を上げて返事をした。
検索魔法を中断して時計を見れば、いつの間にか約束の時間になっている。

しまった、と思っていると、すぐ隣から溜め息が一つ。

「まったくしょうがないねぇ。アタシが続きをやっておくから、行ってきな」

「悪いね、アルフ」

「良いって」

作業をアルフに引き継いで、ユーノは無限書庫の入り口へと向かう。
薄暗い書庫の出口は灯りに満ちており、その逆光の中に見知った顔を見付ける。

や、と手を挙げると、相手――クロノはそれに応じた。

時間が取れたクロノは、ユーノを夕食に誘っていた。本局に用事があって立ち寄るため、そのついでらしい。
どうせならエスティマも呼べば、と思ったが、今日は地上本部の査察が入るらしいので止めておいた。
仕事を放ってくるとは思えないが、それでも無理をしそうではあるから。

ユーノは断りを入れて無限書庫をあとにすると、クロノと共に外へと向かう。

「こうやって直に顔を合わせるのも久し振りだね」

「そうか?……ああ、そうだな。最近は通信ウィンドウ越しだったか。
 どうにも通信でのやりとりが多くて駄目だな」

「顔は見れても、やっぱり直接会うのとじゃ違うからねぇ」

会話をしながら、二人は本局内にあるファミリーレストランに入る。
席へと案内されて適当な料理を注文すると、そういえば、とユーノが声を上げた。

「今日は六課の方に顔を見せたんだっけ?」

「いや、通信だけだ。騎士カリムも見ていたし、上司として。
 説教だけして終わったな」

「前回の一件か……被害者の一人としては、マリアージュを全滅させてくれただけでも有り難いんだけどね」

ユーノは思い出したように腕を擦る。
美術館で負った怪我は、数日前に完治したばかりだった。

「まぁ、六課を評価していないわけではないさ。今回はマイナス面が大きかっただけでな」

「その言葉は僕じゃなくてエスティに云ってやってよ」

「あいつに云ったところで、言葉の通りに受け取らないだろうさ」

「……確かに、そうかも」

料理が運ばれてくると、二人はそれに手を付けながら会話を続ける。
味については、ファミレスだなぁ、という感想しか湧かない。

「……エイミィの手料理が恋しいな」

「あんまり帰ってないの?」

「ああ。次元航行艦の艦長なんてそんなもんだ。
 子供にも顔を忘れられていないか心配だよ」

「お父さんは大変だなぁ」

「他人事のように……お前だってその内、家庭を持つだろう?」

「どうかな。今はあまり、自分のことのように考えられないよ」

「お、否定しないのか」

「……否定したよ?」

「そうは聞こえなかったぞ。……アルフと良い感じなんだそうだな?」

う、とユーノは言葉に詰まる。
別にそういうのじゃない、と喉まで言葉が出かかるが、楽しそうな顔をするクロノはそれを餌にしそうだった。
知らないよ、と返し、ユーノは料理を口に運ぶ。
それをつまらなそうに見て、クロノは苦笑した。

「お前といいエスティマといい、煮え切らないな……」

「あのね、クロノ。そうやっていっつも色恋沙汰を引っ張り出すのはどうかと思うよ?」

「そういうな。既にゴールした身としては、後続を眺めるのが楽しくてしょうがないんだ」

「趣味が悪いね」

「そうれはどうも。なぁユーノ、僕は一度、家族ぐるみのホームパーティーというものをしてみたくてな。
 そのためには、お前かエスティマに家庭を持ってもらわなきゃならない。
 ……ああ、両方でも良いな」

「同僚でも呼べば良いだろ」

「馬鹿め。お前らを呼ぶことに意味があるんだろう」

「……そんなこと云われても、焦らないからね」

憎まれ口を叩くユーノだが、表情は楽しげだ。

自分とアルフが一緒にいて、フェイトがいて。
エスティマの隣には――誰がいるのだろう。やはり八神はやてだろうか。
それだけではなく、子供なんかもいたりして。嗚呼、確かに楽しそうだ。

それを実現するのは、少し骨が折れそうだが。
おそらく、クロノも同じことを考えているんじゃないだろうか、とユーノは思う。

とりあえずは結社関連の問題をどうにかしなければ、話題に挙がった夢は現実にならないだろう。
ただ、自分もクロノもエスティマも、より良い結果を出すために足掻き続けている。
それが報われるならば、クロノのいう夢が叶っても良いのではないか。

……ゴール云々は別として。












結社対策部隊、通称、六課。
この部隊に集められた者たちは、いずれもライトスタッフである。
フォワード陣は勿論のこと、バックヤードスタッフも。
そして医療スタッフも……なのだが……。

「健康診断をサボられた俺の怒り……悲しみをじっくり味わうがいい!」

「ちょ……ちょっとまてまさかその注射を!
 や……やめてくれ……! た……たのむ……!
 そ、そんなものさされたら死んじまう!! なっ!! な!
 うぎゃあああああ!」

と、実に楽しそうな声が木霊するのは六課の医務室。
世紀末な医者がいたりする中で、今日も元気にシャマルは働いていた。

「……いつも不思議に思うんですけど」

「なんだい?」

と、比較的まともな同僚に声をかけるシャマル。

「……六課のバックヤードスタッフって、優秀なんですよね?」

「優秀ではあるね」

「……確かに、優秀ではあると思います」

「ちなみに、君もそのスタッフの一員だよ?」

云われ、ガガーンとショックを受けるシャマル。
違うもん違うもん、と呟く彼女。

それを横目に、シャマルと会話していた青年は医務室へやってきた患者を、遅い、喚くな、と黙らせた。







[7038] sts 十話 下
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/09/25 02:59
「こちらスターズ03、ティアナ・ランスター。ケースを確保しました」

『ご苦労様、ティアナ。封印処理はしっかりとするように。
 もし魔力が残ってないのなら、他の人へ――』

「いいえ、やります」

なのはへの通信にそう返して、ティアナは息を整える。
両手で握るデバイスはドア・ノッカーではなく、最新式のインテリジェントデバイス・クロスミラージュ。
橙色のデバイスコアへじっと視線を注ぎ、ティアナは口を開いた。

「頼むわよ、クロスミラージュ」

音声を出さず、クロスミラージュはデバイスコアを瞬かせる。
それを肯定を受け取って、ティアナはトリガーを二度、引いた。

オレンジの魔力光が集い、砲撃魔法に似たスフィアを形成する。

「シーリングシュート!」

そしてトリガーワードが紡がれると同時に、ケース――ガジェットが狙っていたことから中身はレリックか――に炸裂。
しっかりと封印処理が施されたことを確認すると、ティアナはそれを持ち上げた。

『ティア、そっちはどう?』

『終わったわ』

『じゃあ作戦終了だね。……なんだか、少し拍子抜けかも』

『……そうね』

短く念話を返して、ティアナは汗に濡れた前髪を払った。
今回の出撃は、新人である自分たちにとっての初陣となる。
作戦の内容は、108陸士部隊から連絡を受けた密輸物――レリックらしい、というのは後になって分かったことだ――の確保。
部隊が現地に到着してから対抗するようにガジェットが出現するも、さほど手こずらずに撃破し、こうして目標を達成している。

訓練の成果が出たこともあるだろうが、やはり作戦がスムーズに進んだ最大の助けは交替部隊が自分たちについてくれたことだろう。
小隊長であるなのはが空を抑え、地上は自分たちが制圧。ベテランたちにフォローをしてもらいながらの戦闘は、思っていた以上に楽だった。

スバルがいっていたことはこれだ。戦闘機人が出てこなければ、自分たちでガジェットの相手をしても余裕はある。
その上で交替部隊が手伝ってくれたのだから、成功して当たり前といったところか。

詰まっていた息を吐いて、ティアナはクロスミラージュをホルスターへと収める。
その瞬間、手が細かく震えていたことに気付いた。

……緊張が解けたみたい。
武装隊員として戦場に出たのは、これが初めてだ。六課にくるまでは救助部隊として働いていたのだから。

スバルと同じように拍子抜けだと思う部分もある。しかしそれ以上に、初陣を問題なく済ませることができたことが素直に嬉しい。
これはきっと自信に繋がるのだろう。客観的にそんなことを考える。

……それにしても、

「……過保護、よね」

『what?』

「こっちの話よ」

緊張感が解け、余裕のある今だからこそそう思えるのだろう。
教導隊にしっかりと指導され、新型のデバイスを託され、初陣に相応しい咬ませ犬的な難易度の作戦を宛がわれる。
これからを期待されているからこその待遇なのだろうけれど。

使い捨てるのではなく、しっかり戦力として自分たちを使うための育成期間。おそらく、今日がそれの最後だったのだろう。
これからは作戦も訓練も難易度が上がってゆくのではないだろうか。

……やってみせるわ。ここまでの待遇と期待を寄せられているんだから。
そう胸中で呟き、ティアナはそっとポケットに触れる。
その中に収まっているのはデバイス――クロスミラージュではなく、ドア・ノッカーだ。

この部隊へと誘われたときのことを、ティアナは思い出す。
Bランク認定試験の終了に合わせて顔を出したストライカー級魔導師。スバルはなのはに、ティアナはエスティマに視線を釘付けにされた。
六課の隊員として働くという以外の目標――それぞれが憧れる魔導師へ近付くために、この部隊へいるのだから。













リリカル in wonder












はやる気持ちを抑えながら、スバルは道を進んでいた。
先端技術医療センターの戦闘機人に関する区画。ナースセンターで立ち入る許可をもらうと、彼女は迷いのない足取りで病室を目指す。
人気の少ない廊下の先にあるのは、姉、ギンガのいる病室だ。

ノックをして返事があるのを確認すると、スバルはスライド式のドアを開く。
病室の中にはベッドに横になったギンガの姿がある。が、痛々しさは既にない。もう退院が近いと聞いている。捜査官として現場復帰するのはまだ先だろうが、日常生活に問題はない。

「きたよ、ギン姉!」

「いらっしゃい、スバル。……それは?」

「えへへ、お土産」

そういって、スバルは手に持っていたビニール袋をベッドサイドの棚に置いた。

「クッキーだよ。シャマルがお裾分けしてくれたの、持ってきたの」

「シャマル……ああ」

そういって、思い出したようにギンガは頷いた。
同僚のシグナムと同じ境遇の少女がいると、思い出したのだ。

「お大事にって」

「そう。今度、お礼をいわないとね」

「うん。そうだギン姉、具合はどう?」

「いいわよ。もうじっとしているのが辛くて辛くて……まぁ、腕はそんなに動かないんだけどね」

そういって、ギンガは苦笑する。
生体部品の交換として新しく付けられた腕だが、まだ神経が馴染んでいなかった。
それでも片腕を失わずに済んだのは、やはり自分が戦闘機人だからだ。
心配こそさせたものの、父や妹を悲しませずに済んだことは申し訳ないと思いつつも有り難かった。

「早く前と同じように動かせると良いね。リハビリ、付き合うから頑張ろうよ」

「ありがとう」

「……っと、そうだギン姉! 今日はね、ちょっとしたニュースがあるんだよ!」

会話が途切れそうになった瞬間、思い出したようにスバルが声を上げる。

「どうしたの?」

「えっとね、遂に私たち、フォワードとして現場に出たの。それで、見事に目標達成。
 問題なく事件を解決できたんだ!」

「すごいじゃない」

「うん……なんて。けど、交替部隊の人やなのはさんたちに助けて貰ったんだけど。
 やっぱり、なのはさんに見守って貰っているって思うとすごい安心するんだ。
 それでね――」

興奮した様子で近況を報告するスバルに相づちを打ちながら、ギンガは妹の様子をじっと見る。
話題を途切れさせないよう話続けるスバル。自分を元気づけようとしてくれる気持ちが痛いほど伝わってくる。

そう、痛々しいほどに、だ。
必死にすら見えるその姿。こうなった原因は、やはり自分のせい――母が死んだ時のことをどうしても思い出してしまうのだろう。
家族を失ったその記憶が、今回のことで掘り起こされたのではないだろうか。
いや、母を失ったのはもう随分と昔のことだ。覚えていることが殆どないといっていい歳の話。
自分だって、覚えていることといったら――

「……ギン姉?」

「……ん?」

「なんだか、ぼーっとしてたよ。大丈夫?」

「大丈夫よ。ちょっと考え込んじゃってね。退院したら何しようかな、って」

「あー、それは考えちゃうよね。リハビリは勿論だけど、それ以外にもやることあるし!」

「うん」

……覚えていることといったら正直な話、母が死んだことよりも、ある人を怨み続けたことの方が大きい。
今思えば、ああやって怨むことで自分たちは救われていたような気がする。
母を救ってくれなかった人がすべて悪いと思いこみ、悪役に仕立て上げ、悲しみの変質した怒りを向けて。
随分と歪んだ在り方だとは思うが、それでも、自分たちは明確な敵がいたことで救われていたのではないだろうか。

……こんな風に達観できているのも、母の死から月日が経ったからだろうか。
いや、それもあるけれど、考え方が変わったのは母が死んだ原因――となっているあの人の言葉だろう。

少し考えれば分かることだが、自分たち姉妹は首都防衛隊第三課が壊滅したときの状況を知らない。
知る権限がない、というのもある。だというのに、自分たちはなぜ彼を怨むようになったのだろう。

それも、少し冷静に考えれば分かる。子供染みた単純な思考で恨み言をいい、彼はそれを甘んじて受けた。
だからこそ深く追求せず、自分たちは彼が悪いと思っている。彼も弁解も弁明もせずに口を噤んでいる。
酷く分かりづらいが、それも一つの優しさだったのではないだろうか。今になって、そう思う。

誰かを怨むというのは、酷く疲れるのと同時に酷く楽なのだ。
関係のないことすらも恨みの対象へと向けて、逃げることができる。
客観的に見てどう考えても醜いその感情だが、その逃げ道がなければ自分たち姉妹はもっと厳しい幼年期を過ごしていたのではないだろうか。

……母が死んだ時に、一体何があったのだろうか。
病院のベッドで横になるようになり、自由な時間が増えて、ギンガはそれをよく考えるようになった。
それに、自分が戦闘機人に撃破されたということも関係あるだろう。

戦闘技術が低くとも、そのスペックだけでストライカー級魔導師に匹敵する存在。
Type-Rと呼ばれているソレとは違っただろうが、当時の、今の自分たちよりも幼かった彼が戦っていた戦場はどれほど熾烈だったのだろう。

それを知る術はない。父は三課が壊滅した事件のことを調べているようだが、真相を知ったとしても自分たちに話すことはないだろう。
そして生き証人である彼――エスティマ・スクライアは、何も話してくれない。
しかし、彼の面倒を見て、まるで許しているかのように振る舞う父の様子を見れば、なんとなく察することはできる。

自分たちが真実を知る時は、果たしてくるのだろうか。
もしその真実が自分たちにとって都合の悪いものだった場合、素直に受け容れることができるだろうか。
もしその真実が想像していた通りのものだったとしたら、自分たちは彼をどうするのだろうか。

「……ねぇ、スバル」

「ん、何? ギン姉」

「エスティマさんは、どうしてる?」

「……ああ、部隊長」

彼の名を出した瞬間、怒りともなんとも形容しがたい表情を、スバルは作った。
――きっと自分も、あの戦技披露会のときに彼の言葉を聞いて当時のことを考え直さなかったら、スバルと同じままだっただろう。
それが良いことなのか悪いことなのかは、まだ分からない。

いつか自分たちが明確な答えをもらえる日は、くるのだろうか。
いつかと同じように、あの人と禍根もなく笑い合えるような日は、戻ってくるのだろうか。

「ねぇ、スバル」

「ん?」

「部隊の人とは、仲良くするようにね?」

「あはは、言われなくても大丈夫だよ。ティアと仲が良いの、知ってるでしょ?
 それになのはさん、優しいし。心配しなくても平気だから!」

そうじゃない。とは、いえない。
ようやく順調な滑り出しを始めた妹を悩ませるなんてことが、ギンガにはできなかった。
申し訳なくは思うけれど、もう少し。もう少しだけ――














「あ、エリオくん!」

男子寮へ戻ろうとしていたところを呼び止められて、足を止めたエリオは振り返った。
向いた先にいたのは、キャロとフェイト。二人は制服ではなく、私服に着替えている。
どこかへ行くのだろうか、と思いながら、エリオは首を傾げた。

「どうしたの、キャロ」

「うん。これからフェイトさんと一緒に、少し外へ出るの。
 それで、エリオくんも一緒にどうかなって」

「えっと……」

どうしようか、とエリオは考える。
キャロはご機嫌な様子で、にこにことこっちを見ていた。断ってこの表情を曇らせるのはどうなのだろう、と思ってしまう。
フェイトの方を見てみれば、彼女は困った風に笑っていた。

一応エリオにもこれから予定があったのだが、それは後回しにしても良いか。
予定といっても、親――両方の親に初陣があったことを電話で伝えるだけなのだし。夜でも良いだろう。

「じゃあ、一緒に行ってもいいかな?」

「うん!」

「ごめんね、エリオ。じゃあ、着替えてくるまで待ってるから」

「はい。急ぎますね」

そういって、エリオは自室に直行する。
妙にはしゃいでいるキャロの様子は一体どうしたことなんだろう。そう考えて、すぐに思い至る。
きっと初陣を終わらせたご褒美か何かなのではないだろうか。

仲が良いなぁ、と少しだけ羨ましく思ってしまう。兄のクロノはそういったことが苦手な節があるし。
その分、エイミィやリンディに遊んでもらったりしたのだが、やはり同性に遊んでもらうのは勝手が違う。
そういえば兄さんとも最近は合ってないなぁ、と考えながら、エリオは支度を調えてフェイトたちの元に戻った。

そこからバスで移動し、クラナガンの繁華街へと。
まだ日が高い時間だからか、通りにはたくさんの人が出歩いている。
その中を三人は歩いて、デパートなどでウィンドウショッピングを始めたり。

二人が服を見始めると、どうにもエリオは場違いな気がして肩身が狭かった。
母や義姉などに連れられて買い物をしたこともあるから気後れはしないが、なんとも。
ついてきて失敗だ、とは思わないにしろ、手持ち無沙汰になってしまう。

フェイトと一緒になってはしゃぐキャロを見ながら、ふと、エリオは数時間前にあった任務のことを思い出していた。
任務の内容ではなく、初陣に出て緊張していた自分たちのことを、だ。
自分はまだ良かったが、キャロの方は萎縮してしまって訓練通りに動けていたとは言い難かった。

それでも小隊長、副隊長のはやてとリインフォースに励まされ、フリードに引っ張られてなんとか任務を完了させることができたのだから、大したものだ。
これからも緊張が解れないことがあるかもしれないが、今度は余裕のある自分が彼女をフォローしてあげよう。
なんといっても、男の子なのだし。

しかし一歩離れてはしゃいでいるキャロを見ていると、彼女が竜召喚のレアスキル持ちで、強力な竜を従えていることが嘘のように思えてしまう。
おそらくキャロが本気になれば、自分よりもずっと六課の戦力として戦えるだろうに。
そうしないことに腹立たしさがあるわけではない。彼女が戦いを好まない性格だというのは、同じ小隊員として訓練を重ねてきたから十分に分かっている。
キャロに対して思うことは、今のような感性をずっと持っていて欲しい、ということだった。
悲しいことを悲しいと云い、悪いことを悪いといえるような純真さは大切だと思う。
大きな力を持っているからこそ、それを振るうことに躊躇いを持つ。それはとても重要なことではないのだろうか。

「エリオくん!」

「……ん、あ、はい!」

名を呼ばれ、エリオは彼女たちの方に駆け寄った。
まだまだ買い物は続きそうだ。
けれどそれで、慣れないことをして溜まったストレスが解消できるのなら付き合おう。

なんとも兄の義理堅いところが似てしまったエリオは、嫌な顔を見せず僅かな休暇を楽しんだ。























「これで良し、っと……」

退勤の準備を終えると、俺は隊舎をあとにした。
まだ働いている部下もいる状況で一足先に帰るのは心苦しいが、今日ばかりは残業するわけにはいかない。

一度男子寮の自室に戻り、制服から私服へと。
気のせいか部屋が妙に片付いている気がするが……きっとまた、フェイトがやってくれたんだろう。

ううむ。寮母とはいえ、勝手に部屋に入って良いものなのだろうか。
これって職権乱用なのでは、などと思いつつ、シャツにジーンズ、その上からジャケットを羽織って部屋を出た。
Seven Starsは胸元ではなくポケットに。財布も忘れていないことを確認すると、俺はタクシーを呼んでクラナガンの市街地へと向かった。

適当なところで下りると、雑踏の中に踏み込んでそのまま進む。
適当な曲がり角に入ると、フェレットに変身して人では通れない道を行く。
何故こんな行動をしているのかといえば、半ば趣味、半ば仕事、と。

そうして歩き続けていると、クラナガンの外れ、廃棄都市区画にほど近い場所へと出た。
もう夕日は沈んでおり、顔を出した路地は毒々しいネオンと中途半端な暗闇で構成されている。

廃棄都市区画の近くには、どうにも管理局とはお近づきになりたくない者たちが集まっているらしい。
中将もその辺りのことに頭を悩ませていたが、それは別の話。

目的地を目指しながら、俺は黙々と足を動かす。
そうして到着した場所は、開いているのか閉まっているのかも分からない喫茶店だった。夜になると酒も出す類の。

扉を開け、軽やかなドアノブの音を聞きながら店の中を見回す。
すると、奥の席に待ち合わせをしていた彼女を見付け、マスターに会釈をしつつ進んだ。

「ん……? よー、エスティマ」

「や」

片手を上げて応じると、彼女は吊り上がりがちな目を緩めた。
肩口まで伸びた赤紫の髪が、僅かに揺れる。

彼女の服装は、白のブラウスにロングスカート、といった、おそろしくシンプルなもの。
普段の髪型や服装を知っている俺からすれば、どういうことなの……といった感想しか出てこない。

が、少し考えれば分からないこともない、か。
落ち着いた服装はあの人の好みか。だから彼女もそれに合わせているのだろう。
この格好をあの人に見せているのかどうかは分からないが。

「で、どーよそっちは」

「ああ。新人たちの初陣は無事に終了。まぁこれからは、奴らに経験積ませつつ、ってところかな」

「順調なみたいで何よりだな。アタシたちの方も、特には。
 ただ、ようやく前から言われてたのを見付けたから、少し動きがあるかもなー」

「……なんだって?」

「けど、全部ってわけじゃないから」

「……そっか」

溜め息を吐いて、思わず額を抑える。一瞬で頭に血が上るのは悪い癖だ。

「ああ、それと、やっぱり例のお姫様だけど、ウチにはいないみたいだぜー。
 データベースによると、聖王教会が保護した、ってことになってる。
 けどアイツら、平気な顔してエスティマんところに文句いってきたんだろ?」

「……まぁね」

「あーやだやだ。これがベルカのやることかよ」

まったく、とぶつぶつ文句をいっていると、マスターが無言でトレーに乗せたコーヒーとケーキを持ってきてくれた。
寡黙なこの人は、どうやら老後の楽しみでこの店を開いているのだとか。
道楽でやっているから、営業日は不定休。そのせいで客が寄りつかない。味は良いのだけれど。

どうも、と頭を下げて彼女と向き合う。
コーヒーをブラックのまま一口飲むと、話を続けた。

「まぁ、教会が一枚岩でないのは知っているさ。俺の友人がそれを知っているのかも微妙だし」

「そっか。関係ないと良いな。隠し事はされるのもするのも気分悪い。
 ……んー、相変わらずここのケーキは美味いなぁ。テイクアウトしてもらおう」

「……俺の払いなんだけどね、ここ」

「いいじゃないかよぉ、アタシだって仕事してんだ」

「その分の給料はあの人に渡してるんだけど……」

「嫌だよ、金をせびるなんてみっともない」

「そうかい」

そうともさ、と彼女は頷き、フォークでチーズケーキを崩す。
それを口に持っていくと、幸せそうに表情を蕩けさせて――けれどすぐに申し訳ないような顔をした。

「ルールーも連れてきたいんだけどなぁ」

「やめろ馬鹿。ただでさえバレてるかもしれないってーのに」

「馬鹿はないだろ、馬鹿は! ったくもー。
 ……けどまぁ、言ってはみたけどどうなんだろ。ルールー、なんかお前のこと目の敵にしてる節があるし」

「そうなのか?」

「んー、あの子あんなだからいつもは分かりづらいんだけど。
 けど、だからこそ感情が少しでも出ると丸わかりなんだよな。
 お前、なんかしたの?」

「心当たりはないよ。実際に顔を合わせたことは……まぁ、覚えてないだろ。まだ赤ん坊の時の話だし」

「そっか。なんでなんだろうなぁ」

と、聞かれても俺に分かるはずがない。
彼女の言うルールー――ルーテシアとは、十年近く顔を合わせていないのだから。
思い当たる節はない。が、なんとなくは想像できたりする。大方、スカリエッティかクアットロに何かを吹き込まれたのだろう。

それが厄介じゃないと良いが……まぁ、期待するだけ無駄か。
ギンガちゃんやスバルと同じ方向って線もあるが、あれは俺が近くにいるからこその感情だろうし。

「ま、とにかく、お仕事ご苦労様。これからもよろしく頼むって言っておいて。
 ……というか、あの人は後ろでこそこそするのが苦手だから、ほとんど君がやってる気が……」

「……そこはお前、気にしちゃ駄目だって。アタシはただの使いっ走りなんだから」

「……そうだね」

その後、ほんの少しだけ雑談をして俺たちは別れた。
一緒にいた時間は三十分ほどだろうか。

ケーキの箱を片手に帰って行く彼女を見送って、俺も帰路につく。
帰りにどこかへ寄っていこうか。そんなことを考えていると、携帯電話にメールが入った。

何事かと見てみれば、中将から夕食のお誘い。
場所はここからそう遠くはない、高架下のおでん屋。
俺はまだ酒が飲めないというのに……。

「……それにしても」

……平和だ。

この間、大事件があったばかりだからだろうか。
動きのない状況に焦りを感じるほどではないが、それでも、のんびりした分大きなしわ寄せがあるんじゃないかと思ってしまう。

いつまでもこんな日が続けば良いのに。




[7038] sts 十一話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/09/25 03:00

「なん……だと……」

『悪ぃ、駄目か?』

「いや、良いんですけどね……」

通信画面の向側にあるゲンヤさんの顔は、なんとも申し訳なさそうなもの。
この人には色々と恩があるし、無下に断りたくはないんだけれど。

『新人らを貸してくれるだけでいいからよ。頼む、エスティマ』

「……はい、分かりました」

『本当、すまねぇ』

「いえ、良いんですよ。新人たちにも警備任務は経験させておきたかったので。
 では、こっちのスケジュールを調整しますから、打ち合わせは後日」

『おう。ありがとな』

そういって、通信が切れる。
ゲンヤさんの顔が完全に消えたのを確認すると、俺は溜め息を吐きながら椅子に体重をかけた。

「あの……部隊長?」

「なんだグリフィス」

「新人たちに警備の経験を積ませるのは良いのですが……よろしかったのですか?」

「まぁ……なぁ」

何か言いたそうなグリフィスに、なんともいえない返事をする。
今さっきゲンヤさんからあった通信は、ちょっとした頼み事だった。
ギンガちゃんが抜けてシフトが崩れがちな108陸士部隊に、大きな任務が舞い込んできた。
それに必要な魔導師の数が足りないから手を貸してくれ、という話だ。

108の行う任務は、ホテル・アグスタの警備。
ロストロギアの密輸入の捜査を担当している108部隊が行うことになったのだ。
が、ギンガちゃんが抜けたせいでそれも叶わず。
どこの部隊も余裕がないということなので、ウチの新人たちを借りれないかという話に。

本来ならば六課が行うはずの任務だが、今の六課は結社対策のために動く、という理由があるため声がかからなかった。

新人たちがいなくても交替部隊、それにフェイトがいるのだからよっぽど規模の大きい戦闘が起きない限り問題はない。
それにさっきも云ったように、ゲンヤさんには色々と恩がある。断ることなんか出来やしない。

が……ホテル・アグスタにはあまり関係したくなかったんだがなぁ。

既に役に立たなくなっている原作知識では、確かティアナがミスショットをする舞台となっている。
それと同じことが絶対に起きるとは誰も言い切れない、というか、起きない確立の方が大きいだろう。
けれど、部隊が順調に動き始めた今、余計なトラブルは起こしたくない。

……しょうがない。またあの人に頼るか。
目に見えないところで働いている六課の隊員の顔を思い浮かべ、つい眉間に皺を寄せた。

「……グリフィス、シフト調整を手伝ってくれるか?」

「はい。部隊長が決めたことなら、僕は口を挟みませんよ」

「そりゃどーも」














リリカル in wonder














それは三年前のこと。

爆音と共にドアが破られる。炎と共に立ち上る煙。
その向こう側からゆっくりと姿を現す影を、レジアスはじっと見つめていた。

傍らに立っていたオーリスが躊躇も何もなく、レジアスを庇うように両手を広げて前に出る。

「よせ、オーリス」

それを止めるために口を開き、レジアスは薄く目を瞑る。
そして再び目を開くと、視界の中心には一人の男がいた。

彼を目にして、レジアスは懐かしさを覚えると共に、思わず目を逸らしたい衝動に駆られる。
しかしそれを必死に押し殺して、僅かに唇を噛んだ。

「……手荒い来訪ですまんな」

「……ぜ、ゼストさん!?」

侵入者の姿を目にして、オーリスが驚きを滲ませた声を上げた。
それもそうだろう。
数年前ならばこの場に顔を見せても、なんらおかしくはなかった人物。
しかし、今は違うのだから。

戦闘機人事件の前にあった、研究施設への踏み込み捜査。
その際に、エスティマを残して壊滅した首都防衛隊第三課。当時の隊長であるゼスト・グランガイツは、その時に死亡しているはずなのだから。
だがそうではない――いや、本当に死にはしたのだろうが――ことを、レジアスは知っていた。

あくまで可能性の話としてだが、レリックウェポンとしてゼストが生きているかもしれないと、エスティマから聞かされていたのだ。
だから驚かない、というわけでもない。理由はそれだけではないのだが。
……それはともかく。

「なぜ俺がここへきたのか、分かるか?」

「……ああ」

ドアを破砕した際に上がった煙が晴れて、レジアスはようやくゼストの顔を見ることができた。
外見は何も変わっていない。自分とほぼ同じ年齢だというのに若々しいのは、魔導師の特権か。

ただ、重傷ではないにしろ怪我を負っているのはどういうことだろうか。
スカリエッティ側にいるゼストがガジェットに攻撃する必要はないだろうし、彼がガジェットの攻撃を受けるとも思えない。

実際のところは彼が勝手な行動に出ないよう監視していたチンクを振り払ってきたからなのだが、レジアスがそれを知っているわけがない。

「……その怪我はどうした?」

「勝手な行動をとらないよう軟禁されていてな。少々、無理をして出てきた」

かつかつと固い靴音を立てながら、ゼストはレジアスの眼前までやってきた。
そして、懐から二枚の写真を投げて寄越す。

机の上に舞い降りた写真。一つは、首都防衛隊第三課の集合写真。
そしてもう一つは、レジアスと共に映っているものだ。

「レジアス。聞かせてもらいたいことがある」

「なんだ」

「俺の部隊が壊滅したあの事件……お前は関与していたのか? 俺の部下は、お前が殺したのか?
 そして――お前はエスティマをどうするつもりだ。俺のように使い捨ての道具にするつもりなのか?
 答えろレジアス。これを聞くために、俺は生き恥を晒してまで、ここにきたのだ」

ゼストの問いに、そうか、とレジアスは胸中で呟く。
なんともゼストらしい。いや、人として当たり前のことなのかもしれないが。

レジアスは重い溜息を吐くと、写真へと視線を落とした。
色を失いつつある写真の中の自分たちは、まだ固い絆で結ばれていた頃の姿だ。
自分とゼストが、今のような関係になるなど微塵も思ってはいないだろう。

共に地上の平和を願っていた頃の――

「……答えろ、レジアス」

「ああ。……あの事件に俺は関与していた。黙認、とういう形でな。
 だからこそ、あの研究施設に踏み込もうとしていたお前たちを、あの案件から外そうとしていたのだ」

「……それがどういう意味なのか、分かっているな?」

「ああ」

黙認していた。それはつまり、違法研究者であるスカリエッティを意図的に見逃していたということだ。
最高評議会の思惑があったにしろ、レジアスはミッドチルダの平和を願いながら犯罪者を見逃していた。

その結果が――今、自分たちの背後で行われている戦闘だ。
スカリエッティは結社などという組織を作り上げ、ミッドチルダを脅かすほどの存在になってしまった。
ゼストとの誓いを最悪の形で裏切ったことになる。

「……レジアス。お前は俺と共に目指した理想を裏切のか。だが、何故だ? どうしてお前は歪んでしまったんだ。
 手段を選ばず手にした力にどれほどの価値がある。お前はそれを分かっていたはずだろう!?
 俺だけならばまだ良かった……だが俺の部下を、決して日の目を見ない犠牲者たちを増やしたのは許せん」

いい、ゼストはデバイスの切っ先を持ち上げる。
それを目にしたオーリスは、再びレジアスの前へと出た。

「ゼストさん、父さんは――!」

「下がれ、オーリス!」

レジアスに怒鳴られてオーリスは肩を震わせるが、レジアスの前からは退こうとしない。
頑として力一杯に首を振りながら、ゼストとの間に割り込み続けている。

オーリスの肩越しに、レジアスはゼストを見る。
デバイスを持つ腕に力を込めるゼストは、やりきれない表情をしていた。泣いているように見えたかもしれない。

……どこで自分は間違ったのだろうか。
今となっては、分岐点を思い出すことはできない。

ただ、切っ掛けは分かる。力を欲して、今の地位に就いた代償として最高評議会の使いっ走りになり下がったのだ。
汚い手を使って地位を手にしたならば、その手段を手放すことはできない。
もし手放そうものならば、自分の犯した罪を問われて今の地位を追われただろう。

罪悪で塗り固められた地位に齧り付くだけの価値はあった。
しかしその代償として、倫理観だけではなく、友情すらも自分は売ったのだ。

その精算を迫られるというのならば、抵抗はしない。
レジアスはじっとゼストのデバイスを見つめて――

――オーリスと自分を包み込む、サンライトイエローのフィールドバリアが展開された。

続いて聞こえたのは、ガラスの砕ける甲高い音だ。
背後から何かが――いや、この魔力光を持つ魔導師にレジアスは心当たりがある。

最上階に近い場所のガラスが破れたことで、甲高い風切り音が執務室に木霊する。
それに混じって、

「……そこまで、です」

声変わりを果たしたばかりの声は、途切れ途切れの息と共に吐き出されていた。
頭上を見れば、そこには両肩にアクセルフィンを形成したエスティマの姿がある。

彼は音を立ててデバイスをゼストに向けると、ゆっくりと地に足を付けた。

「……エスティマ」

「お久し振り……です……隊長……」

脂汗を顔中に浮かべ、映えるような金髪は汗でびっしょりと濡れている。
なぜここに、と疑問が湧いてきたが、彼の姿を目にして安堵したオーリスを見て合点がいった。

おそらく、本部施設に侵入を許したと報告があった時点でオーリスが彼を呼んだのだろう。
レジアスはゼストがきたのだと分かっていたので、警備も何もつけないよう指示を出したのだが……。

「エスティマ……今は、三課の部隊長をしているそうだな」

「ええ。隊長の後釜として」

ゼストは、眩しいものを見るように目を細めた。
微かに笑みを浮かべて、しかし、すぐにそれを打ち消す。

「苦労をかけてすまない。お前には謝っても謝り切れん。……だが、謝罪は後だ。今は――」

「させません」

エスティマの足元にミッドチルダ式の魔法陣が展開した。
必死に呼吸を整えようとしているのだろう。出来損ないの口笛じみた吐息が漏れている。

満身創痍の状態なのは、無理もない。スカリエッティとの戦闘があり、その後は飛び回りながらクラナガンを襲っているガジェットを破壊して回っていたのだ。
むしろ、この場に間に合っただけでも僥倖だろう。

しかし彼はそれで由とせず、デバイスを握り、手に力を込める。

その様子に、ゼストはレジアスへ責めるような視線を向けた。

「レジアス、貴様。また俺のような……」

「いいえ、隊長。中将を守ろうとしているのは俺の意思です。
 ミッドチルダがこうなった以上、中将を死なせるわけにはいかない。
 ……それに、俺との契約もある。
 今更死んで楽になろうだなんて、虫が良い」

エスティマの言い様に、レジアスは微かな違和感を覚えた。
いつもとは違う、余裕のない言葉だ。荒んでいる、と言っていいかもしれない。

「隊長。あなたが何を思ってこの場にきているのかは、なんとなく分かります。
 けれど、俺にはすることがあるんだ。そのために中将を断罪することは許しません。
 この人には生き続けて、贖罪してもらう必要がある」

「……どうだろうな。このままレジアスをミッド地上の防衛長官とし続けるぐらいならば、海に介入された方がまだマシかもしれんぞ」

「今の混乱状態に拍車をかけるような真似をすれば、ミッド地上は立ち直ることができなくなる。
 できても、今と同じ状態に戻るまでどれだけの時間が必要になると思っているんですか?
 少しでも早く結社と戦える状態に戻るならば、この人を残しておくのがベターです。
 ……俺はまだ諦めてなんかいない。諦めてたまるか」

吐き捨てるような最後の呟きは、どこへ向けられたものか。
自分自身か。それとも、レジアスとゼストを責めたのか。

そんなエスティマを、若いな、とレジアスは思った。
随分と昔に自分が失った純粋さか。諦めの悪さといえるかもしれない。

「……エスティマ、お前は何を望む? この最悪ともいえる状況で何を成そうとしている?」

「俺はただ、取り戻したいだけです。もう取り戻せないものはある……けれど、まだ間に合うかもしれないものもある。
 今も昔もそれは変わりません。手遅れなんかじゃない。最悪でもない。戦える限り諦めない。
 俺はまだ、自分自身に見切りをつけていない」

「それはお前の思い違いかもしれん」

「なら、その思い違いに気付くまで足掻きましょう」

エスティマの言葉を最後に、しん、と執務室は静まりかえる。
外からは戦闘音が響いてくる。破られた窓枠から入り込む強風に、エスティマとゼストの髪が踊る。

そうして、二人が睨み合いを始めてから、どれだけの時間が経った頃だろうか。

くっ、とゼストが苦笑を浮かべ、デバイスを下ろした。

「青さは抜け切れていないが……いい騎士になったな」

「……俺はミッド式の魔導師ですけど」

「細かいことを気にするな。……レジアス」

ゼストはエスティマからレジアスへと視線を移す。

「エスティマはこういっているが……お前はまだ、ミッドチルダの平和を願っているか?」

「……ああ」

「なら、俺はそれを見守らせてもらうとしよう。断罪か贖罪かは、後に決める。
 逃げても無駄だぞ。次元の果てまで追い詰め、お前とは決着を付ける」

「分かっているさ」

ゼストの言葉に思わず苦笑してしまう。
戦闘態勢は解いたようだが、ゼストは自分を許してはいないだろう。
ただ、自分の後を継いだ者――エスティマの悪足掻きに付き合おうと思っただけなのだ。

おそらくゼストの心を動かしたのは、三課の壊滅に巻き込んだ負い目と、失ったひたむきさを持つ彼への期待か。

……この場合は、エスティマに感謝するべきなのかどうか。
まだまだ隠居も、楽になることもできないらしい。



















意識が急に浮き上がりゼストは低い呻き声を上げた。
目もとを擦りつつ、いつの間にか寝てしまったのかと頭を振る。

寝起きだがすっきりとした感覚はない。むしろ、慢性的なだるさがより重くなっているような気がする。
それを気合いで振り払い、ゼストは身を起こした。

視界には一面の緑が広がっている。天気が良いからだろう。むせてしまいそうなほどの青い臭いが充満していた。
川辺に出れば少しは変わるかと思いながら、ゼストは足を動かし始める。

一度死に、仮初めの命を得てからずっと身体はこの調子だ。戦闘ともなれば今の状態が嘘のようになるのだが。
レリックウェポン・プロトであるエスティマ。そのデータをフィードバックして改造されたテストタイプがゼストだ。
身体への負荷を始めとしたあらゆる面で試作型を上回っているらしい、とは聞いている。
しかし、その軽くなった負荷でさえ今の自分には辛いものがある。

所詮は自分もエスティマもType-Rへの布石でしかない。元々、長くは保たないように作られているのだろう。
嫌な話だ。直接的にスカリエッティへ牙を剥こうとしている二人が、既に消耗しているとは。

さくさくと草を踏み締めながら、ゼストはひたすらに足を動かす。
そうしていると冷ややかな風が流れ始め、視界が開けると小さな川が見えてきた。

川辺まで行き、大きめの岩に腰を下ろすと、ゼストは何をするでもなく水面に視線を落とす。

エスティマと協力し、結社を崩そうと誓ってからもう三年が経つ。
それから今までの間に出来たことは、そう多くない。
殆どがエスティマの手が届かない場所へのフォローに回っているだけで、成果といえる成果を出せてはいない。
今日もこの場にきているのは、スカリエッティからの頼み事を聞こうとしていたルーテシアの代わりだ。エスティマからの依頼が重なったのは偶然に過ぎない。

色々なことを先延ばしにしているだけの現状。
何もしないよりはマシだとは分かっているが、それでも虚しさは込み上げてくる。
それに、ゼストがわざわざスカリエッティの元に残ってでも果たそうと思っている最大の目的も、まだ手の届かない位置にあった。

六課が設立されれば何かが変わると思っていたが、それもない。
焦りすぎなのか、エスティマやレジアスが悠長なのか。
ベルカの騎士である自分の性質もあるだろうが、長い目で物事を見ることがゼストはどうしても苦痛だった。
歳を取ってそれなりの忍耐力はついているが、それもこの三年で使い果たしてしまいそうだ。

が、なんの策もなく敵の懐に飛び込めば三課の二の舞を踏むことは目に見えている。
今はただじっと待つしかないのだ。そう自分に言い聞かせ、ゼストは時刻を確認した。

「……もうそろそろか」

『アギト』

『あいよー、旦那。もう起きたのか?』

『ああ。今、どこにいる』

『もうホテルの方に向かってるよ。まだゆっくりしてくれてて良かったのに』

『そうもいかんだろう』

『いいってば。動くのはアタシ一人なんだから、気にしないでって』

『……頼む』

苦々しい顔をして、ゼストは念話を止めた。
アギト――結社に吸収合併され、その過程で切り捨てられた違法研究組織の一つからゼストが救い出したユニゾンデバイスの少女。
彼女は基本的にゼストと行動を共にしていた。

助けて貰った恩を返す、とのことだが、こうも助けられっぱなしでは立つ瀬がない。
六課との連絡や結社の研究施設の探索など。そういったことが得意ではないゼストは、エスティマから依頼された事柄をほとんど彼女に頼っている。

力仕事は旦那の担当だからその時に、とアギトは云っているが、身体を気遣ってくれているのかそういった出番もない。
それもゼストの焦燥感を加速させる一因なのだが、アギトに悪気はないのだから責めるのはお門違いだ。そもそも責めるつもりもない。

どうしたものか、とゼストは再び溜め息を吐いた。




















人間サイズになったアギトは、服装を大人しめの物に変えてホテル・アグスタへ真っ直ぐに伸びる道を歩いていた。
森の中にある宿泊施設へは車で行くのが普通なのだろう。歩くには少し辛い距離だ。
が、途中まで人目に付かないよう飛行魔法を使っていたため、疲れているわけではない。
目的地が見えてくる頃になると、アギトは魔法から徒歩へとシフトする。

遠目から見えたホテルに、物々しい警備だなぁ、とアギトは思う。
しかし、それも仕方がないのかもしれない。
ただでさえ今は結社のせいでロストロギアへの扱いは神経質になっているのだ。
そんな状況でオークションなんぞを開く金持ちの物好きを守るのもどうかと思うが、その中に管理局へ資金提供してくれている者たちがいるのだから仕方ないのかもしれない。
お役所仕事は大変だ、と他人事のように考えながら、アギトは入り口の警備に当たっている局員に近付く。
どうやら六課の者ではないらしい。ならば108陸士部隊か。

徒歩でこんなところまできたアギトに局員は眉根を寄せる。
それに気付かない顔をして、アギトはポケットからIDカードを取り出し、局員へと渡した。

「一応、六課の隊員ってことになってる。照合して確かめてくれよ」

「は、はい。分かりました」

「悪いね」

ロングアーチ00と記されたIDカードを受け取ると、指揮車の方へ急ぎ足で向かう局員。
その後ろ姿を見送るとアギトは、六課の隊員はどこかいな、と目を細めながら周囲を見回した。

散らばっている局員を眺め、その中に特徴的なバリアジャケットを四つ見付ける。確かあんな格好をしていたはずだ。
どこか緊張感を漂わせているのは、やはり新人だからか。警備任務で無駄に緊張すると疲れるぞー、などと声に出さずにアドバイスを送る。

初陣を終えてそれほど経ってないからだろうか。まだ初々しさは抜けていない。
実力の方がどんなものかは知らないが、まだType-Rと戦うのは時期尚早だろう。
やはり戦闘機人と戦えるのは――そう考えると、真っ先に思い浮かぶのはゼストだった。次点でエスティマ。
エスティマの戦闘を直接見たことはないが、数体の戦闘機人と戦って互角にやり合えるぐらいなのだから中々の使い手なのだろう。

それに、ゼストが信頼していることもあるし。
しかし、レリックウェポンとして改造されたからか、彼の肉体は限界が近いようだ。それも最近はマシになったようだが、気休めか。
エスティマが戦い続けてどれだけ疲弊したか知っているからこそ、アギトはゼストを戦わせたくなかった。

ベルカの騎士の本分は戦いだと、純粋な融合騎であるアギトは深く理解している。
しかし、それを行うことでロード――ゼストは仮の、だが――が死に向かってしまうのならば……もし戦うことが止められないのならば、せめて最高の死に場所を与えてあげたいと思っている。

そして、今の状況はとてもゼストに相応しい死に場所とは思えない。
それが見つかるまでは、何をしてでもゼストを戦わせてはならないと、アギトは一人誓いを立てていた。

「命を救ってもらったんだから、それだけの恩は――っと」

「お待たせしてすみません。お返しします」

「ども。そんじゃ、通らせて貰うよ」

局員に礼をいい、手をひらひらと振りながらアギトはホテルの敷地内へと進む。
スカリエッティの云っていた密輸物のありかは地下駐車場。局員としてそこへ入り込むのは容易い。
六課の隊員としてそのロストロギアを運び出せば、108陸士部隊の面子も潰さずに済むだろう。

問題はそのロストロギアがどんな代物か、ということか。
ロストロギアと云われてはいるが、その実、スカリエッティとは別の、結社に所属する研究者たちの作った成果物らしい。
偽装してスカリエッティの元に届けるはずが、手違いでこんなところに紛れ込んだとのこと。

厄介そうな物ならぶっ壊しておくかー、と考えながらコツコツと靴音を響かせ、アギトは地下駐車場へと入り込む。
途中で顔の合った局員に軽く会釈をしながら、悠々と足を進める。

「……ここか」

トラックのナンバーをいくつか見て回り、ようやく目標を見付けた。
局員とは別の、運送会社の者に事情を説明してトラックの荷台を開けて貰い、どれだかなぁ、と呟きながら一つ一つにサーチをかける。
そして、

「これだ!……って、ちょっとデカイな。ぶっ壊して中身だけ持ってくか」

小さく息を吐き、シールドバリアを張った手刀を木箱に振り下ろす。
小気味の良い音と共に木箱が砕け散り、その中から出て来た物を見て、アギトは首を傾げた。

「……なんだこれ」

そもそも何が入っていてもアギトでは分からないだろうが、それにしたって珍妙な代物が出て来た。
工事現場に並んでいる三角コーンをバスケットボールほどに小さくして、真っ白に塗ったというか。
持ち上げてみれば、重さは二、三キロといったところ。

中から微量の魔力反応が出ている以外、なんらおかしいところはない。
どうすっかなぁ、とアギトは途方に暮れた。




















「……結局何も起きなかったわね」

「……駄目だよティア。その言い方だと、何か起こって欲しかったみたい」

「そんなことはないけど……」

呟きつつ、ティアナは肩を落とした。
既にオークションは終わり、局員も撤収作業に移っている。

会場の警備に当たっていた六課の新人たちは、誰もが疲れを顔に浮かべていた。
それもそうだろう。ようやく部隊の一員として働き始めたというのに、こんな肩透かしの仕事をする羽目になったのだから。

「仕事を選べないのは分かるけど……なんか悔しいわ」

「僕も……」

はぁ、と一緒に溜め息を吐くティアナとエリオ。
そんな二人を、スバルとキャロは苦笑して見ていた。

――そんな新人たちの姿を、眺めている者がいる。
銀色の虫の形をした、機械とも生物ともとれない召喚獣。
それを介して、一人の男――ジェイル・スカリエッティはモニターに映し出される面々を眺め、くつくつと控え目な笑いを漏らしていた。

そう、控え目だ。
モニターに映っている者たちに興味は惹かれるものの、それだけ。彼を満足させてくれそうなものではない。

スカリエッティの目を釘付けにしているのは、彼らの上に立つ者なのだから。

もし彼らを巻き込んでの騒動を起こしたらどうなるのか。
結社の責任者という立場が実行に移すことを躊躇わせるために、妄想するしかないのがスカリエッティは残念でならなかった。

「……ふむ。どうしたものかね。完全稼働となった六課と手合わせしたいのも山々なのだが」

手段のための目的がない。困ったものだ。
アギトが回収してくれた物のテストも行いたいというのに。

何かなかっただろうか。
そう思ってデータベースを弄ってみると、ふと、面白い報告が上がっているのを思い出す。
聖王のクローンが完成間近。しかし何者かが嗅ぎ回っているため――

「どうせ賤しい教会の者だろう。完成を待って横取りする算段かな?
 よろしい。それに乗るのも一興。
 ハハ……さぁ、忙しくなるぞ……!」

ガタ、とけたたましい音を上げて椅子を倒して立ち上がると、スカリエッティは両手を挙げる。
そして、馬鹿みたいに大口を開けて哄笑を薄暗い研究室に響かせた。

「アハハハ……! ああ、楽しみだよ!
 どうするかね? どうしてくれるのかね!?
 我々のゴールは近い。君たちがそれに抗う力を持っているかどうか……最後の確認といこうじゃないか!」

返事を一切期待せず、スカリエッティは画面の向こうにいる者たちを笑う。
向こう側にいる者たちは、嘲笑われているのを知らぬまま、ただ平穏の中にいる。

スカリエッティにしてみれば、すべては掌の上だ。
ゼストやアギトが何かをしているようだが、ルーテシアが人質となっているのだから迂闊な行動も取れまい。
すべてを覆す――聖王のゆりかごが浮上する時までの僅かな時間で、只人がどう足掻くのか。
スカリエッティにはそれが楽しみで仕方がなかった。




[7038] sts 十二話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/09/29 23:10
廃棄都市区画のとある場所に、六課の指揮車が停まっている。
その周りを囲む局員は、交替部隊と呼ばれる者たちだ。

本来ならばひと気が皆無といって良い場所に部隊が展開している。
どうにも穏やかではない状況の中、トレーラーの指揮スペースにエスティマはいた。
部下からの指示を聞きながら、画面に流れてくる情報を頭に入れ、彼はマルチタスクで考えごとをしている。

こんな場所に部隊を展開しているのには一つの理由がある。
友人――職場違いの同僚、と妙な関係でもある――のヴェロッサに以前から頼んでいた調査の報告がきたのだ。
エスティマが頼んでいたこととは、結社が生み出そうとしているであろう聖王クローンの研究を行っている施設の捜索。

もう歴史はエスティマの知っているものから外れて一人歩きを始めているが、スカリエッティの切り札である聖王のゆりかごがミッドチルダに存在している以上、それが使われないわけがない。ならば、聖王のクローンは必ず生み出されるだろう。
聖王のクローン――ヴィヴィオが誕生する前に研究を中止させることが出来れば、ゆりかごの浮上も阻止できるはず。阻止できずとも、時間を稼ぐことはできるだろう。

そう考えてエスティマはヴェロッサに依頼を行っていたのだが、つい先日、友人からきた報告は見事に期待を裏切ってくれる内容だった。
ヴェロッサが研究施設を発見したときには既に聖王のクローンは完成。警備が厳重だっため施設に踏み込むことができず。
そして今日、完成した聖王のクローンが外へと運び込まれるため、輸送中のそれをなんとしてでも保護して欲しい。

後手後手に回った末に厄介ごとを押しつけられたような形だ。なぜこんな事態になるまで――そう考え、エスティマは溜め息を吐く。
協力を求めた相手が間違いだったのかもしれない。少し考えれば分かることだというのに、友人というだけで無条件に信じすぎたのか。

ヴェロッサ・アコースは管理局に籍を置いているとはいえ、そもそもが聖王教会の人間だ。
管理局と教会の仕事が同時に舞い込んでくれば――それぞれに思惑のある仕事で、しかも内容が被ったりした場合――どちらを優先するのかなど自明の理だろう。

聖王教会がクローンの完成を見逃すことにも、当たり前か、とエスティマは思っている。納得できないが。
聖王に近しい血族や側近の騎士たちを信仰対象とする宗教団体。もう古代ベルカが絶えて久しい今、血族そのものであるヴィヴィオの生誕は彼らにとっての悲願なのだろう。
もっとも、それが聖王教会の総意とも思えない。教会の中には、今の体制のままで良いという者たちもいるだろうから。
組織である以上、思惑が交錯するのは仕方がない。エスティマの所属する管理局も一枚岩というわけではないのだから。

しかし、その後始末をされる側の人間としてはたまったものではない。
教会のいざこざに巻き込まれるのはこれが始めてではないのだ。アギトの言葉が真実ならば、イクスヴェリアは結社ではなく、教会が保護しているらしい。秘密裏に。
その時に泥を被る羽目になり、今度は聖王クローンの保護を行わなければならない。エスティマにとっても見逃せることではないのでこうして現場に出て来てはいるが、正直なところ、あまりいい気はしなかった。

いい気はしないが、無視はしない辺り、やはりエスティマ・スクライアはお人好しなのだろう。
なんだかんだで彼は聖王教会に恩がある。闇の書事件のあとにはやての面倒を見てくれたこともあるし、シグナムのことでも世話になった。
それに、六課の設立に協力してもらったこともある。

気に入らないというだけでそれらを無かったことに出来るほど、彼は不義理ではないのだ。それが良いことかはともかく。

『兄さん』

唐突にフェイトから念話が届き、エスティマはいつの間にか俯いていた顔を上げた。

『どうした?』

『アコースさんがきたよ』

『分かった。外に出る』

端末をそのままに、エスティマは気怠げな動作で椅子から腰を上げた。
どうなるか、と胸元に手を伸ばす。いつもならばそこにいるSeven Starsの感触がないことに小さな不安を抱きながら、彼は外へ出た。
今、Seven Stars、それにカスタムライトは手元にない。以前から進めていたsts計画が第一段階に達したため、それの組み込みをシャーリーが隊舎で行っているのだ。

その作業に入ってからヴェロッサの報告がきたのだから、なんともタイミングが悪い。
魔力リミッターのかかっている自分ではまともな戦闘を行えないと分かっているが、戦うことのできない状態というのは、エスティマを少しだけ神経質にさせている。

ドアを開いて差し込んだ日光に目を細めつつ足を進めると、フェイトからの念話の通りにヴェロッサの姿があった。
何やらフェイトと話している――そしてフェイトは若干引いている――よう。口説いているようにも見えた。
が、彼はエスティマの姿を見付けると話を切り上げ、片手を上げる。

「やあ、エスティマ」

「……よう」

「急に悪かったね。できることなら、僕ももう少し早く連絡をつけたかったのだけど」

「別に今更だろう。それで、首尾の方は?」

「ん、ああ」

エスティマの不機嫌そうな様子に、ヴェロッサは一瞬だけバツの悪そうな表情をした。
しかしそれをすぐに打ち消すと、普段の微笑みを取り戻して、口を開く。

「猟犬たちを配備して、クローンを運んでいる車両はしっかりと補足しているよ。
 予定どおりのルートを通ってくれている。このままなら、十分もしない内にここへ来るんじゃないかな」

「そうか。……それじゃあ俺は指揮に戻る。場合によっちゃあお前にも手伝って貰うことになるだろうから、準備だけはしておいてくれ。
 ……ああ、それと、ウチの妹をあんまり弄って困らせるなよ」

「了解」

参ったね、と両手を挙げるヴェロッサを一瞥して、エスティマは再び指揮車に戻ろうとする。
その時だった。

「部隊長、索敵範囲内に魔力反応が二つ……推定、オーバーS!
 対象のトレーラー、進路を変更しました!」

「……なんだって?」

部下からの報告を受け、エスティマは舌打ちしたいのを堪えながら指揮車に飛び込んだ。
戦術スクリーンを見てみれば、そこには確かに見覚えのある反応が二つ。こちらへと接近してくる。

「Type-Rが二体……この速度は空戦型か」

面倒なのが出て来た、とエスティマは眉間に皺を寄せた。
いざクローンを確保しようするタイミングでの横槍。もしかしなくても、こちらの動きが読まれていたと考えるべきだろう。

戦闘機人が出て来る場合を想定してフェイトは連れてきたが、まさか二体――それも空戦型だなんて。
もしこれにガジェットが加われば、投入された戦力はマリアージュ事件のときと大差ない。
なんの意図があってこんな――。

そこまで考え、思考を打ち切り、エスティマは部隊の指揮へとシフトする。

「各員、迎撃準備。
 フェイト、戦闘機人の足止めを頼む。
 交替部隊は二手に分かれ、片方はアコース査察官と協力し結社のトレーラーから対象を保護。
 救援要請を出す。スターズとイェーガーが到着するまで耐えるぞ!」

『了解!』

『兄さん……』

「フェイト、聞いての通りだ。少し無理をしてもらう。なんとか時間を稼いでくれ」

『うん、任せて。頑張って抑えるから!』

安心させようとしてくれたのだろうか。強い語調だが明るい声で、フェイトは応えた。
良くできた妹だよ、と苦笑しつつ、エスティマは六課へと通信を送る。













リリカル in wonder












「うう……身体が重いですよぅ……」

「ご、ごめんね」

エスティマたちが戦闘態勢に入る少し前。
六課の開発室では、シャーリーとリインフォースⅡが薄暗い部屋の中でデバイスの最終調整を行っていた。
作業もあらかた終わり緊張感が抜け始めると、人間サイズになったリインフォースが机に突っ伏す。

そう、人間サイズだ。
普段は魔力消費を抑えるため三十センチほどの大きさで活動しているリインフォースだが、今は違う。
というより、これからは違う、というべきか。

「うう……リインが間違ってました。
 蒼天の書が百科事典ぐらいの大きさになるぐらいなら、って思ったけれど、そっちの方が良かったかもですよ。
 歩くの面倒ですーっ」

「……え、問題はそこ?」

「ビッグな問題ですーっ!
 大きくなったら、前と比べてできないこととか多いのです!
 ザフィーラの背中でごろごろとかできないのですよ!?」

「……そういう問題?」

「あうう……これから色々と大変そうです……。
 とりあえずお洋服を新しく買わないとだし、ああ、デスクも……。
 ベッドも新調しないとです。まったく」

「……あれ? なんだか楽しんでいるような気が」

胸を張りながら夢見がちな顔をしているリインⅡに突っ込むも、無視される。

リインⅡが人間サイズになったことには、理由があった。
デバイスの面から魔導師を可能な限り強化する、という主旨の元に進められているsts計画。
その過程でリインⅡを強化改造する必要がでてきたのだ。

ユニゾンに関する機能を強化するため、初期は蒼天の書を大型化する方向で話が進んでいたのだが、そのストレージデバイスの持ち主であるリインⅡが待ったをかけ、そうするぐらいなら自分のデータ容量を増やすです、となったのだ。
が、どうやら本人はそのことを軽く後悔しているようである。

……後悔しているのかどうかは微妙か。

あーうー、と困ったふりをしつつ新生活を楽しみにしているようなリインⅡを横目に、シャーリーはキーボードを叩く。
魔導師でないためマルチタスクを彼女は使えない。が、会話をしながら問題なく作業ができている辺り、彼女の有能さがよく分かる。

「……っと、Seven Starsとカスタムライトの最終調整ももう終わりそうですねー。あとは部隊長が帰ったきたら起動実験」

「ですです。エスティマさんで実験したら、今度はなのはちゃんやフェイトさんとですー」

「忙しいですねー」

ねー、と顔を合わせながら作業を続ける二人。
なのはやフェイトの名が上がったのは、勿論二人とのユニゾンにリインⅡが対応したからだ。
守護騎士たちとはやて、それにエスティマだけだったはずのところに更に二人を追加し、ユニゾン後の機能を追加。
そこまでのことをしたため、人間サイズになるほどに容量を増加する必要が生まれたのだ。

ダウングレードすれば元に戻れるとはいえ、結社との戦いが終わるまで彼女は今のままだろう。

この魔改造されたリインⅡとのユニゾン実験が完了すれば、sts計画の第一段階は終了する。
そこから先は――

『二人とも』

「んー?」

「なんです? Seven Stars」

二人が同時に首を傾げると、少しの間をおいてアラートが隊舎に響き渡った。
何事かと二人がディスプレイに目を落とせば、外に出ている交替部隊が戦闘機人と戦闘を開始。
残っている二小隊は救援に、と情報が流れてくる。

「た、大変です! ちょっと行ってくるですよ!」

「はい、行ってらっしゃ――」

「シャーリー!」

リインⅡが飛び出そうとすると、逆に開発室へ飛び込んでくる者がいた。
はやてだ。彼女は息を弾ませ、髪の毛を乱しながらノックもなしに部屋へと上がり込む。

「ど、どうしたんですか?」

「Seven Starsとカスタムライトの準備せな。エスティマくんに届けんと!
 リインも早ぅ!」

怒鳴り声一歩手前の勢いで捲し立てるはやてに、いつもの余裕はない。
その剣幕に圧されながらも、シャーリーは言葉を返した。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! まさか使うつもりですか!?
 まだ起動実験もやってないんですよ!?」

「それでも、エスティマくんを守る手段の一つぐらいは準備せんと」

「だから、なんでそんなに――」

「忘れたんか? エスティマくんはレリックウェポンなんやで?
 戦闘のどさくさ紛れで結社に捕まっても、なんらおかしくあらへん。
 フェイトさんがいるっちゅうても、流石に二体相手にするのは無理や」

いわれ、シャーリーは思い出したように指先を動かし始めた。
開いていたウィンドウをすべて閉じ、作業台に乗せられていたSeven Starsとカスタムライトを手に取って立ち上がる。
そして調整用の端末を脇に抱えると、先に行ってます、と開発室を飛び出した。

「リイン、行くで!」

「はいです!」

はやての声を聞いて、二人もシャーリーの後に続く。二人は同時に飛び出すと、屋上のヘリポートを目指した。















第一種警戒態勢が敷かれ、フォワード陣は全員、屋上のヘリポートへと集まっていた。
陸戦の新人たちとシャーリーが乗り込むと、焦ったようにヘリは浮上を開始する。

やや荒っぽい運転に新人たちは顔を顰める。シャーリーは身体を揺らしながらも、情報端末を叩いていた。

『……フォワード陣、聞こえますか?
 部隊長が不在なので、代理として指示を出させてもらいます』

薄暗い機内に浮かび上がった通信ウィンドウに、グリフィスの顔が映る。
彼は落ち着き払った様子で――そうなるよう務めているのだろう――状況説明を始める。

『救援要請があったあと、ジャミングにより交替部隊との通信が途絶。AMFも展開されているため、長距離の念話も通じません。
 近隣部隊に協力要請をし回復に努めていますが、未だ部隊長たちとは連絡が取れていない状態です。
 フォワード陣は戦闘区域に急行し、交替部隊の状況の把握を至急、お願いします。
 魔力リミッターの解除はクロノ・ハラオウン提督に要請しました。
 高町一尉と八神一尉は、交替部隊のところへ先行してください。
 ヴィータ副隊長は戦闘区域に入るまで外からヘリの護衛を。ザフィーラは中で待機をお願いします。
 ガジェットの出現が予想されるため、それに合わせて次の指示を出します』

「了解!」

返事をすると、グリフィスとの通信が切れる。次いで、ヘリの両脇をバリアジャケット姿の両隊長が通過して行った。
後部に座った者たち――スバルは、俯き、視線を握り締めた手に落とす。

「……スバル?」

「ん、何? ティア」

「どうかしたの? なんか思い詰めたような顔をしてるけど」

「んー、そっかな。……うん、そうかも。
 けど、心配しないで。ちょっと考えごと」

「なら、良いけど……」

気遣ってくれたティアナだが、自分よりも彼女の方が余裕のない顔をしているとスバルは気付いていた。
隠しているようだが、ティアナがエスティマに――自分がなのはへと抱いている類の――憧れを向けていることに、薄々スバルは気付いている。
そんな彼女だからこそ、今の状況は落ち着かないのだろう。
自分とティアナの立場を入れ替えたら、おそらく相方以上に取り乱すかもしれない。なんとか平静を装っている分だけマシだろう。

そう思いつつも、けれど、とスバルは胸中で呟く。
エスティマを助けに行くというこの状況に、どうしてもスバルは思うところがある。
助け出す――母を助けてくれなかった人を助ける?
そのことに軽い抵抗を覚えつつも、スバルは頭を振った。

――私はあの人と違う。助けてみせる。

そうだ、とスバルはより拳をキツく握り締めた。

姉や父は母を見殺しにした彼を、まるで許しているかのように振る舞っている。
けれど、自分だけはそうしようと思えなかった。
だってそうでしょう、と誰にもとなくスバルは問いかける。

もし自分まであの人を許してしまったら、母のことを皆が忘れてしまう。
家族が母が死んだことを忘れ去るわけがないと分かってはいる。しかし、いなくなった時に感じた悲しみや苦しみを一度でも忘れてしまったら、きっと自分は母を過去の人と思ってしまうだろう。

母のことを自分の中で色褪せさせないためにも、スバルはエスティマに抱いている憎しみを薄れさせようとしない。
苦しく、辛い記憶だったとしても、それだって思い出の一つなのだ。
それを忘れてやるものかと、スバルは意地になっていた。

――なぜ彼女はこんな風になってしまったのだろうか。
本来ならば母親の死を乗り越えるはずだった少女が根深く、暗い感情を抱き続けているのは、やはりエスティマがお人好しだからなのだろう。
弁解も弁明もせず、スバルがどんな感情を抱こうと好きにさせている。
もし本来の流れと同じように、明確な母の敵が――エスティマが偽悪者ぶらなければ――現れなければ、スバルは前を向くことができていただろう。

考え込んでいる内に、ヘリは廃棄都市区画へと突入する。

『おい、聞こえるか! 案の定ガジェットの反応がありやがる。
 交替部隊が包囲されないよう、ここで数を減らしとくぞ!』

「はい!」

ヘリと並走しているヴィータから通信が入り、新人たちは立ち上がる。
ヘリの最後部が開き降下準備が整うと、それぞれデバイスを起動させながら地上へと飛び降りた。




















『兄さん! なのはたちはまだ――く、このっ!』

地上から交替部隊の援護射撃を受けつつ戦闘機人と戦っていたフェイトだが、形成は圧倒的に不利だった。
しかし、それも仕方がないだろう。Type-Rのオットーとディードを相手にしているのだから。

今すぐ飛び出したい衝動に駆られながら、エスティマはじっと戦術画面を見詰めていた。
どういうつもりか、戦闘機人は全力で――TDモードを使って――フェイトに当たっていない。

レリックコアを開放して魔力と戦闘機人が戦闘に使用するエネルギーを一気に開放するのがTDモードだと分析されている。
だとすれば、長期戦を想定して力を温存しているのだろうか。

だとしたって、このままではじり貧に違いはない。
早く救援がきてくれることを祈りながら、エスティマは戦術スクリーンを睨みつつ部下に指示を出す。

そうしていると、画面の端にスターズ01とイェーガー01のマーカーが出現した。
はやては途中でなのはと分かれ、聖王クローンの確保に動いた方へと向かい始める。
なのはは真っ直ぐにこちらへと。

通信のジャミングは行われているが、AMFはそれほど濃くはない。
この距離ならば、とエスティマはなのはに念話を送った。

『なのは、聞こえるか、なのは!』

『エスティマくん? 大丈夫なの?』

『なんとか。今はフェイトが一人で持ちこたえてくれてる。早く合流してくれ』

『分かった。
 エスティマくん、Seven Starsとカスタムライトを積んだヘリがもうすぐ着くから、合流する準備をお願い。
 グリフィスくんが限定解除の申請をクロノくんにお願いしたから、もうすぐ戦えるようになずはず』

『了解だ』

なのはとの念話を打ち切って、エスティマは椅子から腰を上げつつマイクを掴む。

「交替部隊、救援が到着した。このまま後退しつつ、合流する。
 スクライア嘱託魔導師、じきに限定解除の申請が通る。高町一等空尉の援護を受けつつ耐えてくれ。
 俺はこれからデバイスを運んでいるヘリと合流し、戦線に加わる。少しの間、この場の指揮権を交替部隊の小隊長に預ける」

『了解!』

返事を聞くと、エスティマは指揮スペースの隅に置いてあったデバイスを手に取った。
一般局員の使う長杖型汎用デバイス。
エクステンド・ギアに対応したそれのアタッチメントに、魔力刃形成用の銃剣と自動式弾倉のカートリッジを装着。
無事に起動したことを確認すると、エスティマはプレートメイルのバリアジャケットを展開し、空へと上がった。

リミッターがかかっているため、今の魔力ランクはBだ。技術が落ちるわけではないが、元手となる魔力が少ない状況で戦場に出るのは心許ない。
両肩のアクセルフィンを羽ばたかせ、エスティマは大気を裂いてヘリを目指す。
途中、なのはと擦れ違うも、頷き合うだけで二人は言葉を交わさなかった。

『シャーリー、今、そっちに単身で向かっている。
 三分ほどで着くだろうから、それまでにSeven Starsとカスタムライトの準備を頼む』

返事を期待せずに、エスティマは念話を送る。
そして――

「……あれは」

進む先、空中で仁王立ちをしている姿を見付け、エスティマは眉根を寄せる。
誰だかなど考える必要もない。戦闘機人が着ている青いボディースーツ。それに、両足首に展開されたインパルスブレード。
そして何より、一騎打ちを望んでくるような馬鹿は一人しか記憶にない。

舌打ち一つし、エスティマはカートリッジを炸裂させつつ魔力刃を長杖の先端に形成した。
それに応じて、トーレは両腰から柄を――インパルスブレードと同質の刃を持つ、刀を抜いた。

「待っていましたよ――エスティマ様ぁ!」

「またお前か……! 退け、構ってる暇はない!」

トーレを無視して進むか、この場で戦うかで一瞬だけ躊躇う。
ここで戦っても勝機は薄い。なんだかんだで、トーレは空戦型戦闘機人の中では最も相手をするのが面倒なのだ。
しかし、トーレを出し抜いてヘリに到達したとしても大人しくSeven Starsを手にさせるだろうか。

……こいつなら塩を送ってきてもおかしくはないか。

そう思いつつも、エスティマは甘い考えを捨てた。
敵はトーレ一人というわけではないのだ。この廃棄都市群は、どこにだって身を隠すことができるのだから。
後続のナンバーズがどのタイミングで出て来るのか分かったものではない。

六発のクロスファイアを撃ち放つ。が、トーレは回避行動を取りながら二刀を振るい誘導弾を切り払う。
なら、とエスティマはカートリッジを炸裂させ、ショートバスターを。
僅かなチャージ時間の後、収束したサンライトイエローの砲撃がトーレへと――

「このような子供だましで……!」

「分かっているさ」

ショートバスターを放つ際、トーレに見えない角度で生み出した二発のクロスファイアを背後に移動させる。
そして長杖を腰だめに構え、更にカートリッジを二発炸裂させ、魔力刃の出力を上ると、トーレへと斬りかかった。

衝突したインパルスブレードと魔力刃が、それぞれ触れた相手引き裂こうと火花を散らす。
しかし、所詮は一般局員用に製造されたデバイスか。交差する形で受け止めているインパルスブレードに、魔力刃を切断されようとしていた。

――今……!

タイミングを計って、エスティマは背後からクロスファイアを射出する。
一発は顔面狙いの一撃を。もう一発は時間差を置いて、下から弧を描いて後頭部を狙う。

が、

「ぬるい……!」

瞬間、トーレの姿が掻き消えた。ISのライドインパルスか。
それに気付いた瞬間、エスティマもカートリッジを炸裂させ、マガジンを入れ替えながら稀少技能を発動させた。

目視の難しい速度で、二人は空で激突し、ビルの合間を駆け、衝撃波でガラスを破砕しながら交差を繰り返す。

「それでこそですよ、エスティマ様!」

音速超過の速度で激突してきたトーレを、エスティマはデバイスのロッドで受け止める。
火花を散らしながら溶断されようとしているそれに焦りを抱きつつ、トーレの腹に蹴りを叩き込む。
呻き声を上げるトーレ。しかし、腕からは僅かに力が抜けただけで、動きそのものは止めなかった。

ロッドを両断され、エスティマは下部のそれを投げ捨てる。
握りの悪いデバイスを右手に持ちながら、デバイスに頼らず左手に紫電を散らし――

微かな鼓動を胸に感じた瞬間、デバイスが爆発した。

「オーバーロード!?」

おそらく、限定解除がなされたのだろう。本来のエスティマの魔力に耐えきれず、汎用デバイスは砕け散ったのだ。
稀少技能が切れ、大きな隙が生まれたことで、咄嗟にフィールドバリアを展開する。間に合うか否か。
しかし、エスティマの予想した攻撃はこなかった。

トーレは二刀のインパルスブレードを消し、エスティマを見下ろしながらそれを腰に戻す。
そして落胆したように溜め息を吐き、

「全力でないならば、斬る価値もなし。
 ……これならばお嬢様にお相手頂いた方が、いくらかマシか」

失礼、と一瞥し、トーレはフェイトたちの戦う方向へと飛び去った。
彼女の後ろ姿を苦虫を噛んだような顔で眺める。

口にしたように、あのままフェイトの所へと向かうつもりなのだろう。
限定解除が出来るようになったとはいえ、Type-R二体のところにトーレが加わる。
嫌な想像をどうしても抱いてしまい、エスティマは急ぎながらアクセルフィンを再形成した。

エスティマは大破したデバイスを握ったまま、ヘリを目指す。
ごめん、直してやるから、と煙を上げるストレージデバイスに声をかけつつ、彼はようやくヘリにたどり着く。

エスティマが到着したことに気付いたアルトが後部ハッチを開くと、エスティマはそこに乗り込んだ。
中では椅子に座ったシャーリーが、忙しなくキーボードを叩いている。
リインⅡとザフィーラは、そんな彼女を心配そうな顔で眺めていた。

端末から伸びるコードが既にハルバード状態のSeven Stars、カスタムライトだけではなく、蒼天の書にも繋がっているのを見て、エスティマは目を細める。

「シャーリー? それに、リインⅡまで……」

「あ、はい! 今、ダウングレードを急いでますから――」

エスティマの顔を見ずに、シャーリーは休まず手を動かし続ける。
彼女の様子を見ながらエスティマは、いや、と頭を振った。

「ダウングレードは中止してくれ。起動と実戦、両方のテストをやるぞ」

「ちょ……!?」

「リインフォース、Seven Stars!」

「は、はいです!」

『了解しました』

「ちょっと待ってくださいよ!」

「セットアップ!」

制止するシャーリーを無視して、エスティマは日本UCAT型のバリアジャケットを装着し、リインⅡとのユニゾンを開始する。
あまりにも強引な行動だが、それはフェイトやなのはたちが劣勢に立っているからだろう。
敵は三体だけというわけじゃあない。いつ後続の戦闘機人が出て来るのかも分からない今、戦力は多い方が良い。

エスティマの脳裏に浮かぶのは、先のマリアージュ事件、それと三課が壊滅した時のこと。
自分の力が及ばず、親しい者たちを失った、失いかけた出来事だ。
……もうそんなこと、許しはしない。

しかし、焦りからの行動だからなのか、

「システムエラー……言わんこっちゃない!」

嘲笑うかのように、甲高い音に続いて、Seven Starsと繋がっていた端末の画面にエラーメッセージが溢れる。
そのエラーメッセージをエスティマは見ると、Seven Starsのデバイスコアへ視線を移した。

「フルドライブだ、Seven Stars」

『はい』

改造されたリインⅡは、高出力の魔力に対応したユニゾンデバイスとして調整されている。
そのため、通常出力では安定した起動状態を維持できないのだろう。
本来ならば起動テストで浮き彫りとなるはずだった穴が、このタイミングで露呈する。
運用を強行したのだから仕方がないのだが。

黒いデバイスコアが瞬き、フルドライブ・エクセリオンが始動した。
エスティマの身体が魔力光に包まれ、薄暗いヘリの中がサンライトイエローに照らされる。
出力を徐々に上げているのか、Seven Starsの駆動音が低音から高音へと、少しずつシフトしてゆく。

「……まずいぞ、エスティマ」

「どうしたザフィーラ」

「高エネルギー反応だ。これは確か、砲撃タイプの……俺は外に出てヘリを守る。
 急げよ」

言葉をかけ、ザフィーラはヘリの外へと降りた。
それを見送りながら、エスティマは唇を噛み締めつつ、呟く。

「……動いてくれ、リインフォース」



















老朽化したビルの屋上から、ディエチはエスティマたちを乗せたヘリを、ズームアップした目で見ていた。
イノメースカノンを構え、エネルギーを注ぎ込む。
その隣に立つ観測手のクアットロは、にやけた笑みを浮かべ、片手で口元を隠していた。

「自分たちが包囲されているのも知らないで、暢気にヘリなんか飛ばすからいい的になるのよ。
 ディエチちゃん、どう?」

「……固い狼が出て来た。撃ち落とせるとは思うけど、第二射までの間にヘリが浮上したら手間かな。
 あと、なんかヘリの中に馬鹿みたいな魔力反応がある。なんだろう」

「そ。まぁ、任せなさいな。何があろうと、撃ち落とせば関係ないわ。
 IS発動、シルバーカーテン」

クアットロの足元にテンプレートが展開し、魔力を使用しない、幻影が発動する。
魅せる対象はザフィーラ。砲撃の虚像を見せると、馬鹿正直に防御魔法が展開。
空振りに終わったそれに、焦った様子が透けて見えて、クアットロは腹を抱えて笑った。

「見てみなさいディエチちゃん、見事に騙されてるわよ、あの狼!」

「……煩い、気が散る」

遊んでいるとまた足元掬われるんじゃ、と嫌な汗をディエチは流した。
何度か戦場に出たことのあるディエチだったが、クアットロと組むと大抵はロクでもない目に遭うのだ。
結社設立の時もそうだった。幻影で姿を隠し、不意打ちの砲撃を叩き込めば必ず勝てると言われてほいほいやってみたものの、実際は抜き打ちのリミットブレイクで負けたり。

今度は違うと良いなぁ、と思いながらも、ディエチはイノメースカノンのチャージ終了を確認して気を引き締める。

ヘリと合流しようとしているのだろう。空戦の三人組と戦っている二人の魔導師と展開している部隊は、徐々にだが後退していた。
このまま挟み撃ち、と作戦通りにことが進めば良いけれど。

「クアットロ、チャージ完了。あの狼をヘリから引き離して」

「了解了解」

散弾の幻影でも見せているのだろうか。青い狼は、空中を飛び回りながら防御魔法を次々に展開している。
が、それらのすべてが空振りに終わっている。もうそろそろネタを見破られてもおかしくはないだろう。

だから、この一撃で、

「IS、ヘヴィバレル――発射っ!」

トリガーを引き絞ると、武装の中に蓄積されたエネルギーが開放される。
刹那の間、砲身の先端に橙色の球体が生まれ、次いで、それが解き放たれる。
熱風と衝撃が吹き荒れ、ヘヴィバレルの通過した屋上の縁が炭化し、異臭を放った。

歯を食い縛りながら、ディエチは砲撃の反動に耐える。
エネルギーの放出が終わるまでは目標を逃さないと、目を据わらせる。

ザフィーラが一拍遅れて本命の砲撃に気付くも、遅い。
身体が焼かれることにも構わず、ザフィーラは射線に割り込んで防御魔法を展開。
が、間に合わなかった砲撃はヘリを目指し、空を灼く。

そして、砲撃がヘリに到達する、その刹那――

音速超過で、長大な古代ベルカ式のトライシールドが、展開された。
ヘリを守るように現れた防御魔法には傾斜がつけられている。滑るように進路をねじ曲げられた砲撃は、そのまま虚空へと消えていった。

「え……?」

スコープを覗き込むディエチは、呆然と砲撃を回避させた何かを見ようと、目を見開く。
灰色の煙と剥がれ落ちた防御魔法の残滓が舞い散る中に、一つの影がある。

その姿を、ディエチは――否、ナンバーズは良く知っていた。
しかし、記憶にある彼とは姿形が多少、異なっている。

両腕に握るデバイスは、白金のハルバードと、純白のガンランス。
しかし、それを握る腕には幾重にもベルト――拘束具型の魔力制御弁――が巻き付いている。

その他の違い――最も大きなものは、背中から生えている一対の翼か。
漆黒色のそれは、スレイプニールと呼ばれる魔法だったはず。

……何、あれ。あんな姿は知らない。データにない。

腕を一閃し、まとわりつく煙りを一掃する。そうして姿を現したのは、

「ロングアーチ01、エスティマ・スクライア……」

誰にともなく、彼は呟く。
彼は両肩と背中の飛行補助魔法を大きく羽ばたかせ、ヘリを飛び越え、空高く舞う。
そして身震いするように莫大な魔力を放出すると、

「――目標を、駆逐する!」

声高に宣言し、戦線へと加わった。









[7038] sts 十三話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/10/17 01:52

廃棄都市群の地下を、ヴィータを先頭にフォワードたちは進んでいた。
ガジェットとAMFの反応はあるも、姿は見えず。ならば敵はどこだと探せば、地下から地上へとAMFを発生させていることが分かり、五人は地下へと降りた。
先頭を突き進むヴィータと、それに続くエリオとスバルの背中を眺め、その上キャロに気を回すティアナ。なんだかんだで、彼女は神経を削る役回りだった。
空戦型ではない自分は歩いて進むしかない。しかしヴィータは狭い空間でも器用に飛行魔法を使って進み、スバルとエリオは言わずもがな。
それになんとかついて行くティアナは、キャロを置いていかないように気を付ける。
華奢で体力のないキャロにとって足場の悪い地下を駆け回る状況は、あまり良くないだろう。

無論、ヴィータもそれを分かっているのだろう。生かさず殺さず、といったペースを維持して五人はガジェットを破壊して回っていた。

『ティアナ、キャロは大丈夫か?』

『はい』

『そっか。面倒見させて悪ぃな。アタシが直接聞いたら、無理でもいけるって答えそうだし』

『そうですね』

良い子なのも考えものだ、とヴィータからの念話を聞いてティアナは思った。

『とっととガジェットぶっ壊して、AMFを消すぞ。そうすりゃ、エスティマもちったぁ楽になんだろ』

『はい』

念話に頷き、ティアナは孤立している部隊長に想いを馳せた。
あの人は大丈夫だろうか。まさか戦闘機人にやられてないわよね、などと考える。
しかし不謹慎な想像をしても、ティアナにはエスティマが負ける場面を思い浮かべることができない。

ティアナにとってエスティマとは、魔導師の象徴、いつか自分がたどり着きたい――同時に、たどり着けないともどこかで思っている――憧れなのだ。
そんな人が負けるだなんて、あるわけがない。
身体を動かし続けているからか、ヘリに乗っていたときに抱いていた不安や焦燥は大分なくなっていた。
自分たちを鍛えてくれている、なのはが救援に向かったということもあるだろう。
教導を受けているからこそ分かる。雲上人といっても過言ではない技量を持った魔導師が助けに入って、その上に限定解除。
あとは自分たちがガジェットの掃討に成功すれば、なんの問題もなく戦いは終息に向かうんじゃないだろうか。

そんなことを考えていると、先頭を進んでいるヴィータが速度を落とした。耳に手を当てているから、念話を受けているのだろうか。

「……うし。おめーら、良く聞け。救援が届いた。
 ここで小隊を二つに分けて、向こうと合流してもらう。ピッチを上げるぞ。
 スバルにキャロ。おめーらは108のところに行け」

「……108?」

「おう。ギンガとシグナムがきてるとよ。キャロをおぶってってやれ」

「分かりました!」

そういってスバルは速度を落とすと、キャロを背負って私たちから離れてゆく。
それを見送ったヴィータは、速度を更に緩め、終いには動きを止めた。

「……ヴィータ副隊長?」

不思議そうにエリオは声を上げる。それは、ティアナも一緒だった。
どうしたのだろう。そう考えるも、ヴィータは応えない。
ただアイゼンを肩に担ぎ、何かを警戒しているようだった。

今三人がいる場所は、地下に広がる下水道が繋がる開けた場所だった。
下に水が張っていることもない。資材搬入スペースか何かだろうか。
落盤を防ぐためか、広場には何本もの柱が規則性を持って立っている。

その中の一本から、ふらりと、

「やー、ようやくバラけてくれたっスねぇ」

こつこつと足音を響かせ、物陰から姿を現す者が。

「……やっぱりいやがったか」

「はっはっは……それにしても、よく分かったっスねぇ」

「無邪気な殺気がダダ洩れなんだよ」

音を立てて、ヴィータは僅かに浮かびながらアイゼンを構える。
姿を現した者――戦闘機人Type-Rのウェンディは楽しげに目もとを緩ませると、盾のようなデバイスを構えた。

戦闘機人。ヴィータと違い、それと初めて相対するティアナとエリオは身を固めた。
自分たちはどうすれば良いのか。散々訓練を重ねてきたというのに、そんなことすらも頭から抜け落ちる。

『聞け、おめーら』

その時、ヴィータから念話が届いた。
彼女はアイゼンを戦闘機人へと向けたまま、気を抜かずに視線を注いでいる。

『コイツは、前にアタシとシスターの二人がかりで戦った相手だ。
 正直、面倒なことこの上ねぇ。戦うのは厳しいとも思う。
 ……けど、勝機はあるんだ。それを確実にするために、アタシはおめーらをここに残した。
 ――戦えるよな?』

『……はい!』

良い返事だ、と念話を止め、ヴィータは次に指示を飛ばす。
この場にいる三人だけで戦闘機人へと勝つ手段を。














「ヴィータ副隊長やティアさん、エリオくん……大丈夫でしょうか」

「大丈夫だよ、キャロ。みんな強いもん」

「そうですよね」

背中におぶったキャロに笑いかけて、スバルはマッハキャリバーへと魔力を注ぎ込みながら合流地点へと急いだ。
センサーの類を持つスバルは、あの場に戦闘機人が隠れていることを知っていた。
きっと大丈夫、とスバルは下水道をウイングロードで駆ける。

そうしていると、

『スバル』

『えっ――ギン姉!? 大丈夫なの!?』

届いた念話に、スバルは目を見開いた。
姉のギンガは少し前に退院し、今はリハビリの調子も上々でゆっくりと職場復帰を行う予定だったはずだ。
それが何故ここにいるのだろう。
心配半分、驚き半分のスバルに、ギンガは念話を続ける。

『無理行って出て来たの』

『そんな……駄目だよ、怪我だって治ったばかりなのに!
 私たちだけで――』

十分だから、とはいえなかった。ヴィータに戦闘機人を任せたものの、自分の同類は一人じゃない。
何体の戦闘機人がエスティマへと割り振られたのか知らないが、まだ手の空いている敵がいても不思議ではないのだ。

それが分からないギンガではないだろう。
しかし彼女は苦笑する。

『そうね。けれど、確かめなきゃいけないことがあるのよ』

『確かめなきゃいけないこと?』

『ええ……お母さんに関することよ。
 詳しいことは後で。今は合流を急ぎましょう』

釈然としないものを感じながらも、分かった、と応えるスバル。
お母さんのこと? そんな今更、何を確かめるというのだろう。














リリカル in wonder












『ダメージリンク正常作動。
 負荷の一切をリインフォースⅡへと回します』

『出力安定。臨界稼働を維持。
 イリュージョンフェザー、散布開始』

『ステータス、オールグリーン。
 ツインブースト開始。マッシブパワー、アクセラレイション。
 パラディンモード、完成ですよー!』

シャーリー、Seven Stars、リインⅡの声が次々に耳へと届く。
パラディンモードとは、この状態のことを指しているのだろうか。
なんつーネーミング、と思いつつも、エスティマは意識を両肩のアクセルフィン、それと背中のスレイプニールへと回した。

それぞれの羽で大気を打ち、ヘリから浮上する。
その際に違和感――いつもよりも思うように空を駆けることが出来たことに、胸が高鳴った。
思い描いたとおりに、願った形そのままに飛べる。今までは技術に頼る部分が大きかったというのに、今は違う。
背中のスレイプニールが追加されたことで、姿勢制御へと以前よりも気を回さなければならない。
しかし、その欠点を補って余りあるだけの運動性が手に入ったのではないか。

スレイプニールを可動させる度に黒い羽が宙に舞い、確かな手応えが返ってくる。

――これなら。

「ロングアーチ01、エスティマ・スクライア――目標を、駆逐する!」

ユニゾンを果たしたリインⅡからのデータがSeven Starsへと転送され、それがエスティマの脳裏、マルチタスクの一つへと流れ込んでくる。
敵の配置。現在の状況。そういったものを処理し、彼はなのはたちへと指示を出した。

『フェイト、お前は戦闘機人の三番を足止め。ザフィーラはヘリの護衛を。
 Type-Rの相手は俺となのはがする』

『分かった、兄さん!』

『承知』

『……驚いた。てっきり、一人で相手をする、って言い出すかと思ったのに』

なのはからの念話にエスティマは思わず苦笑を漏らした。
それもそうだ。確かに、そのつもりがないわけではない。勝機もあると確信している。
しかし、そんなことをすれば治りかけの身体がどうなるのか分からない。

エスティマ・スクライアという人間は、もう行き当たりばったりの戦い方を許されてはいないのだ。
身を案じてくれる人たちの気持ちを裏切るようなことは避けたかった。
今がどれほど大事な局面か分かっているが、エスティマにとって、この戦いと親しい者たちの声は等価値――否、後者の方が重いのだから。

シグナムとの会話が脳裏に蘇る。
そうだ。簡単に命を投げ捨てるようなことなどできはしない。

それぞれが動き始める。
三体の戦闘機人を相手にしていたなのはとフェイトは分かれ、フェイトは集中的にトーレを狙い始めた。
降り注ぐ弾幕を避け、なのはへと接近しようとするトーレ。しかし、それを割り込んだフェイトが防ぐ。

姉を助けようと、空戦の二人は援護に入ろうとする。

しかしそこに、エスティマが、両手に握ったデバイスからのショートバスターを乱射しつつ割り込んだ。
ガン、ガン、とカスタムライトのカートリッジが炸裂する度、サンライトイエローの砲撃魔法が放たれる。
サンライトイエローの魔力光と漆黒の翼を撒き散らしながら、エスティマはオットーとディードの間に割り込む。
更にそこへ、十発ほどの桜色の誘導弾が突き刺さる。

エスティマの姿が今までと違うことに気付いたのだろう。オットーとディードは警戒を表情に浮かべながら距離を取る。
それぞれが持つデバイス、刀とグローブのデバイスコアが瞬くと、二人の身体から莫大な量の魔力が吹き上がった。

TDモード。レリックコアの内部に蓄積された魔力を開放し、ポテンシャルを限界以上に発揮する状態。

ディードはISを発動させて、なのはの方へ。

オットーは片手を天に掲げると、誘導弾を避けながら、身体から吹き上がる魔力で渦を描き、

「IS発動。術式、ホーミングレイ――行け!」

トリガーワードを経て放たれたものは、ISと魔法の融合した代物だった。
光の網を生み出しながら、幾重にも放たれた光条はエスティマへと殺到する。
上等、とエスティマは口角を吊り上げ、

『Sonic Move』

降り注ぐ光の雨に対して、エスティマは移動魔法を使用しながら回避行動を取る。その際にスレイプニールからは次々に羽が散った。
高い誘導性を持つオットーの攻撃は、直角の軌跡を描いて彼に追いすがる。
が、

「何……!?」

光の雨が打ち据えたのはエスティマではなく、何もない空間だった。
一体何が――そう、オットーは声を上げる。エスティマの稀少技能に付随するロックオン阻害機能の問題は既にクリアしているはずだ。
それに、今のエスティマは稀少技能を発動させてはいない。外すわけがないのだ。
攻撃があらぬ方向へ向いたことに、オットーは目を見開いた。

その隙をエスティマは見逃さない。まるでこうなることが分かっていたように、オットーへと真っ直ぐに突き進む。
高速型ではないオットーは、急接近するエスティマに反応できない。バリアを発動させようとするも、遅い。

「もらった……!」

一気に肉薄したエスティマは、ガンランスの刃に発生させた魔力刃を突き刺し、そのままショートバスターを叩き込んだ。
急接近の勢いを乗せたまま魔力刃を突き出し、吐き出された攻撃。
吹き飛ばす際にはブレードバーストまで発動させ、更に追撃をかけようとエスティマはSeven Starsを振りかぶる。

しかし、そうはさせぬと動く影があった。

『後ろです』

背後から斬りかかってきたのは、高速型のディード。彼女ならばエスティマにも追いつけるだろう。
第三の眼、というわけではないが、エスティマの死角をフォローするSeven Starsがそれにいち早く反応し、Seven Starsとディードのデバイスが激しく打ち鳴らされた。

同じ材質で作られたデバイス同士がぶつかり合い、火花を散らす。

リインⅡによる筋力強化を行われてはいるが、やはり戦闘機人との力比べは分が悪い。
徐々に押されるエスティマは歯を食い縛りながら、足りない力を推力で補った。

スレイプニールが羽を散らし、アクセルフィンが折れんばかりに身を捩る。
互角となった両者は、同じように舌打ちをして弾かれるように距離を取った。

「どんな手品か知らないけれど……オットー!」

「ぐ……分かってる」

魔力ダメージに顔を歪めるオットーが、ディードの声に従い次の行動を起こした。
両手へと魔力が渦を巻き、誘導弾が駄目ならば、と絨毯爆撃のように魔力弾が放たれる。

リインⅡからの軌道予測を頼りに回避行動を取りつつ、どうするか、とエスティマは考える。
稀少技能を使えば形成逆転は可能。しかし、エスティマにその気はなかった。
負荷を気にして戦うことなど、今までは模擬戦ぐらいだった。どうにもやりづらい。

しかし、この戦いで初めて切った札もある。
おそらく初見でしか通用しないであろう、スレイプニールの羽に仕込んだ幻影魔法。それを無駄にしないためにも、勝負は付けておきたい。
ストライカー級魔導師の援護があり、かつ、優位に戦いを進められる今だからこそ、必ず戦闘機人を、欲を言えばType-Rを仕留めたいところだ。

先にどちらを倒すべきか――判断に困っていると、視界の隅にこちらへと接近してくるディードの姿が映った。
小さく頷き、エスティマはリインⅡに発動と維持を依存したトライシールドを展開する。

それを一撃でディードは引き裂こうと、二刀のデバイスを振りかぶり、叩きつけた。
軋みを上げ火花を散らし、目前のシールドに亀裂が入る。
迫る斬撃から身を守るように、エスティマは背中のスレイプニールを動かし、黒翼で身を身体を包んだ。

守りに回ったエスティマに、殺った、とディードの口元が歪む。
刃がトライシールドを貫き、その奥のスレイプニールを引き裂く。
が――

刃が触れた瞬間に翼が爆ぜ、数多の羽が宙に舞った。
エスティマの姿はない。引き裂くはずだった敵は姿を消して、あるはずだった手応えもまるでない。
一体どこに、と視線を動かし、

「……どこを見ている」

声と共に、胸元からサンライトイエローの刃が突き出てきた。
魔力刃のため、血は噴き出ない。しかし鋭い痛みと、胸の中にあるレリックへの直接攻撃に身が軋む。
いつの間に背後へ。追撃から逃れるよりも、そんな疑問がディードの脳裏を占めた。

それに対する解答はない。敵へ懇切丁寧な説明をしてやるほど、エスティマは傲っていない。
ディードの背後にいるエスティマは、突き出したカスタムライトをそのままに、右手に握ったSeven Starsを振り上げた。

「フォトンエッジ――」

トリガーワードに反応し、突き刺された刃が伸びてディードをビルの側面へと叩きつける。
そして同時に、振り上げたSeven Starsの矛に生み出される魔力刃。天を突かんと伸び上がったそれを、エスティマは躊躇なく振り下ろした。

交差する形で降りかかる刃。為す術なくディード身体を刻まれる。
やはり血は出ない。しかし身を寸断されるような痛みは誤魔化しようがない。

二つの魔力刃は身体に食い込み、その奥にあるレリックを捉えた。
手応えを確かめるようにエスティマはそれぞれのグリップを握り締めると、

「――バースト!」

刃の形成に使われている魔力が切っ先――ディードの元へと集い、彼女の体内で炸裂した。
長大な魔力刃が形を失い、構成に使われていた魔力が内部で吹き荒れる。レリックを破壊するには一歩足りないが、それでも昏倒させるには十分な威力。

打ちのめした敵を確保するためバインドを発動させようとするが、しかし、エスティマはこの瞬間動きを止めていた。
魔力反応が周囲に生まれ、警告をSeven StarsとリインⅡから飛び出す。
しかし最速で展開されたライトグリーンの檻――キューブ状のクリスタルケージが、エスティマを閉じ込める。

しまった、と振り向けば、そこには無表情の中に仄かな怒りを覗かせたオットーの姿がある。
おそらくは、姉――妹を撃破されたからか。

彼女はクリスタルケージの維持に全力を注ぐ。半透明だった檻は色を濃くし、その強度を上げた。
生半可なことでは破壊できないだろう。

「ディエチ、お願い!」

動きを止めた上で確実に仕留めるつもりか。
エスティマは舌打ちをこぼし、

『なのは!』

『もう、仕方のない。どっち?』

溜め息混じりの呆れたような――けれど、出番がきたことへの喜びが滲む――念話がなのはから返ってくる。
ディエチ――おそらく、今は幻影――を指し示すと、ケージを砕くためのバリアブレイクを実行した。
しかし、早過ぎてはいけない。直前で回避行動を取らなければ、敵の砲撃は中断されるか、別の標的へと向けられるだろう。

リインⅡとSeven Starsのセンサーが伝える情報に神経を回しながら、その時を待つ。
そして、

『高エネルギー反応、三時の方向です!』

『バリアブレイク、実行します』

瞬間、一気に魔力を注ぎ込み、クリスタルケージを破砕。
イノメースカノンから閃光が瞬いた瞬間、アクセルフィンとスレイプニールで大気を打ち払い、ビルの影へと。

それと同時に、なのはも動いた。
既にフルドライブ――ヱルトリウムモードへとなっていた彼女は、砲撃を放つ。
マギリング・コンバーターが唸りを上げて戦場に散らばった魔力を集束し、カートリッジが炸裂、冗談にしか思えない巨大なスフィアを形成する。

「全力全開っ――ヱルトリウム、バスタァァァアー!」

そしてイノメースカノンに一拍遅れ、轟音と共に桜色の極光が空を薙いだ。
昼だというのに周囲が柔らかな光に照らされ、染まる。
その場にいる誰もが彼女へと視線を向け、息を飲む。

砲撃を放ち、姿勢を固定しているディエチに避けることはできない。
だがクアットロは違った。彼女は動きを取れない妹を見捨てて、離脱。
一人残されたディエチは、愕然とした表情をしながら閃光に包まれた。
急いで砲口を迫る砲撃へと向けるが、ヱルトリウムバスターは橙色の砲撃を真っ正面から打ち砕き、標的へと殺到する。
炸裂する魔力光。次いで、爆発。イノメースカノンに誘爆したのか。

回避行動を取ったエスティマも、行動に移る。
ディエチがやられたことでオットーは動きを止めていた。そこへソニックムーヴを発動させて背後から接近し、Seven Starsを一閃。
ゴキリ、と嫌な手応えに顔を顰めながらも、エスティマは追撃をかけるためにリインⅡへと指示を出した。

『捕らえよ、凍てつく足枷!』

念のためにと発動させたエスティマのリングバインドの上から、リインⅡのフリーレンフェッセルンが発動した。
氷付けになり完全に動きを止めたオットー。地面に落ちてゆく彼女にフローターフィールドを。次いで、チェーンバンドで氷塊を地面へと貼り付ける。

額の汗を手の甲で拭うと、エスティマは小さく息を吐いた。
やればできるじゃん、と自分自身を褒めてみる。パラディンモードの起動にエクセリオンを使ったものの、魔力負荷だって大して溜まってはいない。
また戦場に出るかどうかは分からないが、この調子なら、もし次があったとしても大丈夫なはずだ。
充実感のようなものが込み上げてきて、エスティマは薄く笑みを浮かべた。

『エスティマくん、砲撃型の戦闘機人は確保したよ』

『兄さん、ごめん。こっちは取り逃がした』

『いや、気にしなくても良いよ。頼んだのは足止めだけだったから。
 ……ありがとう、二人とも』

『あ、うん』

念話を返すと、どこか呆気に取られたような反応をされた。
そしてなのはから、それにしても、と、

『どういう風の吹き回しなの? エスティマくんが他の人を頼るだなんて。
 ……正直、ビックリしちゃったよ。嬉しかったけどね』

……こんなことで喜ばれる俺って。
あはは、と肩を落としながらエスティマは笑う。
……仕方がないのかもしれない。はやてだって、宗旨替えをしたことに対して変な顔をしたのだ。
が、すぐに表情を引き締めると、次の指示をなのはたちに出した。

まだ戦闘は終わっていないのだ。この戦場に残る戦闘機人を、可能なだけ狩らねば。
盛り返してみせる、と、この戦いではなく、自分自身を取り巻く状況に対して思い、エスティマは飛行魔法へ魔力を注いだ。














「ええい、邪魔をしないで頂きたい!」

「何を馬鹿な……あなたを兄さんの元になんて、行かせない!」

限定解除を行い、ソニックフォームとなったフェイト。
彼女とトーレは、戦うエスティマを背景に得物をぶつけ合っていた。

魔力刃とエネルギー刃の衝突で爆ぜる火花に照らされるトーレの顔は、苦々しく歪んでいた。
恋い焦がれているといっても良いほどに待ち望んだ好敵手が、すぐそこにいる。すぐそばで存分に力を振るっている。
可能ならば今すぐに飛びついて、全身全霊での闘争を愉しみたい。
だというのにそれを行えない状況が、トーレを苛立たせていた。

行く手を阻むフェイトは、言葉の通りに兄の邪魔はさせぬと鋭い眼光でトーレを射抜く。
以前に戦ったときよりも手強い――否、トーレの足止めに専念しているからなのだろう。
打ち負かそうという意志は薄く、足止めに終始しているような戦い方で向かってくる。

どうにかして出し抜いて――

夢遊病者のように、トーレはエスティマの方へと流れようとする。
その隙を突くようにフェイトはハーケンフォームのバルディッシュを叩きつけてきた。
魔力刃が身体を引き裂く痛みと衝撃で、トーレは我に返る。胸に宿る感情は、焦りと怒り。
それはフェイトにではなく、自分自身に向けられる。

――なぜ自分はあそこにいない……!

戦いたかった相手は一人だけだったのに、他へ流れたのがいけなかったのか。
……そうだ。闘争者として在る自分自身に意義をもたらす存在は、あの人、エスティマ・スクライアしかいなかったというのに。
手にして最も意味や意義のある勝利は、彼からこそ得られるものだったのに。

『……トーレ姉様』

『……クアットロか?』

『ここは、退きます。撤収の手伝いを』

『だが……!』

『退きます!……くそ、なんなのよアレ!』

苛立たしげなクアットロからの念話に、トーレは面食らった。
いつも余裕のある態度を崩さない妹がここまで取り乱している。そのことが、トーレへ僅かな冷静さを取り戻させた。
……この場で反応が残っているのは、クアットロと彼女に回収されたディード、そして自分のみ。
残る二人は捕縛されたのか、通常稼働状態にないようだった。

……退くのか?

そう問いかけるも、ここで自分の我を通せば自分も妹たちも捕まってしまうだろう。
主力であるディードとオットーはもう戦えないのだ。このまま長居すれば――末路は容易に想像できる。
強い抵抗はあるものの、トーレはクアットロの言葉に頷くしかなかった。

フェイトと距離を取りつつ撤退用のスモークを炊き、トーレは姿を眩ます。
その隙に合流したクアットロが幻影で姿を隠し、三人はトーレのライドインパルスで離脱した。

この戦いにおけるトーレたちの役割は、隊長陣の足止めと、可能ならばエスティマ・スクライアの確保。
しかし目標を達成できず、挙げ句の果てには妹たちを捕らわれて不様に敗走する始末だ。

視線を横に移せば、牽引されているクアットロはディードを抱えながらぶつぶつと恨み言を吐いていた。
こんなはずじゃ。おかしい。許さない。
俯いて表情こそ分からないものの、口元は犬歯を剥き出しにされ、憎悪がありありと見て取れた。










[7038] sts 十四話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/10/17 01:52

魔力弾がコンクリートを破砕する音が響く。
瞬く魔力光は四つ。その中で忙しなく動き回っているのは、二つ。

真紅の光が、暗闇を引き裂く。
それを迎え撃つルージュ――ウェンディの直射弾。

ヴィータは直撃コースのものを防ぎ、それ以外は逸らすか回避を選んで、じっとチャンスを待っていた。
焦りを押し殺し、まだだ、と自分自身へ言い聞かせる。

やはりType-Rと呼ばれる戦闘機人のスペックは高い。
以前戦ったときにそれは身に染み、未だその差は埋まっていない。
そして、真っ向から地力を覆す手段もまた、存在しない。

しかし、とヴィータはアイゼンを握る手に力を込める。
今、対峙している戦闘機人。それに付け入る隙は確かに存在するのだ。

「ほらほら、いつぞやと似たような展開っスよー!」

楽しげに射撃魔法を乱射する敵の姿に、ヴィータは微かな安堵をもらす。
付け入る隙とは、要するに傲りだ。
おそらくあの戦闘機人は、今まで苦戦というものをしたことがないのだろう。
生み出されたときから付随している頭の悪いスペックに酔い、戦闘をただの楽しみとしか思っていない。

これがまた戦闘狂だったら違っただろう。
目の前の敵が戦いを愉しみつつも、酔わず、勝つための努力を惜しまないような者ならば、ヴィータは戦いを避ける方向で対応を考えた。
しかし、そうではないのだ。

『じきに仕掛けるぞ、ティアナ、エリオ!
 準備しとけ!』

『了解です!』

応答に、ヴィータは小さく頷く。
この二人をヴィータが選んだことには、使用できる魔法を考えた上でだった。
バインドと幻影。そういったサポートを得意――とはいかないまでも使える二人。
キャロは発動速度と自己防衛に不安が残るし、スバルはいわずもがな。

戦闘機人からの攻撃を自力で凌ぐことができ、かつ、ヴィータが強烈な一撃を叩き込むための補助をできる人選だった。

「へっ……いたぶるだけかよ。
 まるで手応えがねぇぜ!」

「……強がるっスねぇ」

上等、とウェンディは目を細め、足元にテンプレートと魔法陣の融合した、歪んだ陣を展開する。

……くるか、TDモード。

さあ、力を解放して更に傲れ。
獲物が罠にかかるタイミングを計りながら、ヴィータは額に浮いた冷や汗を拭った。














「リボルバー……キャノン!」

振り下ろした拳でガジェットを撃ち抜き、スバルは弾んだ息を整えた。

ちら、と彼女は背後を見やる。そこにいるのはキャロとギンガ。戦闘になったので、キャロを背中から下ろしたのだ。
シグナムはこちらと合流せず、一人でガジェットを切り伏せているらしい。合流すれば、と姉にいったが、あの子にはやることがあるといわれていた。

それにしても、とスバルは姉へと視線を向ける。
姉の調子は、やはり完調とは言い難いようだった。利き腕である左の動きは、やはり以前と比べて精彩に欠け、鈍い。
だというのに、なぜ戦場へ出て来たのだろう。シューティングアーツの技量は姉の方が上なのだ。
だからこそ、不完全な状態で戦いに出ることがどれだけ危険か知っているはず。

『ねぇ、ギン姉……』

『……ごめんね。けど、帰るつもりはないの』

今のようなやりとりは、合流してから何度も行っていた。
スバルが何をいっても、ギンガは頑なに拒否しこの場に留まろうとしている。
何が姉をそうさせるのか、スバルにはまったく分からない。
いや――分かっているのだ。母のこと。しかしそれが、どのような意味を持っているのかスバルには理解できない。

一体この戦場に、何があるんだろう。
疑問を抱いたまま、スバルはマッハキャリバーを駆り、拳を振るう。

もうこの区画のガジェットは掃討しただろうか。
そう思った瞬間だ。

「……懲りずに出てきやがったか」

ガシャリ、と硬質な音を上げて、人影が下水道の先に現れる。
瞬間、ガジェットを叩き潰していたギンガの雰囲気が変わった。

あれは――












リリカル in wonder











眼前に現れた戦闘機人の姿に、スバルは眉根を寄せた。
戦闘機人Type-R。それは良い。この戦場に現れる可能性だってゼロではなかったのだ。こうやって目の前に出て来たとしても不思議ではない。
けれど――データではなく、こうして肉眼でその姿を目にして、いくつか気付いた点があった。
それは、髪や瞳の色こそ違うものの自分と同じ顔立ちだったり、装備しているデバイスの傾向が似ていたり。
否、それよりも。

……あ、れ? 私、あのデバイス、見たことがある。

対峙する戦闘機人の両腕に通されている手甲型デバイス。
同型のがいくらあるとしても、ただ一つ、思い出の中にあるものを間違えたりはしない。
……なんでそれを、戦闘機人が? それも、自分と同型機のような――

「――死ね」

呆然としているスバルに、短く言葉を叩きつけてノーヴェが肉薄する。
反応に遅れたスバルは、身動きが取れない。
が、

「させない!」

おそらくキャロが張ったであろう桃色のバリアと、ギンガの張ったトライシールド。
二重構造の盾を形成し、長い髪を翻して、ギンガは二人の間に割って入る。

リボルバーナックルが障壁にぶつかり、スピナーが火花を散らす。
その灯りに照らされながら、至近距離でギンガとノーヴェは視線を絡ませた。

「死に損ないがぁ! 大人しくくたばってろよファースト!」

「生憎、身体だけは頑丈なの……さあ、吐いてもらうわよ。
 そのリボルバーナックル、どこで手に入れたの!?」

「てめぇに話す義理はねぇんだよ!」

両者のローラーブーツが唸りを上げ、下水を跳ね上げ、弧を描きながら激突する。
その際、桃色の光がギンガの身体を覆い打撃の補助を行った。おそらく、ギンガがキャロへ指示を出し、それに従って強化魔法を発動させているのだろう。

激突し、魔力光と火花で通路を照らし上げながら両者は吹き飛ばされる。
距離を取ると、ギンガはスバルへと念話を飛ばした。

『スバル、手伝って』

『ギン姉……どういうことなの? お母さんに関係することって、これ?』

『ええ。あとで説明してあげるから、今は――』

「おらぁ!」

念話を遮るように、叫びとほぼ同時に拳が迫る。
キャロにブーストされたギンガがそれに正面からぶつかり、シューティングーアーツを駆使して捌く。

が、やはり地力を誤魔化すには至っていないのか。
ことごとく攻撃を逸らしながらも、ギンガは押されていた。

小さく拳を握り締め、スバルは混乱しながらも援護に入ろうと準備に入った。
姉と戦っている少女の持つデバイス。この子がどんな接点を自分たちと持っているのかは分からない。
けれど、そんなことに気を回している余裕はないのだ。

ギンガに致命傷を与えるような敵を相手に、躊躇や迷いを抱いたまま戦うことなどできない。

『ギン姉、この狭さでディバインバスターを撃てば避けられないはず。
 だから――』

『分かった。耐えてるから、お願い!』

ちら、と背後のキャロを見れば、ギンガの強化で手一杯なのであろう姿が見えた。
頼ることはできない。自分が決めなければいけないんだ。

「……一撃、必倒」

呟き、スバルの足元に近代ベルカ式の魔法陣が展開した。
右手に生まれたスフィアは、魔力を注ぎ込む毎に肥大化している。
自分の持てる技の中でも最高の威力を持ったものだ。倒せないにしろ、ダメージを与えることぐらいはできるはず。

「ディバイン――!」

「……小賢しい」

小さな舌打ちが聞こえた瞬間、スバルは砲撃の形成に注いでいた意識を浮上させる。
雄叫びと共に、ノーヴェのリボルバーナックルが唸りを上げた。魔力がスピナーを通じて渦を形成し、それがギンガへと。
大振りの打撃をギンガは受け止める。ダメージはない。

しかし勢いだけは殺せずギンガはスバルのいる場所まで吹き飛ばされる。
用意していた砲撃の射線上にギンガが入ってきたことで、スバルは咄嗟にディバインバスターをキャンセルしギンガを受け止めた。
その直後、自分のやらかしたことに目を見開く。
防波堤の役割を果たしていた姉がいなくなり、自分は攻撃手段のディバインバスターを止めてしまった。
つまりは無防備で――

「スクラップにしてやる!」

スピナーが紫電を散らし、暴力的なまでの余波が下水道中を吹き荒れた。
おそらく形成されているのは、ギンガの左腕を消し飛ばした砲撃魔法。
TDモードではないとはいえ、この無防備な状態で受ければどうなるか。

マッハキャリバーが咄嗟にオートガードを発動させるも、その場凌ぎのバリアで防げるかどうか。
目を瞑ることを我慢するだけで、上手く身体が動いてくれないスバル。
どうすれば――

そんな言葉が脳裏を占めた瞬間だった。

『動きが止まった……今よ、シグナム!』

渾身の滲んだ甲高い念話を、ギンガは上げる。

『心得た』

返答は念話で。それと同時に、キャロ、スバル、ギンガのデバイスへデータが転送されてきた。
ショック体勢、バリア展開、そして、射線。














「翔よ、隼……」

足元に古代ベルカ式の魔法陣を展開。
ギンガから送られてくる座標データを処理し、レヴァンテインに角度修正の指示を出しながら、シグナムは下水道の奥へと視線を向けていた。
その先は闇色に染まっており、ギンガたちの戦闘は見えない。反響した戦闘音が響いてくるも、様子を伺うことはできない。

受信しているデータでは、ギンガと戦闘機人は組み合いながらの戦闘を行っているらしい。
このまま矢を射れば、二人とも貫通してしまうだろう。

手加減などできない、シグナムが持つ魔法の中でも最高の威力を持つ技。
手加減ができないとは、無論、そこに非殺傷設定ができないことも含まれている。
しかし相手が戦闘機人ならば話は別だと許可が下り、シグナムは長年封じてきたこの技を開放しようとしていた。

身体が破損しても仮死状態になり、完全な死亡とはならない戦闘機人。
だからといって何をしても良いというわけではないだろう。それはまるで外道のすることだ。
しかし、手段を選ぶことで逃し、被害が増えてしまうのならば――

魔力光と共に吹き上がる炎に髪を揺らして、シグナムは姿の見えぬ敵を睨む。
貫くべきは父の敵。自分は守護騎士として、その敵を討つ。

そんな私情を押し殺し、シグナムは解き放とうとしている魔法の使用許可をゲンヤに求め、許可されていた。

当てられるのか、という不安はある。しかし、当てなければならないのだ。
もし外せば良くて敵に逃げられる。悪ければ隙を見せることになり、最悪、味方を誤射し、窮地に立たせる。

嫌な想像に弦を引く腕が強張った。それをゆっくりと解し、シグナムは瞬きをして目に入りそうな汗を退ける。
下水の濁った空気が肺に満ちて気分を乱す。平静を、と自分自身に言い聞かせ、シグナムはその時を待った。

そして――

『今よ、シグナム!』

『心得た』

瞬時に最終調整を行い、シグナムは溜めに溜めた魔力を開放した。

『Sturmfalken』

レヴァンテインの行った自動詠唱。次いで、矢が射出される。
魔法陣から一気に炎が吹き上がり、今にも飛び出そうとしている切っ先へとまとわりつく。

そして――猟犬の如く解き放たれた矢は獲物を食いちぎろうと、下水道を煌々と照らしながら、大気の壁を突破する。














TDモードを起動した敵の姿を見据えながら、ヴィータはエリオとティアナに指示を飛ばした。
開放されたレリックコアから魔力が吹き荒れ、燦然と戦場を染め上げる。

歪んだ魔法陣を展開すると、ウェンディは馬鹿みたいな数のスフィアを閉鎖空間に生み出す。
五十近いだろうか。それを避けるのは至難の技だと、分かっている。

しかし、

『避けてみせろよ!』

『了解!』

射出された瞬間、それぞれは動いた。
エリオはソニックムーヴを発動させて、柱を蹴りながらの回避を。
ティアナは身を伏せながら、幻影でダミーへと攻撃を向ける。

そして、射撃魔法が炸裂する。
砕かれるコンクリートと魔力弾自体が破裂したことで視界がほぼゼロに。

――この時を待っていた、とヴィータはアイゼンをギガントへ変形させる。
次いで、ヴィータの身体が橙色の光に包まれ、姿を掻き消す。

そして戦闘機人の身体へ、エリオの放ったバインドが幾重にも巻き付く。
無論、それの強度はなのはほどではない。潤沢な魔力を注ぎ込まれれば、いとも簡単に千切られるだろう。
その穴を、エリオは数でフォローする。カートリッジを次々と炸裂させて、十重二十重と稚拙ながらも最速で拘束魔法を発動させる。

「こんな小手先――」

悪態と共に、再び射撃魔法のスフィアが宙へと。
しかし、向けられた先には何もない。いや、あるにはあるが、存在するのはティアナの生み出したダミーだけだ。

ヴィータは気を緩めず、繊細ながらも可能な限りの速度でウェンディの背後へと回り込む。
この角度。バインドで拘束された今ならば、もし反応されたとしても盾では防げまい。

そして、

――ギガントハンマー!

トリガーワードを告げず、不完全ながらも直撃だけはするであろう攻撃を放った。
アイゼンが敵の身体へと叩きつけられると、シルエットが音を立てて砕け散る。
それでウェンディはヴィータに気付くも、遅い。

「ぶち抜けぇぇえええ!」

次々とカートリッジがロードされ、不完全だったギガントハンマーが本来の威力に迫る。

手応えはある。しかし、バリアジャケットを突き破り肉体そのものを打ち据える時とは、また違った感触。
このボディースーツのせいか、と推測しつつヴィータはアイゼンを振り抜いた。

鉄槌の一撃に、戦闘機人は弾丸の如き勢いで柱の一つへと。衝突の際には壁を粉砕し、更に粉塵が舞った。
……流石に今の手をもう一度使おうとは、ヴィータは考えていない。
しかし、痛手を負わせることはできたのだ。パターンを変えて攻撃を続ければ。

そうヴィータが思ったときだった。

「っ、エリオ、ティアナ!?」

「追撃をかけます!」

「馬鹿、よせ!」

サポートに回っていた二人が、戦闘機人へとデバイスを向ける。
咄嗟にヴィータは止めようとしたが、間に合わない。アイゼンを振り切り、カートリッジを再装填するために装填口のカバーを開いていたのだ。

――ヴィータは知らない。
この場にいる二人が、一体どんな気持ちなのかを。
エリオとティアナは、新人フォワードの中でも上昇志向の強い方だった。
決してそれが悪いわけではない。期待に応えるため自分を高めようとするその姿勢は、むしろ良いことだろう。

しかし、強敵らしい強敵と初めて相対した二人は、完全に頭に血が上っていた。
上昇志向を支えていた熱意が暴走し、身体を突き動かし、視野を狭めていた。

弾き飛ばされたウェンディ。彼女を包む粉塵の中にルージュの輝きと、暗闇の中に新たな人影をヴィータは見付けた。
しかし、勢い込んだ二人に止まる気配はない。けれど、防ぐに入るにしたってアイゼンは――

「くっそ!」

アイゼンを投げ捨て、ヴィータは飛行魔法を駆使して二人へと飛びついた。
エリオとティアナは何が起こったのか分からないと、身体を強張らせて動きを止める。
一拍遅れて、金属がコンクリートに突き刺さる音。次いで轟音が響き、反響した。

バリアジャケットを貫き、背中を焼かれる熱に、ヴィータは顔を歪ませる。
それでも、腕の中にいる二人だけは守ろうと、身体を盾に。遅れてクロスミラージュとS2U・ストラーダがバリアを展開した。

「ヴィ、ヴィータ副隊長……?」

「……ったく、初めてのヘマが……これ、かよ。
 手間の、かかる……奴ら……」

痛みを堪えているのだろう。歯を食い縛り、とぎれとぎれの言葉をヴィータはこぼす。
どうしよう、とエリオとティアナは同時にデバイスへ目を落とした。二人とも、治癒魔法に関係するものは一切学んでいない。
フォワードの中でその役目は、キャロが行っているのだ。しかし今、彼女はいない。

「いっつー……痛い痛い痛い……ひっさびさっスねこれは」

「……遊びすぎだ」

「うー……援護がなくても平気だったっスよ、チンク姉。
 一人でも大丈夫だったのに」

「撤退だそうだ。クアットロたちがしくじったらしい」

「……オットーとディードがいるのに? 不思議っスねぇ」

あー痛い痛い、と瓦礫を落としながらウェンディは立ち上がる。
その傍らには、いつの間にか小柄な少女が立っていた。

申し訳ない、といった風にチンクへ頭を下げつつ、おや、とウェンディは眉を持ち上げると、楽しげに口元を歪めた。

「あちゃー、やっちまったっスねぇ。
 死ななかった代わりに木っ端二人で私の相手。ご苦労様っス。
 撤退前に、あんたたちだけでも処理して……」

「始末は私がやる。お前は逃げ遅れない内に行け。
 もう包囲されつつある。これ以上Type-Rを失うわけにはいかない」

「……はいっス」

ぶー、とほっぺたを膨らませながら、よいしょ、と瓦礫の中からウェンディはデバイスを持ち上げる。
そして去り際に、彼女はティアナたちへ嘲笑を向けた。

「みっともない。すっこんでれば良かったのに」

「……そうね。図に乗ってたのは認めるわよ」

「……けど、ここで大人しく引き下がるほど僕たちは諦めが良くもない」

ああそうっスか、と言い残し、ウェンディはデバイスをサーフボードのように浮かばせ、乗っていった。

残ったチンクに、エリオはバリアジャケットのロングコートをヴィータに被せて立ち上がり、S2U・ストラーダを構える。
ティアナもまた、クロスミラージュを。

そんな二人に眉尻を下げながら、チンクはスティンガーを取り出した。

「恨みはないが……」

それへの返答は、ヴィータを背後に庇いつつの臨戦体勢。
そうか、と呟いて、チンクは投擲体勢に入った。

「……ん?」

チンクにティアナたちが気を向けていると、彼女は何かに気付いたように、耳を壁へと向けた。
この隙を突くべきか、ティアナたちは逡巡する。

その時だ。
轟音と共に資材置き場の壁が吹き飛び、一人の魔導師がこの場へと到着した。

















ブレイクインパルスで打ち砕いたコンクリートの粉塵が大量に舞っていて、視界をうっすらとぼやけさせた。
どこか夢のような――否、違う。これは現実だ。

そう自分自身に言い聞かせ、俺はSeven Starsを構える。
視線の先には、ずっと再会を待ち望んでいた人物と、部下たちの姿。
……これは、素直に喜べる状況なんかじゃないな。

『リインフォース、休憩は終わりだ』

『はいです! ヴィータちゃんの治療ですね?』

『ああ、頼む。……ティアナ、エリオ』

『……部隊長』

『報告はあとで良い。治療に専念するリインフォースを守ってやってくれ』

『……了解、です』

リインⅡは俺から抜け出すと、疲れを引き摺りながらもヴィータを守っている新人たちの方へと。
その間、俺と戦闘機人――フィアットさんは動かず、視線を交差させていた。

……もはや、語ることは何もないのかもしれない。
クアットロたちは既に撤退した。ギンガちゃんからの報告によれば、ノーヴェもセインと共に離脱したようだ。
ならここにいる彼女は、ウェンディを逃がし、自分自身は逃げ遅れて、孤立しているのではないだろうか。

一人ここへ残ったのならば、もはやこの人は俺たちを殲滅するか、救援を待って戦い続けるしか道は残されていないだろう。
……そんなことは許さない。

――ここで決着をつけましょう。

言葉にせず、俺はSeven Starsを握り締めた。戦うという俺の意志を汲み、Seven Starsは屋内戦に適した形態――モードC・EXへと変形する。
左腕に盾が装着され、右手にはデバイスコアの宿った片手剣。
その柄にロッドを短縮したカスタムライトを連結させ、Seven Starsの唾元と、ガンランスの刃から魔力刃が真っ直ぐに伸び、ダブルセイバーへと姿を変える。

――ああ、決着をつけよう。

対する、フィアットさんも戦闘態勢を取る。
スティンガーを俺へと向け、計六本のダガーを。

シェルコートに搭載されているAMFを起動させたのだろうか。
濃度上昇の警告を、Seven Starsが伝えてきた。

「時空管理局、六課部隊長エスティマ・スクライアです。
 戦闘機人チンク、あなたをテロリズム幇助、殺人未遂の現行犯で逮捕します。
 ……投降を」

「それはできない。私にも義理というものがある。
 管理局に捕まるその瞬間までは、結社の戦闘機人として戦わなければならない」

「そうですか」

では――と呟く。これは儀式のようなものだった。彼女が投降するだなんてこと、あるわけがないのだから。
それを切っ掛けに、戦闘が始まった。

ブリッツアクションを発動し、Seven Stars・カスラムライトを振りかぶって突撃する。
並の魔導師では反応もできない速度だが、しかし、彼女は戦闘機人だからなのか。
小刻みにステップを踏んで身をかわすと、そのままバックステップ。滞空中にスティンガーを投擲してくる。

迫る刃をすべて切り払い――内、一本は俺ではなく床へと向けられ、突き刺さった。

「IS発動、ランブルデトネイター」

舌打ち一つし、俺はバックステップを行うと、次いでフィールドバリアを展開。
爆散したスティンガーと床の破片だけが防げれば良い。衝撃に吹き飛ばされながらも空中でトンボを切って着地すると、彼女の位置を把握せずに動いた。
一拍遅れ、さっきまで俺のいた場所に四本のスティンガーが突き刺さる。次いで、爆散。
爆風に煽られながらも、彼女がどこへいるのかと視線を巡らせる。

『……ようやくだな』

『……ええ、そうですね』

唐突に届いた念話にマルチタスクの一つを割いて返答を。

舞い上がる粉塵の中に視線を向ける。
すると不自然な流れ方をしたことに気付き、カスタムライトの砲口を向けてカートリッジを炸裂させると共にショートバスターを。

『私を、捕まえるか?』

『そのためにここへきました。
 ……今まで走り続けた理由の一つでもある』

が、直撃した手応えはない。おそらくはハードシェルを展開したのか。
戦闘の組み立てを頭の中で行いつつ、さて、と呟く。

『……一途だな』

『性分なもので』

ウェンディとヴィータたちとの戦闘。俺の行ったブレイクインパルス。
この上更にランブルデトネイターの使用を許し続けて、果たして保つのだろうか。
何が保つのか。それは、このフロアだ。

『あの日から、もう七年、いや、八年になるのか』

『ええ』

『……長かったよ』

『……本当に』

廃棄された区画とはいえ、一応は街だった区画の地下。
そう簡単に壊れないとは思うが、経年劣化でどれほどガタがきているのかなど、建物に関する知識のない俺には予測できない。Seven Starsも同じく。
いや、この場でそんな予測ができる者はいないだろう。

それに、下手に俺が逃げ回れば治療中で動けないヴィータたちに流れ弾が当たる可能性もある。
彼女が気を配って戦っている、と断言できない以上、早い内に勝負を付けるのが得策か。

……そうとも。この年月に決着を。

「……往くぞ、Seven Stars」

『はい。旦那様の願う勝利がそれならば』

トリガーワードなどではない。ましてや、機能を発動させる合図ですらない。
しかしSeven Starsは俺の意志を汲み、金色のフレームを燦然と輝かせ、術式を構築する。

「A.C.S.」

『スタンバイ』

煙を引き裂いて、スティンガーが俺の元へと真っ直ぐに向かってくる。
触れれば即座に爆散し、対象を殺戮するであろう鋼の爆発物。

サイドステップを刻んで、爆風に煽られながらも、俺は彼女を視界の中央に据える。
手の中でSeven Stars・カスタムライトを半回転させ、ガンランスを上へ。
Seven Stars側の魔力刃が消失すると、ガンランスの刃、そこに生まれた魔力刃をフィアットさんへと向けた。

そして、ガン、ガン、とカートリッジが炸裂し、

『バレルショット』

ガンランスの砲口から、渦を巻く衝撃波――その形を取った砲撃魔法が吐き出された。
無論、彼女もそれを大人しく喰らおうとは思わないだろう。
シェルコートを発動させたのか。AMFによって威力の減衰したバレルショットは、ハードシェルの黄色い光に弾かれた。

が、関係はない。動きを止めるのはバレルショットを当てても、今の状況でも変わらないのだから。

「ドライブ――」

熱意を込めて呟いたトリガーワードを経て、カスタムライトの加速器が広がる。
構築されるのはアクセルフィンと同種、サンライトイエローの四枚翼。

高出力の魔力刃、ストライカーフレームが切っ先を鋭く、敵を刺し貫くべく冴える。
そして、

『――イグニッション』

自動詠唱を経て、デバイスに引っ張られるよう加速、突撃を行った。

刹那の内に距離を詰め、ハードシェルを突き破り、魔力刃がフィアットさんの左肩に突き刺さる。
迎撃するために右手に握ったスティンガーを差し向けようとするが、許さない。
Seven Starsとカスタムライトを分離し、逆手に持った片手剣を右肩へと突き刺した。

その衝撃でなのかどうかは分からないが、彼女を覆うハードシェルが消え去る。
防御が消え去ったのを確認して俺は地面を蹴り、ブリッツアクションを使いながら彼女を壁へ叩きつけ、磔に。

「もう逃がさない……ディバイン――!」

ガンランスの砲口にサンライトイエローの光が満ち、光輝の奔流がバチバチと悲鳴を上げる。
そして、装填されている残るすべてのカートリッジが次々と炸裂し――

「――バスターァァアア!」

トリガーワードの咆哮と共に、砲撃魔法が視界を、俺を、フィアットさんを光に包んだ。

















「あああぁぁぁぁぁあああああっ……!」

腹の底から響く絶叫が、下水道内に木霊する。
戦闘機人のノーヴェは、右肩――滾々と血を吐き出す傷口を押さえ、痛みを叫びで誤魔化そうと啼いていた。

彼女の背後には、吹き飛ばされた右腕が転がり、下水に浸かっている。
胴体から切り離されて時間が経っていないそれからは血が流れ出し、濁った下水を更に赤黒く染めていた。

先ほどまで薄暗かった下水道は今、薄明かりに照らされている。
シグナムの放ったシュツルムファルケンが直撃した際に撒き散らした炎だ。

鬼火の踊る中で、腕を失ったノーヴェは今にも膝を折りそうになりながら咆え猛る。

……隙だらけ。今ならば。
スバルに抱き留められていたギンガは身を起こし、フルドライブモードを起動させる。
スピナー後部の装甲がはじけ飛び、腕を中心に構成された回転式弾倉が開放。

そしてギンガは、六課からデータを提供され、アレンジを施した近代ベルカ式の砲撃魔法を構築する。
元は石化の槍、ミストルテインだったものを。

「ハートブレイカー……!」

トリガーワードを呟くと、スピナーが魔力の流れを加速し、砲撃魔法の発射態勢へと入る。
あとはただ、打ち貫くのみ――

左腕を脇に沿え、捻りと共に掌を打ち出す。
未だ痛みに翻弄されているノーヴェに避ける気配はない。
これなら、とギンガは勝利を確信する。

が、

「逃げるよノーヴェ!」

壁から現れた――そう、壁からだ――水色の髪を持つ戦闘機人がノーヴェを抱き締め、そのまま地面へと消えた。
残ったのは波紋だけ。浅い下水の中へと消えたわけではない。溶け込むように、地中へ潜ったのだ。
ギンガの拳は虚しく空を切り、群青色の魔力光が放たれるも、打ち据えるはずだった敵は消えている。

唖然としたあとに、ああもう、と髪を掻き上げ、ギンガは溜め息を吐いた。

「……ねぇ、ギン姉」

「何? スバル」

「えっと……あれ」

そういって、スバルは人差し指でギンガの後ろを示した。
振り返ると、そこには千切れ飛んだ戦闘機人の右腕がある。
しかし、スバルがいいたいことは違うだろう。それは、ギンガも分かっている。

「……リボルバーナックル」

……これが自分の使っているようなレプリカではなく本当に母のものならば。
ギンガはゆっくりとそれに近付くと、断面の剥き出しになった血肉や金属フレームに顔をしかめつつ、拾い上げた。
















早く、早く!

下水道内を飛行魔法で移動しながら、はやてはエスティマたちのいる空間へと向かっていた。
代わり映えのしない通路の景色が、より焦燥を掻きたてる。
ヴェロッサと共に聖王のクローンを戦闘エリアから離脱させ、いざ戦線へ、と戻ってくると既に戦闘は終わりへと向かっていた。
戦闘機人を二体確保。ヴィータの負傷。気にするべきことは多々ある。
けれど報告の中ではやてをこうも急かすものは、ただ一つだけ。

エスティマが最後に残った戦闘機人の五番と戦闘を行っている。

それを聞いた瞬間、はやてはいてもたってもいられなくなったのだ。
いつぞやの戦闘が脳裏を過ぎる。暴走といっても過言ではない戦い方をして、怪我を負ったエスティマ。
また今度もあの時と同じような――違う。

はやての胸を焦がすのは、そんなことではなかった。
確かにエスティマのことは心配だが、それ以上に気になってしまうのだ。
……チンク、と呼ばれている戦闘機人。敵味方であることを越えた何かの縁がある少女。

マリンガーデンで生き埋めになったとき短く言葉を交わした、はやての敵。
そう、敵なのだ。局員と犯罪者という関係だけではない、敵。

それが彼と出会うことで、どうなってしまうのか。
はやては報告を聞いてからずっと、考えないようにしつつも悪い予感がして、そんなことを考える自分が嫌で仕方がなかった。

その時だ。
下水道内に轟音が鳴り響く。砲撃魔法を炸裂させたとき特有の響き。
視線の先には、エスティマたちがいる広間へと入り口が見えていた。
そこへ、はやては真っ直ぐに向かう。

魔法を使っているわけでもないのに、視界の動きがゆっくりになっているような錯覚を受けた。
通路の中に充満しているかび臭い空気で、気持ち悪さが助長される。

そして――視界が開け、はやてはたどり着いた。

弾む息を整えながら、はやては忙しなく目を動かす。
広間の隅では、魔力光が瞬いている。リインⅡがヴィータの治療を行っているのだろう。
その近くには、デバイスを構えたエリオとティアナが、警戒しながら視線をはやてではなく、別の方へと向けていた。

なら、エスティマは――

二人の視線を追って、はやてはもうもうと煙りの立ち込める方を凝視する。
粉塵が晴れてゆくと、その中にある二つの人影が顕わになり始めた。

二つ――いや、一つの人影か。

「……捕まって、しまったなぁ」

「……はい。捕まえました」

諦めと同時に安らぎを感じされる声と、それに応える柔らかな言葉。
はやては、胃の底に何か重いものを感じた。
けれど、目を逸らすことはできない。金縛りにでもあったように、はやては動くことができない。

煙が完全に晴れてしまうと、もう、はやては目の前の光景を認めるしかなかった。

エスティマの足元には、Seven Starsとカスタムライトが落ちている。
デバイスを握っていないのならば、両手はどうしているのか?

答えは酷く単純だった。見たままなのだから。

戦闘機人は少しだけ背伸びをして、それでもエスティマの胸板ほどまでしかない身体を彼へと預けている。
そしてエスティマは、空いた両腕でしっかりと彼女を抱き締めていた。

「……あっ」

どくりどくりと、心臓が嫌な鼓動を上げる。瞬間的に心拍数が上がって、はやては気が遠のくような錯覚を受けた。

「エスティマ、くん」

名を呼ぶも、口から出た彼の名は酷く弱々しい。
だからだろうか。エスティマははやてに気付かず、チンクを抱擁したままだ。

「……エスティマ……くん」

ぎゅっと、はやてはシュベルトクロイツを握り締める。
どんな気持ちを抱いていようと、名を呼ぼうと、彼は今、自分を見てくれない。

……長年の願いが叶ったのだ。邪魔をしてはいけない。
そう思うと同時に、今すぐにでも戦闘機人を引き剥がしてやりたい衝動に駆られる。

それを必死に我慢して、俯き、肩を落として、はやてはヴィータの方へと向かった。





[7038] sts 十五話 上
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/10/17 01:51

蛍光色の灯りに照らされた研究室の中で、スカリエッティは上げていた顎を下げ、目を瞑った。
ゆっくりと腕を持ち上げると、振り下ろし、鍵盤型キーボードを一斉に押し込む。
すると眼前に開いていた画面が一斉にブラックアウトし、研究室の中には機器の放つ唸り声のような音だけが響く。

椅子に全身を預け、放心した様子でスカリエッティは天井を見上げる。
薄く目を伏せ、だらしなく緩んだ口元を引き締める。苦々しく引き結ばれた唇は、彼の心情を現していた。

「……これは」

小さく呟いて、スカリエッティはじっと天井を見上げていた。
先ほどまで彼が見ていた映像。それは、廃棄都市群で行われたいた戦闘映像だ。
スカリエッティがずっと観察していたその戦い。彼が気に入っているエスティマの戦闘を見ることができたことで、満足はできた。
が、そのエスティマの戦う姿に、どうしても違和感を抱いてしまうのだ。

以前の彼ならば自分を犠牲にして命を削りながらも戦いに身を投じていたというのに。
しかしType-Rやチンクと戦ったエスティマからは、微塵もそういった部分を見ることができなかった。

なぜ、こうなってしまったのだろうか。
エスティマの身体が限界に近いことは、制作者であるスカリエッティが一番良く知っている。
プロト・レリックウェポンであるエスティマ・スクライアは、現在稼働しているType-Rや聖王の器を完全なものにするための叩き台。
トライアンドエラーを行い改善点を浮き彫りにするための存在であり、それが正常稼働している今の状態は奇跡――綻びが出ている今の状態を正常稼働といえるかはともかく――に近い。
けれどエスティマ・スクライアという人物は、そういったことを分かった上で自分に敵対しているはずなのだ。

だというのにそれをねじ曲げ、全力を出さずに戦っている。
なぜ、彼がそんな風に変化したのか――どんな心境で宗旨替えを行ったのか。

それを頭の中でひたすらに考え、スカリエッティは小さく溜め息を吐く。
そして鍵盤型キーボードのボタンを人差し指で叩くと、浮かび上がったウィンドウへ声をかけた。

「……ウーノ」

『はい、ドクター。なんでしょうか』

「少し、考えたいことがある。一時間ほど一人にしてほしい。
 妹たちの修理は手順通りに頼むよ」

『了解しました』

「ああ」

『……あの、ドクター』

呼ばれ、スカリエッティはずっと天井に向けていた視線をウーノへと。
通信画面の向こうにいる彼女は、眉尻を下げてじっとスカリエッティへ視線を向けていた。

「なんだい?」

『何か、あったのですか?』

「……そうだね。ああ、そうとも。
 期待外れ……とも少し違うか。
 そもそも彼は……これも人としての揺らぎと考えるべきか?
 いや――」

ぶつぶつと呟くスカリエッティを見詰め続けるウーノ。
彼女がどう思っているのかなどは微塵も考えず、スカリエッティは思考に没頭する。

邪魔をしては悪いと思ったのだろう。では、と小さく断りを入れて通信を切った。














リリカル in wonder












味気も飾り気もない部屋の中、俺はフィアットさんと向き合っていた。
パイプ椅子に座っている彼女は、白い拘束着に身を包んで俯き加減になっている。

先の戦闘で逮捕した戦闘機人三体は、どれもがデチューン――身体機能を落とされ、今は見た目相応の力しか持っていない。
ISも封じ、装備品もすべて押さえた。もう自力でここ、海上収容施設から逃げ出すことは不可能だろう。
今、俺は事情聴取のためにこの場所へと赴いていた。

「フィ――戦闘機人、チンク」

「……ああ」

あやうく別の名を呼びそうになった。なんとか言い直しつつ、彼女への質問を続行する。
言葉をかけられた彼女は、俯きがちだった顔を上げ、まっすぐに俺へ視線を向けてくる。

「もう一度問います。結社の本拠地となっている研究施設の場所は、分からないのですね?」

「ああ。出入りは基本的に転送魔法か、妹のISで行っていた」

「……はい。では、次を。結社との戦闘を行った際、行方不明となった魔導師。
 それらは――」

「どれもサンプルとして保管されている。死んでいない限りは、どれも仮死状態で保存されているはずだ」

「……分かりました」

小さく頷いて、俺は手元にある書類へと視線を向ける。
ここへくる前は白紙同然だった紙には、びっしりと走り書きが並んでいた。
彼女から聞き出した結社の情報。それらのメモ書きだ。

大体聞くべきことは聞き尽くしたか。
彼女からの情報で目新しいものは少なかった。
ナンバーズとはいっても、やはり純戦闘用だからか。これがクアットロだったら違ったのかもしれない。いや、奴ならそもそも情報を吐かないか。

「捜査協力に感謝します。協力的な態度は、裁判でも有利に働くでしょう」

「助かる。妹たちも、よろしく頼むよ」

「善処します」

小さく息を吐いてバインダーへとメモを収めると、ここまで、と念話で会話を監視している者たちへ指示を送る。
そうして二十秒ほど待つと、いつの間にか詰まっていた息を吐くように、ネクタイを緩めた。

そして、

『Seven Stars、三分経ったら教えてくれ』

『了解です。しかし、何故でしょうか』

『少し、この人と話がしたいんだ。プライベートでな』

録画が切れた今だからこそ。けれどあまり長くいれば怪しまれるから、三分ほど。

『分かりました』

Seven Starsに指示を出すと、俺はずっと強張らせていた表情を解す。
気を抜けば緩めてしまいそうだったからだ。それを隠すために力を入れ続けていたものだから、疲れて仕方がなかった。

そんな俺を見て、フィアットさんはくすくすと笑い声を上げる。

「慣れないことをしているからだ」

「……似合ってないことぐらい、分かっています」

「いや、似合っていないわけではなかったぞ。
 凛々しい顔もまた、悪くない。……そうだな、しばらく見ない内にずっと大人っぽくなった」

彼女は柔らかな笑みを浮かべて、懐かしむような目をする。
……そういえば、この人とゆっくり話すのは、酷く久し振りだ。
そんな顔をしたってしょうがないのかもしれない。
そういう俺だって、どんな表情をしているのか。

「そういうフィアットさんだって……」

「……私だって?」

「大き……く……」

「……ど、どうだ?」

「……可愛らしいままですね」

「失礼だなお前は! これでも少しだけ身長が伸びたりしたぞ!?」

「まぁまぁ。昔のままというのも、それはそれで」

「だから成長したといっているだろうに! 本当に相変わらずだなお前は!」

ぷんすかと怒る彼女。
そんな様子と言葉に、ああそうか、と思い出す。

そういえば俺はよく、この人のことをからかって遊ん……もとい、可愛がっては怒られていたような気がする。
それもまた、ずっと昔のことだけれど……もう、昔じゃないのか。

『旦那様』

『……なんだ』

『口元が緩んでいます。だらしがない』

『うるさい。茶々を入れるな』

指先でSeven Starsを弾くと、フィアットさんとの会話に戻る。
時間がないっつーのに、コイツは……。

「……これでも、気にしているのだ」

ぷぅ、と彼女は頬を膨らませ、呟いた。

「……え?」

「歳だけくってもこのなりだ。お前ばかり大人になって……少し悔しいよ。
 もう、並び立つこともできない」

「……フィアットさん」

「ああ、あまり気にするな。ただの感傷だ。
 ……今のお前も悪くないぞ?」

「そうですか?」

「ああ。いい男に……格好良くなったよ」

「えっと……それは、どうも」

今度は俺が笑われる番か。何が面白いのか、彼女は笑みを絶やさず、輝くような表情を。
そんなフィアットさんを直視するのがどうにも気恥ずかしくて、目を逸らしてしまう。

「どうした?」

「……平然と格好いいとかいわれても、反応に困ります」

「初心な奴め。
 てっきりそういったことに慣れたものだと思っていたが……そうか。
 まだ私にも目があるらしい」

「えっと……?」

問いかけても、なんでもないよ、とフィアットさんは首を振る。
その際に長い髪がふわりと揺れた。

「なぁ、エスティマ。もうちょっと近くにきてくれ」

「へ?」

「ようやく会うことができたのに、前ほどお前を近くに感じられない。
 すぐそばで、お前の顔を見せてくれ。
 ……見たいんだ、エスティマ」

そういう彼女の頬は、薄く朱に染まっていた。拘束着に包まれた身体を少しだけ、くすぐったそうに揺する。
顔が熱い。きっと俺も、似たような顔をしているのだろう。
彼女の願いを叶えようと、俺は一歩踏み出して――

『旦那様、時間です』

『……分かったよ』

「ごめんなさい、フィアットさん。
 これ以上ここにいると、怪しまれますから」

「……分かった」

残念そうに、彼女は溜め息を吐く。
そんな彼女へ、またきますよ、と声をかけ、俺は急ぎ足で部屋から外へ。

すると、

「……待ってるぞ。また会えるのを。
 ――待ってるからな!」

「あ――」

振り向き、言葉を返そうとすると自動ドアが閉まってしまった。
ああもう、と拳を握る。
仕方がないとは分かっているけれど、時間が足りない。くそ。

ひとけのない廊下を未練たらしい足取りで進みながら、俺は首元のSeven Starsへ恨み言を向ける。

「……Seven Stars、空気を読め」

『読みました』

「どこがだ」

『……時計を見て下さい』

いわれ、Seven Starsの表面に視線を落とす。
見れば、そこに記されていた時刻はフィアットさんと会話を始めてから五分が経っていた。
外に出てから、というのを考えれば……話していたのは四分?

「……悪い」

『分かればいいのです』

といいつつ、チカチカと光って抗議するような態度を見せるSeven Stars。
悪かったって、と表面を指先で擦りながら、廊下を淡々と進む。

そうしていると、廊下の先に見覚えのある姿があった。
どうも、と頭を下げると、応じて彼――ゲンヤさんは手を挙げる。

「どうも、ゲンヤさん。どうしたんですか?」

「ああ、お前がきてるって聞いてな。
 ちょいと話でもと思ってよ。立ってするのもなんだ、そこの休憩所へ行くか」

「はい」

ゲンヤさんに誘われ、自販機の並ぶ休憩所へと俺たちは向かった。
他に人はいないようだ。自販機でコーヒーを買ったとき、コトリと紙コップの落ちる音が響いた。
どうぞ、とゲンヤさんにミルクと砂糖の入ったものを。俺はブラックのを手にとって、椅子に並びながら口を付ける。

「……やっぱり、ナンバーズの様子を?」

「ああ。けど、俺だけじゃねぇ。暇のある佐官は、大体顔を見にくるんじゃねぇか?
 なんてったって、世間を騒がしてる戦闘機人だ。
 自分たちがどんな奴に手を焼いていたか、一度見ときたいんだろうよ」

「そうですか」

見せ物じゃないんだが……そう思うも、俺がそれをいうのも筋違いな気がする。
言葉に出来ない微かな苛立ちをコーヒーと一緒に飲み込んで、ゲンヤさんとの会話を続けた。

「ま、それはそれだ。俺がここへきたのは戦闘機人の嬢ちゃんたち以上に、お前ぇに話があったからだしな」

「と、いいますと?」

「クイントのことだ……例の遺留品、リボルバーナックルがあいつのだって判断されたよ。
 どうすんだ、エスティマ。ギンガは多分、薄々勘付いてるぜ。アイツが生きてるかもしれねぇってな。
 流石に確信するほどじゃねぇようだが、それもいつまで保つか」

「……ですか」

「ああ」

ゲンヤさんは俺の答えを待つように――実際待っているんだろう――口を閉じた。
クイントさんに関することは、可能な範囲でこの人に教えてあった。
無論、他言無用で。助けられるかどうかも分からない状態です、と言い添えて。

俺がそのことを知ったのは、隊長――ゼスト・グランガイツ――と協力するようになってからだ。
二人が生きていると知って、俺はすぐにでも助け出したいと思ったが、しかし、未だに行動を起こせないでいる。

結社の研究施設を探索し続けているあの人に頼めば、今すぐクイントさんやメガーヌさんを助け出すことはできるだろう。
けれどそれは、獅子身中の虫というカードを切ることとイコールになる。

結社に捕らわれている人は一人や二人ではないのだ。
あの連中に対抗する部隊の運営を任されている今、自分の気持ちに整理をつけるためだけに隊長へGOサインを出すわけにはいかない。
すべての捕らわれた人を助ける準備が整うまで、クイントさんを助けることはできない。

そして、そのことを知れば何かしらの反応を見せるであろうギンガちゃんとスバルに言うこともできない。
まだ俺に怨みを向けている内は良いのだ。
けれどそれが戦闘機人――ノーヴェへと向いたとき、どんな無茶をするのか想像もできない。

無論、暴走しないという可能性もある。
けれど、あの二人がどんな風に激情を抱く人間か知っているからこそ、伝えようとは思わない。

だから、

「……現状維持で。まだ知らせるわけにはいきません。
 どう足掻いたところで、あの二人が真相を知る手段はありませんから」

「……そうだな。俺がお前ぇの立場だったら、そうするだろう。
 悪ぃな、気苦労かけて」

「いいえ。本当に大変なのはゲンヤさんだって、分かってますから。
 ……すみません。クイントさんも娘さんも、助けることができず」

「気にすんな。確かに、思うところがないわけじゃねぇ。
 けど、精一杯やってるお前ぇにケチつけるつもりはねぇよ。
 やりたいようにやれば良い。頭の片隅に、女房のことを入れててくれれば俺ぁ満足だ」

「……はい」

短く応じて紙コップを口に運ぶと、いつの間にか中身はなくなっていた。
くしゃりとそれを握りつぶして、さて、と小さく呟く。

これから六課に戻って、調書をまとめて……やることはたくさんあるな。
早く状況を進めないことには、クイントさんを助けることもできない。

向こうの戦力を削り取れた今だからこそ、油断は禁物か。

「それじゃあゲンヤさん、俺はそろそろ」

「ああ。……ああ、そうだ、エスティマ」

「はい?」

「今日はシグナムを連れてきてるんだ。
 アイツ、お前に――」

と噂をすれば、

「ナカジマ三佐――っと、父う……スクライア三佐」

ゲンヤさんを呼びにきたのだろう。曲がり角から姿を現したシグナムは、俺を見て目を白黒させた。
が、すぐに素に戻ったのは流石か。
コホ、と小さく咳払いをして、シグナムは背筋を伸ばすと、ゲンヤさんへと。

「ナカジマ三佐、107の方が話があると」

「ん、おお、そうか。じゃあちょっくら行ってくる。
 シグナム、お前ぇはここで待ってろ」

「は?……あ、いえ、しかし――」

「じゃあな」

「あ、あのっ!」

ひらひらと手を振りながら、ゲンヤさんは足早に去ってしまう。
それを見送るシグナムは、どうしたものかと途方に暮れているようだった。

……はて。
ゲンヤさんは俺にシグナムのことで伝えたいことがあったようだけれど、なんなのだろうか。
シグナムに視線を向けてみれば、あの子は心底困り果てたようにしている。

「どうした、シグナム」

「は、いえ、その……なんでもありません」

「そうか……ああ、そういえばシグナム」

「はい」

「戦闘機人を撃退したみたいだな」

「は、はい! 全力を出しました!」

と、いきなり声を荒げる。慌てているとも違う。なんだろうか。
心の中で首を傾げていると、Seven Starsがチカチカと光り始める。

『旦那様』

『なんだ』

『レヴァンテインがいっています。
 褒めてやって欲しい、と』

『褒める?』

『戦闘機人を撃破したからではないでしょうか』

『ああ、なるほど……』

「えっと、シグナム」

「はい」

名を呼ぶと、シグナムは直立不動ながらもどこか犬を連想しそうな表情を見せた。
ポニーテールが今にも揺れ出しそうな、そんな感じ。

「……よくやったな」

「はい」

……褒めてはみたものの、シグナムは口を開かない。
それがまるで、次の言葉を待っているかのよう。
少し考えた末に俺はゆっくりと口を開いた。

「守護騎士として、頑張ってくれたんだな。
 これからも期待しているよ」

「はいっ!」

顔を輝かせて、威勢良くシグナムは答えた。
その際にポニーテールが一跳ねして、なんだか耳でも見えてきそうな具合。

頭を撫でたくなるも、流石にそこまで子供扱いはどうよと思い、自重した。


















デスクに向かい、部下たちから上がってきた報告書を確認しながらも、どこか上の空でなのはは作業をしていた。
彼女の頭の中には、一人の少女のことが浮かんでいる。

前の出動の際に保護した少女、ヴィヴィオ。生命操作技術で生み出された女の子。
彼女は今、先端技術医療センターにて保護されている。

本来ならば聖王教会の持つ医療施設へ搬入されるはずだったのだが、些細な違いにより、彼女は管理局の施設へと預けられていた。
それは、ヴィヴィオの保護に回っていたはやてが管理局員として動いていたこともあるし、ヴェロッサがエスティマに感じていた罪悪感がそれを許したということもある。

が、それはあまり関係のないことだ。
本来あるべき流れと同じく、なのははヴィヴィオへと興味を示していた。
クローンである以上、母親という存在はいないはず。それはなのはも分かっている。
しかし、うわごとの『ママ』という言葉が、どうしても耳に残ってしまうのだ。

可哀想だと思うのは、別に悪いことではないだろう。
けれど、自分はあの子に対して何をしてやれるのか。
そう考え始めると、なのはは途端に動けなくなってしまう。

自分が出来ることなんて――

「……止めよう」

考え込んだところで、答えらしい答えなんか出ないのだ。
自分のやりたいことは決まっている。そこへもっととらしい理由を付けなきゃ動けないというわけでもない。
考えるより先にやるべきことはあるはずだ。

いつの間にか俯いていた視線を上げて背筋を伸ばす。
すると、視界の隅に友人の――はやての姿が映った。
彼女はどこか放心した様子でキーボードを叩いている。心底疲れ切ったような表情は、どこか触れることを躊躇わせた。
そんなはやてと、なのはが電算室にいたからだろうか。
気がつけば、少し前まで一緒にいた部下たちの姿はいつの間にか消えていた。

あっちゃー、と思いながらも、なのはははやてへと近付いた。
後ろに立ってみても、彼女が気付いた様子はない。
時折思い出したように指がキーボードを叩くも、すぐに止まって思考に没頭しているようだった。

ウィンドウを見てみれば、どうやらはやてもなのはと同じように報告書へ目を通していたようだ。
開いている画面に目を移し、なのはは目尻を下げる。
そこに映っていたのは、デバイスが記録したのであろうエスティマと戦闘機人の抱き合っている姿だった。

「はやてちゃん」

「んっ……あ、ああ、なのはちゃん。どうしたん?」

肩を揺すられ、名を呼ばれると、ようやくはやては、なのはに気付いた。
薄く微笑むはやて。なのはは、それに嫌な儚さを感じてしまう。

「手伝ってあげるから、早く終わらせよう」

「え、けど……」

「駄目だよ、疲れてるときに無理しちゃ。ね?」

「……うん。ごめんな、なのはちゃん」

「気にしないで」

そうして、二人は作業に戻る。
報告書のチェックとはいっても、もうそこそこに終わらせてあったのか。
おかしなところを修正し、三十分も経たないうちに仕事を終わらせると、二人は女子寮へと戻った。

足取りの重いはやてを引っ張り彼女の部屋へとたどり着くと、ソファーに座らせて、なのははキッチンへと。
ごめん、というはやてに笑いかけながら、なのははお茶の準備をする。
キャラメルミルクを作る手間などないから、戸棚の中にあった紅茶を入れて、即席のミルクティーを作ると、リビングへと戻る。

しかしテーブルに紅茶を置いても、はやてはそれに手を付けなかった。
夜になり、冷えた部屋の中に湯気がもやもやと伸びてゆく。

どうしたんだろう、となのはは考え、すぐに思い至る。
直接見たわけではないが、新人たちが噂していたことを、なのはは耳に挟んでいた。

撃破した戦闘機人をエスティマが抱き留めた。無論、下卑た尾びれはついていない。
新人たちは偶然そうなったものだと思っているらしい。
ただ、はやてがどんな気持ちをエスティマに抱いているのか薄々と分かっているようだったため、話題にはなってしまったようだが。

けれど、となのはは思う。
抱き留めたとしたって、はやてのこの状態は流石に過剰反応過ぎやしないかと。
ここまで落ち込むのは何か理由があるはずだ。
エスティマとほぼ同じ年月を友人として過ごしているなのはは、そう思っていた。

はやては強い子だ。そうでなければ、十年に近い年月を一途に待ち続けたりなどできない。
そして、そんな友人の姿がなのはは好きだった。
だからこそ、今のように弱ったしまった彼女を励ましてあげたいと思うのだ。

「はやてちゃん、どうしたの?」

「……ん」

「そんなに落ち込むなんて、何かあったとしか思えないよ。
 ね、話してみて? 愚痴ぐらいなら聞いてあげられるし、もし力になれるならそうするよ?」

「……うん」

そうして、ぽつぽつとはやては語り始める。
エスティマと戦闘機人にどんなことがあったのかは分からない。
けれど、はやての知らないところで二人は知り合っていたこと。
エスティマが結社を追っていた理由の一つに、あの戦闘機人を逮捕することがあったこと。
そして、二人の仲は友達のようなものではないだろうということ。

つっかえながらも最後まで話しきると、はやてはまた弱々しい笑みを浮かべた。

けれどなのはは、まだどこか釈然としないものを感じる。
事情は分かった。エスティマに好きな人がいるのかもしれない。確かにそれはショックだろう。
けれど、そんなこと――そう、"そんなこと"だ――で諦めてしまえるほどに、はやての想いは弱かっただろうか。
こんなにも打ちひしがれるには、まだ何かがあるのではないだろうか。

そんな疑問を押し殺し、なのはは柔らかい口調ではやてへ声をかける。

「……うん。けどさ、はやてちゃん。
 エスティマくんがどうしたいのかは、まだ分からないよ」

「……けど」

「なんだかんだいっても、エスティマくんは人の気持ちを大切にする人だから。
 もしはやてちゃんの気持ちに応えられないのなら、もっと前にいってるはずだもん」

残酷な言葉だと分かりながらも、なのはは諭すように言葉を続ける。
はやては迷ってしまっているのか、俯いた顔を弱々しく振った。

「……そうかなぁ」

「そうだよ。ね、はやてちゃん。
 まずは、エスティマくんが何を考えているのか聞いてみようよ。
 怖いかもしれないけどさ」

「けど……」

しかし、はやては頭を振る。
何をそんなに怖がっているのだろう。
それが分からなければ、きっと力になってあげることはできない。

「けど……」

なのはは、じっとはやてが口を開くのを待つ。
そうしている内に、ぐすぐすと鼻を鳴らす音が響き始める。
それでも、なのははじっと待った。

「けど……しゃあないやんか……。
 私だって、エスティマくんが不義理を嫌ってることぐらい知ってる。
 けど……!」

段々と冷え切っていた声に感情が交ざり始める。
怒りだろうか。悲しみだろうか。
いや、きっとそれらの混じった何かだ。

「エスティマくんがあの人を好きかどうかなんて、私には分からない。
 けど……!」

こほ、と咽せて小さな咳をすると、はやては、

「けど、私は……!
 私には、一度だってエスティマくんの方から抱き締めてくれたことなんてなかった……!」

それが十分な証明になっているのでは、とはやては嗚咽を漏らす。
細かく肩を震わせる彼女の背中を、ただなのははゆっくりと撫でた。

……そっか。ようやく分かった。

胸中でそう呟いて、なのはは小さく唇を噛む。
微かな怒りが湧いて来るも、それは余計なお節介で、茶々を入れるものじゃないと自制する。
筋違いだと分かってもいる。

「……ごめんね、はやてちゃん」

「ううん……え、ええんよ」

必死に泣き声を押し殺しているのか。
裏声になりそうな声をはやては上げた。

そんな彼女をただ宥めながら、なのははどうするのかと自分自身に問いかける。
余計なお世話だとしても、自分が関係のないことだとしても。
……友達が泣いているのをただ慰めるだけだなんて、できっこない。

無論、こんな状況を造り出しているエスティマにも事情があるだろう。
彼がどんなことを考えているのか。まずはそこからかもしれない。

女の子を一人泣かせているんだから、それだけの理由はあるんだよね?

誰にともかく問いかけて、なのはは小さく手を握り締めた。

















「くそ、くそ、くそっ……!」

声と共に、ガンガンと断続的な金属のひしゃげる音が響く。
酷く耳障りなそれを生み出しているのは、クアットロだった。

解いた髪を揺らしながら、ひらすらに彼女は壁に埋め込まれたガジェットを蹴り付けている。
それでも怒りが収まることはないのか、口元は苛立ちを現すように酷く歪んでいた。

それを背後から見ているトーレは、腕を組んだ状態でじっと妹の姿を見ていた。
ここまで苛立っているクアットロも珍しい。
が、そうでもないのかもしれない。
エスティマに関わる戦闘に参加した後は、大体こんな感じか。
いつもならばエスティマを傷つけたことのプラスマイナスでいくらか溜飲を下げているようだったが、今回ばかりは違う。

完全なる敗北など、いつぐらい振りか――そうだ、自分が本格的にエスティマへ興味を持ち始めた、あの戦闘機人事件でのことだった。
奇しくも同じ戦場で再び泥を付けられる。これも何かの縁なのかもしれない。

「……エスティマ様、か」

「……トーレ姉様、申し訳ありませんが、その忌々しい名を出さないでもらえません?」

「ああ、すまない」

軽く返し、トーレは再び思考へと。

あの人との決着を付けるには、どうすれば良いのだろうか。
今回の戦闘を最後に、結社は最終作戦への準備を始めるという。

聖王のゆりかごを飛ばし、それで本局へと攻め込み、我々の掲げる目標を管理局へ呑ませようと。
その戦いでは、おそらく、自分はエスティマと戦うことはできないだろう。

未だ目覚めていないナンバーズのⅦ番、セッテ。
彼女は今回の戦闘データを組み込んで目覚める、結社最強の戦闘機人であり――エスティマに対する最大の切り札となる。
ならば、最早自分は用済みだ。おそらく梅雨払いとして、ゆりかごの浮かぶ空域を押さえる役目に就かされるだろう。

……それで良いのだろうか。
見定めた敵と相まみえることなくこの戦いに終止符を打ってしまうことに納得してしまっても良いのだろうか。
結社の保有する戦力として、勤めを果たす義務があると分かってはいる。
しかし――

「……私は、戦闘機人だ」

戦うために生み出され、そのために生きている存在だ。
望み、望まれ――力を振るうことこそを至高とする。
そしてエスティマ・スクライアもまた、自分と同じ存在のはず。
力によって友や立場を得て、そして、これからもそうしてゆくだろう者。

戦うことで生きてゆく――そんな、自分と同じ立場にある彼との純粋な戦いを。
それを果たすことが出来るのならば。
闘争者の頂である、最強の名を手にするならば。

結社にいることで、その極みを手にすることができないのならば。

自分は――




[7038] sts 十五話 中
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/10/21 04:15
先端技術医療センターの廊下をエリオとティアナは歩いていた。
二人が身に着けているのは、局の制服だ。僅かに髪が湿っているのは、ここへくる前にシャワーを浴びたからか。
目指している先は、一般病棟のヴィータが入院している病室。
戦闘で負った怪我が思いのほか深く、念のためということで先端技術医療センターで治療を受けているのだった。

プログラムで体を構築されている守護騎士。そもそもがこの程度の負傷でもすぐに回復できる存在だったのだが、今のヴィータは違う。
闇の書から切り離された守護騎士プログラムは、正常な稼動状態を維持できず、年々劣化していっている。
並みの人間よりもまだ頑丈だろうが、それもいつまでのことか。

それはともかくとして。
自分たちのせいでヴィータが怪我を負ったと思いつめている二人は、暇があれば毎日のように病室へと足を運んでいた。
今日も訓練が終わり、各々の隊長たちに許可をもらってここへきている。

手に握ったビニール袋を揺らしながら、二人は病室の前へとたどり着いた。
失礼します、とドアを開くと、やや躊躇いがちに中へと。

「おう、きたか」

「はい。こんばんは、ヴィータ副隊長」

ヴィータは身を起こしながら、本を手に取っていた。漫画だろうか、と思いながら、ティアナは見舞いの品をベッドサイドの棚へ置く。

「ん、今日はなんだ?」

「クッキーです。なのはさんとシャマルが」

「そっか。じっくり食べるとするかな。
 ……おいおい、辛気臭せぇ顔してんじゃねぇよ。
 そんなに深い怪我じゃねーっていってんだろ?」

まったく、と苦笑するヴィータ。
あの失敗以来、どうにも二人の顔は申し訳なさと悩みの混じったようなもので、沈んでいた。
どうしたもんかね、とヴィータは腕を組む。その際、傷口のある背中が鈍い痛みを発した。

実戦での判断ミス。それに関しての叱責は、おそらくなのはやエスティマが行っているだろう。
それで反省しているのなら、そこまで畏まらなくても――かといって開き直ったら無論激怒するが――いいとは思っている。
第一、ヴィータも自分に非はあったと思っているのだ。
あの盾のようなデバイスを持った戦闘機人が必ず出るとは思わず、連携の打ち合わせを行わなかった。
そんな場当たり的な考えに新人を付き合わせてしまえば、暴走しないとは言い切れないというのに。

だから気にするな、といってはみたものの、やはり二人は落ち込んだ状態から立ち上がらない。
根深いのかね、とヴィータはこっそり溜息をついた。

「まだ戦闘機人の全部を捕まえたわけじゃねーんだ。
 そんな風に腐ってたら、訓練にも身が入らねーだろ?
 またヘマやらかしたら、今度はどうなるかわかんねーんだからしっかりしろよ」

「……はい」

けれど、沈みきった顔が明るくなることはない。空元気すら見せることはできないのか。
どうしたもんかね、と再びヴィータは思った。












リリカル in wonder











スバルは一人、部屋の中で考え事をしていた。
二段ベッドの下に相方の姿はない。今はヴィータの見舞いに行っているのだ。
その時間を利用して、スバルは自分と、姉と、父と――家族のことを考えていた。

戦闘機人の遺留品であるリボルバーナックル。それが母のものだと分かり、スバルは今まで抱いていた考えに疑問を抱いていた。
エスティマ・スクライア。自分の所属している部隊の部隊長。それとは別にして、母を助けてくれなかった人。

長く憎悪を抱いていた彼が何を考えているのか。スバルにとって、あまりそれは関心がない。
スバルにとってエスティマとは憎悪を向ける対象であり、母を助けてくれなかった者にすぎないのだから。

けれど今になり、スバルはエスティマ・スクライアが何を考えているのか知る必要が出てきた。
廃棄都市郡での戦闘が終わってから、スバルは姉から――推察だけどと前置きをされ――母に関係することで自分たちの知らない、重要なことがあるのではと聞かされていた。

悪いデバイスではないものの、最上級の性能を持っているというわけではないリボルバーナックル。なぜ結社の精鋭である戦闘機人がそれを使っているのか。
しかもその戦闘機人は自分たちの同系列――もしかしたら、スバルと同型なのかもしれない子。

保管されていたリボルバーナックルが気に入っているから使っている、というわけではないだろう。
なぜなら、マリアージュ事件の際、彼女はリボルバーナックルを傷付けられて激怒していたから。
ただ気に入っているだけであそこまで怒るとは考えづらい。

もしかしたら彼女はリボルバーナックルではなく、デバイスを通して誰かを見てるのではないか。
そして彼女が見ている人物とは、もしかしたら、自分たちの母親、クイント・ナカジマなのではないだろうか。
リボルバーナックルを傷付けられて怒ったのは、クイントとの接点となっている物が壊されたからではないだろうか。

そして、もう一つ。
あの戦闘機人は、自分たち姉妹を目の敵にしている。

偶然、というわけではないだろう。二度の交戦。そのどちらもが姉妹と相対し、敵というだけとは思えないほどの殺意を向けてきた。
なぜ彼女がそうするのか。敵だから、というだけでは説明の付かない何かがあるだろう。

自分とあの戦闘機人の間には、何かがある。何かに拘って、あの戦闘機人はリボルバーナックルを大切にして、自分たちを目の敵にしている。
自分たちにそれらへ思い当たる節はない。
共通点として浮かび上がってくるのは母だが、なぜ故人に執着するのだろう。

……もしかしたら、父やエスティマ・スクライアは戦闘機人と自分たちの間にある何かを知っているのではないだろうか。
そして、その"何か"はとても重要なことなんじゃないか。

ギンガもスバルも、それが何かは分からない。
ならば直接本人に聞くべきだとは分かるが――

「……あの人は、何もいわない。ただ自分が悪いとしか」

そうやって逃げているのだ。自分の侵した罪を告白して掘り起こすのが怖いのだ。きっとそうだ。
そう、スバルは考えている。

そんな彼の態度に甘え、深入りしなかったのはスバルの甘えでもある。
けれど彼女はそのことに気付かず、ひたすらに戦闘機人と自分たちの間に何があるのかを考える。

けれど、それに答えが出ることはない。
彼女が一人で考えるには、判断材料が少なすぎるのだ。

悶々としながら、スバルは一人、考え事へと没頭する。
けれども、やはり答えは出ない。
呻き声を上げた後、スバルは気分転換でもしようと、外出の準備を始めた。















「ティアさん、これからどうしますか?
 僕は、訓練でもしようと思っているんですけど……」

「……ああ、ごめん。ちょっと一人になりたいから」

「あ、はい」

それじゃ、と手を振りながら去ってゆくティアナの背中を見ながら、エリオは溜め息を吐く。
ティアナへの誘いを断られたからではなく、今の自分の状況に。

戦場での判断ミスをしてしまった自分たち。
それらに対する罰はちゃんとあった。
けれど、ミスに巻き込まれて怪我をした本人であるヴィータは気にしていない風に振る舞っている。

それがエリオには、たまらなく我慢ができなかった。
もし自分たちがあの場で勝手な行動を取らなかったら、ヴィータは怪我をすることがなかったかもしれない。
それ以上に、戦闘を続けていればエスティマが加わって、あの場にいた二体の戦闘機人を捕らえることができたかもしれないのに。

実力不足ではなく、経験不足。確かに戦闘機人を相手にするには、まだ自分たちは未熟だとエリオも分かっている。
けれど今回のことで最も目立ってしまったのは、冷静な状況判断のできない部分だった。

どうすればこの穴を埋めることができるのだろう。考え、しかし、簡単に答えはでない。
せめてできることと言ったら、なのはから受けている教導の他に、自ら鍛錬を積むことぐらい。
けれどそれで伸びるのは技の冴えや力であり、経験不足をどうにかできるわけではない。

どうすれば――なんとも形容しがたい衝動が、エリオを突き動かす。

隊舎の近くにある林に入ると、S2U・ストラーダを起動させて、エリオはスフィアを宙に浮かばせる。
それをデバイスの先端に生み出した魔力刃で追い、切り裂き、すべてのスフィアを切り伏せると再び標的を生み出す。

汗の滴を飛ばし、がむしゃらに、しかし目的を持って――どう身体を動かせば良いのか。より高度な動きをするべく――エリオは動き続ける。
そうして二十分ほど経った頃だろうか。

「エリオくん?」

「……ん、キャロ?」

汗だくのエリオは息を切らせながら振り向き、名を呼んだ。
視線の先にいるのは、同じ小隊員として戦っているキャロだった。

彼女は心配そうな視線をじっと向けてくる。
それを分かっていながらも、エリオは再び身体を動かし始めた。

そしてマルチタスクの一つを割いて、彼女へと念話を。

『何?』

『えっと……あまり無理しちゃ、駄目だよ。
 なのはさんの教導だって大変なのに、その上自主訓練までなんて。
 身体が壊れたら、大変だよ?』

『身体は丈夫な方だから、平気。
 そんなに心配しなくても大丈夫だから』

『けど……』

エリオを信頼していないわけではないだろう。
それでもキャロは、ひたすらに訓練を積んでいるエリオを心配する。

そんなキャロへ苛立ちも何も抱かず、ただ申し訳ない、とエリオは思う。
あの戦場で、失態を見せたのは自分たちだけだ。
隊長陣は戦闘機人を捕まえ、スバルたちも撃退した。六課全体から考えれば、むしろプラスの方が多い。
ようやく目に見えた形で部隊が成果を上げられたのだ。むしろ今は、喜ぶべき時だと思っているが――自分たちは、敵にやられている。
もし部隊長が間に合わなかったら――そう考えると、どうしてもエリオは悔しさを感じてしまうのだ。

同じ小隊の仲間である上に、当たり前のように他人を思いやることのできるキャロは、そんなエリオがどうしても気になってしまうのだろう。
付き合わせて悪い、と彼女の顔を見る度に思ってしまう。
けれど、自分が悔しさを押し殺して陽気に振る舞えるような人間ではないとエリオは分かっている。

それに、兄から教え込まれていることもあった。
何事も無理はするな、と。それで潰れた人間を見たことがあると、何度も口を酸っぱくしていわれていたのだ。
気持ちを押し殺して潰れてしまうぐらいなら、いっそ開き直れと。
それを免罪符にするわけではないが。

『……エリオくん』

『何?』

『エリオくんは、強くなりたいの?』

『……どうだろう』

その問に、え、とキャロが声を上げた。

『強くなることで、この間みたいなミスをしなくなるのなら、強くなりたい……かな?』

『……そっか』

そう応えると、ずっと立ち尽くしたままのキャロが動いた。
なんだろう、と見てみれば、彼女もケリュケイオンを起動させている。思わずエリオは動きを止めた。

「……キャロ?」

「手伝うよ、エリオくん」

「え、でも」

「だって、パートナーだし……それに、ただ見ているだけなんて嫌だよ。
 もし今度、エリオくんがミスしそうになったら私がフォローする。
 ……それじゃ、駄目かな?」

上目遣いで、おずおずとキャロは呟いた。
そんな彼女の姿に、エリオは心底困ってしまう。
無下に断ることもできないし――どうしようか。
そう思いつつも、エリオは気付かぬうちに頷いていた。











エリオと別れたティアナは、隊舎の廊下を歩いていた。
目指す先はデバイスの開発室。そこでデバイスの中身を覗こうと思っているのだ。
別にクロスミラージュの調子が悪いわけではない。彼女は、デバイスに蓄積されたデータを見ようと思っているのだ。
変な癖がついていないかどうか。欠点か何かがあるのではないか。それらを確かめようと。

もっとも、なのはの教導を受けている以上、彼女が気付けばそういった悪癖はすぐに直されるだろう。
それを分かっていながら、ティアナは開発室を目指す。
エリオの誘いに乗らなかったのは、今は身体を動かす気分じゃなかったからというのが大きい。開発室を目指しているのもそうだ。

どうしたものか、とティアナは溜め息を吐く。

そうして思い起こすのは、自分がミスを犯したあの戦闘だった。
もっと上手くやれたはずなのに、なぜあのときの自分はあんなことをしてしまったのだろう。
年長者としてエリオを止めるべきだったのに、一緒になって攻めようとして。
みっともない。あの戦闘が起きる前の自分に出会えるのなら、間違いなく横っ面を叩いているだろう。

が、そんなあり得ないことを考えていてもしょうがない。
これから自分たちはどうするべきなのか。それを少しは考えてみないと。

「失礼します」

「あ、どうぞどうぞー」

ドアを開くと、薄暗い部屋の中で作業をしているシャーリーが目に入った。
仕事中だったのだろうか。タイピングを続けて画面に視線を向けたまま、彼女は返事をした。

「クロスミラージュのメンテですかー?」

「いえ、そういうわけじゃ……」

「んん?……ちょーっと待ってくださいね。
 よっと……はい」

一区切りを付けたのだろう。彼女は指を止めると、椅子を回してティアナの方を向く。
タイミングの悪いところにきちゃったなぁ、とティアナは苦笑した。

「すみません。作業を止めてしまって」

「いえいえ、お気になさらずー。
 こっちも息が詰まっていたので、誰かと話をしたい気分だったんですよ。
 いやもう、完成したと思っていたものに穴があると、凹むー」

「えっと、どうしたんです?」

がっくりと肩を落として、大袈裟なことをいうシャーリー。
目的はあるも急いでいるわけではなかったため、ティアナはついつい話に乗ってしまった。

「前回の戦闘で強化改造したユニゾンシステムを起動させたんですけど、どうにも上手く動いてくれなかった機能があって。
 ここだけは力を入れて作ったから、自信があったのにぃ……」

「ユニゾンって、部隊長の?」

「そうそう。追加機能として搭載したイリュージョンフェザーだけど、幻影魔法の補助以外にももう一つ機能があって。
 そっちの方が動いてなかった……というか、動いていたみたいだけど効果が出てないみたいで」

弱りました、とシャーリーは溜め息を吐く。

「えっと……その機能って?」

「AMFC。キャンセラーです」

「キャンセラーって……AMFを?」

「そう。AMFの中和フィールドですよ」

AMFC。聞いたこともないその名称に、ティアナは思わず聞き返してしまった。
それもそのはず。AMFへの対抗手段は、基本的に魔導師依存になっているのが現状だ。

そもそもAMF自体が、結社の使うガジェットドローンの出現によって思い出された、カビの生えた代物。
習得が難しく、覚えたとしても味方の邪魔になる可能性があるため使いどころを考えなくてはならない。
その扱いづらさから淘汰されたフィールド魔法。

管理局の敵は結社だけではない。AMFへの対抗手段を模索するぐらいならば、とあまり熱心に対策を練られていないのが現状だ。

だというのにAMFCだなんて――そう考えるティアナだったが、そもそもここは結社の対策部隊。
メタな対策だろうと、それが結社へ有効な対抗手段になるならば模索してもおかしくないと思い至る。

「……もしそれが完成していたら、ガジェットなんか怖くない、と」

「そう! そうなんですよ!……まー、戦闘機人Type-Rは魔法を使うのであまり代わり映えはしないんだけど。
 それでも、フルスペックの魔法が使用できるのは大きな利点。
 これで対策は万全――だと思ったのにぃ」

再び肩を落として、だはー、と溜め息を吐くシャーリー。
よっぽど期待が外れて落ち込んでいるのだろう。ふざけた調子の中に、本気の落ち込みようが見て取れた。

「……AMFCの効果が発動する前に、イリュージョンフェザーごとAMFに消されているのが問題?
 ううん、イリュージョンフェザーは正常稼働していた。
 なら、問題は――」

いつの間にか自分の世界に入ってしまい、ぶつぶつと呟くシャーリーを見ながら、ふと、ティアナは些細な疑問を浮かべた。
そもそもAMFとはなんなのだろうか。

魔力の結合を断つ特性を持った、フィールド魔法。それは分かる。
しかし、どういう作用でそれを起こしているのか、気になってしまったのだ。

普段はAMFを"そういうもの"だと認識してあまり深くは考えていなかった。なのはがAMFへの技術的な対策を毎日のように教えているということもある。
そしてそれはティアナだけではなく、スバルやエリオ、キャロも同じだろう。
魔法を研究しているような者でなければ、気にしないような話なのだから。

「あの、シャーリーさん」

「……ん、はいはい?」

「そもそもAMFって、どういう原理で魔力の結合を断っているんでしょうか」

「んー……えっと、ですね。噛み砕いて説明すると、なんだけれど。
 AMFは魔力の結合を断つ。ここまでが常識として知られている部分。
 そしてこの後……結合を断たれた魔力は、魔力光も見えないレベルに分解されるの。綺麗さっぱり消滅するわけじゃない」

「そうだったんですか」

「うん。そもそもAMFは魔力の結合を断つフィールド魔法となっているけれど、厳密には、違う。
 AMFを発動させた魔導師を中心に、魔力の結合を断つ"何か"を発生、散布し、その"何か"が魔力の結合を断っているの」

「え?」

「あまり知られていない豆知識ー。
 ガジェットは機械だからそうは思われていないんだけど、人が発動させたAMFって減衰するんですよ?
 ガジェットは機械だから、プログラムに沿って絶え間なくAMFを発生させていて、そうは見えないってだけで」

「……えっと?」

「そもそもAMF自体が魔法。その正体は魔力を、魔力の結合を断つ"何か"へと変換していると言われている。
 炎熱や電気、氷結と同じように。
 けれどその"何か"――仮説の段階で、"あるだろう"といわれている"何か"は発見されていない」

「……?」

「AMFを防ぐ手立てはいくつも考えられたけれど、対策へ潤沢な予算が回されたわけじゃないからどれも実用化には至っていない。
 けど、研究している人たちはいて……その人たちからのヒントを元に、私は……」

「あ、あの、シャーリーさん?」

「AMFという魔法を破壊する手段なんて、専門の研究職じゃない私には見付けられない。
 けど、AMFの仕組みが分かっているならば、取れる手段は存在する。
 要は戦うことができれば良い。AMFの無効化――中和フィールドの形成。
 逆転の発想なの。AMFは魔力の結合を断つことで減衰する。なら魔力をぶつけ続ければ――そう、私は考えた。
 だからこそ広域散布を可能とするイリュージョンフェザーを作って――けれど、AMFCの効果は出ていない。
 羽の形を取って広域散布することにより、って。けど、なんで――そう、そうだ! そうなのよ!
 点じゃ駄目だったんだ、面なの!」

「あ、あのー、もしもーし?」

ティアナを置いてきぼりにして、シャーリーは一人でぶつぶつと呟き続ける。
そして何かを思いついたように情報端末に齧り付くと、熱暴走でも起こしそうな勢いでタイピングを始めた。
ヒャッハー! と今にも言い出しそうなほど上機嫌な表情だというのに、黙ってキーボードを叩く彼女からは鬼気迫るものすら感じる。

シャーリーの姿に、お邪魔みたい、と胸中で呟くと、物音を立てないようにティアナは開発室を後にした。
そうして廊下に出ると、これからどうしようと途方に暮れてしまう。

……自主練習、か。
ポケットの上からクロスミラージュに触れながら、ティアナは小さく唇を噛む。

エリオはきっと今もがむしゃらに訓練をしていることだろう。
それが悪いとティアナは思っていない。それで自分たちの抱いている無力感を薄れさせることができるのならば、別に良い。
けれど、違うのだ。身体を動かして忘れられるほど、簡単な話ではない。特に自分の場合は。

六課へ配属された時点で、自分の実力に対する評価が分不相応だと分かってはいた。
ミッドチルダを脅かす結社。それに対抗するために生み出された部隊の一員。
それの意味するところは、エースとしての実力を求められるということ。

自分はエースなどにはなれないと、ティアナは分かっていた。
彼女が幼い頃に魅了され、今も憧れているエスティマ・スクライア。
まだ魔法のなんたるか。自分の才能がどれほどのものかを理解していなかった頃、ティアナは憧れへ近付こうと躍起になっていた。
けれど、その情熱は一年も経たずに冷え切ってしまう。

生まれついての魔力資質。空戦適正。そういったものが、ストライカー級魔導師と呼ばれる者たちと比較するとどうしても見劣りするのだ。
無論、技巧派のストライカー級魔導師も世の中には存在する。諦めなければそういった魔導師になれるのでは、とも思う。
けれど、違うのだ。
ティアナが憧れた魔導師とは、鮮烈で圧倒的な、まるでご都合主義の化身のような力を持った存在なのだから。

兄の夢だった執務官になるということ。それは諦めていない。
けれど憧れであった魔導師へ近付こうという意志は完全に折れてしまった。
自分はあの人のようにはなれない。当たり前のことだが、それ故に大事なことを、ティアナは学習していた。
しかしそれは、良い意味で。背伸びをせず、手の届かない幻想を追わずに等身大の自分を見詰めることができるようになったのだから。

だというのに、この前の戦いで自分のとった行動はどうだ。
戦闘機人Type-Rを倒せる。いつか諦めた幻想が蘇り、敵を討ち取れるかもしれないという誘惑に駆られてミスを犯し、上官を危険に晒した。
自分自身で諦めたはずなのに、目の前に餌を置かれたら食いついて……なんて不様。

もし今回と同じような局面に出会したら、今度こそミスは犯さないと思っている。
しかし、本当に犯さないのかという不安――自分自身への疑いがついて回り、エリオとはまた違った方向にティアナを悩ませていた。

「……こんなはずじゃ、なかったのにね」

ふらふらと考え事をしながら、ティアナは外へと向かう。
一人になりたいと考えているからだろうか。
気付かぬうちに、ティアナは隊舎の傍にある林へと向いていた。














「さて到着……っと」

最寄りのバス停から徒歩で隊舎へ到着すると、俺は周囲を見渡した。
待ち人がいるはずだとは思うのだけど……姿はなし、と。

海上収容施設からの帰り、バスに揺られて――残念なことに俺は免許を持っていないのだ。二輪も四輪も――いると、携帯電話にメールが届いた。
差出人はなのは。話があるから、帰ってきたらすぐに会おうという内容。

すぐに、とはなんとも穏やかじゃないとは思う。
もしやヴィヴィオに関係することだろうか。
あまり深い考えがあったわけではないが、俺はヴィヴィオの様子を見るように、彼女を先端技術医療センターへと向かわせていた。

なんでそんなことをしたのだろうか。保険のつもりなのかもしれないし、罪悪感からの行いなのかもしれない。
そもそも俺はヴィヴィオを誕生させるつもりがなかったのだ。あの子が生まれることで聖王のゆりかごが浮上するならば、と。

なのはをヴィヴィオの傍にいさせたのは、その行いからくる罪滅ぼしなのかもしれない。
馬鹿な話だ。誰が知っているわけでもないのに、勝手に申し訳なさなんかを感じて。

……ま、良いさ。それも俺の性分だ。女々しいとは自分でも思うけれどね。

そんなことを考えていると、視界の隅によく知っている姿が入ってきた。
局の制服に身を包み、栗色の髪をサイドポニーにまとめた女。

片手を上げてここにいることを示すと、彼女も同じように手を。
そして小走りで駆け寄ってくると、お疲れ様、と口を開いた。

「けっこう遅かったね」

「ああ。捕まえたナンバーズの全員と顔を合わせたから、時間くってね」

「そう。どうだった?」

「ん……チンクは協力的だから、裁判もそう難しくはないと思う。
 けど、ディエチとオットーはどうかな。まだ自分たちの状況が飲み込めてないみたいだから、時間を置く必要があると思う。
 ……そっちは?」

「え?」

「ヴィ……あの、保護された人造魔導師の女の子だよ」

「……まだ分からないかな。あの子ずっと眠ってて、言葉も交わしてないから」

「そっか」

「うん。……それでね、エスティマくん」

「ん?」

「ちょっと話があるから、時間もらえるかな?」

そう問いかけられ、行こう、となのはに促される。
足の向いた先は隊舎ではなく、その横に広がっている林だった。
そんな場所でする話だなんて、人に聞かれたくない内容なのだろうか。
落ち着いて話すのなら、食堂でもどこでもあるし、念話で済ませたって良いだろうに。

さくさくと雑草を踏みながら進み、しばらく経つとなのはは足を止めた。
釣られて、俺も足を止める。
そして振り返ったなのはの顔に浮かんでいる表情を見て、思わず首を傾げてしまった。

怒りを堪えているような……けど、激怒しているような雰囲気じゃない。
なんだろうか。悲しんでいるようにも見える。

どうにも話を切り出し辛そうだし、俺の方から話を振ってみようか。

「……それで、話って?」

「うん。仕事じゃなくてプライベートのことなの」

「そりゃ、こんなところに呼び出すんだからそうだろうさ。
 ……けど、何か責められるようなことしたか?
 気を付けてるつもりだけど――」

「してるよ。……無自覚だったんだね」

エスティマくんらしいけどさ、と溜め息を吐いて、なのはは額に手を当てた。

「……余計なお世話だって思うけど、ちょっと聞きたいことがあるの。
 エスティマくん、この前の戦闘で捕まえた戦闘機人の五番……チンクさん、だっけ。
 その人とエスティマくんってお友達なの?」

「……ああ。
 けど、それがどうした?」

応えるのに一瞬の間が開いたのは、友達なのだろうか、と考えてしまったからだ。
俺とあの人は友達なのか?
そんな仲じゃ――いや、だったらどんな仲だっていうんだ。

男女の関係? 違う。そんな関係じゃない。
大切な人だと思うけれど、口に出すのはなぜか躊躇われる。
だったら、友達が一番しっくりくるだろう。正しくないのだとしても。

「……うん、そっか。
 ならさ、はやてちゃんは?」

「……は? なんでお前にそんなことを言わなきゃならないんだよ」

まるで予想していなかった名前が出て来て、思わず不機嫌な声が出てしまった。
しかしなのはは構わず、先を続ける。

「友達? 好きな子? なんとも思っていない?」

「いや、だから……!」

「……ごめん」

その謝罪で、なんとも口を開きづらい沈黙が生まれた。
踏み入ったことを聞いたと、なのはも自覚しているのだろう。
次にどんな言葉を俺へ向けて良いのか、迷っているようだった。

けれども意を決したように息を吸い、彼女は俺を見据える。
ひたすらに真っ直ぐな視線は、言い逃れを許さない――そのつもりをこちらから奪う、純粋な目だった。

「ごめんね。余計なお世話だって、理解してる。
 けど私、はやてちゃんの友達のつもりだから、どうしても放っておくことができないの。
 ……はやてちゃん、悲しんでたよ。エスティマくんに見てもらえないって」

「見て貰えない?」

見て貰えない、とはどういうことだろうか。
何かの比喩か――そう考え、

「うん。そう言ってたわけじゃないけど、ね。
 ……ねぇエスティマくん。エスティマくんは、はやてちゃんと向き合ったことある?
 はやてちゃんがどんな気持ちでエスティマくんの傍にいるか知らないだなんて言わないよね?」

なのはの言葉に、嫌な汗が一気に吹き出た。
余計なお世話だという反発を覚えながらも、話を聞かなければと自制する。
軽く手を握りながら、俺は短く声を漏らした。

「……ああ」

「なら、エスティマくんの素直な気持ちを伝えてあげて。
 私は男の人を好きになったことなんてないから、偉そうなことをいえる立場じゃないけど……。
 それでも、今のはやてちゃんが苦しんでいることぐらいは分かるよ」

「……苦しんでる? はやてが?」

「うん」

迷いなく断言され、苦々しさが口の中に広がった。
そうか……そうだよな。当たり前だ。

「……そっか。分かったよ」

なのはから聞いたはやての様子を想像して、胃に重いものが溜まる。そんな気がした。
もう自惚れや自意識過剰だなんて逃げ腰なことはいわない。はやてから気持ちを寄せられて――ああ、そうだ。
そんな状態でずっと彼女に待ってもらい、そこにフィアットさんのことが重なれば、限界にもなるだろうさ。

けれど俺は浮かれていて、はやてがどんな気持ちでいるかを少しも考えていなかった。
大事にしているなんて言っておいて、だ。

「けど」

いつの間にか俯いていた顔を上げる。
なのはは泣き笑いといった表情を、浮かべていた。

「嘘だけは吐かないであげて。それが優しいものでも。
 きっと、それが一番はやてちゃんを傷つけるって思うから。
 ……余計なお節介はここまで。
 ごめんね、変なこと言って」

彼女は薄く笑みを浮かべた。言うべきことは言い切ったのか。
まさか、なのはにこんなことを言われるとは――いや、なのはだからか?

「いや、俺の方こそ。変に気を回させて悪かったよ。
 ……けど、少し意外だったかな」

「何が?」

「てっきり、はやてに好きって言えー、なんて風に怒られると思ってたよ」

「……どんな風に私のことを見ているの?」

まったくもう、となのはは頬を膨らませる。
その表情がさっきと酷くギャップがあって、思わず噴き出してしまった。

「も、もー! なんでそこで笑うかなぁ!」

「あっはっは……いや、だってその顔……!」

「もう、真面目な雰囲気が台無しだよ!
 ……まぁ、とにかく。
 はやてちゃんには幸せになって欲しいけど……それと同じぐらい、エスティマくんにも幸せになって欲しいから」

「……えっと?」

「私は、エスティマくんとも友達のつもりだよ。
 だから無理に嘘をいわせて二人を不幸になんか、したくないもん」

気恥ずかしそうに言い切ると、それじゃ、となのはは背を向けた。
置いてきぼりをくらった俺は、あー、と呻き声を上げながらついつい空を見上げる。
……あんな恥ずかしい台詞をよくもまぁ。

……つくづく思う。俺は友人に恵まれている。
ユーノやクロノがそうだし、今のようになのはも。シャーリーだって。
友達というには歳が離れているが、中将や隊長だってそうだ。
こうやって誰かと接する度に、それだけで救われた気分になる。

……だからこそ、いつまでも曖昧な態度を取るのはいけないよな。
だってそれは、気を遣ってくれる人たちを馬鹿にするようなものだ。
頭を抑えて指図するわけではなく、こうした方が、と方向性を示してくれる。

それが絶対的に正しいってわけじゃないが――

「……今回ばかりは、流石に俺が悪いよな」

浮かれて、ずっと待ってくれている彼女を蔑ろにするだなんて。

……正直、フィアットさんとは再会したばかりで、簡単に答えを出せる気分じゃない。
けれどそれを言い訳にして、はやてを避けるのは論外だ。

なら、俺が伝えるべき気持ちは――

「……ビンタの一つでも覚悟するか」

小さく呟き、俺はずっと止めていた足を動かす。
まず伝えるべきことは――そんなまとまりのない思考を巡らせて、ふらふらと。

すると、

「……ん?」

「あっ」

人の気配を感じて振り向く。
するとそこには、驚きで固まっているティアナの姿があった。
















蛍光色の灯りに満たされた空間で、スカリエッティは珍しく思案顔をしていた。
傍らに立っているウーノは、ただ黙って彼の様子を見ている。

スカリエッティの脳裏には、エスティマがなぜ自重するようになったのか、という疑問がずっと居座っているのだ。
エスティマ・スクライアという人間をずっと観察してきたスカリエッティにとって、どうしても腑に落ちない点が多々ある。
なぜ彼が宗旨替えをしたのか。それが分からないことには、次の行動を決められないのだ。

そもそも結社とは、スカリエッティがエスティマ・スクライアに相応しい敵として立ちはだかるために生み出した組織である。
設立目的そのもの―― 一応、スカリエッティの夢である生命創造技術の研究をやりやすくなる環境作り、というのも含まれてはいるが――といっても過言ではない。
どうしたものか。やはり想像するだけでは限界がある。

「ドクター」

「なんだい、ウーノ」

「ドクターにとって、彼とはそこまで重要な存在なのでしょうか」

「勿論だとも」

ウーノの質問に、スカリエッティは間を入れず、迷いなく答えた。
楽しささえ含んだ反応に、ウーノは微かに眉根を寄せた。

「……以前から、ずっと疑問に思っていました。
 なぜ、ドクターは彼をそこまで重要視するのでしょうか。
 遊びにしてはやりすぎだと……」

「おや、教えてなかったかね?
 なぜ、私が彼へと視線を釘付けにされているのか」

「はい」

そうかそうか、とスカリエッティは口元を緩めた。
そして、深く深く息を吐き出す。そして、身体の奥に仕舞い込まれた心情を吐露するかのように、ゆっくりと彼は口を開いた。

「始めはただのモルモットという印象しかなかった。生き足掻く彼の姿を観察するのは娯楽の一種でしかなかった。
 けれど、いつの間にか彼のことを考えている時間が増えていってね。
 そうして、気付いたのさ。
 ……彼と私は同じなのだよ。同じ、作られた命だ。
 作り物の……だというのに、彼は酷く人間らしいじゃあないか。
 そこに惹かれたのだろうね。私が興味を持つまで壊れなかった、というのも大きい。
 私ではこうはならない。自由に振る舞っていても、根幹に根ざした願望がどうしても意志を歪ませてしまう。
 だからこそ彼の生き様は興味深かった。自らの意志でひたむきな姿勢を取る姿が。
 そして作り物の命である彼が、その果てにどんな答えを出すのか興味があって――
 ……ああ、そうだ。今、気付いた。それだけではない。
 私は、彼の敵でいることに意義を見出していた。ジェイル・スカリエッティはそれにより、別の存在になれるのではないかとね。
 良くも悪くも人を変える彼によって私も、目的を与えられた存在ではない何かに、変わることができるのではないかと。
 しかし……」

「……ドクター?」

「……彼は、私を置いて、別の何かへと変わってしまったのかもしれない。
 もはや、敵など――
 いや、そんなに容易く人間性が変わって――いいや、しかし――」

ウーノを置いて、ぶつぶつと呟き始めるスカリエッティ。
ウーノはそんな姿を見せるスカリエッティから、何か――そう、寂しさのようなものを感じ取った。

あまりにも常人の範疇から掛け離れた人物であるため、ウーノはどれだけ傍にいてもスカリエッティのすべてを理解することができないでいた。
しかしそんな彼が、悩む姿を見せている。
思考している姿なら何度も見てきた。しかし、何が正しいのか分からないと思い悩む姿は珍しい。

……スカリエッティにそんな変化を与えたエスティマの存在を、ウーノは心苦しく思う。

自分ではこうも主人に揺らぎを与えることはできない。
ただ傍に立って支えるために作られた、秘書型の戦闘機人である自分では。
人を越える戦闘機人を生み出しながら、その元となっている人間――いや、人間性に惹かれるスカリエッティ。
そんな彼の求める答えを、おそらく自分は持っていないだろう。持っていたとしても、スカリエッティは認めないだろう。
きっと彼が受け容れる答えとは、エスティマ・スクライアによって示されるものしかないのだ。

しかし心苦しく思いながらも、ウーノはスカリエッティの行うことに口を挟みはしない。
そして、彼の望みを叶えるための役目を与えられた自分にできることは何か。それをただ考える。

――そんな足踏みをする二人の様子を、快く思わない者がいる。

ISを駆使して知覚されないよう姿を隠し、苦々しい表情をしながら、クアットロはスカリエッティとウーノの会話を聞いていた。

「……ドクターも毒されちゃって。
 いよいよもって、これは末期かもしれないわねぇ」

呟き、クアットロは心底呆れたように溜め息を吐く。
彼女がスカリエッティとウーノへと向ける視線は、既に冷え切っていた。

スカリエッティが熱を上げているエスティマ・スクライアを、何度も煮え湯を飲まされたクアットロは憎悪すらしている。
それに、彼女が人間性というものを侮蔑しているということもある。

無駄を省いてよりスマートに。機械的に。
それこそが戦闘機人、目的をもって生み出された命のあるべき姿だと思っている彼女にとって、今のスカリエッティの様子は酷く気に入らないものだった。

「ま、良いですよ。
 それならそれで、私にも考えがありますから」

冷笑と共に届かぬ言葉を投げかけて、クアットロは静かにその場から立ち去る。
その際、彼女の手は下腹部へと当てられていた。








[7038] sts 十五話 下
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/11/02 03:53
ど、どうしよう……。

目の前でバツの悪そうな顔をしている部隊長――エスティマ・スクライアの顔を見ながら、ティアナはどうしたものかと途方に暮れていた。
特に考えごとがあるわけでもなく――悩みはしているものの答えが出ない状態だ――ふらふらと隊舎の周りを歩いていると、話をしているなのはとエスティマを見付けた。

流石に顔を合わせたら挨拶をしなければ、と思い近付いたのだが、二人は話に集中していてティアナに気付いていなかった。
話の邪魔になるから顔を出すこともできず、かといって立ち去ったところを見られて話を中断させては悪い。
そんなことを考えてずっと動けず、なのはが去ったタイミングで自分も、と思ったらエスティマに彼女は見つかってしまったのだ。

ど、どうしよう……。

再びティアナは胸中で呟いた。
そんなつもりはなかったけれど、なのはとエスティマの話をついつい聞いてしまったのだ。
隠れていたというのもあるが、その上盗み聞きしてしまったこともあって、酷く居心地が悪い。

……部隊長と八神小隊長って、そんなことに――って違う!

ぐるぐると頭の中が回るティアナ。
そんな彼女とは対照的に、エスティマは困ったように苦笑していた。

「……聞かれちゃったか」

「え、あの、その……ごめんなさい」

あう、と小さく溢して、ティアナは小さく頭を下げる。
気にしなくて良いよ、とエスティマは苦笑を続け、溜め息を吐いた。

「ここなら誰にも聞かれないって、俺もなのはも思っていたからさ。
 聞かれたくないのなら、念話でもなんでも使えば良かっただけだし」

「いえ、そんな……」

「けど、あまり他の人に言いふらさないでもらえると助かるかな」

「……はい」

ティアナが頷いたのを見て、それじゃ、とエスティマは踵を返そうとする。
するとティアナは、

「あの……!」

と、自分でも分からない内にエスティマを呼び止めていた。
声をかけられたエスティマは、意外そうな表情で振り返る。
その中に鬱陶しそうな色が混じっていて、しまった、とティアナは唇を噛んだ。

なのはさんとの会話を聞いていたのだから、少しは察しなさいよ。
そんなことを思うも遅い。

「どうした?」

「あ、いえ、その……」

「……ここじゃなんだし、出ようか」

エスティマはそういうと、林を抜けるために歩き始める。
彼についていきながら、ティアナはどうして呼び止めたりなんかしたんだろうと、考え半分後悔半分といった様子で脚を動かした。

林を抜けると、風雨にさらされて痛んだベンチが見えてくる。
エスティマがそこに座ったのを見ると、彼から少し離れたところにティアナは腰を下ろした。

そっと、ティアナはエスティマの横顔を覗き見る。
考えごとをしているのだろうか。目を細めて、じっと地面に視線を注いでいる表情は、迷っているように見えた。

そんな風に悩むエスティマの姿にティアナは驚いた。
彼女にとってエスティマ・スクライアとは雲上人のような存在で――だからこそ、そんな人として当たり前の様子を見せていることが意外だった。
悩みらしい悩みなどなくて、なんでもできる超人――そんなイメージを抱いていたから。

「あの……」

「……ん?」

「大変なところを呼び止めてしまって、すみませんでした」

「……いや、良いんだ。
 大変だっていっても、問題自体はそう難しいことでもないし」

「そうなんですか?」

「……要は、俺がどうしたいかだしね」

また、苦笑い。難しくないとはいっても、簡単に答えを出せるようなものではないのではないか。
もしくは答えが決まっていても、それを実行することが嫌でたまらない、など。

……他人の色恋沙汰に首を突っ込むのは悪趣味よね。

いってしまえば他人事だ。しかも、外野にとやかく言われて良い気分がしない類の。
面白半分ではないといっても、首を突っ込んで良いことと悪いことがあるだろう。
気になりつつも自制して、ティアナはなのはとエスティマの会話を忘れることにした。

そして、首を突っ込んで欲しくないのはエスティマもなのか。
彼は話題を変えるように、強引に話を振ってきた。

「そういえば、ティアナ」

「はい」

「この間の事件から、気が滅入っているみたいってなのはに聞いてるけど、調子はどう?」

「……えっと」

どう答えようか。大丈夫です、と適当に流そうかと考えるも、

「……あまり、良くありません」

素直に自分の状況を吐き出した。
なぜそんなことをしたのか――それはきっと、誰かに話を聞いて貰いたかったからだろう。
自分の悩みを理解してくれる人はあまり多くはないだろう、と彼女は思っている。

スバルは自分のことで手一杯な上に、仲が良いからこそ言えないこともある。
悩みを打ち明ければまず相談に乗ってくれるだろうし、おそらくは一緒に頑張ろうと言ってくれるだろう。
それを有り難いとは思う。しかし、それでは根本的な解決にならないのだ。

エリオやキャロには不安を溢すことなどできない。
プライドの問題もあるし、あの二人を困らせるだけで終わってしまうような気もする。

ならば、なのはに――それも一つの方法だろう。
けれど、同じ相談に乗って貰うのならば、ティアナはエスティマを選ぶ。
それは憧れているということもあるし、この人はどんな答えを教えてくれるのだろうという好奇心も。

「……もう二度とあんなミスを犯さないように、とは思っています。
 けれど、本当に犯さないのか……そんな風にどうしても考えてしまって」

「……怖い、か」

「……はい」

「身も蓋もない言い方だけど……それはもう、開き直るしかない」

「開き直る?」

「とはいっても、俺の経験則なんだけどね。
 開き直って今の自分を飲み込んで……それで騙し騙しやってゆくしかない、かな。
 走り続けていれば、その内に答えも出る」

そういったエスティマの横顔は、どこか懐かしんでいるように見えた。

「教訓、ですか?」

「そうだね。
 ……ずっと、そうやってきた気がするよ」

「……少し、意外です」

「何が?」

問われ、ティアナは言葉に詰まってしまった。
自分にとってエスティマ・スクライアとは、悩みごとも何もなく、常に前を向いて進み続け、厄介ごとを解決している――そう、ヒーローのような人だったから。
そんな風に見ていたからこそ、ごく有り触れた経験則を語られたことが意外だったのだ。
が、そんなことを口にできるわけがない。

「あの……その……なんでもないです。すみません」

消え入るような音量で呟いたティアナ。
耳元までが微かに赤くなっていて、そんな彼女にエスティマは首を傾げる。

「……まぁ、何事もやってみなければ分からない、かな。
 思い通りに物事が進むことなんて、そうそうないんだ。
 試行錯誤を重ねて頑張っているのは、皆一緒だよ。
 それこそ、俺やなのは……それに、ティアナもね」

そうだろう? といわれ、ティアナはエスティマの言葉を咀嚼しながら頷く。
そんな当たり前のことを言われるだなんて、思っていなかった。
この人ならばこの人なりの、明確な答えがあるのではないかと期待していたからだ。

けれど帰ったきたのは、超人的で理解不能なものではなく、当たり前のものだった。
エスティマがそんな答えを寄越したことに、微かな落胆と多分の驚きを、ティアナは感じていた。

「……その試行錯誤の成果が出たのなら、逃げちゃいけないんだ。
 そのためにずっと走ってきたんだから」

呟き、エスティマは手で口元を押さえながら、ぶつぶつと。
彼が何を口走ったのか、ティアナには聞き取れなかった。
けれど、聞き返そうとは思わない。深入りしてしまうのは悪いだろう。
いつの間にか相談に乗ってもらう形になってしまったが、元々エスティマも悩んでいたのだから。

……考えごとのお邪魔になるなら。
そう思ってティアナは腰を浮かせ、

「……ティアナ」

「ひゃ、ひゃい!」

変な声が出た。

「少し、身体でも動かしてみる?」

「えっ……っと……」

「お互い、あんまり悩んで根を詰めてもしょうがないからね。
 ドア・ノッカー、貸してくれるか? 気分転換に触りたいんだ」

「あ、はい!」

弾かれたように、ティアナはポケットから待機状態のドア・ノッカーを差し出すと、エスティマに手渡した。
彼はそれを起動させると、グリップを握って手に馴染ませる。
そしてカートリッジが装填されていることを確かめると、彼はくるくるとデバイスを手の中で回した。

その一連の動きを、ティアナはじっと眺める。
元々の持ち主であるエスティマがドア・ノッカーを持っている。
長く自分と共にあった相棒が他人の手に握られている光景は、どこか不思議なものだった。
それも、他の誰でもないエスティマに。

そこまで考えて、ティアナは我に返る。
今日の自分はぼーっとし過ぎている。こんなんじゃいけない。
自分もクロスミラージュを起動させ、身体に篭もった熱を吐き出すように息を吐いた。

「……うん。そうだな。
 せっかくこのデバイスを持ってるんだし、ちょっとした小技を見せようか」

「小技、ですか?」

「ああ」

なのはには内緒でね、と付け加えて、エスティマは薄く笑う。

「なのはが一等嫌う戦い方……俺なりの戦い方
 突撃戦術の一種だね」














リリカル in wonder












とぼとぼとスバルが隊舎の周りを散歩していると、ふと、視界の隅で魔力光が瞬いた。
なんだろうと顔を上げて、空から徐々に薄れてゆくその色に、スバルは目を細める。

橙色と山吹色。その二つの魔力光を、スバルは良く知っていた。
なんでその二つが――そう考え、深く思考するよりも早く身体は動いていた。

息を弾ませ、アスファルトを蹴り、スバルは魔力光が瞬いた場所を目指す。
一分も経たない内に彼女はそこへたどり着くと、目に入ってきた光景に、思わず怒声を上げた。

「何をやってるんですか!」

林の中では、相棒であるティアナが後頭部にデバイスを突き付けられた状態で立ち竦んでいた。
彼女が手に持つクロスミラージュは銃口の下に魔力刃を生み出した状態。
近接戦闘などできないティアナに何をさせて――

スバルに怒声を浴びせられた二人――否、エスティマは、目を見開いた状態で固まっていた。
しかし、すぐに困った風な笑みを浮かべると、突き付けていたドア・ノッカーを下ろす。

「……ティアナ、悪かったね。
 それじゃあ、俺はこれで」

「……はい」

エスティマからドア・ノッカーを受け取ったティアナは、何かを言いたそうにしながらも彼の背中を見送った。
それとは対称的に、スバルは早く行けと急かすような視線を。

そうしてエスティマの姿が見えなくなると、ティアナは苛立ち紛れの溜め息を吐いた。

「……あのね、スバル。何やってるも何もないでしょうよ」

「けど……」

「デバイス突き付けられてたって、あのままズドンと撃たれるってわけじゃなかった。
 ……神経質になりすぎよ」

「……けど」

けど。そんな風に言い逃れをしようとしているスバルに、ティアナは片眉を持ち上げる。
自分に非があると分かったらすぐに謝れるのは相方の美徳だったはずなのに、と。

スバルもまた、分かっていた。
そんな騒ぎ立てるようなことをしていたわけじゃないということぐらいは。
しかし、ずっと考え込んでいたこと――家族のこと――に関わっているエスティマの姿を見て、どうしても大人しくしていることができなかったのだ。

薄々とだが、スバルはティアナがエスティマをどういう風に見ているのか知っている。
自分がなのはを見ているのと、同じように。憧れを抱いているのだろうと。

そのことに関して、お互いに不干渉にしようと暗黙の了解が立っていた。
スバルとティアナでは、エスティマへの認識が違うのだから。

しかし、それが分かっていても、スバルは我慢ができないのだ。

「……ねぇ、スバル」

「何?」

「いくら相棒っていっても、踏み込んじゃいけない線引きがあるって思うわ。
 けど……それが問題でギクシャクするのなら、もうそれは解決すべき問題よ。
 戦闘機人と戦い始めて、アンタがどんな気持ちなのかは分からない。
 ……きっと話を聞いたところで、完全に分かってあげることはできないわ」

「……なんでいきなり、そんな話をするの?」

「いい加減、見てられないからよ。
 さっきだって……ま、それは今の私もなんでしょうけどね」

そこまでいって、二人は黙り込む。
スバルは踏み込まれても良いのか――そう考えているし、ティアナは踏み込んでも良いことなのかと考えあぐねている。

そんな風に考え込んで、先に口を開いたのはスバルの方だった。
ずっと内に溜めていて、ようやく話せる相手ができたからだろう。

「……私のお母さんのこと、覚えてる?」

「ん……ええ。殉職したって」

殉職、と言葉を口にしたティアナの声は、どこか沈んでいた。
嫌なことを思い出させたかも、と思いながらも、スバルは先を進める。

「その殉職したときに所属していた部隊は、首都防衛隊第三課。
 部隊長の古巣で――お母さんが死んだ戦場に、あの人はいたの」

「……そう。そういうことだったの。
 でもスバル、それは――」

「……逆恨みだって?」

「……ええ。悪いとは思うけれど。
 だって――」

「そんなことない」

ティアナの言葉を遮って、スバルは断言した。
言葉は強く、どんな反論も聞かないと言外にいっているように。
そんなスバルの様子に、ティアナは眉根を顰めた。

「……なんでそうなるのよ。
 首都防衛隊っていったら、ミッドチルダ地上部隊の中でも火消しをやってた精鋭で……。
 酷い話だとは思うけれど、犠牲が出たってなんらおかしくない任務をこなすところじゃない。
 それは、今の私たちだって同じ。ううん。災害救助部隊の時だって、殉職する局員がいなかったわけじゃない。
 それが分からないアンタじゃないでしょう?」

「違う……」

「何よ」

「あの人は、お母さんを助けられなかったって、自分で……」

「だからそれは、助けられない状況だったんじゃ――」

「違うっ!」

再び、スバルはティアナの言葉を遮る。
きつく目を瞑った彼女の脳裏には、情景のおぼろげな記憶が蘇る。
それは、いつぞやの戦技披露会だったり、結社の設立が宣言されたテロであったり。
前回の戦闘で戦闘機人を圧倒した記録映像であったり。

「あの人は私たちと違う……エースやストライカーって呼ばれる魔導師なんだよ!?
 華々しくて、持て囃されて――そんな風に戦える人が、どうしてお母さんを助けられなかったの!?
 それなのに、ギン姉やお父さんは……!」

スバルは叫びを上げる。
彼女の脳裏には、クイントを助けられなくてすまなかったと謝る、いつかのエスティマの声がずっと残っている。
濃く後悔の滲んだ、ただ謝り続ける声。
その言葉には、もっと上手くできたはずだった、という意味が乗せられているようで――

「……ねぇ、スバル。
 確かに部隊長やなのはさんたちは、すごい人だと思うわよ」

静かな、しかし、冷え切っているわけではないティアナの声で我に返った。

「けど、それは魔導師としてで……あんたが思うほど、完璧な人なんかじゃないと思うわ」

「完璧な人だなんて……」

「思ってるわよ。……そうじゃなきゃ、さっきみたいなことはいわない。
 そうでしょ?
 ……私も、ついさっきまではそんな風に思っていた。
 けど、違うのよ。どんなに立派でも、強くても、あの人たちだって私らと変わらないただの人。
 私たちと似たようなことで思い悩むような」

「……だから、なんだっていうの?」

「許せ、なんてことはいわないわ。アンタやナカジマ家の人の気持ちは、私には分からないから。
 けど、もうそろそろ折り合いをつけたらどうなの?
 部隊長だってミスぐらいするわ。しかも……お母さんが亡くなった時期の部隊長って、今の私たちよりも年下でしょう?
 しょうがない――」

「しょうがなくなんかない! お母さんが死んだことは、仕方がないことなんかじゃない!」

「……ごめん。不謹慎だったわね」

息を弾ませ、涙さえ浮かべて叫びを上げるスバルから、ティアナは視線を外す。
どうしたものかと頭を掻くと、気付かれないほどに小さな溜め息を吐いた。

そして考えながら、ゆっくりとティアナは口を開く。
エスティマとナカジマ家の間にある溝がどれほど深いのか、ティアナには分からない。
けれど、今のままだとスバルはどんどん歪んでいってしまうのではないだろうか。

友人としてそれは見過ごせない。
なんとかして――とは思うものの、ティアナには冴えたやり方が分からなかった。
兄のことで自分が立ち直ったときは、周囲の励ましと、時間と、自分自身で、という要素が大きかった。
もし自分と似たような境遇ならばアドバイスの一つでも出来ただろうが、スバルと自分は違う。

だから、答えらしい答えをスバルに向けることはできないだろう。
けれど、

「……ねぇ、スバル。
 アンタが部隊長を許そうとしないのは、まぁ良いわ。
 けど……それでアンタはどうしたいの?」

「……え?」

「なんとなく分かるわ。
 アンタが部隊長を怨み続けているのは……お母さんのためなんでしょう?
 私が執務官を目指しているのと同じ、感傷よね」

「ティアは、私とは違うよ。立派に――」

「同じよ。故人に捕らわれてるって点ではね」

言っていて自分にも突き刺さる言葉だ。
酷く居心地が悪い。そんな気分を味わいながらも、ティアナは先を続ける。
それが、相棒のためになるのならと。

「……たまに、思うのよ。
 故人のためって思っても、それは結局私たちが気持ちの整理をつけようとしているだけなんだってね。
 それが悪いとは思わない。だからアタシだって、今でも未練たらしくお兄ちゃんの夢を追ってるわけだし。
 ……けどね。死んだ人は哀しみもしなければ、喜びもしないのよ。
 ……ねぇ、スバル。お母さんのことは関係なしに……部隊長を怨み続けて、アンタは幸せ?」

「……それは」

「言いたいことはそれだけ。じゃあね。
 ……消灯時間までには、戻ってきなさいよ」

踵を返し、ティアナはスバルを置いて歩き出す。
そんな彼女の背中を眺めて、スバルはふっと視線を落とした。

「……幸せなわけ、ないよ」




















「……根深いな」

『そう思うのならば、なぜ本当のことをいわないのですか?』

「それで良くなるとも思えない。
 混乱させて余計に悪くなる可能性もあるし、嘘だと思われるかもしれないしね」

『そうですか。失礼しました』

スバルたちのところから立ち去り、ゆっくりと歩みを進めながら、俺は胸元のSeven Starsを一撫でした。
おそらく、コイツ――Seven Starsも薄々とは分かっているんじゃないだろうか。
そうでなければ、今、声をかけてくることもなかっただろう。

どんな言い訳をしようとも、結局のところ、俺はまた何かを台無しにするのを怖れているのだと。
だから完全に大丈夫だと思えるまで、嘘をつかないだけで隠し事を増やし続ける。
そんなの、慎重とは違う、臆病なだけだ。

……けれど、それももう限界だろう。

歩き続けた先にあるのは女子寮。
宵闇の中で、部屋に灯った明かりで自己主張している建物。

ここにいる彼女と、いい加減に決着をつけなければならない。
もしこのまま彼女を悲しませたままならば――大切にしている彼女は、きっと俺から離れていってしまう。
……欲張りな上にみっともないと、分かってるさ。

正直なところ、まだ気持ちが整理できたわけじゃない。
今のままで彼女と顔を合わせても、また傷付けるだけかもしれない。
どうなるかなんて分からない。

けれど――

『……はやて。聞こえてるか、はやて』

念話を彼女へと向ける。
けれど、待ってみても返事はない。
少しだけ躊躇いながら、俺は念話を続ける。

『話がしたいんだ。外に、出て来てくれないか?』

送ってみたものの、やはり返事はない。
じっと立ちながら彼女からの念話を待つも、応えてはくれない。

会ってくれない……のか。

胃に重いものが溜まるような感覚が、じっとりと広がる。
彼女がどんな状態なのか、どんな気持ちなのかなのはから聞いておいて、俺は何もできない――

「……違う。やってないだけだ」

手を握り、爪の食い込む痛みで自分自身を叱咤激励する。
はやてが会ってくれないのならば、会いに行くだけだ。

『フェイト』

『ん……兄さん? どうしたの?』

『頼み事があるんだ。力を貸して欲しい』

『それはかまわないけど……』

おそらく、妙に切羽詰まった俺からの念話を変に思っているのだろう。
困惑しているフェイトの顔が容易に想像できた。
それに思わず苦笑する。

『頼みづらいことなんだけど……』

『うん』

『その、だな……』

『うん』

『……女子寮に入れてくれ、寮母さん。
 はやての部屋までで良いんだ』

『……えっと、スクライア部隊長。
 女子寮はその名の通り、男子禁制なのですが』

『駄目、かな』

『……むぅ』

あんまりに非常識な頼み事に、溜め息が聞こえてきそうな念話が返された。

『……なんでそんなことを頼んできたのか、説明してくれるよね?』

『うっ……』

今度はこちらが言葉に詰まってしまう番だ。
頼み事をする立場なのだから、説明するのが筋……だとは、分かっているけれど。

『しろと……いうのなら……』

気恥ずかしいこともあるし、常識外れなことを頼んでおいてそんなことを、といわれる気がして、理由をいうのを躊躇ってしまう。
フェイトはそれを察してくれたのだろう。
少しの間をおいて、彼女は念話でわざわざ溜め息を吐いた。

『ふぅ……まぁ、良いけれど。
 今回限りだからね?』

『悪いっ、恩に着る!』

『期待してますっ。
 まったくもう……ちょっと待ってね。今、そっちに行くから』

念話を終えると、いつの間にか浮かんでいた額の汗を手の甲で拭う。
……もし駄目だったら、魔法使って侵入する羽目になっていたのかもしれない。
色々と面目丸潰れなことにならなくて良かったよ。

さっきまでの気合いの入った思考はどこへ行ったのやら。
情けないことこの上ない自分自身に嫌気が差すも、俺らしいといえばらしいか。

女子寮の前で黄昏れてると、五分も経たない内にフェイトが姿を現した。
寮母さんのトレードマークであるエプロン姿のフェイトは、俺を見付けると、もう、と唇を尖らせた。

「本当はこういうの、駄目なんだからね?」

「……うん。分かってる」

「分かってて頼んでくるんだから、よっぽどのことなんだろうけど」

着いてきて、とフェイトに先導され、俺たちは女子寮の裏へと回る。
そして誰も見ていないことを確認すると、俺は変身魔法を発動させてフェレットへ。
フェイトのエプロンに飛び込むと、そのまま女子寮の中へと進み始める。

まずバレない……とは思うものの、普段は絶対に入れない施設の中に入ったからか、酷く居心地が悪い。
途中でフェイトと擦れ違った局員が声をかけてくる時なんか、思わず身を固めてしまう。

階段を上がり、二階、三階、と進んで、フェイトの脚が止まる。
今度は局員に話しかけられた、という風ではない。なら、

『着いたよ、兄さん』

『ん、インターフォンを』

指示に従い、フェイトの白い指がインターフォンをゆっくりと押し込む。
けれど、響くのは電子音のみで、はやてが出て来ることはない。
外出している、というわけではないはずだ。そう思いたい。

『……ねぇ、兄さん』

『……ん?』

『兄さんは、さ――』

『ああ』

先を促すように聞いたけれど、フェイトはそこから先の念話を送ってこなかった。

「なんでもない」

それだけいうと、はやてが出てこないと思ったのか、フェイトはポケットからマスターキーを取り出すと、それをカードスリットへと。
ランプが点滅して鍵が開いたことを確認すると、フェイトは俺へと手を差し出す。

白く、綺麗な手に乗ると、そのままフェイトは俺をドアの隙間からはやての部屋へ。
音を立てずに扉が閉められると、視界が闇色に染まった。

その中で、俺はフェレット姿から人間へと戻る。
カーテンは締め切られているのか、外からの光も届かない。
目が慣れたところで、きっと何も見えないだろう。

「……はやて、いるよな?
 寝てるのか?」

一歩踏み出すと、微かなはずの床の軋みが、大きく部屋の中に響いた。

「いきなりごめん。けど、どうしてもはやてに会いたかったから――」

「……何しにきたの」

ぽつり、と投げかけられた言葉に足が止まる。
どう返したら良いのか。それを考え、息を吸う。

「……話をしに」

「……もう、エスティマくんは私と話すことなんかない。
 そうやろ?」

「……なんでそんなこというんだ。
 明かり、点けるぞ?」

そういって行ったことは、魔法の行使。
暗闇の中だったし、男子寮とは微妙に造りが違うせいか、電灯のスイッチがどこにあるのか分からなかったから。

遺跡発掘の時に使われる照明魔法――俺の足元にミッドチルダ魔法陣が広がると、誘導弾のようなスフィアが浮かび上がり、部屋の中を照らす。

明るくなった部屋の中、はやてはソファーに座って俯いていた。
彼女の傍にあるテーブルには、手つかずのまま冷え切った紅茶が置いてある。
どれだけの間こうしていたのだろう。

カーペットを踏みながら進むと、不意にはやては立ち上がった。
そして、近付く俺から逃げるように、表情を一切見せず部屋の奥へと。

「はやて」

「……っ」

名を呼ぶと、彼女は息を飲む――違う、しゃくり上げるような吐息を漏らして、そう広くもない部屋の中で駆け出した。

「はやて!」

追うように俺も駆け出し、追い着いて、後ろから彼女の右腕を掴んだ。
けれど、

「嫌や……!」

まるで熱を持った鉄に触れたように、はやては大袈裟な動きで俺を振り払おうとする。
けれど、俺は掴んだ腕を放さずに――すると、はやてはずっと俯けていた顔を上げて、ようやく俺へと視線を向けた。
充血した目に、腫れた目元。うっすらと目尻に浮かんだ涙は、ついさっきまで彼女が泣いていたことを教えてくれる。

「えっ……エスティマくんと話すことなんか、なっ、なんもない」

「……あるよ」

「あるわけない!」

「だから、あるって――」

「だって、今更やないか!」

俺の手を振り払って、はやてはそのまま、俺の胸元に掴みかかってくる。
両手で上着の襟を掴むと引き下げて、唇が届きそうなぐらいに顔を近付ける。
そうして届いたのは、小刻みに弾んだ彼女の吐息だった。
必死に決壊するのを耐えている、低く、くぐもった。

「なぁエスティマくん、知ってるか?
 あの廃棄都市での戦闘が終わって、こうやって二人っきりになるの、初めてなんやで?」

「……ああ」

「エスティマくんにとってあの戦闘機人が……大事な……人だってこと、分かってる。
 けど、だったら、私はなんやの?
 ……ねぇ、エスティマくん。
 私はエスティマくんの、なんなんや?
 幼馴染み? 同僚? お友達?……きっと、そこら辺やろ?」

そこまでいって、はやては震える口元を無理矢理に歪める。
自虐的な形に弧を描き、強い視線を俺へと注ぐ。

「ずっと、あの戦闘機人にかまけてたわけやしな」

「……ごめん」

「……なんで謝るん?」

「それは……散々、はやてのことを大切だって言っておいて――」

「それが分かっているなら、なんで!?」

叫びと共に、襟を掴んでいた手がより一層、引き下げられた。
それで体勢を崩して、俺に釣られてはやても一緒に床へと倒れ込む。

引き倒された上にはやてを庇ったこともあって、背中を打ち付ける。
一瞬息が詰まるも、胸板にかかる重みですぐに我へと返った。

はやては馬乗りになって、俺の胸に手を突きながら俯いている。
前髪に顔が隠れて、どんな表情をしているのかは分からない。
けれど、噛み締められた――しゃくり上げるのを必死に隠しているであろう口元は、引き結ばれている。

「……はやて」

名を呼ぶと、はやては怯えるように肩を縮ませる。
胸板に置かれた手は、今度はシャツを握り締めた。その際に立てられた爪が布越しに肌を擦って、僅かな痛みが走る。

「私は……」

零れるように――ぽたぽたと制服を濡らす水滴と共に――言葉がゆっくりと紡がれる。

「……私は、エスティマくんの傍にいられるならそれで良かった。
 あなたの横顔が見える場所で、苦しいことも楽しいことも何もかも、一緒に……。
 けど……それが邪魔になるんなら……って」

「邪魔なわけ……!」

「邪魔になってるやないか……!
 エスティマくんと一緒にいられるのはただ一人で――今、そこにいるのは私? 違うやろ!?」

ぽたぽたと、少しずつシャツが湿ってゆく。

「ねぇ、知ってる? 私、エスティマくんのことがずっと好きやったんやで?
 エスティマくんが思っているよりも、ずっとずっと。
 エスティマくんが気付くのよりもずっと前から!
 子供の頃からずっと近くにいて――けど、それだけでも私は満足やった。
 他の誰よりも一緒にいられるから……せやけど、歳を取って、傍にいるだけじゃ満足できなくなって……。
 けど、求めたらきっとエスティマくんの迷惑になるからって、我慢して……!
 だ、だかっ、だから……わた、わたしっ、私は……!」

遂に嗚咽を堪えられなくなったのか、形にならない言葉が洩れ始める。
そんな彼女にどんな言葉をかけて良いのか分からなくて、俺は投げ出していた手で、シャツを掴むはやての手を握った。
手を包まれたからか、怯えるようにはやては身体を震わせる。

「……嫌やった。
 ……傍におるのは私なのに、エスティマくんが他の誰かを見るのが嫌で嫌でたまらない……!
 せやけど、そんな風に嫉妬する自分も嫌で……!
 気持ちが空回りしてるんやないかって、不安になって……!
 それで……それで、エスティマくん、本当は私のことどうでも良いって思おてるんじゃないかって……」

「……そんなことない」

「分かってる! けど、しゃあないやんか!
 エスティマくんは、一度も―― 一度だって気持ちを態度に表してくれたことなんてなかった!
 大事にしてくれてるのかもしれない。けど、私は、それだけじゃ……!
 不安になっても、しゃあないやんか!」

嫌なのに、と消え入るような声を。
はやてはそのまま倒れ込むようにして、俺の胸元へと倒れ込んでくる。
もう嗚咽を我慢しようともせず、わんわんと泣き声を上げる。
まるで子供のように。

こうやって、肌が触れ合うほどに近付いてようやく分かったことがある。
身を縮ませて泣きじゃくるはやて。彼女の肩は、酷く小さい。
この子が小柄だというのもあるだろう。それは分かっている。けれど、そんな当たり前のことが、酷く胸に突き刺さる。

……ずっと着いてきてくれたってこともあるんだろう。
だから俺は、はやてを強い子なんだとどこかで思っていて――

こんな風になるまで彼女を放っておいて、苦しめた。
熱い衝動のようなものが、彼女の涙で濡れた部分を中心にして、じわじわと広がってゆく。

けれど、同情なんかで彼女の気持ちに応えたくはない。
俺は、自分がどんな人間か分かっているつもりだ。
気持ちの整理を付けていない今の状態ではやてに流れるだなんて――それは、何か間違っている。
この考えは、きっと堅物や潔癖性といわれる類のものなのだろうけれど。

はやての手を包んでみる右手を解いて、そっと、彼女の髪に触れる。
なぞるようにゆっくりと動かして、そのまま後頭部をゆっくりと撫でた。
左手は、彼女の背中へと。脆い硝子細工を扱うよう、慎重に。
このまま強く抱き締めてしまったら、壊れてしまいそう。そんな印象が、今のはやてにはあったから。

「……はやて」

返事はない。けれど、彼女が小さく頷いたのは分かった。
ひょっとしたら、それは身じろぎをしただけなのかもしれない。
確かめず、俺は先を続ける。

「俺は不器用な奴でさ。
 今ここで、はやての気持ちに応えてやることはできない。酷い話だとは思うけれど。
 ……はやて。もう少しだけ、時間をくれないか?」

「……いや」

「……そっか。
 ……けど、ごめん。今は、はやての気持ちに応えられないよ」

「酷いやんか……」

「そうだね。
 ……その代わり、今日はずっと一緒にいるから」

「……なんの解決にも、なってへん」

「そうだね」

「分かってて……そんなこと、いわれて……っ」

呟き、はやては俺の胸板に、顔を強く押しつけた。
ぐりぐりと額を擦って、溶け合いたいというかのように。
そんな彼女を俺は抱き締めることしかできない。しようとしない。

お互いに黙ってくっついたまま、寒さを逃れるように、俺たちはじっと時間を過ごした。
もしかしたら途中で眠っていたのかもしれないし、ずっと起きていたのかもしれない。

気付けば、いつの間にか照明魔法はその効果を失っていた。
真っ暗で、肌寒さを感じる中、寄り添ってそれらを堪え忍ぶ。

微かに聞こえてくるはやての吐息と体温。
彼女も同じものを感じているのだろうか。
そんなことを考えながら酷く曖昧な時間の流れを過ごして、いつの間にか、カーテンの隙間からは明かりが零れ始めていた。

「……もう朝やね」

「……そうだね」

どちらからともなく身体を起こして、そっと、お互いに手を離す。
名残惜しさを感じているのは、きっと、俺もはやても一緒なんじゃないか。

はやては目元を擦ると、すん、と鼻を鳴らし、おずおずと視線を向けてくる。
そして視線を彷徨わせながらも俺へと向けると、どこか弱々しい笑みを浮かべた。

「……決めたわ」

「ん?」

「もう、私からエスティマくんには、何もしない。
 もう、こんな気持ちになりたくないから。
 ……けど、もし――もし、私のことを想ってくれるのなら……」

そこから先を、はやては口にしようとしない。
……いや、口にさせてはいけないんだろうな。
させてしまったら、今日――いや、昨日の繰り返しになってしまうだろうから。

「ああ。その時は、俺がはやてを迎えにいくよ」

「……うん」

小さくはやては頭を振った。
そして、寂しさを滲ませながら、小さく呟く。

「……うん。待ってるからな」





[7038] sts 十六話 上
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/11/10 13:43
蛍光色に染まった空間へと、侵入する者がいる。
部屋の主――ジェイル・スカリエッティは、どこか覇気のない視線を入り口へと向けた。
そこにいたのは、ナンバーズの三番。トーレだ。

失礼します、と告げると、彼女はスカリエッティの方へと歩き出す。
お互いに顔がはっきりと見えるところまで近付くと、彼女は足を止めた。

「……トーレか。どうしたのかね?」

「はい、ドクター。作戦行動の許可を頂きたく」

彼女の言葉に、スカリエッティは片眉を持ち上げた。
この子が自ら作戦をとは、珍しい。どういう風の吹き回しだろうか。
そもそもトーレ自身が主体的に動くこと自体が稀なのだ。
命じられたままに戦い、勝つ。それこそが戦闘機人の在り方だとトーレは思っているはずだからだ。

それを分かっているスカリエッティは、意外な気分でトーレに先を促した。

「ふむ。作戦とは何かな?」

「はい。……捕らわれたナンバーズの、救出です」

「……そうか。しかし、今の海上収容施設はちょっとした要塞と化してるよ?
 せっかく捕まえた戦闘機人を逃してはならない、とね。
 そこへ攻め込むというのかい?」

「はい。単身でそれを行いたいと思います」

「……馬鹿なことは止したまえ」

数人のナンバーズを引き連れてのことだと思えば、トーレは一人で行くという。
馬鹿な、と眉間を抑えながら、スカリエッティは溜め息を吐いた。

「……いくら君といえど、それが無茶だというのは承知の上だろう?
 どうしてそんなことを言い出したんだ、トーレ」

スカリエッティの問に、トーレは答えない。
ただ黙り込んで、真っ直ぐにスカリエッティを見据えている。

「……決着を」

「……ん?」

「決着を付けたいと、思います。結果がどうあれ、私も只では済まないでしょう。
 ……だからその義理として、妹たちの救出を行いたいと思います」

何をいっているのだろうか。トーレの言葉を、スカリエッティは頭の中で組み立て直す。
決着をつけたい。彼女がそう望む相手は一人だけ。その彼と妹たちがどう関係するというのか。
……ああ、なるほど。

「……そう、か」

馬鹿なことを、と再び思う。しかし今度は口にせず、胸中で呟くだけで留めた。
そして、スカリエッティは笑みを浮かべる。
どうやらこの三番目の娘は、変なところを自分から継いでしまったらしい。
そう。だからこそ、分かってしまうのだ。トーレがどのような気持ちで、ここにいるのか。こんなことを言い出したのかを。

「分かった。許可を出そう。
 ……何か欲しいものはあるかい?
 武装でもなんでも良い」

「……ありがとうございます。
 では、ドクター。持ち運び可能なサイズの爆弾をいくつか。
 それと……出力リミッターの解除をお願いできますか?」

出力リミッター。それは、戦闘機人の身体能力、及びISの限界として設定してある値のことだ。
それを解除することで、通常時を上回る力を得ることはできるが――

「……もう帰ってくるつもりは、ないのかね?」

それによって性能バランスが崩れ、力を御しきれなかった場合、むしろ戦闘能力の低下――自爆すらありうる。
スカリエッティの手によって生み出された戦闘機人は、それぞれ完璧に調整がなされている。
それを崩すことで何が起きるのか。実験を行ったことがないため、無事に済むとは言い切れない。

それだけではない。エネルギーも無限ではないのだ。戦闘継続時間だって目減りするだろう。
おそらく、トーレもそれは分かっているはずだ。
だというのに、トーレは一切の物怖じなしにスカリエッティへと頼む込んでくる。

「……かもしれません。
 しかし、必ず勝利を手にしてみせます」

娘らしい答えだ。生き死によりも重要なことがあると。
そのために戦いに行かせてくれと頼んでいるのだ。

「……良いとも。ああ、良いともトーレ。
 では、頼まれたリミッターカット……それと、気休め程度の調整をしてあげよう。
 きたまえ」

「……ありがとうございます、ドクター」

深々と頭を下げたトーレに、スカリエッティは薄く笑う。
彼にしては珍しく、そこには嘲りといった類の感情は一切ない、どこか暖かみすら感じさせるものだった。

馬鹿な子ほど可愛いというが……きっと、それは今の自分の感じているような心境なのだろう。
執着。拘りといった部分を自分から継いだであろうトーレ。
その衝動に素直に従う娘の姿は、愚かでありながらも好感が持てた。













リリカル in wonder











昼食時の六課の食堂。
忙しなく局員が行き来し、談笑の声が木霊する空間の一角で、高町なのはは肩を落としていた。
小さく溜め息を吐く。彼女にしては珍しく、表情には疲れと困惑が。
手元のトレーに載った昼食は、まったく減っていなかった。
指先でつまんだフォークを迷わせながら、彼女は考え事に耽っている。

「なのは、座っても良い?」

「あ……フェイトちゃん」

なのはが頷いたことで、フェイトは彼女の向かいに腰を下ろした。

なのはの様子がおかしなことに、フェイトは気付いていた。
指摘するべきかそっとしておくべきか。考えつつも、答えはすぐに出た。
きっとこの友人は、困ったことがあっても限界まで他人を頼りはしないだろう。
ならば気付いた自分が、フォローしてあげないと。

「なのは、何かあったの?」

「ん……うん」

「悩んでるようなら、聞かせて欲しいな。
 力になれなかったとしても、愚痴だけは聞けるし」

「ん……うん。ありがとう、フェイトちゃん。
 悩んでるってわけじゃないの。ただ、どうしてこうなったのかなって不思議で」

それを悩んでるっていうんじゃないかなぁ。
そんな風に思ったフェイトだったが、黙って先を促した。

「新人たちのことなんだけどね。
 なんだか、急に訓練に熱が入ってきて……」

「それは、良いこと……じゃないみたいだね」

ただ熱が入っただけならば、なのはがここまで困ったりはしないだろう。
迷うように、んー、となのはは声を上げる。

「ううん、良いことだとは思う。けれど、私にはそれが脆さと紙一重のような気がして。
 ……少し前までは真剣に訓練していたんだけど、今はそれがいきすぎてる気がする。
 ……どうしてこうなったのかな」

「んー……注意はしてみたの?」

「勿論。けど、納得はしてても我慢はできない……って風に見えたかな」

はぁ、と再び溜め息を吐くなのは。
一体何が起こっているんだろうと、フェイトは首を傾げる。
新人たちといえば、真面目になのはの教導を受けてスキルアップを図っているイメージがあった。
ふと、キャロのことを思い出してみる。けれど、変な様子に心当たりはない。

どうしてそんなことになっているのだろう。
なのはと同じ疑問を、フェイトも抱いた。

「ねぇ、なのは。キャロたち、どんな風になってるの?」

「……うん」

おずおずと口を開き、なのはは説明を始める。
前の廃棄都市で行われた戦闘から、どこか焦りがあったのはなのはも分かっていた。
それも一過性のものだろう、となのはは思っていたのだが、そうでもないのか。

例えば、ティアナ。
ある意味、普段と変わらないように見えるが、ふとした拍子に様子が変わる。
それぞれの小隊で模擬戦を行っている時のこと。
エリオとスバルが衝突し、相方が抜かれてティアナとエリオが対峙することになった。
普段ならば弾幕を展開してスバルにエリオを任せるだろう局面。
しかし、ティアナは逃げなかった。そのままクロスレンジの戦闘を始めて、教えた覚えのないブリッツアクションを使用し転倒。
怪我は掠り傷ていどだったものの、スタイルに合わない戦い方を選んだティアナになのはは驚いた。悪い意味で。
戦術眼は新人の中でも高いはずの彼女が、悪手ともいえる行動を取る。
その場は些細なミスだと判断して注意するだけだったが……。

次に、スバル。
訓練に熱が入っている。それは普段と変わらないが、ふとした拍子に精細を欠く動きをすることがあった。
何故そうするのか。一度ではなく何度もそういったことがあった。
何か動きを鈍らせるほどの悩みがあるのだろうか。いちいち口出しをするようなことではないと思って様子を見ようと思っているが……。

そして、エリオ。
訓練に熱が入っている。入っているが、どこかそれは空回りしているように、なのはには見えた。
そうなる度にキャロに声をかけられ冷静さを取り戻すのだが、なんの解決にもならない。
自分に厳しく訓練に当たっている……といえば聞こえは良いかもしれない。
しかし、自分たちのやっていることはスポーツなどではないのだ。
無理が祟って取り返しのつかない怪我をしたら。悪い癖がついてしまったら。そう考えると、どうしても無視はできない。

問題らしい問題がないのはキャロだろうか。
けれど彼女も、エリオに引っ張られるようにして無理をしている節がある。ような気がする。
考えすぎかもしれないが、それでも不安は拭えない。
相方のエリオも彼女が無理をしていると気付いているのだろう。
気遣っているものの、やはり、頭に血が上ると自分のことを優先してしまい、結果、キャロが……となる。

……問題を並べてみたが、ティアナとエリオがそうなることに思い当たる節はある。
おそらく、廃棄都市での戦闘。その結果が響いているのだろう。
自分のミスでヴィータが軽くない怪我をした。そのことを引き摺っていると、なのはは気付いていた。
キャロはそんなエリオを気遣って。スバルは……なんだろうか。

そんな風に考えていたことをフェイトに伝え、なのはは言葉を句切った。
既に昼食は冷め切っている。食べないと力が出ないと分かっているので、彼女は食欲を欠片もそそらないそれを、口に運んだ。

「……放っておいて良いことじゃ、ないよね」

「んっ……うん」

咀嚼した料理を飲み込むと、なのははフェイトに応える。

「けど、どこまで踏み込んで良いのか。
 注意するのは当然だとしても、それぞれが考えていることにまで踏み込むのはやりすぎな気もするの。
 ……んー、難しいなぁ」

「今まで、教え子から悩み相談を受けたりはしなかったの?」

「……ない、かな?
 長期の教導は、今回が初めてだから。深い仲になるよりも早く、期間終了になるのが普通だったんだ。
 だからこういうのは初めてで……。
 うう……泣き言いっても始まらないけど、やっぱり難しいよ」

「……あはは」

愚痴を溢すなのはに、フェイトは苦笑する。
当たり前のように気配りができる彼女だからこそ、どうしても新人たちが気になるのだろう。
しかし、踏み込んで良いものかどうか悩んでいる。
もしこれが同年代で、長い付き合いならば別なのだろうけれど。

「……人付き合いって、難しいよね。
 無邪気にやれてた子供の頃が、ちょっと懐かしいかな」

「……そうだね。
 大人になると、変に気を遣って云いたいことを伝えられないってこともあるし」

「それが悪いわけじゃないけど……難しいなぁ」

苦笑し、なのははトレーに添えられていた紅茶を口に運ぶ。
それもまた温くなっていた。

「……けど、なのは」

「何? フェイトちゃん」

「新人の子たちが大事だったら、やっぱり伝えるべきことは伝えないとかな、って思う。
 なぁなぁで済ませちゃ、きっと中途半端なことになるよ」

「……うん。そうだね。
 無視はしたくない、って思ってるんだけど……」

少しの間考え込んで、なのはは小さく頷くと、残っていた昼食を急いで処理しにかかった。
ちょっとはしたない、とフェイトは思うも、気付けば昼休みの終わりはすぐそこに迫っていた。
自分も急いで食べないと。

「ちょっと話をしてみる。
 あの子たちが何を考えているのか。
 どれだけ私が考えても、あの子たちの想いはきっと分かることはできないもんね」

「……うん」

「ありがとう、フェイトちゃん。すっごく助かった」

それじゃあ行くね、と空になったトレーを持って、なのはは席を立つ。
下げ台に食器を返しに行くなのはを見ながら、フェイトはこっそりと溜め息を吐いた。

真っ直ぐな彼女の姿が、どうにも眩しく見える。
余計なお世話かもしれないと分かっていながら、その人のために気を配ってあげられる彼女。
鬱陶しいと思う人がいるかもしれないだろうが、しかし、彼女の美点だ。それは。

子供の頃よりも難しくなった、となのはは云っていたけれど、その長所は少しも曇っていない。
嫌われるかもしれないと分かっていながら他人の中へ踏み込む勇気を持つ者は稀だろう。

「……本当、なのははすごいよ」

自分ではそうはいかない。
ふと、フェイトは兄のことを思い出す。
女子寮へ入れて欲しいなんて馬鹿げたことを頼んで、何をしていたのか。
八神はやてと兄の関係はとても複雑なのだと、分かってはいる。
けれど、二人のことを考えると、どうしても胸の辺りにもやもやとした何かが宿るのだ。

……正直にいえば、面白くない。
けれどそれは、完全に兄離れのできない自分が、勝手に抱いている感情だ。
それを分かっているからこそ、フェイトはエスティマがはやての部屋に行った時、なぜそうするのかと聞かなかった。
同時に、八神はやてをどう思っているのかも。

聞いてどうする、とは思う。
自分は兄に何を期待しているのだろう。
ふと考えた思考に対して、胸の内から浮かんできた解答を、フェイトは黙殺した。
この歳になっても兄離れのできない妹というのは、どうなのだろう。
構って欲しい、なんてことを言える、思うような歳ではない。それは分かっている。

けれど、兄が誰かと一緒にいるとどうしても面白くないのだ。
……なんでそんなことを思うのだろう。

苛立ちとも不安とも違う感情に答えを出すことができず、フェイトは肩を落とした。
















午後の教導が開始されて、キャロは訓練をこなしながら、同じフォワード仲間である皆の様子をちらちらと伺っていた。
皆、どうしたんだろう。そんな疑問が頭から離れない。
エリオがどうして焦っているのかは知っている。もっと強くなりたいと願い、目に見えた成果が出ないことに焦りを感じているのだ。
戦闘技術が目に見えて上がることはあり得ない。なのはの教導を受けている自分たちだからこそ、良く分かってることなのに。
一月単位で見れば、きっと強くはなっている。けれど、エリオはそれ以上を望んでいるのだろう。
身体を動かし、魔法を行使する度に強くなりたい。ひたむきに、強くなることを願っている。

一緒に強くなろうと彼にいって、エリオもそれに納得してくれたはずだが、ふとした拍子に熱意が空回りしている。
大丈夫かなぁ、と心配になるが、どうしてもキャロはエリオを止めようとは思えない。
彼の真摯な気持ちに気付いているからだ。強くなりたい。自分が弱いせいで誰かを傷付けたくない。
それを間違っているとどうしても思えないため、キャロはパートナーを諫めることができなかった。

……エリオくんは分かる。どうして焦っているのか知っている。
けど、ティアさんやスバルさんはどうしたのかな?

ふと、胸中で誰にともなく呟く。

キャロの目から見ても、ティアナとスバルの様子に変なところがあった。
パッと見れば変化はないようでも、どこか前とは違うのだ。

淡々と訓練をこなしているようで、たまに似合わないことをするティアナ。
ひたむきさならエリオにも負けないはずなのに、気の抜けている気がするスバル。

きっと二人にもエリオと同じように、考えていることや、目指していることがあるのだろう。
そしてそれは、簡単に解決できることではないのだろう。

難しいね、とキャロは念話でケリュケイオンに語りかけた。
あまりお喋りではないデバイスは、コアを瞬かせて返答をする。

皆、答えが出れば良いのだけど。
けれど、答えが出る前に、また戦いがあるかもしれない。
その時にまた誰かが怪我をするようなことになったら嫌だな、とキャロは思う。

「……あ」

視界の隅に、ティアナとエリオの二人が映った。
S2U・ストラーダをかまえて突撃するエリオ。半身を退いてそれを迎え撃つように、ダガーモードのクロスミラージュを向けるティアナ。
ティアナの左手は空いており、後ろ腰に添えられている。手は何かを握りしめようとしているかのように微かに指が折り曲げられていた。

エリオが雄叫びを上げ、S2U・ストラーダを突き込む。それを魔力刃で受け流し――
ティアナが行動するよりも早くエリオはヘッドを引いて、石突きを叩き込んだ。

力加減はしたのだろうが、それでも軽くないダメージが入ったのか。
ティアナはその場に崩れ落ちて、咳き込みながら呼吸を整えようとする。

「だ、大丈夫!? ティア!
 すごく綺麗に入ったよ!?」

「だ、大丈夫じゃない……わよ……」

少し離れた場所にいたスバルも、驚いたように声を上げた。

……って、見てちゃ駄目。私の出番だ!

「だ、大丈夫ですか!?」

駆け寄ると、キャロは呻き声を上げるティアナにフィジカルヒールを発動させる。
桃色の魔力光に照らされると、ティアナの表情からは苦悶が徐々に消えていった。

「……ごめん、キャロ。ありがとうね」

「いえ。……それよりティアさん、危ないですよ。
 クロスレンジは流石に……」

「接近戦は僕やスバルさんの役目ですから……」

いくらなのはに教えられていても、本職のエリオやスバルとは練度が違う。
迎え撃つのはキャロから見てもどうか、と思えてしまう。エリオも同じ意見なのだろう。

「あまり慣れないことはしない方が良いよ、ティア」

「……うん、そうね。
 ちょっと試したいことがあったんだけど、駄目ね、やっぱり。
 控えるようにするわ。悪かったわね、心配させて」

よっと、と声を上げて立ち上がるティアナ。
苦笑を浮かべた彼女に、安心しても良いものかと首を傾げたくなるキャロだった。

ふと視線を感じて、キャロはティアナたちから目を逸らす。
視線を向けているのは、少し離れた位置からこちらを見ているなのはだった。
腕を組んでじっとこちらを見ている様子は、正直居心地が悪い。

……ま、また怒られるのかな?

そう思ったが、なのはが集合をかけることはなかった。
おかしい。昨日も午前中も、逐一ミスを指摘して、矯正しようとしていたのに。

今度こそ首を傾げて、キャロは訓練へと戻った。

















海上収容施設内にある庭園。
天井が吹き抜けになっており、地面に芝生の敷き詰められた場所に、エスティマはいた。
その他にこの場にいるのは、逮捕されたナンバーズだ。チンク、ディエチ、オットーの三人。
病院の患者着に似た服を着る三人を相手にして、エスティマはナンバーズがどの程度の常識を備えているのか会話を通じて確かめようとしていた。

まっとうな教育を受けず、洗脳に近い形で結社の戦闘機人として戦わせられていたのだとしたら、その事実は裁判で大きな意味を持つことになる。
戦闘機人によってなんらかの被害を受けた者からしたら、たまったものではない話だろう。
常識がなかったから何をしても許されるのか、と。
しかし、時空管理局は人殺しがしたいわけではない。悪を裁きたいわけでもない。
法の下に平穏無事な世界を回していきたいだけなのだ。
犯罪者である戦闘機人にも、罪を償って一人の人間として生きてもらいたい。
エスティマの場合はそこに色眼鏡が入っているが、しかし、彼の同じように考える者は少なくはないのだ。

彼女たちが真っ当に生きるためには、贖罪以外にどんなことが必要なのか。
それを確かめるためにも、エスティマは彼女たちと会話を重ねている。
……のだが。

「……えっと」

またに一人相撲をしているような気分になる。
チンクは別に良い。エスティマとの約束もあるし、エスティマの行うことへ協力的だ。
しかし他の二人をどうしたものかと、途方に暮れることがある。

ディエチは反応が薄く、本当に話を聞いているのかと疑問に思うことがある。
けれど話を振れば言葉少なく返答だけはしてくれるので、聞いてはいるのだろう。
……こちらを観察するようにじっと視線を向けられるのは、酷く居心地が悪いが。

オットーはディエチよりも分かり易い。が、だからといって扱いやすいわけではなかった。

「話を聞いてるかな、オットー?」

「……聞いてる」

と、答えるも、オットーはそっぽを向いたままだ。
敵意が見え隠れしている。どうしてこうなった、とエスティマは頭を抱えたい気分になった。
理由はなんとなく分かっている。
廃棄都市での戦闘でオットーを捕まえたのはエスティマで――その際、手酷く痛め付けたからだろう。
今は健康だが、捕まえた直後の状態は決して無傷とはいえなかった。
彼女を捕まえた際の決め手は非殺傷設定での攻撃ではなく、Seven Starsによる殴打。
冗談みたいな硬度を誇るSeven Starsを全力で叩きつけたことにより、バリアジャケット、ボディースーツを貫通して、フレームが歪むほどの痛手を与えたのだ。
その時の生々しい手応えをエスティマは覚えている。痛い、なんてものではなかっただろう。

そんな風に自分に怪我を負わせた人間へ簡単に心を開くわけもないか。
仕方がないとは思いつつも、エスティマは根気強く先を続ける。

そして話し続けて一時間ほど経ち、吹き抜けから差し込む光に茜色が混じり始めると、エスティマは話を切り上げた。
ディエチはやはり無表情にエスティマを観察して、オットーにも変化はなし。
困り果てたエスティマの様子に、チンクは苦笑していた。

「……今日はここまで。
 少し時間が残っているし、話でもしようか」

「……執務官さん、さっさと帰ったら?
 それとも戦闘機人とお喋りしてられるぐらい部隊長って暇なの?」

「……暇じゃないさ。
 これも仕事の内なんだよ」

「ああそう」

残念だ、と呟くオットー。手強い。どうしたものか。
そう思っていると、不意にディエチが真っ直ぐに手を挙げた。
何事、と見てみれば、無言のままじっと手を挙げている。
もしかしたら言いたいことがあるのだろうか。

「……はい、ディエチくん。なんでしょう」

「質問」

「どうぞ」

「なんでエスティマは、チンク姉のことを変な名で呼ぶの?」

「……あれ、知らないの?」

こくり、とディエチは頷いた。
表情に変わりはないのに、なぜか興味津々といったように見えてくる。
もしかしたら、今までの話も熱心に聞いていたのだろうか。

「フィアットさん……チンクが使っていた偽名なんだよ。
 俺にはそっちの方がしっくりくるから、そう呼んでる。
 ま、色々と思い入れのある名前だからね」

「チンク姉、そうなの?」

唐突に話を振られて、チンクは慌てたように肩を震わせた。
そして視線を彷徨わせながら、おずおずと口を開く。

「……あ、ああ。そうだな。
 私もその名で呼ばれるのは気に入っている」

「……なら、私もそれで呼ぶべき?」

「そ、それは……」

「フィアット姉」

「……やめてくれ」

「駄目なの?」

「それは……その、だな。
 その名前で呼ばれるのは……」

そこまでいって、ちらりとチンクはエスティマを見る。
そして微かに頬を染めながら、しどろもどろな口調で応えた。

「……ほ、ほら。言いづらいだろう?」

「確かに」

「……なら、俺もそう呼ぶべきですか?」

「な、なんだと!?」

一転して、ガーンとなるチンク。
面白いなぁ、と思いながらエスティマは苦笑した。

「冗談ですよ。俺は今まで通りに呼びます。フィアットさん」

「そ、そうか。私もお前にそう呼ばれることは気に入って……。
 ……ん?
 こ、この……! またお前は私をからかったな!?」

エスティマの癖に生意気だ!
二人は仲良いなぁ。
馬鹿みたい。

そんな風に三者三様のナンバーズ。
……やってきたことは確かに悪いことかもしれない。けれど、この娘たち自体は悪人ではない。
私情を挟んではいけないと思いながらも、なんとかしてやりたいと、エスティマは思った。

――その時だ。

天井からガラスの砕け散る音が響く。
反射的にそちらを向いてしまい、西日に目を塞がれた。
しくじった、と思うも遅い。何かに身体を突き飛ばされ、エスティマは芝の上を転がる。

咄嗟にSeven Starsへと手を伸ばすが――

「抵抗しないで頂きたい」

咄嗟のセットアップを中断して、エスティマは目を瞬かせながら声の主を見る。
そこにいたのは、まだ捕まえていないはずの戦闘機人、ナンバーズのトーレ。
濡れ鼠になっている彼女は、炎さえ宿っていそうな瞳をエスティマへと向けている。

彼女は妹たちを背後に置きながら、インパルスブレードの切っ先をエスティマへと向けた。
















岸から海上に存在する収容施設を眺め、トーレはこれから行うことの手順を脳裏で整理していた。
スカリエッティのいっていた、要塞、という比喩は冗談でもなんでもないのだろう。
管理局に潜り込んでいる姉からの情報によると、今あの場には数人の高ランク魔導師が常駐しているという。
レーダーの類にも穴はない。魔力、AMF、エネルギー反応。不自然なものが発見されたならば、すぐさま防衛体制へと移行される。

脱出も侵入も容易ではないだろう。流石の姉も、あそこに侵入するだけならともかく、妹を助け出すのは無理だといっていた。
……自分が妹たちを助け出せる確率は低い。一人でも救出できれば僥倖だろう。
しかし、トーレはその分の悪い賭けを行う。
何故なら彼女には、妹たちの救出と同等――ある意味ではそれ以上に大切なことがあるからだ。

「……エスティマ様」

今、あの施設には自分の宿敵がいる。
彼と相まみえるために、トーレはこの場に立っているのだ。

エスティマ・スクライア。戦うことですべてを手に入れてきた男。
力を振るい続けることで、己という存在を確かなものとする自分の同類。
……打ち破るべき敵。

おそらく、これが最後の戦いとなるだろう。
単身で敵の要塞へと乗り込む――行動を起こし始めれば、もう退路は消え失せる。
これからはもう戦うことしか、トーレには残らない。

思えば、彼とは長い付き合いだ。
初めて顔を合わせたのは、首都防衛隊第三課がスカリエッティのアジトへと乗り込んできたとき。
本気ではなかったと言い訳はすまい。同じ高速型の戦闘スタイルを持つ敵として、彼はなかなかに手強かったと思えた。
次に彼と戦ったのは廃棄都市。全力を出した彼の前に、自分は為す術もなく打ち砕かれた。

その時からだろうか。決して不快ではない熱が、胸の内に宿ったのは。
人造魔導師。戦うために生み出された存在。同じ高速型。戦うことで己の立場を確かなものにする。
自分といくつもの類似点がある彼。似て非なる者。

姿を見せるごとに高みへと上ってゆく彼の姿に、自分は心惹かれていった。
敵がどれほど強大か分かっていても尚、刃向かい続けるその姿勢。
一振りの刃として至高の域に達しているのではないか。

そんな者が自分の敵として在ってくれることを、柄にもなく天に感謝すらしてしまう。
ここまで倒し甲斐のある好敵手はそういまい。
似た生まれ。似た道程を歩み、遂に彼はType-Rを打倒するに至った。
自分の後継機として生み出された、技量以外のすべてにおいて上回っている妹を。

……そんな彼に勝つ。そう夢想するだけで、トーレは身体の芯が震えるような錯覚を抱いた。
彼に勝つ意味。彼に勝つ意義。それはとても言葉では言い表せない。
闘争者として生み出された戦闘機人。その頂点に存在しているType-Rを打ち倒す存在。
自分の知る限り、そんなことができるのはエスティマ・スクライアだけだった。

戦うことを望まれ生み出された自分に必要なのは、勝利のみ。
その勝利に意味を見出すとするならば、それは強者を打ち倒すことにある。
より強い者を切り捨てることにより、戦闘機人としての価値を引き上げる。
トーレという存在をより大きなものにする。それ以上に充実することは他にあるまい。

「……始めるか」

持ち込んだ手荷物の中から、潜水器具を取り出した。
ゴーグルを額に通して、フィン――足ヒレを履く。
最後に酸素ボンベを取り付けると、ナップザックを背負って海へと飛び降りた。

決して綺麗ではない海の中を進みながら、トーレはひたすらに目的地を目指す。
センサーの類は使えない。少しでもエネルギーを使うようなことがあれば、すぐに察知されるだろう。
今自分が頼りにできるのは、並の人間よりも優れた身体能力のみ。それだけを武器にして、トーレはひたすらに海中を進む。

エスティマが隊舎に戻るまでは時間があるといっても、あまり悠長にことを進めてはいられない。
焦る気持ちを抑えながらも、しっかりと水を蹴り上げて、トーレは進み続ける。

……見えた。

ぼやけた視界の中に、海底から水上へと伸びる支柱を発見する。
スカリエッティに用意してもらった爆薬に、あれを吹き飛ばすだけの威力を望めない。
用途はハッタリだが、相手が本気にするだけの効果を見せなければならないだろう。

頭を下げてより深く潜り込み、支柱とは別の地下――海底施設の壁面に、ナップザックの中から取り出した爆薬を仕掛ける。
用意したもののすべてを間隔を置いて取り付け、トーレはマスクの下で口元を歪めた。

……これで準備は済んだ。

ずっと停止していたエネルギーの供給を全身へと行う。
頼りなかった四肢には力が戻り、視界には各種センサーの表示が復活した。
目を閉じてゴーグルとフィン、それに酸素ボンベを捨て去ると、トーレはISを発動する。

――ライドインパルス。

紫の光が海の中で輝き、次いで、爆ぜたかのようにトーレの身体が動いた。
重荷を脱ぎ捨てるように海面へと出て、弧を描き海上収容施設――そこの吹き抜けとなっている天窓を突き破り、侵入する。

姉の情報が正しければ、ここにエスティマがいるはずだ。
そして目論見通り、彼はこの場にいた。
口元が引きつる。それを必死に堪えて、トーレは気を引き締める。

腰に下げられている武装――柄を右手に握ると、魔力刃に似たエネルギー刃を発生させ、しっかりと握り締めた。


















出遅れた警報が施設の中に響き渡る。
蜂の巣を突いたような騒音の中で、しかし、俺たちは微動だにしなかった。

破られた天窓から、冷たさの混じった風が吹き込んでくる。
髪が風に踊る。芝が撫でつけられる。動きといったらそれぐらいだ。

「……トーレ」

「……エスティマ様」

お互いに名を呼び合う。そこに大した意味はないだろう。
敵を確認し合うような作業。実に今更だが。

「余計なことはしない方が良いでしょう。
 何か動きを見せれば、この施設を爆破します」

「爆破……?」

「ええ。このように」

そうトーレが呟いた瞬間、轟音と震動が施設を揺さぶった。
耳を劈くような音ではない。おそらくは海底からか。
しかし被害が小さいというわけではないだろう。警報に続いて、火災の発生と消火作業の指示がスピーカーから流れ出す。

海底……濡れ鼠なのはそういうことか。
わざわざ泳いでここまできたとでもいうのだろうか。正気を疑う。岸からどれだけ離れていると思っているんだ。
しかしこの目の前に立っている戦闘機人は、その常識外れな行動を取ったのだろう。
厳重な警備を突破されたのは、否定しようがない事実だ。

しかし、

「……ここから逃げられると思っているのか?」

「そちら次第、というところでしょうか。
 逃がさないつもりならば、私はあなた方と共に海の藻屑と消えることになりそうです」

『……ッ、Seven Stars』

『はい、旦那様。爆発物の捜索は行われています。
 エリアサーチによる探索の結果、それらしい物は存在しないか、高度な偽装を施されているのではないかと報告がありました。
 現在は施設内の探査を行っているようです』

『……ブラフの可能性もある、か。
 Seven Stars、ここの所長に俺の限定解除申請を取らせてくれ。
 緊急時だ。融通は利くだろう』

『了解です』

そちらが濃厚、とは現段階ではいえないが。
なんとかして時間を稼がなければいけない。
みすみす戦闘機人を逃すなど言語道断。しかし、施設に勤めている局員を巻き添えにするわけにはいかない。

なんとか、現状が打破されるまでの時間を稼がなければ。

「何が目的だ……っていうのは、愚問か?」

「……どうでしょうね」

小さく笑みを浮かべたトーレに、俺は思わず眉根を寄せる。
わざわざこんなところに入り込んだんだ。妹たちを救出しにきた以外に目的はない……と思うが。

「……いくらお前でも、小さくない荷物を抱えてここから逃げられるとは思えないけどな」

「ええ、そうでしょうね」

トーレの返答に、再び疑問が湧く。
……なんだ、コイツ。どんなつもりだ?

「案の定……ここのセキュリティは大したものです。
 応援が到着するよりも早く、私は包囲されるでしょう。
 元より可能性は低いと思っていましたが……」

そういって、トーレは三人の妹たちに視線を向ける。
隙が生じた。今なら――

「……セットアップ」

瞬間、Seven Starsのデバイスコアが瞬いて、バリアジャケットと白金のハルバードが顕現する。
が、トーレに慌てた様子はなかった。
むしろ、落ち着き払って――否、微かな笑みさえ浮かべている。

……コイツ、もしや。

「……すまないな、お前たち。
 どうやら救出は不可能なようだ」

「……どの口が。お前、最初からそのつもりがなかったな?」

根拠もなく……いや、"コイツだからこそ"という直感めいたことを口にする。
そうすると、トーレは貼り付けていた冷静の皮を脱ぎ捨てた。

三日月のような笑みを浮かべて、ぶるりを身体を震わせる。
しかし、俺に向けた切っ先はそのままだ。切り込む隙はどこにもない。
おそらく、稀少技能を発動させたところで反応されるだろう。

「流石はエスティマ様だ。私のことを、よく分かっていらっしゃる」

「分かりたくもなかったけどな。
 ……もう一度聞いてやる。目的はなんだ」

「は、はは、ハハハ……!
 目的? 目的といったら一つしかないでしょう?
 エスティマ様。この私、ナンバーズのトーレは、あなたに果たし合いを申し込む」

「……果たし合いだと?」

「ええ。まさか、断るなどとは……」

つい、とインパルスブレードの切っ先が揺れた。
僅かな変化だったが、トーレが考えていることは分かる。忌々しいことに。
傾いた角度の先には、フィアットさんがいる。もしトーレが腕を一閃すれば、俺が割って入るよりも早く、彼女の首を引き裂くだろう。

「……見下げ果てたぞ。
 そこまでして戦うことを望むか」

「無論。私は戦闘機人ですから」

「……違う。
 もうお前は戦闘機人ですらない。ただの悪鬼だ」

身内を人質に取るなどと。
私利私欲のためにそこまで落ちるか。

『旦那様。限定解除が行われました』

Seven Starsからの報告を聞いて、決心が固まる。
カスラムライトは手元になく、リインフォースもいないため、完全とはいえない状態。
……しかし。
上等だ。どの道、いつかは戦わなければならない敵。

「……誘いに乗ってやるよ。
 だから、その刃を下ろせ」

「……エスティマ」

すまない、と言外にフィアットさんが語る。
小さく頷いてそれに応えると、視線をトーレへと戻した。

「ここは少し狭い。
 ……外へ出るとしましょうか!」

「フルドライブ、エクセリオン!」

『了解です』

トーレはインパルスブレードを両手足に発生させ、俺は両肩にアクセルフィンを。
申し合わせたように天窓から飛び出ると、外は既に茜色に染まっていた。
海面は黄金色に輝き、水平線の向側には傾いた太陽がある。

その中へと飛び出した俺とトーレは、高度を上げながら戦闘を開始した。
Seven Starsのピックに鎌の魔力刃を発生させ、向かってくるトーレとの距離を詰める。

そして、交差。どちらも痛手を受けてはいない。
肩慣らしでもするように、軽く武器を打ち鳴らす。

『待っていた……この時をずっと待っていました』

不意に、念話が送られてくる。
それを無視して、俺はクロスファイアを発動。
六つのスフィアを生み出して、それをトーレへと。

トーレは誘導弾の速度を上回る動きを見せ、至近距離まで近付いたそれを踊るように切り払う。
牽制の誘導弾。それに惹きつけてショートバスターを放つも、避けられた。

舌打ちをし、トーレに釣られて高度を上げながら、術式を構築する。

『エスティマ様。
 あなたと死合うことができるこの時を、ずっと待ち望んでいたのです』

「アークセイバー、プラス」

『ファングスラッシャー』

返答せず、十字の魔力刃を投擲する。
高速回転し不規則な機動でトーレへと迫る刃。
遠隔操作を左手で結ぶ印で行いながら、俺はSeven Starsを右脇に挟み、ショートバスターを撃ち放った。

『エスティマ様。おそらく、あなたにしてみれば、私はただの敵でしかないのでしょう』

ショートバスターを避けるトーレ。だが、それは予測済みだ。
ファングスラッシャーを操作し、回避行動を取ったトーレの背後から襲わせる。
次いで、

「ブレイク」

十字の魔力刃を分離させ、二本のアークセイバーへと。
避けることの叶わないタイミングだが――
トーレは身を躍らせ、刀ではなく両手両足のインパルスブレードでそれらを切り払った。

『Sonic Move』

瞬間、移動魔法を発動させて一気に距離を詰め、振りかぶったSeven Starsを大上段から振り下ろす。
大気を引き裂いて叩きつけられた白金のハルバード。
トーレはそれをインパルスブレードを交差して受け止めるが、超重武器の類であるSeven Starsの勢いを殺し切ることは叶わず。
交差した格好のまま弾き飛ばされたトーレへと、休む暇を与えずにフォトンランサーを連射した。

咄嗟に回避行動を取り、避けきれないものを切り払うトーレだが、数発の直撃を受ける。
だが、射撃魔法ていどでは昏倒させることはできない。
ダメージを与えることはできたが――

「ハハ……!」

それが心地良いとでもいうように、トーレは笑い声を上げた。
……なんて、忌々しい。

『ですが、私にとっては違うのです。
 あなたは、私にとっての越えるべき存在だ。
 最強の生体兵器……性能がどうであれ、事実、あなたはそう認識されている。
 なればこそ、戦闘機人である自分にとって、あなた以上に倒すべき存在はいない!』

「聞いてもいないことをクドクドと。
 知ったことじゃないな……!」

「ええ、だから教えて差し上げているのです!
 この私にとって、あなたがどのような存在なのかを!」

「もう一度いってやる。知ったことじゃないんだよ!」

再びピックに鎌の魔力刃を発生させ、下段にかまえながらトーレへと。
対するトーレは、片手に持った柄を腰へと戻し、エネルギー刃を大上段にかまえて突撃してくる。

交差。掬い上げるように振った鎌を刃が受け流し、手首のインパルスブレードが俺の二の腕を切りつけた。
浅い。が、バリアジャケットを引き裂いて、血が宙へと噴き出す。

治癒魔法をかけるか否か。一瞬だけ迷うも、戦闘続行と判断する。
掠り傷にかまけて動きを鈍らせたら、向こうの思うつぼだろう。

更に、高度が上がる。

眼下に広がるのは海原と、ミニチュアとしか思えないクラナガンの街並みだ。
どれほどの高度まで上がったのだろうか。

『あなたを倒し、最強の戦闘機人の名を、私は手に入れる!
 それこそが私の生み出された意味であり、意義だ!』

『何も見えなくなっているだけだ、お前は。
 戦うこと以外にだって、やれることはあるだろうに!』

『ご冗談を! 戦わない戦闘機人?
 そんなものにどれほどの価値があるというのです!
 人として生きる。それを否定はしません。チンクがそうであるように。
 だが――私からすれば、そんなものは甘えでしかない!』

『――お前!』

『私たちには私たちの生き方がある。
 それをねじ曲げることに、どれほどの価値があるというのです!
 自分が何者かを忘れた先にまっているのは、負け犬としての末路だけでしょうに!』

サンライトイエローの魔力光と、紫のエネルギー光が交差を繰り返す。
夕日の中で一進一退の攻防を続けながら、俺とトーレは刃の他にも、念話をぶつけ合う。

俺は徐々に怒りを。トーレは歓喜を徐々に滲ませて。

『お前がそうだとしても、あの人の選んだことにケチをつけるな!』

『ハハ、あなたがそれを云いますか、エスティマ様!
 チンクが選んだ? いいえ、違います。
 あなたがチンクを勝ち取ったの間違いでしょう!
 そうだ……そうやって、あなたは力によりすべてを手に入れてゆく。
 素晴らしいじゃありませんか。それこそが、私たちの在るべき姿だ!』

『ほざけ! 力だけで手に入れられるなら、誰も苦労はしないんだよ!
 狭い価値観で知ったような口を聞くな、反吐が出る!』

ふと、気付く。すぐ頭上には雲が存在していた。
俺とトーレは同時に減速を行い、そして、申し合わせたかのように、

「IS発動――ライドインパルス!」

「Seven Stars!」

『了解しました。時間制限なし。
 ――Phase Shift』

大気の壁を、突破した。
音の流れも、何もかもが遅い。
静かな世界。

だが、そんなものに感じ入っている暇はない。
敵は同じ次元に存在している高速型。
一分の気の弛みも許されない、怨敵。

雲を弾き飛ばして、得物を打ち鳴らす。
お互いに掠り傷を与えるだけで、決定打はどちらも打ち込みはしていない。

そうして、山吹色の魔力光と、紫のエネルギー光が交差したのは、これで何度目だろうか。
いつしか月光に照らされた雲の海を眼下に、二つの光輝が得物をかまえ、乱舞を繰り返している。

位置は既に成層圏へと達していた。
高々度航行能力を持つ、一握りの空戦魔導師しか達することのできない次元。
その、何者もいない空間で俺とトーレは食らい合いのような機動を続け、ずっと戦闘を行っている。

『どうしたのです?
 稀少技能を完全開放しないのですか?』

『余計なお世話だ!』

それは、俺も考えていたことだった。
音速超過の速度で繰り出される魔法。それを使うことができれば、この戦いを有利に進めることができるだろう。
この泥仕合のような現状だって打破できる確信もある。

しかし、駄目だ。
熱病のような衝動に突き動かされて、積み上げてきたものを崩すことなんてできない。

『何を躊躇しているのです?
 あなたらしくもない。全力をもって敵を打ち砕くことこそが、戦闘の醍醐味でしょうに。
 まさか、私では物足りないとでも?』

『……ああ。お前相手には勿体なくてね』

『それは失礼。ならば――』

念話に笑い声が混じる。
その瞬間だ。トーレの纏っていたエネルギー光が爆ぜるように夜空を染め上げ、

『――これでもまだ、そのような口が利けますか!?』

稀少技能による感覚加速を受けているというのに、トーレの姿が一筋の閃光と化す。
気付いた時には、紫の光が目前まで迫っている。
咄嗟に引き寄せたSeven Starsによって刃を受け流せたのは僥倖だった。

振り向けば、トーレは直角の機動を描きながら無理矢理に旋回し、再び俺へと突き進んでくる。

『……旦那様』

「いうな、Seven Stars。分かってる!」

切れた稀少技能を再開させて、俺は頭上へと逃げる。
が、速度を増したトーレはすぐ背後へと迫る。
奴が近接戦闘用の武装しか持っていないことを感謝するべきなのだろうか。

振り向き様にSeven Starsを振り抜く――が、空振り。
ならば次の攻撃は――

刹那の内に稀少技能を解除して、左掌に魔力を集中。それで喉元を守るように。
電気変換された魔力――パルマフィオキーナによって、エネルギー刃を受け止め――否、弾かれた。

完全な当てずっぽうだったが、なんとか敵の動きを予測して防ぐことはできた。
が、形勢が一気に傾いたことに変わりはない。

「づあ……!」

「このような戦いを、私は望んでいません。
 早く全力を出してください、エスティマ様ぁ!」

目視の叶わない速度で振るわれるインパルスブレードを、勘だけを頼りにSeven Starsで受け止め、弾く。
が、本体は無事だとしても、カウリングは受け止める度に削られてゆく。
それだけではない。斬撃を受ける度に弾き飛ばされ、姿勢制御だけで手一杯だ。

……使うしかないのか? ゼロシフトを。
けれど、それは――

死んだら元も子もない、とは思う。
しかし、死ななければ良いというものではないだろう。
しかし、しかし、しかし――

刹那の内の葛藤。
その勝敗は、脳裏に俺の身を案じてくれている人たちの顔が浮かんだことで決した。

考えろ。自分を上回る速度を持った敵には、どう対処すれば良いのか。
十年に近い戦闘経験は決して無駄ではないはずだ。
どんなものでも良い。どんなみっともない術でも良い。

味方は存在せず、利用できそうな遮蔽物もないこの空で――
――遮蔽物?

「――ッ、Seven Stars!」

『カウリングパージ』

「くっ……小細工を……!」

トーレへと傷だらけになったSeven Starsの外装をぶちまけて、俺はソニックムーヴを使用しつつ一気に高度を下げる。
目指す先は、雲。あの中ならば!

「逃がすか!」

背後から届く声。それに追い着かれないよう、僅かな隙を最大限に生かして、全力で雲の中へと逃げ込む。

「……アルタス、クルタス、エイギアス」

――詠唱を行いながら。

間を置かず、トーレは俺へと刃を向けるだろう。
くるのは背後か。正面か。横か。上か。
高い精度を持つ戦闘機人のセンサーは、姿を隠したていどでは欺けない。

……けれど。姿を隠すことで一瞬だけでも時間が稼げるのならば充分だ。

"左腕で"Seven Starsを保持しながら、生み出された刹那を最大限に生かす。
可能な限りの速度で、命をチップにした賭けを。

おそらくトーレは俺のいる、この雲のどこかにいるのだろう。
俺が気付くよりも早く近付き、この首を奪いにくるに違いない。
速度。敵がそれを武器にするとこうまで厄介だとは思わなかった。
バインドも何も追い着かない、魔法の発動速度を嘲笑う次元。俺がずっと使っていた武器。
速さとは、何者の追随も許さず、一方的に敵を蹂躙する力である。

――ならば、それを上回る速度で蹂躙してやるまで。

「サンダー――」

声を放つために喉が震える。
感じる。この合間にもトーレは迫ってきている。
俺の首を跳ね飛ばすまで、もう一秒とかかるまい。

しかし、

「――レイジ!」

左腕を通して発動した、ミッドチルダ式の広域攻撃魔法。
俺が使ったところでフェイトほどの精度も威力も望めないだろう。
しかし、この状況下ならば話は別だ。
触媒となる雲に囲まれた、この状況ならば……!

火の中に投げ込まれた爆弾のように、光が爆ぜる。
効果範囲はこの雲の中。俺と同じ場所にいるのならば避けようのない、防ぎようのない攻撃だろう。

目を瞑っても目を焼かんとする雷光。
次いで、轟音が耳を潰そうと襲いかかる。

が、それを知覚できることには大きな意味があった。
まだ、生きている。首は胴体と繋がっている。
すなわち――

「A.C.S.!」

『――――』

耳がいかれたのか、Seven Starsの声は聞こえなかった。
しかし、俺の意志を汲んでSeven Starsは予備のカウリングを装着、更に追加外装の加速器を喚び出すと、サンライトイエローの翼を大きく広げる。
そして穂先を下へと向け、俺は最高速度で雲の中から飛び出した。

案の定、トーレはサンダーレイジの直撃を受けたようだった。
頭を下に、まっすぐ海面へと落ちている。
だが、意識は失っていないのだろう。手首足首のインパルスブレードは消えていない。

これでトドメだ……!

トーレへと突撃し、狙いを違わず、ストライカーフレームがボディースーツへと突き刺さった。
このまま零距離――

「――」

砲撃魔法を構築しようと瞬間、怖気に襲われる。
そっと、首筋を何かに撫でられたような。一気に熱を奪われる何か。

その原因は目の前にいる。
トーレはストライカーフレームに身体を貫かれても尚、笑みを浮かべていた。
笑い声が聞こえないことが不気味でしょうがない。
そして、その怖気の正体とでもいうのか。

「お前……!?」

腹を貫くストライカーフレーム。それを引き寄せて、Seven Starsの穂先へとトーレは腕を伸ばす。
ずぶりずぶりと。痛みを感じていないわけでもないだろうに。

『勝ってみせる……勝って、私は……!』

酷く暗い、熱を孕んだ念話が頭を揺らす。
聞いている方の正気を揺さぶる類の、呪詛に似た何かが叩きつけられる。

トーレの行動は止まらない。ストライカーフレームを飲み込んで、遂にSeven Starsの穂先がボディースーツへと食い込んだ。
それでもトーレは腕を止めない。肉を裂く嫌な感触。白金色の装甲に朱色が伝う。
が、それでもトーレは……。

「う、あ……!」

きっと恐怖というものが形を持ったならば、目の前にいる存在のようなもののことをいうのだろう。
理解できない。何故、そこまでして――そもそも、ここまでして勝ったところで、なんの意味があるというのだろう。

『私は、あなたを……!』

「……いい加減に、墜ちろ!」

左掌に魔力を集中。紫電の散ったそれを、トーレの顔面へと叩きつける。
確かな手応えを感じた。が、それ以上に返ってきたのは激痛だった。

「ぎっ――!」

なんのことはない。トーレは顔面で俺の掌を受け止め、"噛み付いた"のだ。
皮膚が裂かれるだけに留まらない。痛みに混じって、バキリ、と何かが砕ける感触。
それが俺の手だったのか、トーレの歯だったのかは分からないが。

「――あああぁぁあぁあああ!」

バキリバキリと万力のように、少しずつ左手が破砕されてゆく。
脳に叩き込まれた痛みに叫びを上げるが、決して楽にはならない。

一瞬の痛みなどではない。常に送り込まれる激痛は毒に近い。
まとまらない思考でなんとかショートバスターを連射するも、駄目だ。
とうに限界を超えているだろうに、それでも尚、トーレは食らい付いてくる。

――コイツ!

『旦那様、危険です!
 この速度で地上に向かっては!』

常に冷静であるSeven Starsにしては特異な、余裕のない念話が届く。
それで僅かに我に返ると、ようやく今の状況が俺にも飲み込めた。

今の速度で海面に落ちたら……!

アクセルフィンに魔力を送って高度を上げようとするも、駄目だ。
何故か。それは、トーレがライドインパルスを発動させて俺を引っ張っているからに他ならない。

『トーレ、お前、死ぬ気か!?』

『ハハ……!』

返事らしい返事はない。既にそうするだけの余裕もないのか。
痛みと腹立たしさに耐えるため、ギリ、と奥歯を噛み締める。

「Seven Stars!」

『了解、モード・C』

ストライカーフレームを解除して、Seven Starsが姿を変える。
選んだ形態は近接戦闘用のもの。だが、本来の用途のためにこれを選んだわけではない。
ただ、トーレを引き剥がすために、だ。

ハルバードが姿を変え、右手に片手剣の柄が収まる。
そして、柄からサンライトイエローの光が真っ直ぐに伸びて刃を形成。
それを平手にかまえながら、左脚をトーレに叩き込んで体勢を固定し、

「許せよ……!」

魔力刃をトーレの眼球へと突き込んだ。
非殺傷といっても、眼球などの柔らかい部位を魔法で傷付けられればどうなるか。それが分からない俺ではない。
しかし、このままでは俺もトーレも死ぬ羽目になる。
このまま海面に叩きつけられ、原型と留めないほどに破壊しつくされるだろう。

……俺はこんなところで死ぬつもりはない。
――生きて、やるべきことがあるんだ。

剣を押し込んで、手元にゼリー状の何かを押し潰す感触が。次いで、人のものとは思えないくぐもった叫びが洩れた。
無論、耳に届いたわけではない。形を成さない念話と、噛み付かれた左掌の皮膚から伝わってきたのだ。

が、流石にトーレも耐えきれなかったのだろう。僅かに手を噛み締める力が弱くなる。
俺は皮膚が引き裂かれるのにもかまわず左手を引いて、柄を握った右腕でトーレを殴り飛ばした。

視線を落とせば、左手はなんとも目にしたくない有り様になっていた。
滾々と血は溢れ出し、その合間には白い何かが見え隠れしている。
ついた歯形に沿って何かが食い込んでいる。おそらく、トーレの歯か。
無理矢理引き抜いたからだろう。手の半ばから指の付け根に向けて、皮が不出来な山脈のようになっていた。

『旦那様!』

『クソ、分かってる!』

制動をかけるも、勢いは殺し切れない。
落下予想地点の割り出しをSeven Starsに任せ、フローターフィールドを海面に展開。
しかし、死にはしないにしても、今のままではマズイ。
砲撃魔法の反動で――駄目だ、モード・Cでは撃てないし、Seven Starsを変形させている暇がない。

このままでは――

「Seven Stars、フェイズシフトを使え!」

『ですが、この速度を殺しきることは――』

「いいや、方向をずらす! やれるな!?」

『――了解』

指示に従い、デバイスコアが瞬いて稀少技能が発動する。
が、ここで無理矢理に上昇しようとしても不可能だ。
Seven Starsのいったように勢いを殺しきれるか微妙なところ。
その上、まったく逆への方向転換で生まれるGは通常の比ではないだろう。おそらく、バリアジャケットの防護能力を超えてしまう。

だから、方向をずらす。
真っ直ぐに落下し続ける身体を反らして、海面に沿う機動へと修正。
海面はすぐそこまで迫っている。このまま押し潰されるか、それとも――

「俺は――」

言葉を紡げたのはそこまでだった。
奥歯を必死に食い縛り、落下機動を横へとひたすらに修正する。
直角に近い軌跡を描くも、まだ足りない。もう少し。もう少しで――

――そして、紙一重のところで軌道修正は成される。
しかし、気を抜いたのが悪かったのだろうか。
徐々に速度を落として危険がないと思った瞬間、バランスを崩す。
盛大に飛沫を上げて、不様にも海へと墜落した。






[7038] sts 十六話 中
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/11/19 23:28
海上収容施設が襲撃を受けたと報告を受けて、六課はすぐに警戒態勢へと突入した。
連絡を受けたときには既にエスティマとトーレは戦闘を始めており、高速機動戦闘を行いながら移動を行うエスティマへ増援を送ることはできず。
できたことといえば、海上収容施設への支援。
それと、辛うじてサーチャーで補足することができたエスティマたちの元へフェイトを先行させて送り込むことぐらいだった。

が、フェイトが現場にたどり着いた頃には既に戦闘は終わっていた。

その後、クラナガンを彼方に置いた海上で、フェイトはいくつものエリアサーチを飛ばして兄の行方を探していた。
エスティマとトーレの戦闘。それが兄の勝利で終わったところまでは良い。
辛勝だったとしても、無事でいてくれるならそれだけでフェイトは満足だった。

しかし、違う。
戦闘が終わって気が抜けてしまったのだろうか。兄は海面への激突を避けた直後、減速しながらも海へと墜落してしまったのだ。
そこからぷっつりと消息を絶った兄を見つけ出すために、フェイトはバルディッシュを握り締め、逸る気持ちを抑えながら、ひたすらに探索魔法を使い続けている。

しかし、

「……駄目だ。やっぱりジャミングを受けてる。
 どうしよう、もう兄さんを見失ってからかなり時間が経ってるのに」

『Please calm down』

「冷静になんて……!」

押し殺しつつも強い声を上げて、フェイトは浅く唇を噛み締めた。
今、フェイトのいる海域には強力なジャミングがかかっていた。
そのおかげでエリアサーチはおろか、念話さえもまともに使えない状態だ。
六課との通信もままならない。一度退いて体勢を立て直すべきだと分かってはいたが、どうしても兄が心配で戻る気が起きなかった。

このままでは、いたずらに時間だけが過ぎてしまう。
ただえさえ視界の悪い夜の海上で、情報まで断たれてしまったらどうしようもない。
バルディッシュがいるとはいえ、たった一人で兄を捜している状況は、まるで迷子になってしまったかのよう。
実際に迷子なのは、兄の方だというのに。

迷子――そんな風に考えて、心細さが増す。
周りに誰もいない。だからか、兄のことばかりを考える。
そんな状況が寂しさを掻き立て、フェイトの脳裏に昔のことを思い起こさせた。

それは六課に来ないかと誘われたことだったり、家族でクラナガンを遊び歩いたことだったり。
任務で撃墜されたと聞いてミッドチルダに駆けつけたことだったり、闇の書事件でのことだったり。
自分の兄だと、申し出てくれたことだったり。

段々と過去へと遡ってゆく記憶はまるで走馬燈のように思えて、冗談じゃない、とフェイトは頭を振った。
大丈夫。兄はどんな時でも生き延びてきたし、戦い抜いてきたのだから、と。
その事実を支えにして、フェイトはアテにならないエリアサーチを諦めて、肉眼での探索に切り替えた。

眼を凝らして、金色の魔力光に照らされた海原に視線を走らせる。
音を立てながら蠢く真っ暗な波の中には、何も見出すことはできない。

視力は悪い方ではない。しかしそれでも、目で見える範囲は限られている。
ここに墜落したのだとしても、もしかしたら波に攫われて違う場所にいるのではないか。
だとしたら早く移動しないと――しかし、見落としがあってまだ近くにいるのかも――時間を追う毎に冷静さを欠いてゆく思考に歯噛みしたい気分になりながらも、形だけは平静を保つことで、取り乱さずに落ち着きを保つ。

忙しなく目を動かして兄の姿を探しながら、フェイトはマルチタスクの一つを割いて考え事をする。

兄の心配ばかりをしていては、不安ばかりが募ってゆく。
そう、無意識下で分かっただろうか。フェイトの思考は兄から、敵の戦闘機人へと移った。
ナンバーズの三番、トーレ。自分も何度か戦ったことのある相手だ。
厄介な相手だとフェイトも分かっていた。兄が苦戦したって不思議ではないとも。
確かな戦闘経験と、地道に積み上げられたであろう近接戦闘の技量。自分たちと比べても遜色なく、AMFの展開された状況下では上回る高速機動戦闘能力。
以前、あの敵と戦ったときのことをフェイトは思い出す。
初めてトーレと対峙したのは、マリンガーデンを中心とした湾岸地区での戦闘。
あのときに交わした言葉を、フェイトはふとした拍子に思い出すことがあった。

「あの戦闘機人……戦って、それで、何かを得ることはできたのかな」

『sir?』

退くことを忘れたような猛攻。事実、あの戦闘機人は兄との戦いにすべてを注ぎ込んだのだろう。
その末にあの戦闘機人は、何を思ったのだろうか。
戦うことを己の意義とし、勝利にこそ意味がある。勝利し続けることで存在し続ける。そう咆えたトーレ。
だがしかし、あの戦闘機人は負けてしまった。
ただ負けたのではない。わざわざ一対一になれる状況を造り出してまで舞台を整え、死力を尽くした上で敗れ去ったのだ。
完膚無きまでの敗北――それに対し、あの戦闘機人は何を思うのだろう。

僅かな時間であったが、あの戦闘機人と交わした言葉はしっかりと覚えている。
同時に、自分が何を感じたのかも。
もしかしたら自分がなるはずだったかもしれない姿。誰にも助けて貰えなかった自分の姿だ。
母に認めて貰うことを己の意義とし、役目を果たすことに意味がある。母の役に立つことで存在し続ける自分。

……そんな先のない生き方なんて。

兄に救われ、ユーノたちと過ごし、真っ当な人として過ごした自分だからこそ――極端な境遇から普通へと戻ることのできた自分だからこそ思うことがある。

あの戦闘機人は、あれで良かったのだろうか、と。
生き急ぎ燃え尽きるように果てて、散っていった――まだ死亡を確認したわけではないが、あの高度から落ちて生きているわけがないだろう――戦闘機人。
彼女は満足だったのだろうか。
もっと別の生き方が彼女にだってできたはずなのに。
一度トーレに拒絶されたフェイトの思考。しかし、どうしてもフェイトは考えてしまうのだ。
どこか自分と似ている戦闘機人の在り方を。

もしトーレが今も生きているのだとしたら、フェイトはこんなことを考えなかっただろう。
兄の生き方を肯定しているようで、その実、否定している。
昔の自分を突き付けているような生き方。
そんな彼女の存在を許したくはないからだ。

けれど、もうあの戦闘機人と刃を交わすことはない。
彼女が価値観を変えることなく消えてしまったことが、しこりとして胸の奥に残っている。ような気がする。

「……純真な人だったのかな」

立場や行っていることは、間違いなく悪であった。
掲げているもの、信じているものも、他人からすれば酷く迷惑ではあった。
しかし、彼女自身の心根は悪ではなかったのだろう。
……だからといって行ってきたことを許されるわけではないが。

結局、答えの出ない悩みなのかもしれない。
他人に干渉されることを拒み、自分を保ち続けた戦闘機人。
そんな彼女の考えていることを本当の意味で理解することは毒を飲み込むようなものだ。
あまりにも真っ直ぐで、それ故に眩しく、ただひたすらに夢を追っている……そんな、誰もが諦め妥協した覚えのある在り方。
不安を微塵も見せずに、今だけがすべてだと断言する姿勢。
そんなものを突き付けられて平気でいる人がどれほどいるか。

似ているからこそ、自分や兄ではあの戦闘機人を助けてやることはできなかったのだ。
そう、フェイトは思う。
彼女の生き方を否定せずにはいられないから。肯定した瞬間、どうしても自分を傷付けてしまうから。

答えが出ない思考だと分かっていながらも、フェイトはトーレのことを考え続ける。
そうしていると、ふと、視界の隅に魔力光の灯りが映り込んだ。

僅かな期待は、しかし、すぐに外れてしまう。
転移魔法の終了と共に姿を現したのは、リインフォースⅡとシャマルの二人だった。
彼女たちはフェイトを見付けると、まっすぐに近付いてくる。

「フェイトさん、エスティマさんは見つかったですか!?」

「……ううん。ジャミングが酷くて、今、目視で探していたんだけど」

「……この暗さじゃ、無理ですよね」

考え込むようにシャマルが呟く。
その隣に立つリインⅡは、困った顔をしながら肩を落とした。

「うう……やっぱり捜索隊に頼むのが一番かもです。
 今、グリフィスさんが湾岸警備隊の隊長さんにお願いして、空隊の編成を行ってるですよ。
 もうすぐ、エスティマさんと撃墜した戦闘機人を探すために来てくれるはずです。
 それまで、リインたちで頑張るですよ」

「……うん。ありがとう」

「はいです。きっとエスティマさんは大丈夫ですから、フェイトさんも元気を出すですよ!」

満面の笑みを浮かべて、リインⅡはそうフェイトに笑いかける。
心配されるほどに暗い顔をしていたのだろうか。
ぺた、と頬に触れてみると、気付かぬ内に肌はべったりと汗で濡れていた。

人手は増えた。これで、少しは兄を見付け出す可能性は増えただろうか。
気を取り直して捜索を続けよう。
そう思った時だ。

轟音と共に、海を引き裂いて天へと昇る光の柱が見えたのは。














リリカル in wonder













意識を取り戻して真っ先に感じたことは、奇妙な浮遊感だった。
肩を中心にして引っ張り上げられているような。まるで、操り人形にでもなった気分。

真っ暗な視界の中に存在する光源は、両肩から発せられる山吹色の輝き。
……ああ、そうか。

「……Seven Stars?」

『気がつかれましたか』

視線を落とすと、モード・Cの姿をとったSeven Starsは俺の右腕に握られていた。
落とされないよう、リングバインドで固定されている。
バインドを解除してモードリリースを行うと、朦朧とする意識に額を抑えつつ、胸元のSeven Starsに声をかけた。

「……状況は?」

『はい。あの戦闘機人との戦闘から、三十分が経過しています。
 海面への激突を回避するも墜落した旦那様は、そのまま意識を失ってしまったため、私が魔法を使用し安全を確保していました』

「……そうか、助かった。すまないな。
 ……横になりたい。ラウンドシールドを下に展開してくれ」

『はい』

りん、と涼しげな音と共に、ラウンドシールドが足元に展開される。
俺は光源であったアクセルフィンを解除すると、崩れ落ちるようにその上へ転がった。
その際、耐えられないほどの嘔吐感が胃の底から湧き上がってくる。
なんだ、と考えた瞬間、堪えることができずに決壊。海へと吐瀉物を撒き散らす。

盛大に吐き出すと、喉の痛みや後味の悪さといったもの以外の違和感はなくなる。
一体――ああ、そうか。
もしかしたら墜落した際、盛大に海水を飲み込んでしまったのかもしれない。
肺に水が入っていないかなどの心配はあるけれど、今のところは問題なさそうだ。
それ以上に厄介なのは、体中から上がる痛みか。

トーレとの戦闘中は気にならなかった痛みが、頭が冷えたことで響き出したのだろう。
ついでに、海へ落ちたときに変な沈み方でもしたのか。

「……そういえば」

おそるおそる、と左手に視線を送る。
トーレに噛み付かれ、あまり直視したくない類の惨状となった手だ。
が、予想に反して、左手は記憶にあるような状態ではなかった。
今になって気付いたことから分かるように、痛みらしい痛みはない。
目を覆いたくなるような状態だった傷口は、包帯――おそらくはバリアジャケット――に包まれている。

「Seven Stars、これは?」

『はい。応急手当として、止血と痛み止めだけは行いました。
 かなり強力な魔法を使ったため、感覚が鈍っていると思います』

「……みたいだな」

左手を動かしてみるが、痛みと一緒に感覚までも鈍っていた。
まともに手を握り締めることすらできない。
しかし、あまり関係がないだろう。
戦闘に支障のあることだとしても、もうトーレは倒したのだから。

再びラウンドシールドに寝転がり、深々と息を吐き出す。
呆、と視線を夜空に投げると、分厚い雲の切れ目からは瞬く星々が見えた。
どうやら月は雲に隠れてしまっているらしい。
暗い海上で波の音だけが響く中、全身の力を抜く。

『旦那様、通信が――』

「……少し、休ませてくれ」

早くどこかしらと連絡を取らなければいけないと、分かってはいる。
しかし、トーレとの戦闘で受けたダメージや精神的疲労は決して軽くはなかった。
それこそ、こうして何もする気が起きなくなるていどには。

「……Seven Stars」

『はい』

「俺、生きてるよな?」

『勿論です』

そんな馬鹿なことを聞いてしまう。
正直なところ、死んでもおかしくはなかった。
あと一秒でもトーレを引き剥がすのが遅れていたら、魚の餌になっていた可能性だって充分にあったのだから。
それでもこうして生きているのは、運か。確かにそれも要素の一つだろう。
けれど……生きたいと願ったからこそ、綱渡りの賭けを成功させることができたのだと自惚れたい。
躊躇なく、自分が生き延びるためにはどうすれば良いか考え、行動を起こしたからこそこうして生きているのだと。
……少しは様になっているだろうか。
自分の命を軽々しく扱わない、という誓いをきちんと守れているだろうか。

『苦しい戦いでしたね』

「……ああ」

『ですが、旦那様はやり遂げました。
 自らに科した条件を満たしつつ、勝利したのです。
 ならば、それは誇っても良いことでしょう』

「……ありがとう」

『いえ』

まるで俺の考えを読んだかのような言動だ。
いつの間にかこいつもそんな芸当が出来るようになったのか、なんて考えて、少し感慨深くなる。

……そうだ。

「Seven Stars、トーレは?」

『反応ロスト。
 生死は不明です』

「そう、か。
 戦闘機人だから頭部さえ無事なら死にはしない……だろうけど」

だとしたって不死身というわけではない。死なないだけでどんな状態になるかまでは分からないだろう。
もし死んだとしても、トーレはそれを覚悟して俺に挑みかかってきたのだから――
……なんてのはただの言い訳だ。

文字通り軋みを上げる身体を起こす。間接が軽やかな音を上げて、微かな爽快感が背筋を昇った。
休憩は終わり。これから部隊に連絡を取って、報告を行った後にトーレの捜索を開始しないと。

生きているにしろ死んでいるにしろ、このまま放置するわけにはいかない。
生きているのならば捕まえないとならないし、死んでいるのならば弔ってやらねば。
あの戦闘狂が何を考えていたのかなんて、正直なところ分からない。
しかし、敵だから死んでも良いだなんて風に考えたくはないのだ。

時空管理局の執務官として。エスティマ・スクライア個人として。
助けられるのならば助けないと。

消したアクセルフィンを両肩に再び形成し、宙へと上がる。
足場にしていたラウンドシールドを消し去ると、息を吐いて緩んでいた気を引き締めた。

「Seven Stars、六課に連絡を」

『不可能です。
 この海域一帯に強力なジャミングがかけられているため、念話を始めとしたあらゆる通信手段がとれません』

「……お前、そういうことはもっと早くだな」

『ですから、先ほど伝えようとしたのです』

「……ああ」

……そういえば、そんなことを云おうとした節が。
参った、と溜め息を吐きながら高度を上げる。
このまま通信の回復する場所まで移動しなければならないと考えると、どうにも気が重い。
ただでさえ余裕がない状況だって――

『旦那様、高エネルギー反応――!』

「――ッ!?」

反射的にソニックムーヴを発動させ、一瞬前までいた位置から離脱する。
一拍置き、海を裂いて一条の光が天へと伸びていった。

橙色の光。人一人を丸呑みしてもまだ余裕があるほどの太さを持った。
それに押し出された海水は飛沫となって吹き上がり、ざあざあと霧雨が舞う。
一体、何が――その問に答えるかのように、ゆっくりと何かが海面へと浮上してくる。

最初に見えたのは、水面に揺れる五つの光点だった。
蛍火ほどの大きさが、徐々に大きさを増してゆく。

そして海面を割って姿を現したもの――先ほどの砲撃で吹き飛ばされたのだろうか。
スポットライトのように、それの姿が月光に照らし出された。

形そのものは、ガジェットⅢ型に似ている。
しかし、記憶にあるどのガジェットとも形状は一致しない。サイズも桁違いだ。

直径六メートルほどの球体。その大きさだけでも既に異常だ。
正面に輝く五つの光は、通常のガジェットと同じカメラか。それのサイズもまた、規格外である。
Ⅲ型との最大の違いは、機体の下部に取り付けられたものだろう。
人一人を掴めるだけのサイズを持った、巨大な一対の蟹挟みのようなアーム。それの間には、一門の砲が取り付けられている。
見覚えがある。形状に些細な違いはあれど、あれは――イノメースカノンか?

異形のガジェットにカラーリングは施されていない。
一昔前の素組プラモデルのように無地で、装甲板が剥き出しとなっている。

「なんだ……この機体」

呟きに応えるよう、巨大ガジェットはカメラアイを瞬かせた。
そして轟音と共に背を輝かせ――おそらくは加速器の噴射か―― 一気に俺との距離を詰める。

「早い……!?」

その外見から想像もできないほど、巨大ガジェットは俊敏に動いた。
あり得ない加速性能で飛び込んでくる。闘牛士のように避けるも、巨大質量が通過した余波で姿勢がぶれた。

奥歯を噛み締めながら姿勢制御を行い、傍を通過した巨大ガジェットを見やる。
巨大ガジェットは背部の加速器に振り回されるように強引な方向転換を行うと、再びこちらの方を向く。
その際、下部の砲身に橙色の光が灯って――

ギリギリまで見極めようとした俺を嘲笑うかのように。
砲身から放たれたのは散弾だった。

とはいっても、元の砲撃が人一人を消し飛ばして余裕のある代物。
当たれば致命傷は免れないそれを、ぎりぎりで避ける。

弛緩していた思考がようやく戦闘へと移行し、右手でSeven Starsを握る。

……あのサイズを相手にモード・Cは不利、か。敵に対してあまりに得物が小さい。
が、左手がこの有り様じゃあハルバードを満足に振り回すことはできない。
モード・Bも同じく。両腕で保持できない今の状態では、照準を合わせられるか怪しいだろう。

……射撃や反動の小さい砲撃魔法を中心に戦うべきか。

Seven Starsに変形を命じ、黒い宝玉は白金のハルバードに姿を変え、それを右手で保持する。

「クロスファイア――」

『――シュート』

速度を保ちつつ生み出せるだけのクロスファイア。
八つのスフィアに命じ、巨大ガジェットへと軌跡を描いてサンライトイエローの光が迫る。

が、巨大ガジェットはそれを無視するかのように突撃を行う。
装甲に自信があるのか。そんなことを思い――

機体の周囲に揺らめくAMFによって、クロスファイアはすべて打ち消された。
……あり得ない。ヴァリアブルバレットとして撃ち出したものが、一発残らず打ち消されるだなんて。
どんな出力のAMFを張ってるっていうんだ。

それに、

「……接近戦を捨てたのは正解だったな」

『はい。あの出力ならば、飛行魔法、バリアジャケットも大幅に効果を減衰されます。
 その状態であのアームに捕まれば、どうなるかは……』

「……云うまでもないな」

悪い冗談だ。

さて……今のを考えると交戦は避けたい。撤退を第一に考えつつ、攻略するならばと思考を巡らせる。
射撃は打ち消されてしまったが、砲撃はどうか。
試してみる価値はある。しかし、あの強力なAMFで減衰されてしまえば、どれほどのダメージを与えられるか。

「……次の砲撃に合わせてこっちも撃つか」

『何故ですか?』

「攻撃を撃つときにはバリアが消えるのはお約束かなと」

『……余裕があるようで安心しました』

空元気だよ、と呟きかけて、巨大ガジェットから放たれた砲撃を回避する。
が、連続照射される砲撃は海面を蒸発させつつ、光の残滓を残しながら振り回された。
舌打ちしつつ後を追ってくる砲撃から逃げ続ける。

「……Seven Stars、照射時間は?」

『六秒です』

Seven Starsからの返答を聞きながら、巨大ガジェットへと視線を移す。
イノメースカノンを放った巨大ガジェットは、砲の後部から蒸気を吹き上げていた。
オーバーロードということはないだろう。おそらくは、冷却。

今の隙に逃げるか。逃げ切れるのかという不安は――

「……まさか」

逃げるという選択肢を選ぼうとした瞬間、一つ、根拠の薄い仮説が浮上してくる。
トーレとの連戦。ジャミング。初めて投入されたであろう、新型のガジェット。
この状況……まるで俺を追い詰め、潰すために作られたように思える。

そもそも俺を本気で潰しにかかるのなら、トーレ一人ではなく複数の敵を俺に当てるだろうが、それはされていない。
俺がトーレと……否、トーレが俺と一対一で戦う場合、死闘になると読んでいたのだろう。
多対一の戦闘になった場合、トーレが乗り気にならないであろうことを読み切って。

合理的というよりは、演出的。まるで小馬鹿にするかのような。
そんなことをするような奴には、一人しか心当たりがない。

眼鏡をかけた女の姿が脳裏にちらつく。舌打ちでそれを打ち消し、おもむろにショートバスターを放った。
しかし、サンライトイエローの光は巨大ガジェットの装甲に触れることなく霧散する。
砲撃すらも完全に無効化するか。どんな、冗談。

逃げるにしたって、目にしたあのガジェットの加速性能は馬鹿にならない。
ダメージを与えれば敵の動きを止め、出鼻を挫くことができれば引き離すことはできるだろう。

そのための手段は何か。最適なのはAMFの影響を受けないサンダーレイジなどだと、分かってはいる。
魔力のみで構築された攻撃手段ではなく、魔法によって引き起こされた現象。
大質量を加速させてぶつけるなどの手段もあるが、生憎とこの場にそんなものはない。

ゼロシフトを使用したモード・Dの斬撃ならば撤退するまでもなく撃破できると思うが、その選択は却下だ。

「……どうやって逃げるか、か。
 やっぱり身体に鞭打って稀少技能で離脱が一番だろうが……」

『それを許してもらえるのなら、わざわざあのガジェットが出て来ることもないでしょう』

「ああ。逃げようとした瞬間、あのビックリ箱から次は何が飛び出すのやら」

どうしたものか。考えを巡らせながらも攻めあぐねていると、

「兄さん!」

悲鳴に近い甲高い声が聞こえて、俺は巨大ガジェットに注意を払いつつ視線を向けた。
そこにはいつの間にかフェイトがいた。急いで来たのだろう。髪の毛は風圧でぼさぼさになっている。
……そして、フェイトに腕を掴まれたシャマルが真っ青な顔をしているのはどういうことだ。

「し、しばらく絶叫系の乗り物は……」

「シャマル、兄さんの治療を!」

「待って……少し休ませてください……」

「おいおいお前ら……って、フェイト避けろ!」

声を上げると同時に、俺たちの元へ巨大ガジェットの集束砲撃が突き刺さった。
俺とフェイトは別々の方向へと回避を行う。照射され続ける光は俺を追い続け、敵の狙いが俺であることを再認識する。

念話で指示を――くそ、駄目か。

「フェイト!」

回避運動を取りつつ声を張り上げ、フェイトへと。

「ここに救援はくるのか!?」

「うん。けど、通信が遮断されてるからいつになるかは分からない。
 リインフォースⅡが、もうそろそろ来ると思うけど……」

遅れてくる。置いてきたのだろうか。
シャマルの様子からフェイトが全力で飛んできたのは分かるし、おそらく、そうなのだろう。

……まずいな。
俺やフェイト、リインⅡだけならともかく、シャマルがいるとなると逃げ切れる可能性が下がる。
もし振り切ることができずにあの巨大ガジェットを湾岸地区にでも招き入れてしまったら、流れ弾だけで街が燃えることになるだろう。
ここで撃墜するしかないのか?

Seven Starsにバルディッシュへ巨大ガジェットのデータを送るように指示を送り、敵へと視線を送る。
俺の限定解除はまだ続いている。が、フェイトの限定解除は行えない。
通信が遮断されている状態では、限定解除の申請も行えない。

戦うとしたら俺がリインⅡとユニゾンして――というのがベストだろう。
しかし左手が使えない今、存分に力を振るうことはできない。
バインドで無理矢理に括り付ければあるいは、とも思うけれど。

「……戦うぞ、フェイト。シャマルは後退してくれ」

「わ、分かりました……」

「え、でも兄さん、治療を――」

「そんな暇は与えてくれないって」

苦々しく言い切ると、再び放たれた集束砲撃を避ける。
……どれだけ乱射する気だ。あの巨体だからどんな動力源を積んでいてもおかしくはないと思うけれど。

救援がくるまで、せめて持ちこたえないと。
倦怠感で鈍った身体に渇を入れ、俺は牽制目的の射撃魔法を構築した。

















時間が経ったことでトーレが口にした施設の爆破はブラフという見解が強まり、万が一を考えて未だ爆発物の探索が行われつつも、海上収容施設は落ち着きを取り戻し始めていた。
トーレとエスティマが去ったあと、あの場に残っていた三人の戦闘機人は拘束され独房に戻されている。
戦闘機人とはいっても、現在の彼女たちはISも強化された機能も使えない無力な少女なのだ。
捕らえられた際の反応は、様々だった。

オットーは脱走のチャンスを逃したことに悔しがりつつ抵抗を見せる。
ディエチはトーレの行ったことに困惑しているようで、半ば悩んでいるような、放心しているような状態だった。
表情が豊かではないので、彼女がどんなつもりなのかは姉妹にも分からなかったが。

そしてチンク。
彼女は大人しく指示に従い、自分の寝起きする場所へと戻された。
薄暗い部屋の中で遠い喧噪を聞きながら、チンクは一人、トーレの行ったことについて考える。

あの戦闘狂ともいえる姉は、自らの夢を果たせたのだろうか。夢を追って、果てたのだろうか。
トーレとは長い付き合いだ。だからこそチンクは、トーレの生き方に賛同できないまでも、理解はしていた。
自分の生まれに意味を見出し、意義を付加することで生き続ける。
それは、自分とまるで違う生き方だ。
生まれがどうであれ、一人の人間として生きる意義を見付けたいと願った自分とは。

トーレの生き甲斐が自分の夢と相反するものであることは分かっている。
もしトーレが己の目的を果たす――エスティマを戦った果てに殺してしまえば、それは、チンクの人生が色褪せることに繋がるからだ。
だから、チンクはトーレの生き様を応援できなかった。同時に、否定しようとも思わなかったが。

真っ当な者からみれば、トーレは酷く歪に見えるだろう。
しかし自分たちからすれば――

そこまで考えたとき、物音によってチンクの思考は中断された。
看守に促されて立ち上がると独房から出て、手枷のつけられた腕を揺らしながら、廊下を進む。

案内された先にあったのは部屋であり、そこには局の制服に身を包んだ一人の女がいた。
彼女のことは良く知っている。八神はやて。エスティマの同僚であり、幼馴染みである者。

パイプ椅子に腰を下ろして、チンクははやてと対面する。
向かいにいる彼女と、刹那の間視線が絡む。
はやては私情を押し殺すように小さく息を吸うと、話を始めた。

「チンクさん。あんたに聞きたいことがあってきました」

「ああ」

「ここを襲撃したナンバーズの三番。彼女が起こした一連の行動についてや。
 今までも結社の戦力として動く戦闘機人にしては妙な言動をしとったけど、今回ばかりは常軌を逸しとる。
 あの戦闘機人がどんな人なのか、聞きたいんよ」

「そんなことを聞いてどうする」

「今回の行動にどんな裏があるのか、気になってな。
 戦闘機人の三番が何かを企んでいるのか、それとも何も考えてなかったのか。
 人柄を知ることで、少しは予測も立てやすくなるはずや。
 ……駒として扱う場合、黒幕が何を考えているかもな」

最後に付け加えられた一言に、何かあったのだろうかとチンクは眉を持ち上げる。
同時に、犯罪者である自分にそこまで話して良いのかとも。

おそらく、信頼されているのだろう。エスティマを裏切らないという、その一点に関しては。
同時に、再びエスティマを裏切れば、本人が許してもこの女だけは絶対に許さないのではないだろうか。
そのつもりは微塵もチンクにはないけれど。

「分かった、話そう」

云いつつ、チンクは脳裏に姉のことを思い描く。
トーレがどんな者だったのか。なるべく客観的に彼女の性格や趣向を思い出し。

「トーレは、そうだな。
 ……戦闘機人というものに、特別な意味を見出していた。
 あいつの行動は、その意味にかかっていたと云っても過言ではないだろう」

考え込むようにはやては視線を逸らし、チンクに先を促す。

「正味なところ、あれは戦うことができるのならばなんでも良かったのだろう。
 戦闘機人として生まれ、生きている自分の存在を確立することができるのならば」

「んっ……なら、説得次第で投降することもあり得たんやろうか」

「それはない。戦わずに終わるということは、トーレからしたら絶対に選びたくない選択だろう。
 ……だが、それ以上に、トーレが管理局に屈しないであろう理由があると、私は思う」

「それは、どんな?」

「……エスティマだ。あいつが管理局にいるからこそ、トーレは敵対組織である結社にいた。
 強者と戦うことで――とはいっても、それとは別に、トーレはエスティマに執着していたはずだ」

「……なんで、わざわざ。
 エスティマくんには悪いけど、彼より魔導師ランクの高い人は、多くはないけど存在しとる。
 強い人に喧嘩を売るなら、そっちの方がええと思うんやけど」

不思議そうにはやては首を傾げる。
当たり前の話だろう、とチンクは頷いて、口を開いた。

「八神はやて。無理だとは思うが、それでも自分の身になって考えて欲しい。
 もし自分が、戦うことで生きる意味を証明する存在だとしたら、何を求める?
 戦い続けること以外に、強者として目指す地位。
 スポーツでもなんでも良い。……極めた果てに一つの称号が、あるだろう?」

「……一番強い、ってことかなぁ」

「そうだ。だがトーレは、最強の闘争者とは別の――
 エスティマを倒すことで、最強の生体兵器という価値を自分に見出そうとしていた」

「……生体、兵器。
 けど、それは……っ」

そこまで云って、はやては口を噤む。
ここにいるのはチンクだけではないのだ。彼女が暴れ出さないよう、監視を行っている局員がいる。
他人に知られては都合の悪い秘密。エスティマ・スクライアがプロジェクトFによって生み出され、レリックウェポンとしての改造を受けているということ。
管理局ミッドチルダ地上部隊の中でもそれなりの地位に就いており、良くも悪くも注目を集めている彼にの出生は隠されるべき事柄だった。
力を欲する者が戦闘機人を生み出すのと同じように、彼の力に目を付けた者たちが、優秀な魔導師を生み出すことができるのならと遺伝子操作技術に熱を上げることになるだろうから。

それを飲み込み、はやては小さく溜め息を吐く。
自分自身を落ち着かせるように人差し指で、とんとん、と机を指で叩いた。

「……戦闘機人の三番がどんな人物かは、大体分かったわ。
 味方からしても扱いやすいようで、その実、かなり使い勝手に困る手駒。
 そうやろ?」

「どうかな。
 ドクターはトーレを気に入っていた。あの人は手段のために目的は選ばない人だ。
 大仰な目的を掲げつつ、トーレのために舞台を用意してもおかしくはない」

スカリエッティがどんな人物なのかは、事情聴取を受けた際に伝えてある。
結社を設立した、本当の理由など。常人には理解できない設立目的に対して管理局は懐疑的だ。
しかし、それも仕方がないことだろう。たった一人の生体兵器がどう動くのかを見たいがためだけにそんなことを起こしただなんて、誰も信じはしまい。

今回のこともまた、エスティマとトーレをぶつけたら面白そうだというドクターの考えが根底にあるのではないか。
そんな風にチンクは考えている。

しかし、

「……なんか、違和感があるなぁ。
 戦闘機人の三番を出せば、必ずエスティマくんと戦闘になる。
 それの観戦が襲撃の本当の目的だとしたら、今起こってることは完全な蛇足や……」

「……何か、起こってるのか?」

はやての溢した呟きに、チンクは思わず反応した。
しかし、対するはやての対応は酷く事務的だった。
あなたに話すことではない、と横に首を振る。当たり前だ。自分は罪人なのだから。
管理局への協力に積極的な姿勢を見せてはいるが、疑いが完全に晴れたわけではない。むしろ、今回の襲撃で信頼関係がゼロへと戻ったかもしれない。
そんな状態だというのにわざわざ外の様子を聞かせはしないだろう。

……辛いな。

分かっていたことだが、とチンクは唇を噛み締める。
それでも、何もせずにはいられないと、彼女は顔を上げた。

「……エスティマはどうしてる。
 トーレとの戦いは、どうなった?」

「……勝った。戦闘機人の三番は撃破された。
 だから、あんたらに助けがくることはない」

今の言葉を頭の中で転がしながら、チンクははやての顔をじっと見る。
無表情を装っているようだが、その節々には焦燥や不安が滲んでいるようだ。

助けがくることはない。それとは別に、何かが起こっている。
ドクターが余計なことをするだろうか。もしトーレが撃破され、捕まるようなことがあっても、ドクターはそれを受け容れるだろう。
戦いに生きる者ならば、その過程で敗北を舐めるのは必至。スカリエッティはそれを否定しないはずだ。
敗北という要素もまた、トーレを形づくるものの一つなのだから。

ならば、その他の何かだろうか。

……情報が少なすぎて、答えらしい答えは出ない。

ただ疑問ばかりが蓄積してゆく。
しかし、敵である自分に目の前にいる女は必要以上の情報を与えはしないだろう。

……しょうがないな。そんなことを思い、チンクは目を伏せた。
身動きの取れない、自分から動くことのできない状況だというのは分かっている。
今の自分は受け身に徹するしかないのだ。どんな事柄に関しても。

「……八神はやて」

「なんや」

「エスティマを頼む。今の私は、あいつに何もしてやれない」

「……云われなくても分かっとる」

最後にそう云って、はやては腰を上げた。
チンクを見張っていた局員に一言告げると、はやては外へと。
彼女の後ろ姿を眺めながら、チンクは肩から垂れている髪の毛に指先で触れる。
毛先を弄びながら、視線を部屋の隅――エスティマとトーレが飛び去った方向だ――に投げた。
局員に声をかけられるまで、彼女はずっとそうしていた。

部屋をあとにしたはやては、マルチタスクを駆使して情報を整理しながらも、彼女が最後に口にした言葉を反芻する。

「……今の私は、か」

いずれは変わる、ということだろうか。多分、そうだろう。
待つしかないと分かっていても、そのいつかは必ずくると信じてる。
ただ待つのがどれだけ辛いか知っているはやてにとって、彼女の言葉は微かな息苦しさを覚えさせるものだった。

「……あかんあかん。それよりも今は、大事なことがあるやろ」

触れるていどの力で頬を掌で叩くと、はやては今起こっていることへ意識を向ける。
エスティマが墜落した海域に発生しているジャミング。
フェイトやシャマル、リインフォースⅡたちと入れ違いに湾岸地区に現れ、現場に向かおうとしているなのはたちを足止めしているガジェット。
そう。エスティマとトーレを救助するために編成された部隊は今、ガジェットによる思うように動きを取れないでいた。

この状況を客観的に見てみる。
他の追従を許さない高機動戦闘をトーレに行わせることでエスティマを消耗させつつ孤立させ、その状態を維持するために時間稼ぎの駒を投入。
その目的は何か。おそらくはエスティマの撃破だろうと想像できるが、チンクから聞いたスカリエッティの人物像から考えると、どうにもしっくりこない。
何故ならば、"つまらない"からだ。エスティマが戦う姿を楽しみとするのならば、消耗しきった彼を狙うのは何かが違う気がする。

昔――唯一スカリエッティの姿を直接目にした、結社の設立テロのことをはやては思い出す。
あの時もまた、意図してエスティマを消耗させていたようには見えなかった。
消耗したのは無理を通した彼の勝手であり、スカリエッティ自体は無理難題をふっかけて、それをどう彼が解決するのかを楽しんでいたように、はやてには思えた。

「宗旨替え……それとも、第三者の意志が介入してる?
 分からへん。どういうことなんや」

呟き、この状況で自分に何ができるのかと考える。
黒幕の考えを把握しようという狙いは見事に外れた。核心には近付いたのかもしれないが、同時に、混乱もしてしまっている。
正しい選択だと思えるものは、敵の狙いであるエスティマの撃墜を阻止することか。
もっとも、エスティマがこれ以上傷付くことははやてだって望んではいない。誰に頼まれなくても実行するつもりだ。

リインフォースⅡたちがフェイトの増援として向かってから、既に三十分近くが経っている。
だというのに、未だ通信は回復しない。まだ、何かが起こり続けているのだ。

『ザフィーラ』

『はい、主』

『シグナムにお願いしてもらえるか? ヴィータは……病み上がりで無茶させたくない。
 ……うん。
 私ら三人でなのはちゃんたちの足止めをしてるガジェット、引き受けるで』

『よろしいのですか?』

『しゃーない。空戦って云っても、速い方やないからね。
 急いでエスティマくんを助けるのなら、他の人に任せた方がええやろ』

勿論、すぐにでも飛んでいきたい気持ちはあるけれど。
それを押し殺して、はやては盾の守護獣に念話を送る。

『御意に』

そしてザフィーラは主の気持ちを汲み取り、すぐに行動を起こす。

遅れるわけにはいかないだろう。
胸元にある待機状態のシュベルトクロイツを握り締めると、セットアップと並行して、彼女は転移魔法を展開し出した。


















「リインフォース、AMFCは本当に作動しているのか!?」

『はいです。巨大ガジェットのAMFをあるていどまでは減衰させているですけど……』

そこで一度区切り、リインⅡは悔しさを滲ませる。

『"今の"状態だとこれ以上は……』

ぎり、と奥歯を噛み締め、俺は接近してくるガジェットへと視線を戻す。
右腕一本で保持しているSeven Starsを振りかぶり、交差する瞬間に紙一重でアームを回避。
擦れ違いざまにハルバードを振るうも、返ってきた手応えは固く、痺れを伝えてきた。

確かにAMFCは作動しているのだろう。接近してもアクセルフィンやスレイプニールが無効化されるといったことはない。
しかし、魔力に頼った攻撃はやはり弱体化される。今のように物理攻撃を行ったとしても、敵の装甲を引き裂くことはできない。
せめて左手が使えたら――

『旦那様!』

舌打ち一つ。
交差し、背後を見せた巨大ガジェット。背面装甲がスライドし、その内側から横一列に並んだレンズが現れる。
それが何か、と考えるよりも速く、光が瞬いた。

『トライシールド!』

リインⅡに依存しきった防御魔法を展開。放たれたレーザーを弾きつつも、強力なAMFのせいでシールドが軋みを上げる。
出力はおそらく通常のガジェットよりも高いのだろう。しかしそれでも、たかがレーザー如きに気を配らなければならないなんて。

「――ッ、フェイト!」

レーザーの雨に耐えきると、俺は空へと声を張り上げた。
上空へと視線を投げれば、そこにはデバイスフォームのバルディッシュを構えたフェイトの姿がある。
彼女は足元に金色のミッドチルダ式魔法陣を展開しながら、眼下の巨大ガジェットを見下ろしていた。

「サンダー――!」

彼女が発動しようとしているのは天候操作型の広域攻撃魔法。
あれを直撃さればあるいは。そう考えて俺は囮役を買って出ていた。

しかし、巨大ガジェットも黙ってやられはしない。
加速器の出力にものをいわせて強引な方向転換を行うと、機体下部に取り付けられたイノメースカノンの砲口を空へと向ける。
だが、フェイトに照準を向ける余裕は――

そう考えていた俺を嘲笑うように、橙色の閃光が吐き出される。
苦し紛れの行動だったのか。砲撃はまるで見当違いの方向へと突き進み――
サンダーレイジの触媒となるはずだった雲を吹き飛ばした。

「まずい……!」

『ソニックムーヴ』

そして雲を吹き飛ばした砲撃は、未だ照射が続いている。
レーザーカッターのように振り回され、大気を両断しながらフェイトへと迫る。
ギリギリのタイミングで気付けた俺は、なんとかフェイトを抱きかかえて離脱。
一呼吸前までいた空間は冗談みたいな威力の砲撃で薙ぎ払われ、大気の焼ける異臭が漂った。

「ご、ごめんなさい、兄さん」

「気にするな」

目を白黒させながらも状況を飲み込んだのか。
フェイトは咄嗟に掴んでしまったであろう俺のバリアジャケットから手を離して、俯く。

短く応えてフェイトを開放すると、巨大ガジェットの挙動に注意しながらどうするかと考え込む。
ばかすかと砲撃を撃ち続けているにも関わらず、巨大ガジェットにエネルギー切れの兆候は見えなかった。
AMFにしたって同じ。AMFCで減衰させているとはいえ、満足なダメージを与えられるほどじゃあない。

「兄さん、もう一度サンダーレイジを……」

「駄目だ。今度は俺が囮になっていると勘付かれて、身動きが取れないところを狙い撃ちにされる。
 せめて頭数があれば……」

いや、本当にそうだろうか。
質と量は釣り合いがとれるものじゃあない。どれだけ数があったとしても、あの巨大ガジェットを倒せるかどうか。

そこまで考えて、緩く頭を振る。
血が上っている。何も倒す必要はないんだ。撤退さえさせることができれば――そこまで考え、ガジェットが撤退なんかするだろうかと素朴な疑問が湧いてきた。
どうやら、思った以上に焦っているらしい。

「エスティマさん!」

不意に、激励の響きを含んだ声が届く。
見てみれば、何もない宙に円形の門が生まれ、そこから声が出ているのだ。
声の主はシャマル。ジャミングによってあらゆる通信が使えない今、俺は彼女を後退させて後方の様子を調べさせ、旅の鏡によって無理矢理に声を届けさせていた。

「見えました! 増援は――けど、戦闘を行ってるみたいでっ」

どうすれば良いんですか、と悲鳴じみた声が最後に付け加えられる。
……そう、か。知らぬ間に孤立させられていた、と。

「……シャマル。引き続き、そこから連絡を頼む。
 フェイト、リインフォース。キツイとは思うけど、交戦続行だ」

「うん、兄さん。けど……」

どこか心細さを見せたフェイトを視線で諭し、Seven Starsを右手で構え、ガジェットを見据える。
そしてフェイトに指示を出すと、攪乱するように巨大ガジェットの周りを飛びながら射撃魔法を撃ち放つ。無効化されると分かっていながら。

鉄壁と云っても過言ではない敵の装甲。あれを打ち破る手段はあってないようなもの。
フェイトならばライオット。俺ならば稀少技能。
しかし前者は限定解除という問題があるし、後者は疲弊しきった状態で使えるのかという疑問がある。
リインⅡとのユニゾンでダメージの肩代わりは発動しているとは云っても、俺自身が消耗している今、彼女一人に負荷をかけることになるだろう。
果たしてリインⅡ一人でそれを耐えることができるのか。

『旦那様』

「なんだ!?」

不意にSeven Starsが上げた呼び声に、怒鳴り散らすような返答をしてしまう。
しかしSeven Starsは気にした風もなく、先を続けた。

『手段ならあります』

「……なんのだ?」

『あのガジェットを破壊するための手段です。
 稀少技能を使わずに手傷を負わせることができるであろう力が、一つだけ』

「……そんなものに、覚えはないんだけどな」

リインⅡから敵の行動予測を聞きつつ、クロスファイアを発動し、射出。
しかしサンライトイエローのスフィアは当たり前とでもいうように霧散し、お返しとばかりにレーザーの雨が降り注いだ。
回避運動をとりつつ避けきれないものをトライシールドで防ぎ、黒いデバイスコアへと視線を投げる。

「……付け焼き刃か?」

『そうなります』

その言葉と共に、俺の脳裏――マルチタスクの一つへ、Seven Starsが提唱した手段が送られてくる。
効果的な戦術が送られてきたわけではない。Seven Starsが提示してきたのは、見たことも聞いたこともない魔法だ。
……確かに、出来なくもないだろう。しかし、

『リインも不可能ではないと思うですよ。けれど……』

「……難しいな」

よくもまぁこんなものを思い付いたと関心半分、呆れ半分といった気分だ。
誰の影響を受けたのだか。

『旦那様』

「なんだ」

Seven Starsからの言葉を聞きつつ、フェイトと協力して火線を交差させる。
が、駄目だ。砲撃も射撃も等しく弾き返し、巨大ガジェットは猛威を振るう。

『私はあなたを勝利させるために存在している物です。
 故に、あなたが勝利を望んでいる今、そのために必要な手段を提示しました。
 旦那様。如何いたしますか?』

「……お前は」

戦闘中だということを一瞬忘れ、思わず眼を見開いてしまう。
しかしSeven Starsはそれに応えず、黙して俺の答えを待っているだけだ。
苦笑してしまう。ここで拒否すれば、コイツはおそらく次の手を考えるだろう。
ただ俺を勝利へと導くため、ひたすらに。

「……フェイト、頼めるか!?」

「――分かった、兄さん!」

主語の抜けた応答だが、これはさっき、サンダーレイジでの攻撃を行おうと決めたときのやりとり。
フェイトは俺の意図を正確に汲み、囮となってガジェットの相手を始める。

――さて。

「……プラン採用だ。
 Seven Stars、リインフォース。ミスるなよ」

『了解です』

『了解ですよ!』

小さく息を吐き、握力が皆無に近い左手をSeven Starsへ添える。
その上からバインドを巻き付けて固定すると、両腕でしっかりと保持した。
左手からSeven Starsへと通された魔力。それが爆ぜるように紫電を散らす。

形成する魔法はおそらく、どの技とも似ても似つかないだろう。
参考にされた紫電一閃に近くはあるだろうが、まるで別物だ。

『外装冷却開始するです』

まず足元に展開されるのは古代ベルカ式の魔法陣。
リインⅡによって発動された氷結魔法はSeven Starsの外装"のみ"を冷やす。
稼働状態にあったSeven Starsによって熱されていたそれは一気に冷却され、マイナスへと。

次いで、冷気をまとう外装に、レリックから生み出された莫大な魔力が左腕を通して電気変換される。
先ほどの比ではない紫電が宙を一気に染め上げる。千の鳥が一斉に囀るような騒々しい音。
そして右手から伝えられた純粋な魔力より、Seven Starsの硬度がかつてないほどまでに強化される。

右と力の上手く入らない左手でしっかりとグリップを握り締め、細心の注意を払って術式を構築。
Seven Starsを右肩に担ぐと、小さく息を吐いた。

これを放つためのトリガーワードは――

「――ッ、兄さん!」

魔法の構築に向けていた意識が、フェイトの叫びによって呼び戻された。
見れば、巨大ガジェットがこちらへと頭を向けて突撃してくる。
背後からは絶え間なくレーザーを放ち続け、追い縋ろうとするフェイトを足止めしていた。

アームを顎のように左右へ開き、その間にあるイノメースカノンの砲口に火が灯る。
今、構築している魔法は近接戦闘用の攻撃魔法。そのためには近付かなければならず、これから放たれるであろう砲撃を避けなければならない。
こうして考え事をしている間にも橙色の光はその色を濃くして、今にも吐き出されようとしていた。

魔法を構築するのがデバイスたちの仕事ならば、俺の役目はそれを正しく行使すること。
成すべきことは目の前の脅威を凌ぎ、ただこの一撃を叩き込むことだ。

氷結、雷撃。その二つに彩られた白金の斧槍を構え、敵の挙動を注視しながらアクセルフィンとスレイプニールに意識を向けた。
意志を持ったように稼働する飛行補助魔法は大気を打ち払い、俺を巨大ガジェットの下へと向かわせる。

接近を目的とする俺と、その前に撃墜しようと迫るガジェット。
懐へと飛び込む意志を見て取ると、巨大ガジェットは躊躇なく砲撃を撃ち放つ。

――砲口の焔が、爆ぜるように膨張して、

――些細な前兆を頼りに、俺は身を捩って砲撃を回避した。

「――術式発動」

すぐ隣を過ぎ去る熱波にバリアジャケットが悲鳴を上げる。
が、それに構うことなく俺はガジェットの懐へと潜り込むことに成功した。
Seven Starsを握る手に力を込めて、

「――紫電一閃・七星」

トリガーワードを呟く。

瞬間、Seven Starsのカウリングがパージされる。
冷え切るなんて言葉では生温い。極限まで凍て付いた"外装/砲身"に挟まれた"本体/弾丸"が、一筋の光となって走る。

相手を砕くのではない。電磁投射によって射出された刃が、文字通りに引き裂く。
たとえどんな装甲を持っていようと、この斬撃の前では無意味に等しい。

おそらく稀少技能を使っていても目視は叶わないであろう、光の刃。
それは巨大ガジェットのアームと噛み合い――

真っ向から断ち切り、横っ腹を深々と切り裂いた。
しかし、浅い。踏み込みが甘かったのか。確かにダメージを与えはしたものの、行動不能とまでは――

ならばもう一撃。そう考えた瞬間、腕を引く力に舌打ちをしたい気分になった。
が、そんな行動すら起こす暇はない。
獲物を断ち切ったあとにかけるはずだった制動が、正常に作動していない。
このままでは――

咄嗟に取った行動は、Seven Starsを手放すことだった。
が、それでも左手は未だ掴んだまま。というよりは、縛り付けられたままだ。

引かれた左腕が引き延ばされ、伸びきった関節から鈍い音が上がる。
それに一拍遅れて、言葉にできない痛みが頭へと突き抜けてきた。

『痛、い……』

胸の中からリインⅡの声が届く。
いつもの余裕ある口調ではなく、本気で痛みを訴えている呻き声だ。
もしリインⅡがダメージを肩代わりしてくれなかったならば、左腕が引き千切れていたこともあり得ただろう。

痛みで乱れる呼吸を必死に整えながら、使い物にならなくなった左手から右手へとSeven Starsを持ち替える。
そして振り返り巨大ガジェットへと視線を戻そうとする。
しかし、そこに敵の姿はない。

顔を顰めながらも唖然としてしまう。
そうしていると、驚きを顔に浮かべたフェイトが近付いてきた。

「兄さん、大丈夫!?」

「……巨大ガジェットは?」

「逃げたみたい。戦闘機人の四番が使うISみたいに、姿が消えて……。
 それより、さっきの魔法は……って、兄さん、左腕!」

だらりと伸びきった腕に手を伸ばすも、痛々しさのせいか、フェイトは指先を丸めて躊躇した。
瞳を揺らして、思わず視線を逸らしそうになったのだろうフェイト。彼女は足元にミッドチルダ式魔法陣を展開すると、不慣れな治癒魔法を発動する。
……この期に及んで心配するなとは云えないな。

「ごめん、フェイト。ありがとう」

「……うん」

不満げな表情をしながらも、フェイトは頷く。
あの巨大ガジェットを倒すにはこれしかなかった。しかし怪我をするのは納得できない。
そんなところだろうか。

……何はともあれ、退かせることができて良かった。
右腕に握ったSeven Starsに視線を送る。

紫電一閃・七星。Seven Starsを包むカウリングを砲身に、本体を弾丸へと見立て、電磁誘導により射出する魔法。
電磁投射による弾丸の役目を果たしたSeven Starsは、外装を脱ぎ捨てた金色の戦斧の姿となっており、白煙を節々から上げている。
ありがとう、と胸中で呟いて、グリップを握る手へ僅かに力を込めた。

「……さて、また弱ったところを叩かれたらたまらない。
 こっちに向かってくる部隊と合流するか」

「うん」

云って、フェイトはおもむろに俺の肩を掴んでくる。

「……えっと?」

「運んであげる。疲れたでしょ? 疲れてるよね?」

『……リインはもう限界ですー』

フェイトに云われたからか、リインⅡとのユニゾンが解除された。
それにともないスレイプニールも消えて、突然のことに体勢を崩す。
そこをフェイトに抱きかかえられて――

「お、おい! 止めろって!」

「駄目。もう戦いは終わったんだから、兄さんは私が安全な場所まで運んであげる。
 まったくもう、ようやく安全な戦い方をしてくれると思ったら……」

「いや、左腕がこうなったのは想定外であって……」

「駄目ですっ!」

抱き締められ、そのままお姫様だっこの形へと。
この上なく恥ずかしさが込み上げてくるも、魔法も身体に力を入れる必要もなくなった瞬間、眩暈すら感じる疲労が押し寄せてきた。
それも当然か。決して楽ではない連戦だったのだから。

「……悪いね」

「うん」

ぎゅっと俺を抱き締めると、そのままフェイトは急ぎすぎないていどの速度で移動を始める。
俺はSeven Starsを待機状態に戻すと、重くのしかかる疲労と睡魔に耐えながら、フェイトに身を委ねた。

















「機体ステータス……中破、か。
 エスティマ様を退場させることはできませんでしたけれど、もう一つの目的である試運転は満足のゆく結果が取れましたし、良しとしましょうか」

くつくつと小さな笑い声を上げながら、眼鏡の女――ナンバーズの四番、クアットロは、手元の鍵盤型キーボードを叩いていた。
軽やかな音が狭い空間に響き渡る。全天周モニターに囲まれた、巨大ガジェットのコックピット内に。
独力で造り上げた――とはいってもスカリエッティの技術を強引に付け合わせた鵺のような物だが――巨大ガジェット『クアットレスⅠ』。
その初陣で手に入れた交戦データは、既に建造が半ばまで進んでいる『クアットレスⅡ』の完成度をより高めるために役立ってくれるだろう。

ああ楽しい、とクアットロは声を上げて笑う。
あまり趣味ではないため行わなかったことだが、謀略とはまた違った楽しみが直接的な暴力にはある。
圧倒的な力を振りかざされ逃げ惑うしかなかったエスティマの姿を思い出して、クアットロの胸には際限のない暗い喜びが満ちた。

今回の戦い。トーレがエスティマとの戦いを望んでいると知ったクアットロは、それに合わせて自らの思うがままに事を進めるため、行動を起こしていた。
トーレと戦い、エスティマ・スクライアは消耗するだろう。そこをクアットレスで叩けば、と。
無論、倒せるとは思っていなかった。倒すに越したことはないが、そこまで柔な敵だったらクアットロはここまで苛立っていないのだから。
忌々しい敵としてだが、クアットロはエスティマの力を認めている。

だが、その忌々しい敵との付き合いももう終わり。
そのためにクアットロは姉妹やドクターたちに悟られぬよう、動き続けているのだから。

「ああ、楽しい。
 なんで私、最初からこうしなかったのでしょう。
 日和ったドクターや、目的のないお馬鹿な子たちはアテにならない……」

云って、クアットロはコックピットの隅に転がっているケースに視線を向けた。
人一人が押し込められるであろうサイズのそれからは、仕舞い損ねた紫色の髪の毛がはみ出している。
毛先からはぽたぽたと海水が滴っており、床を塗らしていた。

ケースの中身――撃墜されたトーレを探し出すのに手間取ってしまったため、ジャミングを発動してすぐにエスティマを攻撃できなかったのだ。

「だったら私がやるしかないじゃないですか……ねぇ?」

呟き、クアットロはそっと下腹部へと手を添える。
青い戦闘機人の身につけるボディースーツ。その下腹部から臍までを頂点として、胸元まで緩やかな膨らみを見せている。
普段はISを使い、自分以外の者の目を欺いて隠し通している存在が、そこに息吹いていた。
彼女には似合わない手つきで膨らみをゆっくり撫でると、クアットロは再びくつくつと笑い声を上げる。

「この子と、私と、クアットレス……私たちにやってやれないことはない。
 そう――」

クアットロは苛立たしげに三つ編みの髪の毛を解く。
そしてかけていた眼鏡を取り、右手で握り締めると、

「――私が天に立つ」

常人の域を超えた握力で、粉々に握りつぶした。
哄笑する。スカリエッティが成すべきことを見失ってしまったのならば、もう彼に従う理由はない。
これからは使われるのではない。自分が使ってやるのだ。

その未来に想いを馳せて、クアットロの笑みに悦が広がる。
楽しすぎる。その果てにかつてはスカリエッティの夢であった――そして今では自分の夢である楽園の創造が待っているのだとしたら、この上なくやりがいがあるだろう。
障害となるであろう、自分をコケにした魔導師をこの上なく惨めに潰して、己の願いを叶えるのだ。

「では一つ、皆様私の歌劇を御観覧あれ。
 その筋書きは、ありきたりだが。
 役者が良い。
 至高と信ずる。
 ゆえに面白くなると思いますよ――くっ、アハハハ!」





[7038] sts 十六話 下
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/11/27 22:58
クラナガンから外れた森林地帯の一つに、結社の持つ研究施設の一つがある。
元を辿ればそこは最高評議会の用意したスカリエッティのアジトの一つ。それを結社に所属した研究者たちに貸し与え、研究を行わせていた。
そう、行わせていた、だ。
今現在、その施設はたった一人の人物が無断使用していた。
自分の庭ともいえる結社のデータベースを改竄し、資材を使い込み、自分だけの兵器を造り上げている。

研究施設の奥底にある一室に、その人物はいた。
ナンバーズの四番、クアットロ。以前は彼女の特徴であった眼鏡はなく、編まれた髪は解かれ、背中に流されている。
彼女の腕には、一人の赤ん坊が抱かれている。紫の髪を持ち、瞼を開けば、そこには金色の瞳があるだろう。
微かに体を揺らし、子供を眠りに誘うクアットロ。そんな彼女の顔には、柔らかな笑みが浮かんでいる。
彼女を知る者が見れば、誰もが驚くだろう穏やかさがあった。

しかし、

『う、あ……』

呻き声のような念話が届いた瞬間、その笑みは変容した。
静穏から不穏へと。同じ笑みでも別種の、嫌らしさが滲む。

クアットロの目の前には、一つの治療ポッドが置かれていた。
その中には、全裸の女が収められている。
損傷の激しかった肉体は修復され、今は交換した機械部品を生体部分に適応させている最中だ。
ナンバーズの三番、トーレ。エスティマに敗北し、海面へと叩き付けられ、行方不明となっている者がそこにいた。

『お目覚めですか、トーレ姉様?
 もうそろそろだと思い、待っていましたよ』

『クアットロか……?
 私は……そう、そうだ。エスティマ様と……エスティマ様に……』

負けたのか、と続き、トーレからの念話は途絶えた。
そんなトーレに、そうですわ、とクアットロは笑いかける。
トーレの目は開いていない。故に、クアットロがどんな表情で自分を見ているのか、彼女には分からない。
その腕に、何を抱いているのかも。

『感謝してくださいね、トーレ姉様。
 敗北したあなたを、この私が助け出して差し上げたのですから』

『……余計なことを。
 私は、命を賭けた戦いをエスティマ様に挑み、そして、打ち砕かれたのだ。
 ならば、もはや生きる意味などない。
 生き恥を晒しては、勝者であるエスティマ様に申し訳がない。
 何故だ……何故私を助けた、クアットロ!』

トーレの訴えに、クアットロは噴き出す。
だが、トーレにそれは聞こえない。ポッドのガラスを越えて彼女に伝わることはない。

『トーレ姉様、忘れてはいけませんよ?
 どんな拘りがあろうと、それ以前に、私たちは結社に所属する戦闘機人。
 例え敗北しようと、生きている限りドクターのために戦わないと……』

ねぇ、とクアットロは肉声を上げ、腕の中にいる赤子に視線を落とす。

クアットロの言葉の真意に気付かず、しかし、とトーレは云う。

『だが私は……戦闘機人として……』

『ナンセンスですよ、トーレ姉様。
 戦闘機人は所詮道具。ロボットだからマシーンだから、ですわ。
 そこに変な拘りを持ち込むだなんて、トーレ姉様もお馬鹿なチンクちゃんと変わらないのですか?』

『……純粋無垢な機械ではない。我々は。
 戦闘機人には戦闘機人の矜持がある』

『あらあら。邪魔な贅肉を付けてしまって……。
 まぁ、良いです。死にたいのならば、お望みのように』

『……すまない』

『いえいえー』

ですが、とクアットロは続ける。

『折角助けたのですから、機械として最後に役に立ってもらいますよ?
 私も鬼ではありません。もう一度、トーレ姉様が恋い焦がれるエスティマ様にぶつけて差し上げましょう』

『ふざけるな! 私にそのつもりは――』

『トーレ姉様にそのつもりがなくてもぉ、コンシデレーション・コンソールって便利なものがありましてぇー。
 修復ついでに、積んじゃいましたっ』

『……やめろ、クアットロ。
 私は戦闘機人として、望まぬ戦いは――!』

『ええ。戦闘機人として、ひたすらに戦って下さいねぇ』

それでは、とクアットロは念話を打ち切る。
トーレからなおも念話は届くが、それをシャットアウトし、そして、高らかに笑い声を上げた。
酷く滑稽。戦闘機人の意味を履き違え、そこに意義を見出した姉は、こうして純粋な存在に戻るだろう。

馬鹿みたい、とひらすらに笑う。
最後にトーレの放った懇願は、ここ最近にないほど、クアットロの嗜虐心と自尊心を満たしてくれた。

――そして。
そんなクアットロの様子を見て、腕に抱かれた赤子は、小さな脣を動かし、弧を描いた。
















高町なのはは、つい先日にあった海上収容施設襲撃事件の報告書を眺めつつ溜め息を吐いていた。
エスティマに撃破された戦闘機人の三番の行方は不明。未だ捜査は続けられているが、場所が場所な上に墜落直後はジャミングがかかっていたこともあり、引き上げられてはいない。
続いて、巨大ガジェット。なのはが頭を悩ませているのは、これの存在だった。
戦技教導隊の者として、これの具体的な攻略法を考えてくれとエスティマに云われているのだ。
現場で行われた対処は、なんとも力業。AMFの影響を受けない一撃必殺をもって正面から打ち砕く、という手段をエスティマはとった。
しかし、それを馬鹿げているとなのはは笑えない。

交戦していたSeven Starsとバルディッシュに記録された巨大ガジェットのデータを元に、仮想訓練場でダミーを相手にしてみたが、一人では倒すことができなかった。
AMFにより通常魔法で相手が砕けない場合になのはが取る手段は、砲撃用の加速リングで岩石などを飛ばす魔法、スターダストフォール。
しかし敵はそれをものともしない装甲を持っているようだ。

……ミッドチルダ式じゃあ少し厳しいかも。
そう、なのはは取りあえずの答えを出す。
もしこのガジェットが再び現れたときはヴィータを中心に据えて交戦するのが望ましいだろう。
しかし、もしヴィータがいない場所にこのガジェットが現れたら。
それを考え、再びなのはは溜め息を吐いた。

「AMFC……切り札はあるけれど……」

どうしても何かに依存する形で戦うことになってしまう、か。
苦しいなぁ、と呟きながら、なのはは傍に置いたマグカップを口に運ぶ。
いつの間にか中身の紅茶は冷めており、暖かみが欲しかった彼女は、少しだけ眉を潜めた。

そうしていると、不意に事務室のドアが軽い音を立てて開く。
姿を現したのは、エスティマだ。左腕を吊っている彼は、部屋の中を眺めたあと、なのはの方へと近付いてきた。
巨大ガジェットを撃破した代償として、彼の左腕は酷い状態になっている。
しかし思い詰めた様子は微塵も見せず、彼は軽い調子で声を上げた。

「よう、調子は?」

怪我をすることに慣れてしまったのだろうか。
確かに両手で数え切れないほどの大怪我を彼はしているけれど。
きっと本人は、思い詰めたところで怪我の治りが早くなるわけではないなどと割り切っているのだろう。

「……難しいよ。
 ガジェットっていっても、これはもう別の何かとしか思えないかな」

「数合わせの雑魚とは思えない性能だからな、あれ。
 ……なんで今更あんなものを投入したんだか」

「ん……やっぱり、廃棄都市の戦闘で私たちがナンバーズを抑えたのが大きいんじゃないかな。
 それで焦って、って」

「……かな。結社も一枚岩じゃないってことなのかもしれない」

「……えっと、エスティマくん? なんだか私と違うこと考えてない?」

「そうか?」

不思議そうにエスティマは首を傾げる。彼自身は何も疑問に思っていないようだ。
しかし思い付いたように、あー、と声を上げると、はっきりとしない口調で説明を始めた。

「ガジェットを発明したスカリエッティなんだけどな」

「うん」

「アイツ、ナンバーズがどれだけ高性能かを見せ付けるためだけにガジェットを作ったんだ」

「……まぁ、確かにAMFを展開すれば戦闘機人は映えるけど。
 いくらなんでも、それはないと思う」

思わず、ジトっとした目をエスティマに向けてしまう。
しかし彼は真面目な顔をしたまま、薄い怒りを瞳に浮かべ、皮肉げな笑みを浮かべた。

「……どうかな」

本気、なのだろう。スカリエッティと直接顔を合わせ、言葉を交わした人間は少ない。
その数少ない人間の内一人が、エスティマだ。はやても顔を合わせたことはあるものの、言葉自体は交わしていないと聞いている。
そんな彼が云うのだから、あながち冗談ではないのかもしれない。

「ね、エスティマくん。左腕の具合はどう?」

けれど、胡散臭すぎるのも事実だ。
これ以上この話を続けるのもなんだと思ったなのはは、話題を変えることにした。

「ん、ああ。全治一週間だと。
 シャマルが良くやってくれたよ。処置が遅かったらもう少し長引いたらしい。
 筋肉やら靱帯やらが駄目になってもそれだけで済むんだから、魔法って便利だ」

「……あんまり過信するのもどうかと思うよ?
 度を過ぎた治癒魔法の使用は免疫能力の低下に繋がるって何かで読んだ覚えがあるし」

「分かってるよ。
 ……医務室で耳タコになるほど云われた」

「嫌なら怪我しなきゃ良いのに。
 ……まぁ、今回ばかりは仕方ないと思うけど」

「そういうこと」

もし自分があの場にいたら、と考えると、なのははエスティマを責める気が起きなかった。
守るべき存在がすぐ傍にいたら、彼と同じかそれ以上に無理をしたかもしれない。
守る、と決めたのだ。色々なものを。そのために力を振るうと、高町なのはは決めているのだから。

「やー、フェイトもはやても俺のことを白い目で見るし、左腕がこれだから仕事の効率下がってグリフィスには溜め息吐かれるし。
 分かってくれるのは、なのはだけだよ」

「……」

前言撤回。あまり一緒にはしたくない。
そこから、二人は息抜きついでに世間話を始める。
先端技術医療センターに預けてある女の子の話だったり、ユーノとアルフのことだったり、他愛もないことだったり。
そうやって会話をしている最中、二人っきりで話すのは久し振りだとなのはは思う。
はやての一件を除けば、エスティマと一対一で話す機会はそうない。
大体シャーリーやはやて、フェイトと一緒なことが多いのだ。
だからといって新鮮に思えないのは、付き合いが長いからなのかもしれない。
悪い意味ではなく、安心して顔を合わせていられるという意味で。

そうしているとまた、事務室の扉が開く。
もう遅い時間だ。ここに顔を出す者はそう多くないはず。
なのはとエスティマは同時に顔を向ける。
そこにいたのは、ティアナを始めとした新人フォワードたちだった。

失礼します、と断って彼女たちは部屋に入ってくる。
それぞれが神妙な表情を浮かべていることに、なのはとエスティマは思わず顔を見合わせてしまった。

「えっと、皆どうしたの?」

「はい。あの、ですね……」

なのはに問いかけられ、ティアナははっきりしない口調で応える。
しかし彼女はぎゅっと手を握り締めると、俯き、顔を上げ、なのはたちを見据えて口を開いた。

「なのはさん。
 フルドライブモードを前提とした訓練を、始めてもらえないでしょうか」














リリカル in wonder












自分たちが日々強くなっているのは分かっている。
なのはの教導に従っていればちゃんと強くなれるのも理解している。
けれど、それよりももっと自分たちは強くなりたいのだ。

廃棄都市での戦闘もそうだし、もし自分たちの前に例の巨大ガジェットが出て来たら。
その時何もできないのは嫌だと、ティアナたちは云う。

どうやら、気持ちは四人とも同じようだった。
細かく突き詰めれば違いはあるのだろうが、手段として強くなりたいというのは一緒なのだろう。

『どうするつもりだ?』

『どうするって……私、これでも教導は予定立ててやってるんだよ?
 フルドライブモードの使用は、もう少し先のつもり。
 それに、今この子たちは……』

念話のやりとりをしながら、なのははじっとフォワード陣を見詰めていた。
怒っている、というわけではない。ただただ戸惑っているように、俺には見える。

……ん。
視線を感じたので顔を向けてみれば、俺のことをちらちらとティアナやエリオが見ているようだった。
やっぱり左腕のことだろうか。……まぁ、当たり前だろう。ストライカーだなんだと云っておきながら、この様だ。
こんな風に俺が怪我したことも、新人たちの焦りに拍車をかけているのかもしれない。

ストライカー魔導師の責務の一つか。向けられる期待が大きい分、もし敗北などしたら周りの者をどれだけ落胆させるか。
その上、俺は六課の部隊長なんだ。冗談でも倒れたら、なんて考えちゃいけない。

『……なのは。訓練を前倒しにはできないのか?』

『……え? えぇ?
 エスティマくん、この子たちに肩入れするの?』

『まぁ、そうなるかな』

『……あのね。誰もがエスティマくんみたいに運が良いわけじゃないんだよ?
 一度の失敗で取り返しのつかないことが起きる可能性だってあるんだから。
 背伸びした訓練なんかやらせて無理が祟ったら本末転倒だよ。
 無理を通すために訓練があるんじゃないの。無理をせずどんな事態にも対応できるように鍛えるの』

『分かってる。そうムキになるなって。
 ただ、溜まりに溜まった熱量を無視することもできないだろう?
 今の状態で放置したって、良い方向に流れるとは思えないけどな』

『かもしれないけど……それでも私は、無茶を推奨するようなことしたくないよ』

『……じゃあ、こうしよう。
 現場でのフルドライブモード使用には、なのはの許可を必要とする。
 そうすれば、勇み足を踏むような危険も減るだろう?』

『……んん』

どうにも、なのはの反応は芳しくない。
何をそんなに嫌がるのだろうか。
そう考え、意識の違いだろうとすぐに思い至る。
原作とは違い、無茶らしい無茶をやらないなのは。無茶の使いどころを分かっている、といったところか。
一方俺は、負けるぐらいなら無茶を押し通す――負けたら全てが終わる、という戦いに身を投じていたということもある――なんて考えがある。
最近になってそれが薄れたといっても、完全に消え去ったわけじゃない。

だからこそ俺は新人たちのお願いに対して肯定的だが、なのはは気が進まないのか。

力はあっても困るものじゃない……とは思うのだけど。
……いや、それは手にした力を律せるだけの心の強さありきか。
きっとなのはは、新人たちにその強さがないと思っているのだろう。

信用していないわけじゃない。ただ教官として冷静な判断を下しているのだと思う。
それに対するティアナたちの反応は、やはり不満げだ。

ずっと黙り込んで俺との念話を交わすなのはを見る視線には、戸惑いがある。
理由を話してぶつかれば、きっと分かってくれる――そんな思いがあったのだろう。

「……あの、部隊長」

「……ん?」

唐突に俺へと声をかけてきたのはティアナだ。

「部隊長は、どう思いますか?
 私たちが強くなれば、六課の戦力だって今よりも充実するはずです。
 それは決して悪いことではないと、思うのですけど……」

それに続き、エリオも。

「期待を裏切るようなことはしません。だから……」

「……そうだな」

……なんとも。
抑えつけてこの場をやり過ごしたとしても、やはり捌け口のない熱意の行方が心配になってしまう。
どうしたものか。

『なのは、見ての通りだ。
 上官命令ってことでここを収めても良いけど……良い方に転がるとは思えないよ』

『それは私も分かってる……けど』

それでも、教導官としては自分の意志を曲げられない、か。
……頑固者め。

どうやって方向性を定めようかと考えて、視線を落とす。
そして、そこに下がっていたSeven Starsを目にして、一つの案が浮かんできた。

『なのは。第三者の意見を聞いてどうするかを決めるってのはどうだ?』

『第三者?』

『ああ。おそらくは、誰よりも新人たちのことを見ているだろう奴らだ』

不思議そうな顔をなのはに向けられ、思わず苦笑を返してしまう。
危険を共に冒す相棒たちからの素直な意見。お前たちの主人はどれだけの者なのか。
そんな忌憚のない言葉を、デバイスたちから聞いてみようじゃないか。



















「たまに突飛なことを考えるよね、エスティマくんって」

「そうか?」

「そうだよ。デバイスたちから話を聞くにしたって、普通はアドバイス程度だと思う」

脣を尖らせながら不満をいうなのはを宥め、俺は開発室の作業台にスタンバイモードのデバイスたちを並べた。

クロスミラージュ。
マッハキャリバー。
ケリュケイオン。
S2U・ストラーダ。

Seven Starsにレイジングハート。

無論、デバイスたちだけの意見を聞くわけではない。
もう一人の小隊長であるはやてを呼んである。彼女がきたら、今は自宅療養しているヴィータと通信を繋いで、隊長、副隊長格の意見を交換することになるだろう。

そう考えていると、開発室の扉が音を立てて開いた。
姿を現したのは、はやてとリインフォースⅡ。人間サイズのリインⅡは、俺と同じように左腕を吊っている。
風呂上がりなのだろうか。二人の髪の毛は湿っており、リインⅡは長髪を結い上げていた。
頬は上気し、なんとも色っぽく見えて困る。はやてが。

「……あー、ごめんな、夜遅くに」

「ええよー、お仕事やからね」

「ですです。新人さんたちのことは、リインも心配でしたからー」

全員揃ったところで、はやてがヴィータへと通信を繋ぐ。
画面に表示されたヴィータは、律儀に局の制服を着ていた。

『よう。とっとと始めようぜ。
 ……まさかこんな面倒なことになるなんてなぁ』

呆れたような溜め息を吐きながら、画面の向こうにいるヴィータは額を抑える。
その様子に俺たちは苦笑して、

……では。
薄明かりの中でコアを鈍く光らせるデバイスたちを眺めてから、俺は小さく頷いてSeven Starsへと声をかけた。

「それじゃあSeven Stars。議事進行よろしく」

『……了解しました』

返答までに僅かな間があったのは、こんなことに巻き込まれたことへの不満だろうか。
それでも律儀に受け容れる辺り、コイツらしい。

『それでは始めましょうか。
 なぜこんな状況になっているのかは、傍で聞いていたのだから分かりますね?
 あなたたちからマスターの様子を元に、それを参考に高町教導官のプランに方向性を持たせます。
 嘘、大袈裟、紛らわしい。そういったことがないように』

「……Seven Stars、ふざけてないで早く始めろよ」

『それではクロスミラージュ』

華麗に俺のことをスルーすると、Seven Starsはティアナのデバイスへと声をかける。
橙色のデバイスコアは瞬きを上げると、電子音混じりの声を。

『私から云うことは、そう多くありません』

『そうですか。……本当に?』

『はい。マスターが願っていることは、全て、ご自分で云われましたから』

『そうでしょうね。しかし、私が聞きたいことはそうではありません。
 そのマスターに対し、あなたはどう思いますか?』

『肯定的に考えています。私の機能を十全に扱うことができるようになれば、マスターはより強くなれるでしょう。
 求められれば、私はそれに応えるだけです』

なんとも機械的で受け身な反応だ。
それほどデバイスとのコミュニケーションを取っていなかったのだろうか。
受領してから一年も経っていないのだから、仕方がないのかもしれないけれど。

少しの肩透かしと多大な落胆を勝手に抱きながら、俺はSeven Starsに次へ進んでもらおうと口を開こうとする。
しかしそれよりも早く、クロスミラージュは続きを話し始めた。

『機能をフルに使われずにいる現状は、心苦しいものがあります。マスターがより強い力を欲しているのならば、余計に。
 マスターが力を求めており、私にはそれに応える機能がある。しかし、それは封じられ全機能をマスターのために使うことはできません。
 それを私は、申し訳なく思います』

『なるほど。ありがとうございました』

礼を云い、Seven Starsは次にマッハキャリバーへと。
デバイスのやりとりを眺めながら、俺は、ほんの少しだけくすぐったいような気持ちになった。
自分が開発に関わったデバイスが、ちゃんとマスターの意志を汲んで意見を口にする。
そんな俺にとってはありふれたことが、こうも嬉しいものだとは思わなかった。

……いけない。今は、デバイスたちの意見をしっかり聞かないと。
気を引き締め、俺はデバイスたちの会話に再び耳を傾ける。

『マッハキャリバー、あなたはマスターが希望することに対して、どう考えていますか?』

『はい。正直な話をすれば、相棒はクロスミラージュのマスターに引き摺られている節があります。
 同じチームの者がそれを望むから、と。
 それに関しては反対するつもりはありません。相棒が望んだことです。
 しかし、相棒個人の話をするならば、私には少し不安があります』

『それは、どのような?』

『はい。相棒は迷いを抱えています。今の状態で教導が次のステップに進んでも、相棒は今までと同じようにスケジュールを消化するでしょう。
 しかし、それによって手にした力を相棒は持て余すのではないかと危惧しています』

クロスミラージュよりはマスターとの交流があったのだろうか。
マッハキャリバーは明朗にSeven Starsからの問に答えてゆく。

『今の相棒にとって、新しい力は必要なのか。相棒自身もそれについては答えを出せていないでしょう。
 なので、フルドライブモードの教導を行うことに対しては肯定しますが、その場合、相棒の扱いには細心の注意を払っていただきたいのです』

『分かりました』

賛成一、条件付き賛成一……といったところだろうか。
その後、S2U・ストラーダとケリュケイオンの意見を聞いてもみたが、それぞれクロスミラージュとマッハキャリバーと似たような答えを返してきた。

まとめると……教導が次の段階に進むことには異論はない。しかし、今まで以上にマスターたちに気を配って欲しい。

そんなところだろうか。

「デバイスたちの意見はこんなところか。
 ……じゃあ、次ははやてにリインフォース、どう思う?」

話を向けられたはやては、考え込むように視線を落とす。

「ん……なのはちゃんほど、私は新人たちの面倒みとらんからなぁ。
 六課じゃ捜査官として動いているのがほとんどやから、あの子らの気持ちを汲んであげることはあんまできん。
 私としては、ティアナとエリオに限定して、スバルとキャロはそのままがええと思うわ」

「リインもです。
 抑えが効かなそうな二人はともかく、ストッパーのスバルとキャロまでフルドライブモードの教導を始めてしまうのはどうかと思うのですよ」

『けどそうすっと、教導を二組に分ける羽目になる……まぁ、その場合はスバルとキャロはアタシが面倒見るよ。
 明後日には六課に戻る。病み上がりの肩慣らしにゃ丁度良いと思うしな』

……成る程、ね。
教導を二組に分ける……今までもやってきたことだけど、それを通常組とフルドライブ組に分けるってところまでは考えが及ばなかったな。
それを行うことで、フォワード陣に亀裂が走ることもあまり考えられない。むしろ今のまま全員で教導を始めれば、意識の違いで噛み合わせが悪くなる、か。

「……どうだ、なのは。
 皆の意見を聞いてみて」

「……うん。
 っていうか、考えてみたらデバイスたちがマスターの意見に関して否定的なことを云うわけがないよ!」

断り辛くなったじゃない、となのははジト目で俺を見る。
……まぁ、そうだけど。

けど、本気で駄目だと思ったのならばデバイスだって反対はするさ。
主人のことを第一に考えるのだから。

「……レイジングハートは?」

『……マスターのために力を、という感情に身に覚えがないわけではありません。
 しかし、教導官としてのマスターの立場を考えると、素直に賛同できるわけではありません。
 無回答、とさせて頂きます』

「そっか。Seven Starsは?」

『十全に機能を発揮できないデバイスは、デバイスではありません。
 私たちは、マスターに勝利を約束するために力を尽くすべき存在ですから』

「……お前らしい答えだよ。
 それで、どうする? なのは」

「……保留、ってことにはできない。それは分かってる。
 どれだけティアナたちが頑張ろうとしているかは、充分に分かったから。
 けど……力を手にして自信じゃなく、自分の力を過信しちゃったら……って考えると、どうしても踏み出せないんだ」

「それは、なんで?」

「だって、それで皆を悲しませた人を、私は知ってるから」

じっと、なのはは俺に視線を注ぐ。そういうことかと、ようやく合点がいった。
手にした力に酔って、自分では抱えきれないものを守ろうとして潰れた……と云いたいのだろう。
それに関しては否定のしようがない。

……けれど。

「……ああ、そうだな。
 けど、なのは。新人たちは一人なんかじゃない。お前という手綱があるし、共に戦う仲間がいる。
 あいつらは俺の二の舞を演じたりはしない……って、思うよ」

「……それって、自分は一人だったって云ってるようなものだよ?」

ちら、とはやての方を見ると、なのははどこか怒りを滲ませた声を上げる。
それはそうだろう。はやてがずっと傍にいたのに、そんなことを云うのだから。
けど、事実を曲げるつもりはない。それに、なのはに嘘を云ったところですぐにバレるだろう。

だからというわけではないが、迷いなく、俺は先を続ける。

「ああ。一人だと思い込んで突っ走ってた。すぐ傍で心配してくれる子がいるってのにね」

「まったくや」

俺の言葉に、冗談めかした口調ではやてが一言付け加える。
言葉に出さず、ありがとう、と苦笑して、俺は先を続けた。

「けど、あいつらは違うはずだ。ティアナやエリオをスバルやキャロが止めてくれる。
 ……まぁ、アイツらの面倒をお前ほど見たわけじゃないから、半分以上願望が混じってるけどな」

「信じてる、の一言で済ませられる問題じゃないんだけどね、私にとって。
 んー……よしっ」

呟き、なのはは立ち上がる。
そして作業台の上に転がっていたレイジングハートを手に取ると、苦笑しつつ口を開いた。

「ティアナとエリオに対象を絞ってフルドライブの教導、始めることにするよ。
 新人たちが暴走しないように、ちょっと厳しくなると思うけど。
 それで駄目そうだったら、元のスケジュールに戻す。これで良い?」

語り掛けると、作業台に残ったデバイスたちは感謝するようにチカチカと瞬いた。
薄く笑みを浮かべ、なのはは小さな溜め息を吐く。

「教導計画を練り直さないとね……あーあ、今日は徹夜かなぁ」

などとわざとらしく声に出すなのは。
無視したいところだけど、俺がその徹夜をさせる原因の一つでもあるのだから、無視はできないだろう。

「……手伝うよ」

「え、良いの?」

「わざとらしい……俺の仕事はデバイスたちの設定変更で良いか?」

「リインはエスティマさんを手伝うですよー」

「ほんなら、私はなのはちゃんのお手伝いやね」

「ありがとう。それじゃ、頑張っていこう!」

「……少しは怪我人を労っても良いと思うんだ」

なんてことを云いつつも、久々にデバイスを弄れるということで楽しくなってきた。
ちょっとしたチューンを……とも思うが、シャーリーに大目玉食らいそうだし、設定変更と簡単な整備だけにしておくか。
ネクタイを緩めつつ、俺は作業台の椅子に座ってクロスミラージュを手に取る。
主人を想うこいつらの気持ちに、少しでも応えてやるのが、デバイスマイスターの役目だ。
久々に、腕を振るうとしますかね。

















その翌日、早朝練習のために訓練場へ集まっていた新人たちの前に、なのはが現れた。
一晩の間預けられていたデバイスたちが戻ってきて、それを握り締めながら、ティアナはなのはへと視線を送る。

徹夜をしたのだろうか。化粧で隠してあるが、表情からは微かな疲れが見て取れた。
しかし彼女は表情を引き締めると、早朝の冷えた空気を短く吸って、全員に届くように張った声を上げた。

「部隊長や八神小隊長と一緒に考えてみて決めたよ。
 ティアナにエリオ、あなたたちの教導は次のステップに進ませます。
 スバルとキャロは今までと同じ。けど、それはそれぞれのパートナーをより確実に補助できるようにするためだから、勘違いしないでね」

その言葉に、目に見えて喜んだのはティアナとエリオだ。
スバルとキャロは、安堵したような反応を見せる。その中にはそれぞれ違った色も混じっているが、やはり大きいのは、相方の望みが叶ったことへの喜びか。

「……けれど、私は今でも二人の教導を進めることに対して、不安があるの。
 時期尚早だって……どうしてもね。
 より強い力を扱うことで、訓練の危険度も上がる。体も消耗する。
 それに耐えられる下地は作ったつもりだけど、まだもう少し、基礎固めをやりたかった。
 ……あなたたちが壊れないよう、これから私は、今まで以上に厳しく教導をしようと思う。
 それで無理だと分かったら、前の教導計画に戻すから。良いね?」

「はい!」

なのはの言葉に、ティアナたちは声を張り上げ、返事をする。
いつになく真面目な表情のなのはは頷くと、早速、訓練場のセットアップを開始した。

蜃気楼のように風景が揺らめき、仮想訓練場が廃虚の形を取り始める。
デバイスを握り締めながらティアナをそれを眺め――視界の隅に、人影を捉えた。

それはエスティマだ。制服のネクタイを解き、シャツの裾を出したまま上着を羽織るという、なんともだらしがない格好でこちらを眺めている。

その隣には、はやてとリインフォースの姿もあった。
どうしたんだろうと、思っていると、不意にクロスミラージュから念話が届く。

内容は、徹夜で自分たちをフルドライブモードに対応できるよう調整してくれたとのこと。
部隊長がなんで、と思うも、当たり前のことかもしれないと思い至る。
否定的ななのはとは違い、エスティマは自分たちに対して肯定的だった。
その責任として、今日から始まる教導の準備を自分の手で行ったのかもしれない。

……自分たちのためにそんなことをさせて。
申し訳ない気持ちになってしまう。
思えば昨晩、あの場でエスティマに助けを求めるように言葉をかけたのは卑怯だったのではないか。
なんだかんだ云っても、なのははエスティマの部下だ。だったら、多少の無茶だとしても上司として命令すれば通ってしまうだろう。
なのはが教導計画を変えることに気が進んでいないのは、見ての通りなのだから。

ティアナは遠くにいるエスティマに対して、小さく頭を下げる。
それに気付いたスバルが首を傾げるも、なんでもないとティアナは苦笑した。

「……頑張らないとね」

「……うん」

ティアナの声に、スバルは手を握り締める。
それにどんな意味が込められているのだろうか。ティアナには分からない。
視線を巡らせてみれば、エリオはこれから始まる教導に息を巻いているようで、肩を怒らせていた。そんな彼へ、キャロは心配そうな視線を送っている。
これから自分たちは新しい一歩を踏み出す。
それがどう作用するのかは、分からない。しかし、寄せられた期待や心配を裏切らないよう、全力で自らを鍛え上げよう。
胸の中で一人誓い、準備が完了した仮想訓練場へ、ティアナは踏み出した。




















喝采はない。喝采はない。
蛍光色の灯りに包まれた研究室は、以前と比べ活気が目減りしているようだった。
部屋に響くものは、研究機材の上げる低い唸り声のみ。以前は響き渡っていた、キーボードを叩く音は一切ない。

部屋の主、ジェイル・スカリエッティ。彼は無精髭の生え、呆けた顔をしたまま背もたれに体重を預け、ただただ天井を眺めていた。
視線の先には何があるというわけではない。彼が何か、別のことへ想いを馳せているのではないか。
脱け殻のようにも見える彼の姿を見れば、誰しもそんな感想を抱くだろう。

彼を形づくっていた欲望、意欲、そういったものが、今の彼からは一切見えないのだ。
燻り、広がる前の野火なのかもしれない。しかし、炎が広がる兆候は、まったくない。

何故か。それは――

「……ドクター。
 いつまでそうしているおつもりですか?
 こうしている間にも、執務は溜まってゆきます」

「……そうだね。
 しかし、それは意味のあることかい?」

そう、スカリエッティは答える。
彼にとって、自らが造り上げた結社という組織の価値は、ここにきて一気に減っていた。
プロジェクトFを途中で投げ出したように。面白半分――否、面白全部で数多もの研究に手を染め、興味を満たせばそれを打ち捨てたように。

再び彼は、自分が積み上げてきたものを手放そうとしている。
これもまた、彼に与えられた呪縛の一つか。
生命操作技術の完成を第一の目標として生きる、スカリエッティ。
その目的から外れたことをしてしまえば、無理にテンションを上げたとしても、興味は次第に消えてしまう。

結社の首領として君臨していた理由は、エスティマ・スクライアという作られた命がどう足掻くのかを眺めていたかったから。
しかし彼は、もう結社という敵がどうあっても、自らの人生というものを定めているだろう。
自分はもう、彼にとって不要な存在でしかない。不要な存在でしかない自分は、彼にとってノイズでしかない。
それはスカリエッティとしても望まないことだ。彼が最も輝く舞台を演出する目的で造り上げた結社が、それを阻害してしまうなど。

ならば、こんな組織など――

結社に所属する研究者たちのことなど、知ったことではない。
今までもそうしてきたように、打ち捨てることに対して心が動くことはない。

もう、この組織で行うべきことは残っていない。
チンクはエスティマの手に渡った。トーレは自らの矜持に殉じた。
残る娘たちは、まだ自分というものを持っていないようなものだ。彼女たちのためにしてやれることなど、残っていない。

だから、とスカリエッティはひたすらに気持ちを萎えさせる。
このまま物言わぬ屍になっても不思議ではないほどに。

そんな彼の姿勢に、傍らに立ち続ける女性――ウーノは、脇に抱えたバインダーをぎゅっと握り締めた。

「……燻ってるとは、らしくないですよドクター」

「……そうかね?」

「はい」

「なら、ウーノ。私に何をしろというのかね?」

「ドクターは、ドクターのなさりたいように」

ウーノの言葉を、スカリエッティは鼻で笑う。そして目を閉じた。

「やっているさ。私は何も行いたくないのだからね」

対するウーノは、スカリエッティの態度を気にした風もなく、首を横に。

「いいえ、間違っていますドクター。
 今のドクターはご自分の行いたいことをやっているとは云えません。
 分かっているでしょう、ドクター?」

云われ、スカリエッティは僅かに目を見開いた。
視線を天井から横に――傍らに立つウーノへと向ける。
彼女はただ、スカリエッティの隣にいるだけだ。いつものように。無表情で、しかし、瞳の中には確かな優しさを浮かべて。
その優しさは、ただスカリエッティに向けられるためにある。

「もう一度云いましょう。らしくないですよ、ドクター。
 ただ腐り落ちるのを待つのは、楽しいですか?
 結社を潰すにしても、それを楽しまないのは……そう。らしくない。
 そんなにも心配ですか?」

何が、とウーノは云わない。彼女は分かっているのだ。
このまま結社が自然消滅した場合、結社のために用意された娘たちの居場所がなくなってしまうということを。
初期稼働組はまだ良いだろう。しかし、自分たちが戦闘機人というだけで満足してしまっている娘たちは――と。

だが、こうやって時間を稼いだとところで娘たちが成長するわけがない。
チンクも、トーレも、己というものを見付けた戦闘機人は皆、内に篭もっているだけでは成長しなかっただろうから。

「……らしくない、か。
 そうだね。かもしれない」

呟き、スカリエッティは再び天井へと視線を戻した。
そうして、五分ほどだろうか。再び研究機材の上げる唸りだけが部屋に満ち――

「……カカッ」

頬を吊り上げ、スカリエッティは短い笑い声を上げた。
そして、立ち上がる。
反動をつけ、椅子を蹴飛ばしながら、二つの足で地面へと降り立った。

そして両腕を振り上げ、準備運動でもするように十指を蠢かせると、

「――ああ、らしくない。らしくなかったね私は。
 すまないウーノ。日和っていたようだ。
 やはり! 私は! 私らしくあるべき……だっ!」

勢いよく振り下ろし、それを鍵盤型キーボードの上で踊らせる。

パチパチと驚異的な速度で画面が明滅する。開いては閉じ、開いては閉じ。
電子の花火とでも云うような光景を展開しながら、スカリエッティは半開きになった口を半月状に歪ませた。

「答え合わせといこうじゃないか……なぁ、ウーノ。
 私の求めたものが、どのような形に実っているのか……ああっ!」

結社のデータを纏めにかかっているスカリエッティ。
彼が何をしようと思っているのか、ウーノには分からない。

しかし、スカリエッティはただ自分が楽しむために何かをするのだろう。
それで良い、とウーノは微笑む。

今までも、そしてこれからも、そうやって自らの欲望に従う姿こそが、彼らしさなのだから。







[7038] ENDフラグ はやて
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/12/01 23:24

※エンディングフラグは重複しません。ハーレムとか存在しません。あしからず。
 フラグ話は続きます。お好みのものを史実と認識してください。




彼女との出会いは偶然……だったのだろうとは思う。
当時の俺は大人のつもりが足元の見えていないガキで、本当、どうしょうもない奴だったと思うよ。
そんな俺がやらかしたミスの一つとして、フェイトのサンダーレイジに撃墜されたってのがある。

……ん?
ああ、それでな。撃墜されて、意識を失った俺は、彼女に助けられたわけだ。
その時の俺はフェレット状態で、その上意識はない。
彼女も、俺のことをまさか人だと思って助けたわけじゃなかったんだろうよ。
けど、動物にしろ人にしろ……いや、人だったら救急車を呼べば良いだけだ。けれど動物ならば話は別。
見て見ぬふりをせず、自分の意志で助けようと思った彼女は、とても優しい子なんだって思ったよ。
……まぁ、知ってたんだけどね。










「こんにちはー……って、あれ?」

エスティマの執務室に顔を出したはやては、そこにいると思っていた青年の姿がないことに首を傾げる。
代わりにいたのはグリフィスだ。彼ははやてが顔を覗かせたことに首を傾げつつ、作業をしていた手を止めた。

「八神捜査官、どうされましたか?」

「いや、エスティマくんにちょっと用事があってな?
 けどお留守のようやし、また後でくるわ」

「ああ、部隊長、今日は有給休暇で出勤していませんよ」

「へぇー……って、何やて!?
 あのエスティマくんが有給休暇……って、ああ、先端技術医療センターにでも行ったんなら」

と、一人納得するはやて。
エスティマが有給休暇を使うことなど、シグナムが独り立ちしてからは皆無と云って良い。
稀にあるのは、今はやてが口にしたように、精密検査を受ける時ぐらいなものだ。
だから今日もだろうと彼女は思ったのだが、

「いえ。明日はフリーだー、と昨日云っていました」

「……そか」

怪訝な顔をしながらも、はやては頭を下げると執務室を後にする。
ドアが閉じたのを確認し、人気のない廊下を一人歩き出した。

まだ六課は業務を開始したばかり。皆オフィスにこもり、廊下を行く人影はほとんどなかった。
コツコツと足音を響かせて、はやては何故彼がいないのだろうかと考えを巡らせる。

エスティマが有給休暇。それも医者に行くわけではなく、完全なフリー。
あり得ない、とはやては思う。遊び呆けてる余裕なんかない、と大真面目な顔で云うような人間だ、エスティマは。
悪戯好きというか意地悪な性格はともかくとして、根っこが堅物であることに代わりはないのだから。

そんな彼がわざわざ休み……それも平日にだなんて、どういうことだろう。
珍しいこともあるもんや、とはやてはとぼとぼと歩き出した。

なんだか調子が狂ってしまう。働いているとはいえ、毎日顔を合わせているエスティマがいないというのは、どうにも。
まだ三課にいた頃は顔を合わせない日もあった。結社に対抗するために毎日のように出勤していたため、合わせている日の方が圧倒的に多かったが。
しかし六課が設立してから、そういった日すらもなくなっている。
仕事をしながら毎日顔を合わせて――と。そんな風に習慣付いてしまったせいか、肩透かしを食らった気分だ。

「エスティマ分欠乏症と名付けようー。
 ……アホかい」

一人突っ込みを入れて、肩を落とし、仕事に戻ろうと気を入れ直す。
エスティマがいなくても六課は回る。自分にだって仕事があるのだから。

六課の捜査官として自分に与えられたオフィスに戻ると、リインフォースⅡがデスクで端末を弄っていた。
強化改造によって人間サイズとなった彼女は、以前まで使っていたリイン机ではなく普通の机に座っている。
普通とは云っても、身長が低いことに代わりはなく、一回り小さい子供用の机だが。
おかえりですよー、と云って、すぐに彼女ははやての調子がおかしいことに気付く。

「はやてちゃん、どうしたんです?」

「んー、なんや、エスティマくんが有給休暇でお休みってことで、おらんかったんよ。
 今日のお仕事、どうしようかなーって思うてな」

「えっ、ずるいですよ! リインもお休みもらいたいです!」

「あはは、働きづめやからな。うん、エスティマくんに訴えかけてお休みもぎ取ろうか」

「ですよ! 最近は忙しいからエクスやシャッハとも会ってないですし、リインは皆と遊びたいです!」

「せやね」

本当にもぎ取れるかは分からないけれど。
自分は休んでた癖にー、と虐めるのは楽しそうだが、無理を云うのは可哀想だ。
リインⅡの言葉に頷きつつも、胸中ではあまり乗り気ではないはやて。

彼女は自分の席に着くと、書類を広げ、くるくるとペンを回す。

自分のすべきことは山ほどある。
逮捕したナンバーズや、未だ引き上げられていないトーレの捜索に関すること。
出現した新型ガジェットへの対抗策が何かないか、聖王教会へ意見を聞きに行くなど。
その他、細々としたものもいくつか。教導をなのはやヴィータに任せっきりにしているからこそ、外回りははやてとエスティマの仕事である。

そのどれから手を着けたものか。すべてが中途半端に進められており、迷ってしまう。
それが今のはやての気分を現しているようで――こんな気分だからこそ迷っているのだろうが――溜め息を吐いてしまった。

「……はやてちゃん、元気がないですか?」

「……んー、エスティマ分欠乏症なんよ」

「良く分からないです」

「私もや」

いよいよもって調子がおかしいと、可哀想なものを見る目をリインⅡが向けてきた。
失礼なー、と思いながらも、怒る気が起きない。
こうなったらエスティマに電話でもしてみるか。いやいや、せめて昼休みまで待つべきだろう。
……そう、電話ぐらいは良いはずだ。

あの日、自分からは何もしないと、はやてはエスティマに云った。
けれども、電話で今日どうして休んだのか聞くぐらいはセーフだろう。
同僚として彼がどうしょうもない理由で有給休暇を使っていないか確かめるだけなのだから。

「……よし。
 んじゃあリイン、お仕事始めようか」

「はやてちゃん、再起動です?」

「私はずっと起動しとるよ。
 うし、気分転換ってことで、外に出るで!」

「はいです!」

元気よく返事をしたリインⅡに笑みを零しつつ、荷物をまとめてはやては駐車場へと足を向ける。
愛車に乗って、湾岸救助部隊の隊舎に出向き、その次は海上収容施設か。
聖王教会へはメールを送って、話ができるようなら向かうとしよう。

頭の中で予定を立てると、はやてはオフィスを後にした。










それでまぁ、PT事件を終わらせたあとは手紙やらなんやらでやりとりをしつつ、近況報告を交わしててね。
闇の書事件の開幕……まぁ、あまり思い出したくないから、割愛。
その後はシグナムを引き取りつつ、ベルカの方で生活をして……うん、彼女には本当、助けられた。
お世辞にも良い父親とは云えなかったからね、俺は。シグナムの面倒も見てもらったし、飯のことだって……ああ、家事もだな。

……分かってる。面倒見られっぱなしだよ、本当。お礼の一つもロクにしてないってのにな。
それで戦闘機人事件が起きて、彼女が三課にくることになって。
つい最近のように思えるな。そこでも俺は彼女に……あれ? 俺、世話になりっぱなしじゃ……ああもう、云われなくても分かってるよ。










「……出ぇへん」

コール音しか返さない携帯電話を耳から遠ざけると、はやてはそれを折り畳んで、ポケットに突っ込んだ。

「……馬鹿」

そんな呟きが漏れる。
どこで遊び呆けているのだろう。お昼時だって云うのに、電話に出ないだなんて。

「はやてちゃん、どうしたですか?」

「エスティマくん、電話に出てこーへんかってな。
 ちょっと残念やなー、って思うて」

「む、そうなんですか?」

そう云いつつ、リインⅡは昼食として買ったハンバーガーを口に運ぶ。
以前は食べられなかったサイズの物を口にできるのは嬉しいようで、最近のリインⅡは食い意地が張っている。
あぐあぐとがっつきケチャップを頬につけて、むっとした表情を彼女は浮かべた。

「本当、エスティマさんはどこで何をしているんですかねー」

「……まぁ、プライベートやからな。
 溜まっていたデバイスの欲しいパーツとか買い漁っとるんかもしれへん」

「……前からリインは不思議に思っていたのです。
 Seven Starsのカスタマイズは市販のパーツじゃできないのに……。
 それに、どうしてエスティマさんは使いもしないパーツを買ったり、デバイスを組み立てたりするのですか?」

「んー、本人曰く、プラモデルみたいなもんらしい」

「プラモデル? リイン、あれも良く分からないですよ。
 作るのが楽しいのはなんとなく分かるですけど、完成しちゃったら置き場所に困るだけなような気がするですよ」

「マイスターの名前が示す通り、職人肌なところがあるからやろ。
 自慢の一品を造り上げたい、って拘りやと思うわ」

「ふむふむ、流石はやてちゃんです。エスティマさんのことならなんでも知ってるですね。
 んー、エスティマさんやシャーリーは良い人だしリインも大好きですけれど、たまーにマッドな方向に走るのが困りものです」

「あれはちょっと怖いなぁ。
 なんで使い物にならへんって分かってるデバイス談義で熱くなれるのんか……」

ドリル、馬鹿でかい剣、無駄なトゲ、ブーメラン。合体変形で機能拡張。
魔法で代用が利くため、実用性はちょっと……と云いたくなる。

「ま、それはともかく。
 お昼食べたら午後のお仕事頑張ろか。んー、メールの返信もあったし、予定を変えて聖王教会に行こか」

「了解です! やった、エクスたちと会えるですよ!」

「その前に、ほら」

「うわわ、自分で拭きます! それぐらいリインだってできますよ!」

嫌がるリインⅡの頬を紙ナプキンで拭きながら、子供っぽい様子にはやては笑みを零した。










彼女が三課にやってきて、生活リズムも一緒になると、なんて云うか……ほぼ身内って認識になってたよ。いつの間にか。
家は別々だけれどそれだけで、朝起きて職場に行けば彼女がいて。帰宅すると一緒に夕食を食べて、眠って。
そんな生活が終わったのは、あのクソマッドが結社の設立宣言を行ってからか。
シグナムが管理局に入ったこともあったし、そこからはもう、自宅に帰ることも目減りして……彼女がいることが当たり前になってたな。

六課にきてからは、家事も頼むことがなくなって、申し訳ないと思うことは減った……かな?
ただその分、別の部分が気になりはしたけどさ。
……そう、そうだ。マリアージュ事件。あのときは本当に肝を冷やしたよ。
なんであの時、命令無視をしたのか未だに……ああ、嘘だ。嘘だよ。分かってる。
いちいち、噛み付かないでくれよ。

……鈍いって云うか、意図的に考えないようにしてた。
我ながら酷い話だとは思うけどね。

……っと、もう時間がない。
じゃあ、俺は行くよ。悪い、またなユーノ。

え?……肝心なことってなんだよ。
俺がどう思っているか?
それは、勿論――










「なんだかお久しぶりですね、主」

「せやね。ごめんなー、あんまり帰ってこれやんと」

「いいえ。主のお仕事が忙しいのは分かっていますから。
 私のことは気にせず、成すべきことを行ってください」

「ですです。けど、はやてちゃんは頑張ってるですよ?」

「ええ、そうでしょうねリインフォース」

聖王教会へ足を運ぶと、応接間ではやてはエクス、それにシャッハと久々に顔を合わせていた。
話していた通りに、この二人と顔を合わせるのは久し振りだ。
六課に出向扱いとなっているヴェロッサやシャッハも、廃棄都市であった戦闘の際に保護した少女のことを調べるため、六課ではなく聖王教会で仕事をすることが多い。
しばらくぶりに顔を合わせた二人が元気なようで、少しだけはやては気分が軽くなる。

「はやて、最近の六課はどうですか?……と、これも変な聞き方ですね」

「あはは、出向扱いやのにあんま六課におらんからなぁシャッハは。
 うん、いつもと変わりないよ。せやね……新人らの教導が進んだことかな、目新しいことと云えば」

「ああ、それは素晴らしい。時間ができたら、成長具合を確かめてみたいものです」

「シャッハ、それはちょっと……」

止めときましょうよ、といった顔をするエクスとは違い、楽しみな様子のシャッハ。
そんな二人に笑みを零しつつ、はやてはここにきた目的である、巨大ガジェットの対策について切り出した。

ベルカ式であの巨大ガジェットに対抗するのか可能か否か。
魔力による自己ブーストによって身体能力を強化するベルカの騎士。もし敵のAMFに掴まったら、その強化すら消されてしまう。
だとしたら、距離の離れた場所から準質量攻撃――シュツルムファルケンやギガントハンマー、とういった類の攻撃が有効な手段となるだろう。

だが、そのどちらも連発が利く技ではない。足止めといった次元でも良いから、何か手はないのかと、四人は言葉を交わす。
石化、炎熱、電撃、氷結。そういったものは有効なのか。
しかし巨大下ジェットのデータが完全に出揃っているわけではないため、話の結論は出ない。

話に一段落つけると、休憩ということに。
エクスが人数分の紅茶とお茶菓子を用意すると、詰まった息を吐くように、はやては肩の力を抜いた。

「ほんまに、厄介な話やで。戦闘機人だけでも面倒やのに、ここにきて新型ガジェット。
 ようやくナンバーズを抑えたと思ったら、また新しい敵だなんて」

「一筋縄ではいかないことは、分かっているでしょう?
 もう一踏ん張りです。敵の戦力は削ることができているのですから」

シャッハの言葉に、そうやね、とはやては頷く。
……休憩中だ。仕事の話は良い。
頭を切り換えると、そういえば、とはやては眉根を寄せて口を開いた。

「そうそう、聞いてや二人とも。
 今日、エスティマくんが有給休暇でお休みでなー」

「はやてちゃん、またそのお話ですか?
 本当、エスティマさんのことが大好きですねー」

「……そんなんやないもん」

リインⅡからぷいっとそっぽを向くはやて。
はわわ、と慌てると、リインⅡは取り繕うように続きを口にした。

「け、けど当然ですよねー!
 はやてちゃん、ずっとエスティマさんと一緒だったから、気になるのも当たり前です!」

「まぁまぁ……。
 それで、主。彼との仲は進展しましたか?」

「……いきなりエクスは何を云うんや」

むっとしたままエクスの方を向くも、主から責めるような視線を向けられながら、彼女は穏やかな笑みを浮かべている。
はやてが怒っていないと分かっているのだろう。拗ねているだけ、と。

「少し前まで、あんなに私たちが協力して差し上げましたのに……。
 その様子では、まだのようですね」

「……協力て、その割りには楽しんでた気がするんやけど」

「はは、まさか」

そんなことありませんよ、ねー、とエクスとシャッハは笑い合う。
それが面白くなくてたまらないはやてだったが、ここでまた騒げば弄られるだろうと、だんまりを決め込むことにした。
外から見て面白いのだとしても、はやてからすれば大事な問題なのだ。
それでからかわれるのは、なんとも面白くない。

しかし、そんな主の気持ちを分かっているのか。
ふざけた調子から一転して、控え目な笑みを、エクスは浮かべる。

「……すみません、主。少しはしゃぎすぎました。
 けれど私は、誰かのことを好きと思える主の姿が、気に入っているのです。
 きっと、リインフォースも……そうですよね?」

「はいです!」

あぐあぐとお茶菓子を食べるリインⅡは、声をかけられて即答する。

「ですから、主。
 その想いが成就することを、私たち祝福の風は、祈っていますよ?
 好きという気持ちが結ばれるのは、きっと幸せなことですから」

「……ありがと」

むっとした表情を続けながら、ぽつりとはやては礼を云う。
……なんだかんだで、応援されていることは変わらないのだし。

「ああ、そうだ。折角の機会ですし……。
 はやて、エスティマさんとはどんな風に出会ったのですか?
 幼馴染みとは聞いていますが、そこら辺のことを詳しく聞いたことはないので」

「……んー、しゃーないなぁ。
 あんまり時間がないから、詳しくは話せんけど――」

シャッハに問われ、渋々、といったポーズを取りながらはやては子供の頃を思い出す。
決して楽ではなかったけれど、楽しかった生活を。










……こんにちは。
今日は、大事な話があって、ここに来ました。










聖王教会を後にすると、はやてとリインⅡは海上収容施設へと足を運んだ。
湾岸救助部隊の隊舎から回った方が早かっただろう。しかし、聖王教会でのやりとりがどれほど時間を食うか分からなかったため、ここを後回しにしたのだ。
ナンバーズから引き出せる情報は、それほど残っていない。聞き出せるものは聞き出した。
こうして顔を見せに行くのは、確認の意味合いの方が大きいだろう。
自分たちに協力するつもりはあるのか、と。

しかし、あまりはやてはこれに関して乗り気ではないのだ。
あまりナンバーズと顔を合わせたくない。
顔を合わせる場合、リーダー格……というよりは、もっとも管理局に対して従順であるチンクと言葉を交わさなければならないからだ。

「こんにちは、チンクさん」

「……ああ」

いつかと同じように、個室の中で二人――といっても今日はリインⅡが傍にいるから三人だが――は顔を合わせる。
その際、チンクの表情に影があるように見え、はやては胸中で首を傾げた。
この戦闘機人がこんな顔をするなんて珍しい、と。

いつもならば何があっても泰然としているというのに、今日は違うようだ。
俯いた顔に引かれて地面に落ちる髪の毛が、陰気さを引き立てる。

「……何かあったんか?」

この戦闘機人のことは好きじゃない。否、好きになれないというのが正しい。
嫌っているわけではないのだが、恋敵と仲良しこよし、と出来るほどはやてはおめでたくなかった。
けれど、その人物がこうも意気消沈していれば気になってしまう。

だから声をかけたのだが、当の本人は俯けている顔を僅かに上げただけで、どんな表情をしているかのまでは分からなかった。
前髪が上がったことで、口だけは顕わになったが。
引きつっているような、引き結ばれているような、その微妙な形からチンクの心情を読み取ることはできなかった。

「……別に。それで、今日は何しにきたんだ?」

「……ん、そうやね。用事は色々あるけど、今日は様子見ってのが大きいわ。
 エスティマくん、今日はお休みで私がその代わりって感じ」

「……そう、か」

再び声が沈む。何か彼女を落ち込ませるようなものを、自分は口にしただろうか。
心当たりはないけれど、と思いながら、はやてはチンクの目から見たオットーとディエチの様子でも聞こうとして、

「……八神はやて。いつか云っていたことを、もう一度聞きたい。
 お前は……その、今でもエスティマのことが、好きなのか?」

「……は? ちょ、ここでそんなことを――」

見張りの局員もいるのに、と背後を振り返る。
が、はやてが後ろを見るよりも早くリインⅡが動いていた。
えいやー、と魔法を局員にかけて眠りへと誘っている。
頭を抱えたい気分になりながら、はやては溜め息を吐いてチンクの方へと向き直った。

「……あんな。今はともかく、会話が記録されていることやってあるんやで?
 それで困るのはあんただし、エスティマくんにだって迷惑がかかるんやから――」

「……そう、だな」

やっぱり様子がおかしい。
敵とは云っても、エスティマが大事という点では自分と一緒だったはずだ。
なのにチンクは今、そういった配慮が欠けているように思える。
そんなことはしないだろうと思っていた分、はやての戸惑いは大きかった。

「……話の続きは、してもらえるか?」

「……ん、まぁ、ええけど」

リインⅡが後ろにいるので、あまり気分が乗らないけれど。

「……うん。今でも私は、エスティマくんのことが大好きや。
 それは変わらへん。絶対に振り向いてもらおうって、今でも思っとるわ」

「……アイツは酷い男だぞ。残酷だの悪いだのと謝りながら、自分の意志を曲げない頑固者だ。
 その上素直じゃなくて照れ屋で、あっちから動くことなど滅多にない。
 その癖、誰かに甘えるときは甘える、まるで駄目な男だ。
 それでも好きか? 嫌気が差したり、諦めようとは――」

……本当に、どうしたのだろう。
自分たちにとってそんなことは、既に常識のようなものだ。とんでもなく嫌な常識だけれど。
しかし、それを飲み込んで自分たちは同じ男を好きなったはずなのに、何故今更。

「分かっとるよ。今更や。
 けど、好きになってもうたもんはしょうがない……駄目なところも引っくるめて、私はエスティマくんが気に入ってる。
 アンタやって、そうやないの?」

「……ああ、そうだ。そうだよ。
 駄目なところばかりでも、それを補って余りあるだけの魅力を、アイツは持っていた。
 だから、私は――」

そこまで云って、チンクは脣を引き結ぶ。
……本当に、どうしたんだろう。様子がおかしいにも程がある。

「なぁ、どうしたん? なんでそんなことを急に聞いてきたん?」

「……ただの、負け惜しみだよ」

「……ん、どういうことや?」

「……教えてやらない」

言葉の通りに、チンクははやてに一切の説明を拒んでいた。
仕方がない、とはやては溜め息を吐く。
これ以上話をしても、今日は無駄だろう。また日を置いてくるのが一番かもしれない。
チンクの様子がおかしいことも、きっとエスティマならその原因を探ることができるはずだ。
……悔しいけれど。

「……今日はもう帰るわ。何があったか知らへんけど、あんまり暗い顔してるのもどうかと思う」

「……すまない」

「そか」

首を傾げながらも、はやては見張りの局員を揺すって起こすと、わざとらしく心配の声をかけて誤魔化し、部屋を後にする。
扉を開いて、外に出て。そして、廊下から部屋の中を見ると――

「……えっ」

ガシュン、と音を立てて扉がはやての視界を遮る。
見間違いじゃない……とは思うけれど。

「はやてちゃん、どうしたです?」

「ん……なんでもない。
 あ、そうやリイン。助かったけど、局員に魔法かけるんはあかんからな?
 次やったら怒るよ?」

「うう……ごめんなさいです」

「分かってるなら良し」

リインⅡと会話をしながらも、はやての脳裏には部屋を出る時に見た光景が残っている。
ほんの一瞬だったが、見えた。
ずっと顔を俯けていたチンクは、はやてを最後に一度だけ見て……その際、彼女が泣いているように、はやてには見えたのだ。

泣く必要がどこにあるというのだろう。何故泣いていたのだろう。
自分には分からない。聞いたとしても応えてくれないのは、さっきのやりとりで分かっている。
……あんまり良い気分じゃないなぁ。

消化不良のまま、はやては海上収容施設の廊下を歩き、出口を目指す。
今日は良く分からないことが多い日だ、と唸り声を上げた。

なんだかなぁ、とはやてはポケットから携帯電話を取り出し、開く。
画面には着信履歴が一つ。電源は切らずにドライブモードのままにしてあったので、いつの間にか電話がきていたようだ。
なんて間の悪い、と肩を落として、はやてはエスティマへと電話を。

けれど、返ってくるのはコール音ばかりだ。
こうなったらメールでも送ってやろうかと思ったが――やめた。
もう直接会って、文句を云ってやらねば。
そもそも文句を云われるほどのことをエスティマがしたのかという疑問はあるが、それはそれ。
朝からずっと続くもどかしい気持ちが、ここにきて限界に達している。

「リイン、急いで帰るで」

「は、はいです……」

不機嫌な声が出てしまい、どこか萎縮したようにリインⅡが声を返す。
ああもう……気分が落ち着いたら自己嫌悪に陥りそうだ。
そんなことを考えながら、はやては愛車の待つ駐車場に進んでいった。









……ん? 今日、どこに行ってたのかって?
まぁ、色々と。回るところがあったんだ。

それよりフェイト、ちょっと大事な話がある。
……いやいや、そんなに構えるなよ。大切だけれど、悪い話ってわけじゃない。

はやてのことなんだけどさ。
……ああ。この間のことも含めて。










六課に戻ってきたはやては駐車場に車を止めると、夕日に照らし出され、伸びる影を踏みながら、どこか疲れの滲む足取りで隊舎へと向かい始めた。
朝からやきもきしていたし、運転しっぱなしということもある。
今日は定時に上がって早く休もうと、固く決めていた。

リインⅡも疲れたようで――とは云っても、海上収容施設から帰る車内の空気が重かっただけだろうが――飛行魔法を使ってふらふらと浮いていた。人間サイズで、だが。

「疲れたですよぅ」

「ん……今日のお仕事まとめて報告書作ったら、ご飯にしようか」

「はいですー」

リインⅡを引き連れ、はやては隊舎を目指す。
海の方を眺めてみれば、新人たちの教導はもう終わりに近付いているようだった。
撤収準備を終えたら、彼らも報告書を書いて終業となるか。

早くお仕事終わらせて休みたいわー、と考えていると、ふと、隊舎の影に人の姿を見付けた。
隊舎の隣には林があり、森林のすぐ傍には、休憩用のベンチが置かれている。

そこに、いるのは――考えなくても分かる。
遠目からでも分かる金髪が二人。おそらくは、スクライアの兄妹だ。

ようやくエスティマの姿を見付けたことで、彼を呼ぼうと喉元まで言葉が出かかるが――止めた。
今はフェイトと話しているみたいだし、邪魔をする必要はないだろう。
そう考え、ああそうか、と気付く。
別に有給休暇がどうの、なんて訳じゃない。今日ずっと抱いていた苛立ちは、至極単純な理由からだったのだ。
彼の声が聞けないから、面白くなかっただけで。

会えると分かった途端に、気分が少しだけ軽くなった。
それでも、ずっとやきもきさせられたのだから、後で少しだけ意地悪してやろう。
そんなことを考えて――

「……ん?」

エスティマと話していたフェイトが、急に彼の肩を叩く。
すると無理矢理立たせて、こちらへと押し出したのだ。

なんやろ?

首を傾げるはやて。フェイトはエスティマの背中を押し出すと、はやてを一瞥して、立ち去ってしまった。
一人残されたエスティマは、戸惑いながらもはやてに向き合って近付いてくると、苦笑しながら手を挙げる。

「……や、やあ、はやて」

「こんばんは、エスティマくん」

……なんだか様子がおかしい。
ばつの悪そうな笑みとでも云えば良いのだろうか。
今までに何度かあった、隠し事をしている時だって、ここまで露骨じゃなかった。

なんか都合の悪いことでも――ああ、有給休暇のことを云われるとでも思っているのか。
なら、とはやては笑みを浮かべる。

「エスティマくん、今日はお休みだったみたいやね。
 何してたん?」

「あー……うん、買い物とか、人に会ったりとか、かな」

「そかそか。
 ええなー、私もお休み欲しいわ。
 一緒にどっか出かけたりとか、最近は全然やからね」

「……うん、そうだね。
 近い内に、そうできれば良いなって思うよ」

……あれ?
おかしい、とはやては眉根を寄せた。
いつもだったら、無理云うなよ、もしくは、時間があればね、と返されて終わりのはずなのに。
その違和感に、じっとはやてはエスティマの表情を観察してみる。

視線ははやてを見ているようで、しかし、すぐに逸らされてしまう。
けれどすぐに戻ってきて、と忙しない。
夕日のせいも多少はあるだろうが、頬は真っ赤に染まっているように、はやてには見えた。

一体全体、どういうことなんや。

「……それでさ、はやて。
 今日、休みを取ったのには理由があって。
 ……ここじゃなんだし、少し歩こう」

おそらく訓練を終えて上がってくる新人たちに聞かれたくないのだろう。
リインⅡに先に行ってくれと云おうとして――いつの間にか姿が消えていることに気付く。
色々と納得できないものを溜めながら、ええよ、と頷くと、はやてはエスティマと一緒に歩き出した。

足元を確かめるようなゆっくりとしたペースで、淡々と歩いてゆく。
外の喧噪は遠く。静かに葉が擦れる音の方が大きいぐらいだ。
落ち葉を踏み締めながらしばらく歩いて、ようやくエスティマが口を開く。

「……答えを出すことにしたんだ」

「……何を?」

「……約束。遠くない内に、はやての気持ちに応えるって。
 その時は、俺の方から迎えに行くって約束」

隣を歩いていたエスティマは足を止めると、はやてと向き合った。
けれど彼は視線を彷徨わせ、言葉に詰まっている。間を置いているというよりは、口の中で言葉を持て余しているようだった。

……唐突やね。
頭の冷静な部分がそう呟く。
が、大部分を占めているのは、歓喜だった。
何故か不安はない。なんでだろう――すぐに気付く。
不思議だし不可解であったけれど、この場に至って、ようやく気付いた。
今日、エスティマは人に会うための休みを取っていたという。
ああ、だからチンクは――と。

だからはやては、じっとエスティマの言葉を待った。
急かしたくはない。時間をかけても良いから、ちゃんと言葉を聞かせて欲しい。

「子供の頃からずっと……あー、その、だな。
 えっと……だから……」

言葉に詰まるエスティマ。
まだかなまだかな、とはやてはじっとエスティマの目を見詰める。
視線が絡むと、彼はギクリと身体を強張らせた。

「俺は……ええっと……」

そして俯いてしまい、

「……付き合って、欲しい」

消え入るような声を洩らす。
なんとも情けない。妥協して、ようやく絞り出したような一言だ。
けれど、そんな情けないものだとして、ずっとはやてはエスティマの口からその一言が贈られることを待ち望んでいた。

だから、ええよ、と応えようとして――

「ずっと一緒にいて欲しい」

エスティマは顔を上げて、はやての目を真っ直ぐに見据えて、大真面目な顔で、

「君を不幸にすると思う。
 俺がそう、長生きできないことははやても知っていると思う。
 けど俺は、大好きな君と一緒にいたい」

えと、とはやてが割り込むのを許さずに、次々と言葉を続ける。
夕日が二人を照らし出す。茜色の中ではもう、エスティマが照れているのかどうかすら分からない。
きっと自分もそうなのだろう。

「愛してる――はやてが欲しい」

「……あっ」

エスティマが一歩踏み出し、はやての肩に手を乗せた。
瞳がすぐそこにある。覗き込めばお互いの顔が映り込みそうな距離だ。
緋色の瞳は揺れている。どんな言葉を返されるのか怯えているようだった。
だからなのか、

「お前と幸せになりたい。家族を作って、ずっと笑い合っていたい」

言葉で伝えられるだけの気持ちを伝えよう。
そんな必死さが、痛いほどに伝わってきた。

「はやてだからそう思うんだ。はやてじゃなきゃ駄目なんだ。
 ……駄目かな」

「ば、馬鹿……っ」

そのたった一言に、エスティマの表情が歪んだ。
しかし彼が受け取った意味は間違っている。

はやては肩に乗せられた手を振り解くように、自らの両腕を上げる。
そしてエスティマの首にそれを回すと、どうなるかなんて微塵も考えずに、引き寄せ、抱きつき、倒れ込んだ。

落ち葉が敷き詰められていたので、痛みらしい痛みは感じない。
倒れ込んだ二人は横になる。はやてはエスティマの頭をぎゅっと胸に抱く。
何が起こったのかさっぱり分からないといったエスティマは、突然のことに目を白黒させていた。

「な、はやて!?」

「もう、この馬鹿馬鹿、大馬鹿!
 ほんと、ほんっとうに……!」

「ちょ、え、な!?」

「断るわけないやんか! 私がエスティマくんのこと、嫌いになるわけないやろ!
 もうっ、もう……!」

もがくエスティマを抱き締める。
開放なんてしてやらない。きっと今、自分は酷い顔をしているだろうから。
そんな顔を見せてやるものかと、抱き込んだエスティマの頭に、はやては頬を擦りつけた。

「うん、幸せになる! 私をあげる!
 嫌やいうても、もう絶対に離さへんからな!」

「……んっ。俺も」

倒れ込んだままだが、エスティマはおずおずとはやての背中に手を回して、壊れ物を扱うように抱き締めた。
それを合図としたように、はやては抱き続けていたエスティマの頭を開放する。
目と目はすぐそこにある、吐息すら聞こえる距離。

抱き合っているという状況は、いつかの時と一緒だった。
しかし決定的に違うものがある。満たされている。暖かくて、堪えようとしても頬をとろけさせる何かが胸の中に息吹いている。

だから、そのまま引き合うのは、二人にとって当たり前のことのように思えたのだ。
目と目が近付く。焦点すらも曖昧で、お互いの姿が見えなくなる距離まで。
視界はなくなり、吐息と匂いばかりが感覚として残る。けれど、愛しい人がすぐそばにいる確かな感触だけは決して消えない。

そして――脣が触れあう。
最初は確かめ合うように。手探りで、踏み込んで良いのか、相手に問うように。
許可らしい許可があったわけではないけれど、茜色の夕日に照らされててかる脣は、どちらともなく開き、被さり合った。

息継ぎを忘れたように触れ合って、脣の合間から舌が。
絡まり合ったそれは、どうにかして相手と溶け合うことができないかと、駄々をこねるように暴れる。
お互いの頭を掻き抱いて、もっと近くと、もどかしげに。

そうして貪り合ったのは、どれぐらいの時間だろうか。
名残惜しげに二人は顔を離す。攪拌された唾液が銀橋をつくって、ぷつりと途切れた。

「……はやて」

「んっ……あかん」

背中を抱いていたエスティマの手が動く。後ろから前へ。
それを手で押さえつけて、とろけた笑みをはやては浮かべた。
その中には、悪戯っ子めいた色がある。

「……今までの、仕返し。
 私をちゃんとエスティマくんのものにしてくれるまでは、お預けや」

「……それは、随分とキツイ仕返しだ」

「うん。……だからな?
 ちゃんともらってくれな、あかんよ?」

「そのつもりだよ。
 もう離さない。何があっても、離してなんかやらない」

くすり、と二人は同時に笑みを浮かべる。
そして再びお互いの脣へと吸い寄せられて、そっと脣を触れ合わせた。

今度はもう、躊躇も何もなく。
ついばみ合うように幾度も幾度も相手の感触を確かめる交わりは、さっきと違う。
さっきは熱に任せた勢いで。今度は、意中の人と結ばれた喜びが溢れている。

熱い吐息を零しながら顔を離すと、一度額を胸板にこつりとぶつけ、はやてはエスティマの胸に背中を預ける。
戸惑いながらもまんざらではない様子で、エスティマは彼女を受け止めた。
ああもう、という言葉と共に何かを諦めると、慣れない手つきではやての髪に手を伸ばし、感触を確かめるような手つきで撫でる。

そして何をするでもなく、二つはひっついたままじっと時間を過ごす。
もう夜はすぐそこで、寒くないわけではない。けれどそのお陰で、より恋人の温もりを感じることができる。

背中を預ける胸板からは、エスティマの鼓動がとくとくと伝わってくる。
そのテンポは、やや早い。
興奮しているのだろうか。そうだったら嬉しいな、と気持ちよさ気にはやては目を細めた。

「……ああ、そうだ、はやて」

「……んー?」

「これを……」

はやてを抱き締めたまま、エスティマはジャケットのポケットを探り、一つのケースを取り出す。
それを胸に抱いたはやての前に持ってくると、ゆっくり蓋を開いた。

「……指輪」

ケースの中から現れたのは、飾り気のないシンプルな指輪だった。
けれど味気ないわけじゃない。大きくなくても自己主張をしている宝石は、ダイヤだろうか。ベタやなぁ、と思いながらも、それが彼らしさのように見える。
それを見て思い出したように、露骨に思われないよう気を付けながら、はやてはエスティマの首へと手を這わす。
……いつも下げているリングペンダントはない。嫌な子、と思いながらも、込み上げてくる喜びは騙せなかった。

そんなはやての気持ちに気付かず、エスティマは問いかける。

「……受け取ってもらえるかな?」

「……指輪はちょっと重いよ?」

「うん……分かってる。そのつもりで買ったから」

茶化してみても通じないようだ。
まったくもう、と胸板にぐりぐりと後頭部を押しつけ、はやてはじっとケースの中で輝く指輪を見詰める。

「なぁなぁハニー、指輪は通してくれへんの?」

「ハニーは止めて……」

「ええやんかー」

「本当に止めて……」

くうっ、と何かに耐えるような呻きをエスティマが上げた。エスティマへを身を預けるはやては、頬を染めながらも安堵した表情で、彼が動き出すのをじっと待つ。
エスティマはゆっくりと指輪を取り上げると、はやての左手を手に取った。
彼の掌にはやての左手が乗る。指を絡めて、名残惜しげにそれを解くと、摘んだ指輪を薬指へと通した。
薬指へと通す。その意味は――いや、そのつもりでエスティマは贈ってくれたのだし、拒否する理由は自分の中に一つもない。

「……綺麗」

左手を胸に抱き、贈られた宝物にうっとりと見惚れる。
ぴったりと指に馴染む。僅かに締め付けられる感触が心地良い。
目頭が熱かった。もし気を抜いたら、止めどなく涙が溢れ出てしまいそうだと、はやては思う。
無論それはうれし涙で、自分を選んでくれたことへの感謝の表れだ。

「ありがとう。
 ……なぁ、エスティマくん」

「ん?」

「一つ、お願い事してもええ?」

指に通した指輪をもう片方の手でゆっくりと撫でながら、夢見るような声色で。

「エスティ、って呼んでもええかな?」

「……二人っきりの、ときだけなら」

つっかえつっかえで、エスティマはそう返した。
この期に及んでまだ照れているようだ。それでもはやてのお願いを聞き入れてくれる彼の気持ちが、たまらなく心を締め付ける。

「うん。ありがとう」

そう云い、ほぅ、と吐息を漏らして、



「……愛してるよ、エスティ」



今日という日を感謝しながら、はやては目を閉じてエスティマにすべてを委ねた。














それはともかくとして舞台裏では。

「わ、わっ……すご……舌から絡めてる……うわぁー。
 やるなぁはやてちゃん……」

「なのはちゃん、私も、私も見たいですっ」

「シャマルにはまだちょっと早いかな」

真っ赤になった顔を手で覆い隠しながらも、指の隙間からちゃっかり覗き見ているなのは。片手でシャマルの目を覆っていたり。
本人は隠れているつもりなのだろうが、テンションが上がっているからか、木陰から身を乗り出してバレバレである。
が、二人の世界を展開してるエスティマとはやてはそれに気付かず――ではなく。

「……デバガメに使われる幻影魔法って」

なのはから少し離れたところで、クロスミラージュを握りつつティアナは体育座り。
彼女は拗ねたような顔をしながら、エスティマたちの方を見ようともしない。
そんな自分の心境にティアナ自身も驚いているのだが、周りの人は一切構ってくれないわけで、

「えと、おめでとうございますって云えばいいのかな?」

「……キャロ。こういう時に邪魔したらすごく不機嫌になると思うよ、エスティマさん」

「そうなの?」

「うん、兄さんがそうだったし」

エリオはエリオで慣れてしまっているのか、キャロに解説を。

「……まぁ、八神小隊長の幸せを邪魔したくないし」

スバルは一人、折り合いを付けているようだった。




一方聖王教会勢はというと、

『現場からリインがお送りするですよー』

『おい、リイン……止めねぇのかよザフィーラ』

『まぁ、許してやれヴィータ。やきもきしていたのは我らも同じだ』

『母上ができる……うん、喜ばしいことです』

「でかしましたリインフォース! ああ、主! 私は、私は喜びの余りもう……!」

「ゴールが近そう……まぁ、喜ばしいことですね、ああいう相手がいるのは」

歓喜にむせび泣くエクスと、サーチャーから送られてくる映像を直視できないシャッハがいたり。




無限書庫の方では、

「えーでは、家族会議を始めようと思います。議題は義妹に関して。
 エスティ、スクライアのままなのか、八神になるのか……どうなんだろうねぇ」

「義姉さん……うう、兄さんが……」

「まぁまぁフェイト、そう落ち込まないで」

「式はいつになるんだろ。参考にさせてもらおうか……ねぇ、ユーノ?」

「あ、あはは……」

知らぬ間に身内がこれからどうするのか決めていたり。

エスティマとはやての関係が秘密であったことは、一秒たりともなかったとさ。





[7038] ENDフラグ チンク
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2009/12/15 00:21


※エンディングフラグは重複しません。ハーレムとか存在しません。あしからず。
 フラグ話は続きます。お好みのものを史実と認識してください。









「どうした、エスティマ。いやに暗い顔をしているじゃないか」

海上収容施設へと赴いてきて、エスティマから自分への事情聴取が終わると、チンクはそう問いかけた。

地面が芝生に覆われたこの場所に、二人以外の姿はない。
オットーとディエチの二人は今、別の部屋で待機している。チンクと二人の状態で聞きたいことがあるからと、やや無理を云ってエスティマはこの状況を造り出していた。

二人は芝生の上に腰を下ろして、それぞれ楽な体勢をとっている。

言葉を投げかけられたエスティマは、曖昧な笑み――苦々しさを覆い隠した、真性の苦笑いを浮かべる。
どうして彼がそんな顔を自分に向けるのだろう。折角顔を合わせているというのに。
疑問半分、腹立たしさ半分で、チンクは長い髪を揺らしながら首を傾げる。
決してチンクの方から口を開きはしない。彼女は、エスティマからの言葉をじっと待った。
そんな様子に観念したのか、小さく息を吐くとエスティマは口を開く。

「はやてと、少し、色々あって」

「……そうか」

短く返し、チンクはそれ以上聞き出そうとはしなかった。
云うのを拒んでいる風には見えない。どちらかと云えば、誰かに吐き出したいようにも見える。
しかしチンクは、どうしてもそれを聞く気にはなれなかった。

八神はやて。戦場で自分に宣戦布告を行ってきた、恋敵。
その女のことを――彼女の名前すら、チンクは聞いてて良い気分はしない。

こうやって海上収容施設でエスティマを待つことしかできない自分と違い、八神はやては彼の同僚として傍にいる。
そんな些細なことが、たまらなく悔しいのだ。

外にいるエスティマはどんな顔をしているだろう、と。

外を自分と歩いたら、エスティマはどんな表情を見せてくれるだろう。
そう考える度に、チンクは微かな胸の高鳴りを覚えた。

同時に、八神はやては自分の羨むそれらを、当たり前のように甘受しているのだと考えるだけで、暖かな鼓動は焦燥で早鐘を打ち始める。

……けれど、今エスティマを独占しているのは私だ。
それを強く意識して、チンクは胸を押し潰さんとする感情から逃れた。
そう。エスティマは自分と会うためにここにいる。仕事だということもあるだろう。
けれど、それ以外にも確かに、この男は自分と言葉を交わしたいからこそ足を運んでいるのだ。

その考えに多分の自惚れが混じっていると、チンク自身も理解している。
しかしそうでもしなければ、チンクはただ待つだけの現状に満足することができないのだ。叶うのならばエスティマの隣にいてやりたい。

せっかく自分を勝ち取ったのだから、その努力をどんな形でも――そう、どんな形でもだ――祝福してやりたい。

……けど、駄目だ。
自分はエスティマに求められるまま存在すると、打ち負かされ、腕に抱かれた時に決めたのだから。
だから、エスティマが自分を選ばな――

「……ッ」

チクリと胸が痛む。
幻痛だ。そう、理解している。
しかし自分にとってまったく嬉しくない未来を想像してしまえば、チンクはただそれを受け容れることなどできなかった。

結局自分は、エスティマに甘えているだけなのかもしれない。
彼が自分を求めないと想像するだけで胸の中に巣くう感情が、しくしくと涙を流す。
まさかエスティマが自分を選ばないなんて――そんな楽観的な考えと、自分はエスティマと確かな絆で結ばれているという優越感が、どこかにある。
だから待っているだけなどと甘いことを云えるのだ。

そんな自分に腹が立つ。
けれど、エスティマが自分のために海上収容施設へと足を運んで、時間を割き、言葉を交わしてくれる度に、ぬるま湯に浸かっているような心地良さが込み上げてきて、抜け出す気が削がれてしまう。

きっと今のままでも良いのだ。きっとエスティマは自分を選んでくれる。
そんな風に甘えてしまう。信じていると云えば聞こえは良いのかもしれない。
しかし、今の自分は――

「……エスティマ」

想いをすべて飲み込んで、チンクはおずおずと彼の名を呼んだ。
影のある表情を続けていたエスティマは、気の抜けた視線をすっとこちらに向けてくる。

意志の篭もっていない緋色の瞳。
普段は暖かみを与えてくれるそれが無機質なものに思えてしまい、チンクは続く言葉へ無意識の内に力を込めた。

「私の前で、そんな顔をしないでくれ。
 折角お前と会えたのに、気分が沈んでしまう」

……わがままな女だ。
自嘲しつつも、それがチンクの本音だ。
以前はこんなことを考えもしなかっただろう。

仕方がない奴だと云って、彼の弱さを受け容れてやれた。
しかし、今は違う。
笑顔を向けて欲しい。傍にいて欲しい。強がって態度に出さないよう気を付けてはいるが、根底にある感情はそれだった。
長年熟成され続けた恋慕は彼に掴まったことで形を変えて、もはや、年上として振る舞うことはポーズとしてしか取れない。

そんな風に変わってしまったことを、少しだけ寂しく思う。
そんな風に自分を変えたエスティマを、少しだけうらめしく思ってしまう。
ただ待つだけがこんなに苦しいとは、以前のチンクは考えもしなかった。

エスティマは自分を捕らえるために走り続けている。だから忘れ去られることがないという確信があったからだ。
いつか捕まるその瞬間を想像するだけで、満たされるものが込み上げてきた。

しかし、今は違う。彼に掴まってしまった今、選択権はエスティマにある。
そんなことはない、とは断言できない。因縁を精算した今、エスティマは自分以外の誰かに目を向けることができるのだから。

それこそ、八神はやてのような、自分以外の女に。
しかしチンクは、彼女のような存在がエスティマの周りにいると分かっていながらも、ただ待つことしか――

「……エスティマ」

「ん、なんです?」

「目を瞑れ」

「いきなり何を……」

「良いから」

訝しげな表情をするも、エスティマは大人しく目を瞑った。
手を閉じられた瞼の前で振って、きちんと彼が見ていないか確認すると、チンクは咳払いを一つ。

……これぐらいは良いはずだ。
誰に向けたのかも分からない言い訳をすると、チンクはエスティマの頭を掴んで、そっと手繰り寄せた。
傾いてゆく身体にエスティマが慌てるも、大人しくしろと年上風を吹かせて、そのままエスティマを横にする。

そして、彼の頭を膝へと。

「……フィアットさん?」

「……疲れているんだろう?
 少し休んでも、罰は当たらないさ」

「ですかね。
 ……まぁ、お言葉に甘えさせて貰います」

「ああ。……それと、目は開けるなよ?」

「なんでです?」

「なんでもだっ」

云って、チンクはエスティマの瞼にそっと手を被せた。
くすぐったそうに彼は身を揺すりながらも、チンクの太ももに身を預ける。
なんだかんだで筋肉質な自分の脚だ。気持ち良くないかもしれない。女性らしい体つきとは無縁で、そういう面ならば八神はやての方がずっと勝っている。

けれど、

「……ど、どうだ?」

「……ん、気持ちいいです。
 人肌の温もりも、肌の感触も」

「そ、そうか」

嘘ではないと、全身から力を抜いて体重を預けてくる態度が語っていた。
こんなことでも喜ばせてやれた。些細なことかもしれないが、チンクにとってその些細なことがたまらなく喜ばしい。

こんな触れ合いすら、まともに自分たちはやれてこなかった。

「……ところで、フィアットさん」

「なんだ?」

「目、開けたいんですけど」

「駄目だっ」

駄目に決まっている。
まったく、と呟くと、絶対に退けてやらないと云わんばかりにチンクはエスティマの頭を抑えつけた。
もしそれを解けば、エスティマに勘付かれてしまうからだ。

余裕を持って膝枕をしてやるつもりが、自分でも分かるぐらいに顔が緩んでいると。
そんなみっともない表情を見せたくはない。

目に被せているのと違う、空いている方の手で、チンクはそっとエスティマの髪を撫でる。
慈しみが見て取れる手つきで、ゆっくりと金糸を梳く。

そうやって二人っきりの時間を過ごすチンクの顔は、とろけながら真っ赤に染まっていた。













リリカル in wonder












トーレが海上収容施設を襲撃してから僅かな日々が過ぎ、チンクたちへの警戒は緩められた。
それまでは妹たちとも引き離されて、それぞれ事情聴取を受けていたのか。
そう、チンクは考えていた。

もう彼女たちから聞き出せることなど残っていない。めぼしい情報も出尽くしたと、管理局も気付いているだろう。

しかし、管理局に協力的な戦闘機人はチンクのみだ。
オットーは頑なな態度を崩そうとしないし、ディエチは流れるままに、己の行き先を決めかねている。

そんな三人の元へと、今日もエスティマは訪れていた。
トーレが侵入する時に破砕した吹き抜けのガラスは塞がれ、今は鋼の天井に変わっている。
以前は日光を受けることができた庭園には、代わりに人工の明かりが降り注いでいた。
陽光を見ることができなくなったことに僅かな寂しさを感じながら、チンクは妹たちに言葉をかけるエスティマの姿に見入っている。

今、エスティマが行っている話の内容は更正プログラムのことだった。
結社の情報を管理局へチンクが話したことにより、彼女たちの刑期はやや短くなっている。
同時に、正当な教育を受けていなかったという名目を追加されて、もし裁判が終わり罪を償うことになっても、人生を謳歌できるだけの時間が残されているだろう。

しかし、刑期があることは確かだ。
それを管理局で働くことで短縮しないかと、エスティマは語りかけ続けている。

無論、チンクはエスティマの話に乗るつもりだ。
彼がそれを勧めてきたのなら、断ることなどあり得ない。

問題なのは彼女以外の二人だった。

「――と、いうことだ。
 俺としては是非、これを受けてもらいたいんだけど、どうかな。
 なんだかんだ云っても、君たちは世間を脅かした戦闘機人だ。
 改心しようが周りの目にはどうしてもそう映ってしまう。
 だからきっと、更正プログラムに沿って局員として働き始めても、風当たりは強くなるはずだ。
 こちらとしてもなるべく理解のある配属先を探すけれど、それでも決して楽ではないだろう。
 けど、これはチャンスなんだ。
 向けられる視線はすべて、君たちを試している。
 その期待に応えれば、普通に刑期を終えるよりは、周りに馴染むことができると思うけど――」

そこまで喋って、エスティマは三人を見回すと、脣を引き結んだ。
その様子は、手応えの感じない説得に無力感を抱いているよう、チンクには見える。

それもそうだろう。
つ、とチンクは視線を横にずらす。

その先にいるオットーは、エスティマから視線を外して芝生に目を注いだまま千切った草を指で弄んでいた。
まるで教師の話を聞こうとしない、幼い学生のよう。

それも仕方がないのかもしれない。スカリエッティの元で育ったナンバーズは、ある意味、我慢というものを知らないのだ。
やりたいことをやりたい時にやる。まったく興味を抱かないエスティマの話をロクに聞かなくとも、仕方がないことなのかもしれない。
生まれてさほど――三年が経っていると云っても、所詮は三年だ。知能や知識はあるのだとしても、人間性はまるで成熟していなかった。

そんなオットーと比べれば、まだディエチはマシな方なのかもしれない。
真摯な気持ちでエスティマの言葉を聞こうとしているのは、じっと彼の顔を見続けて話を聞く態度から知ることができる。
しかし、反応らしい反応はしない。
彼の云うことを知識として吸収してはいるようだが、それ止まりだ。自分で何かを決めるという段階には至っていないのだろう。

だからなのか、彼女はチンクへと伺うように視線を向けてきた。
これが初めてのことではない。
エスティマが何かを問うと、チンク姉はどうするの? と語る目を注いでくるのだ。

これがまた、トーレやクアットロならば違うのだろうが――

……姉の責任か。

短く胸中で呟くと、チンクは顎を上げてエスティマへ。

「……つまり、更正プログラムを受ければ、一般人として世に戻ることができたとき、世間に馴染みやすいということで良いのか?」

「……ええ、そうです」

助かった、と彼はアイコンタクトでチンクに伝える。
しかし、助けられているのは自分たちの方だ。

わざわざ時間を割いて、更正プログラムを勧めてくるエスティマ。
別にこんなことをしなくとも、裁判で罪を裁けは良いだけのことのようにも思える。
それをせずに可能な範囲で自分たちへ下される罰を軽くしようと奔走するのは――

……こいつのことだ。捕まえたからには責任を持って、と考えているんだろうな。

エスティマらしいよ、とチンクは笑みを零す。

そうして今日も話が終わると、エスティマは何か質問がないかと三人に問う。
いつもはここでチンクが挙手し、二人っきりの時間を作るのだが、今日は違った。
今までずっと動いていなかったディエチが、手を挙げた。

声をかけるのも忘れて、エスティマは眉根を寄せる。
が、すぐに正気へ戻ると、ややどもりながら声をかけた。

「えと、はい、ディエチ……どうした?」

「うん。少し、話したいことがある」

話したいこととはなんだろうか。
チンクはディエチを見やる。しかし、表情の薄い妹からは、何を考えているのか読み取ることができない。

釈然としないものを感じながらも、オットーは一足先に己がいるべき場所へと戻される。
チンクはオットーの話が終わってから、エスティマとの習慣付いた語らいを行うために残っていた。
ディエチに時間を取られたことで、普段よりもややその時間は短くなるだろう。
しかしは今はそのことよりも、なぜディエチがエスティマに質問をしたのかという方に興味があり、さほど気にはならなかった。

「あの、エスティマ」

「なんだ?」

おずおずとディエチは口を開く。
ゆっくりとした速度は、口の中で転がした言葉を厳選し、相手にしっかり話をしようという意志を見ることができた。

「……聞きたいんだけど。
 もし、あの更正プログラムが終わったら、私たちは何をすれば良いの?」

「……ん、何を、って?」

分からない、といった表情をするエスティマに対してもどかしそうな顔をしながら、なおもディエチは言葉を続ける。

「そのまま。何をすれば良いのか、私には分からない。
 働け、っていうのなら分かるけど……」

「ん、いや、更正プログラムが終わったら、局を止めても問題はないよ。
 一般人として生きても――」

「……それが、私には分からない」

困った、という風に呟かれた言葉で、エスティマの瞳に理解の色が浮かんだ。
悩んでいるのではない。本当にどうして良いのか分からず、困っているのだろう。

苦笑し、そうだな、とエスティマは呟く。

「まだ分からなくても仕方がないのかもしれないね。
 ……うん。
 もどかしいかもしれないけど、たくさんの人と触れ合ってゆく内に、それは気付けることだと思う。
 そういうものだ、っていうのは随分と無責任な言い方かもしれないけど。
 それでも分からないときは、相談してくれれば良いから。
 俺は、君たちナンバーズの担当をする執務官だしさ」

言葉をかけられても、ディエチの表情は晴れなかった。
一度俯き、彼女は顔を上げる。
曇ったままの瞳を宙に彷徨わせながら、

「……トーレ姉はさ」

「……トーレ?」

「うん。トーレ姉は……自分のやりたいことを、やったのかな」

それだけ零して、口を噤んだ。
もう話はないようで、ディエチは自主的に腰を上げると、控え目な足取りで庭園の出口へと向かっていった。
その背中を二人は黙って見送った。

「……トーレ、か。
 あの子から見たら、あれはどう映っていたんですかね」

エスティマが洩らした呟きには、呆れたような響きがあった。
ディエチに対してではないだろう。おそらくは、トーレ本人にだ。そう、チンクは思った。

「俺からしたらはた迷惑なだけで……けれど、身内から見たら違うのか」

「……私も一応、奴の身内だぞ?」

「……失礼しました」

「気にするな。
 まぁ、そうだな……トーレは」

チンクは脳裏に、姉の姿を思い浮かべる。
戦闘機人という存在に独特の美学を持ち、エスティマに敗北した三番目のナンバーズ。
彼女はディエチが云ったように、自らのやりたいことを果たして散っていったのだろうか。

トーレがどうなったのか、大体のことを捕まったナンバーズは知っている。
そして、トーレがこの海上収容施設に姿を現したことで、それぞれに影響が出ていることにチンクは気付いていた。

オットーはおそらく、トーレが自分たちを助けにきたことで、いつか再びスカリエッティの元に帰ることができると希望を抱いたのだろう。
今の頑なな態度はきっと、姉妹がすべて捕まるまでは続けられるのではないだろうか。最低でも、双子のディードが捕らわれるまでは。

ディエチの変化は、さっきのような発言を口にするよう、考えるようになったことだろうか。
エスティマの言葉を聞いて、知識にする。しかしそこから先のことに思いを馳せようとまではしなかったのだろう。今までは。
しかしトーレが自らの信念を貫いたことで、ディエチは自分の未来を考えるようになったのか。

そして、自分は――愚問だ。
もう進むべき道は決めている。何があってもこの男について行くと、固く誓ったのだ。

「トーレは変わった奴で、決して真っ当な人間ではなかったと思うが……そうだな。
 純粋な戦闘機人と云いながらも、心に随分と人間くさい贅肉をつけていた気がする。
 そういうところが今になって、ディエチたちに影響を与えているのだろう。
 今度は、私たちの番だからな」

そう。
もう自分たちは道具として戦っていれば良いだけの存在ではなくなる。
所属が結社から管理局に変わるだけではない。生きている限りは続いてゆく人生と向き合わなければならなくなるのだ。

そんなことを考えているチンクとは違い、エスティマはトーレとの戦いを思い出したからなのか、うんざりした表情を浮かべていた。

「俺としては迷惑この上ない相手だったんですけどね」

「そう邪険にしてやるな。
 熱烈なラブコールだったじゃないか」

「……あんなのから欲しくはないですよ、そんなの」

一度だけチンクを見て、腕を組むとエスティマは憮然とした表情になる。
こちらに視線を寄越したのは、無意識なのか意図的なのか。
なんにせよ、可愛いやつだ、とチンクは苦笑した。

「そう拗ねるな、エスティマ。
 ……ほら」

云って、チンクは太ももを軽く叩いた。
すると、憮然とした表情は苦々しく。
嫌がっているというよりは、迷っているのか。

「いや、でも……」

「ほら、早くしろ。時間がない」

「……それじゃあ」

渋々とエスティマは芝生に腰を下ろして、チンクの太ももを確認しながら頭を下ろしてゆく。

前回は唐突で、今回は合図をしたからか。
ならば、次はどんな反応をエスティマは見せてくれるだろう。
素直に喜んでくれるまでは、きっと長い時間がかかるのだろうなと、チンクは思う。

口にこそ出さないが、変なプライドがあるのだろう。
せがむような真似をしたら男としてそれはどうなのだ、と。

気難しい奴だ。それとも、男は皆こうなのか。
エスティマ以外の男性を知らないチンクには分からなかったが、別に知ろうとも思わないため、深くは考えない。

ももにエスティマの頭が乗ると、チンクは彼の額に手を乗せた。
前髪を指で弄びながら、綺麗な顔だ、と笑みを零す。これで男らしいなんて云っても、可愛いだけで威厳も何もないだろうに。

「……フィアットさん」

「なんだ?」

「フィアットさんは、罪を償って、その後どうしたいのか決めていますか?」

投げ掛けられた言葉に、チンクは息を飲んだ。
それは……、と、思考が凍り付く。

お前がそれを聞くのかという僅かな苛立ちがあるのは確かだし、いざ感情を言語化しようとして出来なかったというものある。

今のままでも、チンクは充分に幸せではあるのだ。
もどかしいと思うことがあっても、わざわざエスティマがここへ足を運び、時間を割いて――と。
場所が変わっても今のような関係が続いてゆくのならば、拒むようなことは何もない。

だというのに、なぜエスティマはそんなことを聞くのだろう。
自分とエスティマの間に溝があるような気がして、どうしても口を開くことができなかった。

そんなチンクに、エスティマは気付いたのか。
閉じていた瞼を開くと、じっとチンクの瞳を見つめてくる。
嘘や誤魔化しを認めない。そんな意志があるように見えた。

「……私は」

何かを云わなければ。
分かっていても、しかしチンクは、意味のある言葉を紡ぐことができない。
その、と繋ぎの言葉で間を取り繕っても、長持ちはしなかった。
一分二分と過ぎ去って、エスティマは再び瞼を閉じる。

「……約束」

「……え?」

答えず、エスティマはチンクのももから頭を浮かせた。
立ち上がって制服についた芝の欠片を払うと、そのままチンクを見下ろす。
そして、

「……すみません。
 少し、浮かれていたようです」

「……え?」

「次に俺がくるまでに、フィアットさんがどうしたいのかを、決めておいてください。
 さっきディエチたちに説明した、相談するというのは嘘じゃありませんから。
 それじゃ……もう、行きます」

「ま、待て!」

立ち去ろうとしたエスティマに声をかければ、彼は無視することもなく足を止める。
こちらに振り向いてはくれるが、しかし、瞳に浮かんだ感情には遊びが一切ない。
チンクからの言葉を真っ向から受け止めようとしている。

「なんでしょうか、フィアットさん」

「……私は、だな」

何を云えば良いのだろうか。
どんな言葉をかけたら、エスティマは――

そんな風に迷っていたからだろう。
エスティマは見透かしたようにチンクから目を逸らすと、遠慮がちに口を開く。

「……フィアットさん。あなたは、俺の人形でもペットでもないんです。
 唯々諾々と従うようなことだけは、しないで欲しい」

「……けど、それは、お前が」

「……そうですね。俺も悪かった。
 あなたはきっと分かってくれているって、思い込んでいた。
 ……フィアットさん。あなたは犯罪者で、俺は執務官です。
 未来のことを考えて……それが決して楽ではないと、分かりますね?」

……分かっている。
ナンバーズの裁判を担当する執務官が、その内の一人と通じているなんて知られたらゴシップの良い的だ。
そうなれば、エスティマが自分たちのために奔走してくれていることも水の泡と消える。
そうなってしまえば、もうエスティマと一緒にいることすら容易ではない。

……分かっていた。
分かっていたけれど、今のぬるま湯が心地良くて、ずっと見ないふりをしてきたことだ。
長い間エスティマは頑張ってきたのだから、少しでも報いてやりたい。
そんな風に言い訳をして、その実、彼と甘い時間を過ごしたかっただけなのだから。

「ちゃんと考えておいてください。
 それでは」

「――ッ、エスティマ!」

名を呼ぶも、今度は彼が振り返ることはなかった。
しかし足を止め、

「フィアットさん……俺は、あなたが大切だからこそ、寄りかからないで欲しい。
 ……今は、まだ」

行きましょう、と促されて、チンクは立ち上がる。
エスティマが視線を送ってくることは、もうなかった。
チンクもまた、彼の顔を見ようとはしなかった。
















今日もまた、エスティマは海上収容施設へと脚を伸ばしていた。
同じ日々の繰り返し。既知感を抱きそうになるやりとり。
いつもの光景とは、まさしくこれのことを云うのだろう。
そんなことを、チンクはエスティマを眺めながら考えていた。

いつもはしっかりと聞き取るエスティマの言葉も、今日は右から左へと声が突き抜けてしまう。
彼女が考えていることはただ一つ。
先日エスティマに向けられた問いかけだった。

罪を償った後、自分はどうしたいのか。
……そんなことは決まっている。ようやく一緒になれたのだから、自分はこれからずっとエスティマと共に――

いや、違う。
浸かっていたぬるま湯が冷めてしまって、ようやく。
冷や水を浴びせられて、ようやく冷静になれたとも云える。

エスティマと共に歩むことはできない。今はまだ。
約束――そう、あの日交わした約束には、続きがあった。

『――いつか必ず、俺がこの手で捕まえて、罪を償ってもらいます。
 そうしたらまた、遊びに行きましょう。気兼ねすることもなく、以前と同じように』

――と。
おめでたいことに、自分はその後ろ半分を分かったつもりでいて、忘れていた。
エスティマもきっと、そうだったのだろう。でなければ、自分に甘えるような素振りを見せたりはしなかったはずだ。
そんなところばかりは昔と変わらない。肝心ところだけは絶対にねじ曲げない頑固さも。

辛いのならばこちら側にこないかと何度も誘ったというのに――今では馬鹿なことをしたと思っているが――彼は一度たりとも頷かなかった。
そんなところは、年月が経っても変わっていないようだ。

そんなところが微笑ましく、嬉しく、うらめしい。
もっと自分に優しくても良いだろうに。
そんなことだから――

……いや。
自嘲し、チンクは僅かに首を振った。
約束をねじ曲げて日だまりのように心地良い関係を望み続けているのは、自分の方だ。
エスティマだって望んでいるだろう。
しかし彼は自分でそれを振り切り、そのときチンクはただ戸惑うことしかできなかった。

その些細な差は、きっと大きいはずだ。
……なんだかんだ云って、自分も妹たちと同じように幼いのかもしれない。
白馬の王子様に連れ出されたお姫様は、なんのしがらみもなく幸せになれるのだと思い込んでいたなんて、少女趣味が過ぎる。

そんな簡単に物事が進むのならば、どれほど良かったか。
けれど、それを許さない男だからこそ、自分は……。

……そう。

ぬるま湯は確かに心地良いのかもしれない。
しかし、そこに浸かり続けてしまえば、残るのはふやけて皺だらけになった、みすぼらしい人間だけだ。
そんな自分を許すことができず、また、チンクにもそうなって欲しくないと彼は願っているのだろう。

なんてワガママなのだろうか。

……良いさ。
お前がそれを望むなら……いや、違う。
私はお前との時間をやり直したい。罪を償うことでまたあの頃に戻れるというのなら、私はなんだってしよう。

そうチンクが心に決めると、エスティマはナンバーズへの更正プログラムに関する話を止めた。
そして、いつもの時間がやってくる。

オットーとディエチの姿が庭園から消えると、エスティマとチンクは二人っきりに。
しかし、以前のような柔らかい空気がその間に漂うことはなかった。
表情を引き締めて、冷たささえ感じる色を瞳に浮かべながら、エスティマは執務官の顔をチンクに向けてくる。

そんな顔をしないで欲しい。
そう願ってしまいそうになるが、本当はこれが正しいのだ。
自分は犯罪者で、エスティマは執務官。

いくらお互いに胸へと秘めた感情があるのだとしても、その区切りを飛び越えるようなことをしてはいけない。今はまだ。

「答えは、出ましたか?」

「……ああ」

「そうですか。
 ……聞かせてもらっても?」

「……いや、聞いて欲しいんだ。お前に」

首肯し、エスティマは口を閉じてチンクへと視線を注ぐ。
それをじっと見返して、チンクは頭の中に並ぶ言葉を削ぎ落とす。
過度な装飾なんかはいらない。
ただ伝えたいことを口にしようと。

そうして整理が着くと息を吸い込んで、チンクは言葉を紡ぎ始める。

「……私は、お前と一緒にいたい。
 きっと世間一般から見たら、犯罪者の望みとしては間違っているのだろう。
 けれど、私にはそれしかないんだ。
 お前と一緒にいたいから、私は罪を償いたい。
 ……だから、エスティマ。
 もし、罪を償ったら――」

私と、とそこまで云ってチンクは言葉に詰まった。
もし罪を償ったら……どうしたいのだろう。
ずっと一緒にいたい。それは確かだ。
けれど、そんな曖昧な言葉ではなく、確かな気持ちを、目の前の男に伝えたい。

そのための言葉は一体――

必死に考えを巡らせて、ぽつりと一つの言葉が浮かび上がってきた。

「もし、罪を償ったら……」

が、茹だった頭で考えたことだからだろうか。
とてもじゃないが、素面で云うような台詞ではないように思える。
しかし、

「はい」

待ちますよ、と言外に云うような柔らかな声を向けられた。
急かすつもりはないのだろう。
しかしチンクとしては、ヤケクソへなるのに背中を押されたようなもので、

「もし罪を償ったら、お、お前の……」

「ええ」

「――お前の子供を産ませろ!」

「はい、分かりま……。
 ………………………………えぇ!?」

「素っ頓狂な声を上げるな!
 良いか、もう一度云ってやる!
 私は、だな――」

「やめて下さい、はしたない!
 こんなところで云うことじゃないでしょうに!」

「云わせたのはお前だろう!」

「そうかもしれないですけどっ」

ああもう、とエスティマはその場で頭を抱える。文字通りに。
そんな態度がたまらなく不満で、チンクは口をへの字に曲げた。顔を真っ赤にして。

「……私にこんなことを云わせて、なんだ、お前は」

「……うっ。
 いや、まぁ、その……流石にそんな答えは予想していなくて」

しどろもどろになりながら、さっきまでの真面目な態度はどこへ行ってしまったのか。
エスティマは視線を彷徨わせながらぶつぶつと形にならない言葉を零す。
背伸びをするとそんな彼を両手で捕まえ、頬をしっかり挟み込み、チンクは朱に染まった顔でじっとエスティマを見る。

「……私を見てくれ」

「……はい」

云われ、エスティマは彷徨っていた視線をチンクに向ける。
視線が絡んだ。お互いがどこか熱っぽいのは、気のせいではないだろう。

……ずっと一緒にいたい。
一人の人間としてエスティマと共に生きたい。

友人などの立場ではなく、運命を共にして歩んでいきたい。
そうなれば自然と、子供は作るものだろう――と、チンクは考えてあんなことを云ったのだ。
他に言い様があっただろうとは、自分でも分かっているが。

あんまりにあんまりな言い方だ。
その証拠に、気持ちをぶつけられたエスティマはすっかり困り果てている。

……迷惑だったのだろうか。
返事を一向にくれない彼の態度にそう思ったとき、

「……俺だって、フィアットさんと一緒にいたい。
 ……流石に、子供とかは、その、考えてなかったですけれど」

「そうか」

向けられれた言葉に、頬が緩むのをチンクは自覚した。
とても自分の意志では止められない。気付けば目尻は落ちて、じんわりと温もりが胸に広がってゆく。

「……私はこれから、正しく罪を償うよ。お前と添い遂げるために。
 だから……最後に一つだけ、ワガママを聞いてくれないか?」

「……えっと、はい」

なんですか? というエスティマの問に応えず、チンクは頬を挟んでいた手をそのまま首に回した。
そして、エスティマを抱き寄せながらギリギリまで背伸びをする。
子供と大人のような身長差。それに悔しさを感じながらも、チンクは目を白黒させるエスティマへと脣を。

ただ優しく、触れるだけのようなキス。
時間にして一秒か二秒。
一瞬でしかないそれを名残惜しそうに終えると、チンクは顔を離す。
僅かに顔を俯けて、ちろりと舌先で自らの脣をなぞった。
味がするわけでもないのに、上等なワインでも舐めたような甘さがある。そんな錯覚があった。

「……二度目だ」

思い返すのは、ずっと昔のできごと。
けれど何度も振り返り、確認し続けたチンクにとっては色褪せていない記憶。
宝石のように仕舞い込んでいたそれと、まったく同じできごとが増えたことで――それだけで、これからずっと頑張ってゆける。そう、彼女には思えた。

……などとチンクが思っていると、だ。

「……ちなみに、一度目は?」

ぽつりと呟いたエスティマを首を傾げてみてみれば、また彼は目を逸らしている。
しかし、今度はさっきと違い、照れているわけではないようだ。
気まずい、とでも云えば良いのか。

「……覚えてないのか?」

「……何をですか」

……もしやこいつ、気付いていなかったのか?

確かにあのとき、自分はクアットロのISで姿を消されていたが、それにしたってあんまりだ。
むっとしつつ、むくむくと悪戯心が湧いてくる。
くすりと笑って、首に回した手を解くと、ステップを踏んでエスティマから一歩遠ざかった。
そして踊るように髪を揺らしながら、得意げな笑みを作る。

「……さて、どうだったか。
 どこぞの朴念仁にくれてやったんだが」

「……まぁ、そんなこと気にしませんけどね」

その言葉が強がりなのは、言葉、表情から丸わかりだ。
本当に、こいつは。
そして、こんな奴だからこそ私は。

笑みを絶やさず、嬉しくて嬉しくて、この気持ちさえあれば大丈夫だと、チンクは控え目な笑い声を上げた。
















腕時計に視線を落とす。
そこに記されている時間を見詰めながら、八神はやては溜め息を吐いていた。

今日の仕事は既に終わっている。
後はもう女子寮に帰って明日に備えるだけだと、分かってはいるが――

もう一度はやては腕時計を見て、眉尻を落とした。

彼女が執拗なまでに時間を気にしているのには、一つの理由がある。
仕事中に届いた、エスティマからのメール。
それには、大事な話があるから六課から出て来て欲しいという旨。そして待ち合わせの場所、時間が記されていた。

腕時計の針は、既にエスティマの指定した時間を五十分も過ぎていた。
今から彼のところに向かったら、合わせて一時間ほどになるだろうか。

はやてはどうしてもエスティマと顔を合わせる気になれないため、仕事の終わった職場で無為に時間を過ごしていた。
彼との待ち合わせを忘れ去ったようにサービス残業を行って、しかし、五分刻みのペースで時計を気にする。

そして遂に我慢ができなくなったのか。
眉間に深い皺を作ると、はやては重い腰を上げてオフィスを後にした。

傍から見ても気の進まない調子の滲んだ足取りでふらふらと駐車場を目指す。
そして自分の車に辿り着くと、エンジンに火を入れ、はやては両手で掴んだハンドルにこつりと額を当てた。

「……嫌な予感しかせえへん」

再び溜め息。
しかし、いつまでも二の足を踏んでいるわけにはいかないだろう。
気の進まないまま、はやてはアクセルをゆっくりと踏み込んだ。
すっかり暗くなった駐車場をライトが照らし上げ、その中をはやての車は進んでいった。

法定速度を守って――次々と後続車に追い抜かれながら、はやては湾岸線を進む。
その先にあるのは、いつぞやの戦闘で破壊されたマリンガーデンだ。
修復は進んでいるようだが、まだ運営は再開されていないようで、遠目に見えるレジャー施設は工事現場の光でうっすらとライトアップされていた。

ハンドルを握る手は、このまま横に切って隊舎に戻ってしまおうかと迷い続けている。
そして何事もなかったかのように明日を迎え、気付かなかったとエスティマに謝って――と、甘いことをどうしてもはやては考えてしまうのだ。

彼からの大事な話。それをするのに、わざわざマリンガーデンを選んだ理由とはなんなのだろう。
いや、そんなことよりも――
……大事な話。

思い当たる節が一つだけ、はやてにはあった。
つい先日、エスティマに訴えかけたこと。
自分のことをどう見ているのか――と。その答えが返ってくるような予感が、はやてにはあった。
それも、悪い形でだ。

根拠はない。あるといったら精々女の勘といったレベルで、まったくアテにはならなかった。

様々な思考が頭の中を駆け巡る。
しかしどれもが形らしい形を持っておらず、ぐちゃぐちゃとした頭の中は、そのままはやての心を表しているようだった。

車を進めていると、ついに待ち合わせ場所へと到着してしまった。
時間は、待ち合わせから一時間半が過ぎていた。
祈るような心境で車を降りると、はやては周囲を見回す。

その中に、はやてはエスティマの姿を見付けた。
ずっとそうしていたのだろうか。彼は制服姿のまま、修復中のマリンガーデンへと目を向けている。

「……ごめん。メールに気付くのが遅れてもうた」

明るい調子で云うつもりだった言葉は、自分でも驚くくらいに沈んでいた。
こんなのじゃ駄目だと、はやては小さく頭を振る。
都合の悪いことを聞いても、嘘はやめてと笑い飛ばせるぐらいの空元気ぐらいは見せなければ。

声を放つと、エスティマは振り返る。
しかし彼の顔を直視することができず、はやては顔を俯けた。

「……ん、いや、大して待ってないから、気にしないで」

そか、と呟く。嘘だ。きっと彼は、律儀に一時間以上をここで過ごしていたのだろう。
はやての反応はそれだけであり、会話に発展はしない。
それに焦れたわけではないだろうが、エスティマははやてへと近づき始めた。

マリンガーデンを修復している金属質な作業音が響く中に、彼の靴音が混じる。
コツコツと革靴の上げる音は小気味よく、リズムを刻んでいるようだ。
秒読みか何かのように。

「……はやて。それで、君を呼び出した理由なんだけど、さ」

「……うん」

「あの日、先延ばしにした話に決着を付けようと思って、ここに呼んだんだ。
 ……答えを聞いて欲しい」

「……うん」

こくり、とはやては頷く。
しかしシンプルな反応と違い、はやての心中は穏やかではない。

この時になってようやく思い出す。
このマリンガーデンは、自分とあの戦闘機人が戦い、言葉を交わした場所だった。

ああ、そうか。嫌な予感はそのせいだったのか。
ここに来てくれと云われたからこそ、こんなにも嫌な予感がしたのかと、はやては気付く。
エスティマとの事柄で、初めて自分が焦りを抱いた場所なのだ。ここは。
だからこうも不安を掻き立てられてしまうのだろう。

そして、

「……ごめん、はやて。
 君の気持ちには応えられない」

あまりにも呆気ない一言で、問いかけへの答えは返ってきた。

「そっ……か」

やっとの思いで、それだけをはやては絞り出す。
他に言葉らしい言葉が浮かんでこない。

何故、なんで、どうして。
今にも自制心が吹き飛んで、感情に任せたままに言葉を吐き出してしまいそうだった。
それをしないのはせめてもの抵抗で、それは悪い冗談だと笑い飛ばそうとし、

「……俺は、フィアットさんのことが――」

「……止めて」

フィアット――エスティマが口にしたチンクの偽名を耳にして、自らを律する鎖に一筋のひびが入る。

「……ごめん」

続けようとしていた言葉を飲み込んで、それっきりエスティマは何も告げず、口を噤んだ。
それによって生まれた沈黙が、心に突き刺さってしまう。
自分から黙ってと云ったのに、今度はその沈黙が辛い。
だから、

「……なんでなん?」

漠然としすぎた言葉を、はやては零してしまった。
そうしてしまえばもう止まらない。
ひびの入った戒めは一気に解け、はやては俯いたままエスティマへと近付く。

「……ねぇ、エスティマくん。
 なんで?」

「……なんで、だろうね。
 ただ俺は、フィアットさんのことがどうしようもなく好きなんだって、気付いてしまったから。
 大事だとは今までも思っていたけれど……今は、ずっと一緒に生きて行きたいって思ってる。
 だから、はやてを選ぶことはできないよ。
 ……ごめん」

謝罪の言葉が聞きたかったわけではなかった。
なのに――

気付けば、はやてはエスティマの胸元を掴んでいた。
制服の生地が悲鳴を上げるほどに強く――その衝撃で、軽く金属の擦れるような音が響く。

音源は彼の首に下がったリングペンダント。
後生大事に彼が持っている、戦闘機人との絆の象徴と云うべき物。
それの奏でる音が酷く耳障りで、はやての感情は一気に臨界点へと跳ね上がった。

微塵もそんなつもりはないのに、脣は弧を描く。
喉が震え、どんな言葉を云えばいいのか考える間もなく、ぎゅっとエスティマの制服を握り締めて、なんで、とはやては呟いた。

「なんでなん?
 ねぇ、エスティマくん……なんで私やないの?
 気に入らないとこがあったから?」

「……そんなことはない。
 はやてはずっと、こんな俺に良くしてくれた」

「なら、なんで?
 私の何があかんかったんや?」

「……何も、悪くはなかった」

嘘や、とはやてはすぐに返す。
あはは、と乾いた笑いが洩れて、更に彼女は言葉を続けた。
だってそうだろう? と。

悪いところはなくて、ずっと尽くしてきたことも分かってくれているのならば、フるはずがない。
もし自分を受け容れてくれないというのなら、それは――

「長い髪が好きなら、今から伸ばすで?
 ああいう外見が好きなら、ずっと変身魔法をつこうたってええよ?
 話し言葉が気に食わないなら、頑張って直すから……。
 ……それ、でも」

「そういうことじゃないんだ、はやて。
 俺は、あの人があの人だから、好きになったんだよ。
 ……いくら姿形がどうでも、俺は――」

好きという感情を抱いて貰えなかった。
自分が愛して貰えないという、完全な烙印であり敗北以外の何ものでもない。

「なんで!」

エスティマの言葉を大声で遮り、はやては彼の胸板に額をぶつけた。
苦しげな吐息を彼は漏らす。それに構わず、なんで、と呟き続けながら、はやては額を擦り続ける。

はやても分かっていた。
エスティマがずっと走り続けていた理由の大半を締めるあの戦闘機人が、彼を自分の手の届かない場所へと持って行ってしまうと。
それが嫌で、以前は彼に訴えかけ――そして今、みっともなく縋って引き留めようとしている。

しかしエスティマはこんなことで意志をねじ曲げはしないだろう。
どんなに哀れを誘い、媚びたところで、それになびくような人間でないことは、良く知っている。
ずっと見てきたのだから、知らない方がおかしいというものだ。

それだけに、辛さもより大きなものとなってはやての心を締め付ける。
……本当に、何がいけなかったのだろう。
もっと尽くせば良かったのだろうか。
もっと媚びれば良かったのだろうか。
彼の意志を尊重すると云いつつ、怯えて最後の一線を踏み込まなかったのがいけないのだろうか。
彼の意志を無視して、自分の物にしてしまおうという気概が足りなかったのだろうか。

そう思うも、どれもが間違っているような気もする。
明確な答えをはやてに教えられる者はこの場に存在しない。

――もし、チンクがエスティマへはっきりとした答えを出さなければ結果は違っただろう。
――もし、見栄を気にして素直な言葉を彼女が口にしなかったならば、エスティマの心はチンクに傾かなかっただろう。
――そうすればエスティマは、彼女の罪を精算する手伝いをするだけ、と決めて、はやての気持ちに報いようと思っただろう。

けれどそうはならず、エスティマはチンクを選んだ。
本人たちすら気付かない、ボタンの掛け違いとすら云えない微かな違いが、こうして形となっていた。

だから、はやては納得できない。
なんで自分じゃないのかと――どうすればエスティマを引き留めることができるのかと、そればかりを考えてしまう。

「なんで、私じゃ駄目なんや……!」

喉が震え、掠れた叫びが吐き出される。
それに耐えきれなくなったのか、エスティマは両腕を持ち上げるが、

「……ごめん」

はやてを抱き締めず、力なく両腕は再び落ちる。
それを視界の隅で捉えて、ああもう抱き締めてくれることすらないのか、と、はやては理解した。
瞬間、激情は一気に冷えてじわりと目元に涙が溢れてくる。

目頭が熱くなったのは一瞬で、ひんやりとした涙が頬を伝う。

「……なんで」

ぽつり、と言葉を洩らして。
嗚咽を押し殺しながら、彼女はエスティマの胸板を力なく叩いた。

「……なんでっ」

どんどんと鈍い音が次々に上がる。
込められた力は決して強くはない。しかし、拳を受けるエスティマの表情は、苦みと痛みに濡れている。

そうして、どれほどの時間が経っただろうか。
すん、と鼻を鳴らして、はやては顔を上げる。

充血し、涙に濡れた瞳は灯りを反射して鈍く光っている。
エスティマはそれを俯き加減な緋色の瞳で見つめ返すと、何かを云おうとして口を開き、止めた。

おそらくはまた謝ろうとしたのだろう。
そう、はやては察する。

なんて酷い男なのだろうか。
すっぱりと切り捨てるわけでもなく、突き放すわけでもなく、ただ残酷に、はやてよりもチンクが好きなのだと真っ向から云ってくる。
それも、こちらがどんな気持ちを抱いているのか知った上で。

不器用や愚直などという言葉では言い表せない。なんて憎らしい。
黒々とした感情がふつふつと湧き上がってくる――が、はやてがそれに突き動かされることはない。

……分かってはいたのだ。
もし自分が選ばれなかったら、きっと彼はこうするだろうと。
そんな素直な彼だからこそ自分は好きになったのだから、しょうがないという気もする。

要するに惚れた弱みというやつだろう。
しかし、だからこそ、こんなことでは諦められない。

まだ自分のことを少しでも好きでいるなら――人を嫌うことがない彼ならば――少し本気で意地悪をしてやろう。
心の中でほくそ笑みながら、はやてはエスティマの胸板に爪を突き立てた。

「……エスティマくん。
 あの戦闘機人を好きになったっちゅーのは、分かった。
 けど、執務官と犯罪者が簡単に手と手を取り合って幸せになれると思っとるんか?」

「……思っていないさ。
 そう、だね……今の騒動が終わって二年か三年。
 それぐらいは我慢することになると思う」

「……そう。分かってるなら、ええよ。
 ところでエスティマくん」

「……ん?」

「ディープキスってあの戦闘機人としたことある?」

「何をいきな――」

言葉が続くよりも早く、はやてはエスティマの頭に手を回して手繰り寄せた。
勢いに任せたせいか、鈍い音を立てて額同士がぶつかる。
が、はやてはそのまま怯むこともなく、エスティマの脣を奪った。

唐突なことと痛みで目を白黒させる彼を余所に、脣を重ねて、はやてはそのまま舌で脣に割り入る。
色っぽさも何もない。ただ荒々しく、奪い取ろうとするように赤い舌が蠢いて、歯茎を舐め上げる。

その時になってようやく、エスティマは正気に戻った。
抱きつくなんて生温い、締める、と云った方が正しいだろうはやての腕を振り解いて突き飛ばすと、咄嗟に口を手の甲で隠した。

「な、何するんだよ!?」

「んー、宣言っていうか、なんちゅーか」

対称的に、はやては一瞬前まで触れ合っていた唇を人差し指でなぞる。
顔に浮かんでいるのは、どこか彼女らしさの欠けた挑発的なものだった。

「エスティマくんがあの戦闘機人を好きなのは分かったわ。
 せやけど、簡単に諦められるほど、私の気持ちは安くなんかあらへん。
 ……二年か、三年。
 それまでに、エスティマくんを私のものにしてみせる」

「……悪いけど、はやて」

「……分かってるよ」

バツの悪そうに呟いたエスティマへ、はやては薄く微笑む。
分かっている。今のはただの意地悪だ。

けれど――こうでも云わなければ、耐えることなんかできない。
長年抱き続けた恋心はすぐに手放せるほどに軽くなんかない。
今、心にぽっかりと穴が空いてしまえば、きっと立ち直るまで長い時間がかかるだろう。
だから今だけは、少しだけ甘えさせて欲しい。

……あわよくば、という気持ちは勿論あるけれど。

すっかり困り切ったエスティマの表情を眺めながら、はやては尚、薄く微笑む。

「……うん、分かってる」

顔を僅かに背けながら、彼女はぎゅっと目を瞑り、溢れた涙が頬を伝った。




[7038] ENDフラグ なのは
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2010/01/15 15:13


※エンディングフラグは重複しません。ハーレムとか存在しません。あしからず。
 フラグ話は続きます。お好みのものを史実と認識してください。







高町なのはがヴィヴィオと出会ってから。
舞台が聖王教会の病院から先端技術医療センターという違いはあっても、その中身事態は変わっていないと云える。
目が覚め、母親がいないというヴィヴィオに、一緒に探そうと言い出して、自分自身を母親と呼ばせてしまう。
そのやりとりは、場所が変わっても違いはないのだろうか。

否。

この場では違ったとしても、既に状況自体が変わっているこの世界の中で、元の筋書き通りに話が進むなどあり得ない。
バグとも云える違和感は、この後に表れるのだ。







「それで、どういうことだ?」

自分でも分かるほどに重っ苦しい言葉を、俺は眼前の男に向ける。
場所は執務室。グリフィスには出て行ってもらい、今ここにいるのは、俺とこれ――ヴェロッサだけだ。

彼は困った風に笑みを浮かべると、参った、とばかりに額を抑える。

「どういうことも何も、僕は当たり前のことをしただけなつもりなんだけどね」

「……へぇ」

目を細め、ヴェロッサを見遣る。
こいつ特有の薄笑いの中には、微かな苦みが混じっているようだった。
しかし、その苦みの意図までは読み取れない。

面倒だと思っているのか、申し訳ないと思っているのか。

俺がヴェロッサに対して、微かな苛立ちを浮かべているのには理由がある。
それは、廃棄都市であった例の戦闘。その一件に関してだ。

俺から依頼した、聖王クローンを作る動きを見せる結社の妨害、及び、阻止。
しかし聖王教会に所属しているヴェロッサは、その依頼を意図的に見過ごした。
表向きには失敗となっているが、事実は違うのだろう。

聖王の復活――そんな一つの奇跡を手にできるチャンスを聖王教会が見過ごすことはできず、ヴィヴィオは誕生してしまった。
その後始末として俺たちは廃棄都市での戦闘を行うことになったわけだ。
結果だけ見れば良いこと尽くめの戦闘ではあったが、その影で、下手をすればヴィータや新人たちが命を落とすかも知れなかった可能性も存在していたのだ。

わざわざ厄介ごとを押しつけてきた相手をどう信用しろと。
その上、これが初めてというわけではない。
古代ガレアの王であるイクスヴェリア。それの保護を行っているのは聖王教会であるという。

表向き、イクスヴェリアは結社に奪われたことになっているが、それも違う。
横取りするような形で、彼女を保護しているのは聖王教会。

分からないではない。ベルカが存在していた時代の生き証人だ。
彼女を保護することには色々な価値がある――が、だとしてもその尻ぬぐいを俺に押し付けるのはどういうことか。

聖王教会。管理局と協調しつつも、自分たちの目的を果たすことに躊躇はない組織。
組織として自らのやるべきことを見失わないのは立派だろうが、馬鹿をみた人間からすれば、もはや信じて良いのかも疑わしい場所だ。

が、

「……見えてこないぞヴェロッサ。
 あの子、ヴィヴィオが大事ならお前らのところで丁重にもてなしてやれば良い。
 それが、なんで――この六課に預けるような形にしたんだ」

「何を云っているんだ、エスティマ。
 あの子を保護したのは君たち管理局じゃないか。
 だとしたら、保護する権利だって君たちにある。
 あの子の誕生を阻止できず、君たちに協力を願った時点で、教会は何もできない状態だよ」

そうなのだ。

なんのつもりか。
折角手に入れたヴィヴィオを、聖王教会は自分たちの手許へ置かず、管理局へ――たった今、六課に訪れている。
……どういうわけだか。

結社がヴィヴィオを取り戻すために戦力を送り込んでくるのを怖れ、俺たちを盾にしようとしている?
……あり得なくはない。けれど、自分たちの信仰対象そのものとも云えるあの子を、他人の手に委ねるものか?

否だ。聖王教会はあくまで、一つの宗教団体として動いている。
イクスヴェリアを手に入れたのも、ヴィヴィオの誕生を阻止しなかったのも、すべては古代ベルカの遺産を手にするため。
ならば、ようやく手に入れた宝物を、自分たちの手で守らないはずがない。

聖王教会は企業でもなんでもない。より多くの遺産を、と考えることはあっても、それ止まりだ。勢力拡大にはほとんど無関心と云って良い。
何故ならば、必要がないからだ。
布教活動をすることがあっても、信者を増やしたいというよりは、自分たちの考えをより多くの人に理解して欲しいというウェイトの方が大きいだろう。

だから、管理局を利用することがあっても、潰す、もしくは、敵対しようなどと考えるはずがない。そこに意味などないから。
ぶっちゃけた話――皆仲良く幸せになりましょうよ、という団体なのだ。聖王教会は。戒律の緩さがそれを表しているようなもの。
古代ベルカの遺産を捜索する傍らで時空管理局に力を貸し、なんだかんだで平和を願っている。

イクスヴェリアやヴィヴィオの件は、古代ベルカが絡んで彼らの目の色が変わっただけと見るべきなのだろう。
俺からすればたまった話ではないが、彼らが敵対しようとしたわけではない。
……しかし。

だからこそ、ヴィヴィオの保護を俺たちに任せるというヴェロッサの意図が見えない。
本来ならば別におかしい話ではなかっただろう。はやてが指揮する、頭の狂った戦力を保持した部隊にヴィヴィオを預けるというのならば、別におかしな話ではない。

しかし今、六課を指揮しているのは俺だ。
聖王教会と関わりはあるも、籍を置いているわけではないし、古代ベルカとの関わりが肉体にあるとしても、彼らはそれを知らないはずだ。
リインⅡとのマッチングの際にデータを取られたという可能性もあるが、はやてはエクスがおそらくは阻止してくれているはずだろうから。

……ともあれ。
協力体制と云っても、主力が管理局の部隊であることに変わりはない。
それでは聖王教会がヴィヴィオを守っていることにはならない。

「……もう良い。茶番は終わりだヴェロッサ。
 話が見えない。俺たちがヴィヴィオを保護したところで、お前らにメリットがない。
 なんのつもりだ」

いい加減に我慢が限界に達し、俺は真っ向から切り出す。
頭をどれだけ捻っても、彼らの意図が見えなかったとも云える。

するとヴェロッサは小さく笑って、溜め息混じりに口を開いた。

「……実は、ね。カリムから少し嫌味を云われているんだよ僕も。
 あの子――ヴィヴィオの保護は自分たちでやった方が、君の機嫌を損ねることにもならなかったんじゃないかってね」

「……どういうことだ?」

「こんな僕でも、一応は申し訳ないと思ってるってわけさ」

ヴェロッサは自嘲する。が、それは一瞬だ。
すぐに薄ら笑いを浮かべると、小さく頭を下げた。

「すまなかった。君の信頼を二度も裏切ることをして。
 ……あの子は君の好きなように扱ってくれて良い。
 自分たちの手で結社から守るのも、僕たち聖王教会に受け渡して楽になってしまうのも。
 ……その選択権を与えるのが、この僕、使いっ走りの精一杯ってわけさ」

「……組織人としてそれはどうなんだ?」

「無論、駄目だろうね。稀少技能持ちだからクビになることはないだろうけど、しばらくは仕事を干されるかな。
 ……けれども。僕は、君とゆう友人に嫌われっぱなしなのが我慢ならなかったのさ」

「……だったら最初からそうすれば良いだろうに」

「こう見えても、僕は人並みに欲深いのさ。
 仕事と友人。そのどっちも失いたくない、ってね」

「……分かったよ」

……そういうことかよ。
疑ってかかっていた自分が嫌になる。
違和感があるのは当たり前だ。聖王教会の思惑など関係成しに、ヴェロッサが勝手な行動を取ってこんな事態になっているのならば。

……これがこの男の、友情の証明とでも云うのだろうか。
気持ちは分からなくもない。中途半端なことをされたことに対して怒りがないわけではないが、気持ちは分かる。
俺自身、ジャンル違いだが似たようなことをしてきたわけだし。

……ああ、クソ。

「……ところでヴェロッサ」

「ん?」

「どんな形であれ、結局はまた厄介ごとを押し付けられたことに変わりはないんだけど。
 そこら辺はどうするつもりなんだ?」

「……あはは」

考えてなかったのかよ。
……まぁ、良いさ。

脣の端を釣り上げつつ、悪戯心がむくむくと湧き上がってくる。
こんな事務的なやりとりで仲直りだなんて、俺は性に合わないんだ。

「……今度飯でも奢って貰うぞ」

「……ああ、そうしよう。美味しいところを見付けておくよ。
 僕としては、甘いものを食べつつお酒、って方が性に合っているわけだけど」

「執務官の前で云うこと――」

ヴェロッサとやりとりをしていると、不意に念話が届いた。
やけに悲鳴じみていて何事かと構えたら、内容は大したことでもない。

何やってんの、と頭を抱えながら、俺は腰を上げた。

「どうしたんだい?」

「ん、SOSが届いた。
 お姫様が駄々こねているんだと。
 なんとかしてくれって泣きつかれたよ」

お姫様。その呼び方に、おやおやとヴェロッサは目を細めた。
お姫様なんて呼ばれる人物は、今六課に一人しかいない。
はやてだってそうかもしれないが、そんな柄じゃないだろう。

「一緒にくるか?」

「そうだね……ちなみに、誰からのSOSだい?」

「フェイトだ」

「よし行こう」

「……やっぱり駄目だ。帰れ。今すぐ帰れ」

「そう云わず、義兄さん。
 最近あの人の顔を見ていなかったから、心の清涼剤が不足していて……」

「お前の求愛行動はバブル期チックで見てて鳥肌が立つんだよ!」

「バブル期……?
 いや、それはともかく。
 良いじゃないかエスティマ。あんまり過保護なのはどうかと思うんだ、僕は。
 ここらで妹さんの独り立ちを――」

「祝福しない!」













リリカル in wonder












ヴェロッサを適当にあしらうと、俺は一人、六課の廊下を進んでいた。
向かう先は応対室の一つとなっている部屋だ。そこで六課にきたヴィヴィオとこれから彼女の面倒を見るフェイトの顔合わせをしていたのだが、泣き出してしまったらしい。

だからと云ってなんで俺が呼ばれるのか――それはきっと、シグナムを育て上げたというころもあるのだろう。
もっとも、あの子が真っ当な人として育ってくれたのは、あの子自身が良い子だった――良い子すぎた部分が大きいけれど。

ともあれ、子守というならば他人よりも少しはマシか。
しかし、フェイトだってスクライアではキャロの面倒を見ていたはずなんだけど……なぁ。

困った時の兄頼り、ってところだろうか。
そんなことを考えつつ、俺は目的の部屋へと辿り着いた。

すると、だ。
ドアがスライドすると共に、幼児の泣き声が廊下に漏れ出す。
騒がしくて敵わない。さっさと部屋に入ってドアを閉じると、ヴィヴィオを宥めていたフェイトが、助かったと云わんばかりに表情を輝かせた。

……なんで泣き止ませることも――ああそうか。
フェイトがキャロに接していたのは、あくまで姉として。
歪ながらも親として振る舞おうとしていた本来の彼女とは、気概の時点ですら差があるということだろうか。

ぎゃんぎゃんと響き渡る泣き声は、お世辞にも聞き心地が良いとは云えない。
金切り声にも似た雑音は神経を逆撫でて、普通の人ならば顔を顰めるか、そうでなくとも苛立ちを抱くだろう。

けれど、こんなものは気にしなければどうということもないのだ。
そうすれば、ただ五月蠅いだけで気に障ることでもない。むしろ、精一杯泣き叫ぶヴィヴィオを微笑ましく思えるほどだ。
ヴィヴィオ本人からしたら、たまったものじゃないだろうけれど。

「どうしたの?」

柔和な言葉遣いを心掛けながら近寄って、ぽんとヴィヴィオの頭に触れる。
そして彼女が俺に気付くと、そのまま腰を下ろして視線を合わせた。

その時になって、ヴィヴィオが腕に抱いているウサギのぬいぐるみに気付く。
なのはの奴、買い与えてる部分は変わらないのか。

「何か怖いことがあった?
 泣いてばかりじゃ、お兄さんもお姉さんも分からないよ。
 ほら、そのウサギさんだって」

『Seven Stars』

『なんでしょうか』

『芝居をしろ。今からお前はウサギさんだ』

『……意味が分かりません』

文句を云うSeven Starsを無視して首から黒い宝玉を外すと、紐をくるくると耳の根本に巻き付ける。
が、ヴィヴィオは泣き叫んだままだ。言葉だけで泣きやんでくれるほど、子供は利口じゃない。
なので、

「そーら」

両方の脇腹に手を添えて、無遠慮にくすぐってやる。
すると規則的に響いていた泣き声は途端に濁って、咳き込むと共に止まる。
……なんとも力業だ。

涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたヴィヴィオは、そのまま俺を睨みつけてくる。
何するの、と言外に云っているようだ。

「フェイト」

「あ、うん」

声をかると、フェイトは思い出したようにエプロンのポケットからティッシュを取り出した。
そして、優しげな手つきでヴィヴィオの顔を綺麗にしてゆく。
嫌々と逃げ回るヴィヴィオの様子に苦笑しながら。

「ん、綺麗になった。
 ヴィヴィオ、だよね。
 そんなに泣いてどうしたの?」

「……なのはママ」

「あー、なのはママがいないのか。
 それで泣いちゃったんだ?」

こくり、とヴィヴィオは頷く。
寂しかったからか、初めて会うフェイトに人見知りを発動させたのかは知らないけれど。

「そっか。うん、寂しかったね。
 けど、良い子で待っていたらママもすぐにきてくれるから。
 ヴィヴィオ、待てるかな?」

「……ふぇ」

待つ、ということに我慢ができなくなったのだろう。
ぎゅっとぬいぐるみを抱き締めて、拭き取られた瞼に再び涙が滲む。

すると、

『……泣かないでください。耳障りなので』

「……?」

今にも泣き出しそうだったヴィヴィオは、腕に抱いたぬいぐるみに不思議そうな目を向ける。
耳障り、という言葉の意味が分からなかったのだろう。
泣くな、という言葉を上げた――というか喋ったぬいぐるみを不思議そうに見遣る。

「……ウサギさん?」

『……なんですか』

首を傾げながら、ヴィヴィオはぐにぐにとぬいぐるみの耳を引っ張る。
興味はそっちに移ったようだ。良かった良かった。

『んじゃまぁ、なのはには早めに教導を切り上げるよう頼むから、後よろしく』

『ご、ごめんね兄さん』

『気にするなよ。
 それじゃ、仕事に戻るから』

お疲れ、と手を振って、最後にもう一度ヴィヴィオを見る。
さっきまでの泣きっ面はどこに行ったのか。耳を引っ張るのをやめて、今度は耳に取り付けられたSeven Starsを指でつついていた。

『……止めなさい』

が、止めろという言葉よりも反応があったことが嬉しかったのか。
ヴィヴィオは表情を輝かせると、ビシビシとデバイスコアを指で弾き始める。

『こら、止めなさい。
 ああ、旦那様! 何故に私を残して――』

『後よろしく』

ひらひらと手を振って、部屋を後にする。
そして、ゆっくりと閉まったドアを背後に、ひっそりと苦笑した。




















ヴィヴィオが六課にきてから、少しだけ時間が経つ。
一週間。それだけの時間だが、先端技術医療センターと比べれば人の温もりがいくらかはある場所に、彼女は早くも順応していた。
悪意を自分に向ける人はここにいない――などと難しいことを彼女は考えていない。
が、自分に優しくしてくれる人がたくさんいるこの場所が、居心地が悪いはずがなかった。

ヴィヴィオは今、フェイトの部屋で一人、テレビを見ていた。
部屋の主は今、女子寮の外を掃除している。ヴィヴィオの面倒を見ると云っても、通常業務を止めるわけにもいかず。
何かあったらSeven Starsから連絡もあるので、少しの時間、ヴィヴィオは一人――ではなく、お気に入りの喋るぬいぐるみと過ごしていた。

ヴィヴィオが熱心に視線を注いでいる画面に映る番組は、ミッドチルダの教育テレビ。
小学生ではなく、完全な幼児向け番組。デフォルメされたキャラクターが歌のお兄さんやお姉さんの一緒に動き回っている。

リズミカルなBGMに身体を揺らしながら、ヴィヴィオは半口を開けてじっと画面に見入っていた。
すると、番組が次のコーナーに移る。

ヴィヴィオは少しだけ残念そうに表情を曇らせる。

「……おわっちゃった」

『……このコーナーが終われば、また始まります。
 それまで我慢を』

「わかった!」

ぎゅっと喋るぬいぐるみを抱き締めて、ヴィヴィオは番組へと戻る。
画面に映る文字は読めなかったが、幼児でも分かるレベルに噛み砕かれた言葉を聞きながら、ヴィヴィオは小さく首を傾げた。

「……パパ?」

番組のコーナーは、休みの日に父親と遊ぶ子供の様子が映っていた。
その子の様子が酷く楽しそうで、なんでそんなに笑っているんだろうと、ヴィヴィオは頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。

「ウサギさん、パパってなに?」

『一親等以内の男性親族。
 もしくは、社会的にそういう立場を取りながら家を支える者を指します』

「……わかんない」

『ぐっ……。
 男の人のママです』

色々と放り投げて、Seven Starsはヴィヴィオに分かるレベルで説明を行う。
なぜ完璧な解答が通じないのだと、本人としては酷く不満そう。
だがヴィヴィオは二番目の説明で理解できたようで、すごいすごいと喋るぬいぐるみを抱き上げる。

ヴィヴィオからすると、この喋るぬいぐるみは大事な知恵袋兼お友達だった。
何か分からないことがあれば、この子が教えてくれると。
この時もまたヴィヴィオの望むことを教えてくれて、ウサギさんすごーい、と思うヴィヴィオである。

「じゃあ、ヴィヴィオのパパは?」

『……それは』

どう云ったものだろうか。
この人造魔導師に親らしい親などいない。
いるとしたら制作者となるのかもしれないし、遺伝子提供者なのかもしれない。
が、その両方にSeven Starsは心当たりがなかった。

言葉に困ったのは、その事実をヴィヴィオに伝えたくない――というわけではない。勿論。
Seven Starsはエスティマのために存在するデバイスであり、ヴィヴィオがどうなろうと知ったことではない。
その上、彼女としても主人の首元にあるのではなく、ヴィヴィオの相手をしている現状は酷く不満なのだ。
少しぐらいの意地悪をしてやろうという気持ちがある。
だから、

『探しに行ってみましょうか』

「……え?」

『私にもあなたのパパは分かりません。
 なので、探してみましょう』

云われ、ヴィヴィオは少しだけ迷う。
外に出たら迷子になるから危ないよ、とフェイトに云われているため、言い付けを破るようで困ってしまったのだ。
しかし、その逡巡は一瞬で消える。
画面に映っている子供――パパと遊ぶ子があまりにも楽しそうで、自分もそうなりたいと思ってしまったため、ヴィヴィオは喋るぬいぐるみの耳を掴んで立ち上がった。

「パパ……」

呟きながら、ヴィヴィオは小走りに部屋の出口へと。
そして廊下を駆けつつ、擦れ違った人を見て、違う、とすぐに視線を逸らす。
ここは女子寮なので当たり前だが。

てとてとと柔らかい足音を上げながら、ヴィヴィオは車に気を配って道路を横断。
そのまま歩き続けると、六課の隊舎へと向かう。

男の人がいるならここだったはず、とロビーに入る。
きょろきょろと周りを見回すと、不意に、受付の人と目があった。

「こんにちは!」

「……こんにちは」

ちゃんと挨拶をしないとね、とママに教えられたことを実践して、そのままヴィヴィオは歩き出す。
受付に座っていた人物はヴィヴィオが迷い込んだわけじゃないのだろうと――元気の良い挨拶をされただけで思いこみ、仕事に戻った。

それはともかくとして、ヴィヴィオは隊舎の廊下を歩く。

「ウサギさん、どっちにいけばいいの?」

『次を右に』

「……?」

『ぐっ……こっちです』

呟くと、Seven Starsは空中に山吹色のスフィアを生み出した。
ふらふらと空中を泳ぐそれが、ヴィヴィオの行き先を示す。
それをじっと見詰めて、すごいすごい、と喋るぬいぐるみをヴィヴィオは抱き締めた。

魔法というものをヴィヴィオは知っている。すごいもの、という認識ていどだが。
しかしそのすごいものを喋るぬいぐるみが使えるとは微塵も思っていなかったため、ヴィヴィオの驚きは人一倍だった。

魔法、ということで真っ先に浮かんできたのは、なのはの姿だ。

「ウサギさん、ヴィヴィオもママみたいに空とびたい!」

『パパはもう良いのですか?』

「……えへへ、そうだった」

小さく舌を出して笑うと、ヴィヴィオはパパ探しを続行する。
宙に浮くスフィアを眺めながらふらふら歩いていると、角を曲がって出て来た男性に、足を止めた。

ヴィヴィオの知らない人物。だけど男の人。この人がパパなのだろうかと、じっと見詰める。
無垢な視線をじっと向けられ、何事、と彼――グリフィス・ロウランは戸惑った。

そして、

「ヴィヴィオのパパですか?」

「えっ」

ビシリ、と固まってしまったグリフィス。
どうやら違ったらしい。

失礼しました、と教えられたとおりに頭を下げると、ヴィヴィオはパパ探しを続行する。
スフィアに従いながら歩き続けていると、ふと、男の人たちが固まっている一角を見付けた。

休憩所の片隅で、硝子張りになっている場所。
ヴィヴィオには分からないが、喫煙所だ。
行こうかどうしようか迷っていると、宙のスフィアがいきなり曲がって、その後を追ったヴィヴィオは喫煙所のことをすぐに忘れた。

ふらふらスフィアを追って彷徨っていると、今度は通路の向こう側に青い影が。
ザフィーラである。ヴィヴィオの面倒を見ているのはSeven Stars。護衛はザフィーラと役割分担をしており、隊舎にヴィヴィオが移動したことに気付いた彼は、ヴィヴィオを追いかけてここまできていた。

「ザッフィーだ!」

ザフィーラに気付いたヴィヴィオはぬいぐるみを抱いたまま走り寄って、そのまま飛びつく。
もふもふと毛に顔を埋めるヴィヴィオ。幸せそうな彼女とは違い、ザフィーラは迷惑そうな目をSeven Starsに向ける。

『外に出るなら一言云えと……』

『失礼しました』

そんな一匹と一機のやりとりに気付かず、一通りもふもふした後、ヴィヴィオはザフィーラへと顔を向ける。

「ねーザッフィー、ヴィヴィオのパパはどこ?」

パパ……だと……?
犬の顔だというのにザフィーラは眉尻を寄せる。
本人は混乱しているだけだが、ヴィヴィオはそれを知らないのだと受け取って、むむ、と脣を尖らせた。

困った。これならフェイトに聞けば良かった、と今更になってヴィヴィオは思う。
外を歩き回るのは確かに楽しいが、それはそれ。
本来の目的であるパパ探しができなければ駄目だった。

他人からすれば取るに足らないことだが、ヴィヴィオからすると大きな問題。
それに気付いたザフィーラは、鼻先でヴィヴィオの腹を突くと、着いてこいとばかりに尻尾を振って歩き出す。

『行きましょう』

「うん!」

喋るぬいぐるみに促され、ヴィヴィオはザフィーラの後を追う。
揺れる尻尾に目を動かしながら、自分が今どこを歩いているのかも考えず、ついて行く。

そうして辿り着いたのは、部隊長の執務室だった。

「ザッフィー、ここ何?」

問われ、ザフィーラは入れとばかりに首を巡らせる。
不思議に思いながらも、ヴィヴィオは自動で開いたドアの向こう側に踏み込んだ。

「ん? 誰だ――って、ヴィヴィオ? ザフィーラも。
 どうした?」

「ん、ヴィヴィオ?」

部屋の中にはエスティマともう一人。なのはがいた。
どうやら打ち合わせをしていたようで、二人は半透明のディスプレイを挟んで会話をしていた。
が、二人はヴィヴィオの姿に気付くとウィンドウを閉じて、彼女の方を見た。

「ママ!」

なのはの姿を見たヴィヴィオは、ぬいぐるみを抱いたまま駆け寄る。
呆気に取られていた彼女は、もう、と苦笑する。

「駄目だよヴィヴィオ。ここはお仕事をするところなんだから」

「……ごめんなさい」

「うん、良いよ。
 それで、どうしたの? ママに会いたくなった?」

「ううん、パパを探してるの」

「……パパ?」

えっと、となのはは苦笑したまま首を傾げる。
が、ヴィヴィオはひどく真面目なようで、頷きを返す。

「ウサギさんと一緒に、パパを探してるの」

「Seven Stars、お前……」

呆れたエスティマの声が響くも、Seven Starsはそれを無視。
拗ねたようにデバイスコアを輝かせただけで、沈黙している。

エスティマが声を発したからだろうか。
ヴィヴィオはなのはからエスティマへと視線を動かして、パチパチと瞬きをした。

見覚えがある人。ウサギさんを喋るようにしてくれた人。
自分に特別優しくしてくれる人、というのがヴィヴィオのママの基準だった。
なので、男性では――

「……パパ?」

『ええ、そうですよ』

「おいぃ!」

エスティマが速攻で突っ込みを入れるも、一人と一機は完全に無視した。
ヴィヴィオは花が咲くように笑みを浮かべて、机を回り込んでエスティマの目の前へと。

キラキラとした目を向けられて、エスティマは心底困ったように――しかし怖がらせちゃ駄目だと無理矢理に笑みを作る。

「……パパなの?」

「どうかなー……」

助けを求めるように、エスティマはなのはへと視線を流した。
が、なのはは苦笑するだけだ。
そもそも彼女だって、半ば勝手にヴィヴィオからママと呼ばれているのだ。
エスティマがそうなっても別に、と考えているのだろう。

『ほら、ヴィヴィオ。良く見てください』

「?」

『瞳の色が片方同じです。つまりパパです』

「……ほんとだ!」

Seven Starsの云ったことに気がついて、ヴィヴィオは顔を輝かせる。
だめ押しとなったのか、ガックリと肩を落として、エスティマは溜め息を吐いた。
そして再び笑顔を作る。

「……うん、そうだね。
 今は取りあえずのパパってことで」

そんな言い訳じみたことを云うも、ヴィヴィオには理解できない。
えへー、と満面の笑みを浮かべたまま彼女はエスティマの座る椅子――というか、彼の膝の上によじ登る。
そしてエスティマの胸板に背中を預けると、ヴィヴィオは満足したように喋るぬいぐるみを抱き締めた。

















『で、どーすんだよこの状況』

『えっと……どうしようか』

『このままじゃ仕事できないし……けど、引き剥がしたら泣くだろうしなぁ』

参った、とエスティマから届く念話を聞きながら、なのははまた苦笑する。
仕事とヴィヴィオを天秤にかけている時点で、彼は酷く甘い。
やはりシグナムを育てたことが影響しているのだろうか。
いや、そもそも彼は甘い人間だし、これが地なのかもしれない。
そんなことを、なのはは思う。

彼とは違い、自分はシャマルの面倒をほとんど両親に任せていた。
だからエスティマとは違い、自分はあの子のことを使い魔や娘というよりは、妹として見ている気がする。

それは彼との大きな違いだろう。
叱りつけこそしないものの、きっと自分はすぐにヴィヴィオをフェイトの元まで連れて行き、仕事に戻る。
けれどエスティマはどうしたものかと困り果てて、けれどヴィヴィオを邪険に扱うつもりはないようだ。

「……ヴィヴィオ、これからパパはお仕事しなきゃならないんだけど、どうする?
 遊んであげられないから、寮の方に戻った方が楽しいと思うけど」

「ここにいる!」

「そっかー……」

それとなく誘導しようとして失敗したエスティマ。
彼はいい加減諦めたのか、ヴィヴィオを膝に乗せたまま閉じたウィンドウを展開した。

そのまま、エスティマはなのはとの打ち合わせを再開する。
ちっとも内容は分からないだろうに、エスティマの膝の上にいるヴィヴィオは、ご機嫌な様子で二人を見上げていた。

それにしても、となのはは思う。
なぜヴィヴィオはいきなりパパなんてことを言い出したのだろうか。
先端技術医療センターで初めてヴィヴィオと顔を合わせたとき、ママはどこ? と彼女は聞いてきた。
それからなのははママと呼ばれるようになったのだが――その時のことを考えたら、ヴィヴィオが父親のことを気にしたことが、少し不思議に思える。
もしかしたら、自分はヴィヴィオが満足するほどに構ってやれてないのでは――そんなことを考えてしまう。
実際は教育テレビに影響されてのことだが、それを知らないなのはからすれば、どうしても気になることだった。

エスティマと念話を交わしながら、なのははヴィヴィオへと視線を落とす。
何が楽しいのだろう。分からない。けれどヴィヴィオは飽きることを知らないように、にこにこと二人のことを眺めている。

……ヴィヴィオが何を考えているのかまでは分からない。
けれど――ああ、となのはは少しだけ、ヴィヴィオの気持ちが分かってしまった。
おそらく寂しかったのだろう、と。
父親はいない。母親はいるのだとしても、それは仕事で自分を構ってくれない。
けれど嫌われたくはないから、良い子にして待っていなければならない。

そんな気持ちは、なのはにも覚えがある。
父が負傷し、実家の喫茶店の経営が危うい時期――自分の幼少期とどうしても重なってしまうのだ。

……ごめんね。

そう、ひっそりと胸中で彼女は呟いた。
両親が大変な時期だから、ワガママを云って困らせてはいけない。
そう云って寂しさを押し込めて、一人でいた時期は、決して楽しくはなかった。
それと同じというわけではないだろうが、似た気持ちを覚えさせてしまったことに、微かな胸の痛みを覚える。

『ヴィヴィオ』

「なーにー?」

唐突に声を上げたSeven Starsに、ヴィヴィオは応える。
声の調子は穏やかで、弾んでいた気持ちは落ち着いているようだ。
しかし楽しくなくなったわけではなく、穏やかさの中には喜びが混じっていた。

『何がそんなに楽しいのですか?』

「パパとママがいるから!」

『……そう、ですか』

不満そうに押し黙るSeven Stars。
けれど、ヴィヴィオにとっては言葉の通りでしかないのだろう。
何か理屈があるわけではなく、ただ両親が揃っているだけで嬉しいのだと――当たり前のことを喜んでいる。

ああ、そうだった。
そんな当たり前のことが与えられなかったからこそ自分は餓えて、そして、今のヴィヴィオも同じ状態なのだろう。
……ごめんね。

もう一度、言葉に出さず胸中で呟く。
ヴィヴィオになのはの気持ちが通じることはないだろう。
それは彼女自身も分かっている。
彼女が謝罪の言葉を思ったのは偏に、自分自身へとヴィヴィオのことを刻みつけるためだ。
仕事をなまけることはできない。
自分自身へと科した事柄に、手を抜くことはできない。

けれど――大事にしなければいけない対象への愛情をしっかりと覚えるために。

なぜ、自分はヴィヴィオにママと呼ばれることを許したのだろう。
それは、フェイトと友達になったことや、はやてを救うことに力を貸したことへ通じるものがある。
彼女は泣いている人間を放っておくことができないのだ。
寂しさを我慢して、一人、誰もいない場所で泣いていた自分と同じを味あわせないために。

だからこそ――と。

なのはは、ヴィヴィオにママと呼ばれることを受け容れていた。
















エスティマの膝の上で時間を過ごし、飽きもせずヴィヴィオはずっと楽しそうに過ごしていた。
しかし、その時間にも終わりはくる。就業時間だ。

これからご飯を食べて――それで、ヴィヴィオが望んでいた時間は終わるだろう。
それを分かっていたのか、知らなかったのか。

「……それじゃあヴィヴィオ。もう、パパは自分の部屋に帰らないとだから」

そうエスティマが云うと、ヴィヴィオは一瞬前までの笑顔から一点、戸惑いの混じった怒り顔へと転じた。
ほっぺたを膨らませたまま、

「やだ!」

そう、子供らしく、理由も言わずに拒絶の言葉だけを放つ。
どうしたものかとエスティマは思案する。
そんな彼とは違い、なのはは苦笑すると不機嫌そのものであるヴィヴィオを、エスティマの膝から抱き上げた。

「ほら、ヴィヴィオ。
 あんまりワガママ云っちゃ駄目でしょ?
 今日一日でパパにもワガママを聞いてもらったんだから、もう良い子にしなきゃ」

「やだー!」

なのはの諭す言葉に頭を振って、ヴィヴィオは大粒の涙を瞳に浮かべる。
辛うじて頬を伝ってはいないものの、すぐにそれが大泣きへと変貌することは誰の目から見ても明らかだった。

そんな様子のヴィヴィオに、少しだけなのはは面食らってしまう。
幼いにしても、ヴィヴィオは聞き分けの良い子だと思っていたのだ。それが、こうも駄々をこねるだなんて。

『ヴィヴィオ。あまりワガママを云っては駄目です』

「けど、ヴィヴィオは……」

『駄目です』

「けど……!」

お気に入りのぬいぐるみに諭されても尚、ヴィヴィオは髪を揺らしながら嫌だと云う。
なんでだろう、とヴィヴィオの言葉を聞きながら、なのはは首を傾げる。
決して聞き分けの悪い子じゃなかったはずなのに、と。

「ヴィヴィオ、一緒に寝たいもん……」

……ああ、そうか。
そう思うと同時に、それもそうかと思い至る。
もし普通の家族ならば、父親母親に挟まれて子供は眠る――だからヴィヴィオは、それをしたいと云っているのだろう。
同時に、なのはも子供の頃はそうしたかったという、忘れていた欲求を思い出す。

目を覚まして、真っ先に母親を捜したヴィヴィオ。
それを手にした今、今度は父親母親と一緒に時間を過ごす――そんな当たり前であり、だからこそヴィヴィオは欲して止まない事柄。
このまま父親と別れてしまっては、その願望を満たすことができないと分かっているのだろう。

けれど、ヴィヴィオの願いは叶わないと分かっている。
パパママと呼ばれてはいるが、エスティマと自分はヴィヴィオが云うような関係ではない。今はヴィヴィオのために芝居をしているようなものなのだ。
そもそも男子寮と女子寮で休む場所が別れている以上、ヴィヴィオの願いは叶わないのだが……。

「……そっか。じゃあ、一緒に寝るか?」

「……本当?」

「ああ」

「やった!」

エスティマの言葉に顔を輝かせて、ヴィヴィオはそのまま彼に抱きつく。
まんざらでもない表情をしながら、それを受け容れるエスティマ。
だが二人の様子を見ながら、なのはは呆れた響きの混じる念話を彼へと向けた。

『……エスティマくん。部隊長が積極的に規律を破って良いの?』

『そう云うなよ。俺だって考えなしに喋ってるわけじゃないさ。
 職員用の仮眠室を使う。今は別に警戒態勢ってわけでもないし、問題はないだろう』

ヴィヴィオを隊舎に入れる時点でグレーゾーンだけどさ、とエスティマは苦笑する。
それに溜め息を吐きながら、なのはは追うように苦笑した。

その後、なのははヴィヴィオを連れて風呂へと。
よっぽど父となってくれた者と一緒にいられることが嬉しいのか、なのはと身体を洗っているときも、終始ヴィヴィオの機嫌は良かった。
風呂を上がると、普段着のまま二人は再び隊舎へと戻る。手荷物として持っているのは寝間着だ。

エスティマの云っていた仮眠室に行くと、そこには既にエスティマがいて、彼は寝るための準備を進めていた。
どこから調達してきたのだろう。部屋に並んでいる簡易ベッドは横にどけられており、床には布団が敷かれている。

97管理外世界の自室にはベッドがあったし、布団で寝るのは久し振りだ。
そんなことを考えながら、なのはは肩に担いだ荷物を床に下ろした。

「パパー!」

「きたかヴィヴィオ……それじゃあ、着替えて寝る準備をしような。
 パパはちょっと外に出てるから」

「……なんで?」

「なんでって……そりゃ」

そう云って、エスティマはちらりと視線をこちらに向けてくる。
……少し、気まずい。

「……ともかく、外に出るから」

「えー……じゃあ、ヴィヴィオも……」

『ヴィヴィオ。先に着替えてしまいましょう』

「うー……」

Seven Starsに云われて、渋々ヴィヴィオは頷いた。
そしてエスティマが外に出たことを確認すると、なのはは制服からパジャマへと。
ヴィヴィオの着替えが終わって、脱いだ服を片づけると、外で待つエスティマへと念話を飛ばした。

そして彼が入ってくると、そのまま三人で布団に入る。
俗に云う川の字だ。ヴィヴィオを真ん中に挟んで、両脇をエスティマとなのはが。

横に並ぶエスティマとヴィヴィオの顔を見て、なんだか変な感じ、となのはは小さく笑った。
ヴィヴィオが切っ掛けとなり、父親と母親の役を演じているなのはとエスティマ。
もしこんな機会がなければ、一緒の布団に入ることなんてあり得ないだろうに。

自分とエスティマは、とても男女の仲とは云えないだろう。
友人。その言い方が最もしっくりくる。
世の中には男女の間に友情は成立しないなんて言葉があるけれど、自分と彼だけは違うだろう。そんなことを、彼女は思った。

そもそもエスティマを男性として意識することが、どうしてもなのはにはできないのだ。
好敵手とも戦友とも云える立ち位置をずっと続けてきたことがある上に、友人――はやてがどんな風に彼を見ているのか知っている。
だからこそ、なのははどうしてもエスティマを異性として意識できない――しようとしていなかった。

「なのはママ」

「……ん?」

ヴィヴィオに呼ばれ、なのはは考えごとからふっと抜け出した。
見てみれば、ヴィヴィオはくすぐったそうな笑みを向けてきている。
いつもならば眠っている時間なのに、少しも眠そうではない。
興奮しているのだろうか。かもしれない。父親と母親に挟まれて、という状況が、きっと嬉しくてたまらないのだろう。

早く寝なさい――そんな言葉が喉元まで出かかるが、なのははそれを飲み込んだ。
今日みたいなことをずっと続けることは出来ないだろう。なんだかんだで無理を通しているところもあるのだ。
だったら今日ぐらいは、寂しい思いをさせずに、ワガママを聞いてあげよう。

「なのはママ」

もう一度なのはを呼んで、ヴィヴィオはおもむろに、なのはの手を取った。
そして、

「エスティマパパ」

もう片方の手をエスティマへと伸ばす。
両親と手を繋いだ状態で、えへへ、とヴィヴィオは頬をとろけさせる。
ヴィヴィオが何を思っているのか、なのはには分からない。
しかし、幸せそうな表情を見れば、それだけで満足できてしまう。

ああ、幸せそうだ――こんな風に自分もやってもらいたかった――。
心の隅に滲む、幼少期の寂しさになのは自身は気付いていない。
けれどそれが根底にあるからこそ、彼女はヴィヴィオを愛してあげたいと思っていた。

ふと、なのははヴィヴィオからエスティマへと視線を流す。
彼は腕枕をしながら、ヴィヴィオへと柔らかな視線を注いでいる。
父親と云うにはまだ若い。しかし、微かな愛情が表情に浮かんでいた。

シグナムの面倒を見ていたからだろうか。
彼に云わせれば父親失格とのことだが――だからなのだろう。
シグナムを満足にかまってやれなかったからこそ、エスティマはこうしてヴィヴィオを相手にしているのでは。
そんなことを、なのはは思う。

自分を同じ寂しさを感じさせたくないからママと呼ばれることに甘んじている自分。
シグナムを充分に愛してやれなかったから、今、パパと呼ばれることに甘んじている彼。
なんとも妙な形だった。
どちらもヴィヴィオを見ているようで見ていない。けれど、ヴィヴィオはそれに気付いていない。
俗に云う偽善というやつだろうか。そんなことを、なのはは思う。
しかし、偽善も最後までやり通せば善となるのだ。今までがそうであり、今がある。ずっとそうし続けてきた。
ならば今回も今までと同じように……シャマルの時と同じように、この子を守ってあげよう。

「ねぇ、ママ。パパ」

「……どうしたの、ヴィヴィオ」

横になったことで徐々に眠気が襲ってきたなのはが、僅かに間を置いて返事をする。
えっと、と前置きをして、ヴィヴィオはたどだとしく言葉を紡いだ。

「ママとパパは魔導師さんだよね」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、ヴィヴィオも魔法使いたい」

「んー……ちょっと早いかな。もう少し大人になったらね」

苦笑しつつ云ったなのはに、ヴィヴィオは頬を膨らませた。
ワガママが始まるかな。そうなのはが思うと、

「なのはママが魔法を覚えだしたのは九歳からだよ、ヴィヴィオ。
 だからそれまで待とう。そうすればお揃いだ」

「……うん」

エスティマの理屈になっていない理屈で、ヴィヴィオは渋々納得した。
……今のやりとりこそ魔法じみてる。
上手いな、と少しだけなのははエスティマを見直した。

横になったままヴィヴィオの髪の毛へ手を伸ばし、ゆっくりと撫でる彼。
顔に浮かんでいるのは穏やかな笑みで、それは、なのはがあまり見たことのない類のものであった。
僅かに父性の見え隠れする顔。97管理外世界にいる父が浮かべるような。

……そんな顔もできるんだ。

てっきり彼は自分と同類――戦うことが本業の人間だと思っていたのに。
しかし、よくよく考えてみれば違う気もする。
ずっと戦い続けて、習得した技を生かし教導官となった自分。
ずっと戦い続けて、今は三佐にまで上り詰め、この六課を運営しているエスティマ。

始まった部分は同じなのに、こうも違いが出ることに驚いてしまいそうだ。
とは云っても、それぞれ違う人間なのだから、まるっきり同じになるだなんてあり得ないけれど。

それでも今のやりとりを見て、培ってきた経験が自分とは違うのだとなのはは思った。
……似ているってずっと思ってきたけれど、そうでもないのかな。

今更すぎることだが、しかし、それも仕方がないのかもしれない。
方向性や立場は違うが、彼と自分は根っこの部分が酷く似ている。何かを守るために戦う者。
積み上げた経験や生き方が違うために執る手段は違うが、その目的はほぼ同じ。

そんな似て非なる彼に、少しだけなのはは興味を抱いた。

ふと視線を落とす。
興奮だけでは限界があったのか、横になったヴィヴィオはゆっくりと眠りに落ちているようだった。
額にかかる前髪をそっと直してやると、ヴィヴィオの顔を眺めながら、なのははエスティマへと念話を送る。

『エスティマくん、起きてる?』

『起きてるよ。
 ああ……疲れた。今日はお互いにお疲れ様』

『ずっとヴィヴィオの面倒を見ていたからね、エスティマくん。
 なんだかんだで、パパが様になってたよ』

『……止せよ。嫌味にしかならない』

『どうして?』

『シグナムにこうしてやりたかった、ってのを、そのままやったようなもんだからな』

『……そっか』

上手く返す言葉を見付けられなくて、なのはは言葉に詰まる。
そんな風に応え辛い話題にした自覚があったのか、今度はエスティマの方から話を振ってきた。

『そういうお前は、あんまりママらしくないな』

『……仕事があるから。
 かまってられる時間が少ないから、どうしても。
 私じゃなくてフェイトちゃんの方がママ役に相応しいと思うけど……』

『さて、どうかな。
 慌てふためく様子が目に浮かぶよ、俺は。まぁ、すぐに慣れるだろうけれど』

『そうかなぁ……フェイトちゃんなら、なんでもそつなくこなすイメージがあるけど』

『いや、あれは生来の不器用だ。頑固だし。
 効率の良いやり方が分からないから、取りあえず全部やってみるのを選択するよフェイトは』

くつくつとエスティマは忍び笑いを洩らす。
それでヴィヴィオが眠りから冷めることはなかった。
二人は話を続行する。

『そっか。なんだか以外かも。
 私からすると、エスティマくんもフェイトちゃんもユーノくんも、なんでもこなせる完璧兄妹ってイメージがあるかな』

『そりゃ間違いだって。要領良いのはユーノだけで、俺もフェイトも不器用だよ』

『エスティマくんも?』

『ああ。同時に物事をこなすことなんかできない。
 今も昔も、俺は一度に一つのことしかできないよ』

だからシグナムを満足にかまってやれなかった。

それは言い訳なのか、それとも自嘲なのか。
なのはには分からなかった。

『……シグナムも不幸ってわけじゃないと思う。
 昔は寂しかったとしても、エスティマくん、ちゃんとシグナムのこと考えてるから。
 その気持ちは伝わっていると思うよ』

『そうだな。あれは、良い子だから。
 良い子でいるようにしてしまった、ってのもあるかな。
 もう少しワガママを云って貰いたかったかもしれない。今だから云えるのかもしれないけどさ』

自嘲気味に呟く彼に、なのはは眉根を寄せた。
……そういえば彼はこういう人間だった。
いちいちネガティブに走るのが悪い癖。それ以外のところはそんなに悪くないのに。

『ねぇ、エスティマくん。
 そういう風に暗い方向へ持っていこうとするの、悪い癖だよ』

『なんだよ。説教するなよ。
 ……癖みたいなもんなんだから流してくれ。付き合い長いんだから慣れてるだろ』

『そういうのに慣れてるのは、多分はやてちゃんだけ。
 こうやって二人で話す機会もそう多くないからね』

『……そうか? ああ、そうかもな。
 オーケー、分かった。気を付けるよ』

気のない受け答え。微塵もそんな気がないことは、なんとなく分かった。
……しょうがない人。
こんな気持ちをはやてちゃんも味わっていたのかな。

ふと脳裏に幼馴染みの顔が浮かぶ。
エスティマと付き合いだしてからの時間は自分と大差ないけれど、彼を見ているという一点では誰よりも長い時間を過ごした八神はやて。
そもそも彼女は、どうしてこの人が好きなのだろう。
以前、放っておけないからと聞いたことがあるけれど。

……少し、客観的に考えてみよう。

外見は……良い方だろう。
中性的なところがあるとは云え、可愛く見えるのは悪くない。
おそらく本人に云ったらいい顔はしないだろうけれど。






性格は……まぁ、良いはずだ。
そうでなければここまで彼を中心に人が集まることはないはずだし。
深く関われば変わったところがあるのに気付くけれど、それが悪いわけではない。

あとは……仕事もできる。給料も良い。
働いているところが管理局だから収入だって安定している。
もし今の職を辞しても、デバイスマイスターの資格を持っているから食うのに困ることはないだろう。

……あれ?
一人の男性として見たらそこそこ良い線を行っているはずなのに、欠片も彼をそういう風に見れないのはどういうことか。
少し考えて、簡単にその答えへと辿り着く。
彼と自分は友達だ。性別を超えた友情は生まれないとどこかで聞いた覚えがあるけれど、自分と彼だけは違う。

好敵手。そんな言い方がしっくりくる。
何もにらみ合いをしながら激突するわけでなく――心根が似ているからこそ、頑張っている姿を見て自分自身を奮起し合うような関係。
もうずっと前の話になるが、彼の心が折れ欠けたとき、自分は心配すると同時に失望してもいたのだ。
まだ幼く、こんな思考に辿り着いていなかったから、当時は気付いてもいなかったが。

それと同じように、もし自分の心が折れそうになったならば、彼はきっと嘲笑いにくる。
……酷い人だなぁ。
なのはの想像でしかないが、容易にその光景を思い浮かべることができてしまった。

しかしそれは、自分が思っているのと同じように、きっと立ち上がると信じているからそんな態度を取るのだろう。
いつかの自分――首都防衛隊第三課が壊滅した時、彼の夢の中で激励の言葉を向けなかった自分と同じように。

……そう。自分と彼はそんな仲だ。
今の状況だって、ヴィヴィオのために演技をしているようなもの。
こうして一緒の布団に入っていても、これと同じことが二度とあるものか。

決して男女の仲になんて、なるはずがない。
そういうのははやてがいるし――

『しっかし、アレだな』

『……ん?』

『こうやって川の字で寝るってのも、変な気分だ。
 血のつながりも何も、ここの三人にはないっていうのにな』

『うん。私もそんなことを考えてた』

『奇遇……でもないか。誰でも思うよな。
 まぁ、お前と家族になるとか、あり得ないし』

『あはは……って、何気に酷いこと云ってない?』

笑顔一転、いや、表情はそのままだが、なのはは少しだけ不機嫌さを滲ませて念話を送る。
そうすると焦ったように、エスティマが続きを云った。

『……勘違いするなよ。そういう風に見られないってだけだ。
 まぁ、可愛いし。普通にお前とそういう関係になりたいって奴はたくさんいるだろ』

『それはどうも。
 ま、私も似たようなことをエスティマくんに考えてるから、おあいこだけどね』

『……酷いな』

『エスティマくんもね』

云いながら、二人は念話ではなく、押し殺した笑い声をくつくつと上げる。
そう。
彼とはこんな関係なのだ。
これがずっと続くのだと、なんの根拠もなしになのはは信じている。
















「……ん」

目を覚ます。
ここは――と、一秒にも満たない間考え、すぐに思い出した。
ここは隊舎の仮眠室で、ヴィヴィオのワガママでエスティマと一緒に家族の真似事をやったのだった。

窓のない、ただ眠るだけの部屋だと朝を迎えた気がしない。
が、レイジングハートへと視線を落とせば、その表面に時刻が表示されている。
もうすぐ朝練が始まる時間だ。行かないと。

そんな風に考えて、なのははゆっくりと身を起こしつつ隣の二人に視線を投げる。
すやすやと寝息を立てるヴィヴィオ。寝顔は愛らしいと云って間違いなく、見てると自然に笑みへと表情が変わってゆく。
一方エスティマは覚醒が近いのか、ピクピクと瞼が動いていた。

そっと布団から抜け出しながら、なのはは繋がれていた手を解く。
そう、眠る前に繋いだヴィヴィオとの手は、この時までずっと繋がっていたのだ。

ごめんね、とヴィヴィオの額を一撫でして、なのはは立ち上がる。
取りあえず着替えを――と思って、少しだけ躊躇する。

ヴィヴィオはともかく、ここにはエスティマもいるのに。
どうしたものかと首を傾げる。が、まだ彼は寝ているし良いかと、なのはは部屋の隅に畳んでおいた制服に視線を向けた。
パジャマのボタンを外して、下着のズレを直しながら――

「……ああ、そうか」

呂律の回っていない声が背後から届いた。
ギクリとしながら振り向くと、目を擦りながら身体を起こしたエスティマをばっちり視線が合ってしまう。

エスティマはいきなりすぎる状況に眠気が吹き飛んでしまったようで、目を見開いていた。
そして、

「お、おはよう」

「な、ななっ……!」

無遠慮にもほどがある、よりにもよって挨拶を投げ掛けられて、なんとも表現のつかない感情で顔に熱が宿る。
そんななのはから視線を外して、そのまま布団に引っ込むエスティマ。

「そしておやすみ」

どうしてくれようかと思いながら、火照った頬を持て余して、なのはは嘆息する。
今のやりとりで完全に眠気が吹き飛んだ。冴えた頭の中でぶちぶちと文句を云いつつ着替えを進める。
まさか覗いたりしてないよね、と思いつつ何度か振り返るも、彼は布団の中に引っ込んだままだ。

……まったくもう。
ヴィヴィオがまだ眠っているから大声を出して怒鳴るわけにもいかない。
が、もしヴィヴィオがいなかったら自分はどんな反応をしていたのだろう。そんなことを考える。

男の子に着替えを見られるなんて、早々あることじゃない。
友達だとは云っても、当たり前に恥ずかしいのだ。

制服へと着替えるとパジャマを部屋の隅に畳んで、なのはは外へと足を向ける。
そして扉を開いたときだ。

「……いってらっしゃい。頑張って」

布団の中から腕を出してひらひら振るエスティマに送り出された。
いってらっしゃい。思えば、誰かにそんなことを云われたのは久し振りな気もする。

なんだか妙な気分。
嬉しさとは違う、妙な感覚がある。

……芝居なのだとしても、悪くはない時間だった。
ヴィヴィオが喜んでくれたのは素直に嬉しいし、エスティマと一緒にいるのも、まぁ悪くないのだし。
それに――たとえ偽物の家族だったとしても、暖かさは確かにあった。

そんな風に思いながら、早朝の隊舎をなのはは進む。
するとだ。
廊下の先に見知った顔を見付けて、なのはは手を挙げながら挨拶をした。

「はやてちゃん、おはよう」

「ん、おはよう、なのはちゃん」

しっかりと制服を着たはやては眠そうな顔に笑顔を浮かべると、返事をする。
しかしどうしてこんな時間に。教導があるわけじゃないから、はやてが制服を着るにはまだ早いはずだ。

そんなことを考えていると、だ。

「……なのはちゃん、どうやった?」

「……え?」

「んー……、昨日、ヴィヴィオの面倒見るってことで三人一緒に寝たんやろ?
 せやから、何かあったかなーって」

「ああ、大丈夫だよ。はやてちゃんが心配するようなことは、何もなかったから」

「……見透かされてるなぁ」

困った風に笑うはやて。
そんな彼女を見ながら、なのはも苦笑する。

彼女がエスティマに恋慕を抱いているのは知っているけれど、相手を間違っている。
自分ではそんなことあり得ないのだから。彼もそうだと云っていたのだし。

少しの腹立たしさもあって、なのはははやてにそれを伝えようとして――

「うん。ごめんな、なのはちゃん。ちょっと焦ってもうた。
 ……うん。ヴィヴィオがいるし何かあるわけがないって分かってたんやけど、どうしてもな」

……止めようと、口を噤んだ。
何を云っても今のはやてには不安を抱かせそうだし。

けれど、と思う。
なぜ自分とエスティマのことで、そんなにはやてが気に病んでいるのだろうか。

「……はやてちゃん、他の人ならともかく、私は大丈夫だよ?」

盗ったりしないから、というニュアンスを含めて。
はやては苦笑を続けながら、居心地が悪そうに前髪を指先で弄った。

「……うん。分かってる。ずっと私のこと応援してくれたしな、なのはちゃん。
 けどほら。エスティマくんとなのはちゃん、仲良いやんか。
 それに気付いて、なんや昨日から落ち着かなくてな。
 本当、ごめん」

「ううん、良いよ。気にしないで」

云いつつ、胸中でなのはは首を傾げた。
仲が良い……のだろうか。
他人に云われてみるとそうかと首を傾げてしまう。
あくまで普通に彼とは接しているつもりだけれど、外から見たら違うのかもしれない。

行こう、となのはは彼女を促して、二人は外を目指しながら歩きはじめる。

そう。エスティマと自分は友達である。
それ以上にはなっちゃいけない。
そんなことをすれば、目の前にいる友人が悲しんでしまう。
……いや、悲しむなんて言葉では言い表せないほどに、それは残酷なことだ。

だから絶対にそんなことは――そもそも彼とだなんてあり得ないのだし――と、なのはは思う。
が、同時に、しこりのようなものが胸に残る。
それがなんなのか、彼女が気付くことはなかった。

……エスティマと自分が一緒にいなければ。
ようやく揃った父親と母親のやりとりが芝居だと気付いてしまったら、ヴィヴィオがどんな気持ちになるのか。
それをなのはが考えていないわけではない。
ただ無意識下で考えないようにしているのだ。

胸の内から目を逸らす――そんなことを微塵も意識せず、なのはは隣のはやてへと目を向ける。
……ごめんね、はやてちゃん。
困らせてしまって申し訳ない。
けれど私はエスティマくんを盗るわけじゃないんだから、もう少しだけ、ヴィヴィオのために我慢してくれるよね?

酷いことをしているという自覚はある。
謝っても済まないことだろうという気もする。

しかし、嘘だとしてもヴィヴィオに愛情を注ぐことが――エスティマと共にその状況を続けていくことを。
なのはは、簡単に止めたくはなかった。

ヴィヴィオのため、とは云いながらも。
三人でいた時間は、決してつまらないものではなかったのだから。








[7038] ENDフラグ フェイト
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2010/01/15 15:13



※エンディングフラグは重複しません。ハーレムとか存在しません。あしからず。
 フラグ話は続きます。お好みのものを史実と認識してください。






溜め息を吐きながら、フェイトは自室へと戻ってきた。
一日の勤務が終わって、これからは自由時間。
エプロンを外して部屋の中央にあるソファーに倒れ込むと、再び溜め息を一つ。

彼女がこうも溜め息を連発しているのは、今日あった一つの出来事が原因だ。
エスティマ・スクライア。自分の兄が、部隊長である癖に規律を破って八神はやての部屋へ――それも寮母である自分の手を借りて侵入したこと。
……なんで協力なんてしたんだろう。
そんな思いが胸の中に渦を巻いている。

他ならぬ兄の頼みだから断れなかった、というのは大きいが、決して納得したわけではない。
……部隊長が規律を破るなんて、いけないのに。
それだけを思いながら、フェイトは深々を息を吐いて目を閉じる。
……酷く、疲れた。どうしてだろうと思いながら、真っ暗な視界の中でフェイトは考える。

夜に男女が一緒になって……それもあのエスティマと八神はやてが。
何をしているかと考えれば、容易に想像ができる。下衆な類のものが。
別にフェイトは純真無垢な子供というわけではないのだ。興味がないわけではないし、そういうことを否定しない。
が、

……なんだか嫌な気分。

兄が八神はやてと、ではない。
兄が誰かと、というのがかもしれない。

「……兄さんは、八神さんが好きなの?」

それはエスティマが八神はやての部屋へ入ろうとした時、自分が言いかけた言葉だ。
だったらどうしたというのだろうか。
兄が誰かを好きになろうと、関係がない。
そのはずだ――

そんな得体もないことを考え続けていると、フェイトの思考は徐々に霞みがかっていった。













リリカル in wonder











フェイト・T・スクライアにとってエスティマ・スクライアは、兄であると同時に、最も身近な異性であった。
兄に関して一番古い記憶は、海鳴の上空で顔を合わせたことだ。
母のためにジュエルシードを探す決心をして降り立った先にいたのは、自分と瓜二つの顔をした少年魔導師。
この時はほぼ顔見せだけで終わった。けれどその後幾度も出会い、時には協力してジュエルシードの暴走体を鎮圧し――そして、プレシアが逝ってしまう。
今思えば、母はお世辞にも良い母親とは言い難かった。
何かに取り憑かれたように研究に没頭して、虐待を繰り返しながら幼子に難題を吹っかけ、結果がどうあれ娘に見向きもせずひたすらに自分の目的を達成しようとしていた。

スクライアに引き取られて学校に通うようになり、なのはたち友人と言葉を交わすようになってから、あの環境の異常性に気付いたのだ。
それでも母が自分にとって大切な人だということに今でも変わりはない。
客観的に見て酷い親だったのかもしれないが、優しくしてくれた記憶は、確かにある。
大事だったのだ。だからこそ、死んでしまったのは悲しかった。
一度も振り向いてくれなかったことに悔しさがあるし、助けてあげられなかったことに後悔もある。

……だからだろうか。
母をどうやっても救うことができなかった自分が、闇の書事件でああも狂乱したのは。
大人になった今の自分でも兄を奪われたら狂乱するとは思う。が、あそこまで感情を剥き出しにすることはないだろう。

独りぼっちになった自分に手を差し伸べてくれた兄。
母の代わり――誰かの代わりなんて嫌な言い方だが――となってくれた人。

母とは違い、兄は自分のことを見てくれた。
一緒にいてと云えば一緒にいてくれたし、甘えれば応えてくれた。
そんな兄だからこそ――ずっと感じていた餓えを満たしてくれた兄だからこそ、奪われて思考が憤怒一色に染まったのだろう。

その兄が今、再び奪われようとしている。
……今までとは違う。その心が、まったく別の方向に行こうとしている。

そう思うだけで、心の深い部分にドロドロとしたものが溜まってゆくようだった。
……これはなんだろう。良く分からない感情だな。
茫洋とした意識の中で、フェイトはそう思う。

距離が離れていても、何があっても、兄が自分のことを蔑ろにすることはなかった。
仕事や役目に追われても邪険に――母がしたように扱うことはなかった。
けれど、もし兄が抱く愛情が他の人に向いてしまったら、自分はどうなってしまうのだろうか。

……兄が母のように、他の誰かを見詰めながら自分を忘れてしまうことなどあり得ないと、分かってはいる。
そのはずだと信じたい。

けど。
……けれど。

「ただいまー……フェイトさん?」

ドアが開く音と共に、小さな声が部屋の中に響いた。
それでフェイトは眠りに落ちそうだった思考を一気に浮上させる。
ついさっきまで考えていたことが色をなくして忘却してしまう。

「おかえり、キャロ」

「あ、いたんですねフェイトさん。
 部屋真っ暗なのに鍵が開いていたから、ちょっと驚いちゃって」

教導が終わってからシャワーを浴びてきたのか、帰ってきたキャロの髪は僅かに湿っている。
疲労を滲ませながらも軽い足取りで近付いてくると、キャロはソファー、フェイトの隣に腰を下ろす。

「キャロ、今日はどうだった?」

「はい。今日はですね――」

楽しそうな様子で今日一日にあったことを思い出しながら伝えてくるキャロに相づちを打って、先を促す。
楽しかったこと。辛かったこと。
それらを聞きながらとりとめのない会話を続ける。
兄が、自分にしてくれたように。

姉になったということで、少しは自分も成長できただろうか。
そんなことを、フェイトは思う。
頼ってもらえるのは嬉しい反面、少し重荷に感じる。キャロはあまりワガママも云わず、良い子と云えるタイプの子なので重荷には感じない。
しかし、自分はどうだっただろうか。
キャロの面倒を見るようになってから、客観的に、妹としての自分を思い出して、
……少し、重かったね。
そんな風に分析する。

愛情の裏返しと云えば聞こえは良いかもしれないが、しかし、鬱陶しかっただろう。
思い返すと、穴があったら埋まりたい気分になる。
闇の書事件が一段落して、八神はやてに関係する事柄に兄がかかりっきりになっていた時期の自分は、随分ワガママだった。

「……フェイトさん?」

「……ん、あ、ごめんね、キャロ」

いつの間にか上の空だったことに気付かれてしまったのだろう。
が、蔑ろにされて怒った様子はない。むしろ疲れているのかと心配されている有り様だ。

ごめんね、と再び呟き、そっとキャロの髪の毛に手を伸ばす。
薄桃色の髪の毛を指先で弄りながら、フェイトはそっと溜め息を吐いた。

……兄さんが八神さんと会っているだけだっていうのに、どうして。

ここまで思い詰めている自分が少し不思議であった。

「……ん、まだ髪の毛が湿ってるね。
 おいで。ドライヤーで乾かしてあげる。そしたら寝ようか」

「はい!」

キャロを誘ってドライヤーで髪の毛を乾かすと、口にしたように二人は着替えて、ベッドに入った。
疲れていたのだろう。すぐに眠りに就いたキャロの寝顔を眺めながら、フェイトは合間を置いて続けている思考を再開した。

……鬱陶しい妹だったと客観的に自分のことを見ることができるようになってから。
少しは手のかからない妹として、兄の印象に残ることはできただろうか。
少しはできた、という自負がある。
そうでなかったら、こうやって六課に呼ばれることはなく、きっと無限書庫でユーノやアルフと一緒に調べ物をしていただろう。

エスティマがどう考えて自分を六課に呼んだかは分からないが、フェイトはそれを、頼ってもらえたと考えている。
遠ざけられるわけではなく、戦力の一つとして考えられて招集された。
今までずっと――首都防衛隊第三課の時はロクに頼ってこなかった兄が、だ。

ようやく一人前として認めて貰えた。そう、フェイトは思っているのだ。
管理局の局員ではないため寮母兼嘱託魔導師という立場になってはいるが、それでも自分のできる範囲で兄の力になれたはずだ。
兄の期待に応えるために、一度だって負けることなく戦い続けてきた。

その成果に兄は喜んでくれたし、それによって力になれたという実感も湧く。
幸せだと、断言できる状況。
しかし――その兄が今、他の誰かを見ようとしている。

……そもそも兄はずっと自分を見てくれていたのか?
今まで続けていた思考、その前提がふっと浮かび上がってきた。
そのはずだ、とフェイトは思う。兄が自分のことを忘れたことはなかったはずだ。

僅かな悪寒を感じて、フェイトは隣に眠るキャロを抱き締めた。
微かな呻き声をキャロが上げる。少し、抱き締める力が強かったのだろうか。

……もう寝よう。
考えすぎても仕方がないと思いながら、フェイトは無理矢理に頭の中を空にして、睡魔に身を委ねた。
しかしそうしていると、ふと、一つのことが思い浮かんでくる。

恩に着る、という兄の言葉が――























「いやまぁ、確かに恩に着るとは云ったけどさぁ……」

「うん。約束を破らないのは兄さんの美徳の一つだよね」

はやてとのいざこざ、海上収容施設での事故が一段落してから。
休日を使って、フェイトとエスティマの二人はクラナガンの市街地へと繰り出していた。

流石はクラナガンと云うべきか、昼の駅前は混雑で目を回しそうな状況だ。
その中を寄り添いながら、二人は雑踏を掻き分けて歩き出す。

今日二人がここにきているのは、女子寮にエスティマが侵入する際に云った恩に着るという言葉が端を発している。
お礼も兼ねて、ということで、二人は休日にクラナガンへと遊びにきていた。
他の誰かがいるわけでもない。純粋な二人っきりは久し振りだ。

上機嫌な様子でエスティマと腕を絡めながら、フェイトは兄と一緒に雑踏の中を歩く。
そんなフェイトと違って、エスティマは頭痛を堪えるような顔をしていた。

「……この歳になって兄貴と出かけるの、そんなに楽しいか?」

「えっ……楽しいけど?」

「……そっか、ごめん。うん、楽しいよな」

遠い目をして笑う兄の様子に首を傾げながらも、フェイトはどこに行こうかと思考を巡らせる。
今日はエスティマの全奢りらしいので、行きたいところに行こうと思っているのだが、自由すぎて考えがまとまらない。
遊びに行くというのなら色々と候補はある。見たい映画が丁度上映しているし、近くの博物館では面白そうな催し物をやっているみたいだ。
が、せっかく兄ときているのだから、兄とでしか楽しめないところに行きたい。
そんなことを考えつつ、ふと、エスティマへと視線を移す。

「ねぇ、兄さん」

「ん?」

「その服、いつ買ったの?」

指摘されて、エスティマは思い出したように襟元に視線を注いだ。
袖や襟が疲れてしまっている。生地も傷んでいるのか、張りがない。
無理をすればそういう服だと見ることもできる。着ている本人の素材が悪くないので。
しかし、フェイトからするとどうしても気になってしまうのだ。

「かなり前……な気もする。一年半ぐらいかな」

「……よし、決めた。今日は兄さんのコーディネートだ」

「……良いからフェイトの行きたいところに行けって。
 遠慮するなよ。どこにでもついて行くから」

「私は兄さんのコーディネートがしたいの。
 そういうデートも、悪くないよね?」

「……はいはい」

仕方がない、といった風にエスティマは笑った。
デートと云ってみても、少しも照れた様子を見せない。
それが少しだけ不満ではあったが、仕方ないだろう。自分は妹なのだし。

「……あれ?」

「ん、どうした?」

「ううん、なんでもない」

ふと考えたことに違和感を抱いたのだが、その正体をはっきりと定めることができなかった。
余計なことを考えてしまったら時間が勿体ないと思い、行こう、とフェイトはエスティマの手を引いた。

目に付いた店に片っ端から入って、男性ものの服をエスティマに着せてみたり。
似合わないものから似合いそうなものまで、どんな風になるのかと楽しんで。
そうしている内にエスティマも乗り気になったのか、悪くない雰囲気のまま二人は遅めの昼食をとることにした。

紙袋を二つほど持ったエスティマとフェイトは、混雑しているファミリーレストランやファーストフードを避けて喫茶店へと。
昼過ぎではあるが、空席はあっても店内はそこそこ混んでいるようだ。
一人しかいないウェイターがキッチンとフロアを忙しそうに行き来する様子を眺めながら、二人は窓際のボックス席に着く。

ガラスを隔てて通行人が行き来するのを視界の端に収めながら、二人はようやく一息吐いた。

「……落ち着いて考えてみると、着ない服って本当に扱いに困るよな」

「えっ、兄さん着ないの?」

「パンクな服は似合わないって。レザーとかも着るのに勇気がいるだろ」

「……兄さん、服の好みが大人しすぎ。
 まだ十代なんだから、ちょっと冒険しても変に見えないよ?」

「服に着られているような服装をするのが嫌なの」

「なんでも着こなせると思うんだけどなぁ、兄さん」

「おだてたって何も出ないぞ」

割りと本気で云ったのにエスティマは相手にしてくれない。
フェイトを片手間で相手にしながらメニューを見て、ウェイターに注文を頼む。
ブレンドとやや値段の張るミックスサンドを。
いきなり注文を頼むものだからフェイトは慌てて、エスティマと同じものを頼んでしまった。

「もうっ、兄さん!」

「悪い悪い。
 しっかし、買ったのは俺のばっかりじゃないか。
 お前のワガママ聞くってことで遊びにきたのになぁ」

「私は楽しいから良いよ?」

「……俺のことを着せ替え人形にして楽しんでいたのかっ。
 分かった。もう服は買わないぞ。次にどこへ行くのか、ちゃんと決めておくように」

「はーい」

そんな会話をしていると、注文していた珈琲と料理が届く。
香りが立ち上る珈琲に、フェイトはミルクと砂糖を。
エスティマはブラックのまま、口へと運んだ。

「……やっぱり喫茶店のコーヒーは良いなぁ。
 隊舎のコーヒーメーカーで煎れるのとは違うわ」

「んー、確かに美味しいと思うけど、そんなに違う?」

「ああ。なんて云うか、隊舎のは味がアバウトだし。
 まぁ、コーヒーメーカーがあるだけ有り難いけどさ」

「そう……なのかな。細かいことは分からないけれど」

「俺もそんなにコーヒーに詳しいわけじゃないけどね。
 ああ、アレだ。好きな食べ物を食べ比べてみるようなものだよ」

などと云いながら、エスティマはミックスサンドに手を伸ばす。
具を零さないように注意しながら食べるのを眺めつつ、フェイトも同じように。
この光景は外から見たらどう映るのだろうか。瓜二つの、双子の兄弟が同じものを食べている。
性別の違いはあっても、外からみたら外見にそう違いはないらしいし。

……やっぱり、双子って見られるのかな。
一応はデートのつもりなのに。
しかし、カップルとして見られたところで――

あれ、と。
再びフェイトは首を傾げる。
何か違和感がある。そもそも自分は、なんでそんなことを考えているのだろうか。

「ああ、そうだフェイト」

「……え?」

名を呼ばれ、フェイトは顔を上げる。いつの間にか俯いてしまっていたようだ。
ミックスサンドの一つを平らげ、二つ目に手を伸ばしながら、エスティマは言いづらそうに口を開いた。

「その……ありがとう。
 はやてとは上手く話をつけることができたよ」

「……うん」

いきなり上がった八神はやての名に、ずしりと胃の腑に重いものが溜まる。
同時に、意識していなかった胸の内に宿っていた何かが、蠢いた錯覚を受けた。
……なんでこんな気分になるんだろう。

これじゃあまるで、いつかの――兄がシグナムに取られたと思った時に感じたものに似ている。
取られる、という部分に変わりはないだろうけれど、今度は前と違うのだ。
どう違うのか。それは――

「まぁ、云っても小康状態ってやつだけどさ。
 早いところ、自分の気持ちに決着つけないとな」

そう云って笑うエスティマの表情を、フェイトは直視できなかった。
視線を逸らしつつミルクと砂糖で濁ったコーヒーの水面に視線を注ぎ、つい嫌味のようなことを云ってしまう。

「……兄さん、気が多いよね」

「……重々承知してます」

「……良いけど」

そんなことを云ってしまった自分に、少しだけ自己嫌悪を。
……折角の休日に、何をしているんだろう。
好きこのんで嫌な気分になる趣味はないのに。

ぴったりと会話が止んだまま昼食を終え、二人は喫茶店を出る。
すると気を取り直したように、次はどこに行くとエスティマが声を上げた。
救われた気分になりながら、さっきのことをなかったように振る舞って、フェイトは午前中の調子を取り戻す。

「次はどこへ行く?」

「んと、ね。……じゃあ、展望台とかどう?」

「ああ、あそこね……」

何かを思い出したように、エスティマは眉根を寄せた。
それもそうだろう。フェイトだって知っている。分かってて口にしたのだ。
午前中ならば家族連れが多い、クラナガンを一望できる展望台。
しかし、今から向かえばそこは、カップルが散歩をするための場所となっているだろう。

「兄妹で行って楽しい場所じゃないだろ」

「……下見、下見。お互いにさ」

「……まぁ、良いけど」

やれやれと頭を振りつつも、大人しくエスティマは展望台の方へと進み始める。
それに追い着くとエスティマと再び腕を組んで、歩きはじめた。

「……歩きづらいんだけど」

「気にしないで。ゆっくり歩こうよ。まだ時間はあるんだし」

「それもそうか。それにしても、下見ねぇ。
 フェイトはそういう相手がいるのか?」

「……え?」

「いや、だから、そういう相手。彼氏とかそういうの。
 俺が気付かないだけで、もういたりする?」

「いないよ。私、モテないからね」

「よくもまぁ平気で嘘を吐くな、この妹は。
 ヴェロッサとかいるだろ?」

ふと名前が挙がった男性の顔が脳裏に浮かんでくる。
ヴェロッサ・アコース。管理局では査察官をやっており、聖王教会にも籍を置いている人。
仕事などで顔を合わせる度に言葉を交わす機会はあるが、別にエスティマが気にするような関係ではない。

なんでそんなことを云うのと、エスティマに気付かれないていどに、フェイトは声のトーンを下げた。

「……彼氏さんとかじゃないし」

「ふーん。じゃあ、気になる男とかはいないのか?」

なんの気なしに向けられた言葉に、フェイトは目を見開く。
本人としては軽いつもりで聞いたのだろう。
しかし、フェイトにとっては――
……自分にとっては、なんなのだろうか。
別にショックを受けるようなことではないのに。
あくまで自分と兄は兄妹であり、兄妹ならば、別に行っても不思議ではない会話のはずだ。
そうは思うも、今の何気ない問いかけは酷くフェイトの心を揺さぶった。

「……兄さん」

「……ん?」

「兄さんが気になるかな、私は。
 心配で目が離せないもの」

「……そりゃ困った。
 いつまでも妹に心配されてちゃ駄目だしな」

いい加減兄離れしろよ、とエスティマはフェイトの頭をぐりぐりと撫でる。
幼子にするような扱いだ。昔は自分もやられていたような気がする。
荒々しく、けれど嫌ではない感触。
久し振りのそのスキンシップに、懐かしさが込み上げてきた。
同時に、子供扱いされていると思い――それが酷く不満だった。

……もう私は子供なんかじゃないのに。
不満げに脣を尖らせるも、兄はそれを分かってくれない。
もしかしたら自分は、兄からすればいつまでも幼い妹でしかないのかもしれない。
……嫌だな。
そう、フェイトは思う。

私はもう大人だよ、兄さん。
守ってもらうばかりじゃないって……それが分かっているから私を六課に呼んでくれたんじゃないの?

そんな言葉が胸の内に宿る。
が、それを口にするだけの勇気はなかった。
まだまだ子供だろ。兄ならばそんな風に云いそうだし、もし云われてしまったら、今の楽しい気分が吹き飛んでしまいそうな気がするのだ。
……なんでそんな風に思うのだろう。

違和感が増してゆく。
今日一日――否、八神はやての部屋へとエスティマが向かってからずっと続くもどかしい気持ちが、今日になってから加速度的に大きくなってゆく。
胸を締め付けるような気持ちが、どんどん大きくなる。
何故だろう。その答えを得ることができないまま、二人は展望台へとたどり着いた。

バスを使って展望台のある公園前にたどり着くと、エスティマとフェイトはそのまま舗装された道を進み始めた。
擦れ違う家族連れは、皆帰宅するところだろうか。
それとは違って、自分たちと同じように上へと進む者たちは、どれもが男女と一緒だった。

兄妹でこんなところに来る者は、そういないだろう。
そういないはずの一組が、自分たちなのだけれど。

舗装された道を進んで丘陵を登りきると、その瞬間、山肌に隠れていた夕日が自分たちを照らし上げた。
アスファルトに散った落ち葉を踏み締めながら、エスティマとフェイトはゆっくりと歩いてゆく。
そうして開けた場所に出ると、一望できる街並みに、二人は同時に吐息を漏らした。

「……悪くないな」

「うん、そうだね」

綺麗、と素直に云わない辺りが実に兄らしい。
へそ曲がりだなぁ、と思いながら、二人は周りの人間がそうしているように、大きな声を出さないで散歩を始める。
周りにいるカップルを横目で見ながら、フェイトは兄と絡めた腕をぎゅっと抱き締める。
しかしエスティマは微塵もそれを意識せずに、夕焼けに照らされた街並みを楽しんでいるようだった。

「良いんじゃないのか?」

「……え?」

「いや、だからこの場所。
 下見にきたんだろ?」

「あ……うん。そうだね」

「どうした? 疲れたか?
 結構歩き回ったし、無理ないと思うけど。
 もう少ししたら帰るかね。明日も仕事だし」

「……ううん。もう少し、ここにいようよ。
 今日は私とデートなんだから。ワガママ、聞いてくれるんでしょ?」

「そうでした。ワガママな妹様だよ、まったく」

肩を竦めて、座るか、とエスティマは紙袋を持った腕を近くのベンチに向ける。
こくりとフェイトは頷くと、兄に誘われるまま一緒にベンチへと座った。
腰を下ろせば、ひやりとした感触が腰に広がる。それを遠ざけるように、フェイトは兄の腕をまた抱き締めた。

胸をより一層強く押し付けられる感触になのか、エスティマは苦々しい顔になった。

「……おいおい。
 いくらなんでも、甘えすぎだろ」

「別に良いじゃない。
 こういうことが出来るのも、妹の特権だよ」

「随分とグレーゾーンな気もするけどね、俺は。
 あんまりベタベタするなよ」

「なんで?」

「この歳でこんなんやってるのは不自然だし。
 それに……あんまり云いたくないけど、俺だって男だぞ。
 困るんだよ、色々と」

云って、エスティマは抱き締められていた腕を解いた。
それでフェイトの胸を圧迫していた感触が消えてしまう。
ずっと抱き締めていたものが消えた喪失感は思いの外強く、あっ、と声を漏らしてしまった。

「あんまり兄貴とベタベタしてたら、男も寄ってこないだろ」

「……私はそれでも良いよ?」

「……あのな、フェイト」

困った風に笑って、エスティマはさっきまでフェイトに抱き締められていた腕をさする。
その動作がフェイトの感触を拭おうとしているように見えて、あまり良い気分はしなかった。

「そうやって好いてくれるのは嬉しいけど、いつまでもやってるわけにはいかないだろ?
 そりゃまぁ、フェイトに彼氏ができたら少しは驚くけど、それはそれだ」

「……兄さんは、私に彼氏ができて良いの?」

「だから、今云ったろ? 少しは驚くって。
 ……まぁ、基本的には賛成だよ。……多分」

最後の呟きは自信がなさそうだった。
が、フェイトはそれに気付かない。
それよりも、彼氏を作ったら、という言葉が、胸の内に渦を巻く何かに火を点ける。
これは怒り、だろうか。違うような気もする。もどかしい気持ちは自分ですらはっきりと理解できない。

「兄さんは……」

「ん?」

「兄さんは、私のことをどう思ってるの?」

「……は?」

自分で云った言葉の意味が分からない。
現に、エスティマも混乱して眉根を寄せている。
今の言い方じゃまるで、自分が兄に女として見て貰いたいような――

……ああ、そっか。
今になってようやく気付いた。

何故八神はやてと兄が一緒にいることがああも気に入らなかったのか。
幼い頃は兄を取られていたから。
けれど今は、嫉妬していたから。

兄に大切にされるのは自分の役目だったはずなのに、周りにいる女たちはどいつもこいつも兄を自分のものにしようとしている。
それがどうしようもなく悔しくて――しかし妹でしかない自分は、それを眺めていることしかできない。
そもそもが間違っている。思うこと自体が狂っている。

……けど、仕方ないよね?

誰かに言い訳をするように、フェイトは蚊の啼くような声で呟いた。
惚れるなという方が無理な話。
兄を兄と認識したのは生まれ落ちてから随分と後なのだ。
親族だと認識しているのは後付で、最初にフェイトの前に現れたのは、ただの少年であった。
エスティマを兄と認識したのも、ただ母という空席に彼を据えただけである。

餓えた自分に愛情を注いでくれて、窮地に陥れば必ず救い、どんな時でも裏切らず傍にいてくれる人。
そんな人を好きになるなという方が不可能なのだ。
フェイト・T・スクライアは、当たり前のようにエスティマ・スクライアを愛し、愛されていた。

……そもそも独り立ちすることが無理だったのかもしれない。
いや、この気持ちに気付くことがなければ、一人で生きてゆくこともできただろう。
けれどこうして気付いてしまった以上、もうどうすることもできない。
胸に渦巻く感情が嫉妬と分かった今、それを取り除く方法は一つしか思い浮かばない。

……誰かのものになるぐらいなら。

「……兄さん」

「……ん、ああ、ごめん。
 フェイトは大事な妹だと――」

思っているよ。

そう続く言葉を、フェイトは脣で塞いだ。
色気も何もない。ただ蓋をするという表現はしっくりくるような。
エスティマの頭をしっかりと腕に抱き、引き寄せるようにして脣を合わせる。
初めてのことだから上手くいかない。けど、それで良い。

ただ押し付けるだけの口付けはフェイトとエスティマ二人の立ち位置をそのまま表しているようだった。
受け容れるわけがない。受け容れられるわけがない。
それが分かっていても尚、フェイトは自分の気持ちに嘘を吐きたくはなかった。

常識というものは一応フェイトにもある。
兄妹でそういう関係になるのはいけないことだと分かってもいる。
けれど――いけないことだとしても、この気持ちを抑えつけることなどできない。

「――っ、馬鹿! 何やってんだ!」

フェイトの胸を突き飛ばして、口元を抑えながらエスティマが怒声を放つ。
向けられたことのない類の感情に、びくりと反射で身体が震えた。

冷や水を浴びせられたようにフェイトの思考がまともな方向へと傾く。
が、それは嫌われたかもしれないというものであり、決して、今の状態から抜け出したものではなかった。

「……なんで」

しかし兄の怒りはすぐに収まり、すぐに戸惑い一色へと変わる。
フェイトから目を逸らし、居心地が悪そうに眉間に皺を寄せた。

困っている。当然だ。
ずっと妹と思っていたようだし、ついさっきも大事な妹と云おうとしてくれた女からこんなことをされれば、困ってしまうのも当たり前だろう。
けれど、フェイトに止まるつもりはない。
ここで二の足を踏めば、きっと兄は今日のことをなかったことにして、他の女と一緒になってしまう。
そんな根拠のない確信が、フェイトにはあった。
強いて云えば勘だろうか。しかし、間違っているとは思えない。
だから、

「兄さん、私ね」

毒を混ぜ込むように、ゆっくりとフェイトは口を開く。
もったいぶるようにして、言葉を紡ぐ。

「私、兄さんのことを愛してるよ。
 一人の男の人として見てる。ずっと、そうだった。
 勘違いしてたんだ。そもそも私、兄妹がどんなものかなんて、あとから知ったから。
 ……うん。私、他の誰よりも先に、兄さんのことが好きだったんだよ?」

「……止めてくれ。
 冗談にしたってタチが悪い」

「冗談だと思ってるの?」

それがトドメになったのか。
エスティマの表情が、目に見えて歪んでしまった。
当然だろう。今まで兄として自分に接して、自立を願い、依存することもなくなったと思っていた妹がこんなことを口にしたのだから。
今までエスティマが積み上げてきたことを、フェイト自身がぶち壊しにしてしまったようなものなのだ。

痛みに耐えるような表情で、エスティマは目を伏せる。
そして頭を振ると立ち上がり、紙袋をそのままにフェイトへ背を向けた。

「……先に帰るよ。
 今日のことは、忘れる」

「私は忘れないよ」

間髪入れずに応えたフェイトを無視して、エスティマは歩き出す。
夕日に照らされた彼の背中は酷く頼りない。がっくりと肩を落として進む兄は、一体何を思っているのだろうか。

……私、酷いことした。

今更になって罪悪感が湧き上がってくる。
胸には嫉妬を消し去ったことで満ちた愉悦が残っているが、同時に兄の気持ちを踏みにじったことへの申し訳なさが押し寄せてくる。
……気付かない方が良かったのかもしれない。
あまりにも普通じゃないこの気持ちは、兄を兄と勘違いしたまま、ひっそりと風化させた方が良かっただろう。

しかし気付いてしまった今、我慢することなどできはしない。

まだ兄の感触が残っている脣を、そっとフェイトは指先で撫でる。泣き笑いといった表情を浮かべながら。
周りが恋人だらけの展望台で、一人、兄と過ごした時間の余韻に浸っていた。



















「……なんでこんなことになったんだろうな」

『さあ。私には分かりかねますが』

一人で帰路に就いたエスティマは、胸元のSeven Starsに言葉を落としながら、ついさっきに起こった出来事を思い返していた。
表情には忌避感が溢れている。嫌悪に近い――が、それはフェイトに対してではなく、自分自身に対してだ。

なんでこんなことになったのだろう。
再び自分自身に問いかける。

フェイトにブラコンの気があるのには気付いていた。
しかしそれはプレシアの代替えとでも云える立ち位置のせいであると思っていたが、どうやら違ったらしい。
フェイトの言葉を鵜呑みにするのならば、彼女はずっと自分のことが好きだったと云う。

そんなことがあり得るのだろうか。
ずっと自分は、フェイトに対して兄として接してきたつもりなのに。
何かをどこかで間違ったのだろうか。
真っ直ぐに育って欲しいと願っていた妹が、兄を好きになるだなんて風に。

『旦那様』

「……なんだ」

『客観的にですが、こうなる片鱗はずいぶん前からあったと思います。
 旦那様と彼女の距離は、近すぎる気もしましたから』

「だから仕方がないって? そんなことで納得できるかよ。
 フェイトは俺の妹で――」

妹だった。自分自身で兄を名乗り、甘えてくる彼女をそのまま甘やかせた。
接していた時間はそれほど長くなかったが、その分、稀に会えたときはフェイトの好きなようにさせていた。
それが悪かったのだろうか。そんなことを、エスティマは思う。

……エスティマはフェイトが全面的に悪いと、思っていない。
そもそもエスティマとフェイトが兄妹というのは後付であり、エスティマはフェイトを本当の意味で妹として扱ってはいなかったのだから。
血の繋がりは確かにある。戸籍上でも兄妹となっている。
だが、エスティマの中身はフェイトの兄として生まれた者ではないのだ。
もしかしたらこうなることを望んでいたのかもしれない。そんな気後れする部分があるからこそ、フェイトを責めようとは思えなかった。
後ろ暗いのだ、単純に。自分の軽率な行動がまたしてもこんな形で、と。

その証拠とでも云うように――

「……嫌じゃなかったからな」

『何がですか?』

「こっちの話だ」

自嘲するように笑って、エスティマは脣を手の甲で隠す。
そう。常識的に考えて怒りはしたが。
決して、嫌ではなかったのだ。

そんな自分に腹が立つ。
この上なく、腹が立って仕方がなかった。










[7038] sts 十七話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2010/01/08 19:40
蛍光灯に照らされながらも薄暗い部屋の中に、二人の男がいる。
充分に広いと云える部屋を照らし上げるには、光量が足りないのか。
否、中途半端な灯りが窓の外より差し込んできているため、それに灯りが攫われているのだ。
壁にはめ込まれた大窓には、忙しなく雨が打ち付けている。勢いは強く、もし窓が開け放たれていれば五分と経たずに執務室はずぶ濡れになるだろう。

今、クラナガンには台風が上陸していた。
珍しいことだ。気候操作によって雨が降ることすら稀なクラナガンに台風が上陸することは、数年に一度あるかないかといった具合。
もし外に出れば、騒々しい雨音に音という音が攫われるだろう。
今日ばかりは管理局も、犯罪者の逮捕よりは台風への対応に駆られている。

場所は時空管理局ミッドチルダ地上本部。その最上階付近に位置する、防衛長官の執務室。
両脇を巨大な書架に挟まれたその一室で、レジアス・ゲイズとエスティマ・スクライアは顔を合わせていた。

「何事もなかったな」

「そう、ですね。
 申し訳ありません。読みが外れました」

「……まぁ良い。気にするな。
 交換意見陳述会の襲撃は、結社の設立が行われてから懸念されていたことだ。
 何も起こらないことに越したことはない。奴らの襲撃がなかったことは、素直に喜ぶべきだろうよ」

微かに口元を緩めながら、レジアスは微かな疲労を滲ませた声を上げる。
申し訳なさそうにエスティマは苦笑すると、それにしても、とマルチタスクの一つを思考に割いた。

昨日から今日にかけて、地上本部では交換意見陳述会があった。
レジアスの言葉通り――とは云ってもエスティマが彼へと毎年忠告を行っていたのだが――結社の襲撃を警戒して六課が中心となり警備に当たっていたのだが、今年もその予想は外れることとなったのだ。

エスティマの読みとしては今年こそ、と思っていたのだが、どうやら外れてしまったようだ。
既に地上本部へと集結していた部隊は、各々の勤務地へと戻っている。
今の状態で結社が襲撃してくる可能性も捨てきれないが、そこにあまり意味はないだろう。
空になった城を攻め込んだところで、それを実行した兵士の有用性を示すことはできない。

スカリエッティの目的は管理局を潰すことではなく、自分自身の生み出した兵器の強さを示すことなのだ。
故に、今のタイミングで奴らが攻め込んでくる可能性はゼロに近い。
そう、エスティマは考えている。

「……しかし、読みが外れてしまったな。
 奴らの主力を引き込むことで、戦力を一気に削ぐ……その手はずを整えて空振りでは、なんとも拍子抜けだ」

「ですね。廃棄都市での戦闘でやつらの主力を捕らえることができましたし……もし次の戦闘があれば、それが決定打になると予想していましたから。
 正直、次の手をどうしようかと思ってしまいます」

「そうだな。……しかし、こうは考えられないかエスティマ。
 奴らにはもう、我々と敵対する余裕が残っていないと」

「……中将、それは」

甘い、という言葉をエスティマは飲み込んだ。
冗談だったのだろう。それを示すように、レジアスは似合いもしない微笑を浮かべていた。

「だが、そんな風に考えたくもある。
 出だしこそ悪かったが、六課は奴らに確かな打撃を与え続けているのだ。
 ……我々地上部隊だけの力でそれができなかったのは口惜しいが、しかし、ミッドチルダの平和が守られるのは喜ぶべきことだろうよ。
 事は順調に進んでいるのだ。お前も少し、肩の力を抜いたらどうだエスティマ」

「……いいえ、中将。
 勝って兜の緒を締めよ、という言葉もありますから」

「……お前という奴は」

エスティマの反応にレジアスは再び苦笑する。
それには頑固な息子に苦笑するような父親めいた調子が混じっていた。
口元の髭を一撫でし、レジアスは唐突な言葉を彼へと投げかけた。

「……血気盛んなことは上司として頼もしいが、少し心配でもある。
 なぁ、エスティマ。もしこの戦いが終わったら、お前はどうする?」

「……は?」

いきなりな問いかけに地を出し、エスティマは眉根を寄せた。
が、すぐにそれを打ち消して表情を改めると、レジアスの言葉を頭の中で噛み締める。

……この戦いが終わったら。
別にどうもしない、というのがエスティマの素直な感想だ。
宿敵をもし捕らえても、時空管理局の執務官として戦い続けてゆくだけだろう。
それ以外の自分を想像できない、というのもある。
それをレジアスも分かっていると思っていたし、望まれていると思っていたが――

「……十代になったばかりの頃からお前を見ている身としては、これからどうするのかが心配でしょうがない。
 青春を苛烈な戦いに費やして……仕方がなかったとも云えるがな」

……今日はいやに感傷的だな。
微かな疑問が脳裏を過ぎる。
死亡フラグか何かかなんて失礼なことを思いながら、少しだけエスティマは三佐の仮面をずらした。

「……まぁ、灰色というわけではありませんでしたから。
 仕事こなしつつ一人の人間として生きますよ。普通にね」

「お前が普通を語るか」

何かのツボに嵌ったのか、レジアスは破顔する。
楽しげにくつくつと笑い声を洩らすと、悪い、と云って無理矢理に落ち着いた。

「……少し、安心したぞ。
 てっきり、戦うことしか頭にないと思っていたからな」

「……俺はベルカの騎士じゃありませんから」

この時になって、ようやくエスティマはレジアスが妙なことを言い出したことに納得がいった。
レジアスはおそらく、ゼストと自分を重ねているのだろう。
レジアスの理想のために戦い続けるベルカの騎士。レジアスの騎士とも云えるストライカー。
そんな彼と自分が同じように見えて心配だったのだろうか。

しかし、何故心配などされたのだろうか。
その一点がどうしてもエスティマには分からない。
あり得ないとエスティマも分かっているが、もし、自分がゼストと同じような人間になったとしてもレジアスが喜びこそすれ困る必要はない気もする。

何を考えているのだか、とエスティマはこっそり溜め息を吐いた。

「……む、もうこんな時間か」

ぽつりとレジアスが言葉を洩らす。
釣られてエスティマが胸元のSeven Starsに視線を落とすと、その表面には午後五時と表示されていた。
もうそろそろ六課に帰還し、警備についていた隊員たちの報告書に目を通さなければならない時間だ。

レジアスも分かっているのか、深々と息を吐いて目を伏せた。
それがどこか残念そうに見えて、再びエスティマは眉根を寄せる。

……こんな人だっただろうか。
もしかしたら結社と管理局の天秤がこちらに傾きつつある状況で、余裕ができたからなのかもしれない。

「余裕があったらオーリスを誘って夕食でも食いたいと思っているんだがな」

「……それはまたの機会ということで」

……本当、こんな人だっただろうか。
敬礼をして執務室を後にすると、エスティマはそのまま一階を目指してエレベーターを下る。
ガラスを通して見える外――既に暗くなりつつあるクラナガンの街並みを眺めながら、レジアスに問われたことを思い出していた。

……この戦いが終わったらどうするか。
レジアスにも云ったように、別に特別なことをするつもりはないのだ。
普通に働き続け、並の人間と同じように生きて。
それで良いしそれで充分だとエスティマは思っている。
が、周りの人間はそうでないのか。そう思い、当たり前かと苦笑する。

似合っていないと本人ですら思っているが、エスティマ・スクライアはミッドチルダ地上部隊のストライカーであり、今は次元世界の中心とも云えるミッドチルダを脅かす結社を専門に相手取る部隊の長だ。
俗に云う英雄というやつなのだろう。

そんな英雄が次に何をするのか。どうしても気になってしまうのだろうか。
……否。
それとも少し違う。レジアスからの問いかけは、父親が子供に将来のことを尋ねるのに似ていた。
そう考え、馬鹿馬鹿しいと嘆息する。
疲れているのかもしれない。そんな風に中将が自分のことを見るはずがないだろうに。

エレベーターが地上に到着する。
フロアを進んで、顔見知りに会釈をしつつ真っ直ぐに外を目指し、自動ドアをくぐった。
瞬間、激しく雨が打ち付ける音が耳へと押し寄せる。

「……酷い雨だな」

『まったくです』

バスでも使って帰ろうと思っていたが、これではバス停まで行くだけで濡れ鼠になるだろう。
運が悪いことに、傘を忘れてしまったのだ。
少しばかり考え込み、エスティマはタクシーを使うことにした。
迎え――フェイトかはやてを呼ぼうとも思ったが、流石に悪い。

ラウンドシールドを頭上に展開して雨を弾きながらロータリーに進むと、タクシー乗り場にたどり着く。
既に本部から移動しようとする者は少ないのか、タクシー乗り場に人影は少なかった。

常駐しているタクシーの数も少ない。その中の一つに駆け寄ろうとして、
……水溜まりを盛大に吹っ飛ばしながら、ドリフトでエスティマの前に割り込んできた一台に足を止める。

「……客に餓えてるのか?」

『運転技術は確かなようです。過激ですが』

「乗りたくねぇ……」

などとSeven Starsとやりとりをしていると、タクシーの後部ドアが開いた。

「お客さん、どうぞー」

車内から届いた女の声に、おや、とエスティマは眉を持ち上げる。
女性の、それも若いタクシー運転手とは珍しい。
微かな好奇心から、エスティマはさっきまでの気分を忘れて車へと乗り込んだ。

「お客さん、どこまでですか?」

「湾岸地区にある管理局の隊舎まで」

「ああ、六課の人ですか? 了解了解ー」

扉を閉めるのもそこそこに、タクシーは発進する。
さっきのドリフトから打って変わって、酷く丁寧な運転だ。
揺れも荒々しさとは無縁な穏やかなもので、疲れていれば眠気を誘いそうな具合。

そうしていると、だ。
タクシーは横道に逸れて、六課まで伸びているルートから外れてしまう。
しかしまぁ良いかとエスティマは諦めると、シートに背中を預けて窓の外へと視線を移した。
別に金に余裕がないわけではないのだし。短いドライブと思えば、まぁ、と。

そんなことを思っていると、今度はタクシーが停車した。
信号で止まったわけではない。不意に路肩へと車を寄せたのだ。

何事だよとエスティマが思っていると、何かの影が街灯の明かりを遮って、タクシーの車内に暗闇を満たした。
相傘をした一組の男女。顔まではっきりとは分からないが、薄明かりに浮かぶ上がる身体のラインでそれだけは知ることができた。
が――

「失礼するよ」

ドアが開かれ、車へと乗り込んできた男の声に、顔に、エスティマは目を見開く。
後部座席には男が。助手席には女が。
間近まで二人が迫り、ようやくエスティマは彼らが何者か気付くことができたのだ。
こんなことになるだなんて想像できなかったというのもあるが。

「こんばんは、エスティマくん」

エスティマの隣へと乗り込んできた男。
薄笑いを浮かべた狂気の科学者、ジェイル・スカリエッティがそこにいた。













リリカル in wonder










「――ッ、Seven Stars!」

「ああ、待ちたまえ」

咄嗟にSeven Starsを握り込み、セットアップを行おうとしたエスティマをスカリエッティが手で制す。

「私に争う気はないよ。
 そもそも、君と至近距離で顔を合わせることは私にとっての敗北だ。
 武闘派の君に勝てるだなんて、微塵も思ってはいないからね」

「……まずはその余裕を消してからほざけよ」

「ハハ、それもそうだ。失礼したね」

「仲が良いねー、ドクターにエスティマさん。
 んじゃ、出発しますよー」

剣呑な雰囲気を割り裂いて、運転手が声をかけてくる。
今になって気付く。タクシーを運転しているのはセインで、助手席に座っているのはウーノだ。

……勝てる、と判断するのは早い。
まだ外に他のナンバーズがいるかもしれない。
スカリエッティがいるから車ごと吹き飛ばされることはないだろうが、油断はできないだろう。

いつでもセットアップを行える状態を維持しながら、エスティマはスカリエッティへと突き刺すような視線を注ぎ続ける。
が、当のスカリエッティは涼しげな顔で、むしろ愉快そうでもあり、エスティマが向ける敵意を含んだすべてを流していた。

「……どんな茶番だ、これは」

「少し君と話がしたくてね。
 それで、今後の方向性を決めようと思っているのさ」

態度をそのままに、スカリエッティは云う。
奴が何を考えているのか分からない。
元々別の世界を覗き見ているような狂人の思考を理解することはできないが、今はそれが輪をかけて酷い。
際限なく湧き上がってくる苛立ちを自制しながら、エスティマはスカリエッティの一挙手一投足に注意を払う。

「では、話を始めようか。
 実はね。ずっと君の戦いを見てきたわけだが、最近になって私は君のことが分からなくなってきたのさ。
 ……なぁ、エスティマくん。君は何を考えているんだい?」

「……抽象的な問いかけすぎるだろ。
 それに、お前にそんなことを云う義理はない」

「……ふむ、残念だ」

言葉に嘘偽りがないと示すように、スカリエッティは表情を曇らせる。
そして仕方がないと呟いて、白衣のポケットからおもむろに、一つの物を取り出した。
それは――

「お、お前、何をやってるんだ!?」

薄明かりを放つ、赤い結晶体。レリック。
暴走を抑制するためのケースに入っているわけでもない。
抜き身のまま、スカリエッティはそれを掌で弄んでいた。
もし僅かでも魔力で刺激を与えれば、どうなるか――
怒り一緒に染まっていた思考が、一気に冷やされる。

「冷静になれたかね? 俗に云う脅迫というやつだ。
 死にたくなければ、私の問に答えたまえよ」

「……お前も死ぬぞ」

「だからどうしたというのかね?」

レリックの灯りに照らされたスカリエッティの顔。
紅色の光の中に浮かび上がった笑みには、狂気の色が混じっている。
が、それはスカリエッティにとってなんら特別なことではない。

楽しんでいる。自分の命がかかっているというのに、だ。
それだけではない。ここにはエスティマの他に、部下であり娘でもあるナンバーズが二人。
そして街中でレリックを爆発などさせたら、一般市民に甚大な被害が出るだろう。

エスティマだけは稀少技能を使って離脱できるかもしれない。
しかし、自分だけが助かったところで、自分以外のことを考えれば――

「……クソマッドが」

「褒め言葉として受け取っておこう。
 ……では、話の続きだ。うむ、私の聞き方が悪かったね。すまない。
 では、再び問おう。
 エスティマくん。君は、どうしてあんなことを――"自らの身を省みた戦い"をしたのかな?
 私には、それが不思議でしょうがないのだよ」

「……当たり前のことだ。誰だって自分の身は可愛いさ」

「そう、当たり前だ。常識だね?
 ……その常識がつい最近まで欠けていた君が云って良いことではないなぁ、エスティマくん」

「……お前」

「そうだろう?」

エスティマの言葉を遮って、スカリエッティは笑みを深くしながら言葉を続ける。
楽しくてしょうがないのか、呼吸することすらも忘れている有り様だ。
こほ、と小さく咳き込んで、彼は先を続ける。

「自分の身を省みず巨悪を打ち倒さんとする英雄。
 聞こえは良いかもしれないが、そんなものは真性の狂人だ。そして、君はそれだった。
 ……もしや自分が真っ当な人間だと思っていたのかね?
 何か一つの性質を追求すれば、人間らしさは失われる。
 だがしかし、狂人の性質を保有しながらも人間らしさにしがみついて生き続ける、その矛盾。
 その葛藤と紙一重の危うさが実に人間らしい。そのみっともなさが君の魅力だと思っていたが……さて、どうだ。
 廃棄都市、そしてトーレとの戦いで、君はフルドライブをなしに戦い抜いた。
 身を削ることを由とせず、バランスが完全に唯人へと傾いてしまっているじゃあないか。
 私にはそれがどうしても不思議でしょうがないのだよ。
 今だってそうだ。なぜ戦わない? 怨敵が目の前にいるのだよ? レリックの暴走などに目もくれず、私やウーノ、セインを吹き飛ばしてしまえば良い」

「ドクター、物騒ですよー」

「悪いね」

セインの冗談めかした言葉に、スカリエッティは軽い調子で応えた。
……意味が分からない。
この問いかけにどんな意味があるのだという。
馬鹿馬鹿しいと思いながら、エスティマはスカリエッティが何を考えているのか必死に思考する。
狂人の思考を理解できるわけがないと思いながらも、この状況がどうして生まれたのか。
意味さえ分かれば、何かとれる手段はあるはずだ。

そんなエスティマに気付かず、スカリエッティは会話を再開した。

「さあ、答えたまえ。
 どのような返事であっても、私は喜んで受け容れるよ?」

「……お前を喜ばせる趣味はない」

云いつつも、エスティマはスカリエッティの問に答えるべく、口を開く。

「……お前に改造されたこの身体。戦えば戦うほどに傷付いてゆく不良品。
 それで戦い抜いて……そして駄目になるのが怖くなったんだよ。
 ……こんな俺のことを心配してくれている人がいる。
 その人の気持ちを裏切りたくはないから、俺は二度と無茶はしない。そう決めたんだ」

「……なるほど」

口元を手で隠しながら、スカリエッティは俯く。
が、すぐに顔を上げると、曇った表情でぽつりと呟いた。

「……君は私を倒すのではなかったのかね?」

「倒すさ。皆の力を借りてな」

「自分一人の力で私を倒せるのだとしても?」

「倒せたところで俺が潰れちゃ意味がない」

「今までそれをしてきたというのに?」

「……大事なものが自分以外のすべてというのは、今も昔も変わっていない。
 けれどその大事なもの――人が俺を大事だと云ってくれるのならば、俺は彼女たちの気持ちを裏切りたくない。
 心を裏切るのは屑の所業だ。想いを弄ぶ人間なんざ、死ねばいい」

「だからそんな自分を殺して、新しい自分に生まれ変わったと云う訳か。
 ……小さく纏まってしまったね」

最後の言葉は、スカリエッティに似合わない、寂しさを滲ませた調子で呟かれた。
が、それをすぐに打ち消して、満足したようにスカリエッティは頷く。

「理解はできないが納得はしよう。
 今も昔も根底の、他人が大事という点は変わっていないと見える」

「いいや、違う。俺が皆を大事にしたいから、そうしただけだ。
 結局は俺の自分勝手だよ」

「……狂人の思考は理解できないね」

やれやれと頭を振るスカリエッティを見て、お前にだけは云われたくないとエスティマは思う。
そもそも狂人呼ばわりされている時点で気に入らない。
自分は当たり前のことを当たり前にこなしているにすぎないと云うのに。

人は誰かを思いやらなければ生きてはいけない。
一人で生きて行けるほど自分は強い人間じゃないと、エスティマは思っている。
だから――と彼は考えているが、彼の場合はそれが行き過ぎているのだ。

……一種の呪い。
いつか、かつて相棒と呼んでいたデバイスにかけられた呪縛はそれに似ている。
自分が幸せになるためには、皆を守らなければならない。皆がいなければならない。
ずっと無茶を押し通そうと思っていたのは自分一人を犠牲にして皆を守るためである。
そして今。僅かに柔軟性を帯びたように見えるエスティマだが、その根底は変わっていない。
結局はその守りたい人々に願われて妥協するその有り様は、実に彼らしいと云える。

が、自分以外を守りたいと思い、自分以外を大切に思っている彼の様子に異常な部分は見られない。
それは何故か。
単純な話――当たり前の日常を送ることが彼にとっての宝物であり、それを自ら壊さないために、無意識下で普通を装っているからだ。
誰も気付かない、本人が気付かせようとしていない部分。

その危うさが芽生えた当時は、誰もが心配をしていた。
しかし今、時が経ち――そう、エスティマ・スクライアは擬態が上手くなりすぎたのだ。
故に、誰も気付かない。彼に身近な者で唯一気付けているのは八神はやてぐらいだろう。
その彼女ですら、完全にエスティマのおかしな部分が何かを把握しているとは云えない。

そして皮肉にも、それに気付いているのはエスティマと同類のスカリエッティだけであった。

そのスカリエッティは、

「よろしい。
 納得がいった。肯定しよう」

「……何?」

「私は君を認めよう、エスティマくん。
 その有り様。その衝動。その渇望。
 成る程、私は君の敵であり続けたわけだが、既にそれはノイズでしかないのだね。
 今日、君の前に現れたのはその確認だ。
 ……もう私では、君を輝かせることはできない」

「……何を云っているんだ?」

スカリエッティの言葉に、エスティマは首を傾げた。
云っている意味が分からないのだ。
が、それは当然のことである。
エスティマはスカリエッティがどんな感情を向けていたのか知らない。
彼からすれば今のスカリエッティは、理解のできないご託を並べて一人納得しているようにしか見えないのだった。
愉快犯の狂人。欲望を満たすためだけに動く者。
エスティマの抱くスカリエッティの印象はそれだけなのだ。

故に、

「私、ジェイル・スカリエッティは――
 これより自首をしようと思う」

「……えっ」

続いた言葉の意味が分からない。

今、この男はなんと云った?

「下ると云っているのだよ、時空管理局にね。
 もう結社など必要はない。私は君を眺めさせて貰う立場に――」

「ふざけるな……ッ!」

スカリエッティが最後まで云うのを待たず、エスティマは爆ぜるように掴みかかった。
レリックがどうのということは頭からこぼれ落ちている。
一瞬で沸点に達した怒りのまま、スカリエッティのスーツ、その胸元を握り締めていた。

血管が浮かぶほどに握り締められた拳に、生地がぎちりと悲鳴を上げる。
間近で視線を交錯させながら、二人はまるで対称的な表情を向け合っていた。

満足したかのようなスカリエッティ。
混乱を瞳に浮かべながら、憤怒一色に染まった顔を見せるエスティマ。

「ふざけてなどいないのだがね」

「もう一度云ってみろ……! お前、今、何を云った!」

「聞こえなかったかね?
 自首をする、と云ったのだよ」

「それがふざけているって云ってるんだ!
 それ以外のなんだって……!」

ギリ、とエスティマは奥歯を噛み鳴らす。
またか。またこの男は――!

「何か裏があるんだろう。
 そうに決まっている!」

「そんなことはない。
 言葉の通りだ。私はこれから一人の観客へなろうと思う」

「ふざけるな、歌劇でも見ているつもりか……!
 お前がそんなだから、俺は……!」

今までスカリエッティから受けた仕打ちが脳裏を駆け巡る。
その時その時に感じた怒りは深く、蓄積した憎悪は眼前の男を八つ裂きにしてもおつりがくるだろう。
自分は時空管理局の執務官である、という自負がそれを水際で防いではいるが、しかし、そのせいで行き場を失った激情は胸を焦がす。

「……ついたようだね」

そんなエスティマとは対称的に、スカリエッティは呟く。
いつの間にかタクシーは六課の隊舎へと到着していた。
軽い音を立ててタクシーの扉が開く。

先に外に出たウーノは傘を広げると、スカリエッティへと差し出した。
エスティマの手を丁寧に解くと、一足先に彼は外へと出て、ウーノの隣に並ぶ。

張った布に打ち付ける雨。アスファルトが叩かれる音。
車のアイドリング。強い風がそれらを攫う。
それらの騒音が混ざり合った中へと、エスティマも出た。

降りしきる雨がすぐさま髪を濡らして、金糸が水に湿る。
制服が雨を防いでいたのは僅かな間で、すぐに染みが全体へと広がっていった。
じわじわと、蝕むように。

前髪に水を伝わせながら、俯いたエスティマはゆっくりと顔を上げる。
眼前にいる男は自首をすると云っている。

何故? 何故今更そんなことを云う?
お前が簡単に捕まってしまって良いと思っているのか?
そんな簡単に――簡単に――

そんな簡単に今までの努力が――
報われるなんて言葉は勿体ない。こんな達成感もない有り様で――
こんな――こんな――

「……っ、うぅ……!」

呻き声が漏れ出す。
形を持たない思考を胸より這い上がってきた激情が焦がす。

そんなエスティマを、スカリエッティは眺め、僅かな愉悦を見せる。

「君は、意義のある闘争がずっと続けば良いと思っていたのかな?」

「……そんなわけない」

「ならば、私の自首を喜ぶべきだ」

「……そんなこと、できるわけがない!」

雨音を引き裂いてエスティマの怒声が響き渡る。
が、それはすぐに掻き消されて、周囲には再び騒々しさが舞い戻る。
まるでお前の意志など関係がないと嘲笑うように、だ。

這い上がってきた激情が遂に脳を焦がす。
こんな結末は許さない。納得できない。
大勢の人がこの男のせいで苦しんだのだ。
翻弄され、こうあるべきであった人生を歪まされて、変質した。
そんな元凶とも云える存在が、微塵の苦しみも見せず、こんな――

フィアットと送るはずだった長い時間も。
おそらくは友人たちと馬鹿をやれた長い時間も。
ナカジマ家が送るべきだった団欒も。
逃げ出したいと思って、けれど耐え、戦い抜いた長い時間も。

そして――この男の手によって砕かれた、相棒の命が。

これでは、まるで価値がなかったと云われているようではないか。

「何を苦しんでいるのかな?
 ……良いのかね?」

そうして、スカリエッティは、トドメと云うように最後の言葉を吐き出す。

「ここで私を捕まえないということは、今の状況と平和を天秤にかけて前者を取ると云うことだ。
 望んでいたのだろう? 皆が笑い合える日々を。
 だというのに迷うということは、君自身がそれを否定――」

「――ッ!」

黙れ、と。
言葉ではなく行動でエスティマはそれを伝えた。
跳ね上がるように右腕を振るい、過剰に握り込まれた拳がスカリエッティの頬を抉る。
酷く不快な感触。それに一拍置いて、雨に塗れた地面へとスカリエッティが転がった。
泥に白衣を染めて、不様に跪く。

しかし、その姿を見ても感慨は微塵も湧き上がってこない。

「俺は……!」

「く、くは、は……!」

「俺は一体……!」

「はは、ははは……!」

「俺は一体、なんのために……!」

「ハハハハハハハ――――!」

雨空へと登る二つの声。
朗々と響き渡るスカリエッティの哄笑に、エスティマの叫びは打ち消される。

納得するべきだ。できるはずだ。
この男を捕らえるために戦い続けてきたのだから、これは喜ぶべきことなのだ。
そう頭では分かっていても、納得などできるわけがない。

スカリエッティを殴り付けた拳がじくじくと熱を持つ。
握り込んだ手はそのままで、爪が皮膚を破って血が伝う。
しかしそれもまた、流れ続ける雨に攫われて無かったかのように消えゆく。

雨が頬を伝った顔を上げ、エスティマは、

「ああぁぁぁああっ……――!」

声にならない声を上げて、行き場を失った感情を吐き出した。









[7038] sts 十八話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2010/01/15 15:14

「呆れ果てましたよ、ドクター。
 よりにもよってその手を選びますか」

結社の情報網に引っかかった、ジェイル・スカリエッティの出頭という知らせを聞いて、ナンバーズの四番、クアットロは呆れと怒りのブレンドされた溜め息を吐いた。
現在の彼女は以前とは違った容姿をしている。
特徴的な丸めがねは外され、編まれていた三つ編みは解かれて背中へと流れている。
漂っていた野暮ったさは消え、ここにいるのはややキツ目の美人といったところか。

そのクアットロはスカリエッティが捕らえられた報を聞き、舌打ちする。
おかしいとは思ったのだ。昨晩からスカリエッティと共にウーノとセインが消え、結社ではちょっとした騒ぎになっていた。
蓋を開けてみれば、セインの能力を駆使して、施設の電子設備を掌握したウーノがそれをサポートし、三人で管理局へと向かったというわけだ。

もし出頭などしようと知られたら、自分たちに拘束されるのを考えての行動だ。
ならばこれは誤情報などではなく、意図的にスカリエッティが捕まったことを意味している。

が、

「……まぁ、都合は悪いですが良い機会です。
 時計の針を進めたのはあなただけではないんですよドクター」

時計の針。
それは結社と管理局の戦いを示す代物を指している。
スカリエッティはおそらく、この戦いを不要と断じてこんな真似をしたのだろう。
そう、クアットロは考えている。

今回の件でクアットロとスカリエッティの間にある価値観の溝は決定的となった。
スカリエッティの望むものとクアットロの望むものは似ている。
生命創造技術の完成。しかし、その方向性がまったく別のものだと定まったのだ。

エスティマ・スクライアという人物をサンプルとして生命創造技術を完成させるか。
今のまま結社を使い、兵器という方向での生命創造技術を完成させるか。

この違いが出てしまったからこそ、今の状況になったのだろう。
つまりスカリエッティは今まで積み上げてきたものを自らの目的には不要と断じて、切り捨てたのだ。
ナンバーズをすべて管理局の下へ送らなかったことに違和感は残っているが、小さなこと。
餞別としてありがたく使わせてもらうとしよう。

くすり、とクアットロは小さく、しかし深い笑みを浮かべた。
いらぬものに染まりきって、遂には心――そんな不確かなものを自分の夢に必要だと思ってしまったのか。
馬鹿馬鹿しい。自分たちがそうであるように、作られた命なぞ目的を持って生み出された瞬間に、方向性は定められているのだ。
そう、機械のように。
人の願った、人間以上の存在を造り上げる技術。
人間以上であることを願われたのだから、人間性など不要でしかない。

あくまでも人は人でしかないと思うスカリエッティと、クアットロの違い。
どうしてここまで価値観に違いができてしまったのか――それはおそらく、己にどれだけの価値を見出しているかの違いだろう。
戦闘機人であることを、トーレとはまた違った、人間よりも自分たちは上位に位置する存在だと思っているクアットロ。
そんな彼女が人間性に重きを置くはずがないのだから。

「そうでしょう。ねぇ、坊や?」

ぽつり、とクアットロは呟きを漏らす。
それを聞いた者は、小さく頷きながらこの上ない笑みを浮かべた。












リリカル in wonder










広域指名手配犯、ジェイル・スカリエッティの出頭。
未だマスコミなどには洩れていないものの、その突然舞い込んだ知らせに、交換意見陳述会が終わって一息吐いていた各部隊は衝撃を受けた。
まず、ついさっきまでエスティマと一緒にいたレジアス・ゲイズは椅子からずっこけたあとに各部隊に六課を中心とした非常形態警戒態勢を発令し、出頭したスカリエッティを護送すべく部隊を動かし出す。

そしてその指名を受けた部隊の中には、ゲンヤの108陸士部隊もあった。
シグナムとギンガを始めとした、ガジェットを相手に戦える戦力をまとめて六課に急行する。
それは他に呼び出された部隊も変わらず、その中にはヴァイス・グランセニックの姿もある。

一方、六課。
唐突にフル稼働状態となり忙しない隊舎の廊下を、八神はやては一人、歩いていた。
大急ぎでまとめた資料の収まるバインダーを小脇に抱えて、現在、最も警備が厳重であろう区画の奥に進む。
そしてドアの前に立っていたザフィーラに小さく会釈をし、はやてはその奥にある一室へと足を踏み入れた。

部屋の中には椅子に座り、拘束着に身体を縛られた一人の男がいる。
濃い紫の髪は雨に濡れたせいか半乾きで、癖っ毛のように跳ねている。
拘束された彼は部屋に入ってきたはやてに気付いたのか、俯いていた顔を上げた。

そして眼が合うと、にたり、と真っ先に不快感が背筋を走るような笑みを彼は浮かべた。
自分を人ではなく物として見られているような錯覚があったのだ。
その怖気を抑えながら小さく息を吐いて、はやては口を開いた。

「……私は時空管理局ミッドチルダ地上部隊所属――」

「八神はやて捜査官、だね。
 初めて顔を会わすというわけではないのだ。そう畏まらなくても良いのだよ?
 ああしかし、美人になった。いや、可愛らしいという方が相応しいかな。
 やはり映像ではなく、直に見るものだねこういうものは」

「……不要なことを喋らんようにな」

眉間を人差し指で押さえながら、はやてはバインダーを開きつつ、スカリエッティの口にしたことを思い出す。
そう。この男と顔を合わせたのは初めてじゃない。
結社設立の際、エスティマと共にこの男と対峙したのだ。
あの時のスカリエッティはエスティマしか眼中にないと思っていたのだが、しっかりと覚えていたのか。

……それにしてもこの男。
捕まったというのにまるで緊張感がない。
拘束着で自由を奪われてはいるものの、椅子に座る様子は微塵も苦しさを見せていない。
今さっきの会話からも、焦りや後悔といったものを感じ取ることができなかった。
治療を施され頬に貼り付けてあるガーゼも、微塵も痛々しさを想起させず。

自ら捕まりきたというのは本当なのだろう。喜び勇んで管理局に下ったのだろう。
だから、エスティマは――

口の中で脣を僅かに噛み締め、はやてはスカリエッティを見据えた。
射抜くような視線を向けられても尚、スカリエッティの態度は変わらない。
次はどんな言葉を向けられるのかと、心待ちにしているようだ。

……今になって実感した。これはエスティマも嫌いになるわけだ。
まるで手応えがない。中身がスカスカのサンドバッグを一人で殴っているような気がしてくる。
どんなことをしても、この男はその状況を楽しんでしまうのではないだろうか。

そんな得体もないことを考えながら、はやてはどうしたものかと口を開いた。

「で、や。ジェイル・スカリエッティ。
 あんたはナンバーズを二人も引き連れてわざわざ出頭しにきてくれたわけやけど、これはどういうつもりや?」

「どういうつもりも何も……そのままだが?
 ああ、あれかね。君もエスティマくんと同じで、私が捕まったことを喜びたくない類の人間かな?」

「……まさか。私としては素直に喜びたいんよ。
 あんたの行動に裏がないならな」

そう。
はやてはエスティマと違う。
スカリエッティがこうも呆気なく捕まったことに腹立たしさはあるも、彼とは執念の濃さが違うのだ。
はやてからすれば、ようやくエスティマの心を蝕む元凶がなくなると嬉しくすら思っている。
が、それは言葉に出した通り、裏がない場合に限る。

自ら捕まるなんて馬鹿げたことで自分たちの部隊長を動揺させて、この馬鹿は次に何をするつもりなのか。
とてもじゃないが冷静とは云えない今のエスティマでは、それを聞き出すことができないだろう。
故にこうやって、はやてが出向いてきているのだった。

「ハハ、裏などと」

が、スカリエッティはそんなものは存在しないと笑う。
本当にそうだろうか。
ならば何故、結社を放り投げて出頭などをしたのだろう。
それを聞き出すことがはやての仕事であり、今のエスティマのためにしてやれる唯一のことだった。

「……まず、聞こうか。
 なんで捕まろうなんてする気になったんや。
 結社なんて大層なもんを作っておいて、それの中心であるあんたが抜けたら、瓦解するのも目に見えてるやろ?
 それが分からないことには、私らはあんたを信用できへん」

「いきなり核心を突いてくるか。なるほど、悪くない。
 が、君に私を理解できるのかね? まぁ、良い。知りたいというのならば教えてあげよう」

見ている側が不愉快になるような、余裕を持った笑みを浮かべて、スカリエッティは天井を見上げる。
蛍光灯を眩しげに見詰めながら、彼は茫洋とした口振りで、己の胸中を吐露しだした。

「まずは私の身の上から説明してあげよう。
 正直教えなくとも良いのだが、ああ、君はエスティマくんの友人だ。無下にはできまい。
 懇切丁寧に、私という人物を把握できるよう、解説してあげようじゃないか」

そこから、スカリエッティの誕生、その内に宿り続けている無限の欲望に対する説明が始まる。
アルハザードの技術を使用して生み出されたスカリエッティには、一つの生物として方向性が定められている。
無限の欲望。その色を満たしているのは、生命創造技術に対する探究心だ。
誰かに刷り込まれたのか。それとも自分で抱いた夢なのかは分からない。
が、スカリエッティとはその渇望を一つの核として活動する生物なのだ。

これが、前提。人の形をとっていながら、その思考形態が常人とは違う。
スカリエッティという単体の生物を見れば"そういうもの"として認識できるだろうが、彼は人の形をとっている。
故に、彼は生まれながらの狂人というべき存在なのだ。人の皮を被りながら、その中身は人ではない。
人としておかしいだろう。一つの欲望へ忠実に突き進み、他のことを些末事と切り捨てるその生き方は。
これはエスティマにも云えることだが、しかし、彼の場合は狂気の淵に立って変容した後天的な精神構造である。
"そういうもの"として生み出されたスカリエッティに限りなく近いが、別の存在と云えるだろう。

ともあれ、スカリエッティは常人ではない。常人として生まれていない。
こうあるべき、という形を定められ、それを果たすべく突き進んでいた彼が、なぜ出頭などしたのか。
その話が、ようやく始まる。

「魅せられたのだよ」

「魅せられた?」

「そう。私はエスティマ・スクライアという一つの個体に魅せられた。
 私と同じ、作られた命にね」

「ちょ、ちょっと待って!」

「何かな?」

「……作られた命? エスティマくんが?」

はやてにとって、それは初めて耳にすることであった。
エスティマの家庭環境について彼女が知っていることは、幼い頃に母親から捨てられたということだけだ。
妹のフェイトと生き別れになって……と。
はやてが聞いているのはそれだけである。

故に、今の発言は寝耳に水だった。

そして、そんなはやての様子を、さも愉快げにスカリエッティは笑う。

「調べてみると良い、八神はやて捜査官。
 アリシア・テスタロッサの出生記録と、フェイト・テスタロッサ。そしてエスティマ・スクライアのをね。
 ……噛み合わないだろう?
 還暦に手が届く老婆の息子と娘にしては、幼すぎる。
 公式記録では……ああ、捏造されていたんだったね。
 ハハ、失礼。忘れてくれたまえよ」

忘れられるわけがない。
それが分かっていてこんなことを云うのだから、この男は性根が腐っている。

スカリエッティの云っていることは事実である。
エスティマが他者の可能性を食い潰し始めた発端であるPT事件。
エスティマやフェイトがクローンだということは、その際に露呈し、しかしプレシアが死亡したため確証がなく闇に葬られた事実である。
これに関与したリンディやクロノも、既に過去のことと忘れつつあるだろう。

しかし、

……クローンであろうとなかろうと。
エスティマくんがエスティマくんであることに変わりはあらへん。
私の気持ちは――

僅かな時間でショックから立ち戻り、はやてはスカリエッティへと視線を向ける。
その程度で何を揺れる必要があると云うのだ。
クローンだからどうしたと、八神はやては真っ直ぐな色を瞳に浮かべる。
その姿を好ましいと脣の端を釣り上げて、スカリエッティは先を続けた。

「それで、だ。
 その作られた命。
 正直なところで。自分でも恥ずかしい限りなのだが、私は最初期、彼を実験動物としか見ていなかったのだよ。
 ようやく理論を構築できたレリックウェポンの試作機として蘇らせ、野に放ち、稼働データの収集を兼ねて彼の人生を眺め見てきた。
 ……すると、どうだ。
 実に彼は人間らしいではないか。私と同じ生まれだというのに、ああも奔放に人生を謳歌している。
 故に、私は試練を与えてやったのだよ。ああ、これも稼働データの収集を兼ねてだ。
 ……悲しいかな。私の目的に彼を巻き込む形でしか、私は彼に関われない。動けないのだ。
 それが無限の欲望という生物だからね。
 もしそれを止めてしまえば、おそらく彼への執着も色褪せてしまうだろう。
 そうならないよう今まで動いてきたわけだから、断言はできないが」

「……はた迷惑な話やな。
 それでエスティマくんがどれだけの思いをしたのか、分かってるんか?」

「君がそれを語るのかね?」

ピタリ、と。
今まで浮かべていた笑みを打ち消して、スカリエッティは無表情へと変貌した。
金色の瞳にじっと見据えられ、はやては居心地の悪さを感じてしまう。

「彼がどのような思いをしたのか。
 無論、私に分かるわけがないよ。だが、君にだって分からないはずだ。
 ありがちな言葉を使うのは止めたまえ」

……この男は、何か、常人には理解できない執着をエスティマに抱いているのだろうか。
人間らしく生きている? 当たり前だ。だって彼は人間だから。
だというのに、この男は自分と同類だとでも云うように彼のことを語る。
はやてからすれば、それがどうしても許せない。
が、言い合いをするために自分はここへ足を運んだわけではないのだ。

勝手に話を進めるスカリエッティの言葉に、再びはやては耳を傾けた。

「……そう。彼は誰にも計ることができない一人の人間だ。
 作られた命。改造された命。
 形が只人から離れているというのに、人であることにしがみついて、そのせいで次々に大切なものを取り落としながらも、半べそを浮かべながら大事なものを胸に抱いて、突き進む。
 その有り様を否定するように。自分はこういうものである。故に、守るのだと断言するその姿が。
 如何に困難を突き付けられても折れず、曲がらず。自分の意志を裏切らず。
 それを実行できる時点で既に人間を辞めている。人はそこまで純粋にはなれないよ。
 しかしそれでも、彼は人であることにしがみつく。
 ……その葛藤が、その矛盾が。
 実に、人間らしいではないか。
 私ではああはならない。ナンバーズでもだ。
 そんな彼に触れている内に、私も、何かになれると思ってしまったのだが……」

それは魚が鳥に憧れるのに似ている。
決してそうはなれないというのに。手に入れることは叶わないというのに。

「が、それは、そもそも無理な話。
 故に、私はこの騒動に終止符を打つべく動いたのだ。
 エスティマ・スクライアがどう生きてゆくのかを見極め、それをもって次の研究の糧となす。
 私が彼に関われるのは、もうこういった形でしかできない。
 ……してはならない、と思うのだよ。
 如何な困難を与えようと、二度と彼がブレることはないだろう。
 故に、結社などは既にノイズでしかないのだ。
 それが彼の人生を阻害するというのならば、私はそれを捨て去ろう。
 そして眺めるのだ。一人の観客としてね」

「……筋が通ってへん。
 それが出頭をするのとどう繋がるんや?」

「分からないかね?
 彼は一人の人間として生きることを完全に選択した。
 その答えとして、全力を出さなかったのだ。身を削ることを止めたのだ。
 ……ならばこれ以上、私が茶々を入れてどうなる。
 私が野に放たれている以上、彼は私に囚われたまま自らの可能性を削ることしかしない。
 そして、そこにはもう遅いか早いかの違いしかないのだ。
 ああ、断言しよう。
 彼は強いよ? そうと決めたのならば、彼は己に課した約束を守りながら目的を達する。
 私が出頭しようとしなかろうと、いつか私を捕まえただろう。
 既に終わりは見えたのだ。ならば……」

そう、ならば。
もう自分にできることは何もない。
出来たことと云えば、土産のように最後の絶望をエスティマにプレゼントしてやったことぐらいである。
そう、スカリエッティは云う。
が、その絶望すらも飲み干して、彼は立ち上がるだろう。
何故ならば。そこで足を止めていたら、彼の望む幸福は手に入らないからだ。
スカリエッティはエスティマ・スクライアという人間の強さを信じている。
誰よりも、信じているのだ。

そんなスカリエッティの長台詞を耳にして、はやては嘆息する。
やはり分からない。理解ができない。分かったことと云えば、この凶悪犯が異常なほどにエスティマへと執着していることぐらいであった。
故に、

「……最後に一つ聞かせて欲しいわ。
 なんであんたはエスティマくんに執着するんや?」

「ならばなぜ君はエスティマくんに執着する?」

「……それは」

スカリエッティに問いかけられて、はやては言葉に詰まってしまった。
なぜこの男がそんなことを知っているのかというのは置いておいて――

「そう、ロジックではないのだよ」

……エスティマが気に入ったと、彼は云っている。
自分が彼を好きなように。
自分の想いが同格にされるのは心外で張り倒したくもあったが、なんとか自制。

熱を孕んだ息を吐いて、はやては苛立たしげに髪を掻き上げた。
その様子をじっと眺めながら、スカリエッティははやてに云わなかった台詞を胸中で続ける。

――故に。
人であることを望み続ける人造生命体。
彼は希望なのだ。これからも生み出され続けるであろう、彼や自分と同じ存在にとって。
戦闘機人。F計画。人造魔導師。
そういったものたちが生まれ出でたとき、彼という存在がいたことを知れば、きっとそれは戦うだけの生体兵器ではなくなる。
チンクが只人になりたいと願ったように。トーレが戦闘機人であることに意義を見出したように。
そして自分が、果たせはしなかったが、無限の欲望以外の何かへと変わろうとしたように。
彼は我々、作られた命にとっての太陽である。
その彼を私は愛でよう。彼の命が続く限り。
一人の観客として彼の人生を胸に留めよう。
そして彼の人生を糧にして、永劫続くであろう次元世界の暗部に一筋の光明を差し込もう。
君たちは人になれるのだと。願い続ければ、足掻き続ければ。それは叶うのだ。

そしてその果てに――今までの作品に欠けていた人間味という要素が完璧になるであろう。
……絶対不変の縛りによって、結局はそこへ行き着いてしまう。

……そもそもスカリエッティの勘違いなのだ。
エスティマは作られた命であっても、その中身自体は人でしかないのだから。
普通から逸脱してしまった者が、元に戻ろうと足掻く姿を誤解しているだけに過ぎない。

しかし、そのスカリエッティの勘違いは――無限の欲望に沿う形で残った、エスティマ・スクライアという人物に見出した祈りにも似た願いは。
間違いであるだろうか。















『まったく、とんでもないことになったわね』

ティアナの呟きに、残る新人三人の頷きが続いた。
通信は念話のため顔を見ているわけではないが、ティアナがそう感じたことに間違いはなかった。
なんの前触れもなく訪れたジェイル・スカリエッティ出頭の知らせを受けて、現在、四人は六課の周りで立哨を行っている。

台風の中、雨風が吹き荒ぶ中でと決して楽な状態ではない。
が、火災現場などで使われるバリアジャケットの耐火設定と同じ部類の防水設定を使用しているため、気になるのは寒さぐらいだ。
その寒さも、バリアジャケットの通常機能によって大幅に減じている。精々が肌寒いといった程度。
だとすると感じるのは退屈――などではない。
これから何が起こるのか分からない今、四人は緊張感を全身に滾らせながら立哨任務に就いていた。

その最中に念話で私語など言語道断だが、降って湧いた急展開に馴染むためなのか、普段はそういうことを一切しないティアナは念話を仲間たちに送っている。
そして、三人はティアナと同じように今の状況とこれからのことに頭が追い着いていないのだろう。
誰も私語を止めようとはせず、会話は続いてしまった。

『まさか、僕たちが相手取る組織の首領が自分からなんて……』

『本当です』

エリオにキャロが混乱を滲ませた念話を放つ。
続いて、

『……これから、どうなるんだろう』

誰もが思っていることを、スバルが呟いた。
そんなことは誰も分からない。そもそもこの状況自体が想像していたあらゆる状況を裏切っているのだから。

エスティマと距離があるからだろうか。
はやてとは違い、フォワード陣が心配しているのはこれからのことである。
いや、エスティマが今どうなっているのか彼らは知らない。
部隊長が無力感に苛まれている――などと知れば部隊の統率など取れるわけがないと理解しているなのはやはやてが、知らせていないのだ。
彼らからすれば、きっと部隊長も今の状況に混乱しているのでは――という認識である。
ただ、

……部隊長がスカリエッティを捕まえるところを見たかったけれど。

そんな風にティアナが思っていたぐらいだった。

ともあれ、これからのこと。
なのは曰く、独断専行で出頭してきたスカリエッティを取り返すために結社が動く線が濃厚、とのこと。
もし敵が全力で攻め込んできたら自分たちでは苦しい戦いになるだろう。
背後に隊長陣が控えているため負けることはないと思ってはいるが、敵も並の相手ではない。
もしかしたらこれが最後の戦いになるのでは、と四人が四人とも薄々と考えていた。

『まぁ、戦闘があることは間違いないでしょうね』

結社の頭であるスカリエッティを守りきれば、あとは統率者を失った結社は混乱し、瓦解の一途を辿るだろう。
大規模な戦闘が一回。あとは残党狩りか――と。
ここが戦場になるのか、それとも護送中、護送先で戦う羽目になるのか。
そこまでは分からないが、未だ鉄壁には程遠い状態の六課が狙われる可能性が最も高いだろう。
潜入能力に特化した戦闘機人、セインは管理局に下っている。
ならば結社にできることと云ったら力押しぐらいで――いくら結社が強大と云っても、護送先で管理局と真っ正面から戦うことは難しいだろう。

故に、スカリエッティを隊舎から運び出すまでが自分たちの天王山。
そう、なのはから聞かされているのだ。

『……ここではあまり戦いたくないのよね、本当。
 敵が私たちの事情を聞いてくれるわけがないって、分かってるけど』

云いながら、ティアナは背後にある隊舎を見上げた。
激しく打ち付ける雨のせいか、まるで泣いているようにも見える六課。
もしナンバーズが押し寄せてくるような激戦ともなれば、ここを無傷で守りきることはできないだろう。
守りたいという意志があっても、敵がどれほどの力を持ち、フルドライブを使えるようになったと云っても自分の実力がどれほどかを理解している以上、大事は口にできない。

……六課。
自分たちにとっては大切な場所。

ティアナにはエリオやキャロ、スバルがここをどういう風に捉えているのか分からないが、最低でも愛着ぐらいはあるだろう。
そしてティアナにとって、ここは愛着以上の思い出が詰まった場所である。
長い人生で見ればそう多くの時間を過ごしたわけではない施設だが、その分、密度は異常に濃かった。
高町なのはに教導を受け、数々の任務をこなして、自分なりに成長をして――憧れていた人を間近で見ることができて。

そんな機会を与えてくれたこの場所を戦場になどしたくないのだ。心の底から。

……どうか、何も起きないように。
念話ではなく肉声を吐いて、ティアナは雨空を見上げた。
吐息のように紡がれた言葉は、吹き荒ぶ風に流され瞬く間にその形を失う。
それが荒波の中にいるような錯覚をティアナに抱かせ、彼女は小さく身体を震わせた。













シャワー室のすぐ近くにある休憩所で、頭にタオルを被せたままエスティマ・スクライアは項垂れていた。
雨に塗れたままでは風邪を引くと云われ、着替えを取りに行ったあと、シャワーを浴びたのだ。
が、身体を温めたとしても、冷え切ったその胸の内までは暖めることはできない。

タオルで隠れている彼の表情は空虚そのものだった。
眼差しに意志はなく、緋色の瞳はまるで掠れているよう。眼力は弱く、鈍光を微かに宿しているだけだった。

彼をこんな状態へと陥らせているのはただ一つ。スカリエッティのことだ。
スカリエッティを捕まえるという結末は彼の望むものであったが、しかし、現状に満足できるはずもない。
スカリエッティを捕まえることに、こうしたい、というビジョンがあったわけではなかった。
あるとしたらそれは最小限の被害で――と、至極真っ当なことであり、その願いは最高の形で叶えられたと云って良いだろう。

だがその最高の形はエスティマの願ったものではない。
まさかこんな形でなどど夢にも思わなかったのだから当然だ。
こんな――こんな、今までの血反吐を吐くような思いを踏みにじられるような決着は。

『……旦那様』

そんな主の状態を見ていられないと、Seven Starsが声を上げる。
それは彼女にしては珍しく、感情の色を濃く滲ませたものだった。
機械である彼女に心があるかどうかは別にして、主人の無念を彼女も強く感じているのだろう。

『こう考えれば良いではありませんか。
 旦那様が今まで頑張ってきたからこそ、アレが出頭するつもりになったのだ、と。
 今まで積み重ねてきたものが無意味だったわけではないのです』

「……ああ、それも間違いじゃないんだろうな。
 何もしなかったら奴が自分から捕まりにくることはなかっただろう。
 ……けど、俺は」

こんな終わりを望んではいなかった、と。
そうエスティマは云う。

ならばどんな形を望んでいたのだろうか。
今までの恨みをぶつけることができるような激戦を期待していたのだろうか。
否だ。そんなことは望んでいない。
もう自分は以前の自分とは違うのだから、そんなことを望んではいけない。

ならば今の状態は、エスティマの望んでいた形だろう。
出血を強いられず、身を削ることもなく、守りたい者たちが悲しむわけでもなく。
完璧に自分の望み通りの結末であり――だからこそ納得ができない。

その望み通りの結末は、自分の手で成してこそ意味があったのだから。
まるで道化だ。いつまでもスカリエッティの掌の上で弄ばれている。
この上ないほどの屈辱と敗北感はどうしたら拭えるのだろう。
その術をエスティマは知らない。

『……旦那様』

そしてまたSeven Starsも、その術を知らないのか。
主人を勝利に導くべく存在する自分には関係ないところで、主人に勝利が舞い込んだ。
それも、微塵も望んでいない形で。
エスティマと同じように、Seven Starsもまた主人を心配する一方で、無力感に苛まれているのかもしれない。

「父上!」

その時だ。

威勢の良い声が響いて、エスティマは反射的に――とは云っても酷く緩慢な動作で――顔を上げた。
視線の先には管理局の制服に身を包んだシグナムがいる。
走ってきたのか、息を切らせた彼女は姿勢を正すと敬礼を。

「お疲れ様です。
 ゲンヤ・ナカジマ三佐に命じられ、一足先に到着しました」

「……ああ」

朧気な頭が、近隣部隊が六課へ――結社の襲撃を警戒して集結していることを、エスティマは思い出す。
スカリエッティ曰く、出頭は彼の独断専行であるという。
ならば彼を取り返すべく結社が攻め込んできても不思議ではないだろうと、六課には過剰な戦力が集結しつつあるのだ。
そんな状況でエスティマが遊んでいるわけにもいかないのだが、彼の心情を汲んでくれた部下たちが休ませてくれている。

こうしてシグナムがエスティマの下へときたのも、気遣いの一つなのだろうか。
そこまで考えず、エスティマはすぐに視線をシグナムから外した。

「……どうした」

「あ……いえ、その」

事情を誰かから聞いたのかもしれない。
シグナムは何を云ったら良いのか分からないといった風に、表情を曇らせる。
普段のエスティマならば、娘を相手にするのだからと少しは強がるだろう。
しかし、今の彼にそんな余裕は微塵もなかった。
そしてその余裕のなさにシグナムも気付く。

彼女は未だ父親にどんな言葉をかけて良いのか分からない様子だった。
しかし無言のままでいるのは悲しすぎると、どうにか口を開こうとする。

「……父上」

しかし、呼ぶだけで意味のある言葉を投げ掛けてやることはできなかった。
シグナムとて知っているのだ。
エスティマが自分を育ててくれる傍らで何と戦っていたのかを。
十年にも及ぶ戦いがこんな終わり方をすれば、程度の差こそあれ誰もが消化不良を起こすだろう。
そしてエスティマは、最もスカリエッティへの憎悪を滾らせていた分、誰よりもその念が強かった。

だからこそシグナムはどんな言葉をかけて良いのか迷っているのだろう。
そんな娘の姿に、エスティマは苦笑する。
……ああ、別にこれが初めてというわけでもないのに。
スカリエッティに自分の思惑が裏切られたことなど、数えるのが嫌になるほどある。
それを踏み越えて今があり、そこまでして守りたいと願ったものがある。
それを今、自分の手で曇らせてはいけない。

未だ消化不良を起こしたままの彼であったが、凍て付いていた意志がほんの少しだけ動き始める。
頭に被せていたタオルを取り去ると、休憩所のベンチから腰を上げた。

「わざわざきてもらって悪いな、シグナム。
 こんなところじゃなんだし、行くぞ」

「あ……はい!」

そんなエスティマの様子をどう感じたのか。
一瞬だけ父親を痛々しそうに見るも、シグナムはすぐにその表情を改める。
父がやせ我慢をしているのなら、と察したのだろうか。
本当に良い子だ、とエスティマは胸中で苦笑した。

放り投げてあった制服の上着に袖を通してネクタイを締めると、エスティマはシグナムを引き連れて隊舎の廊下を歩きはじめる。
気分が僅かにでも前向きになったからだろうか。
ずっと停止していた思考が徐々に動き出して、これからのことが頭を巡った。
スカリエッティが独断専行で捕まりにきたのならば、おそらく奴を奪還するために残りのナンバーズは動き出すだろう。
おそらくその中心となるのはクアットロ。スカリエッティに続いて面倒な相手か。

セインを捕まえた以上、相手は力押しでやってくるだろう。
その場合、残るType-Rと例の巨大ガジェット、それに運が悪ければルーテシアの召喚蟲と戦うことになるか。
内偵のゼストから連絡はない。どのタイミングで敵がやってくるのかは不明である。

地上部隊の主力が集結しつつあるとは云っても、どうこうできる敵ではないだろう。
質は数に勝る。常識を嘲笑う方程式の中で自分たちは戦っているのだ。
地上部隊に頼むのはガジェットの露払い……だとすれば、自分たちは戦場の中心となり戦う必要があるだろう。
六課を統率する立場である自分は腐ることすら許して貰えない状況だ。

「……シグナム」

「はい、父上」

「お前に命令できる立場じゃないが、敵がきたら頼むぞ。
 頼りにしてる」

「……はい。私は父上の守護騎士ですから。
 乞われれば守ります。身命に変えても」

「……無茶はしないでくれよ。
 お前が死んだら台無しなんだから」

既視感を抱きそうなやりとり。
それはおそらく昔の自分と周りの者たちとの、だ。
こんな馬鹿な親のせいで、良い子すぎるシグナムが自分の映し身になどならないよう気を付けないといけない。

頼むぞ、とシグナムの背中を触れるほどの強さで叩く。
呆気に取られたような顔をした後、彼女は表情を輝かせた。
そして、噛み締めるように深く頷く。

……だから、そんなに意気込まなくて良いんだって。
素直すぎるシグナムの反応に、エスティマは困った風に笑った。

そうしていると二人は執務室にたどり着く。
エスティマを先頭に部屋へ入ると、そこにはエスティマの代打を行っていたグリフィスと、わざわざ本部から出向いてきたオーリスの姿があった。

反射的にエスティマは敬礼を。それに釣られて、シグナムも。
二人とは違って余裕のある風にオーリスは応じると、手にしたバインダーを執務机に置いて笑みを浮かべた。

「お疲れ様です、スクライア三佐。お手柄ですね」

「……いえ」

……そう。これが普通の反応なのだろう。

エスティマをよく知る六課の者ならまだしも、外からすればエスティマがスカリエッティを捕まえたことに変わりはない。
例えそれが犯罪者自らの出頭だとしても、彼が捕まえたというフィルターが事実を僅かにねじ曲げるだろうから。

それを証明するかのように、オーリスは純粋な賞賛を送ってくる。
嬉しくないわけではない。が、ずっと続く消化不良が胃袋に穴を開けかねない痛みを感じさせもした。

しかし、それに囚われて仕事をしないわけにもいかない。
僅かな時間でも腐っている間に時間は進んでいたのだ。それの確認と、この先のことを考えなければ。

「オーリスさん。地上本部はどんな様子ですか?」

「はい。場合が場合ですから、現在は中将が先頭となって各部隊を動かしています。
 一時間もしない内に完全な警備体制ができあがるでしょう。
 ……まったく、厄介なことですね。
 頭脳を捕まえても、残された手足がそれを取り返すべく動き続けているだなんて」

「その手足が尋常じゃない相手というのも付け加えるべきでしょう。
 それにしても――」

と、そこまでエスティマが云った時だった。
唐突に出現した魔力反応に、エスティマとシグナムは反射的にデバイスを握り締める。
そして――

目を灼くほどの閃光と衝撃に、六課の隊舎は震撼した。

















「打ち上げ花火としてこれ以上ない出来ですね。
 さて……それじゃあ始めましょうか」

眼下に広がる光景――雨が降りしきる中、煌々と紅蓮に燃える六課の隊舎をクアットロは見下ろす。
場所は上空。分厚い雲を引き裂いて放たれたイノメースカノンの一撃は、狙いを違わず標的を打ち砕いていた。

月を背負い闇夜に浮かぶのはクアットレスⅡ。ガジェットと云うには巨大すぎる殺戮機械の上に立って、ナンバーズの4番は薄ら笑いを浮かべる。
高々度から放たれた超出力――複数のレリックを動力源としたクアットレスⅡの火力はType-Rと同等か、部分的には凌駕すらしている。
それが最大出力で放った砲撃は、いったいどれだけの打撃を相手に与えただろう。

それを見下ろし、思うクアットロに被害を出した申し訳なさなどは微塵も存在しない。
浮かんでいるのは愉悦一色。人をゴミのように蹴散らす自分たちはやはりと、揺るぎない自信が充ち満ちている。

「さあ行きなさい。出番ですよ皆」

その呟きに、彼女に続く番号を持つ妹たちが反応する。

雲を引き裂いて六課へと突き進むのは、12番。
双子の片割れを奪い取った者たちを打ち倒すべく、握る二刀が魔力光に輝く。

大地を覆うアスファルトを砕いて姿を表したのは9番。
以前は両腕にはめられていたリボルバーナックル。だが現在は左腕のみとなっている。
失った右腕。母親との唯一の絆。それを奪い取ったへの復讐と、そして、姉妹機の破壊に執念を燃やす。

それに続いて、サーフボードのようにデバイスへと乗った11番が。
彼女は他の二人と違う。命じられたままに、これより始まる闘争を楽しむべく、ただ仕事を果たすため姿を表す。

暴風雷雨の吹き荒ぶ中、紫色の召喚魔法陣が六課の上空に次々と展開される。
現れた召喚蟲はただ主が欲するもの――物を手に入れんがために、意志無き意志を震わせた。

そして、最後に。
未だ姿を表さずにいる7番――スカリエッティが製造途中で開発を止めていたその存在は、機械である己の性能を存分に発揮するタイミングを待ち望んでいる。

結社の残存勢力、その精鋭。
六課の戦力と真っ向からぶつかり合ったとしても負けは見えない。
以前ならば違っただろう。
しかし今、クアットロの下には二つの切り札が揃っている。
ガジェットという枠をはみ出した兵器であるクアットレスⅡ。
一度たりとも戦場に舞い降りておらず――それでも尚、最強のType-Rと断言できる戦闘機人、セッテ。

それらを従え、既に勝利を勝ち取った者つもりで、クアットロはこの場にいた。

「ドクター、あれで終わりのつもりだったのですか?
 いいえ、これが始まりです。
 あなたが切り捨てたんじゃない。いずれは私が切り捨てましたもの。
 ――ねぇ、そうでしょう、坊や?」

ぽつり、とクアットロが呟く。
その声に応える者は――いる。
クアットロが足場にしているクアットレスⅡのコックピットへ搭乗している者は、彼女の声に応える。
そうだね我が母、と。

満足げに頷いたクアットロは装甲越しに、すげ替えられた結社の頭へと愛おしげな視線を送る。
彼女には似付かわしくないその表情。
が、それは親が子供に送るものではない。
芸術家が自慢の作品に見惚れる様に近いだろう。

さて、とクアットロは愉悦に表情を歪めながらも、気を引き締める。
スカリエッティと自分は違う。
手緩い攻めはなしに、今度こそ慟哭させてやろうと、幾度も自分に屈辱を味あわせた敵の姿を見下ろした。








[7038] sts 十九話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2010/01/21 20:26
燃え盛る六課、その一角。
数秒前は執務室と呼ばれていたそこは現在、炎に舐められる瓦礫の山と化していた。
デスクも、本棚も何もなく。
辛うじて原型を留めている床にはガラス片とコンクリート塊が転がっており、窓も壁もなくなったことで風雨が容赦なく降り注ぎ始めた。

『ブレイクインパルス』

瞬間、サンライトイエローの光と共に瓦礫の山が粉みじんに砕け散る。
姿を表したのはエスティマだ。彼はバリアジャケットに身を包んだ状態で、左腕には盾、右腕には片手剣――モードCのSeven Starsが握られている。
エスティマ自体のバリア出力は平の局員並かそれ以下。しかし左腕に装着された、流体金属製の盾で業火を防ぐことにより直撃だけは免れたのか。
粉砕した建築物の残骸が雨に塗れて泥となる。それでバリアジャケットを汚しながらも構わず、エスティマは周囲を見回した。

一体、何が――いや、今はそれよりも。

「シグナム! グリフィス! オーリスさん!」

数秒か、数十秒前か。
ここが瓦礫の山と化す寸前まで顔を合わせていた三人の名をエスティマは呼ぶ。

「ぐっ……! 父上、私は平気です!」

返事は一つ。シグナムもセットアップが間に合ったのか、魔力を派手に吹き上がらせ、身体の上に積もっていた瓦礫を吹き飛ばし、姿を現した。
この二人――残っているのはバリアジャケットを展開できた二人だけなのか?

エスティマは奥歯を噛み鳴らし、そんなはずはないと視線を巡らせる。
燃え盛る炎は雨を受けて徐々に勢いを減じてはいるが、同時に光源となるものもなくなってゆく。
大気中にスフィアを浮かべて照明代わりにすると、エスティマはグリフィスとオーリスの名を呼びながら瓦礫を退かし始めた。
そうしていると、グリフィスの顔が瓦礫の隙間から見えた。
倒れた柱が運良く支えになったのか、偶然生まれた隙間に彼はいる。
眼鏡は砕けてしまったようだが、それだけだ。怪我らしい怪我も見当たらない。

「グリフィス! 聞こえるか、グリフィス!」

「う……部隊長?」

隙間からグリフィスを引っ張り上げると、頬を短い間隔で叩きながら声をかけた。
しばらくしてグリフィスは目を覚まし、瞼を細めながら周囲を見渡す。
何があったのか、と考えているのだろう。エスティマと同じように。

「……先手を打たれたんだろうな。
 状況を把握しないとまずい。グリフィスは――」

「父上!」

目を覚ましたグリフィスに指示を出そうとしたその時だった。
悲鳴じみたシグナムの声が響き、そちらに顔を向けると、彼女は腕の中に人影を抱き留めながらエスティマへと視線を送ってきている。
瞳はまるで縋るように。
嫌な予感を抱きながらも、エスティマはシグナムの元へと駆け寄った。

そして絶句する。
シグナムが発見したのはこの場にいた最後の一人、オーリスだが――彼女はまるで、この場にいた者の不運を一身に引き受けたような状態となっていた。
ガラス片を身に浴びたのだろうか。消えつつある炎に、血みどろの右腕が鈍く輝いている。
両足は今も瓦礫に埋まったままだ。そしてそこからは、じわじわと血の池が広がっている。
制服にはねじ曲がった鉄筋が何本も突き刺さっており、雨と血に濡れて一体どれほど出血したのか分からない状態だ。

「ち、父上、どうすれば……!」

「応急手当は俺が。
 グリフィス、医療班に連絡を。シグナムは連絡が付き次第、人をここに連れてきてくれ」

Seven Starsを傍らに置きながら、呟くようにエスティマは二人に指示を出した。
茫然自失としたい。目を逸らしたいのは山々だが、魔導師でもない普通の人をこのまま放置すればどうなるかなど火を見るよりも明らかだ。
頭の隅から応急処置の手段を掘り起こしつつ、エスティマは手を動かし始めた。

患部圧迫で止血――は駄目だ。傷が大きすぎるし、足がどうなっているかは分からない。
突き刺さった鉄筋はそのままに放置して、リングバインドを痛みすら感じるであろう締め付けでオーリスの二の腕、太ももへと展開。
次にオーリスの頭を腿にのせると、呼吸を確かめた。
そして舌打ち一つ。胸へと視線を送ればそこは上下しておらず、その上鼓動もない。
プロテクションを展開して雨を弾き、すみません、と前置きすると、エスティマはオーリスの胸元を破いた。
恥ずかしがる余裕もないまま、顕わになった胸を濡らす血や水を拭き取ると、デバイスコアの収まった片手剣へと視線を送る。

「……Seven Stars」

『了解。電圧調節はこちらで行います』

「頼むぞ」

そして左手を両乳房の間に添えつつ、魔力を込めて紫電を生み出す。
衝撃でオーリスの身体が跳ねる。が、頓着せずに両手を重ねて胸骨へと全体重を乗せた。
肋骨をへし折る嫌な感触に顔を顰めながらも腕を止めず、心臓マッサージを行う。
一定のリズムを刻みなら続け、間をおいて再び電撃を。

それで心臓が動き始めると、気道を確保して今度は色気もへったくれもない人工呼吸を開始した。
それをしばらく続けていると、ようやくシグナムが医療班から人を連れてくる。
シャマルは到着すると小さく頭を下げて、エスティマと入れ替わりに処置を開始した。
彼女の表情にはいつもの気弱なものがなく、ただ真剣に目の前の人物を救いたいという意志が見て取れる。

……これで、なんとか。
溜め息一つ。そして振り返ると、背後で方々との通信を続けているグリフィスへと声をかけた。

「どうだ、グリフィス」

「現在、フォワード陣がType-Rと交戦中。スクライア嘱託魔導師が戦線に加わりました。
 高町一等空尉は長距離砲撃で上空のガジェットを狙撃しています。ヴィータ三等空尉とザフィーラは、瓦礫の排除を。
 直接の通信は取れませんが、八神一等陸尉はスカリエッティの監視を続けているそうです」

「フォワードがType-Rの相手を……?
 俺が――ああくそ、これから俺が、スカリエッティの元に行く。
 はやてには入れ替わりで前線に出るよう指示を出す。
 酷だろうが、Type-Rと交戦している者には持ち堪えるように。
 グリフィスは近隣部隊へと応援要請を続けてくれ」

「了解です」

「頼む。……シグナム!」

「はい!」

「お前は俺と一緒にきてくれ。
 連中の狙いはスカリエッティだ。フォワードが抜かれれば、敵はそこにくるだろう。
 ……腹立たしいが、奴を結社に戻すわけにはいかない。
 戦うぞ」

「はい、父上」

頷くシグナムを視界の隅で見ると、エスティマは移動を開始した。
そしてこの時になり、彼は脣の端を噛み締める。雨と共に顎を血が伝った。

……ああそうだ。
こんなことが嫌だったから、俺は戦ってきたのに。

後悔とも、怒りとも違う。
自分でも上手く形容できない感情を抱きながら、彼はスカリエッティの元へと進み始めた。














リリカル in wonder











クアットレスⅡの砲撃によって炎上する六課。
それに突き進む者は三人。内二人は地上を進み、徐々に目的地へと近付きつつあった。

ノーヴェとウェンディ。
二人はフィールドバリアで雨を弾き飛ばしながら、ひたすらに前へと進む。
するとだ。
紅蓮の灯りの中に違う色――茜色の輝きが立ち上る。
何事かと思うウェンディとは違い、ノーヴェは舌打ちしつつローラーブーツのブレードを横にずらした。

「お前ぇに任せるぞウェンディ。
 アタシの標的はタイプゼロだけだ」

「……あー、なるなる。思い出したっすよ。
 あの魔力光はいつぞやの雑魚っスね。了解了解。
 ノーヴェの目的が達成できるのを祈ってるっス」

「ほざけ」

隣だって進んでいた姉妹が別方向へとかっ飛んでゆくのを眺めながら、ウェンディは舌なめずりをする。
例の雑魚、とはウェンディの下すティアナへの評価だ。
それも当然だろう。ただ戦うために生み出され、その期待を裏切ることなく高いスペックを誇る彼女からすれば、ただの人よりも少しはマシな程度の魔力資質しか持たないティアナなど有象無象に変わりはない。

その考えに間違いがないとでも云うように、

「――っとぉ!」

炎の中から放たれた集束砲撃――精度が酷く甘い――を、サーフボードのように操ったデバイスの下部で弾き飛ばした。
雨の中、まるで波に乗るかのようにウェンディは蛇行運転で燃え盛る六課へと向かう。
そうして進むと、砲撃を放ったであろうガンナーの姿が見えてきた。

お互いに顔が見える距離。そこまできて、ウェンディは眉を持ち上げる。
それは、ティアナの表情が――

「アンタ――よくも!」

二丁拳銃。その一方でカートリッジを次々とロードしながら、もう一方のデバイスで次々に魔力弾を連射してくるティアナ。
彼女が手に握るデバイスの形状はウェンディが初めて見るものであった。
フルドライブなのだろうが。両手に握られる拳銃はサイズが一回り大きくなっており、大型自動式拳銃のような形になっていた。
それを向けてくるティアナの形相は怒り一色に染まっており、さっきの集束砲撃、そして今の弾幕が見境のない代物だと認識する。

激昂するティアナの様子に、くすり、とウェンディは笑みを浮かべる。
多くない魔力を無秩序に食い荒らして……それで怒りを表しているつもりだろうか。
笑わせるなと、ウェンディは口の端を釣り上げた。
憤怒に染まっているというのなら、全てを焼き尽くす一撃ぐらい放ってみたらどうだ。

横に滑るようにして、デバイスから降りる。
ドリフトでもするように濡れた地面を滑りつつ、デバイスを右腕に装着した。

生み出すスフィアは四つ。
牽制目的でおもむろにそれを放つが――

「……へぇ」

茜色の魔力光が閃光となり、弾幕をかいくぐって肉薄する。
今の吐息は単純な賞賛だ。新しい戦術を手に入れたのか、と。
見覚えのある軌跡。地上で、という違いはあるものの、魔力弾を回避した直角の回避機動はエスティマ・スクライアのものと良く似ていた。
無論、その練度は比べるべくもないが。
しかし、いけない。それは切り札として隠し持っておくべきだった。

「――ッ、この!」

至近距離。次いで跳ね上がる銃口――ではない。
再びウェンディは驚く。低い体勢をとった際、こちらの死角となった手元でデバイスを変形させていたのだろう。
茜色の光に輝く大振りなダガー。それがウェンディへと――

「駄目駄目っス」

突き刺さることはなく。
カウンターパンチの如く、サーフボードのようなデバイスがティアナの鳩尾へと突き刺さった。
吐血でもするのでは、と思う類の吐息をティアナが漏らす。が、ウェンディはかまわずデバイスを持ち上げた。
供物でも捧げるような様相でティアナを掲げ上げながら、ウェンディは呆れたように頭を振る。

「勢いだけは良いんスけどねー。
 残念ながら、切れたモン勝ちがまかり通るほど優しくないっすよ世の中は。
 まぁ、私らやあんたらの隊長陣はともかく――」

ティアナを持ち上げたまま、デバイスの先端に魔力光が集う。
それを避ける手立ては彼女にない。鳩尾への強烈な一撃が全身を弛緩させ、身を任せることしかできないのだ。

「才能が足りないっスよ」

叩き付けるような言葉と共に、零距離での砲撃魔法がティアナを打ちのめした。
真上へと打ち上げられ、受け身を取ることもできずに落下。
雨に濡れた地面へとゴミでも落ちるような音を立てて、激突した。

今の一撃でバリアジャケットも吹き飛ばされ、地面に転がるティアナは制服へと戻っている。
泥に濡れながら彼女は身を起こそうとする。間接が錆びついてしまったかのように、ガクガクと全身を震わせながら。
しかし四肢に力が入らないのか、水音を立てて再びアスファルトに倒れ込む。

それでも尚、ティアナは足掻く。
なんとかして立ち上がり、一矢報いようともがき続けるが、急所へと叩き込まれた一撃は彼女の身体から力という力を奪っていた。
歯を食い縛ってクロスミラージュをウェンディに向けても、その銃口は標的まで持ち上げることすら叶わない。
瞳に宿る意志は未だ不屈だというのに、身体はその気持ちに応えてくれないようだった。

しかしウェンディにとって、雨に濡れ、不様に這い蹲るティアナの心情など知ったことではない。
あらら可哀想、と零しながらも背を向けて、次の獲物を見つけ出すべく足を進めた。


















ティアナが敗れたのと同時刻。
遂に標的を見つけたノーヴェは、両拳を打ち鳴らしながらその対象と対峙していた。
以前は両腕から上がった硬質な感触も、今は一つ。
たった一度の不覚によって、管理局に回収されてしまったのだ。

それを取り返すことを至上の目的としてノーヴェはこの戦場に降り立ったのだが――

「……おい、セカンド。
 テメェ、リボルバーナックルはどうした?」

怒りを瞳に込めながら、ノーヴェは眼前のタイプゼロ・セカンド――スバル・ナカジマへと焦げ付いた声を送る。
スバルはノーヴェに燻る怒りに勘付いているのか、僅かに気圧されながらも臨戦態勢を取りつつ応える。

「……どうしたも、何も。
 あれはお母さんのデバイスだもん。
 私が使って良い物じゃない」

正確には違う。遺留品として回収されたリボルバーナックルは解析され、異常がないことを確認された後、ようやくナカジマ家へと戻ってきた状態なのだ。
今はリビングにひっそりと飾られている。それを使おうなどというつもりは微塵もスバルにはない。
ようやく手に入れることができた母の残滓。それを戦いに晒すことなどできるわけがないのだ。

もし幼少の頃から傍にあれば違ったのだろうが、ここでは違う。
ようやく戻ってきた宝物を、スバルは傷付けたくはなかった。

しかしノーヴェはスバルの事情を吐き捨てる。
舌打ち一つ、素の右手を握り締めると、親指を立てて首をかっ切る動作を。

「……ああそうかよ。なら用はねぇ。
 どこにあるかはファーストに聞いてやる。
 テメェはこの場でスクラップにしてやるよ」

「……やれるなら」

返しつつも、スバルの頬を雨とは違う、冷や汗が伝う。
激昂したティアナは自分の制止を振り切り、もう一人の戦闘機人へと向かってしまった。
念話を送っても返事はない。嫌な予感ばかりが増してゆく。
そんな状況下でType-Rの一人を相手取るというこの状況。
窮地というなら、この場のことを云うのだろう。そんな気すらしてくる。

故に、

「……負けられないんだ」

スバルの瞳が普段の色から移ろい、本来の――金色の、戦闘機人のそれへと変貌する。
普段は魔力を吐き出すリンカーコアがその役目を変え、戦闘機人用のエネルギーを。
全身に滾る、いつもとは違う力の波紋に身体が震えた。

「私は勝つ。勝ってみせる。
 ギン姉もお父さんもティアも……みんな守ってみせる。
 誰かが助けてくれるのを待ってたら、また失う。
 だから、私が――!」

咆哮と共に震撼する大気。
展開する青のテンプレート。秘められたISは震動破砕。
おそらくは初めて戦闘目的に使用されるであろうそれを見て、ノーヴェは鼻を鳴らした。

「吼えたな旧式! やってみろよ!」

両者、同時に地面をローラーで蹴り上げて、惹かれ合うように接近する。
戦闘機人の姉妹機。その激突がここに始まった。
















機動六課上空。
暴風に煽られる中を、雷光をまとった赤毛の少年が疾駆していた。
エリオ。彼は空戦技能を保持しているわけではないが、シールドバリアを足場として展開し、跳躍を繰り返すことで擬似的な空戦を行っているのだ。

本来ならば相方であるキャロ、彼女の使役するフリードに乗って戦闘を行うが、この天候で空を飛べば的にしかならない。
その上、ブラストレイ、ブラストフレアといった普段ならば強力を云って良い攻撃も、激しい雨の中では大きく威力を下げてしまう。
故に、エリオは単身で召喚蟲の群へと。
キャロによるブーストが行われてはいるが、決して楽な戦いではない。

しかしそれでも、エリオは瞳に宿した戦意を薄れさせることなく、S2U・ストラーダを振るう。
彼の握るデバイスのモードはフルドライブ。
今まで育んできた力をこの一戦で発揮するべく、湯水のように魔力を振り絞る。

「この……!」

群をなして飛びかかってくる召喚蟲に傷を負わせられながら、エリオが狙う標的は一つ。
いや、一つというのは正しくないだろう。
一種類、というべきか。
甲虫のような形状をし、触覚の間に電撃を生み出す大型の召喚蟲。
再びシールドバリアを足場として飛びかかり、

「サンダー……レイジ!」

叩き付けると共に雷光が広がり、甲虫の周囲にいた小型と、目標とした一体の召喚蟲を葬り去る。
しかし、打ち崩した一角は瞬く間に修復される。
文字通りに直ったわけではない。その程度で、と嘲笑うように新たな物量が押し寄せてくるのだ。
今の一撃で体勢を崩したエリオへと、召喚蟲の群が襲いかかってくる。
引き裂かれるのか。食い破られるのか。どのような末路が待っているのか――

しかし、それは訪れない。

エリオを避けるようにして、地上からの支援砲撃が大気を薙ぎ払う。
吹き荒ぶ雷雨を貫いて、滅茶苦茶と云っても間違いではない空を力ずくで正そうとする桜色の光。

非殺傷の一撃だったが、召喚蟲を吹き飛ばした衝撃の余波でエリオも吹き飛ばされる。
きりもみしながらも彼は空中で姿勢をコントロールし、シールドバリアを用いて空中に着地した。

『エリオ、無茶しちゃ駄目だよ!
 この状況で一人抜けたら、私だってカバーしきれなくなるから!』

『すみません!』

普段とは違う。教導の時ですら聞くことのないなのはの怒声に背筋を震わせながら、エリオは穴の空いた召喚蟲の群へと目を向ける。
するとだ。

蟲たちに守られるように――否、蟲たちを統べているのか。
巨大な甲虫の一体、その上に立ち尽くしながらこちらを見下ろす少女に、エリオは気付いた。
紫の長髪を結んで、黒いドレス状のバリアジャケットを纏った女の子。
額に浮かぶタトゥーと無機質な瞳が印象的であり、決して視界が良くないというのに、エリオは彼女の姿を目に焼き付けた。

召喚蟲を統べている――ならあの少女を捕らえることができれば、この状況を打破できるかもしれない。

『キャロ、お願い』

『うん……ごめんね、エリオくん』

謝罪の言葉は、おそらく一緒に戦えないことからなのだろう。
しかしエリオは微塵も彼女が悪いなどと思ってはいない。
むしろ、彼女のお陰で自分はこうして戦うことができる。
通常時を超える昂ぶりを御しながら、エリオはデバイスを握る手に力を込めた。

……そのエリオを見下ろしながら、少女、ルーテシアは誰にともなく呟く。

「……ⅩⅠ番のレリック。返してもらうの。
 だから、邪魔をしないで」

彼女の目的はただそれ一つ。
それさえあれば良いのだと、彼女は母を目覚めさせるためだけに戦っている。
しかし。そのⅩⅠ番のレリックとは、どこにあるのだろうか。

もし六課と結社が奪い合った中にそれがあったのならば、ルーテシアはもっと早い段階で戦線に加わっていた。
しかしそれは起こらず、彼女が敵として立ちふさがったのはこれが最初。
何故か。それは、このタイミングならレリックを奪うことができるとクアットロに云われたからだ。

六課が保有しているレリック。
しかしその保有数と、保管庫にある数には一個分の食い違いがある。
その一つがどこにあるのか。
それは――

















「つ、あっ……!」

シュベルトクロイツを支えにしながら、八神はやては身を起こす。
彼女の周囲からは白煙が立ち上っており、場所によってはコンクリートが赤熱化していた。
吹き飛ばされた屋根――があった場所からは雨がひたすらに打ち付けられる。

いや、それも正しくはない。
今、はやてがいる場所は床を残して更地となっている有り様だ。
隊舎だった部分は吹き飛ばされ、辛うじて足場が原型を留めているのははやての防御がギリギリで間に合ったからだった。

じゅうじゅうと耳障りな音が響く中で、雨を髪に滴らせながら、はやては歯を食い縛った。

「なんとか、耐えられたけど……」

地上部隊の制服には徐々に染みが広がり、下着にまで冷ややかな感触が広がりつつあった。
ついさっきまで纏っていたバリアジャケットは、リアクターパージを行ったことにより解除されている。
そう、シュベルトクロイツを握っていることから分かるように、彼女はセットアップを行ったのだ。

しかし展開した防御魔法はイノメースカノンに貫かれ、最後に残ったバリアジャケットによって命だけは拾ったものの、たった一撃で満身創痍の状態へと追い詰められていた。
六課を見れば上から数えた方が早いであろうバリア出力を誇るはやてでも、直撃を受ければこうなってしまう。
精度はともかく、威力は本来の持ち主であるディエチが放つものを大きく上回っているだろう。
おそらく、なのはですら直撃すればタダでは済むまい。

シュベルトクロイツに力を込めて、俯きそうになる顔を持ち上げる。
その際に前髪が視界の隅に映り込んで、鼻に届いた嫌な匂いに、はやては顔を歪ませた。

「焦げてもうた……髪、切らへんと」

「ほぅ、なかなかに余裕だね、八神はやて」

「……うっさい」

「いやいや、元気なのは頼もしいよ。
 君のお陰で私も命拾いができた。感謝してもしきれないとは、このことだね」

舌打ちしたいのを堪えながら、はやては消滅したバリアジャケットを再構成。
治癒魔法で重くのしかかるダメージを緩和しながら、どうにか状況を把握しようと頭を働かせた。

唐突に現れた巨大な魔力反応。おそらくはレリックなのだろうと、今になってはやては思う。
反射的にセットアップを行った彼女は、自分は当然として、気は乗らないがスカリエッティを放置するわけにもいかず、守る羽目になったのだ。

その守られたスカリエッティは拘束着に自由を奪われた状態だというのに、雨に晒されたままパイプ椅子に座って、雨が降り注ぐ天へと顔を上げた。
そして金色の瞳を細めると、やれやれと頭を振る。

「このような無粋をするのはクアットロか。
 さて、あの子が何を考えて襲撃を行ったのかだが――」

「無論、ドクター。あなたを亡き者にするためですわ」

スカリエッティの呟きを遮って、高慢の滲む声が響き渡った。
はやては声の発生源を探すために視線を空に投げる。
が、そこには何もない。何もないが、確かに声は聞こえたのだ。

ならばおそらくは――

雨に歪む視界の中で、大気が陽炎のように歪む。
そうして姿を現したのは、何故気付かなかったのかと思ってしまう巨大な影だった。
本体は直径が六メートルはあるだろうガジェットのボディ。
それの下部に一対の巨大な蟹挟みと、間に挟まれたイノメースカノン。

轟音を響かせながら出現したクアットレスⅡ。それを足場にして、機体の上にクアットロは立っていた。
彼女はゆったりとした動作で腕を組むと、見下した視線ではやてとスカリエッティを見る。
いや、正確にはスカリエッティだけか。はやては眼中にないと云わんばかりに、一瞥もくれない。

どうする、とはやては胸中で呟く。
あの巨大ガジェットはユニゾンしたエスティマとフェイトの二人がかりでも手こずった相手だ。
それを一人で敵に回して勝てると思うほど、はやては自惚れていない。
が、勝てないと分かっていても戦わなければならないのが時空管理局の局員である。
そもそも、今まで一度だって戦う前から勝利を確信したことなどなかった。
これから始まる戦いだって、その一部でしかないのだ。

しかし、だからと云って勝ち目のない戦いをここで挑むわけにはいかない。
当たり前だが、はやては死にたくないし、自分が死ねば戦力バランスが大きく傾くということも分かっている。
故に、ここで無駄なことはできない。

俯き、脣を噛み締めながら、はやては回復に専念しようと意識を集中した。
そしてこの場の状況を握っているクアットロを刺激しないよう息を殺しながら、二人の会話に耳を立てる。

雨が打ち付ける音が響き渡る中、クアットロとスカリエッティは体勢を変えずに話を始めた。

「ドクター。まさかこのような手を打つとは思いもよりませんでしたよ。
 エスティマ様にご執心なのは知っていましたけど……ここまでのことをする価値がありますか?」

「愚問だねクアットロ。答えはこの状況が現しているじゃあないか」

「それもそうですね。
 ああ、ドクター。お馬鹿なチンクちゃんやトーレ姉様だけならともかく、あなたまで感化されてしまいましたか」

「感化……?
 ああ、確かにそうだ。彼の生き様に影響を受け、私はこのような行動を取った。
 だが、クアットロ。それが私たちだけだとでも思っているのかい?」

問いかけるスカリエッティの言葉を、クアットロは鼻で笑う。
今の言葉は彼女自身に向けられたものなのか。お前もそうだろう? と。
しかしクアットロは、皮肉げな笑みを浮かべるだけで応えようとはしなかった。

「……まぁ、その件は良いでしょう。興味もありません。
 ですが、ドクター。一つ教えてくださいませんか?
 あなたは自ら管理局に下り、これからどうなさるおつもりなのです?」

「決まっている。私は私の欲望を満たすだけだ。
 それ以上もそれ以下も、私にはない」

「それができると?」

「無論」

「私たちを切り捨ててでも?」

「ああ、勿論だ」

一分の迷いもなくスカリエッティは言い切った。
対してクアットロは、微塵も悪びれない彼の態度に何を思ったのだろう。
頬を僅かにひくつかせたあと、まあいいと頭を振る。

「……よぉく分かりましたよ、ドクター。
 あなたは私たちを自らの欲望を満たす消耗品ていどにしか考えていない……と。
 そういった認識で良いのですね?」

「おや、クアットロ。
 戦闘機人は道具であるべきと云う君がそんなことを云うのかい?
 ああ、それではまるで――」

人間のようだよ。

その一言が何かに触れたのか。
彼女が足場にしていたクアットレスⅡのイノメースカノンに火が灯る。
それを向けられているスカリエッティは微動だにもせず、襲いかかるであろう砲火が放たれる瞬間を待っているようだった。

――否、スカリエッティが待っているのは、裏切り者を処断する業火ではない。
それは――

暗闇を引き裂くサンライトイエローの光。
雨の中を貫き進む閃光が、明後日の方向からクアットレスⅡへと突き刺さる。
しかしそれが標的を打ち貫くことはない。
本来ならば破壊と轟音を撒き散らしただろうが、合わせて展開された強力なAMFによって霧のように霧散する。

山吹の輝き。魔力光の残滓が大気に舞い、辺りを照らす中で、この場にいる三人は空を見上げた。
風雨が吹き荒ぶ上空には桜色の砲撃や雷光、Type-Rの放った砲撃魔法が暗闇を彩っている。
それを背にして、クアットレスⅡを見下ろす二つの人影があった。

エスティマ・スクライアと、その守護騎士であるシグナム。
二人はデバイスを両手に握り、戦意を滲ませながら三人へと視線を注いでいた。

「時空管理局執務官、エスティマ・スクライアだ。
 ナンバーズの四番、クアットロ……罪状は上げるのも面倒なほどだ。
 捕まってもらおうか」

口上をクアットロに向けるエスティマの姿を目にして、はやては安堵が胸の内から込み上げてくるのを覚えた。
が、すぐにそれは湧き上がってきた不安に霞んでしまう。
エスティマの魔力光が明るいせいだろう。それによって、べったりと血に濡れた彼の手に目が行ってしまうのだ。
実際のところそれはオーリスのものだが、はやてがそれを知る由はない。
やや焦りながら、彼女はエスティマへと念話を飛ばした。

『え、エスティマくん、怪我しとるんか!?』

『……いや、大丈夫だ。
 それより、はやては下がってくれ。
 リインフォースⅡを連れてきてくれたら嬉しいけど……この状況じゃ贅沢も云えないか。
 ここは俺とシグナムが抑えるから、外を鎮圧して、手が空き次第応援に来て欲しい』

『……二人で大丈夫なんか?』

『……シグナムには悪いけど、俺たち二人、はやてを入れてもこれには勝てないからね。
 無茶しない範囲で、時間を稼ぐさ』

念話に同調して、エスティマは苦笑を浮かべた。
おそらく言葉に嘘偽りはないのだろうと分かってはいるが、クアットレスⅡの砲撃を真正面から受け止めた分、はやての心配は拭えない。
しかし――この場でワガママを云っても仕方がないとは分かってもいる。
彼の傍にいたい。傍にいては力になれない。

その矛盾する二択の内、はやては拳を握り締めながら後者を選んだ。

『……絶対、助けにくるから。
 リインも向かわせるからな……!』

『ああ。待ってるよ』

まるで引き剥がすように、はやてはエスティマから目を逸らす。
そしてきつく瞼を閉じると、スレイプニールを展開して空へと上がった。

込み上げてくる気持ちは言葉にできない。
どうして自分は個人戦闘に特化した素質を持っていないのか。
そんな、どうしようもない苛立ちすら抱いてしまう。

……お願い、無事でいて。
その一言を肉声で呟き、はやてはエスティマたちの元から飛び去った。


















……さて、と。
眼下にいる巨大ガジェットを見据えて、どうしたものかとエスティマはSeven Starsを握り締めた。
掌を濡らす赤黒い色は、拭っても消えない。指に浮いた脂でグリップを滑らせないよう注意しながら、どう攻めるかと思案を巡らせる。
はやてに云ったことは嘘ではない。
リインⅡがいない状況では、切り札であり巨大ガジェットに対する唯一の攻撃手段でもある紫電一閃・七星を放つことはできない。
いや、放つだけならできるだろう。しかし満足な威力を発揮できなければ、あの殺戮機械は砕けない。
どんな無茶をしようともその道理は覆ることはなく、また、エスティマに無茶をするつもりはない。
ならばできることは、時間稼ぎの一つのみ。

思考するのは、その時間稼ぎをどう行うかの一点のみである。
六課に攻め込んだ敵は大量のガジェットとルーテシア、それにType-R。
いかに部下たちが優秀だとは云っても、すぐに勝負を決めることは難しいだろう。
どれだけ時間を稼いでも足りやしない。ならば、少しでも。
そう思いながら、エスティマはクアットロに向けて口を開く。

「……投降しろ、クアットロ。
 スカリエッティは見ての通りだ。
 もうお前たちが戦う意味はない」

その言葉をどう受け取ったのか。
くすり、と小さく笑みを浮かべると、クアットロは細めた目をエスティマへと向けた。

「意味がない……とは、どういうことですか、エスティマ様?」

「そのままだ。
 お前はスカリエッティに作られ、奴の目的を果たすために動いている駒だろう。
 棋士が降りたのならお前も箱に戻れよ」

「ご冗談を。
 打ち手が降りたのなら代理を立てれば良いだけではありませんか、エスティマ様。
 勝負は終わっていない。まだクイーンもナイトも取られていませんよ」

「……お前がその代理だって?」

「さて、それはどうでしょう。
 ともあれ、駒の数が減ってしまったのは事実。
 このままでは私たちが不利である状況が続くため、不安要素を排除しに参ったのですよ。
 あなた方の戦力と、結社の内情を知るドクター。
 この二つを削ぐことができれば、私たちの負けはなくなりますからね」

「……それができるとでも?」

「できないとでも?」

……できると思っているのだろう。
優越を顔に浮かべ、気圧される様子もなく言い切るクアットロの姿にエスティマは確信する。
だが――甘いと云わざるを得ない。
この状況。確かに奇襲を受けて足並みは乱れたが、決して逆転できないわけではない。
ストライカー級魔導師は一人も欠けておらず、時間が経てばここは地上部隊に包囲される。
時間さえ稼げれば。この無駄話を続けている一分一秒を浪費しているようでは勝てないだろう。

そう思う反面、それはどうか、とも。
勝つつもりでこの戦いを始めたのならば、まだ何かあると見て良いだろう。
それが何か。新たな戦力かもしれないし、こちらの想像が及ばない何かをまだ結社が保有しているのかもしれない。
未知の戦力を排除できるとは断言できない以上、油断をする余裕はないのだ。

むしろこのやりとりこそ、こちらの都合ではなく、クアットロの思惑によるものなのかもしれない。

……馬鹿馬鹿しい。敵の思惑が分かるわけがないんだ。
やはり自分は考えるよりも動く方が性に合っている。

そう締めて、エスティマはSeven Starsへとゆっくり魔力を注ぎ始めた。
それを感じ取ったのか、隣に立つシグナムもまた、臨戦状態へと移行する。

しかしエスティマたちの様子を見ても尚、クアットロは笑みを絶やさなかった。
喜悦の色を濃くしながら、眼前に半透明のディスプレイを浮かび上がらせる。
そしてわざとらしい嘆息を一つ。

「……やはり、相手が悪かったようですねぇ。
 ルーお嬢様とガジェットでは高町なのはを抑えきれませんか。
 ディードちゃんも、妹様をやや押しつつも互角。
 タイプゼロは奮戦しているようですし、ウェンディちゃんも陛下を捕獲しただけで目立った戦果は上げてない。
 ああ、これでは時間が経つにつれて私たちが不利になってしまいますわ」

故に、と置いて、

「ここで一枚、切り札を。
 エスティマ様、その隣にいるご息女……随分と大きくなられましたわね。
 そう。まるで十年前のように」

「――お前!」

止めろ、とエスティマが叫ぶよりも早く、クアットレスⅡの放つAMFがその濃度を増した。
飛行魔法すらも発動が困難になるほどの出力。アクセルフィンが削ぎ取られたように光を失い、瞬間的に湧き上がった激情とは裏腹に、四肢に宿る力は頼りなくなる。

その様子にクアットロは噴き出しながらも、これから行うための準備を怠らない。
シグナムの眼前に、前触れもなくウィンドウが出現する。
そこに記されているのは、エスティマがずっとひた隠しにしてきた事実であり、シグナムが知ろうともしなかった出来事。
それだけではない。
この戦場に存在している全ての者の前に、同種のデータウィンドウが展開されたのか。
その内容は人によって違うが、わざわざこのタイミングで行うクアットロの意図は察することができた。

状況を盛り返すことができるかもしれない。
誰もが希望を抱くこの瞬間を狙って、こんな――

『さあ、見てご覧なさいな六課の皆様。
 これは、あなた方に知らされていない、あなた方の真実です』

シグナムとシャマルは過去の自分を。
エリオとフェイトは己の出生を。
スバルには、三課壊滅の真実を。
本人以外の者たちには、それらの情報をすべて。

すべて、ずっとエスティマが隠し続けてきたことだった。
都合が悪く、目を逸らしていれば幸せになれるからと、彼の独善で無かったこととされていた情報だ。
それが晒されてゆく。
同時に、エスティマは何かが崩れゆく音を聞いた気がした。

「貴っ様ぁ……!」

激情に駆られたままに、エスティマはサンライトイエローの光を纏め、砲撃を形成する。
しかし冷静さを欠いたその魔法は構築が甘い。集束砲撃であるために砲弾を生み出すことはできたが、放たれた砲撃はクアットレスⅡに触れることもなく消滅した。

……そして、

「……ち、父上?」

そんな彼の様子を見て、知らされた事実が本当のことだとシグナムは気付いてしまったのだろう。
怯えるように呟かれた言葉に、痛みなどないはずなのに、耐えられないほどの苦しさが胸を押し潰す。
恐怖すら抱きながらシグナムへと視線を向けて、彼女の瞳に浮かぶ戸惑いの色に、思わず眼を逸らしたくなった。

しかし、エスティマはそれが出来ない人間であり、だからこそ、もうこれ以上嘘は云えない。
故に、

「これは……本当のこと、なのですか?」

十年前の闇の書事件。
その際にヴォルケンリッターの将、シグナムは多数の魔導師を殺害し、その罰として存在を初期化。
保護観察はエスティマ・スクライアが担当し――荷物として、押し付けられた。
自分は望まれた子供ではない。その上以前の自分は気高い騎士などではなく、ただの犯罪者。
クアットロが提示したデータの中には、当時の彼女が何を想って人を殺すに至ったのかを記してはいない。
故に、今のシグナムが分かることは、知りもしなかった重い十字架を背負っていたということであり――だがそれは、過去に乗り越えたことでもある。

もう一つ。シグナムに知らされていなかった事実とは、その殺された魔導師の中に父親の名があったことだ。
エスティマ・スクライアはシグナムの手によって一度殺されており、レリックウェポンとして蘇った。
それによってスカリエッティとの因縁が生まれたわけだが、そこはあまりシグナムにとって重要ではない。

重要なこととは、ただ一つ。
それは――

殺した? 自分が、父上を?

「……嘘、ですよね?」

自分は父の守護騎士である。そう、シグナムはずっと言い続けてきたのだ。
だのに、その守るべき存在を過去に一度殺してしまったという事実は、彼女の拠り所とも云える価値観を揺らがせるには充分すぎた。
知りもしない以前の自分がやったなどは関係がない。

父を殺して――その癖に、自分は守護騎士であるなどど自負していた?
その様はどれほど滑稽だったのだろう。
その姿は父にどんな風に見られていたのだろう。

自分は父に愛されていた。
守護騎士であるということと同じほどに、シグナムが戦う支え、その理由が急速に揺らぎ始める。
……愛されていた? 本当に?
自分を殺した相手を愛する馬鹿がこの世の何処にいる?

けれど――

……父上がそれを嘘だと云ってくれるならば信じます。
……だから、お願い。嘘だと云ってください。

シグナムの目からはそんな言葉が聞こえてくるようだった。
実際に口を開けばそう云うのだろう。しかし会話らしい会話をする余裕は、今の彼女にないのだ。
崩壊寸前といった有り様のシグナム。浮かべる表情は、幼少時に浮かべていた縋るような類であり、それが彼女の心情をどんなものかエスティマへと伝えてしまう。

自分を父と慕ってくれるシグナム。
彼女がどれだけ健気で、真っ直ぐに育ってくれているのか誰よりも分かっているからこそ、エスティマはこれ以上彼女を歪めたくないと願っている。
しかしそれは――

「……それは」

嘘だと云えば良い。その一言で、この場を凌ぐことはできる。
しかしそんなことをすれば――けれど、そうしなければ――

「……そう、ですか」

明確な答えを出さないエスティマの姿に、シグナムは何を思ったのか。
強力なAMFが展開されようとも消えることがなかった戦意が、この瞬間、目に見えて霧散した。
レヴァンテインを握る両手からは力が抜け、瞳からは意志が色褪せ、前髪に隠れてしまう。

音を立てて崩れてゆく何か。
手が届くほどの場所まで近付いていた終着点が、またも遠のいてゆく錯覚がある。

誰かに責め立てられているわけではない。
しかし強烈な自責の念がエスティマの脳裡を黒に、そして赤へと変貌させる。
望みを絶たれ、唐突に吹き上がった赫怒の念はクアットロに対するもの。

やってくれたな。
俺が守りたいものを、よくも――!

Seven Starsを握る手に力が篭もる。
魔力を満足に扱えない状況であるというのに、Seven Starsのグリップが悲鳴を上げる。
もしかしたらそれは、Seven Starsの悲鳴だったのかもしれない。

だがそんなエスティマの心情を、クアットロが知るわけもない。
知ったことろでしたり顔を浮かべるだけだろう。

現に、

「……その顔が見たかったのよ」

先ほどまでの慇懃無礼な態度をかなぐり捨てて、クアットロは上空のエスティマへと視線を投げる。
雨に遮られても尚、その眼光は彼へと届く。
幾度も自分に辛酸を舐めさせた仇敵がどのような顔をしているのか。
滑稽な面はどんな代物なのかと、嗜虐心を剥き出しにして彼女は頬を緩めた。

「啼きなさい。あなたの慟哭は温いのよ。
 ほらほら、泣くのが好きなのでしょう?
 ああ、可哀想に。これで守りたかったものが台無し。
 薄氷を踏むように続けてきた欺瞞が砕け散って、さて、どうなるのか」

ああ愉快、とクアットロは言外に云う。
そして、

「あとは茫然自失の有象無象を殲滅するだけね」

その一言で、エスティマの思考が沸騰した。
ああ、どうすれば良い。俺は何をすれば良い。
今まで隠し通してきたものがバレた。知って欲しくなかったことを知られた。

自業自得だと分かっている。こんな局面で最悪の状況を見たくなかったら、正面から問題を解決すれば良かったのかもしれない。
けど――けれど――
俺は誰かが傷付くのを見たくなかったんだ。
笑顔が泣き顔に変わってしまうのならば、嘘を云ってでも前を向かせたかった。
そんな想いは確かにエゴで、どうしようもなく馬鹿げた願いだったのだろう。

だから見てみろ。
自分を父と慕ってくれた娘がこうも悲しんでいる。
彼女だけではないだろう。今も戦っている仲間たちは、きっとシグナムと似たような顔をしている。

なんて不様なんだ。こんな俺に何ができる。
どうすれば良い――

エスティマの思考が憤怒一色に染まる。
それはクアットロに対するものでもあり、自分に対するものでもある。
怒り一色に染まった脳にそれ以外を考える余裕などなく、ただ彼は砕けんばかりに歯を食い縛るのみ。

故に、

『完全を示す七。
 罪科を照らす七ツ星』

その手に握るSeven Starsの電子回路もまた、灼熱した。

『我が身が纏うは電流火花』

忘我の状況にあるエスティマの意志を無視し、彼女は一人、自動詠唱を行い魔法を構築する。
左腕から魔力を吸い上げ、金色のフレームを通じて純白の装甲に山吹色の紫電が走った。

『我が成すことはただ一つ。主に害成す敵を討つのみ』

それは俗に云う、デバイスがマスターの意志を離れた暴走と云われる現象だろう。
だがこの瞬間だけは違う。
ただ主のためにと、Seven Starsは主の意を尊重するために動き出す。

あの女を黙らせれば良い。一刀の元に断ち切れば良い。
ようやく手の届く場所まで近付いた平穏を、また取り上げるのか。
今まで戦い続けた主を笑うか貴様は。

それがどうしてもSeven Starsには許せないのだ。
主に声をかけられない自分への不甲斐なさもある。
こんな状況でどんな言葉を投げ掛けたとしても、おそらく主人をすぐさま戦いに復帰させることはできないだろう。
……それに、どんな言葉をかけて良いのか分からない。

自分は戦うための道具である。道具には主人を思いやる言葉など不要。
ただ傍で支えていれば良いのだと決めつけていたため、エスティマを救うための言葉も、語彙も持っていない。
だから仕方のないことなのだ。

……しかし仕方がないと云って納得できるわけがない。
何もできない。そんな自分に腹が立つ。
だからせめて、一振りの刃でしかない自分にできることを。

今まではそれで良いと思っていた。
主の強さを信じて疑わなかったため、いくら心を傷付けられようと必ず主は戦ってくれると分かっていた。
けれど違う。それは間違いなのだ。
守るべきものがあるからこそ、エスティマ・スクライアは戦い続けることができたのに。

なのに、こんな現実を一度に押し付けられてしまえば、きっと主人は泣き崩れて、きっと立ち上がることができなくなってしまう。
自分は彼の涙を拭う指を持たない。言葉も知らない。温もりですら与えてやれない。
何一つ、役に立てない。武器でしかない自分では彼の心を救ってやれない。
ことこの場に至って、初めてSeven Starsは己がデバイスでしかないことを恥じ、この上ないほどの無力感に苛まれていた。

だからせめて、武器でしかない自分にできることを。
それでエスティマの心を少しでも守ることができるのならば――

『そは光の刃。我が名を冠した光の刃』

デバイスコアに宿る感情は殺意。
おそよ機械らしくない――そもそも感情を浮かばせること自体が機械らしくない。
が、Seven Starsは混じり気のない方向性を持った意志をその身に湛え、主の身体を操り動かす。

……これが最初で最後のワガママです、旦那様。
だからお願いです。私にできることをさせて欲しい。

忘我の状態のまま、Seven Starsを肩に担いでエスティマはクアットロへと肉薄する。
AMF下でも常人には、戦闘機人ですらも認識できるかという速度で迫り――

『――紫電一閃・七星』

トリガーワードと共に、光の刃が振るわれた。
リインフォースⅡの補助なしに放たれたとは云っても、その威力は人一人を殺すのに充分すぎる威力と速度を持っている。
紫電を纏った外装は吹き飛び、射出されたように、金色の戦斧が振るわれる。
頭頂からの一撃に、光の筋と形容するのが相応しいその一撃は、

「ああ、残念」

クアットロを両断しようとした刃はしかし届かず。
何が邪魔をしたのか。それを認識する間もなく、エスティマの身体は弾き飛ばされた。
殺到した速度に叩き込まれたカウンターは痛烈であり、殴り飛ばされたエスティマは空から地へと。
剥き出しとなったコンクリートに背中から激突し、バリアジャケットのすべてはリアクターパージが行われて、爆発でもしたかのように粉塵が舞った。

衝撃と激痛。その二つにより、赫怒に染まっていたエスティマの頭がようやくまともな状態へと戻る。
しかし今度は、全身を苛む痛みによって身動きが取れない。

一体、何が――

「……これは、不味いことになった」

問に答えるような呟きは隣から。
拘束着に包まれたスカリエッティは、視線を注いだまま、彼らしくない真顔で上空を見上げている。
エスティマもそれを追い――ついさっきまで存在していなかった人影があることに、ようやく気付く。

まず目に付いたのは、両腕に一振りずつ握られた武器か。
刃は金色であり、Seven Starsと同系統のデバイスであることが分かる。
形状はブーメランなのだろうが、大振りな刃はエスティマに断頭台を連想させた。

それを手に取る者は戦闘機人。今まで一度たりとも戦場に出てこなかった、ナンバーズのⅦ番だ。
ヘッドギアを額に取り付け、今はその両脇から白煙を噴き上げている。おそらく冷却を行っているのだろう。
新しい敵が現れた。都合が悪いことこの上ないが、それはまだ良い。

それよりも、何故今の一撃が防がれた?
あり得ない、とエスティマは云う。
確かに彼に意志はなく、彼だからこそ放てる太刀筋や速度は刃に込められていなかった。
リインフォースⅡがいなかったため、技自体も不完全だったと云える。
しかし、だからと云って――

紫電一閃・七星を、"発動した後に"割り込んで、切り払った?
馬鹿げている。
確かに接近したエスティマは稀少技能を使っていなかった。彼だけならば、捉えることは可能だろう。
しかし放った斬撃は、大気の壁を易々と突破できる速度と、それを行えるだけのエネルギーが秘められていたのに。

……速度で、負けた?

エスティマ・スクライア最大の武器である速度。
それを上回れる者が存在しないわけではない。
リミットブレイクを使ったフェイトは瞬間的に上回ることができるかもしれない。
最後の戦いでトーレが見せた速度も明らかにエスティマを越えていた。
しかし、気付けず、目で追うことすらもできないだなんて。

「ああ、気落ちしなくても良いよエスティマくん。
 あれは、私が君を倒すために生み出したType-R。
 速さのジャンルが違うのさ」

「ヅッ……、どういう、ことだ」

痛みの発生源となっている脇腹を押さえながら、制服姿のエスティマはSeven Starsを支えにして立ち上がる。
黒いデバイスコアは何を思うのか。申し訳なさそうにコアを鈍く瞬かせるのみで、彼女は一切言葉を発しない。

パイプ椅子に座ったままのスカリエッティは、その顔に疑問を浮かべながらも、律儀にエスティマの質問へ回答を向ける。

「IS、スローターアームズ・オーバーライド。
 短距離連続転移能力、とでも云えば良いのか。
 今は講義のできる状況じゃないのが残念でならないが……。
 しかし、腑に落ちないね。
 私がセッテを残してきたのは、誰にもあの子を完成させることができないと踏んだからなのだが、さて」

「ああ、それはね、ジェイル。
 慢心と云うものだよ」

不意に、子供特有の甲高い声が二人のやりとりに割り入った。
空気の抜けるような音と共に、クアットレスⅡの上部ハッチが展開する。
そしてその中から、小柄な影が迫り上がってきた。
白衣を纏った子供。その下にはカットシャツと、サスペンダーの取り付けられた短パンが。
お世辞にも良い趣味とはいえない服を着た少年は姿を現すと、金色の瞳を丸く開いて眼下の二人を眺め見る。

耳を隠すていどに伸びた髪は整えられており、未だ二次性徴に達してはいないのか、顔立ちは中性的で可愛らしいと云える。
しかし、三日月のように弧を描いた口元が原因で、それは子供特有の嗜虐的な方向へと変貌していた。

嫌な笑み。そう思ったのは、彼の隣に立つクアットロと笑顔が良く似ているからかもしれない。
その上、エスティマはどこか顔にスカリエッティの面影があるような気がしてならなかった。

彼は大仰に一礼すると、笑みをそのままに口を開く。

「初めまして、お二人方。
 世間を騒がす有名人二人を同時に見られるとは、光栄の極みだよ。
 まぁ、お世辞はこれぐらいにして。
 どうだい、ジェイル。悪くないだろう?」

そう云い、少年はセッテを手で指し示す。

「君が放置した彼女は、ボクが完成させたのさ。
 完璧とは言い難いけれど、それでも、彼を倒すには充分なスペックを持っていると思うね」

「……なるほど、確かに。
 私ならば、完成させられる、か」

「そういうことさ。
 ああ、自己紹介が遅れたね。
 ボクの名はオルタ・スカリエッティ。
 オルタと呼んでくれてかまわないよ」

オルタ、と名乗る少年のファミリーネームを聞いて、ようやくエスティマは合点が入った。
……そういうことか。
そもそもがおかしな話だったのだ。
いくら裏切ったとはいえ、クアットロがスカリエッティを殺すのは都合が悪い。
もし殺すのならば彼に変わる別の首領が必要である。だから結社はスカリエッティの殺害ではなく奪還を目的に動くと、管理局は考えていた。
しかし実際はどうか。もしはやてが守らなければスカリエッティは間違いなく死んでおり、そこから、結社が――クアットロが――スカリエッティを不要と断じていると分かる。
それが不可解であったが、今この瞬間、合点がいった。

もはやジェイル・スカリエッティは結社にとって不要であり、その処分をするためにクアットロたちは攻め込んできたのだ。
それが叶わなくとも、次の展開は容易に想像できる。
管理局が後手に回るのはいつものことだが、それにしたってこの状況は不味すぎる。

エスティマが思い至ったことは、無論、クアットロたちも分かっているのだろう。
クアットロは彼女に似付かわしくない手つきでオルタの頭に手を乗せ、薄く笑った。

「分かりましたか、ドクター。
 あなたはもう、本当に不要なのですよ。
 都合の悪い情報を漏らされるよりは、と思っていましたが……」

エスティマへとクアットロは視線を動かす。

「エスティマ様が更なる地獄をお望みのようですから、見逃してあげましょう。
 さあ、どうぞ。私たちを捕まえたいなら、ご勝手に」

そう言い残して、クアットロとオルタを乗せたクアットレスⅡと、セッテの姿が陽炎のように揺らめく。
逃がすか、という意気はあるが、それを実行できるだけの力が残っていなかった。
どんな攻撃でも直撃を受けてはいけないタイプの魔導師であるエスティマにとって、セッテから受けた一撃は戦闘続行が不可能になるだけのダメージがあったのだ。

歯を食い縛りながら、エスティマは消えゆくクアットロを眺めることしかできなかった。
それを切っ掛けにして、六課で上がり続けていた戦闘音が徐々に減ってゆく。
おそらく、他のType-Rやルーテシアも撤退したのだろう。
ガジェットだけは残っているのか、桜色の砲撃魔法と金色の光が夜空を舞っていた。

……終わった、のか。
胸中で呟いたその一言で、全身から力が抜ける。
膝が勝手に抜けて尻餅を着くと、そのままエスティマは倒れ込んだ。

雨に打たれるまま天を見上げる。
その隅には所在なさげに宙に浮かんだシグナムの姿があった。
Seven Starsは沈黙したまま、何一つ喋らない。
拠点としていた六課は廃虚と云っても差し支えない状態で、施設にあった愛着ごと破壊しつくされている。
そして、この目で確かめるまでは分からないが、仲間たちも――

「……はは」

「エスティマくん?」

掠れた笑い声が洩れ、それにスカリエッティが反応した。
髪を雨に濡らした彼は、計るような瞳を向けてくる。
それに触発されたというわけではないが、エスティマは皮肉げに口の端を歪めた。

最悪の状況とはこのことを云うのだろう。
自らも満身創痍で、おそらく仲間たちも全力で戦える状態ではない。
だのに、これから間を置かず、自分たちは全力を出し切る戦いをしなければならない。

わざとクアットロがジェイル・スカリエッティを見逃したのには、理由があるのだ。おそらく。
もしエスティマの読みが正しければ、これは罠だ。
ジェイル・スカリエッティによって結社の本拠地がどこにあるのかは割れている。
そこに攻め込んでこい、とクアットロは云っているのだ。
この満身創痍の部隊で。

もし攻め込んでこないのならば、クアットロは身を眩ませて結社は体勢を立て直し、泥沼の闘争が始まる。
今までの戦いはリセットされ、また一からの出発となるのだ。
それを防ぐためには、今すぐクアットロとオルタ、残ったType-Rをすべて捕まえなければならない。

が、それを成すにはあまりにも戦力が心許なく――

「これで、この程度で……」

だからどうした、とエスティマは笑う。

「クアットロ……舐めたな、俺を」

そもそも彼に諦めるという選択肢は存在しないのだ。
平穏を望む。日常に戻りたい。
その欲求が人一倍強い彼に、戦いを避けることなどあり得ない。

更なる地獄を見せると奴は云った。
だが、地獄ならずっと見てきた。
今までの地獄が生温いと云ったが、それは間違いだ。
身近な人たちが減ってゆくのが最もエスティマにとって避けたい状況であり、忌むべきことである。
ならば、こんな――それが罠だとしても明確なゴールが設定された状況は、むしろ望むところだった。

「……舐めたな、俺たちを」

そして、エスティマは一人ではない。
確かに仲間たちは戦える状態ではないのかもしれない。
しかし……ずっと共に歩んできた彼女らが折れることはないだろう。
それに、力を貸してくれる存在は彼女たちだけではない。
更なる地獄を見せると云うのであれば、それを持ちうるすべてで打ち砕いてやろう。

手で顔を覆い、エスティマは軋む身体をゆっくりと起こす。
そして顔にべったりと貼りついた雨を拭うと、そのまま立ち上がった。



















地上本部の執務室で、レジアス・ゲイズは届いた報告に顔を俯けていた。
磨かれた執務机に映る彼の顔は土気色で、額には脂汗が浮いている。
机上に投げ出された両手は血管が浮くほどに握り締められており、遣り場のない感情が、それを細かく震わせていた。

「……もう一度、頼む」

『……はい。結社の襲撃により、オーリス・ゲイズ査察官が瀕死の重傷を負いました。
 現在治療中ですが……』

濁された言葉尻が、どれほどオーリスの様態が悪いのかを伝えてくるようだった。
通信相手は先端技術医療センターの医師。映像はなく、音声のみでの会話が続いている。
聞こえてくる、普段はハスキーなのであろう女の声も沈痛な色が濃い。

オーリスが死に瀕してる。その事実だけで、レジアスの脳裏には娘のことが走馬燈のように過ぎ去った。
オーリス。仕事にかまけていたせいか、やや遅めに授かった自分の一人娘。
だからだろうか。待望の子供ということで、目に入れても痛くないほどの愛情を娘には抱いていた。

育児は決して楽なものではなかったが、秘書として自分の傍にいるオーリスを見れば、良い女に育てることができたという自負が湧き上がってきた。
仕事はできる。気だても良い。何より美人だ。
その上、こんな頑固な親父を見捨てず、理想に付き合ってくれる父親想いの娘でもある。

性格やプライドが邪魔をして普段はあまりオーリスに構うことはないが、しかし、彼女に向ける愛情に嘘偽りは一切ない。
違法行為に手を染めて、迷走を繰り返した人生だったが、それだけは胸を張って云えるだろう。

手塩にかけて育て上げた、大事な大事な愛娘。
それが今、六課の襲撃に巻き込まれ、生死の境を彷徨っているという。

八つ当たりじみた怒りがいくつも胸中に渦巻いてはいるが、それを気にしたところでどうにもならない。
今は娘を助けることが――しかし――

「オーリスを、助ける手段は……」

『……いくら魔法があるとは云っても、医療技術には限界があります。
 ただ――』

そこから急に、受話器から聞こえる医師の声が小さくなった。
何事だ、とレジアスが思うと、

『違法とされている、結社の技術ならばあるいは。
 オーリス・ゲイズさんを助けられるかもしれません。
 ここだけの話、私はちょっとした伝手がありましてね』

どうしますか? とレジアスは問われる。
違法手段――それも、敵対している組織に頼れというのか。
局員が結社と通じているとは、と思いはするも、それは後回しだ。
今のレジアスには、オーリスのことしか頭にはない。

頭にはないが――

「……それは」

『それは?』

「……それは、できん」

断腸の思いで、レジアスは断言した。
そうだ。それだけはいけない。やってはならない。
そもそも結社に頼ることが、というのは置いておいて、だ。

レジアスには一つの誓いがある。
一度はそれを破り、その代償として友を失いかけたこともある。
その友人は生きてはいたが――しかし、あの時のような思いを二度もするわけにはいかない。
過ちを繰り返してはならない。

エスティマ・スクライア――彼との誓いを裏切ってしまえば、もう二度と友に顔を向けることはできないだろう。
……だからと云ってオーリスを諦めるつもりはない。
友との誓いも、オーリスも救ってみせる。
頑固な爺だろう。この歳になってもやっていることはワガママな子供じみている。
しかし、それにずっと着いてきてくれたゼストやオーリスの心を踏みにじることだけは、絶対にしたくなかった。

おそらく、エスティマならばこう云うだろう。
心を弄ぶ人間は屑だ。死ねばいい。

ああそうだ、と、この時だけは、その青臭い極論にレジアスは同意できた。

レジアス・ゲイズという人間はそもそもからして、熱意だけで今の地位までのし上がってきた人間なのだ。
ならば、その熱意を――自分以外の者が同じく抱く想いを踏みにじっては、初心を忘れて迷走しているのに他ならない。

土気色だったレジアスの顔に、血の気が戻る。
そして額の汗を手の甲で拭うと、咳払いを一つして、通信端末に声を向けた。

「……馬鹿げたことを云うな。
 お前の名はなんだ。結社と繋がりがあるというのなら、都合が良い。
 今から逃げても無駄だ。貴様という膿を管理局から叩き出してくれる」

レジアスがそう言い切ると、僅かな間を置いて通信機から微かな笑い声が洩れた。
不快なもの――ではない。
その声は、レジアスが良く知ったものであり、ここ十年近くは一度も聞いていなかったからだ。

『その言葉が聞きたかった』

執務机の上に、ずっと展開されていなかった画面が開く。
その向こう側にいるのは、ゼストとアギトの二人だった。
おそらく、レジアスと会話を続けていたのはアギトなのだろう。

ゼストは通信越しにレジアスを見詰めながら、口元を緩ませている。
ずっと見ることができなかった友人の笑みに、レジアスは瞬きをした。

『ああ、レジアス。お前の答えを聞かせて貰ったぞ。
 今度は間違えないでくれたな。
 その心意気に、俺はもう一度応えよう』

云いながら、ゼストはデバイスをセットアップする。
出現したのは金色に輝く、Seven Starsと同系統のレリックウェポン専用武装。
それを肩に担いで、ゼストは目を細めながら、強い意志の滲む声を放った。

『これから俺は、結社の拠点の一つを制圧し、医療機器を接収する。
 ……まるで強盗だな。こういう形でしか俺は力になってやれん。すまんな、レジアス』

「……良いんだ、ゼスト」

痺れすら感じそうになる目頭の熱に耐えながら、レジアスはそれだけを零した。
その様子を再び苦笑し、しかし、とゼストは呟く。

『……エスティマには謝らなければな。
 あれは、俺を戦力の一つとして数えられているだろうに』

『ああ、そっちにはアタシが行くから、旦那は友達を助けてあげなよ。
 天下の純粋融合騎が味方になれば、アイツも文句云わないって』

『そう、か……すまん、アギト。頼むぞ。
 それでは、レジアス。俺はもう行く。
 お前は自分の仕事に専念しろ』

「……ああ」

返事に応えると、ゼストからの通信はぷっつりと途切れた。
ディスプレイの浮かんでいた空間にしばらくの間視線を注ぎ、目を瞑ると、レジアスは気を引き締めた。
……信じているぞ、ゼスト。

その一言をこの場にいない友へと向けて、彼はこれから始まるであろう結社本拠地への戦いに備えるべく、その重い腰を上げた。






















半壊した六課の隊舎の中、ブリーフィングルームに各隊長たちとフェイトは集まっていた。
彼女たちから聞いた隊員の様子を頭に入れながらも、エスティマにはこれから仕掛ける戦いを避ける選択肢は存在しない。
六課はほぼ廃虚と化し、怪我を負ったスタッフも少なくない。
行方不明者も居て――その中の一人に、ヴィヴィオの名がある。おそらくは攫われたのだろう。

Type-Rと戦闘を行ったティアナとスバルの二人は、共に負傷しているが治療して実戦に戻ることは可能。
キャロもダメージらしいダメージはないが、問題はエリオか。
はやて曰く、突き付けられた真実に空元気を装いつつも、ふさぎ込んでいるらしい。シグナムは云わずもがな。
その一方で、同じくクローンであると知らされたフェイトは、エスティマが想像していたような状態ではなかった。
むしろどういうことか、いつにも増してこちらに向ける視線に熱が篭もっているようでもある。

フェイトが何を考えているのか知りたくはあったが、今は時間がない。
ブリーフィングルームに集まった面々を眺めて、エスティマは小さく頷いた。

「まずは、防衛戦ご苦労様。
 散々な有り様だけど、これからもう一戦やる羽目になる。
 ……もし戦わなければ、結社との抗争はまず間違いなく泥沼化するだろう。
 それを防ぐためにも、すぐに連中の本拠地を叩く必要がある。
 ……絶対に楽な戦いじゃない。けど、もう少し付き合ってくれ」

それに対する反応は、どれもが一緒だった。
なのはは、何を今更と。
フェイトは、どこまでもついて行くと。
はやては、当たり前だと。

その反応を見て、エスティマは小さく笑った。
これから行う戦いがどれほど過酷か分からない連中ではないだろうに、それでも付き合ってくれるだなんて。

腹に力を込めて、エスティマは表情を引き締めた。
そして改めて、彼は部下たちに視線を注ぐ。

「……良し。
 時空管理局結社対策部隊部隊長、エスティマ・スクライアが命令する。
 ――死力を尽くし、勝ってこの戦いを終わらせるぞ」

対する返事は、了解、という言葉。
だがそこに込められた感情は事務的なものではなく、エスティマの決意に応えようとする意志が見て取れた。

そんな彼女たちの顔を見て、ああ良かったと、心の底から思えてくる。
彼女たちと知り合えて良かった。
彼女たちだけではない。自分に関わるすべての人たちと笑い合える日々が、この戦いの向こうに待っているのならば。
それはきっと、死力を尽くしてでも手に入れるだけの価値がある。

……この戦いを終わらせて、俺は。
今この時こそ、エスティマは明確なヴィジョンを描く。
レジアスに云ったことに間違いはない。
しかしそれに追加することとして、この六課に揃った皆と笑い合い、生きてゆきたいという願いがある。
それを叶えるためにも――ずっと止まっていたそれぞれの時計を進めることにしよう。

そして今度こそ手に入れるのだ。
もう二度と迷わない。
自分はこの先にある、皆と笑い合い、幸福に過ごせる未来を目指している。
皆はそれぞれ、望む未来を目指すと良い。


















未だ、雨は止まず。
喧噪の中、怪我人の搬送が進む六課の片隅で、俯きながら啜り泣く一人の少女がいた。
名を、シャリオ・フィニーノ。
彼女が涙を流している理由は単純であり、深く考える必要もない。
そう長い時間を過ごしてきたわけではないが、それでも愛着のある隊舎がこの様で、毎日顔を合わせていた者たちが怪我をした。
だというのに自分は無傷で、何もできず、今はこうして泣くことしかできない。

不様と云えば不様だろう。
魔導師でない彼女には戦う力が備わっていない。
持っている力は技術者としてであり、それはまるで戦闘に役立たないものだ。
普段の彼女ならば戦闘などジャンル違い、自分の戦いは――と胸を張って云えただろうが、こうも無惨な現実を押し付けられては強がることもできなかった。

どうすれば良い? 何をすれば良い?
自分に何ができる?

デバイスの整備か。
それをしたところで、これから始まる最終決戦には間に合わない。
時間がないのだ。行えて一機。その取捨選択を行えるほどの冷静さが、今の彼女にはなかった。

デバイスを整備しようにも、もし自分が選ばなかったデバイスが負けてしまったら――
そう考えてしまったら、何もしない方が良いとすら思えてくる。
敗北主義者じみた思考はこの上なく惨めだが、それに安堵してしまうほどに今の彼女は打ちのめされていた。

悲しいことを悲しいと思えるのは彼女の美徳であり、それ故、普通の人としてシャリオは足を止めていた。

――そんな彼女に、唐突に念話が届く。

『やぁ、こんにちは』

声の主を彼女は知っている。
ジェイル・スカリエッティ。エスティマが捕まえた犯罪者。
今は拘束され、魔法の一つも使えない彼が何故念話を送れるのだろうか。

そんな疑問が湧いてきたが、しかし、彼女に反抗するだけの余力はなかった。
六課はこの様だ。彼を拘束している装備も破損していたっておかしくはない。

『この部隊の技術顧問であるシャリオ・フィニーノくんだね。
 一つ、君に頼みたいことがある。
 何、悪い話ではないよ。むしろ、君たちにとっては良いことだ。
 ……君は優秀だね、シャリオ。
 私の生み出したデバイスを把握し、機能拡張を行い、その上AMFCなどという愉快なものまで考え出した。
 素晴らしい、と云える。デバイスというジャンルに限れば、君は私と同等かそれ以上の才能があると見ているよ』

……だから何?
ようやく動き出した頭から洩れたのは、自嘲であった。
いくらデバイスを弄るのが人より上手くとも、見てみると良い。自分は何もできない。
無力とはこのことだろう。
笑いたいならば、笑え。

そう思うシャリオであったが、スカリエッティは尚も念話を続けた。
届く口調は彼特有の酷く苛立ちを煽るものであったが、しかし、その中に真摯さがあるような気がするのはどういうことだろう。

『そんな君に一つ、取引を持ちかけたい。
 AMFCという切り札を完成させたくはないかね?』

その一言に、シャリオは伏せていた目を見開いた。
そんなことが出来るのならば――否、そんなことは――

『君の着想は正鵠を得ている。理論は完成していると云って良い。
 問題なのは、私が不良品のまま放置してしまったエスティマくんの方だからね』

出力が足りないんだろう?
そう、スカリエッティは云う。

そうだ。
リインフォースⅡとユニゾンしたエスティマの使う、AMFC。
それの理論は完成しているというのに、発動に成功したことは一度だってない。
何故か。それは、AMFCを正常作動させるための魔力が足りないのだ。
今までは自分の理論が間違っていると思っていたが、突き詰めれば答えはなんとも馬鹿げていた。
最高位の魔力を持つエスティマですら発動できないのならば、これはただの欠陥品。切り札とはなり得ない。

しかし、スカリエッティはそれを完成させると云っている。
シャリオが理解している欠点を指摘した上で、だ。

『私が望むことはただ一つ。
 これより始まる最終決戦を、是非見せて欲しいのだよ。
 一人の観客として、終焉と開幕をこの目に焼き付けたい。
 だから、ああどうか、叶えてくれたまえ』

――そんなことで良いのならば。
それで、皆の力になれるのならば。

知らず知らずの内に、シャリオは頷いていた。
それをどこかで見ていたかのように、スカリエッティは満足げな返事を寄越す。

『ならば私は、君に戦局に一石を投じられる力を与えよう。
 ツインドライヴ……レリックウェポンと戦闘機人、その極みとも云えるシステムをね』

それを呟くスカリエッティに悪意はない。
勿論、善意もないが。

彼は言葉の通りに、この戦いの終局を眺めたいだけなのだ。
しかし囚われの状態でそれは不可能である。
それ故に――誰でも良かったのだが、シャリオへと念話を送ったのだった。

それに、一つの懸念がある。
セッテ。紫電一閃・七星を捌いたことから分かる通り、あの機体を相手にしては、流石のエスティマも分が悪い。
無論スカリエッティはエスティマの勝利を信じて疑ってない。
が、信じるだけで勝利を収めることができるのなら努力も根性も技術も必要ではなくなる。

――ならば、せめて最後に贈り物を。
これは君の人生を眺めさせて貰うための料金さ、エスティマくん。

だからどうか、君の勝利をこの私に見せて欲しい。
勝利を手にした君が何を選び、どう生きてゆくのか。

楽しませてもらうよ。

――喝采はない。喝采はない。

今の彼はただ、大好きな歌劇の開幕を心待ちにする子供そのままである。










[7038] 幕間
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2010/02/03 21:17

人のざわめきが遠鳴りに響き、絶えず続いている。
普段ならば聞こえないであろうそれは、窓硝子が一枚残らす砕け散っていることで、外の喧噪が隊舎の中まで届いているのだ。
今、六課の隊舎で以前と同じ状態である場所は存在せず、エスティマ・スクライアがいる情報処理室もまた、そうであった。
外からは管理局の車両が放つ紅いランプの光が届き、断続的に部屋の中が照らし出される。
その中で彼は、見つけ出した無事な情報端末でゼスト・グランガイツとの連絡を取っていた。

が、エスティマの表情は少しも明るくはない。
むしろ苦渋ばかりが滲んでおり、どうしたものかと思案する彼の口元は、一文字に引き結ばれている。
僅かに躊躇いながら、彼はその口をゆっくりと開く。

「……分かりました、隊長」

『……すまんな』

重々しい了承に対する反応は、これもまた、重々しいもの。
ゼストも分かっているのだろう。この局面で自分が抜けることが、どれほどの意味を持つのか。

オーリスが現在の医療技術では治療が困難な重傷を負ったことで、ゼストは結社の拠点から医療機器を奪取するとレジアスに誓った。
が、そのためにゼストが向かう先とはエスティマたちがこれから攻め入ろうとする本拠地ではないのだ。
距離も離れている。目的の物を手に入れたとしても、応援にこれるかどうかは怪しい。
そもそも一人で拠点の一つを潰すということ自体が難しいというのに――

『……これが俺の成すべきことだ。
 が、お前の力になると口にしておいて、約束を違え……これでは以前の奴と何も変わらん。
 いくら罵られても弁解はできん』

「……そのつもりはありませんよ」

仕方がない、とエスティマは額を抑え、溜め息を吐いた。
そう、仕方がないことなのだ。
そもそもゼスト・グランガイツという男は、レジアスの動向を見守るついでで自分の力になってくれていたようなもの。
自分と、レジアスと。その二つが天秤にかかれば、どちらに傾くなど火を見るよりも明らかだろう。

が――

痛いな、とエスティマは頭痛を堪えるように目を細めた。
オーバーSランクと呼ばれたストライカー。それが改造を施され、その上固有の融合騎まで保有しているゼストは、ある意味エスティマと同等の戦力なのだ。
実際に戦ってみなければどちらが強いと断言はできないだろうが、そう考える時点でゼストがどれだけの実力を持っているのか――味方であればどれほど頼りになるか、というストライカーの条件を満たしている。

その彼がこれから始まる決戦に参加できないとなれば、配置を変えなければならないだろう。
エスティマは外で指揮を執りつつの戦闘を行うつもりだったが、ゼストがいなくなった今、考えていた配置では施設内の制圧を行う決め手が欠ける。
なのはに不安があるわけではない。ヴィータにも。
しかし、屋内での戦闘――それも派手に暴れ回ることができないという縛りがある以上、小技で攻めることのできる者はどうしても必要だったのだ。

俺が行くしかないのかと、彼は小さく拳を握り締めた。

「隊長」

『なんだ』

名を呼び、エスティマは戦いのことから頭を切り換える。
何を云ってもゼストが意志を曲げないことを知っているからこそ、これ以上ぐだぐだと云ってもしょうがない。
ならばこれから一人で戦いに赴く彼へ、何か言葉を贈ろう。そう、エスティマは思った。

「約束を破るなら……ってわけじゃありませんが、一つお願いがあります。
 寿命を縮めるような無茶はしないでください。
 あなたがいなければ、きっと中将は寂しがる。
 あなたの代理なんて、俺はもう御免なんです」

『……分かった。約束させてもらおう』

最初は真剣に。最後は冗談交じりな台詞を、ゼストは苦笑しつつ受け止めた。

「頼みますよ。
 ……まったく、放って置いたらベルカの騎士はすぐ死にたがるんだから、釘を刺しておかないと安心できません」

『……お前にそれを云われるのは酷く心外なんだが』

まぁ良い、と画面の向こうでゼストは苦笑する。
そして今度はエスティマが心外だと云わんばかりに顔を顰めた。

「……俺は死にたがってませんけど。
 前はともかく、今はね」

『それは気になる変化だ。
 俺やレジアスを上回る頑固者がどうしてそうなったのか、興味はあるが――
 ……すまんエスティマ。ここまでだ』

不意に、ゼストの表情が引き締められた。
瞳には焔が宿るが如く決意が満ちて、画面の端で揺れていた黄金の槍型アームドデバイスが振るわれる。
おそらくは目的地が近いのだろう。
それを察して、エスティマは小さく頷いた。

「ご武運を、隊長」

『……エスティマ』

もう時間はないだろうに、ゼストは彼の名を静かに呼んだ。

『もう俺を隊長と呼ぶな』

「……それは」

『勘違いをするな。
 もうお前は、俺と同等の存在だろう。
 エース、ストライカー……俺と肩を並べて戦えるほどの。
 それだけではない。部隊を率い、ずっと戦い抜いてきた。
 いくらか歳は離れているが……これからは友と呼ぶと良い』

その言葉に、エスティマは喉元まで声が出かかった。
そうだとしても、あなたが俺の隊長であることに変わりはない――
が、それを飲み下し、照れくさそうにエスティマは笑う。

「……分かった、ゼストさん」

『……ではな、戦友。また会おう。
 今度はメガーヌやクイントも揃えて』

「……それは死亡フラグ」

『……妙なジンクスを気にするほど、俺は女々しくないぞ』

ではな、と通信が途切れる。
しばらくの間エスティマはブラックアウトした画面を眺め、ふと、いつの間にか頬が緩んでいたことに気付いた。
……存外、今のやりとりは楽しかったのかもしれない。
軽口を叩ける状況ではないと分かってはいたが、おそらくゼストにとって、レジアスのために戦える――潰えたと思っていた夢を実現することができた今は、幸福なのかもしれない。

……その幸福を一瞬で終わらせないために。
これからもずっと続けさせるために、どうか生き残って下さい。

届かないと分かっていながらも、エスティマは心の中で呟いた。
大丈夫。あの人は強い。おそらく自分と同じぐらいには。
誰にも負けないと信じ込んでいる自分と同等ならば……そう、あの人は勝つに決まっている。

「……よし」

当てにしていた戦力の一つは駄目になったが、それをいつまでも悔やんでいるわけにはいかない。
残る戦力を把握して、早く移動を開始しなければならないだろう。
そう思い、エスティマが踵を返そうとした時だ。

「ああ、部隊長。ここにいましたか」

ガラス片を踏み締める音と共に、グリフィスの声が響いた。
目を向けてみれば、エスティマが入ってくる際に吹き飛ばして歪んだ扉の向こうに、彼の姿がある。
グリフィスは足元に気を配りながら部屋へ入ってくると、ポケットから取り出したメモ帳に目を落とす。
薄暗い上に、襲撃で眼鏡が壊れたせいなのだろう。酷く目つきが悪かった。

「車両の手配ですが、なんとかなりそうです。
 ヘリは襲撃を受けたことで完全におしゃかですが、装甲車はなんとか。
 現在、故障箇所がないかどうか確かめさせています」

「了解。
 ……こっちは悪い知らせだ、グリフィス。
 当てにしてたロングアーチ00がこれなくなった。
 突入隊の戦力が減ったから、穴埋めをしなきゃならない」

「……困りましたね、それは。
 と云っても、僕はロングアーチ00がどれほどの魔導師か知らないので、なんとも云えないのですが」

「……ああ、俺と同等の戦力と考えて間違いはない。
 ユニゾンデバイスを持っていることも」

「それは痛いですね。
 で、穴埋めをするということは……」

「俺が突入隊に行くしかないな」

「……やはりですか」

参りましたね、とグリフィスは目頭を揉みほぐす。
溜まっていた疲れと今の報告で嫌気が差したのか。

「まぁ、いつものことですから慣れましたけど……。
 つくづく思います。部隊長は小隊指揮官の方が向いていますよ」

「元々そっちの畑だったからな、俺は。
 部隊長になったのだって、前線から俺を離して療養させたいって中将の思惑があったからだろうし。
 ……まぁ、だからって仕事をしない言い訳にはならないけど」

「もうそのあたりは部隊長と付き合い始めて諦めましたよ。
 それじゃあ……」

「ああ、いつも通りに頼む。
 各員から送られてくる情報をグリフィスが整理して、俺に送ってくれ。
 ……と云っても、結社の本拠地だから当たり前のようにジャミングがかかってるだろうし。
 どうしたもんかな」

「ああ、それは……あまり大きな声では云えないのですが」

そこまで云って、グリフィスは声を潜める。
周りに誰もいないことを確認すると、彼は納得できないような顔をしながら、口を開く。

「……スカリエッティから、ジャミングを無視できる念話のプログラムを与えるという申し出がありまして。
 僕が部隊長を捜していたのは、それの判断を仰ぐためだったんです。
 映像通信は使えず、音声のみとは云っても、目隠しの状態で戦うよりはかなりマシなはず……とは分かっているのですが。
 ……どうしますか?」

「罠だと思うか?」

「……すみません。まるで分かりません。
 ああいう類の人は、ちょっと苦手で」

自分とは合わないと、はっきり分かっているのだろう。
もしかしたら念話プログラム以外のことでも言葉を交わしたのだろうか。
あまり話題にしたくないといった様子で、グリフィスはエスティマからの指示を早く欲しいようだった。

「……分かった。奴と話をしてみて、それから決める。
 悪かったな」

「いえ、助かります。
 ああ、それと……フォワードたちのことを」

「……ああ」

グリフィスが最後まで云わなくとも、エスティマは彼が何を云いたいのか気付くことができた。
と云うよりも、気付かない方がおかしいだろう。

まだ部下たちがどれほどのダメージを受けたのか、エスティマは把握していない。
なのは、フェイト、はやての三人は顔を合わせたため大丈夫なようだと察しはついているが、新人たちとなると途端に分からなくなる。
そもそも彼女らとはそれほど親交があるわけでもないのだ。

「ただでさえ主力の一人が欠けた今、彼らを外したくはありませんが……。
 戦えないようなら仕方がありません。
 部隊長の目から見て、駄目だと思う者はここへ残すのが無難かと」

エスティマへと判断を任すのは、副官という立場故か、それともエスティマの実戦経験からくるものを信じているからか。
真っ直ぐな視線を受けて、エスティマは頷いた。

「分かった。それじゃあグリフィスは、引き続き車両と、他の部隊との連携の把握を頼む。
 ああ、ヴァイス・グランセニックって魔導師は本拠地に攻める際に連れて行くから、そこら辺にいたら引っ張ってきてくれ」

「酷い扱いですね……了解しました。
 それでは」

足早に立ち去ったグリフィスを眺め、彼の背中が見えなくなると、エスティマも動き出す。
小さな瓦礫を一つ蹴飛ばして、これからのことで頭を悩ませながら、淡々とひび割れた廊下を歩く。
粉塵が落ちた床には所々に水溜まりができており、数時間前までは活気のあった隊舎は、すっかり廃虚然としてしまっている。

その中を黙々と歩き、通路を出るとロビーへと。
倉庫から運び出された照明によって照らされたそこには、動き回る人影と、やはりここにも喧噪が。
しかしその片隅にいる一団には、重苦しい空気がのしかかり、ここでは珍しくもない――なくなってしまった、瓦礫の一部にでもなっているようだった。

その彼らへと近付くと、エスティマに気付いたのか、一人が勢いよく立ち上がって敬礼をした。
ティアナだ。Type-Rと戦闘を行い昏倒した、と聞いたが、幸い怪我や深手の傷の類は無いとの事だった。僥倖だ。
なのはから聞いた、戦闘可能な状態にある、というのは嘘じゃないらしい。

ティアナに釣られて、残る三人も敬礼を。
それだけの気力が残っていると思うべきか、どうか。

「どうだ、四人とも。
 これから結社の本拠地に攻め込むことは、なのはから聞いていると思う。
 率直に聞くよ。戦えるか?」

「はい!」

唐突な大声に、ロビーに木霊していた喧噪が一瞬止んだ。
声を上げたのは、またもティアナ。
この中では最も血気盛んなのだろうか。
頼もしいと思う反面、嫌な予感もする。
戦えはするだろう。あとは、先走りしないよう誰かが注意してやれば、と云ったところか。

「……はい。戦えます」

次いで声を上げたのは、スバル。
彼女はエスティマの顔を見つつも、瞳だけは直視できないようだった。
しかし、

「戦って、お母さんを取り戻します」

それが芯にあるからか。
先の言葉とは違い、力強い響きでスバルは言い切った。
ノーヴェとの戦闘で無傷だったわけでもないだろうに、それを気にもせず。

だが、そんな二人と違い、エスティマへ返答をしない者が二人。
キャロとエリオだ。
キャロはエリオを気遣っていたから返事が遅れたのだろう。
触れるか触れないか、といったところまで手を伸ばしつつも、どんな言葉を書けて良いのか分からないようだった。

「……二人は?」

「……私は、大丈夫です」

ちら、とエリオに視線を流しながら、キャロは呟いた。
しかし、エリオは迷っているようで口を開けはするものの言葉は出てこない。

……分かっていたけど、重傷だな。
これも自分の行った偽善の反動と考えると、エスティマも頭が痛くなる。

しかし、自虐に浸かって状況が好転するわけでもなし。
傷を抉るようなことになってしまったとしても――

……否。
それだけはしたくない、とエスティマは思う。
おそらく指揮官としては、ここで悪役にでも徹して激を飛ばすべきなのだと分かってはいる。
戦えないのならば不要と断じるべきだと理解もしている。

しかし――傷付いた者を戦えないからと云って、更に突き放すことはできない。
部隊を統率する者としての義務があるのだとしても。
形だけは取り繕わなければ、という最低限の意識はエスティマにもあったが。

グリフィスが云っていたように、能力からくる適正だけではなく、性格もまた、指揮官には向いていないのだろう。
だからと云って仕事をしないわけにはいかない、とはエスティマも口にしたが。

『エリオ。何か、俺に聞きたいことはあるか?』

他の者に聞こえないよう、エスティマはエリオへと念話を飛ばす。
唐突だったからだろうか。ビクリとエリオは身体を震わせて、怯えるように顔を上げた。

『知っていると思うけれど、俺もお前と似たような境遇だよ。
 だから、エリオが知りたいことに答えてやれるかもしれない。
 なぁ、エリオ。お前は何をそんなに怯えているんだ?』

『……僕は』

頭の中で自分のことですら整理がつけられていないのか。
おそらく、知らされた事実が事実なだけに、半ば思考停止しているのだろう。
自分にも身に覚えがあったので、エスティマはエリオが言葉を続けるのをじっと待った。

『……僕は作りものなんですよね』

『ああ、そうだ』

『……けど、エスティマさんもそうです。フェイトさんも。
 教えてください。なんでそんなに、平気でいられるんですか?
 ……違う。エスティマさんの場合は、どうしてそうやっていられるんですか?』

そうやって、とはどういうことか。
おそらく、今まで何を思って生きてきたのかということだろう。
そもそもエスティマの中身はエリオたちとは違う故に、答えらしい答えを返すことはできない。
しかし……エスティマなりの答えは一つだけある。
不幸語りをするようで、心の底から気は乗らないが、この際だ。
エリオが求めているということもある。分かり易い形でヒントを与えてやっても良いだろう。

『……生まれがこんなだからさ。
 変な奴に目を付けられて、戦うことを日常に組み込まざるを得なくなって。
 そうして戦い続けて、痛いのに飽きて、自責の念に身動きが取れなくなって逃げ出したこともあったよ。
 それでも今こうして立っているのは……逃げ出せば、手元に残った大切なものが消えてなくなるからだった』

『……大切なもの、ですか?』

『……ああ。
 それは約束だったり、意地だったり。まぁ、色々だ。
 今は彼女が――ああいや、悪い』

そこで一度、エスティマは言葉を区切る。
それは、ふと脳裏に一人の女性が浮かび、それが口に出てしまったからだった。
が、落ち込んでいるエリオがそんなことを聞いたらどんな顔をするのか想像はつく。
真面目に云ったのだとしても、茶化されたと思うのではないだろうか。

『ともあれ、エリオにはそういったものはないかな?』

『……あるには、あります。
 けど、こんな僕がそれを大切と云って良いのか。
 ……作り物が本物を欲しがって良いのか、分からなくて』

その言葉にいよいよ末期だ、と思いながらも、エスティマは苦笑する。
この悩んでいる状態が上手く転がれば、まだ目はあるだろうと。

『……説教臭くなって悪いけどさ。
 逃げ出せば、きっとこれからの人生、ケチばっかりが付くものになる。
 エリオはそれで良いのか?』

『……嫌に決まってます』

『なら、どうする。
 戦うか否か。それをここで選べ、エリオ』

『いきなり云われたって……』

『そうだな。同情はする。
 けれど、時間はすぐそこまで迫っているぞ』

『……なら』

念話での会話はそこまで。
エリオは俯きがちだった顔を僅かに上げると、視線を彷徨わせつつも、最後にはエスティマと目をしっかりと合わせた。

「……戦います」

おそらくそれは、追い詰められた者が行った消去法。
こちらの方がマシ、といったレベルでの判断でしかないのだろう。

エリオの答えを聞いて、キャロは安堵して良いのか不安になるべきなのか困っている風に。
ティアナとスバルは横目で彼を見ながら、お互いに頷き合っていた。おそらく、フォローをしようと念話でも交わしたのだろう。

「分かった。全員参加だな。
 それじゃあ、時間に余裕はないけどできる範囲で良い。
 体調を整え、装備の点検を怠らず。
 なのはを通して次の指示を出すからそのつもりで。
 それじゃあ――」

そこで一度区切り、エスティマは四人の顔を見回した。

「頼むぞ。今まで積ませた訓練、経験が無意味なものだったと思わせないでくれ。
 期待を裏切ってくれるなよ」

「了解!」

良し、とエスティマは頷いて、踵を返した。
不安はまだ残ってはいるが、それも大分緩和されただろう。
あとは、新人たちの面倒を見るであろうなのはとヴィータに期待か。

「次は……」

気にかけるべき者はまだ残っている。
が、最も言葉をかけるべきと分かっているが故に、後回しにしてしまった子が一人。

おそらく駐車場に停まっているであろう108部隊のトレーラーを目指して、エスティマは歩き出した。














「……ごめん。本当にごめん、なのは」

「……良いの、フェイトちゃん。仕方がなかったって、分かってるから」

隊舎から僅かに離れた場所で、なのはとフェイトは向かい合っていた。
フェイトが謝罪を続けている理由はただ一つ。Type-Rとの戦闘に集中していたためにヴィヴィオが攫われることを許してしまったからだった。
それに応じたなのはの言葉に嘘はない。
高速戦闘型の戦闘機人……それもナンバーズの後期型を相手にしながら何かを守るだなんて、普通は不可能だと分かっている。

それに……悪いと云うのならば。

「……そもそもヴィヴィオを守るのは、私の役目だったんだ。
 なのに助けることができなくて、ママ失格……かな」

守ってあげると約束したのに、それを果たせず。
例えそれが子供と交わした口約束だったとしても――否、口約束だったからこそ、守れなかったのが悔しくてたまらない。
それはある意味、なのはの意地だった。

簡単に翻すことができ、なかったことにできる約束だからこそ、守る価値がある。
確かなものではないからこそ、心を賭けて守らなければならないことだった。
約束を交わした相手を信じて待つしかできないからこそ、期待を裏切ってはいけなかったのに。

……なのに、自分は。

ふと、胸元のレイジングハートに目を落とす。
不屈の心と名付けられたそれの持ち主である自分。
その魔杖を用いて生み出す力は、守る力。身近にいる大切な者を守る力。
だと云うのにそれを果たせず――なんのための力なんだろうと、迷ってしまいそうになる。

が、なのははそれを表情に出さないまま、曖昧な笑みをフェイトに向けた。
それが今の彼女ができる精一杯の強がりだった。

そんな彼女の虚勢を知ってか知らずか。
フェイトは小さく頷くと、さっきまでの表情を改めて、すっと視線を隊舎へと向けた。

「なのはは凄いよね」

「……え?」

「だって、多分、私にはそんな風に考えられないから。
 ……考えてるつもりで、全然そんなんじゃなかった。
 知らず知らずの内に守られてたんだ。ずっと。
 だから、なのはは凄いよ。
 何かを守ろうと決意して、果たせなくても前を向いていられるだけの強さって、簡単には身につかないもの」

見透かされてたかな、となのははバツの悪い表情をした。
が、フェイトは隊舎の方を見ているから気付かない。そうなることを知ってやったのか。
そんな細かな思い遣りに、なのはは心の中でありがとうと呟いた。

「なのはは兄さんと向いてる方向が違うけど、その強さは兄さんと似ていると思うんだ。
 だから大丈夫。なのはに出来ないことはないよ。
 だから、ヴィヴィオを助け出すことだって、きっといつもみたいに――」

「……私を信じてくれてるのかな。
 それとも、エスティマくんを信じてるのかな」

「あ、そ、そういう意味じゃなくてっ」

慌てた様子で、フェイトはなのはへと視線を戻した。
その様子があまりにも可笑しくて、気分じゃないのに、なのははくすくすと笑い声を上げてしまう。

「本当、フェイトちゃんはお兄ちゃんっ子だなぁ」

「……あう」

そして否定しないんだね。
何がどうなったらこうなるんだろう。
自分も妹であるなのはは、心底から不思議に思った。

が、この兄妹ならばあり得るのかもしれない、とも。
昔のことに想いを馳せる。まだ自分が魔法と出会っても間もない頃のことを。
あのときから、エスティマはずっと秘密を抱え込んでいたのだろうか。
ずっと誰かを守るために一人でいたのだろうか。

……ああ、確かに。その在り方は自分と似ているのかもしれない。
皆を守りたいから矢面に立つ。それは多くの人に囲まれているようで、実のところ独りぼっちなのではないか。
守らなければならない。故に、戦わなければならない。
誰かが傷付くよりも自分が――そう思ってしまった瞬間から、守る側へと立ち位置を変え、己の心のみが拠り所の戦いが始まる。

彼と自分は、背中合わせの存在だったのではないか。
見ている方向が違う。似ているようで、守ろうとしているものが違う。
自分は抱え込んだものを。エスティマは目に映り、自分に近しいものを。
そして腕の届かないものまで守ろうとして、無茶せざるを得なくなる。
ああ、今この瞬間になって彼が無茶をし続けた理由がはっきりと分かった。
同時に、共感も。

ヴィヴィオはきっと、守りたいと思うには重い存在だった。
彼女に付加されている数々の価値。人造魔導師。聖王のゆりかごを飛ばす鍵。
抱き締めるだけでは足りなくて、奪おうと伸ばされる手をはね除ける必要もあったのだ。
それに気付かず、奪われた時になって目の当たりにするとはどんな皮肉。

守りたいと思っていたものは、自分ではなくエスティマが守りたいと願っていたものに性質が近かった。そういうことだろう。
……だったら。

「……決戦、か」

「……うん。なのは、兄さんをお願い。
 私は外で戦うことになってるから、すぐ隣で守ってあげられないんだ」

「分かってるよ。任せて」

エスティマに無茶はさせない。
今度こそは――今回ばかりは、自分が無茶をする番だ。
それがヴィヴィオに守ると云った自分の責任で、果たすべき事柄だろうから。

何があろうとも、この戦いで、ヴィヴィオだけは――
自分の手で助け出してみせる。

「さて……じゃあ、私はこれから、新人たちを見てくるよ」

決意を新たに、なのはは一歩を踏み出す。
その時だ。
視界の隅に、見知った影が二つ――その内一つが、逃げ去るように走っていった。

それをなのはとフェイトは眺め、同時に首を傾げる。
そこにいたのはエスティマとシグナム。今の状況で爆弾とでも形容できる二人だった。


















「……参ったな」

走り去るシグナムの背中を見ながら、溜め息混じりにエスティマは呟いた。
今から追いかけても追い着くことはできないだろう。セッテに叩き込まれたダメージは治療こそしたものの、完全に抜けたわけではない。
全力で走れば苦痛に喘ぐ羽目になるのは目に見えていたし、そんな状態で追いつけるとも思っていない。
だからと云って追いかけないのはどうか、とも思うのだが、

……どんな言葉をかけろって云うんだ。

いざ相対してみて、言葉らしい言葉を何一つかけることができなかった。

気にすることはない。
お前がやったわけじゃない。
そもそも俺が下手を打ったから――

伝えるべき言葉は前もって考えておいたはずなのに、しかしシグナムを前にしたとき、エスティマは何一つ云うことができなかった。
その原因は、考えるまでもない。
エスティマと向き合ったときにシグナムが浮かべた表情を見て、彼は何も云えなくなったのだ。

シグナムが走り去る前に見せた表情の中には確かに怯えが混じっており、おそらくそれは、造り上げてきた信頼関係が壊れたのではないか。
そう、エスティマは思ってしまった。

……当たり前だ。
一度自分を殺したことがある、と知らせるというのなら、今まで何度もチャンスはあった。
しかし機会の悉くを先延ばしにして、もし必要がないのならば墓の下まで持って行って良いとすら思っていたその偽善。
傍目から見て醜く映るか、仕方がないと思われるかはこの際関係ないだろう。
肝心なのはシグナムがどう思ったのかであり――おそらく彼女は――

「……エスティマさん」

「……ん、ああ、ギンガちゃん」

自分勝手な思考の底なし沼へと落ちつつあったエスティマを引き上げたのは、ギンガの声だった。
振り返れば、そこには制服姿のギンガがいる。傘を差した彼女は、シグナムが走り去った方向を一度だけ見て、エスティマへと視線を戻す。

「……大変だったみたいですね」

「……いや、大変なのはシグナムだよ。
 俺は、別に」

「嘘ですよ。辛そうな顔をしています」

云われ、エスティマは頬に手を当てる。
しかし、鏡を見ているわけでもないのに自分の表情が分かるわけがない。
彼は、苦笑を無理矢理に作る。

「……そうかな」

そう呟いてから、おや、とエスティマは目を見開いた。
彼女にしては随分と直接的な心配をされたからだ。
スバルと比べればずっと固さが抜けているとは云っても、彼女が気遣うような言葉を向けてくることは、ゼロでなくともそう多くない。
もっぱらがシグナムに関する心配ごとで、今のは純粋に自分に向けてのものだった。

どうして――ああ、そうか。

「……悪かったね」

「どうして謝るんですか?」

「どうしてもこうしても。
 隠し事をしていたわけだからさ、俺は」

「……本当に謝る必要なんて、ないじゃないですか。
 エスティマさんは今まで、私たちの本当のことを教えず、自分の力だけでお母さんを助けようとしてくれていたんでしょう?
 ……確かに、教えてくれなかったことに対して腹立たしさはあります。
 家族のことだし……けど、私たちはずっと――」

「それも俺が好きでやってたことだから。
 ……この話はクイントさんが戻ってきて、ゲンヤさんを交えて話をしよう。
 不毛だよ」

「……はい」

納得できない、といった感情をありありと顔に浮かべるギンガだったが、彼女は渋々と言葉を引っ込めた。
そうして、話題は元のシグナムへと。
そもそも話を変えたのは、エスティマが先回りしたせいだったのだが。

「……今回のことで嫌われた、かな」

「そんなこと、ありませんよ」

「どうかな」

「そんなことありません。
 ……エスティマさんは、シグナムがどれだけ父親を――あなたを慕っていたのか、微妙に分かっていないんですね」

「分かっているさ。だから、裏切られたって思ったんじゃないかな」

エスティマが応えると、ああもう、とギンガは頭を掻いた。
どうしてこの親子は、と小声で云うと、やや強い力でエスティマの背中を叩いた。
それが思いの外強く、エスティマは目を白黒させる。
 
「え、何!?」

「ぐだぐだ考えてないで、ちゃんとシグナムに言葉を届けて上げてください!
 顔を合わせることが無理なら、せめて念話で!
 ……一人で勝手に自己完結して終わりにされても、気持ちは伝わりませんよ」

……今の言葉、その最後は。
おそらく、クイントのことを伝えられなかった自分たちのことを云ったのだろう。
響きには微かな寂しさが含まれてはいたが、しかし、エスティマを責めてはいなかった。
それに対して、救われた、という場違いな感情を抱きながら、エスティマは頷く。

「……そうだね。
 ありがとう、ギンガちゃん」

「いえ。それじゃ、頑張ってください。
 また後で」

云いたいことを言い尽くしたのか、邪魔はしないという意思表示なのか。
長い髪を踊らせながら、ギンガはエスティマに背を向けて、歩き出した。

彼女から視線を外して、エスティマはシグナムへと念話を送る。
が、返事はない。というよりは、念話の受け取りを拒否しているようだった。
ならば、

『……聞こえるか、レヴァンテイン。
 お前を経由して、シグナムに念話を届けてくれ。
 ……頼む』

『ja.』

シグナムが念話を拒否していることを、レヴァンテインが知らないはずはないだろう。
が、それでもレヴァンテインは主に念話を届けてくれるという。
エスティマの頼みを聞いたわけではない。
レヴァンテインもレヴァンテインなりに、主を心配しているのか。

そんなことを思いながら、エスティマは頭の中で言葉を整理し、術式を組み立てる。
普段はほぼ無意識の内に使っている念話をわざわざ組み立てる。
……なんだかんだ云って、怖がっているのは自分自身か。

『……シグナム。聞こえているか?』
 
念話を送るも、返事はない。
が、そもそも期待はしていなかった。
シグナム自身が閉じ籠もっているような状態なのだ。応えてくれるとは最初から思っていなかった。
これから伝える言葉はエスティマが思っていることで、それは押し付けに等しい。
が、それでも彼女には何かを伝えなければならない。
何か、とは。言葉にしてしまえば途端に陳腐になるような類のものだ。

……認めよう。
お世辞にも自分は良い父親ではなかった。
だがそれを言い訳にして目を逸らすのはもう止めだ。
不要な気遣い、妙な距離感。
それらのすべてを意識せず、剥き身の言葉をシグナムへと。

『……まず最初に。
 すまなかった。俺がずっと黙っていたのは、お前がこんな風になるのを怖れていたからだ。
 怖かったんだよ。最初は覚悟していたけれど、一緒に過ごしてゆく内に、大事にしたいと思うようになって。
 ……その結果がこれだ。
 けれど、シグナム。一つだけは信じて欲しい。
 お前は何も悪くないんだ。
 だから、自分のやりたいことをやれば良い』

そこでエスティマは一度、念話を区切る。
やはり返答はない。期待していなかったとは云っても、やはり堪えるものがある。
脣を舐め、僅かに瞼を下げながら、エスティマは最後の言葉をシグナムへと。

『……お前が何を思っていようと、俺はお前を肯定する。
 俺だけはお前の味方でいる。独りにはしない。
 それだけは、嘘じゃない。
 間違いなくお前は、俺の守りたいものの一つだから』

……ふと、脳裏に何かが瞬くように。
自分で口にした言葉に、エスティマは既知感を覚えた。
それが何かは分からない。酷く霞みがかった記憶の中からは、誰かから向けられた励ましの言葉としか思い出すことができなかった。

しかし、反射的に自らの顔へと浮かんだ苦笑から、それが誰の言葉だったのかを思い出す。

「――ああ……お前も、こんな気持ちだったのか?」

だとしたら、本当に――

















「おう嬢ちゃん。ちいと悪いが、付いてきてもらうぜ」

その一言。
説明らしい説明を受けぬまま、海上収容施設から拉致同然で連れ去られたチンクは、車に揺られながら現状を把握しようと努めていた。
何か結社と管理局の戦いに動きがあったのだろうか。そう考えるも、根拠となるものは何一つなかった。
暗い護送車の中で揺られるチンクに与えられる情報は何一つない。
これからどこへ向かうのか。これから何をさせられるのか。

そんなことも知らせず私をどこへ――などと云える立場でないことは、今更だが。

「……くそう」

そう、チンクは呟く。
だが言葉とは裏腹に、彼女に浮かんでいる表情は悔しさではなく心細さだった。
海上収容施設という檻から出され、自分はどこへ行くのだろう。
別にあそこの居心地が良かったわけではない。
しかしあそこにいれば、彼――エスティマ・スクライアは顔を見せに来てくれる。
唯一彼との接点を持つことのできる居場所から引き離され、彼女の心には不安が浮かびつつあった。

自分を取り巻く状況が分からないということも、それに拍車をかける。
狭く、決して広いと云えない車内に閉じ込められたチンクは、これから何が起こるのかと想像して、酷く嫌な気分となっていた。

実験にでも付き合わされるのだろうか。
タイプゼロが管理局に入っていると云っても、あれは十年前の技術で生み出された戦闘機人。
チンクもそれに近い年代に生まれたとはいえ、決して少なくない回数の改良を受けている。
殺されることはないだろうが――などと、物騒なことを考える彼女。

最悪と云えば最悪な情景を思い浮かべてしまうのもまた、自分がどうなるか分からない現状のせいであった。

その時だ。
なんの前触れもなく、運転席側にある荷台の扉が開かれた。
まだ車両は動いているが――

「ああ、悪かったな嬢ちゃん。
 いきなりこんな風に連れ出しちまってよ。
 なんとか予定が立ちそうなんで、もうそろそろ事情を説明させてもらうぜ」

そう云いつつ、よっこいしょ、と重い声を上げて椅子に腰を下ろしたのは、一人の中年だった。
銀髪なのか、白髪なのか。それは分からないが、男の頭髪は短く刈られた白一色。
事務方なのだろうか。大柄だが、筋骨隆々としているわけではない。太っているわけでもまた、ないのだが。

暗闇の中で彼の姿が徐々にはっきり見えてくると、男を一度どこかで見たような覚えがチンクにあった。
おそらくは捕まった自分たちを見にきた管理局の士官の一人だ。あまりにもその数が多いので、いちいち彼女は憶えていなかったが。

「前にも一度挨拶したことあったんだが、一応な。
 108陸士部隊を受け持ってる、ゲンヤ・ナカジマ三等陸佐だ。
 ……タイプゼロの親、って云やぁ、分かるか?」

「……ああ、あなたが」

肉親ではなく育ての親か。
チンクはさほどタイプゼロの二人に興味があったわけではなかったため、ゲンヤの顔を薄ぼんやりとしか覚えていなかった。
しかしその彼が何故、ここに?

「まず本題から入らせてもらうぜ。
 これから六課が結社の本拠地へと攻め込むことになった。
 その際にだな。AMFをものともしねぇ戦力が必要なんだ。念のためにな。
 エスティマのレポートを信じれば、嬢ちゃんは管理局に協力的って話だ。
 そこで白羽の矢が立ち、嬢ちゃんにはこれから六課と共同で戦ってもらうことになる」

「……正気か? 私はナンバーズだぞ?」

「……俺も正直、どうかと思うんだがね。
 だが、場合が場合だ。
 やってくれるか?
 ……かなり酷なことを云っているのは承知の上だ。
 嬢ちゃんがいくら協力的とは云っても、身内と戦うのは良い気がしねぇだろうしな。
 もし少しでも気が咎めるなら云ってくれ。今ならまだ引き返せるぜ」

静かなゲンヤの声は、考える時間を与えると言外に語っているようだった。
が、今は、という言葉から察するにそう余裕があるわけでもないのだろう。
どうするか――チンクは考え、指先を毛先へと伸ばした。
それをくるくると弄びながら、彼女は視線を流す。

……妹たちと戦う。
それにあまり気が乗らないのは確かだ。
自分は自分で、一つの目的があり管理局へと下った。
捕まろうとして捕まったのではない。義理はきっちりと果たしたつもりではある。
しかし――

「……一つ、教えて欲しい」

「なんだ?」

「なんでこんなに切羽詰った状況なんだ。
 攻め込むとは云っても、随分性急なような気がする」

「ああ、やっぱり気になるか。
 実はな。組織を抜け出したスカリエッティが出頭しやがったんだよ。
 で、それを奪い返そうとした戦闘機人によって、六課が焼かれた。
 拠点があの様じゃあ、これから満足に動くこともできねぇ。だっつーのに、結社側はスカリエッティなしでこれからも活動を続ける気でいる。
 それを防ぐのは今しかねぇってことで、今はどの部隊も決戦準備の最中だ」

ゲンヤの言葉を聞くチンクは、目を見開いていた。
彼の話に口を挟まなかったのは失礼と思ったからではなく、内容が予想を超えていたからだ。

ドクターが出頭?
六課が焼かれた?
決戦?

何がどうなったらそうなる。
そもそもドクターが出頭……あの人はエスティマを弄るのが楽しかったのではないのか?

いや、そんなことより――六課が焼かれた?
エスティマは無事なのか?

ぐるぐると頭の中で、与えられたばかりの情報が回り出す。
が、そんな混沌とした頭の中でたった一つ、揺るがない想いがあった。
それは、エスティマの力になってやりたいという感情だ。
恋慕の情を別にしても、自分に新しい生き方を与えてくれた彼の力に、少しでもなれたらと。

妹たちと戦うのは気が進まない。
しかし――スカリエッティが出頭した今、この戦いはどこへ向かう?
海上収容施設へ顔を出していない以上、おそらく結社の残存戦力を纏め上げているのはクアットロだろう。
ドクターにその気がないのならウーノはまず間違いなく結社に残ってはいないだろうから。

……何をやっているんだあいつは。
確かにスカリエッティに振り回されて今までの戦いを台無しにされ、頭にきたのは分かる。
想像でしかないが、クアットロならそうなっているだろう。

しかし、そんな状態で戦いを長引かせたところで、どんな意味があるというんだ。
ドクターが折れたというのならば、もう自分たちが戦う必要もないというのに。

……が、そう思うのはおそらくチンクだけか。
戦うこと以外に生きる意義を持っている彼女だからこその考え。
戦うための道具でしかない――未だ自分はそうでしかないと思っている妹たちからしてみれば、おそらく、自分の方が異端に見えるのだろうし。

……ともあれ。

スカリエッティが自分から折れたと云うのならば、チンクはそれを信じて、自分にできることをしようと顔を上げた。
戦いに意味らしい意味がなくなったと云うのならば――けじめとして。そして、妹たちのこれからのために。
この戦いを終わらせて、先に進むための準備をしよう。

「……決戦、参加させてもらおう」

「……分かった。すまねぇな、嬢ちゃん」

いや、とゲンヤの言葉に頭を振る。
するとゲンヤは、運転席に繋がる扉を開けて、何かをその手に掴んだ。
彼がその手に抱いたものは、戦闘機人用のボディースーツ。それに、管理局の制服だ。
色が違うのは正規局員のものではないからか。

彼はそれをチンクに渡すと、静かな瞳を向けてくる。

「戦闘用のコートは六課の技術屋が持ってる。
 到着次第渡してもらいな。
 ……ありがとよ」

「いや、こちらこそ礼を云わせてもらおう。
 チャンスを与えてくれて、感謝する」

「……チャンス?」

眉根を寄せるゲンヤに、チンクは苦笑した。
そう、これはチャンスだ。
残る妹たちが管理局に恭順するかどうかは、まだ分からない。
しかしもし自分と同じ道を歩むなら――その第一歩を作ってやれることができる。

そのためならば戦おう。
そしてその戦いが、エスティマのためになるなら――

受け渡された衣服をぎゅっと抱きしめ、チンクは意志を固めた。














新人たちの元へと戻ったなのはは、ついさっきまでと雰囲気が違うことに気付いた。
ティアナとスバルは滲んでいた疲労を吹き飛ばすほどの活力が戻っており、瞳に力が宿っている。
キャロは未だエリオのことが心配のようだが、そのエリオも、さっきと比べれば随分とマシになっているようだった。

部隊長が直々に顔を出したから、なのか。
何をしたのかは分からないがこの変わりよう。
エスティマの変な影響力は、あんなことがあっても変わらないらしかった。

ついさっきまで頭を占めていたヴィヴィオのことを意図的に隅へと追いやり、なのはは表情を引き締める。
自分を母と呼んでくれる子を取り返したいと願う者から、新人たちを統率する者へと。

彼女は意識してゆっくりと四人の顔を流し見、小さく頷く。

「持ち直したみたいだね。
 これでなんとか戦える、ってところかな。
 ……じゃあ、部隊長からも話はあったと思うけど、私からも改めて。
 これから私たちは、結社の本拠地へと攻め込むことになる。
 決して楽な戦いにはならないけれど、全力全開で……今まで学んだことをすべて、出し切ってもらうよ。
 私も気を配るつもりではあるけれど、必ず助けてあげられるって断言はできないから。
 自分の力で戦い抜く……それをしっかりと、頭に入れておくように」

「はい!」

なのはの言葉に、新人たちの声が続く。

自分が長い時間をかけて育て上げた魔導師たち。
決して完成したとは云えないけれど、それでも並の局員よりは骨があると、なのはは自負している。
今まで教え込んだことを発揮できれば、生き残ることだって可能だろうとも。

祈るような気持ちを胸にたたえながら、それを顔に出さず、なのはは小さく拳を作る。

「よし、良い返事だね。
 それじゃあ、戦おう。
 これから始まる戦闘が、幕引きとなるように。
 ……ううん。私たちが幕を引くんだ。
 その意識を強く持って」

「はい!」

良し、となのはは頷く。
雛鳥ではない。けれど、空を縦横無尽に羽ばたけるだけの力があるとは云えない子たち。
この子たちの力を信じよう。もしかしたら背中を預けることにだってなるかもしれない。

「……全員、車両に搭乗!
 待機状態へ!」

「了解!」

蜘蛛の子を散らすように新人たちは整備の終わった車両へと移動を始める。
彼女らの背中を見送りながら、なのはは小さく笑みを浮かべた。

……大丈夫。
まだ危うさはあるかもしれないけれど、それを振り切るだけの力があると信じている。
ずっと育て上げながら、四人の強さを目の当たりにしてきたのだから。

どうか、不屈の心が皆に宿っているように。

声に出さず何かへと願いを向けて、なのはは新人たちのあとを追い始めた。






[7038] sts 二十話 加筆 修正
Name: 角煮◆904d8c10 ID:4dc5c200
Date: 2010/02/03 21:18
雨の降りしきる中を進むトレーラーが三台。
カーブに差し掛かる度に強風に揺られ、車体の進みは早いとは云えない状態だった。
亀の歩み、と云うほどではないが、運転しているドライバーはストレスを感じているであろう速度。
それに揺られる車両には、六課のエンブレムが記されていた。
本来ならば六課はヘリでの移動を主とするが、この天候ではそれも叶わない。
山の中にある結社の本拠地へと移動するため、六課の面々は車両での移動を行っていた。

その中の一台――先頭を行く車両には、新人たちとフェイト、ギンガが乗っている。
薄暗い荷台の中は対面するように椅子が並んでおり、誰も口を聞いていない――が、その反面、念話が飛び交っている。
移動が始まってから続く静寂を破ることを悪いことだとでも思うように、誰も声を上げようとはしていなかった。

まず、スバルとギンガ。
二人は向かい合いながら俯き加減で、先の戦闘で発覚した事実について話し合っていた。
三課が壊滅した時の真実。あの時、何があったのか。
二人がずっと知ろうとして、しかし、エスティマとゲンヤが口を噤んでいたため、知ることの出来なかった事実をようやく知ることができたのだ。
そして、その事実は――

『……ギン姉』

『……何? スバル』

『お母さんが生きていること、知ってたの?』

『知らなかったわ。
 何かある、とは思っていたけどね』

『……そっか』

そこで念話を一度区切り、スバルは瞼を閉じた。
真実を知らされてから、ずっと嫌な胸騒ぎがスバルを襲っている。
母が生きているのが嬉しくないわけではない。無論、それは喜ばしいことだった。
しかしそれとは別にスバルが思っていることとは、今まで自分たちに一切を隠していた父とエスティマのこと。

どうして二人は自分たちにそれを教えてくれなかったのだろうか。
それさえ教えてくれれば、自分は――

そこまで考えて、ああそうか、と思う。同時に、当然だとも。
思いの外頭は冷静に回ってくれている。それは今まで何度も組んできたパズルが解けたせいなのかもしれないし、現実から逃げようとしているからなのかもしれない。

そう、当然だ。
母を守ってくれなかったから、と自分は長い間エスティマ・スクライアという人物を憎んできた。
彼を憎み続けるエネルギーは存外強くて――もし母が生きていると知ったら、自分は母を助けるためにすべてを費やしていただろう。
おそらくエスティマと父はそれを危惧していたのではないかと、スバルは思う。

もし自分が姉のように割り切れるところがあったら別なのかもしれない。
けれど実際は違い、思い込んだら一直線とティアナが云う在り方に間違いはなかった。

……けど、だからって馬鹿らしいよ。
そう胸中で呟いて、スバルは浅く脣を噛む。

エスティマ・スクライアという人物は、自分の力で母を助けることができると思っていたのだろう。
そして、自分のせいで母をナカジマ家から奪ったと思っているのだろう。
だからこそ謝り続けて、一切の弁解をせず、いつか、犯した過ちの精算ができたその時に――と、戦い続けていたのではないか。

……すべてはスバルの推測だった。
エスティマという人物を怨み続けていた割りには、いや、故にと云うべきだろう。
彼が何を考えているかなど一度たりとも考えたことはない。
あるとしたら精々、リボルバーナックルを持つ戦闘機人を初めて見たときに、彼が何かを隠しているのではないかと思ったぐらいだ。
その疑問も、長年熟成した恨み辛みで塗り潰して、結局は思考停止。

事実を見ようとしなかったのは自分だけで、本当に馬鹿みたいだった。
今までずっと自分の続けてきた、母を忘れたくないという想いは間違っているとは思っていない。
しかし同時に、エスティマへとどんな顔を、言葉を、気持ちを向けて良いのかも分からない。

……歪んだやり方とはいえ、彼はずっと自分たちを守ろうとしてくれていたのに。
勿論、何も云わなかったエスティマが悪くないわけがない。
しかし悪かったのだとしても、彼が自分たちのことを考えてくれたのは事実で――

「……ああもう」

ぽつり、と呟いた言葉に、荷台にいる全員の視線が向けられた。
居心地の悪さを抱きながらスバルは目を逸らし、溜め息を吐く。

『……ねぇ、ギン姉』

『ん?』

『ギン姉はさ……これからどうするの?』

『これから……随分とアバウトなことを聞くのね』

『あぅ、ごめん。……けど、どうしよう。
 お母さんが生きているのなら助ける。これは絶対。
 けど、それから……』

『きっとね』

スバルが言い淀むと、ギンガは無理矢理に言葉を断ち切って割り込んでくる。
そして困った風に笑うと、どこか昔を懐かしむような口調で念話を送ってきた。

『お母さん、怒ると思う。
 私たちと……あと、お父さんとエスティマさんに』

『えっ、全員に?』

『うん。きっとそうよ、スバル。
 だってお母さん、そういう人だと思うから』

どこか他人事のように云うギンガだが、仕方ないだろう。
おそらく自分で云っていても自信がないのだ。
なんせ、母が自分たちの元からいなくなって十年近い時が経っている。
その長い時の中で劣化したイメージを妄想で補い、本当の母がどんな人だったのかを思い出すことは、誰にもできないだろう。

しかし、

『……うん、そうだね』

きっとそうだろう。根拠のない自信がスバルにはある。
戦闘機人である自分たちを、己の遺伝子情報を持っている、というだけで育てる決意をしてくれた母。
そんな普通の人には分からない偏屈な優しさを持っているのだから、勝手に怨んでいた自分たちも、勝手に守ろうとしていた二人も、気に入らないと怒るだろう。
なんで皆仲良くやらなかったの!――そんな声が聞こえてくるようだった。
……これから助けに行くのに、怒られるのは嫌だなぁ。

そんなことを思いながらも、スバルの顔には薄い笑みが浮かんでいた。
……怒られるのは嫌だけど。
もう一度、皆一緒にってのは悪くないかもしれない。
そして、母を中心に置いてまた笑い合うことができたなら、それはきっと良いことじゃないか。
勿論、エスティマがずっと恨みを向けていた自分を許してくれるか分からないけれど。
そうなることができれば……。

そう、スバルは考えていた。
そのためにも、この戦いは負けられない。
ぎゅっと手を握り、スバルは――父に持っていけと手渡されたリボルバーナックル。それと共にあるマッハキャリバーを、握り締めた。










ギンガたちが念話を交わしている一方で、フェイトも。
彼女もまた、クアットロにより知らなかった真実を晒された者の一人だったが、他の者と違い、さほどダメージを受けているわけではなかった。
それは、彼女がずっと一人の人間として生きてきたことが大きい。
むしろ、クローンであるということの方を疑ってしまうほどである。

データを見れば本当のことかもしれないと思うし、身体を詳しく調べれば証拠となるものが出てくるのかもしれない。
が、別にそれ自体に大して興味があるわけではないのだ。
どっちだって良い。だって私は私だしと、完全に割り切ることができていた。

だって、馬鹿げている。
もし自分がクローンだと云われてショックを受けようものならそれは――自分を家族と扱ってくれた皆に申し訳が立たない。
友人として接してくれたなのは。
ずっとついてきてくれたアルフ。
姉と慕ってくれるキャロ。
兄として面倒を見てくれたユーノ。
そして――同じクローンだというのにその事実を隠し、おそらくはフェイトの知らないところでずっと戦い続けてくれたエスティマに。

クローンと云われてダメージを受けるのならば、普通はおそらく、偽物、という一点にだろう。
しかし、フェイトは自分がフェイトであると分かっている。
自分だからこういう人間になったのだ――私は私でしかないと断言できる。

それに、同じ人物のクローンだと云うのなら兄と自分は同じはずだ。
だというのにこうも違う人間になって――クローンだろうと育ってしまえば人と違いはない。

少し人と違う生まれ方をしただけなんだから、傷付く必要なんてないんだ。

人は生まれで変わるのではない。勿論それは重要な一要素だとフェイトも思っているが、重要なのは、それからどう生きてきたのかという一点ではないだろうか。
捨てられた兄が今のような生き方を選んだように。
拾われた自分が今のように育ったように。

……兄さん、か。
フェイトは声に出さず、口の中で言葉を転がす。
兄はどんな気持ちで自分を守ってくれていたのだろう。
……いや、それを聞くのはきっと酷だ。
聞けば絶対に教えてくれないし、教えてくれたとしても兄は絶対に照れ隠しで誤魔化してしまうだろうから。
自分に必要なのは、兄が必死で守ってくれたという事実だけで良い。
だって、そうだ。ずっと兄が気にかけていてくれたと思うだけで、こうも――

『フェイトさん』

『ん、キャロ、どうしたの?』

ぽつり、と投げ掛けられた念話に、フェイトは応える。
送り主であるキャロは、フェイトの膝の上に乗っていた。
重くないわけではないが、これから始まる決戦に不安があるのだろう。心細そうにしている妹を放っておくことが、どうしてもフェイトにはできなかった。
そのキャロは、フェイトに手を重ねながら、僅かに頭を動かす。
その先にいるのはエリオだ。
おそらく真実を公開された者たちの中でも、一等ダメージの大きい部類に入るであろう彼は、陰鬱な雰囲気を濃く纏っていた。

車両に乗車する前はまだ気力が残っていたようだったが、ただ待つことしかできないこの時間で、その虚勢も剥がれ落ちてしまったのだろうか。
エスティマとなのはの二人で言葉をかけたらしいけれど、やはりそう簡単に立ち直らせることはできないらしい。

フェイトとは違って、エリオは真っ正面から事実を受け止めてしまったのだろう。
俯き加減で膝を所在なさげにしている彼からは、覇気というものが感じられなかった。
相方がそんな状態なのを無視できず――けれどどう接したら良いのか分からないのか。
フェイトの手を握るキャロからは、無言の助けが聞こえてくるようだった。

……助けてあげたいけれど。
どうだろう、とフェイトは首を傾げる。
自分で云っておいてなんだが、自らの出生を気にしないと云うのは普通に考えてどうなのだろう。
半ば吹っ切れてしまっている自分の考えは参考にならない気もする。
フェイトの考えは、フェイトだけのものだ。
それが誰かに適応されると考えると、妙な気分になってしまう。
それで良いの、と問いたくなってしまうのだ。そんな誰かのコピーのような真似をして。
別に文句があるわけではないが、悩んでいることがことだけに、安易な答えを与えたくなかった。

『エリオ』

念話を飛ばすと、怯えたように彼は身を竦ませる。
が、声の主がフェイトだと分かると、どこか安堵したように肩の力を抜いた。
おそらく、同じ身の上であるフェイトに声をかけられたというだけで安心できたのだろう。

思ったより傷が深いのかも、とフェイトは思いながら、彼女は先を続ける。

『ねぇ、エリオ。悩んでる?』

『……悩んでるって云うよりは、もう何がなんだか分かりません。
 お前は作り物だって……そんなことを云われたら』

『そっか』

やっぱり、とフェイトは小さく頷く。
こんな状態で放置することはできない。
自分だって似たような――母が逝って右も左も分からなくなった時、兄に助けてもらったのだから。
そう考えつつも、あんまり甘やかせちゃ駄目だ、とも。
兄にべったりだった時期は、実のところ黒歴史に近いものがあったから。
あまりに子供だった自分を思い返すのは恥ずかしくて、フェイトとしては忘れたい思い出でもある。
思い出でもあるのだが、兄やユーノ、なのはたちと過ごした時間を忘れるわけがないのだから、始末に負えない。
……ともかく。

『ねぇ、エリオ』

『はい』

『あんまり偉そうなことは云えないけれど……少し、考えてみよう。
 エリオがクローンだったとして、生まれてからやってきたことは嘘になるかな』

『……分かりません』

『そっか。けどね、エリオ。
 確かにエリオはエリオ・モンディアルじゃないのかもしれないけど――エリオ・ハラオウンではあるよね?』

『……どういうことですか?』

『答えはどうとでも出せるから……望む答えは、エリオが出すと良いよ。
 うん。この問題は、誰かに答えを求めない方が良いと思う。
 でないと、私みたいになっちゃうと思うから』

『フェイトさんみたいに……ですか?』

不思議そうに聞いてくるエリオに、フェイトは苦笑した。
エリオがあの時の自分と歳が近い分、余計に思ってしまう。
誰かに依存してしまう人間は脆く、弱い。それ故の強さがあるとは思うものの、人として生きてゆくには根が華奢になってしまう。
あの時の自分と同じような状態にエリオはならないよう――と、フェイトは思う。

『大丈夫。エリオは一人じゃないから。
 それだけ覚えていれば、きっと悪くない答えが出せると思うよ』

その言葉はどんな風に届いたのだろうか。
エリオは一瞬だけ目を見開くも、再び悩むような表情へと戻ってしまった。

『……エスティマさんもフェイトさんも、それぞれの考え方をしているんですね。
 腐って、失うだけの人生は嫌だから戦う。
 クローンだけど、自分は自分だから。
 ……そんな風に、僕にも答えが出せたなら』

掠れ気味の念話を聞いて、フェイトは目を瞬いた。
兄がそんな風に考えていたなんて――という驚きと、実に兄らしいという呆れが半分。
ああけど、そうだ。本当にエスティマらしい。きっと自分の出したような答えはとうの昔に……いや、きっと当たり前のように思っているのかもしれない。
自分は自分。思考停止ではなく、自分というものがどういう人間なのかを理解した上で、何をなしたいのかを決めているのだ。
きっとそう。少し、色眼鏡が入っている気がするのは否めないけれど。

『……ああそうだ、エリオ』

『なんですか?』

『難しい話じゃなくて、簡単だけど大事なことを、教えてあげる』

云われたエリオは、フェイトがこれから向けてくれるであろう内容に興味を持ったようだった。

『男の子なんだから、女の子を心配させちゃ駄目だよ。
 愛想を尽かされちゃうんだから』

『……そんなことですか』

『うん、そうだね。
 けど、大事なことだよ』

今は自分のことで精一杯なのか。
フェイトの言葉をそんなことと云い、エリオは再び顔を俯かせた。
……余裕がないから、というのは分かっているけれど。

エリオにはまだ早かったのかもしれないと、フェイトは苦笑した。
人から見れば安っぽい意地にしか見えないのかもしれないことだが、けれど、虚勢を張るのも空元気を浮かべるのも、その理由一つでできる気がする。
否――その理由だけあれば何とだって戦える人を、フェイトは一人知っていたから。
色んな意味で問題がある兄のように、とは云わない。
しかし、兄が戦い続けることのできた理由の一つに、間違いなく意地があるだろうとフェイトは思っていた。










次は、二台目のトレーラーに乗るアギトを。
と云っても、彼女自身にはなんら問題らしい問題はない。
彼女はエスティマが結社の本拠地を攻めるために掻き集めた戦力の一つであり、本来ならばゼストと共にこの戦いへ参加するはずだった。
しかし実際は違い、ゼストはレジアスが防衛長官としての職務を行う上で手の届かない――オーリスを救う手立ての確保――所の穴埋めを行うべく動いている。
そのためゼストはこの戦いに参加することができず、アギト一人が戦列に加わることとなったのだ。

そのアギトは、トレーラーの二台目に乗り込んで、これからユニゾンを行う者を値踏みするように視線を向けていた。
エスティマ曰く、同じ魔力光を持ち古代ベルカ式の魔法を使う騎士。ユニゾンするならばこの上なく相性の良い相手、とのことだ。
が、しかし――

……気に入らねぇ。なんだこいつ。
ずっとロードを探し求めていたアギトにとって、目の前にいるシグナムは待ち望んでいた者のはずだった。
しかし、腐りに腐った空気を纏う少女をロードに選びたいとは微塵も思わない。
むしろ、こんな奴がアタシのロードだというのか、と怒りすら感じていた。

が、ここでシグナムに見切りを付けようとアギトは思わない。
ゼストには恩があり、そのゼストが再び友と笑い合えるようになるかもしれない。
そのチャンスを作ってくれたエスティマの頼みを蔑ろにすることはできないのだ。
そもそもエスティマはゼストを当てにしていたというのに、その期待を裏切ってゼストは自分の都合を優先している。
恩と申し訳なさが混ざり合って、これ以上エスティマに迷惑をかけることなどできなかった。

だから戦わないという選択肢はないが――

『おい、シグナムって云ったな。
 お前、これから戦だってのに、どうしてそんなしけた面してるんだよ』

アギトに念話を向けられて、シグナムは俯けていた顔を上げた。
ずっと前髪に隠れていた瞳が顕わになり、そこに微塵も自信が宿っていなかったことで、アギトの苛立ちはより一層強くなる。
騎士がそんな顔をするんじゃない、と、古風な考えを持っているアギトは罵倒したくなってしまう。
が、それも自制。このシグナムはどうやらエスティマの娘らしいし。

『……別に、どうにも。
 大丈夫。戦うさ』

そのシグナムは、アギトの問に答えになっていない答えを返した。
それに対して、アギトは悪い意味で満足してしまう。
もう話すことはないとばかりに顔を背けると、腕を組んで目を瞑ってしまった。

そんなアギトの反応に、シグナムは自嘲の笑みを浮かべる。
今口にしたことに間違いはない。もう自分には戦うことしか残っていないのだから、と。

守護騎士になるべく自らを鍛え続け、守護騎士として主を守るべく戦ってきた自分。
敬愛する父を――主を守る盾となり、剣となって己の存在を燃やし尽くすことができればそれはきっと本望だ。
ずっとそう思ってきたし、今でもその誓いは間違っていないと思っている。

しかし――

……父上は私のことを、どう思っていたのだろうか。

疑心暗鬼とは違う、不安そのものをシグナムは抱いている。
過去に自分を殺した相手。いくら初期化されようと、事実は変わらない。
その相手を引き取って育てる。どんな気持ちを抱きながら、父は自分を見ていたのだろうか。

何があっても自分の味方でいてくれると父は云った。
しかし、それは本当のことなのだろうか。
心からの言葉だったのだろうか、それは。
信じたい。嘘だ。その二つの気持ちが渾然一体となってシグナムに重く圧しかかっていた。

ふと、シグナムは幼少時のことを思い出す。
酷く古い、曖昧ですらある記憶――まだ自分がプログラムとして再起動し、間もない頃のことを。
あの頃の父は仕事にかまけてあまり自分の相手をしてくれなかった。
当時の自分はそれを忙しいだけだと思っていたが、実際のところは違ったのではないだろうか。
ただ自分が疎ましくて、顔も見たくなかったから――だから、あの微妙な距離感があったのではないだろうか。

そう考えれば納得できてしまう。
時間が経って父が自分を気にかけてくれるようになったもの、おそらくは妥協なのだ。
面倒だけど仕方がない……そう、父は思っていたのではないだろうか。

自虐趣味がシグナムにあるわけではないが、次々と湧き上がってくる妄想は都合良く解釈できて、より一層彼女を泥沼に引き摺り込む。
その果てに行き着く結論はただ一つ。
……自分は疎まれていた。愛されてなどなく、ただ惰性で隣に置かれていた。
AAAランクになったら隣に、などはただの方便で、ただ顔を見たくなかったからなのかもしれない。

だというのになんて不様。
父の役に立つにはそれだけの力がないといけないのだと勝手に解釈して意気込んでいた自分は、どれほど滑稽だっただろう。
まるで価値などない。むしろ、居るだけで父の魔力を食う分お荷物でしかないのではないか。
消えて無くなりたい、とシグナムは思う。

……けれど。
父がどれだけ自分を疎んでいようと、せめて役に立ちたかった。
それは今までの贖罪なのかもしれない。
自分がいない方が良かったなどと、思いたくない。そんなことは嫌だ。
自分が生きていたことに必ず意味があったと信じたいが故に、それを証明するために――たとえ父が自分を嫌っていようとも、その証を残したい。

なぜならば……シグナムはずっと追ってきた背中を、エスティマのことが大好きだったから。
例え邪魔でしかなかったのだとだしても、ずっと抱き続けた自分の気持ちだけは幻想だと思いたくなかった。

……だから父上、お願いです。もう一度だけあなたのために戦わせてください。
この戦いで一人でも多くの敵を道連れに自分は消える。
道具としてでも良い。せめて役に立ったと、云って欲しい。褒めて欲しい。

今まで、何一つ役に立つことができなかった。
だから最後に、父の平穏を破壊せんとする敵を摘み取る機会を与えて欲しい。
そうして、少しでも父が喜んでくれるのならば……それだけで自分は満足だ。

自分の行うことを肯定してくれると、父は云った。
……ならば父上。あなたのために戦うというこの勝手、許してください。

破滅的で後ろ向きな決意を胸に、シグナムはこれからの戦いに望もうとしている。
そんな彼女がどのような結末を描くのかは、未だ分からず。

















そのシグナムと同じ車両に乗るはやてとなのはは、彼女の様子を見ながらも言葉を向けようとはしなかった。
否、向けはしたのだ。そんなことはない。シグナムが考えているようなことをエスティマは思っていない、と。
しかし返された反応は拒絶であり、馬鹿にするなという怒りすらあった。

どうしてこの親子はこうも頑固なのだろう。
思い込んだら一直線、などではない。一度下に下がったら、全てを巻き込みながら底へ辿り着くまで決して止まらない嫌な癖がある。
エスティマはシグナムがそうなることを危惧していたようだが、どんな皮肉か彼が隠し通していた秘密が後押しとなり、シグナムは今、彼の写し身のような有り様となっている。

その癖、芯の強さは確かなものだから、雑音などには耳も貸さない。
以前の自分たち――エスティマの心が折れたときも、彼を救う決定打となったのは自分たちではなく、大破したデバイスの遺言であった。
精々が背中を押した程度で……きっと今のシグナムも、同じような状況なのだろう。
エスティマとの長い付き合いがある二人は、そう思っていた。

が、そのエスティマの言葉を今のシグナムは聞こうとしない。
この戦いが始まる前、二人で話をしようとして逃げられたのをはやてたちは目撃していた。

おそらく怖いのだろう。父が自分を嫌っていると確かめることが。
もし暖かな言葉を向けられたとしても、今のシグナムにはそれが嘘のように聞こえるのではないか。

本当に、不器用。言葉では信じず、行動で証を見せなければ心に届かないだなんて。

どうしたものかと、はやては肩を落とした。
そんなはやてに、なのはからの念話が届く。

『大変な状態で決戦を迎えることになっちゃったね』

『ほんまになぁ……完全な状態でもちょっと怪しいのに、これはあかんよ。
 私らが頑張らんとなぁ』

『うん……そうだね。
 それに、エスティマくんにもあまり無理はさせたくないし』

そう云うなのはに、はやては小さく頷いた。
彼女が云っていることは、常日頃からの無茶に対してではない。
不良品のレリックウェポンとして生きているエスティマ。
今まで彼が肉体的に苦しんでいたいた原因の一つにそれがあったことに気付いて、困り果てているようだった。

強大な力を持っていながらも、それを行使する度に崩れてゆく矛盾。
本当に戦わせるためにスカリエッティはエスティマを改造したのかと、疑ってしまう。
が、それは仕方がない。十年前の時点ではレリックウェポンの技術は確立しておらず、彼に施された処置を今見ればお粗末としか云えない完成度なのだから。

ただ――それを含めて、なのははエスティマに同情していた。
おそらく、これは他の一般局員もだろう。
スカリエッティに改造され、平穏を生きる代償に望まぬ戦いを強いられ、と。
黄泉がえりの代償としてはあまりに重い。否、生き返るためには当然の代価なのかもしれない。

ただ、そのために彼はその半生を戦いに費やすしかなかった。
もし戦いを嫌がって逃げ出せば、後には何も残らない。
故に、大事なものを守るためには、崩壊の秒読みが行われている身体を押して戦うしかない――これを同情するなと云う方が無理だ。

悪夢から抜け出すには駆け抜けることしか許されず、逃げてはいけない。
そして駆け抜けるまでに身体が保つかは保証されていない。

『……終わらせようね、はやてちゃん』

『当たり前や。これに勝たなかったら、意味がない』

うん、と頷いて、なのはは顔を上げる。
その視線の先には結社の本拠地があり――そして、ヴィヴィオがいる。

自分をママと呼ぶ幼子。
あの子を助け出して、そして、今度こそ――












『で、だ。ザフィーラ。アタシは突入部隊の方に配置されるから』

『分かっている。俺は主を守るとしよう』

守護騎士二人は、これから行われる戦いについて念話を交わしていた。
絶対に負けが許されない戦い。決戦という云い方がしっくりくる争いに、万が一があってはならない。

戦闘の配置は既にエスティマから言い渡されている。
スカリエッティからの情報によって明らかになった施設の構造。
その中から救い出す対象は少なくない。
サンプルとして囚われている行方不明者。ヴィヴィオ。それに、簡易量産型として生み出されたらしい戦闘機人。
ゼストによって調べ出された場所とスカリエッティの情報に齟齬はなかっため、間違いはないのだろう。

そこまでは良い。問題は、頭痛の種である巨大ガジェットだった。
施設の中であれが戦うことはないだろう。であれば、出て来るのはおそらく外。
門番にしてはあまりにも厄介な敵に対する備えとして、いくらか戦力を割かねばならなかった。
それに外での敵は巨大ガジェットだけではない。
通常のガジェットもこの戦闘に参加するべく、各地から結集しているという。
六課以外の管理局の部隊が間引きを行っていると云っても、撃ち漏らしが出ることはほぼ確実だ。

もしそれを放置しようものならば、展開されたAMFにより自分たちは無力化されてしまう。
それを防ぐためにも、外での戦いに間違いがあってはならなかった。

突入するのは、なのは、ヴィータ、空を飛べない新人たち、ギンガ、シグナムにアギト、リインⅡとエスティマ。
エスティマが入っているのは、アテにしていた戦力――ゼストが参戦していないことが関係している。
それと、六課での戦いで姿を現した最後の戦闘機人。スカリエッティ曰く、あれを倒せる可能性があるのはエスティマだけだと云う。
他の者では戦闘機人の特性上、勝負にすらならないらしい。
にわかには信じられない話だが、エスティマの電磁投射を用いて放つ紫電一閃を防いだと聞いているから、あながち嘘ではないのかもしれない。

ちなみに、砲撃で大穴を開けて突入という策は却下されている。
自分たちがこれから攻め込もうとしている拠点のある山は、酷く地盤が緩いという。
そんなことろに拠点を作るなんて馬鹿か――とヴィータは思ったものの、れっきとした理由があるらしい。
地下に眠る聖王のゆりかご。それを飛ばす際に障害とならないよう、崩壊ギリギリの強度を保っているのだという。

外は、はやて、フェイト、シャマル、ザフィーラ、ヴァイス、シャッハ。それに半ば強引に引っ張ってきた戦闘機人の五番。
中と比べれば数は少ないが、巨大ガジェットに対してこれだけの戦力が揃えられたと考えればその異常さが分かるだろう。

……見事に分散させられている。あのガジェットさえいなければ、全員で攻め込むこともできただろうに。

頭が痛ぇ、とヴィータは溜め息を吐く。
あのガジェットは魔導師殺しと形容して良い。
動力源であるレリックを元に放たれるAMFは厄介であり、それで機動力も防御力も失ったところに通常時では防ぐのも辛い砲撃、回避の難しい雨のようなレーザー射撃が突き刺さる。
倒す手段とするならばヴィータのリミットブレイクか。しかしそれも、AMFが展開されれば大振りな攻撃な分、直撃させられるかが怪しかった。
故にアテにできるのは、味方になった唯一の戦闘機人か。不信感があるものの、今は信じるしかないだろう。

……どうなるか。
勝つ、とは思っているものの、それが容易ではないことぐらい、気が遠くなるほどの年月を戦い続けた二人は身に染みて分かっていた。










そして、三台目へ。
この車両は他のものと赴きが違う。
荷台の内装は電子機器が壁に埋め込まれる形となっており、俗に云う指揮車の形となっていた。
今、その指揮車の中ではエスティマに対し、応急処置が行われていた。

セッテに受けた怪我の治療は勿論として、それ以外――スカリエッティからもたらされた知識によって、土壇場での強化が行われているのだ。
フローターフィールドで僅かに浮かんだエスティマ。その彼の胸元へ、旅の鏡を通じて手を差し込んでいるシャマル。
彼女は溜め息を吐きつつ額に浮かんだ汗を拭うと、ずっと展開していた旅の鏡を閉じた。

「……終わりました」

「ん、ありがとう」

一言呟いてエスティマは身を起こすと、確かめるように胸元をさする。
が、本人からすると違いは感じられないのか、眉根を寄せながら首を傾げた。

「……何か変わったのか?」

「えっと、魔法を使えば分かると思います。
 今までとはかなり負荷が減っていると思いますから」

「そうなのか?」

「はい。えっと……ですね。
 資料を見た感想なのですが……」

そこからシャマルの主観が混じった説明が始まる。
そもそもレリックをリンカーコアと融合させる技術、その効果は非常に分かり易い。
AAAの魔力ランクを持つ魔導師でも、リンカーコアのサイズは掌に収まるていどだ。
が、そのリンカーコアをレリックに収めることにより、サイズは両手に乗るほどにまで巨大化する。

魔力を水として、今まではコップにしかそれを収めることができなかった。
しかし、そのコップをレリックという洗面器に入れることで、魔力の保有量は飛躍的に向上するという。

「けどですね。エスティマさんに行われた処置は技術が完全でなかったから、無駄が多すぎたんです。
 完全なレリックウェポンがリンカーコアとレリックを溶け合わせているのなら……。
 えっと、エスティマさんの場合は、瞬間接着剤で無理矢理くっつけた感じ……かなぁ」

「……お粗末すぎるだろ」

「はい。ですから、レリックから魔力を引き出そうとすると、融合が中途半端だったために身体に強い負荷がかかったんです」

「あのクソマッド……中途半端なことをしやがって。
 ああ、それで、今の俺はどうなってるんだ?」

「はい。急いで処置を行ったし、私も理論を把握したわけではないので、完全とは言い難いですが……今までよりはかなりマシになってます。
 魔力を完全開放すれば負荷はかかります……いえ、使える魔力が増えた分、より強くなったかもしれません。
 けれど普通に戦う分には、負荷も減り、魔力の引き出しもスムーズに行えると思います」

「分かった。取りあえず、助かったよシャマル。
 負荷が強いと云ったって、そもそも限界を超えた力を振るわなければ良いんだし。
 土壇場での強化としては、上出来さ」

「いえ。お役に立てて幸いです」

そこで一度会話が途切れる。
エスティマはこれから起こる戦闘について考えようとしたが、シャマルから何か云いたそうな視線を感じて、どうした、と言葉をかけた。

「……エスティマさん」

「うん」

「その、シグナムのことなんですけど……。
 どうにかしてあげられませんか?」

「……どうかな。すっかり嫌われたみたいだし」

そう云って、エスティマはどこか自虐的な笑みを浮かべた。
彼の言葉は、ここにくる前に娘と話をしようとして、拒絶されたことからのものだ。

念話で声をかけてはみたものの、シグナムの様子を見れば、確かな効果があったとは思えない。

当たり前だ、と彼は思っている。
都合の悪いことを隠し通して、シグナムをずっと育ててきた。
そのメッキが剥がれた今、もうこんな親など信じられなくなったのだろう。
それでもこの戦いに望んでくれたのは、惰性か、何かか。

一応、エスティマは移動を開始する前に、各々に戦闘に参加するかどうかの意志を確かめている。
エリオやシグナムを始めとした者たちが戦えないようなら仕方がない、と思っていたのだが、蓋を開けてみれば全員参戦。
エリオはおそらく、自分の言葉に触発されて。シグナムは――

ともあれ、シグナムのこと。
力になってくれるのは素直に嬉しいが、エスティマとしては彼女をこの戦いから外したかった。
が、その旨をはやてたちに伝えたら、火に油を注いでどうするんや馬鹿、と怒られる有り様。

擦れ違い、と云ったらこれ以上のものはないだろう。
エスティマは嫌われたと思い、シグナムを戦いに巻き込まないよう遠ざけたい。
シグナムは嫌われたと思い、せめて戦うことで力になりたいと願っている。

その食い違いに、両者が気付くことはあるのだろうか。
おそらく、このままでは気付かないだろうが、

「……嫌われてなんて、いませんよ」

そのままでは駄目、と云うように、シャマルが声を放った。

「……まず最初にごめんなさい、エスティマさん。
 あなたを殺した、と聞いてもあまり私は実感が湧きません。
 申し訳ないって思うけど、やっぱり……」

「……ああ、それで良いよ。
 もう随分と前のことだしね。
 シグナムも、シャマルみたいに受け止めて欲しかったけど……」

それは酷か。
シャマルがそれほどショックを受けていないのは当たり前なのかもしれない。
管理局へと入る際、彼女とシグナムには闇の書事件で起こったことの説明があった。
その時に塞ぎ込んだのはシャマルであり、しかし、今回はシグナムである。
違いは恐らく、何を大事に思っているのかだろう。

不特定多数の人を傷付けたことよりもエスティマが大事だと思っているシグナム。
エスティマよりも不特定多数を傷付けたことが大きな過ちだと思うシャマル。
人一人を殺すこととエスティマを殺したことは罪の重さとして同じであり、そこにバイアスがかかるとしたら、個々が何に重きを置いているのかという違いにすぎない。

そしてシャマルは、以前傷付けたと知った者たちとエスティマの命に価値の違いをあまり見出していないのだろう。
まるっきりシグナムとは逆の在り方だ。

「こうなることが怖かったんだ。
 それでも、ずっと隠し通せば良いやと思ったツケが回ってきたんだろうな」

「……そう、ですか。
 けど、お願いです、エスティマさん。
 問題をこのままにしないで欲しい。きっとシグナムは、エスティマさんに声をかけて欲しがっています」

「……けどな、シャマル」

「それでもですっ。
 悲しいですよ、このままじゃ。
 エスティマさんもシグナムも、どっちも相手を大事に思ってるのに、どうして……」

ぐす、とシャマルは鼻を啜る。
そんな真っ直ぐな反応に、エスティマは面を食らって目を瞬かせた。

「いや、そんな泣かなくても……」

「ん、処置が終わったか……って、エスティマお前」

処置をするために引かれていたカーテンを引いて、小柄な影が現れた。
戦闘機人の五番、チンク。
彼女は今にも泣き出しそうなシャマルとエスティマを交互に見て、白い目をした。

「……何をやってるんだ」

「あー、いや、違いますフィアットさん。
 というか、何を考えてるんですか」

「ふん」

不機嫌そうに顔を逸らすと、彼女は近くにあったパイプ椅子に腰を下ろす。
彼女が着ている服は以前のボディスーツではなく、管理局の制服へと替わっていた。
だがそれも正規のものではなく、嘱託魔導師用のであり、エスティマたちのものとはデザインが違う。
ついでに云うと急いで連れてきたせいで、サイズが微妙に合ってなかった。
袖を余らせた彼女は、すぐに落ちるそれを捲りつつエスティマへと視線を送る。

「それよりエスティマ、良かったのか?
 いくらなんでも、私をこの戦いに引っ張り出すのは骨が折れただろうに」

「いやぁ、拉致同然で引っ張ってきましたから。
 結果さえ良ければ事後承諾でどうにかなるでしょう。
 ……問題は、勝てるか否か、って点ですね」

「……珍しく気弱だな。絶対に勝つ、ぐらいは云って見せろ」

「……そうですね」

威勢の良くここにきたものの、存外に弱っているのかもしれない。
そう思いながら、エスティマは苦笑を浮かべた。

「障害は大きいけれど、勝ちます。
 そのためにずっと走り続けてきたんだから」

「……それで良い。それでこそ、だ。
 だが、命を捨てるような真似だけはするなよ。
 無茶を通して道理が引っ込むことはない。しっぺ返しは……」

「分かってます。というか、そもそも俺は無茶をしないと決めてますから。
 いくらこれが決戦と云っても、それを取りやめようとは思いませんよ」

「……そうか」

小さな、しかし、満足げな笑みを浮かべて、チンクは眩しそうにエスティマを見た。
それでこそ。彼女はどんな風に自分を見ているのだろう。

分からないが、背中を押してくれているのは確かなようだ。
その気持ちに応えたい、とエスティマは思う。
彼女もまた、エスティマの望む平穏に欠かせない一人なのだ。
そんな人に――人たちに背中を押されながら敗北するなんて不様は晒せない。

だから絶対に、とエスティマが思ったところで、出鼻を挫くようにチンクが声を上げた。

「……その、だな、エスティマ」

「は、はい」

「これを……」

云いつつ、チンクは隣にあった棚から何かを取り出した。
衣類、だろうか。折り畳まれたそれが何か考えながらも、エスティマは受け取る。

「……これは?」

「お守り代わりだ。
 フィニーノに頼んでバッテリー式にしてもらった。
 使えて一回。ないよりマシ、といったていどだが」

チンクの言葉を聞きながら、エスティマは受け取ったそれを広げる。
するとようやく合点が入って、どこか照れくさそうに頷いた。

「助かります、フィアットさ……っと」

エスティマは途中で言葉を句切ると、唐突に現れたウィンドウへと視線を移す。
チンクは居心地が悪そうに再び椅子に戻ると、会話を始めようとするエスティマを眺めることにしたようだった。

開かれたウィンドウは三つ。
映っているのは、ユーノとクロノの二人だ。
音声のみ、と表示されているのはヴァイスか。二台目のトレーラーに乗っている彼が念話を送ってくるとはどういうことか。
ユーノは背後が暗いことから無限書庫なのだと察しがついた。
クロノはバリアジャケットを纏い、艦橋の機器が見えることからクラウディアからか。

『や、エスティ。なんだか久し振り。
 慌ただしいことになってるみたいだね』

「本当にな。それで、どうしたんだよ二人とも」

『うん、僕の場合はようやく掘り起こせたゆりかごの見取り図を。
 これを飛ばさないようにするのがエスティの仕事だって分かっているけど、一応ね』

『僕はそう大した理由もない。形の上で、一応顔を見せようと思っただけだ』

『うお、酷いなアンタ。誰だか知らないけどよ』

ヴァイスの言葉に、エスティマもユーノも苦笑した。
おそらく、クロノがどんな役職に就いているのか知らないのだろう。陸に勤める一人の武装隊員ならば当たり前かもしれないが。
が、クロノに気分を害した様子はなく。
すぐに表情を崩すと、申し訳なさそうな顔をする。

『悪いな、エスティマ。
 できることなら僕も母さんもクラウディアを引っ張ってそっちに行きたかったんだが』

『……ん? クラウディア? 引っ張って?
 あ、あのー、すみません。もしかしてとんでもなく偉い人だったりしますかね?』

そんな風に恐縮しているのかどうか分からない反応を見せたヴァイスを無視しつつ、エスティマはクロノに返す。

「気持ちだけ受け取っておくよ。
 確かにそうなったら楽ではあるけど、ミッドに次元航行艦が現れたりしたらちょっとした騒ぎだ。
 ……まぁでも、変な話だな。
 身内の全戦力を投入したら、一体全体、何人のストライカーが集まるんだか」

『ギャー!? 艦長さん!?
 うお、すみませんでしたッ』

が、そんなヴァイスをクロノも無視しつつ。

『ハハ、云えてるな。
 ……それでどうだ、エスティマ。勝てそうか?』

その言葉を聞いてエスティマは苦笑する。
クロノが大真面目に聞いてきたということもあるだろう。
ついさっきチンクに聞かれたようなことを再び向けられ、笑うなという方が無理な話だった。

「勝つさ。……これで満足か?」

『ああ、満足だ。
 ……それを嘘にするなよ』

『うん、エスティ。
 僕からも一つ。無理をするな、とは云わない。
 けれど、五体満足で帰ってきてよ。主役が怪我してたんじゃ、祝勝会も盛り上がらないしね』

「もう勝つつもりかよ、お前ら。
 戦うのはこっちだぞ……ったく、本当にお気楽な」

『何を云ってるんだ』

『君が勝つ、って云ったんじゃないかエスティ。
 なら僕たちは、君の言葉を信じるよ』

……こいつら、真正面から何を。
顔を俯け、くすぐったそうに頭を掻くと、エスティマは口元を笑いの形に変える。
……本当に、こいつら。

「……こっちはシリアス気分だったってのに、水を差すなよな」

『酷いね、クロノ』

『まったくだ。こっちもシリアス気分だというのに』

「どこがだよ」

呆れたようなエスティマに釣られ、ユーノとクロノは愉快そうに笑い出す。
エスティマも分かっている。この二人が現状を温いとは微塵も思っていないだろうと。
だがそれでも、虚勢を張って少しでも楽に――俗に云う男の意地を張れと言外に云っているのだ。

クロノもユーノも、戦いに参加できず悔しくないわけがないだろう。
それ故に、激励をエスティマへと向けているのだ。
……ああ、コイツらとも一緒に戦いたかった。

叶うことはないだろう願いを、ついエスティマは抱いてしまう。
部下たちと一緒である今とはまた別種の、なんだって出来る、という感情ではなく。
打ち破れないものは存在しないと思える熱を覚えた。

『ん、あなたは……?』

ふと、ユーノが何かに気付いたような声を上げる。
同時に、クロノも。
だが二人が見ているのは、それぞれ別のようだった。

ユーノはチンクを。
クロノはようやく半べそを止めたシャマルにだ。
二人はそれぞれ、どんな気持ちを抱いているのだろうか。

おそらくユーノは、ずっとエスティマが追い続けていた者を初めて目にした故の感慨か。
彼がどのような気持ちを抱いているのか、画面越しでは分からない。この場で口にすることもないだろう。
決戦前にするような話ではないだろうから。それだけの分別が、ユーノにはあることはエスティマも知っている。

クロノはユーノとは違い、久々に見たシャマルを観察するようだった。
闇の書事件の担当をした執務官である彼にとって、彼女の存在は過去のことではないのだろう。
主を変え、姿形も変化して――そんな彼女がどんな風に育ったのかを、一歩引いて眺めているようだった。

どこか居心地の悪さを感じて、エスティマは繋がりっぱなしになっているヴァイスとの通信へと声を向ける。

「……で、ヴァイスさん。どうしてあなたは念話を繋いできたんですか」

『あー、なんつーかな。酷く雰囲気が暗くてよ。
 決戦間近でピリピリしてるっつーのとも違いみたいだしな。
 なんかあったのか?』

「……色々と」

『そうかい。ま、深くは聞かねぇけどな。
 俺は俺で上手くやるさ。お前もちゃんとやれよ。
 俺がここにきたのは、お前の腕を信じてなんだ。
 負け戦なんざ割りに合わねぇ。気張れや、なぁ、エースアタッカー?』

「その名は止めてくださいって……」














その指揮車の奥。
つい先ほどまではチンクに頼まれた作業を行っていたシャリオは、作業台に乗せられたSeven Starsに視線を落としていた。

「……どうしたの、Seven Stars」

彼女の呟きに対してSeven Starsが応えることはなかった。
否、シャリオだけではない。
他の誰か問いかけようと、Seven Starsは沈黙し続けているのである。
起動はしている。エラーが出ているわけでもない。
となればSeven Starsの意志で言葉を発さないということになるのだが、何故彼女がそうなっているのか、分かる者はいなかった。

が、シャーリーはその反応を誤解し、目を伏せる。
そして躊躇いがちに口を開くと、ごめんね、と呟いた。

「……けど、私、皆の力になりたかったの。
 やったことは間違っているのかもしれないけれど、それでもこれ以上誰かが傷付くのを見たくなかったの」

駄目だったかな、とシャリオは問う。
しかし、やはりSeven Starsが応じることはなかった。

シャリオがSeven Starsに行った――否、エスティマとSeven Starsに行った処置とは、スカリエッティから知らされたものだ。
レリックとリンカーコアに蓄えられた魔力を一斉開放し、レリックウェポンのスペックを引き上げるシステム、ツインドライヴ。
Type-Rの場合は戦闘機人のエネルギーと魔導師としての魔力、その両方を爆発的に吐き出す代物だが、エスティマの場合は違うのだ。
すべてを魔力に割り振って、魔導師としての分を越えた、理論上では瞬間的に次元航行艦の動力炉に匹敵するであろう出力を実現する。
故に、ツインドライヴという名称は正しくないのかもしれない。

ともあれ、それだけの出力を用意できれば、まず間違いなくAMFCは作動する。
が――

「……馬鹿にしちゃったのかな、私。部隊長のやってきたことを。
 敵の力を借りて、敵に打ち勝つ。
 それを知ったら部隊長、怒るかな」

答えはなく。
自問自答をするように、シャリオは目を瞑る。
これしかないと、シャリオは思っていた。事実、力になれるのならと今でも思っている。
しかし同時に、本当に良かったのかという疑問も存在していた。
それに対する答えはない。

そしてSeven Starsは、ただ黙り続けるだけであった。

――自分は主に勝利をもたらす道具である。
しかし主を守ることもできず、勝利を与えることもできないのならば。
……道具である価値すらもない。
ならば口を噤もう。道具であることに全力を尽くそう。
自らの意志を押し殺して、ただ振るわれるだけの武器であり続けよう。













リリカル in wonder











「そういうわけで、お馬鹿さんたちはこの拠点へと突き進んでいます。
 こちらがわざと作った警備網の穴を抜けてね。
 攻め込んでくる場所が分かる以上、それに合わせて私たちも動きましょう。
 何か質問はあるかしら?」

ブリーフィングルームで妹たちを見回しながら、クアットロは口の端を持ち上げた。
残ったType-R。ルーテシア。それに、自分。
数で云えば心許ないことこの上ないが、不安を彼女が滲ませることはない。

ことこの場に至って、何を不安に思う必要があるという。
勝つか負けるか、二つに一つ。
その勝ちを拾うために打てる手は打った。

……もしあの場で六課を襲撃しなかったら、ジェイルから洩れた情報によって、自分たちはいつ敵が攻め込んでくるのかも分からない状況に立たされていただろう。
これは背水の陣である。目下最大の敵である六課を滅ぼせるか否か。それによって、自分たちの未来は決定されるだろう。

散々エスティマや六課を馬鹿にしているクアットロだが、しかし、それはしぶとさや厄介具合の裏返しであった。
ストライカーが四人、ゼストを入れれば五人もの人外が常駐しており、オマケと云っても侮れない戦力が揃っている部隊。
その連中が自分たちを目の敵にして戦っているというのは、頭痛の種以外の何ものでもない。
スカリエッティならばこの状況を楽しんで苦にもしなかったのだろうが、クアットロは違う。

興味のあるもの以外を不要と切り捨てる彼と比べれば、まだクアットロは真っ当な人間だろう。
もっとも、彼女はそれを否定するだろうが。

つい、とクアットロは傍らに立つオルタへと視線を向ける。
彼は彼で何を考えているのか。ジェイルの浮かべるそれと同種の薄ら笑いをたたえながら、戦略画面を見詰めていた。

……この子は。
すげ替えられた結社の頭。ジェイル・スカリエッティの代替。
これさえ残っていれば、自分たちは負けないという確信がクアットロにはある。

戦力的な意味ではなく、結社という組織の存在が。
勝てば今のまま存続すれば良い。負けてもこのオルタさえいれば、いずれは――長い年月がかかるだろうが、復活することは可能だろう。
生命創造技術の完成。そのための空間作り。
スカリエッティはそれをただの手段と断じて遂には切り捨てたが、彼女にとっては違うのだ。

自分たち戦闘機人は選ばれ、望まれ、生み出された存在である。
それをより昇華し、完璧な生命とも云える存在を造り出すことができるなら。
そのための条件を整えるために、結社は決してなくなってはならない。
それ故に、この戦いは負けられない。

エスティマ・スクライアを初めとする敵を殲滅しつくして、自分たちがどれほど優秀かを示し。
そして、自分と同じ存在を生み出し続けよう。
今は亡き最高評議会の望んでいた夢なのかもしれない。それは。

人を超えた存在である自分たちが、暴力を含めたあらゆる力を用いて、お前たちの上に君臨してやろう。
でなければ、自分たちが作られた意義がない。存在する意味も。

故に、この一戦は是が非でも負けられないのだ。

クアットロと同じように、この場にいる者たちにも敗北は許されないだろう。
ウェンディだけは違うのだろうが、その他は別だ。
ディードは双子の片割れを連れ戻したいと願っており、そのための居場所である結社を残したいと願っている。
ノーヴェは母親を独占したい――おそらくその欲求に気付いていないだろう――がために、タイプゼロに負けられないと意気込んでいる。
ルーテシアは与えた情報の真偽を確かめもせず、母親を目覚めさせるには結社とエスティマ・スクライアに使用されたレリックが必要であると思い込んでいる。

この駒たちと、有象無象を使ってこの戦いを凌ぎきる。














車両が目的地に到着すると、隊員たちはレインコートを着込んで外へと出た。
バリアジャケットは展開していない。魔力反応によって察知される恐れがあるため、このように動いている。
安全靴を履く余裕もなかったため、各々は泥を革靴で弾きながら山を登り始めた。
そう時間も経っていない内に、靴の中には冷ややかな感触が広がってゆく。

それに顔を顰めながら、ティアナは他の者たちと同じように、黙々と山を登っていた。
この土地への侵入者を察知する設備がないわけではないだろう。
が、それは半ば無力化されているのだ。

ティアナたちを先導する、紅い一対の光源。
闇夜に溶け込むそれは、身体の縁を深緑色の光で覆った一匹の犬だった。

ヴェロッサ・アコースの持つ稀少技能により発現した猟犬。
それにより洗い出された警備網の穴を、ティアナたちは進んでいるのだ。

雨の打ち付ける音と、雷の遠鳴りを耳に入れながら、ティアナはマルチタスクの一つを割いて、六課が壊滅したときのことを思い出す。
戦闘機人との戦闘で負傷した自分が目を覚ませば、もうすべては終わっていた。
見るも無惨な姿に変わった隊舎に、知らぬ内に傷を抉られていた仲間たち。

もし自分が立っていたとしても、それを回避することはできなかっただろう。
それだけの力が自分にはないと、ティアナは分かっている。
けれど――だからと云って無力感がないわけではない。
もう二度と犯さないと決めていた過ちを再び犯して、暴走した挙げ句に痛手の一つも与えられず倒されて。
これではなんのために無理を云ってフルドライブの教導を受けたのかすら分からない。

たくさんの期待をかけられてこの様では、誰にも顔を向けることなんかできない。
だからせめて、この戦いで。自分に一つでもできることを。
数時間前に戦闘機人から叩き付けられた言葉が、脳裏に浮かんでくる。
無意味だなんて誰にも云わせない。才能がないのだとしても。
頑張ればなんでもできる、なんて都合の良いことがまかり通るとは思っていない。
けれど――授けられた力を十全に発揮しないまま諦めてたまるものか。

心は折らない。膝も屈しない。
たとえ泥を舐めようとも、私は自分自身を諦めない。

そう思いながら、ティアナはポケットへと手を伸ばす。
そこにはクロスミラージュと一緒に、もう一つのデバイスが収められていた。

「ここまでか……総員、戦闘態勢。
 デバイスのセットアップを行ったあと、打ち合わせ通りに別れて動くぞ。
 何か動きがあればすべて指揮車にいるグリフィスに送れ。あいつを通じて、俺が指示を出す」

「……了解」

声を潜めて、各員はエスティマの指示に従う。
そして、デバイスを握り締め――

「――行くぞ!」

「はい!」

各々が魔力光の残滓を纏いながら、林を突き破り、施設の転送ポート兼、資材搬入口へと殺到した。
なのはが前へと出て、出力を絞ったショートバスターで道を開く。
粉砕された扉へとスバルとギンガの二人が先行し、迎撃のために出て来たガジェットの相手を始めた。

「良し、はやてにフェイトはこの場で撃ち漏らしのガジェットを相手にしてくれ。
 他の皆は二人の援護を。頼むぞ」

「了解!」

声が聞こえると、ティアナの周りからいくつかの影が消える。
魔力光の輝くを引き連れて空へと上がる影が三つ。
はやて、フェイト、ザフィーラだ。

その他、シャッハとヴァイス、チンクは地上でガジェットの相手を。
シャマルは前線でも管制を行うために、結界魔法を展開しつつ各々のデバイスとクラールヴィントをリンクさせ始めていた。

そして――

「リインフォース!」

「はいです!」

名を呼ばれ、リインⅡがエスティマとのユニゾンを開始する。
サンライトイエローと白の魔力光が混ざり合い、繭のように二人を包み込んで、一秒と経たずにそれが弾ける。
その中から姿を現したのは、パラディンモードと呼ばれるエスティマのユニゾン形態だ。
サンライトイエローの光を撒き散らし、背後のスレイプニールを羽ばたかせて、雨の降りしきる闇夜を照らし上げた。

その時だ。

地響きを唸らせながら、山肌を持ち上げて、一つの巨体が浮上する。
闇の中に浮かぶカメラアイ。サイコロの五面を連想させるそれが、獲物とする者たちを流し見た。

「エスティマくん!」

「……分かってる」

巨大ガジェットを目にしてSeven Starsを握り締めたエスティマを、上空のはやてから叱咤するような声が響いた。
エスティマは舌打ちしつつ、顔をガジェットから突入口へと逸し、ティアナへと視線を向ける。

「……行くぞ」

「は、はい!」

飛行と徒歩の違いはあるも、隣だっての行軍。
こんな形でエスティマと肩を並べることになるとは思ってもみなくて、ティアナはクロスミラージュを握る手に力を込めた。
負けられない、という意志をより強く保ち、彼女はエスティマと共に施設の中へと侵攻を始めた。

















姿を現した巨大ガジェットを目にして、はやてはまず、早かったな、という感想を抱いた。
突入組が戦闘を始めて、何もしていない自分たちが痺れを切らし、突入しようとする所を狙ってくると思っていたが――

ともあれ、これはこれで予定通り。

「……フェイトさん」

「分かってる。私が前衛。
 ザフィーラさんが機動防御、はやてさんが重火力での砲撃を」

やっぱり固いな、と苦笑しつつ、はやてはシュベルトクロイツを握り締める。
リインⅡはここにいない。もし広範囲に及ぶ戦闘ならば自分とユニゾンしたのだろうが、ここでは違う。
個々の強敵を撃破しなければいけない以上、あの子はエスティマと一緒に戦うべきだと彼女は思い、彼へと自分の騎士を託していた。

故に、個人での戦闘能力はこの場においてそう高くはない。
フェイトにザフィーラ、シャッハにチンク。最後衛であるヴァイスとシャマルは仕方がないため除外すれば、最弱と云って良い。
そんな自分に求められるのは、固定砲台としての能力のみだ。
何があろうとザフィーラは守ってくれるだろう。その隙に大火力を用意して、フェイトの作った隙にそれを叩き込む。
即席のタッグとしてはそれが限界か。

……まさかこんなことでフェイトちゃんと一緒に戦うとはなぁ。
はやては一人苦笑していると、雨を弾く巨大ガジェットが軽い駆動音を上げ、スピーカーから発されたであろう声が響いた。

『ようこそ、六課の皆様方。
 わざわざやられにくるとはご苦労なことです。
 それにしても――』

細かな音が上がり――恐らくはカメラアイの――次いで、溜め息がスピーカーから洩れる。
それに反応したのはチンクだった。
バリアジャケットをまとえない彼女は、黄色いポンチョタイプの雨合羽を着て、上空の巨大ガジェットを見上げる。

『チンクちゃん。よくもまぁ、顔を出せたわね』

「……そればっかりは弁解のしようがないな」

『まったくよ。
 男に抱かれたいがためにわざと捕まり、今度は身内を売るだなんて。
 分かってる? 戦闘機人だなんだなんて関係なしに、かなりの外道よあなた』

クアットロの言葉に何かが抉られたのか。
苦いものを口にしたかのように、チンクは表情を歪ませた。
しかし、そのていどでは揺るがない何かが、彼女にもあるのだろう。
すぐに毅然とした表情を取り戻して、チンクは宙に浮かぶクアットレスⅡを見やる。

「……そうだな。
 だが、それが私の選んだ道だ。
 アイツの邪魔をすると云うのなら――」

『倒すと? この私を? あなたが?
 どの口が吼えるのか……まったく、度し難い。
 それに――』

再び微かな駆動音が雨の中に混じる。

『フェイトお嬢様……よくここにこられましたわね。
 てっきりショックを受けるものだと思っていましたが』

「侮らないで。あなたが思うほど、私は弱くない」

小さな、しかし、しっかりとした声でフェイトは断言する。
手に握られたバルディッシュは戦意を現すようにハーケンフォームへと変形し、金色の魔力光が夜空を照らす。

だが、それをなんの脅威とも思っていないのか。
クアットロはこの場にいる全員を鼻で笑うと――否。
彼女が笑ったのはそれではない。

『さて、良い具合に時間が潰せたでしょう。
 それでは――』

巨大ガジェットの下部に装着されたイノメースカノンに焔が宿る。
放たれるか――そう思い、空に上がる三人は回避行動を取るべく構える。
が、違う。
クアットレスⅡは敵に背を向けて、砲口を拠点である山へと。

それへ真っ先に反応したのはザフィーラだった。敵の挙動に注意を払っていたからだろう。
咆哮と共に鋼の軛が幾重にも展開されるが――

『そのていどで』

嘲笑の滲む言葉と共に展開される、高濃度のAMF。
AMF対策を術式に編み込んだ魔法であっても、ガジェットの生み出すそれとは次元違いのフィールド魔法を前にして、鋼の軛は色褪せる。
瞬間、紅蓮の砲火がクアットレスⅡから放たれた。

放たれる高熱が雨を瞬間的に蒸発させ、轟音が雨音を吹き飛ばす。鋼の軛をガラスのように粉砕し、残響が木霊した。
地表に到達するよりも早く熱が木々を焼き尽くし、間を置いて突き刺さった本体は雨でぬかるんだ山肌を掘削する。

何故自分たちの拠点を――と考えるよりも早く、はやてたちはエスティマから聞かされていたことを思い出す。
この山は地盤が緩く、砲撃魔法で穴を開けようものなら――

「この……!」

「させるかい!」

フェイトとはやては、共にサンダーレイジの術式を構築する。
この魔法を使うにはこの上ない条件が整っている天候。威力は期待できるだろう。
砲撃を放っている今、いつかのように雲を吹き飛ばされる心配も薄い。

雷鳴が轟き、上空に位置する雨雲から一筋の雷光が迸る。
次いで、はやての発動させたサンダーレイジも。
おそらくどんな魔導師も、この二発を受ければ再起不能になるであろう――

『……このクアットレスはⅡよ? Ⅱなのよ?
 対策を練ってないとでも?』

が、フェイトとはやての呼び出した雷は機体に直撃する寸前でその起動を変える。
行き先は持ち上げられたクアットレスⅡのアーム部分だった。
雷の直撃を受けつつも、ショートした様子はない。

帯電した腕を振り上げながら、クアットレスⅡは向けていた背を翻し、再びこちらへと向き直る。
同時に、雪崩れ始める山の表面。内部はどうなっているのか。
嫌な焦りを感じながらも、はやてたちにはどうすることもできなかった。

『……さあ、では私たちも始めましょうか。
 忌々しい怨敵たちよ。
 この私、ナンバーズのクアットロが……あなた方を新世界への手向けにしてあげましょう』
















時間は少し遡る。
ガジェットを擦れ違い様に破壊しつつ、エスティマたちは通路をひたすら直進していた。
保護すべき者たちやゆりかごの位置が分散しているため、いずれは別れて行動することになるだろう。

その際、どう人員を割り振るべきか。
戦闘が開始されて各々の様子を眺めながら、エスティマは思案していた。

スバルとギンガに問題はない。ややスバルが意気込みすぎているかもしれないが、ギンガによってそれは抑えられているだろう。
キャロにも問題はない。が、エリオは違う。動きからは普段の精彩がやや失われていた。
惰性で動いているわけではないのだろうが、鋭さというものが欠けている。

……なのはやヴィータと一緒に進ませるのが無難か。
そう思いつつ、視線をシグナムへと移した。

アギトとユニゾンを果たしたシグナムは、以前と比べれば一皮剥けた強さを発揮して、ガジェットをものともせず突き進んでいる。
が、心根が素直だからなのだろう。普段よりも機械的な戦い方から、彼女がどんな心情なのかを窺い知ることができた。
戦うことに集中している……否、戦うことしか自分には残っていないと思っているのか。

『シグナム、あまり突出するな』

『……あいよ、了解。
 アタシがついてるから、そうヘマはしないさ』

シグナムからの返答はなく、代わりにアギトが。
心強いと思う一方で、どうしても拭えない不安はやはりある。

……あの子には俺がついてやらないとな。

そう心に決めて、エスティマは侵攻速度を僅かに下げた。
資材搬入路が終わり、ここからは施設内のそう広くない通路に切り替わる。
目の前にある十字路。どの方向に進むべきか。

「Seven Stars」

『……』

エスティマの呼びかけに応えず、その解答のみ――データウィンドウが表示される。
直進すればゆりかごへ。右は戦闘機人プラント、左はサンプルとなっている者たちの保管場所か。
用は済んだが、一言も話そうとしないSeven Starsにエスティマは嘆息した。

……何を臍曲げてるんだコイツ。
もしや、紫電一閃・七星を防がれたことがそんなにショックだったのだろうか。
なんにせよ、こんな状態でずっといるわけにもいかないだろう。

もうそろそろ怒るべきかとエスティマが思った瞬間だった。
視界の隅――風景が陽炎のように歪む部分に気付けたことは幸運だったのか。
いや、戦場に降り立ったことで気を張り巡らせていたことも関係しているのだろう。

目を細めながら、エスティマはおもむろにSeven Starsを一閃。
大気を凪ぐ白金の刃――だが、それが空振ることはなかった。
次いで上がったのは金切り音。しかし、それは金属同士が衝突したものとは、趣が違う。

キリキリと細かい擦過音を立てていると、陽炎のように揺らめいていたソレが姿を現す。
まず目に入ったのは、打ち合わせている刃を挟んで向き合っている、その顔だった。
角張った顔面の造形は人の物ではなく、それを証明するように意志の灯った瞳は四つ。
それ――ルーテシアの召喚蟲であるガリューは、声なき声を轟かせながら腕を一閃し、二人は爆ぜたように距離を置いた。

「部隊ちょ――」

「俺が相手をするから、気を逸らすな!」

すぐ傍にいたティアナが声を上げるも、エスティマはガリューから目を離さず両手に握るデバイスへと力を込めた。
人型の召喚蟲は初めて相手にするが――

思考を巡らせつつも、微かな違和感が湧き上がってくる。
それは何か。単純な話、ガリューの行動に、だ。
身を隠す術を持っているというのに、わざわざ姿を現したのは何故だ?

たかが召喚蟲に知恵はないから、と切って捨てるのは簡単だが――

『エスティマさん!』

「……そういうことか!」

『――Phase Shift』

リインⅡの警告と、エスティマの舌打ち。
それに反応したSeven Starsが、咄嗟に稀少技能を部分開放した。

視界のすべてが遅い。
エスティマに背を向けて――おそらくは信頼の現れであろう――戦うなのはの挙動も。
ガジェットを相手どっている新人たちの動きも。
押し寄せるガジェットの侵攻も。
それらのすべてが停止同然となった中、動けるのはエスティマのみだ。

彼が瞳に映すのは、背後――何もない空間から突き出した、小さな手。
旅の鏡はシャマル特有の魔法だと思っていたが、違うのか。
ただ、ルーテシアも一応は古代ベルカ式の使い手ではあるのだ。
模倣なのかコピーなのかは分からないが、あり得ないと断言できはしないだろう。

そのまま真っ直ぐ伸ばされれば、背後からエスティマのリンカーコアを抜き出したであろうそれを避け、エスティマはガリューへと。
振りかぶったSeven Starsを袈裟に振り下ろし、硬質な手応えを覚えながらもそのままに振り下ろす。
鎧のように見える甲殻は、ガリューの身体そのものなのか。
ひび割れた甲殻の隙間からは、紫色の体液が噴き出し――

――時間の流れが正された瞬間、轟音と共に人型の召喚蟲は吹き飛ばされた。
受け身も取れず壁へと激突し、盛大に粉塵が上がる。
そこにカスタムライトの砲口を向けながら、エスティマは周囲に意識を配った。

ルーテシアの気配――レリックウェポン特有の、強大な魔力反応を感じることはできない。
おそらく、ここではないどこかから旅の鏡を使用したのだろう。

もっとも、いたところでこの閉鎖空間では地雷王も白天王も召喚することはできないはずだ。
召喚蟲そのものは脅威かもしれないが、戦力が半減している彼女自身を脅威とは思えない。少なくともエスティマには。

トドメのつもりでガリューが激突した場所へと、ショートバスターを放つ。
音速超過の打撃を受けただけでも、人間ならばまず間違いなく致命傷だ。
その人よりも頑丈な召喚蟲といえど、これで行動不能になるだろう。

サンライトイエローの光が砲口に集い、吐き出され、着弾すると再び粉塵が巻き上がり――

「きゃあ!」

飛行魔法を使っていたエスティマ、なのは、ヴィータ以外の者たちは突然の揺れに悲鳴を上げた。
エスティマたちも何事かと目を瞬かせ、そして、気付く。
施設の揺れる轟音に混ざりながら、天井が嫌な歪み方をしていた。
メキメキと徐々に、しかしある一点を超えれば決壊するであろう速度で天井板が軋み始めていた。
このまま呆けていれば道が埋まって、ゆりかごへとルートが閉ざされる。放置すれば迂回することになり、余計な時間がかかるだろう。
ただでさえヴィヴィオが捕まっている今、ゆりかごの確保が遅れては致命的なことになりかねない。

エスティマの脳裡に、ここの地盤が緩いというスカリエッティの言葉が蘇る。

まさかこの台風で――まさか今のショートバスターが原因じゃないだろうな――などと思いつつ、舌打ち一つ。

「クソ!」

目を見張りながら、エスティマは部下たちを流し見た。
この中で体勢をすぐに立て直せるのは、空を飛んでいる三人のみ。
そして、今にも崩壊しそうなここを抜け出せるのは自分だけだろう。

……突出するしかないのか。
戦闘が始まる前にグリフィスと交わした会話が脳裏を過ぎる。
この局面でもいつもと変わらない状況になるのだろうか。

再びエスティマは稀少技能を発動し――

その瞬間だった。

崩壊の音とは別種の、大気の壁を突破する破裂音が通路に木霊する。
自分のものではない。ならば――

「――――――!!」

次いで届いたのは声ならぬ声。
大気を振るわせる音に意味はなく、甲高い咆哮はこの場に存在するあらゆるものを震撼させた。

それを放つのは何か。
エスティマが首を巡らせると、右の通路から鮮烈な紫の光が爆ぜていた。
見覚えのあるエネルギー光。まさかそれをここで見ることになるとは思わず、エスティマは身体を刹那の間だけ硬直させる。
だが、紫の光はそれで充分だと云わんばかりに更なる咆哮を上げた。

自分とエスティマの間にいるあらゆるもの――者。
なのは、ヴィータ、新人たちを邪魔だと云わんばかりに弾き飛ばして一直線に突き進んでくる。
その挙動に以前の洗練された鋭さはない。前が疾風ならば今は暴風。前髪の隙間から垣間見える双眸は、理性の色が浮かんでいなかった。

薙ぎ払われた者たちは停止同然に加速した世界の中で壁に激突し、一拍遅れて粉塵が舞い上がる。
それも、遅い。

「……トーレ!」

突撃してくる戦闘機人の名を呼びつつ、エスティマはSeven Starsを振りかぶる。
ゆりかごのことが頭から抜け落ちたわけではない。
しかし、これの相手をできるのは自分しかいないという事実と、仲間たちを傷付けられたという反射的な怒りによって、エスティマは矛先を宿敵へと向けた。

が――

エスティマが意識を逸らした瞬間、何かが彼を突き飛ばす。
その力は思いの外強く、彼は目を見開きながら降り注ごうとしている土砂の向こう側へと。
そして、彼を突き飛ばしたシグナムは一瞥もくれず、レヴァンテインをトーレへと――

彼が認識できたのはそこまでだった。

瞬間、天井が決壊してひしゃげた鉄骨と土砂が一緒になり降り注ぐ。
稀少技能が切れると同時に通路に響き渡る轟音に瞠目する。
ついさっきまで開いていた道は水を吸った土に塞がれていた。

『え、エスティマさん、何があったですか!?』

エスティマの稀少技能を発動させる際、対象に入っていなかったリインⅡは慌てたように声を上げる。
が、それに構わずエスティマは奥歯を噛み締めて、八つ当たり気味にSeven Starsを握り締めた。

「……トーレだ。アイツ、生きてたんだ」

『え?』

「それでなんのつもりか、シグナムが俺をこっちに突き飛ばした!
 ああ、クソ、どうして……!」

『部隊長、無事ですか!?』

遣り場のない苛立ちを声に出そうとしたエスティマへと、グリフィスからの通信が入る。
茹で上がりそうな頭を必死に覚ましつつ、冷静になるよう心掛けながら、エスティマは応えた。

「……グリフィス、何があった?」

『はい。外では八神一等陸尉を初めとした皆さんが、戦闘を開始しました。
 その際、巨大ガジェットの砲撃が施設へと放たれたんです。
 状況はどうなっていますか?』

「……分断されたよ。嫌な話だけど、案の定、俺が突出する形になった。
 俺はこれから一人でゆりかごの制圧に回る。
 他のところには、俺以外の奴らが行くだろう。
 面子が決まり次第、連絡を頼む」

『了解しました』

グリフィスとの連絡を切ると、エスティマは胸元のリインⅡ、Seven Starsへと視線を向ける。
やるせなさは今も胸の内で渦を巻いている。
しかしここで足を止めていても意味はない。怒りを吼えたところで何も変わらないのならば、少しでも状況をマシな方向へと動かすべきだ。
沸騰寸前だった頭がグリフィスとの会話と自制によってようやく冷める。
気を入れ直すと、エスティマは二機のデバイスへと声をかけた。

「……行くぞ。さっさと終わらせて、皆のフォローに回る」

『はいです。シグナムも心配ですから、急がないと』

「Seven Stars、お前も返事ぐらいしろ。
 いつまで腐ってるんだ」

『……了解』

まったく、と嘆息しながら、エスティマはスレイプニールの羽を散らしつつ移動を開始する。
その往く手を阻むために壁に埋め込まれていたガジェットが稼働し始めるが、エスティマはそれらを一顧だにせず魔法を発動。
防衛のために出てくるガジェットなど、雑魚ですらない。
刃を振るうことすらなく、前に突き出したカスタムライトの砲口が瞬く度にスクラップの山が出来上がってゆく。

そのあまりにも軽い手応えに、彼は僅かな驚きを覚えた。
成る程、確かに。魔力を吐き出すのがスムーズだし、以前から当たり前のように感じていたしこりのような感触が消えている。
AMFが重いとは思うものの、それと差し引きゼロに思えるほど。
この分ならば、近接戦闘で魔法を使う場合、今までよりもずっと戦い易いだろう。

肩慣らしのつもりで魔法を使う片手間に、エスティマはなのはとの念話を繋いだ。

『なのは』

『う……、あ、エスティマくん、大丈夫!?』

『なんとかね。悪かったな、一人で先行して。
 ……お前の方こそ大丈夫か? シグナムはどうなった?』

『……ごめん、分断された。戦闘機人三番の攻撃で、少しの間気絶しちゃったの。
 皆の位置は今把握しようとしているから。分かり次第グリフィスくんに伝えるよ。
 ……本当に、ごめん』

『……仕方がないさ』

そう、仕方がないことだった。
そうでも思わなければやっていられない。

またも沈み込みそうになる意識を強引に切り替えて、エスティマは先を続ける。

『……取りあえず、分断された皆のこと以外でも、重い判断をする場合は俺に通信を送ってくれ。
 俺はこのままゆりかごの玉座の間に行って、起動キー……ヴィヴィオを引き離してくるよ。
 念のために駆動炉も破壊したいけど、それは時間が許したらか。
 まぁ、先にヴィヴィオを助け出せれば、ゆりかごが飛ぶこともないだろう。
 ここら辺はデータが少なすぎて、断言はできないけど』

『了解。じゃあ私はちりぢりになった皆のフォローを。
 こっちが終わったら、すぐに助けに行くからね』

『手間だけならそっちの方がかかるだろ。
 まぁ、期待しないで待ってるよ。
 それじゃ、お互いに気を付けて。
 ……皆を、シグナムを頼む』

『……うん。任せて。
 エスティマくんも、ヴィヴィオをお願い』

最後のやりとりに、お互いが僅かに私情を覗かせた。が、それに触れずなのはとの通信を切って、エスティマは戦闘に意識を集中させる。
そろそろ中心部が近いのだろう。押し寄せるガジェットの数が増えてきたし、AMFの出力も増しているようだった。
カスタムライトだけではなく、Seven Starsも用いてガジェットを粉砕しながら、エスティマはひたすらに通路を進んだ。

そうしていると、横に走っている壁の赴きが変わる。
塗装だけではなく、材質まで変わったのだろう。ならば、既にゆりかごへ入ったのか。
現在位置の把握を――とエスティマが移動を止めようとすると、不意に、艦内のスピーカーから声が漏れた。

『ようこそ、エスティマさん』

「……お前は」

声こそ子供特有の甲高さが含まれているが、特徴的な喋り方をエスティマが聞き間違えるはずがない。
歯を噛み鳴らしながら、エスティマは周囲を警戒しつつ神経をささくれ立たせた。

『満足なもてなしができなくて申し訳ない。
 まだこの艦は準備中でね。だのに、母が出航を急ぐものだから、来客の対応をする余裕がないのさ。
 もし良かったら、なのだけれど。
 僕の誘導に従って進んでくれないかな』

オルタの言葉が句切られると同時に、エスティマの眼前へとデータウィンドウが展開された。
それはゆりかごの見取り図だ。その中に複数の矢印が描かれており、二つの光点はエスティマの現在位置と目的地なのだろう。
ユーノの探し出した地図をそれを見比べ、齟齬がないことを確かめると、エスティマは鼻を鳴らす。

「なんのつもりだ。
 こんなことをして……」

『なんのつもりも何も。
 あなたが奥まで進んでくれれば、それだけ友軍との合流がし辛くなるだろう?
 僕らにとってもそれは、都合が良いのさ。
 ああでも、強制はしないよ。ゆりかごの中を彷徨って、時間を潰してくれるのも有り難い。
 どうする?』

「……上等だよ」

吐き捨てるように呟いて、エスティマは与えられたデータの通りに通路を進み始める。
艦内戦闘を想定して作られたであろう通路は広い。
そこを一人、ガジェットと戦うこともなく、エスティマは飛び続ける。

『ああしかし、あなたと言葉を交わす機会が得られて本当に良かった。
 興味があったんだよ。僕にもね。
 ジェイルのものとは方向性が違うのだけれど……。
 わざとなのか、違うのか。
 僕にはジェイルの記憶が植え付けられているわけだけど、その措置は中途半端なのさ。
 どうにも自分の記憶という気がしなくて、まるで本でも読んでいるようなんだよ。
 だから……ああどうも、ジェイルが何故あなたを気に入ったのかが分からない。
 けど、僕と同じ無限の欲望が興味を抱いたのだから、決してつまらない人間ではないはずだ。
 教えて欲しいね。あなたが何者なのかを』

「知ったことか。
 あのクソマッドが俺に抱いている執着なんぞに興味はない」

ただひたすら真っ直ぐに指定された道を行くエスティマ。
彼にオルタとの会話をする気はないのだろう。
ぞんざいな扱いをしながら、一秒でも早く目的地に着くためにスレイプニールへと魔力を送る。

そしてオルタは、そんなエスティマに何を思ったのか。

『ハハ』

短く、愉悦が濃く滲んだ笑い声を上げた。

『なら、良いさ。無駄話はなしだ。来ると良い』

「……行ってやるよ。云われなくてもな」

ずっと進み続けていた通路が遂に開ける。
エスティマがずっと進んでいた通路は戦艦の下部を這うように伸びていただけで、上には一度も上がっていない。
玉座の間は最上階に近い。おそらく、この目の前にあるモノを駆け上がれば、オルタがそこにいるのだろう。
僅かに目を閉じ、一度だけ深呼吸をすると、エスティマは緋色の瞳を上へと向ける。

眼前にあるのは、材質によって光り輝く、黄金螺旋階段。
戦艦の中央シャフト、とでも云うべきなのだろうか。ひょっとしたら整備のために後付けされたのかもしれなかった。
螺旋階段には所々に横へと伸びる通路があるが、エスティマにとってそれはなんら価値がない。
ただ真っ直ぐ――上へ、上へ。
エスティマは足を着けずに、飛行魔法を駆使して踏破する。
この真上に待つスカリエッティの元へと、ひたすらに。













あなたは希望だと、母は云った。
しかしそうなのだろうかと、オルタは眼前に写し出された男の姿を見て、胸中で己に問いかける。

希望とは、なんなのだろう。
エスティマに云った言葉に嘘はない。植え付けられたジェイルの記憶はどこか他人事として受け取ることしかできず、記憶に込められた感情を読み取ることはできなかった。
故に、ジェイルが何故エスティマへと執着していたのかオルタには分からない。
だがおそらく、ジェイルはエスティマ・スクライアという人物に希望を見出したのだ。
無限の欲望を満たす何かを頭ではなく感性で受け取り、それを己の中心に据えるべく結社を放棄した。

ジェイル・スカリエッティと似た存在であるオルタだからこそ、その出来事に心の底から驚かされる。
無限の欲望が他者へとその欲望を託すだなんて、あり得ない。
欲望とは己のものである。それは人間もスカリエッティも変わらない。
だがジェイルは、その欲望を満たす存在としてエスティマ・スクライアを認めたのだ。

分からない、あり得ない。
無限の欲望とは、その飽くなき探究心故に自分以外のものを蔑ろにする呪いがかかっている。
もし科せられたルールを破るような行動や感情を抱けば、一瞬前まで大切だったものは屑にしか見えなくなる。そういった類の呪いが。
しかしジェイルは、そのルールに沿いながらエスティマ・スクライアを認めた。
そう――己の意志で、己のルールを破らないよう、他者を気にかけたのだ。

この異常性。理解ができるだろうか。
かけがえのないもの、と認めた故に譲歩したのだ。無限の欲望が。
その行動は、跪いたのと同義だ。

クアットロの話を聞く限り、エスティマ・スクライアはジェイルを自らの手で捕らえられなかったことに深い無念を感じたらしい。
それがオルタには理解できない。
あなたは完全な勝利をしたのだ。敵の心根を折り曲げて屈服させた。これ以上の勝利はないだろうに。
しかし、エスティマ・スクライアはそれに気付かず。
……仕方がないことかもしれない。
そもそもオルタ以外に、ジェイルの行動がどれほど異常なのか気付いていないのだから。

――ともあれ。
あなたがこれより見せてくれるものは何か。
それを目に焼き付け、僕は飛翔するとしよう。

ああ、まだ生まれたばかりなのだよ僕は。
だから教えて欲しい。
右も左も分からない雛鳥に、まずはジェイルを屈服させたその強さを。

何、大丈夫。
この上ない好敵手を、用意したからね――

オルタの思考が区切りを迎えると同時、螺旋階段から伸びる扉が吹き飛ばされた。
玉座の間。薄暗い通路から、光源の満たされたそこへと、エスティマは真っ直ぐに。

そして――

同種のデバイスが打ち合い、鐘の音の如くゆりかごを揺らす。

対峙するのは戦闘機人のⅦ番。

これが始まりだと、猫のようにオルタは目を細めた。








[7038] sts 二十一話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:a120ed4e
Date: 2010/03/10 23:25

己は戦うために生み出された存在である。
自分はそうなることを望まれ、生き甲斐とし、闘争ことをただ一つの寄る辺として存在している。
戦闘機人。数多の形式が存在する中で戦闘用として開発された自分は、そうあるべきだと信じている。

故に――そういった存在として生み出されたからこそ、無視できない称号の一つに、最強、という名がある。
何か一つの頂点を極めたいとは、誰もが夢想する事柄だろう。
トーレもそれに洩れず、自らが造り出された存在意義を下地にしてその幻想を追い求めていた。
しかし過去形であるのは、既にその夢が破れ去ったからである。

打倒するのに彼女が相応しいと選んだ好敵手、エスティマ・スクライア。
レリックウェポンの試作機として生み出され、決して良好とは云えない状態で長い戦いを勝ち抜いてきたストライカー。
生体兵器という同じ土台で最強の存在を競うならば彼しかいない。
そう思ったトーレは彼にすべてを賭けた戦いを挑み――

――そして、敗れた。
己は最強になれず、最強の生体兵器の名を手にした者はエスティマ・スクライア。
そこに悔しさは感じる反面、それで良い、とも彼女は考えている。
全力を出した。あの戦いは至高の一時だった。
エスティマ・スクライアが全力を振るわなかったことが心残りではあるが、持ちうる力を発揮し、研鑽し続けた技術のすべてを投入した上での敗北だ。
一種の清々しさすら覚えてしまう、刻み込まれた黒星。
ああまで気持ちよく負けてしまったのならば、もはや笑うしかあるまい。
駄々をこねるような不様は晒したくないし、何より、己が全力を出して戦いを挑んだ事実を歪め、まだ次があるなどと云えるものか。

彼ならば、とすら彼女は思う。
エスティマ・スクライアにならば最強の名を譲ってやっても良い。
その彼に負けた一人の闘争者として生涯を閉じることができたのならば、それも一つの終わりであろう。
手に入れたかった称号は逃してしまったものの、己が認めた好敵手の記憶に残ることができるのならばそれも一興。

戦いに生きる者として、敗北から目を逸らしてはならない。
天寿をまっとうした死が只人の終わりならば、意地を賭けた戦いの敗北こそが闘争者の終わりである。
トーレにその事実から逃れるつもりはない。
極限の勝負を挑んだ時点でどんな結果であろうと飲み込むつもりであったし、彼に負けた今、それを拒否する軟弱な思考を宿してはいない。
故に自分はあのとき、確かに死んだ。終わりを迎えた。身体は塵に変わり、精神は何処かへと向かう。

そうなるべきであったのに――

こうして生き恥を晒している今の自分は、一体なんなのだろうか。

そんなことを、意識の底でトーレは想う。
だがその意志が肉体に反映されることはなく、表に出ている己はただ荒れ狂う一つの暴風と化していた。
情けない、と思う。
矜持も何も持たずにただ暴力を振るう今の自分は戦闘機人ではない。ただの殺戮兵器でしかない。
人という形を持って生まれてきた以上、戦闘機人はただの機械であってはならないと、トーレは思っている。
機械でありながらも人。生み出され望まれたことは闘争。それを飲み込んだ上で己が選んだ生き方だ。
しかし彼女の価値観を余所に、身体は勝手に殺戮を行うべく動き続ける。
止める術は存在せず、ただ自分は目の前の敵を食い破らんとする一匹の獣に成り下がっている。

我慢がならない。我慢がならないが、やはりどうすることもできない。

……自ら望んだ終わりは逃してしまった。
ならば――
どんな形でも良い。誰か、私に終わりを与えてくれ。
相対する者が誰かすらも分からない状態で、トーレはそれを望んでいた。












リリカル in wonder










資材の搬入路も兼ねているのだろう。
通路と云うには些か広めに作ってある施設内部の通り道。
等間隔に設置された照明が天井に並んでおり、壁には侵入者迎撃用のガジェットが埋め込まれてある。
無機質と云っても良い飾り気のないその場所は、しかし――今、暴風が吹き荒れ、刻一刻と荒廃の一途を辿っていた。

「――――――!」

人の声と形容して良いのか怪しい、理性の失われた声が通路に響き渡る。
目的地はどこなのか。それさえも定かではない軌跡を描く、紫とラベンダーの光。
その二つが交差する中で、衝突音と破砕音に混じり、戦闘機人のⅢ番――トーレの咆哮が響き渡っていた。

エスティマを崩落寸前の通路へと押しやり、その後。
気絶した仲間たちを尻目にトーレを引きつけたシグナムは、逃げ惑うような形でトーレとの戦いを続けていた。

トーレの叫びを耳にしているシグナムは、レヴァンテインを構えながら飛行魔法を用い、施設の中を疾走している。
否、疾走しているというのは正しくないだろう。

「こいつ……!」

言葉を洩らしながらもシグナムに有効な対策は存在していない。
ただ真っ直ぐに突撃してくる戦闘機人のⅢ番に反応することは叶わず。
敵の攻撃を予測して、防御に徹することで命を繋いでいる状態だ。

一撃を叩き込まれる毎に身体は吹き飛び、壁に激突。
次いで連撃が飛び、再び弾き飛ばされる。
まるで出来の悪いピンボールか。

だが――

点で捉えることを諦め、線で。
理性を失い、思考を放棄したトーレの動きは真っ直ぐすぎる。
ガジェットよりも粗末な動きを行うトーレへと、シグナムは一閃を叩き込むが――

「――――!」

「そんな……!」

鍛えられた動体視力が、刹那の内に行った現象――そう、現象としか云えない――を直視する。
刃が肉を断たんとしたその瞬間、敵の機動は直角に折れ曲がり、常軌を逸した回避行動を取ったのだ。
そうして、返す刀で振るわれるインパルスブレード。
それはシグナムの腕を薄く引き裂き、うっすらと鮮血が舞う。
血の斑点を頬につけながら、シグナムは歯を食い縛る。

次いで、遅れてきた衝撃波にシグナムはその身を翻弄された。
バリアジャケットを展開しているため全身が引き裂かれることはない。
が、大気は鉄槌のような勢いをもってシグナムに襲いかかる。
それに打ちのめされた彼女は地面を不様に転がり、すぐに顔を上げて次撃に備えた。

「――――!」

大気を吹き飛ばし、衝撃波を纏いながら絶叫するその声はなんなのか。
獣の咆哮と云えばそれまでだが、しかし――

押し付けられる威圧感に萎縮しそうになる心を鼓舞して、シグナムはレヴァンテインを構える。

「往くぞ、レヴァンテイン!」

『……ja』

裂帛の気合いを乗せたシグナムと違い、レヴァンテインの声には力が篭もっていなかった。
それはおそらく、主人が心に宿す決意が悲壮なものだと分かっているのだろう。
シグナムもそれを理解しており、こんな戦いに付き合わせてしまっている相棒に申し訳なさを覚える。

が、謝罪は後に。
すべてが――そう、すべてが終わったあとに。

この相手をどう倒すかとシグナムは考えを巡らせる。
シュランゲでの空間制圧? 駄目だ、今の状態で使えば施設にどんな影響を与えるか分からない。
それは絶対にいけない。己のしでかしたことで父に迷惑をかけるのは、もう二度としたくない。
ならばシュツルムファルケンで?
否だ。この敵を前にして矢を当てられるなど、それは誇大妄想狂の戯れ言だろう。
なら――やはり自分には刃を振るうしか手は存在しない。

当たらないと分かっていながら、無駄だと冷静な部分が呟くのを理解していながら、シグナムは再びトーレへと肉薄した。
交差する一瞬。速度は雲泥の差であり、決して遅くはないシグナムの速度は、しかしトーレに遥か及ばない。
閃光にしか見えないトーレが通過した後に残るのは、切り傷から伝わる痛みと衝撃波の生み出す鈍痛。
それを耐え、敵が背後へと回った瞬間、シグナムはカートリッジをロード。
魔力を乗せた刃を振り下ろし、衝撃波を叩き付ける。
理性を失ったあの敵は、生理の一つとしてこちらの攻撃を避ける。
ならば面での攻撃で――と。

速度を武器にして迫るあの敵にとって、衝撃波は壁に等しい。
如何に大気の壁を突破すると云っても――

「――――!」

だが、その考えは甘かったとすぐにシグナムは思い知らされる。
咆哮を上げながらトーレはその進行を止めはしない。
全身を引き裂かれながらも突撃する彼女は速度を僅かに落とし、だが己が何をすべきなのかを見失わず。
一つ覚えと云わんばかりにシグナムと交差し、再びその肉体を引き裂いた。

擦れ違いざまに剣を振るうも、貫いたのはトーレの残像。
振り抜くと同時に頭部へと爆発したような衝撃が走り、吹き飛ばされ、壁へと激突した。

「ぐあ……!」

あり得ない、と胸中で彼女は呟く。
必殺の一撃とは云えない魔法だったとしても、今の自分はアギトとユニゾンを果たし地力が底上げされている。
単純な膂力も、不得手だった中距離攻撃も、威力、鋭さ、その両方が上がっている。
五感も悲壮ではあるが強固な覚悟によって支えられ、未だかつてないほどに研ぎ澄まされている。
AMFが展開されていることを差し引いても、以前を上回る力を手にしているはずだ。
だというのに――

昏倒しかけるシグナムへと、次が襲いかかる。
インパルスブレードが叩き付けるように押し寄せてきて、それらをパンツァーガイストで防ぐ。
が、焼け石に水と云うべきか。
音の壁を突破する、という事実一つで武器は恐ろしい威力を発揮する。
斬撃などという生やさしいものではない。気を抜けば肉片に変えられるであろう暴力を凌ぎ、蹴りを叩き込む。
が、やはりそれも避けられる。

獣のように後退して、トーレは再び乱舞を開始。
シグナムも飛行魔法を再発動させ、宙へと浮かんだ。

そもそもこの敵はジャンルが違うのだ。
シグナムはこの時に至って、ようやくそれを認める。
速さという決定的な要素の一つ。反射速度、移動速度、攻撃速度のどれを取っても相手は自分を圧倒している。
その結果、どうなるか。それは今の状況そのものだ。
攻撃という攻撃は何一つ届かず、蹂躙という名のワンサイドゲームが展開されるだけだ。
今のシグナムにできることと云えば、防護魔法を展開して堪え忍ぶのみ。
会得しているものが常時身体に展開するフィールド系魔法だからまだ良かった。
これがシールドやプロテクションの類であれば、展開も間に合わず、今頃自分はプログラムの塵へと化しているだろう。

一対一の戦いにおいて、一点に特化した要素というのは絶対的な力になりうる。
速度。アギトとユニゾンを果たしてもシグナムはトーレの領域に届かない。
技の威力。固さ。それらが上回っているのだとしても、関係がない。

だが――それを認めつつも諦めないと、シグナムは歯を食い縛る。
自分は負けられない。絶対に父の足を引っ張りたくない。

その一念で、シグナムはひたすらトーレに食い下がる。

最早お互い、自分がどこで戦っているのかも分からない。
ただ通路を駆け抜けながら、お互いの敵を滅ぼすために戦い続ける。

――絶対にこの敵は倒す。
戦闘機人のⅢ番。それは何度も父と相対し、その度に苦戦を強いた猛者だという。
父が望む平穏を邪魔する者の一角と云っても過言ではないだろう。
それを自分は摘み取る。摘み取って、今度こそ父の役に立つ。

今まで何一つとして父の役に立つことはできなかった。
ただ甘え、重荷となって。心を苦しめることしかできず、その挙げ句に今の状況だ。

父は自分のことを大事にしていると云ってくれた。
その言葉に嘘偽りはないだろうし、許された、という思いもある。
しかし――それに甘えて良い立場ではないのだ。自分は。
何も知らず日だまりにたゆたう幼少期はとうの昔に過ぎ去った。
ここにいるのは一人の守護騎士であり、主の敵を排除する一つのプログラムである。

自分のことを守りたいものの一つだと父は云っていたけれど――嫌だ、とシグナムは思う。
守られたくなんかない。自分は父のために戦いたい。
そのための存在として生を受けて……以前の自分が父を殺していたことも加えて。
父のために戦うことが贖罪を兼ねることができるというのなら本望だ。
重荷にしかなれない自分は敵と共にここで死に、それですべてが平穏へと戻る。
それで良い。

……ずるい云い方をするならば。
父はそんな自分の在り方すらもきっと、肯定してくれるだろうから。

「――っ、アギト!」

『あいあい……準備はできてるぜ』

叫びに応じて、胸の内から声が聞こえた。
烈火の剣精、アギト。シグナムとユニゾンしている彼女は、らしくない気の抜けた声で返す。
戦闘が始まってから最低限のフォローだけは行ってくれているが、あまり協力的とは云えない彼女。
何が不満なのか――いや、当然だろう。そう、シグナムは思う。
最初から勝つつもりは微塵もなく、相打ち覚悟で戦いに臨むベルカの騎士を、純正融合騎が許すわけもない。
すまないな、とレヴァンテインに浮かべる感情と同種のものを浮かべながら、アギトの用意していた魔法の発動を待つ。

シグナムとトーレは交差を繰り返し、一方的に怪我を負わされながらシグナムは堪え忍ぶ。
そして――

『満ちろ炎熱――ムスペルヘイム!』

シグナムの足元に古代ベルカ式の魔法陣が展開すると同時、紅蓮の結界魔法が通路を満たした。
炎が床を走り、急激に熱せられ、押し寄せる熱波によって天井の照明が一斉に爆ぜ割れる。
光を失った通路は、しかし、紅蓮の灯りによって濃い影を浮かび上がらせながらも照らし出された。

ムスペルヘイム。灼熱地獄の名を冠するこの魔法。
相手を閉じ込める、という点では他の結界魔法となんら変わりのないそれだが、しかし、付加された炎熱によりこれは特殊な性質を帯びる。
例えるならば地獄の釜。発動した術者のみを対象外として、範囲内に充満する大気を熱し、焼き尽くす。
そうなれば、何が起こるのか――

「ぎ、ガ……!」

この時になって初めて、トーレは咆哮以外の声を上げた。
喉に手を当て、胸を押さえて、地面に膝を落とす。
人の吸える空気の限界を超えたその温度を肺に満たせば、待っているのは火傷の果てにある呼吸の停止だ。
非殺傷設定はおろか、あまりに人道に反した魔法だが、構わないとシグナムは考えている。
どうせこれが最後だ、と。

だが――

「……なんだと?」

これが決め手となった。そう思っていたシグナムの予想を相手は上回る。
炎が床を舐め、赤色の風が舞う空間の中、動ける者がいるわけがない。
だのに、眼前の戦闘機人は床に付けていた膝を持ち上げ、インパルスブレードを構えた。

……何故立ち上がる?
あり得ない。バリアジャケットを持たない戦闘機人にとって、この結界魔法は致命的なもののはずだ。
だというのにトーレは双眸に狂気の光を宿らせて、泡を吹きながらも立ち上がる。
狂っていると云えばそれまでだ。
しかし、シグナムはそんな姿を見せる彼女に、なんらかの意志があるように感じられた。
狂っているとは云っても、その下地には狂気の苗床となった何かがあるはず。
その何かによってトーレは立ち上がり――今尚、牙を剥いている。

何よりもその頬を流れる血涙が――声にならない何かを伝えようとしているようで。

……感傷だ、とシグナムは頭を振る。
敵に感情移入したところでどうなる。
敵を殺し、己を滅ぼしてそれで終わり。
その結末は自分で決めたことであり、ねじ曲げるつもりは毛頭ない。

「――――!」

先ほどとは違う、空気の漏れ出すような叫びを上げてトーレは飛翔する。
精彩は欠け、鋭さも先ほどの比ではない。
しかし、未だシグナムの剣が届く速度ではないのは確かだ。

レヴァンテインを叩き込むも、手応えはない。
返ってくるのは身を刻まれる鋭い痛みのみで、やはり追いつけないのだと実感する。
吹き荒ぶ熱波の中で踊る二人。翻弄されているシグナムは手を伸ばそうと躍起になるも、踊る相手を捕まえることができない。

「……まだだ!」

その事実に折れかける意志を暗い不屈の心で覆い隠し、ポニーテイルを踊らせながらレヴァンテインを走らせる。
しかし、やはり、届かない。
動きは遅くなった。鋭さも欠けた。技巧は最初から存在しない。
そんな相手を前にして、やはり敵わない。

どうして、と悔しさが滲む。
この期に及んで自分は父の敵を倒すことすらもできないのか。
そんな現実から目を逸らそうと、駄々をこねる子供のようにシグナムは戦い続ける。

『しっかし、変な話だな』

剣を振るうシグナムを余所に、アギトからの声が届いた。
それを半ば無視する形で聞き流すシグナムだったが、かまわずアギトは先を続ける。

『この程度の奴にエスティマは手こずってたのか?
 それはないだろ。
 っていうか、アタシの知ってるⅢ番よりも弱いぞこれ』

何を、とシグナムは微かな苛立ちを覚える。
こんなにも速く、これと云った対抗手段が存在しない相手を前に弱いなどと。
しかしアギトは言葉を止めず、呆れたように呟くだけだ。

『確かに速い。傷を無視して戦う様はベルセルクじみてやがる。
 けど……こいつの武器だった技術が一切合切なくなってる。
 クアットロも馬鹿なことをしたよな、本当。
 ここまでくると、哀れだよ』

『……お前はどっちの味方なんだ』

『さて、ね。
 取りあえず、自殺志願者の手助けする趣味はないよ、アタシには。
 最低限の義理は果たすけどさ』

愚痴じみた話は終わったのか、再びアギトは沈黙する。
シグナムはトーレの相手をしながら、彼女の口にした事柄を頭で考える。

……弱くなっている。確かにそうかもしれない。
速さという舞台に立つことのできない自分が父の宿敵とも云える存在と渡り合えているのだから当たり前か。
何故、敵がそんな状態になっているのかは分からない。
それに、弱くなったというのなら好都合だろう。

だが――

「――――!」

嵐のように振るわれるインパルスブレードを受け、遂にバリアジャケットが貫かれた。
袈裟に振り抜かれたそれを身に浴び、この時になってシグナムも違和感に気付く。
今の一撃で両断されたとしてもおかしくはなかった。
が、自分は生きており、敵は再び距離を取って襲いかかろうとしている。
それはまるで獣のようで、獲物をじわじわと弱らせている様に近い。嬲っているのではなく、狩るために。

要は攻撃が軽いのだ。刃は獣の爪牙と化して、相手を一撃で切り伏せることを忘れ去っている。
技巧もない。流れるような動作で剣戟を繰り出すことをトーレはしない。

確かに弱くなっているのかもしれない。弱いのかもしれないが――
……ならばその敵に勝てない自分はなんなのだ?

情けなさに目が眩む。

『……アギト、何か、手は』

『生憎、ムスペルヘイムがアタシの切り札だよ。
 まぁ、他にも色々あるっちゃあある。火竜一閃とかな。
 けど、ここで使って良い代物じゃないだろ?
 それに――この期に及んで他力本願か?
 覚悟が薄れてるぜシグナム。方向性はどうあれ、父親の敵を倒したいって気持ちはその程度かよ?』

アギトの叩き付けるような言葉に、シグナムは歯を噛み鳴らす。
分かっている。父の力になりたいと思う誓いを違えるつもりはない。

が、そのシグナムをアギトは鼻で笑う。

『お前は中途半端なんだよ、シグナム』

「何を……ッ!?」

トーレの攻撃を防ぎながら、シグナムは声を返す。
それに助力を行い、防御魔法を展開しながらもアギトは力の篭もらない、呆れが多分に混じった声を。

『あんまり良く覚えてないけど、過去のベルカにもお前みたいな奴はいた。
 自分は死ぬけど、それは守った者の糧になるだろう。ならばそれは勝利の礎になるのと同義だ、ってね。
 けど、なんだよお前。
 自分は死んで、相手も殺して万事解決だ?
 ……未練たらたらの癖にさ』

どこがだ、とシグナムは怒鳴り返そうとする。
が、それは叶わない。
トーレの攻撃を凌ぐので手一杯となっており、彼女はレヴァンテインを剣ではなく盾のように扱い、剣戟を凌いでいた。

『云ったよな。自殺志願者の手助けをするつもりはないって。
 つまりはそれだよ。お前は戦おうとなんかしていない。逃げようとしてる。
 お前にとって辛いことは、戦うことより生きること。
 生を天秤にかけて死に価値を見出したんじゃない。
 死んだ方が楽だから、だろ?
 エスティマと違って、場合によっちゃ死は美徳に成りうるって、アタシは思ってる。
 ……そんな価値観への冒涜でしかないんだ、お前がやろうとしていることは。
 こんなのがアタシのロードだなんてな……』

「――黙れ!」

一喝し、シグナムはトーレとの戦闘へと強引に意識を向けた。
アギトの言葉はいちいち勘に障る――が、おそらくそれは、図星を突かれているからだ。

……そう。自分にとって辛いのは、この戦いを生きて終わらせ、その後に待っている父との対面だ。
良くやった、と褒めてくれるのかもしれない。父のことだから、おそらくは絶対に。
けれど――自分にその言葉をかけてもらう資格があるとは、どうしても思えない。

シグナムの価値観からすれば、父を一度殺しているというその事実は、万死に値する。
だってそうだろう。ずっと守りたいと思ってきた。そのために力を付け、技術を磨いて、父の隣に立つ瞬間を待ち望んでいた。
だのに、守りたいと願っていた人を自分は知らずに傷付けていたのだ。
物理的に害を成した他にも、父がレリックウェポンとして改造された原因の一つに自分がいる。
そのために戦いを強いられ、こんな修羅場が生み出されているのに。
元凶――そんな言葉がしっくりくる。運が悪かった。巡り合わせが悪かった。そもそも己の行ったことではない。
言い訳はいくらでも思い付く。
しかし、その一つにでも縋ってしまえば、もう二度と自分は父の隣に立つことなどできないだろう。
どれだけ面の皮を厚くすれば、そんなことができるのだという。
自分は悪くないのだと開き直って平穏を甘受できるほど、自分の神経は太くない。
シグナムという人間を形作っている矜持の一つが絶対に許さない。

だから――父に会うのが怖く、どんな顔をして良いのか分からないから。
ここで自分は消えて無くなってしまいたい。
その道連れに敵を葬って――最後に一度だけ父の役に立ちたいのに。

けれど……このままでは勝てない。
負けて、また不様に重荷となってしまう。
自分が負けて死んでしまえば、父はきっと悲しんでしまう。最悪、足を止めてしまうかもしれない。
その光景が想像できるだけの、愛されているという自覚はある。
だから――その最悪を回避したいから――

「あぁぁああああ……っ!」

どうにもできないもどかしさに、シグナムは叫びを上げてレヴァンテインを一閃した。
紫電一閃。刃に走った炎は以前の比ではなく、強力無比なその一撃は、直撃すれば何者をも切り伏せることができるだろう。
しかし――
自棄になった一撃がトーレに当たるご都合主義がまかり通るわけがない。
カウンターの要領でインパルスブレードが腹を割き、鮮血が溢れだした。
人間であれば致命傷。プログラム体だからこそまだ行動可能だが、それでも深手には違いない。
傷口を手で押さえ、バリアジャケットを再構成することで溢れ出る血を強引に止血すると、シグナムは膝を屈した。
瞬間、背後から衝撃が――壁に激突し、転がったところへと追撃が飛んできて、ムスペルヘイムの範囲から弾き出されてしまう。
ボールか何かのように床を跳ね、それが終わろうとした所を轢かれ、吹き飛んだ。
音速超過での体当たり。それは対象を轢くという表現が相応しい。

パンツァーガイスト、バリアジャケットの防護能力を遥かに超えた打撃の嵐に、シグナムの意識は擦れてゆく。
朦朧とする意識の中に残っているのは、戦わなければいけないという強靱な意志であり、それが引き金となって彼女の脳裏にはフラッシュバックのように昔の日々が過ぎ去った。
孤独と云える幼少時代。
管理局に入ってからは自己の研鑽に大半の時間を費やし、今の自分がある。
――今までの一生は、果たして幸福だっただろうか?

客観的に見れば不幸と云えるのかもしれない。
覚えのない罪が知りもしない過去に存在し、父がいてもあまり構ってもらえず、少女らしい青春を送ったとは云えない。
同年代の少女たちがどんな日々を送っているのか。それを夢想すれば自分は何をしているのだろうと思ってしまう。
けど――けれど――

「私、は……!」

不幸であったのかもしれない。
けれどその中には幸福の欠片が存在していた。

今も覚えている。
父が忙しい中時間を削って授業参観にきてくれた。
事件があって有耶無耶になってしまったけれど、夏休みには遊びに連れて行ってくれた。
遅くに帰ってきた父が疲れているだろうに付き合ってくれて、夜遅くまでビデオを見ていたこともあった。
まだまだある。
日常の中に埋没してしまいそうな欠片たちが、今もシグナムの胸に息吹いている。

ああ、そうだ……だから私は父上の力となりたい。
これからもずっと、そんな日々を――

瞬間、目頭に熱が上り、目尻に湿った感触が湧き出てきた。
それを無視しながらシグナムは飛行魔法を発動し、吹き飛ばされたまま空中で姿勢を整える。
そして地面に両足を着け、小さく笑んだ。

これからも、ずっと。
その願いはただの幻想でしかない。
自分がいればまたきっと重荷になってしまうから。
だからここで自分を含めたすべての決着を父につけてもらいたい。
そうすればもう、あとは幸せしか残らない。そのはずだから。

……違う。
ああ、認めよう。
名残惜しい。まだまだずっと父の傍にいたい。
平日は管理局で一緒に仕事をして、休日には惰眠を貪る父を叩き起こして遊びに行くのが良い。
一緒に鍛錬するのも悪くないかもしれない。
あの人は存外だらしがないから、気を引き締めないと際限なく怠けてしまうし。
……そんな風に。
今まで忙しくてできなかった事柄を、一つ一つ埋めていきたい。
すべてが終わったら――そんな儚い幻想をどうしても諦められない。
……けれどもそれは、ただの夢。
もう戻れない。戻りたいと願ってはいけない。

一度だけしゃくり上げ、シグナムはレヴァンテインを鞘へと収めた。
そして居合いの構えを取り、カートリッジをロード。
吹き上がる魔力はパンツァーガイストにすべて回され、ラベンダーの光が彼女の身体を覆った。
紅蓮の炎を身に纏い、陽炎に姿を歪めながら、彼女は自らの敵を見据える。

「……これで、終わりだ」

これ以上続けてしまったら、未練ができてしまいそうだから。
こうしている今も胸に宿った願望に動きを止めて、思うようにならない現実に足を止めてしまいそうだから。
だから――次で。

極限まで強固になった装甲で敵の一撃を受け止め、生み出された刹那にすべてを賭ける。
それで例え己の命がどうなろうと、かまわない。

相対するのは咆哮を上げる獣。
インパルスブレードを爪牙として迫る戦闘機人のⅢ番を前に、シグナムは目を細めた。

さあ来い。
どれだけお前が速かろうと強かろうと、私は己の信念を貫き通すために捉えてやる。
命を賭してでも、絶対に――

ある種、狂的な輝きを瞳に浮かばせてシグナムはトーレを睨み付ける。
叩き付けられる殺意に反応したが如く、獣は床へと貼りつくように姿勢を落とし、インパルスブレードを構えた。
否、構えなどという云い方は正しくないだろう。
それは爪を獲物に突き立てるべく全身のバネを縮める野獣そのもの。

両者の間に張り詰める空気は熱を帯びながらも冷え切っており、お互いの刃に乗せられた感情は殺意ただ一つと示しているよう。
そうして、どちらともなく怨敵を斬殺せしめんと挙動を開始し――

――その時だった。



[7038] sts 二十二話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/03/11 19:00

進む先にある通路には、爪痕のように壁が傷つき、目を凝らせば床に転々と血の跡があった。
焦げ跡――炎が舐めたであろう痕跡も所々にある。おそらくそれは抵抗の証か。
それらはすべて、シグナムと戦闘機人の三番が戦った名残だ。
それを追う人数は五人。

ギンガを先頭に、そのあとをスバル、エリオとキャロ、そしてティアナが続いている。
最後尾から先を行く皆の背を見るティアナは、この状況になった経緯を思い出していた。
それは一種の確認なのかもしれない。

今まで起こったことから先の展開を予測する。
敵地で戦っている今の自分たちは、半ば必然的に敵の策に溺れるしかない。
溺れた上で足掻き、罠という罠を食い破らなければ勝つことなどできないだろう。
そのためには些細なミスも許されず、これ以上の損耗は絶対に防がなければならない。

ともあれ、今の状況。
戦闘機人の三番によって奇襲を受け、分断された自分たちは、それぞれ分かれて行動を取っている。
指示を出したのはヴィータだ。
彼女はエスティマへの救援を後回しとして、自分となのはの二人が戦闘機人プラント、シグナムを追う形でティアナたちを囚われた人たちの救出へと割り振った。
エスティマへの救援がないのは、おそらく部隊長の実力を信じているからだろう、とティアナは思う。
何があってもあの人は負けない。ティアナもそう思っており、ある種、エスティマのことを信じる彼女の姿は盲目的ですらあった。
それはともかくとして、勿論、聖王のゆりかごに向かう場合は遠回りをしなければならず、そんな時間的余裕がないというのも大きいだろうけれど。

一方、そのヴィータは未だ気絶しているなのはと共に、戦闘機人プラントの制圧へと赴くようだった。
エースだから、ストライカーだから、といった言葉に騙されそうになるが、たった二人で大丈夫なのか、という不安がティアナにはある。
無論、信頼はしている。しかし、この敵地でたった二人で進まなければならないという状況は、自分たちよりもずっと辛いだろう。

だからと云って、自分たちが楽なわけではないけれど。

シグナムの救援と共に自分たちが行うことは、囚われた人たちの救出。
ロングアーチ00――ティアナはその人物と会ったことがない――の報告によれば、この先にいる人の数は、とてもじゃないけど自分たちだけでは助けられない。
事前調査でそれは分かっていたことなので、既に手は打たれている。
ロングアーチ00によって調べ出された、囚われた者たちの存在している座標。
それに間違いがないかティアナたちが確認を取ったあと、地上本部に待機している結界魔導師たちが遠距離召還魔法を発動させる。
それによって人質に等しい人々を助け出す――と、事前に決まっていた。

ちらり、とティアナは彷徨っていた視線をスバルとギンガの二人へ固定する。
囚われた人たちの中には、あの二人の母親もいるらしい。
どんな気持ちで――と考え、分かるわけがないか、と馬鹿げたことを考えた自分自身に苦笑する。

死んだと思っていた肉親が生きており、それを助け出す役目を任された二人。
軽い気持ちでここにきたわけでは、決してないだろう。
おそらく、遠い昔に取り上げられた家族を取り戻すべく全力を尽くすはずだ。
彼女らの気持ちを把握できるわけではないティアナだったが、それだけは分かる。

ギンガはともかく、スバルとはずっと一緒にやってきたのだから。
その彼女が――決して頭は悪くないのに向こう見ずの突撃馬鹿な友人が――この期に及んで、冷静になれるわけもなし。
分かっている。今更だ。頭を冷やせなんて言葉が届くわけがないと知っている。
だから今は、その熱意が上手く状況に噛み合うことを祈ろう。

突撃馬鹿とは云っても、スバルはティアナたちと共になのはの教導を受けてきた。
学んだ事柄をすべて放り投げられるほど、体に刻まれた教訓は安くない。
エスティマが出撃前に云った言葉が脳裏を過ぎる。
――今まで積ませた訓練、経験が無意味なものだったと思わせないでくれ。
分かっています、と再度胸中で言葉をかみ締め、ティアナはクロスミラージュを握り締めた。

その時だ。
前進を続けていたティアナたちの前に、分岐点が現れる。
片方はトーレとシグナムの刻み込んだ破壊の痕跡が見て取れる通路。
もう片方は、サンプルの保管場所と示されたプレートが伸びる道。

そこへと差し掛かり、一行は足を止める。

どうするべきだろうか。指示を仰ぐために念話をなのはへと向けるも、返事はなし。
続けてグリフィスに念話を繋ぐと、なのはたちの状況が簡素に伝えられた。

交戦中。苦戦している。故に指示はこちらで。

それを聞いたティアナは、僅かに表情を暗いものにした。
否、彼女だけではない。この場にいる全員が、心配を顔に浮かべる。
しかし今の自分たちに何ができるわけでもなく。
グリフィスからの指示を待ちながら、五人は気を張り詰める。

『……命令の変更を行います。
 フォワードはこれより、囚われた人たちの座標確認を行ってください』

『……待ってください、じゃあ、シグナムは』

指示から僅かな間をおいて、ギンガが念話を送る。
この中でも最もシグナムと親交のある彼女だからこそなのだろう。
これはある意味、見捨てるのと同じ意味を孕んだ命令だ。
が、

『命令を無視し、単独で行動しているシグナムのために戦力を割くのは危険と判断します。
 それが引き金となって、作戦の崩壊すら有り得るでしょう。
 ……繰り返します。フォワードは囚われた人たちの座標確認を。
 それが終了次第、シグナムの捜索を続行してください』

冷たささえ感じさせる、突き放した言い方でグリフィスは念話を切る。
ティアナはそれに苦味を覚えたが――間違っているとは云えない。
シグナムの無事と作戦の成功を天秤にかければ、局員として選ぶべきは後者だ。
おそらく、ティアナ以外の全員もそれを分かっているだろう。
更に、もしエスティマが指示を出したとしても内容に変わりはなかっただろう。そんな予感がある。

「……聞いたわね。
 私たちの仕事をすぐに終わらせて、シグナムの捜索に戻るわよ」

云いながら、ギンガはサンプルの保管場所である部屋へと進み始めた。
彼女の胸中はどんなものだろうか。友人を見捨てて――ではない。違う、とティアナは思う。
おそらく、ギンガとスバルの思うことは自分たちと違うだろうと。

この先にいるのはスバルたちの母親。
それを助けるために自分たちは動こうとしており、そのためにシグナムを後回しにする。
喜ぶべきなのか。悲しむべきなのか。
……おそらくは、その両方を感じ、有効な打開策を思い付けない故の怒りを抱いているのではないか。
言葉少なく指示に従おうとするギンガの後姿に、ティアナはそんなことを思った。

ただ、それはティアナも同じではある。
部隊が違い、それほど面識がないと云っても顔を知っている者を切り捨てることは酷く気分が悪い。
早く終わらせないと、と彼女は足を進ませた。

シグナムの痕跡がなくなった以外はあまり代わり映えのしない通路を進みながら、それぞれは何を思っているのか。
足取りは決して軽くはない。しかし重いわけでもないのは――おそらく、己がなすべきことを理解しているからなのだろう。
足を止めていては何もできない。勝ち取るためには駆け抜け戦わなければいけない、と。

そうして――ティアナたちは目的地にたどり着く。

開けた視界を埋め尽くしたのは、遠近感が狂うほどに壁へと並べられた培養ポッドの列だった。
通路は広く、二車線道路ほどの幅があるだろうか。
その両脇には二段構造となった棚、そこにホルマリン漬けの標本の如く、人の納まったガラスの筒が収められていた。

その光景にまずティアナは圧倒され、次に強烈な嫌悪感を抱いた。
ガラス越しに見える人々の顔はどこか作り物めいており、人ではなく物のようにしか見えない。
サンプル。実にその言葉がしっくりくる扱いに、吐き気すら催す。

ギリ、と誰かが歯を噛み鳴らす音が静かに上がる。
誰だろうか。キャロではないだろう。エリオかもしれない。一番可能性が高いのはスバルか。
だがしかし、この光景に嫌悪感と比例した怒りを抱いているのは、誰もが同じだろう。

「……座標確認、急ぐわよ」

そんな中で、ギンガの言葉が上がる。
我に返ったようにティアナたちは動き始め――それを待っていたように、並び立つ培養ポッド影から二つの人影が現れた。
それを認め、ティアナは知らぬ内に目を細めていた。

戦闘機人のⅩⅠ番とⅨ番。
二人はデバイスを起動させた状態で姿を見せ、一方は締まりのない笑顔を。もう一方は敵意に燃えた瞳をスバルとギンガに向ける。

「やー、待ちくたびれたっスよ。
 そこらじゃもう戦いが始まってるのに、アタシらの出番は遅くて遅くて。
 ……それにしても」

そこまで云い、ウェンディは笑みをたたえてティアナに視線を向ける。
それを受け、ティアナはクロスミラージュのグリップを更に握り締めた。
冷静になるべきと分かってはいる。しかし、六課での戦闘中にかけられた言葉は簡単に忘れることができないものであった。

「負け犬ちゃんがここにくるとはちょっと予想外っス。
 てっきり、お外でメガ姉に吹っ飛ばされる役でもやってると思ってたのに」

「……そう。予想が外れて残念だったわね」

あからさまな嘲笑、それに滲んだ挑発には乗らず。
ウェンディはつまらなそうに肩を竦めると、まぁ良いっス、と盾ともサーフボードとも取れないデバイスを構えた。
同時、ノーヴェも拳を構えてスバルと対峙を。念話でやりとりでも行ったのか、スバルも同じようにリボルバーナックルを構えた。
右をスバルが。左をノーヴェが。鏡合わせのように、二人は視線を交錯させる。

『……エリオくん、キャロちゃん。私と一緒に座標の確認を行うわよ。
 スバルにティアナ。悪いけれど、時間を稼いで』

『了解』

ギンガからの指示に、異口同音でそれぞれは応える。
分かっているのだ。この場で行うべきことは戦闘機人の捕縛ではない。
それも目的の一つではあるが、重要なのは囚われた人々の救出なのだから。

空気が張り詰め、それぞれの間に剣呑が気配が宿る。
スバルにノーヴェ。ティアナとウェンディはそれぞれ相対する相手との交戦に戦意を燃やし。
ギンガ、エリオ、キャロ、の三人は立ちはだかる二体の戦闘機人をすり抜ける隙を伺っている。

睨み合いの状態が続き、秒が過ぎ、分が刻まれ――
施設が震動した刹那、それぞれは動いた。

何が起こっているのかを確認するよりも早く、全員が気を取られた一瞬を突くべくそれぞれは動く。
そして、ティアナは――














リリカル in wonder











マズルフラッシュの如く瞬いたエネルギー光。
それに対応し、ティアナは回避行動を取りつつクロスファイアを発動した。
一瞬前まで自分のいた空間を薙ぐ、無数の直射弾。それらを紙一重で回避し、反撃として誘導弾を放つ。

橙色の軌跡を描いて乱舞するクロスファイア。数は六。
殺到する光条は鋭く、凡庸ながらも鍛え上げられた地力が伺える。
が――

「無駄無駄っス」

軽口を叩きながらウェンディは構えていたデバイスを引き寄せる。
盾として展開されたそれは直撃の刹那、魔力弾との間に割り込んですべてが弾かれた。
エスティマの使うSeven Starsと同じ材質で作られたデバイスであるそれは、生半可な攻撃では破壊できない。
非殺傷設定では当然。物理破壊設定でもだ。
ヴィータですら破壊できるかどうか怪しい。完全なオーパーツ、というよりは現代技術のロストロギアと云うべき代物だろう。
が、そもそもティアナは高い打撃力をたたき出す魔導師ではない。
正面からあのデバイスを破壊することは不可能と、本人も理解して割り切っている。

だから、私の狙うべきは――

トリガーを引き絞り、次々とカートリッジをロードしながら、ティアナは幻影魔法、射撃魔法を行使する。
が、それらは直射弾により食い破られ、盾によって防がれる。
予想していたこととは云え、ティアナに焦りがないわけではない。
が、それに駆られて突っ込めば前回の再現となる。

二度も同じ過ちを犯すつもりはない。
ティアナは歯を食いしばりながら逸る気持ちを押さえ込み、片方のクロスミラージュをホルスターに戻してカートリッジを装填する。

が――

「逃げ道はないっスよー」

間延びした口調とは正反対の弾幕――全方位に浮かんだスフィアを目にして、ティアナは舌打ちを一つ。
そうバリア出力の高くないフィールド防御を発動し、それに衝突して爆ぜた魔力弾、その穴から移動魔法で包囲から抜け出す。
炸裂し、舞い上がった粉塵を引き裂いて、ティアナはクロスミラージュをウェンディへと向ける。

が、彼女の姿はない。
煙によって視界がゼロになった瞬間を使い、移動したのか。
それに気付いた瞬間、危機感に背筋が泡立つ。
咄嗟にクロスミラージュをダガーモードへと変形させ、フィールド防御を発動させつつ周囲に注意を向ける。
瞬間、意識の外にあった方向――真上から魔力弾が降り注ぐ。

顔を上げればウェンディはデバイスへサーフボードのように乗り、豪快なターンを決めつつ射撃を放っていた。
エネルギー弾が直撃する刹那、バリアバーストを発動。しかし吹き飛ばすのは敵ではなく自分。
強引と云えば強引な回避方法だったが、それによってティアナは敵の攻撃範囲から逃れることができた。

床を転がり、背中を強打したことで息が詰まる。
視界は転がり上下の感覚が一瞬だけ失われた。
ともすれば酔ってしまいそうな状況の中でティアナは幻影魔法を発動し、ダミーを生み出す。
立ち上がる彼女。そのまま倒れ伏す彼女。魔力によって編み出された虚像が三体姿を現した。
しかし、間一髪で逃れた彼女へと次が押し寄せる。

すべてを吹き飛ばせば関係はない、とばかりに降り注ぐエネルギーの雨に、一瞬で虚像は消し飛ばされ魔力光の残滓を残して掻き消える。
蹂躙という表現が似合う暴力の旋風を辛うじてやり過ごし、ティアナは半ば自棄に――なったように見せかけて――直射弾を放つ。
が、やはりサーフボードのようなデバイスによって防がれる。
その事実に舌打ちを。意図的に。

――ティアナにとってウェンディとは、まさしく格上の相手である。
戦闘機人故の高い反射神経を頼りに振り回されるデバイスは、絶対防御とは云わないまでもティアナにとってソレに等しい。
また攻撃の面でも、小手先が通用しないレベルにまで火力に差が開いている。
同じ射撃型だとしても、威力、手数、速度のすべてにおいてティアナが劣っている。
速度も同じく。魔法によって多少の強化はされているものの、並の人間、しかも少女でしかないティアナとウェンディの身体能力には大きな開きがあるだろう。

だがしかし、スペックに大きな開きがある現状、ティアナがウェンディに勝利するのは不可能だろうか?
否。性能差がすべて結果に繋がるわけではない。
機械ならばそうだろう。だがしかし、ウェンディは戦闘機人であっても機械ではないし、ティアナもそうだ。
彼女は覚えている。廃棄都市での戦闘――自分の失態でヴィータに重症を負わせた戦いを。
あの時、終始戦闘を有利に進めていたのはウェンディだった。事実、勝利したのもウェンディと云える。
だが――戦いの中に勝機は存在していなかっただろうか?
否。存在はしていた。自分とエリオが先走ったことであの時は費えたが――今ここで、かつての戦いが再現されようとしている。
そうなるように、ティアナは仕向けている。
ただ黒星としてあの戦いを忘れ去らず、経験を勝利への糧とするために。

ウェンディは今、格下と見てティアナのことを舐め切っている。
先ほどからの攻防がそうだ。おそらく全力で戦えば――ツインドライブを使えば一瞬で決着がつくであろうにそうしない。
獲物を前に舌なめずりをする――いや、小動物をいたぶっている猫のように、勝負を決めずに遊んでいる。
そこに付け入る隙がある――とは思うものの。

……そう簡単にやらせてくれないわよね!

胸中で悲鳴にも似た声を上げながら、ティアナは押し寄せる弾幕を幻影魔法、移動魔法、防御魔法を駆使して凌ぐ。
その度に決して多くはないティアナの魔力は目減りし、このままでは反撃の前に魔力切れが訪れてしまう。
このAMF下で魔力が一定量を切れば、いくら隙が生まれようとも攻め入ることが不可能になってしまうだろう。

それを回避するために、なるべく早く勝負を決めないと――

できるのか? と自分自身に疑念が湧く。
おそらく、敵の慢心を突けるのはたった一度。
いくら舐め切っていると云えど、この戦闘機人だって二度も同じ失態を晒せば学習するだろう。
それを逃せば魔力に余裕がないこともあり、必死確定。分の悪い賭けにしたって悪質過ぎる。
が、今の自分にはそれに縋るしか道がない。

エリオやキャロ、ギンガが戻ってくればまだ話は違うのかもしれない。
しかし――
ウェンディを中心で捉えつつ、視界の隅で仲間の様子を見やる。
スバルは未だに同型の戦闘機人と戦っている。エリオたちの方には新手が現れたのか、部屋の奥からは二人の魔力光に混じって深紫の鮮やかな輝きが放たれていた。
応援は望めない。今すぐにでも忘れたい事実だったがそれを計算の内に入れ、再びティアナは思考を戦闘へと戻した。

無機質な床を這いずる様に転がって、ウェンディの放つ直射弾を避ける。
狙いは絶妙であり、ティアナが能力の限界を発揮すれば避けられる速度と精度で攻撃は続けられていた。
こちらの息が切れるのを楽しんで眺めているのが、表情から分かる。最早察する必要すらない。

「ああ、そうそう。気付いてるっスか?」

気安く、まるで散歩中に並んだ人へ声をかけるようにウェンディは言葉を向けている。
が、ティアナにはそれへと応える余裕はない。
息を切らせ、瞳を輝かせながら雨霰と向けられる射撃をかいくぐる。

返事をする様子がないことにウェンディが気にした様子はない。
初めから期待していなかったのだろう。もしくは、余裕を見せ付けるためだけに声をかけたのか。

「この震動、多分、ゆりかごが発進しようとしてるっスよ。
 てっきりアタシらも乗っけてくれると思ってたのに、メガ姉もせっかちっスねぇ」

ゆりかご――そこには部隊長が。
なのに、発進を阻止できず、今にも浮かび上がろうとしていると云うことは。
有り得ないと思う一方で、猛烈なまでの嫌な予感が湧き上がってくる。

まさか、部隊長が……?

「アンタらの隊長、今頃どうなってるっスかねぇ。
 セッテが相手じゃ普通に無理だと思うっスけど」

「……そんなこと、ない。
 部隊長は負けないわよ……!」

息をするのがやっとだというのに、ティアナは腹の底からそう云い返した。
瞬間、ウェンディの顔に喜悦が滲む。
それは、嬲っている獲物が存外元気だったことに喜びを見出した類のものだった。

「ああ、元気があるみたいで何よりっス。
 ほぉら、追加っスよー」

円を描くように射出用リングが宙に展開し、即座に直射弾が放たれる。
その数は十を超え、誘導弾ではないにしろ避けるのは至難。
思考の空白を突くように現れたそれへ、ティアナは一瞬反応が遅れてしまう。

防御も回避も間に合わず、辛うじて取れた行動はクロスミラージュを盾にすることだけだった。
それで防ぐことができたのは三発。残り七発は狙いを違わずティアナの体へと命中し、エネルギー光が炸裂する。
その衝撃にティアナは宙を舞った。

バリアジャケットを貫通しても余りあるその威力に意識が明滅する。
四肢からは一切の力が抜け落ち、受身を取ることもできず床を転がる。
落下した際、頭から落ちなかったのは幸か不幸か。
しかし代わりに強打した肩からは嫌な音が上がり、痺れが抜けると共に焼けるような痛みが頭を駆け巡った。

が、その激痛に叫びを上げる余裕すらティアナにはない。
喘ぐように口からは声なき声が漏れ、呼吸が乱れる。
自分が痛がっているのか苦しんでいるのかも分からない状況の中、猛烈な吐き気を感じ、嫌な咳を漏らす。
……だが。

「……へぇ」

ウェンディが感心したような声を上げる。
それを聞きながらも意識には留めず、右手を持ち上げ、ティアナはクロスミラージュをウェンディへと向けた。
外れたのか、折れたのか。左腕は持ち上がらない。指先は痺れて動かない。これではカートリッジをロードするのも無理だろう。
ガクガクと膝を震わせながら、ティアナは左の拳銃を消してワンハンドモードへと変える。
差し向けた銃口は揺らめいて標的を正確に捉えてはいない。
だが瞳に宿った意思だけは確かに。相手を射殺さんばかりの戦意と敵意が滲み出している。

そのティアナの姿を見ても、やはりウェンディが浮かべた表情は変わらない。
否、腕一本を使用不可能になった彼女がこれからどうするのか。それを楽しみにしているかのように、より深い笑みが刻まれる。

「あらら……肩、いっちまったみたいっスねぇ。
 外れた……んじゃなくて、折れたかな?
 すげぇ痛そー……まだやるっスか?」

「……当たり前よ」

対峙するウェンディ、そして自分の状態を把握しながら、ティアナは歯を噛み締める。
おそらくどこかを切ったのだろう。口の中には血の味が満ちており、広がった錆臭さに頭がくらくらとする。
が、その状態でも尚、彼女は勝負を捨てていない。

……私は、諦めない。
その一念で彼女は崩れ落ちそうになる体を保っている。

……今まで、自分の人生はお世辞にも順調とは云えなかった。
両親に先立たれ、頼りにしていた兄も先に逝き。
普通の子供が甘受するべきである生活を送ることができず、自立の早いミッドチルダの人間の中でもかなり早く自らの人生を考える必要があった。
手元に残っていたのは兄が残してくれた遺族年金、そして戯れに教えてもらった魔法のノウハウ。両親からは回転の速い頭を授けてもらった。
それだけを頼りに今まで生きて、空戦魔導師と執務官という夢を見て妥協し、そして今がある。
ケチのつきっぱなしと云えばそうなのだろう。ティアナにそれを否定するつもりはない。
だが――

ただ唯一の自慢は諦めの悪さだ。
素質が足りず空戦魔導師になることを先延ばしにした。
難関と云われる執務官試験に真っ向から挑まず、経験を積むことを選択した。
それらはすべて遠回りであり――しかし、自分の背丈に合った選択だったはずだと、彼女は信じている。
抱いた夢へと伸びる道筋をまっすぐに突き進む強さは生憎と持ち合わせていない。

だから力をつけて――その選択が間違いだっただなんて。
積み重ねてきた力がこの場で通用しないだなんて――諦めるだなんて。

「認めてやらないわ」

一種、清々しさえ滲む笑みを、彼女は浮かべる。
クロスミラージュをダガーモードへと。
それをフェンシングのように構え、突き出し、砕けた左肩を背に庇った。
そして足下に展開するミッドチルダ式魔法陣。選択する魔法はブリッツアクション。

応じるウェンディは、小馬鹿にしたような笑みを浮かべたままデバイスを右手に装着し、足下にテンプレートを展開。
もうツインドライブを使わなくても勝てると分かっているのだろう。
見るからに敵は満身創痍。これに負けろという方が無理な話。

……ああ、良い感じ。
自分を含めたこの状況に、ティアナは既視感を抱く。
ダガーを構えた自分。右腕にデバイスを装着したウェンディ。
もしこのまま武器を弾かれ、鳩尾へ一撃を叩き込まれれば六課の時の再現だ。

……そうなるようにし向けたんだから。
雑魚としか自分を見ていない戦闘機人。
彼女はおそらく、自分の優位を見せ付けるために、ティアナを一蹴したあの戦いを再現するだろうと――そう、ティアナは判断している。
そしてそれが正しいと云うように、ウェンディから仕掛けてくる気配はない。
すべては自分の出方次第。

なら――と、ティアナは意識を集中させる。
これから行うことが成功するのか。それは正直、自信がない。
脳裏に焼き付けた一つの挙動は今も色鮮やかに思い出すことができる。
だが――素質がない以上、真似ごと止まりでしかない自分にあの人の技を完全に再現できるのかと。

憧れているが故に自信がない。
そもそも高い壁であるのに、そこへ思い入れが水増しされて、はっきり手が届かない存在だと思ってしまう。
しかし同時に、ずっと手を伸ばし続けてきたものだからこそ近付きたいと――いつか、ドア・ノッカーを手に入れた夜、銃口を夜空へと向けた時と同じような感情が浮かび上がってくる。

『……お願い、クロスミラージュ。
 一度だけで良いの。私に、夢を見せて』

『……Yes.
 Yes my master.』

空を飛べず、戦場の星にもなれず、ただ地を走るしかない私に。
そんな主人の願いを叶えようと、クロスミラージュはデバイスコアを瞬かせる。
小さく笑い、ありがと、と短く応えて、彼女は息を吐く。
……勇気を、力を貸してください。
そして呼吸を止めて、これから行う挙動へと全精力を注ぎ込むために目を据わらせた。

















時は少し遡り、ノーヴェとスバルが対峙し始めた場所へと戻る。
ノーヴェは右腕にリボルバーナックルをはめた自分の同型機を見据えながら、遂にここまで、と耐えられないほどの苛立ちを感じていた。
彼女の母――遺伝子上での――クイントが眠るこの区画。ここは彼女にとって、ある意味では聖域であった。
眠り続け、一切自分に言葉をかけてくれない母。それをただ眺めるしかない自分。
端から見れば随分と滑稽な風景だろう、それは。
しかしノーヴェにとって、黙したまま何も語らない母と向き合っている時間は、かけがえのないものだった。

そんな風にクイントを意識するようになったのは、いつからだっただろうか。
思えば、始まりは今の自分と同じように、メガーヌ・アルピーノを眺めているルーテシアの姿を見かけたことだったかもしれない。
その頃の自分はまだクイントに微塵も興味を抱いておらず、ああそういう人がここにいるのか、と認識している程度だった。
その自分はルーテシアの姿を見かけ――確か、そう。幼い頃、自分の面倒を見てくれていたチンクに質問したのだった。

あの子は何をしているのか、と。

それは純粋な疑問でしかなかった。
彼女からすれば自分の遺伝子提供者が眠っていようと、その事実以上の価値は存在しない。
故に母親をじっと見ているルーテシアの行動は不可解であり、どうにも理解できないことだった。
そんなノーヴェに対して、チンクは云った。

母親に声をかけてもらいたいのだろう、と。

その言葉の意味がノーヴェには分からず、普通はそういうものなのか、とその場は済ませた。
この時のルーテシアと比べればノーヴェは幼いと云って良く、伝えられた言葉に疑問を抱くことはしなかったのだ。

それから少し時間が経ち、ある日、ノーヴェはルーテシアと会話する機会が訪れた。
それはどんな状況だったか。休憩所で二人っきりになり、気まずさから始めた会話かもしれなかった。
その際、ノーヴェはなんの気なしに彼女へと問いかけた。
母親ってそんなに大事なものなのか、と。

それに対して、ルーテシアは疑問を一切抱かず、小さく頷く。
そして、聞き取りづらいほど小さな声で、彼女は云った。

お母さんが目覚めれば、私は人形じゃなくなるから。

彼女から帰ってきた応えはあまりにも主観的で、ノーヴェは言葉に込められた意図をはっきりと飲み込むことができなかった。
が、人形、という一言がどうにも引っかかり、ノーヴェはクイントのことを僅かに意識するようになる。
これは、クアットロが事ある毎にナンバーズを道具として扱う発言をしていたことが起因している。
それに加えて――自分の同型であるタイプゼロの二体が、普通の人間として生活しているという、ことも。

自分が人形だとノーヴェが思ったことはない。
が、外から見ればどうなのか。もしかしたら人形なのかもしれない。
お人形さん、とクアットロがルーテシアを揶揄するように、もしかしたら自分も人形であるのかもしれない。

無論、ノーヴェには今の生活に文句があるわけではなかった。
望まれた存在として生み出され、いつか始まる闘争への準備をする毎日はルーチンワークをこなすような飽きこそあったものの、姉妹たちと過ごす毎日は退屈ではなかった。
このままでも別に良い、と思う反面、どうしても気になってしまう。
もし自分が人形ではなくなったのなら、どうなるのだろうか、と。

それに気付いてから、ノーヴェの姉たちを見る目は少しだけ変わった。

例えばウーノ。
スカリエッティの秘書として生み出された姉は、望まれた形として動き続けている。
その一方で、彼の散髪やらなんやらに気をかけていたりなど、存在意義以上に自分の楽しみとしてスカリエッティに尽くし、それを楽しんでいる節があるように思えた。

例えばトーレ。
ナンバーズの中でも最も早く生み出された純粋な戦闘タイプである姉は、望まれた形としてスカリエッティの敵と戦っている。
その一方で、戦いに独自の価値観を見い出し、闘争に余計な感情を持ち込みつつ楽しんでいるように思えた。

例えばクアットロ。
指揮官タイプとして生み出された姉は、望まれた形としてスカリエッティの敵を翻弄している。
その一方で余計な悦びを抱きながら敵を弄び、それを楽しんでいるように見えた。

例えばチンク。
トーレに続く戦闘タイプの戦闘機人として生み出された姉は――しかし望まれた風に戦う一方で、何か別のものに変わりたいと願っていたようだ。
それを幼い頃から知っているノーヴェは、チンクが結社から抜け、今になって敵対するのだとしても、何故か怒りを抱くことはなかった。
敵として立ち塞がるなら倒す。そう思う一方で、良かったね、と祝福している自分もいる。
……多分チンク姉は、人形であることを止め、人として歩み始めたんだ。

そのこと自体が幸せなのか、ノーヴェには分からない。
しかし、楽しそうに生きる姉たちに憧れを抱いてしまうのは確かだ。
そんな風に自分も――。

それを願った瞬間、ノーヴェの中には八つ当たりじみた怒りが息吹いた。
向ける対象はタイプゼロの二体。
戦闘機人であるのは自分と変わらないのに、あの二人が人間として生を謳歌しているのは、おそらく母親がいたからだ、と。
もし自分にも――なのに、どうして。
怒りの発生源は嫉妬であり、それ故に、ノーヴェはあの二人が持っていない物を大事にしていた。
眠り続ける母親と、彼女の遺したリボルバーナックル。
結社が管理局を打倒し余裕が生まれた時に、ドクターはクイントを目覚めさせると約束してくれた。
その時まで遺された二つを守りきって、そうして、母親と出会うことで自分は――

そのためにノーヴェは結社の保有するType-Rの一体として戦い続けてきたのだった。
しかし宝物であったリボルバーナックルは片方を奪われ、そして今、クイントすらも奪い去ろうとタイプゼロは本拠地まで迫ってきた。
……何もかも独占するつもりかよ。
それだけは許さない、とノーヴェは息を巻く。
この場でタイプゼロの二体を叩き潰し、六課を退けて逃げ切り、そうして、ずっと待ち続けた母との対面を。
胡散臭くはあるが、クアットロは約束してくれた。この戦いが終わったらその褒美に、と。

その望みを胸に宿し、ノーヴェはスバルと対峙している。

『……ねぇ』

ふと、眼前のタイプゼロが念話を送ってきた。
全員に向けたものではない。対象をノーヴェにのみ絞った代物だ。
返答するかどうか、と迷いながらも、ノーヴェは臨戦態勢を保ったまま念話を返した。

『なんだよ』

『一つ、教えて。
 どうしてあなたは、お母さんに拘っているの?
 リボルバーナックルだって大事にして……それに、私とギン姉を敵視して。
 ……どうして?』

『答える義理はねぇな。それに、教えたって無駄だろ。
 テメェはここでスクラップにする。リボルバーナックル、返してもらうぜ』

重い金属音を伴いながら、ノーヴェはジェットエッジのローラーをスライドし、左のリボルバーナックルを構えた。
それを見て、スバルも右のリボルバーナックルを構える。

同時、この場にいる全員が行動を起こすべく姿勢を下げ――

施設を揺らす振動を切っ掛けにして、爆ぜるように動き出した。

ティアナはウェンディと。他の者たちはType-Rの二人を避けて、通路の奥へ。
それを見たノーヴェは舌打ちしたい気分になるも、まぁ良い、と捨て置く。
目の前のセカンドを倒してから向こうを潰せばいい。それに、奥にはルーテシアがいる。足止めぐらいにはなるだろう。

逡巡は刹那。スピナーが唸りを上げ、スバルとノーヴェは惹かれ合うように戦闘を開始した。
それぞれのローラーが地を削り、グリップの効く鈍い音と共に前進を。
ぶつかり合うようにノーヴェとスバルは衝突し、お互いが繰り出した拳はそれぞれが展開したフィールド防御へと激突する。
が――

魔力と共に戦闘機人の腕力にものを云わせ、ノーヴェは強引にスバルの防御を貫いた。
戦闘機人、という点は一緒なのだとしても、あちらは十年前の旧式でしかない。
一人で技を研鑽するしかなかったノーヴェがいくら格闘技術において劣っていたとしても、基本スペックを凌駕している以上、優位であることは揺るがないのだ。
これは格闘家の試合ではなく、格闘技を武器の一つとして使う魔導師の戦い。
一要素で劣っているのだとしても、他のすべてが相手を上回っているのならば、負けはない。

逆に、敵が唯一勝っている格闘技術で勝負を挑んでくるというのならば、むしろ好都合だ。
つまりは、それを行わせないように戦えば良いだけの話。

防御の上からスバルを吹き飛ばしたノーヴェは、次に射撃魔法を発動させる。
黄色のエネルギー光が浮かび上がり、即座にスフィアがスバルへと殺到。
連射されるエネルギー弾をシールドで弾きながら、スバルは雄叫びを上げて再度接近しようとしてくる。

が――

「ああ、お前はそうするしかねぇよなぁ」

射撃と同時にエネルギーを溜め、砲撃を撃ち放つ。
流石に守りきれないと悟ったのだろう。スバルは防御を諦め、回避する。
身を捩って紙一重でエネルギーの本流から逃れる彼女だが、しかし、体勢を崩した一瞬をノーヴェは見逃さない。
ジェットエッジの加速器が火を噴き、それと共にノーヴェはスバルへと肉薄する。
その体勢で格闘を繰り出したところで、体重は乗せられないだろう。
故に、選ぶとしたら――

「……ッ、マッハキャリバー!」

スバルが叫びを上げると同時、青色の魔力光が瞬き、ウイングロードが展開された。
不安定な足下へ強引に足場を作ることで姿勢を安定させようとしたのだろう。
だがしかし、あまりに読み易い。

スバルよりも早く動いていたノーヴェはウイングロードが展開される一瞬を狙い、拳をスバルへと叩き付けた。
左のスピナーが旋風を巻き上げ、打撃力を上乗せする。
マルチタスクでの思考分割が間に合わなかったのだろう。スバルは魔法ではなく、"右腕"でノーヴェの拳を受け止め――

……この野郎!

叫びを上げず、怒りをそのまま挙動に乗せて、ノーヴェは強引に姿勢を変える。
拳を打ち出そうとした遠心力をそのまま利用して後ろ回し蹴りが。ジェットエッジのローラーは勢いをそのまま伝え、ノーヴェの踵がスバルの脇腹を捉える。
薙ぎ払う、という表現がしっくりくるほどその一撃は綺麗に決まり、スバルは吹き飛ばされて壁へと激突した。
幸運なことに培養ポッドには当たらず、その隙間へと。
衝突に一拍遅れて粉塵が舞い上がり、それを眺めながらノーヴェは舌打ちする。

確かに、デバイスで攻撃を防ぐのは間違いでもなんでもない。スバルのとった行動は正しいと云える。
だがノーヴェにとって自分の手でリボルバーナックルを傷つけることは決して許せない事柄の一つであり、故に、今の行動に繋がった。
母の形見を傷つけずにすんだと安堵すると同時に、簡単にリボルバーナックルで受け止めるという判断をしたスバルに際限なく怒りが湧いてくる。

コイツは、と。

ノーヴェと違い、スバルにリボルバーナックルをそこまで大事にするつもりはない。
無論、ぞんざいに扱うつもりはない。消耗品と割り切っているわけでもない。彼女にとってもリボルバーナックルは母のデバイスであり、大切なことに代わりはない。
が、戦闘中にそんなことを気にするほど、スバルは甘くなかった。
ただノーヴェが勝手な拘りを抱き、勝手な縛りを自分に架しているに過ぎない。
が、彼女からすればそのすれ違い、価値観の相違にも自分とスバルの境遇が違うからだと、再び嫉妬を抱く。

……アタシにはこれしかねぇってのに。

唯一と云っても良い母親との絆。それが形となったデバイス。
過去、シグナムと戦闘した時、廃棄都市で右腕を奪われた際にも彼女は似たような怒りを抱いていた。
それが今、スバルと対峙するこの時でさえも現れている。ただそれだけの話だ。

「……起きろよセカンド。
 この程度で終わりか?」

「……冗談。
 私は、お母さんを助けるためにここへきたんだ。
 それを果たせずに負けるなんて、できるわけがないよ」

瓦礫を押しのけ、額から血を流してスバルは立ち上がる。
それを見、上等、とノーヴェは鼻を鳴らし、再び二人は戦闘へと。

だが、やはりスバルの拳はノーヴェに届かない。
強固なバリアを持っていようと、それを上回る射撃、砲撃を前にして彼女は為す術がない。
それをノーヴェも理解しているからこそ、距離を取りつつちまちまと相手を削っている。
本来ならば彼女が好まない消極的な戦いだが、それを行っている原因はスバルの使うリボルバーナックルを破壊したくないからこそだ。
合理的だからではなく、単純な拘り。戦闘で抱くには贅肉と云って良い感傷だ。
が、スバルにはそれをはね除けるだけの力はない。
ノーヴェの放った砲撃により、再び彼女は吹き飛ばされる。
バリアジャケットはすでに所々が破れ、素肌からは血が滲んでいる。痛々しい、と形容できす姿になっているも、未だスバルは闘志を失わず。
立ち上がる彼女へと苛立ちを抱きながら、ノーヴェは舌打ちをした。
諦めが悪い。それはきっと、母親を助けたいという気持ちが体を支えているからなのだろう。

「……あのさ」

口の端に滲んだ血を左手で拭い、スバルは口を開いた。
視線をノーヴェへと向け、震える身体を強引に持ち直しながら。

「もう一度、聞くよ。
 あなたは、どうして戦ってるの?」

「云うつもりはねぇ、って伝えただろうが。
 ほざいてる暇があるならかかってこいよ」

「……それでも」

黙れ、と云うノーヴェにかまわず、スバルは先を続ける。
何かを確かめるようにリボルバーナックルへと左手で触れ、僅かに瞼を落とした。

「私は知りたい。
 私はお母さんを助けたくてここにいる。勿論、六課の魔導師として、ってのもあるけど。
 あなたはどうして? 結社の戦闘機人だから?
 ……違う、よね」

確かめるように言葉を紡ぐスバルを、ノーヴェは無視した。
それを彼女はどう受け取ったのか。
おずおずと、スバルは口を開き――

「リボルバーナックルのことで怒ったり、私たちのことを目の仇にしたり。
 ……もし、あなたが私たちと同じようにお母さんを大事に思ってくれているなら」

「……思ってくれているなら?」

「……戦わなくても、良いんじゃないかな」

スバルの言葉に、ノーヴェは頭の中で何かがぶち切れる音を聞いた。
この期に及んでコイツは何を。
否――戦わなくても良い? するともしかしたらこの敵は――"手を取り合おう"だなんてことを次に口にするのか?

「――ああ、そうかよ」

燃えたぎる意識とは裏腹に、酷く凍て付いた声色が漏れた。
自分でもそのことを意外に感じながら、ノーヴェは小さく笑みを零す。

奪おうとするお前たちと、奪われたくないと願う自分でこうも違うのか。
その違いはなんなのだろう。やはり母親がいたか否か、なのだろうか。拾われた先に受け入れてくれる人がいたから、なのだろうか。
自分もそうなりたかった、と思っているわけではない。自分にも姉妹がいて、決して悪い扱いを受けていたわけではなかった。
しかし――
この、どこまで行っても交わらない価値観の違い。
自分と同じ顔を敵がしているからこそ、それがどうしても頭にくる。

……もう良い。

「……死ねよ」

呟くと同時、胸の内にあるリンカーコア、それと融合しているレリックが咆吼を上げた。
足下に形成されるのは、テンプレートと魔法陣が混ざり合い幾何学模様を描くType-R独特の魔導式。
ツインドライヴ。それの解放に伴って吹き上がるエネルギーと魔力の本流が旋風を生み出し、ノーヴェとスバルの間に風が吹き荒ぶ。

ノーヴェに応えるつもりがないと分かったのだろう。
僅かに悲しそうな表情を浮かべ、スバルは瞼を閉じた。
そして開くと同時、彼女の瞳は黄色――戦闘機人のソレへと変貌する。
足下に展開されるテンプレートと、呼び起こされるIS、振動破砕。

両者が上げた力の本流に大気が歪み、絶叫の如き轟音が通路に響き渡った。

言葉も交わさず、二人はリボルバーナックルを構えて。
鏡写しのように、右を、左を。カートリッジが炸裂し、スピナーが火花を散らして限界運動を行う。

そして――















スバルとティアナを背後に置いて、ギンガたちは培養ポッドが並ぶ通路を疾走していた。
背後で戦っている二人が心配じゃない訳ではない。が、自分たちが任務をこなさなければ二人を助けることだってできない。
選択肢の中には任務を放り投げて助けに入るというものが存在しているものの、それは絶対に選べない。
ここには局員として、囚われた人たちを助けにきたのだ。その自負があるからこそ、誰もが後ろを振り返ったりはしなかった。

そして――再び。
待ち受けていたように、三人の眼前へと小さな影が現れる。
装飾過多で趣味に走った黒いバリアジャケットを着た少女。
彼女を目にして、エリオの脳裏には六課での戦闘が呼び起こされた。
あのとき、ガジェットや無数の召還蟲を従え、自分たちと戦っていた女の子。

それがここで立ち塞がるのなら――

S2U・ストラーダを構え、エリオは視線を二人へと送る。
自分はここで足止めを。その意図を込めた動きだったが、ギンガはともかく、キャロは瞳に動揺の色を浮かばせた。
いや、動揺というのは正しくないか。心配の方が正しいかもしれない。
この戦いが始まるまでずっと塞ぎ込んでいた自分のことを気遣ってくれているのだろう。
優しい子だ。ここに至るまで、何度も心配されたことだってある。
けれど――今は。

『僕は大丈夫。
 だからキャロは行って』

『……けど』

『転送魔法が使えるのはこの中でキャロだけなんだ。
 捕まっている人たちが転送できるかどうかの確認ができるのかも、君だけ。
 ……心配してくれるのは嬉しいけどさ。
 僕のせいで万が一があったりしたら嫌だよ』

エリオの言葉に、彼女は何を思ったのか。
引きはがすように顔を背けると、キャロはギンガと共に通路をそのまま走り去った。
残されたエリオはデバイスを構え、眼前の少女へと切っ先を向ける。

この空間では巨大な召還蟲を呼び出すことはできないだろう。
ならば彼女自身の実力はどれほどか。自分の力は通用するのか。
召還魔法を使用する、というキャロとの共通点が故に、エリオはこの子がさほど単独戦闘が得意ではないという先入観を抱いている。
が、それは捨て去るべきかもしれない。

外見がどうだろうと。戦闘スタイルがどうであろうと、彼女がレリックウェポンであることに代わりはないのだ。
改造された魔導師。それはエリオが幼少の頃から見ていた、エスティマ・スクライアと同じ存在であるということである。
あの人が今の自分よりもどれだけ先に進んでいるのか分かっているからこそ、眼前の少女がエスティマとオーバーラップし、何か得体の知れない存在のように思えてくる。

先に仕掛けるか否か。それとも出方を伺うか。しかしその場合、こちらの対処が追いつかない手を打たれたら――
やや消極的な思考に流れてしまうのは、敵が強大ということ以外にも、未だエリオが完全に立ち直れていないことを意味する。
いくら同年代と比べて強い意志や決意を思っていようと、エリオは十歳の子供でしかない。
その彼に迷いを捨て去れというのは不可能な話だろう。

焦りを抱きながらも、エリオはルーテシアの挙動を伺う。
が、彼女はそんなエリオを、ぼう、と見つめるだけで何もしてこない。
注視しなければ瞬きすらも忘れているような――どこか人形めいた印象を、エリオは初めて彼女へと抱いた。
六課で戦った時はエリオ自身が戦闘に集中していたため敵の様子に注意を配ることができなかったが、今は違う。
様子をうかがっている今だからこそ、エリオは彼女のことをそう思った。

その時だ。

「……戦わないの?」

「……え?」

人形めいた、と思っていたからか。
不意に呟かれた一言に、エリオの反応は僅かに遅れた。
しかし少女はそれを意に介した風もなく、何を見ているのかも定かではない視線をエリオの周りに向けて、口を動かす。

「あなたたちは、侵入者。
 私たちから大事なものを奪いにきた人。
 なのに、どうしてあなたは戦わないの?」

「……戦うさ」

僅かな苛立ちを感じつつ、エリオはデバイスを構え直した。
それに伴い、カチャリ、と軽い金属音が鳴る。
だがやはり、少女はエリオが何をしようと気にした様子がない。
あるとすれば、敵が臨戦態勢を取ったという、茫洋とした認識だけか。

だが――眠たげですらある彼女の雰囲気は、腕を振り上げた瞬間に一変する。
足下に深紫へと色どられた、亜種の古代ベルカ式魔法陣が展開される。
それと共に、少女は僅かに眉尻をつり上げた。

「……それなら倒す」

宣言の通りに、彼女が両手にはめたグローブ型のデバイス、そのコアが瞬いた。
瞬間、放たれる射撃魔法。
それらをステップを踏みつつ回避しながら、エリオは浮ついていた意識を戦闘のものへとシフトさせる。

射撃は正確。しかし避けられないほどじゃない。
弾幕もそう厚くはないため、切り込むことは可能。ただその場合、バリア出力はどうなのか。
レリックウェポンということもあるから、装甲が薄いということはないだろう。……多分。
ただもし装甲に自信がないのならば、接近した瞬間、攻め入られることを忌避するが故にこちらの動きを阻害してくるはずだ。
それを確かめるためにも、様子を見てみるべきか。

しかし、相手の出方を伺ったところであまり意味があるとは云えないだろう。
もし相手の手の内を熟知していれば違うのだろうが、そうでない今、敵の動きを想像したところでその通りになるとは云い難い。
むしろ、下手に型にはめることで突発的な状況に対処できなくなる方が危険かもしれない。

……取りあえずは様子見を。

胸中でそう呟き、エリオは足元にミッドチルダ式魔方陣を展開する。
本来エリオは近代ベルカ式の騎士だが、彼は育ったハラオウン家の影響を受け、複数のスタイルを使い分ける魔導師となっている。
故に、魔力光を瞬かせながらエリオは射撃魔法を構築する。
即座に射出された魔弾は――しかし少女のシールドに弾かれ、霧散した。
顔色一つ変えずに防御に成功した彼女。回避ではなく防御を選んだということは――

……違う。あんな射撃魔法、防げない方がどうかしている。
牽制のつもりで放つにしたって、もっと良い手があっただろうに。

自分が消極的であることを自覚しながらも、しかし、エリオはそれから脱することができない。
勝てるのか? という疑問がどこからか湧いてくる。
決して実力に自信がないわけではない。しかし、自分の生まれを気にしているが故に――押し殺そうとしても脳裏にちらつく――腹を決めて攻め込むことができないでいた。

こんなことじゃ駄目だ、と分かっていても。

「……ストラーダ!」

己自身を鼓舞するためにエリオは叫びを上げた。
それへ応じるようにデバイスコアが瞬く。次いで、S2U・ストラーダは先端に魔力刃を発生させる。
相棒を構えると、エリオは切っ先をルーテシアに向けて床を蹴った。

しかしエリオが肉薄しようとも、やはり彼女は眉一つ動かさずにシールド魔法を展開。
表情そのものは変わっていなくとも、微かに吐き出された吐息は守りに徹するために力を込めているようエリオには見えて――

「はぁあああっ!」

裂帛の気合を乗せ、身を翻しつつシールドに衝突していた魔力刃を横薙ぎに。
深紫のシールドは横一文字に引き裂き、エリオは強引に軌道を変更。S2U・ストラーダを振り切ると同時に、切っ先をそのまま突き出した。
防御は抜いた。このまま刺し貫くことができれば――

そう思う反面、あまりにもあっさりとした決着。その直前に違和感を抱いて、エリオは攻撃を続行しつつ掌に極小プロテクションを展開した。
刹那、肉眼では捉えられない違和感――殺気に、エリオは攻撃を強引に中断しつつ向かってくるであろう何かへと、プロテクションを叩き付ける。
何があったのかは分からないが、確かな手ごたえが手に――決して弱くはない打撃によってエリオは弾き飛ばされ、着地すると共に体勢を整える。

抱いていた違和感に反応できたことによってダメージは皆無だが、もし気付くことができなければどうなっていたことか。
冷や汗で背中を濡らしながら、エリオは姿の見えない乱入者がいるであろう場所に視線を向けた。

やはり敵の姿は見えない。しかし、そこに何かがいると示すように、ソレの足元には紫色の液体が滴っていた。
血、だろうか? そう思うと同時、エリオの脳裏には自分たちが分断される前に襲い掛かってきた召還蟲の姿が過ぎ去る。

稀少技能を発揮したエスティマによって一蹴され、再起不能になったと思っていたが――しかしそれは、人間であれば、という枕詞がついてしまうということだろうか。
人ではないが故に、人以上の頑強さを有している。
しかし、エスティマが与えた打撃が利いてないということは有り得ないだろう。
音速を超えた速度で、あの超重武器を叩き付けられる。そこに手加減が込められていないのならば、並の人間ならば原形を留めないほどに破壊し尽くされ、魔導師であっても行動不能になるのは確実だ。
現に敵が血を流していることが、無事ではない証拠。
ならば数が増えたと云っても、絶望的な窮地に立たされたというわけではないだろう。

……勝ってみせる。
その意思を込めてS2U・ストラーダーを握り締めるエリオ。
しかし、

「……ガリュー、駄目。休んでて」

エリオを無視するかのように、眼前の少女は姿を見せない召還蟲へと声をかけていた。
やはり表情は無いように見える――が、瞳の中に心配そうな色があるのは気のせいだろうか。
しかし少女のかけた言葉を無視するかのように、ボタボタと床に紫の体液が零れ落ちる。
それが滴りながらも徐々に近付き出したことで、エリオはデバイスを構え直すが――

「駄目!」

叫びを上げて、少女は姿を見せない召還蟲へと抱きついた。
それによって、ガリュー――それが名なのだろう――の歩みが止まる。
エリオはそれを眺めながら、今こそ攻め込むべきなのだろうと思い、しかし、心の中で頭を振った。
隙を突くというのは戦いにおいて当たり前のことだろう。
しかし、効率だけを頭に入れたその行いは、酷く人の道から外れているように思えて――それ故に、動くことができなかった。

「……投降するんだ」

召還蟲へとしがみつく少女へ、そう、エリオは言葉を向ける。
彼女が六課を襲ったのは事実。結社の一員であることも事実。
しかし、自分の召還蟲をかばう姿や、ナンバーズと比べて高いとは云えない戦意に、僅かな望みが浮上する。
この子はもしかしたら――と。

しかしエリオの言葉に頭を振って、ルーテシアは拒絶の意思を見せる。
ガリューを庇った直後だからだろうか。先程よりも幾分、感情の浮かんだ表情を彼女は見せた。それは気を抜けば見逃してしまいほど儚かったが。

「……嫌」

短く、たった一言で返された言葉だったが、込められた意思はエリオをはっきりと拒絶していた。
何故、とエリオが思うよりも早く、彼女は言葉を重ねる。

「……あなたたちの好きにはさせない。
 ここを守って、ⅩⅠ番のレリックを返してもらうの。
 ……だから、投降なんてしない」

揺るがない決意は言葉に滲み、彼女の意思が強固であることをエリオは察する。
ならば、とここから戦いを再開するべき――なのかもしれない。
……けれど、僕は。

方向性を見つけられない胸中の衝動が、エリオを戦いへと誘わない。
自分がどうしたいのか。それを押し殺し、一人の局員としてここに立っているはずなのに。

そう思い、そうして、



「……君はどうして結社なんかで」

ぽつり、とエリオの口から言葉が漏れる。
それは、エリオの知っている結社のメンバーと眼前の彼女との間に、溝があるように思えたからだ。
戦闘狂やら傲慢な奴やら、頭のおかしな科学者やら。
やや無感情ではあるものの、真っ当な人間に近い彼女がどうして、と彼は疑問に感じた。

それに対して、

「……心が欲しいから」

ややズレた返答を彼女は寄越した。
それがどういう意味かエリオが飲み込む前に、少女は先を続ける。

「お母さんが目覚めたら、私に感情が芽生えるってドクターが云っていた。
 だから私は、ⅩⅠ番のレリックが欲しい。
 エスティマ・スクライアに使われたそれを取り返して、お母さんを目覚めさせるの」

そこまで云い、彼女は一度だけ言葉を句切って、

「……そうすれば、私は人形じゃなくなるから」

少女の放った一言に、エリオは言葉を失った。
人形じゃなくなる――意味を租借し、瞬間、押し殺していた暗い類の感情が奥底から滲み出してくる。
自分はエリオ・モンディアルとして生を受けたのではなく、それの代替として作り出されたクローン。コピー。死んだ息子を忘れられなかった両親の愛玩人形。
しかし自分はその事実に気付かず、エリオの名を借りてずっと生きてきた人間であり――

……僕は誰なんだ?

ずっと心に巣くっていた疑問が、この時になり本格的に胎動を始める。
今は考えるべきじゃない。そうやって封じ込めてきた思考が、目の前の少女――自分がそうなのだと云う存在によって。

「……人形じゃ、なくなる?」

「うん」

ならば――僕は。

意識が急速に色褪せてゆくような錯覚を抱きながら、エリオは自分の戦意が萎えてゆくのを自覚した。
人間になりたいと願う彼女。そんな少女を前にして、僕は何をしたら良いのだろう。
局員として彼女を捕らえるべきだと分かってはいる。しかし今のエリオには、その義務さえも人形に与えられた役目のように思えてしまい、その意義を見失いつつあった。

……僕はこの子を倒すべきなのか?

倒すべきだ。当たり前のこととして頭の中に返答が浮かんでくる。
しかし、自分"如き"作りものが、確かな渇望を抱いている人の邪魔をして良いのかと、疑念が。

戦闘の前にエスティマやフェイトからかけられた言葉が脳裏を過ぎる。
だが――果たして、本当に?
あの二人は何を勝ち取り、どうして今を享受しているのか。それがまず、エリオには分からない。
そもそも自分は人ではない。人のような何かでしかない。目の前の少女が人形めいているなどと思うことすらおこがましい。
彼女が人として生まれ人形となり、人間になりたいと願っている者ならば。
自分は人形として生まれた癖に己を人と勘違いし、滑稽に動き続けている玩具だろう。

……任務も立場も、何もかも。
ともすればそれは、着せ替え人形に与えられた服のようなものなのか。

そんな僕が、この子を――

気付けば、いつの間にかS2U・ストラーダの切っ先は下がりきり、床に魔力刃を当てていた。
ずっとエリオが動きを止めても少女が攻撃をしてこなかったのはそのせいなのか。
あと僅かにでも力を抜けば、おそらく膝から下は崩れ落ちて、立ち上がることすらできなくなるだろう。

……何も考えたくない。
そう思うが故に戦いを放棄することが酷く甘美な誘惑に思え、エリオの思考は徐々にそちらへと――

『エリオくん!』

目をつむろうとしていたエリオへと、不意に念話が届く。
放ったのはキャロだ。声が聞こえたことで、少しだけエリオの瞳に意志の光りが戻った。

『座標の確認は終わったよ。今、修正したのをグリフィスさんに伝えたから、大丈夫。
 すぐ助けに行くから、待ってて』

「……もう、良いんだ」

『……エリオくん?』

肉声で呟いた声はキャロに届かなかっただろう。
それは沈黙となって彼女に伝わり、どこか焦りのこもった声が返ってきた。

『エリオくん、大丈夫なの? 怪我、しているの?』

声だけでも彼女が心配しているだろうことが伝わってくる。
それが酷く心を揺さぶり、エリオは頭を振った。

『待ってて、すぐ行くから!』

それでも尚、キャロからの念話は止まらない。

『……ごめんね、一人にして。
 エリオくんが苦しんでるの分かってて、私、気にかけることしかできなかった。
 どんな言葉をかけて良いのか、分からなかったの』

どんな気持ちで彼女は言葉を向けているのだろうか。
そんなことを、エリオは思う。
人形に話しかける子供……ではないのだろう。
彼女は一人の人間に対して言葉をかけている。そのつもりなのだ。
僕はそんなものじゃない。いくらエリオが思っていても、彼女はエリオを大事なパートナーとして気にかけてくれる。
それが――痛くて。
ありがたいと思うと同時に、自分は人形でしかないと思うが故に裏切っているようで、エリオは返答することができなかった。

『でも……これだけは云える。
 私、エリオくんがいなくなるなんて、考えたくないよ。
 六課で一緒に頑張ってきて、大変なことばかりだったけど……私、楽しかった。
 エリオくんと一緒にいた時間、嫌じゃなかったもの!
 迷っているなら一緒に答えを見付けてあげる。辛いのなら、今すぐ助けに行くから。
 だからエリオくん、返事をしてよ!』

『……キャロ、僕は』

どうして、君は。
言葉にできない感情が際限なく湧き上がってくる。
愚痴じみた叫びや、自分なんかに言葉をかけてくれる感謝や。
そういったものがないまぜになって、自分が何を云いたいのかすらエリオには分からない。

『……エリオくん?』

『……僕は、どうすれば良いの?』

縋るように呟いた彼に、僅かな沈黙が返された。
それにエリオは、ああやっぱり、と思い――

『……エリオくんが何をしたいのか、私には分からないよ。
 エリオくんは、どうしたいの?』

……僕が何をしたいのか?
それは――と考え、駄目だ、と彼は再び頭を振る。
人形でしかない自分が何かを願うだなんて――ああ、そうか。
小さく、エリオは笑みを零す。

『……ありがとう、キャロ』

『え?』

『……そうだよね。僕が何をしたいか、だよね』

呟き、すとん、と何かが胸に落ちた気がして、エリオはいつの間にか俯いていた顔を上げた。
少し前まで、エリオはエスティマやフェイトが真実を知りながらも人として生きてゆけるのかが分からなかった。
けれど、今ならば。キャロからの問いかけに、一つの答えを見つけ出した気がした。

何がしたいのか――己で行いたいことを定め、そのために動く。
……僕は管理局の魔導師になりたかった。
モンディアル家の次、第二の家族と云うべきところで抱いた夢として、それがある。
偏屈や潔癖と云って良い義兄の背中や、絵物語に出てくるエスティマの活躍を見て、ああなりたい、と願い――そして、ここに立っている。
握るデバイス、S2U・ストラーダへとエリオは目を落とす。
本来の持ち主である義兄は、何を願ってこれをくれたのだろう。
不必要になったから、ということは決してないはずだ。
そして自分も、一から新しいデバイスを作った方が性能が良いと分かっていながらこれを使っているのは――

……生まれは確かに人と違うのかもしれない。
しかし今まで歩んできた道程は決して人形のそれではなく、作り物でもない。
積み上げられた日々は虚構ではなく確かな現実として脳裏に焼き付いている。
エリオ・モンディアルが両親と過ごした日々は、おそらく偽物。
けれど自ら選んで進んできた毎日は――そして、手を取り合って戦ってきたパートナーは。

モンディアルではないかもしれない。
しかし、エリオという一人の人間、その土台として存在している。

地に足をつけ、前を見、時には下や上に視線を落とす。
それが人の生き方で、自分が積み上げてきた人生は、作り物でもなんでもない。

それでも尚、作り物と云われるのならば受け入れよう。
否定はしない。自分で手に入れたものよりも、与えられたものが多いという事実に代わりはないから。
だから――いつの日か、僕は僕だと云えるように。

そのためにも、ここで足を止めるわけにはいかない。

エリオは小さく息を吐き、眼前の少女を見据える。
人形から人になりたいと願う彼女を。
その望みが間違いじゃないという考えは、今も変わっていない。
否、己の足場を再確認したことで、否定したくないという思いはより一層強くなった。

故に、

「……名前を教えて」

エリオは眼前の少女へと問いかける。
少女は微かに目を細めながらも、消え入るような声で呟いた。

「……ルーテシア」

「……そっか、ルーテシア。
 僕は……エリオだ」

ファミリーネームを名乗ることはせず、エリオは軽く言葉を交わした。
そして、

「ルーテシア。これから、この場にいる人たちを、僕らは転送魔法で外に連れ出す。
 君のお母さんも、一緒に」

六課の作戦をわざわざ彼女に教えながら、彼はルーテシアの背後にある培養ポッドへと視線を向けた。
先ほどまでは気付かなかったが、おそらく、そこに入っているのが彼女の母親なのだろう。
長い紫の髪はそっくりだ。顔立ちも、目を開けば似ているのだろう。
ここで彼女が待ち受けていたのは作戦の邪魔をするためではなく、母親を守りたいから。奪われたくないため。
おそらく、彼女は結社の一員として動いている自覚すらあるまい。
ただ彼女自身の目的を満たすために戦い、それを結社の者たちに利用されているのではないか。

だったら彼女を排除することは勿論、嘘を教えたくもない。
度を超えた馬鹿正直で度し難いとは分かっている。
しかし、それでも。

「どうする、ルーテシア。長距離転送の邪魔はさせない。僕が君を止める。
 ……これが、君の望みを絶ってしまうことになるのは分かってる。
 だから――投降して欲しい。
 投降して、別の道を探そう。
 君のお母さんを管理局で目覚めさせることができるかどうかは、正直、分からない。
 けれど、約束する。
 君が感情を欲しいと願うのなら、僕はそれに協力するから」

「……どうして、そんなことを云うの?」

苛立ち、だろうか。猜疑心かもしれない。
端正な顔をあからさまに歪め、ルーテシアは当たり前の疑問をぶつけてくる。
それにエリオは苦笑し、そうだよね、と頷いた。

「それが管理局の局員だから……そして、僕がそうしたいから」

エリオの放った言葉に、ルーテシアは更に困惑したようだ。
表情はそのままに首を傾げて、呆れたように息を吐いた。
しかし戦意は完全に失ったのか――それが投降の意志かは分からないけれど――彼女は両腕を下ろし、臨戦態勢を完全に解除する。
これで――と、エリオは思う。
しかし、

『エリオくん!』

悲痛な響きの大声が念話で送られてきて、エリオは何事かとキャロがいるであろう通路の奥へと視線を向けた。
そこからはキャロを背負ったギンガがローラーブーツを走らせ、近付いてきていた。
しかし、合流するまでの時間すらも惜しいのか、彼女からの念話は続けられる。

『AMFが強すぎて、転送魔法がちゃんと作動しない……今のままじゃ、十中八九失敗しちゃう!』

『そんな……!』

そんなはずは、とエリオは目を見開く。
施設内に展開されているAMF濃度は事前に調査され、対策は練られているはずだった。
だのに、ここにきてトラブルが起きるなんて――

『……外にいる巨大ガジェットが原因じゃないかって云われてる。
 このままじゃ……!』

キャロの念話が途切れた瞬間、振動と共に鈍い音が施設の四方から上がった。
視線を移せば、天井、床、壁へと小さな亀裂が走っていた。
今はまだ注視しなければ気づけないレベルだが、このままでは――

「……クアットロ?」

呆然とした声をルーテシアが上げる。
何が起こっているのか分からない。聞いていない。そういった類のものだ。

このままじゃ――

戦闘に特化したエリオでさえ、この状況がどれだけ不味いものか理解できる。
であれば、召還師である二人は自分以上の危機感を抱いているのだろう。

どうにかしないと、と焦りながらも、この場にいる者たちでは囚われた人々を全員転送することなどできない。
AMFがなかったら、どうにでも出来るだろうに。

もどかしさに歯を噛み鳴らし、エリオはS2U・ストラーダを握りしめた。




[7038] sts 二十三話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/03/12 17:41


「――!」

誰かに名を呼ばれた気がした。
一体、なんだろう――そう胸中で呟いた瞬間、脳裏に今の状況が一気に噴き出し、高町なのはは瞼を開く。
それと同時に身を起こしてまず最初に感じたことは、身体の節々から上がる鈍痛だった。

「……良かった、気付いたか」

「……うん、ごめんねヴィータちゃん。心配かけて」

どうやら声をかけてくれていたのはヴィータだったらしい。
彼女が安堵するのを視界の隅で眺めつつ、なのはは朧気な記憶を辿る。
……気絶していた? 一体、なんで――

何かが視界の隅で瞬いた瞬間までは覚えている。次いで、届いたのは咆哮だったのだろうか。
そして気が付けば今の状況で――駄目だ、まるで分からない。

「……ヴィータちゃん、何があったのかな」

「アタシも良く覚えてねー……っていうより、気付けなかったかな。
 アイゼン曰く、戦闘機人の三番に不意打ちかけられたってことらしい。
 んで、シグナムは三番連れて左通路に行っちまった。
 放って置くわけにもいかねーから、お前より先に目覚めたギンガに新人たちを預けて、シグナムの後を追わせたよ。
 エスティマは土砂で埋まった向こう側の通路だ」

云いながら、サムズアップした指を背後へと向けるヴィータ。
……分断された。その事実に苦みが込み上げてくる。
が、いつまでも足を止めているわけにはいかない。

なのはは立ち上がり、戦闘続行が可能な状態であることを確認すると、視線を巡らせる。
シグナムを追う形で新人たちを先行させてしまったが――しかし、ヴィータの判断にケチをつけるつもりはない。
いくらユニゾンデバイスが付いていると云っても、シグナムを一人にするのは不安が残る。それはヴィータも同じだったのだろう。
故にこの場に残り、自分が目を覚ますのを待っていたのか。

「……ヴィータちゃん、私たちは」

「ああ。戦闘機人プラントの制圧っきゃねーな。
 新人たちの方……あっちにどれだけの戦力が配備されてるかは分からねーけど、サンプルの保管場所だ。
 辺り構わず戦える場所じゃねーから、物々しくはないはず……と思いてぇ」

「うん」

小さく頷き、動き出そうとしたその時だ。
不意にエスティマからの念話が届く。
未だ茫洋とする頭を回しながら、なのはは彼との通信に応えた。

『う……、あ、エスティマくん、大丈夫?』

『なんとかね。悪かったな、一人で先行して。
 ……お前の方こそ大丈夫か? シグナムはどうなった?』

『……ごめん、分断された。戦闘機人三番の攻撃で、少しの間気絶しちゃったの。
 皆の位置は今把握しようとしているから。分かり次第グリフィスくんに伝えるよ。
 ……本当に、ごめん』

『……仕方がないさ』

本当に仕方がないことだったのだろうか。
もし自分が咄嗟に戦闘機人の三番に反応していれば――

そんな後悔が今更湧き上がってくるが、後の祭りだ。
今をどうするかと、なのはは意識を引き締める。

『……取りあえず、分断された皆のこと以外でも、大きな判断をする必要が出た場合は俺に通信を送ってくれ。
 俺はこのままゆりかごの玉座の間に行って、起動キー……ヴィヴィオを引き離してくるよ。
 念のために駆動炉も破壊したいけど、それは時間が許したらか。
 まぁ、先にヴィヴィオを助け出せれば、ゆりかごが飛ぶこともないだろう。
 ここら辺はデータが少なすぎて、断言はできないけど』

『了解。じゃあ私はちりぢりになった皆のフォローを。
 こっちが終わったら、すぐに助けに行くからね』

『手間だけならそっちの方がかかるだろ。
 まぁ、期待しないで待ってるよ。
 それじゃ、お互いに気を付けて。
 ……皆を、シグナムを頼む』

『……うん。任せて。
 エスティマくんも、ヴィヴィオをお願い』

私情を覗かせたエスティマに対して、なのはも似たような言葉を。
お互いにそれを責めようとは思わない。
公私混同と云われればそれまでだが、そもそも二人は管理局の犬などではないのだから。
守りたい人たちがいる。守り抜きたいがために必要な場所と力を与えてくれるのが自分たちの働く場所である。

……が、わざわざ口に出して云うようなことでもない。
それもまた、二人は分かっていた。

顔を上げてレイジングハートを握り締めると、なのはは顔を上げる。
そして飛行魔法を発動し、身体を宙へと浮かばせると、ヴィータに視線を投げた。

「行こう、ヴィータちゃん」

「ああ」

そのやりとりを終えると、二人は言葉少なく侵攻を再開する。
通路をひたすらに進み、行く手を阻むガジェットを一方的にスクラップへと変えながら。
しかし、その進行速度は決して速くはない。

理由は単純に、大技を使って敵を一掃できないからだ。
物理破壊設定で砲撃など放った日には、さっきと同じように天井が崩れてもおかしくはない。
ヴィータもまた、ギガントの使用を躊躇っていた。全力でガジェットを叩き潰せば、どれほどの震動が生まれるのか百も承知だ。

故に、二人は小技でガジェットを相手にするしかない。
A.C.Sで一気に蹴散らすようなことはせず、射撃魔法を雨霰と降らせながら、前へ。

機械的に敵を駆逐し続けながら、なのはは別れて行動している新人たちへと想いを馳せる。
ティアナは暴走しないだろうか。スバルは大丈夫だろうか。
キャロは怯えてないだろうか。エリオは普段の力を発揮できているだろうか。
そのどれもが教導官というよりは、お節介焼きな年上の思考だ。
おそらくヴィヴィオのことが頭にあるため、そうなっているのだろう。

……いけない。今は戦うことに集中しないと。
頭を振って、自らスイッチの切り替えを行う。

そうして、ようやく目的地へとたどり着く。
普段ならば五分もかからない距離でも、今は十五分を軽く越えていた。

通路を抜け出し、大広間へと入る。
すると目に入ったのは、壁に沿う形でずらりと並んだ培養槽。
なのはたちへここが戦闘機人プラントであると証明するかのように、この場にはそればかりが並んでいる。
だがしかし、蛍光色の液体が満ちたポッドの中には何も存在していない。
本来、そこに入っている者たちは――

――臨戦態勢を整えて、部屋へと入り込んできた二人へと視線を向けた。

数えるのも馬鹿らしくなるほどの人数。
天井は高く、広いと云っても良い。学校の体育館ほどもある部屋。
その床を埋め尽くすほどの戦闘機人が、一斉になのはたちへと。
無機質な瞳が一斉に蠢く様は、ある種のおぞましさすら感じさせる。

「そんな……!」

眼前の光景に、なのはは絶句する。ヴィータもまた、同じであった。
彼、彼女らが身に着けているのはナンバーズと同種のボディースーツ。
ナンバリングの刻印がなされていないという違いはあるものの、それだけだ。
歳の頃は誰もが十二、三といったところ。
どこか無機質さが漂う瞳が、じっ、と二人へと向けられる。

「くるぞ、なのは!」

ヴィータが叫びを上げるとほぼ同時に、眼前に並んでいた戦闘機人たちが一斉にエネルギー弾を放ってきた。
咄嗟にプロテクションを発動し、それらを弾く。が、一発だけならばまだしも、数が多すぎた。
軋みを上げるフィールドに苦々しい表情をしながら、二人は左右に分かれ、足元に魔法陣を展開。
射撃魔法を放つ――が、プロテクションを発動しながらの攻撃は、普段と比べて僅かに精彩が欠けていた。
そのせいなのか、それとも戦闘機人の戦闘能力が低くないからなのかは分からないが、子供たちは人並み外れた跳躍力で、向かってきた射撃魔法を回避。
そして、それしか知らないとでも云うように宙にいる二人へとエネルギー弾を連射し続ける。

……この場をどうやってやり過ごす?
なのははそう考える一方で、マルチタスクの一つに、迷いとも云える感情が浮かんだ。

この子たちも、ヴィヴィオと同じ――

「くっ……!」

それを振り切るように、なのはは歯を食い縛る。
今はそんなことを気にしている場合じゃないのに――

「ヴィータちゃん!」

「わぁってるよ!」

集中砲火を避けるため、二人はそれぞれに別れて、射撃魔法を展開。
アクセルシューターとシュワルベフリーゲンが放たれる。
が、重なり合い、十字射撃などという云い方すら生温い、空間を制圧するエネルギー弾の嵐にそれらは押し潰された。

両者、同時に舌打ち。
念話ではなくアイコンタクトを行って、ヴィータが前に出る。
彼女が盾となってくれた間を利用し、なのははショートバスターを放つ――が、駄目だ。
海が割れるようにして戦闘機人たちはその四肢を用い、広間の中を跳ねて回避。

そして再び左右から押し寄せる光条の雨に、二人のプロテクションはガリガリと削られた。

「くっそ、一対一ならこんな奴ら……!」

悔しさと不甲斐なさがブレンドされた怒りを声に出すヴィータ。
気持ちはなのはも一緒だ。こうして射撃を受け続けていれば分かる。精度、威力、そういったもの一つを取っても誰もがナンバーズに遠く及ばない。
それでも圧倒されかけているのは数の暴力。
飛ぶ場所を限定されたこの空間では、避けることすら難しい。
エスティマやフェイトならばともかく、自分たちでは――

A.C.S.で蹴散らすか?
そんな考えが思い浮かぶも、マルチタスクの一つが即座に却下と。
前面にフィールドを集中させたA.C.S.は確かに戦闘機人の射撃をものともしないだろう。
しかしその反面、背後がガラ空きになる。ヴィータがいると云っても、敵はこの数だ。完全に防ぐことは不可能だろう。
加えて、強力なAMF。
十全に力を振るえる状況ならば打開策はあるというのに。

……否。
AMF下だからこそ、戦闘機人に手を焼いているのだ。
この状況を想定されて生み出されたのがこの者たち。
ならばここは完全にアウェーで、全力を振るえる状況はまず訪れない。

格闘には入れない。砲撃も避けられる。
射撃は相殺され、打ち消される。逃げれもしない。

八方塞がりなこの状況だが――しかし、ここで膝を折るような者はストライカーと呼ばれない。

念話でお互いに打ち合わせを済ませ、二人は即座に行動へと移る。
地盤がどうのと云っている場合ではない。多少の無理を通してでもこの場を切り抜けなければならない。
可能な限り、最小限の損害で。

「耐えてくれよ、アイゼン!」

『Jawohl.』

ヴィータの叫びに応じて、グラーフアイゼンはその形を変える。
ラケーテンを一段飛ばしにギガントへ。ヴィータはそれを振り回さず、盾のように構える。
次いで炸裂するカートリッジ。一発一発が煙りを上げる毎に、アイゼンは巨大化した。
鉄塊、と形容するのが相応しい姿に変わったアイゼンは広間の一部を覆い隠し、天井と地面を擦り上げる――それで完成するのは、いわば巨大な盾だ。

だが、それを許す戦闘機人たちではなく――アイゼンを迂回して向かってくるだろうと狙っていたなのはは、再びショートバスターを撃ち放った。
出会い頭に吹き飛ばされる戦闘機人の数は少なくない。
が、それ以上の暴力が次々に押し寄せ、砲撃も射撃も追い着かなくなる。

「――ッ、まだ!」

『BlasterⅠ.』

舌打ちしたなのはの意を汲んで、レイジングハートはリミットブレイクを発動させる。
それに伴い出現する、レイジングハートのヘッドを切り取ったような僚機、ブラスタービットが一機。
増えた手駒を用いて、なのははショートバスターから連射性能に優れた砲撃魔法、ラピッドファイアに切り替え、ひたすらに敵を狙い続ける。

狙い続けるが――

砲火を潜り抜けて肉薄してきた戦闘機人が、拳を叩き付けてくる。
それに反応するために砲撃を収め――更に次の戦闘機人が。

プロテクションを張りバリアバーストで敵を吹き飛ばす。
シールドを展開したブラスタービットが横殴りに戦闘機人を弾く。
バインドを発動して縛り上げる。
だがそれらの壁を突破して押し寄せてくる戦闘機人に、なのはは魔法の使用を放棄した。
マルチタスクのすべては状況判断に回され、魔法の発動は最小限。
レイジングハートを横薙ぎし、一体を吹き飛ばす。勢いを殺さず槍を回し、石突きで更に一体。
あまり使う機会のない棒術を駆使するも、しかし敵は武器の間合いへと入り込んでくる。

肩で息をしながら、前蹴り、肘打ち、裏拳、正拳、回し蹴り。
それらの一撃一撃で戦闘機人を吹き飛ばしながらも尚、押し寄せる敵は止まらない。
持ちうるすべての武器を使って暴力の奔流に逆らうしか、なのはには残されていない。

ヴィータもまた、押し寄せる戦闘機人の波に押し潰されようとしていた。

「こんな、ところで――」

負けない。負けられない。
自分はヴィヴィオを助けにきたのだ。それを実行するために無茶を通すと決めた。
だから――

歯を食い縛り、バリアジャケットを破られ、血を流しながらも高町なのはは諦めない。
勝って終わらせる。そう云った部隊長の言葉を嘘にしたくない。何よりも自分をママと呼んでくれる娘をこれ以上裏切りたくない。

掠れそうになる飛行魔法を維持して、飛びかかってくる戦闘機人を相手にしながら、なのはとヴィータは戦い続ける。

しかし――遂に戦闘機人の拳がなのはを捉えた。
今まで受け流していた一撃は腹へと。バリアジャケットの防護能力を貫いて届いた衝撃は強く、息が止まる。
その瞬間、獲物へ群がる小型肉食獣のように戦闘機人が殺到した。
瞠目するなのは。その光景に動きを止めてしまい、押し寄せる手を振り解き、しかし、それでも次々に押し寄せて。

「う、あぁあああ……!」

『Flash Move』

叫びを上げて移動魔法を発動し、強引に戦闘機人を引き剥がす。
次いで、再びプロテクションを発動。逃がさないと追ってきた一体がぶつかり、その瞬間にバリアバースト。
更にブラスタービットを用いたクリスタルケージで数体の敵を閉じ込め、それをバリケードとし、なのははレイジングハートを槍として用いる。

こんな、ところで――!

身体能力ではどうしても戦闘機人に勝つことはできない。体力でも。
しかし魔法を用いればその隙に拳が飛び、守りに入れば圧倒的な物量で蹂躙される。

……この状況を覆すには。

そう考え、なのはの脳裏に一つの手段が浮かぶ。
他力本願なそれは、しかし、ほぼ絶対に起こらないだろうとなのはは思っていた。
何故なら、それは――


















『そぉら、上手く避けなさい』

高慢さが滲む甲高い声を共に、業火が巨大ガジェットの下部から放たれた。
それをフェイトは余裕を持って回避し――紙一重で避けなどしたら、熱によって灼かれてしまう――反撃でプラズマランサーを撃ち放つ。
金色の弾丸は夜空を引き裂き、数多の光条が巨大ガジェットへと殺到する。
が、至近距離まで魔力弾が近付くと、黄金色のそれは勢いを失い、霧散してしまった。

AMFへの対策手段はしっかりと行った。
多重弾殻で間違いなく覆ったというのに、それを力押しで巨大ガジェットは消し去るのだ。
その上、

『ガジェットⅡ型、包囲網を突破しました。
 数は五……しかし、今後も増え続けると思われます。
 警戒を』

グリフィスから届いた念話に、フェイトは歯を噛み鳴らした。
ただでさえ強力なAMFが張られているのに、追加がくる?
冗談じゃない。

『……八神さん』

『分かっとる。ただのガジェットなら』

相手ではない、とはやては念話で云い、高度を上げて足元に古代ベルカ式魔法陣を展開した。
これで包囲網を突破して今ここに向かっているガジェットの相手をする必要はなくなるだろう。

しかし、上からの援護がなくなった今、この巨大ガジェットは自分とザフィーラが相手をするしかない。
フェイトは視線を流し、ザフィーラへと。
こうして戦場を共にするのは初めてだが、お互いに魔導師として成熟している。
フェイトはややそれが薄い面もあるが、ザフィーラも理解しているだろう。
フォローに回る、と先手を譲られ、フェイトは小さく頷いた。

カートリッジを炸裂させ、プラズマランサーを放つ。
雨を弾き飛ばし突き刺さる金色の槍は、やはり無効化されてしまう。
さもあらん。さっきと同じだ。
半端な攻撃は無に返され、平均を大きく超えた砲撃でさえ精々が掠り傷。
人ならば兎も角、鋼鉄に傷を付けたところで意味などない。

加えて、あの耐電装甲。サンダーレイジは無力化され、他の攻撃に付加される雷撃も無意味だろう。
これではフェイトに残された武器はたった一つ。
その唯一である速度を生かし、フェイトは降り注ぐ雨に混じって放たれたレーザーを回避した。

が、規格外のAMFが展開した状況下では普段の機動を取ることができない。
僅かに肌を焼かれ、痛みに動きを鈍らせた瞬間、光条の暴風が吹き荒れる。
それを防ぐために展開される鋼の軛。盾の守護獣の異名を持つ守護騎士が展開する魔法は堅牢であり――しかし、この場では頼りがない。
普段ならば豆鉄砲にもならない射撃に軋み、砕けるまでの秒読みを開始する盾。
だがフェイトは稼いでもらった時間を無駄にせず、レーザーの雨から離脱。
懲りずに牽制の射撃を撃ち放ち、消えゆく魔力光に顔を顰めた。

どうやって倒せば良いの――

思わず泣き言を洩らしそうになってしまう。
一切の攻撃が効かず、敵に振り回されるしかない状況。
強力なAMFにより射撃は無効化され、もしフィールドを突破しても重厚な装甲にダメージを与えることは酷く難しい。
どれだけの威力ならば敵に手傷を負わせることができるのか分からず、その上、大威力の砲撃を用意しようものなら、チャージ中の身動きの取れない瞬間を狙い撃たれるだろう。

本当に、どうすれば……。
こんなにも戦力が揃っているのに……。

『……ガジェット接近。
 Ⅰ型十、Ⅱ型六、Ⅲ型四』

『了解!』

だがその戦力も、この巨大ガジェットを倒すのに全力を注ぐことができていない。
ガジェットの集結を阻止できない地上部隊が無能なのではない。
数が多すぎるのだ。単純に。
それもAMFを貫く攻撃を行えるものがゼロではないにしろ多くはない現状では、完全な足止めなど不可能だろう。
だからこそこの場に戦闘機人が味方としてついている。歴戦の猛者である聖王教会のシスターも。エースであるスナイパーも。

しかし、現状は彼らの処理能力を上回る状況になりつつあり、押し切られるのは時間の問題か。

――ならば。

「バルディッシュ、フルドライブ!」

『sir. Full drive.
 sonic form』

主の命に従って、バルディッシュはその形をザンバーフォームへと変形させた。
同時に、フェイトの纏っていたバリアジャケット、コートの両袖が消滅する。
バリアジャケットを削ることにより、速度を向上するソニックフォーム、その第一段階。
紙と形容できるその装甲は、この状況だと無いに等しい。

が、フェイトはそれを理解しながらも、雨空を引き裂いてクアットレスⅡへと突貫する。
ザンバーから伸びる金色の刃は、距離を縮めるごとにその輝きを鈍くする。
それを振りかぶり――

「くっ……!」

ザンバーが届くか否か、といった距離まで近付いた瞬間、一気に速度が落ちる。
このガジェットを相手に接近戦は――戦闘機人ならばともかく、魔導師では厳禁。
頭では分かっていながらも、その覆すことのできない現実を前にして、フェイトは軌道を変えて離脱した。

しかし、何もせずに逃げるなど我慢がならないと云うように、フェイトはザンバーを一閃し、ショートバスターと同種の、チャージ時間を短縮した砲撃魔法を放った。
が、それも無意味に終わる。クアットレスⅡに命中するものの、陽炎のように希薄な砲撃は装甲を撫でるだけで終わってしまう。

その時だ。
フェイトが砲撃を放つタイミングを狙ったように、レーザーが降り注ぐが――
不意に現れた氷の盾――純魔力の防御魔法では打ち消されてしまう――が出現し、秒単位だが逃げるまでの時間を稼いでくれた。

冷や汗を手の甲で拭いつつ、巨大ガジェットと距離を取ったフェイト。
彼女は唐突に届いた念話に、空へと視線を投げる。

『今ので分かったやろフェイトさん。突っ込んだらあかん』

『あ……うん。
 ……ごめん』

云われながらも、フェイトは形容しがたい気分を胸に抱く。
別に嫌だったわけじゃない。苛立ったわけでもない。
覚えた感情ははやてに対するものではなく、自分自身に抱いたものだった。

……感謝の一つぐらいすれば良いのに。

まだ昔のことを根に持っているのだろうか。
そんなことはない、と断言できるわけではないが、しかし、気にしないことぐらいは出来る。今まで出来ていた。

……ああ、そのせいか。
長い間、憎悪を抱かずともなるべく接しないよう意識していたせいなのだろう。
こうして助けられた今でも、彼女にどんな気持ちを向けて良いのか分からない。

……普通に接すれば良いと分かっていても、どうしても。

集中しなきゃ、とフェイトは頭を振って思考を戦闘へと引き戻す。
……魔法による攻撃は無意味。雷撃も効かない。
ならば、どうしたら――

『動きを止めては……ねぇ? フェイトお嬢様』

フェイトが逡巡した隙を突いて、巨大ガジェットの側部装甲板が展開。
その下から覗いたレーザー射撃用のレンズがフェイトを捕らえ、雨のように降り注ぐ。
狙いはフェイトに定められたのか。
この状況ではフェイトの速さが発揮されることはなく、その上、今の彼女はこの中でも一等装甲が薄い。
数で不利ならば、まず弱った相手を叩いて状況を優勢へ傾けるのが戦闘の定石だろう。フェイトが狙われるのは当たり前と云える。

フェイトは回避行動を取るも、完全に逃れることはできない。
咄嗟にディフェンサーを展開するも、無駄だ。はやてが氷の盾を展開したことから分かる通り、フェイトの守りでは防ぎきれない。
向けられた射撃はシールドを食い破り――

「させぬ!」

――寸でところでザフィーラの鋼の軛が壁としてフェイトを守る。
が、それでも駄目だ。絶え間なく続くレーザーは降りしきる雨を蒸発させながらフェイトへと迫る。
ザフィーラが作ってくれたこの隙に、避けられるか、否か――

……こんなことで博打を打つことになるだなんて。
歯噛みしたい気持ちとなったフェイトだが、その彼女を強引に引き寄せるものがあった。
腰に目を向ければ、そこには白色の魔力光を放つチェーンバインドが巻き付いている。
引き寄せられ、フェイトは辛うじてレーザーを避けることに成功した。

……また、助けられた。
しかし、フェイトがそのことに対して念話を向けるよりも早く、彼女は業を煮やしたように指示を飛ばした。

『仕切り直しや。小型ガジェットの相手は一端中止。
 こうなったら少しでもあの巨大ガジェットに打撃を与えるしかあらへん。
 ザフィーラ、フェイトさん、それに地上の皆。
 なんでも良いからアレの足を止めてや!
 その間に、私が大きな砲撃魔法溜めるから!』

『了解!』

指示に頷いて、フェイトはソニックフォームのまま空を駆ける。
雨で視界は最悪だ。それでも闇夜に光るガジェットのカメラアイに注意を払いながら、牽制にしかならない射撃魔法を連射する。
次いで、地上からも。ヴァイスの放った魔力弾――普段ならばガジェットを一撃で破壊する射撃が次々に放たれる。

『残り五秒』

空の敵へと手を出せないシャッハ、チンクの二人はヴァイスが射撃に専念できるよう、近付いてくるガジェットの相手をしていた。
予想通りに、他部隊の構築した防衛ライン――というよりは間引き作戦の撃ち漏らしが殺到してきているのだ。

『四秒』

地上の敵とは云え、あの二人が力尽きようものならば、結集したガジェットと巨大ガジェットのAMFは合わさり、強力なものとなる。
誰一人として遊んでいることが許されない状況に、各々は死力を尽くして対応していた。

『三秒』

フェイトはザフィーラの生み出した鋼の軛を盾にして、常に移動を続けながら射撃魔法を。

『二秒』

ザフィーラはフェイトのフォローを行いながらも、鋼の軛を巨大ガジェットに向ける。
が、通常時ならば易々と鋼を引き裂く刃は、強靱な装甲を前にして虚しく砕け散るのみ。

『一秒』

相手へと痛手を与えることができない状況に歯噛みしながらも、皆は時間を稼ぐために全力を。
そして――

『チャージ完了……皆、避けて!』

はやてからの念話が響くと、各々は砲撃に巻き込まれないよう距離を取る。
上空のはやてはシュベルトクロイツを振りかぶると、トリガーワードと共に構築したスフィアへとデバイスを叩き付けた。

ディバインバスター・エクステンション。
本来ならばなのはの魔法であるそれが撃ち放たれ、触れる雨を蒸発させて、巨大ガジェットへと突き刺さる。
しかし、駄目だ。
魔力光はフィールドを踏破し、実体を伴って装甲に到達した。
白色の砲撃魔法は減衰しつつも確かにAMFを貫き、光が爆ぜる。
にも関わらず、水を弾くように鈍色の装甲は健在。精々、焦げ跡の一つがついたぐらいか。

『んな阿呆な……』

ぽつり、と呟かれた念話には既に焦燥すら込められていない。

並のガジェットならばダース単位でスクラップにできる威力を誇っていた。
フェイトにはそう見えたし、はやてだってそう思っていたのだろう。
撃ち落とせると、誰もが思うほどの重厚な砲撃だった。

しかし現実は違い、敵は無傷。
あの敵は最早ガジェットという括りに入れて良いのかすら怪しい。

『……良かったのかしら。
 こんな無駄をしちゃって』

呆然とするはやてたちを嘲笑うかのように、巨大ガジェットはカメラアイを瞬かせると、下部のイノメースカノンを地上へと向けた。

マズイ――そんな一言がフェイトの脳裏に浮かぶ。
しかし敵の行動を邪魔するよりも早く、イノメースカノンの砲口に焔が宿る。

『小うるさい蠅の前に、まずは地べたを這うものを。
 死になさい』

台詞が終了すると同時に、砲口より決壊する閃光。
それが目指す場所は、クアットロの宣言通りに地上だ。

「皆……!」

声を上げたのははやてか、フェイトか、ザフィーラか。
あるいは全員だったのかもしれない。

避けろ、という願いは届いたのか。
ライトグリーンの魔力光――シャマルの張った結界が瞬くも、一秒すら拮抗できずに食い破られ、業火は地上に到達する。
轟音と共に吹き荒れる破壊の嵐。木々をへし折り焼き尽くし、地面を蹂躙して弾き飛ばす。
直撃せずとも余波だけで致命的なことになる。現に、一撃で六課は壊滅したのだ。
それをこのAMF下で受けようものなら――

「貴様……!」

似付かわしくない怒りに染まった叫びを、ザフィーラが上げる。
次いで彼の足元には古代ベルカ式の魔法陣が展開され、巨大ガジェットの下に剣山の如く鋼の軛が出現した。
直撃すれば相手を必ず殺害せしめる技――
が、それもアームの一振りで粉砕される。

ガラスの破砕音に似た合唱が夜空に木霊し、その中で巨大ガジェットは、残った三人へと狙いを定めた。
後部に備え付けられた大型の加速器が眩く発光し、次いで、その巨体が爆ぜるように進み始める。

振るわれるアームを避け、レーザーを避け。
無意味に等しい反撃を続けながら、フェイトたちは戦闘を続ける。
諦めが滲みそうになる心を叱咤激励するのは、フェイトだけではない。
おそらく、はやても、ザフィーラも同じはずだ。

それでも戦い続けているのは、仲間が必ず勝つと信じているからだった。
そしてこの巨大ガジェットも仲間さえいれば倒せると確信している。

……けれど。

『ああ、今どんな気持ちなのかしら、フェイトお嬢様。
 それに、八神はやて』

「何を……!」

プラズマスマッシャーを放ちながら、フェイトは苦々しい表情で応える。

『有象無象と似たような力しか振るえない、この状況。
 ただ無力な人間として私にひれ伏すしかないというのに、無駄な足掻きを続けて。
 人であるあなたたちと、戦闘機人である私。
 ああ、悲しいわねぇ。あなたたちのその無力さ、胸に迫るわ。
 だからこそ、私たちが生み出されたのだものね。
 人を越えたい。人を越えた力が欲しい。
 その願いは誰もが抱く欲望というものよ』

そして、

『あら……ガジェットが徐々に集まってきているわね。
 このままでは、あなたたちにとって敵ですらなかった機械兵器に押し潰されてしまうかもね?』

空に浮かぶ光点。地上の森を突き進むざわめき。
ガジェットが終結し、この場のAMFはより濃く、強大なものに。

このままでは完全に魔力結合が断たれてしまってもおかしくはない。

「うっさいわ!」

苛立ちを乗せた砲撃を、はやてが放った。
が、それは怒鳴り返すのと変わらない。チャージも行われていない砲撃では巨大ガジェットに通じない。

――そして、誰かしら激昂するのを分かっていたのか。
砲撃が迫る上空へと砲口を持ち上げ、巨大ガジェットもまた、チャージを行わない砲撃を。
しかしこの防御が意味を成さない状況では、溜めがなくともどれほどの威力となるか。

「八神さん、避けて!」

思わずフェイトは声を上げる。
それが届かなかったわけではないだろう。

「ぁ――……えっ?」

しかし、はやては砲撃を放った姿勢のままで凍り付いていた。
彼女の表情に浮かんでいるのは微かな怯えだ。
どうして――とフェイトは思う。
はやて自身もそうだろう。何故身体が動いてくれないのか、本人すらも分からない。

叫びを聞いたはやては、云われなくとも避けようと思っていた。
しかし、身体は動かない。逃げるべきと分かっていても、固まってしまったかのように。
ほぼ反射的にシールドを展開し――その時になって、はやての脳裏に一つの風景が浮かび上がった。
瞬間、彼女は手に握ったシュベルトクロイツを縋るように抱き締める。
そんな場合じゃないと頭の片隅で分かっていながら。

それは正しく怯えである。
六課を焼かれた際に中心部にいたはやて。AMFが届いていない状況でもあれだけの打撃を受けた攻撃を、今受けたら――と。
無意識下でそれを想像した彼女は、動くことを忘れてしまっていた。

そしてその想像に間違いはない。
バリアジャケットが大した意味を持たないこの状況でイノメースカノンを受けようものなら、跡形もなく消し飛ばされるだろう。
それはフェイトも分かっていて――

何かの発作のように、フェイトは巨大ガジェットへと肉薄した。
八神はやてが死んでしまう。その一言が脳裏に浮かんだ瞬間、勝手に身体が動いていたのだ。

もしそうなったら自分は悲しむだろうか。
冷血と云われるかもしれないが、フェイト自身は、それほど哀しみはしない。
だが、兄は――皆を守りたいと願っている兄は――

はやてが怯え、息を呑む響きが聞こえたような気がして。

「させない!」

フェイトの叫びに呼応して、バルディッシュがカートリッジを四発炸裂。
刹那の時間だけ本来の速度を取り戻したフェイトは、バルディッシュの鍔元でイノメースカノンをかち上げた。
それによって砲撃の射線が外れ、橙色の光は雨空を薙ぐだけに留まる。
はやては無事だ、が――

『飛んで火に入るなんとやら。
 今のお嬢様にはピッタリの言葉ね』

至近距離まで近付いたフェイトの身体を、蟹挟みのようなクローが捕らえた。

「ぎ、あ……!」

胴をまるごと握り潰すように。事実、それだけのことができるであろう凶悪な腕だ。
しかし、そうはならず。肋骨が締め付けられ、へし折られる一歩手前まで追い詰められて、クローの締め付けは終わった。

『アハハ……これで終わりね。
 機動力を欠いたことで、残るあなたたちは的でしかないのだから。
 呆気なく終わりそう』

フェイトを完全に捕らえた状態で、クアットロは愉悦を滲ませた声を放つ。
逃げ出そうとしても無駄だ。ザンバーフォームのバルディッシュは、この距離だと取り回しが悪すぎる。デバイスフォームに戻しても同じ。
逃げられない、と締め上げられる苦しみに耐えながら、フェイトは歯を食い縛る。

『……なんでや、フェイトさん』

『……八神、さん?』

『なんで、こんな……』

はやてから届いた念話には、混乱と申し訳なさが混ざりきっていた。
当たり前だ、とフェイトは思う。自分だっていきなり意識していなかった他人に庇われたら、そうなるだろうし。

『なんで、かな』

咄嗟に兄の顔が浮かんだのは確かだった。
兄が悲しむのは嫌だとも思った。
けど――けれど。

この際だから云っても良いかと、フェイトは苦笑する。

『……気付いたら、ついね』

それは嘘だ。いざ言葉にしようと思ったら、上手く口にすることができなかった。
単純な話、いつまでも怨恨に囚われていたくないという願いが、フェイトにもあった。
だってそうでなければ楽しくない。兄と一緒にいたとしても、八神はやてがいるだけで空気が淀むなんて。
そんなこと、誰も望んでいない。

酷く場違いな衝動がフェイトを動かしたのだった。
それはついさっき、はやてに援護してもらったから意識してしまったことなのかもしれない。
彼女のことが頭にあって、そして死ぬかもしれないという瞬間に直面し。
どうしても黙って見ていることが、できなかった。

『……八神さんが死んじゃうのは、嫌だったんだ』

『だからって……!』

『うん、私も馬鹿だと思う。
 けど……仕方ないかも。
 ほら、私、兄さんの妹だから』

『そんな嫌すぎる理由、認められるかい!
 今助けるからな!』

冗談めかして云えばはやてが怒鳴り返してきて、フェイトは思わず小さく笑んでしまう。
嫌すぎる理由。確かに、そうかも。
理由らしい理由は感情から発せられたもの、という点では実に兄らしい。
それを良く理解している彼女だからこそ、気に入らなかったのだろう。

そんな二人のやりとりに気付かず、フェイトを捕まえたクアットロはクスクスと笑い声を上げる。
そしてはやてへ示すようにフェイトを掴んだクローを持ち上げると、それぞれの眼前にウィンドウが開く。

『無駄な足掻きだと思わないの?
 もう終わりは見えているのよ?
 ほら……』

云われ、フェイトはウィンドウに目を向ける。
画面の中は分割されており、そこには戦っている皆の姿が映っていた。

勝てる戦いができる者は一人もおらず、誰もが満身創痍。
その中でもフェイトの目を引いたのは、エスティマの姿だった。

白いバリアジャケットを血で濡らし、膝を屈して倒れ込んでいる。
肩で息をしている彼は、顔を上げると姿を掻き消した。おそらく、稀少技能を使ったのだろう。
しかし――画面の中で数多の火花が散ると、エスティマが弾き飛ばされる。劣勢なのは見れば分かった。

この期に及んで、クアットロは戦意喪失を狙っているのだろうか。
否、違う。おそらくこれは遊びだろう。もしくは、今まで味わってきた辛酸を突き返そうとしているのか。
フェイトには分からない。

その瞬間だ。
今まで雨に打たれるだけだった山――山脈が唸りを上げ始める。
それは悲鳴に似ており、大地の震撼は次いで木々が根本から割り砕かれる絶叫へと移行した。

何が――と。
この場にいる全員は瞠目する。

しかしクアットロだけは状況を把握しているのか、微塵も焦らず、相も変わらず余裕ぶった声を放つ。

『さて、ここで時間制限を設けるわよ。
 分かる? 聞こえる? 感じる?
 この響きは胎動よ。埋もれた物が這い出ようとする産声、その前兆。
 聖王のゆりかご……あなたたちは間に合うかしら?
 私を倒し、坊やを倒し、この戦場を制することができるかしら?』

それは問いかけだったが、クアットロは答えを求めてはいないのだろう。

露骨に絶望をちらつかせ、こちらを焦らせようとする。
その挑発に乗ってしまったのがフェイトであり、はやてとザフィーラも怒りを堪えるのに精一杯だった。

ただ分かることは――死と同意義である敗北が、目の前に迫っているということだ。

――嫌だ。

『できないわよねぇ。
 けれど、それは仕方のないことよ。
 けど、安心しなさい。
 あなたたちをここで滅ぼし尽くしたら、後に残った残骸は有効活用してあげるわ』

クアットロの声が周囲を揺らすように響き渡る。
雨と雷鳴に混じり、聖王のゆりかごが殻を破り生まれ出でようとする中で。

有効活用。それはおそらく、そのままの意味だろう。
プロジェクトFや古代ベルカの稀少技能を持った魔導師。
稀少なプログラム体である守護騎士たち。味方となって戦ってくれている戦闘機人。

それらを自分たちが更なる飛翔をするための糧とすると――そのていどでしかないと、クアットロは云う。

――嫌だ。

フェイトは歯噛みする。
そんなことになるために自分たちはここにきたわけじゃない。
勝って、二度と惨めな思いをしないために――幸せを掴み取りたいから。
だから戦っているというのに、こんな現実。

「……絶対に、嫌」

アームに締め付けられ、咳き込みながらフェイトは呟く。
しかし彼女のか細い声は、誰にも届くことはなかった。

けれど――それでも彼女は。
展開されたウィンドウの向こうにある兄の姿を、見据えた。














「ぐっ……おのれ」

雨の打ち付ける大地で膝を立てながら、チンクは揺れ続ける大地に足を立て、立ち上がった。
まだ揺れは酷くはない。しかし、このまま放置すれば大地が割り砕かれ、まともに戦うことすら難しくなるだろう。

エスティマ――

胸中で彼の名を呼び、チンクは泥に濡れた髪を背中へと放ってポンチョの中からダガーを取り出した。
指の合間に三本を。武器を構え、彼女はマルチタスクを駆使し、ここへと押し寄せるガジェット、そして頭上のクアットレスⅡへと意識を伸ばす。

フェイトを掴み上げたクアットレスⅡはレーザーと拡散式のイノメースカノンを連射しながら八神はやてとザフィーラを追い詰めている。
巨体を揺らす毎に捕まったフェイトは苦しみの声を上げ、もはやバルディッシュを離さないだけで限界のように見えた。

次いで視線を地上へと。
戦闘機人であるチンク以外の者――シャッハ、シャマル、ヴァイスの三人は先ほどの砲撃を避けきれなかったようだ。
シャッハは回復役であるシャマルを倒されてはいけないと彼女を庇い、今は動けない状態なのか。。
ヴァイスは焼け焦げたバリアジャケットに顔を顰めながら立ち上がろうとしているが、力が入らないのだろう。苦痛に耐えながらの罵声が聞こえてくる。
そんな二人をシャマルは涙目で治療して――この場で動けるのは自分のみ。

……戦えるか?

ダガーの残り本数を確かめてみる。
三十本近くが残っているが、心許ない。これから押し寄せてくるガジェットの数がどれほどかなど、彼女には分からない。
クアットレスⅡに打撃を与えられる存在は、こうなってしまえば自分だけ。
無駄に武器を使い尽くしていざという時に何もできない、では話にならない。
話にならないが、ここで戦わないという選択肢も存在せず。

……仕方がない、とチンクは苦笑する。

『シャマル、と云ったな』

『は、はい!』

『その二人は任せる。私はガジェットの相手をしよう』

『すみません、お願いします』

ああ、と頷いて、チンクは疾走を開始した。
ポンチョの裾を翻しながら木々の合間を擦り抜け、泥を踏み締め、落ち葉を散らす。
そうすると見えてくる――否、戦闘機人の彼女の視界に熱源反応が現れた。
数は七。内一つはⅢ型か。これだけではなく、後続はまだ現れる。

……あの三人が動けないのならば、自分が相手をするしかないだろう。

彼女より遅れ、ガジェットも敵の姿を発見する。
次いで放たれるレーザー光。チンクは木々を遮蔽物としてそれらを避けると、その内一体に飛びかかり、押し倒す。

表面に添えた手からエネルギーを流し込む。その量はガジェット一体を消し飛ばすにしては過剰なほどだ。
掴んだガジェットを盾にして、他のガジェットから放たれるレーザーを防ぎ、一本の大木を見付けると、チンクはそこへと駆ける。
あとを追ってくるガジェットの様子を振り返って確認し、彼女は大木の影に隠れる寸前、ガジェットをⅢ型へと蹴り飛ばした。

「IS発動、ランブルデトネイター」

魔導師ならばトリガーワードとなるそれが呟かれると、エネルギーを注ぎ込まれたガジェットは刹那の内に爆散する。
それを至近距離で受けたⅢ型は巨大な表面を抉られ、スパークを上げながら大破。
まだ続く。飛散した欠片が他のⅠ型へと降り注いだ瞬間を狙い、再びチンクはISを発動。
ガジェットの残骸、その鉄屑を触媒として再度、紅蓮の華が咲く。

地面を吹き飛ばすほどの火炎を樹木を盾に凌いだチンクは、爆発跡から手ごろなサイズの鉄くずを拾い、再び足を動かし始めた。

グリフィスから伝えられるガジェットの進行方向を頼りに動き回り、ひたすらに彼女は敵を屠る。
鉄風雷火の吹き荒ぶ戦場をたった一人で築き上げながら、彼女はかつての僚機であるガジェットたちを爆破してゆく。

エネルギー残量に気を配り、ダガーを出し惜しみしながら。

そうしていると、だ。
不意に己へと念話が届く。
六課の者からではない。このチャンネルは――

『ごきげんよう、チンクちゃん』

『……クアットロ』

悦の滲む思念に歯を噛み鳴らしながらも、チンクは動きを止めない。
一体でも多くの敵を屠り、時間を稼がなければ。
そうしなければ――ゆりかごの浮上を許してしまう。
最低と云っても良いこの状況を上回る、敗北の二文字が浮かぶ状態ができあがってしまえば、エスティマを乗せたゆりかごは飛び上がり、そして、彼は――

そこまで思い、チンクは念話を届けてきたクアットロへと言葉を返してしまう。

『……クアットロ、もう止めろ。
 こんなことをしてどうなる。
 ドクターは出頭した。ナンバーズだってその半数が捕らわれている』

『だからなんだと云うのかしら?
 余計な色に染まってしまった者たちになど、最早価値はない。
 チンクちゃん、あなたもなのよ?
 そんなに張り切っちゃって。戦闘機人の面目躍如ってところね。
 所詮、あなたも戦わなければ己の役目を果たせない道具にすぎないでしょう?
 エスティマ・スクライアもそうよ。
 平穏を望んでおきながらこの状況。まるで矛盾しているわね』

『……なんだと』

クアットロの言葉に、突如、胸の内から熱い衝動が込み上げくる。
それが怒りだと気付くのに時間はかからず、しかし、その間にクアットロは先を続けた。

『所詮道具でしかない者が何かを望んだところで、何も掴めない。
 ドクターもそれを分かっているから彼を玩具にしていたと思ったのだけれど、駄目ね。
 メッキがいくら綺麗でも、その本質を見誤ってはいけないわよ?』

『……もう良い、黙れ』

クアットロとの念話を強引に打ち切り、チンクは奥歯を噛み締めた。
お前にアイツの何が分かる――そんな言葉が込み上げてきたが、駄目だ。
何を云ってもあれには通じまい。所詮は価値観の違う存在でしかないのだろうし。

……戦うだけの存在?
確かにそうかもしれない。
今この場では自分もガジェットを屠り、戦闘機人としての真価を発揮している。
だが――目的をもってそれを行っているのだ。
エスティマの見せてくれた、教えてくれたものに近付きたいから。
恋い焦がれてしまった何か。それに少しでも手を伸ばしたくて。
しかし戦うことでしか近付けない自分は、力を振るっている。

行っていることだけを見れば、確かにそれは以前と変わらないのだろう。
けれど、とチンクは思う。
この胸に宿った、人として生きてみたいという願いは間違いじゃない。そう思いたい。
そして妹たちにも、ただの戦闘機人として生きるだけではない未来を与えてあげたい。

折角、人の姿を取って生まれてきたのに――それでは、悲しすぎるから。

その一念を胸に、チンクはガジェットの相手をする。
それが自らにできる、最大の使命だと信じて。

ふと、チンクは自らの傍らに浮かぶ通信ウィンドウに目を向ける。
進んでも勝手についてくるこれは、クアットロの差し金だろう。
いくら足掻いても他の者たちは膝を屈しそうになっている、とでも云いたいのか。

分割された画面、その一つに映っているエスティマの姿をチンクは見る。
何を想い、彼は戦っているのだろうか。
血に濡れて、今にも倒れそうになりながら歯を食い縛り、自らの意志を貫き通そうとしている。
その姿はエスティマ・スクライアが見せるいつもの姿勢。
何があっても守るべきもののため、妥協の一切を許さない頑固者が意地を見せている。

実に彼らしい。
そう思う反面で、チンクは酷い歯がゆさを覚えた。
その時だ。
ふと、画面の向こうでエスティマが言葉を発する。
それを聞き、チンクは――













リリカル in wonder












時間は少し遡る。

「それでは、私が君の力になることを許してくれるのかね?」

「……ああ。納得できないが、突っぱねて馬鹿を見るわけにはいかないからな。
 俺だけが面倒なことになるわけじゃないし」

「ハハ、それもそうだ。
 実に君らしい理由ではないかね」

スカリエッティの浮かべた笑みに、エスティマは目を細める。
が、言い返しても無駄だと分かってきたのか、彼は小さく鼻を鳴らすだけで終わらせた。

決戦前の六課。拘束されたスカリエッティは、無事な車両の一台を仮の牢とし、囚われていた。
が、やはりスカリエッティの態度に変化はない。
エスティマと対峙する彼は愉快そうな表情を微塵も隠さず、子供のように身体を揺らしていた。

「そういうわけだ。お前のプログラム、ありがたく使わせてもらう。
 じゃあな」

「ああ、待って欲しい。まだ君には伝えたいことがあるのだよ」

踵を返そうとしたエスティマへと、スカリエッティは声をかけた。
うんざりした表情でエスティマは振り返る。やはり変わらず笑みを浮かべている男に、彼は嘆息した。

「なんだ。俺は忙しいんだよ、スカリエッティ」

「分かっているとも。決して時間を無駄にはさせないさ。
 ……セッテのことだ。敵の手の内を知っておくのは、無駄ではないだろう?」

無言のままエスティマは腕を組むと、早く云えと言わんばかりにスカリエッティを見る。
スカリエッティは僅かに口の端を持ち上げると、エスティマの様子を観察するように、ゆっくりと話し始めた。

「ナンバーズのⅦ番、セッテ。
 さっき君にも云ったように、彼女のISは特殊なのさ。
 元々は武器の簡易転送を行う力だったのだが……それでは君に勝てないと思ってね。
 故に私は、考えたのさ。
 速さ、とは。それを武器に戦う君を真っ向から打ち破るにはどうすれば良いのかと」

そこまで口にしたスカリエッティは、どこか残念なように頭を振った。

「答えは思ったよりもすぐに出た。
 しかしそれは、なんとも無粋極まるものでね。
 造り出した時は楽しかったのだが、次第に興味が薄れてしまったのだよ」

「それで放置したわけか」

「まぁ、それもオルタに造られてしまったわけだがね。
 ハハ」

「笑っている場合か。
 で? その無粋極まる力ってなんだよ、スカリエッティ」

「……ふむ。どうやら私はかなり嫌われているらしい。
 こうも露骨に話を進められては困ってしまうよ。楽しめない。
 ああ、嘘だ。出て行かないでくれたまえ」

「……だったら早く云え」

苛立ちを隠しもしないエスティマに、スカリエッティは苦笑しながら先を話した。

「速さという概念について考えたのさ。私はね。
 戦闘において、速さとは重要な要素の一つだと思うよ。
 如何に強力な攻撃でも当たらなければ意味はない。如何に強靱な守りでも、その防御を展開する前に勝負を決められたら話にならない。
 で、だ。
 その速さを考えた場合……その極みはどこにあると思う?」

スカリエッティに問いかけられ、エスティマは僅かに考えた。
速さ。その極みとは。
単純な話だろう。敵より早く動き、敵より早く攻撃をする。馬鹿らしいほどにシンプルだ。

そんなエスティマの考えを読んだように、スカリエッティは大きく頷いた。

「そうとも。それだ。
 風を越え、音を越え、光を越え……果てのない競争に打ち勝った者が勝利を手にする。
 が、ここで疑問が一つ。
 ……人間を相手にするのに、そこまでの速さは必要だと思うかね?
 答えは否だ。そもそも光に迫るなどと、人には不可能な領域の話。
 故に私は思い付いたのだよ。対人戦闘というカテゴリに収め、その中での窮極を求めようとね。
 人が反応するよりも早く動き、人が防御するよりも早く切り伏せる。
 先ほど私が口にしたのと同じに聞こえるかな?
 いいや、違う。相手を人と限定することによって、明確なゴールが設定されたのさ」

何が楽しいのか、スカリエッティは饒舌に話を続ける。
楽しませるのはエスティマにとって不本意だったが、スカリエッティの云わんとしていることを理解しようと、彼は情報を整理していた。

「その答えが、短距離連続転送。
 高い演算能力により瞬時に座標を設定し、高速で転送魔法を展開。
 敵へと迫り、切り伏せる。どこに現れるかも分からない敵を察知することはできず、故に防御することも叶わない。
 実に単純な話だろう?
 距離を縮めるという無駄を省いたのさ。
 そして構える、振り上げる、振り下ろす、という三つの動作の内、前二つを事前に済ませ転移することで、最速の攻撃を繰り出すことができる。
 人を殺すのに山を吹き飛ばす砲撃など必要ではないだろう?
 弾丸一つ。刃一つがあれば事足りる」

「……そういうことか」

それが紫電一閃・七星を打ち破ったトリック。
ああ、成る程。確かにそれは速さのジャンルが違う。
そして、感覚加速を行えない魔導師では戦いにすらならないだろう。
自分やフェイト、トーレでも反応できるかどうか怪しい。

同時に思う。
……どうやって打ち破る?
敵が転移してくる場所に攻撃を撃ちこむ?
駄目だ。紫電一閃・七星に反応できるだけの反射神経を持っている相手に、そんな小手先が通じるはずがない。
ならば、こちらも転送魔法を使った戦闘を行う?
それこそ駄目だ。演算能力という一点で戦闘機人に勝てる自信がエスティマにはなかった。

ならば――

「……分かった。
 参考にさせてもらうよ」

話は終わりだと、エスティマは言外に伝える。
スカリエッティは立ち去ろうとするエスティマを見上げると、僅かに首を傾げた。

「参考になったかね?
 打ち破る策はあるのかね?」

「……逆に聞くぞ。
 打ち破る術があるのか?」

「私が知る限り、ないね。
 あったら話しているよ」

だろうな、とエスティマは苦笑する。
やけに協力的なスカリエッティに寒気を覚えつつも、コイツは出し惜しみをしないだろうという確信があった。
やるならば徹底的に。そんな信念を持っていそうだから。

「それで、どう戦うのかね?」

「……決まっている。一つしかないだろう?
 速く、鋭く。それだけだ。今も昔も、俺にはそれしかないわけだしな。
 それに……紫電一閃・七星を防いだ後、アイツがしていたこと。
 付け入る隙はあるんじゃないのか?」

「……そうだ。そうとも。
 ハハ、私は嬉しいよ、エスティマくん!
 この話で君が萎縮するわけがないと分かっていたが――ハハハハハ!」

何が嬉しいのか。
スカリエッティは手が自由ならば腹を抱えそうなほどに笑い声を上げた。
そんな彼から視線を外して、エスティマは外へと。

スカリエッティの話を聞く限り、勝ちを拾うには厳しい相手だと分かった。
しかし、誰かがセッテを倒さなければならないのだ。
そしてそれができるのは、おそらく自分のみ。
他の誰でもなく、戦闘機人のⅦ番の相手はエスティマ・スクライアがしなければならない。

















同種のデバイスが打ち合い、鐘の音の如くゆりかごを揺らす。
反響した広間にいる人物は四人。

その内二人、ヴィヴィオは玉座。オルタはその隣に。
意識を失っているのだろう。ぐったりと椅子に座っているヴィヴィオは、苦しげな表情をしたまま微動だにしない。

そんなヴィヴィオとは違い、オルタは遂に始まった眼前の戦いを刹那さえも見逃さないよう、瞬きを忘れて視線を注いでいた。

そして――残る二人。
エスティマとセッテは、白金のハルバードと金色のブーメランを打ち合わせる。
一撃一撃が火花を散らし、お互いが魔導を扱う者だと忘れたかのように、刃鳴散らす。
玉座の前で行われるそれは、まるで御前の決闘だ。それぞれに極めたものを出し尽くさんとするように。

打ち合い初めて何合目だろうか。
セッテの振り下ろしたブーメランブレードに込められた力が増す。
それを防ぎ――

『――Phase Shift』

稀少技能が、発動する。
何もかもが遅くなる世界の中で動くことを許された者は数少ない。
が、この場にいる二人は違う。
刃を振るったセッテの姿は、既にない。
残っているのは魔力光の残滓のみである。

次いで、首筋に悪寒が走った。
まったくの勘でしかないが、それは鍛え上げられた感覚――肌に迫る刃を察知した故のことだろう。

咄嗟にエスティマはSeven Starsを一閃、右から背後へと。
固い感触が返ってくる。火花を散らす同種のデバイス――

が、再びセッテの姿が掻き消える。
またも、残っているのは魔力光の残滓のみだ。

やはり、とエスティマは確信する。
スカリエッティの話に嘘はなかった。同時に、これなら紫電一閃・七星を察知もできずに破られたことも。
こうやって神経を研ぎ澄ませている今ですら、少しでも気を抜けば首が飛ぶだろう。
現に、

「づぁ……!」

Seven Starsを振り切った状態で振るわれた金色の刃。
それを完全に回避することはできず、首が浅く裂かれてしまう。
もし刹那でも――その刹那を引き延ばしている今ですら――反応が遅れれば、致命的なことになっていただろう。

次がくる。
腕を切り落とさんとする刃を紫電の散る左手で受け止め、掌が裂かれる。
胴を切断しようとする刃をSeven Starsのグリップで防ぎ、その衝撃に指が痺れる。
唐竹から下された断頭の刃を身体を捻って回避し、肩口が引き裂かれる。

四方八方から反応の追い着かない刃が次々に迫り、一撃一撃に命を賭ける状況で、エスティマは辛うじて命を繋ぐ。
そうして、何度目の攻撃を防いだ時だろうか。

脇腹へと痛烈な蹴り――何故刃ではないのか――を叩き込まれ、エスティマは弾き飛ばされた。
次いで稀少技能が切れ、全身から血が吹き上がる。
動きが鈍るような深手は避けた。が、傷という傷から染み込む痛みは耐え難いものがある。

歯を食い縛って泣き言を押し殺し、エスティマは距離を取ったセッテに目を向けた。
無機質な瞳はこちらを見ているだけで、エスティマを人と認識しているのかも怪しい。
刃めいた鋭さを感じる一方で、人と相対しているのか疑ってしまう。

……これが、戦闘機人なのか。
トーレの語っていた戦闘機人とは違う、純粋な兵器なのか。
敵を屠っても満足することはなく、返り血を浴びて眉を潜めることもない。
人の形を取ったストレージデバイス。そんな印象を、エスティマは抱く。

『痛っ……痛いですよぅ……』

身体の内から、リインⅡの小さな悲鳴が上がる。
数秒か、それ以下か。そんな次元での応酬を行っていたのはエスティマのみで、リインⅡからすれば、一度に全身を引き裂かれた気分だろう。
すまない、と言葉に出さず謝って、エスティマはセッテに視線を注いだ。

頭にはめたヘッドギアの両脇からは、冷却のためであろう蒸気が噴き出している。

それと対峙したエスティマは、痛みを意識から排除するよう努めてSeven Starsを構えた。

「どうかな、セッテは。
 なかなかの物だろう? 勝てないよ、君は」

唐突にオルタが口を開く。
エスティマはセッテを見たまま、彼に言葉を返した。

「……どうかな。
 まだ始まったばかりだろ」

「そうかい?
 たった一度のやりとりで、血だるまじゃないか。君は。
 彼女は僕の完成させた最高の道具さ。
 あまり甘く見ない方が良いよ?」

「そうか」

息を整え、腰を落としながら、エスティマは小さく呟く。
そして、

「……物だ道具だと。
 だったらお前も、俺の道具を舐めるなよ、オルタ」

なんの気なしに、エスティマはそう呟いた。
冗談でもなんでもなく、当たり前のように。

独り言に近い言葉だったが、しかし、

『……』

ふと、エスティマは手に握ったSeven Starsに視線を落とす。
何か鼓動のようなものが――そう思った瞬間、白金のハルバードはその形を盾と片手剣へと姿を変えた。

『……こちらの方が戦いやすいでしょう、旦那様』

「……ようやく喋ったか。
 ったく、心配させるなよ」

『はい。申し訳ありませんでした』

噛み締めるように、Seven Starsは呟いた。
彼女が何を考えているのか、エスティマには分からない。
しかし、ようやくいつもの調子を取り戻した相棒に心強さを覚え、エスティマは小さな苦笑を浮かべた。

……どいつもこいつも、勝てない、無理だと。
仲間に背中を押され、心強いデバイスたちが付いているというのに、不安に思うことの方が無理だ。
あとは俺が上手くやるだけ。
道具の出来に満足しているガキに、重要なのは使い手だと思い知らせてやろう。
痛感させる必要がある。

機械的な刃は鋭く、早い。
だが何も篭もらず軽い刃では、俺を切り伏せることなどできない。

「……往くぞ」

『はい』

『了解ですよ!』

片手剣を握り締め、エスティマは稀少技能を発動させた。
そして再び、刹那の中で応酬が繰り広げられる。
取り回しの良くなった武器で防ぎ、払い――だがしかし、刃は一度もセッテに届かない。
防戦一方でしかない。もし攻めに転じようとすれば、その刹那、繰り出された刃によって絶命するだろう。

けれど、手はある――
一つの可能性がある。もしそれが本当ならば。

全身を更に刻まれながら、エスティマは糸口を掴もうと神経をすり減らす。
痛みが神経を苛み、ともすれば意識が霞む。諦めようとする意志をねじ伏せて、血の華を全身に咲かせながら、彼は死の舞踏を舞い続ける。

そして、再び。
セッテの一撃を左腕の盾で防ぎ、その衝撃にたたらを踏みながら、エスティマは目を見開いた。
次の攻撃がこない――?

稀少技能が切れると同時に、再び血が噴き出す。
その際に活力が、熱が抜け落ちてゆく虚脱感に襲われながらも、エスティマは歯を食い縛った。

気を抜けば霞んでしまいそうな視界の中で、セッテは動きを止めたままヘッドギアから蒸気を噴き出していた。
さっきも。そして、紫電一閃・七星を破ったときと同じく。

「リインフォース……あれが攻撃を開始してから冷却まで、何秒だ?」

『ぐぅ……えっと、エスティマさんの主観だと、おそらく三十秒前後です』

『冷却には五秒を要しています』

リインⅡに続き、Seven Starsが声を上げた。
……やはり。
思った通りだ、とエスティマは血塗れの状態で笑みを浮かべた。

あの戦闘機人セッテは、強すぎるのだ。
人の分を越えた力とはあれのこと。溜めも必要とせず、ただひたすら殺戮を行う機械。
だが――おそらくは。
瞬時に敵を葬ることが前提であるからこそ、この状況を想定していないのだろう。
セッテを相手取り、攻防を行える人間がいることを。

故に、敵を前にして無防備な冷却状態へと移行する必要があるのだ。

おそらくジェイルがセッテを完成させれば、その穴すらも塞いでいたに違いない。
しかし実際のところ、完成させたのはオルタ。
彼はエスティマ・スクライアが厄介な敵だと分かっていながらも、どれほどまでかは理解していないのだ。
故に彼が完成させたこの戦闘機人は、並の魔導師を相手にした場合にのみ、最強を誇る。

しかしそれはなんの慰めにもなっていない。
勝つのが不可能ではないだけであり、強敵であることに変わりはないのだから。

だが、たった一つの穴があるならば――勝ってみせる。
例えそれがどんな物であろうとも。
そのために自分はここに立っている。
側で娘を守れず、仲間たちを信じてここまで一人でやってきたのだから――その信頼に応えられないようでは、意味がない。

再び、エスティマとセッテは激突する。
エスティマは血飛沫を上げて。
セッテは魔力光を散らして。

これを堪え忍べば、とエスティマは守りに徹する。
敵を倒すとそれだけを考え、セッテは刃を振るう。

そして――

やや大振りな攻撃が迫った。
一度目は蹴り。二度目は盾で防いだあの攻撃は、敵を怯ませて時間を稼ぐものだったのだと理解する。
骨まで響く斬撃を盾で防ぎ、敵の姿が掻き消える。

そして現れた地点で、セッテは冷却を開始し――

取った、とエスティマは途切れそうになる稀少技能を持ち直して、セッテに切り込むべくアクセルフィンに魔力を送った。
が――

逸る意識とは裏腹に、視界が傾く。Seven Starsを握り締めた指が痺れる。
一体何が、とエスティマが思った瞬間、飛行魔法が切れて、身体は地面に倒れ込んだ。
慣性のままにズルズルと滑り、頬を床に着けた状態で身体を持ち上げようと力を込める。

なんのことはない。血を流しすぎただけだった。
見れば、エスティマがさっきまで戦っていた場所は一面が血に濡れている。
白いバリアジャケットはぐっしょりと濡れて、赤黒く。

鼻に届くものはすべてが鉄臭く、身を起こそうとすれば手が血で滑り、再び倒れ込んでしまった。

リインⅡに治療を、と思うも、駄目だ。
そんな余裕はない。治療に専念しようとすれば、首と胴が別れを告げることになる。
かと云って、この傷を放置するわけにもいかず。

……Zero Shiftならば、と脳裏に唯一の手段が浮かぶ。
リインⅡを加速対象に入れて治癒魔法を使えば、刹那の内に傷は塞がるだろう。
だが、駄目だ。それはいけない。
もう決して全力は出さないと誓ったのだから。

「まだまだ……!」

意志だけを支えに身体を持ち上げて、エスティマは再び稀少技能を発動させる。
そして、交差する刃。
既にエスティマの動きからは精彩が欠け始めている。
それでも戦えているのは、この場になってようやくセッテとの戦闘に慣れたことと、死を忌避する意識が強引に身体を動かしているからだった。
が、それにも限界は訪れる。

再び攻防を堪え忍び、唯一反撃のチャンスが許される冷却期間。
それに至ったが、エスティマに攻め込む気配はなかった。
本人にはそのつもりがあるのだろう。ギラギラと剣呑な光を宿した瞳は、射殺さんばかりにセッテへと向けられている。
しかし、その意志に身体がついて行かない。

勝ちを拾えるチャンスは、今この瞬間、生き長らえるための息継ぎへと意味を変えていた。
壊れた息をするエスティマ。
彼は肩で息をしながら、次こそはと冷え切ってゆく身体に鞭を打つ。

その瞬間だった。

「……これは、クアットロかな?」

ぽつりとオルタが呟くと同時、エスティマの眼前にウィンドウが開く。
そこに映っているのは、施設内で戦っている部下たちの姿。
楽な戦いをしている者は誰一人として存在していない。
程度の差こそあれ、エスティマと同じく誰もが苦痛に喘いでいた。

鑑賞しろ、と云わんばかりにセッテは向かってこない。

苦戦している仲間たち。その光景がエスティマに力を与える。
動力源は怒りであり、その赫怒の念によって彼は朽ちる寸前の身体を引き起こす。

負けられない。勝つしかない。
勝って早く皆を助けないと――
その一念で。

だがしかし、気迫でどうにかなるような戦いではないのだ。これは。
奇跡の一つでも起こらなければ、全員が全員、勝ち抜くことなど不可能だろう。
エスティマもそれは分かっている。

次いで、震動がゆりかごを襲った。
その揺れに耐えながら、エスティマは何が起こったのかと視線を巡らせる。

「……出航時間が近いよ、エスティマさん。
 さあ、どうする?」

出航――つまりは、ゆりかごが浮上するのか。
そんなことが起きれば、巨大ガジェットの砲撃で亀裂の入っているこの施設がどうなるかなど考えるまでもない。
そして、その中で戦っている仲間たちがどうなるのかも。
通路が塞がるなどまだ可愛いものだ。
最悪、全員が全員生き埋めになってもおかしくはない。

更なる焦燥がエスティマの胸に宿る。
そして、

『部隊長!』

唐突に通信を送ってきたシャリオもまた、このままではどうなってしまうのか、分かっていた。

『意地を捨ててフルドライブを使ってください!
 お願いですから!』

音声のみの通信故に、彼女がどんな表情をしているのかエスティマには分からない。
しかし、大声の中に混じった湿った色は、彼女が泣いていることを簡単に想像させた。
だが、

『……駄目だ』

それはできない、とエスティマは云う。
シャリオの云いたいことをエスティマも分かっている。
使えと云っているのだ。AMFCを。
AMFさえ消せることができれば――

『それは、できない』

できるのだとしても。
エスティマにその気はない。

確かに、AMFCを使えばこの局面を覆すことができるの"かも"しれない。
確かに、フルドライブを使えば状況を打破できるの"かも"しれない。
――かもしれない。

勝利を掴むために必要なことなのだとしても、それに必要はリスクはエスティマにとって無視できない代物だ。
以前の自分ならば、絶対に大丈夫と胸を張って虚勢を吐いただろう。
だが、今はどうしてもそれができない。

己の命。仲間からの信頼。
その二つは、断言できない事柄に晒して良いものではなかった。

死んで欲しくないと願ってくれた人がいる。
信じてこの戦いに付いてきてくれた者たちがいる。

そのかけがえのない皆を巻き込んだ大博打なんて、一体誰が打てるという――!

そうエスティマは思っており――

休憩は終わりとばかりに、視界の端からセッテの姿が掻き消えた。
スタートを知らせるものは何もなく、唐突に再開された戦闘へとエスティマは意識を戻す。

一閃を弾き、次に備える。
が、衰弱しきった身体は既に云うことを聞かず、鋭さは目に見えて落ちていた。
ほんの数分前は捌けていた刃も、今は受け流すことができない。

深く腕を引き裂かれ、二の腕からは大出血が。
肩口から切り落とされるのを防ぐのがやっとだった。

噴水のように吹き上がる鮮血と激痛に意識を明滅させる。大量の血液を一気に失ったことで、視界が揺らいだ。
エスティマは鉄錆の臭いが染みついた吐息を漏らす。
朦朧とした意識のまま、バインドで強引な止血を――間に合わず、条件反射のようにセッテの攻撃を受け止めて。
風に流される木葉のように不様なダンスを踏んでいると、頭の中から嘲笑が溢れてきた。

――本当、馬鹿な奴。何を履き違えているのか。
  死にたくない。信じてくれる仲間を賭けに付き合わせたくはない。
  今更になって怖じ気づいたのか? だとしたら、随分と遅い。
  だがこのままでは死んでしまうと分かっているだろう?
  死に価値があるとでも云うのか?
  ゼスト・グランガイツにも云っただろう?
  そうだ。死ぬことに価値なんかない。後に美談となったところで、自分自身に還元されるものはない。
  そもそも、ここで死ぬことこそが"彼女"への裏切りだろう?
  今更だ。皆、笑って済ませてくれるさ。

おそらくそれは、言い訳という名の弱音だ。
だから使え、と。フルドライブさえあれば、と。
心では絶対に駄目だと決めていても、頭の冷静な部分が囁いてくる。

諦めるときだ、エスティマ。今までと同じように妥協すれば良い。

その酷く甘美な誘惑に――しかしエスティマは、セッテに打ちのめされながらも頭を振った。
できない。そんなことはしたくない。

自分の身を案じてはやてが願ってくれたその気持ちを踏みにじりたくはない。
そんなことは屑の所業であり、心を弄ぶその様はスカリエッティが行ったこととなんら変わりはないから。
身に刻む痛みは自分だけのものだとしても、その姿に傷付く人がいる。
故に――誰も悲しませたくないから、無茶はしないとそう決めた。

こんな修羅場に付き合ってくれる仲間たちがいる。
程度の差こそあれ、彼女たちは自分を信じて戦いに身を投げたのだろうという自惚れがある。
管理局員の仕事という面があるにしても、勝てない戦いを拒否する権利は当然のようにあった。
それでも譲れないものがあるからこそこの場に赴き、この馬鹿騒ぎを終わらせようと戦っている。

誰もが必死で、己の意地を貫くために。
そんな状況で、結果がどう転がるかも分からない賭けをするだなんて、できるわけがない。

だから意地でもここでセッテを倒し、仲間を助けに行く。
もう少しだから。もう少しで駆けつけるから。

そうだ――だから、絶対に――

茫洋とする意識は最早夢遊病者のそれに近い。
その状況でエスティマは、Seven Starsを握る手に力を込める。
一撃で良い。差し違えてでも――駄目だ。
非殺傷設定を解除して――駄目だ。
自らに枷を科しながらも、エスティマはせめて一撃、と歯を食い縛る。

そしてようやく訪れた冷却期間。
この機会を今度こそ逃さぬと彼は血を吐きながら満身創痍の身に力を込める。
膝は笑い、今にも崩れ落ちそうだ。
呼吸は苦しく、気を抜けばそのまま目覚めぬ眠りに就いてしまいそう。
最早身体は限界の一歩手前……否、限界そのものか。
もしあと一度でも手傷を負わされたらば、ほぼ確実に立ち上がることはできなくなるだろう。

だが、とエスティマは歯を食い縛る。
痺れ、温度を失ってゆく四肢に力を込めて。
目を細めて擦れる視界を維持しながら、呼吸すらも止めて乾坤一擲の一撃を――と。
余計な思考という思考を切り捨てて、ただ相手を打倒すべく意識を研ぎ澄ませ、

『お前は、馬鹿か!』

不意に届いた通信に、エスティマは目を見張った。
念話ではなく、クアットロが開いたウィンドウから上がった声は、エスティマのよく知るものだ。

「フィアット、さん……?」

息も絶え絶えの状態で呟いたエスティマの声は届かない。
なんで今そんなことを、というエスティマとは違い、チンクの声は怒り一色に染まっていた。

『本当にお前は馬鹿だな!
 この期に及んで何を意地張っている!
 お前は皆を守りたいんじゃなかったのか、エスティマ!』

彼女はガジェットを殴り飛ばし、次々に爆発させ、絶え間なく動き続けながら怒声を上げる。
手に持ったダガーを投擲し、再び派手な爆炎を撒き散らすと、彼女は画面越しにエスティマを睨みつけた。

「……そうです。だから――」

『兄さん……』

チンクへと応えようとしたエスティマへと、再び声が割り込んだ。
今度はフェイトだ。巨大ガジェットに掴まれた彼女は苦悶の色を濃く浮かべている。
が、自分と同じ朱色の瞳には未だ諦めが浮かんでおらず、弱々しくも意志の通った声を、彼女は零した。

『……良いよ、付き合う。どこまでだって。
 それがどう転ぶか分からない賭けでも、兄さんが決めたのなら全力で付き合う。
 私、頑張るから。
 だから兄さんも負けないで。
 ……嫌だよ。こんなところで終わりなんて、絶対に嫌』

自分がどんな状況か分かっているだろうに、それでも諦めを微塵も見せず、フェイトは言い切る。
そして、

『……まったくもう。
 そんな風に煮え切らないのは、らしいけど、さ。
 けどエスティマくん……云ったよね?
 勝って、この戦いを、終わらせる、って。
 その約束を破るつもり?』

息も絶え絶えになり、精彩の欠けた動きを見せるなのはは、どこか挑発的な言葉を向けてきた。
諦めを知らないその姿勢はどこかエスティマと通じるものがある。
執拗に押し付けられる敗北を子供のように嫌がって、悪足掻きをしているような。
そして、最後に――

『……ああもう』

困った顔をしている彼女の顔が目に浮かぶような。
そんな呟きを始まりとして、はやての声が。

『ええよ。許したる。
 最初で最後や、やったれエスティマくん。
 その代わり、中途半端は許さへんからな。
 好き放題暴れたれ、馬鹿ぁッ!』

ヤケクソのような響きの篭もった言葉を投げつけられて、目を瞬き、次いで、エスティマは苦笑した。
どんな気持ちではやてが先の言葉を口にしたのか、エスティマには分からない。
ただ、彼女は誰よりも自分の身を案じてくれていて――だのに、この場に至って戦えと云う。
悲しくないわけがないだろう。悔しくないはずがないだろう。
それなのに――

……ここまで云われて何もしないわけにはいかないだろう。

ああそうだ。
単純な話、自分はいつもの調子だった。
全員で生きて帰ると云っておきながら、この期に及んで自分のことばかり。
自分一人で背負い込んだって、何もできないと学んだはずだったのに。
本当、いつもの調子で苦笑しか湧いてこない。

「……だそうだ、Seven Stars。リインフォース」

『皆、勝手ですよぅ。
 無理無茶無謀に付き合わされる身にもなって欲しいです』

『まぁ、今に始まったことではありませんが』

「……そうだな」

全くその通りだ。
だが、そんな風に自分を客観視できるようになったのも一つの成長なのだろうか。
自分一人では勝てない。それは、六課が生まれた時から分かっていたことだろうに。

……ああ、勝とう。
皆で勝って終わらせよう。
俺一人の力じゃ無理なんだ。
だから、力を貸してくれ。死力を振り絞り見せ付けてやれ。

全力を発揮したストライカー――ストライカーズがどれほどのものなのか。

胸の奥に宿ったリンカーコア、それと融合したレリックが鼓動を上げる。
ドクリドクリと。練り上げ収束し高まって、開放される瞬間を待ち望んでいるように。

全身をなます切りにされたエスティマのどこに力が残っていたのか。
彼は乾きつつある黒と、新たに流れ出す赤に彩られた凄惨な顔で笑みを浮かべ、血の泡を吐きながら呟く。

「……レリックコア、開放」

『フルドライブ――』

瞬間、エスティマを中心にサンライトイエローの魔力光が吹き荒れる。
常軌を逸した魔力の量は、本来ならばあり得ない、物理的な力を得て。
血と粉塵が巻き上がり、それらのすべてを吹き飛ばす。

稀少技能と共に発動した治癒魔法は驚異的な速度をもってエスティマの身体を癒す。
ひび割れた骨が形を戻し、肉が癒着して皮が覆い被さる。
後に残るのは血の跡のみで、それがなければ一瞬前まで瀕死の怪我を負っていたとは誰も思わないだろう。
……通常の効力を遥かに超えた過剰使用。それが後にどのような傷痕を彼に残すのかは考えるまでもない。

だがそれでも、彼と彼の相棒、そして託されたデバイスに躊躇はない。
緋色の瞳を、黒いデバイスコアを、内に宿った意志を凜と研ぎ澄ませ、相対する戦闘機人を打ち倒すべく、それぞれはかつてないほどの同調率を発揮。

勝って終わりに。けどこれは終わりなんかじゃない。始まりだから。
長く続いた因縁の終焉は、新しい日々を送るために必要だから。

だからこそ今、幕引きに必要な力を――と、一つの意志の下に。

だが、それを由としない者がいた。
セッテだ。
オルタからの命令があったからか、違うのか。
冷却の終わった彼女は転送魔法を発動させると、エスティマの背後へと瞬時に移動し、その首を刈る。
振るわれた刃を大気を薙ぎ払い、鈍い手応えを――

――手応えはなく。
分断されたエスティマの身体は黒翼となって弾け、次いで、その欠片はサンライトイエローの光となって霧散する。
幻影魔法、イリュージョンフェザー。
スレイプニールに込められたそれが、たった一度、そして、彼女――彼女らにとって致命的な隙を与えることになる。

『Zero Shift――AMFC』

Seven Starsの行った自動詠唱は、セッテの頭上から響いた。
瞬間、エスティマの両肩にあるアクセルフィンと背後のスレイプニールが一斉にざわめき、その羽を散らした。
稀少技能によって音の壁を越え、放たれる山吹色の光。
それらはうねり、一つの波となって玉座の間を満たす。
刹那の内に外へ――皆が戦い続けている施設の中へと溢れ出した。

吹き荒れる光の乱舞にセッテは警戒のため動きを止め、オルタはエスティマへと視線を向け続ける。
その嵐の中心にいるエスティマは、顔に貼りついていた血潮を手の甲で拭い、Seven Starsをセッテへと差し向ける。
既に彼は開かれた通信ウィンドウに目を向けていない。
もう大丈夫だと分かっているのか。否、信じているのだ。
この場に揃った誰もが負けるわけがないと。
信頼の証とするように、エスティマは彼、彼女らに視線を寄越さず、自らが倒すべき敵を見据える。

そして――これより。
勝利を重ねて最強を証明してきたストライカーと、最強となるべくして生み出された機械兵器が衝突を開始する。














――サンライトイエローの風が吹く。
それは魔力の波と呼べば良いのだろうか。
施設に充ち満ちたAMF。魔力の結合を遮るそれは、山吹色の風を打ち消すべく作動する。
施設に充ち満ちてゆく魔力の波を打ち消し――僅かな時間だが、その二つは拮抗する。

――AMFC。それを分類するならば、結界魔法になるだろう。
一定範囲を魔力で覆い、その充満した魔力はいわば、身代わり羊。

AMFに放出した魔力が打ち消されている間のみ、その結界内に存在する魔導師はフルスペックの魔法を使うことができるのだ。
その時間は決して長くはない。
長くはないが――それで充分と、各々は力を振り絞る。
ここに集った者たちは誰もがエース、ストライカー。
未だそうでない者もその素質を有しており、今この瞬間に産声を上げようとしている。

そして、その咆哮の第一声は――














高町なのはは、レイジングハート・ヱルトリウムを握り締める。
愛機の形状はフルドライブ――否、ブラスターⅡとなり、迸る魔力は彼女の身体を桜色で覆っていた。

数多もの戦闘機人が放つ射撃。
だがそれは今、全力を振るえる状態に戻ったヴィータがすべて引き受けている。
幾重にも重ねられた射撃の雨を弾き、しかし数秒前までは耐えきることのできなかった集中砲火を一身に浴びて尚、彼女の顔には獰猛な笑みが浮かんでいる。

ヴィータの背中を眺めながら、なのははカートリッジをロード。
更にマギリングコンバーターを作動させて、AMFに分解されたエスティマの魔力ですら吸収し、桜色のスフィアを形成。
……ああ、この魔法は自分と相性が良い。
そんなことを考えながら、彼女は砲撃体勢に入る。

……まったくもう。エスティマくん、遅すぎ。
女の子に怒鳴られてようやく改心する辺り、本当にどうしょうもない。
それがなければどうなっていたことか。
……別に彼の助けが欲しかったわけじゃないけれど。
けれど――今だけは感謝しておこう。

自分たちの指揮官がようやく目を覚ました。
ならば自分のやることはただ一つ。
目の前の敵を打ち破り、助け出すと誓った娘をこの手に抱き締めてやるだけだ。

「……ごめんね」

レイジングハートを向けながら、なのはは呟いた。
ヴィヴィオと同じ境遇の子供たち。
助けてあげたい、とは思う。
けれど自分の腕はもう一杯で、彼らを救ってあげることはできないだろう。

ヴィヴィオを助けると決めた。
その誓いを破るつもりは微塵もなく、ここであの子へと向けている感情をブレさせてはいけない。
だって守ると決めたから。

――そうだよね、エスティマくん?

胸中で呟いた言葉に、返事があるわけもなく。
だがしかし、頬を撫でた柔らかな風は、彼の意志が篭もっているように感じられて。

「……全力――全開!」

叫びと共にかつてないほどになのはの魔力が開放された。
波動となって大気を揺るがすそれに戦闘機人たちは動きを止め、身構える。
防御態勢に入ろうとする者。避けようとする者。
だが、関係はない。

「ヱルトリウム――」

物理ダメージを抜いて、魔力だけでノックアウト。
これならば震動を施設に与えることもない。
そしてこの一撃は――

「――バスタァァアアア!」

トリガーワードの咆哮と同時、桜色の光が培養ポッドの並ぶ部屋を照らし上げた。
瞬間、ヴィータはなのはの背後へと移動魔法を用いて移動する。
そうでもしなければ避けられない。
何故ならば、この一撃は逃げ場もなく、防ぐことも叶わないレベルの砲撃魔法なのだから。

轟音と共に吐き出された砲撃魔法は決壊したダムのように、逃げることを許さず、防御を押し潰して、次々に戦闘機人たちの意識を刈り取る。
あまりに一方的なその威力。もし物理破壊設定ならば、この施設が存在する山に穴を開けかねないほどの代物だ。
砲戦魔導師、高町なのはの真骨頂。

フルスペックを発揮し、更にリミットブレイクの第二段階に達した彼女の力は一つの至高と云えるだろう。

桜色の魔力光はこの場に存在するあらゆるものを蹂躙し、悉くを昏倒させてゆく。
たった一撃。
呆気ないほどにこの場の戦いは集結した。

















一陣の風が吹き荒ぶ。
トーレのような暴風ではない。
激しさを孕みつつも暖かさを宿すそれは春風に似ている。
サンライトイエローの光。
それが帯となり通路を通過し、通過した先から充満し、充満した輝きは両者の頬を撫でて過ぎ去っていった。
その刹那、施設の内部に満ちていたAMFが掻き消える。
完全に消えたわけではないのだろう。しかし重圧を感じるほどだったフィールド魔法は山吹色の輝きによって掻き消され、最早ないも同然となっている。

一体、何が、と。

シグナムはこの現象よりも、呆然と空間に満ちる魔力光に視線を向ける。
目を中空に向けた彼女の表情には、先ほどまでの険しさがない。
目を瞬き、見上げるその姿は、まるで親を見上げる幼子のようであり――

「……父、上?」

ぽつり、と彼女は呟いた。
通路を染め上げたサンライトイエローの瞬きは煌びやかに、しかし決して鮮烈ではなく、優しく照らし出すように存在している。
サンライトイエロー――エスティマ・スクライアの魔力光。
それをシグナムが見間違えるはずがない。
ずっとその色を見て育ち、目指すと共にいつかは守れるようにないたいと願っていた輝きだ。
だが、何故、この瞬間に――己が命を賭けようとした出鼻を挫くような形で。

偶然であるのか必然であるのか、彼女には分からない。
しかし、この現象が起こったことにより、シグナムが固く決めていた誓いが揺らいでしまう。
やめてくれ、と。
シグナムは頭を振る。泣きそうになってしまう。
後ろ髪を引く過去を振り切り、幸せなどいらぬと虚勢を張った。
そう、虚勢だ。自分自身に嘘を吐いていると自覚がありながらも絶対に、と決めた。

だのに、諦めようと思っていた温もりをこんな間近に見せ付けられては、振り切ることなど出来るわけがない。
嫌だ嫌だと駄々っ子のように頭を振るシグナム。
その頬を、一陣の風が撫でる。
それはまるで諭すように。真摯な願いを訴えかけているかのように、じくりと胸の奥に透過していった。

未練を断ち切るために念話は遮断している。
通信もレヴァンテインに頼んで繋いでいない。
だというのに、どこからか声が聞こえた気がして――

「……生きろ、と。
 こんな私に生きて恥を晒せと、そう云うのですね、父上」

泣き笑いの表情となり、シグナムは薄く笑みを浮かべた。
それは勝手な思い込みなのかもしれない。
しかしこの局面、死に向かおうとしている自分に助力と声を届けるような真似までされれば、そう思うなという方が無理な話。

……本当に、ワガママで自分勝手な。
こちらの意志など関係なく、言葉もなく乞い願うように山吹色の光はすぐ傍に在る。
距離は離れていても近くにいると云われているようで――ああ、ならば。
もう逃げるように鬱屈した誓いへ突き進むことなどできない。
できるわけがない。父を悲しませたくないという願いは今もこの胸に宿り、死を想いながらもそのためにシグナムは戦っていた。
しかしその死を忌避しろと云わんばかりにAMFを掻き消すこの光は、父が何を願って力添えをしてきたのか簡単に察することができる。

――俺だけはお前の味方でいる。何があっても独りにはしない。

そんな、決戦前の言葉を履行しているかのようだった。
……ここまでされて、まだ死にたがりに徹することなどできない。
まだまだ生きていたい。その希望を無視して命を燃え尽くしたくなんかない。
父は自分のことを肯定してくれると云った。ああ、それは本当なのだろう。
彼が後押しするのは虚飾で覆われた悲壮な決意ではなく、生きて日だまりに戻りたいという本当の望みか。

ならば――私は。

『……へぇ』

胸の内でアギトが声を上げる。
感嘆の響きで発せられたそれの中には、どこか野火が燃え広がる前兆の息吹があったように、シグナムには感じられた。

シグナムは己の胸中に座すユニゾンデバイスへと、語り掛ける。

「アギト」

『なんだ?』

「勝つぞ」

短く、シグナムは己の欲求を口にする。
それを聞いたアギトは、身震いするように声を大にして叫んだ。

『……よし。良し好し善し!
 それだよ。アタシはその気概を待っていたんだ!』

瞬間、身に纏っていた紅蓮が勢いを増し、大気を消滅させて床、壁、天井と近くにあるもの悉くを熔解させる。
今ここに。古代ベルカで猛威を振るっていた烈火の将が本来の姿を取り戻す。
再び顕現した灼熱地獄の中、吹き上がる魔力光の奔流に眩さを覚えながら、シグナムはトーレへと視線を送った。

獣でしかない戦闘機人のⅢ番は、しかし、その様子を一変させていた。
このサンライトイエローの輝きに何か思うところがあったのか。
一瞬前のシグナムと同じように彼女は宙へと視線を向けている。
呆然とした眼差しは、終始浮かんでいた狂気の色が薄れており、無垢な赤子へなってしまったかのようだ。
しかし、違う。
彼女を狂する何かと、内側から滲み出す何かが鬩ぎ合いを続けているのは、過剰に握り締められ震えるインパルスブレードを見れば分かった。

そしてトーレは何かの発作のように顔を顰めると、再び狂気の滲んだ目をシグナムへと。
だが――それと同時に取った姿勢は獣のものではない。
平手突き。インパルスブレードを寝かせ、相手を刺し殺さんとする姿。
それは獣ではなく、技巧を武器とする人の姿だ。

「そこにいましたか……エスティマ様ぁ!」

ムスペルヘイムによって焼け焦げた喉から発せられた声は酷く聞き苦しい。
が、彼女の発した言葉の意味を汲み取り、シグナムは不敵に笑んだ。

私が父上? 馬鹿な。まだ狂っているのか。
まぁ良い。ならばここで狂ったまま息絶えろ。
お前はもう二度と父と戦うことはない。
ここで切り捨てられ、塵芥になり果てろ。

……生き残るのは、私だ。

「「勝つのは――私だッ!!」」

咆哮と共に魔力光とエネルギー光が破裂する。
眩さを越え、痛みすら感じそうな光はサンライトイエローの輝きに抱かれ、衝突するべく勢いを増す。

相手を見据え、シグナムはレヴァンテインを握り締めたままマルチタスクを数多にも分割し、活路を見出す。
AMFは消えた。烈火の剣精は本領を発揮している。
だがしかし、まだ足りない。
如何に強力無比な一撃を放てるようになったのだとしても、あの戦闘機人を捉えるにはまだ足りない。
速さ。その一点を突き詰めないことには、生への渇望が無為に潰える。

今の自分に可能な速度の限界とは、一体なんなのか。
移動魔法に乗せた斬撃? 成る程、確かに。間違いではない。
しかし、まだ足りない。トーレとの間にある壁は絶対的であり、小手先の一つや二つでは打倒し得ない。

ならば――

シグナムは思い出す。
父が紫電一閃を使用したと聞き、興味本位でそれがどんな魔法か調べた時のことを。
蓋を開ければそれは紫電一閃と似ても似つかない代物で、しかし、一撃に強大な魔力を込めるという点では確かに紫電一閃に相違ない技だったソレを。

シグナムにそれを真似るのは不可能だ。
繊細な魔力操作。デバイスの特性。下地となる経験。
それらが彼女には絶対的に足りない。足りないが――

『……任せろ』

シグナムの意向を汲み取り、アギトは魔法を行使。
シグナムの足元に古代ベルカ式の魔法陣が展開し、それを切っ掛けとして身体に纏われていた業火が掻き消えた。
次いで、レヴァンテインがパンツァーガイストの輝きに包まれる。
鞘だけではなく、柄尻までも。すべてが魔力の殻に包まれた状態で、カートリッジが四連続でロードされる。
結果、炎が吹き上がる。普段ならば。
しかし破裂した業火は吐き出されず、すべてが鞘の中で燃え上がり、逃げ場を求めて荒れ狂う焔が鞘を軋ませる。
それをパンツァーガイストで封じ込めながら、シグナムは愛機を握り締めた。

足を開き、腰を落として、沸き立つレヴァンテインを握りしめる彼女。
放とうとしている技は、アレンジを加えた紫電一閃。

しかしそれは参考にしたものがエスティマの紫電一閃・七星であるが故に、元の魔法と似ても似つかない一撃と化している。
鞘の内部に暴発寸前まで溜め込まれた勢いを、居合いに乗せて放つ。言葉にすれば単純だが、それを行うためには魔力、剣技、そして思い切りの良さという三つの要素が必要となる。

だが博打でしかないその一撃に一縷の望みを託し、必殺の意を乗せて、彼女は呼吸を整えた。
頬を伝う汗はレヴァンテインから放たれる熱のせいではない。
敗北が即、死に繋がるこの状況を切り抜けられるかどうか、という不安から溢れ出した冷や汗だ。

防御魔法で防ぎきれない熱が握る掌を焼く。
炎に耐性のある彼女ですら防ぎきれないその熱に、しかし、今この時だけは頼もしさを覚えた。

瞬間、静止していた時が動き出す。
準備が完了するのを待っていたようにトーレは爆ぜ、一直線にシグナムへと殺到する。
真っ向から肉薄する彼女は衝突コースに乗った流星と形容して良い。
逃げることは叶わず、受け流すことも不可能。
目視することは既に夢物語の域に達し、待ち受ける運命は、死、そのものである。

が――

トーレが動いた瞬間、シグナムもまた動いていた。
移動魔法を発動し、己の挙動を限界まで早める。
そして、次に。
パンツァーガイストを解除し、ロックされていた鞘とレヴァンテインの連結を解除する。
その結果起こることとは。
考えるまでもなく、鞘の中で圧縮されたエネルギーが奔流となって溢れ出す。
居合いの要領で抜き出した刃に付加された勢いは、音の壁を引き裂いた。

暴発と形容するに相応しい現象だが、しかし、アギトの助力によりエネルギーは相手を切り伏せるための一点に収束され、弾丸の如き勢いで刃は空を薙ぐ。

交錯する灼熱色の刃と、紫の殺意。
レヴァンテインが大気を横に薙ぎ払い、インパルスブレードが紫電を散らし標的を刺し貫く。
交錯は一瞬。
その勢いに激突は許されず、刹那の内に必殺の技を抜き放った両者は、瞬く間にお互い背を向け合っていた。
そして――同時に。
崩れ落ちる音を立てて、二人は床へと膝を着く。













ティアナがウェンディを視界の中心に捉えた瞬間だった。
サンライトイエローの光が風となって通路を走り、通過した空間は柔らかな光に包まれる。
それを見たウェンディは、何事かと目を瞬かせている。
ティアナもまた、何が起こったのかと出鼻を挫かれた気分になったが――

クロスミラージュのコアが瞬き、AMFが消えたことを伝えてくる。
AMFC。これはおそらく、いつか開発室でシャリオが話していた部隊長の切り札なのだろう。
そう思い、そして、彼女はクスリと小さく笑い声を漏らした。

このタイミングで――力を貸して欲しい、なんて思った瞬間に横槍を入れてくれるなんて。
不意にティアナの脳裏へと、一つの光景が浮かび上がってくる。
結社の設立が宣言されたあの日、焼け落ちる隊舎で絶望に心が折れかけそうになった自分が見た風景を。
あの日見た景色を忘れはしない。自分が魔導師になろうと思った切っ掛けが兄の死ならば、その後の道筋を定めたのは一人のストライカーが助けてくれた瞬間だ。

そして今また、あの時のように助けられる。
少しだけ情けなくはあるけれど――けれど。

……ありがとうございます。もう大丈夫。

クロスミラージュを握り直し、ティアナは床を蹴った。
AMFは消えている。今の自分はフルスペックの魔法が使える状態だ。
だからと云って敵が強大なことに変わりはない。
だが、この瞬間まで構築し続けた戦闘の流れはまだ生きている。

エスティマのような希少技能を持たないティアナだが、しかし、この時だけは刻の進みが遅く感じられた。
ダガーモードのクロスミラージュを腰だめに構え突貫する自分。対して戦闘機人は、手に持ったデバイスをこちらに向け――マズルフラッシュにも似た瞬きが発せられた。
瞬間、ティアナの掌からクロスミラージュが弾かれる。
この期に及んでティアナ自身ではなくデバイスを狙ってきたのは、やはり侮っているが故に、だ。
それを行わせるために、わざわざティアナは目立つ構えでクロスミラージュをウェンディへと向けていたのだから、こうならなければ意味がない。

見れば、ウェンディは射撃を行ったデバイスをそのまま突き出して、あの時と同じように鳩尾狙いの一撃を――

『Blitz Action』

刹那、ティアナの手から離れたクロスミラージュが構築していた魔法を発動させた。
それに伴い、ティアナの身体は加速する。
地上で使用するにはあまりにも加速のつきすぎるそれを――しかし、ティアナは成功させた。
迫り来るデバイスを避け、円を描くようにウェンディの背後へと。

しかしデバイスは――ある。
ティアナはウェンディの背後へと回った瞬間にポケットへと手を突っ込み、待機状態のデバイスを起動させた。
クロスミラージュとは似ても似つかない外観の拳銃型デバイス。その名はドア・ノッカー。
射撃を主に使う魔導師のために作られたデバイスだというのに、最大の特色は零距離射撃にあるというそれを、ティアナは今、発揮していた。

セットアップが完了したデバイスの銃口をウェンディへと叩き付け、展開されたオートバリアを鈍色の銃口が食い破る。
ゴリ、という鈍い音と共に、ウェンディの後頭部へと標的は定められ――

「……次戦う時は本気出すっスよ」

「残念。アンタとは二度と戦いたくないわ」

引き金を引き絞り、大口径のカートリッジが炸裂。
同時、非殺傷設定の弾丸がウェンディの意識を刈り取った。

















対峙した二体の戦闘機人。
スバルとノーヴェは、視界の隅を走ったサンライトイエローの光を合図とし、構えた拳を衝突させた。
スピナーが悲鳴を上げながら、極限まで高められたエネルギーと魔力に火花が散る。
片や振動破砕。対物破壊にはこの上ない効果を発揮し、戦闘機人に対しては切り札になりうるIS。それを乗せた一撃。
片や砲撃魔法。だがそれは、戦闘機人のエネルギーと魔導師としての魔力が同時に込められた、強力無比な一撃。

「はあぁぁぁぁああっ!」

「うおおぉおおおおっ!」

スバルとノーヴェは雄叫びを上げ、拳に全身全霊を込め、相手を打倒するべく瞳を爛々と輝かせる。
放たれた拳は交差することなく、真っ向からぶつかり合う形となった。
ノーヴェの生み出したスフィアとスバルの放つ振動破砕が真正面から衝突し、発生した圧力と衝撃に大気が絶叫する。

どちらも己の極限であり、至高の一撃と云える。
だが――忘れてはいけない。
この瞬間、施設を覆っているのはAMFCである。
AMFによる魔力の減衰を無効化し、フルスペックの威力を発揮する結界魔法。
それはこの場において、魔力を使用したノーヴェの攻撃に力を貸した。

しかし――

ビキリ、という硬質の音が上がった瞬間、ノーヴェは怯えたように動きを止める。
それの発生源はスバルのリボルバーナックルだ。自らの放った振動破砕と正面から叩き付けられた砲撃魔法に耐久力が限界を迎えようとし――そのため、ノーヴェは動きを止めた。
しかしスバルにそのつもりはない。そして、ノーヴェが何を思っているのかも彼女には関係がない。

勢いを失った砲撃魔法を真っ向から打ち砕き、スバルの拳はノーヴェの胸板へと直撃する。

……母を取り戻すために戦っていたスバルと、母を失いたくなかったノーヴェ。
皮肉にもこの戦いは、後者の想いが強いものだからこそ、性能差を覆す結果が出てしまった。
















「ギンガさん!」

「ええ!」

サンライトイエローの光と共にAMFが消え去ったことを確認したギンガは、即座にグリフィスへと連絡を入れた。
そしてキャロは、これから行われる転送を一刻も早く完了させるべくサポートを開始する。
蔓延し始めていた諦めの空気は、山吹色の風に薙ぎ払われたように消え去っている。

これなら――とエリオは希望を抱く。
その瞬間だ。

ずっと立ったままだったルーテシアが足下に魔法陣を展開したのを見て、眉根を寄せた。

「……ルーテシア?」

「……このままじゃ、お母さんも埋まっちゃう。
 だから、手伝う」

それがどんな意味を持つのか、彼女が分からないわけでもないだろう。
彼女にとってはやむを得ないとは云え、それは明らかに結社への離反だ。

「……協力」

「……え?」

「協力、してくれるんでしょ?」

ルーテシアの呟いた言葉に、エリオは目を瞬かせる。
協力するとは、確かにエリオが口にした約束であり、無論、違えるつもりはない。
彼女からすれば、他にやりようがないから妥協しただけだ。それは、エリオも分かっている。
しかし、自分の言葉が僅かでも通じた気がして、小さな――しかし確かな達成感が、エリオの胸に息吹いた。

















『……この、忌々しい魔力光はッ!』

耳に差し込まれたワイヤレスのイヤホンから、クアットロの甲高い声が聞こえてくる。
それを含めた送られてくる音声のすべてをマルチタスクで聞き分けながら、スカリエッティは現地で起こっているであろう戦いを夢想する。
眼前に展開された小型ウィンドウが真っ暗な牢の中を照らし、それに浮かび上がったジェイルの表情は、どこか満足げだった。

遂に解き放ったかと、彼は誰にともなく呟く。
思った通りだ。無茶をしないと決めた彼が全力を振るう状況――それを造り出すのは、おそらく他人。
守りたいと願った者たちの声によって、やはり彼はジョーカーを切った。

もしこれがエスティマの意志で生まれた状況であったら、またスカリエッティは彼の敵へと回っていただろう。
ああ情けない。君の覚悟は自らの命よりも軽かったのか、と。
だがそうならず、彼は命と等価値と定めた約束を、他者の願いによってねじ曲げた。

なんて清々しいほどに真人間として歪んでいるのだろう。
人は一人では生きて行けない。それを体現しているようではないか。
ともあれ――

「それにしても。
 エスティマくんはまず負けないと思っていたが、他の子らも粘っているね。
 これは一つの奇跡と云うべき状況だろう。が……シャリオ。君はこれを狙っていたね?
 sts計画……その真価が体現されているわけだ」

sts計画。エスティマとシャーリーの二人が中心となって水面下で動き続けていた計画だ。
それの掲げているものは荒唐無稽と云ってもあながち間違いではない。
魔導師をデバイスの面からバックアップし、戦力の底上げを図り、それによって戦場の流れを変える、絶対的な存在を生み出す。

このsts計画――その根底にあるものを、ジェイルは面白いと笑う。
絶大な戦闘能力が戦況を左右するだろうか。それは確かに。間違いではない。
しかし――ならばAMFCというチョイスは些か的外れと云える。
ブレているのだ。確かにAMFを無効化することは、戦場の流れを変えることとイコールではある。
だが、AMFCそのものは絶大な戦力ではないだろう。

sts計画の真意とはおそらく。エスティマやシャリオは気付いていないのかも知れないが。
人為的な希望、奇跡を生み出すものではないかと、ジェイルは考えている。

至高の超越に至った戦闘能力を持つ魔導師を生み出すことにより、その戦場で戦う仲間に希望を抱かせる。
勝てる、と信じ込ませる。計画の語源であるストライカーがそういう存在であるように。

その答えこそが相応しいとでも云うような状況が、画面の向こうで生まれ続けているのだ。
間違いなどと誰も云えまい。

「今こそ云おう、エスティマくん。
 君こそが――黄昏を黎明へと塗り替える君こそが。
 人であり、ストライカーと呼ばれる魔導師だ」



















『おのれ、この程度で……!』

雨音に混じって夜空に木霊する絶叫は、巨大ガジェットから発せられた。
施設の隠されている山。
ゆりかごが飛び立つためにひび割れた地面から立ち上るサンライトイエローの光は、うねり、帯のように束ねられて空へと伸び、オーロラのように空を輝かせるヴェールと化している。
闇夜が照らし上げられ、真昼のような――否、すべての暗がりを振り払う夜明けのような。

その輝きの中、上空で戦場を見渡す八神はやては、戦うことを忘れたように瞬きをしながら展開されたAMFCを眺める。
これが――AMFC。
シャーリーとエスティマくんの作った切り札?

確かに軽くなったと、はやては背中のスレイプニールに視線を向ける。
巨大ガジェットのAMFによって頼りなかった黒翼は力強さを取り戻し、確かな空に浮かぶ感覚を返してくる。
それでも強力なAMFが完全に消し去られたわけではないが、これなら――

そう、これなら――

はやてと同じことを思うのは、この場にいる全員だった。
巨大ガジェットのアームに掴まれているフェイトはリミットブレイク――真・ソニックフォームを発動。
ライオット・スティンガーを身を締め付けるアームに叩き付け、火花を散らしながら鋼鉄の腕は溶断された。
更にもう一本の刃を生み出して、フェイトは身体にしがみついている鉄塊を取り外しにかかる。

が、クアットロはそれを見逃さない。
残ったアームを振りかぶり、フェイトへと叩き付ける――が、蟹挟みが穿ったのは自らの残骸。
フェイトの姿は既に掻き消えており、虚しく空を切った腕にクアットロは歯を噛み鳴らす。その音がスピーカーから漏れ出した。

瞬間、クアットレスⅡの姿が掻き消える。
おそらくはクアットロのIS。あのガジェットにもそれを付加できることを切り札として隠していたのか。
大気が焼け、吹き荒ぶ嵐によって打ち付けられる水が蒸発する音が響く。
だがしかし、誰も巨大ガジェットの姿を確認することはできない。"認識できない"のだ。

次いで、空が紅蓮の色に瞬く。
チャージを終了したイノメースカノンが虚空へと吐き出され、はやては瞬時に二重のシールドを展開した。
着弾すると共にあっさりとシールドが引き裂かれるが――

『……何!?』

業火は確かに八神はやてを貫いた。そのはずだ。
クアットロ以外の者の目にもそう見えたが、しかし、後に残ったのは舞い散る黒翼のみ。
エスティマが使うものと同じ幻影魔法――と気付いたときには遅い。

姿は見えなくとも砲撃が放たれたことで位置は特定できた。
はやてが指示を出すよりも早くフェイトが反応し、雨空を雷光の如く引き裂いてライオットスティンガーを走らせる。
結果、残った一本のアームを奪い取られ、クアットレスⅡはノイズ混じりに姿を現した。

『AMFがなくなったからって……あなたたち如きに!』

が、そこからは今までの焼き増しだ。
接近してきたフェイトへ反撃するべく巨大ガジェットがカメラアイを瞬かせる。
が、

「ならばその、如きが放つ刃、受けてみろ!」

フェイトが逃れた瞬間、巨大ガジェットの下に巨大な古代ベルカ式の魔法陣が出現した。
次いでそこから跳ね上がる鋼の軛。コックピットを避けて強固であった殺戮機械を刺し貫く。幾重にも、幾重にも。
AMFが展開されていた時とは違い、金切り音を上げ、火花を散らしながらも魔力光で彩られた刃は鋼を食い破った。

『まだよ……まだ終わらない、終わらせないわ!』

が、それだけでは巨大ガジェットの動きは止まらない。
側面に備え付けられたカバーがスライドし、数多のレーザーレンズが顔を覗かせる。
それで近寄る者を一掃するつもりなのか。光が集い、ヤマアラシの如く光条が放たれようとする。

が、それを防ぐ者がいた。

「いいや、終わりだよクアットロ」

地中から姿を現したシスターシャッハ。彼女はヴィンデルシャフトを全力で一閃し、その刃を足場として小柄な影が夜空に飛び立つ。
更に足場として展開された鋼の軛を階段として駆け上がり、ナンバーズのⅤ番、チンクは片手に三本、計六本のダガーを投擲。

「IS発動――ランブルデトネイター!」

刃は巨大ガジェットに触れる寸前に破砕し、粉塵を巻き上げる――それを通過したレーザーは、爆発による煙りと雨によって威力をほぼゼロへと。
チンクの攻撃は終わらない。頭を下に落下しながら、腕を一閃。巨大ガジェットを囲むように発動したオーバーデトネイションはレンズへと一斉に突き刺さり、爆炎と共にガラスを粉々に打ち砕いた。

悲鳴のように巨大ガジェットから異音が上がる。
装甲の隙間から黒煙を噴き上げ、機械部品を剥き出しにして紫電を散らしながらも、鋼の軛によって縫いつけられた巨大ガジェットは砲口に業火を灯す。
狙いは上空のはやてだろう。照準が定まっているかも怪しいそれは、小爆発を繰り返しながらも紅蓮の炎を――

火炎の華が咲いたのは巨大ガジェットの方であった。
何が起こったのか。それは、イノメースカノンの砲口が存在する空間に突如出現し、旅の鏡から放たれた一発の弾丸が引き起こした決定打。
泥にまみれ、火傷を負いながらもヴァイス・グランセニックは巨大ガジェットへと中指を立てる。
ざまぁ! と彼が叫ぶと同時に、決壊寸前まで高められたイノメースカノンのエネルギーは暴発し、拘束する鋼の軛ごと機体を抉る。

残るは本体。
ずっと事態を見守っていたはやては、小さく笑みを浮かべた。
そして、溜め続けていた砲撃――この場に相応しい魔法へと、シュベルトクロイツを構える。

その彼女に応じるように。
位置ははやての真下。中間に巨大ガジェットを挟み込む形で。
バルディッシュをライオット・カラミティへと変形させたフェイトが、同じように足元へミッドチルダ式魔法陣を展開していた。

遠く、姿すらもぼやけるほどだというのに、はやては何故か彼女と目が合った気がした。
今この場においては、ずっと二人の間に存在していた溝がなくなったように。
それはさっき――フェイトと交わした念話のせいなのかもしれない。

自分が死ぬのは嫌だと云ってくれた。
ずっと憎まれて――そうでなくとも間違いなく疎まれていると思っていたのに。
彼女の兄を振り向かせようとして、独占しているという自覚はずっとあった。彼女がどれだけ兄のことが好きなのか知っておきながら。

なのに――

『……合わせて。
 フェイト……ちゃん』

おずおずと、躊躇うように。
はやてはずっと呼んでみたかった風にフェイトへと念話を。

そして――

『分かった、はやて』

返された念話に、彼女は薄く笑んだ。
ああ、許してくれるのか。
そんな場違いな安堵が喜びとなって胸に満ちる。
だがそれをすぐに打ち消すと、標的を見据えて、トリガーワードを叫ぶべく腹に力を込めた。

「響け、終焉の笛――」

「走れ、稲光――」

紡がれる呪文。それに続いて展開される魔法陣は輝きをより一層強くして。
古代ベルカ式魔法陣からは三つの巨大なスフィアが。
ミッドチルダ式魔法陣からは魔力が迸り、構えた大剣に雷光が走って。

そしてお互いが力を溜めるように一拍置き、

「「……――――ッ!!」」

まず先に放たれたのは斬撃だった。
呪文に恥じない速度で大気を薙ぐ金色の刃は振るわれた瞬間にその身を伸ばし、上空に位置する巨大ガジェットを真っ二つに割り砕き、紫電が蹂躙し、それを触媒として天から雷が降り注ぐ。
一刀の下に両断された巨大ガジェットは、追撃として叩き付けられた雷光によりその身を爆ぜさせる。
千切れ飛ぶ鉄屑は雷撃によって飴のようにひしゃげ、本来の硬度を失って飛散する。

その際に巨大ガジェットから飛び出した影を、はやては逃さない。
フェイトに遅れて放たれた白色の砲撃魔法、ラグナロクは逃げ場を塞がんと拡散しつつ吐き出され、巨大ガジェットの上げる爆炎をも飲み込んで。
脱出したクアットロを、魔力光の濁流が呑み込んだ。
















眼前に迫る砲撃を、クアットロは酷く冷めた視線で見詰めていた。
酷く緩やかな速度で押し寄せてくるのは、おそらく気のせいだろう。
危機に瀕した際、世界が遅くなるとは良く聞く話であり、おそらくこれがそうなのか。

ああ終わりなのね――

胸中で呟くクアットロ。
言葉にする暇はない。もししてしまえば、この緩やかな時間が止まってしまいそうで、口にはできなかった。
負けたくない。嫌だ。その感情が決定的な敗北までの時間を延ばす。
しかしもはやこの場の敗退は決定的で、覆すための手駒は一つとして残っていない。

もう、勝つことなんて出来ないでしょうに……。
我ながら不様。想定外の事態にみっともなく取り乱して、あっという間に形勢逆転だ。

こんなはずじゃなかった、という驚きと怒りがブレンドされた感情が胸を灼く。
敵を攪乱し、味方を騙し、すべてが自分を中心に回るよう暗躍した結果がこの様だ。
心の弱さに付け込んで――人間の抱く弱さを抉って勝利を手にしようと画策したものの、今、彼女は人の心が見せた強さによって敗北を叩き付けられていた。

ふと、視線を砲撃から逸らす。
が、空に広がっているのはサンライトイエローの魔力光であり、それは明るく夜空を染め上げている。
なんて嫌な色。忌々しいったら。

セッテちゃんは勝つかしら。坊やは無事かしら。
自分の敗北を認めざるを得ない状況になった今、彼女が考えることはそれだけだ。

自分の夢。あの子さえ残っていれば。
大丈夫、保険はかけた。おそらく残ってくれるはず。
自分は敗れようとも、唯一残った姉があとはなんとかしてくれるだろう。

……悔いはない。あるにはあるが、どうしようもない。

目を伏せ、クアットロは口元に笑みを浮かべる。
そして最後に、本当に嫌な色、と呟いた。

煌びやかで目に痛い、ある種、嘘臭くすらある光。
こんなものに負けるだなんて――

この上ほどに腹立たしさを抱きながら、クアットロはクアットレスⅡから唯一持ち出した手持ち式のスイッチを押した。
それはクアットレスⅡの動力源となっているレリック。
その保護ケースが合図と共に割れ、剥き身となって大気に散らばる。
使用されていた計六個のロストロギアは戦闘で内包する魔力を多大に消費していながらも、結晶体を破裂させた。

内部に収まった、魔力と共に。

嘲笑を浮かべながら、クアットロはラグナロクの光に飲み込まれる。
非殺傷設定のそれは一瞬で全身から力を奪い、衝撃で意識が即座に遠のく。
だが最後の瞬間まで、彼女が抱いていたのは敵に対する怨嗟であった。






[7038] sts 二十四話
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/03/13 18:23


「ぐ、ぁ……!」

レヴァンテインを取り落とし、シグナムは左肩を押さえた。
視線を向ければバリアジャケットを貫いて抉られており、断面からは肉と骨が覗いている。
それはすぐさま溢れ出した鮮血へと埋没し、傷口を覆い隠す。
目に入れることも忌避したい凄惨な傷だが、しかし、これで済んだのは幸運だったとしか云えない。
僅かでもずれていれば喉笛を刺し貫かれていたのだろう。
それを防ぐことができたのは、トーレの速度に匹敵する挙動を行えたからか。

対し、トーレは。
彼女はシグナムと違い、鮮血の一つも流していない。
だがそれは――臍付近から左脇腹までに走る傷の断面が、完全に炭化しているからだった。
一拍遅れ、その表面から血が滲み出す。
喀血しながらその傷口を押さえ、トーレは蹲った。

深手は与えた。敵に回復手段はない。まず間違いなく致命傷だ。
だから、トドメを刺さなければ――

頭ではそう理解していながらも、力の抜けてゆく感覚に、シグナムは歯噛みする。
たった今つけられた大怪我と、一瞬で大量の魔力を消費した虚脱感。
そして、未来はともかく、現在のキャパシティを越えた力に縋ったのが悪かった。
更に、勝負を決する一撃を放つ前には一方的な蹂躙を受けている。
プログラム体故の頑強さが彼女にはあるためまだ戦えるのかも知れない。
が、この時だけは積み重なった無茶に身体が着いてきてくれなかった。

足掻こうと震えるシグナムを余所に、コツリ、と背後で音が上がる。
それは戦闘機人の足音だ。硬質な足裏が立てる音色に、敵が再起したのだとシグナムは気付く。

……嫌だ。私は、死にたくない――!

肩へとのしかかる死神を振り払わんばかりの勢いで、シグナムは振り返る。
が、目に映った光景は彼女の予想を良い意味で裏切っていた。

立ち上がった戦闘機人はインパルスブレードを消し、立ち尽くしながらこちらを見ている。
何が、と思い、同時に、彼女の瞳に理性の輝きが戻っていることに気付いた。

状況を飲み込めないシグナムを余所に、トーレは頭を振る。
そして苦笑を浮かべると、傷口を押さえた手をそのままに、視線を寄越してきた。

「……見事。できればお前とは、もっと早くに出会いたかった。
 名を、教えてくれないか」

やはり敵の声は喉が焼けているため聞き取り辛い。
しかし、真摯な響きの宿るそれを無下にすることはできず、咀嚼するように意味を飲み込んで、シグナムは口を開いた。

「……シグナム。
 シグナム・スクライア。
 エスティマ・スクライアの娘だ」

「ああ――そうか」

何が可笑しいのか、戦闘機人はくつくつと笑いを噛み殺した。
死に瀕する怪我を負っているというのに、微塵もその様子を見せず。
空いた手で額を抑えると、溜め息を一つ吐く。

「そういえば、あの方には娘がいたか。
 今この時まで、忘れていたよ。
 ……エスティマ様の娘、シグナム。お前に感謝を。
 苛烈な一撃は、私にすべてを思い出させてくれた。
 できることなら、この場で続きをやりたいところだが……」

云いながら、トーレは再びインパルスブレードを展開する。
両手両足に瞬くエネルギー光と共に彼女の身体は浮かび、彼女は視線をシグナムから逸らす。

「既にこの身は一度負け、その時に朽ちている。
 朽ちねばならん。
 死人には勝利も敗北も与えられてはいけない。
 そのはずだと、私は信じている。
 故にお前に負けるわけにはいかん。そして勝つつもりもない。
 ……先延ばしにしていた終わりを、私は甘受しに行こう」

「貴様……まさか」

まさか、父と戦うつもりなのか――?

それに思い至り、待て、と声を上げるも、トーレの方が早かった。
どこにそんな力が残っていたのか。
ISを発動させると同時、トーレの姿はあっという間にこの場から離れてしまう。

「行かせん……!」

『おいおい待てよ! 治療が先だろ!?』

「そんなことをしている暇は――!」

『だからってボロボロの身体を推して行けば、役に立てるかどうかも分からないだろ!
 待ってろよ。そう時間はかけないからさ』

アギトの言葉に、確かにそうだ、とシグナムは焦燥を押し殺す。
死ぬほどではないにしろ、この身体で戦えるわけもなく。
父の元へと急行し、もし加勢が必要な場面へ直面しても今のままでは力になれるか怪しい。
否、なれないだろう。
だから今は傷を癒すのが先決だと、分かっているが――

決して遅くはないアギトの治療に苛立ちながらも、シグナムは眉根を寄せる。
……父上。すぐ、助けに行きます。

その一言を胸中で噛み締め、彼女は父の無事を祈った。















壁へと背中を預けながらティアナは、呆、と天井を眺めていた。
僅かに入っていた亀裂は影を長くし、ひび割れは今、蜘蛛の巣のように天井に走っている。
それをただ見ているティアナに焦りがないわけではない。
施設を襲う揺れは酷くなる一方で、崩壊はすぐそこまで迫っているのだろう。
しかし、どうにかするにしても今の自分には何もできないことを、彼女は理解していた。

左肩はウェンディから受けた射撃と、その余波で吹き飛んだ際に受け身が取れなかったことで動かない。
おそらくは折れているのだろう。外れたのではなく折れた。完治に一体どれだけの時間がかかるんだ、と頭が痛くて仕方がない。
その上、右腕。こちらはドア・ノッカーで零距離射撃を行った際、焦って手首を固定しなかったため嫌な方向に折れ曲がっている。

……脱臼で済んでれば良いんだけど。

そんな風にどこか他人事のように考えて、彼女はわざと怪我を意識しないようにしていた。
こんな状況ではもう、動くことすらままならない。今はじっとしているから良いものの、立ち上がればその振動で激痛に悶える羽目になることは容易に想像できた。

あくまで一般人の延長線上にしかいないティアナにとって、この怪我は経験したことのないほどの苦痛だった。
こんなものをいくつも乗り越えて前線で戦っている隊長陣はやっぱおかしーわ、などと呆れて、彼女はため息を吐く。

つい、とティアナは視線を流す。
その先には俯せに倒れているウェンディの姿があり、大の字に近い体勢で四肢を投げ出している彼女は、バインドで拘束すらされていない。
それだけの余力がティアナに残っていないということもあるが、ウェンディが完全に気絶していることを知っているからこそ放置しているという面もある。

……そのおかしな連中の末席に自分も連なっており、その証明とも云うように己が倒すべき敵を打倒することだけはできた。
ご覧の通りに満身創痍で、勝ち方も決して華麗とは云えない代物だったが――私らしいか、とティアナは苦笑する。

そうしていると、だ。
通路の奥から――サンプルとなっていた人々の入った培養ポッドが転送されたため、寒々しい――ローラーブーツが地面を削る音と、忙しない足音が聞こえてきた。
目を向ければ、そこには仲間たちの姿があった。
中には見慣れない姿が二つ。一つはスバルが背負っている戦闘機人Type-R。そしてもう一つは、エリオとキャロに並んで駆け寄ってくる小柄な少女だ。
……戦闘機人はともかく、あの子は何?

訝しむように視線を送っていると、皆はティアナの元へと近付いてきた。

「ティア、大丈夫!?」

「……ご覧の通りよ。ごめん、あんま騒がないで。怪我に響くの」

「……う、うわ、どうしよ」

「今、応急手当をしますから!」

鬱屈としたティアナの声に慌てるスバル。
そんな彼女と違って、キャロは即座に足下へ魔法陣を展開すると、治癒魔法を発動させた。
それによって劇的に症状が良くなるわけではない――急激な回復魔法の使用は毒でしかない――が、痛みが徐々に引きはじめ、ティアナは少しだけ余裕を取り戻す。
動いてくれない両腕を引きずるように立ち上がって、彼女はギンガへと視線を向けた。

「えっと、ギンガさん、状況は?」

「囚われた人たちは全員転送完了。
 あとはシグナムを――と云いたいところだけど、良いニュースよ。
 あの子は健在。戦闘機人との戦闘を切り抜けて、今はエスティマさんを救出しに動いてる。
 これからは撤収。施設の崩落に巻き込まれるわけにはいかないからね。
 エリオくん、ティアナ、スバルは倒した戦闘機人を連れて外に出て。
 私たちはこれから、なのはさんが倒した量産型の戦闘機人たちを外に転送しないとだから」

「……分かりました」

……ここまで、か。
転送魔法という技能を持つキャロと見知らぬ少女は残るしかないとしても、自分はここから離脱すべきだ。
スバルやエリオはともかく、今の自分は足手まといでしかない。
その上、倒した敵を保護する必要がある以上、ここで戦線を離脱するのは仕方がないことか。

「ティアさん、後は任せてください。
 皆を外に送り出したら、私も帰りますから」

「……うん、気を付けなさいよ。
 ギンガさん、お願いします」

「ええ、そっちも。最後の最後まで気を抜かないようにね」

ギンガが声をかけてくると同時、ティアナ、スバル、エリオの三人を魔力光の残滓が包み込んだ。
見れば、二人の少女はグローブ型のブーストデバイスを構えて転送魔法を発動させている。
ここで、自分の戦いはお仕舞い。
やるべきことはやった。手は尽くした。結果も出した。
あとは皆が揃って無事に戦いを終わらせることができれば、何も云うことはないだろう。

……先に戻ります。

心の中でそっと、ウェンディとの戦いに力を貸してくれた人物に言葉を向けて。
ティアナたちは、結社の施設から離脱した。















リリカル in wonder













吹き荒ぶサンライトイエローの極光。
その中心部と云える場所で、数多の火花が空間を彩っていた。

打ち合うものは同種のデバイス。
だが先ほどと違うのは、応酬が一方的な蹂躙ではないということだ。

パワーバランスの傾いていた争いは今、エスティマの方へと。
フルドライブ状態で完全解放された希少技能は、彼が扱うデバイスたちも加速対象に含む。
通常の処理能力を大きく超えた領域で稼働する二機のデバイス。
彼女らの助力を受けて、エスティマは迫り来る断頭の刃を次々に回避していた。

そしてセッテの攻撃が止み、遂にエスティマの間合いへとセッテが入る。

冷却を開始している彼女はISを使って逃れることはできない。
つまるところ、エスティマが動いている次元の速さについてこれないと云うことだ。
セッテはどんな表情をしているのだろうか。エスティマはそれを確認せず、意識を研ぎ澄ませた。
極限まで引き延ばされた体感速度をそのままに放たれた斬激。一拍置いて確かな手応えがあり、次いで、轟音が鈍った聴覚を刺激した。

弾き飛ばされる、などという表現など生ぬるい。
半ば爆ぜるような勢いでセッテは壁まで吹き飛ばされると、盛大に粉塵を上げ、瓦礫の中へと埋もれる。

肩で息をしながら、エスティマは一瞬で築き上げられた瓦礫の山を睨む。

それと同時、充ち満ちていたサンライトイエローの光が徐々に勢いを弱め始めた。
力尽きたのではなく、グリフィスからの連絡を聞き、部下たちが危機を脱したと分かったからだ。

宙に浮かんでいたエスティマはAMFCを解除すると、地面へと降りてくる。
その際に小さくよろめいたのは、決して偶然ではない。
外傷こそ完全に消え去ったものの、限度を超えた治癒魔法の使用とレリックコアの解放。そういった目に見えないダメージが蓄積し、疲労が泥のようにまとわりついてくる。
それでも彼の瞳に宿った意志の光は微塵も弱っていない。
玉座の間に残る者たち――ヴィヴィオ、それに瓦礫の中へと埋まったセッテを流し見る。
そして最後にオルタ・スカリエッティへ視線を向けると、彼は口を開いた。

「……終わりだ、オルタ・スカリエッティ」

「そうかな?」

お前たちの負けだ、と敗北を突き付けるエスティマ。
しかし言葉を向けられたオルタは顔に浮かばせた余裕を崩さず、小さく首を傾げる。

「ああ、確かに結社の戦力は壊滅したさ。
 施設もご覧の通り。残るはゆりかご……と云いたいところだけれど――」

オルタがそこまで云った瞬間、今までにないほど強烈な揺れがゆりかごを襲う。
気を抜けば倒れそうになる震動をSeven Starsを杖にすることで耐え、エスティマはオルタを睨み付けた。

「そう睨まないで欲しいね。
 この揺れは、クアットレスⅡの動力炉として使われていたレリックが爆発したことが引き金となって起きたんだ。
 ゆりかごが止められる今、完全に崩落することはなくなっただろうに……君たちの頑張りすぎというわけさ」

「……なら、とっともお前を捕まえてここから出ることにする。
 お互い、生き埋めになるのは御免だろう?」

「生き埋め、ね……」

その言葉の何が可笑しかったのか、オルタはくすくすと笑い声を上げる。

それに違和感を抱きながらもエスティマは飛行魔法を発動させて再び宙に浮かび、左腕をオルタへと向けた。
サンライトイエローの魔力光が瞬き、バインドが今にも発動しようとして――

「ああ、エスティマさん。
 あなたはもう勝ったつもりのようだけど、あまりセッテを甘く見ない方が良い。
 確かにあれは強烈な一撃であったけれど……直撃はしていないよ?」

「……何?」

云われ、嫌な予感が腹の奥底から、そしてすぐさま背筋を駆け上り、エスティマはセッテの埋まっている瓦礫へと視線を向けた。
確かにあの瞬間、エスティマは攻撃に意識を集中させていたせいで敵の様子を把握してはいなかった。
しかし防御の上からでも敵を叩き潰せるだけの一撃は見舞ったのだ。間違いなく。
だから、まだ動けるだなんてことは――

だが、エスティマの思考を否定するように、魔力の奔流と共にセッテが埋まっているであろう瓦礫の山が吹き飛ばされる。
姿を現したセッテは額から血を流し、体中に粉塵を浴びはしているものの、立ち上がる姿から傷を負っている様子は見られない。
彼女は両腕に握った金色のブーメランブレードを一閃すると、足下に魔法陣とテンプレートの混ざった、幾何学模様のようなものを――ツインドライヴの発動、その兆候を見せる。
次いで、彼女のヘッドギアから蒸気が噴き出した。
今までは息継ぎをするように合間合間で行っていた冷却。それをずっと続けた状態で、

「……戦闘面において、あなたをSSSランク相当のストライカーと判断しました。
 オルタ・スカリエッティ。リミット解除の許可を」

「ああ、許可しよう。存分に暴れたまえよ」

「――了解」

彼女が呟いた瞬間、眩い光が玉座の間に残っていたサンライトイエローの残滓を根こそぎ吹き飛ばす。
叩き付けられる悪意のない、無機質故に異質な敵意。それにエスティマは汗を噴き出し、Seven Starsを握り締めた。

「……くるか。
 Seven Stars、リインフォース。
 フルドライブは継続だ。最悪でも、ヴィヴィオを助け出してここから逃げたい。
 このまま戦う。一撃入れて隙が出来たら、そのまま離脱だ」

『戦ってる暇なんて、残ってないのに……!
 オルタもあの戦闘機人も、ここで私たちと心中する気ですか!?
 ……うう、無茶だけど仕方がないです。
 ダメージフィードバックはもう限界近いですから、気を付けてください、エスティマさん』

『もしかしたら、敵は脱出手段を……ああ、考えてみれば当たり前ですか。
 あの戦闘機人が転送魔法を使うのならば、逃げるのは容易いことでしょう』

Seven Starsの言葉を聞き、エスティマは歯を噛み鳴らした。
自分たちは外へ逃げなければいけないというのに、敵にはその必要がない。
であれば、余力がそう残っていないエスティマだけでも倒して――と考えるのは不思議でもないだろう。

「IS発動。
 スローターアームズ・オーバーライド――リミットブレイク」

セッテがISの発動を宣言すると同時、彼女の姿が掻き消えた。
これはさっきまでの戦闘の再現。焼き増しと云っても良い。
敵の動きを目で追えない以上、四方から押し寄せる攻撃に対処する術はない。
反応するには直感で動くしかなく――しかし、

『――Zero Shift』

瞬間、エスティマの希少技能が発動する。
それに呼応して稼働を止めていたレリックコアが再度脈動を開始し、莫大な魔力が供給され出した。
それによって付加される加速の倍率は、今までの比ではない。
音の壁など遙か背後に置き去って、挙動、思考、魔力運用の速さは雷の速度にすら到達していた。
だがそれでも、死角から急所を執拗に狙ってくる斬撃を察知することは容易ではない。
首や主要な血管が通っている部位。失えば戦闘続行が困難になる部分。それらを一つでも抉られれば、動いているのが奇跡と云える今のエスティマは間違いなく戦えなくなるだろう。

そうして再び、斬首の刃が背後から現れる。
察知はやはり間に合わない。刃が虚空に出現した瞬間、エスティマはまだセッテの姿を目で追っていた。
このままでは、やはり――

『後ろです』

瞬間、強引とも云える方向転換をエスティマは行う。
それをさせたのはSeven Starsであり、彼女は主の命を守るためにハルバードを振るわせた。
火花が散るなど生易しい表現ではない。轟音を伴って激突した両者のデバイスは、閃光を上げて弾き飛ばされた。
そうして、次が――

『見えてるですよ!』

繰り出されるセッテの攻撃を防ぐように、リインⅡがシールドを展開する。
攻撃を阻まれることはなかったが、しかし、一瞬でも動きが止まれば今のエスティマには十分だった。

迫り来る凶刃をかいくぐり、必殺の意志を乗せて一分を一秒に、一秒を刹那へと、刹那を限りなくゼロに、己の活動する位相をシフトし、彼は両手で握ったハルバードを振り上げる。

共に加速対象となった二機のデバイスたちに助けられながら目の届かない、察知も難しい攻撃を避け――そうして、再びエスティマはセッテを捉える。
見付けた――転送されてくる攻撃を次々に避けながら、エスティマは敵へと一気に迫り寄った。
連続した転送を行おうとも、刹那に満たない瞬間、転送を行った直後、セッテはそこに存在している。
常人にとってそれは隙でもなんでもない。事実として姿を見せているのだとしても、だからなんだとしか云えないだろう。

だが――エスティマは違う。
彼が扱う希少技能・加速。
己の体感速度、思考速度、魔力運用速度、魔力放出速度、その四つを極限まで引き上げることができる彼だけは、セッテの姿を捉えることができ――そして今、彼にしてみればセッテは止まっているのにも等しい。

迫るエスティマに、セッテは両手に握ったブーメランブレードを投擲してくる。
戦闘機人の腕力で投げられたそれは、バリアジャケットの上からでも敵を簡単に殺害するだろう。

しかし。
甘い、とエスティマはそれを笑う。ただ飛んでくるだけの攻撃を捌けないとでも思ったのか?
踊るようにハルバードを一閃、二閃。金属同士が衝突する絶叫は、上がらない。そんなものが発生する領域はとうの昔に追い越している。

「ここは――俺の距離だ!」

更に距離を詰め、得物の射程範囲に敵を捉えた。
腰だめに構えたハルバードを勢い、腕力、それらのすべてを乗せて横薙ぎに――

『いけません! 避けて、旦那様!』

Seven Starsから届いた念話に、エスティマは舌打ち混じりで身体を捻った。
その瞬間だ。間違いなく弾き飛ばしたブーメランブレードが虚空から出現し、エスティマの首があった空間を薙ぐ。
が、それはすぐに姿を消して――

『そういうことか……!』

再び出現したブーメランブレードを、エスティマは渾身の力で切り払う。
しかしやはりブーメランブレードはすぐに姿を消して、あろうことかエスティマが弾き飛ばした際に付加された勢いを乗せて急所へと殺到してくる。
雷の如く軌跡を描くエスティマ。それを捉えんとするブーメランブレード。
セッテのリミットブレイクとは、つまりそういうことだ。
一度投擲されれば最後、弾こうが避けようが、相手を絶命させるまで跳び続ける悪夢じみた刃。
その上、切り払えばその勢いを上乗せしてしまう。
直接斬りつけられる以上にタチが悪い。
更に――

「――」

トリガーワードは加速したエスティマの耳に届かない。
だが、セッテは彼への対処を武器に任せて砲撃魔法を構築している。
射出される先にあるのは、旅の鏡にも似た転送ゲート。
もし放たれでもすれば、二つのブーメランブレードを避けるだけで手一杯になっているエスティマへ、更なる暴力が押し寄せるのだろう。
そうなれば、今度こそ絶対に命はない。

ならば――

『……使うぞ。Seven Stars、リインフォース。
 紫電一閃・七星だ』

やや躊躇いながら、エスティマはデバイスたちに指示を出した。

セッテを完膚無きまでに打ち破るには。
雷の速度を発揮している今、それを上回る一撃を望むのならば。
おそらく敵に届く攻撃は、それしか存在していない。

過去、紫電一閃・七星を使用したことは二回だけ。
一度目はクアットレスⅡとの戦闘で、希少技能を用いらずに放った。
二度目は六課での戦闘で、不完全な技をセッテによって破られた。
ならばここで三度目、完全な形の紫電一閃・七星を放とう。

『はい、旦那様』

エスティマの宣言に応じ、Seven Starsは己のフレームに左腕から供給される魔力――電気変換されたそれを、全身へと滾らせる。

『はいです。
 こんなところで死んじゃうために、リインは生まれてきたわけじゃないですよ』

次いで、リインⅡが外装の冷却を始めた。
急速に冷却され始めるSeven Starsの外装。希少技能の恩恵を受けている今、氷点下を更に超え、絶対零度にまで一瞬で冷え切らせるのは難しくはない。

暴発したかのように、Seven Starsを中心に雷が大気を灼く。
凍て付いた空気は雷によって蹂躙され、煌びやかでありながら終末的な風景を作り上げ、踊る稲光は迫りくるブーメランブレードを弾き飛ばした。

これより放たれるのは、エスティマ・スクライアの生み出した極みとも云える、至高の一撃。
担い手である彼はデバイスたちを信頼し、もはや言葉もなく敵を見据えた。
視線の先にいるセッテは、エスティマの行おうとする攻撃に気付いたのだろう。

彼女は一度、不完全ながらも紫電一閃・七星を破っている。
しかしそれに傲らず、構築している砲撃魔法を僅かでも早く完成させようと思っているのか。足下の魔法陣が、より強く瞬いた。

勝つか負けるか、二つに一つ。
それぞれ一つの究極に至っている二人は、過去の自分自身を超越し、今この瞬間、あらゆるものを凌駕していた。

「――」

吐息一つを最後に漏らして、エスティマは疾走を開始する。
肩に担いだハルバード。絶対零度に至って電気抵抗が消え去り、莫大な魔力を元に生み出された電力で射出される光の刃。
ただその一撃を繰り出すべく、彼の思考は研ぎ澄まされている。
余分なものの何一つない意志は、友人たちによって後押しされた熱意が手助けをしていた。
生きて帰りたい。あの日だまりに戻りたい。故に――と。

停止同然の時間を引き裂き、両者は己の敵を撃滅するべく力を振るう。

そして――

「紫電一閃――」

『――Ashes to Ashes 1st ignition』

今にも斬撃が放たれようとしたその瞬間、Seven Starsはリミットブレイクを発動させた。
単発式のリミットブレイク。
Seven Starsのフレームに溜め込まれた莫大な魔力を、カートリッジシステムと同じ容量で炸裂させることにより、一撃へ強大な威力を上乗せする代物だ。
それにより、Seven Starsは内部に蓄積された魔力を破裂させ、フレームが破裂するかのような光を放つ。

……それはエスティマが指示したことではない。リインⅡも。
だが、ここでSeven Starsへ行ったことに言及することは叶わない。
例え時間を極限まで引き延ばしているのだとしても、その状態ですら静止することが叶わない一撃をこれより放とうとしているからだ。

「――七星ッ!」

瞬間、エスティマのトリガーワードが紡がれる。
砲身の役割を果たしていた外装は一気にパージされ、同時、Seven Starsの本体である金色の戦斧は射出、斬撃として振るわれる。
だが――セッテを切り伏せるべく放たれたそれは、リミットブレイクを発動させた衝撃によって軌道を反らす。

それによって、エスティマとセッテは同時に目を見開いた。

最早目で捉えることは叶わない速度。放たれた刃は、Seven Starsによって更なる後押しを受け――
――遂に何者も到達できない領域、亜光速へと足を踏み入れていた。

セッテに届かなかった刃はそのまま床へと衝突する。
瞬間、今までどんな敵と戦おうと一度も砕けることのなかったSeven Starsのフレームが、音を立てて砕け散った。
だが、それでは終わらない。それによって発生した衝撃波が、この場に存在するものすべてを吹き飛ばす。
刃の触れた床を一瞬にして蒸発させ、浮かび上がった、などという表現では生ぬるい勢いで瓦礫は飛散する。

Seven Starsほどの質量を持つ物質が光速で衝突すれば、どれほどのことが起こるのか――それが分からない者はここに存在していない。
リインⅡは咄嗟にディストーションシールドを展開し、爆心地――そう形容するのが相応しい――から広がる衝撃波を強引に封じ込めようとする。
しかし、荒れ狂うエネルギーの暴走は空間の歪みすらも食い破り、僅かに減衰された激流がエスティマたちを飲み込んだ。

想定外の事態が発生したことに、セッテもエスティマも反応が間に合わない。
ディストーションシールドを粉砕されたリインⅡはエスティマを守るべく防御魔法を幾重にも展開し、ダメージを一身に受けるべく準備をし――

グランドゼロの中心にいた二人は、冗談のような速度で正反対の方向へと吹き飛ばされた。
間を置かずに激突し、先の一撃で舞い上がった瓦礫の中に粉塵が混ざる。

両者、ほぼ同時に崩れ落ち――

そして、立ち上がったのはエスティマだった。
だが彼も無事ではない。否、無事ではあるが、デバイスたちが完全に砕け散っていた。
リインⅡとのユニゾンは限度を超えたダメージを一気に与えられたため解除され、エスティマの姿は制服に戻っている。
が、エスティマが無事だった理由はそれだけではない。

バリアジャケットがリアクターパージされ、制服姿となった彼だが――しかし、その両肩にかけられたシェルコートによって衝撃波に晒されることはなかった。
戦闘前にチンクからお守り代わりに手渡された代物だ。セッテとの戦闘中にずっと出し惜しみをした守りを、彼はこの瞬間に使っていた。

機能を発揮し、役目を終えたシェルコート。
完全に衝撃を殺すことはできなかったのか、裾が破れてしまっている。

……ありがとうございます。

そう、エスティマは呟いて、躊躇いながらもシェルコートを床に落とした。
胸に手を当て、リインⅡへと念話を送る。だがしかし、返答はない。
けれど、物理的に破壊されたわけでないのなら直せる。直してみせる。
そう固く誓いながら、エスティマはよろけながらも歩き出した。

セッテは今度こそ完全に行動不能となったのだろう。
オルタは何を考えているのか。こちらを見ながらも黙している。

……今は、それよりも。

「……おい、Seven Stars」

どこか恨み言を呟くような調子で、彼は相棒の名を呼んだ。
玉座の間は完全に荒廃し、聖王が君臨していた一室とはとても思えない有様になっている。
床に生まれたクレーターに、飛散した瓦礫。その上、崩壊の始まった施設に巻き込まれ、亀裂がそこら中に入っている。

その中にSeven Starsの姿はない。
床には彼女がいた証拠である金色のフレーム、その欠片を見付けることができるが――

「Seven Stars!」

声を張り上げるも、やはり返事はない。
まさか――と、嫌な予感が脳裏を過ぎる。
またなのか。また自分は、勝利と引き替えに相棒を失ったのか?

Seven Starsが何故あんな真似をしたのか、エスティマは理解していた。
ずっと一緒に戦ってきた、二人目の相棒と胸を張って云える存在だ。完全に理解はできないまでも、ある程度の想像はできる。
けれど――天秤にかけるのならば、思い入れも何もない敵よりも、ずっとお前の方が大切だって云うのに、お前は。

「Seven Stars……ッ!」

頼むから返事をしてくれと、彼は声を張り上げた。
オルタの目など気にせず、泣き出す一歩手前の状態で彼は足を進める。
そうして――

『……なんて、顔をしているのですか。
 ストライカーがそれでは、みっともない』

ノイズ混じりの念話が届いて、エスティマは目を見開いた。
そして声が聞こえた方向に駆け寄るとしゃがみ込み、破片で指先が破れることにも構わず瓦礫を掘り起こす。

「Seven Stars……」

瓦礫の隙間にあった、黒い宝玉をエスティマは発見する。
ひび割れ、砕け散る一歩手前の状態になってはいるが、コアに宿る弱々しい光は彼女が動いていることを示していた。
壊さないように、おそるおそるエスティマはSeven Starsを掌に乗せる。

「お前って奴は、本当……なんであんなことを」

『さて……主人に似たのではないでしょうか。
 それと、先代にも』

あの瞬間、エスティマのデバイスであるSeven Starsは、己の仕事を完璧にこなしながらも一つの疑問を抱いていた。
このまま紫電一閃・七星を放てば、まず主人は勝てるだろう。そこに間違いはない。
けれど――それで良いのだろうか?
これより放たれる魔刃は、人の域を遙かに超えた一撃である。
防御も回避も許さず、掠るだけでも絶対に敵を殺戮せしめ、無に帰す絶技。

この場を切り抜けるにはこれしか手段はないのだとしても――これで良いのか?

……このままではあの戦闘機人を殺してしまいます。

その一言は軟弱な思考から導き出されたわけではない。
エスティマたち管理局員は戦争をしているわけではないのだ。
いくら闘争に身を置いていようと、人を殺してはならない。
それは場合によりけりで、今こそがそれの許される局面ではないのかと、Seven Starsも分かっていた。

だが――エスティマは日常に戻りたいと云った。
その主人に人殺しの汚名を着せたくはないと、Seven Starsは思う。
いくら敵が生まれて間もない、意志らしい意志を持っていない戦闘機人なのだとしても、あれが一つの命であることに違いはない。

過去、Seven Starsが殺意を抱いたことは何度かあった。
もっとも新しい記憶は、六課が襲撃された際、エスティマが胸に抱えていた秘密を暴露された瞬間か。
確かに、あの時抱いた感情に間違いはない。
万死に値すると憤りはした。消えてしまえと呪詛に乗せて一撃を放ちはした。

だが、今は違う。
主人の心を本当に守るのならば――

ならば――今こそ。
私は旦那様の道具である意義を果たしましょう。
インテリジェントデバイスとは、使われるためだけに存在しているのではない。
使い手の信頼に応え、主の望む結果を手に入れるため手助けをする存在。

……今こそ云いましょう。
いつか、バルディッシュに問いかけられた答えを行動によって示しましょう。

今なら分かる。先達であるLarkが、何故命を張ってまで主人の意地を支えたのか。
俺の道具を嘗めるな、とエスティマは云った。
それは、信用し、信頼し、命を預けるだけの絆があるからこそ云ってくれた台詞なのだという自負がある。

……この人を助けてあげたい。

あまりにも単純ではあるが、人間にしか抱けないその感情を、Seven Starsはあの瞬間に覚えていた。

故に――と。

「……馬鹿野郎」

そんなSeven Starsに涙混じりに苦笑して、エスティマはハンカチを取り出すと、Seven Starsを包み込んだ。
胸ポケットにそれを入れると、小さく息を漏らして立ち上がる。

……こんな風に守られたって、嬉しくない。
コイツがいなくなると考えて、その現実が訪れるというだけで――いつも側にいる相棒だからこそ、決して失いたくないと強く思う。
――お前だって俺の守りたいものの一つなんだぞ、馬鹿野郎。

そんな言葉を胸の中で呟き、ポケットの上からエスティマはSeven Starsに触れる。

そして目元を手の甲で拭い、意識を切り替えると、彼はオルタへと視線を飛ばした。

「……俺の勝ちだ、スカリエッティ」

「……ああ、そうだね」

セッテが負けたことが信じられないのだろうか。
どこか放心した様子で、オルタは呟く。

しかし視線はエスティマをじっと見据えたまま、

「……僕の負けだ、エスティマ」

ゆっくりと、その一言を口にした。

オルタの言葉を聞いて、エスティマは僅かに目を閉じる。
……本当ならばジェイルに突き付けてやりたい言葉で、聞きたい台詞でもあった。

けれど、これで良い。
ジェイルは屈した。オルタもこれで捕まえられる。
仲間たちも無事で――そして、この戦いも終わるだろう。

エスティマは目を開くと、右腕を持ち上げてオルタへと向けた。
瞬間、デバイスを介さずフープバインドが発動し彼の身体を拘束する。
サンライトイエローの輪に囚われた彼は、何を考えているのか。
それはエスティマには分からない。

オルタを捕らえたエスティマは、次にヴィヴィオへと身体を向ける。
玉座の間がこの惨状になる戦闘のただ中にあっても、彼女の周辺だけはここへたどり着いた時と変わっていなかった。
おそらく聖王の鎧があの子を守っていたのだろう。でなければ、魔法を使えるであろうオルタはともかく、ヴィヴィオが無事である説明が付かない。

早く助けてやらないと、と思いながらエスティマは一歩踏み出し――

「ヴィヴィオ、エスティマくん!」

轟音と共に、玉座の間と外を隔てている壁が吹き飛んだ。
姿を現したのはなのはだ。
彼女は肩で息をしながら、レイジングハートを構えつつ室内を見回す。
そしてエスティマと目が合い――

「……行ってこいよ、ママ」

「……ありがとう」

僅かに逡巡しながら、なのははヴィヴィオの方へと飛んで行った。
床に降り立ち、レイジングハートを彼女が眠っている椅子に立てかけると、そっとヴィヴィオの顔を覗き込む。
最初は険しい顔をしていたなのはだが、ヴィヴィオが暢気に寝息を立てているだけなことに気が付くと、呆れたように破顔した。
そして――耐えられなくなったように、彼女はヴィヴィオを持ち上げ、力一杯に抱きしめた。

少し苦しいのか、ヴィヴィオがうめき声を上げる。
それで僅かに力を緩めながらも、なのはがヴィヴィオを放すことはなかった。

……踏ん切りでもついたのかね。
なのはの姿を見ながら、エスティマはそう思う。
以前までの彼女は、厳しさという仮面で己を隠しているように見えていた。どこか、ヴィヴィオとの距離感を掴みかねているような。
それはエスティマがシグナムに抱いていた怯えと似ていて――だが今の彼女には、それが見えない。
良いことなのか、違うのか。

などと考えていると、ヴィヴィオを抱えたままなのはがこちらへと振り向く。

「エスティマくん、急いで脱出するよ。
 施設の崩壊はもう秒読み段階。逃げてる内にもう崩落が始まるから、私たちはここから一直線に外へ出る。
 この戦艦の中なら潰されないのかもしれないけど……早く外に出た方が良いよね?」

「そうだな」

なのはは崩れ落ちているセッテを見て。エスティマは大破寸前のデバイスたちに思考を向けて、逃げる必要があることを再確認した。
しかし、

「……一直線、って云うと?」

「砲撃で天井を撃ち抜いて、外までの道を作るよ。
 幸い、AMFも消えてるから大丈夫。私に任せて。
 道を造ったらすぐに逃げないとだけど……エスティマくんなら、大丈夫だよね?」

「ああ。
 オルタとセッテを抱えても、お前より早く逃げ出す自信はあるね」

「……元気みたいで安心したよ。
 それじゃあ――」

ヴィヴィオを再び玉座に座らせて、なのははレイジングハートを構えた。
深呼吸をすると、彼女は切っ先を天井へと向ける。
そして鋭い視線を目的地へと向け、

「ブラスタ――Ⅲ!」

リミットブレイクの第三段階を解放した。
負荷がないわけではない。しかし、常時発動を行っていたわけでないため、今の彼女はほぼ完調に近い状態となっている。
ダメージの蓄積もないわけではないが、許容範囲内。反動も、命を削る、という域には達しない。

同時、桜色の奔流が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
彼女はそれを意に介すこともなく、足下にミッドチルダ式魔法陣を展開。
レイジングハートの先端に集中し、スフィアを形成する魔力の密度は凶悪でしかない。
AMFがなく、かつ、一撃にすべてを注ぎ込める状況で彼女が放つ全力とはどれほどのものか。

「ディバイン――バスター!」

その返答は、撃ち放たれた砲撃によって示された。
桜色の閃光はまず天井を打ち貫き、放射線状に広がってゆりかごの内装と、その上に乗っている山の土砂を吹き飛ばす。
射線上に存在するものは悉くが物理破壊設定の魔法によって粉砕され、もしくは吹き飛ばされた。

そうして――ぽっかりと空いた穴からは、泥に混じって雨が落ち始める。
それが外とこの空間が繋がった証とし、なのははヴィヴィオを抱き上げた。

「行くよ!」

「ああ」

先行するなのはを視界の隅で捉えながら、エスティマは腰に差していたカスタムライトを手に取った。
そして、ソニックムーヴを発動させつつオルタとセッテを回収しようとし――

その瞬間、玉座の間へと辿り着いた者の存在に、足を止めた。

























腕に抱いたヴィヴィオを決して放さず、なのはは作り出した外へと通路を飛び上がっていた。
横を過ぎ去る断面は、ゆりかごを通り越して次に施設を、そして山の断層が見え始める。
強引に広げられた土砂は既に崩れ始めており、完全に崩壊が始まるまでの時間が残り少ないことを知らせてくれる。

……間に合って、良かった。

腕に抱いたヴィヴィオの身体に確かな温もりを感じて、なのはは目元を緩める。
敵に一度は浚われたけれど、助け出すことができた。
自分をママと慕ってくれるこの子を守れたことが胸に確かな暖かみを与えてくれる。

それは喜びではなく、安堵の色が強い。
今まで誰かを助けたことは一度や二度ではい。
その度に感じたことは、無事で良かったという喜びが強くて――しかし、今は違う。

くすぐったいような何か。
まだその感情が何かは彼女に分からないが、それもいずれ理解することができるようになるだろう。

「……本当に、無事で良かった」

皆の無事を喜ぶのではなく、ヴィヴィオの無事を。
任務の最中なのだから私情を挟んではいけないと分かっていながら、彼女は抱きしめた子を慈しむように視線を送る。
物騒ではあるけれど、これが初めて母親としてこの子にしてやれたことかもしれない。
今までは、どうしても踏ん切りを付けることができなかった。
幼い子供をあやすことはできても、ママと呼ばれても、自分の子供として認識することはどうしてもできなかったから。
腹を痛めて生んだわけじゃないから――というよりも、ヴィヴィオをどう扱って良いのか分からず、実感が湧かなかったのだ。

しかし今は違う。
この子を守ると決めた。ママと呼んでくれるこの子を、娘にしようと決意した。
だからこそ湧き上がってくる温もりは鮮明で、胸に染み入るかのようだ。

これが本当の始まりなのかもしれない。
どこまで行っても他人でしかないヴィヴィオを受け入れようと、ようやく思えるようになった。

ヴィヴィオが聖王のクローンである以上、今回のようなことは、これからも起こるかもしれない。
それを考えれば――この子が奪われると想像するだけで、怒りと不安が押し寄せてくる。
しかし、それだけの執着を抱くことで、やっと彼女は母親としてのスタートラインに立てたと云えるだろう。

何かに執着することで、人は独自の色を持つようになる。
彼女が今まで抱いていたそれはあまりにも漠然としていた、と云えるのかもしれない。違うかもしれないが。

ともあれ、母親としての高町なのはは、この瞬間に生まれたのではないだろうか。

ヴィヴィオを抱きしめ、なのはは山の断層から抜け出た。
下に視線を向ければ、遙か下に小さな明かりが見える。おそらく、玉座の間を照らしている照明だろう。
それは良い。問題は、通路の中にサンライトイエローの光が見えないことだ。

『……エスティマくん、まだ上がってきてないの?』

まさか、何かあったのか?
嫌な予感を抱きながら、なのはは念話を送る。

『……悪い。少し、時間がかかりそうだ』

返事はそう時間もかけず戻ってきた。
声はさっき交わした時よりもやや重くなっている。
一体何が、と思っていると、

『高町一等空尉、その場から離脱してください。もう限界です』

『……グリフィスくん?』

『戦闘機人のⅢ番が、玉座の間に到達しました。
 今、部隊長が戦闘を開始すると云っています』

『そんな……!
 もう時間がないのに、エスティマくんは何を考えているの!?』

『……相手が相手です。おそらく、逃げられないのでしょう。
 シグナムが急行しているので、部隊長は彼女に任せてください。
 重ねて云いますが、離脱してください、高町一等空尉』

グリフィスの声に、なのはは黙るしかなかった。
ヴィヴィオを抱えたままあの修羅場に戻ることは不可能だ。
エスティマの他にいる助け出すべき戦闘機人たちを抱えて飛んでも間に合うかどうか。

ヴィヴィオを危険に晒せば、一か八かの賭に出ることもできるが――

「……できないよ」

悔しさを滲ませて呟くと、なのははヴィヴィオの髪へと顔を埋めた。























最早、終わりは近い。
ゆりかごを襲う揺れは末期的であり、終幕を表しているかのようだ。
ただ、ここで行われるのは最後の一幕。

崩れ落ちるゆりかごの中、エスティマ・スクライアと戦闘機人のⅢ番、トーレは向き合っていた。
グリフィスへ連絡し、なのはの念話に返答をしたエスティマは、眼前の敵を見据える。
二人の間にある距離は十メートルほど。どちらも、その間合いを詰めようとはしない。
得物も構えていない。ただ視線を合わせ、どちらかが口を開くのを待っている。

その沈黙を破り、先に言葉を発したのはトーレだった。

「……会いたかった。
 会いたかったですよ、エスティマ様」

どこか歌い上げるように言葉を紡いだトーレは、脇腹に手を添えながら、しかし平気な顔をしてエスティマをただ見ている。
ボディスーツの裂け目から覗いているのは――記す必要もないだろう。腹が裂かれれば溢れ出るものは決まっている。
まず間違いなく致命傷。それを負っていながらも、彼女はこの場に辿り着いていた。
常人ならば激痛に苛まれ足を止めるだろう。戦いに身を置いている魔導師やベルカの騎士でも死を察知し絶望に塗れるだろう。
だのに、トーレはこの場に辿り着いていた。
どれほどの執念を彼女が抱いているのかは、その事実だけで察することができる。

「……お前、今の状況を分かっているのか?」

「無論。ですが、私たちにはあまり関係のないことです」

「……一緒にするなよ。
 ようやく戦いが終わって、俺はこれからオルタとセッテを抱えて逃げなきゃならないんだ。
 邪魔をするな」

「それは聞けません。
 私には一つの目的がある。それを果たすために、僅かな時間を頂ければと思います。
 ――あの日、逃した死を、今ここで与えてもらいたい」

そう云うトーレには、エスティマが考えているような――戦おうとする意志は見えなかった。
言葉の通りに、死を。
海上収容施設で刻まれた敗北と共に与えられるはずだった終わりが欲しいと、彼女は云う。

そのために彼女はエスティマの元へと急いでいたのだ。
シグナムは彼女がエスティマと戦うのでは、と思っていたが、それは勘違いでしかない。
トーレは既に己の行く末を決めている。
たとえ今この時を生きているのだとしても、自分が死ぬ運命であると定めた以上、この時間は走馬燈のようなものでしかない。

無様な生に終止符を、と彼女は云う。
しかし――

「……阿呆が」

怒りすら滲ませて、エスティマはそう吐き捨てた。
この局面で、コイツは何を云っている。
エスティマからすればトーレの価値観など知ったものではなく、彼にとってトーレは邪魔者以外の何者でもない。
それに――Seven Starsが身を挺してまで守った、人を殺さない、という事実を汚せと云うのか。

「……前にも云ったな。
 知ったことじゃないんだよ」

「……ならば」

あなたならそう云うと思っていました。
嗚呼、ならば。

トーレは腰に差していたインパルスブレードの柄を手に取り、刃を発生させる。
紫色のエネルギー光が瞬き、刀身が形成された。

「逃がしません。力尽くでも、私に付き合っていただきます」

「上等だ」

呟き、エスティマは腰に差していたカスタムライトを抜き放った。
セッテとの戦闘中、ずっとエスティマの返り血を浴びたそれは、装甲を赤黒く彩っている。
純白のガンランス。それが今、紅く染まっている。やや黒くはあるが、それは――

「……」

一度だけ視線を落とし、エスティマはすぐに顔を上げた。
トーレは両手でインパルスブレードを構え、こちらを待ち受けている。
あくまで自分からは手を出さないつもりなのだろう。しかし、決して逃がさないとその瞳が語っている。

ならば――

「……ストライクフレーム、展開。
 A.C.S.」

頭上に一度掲げ、ガンランスの刃に魔力刃が付加される。
次いで、カートリッジの下部装甲がスライドし、サンライトイエローの四枚翼を開いた。
同時、

……まずいな。
その一言がエスティマの脳裏に浮かぶ。

エスティマが懸念しているのは崩壊までのタイムリミット以外に、自分の魔力、その残りについてだった。
希少技能。大出力の治癒魔法。AMFC。大技である紫電一閃・七星。
過去、ここまで魔力を使ったことはない。魔力を多く消費することはあっても、それがゼロになることなど一度もなかった。

それが今、尽きようとしていることをエスティマは自覚する。
だが、残りの量がどれほどなのかエスティマに知覚することはできない。
それは魔力量が常人の域を超えた弊害――普通ならば気にしないデメリットとも云うのか。

普通の魔導師は魔力を使用することで、己の魔力量がどれほどなのか自覚する。エスティマも子供の頃はそうだった。
だが、レリックウェポンと化してから魔力が尽きるまで戦ったのは一度。三課が壊滅した際、暴走した時のみ。
己の状態を正しく把握できない状態ではあったし、そもそも十年近く前のことだ。微塵も参考にはならないだろう。

それ故に、エスティマは己の魔力量を正しく把握してはいない。
数値化されたものを知識として憶えてはいても、それを自覚できないのだ。

保ってくれよ、と胸中で祈り、エスティマは意識を集中させる。

準備が完了したカスタムライト、その切っ先をトーレへと向ける。
刃は非殺傷。これではトーレの望む死は与えられない。
それはトーレも分かっているだろう。

「……私は武人としての終わりを望む。
 死力を尽くした戦いは間違いではなく、私の一生はあの時に潰えたのだから。
 私は私であるために、与えられるべき正当な死を望む」

己が欲しているものが何かを、トーレは朗々と宣言する。
対し、エスティマは彼女の主張を否定するように。

「……俺は生きることを望む。
 歩んできた道に間違いはなく、未来へ進むことを仲間たちが願ってくれたから。
 俺は俺であるために、ここから生きて帰るんだ。そして、お前も殺さない」

「「それが――」」

「私の生きた道だ」

「俺の歩み続ける人生だ」

そこで言葉を句切り、二人はそれぞれ握る武器に力を込めた。
カスタムライトのカートリッジが炸裂する。山吹色の光が断続的に吹き上がり、エスティマのカスタムライトのグリップを握り締めた。

紫のエネルギー光が鋭く瞬く。残る命を燃え尽くすかの如く、刹那の輝きを見せる。

エスティマは左足を一歩踏み出す。
希少技能は使えない。もう魔力はそこまで残っていないのだ。

続いて、二歩目を。同時、両膝を曲げて赤黒く染まったガンランスをトーレに向ける。
サンライトイエローの切っ先は迷いなく狙いを定め、その向こう側にいるトーレは、不敵な笑みを浮かべつつインパルスブレードを構える。

彼女もエスティマと同じく、ISを発動させるつもりはないようだった。
だがそれは、彼女にそれだけの余裕がないからである。
意識を取り戻したのは決して偶然ではない。
行動不能になるほどのダメージを受けたことで、クアットロの仕掛けたコンシデレーション・コンソールがシステムエラーを起こし、停止したからだ。
だのに、彼女が動いていることは――もはや、執念としか云いようがない。

待ち受けるトーレへと、エスティマは一直線に突き進んだ。
迎え撃つトーレは、振り上げた刃をタイミングを計って振り下ろす。
そして――

鈍い音と共に、サンライトイエローの魔力刃がトーレの身体を貫いた。
トーレの刃は振り下ろされたものの、しかし、エスティマの身体を切り裂いてはいない。
衝突すると同時にエスティマは肘を跳ね上げ、迫る柄尻を防いでいた。それにより刃が完全に振り下ろされることはなかったのだ。

「……ブレードバースト」

トリガーワードが紡がれることによって、ストライクフレームを形成していた魔力がトーレの体内で爆ぜる。
だがやはり、それは非殺傷設定による攻撃であり――つまるところ、トーレが望む死は与えられなかった。

「が……ッ!」

決定打となった一撃に、トーレはインパルスブレードを手放し、膝を折る。
だが意識だけは失わず、彼女は立ったまま見下ろしてくるエスティマへと視線を向けた。

「……酷い、人だ。
 懇願も聞き入れてもらえないとは」

「……ああ、そうだな。
 ……正直、お前が云っていることも分からないわけじゃない」

けど、それは俺が望むものと正反対の代物だから。

死ぬことに意味を見出す。それは、仲間のために命を削るという、彼が否定した在り方に似ている。
お前のことは知ったことじゃない、と云いながらもエスティマがトーレの望みを執拗に拒む理由は、そこにある。

「……けどな。
 お前の命なんて重いものを、背負うつもりはないんだよ」

その一言に、トーレは目を見開く。
次いで、何が可笑しいのか、彼女は咳き込みながらも笑い声を上げた。

何を笑って――と怪訝そうな顔をするエスティマに、トーレは笑いを噛み殺しながら答える。

「……背負う、と。云われましたか。
 無駄に責任感の強い人だ。本当に。
 ああ、そんなあなただからこそ……私は、私の敗北を死という形で、あなたという人に憶えておいて欲しかった。
 そうなれば良いと勝手に願っていましたが……ああ、残念だ。殺してもらえれば、願いは叶っていたのに。
 こっぴどく、振られてしまいましたよ」

トーレの呟きにエスティマは頭を掻きむしり、背を向けた。
どんな言葉をかけるべきか見当たらない、というのが大きかったのだが、それ以上にここから逃げ出すため動き出さなければならないからだ。
今から間に合うか否か。それに、トーレという荷物が一つ増えた。
急ぐにしても本当にギリギリだろう。そう思い、足下にミットチルダ式魔法陣を展開した。

……その時だ。
微かな違和感に、エスティマは気付く。
普段から見慣れている魔法陣、そこに走るサンライトイエローの光が酷く弱々しかった。
まさかAMFが復活を――と思った瞬間、エスティマは膝から崩れ落ちる。
そして受け身を取ることもできず、そのまま俯せに倒れ込んだ。

意味が分からない。一体何が――混乱する頭で必死に身体を動かそうとしても、指一本たりともエスティマの意志に従ってはくれなかった。
体力の限界? それとも、フルドライブの反動? 否、そのどちらも兆候らしいものは見えなかった。
まさか――

「まさか……魔力切れ、なのか?」

痺れた舌で呟く。口に出したエスティマ本人ですら、それが信じられない。予見していたとはいえ、だ。
魔力が最後に切れたのは十年近くも前。
故に、この全身を襲う虚脱感には抗い難い。気を抜いていたということもあるし、その上、限界に達しようとしていた身体が魔力切れを引き金とし、力を失いつつある。
意識も掠れる寸前で、強烈な睡魔に抗うだけで手一杯の状態だ。

「こんな馬鹿な話が、あってたまるか……!」

歯を食いしばり、エスティマは身体を持ち上げようとする。
だが、微動だにもしない。口も、食い縛るというよりはただ閉じられているだけ。
そんな力すらも、エスティマには残っていない。

「ここまで、きて……!」

怨嗟のように吐き出される言葉はどこにも届かず、視界は出血の時とは違う方向に暗くなり始めていた。

エスティマが力を失いつつある今、そして、遂に限界へと。

なのはが開けた通路から、次々に土砂が降り注ぎ始める。
小石や水を吸った土がぼたぼたと落ち、滝のようにゆりかごの床を叩く。
砲撃魔法によって砕かれた岩石すらも落下し始め、そして――倒れ伏したエスティマへと、その内の一つが迫ってきた。

普段ならば避ける。そうでなくても魔法で防ぐことが可能だが、今だけはどれもできない。

……嫌だ。俺は死にたくない。
ここまでずっと走り続けてきた。ようやく終わらせることができた。
だのに、ここで終わりだなんて納得できるか……!

しかし、強い拒絶の意志を元に力を込めても身体は動かず。
訪れるであろう苦痛に耐えるため、エスティマは目を固く閉じ――

肉が潰れる音と、醜いとすら云える断末魔が耳に届いた。
訪れるはずだった苦痛はなく、まさか、と思いながらエスティマは瞼を開く。
そして――目の前にあったのは、トーレのものであろう血だまり。それしか見えなかった。

「……お前」

震えた声を、エスティマは上げる。
だがそれは彼女に届くことはないだろう。

……それでお前は満足だったのか?

ぽつり、とエスティマの胸中にそんな台詞が浮かんでくる。
死に場所を求めていたトーレ。敗者には敗者の矜持があるとでも云うのか。
そんな勝手な押し付けで――助けられたって……!

たまらなく、叫びを上げたくなり、しかし、喉は震えるばかりで音を発さない。
荒れた吐息は次々と零れるものの、形を持ちはしなかった。

その憤怒を抱くことが限界だったかのように、エスティマの意識は途切れる。
ぷつり、と、電池が切れでもするように、彼はとうとう限界を迎えた。

















「父上っ!」

なのはと同じように、しかし、別方向の壁をぶち抜いて、シグナムは玉座の間へと到着した。
荘厳であった部屋は中央にできたクレーター、ひび割れた壁、そして流れ込んできた土砂によってもはや見る影もない。
その中でシグナムは視線を彷徨わせ、父の姿を探す。

アギトによる治療が終了してから急いで向かったものの、やはり戦闘機人へと追い付くことはできなかった。
荒れ果てた玉座の間には人の気配を感じられない。
グリフィスからの連絡では、オルタとセッテが存在しているはずだが――

「……父上!」

彼女は倒れ伏したエスティマの姿を目にして、捕らえるべき敵のことを忘れ去り駆け寄った。
まさか、という想いがある。
それに焦がされるようにエスティマの側へとしゃがみ込んで、急いで脈を取った。
やや遅くはあるものの、鼓動は伝わってくる。
良かった、と思いながら、シグナムはエスティマを担ぎ上げつつ長距離転送のために魔法陣を展開する。

その時だった。
エスティマの側にある血だまりに、シグナムは気付く。
父のものではない。父は怪我などしていないようだから。
ならば、これは――

『……誰か、いるのか?
 教えて欲しい。私の隣に、エスティマ様がいるはずだ。
 あの方は、無事なのか?』

唐突に聞こえてきた念話に、シグナムはすぐ一人の人物を思い浮かべる。
声は弱々しく、今にも消え入りそうだったが、間違えるはずがない。
それだけ強烈な印象を持つ相手だったのだから。

『……戦闘機人の三番』

『……その声、シグナム。
 私を追って、ここまできたか』

『遅かったようだがな。
 ……待ってろ。お前も長距離転送の対象にする』

『不要だ。このままにしておいて欲しい』

先ほどまでの弱々しさとは打って変わり、力強い響きでトーレは念話を送ってきた。

『即死できなかったのは、幸か不幸か。
 だが、ここで朽ちるのは確実だ。……悪くない、ああ、悪くない最後だろう。
 エスティマ様の手で最後を与えられなかったのは心残りだが……そうだな。
 勝者は祝福されるべきだ。そう思わないか?』

『……ああ』

『であれば、敗者である私にそれができたことは……光栄というもの。
 最後の、最後に……私、は……』

『……トーレ?』

名を呼ぶも、トーレがそれに応えることはなかった。
シグナムは黙祷するように目を伏せ、そして、長距離転送の完成へと神経を注ぎ込む。
ラベンダーの魔力光が徐々に強まり、光がシグナムとエスティマの身体を包んでゆく。

そして、外へと二人が飛ぼうとした瞬間、ふと、シグナムは床に転がるデバイスへと視線を落とした。
そこにあった物は一つのデバイス。カスタムライトと名付けられたガンランスは、黙したままトーレと、そしてエスティマの血に塗れていた。

回収するべきか――そうシグナムが思った瞬間、揺れがゆりかごを襲い、カスタムライトは床をすべって岩へと――下にトーレの眠る場所へと。
墓前に添えられた花のように、というには物騒ではあるが。

その光景を目にして、つい、シグナムは口を開く。

「……連れて行ってやって欲しい。
 立場こそ敵ではあったが、立派な武人だったのだ」

口にした瞬間、馬鹿な、と彼女は苦笑した。
インテリジェントデバイスと違い、カスタムライトには意志がない。
一緒にするのはレヴァンテインやSeven Starsに失礼というものだろう。

だが――目の錯覚だろうか。おそらくそうなのだろう。
しかし、デバイスコアが瞬いたように見えて――

それを確認することはできず、長距離転送は外へとシグナムを送り出した。












[7038] エピローグ
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/03/14 20:37





結社の中心を形成していたジェイル・スカリエッティの出頭。
それに続いて巻き起こった結社本拠地での決戦が終わってから、既に二ヶ月の時が経つ。

隊舎が焼け落ちたため代理のプレハブ小屋を仮の基地として、あの戦いが終わってからも六課はずっと運営を続けていた。
その空白期間の最中、結社対策部隊として生み出された六課は残党狩りをミッドチルダ地上部隊、外へ逃げ出そうとする者たちは海の者たちと協力し、動き続けていた。
緩やかになったとは云え未だに続く闘争の中に、しかし、エスティマ・スクライアの姿はなかった。
最終決戦で蓄積したダメージを癒すため、彼は六課の部隊長から外され療養していたのだ。

ともあれ――二ヶ月が経った今、時空管理局本局は、一つの判断を下す。
結社は完全に崩壊した、と。
残党も最早、並のテロリストと同等の規模でしかない。
故に、六課のような過剰な戦力は不要。部隊を解体し、人員は元の配置へ――。

その命令の下、各々は自らの生活へと戻ることになる。
各々が今、何を思っているのか。これよりそれを追って行こう。

















「経過は順調……これなら手術にも耐えられるだろうよ。
 入院は明後日から、で良いんだな?」

「はい。ありがとうございます」

先端技術医療センターにある一つの診察室で、エスティマは椅子に座りながら一人の医師を向き合っていた。
カルテを眺めながらくたびれた白衣を着る男は、ずっとエスティマの面倒を見ていた者だ。
彼は決戦後、エスティマが先端技術医療センターへと担ぎ込まれてから一足早く元の配置へと戻り、彼の治療を行ってくれていた。

疲れた様子を見せる医師は、ぼりぼりと頭をかく。
それにエスティマは苦笑して、すみません、と頭を下げた。

「……助かりましたよ。
 後遺症の一つや二つは覚悟していたので」

「……ほぅ」

目を細め、医師はエスティマを睨み付ける。
エスティマの行った言葉に嘘はない。
あの限界を遙かに超越した力を振るったというのに、彼は後遺症の一つも抱えず今を生きている。
また魔導師として現場に復帰することもできるだろう。以前と同じように戦うことだって不可能ではない。
しかし――

「てめぇが長生きできないことは、後遺症でもなんでもねぇってか?」

「……長生きできないことは、分かっていましたから」

「ああ。だが、今までの調子だったら六十までは生きれただろうぜ。
 生涯現役とはいかないまでも、前線に居続けることだってできた。
 けどな……もうお前は、どんなに気合い入れようと孫の顔を見ることはできねぇ」

怒りを燻らせながら、医師は云う。
それは、あらかじめエスティマ本人にも伝えられていたことだったので、口に出されても彼が表情に影を浮かばせることはない。

……それを、エスティマは申し訳なく思う。
医師に対しても勿論だが、何より、守りたいと願った皆に対して。
この期に及んで、自分の死で誰が悲しむか――などと、彼は云わない。
きっと皆は悲しんでくれる。そう、理解している。

だからこそ気が重い。だが――間違いではなかったと、信じたい。

そんなエスティマの考えを読んでいるのか、医師は忌々しそうに舌打ちする。
医者が患者に対して見せる対応ではないのだが、仕方がないのかもしれない。
この患者はあまりにもタチが悪かった。その自覚はエスティマにもあったので、彼は何も云わない。
もう何年もの付き合いだ。その間に、お互いがどんな人間なのかを二人は把握していた。

「……乗りかかった船だ。最後まで面倒を見てやるさ」

「……ありがとうございます――っと」

そこまで云い、エスティマは時計を見て眉を持ち上げた。

「すみません、もう時間です」

「……そうかい」

「はい。それでは、また」

一礼し、エスティマは椅子から腰を上げた。
診察室を出て扉を閉めると、溜息を吐きながら歩き出す。
鼻につく病院独特の臭いは、この二ヶ月で慣れてしまっていた。否、慣れているというのならば、ずっと前からか。自分とこの場所は切っても切れない縁で結ばれているのだから。

コツコツと靴音を上げながら、彼は先端技術医療センターの廊下を進む。
代わり映えのしない壁をずっと眺め、そうして区画を抜け、ロビーへと。
まだ時刻は十時前だからか、ここを訪れている人は多くない。
いや、普通の病院ならば年寄りが既に並び始めているのかもしれないが、ここは管理局の施設だ。
よっぽどのことがない限り一般には開放されないため、ひとけが少ないのも当たり前だろう。

「さて……と。行くか」

『はい、旦那様』

エスティマの呟きに、首元に下がっているSeven Starsが続いた。
大破寸前まで破壊されたSeven Starsだが、今は元気に動いている。
あの戦いのあと、Seven Starsを含めたデバイスたちをシャリオ一人に直してもらったのは苦い記憶だ。
自分の手で直してやりたかった、と思う反面、私の仕事を取らないでください! と怒るシャリオがいたり。
ままならない、とエスティマは苦笑する。

手伝うことができるほど、彼に余裕はなかった。
今でこそ以前と同じように動けてはいるが、一月前までは身体を動かすこと自体が苦痛ですらあったのだ。

『ところで、旦那様。
 六課で行われる解散式、その後の宴会まではまだまだ時間があります。
 これからどうするのですか?』

「ああ、まだ云ってなかったっけ?」

『……何も聞いていません』

忘れてた、というエスティマに、どこかむくれたような声をSeven Starsは返す。
まぁまぁ、と指先でデバイスコアを突きつつ、彼は足を進めて先端技術医療センターから外へと。

自動ドアをくぐると、やや冷たい空気と共に車の騒音が耳に届き始めた。
久しぶりに耳にする騒々しさをどこか新鮮に思いながら、彼は駅の方向へと歩き始める。

道を抜けて大通りへ出ると、彼は雑踏の中へと紛れ込む。
今の彼は管理局の制服を着ているわけではなく、私服姿だ。
だからと云うわけではないが、人混みの中、エスティマは特に目立つこともなく歩き続ける。
多くの人がたむろする場所で、何も変わったところのない、一人の人間として。

そうして大通りを抜けて駅に辿り着くと、彼はパスケースを取り出し、改札口へとそれを押し当てた。
軽い音がして電子マネーが差し引かれると、エスティマは駅の構内へと。
天井や壁に記されている電車の経路を確認しつつ、彼は七番線のホームへと向かった。

電車が伸びる先はミッドルダの西部である、エルセア地方。
そこにあるポートフォールメモリアルガーデンへと、エスティマは行こうとしている。

『……』

主人の意図に気付いたのか、Seven Starsは無言の声を上げるという、器用なことをした。
が、エスティマは彼女へと何も言葉を落とさない。
ただ無言のままホームに入ってきた電車に乗り込むと、目的地へと。

快速急行で突き進む電車は、一時間もかけずエルセアへと辿り着いた。
揺れにうつらうつらとしていたエスティマは慌てて電車を降りると、あくびを噛み殺しながら駅を後にし、途中で花を買うと墓場を目指す。

本来ならば墓は人の物として扱われる場所だが、管理世界ではペットなどの他にも、インテリジェントデバイスの墓も存在していた。
意志を持ち、主人と共に戦うデバイス。
たかが道具や武器、と言い切る者も世の中にはいるだろう。
しかし、傍らにずっと存在していた相棒を失った人間はそう思わず――そして、エスティマもそんな中の一人であった。

そこを進み、デバイス用の墓地となっている建物の中にエスティマは入る。
中に人の影は存在しておらず、静かな空気の中、天井の硝子から差し込んだ日光が広い空間の中を照らしている。
一歩を踏み出す。コツリ、という音は澄んだ空気に良く響き、大袈裟なものにすら思えた。

壁に埋め込まれた棚には、一つ一つに名前の彫られた金属プレートが填っている。
多種多様な名称の中、エスティマは一つ――煙草と鳥の名前を付けられたものを前に、足を止めた。

彼はじっとそこに視線を注ぐ。
Lark、と掘られた四文字は、彼にとって大きな意味を持つ。
そこに込められた存在はあまりに重くて――故に、彼は今まで一度もここへ足を運んでいなかった。
だが、今は違う。
いつか約束した時を迎えようとしているから、エスティマはこの場所に訪れたのだ。

すっ、と目を閉じる。
瞼の中には今も色褪せずに、深紅のハルバード、一機目の相棒の姿を見ることができた。
破壊されてから伝えられた遺言が脳裏に蘇ってくる。
今まではそれを思い起こすことが、胸が温かくなると共に痛くて、どうしてもできなかった。

けれど――

備え付けられた台に持ってきた花束を置き、エスティマはゆっくり口を開く。

「……ようやく、終わったよ」

お前が砕けてからずっと続いていた戦いが。
刻み込まれた因縁は解消されて、これから俺は一人の人間として生きる。
明後日には手術の準備に入る。それでレリックも失い、生まれた時に付加された異能、積み上げてきた実力こそ残るものの、人外の域に達した力も消え去るだろう。

エスティマ・スクライアという人間は、今も特別な存在ではあるのかもしれない。
だがそれは、他者によって与えられたものではなく、自分自身の作り上げてきた人との繋がり。それを元にして築かれたものだ。

かけがえのない、と彼が云う他人との絆。
それだけを支えに、これからは生きてゆこう。

だから――もう大丈夫。

「……俺は、幸せになる」

口にして、本当にそうかという疑問があるのは確かだ。
人生良いことばかりじゃない、とは彼が今まで送ってきた戦いを振り返れば容易に察することができる。
しかし、悪いことばかりではない。
苦しいことや辛いことと同じほどに、嬉しいことや楽しいことは存在していた。
だからこそエスティマは戦い続けることができて、今がある。

だから――これから何があろうと。
それはきっと幸福だ。

「……だから」

そう、だから。

「さよなら」

いつか告げて欲しいと相棒が望んだ台詞を、エスティマは口にした。
別離の意志は己自身で言い放ったものだが――しかし、辛くないわけではない。
忘れられるわけがなかった。今となっては思い出の中にしかいないけれど、それ故に今も色濃くエスティマの記憶に残っている。
忘れることなんか、できるわけがない――けれど。

……忘れるって、約束したんだ。

「……ッ」

目を閉じ、エスティマは踵を返す。
彼へと向けられる言葉は存在せず、何者も、彼の背中を押そうとはしない。
そもそもここには誰もいない。
空虚な雰囲気に何かを望むことは間違っており、感傷以外の何ものでもないだろう。

ギ、と重い音を立てて、エスティマは建物の扉を開く。
そして最後に一度だけ振り返り――

そうして、彼は歩き出した。















リリカル in wonder













以前は六課の駐車場であったそこには、今、プレハブ小屋の群れが鎮座している。
いくつも並んだ箱にはそれぞれプレートが掲げられており、隊舎に存在していた部屋の名称がそれぞれ付けられていた。

その中の一つ、情報処理室、と上げられた場所にフォワード四人の姿がある。
彼女たちが行っていることは部隊解散に伴う報告書の作成。自分たちがここで何をしていたのか、という確認のようなものだった。
それを行いながら、ティアナ・ランスターは窓から外へと視線を移す。

突き抜けるような青空の下には、未だ廃墟となっている六課の姿がある。
工事用のビニールで覆われた下では今も修復作業が行われているのだが、はやり再建は間に合わなかったようだ。
せめて解散はあそこでしたかった、と思うティアナだがそれも仕方がないことだと諦める。

ただでさえ金食い虫だった部隊の隊舎が全壊して、ここへ資金を回してくれていた者たちは頭痛が治まらない毎日を送っていることだろう。
そういった背景が、六課解散の裏には存在していた。
資金的にこれ以上運営することが苦しくなって――と。

嫌な話だわ、とティアナは思うも、六課が既に必要でなくなったのは事実。
過剰な戦力の集中した部隊は、最早崩壊した結社にとって完全なオーバーキル。
ついこの間、最後の出撃となった時など、到着と同時に敵から投降してきた始末だ。

曰く、化け物連中を相手にする趣味はない、だそうな。

その気持ちも分からなくはないティアナだった。
そもそもがオーバーSランクを何人も抱えた部隊で、その上、叩き出した結果が凄まじい。
最新技術の結晶とも云える、戦闘機人のTypoe-Rを全機撃破。大半を捕獲し、その上、量産型の戦闘機人もすべてを捕らえた。
本拠地であった山を崩落させ、更には聖王のゆりかごまで使い物にできなくした連中。

それだけ聞けば、悪魔か何かの集団か、と呆れた笑いしか上がらない。
……もっとも、彼女だってその頭の悪い集団の一人ではあるのだが。

嫌な看板を背負っちゃったわね、と彼女は溜息を吐く。
おそらく、この部隊が解散した後、他の部隊に行けば自分たちはエースとして迎え入れられるのだろう。
それだけのことをやった、という自覚がティアナにはある。
しかし――自分が見た背中、追い求める存在――本当のエースと比べてしまえばまだまだ。

荷が重いわ、と彼女は小さく呟いた。
それに反応した、というわけではないのだが、報告書と格闘していたスバルがディスプレイから顔を上げる。
そっと視線を流せば、未だ彼女の仕事は終わっていない。息抜きでもしたいのだろう。
決して頭は悪くないのに、事務的な作業になると集中力に欠けるのが相棒の欠点と云えば欠点だった。
本当に前線向きの奴。

「ねぇねぇ、ティア」

「何よスバル。無駄口叩いてないで、とっとと仕事しなさい」

「あう……いや、休憩休憩!
 こまめに休まらないと集中力は続かないって云われてるしさ」

「……本当にしょうもない」

ティアナの言葉に、えへへ、とスバルは照れ笑いする。
笑うところじゃないでしょうに、と思いつつも、彼女は話へ乗ることにする。

「でさ、ティア。
 これからどうするのか、もう決めた?
 結局、誰かの執務官補佐になるの?」

「……そうね」

スバルが口にしたことは、ここ最近、ティアナが悩んでいた事柄だった。
執務官を目指すティアナにとって、執務官補佐となり仕事の経験を積むことは必要なことだろう。
だからこそ、六課に所属していたというコネを使い――とも思っていたのだが、しかし。
即決せずに彼女が悩んでいたことには、一つの理由があったのだ。

その理由とは――

「……それは後に。取りあえず空隊の訓練校に入ろうと思ってるの」

「へー……って、えぇ!? 初耳だよ!?」

「んなわけないでしょうが!
 アンタ、私が空戦魔導師に憧れてること知ってたでしょう?」

「……ああ、うん。知ってたけど……えぇー。
 けど、勿体ないよ。せっかく、陸戦ランクをAAまで伸ばせたのに」

そうね、とティアナは胸中で同意する。
しかし、訓練校に入り直すことは彼女が決めたことで、もう変えるつもりはない。
確かに執務官は自分の夢だ。
六課で積んだ経験を糧にその夢を目指すのならば、そう難しくはないだろう。
けれど――どうしても諦めきれない憧れが、今も胸の中に息づいている。

……あの最終決戦で、AMFCが発動しなかったならば彼女は真っ直ぐに執務官を目指しただろう。
憧れを憧れのままに、というわけではないが、執務官になってから空戦技能を取得すれば良いと考えたかもしれない。
どれだけ時間がかかるか分からないけれど、いつか、空を飛ぶこともできるだろう、と。

けれど――もう一度、自分はあの光景を目にしてしまったから。
鮮烈なサンライトイエロー。兄が舞っていた空に浮かぶ光への憧憬を、今一度抱いてしまった。

だから、少し欲張ってみる。
いつになったら飛べるか分からない道よりも、空も執務官の資格も手に入れることのできる道を。
自分の身の丈にあっているかどうかは、分からない。というより、少し自信がないけれど。

「……私のことより、アンタはどうするの?」

「私?」

自分自身を指さして、スバルは首を傾げる。
やや迷いながらも、しかし、彼女は薄く笑みを浮かべた。

「しばらくお仕事はお休み。
 お母さんが起きるのを待って、リハビリに付き合うんだ」

「そっか」

そう云うスバルの事情を、ティアナもちゃんと理解している。
結社の本拠地から運び出された者たちの中に彼女の母親がいたことは、六課で半ば常識となっている。
だが、その救い出された母親は目を覚ましていない。
彼女の母だけではなく、他の者たちも一様に。捕らえられていた期間の短かった人は既に起き上がっているものの、クイントの場合、仮死状態で保存されていた期間が長すぎるのだという。
そう長い時間はかからない、と云われているものの、いつ目覚めるのか分からないという状況は一緒だ。

それをスバルは待つという。
それに駄目出しをするつもりはティアナになく、小さく頷いた。

「……早く起きてくれると良いわね。
 目を覚ましたら、ちゃんと教えなさいよ。お見舞いに行くから」

「うん、ティアのこと紹介したいもん。
 私の大事な相棒だ、って!」

「……前言撤回。呼ばなくて良いわ。恥ずかしいし」

「そんなぁ」

酷いよティアー、と縋り付いてくるスバルを無視しつつ、ティアナはエリオたちに目を向ける。
こちらの話を作業の片手間に聞いていたのだろう。
話が止むと、二人は手を止めて視線を寄越した。

「アンタらはどうするの?」

「私は、一度スクライアに帰ろうと思ってます」

質問に応えたのはキャロだった。
そもそも彼女はスクライアからの出向、という形で六課にきていたのだから、解散ともなれば帰るのは当たり前か。
ただ、

「そこで一度、ユーノさんやフェイトさんたちとお話をして、嘱託魔導師になろうかな、って思ってます」

「なんでまた」

「えと……その、私にもできることがあったから……かな?
 スクライアでお仕事をするのは勿論ですけど、それだけじゃなくて、もっとたくさんのことができそうだから。
 それに――」

そこまで云って、キャロは隣のエリオへと視線を流す。
見られた彼は不思議そうに首を傾げて、キャロは少し肩を落とした。

「……そんなところです」

「……ああうん。頑張って」

どう言葉をかけたものかしら。
微妙にいたたまれない気分になりながらも、次はエリオへと。

「僕は……そうですね。
 兄さんと一緒に海の方で働きつつ、いつか、執務官になろうと思ってます」

「あ、じゃあティアのライバルだね!」

「……そうなるわね。
 どういう風の吹き回しなの?」

「あんまり、はっきりとした理由があるわけじゃないんですけど」

そう云って、エリオはどこかくすぐったそうに笑う。

「自分に何ができるのか、出来るところまでやってみたいんです。
 たくさんのことを経験してみたいから……執務官を目指してみようかな、って。
 本当、云ったとおりにはっきりとした理由じゃないんです。すみません」

「別に気にしてないわよ」

エリオが謝ったのは、おそらくティアナが夢とする執務官へ簡単になろうと思ったことに対してか。
だが、別にティアナが気分を害することはない。
人が何にどれだけの価値を見出すのかなんて、それこそ人の数ほどパターンがある。
こういった価値観のすれ違いも、許容できないわけではない。

「ああでも」

ふと、エリオが思い出したように声を上げる。

「しばらくはお休みすることになりそうです。
 ルーテシアのことが心配ですから」

ルーテシア、と名前を出した瞬間、ほんの少しだけキャロがむくれた。
むくれただけで何をしたわけでもなかったが。

その様子に、ティアナだけではなくスバルまでもが苦笑いを浮かべる。
エリオは一人、なんで皆がそんな顔をするのか分からず戸惑っているようだった。

「……ま、ともかく。
 そんなに難しい仕事でもないんだし、とっとと終わらせましょうか」

笑いを噛み殺しながら、ティアナは再びデスクへと。
この後にある解散式と宴会を、仕事が残った状態で迎えたくはないのだ。


















「いやはや。普通の仕事というものはこうも退屈かね。
 自分で決めた事柄とは云え、つまらなすぎて逃げ出したくなってしまう。
 世のサラリーマンは大変だね。興味もない仕事のために時間を浪費するなどと、私には耐え難いよ」

「良いから仕事をしてください、ドクター」

「……分かった」

際限なくだらけ切っていたスカリエッティは、怒りの滲んだウーノの声に姿勢を正す。
そして机に向き直ると、管理局より上がってきた仕事をこなすべく死んだ魚の目をしながら指を動かし始めた。

ジェイル・スカリエッティ。
管理局へと出頭した彼は、結社の本拠地、内情、拠点の位置、物資の流れ、それらのすべてを管理局に教えることと引き替えに、最低限の自由を確保していた。
それでも、生涯囚われの身であることに代わりはない。
今も部屋にこもって仕事こそしているものの、監視している者の目は二十四時間、スカリエッティの言動を見張っている。

先にも彼が云ったように、この状況はスカリエッティの望んだものではない。
だが、食うためには働く必要があり、労働の対価として金を得なければウーノを養って行けないのも確かであった。
逃げ出したいことこの上ないスカリエッティ。
管理局ではなく、どこぞの企業にでも匿ってもらえば、今よりもずっと良い待遇で自分の気が赴くままに人生を謳歌できると、分かってはいる。

しかし――彼はそれをしない。
理由はただ一つ。己がまた戦いを始めようものならば、エスティマ・スクライアはまず間違いなく後を追ってくるからだ。
それは酷く甘美な誘惑で、また再び彼との闘争を楽しみたいとも思っている。

だが――いけない。
スカリエッティは出頭する際、己の行く末を決めていたのだ。
エスティマ・スクライアという一人の人間を見守り、彼の人生を参考にして生命創造技術を完成させようと。
もしエスティマが自分を追うために人生を投げ出してしまったら、それはスカリエッティの望む彼の人生ではなくなってしまう。
そうはならない、という確信にも似た信頼があるものの、やはり余計なことはすべきではないだろう。

そのため、敢えて彼は管理局の監視の下で過ごしている。
エスティマが安心して人生を謳歌できるように。

「……そういえば、ドクター」

「なんだね、ウーノ」

「今日は六課が解散する日です。
 いかがいたしますか?」

「ふむ。どうせ宴会でもするのだろう。料理でも送ってやるかな」

「まず間違いなく捨てられると思います」

「おお……なんということだ。
 どこまで私は嫌われているというのかね」

と、云いつつスカリエッティは楽しそうだった。
嫌われているという自覚は十分にある。だからこそエスティマの反応が楽しくて仕方がないのだし。

「……少し贅沢をしようか、ウーノ。
 彼らの門出を祝ってあげよう。
 ちょうど宴会が始まる頃合いに、私たちはワインでも楽しもうか」

「……はい、ドクター」
















ミッドチルダ地上本部。
その最上階付近に位置する執務室には、二つの人影があった。
一つは巨大な机を前に座っているレジアス・ゲイズ。
彼は仕事の手を止め、来客へと対応――というよりは、世間話をしていた。

その来客とは、ゼスト・グランガイツのことだ。
エスティマよりも一足先にレリックの摘出を行った彼は、不調を微塵も見せない立ち振る舞いを見せていた。
管理局の制服を着た彼は、レジアスの隣に立って大窓から見えるクラナガンの街並みを見下ろしていた。
人々が生きる風景は、変化こそあれ今も昔も本質は変わらない。
ここにいる二人の男が守りたいと願った景色は、今もまだ息づき、残っている。

「レジアス、オーリスの様態はどうだ?」

「快復に向かっているよ。来週には、松葉杖つきで職場復帰すると息を巻いている。
 どうしてこうも仕事人間になってしまったのか……儂はあの子の将来が心配でならん」

「……将、来?
 レジアス、俺の記憶が正しければ、オーリスは今年で三十路に――」

「……頼む、それを云わんでくれ」

云いながら、レジアスは頭を抱え込んだ。
その姿は今まで結社と戦っていた際に見せていたものと似ている。
問題自体は完全に別物だが、彼にとっては重要な問題なのか。

――そんな風に。
戦い以外のことで悩める。
それだけの余裕ができたのだ。

エスティマたちと別行動を取っていたゼスト。
彼が行った、オーリスを助けるために必要な医療機器の奪取は無事に成功していた。
瀕死の重傷を負った彼女は命を拾い、もうすぐ無事に地上本部へと姿を見せることとなるだろう。

再び己の手を血に染めることを拒否したレジアス。
彼の心根が変わっていなかったことを認めたことで、ゼストは再び彼とこうして話をしている。

もう失ってしまった、二度と手に入らないと思っていた日常。
それへ回帰できた喜びは、やはりゼストにもある。
一度は死に、朽ちる寸前までの走馬燈を過ごしていた身、と己を断じず良かったと心の底から思えていた。

「……ああ、そうだ、ゼスト」

「なんだ、レジアス」

「この前に話した案件だが、考えてくれたか?」

「……首都防衛隊第三課の再生、か」

口にした瞬間、ゼストの口元へ微かな笑みが宿った。
まるでやり直しを望むような案件だが――もう二人は若くはない。
昔のことだと断じて、ただの思い出にするには辛いこともある。

「気が早いぞ。
 クイントもメガーヌもまだ目を覚ましていない。
 何より、クイントの家族があいつを再び管理局へ戻ることを許すかどうか」

「……む」

やや落胆したような声を上げるレジアスに、ゼストは小さく噴き出した。
まるで子供が拗ねたような――大の大人が見せるにしては、あまりにも幼い様子にこらえることができなかったのだ。

「……三課の再生、か。
 ということはレジアス。エスティマを引っ張るつもりか?」

「無論だ。お前には悪いが、奴には指揮官として所属してもらう。
 階級も、アイツの方が上になってしまったからな」

「……レジアス。今だから云うが、アイツは指揮官に本気で向いていないぞ」

「……だとしても、信頼していることに変わりはない。
 そういった者にこそ、儂は部隊を任せたいのだ。上官としてな。
 ともかく……そうでないにしても、経験を積ませ、いずれは奴に一つの部隊を持ってもらうつもりだ。
 六課のような寄せ集めで、浮ついたものではない、ちゃんとした部隊をな」

「……らしくないな。期待しているのか?」

「ふん。どうとでも受け取れ」

「そうか」

完全に臍を曲げてしまったレジアス。
それを苦笑しつつ眺めながら、ゼストは彼の夢想する三課の再生へと思いを馳せた。
いつか潰えたあの居場所を、もう一度。
ああ確かに、それはあまりにも煌びやかだ
一度失ってしまったからこそ分かる。全員が一丸となって戦っていたあの部隊、再びあそこに所属することができるのならば――と。

……それが夢で終わるのか、実現するのか。今はまだ分からない。
だがしかし、夢見る中年オヤジ二人は、想像にすぎないその光景を夢想するだけで十分に楽しめた。



















空虚な雰囲気の満ちる無限書庫を、ユーノ・スクライアは入り口から見上げていた。
眼前に広がるのはただ暗く、壁一面に本の詰まった異空間。
ずっとここで作業を行っていた自分たちだが、六課が解散することによりその仕事も終わりだ。
今までお世話になりました、とユーノは小さく頭を下げる。
同僚――というよりは部族の者たちは、既に引き上げている。
残ったユーノはこのまま管理局に書庫の鍵を返し、その足でクラナガンの六課へと向かうつもりだった。

そろそろ行こうかな、と思っているユーノ。
そんな彼の背中へと、やや強い衝撃が襲う。
目を白黒させながら何事かと見れば、そこには子供の姿を取ったアルフがいた。

彼女は八重歯――というか犬歯を覗かせながら、伺うようにユーノへと視線を。

「どうしたんだい?」

「ん、ここでの仕事ももう終わりか、って感傷に浸ってたんだ」

「アンタらしいねぇ。
 アタシゃ、薄暗い物置から解放されて清々してるってのに」

ひくひくと鼻を鳴らして、埃臭い空気を嫌うようにアルフは顔をしかめる。
そんなどうでも良い動作が、しかしユーノには可愛いらしく見えた。
子犬のような彼女の頭へと、ユーノは軽く手を乗せる。身長差があるために、それは酷く簡単だった。

アルフは嫌な顔一つせず、置かれた手をそのままにユーノへと再び視線を。
ゆっくり撫でられる感触に目を細めながら、尻尾を小さく振った。

「これでまた、スクライアの仕事に戻るんだね」

「うん。まぁ、ここでの仕事もスクライアのだったけどね。
 管理局からの仕事はお金が良かったから、しばらくはゆっくりできる、かな?
 旅行にでも行こうか。僕たちだけじゃなくて、フェイトやキャロ、それにエスティを連れて」

「良いねぇ。温泉とかどうだい?」

この埃っぽい空気のせいだろうか。
そんなことをアルフは云う。

「うん、悪くない。
 まぁ、ゆっくり決めようよ。時間はたっぷりあるからさ」

そんな風に、書庫の鍵を閉めることも忘れて二人は会話をする。
そうしていると、だ。
ふと背後に誰かがいる気がして、ユーノは振り返った。
見れば、通路の向こう側からこっちへと向かってくる者がいる。
その人影をユーノが見間違えるはずもない。
クロノだ。相も変わらず黒ずくめの格好をしている彼は、声が届く距離までくると口を開いた。

「やあ、ユーノ。それにアルフ」

「お疲れ様。どうしたの?」

「ああ。書庫の閉鎖に立ち会おうと思ってな。
 間に合わないと思っていたが、まだいてくれて助かった。
 無駄足にならずに済んだよ」

彼の言葉に、ユーノとアルフは苦笑いした。
まさかいちゃついていたとも云えず、適当に言葉を濁すしかない。

クロノがきたことで、ユーノは無限書庫へと鍵をかけた。
特に感慨はなく。一人ならばともかく、アルフやクロノがいればそれも薄まるだろう。

鍵を確かに閉めたことを確認して、三人は無限書庫の区画から出るべく足を動かした。
人のいない場所から、徐々に活気のある場所へ。

「そういえばクロノ。君は六課の解散式のあとにある宴会には出るの?」

「……出たいのは山々だが、仕事があってね。
 残念でならないよ。エスティマとも、顔を合わせて話をしたかった」

「ずっと会ってなかったからね、僕たち。
 まぁけど、これからは予定が合うこともあると思う。
 エスティが忙しい時期は終わったし、あとはクロノの予定次第かな」

「……そうだな。こっちも、休みを作れるよう頑張るさ」

「……男三人で仲が良いねぇ、アンタらは」

「ま、付き合い長いからね」

呆れたようなアルフに、クロノとユーノは同時に苦笑した。
仲が良い、のだろうか。別に普通だとも思うけれど。

「さてさて。それにしても、これからエスティはどうするんだろうね」

「ん? エスティマ、スクライアには戻ってこないのかい?」

素朴な疑問、といった風にアルフは口にする。
彼女は口にこそ出さなかったが、ユーノ経由で彼が結社と戦っている理由を知ってはいた。
その結社が崩壊した今、もうエスティマが管理局にいる理由はないだろう。
だったらこれからは、皆がスクライアで――とアルフは考えていたに違いない。

それに、どうだろ、とユーノは首を傾げる。
やりたいことは終わらせた。けれど、その間に積み重ねたしがらみを無視できるような弟ではない。
色々な人間と縁を作ったエスティマだ。おそらく、暫くは宙ぶらりんな状態が続くのではないだろうか。
自分たち家族は、そんな彼が行き場所を見付けられなかったとき、受け入れてやれば良いだろう。

「……エスティマ、か。
 欲を言えば、あいつは海に欲しい」

「……まだアイツを戦わせるつもりなのかい?」

クロノの言葉に、若干棘のある言葉をアルフは放った。
クロノは居心地の悪そうな表情を浮かべるが、しかし、彼は仕事をしている時特有の厳しさを滲ませる。

「……ストライカー級魔導師を遊ばせておくことは、管理局にとって大きな損失だ。
 AAAは五%。オーバーSともなれば一%ほどしか存在しないのが現状だからな」

「……どんな力を持っていようと、それの使い道は本人の問題だよ、クロノ」

「ああ、分かっているさ。
 だから云っただろう? 欲を言えば、と。
 無理強いをするつもりはないよ」

そこで一度会話は止み、三人は転送ポートを目指して歩く。
やや口を開きづらい空気が流れているが――その中で、クロノは思い出したように言葉を発した。

「ああ、そうだユーノ」

「何?」

「エスティマに会ったら、一言云っておいてくれ。
 例の集まりのことだ」

「……うん。君は良いだろうけど、僕にもエスティにとっても気が早すぎると思うんだ」

「なんの話だい?」

問いかけてくるアルフに、なんでもない、とユーノは返す。
例の集まり、とは、クロノが以前云っていたホームパーティーのことだ。
子供の見せ会いとか悪くない、とパパさんは口にしていたが、やはり自分にもエスティマにも早すぎる。

……楽しそうでは、あるけれど。
















海上収容施設の庭園には、今日も時間をもてあましたナンバーズたちが集まっていた。
Ⅵ番からを始めとした者たち、Ⅰ番はスカリエッティと。Ⅱ番、Ⅶ番は消息不明。Ⅲ番は死亡が確認されており、Ⅳ番はここではなく軌道拘留所に。
最終決戦が終了したあと、クアットロは他のナンバーズと同じように管理局の監視下で罪を償わないかと持ちかけられた。
しかし彼女はそれを突っぱね、口を噤んだまま囚われている状態だ。
こんなことになったのはおそらく、事情聴取を行った者がエスティマということも関係しているのだろう。

己の目論見を悉くエスティマに粉砕され、彼女が彼へと抱いている憎悪はどれほどのものなのか。
それは、誰にも分からない。
更に云うならば、ここにいる誰もが、そのことを大して気にしてもいなかった。

「あー暇ー暇っスー」

囚人服を着たウェンディは、芝生の上に腰を下ろしながらゆらゆらと身体を揺らしていた。
独り言のように呟かれた言葉だが、彼女の隣で寝転がっているノーヴェはしっかりとその言葉を聞いていた。
ちら、と彼女はウェンディに視線を向ける。
だがすぐに興味を失ったようで、力なく開かれていた瞼は閉じた。

ウェンディはそれにかまわず、先を続ける。

「いつまでここにいるんっスかね、私たちー。
 教育終わったら局員さんとして働けるらしいっスけど、早く始まらないかなー。
 お勉強よりは身体動かしてる方が好きっスよ、私は」

「……黙ってろウェンディ」

「……暗いっスねぇ。
 そんなに気にすることっスか?」

「うっせぇ。オメーには分からねぇよ」

手厳しい言葉を向けられつつも、あらら、と軽い調子で手をひらひらと振るウェンディ。
良くも悪くも彼女は軽い人間なのだった。

ノーヴェがこうも暗いのは、単純な話。
最終決戦でタイプゼロ・セカンドに敗北し、母を奪われた――と彼女が思っているからだった。
実際のところ母を奪っていたのは自分たち。故に、タイプゼロたちが母親を取り戻すのは正当な権利だろうと、ウェンディは思っている。
しかし、ノーヴェは違うのか。
どうにも家族を中心とした心の機微が分からない彼女にとって、ノーヴェにどんな言葉をかけて良いのかさっぱり分からない。

家族……ねぇ。

胸中でそう呟きつつ、ウェンディは視線を巡らせる。
この庭園には、姉妹たちがそれぞれ、ウェンディと同じように過ごしている。

ディードとオットーは特に何かをするわけでもなく、ぼーっと毎日を過ごしている。
元から人間味の濃い二人ではなかったためそれほど不思議な状態ではない。
が、決戦が開けて出会ったディードが云っていた、犬怖い、とはどういうことなのだろう。それがどうにも不思議ではあった。

セイン。スカリエッティの出頭に合わせて管理局へと下った彼女の姿も、ここにはある。
しかし妹たちが暢気気ままな上自分勝手に過ごしているせいで誰にも相手をしてもらえず、現在は拗ねて芝生をごろごろしている状態。

そして、ディエチ。
自分たちよりも早くこの海上収容施設で捕まっていた彼女は、傍目から見ればあまり変わっていないように見える。
しかし――大きな変化がないだけで、彼女を良く知っている自分たちからすれば、おや、と思うところは多々あった。
例えば、今の彼女は観光雑誌に視線を落として、無表情の中に微かな楽しさを浮かべている。
自分がその場所に行ったら、と夢想しているのだろうか。それが楽しいかどうなのか、ウェンディにはさっぱり理解できない。
けれどおそらく、管理局の施設に入ったことで視野が広がったのだろう。
たった二ヶ月とは云え、更正教育を受けた自分も以前と比べれば物の見方が変わったように思える。
劇的、というわけではなく、そういう見方もあるのか、といったレベルだけれど。

あんな風に私らも変わるんスかねー、と思いつつ、ウェンディはノーヴェと同じように芝生へ寝っ転がった。
窓から差し込む陽光は暖かで、心地良い。
温もりの中でたゆたうのは酷く気分が良くて――だがおそらく、自分たちがここから出るのはそう遠くないだろう。
そうすれば、世間の厳しさとやらに揉まれるのだろうか。多分、そうだろう。
世間を騒がせた戦闘機人のType-Rだ。ほとぼりが冷めるまではやっかみが付きまとい、そして、未来永劫犠牲者となった者たちから恨みを向けられるに違いない。
あまり、ウェンディはそれを気にしないけれど。やはり彼女は軽かった。

それを辛いと思うような時期が自分に訪れるのだろうか。
それは、分からないけれど――

「……チンク姉は、そんな中で頑張るっスねぇ」

ふと、ここにはいない姉のことを彼女は呟く。
ナンバーズのⅤ番、チンク。
彼女は今――というよりはここ最近、結社本拠地で捕らえられた量産型戦闘機人たちの元へと足を運んでいた。
元々管理局に協力的だということもあるし、最終決戦でクアットレスⅡを破壊する際、活躍したことも大きいのか。
ナンバーズの中で唯一、限定的ではあるものの、姉は外へ出ることを許されている。

そんな風にチンクが外へ出て量産型の戦闘機人――自分たちの妹とも云える存在に教えていることは、なんなのだろう。
おそらく、自分たちと同じように更正プログラムを受けているのだろうが、あの姉は他に余計なことを教えていそうだ。
例えば、そう。クアットロならば贅肉と嘲笑しそうな、人間らしさなど。

私はそんなに嫌いじゃないっスけどねー、とウェンディは小さく笑う。

はてさて。ともあれ、自分たちはどうなるのか。
何も分からない、という状況だが、それもまた一興。
今までは敷かれたレールを進む電車、戦うだけの機械人形であることを求められていたわけだが、これからは違うのだし。
楽しく生きてゆければ、それが最上。

そう考え、ああ、とウェンディは思い出す。
そう云えば、今朝方チンクが出発する時、妙に楽しそうだった。
聞いてみれば、少しだけ自由時間をもらえることができ、それで六課の解散式の後にある宴会に参加するのだという。

……ちょっとズルいっス。



















108陸士部隊のオフィスには、ゲンヤとシグナムの姿があった。
普段ならば彼女と共に姿を見せるギンガの姿は、ここにない。
現在、彼女は長期休暇を取っており先端技術医療センターでクイントの面倒を見続けている。
いつ目が覚めるかも分からない母を待つ心境はどんなものなのか――それは、分からない。
だが、決して楽なものではないのだろうとシグナムは思う。否、そんな待つだけの時間でも楽しいのかもしれない。
ずっと引き裂かれていたナカジマ家。シグナムの家庭は父と自分しかいない歪なものだが、しかし、父がいなくなると考えるだけで怖気を覚える。
シグナムがそう思うように、実際に奪われたナカジマ家も似たような思いをしてきたのだろう。そして、それを払拭できる――クイントがようやく戻ってきた。

目を覚ましてくれないこと自体は辛いのかもしれない。
しかし、今までの状況と比べれば、ずっと気が軽いのも確かだと、彼女は思う。

現に、こうして隣から眺めるゲンヤの顔色も以前より輝いている。
仕事をこなすのが楽しい――というわけではないのだろう。
きっと、妻が帰ってくるのを子供のように待ち焦がれているのだ。
その姿はどこか少年じみていて、何歳になっても男はこんなものだったりするのかもしれない。

……父上も、そうなのでしょうか?

そんなことをシグナムが思った時だ。
ふとゲンヤは顔を上げ、時計へと視線を流す。

「……まだ良いのか? 今日は六課で宴会だろ?」

「大丈夫ですよ」

「そうかい。
 てっきり、女は支度に時間がかかるもんだと思っていたが……」

「……そういうものですか?」

分からない、といった風にシグナムは首を傾げる。
その様子にゲンヤは小さく笑って、くつくつと喉を鳴らした。

「馬鹿騒ぎは終わったんだ。
 お前さんも、ちったぁ女らしさを磨いても良い時期なんじゃねぇのか?」

「……そう、ですか。
 焦りも何も感じてはいないのですが」

「素材の良さを生かせる時間はそう長くはねぇ……っと、セクハラか? これ」

「どうでしょう。あまり私は気にしません」

彼女らしからぬ無機質な返答だが、それは、心底からピンとこないからだ。
どうにも。男女云々の事柄は、まだ早い気もする。
そんなことを口にするにはあまりにも初心な歳だと分かっているものの、人生の大半を鍛錬に注ぎ込んできたのだから当たり前なのかもしれない。

それに――今は何よりも、楽しみたい毎日がある。
今日で一度退院。また明後日には手術のために病院へと戻ってしまう父だが、今日はなんの気兼ねなしに会うことができる。
宴会そのものは何をして良いのかさっぱり分からないシグナムだったが、父と普通に会えるというだけで、その時が楽しみで仕方がなかった。

……ああ、だったら少しぐらいは気合いを入れてみるのも悪くないかもしれない。
父はいつまで経っても自分を子供扱いしてばっかりだ。
だったらここは、大人の女となりつつあるのを見せ付けてやって驚かせるのも一つの手だろう。

そう考えれば楽しくもなってくる。
思わずほほを緩めて――それを見たゲンヤが、どこか満足そうな笑みを浮かべているのに気付いた。
シグナムはすぐに表情を消し、やや鋭い視線を彼へと投げる。

「なんでしょうか、ナカジマ三佐」

「いや、良い顔をするようになったと思ってよ。
 険しさが取れたじゃねぇか。いやまぁ、今は違うけどな」

「私はいつも通りです」

「そうかい」

再び、くつくつと喉を鳴らすゲンヤ。
まったく、と彼に呆れつつも、シグナムの脳裏にはこれから始まる宴会のことがずっとあった。


















靴裏がコンクリート片を踏みしめる鈍い音と感触が伝わってくる。
頬を撫でる海風の感触は久しぶり――とは云っても、ほんの二ヶ月ぶりだ。
それでも懐かしいと思ってしまうのは、ここが自分の居場所だという思いがあるからだろう。

一歩一歩を踏みしめながら、俺は荒廃した隊舎の隣にある、プレハブ小屋を目指す。
ここからそう遠くはない。五分もあれば、辿り着くことはできるだろう。

確かめるように歩みを進め、徐々に歩を進める。
特に何も考えず仲間たちのところへ行っても良いとは思うものの、やはり、思うところがあって。
ほんの少しだけ、感傷に浸りたい。
だから俺は、仲間たちとの合流を惜しむように、ゆっくりと足を動かした。

コツリコツリと上がる足音。
それによって短くなってゆく、六課との距離。
それはゴールラインに辿り着くのを惜しむ、ランナーの気分に近いのかもしれない。
走り抜くために駆け抜けていたというのに、いざその時となれば残念に思ってしまうような。
これが疲れ果ててでもいれば違うのだろうけれど、生憎、今の俺は考えごとをするだけの余裕があった。

「……長かった」

一人、呟く。
Seven Starsがそれに応えることはなく、ただ黙って俺の言葉を聞いている。
余計な口出しはしないつもりなのだろうか。
だとしたら、この場では少しだけありがたい。

今行おうとしていることは、ある種、確認のようなものなのかもしれない。
ずっと終わらせようと思っていた闘争が終わって、これから、俺は真っ白な人生を歩み始めることになる。
これから何が起こるのか、本当に分からない。
今までは明確な敵や、明確な目的が存在していたけれど、六課にたどり着けばそれもなくなる。

与えられた役目は終わり、舞台には幕が下りる。
カーテンフォールの後に役者が何をやろうが、観客に関係のないことだ。干渉されても迷惑なだけだろう。
歌劇は終わり。そこに寂しさはあるものの、確かな達成感はこの胸に宿っている。

これを糧に、俺は俺の人生を歩んで行く。

「……人生、か」

これから俺は、何をしたいのだろうか。
それはあまりにも漠然としている。
方向性は決まっているものの、これをこうして幸せになりたい、という目的は存在していない。

ふと、脳裏に、閃光のような人生を歩んだ戦闘機人の影が浮かぶ。
あいつは、あれで満足だったのだろうか。
最後を看取ったシグナムの話によれば、彼女は満足していたらしい。
けれど――死んで終わり、というのは、俺にとってどうにも我慢のならない事柄だった。

どんな価値観だろうと、生きている限り人生は続いてゆく。
それを途中で満足して終わらせるだなんて――と、怒りにも似た何かが、胸を焦がしていた。
あいつは幸せだったのかもしれない。己の定めた道を、己の満足ゆく形で駆け抜けることができて。
けれどやはり、納得はできない。
あの死に様を認めることは、絶対にしたくなかった。

彼女が死ぬことで俺が今生きていることは確かだ。
庇われたことは否定しない。そこに彼女がどんな意義を見出していたのかも薄々と分かってもいる。
似ても似つかない俺とあいつだったけれど、正反対の位置にいるからこそ、奴という人間を見渡すことができているのかもしれない。
全貌を見渡すためには距離を置く必要があるような、そんな感じ。

……それに、似ていたから。
自分命を削ることで、得るものがある。
その得たものの還元先が自分か他人の違いはあるものの、あいつは俺だった。
俺が否定して、乗り越えた俺自身だったんだ。

故に、俺は生涯、トーレの生き様を認めないだろう。
あんな馬鹿女、誰が認めてやるものか。

そこまで考え、気付けば、もう六課の隊舎はすぐそこまで迫っていた。
もう一分もかからないのかもしれない。
残る僅かな時間を、俺は再び感傷へと使う。

今までの人生は、一体、どんなものだったのだろうか。
外圧に耐えながらも突き進んで、取りこぼし、時には得るものがあり。
投げ出したい、と思ったことは一度や二度じゃなかった。
周囲の雑音はあまりにうるさくて、不愉快で、耳を塞いで自分の中で完結すればそれはそれで幸せだったのかもしれない。

けれど俺はこうして、ここに立っている。
もう終わりはすぐそこだ。ここまで成り仰せたのは――ああ、そうだ。自分一人の力で辿り着いたわけじゃあない。
助けてくれる人がいた。俺を待ってくれる皆がいた。
確かに歩みを進めるのは疲れて、走り出すのは酷く億劫だったけれど。
こうして完走を目前にした今、ああ、間違いじゃなかったんだと思いたい。

悲劇、と口にすれば滑稽になってしまうが、それでも辛いことはたくさんあった。
それは俺が引き起こし、だからこそ怨嗟の声が届いて、それに身動きが取れなくなって、宗旨替えを行ったこともある。
自分の行いに自信があったわけではなかった。けれどこれが最上、と信じて、俺はすべてを行ってきた。
けれども他人から見ればそれは違って、結局分かったことと云えば、上手いやり方なんて存在しない、ということぐらい。
だったら俺は俺のやりたいようにやるさ、と開き直ってしまったのは、良かったのか悪かったのか。
それは今でも、分からない。
求められている云々は関係なく、自分がやり始めたことだ。だからこそいつでも止めることはできたけれど――

「……でも、待ってくれてる人たちがいたから」

呟き、視線の端に一人の女性の姿を捉えた。
彼女は俺に気が付くと、手を振って早く来いと急かしている。

分かったよ、と思わず苦笑して、俺は足に力を込めた。

――そう。結局はこれなんだ。
誰かが俺にここへ至ることを望んでくれたから、今の時間がある。
誰もが到達できるわけではない場所へと、ゆっくり時間をかけてだが、ようやく。

……その結果だけは嘘じゃないだろう。
他人が何を云おうと。これから何が起きようと、俺は俺の望むように生きる。
自分だけでたどり着けないのならば、それを素直に認めれば良い。
ただ一人ですべてのことを片付けられるのならば、他人なんかいらない。
けれど――それは、酷く寂しい人生だ。

一緒に生きてくれる人がいて、笑い合っていられる。
そんな日常をずっと過ごせていられたら――それを願い、俺はこの瞬間に至っている。

もう、駆け出せば抱き合えるぐらいの距離までに彼女は近付いている。
けど、白昼堂々とそんなことをする度胸は残念なことに持ち合わせていない。
だから俺は、ゆっくりとした歩みを続けて――

――その時、だった。

ふと、空を見上げる。

一面に広がった青空の中には影の一つも見当たらない。
反射的に振り向いたせいで目が焼けて、思わず掌を太陽にかざす。
それでいくらか楽にはなったけれど、やはり辛いことは確かだ。

それでも俺は、視線を空から逸らさない。
どこまでも続く蒼穹の中に、一つの影を探し出そうとして――

『旦那様?』

俺の行動を疑問に思ったのか、Seven Starsが声を上げる。

「……鳴き声が」

俺はSeven Starsに視線を向けず、ただ呟いた。

「……鳴き声が、聞こえたんだ」

あの瞬間。か細かったけれど、確かに俺は聞いた気がしたんだ。
鳥の鳴き声を。それは雲雀と呼ばれる種類のもので、海辺であるここにいないのだと分かってはいるけれど――

『……はい。
私にも、聞こえました』

そう、Seven Starsは応える。
本当なのだろうか。
センサーの類を五感にしているデバイスの発言なのだから、嘘ではないのだろうと思うことはできる。
……ただ、このSeven Starsは嘘を吐くだけの情緒を得ていると、マスターである俺は理解している。
それ故に、こいつが口にしたことが本当かどうか分からなくて――

……良いさ。

「……行こう」

微かな笑みを浮かべて、俺は視線を下へと。
俺が生きるべき、方向へ。

背を向け、俺は歩き出す。

ありがとう。その一言をそっと、何処かへ向けて。






END




[7038] 後日談1 はやて
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/03/18 20:44
「お、お嬢さんを、僕にください……」

なんとか絞り出した言葉は、自分でも滑稽なぐらいに震えていた。
それを聞いた人物は、対面に座る三人の騎士。ヴィータにザフィーラ、そしてエクス。
リインⅡもいるにはいるけど、この際除外。今は構ってる余裕がない。

「あーん? 聞こえねぇなぁ」

と、云ったのはヴィータだ。
そっぽを向きつつ、口元にはにやついた笑いが浮かんでいる。絶対嘘だ。聞こえている。
けどここで突っ込めば、ほぼ確実に帰れとか云われるのは予想できるので、もう一度。

「お嬢さんを、僕にください」

「聞こえんな」

次に反応したのはザフィーラ。
ヴィータと違い態度こそ悪くないものの、目を閉じて腕を組んだままそんなことを云われると、心が挫けそうになる。何このプレッシャー。

ぐ、と言葉に詰まりつつ、もう一度俺は口を開こうとして――

「まぁまぁ、二人とも。そうエスティマさんを虐めなくても良いじゃないですか」

苦笑しきりのエクスは、しかし、俺の瞳を真っ直ぐに見え据えるとその笑みを消した。
意志の光りを爛々放つ目を向けられ、表情には強い決意のようなものが滲んでいるように見える。
それは方向性こそ違うものの、彼女が闇の書であった頃と同種のものかと思ってしまうほどに。

「エスティマさん。主があなたを長年想い続けていたことを、我々は知っています。
 故に、主の願いが成就されることを、我々ヴォルケンリッターは喜びましょう。
 その上で問います。あなたに主を幸せにすることはできますか?」

「……できます」

口から零れたのは、僅かな間を置いての即答だった。
それ以外の答えを返すことができない、ということもあるのだが――薄々と、俺は彼女らの意図に気付く。
分からない、などと答えればここから放り出されるだろう。頑張る、なんて口にすれば呆れられるに違いない。
彼女らが求めているのは、幸福にできるかという確証ではない。そもそも、未来がどうなるか分からないのは万人共通。それを俺に求めるほど、彼女らは愚かじゃない。
おそらく、俺の決意を試しているんだ。
どれほどの気概があるのかと、それを言葉に表してみろ、と。

そして、

「……良いでしょう」

小さく笑みを浮かべて、エクスは頷いた。

「ええ。あなたは有言実行する人間だと、私たちは知っていますからね。
 口に出した以上、絶対にねじ曲げてはいけませんよ?」

『旦那様、旦那様。これは見事にハメられたとしか言い様がありません』

『分かってる。黙ってろ』

こっちは余裕ないんだよ。
デバイスコアを瞬かせるSeven Starsへ念話を送ると、俺はそれた意識を再び騎士たちへ。
視線を向ければ、ヴィータは呆れたような、残念な様子で溜息を吐いていた。

「おいエクス。もう二、三回は駄目出しした方が良かったってやっぱ。
 何回も挑戦させた方が、コイツの決意も固くなるだろ」

「止めてやれヴィータ。コイツのことだ、無理と分かれば駆け落ちでもしかねん」

「既成事実を作るって線もあるですよー」

……俺の評価って。
ちょっと前まではコイツら俺の部下だったんですよ? なのにこの云われよう、どういうことなの。
そんな風に落ち込んでいると、

「まぁ冗談はともかくだ」

腕を組んだヴィータは、やはり不敵な笑みを浮かべて云う。

「アタシらはお前って人間を、ずっと前から認めてんだ。
 勿論、それだけではやてを任せるなんて思わねぇけど……今のお前なら、大丈夫だろ」

「当たり前やんか」

そのヴィータの言葉に、俺の背後でずっと黙っていたはやてが声を放った。
振り返れば、彼女は恥ずかしそうな顔をしながらも胸を張って、堂々と自らの騎士たちへ言葉を。

「私の見込んだ男の人やで、エスティは。
 駄目男さんかも知れへんけど、それと同じぐらいに素敵なんやから」

えへへ、と笑うはやてになんと云って良いのやら。

こいつらには一生頭が上がらないのかも知れない。
そんなことを思いながら、俺は苦笑した。














リリカル in wonder

   ―After―











六課が解散したあと、俺とはやては、戦いの最中に行ったプロポーズから先へと進むため、準備を開始した。
今までの時間は酷く長くて、友達、同僚、戦友、とはやての面をたくさん知ってきたわけだけれど、恋人となってくれた彼女がどんな顔をするのか知りたくて――というのは、些か独占欲の強い願いだろうか。

けれどそんな考えを余所に、レリックの摘出手術が終わり、俺の体調が整うと、ゆっくりとだが結婚の準備が始まる。
これはなんというか……外野に急かされた部分が大きいのだと思う。
どうやら俺のプロポーズは身内にリアルタイム放送されていたらしく、そんなものだから、ずるずると半端な関係を続けているのが焦れったかったようだ。

そうして、まずはお互いの両親に話を――となり、さっきの話に戻る。
今更だが、はやての両親は既に他界している。なので俺が挨拶をするのはヴォルケンズであり、どうやら、はやてを貰うことに許しを得られたらしかった。

「……疲れた。なんだよあのプレッシャー」

「あはは、お疲れエスティ。
 なんや、すっごく緊張してたなぁ」

「するさ。普段から顔を合わせているとはいえ、やっぱりね。
 ……そういうはやてだって、これからスクライアに顔を出すんだから他人事じゃないぞ?」

「んふふー、エスティと違うて、私はそんなに気負ってへんからなぁ」

「どうだか。ユーノはともかく、フェイトは結構ごねそうだけどね」

「大丈夫やって。ようやっとフェイトちゃんとも仲直りできたもん」

と、云うはやての言葉は嘘じゃない。
あの最終決戦、俺の知らないところで、何かがあったらしいとは聞いている。
詳細の方はフェイトもはやても教えてくれないが――まぁ、仲直り、というより、ようやく友達と云えるようになったのは喜ばしいことだ。
二人が微妙な関係であったのは、俺が原因とも云える。この期に及んで、本来ならば、なんてIFは口にしない。
けれど、俺がしでかしたミスで溝が生まれたのだけは認めなければならないと思う。

その関係がようやく解消されたということは、ああ、本当に嬉しいんだ。
けれど、ついさっきまでヴォルケンズの圧迫面接に神経削られていた俺からすると、それは少し羨ましくて、ちょっとした意地悪心が鎌首をもたげる。

「あいつのブラコン具合を舐めちゃいけないよ」

「……エスティは、私がスクライアの皆に認められない方がええと思っとるんか?」

「……は?」

声を上げ、思わず足を止める。
今の反応が予想外で、首を傾げながら俺は彼女の顔を覗き込んだ。

はやては何が不満なのか、視線を逸らしながら口をへの字に曲げていた。
……何か、不味いことを云っただろうか。
別に今のは、普段からやってる軽口となんら変わりはないっていうのに。

「……ごめん。なんでもあらへん」

そんな風に抱いた疑問を打ち消すようにはやては笑むと、俺の手を取って歩き出す。
手と手をぎゅっと。しかしそれでは満足できなかったのか、はやての方から腕を組んでくる。
身長差があるせいだろう。腕を組むと云っても、半ば俺の腕へ抱きつくような形になるのだ。

恋人同士になりはしたけれど未だに気恥ずかしくて、それも昼下がりの街角だ。どうしても人の目を気にしてしまう。
それでも服越しに伝わってくる温もりは心地よくて、どんな表情をして良いのか分からないまま、俺は彼女と一緒に歩みを進めた。

ここからスクライアへ行くには転送ポートを使わなければならないため、その施設がある場所まで少し歩かなければならない。
目的地へ辿り着くまでの散歩を楽しむために、俺ははやてとゆっくり歩みを進める。

そうしていると、すれ違いそうになったショーウィンドウに飾られていた衣装に目を奪われる。
はやても同じだったのか、続けていた歩みを止めて顔をそちらへと向けた。

飾られていたのはウェディングドレスだ。そう遠くない内にはやても着ることになるだろう。
装飾過多なものから、シンプルなもの。色は白を始めとして数々のものが。
数多の種類が存在しているけれど、何を着ても似合いそう、とは身内贔屓が過ぎるのか、どうなのか。

……ともあれ、今は見てる暇なんてない。

「はやて。ドレス選びは他の日にするんだから、今はスクライアの方に行かなきゃ」

「ちょっとぐらいええやんか。な、お店に入ろう?」

「入ってどうするんだよ。式は神前……海鳴でする予定だろ?
 ドレスでも良いっちゃ良いらしいけど、それにしたって向こうでレンタルするんだし、ここで決めても……」

「決めるんやない。どんな種類があるのか下見するんやって」

「なのはが持ってきてくれたカタログ、飽きずに毎日見てるじゃないか……」

ちなみになのは、一人でブライダルフェスタに突撃してカタログを貰ってきたらしい。
お一人様ですか? という問いかけには流石に逃げ出しそうになったとか。

ともあれ、一体何時間、ドレス選びに割くんだよ……とまでは云わないにしても、俺の呆れが伝わってしまったのか。
ちょっと苛立った風にはやては眉ねを寄せると、組んだ腕を引っ張って俺を店へ引っ張り込もうとする。

「それでも気になるもんは気になるんや。
 ほら、行くで」

「いや、だから……ここで時間潰したら、向こうに伝えた時間に遅刻するかもしれないだろ」

「まだ二時間もあるやんか」

「ドレス選びに毎回それぐらいの時間かけてるのに、そんなこと云ったって――」

「……ああ、そう」

じゃあ良いよ、とばかりにはやては俺と組んでいた腕を解いた。
そして一度もこちらを振り向かずに、そのまま店へと入ってしまう。
俺はそんな彼女に言葉をかけることすらできないまま、呆気にとられて背中を見送ることしかできなかった。

「機嫌を損ねたのは分かるけど……俺、何か間違ったこと云ったか?」

『私にも理解しかねます。これは俗に云う、乙女心というものでは?』

「……ドレス選びが? まぁ、分からないわけじゃないけどさ」

……なんとも難しい。
確かに服選びに時間を割くのは、まぁ、俺もしないわけじゃないから分からないこともない。
けれど、男と比べて倍以上の時間をかけようとする女の神経はどうにも。
その上、今日は結納のために両方の親族に挨拶を、って予定で、ドレス選びは他の日にしようって決めてある。
それなのに、だ。
……なんだか、俺の意思を蔑ろにされてるようであまり面白くはない。

はやてが俺との結婚式を思い出に残るよう楽しみたい、と思っているのは分かる。
そうでなければここまで時間はかけないだろう。そのこと自体は素直に嬉しい、んだけど……。

「……ワガママなお姫様だよ本当。
 仕方がない、付き合うとする――」

『……エスティ。付き合いたくないなら、先に行っててもええよ』

「……」

店へ一歩を踏み出そうとした瞬間、はやてから念話が届いて思わずこめかみがヒクついた。
落ち着いてー落ち着いてーと脳内で雲雀が囀るも、一瞬で俺の我慢メーターは振り切れる。

『そっか。じゃあ、分かったよ。
 先に転送ポートに行ってるから、着いたら連絡して。それじゃ』

云ってからしまったと思うも、遅い。
一度口にした言葉を取り繕うのは格好悪いというのもあるし、何より、苛立ちを感じていたのは事実だ。

俺はそのまま踵を返すと、転送ポートのある施設へ歩き始めた。
何か云いたそうにSeven Starsが瞬くも、無視だ。
やり場のない、怒りとも違うもどかしい感情を抱きながら、俺は振り切るように頭を振った。


















「……馬鹿」

……何も、本当に行くことないやんか。
色とりどりのドレスを眺めながら、マルチタスクの一つを使って、はやてはエスティマへの文句を呟いていた。
眼前に広がるドレスは、それほど種類が多いわけじゃない。専門店というわけではないから当たり前だ。
だから見るにしたってそう時間はかからない。それを分かってはやてはこの店へと入っていた。

けれどエスティマはそれに気付いていたのかいなかったのか、自分を置いて先に行ってしまった。
何もこんな日に喧嘩しなくても、と思う反面、なんで分かってくれないの、とも思う。

彼との結婚式を思い出に残る、最高のものにしたいと思うからこそ、エスティマが些細なことと断じるものをはやては大切にしたかった。
まだ六課が運営されていた頃、彼から受けたプロポーズは本当に嬉しかった。
今までの想いが報われたことは当然として、彼から一歩踏み込んでくれたことが何より心に迫ったから。
だからそのお返しとして、今度は自分が彼に最高の思い出をあげたい。
少しでも綺麗な花嫁衣装を選んで、彼に、私を選んで良かったと思って欲しいのに。

何を着ても綺麗だよ、なんて言葉は向けて欲しくない。
選んで選んで選び抜いて、これ以上ない、本当に綺麗だという言葉が欲しい。
そのために、彼にもドレス選びに付き合って欲しい――というのはワガママが過ぎているのかもしれないけれど。

……焦っているんかなぁ。
そんな風に、はやては思う。
エスティマはそう長生きできないと、こっそり彼の主治医から彼女は聞いている。
彼とは、はやても顔見知りで、だからこそ、彼を支える自分にその事実を教えてくれたのだろう。

彼に残された時間は長いようで短い、と彼女は思う。
今まで自分が生きてきた時間よりも少しは長いにしたって、それは、常人と比べればずっと少ない。
それだけの時間しか、彼と共に歩むことができない。
彼女にとってそれは、悲しみ以外の何ものでもなかった。

生涯の伴侶、とう言葉は自分たちに限れば嘘だ。
四十歳だなんて、早くても子供が成人するかどうか微妙な頃。自分はお婆ちゃんではなく、おばちゃん、といった具合。
なのに彼は先に逝ってしまう。多少の前後はあるだろうと聞いてはいても、それは慰めにならない。

ずっと一緒に生きたいと願ったからこそ、はやては彼を選んだ。
しかし実際はそんなことなく、彼はそう長くない人生が既に設定されている。
二十年。その年数を笑えるほどの余裕が、はやてにはない。

だからこそ彼女は、その大切な、かけがえのない日々のスタートを大切にしたかった。
最高のスタートを切って、最高の日々を送れば、最後に待っている悲しみだって、きっと満足して受け入れることができるだろうから。
そう、信じて。

だのに、エスティマは微塵も焦りを見せなくて――ああもう、と一人で空回りしている気分だ。
約二十年。たったの二十年。けれどあの暢気な彼は、二十年も、と思っているのかもしれない。

はぁ、とはやては溜息を落とす。
選ぼうと思っていたドレス、手に取ったそれは色褪せているように見えてしまって、どうにも魅力的に見えない。
煌びやかなのは確か。装飾も凝っていて、似合うに合わないにかかわらず着飾ってくれるのも間違いはない。
けれど、伴侶となる彼がこれを喜んでくれるか分からないというだけで、はやては興味をなくしてしまった。

だって、意味がない。
どれだけ頑張ったとしても、彼が喜んでくれないのならば――と。
報われない想いほど虚しいものはなく、それは長年エスティマを想い続け、紙一重で彼を繋ぎ止めることができた彼女だからこそ強く思う。

「……もう、行こか。仲直りせなあかん」

喧嘩、というほど激しいものではなかったけれど、些細なすれ違いでさえ彼女は怖い。
手を放したらどこかに行ってしまいそうだから、とでも云えばいいのか。
自分の独占欲が強いのは分かっていたけれど、それに加えて男に追いすがる駄目女な属性も持っているのかもしれない。
駄目男と駄目女でお似合いやなーという自虐は如何なものか、と思うけれど、今の沈んだ気分はどうしても止められなかった。

店員の視線を背中に受けながら、とぼとぼとはやては外へ。
店の並ぶ街道は人の数が多く、その中に混じってはやては歩き出した。
腕時計に目を落とせば、時間まで少し余裕がある。
その余裕を仲直りに使えたら、と思いながら彼女は歩き始めて――

「おや、はやてじゃないですか。
 どうしました、一人で。旦那様は一緒ではないのですか?」

ふと声をかけられ振り返ると、そこには修道服姿のシャッハがいた。
なんでこんなところに――と思うこともない。今日は休日なのだから、彼女がどこにいたっておかしくないだろう。
修道服姿なので、もしかしたら仕事中なのかもしれないけれど。

「あはは、今は別行動中なんよ。
 これから、エスティのところに行くつもりなんや」

「そうですか――っと、なんだか顔色が優れませんね。何かあったのですか?」

「ん、ちょっと」

そうはやてが云うと、シャッハは生真面目な表情を浮かべて、行きましょう、と促してきた。
何もそんな真面目な顔をしなくても、と思うが、それは職業柄か。
本業は教会騎士団の一員ではある彼女だが、シスターという側面もあるため、世話焼きなのだろう。
そんな彼女の性格を、はやては長年世話になっていたこともあって、良く知っていた。

『念話で失礼。どうしたのですか?』

『……ちょっとしたすれ違い、かなぁ』

雑踏の中で大声で話すのは悪いと気を配ってくれたのか、シャッハは念話を送ってくる。
それに弱々しい声を返して、はやては先を続けた。

『私たちが結婚式の準備をしてるの、シャッハも知ってるやろ?』

『ええ、めでたいことですね。長年あなたたちを見守っていた立場としては、感慨深くもあります』

『ありがと。けど……なんや、私と違うて、エスティはそんなに結婚式に思い入れがないのかなぁ、ってな。
 いや、分かってるんよ。エスティだって楽しみにしてる。けど、なんだか温度差があるような気がして……今別行動しているのも、それが原因。
 上手いこと二人一緒に楽しむことはできへんかなぁ、って思うんやけど』

『……男の人と私たちでは、やはり気にする部分が違うと思います。
 なんて云っても、いざ私自身が結婚するときになったって擦れ違いはあると思いますけれど』

『そういうもんなんか?』

『ええ。聖王教会では仕事として、挙式も引き受けていますからね。
 たくさんのカップルを見てきましたから。
 ……難しい問題です。
 はやては、どんな風に彼と挙式の準備をしたいのですか?』

『決まっとる。仲良く、何が良いのか二人で決めて、最高の結婚式をやりたい』

『ええ。おそらく、エスティマさんもそう思っていると思いますよ。
 それでも擦れ違いが起こるのは……さて、なんででしょうね。
 仕方がないとも云える事柄だとは思います』

『……仕方がない?』

云われ、微かな苛立ちがはやての胸中に湧き上がってきた。
そんな有り触れた、諦めにも似た理由を自分に適応しないで欲しい。

しかしそんなはやての考えを見透かしているのか、シャッハは困った風に笑う。

『そう怒らないでください。
 まぁ、話半分に、先人の教えとして頭の隅にでも置いてくださいな。
 実際のところ、彼が何を考えているのかなんて、はやては完全に理解できていないでしょう?
 できていたら、それは少し怖い。
 ……ともあれ、です。
 そんな風にお互い何を考えているのか分からない。理解することができないわけだから、やはり考えていることも違います。
 大きな目標として結婚式を大事にしたいという願いが同じだとしても、そこに至る過程に擦れ違いが起こるのは必然。
 ならば、お互いに腹を割って話し合うしかないでしょう。
 はやては、唯々諾々と彼の云うことに従うような馬鹿ではないと、私は思っています。
 だから彼に自分の考えていることを話してみたらどうでしょうか。勿論、彼の意思を尊重しつつ、ですよ?』

『……そんな当たり前のこと、分かっとるわ』

『そうでしょうね。けれど、それを行ってはいましたか?』

シャッハの言葉に、思わず言葉に詰まってしまった。
それに彼女は苦笑しつつも、話は終わりとばかりに頷く。

『お説教はこれぐらいに。
 頭で分かっていても、結局は動かないと駄目なんです。
 ……恥ずかしい、というのは分かりますけどね』

『……ん。ありがとう、シャッハ』

『いえいえ。迷える子羊を導くのは、私の仕事ですからね。
 ……ああ、残念。ここまでです。それでは、頑張ってください』

分かれ道に差し掛かると、シャッハは小さく手を挙げて先に行ってしまった。
彼女を見送ると、はやてはエスティマが待っているであろう転送ポートへと。

……確かに、彼が何を考えているのか、私には分からない。
もしかしたら自分よりも――と考えてしまう弱い心が確かにあって、聞かずとも分かってくれるという傲慢も存在している。
そして、自分と彼はきっと同じことを考えている甘い幻想も。

けれど、幻想と云ったことから分かるように、それはただの夢でしかない。
思うことがすべて実現するような儚さはここになく、あるのはすべて、踏み出さなければ何も果たせないという酷薄さ。
しかし、だからこそ彼の側で彼が何を考えているのか確かめる楽しさがあるのだ。
擦れ違いが悲しくても、彼が自分を想ってくれているのは確かだから。そうでなければプロポーズも結婚も望んでくれはしなかったはずだから。

そんな彼との噛み合っていない歯車を調整するのも、これから夫婦となるためには必要なことだろう。
……分かっているようでいて、分かっていなかったのかもしれない。否、分かっていなかった。
恋に恋する乙女のままじゃ、彼と歩み続けることはきっとできない。
彼と対等な伴侶として、尊重し合いながら歩み寄り、腕を組んで先を目指さないと。

……その相方は、存外短気で、思った以上にだらしがなく、気が多いくせに無自覚で、照れ屋な上に、なんでもかんでも手に入れたがる欲張りだけど。
けれどそんな彼が狂おしいほどに愛しくて、だからこそずっと隣に立つべく追い続けた。
そしてようやく隣に立てたのなら、今度は彼と一緒に、設けられた最後の刻まで添い遂げないと。

行こう、とはやては歩調を上げる。
彼が待っているであろう喫茶店はもう目と鼻の先だ。
少しだけ気後れするけれど、それはいつものこと。
それを踏み越えて、自分はエスティマとの明日へと進みたい。
















「……ん?」

何をするわけでもなく、流石に一人残してきたのは悪かったよなぁ、と後悔しながらコーヒーに口を付けながら外を眺めていると、雑踏の中にはやての姿を見付けた。
別れ方が別れ方だったため、少しだけ気後れしながら俺は片手を上げる。
はやても俺と同じ気まずさを抱いているのか、苦笑を浮かべながら喫茶店の入り口へと向かった。

大して間を置かずに彼女は俺の席に向かってくると、ブレンドを注文しつつ俺の対面に座った。

「……ドレスの物色は、どうだった?」

やや躊躇いながら、俺はそう問う。
喧嘩腰の返答があったら嫌だな、と思っていると――

「エスティがおらへんもん。楽しくあらへんかった」

……なんとも。
どう答えたら良いのか分からない返事があって、俺は目を瞬いてしまう。

「……ごめんな。ワガママ云って困らせて。
 けど、分かって欲しかったんや。私はただ綺麗なドレスが着たいんやなくて、エスティに喜んで欲しかった」

「あ、いや……俺は……その、ごめん」

「謝らへんで欲しい。
 エスティ、私は何を着ても似合うって云うてたけど、それじゃ嫌なんや。
 エスティが一番綺麗って思うのを、一緒に探して欲しいって私は思うて……な。
 お願い。嘘とか吐かへんでええから、正直に答えて。
 ……面倒?」

「……少し」

「……そっか」

正直に答えたものの、やはり少しショックを与えてしまったようだ。
はやては肩を落としながら、残念そうに視線を落とす。

けれど俺はそんな彼女の顔は見たくなくて、何か良い案はないもんかと、深く考えずに口を開く。

「……けど、俺だってはやての綺麗な姿は見たいからさ。
 付き添って一着一着見るってことは、今云ったように辛いんだけど……なのはが持ってきたカタログ、俺もちゃんと見るようにするよ。
 それで、俺が良さそうだと思ったのを挙げて……それを含めてはやてがドレスを選んで、ある程度決まったら、俺もちゃんと衣装選びに参加するから」

駄目かな、と問うと、はやては小さく首を振る。
そして何故だか目元を拭うと、泣き笑いの表情を浮かべた。

「ど、どうしたんだ!?」

「……なんも。ただ、簡単なことやったな、って。
 ……そか。エスティも、私のドレス姿を見たいと思ってくれてたんやね」

「当たり前だろ。だって……はやては、俺の」

「……俺の?」

さっきまでの泣き笑いはどこに行ったのか、意地悪な笑みを浮かべるはやて。
それにどうしても気恥ずかしさを感じて、俺は残り少ないコーヒーを飲むべくカップを持ち上げた。
それで、口元を隠す。自分が憮然としているのか笑っているのかは、分からない。

「ハニーが照れとるー」

「照れてない。それと、ハニーはやめてくれ」

「ふふ、しょうがないなぁ。
 本当、困った旦那様やね」

行こう、とはやて腰を浮かばせる。
見れば、もうスクライアに向かわなければいかない時間になっていた。

俺も同じように席を立ち、そうして、こちらから彼女の手を取った。
少しだけ驚いたようなはやてだが、すぐに表情は笑み一色へ。

ご機嫌な調子のはやてと共に、俺たちは次の場所へと。
会計を済ませ、店を出ると、手を繋いだまま転送ポートのある施設へ向かう。
その最中、俺とはやてはずっと手を繋いでいた。


















蛇足だが、

「駄目ー。いくらはやてでも、兄さんはあげませんー」

「そこをなんとか、な? フェイトちゃん」

「駄目ったら駄目! ほら、兄さんからも云ってよ! もうちょっと独身生活を満喫したいよね?」

「いや……そもそも俺、シグナムいるから独身じゃないし」

「そういうこと聞いてるんじゃないの! もう、ユーノ、アルフ!」

「キャロ、引き出物は何が欲しい?」

「え、あ、その……お菓子とかが嬉しいです。ごめんなさい」

「まぁ、誰でも使うの躊躇うような記念品の皿は嫌だよねぇ。
 あたしゃハムの詰め合わせとかで良いよ?」

「もうっ! もうっ!」

はやての予想に反して、フェイトの抵抗は予想以上に強かったとさ。











[7038] はやてEND
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/04/18 01:40
カラン、とグラスの中で氷の踊る音が響いた。

すっかり日の沈んだ外の景色と比べ、部屋の中は照明によって煌々と照らされている。
が、その部屋の中は酷く無機質であり、置かれているものと云えばテーブルに椅子、ソファー。それぐらい。モデルハウスと云われても信じそうだ。

こうして荷物を片してしまうと、親子二人で住むには少し広かったのかもしれないと思えてしまう。
しかし実際はそんなことなく、暮らしている最中はこれが丁度良かったのだけれど。

今、俺がいる場所はベルカで借りているマンションの一室だ。
六課で働いていた最中はここに一度として帰ってくることはなく、こうして足を運んだのは戦いが終わったから――ではない。
家具らしい家具もない。半ば物置とも云える状態となっているのは、新居への引っ越しが決まっているからだ。

「結婚おめでとう、エスティ。
 なんだかんだで先を越されちゃったね」

指先で摘んだグラスを口元に持って行きながら、ユーノは苦笑気味にそう呟いた。
こいつが俺に向けた言葉に、間違いはない。
エスティマ・スクライアは明日、八神はやてを妻として迎える。いや、入籍自体は既に終えたから、もう夫婦と云えるだろう。
けれど、区切りとなる結婚式が行われるのは明日。だからなのか、未だ、彼女を伴侶として思うことはできなかった。

……いや、それも違う。
伴侶と云うならば、あの日、指輪を渡した時から、俺はずっと彼女を意識していたのだし。

なんと云えばいいのだろう。上手く、言葉にできない。
ゴールした、という感慨が未だに湧いていないから、こんなことを考えているのかもしれなかった。
それも明日になれば、何か変わるのだろうか。

「……どうした、エスティマ」

憮然とした声を放ったのは、クロノだ。
ユーノとクロノはテーブルで並びながら、俺の向かいに座っている。

流石に飲み慣れているからなのか、グラスに入った酒の減りはユーノより早かった。
既に頬は上気していて、呂律こそしっかりしているものの、酔いが回り始めているのかもしれない。

そんなクロノは、ジト目になりつつも微かな笑みを浮かべ、口の端を持ち上げる。

「ようやく追い付いてくれて、僕は嬉しいよ。
 ははは、これからはお前も同族だぞエスティマ。独身貴族が貴族と呼ばれる由縁を噛み締めると良い」

「……なんだろう。祝福されている気が微塵もしないんだけど、気のせいか?」

「……気のせいじゃないと思うよ」

一人で楽しげなクロノ。パパさんはどうやら大変なご様子で。

つまみを食べようと、俺はテーブルに広げられた包装紙へ手を伸ばす。
食器類は既に新居へと運び込んであるから、広げた袋がそのままテーブルへと並んでいる。

生活感というものが既にないこの家。
俺としてはこのままここに暮らしても良かったのだけれど、

『えぇー……そりゃないわ、エスティ。
 新婚生活やで? 門出やで? 私らの灰色青春生活が終わって、これからは桃色人生が待ってるんやで?
 新しいお家に引っ越さんでどないするっちゅーねん!』

とのこと。
女の考えていることは分からない。
いや、分からなくはないけれど、熱意の方向性が何かズレてる気がする。

ともあれ、話を戻そう。

「それにしても、やっぱり八神さんとゴールイン、ってのは意外性がないよねクロノ」

「ああ、そうだな。傍目から見たら、いつくっつくのか、といった具合だったし。
 ……やっぱり幼馴染みというのは引き合う運命にあるのか」

「俺とお前だけだろ。ああいや、ユーノもある意味それか。
 ……妹の使い魔相手ってのは、なんともインモラルだけどな」

「まったくだ」

「……あ、愛があれば問題ないと思うんだ」

と云いつつも全力で目を逸らしているのは自覚があるからなんだろう。
本当、いつの間にくっついたのやら。
おそらくは、俺が三課で戦っている最中に、ってところなんだろうけど……あ、なんだろう。そう思うとイラっとした。
冗談で済むレベルだけれどさ。

それでも放っておくのは気に入らないので、ちょっとした意地悪を。

「そういやさ、クロノ。俺はあまり知らないんだけど、使い魔との間に子供ができたらどうなるんだ?」

「こ、子供!?」

「ん? ああ……」

慌てるユーノを尻目に、クロノは分かったとばかりにほくそ笑んだ。
どこか勿体ぶるように唸り声を上げつつ、首を傾げる。

「どうだろうな。人の姿を取ってはいるし……やれるんだろう?」

「の、ノーコメント。っていうか僕の話は良いから!
 弄るならエスティだって、クロノ!」

「それもそうか」

「おいこの野郎。お前、どっちの味方だ」

「どっちでもないさ。人生の後輩たちを弄れれば、僕はそれで良い」

「鬼畜!」

「いかにも」

「外道!」

「いかにも」

「出来ちゃった婚!」

「……悪かった」

「……気にしてるんだ」

「今でもチクチクと……家に帰ることが少ないと、責任取ってくれるって云ったのにー、ってな……」

そこそこ上機嫌だったクロノは、いきなりバッドに入ったり。
項垂れたクロノにしてやったりと笑みを浮かべて、肩に手を置いた。

「それで、エスティ……どうなの?」

「どう、って?」

「ここに出来ちゃった結婚の人がいるけど、まさかエスティもその口ってことはないよね?」

「おいやめろ」

「ああ、ないない。それは絶対にない」

クロノをガン無視しつつ、俺とユーノは言葉を交わす。
ないない、と手をひらひら振る俺をユーノは胡散臭そうに見てきた。
どうにも信じてもらってないらしい。いや、当たり前だと思うけど。俺だって他人がそんなこと云ったら似たような反応をすると思うし。

が、俺の場合は絶対にない。言い切れる。

……だってやってねーもの。

「……えっ、中学……いや、小学生の発想?」

「うるさい。俺だって気にしてるんだよ。
 ……お前に分かるか?
 六課が解散してから、毎晩毎晩隣で寝息立ててる女がいるのに手が出せないこの苦痛……!」

「いや、手を出そうよ」

「できねーよ! だって約束しちまったんだから!」

「いや、その約束は破ろうよ」

「はは、お前らしくはあるよ」

何この散々な云われよう。
でも、仕方ないだろ? プロポーズしたあの日、そういうことは結婚するまでお預け、って云われたのだし。
それが今まで心配かけた仕返しっていうのなら、俺はもう何も云えない。
今日まで涎垂らしてご飯運ばれるのを待っている犬の如く過ごしているしかなかったんだよ……!

「ハハ、けどそれも今日で終わりだ。ざまぁ見ろ!」

「誰に云ってるんだろうね、クロノ」

「さぁ。取り敢えず、僕らに云っても意味がないことは確かだ。
 ああそれと……初夜云々が迎えられるとは思わないことだ。
 疲れ果てて何も出来ないのが関の山だよ。いや、本当に」

「前線に居続けた魔導師の体力舐めるなよ。
 この……日和りマイホームパパにインモラル兄貴」

「威勢が良いな。流石は――」

そこまで云って、何かを思いついたようにクロノは立ち上がる。
そしてサムズアップした指を外に向けて、どこか不敵な笑みを浮かべた。

「外に出るぞ、エスティマにユーノ。最後の最後だ。馬鹿騒ぎでもしよう。
 所帯を持てば、そんなこともできなくなるだろう?」

懐からデュランダルを引き出して、行くぞ、と促してくる。
ユーノは呆れた笑みを浮かべながらも嫌がりはしていないのか、腰を浮かべる。
俺は――

小さく笑みを浮かべて、胸元のSeven Starsを握り締めた。
ここからなら、公共施設の訓練場はそう遠くない。
時間も時間だ。魔法の練習している人だっていないだろうから、ほぼ貸し切り。
騒音の類もユーノにシャットアウトしてもらえば、迷惑にならないだろう。

思う存分、楽しめそうだ。



















エスティマたち男連中が馬鹿をやっている一方、新居の方ではなのは、フェイト、そしてエイミィが集まって似たようなことをしていた。
結婚式を終えてから移り住む家は、あろうことか一軒家。
今まで長い年月を戦いに費やしたエスティマのはやての貯金額は、危険手当をもらっていたこともあり、年齢から考えると非常に頭が悪いことになっている。
が、それでも一括購入とはいかず、数年のローンを組むことになっていた。それでも数年。資金面では何一つ不自由することもない。

同居する予定となっているシグナムやリインⅡにヴィータ、ザフィーラとエクスもお金を出すとも云っていたのだが、二人はそれを断っていた。
暮らすだけなら今までの家で良い。だのに引っ越すのは自分たちのワガママなのだから、と。

既に家族が揃っていることで、部屋の空きもない。が、ヴィータたちは未だに前の家に住んでいる。こちらに越してくるのは、はやてとエスティマが新婚生活を満喫し切った頃に、と決まっていた。
気を遣わせて悪いなぁ、とはやては思っている。しかし、ようやくゴールできる彼との生活を暫く楽しみたいのは事実だ。
蔑ろにする、というほどではないが、しばらく自分の心は彼だけに向いてしまうだろう。
そんな自覚が、彼女にはあった。

……長かった、と彼女は思う。
初めて彼と出会い、そして、エスティマを意識するようになってからどれだけの時間が経っただろう。
まだ結婚式が残っているのだから感慨に耽る時じゃないと分かっていながらも、ようやく、という気持ちは抑えることができなかった。

思えば、結婚式をしようと決めてから随分と時間の流れが速かったような気もする。
お互いの親族に改めて挨拶に行き、結婚の許可をもらって。
意見が違えることもあったけれど、式場選びや当日の内容、席順、招待状、料理、引き出物。それらを決めて、ようやくだ。
簡単ではないと思ってはいたけれど、いざ実際に自分が行っていると、その大変さが良く分かった。
区切りを付けるのも大変だ。それも自分たちだけではなく、周りを巻き込んでのイベントなのだから当たり前なのかもしれないけれど。

……周り、か。
招待状を送った中の一人に、少しだけはやては不安がある。
それはおそらくエスティマも同じように不安を抱いていて、しかし、自分とはきっと別の方向性を持っていた。
招待状を送った者たちからは参加すると返事をもらっている。
しかし、只一人、今日になっても応えを返していない人物がいるのだ。

それは――

「それにしても、ようやくゴールインかー」

呟かれたエイミィの言葉に、はやては顔を上げる。
一人ビールの缶を持った彼女は、それをゆらゆらと揺らしながら何かを思い出すような表情をしていた。
自分の過去に思いを馳せているのだろうか。彼女とクロノが結婚してから、まだそんなに時間は経っていないはずだ。
それでも懐かしむのは、やはり、自分たちが後を追ってきたからなのだろうか。

「長かったねー。二人の出会いからしっかり知ってる私たちからしたら、本当にそう思うよ」

「あはは、私自身もそう思うてます。
 なんでこんな時間かかったんかなーって」

「それは勿論、エスティマくんが煮え切らなかったからだよね」

話に続いたのはなのはだ。
彼女はエイミィと違って――というか、エイミィ以外の三人は――チューハイの缶を握っていた。
まだ酒が飲めるようになってから時間が経っていないこともあり、あまりアルコールに慣れてないのだ。

「まったくもう。なんだかんだでエスティマくんもお堅いよね。
 全部が全部終わらないと、だなんてさ。
 まぁ、結社と戦ってる最中に結婚式挙げられたら、私たちもどうすれば良いのか分からなかったけどね」

「まぁまぁ。その堅さも誠実さと思えば、格好いいよ?」

「フェイトちゃんはエスティマくんを贔屓しすぎなのっ。
 はやてちゃん、困ったことがあったら云ってね?
 言いづらいことでも、私がズバッとお話をつけてあげる!」

「それはちょっと遠慮しとくわー」

「なんでっ!?」

ややなのはのテンションが高いのはアルコールが回っているからなのか。
それとも、自分たちを祝福してくれているからなのか。
そこら辺の機微までは分からないはやてだったが、友人たちが式を楽しみにしてくれていることは分かる。
それを確認する度に、ああ良かった、と思えるのだ。
自分たちも幸せで、周りはそれを祝福してくれて。
きっと明日は良い日になる。それだけは間違いないだろう。

「あ、そういえばさ」

「なんですか?」

何かを思い出したようにエイミィが声を上げた。

「なんではやてちゃん、海鳴で式を挙げようと思ったの?
 折角ベルカの方に住んでるんだから、近場でも良かったと思うのに。
 教会でのチャペル、結構人気じゃない?」

「ええ。それも選択肢の中にはあったんですけど……やっぱり、お父さんとお母さんが眠ってる世界で、って。
 もう両親の顔は写真見ないと思い出せないぐらいですけど、やっぱり、私を産んでくれた人たちやから、晴れ姿を見せたいんです」

「あ、そか……ごめん」

「いいえー。
 あはは、しんみりせんで下さいよ。」

そんなワガママのせいで、大半がミッドチルダに住んでる友人や上司たちを海鳴へと呼ぶことになってしまったのだから、申し訳がない。
幸運なことに皆が皆出席してくれるようだし、問題はないけれど。

……ああ、明日が楽しみ。

そんなことを思いながら、はやては手元のチューハイを一気に煽った。
ジュースか何かと間違えそうになる飲み物だけれど、アルコールが入っているのは確かだ。
少しずつ酔ってゆく感覚を覚えながらも、はやては熱のこもった溜息を零した。

そうして、左の薬指に通された婚約指輪へと視線を落とす。
本来ならば大事に仕舞っておくべきこれを今、彼女は指に通している。
明日になればここには結婚指輪が通されて――だから今は、婚前最後の余韻を楽しもうと、思っていた。

照明によって照らされたダイヤはきらきらと輝いていて、あの日、夕日の中でもらった時となんら変わらない。
プリズムのように光るそれは純粋に綺麗と云えて、これを送ってくれた時のエスティマを思い出し、はやてはうっすらと笑みを浮かべる。

そうしていると視線を感じて、彼女はなのはへと顔を向けた。

「ん、なのはちゃん、どうしたん?」

「あ、いや……綺麗だなーって思ってさ。
 今の横顔、すっごく美人さんに見えたの」

「あはは、ありがと」

「お世辞じゃなくて、本当にだよ?
 ……私も、そういう人が欲しいなぁ。
 ヴィヴィオも、ママは結婚しないのーなんて聞いてくるし。
 ……はぁ」

「うんうん。なのはちゃんも良い人を見付ければいいよ。
 あ、お見合いとかする? クロノくんの部下に、将来有望な子が結構いたりするみたいだしー。
 フェイトちゃんは彼氏とかどうなの?」

「わ、私は全然。まだそういうの考えられないし」

「……何この驚愕のおぼこ率。もう二十歳なんだよ?
 ……私とはやてちゃんだけ、かー」

「あ、私もまだですよー」

「「「な、なんだってー!?」」」

どういうことなの、はやて。
超スピードとかそんなもんじゃ。

愕然とする三人を余所に、はやては一人、照れくさそうな笑みを浮かべていた。

「今になってすっごく後悔してるんですけど、プロポーズ受けたときに結婚までお預けーいうてしもて」

「じゃ、じゃあ……お互いに手で、とか……?」

「いえ、全然」

あり得ねぇー、とエイミィは白い目を向けたり。
フェイトとなのはは、そういうもんだよねー、と納得していたり。
この場ではマイノリティだが正しいのはエイミィの方である。

「……私、エスティマくんのこと誤解してたよ。
 彼、忍耐力のある紳士だったんだね……。
 いやでも、その紳士っぷりは正直どうなの? はやてちゃん的にも襲って欲しかったんじゃないの?」

「あ、やだ、そんな……」

図星ですけど、と云った具合にはやては顔を逸らす。
やや笑みを浮かべつつも照れて、顔は真っ赤に。
両手で顔を挟んだその様子は、童女のようにも見えたり見えなかったり。

それを見たエイミィは、何かに耐えるようぶるぶる震えたり。

「……く、くあーっ! エスティマくんにあげるのは、なんだか勿体ないよ!
 私がもらうー!」

「ちょー!? 私、清い身体のままでお嫁に行きたいんやー!
 なのはちゃんにフェイトちゃん、助けてー!」

















リリカル in wonder

   ―After―














『おっはよーおっはよーボンジュール。
 おっはよーおっはよーボンジュール。
 旦那様。旦那様。おはよー旦那様』

「……その悪夢じみた起こし方はやめろ」

起床早々に顔をしかめながら、俺は胸元のSeven Starsをデコピンで弾く。
目を開ければ、窓から既に弱々しい朝日が差し込んでいた。
目やにを指でこすりつつ、あくびをしながら身を起こす。

ソファーで寝ていたからか、やっぱり身体の節々が痛い。
けれども、それは床で死んだように眠っているクロノやユーノと比べればまだマシだろう。

起こすか、と思いつつも止めておいた。時間にはまだ余裕が十分にある。
ただ単に俺が早起きしたのは、絶対に遅刻したくないことと、一晩経って出てくるであろうアルコールの臭いを消したかったからだ。

ここへ持ってきた荷物の中からバスタオルを取り出すと、俺はそのまま浴室へと。
湯を張らずシャワーだけで済ますつもりだ。服を脱ぎ、お湯が温まったのを確認すると、俺はスコールを浴びた。

心地良い感覚に目を細め、身体を洗いつつ昨日の模擬戦を思い出す。
悪ノリで始めたものの途中からウルトラ罵倒合戦が開始されて完全に熱が入り、フルドライブやリミットブレイクこそ使わないもののかなり熾烈で不毛な争いになりましたとさ。
最初は俺の圧勝で、希少技能禁止縛りでやったら実力伯仲。
途中で結界張るのに飽きたユーノを交えて三つ巴に発展し、本当に不毛なことやっていた気がする。

けれども……ああ、命を削る覚悟も気負いも決意も必要でない、友人たちとの模擬戦は本当に楽しかった。
この満ち足りた時間は戦いを終わらせることができたからこそ甘受できて……そしてこれから、更に俺は幸せになる。
この上ないぐらいに幸福で、何か落とし穴ががあるんじゃないか……と思わなくもないが、そんな風に考える時間はもう終わった。
ただ幸せに。今度こそ、それだけを考えることのできる時間が始まるんだ。

シャワーを止めて身体を拭くと、服を身に着けつつ頭をタオルでがしがし拭きつつリビングへ。
すると既にユーノは起き上がっていて、おはよう、と寝ぼけ眼で声を上げた。

「お風呂借りても良い?」

「どうぞどうぞ」

「ありがと……うう、身体の節々が痛いよ。
 もうちょっと身体も鍛えた方が良いね、これは」

筋肉痛が酷いのか、歩きづらそうにユーノは浴室へと消えていった。
ユーノがシャワーを浴びる音を聞きながら、俺は未だに転がっているクロノを起こす。
目を覚ましたクロノは、ユーノ以上に筋肉痛の酷さを訴えたり。普段から艦長席に座って動かないくせに、まだ自分が現役だと思うからだ。ざまぁ見ろ。

それぞれ準備を終わらせると、俺たちは家を出る。
次に戻ってくる時は、家具を全部処分して業者に鍵を返す時か。

少し感慨深い気がするも、それは最後にとっておくべきだろう。
鍵を閉め、俺たちは女性陣との待ち合わせ場所へと出向いた。

まだ外の空気が冷たい時間、男三人でとぼとぼと歩く。
むさっ苦しいことこの上ない行軍だけれど、それも五分ほど続ければ終わった。

おはよう、と挨拶を交わして女性陣と合流し、俺たちは転送ポートに。
まだかなり早い時間だが、これから俺たちは翠屋に行って時間を潰すことになる。
そうして先に俺とはやて、それに親族であるユーノとフェイトが会場に行き衣装合わせ。
今はゆっくり出来ているものの、これからの時間は慌ただしくなるだろう。

転送ポートで海鳴に飛べば、出た先は海浜公園。
ここにくるのも久し振りと思いながら、ふと、他の皆がきていないことに気付いた。
ここにいるのは俺と、

「……なのはちゃんが気を遣ってくれたんよ。
 遠回して行こう? 朝のお散歩や」

「……悪くないね」

んふふ、と笑うはやてと腕を組み、俺たちはゆっくり歩き出す。
日中だったら違うのだろうけれど、早朝に公園を歩いている人はまばらだ。
だから俺もいつもみたいに照れることはなく、彼女の感触を感じながら、共に歩くことができた。

はやての歩幅に合わせて、かつて歩いた場所を行く。
正直、この公園自体はあまり良い思い出がない。
けれども、ここが――この世界が記念の地となるのはもう決まったことだから、しっかり記憶に焼き付けるよう、俺は視線を巡らせた。

「……なーエスティ」

「何?」

「もし、な。本当に、もし、やけどな。
 私とエスティが魔法とか関係なしにこの世界で出会ってたら、どんな風になってたんかなぁ」

「……これまた難しい質問するなぁ」

とは云っても、真面目に考えろってわけじゃあないだろう。
遊びのようなものだと分かっている。
だからこそ俺は、

「……そうだな。
 普通に出会って、恋して、今みたいに、学校帰りに腕組んだりしてるんじゃないのか?」

乙女趣味が過ぎるようなことを口にする。
あはは、とはやては控えめな笑い声を上げつつ、組んだ腕をぎゅっと抱き込む。
それで彼女からの温もりが伝わってきて、より一層、彼女と共に在ることを実感できた。

「やっぱり、気の多いエスティの気を惹くために頑張ったりするんかな、私。
 それでようやく一緒になって、って? 今となんも変わらへんなぁ」

「……あのさ。皆が皆、俺に気が多いっていうけど、そんなことないだろ?」

「浮気性じゃないことは知っとるよ?」

「そう。俺は一途なんです」

「けど、八方美人やもん」

「……これからは気を付けます」

「よろしい。……な、エスティ」

「ん?」

「私だけを見てる、って証が欲しいなぁ、なんて奥さんは思います」

そう云って、はやては足を止めた。
瞳は塗れて、どこか熱っぽく俺を見詰めている。
何が欲しいのかなんとなく分かって、俺は彼女の頬に手を添えた。
身長差があるため、やっぱり俺が屈まないといけなくて。
はやては背伸びをして顎を上げる。

ゆっくりと焦らすように顔を近付け、そっと、触れるだけのキスを。
お互いに顔を離した瞬間くすぐったそうに笑みを浮かべて、もう一度キスをし、再び俺たちは歩き出した。

公園を出て、見覚えのある道を過ぎ、道路に出たところではやては足を止める。
なんだろう、と思って俺も足を止めると、彼女は懐かしさを表情に浮かべていた。

「ここやで」

「ん?」

「私が、エスティを拾ったところ」

「……道路のど真ん中」

「せや。私が見付けてあげなかったら、轢かれてたかもなー」

「……本当に命の恩人だね」

「うんうん。その命の恩人とくっついたんやから、しっかりご奉仕せなあかんよー。
 ……なんちゃって。命の恩人なのは、エスティもやね」

「……そうだね」

……あまり、そのことに触れて欲しくはないけれど。
急かすように、俺は腕に絡んでいるはやての手へと、空いている掌を重ねた。
それで何を彼女は思ったのか。もしかしたら、Larkのことを勘違いしたのかも知れない。

止めていた歩みを再開して、更に俺たちは先にゆく。
住宅街の中を進んで見えてきたのは、旧八神家だ。
ミッドチルダに移住する際、生活資金が必要ということもあって、はやてはこの家を売却していた。
そこには今、誰かが住んでいるようだ。表札は変わり、車庫には車が入っている。

見知らぬ人が過ごしている家を、彼女はどう思うのだろうか。
視線を落として見てみれば、はやては儚げな視線をじっと向けていた。
この家への思い入れは、やはりあるのだろう。
短い期間とはいえ、ここで過ごした本来のヴォルケンリッターたちとの記憶。
それの結末は悲しみで染まっているだろうけれど、しかし、楽しかった思い出が色褪せることはない。
きっと、そうだ。

「……また、家族が増えると良いなぁ」

「増えるさ。俺は、そのつもりだけど?」

「やん、もうえっちぃなぁ」

「……お預けくらっている俺の前で、黄色い声を出さないように」

「……やっぱ我慢してた?」

「……かなり」

「あはは、ごめんな。
 うん、私もちょーっと後悔してたりするから、お相子ってことで」

「気にしなくても大丈夫。それも今日で終わりだし」

「う、うう……エスティがお猿さんになる気まんまんや。
 て、手加減してくれてもええんやで?」

「どうだろ。猪突猛進なところがあるからなぁ、俺」

「そのまま突っ込む、と」

「……結構はやても下品だよね」

「この歳までおぼこやった分、耳年増になってるからですぅー。
 誰かさんがずーっと振り向いてくれへんかったからな」

「……今は、はやてしか見てないよ。君しか目に入っていない。
 こうして側にいる。それじゃ不満?」

云いながら、俺は組んでいた腕をそっとはやての腰に回した。
そうして彼女を引き寄せて、髪の毛へと頬を埋める。
どんな顔をはやてがしているのかは分からない。けれど、頬に伝わってくる彼女の体温は少しだけ熱くて、照れているのかな、なんて思う。

「……ひ、人様の家の前でいちゃついたら迷惑やでっ。
 ほら、行こう!」

「はいはい」

慌てたように歩き出すはやて。
しかし腕を組んだままだから、引っ張られるように俺は歩き出す。
そうして歩調を合わせて、また二人一緒に。

どこまでも、どこまでも。
こんな風に彼女と歩いて行けたら、なんて幻想すら抱いてしまう。
それほどに、はやてと送る一瞬一瞬は心地良くて――本当、彼女を選んで良かったと、心の底から思えた。

更に歩みを進めると、次に見えてきたのは病院だ。
両親を失ってからはやてがずっと通っていた場所。
思い入れがあるのかどうかは、流石に分からない。
また伺うように、俺は彼女へと視線を。

はやてはじっと建物を眺めながら、ぎゅっと俺の腕を掴んでくる。
だがそれは、心細くて縋り付いたわけじゃない。
大丈夫だから、と云っているような。むしろ、心配している俺の方を元気づけるような強さですらあった。

「……石田先生、元気かなぁ。
 もうずっと会ってないから忘れてるかもしれへんけど、結婚しましたー、って挨拶しときたかったわ。
 一人ぼっちでいたとき、私のことを気にかけてくれた人やから、もう大丈夫ですーて伝えたいんよ」

「そっか。じゃあ、挨拶しに行こう。
 流石に今日は無理だと思うけれど、新婚旅行の帰りにでもさ」

ちなみに新婚旅行は、ミッドチルダではなくこの世界で行うことになっている。
修学旅行で回るような場所――京都や有名なアミューズメントパークなんかを見て回りたいという、はやての希望だ。
よくよく考えてみれば、彼女はこの世界で遠出らしい遠出をしたことがないのだから、そう考えるのも当たり前か。
……もしくは、これからずっとミッドチルダで生きるから、故郷となる場所や国を見て回りたい、と思っているのかもしれない。

そこまでは流石に俺でも分からなかったが、彼女が旅行を楽しみにしているのは事実。
だったら俺も楽しんで、彼女と共に思い出を作りたいと思う。

それはともかくとして。
はやては小さく頷くと、柔らかな笑みを浮かべ、俺へと顔を上げた。

「……せやね。石田先生、びっくりしてくれるかなぁ。
 こーんな格好いい旦那様ができましたーって紹介したら」

「……まぁ俺はともかく、はやてが結婚できるぐらいに大きくなったことは祝福してくれるさ」

「……むぅ。そこで乗ってきてくれてもええやんかー。
 エスティのこと、色んな人に自慢したいのにー」

「自慢できるほどの男かな、俺。
 俺は胸を張ってはやてのことを自慢できるけれど」

「大丈夫やって。私が太鼓判を押してあげる。
 エスティがどれだけ立派かなんて、あなたを選んだ私がいっちばーん理解してるんやからな。
 だから卑下したらあかんよ。ほら、背筋を伸ばして。色男が台無しやんか」

「……ああ」

苦笑しながら頷くと、俺たちは止めていた足を動かし出した。
病院を通り過ぎて、商店街を過ぎ去り、そうして、皆が待つ翠屋へと辿り着く。
まだ式場に入るまでは時間があるから、ここで最後の時間潰しといこうか。

「……はやて」

「……ん?」

名を呼び、組んでいた腕をゆっくり解いて、俺は彼女をそっと抱きしめた。
少し驚いたはやてだったけれど、すぐに微笑むと俺の背中に腕を回して、二人、抱き合う形となる。
確認、というわけじゃなかったけれど彼女が少しも嫌がっていないことを知ると、俺は腕に力を込めた。
少し、苦しいかもしれない。応じて、はやてもやや強めに俺のことを抱きしめる。

そうして二人で身体を合わせて、ゆっくり身体を揺らしながら、お互いの耳元で消え入るように声を放つ。

「……いちゃつきはここまでだから」

「せやね。もう、甘えんぼさん。
 けど私も、エスティ分の補充ー」

「じゃあ俺ははやて分?」

「なんかエロエロやなー」

「エロエロかなー」

少しはそういう気分になったりもする。
けれど、身近に感じる彼女の温もりは劣情よりも確かな暖かみ、そして、染み渡るような愛情を胸に灯す。
少しですら離れたくない。このままでいたい。
陳腐と云えば陳腐なのかもしれない願いを思わず胸に抱いてしまいそうなほどに。

すぐそばにある彼女の髪に顔を埋めれば、微かな、彼女独特の香りが届いてくる。
栗色の髪やずっと変わらない髪飾りは抱きしめている人をはやてと確かに教えてくれて、ん、と上がる微かな吐息、それに乗った声色は、どれだけ聞いても飽きない音色を奏でる。
五感すべてがただ一人、はやてへと向けられて、彼女は俺にとって只一人の女の子なんだと実感できた。

けれど、いつまでもそうしているわけにはいかない。
名残惜しさを感じながらも腕を解くと、俺とはやては皆が待つ翠屋へと一緒に入った。




















翠屋で時間を潰し頃合いになると、俺たちは式場へと移動を開始した。
まず行うのは衣装合わせで、業者の人に手伝って貰いながら俺は紋付き袴へ着替えることに。
一番懸念していたことがこれでもある。外人の面でこれは流石に似合わないんじゃ……とも思うのだけれど。

お似合いですよ、という業者さんの言葉は世辞なのか本音なのか。
……まぁ良い。式が終われば披露宴。そこで着るタキシードこそは似合ってるだろうから。

慣れない衣装を着たことと、徐々に迫ってくる結婚式に、ピリピリと緊張感が増してくる。
何をするってわけでもないのに、これは本当、どういうことか。
じっとしていることがこの上ないほどに苦痛。
衣装が衣装だから動き回れないことは百も承知だけれど、軽い運動でもして気を紛らわせないことにはやってらんない。

そんな馬鹿げたことを思いつつ席を立とうとして――

「……兄さん、今、良い?」

「ん、ああ。大丈夫だよ」

扉を開けて姿を現したのは、フェイトだった。
彼女は今日のためにわざわざ服を買ったのか、装飾こそ抑えめなものの、身体のラインがはっきりと浮かぶような黒のドレスを着ている。
露出は多めだが、その上から羽織ったボレロによって下品な印象は拭われていた。
よく似合ってる、というのが素直な感想だ。素が良いのだから、余計なものがゴチャゴチャとつくよりこっちの方が良い。そんなことを思う。

フェイトは歩み寄ってくると俺の襟元を正して、気にしなくても良いような小さな埃を取り去ってゆく。
そして背後に回り、よし、と呟くと、彼女は俺の両肩に手を置いた。

「似合ってるよ、兄さん。格好いい」

「……ミスマッチだと思うんだけどな、これは。
 似合ってるって云うのならフェイトの方こそ。綺麗だよ」

「……うん」

ぽつりと、それだけ呟いて、フェイトの言葉は止まってしまう。
どうかしたのだろうか。そう思って振り返ろうとすると、させないとばかりにフェイトは声を上げた。

「……なんか、寂しいな」

「何がだ?」

「兄さん、今日からはやての旦那さんになっちゃうんだよね。
 それで、近い内に、本当にお父さんになって。
 ……嫌だな。私、兄さんのこと大好きだったから、誰かと一緒になっちゃうの、やっぱり悔しいよ。
 ……こんなことなら、もっと甘えてれば良かった」

とん、と俺の背中に何かが当たる。
それはフェイトの額だったのかもしれない。顔を隠すようにそんなことをされれば、妹がどんな顔をしているのか分からない。
そんなフェイトに対して、俺は苦笑するしかなかった。
肩にかけられた手に自身の手を重ねて、馬鹿だな、と呟く。

「……はやての旦那になろうと、フェイトの兄貴ってことは変わらないだろ?
 好きなだけ迷惑かけてくれよ。これからだって、ずっと俺は前のお兄ちゃんなんだからさ」

「……うん」

ぐす、と鼻をすする音が聞こえて、少し経ってからフェイトは顔を上げた。

「結婚おめでとう、兄さん」

……思えば、その言葉は初めて聞いた気がする。
はやてとの結婚を認めてくれはしたものの、やっぱり、何か思うところがあるような表情を、フェイトはずっと続けていたから。

「……ありがとう」

短く返して、俺は微かに息を吐いた。
それは満足から漏らした吐息で、祝福されたという実感は、やはり何ものにも代え難い。




















「ふむ……」

「おいレジアス。こんな日ぐらい、そのしかめっ面を緩めたらどうだ」

「うるさい。これは儂の地だ」

そんなことを云うおっさん二名の姿が、式を行うための神社付近にあった。
レジアスとゼスト。エスティマによって招待された二人は、正装でこの場にやってきている。
ちなみに管理局の礼服でないのは、コスプレにしか見えないので止めてください、と釘を刺されているからである。

「……結婚式。今の私をこれに呼ぶのは、何かの嫌がらせでしょうか」

「……オーリス、気落ちするな」

「気にしてません!」

レジアスに声をかけられ、オーリスは非常に不機嫌な顔でそっぽを向く。
さもあらん。三十路で焦りまくっている彼女からすれば、若人二人の挙式はめでたくあると同時に羨ましくてしょうがないのだった。

「しかしエスティマも謙虚な奴だ。
 地上を代表するストライカー。それの式ともなれば、上層部を引き連れてきてやっても良かったものの」

「何度も云ったがやめてやれ。
 そもそもそんなに呼んでどうするんだ。上層部でアイツと直接の面識がある者など、そう多くないぞ。
 ナカジマ家は呼ばれているそうだ。それで十分だろう」

「……納得できんが、まぁ、呼びすぎても迷惑なだけというのは理解している。
 儂も式に出るのは一度や二度ではないからな。
 だが、それでも……」

納得しない様子のレジアスに、やれやれ、とゼストは苦笑する。
なんだかんだでこの男はエスティマを気に入っているのだ。それに、三課で彼と共に地上の盾となった八神はやても。
否、はやて・スクライアと今は呼ぶべきだろうか。いや、式の最中に妻の姓を変えると聞いているから、まだ気が早い。
ともあれ、そんな二人の結婚式だから顔に似合わずレジアスが今日という日を楽しみにしていたことを、ゼストは知っていた。

「旦那ー!」

ふと、軽快な足音と共に特徴的な呼び方が聞こえて、ゼストは視線を巡らせた。
見れば、そこには普段と違ってめかし込んだアギトの姿がある。その後についてきているのはシグナムか。
アギトは小走りにゼストへ駆け寄ると、どうよ、と胸を張った。

「似合ってるかな? ちょっと奮発してみたんだけど」

「ああ、良く似合っている」

「えへへ、ありがと。
 おい、シグナムも早くこいよ!」

「分かっているさ。
 ……おはようございます、ゲイズ中将。オーリス査察官。グランガイツ一等陸尉」

アギトと違い、シグナムはこの日でも自分の立場を忘れていないのか。
律儀に敬礼する彼女に三者は同時に苦笑。そんなに堅くならなくても良いだろうに。

「……いえ。上官であることもそうですが、何より父上の式へきて頂いたのは本当に有り難く思います」

「気にするな。……それよりもどうした?
 親族は先に行っていると聞いていたが」

「はい、そうです。しかし、父も友人たちとつもる話もあるだろうと思い、私は遅れて合流することにしました。
 これから父上の顔を見てこようと思います」

「そうか。
 では、アイツに気張るように伝えておけよ。
 説教というわけではないが、結婚式は酷く緊張するものだからな」

「はい。ありがとうございます」

レジアスの言葉に神妙な顔で礼を云い、それでは、とシグナムは先に行く。
彼女の背中を見送りながら、三人――アギトを加えた四人は、式が始まるまで談笑でもするかと、口を開き始めた。





















「ここが、なのはさんの生まれ育った世界なんだねー」

「魔法がなくても、なんとかなるもんなのねぇ」

「ほら二人とも、あんまりキョロキョロしない。
 ただでさえ私たちは目立ってるんだから」

そんなことを云いながら歩いているのは、スバルとティアナ、そしてギンガである。
彼女は目に入る景色一つ一つに瞳を輝かせながら、自分の知る管理世界との違いを楽しんでいるようだった。
それもそうだろう。魔法に慣れ親しんだ彼女らからすれば、魔法のまの字も存在しない文明は未知そのものだから。
しかし、そんな風にはしゃぎ回るのは人生経験の少ない者だけなのか。

彼女の後ろを歩くゲンヤ。そして、クイントはそんなスバルの調子に苦笑していた。
杖を突きながら歩いているクイント。そう、彼女は結社に捕らわれていた状態から快復し、杖つきではあるものの、歩けるほどまでになっていた。
長年使っていなかった筋肉を取り戻すのは一筋縄ではいかないのだろう。
が、彼女とほぼ同時期に目覚めたメガーヌが未だに車いすに座っていることを考えれば、流石はタイプゼロの素体に選ばれた人間と云うべきか。
魔法の使えない世界へ不自由な状態で行くのは心細かったらしく、メガーヌとその娘のルーテシアは結婚式に参加していない。
が、クイントは式を挙げると聞いてからオーバーワークのリハビリをこなし、こうして海鳴へ辿り着いていたり。根性とは恐ろしい。

クイントが目覚めたことで、ノーヴェの問題はどうなったのか。
ここではそれを語らない。めでたい日に野暮というものだろう。

「……はぁ、惜しいことをしたわ」

「おう、どうした?」

「折角、子供の頃から目を付けていたのに……あの歳で三佐よ三佐! あなたと同じ階級じゃない!
 私の目に狂いはなかったと誇るべきか、逃がした魚は大きかったと嘆くべきか……」

「……何やら物騒なことを考えてる気がするんだがよ。
 その心は?」

「ギンガとスバルの旦那様候補が……」

「……いやお前、祝ってやれよ。
 八神の嬢ちゃん……いや、はやての嬢ちゃん、って云うべきか。
 あの子はずっとエスティマを追いかけてたんだ。流石に野暮ってもんだぜ」

「かもしれないけどっ。
 もー、浦島太郎だったからしら? そんな気分よ。
 楽しみの一つだったのに、残念だわ」

「まぁ、あの野郎の幸先が決まっちまったのはちぃとばかり残念だがね、俺も」

云いながら、ゲンヤは先を歩くスバルたちに置いて行かれないよう、無理をしない範囲でクイントを引っ張った。
ありがと、と微笑んで二人は娘たちを少しずつ追いかけてゆく。
どこまでも二人一緒、そんな風に。
エスティマとはやての二人がこの夫婦を見たら、どんな感想を口にするのだろうか。




















ぞくぞくと参列者が集まってくる中で、遂に結婚式は始まった。
海鳴にある神社――そう、ジュエルシードが暴走したあそこである――へ集まった皆は、準備が整うと列をなしながら階段を上り始めた。

遂に始まる。その緊張感に、服のせいもあるだろうが、汗が噴き出した。
だらだらと嫌な汗を流しながらも、俺はSeven Starsへと念話を送る。

『……どうだ?』

『……戦闘機人のⅤ番の姿は、見えません』

この結婚式唯一の懸念は、彼女がきてくれるかどうか、だった。
酷い話だとは思う。自分からふった女を今日という日に呼び出すなんてことは、本当に。
けれど彼女にきて欲しかったのは事実だ。今の俺があるのは、あの人のおかげでもあるのだから。

……やめよう。今ははやてのことだけを考えたい。
こんな時に他の女に目移りしているようじゃ、本当に失礼だ。

Seven Starsに、そうか、と返して俺は視線を上げた。
その際、視界の隅に隣に立つはやての姿が入り込む。
白無垢姿となった彼女は、いつもと違う印象を受ける。髪型も何もかも見慣れたものじゃない。ともすれば別人かと思ってしまいそうですらある。
しかし隣に立つ彼女の顔を俺が忘れるわけがない。
俺の妻になってくれる女。共に歩む伴侶。言い方はたくさんあるけれど、その実は、俺が永遠に愛し愛されたいと恋い焦がれた女だ。

『こら、集中せなあかんよ』

『ごめん』

苦笑一つを浮かべて、俺は式へと意識を戻した。

階段を上りきり、鳥居を潜って、石畳の境内から社へと真っ直ぐに進む。
背後から聞こえてくる足音は数多。けれど話し声は一つとして聞こえてこない。
念話なんていう便利な魔法があるから、ということもあるだろう。けれどこの時ばかりは、皆が厳粛に俺たちの式を祝ってくれてるのか、なんて都合良く思えた。

神社にたどり着くと、本格的に式が始まる。
礼をし、お払いを受け、斎主が俺たちの結婚をここの神様に伝えて。

この身体じゃ慣れてない御神酒に咽せそうになりながら三献の儀を終えると、今度は誓詞奏上を。
一歩前に出て、友人たちが見ている中ではやてを妻とする、なんてことを歌い上げるのは酷く気恥ずかしい。
が、それも発想の転換。見せ付けてやれ、ともう半ば自棄になりながらそれを終えた。

そこでもう精も根も尽き果てて、外面は生真面目を装いつつも頭は真っ白。
耳から入ってくる指示の通りに身体を動かして――そして、指輪交換が始まった。

慌てつつもそれが外に出ないよう取り繕って、はやてと向き合う。
白無垢姿の彼女。これから行われることに、やはり気恥ずかしさがあるのかもしれない。
やや躊躇いを見せるはやてに、胸が高鳴った。そんな風に照れるはやてを見たことは初めてじゃないけれど、胸が締め付けられるような感覚がある。

指輪を取り出し、そして、彼女の手を取る。
俺ほどではないにしろ、デバイスを握り続けてやや堅い彼女の手。
けれどそれは、ずっと俺に着いてきてくれた証なんだ。そっと彼女の手、その薬指へ手を這わせながら、俺は指輪を通した。

今度は、はやてから俺へ。
小さな手が持ち上がって、俺の手を包むように。
デバイスを握り続けて傷だらけ。堅くなった皮膚は砕けてるところすらあり、細かい傷がいくつも刻み込まれている。
彼女はそれを愛おしげに撫でると、名残惜しそうに指輪を通した。

婚約指輪と比べればずっとシンプルなそれ。
しかしこれは、俺がはやての、はやてが俺の伴侶となる楔。
それを彼女にはめることがどれだけの意味を持つのか……ちゃんと、理解している。

『……幸せにするよ』

『……幸せにしたるからな』

そっと、念話で語り合う。
同時、お互いに笑みを浮かべて、指輪交換は終了した。

……その時だ。

『……綺麗だよ、二人とも。眩しいぐらいだ。
 ……お幸せに』

聞き間違えるはずのない念話が、俺へと届く。
けれど彼女の姿を探すことはできない。そんなことをして式をぶち壊しになんかできないから。
代わりに俺は一度だけ目を伏せ、ありがとうございます、と念話を送る。
返答はない。けれど無言の沈黙が、放った言葉以上に伝えることはないと云っているようで。
……それだけで、俺は満足だ。

全員に祝福される中、式は滞りなく終わり、俺たちは神社を後にする。
共に、傍らの彼女と。ずっと一緒に。

どこまでも、どこまでも、歩き続けることができる限り。

















式のあとの披露宴は滞りなく――なんてのは嘘で、酷く盛り上がった。
披露宴なんて大層な名前がついているけれど、実際は新郎新婦を肴にした宴会だ。
始まりは中将のありがたーくながーい演説……ではなく、仲人のクロノが取り仕切った。
なんだかんだで、俺たちが出会った事件を担当した執務官様だ。あいつ以外にいない、というのは俺とはやての共通した希望だった。

披露宴の内容は……まぁ、愉快だった、と云おう。そうでなければ言葉を濁したい。
細かい進行は流石に覚えていないものの、各々がやった宴会芸……宴会芸? はどれもが面白かった。
色濃く覚えているのは……酔っぱらったゼストさんが空気を読まずに槍をぶん回して超絶技巧を披露したりとか。
……シャーリーが空気読まずに、どこかからサルベージしてきた過去の戦闘映像(スプラッタ部分カット)を放映したりとか。
新人たちが集まって歌をうたって……私たちは前座です、と云っていたから嫌な予感はしたんだ。
んで、トリは変身魔法で子供になったフェイトとユーノ、そしてなのはが、アリシアちゃん脱退おめでとーとか云って歌い出す始末。ユーノは自棄になってた。
渾身のネタでしかないのに上手いのだから始末に負えない。あれで黒歴史は最後にして欲しいもんだよ、本当……。
それと同じぐらいに印象的だったのは、シグナムだ。
何をしたわけでもない。彼女はただ、俺とはやてのことを皆の前で祝ってくれただけだった。
けれどそれは父親である俺の心に響いて、情けないことに涙を流しそうになったり。

ともあれ、そんな風に披露宴があって、二次会があって、と。

そんなこんなで新居に戻ってきたら、もう時間は深夜の一時を回っていた。
流石に疲労困憊となった俺たちは今、リビングでくつろいでいる。

「はい、どうぞー」

「ありがとう」

キッチンから戻ってきたはやては、持ってきたマグカップをテーブルに置く。
ことり、と湯気の立つそれの表面は黒一色のブラックコーヒーだった。
はやての方もコーヒーだけど、俺と違って砂糖とミルクが入っている。

無理に付き合うことはない、ということをしっかり分かっているんだろう。
彼女は自分のマグカップをテーブルへと置く。俺と色違いのそれは、はやてが拘って選んだものだ。
並べられたカップと同じように、はやては俺の隣へと腰を下ろした。
動けば肩が触れるような、そんな距離だ。

「楽しかったなー」

「うん。最高の一日、って云い方をしても間違ってないと思うよ」

「せやね。皆が祝福してくれて、楽しんでくれて、私たちも楽しくて。
 この上ないなぁ、本当」

「ああ。頑張って良かったって思えるね」

カップを口に運んで、一息。熱さすら感じるコーヒーで唇を湿らせながら、ふと、テーブルの上に置かれたはやての手に目がいった。
指輪の通された左手。そこへ無造作に持ち上げた手をゆっくりと重ねる。
驚いたようにはやては身じろぎするけれど、成されるがままに、手は重なった。

今日一日でこんなことをするのは何度目だろうか。けれど、どれだけ彼女とこうしても飽きない。
飽きるわけがないとも云える。だって、彼女とこうしたいからこそ、俺ははやてを選んだんだから。

会話は止まり、静まりかえった家の中。
動くものと云えば時計の針と、カップから立ち上る湯気ぐらい。
そして、お互いの手に伝わる温もり、そこにこもる小さな鼓動。

彼女は確かにここにいる。
夢幻ではなく、幻想などでもなく。
俺が守りたいと願ったもの、その中心として、実感を伴い隣に在ってくれる。
それがたまらなく嬉しい。

気付けばどちらともなく身体を寄せて、知らぬ内に顔が近付いていた。
啄むようにキスをして、それを幾度も繰り返す。はやての唇は甘い。なら、俺の唇は苦いのかもしれない。
吐息を合間合間に挟みながら、俺たちは飽きもせずキスを重ねて、いつの間にか重ねた手をそのままに抱き合っていた。

……今日は別に良いかな、とも思う。
クロノにはああ云ったけど、前言撤回だ。
今はただ抱きしめて、こうしているだけで満足だから。

問題は、はやてがどう思っているかだけど――

「……今日は、ゆっくりせえへん?」

「……賛成。何も、そんなに急がなくて良いからね」

「せや。いつだって、二人は一緒やからな」

「うん。ずっと一緒だ」

そう云い、薄く笑んで、お互いの額を擦り付け合う。
ただのじゃれ合いで深くはない交わり。けれどこれで良い。少なくとも、今はまだ。

……願わくば、こんな日だまりのような日々が続きますように。

祈るように心の中で呟いて、俺たちは、飽きもせずずっとそうしていた。














END





[7038] 後日談1 フェイト
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/03/26 23:14

結社との戦闘が終わり、六課が解散した後、俺は陸でフリーの執務官として働いている。
とは云っても、それは三課で俺が行っていたことの規模縮小に等しい。
現地の部隊では手に負えない事件や、芽を摘み切ることのできない結社関連の問題が起きれば文字通り飛んでゆく、なんでも屋。

アテにされているとは思うし、実感もまたあるものの、どうにも。
今までずっと部隊に所属して動き続けていたからか、宙ぶらりんな立場には違和感がある。
今の状態はそう長く続かない、と中将から云われてはいるものの、どうなることだろう。

どうやらミッドチルダ地上部隊では俺のことを持て余しているらしい。
ただでさえ海よりも厳しい魔力ランク制限。六課は特殊ケースであり、普通の部隊に俺みたいな魔導師が入ったら一気に枠が削がれてしまう。
レリックこそ摘出されたものの、俺の魔力ランクはそう低くない。むしろ高い部類に入るだろう。
九歳時点でAAほどの量を持っていたリンカーコアは今、AAAほどにまで成長しているという。それでも最終決戦での無茶で総魔力量は減っているというのだから恐れ入った。
レリックの魔力が必要となる戦いを続けてはいたものの、そのまま育ってもそこそこの魔導師にはなれたということなのだろう。
が、なのはやフェイトは九歳時点で今の俺と同程度の魔力を持っていたと考えれば、どれだけ彼女たちが荒唐無稽か分かるってもんだ。はやては言わずもがな。

「父上、もうそろそろ到着します」

「……ん、ああ」

隣から上がった声に、霞がかっていた意識を浮上させた。
声をかけたのはシグナムだ。制服姿のこの子は、俺が起きたのを確認すると満足したように腰をシートへと沈める。
シグナムと一緒に電車――帰宅しているのは偶然ではない。
あの決戦が終わったあと、シグナムは108部隊から外れて俺の執務官補佐となり、働いている。

行きも帰りも共に職場まで出て、と。そんな風に始まった新たな生活に、シグナムは満足げだった。
それもそうだろう、とは思う。
ずっと俺の手助けをしたいとシグナムは願っていた。そして、こういう形で希望は叶っている。
そこに不満があるとするならば、今まで抱いていた願い以上の何かを望んだ場合だけじゃないだろうか。

ちなみに同僚としてアギトがいたりいなかったり。
シグナムをロードを定めた彼女は、俺たちと行動を共にしている。
……力に偏りすぎた捜査チームだ、本当に。どんな事件だろうと頭じゃなくて腕っ節で解決するのは本当にどうなんだろう。

そのアギトは俺たちの家に居候している――わけではなく、ゼストさんの夕飯を作るために別行動。彼女の居候先はあっちだ。
長年共にいたから放っておけない、のだろうか。とはいえ、ちょっとばかり下衆な勘ぐりをしそうになったりもする。

しかし、

Q.ゼストさん、犯罪ですよ?
A.相手は三百年以上生きている融合騎だ。

……問題ないのか?

まぁ、他人の事情に首突っ込むほど趣味は悪くないので深くは考えないようにしよう。

そんなことを考えている内に、電車は駅へと到着した。
荷物を手にシグナムと降りて、駅を出ると家路に就く。

今日は定時に帰ることができたからだろう。
駅の周りは俺たちと同じように帰宅を急ぐ者たちが多いように見えた。
やはりベルカ自治区だからか修道服を着た者も多い。が、俺たちと同じように管理局の制服や普通のスーツ姿もあったりする。
多くの人がごった返す駅前から徐々に遠ざかって、俺たちはずっと暮らし続けていたマンションへと向かう。

「父上、夕食はどうしますか?」

ひとけが少なくなり、話し声が騒音に浚われないぐらいに大通りから距離を取ると、シグナムが声をかけてきた。
俺は少しだけ考えながら、ゆっくりと口を開く。

「んー、あまり疲れてないから俺が作っても良いけど、どうしよう。
 外食でもするか?」

「良いですね。では、私も半分出すので、少し高いところに行きませんか?」

「高いところ……焼き肉とか?」

女の人と行くのはどうなの――なんて風には思わない。
親子で行く、というのもあるし、そもそもシグナムは体育会系。
年頃の女の子ではあるものの、がっつり食べることへの忌避感は薄いようだ。

「ええ。それも安い場所ではなく、注文を躊躇するような店に」

「ああいうところは美味いんだけど、本当、値段がなぁ」

くつくつと笑いながら、俺たちは歩みを進める。
制服に臭いが移ったらまずい、とのことで一度家に帰ろうとなり、止まりそうだった足は再び家へと向いた。
焼き肉……行くのも本当に久し振りだ。ガキっぽいと思いながらも、少し楽しみにしてしまう。
シグナムは肉とサイドメニューを楽しむ派。そんなのだから行くたびに結構お金がかかって、まだ彼女が小さな頃は楽しみつつも思う存分注文できないことが不満そうだった。
が、自分が働くようになってからその不満も解消されたのか。
何を食べましょう、と表情を輝かせる彼女は、戦っている時とは別種の生き生きとした顔をしている。

「……あんまり食べると太るぞ。
 ドカ食いはやばい、って聞くし」

「ご安心を。食べた分、動けば良いのです」

「……肉を詰め込みつつ絞り上げて、出るとこ出すってわけか。
 人体って不思議だ」

「ならば牛の如く太ってみせましょうか?」

「……やめろ。容姿も含めて自慢の娘がそんなになったら泣く自信がある」

「あはは、自分で云ったことですが、私もそれはご遠慮します。
 ……ああ、そうだ、父上。
 私が太るのを忌避なされるのならば、一つ、食後に手合わせでも」

「……ん? まぁ、横っ腹が痛くならないていどにな。
 それにしても、調子に乗るなよ?
 シグナムにはまだまだ負けないさ。ストライカーは伊達じゃない、ってね」

「むっ……まぁ、別に勝とうと思っているわけではありません。実力差は承知の上です。
 承知の上ですが……やはり、父上と剣を交えるのは楽しいですから」

「云ってくれるよ」

……どうしてこう、恥ずかしげもなくそんなことを云う娘に育ってしまったのか。
良いように転がされる男は多いんじゃないかなー、などと思っていると、既にマンションは目と鼻の先にまで迫っていた。

そうして、ふと、気付く。
マンションの前にある一つの影――誰かを待つように、所在なさげなフェイトの姿があった。

彼女の姿を目にした瞬間、自分の表情が強ばったことを自覚する。
それをシグナムに悟られないよう努めて、俺は彼女へ向かって手を振った。















リリカル in wonder

   ―After―













「……それで、どうしたんだ?」

番茶の入ったマグカップをフェイトの手元に置くと、堅さのある口調で、俺は開口一番にそう云った。

マンションの前で待っていたフェイトを発見した俺たちは、どうせだから、と予定通り焼き肉を食べに行った。
食べに行ったのは良いものの、何か悩みの種でもあるのか、フェイトはあまり食事が進んでいなかった。
まったく食べなかったわけではないし、もともと食がそう太くないこともある。腹持ちが悪いのか、と思えば納得できなくもなかったが――

しかし俺には思い当たる節が一つだけあって、それに気付いていないよう装いつつ、フェイトと向かい合う。
そもそも彼女がここにきた理由は、俺と話をしたかったからだそうだ。

それを分かっているシグナムは早々に風呂へ入ると、自室に戻っていた。

起きている人間は二人っきり。
物音といえば冷蔵庫の上げる低い唸り声と、窓硝子越しに届く気にならないレベルの騒音ぐらいなものだ。
カップから立ち上る湯気を、なんの気なしに眺める。

形を持たず、もやもやと流れているその在り方が酷く不快に思えた。
自分でも意味の分からない八つ当たりだ。
けれど八つ当たりという自覚があるように、俺は――

「……兄さん」

「……ん?」

「最近、私のこと避けてなかった?」

「そんなこと、ないだろ」

お互いに目を合わさず、独り言のように零す。

そんなことはないと云ったものの、それは嘘だ。
あの日以来、俺はフェイトと二人っきりになる状況を避け続けてきた。
フェイトと顔を会わず場合には、必ず隣に誰かがいる状況を作ってから、と。

そうでなければ、忘れると云ったあの日のことを思い出してしまいそうだったから。
そして、進展していなかった問題――兄妹が抱くにしてはあまりにもおかしなその問題を、ひっそりと風化させたかったから。

けれどフェイトはそれを拒むように、こうして俺の家にまで押しかけてくる。
逃げようとしている俺と違い、やはり彼女は今のままでいたくはないのか。
そう思うと同時に、頭痛が始まったような苛立ちを覚えた。

……なんで、お前は。

言葉にならない感情は、やはり、どうにもならない。
責任転嫁も良いところだろう。こんな風に妹を歪めた元凶が俺ならば、矯正するなり開き直るなりの取るべき態度があるとは思う。
けれど、それからすらも俺は逃げ出したい。
弱さ、と云われればそこまでかもしれないが、妹が常識から逸脱した恋慕を俺に抱いていることは、それだけでストレス以外のなにものでもないから。
だから目を逸らしたい。そうして気付かぬ内に終わって、また前のように――と。

ご都合主義も大概にしろと自分自身に苛立ちを感じすらするその軟弱。
……救いようがないのはフェイトじゃなくて、俺の方だろうよ。

「……今日、話をしにきたのはね」

「……ああ」

自虐ともなんとも云えない思考を続けていたからか、酷く沈んだ声が漏れる。
それをどう受け取ったのか、やや躊躇しながらもフェイトは先を続けた。

「……ずっと兄さんに聞きたかったんだ。
 兄さんは、どうして私を助けてくれたの?」

「……助けた?」

「うん。ほら、ナンバーズの四番が暴露したじゃない。私たちはクローンだ、って。
 そのこと自体はどうでも良いの。大して気にしてないから。私は私だし、ね。
 それより私は、どうして兄さんが私を助けてくれたのか気になるんだ。
 生き別れの兄妹、なんて設定、嘘だったじゃない?」

云って、おかしそうにフェイトは笑う。

「兄さんは、私がクローンだって知ってたんだ。そして、自分のことも。
 その上で母さんの思惑なんて知ったことじゃないって、私を引き取った。
 ……ねぇ、なんで? 同情? 憐憫? 義憤? 言葉にできない義務感?
 教えて、兄さん」

「……それは」

……なんだった、だろうか。今ではもう思い出せないぐらい掠れた記憶を呼び起こすことはできない。
けれどおそらくは……何も考えてなかったんだろうな。
ただ可哀想だったから。ただプレシアの行いが許せなかったから。
たったそれだけの理由で人を助けるには十分と云う人もいるだろう。
けれど俺は、誰かを助ければその歪みがどこかに生まれることを知っている。

だからこそ云おう。あれは、俺が何も知らないガキだったからだ、と。

あのときの俺は何も考えてなかった。どうにかなる、なんて軽い逃避の言葉を振りかざして、勇気と蛮勇を勘違いし、分かったつもりでいた。
俺の行動がフェイトの一生を左右して、こうして、軽く扱えない問題にまで発展するなんて――

――本当に、思っていなかったのか?

……それは嘘だ。頭の隅では分かっていたし、その上で下衆な期待もしていた。
しかし目先の事柄に目が眩んで、発生する責任に気が回らず、脳天気に彼女を引っ張って。

そんな中で、フェイトが喜んでくれることは素直に嬉しかった。
けれどそんな日々の積み重ねは今になって、こうも歪になっている。

……そもそも期待していたのなら、方便でも彼女を妹にするべきではなかったのに。

「……同情だ」

「……本当に?」

「ああ。だってそうだろう?
 せっかく生み出されたのに母親はあんなだ。
 自分が脳天気に過ごしているということもあったし……同族を助けてやりたいと思っても、不思議じゃないだろ?」

「嘘だよ」

「本当だ」

「兄さん、嘘が下手だよね。
 そうやって理屈っぽく何かを云ってるときは、だいたい嘘吐いてるもん。
 兄さんの本音は、いつになっても感情論。私はそう思ってるけど?」

「……そんなことは関係ない。
 第一、嘘だったらなんだよ。もしそうだとしても今口にした以上のことを、俺は云わない」

「……そっか」

小さく呟いて、フェイトは悲しそうに瞼を伏せた。
しかし、それはすぐに上げられる。うつむき加減ではあるものの、それでも彼女は口を開いた。

「……ちょっとした確認だったの。もし兄さんがその頃から私のことを――って思っていたら良いなって。
 けど、それが外れてても気にしない。私の気持ちは変わらないから」

「……云ったよな。あの日のことは忘れるって」

「私は忘れない、って云ったよ」

「……だからなんだってんだ。
 お前がどんな気持ちを抱いていようと、俺には関係ない」

突き放すような言葉を口にした瞬間、じくりと胸の内に鈍い痛みが生まれた。
関係ないわけがない。であれば、そもそも俺がここまで考え込むはずがないから。
そしてそれは、フェイトにも見透かされていたのだろう。

再び薄い笑みを浮かべて、彼女は小さく頭を振る。

「……また、嘘」

「嘘なんかじゃない」

「じゃあ兄さん、どうしてそんなに苦しそうな顔をしているの?」

云われ、表情が強ばったのが自分でも分かる。
フェイトと対面し、自身がどんな表情をしていたのかは、流石に分からない。
もしかしたらずっと見透かされているような錯覚があったのは、フェイトが鋭いからではなく、俺が馬鹿正直なせいかもしれなかった。

「……兄さん、私のこと、嫌い?」

「……嫌えるわけがない」

「なら、好きなの?」

「妹としてならな」

「……少しも?
 八神さんや、戦闘機人の五番みたいに。
 女として私のことを見ることはできないの?
 ……そんなこと、ないよね」

「……だったら」

ギリ、と奥歯を噛み締める。
それで漏れ出しそうになった言葉を抑えようと思ったが、それも叶わない。
見ないふりをしてきた。それは、直視したくなかったからこそだ。
だのにフェイトはこれでもかと俺に問題を突き付けて、答えを急かす。
誤魔化しや嘘をはね除けて――もしかしたらそれは、一方的な気持ちの押し付けなのかもしれない。

けれど、違う。
思うところがあるからこそ、馬鹿、と俺は切り捨てることができないでいた。

そんな状態で延々と、聞きたくもない言葉を聴かされて、遂に限界が訪れる。

「だったらどうすれば良いんだよ……!」

口にした瞬間、言葉の情けなさに目が眩みそうだった。
分かってる。どうにもならない。そもそもが間違っているのだから、解決策なんかない。
だからこそ俺は、無かったことにしたかった。
たった一日の出来事だ。それさえ忘れることができれば、また皆が皆笑い合っていける。そう、信じているから。

けれどフェイトはそれを嫌だと云う。
……正直、それが分からないわけでもない。
心を騙すことは辛いことだと、知っているから。
それが嫌で俺は開き直り、ずっと走り続けていた。

だが、もし途中で妥協していたらどうなっていただろうか。考えたくもない未来が、そこには待っていた気がする。
俺が一時の平穏を甘受する代償に、どこかの誰かが悲しむ。
それはきっと、世の中を見回せば当たり前のように転がっている都合なんだろう。
俺だってそれをすべて防げたわけじゃない。ただ、身近な人たちに幸せになって欲しかっただけだから。

ああ、だから……本当に、フェイトの気持ちが分からないわけじゃないんだ。

けれど――

「仮にだ。仮にだぞ?
 俺とフェイトが男女の仲になって、それでどうなるか分かってるのか?
 同じ顔した人間が寄り添って、そんなこと、周りがそれを祝福するわけがないだろ?
 ユーノはどうなる? アルフは? 俺たちがどんな風に見られてもそれは責任ってやつだろうよ。
 でも、俺たちの勝手に付き合わされる皆はどうなるんだ。
 ……頼むから、目を覚ましてくれ。
 そんなのは……幸せなんかじゃない」

「……うん。そうだよね」

叩き付けた言葉にフェイトは何を思ったのか。
痛みを堪えるように表情を歪ませ、僅かに唇を噛んだ。
俺が口にしたことは、目を逸らすことのできない事柄だと理解しているのだろう。
本当に起きるかどうかは分からない。しかし、絶対にないとは云いきれない仮定の話。

だがしかし、フェイトは――

「それでも私は、兄さんのことが好きだよ。
 ううん、それで終わりになんかしたくない。
 好きだから、応えて欲しい。無償の愛なんてまだ私には分からないから。
 ……兄さんが云ったように忘れてしまった方が良いのかもしれない。
 けど駄目なの。そうしている内に兄さんが誰かと一緒になったら、って考えるだけで、我慢できなくなる。
 かまって欲しい、見て欲しいって感情はこれが初めてじゃない。
 けど、今回は今までと違うんだ。兄さんに私だけを見て欲しいって、気持ちが止まらないの。
 中途半端は嫌。遊びだなんて風に誤魔化したくもない。
 ……さっき兄さんが口にした例えはちょっと先走ってるかな、って思う。
 ……けど本気で考えたら、やっぱり避けることができなくて」

「……だったら分かっているだろ、フェイト。
 忘れるのが、一番――」

「一番、嫌」

俺の言葉を遮って、フェイトは強く、短い言葉を放った。
……どうしてそこまで頑固なんだ。どこの誰を真似したら、そこまで物わかりが悪くなるんだよ。
どれだけ言葉を重ねてもフェイトはきっと妥協しない。そんな確信にも似た何かがある。
それがなんなのか、俺には分からない。
根拠も何もなくワガママを言い続けて――俺が頼み事をなんでも聞いてくれると思うほどフェイトは馬鹿じゃないと分かっている。
だのに、なんで彼女は――

「……兄さんは、ずるいよ」

「ずるいって……」

「本当に嫌で駄目だと思うなら、思わせぶりな態度なんか取らないで欲しい。
 本当に嫌なら、わざわざ私の話なんか聞かなくても良いじゃない。
 そんなだから期待しちゃう。もし説得できたら受け入れてもらえるんじゃないか、って。
 ねぇ、お願いだから本音を聞かせてよ。
 どうしたいのか。どうすれば良いのかなんて後で良い。一緒に考えれば良いじゃない。
 兄さんがどんな風に私を見ているのか……それさえ分かれば、私は……っ」

絞り出すように吐かれた言葉尻は、湿っていた。
口にしたフェイト自身も辛いのか、強ばった肩からは、テーブルの下に隠されている両手が握り締められていることを容易に想像できる。

……俺の本音?
そんなものは決まっている。
フェイトに想われて嬉しくないわけがない。ずっと側で見てきたんだ。この子が良い子だなんて十分に分かっている。
そんな女に慕われて、恋慕を向けられ、嫌だなんて思う奴はいない。重くはあるだろう。どうすれば良いのか分からない、というのも関係している。

けれど、それを抜きにして云うのならば素直に嬉しい。
そして好きかどうかと云うのならば――ずっと妹として見てきて、そう見るべきと思っている理性が邪魔をして口には出せないけれど。
……俺は確かにフェイトが好きなのだろう。それは兄弟愛が半分以上の割合を占めていて、ブレンドされたそれは、粘着質でどろどろとしている。
妹として大切にしたい。同時に、女として捉えれば、やはり大事にしたい。総じて、俺にとってかけがえのない女性と云っても過言じゃない。
が、その思考に至った瞬間、反吐が出そうになった。
頭の中にある冷静な部分が嫌悪感を剥き出しにする。

ここで本音を云えば取り返しの付かないことになる。分かっているんだろう?
今考えたことを口に出してみろ。それは――自分自身が願い、必死になって守り抜いてきた平穏を己が手で突き崩す行為だ。

皆を守りたいと俺は願った。それは、皆と共に笑い合っていたいという渇望が下地に存在している。
そして今、俺を取り巻く状況はずっと望んでいた状況そのもので――それを、自分自身で木っ端微塵に破壊するなんてこと、できるわけがない。
必死に守り抜いてきたものを捨て去るなんてこと、選べるわけがないんだ。

フェイトを受け入れてしまったら、はやてにどんな顔をすれば良い。フィアットさんにどう言い繕う。
ユーノに会うのが怖い。絶対、俺に付き合う形になってしまうシグナムに申し訳がない。ようやく、彼女が望んでいた形の親子になれたのに。

それらとフェイトを天秤にかけて、どちらに傾くのか。
それは――どちらにも、傾かない。
そもそも天秤になんてかけられない。比べること自体が間違っていて、その行為は冒涜に等しい。
何もかもがかけがえのない、俺を形作る大切なものだから。

だから……女々しいことに、俺はただ黙っていることしかできなかった。


















突き付けられた言葉にただ沈黙しているエスティマを見て、フェイトは胸が締め付けられる思いだった。
兄――否、彼がそんな状況に追い込まれているのは間違いなく自分のせいで、彼の痛みを共感しようなんてことは失礼だと思う。

エスティマが何故戦ってきたのかを、フェイトが分からないはずがない。
奪われたものを取り戻し、万難を排除して、平穏を掴み取って、それに浸りたかったから。
その願いは果たされたと云っても過言ではなかった。自分が、こんな馬鹿げた想いに気付かなければ。

もし八神はやてと添い遂げるなら、エスティマが望む形で未来を掴むことができた。そう、フェイトは思う。
長い年月を共に過ごした二人。彼女がどれだけエスティマを想っているのかは、今更言葉にする必要もない。
その熟成された恋慕、そして戦い続けてきたエスティマが伴侶を得ることは誰もが祝福するだろう。

……それは、嫌。

他の誰でもなく、彼の瞳には自分だけが映っていたい。
彼は自分の手で幸せにしてあげたくて、彼を抱き留めるのは自分の胸でありたい。
異常なほどの独占欲だというのは自覚している。おそらくそれは、長年で染みついた癖のようなものなのかもしれない。

だからこそ――エスティマの考えていることを分かるフェイトではないが、彼が思い悩んでいる事柄に微かな苛立ちを覚えていた。
断り文句としてエスティマが用意した言葉から考えて、おそらく彼は周りの目を気にしている。
それは厳しい視線を浴びるからではなく、彼を形作る周囲、彼が守りたいと願った人々が、呆れて消えてしまうのではないかという恐怖なのだろうと思う。
分からなくはない。ずっと彼が戦ってきた理由は、自分が幸せになりたいという下地の元に構築されていた、皆が幸せであって欲しいという願いだと、フェイトは考えているから。

他人を気にかけるところは彼の長所だと思う。
おそらくはそれによって自分は助け出されたのだし、それを否定しようとは思わない。
けれど――今はそれにたまらなく、苛立ってしまう。

自分だけを見て欲しいのに、彼はどうあっても、フェイト以外を気にかける。
好きかどうかと聞いているのに、悩みどころは嫌いか否かではなく、きっと、どうすれば誰も傷付かないか。どうせ、そんなところ。

……私だけを見て欲しいから問いかけたのに、どうして他の人を気にするの?

嫌な女だ、と冷静な部分では分かっている。
大切にしたいと思う男が大事にしているものをぶち壊しにして……何が楽しくて傷付け合っているんだろう。
酷い矛盾。好きだから壊したい、なんて陳腐な文句ではなくて、望んですらいないのにヒビはどんどん広がってゆく。

砕け散るのが怖いのはフェイトも一緒だ。エスティマほどではないにしろ、胸に抱いた恋慕を誰からも祝福されないというのは辛い。
しかしだからと云って感情の落としどころも分からず――結局、フェイトにも答えらしい答えは分からない。

……胸が痛い。それが幻痛なのだとしても、心が千々に千切れそうなのは確かだ。
誰か、答えを知っているなら教えて欲しい。
自分と彼を繋ぐ方法があるのなら、それを授けてくれるのならばなんでもする。そんなことすら彼女は考える。

この気持ちは間違っているのかもしれない。
だが間違っているのだとして、既に抱いてしまった想いはどうすれば良い? この願いはどこに届く?
彼に一人の女として見てもらって、自分だけを見詰めて欲しいという望みはどうすれば良い?

疑問符ばかりでやはり答えは出ない。
胸の中で完結させるべき問答に外からの答えを求めたところで、どんな言葉を向けられても納得できはしないだろう。
だからこそ、彼にどんな形でも良いから決断して欲しい。

だのに、エスティマは黙ってばかりで一言たりとも発しようとしなかった。
……分かっている。
結局のところどこまで行っても、自分は彼にとって特別にはなれない。
心を惹きつけて他のすべてを見ないように縛り付けるなんてこと、きっとできない。
したくない、とも思う。矛盾しているけれど、そんな彼だからこそ自分は好きになったから。

けれど、今のままでは答えなんかでなくて――

「……もう、帰ってくれ」

酷く疲れ切った吐息と共に叩き付けられた声が、沈んでいたフェイトの思考を呼び戻した。
やはり、答えは出なかったようだ。悩みはしたものの冴えたやり方が見付けられないのは、彼らしいといえば彼らしい。
けれど――そこに、フェイトは僅かな希望を見出す。

「……妹だから私を切り捨てられないの?
 それとも、兄さんも私のことが好きなの?」

「……それは」

「いい加減に答えて」

フェイトの言葉に、エスティマは身体を震わせた。
口にしたフェイト自身も、自分の言葉が思った以上に強い口調で驚いている。
それは煮え切らないエスティマの態度と、こんなことをしている自分自身に対する苛立ちが元だった。
が、それを気にも留めずフェイトは彼の口から指針となる言葉を聞き出そうとする。
……本当に、酷い女。

自分のことをそう揶揄しながらも、フェイトは兄へと答えを求める。
追い詰められたようにエスティマは、口を開け、そして閉じる。
それをフェイトはじっと見詰めて――

「……失礼します」

蝶番の軋む音と共に放たれた声で、張り詰めていた場の空気は霧散した。
視線を向ければ、そこにはパジャマ姿のシグナムがいる。
彼女はフェイトたちの方を一瞥すると、そのままキッチンへ。
食器棚からグラスを取り出すと、冷蔵庫から取り出した牛乳をそれへ注ぎだした。

硝子に液体の注がれる音が、いやに大きく響く。

注ぎ終えたシグナムは冷蔵庫へ牛乳パックを戻すと、再び自分たちの方へと視線を投げた。

「……叔母上、もう時間も遅い。
 我々は明日も仕事があるのです。申し訳ありませんが、今日はもうそろそろお帰り下さい」

シグナムの言葉に、フェイトは僅かな反感を覚えた。
まだエスティマからの言葉は聞いていないのに――けれど、時間が遅いのは事実。

「……分かった。ごめんね、こんな時間まで」

「いえ。また遊びにきてください」

帰りたくなかったが、ここで引き延ばしてもエスティマから答えらしい答えが聞けないだろうことは、フェイトも分かっていた。
腰を浮かせ、バッグを手に持つと、フェイトはそのまま玄関へと真っ直ぐ進む。

振り向けば、表情を沈ませたエスティマが立ち上がろうとしているのが見えた。
シグナムの前で変な様子を見せたくないのか。それとも、散々責められたとしてもフェイトをぞんざいに扱いたくないのか。
後者だったら良いな、と思いながら、フェイトは小さな笑みを浮かべる。

「それじゃあ兄さん、またね」

「……おやすみ」

噛み合わない言葉を残して、フェイトはエスティマの家を後にする。
扉を閉め、誰も見ていない場所へ移り――瞬間、目頭に熱が昇ってきた。

……私、何をやっているんだろう。
分かってる。言い逃れはしない。したくない。
自分のワガママをエスティマに押し付けて、エスティマを心底から困らせている。
けれどその方向性は今までと違い、彼の価値観すら揺さぶる凶悪な代物だ。
彼が困り果ててしまうのは当たり前で、そんなことをする自分自身が信じられない。
彼に迷惑をかけず、少しでも大人になったと認めてもらえるように、なんて考えていたのは自分自身だ。
だのに今やっていることと云えば、子供だって考えないだろう馬鹿げた問答。

今このときになっても、まだ自分は兄から与えられるだけに徹しようとしている。
今までずっと助けられてきて、今度は彼の愛情を一身に受けたいと。

自己嫌悪が波となって押し寄せて――同時、その感情に、どうして分かってくれないの、と別方向の悲しみが迫ってくる。

彼を困らせたくなんかない。けれど愛して欲しい。しかしそれを願えば彼が途方に暮れてしまって、結局、傷付けてしまう。
好きになんてならなければ良かった、とフェイトは思わない。思いたくない。
彼が好きという感情は間違いなんかじゃないと声を大にして云いたい。だのに、この気持ちは誰にも云えない。

同時に、思う。

……彼に求めるだけ求めて、大事なものを捨てさせようとしている自分が恥ずかしくてしょうがない。
捨てさせるのならば、別の――大事だからこそ他のもので代用なんかできるはずがないと、フェイトも分かっている。
けれどせめて、今度ばかりは自分も彼に何かを与えてあげたい。

でなければ、どの口で彼に想いを告げているのだ。

















フェイトが出て行ったのを確認すると、シグナムはエスティマへと視線を投げかけた。
それを受けたエスティマは、娘の視線を辛そうに見返す。

「……聞いていたのか?」

「……気付いていましたか」

「タイミングが良すぎたからな」

「……はい。
 聞き耳を立てるつもりはありませんでしたが、どうしても聞こえてしまって。
 余計なお世話とも思いましたが、横槍を入れました」

「……いや、良い。助かったよ」

再びエスティマは椅子へ座ると、テーブルに肘を突いて顔を覆ってしまう。
それをシグナムは眺め――どう言葉をかけて良いのか、分からない。
何も云わないが、父は今の件に関して話すことを拒んでいるように見えた。
フェイトと言葉を交わした内容をいくらシグナムが知っているのだとしても、立ち入ることを許さないように。

その気持ちは分からなくはない。
そもそも恋慕に関する事柄へ他人が土足で踏み込むことは、あまりに趣味が悪い。
その上、エスティマが思い悩んでいるこの件は、決して他人に知られてはいけないような類の代物だ。
いくら娘といえど――否、娘だから、なのか。おそらく、自分に聞かれたことすらも、エスティマの心を抉っているのではないか。そう、シグナムは思う。

……しかし、このまま放置して良い問題ではないでしょう。
歪な兄弟愛に首を突っ込むことは野暮、無粋、そんな言葉を通り越す行いだが、しかし、ここで父を一人っきりにしたくないと彼女は思う。
それは物理的な意味ではなく、ただ一人で胸の内に悩みを抱え、誰にも云えず沈んでゆくこと。
父がなんでもかんでも抱え込んでしまうしまう性分であることを、シグナムは知っている。
最近は他人の助力を乞うように変化したと気付いているものの、今に限れば父は昔に戻っている。

俺がなんとかしなきゃならない。誰も頼ってはいけない。その一念が、また父を孤独に追いやろうとしている。
誰も味方がいない状態。当たり前だ。誰が妹との恋路を祝福するという。

シグナムも、その恋慕が歪であることぐらいは知っている。
それがおかしいと思えるぐらいに教育は受けたし、そういったものがあり得ないと断じることができるだけの常識は持っていた。
しかし――

「……父上」

「……なんだ?」

エスティマからの返答は不機嫌が滲み、会話を拒んでいるようだった。
いや、正しくそうなのだろう。そう、シグナムは思う。
それを分かっていながら、シグナムは言葉を紡ぐ。

「……父上は、叔母上のことをどう思っているのですか?」

「……お前まで――お前までそんなことを聞くのか?」

ともすれば泣き出しそうなほどに掠れた声が上がる。
そうだろう。ついさっきまで追い詰められていた問いを、今度は娘から叩き付けられればこうなって当たり前だ。
だがそれでも、シグナムは言葉を止めない。

「はい、父上。
 恋慕というものがどんな感情なのか、まだ私には分かりません。
 しかし、血族と親愛とは別種の愛情を育むことが間違いであるとは知っています。
 ゆえに、叔母上の気持ちに応えることができないということも。
 応えてしまえばおそらくは、誰にも祝福はされない事柄なのだとも、分かっています。
 ……その上で、父上。父上は叔母上が好きなのですか?」

「……今、自分で応えられないって云っただろ。
 その通りだよ。だから、好きも嫌いもない」

「……そう、でしょうね。父上は自分に厳しい方ですから」

「そんなわけあるか。こんな状況になった原因は俺の甘えだ。
 甘えた考えが――」

「やめてください。それでは、叔母上が可哀想です」

可哀想、と云う言葉に、エスティマは言葉を止めた。
そして顔を覆っていた手を解いて、どういう意味だとシグナムへ視線を向ける。

「……可哀想ではありませんか。叔母上だって、己の抱いた恋慕がおかしいことぐらい分かっていると思います。
 否定されるべき感情なのかもしれない。けれど、想われている父上自身がそれを間違いだと断じて、あまつさえ原因が自分などと……。
 何故父上がそう思ったのかは詮索しません。事実、そうであるのかもしれません。
 ですが、感情に理屈を持ち出して応えもせずに風化させるのは、ねえ、悲しいじゃありませんか。
 ……父上。
 父上は……叔母上が好きなのでしょう?」

「……なんでそうなるんだよ」

「嫌いなら嫌いと云えば良い。それができないのならば、好きなのではないのですか?」

「極論の消去法だろ、それは。
 答えがたった二つだなんてわけがない。人はそこまで単純じゃない」

「ですが、叔母上の問いに困っている父上は……既に答えを決めているような気もします。
 決めていて、しかし、理屈が邪魔をして何も云えないように見えます」

「……だったら」

エスティマは溜息を吐いた。
深々と、胸中に充満した霞を払うように。

「……分からないんだ。俺の感情がフェイトを異性と捉えているのか、妹と捉えているからなのか。
 異性と捉えているから告白されて嬉しい自分がいる。
 けれど、妹と捉えているからこそ気持ちに応えられない自分もいる。
 ……切り離せるわけがないんだ。あいつは、ずっと俺の妹だったんだから。
 大事ということに代わりはなくて……だからこそ、どう応えて良いのか分からない」

そうして吐き出された言葉は、彼の本音か。
掠れた声と共に零れ落ちたそれを、痛々しいとも思う。

しかし、ここで言葉を濁してしまえば、また父は一人で思い悩むことになるだろう。
だから、とシグナムは頭を捻る。
守護騎士として。何より娘として。
お前は一人じゃないと云ってくれた父に、そっくりそのまま言葉を返したかったから。

「……長い人生で見れば、今の平穏は一瞬のことに過ぎないのかもしれない。
 けれど俺は、この満ち足りた刹那を永遠にしたかったんだ。
 ずっとこんな日が続けば良いと願っていたからこそ、走り続けることができた」

「……永遠はどこにもありません。
 私が子供から大人になって、父上の守護騎士になりたいという夢を叶えたように。
 父上が戦い続けて、悪夢を終わらせたように。
 良くも悪くも、時は過ぎてゆきます。
 であれば、この問題もまた、選択し、より良い未来を築くために選択しなければならないことだと思います。
 今という時に胡座をかいたままでは、その手に何も掴むことはできません」

「……………………俺の願いは幻想でしかなかった、ってことか」

染み出した言葉には、色濃く諦めが滲んでいた。それは絶望なのかもしれない。
胸に抱いていた渇望が今という現実に押し潰されそうになり、そして、愛娘によって否定される。

辛くないわけがないだろう。否、辛いに決まっている。
それを理解していながら、

「……はい」

シグナムは、短く答えた。
その言葉がとどめとなったのか、微かな笑い声をエスティマは上げた。
子供のように固執し続けた理屈にヒビが入って、もうどうすれば良いのか分からない。そんな風に見える。

だが――

「……もう、今日は寝るよ。
 ……簡単に納得したくないんだ。
 それでもやっぱり、事実は事実。
 答えは出すさ。今がずっと続かないというのなら、今から続く明日をより良くしたい」

エスティマ・スクライアという人間は、心根が折れても尚、立ち上がることのできる人だとシグナムは分かっている。
今までの価値観を簡単に捨て去ることなどできないだろう。もし捨てることができたとすれば、それは酷く安っぽい。
自分の願いが安くなかったと信じたいからこその葛藤。それを抱え、彼はどんな答えを出すのだろうか。

自室へ戻ろうとする父の背中を眺めながら、シグナムはおずおずと口を開いた。

「……父上、私は何があろうと、あなたから離れたりしませんから」

「……ありがとう」

呟かれた感謝の言葉から、彼が何を考えているかまで読むことはできない。
けれど、今のやりとりで父が少しでも前に進めたのならば良い。




















ベッドサイドにあるランプが灯る部屋の中。
薄暗い寝室の中で、アルフは比喩ではなく頭を抱えていた。
痛みを感じるわけではない。また、思い悩んでいるわけでもない。

ただ、遠く離れていても主人との間に存在する絆が伝えてくる情報――それに混じった感情を無視することができなくて。
フェイトの気持ちが痛いほど理解できて、しかし、簡単に応じようとしないエスティマがどんなつもりなのかも分かり、アルフは歯を食いしばる。

精神リンクで繋がっているアルフだからこそ、フェイトの感情がどのように変化してしまったのかはっきり分かる。
最初は正しく子供のように。導いてくれる人を素直に信じて。
その導きがなくなれば、今度はどれほどその人が大切だったのかを噛み締めて。
噛み締めた後は、自分だけを見て欲しいと願い。
願いながらも、それは無理だと少しだけ大人になれた。

けれど胸に抱いてしまった感情は、今まで抱いた感情や信頼とは完全に別物だ。
主人を差し置いてだが、好きと云える人がいるアルフだからこそ分かる。
この人しかいない。この人に見詰めて貰いたい。側にいたい。抱きしめてキスして愛を囁いてもらいたい。他の誰よりも価値があると思って欲しい。
熱病のような恋慕は抑えれば抑えるほどに高鳴って、我慢が後悔に繋がると錯覚し、答えを急ぐ。
大事な感情だと思うからこそ色褪せたくなく、周りの何ものよりもそれへ価値を見出してしまう。

その感情自体は認めたいアルフだったが、しかし、相手が悪すぎる。

エスティマ。フェイトの兄。
頑固者だの馬鹿だのと今まで散々に云ってきたが、頑固さは誠実さ、馬鹿さ加減は実直さの裏返しである。
そんな彼に求める答えとして、これは、些か酷というものだ。

フェイトに背を向けたとしても、妹、というピースが欠けた日常が待っている。
フェイトを受け入れた場合は云わずもがな。
どちらを選んだところでエスティマが望むものは手に入らない。
だから彼は精一杯の抵抗とでも云うように、無言で現状維持を続けているのだろう。

その間に状況が少しでも良くなれば、と。
愚かと云えばそれまでだが、実際、その状況になって動ける人はどれだけいるのか。
アルフにそれは分からなかったが、エスティマが動けないというのは確実だろう。

……だったら、とアルフはベッドから起き上がる。
ぐす、と鼻を啜り、目元を手の甲で拭うと、部屋の出口を目指す。

このままじゃフェイトもエスティマも答えのでない迷宮を回り続けるだけだ。
ならば誰かが外から手を貸してやらなければならない。
それによって、どんな答えが出るのだとしても。






[7038] 後日談2 フェイト
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/03/26 23:14

クラナガンに本社を構えているデバイスメーカーのビルを背に、フェイトは自動ドアから外へと出た。
空調の効いていた社内と比べ、外はやや強めの風が吹いており、快適とは云えない。

彼女は髪を風になびかせながら、一度、背後を振り返った。
地上本部ほどではないにしろそれなりの高さを持つビルは、間近で見ると威圧感を醸し出している。

何故彼女がこんな場所に訪れていたか――それは、一つの商談をこの会社へと持ちかけにきたからだ。
その商談とは、バルディッシュに蓄積された戦闘データの提供。無論、金銭と引き替えに。

バルディッシュはワンオフで作られたデバイスであり、機体の性能、それに戦闘データはあまり流用ができない。
だが、あくまでそれは普通の場合。
フェイトのような極少数のみ存在する、高い魔力資質を持った人間のために作られるワンオフ機。この会社は、それの制作を請け負っていた。
高ランク魔導師は次元世界に多く存在しているものの、その大半が管理局に所属している。
デバイスの開発は管理局でも行われており、比較すると民間の企業はデータの蓄積がどうしても管理局より少ないのだ。
サンプルの絶対数がどうしても足りない。デバイスとは云え個人情報、漏洩を許すほど管理局も甘くはない。
技術提携こそ行っているものの、はいどうぞ、と利益を企業と山分けできるほどに、おめでたくもなかった。

高ランク魔導師がどんなデバイスを使うのかは、企業の者も分かっている。
だが、十年という時の流れの中でどんな風にチューンされてゆくのか、という辺りまでは流石にサンプルが少ない。

故に、フェイトが持ち込んだデータは喜ばれ、また、高く買い取られた。
九歳の頃から既に実戦を行い、管理局に入ってはいないものの長い間戦い続けてきた蓄積は相当なものだと云える。

しかし、思い通りにことが進んだというのにフェイトの表情は明るくなかった。
そっと、財布の入ったポケットに手を触れる。その中にあるキャッシュカードには、近々大金が転がり込んでくるだろう。

しかし、それと引き替えにしたものは決して安くない。
バルディッシュのデータを明け渡したと云っても、別にバルディッシュを失ったわけではない。
彼は今でも普段通りに動いていて、己のデータが収集されたことに対して憤っているわけでもない。

が――

「……ごめんね、バルディッシュ」

『No sir.』

気にしてません、と上がった言葉に、フェイトは薄く笑んだ。
慰めてくれたのか。優しい子、と思いながらも、やはりフェイトは自分が行ったことに疑問を抱いていた。
これで良かったのか、という疑念はずっと付きまとっている。

戦闘データといえど、あれは自分の思い出だった。
友人と共に戦った記憶。兄と共に戦った記憶。悲しみも喜びも詰まっていた思い出と云っても過言ではない。
それを金に換えるというのは、自分の記憶に価値を付けてしまったようで申し訳なく、そして気分が悪い。

それでもバルディッシュのデータを売ろうと考えたのは、お金が欲しくて――それは、兄に何かをしたかったから。
与えられるばかりじゃなくて、何かを与えてあげたい。そう思ったフェイトは、決して金では買えないと世間一般で云われている思い出を売り払った。
しかし、今更になって自分の行いに疑問が浮かび上がってくる。
先に云った事柄は勿論として、この金を使って自分は何をしたいんだろう。

エスティマに貢ぐ? 馬鹿げてる。そんなことで心が動くほど彼は安っぽくないと知っているから。
酷い虚しさと喪失感が胸を押し潰そうとする。それに耐えながら、フェイトは企業ビルを後にした。

コツコツとヒールが奏でる音を聞きつつ、歩みを進める。
自分に、何ができるだろう。それは、エスティマの家に行った日からずっと考えていることだった。
家事やなんかを手伝う、とは最初に思い付いたことだが、だからなんだ、とも思って却下。それに、八神はやてがずっと行ってきたことを真似するようで癪もであった。
八神はやては気付いていないだろうけれど、今の自分にとって彼女は恋敵と云って良い。それの後を追うようなことを、フェイトはしたくなかったのだ。

なら、自分には何ができるだろうか。
ちょっとした気遣いていどならともかく、大事なものを切り捨てるよう迫っている彼へ、自分は何をできるだろう。
先走っているという自覚はある。まだエスティマからの返事は何一つ聞いていない状況でこんなことをしている自分はおめでたい、とは分かっていた。
しかし、現在進行形で彼を苦しめているのは確かなのだから、やはり何かをしたい。些細な――違う、もっと大きな、彼の喜ぶ顔が見たい。

自分が苦しめ自分が癒す。嫌なマッチポンプ。
けれど与えられるだけ――否、奪うだけの重荷であることは嫌だと、フェイトは思っている。
思うだけなら簡単で、誰にでもできる。だからこそ行動に移そうと思って――しかし、何をしたら良いのか分からなくて始末に負えない。自分自身が。

……兄さんのために、何ができるんだろう。

そんなことをぐるぐると考え続けながら、フェイトは街並みの中へと歩き出した。



















リリカル in wonder

   ―After―















地上本部の片隅に間借りしているオフィス。
休憩時間中に、俺はそこでB5サイズのアルバムをめくっていた。
オフィスの中には俺だけしかいない。個室を与えられているから当たり前なのかもしれないが、今はそれがありがたかった。
少し、一人で考えごとをしたかったから。

手にしたアルバムには、アルフが撮り続けてきた写真が収められている。
幼少期から今まで。最近のものになると俺とフェイトが一緒に写っているものが少なかったりする。
よく飽きなかったもんだ。アルフが写真を趣味にし始めたのは随分と昔な気もする。
だのにアルバムに収まっている写真は、月日の流れを逃さず、フェイトの成長をずっと追っていた。

中身は思わず苦笑してしまうようなものから、純粋な懐かしさを覚えるものまで多岐に渡る。
こうして確認してみれば、ああ、確かに俺はフェイトとずっと一緒にいたのだと実感できた。
しかしフレームの中に存在していた俺はずっとフェイトを妹として見てきて――そして今、どう彼女を見て良いのか分からなくなっている。

シグナムにはああ云ったものの、やはり踏ん切りを付けることはできない。
女々しいのだろうか。頑固なのだろうか。
意地を捨て去ることは簡単ではなく、未だ、俺は自身の価値観に固執したがっている。

それでは先に進めないとも、また分かっているけれど。

「はは、間抜けな顔」

アルバムに収まっていた自分の写真を見て、思わず声に出して笑ってしまう。
何も考えずにいた頃の自分。馬鹿だ馬鹿だと自分自身では思っているものの、楽しかったのは事実だ。
もう戻れない。やり直しはきかない。唯一の時だったからこそ楽しかったと今思え、当時を思い出として眺めることができる。

そして今、何も考えるずに生きてゆけるほど世の中は単純じゃなくなった。
それは今も昔も変わらない。けれど、俺の生きる場所を形作る皆が大人になって、自分勝手な感情で物事を進められなくなったんだ。

それを窮屈と考えることもあれば、愉しみと思えることもある。
どちらとも云えない表裏一体のコインのように、現実は存在している。

その表面――日だまりだけを意識して過ごすことは、やはり甘い幻想だったのだろう。
裏も含めて存在している日々。それを否定してやり過ごすことは、やはりできない。少なくとも、俺には無理だった。

もし俺にもう少しだけ脳天気さがあれば――と考えるのはフェイトに失礼か。

「……コイン、ね」

ふと、一つの事柄が思い浮かぶ。我ながら嫌な例えだ。
妹であるフェイト。異性であるフェイト。それを切り離してどちらか一方を取るべき状況であると、分かってはいる。
けれど結局、俺はどちらも選ぶことはできない。
が、そもそも人は多様性を持つ生きもので……どちらか一方を見ないふりして忘れてしまうのは、賢いのかもしれないが無様だ。
だから俺は、フェイトを一人の人間――異性であり、妹でもあると見て――やはり大切なのだと自覚する。

瞬間、俺の胸中を占めるフェイトの領分が増したような錯覚を受けた。
誰よりも、とはまだ云えないけれど。

……ああ、気が多くて嫌になる。
ハーレムでも作ってやる、なんて気概は生憎と俺にはないから尚更に。

だが、フェイトという一人の女性を意識した場合――そこで問題は振り出しに戻る。
否、より明確になったと云うべきだろう。

大事なのだとして、それでどうする?
好きだから添い遂げる。そんなことが云えるほど俺と彼女の間に横たわる問題は単純じゃない。
彼女を選ぶのならば、それ相応の覚悟は必要で――俺に、そこまでの気概があるのだろうか。

やるべきことは分かっている。フェイトを意識した瞬間、生ずるであろう責任は霧が晴れたように輪郭を浮かび上がらせた。
だが晴れた視界は決して美しい景色などではなく、問題が山積みとなり、解消するには断崖絶壁を登り切るほどの労力が必要だろう。

俺は、それを――

やるのか、と考えた瞬間だった。
この個室に備え付けられている内線が鳴り響く。何事と思って取ると、空中にディスプレイが浮かんだ。
ウィンドウの中に写っているのは、どういうわけだかクロノだ。
奴は歯の奥に何かがはさまったような顔をしながら、よう、と挨拶をしてきた。

「クロノ、いきなりどうしたんだ?」

『ああいや、ちょっとしたことでな。問題というほどのことじゃないんだ。
 ……エスティマ、お前はフェイトに仕事でも頼んだのか?』

「……は?」

『……なるほど。じゃあ、どういうことだろうな』

一人納得するクロノ。だが俺は状況をまったく飲み込めていない。
なんの話だ、と無言で問いかけると、クロノは眉根を寄せながら口を開いた。

『一時間ほど前に、フェイトが僕に頼み事をしてきた。
 スカリエッティに会わせて欲しい、とな。
 そもそも彼は監視こそされているが行動そのものは自由だ。会うだけならば問題ない。
 だから居場所を教えはしたものの、何か引っかかって、一応連絡を』

「……心配させて悪かったな。
 助かったよ、ありがとう」

『ああ。……エスティマ、何かあったのか?』

「フェイトがどんな用事があってスカリエッティと会おうとしているのかはさっぱり分からない。
 本当に心当たりがなくて、驚いてる」

『そう、か……まぁ、何かあったら云え。力にはなってやるさ』

「……ああ」

それじゃあ、と通信を切り、俺は早速外出の準備を始める。
鞄は――仕事をしに行くわけじゃないから必要ない。職場を抜け出してしまうから、シグナムには留守番を頼もう。
今日、これからの予定は――と、マルチタスクで同時に物事を整理し身支度が調うと、ふと、机の上に置きっぱなしとなっていたアルバムに視線を落とす。

開かれていたページには、俺、フェイト、なのは、ユーノ、そしてクロノが一緒に写った集合写真が納めてあった。
幼馴染み、と云っても良い連中と共に過ごした日々のこと。
俺は――それに視線を落としながらもアルバムを閉じ、踵を返した。





















「これは、これは。随分と珍しいお客様だ。
 どうぞ寛いでくれたまえ。今、ウーノが飲み物を持ってくるよ。
 エスティマくんはブラックコーヒーが好きなようだが、妹の君は何が好みかね?」

「……紅茶を」

「おお、そうかね。カンヤムのセカンド、とやらが手に入ったのだ。ご賞味あれ。
 管理外世界の代物だが、なかなかに美味しいらしいよ」

「はぁ、どうも」

フェイトに椅子を勧め、一人で喜んでいるスカリエッティ。
何がそんなに楽しいのか不可解だったが、歓迎されているのならば機嫌を損ねないようにしなければならない。
何せ、フェイトがここにきた理由はこの男への頼み事なのだから。

無論、今まで自分たちを苦しめてきた男に助言を求めるのはこの上ない屈辱だし、信じることなど出来るわけもない。
だが、言葉を交わしてその中からヒントとなるものが見付けられたら――と、フェイトはスカリエッティの元に足を運んでいた。

一人上機嫌なスカリエッティは、フェイトを放って鍵盤型のキーボードを叩いている。
踊る指の動きは滑らかで、データを打ち込むこととは別の、無意味な典雅さがあった。
彼はそれで何かの作業を終えたのか、満足げに頷く。

それと同時、彼女の秘書であるウーノが紅茶を持ってきて、中断していた会話が再開された。

「それでどのような目的を抱きここへ足を運んだのかね、お嬢さん。
 これでも私は、君たちに嫌われているという自覚がある。
 であれば、まさか談笑するために足を運ぶなどということはあるまい?」

「……それは」

そこまで云い、フェイトは僅かに口ごもった。
言いづらい、ということは勿論ある。この場は監視されていて、故に言葉を選んでスカリエッティへ問いかけなければならないのだから。
だがしかし、スカリエッティはそんなフェイトの内心を読み切ったように笑う。

「ハハ、そう心配しなくてもよろしい。
 監視している者たちは、今頃、私たちが真面目な話をしていると思っているよ。
 何、これもシルバーカーテンのちょっとした応用さ」

彼の言葉に、フェイトは息を呑む。
そんなことができるのならば、スカリエッティが監視下から逃れることは容易い。今の発言はそれを意味している。
が、スカリエッティはそのつもりはないと笑った。信じてはいけないと思いながらも、フェイトは己の目的を優先するため、心を落ち着かせて口を開く。

「……聞きたいのは、兄さんの身体のこと」

「……ほう? 何故だね?」

「兄さんが六課で部隊長をやっていた理由は、長い戦いでダメージが蓄積したからだって聞いてる。
 それなのに兄さんは最終決戦で魔力が切れるほどまで戦い続けて……どれだけのダメージが貯まっているのか――」

「ああ、違う違う。私が聞いたのはそういう意味ではない。
 何故、君がそんなことを聞くのかと問うているんだ。
 身内故に彼が心配? ああ、なるほど。筋は通っていないようで通っている。
 血とは鎖。それがなくとも家族とはなれるものだが、ああしかし、やはり生まれに引きずられるのは人の性とも云える。
 だが不思議だな。エスティマくんがそれを望んだのかね?
 そんなわけはない。彼が我が身可愛さに私に頭を下げるなど、まず絶対にあり得ないと断言できる。
 であれば、君の独断専行となるが……彼が私の技術で延命することを望むわけもなし。
 そんな彼の心根を無視してまで、何故、君がそんなことを口にするのか。
 ああ、実に興味がある。聞かせて欲しい。
 どうか教えてくれまいか、彼の妹であるお嬢さん。
 兄を慕うあなたが、ある種、他の誰よりも近くにいる君が、どうしてそんなことを口にできるのか。
 その回答をもって、私は君の期待に応えるとしよう。
 何、些細な対価だろう? そう気にすることでもあるまい。
 それとも――私には云えないことなのかね?」

「それは……」

兄のために何かしたいから。理由となるのはそれだが、しかし、下地となった兄への恋慕を口にすることはできない。
相手がスカリエッティということもあるが、この時になって初めて、フェイトは他人に己が胸に秘めている恋慕を口にできないと自覚する。
今まで一度たりとも第三者へ発さなかったこの想い。
エスティマと添い遂げるつもりならばいずれは周りにこの気持ちを伝えなければならないと分かっていたが、いざその時になるとどうしても躊躇してしまう。

そんなフェイトの内面を読み切ったわけではないだろう。
しかしスカリエッティは愉快げに口の端を持ち上げると、値踏みするようにフェイトを眺めた。

「どうしたのかね? 何、簡単なことだ。一言で良い。それで君は望む答えを得られるだろう。
 それとも……口にするのが憚られる理由でもあるのかな?
 気にすることはない。ここにはウーノを含めて三人だけ。約束しよう、君が口にしたことを、私は一語一区、口外しないと。
 ……それでもまだ、口にはできないのかね?
 ああ、駄目だ。それはいけない。興味が増してしまうよ。
 美人がそんな悲痛な表情をするものではない」

「……ドクター」

遊びが過ぎます、とウーノが声を発する。
スカリエッティは含み笑いを続けながらも、失礼、と頭を振って再び金色の瞳をフェイトへ向けた。

蛇に睨まれた蛙、という表現がしっくりくるようにフェイトは動きを止めてしまう。
ともすれば、呼吸を忘れ去ってしまいそうなほどに。
人の内面を土足で踏み荒らそうとする金色の瞳からは、嫌悪感しか抱かない。
これはエスティマも嫌うわけだ。こんな人間を好む者がいるとするならば、頭のネジが弾け飛んだ奴か、人を人と思わない人非人ぐらいだろう。
そんなことをフェイトは思う。思いながら、エスティマへと抱いた恋慕を口にするかどうか迷っていた。
こんな人間に――と。それもある。
だがやはり、他人に知られて、というのも大きい。

今更になってフェイトはエスティマが怯えていたことを理解する。
他人が自分から離れてしまうのでは、というのは勿論、常識から外れた気持ちを口にするというのは酷く勇気が必要だった。

……けれど――何かしたい、って思ったんだ。
エスティマのために。やっぱり良い案なんか一つも浮かばなくて、エスティマに知られればまず間違いなく怒られるような手段しか思い浮かばなかったけれど。
それでも、誰もが躊躇う、誰にもできないことをやり遂げたかった。
その一念でこの場所へ足を運んだことに間違いはない。
だからあとはこの恋慕をスカリエッティへ教えるだけ。嘲笑されるだろうとは分かっているけれど、それを乗り越えて――

フェイトは口元を引き結び、金色の瞳を真っ直ぐに見据える。
スカリエッティはフェイトの心根が定まったことを理解したのか、猫のように目を細めた。

そして――フェイトは弱々しい吐息を吐き出し、何故自分がスカリエッティに助言を求めようとしたのか答えようとする。
……答えようとした、その時だった。

部屋の入り口である自動ドアが軽い音を立てて開き、その奥から一人の男が断りなしに踏み込んでくる。
その姿を見間違う者はここにいない。エスティマ・スクライア。彼は表情に微かな怒りを浮かべて、黙ったまま歩みを進める。

そしてスカリエッティ、ウーノ、そしてフェイトの三人がいるところまでくると、スカリエッティに視線を向け、怒りを浮かべた緋色の瞳を細める。

「久し振りだな、スカリエッティ」

「ああ、久し振り、エスティマくん。
 どうかね、君も一杯。妹さんを肴にくつろいでいたところさ」

「……お前、また殴られたいのか?」

「それは勘弁願いたい。君に殴られた頬が直るまで、地味に時間がかかったのだよ?
 それに痛かったのも事実。生憎と、傷付いて喜ぶような性癖は持ち合わせて――」

「帰るぞ、フェイト」

「待ちたまえ! 私の話を最後まで聞いて欲しい!」

「じゃあな」

腕を掴んで強引にフェイトを立たせると、そのままエスティマはスカリエッティの部屋を後にした。
背後で何やら言葉が聞こえてきても、エスティマは完全無視だ。聞く耳持たない、を地でやっている。

フェイトはそんなエスティマに、ただ腕を引かれているだけだった。
いきなりの登場に呆然とし、次に抱いたのは後悔だ。
……私、何をやっているんだろう。

与えられるばかりは嫌だと思って、自分で行動を起こしたのに、結局傷付く前に彼が助けにきてくれた。
これじゃ、今までと同じだ。何も変わっていない。結局自分は彼の荷物でしかない。

どうして、私は――

そう彼女が思うと、不意にエスティマが足を止める。
別に何があったわけでもない。ただ、スカリエッティの部屋から遠ざかったからだろう。

エスティマは掴んでいたフェイトの腕を放し、そのまま振り返って目と目を合わせてくる。
向けられた瞳を真っ向から見返すことはできない――が、逸らすことを許さないと云われているようで、おずおずとフェイトは視線を合わせた。

交錯する、四つの緋色の瞳。どちらもまったく同じ造形。ただ違うのは、内に宿っている意思の光か。
エスティマに浮かんでいるものは燻った怒りだ。どうして、と語らずとも彼の言葉が伝わってくるかのよう。

「……ごめん、なさい」

それを見続けることができず、フェイトは謝罪の言葉を零した。
声は弱々しく、悪いことをした自覚があると、エスティマへ伝える。
が、それを受けてもエスティマは瞳にたたえた怒りの色を消さない。

しかし、

「……私、兄さんのために何かしたかったの」

「何を……」

フェイトの呟きに、エスティマの表情が目に見えて歪んだ。
だからというわけではないが、フェイトは先を続ける。

「私、昔から兄さんに守られてばかりで……最近になって力になれたと思ったけど、やっぱり駄目だった。
 困らせてばかりで……けど、それだけじゃ嫌だから。兄さんのことが好きだから、何かしたくて、私……!」

「……それとスカリエッティがどう関係あるんだよ」

「……兄さんの身体、ずっと戦い続けてボロボロだって思って。
 だから、プロジェクトFに詳しくて――」

「……俺の身体を良く知っているスカリエッティに助力を求めた、か」

「……ごめんなさい」

「なんで謝るんだ。
 ……悪いと思っているなら、なんでそもそもこんなことをしようと思ったんだ、フェイト」

問いかけられ、フェイトは痛みを堪えるように目を瞑った。
口に出したくない、とは思いながらも、

「……他の誰にもできないことを、したかったから」

ぽつり、と呟く。

「私、他の誰よりも兄さんの特別になりたかったの……!」

それが、フェイトの本音と云えば本音だった。
彼のために何かをしたい。確かにそれは間違いではないし嘘ではなかった。
が、フェイトが本当に望むものはそれ。

他の誰にもできないことをして、彼に喜んで欲しかった。褒めて欲しかった。
そのためだったらどんな屈辱だろうと、敵に頭を下げてでも――否、誰にもできないことをしたかった。
ただ当たり前のように与えられるものではなく、何か、代償や努力、そういったものが必要となる行為をすることで、彼の心を自分に引き留めておきたかった。

無様と云えば無様だろう。幼いと云えば幼い。
だが、これしか――今まで守って貰う側であったフェイトが、もう大丈夫と、あなたの隣に立てるから、と証明するための手段として選んだ事柄だった。

「けど私、結局は駄目で……なんで、なんでこんなタイミングできたの?
 勇気を出して、もう少しで、考え抜いた答えを手にすることができたのに。
 誰にも真似できないこと、ようやく出来ると思ったのに……!
 どうして!? 兄さん、私のことが嫌いなの!?
 そうじゃないなら、邪魔なんてしないでよ!」

フェイトの言葉に、エスティマは苦々しく口元を歪めた。

フェイトがどんなつもりでスカリエッティの元にきたのか、彼は知らない。
ただ嫌な予感がしたために乱入して、フェイトを強引に連れ出したに過ぎない。
故にこれがただの逆ギレであることも、フェイトは分かっている。

しかし――今の一幕が、やはり自分は兄に守られていることしかできないと云われてしまったようで、我慢ができなかった。





















息を荒げ、肩を上下させているフェイト。
目には涙すら浮かんでいるその姿を見て、俺は――場違いだと分かっていながらも、苦笑してしまった。
悪いと分かっていながらも、それを止めることはできない。

直前まで感じていた憤り――とは云ってもスカリエッティに抱いていた感情の八つ当たりみたいなもの――は霧散して、ただ困ってしまう。

「……馬鹿だなぁ、フェイトは」

「な、馬鹿って……」

憤りを色濃くしながらも目に浮かぶ涙はより多く。
怒り泣き、といった具合の彼女へ俺は一歩踏み出して、手を持ち上げた。
紅潮した頬に手を添え、そのまま指で涙を拭う。
瞬間、フェイトは戸惑ったように目を白黒させた。まぁ、当たり前だろう。

「……本当に馬鹿だよ。
 そんなことしなくたって、お前は俺の特別だってのに」

「……兄さんが云ってる特別と、私の望んだ特別は違うよ」

「分かってる。けど、俺にとってはそうなんだ。
 お前が女の子として見て欲しいんだとしても、俺にはできない。無理なんだよ。
 フェイトは妹であり、一人の女。……どちらか片方から目を逸らすことなんて、できるわけがない」

……口に出した言葉は、今までずっと考えていた事柄の答えだった。
どちらか片方として彼女を見なければならない。しかしその選択は、切り捨てた瞬間に何かが潰える取捨選択。
だが、俺は結局どちらも選ぶことができなかった。
どうしょうもない本音として、俺はどちらのフェイトも手放したくないんだ。

「じゃあ……」

怯えるように、頬に当てられた手へ自分の掌を重ねて、フェイトは涙に濡れた瞳を向けたきた。
浮かび上がった疑問。それを口にするのを躊躇うように、しかし、それでも彼女は問いかけてくる。

「……私は、兄さんに女の子として見てもらえないの?」

「……そうじゃないんだ。
 妹として。そして女の子として。両方を重ねてしか、俺はフェイトを見ることができない」

「……難しいよ」

「俺もそう思う」

「……なんで。
 どうして、もっと単純になってくれないの……っ」

「……俺も、そう思う」

重ねた手をそのままに、そっと、俺はフェイトの背へと腕を回した。
フェイトは微かに息を呑み、重ねた手は指を絡め、噛み合うように俺たちは身体を重ねる。
抱擁を行ったとしても、お互いがお互いに抱く感情はやはり交差しないだろう。
ボタンの掛け違いのように些細なズレ、それは絶対的な価値観の相違。

その溝は小さく、しかし深い。
どのような理屈を投じても埋まらない感情という奈落は、穴が空いたままの空虚さが存在している。

「……フェイト」

「……何?」

「シグナムには悪いけど、しばらく、一緒に暮らそうか」

「それ、って――」

「……期待には応えられない。兄妹の枠を越えた、恋人らしいことは絶対にしない。
 それでも、誰よりも近くにフェイトを置くよ。お前が飽きるまで、ずっと」

「……兄さん、馬鹿だよ。そんなことをされて飽きるわけないじゃない。
 そんなことをされて――どう我慢しろって云うの?
 私はずっと、今みたいに抱きしめてもらいたかった。これより先のことだって、したいと思ってるよ?」

「それでも我慢してもらう。これが俺のできる最大限の譲歩だ。
 ……やっぱり駄目なんだ。お前と、俺を取り巻くすべてを天秤にかけることはできなかった。
 ごめんな、優柔不断で」

「……馬鹿。本当の本当に、馬鹿なんだから」

云いながら、フェイトは俺の背に回す手をより一層強めた。
抱き合っているため、お互いがどんな表情をしているのかは分からない。
ただ、困り果てたような溜息が、耳朶を撫でた。

「……けど、そんな兄さんだから私は救われて、好きになったんだもの。
 だから、付き合うよ。大好きな兄さんがそれを望むなら。
 絶対、後悔させてあげる。そっちから襲わせて欲しいって云わせるんだから」

「そうならないよう、努力するよ」

云いながら、俺はフェイトを抱きしめていた腕から力を抜いた。
そして妹である彼女から一歩距離を取って……だが、絡めた指はそのままに。

やはりフェイトの頬には涙が伝った跡が残っている。
しかし表情そのものは笑みに変わっていて、ようやく、久し振りにフェイトの笑顔を見れた気がした。

「帰ろうか」

「うん」

小さくフェイトは頷くと、俺と歩幅を合わせて――俺からも歩幅を合わせて、ちぐはぐな距離感を取りつつ、二人でそれを笑う。
そうして、曲がり角を過ぎ去り――

出会い頭に顔が会った第三者、顔も知らぬどこかの誰かと目が合った。
瞬間、彼は訝しげな顔をする。
当たり前だろう。同じ顔をした者――おそらくは兄妹が、まるで恋人同士のように指を絡めて歩んでいるのだから。

……その視線を受けて。

エスティマとフェイトは、どちらともなく、絡めた指を解いた。




















開いていたウィンドウを閉じ、ついさっきまで会話していた少女の心情を考えながら、どうしたものか、とユーノは溜息を吐いた。
そして腰掛けていた椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げる。

薄暗い部屋の中、視線の先にある壁紙は中途半端な色彩となっていた。

「……まさかこんなことになるとはね」

思いも寄らない事態に――否、本当にそうだっただろうか。
考えてみれば、フェイトがエスティマへと向ける兄弟愛はずっと紙一重であったような気もした。
ブラコンの一言で今まで片付けてはきたものの、片鱗はあったということだろうか。

が、それも今になったからこそ云えること。
もし気付いていればそれとなく言葉で誘導し、エスティマをただの兄としてと見続けるように矯正できたし、していただろう。

……本当に、どうして。

自分の抱く感情が嘆きなのか憤りなのか分からない。
そしてまた、どうして良いのかも分からない。
否、分からなくもなかったが――

「……ユーノ」

ふと、背後から声をかけられる。
そこにいたのはアルフだ。
彼女から予めフェイトの抱く恋慕の感情を聞いていなければ、少女――シグナムからの通信を冗談だと切り捨てていただろう。
アルフの言葉だからこそユーノは信じた。エスティマやフェイトとは別種の感情を彼女に向けていて、信頼とは別の絆が二人の間にはある。
だから、荒唐無稽を通り越して、人によっては悪夢とすら云える現実を嫌々ながらも認めたのだ。

アルフが口を開く。
彼女が伝えてくるのは、今し方エスティマとフェイトが決めた取り敢えずの指針だ。
精神リンクで主人と繋がっているアルフを介せば、二人が行ってることは筒抜けとも云える。

それを耳にして、ユーノは一つの決意を胸に抱いた。

……いつものこと、かな。

エスティマはエスティマらしい妥協点を考え出したし、フェイトもフェイトで一応の落ち着きを取り戻したようだ。
一連の騒動、感情の動き、決着の付け方は、二人をずっと見てきたユーノからすれば、実に二人らしいと云える。

だから――僕も、と。

困った弟妹を持ったもんだ、と苦笑して、すぐに表情から色が失せる。

……冗談で済ますことなど、できるわけがなかった。










[7038] フェイトEND
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/03/26 23:15

誰かに声をかけられたような気がして――瞬間、微かな明かりが瞼を通して伝わってくる。
何が、と思うよりも早く、俺の意識を浮上させた声が再び囁かれた。

「兄さん、朝だよ」

「……ああ、おはよう」

呟きつつ目をこすり、寝ぼけ眼を声がした方へと向ける。
そこにいたのはフェイトだ。どうして、とは思わない。
数日前に俺が口にした約束。一緒に暮らそうという言葉を受けて、フェイトは俺の家で生活を始めた。
そんな彼女が、俺の家で役目としているのは――

「おはよ。朝食はトーストで良かったかな?」

「うん、大丈夫だ」

俺の言葉に、うん、と頷くフェイト。
朝食の準備を行った彼女は、俺よりもずっと先に起きたのか。
既に表情からは眠気が感じられず、夢うつつ状態な俺に苦笑する。

彼女は黒いエプロンを着けている。キッチンからそのまま俺の部屋へときたのだろう。
その格好から分かるとおり、俺の家へと彼女がきてから朝食の準備は――というか、家事はフェイトの役目となっていた。
別にやらなくても良いし、もしやるのだとしても当番制でかまわないと云ったものの、彼女が強く希望したのでそうなっている。

初日はまだ気にしていたものの、俺自身、ここ数日で慣れてしまったのか。
目覚まし時計よりもフェイトに起こされることが当たり前となりつつある日常に、思わず苦笑した。

一足先に俺の部屋を出たフェイトを追って、俺は裸足のままぺたぺたとフローリングを歩く。
シグナムは既に起き出していて、パジャマ姿で食卓へとついていた。

「おはようございます、父上」

「おはよう」

言葉少なく席について、早速、並べられた朝食に手を付ける。
そんな俺を見ながら、フェイトも同じように食事を始めた。
言葉少なく三人で黙々と食べる状況。だが別に、雰囲気が悪いわけじゃない。
シグナムと二人っきりだとしても普段からこの調子だ。朝から会話に華を咲かせても、出勤時間までそう余裕がないのだから仕方がない。

ごちそうさま、と平らげて、再び自室に。
ハンガーにかけてあった制服、スラックスとシャツ、最後にネクタイを締め、上着と鞄を脇に抱えながら部屋を後にした。
次に目指すのは洗面所。顔を洗って、歯を磨き、寝癖を直すのもかねて整髪料で髪を整える。
仕事柄、あまり髪型を派手にはできないのがネックと云えばネック。それでも手を入れないのは我慢がならないので、形を作り、納得いったところで手入れを終えた。

べたつく手を洗って、さあ行くか、と洗面所を後にする。
どうやらシグナムは自室で準備を終えたらしく、既に玄関先で待っていた。

待たせちゃ悪い、と上着に袖を通してボタンを締め――

「あ、待って、兄さん」

「ん?」

「ネクタイ、微妙に曲がってるかも。
 直すからじっとしてて」

「別にそんな神経質にならなくても良いよ。
 曲がってるなら曲がってるで、歩いてる最中に直すさ」

「駄目」

そんな風に却下しつつも、楽しそうにフェイトは俺の首もとへ手を伸ばす。
玉になっている部分の形を整えて、首を傾げながらネクタイを締める。
そうして満足いったのか、よし、と頷いた。

「できたよ。いってらっしゃい」

「いってきます」

手を挙げて踵を返すと、シグナムと合流して俺は歩き出した。
廊下を歩いてエレベーターを降り、マンション前に通っている道をゆっくり進む。

そうしていると、思い出したようにシグナムが口を開いた。

「……そういえば叔母上、今日はお弁当を作らなかったのでしょうか」

「……ああ、そういえば」

シグナムに云われ、思い出す。
今までは職場の食堂を使っていたが、フェイトが俺の家で生活するようになってからは弁当だ。
そんな習慣が今までなかったため、云われなければすぐに忘れてしまう。
が、それも慣れれば当たり前のように思ってしまうのだろうか。

「もし作って頂いたのなら申し訳ないですね。
 念話で聞いて、あるようならば取りに行きますか?」

「……いや、今から戻ったら電車に間に合わない。
 魔法を使えば余裕だろうけど、事件も起こってないのに街中で使うわけにもいかないからな。
 変に警戒させちゃ悪いし」

「ですね……っと、どうやら叔母上も渡すのを忘れていたらしいです。
 困りましたね。んー、叔母上には悪いですが、夕食に頂くことにしますか?」

早速念話をフェイトに送ったのだろう。
シグナムはやや困った顔をしながら、俺に聞いてきた。

「そうだな」

頷きと共にそう云って、俺たちは緩んでいた足並みを再び早めた。とは云っても、普段の歩調に。

「それにしても、驚きました」

「何がだ?」

「何をするかと思えば、同棲とは」

「……悪かったよ。窮屈な思いをさせているのは謝るさ」

「いえ、そうではありません。
 叔母上が家にいてくれるのは、私だって嫌ではありませんから。
 それはともかく……共に暮らす、というのが父上の答えなのですか?」

「……ああ。とは云っても、あくまで兄妹として、だけどな」

「何故そうした答えに至ったのか、聞いてもよろしいですか?」

遠慮がちに放たれた言葉に、俺は頷きを返す。
なんだかんだでシグナムを巻き込んでのことだ。蚊帳の外にして事情を何も話さないというわけにはいかないだろう。
が、声に出してそれを云うのは憚られるので、俺は会話を念話に切り替えた。

『フェイトは俺を兄ではなく、一人の男として見ている。兄さん、って呼び名は今まで通りだけどな。
 そんな彼女からしたら今の状況はもどかしいって分かってる。
 けど俺は、フェイトを一人の女として見ることができないんだ。
 ……少し、違うか。女として見ることができても、同時に、妹として見てしまう。
 だから、完全に一人の女性として見ることができない』

『……分からなくもありません』

相槌を打たれ、俺は頭の中、否、感情を整理しながら、それをゆっくりと言葉にする。

『妹として見れば、フェイトの気持ちに応えられない。
 女として見れば、お前を含めた皆に申し訳がない。だって馬鹿げてるだろう? 自分の妹を恋愛対象として見るだなんて。
 俺がそう思っていなくても、他人は違うからな。どうしても厳しい視線を受けることになる。しかもそれは俺だけじゃない。
 ……どっちも嫌なんだ。
 フェイトを悲しませたくないと思う一方で、皆に嫌な思いをさせたくないとも』

『だから妥協点として、叔母上の欲求を満たしつつ、一線を越えないように、と?』

『そうだ。……それだって、フェイトの望みを完全に叶えてるわけじゃないけどな。
 時間稼ぎでしかないのは分かっているよ。
 けど、それ以外に方法が思い付かなかった。
 極論の二択なんてすぐに選べるわけがないだろ』

『……では、今は?』

問いかけ、シグナムは歩みを止める。
どうしたのかと見て見れば、彼女は真摯な瞳を俺に向けて、じっと、答えを待っているように立ち尽くしていた。

『父上がすぐに答えを出せなかったのは分かりました。
 では、今は? 妥協点を探り当てて、そう時間は経ってないとは云え、考えるだけの余裕はあったと思います。
 今の父上は、どちらを選びたいのですか?』

云われ、俺は思わずシグナムから視線を逸らしてしまった。
先延ばしにした回答。それは一体、どういう形になったのか。

……恥ずかしい限りだが、俺はまだそれに至っていない。

皆が幸せに、など幻想だ。その言葉を自分自身で口にしたのだとしても、やはり諦めることなどできない。
だからと云って取捨選択をしなければ先に進むことはできず、答えはいつまで経っても出ないだろう。

……日だまりが永遠に続けば良いと思っていた。
勝ち取った日々が終わって欲しくない。いつまでも夢の中で微睡んでいたい。
いつか終わると、分かっていても。

ただの幻想でしかないその理屈。
戦っている最中はその目標に迫るため走り続け、今は辿り着いた日だまりで止まっていたい。
己の核とも云えるその信念に、俺は未練たらしく縋り付いている。

分かっている。俺が大切にしているものは、壊れかけの玩具だ。
何か一つの答えを出せば、瞬間、砕け散ってしまうほど儚く脆い。

その引き金を――自分自身で弾く勇気が、まだ俺にはない。

そう思った瞬間、ああ、と気付く。
妥協点として探り出した今の状況。
だがそれは――忌々しくて誰にだって云いたくないけれど、きっと、それは。

……俺が、皆よりもフェイトを選びたいと思う瞬間までの助走距離だ。
ならば最初から俺がフェイトに抱いていた感情など、たった一つだったのだろう。
やっぱり未練が――こうしてシグナムと共にいる日々、職場に出向いて仕事をして――この毎日を続けたいと思っているから、やっぱり口には出せないけれど。

『……まだ、答えは出てないよ』

自分の気持ちに気付きながらも、俺はシグナムにそう嘯く。
そんな俺の胸中を知ってか知らずか、そうですか、と彼女は頷き、止まっていた歩みを再開した。

『……父上』

『……なんだ』

『……前にも云ったことを、再び。
 父上がそう思ってくれているように、私も、父上を一人にはしません。
 ……一人には、しませんから』

『シグナム?』

言葉の調子に、何か決意のようなものが滲んでいた気がして、思わず彼女の名を呼んだ。
しかしシグナムは返事を寄越さず、ただ黙々と足を動かす。

そんな彼女から言葉の意味を問い質すことなどできず、俺は、小さく溜息を吐いた。

















リリカル in wonder

   ―After―














エスティマとシグナムを送り届けたあと、フェイトはよしと頷いて家事を開始した。
とは云っても、三人暮らしの家だ。朝食に使った食器や、そう多くはない洗濯物などすぐに終わってしまう。
家事に一区切りをつけて時計を見れば、時刻は九時を少しすぎたぐらいだった。
今頃、彼とシグナムは地上本部に着いているのかな。そんなことを考える。

これからすることを考えて、フェイトは少し困ってしまった。
掃除はこの家にきてから毎日している。初日こそ気合いを入れて掃除をする必要があったものの、掃除を欠かしてない今、無理をして綺麗にする場所などそう多くはない。
無論、毎日掃除をすることに意味はあるだろうけれど。

吐息を一つ、フェイトはリビングの椅子へと腰を下ろした。
二人がいなくなってしまった今、この家にいるのは自分だけ。
朝食を囲んでいた影はなくなり、部屋の中は静まりかえっている。

そういった状況になる度、フェイトは言葉にできない焦燥感を抱いた。
自分に何か、できることはないだろうか。

管理局員ではない以上、エスティマの仕事を手伝うことはできない。
嘱託魔導師ではあるけれど、フェイトの手が必要になるほどミッドチルダは危険な状態でもなし。
地上本部から見れば必要と云えば必要だろうが、しかし、それはエスティマが必要としているわけではない。

彼女が手持ち無沙汰となっているのは、することがないからではなく、彼のために出来ることが分からないからだった。

シグナムはいるもののエスティマとの同棲が始まって、しかし、二人の関係が進展したわけではない。
エスティマが云っていたように、これはその場しのぎの時間稼ぎ。

フェイトが飽きるまで、とエスティマは云った。
しかしフェイトにその気は微塵もなく、彼に出来ることはないか、と考えていることが、彼女の恋慕がより一層強くなっていることを示しているだろう。

……この時間稼ぎは、果たして誰のものだろう。
フェイトは既にエスティマへ気持ちを伝えている。この恋慕が揺らぐことはない、と思う。
人の心は移ろいやすい。未来に絶対はない。だからもしかしたらこの感情が薄れてしまうことだって、あるのかもしれない。
だが、今のフェイトは真っ向からその常識を否定したい気分だった。
何があったって、私は――と。

エスティマへ云ったように、彼が自分を選んでくれるその時まで待つ気がある。
故にフェイトにとってこの同棲生活は嬉しい反面、酷くもどかしかった。

すぐ近くにエスティマがいるのに、触れ合うことは一切ない。
恋人らしいことは何一つとしてやらず、一緒に住んでいるというだけで、距離感そのものは兄妹だ。

エスティマの側にいたいとフェイトは願ったし、彼に縋った。
けれど、この状況はフェイトが満足できるものなんかじゃない。

フェイトがエスティマに望むものは兄妹ではなく恋人。
欲しいものは兄妹愛ではなく異性に向ける愛情。
抱擁は軽いものではなく、お互いが混ざり合ってしまいそうな強いものを。

……分かってる。それは、間違いなんだって。

普通の兄妹なんかじゃない。普通の兄妹ならばまず抱かない感情を、フェイトは抱いてしまっている。
自分が抱く感情を、兄も抱いて欲しい。そんな身勝手な願いは酷だ。

だがそれを分かっていても尚、フェイトはエスティマに抱きしめて貰いたい。
自分だけを見て欲しい。特別な女の子だと思って欲しい。
他の誰よりも価値があって、何よりも大切なのだと愛を囁いて貰いたい。

……間違いなのだと、分かっていても。

そんな風にエスティマのことを考えていたせいだろうか。
ずっとフェイトの胸に宿っている、エスティマと共にいたいという欲求がじわじわと広がり出す。
それを押さえつけることは叶わない。ただでさえ彼に向ける感情は強烈で、今の生活が始まってから常に燻っているようなものだから。

けれど、とも思う。
局員でもない自分が地上本部に顔を出しても迷惑なだけだろう。それが分かるだけの分別は――

「……あ」

ふと、テーブルの上に並べられている包みに目が向いた。
中に入っているのはエスティマとシグナムの弁当だ。中身は特に凝ったわけではないものの、冷凍食品は一切使っていない手作り。
忘れられてしまって少し悲しかったけれど――

「……届けても、別におかしくないよね?」

呟き、誰かから肯定の意が返ってきたわけではないが、フェイトは立ち上がるとエプロンを外して、身支度を整えるために準備を始める。
家事をしやすい格好ではなく、少しだけ気合いを入れて。けれど下品にならないよう、気合いを入れてると気付かれないよう、化粧は薄めに。

「よし」

準備を終えたフェイトは、トートバッグに弁当箱を詰め込んで家を出る。
エスティマから渡された鍵を閉めて、それを大事にポケットに入れて、浮ついた調子で歩き出した。

喜んでくれるかな。もしかしたら困ってしまうかもしまうかもしれない。
怒りはしないだろうけれど、照れ隠しに小言は云われるかも。
急に行ったら迷惑かもしれない――ううん、急に行って驚かせてみよう。

そんな風にエスティマの反応を考えるだけでも、フェイトにとってはそれだけで楽しかった。





















午前中に行った仕事は、難易度で云えばそう難しくもないものだった。
クラナガン、廃棄都市付近で起こった火災の救援。災害救助部隊が辿り着くまでやや時間がかかるということで、手の空いていた俺たちが急行することとなった。
シグナムがアギトと協力して発生した火災を抑え、俺が建物の中に突入して逃げ遅れた人々を救出。
その役割分担で救助が困難だろうと思われた人々を助け出した頃に部隊が到着し、一件落着。
建物は使い物にならなくなったものの、人的損害はほぼゼロだ。喜んで良いことだろう。

この事件が放火か否か――を調べようとしたら現地の部隊にお帰り願われたので、俺とシグナムはやや早め、十一時頃に地上本部へ帰ってくることになった。
これも縄張り争い意識かねぇ。

「早く上がれたと思えば、まぁ、良いだろう」

「それもそうか」

「腹立たしくはありますが、まぁ、良いでしょう」

未だに納得のいってないシグナムに、俺とフィアットさんは笑う。

そう。もともと協力的な姿勢を見せていたこの人は、結社との最終決戦を境に管理局の仕事へ駆り出されることが稀にあった。
そしてどんな偶然か火災現場へ呼び出しを受けたようだ。
久々とは云わないまでも、彼女と顔を合わせるのは一週間ぶりぐらいか。
お互いに六課が解散して次の配属先が決まるまで、とのことでバタバタしていたため、前のように毎日会っているわけではない。
そもそも普段の彼女は海上収容施設にいるのだ。こっちから出向かなければ会う機会すら少ないのだけれど。

だから、というわけではないが、フィアットさんと一緒に昼食を取ることになり、三人で地上本部の食堂へときている。
配膳台で俺は日替わり定食、彼女はパスタ、シグナムは丼ものを。俺とシグナム、食べるの逆じゃないだろうか普通は。

ともあれ、料理を受け取った俺たちは適当な席を見付けると腰を下ろす。
俺とフィアットさんは対面。シグナムは隣に。

「フィアットさん、最近はどうしていますか?
 更正プログラムも一足先に終わったし、もう現場に出てもおかしくはないでしょう?」

「日替わり定食、と云ったところだ。
 ほぼ毎日違う部隊に借り出されてる状態だよ。
 おそらく、どの部隊に私が合っているのか計りかねているだろう。
 保持しているISも物騒だからな、私は」

「そうですか。俺も似たようなもんですよ。
 まぁフィアットさん……というか戦闘機人は魔力ランクがないのが強みみたいなものですからね。
 魔力や練度の低い部隊に突っ込まれるようなことは早々ないでしょう。
 あるとしたら、そこそこ強い部隊の補強、ってところじゃないですか?」

「そうか。そう云ってもらえると、少しは安心できる。
 ……私としては、お前のいる部隊に入りたいとも思っているが」

云いつつ、どこか悪戯めいた視線をフィアットさんは流してくる。
それにどんな反応をして良いのか分からなくて、俺は苦笑するしかなかった。

「引っ張れるなら引っ張りたい、とは思っています。
 戦闘機人の裁判担当、ってことで強権発動できることはできますけど……ちょっと強引ですからね。
 やるにしても、もう少し落ち着いてからに」

「そうか……」

あらら、と残念そうにフィアットさんは苦笑する。
が、すぐにその表情を打ち消すと、フォークで昼食を突き始めた。
気を遣ってくれたのか、あまり期待はしていなかったのか……いや、考えるまでもないな。
自意識過剰と云われるかもしれないが、そう思うなという方が無理ってもんだ。特に、この人に関しては。

……なんだ、これ。
二股かけてるようなもんじゃないか。
実際は違うと云っても、状況はそれそのもの。
言い逃れをするつもりはないが、だからと云って開き直れるわけでもなし。

居心地の悪さを感じながら、俺は手元の日替わり定食へと視線を落とす。
あんなことを考えたからか、胃があまり元気じゃない。
油物を避けてサラダへフォークを伸ばすと、隣のシグナムに視線を流した。

「シグナムは、気になる配属先とかあるか?」

「私は父上が選んだところならどこでも」

「……嬉しいことは嬉しいんだけどさ」

「駄目だぞ。この男についていくと、ロクなことにならない」

「その心は?」

「そのままだ。無理無茶無謀に付き合わされてはこっちの身が保たないだろう?」

「そういうのはもう卒業したんです」

少し憮然としながら返事をする俺。
対し、フィアットさんは控えめな笑みを浮かべた。

「冗談だ。そう気を悪くするな、エスティマ。
 ……まぁ、今の私はお前の力になれる立場だ。何かあったら呼ぶと良い」

……それはきっと、嘘じゃないんだろう。
いつか交わした約束、彼女を俺が捕まえて罪を償ったら――という代物を、彼女は覚えているのだろうか。
決められた贖罪の時間は短いとも長いとも云えない期間。その間、やはりフィアットさんは――

「しかし、魔力ランク制限に私たちが引っかからないとなると、恐ろしいことになるな。
 残存しているナンバーズが一つの部隊に集まれば……」

「人、それを地獄の軍団と云う。
 まぁその内、新しい制度ができるでしょう。
 量産型の子たちも含めて、戦闘機人は増えすぎましたから」

そうですね、と首肯して俺は止まっていたフォークを進めた。
喋っていたせいで揚げ立てだったフライも冷めてしまっている。
これ以上食べながら喋るのもなんだし、先に片付けてしまおう。

そう思い、フォークで一気に昼食を片す。
味わって食べるほどのものじゃない、ってのは流石に作ってくれた人に失礼かもしれないが、味を確かめることもせず俺は手を進めた。

そうしてトレーとにらめっこをすること数分、ふと顔を上げ――視界の隅、食堂の入り口に、見知った影を見付けた。
見間違えるわけがない。腰にも届く長い金髪なんて、そうそうお目にかかれるものじゃないから。

けど、どうしてこんな所に?

『フェイト、どうした?』

『あっ、その……ちょっとクラナガンに用事があって、立ち寄ったの』

返ってきた念話には、気のせいか元気がなかった。
何かあったのだろうか。朝家を出たときは変なところはないと思ったけれど。

そんな疑問を抱きつつ、俺は続けてフェイトへと念話を送る。

『……あんまり口うるさくは云わないけど、関係者以外が入っちゃまずいんだぞ、ここ。
 まぁ、フェイトは嘱託魔導師でもあるけど……』

『ごめん、すぐ帰るから』

『ああいや、今日ぐらいは良いさ。
 一緒に飯、もしもう食べてるなら、お茶でも飲んでいけば良い』

フェイトの声が沈んでいることが気になって、ついついそんなことを云ってしまう。
俺も大概甘いな。そんな風に自嘲して。

『……それじゃあ、お邪魔するね』

『そんなに畏まらなくても良いだろ。
 ほら、早くこいよ』

『……うん』

遠目にフェイトが頷いたのが見えたが、やはり、彼女の声は沈んだままだった。
一体どうして、と考え――ああそうか、とようやく気付く。
それもそうだろう。フィアットさんが敵であるという状況は変わったと云っても、今度は……まぁ、俗に言う恋敵という関係になったのだから。
……自分が鈍感だとは分かっていたつもりだったけど、ここまでとは思わなかったよ、本当。

なら、フェイトが気落ちしているのもそれが原因なのだろうか。
俺がフィアットさんと話していて、と。
それは少しぐらいあるかもしれないけれど、少し、フェイトの落ち込みようは過剰な気もする。
妹が繊細だってことは分かっているけど、それでも。

……考えたって駄目だな。フェイトの気持ちを、俺が完全に理解することなんてできないんだ。
だから言葉を交わすしかないし、そうするのが最上と分かってもいるけれど――気まずさが邪魔をして、聞くことなどできるわけがなかった。




















「久し振りだな」

「はい、お久し振りです」

気さくに声をかけてくるチンクに対して、私は笑えているかな。
そんなことを考えつつ笑顔を装って、フェイトは内心では苦々しい思いを感じていた。

ベルカ自治区から出て地上本部にたどり着き、兄が現場から帰ってきていると聞いて食堂にきてみればご覧の有様。
持ってきた弁当は無用の長物と化して、エスティマは戦闘機人のⅤ番と一緒に昼食を食べている。
傍目から見たらその光景は微笑ましくて、長年の付き合いがある異性の友人というだけではなく、見ている者に微かな恋慕を連想させるだろう。

――そんな二人の様子にフェイトが何も思わないわけがない。
怒り、だろうか。無力感かもしれない。喜んでくれたら良いと思って持ってきた弁当が無駄になったという徒労。
嫉妬、だろうか。罪悪感かもしれない。彼女がどんな気持ちを向けていると知っていながらも、同じ気持ちを自分も抱いて。
普段ならばエスティマを独占しているという愉悦がフェイトにはあった。それは隠しようもない事実として存在している。
特別な存在としてではないのが残念ではあるけれど、他の誰よりもエスティマの側にいる。それはフェイトの独占欲を確かに満たしてくれていた。
世間一般には浅ましいと云われるその感情。しかしそこから目を逸らすことはできない。そもそも生まれ出た愉悦すらも、エスティマに抱く恋慕から零れ落ちた感情の一つだから。

そして――そんな風に正と負を合わせて強烈な感情を抱いているからこそ、エスティマが戦闘機人と一緒にいる状況が予想以上にショックだった。
以前まで、エスティマと同棲を始める前までならば、奪い返してやる、なんて見当違いな苛立ちを抱いたのかもしれない。
しかし今は違う。エスティマの側がどれだけ心地良く、ここが自分の居場所だと声を大にして叫びたい――けれど叫べない――からこそ、自分の居場所と定めた場所に他人が入り込んでくる状況へ、フェイトは怯えを覚えていた。

エスティマを信じていないわけではない。何よりもフェイトが大切と云ってくれたことを疑うつもりはない。
何があっても意固地になって約束を守ることが彼の美点でもあり欠点でもあるけれど、信じられるという点では絶対だ。
だから何があってもフェイトとの問題を片付けるまで他の女を見ないとは分かっているけれど――

そう、戦闘機人は他人。血の繋がりも何もない、赤の他人。
だからこそエスティマと恋に落ちる資格がある。自分よりもずっと。

元犯罪者という烙印はあるものの、罪を償ったあとに添い遂げればきっと祝福されるだろう。
けれど自分は、誰からも祝福されない。ややネガティブに考えすぎている気がするものの、その反応が当たり前だとも思う。

……場違い。局員でないことも相まって、今の自分にはそんな表現がしっくりくるような気がした。

「それにしても、どうしたんだ?
 確かお前は嘱託……呼び出されでもしたのか?」

「いえ、近くまで用事があって、そのついでで兄さんに会おうかなって思って」

「そうか。兄妹仲が良いのは悪いことじゃない。
 ……私の妹たちも、もう少し素直になってくれたら嬉しいのだが」

「他の子たちはどうしていますか?」

エスティマから問われると、チンクはフェイトと話していたときとは違い、表情を輝かせた。
露骨にではなく自然に。ああこの人が好きなんだと、薄々勘付かせるような。

「ディエチとウェンディは外に出たいとうずうずしているみたいだな。
 セインはどうだろう。ノーヴェも難しい。
 オットーとディードは、あまり興味がないようだ」

「ウェンディはともかく、ディエチがそうなのは少し意外ですね」

「そうか? 表情は乏しくても、あの子が感情豊かなのは知っているだろう?」

「はい。伊達に更正プログラムの担当をしていませんでしたからね。
 けどそこまで、って。まだ何をしたいのかはっきりしないものだとばかり思ってましたから」

「……そうか。まぁ、そう思われても不思議ではないかもな。
 あの子はあの子でなかなかに人見知りだ。
 身内以外に見せない顔をあるのだろう」

「心を許されてるわけですね、お姉ちゃん」

「当たり前だ。私は姉だぞ?」

得意げに胸を張るチンクに、エスティマは苦笑する。
そこは照れてくださいよ、誇るところだろう、いやぁ少しぐらいの恥じらいは見せても、お前にそんなところを見せてたまるか!

勝手に進む漫才を、苦笑を張り付かせた表情で眺めながら、苦々しい気持ちが大きくなってゆくのをフェイトは自覚した。
二人のやりとりは恋人同士というほどに甘いわけじゃない。それでも、心を許し合った者同士の気さくさがある。
そんな風に私も、と飢えとも乾きとも云えない欠乏をフェイトは覚える。

どんなに近くにいても、周りに見せ付けることができない。
それは十字架、ペナルティとも云うべきものなのかもしれない。

『叔母上』

『……何?』

『こんなことを云うのは酷かもしれませんが、我慢を。
 父上も悪気があってやっているわけではないのです』

『分かってるよ。分かってるけど……辛くないかどうかは、別』

『はい。分かっています』

今見せ付けられているのは、自分が彼から奪おうとしているものの再確認。きっと、それなのだろう。
もし神様がいるのだとしたら、これはきっと、自分の成そうとしている罪から目を逸らすな、ということなのかもしれない。
そしてもし罪悪感に押し潰されそうならば、諦めてしまえと。

……それだけは嫌だ。
兄に恋をした。兄に抱きしめて欲しい。自分だけを見て欲しい。
胸に抱いた感情は、ああ、やっぱり間違いなのだと目の前の光景に、心の底から痛感する。
けれど間違いなのだとしても――間違い、というだけで否定なんかされたくない。

困ったことに諦めの悪さは兄から見て学んでしまったし、すぐ感情を優先させる癖も同じように。
だから、この光景をいずれは踏み越えなければならいのなら、私は目を逸らさない。

彼が抱くであろう痛みの万分の一でも共有して、少しぐらいは背負いたいから。

――そんな風に考え込み、もはや自分の心に嘘を吐かないと決意するフェイト。
彼女を、シグナムはじっと、観察するように眺めていた。





















あまり空気が良いとは云えない昼食が終わって、フェイトやフィアットさんと別れると、俺はシグナムと一緒に仕事へと戻った。
が、午前中に起こった火災事件のような事件がそうそう起こるはずもなく。
戦闘機人関連の事務作業に終始して時間は過ぎ、気付けば就業時間がすぐそこまで迫っていた。

今日の仕事は終わり、と後片付けをして、シグナムと一緒に地上本部を後にする。
フェイトは先に帰って、家で待っているはずだ。
そう思い、昼のことをどう詫びようか、と考える。

……フェイトが目の前にいて、朝、シグナムと言葉を交わして彼女にどんな感情を抱いているのか気付いたというのに、未だ俺は未練たらしくフィアットさんと言葉を交わしていた。
別にそれが悪いというわけでもない。他の女と口を聞いたら、なんてことを云うほどフェイトは地雷女というわけではない……と思いたい。

問題は、俺が彼女との会話を楽しんでいたということだろう。
フェイトはおそらく、それに気付いていただろう。繊細な子だ。だから今、彼女がどんな気持ちで一人になっているのか考えると、俺の気分まで沈んでくる。
現金、だとは思う。フィアットさんが目の前からいなくなれば、次はフェイトのことを考える。
どちらも大事、なんて理屈はこの期に及んで口には出せない。
取捨選択を迫られている立場なら、ちゃんとした答えを出すべきだろうに。

そんなことを考えながら、だからか。
ふらふらと歩いて電車に乗って、普段よりもずっと早くベルカ自治区へと辿り着いた。
駅から出てシグナムと共に家路へ――と、思ったときだ。

改札口を抜けたところに見知った姿があることに気付き、俺は思わず足を止めた。
今の状況で顔を合わすのは避けたかったものの、そんなワガママを云って逃げるわけにもいかない。
それに、こんなところにアイツがいるのは、十中八九俺かフェイトに用事があるから。そして俺が帰ってくるのを待っていたということは、俺に用事があるのだろう。

「……よう、どうした」

「ああ、お帰り、エスティ。
 ちょっと話があってね」

近付き、声をかけるとユーノは背中を預けていた柱から身を離し、顔を上げた。
そして、ちら、とユーノはシグナムに視線を送る。
それを受けたシグナムは、表情を微塵も変えずに頷いた。

「父上、私は先に帰っています」

「……ああ、分かった。
 少し遅くなるってフェイトには伝えておいてくれ」

「分かりました。それでは」

小さく頭を下げて立ち去るシグナムの背後を見送り、彼女の背中が見えなくなると、行こう、とユーノは促してくる。
ユーノに誘われるまま後を追う。繁華街から横に逸れて、住宅地を通り過ぎ、更にユーノは進む。

一体どこまで行くつもりなのか。そんなことを考えながら、何故ユーノがここへきたのかに俺は考えを巡らせた。
云うまでまでもなくフェイトのことだろう。
急なことを云ってフェイトを俺の家で生活させ始めて――もしかしたら、そのことでスクライアに何かあったのかもしれない。
云うまでもなくフェイトはオーバーSランクの魔導師だ。その彼女が抜けてしまえば、スクライアとしては大きな痛手になるだろう。
管理局よりもスケールが小さい分、フェイトが抜けた穴は大きいのかもしれない。
ストライカーとは、木っ端がどれだけ集まっても敵わないからこその名称なのだから。

そんなことを考えていると、ユーノは近くの公園へと入った。
住宅街の中心にあるような小さい場所ではなく、街の外れに存在しているような森林公園。
時刻はもう夜も更け始める頃。そんな時間に公園で時間を過ごそうとする人はそう多くもない。

わざわざこんなところにまできて……どういうつもりだ?
聞かれたくない話をするなら念話だけでも良いだろうに。
そんな疑問を抱きつつ尚もユーノのあとを着いて行くと、ようやく足が止まった。

遊歩道から少し離れたここは、周りを木々に囲まれながらもぽつんと小さな空間が空いている。
子供だったら秘密基地に選びそうだ。つい、そんなことを考えてしまう。

「こんな場所まで連れてきて、どうしたんだ?」

「うん。あまり人には聞かれたくない話がしたかったんだ。
 けど、念話でするのも嫌でね。直接、エスティの口からどんなつもりか聞こうと思って」

「……そうか。
 フェイトのことは、悪いと思ってるよ。
 もしスクライアの方で何か――」

「違うよエスティ」

フェイトのことだろう、と思っていた俺は、遮ったユーノの言葉に眉を持ち上げる。
じゃあ、一体なんの話をするためにこんな場所へ呼び出したんだ?

訝しげな表情をしたのが伝わったのだろう。
木々の合間から差し込む、遠い街灯の明かり。それに浮かび上がったユーノの表情は朧気だ。
しかし、まったく分からないわけじゃない。少し目を凝らしてみれば――ユーノが、燻った怒りを抱いていることに気付く。

「フェイトのこと、ってのは間違いじゃない。
 けど、僕が聞きたいのはそういうことじゃないんだ」

云い、どこか躊躇うように――そう見えたのは俺の錯覚か――息を溜め、

「――今続けてる茶番は何?」

茶番、と言い切ったユーノ。
それが指すところは云うまでもなく、同棲のことだろう。

わざわざ話をするのならば、必然、どういう経緯でフェイトと共に暮らすようになったのかも関係してくるはずだ。
が、何故ユーノがそれを知っているのか分からず、俺は答えに窮してしまった。

それをユーノは悟ったのか、呆れたように溜息を吐く。

「アルフとフェイトは精神リンクで繋がっているんだよ?
 だったら、彼女と僕が知らないわけないじゃないか」

「……覗き見かよ。趣味が悪いぞ」

「エスティほど趣味は悪くないさ」

自分たちだけの問題として起きたかったからか、思わず不機嫌な声が出てしまった。
が、ユーノはそれを軽く受け流す。大した問題ではないとでも云うように。

……落ち着け、と一瞬で吹き上がってきた怒りを押さえつける。もしかしたら羞恥心だったのかもしれない。
他人に自分の都合を覗き見られて、平気な顔を出来る奴がいないように。

「じゃあ最初の問いに戻るよ。
 今続けてる茶番は何? エスティ、分かってるの?
 フェイトと君は兄妹だよ? それも血が繋がった、なんて濃さじゃない。同一人物のクローンだ。
 なんて云うか、常識外れにも程があるよね」

「……云われなくても分かってるよ。
 だから俺は、お前が茶番って云った風にフェイトと一緒に過ごしてる」

「なんで? 常識的に考えて、駄目だって分かってるでしょ?」

「……分かってるよ」

ユーノの一言が、いちいち勘に障る。
分かってる。それは図星だからだ。いずれ誰かに云われると考えてはいたが、いざその時がくると気分が重くなって仕方がない。
動悸は乱れっぱなしで、嫌な汗が出てきそうだ。

それでも俺は言葉を濁すことなく、ユーノへと声を放った。

「けど俺は、フェイトを悲しませたくない。
 あの子が俺を好きと云うなら、その気持ちには応えてやりたかった」

「だから同棲? 馬鹿なの?」

「……なんだよ。今日はやけに一言多いな」

「一言多くもなるよ。
 馬鹿な弟と馬鹿な妹が、お花畑じみた夢見て勝手に突っ走ってるんだから」

……いやに言葉尻の荒い原因は、やっぱりそれか。
分かっているし俺に非があると理解しながらも、やっぱり苛立ちは止められない。
が、それを押さえ込んで、唇を舌で湿らせ、気分を落ち着かせる。

「……お前が云うお花畑は夢に過ぎないって俺も分かってるさ。
 けど、しょうがないだろう?
 それ以外の方法を、俺は思い付かなかった――」

「嘘だね。お花畑に浸っていないのなら、フェイトの気持ちを断れば良かったんだ。
 エスティ、もともと君のお花畑は、皆が仲良く笑ってる状態だろ?
 なのに、それを自分でぶち壊しにして……ああ、お花畑なんてもんじゃないか。
 君が今いるのは閉じた箱庭だ。妥協なんかじゃないよ。毒が蔓延すれば君も染まっちゃうだろ?
 ……それが分かっていながら、なんで。
 目を覚まそうよ、エスティ」

「……目を覚ますってんなら、もう覚めてるさ。
 考え抜いて、今の状態が最上だって思ったんだ。
 俺は、俺を取り巻くすべてを失いたくない。
 ……だから今の状況を引き延ばして、いつか、皆が俺たちのことを認めてくれるまで」

「エスティ、正気? 戦いすぎて頭のネジが吹っ飛んだんじゃないの?」

「だから、頭から否定せずに放っておいてくれれば……!」

「ああ、そう。じゃあエスティが意固地に振る舞えないよう、分かりやすく云ってあげるよ」

駄目だ、と云わんばかりにユーノは頭を振る。

「……八神さんが許すと思う? 君が助けた戦闘機人はどんな気持ちになると思う?
 僕らはどうなるの? 君ら馬鹿兄妹が近親相姦万歳って云うなら止めないけど、その価値観を押し付けられる僕らの立場は?
 それにそもそも、君は執務官でしょ? 階級だって人の上に立つものだ。
 そんなことで仕事を続けて行くことできるわけないよね?」

「……それ、は」

分かってる。分かってたんだ、そんなことぐらい。
ユーノに云われずともしっかり理解していた。

……理解していた、けど。

「ねぇエスティ、もう良いじゃないか。
 どっちが大事かなんて、考えなくても分かるよね? どっちが丸く収まるかも。
 君が望んだ平穏は、引き返せばすぐそこにある。
 だったら、優先するのがどちらかぐらい、分かるよね?」

「そうかもしれないけど、じゃあ、フェイトはどうなるんだよ。
 俺ばっかり日だまりに戻って、フェイトには感情を押し殺せって?
 ……ふざけんなよユーノ、お前そんなこと平気で云える奴じゃないだろ!?」

「ああ、そんなことを気にしてたんだ。
 エスティが云いたくないなら、フェイトには僕の方から云っておくよ。
 罪悪感なんて、どうせ時間が経ったら薄れるじゃない? 思い出すことはあっても、それは一過性。
 どちらを取ったらより幸福になれるかだなんて、火を見るよりも明らかじゃないか」

俺が云った最後の一言を無視して、ユーノは淡々と言葉を紡ぐ。
こいつの云っていることは間違いじゃない。間違いじゃないが――

「そうかもしれない。確かに幸せにはなれるだろうさ。
 けど、その影で誰かが悲しんでいるのだとしたら、俺は幸せになんかなれない」

「……だから、今の状況を維持したいって?
 エスティ、自分で云ってること把握してる? さっきから矛盾ばかりだ。
 誰も悲しませたくない。けど、フェイトを取ったら皆が悲しむ。君がやっていることはそれだよ?」

「だとしても、何か丸く収まる方法があるはずだって俺は信じてる!
 ああそうさ、今の状態じゃ誰からも祝福されないだろうよ、分かってるんだよそれぐらい!
 けど、すぐに答えを出す必要があるわけじゃないだろう?
 時間が経ったら薄れるって云ったよな、ユーノ。
 だったら俺たちのことだって、時間をかければ良いだろう!?」

「……そう。分かったよ。参った、降参だ」

困った風に笑い、ユーノは肩を竦めた。
表情には心底からの苦笑が張り付いて、足下の雑草を踏みしめ、俺へと一歩を踏み出す。

「本当に参った。困ったよ。
 エスティが意固地なのは知っていたけど、ここまでとはね」

「……ユーノ」

穏やかさすらあるその言葉に、俺は変な期待をしてしまう。
もしかしたら、と思って、こちらからも一歩踏み出し――

「――いつまでも八方美人が通るわけないだろ!」

そんな風に甘いことを考えていたから、跳ね上がった右拳に反応することができなかった。
堅く握り込まれた拳が、俺の頬を強かに抉る。
頭が揺れる衝撃と突き抜ける痛みにたたらを踏みながら、俺は目を見開き、ユーノの視線を向けた。

歯が抜けるほどじゃないにしろ、衝撃は強烈で、ユーノの本気を言外に伝えてくれる。
瞬間、怒りを押し込んでいた鍋の蓋が軋みを上げた。それを必死で押さえ込み、歯を噛み鳴らす。

「ユーノ、お前……ッ」

「怒った? まったく、誰にも彼にもいい顔して、あれは嫌だ、これは嫌だ、って。
 その上、持ちかけられた話にも乗らないって?
 馬鹿か君は。
 なんでもかんでも大事大事って、そんな風に自分よりも周りに価値を見出すから、重荷にしかならないんだよ。
 溺れて身動き取れない癖に大丈夫なんて云われても、信じられるわけないだろ!」

「なんだと……?」

「こっちだって良い加減、頭にきてるんだよ!
 仲良くやってた弟がどっかから捨て犬拾ってきて、それに情が湧いてさぁ……。
 なんでもかんでも抱きかかえるから何もできなくなるんだろ、馬鹿野郎!」

一喝と同時に、再びユーノが拳を振るう。
それを左の掌で受け止め、軽快な音が夜の公園に響き渡った。
ユーノの拳を握り締めながら、至近距離で翡翠の瞳を睨み返す。

「大事にして何が悪いってんだよ……!」

「加減を知れって云ってるんだよ僕は!」

叫び、再びユーノは腕を振ってくる。
今度は左。頭を傾げてそれを避けると、苛立ちを乗せて俺は頭突きをお見舞いする。
が、思った以上にユーノは石頭で、やったこっちが痛くなる始末だ。
視界を明滅させながら、俺はユーノの胸ぐらを掴み上げて右腕を振り上げる。
対し、ユーノも同じように俺の胸ぐらを掴んできた。

「人のやり方にケチつけんなよ、この野郎!」

「それに付き合わされる立場にもなってみろよ、この野郎!」

叫びと同時に、お互いの拳が頬を抉った。
クロスカウンターなんて綺麗なもんじゃない。力任せにぶん回された腕が激突して、目先に火花が散る。

それで掴んでいた胸元を離してしまうが――

上等、とばかりに俺たちは歯を剥いた。

型も何もない、泥試合じみが殴り合いが始まる。
お互いに避けるよりも先に殴ろうと気が急いて、手加減なんか一切ない殴り合い。

拳が当たれば骨の歪む感触が返ってくる。が、お返しとばかりに叩き付けられた蹴りでアバラが軋んだ。
痛みが蓄積してゆく毎に、お互いが溜め込んでいた何かがぐつぐつと沸き立ってゆく。
それを理解しながらも尚、俺とユーノは手を止めようとは思わなかった。

「大体、君は、事ある毎に厄介事を背負い込んで、僕にそれを手伝わせてばかりで……!」

「悪ぃとは思ってたよ! その代わり、どれも丸く収めてきただろうが!」

「そういう問題じゃないんだよ馬鹿が!
 何から何まで大事大事って、君はオウムか! 脳味噌が鳥にでもなってるのか!」

「うるっせぇクソ兄貴が! 好きでやってんだから別に良いだろ!」

「ああもう、君は――」

瞬間、ユーノが笑ったような気がした。
が、それはきっと幻か何かだったのだろう。
すぐに憤怒に塗れた表情に戻ると、俺の服を掴んで引き寄せ、空いた手を叩き付けようとしてくる。
俺はそれを避けようとは思わず、むしろ好都合だと、ユーノと同時に腕を振るった。

頬に再び熱い感触、次いで痛み。奥歯が嫌な悲鳴を上げた。
けどこっちは鼻っ柱を叩き折ってやった。ざまあみろだ。

「……好きで、やってる、ね」

ユーノは溢れ出てきた鼻血に咽せ、手で鼻を抑える。
が、無駄だと分かったのか血塗れの拳を握り締めると、まだ立ち塞がってくる。

「その割には一人で抱え込んでさぁ、助けてくれってのが見え見えなんだよ、云わなくても態度に出てるんだよ!
 それが鬱陶しくてしょうがなかったんだ、ずっと!」

「うるせぇ、嫌ってんならこんな泥仕合だってやりたかねぇんだよ!
 それをさせてんのはどこのどいつだ!」

「原因は君だろ!」

「知るか、そんなこと!
 余計な厄介事放り込んでくるのはいつだって外側の奴じゃねぇかよ!」

「最初に首突っ込んだ人間が云って良い台詞じゃない!」

言葉を重ねながら、それでも俺たちは殴り合いを止めようともしない。
口の中はとっくの昔にずたずたで、返り血で見えないけれど、拳の皮だってめくれている。
力加減なんか忘れて殴り合ってるもんだから、骨だってイっててもおかしくはないだろう。

「駄目だって分かってるならそうすれば良い!
 答えが分かってるなら躊躇するなよ、エスティ!」

「ふっざけんな……どんだけ馬鹿にされようと大事なもんは大事なんだよ!
 それでも俺はやり遂げる! 今まで無理だったのを何度だって覆してきたんだ、今回だってやれるさ!
 だからお前もいつも通りフォローに徹してくれよ、そうすりゃ楽勝だ!
 最初っから諦めてるんじゃねぇよ!」

「だから、それが無理だって云ってるだろ……!?
 いつもいつも、そんな風に眩しくて……ッ!
 嘘臭いんだよ!」

「騙されたと思って信じてみろよ!
 フェイトだけじゃない、お前だって側にいて欲しいと思ってるんだ大事なんだ!
 それを諦めることなんか出来るわけないだろ!?
 目指すんなら皆が笑ってるのが一番だ、そうだろユーノ!?」

「君って奴は――!」

渾身の回し蹴りがユーノの脇腹に。ユーノの拳が、俺の鼻っ柱に。
ギ、と同時に苦悶を漏らして、最早言葉もなく、それでも泥仕合は続く。

それでも――何か、心に迫るものがあるのはどういうことなのだろうか。
まだ話し足りない。この馬鹿とはとことん腹を割って話す必要がある。

――本当、いつまで経っても変わらない。
どんだけ世話焼きなんだよお前。兄貴にしたって人が良すぎだろう。
こんな馬鹿げた殴り合い、する必要なんかどこにもないだろうが。
フェイトを切り捨てるって? 認められるかよそんなこと。
地味に諦めが早くて決断を急ぐ。ガキの頃から本当に変わっていない。

――本当、いつまで経っても変わらない。
どこまで世話焼きなんだよ君は。他人にかまけるにしたって限度があるだろ。
こんな不毛な殴り合い、付き合う必要なんかなくて、君なら軽く避けれただろ? どこまで馬鹿なんだ。
目を覚ませよ馬鹿。今まで頑張ってきたんだからいい加減に報われても良いだろ。
いつもいつも諦めが悪くて、ギリギリまで決断をしない。その結果自分が馬鹿を見る羽目になるのは子供の頃から変わっちゃいない。

ああ、本当に――

「俺はフェイトが好きだよ文句あるかこの野郎!
 けどな、お前らだって好きなんだよ!
 良いじゃねぇかよ夢見たって、実現できるよう足掻く甲斐があるってもんだろ!?」

「それが無理だって云ってるのがまだ分からないのか!
 嫌だよ僕は痴情のもつれでエスティが刺殺されるとかさぁ!」

「あり得るかよそんなこと、だったら見てろよ鼻を明かしてやるから!
 納得させてやるよ、認めさせてやる、それで満足だろこの野郎!」

「そこまで人間、頭がおめでたく出来てないんだよ!
 ほざくんだったら案出してみてよ、駄目出ししてやるからさぁ!」

「だから、さっきから云ってるだろうが――!」

「それは答えって云わないんだよ――!」

激情に任せて――それはユーノも同じだったのか、渾身の力でお互いの顎を撃ち抜いた。
ぐらり、と身体が傾げる。立っていないと、と思っていながらもそれは無理だ。
砕け散った平衡感覚を取り戻すことはできず、俺とユーノは同時に尻餅をついた。

馬鹿みたいに息を荒げて、血まみれになって。
青春するにしたってやりすぎだろ、これは。

自分自身の血で噎せ返りながら、ぐらつく視界の中心にユーノを納める。
野郎はまだ立ち上がろうとしているのか、地面に両手を着いて息を整えようとしていた。

まだやるなら、と意地になって俺は歯を食いしばる。
だが――

「……エスティなんか、大嫌いだ。もう顔も見たくない。
 どこへなりとも、行けば良い」

「お前――」

「フェイトが好きだって云うんなら!」

どこにそんな力が残っていたのか、ユーノは大気が震えるほどの大声を上げた。
思わず呆然としてしまう。どれほどぶりだろうか、コイツがこんな声を出すなんて。

「……幸せになってよ、頼むから」

瞬間、ユーノの足下に翡翠色のミッドチルダ式魔法陣が展開する。
それが何かを理解する暇もなく、俺の身体はユーノの魔力光、その残滓に包まれて――





















一人、何をするわけでもなくリビングの椅子に座っていると、鍵の開く軽い音が耳に届いた。
エスティマならばインターフォンを押すし、とフェイトが思っていると、ドアが開いてシグナムが姿を見せる。

「ただいま帰りました」

「あ、おかえりなさい」

言葉少なく、物音を立てず、シグナムは我が家へと上がり込む。
そして玄関に鞄を置くと、そのままリビングへ。
何か様子がおかしいとフェイトは思いながらも腰を浮かす。

「あ、今、晩ご飯よそうから。
 兄さんは?」

「父上は、帰ってきません」

「……え?」

「……もう、ここには帰ってこないでしょう」

どういう意味、とフェイトが問いかけるよりも早く、シグナムはフェイトの向かいに腰を下ろした。
そして切れ長の相貌を間髪入れずに、フェイトへと向けてくる。
その瞳に宿っているのはなんだろう。敵意、だろうか。
いやに場違いな感情を向けられたことで、フェイトは言葉を失った。

「叔母上。叔母上は、父上を本気で愛しているのですか?」

「え、あ、何をいきなり……」

「答えてください。もし言葉を濁すようなら、即刻、ここより立ち去っていただきます」

出会い頭になんでそんなことを、と思わなくもなかったが、シグナムの異様な様子に気圧されて、フェイトは小さく頷いた。
そして僅かに目を瞑り、息を整え、彼女の目を真っ直ぐに見詰める。

「……うん、好きだよ。私は兄さんを愛している」

「……それが報われない感情なのだと分かった上で?」

「うん」

「誰も祝福しないかもしれないのに?」

「うん」

「父上の負担になると分かっていても?」

「……うん」

最後の問いには僅かな逡巡を見せたものの、やはり、フェイトは頷いた。
それを見たシグナムは、苦々しい表情を隠しもせずに表情に浮かべる。

今まで積極的にこの問題へと――少なくともフェイトには――絡んでこなかったシグナムが、こんな風に絡んでくることがフェイトには驚きだった。
エスティマがフェイトの同棲を告げたときも二つ返事で了承していたし、今浮かべているような敵意は、共に生活していたときに一度も向けられていなかったから。

それが何故今、という疑問はあるものの、これが、この表情こそがシグナムの本音なのだろうか。
……当たり前なのかもしれない。
守護騎士であると同時に娘でもある彼女が、父でありマスターでもあるエスティマの幸せを願わないわけがないだろう。
幸せのようであり、その実、彼の幸せを粉砕しようとしているフェイトを彼女が苦々しく思うのは当然なのかもしれない。

が、今までそれらしい態度を見せていなかった分、シグナムの態度はいやに響いた。
彼女は数少ない、自分たちを祝福してくれる人だと思い込んでいたから。

「血の繋がった妹が兄に恋をする。なんとも嫌な冗談です。
 嫌な冗談ですが、それを悪夢にしてるのは、父上もあなたのことを好きだという点ですか」

「……え?」

シグナムが不意に呟いた言葉に、フェイトは目を見開く。
兄が? そんなはずはない。確かに大切と云ってくれていたけれど――

「……何を驚いているのですか。
 父上は妹として、異性として、あなたのことを愛しています。
 何よりも大事だと思っていますよ」

「……けど、それは」

「どちらとも云えない? いいえ、両方と云っているのです、父上は。
 妹であり女でもあるあなたが好きなのだと、云っています。
 だから、何よりも大事で……」

瞬間、シグナムは悔しさを表情に滲ませる。
が、それはすぐさま打ち消され、彼女は再び表情を引き締めた。

「だがしかし父上は、大事な物、とラベリングしたものを何一つ捨てようとしない欲張りです。
 だから今の状況となっている。祝福されるどころか、非難されるであろう状況の一歩手前に。
 ……問います、叔母上。あなたは父上を幸せにできますか?」

急な方向転換に、フェイトは目を瞬いた。
話題が次々と転がって行くのはどういうことか。
もしかしたら話の主導を握っているシグナムも、頭の中では整理できていないのかもしれなかった。

が、それはどうでも良い。
今何よりも大事なことは、シグナムから問いかけられた答えだろう。

「するよ。私は兄さんと幸せになりたい。
 けど、兄さんが幸せじゃなかったら、私は幸せになれないよ。
 だから、兄さんも幸せにする。どこまでだってついて行く」

「……ならば、良いでしょう」

これを、とシグナムはポケットから一枚のメモ用紙を取り出した。
そこに書いてるのは世界名と大雑把な地図に、住所。そして一本の鍵がセロテープで貼り付けてあった。

「今すぐ身支度を調えて、そこへ行ってください。
 そして、二度とこの世界に帰ってこないで欲しい。
 ……父上が、待っていますよ」

「……ちょっと待って、どういうこと?」

「そのままの意味です。
 ……私たちは、否、私は父上の幸せを望む。
 しかし今のままではそれを手に入れることは難しいでしょう。
 ……もう、危うい綱渡りを、私は父上にして欲しくないのです。
 だから、逃げてください。その先で父上と幸せになれば良い。
 あなたたちがその世界にいることを、私たちは生涯口にしません」

私たち――シグナム以外に自分たちの幸せを願ってくれている人がいる?
誰だろう、と思うのは愚かかもしれない。そんな人、そう多くはない。そしてここまで世話を焼いてくれる人物も。
思わず目頭に熱が登ってくる。嬉しさと、それを凌駕する申し訳なさ、情けなさに。

けど――

「……シグナムはどうするの?」

「私はこのままミッドチルダで、父上の代わりとなり戦い続けます。
 ……それが、あの人の娘として、側にいたいと願った私の、唯一できることだから」

「……ありがとう」

「礼はいりません。
 あなたにそんなことを云われると、罵倒の一つでも吐き出したくなる」

「……それぐらいなら、甘んじて受けるよ」

「――では」

深呼吸をし、シグナムは目を伏せる。
彼女の肩を震わせる感情はなんだろうか。フェイトに、それは分からない。

「私は一生あなたを許しません」

微かな涙に瞳を揺らして、シグナムは言葉を叩き付けた。






















誰もいなくなった森林公園の木陰で、ユーノは冷たい地面に転がっていた。
開けているこの場所に転がれば、見えるのは天に瞬く星々だ。
が、ユーノはそれを見ることができないでいた。

湿っぽい視界は煌びやかに輝く光を、何一つとして正しく見ることができない。
鼻を啜り、唇を噛んで、目元を拭い、彼は吐息を吐く。

……これで、良かったんだ。
そんなことを胸中で呟きながら。

「……お疲れ様」

ガサリ、と物音が上がった。
しかしユーノはそちらへ目を向けない。
この場所を知っているのは自分と、アルフと、シグナムの三人だけ。
そしてシグナムがフェイトと顔を合わせていることを考えれば、ここにくるのは一人だけだ。

視線を向ければ、案の定、そこにはアルフがいた。
しかし彼女の姿は子供のものではなく、大人となっている。
どうして、と声に出さず問いかけると、彼女は照れくさそうに笑った。

「……その、なんだ。
 やっぱり男を慰めるのは、こっちの方が良いだろう?
 話し合いって予定になってたけど、どうせこんなことになってると思ったのさ」

苦笑しつつ、よいしょ、とアルフは腰を下ろした。
そして倒れ伏したユーノの頭を膝に乗せ、そっと前髪を払う。
指に絡んだ血はエスティマのものか、ユーノのものか。
それが判別できないほどに、ユーノの顔は凄惨なことになっていた。それは無論、エスティマもだろう。

「あーあ、馬鹿だねぇ。
 いい歳なのに男ってやつは。
 どうして大人しく話し合いができなかったんだい?」

「……だってエスティ、いつまで経っても本音を云わないから。
 信じられる? 散々殴って殴り返されて、フェイトのことを好きって云ったのは一度だけなんだよ?
 感情的な癖に自制心が強いから、本音を聞き出すのに骨が折れた」

「あれも照れ屋だねぇ」

「まったくだよ」

そこまで云って、ユーノは口を閉じる。
アルフはただ黙って、ユーノの髪を手櫛で整えるだけだ。
云いたいことがあるなら云いな。そう、言外に云われているような気がして、ユーノは喉を震わせた。

「……誰かが、背中を押してやらなきゃいけなかったんだ」

「ああ、そうだね」

「……誰かが、ババを引かなきゃならなかったんだ」

「ああ、そうだね」

「……僕はエスティとフェイトのお兄さんだったから、せめて僕ぐらいは、二人の味方でいてあげたかったんだ」

「……うん。
 ユーノ、誇って良いよ。あんたはちゃんとやり遂げた。
 これでフェイトが不幸せになったら、そりゃもうエスティマのせいさ。
 そうなったら、今度はアタシがあいつを殴り飛ばしてやるよ」

そんなアルフの言葉が、言葉に滲む優しさが胸に染みて、一度は止まった涙が再び目尻に湧き上がってくる。
あんな物騒な弟と妹、いなくなって清々する。どこへでも行けば良いんだ。
そうして僕らの知らないところで幸せになって――

「……うっ、く」

どれだけ憎まれ口を上げようとしても、やはり、駄目だ。
あの二人が大好きだった。その気持ちに間違いはない。
エスティマが抱え込んだすべてを守りたいと願ったのとは違い、ユーノは、自分の家族とも云うべき者たちを守りたかった。
守りたいからこそ、遠ざける。わざわざ嫌われるような大喧嘩までやらかして。
矛盾しているようでいて、けれど、それしか彼は方法を思い付くことができなかった。

彼らはもう二度と自分たちの前に姿を現さない。
もう二度と、笑い合って遊ぶことはない。
ああ、クロノに謝らないと。ホームパーティー、無理になった。

そんな有り触れた――けれど、当たり前のように行っていたことが潰える。
……辛くないわけが、なかった。

だからこそユーノは願う。この痛みが、せめて二人の幸せに反転して届きますようにと。
そうでなければ報われない。本当に誰一人として報われなくなってしまう。

だから幸せになって、と。
柄にもなく、ユーノは星空に望みを呟いた。






















「……ん、兄さん?」

「起きたか?」

ずっと視線を落としていたアルバムを閉じ、顔を上げて、すぐ側にいるフェイトへと目を向けた。
白一色のベッドで横になっている彼女は、目を擦りながらも俺へと瞳を向けてきた。
俺と同じ緋色の瞳。これと向き合う度に、忘れようもない俺たちの罪悪を思い出す。

慣れてしまったとしても、それは微かな痛みとなっていつまでも残り続けるだろう。

思わず、小さな溜息を吐いてしまう。
そして吸い込んだ空気に混じった、病院独特の香りに、一人咽せた。

その様子にフェイトはくすくすと笑って、俺の手元にあるアルバムを見て目を細めた。

「……アルバム、見てたの?」

「……ああ。少し、懐かしくなってな。
 そんな歳でもないのに、昔を振り返ってたよ」

「そっか。
 ……私もね、少し、懐かしい夢を見たんだ。
 兄さんと二人っきりになる、少し前の夢」

云いながら、フェイトは布団の下から手を伸ばしてきた。
俺のところまで、それは僅かに届かない。が、俺の方からも手を伸ばして、指をそっと絡ませる。

そうして一言も話さず、どれぐらいの時間が経っただろう。
五分かもしれないし十分かもしれない。二十分ということはないだろう。
そうしていると、フェイトはきゅっと指を強く絡め、伺うように口を開いた。

「ねぇ、兄さん。少し歩こうよ」

「……身体、大丈夫なのか?」

「平気平気。さ、行こう?」

そう云ってフェイトは布団をゆっくり退けると、リノリウムの床に並べられたスリッパへと足を通す。
彼女に腕を貸して立ち上がらせ、覚束ない足取りのフェイトと一緒に病室を出て、ゆっくりと歩みを進める。

散歩、とは云っていたものの、向かう方向からフェイトがどこに行きたいのかはなんとなく分かった。
俺は黙ってそれに付き合い、彼女に無理をさせないよう、歩調に気を付けた。

「ねぇ、兄さん」

「……ん?」

「兄さんは、幸せ?」

「……聞くまでもないだろ」

「それでも聞きたいの。
 ねぇ、幸せ?」

「……そうだな」

新生児室、と書かれたプレートの下で進めていた歩みを止め、硝子の向こうにいくつも並べられた小さなベッド、その一つへと視線を向ける。
おそらくフェイトも同じ所を見ているだろう。そう、思いながら。

――結局俺は、取捨選択なんてしたくないと云いながら、それを行ったのだろう。
フェイトとの幸せを取って、俺たちの背中を押してくれた皆を振り切った。
おそらく、もう二度と振り返ることはない。そう願われたから、絶対に。

その代償として手に入れたものは――

「……ああ、幸せだよ」

――間違いなく幸せだろう。
残されたフェイトと、あの子。残された二つの幸せを、俺はずっと守っていこう。

俺自身の在り方は変わってしまったのだとしても――この日だまりを守り続けたいという願いは不変。
間違っていたのかもしれない。
けれど、手にした幸せは虚勢でもなんでもなく、確かな現実としてこの手に掴んでいる。
俺は、これを永劫手放さないと誓おう。

「兄さん」

「ん?」

「大好き、愛してる。
 これからも、ずっと……ずっと」

そう云って、フェイトは組んだ腕をぎゅっと抱き込んだ。













END





[7038] 後日談1 なのは
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/04/19 01:27
六課が解散してからしばらく身体を休めることも兼ねて、俺は休職することにした。
今まで休みが皆無だったこともあり、久々のまとまった休暇ということで羽を伸ばした――のは良いものの、最初の数日で違和感が付きまとい始めるのはどういうことか。
まず、大したこともしていないからか疲れない。
最初の内は寝れば一日十二時間ほど睡眠に費やすウルトラ時間の無駄遣いができたのに、一週間も経てばそんなことができなくなった。
適度に眠れば目が冴えてしまって、二度寝しようものなら寝過ぎで頭が痛くなる。
しょうがないから早起きをするようになり……そして有り余った時間の使い道をどうするかと、贅沢な悩みを抱えたり。

家事をしたり趣味のデバイス弄りをしている内はまだ良かった。
が、それも時間をかけていられたのは最初だけ。家事は毎日やっていれば作業量が増えないし、趣味も趣味であらかた遊び尽くすと次に何しようか困ってしまう。
それじゃあ最近怠けていたし魔法の訓練でも……と微妙に鈍っていた腕を鍛え直して、とうとうやることがなくなってしまった。
友人と遊ぼうにも皆が皆労働に勤しんでいるから誘ったら「黙れニート」と云われるだろう。おのれ。

ともあれ、この間、一月。
よく保ったと云うべきなのか、どうなのか。
……かなり平和ボケしてるって自覚はある。
なんだかんだで事件が終わったと云っても、未だ俺は必要とされているだろうし。
ゼストさんが戻ってきて、アギトが地上部隊に入ったと云っても、慢性的なエース不足は解消されていないんだ。
幸か不幸か、結社と戦い続け緊張感を抱いていたせいで、地上部隊は全体の地力が底上げされている。
けれど、決定打の存在は、という点では今も昔も大差ないだろう。

まとまった休みをもらったため体調も良好。
もうそろそろ復職しても――などと考えていた矢先だ。

なのはから、そんなに暇ならヴィヴィオのベビーシッターをしてくれない? と云われたのは。
やや迷いながらもなのはが必死そうに頼んでくるから思わず頷き、その日の内から俺はヴィヴィオの面倒を見ることになった。
てっきり海鳴まで出向くと思っていたのだけど――

「パパー、あそんでー」

「……はいはい」

自宅のリビングで考えごとをしていたところに、軽い衝撃が後ろから。
背中のおぶさるようにしてのしかかってきたヴィヴィオの髪を軽く撫でて離すと、腰を下ろしていたソファ-から立ち上がる。
ヴィヴィオは背もたれを乗り越えて抱きついてきた模様。地味にお転婆だ。

そんなヴィヴィオの脇にはウサギのぬいぐるみが抱きかかえられていた。
首にはSeven Starsが結びつけられており、所在なさげに揺れている。

「それじゃあ外に行くか。
 ヴィヴィオ、何がやりたい?」

「バトミントン!」

「バド、な。
 了解、じゃあ準備しようか。動きやすい服に着替えなさい」

「このままで良いよー。
 パパ、早く早く!」

袖を引っ張りながらねだってくるヴィヴィオに苦笑しつつ、財布をポケットにねじ込むと、俺たちは玄関へと。
玄関の立てかけてあったラケットケースを肩にかけて外へ。鍵をかけて、小走りに先へ行くヴィヴィオになんとか追い付く。

廊下を一気に駆けるとエレベーターに辿り着き、うんしょ、と背伸びをしながらボタンを押す。
そうしてどこか得意げな顔で振り向くと、早くー、と手を振ってきた。

……せっかちだなぁ。そんなに急いだって、五分か十分ぐらいしか変わらないだろうに。
そう思いながらも、自分がガキだった頃のことを思い出して、あんな頃もあった、と苦笑してしまった。

追い付くと、パパ遅いー、などと挑発になってない挑発をされたり。
適当に流しても良かったけれど、こんな風にわざわざ憎まれ口を叩くのは十中八九構って欲しいからだろう。ヴィヴィオ本人は考えてやっていないのだろうが。
なので、こいつめー、と髪をぐしゃぐしゃ掻き混ぜると、ヴィヴィオはくすぐったそうに笑顔を浮かべた。

エレベーターが一階に辿り着くと、俺とヴィヴィオは手を繋いでマンションの外へ。
車に気を付けろよー、などと声をかけつつ、ご機嫌な様子のヴィヴィオと手を繋いで公園を目指す。
遊ぶなら俺じゃなくて同い年の子でも、とは思うが、まぁ良いか。喜んでくれているならそれで。

それにしても、と思う。
どさくさ紛れの半ば刷り込みのような形で俺のことをパパと言い出したヴィヴィオだが、まさかここまで懐かれるとは思ってもみなかった。
ヴィヴィオには悪いだろうけれど、てっきり少し経てば忘れられるようなものだと思っていたから。
六課では、お世辞にもヴィヴィオのことを構ってやれていたとは云えないだろう。だからそんな風に考えていたのだけれど、思った以上にこの子の執着は深いものだったらしい。

俺がベビーシッターを任せられた裏には、ヴィヴィオがなのはと二人っきりの際に良く俺のことを口に出していたから、ということがあるらしい。
あんまりしつこく、しかも真正面から云われてはぐらかすことが限界になったとか。アイツも大概甘いな。
まぁ、俺も人のことは云えないけれど。

そんなことを考えている内に、俺たちは公園へとたどり着く。
遊具や砂場、ベンチは隅の方に。ただ広いこの場所は、軽いスポーツを楽しむために作られたのだろう。
時刻は昼過ぎ。平日だからか、遊んでいる子供はあまり多くない。
いるのはベビーカーを押して井戸端会議を楽しんでいる奥様方。それと、幼稚園に行っていないのであろうヴィヴィオと同年代の幼児がちらほらと、だ。

「パパ、ラケット!」

「はいはい」

が、ヴィヴィオは彼らに目もくれず、到着早々にラケットを寄越せとねだってくる。ウサギのぬいぐるみはスカートのポケットにねじ込まれて、上半身を垂らした状態。貞子か。
そんな様子に再び苦笑。シャトルと二本のラケットを取り出すと、五メートルほどの距離を取って、俺は掬い上げるようにヴィヴィオへとシャトルを放った。
的が飛んできたのを見たヴィヴィオは、目を輝かせながらラケットをフルスイング。ヴィヴィオ、それバドミントンちゃう。野球のスイングや。
そんなことをすれば当たり前のように空振るわけで、地面に落ちたシャトルを不満げに見詰めるヴィヴィオ。

……そもそもヴィヴィオがバドミントンするのは少し早い気もするんだけどね。
けれども何故だかお姫様はこれが気に入っているご様子。

「いくよー!」

声を上げつつシャトルを放ると、ヴィヴィオは片手で持ったラケットでシャトルを地面に叩き付ける。
あう、と再びヴィヴィオが不満げな声を漏らすが、ワンバウンドしたところでシャトルを拾い、リフティングのように宙へ上げ、打ち返す。
勿論、ヴィヴィオが受け取れるように手加減して。

「パパ、すごいすごい!」

「ルールを盛大に破ってるけどね」

きゃっきゃとはしゃぎつつ、ヴィヴィオは打ち上げられたシャトルを俺の足下目がけてスマッシュ。
それをゆっくり打ち上げて、と、野球のノックでもしているような気分になってくる。無論、俺が守備の方。どういうことなの。

身体を動かしている内にヴィヴィオもコツを掴みだしたのか――それとも、他人の動きを学習する、という本領を発揮してきたのか。
イジメじみたノックは徐々にバドミントンらしくなってくる。それでも、ヴィヴィオがラケットに振り回されているのは変わりないけれど。

そうしていると、

「紫電、一閃!」

そんなことを叫んで、ヴィヴィオは横薙ぎにラケットをぶん回した。大方、お姉ちゃんであるシグナムの真似だろう。
が、思いっきり動いたせいか今にも落ちそうだったウサギのぬいぐるみが地面へと。

あっ、と声を漏らしたヴィヴィオはラケットを地面に落として、砂埃のついたぬいぐるみを抱き上げる。
さっきまでの機嫌はどこへ行ったのか、眉尻を下げて悲しそうな顔へ。

「ごめんね、だいじょうぶ?」

『……別に大丈夫ではありますが』

「怒らないで……」

『別に怒っていません』

「ううー……」

『ああもう……旦那様、なんとかしてください』

最後の台詞は念話で俺へと語りかけてきた。
どうしよ、とテンパってるヴィヴィオを余所に困り果てたSeven Stars。
おそらく、ヴィヴィオが心配してくるのを鬱陶しく思っているのだろう。

『お前があんまりセメント対応するもんだから、機嫌を損ねたって思ってるんだよ』

『そんなことはありません』

『だったらもうちょっと愛想を良くしろ』

『愛想を振りまく必要はありません。
 私はデバイスです……旦那様の』

『……まだヴィヴィオの防犯ブザー代わりにしたことで腹立ててるのかよ。
 お前が信頼できるからヴィヴィオの側に置いているんだぞ?』

『むっ……おだてたって何も出ませんからね』

拗ねたように念話を返してくると、仕方がない、と云った風にSeven Starsは声を上げた。

『ほらヴィヴィオ。私のことは良いですから、パパを構ってあげてください。
 寂しそうにしていますよ』

「んゆ……」

Seven Starsに声をかけられると、不思議そうにヴィヴィオはこっちに視線を。
すると、バドミントンをしていたと思い出したのか、慌てたようにラケットを持ち直し、しかし手にはぬいぐるみを持ったまま。

「……うてない」

『私をどこかに置くか、またポケットに入れれば良いでしょう』

「……またおとしちゃう」

『……ああもう! 旦那様!』

悲鳴じみた声を上げるSeven Stars。なんだか面白くなってきたけど、放置するのは酷か。
俺は指先にシャトル大の誘導弾スフィアを浮かばせると、それをヴィヴィオの方へとゆっくり放った。
ヴィヴィオはそれを不思議そうに眺めていたが、打つようにラケットを振ってジェスチャーを送ると表情を輝かせた。
そしてぬいぐるみを抱えたままヴィヴィオはラケットを振るが――

「……あれ?」

「残念」

「うー!」

当たる寸前で誘導弾は軌道を変えて、ヴィヴィオのラケットを避けた。
ムキになったヴィヴィオは追っかけてラケットを振り回すが、掠りもしない。
しかし、ぬぐぐ、とムキになってはいるものの、楽しんでいるみたいだからこれで良いか。

スフィアの誘導をゆっくりやりながら、そんな様子をじっと眺める俺。
まぁ、こんな毎日も悪くないと思う。















リリカル in wonder

   ―After―













デスクワークを終えたなのはは、机の上に並んだ書類を片付けつつ息を吐いた。
今日の仕事はこれで終わり。早く帰ろうと思いながら、彼女は携帯電話を取り出した。

画面には、メールが一件、と表示されている。
送ってきた人物はエスティマだ。

夕食のことがあるからだろう。お疲れ様、何時に帰ってくる? と絵文字も何も使わずに用件だけを聞いてくるのは彼らしかった。

帰り支度を整えると、お先に失礼します、となのはは職場を後にした。
帰宅時間となったクラナガン。なのはは雑踏の中を一人で歩き、駅にたどり着くと、娘の待つ家へと帰るべく電車に乗り込む。

結社の崩壊が起こり、残党もあらかた駆逐された今、ミッドチルダ地上は平和と云って良い。
エース級魔導師は無用の長物とは云わないまでも、以前のように疲労困憊の身体に鞭を打って戦う必要があるほどではない。

教導官であるなのはは常にその実力を必要とされる仕事に就いているため、暇というわけではないが。
彼女は今、ミッドチルダ地上部隊の間を教導官として回っている。
ヴィヴィオのこともあったのでミッドチルダで仕事が出来るように――と希望し、なんとか融通を利かせて貰った形だ。

そしてそのヴィヴィオとの生活だが――最初こそ誤魔化していたものの、彼女の希望をなのははどうしても無視することができず、エスティマと同居することになってしまっている。
最初の内はヴィヴィオの面倒を見てもらい、夕食を一緒に食べて帰ってもらう、という形を取っていた。
だが、なんでパパ帰っちゃうの? とヴィヴィオが言い始めて、その結果今の状態。

甘い上にエスティマに迷惑をかけっぱなし、と流石のなのはも分かってはいる。
聞き分けの悪い子ではないし、むしろ分類すれば良い子にはなると思う。
けれど、ヴィヴィオが悲しそうにしているとどうしても無碍にはできず――と、そんな風に。

幸いなことにエスティマ自身もヴィヴィオと遊ぶことは嫌じゃないようで、少しだけ救われた気分になっている。
本当だったら仕事を休んであの子と一緒に過ごすのは自分の役目だろうし、そうしたいという気持ちもある。
けれど、自分の力が必要とされているのならば――と考えてしまって、仕事を休むことはできない。
存外、自分も優柔不断のようだった。ヴィヴィオが大事なことに代わりはないけれど、だからと云ってその他を蔑ろにできはしない。

どこかの誰かさんを悪く云えないよね、などと彼女は苦笑する。

電車が駅に到着すると、なのはは駅のホームに降り立って、迷わずに改札口へと向かった。
その最中、雑踏の中に見慣れた背中を発見する。
念話を送ると、その背中――シグナムとシャマルの二人は振り返って、足を止めた。

「お疲れ様、二人とも」

「お疲れ様です、なのはちゃん」

「お疲れ様です」

シグナムは律儀に頭を下げて。シャマルはそんな彼女と違い、笑顔を浮かべて。
一言二言、言葉を交わして三人は改札口を抜ける。

そのまま駅を出ると、雑談しながら家を目指し始めた。

女三人で、家に帰れば更に一人加わる。
エスティマくんも肩身が狭いだろうなぁ、と考えつつも、男の人ってこういうの好きらしいし良いよね、とあまり気にしないなのはであった。

「シャマルにシグナム、今日のお仕事はどうだった?」

「問題なかったー……って云っても、医療に問題があったら大変だけど」

「私の方も特には。一時に比べれば平和なものです。
 そちらはどうでしたか?」

「私の方も……あんまりない、かな?
 今日はちょっと休憩中に変な話題で盛り上がったけど、それぐらい」

「変な話題ですか?」

生真面目な顔でシグナムは首を傾げる。
もっと砕けても良いのに、と思いながら、なのはは先を続けた。

「そう。新人さんたちに囲まれて、エスティマくんと私どっちが強いんですかーなんて聞かれて。
 適当にはぐらかすつもりだったのに人だかりが出来て、困っちゃった」

そう、なのはは苦笑気味に云う。
地上部隊で有名なエスティマと、陸と海の両方でエースとして活躍していたなのは。
その上、二人は戦技披露会で何度も戦ったことがある。その度に決着らしい決着がつかなかったため、気になったのかもしれなかった。
管理局に入ってから日数が経っていない新人だと、なのはのようなエースが身近にいることが珍しいのだろう。あんな質問をされた理由は、だからかもしれなかった。

「まぁ、全力全開で戦ったらなのはちゃんが勝ちますからね」

「……ちょっと待てシャマル。全力全開で、という条件ならば勝つのは間違いなく父上だろう」

「むっ。そんなことないわよシグナム。
 いくら速いって云っても、避けられない弾幕を展開したらどうしようもないんだから。
 なのはちゃんなら、それぐらいはできるし」

「何を云う。ならば弾幕を張る前に潰せば良いことだろう」

「バインドやシールドで足止めできますぅー」

「その発動速度を父上は上回っているのだというのに」

「ううっ……なのはちゃん、シグナムに何か云ってあげてください!」

「あはは……」

どっちも片方を贔屓しているから冷静に見られないのか。
不満そうな二人に、なのはは苦笑するしかなかった。

「まぁ、その話も実際にやってみないと分からない、で締められたから……そういうことで」

「納得できない……」

「納得できません」

むぅ、と眉ねを寄せる二人。
そうこうしている内に三人はようやくマンションへとたどり着き、自宅へと戻った。

エレベーターで上階へと上がり廊下を進んで、自宅へと。
インターフォンを押せばヴィヴィオの声が聞こえて、小さな音と共に鍵が開く。

「おかえりなさい!」

「ただいま、ヴィヴィオ」

「お姉ちゃんたちも、おかえりなさい!」

扉を開けると、ひまわりのような笑顔のヴィヴィオが出迎えてくれた。
ヴィヴィオと共に暮らすようになってからは当たり前の光景となったもの。
しかしなのはは、この子の笑顔と家に帰ってきたことを実感する度に、何か暖かいものが胸に込み上げてくる感覚を覚える。
何度味わっても飽きないそれを噛み締めながら、しゃがみ込んでヴィヴィオを抱きしめた。

「……カレーですね」

キッチンから漂ってくる匂いを嗅いで、シグナムがぽつりと呟いた。
それを聞いたヴィヴィオは、えへん、と自慢げに胸を張る。

「ヴィヴィオがニンジンの皮むいたんだよ」

「わ、すごいねヴィヴィオ。ちゃんとパパのお手伝いできたんだ」

「おてつだいいぐらいできるよー」

「そうだね」

早く、とヴィヴィオに手を引っ張られて、なのははリビングへと。
シグナムとシャマルはその様子に苦笑しつつ、ゆっくりと後を追ってくる。

「パパー! ママ、かえってきたよ!」

「おう、お帰りー。
 もうできるから、食器出してくれると」

こちらを一瞥するだけで、エプロン姿のエスティマは鍋をかき回す作業に戻った。
似合ってるんだか似合っていないんだか。素材が悪くないので様にはなっているものの、彼らしくはない。
そんな風に思ってしまうのは、魔導師としての彼ばかりを見てきたせいだろう。

しかし、そんなことを考えていたのは最初の内だけで今はすっかり慣れてしまった。
ヴィヴィオと遊んで父親の代わりをしているのも、主夫として家事全般を行っているのも、今では当たり前のような――ずっと前からそうだったような錯覚すら抱く。

「ただいま、エスティマくん。分かったよ」

別に感慨深くなる必要もないというのに感じ入ってしまった自分自身に苦笑し、なのははエスティマへと返答を。

「ヴィヴィオもてつだう!」

「うん、落として怪我しないようにね」

はーい、とヴィヴィオは元気よく返事をして、人数分のスプーンを手に持つと、よたよたとテーブルへ。
まず最初にヴィヴィオが食器を置いたのは、なのはの席だった。ありがとう、となのはは胸中で言葉を漏らす。

「シグナム、どれぐらい食べるー?」

「大盛りでお願いします、父上」

「シャマルはー?」

「普通で良いですよー」

「了解」

二人の返事を聞くと、エスティマは炊飯器から皿に米をよそって、カレーをかけてゆく。
その度に食欲を誘う香りがリビングまで流れてきて、口の中に涎が溜まってくる。
お腹を鳴らすようなことはしないけれど。

人数分の夕食が並ぶと、それぞれは指定の席へと座った。
ヴィヴィオは俗に云うお誕生日席。その両側にエスティマとなのはが座り、シグナムとシャマルは主人の隣に。
もともと父子家庭で使われていたテーブルなので少し手狭。けれどその窮屈さが、なのはには心地良い。

「それじゃ、いただきます」

「いただきます!」

手を合わすと、ヴィヴィオを早速スプーンをカレーへと付き込んだ。
子供用の小さなスプーンにカレーライスを乗せて、ふーふーと息を吹きかける。
少しだけ過剰。タコみたいに唇を尖らせるヴィヴィオが、なのはには微笑ましく映る。

そんな風にヴィヴィオを眺めていると、彼女の食欲に触発されたのか、空腹感がより一層強くなった。
なのはもカレーを口に運んで、うん無難、と頷く。
レトルトよりは美味しいけれど、飛び抜けているわけじゃない。
けれど決して貶しているわけではない。自分だって料理の腕はエスティマとそう大差ないのだから。
味付けはまだまだ勝っている自信はあるけれど、包丁捌きは負けているかも。具になっている野菜や肉はどれもが綺麗な形に整えられている。
手先の器用さはなんだかんだでエスティマがずっと上だ。

得意、というわけではないけれど料理もできる男の人。
今まで彼の物騒なところを見てきたなのはにとって、彼のそんな一面は少し意外で、新鮮だった。
シグナムと二人で暮らしていたのだから、当たり前と云えば当たり前なのかもしれない。
けれど、自分はそんなことすら知らなかった。だのに彼を知っているようなことをずっと云ってて――それを少しだけ申し訳なく思う。

「……美味しいです」

そんな風になのはが思っていると、シグナムがぽつりと呟いた。
一方シャマルは、どこか悔しそうな顔をしている。

「……わ、私だってこれぐらい」

「……シャマル。確かにお前のお菓子は見事なものだが、他はどうかと思うぞ。
 この前お前が振る舞った作ったカレーは、甘口過ぎて駄目だった。酢豚もだ。
 それとデザートピザは許さない。絶対にだ」

「えー、ヴィヴィオはシャマルお姉ちゃんのカレー美味しかったよ?」

「そ、そうよね! 美味しかったよね!
 それにシグナム、デザートピザは立派な料理よ!」

「ありえん」

「シャマルお姉ちゃん、だからまたおかしー!」

「うん、いくらでも作ってあげるから!」

「……父上、乗せられているのでしょうかこれは」

「……云ってやるな」

ヴィヴィオを可愛がるシャマルに、マイペースな二人。
団欒とした光景を、なのははスプーンを運ぶ手を止めて眺めていた。

そうしているとエスティマが眉根を寄せつつ顔を向けてくる。

「口に合わなかったか?
 ……そりゃまぁ、お前やはやてからしたら微妙かもしれないけど」

「あ、ううん。そんなことない。十分に美味しいよ?」

「……そんな風に取り繕われても酷く微妙」

「一応、嘘じゃないんだけどな。
 けどほら。エスティマくんが料理できるってだけでも、私は驚いたし。
 あんまり多くは望んでないよ」

「今時、男が料理できても珍しくはないだろ。
 それに、味を突き詰めるわけじゃないならレシピ通りに作れば良いだけだしさ」

「ん、まぁ、そうなんだけど……似合わない、っていうか」

「む、どういう意味だよ」

「えー? パパは料理してると格好良いよー?」

最後だけ理解できたのか、不思議そうにヴィヴィオが声を上げた。
ちょっと目を離した隙にヴィヴィオは口の周りを盛大に汚していたり。
それを拭ってやりながら、なのはは苦笑した。

「そうだね。パパは格好良いね」

「……何か含みがあったようなのは、俺の気のせいか」

「べっつにー」

そーですか。そーですよ。
そんな風に憎まれ口を叩き合うと、シグナムとシャマルがにやにやしているのが見えた。
……どうしてそんな視線が向けられたのだろう。

楽しそうにしているヴィヴィオに、それを囲む自分たち。
ヴィヴィオの願いを叶えてあげたいと思った、なのはがワガママで作り上げた嘘の家族だとしても、ここに宿っている暖かさは嘘じゃない。
この温もりがずっと続けば良いな。そんな儚い、無理だと分かっていることすらついつい思ってしまう。

父親がいて母親がいて。頼りになる姉が二人いて。
自分たちに囲まれているヴィヴィオは間違いなく幸せそうだ。
エスティマに無理を云った申し訳なさは確かにある。
けれど、その微かな痛みが代償と云うのならば、いくらでも、いつまでも感じたって良い。
そんなことすらなのはは思っていた。この瞬間、彼女は確かに想っていたのだ。

――罪悪感を感じるべきもう一人の人物を忘れ去って。

ふと微かな振動を感じて、なのははポケットに入れっぱなしにしていた携帯電話を取り出す。
液晶画面に映っているのは着信通知。
表示されている名前は、はやてちゃん、だった。


















「ん、ごめんなーなのはちゃん。今大丈夫?
 あ、ご飯中やったんか……じゃああとで……ええの? ごめんなー」

携帯電話を耳に押し当てて、はやては電話に出たなのはへと声を送っていた。
エスティマの家とはやての家はそう離れているわけでもないため直接行っても良かったのだが、それは少しだけ憚られて、彼女はこうして電話をしている。

電話に出たなのはの声は、最初は驚き、そして次第に申し訳なさそうに響きに移っていった。
声も徐々に小さくなって――おそらくリビングから移動したのだろう。背後から聞こえてきた雑音が届かなくなる。
……なのはちゃん、どこの部屋に入ったんかなぁ。

そんなことを、はやては思う。
エスティマの家は半ばはやての庭みたいなものだ。
ずっと通い続けて、キッチンにある調理器具は六割方はやてが揃えたようなもの。
空々しい家の雰囲気に我慢ができずテーブルクロスやクッションを買って置いたり、自分専用のマグカップや歯ブラシをこっそり置いたり。
そんな風に、第三の我が家とも云うべき場所だったエスティマの家。

しかしそこは今、なのはとヴィヴィオ、シャマルの三人が住み始めてまったく別の空間となっているだろう。
はやてに自覚はなかったが、彼女は、そんな風に自分の知る場所が変わったところを見たくなかったのかもしれなかった。

「うん、うん……ヴィヴィオは元気?」

受話器の向こうからは聞こえる声が、ヴィヴィオの名を出した瞬間に喜色を帯びた。
元気で仕方がない。シャマルやシグナムに可愛がってもらって楽しそう。今はご飯をたくさん食べてる。
最近は出迎えをしてくれるようになって、少し嬉しい。

報告というよりは半ば自慢のような話を、はやては笑みを浮かべながら聞いている。
親のいないヴィヴィオが問題なく毎日を過ごしていることは、はやてにとって他人事とは思えない。
過去、両親を失って孤独と云って良い幼年期を過ごした彼女からすれば、心の底から喜ばしいことだと云える。

それは素直に喜べる。
けれど――

「そか。ところで、エスティマくんはどうしてるん?」

その名を口にした瞬間、僅かになのはが口ごもった。
当たり前だ。分かってて――嫌な女と胸中で自嘲しながら――彼の名を口にしたのだから。

彼、エスティマ・スクライアは現在、ヴィヴィオのベビーシッターとして主夫の真似事をしている。
てっきり十分な休養を取ったら地上部隊に復帰すると思っていたはやてからすれば、この状況は寝耳に水だった。
けれどはやてが何か意見する前にヴィヴィオはエスティマに以前よりもずっと懐いてしまい、何もしないでいたら今度は同居まで始める始末。

……そのことに対して、はやてが何かを云える立場ではない。
別に自分は彼の恋人とか、そういった存在じゃない。
幼馴染みではあるし、半ば家族のように付き合っていたのは事実。恋慕をエスティマに伝えたのも事実。
けれどそれに対する返答はまだで、であれば自分は極めて身内に近い他人でしかない。

他人でしかないのならエスティマの決定に口を挟むのは野暮かもしれない。
けれど――それはそれ、これはこれ。
感情を押し殺して理詰めで考えられるほど、はやては賢くなかった。
ついでに云うならば、指を咥えてここまで事態が切迫したことに後悔と危機感を覚えないほど、おめでたくもなかった。

「……そう。元気そうならええんよ」

そう云った瞬間、ごめんね、と取り繕うような声が聞こえてきた。
分かってる。この言葉がなのはの良心を抉っていると理解している。
けれど、どうしてもはやては――牽制しておかなければ気が済まなかった。
何が、とは云わない。そんなことは分かり切っている。

しかし、それに対してなのはが云う台詞は決まり切っている。
ごめんね。けど、そういう風にエスティマくんを見てないから。
そんな言葉を聴いて――けれど、はやてが安心できたのは最初の内だけだった。

今はどうかと聞かれれば――

「……ご飯中にごめんな。
 それじゃ、また」

通話を切って、はやては溜息を吐きながらソファーの背もたれに体重を預けた。
前髪を払って天井を見上げると、のっぺりとした平面に視線を注ぎながら口元を歪める。

それは嘲笑や失笑などの類ではなく、苛立ちからだった。

黙って一人で塞ぎ込めば、黒々としたものが次々に溜まってくる。
けれどそれを発散するような場所はどこにもなくて――本当に、嫌になる。

友人二人。その一方には絶賛片思い中。
その二人は同棲していて、シグナムやシャマル、ヴィヴィオがいるのだとしても安心はできなかった。
そもそも、好きな男の隣に他の女が立っていてどうして安心できるという。

それに――はやての最大の懸念は、エスティマとなのはの距離だ。
近くて遠い。そんな形容がしっくりくる二人だったけれど、ヴィヴィオが間に挟まれて、その隙間がずっと狭まったような気がして仕方がないのだ。
……違う。気がする、じゃない。

「……はやて」

鬱々と考え事に没頭していたはやてに、声がかけられた。
視線を向ければ、そこにいたのはヴィータだ。
彼女は所在なさげに立ち尽くしながら、躊躇いがちに口を開いた。

「その……はやても向こうに行って良いと思う。
 それに、エスティマに会いたいなら、アタシが向こうから引きずってくるし……」

「……ありがとう。けど、ええんよ」

ええ子やね、と胸中でヴィータに呟く。
エスティマを無理矢理引っ張ってくる――それがどういう意味なのか、ヴィータは分かっているだろう。
見た目や趣向は幼いと云っても、ヴィータは守護騎士プログラムとして長年生きてきた騎士だ。
長年生きてきたのだから感情の機微ぐらい察するだろうし、今の状況がどういうものか分かってもいるだろう。

けれどはやて本人が、もう自分からは何もしないとエスティマに云っている。
だから自ら汚れ役を買って出て――と。
守護騎士が主の心身を守り抜く存在ならば、ヴィータは立派に仕事を果たしていると云える。

……もしエスティマをこっちに引っ張ってきたら。
それはなのはが作り上げて、ヴィヴィオが甘受している平穏にヒビを入れることとイコールだ。
一回や二回なら問題はない。
けれど、エスティマを奪い取って独占できる――我ながら浅ましい――ことに味を占めてしまったら、抑えが効かなくなるだろう。
それが分かる程度に、はやては自分のことを理解していた。

どうしたもんかな、と彼女は思う。

エスティマのことは大好き。
ヴィヴィオは出来るだけ悲しませたくない。

なのはは――

彼女のことを思い出して、はやては思わず目を細めた。
彼女に対して抱く感情は、燻った怒り。
だがそれは、この状況を作り出したからではない。

はやてがなのはに、苛立っているのは――

「……はっきりせぇへんな」

彼女の呟きと共に、握り締めていた携帯電話がきしりと悲鳴を上げた。




[7038] 後日談2 なのは
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/04/18 22:42

『旦那様、朝です。起きてください』

「ん……」

惰眠を貪っていた頭に届いた念話によって、俺の意識は一気に浮上した。
目を擦りつつ身を起こせば、そこにはいつの間にか日常となってしまった光景が広がっている。

俺が寝床としていた場所は、布団の敷かれたフローリングだ。
以前まで使っていたベッドでは今、なのはとヴィヴィオが寝息を立てている。
彼女らの方に視線を向けてみれば、なのはの胸元に不自然なふくらみがある。

そこにいるのはヴィヴィオだろう。猫みたいに丸くなって眠るのがあの子の癖だ。
そんな状態でなのはのほうに擦り寄っているんじゃないか。小さく笑みを浮かべて、俺は布団から這い出ると着替えを始めた。

俺の部屋が領土侵犯されてから個別の部屋はなくなって、着替えも何もかもここで行う羽目になっている。
俺が着替える場合には別に良いのだけれど、なのはたちが着替えるときは外に追い出されたり。その度に女所帯に一人だけ存在している男の哀愁を感じたり。

寝ぼけ眼でジーンズに足を通して柄物のシャツを着ると、ぺたぺたとフローリングを踏みながら、そっとリビングに移動した。

時刻は五時半。まだ誰も起きていない我が家はしんと静まり返っている。
外から聞こえてくる音は微かな車の騒音と、新聞屋の原付が上げる排気音ぐらい。

今日の代わり映えのしない一日が始まる。
そんなことを思いながら、俺はあくびをかみ殺してキッチンに立った。

「Seven Stars」

『はい』

Seven Starsの名を呼べば、勝手知ったるなんとやら。
念話と同じ要領で俺にだけ聞こえるよう調整すると、Seven Starsはウィンドウを開いてニュースを流し始めた。

耳に流れ込んでくるのは、各朝刊の記事紹介。特に気になる内容もない、か。
キャスターの言葉を聞き流しながら準備を進めて、よし、と小さく頷く。

今日はスクランブルエッグで良いか。
パンかご飯かに迷うけれど……なのは、シャマルは日本で暮らしていたからパンより米の方が喜ぶ。
シグナムも小さい頃から俺と暮らしていたせいでご飯。ヴィヴィオはどれでも良いから問題はない。強いて言えばコーンフレークが好きだったか。お子様め。

……だったら和風の方が合うんじゃないの? という疑問は聞こえない。
洋食のおかずをご飯で食べるのは俺の趣味だ。

蛇口を捻りつつ米を人数分用意すると、じゃぶじゃぶと研いで炊飯器へ。
急速炊き込みボタンを押すと、今度はフライパンにバターを乗せつつうむむと唸った。
出来たてを用意するならまだ少し早いか。連中が起き出すのは六時半だ。時間は台所に立ってからまだ十分ほどしか経ってない。

仕方ない、と思いながら俺は肩をすくめてベランダへと。

リビングの大窓を開けて出られるベランダは、八畳ほどの広さがある。
今まではここでシグナムが木刀やら竹刀やらレヴァンテインを気分で持ち替えて素振りをしたりしていたけれど、現在は洗濯物スペース。

昨日は乾ききってなかったから取り込み損ねた衣類に触れてみれば、どうやら今度こそ取り込めそう。
隅に寄せておいた洗濯籠を片手で持ちつつ、せっせと洗濯物をまとめ始めた。

俺の下着やらなんやらもあるものの、所帯が所帯なので女物が圧倒的に多い。
シグナムのはまぁ慣れてるから抵抗はなかったものの、なのはとシャマルのは……と思いつつも、身に着けられてもいない下着にリビドー感じるほど青くもないので機械的に洗濯籠へと放り込む。
ヴィヴィオの女児パンツは色気もへったくれもないので論外である。

洗濯物を一式取り込むと、再びリビングに戻って今度は畳む。
服は普通に畳めるものの、下着は……まぁ、無双の境地に至って処理。
取り込むときと畳むのでは、色々と違うのである。

『慣れましたね』

「いい加減に慣れないと駄目だろ」

『初々しさがなくなって悲しい限りです。
 最初の頃は顔を強張らせつつ作業していましたのに』

「うっさい」

それは失礼、とからかってくるSeven Starsを一蹴しつつ溜息を付いて、畳み終わった服をソファーの上に並べるとキッチンに舞い戻った。

時間もちょうど良い頃合。もう起きてくるだろう。

ソーセージを茹でてスクランブルエッグの卵を溶きつつ人数分の皿を用意して、と。
同時進行で作業を進めていると、蝶番の軋む音が響いた。

目を向ければ、そこにいたのはシグナムだ。流石に朝が早い。
もし俺が主夫やってなかったら、この子は今よりもっと早く起きていただろう。

「おはようございます、父上。
 朝ごはんはなんですか?」

「スクランブルエッグ」

「……好きですね、スクランブルエッグ」

「……卵料理は楽だし美味しいじゃないか」

「否定はしません。
 それに父上の料理は好きですから。
 何か、手伝いましょうか?」

「……そうだな、料理の方は良いや。面倒ってわけでもないから。
 洗濯物を畳んでおいたから、それを持って行ってくれるか?」

「分かりました」

小さく頷いて、シグナムはソファーに乗せられた洗濯物を手に自室へと戻ってゆく。
ちなみにシャマルはシグナムと同室だ。元々仲の良かった二人だから、特に反発もなく相部屋に納得してくれた。

ちなみに俺は自分の部屋がなくなることに徹底抗戦したけれど、ヴィヴィオに駄々こねられたなのはに負けてご覧の有様。
邪魔な私物は全部レンタル倉庫行きだよ。

そんなことを思っているとシグナムがリビングへと戻ってくる。

彼女はソファーに座るとテレビの電源をつけ、ぼーっと画面に視線を注ぎ始めた。
俺は視界の隅でシグナムを見ながらも手を止めず朝食の用意を進める。

そうして言葉を交わさずに過ぎた時間はどれぐらいだろうか。
それほど長くはなかったと思う。

「父上」

「なんだ?」

投げかけられた言葉に視線を向けず、声だけを返す。
俺が忙しいと分かっているのか、シグナムは気にせず先を続けた。

「父上は今の生活をどう思っていますか?」

「どう、って? 楽しいけど、それがどうかしたか?」

「……いえ、それなら良いのです。
 嫌気が差していたら、と少し心配で」

「なんでまた」

思わず苦笑して、シグナムへと視線を投げた。
俺と同じように彼女も苦笑している。

「父上がこういった細かいことを好きなのは分かっています。
 それに、戦うことが別に好きでないことも。
 ただそれとは別に、求められているのならば応えたくなる……なんと云うか、良い人であることも知っているので」

「男に良い人って云うのは駄目だぞー」

「……あ、いえ、父上はそれプラス格好良いので大丈夫です!」

何故だか慌てたようなシグナム。
そんな娘の姿に苦笑をより濃くして、スクランブルエッグのでき具合を匂いで判断。
更に盛り付けつつ、フライパンにバターを乗せてもう一回。
今まで二人分しか作ってこなかったから、五人分を一気に作るのは不慣れなのだ。

ともあれ、少し意地悪だったかもしれない。
冗談だよ、と零すと、シグナムは微かに頬を膨らませた。

「……一応、真面目な話ではあったのです」

「悪い悪い。続けてくれよ。黙って聞いてる」

「よろしい。
 ……ヴィヴィオや高町さんに求められたから今の状態を続けている、と私は思っていました。
 父上が望んだわけではなく、と」

要はノーと云えない日本人、ってことなんだろう。
好き好んで主夫生活をやっているわけではない、と。

確かに魔導師として復帰しようとは思っていたし、ヴィヴィオのベビーシッターを続けて俺は何をやっているんだろうと思わないこともない。

けれど――楽しいことは、確かだから。
これが俺の望んだ平穏だ。

確かに以前までの生活は刺激的で、満たされる感覚は存在していた。
けれど、それを求め続けるのはどうなのだろう。

あの状況は異常であり、足掻き続けているという自負があったからこそ満足できていたのだと思う。
一生懸命、自分のできることを尽くしていた。そんな風に毎日を過ごしていたから。

けれど、それはそれだ。
飢えているなら飢えていれば良い。満たされないなら満たされないで良い。
望んだ毎日を甘受している今、閃光のように進み続けた過去の日々は必要ない。

「……俺は幸せだよ、シグナム。
 お前がいて、皆がいて。切羽詰った状況なんて何も起こらない日々だけど、それで充分だ。
 もどかしさは確かにあるよ。けれど、無駄とは思わない。
 それに、こうして主夫やってると色んな発見があったりして楽しいからさ。
 ……お前には、悪いと思うけれど」

「……えっ?」

「俺の守護騎士になりたい。それが、シグナムの夢だっただろ?
 けど俺は現場から離れてこうしてるし」

「……そんなことですか」

安堵したような響が声には籠もっていた。
シグナムは苦笑を浮かべて、柔らかな視線を俺へと向けてくる。

「……確かに、父上の側で守り、戦うことができないのは残念かもしれません。
 私の本分を発揮できるのは、それですから。
 しかし今の日々でも、私にはできることがあります。
 父上の選び掴んだ日々を守る。それが守護騎士である私の使命です。
 ……そう思っていたから、少し驚きました。
 何を謝られたのだろうか、と」

「……そっか。良い娘を持ったもんだな、俺も」

「はい。こんな娘はそうそういません。大事にしないとバチが当たるというものです」

「おお怖い。じゃあシグナム大明神様の朝食は大盛りにしてあげましょう」

「よきに計らえ」

小芝居が途切れると、俺とシグナムは二人でくすくすと笑い出した。

そうしていると、俺の部屋から二つの人影が出てくる。
寝ぼけ眼を擦っているヴィヴィオと、しっかりと目を開いているなのはだ。
二人はリビングに入ってくるなり笑っている俺たちを不思議に思ったのか、同時に首をかしげる。

その様子がさっきから続いている笑いを加速させて、同時に俺たちは噴き出してしまった。














リリカル in wonder

   ―After―













薄いぼんやりとした意識の中で、なのはは自分が誰かに電話をかけているのだと思った。
何故かは分からない。自分はこれからそうしなければいけないという、意味の分からない義務感があったのだ。

しかし固い意志とは裏腹に、思考は掠れて酷く現実味が薄い。
どうしてだろう、と疑問に思った瞬間、ふと思い出す。

これは夢だ。まだ自分が子供と云って良い歳だった頃の夢。

それはいつのことだったか。
はっきりと覚えているわけではない、と思う。
過ごしてきた毎日の中に自然と埋没した、平凡な日々だったと――
いや、違う。

この日のことは、あまり思い出したくない類の代物として、なのはは記憶していた。

なのはの手にした携帯電話。それがずっと上げていたコール音が止むと。
もしもし、と疲れた様子の声が上がったとき、彼女は息を呑んだ。
どんな言葉を彼に向ければ良いのか分からない。確かこの時、自分の頭は真っ白になっていたと思う。そんな風に、なのはは覚えていた。

これはもう十年近く前の出来事。確か、正月を少し過ぎた頃のことだったか。
戦闘機人事件を切っ掛けに出世し、魔導師としての実力を認められ、どんどん先に行ってしまうエスティマに対して焦りを覚えていた時期の自分だ。
今から見れば、その時の焦りはとんでもなく幼稚だと思える。子供の癇癪それそのものだとすら。
しかし視野が狭まっていた当時の自分はそれに気付くこともできず、猪のように彼へと模擬戦を挑み、引き分け。
私は何もできないんじゃないか、なんて漠然とした不安を抱えて――けれど、友人たちに電話をし、話を聞いて貰って、これからエスティマに謝ろうとしている瞬間だ。

なんでそんな時のことを、とも思う。
有り体に云えば、なのはにとっての黒歴史。
夢ではなく目を覚ました状態で誰かからその時のことを聞かされたら、真っ赤になってやめて! と云うぐらいには。

が、夢の中の出来事に深く考えることなどできはしない。
意識が覚醒に――夢から覚めるのが近いと思いながら、なのはは過去の出来事を反芻していた。

『……なのは、だよな?
 どうした? さっきまで顔を合わせてただろ?』

「……あ、うん」

頷き、幼い自分は声を止めてしまう。
謝らなければならないと思って電話したのは良いものの、やはり口にするのは躊躇ってしまうのか。
どうしてだっただろう、となのはは思う。
プライドが高くて云えない、というわけではないはずだ。
確かに自分は人より少しだけ頑固だとは思う。
けれど自らの非を認められないほどじゃないはずで、それは幼くても変わっていないだろう。

『……なんだよ。まだどっかおかしいのか?』

「お、おかしいって、酷くない!?」

エスティマに対して頬を膨らませる幼い自分。
すると電話口からは、くつくつと笑い声が聞こえてきた。

『じゃあほら。とっとと用事を云えよ』

「むぅ……」

さっきまでの緊張はどこに行ったのか、幼いなのははややムキになりながら携帯電話を握り締めた。
が、それを客観的に見ているなのはは、ああ、と思う。
エスティマがあんなことを云ったのは、おそらく会話をしやすくするためなのだろう。
それは気のせい。彼は口が悪かったりするし――とは、思わない。
もし六課にいた頃ならそんな風に思ったのかもしれないが、今は違う。

ヴィヴィオと共にいる時間に、なのはの知らない彼の顔をたくさん見ることができた。
思っていた以上に家庭的だったとか、戦いだけがすべてというわけじゃなかったりとか。
それに、ヴィヴィオがあそこまで懐くのも刷り込みなんかじゃないのだろう。
ちゃんと父親として――かどうかは分からないが――ヴィヴィオに暖かく接しているからこそ、ああも仲が良い。

勿論、駄目なところはたくさんある。
細かいようでやっぱり大雑把で、リアリストだと思えば夢見がちで、さっぱりしてると思ったら根に持つ性格。
その側面は一緒に暮らすようになってより強く見えてきたけれど――
そんな駄目なところがあるからこそ、彼という人間の長所は輝いているんじゃないかな、と彼女は思うのだ。

短所は時と場合によって長所になりうる。
大雑把さは頼もしさに、夢見がちな部分は共に希望を抱かせ、根に持つ性格はひたむきさに。

そんなことを考えていると、幼いなのはは唇を尖らせつつ声を放った。

「……結局私、エスティマくんに一言も謝ってなかったから。
 だから、謝ろうと思って」

『律儀だなぁ。別に気にしなくても良いのに』

「でも、それじゃ私の気が済まないの!
 ……エスティマくんに強引なことしたって、自覚はあるから」

『……自覚はあったのかよ』

「……ごめん」

呟き、肩を落とす幼いなのは。
それに連動しておさげもしょげたり。

が、口にした瞬間、あっ、と幼いなのはは目を見開く。
だが彼女の様子をエスティマが分かるはずもない。

「そ、そうじゃなくて!
 ともかく、今は謝りたくて電話したの!」

『ああうん、どうぞ』

「うっ……さあ謝れ、って風に構えられたら言いづらいよ」

『ワガママだな……』

「ひどー! っていうか、人としてその反応はどうなの!?」

ぷんすかと怒ってなのはが声を上げると、電話からはけらけらと笑い声が届いた。
いいように遊ばれてる。そんなことを考えて、やっぱり謝らなくても良いかなー、とついついなのはは思ってしまった。

『あはは、悪い悪い。
 けど、そんなに気にすることじゃないとは思ってるんだよ。
 お前の気持ちが分からないわけじゃないから』

「そうなの?」

『ああ。焦りなんて、それこそ誰でも抱くもんだろ。
 それが模擬戦なんて形になったのは行き過ぎだけど、まぁ、何事もなかったし、お前も反省してるみたいだから二度はない……と思いたい』

「うぅ……反省してます」

『なら、良いんじゃないか?
 さっきよりも元気みたいだし、悩み、解決したんだろ?』

云われ、幼いなのはは目を瞬いた。
自分が悩んでいることをエスティマに話した覚えはないのに、なんでそんなことを、と。
対して、電話の向こうから苦笑が響いてくる。

『見え見えだったぞ』

「……うぅ」

『ま、そういうことだからさ。
 今度悩むようなことがあったら、手よりも先に口を動かせよ?
 それだけ分かってたらあとは良いかな、俺としては。
 相談ぐらいならいくらでも乗ってやるから』

「……うん」

そう幼い自分が呟いたのを見て、そっか、となのはは思い出す。
相談ぐらいなら――とは云ってくれたものの、彼の向けてくれた心配が嬉しいと同時に悔しかった。
同い年なのにどうしてこうも――と。

自分と彼は対等の立ち位置にいると思っていたのに、この瞬間、明確な差を覚えたのだ。
そうだった。この頃から、自分は彼をずっと意識していた。
置いて行かれないように。いつまでも並んでいられるように。

なんでそんなことを思ったのかは分からない。
この時の自分はどんどん先に行ってしまう友達たちと比べ、自分が進歩していないように思っていたからなのかもしれない。
その推察はきっと正しいけれど――彼を友人として、魔導師として、男の子として認めていたからこそ、並び立っているという事実が心地良かった。
それを、なのはは今になって自覚する。

振り向いて欲しかったわけじゃない。手を伸ばして欲しかったわけでもない。
ただ、すぐ側に自分がいるということを知っていて欲しかったんだ。

……その感情は、一体なんなのだろう。
幼い自分はこの時、彼を頼りになると思っている。そんな彼と並ぼうと、志を新たにしている。
けれど、今のなのはが当時の自分を見たら、それは――
















「……私」

ぽつり、と呟いた瞬間、夢は終わり眩い朝日が目を灼いた。
微かな痛みを感じる目を指で擦りつつ、なのははぼんやりとした頭で瞬きを。
気付けば、すぐ側には小さな温もりがあった。布団を開いて確認してみると、丸くなったヴィヴィオがパジャマの裾を握り締めている。
まるで離さないと云っているような姿に、なのはは小さく苦笑した。

「……レイジングハート、今何時?」

なのはの声に対して、レイジングハートは、起床時間十分前、と応えた。
ありがとう、と笑いかけて、なのははそっとヴィヴィオの指をパジャマから外す。
そして起き上がるとあくびを噛み殺しつつ、ベッドの縁に腰をかけた。

「……懐かしい夢だったなぁ」

声に出した瞬間、幼い自分のことを思い出して思わず溜息を吐いてしまった。
……止めよう。気分が沈む。恥ずかしすぎる。
頭を振って気を入れ替えると、彼女は視線を天井へと向けた。
のっぺりとした天井は一枚の画用紙のようで、見ていると、さっきまで考えていたことを思い起こされる。
それを強引にねじ曲げて、なのはは当時のエスティマを思い出していた。

無理無茶無謀をやっていたのは今と変わらないけれど、彼が大人っぽくなったのはあの頃からのような気もする。
PT事件の時は賢しいところもあったけれど、行動や言動は子供のそれ。
その彼が目に見えて成長した切っ掛けは……デバイスが壊れた時から、だろうか。

当時、そんな変化を見せたエスティマに対して、なのはは距離を置かれたと思った。
けれど実際には違う。今なら分かる。彼は、先に進んだだけだった。
最近になって知ったことだが、エスティマは闇の書事件の最中にスカリエッティから体を弄られていたという。
その事実を知ってか知らずか、彼は立ち止まることを由とせず歩き続けたのだろう。

だったら納得ができる。子供のままじゃいられなくなったから、そうするしかなかったのだ。
幼い自分はそんな彼を、皆と距離をとって――そして心の片隅では、ずるい、とすら思っていた気がする。
何がずるいのか、となると具体的には云えない。
けれど自分のように――管理外世界での生活、学生――しがらみを気にせず管理世界へ順応していった彼を、確かにずるいと思っていた。

けれど実際には違う。それは、不幸でしかなかった。
子供は子供のままでいれば良い。それが最上。
いずれ子供ではいられなくなる時間が訪れるのだから、その時まで豊かな時間を過ごすべき。

しかし子供は少しでも大人に、早く大人に、と望んでしまう。
きっと、自分がエスティマに対して焦りを抱いたのもそれだろう。
身近にいる父や兄、そんな完全な大人ではなく、今にも大人になろうとしている彼が羨ましくて。

「駄目駄目。あー思い出したくないー……!」

ばたりと後ろに倒れ込んで、布団に頭から突っ込んだ。
その衝撃のせいか、うにゅ、とヴィヴィオの呻き声が上がる。

「……起きるのー?」

「あ、うん。おはよう、ヴィヴィオ」

「おはよぅー……」

むくりと起き上がって目をゴシゴシ擦るヴィヴィオへ、声に出さずごめんね、と云った。
まさか黒歴史を思い出して悶えていたとは誰にも云えない。
丁度起きる時間が近かったのは、幸運だろう。

もぞもぞとベッドから降りると、あふ、と小さな欠伸をするヴィヴィオ。
なのはも同じようにベッドから降りると、一緒にリビングへと。

ドアを開けると既にシグナムは起きていたようで、エスティマと話しているようだった。
が、二人はリビングにきたなのはとヴィヴィオを見ると、急に笑い出してしまう。

なんでそんな風に笑われたのかとヴィヴィオは不思議そうに、なのはは朝っぱらからむっとしてしまった。


















『そんなに臍曲げるようなことかよ』

『別にお臍を曲げたりなんかしてませんー』

エスティマから届いた念話に対して、やや拗ねたような調子の声を返す。
するとエスティマは溜息を吐きつつも、呆れた様子を微塵も浮かべず、きゃっきゃとはしゃぐヴィヴィオの相手をしていた。

今、三人は――否、この場には全員が揃っている。
今日は珍しくヴィヴィオが出勤時間になるとぐずり始め、仕方がない、と出送ることになっていた。
少し前までの不機嫌さはどこへ行ったのか、エスティマとなのはに挟まれ、手を繋がれたヴィヴィオの機嫌は上々だ。
道を進む珍しい車を指差したり、看板に書いてある字を読み上げて褒めて褒めてと云ってきたり。

エスティマはそれに逐一反応して、ヴィヴィオが喜ぶように言葉を選び、返しているようだ。
そんな姿に少しだけ、なのはは嫉妬を覚えてしまう。
当たり前のことだが、仕事をしているなのはとエスティマでは、ヴィヴィオと接している時間がまるで違う。
今、ヴィヴィオの遊び相手という点では、きっと誰よりもエスティマが慣れているだろう。

けれど――だからこそ、ママ仕事に行っちゃヤダー、と駄々をこねてくれたことが、少しだけ嬉しかったり。

……ふと、思う。
少し前まではヴィヴィオが駄々を捏ねたりすることなどなかった。
悲しそうな顔をしながらも頷いてくれて――と。
その時の様子が、今では嘘のようだ。

けれど、とも思う。
駄々を捏ねると云うことは、要するに甘えているというわけで。
つまり、それだけヴィヴィオに頼りにされているということだろう。……この場合は、エスティマがだけれど。

それはともかく、

『じゃあなんでそんな不機嫌なんだよ、お前は』

『だから不機嫌じゃないってば』

ヴィヴィオの相手をしているのとは違い、念話で二人は若干険悪な雰囲気になっていた。
が、それはあくまで二人だけの間であり、声に出せばまた始まったとシグナムやシャマルが苦笑するだろう。
俗に云うじゃれ合いだ。

なのはが念話で云ったことは本当だ。
別に不機嫌なんかじゃない。ただ朝夢で見たことが気になって、エスティマとまともに顔を合わせられないだけだ。
それを彼は勘違いして、起床早々笑ったことをずっと謝ってる。

今まで、なのははずっと考えていなかったこと。
エスティマが自分と対等な人と思い始めた切っ掛けの出来事であり、そして、それを客観的に見た自分が抱いた気持ち。
それがどうしても脳裏にちらついて、彼の顔を真っ直ぐに見ることができないでいた。

『おーい、なのはー。なのはさーん』

『……』

当時の自分が抱いた気持ち。
それは頼もしさと同時に憧憬を、そして、そんなことは絶対にないと思っているけれど――

『……おい、なのは? どうした?』

『…………』

思考に没入してしまい、それ以外のことが頭に入ってこない。
自分の名を呼ぶエスティマの声は確かに届いているけれど、そちらに気を回す余裕が、今のなのはにはなかった。

あの時、何か、自分には足りないものを自分はエスティマに見た気がした。
それはやっぱり大きな意味があったことじゃない。思い出さなければそのまま忘れたままだったであろう感情だ。
けれど自分は確かにあの瞬間、彼に――

「おい!」

耳をつんざく怒声によって、なのははようやく我に返る。
それと同時に強く腕を引かれて、何かにぶつかったと気付き、顔を上げる。
すると側にはエスティマの顔があって――抱き留められていると気付いた瞬間、頭に熱が昇った。

「な、ななな……!?」

熱したヤカンにでも触れたようになのはは後ずさるも、今度は腕を引かれて再び胸板へと抱き寄せられた。

「馬鹿、ぼーっとするなよ! 信号赤だろ!?」

「……あっ」

云われて、ようやく気付く。
横断歩道に差し掛かったことは分かっていたけれど、信号にまで気は配っていなかった。

「……ママ、だいじょうぶ?」

「うん、大丈夫。ちょっとぼーっとしちゃってた」

エスティマと手を繋いだまま心配そうに見上げてくるヴィヴィオに笑いかける。
が、ヴィヴィオの表情は曇ったままだしシャマルとシグナムは困ったような顔をしていた。
そしてエスティマは、抱き寄せたなのはの頭を軽く叩くと、まったく、と溜息を吐いた。

「ぼーっとするのは良いけど、場所考えろよ。
 ……体調、悪かったりするのか? 仕事休むのは気が咎めるかもしれないけど、お前一人の体じゃないんだから無理するなよ」

「あ、その、大丈夫、だから。
 本当、今のはぼーっとしてただけなの」

「本当か? 顔、紅いぞ?」

「大丈夫だってば!」

『……信じられません。
 なんて……ベタな』

『Really』

デバイス二機が呆れたようにチカチカと光って、なのはは言葉に詰まってしまう。
そして、信号が青になった瞬間だ。

「み、見送り、ここまでで良いから!
 それじゃあねヴィヴィオ!」

「あ、ちょ、待ってなのはちゃん!」

「むっ、それでは父上、ヴィヴィオ。行って参ります」

最後に小さくシグナムが頭を下げると、三人は――というより、先頭のなのはに釣られて、走り去ってしまった。
何やってんだアイツら、と呆然とするエスティマだったが、ヴィヴィオが心配そうになのはの背中を眺めているのに気付いて、苦笑した。

「そーら」

「わわわ!?」

繋いでいた手を離して両脇を掴むと、そのままヴィヴィオを肩車。
一気に視界が開けたヴィヴィオは驚いて、ぐらぐらと揺れ出す。

「うお、ヴィヴィオ、パパの頭を掴んで良いからじっとして!」

「じ、じっとする!」

頭を掴んでと云ったのに掴まれたのは髪の毛だったり。
痛い痛い痛い、と胸中で叫びを上げつつ我慢するエスティマ。
そしてヴィヴィオがしっかり腰を下ろしたことを確認して、声を上げた。

「ママとお姉ちゃんたちは見えるか?」

「んっ……あ、見える!」

「よしよし。それじゃ、Seven Stars。少し手伝ってやれ」

『何をですか?』

「ヴィヴィオに念話を使わせてやれよ。
 で、ヴィヴィオ」

「なーにー?」

「頭の中で、ママに行ってらっしゃい、って云ってごらん」

「むむ……」

エスティマから顔を見ることはできないが、難しそうな顔をしているだろうことは、声から想像することができた。
そうして数秒経つと、やった、とぺちぺち頭が叩かれる。

「どうだった?」

「行ってきます、って! パパ、これ魔法? 魔法?」

「そう。念話、っていう魔法だよ」

「やった! ヴィヴィオも魔導師さんだ!」

「それはちょっと早いかなー……」

云いつつ、エスティマは止まっていた足を動かし始める。
どうやらなのはを心配していた様子も吹き飛んだようで、今は肩車で見える風景を楽しんでいるようだ。

「ヴィヴィオ、今日のおやつは何が良い?
 お家に帰るついでに、コンビニ寄ろうか」

「えっと、アイスがいい!」

「何アイス?」

「ストロベリー!」

「そっか。じゃあパパはチョコにしようかなー」

「……やっぱりヴィヴィオもチョコ」

「じゃあパパはストロベリーにしよう」

「同じの食べるの!」

「はいはい」

「まったくもう」

苦笑しつつ、ふと気付く。
今の、まったくもう、はなんだか響きがなのはに似ていた。
やっぱり似るもんだねぇ、と思いつつ、エスティマは肩車状態のヴィヴィオと一緒にコンビニへと向かう。




















なんとか職場にたどり着いたなのはは、朝の一件を反省しつつ普段通りに仕事をこなしていた。
なんであんな風にぼーっとしていたのか……は、深く考えることもない。
ただ子供の頃の自分が、あんな気持ちをエスティマに抱いていただなんて思ってもいなかっただけだ。

……その想いは、上手く形容できない。
明確な、これ、と云ったものではなかったのは事実のはずだ。
けれど少しは物事が分かる歳になった今の自分から見れば、思い起こすことで胸に熱が宿るような、あの出来事は――

……止めよう。

そこまで考え、なのはは思考を止めた。
その理由はただ一つ。考えちゃいけない、とも思う。
今の状況――なんの繋がりもない自分たちが寄り添って生活している状況は、ヴィヴィオがいるからだ。
そう、ヴィヴィオのためと云っても過言ではない。ヴィヴィオが物事を分かる歳になれば終わる茶番でしかない。

それがあとどれだけの時間、何年続けられるのかは分からないけれど――なのははそれを"許してもらっている"のだ。
制限時間がいつかは分からない、それぞれに役割を与えられた家族ごっこ。
そんな風に云ってしまうことはヴィヴィオに悪いとも思う。
あの子は今の自分たちを本当の家族だと思って毎日を過ごしているだろうから。それをごっこと吐き捨てるのは、心を踏みにじる行為に近い。

それを申し訳なく思う、けど――

「……あまり考え込まない方が良いかもね」

『Master?』

「こっちの話。ありがとう、レイジングハート」

気を遣ってくれた愛機をそっと指で撫で、なのはは席から腰を浮かせた。
昼食時間となったオフィスには、あまり人気がない。
大半の者が食堂で食事を取り、ここにいるのは弁当を作ってきたか、出前を取った者のみだ。

なのはも同居を始めた最初の頃はエスティマの弁当――とは云っても中身の半分は冷凍食品――を食べていたけれど、残念なことに量が足りず食堂を使うことに。
教導隊とは云っても魔法を使い、その消費カロリーは馬鹿にならない。
六課の前線フォワードたちほど食べるわけではないものの、世間一般の女性よく多く食べなければならないのだ。
でないと体が保たない。一回や二回はともかく、毎日微妙に腹を空かせて午後の教導を始めると考えると気が重くなるし。

財布を持ってオフィスを後にすると、そのままなのはは食堂に向かった。
廊下を進んで目的地に近付く毎に、食堂から届くであろう喧噪が聞こえてくる。
ケースの中に入れられた見本を横目で流し見ながら、なのはは足を進めた。

数多のテーブルが置かれた広場には、雑談しつつ昼食をとっている者の姿が多く見られる。
それを見回して――ふと、なのはは見知った顔を見付けた。
はやてだ。彼女もなのはに気付いたのか、控えめに手を振っていた。

……少し、気まずい。
そう思うのは、やはりさっきまで考えていたことが原因だろう。

あまり顔を合わせたくなかったけれど、そんな些細なことで無視できるほど彼女は軽くない。
気にしない気にしない、と口の中で呟いて、なのはははやてが座る席へと進んで行った。

「……はやてちゃん、どうしたの? こんなところに」

「ん、お仕事で近くまできたから寄ったんよ。
 忙しいと悪いからメール送ったんやけど、気付かへんかった?」

「あ……ごめん」

「ええよええよ。ほら、早うご飯とってこんとお昼が終わってまう」

「うん。じゃあ席お願いね」

苦笑しつつ再び席を離れ、なのははポケットから携帯電話を取り出した。
画面にはメールが二件、とある。
一件ははやてから。もう一件はエスティマからだ。
『今日もヴィヴィオは元気です』
そんな本文と一緒に、肩車されたヴィヴィオが手綱のようにエスティマの髪を引っ張っている写真が。
エスティマ本人は死んだ魚の目をしている。おそらく、Seven Starsが撮ったのだろう。

「……仲が良いんだから」

呟き、はっと頬に手を当てた。
気付けばいつの間にか笑んでいて、さっきまで鬱々と考えていたことが嘘のようだ。

それを少しだけ心苦しく思いながら食事を受け取り、はやての元へ。
見れば、彼女はもう昼食の大半を食べ終わっている。

「ごめんね、遅くなって」

「気にせんでええよ。さ、ご飯食べよか」

「うん。じゃあ、いただきます」

云うと、なのはは早速食事に手を付けた。
あまり時間が残っていないのは確かだ。話すことはできても、それにかかりっきりだと昼食を食べ尽くせないかもしれないぐらい。
先に片付けよう、とやや急いでなのはは食事にとりかかる。

それに気付いているのか、はやても強引に話しかけようとはせず、ゆっくりと食事を平らげていた。

「なのはちゃん、最近はどう?」

「どうって?」

なのはが食事を食べ終わると、ゆっくりとした口調で彼女は話しかけてくる。
なのはは最後の総菜を飲み込むと、首を傾げつつ問い返した。

「私がなのはちゃんに聞くことなんて、一つしかあらへんやろ。
 エスティマくんとヴィヴィオ、どうしてる?」

「あ、うん。ほら、これ」

そう云って、なのははついさっき届いた画像をはやてへと見せた。
彼女はぱちぱちと眼を瞬くと、何これ、と可笑しそうに笑い出す。

「あはは、なんやこれ!
 エスティマくんも大変やなぁ」

「ヴィヴィオ、すっごく懐いちゃって。
 やっぱり一日中遊んでもらっているからかな?」

「んー、それもあるんやろうけど、やっぱり甘えさせてくれるからやろうなぁ。
 おじーちゃんとかおばーちゃんを好きになるみたいな」

「あはは、じゃあエスティマくんはおじいちゃん?」

「んー……甘えさせてくれるお兄ちゃん、ってところやない?」

云って、はやては携帯電話の画面に表示された画像、そのエスティマへと指を這わす。
さっきと云っていることは違うものの、気持ちが分からないわけではなかった。
……今の言葉の中に、父親という呼び方がなかったのは少し穿った考えだろうか。

「ヴィヴィオが懐いてるのはともかく、やっぱりエスティマくんも愛着湧いてるんかなぁ」

「……うん。見てれば分かるけど、エスティマくんもヴィヴィオのこと大事にしてるよ」

「そか。……うん、別にそれ自体はええことやと思う。
 やっぱり愛して愛されて、ってのが何事においても一番やと思うし。
 構ってくれる人が自分のことを好いてなかったら、ヴィヴィオもここまで懐いてないやろ」

「うん」

……言葉の節々に棘があるような気がするのは、少し神経過敏だろうか。
はやての表情にはなんら変化が見られない。
じっと写真に目を向けて、楽しそうに喋っている。
だから別に――責められてるわけじゃ、ないはずだ。

「……なぁ、なのはちゃん」

「……何?」

「なのはちゃんは、今の生活をどう思ってる?」

「どう、って……楽しいよ?」

「せやね。それは見てれば分かるし、そうやなかったら私もやられ損」

「……悪いとは、思ってるの。
 けど、ヴィヴィオは――」

「うん。ヴィヴィオにはママとパパが必要ってことも分かっとるよ。
 それはともかくとして、なぁ、なのはちゃん」

そこまで云って、はやてはずっと写真に注いでいた目を上げた。
テーブルの腕で指を絡ませると、じっと視線を向けてくる。
それを正面から見ることができずに、なのはは顔を俯かせてしまった。

……なんで、逃げるようなこと。

負い目は確かにある。はやての気持ちは知っていて、その上でエスティマを引っ張っている自覚はある。
けれどそれは、仕方がないからで――そう、負い目はあるけれど、それははやても自分も分かっているはずなのに。
……どうして私は逃げたいなんて思っているんだろう。

その理由になのはが気付くよりも早く、はやては口を開く。
ただ黙して、なのはは言葉を聞くことしかできなかった。

「なのはちゃんは、今の状況をいつまで続ける気なん?」

「いつまで、って……それは、ヴィヴィオの物わかりが良くなるまで」

「本当に? それは、なんで?」

「だって、今のヴィヴィオに本当のママやパパはいないなんて云ったら、傷付くだろうから」

「……私からすれば、後になって云った方が傷付く気がするんやけどな。
 物事が分かるようになって……けど、その頃にはなのはちゃんやエスティマくんと血の繋がりがないことぐらい気付くやろ。
 その時になってはいお別れ、ってなったら、きっとどんなことよりも悲しいで」

「……意地悪だよ、はやてちゃん。
 だったら――」

「最初から詰んでた。
 ……私は、今になってそう思うようになったんよ」

詰んでた、とは何を指しているのだろう。
状況そのものが、だろうか。確かにそうだろう。
いずれ訪れると定められたタイムリミット。けれどそれを迎えて大人しく自分たちはヴィヴィオと別れることはできるのだろうか。
流石に未来のことなど分からない。だから断言はできないけれど、絶対に無理と断定してしまいそうになる。
自分で云っていることが支離滅裂なのは理解していた。感情が何よりも優先されて事実が分からなくなってくる。

……いや、それよりも。
はやてが詰んでいると云った事柄は、もっと別のことじゃ――そんなことを、なのはは思う。
それが何かは、やっぱり分からなかったが。

「なぁ、なのはちゃん。少し、もしもの話をせえへんか?」

「もしも?」

「そう、もしも。
 私がエスティマくんのことを好きってことを忘れて考えてみて。
 ……なのはちゃんは、いつまでも皆と一緒に暮らすんか?」

「……うん」

「それは、ヴィヴィオのため?」

「当たり前だよ」

……本当に?
口にした瞬間、じくりと胸の内が疼いた。
それを振り切るようにして、なのはは強引に笑みを浮かべる。

「それに、皆と暮らすの、私も楽しいし。
 それでヴィヴィオが笑ってくれるなら、一石二鳥じゃない?」

「……なのはちゃんは、エスティマくんのことが好きやないの?」

「……はやてちゃんも知ってるでしょ?
 私、そんな風にエスティマくんのこと見たことないよ」

「……ふーん」

最後の言葉は、酷く興味がなさそうだった。
いや、興味が失せた、という云い方が正しいのかもしれない。

何か色を付けるならば、それは失望だろうか。
なんだろう、となのはは疑問に思う。
もしはやてがこの問題に感情を抱くのならば、それはきっと嫉妬だろうと予想していた。
しかし今まで彼女が自分に向けた言葉は、それとはまた微妙に違う気もする。

はやては腕時計に視線を落とすと、トレーを手にして立ち上がる。

「……似たもの同士、なんかな。
 ううん、自分の気持ちを誤魔化さない分、まだエスティマくんの方が――」

「……えっ?」

「なんもあらへん。そんじゃ、またな」

短く切り捨てて、はやてはそのまま振り向くこともなく下げ台へと歩いて行った。
そんな彼女の背中を見ながら、テーブルの下でなのはは手を握り締める。
……そんな風に見たことはない。嘘じゃない。そのはず、なのに――

「……どうして、苦しいんだろう」

この苦しさははやてへの罪悪感か。それとも、いずれ訪れるヴィヴィオとの別離に思いを馳せたからか。
それとも、別の何かか。

なのはには分からなかった。
……分かりたくは、なかった。















「……で、どうしたんだよ」

「……え?」

不意に問いかけられた言葉に、なのはは間抜けな声を上げてしまった。
だが、すぐにその原因へと思い至る。おそらく、自分の様子がおかしいと気付かれたのだろう。

原因ははやてとの会話だ。
あれ以降、どうしてもなのはは会話の内容を考え込んでしまい、自分でも分かるぐらいに戸惑っていた。
その状態でも仕事をこなしたのは流石と云えるだろうか。
しかし親しい友人――家族にとってそんな彼女の様子は、やはりおかしく見えたのだろう。
それでも何も触れずにおいてくれたことを有り難く思ったものの、少しの寂しさを感じていた。

いつものように夕食を食べて、ヴィヴィオとじゃれ合いながら風呂に入り、眠りに就く。
床について寝入るヴィヴィオの顔を眺め、娘が完全に眠ったのを確かめ自分も――その矢先に、エスティマが声をかけてきた。

布団を敷いて床に寝ている彼の顔は、ベッドの上から見ることはできない。
カーテンの隙間から差し込む月明かりが照らすのは、布団を被った彼の肩だけ。
……彼の顔を見たいような、見たくないような。
複雑な気分になりながら、なのははヴィヴィオを起こさないよう声量に気を付ける。

「……おかしかった?」

「見てれば分かる。皆、気付いてたよ。
 けどまぁヴィヴィオの前でそんな話をするのもなんだから、ってことで、俺が相談係を担当することになったんだ」

「……相談係」

「俺より、そういうのはシグナムの方が向いてるんだけどな」

おどけた風に云うエスティマとは違い、なのはは相談係という言葉で、今朝の夢を思い出していた。
相談ぐらいならいつでも乗ってやるよ――そんな台詞を実行に移されているみたいな。
勿論、彼はあんな昔のことを覚えてなんかないはずだ。

……何、勝手に舞い上がってるんだろう。馬鹿みたい。
自分で浮かび自分で沈む。器用なマッチポンプを行いながら、なのはは口を開いた。

「……今日ね、はやてちゃんと一緒にお昼を食べたんだ」

「……そっか」

エスティマがはやての様子を聞いてくることはなかった。
ただ、納得したような響きを乗せて、事実を確認したように短く声を発する。
普段ならば彼女が元気かどうか、なんて当たり障りのないことを聞いてくるだろう。
けれど、今は違う。
なのはが気落ちしている原因はそれだ、と云わんばかりの前置きなのだ。
そこに水を差すほど、彼はおめでたくなかった。

「それで?」

「いつまでこのおままごとを続けるの、って云われた」

「おままごと……否定できない分痛烈だな、それ。
 ……それで何も言い返せなかったのか?」

「ううん。ヴィヴィオがもうちょっと大人になるまで、って。
 最初に決めてたことだし、否定はしないよ。寂しいけど。
 今みたいな時間はいつか終わるって分かってる。
 それでも私、ヴィヴィオを甘えさせてあげたかったからエスティマくんをおままごとに引き込んだんだ」

「……止めろよ。
 確かにおままごとかもしれないけど、お前がそんなこと云ったら可哀想だ。
 偽善のままごとでも良いじゃないか。
 それでヴィヴィオが喜んでいるのは確か。なら、無意味じゃない。
 そもそもいい人ぶってそんなことをしているわけじゃないんだ。
 他の誰が何を云おうと、俺はこの毎日を善だと思う」

「……ありがとう。
 ……ねぇ、エスティマくん」

「なんだ?」

「エスティマくんは、今の毎日が楽しい?」

「ああ、楽しいよ」

迷いなく言い切られた言葉には、どこか達観するような響きが混じっていた。
おそらく、いつかは終わる、ということを彼は――彼だからこそ良く分かっているからではないか。
そんな風に、なのはは思う。

だから、

「私も、楽しいよ」

そんな風に、呟いた。
あなたと同じことを私も感じているから。
そんな意思を乗せて。

……なん、だろう。

それを言葉にした瞬間、言葉にできない違和感が胸を襲った。
彼と同じ気持ちを抱いて、同じ日々を生きている。なのに、それが酷く虚ろなような気がしてしまった。
有り得ない。毎日は充実している。
ヴィヴィオと一緒に寝て、起きて、帰ってくれば迎えてくれて。
自分で娘と定めた少女と共に過ごす毎日は、幸福であるはずなのに。

……先ほど感じた感覚は、どこか空腹感に似ている。
満ち足りない、と云えば良いのだろうか。飢えているはずがないのに、飢えてしまっているような。

そんなはずはない、とも思う。
毎日は幸せで、これ以上を望んではいけない。
だって――それが"約束"だから。だからこの日々に詰まっている幸せは飽和状態に達し、これ以上ないぐらいに自分を満たしてくれている。
……そのはず、なのに。

何が足りない? 分からない。嘘だ、分かってる。

「も、もう寝るね……」

「良いのか? 悩みらしい悩みは聞けてないような気もするけど」

「ううん、誰かに聞いてもらっただけで、楽になったよ。
 ……ありがとう、エスティマくん」

「そっか。じゃあ、俺も寝ることにするよ。
 おやすみ、なのは」

呟き、エスティマは布団を被り直すと寝返りを打った。
それを最後に見て、なのははぎゅっと目を瞑る。

有り得ない、有り得ない、と自己暗示のように胸中で呟いて、何も考えないように努める。
頭の中をわざと空っぽにして、思考することそのものを否定するかのように。

……私は、何も知らない。思ってない。
彼と自分は友達だ。性別を超えた友情は生まれないとどこかで聞いた覚えがあるけれど、自分と彼だけは違う。

違うんだから……!

息を殺して、必死に自らへと言い聞かせるように、なのはは念じる。
今までずっと見ていた風に、また明日から彼を見られるようにと。
それが一番良い。そのはずだからと信じて。




















『旦那様』

『なんだ』

『少しばかり意地が悪いと思います。
 ……気付いているのではないですか?』

『何にだ?』

『本気で云っているのですか?』

『お前の質問が抽象的すぎるんだよ。
 俺が、何に、気付いているんだ?』

『……失礼しました。出過ぎた真似をしたようです』

寝たふりをしながらSeven Starsと交わした念話は、それで打ち切られる。
俺が何を考えているのか、おそらくSeven Starsも分かったのだろう。

……分かってはいるさ。なんとなく、薄々とは。
けれど、それでどうなる。これはなのは本人の問題で、俺が立ち入って良いことじゃない。

そんな風に考えることは、逃げなのだろうか。分からない。
自分が流されやすい人間だってのは理解しているつもりだ。
けれど、今の状況は果たして流されていると云えるのだろうか。
勿論、客観的に見ればそうなのだろう。

始まりは俺の意思ではなく、乞われるがままに今の生活が始まった。
他にするべきことがあると分かっていながらも、俺は今の日々を続けていた。
けれど――なのはと過ごす毎日が続けば良いと思うのは、俺の本音でもある。
いつか終わると分かっていても。けれどそれが終わらなければ良いと願うことは間違いだろうか。

……願うだけなら間違いじゃないとは思う。
けれど、それが実現した場合――おそらく、間違いなのだろう。
最初から、いつかは終わると決められていたこの日々をずっと続けたいと願うことは。

……俺もなのはも、それを分かっていたはずだった。
その上で共に生活をするようになったけれど、やはり、惜しいと思ってしまう。
けれどそれは、いうなれば約束を破るようなもので――やはり、良いことではない。

なぜならば、待ってくれている彼女に申し訳が立たないからだ。























そうして、どれぐらいの時間が経った頃だろうか。
不意に、騒々しい音が部屋の中に響き渡る。
ガタガタと物を打ち鳴らす音色はただ不快で、無視しようと努めるものの、一分、二分、と続き我慢ができなくなった。

音の出所は、エスティマの携帯電話だ。
机の上に置かれたそれは画面を明滅させながら着信を告げている。

エスティマの方を見てみるも、彼に起きる気配はない。
仕方がないなぁ、と溜息を吐いてヴィヴィオとエスティマを起こさないよう、ベッドから抜け出す。

床で寝ているエスティマを踏まないように気を付けて携帯電話を手に取り、そして、ディスプレイに映っていた名前になのはは眼を細める。

八神はやて、と名前が表示され、それと一緒に彼女の写真が写っていた。
あの恥ずかしがり屋のエスティマがこんな設定をするわけがない。
おそらく、はやてに弄られて――そこまで考えた瞬間、携帯電話を握っている手が酷く強ばっていることに気付いた。
プラスチックでできた端末は、ギチ、と微かな悲鳴を上げている。

どうして自分がそんなことをしているのか分からない――ふりをした――まま、部屋の中でなのはは立ち尽くす。
暗闇の中、なのはの表情は携帯電話のバックライトによって照らし出されている。
青白く浮かび上がった輪郭。その中心にある表情は冷たいほどに無表情であり、頬を僅かも動かさず、彼女は指を端末に伸ばした。

電源ボタンを二度押して、通話をすぐに終了させる。
その動作を行った直後、なのはは震える唇を開き、

「……だって、夜、遅かったし。
 エスティマくん、寝てたし」

まるで誰かに対する言い訳のよう。否、言い訳そのものを、口にした。






[7038] なのはEND?
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/04/23 23:33

「父上、おかわりをもらえますか?」

「ヴィヴィオもー!」

「はいはい」

云われるがままに空の茶碗を手にとって、立ち上がる。
今日も元気なようで何よりだ。

そんなことを思いつつ、視線を横へと投げた。
ヴィヴィオの隣に座っているなのは。彼女はヴィヴィオの食べこぼしを仕方ないと苦笑しつつティッシュで片付けている。
すべてをティッシュに丸めて、ゴミ箱へ――というところで、ふと、彼女は疲れを表情に滲ませた。

別にヴィヴィオの食べこぼし云々が関係しているわけではない。
最近、なのはは何かに疲れているような表情を見せることがある。
この生活に、というわけではないだろうけれど……いや、ある意味ではそうかもしれない。

はやてと一緒に昼を食べた日から、か。
なのはがたまに表情を陰らせるようになったのは。

なんとかしたいとは思うものの、俺がどうにかできる問題なのかって疑問がある。
なのはが悩んでいる問題がなんなのか。まずはそこからだ。

そもそも自分の悩みを他人の打ち明けるのを嫌うあの頑固者。
俺も分からないわけじゃないから、無理に聞き出そうとはしないけれど、このままじゃいつかは限界がくるだろう。

……要するに、弱みを見せるのが怖いんだよな。
自分が躓くことで誰かに心配させて、この平穏を壊したくない。
だから誰にも云えず、内に内にと籠もってゆく。

それではいけないと分かっていながらも、限界まで抱え込もうとする。
そうしてパンクする頃には、手遅れになっている事柄が多数……ああ、自分を見ているようで実に嫌だ。

さて、そんな時の俺はどんな風に立ち直っただろうか。
……生憎、身内にお節介焼きが大量にいたから嫌がっても押しかけられてたな。
まぁ結局は自分でなんとかしないとと思って引きこもっているだけみたいなものだから、そうなるのも当然か。
で――今、この状態のなのはをどうにかできるのは、

「……俺しかいないのか?」

呟き、本当にそうだろうかと考えてみる。
シグナムはおそらく気付いていないだろうし、ヴィヴィオは気付いていたとしても慰める以上のことはできない。
シャマルは……どうだろう。俺には分からない。
残るなのはの友人と云えばフェイトだが、この一件に関しては完全に蚊帳の外。
はやてはなのはに対して問題を突き付けた張本人のようなものだから、問題外。

……いや、探せば的確なアドバイスできそうな人がいそうな気がする。
だのに真っ先に自分でなんとかしないと、と思ったのは普段の悪癖ではなく――

……きっと、俺自身があいつの相談に乗ってやりたいと思っているからかもしれない。
なんでそんなことを思うのかは、いまいちはっきりとしない。
ままごととはいえ、なのはのことを家族と思っているからだろうか。

「父上、まだですか?」

「パパー!」

「ああ、悪い。すぐ持って行くよ」

いつの間にか止まっていた手を再起動させて、炊飯器から茶碗に白米を盛りつける。
指についた米粒を舐めとりつつ、どうしたもんか、と胸中で溜息を吐いた。
















リリカル in wonder

   ―After―












最近、時間の流れが遅いようで早い。
一人、海岸線を歩くなのはは夕日を眺めながらそんなことを考えていた。
定時で仕事を上がり、今、なのはは真っ直ぐ駅に向かわずに、はやてとの待ち合わせ場所へと向かっていた。
海岸のすぐ横、防波堤を挟んで真っ直ぐに伸びている道路にはあまり車が走っていない。
市街地からやや離れたここは、やはりこの時間ともなれば人気が少なくなるものなのだろう。
なのははそのことを知っている。
ここからそう遠くない六課の隊舎――今は他の部隊が使っていると聞く――も、緊急出動の際にスムーズに動けるようにと辺鄙な場所に建てられていたのだ。

この場にある僅かな気配はサーファーぐらい。
道を進む車も空いていると分かっているのだろう。いやに飛ばすスポーツカーが目に付いた。

風に髪を撫でられながら、視線を海に注ぎつつ、なのはは足を進める。
無表情――ではなく、彼女の顔には少しの憂鬱さが滲んでいた。
美人がそんな顔をしていたら少しは絵になるのかもしれない。だがそんなことは関係なく、どうしよう、と彼女は胸中で呟いた。

はやてに今の生活をどうしたいのかと問われてから、どれぐらいの時間が経っただろう。
五日かそこら、だったかもしれない。
けれど実際にはもっと時間が経っているような――昨日のことだったような。
時間の感覚は曖昧で、酷く現実味がない。地に足が着いていないような浮ついた気分が、ずっと続いていた。

ままごと、と形容したときに、エスティマはそんな云い方をするなと云っていた。
けれどままごとなのは事実だ。
父親役のエスティマ。母親役の自分。長女次女にシグナムとシャマル。
ヴィヴィオを育むために作られた箱庭でありごっこ遊び。
いや、遊びではないけれど、事情を知らない第三者から見ればこの環境は酷く歪だろう。

……それは、分かっている。
最初から詰んでいたというのも、分かっていた。
分かっていて、けれどヴィヴィオの悲しい顔に我慢ができなかったから始めたことで。

「……なんで苦しんだろう。
 分かっていたことだった。
 惜しいのは確かだけど、それでも諦めることはできたはずなのに」

じくじくと、心を蝕み腐食させようとする疼きはあの日からずっと続いている。
その原因がなんなのか――敢えて、なのはは見ないふりをした。
それがこの悩みの原因でもあるということに気付きながらも。

……自分は今幸せで、いつかくる終わりが怖いからこんな気分になっている。
そんな風に己へと言い聞かせても、蓋をした鍋から噴き零れた感情が囁きかけてくる。

嘘つき――と。

けれど、なのはは全力でそれを無視した。
気付いたらいけないことが世の中にはあると、流石にこの歳になれば分かってくる。
なのはが見ないようにしているのは正しくそれであり、気付かない方が幸せだろう。
故に、気付きながらも気付いていないふりをして――

……覆い隠した傷口が膿んでいると分かっていても、見ないふりを続ける。

それで良い、と思う。
いつかは終わると分かっていた。
それを惜しんだって仕方がない。

そう思い――けれど、それによって、決定的な矛盾の出るやりとりが、これから始まる。

なのはが辿り着いた場所は、防風林のすぐそばにある小さな公園だった。
それほど広くない敷地の中にベンチと水飲み場があるだけの、休憩所と形容した方が正しいような場所。

ここはなのはの職場と、はやての職場の丁度中間点にあるところだ。
辺鄙な場所とは云ってもバスは海岸線を通っており、わざわざ歩いてきたのはなのはの勝手と云える。
けれど、とも思う。
人に聞かれたくない話をするためにここに呼んだというのは分かる。
念話で十分かもしれないが、やはり肉声で言葉を交わすことは念話では伝わらない何かがあると、なのはは思っているから。

けれど、それにしたってここは辺鄙すぎる。
他人の会話に聞き耳を立てるような人は、よっぽどじゃない限り存在しない。
ファーストフードやどこか、人の多い場所で他人のことに気を回す人がいないのと同じように。

それでもはやてがこの場所を指定してきたことに、なのはは嫌な予感を覚えていた。

はやては既に公園の中にいた。
ベンチに座る彼女はなのはに気付くと、途中で買ってきたのだろうパックジュース、そのストローから口を離した。

「お疲れ様、なのはちゃん。
 ごめんな、こんなところに呼び出して」

「ううん、職場から歩いてこれるところだったし、気にしてないよ。
 それより、どうしてこんな場所に?
 話があるって……」

「この前の続きや」

そう云って、はやては腰を浮かせた。
雰囲気から、とてもじゃないけど座れないとなのはは察する。
ベンチに向けた視線をすぐにはやてへと移した。

彼女から真っ直ぐに向けられる視線に、酷く居心地が悪くなる。
気負いも何もなく、沈みつつある夕日に照らされたはやての瞳は、まるで自分を見通しているような錯覚すら抱きそうだった。

僅かに顔を俯けて、別に、となのはは呟く。

「……はやてちゃんと話すことは、そんなに多くないと思う。
 云っても仕方がないことじゃないかな。
 うん、いつかは、このおままごとも終わるよ。
 けどそれは、明日ってわけじゃない。
 気が早いんじゃないかな。今からそんなことを考えるのは」

「……せやね。それに関しては、私も同意見や」

「じゃあ、なんで?」

「……本気で、聞いとるんか?」

そう云ったはやては、悲しそうな、同時に痛みを堪えるような表情を浮かべた。
真意を探るような眼は、じっとなのはに注がれている。
再び、なのはは目を逸らしたくなる。
けれどそれをじっと押し殺して、自分でも分かるほどに虚ろな笑みを浮かべた。

「うん。なんでこんなところに呼び出されたのか、私には分からないよ」

そこまで云って息苦しさを感じ、口元を歪める。

「……ごめん、嘘吐いた。なんとなくは分かる。
 けど、安心して欲しいな。
 私、これでもはやてちゃんの友達のつもりだし……横から奪うようなこと、するつもりないもん。
 そもそも、これは別問題じゃない?
 私が大事にしているのは、ヴィヴィオで――」

「……もう、ええよ」

疲れたように、はやては呟いた。
軽く頭を振って、悔しさすら滲ませ、薄く唇を噛む。

「……何が?」

「もうええって云うたんや。
 もう疲れたやろ、お互い」

「……何を云っているの?」

無意識の内に口から吐いて出た言葉に気付いて、なのはは目眩を覚えそうだった。
もうそれ以上、云わないで。
気付きたくない感情を押し込めた宝箱、その留め具が悲鳴を上げている。
ずっと感じていた疼きは、それの上げる金切り音。
限界まで溜め込まれた何かは、蓋を開ければ一瞬で飛び出してくるだろう。
だから鍵をかけて、中に何が入っているのかをなのはは気付かないよう、忘れようとしていた。

だからこそ、五日前も、そして今も話の趣旨をずらそうとしているのだ。
けれどはやてはそれを許してくれない。
なのはが忌避するその感情がなんなのかを本人に突き付けるべく言葉を発する。

「……私がどれだけ、エスティマくんを見てきたと思っとるんや」

……知ってる。
まだ自分たちが十歳になったばかりの頃から。

「……私がどれだけ、エスティマくんの側にいたと思っとるんや」

……それも、知ってる。
放っておけば一人で駆け出してしまう彼の後ろを、一生懸命に着いていった。

「……私が、私はなぁ。
 ずっとなのはちゃんとエスティマくんを、見てきたんや。
 私と一緒に成長した二人のこと、二人がどんな仲なのか。
 それで気付かないと思っとるんか?」

「それ、は……」

……家族を除けば、おそらく自分たちを最も見ていたのははやてだろう。
なのはもそれは分かっている。
だって――ずっと二人を応援していたかったから、そんな二人の様子が好きだったから、側にいても悪い気はしなかった。

エスティマに好意を向けるはやてが可愛かった。
はやてに好意を向けられるエスティマにやきもきした。
そんな二人が一緒にいるところを見て、心の底から笑むことができた。

「それは……」

けれど、それが変わってしまったのはいつからだろう。
明確な、あれさえ無ければ、と云える転換期は――多分、ヴィヴィオがエスティマをパパと呼んだ日。
あの日、なのはは、なのはの知らないエスティマを見た。
父親の顔をする彼。困りながらもヴィヴィオを邪険に扱えない彼。
自分と似た男の子だと思っていた彼が、当たり前だけど実は全然違って、どこか魅力的に見えてしまった。
そんな新たな発見をして、もっと違う彼を見てみたい、なんて好奇心を持ったのがそもそもの間違い。

――そう、こんなのは間違いでしかない。

「……意味、分かんない」

手を握り締めて、なのはは目を瞑った。
きつく閉じられた瞼は何かを拒絶するようで、また、何かを認めようとしていない素振りだった。

「意味分からないよ、はやてちゃん!
 そんなこと聞いてどうするの?
 私はずっと違うって云ってるじゃない。
 おかしいよ……だってそんなの、都合悪いもん。
 そんなの、聞かなくて良いことだって、分かってるでしょ?」

「……なんやて?」

自分で口にしたことが信じられない。
それははやてもだろうが、それ以上に、なのはは腹の底から湧き上がってくる激情に戸惑っていた。
しかし、それを正す術を彼女は知らない。

何故ならこんなことは"初めて"だから。
初めて故に上手くできない。どうすれば良いのかも知らない。

封じ込め続けていた気持ちは過去抱いたことのない感情で、だからこそどう扱って良いのかさっぱり分からなかった。
けれどただ一つ確かなのは、自分が決して抱いてはいけないと――抱くわけがないと高をくくっていた感情ということ。
だからこそそれを表に出してはいけない。
……だって自分ははやての友達だから。
だから――なのに――

「私がエスティマくんと一緒にいるのは、ただヴィヴィオを喜ばせたいから。
 あの子がエスティマくんをパパって呼んでるから、仕方なく――!」

半ば叫ぶように飛び出した言葉は、強引に断ち切られた。
なのは本人が止めたわけではない。
不意に叩き付けられた平手打ちによって、だ。

軽快な音と共に振り切られたはやての手、次に彼女の表情へとなのはは視線を移す。
じくじくと熱を持ち始める頬を抑えながら、なのはは彼女をキッと見据えた。

「……何するの?」

「責任転嫁も大概にしいや」

「転嫁、って何? 私がいつ、そんなことをしたの?
 ……ああ、分かったよ。じゃあ云うよ。
 そうさせてるのは、はやてちゃんの方じゃない」

「違う。私が云ったのはそういうことやない。
 なのはちゃんが転嫁しとるのは、ヴィヴィオやないか」

……私が、ヴィヴィオに?
どうしてそうなるのかと、なのはは頭が真っ白になったような錯覚を受けた。
そんなことはない。責任転嫁なんてしていない。
ヴィヴィオと一緒にいる毎日は楽しい。その毎日をいつまでも続けていたいから――

「ヴィヴィオのために、エスティマくんと過ごしてる。
 ヴィヴィオにはパパが必要。
 だから仕方がない。エスティマくんと一緒にいるのは自然であり必然なんだ……。
 そんな風に考えているんとちゃうんか?」

「だっ、て……」

だって、と。
躊躇ったのは一瞬であり、頬を中心に走る熱は、堪え続けていた衝動を一気に弾けさせた。
もはや、止めようとなんて思わない。

「そうするしかないじゃない!
 はやてちゃんからエスティマくんを奪ってるって分かってた!
 けど、こうでもしないと一緒にいられないんだから仕方ないじゃない!
 ……どうして、そんな風に私を追い詰めるの?
 ずっと、自分でも気付かないようにしてたのに。
 いつか終わる……それまではって、納得してたのに!」

「嘘も大概にせえや!
 確かにヴィヴィオのためってのは嘘やないと思う。
 けどな……エスティマくんと一緒にいるなのはちゃん、自分がどんな顔しとったか分かっとるんか?
 ……喜んでたで。お母さん役の分を越えてな!」

「だからそうするしかなかったって云ってるじゃない!
 それとも何? 私、我慢なんてしない方が良かったの?
 意味分かんない。責任転嫁ならはやてちゃんだってしてるじゃない!
 押しても引いてもエスティマくんがなびかなくなったから何もしないって、何それ!
 余裕のつもりなの!? 馬鹿みたい、それで今度はエスティマくんじゃなくて私に突っかかってさぁ!」

「この……!」

再度はやてが腕を動かそうとすると、なのはは持ち上げられたそれを払い退けた。
そしてお返しとばかりに、全力で右手を振る。
さっきの平手打ちに勝るとも劣らない乾いた音が響き渡り、はやてはたたらを踏んだ。

今度ははやてが眼に鋭い光を浮かべて、なのはを睨み付ける。
切れたのか、口の端を僅かに舐めると、彼女は歯を剥いて声を放った。

「なのはちゃんに私の気持ちが分かるわけないやろが!
 好きな男が、同い年の女と一つ屋根の下で暮らしてて……!
 応援してくれるって云うたやないか!」

「だから私は我慢してたんじゃない!
 忘れようって、気のせいだって、誤魔化すのだって辛かったのに!
 黙ってれば返してあげたよ! なのにわざわざ追い詰めるようなことして、それが意味分からないって云ってるの!」

瞬間、歯を噛み鳴らす音が響いて、なのはは身構える。
また平手打ち、と思ったが違う。はやては腕を伸ばすと、そのまま胸元に掴みかかってきた。

どこにそんな力があったのか、握り締められた襟元が悲鳴を上げる。
だが気圧されることは微塵もなく、なのはもまた同じように彼女の胸元を締め上げた。

呼吸が苦しいのは二人とも同じ。
それでも言葉は途切れることなく、続けられる。

「我慢? そんなこと云ってる時点で、限界近いのは見え見えやろ!
 放っておいたら何をするかも分からへん。
 そもそも返すってなんや、返すって!
 そんな風に上から目線で云われて喜ぶアホがいるかい!」

「ああそう! じゃあとっとと奪えば良かったんじゃないの?
 身体でもなんでも使えるもの全部使って、雁字搦めにすれば良かったんだよ!
 何? 理解のある女でも気取ってるの?
 そんな余裕を見せてるから毎回後手に回るんじゃない!」

沸騰した思考は、もはや自分がどれだけ酷いことを云っているのか知ろうともしない。
ただ目の前にいる女の心を抉ろうと、思い付く限りの罵詈雑言を吐き出すためにメルトダウンを開始している。
だがそれは、はやても同じだ。鬼の形相と云えばそうだろう。なのはも同じく、お互いに見せたこともない表情を二人は突き合わせる。

「一方通行の気持ちがどんだけ辛いかも知らへんでよくも云えたもんやな、この恋愛初心者!
 知った風な口を利いて、それがどれだけ難しいかも分かってへんのやろうが!」

「うるっさいなぁ! 
 知った風な口を利いてるのはどっちよ! 私が若葉マークならはやてちゃんはペーパードライバーみたいなもんでしょ!?
 それなのに、何? 経験豊富って自惚れてるなら、いちいち人の心を抉らなくても良いじゃない!」

「抉ってるのはどっちやド阿呆!
 なのはちゃんがそんな風に私のことを見てるなんて思ってなかったわ!」

「私だけじゃなくて皆そうだよもう一度云ってあげるよ!
 みっともないったら! 悪いと思ってた私が馬鹿みたいじゃない!」

どちらが先かは分からない。
両者、胸元を掴んでいた腕を一気に引き下げて相手を押し倒そうとする。
先に体勢を崩したのはやはりはやてで、しかし彼女は掴んだなのはの服を離さず一緒に倒れ込んだ。
ぶちぶちと服の縫い目が千切れる音を聞きながら、頓着せずになのはははやてを振り払って立ち上がろうとする。
けれどはやてはそれを許さず、倒れた状態からなのはの腰に抱きついて、押し倒した。

砂の敷き詰めたれた固い地面に腰から落ちて、酷い痛みが背筋を駆け上がる。
完全に頭に血が昇って顔をひっかこうとし――躊躇して、はやての髪の毛を力一杯掴むなのは。

ぶちぶちと毛が抜ける感触と痛みに顔を顰めながらも、はやては真っ直ぐに喉へと手を伸ばしてくる。
髪を掴んだ右腕で左腕を交差させるように防ぎ、右手を左手と噛み合わせて、至近距離で二人は睨み合う。
火花が散るなど生温い。射殺さんばかりの視線が絡み合い、二人とも、眼前の女をどうしてくれようかと脳味噌が沸騰していた。

「大体何が不満なのよっ!
 はやてちゃんがエスティマくんのこと好きなの、私だって充分に分かってた、痛いほど!
 だから、私は好きにならないようにって予防線貼ってたんじゃない!
 それのどこが悪いのよ! どうしてこんなことになってるのよ……!」

「私はただ好きなら好きって云えば良い、そう云いたいだけや!」

「それが意味分からないって云ってるのに、はやてちゃん頭悪いんじゃないの!?」

「そんなの私が一番良く分かっとるわ!
 それでも……ああもう!」

『Master! Hayate! Please calm down!』

終わりの見えない泥仕合に、いい加減我慢ができなくなったのだろう。
唐突にレイジングハートが悲痛な声を上げて、二人は呆気に取られたように動きを止める。

お互いに睨み合いながらも掴んでいた手を離し、鼻を鳴らしながら起き上がる。
服は砂だらけで、髪はぼさぼさ。肌には痣ができているかもしれない。
しかしそんな状態にも関わらず体に頓着しないで、限界まで高まったボルテージをどうしてくれようと苛立ちを隠そうともしない。

『If talks are impossible, please attach an end by magic.
……I ask.』

喧嘩をするならどうか魔法で、と。
縋るような電子音声に居心地の悪さを感じながらも、なのはは視線をはやてへと投げた。

「……どうする? 別に私は、このまま終わりで良いけど。
 はやてちゃんも好き放題言って満足したでしょ?」」

「満足なんて、するわけないやろ……ッ!
 上等や。人の住んでない管理外世界でええな?」

「あっそう」

即座に返ってきた言葉に、なのはは口元を歪める。
勝負は見えているようなものだろう、と。
対してはやては、どうでも良さそうな反応に眉尻を釣り上げていた。

レイジングハートはおそらく、とっくみ合いで生傷を作るよりは、と思ったのだろう。
魔法ならまだ気絶で済む。けれどそれは、なのはにとって願ってもないことだ。鬱憤を晴らすというならこの上ない手段。

……二人は管理局に勤めている局員であり、無論、模擬戦の許可も取らずそんなことをして良いわけがない。
それは両者共に理解しているものの、しかし、どちらも常識などは二の次にしか考えられない状態だ。
見付からなければ罰は受けない。ならば良い、と。ここでドンパチやり始めない分、まだ冷静なのだろうか。

睨み合ったまま、二人の体は白色の輝き――はやての魔力光に包まれる。

軽い目眩のような感覚の直後、すぐになのはは転送先であろう世界に出た。
即座にレイジングハートが飛行魔法を発動させて、宙に浮かぶ。

空は高く、すぐ上には雲が重厚な群れをなして進んでいる。
視線を落とせば、眼下には剣山のような山脈が広がっている。しかし不毛というわけではなく、緑の色は微かに見て取ることができた。

「……はやてちゃんは?」

そして、気付く。
自分と一緒にこの世界へ向かったはずの彼女はどこにいるのかと。

『なのはちゃん。私は、わざわざ魔法まで使う喧嘩に発展するなんて思っとらんかった。
 なんでこうなったか分かる?
 結局、なのはちゃんが本音を云ってくれないからや』

猛烈なまでの嫌な予感を覚えて、なのはは即座にレイジングハートをセットアップ。

それが完了した瞬間、狙い澄ましたかのように上空の雲が弾け飛んだ。

舌打ちしつつラウンドシールドを展開し、ぶちまけられた砲撃魔法に堪え忍ぶ。
避ける暇などどこにもない。悲鳴を上げるシールドをなんとか保持しながらも、なのはは白色の濁流を耐えきった。

『……いきなり不意打ち?
 負けたくないからって、それはないんじゃない?』

『セットアップ終わるまで待ってやったやろ。
 そもそも、何も考えんでこんな条件呑むかい!』

叫びが上がると同時に、雲の切れ目に小さな古代ベルカ式魔法陣が展開されたのを認める。
距離は――射程範囲内。お互いに。回避運動を行いながら距離を詰めるのは難しいと、なのはは即座に判断する。

息を吐き、構築する魔法はディバインバスター。
この距離でも当てる自信はあるものの、向こうは長年後方支援に徹してきた魔導師だ。エスティマの。

彼の名前を思い浮かべた瞬間、過去、かつてないほどに怒りが湧き上がってくる。
だがそれは本当に怒りなのだろうか。厳密に云えば違う、ような気もする。
あくまで怒りは添え物で、衝動となっているものは――きっと、嫉妬だ。

「――ッ、レイジングハート!」

『……Yes master』

足下にミッドチルダ式魔法陣が展開され、巨大なスフィアが形成される。
相手の呼吸を読んで、発射するだろうと思われる瞬間に、なのははディバインバスターを撃ち放った。
直後、目視も叶わない距離から砲撃魔法――おそらくはフレースヴェルグが解き放たれる。

しくじった、となのはが思うも遅い。
連続して射出される砲撃魔法、その一つにディバインバスターは相殺されて、残りはすべてなのはへと突き進んでくる。
着弾までのタイムラグを利用してなのはは回避行動を取ると、直後、さっきまで彼女のいた空間が薙ぎ払われた。

非殺傷とはいえ強烈な魔力の奔流に顔をしかめながら、新たに魔法を構築し始める。

『逃げ回る姿がよう似合っとるよ、なのはちゃん』

『……なんだか含みのある云い方だね』

『私は、別に。思い当たる節があるからそう思っただけやないの?』

『そんなことない!』

移動を続けて迫るフレースヴェルグを避けながら、苛立ちを乗せた舌打ちを。
狙いはそこそこ正確で憎らしいことこの上ない。

『私は逃げてなんかいない!
 ヴィヴィオが大事っていうのは嘘じゃない!』

『嘘やないと思うよ。
 けどなぁ……それが全部、なんてのは言い訳以外のなんでもないやろ!
 似たもの同士やな、ほんま!』

『……何が?』

『なのはちゃんとエスティマくんや!
 ああもう、なんでこんなこと二度も云わないとあかんのか……!
 大事なもん抱え込んでそれで身動き取れなくなったら本末転倒やないの!?』

身動き――ああ、確かに。
ずっと悩んでいた自分は、身動きが取れなくなっていたようなものだった。
認めつつ、なのはは頭を振って砲撃を盛大に撃ち放つ。

フレースヴェルグの射線を完全に読んだ上での砲撃だ。
すぐそばを通過する白色の遠距離砲撃にスカートの裾を焼き飛ばされながら、彼女はディバインバスターエクステンションを。

相殺のために差し向けられたフレースヴェルグを次々に撃ち貫いて、それははやてへと直撃する。
だが彼女の砲撃を貫いたことで、威力が大幅に減衰されたのだろう。

『私は……!』

遠くで瞬く魔力光は、未だはやてが健在だということを示している。

『もうそんな風に足を止めてる人を見たくなかった……!』

『それははやてちゃんの勝手でしょ!?』

『そうや。
 けどなぁ……好きな男と、大事な友達が同じようにたたらを踏んで、黙って見てられるわけがあるか!
 好きなら好きって云えばええのに! 私は、そんなことでなのはちゃんを恨むような人間に見られてたんか!?』

『今更だよ! 散々牽制した癖にそんなこと云ったって、説得力なんかないんだから!
 それにねぇ、はやてちゃんがどれだけエスティマくんのこと好きかどうかだなんて、十分に分かってるんだよ!』

だから、

『云えるわけないじゃない! 応援するって、私は云ったもの!
 言い逃れなんかしない。あの時、私は本当にはやてちゃんのことを応援してた!
 だから――裏切りたくなんてなかったのに……!』

『私は、なのはちゃんなら……なのはちゃんやったら……!
 他の連中なんて絶対に許したくない。
 けれど、なのはちゃんとやったら、私は――!』

そこから先の言葉は、なのはの放った砲撃が突き刺さったことで途切れてしまう。
しかし彼女が言い掛けた言葉がなんなのは、なのはには分かってしまった。

……つまりは、それだけの話。
どちらがどちらとも、胸に秘めてた気持ちがあった。
けれど言葉にすることは出来なくて。だから伝わらず、こんなことになった。

はやては、言い訳ばかりするなのはに苛立ち。
なのはは、はやての行動、その意図がさっぱり分からず。

巡り合わせが悪かったのか、必然であったのか。
いや、二人は友情で結ばれお互いを思いやることはできていた。
ならばおそらく、必然だったのだろう。

管理外世界の空を彩る魔力光。
それに混じる灰煙と、焼き切られた温い風だ。

その中で息を切らせながら、二人の女は睨み合う。

お互いに被弾してバリアジャケットは千切れている。
先のキャットファイトでぼさぼさになった髪の毛は煤で汚れ、更に酷く。

それでも尚、二人の瞳には意志の光りが宿っていた。
しかしその方向性は嫉妬のような激情ではなく、いうなればそう――姉妹喧嘩のような。
愛憎入り交じった、しかし危険な一線は越えない代物に落ち着いている。

「私は――!」

念話ではなく肉声で、はやての声が朗々と響き渡る。
聞こえるわけがない。それだけの距離が離れているのに、彼女の声は確かに鼓膜を震わせた。

直後、はやての足下にミッドチルダ式魔法陣、そして眼前に古代ベルカ式魔法陣が展開される。
それがなんなのか。彼女にとって切り札であるその魔法を使う意味を、なのはは汲み取る。

対抗して構築するのはスターライトブレイカー。
桜色のミッドチルダ式魔法陣が現れると共に、流星雨の如く魔力がなのはの眼前へと集中し始める。

「私は、エスティマくんのことが大好き!
 けど、それとは別になのはちゃんのことだって……!」

何それ、と。
決して悪い意味ではなく、なのはは苦笑してしまった。
抱えるだけ抱えて身動き取れなくなっている、なんて云って。

「私、は……」

対して、なのはも彼女に何か云うべく口を開く。
けれど、何を云ったら良いのだろう。
同じように――けどそれは、と気恥ずかしさが込み上げてしまう。

まるでなのはの返答を待っているかのように、はやての魔法――ラグナロクは、臨界点までチャージされたまま固まっている。
それがまるで背中を押されているように思えて、目を瞑りながら、なのはは叫びを上げた。

「私だって、エスティマくんをヴィヴィオのパパにしてあげたいんだから――!」

『Starlight Breaker』

返答のとうに紡がれた言葉が空を裂いた瞬間、極限まで高められた二つの魔力光が炸裂する。
交差することもなく、真っ向から衝突する極光。
挟まれた大気が悲鳴を上げて岩に弾かれた水の如く光が暴れ回る。

それを放っている二人は同時に歯を食い縛り、

「なのはちゃんの……!」

「はやてちゃんの……!」

「「臆病者――――ッ!」」

喉が枯れんばかりに雄叫びを上げて、けれど顔には微かな笑みを浮かべ、持ちうるすべての力を砲撃魔法に注ぎ込んだ。



















「……遅いな」

時計の秒針が上げるコチコチという響きを聞きながら、俺はリビングから玄関へと視線を投げた。
これで何度目だろうか。しかし、一度たりとも扉が開かれることはなかった。

連絡の一つもなしになのはの帰りが遅いなんてこと、今まで一度もなかった。
ついさっきまでは俺と一緒にヴィヴィオとシグナム、シャマルも一緒に待っていたものの、十時を過ぎた頃に眠って貰うことに。
姉二人はともかくヴィヴィオがあまり夜遅くまで起きてても良いことはない。
なので、今はお姉ちゃんズに囲まれてお子様は就寝中だ。

「……何やってんだか」

呟いてみても、やはり返事はない。
携帯電話は勿論、レイジングハートに連絡をしてみても応答はなし。
わざわざ職場に連絡を、とまでは考えてないが……朝まで待って帰ってこなかったら、それもやむなしか。

ソファーから腰を浮かせて、キッチンへ。
インスタントコーヒーの瓶を手にとってそれをカップの中に放り込むと、ポッドからお湯を注ぐ。

その際、視界の隅に映った真新しい酒瓶に、溜息を吐いた。
塞ぎ込んでいたみたいだし、酒でも飲んで話をしようかと思ったらこの様だ。
なんというか、タイミングが悪い。
約束をしていたわけでもないから、すっぽかされたところでどういう云うつもりはないけれど。

……それでも、やっぱり帰りが遅いのは気になってしまう。
何かあったのだろうか。そんな風に考えても連絡がつかないのだから知りようがない。

小さく頭を振ってコーヒーカップを片手にお茶菓子を手に取ると、再びリビングへ戻る。
そしてどっかりとソファーに腰を下ろすと、デバイス雑誌をめくりながら時間を潰し始めた。

コーヒーが切れて喉が渇いたらキッチンへ。
そうでない場合はずっとリビングで。たまにトイレへ。
動きらしい動きと云えばそんな往復作業だけで、あとは精々ページを捲るために手を動かしたぐらいか。

そうこうしている内に、時計の針は深夜の十二時へと迫る。
……フェイトやはやてに、そっちに行ってるかどうか聞くかな。
連中は心配性だから、気に病むんじゃないかって気が引けてたけれど。
その上、この時間だ。連絡を取るにしたって遅すぎる。明日の朝にでも……。

どうするか、と悩んでいると、不意に鍵が回される音が響いた。
顔を向ければ、ゆっくりとドアが開かれる所であり――覗いた顔に、思わず立ち上がってしまった。

「お帰り……ったくこんな時間まで――ってどうした!?」

「ただいま……ちょっと手を貸してくれたら嬉しいかな」

「あ、ああ」

つい素っ頓狂な声を上げてしまったが、それも仕方がないだろう。
原因はなのはの格好と、背中におぶさっている人物。

砂場で転がりでもしたのか、なのはが着ている服はそこら中に砂埃がついている。
目を凝らせば袖、縫い目のある肩口がほつれ、力一杯引っ張れば千切れてしまいそう。

服も服で酷いが、腫れた頬はどうしたのか。
経験から、怪我してから時間が経っているのだろうと分かる。
顔で目に付いたのはそれだけではなく、出勤する時は整えられていた髪はぼさぼさだ。
サイドポニーも形だけで、髪留めがもう少しで外れそう。

それはなのはだけではなく、背中のはやても。
俺は降ろされたはやてを俗に云うお姫様抱っこで抱きかかえ、自室の――今は寝室になっている――ベッドへそっと降ろした。

「Seven Stars」

『はい。既にサーチは行いました。
 高町さんと同じように頬が腫れていますね。あとは打撲と……魔力ダメージ。
 一体、どうしたのでしょうね』

「詮索は後だ」

俺は足下にミッドチルダ式魔法陣を展開すると、そのままはやてへと治癒魔法を。
そんなに得意じゃないけれど、今は何もしないよりマシだろう。
最後に誘導弾のスフィアに氷結を付加して、そっとはやての頬に添える。

これで少しはマシになるだろうと、音を立てないように部屋を出た。
リビングではなのはは疲れ果てたと云わんばかりにソファーに倒れ伏している。

本当、何があったんだ。仕事でこうなったってわけじゃないだろう。
もしそうなら、治療を受けてから帰ってくるだろうし。

「何か飲むか?」

「うん、お願い。
 冷たいのならなんでも良いよ」

「了解」

疲れの滲んだなのはの声に、何があった、という気持ちがより強くなる。
けど、もう帰ってきたんだからそんなに急ぐ必要はないだろう。

ヴィヴィオ用に買ってあったオレンジジュースをコップに注ごうとし、中断。
空のコップと紙パックを手に持って、なのはの元に戻った。

合間を空けて隣に座ると、コップにジュースを注ぐ。
それを受け取ったなのはは、案の定一気飲み。テーブルに置かれたコップに二杯目を注ぐと、気まずそうになのはは苦笑した。

「ありがと」

「どういたしまして。
 そんじゃあお前にも」

呟き、はやてと同じ手当をなのはにも行う。
どういうことだから、二人の怪我は似たようなものだ。
最後にやはり氷結を付加したスフィアを浮かばせ、なのはの頬へと飛ばした。

「……それで、こんな時間に帰ってきて、しかも怪我までして。
 何があったか説明してくれるよな?」

「んー……うん」

やや言いづらそうにしながらも、スフィアを頬に張り付かせたなのはは頷いた。
だが、彼女がすぐに口を開くことはなかった。
口を開いて、溜息と共に閉じる。
急かさず、そんな様子を見せるなのはの隣にいると、ようやく彼女は言葉を発した。

「はやてちゃんと、喧嘩したの」

「……魔法を使って?」

「……なんで知ってるの?」

「なんでって……はやて、魔力ダメージで気絶してるみたいだし。
 シャマルじゃなくても、俺だって気付くさ」

「そっか」

「それで? なんで喧嘩なんてしたんだよ。
 お前ら、仲良かっただろ?」

「……分からない?」

問いかけられ、声に静かな重みがあることに気付いて、そういうことかと合点が入った。

「……いや、分かるよ。
 蚊帳の外だったから、気付けなかった。
 悪かったな」

「エスティマくんが謝ることないよ。
 はやてちゃんが怒ってたのは、私にだったからね」

「お前に?」

「そう。……怒られて、初めて気付いたこともあってさ。
 なんだか、色々申し訳なかったな……って。
 多分、エスティマくんが考えているようなことじゃないの。喧嘩の原因は」

それを聞いても良いのだろうか。
聞きたいとは思うものの、怯えとはまた違った遠慮が先立ち、そうか、と返してしまう。

そのせいで会話は一度途切れて、なのはは小さく溜息を吐いた。

「あの、さ」

「ん?」

「その……云いたいことが、あるんだ」

「……ああ、それは構わないけど」

隣に座っているなのはは座り直すと、上体をこちらへと向けた。
けれど俺を見ているわけではなく、視線は所在なさげに宙をさまよっている。
頬が微かに朱いのは、決して腫れてるからではないだろう。

なのはで、ではないけれど、その表情――この類には見覚えがある。
そんな云い方をしたら、俺が女たらしみたいだけれど。

あのね、と前置きをして、なのはは彷徨っていた視線を俺へと固定した。
真っ直ぐに向けられる黒瞳を受け入れながら、俺は彼女の言葉をじっと待つ。

「私は、その……今の生活が続けば良いって思ってた。
 ヴィヴィオが大事だってのは勿論だけど……それと同じぐらいに……」

そこまで聞いて、あれ、と内心で首を傾げた。
どうやら勘が外れたらしい。

そんな自分自身に苦笑しながら、そうだな、と返答を。

「ああ。俺も、今の生活は楽しいよ」

「そうじゃなくて、ああもう……!」

ほんのりと朱かった頬が、今度は真っ赤に。
何をそんなに恥ずかしがっているんだろう。

「どうした?」

「ああもう、分かった。
 そういえばエスティマくんはこういう男の人だった……!
 じゃあはっきり云うからね!」

「ど、どうぞ……」

ヴィヴィオたちが寝てるんだからあんまり大声は、とは云えなかった。
なのはは怒ったような悩んでいるような、一言で云えば照れているのだろうけれど、複雑な顔をして唸り出す。

そして助走を付けるように息を吸い込むと、

「い、云うからね」

「うん」

「本当に云うよ?」

「分かってる。早く云えよ」

「急かさないでよ!」

「意味分からないぞ!?」

「黙ってて!」

「……はい」

ああ、なんて弱い俺……。
一喝されて大人しくなのはの言葉を待っていると、彼女は握り拳を作って唇を湿らせた。
言葉じゃなくて手が飛んでくるんじゃあるまいな、なんて有り得ないことを考えながら、待つ。

すると、ようやくなのはの決心が固まったようだ。

「え、エスティマくん。ヴィヴィオのパパに、なってくれないかな」

今にも消え入りそうな声で向けられた言葉を聴いて、あれ、と首を傾げる。
俺は今までずっとそうしてきたつもりだったけれど、なのはには違ったのだろうか。

「……俺は、ヴィヴィオの父親になれてなかったのかな?」

「ち、ちが……」

『……I am not believed』

『……レイジングハート、今のは流れが悪すぎたのです』

割と真剣に聞き返したのに、なのはは涙目になって愕然としていたり。
そしてSeven Starsとレイジングハートは呆れたような声を上げていたり。
……意味が分からない。どういうことだよこれ。

『Master!
 The intention is not understood unless you say intelligibly!』

「分かり易くってなんだ分かり易くって」

「これ以上分かり易くってどうするの!?」

なんかもう色々と駄目駄目だ。
レイジングハートの云ってる意図が俺には分からないし、その言葉に対してなのはは困り果ててしまっているよう。

なのはが何を云いたいのか、いまいち分からない。
思わず眉根を寄せてどうしたもんかと思っていると――

「ふ、ふふ……あかんよなのはちゃん。
 その程度じゃあ、全然あかんなぁ……」

「は、はやてちゃん!?」

「あ、起きたんだ。具合はどうだ?」

隙間を空けてドアからこっちを覗いているはやて。
なのははそんな彼女に大慌てしている。どういうことだ。

「少し眠ったらいきなりこれか……。
 油断も隙もあらへんなぁ……」

「え、えっと……私だったら良いんじゃなかったの?」

「あれはついカッとなっただけや……第一、諦めたなんて一言も云うてへん!」

「あの、二人とも……俺に分かるよう説明してくれると有り難いんだけど……」

「「嫌ですー」」

声を合わせて同時に云うと、二人は可笑しそうに笑い出した。
そうしていたら、なんだなんだとシグナムとシャマルが起き出して、有耶無耶に。

……結局、はやてとなのはが喧嘩した理由は分かるような分からないような。
この一件は、どうやら最後の最後まで俺を蚊帳の外にして進んでしまったらしい。

「……つまりSeven Stars、どういうことだ?」

『カードが欠けることなく旦那様の望むフルハウスが揃った。
 そういうことじゃないんですか?』

「投げやりだな」

『そんな気分にもなります……はぁ』












END





[7038] 後日談1 チンク
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/04/23 23:33

「つまり、管理局でも彼女たちのメンテナンスはできると?」

「そうなるな。
 技術革新があったんだかどうか知らないが、ナンバーズとタイプゼロの嬢ちゃんたちは完全に別物だ。
 だが、連中のアジトから出てきたデータに、長年タイプゼロの二人をメンテナンスしてきたノウハウがある。
 最初は手間取るかもしれねぇが、無理じゃない」

「それは良かった」

気心の知れた、俺の面倒を見てくれている医師へと言葉を返すと、俺は視線を硝子へと向けた。
その向こう側には、照明が一切点けられていない検査室がある。
その中央にある生体スキャンの機器、中ではフィアットさんが仰向けになっていた。

今彼女に対して行われている検査は、会話の通りに彼女の身体に関して。
同じ戦闘機人とは云え、ナンバーズとタイプゼロは製造された年代に隔たりがある。
その上、定期的のボディの交換を行っていたからか、初期稼働組のフィアットさんでさえ使われている技術は最新鋭と云って良い。

そんな彼女を管理局の元で無事に運用することができるのか。
彼女たちの裁判を担当する執務官として、俺はこの場へと足を運んでいた。

同時に、彼女を心配する一人の男として。
仕事でここにきているため顔にも出さずそれらしい言葉を口にしないよう努力はしているものの、やはり心配なのだ。
……彼女が戦闘機人であることを、俺は否定しない。
それを分かった上で、俺は人としてあの人と共にいたい。

だから、メンテナンスが管理局では不可能で――なんて言葉を聞くことがなかったため、俺は微かな安堵を覚えている。
今思っていることを誰かに云ったら、心配性だと苦笑されるだろうか。
自覚がないわけじゃないから、そうかもしれない。
ただやっぱり、ようやく彼女と一緒の時間を過ごせるようになったからこそ、小さなことでも気になってしまう。

「……女の心配も良いけどな、エスティマ。
 ある意味、お前の方が問題は深刻っちゃあ深刻なんだぞ」

「それはもう終わったことじゃないですか。
 分かってますよ、自分の身体のことは。もう無茶はしませんし、する意味もないですからね。
 ご心配には及びません。
 ……それにしても、女って」

……それをこの人に云った覚えはないんだけど。
眉根を寄せつつ視線を向けると、彼は呆れたように溜息を吐いた。

「隠してるつもりかお前は。
 一介の執務官にしちゃ、心配が度を過ぎてるぜ。
 公私混同は不味いんじゃないのかい、三佐殿」

「……分かってますよ。
 自分の首を絞めないように気を付けます。
 それより、なんで分かったんですか?」

「そりゃお前……」

「はい」

「さっき云ったのと合わせて、あそこのお嬢ちゃんを見てる目付きがな。
 ……ああいうのが趣味だったのかお前。
 って、ちょっと待て。なんだその二本指は。今にも目潰しをしそうな構えは」

「いや、なんかイラっと……」

ちなみに検査を受けているフィアットさんは機器の中で全裸になっている。
だからそう、つい……。

「患者をそういう風に見てたら、今頃俺は訴えられてる。
 何年医者をやってると思うんだ馬鹿が」

「すみません、つい」
















リリカル in wonder

   ―After―















フィアットさんの検査が終わると、俺は一足先に医師と別れてロビーへと向かっていた。
これから彼女は、医師から定期メンテナンスの話をされるらしい。
あの人は他のナンバーズよりも一足先に現場に出て更正プログラムの実地研修を受ける。
そうなれば自然と、多くはないだろうが戦闘機人の力を使う機会も出てくるだろう。
単純な戦闘だけではなく、災害救助などにも協力することになる。
その時にはい動けませんでした、ではお話にならないし、彼女自身の命も危ない。
だから――

そんな風に考えごとをしていると、だ。
背後から視線を感じて、思わず振り向いた。

殺風景な白い廊下に人影はなく、気配はあるようでない。
人の声は遠巻きに聞こえてくるものの、この区画に一般の人がくるわけがない。
いるとしたら精々、戦闘機人に関係する医師か技師、そんなものだ。

が――

『誰か隠れてますね』

「やっぱりか?」

『はい。曲がり角です』

なんだろう、と思いながら俺は踵を返す。
すると同時にスリッパが床に擦れる音が響いて、思わず首を傾げた。

俺が戻ってくるのに気付いて、離れようとしているのだろうか。
それにしても、足音は酷く緩慢だ。
なんなんだ一体、と思いながら俺は曲がり角を覗き込んだ。

すると、そこには壁に沿って取り付けられた手すりに掴まる、子供の姿が。
ここに入院している子供なのだろうか。
パジャマ姿の子供は進もうとしているものの動きはどこかぎこちない。

「俺に、何か用かな?」

深く考えずに声をかけると、子供は微かに肩を震わせながらこちらを振り向いた。
中性的な顔立ちは、この子が少女か少年か判別しかねる。髪の毛があまり長くないのも一役買っているだろう。

子供は気まずそうに一度俯いて、その、と言葉を零した。

「ご、ごめんなさい」

「いや、良いよ。気にしないで。
 もしかして、手を貸して欲しかったのかな?
 どこか行きたいとか」

手すりに掴まって、というよりは身体を預けて強引に進んでいる。
そんな印象をこの子から感じたので云ったのだけど、ふるふると頭を振られた。

「あの、その……エスティマ・スクライアさん、ですよね」

「ああ、そうだよ」

「エースアタッカーの!」

「……うん」

懐かしいなその呼び名、と思いながら思わず遠い目をしてしまう。
だがそんな俺の反応に気付かず、子供はさっきまで見せていた戸惑いを忘れたように、笑顔へと。

「握手してください!」

「……先端技術医療センターで僕と握手」

「え?」

「いや、なんでもない。
 それぐらいだったらいくらでも……っていうか、そこまで大した人間でもないけどね、俺は」

「そんなことないですよ!
 ミッドチルダ地上部隊の数少ないオーバーSランク魔導師じゃないですか!
 海の方に行かないで、ずっと地上で――」

そこまで云った瞬間、急に子供は咳き込み始めた。
その勢いが喘息でも起こしたぐらいに酷くて、咄嗟に近付き背中をさする。
子供は笑顔を浮かべようとするも、それもまた咳で中断され、へたり込んでしまった。

「大丈夫かい? 今、誰か呼ぶから」

「へ、へいきです……ちょっと興奮しただけですから」

しゃがみ込みつつ医師に念話を送ろうとすると、子供は苦笑しながらそれを手で制した。

ちょっとの興奮でこうなるなら、かなり酷いんじゃないか。
そう思うも、部外者の俺が込み入った事情を聞いて良いものかと躊躇してしまい、そっか、と頷くだけに留めた。

「それより、握手……」

「あ、うん……」

執念足りてる、と思いながら弱々しく差し出された手をそっと握る。
この歳にしてはやや骨張った――痩せた手の感触に、子供の頃のはやてを思い出した。
……何か、重い病気でも患っているのかもしれない。
そうでないのなら、先端技術医療センターになんか入院していないだろう。

「立てる? 病室まで送るよ」

「そんな、悪いです……」

「気にしないで。これも何かの縁だろうしね。
 君、名前は?」

「プリウスです」

「ん、よろしくねプリウスくん。
 じゃあ俺に掴まって」

ゆっくりと立ち上がりつつ彼の身体を支えて、身体の軽さに驚いてしまう。
確かに子供は大人と比べて軽い。けれど、この子は少し異常なほどだ。

驚きと憐憫を抱きながらも表情には出さないよう努めて、俺たちはゆっくり歩き出す。

「そういえば、さっき地上や海のことを云っていたけれど……」

「あ、ボク、入院する前は陸士の訓練校に入っていたんです。
 才能なくて、エースとかにはなれそうになかったんですけど」

「いやいや。確かに才能は大事だと思うけど、一番大切なのは努力さ。
 俺も才能だけならAAかそこら止まりだと思うしね」

云ってから、嫌みだったかも、と軽く自己嫌悪。
素でAAクラスの才能を持っている人間はほんの一握りだ。
それを大したことがないと云ってしまうのは、色々申し訳がない。

「ですよね。教官も良く云ってました。
 最初から強い人なんかいないって」

だがプリウスくんは気にしなかったらしい。
助かった、と小さく息を吐いて、ゆっくり歩を進める。

「あ、そうだ。
 エスティマさん、おめでとうございます。
 結社、潰すことができて」

「ありがとう。
 ようやく、って感じだけどね。かなり時間を食ったし」

「それでもすごいですよ。
 やっぱり――」

「プリウス!」

プリウスくんと言葉を交わしていると、不意に大声が上がった。
何事かと見てみれば、そこには焦りを顔に浮かべた男が一人。
管理局の制服に身を包んだ中年男性は、急ぎ足で俺たちの方へと向かってくる。

「勝手に病室を抜け出すなと何度も云っただろう、まったく。
 ……ああ、どうもすみませんでした」

「いえ、気にしないでください」

怒った直後に頭を下げられ、どうしたら良いのか、と視線を彷徨わせてしまう。
俺に支えられているプリウスくんは、不満げに頬を膨らませるとそっぽを向いた。

「……嫌だよ。いつまでもベッドに寝てたら、リハビリも何もできないじゃない」

「お前はまだリハビリができるほど回復していないんだ。
 お医者さんにも云われただろう?」

「けど……」

「けども何もない。大人しく戻れ」

すみません、と再び云われて、俺は彼にプリウスくんを引き渡す。
プリウスくんは不満げに唇を尖らせているが、大人しくしていた。

それと同時に、

『念話で申し訳ありません。娘が大変失礼を……。
 スクライア執務官、ですよね?』

娘だったのか、と軽く驚きながら、それを表に出さないように気を付け、念話を返す。

『いいえ、迷惑でもなんでもないですよ。
 あなたは?』

『プレミオ・セダン二等陸尉です』

『はい。初めまして、セダン二尉。
 現場というわけではないのですから、敬語なんて使わないでください。
 若輩者だということは自覚していますから』

『それは……分かった』

やや納得できない風に、苦笑混じりの念話が届く。
……六課や三課じゃあまり階級には厳しくなかったけれど、あの二つは身内部隊ってこともあって温かっただけだ。
一緒に考えたらまずい。これからは気を付けないとな。
自分ルールを他人に押し付けられるほど傲慢にはなれないし。
かと云って口にした言葉を引っ込める度胸もなかったので、すみません、と心の中で謝った。

「お父さんが邪魔をした……」

「お前は何を云っているんだ」

「せっかくエスティマさんと会えたのにー」

「そんな風に扱われても彼が困るだけだ」

「ぶー……もう良いよ。
 あの、エスティマさん。もし良かったらなんですけど、少しお話を……」

「あー……、ごめん。
 人を待たせてるから、また今度で良いかな?」

そう時間が経ったわけじゃないけれど、フィアットさんがロビーに向かっていてもおかしくない。
悪いと思いつつ断ると、目に見えてプリウスくんはしょげてしまう。

「先端技術医療センターには、用事があってよく足を運ぶんだ。
 だから、また今度。それで良いかな?」

「……うん」

「そういう時はお礼を云うんだ、まったく」

「お父さんうるさい。
 ……それじゃあまたね、エスティマさん」

「ああ、またね」

小さく手を振って、プレミオさんに小さく頭を下げると、俺はそのまま踵を返す。
しかし女の子だったのか……君付けで呼んでも何も云われなかったから、てっきり男の子かと思ったよ。
でも今から訂正するのは少し気まずいし、このままで良いか。
妙な出会いもあったもんだと思いながら急いでロビーに行き――廊下を抜けた瞬間、おや、と眼を瞬いた。

ソファーの並んでいる休憩所にはフィアットさんだけではなく、制服姿のギンガちゃんと、私服姿なスバルの姿があった。
スバルは現在休職中、だったか。目が覚めたクイントさんのリハビリに付き合ってる、と人伝に聞いている。
何やら話し込んでいる三人の姿を遠巻きに見つつ、俺は徐々に近付いてゆく。

向こうもこちらに気付いたのか顔を向けると、フィアットさんは不機嫌そうに眉根を寄せた。

「遅いぞ。どこで油を売っていたんだ、エスティマ」

「すみません、ちょっと野暮用があって。
 ……や、ギンガちゃんにスバル」

「こんにちは、エスティマさん」

微かな笑みを浮かべて挨拶を返してくれるギンガちゃん。
だがスバルはどこか居心地が悪そうにしながら、どうも、と小さく頭を下げる。
前のように嫌悪感をぶつけられることはなくなったけど、今度は顔を合わせ辛いのだろう。
誤解が解けて、今までのやりとりが空回りだと気付いたからか。
もっとも、俺はクイントさんとメガーヌさんが捕らわれたあの戦いが、今でも俺のミスだと思っている。
実際、あそこで俺が足を止めず戦っていたら二人は無事に帰ることができたのかもしれないのだから。

が、わざわざそんなことに触れる必要はないだろう。
スバルの様子を気にせず流すと、俺は三人と同じようにソファーへと腰を下ろした。

「何話してたんです?」

「ああ。二人の母親が目を覚まして、とな。
 ……改めて謝っていたところだ」

フィアットさんがそう云うと、二人は複雑そうな表情をした。
当たり前だろう。色々ありましたが母は生きて帰ってきたから気にしません、と云えるような脳天気野郎がいたら俺だって見てみたい。
それに、フィアットさんはクイントさんとメガーヌさんを撃破して捕らえた張本人とも云える。
その人物を前にして、ギンガちゃんとスバルが何も思わないわけがない。

が――

「……まだ納得はできていませんけれど、母が気にしないと云っていますから。
 あなたたちも犠牲者だって。そう云われたら、恨むに恨めませんよ」

……ギンガちゃんとスバルを引き取ったような人だ、クイントさんは。
直接手を下したのはフィアットさんでも、命じていたのはスカリエッティ。
なら悪いのはあの男でしょう、と言い切ったあの人の益荒男っぷりは異常としか云えない。

「……ありがとう」

「いいえ、気にしないでください。
 ……あ、そうだ、エスティマさん。少し頼みたいことがあるって母が云ってたんです」

「ん?」

「スバルが撃破したナンバーズの……ノーヴェ、って子。
 お母さんが会いたいって云っているのですが、できますか?」

無理ですよね、と苦笑するギンガちゃん。
それもそうだろう。外出が許されているナンバーズは現在、少数だ。
忌々しいことに外に出ているスカリエッティ。その秘書として動いているウーノ。
そしてフィアットさん。現状はこの二人だけ。
もうすぐディエチも外に出ることにはなっているけれど、最後に逮捕されたノーヴェが外に出られるのはずっと先。
しかも彼女は、あまり……いや、まったくと云って良いほどに更正プログラムに興味を示していない。
今のままじゃ、そう遠くない内にクアットロのように軌道拘留所に送られるだろう。

「……会わせるのは、無理だな。
 それにクイントさんも、まだ出歩けるほどに回復はしていない……よね?」

「……もうリハビリ開始しちゃってます。
 外でランニングしたい、ってぼやいてました」

「どんな鉄人だよあの人……人間だよな?」

「……戦闘機人じゃないのは確かですね」

喜ばしいことのはずなのに頭が痛い……。
頭を抱えたい気分になっていると、ふと、遠慮がちに袖が引かれる。
見てみれば、表情を沈ませたフィアットさんが縋るような眼を向けていた。

「……ワガママだと分かっている。
 だがエスティマ、ノーヴェのことをなんとかしてやってくれないか?
 このまま妹が牢に入れられるのは、嬉しくない」

「あの、私からもお願いします」

続いて声を放ったのはスバルだ。
彼女は視線を逸らしながらも、その、と呟いた。

「あの子、結局は戦うことになっちゃったけど……それでも、お母さんのこと大事に思ってるはずだから。
 私が勝てたのは偶然なんです。本当だったら負けてた。
 形見のリボルバーナックルを壊したくなかったから力を抜いた、って、だから……」

「……ああ」

どうしたもんかな、と言葉に詰まってしまう。
二人よりも思い入れは薄いだろうけれど、俺だってなんとかしたいとは思っている。
執務官としてもそうだし、何より、あの子はフィアットさんの妹だ。
勘違い野郎と思われるかもしれないけれど、他人事のように割り切ることはできない。

「……そうだな。
 電話は無理だろうし――」

思考を巡らせ、ふと思い出す。
それはさっきプリウスくんと会ったからかもしれない。
距離が離れていて滅多に会えない人と言葉を交わしたいのならば――昔、俺とはやてがやっていたように。
とは云っても、なのはたちのアイディアをパクっただけだけど。

「ビデオレター。直接会話は無理でも、それなら大丈夫だ」

「それじゃあ早速、準備をしましょうか。
 スバル、お願いできる?」

「うん。動画撮れるよね、マッハキャリバー?」

『Yes.』

ほんの思い付きで出したアイディアが即決されたらしい。
良かった良かった、と思っていると、不意に横から腕を掴まれる。

「……えっと、何? ギンガちゃん」

「あと一つ、言い忘れてました。
 お母さんが、顔を見せなさい、だそうです」

「……あの俺、暇じゃあないんだけど。
 一応、ここにきたのもフィアットさんの付き添いっていう仕事で――」

「はい、行きましょうねー」

「ちょ、離して……掴まれなくても逃げないから!」

そんな風にあたふたしていると、だ。
もう片方の腕を引っ張られて何事と思えば、心なしか頬を膨らませたフィアットさんが手を掴んでいた。
ギンガちゃんのように腕を掴んでいるわけではなく、手を繋いで。

「……あの、フィアットさん?」

「ふん」

そっぽを向きつつも手を繋いだままのフィアットさん。
そんな様子にギンガちゃんは苦笑すると、手を離した。

「取ったりしませんよ。……多分」

「別に取られるなどと……多分?
 おい、どういう意味だ!」

「さー、どうなんでしょうねー」

長い髪を揺らしながら悪戯っぽくギンガちゃんは微笑んだ。
ぐぬぬ、と唸りながらも追求できないフィアットさんは、照れているのか違うのか。

「……照れてなどいない」

「そうですか」

というかフィアットさん。
あなたこの中で年長者でしょうに。
























「ノーヴェ、見せたいものがある」

外から帰ってきた姉は、帰宅早々そんなことを口にした。
芝生に寝転がったままのノーヴェは視線を投げて、すぐに瞼を閉じてしまう。

興味がない。それを態度そのもので示しているかのようだ。
しかし姉――ナンバーズのⅤ番、チンクは諦めていないのか。

制服に草がつくだろうに頓着せず、ノーヴェの隣に腰を下ろした。

すると、お土産っすかー、とどこからかウェンディが湧いてくる。
今は二人にしてくれ、とチンクが云うと、ぶーぶー文句を云いながら彼女はごろごろと芝生を転がって云った。

そんなウェンディの様子にノーヴェは、日和りやがって、と胸中で毒を吐く。
トーレのような矜持やクアットロのような野心を持たないノーヴェだが、しかし、姉妹たちの尻の軽さにはややうんざりしていた。
結社という我が家が潰れたから、今度は管理局へ。
更正プログラムなんて云い方はされているが、結局自分たちを兵器として使おうとしている点では大差がない。
だというのに姉のディエチは外の世界に興味津々のようだし、すぐ側にいる姉に至っては色ボケかましている始末。

人らしく? そんな美辞麗句に誘われて、何を夢見ているという。
チンクは自分たち姉妹を戦うだけの機械ではなく、人として生きて欲しいから最後の戦いに管理局側として参加したと聞いている。
だがノーヴェからすれば、知ったことか、と云った話だ。

そもそも自分は望んで結社にいたようなものだから。
迫る火の粉を振り払って、いずれ目覚めさせると約束された母を待つ。
そのために安住の地を作るべく戦っていたのに、今はこの様。
惨めな敗北者とは今の自分を指すのだろう。

――自分が待ち望んでいたクイント・ナカジマという女性には、タイプゼロの二人がいる。
その二人を破壊して、彼女には自分だけを見て欲しかった。
ノーヴェの渇望を端的に云うならば、そうなる。

だが結果として自分は敗北し、クイントは本来自分がいるべき場所に戻った。
であれは彼女を手に入れたのはタイプゼロの二人であり、自分は何もこの手に掴めなかった敗残兵と云ったところか。

ならば、もう自分には何も残っていない。
ウェンディやセインのように自由を待ち望んでいるわけではない。
ディエチのように夢へ思いを馳せているわけではない。
オットーとディードのように、何をするべきか分からないわけじゃない。

どうにもならない。
それが自分の手で自身に落とした烙印である。

だが――

「……たまには素直に姉の話を聞いたらどうだ」

そう決め付けているというのに、この姉はしつこく構ってくる。
まだ結社にいた頃はチンクを慕っていた時期もあった。
けれどいつしかそれはクイントに取って代わり、今となっては鬱陶しい以外の何ものでもない。

牢屋にでもなんでも、好きなところにぶち込めばいい。
そう自分の考えを何度も口にしているというのに、チンクは諦める素振りすら見せない。

どうしてもこうも物分かりが悪いのかと、日々苛立ちを感じてしまう。
いつものように、今日もノーヴェはチンクの言葉を聞き流そうとして――

「……まぁ、良いさ。
 今日はお前に、ある人からメッセージを届けてくれと云われてな。
 見せたいものとはそれだ」

「アタシも見たいっスー!」

「……頼むから二人にしてくれ」

「うぅー……仲間外れは酷いっスよー」

どこかから現れたウェンディが、再び芝生をごろごろ転がってどこかに行った。
誰もいないことを確認すると、チンクは眼前にパネルを呼び出して操作を開始する。

人に見られたくないもんなのか?
そんなことをノーヴェは考え――僅かなノイズと共にディスプレイに浮かんだ顔を見て、目を見開いた。

『初めまして、になるかしら?』

画面にはバストアップで一人の女が映っている。場所は、病室だろうか。
外見はタイプゼロのファーストと良く似ているが――決して同一人物ではない。
ノーヴェはそれを良く知っていた。

そう、良く知っているのだ。
目を開けたところは一度も見たことはなかったが、飽きるほどにずっと寝顔を眺めていた。
その記憶はこうして捕らわれていても色褪せることなく、彼女の脳裏に残っている。

『私はクイント・ナカジマ……って、知ってるわよね』

知ってる。心の中で返答をすると同時に、ああこんな声だったのか、と心が震えた。
これがただの動画だと分かっているのに、手を伸ばしたい衝動に駆られてしまう。
だが隣で姉に見られていることをすぐに思い出すと、ノーヴェはそれを自粛した。

『ギンガとスバルから、あなたがどんな子かは聞いているわ』

タイプゼロの二人。その名をクイントが口にしたことで、微かな痛みが胸に走る。
そして、自分の印象を勝手に伝えられたということも。
どうせロクでもない説明をされたはずだ。
ファーストは一度中破に追い込んでいるし、セカンドと戦ったのは二度。負けはしたものの、どちらも痛め付けている。

気持ち高鳴りは一瞬で沈み込んでしまうも、しかし、目を動画から離すことはできなかった。

『物騒な話は色々聞いたけど、』

ああやっぱり――

『その中に、気になる話があったわね。
 奪うような形になってたみたいだけど、あなた、私のリボルバーナックルを大事にしてくれてたんでしょう?
 改造するわけでもなく、手を加えずに当時のままで』

落ち込みかけたところに、自分の気持ちに気付いてくれたような言葉をかけられて、ノーヴェは目を瞬いた。
しかしそれは、自分が向けられて良い言葉なのかと思い悩んで、

『……私は、娘たちの話を聞いてあなたの印象を決め付けたくないの。
 あなたが何を思ってそんなことをしたのか。
 娘たちと戦った理由。デバイスを大切にしていた理由。
 良かったら、それを教えて欲しいわ』

ただ押し付けられる優しさではなく、欲しいのならば掴み取れと云われたような気がして、ノーヴェは目頭に熱を覚えた。
タイプゼロに対する感情が未だ黒いものであることに違いはない。
負けた自分に情けをかけているのかという怒りがないわけじゃない。

けれどそれは、望んでいた待ち人のかけてくれた言葉によって、ちっぽけとすら云える理由になる。
声が聞けただけで充分――なんて思うほど、ノーヴェは殊勝ではなかった。

『……ごめんなさいね。
 まだ話したいことはあるんだけれど、あなたがどんな子か分からないから、今回はここまでで。
 お返事、待ってるわ』

会いたい。ずっとそう思っていた人物にだからこそ理解して欲しいと思ってしまう。
又聞きした自分の話を信じないで欲しい。
自分の口から、何を思い、何を願って戦っていたのかを聞いて欲しい。

動画が終わる。真っ暗になってしまった画面には自分の顔が映り込み、そしてノーヴェは気付いた。
いつの間にか自分の表情が泣き笑いになっている。
そんなつもりはなかったというのに、だ。

「どうするノーヴェ。
 返事を出すか?」

「……出すよ」

チンクに短く応えて、ノーヴェは何を伝えるべきかと考えを巡らせた。
しかし思考は上手くまとまってくれない。
何を云うべきかさっぱりだ。たくさん話をしたいと思っていたのに、いざチャンスが巡ってくればどうして良いのか分からない。
ああもう、と苛立たしげにノーヴェは髪を掻きむしる。
だが彼女の表情は、決して不快ではないと云うように緩んでいた。


























「上手くいったみたいですね」

「だね」

ずっとフィアットさんとノーヴェのやりとりを影から見ていたギンガちゃんは、病院にいるスバルへとメールを書き始めた。
乗り気みたい、と短く書かれたそれを送信すると、彼女は溜息を吐く。

「やっぱり複雑?」

「それはもう。一度片腕を消し飛ばされてますからね、あの子には。
 恨みがないって云ったら嘘になります。すごく痛かったんですから。
 けどあの子も被害者で……って思っちゃうと、云われたように複雑な気持ちになります」

「ロジックじゃないからね、そこら辺。
 そういう意味じゃ、割り切れるクイントさんは超人だ。
 年の功、ってやつかなこれが」

「あ、そんなこと云ってるとお母さんが怒りますよ?
 まだ若い、って本人は云ってるんですから」

「外見だけじゃん……魔導師の女は怖いよ」

「密告決定です」

「本当に止めて……」

がっくりと肩を落としつつ溜息。
数時間前まで顔を合わせていたあの人の様子を思い出し、ちょっとブルーに。

しかしギンガちゃんは苦笑すると、

「……大目に見てあげてください。
 目が覚めたら十年近く時間が経ってたんです。
 はしゃがなきゃ、きっと塞ぎ込んじゃうんですよ」

「……だろうね。
 自分がそんな目に遭ったら、なんて考えたくもない」

「……まぁ、素で元気って可能性もあるんですけどね」

「それも有り得ないって云いきれない辺りがあの人の凄いところだよ」

病室で交わした会話を思い出し、思わず笑みを浮かべてしまう。
面倒見の良さ……なのかどうなのか。
あの人は俺のことを今でも子供扱いだ。それは俺だけじゃなくて、ギンガちゃんやスバルもなんだけれど。

……その面子に、ノーヴェが入ることはあり得るのか。
今はまだ分からない、としか云えないだろう。
クイントさんに返事をするつもりではあるのだろうけれど、それがどちらに転がるかはまだ分からない。
良い方に転がることばかり考えてちゃ、いざというとき何もできない……とは分かっている。
因縁やらなんやらを飛び越えて、なんてのはただの綺麗事。
けれど綺麗事だからこそ、それを実現すべく動く甲斐があるって信じている。

結局、何が一番良いのかと云えば、皆が笑っていることだろう。
それが実現できるのならば、少しぐらい骨を折っても惜しくはないさ。
出来ることと云ったら、ビデオレターの宅配とそれとなく更正プログラムを薦めることぐらいだけど。

「そういえばエスティマさん」

「ん?」

「お母さんに色々云われてましたけど……」

「婿にはならないからな」

「残念です」

そう云って、どこか妖しげにギンガちゃんは笑う。

「……そういう反応すると男は勘違いするから気を付けるように」

「そんなつもりはないんですけどね」

「俺は一途なの」

「ますます残念」

「……ああもう」

思わず額に手を当てて肩を落とす。
……そうしていると視線を感じてそちらを向けば、フィアットさんと目が合った。

『……ふん』

『ああああ、勘違いですよ!?』

慌てて取り繕うも、ぷいっと彼女は顔を背けてしまった。
どうしよう、と慌てていると背後からはくすくすと可笑しそうに笑うギンガちゃんの声が聞こえてくる。

……どうしてこうなった、と思わずにはいられない。






[7038] 後日談2 チンク
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/04/23 23:34

戦闘機人に関する区画を抜け、俺は売店で買ったお菓子の入った袋を揺らしながら、一般病棟へと向かっていた。
そこへ向かう理由は一つ。クイントさんが入院しているということもあるが、今日は別件だ。
こうして顔を見せるのは、四回目ぐらいだったか。
向かう先はプリウス・セダンの過ごしている病室だ。

以前、偶然で顔を合わせたあの子とは端技術医療センターにくる度に顔を見せるようにしていた。
特に親しいというわけではない。そして、何か特別な繋がりがあるというわけでもなし。
ただ、この施設に足を運ぶ度にどうしても空き時間ができてしまうため、それを埋めるために通い続けているのだ。

廊下を進み続けていると、ふと、その途中で見知った顔に気付き、こんにちは、と挨拶を。
向こうも俺に気付いたのか、小さく会釈を返してくれた。

「どうも、プレミオさん」

「またきてくれたのか。ありがとう、エスティマくん。
 娘も喜ぶ――と云いたいところだが、すまない。
 今はちょっと会えないんだ」

「検査か何かですか?」

「いや、風邪をこじらせてね。
 体力が落ちてるところに、だったから余裕がないんだ。
 悪いが、今はそっとしてやってくれないか」

プレミオさんの言葉に、微かな心配が胸の内から浮かび上がってくる。
何度か顔を合わせて、あの子の口から、身体がどんな状態か聞いているので気になってしまう。
が、俺よりもプレミオさんの方がよっぽど心配だろう。
なんてったって娘のことだ。俺みたいな部外者より、ずっとあの子を気遣っているだろうから。

「……そうですか。
 それじゃあこれ、差し入れです。
 売店で買ったので大した物じゃないですけど」

「ありがとう」

強引に笑みを作ってビニール袋を渡すと、彼は苦笑して受け取ってくれた。

「……エスティマくん、少し時間はあるかな?」

「はい。プリウスくんと話すつもりだったので、余裕はあります」

「そうか。
 ……すまないが、少し話し相手になってくれないかな」

「かまいませんよ」

応じると、俺たちは場所を移すことにする。
区画を抜けず、この近くにある食堂へ。
食堂とは云っても大袈裟なものではなく、患者が生ものを保存するために冷蔵庫が置いてある、こじんまりとした所だ。
幸いにも先客はいないみたいだった。
椅子を引いて対面になるよう、俺とプレミオさんは腰を下ろす。

するとややあってから、彼はゆっくり口を開いた。

「……あの子の身体がどんな状態なのか、聞いてるね」

「……大雑把には。
 病気の類にはかかっていないけれど、何度も手術をしたせいで体力が落ちてるって」

「ああ、それで間違ってない。
 そんな状態で風邪を引いて……ただの風邪だっていうのに、あそこまで衰弱するとは思わなかった。
 ……人は、存外脆いものなんだな」

自嘲するように、プレミオさんは苦笑する。
その表情の中に微かな黒さが覗いていることに、俺は気付いてしまった。
……その感情を、俺は知っている。
無力感だ。自分には何もできないと思い知らされた人間が誰しも抱く、自分自身への失望。
身に覚えがあるからこそ、すぐに気付くことができた。

だが、とも思う。
確かに娘さんが苦しんでいるのならばそう思うのも無理はない。
俺だってシグナムが危篤、なんて聞かされたら似たような表情をするだろう。
……そう、この人が今抱いている感情は、重いんだ。

そのことから、風邪とは云えどもプリウスくんが危険な状態であることを察することができた。
だが、俺にはどんな言葉をかけて良いのか分からない。
元気を出して。頑張って。そんな言葉がなんの慰めになるというのだろう。
深く沈んだ感情に対する慰めは、逆鱗に触れるようなものだ。
何故なら、無力感を抱いている人間は何かしらその捌け口を求めているから。
八つ当たりがその最たる例で……話を聞いてくれと頼んできたこの人は、そうしない分大人だと云える。

「君も知っての通り、あの子は前まで、陸士の訓練校に通っていたんだ。
 健気なものでね。魔法が使えるなら、お父さんみたいに管理局で人の役に立ちたいと云っていたよ。
 事務方ならともかく、魔導師であれば現場に出る必要があり、多かれ少なかれ危険な目には遭う。
 だから私としてはあまり勧めたくはなかった……けれど、あの子の云ってくれたことが嬉しくて、結局は訓練校への入学を許してしまった」

俺はただ黙ってプレミオさんの話を聞く。
彼が口にする言葉は会話をしていると云うよりも、独り言に近い。
話の趣旨が見えないとは思うものの、今は聞き役に徹するのが一番だろう。

「順調だった、とは思う。訓練校での成績も悪くはなかった。
 執務官なんかのエリートコースは歩めないにしても、捜査官としてならそれなりの魔導師になれただろう。
 ……そんなところまで私に似なくても良いのにな。
 それでも娘は自分の才能に不満を云うこともなく、日々を送り続けていたよ。
 ……それが終わったのは、マリアージュ事件と呼ばれている、あの騒動が切っ掛けだ」

そこまで云って、プレミオさんは俯きがちだった顔を上げ、まっすぐに俺を見る。
視線はこちらに向いているものの、彼は何を見ているのか。
虚ろというよりは疲れ果てた瞳を、彼は伏せた。

「あの日、プリウスは休暇ということで家に戻ってきていた。
 家族三人が久々に揃うということで、外食をしようという話になっていてね。
 待ち合わせは沿岸地区の繁華街だった。あの近くにはマリンガーデンを中心に、賑やかだっただろう?
 今は、破壊されて復興中だがね」

……話がようやく見えてきた。
この人が話したいこととはつまり、

「そう、破壊されたんだ。不意に起こった結社のテロ。
 設立宣言のときと同じように連中は民間人へ逃げるように云っていたようだが、避難が完了する間もなくガジェットの襲撃が始まった。
 その中を娘と妻は逃げててね。生憎と私はその頃、仕事先から待ち合わせ場所へ移動している最中だったんだ。
 ……私が現場にたどり着いたときには、すべてが終わっていたよ。
 戦闘機人は撤退し、ガジェットは全機撃破。私にできたことと云えば、娘と妻の行方を捜すことぐらいだった」

「……あの戦いが後手に回ったのは、認めます」

「……君を責めるつもりはないんだ。こんな話を聞かせているのだから、信じてもらえないかもしれないが。
 私も前線に出るタイプの魔導師だ。不慮の大規模テロに対して、火消し以外の対抗手段がないことは理解している。
 恨んではいないよ」

どこか割り切った風に、プレミオさんは言い切った。
台詞とは裏腹に、声色には苦みが混じっている。
納得など、できはしないだろう。

「……話を戻そう。
 駆け回ってようやく娘と再会できたら、あの子はまともに会話もできないような状態だったよ。
 マリアージュ……量産型の戦闘機人に襲われて、生きていただけでも僥倖なのだろうが。
 ……長い髪が綺麗だったんだ、あの子は」

だが今、プリウスくんの髪は中性的――酷く、短い。
つまりは、頭蓋を切開する必要があったのか。
いや、マリアージュの戦闘に巻き込まれたのなら、それでは済まないだろう。
身体が弱っているのはそういうことなのだろうと、一人納得する。

戦闘能力に関して云えば、あれはガジェットよりも遙かに強力な兵器だった。
酷い云い方をするならば、殺されて、屍兵器であるマリアージュにならなかっただけマシ、といったところだろう。
無論、そんなことをプレミオさんに云えるわけがないけれど。

そこまで考え、嫌な予感が脳裏を過ぎる。
話に出てきた奥さんを、俺は見たことがない。
そしてプリウスくんがマリアージュに襲われたということは、近くにいた奥さんは――おそらく、兵器として殲滅されたのか。

云いようのない罪悪感が、胸の内に宿り始める。
あの事件そのものは仕方がなかったことだろう。
仕方がなかった――のか?
自分の考えに疑問を抱いた瞬間、口の中に苦みが広がった。

……俺は、何かを忘れているんじゃないだろうか。
根拠もない不安が滲み出してくる。
それに対し気を回そうとした瞬間にプレミオさんが話を再会したため、俺は疑問を頭の隅に追いやった。

「あの子はなんとか一命を取り留めたが、瀕死の状態であることに代わりはない。
 この前は勝手に歩き回っていたが、本当なら回復した今も病室を出ることすら許されない。
 それなのに私は元気だから――と、強がってな。
 ……目の前であいつが殺されたところを見ているはずなのに」

「……強い子ですね」

「……ああ。本当にな」

そこまで云って、いかんな、と彼は苦笑した。

「すまない。こんな話をするつもりじゃなかったんだ。
 あの子の境遇を知ってもらった上で、君に礼を云いたかったんだよ」

「礼、ですか?」

「ああ。結社を潰してくれて、ありがとう。
 本当なら私の手でやりたかった……その力がないと、十分に理解しているが。
 あの子が君を慕っている理由も、おそらくそれだ。
 ……すまないが、飽きずにまた足を運んでくれると嬉しい」

「こんな話を聞いたら、嫌とは云えませんよ。
 あの子が元気になるまで、付き合いましょう」

「……ありがとう」

先ほどまで浮かべていたどの表情とも違う、柔らかな笑みを彼は浮かべる。
今までのが憎悪と自嘲ならば、今は娘を思いやる父親の笑みだ。
……愛し愛され、といったところなんだろう。
プリウスくんは父親に支えられて、この人はただ一つ残った拠り所に支えられている。

不幸であることに違いはないのだろうけれど、そう断じてしまうのは気が咎めてしまう。
そんな家族の在り方――

『申し訳ありません、旦那様。
 今すぐここを離れてください』

『どうした?』

珍しくSeven Starsが焦ったような念話を向けてくる。
表情を変えずに問い返すと、再びSeven Starsは謝った。

『先ほど、チンクから私に念話が届いたのです。
 今、どこにいるのかと。旦那様を驚かせたかったらしく教えるなと云われて』

『……確かに、不味い』

俺が不味いと云ったのは驚かせる云々ではなく、目の前にいるプレミオさんだ。
局員である彼が――それも前線に出るタイプの魔導師である彼が、戦闘機人の顔を知らないわけがない。
今聞いたばかりの話から彼の心情を察するに、フィアットさんと顔を合わせたら……なんて考えたくもない。

「すみません、急ぎの用事ができました。
 今日はこの辺で。またきます」

「ん、ああ。
 またきてくれるのを、待ってるよ」

急いで席を立つと、俺はそのまま早足で食堂を後にした。
その瞬間だ。曲がり角から顔を出てきたフィアットさんと鉢合わせして、思わず目を見開く。
だがそれは彼女も同じで、目をパチパチと瞬いていた。

「き、奇遇だなエスティ――」

「ここじゃなんだから急いで離れますよ!」

「む、おい待て、私は荷物じゃないんだぞ脇に抱えるな!」

フィアットさんの叫びをガン無視しつつ、俺は駆け足で廊下を進む。
じたばたと暴れるこの人に色々と申し訳なさを感じつつも、降ろすわけにはいかなかった。


















エスティマを見送ろうと思って――そのつもりだけだった。
しかし、食堂を出たエスティマがすぐに鉢合わせした少女を目にし、プレミオは目を細めてしまう。
――知っている。確か、ナンバーズのⅤ番だったか。

仲が良いのかもしれない。
小脇に抱えられた少女へと視線を注ぎながら、彼は歯を食いしばった。

妻と娘の仇とも云える存在を、プレミオは忘れたことがない。
エスティマに云ったことは事実だ。
彼が前線に出たところで、おそらく相手にしてもらえなかっただろう。それは十分に理解している。

だが事実とは別に、彼は想像の中で戦闘機人、そしてスカリエッティや機械兵器をどうしてやろうかと、ずっと考えていた。
そうでもしなければ耐えられなかったのだ。
生涯の伴侶と定めた妻は殺され、娘は治るかも分からない怪我を負って人生を狂わされた。
その悲しみから逃れるためには、憎悪を燃やして現実から逃れるしかなかったのだ。
そうでもしなければ、きっと自分は狂っていた。そんな自覚がある。

――だが、すべては終わったことだ。
憎悪していたのは確か。八つ裂きにしてやりたかったのも確か。
今も恨みが消えていないのも偽りではない。

しかし管理局の局員として、彼女ら戦闘機人が犠牲者であるとも理解はしている。
だからこそ彼はチンクの姿を目にしても、エスティマを引き留めようとは思わなかった。
おそらく彼は、戦闘機人がここに顔を出すと気付いて席を立ったのだろう。
今は憎悪よりも、彼に気を遣わせてしまったことの方が申し訳ない。

恩人、というわけではないが、結社を打倒したエスティマに対して、プレミオは感謝している。
それだけではなく娘を元気付けてくれている今、どれだけ感謝してもし足りないぐらいだ。

――プレミオは知っている。もう二度とプリウスが魔導師にはなれないことを。
娘には知らせていないことだったが、保護者である彼は医師の口から聞かされていた。
……云えるわけがない。もう一生、五体満足に管理局の魔導師として働くことはできないなどと。
娘の夢は本人の気付かないところで潰えて、どんなに努力をしようとも、もう以前の状態に戻ることはできない。
だがプレミオはどうしてもそれを娘に伝えることができなくて――そして娘は、リハビリさえ頑張れば、と思っている。
そんな娘に、どうして夢を諦めろと云えるのだろうか。
そしてその娘を元気付けてくれる彼を、どうして恨むことができるだろうか。

何度も言うようだが、プレミオの憎悪は枯れたわけではない。
しかし、彼にとって過去はそれほど重要ではない。
連中を八つ裂きにして妻が戻ってるならそうしよう、とは思う。
娘の身体が元に戻るのならば、皆殺しにしてやろう、とは思う。

だがそんな意味の分からない理屈が実現するわけがない。
ならば今、自分が行うべきことは憎悪を燃やすことではなく、残った宝物である娘の無事を祈ることだろう。




















リリカル in wonder

   ―After―



















「乙女をいきなり脇に抱えるとはどういう了見だエスティマ。
 お前には私がスカートをはいているのが見えないのか?」

「いや、分かってます。
 分かってますけれど、俺の方にも谷よりも海よりもブラックホールよりも深い理由があったんですって」

「ならそれを云ってみろ。
 納得できる理由なら、大目に見てやらないこともない」

「……結局、許さないってことなんです?」

「……お前は、その……私の下着が見られても良いと思っているのか?」

「いえ、全然」

「ならば理解しろ馬鹿!」

臍を曲げたフィアットさんの怒りを宥めるためにすみませんすみませんと平謝り。
けれど流石に扱いが扱いだったからか、かなりお冠のようだ。

「それで、理由は?」

「……俺がさっきまで会って話していた人、結社が行ったテロの犠牲者なんです。
 手を下したのはナンバーズじゃなくてマリアージュですけど……あの人からすれば、大差ないでしょう」

「……そうか」

嘘は吐きたくなかったため本当のことを口にしたのは良いものの、やはりフィアットさんの表情は曇ってしまった。
当然だろう。自分が行ったわけではないとはいえ、関与はしていた。
それをまったく関係がないと開き直る。この人はそんなことができないと、俺は知っている。

正しく罪を償いたい、とフィアットさんは以前云っていた。
こうして表情を曇らせるのはその約束を履行していることの証明でもある。
自分の犯した罪から逃げない、という。

それを良いことだと思うと同時に、プレミオさんと話をしていた時に覚えた苦みが、再び広がり、根拠のない焦燥が煮え立つ。
だが、自分でも意味の分からない感情を吐き出す手段など存在しない。
湧き出す衝動へ強引に蓋をしながら、俺は手を握り締めた。

「……謝ってこよう」

「……止めた方が良いでしょう。
 プレミオさん……っていうんですけど、あの人、事件のことを乗り越えようとしてましたから。
 謝るなら、傷跡が癒えてからが無難ですよ」

「だが……!」

「今謝りに行ったって、刺激するだけでどちらも傷付きます。
 ……それじゃ、あなたの自己満足で終わってしまう。そうでしょう?」

「……ああ」

参った、とフィアットさんは額に手を当てる。
そして前髪を微かに握ると、溜息を吐いた。

「……お前は、優しいのか厳しいのか、たまに分からなくなるよ」

「それぐらいの距離感が丁度良いって思います。
 今は、まだ」

「……そうか」

呟き、フィアットさんは縋るような瞳を向けてきて――逸らした。
何かを耐えるように口を引き結ぶと、暗い表情を一転させて苦笑する。

「さて、仕事に戻ろう。
 こんなところで油を売っていたら時間が惜しい」

「そうですね」

笑いかけ、俺はフィアットさんと並んで歩き出す。
彼女の云った仕事とは、そのまま管理局の仕事だ。
俺の監視下で、彼女は今日々を過ごしている。

俺の下ではなくちゃんとした部隊に振り分けて、という方法も取れたのだが、そこは俺のワガママで。
この人が口にした罪を償うという約束が果たされているかどうか、この目で見届け、見守りたい。
だからフィアットさんと俺は書類上はともかく、執務官と執務官補佐のようにコンビを組んでいると云って良い。

仕事の内容は多岐に渡る。
災害救助から犯罪者の逮捕まで。
それらを一つ一つ着実にこなしながら、この人は社会へと適応すべく努力している。

終わりはまだ遠い。
けれど確実に、この人は自身が望んだ人でありたいという願いに近付いていると、俺は思う。






















先端技術医療センターの中にある、病室の一つ。
部屋の入り口にはクイント・ナカジマとプレートが入れられており、その通りに、部屋の中には彼女がいた。
彼女の介護のため、スバルは六課が解散してから毎日この場所に入り浸っている。
病室にいるために退屈な毎日を送っている――というわけではない。
目が覚めた母は十年の歳月を埋めようとするかのように、雑誌やらなんやらを乱読して、スバルを質問攻めにする。
だがそれは、混乱からではないのだろう。自分の知らないことがいつの間にか増えていて、単純にそれを楽しんでいる子供のような。

記憶の中にあった母や優しくて強くて――そんな印象をずっと抱いていたが、どうやら違ったみたい、とは最近になってスバルが思ったことである。
だがそれも無理はないのかもしれない。
当時の自分たちはまだ子供で、母は大人としてそれらしく接してくれていたのだろう。
当時のは、今でも見ることがある。
しかしそれ以上に、今の母はちょっと年上のお姉さん、といった感じが強い。
それもまた、時間が経てば変わるのかもしれないけれど。

「うん、よし。今回はこれぐらいで。
 スバル、上手く撮れた?」

「あ、うん。大丈夫だよお母さん」

唐突にかけられた声に、スバルは意識を引き戻した。
今、母は捕らえられたナンバーズに向けてのビデオレターを録画していた。
つい最近になって始まったそのやりとりは、これで五度目ぐらいだろうか。

ノーヴェという名の戦闘機人に対して、スバルは複雑な感情を抱いている。
姉を傷付けられた。母のリボルバーナックルをずっと奪っていた。
そんな負の面である感情があると同時に、彼女が母に執着していることも知っている。
悪ではあったと思うものの、ノーヴェの動力源と云えた願いが分からないわけではないため憎みきれない。
それに、結局最後の戦いでノーヴェとは言葉らしい言葉を交わすことができなかったから。

彼女が母に対して執着を抱いている、というのは推察にしか過ぎない。
実際に彼女がどんなつもりで戦っていたのかを、スバルは一切知らなかった。
出来ることなら腹を割って話をしてみたかった。そんな後悔が、ずっとスバルの胸に燻っている。

だがそのチャンスはしばらく訪れないだろう。
今はまだ、母がノーヴェから送られてくるビデオレターを見て、彼女の人となりを判断している段階だ。
意地悪なことに母は動画を一切見せてくれないので、結局、スバルはノーヴェのことを分からないまま。

彼女から送られてくるビデオレターを見た後は決まって母の機嫌が良いから、悪い内容ではないのだろう。
それが余計に、悔しかったり。ノーヴェと話したい、ということと共に、なんだか母の関心があっちに向いてしまっているような気がして。

そこまで考え、やめやめ、とスバルは頭を振る。
今はじっくりとノーヴェが心を開いてくれるまで待つしかないのだから、何かを考えたところで意味はない。
考える必要があることと云ったら、いつかきっと訪れると信じている対話の時に、何を話すのか、というぐらいだろう。

……対話、か。
対面して話し合う。その行動が必要であるのは、今のスバルにとってノーヴェだけではなかった。
気まずさだけで云うならば、おそらくもう片方の方が上かもしれない。
どんな風に話しかければ良いのか、さっぱり分からない。

「……スバル、どうしたの?
 なんだか顔色が優れないけど」

「あ、うん……」

なんでもない、と返そうとしていつの間にか俯いていた顔を上げると、心配そうな瞳に出迎えられた。
それを前にして嘘を吐くことはできず、言いづらいと思いながらも、スバルは口を開く。

「……エスティマさんに、どう謝ろうかなって」

「まだ謝ってなかったの?」

あらあら、とクイントは苦笑する。
一応、というレベルだが、クイントはスバルとエスティマの間に確執があったことを知っている。
今からすれば信じられない話だが、当時、スバルはエスティマのことを『おにーさん』と呼んで慕っていたのだ。
それが目を覚ませば気まずさ大爆発状態だったのだから、不思議に思うなという方が無理だろう。

だがクイントが認識している以上に――スバルは――勘違いとは云え二人の間に生まれてしまった溝が深いと思っている。
当たり前のことだろう。事実をすべて明るみに出してみれば、自分はずっとエスティマを逆恨みしていた。
母を奪い去ったのは彼ではなく結社。守ってくれなかったのは確かなのかもしれない。けれど、決して彼のせいではない。
彼が全面的に悪くないわけでもない。逆恨みであり誤解でしかなかったのに、彼はそれを解こうとはしなかったわけだし。
だがそんなのは言い訳だ。悪いことをしたら謝る。子供が第一に教えられるような理屈だが、それはある意味単純であるが故に真理だろう。

そう、彼には悪いことをしたとスバルは思っている。
だからこそ謝りたいと思っているのだが――

「一言謝れば、許してくれない子じゃないわよ?」

「分かってる」

……母からすれば、エスティマは坊や扱いだ。
目覚める前は子供だった、ということもあるのだろうが、やはり母にとって子供は子供という認識なのだろう。

「私もそう思うよ。エスティマさん、優しいから。
 それに誤解をずっと解かなかったのは自分が悪いと思っていたからだし。
 けど……何か間違ってるかもしれないけど、簡単には許してもらいたくないの。
 悪いことをしたって、私は思ってる。だから簡単に許されちゃいけない気がするの」

「……そう。気持ちは分からなくもないわ」

そう云い、おいで、とクイントはスバルを手招く。
椅子を引きずってベッドに座っているクイントに近付くと、優しい手つきで頭に手が乗せられた。
まだ回復しきっていない指は細く、丸みを帯びていない。
けれど髪を梳く動きは繊細で、慈しみが見て取れた。

「……少し悔しいわね。大人になっちゃうのは嬉しいけど寂しい。
 私の手でここまで育てたかったって思っちゃう」

「……お母さん」

「残念だけど、ね。仕方がないことだもの。
 ……それにしても、スバルはそういうところ、相変わらずなのね」

云われて、そうだったかな、と首を傾げる。
その様子に何を思ったのか、クイントは苦笑した。

「元々あなたは争いごとが嫌いだったでしょう?
 だからある意味、あなたが魔導師として……そして戦闘機人の力を使って戦っていることが、一番の驚きよ。
 それでも根っこの部分は変わらないものなのね」

「……そう、なのかな」

「そうよ。あなたは争いごとが嫌いな分、悪いことをしたと思ったら、ちゃんと謝ることのできる子だった。
 自分がどうして悪かったのかを、分かってたもの。子供なりにね。
 ちょっと勘違いした方向に成長したみたいだけど、良いところが残っててお母さんは嬉しいわよ」

とは云われても、少し複雑。
子供の頃からそうだったと云われても、結局、どうエスティマに謝れば良いのかなんてさっぱり分からない。
などと思っていると――

「悪いと思っているのなら、もう手段は一つしかないわスバル」

「……えっと、お母さん。なんだか急に楽しそうな顔に。
 結構真面目な空気だったと思うんだけど」

「もう嫁に行くしかないわ!」

「どうしてそうなるの!? 超展開って云うんだよそれ!
 っていうかまだ諦めてなかったの!?」

「当たり前よ。諦められるわけないでしょう。
 ギンガとスバルをよろしくって頼んだのに、あの子は……盛大に意味を取り違えてっ」

「いや、エスティマさんの受け取り方が普通だと思う……」

「むぅ……ギンガもスバルも乗り気じゃないのね」

「まぁ、それは……」

端から見て、恋人らしい人がいつも隣にいるし。
てっきりスバルは――というかフォワード全員は八神はやてとくっつくものだと思っていたが、予想は大外れ。
六課が解散するときの宴会で聞いた話だが、エスティマとナンバーズのⅤ番は随分と前から知り合っていたらしい。
それだったら八神小隊長とくっつかなかったのも頷ける、とあの時は思ったものだ。

敵味方に別れて、なんてベタすぎるけれど現実ではそうそう起こり得ないことだろう。
そういう話もあるんだなー、と錆び付いてるスバルの乙女回路ですらロマンチックだと思ってしまった。
ロマンチックにしては血と硝煙と魔力光に満ちてる運命だけれど。

そこに割り込むのは普通に気が引ける。
というか、そもそも自分はそんな風にエスティマを見たことがないのだし。
姉は姉でどうなのかは知らないけれど。

「ともかく、その話は放り投げて」

「……うう、私の素敵家族計画が」

「どうすれば良いのかな……」

スバルが頭を悩ませていると、不意に病室のドアがノックされた。
はーい、と返せば、やや遠慮がちにスライド式の扉が開かれる。

「こんにちはー。お見舞いにきました」

「ティア!」

姿を現したのはティアナだ。
私服姿で紙袋を手に提げた彼女は、後ろ手に扉を閉めるとクイントの下へ近付いてくる。

「これ、お土産です。
 ロールケーキなので、痛まない内に食べちゃってください」

「あらありがとう。
 そうね……じゃあ早速頂いちゃおうかしら。スバル、切ってくれる?」

「うん、分かった」

頷くと、スバルはティアナから紙袋を受け取った。
早速袋に入っている箱を取り出して開けると、中からはフルーツロールが出てくる。
箱に印刷されていた店名を目にして、先端技術医療センターの近くにあるお店、と思い出した。

「ここの美味しいんだよねー。
 でも、ちょっと高かった気がする。
 ごめんね、ティア」

「別に気にしなくても良いわよ。私も食べたかったし。
 ……あ、そうだクイントさん。具合はどうですか?」

「私としては早く退院したいんだけど、主人がゆっくりしろってうるさくてね。
 ここじゃ走り回ることも組み手もできないもの」

「……元気、みたいですね」

呆れた顔をしながら、ティアナは苦笑する。
彼女の反応は頭のおかしいことに、クイントの見舞いにきた者がする普通の反応だった。

対応を見れば分かるとおり、クイントとティアナは初対面ではない。
六課が解散する際にスバルが云っていたように、目を覚ましてからすぐ、ティアナはスバルによって紹介された。
見舞いにきたスバルの友達一号、ということもあってクイントは彼女のことを気に入っているらしい。

「そういうティアナちゃんの方はどう?
 空隊の試験、受かったんでしょう?」

「はい、信じられないことに受かっちゃいました。
 ……おかしな話ですよ。前は駄目だったのに今は大丈夫だなんて。
 空戦の適正そのものは何も変わってないはずなのに」

納得できない、という風にティアナは眉根を寄せる。
するとクイントはやや真面目な表情を作り、そうねぇ、と思い出すような口調となった。

「適正は変わっていなくても、魔力の操作技術は上がったんでしょう。
 ええっと、確か、六課だったかしら?
 そこで教導官さんに磨いてもらった技術は、飛行魔法の制御にも生きる。
 それに、飛行魔法を使うときは、いくらかマルチタスクを回さないとだし。
 そういった基礎が固まっていることを認められたんじゃないかしら」

「だと、嬉しいです。努力が報われたみたいで。
 それにしても、詳しいんですね」

「所属していた部隊の隊長が空戦魔導師でね。
 茶飲み話に聞いたことがあったのよ」

「部隊というと三課……ロングアーチ00の人ですか」

「あ、切り終わったよー」

はいどうぞー、とロールケーキを差し出すスバルだが、既に彼女は口にケーキを放り込んでいる。
呆れた視線をティアナに向けられながら、まったく、と溜息を吐かれた。

「ともあれ、私はヒヨっ子に逆戻り。
 しばらくは訓練生として頑張ることになりそうです」

「うんうん。若い内はなんでもやってみるものよ。
 まだまだ先は長いんだから冒険してみないとね」

「ん、美味しいわねこれ。
 スポンジは柔らかいし、クリームはしつこくないし」

「ええ。だから、結構人気みたいです。
 あー、買って良かったなぁ」

もくもくとロールケーキを頬張る二人を眺めつつ、残りはどうしよう、と考えるスバル。
美味しいというのは決して嘘じゃないため、ギンガやゲンヤにも食べさせたいけれど、もう一切れ、二切れ、食べたい。
……あ、そっか。また買ってくれば良いんだ。

頭に花を咲かせつつ天啓が舞い降りた気分になるスバル。
そうしていると、そうそう、とクイントが声を発した。

「ティアナちゃん、ちょっと相談に乗ってあげて欲しいの」

「なんですか?」

「スバルったら、エスティマくんにどう謝ったら良いかって困っちゃってて――」

「お、お母さん!? ティアにまで云わなくても良いじゃない!」

「……今更でしょうが。そんな慌てることでもないわよ」

まったく、とティアナは苦笑する。
それもそうだ。何があったのかは詳しく話していないものの、ティアナは自分とエスティマの間に確執があったことを知っている。
六課ではそのことで迷惑もかけた。
だから隠す必要はないと思っているものの……どうにも、気恥ずかしい。

「部隊長のことだから、許してくれるわよ」

自然に、ティアナはエスティマのことを部隊長と云う。
意識して口にしたわけではないのだろう。だが、ティアナは部隊長と、エスティマさん、という呼び方をごっちゃにしていた。
ティアナももう六課は解散したと分かっているはずだ。
けれど彼女にとってのエスティマは、六課でのイメージが強いのだろう。
そんな風に、スバルは考えている。

「そうなんだけど……なんだか、簡単に許されそうで、ちょっと」

「……気難しいこと考えてるのね。
 アンタらしいというか、らしくないというか」

「うぅ……」

「じゃあまぁ、そこから一歩踏み込んで考えてみましょうか」

阿吽の呼吸と云うべきか、ティアナはすぐに相方の意思を汲み取る。

「簡単に許されたくない、ってのは分かったわ。
 それで、アンタはどうしたいの?」

「どう、って……さっきから云ってるように」

「ああそうじゃなくて、アンタがどうしたいかなのよ。
 ぶっちゃけると自己満足だしね、これ。
 エスティマさんが簡単に許すんなら、それはともかくとして、謝罪以上の何かをアンタの方からすれば良いんじゃない?」

「おお、すごいよティア!」

「で、考えは?」

「……ありません」

「……うん。クイントさんの前で云うのもアレだけど、馬鹿ねアンタ」

「ウチの娘がどうもすみません……」

「いえいえ……」

小芝居を開始したクイントとティアナだが、スバルからしたらどうしたら良いのかさっぱり分からない。
頭を悩ませても、いまいちピンとしたものが飛び出てこないのだった。

「……ティア、参考に聞かせて。
 ティアが私の立場で、私と同じことを考えてたら、どうするの?」

「え? そうねぇ……」

ティアナは首を傾げつつ、顎に手をやって考え始める。
悩み初めたからか、徐々に眉根が寄ってゆく。
そして何かを思い付いたように目を見開くと、次いで顔を真っ赤にした。

「何かあった?」

「な、なんでもないわ……」

「え、いや、今何か思い付いたような……」

「こういうのはアンタが頭悩ませてこそ価値があることでしょ!?
 私に頼るんじゃないわよ!」

「そ、そうだね」

正論で吹っ飛ばされた。
再び自分で考えてみるものの、結局アイディアらしいアイディアは出ない。
そもそも誰かに何かをしたい、というのはあまり経験したことがないのだから仕方がないのかもしれないけれど。

「もうこうなったらお嫁に行くしか……」

「お母さんしつこい……」

……本当に、どうしよう。

「じゃあほら、プレゼントとかどう?」

「物ってのも、なんだか現金だと思う……」

「まぁね。けど、他にアイディアがないんだったらしょうがないんじゃない?」

「んー……それに、何をあげたら喜ぶか、分からないし」

「そこはほら……人に聞けば良いのよ。
 八神小隊長に、なのはさん。それにフェイトさん。
 男の人だったら、確かユーノさん、ってお兄さんがいたじゃない? それにザフィーラ」

「うーん……」

ティアナに勧められても、スバルが表情を輝かせることはなかった。
その時、彼女は気付かなかったが、密かにマッハキャリバーはデバイスコアを瞬かせていた。


























今日の仕事が終わると、チンクはエスティマと共に海上収容施設へと戻っていた。
現在、チンクにとって家と云える場所はあそこだ。
まだ観察保護の段階なので、とてもじゃないが住み家を自分で用意して、など許されない。
なので朝はここから出てエスティマと共に仕事をし帰宅するという毎日が続いている。

移動手段はバスだ。エスティマは自動車免許も車も持っていないため、公共の交通機関を使っている。
普通は護送車で送られるそうだが、そうされていないのは、エスティマならば逃がさないと信頼されているからか。

海上収容施設まで伸びているバス路線は、今乗っているこの便だけ。
本数もそう多くはない。半ば働いている職員のために動いているようなものだろう。
そしてこの時間に海上収容施設へ向かう者は数少なく、車内はほぼ貸し切り状態となっていた。

優先席のソファー、その背もたれに背中を預けながら、チンクは向かいにある窓を見上げる。
だが背の低い彼女は外の景色を見ることができず、自然と、目に入るものは茜色に染まる夕空のみ。
海上を真っ直ぐに伸びているこの道は、当たり前のように周りを囲む建物が存在しない。

なので目に映る空は広く、橙色の空はどこか幻想的ですらあった。
バスの揺れと音。自分とエスティマだけという状況。運転手はいるものの、機械的に職務を果たしているのであまり意識をせずに済む。
仕事を終えた軽い倦怠感と疲労も相まって、この風景を、チンクはどこか夢心地に捉えていた。

行き先は海上収容施設。
それは分かっているものの、このバスはどこへ向かうのだろう。そんなことを考える。
自分と彼を乗せてどこか知らないところへ。ディエチではないが、旅行に行ってみたい、などとつい思ってしまった。

『チンク』

「……なんだ?」

声をかけられ、彼女はエスティマへと視線を向けた。
すると、いつの間にか彼は首を折りながらうとうととしている。
監視が寝てどうする、と思わず苦笑してしまう。

声をかけてきたのは彼ではない。それはチンクも分かっている。
彼の胸元に下がっているデバイスに視線を注ぐと、チカチカとデバイスコアが瞬いた。

『一度あなたと話をしてみたかったので、この機会にと』

「そうか。デバイスに話しかけられるというのも変な気分だ」

デバイスとは、もっと機械的で持ち主の補助に徹するものという印象を、チンクは抱いている。
そしてそれは一般的な認識で、おそらくこのデバイスは特別に情緒が豊かなのだろう。
エスティマの相方として在り続けたからなのか。それとも、この機体が特別なのか。
流石にそこまでは、分からなかったが。

『私は旦那様と共に在り続けたため、あなたがなんのつもりで罪を償おうとしているのか知っています。
 そこで一つ、質問を。あなたはどうしてそんなことを思い描いたのですか?』

「……どうして、か」

理由になってない理由なら、即座に口にすることはできる。
エスティマが起きていたら気恥ずかしさが先に立って口にはできないものの、それは、好きだから。
この男が好きだから、この男の側にいたいから、罪に塗れたこの身を濯いで、と。
人として生きたい、というのも、根幹にはそれがある。
妹たちへの願いとは別に、チンク個人の望みとして、彼女はエスティマと共にいたいがために贖罪の道を選んだ。

ともあれ、どうしてそれを思い描いたのか。
その問いに対する答えは、一体なんなのだろう。

『戦闘機人であるあなたが、管理局員である旦那様と共にいることは不可能ではないものの、困難であることに違いはありません。
 今日あなたが知った通り、結社へ恨みを持つ人間はいくらでもいます。
 プレミオさんのように怒りを自制できる人間がいれば、おそらく出来ない人間もいることでしょう。
 それを前にして、あなたは旦那様の気持ちを裏切らないと断言できますか?
 あなたが思い描いたその夢を、諦めないと云い切れますか?』

「……ああ」

『失礼しました。口で云うのは容易いですからね』

「辛辣だな」

『申し訳ありません。ですが、旦那様は厳しさを見せながらも、あなたに疑いを持ってはいません。
 だからこそ、私があなたを疑いたいと思います。この人のために。
 今私が云ったように、口ではどうとでも云えます。なので、この会話は無駄なのかもしれません。
 ですが、いざその時がきたとき、あなたが何をもって裏切らないのか……それを、確かめたいと思っています』

「……裏切り、か」

Seven Starsにそのつもりはなかったのだろうが、チンクにとって裏切りという単語は古傷を抉る代物だ。
過去、自分はエスティマの気持ちを裏切ったことがある。
敵味方、というのはこの際無視だ。自分は、向けられている好意や信頼に気付きながらも、彼の気持ちを踏みにじるようなことをした。
仕方がなかったと云うこともできる。だが行いそのものは悪であり、だからこそ今でもチンクにとっての古傷なのだ。

「……約束は違わない。正しく罪を償う。
 そして待ってくれているエスティマに追い付き、ずっと共にいて、子供を産んでやる。
 それがエスティマと契った言葉だ」

『……云ってて恥ずかしくないのですか?』

「お前が云わせたのだろう!」

まるで笑うように、Seven Starsはデバイスコアを瞬かせた。

『ではそれをもって、あなたに打ち込んだ楔としましょう。
 忘れてはいけませんよ。もしそれを破ったとき、他の誰が何を思うと、私はあなたを許しません』

断固たる口調で、Seven Starsはそう言い切る。
デバイスに何ができるのか。そんなことを、チンクは思わない。
あのエスティマのデバイスだ。すると云うならば言葉を違えることはないだろう。

「……ああ。忘れないよ」

応え、チンクは投げ出されているエスティマの手に、そっと自分の手を重ねた。
自分のよりもずっと大きな手は、武器を握り続けたせいかひび割れ、皮膚が分厚い。
その感触を愛おしげに撫でながら、そうとも、とチンクは一人頷いた。










[7038] 後日談3 チンク
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/04/23 23:34

エスティマは覚えていないかもしれないが、彼の愛機であるSeven Starsは、一つ、彼の根幹に関わることをずっと胸に抱いている。
電子回路に走る電流火花の向こう側に息吹く思い出とは、主人の抱く渇望である。
エスティマがずっと走り続けてきた理由とは、幸せになりたいという、Larkとの約束を果たすがため。
そして彼自身がそうなりたいと願ったためである。

だが――エスティマ・スクライア本人は、心の底でそれとはもう一つ。
平穏を望む心とは別に、相反する望みを抱いていた。

それは、何か。
さほど難しいことではない。それは、彼が走り続けていた――否、足を止めてはならなかった理由だ。
彼は、己の犯した過ちによって歪んでしまった世界の在り方を、可能な限り幸福な方向へと戻すため、戦い続けてきた。
その結果、本来送られるべきだった歴史と、この歴史は別物と云って良いほどの差異が生まれ、似ても似つかない状態になっている。

どちらが良いと、一概には云えないだろう。
生きるべき者が死に、死ぬべき者が生きている。
失われた者がいる一方、取りこぼされなかった者もいる。

白であるものがあれば、黒であるものもいる。
誕生しなかったはずの者がいて、誕生するはずだった者がいない。

交わるはずのない者が交わり、交わるはずだった者が交差せず。

どちらが良かったのだろうか。
それを断言できる者は、やはり存在しない。
個人の主観で見るならば、簡単に結論は出るのだろうが。

ともあれ、エスティマ・スクライアは全身全霊を賭けて、己が正しい、良いと思える方向に道を正した。
その上で、彼は今も、心の底で一つのことを願っているのだ。

――俺は裁かれるべき人間だ、と。

彼の罪を知るものはこの世界に存在していない。
何故ならば彼らの送る日常こそが彼らの真実であり、彼らからすれば話の本筋など紛い物にしか映らないだろう。

故に、エスティマ・スクライアを断罪したいと思う人間は存在しないのだ。
罪を罪と思っている彼は、しかし誰にも弾劾されない。
それは彼の心を蝕む毒であったが、しかし、勝ち取った平穏の中に浸かる日々の中、傷跡は徐々に覆い隠されてゆく。

忘却とは人が自然と生み出した救いなのだろう。
エスティマもまた、いつか自分の犯した罪を忘れることはなくとも、そんなこともあったと振り返ることができるようになるはずだ。

しかしSeven Starsは、一つの危惧を抱いている。
主人が抱いていた破滅的な渇望が、送る日々の中で埋没しないのではないか、という。
その原因とは戦闘機人、ナンバーズⅤ番の存在である。

彼女は罪を償うと云っている。
その行為自体をSeven Starsは否定しないし、主人が喜ぶのなら自分もまた喜ぼうと思っている。
しかし――贖罪という行為そのものを目にし続けることで、主人は自分の行いを忘れ去らなくなるだろう。

おそらくは……エスティマがナンバーズのⅤ番の贖罪を果たす時を待っているのは、自分自身を投影しているからではないか。
執務官が犯罪者と――なんてのは、ただの建前であるとSeven Starsは思っている。
エスティマ本人がそう口にしようと、おそらくその根幹には、罪から逃れてはならないという自責の念があるはずだ。

見ていれば分かってしまう。
チンクの側にいたいのだろう。手を繋いで、腕を絡めて、抱きしめて、キスをして。
ようやく勝ち取った幸せに浸かりたいと、彼はずっと願っているはずだ。
だのに彼はそれをしない。
チンクと交わした約束を守るということもあるだろうが――

気が弱く、不器用で、頑固で、強がり。
そして真っ当な倫理観を持っているからこそ、自分自身を許せない。

そんな主人をSeven Starsは愛して止まないが、困った人だと思い悩んでしまう。

エスティマ・スクライアは、仲間たちとの絆を育み、六課という集まりの中で一つの答えを出した。
俺は幸せになる。それと引き替えに彼が忘却したものは、自分は裁かれなければならないという、過去の衝動。

忘れるならば忘れるで良い。幸せになれるのならば。
しかし忘れることが出来ないのならば――この長い年月に決着を。












リリカル in wonder

   ―After―












いつものように、ともう云えるようになってしまった。
売店のビニール袋を片手に、俺は一般病棟へと歩いてゆく。
こうしてプリウスくんのところに向かうのは、先端技術医療センターにきたときの日課と云っても過言ではないだろう。

つい最近まで体調を崩していたプリウスくんだが、今はもう回復している。
とは云っても、流石に入院している子に元気という形容は相応しくなく、なんとか持ち直した、と云った方が正しいのかもしれない。

軽くノックをして返事が聞こえると、俺はゆっくりドアをスライドさせた。

「こんにちは、またきたよ」

「いらっしゃい、エスティマさん!」

プリウスくんは膝の上で開いていた雑誌を閉じて脇に退けると、眩しいぐらいの笑顔を向けてくる。
俺なんかが顔を見せることにどうしてこうも喜んでくれるのか。
つい苦笑しながらベッドまで歩き、パイプ椅子に腰を下ろした。

「今日、プレミオさんは?」

「お父さんはお仕事だよ。
 流石に四六時中ここにいられないもの。
 エスティマさんとよく顔を合わせるのは、偶然。
 それとフリーの捜査官だから、時間が自由なんだって。
 仕事を抜け出してきてるみたい。まったくもう」

「あはは、そうだったんだ。
 まぁ俺も、仕事の合間にプリウスくんのところにきているから人のことは云えないかな」

「エスティマさんは良いのー」

「なんでそうなるのさ。
 ……あれ、それは――」

ふと視線をベッドサイドに向けると、さっきまでプリウスくんが読んでいた雑誌が目に入る。
装丁はスポーツ雑誌のようだが、表紙に書かれているタイトルは『月刊ストライカー』。
猛烈に嫌な予感を抱きながら、目を逸らそうとすると、プリウスくんが雑誌を手に取ってしまう。

「暇で売店覗いたら、これが置いてあったんです。
 知ってますか? エスティマさんのこと載ってるんですよ?」

「……知ってる。取材を受けた覚えがあるからね」

だから目にしたくなかったんだけど……。

「ほら、ここのページ」

そう云ってプリウスくんが開いた雑誌には、写真に添えられた軽いインタビューが載っていた。
俺がそれを見たくないのは、決して気恥ずかしいからじゃない。

俺の記憶が正しければ、この時取材されたのは六課が解散してからの俺の動向だったはずだ。
そして答えたのは、これからしばらくの間、執務官として彼女らの更正プログラムに付き合う、ということ。

まだ俺の脳裏にはプレミオさんから聞かされた話が残っている。
この子の家族と人生を滅茶苦茶にしたマリアージュ事件。
それと関係は薄いものの、俺はナンバーズの保護観察を現在の仕事としている。

プリウスくんの表情に暗いものはない。
何か思うところがあって、俺にこれを見せているわけではないのだろう。
けれどそのために、より一層痛々しさが増してしまう。

この子が恨み辛みを抱いていない、なんてことは有り得ないはずだ。
表には出していないものの、おそらく心の底には何かが溜まっているんじゃないかと、根拠もない推察をしてしまう。
それは半ば妄想に近い。人の黒々とした感情に触れ続けてきたから、俺が勝手に思ってしまったことなのかもしれないが。

「執務官ってやっぱり大変なんですか?」

「どうかな。執務官って一言で云っても、色んなタイプがいるから。
 何人も補佐官を持って動いている奴がいれば、一匹狼を気取っているのもいる。
 裁判なんかを主に担当する事務方もいれば、俺みたいな前線に出る奴もいるしね」

「前線……今もですか?」

「ああ。今は六課で働いていたときと比べれば情勢が落ち着いているけど、それでもやっぱり事件はある。
 だから高ランク魔導師がお役御免、なんてことは早々無くてね。
 今は機動戦力扱い……火消しや便利屋って感じかな」

「戦闘機人の人を連れて、ですか?」

「あ……うん」

不通に質問するように、プリウスくんは声を上げた。
やはり、そこには黒い感情が見られない。
今交わしてるのはただの会話なのだから、当たり前なのかもしれないけれど。

「ナンバーズのⅤ番……チンク、って云うんだけど。
 今はその人と一緒に動いてる」

「はー……なんだか大変そう。
 エスティマさんは空戦魔導師で、その人は陸戦なんでしょう?
 もし現場に出たら、やっぱり目を離しちゃいけないんですよね」

「まぁ、そうだね。
 でも俺、一応陸戦もいける口だからそんなに負担にはならないよ」

「なんでもできるんですね……」

「いや、必要に迫られたから身に着けただけだし。
 俺の陸戦技能なんて、所詮はなんちゃって、ってレベルだから。
 槍術とか魔法でごり押ししてるだけだよ」

「得意分野から外れても使えるってだけで、充分すごいと思いますボク。
 お父さんはあんまり応用の利かない魔導師だからなぁ」

「そうなの?」

「はい。幻影魔法の使い手でなんです。俗に云う燻し銀。
 実際は使い手少ないから重宝されてるだけなんですけどねー」

「あはは、辛口だなぁ」

「だって地味なんですもん。やっぱり空を飛んだり派手な砲撃使ったりって憧れちゃうし。
 あー……魔法の話をしてたら、身体動かしたくなってきたなぁ」

「駄目だよ。もし許したら、俺がプレミオさんに怒られる」

「分かってますー」

そんな風に会話をしていると、唐突にドアがノックされた。
プレミオさんだろうか。そんな風に思っていると、プリウスくんが声を上げた。
それと共に、ドアが開かれる。隙間から見えた姿に、俺は目を見開いた。

病室に入ってきたのはフィアットさんだった。
彼女が手にしているのは俺のような売店のビニール袋ではない。
あれは確か、この近くに店舗を構えているケーキ屋の物だった気がする。

彼女は申し訳なさそうに肩を落とし、やや背中を丸めながら部屋の入り口に立ち尽くしている。
そんなフィアットさんの姿から目を逸らして、プリウスくんを見ると、彼女は不思議そうに首を傾げていた。

「あの……どちら様でしょうか」

「……直接の面識はない。初対面だ」

「では、一体どんなご用件でしょうか」

今にも首を傾げそうな、きょとんとした表情で彼女は云う。
フィアットさんは痛みを堪えるような表情で息を吸い、小さく口を開いた。

「私は、結社の戦闘機人……ナンバーズ、と云えば分かるだろうか。
 それのⅤ番。チンクという」

「……はぁ」

その言葉を聴いた瞬間、プリウスくんの声が低くなる。
短く、溜息と取り違えそうな小さな呟きだったが、滲んだ感情はさっきまで俺が危惧していたそれだ。

……どうして、と俺は声に出さずフィアットさんに視線で訴えた。
まだこの子と会うのは早すぎる。否、この人は会わない方が良いはずだった。
だが彼女は申し訳なさそうな色を瞳に浮かべるばかりで、何も云わない。

「……私に、謝らせてもらえないだろうか」

「謝る、ですか?」

「君の怪我は、マリアージュ事件に巻き込まれたものだと聞いている。
 ……あれには私たちナンバーズも関与した。だから――」

「……そう、ですね」

フィアットさんの言葉を聴いて、プリウスくんは俺に見せたこともない表情となる。
何かを堪えているような、感情を押し隠した無表情。
彼女は一度目を伏せて、そして苦笑し、なんのつもりか笑顔へと。

「確かに私の怪我は、あのテロに巻き込まれたからです。
 でも、あなたが私に怪我をさせたわけじゃないでしょう?
 想うことがないわけじゃありません。けど、罪を憎んで人を憎まず……訓練校で教えられたことですから。
 それが正しいって思ってるわけでもないけれど……チンクさんは今、エスティマさんと一緒に罪を償っているんですよね?」

「……ああ」

「だったら、ボクは良い。良いんです、もう。
 あなたが自分の行ったことを忘れずにいてくれるなら、別にそれで」

「だが、それじゃあ私は――」

「……なら」

言い募ろうとしたフィアットさんを、プリウスくんが言葉で射止める。
熱を孕んだ息をゆっくりと吐き出して、口元を歪めた。

「今すぐボクの身体、元に戻してくれますか?
 お母さんを、返してくれますか?」

彼女の言葉に対して、フィアットさんが何かを云えるわけがない。
無論、俺も。
謝りたいというフィアットさん。もう気にしていないというプリウスくん。
けれどそれじゃあ納得できないとフィアットさんが返せば、そこに行き着いてしまいのか。

口を開くことなどできるわけがない、重い沈黙が病室に満ちる。
だが、それを引き裂いたのはプリウスくんだった。
先ほどとは打って変わって、あはは、とわざとらしい笑い声を上げる。

「分かってます。子供じゃ、ないですもん、ボク。
 だから今のは冗談。
 ……申し訳ないですけど、もう帰ってください」

そうして彼女は顔を俯け、

「……一人に、してください」

消え入るようにか細い声を絞り出した。
彼女に対してかけられる言葉を、俺は持っていない。
それは無論、フィアットさんも。

俺は無言のままプリウスくんの隣から去ると、まだ入り口で立ち尽くしているフィアットさんの隣に。
そして彼女に肩にそっと手を触れると、退出を促した。

フィアットさんは何かを言いたげな顔をしていたが、今はどうすることもできないと悟ったのだろう。
所在なさげにケーキの入った袋を揺らし、気落ちした様子で頷くと、それを合図にして俺たちは病室を後にした。

後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、二人で廊下をゆっくりと歩く。
一般病棟から徐々に離れるも、その間、会話らしい会話はなかった。

そうして、ロビーまで出た頃だ。
俺はどうしても黙っていることができなくて、躊躇いながらも口を開いた。

「フィアットさん」

「……なんだ」

「……気にするな、とは云いません。
 けれど、完全に拒絶されたわけじゃないんです」

「……ああ」

歩みを続けながら、俺たちはぼそぼそと言葉を重ねる。
とてもじゃないが、声を大にして会話のできる心境じゃなかった。

「……お前に云われたのにな、私は。
 ただの自己満足にしかならないって。
 少し甘く考えていたところも、あったんだろう。
 管理局の仕事を手伝って、ちゃんと自分は罪を償えているはずだ、という。
 だから、結社の犠牲者と対面するのがこんなにも辛いだなんて思わなかった。
 これでも真っ向から責められたわけじゃないのに……」

ぽつぽつと後悔を口にするフィアットさん。
そんな彼女をただ放っておきたくはなくて、抱きしめたい衝動に駆られる。
だが、駄目だ。拳を握り締めることでそれに耐え、俺は視線を泳がせた。

「……どうすれば良いのだろうな、私は。
 罪が許される時は、くるのだろうか」



















許せるわけがない。
ついさっきまで病室を訪れていた戦闘機人。
それと娘が交わしていた会話を思い出し、プレミオは歯を噛み締めていた。
今、ドア越しに、病室の中からはプリウスのすすり泣きが聞こえてくる。

納得したはずだった。
娘がなりたいと願う管理局員として、せめてあの子に誇れる父親であろうとした。
故に、娘の人生を狂わせた者へ憎悪を抱きながらも自制していた。
忘れようと思っていた。重要なのは未来であり、昔のことに拘るよりも、娘を支えることが最上だと信じていた。

けれども、無理だ。
こんな理不尽――納得できるはずがない。

罪を償っていようとなんであろうと、娘が今も苦しんでいるのは事実。
だのに傷付けた本人はこれから真っ当な人生を送るための助走を行っている。
そんな馬鹿なことがあってたまるか。
娘の人生は真っ暗ではないまでも、前より遙かに選べる選択肢が減ってしまった。
しかしあの戦闘機人は定められたルールに従って罪を滅ぼし、娘が歩むはずだった人生を――

自分が抱くこの憎悪が、法治国家において悪と呼ばれる代物であることを、プレミオは自覚している。
悪事を行った者であっても良心というものが残っているのならば、チャンスは与えられる。
その象徴とも云えるルールが、違法魔導師やあの戦闘機人を嘱託魔導師として管理局の仕事に従事させるシステムだ。

それによって罪は拭われる。
そして人として再び真っ当な人生に舞い戻る。

だが――それで、許されてしまって良いのか。
答えとしては、良し。それが法則として存在している。

だが、この憎悪は――否、悪を憎むなどという大儀ではなく、この胸に宿った怨恨はどうすれば良い。
今も泣いている娘の涙を拭うためには、何をすれば良い。

答えは至極簡単で、即座にプレミオの脳裏に浮かび上がってきた。
単純な話だ。
自分たちの痛みが大切なものの喪失からくるのであれば――

「……お前も失ってしまえば良い」
























あの一件以降、フィアットさんは目に見えて塞ぎ込んでしまった。
仕事はするし、妹たちの前では元気に振る舞ってはいる。
ただ自惚れた云い方をするならば――俺だから、この人が傷付いていると分かるのだ。

メンテナンスルームの機器を操作する一室で、ベッドに横になったフィアットさんを見ながら、どうしたものかと俺は考える。
そもそもこれは、答えの出ない問いのようなものだろう。

罪は償わなければならない。
悪は罰せられなければならない。

それに対して設けられたルールが管理局法ではある。
しかしそれで罪と定められたものが消えようと、犯した罪によって傷付いた者の憎悪が決して消えることはない。

結局人は、人と交わって生きる生き物なのだ。
良くも悪くも。

分かり易い例で例えてみるならば、こんな形か。
温もりのない手紙で謝罪を行われるものと、顔を合わせて謝罪を行うこと。
どちらも謝罪という形にはなっている。
しかしより人の心を動かすのは後者だと断言できる。
これは常識で云っているのではなく、印象の話だ。
どんなに優れた文法と語彙を尽くしたところで、目の前で誠心誠意の謝罪を向けられた方が謝られているという実感が湧く。

まとめるならば、ロジックで人は納得できない。そんなところだろう。
法の下で罪が許されようと、被害者はそれを赦さない。

フィアットさんがぶつかった壁とはつまりそれだ。
いつかは必ず直面すると思っていたものの、こんなに早いとは思ってもみなかった。

今、俺はどんな言葉をフィアットさんにかけるべきだろうか。
ルールに則って罪を償えばそれで良い?
馬鹿な話だ。それで申し訳ないという気持ちが消えるのならば、誰も苦労はしない。

良く使われる言い回しをするならば、これは気持ちの問題というやつか。
赦したくないと思う者。赦されたいと思う者。
その意思が交わることは決してない。
どちらか一方が何かを諦めないことには、有り得ない。

「……お前も嬢ちゃんも、難しい顔をしてやがんな」

「そうですか?」

「ああ。辛気くさい、ってやつだ。
 なんか考えごとがあるなら乗るぞ?
 ああ、子供は堕ろさない方が良い。あれは合法の人殺しだ」

「……何馬鹿云ってるんですか」

「お前ら、そういう関係だろ?
 まぁ、それはおいといて、だ。
 何があった?」

茶化してこっちの気分を軽くさせたつもりなのだろうか。
だとしたって冗談で口にしたことが本気臭かったけれど。

ともあれ、医師に問われて俺はセダン親子のことを話し始める。
作業をしながら黙って話を聞いていた彼は、俺が口を閉じると、ボールペンのノック部分で頭を掻きながら口を開く。

「……難しい問題だなぁ、そりゃ。
 要は気持ち一つ、だからな。
 嫌な噛み合い方をしたもんだ」

「嫌な噛み合い方、ですか?」

「ああ。だってそうだろう?
 あの嬢ちゃんが、今自分は罪を償っていると開き直ればこんなことにはならなかった。
 逆に被害者の嬢ちゃんが責め立ててきたら、ああも辛い顔をしなかったんじゃないのか?
 罪を償おうとしている。忘れようとしている。
 そんな二人が顔を合わせたのは、まぁ不幸な巡り合わせなんだろうよ」

「……そんなことは分かってます。
 けれど、それが分かった上で、どうにかしたい」

「それは流石に贔屓しすぎなんじゃないのか、執務官?」

「自覚はしてます。距離を置いた方が良いって。
 ……けれど、やっぱりあの人には笑っていて欲しいから。
 プレミオさんとプリウスくんには悪いけれど」

「開き直ってる人間は楽だね本当」

「嫌味ですか」

「いや……」

何かを医師が言い掛けた所に、ふと、Seven Starsへメッセージが届く。
誰だろう、と思いながら届いたメールを開くと、俺は首を傾げた。

「あ、すみません。ちょっと呼び出されたので出てきます。
 フィアットさんには待っているよう伝えてください」

「ん、分かった。嬢ちゃんに云っておくよ」

ありがとうございます、と礼を云って、俺は外へと。
どうして呼び出されたんだか、と疑問を抱きながらも、指定された場所へと向かい始めた。





















検査が終わり服を身に着け、異常なし、と医師から結果を聞くと、チンクは診察室を後にした。
気のせいか身体が重い。否、気のせいなのだろう。
自分が所属していた組織の犠牲者。それの声を直接聞いただけで、こうも気分が暗くなる。

結社に所属していた頃、チンクは戦闘に赴く際、人を殺すことだけは絶対にしないと心に決めていた。
それはいつかエスティマが自分を捕まえると信じていて、その後のことを考えていたというのもある。
しかしそれとは別に、エスティマ・スクライアという人間と接している内に――罪悪感を必要以上に覚えているきらいのある彼を見て、決して拭えない罪が存在していると知ったからでもあった。

チンクの思い出の中、何よりも色褪せない、色褪せてはならないと思っている代物の中には、子供のエスティマがいる。
その時の彼は、自分と出会う度に今の状況が辛いと云っていた。
それでも全部自分が悪いからと云い無理を重ねて――そこから先は、チンクにとってあまり思い出したくない類の記憶だ。

ただ、どうしても思ってしまうのだ。
あんな状態のエスティマを知ってしまったから。
彼の隣に立つためには、彼が乗り越えたものを自分も乗り越えなければならない、と。

もしエスティマと会うことがなかったら、おそらくこんな気持ちを抱くことはなかっただろう。
エスティマと会わずに管理局に掴まったら、自分はどうしていたのだろうか。
それは想像してみても形になることはなかった。
エスティマというピースが欠けてしまった自分は、もう別人と云っても良い。

それだけ彼に影響を受けているということなのだろうか。
それが良いのか悪いのかは、流石に分からない。

けれどそんな変化を、チンク自身は嬉しく思っている。
彼と会うことができたから。彼と共に歩みたいから、今の自分がある。
確かに苦しいし辛い。けれど逃げてはいけない。

ああ、とチンクは思う。
今になって、あの頃のエスティマが何を想い戦っていたのか少しだけ分かった気がしたからだ。

実際には違う。
当時のエスティマは手段である贖罪を目的として動いていた。
しかし今のチンクは、贖罪を手段として、彼の側にいたいという目的のために動いている。

その違いがあるものの、チンクは彼ではないため、流石に分からない。
そも、彼を完全に理解するには、彼が罪と思っていることに深く共感しなければならないのだから。

ともあれ、チンクは考え事をしながら一人で廊下を歩く。
エスティマは用事があって席を外すと医師に伝えられた。
彼の用事とは一体なんなのだろう。先端技術医療センターにきた場合、彼の用事とはセダン親子へ顔を見せに行くことぐらいだと思っていたのに。

彼がどこにいるのか分からないというだけで、チンクは寂しさを覚える。
依存しているというわけではないが、彼女にとってエスティマとは、到達すべき場所だから。
それが見えなくなってしまうというだけで、心に影が差してしまう。

どうしよう、とチンクはこれからの行動を迷い――

「失礼」

向けられた声が自分へのものだと気付くと、チンクは顔を上げた。
身長が低い彼女では、どうしても見上げる形となってしまうのだ。

視線の先にいたのは、管理局の制服をきた一人の男だった。
見覚えのない顔にチンクは目を瞬いていると、男は苦笑する。

「私はプレミオ・セダンという。
 プリウスの父親、と云えば分かってくれるだろうか」

「あ――っ」

「少し話がある。着いてきてくれるかな」

チンクの言葉を遮って、男は即座に踵を返した。
置いて行かれないよう後を追いながら、やや暗い気分になる。

あの子の父親というのならば、自分と話すことなど一つしかないだろう。
これもまた一つの罰なのだろうか。

プレミオに大人しくついて行くチンクだが、行き先には心当たりなかった。
エスティマと共に外へ出てはいるものの、彼女には行動の自由というものがない。
故に先端技術医療センター内を歩き回ったこともないため、どこかに迷い込んだような錯覚を受けてしまう。

エレベーターで上階へ行き、廊下を歩いて、階段を。
その先にはドアがあり、屋上に続いていることが分かった。

錆び付いた音と共にドアが開かれると、開けた視界には曇り空が飛び込んでくる。
あまり良い天気ではない。その下をプレミオは歩き、チンクは黙って後を追った。

シーツの干されている支持台の群れを通り過ぎ、古くなった物干し竿が詰まれている隅の方まで歩いて、そうして、不意に彼が足を止める。

その時になって、チンクは気付いた。
表情こそ静かなものの、プレミオの瞳には確かな怒りが滲んでいる。
当然だろうと思い、これからぶつけられるであろう言葉を想像して、チンクは視線を泳がせた。

「君を呼んだのは他でもない。
 気付いているかもしれないが、娘のことだ。
 戦闘機人である君が、人生を狂わせた娘に何を思うのかをね」

「……申し訳なく、思っています」

「それで?」

「あなたの、娘さんの気が済むまで謝りたいと――」

「謝るだけかね?」

「……私ができることならば、なんでもします」

「君に何ができる」

「それは……」

続く言葉が思い浮かばず、チンクは先を続けることができなかった。
できることならなんでもする。けれど、自分に何ができるのか分からない。
美辞麗句を並べることはできても、その中身は虚ろだ。
それを見抜かれているようで、申し訳ないと同時に自己嫌悪が湧き上がってくる。

だが、

「まぁ、良い。禅問答をしたくて君を呼び出したわけじゃない。
 私が君に求めることはただ一つ。
 これを見て、率直な意見を聞かせて欲しい」

そう云って、チンクの考えなど端から興味がなかったかのように、彼は足を伸ばした。
まるで汚いものにでも触れるように顔を顰めながら、彼は伸ばした足に何かを引っかけ、引きずり出す。
物陰から引きずり出される何か。それを目にして、最初、チンクは一体何を出されたのか分からなかった。

だがじっと視線を注いでいると、否応にも理解させられてしまう。
どす黒く染まった金髪。知っている。膝枕をしながら、あれを梳いた覚えがある。
顔は――無惨としか云いようがないほどに潰されている。自分に笑いかけてくれていた彼の顔が。
制服は頭髪と同じように血を吸って変色し――ああ、血か。血なのかこれは。

分かり切っているだろうに、目の前に引き出されたそれがあまりに唐突すぎて突飛で、チンクの頭は理解を必死に拒んでいた。

「君はこの執務官と仲が良かったね。
 これを見てどう思う?
 何を感じる?
 どうか聞かせてくれないか、お嬢さん。
 大事なものを奪われた時に抱く感情は、犯罪者も私も同じなのかな?」

「……待て、これは、一体」

「死んでるよ。見ての通りだ」

確認しようとしたチンクに叩き付けられた言葉は、親切なほどに噛み砕かれていた。
そんな馬鹿なことがあるか。三十分も前までは、言葉を交わしていた彼がどうしてこんな姿になっているんだ。

気が動転して上手く思考がまとまらない。
三十分前とは云っても、三十分間自分は彼と会っていなかった。
その間に何があったのかなんてチンクには分からず――

「……エスティマ?」

名を呟き、チンクは一歩踏み出した。
だが近付くことを許さないと云わんばかりに、プレミオが行く手を阻む。
彼の足下に転がる彼にじっとチンクは視線を注ぎながら、震える唇を開いた。

「……そこを、どけ。
 ここは病院だ。まだ間に合うかもしれないだろう」

「即死だろう。顔面から後頭部までを魔力弾で貫いた。
 もう戻らない」

「そんなことは、ない」

力の入らない脚に活を入れて、チンクはもう一歩を踏み出す。
しかし、そんな彼女をプレミオは突き飛ばした。
受け身を取ることもできず、チンクはその場に尻餅をつく。

倒れた彼女を見下ろしながら、酷く冷たい視線が向けられる。

「私の問いに答えてもらってないよ。
 悲しいかな?」

……分からない。
まだ、失った実感が湧かなくて。

「悔しいかな?」

……分からない。
まだ、どうしてこうなったのか、それに理解が及ばないから。

「許せないかな?」

……許せない。
どうしてエスティマが殺される必要があったんだ。
あいつは何も悪くなった。悪いとしたらこの私で――

「――殺してやりたいかな?」

その言葉を聞いた瞬間、もう何年もチンクが抱いていなかった感情が胸に満ちる。
黒く、底が見えないほどに刻まれた溝から這い上がってくるのは赫怒の炎だ。
バラバラに引き裂いてやる。同じ目に遭わせた上で、更に凄惨な状態にしてやろう。
生憎と殺傷能力という点ではナンバーズ随一のISを保持している。
嬉しくないことに破壊することに関して右に出る者はいない――だがこの瞬間だけは、それを有り難いとすら思う。

長い髪を引きずりながら幽鬼のように立ち上がり、チンクは眼前の男を睨み付けた。
さきほどまで感じていた申し訳なさなど彼方に吹き飛び、抱く感情はただ殺意のみ。

――同じ目に、遭わせてやる。

鋼の埋め込まれた四肢が歓喜の声を上げて、歯車が噛み合うように軋みを上げる。
その瞬間、だった。

同じ目に遭わせる。そんなことを考えたせいなのかもしれない。
今自分が味わっているこの、形容できない衝動。
おそらくこれは、目の前の男が身に受けたものとまったく同じなのだろう。

ならば、これは――しっぺ返しか。
だからと云ってエスティマが殺されたことは納得できない。
この男は万死に値するとは思う。

バネのように弾ける寸前の四肢は尚も硬直したままで、解放されるその瞬間を待ち望んでいる。
激情によって生じた熱は胸を焦がし、宿った烈火は目の前の男を八つ裂きにしろと、軋みという名の鬨の声を上げていた。

全身から上がる絶叫に対して、しかしチンクは全力で刃向かい、抑え付ける。
まるで自分の中にもう一人の自分がいるよう。
目の前の男に対し殺戮の限りを尽くしたい。しかし駄目だと、赫炎の衝動とは対比をなす温もりが泣き叫んでいた。

故にチンクは、限界まで縮み爆ぜる寸前だった身体からゆっくりと力を抜く。

この仕打ちに対して自分が何か口にすることは――喉が枯れるまで怨嗟の声を叫んでやりたいと思いながらも、できない、と思う。
灼熱していた思考が徐々にだが冷却され、チンクの脳裏には彼との約束が過ぎ去った。

――罪を償ってもらいます。そうしたらまた――

自分にとって眩しすぎるその言葉が果たされなかった。
そして二度と叶わないと知って、怒りを凌駕する悲しみが押し寄せてくる。

津波のようなそれが胸を焦がす業火を一瞬で飲み込んで、身体を震わせながらチンクは握り締めた拳を解いた。

……殺したい。バラバラに引き裂いた上で遺骸を踏みにじり、唾を吐きかけた上で粉微塵に爆破四散してやりたい。
けれどそんなことをすれば、一時の爽快感を手にする代償に彼との繋がりが永遠に失われてしまう。

それだけはしたくなかった。
もう彼がいないのならば、せめてそれだけは――もう二度と、彼の心を裏切りたくないから。
否、そんなものは幻想だ。死んだ人間に裏切るも何もない。
ただチンクは、エスティマが好きだからこそ、彼を愛しているという自分の感情を捨て去りたくなかった。

「……どうかしたか?
 私を殺さないのか?」

「……そうしてやりたいさ」

「ならば何故そうしない。
 君にとって私をくびり殺すことぐらい造作もないことだろう?
 彼は大事な男なんじゃなかったのか?」

「大事な男だよ。エスティマは私にとってかけがえのない存在だ。
 今もそれは変わらない」

「なら、どうして?
 大事な者を奪われて怒りを抱くのは当然のことだ。
 何も間違ってはいない」

プレミオの声が抑え付けた激情に油を注ぐ。
彼の囁きは悪魔のそれだ。撒き散らしたい悪意を肯定して正しいと告げる。
だがチンクは、しゃくり上げると共に必死で堪え、瞼をきつく瞑り涙を押し流すと、手の甲で涙を拭った。

「……できるわけがないだろう?
 私は罪を償うって、そいつと約束したんだから。
 エスティマを奪われることが私への罰だというのなら……」

それが自分の犯した過ちだというのなら、

「……受け入れ、その上で貴様を恨もうじゃないか」

言葉の通りに自分は拒まない。
もしエスティマが奪われるその時を目にしたら全力で抵抗しただろう。
取り返しのならないことになろうと戦闘機人の力を用いて、彼を守り抜くため戦っただろう。

しかしそれすら叶わず罰という形でこの結末が訪れたのならば、拒否などできはしない。

もう彼が結んでくれた約束が果たせないのならば、せめて、自分が結んだ約束ぐらいは。
そうでもしなければ、あまりに報われない。
死人は何も想わない。彼のためにしてやれることはない。
だからこそ、彼が生きた証――彼と共に生きたいと願った自分が、彼の望んだ形で在り続けるべきだ。

「……そうか」

チンクの言葉に何を思ったのか、プレミオは空を見上げて目を瞑った。
何かを堪えるように目を瞑り、そっと息を吐き出す。

「騙して、すまなかったな」

云い、彼は指を打ち鳴らした。
その瞬間だ。横たわっていたエスティマの死骸が光の瞬き――魔力光となって消え失せる。
戦闘機人の目を欺く類のフェイクシルエットか。
同時に、チンクとプレミオの間からも魔法陣が浮かび上がり、同じように消滅した。
こちらは設置型のバインド。襲いかかってくると予測されていたのだろう。
急なことにチンクは声を発することができず、ただプレミオに視線を向けるだけ。

説明を求めるような目で見られからか、彼は疲れた笑みを浮かべた。

「……同じ気持ちを味わわせたかったんだ。
 私や娘と同じ、喪失感を。
 そして君がどんな顔をするのか。どんな反応をするのか、知りたかった」

「ふざけるなよ貴様……!」

先ほどとは違う、辱められたが故の怒りでチンクは吠えた。
しかしプレミオは涼しげな表情を微塵も崩さず、首肯する。

「ああ、まったくだ。
 本当に……けれど、こうでもしなければ私は満足できなかった」

罪を償うと云う君の言葉が苛立たしくて仕方がなかった。
そう、プレミオは口にする。

「何をしようと妻は戻ってこない。
 何をしようと娘の身体は元に戻らない。
 次から次へと失ってばかりだというのに、君は未来のために罪を償うと云う。
 それが我慢ならなかっただけだ。
 馬鹿な男の見苦しい怨恨だと思ってもらってかまわない」

呟きならが、プレミオは歩き出した。
今度はもう、チンクが彼の後を追うことはない。
射殺さんばかりの視線を受けるプレミオは、しかし、気にした風もなく先を続ける。

「私たち家族の受けた苦しみの万分の一でも味わわせることができたならば……まぁ、良いさ。
 決して許しはしないが、認めはしよう。
 殺意を向けられたときはどうしようかと思ったが、自制できたようだし。
 本当に罪を償いたいのならば、好きなようにすると良い」

プレミオの声には微かな申し訳なさがあるも、それを凌駕する憤りに染まっている。
押し込めらているからこそ底が見えず、また、憤怒に染まった彼の心をチンクには読むことができない。

「……そうか。
 一応、礼を云っておくよ」

「礼?」

不思議そうに問い返すプレミオへ、チンクは表情を歪めながら吐き捨てた。

「この茶番が嘘であったことだ。
 お前が私からエスティマを奪わないでいてくれたことをな」

「……そうしてやろうか、とも考えていたけどな」

プレミオは自嘲を顔に浮かべながら、どこか泣き笑いするように、

「君らの同類になんて、死んでもなってやるものかよ」

これで良いんだ、と自分自身へ言い聞かせるようにして、今度こそチンクに背中を見せた。
それを最後の言葉とし、チンクは彼の背中が屋上から消えるまでじっと見詰め続ける。
そしてプレミオが完全に屋上から消え去ると、チンクが膨れあがり混沌とした感情を握り拳に乗せ、全力で落下防止用の柵に叩き付けた。
























「急に呼び出したりして、すみませんでした」

「いや、気にしてないけど。
 どうした、スバル。またクイントさんが何か言い出したとか?」

「あはは、今日は違うんです。
 私がエスティマさんにお話があって」

Seven Starsへと届いたメールの送り主はスバルだった。
彼女に呼び出され病院の中庭へ出ると、既にスバルは待っており、俺の姿を見付けるとやや緊張した表情になった。

何かを云いたいような、云いづらいような。
俺に急かしているつもりはないものの、スバルはすぐに話を始めたいようだ。

彼女はなんの話をするつもりなのだろうか。
そう考えて真っ先に浮かび上がってくることは、クイントさんに関係することだ。
無論それはクイントさんがいつも冗談半分で口にするようなことではなく、彼女がずっと抱いていた勘違い。
俺が意図的にさせていた擦れ違いに関することだろう。

それに対してスバルが申し訳なく思っているのはなんとなくだが、分かる。
けれどそもそも、申し訳なく思う必要なんかないんだ。

クイントさんが捕まったのは俺のミスが原因。
ならばナカジマ家をバラバラにした原因は俺と云っても過言じゃない。

そう思っているからこそ謝罪は必要ないと思っているし、スバルには俺なんかに構わず、クイントさんと笑い合っていて欲しい。
そうしてくれるだけでずっと続けていた戦いに意味があったと実感できて、満足できる。

……けれどそれは、俺の自己満足でしかない。それも分かっている。
俺が満足していても、やはりスバルは納得できないのだろう。

俺が彼女の謝罪を受け入れることでスバルが満足できるのならば――

「あの、すみませんでした」

考え事をしながら待っていると、ようやくスバルは話を始めた。
笑顔を作って彼女に続きを促し、俺は聞きに徹することに。

「私、ずっと誤解してて……。
 知らなかったって言い訳はできるけど、それでも部隊長がお母さんを助けようとしてくれていたのは事実だから。
 それなのに恨んでばっかりで、本当のことを何も知ろうとしなくて。
 ……私、今、幸せです。お母さんがいて、お父さんが生き生きしてて、私たちは嬉しくて。
 もうこんな時間は二度とこないと思っていたから――ありがとう、ございます」

「……ああ。スバルたちが幸せなら、俺はそれで」

良いんだ、と続けようとしたときだった。
俺はてっきりそこでスバルの話が終わりだと思って、まさか続きがあるとは思わなかったんだ。
そしてそれが、

「……だから、もう自分のことを責めないでください」

俺自身ですら忘れかけていたことを、引きずり出されるだなんて予想すらもしていなくて。
作り笑顔も忘れ、俺は呆然とスバルを見返した。






















言葉を口にした瞬間、エスティマの顔から表情が消失した。
完全な無表情となった彼は、続きの言葉を待っているかのように沈黙している。
スバルと言葉が被ったから待っているという風ではない。
今まで見たこともない彼の様子に気圧されながらも、えっと、とスバルは口を開いた。

「エスティマさんが気にすることなんて、もうないですよ。
 エスティマさんは頑張って、私たちはお母さんを取り戻すことができました。
 たくさんの人があなたに助けられて、私はその中の一人として、幸せに今を生きています。
 過去に囚われる必要なんて、どこにもない。
 だから胸を張ってください。あなたは、やり遂げたんです」

彼がこの言葉によってどんな気持ちになるのか、スバルはさっぱり分からない。
そもそもこれは、スバルが考えて口にした言葉ではないのだから。

どうやってエスティマに謝るべきかと母とティアナの意見を聞いて頭を悩ませていたあの日、マッハキャリバーはSeven Starsへと知恵を貸してくれるように頼んでいた。
その結果、返事としてSeven Starsが告げたこととは、代理として自分の意見を主人に伝えて欲しい、ということだった。

それがどんな意味を持つのか、スバルには分からない。無論、マッハキャリバーにも。
本質的な意味でSeven Starsの意図を読める人間は、ことの張本人であるSeven Starsと、エスティマだけである。

だが、Seven Starsはこうも云っていた。
スバルだからこそ、口にする意味のある言葉だと。

そんなことを云われても、やはりスバルには意味が分からない。
Seven Starsに説明するつもりはないのか、理由を知る術もない。
それじゃあ本当に謝ったことにはならないとスバルは思うものの、しかし、自分にしかできない、と云われたことに強く惹かれたのだ。
他の誰でもなく、何故自分なのか。
贈るように頼まれた言葉と、自分という立ち位置を考えて、おそらくこの人は自分が不幸に突き落としたと思う者に対して責任を感じているのではないだろか、とスバルは考える。

どうして彼がそんな風に考えているのかまでは分からないが、自分の予想が正しく、エスティマが自責の念を抱いているのだとしたら、確かにこの言葉は自分が云う価値があるのだろう。

何故なら自分は、彼が不幸にしたと思っている人間の一人だろうから。
そんな人間からもう良いと云われれば、きっとそれは救いになり得るのだろう。

そして、と。
彼を助けたいと思っているのは自分ではない。
ただそれを実行するチャンスが巡ってきただけで、頼んできたのはSeven Starsだ。
稼働年月が長いだけじゃ、こうはならない。
おそらくエスティマとSeven Starsは強い絆で結ばれて、だからこそデバイスは主の心を助けたいと願ったのだろう。

Seven Starsの意図が正しく伝わったのかは、スバルには分からない。
彼女の言葉を聞いたエスティマは返事をすることもなく、痛みに耐えるような顔で黙っている。

「……エスティマさん?」

「……俺は」

ようやく口を開いた彼は、何を云ったら良いのか自分でも分からないようだった。
額に手を当て、表情を隠すように、しかし苦悩しているようにも見える顔で、絞り出すように声を吐いた。

「……俺は許されても良いのか?」

彼の声を震わせる響きは、まるで弱音のようにも聞こえる。
同時に、答えを求める子供のようにも。

そんなエスティマを見たことはなくて、スバルは軽い戸惑いすら覚えてしまう。
それでも彼女はエスティマを真っ直ぐに見詰め、後押しをするように口を開いた。

「良いんですよ。頑張ったじゃないですか。
 ううん、それけじゃない。結果もちゃんと、出ています。
 今更だけど……ようやく本当の意味で、私は歩き出すことができました。
 これからの毎日が、楽しみで仕方がなくて……この気持ちは絶対に間違いじゃない。
 なら、それを私にくれたエスティマさんだって、絶対に間違ってません」

スバルが口にした結果。それを示すように、彼女は笑みをエスティマへと。
彼はそんなスバルの表情から目を逸らしながら、そうか、と呟いた。
しかし尚も晴れないエスティマの表情に、スバルは悔しげな色を顔に浮かべる。

……役不足だったのかもしれない。
分かり切ってはいた。付き合いそのものは長くても、自分と彼は半ば絶縁していたようなものだったのだから。
そんな人物に言葉をかけられて嬉しくはあっても、心には響かないだろう。
多分、自分ならそうだろうし。

「……だから、胸を張ってください」

最後のそう言葉を贈って、スバルは唇を噛んだ。
そして小さく頭を下げ、ゆっくりと中庭と後にする。

一人残されたエスティマは、俯いたまま微動だにしない。
おそらくスバルの言葉を信じても良いのかと考え込んでしまっているのだろう。

彼女がかけてくれた言葉と似たものを、向けられたことがないわけではない。
例えばSeven Starsがそうだったし、他にも親しい者たちは、戦い抜いたのだから休んで良いとも云ってくれた。
それらをエスティマは嬉しく思いながらも、親しいからこその優しい嘘だと解釈していたに違いない。

だが、たった今対面していたスバルは違う。
クイントが戻ってきたことで敵視されるようなことはなくなったとはいえ、決してエスティマと親しいわけではない。
故に普段彼が考えていた優しい嘘を吐かれているという怯えが適用できずに、戸惑っているのだろう。
スバルは彼女にしか出来ないことをやってくれた。
どれだけ言葉を尽くしても自分では動かせなかった主人の心を溶かすのは、彼女にしか出来ないことだっただろうから。

俺は許されても良いのか?
スバルに対して口にした言葉は、おそらく彼の本音だ。
これがもしSeven Starsやシグナム、そしてユーノやクロノならば、俺は裁かれなければならないと断言していただろう。
……あの強がりは、否定して欲しいからこそのものだったのですね。
彼の胸元で揺れるSeven Starsは、主人の様子から胸中を察する。

ならば最早、自分の出る幕はない。
答えは得た。親しい者たちの言葉を疑っていたからこそ、主人はスバルの言葉を疑えない。
裁きを受けたいという渇望はメッキを失い、今はその地金である真の渇望――救われたい、と変化しているだろう。

鎧のように纏っていた強がりが剥がれ落ちたのならば、あとは彼を誰かが抱き締めれば良い。
……悔しいことに自分にはその腕がないし、役不足だけれど。
ここにはいないどこぞの誰かに、Seven Starsは腹を立てながらも、主人の隣という席を譲ろうと決めた。


























海上収容施設へと戻るバスの中、二人はいつかのように無言で隣り合っていた。
窓の外には曇り空が広がり、くすんで冷たい風景は、そのまま心の内を表しているようだった。

お互い、それぞれに何があったのかを話してはいない。
しかし何かがあったのだろうとは、薄々と勘付いてはいる。

けれどどちらもそれを口にするとはなく、ただバスに揺られている。
重く響く騒音は儚い言葉をすべて飲み込むだろう。呟きはそのまま消えてなくなる。
のしかかる空気という名の重圧はコールタールのようにまとわりついて、彼ら以外の乗客がいたら居心地の悪さに狸寝入りを決め込むだろう。

黒々とした想いは、二人の中に渦を巻いている。
エスティマはスバルから向けられた言葉を鵜呑みにして良いのかと。
チンクはぶつけられた悪意をどう飲み込むべきか考えあぐねて。

二人とも、それに対する答えは既に出ているようなものだった。
ただそれが本当に正しいのか自信が持てないのだ。
誰かにアドバイスを求める際、ある程度は心が固まっているのと同じように。

しかし二人は、それを他人に問いかけて良いものかと悩み、口にしない。
最も自分のことを理解してくれるであろう者がすぐ近くにいるというのに――否、違うか。
答えらしい答えが出ているからこそ、それを否定されないかと怯えているのだ。

故に聞いて欲しいと願いながらも聞くことができない。
お互いがお互いを、心に占める割合の大きい存在だと思うからこそ。

『二人とも、聞いて欲しいことがあるならば言葉を交わせば良いでしょう』

ずっと続いていた沈黙を破ったのはSeven Starsだった。
声色には仕方がないという呆れが満ちており、コアに宿る光も嘆息するかのようにゆったりとしている。

が、Seven Starsの声を聞きながらも二人は反応を見せない。
溜息を吐くようにコアの光を明滅させながら、彼女は念話をチンクに送る。

『チンク。あなたはどうしてそんな暗い顔をしているのです』

『……それは』

『旦那様に聞いて欲しいのなら、云えば良いでしょう』

『こいつに聞かせても良いものかと思ってな。
 それに、エスティマも何か考え込んでいるようだ。
 邪魔をしたらまずいと……』

『邪魔をして疎ましく思われたくないと。
 あなたは初恋を実らせたばかりの学生ですか』

『機械のお前にそんなことを云われたくはないぞ』

『失礼しました』

まったく、とチンクは肉声で呟きながらも、先ほどと比べて幾分表情を和らげた。
そして横目でエスティマの方を伺いつつ、彼女は小さく咳払いをする。

「……なぁ、エスティマ」

「なんですか?」

疲れ切った、とはまた違う、気力の萎えた声を返され、チンクは口を噤んだ。
しかし彼の胸元に下がるSeven Starsを一瞥すると、閉じかけた口を開く。

「私は……」

「はい」

「私は今日初めて、恐怖というものを味わったよ」

「恐怖、ですか?」

いきなり何を、とエスティマは怪訝な顔をする。
しかしチンクは構わず先を続けた。
プレミオとのやりとりを彼に説明するつもりが、彼女にはないのだ。

「ああ。……当たり前のことだが、大切なものを奪われるというのは辛いんだな。
 いや、分かっていたんだ。当たり前のこととして、知ってはいた。
 しかし、いざその時を迎えて……自分が何も分かっていなかったと、思い知らされた気がする」

「……誰だって、知ったつもりでいることぐらいはありますよ。
 そしてフィアットさんが云っていることは、経験しないに越したことはない苦しみでしょう。
 だったら怖いのは当然で、別に悪いことじゃないと思います」

「……そうか」

エスティマはそう云ったものの、彼はチンクの身に起きたことを知らない。Seven Starsも、また。
彼女が一人悩んでいることとは、擬似的にとは云え思い知ったあの喪失感を、他者に与えた罪が本当に許されるのかと云うことだ。
自分の身になって考えてみれば――それは、エスティマを奪われるということになるだろう。
もしそうなった場合、自分は相手を許すことはできるだろうか。
出来るわけがない。今のように考え込む前からもそう思っただろうが、幻影とは云えエスティマの死体を目にしたチンクは、それをより強く思う。
殺意を抑えることは辛うじてできた。しかしそれはそれ。怒りは確かに抱いたし、憎悪すらした。
ああも鮮烈でやり場のない感情を自分がばらまいていたと考えたら――

不意に、暖かな感触が手を包む。
目を落とせば、膝の上で丸められていた手をいつの間にかエスティマの手が覆っている。
その時になってチンクは自分の手が震えていたと気付き、この時になってようやく幻影であったエスティマの遺体が脳裏から影を薄くした。

「……どうにもならない。自分のできる範囲で頑張るしかないんです。
 明確な方法なんて、誰にも分からないんだから」

「……そうか」

染み渡るような温もりに熱さすら覚えながらも、チンクは伝わってくる感触を心地良く思う。
これがなくなるなんて考えたくもない。
奪われたくないと思うからこそ、奪ってはいけない。
本当に当たり前の話でしかないのに。

「すみません。参考にもならない助言で」

「いや……お前にそう云ってもらえるだけで、私は満足だよ。
 分かってたんだ。答えなんか存在しない問いだと」

明確で完璧に、自分たちの点けた憎悪の炎を鎮火する術などないと。
ただ分かっていながらも――エスティマと共にいたいから。
約束を果たしたいと願ってしまうから、どうしても良い手段はないのかと思ってしまうのだ。

結局、一生己の行ったことを忘れない、というのが一番の贖罪なのだろう。
法の下で罪を精算しただけで終わりではない。理屈では消せない傷跡が自然と癒えるまで。
その時が訪れるのを、じっと待つしかないのだ。おそらくは。
きっと長時間が必要となる贖罪の道は――この手を包み込んでくれる温もりと一緒ならば、耐えられる。
例え失ってしまったとしても、この温もりがあったことを覚えていれば耐えられる。

「……フィアットさん。俺の話も、聞いてもらえますか?」

「ああ。どうしたんだ?」

「……少し、説明し辛いことなんですけど。
 ええと……もし未来の情報を知ることができて、自分に悲劇を回避する力があるとしたら。
 そんな仮定を前提として考えてください」

『聖王教会にそういった希少技能を持つ者がいるのです』

念話でSeven Starsから届いた補足に、チンクは小さく頷く。
カリム・グラシアと云っただろうか。未来を予知する希少技能があることを、チンクは記憶の中から掬い上げた。
そして、Seven Starsの言葉を信じてしまう。

「本当は幸せに生きることのできる人間がいた。
 本当は死ななくて良いはずの人間がいた。
 本当の未来を知る人間なんていないから、この現実が真実ではあります。
 けれど、そうでない結末があると知っていて……天秤を悲劇へと傾けてしまったら、それは」

「……不幸だとは思う」

「そうですか……」

「意味を取り違えるな。
 未来を知ってしまったことが不幸だと云ったのだ、私は」

「……そうでしょうか。
 良い方に状況を転がす術を知ったら、きっとそれは幸運です。
 けれど俺はそれを生かせず、起きなくて良いはずの悲劇を――」

「ならお前は、こうして過ごしている時間を不幸だと思うのか?」

問いかけによって、エスティマは言葉を止めた。
チンクは重ねられた手を反転させて、エスティマと指を絡める。
接触を忌むように彼は手を離そうとするも、ぎゅっと握り返して逃さない。

「……なぁ、エスティマ。
 教えてくれないか、お前のいう本当の話を」

「それは……はい」

僅かに躊躇いながらも、エスティマはチンクの言葉に頷いた。
そこから、彼は自分の知る本当のあらすじを彼女に伝え始める。
どこか、言葉の端々には怯えが含まれているようにチンクは感じた。

それでもゆっくりと語られる、彼の知る真実をチンクは咀嚼してゆく。
確かにそれはそれで悪くない世界だったのだろう。
けれどエスティマが口にした、幸せだったはずの人が不幸せ、という点がチンクには分からない。
どちらもどちらだ。現実である以上犠牲も何もなく完璧な幸福が訪れることなどありはしない。
トーレは死んだが、ドゥーエは生きている。その逆もあり得たのならば、どちらが幸福だったのだろう。
正直に云って分からない話だ。それはそのまま、エスティマが悔いている行いにも繋がる。
彼が間違っていたのかどうかなど、やはり分からない。故に慰めの言葉も向けることはできない。

だとすれば自分にできることは――

指を絡め合ったまま、チンクは身を寄せてエスティマの肩にしなだれかかり、胸板に頭を預けた。
後頭部に伝わる鼓動は、彼が確かにここにいることを教えてくれる。
エスティマの教えてくれた、"こうなるはずだった話"、そこにいなかったキャストが確かに存在していると主張している。

「少し、こうさせてくれ」

「……はい」

「私はな、エスティマ。
 今この時をかけがえのない時間だと思うよ。
 だから、お前に感謝したいんだ」

そう、自分が彼に向けることのできる言葉はこれしかない。
頑張ったから良い。そんな言葉じゃきっと届かない。
頑張るなどという言葉はそもそも抽象的すぎるのだ。
本当にベストを尽くしたのかどうなど、本人にしか分からない。
そしてそれを疑ってかかっているエスティマに、届かない。

ならば感謝を。
お前の行いには確かな価値があり、こうして実を結んでいると伝えたい。

「私はお前と会えて良かった。
 こうして側にいられることを、喜びたい」

「……ありがとう」

湿った響きの籠もる声が零される。
そして彼は寄りかかったチンクの顔に額を当てると、震える吐息を漏らした。
髪に染み入る温い感触は、決して不快ではない。

「…………ありが、とう」

震える声に混じった小さな嗚咽を、チンクは聞き流してやる。
これはおそらく、傷の舐め合いと呼ばれる行為なのだろう。
決して良い意味で使われる言葉ではないものの、しかし、誰にも明かすことのできなかった傷口を見せ合えたことは、きっと意義がある。

チンクは己の行く道に確信を得ることができ、そしてエスティマは救われた。
忘れることで救われることと、この形で救われることに大差はないだろう。
ただ彼が本当の意味で背負い込んだ荷物を捨て去ることは、チンクと接しなければ不可能だったはずだ。

贖罪の道を進む者と、贖罪の道から解放された者。
今この時エスティマに宿る感情は歓喜なのか、嘆きなのか。

やはりチンクにはそれを分かってやることなどできない。
ずっと歩き続けてきた道が間違いではなかったという肯定と共に、ようやく彼は許された。
今はただ、静かにそれを祝福してやりたかったのだ。

『……ありがとうございます』

響く念話での電子音声は、らしくないほどに感情の色で染まっていた。
このデバイスもまた、主人のことを想っていたのだろう。

ふと、眩い茜色が雲の切れ目から差し込む。
凍えそうな暗色に染まっていたバスの車内は暖かな茜色に染まり、二人の影を長く伸ばす。
暗色の世界は色を取り戻し、まるで二人にとっての長い夜が明けたかのよう。

エスティマはずっと続いてきた道のりが終わり、チンクはこれから歩き出す者として。
完遂した者と始める者。その違いは、この時間が終わると共に明確となる。
エスティマの胸に背を預けられる時間が次に訪れるのはどれだけ先か。彼がチンクに甘えることができるのはいつのことか。
黄昏の中の海にたゆたう二人は、その立場のために定められた離別が待っている。
だがそれも、今のようにいつかは終わると決まっている。

二人に待っているのは決して暗い未来ではない。
この黄昏が終わり夜が訪れ、そうして朝を迎えるため。
一緒に太陽の下を歩くその刻へと進むために。









[7038] チンクEND
Name: 角煮◆904d8c10 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/04/23 23:35

雨はいつ上がる? そのフレーズはなんだったか。
止まない雨は存在しない。いつかは止まる。
時間が過ぎると共に終わり何かがあると同時に、始まる何かも存在している。

「なーなーエスティマくん、時間までまだ余裕あるやろ?
 ご飯食べに行かへん?」

「……悪いけど、先約があるからさ」

背中にのしかかって話しかけてきたはやてに断りを入れて、首に回された手をやんわりと解く。
すると、ちぇー、と残念そうな声が背後から聞こえて渋々と手が引かれた。

椅子を回して振り返ると、何やら面白くなさそうな顔をしたはやてがいる。
ここ最近セミロングまで髪を伸ばした彼女は、その毛先を弄りながら溜息を吐いた。

「つれへんなぁ、ここ最近のエスティマくん。
 前まではご飯ぐらい付き合ってくれたやんかー」

「その度に酔い潰れる寸前まで酒飲まされるんだから、好い加減に学習するさ」

「ほんならこれは自業自得ってやつやなー。
 ううむ、やっぱりアルコールやなくて怪しげなお薬に頼らへんかったのが敗因かもしれん」

「管理局員が怪しげなお薬とか云わないように。
 逮捕するぞ逮捕ー」

「やーん、捕まえてー」

「……」

「嘘、冗談やから。
 そんな真顔で何云ってんのコイツみたいな目で見んといて……」

大袈裟になリアクションを取るはやてに、つい吹き出してしまう。
笑うなんて酷いやんかー、と頬を膨らませる彼女を尻目に、俺は腕時計へと視線を落とした。

もう良い頃合いだ。そろそろ出よう。

「じゃあ、もう行くよ」

「……ん」

どこに、とは云わない。彼女も分かっているはずだ。
きっと分かっていて夕食に誘ってくれたんだろう。
そんなはやてが何を思っているのか。
俺に言葉をかけてくれる意味を理解しつつも、彼女への返答は六課の頃に向けたものと変わっていない。

だからこそ突き放しはしないものの、絶対に譲らない線引きをしてずっと過ごしていた。
幼馴染みで、同僚。信頼できる戦友。はやてとはそれだけの関係だ。
それ以上でもそれ以下にもなりたくないし、なっちゃいけない。

椅子から立ち上がり背筋を伸ばすと、何も云わずに立ち尽くしているはやての隣を素通りする。
その際、

「……まぁ、分かってたんやけどな」

呟きに対して、俺は聞こえないふりをした。



















ありがたいような、違うような。
これから社会へと復帰――否、踏み出す自分たちに向けられ続けている訓辞は、もう十分に差し掛かろうとしていた。
海上収容施設の責任者が述べる口上を聞きながら、チンクはそっと視線を泳がせる。
自分と同じように並んで話を聞いているのは、ディエチとセイン。
自分と同時期に逮捕されたディエチはともかく、何故セインが肩を並べているかと云えばそう難しいことではない。
彼女は他のナンバーズと違い、スカリエッティと共に管理局へと出頭したのだ。
そのため刑期は自分たち二人と近いところまで短縮されていた。
他の妹たちは月単位だが遅れて出所することになっている。
更正プログラムを受けた姉妹たちが外で顔を合わせるのは、そう遠くないだろう。

……長かった、とチンクは胸中で呟く。
エスティマに捕まり、結社の壊滅に力を貸して、罪を償い続けて四年。
それだけの時間を社会奉仕に費やして、ようやく自分たちは外の世界に出ることができる。

罪を償いたいという気持ちに嘘偽りはなかったが、この瞬間を待ち望んでいたこともまた、嘘ではない。
この四年間、管理局の下で働きながらチンクは多くの物を目にしてきた。
それは自分たちに向けられる悪意であったり、怨嗟であったり。
また、自由を手にしたときに触れてみたいと思う世界の広さであったり。
枷をはめられながらも目にした事象は、夢を抱かせるには十分なほどで――おそらく、ディエチもセインも同じことを考えていることだろう。

ディエチは長い社会奉仕の間に溜まった蓄えを使ってバイクの免許を取り、旅行に出ると云っている。
セインは彼氏を獲得しつつ遊びたいので時間が自由に取れる仕事に就きたいと云っている。
そして自分は――

「――以上で訓辞を終える。
 もう私は君たちの顔を二度と見たくない。ここへ戻ってくることがないように」

今までの張り詰めた表情ではなく、柔らかな笑みを浮かべて、所長はそう締めくくった。
瞬間、沈黙が降りて、

「いよっしゃー!」

素っ頓狂な声をセインが上げると共に、彼女は抱きついてくる。
片腕にディエチの首を引っかけて、痛いと思うほどに強い力で締め付けてきた。
苦しくもある締め付けを、だが今だけは心地良く思う。
振り回されるディエチも迷惑そうな顔をしながら、口元に微かな笑みを浮かべていた。

「じゃあ早速遊びに行こう!
 カラオケ? ボーリング? どこでも行っちゃうぞ今の私は!」

「セインうるさい。
 そんなにはしゃがなくたって良いのに」

「これがはしゃがずにいられるか!
 うっひょー、なんだか心持ち身体が軽い!
 あ、そうだまずご飯! ここの近くに美味しそうな店があって、いつも行きたいって思ってたんだよね!」

「……それは良いんだけどさ」

首に回された手をタップして、ディエチは出口の方を顎で指し示した。
セインはきょとんと目を瞬くがすぐに意味を理解したようで、チンクを抱きしめていた腕を解く。

「行きなよ、チンク姉」

「……いや、私は」

「セインのご飯なら私が付き合うから大丈夫」

「……良いなー彼氏羨ましいなー」

「ほら」

絡んできそうなセインを無視して、ディエチはチンクの背中を押した。
やや躊躇いながらもチンクは頷き、そして歩き出す。

ゆっくりと一歩一歩を踏み出して、屋内運動場を抜けると廊下を、そして施設の出口へ真っ直ぐに。

見慣れた無機質な廊下を一人で歩き、ここで過ごした毎日に思いを馳せる。
良いことずくめであったとは、決して云えない日々だったのは確かだ。
外であったことに妹たちが愚痴を漏らし、それを宥めて。宥めることができず喧嘩になったこともあった。
四年という時間があまりにも長くて、その間、彼が待ってくれているのか疑心暗鬼に駆られることもあった。
そんな甘えで彼と険悪になり、どうして分かってくれないのかと憤慨して悲しくなったりもした。

けれどそれも踏み越えてしまえば、胸を張って誇れる記憶の一つとなる。
背後に残る轍は自分が今日この時を迎えたという喜びを満たす後押しとなり、心を躍らせる。
けれど、まだだ。
妹たちには悪いと思いながらも、チンクは胸の中で一つのことを決めていた。

それは――

海上収容施設の出口が見えてくる。
自動ドアの向こう側には一人の男が立っており、彼は花束を片手にじっと立ち尽くしていた。
その姿を見た瞬間胸が高鳴ったのは錯覚ではない。
ドクドクと脈動する心臓は心とシンクロして、チンクは頬を緩めないよう努めながら一歩一歩を刻んで進む。

決して歩調を早くしないように気を付けて、自動ドアを抜けた。
瞬間、彼がこちらに身体を向けた。真正面から自分を――自分だけを見てくれている。

そう思った瞬間、ずっと一定の歩調を守っていた脚が勝手に動き出す。
変なところを見せたくないと思っても、もう我慢などできるわけがない。
地面を蹴って、風を浴びて、髪を踊らせ、彼女はエスティマ・スクライアの元へ一気に駆け寄った。

エスティマは待ち受けていたように、両手を広げて笑みを向けてくる。
そうしてチンクは――昨日までは許されていなかった行動、彼の胸元に飛び込むと共に、満面の笑顔を見せた。

チンクを受け止めたエスティマは花束を取り落とし、両手で彼女を抱き締める。
戦闘機人でもなんでもないというのに、その力はセインよりも強かった。
けれどその力強さが求めてくれているように思えて、喜びにすら転化される。

「おめでとうございます」

「ありがとう!」

普段見せている年上の余裕も吹き飛んで、チンクは童女のような笑顔のままにエスティマの首元へ顔を埋めた。
重くないはずはないのにエスティマは苦も見せずチンクを抱き締めたまま、長い銀髪へと鼻先を埋める。

お互いにお互いの匂いを胸一杯に吸い込み、もう離さないと云わんばかりに抱き合って。
そしてほぼ同時に顔を上げると、くすぐったいように笑い合い、唇を重ねた。














リリカル in wonder

   ―After―













「……あ、あの、大丈夫です?」

「……無理だ。歩けん」

シーツにくるまって無言の抗議を向けてくるフィアットさん。
じとーっと粘着質な視線を受けつつ、俺はフローリングの床に正座。
虚ろな笑いをすると、思わず目を逸らした。
ちなみに逸らした視線の先、シーツには赤黒い染みがあったりなかったり。

「……だから私は無理だと云ったのだ」

「……いや、無理でもやってくれって」

「それとこれとは話が別だ、この馬鹿め!
 うう、くそ……痛みには慣れていたと思ったが、これは別物だ。
 もう少しお前が手加減すれば……」

「すみません、つい。
 いやでも俺、泣いても止めませんからね、って念を押しましたよ?」

「つい、で済むか!
 大体、本当に泣き出したのに止めないお前はどこまで鬼畜なのだ!」

どうやらフィアットさんにサイズ差補正無視のパイロットスキルはないようだった。
ぶーぶー抗議の声を上げるフィアットさんに苦笑しつつ、

「……嫌でした?」

「……卑怯者。女の敵め」

微かに頬を染めながら、彼女はシーツの中へと顔を隠してしまう。
どうやらお姫様の機嫌を損ねてしまったようなので、床に投げ捨ててあるスラックスを手に取り立ち上がった。

「お腹空いたでしょう? ご飯作ってきますよ。
 何かリクエストはありますか?」

「……なんでも良い。
 お前が作ってくれるものなら」

「了解」

ズボンに脚を通しながら聞くと、シーツの中から顔を出して、フィアットさんはジト目のまま呟いてくれた。
嬉しいことを云ってくれるよ。

そのまま自室を抜けてリビングへ。
そしてキッチンに立つと、早速フライパンをコンロの上に乗せた。

フィアットさんがいると云っても静かなもので、朝のやや冷たい空気が家の中には満ちている。
ただそれに厳しさを感じることはなく、むしろ目を覚ます冷ややかさが心地良い。

今、この家には俺とフィアットさんしかいない。
三日前までここに住んでいたシグナムは今、管理局の隊舎へと引っ越している。
曰く、当てられたくないから、だそうな。すっかり見透かされている。

けれどそれは当然かもしれない。
こうやってフィアットさんと過ごせる時間が近付くにつれて、浮かれた気持ちが顔に出ていたらしいし。
事実、俺は待ち望んでいたこの時を心の底から喜んでいる。

正直、四年は長かった。長すぎたとすら云える。
あの人と別離して、捕まえて、そこから更に、だ。
今だから云えることだが、あの人を浚ってどこか別の――なんてことを冗談半分で考えたことは何度もある。
けれどそんな馬鹿げた考えも、今じゃ笑い話にしかならないだろう。

そして、そんな馬鹿げたことを実行しなくて良かったと思える時間を――それだけの価値がある触れ合いを過ごすことができた。
ならばまぁ、今までの時間も無駄じゃなかったとはずだろう。

「……っと」

考えごとをしていたせいでフライパンを熱してたの忘れてた。
慌てて卵を溶いてバターを落とすと、溶解しきった瞬間に溶き卵を投下。
またか、と思われるかも知れないが作る料理はスクランブルエッグ。朝食というくくりの中で一番上手く作れるのはこれなんだから、仕方がない。
だって、どうせなら美味しいものを食べて欲しいじゃないか。



















キッチンから漂ってくる匂いとバターが溶ける音に触発されたのか、くうくうとお腹が空き始めた。
餌を待つ雛のごとくシーツにくるまって、てるてるチンクとなった彼女はぼーっとエスティマが戻ってくるのを待っていた。
何も考えないでいたら、自然と昨晩のことが思い起こされてしまう。

エスティマに連れられてちょっと気取った店に行き、酔わないていどにお酒を飲んで、なんでこんな苦いものを美味そうに飲むんだお前は、と絡んだら大人ですからと云われてむっとしたり。
タクシーでも使えば良かったものの二人で夜景を見ながら酔い覚ましに散歩をして。
閉店間際のデパートに慌てて駆け込んで、すっかり忘れていた自分の日用品を揃えに行って。

買い忘れはありませんか、あったら飛んで買いに行け、なんて軽口を叩きつつこの家に招き入れられて。
そして――

「……美味しく頂かれた、ということなのか」

わざわざ固く云ってみたものの昨晩に囁き、囁かれた言葉の数々を思い出して一瞬で真っ赤になった。
うーわーとシーツにくるまりながらゴロゴロとベッドを転がるチンク。そして腰の辺りに響く鈍痛で身動きが取れなくなる。
その痛みを忌ま忌ましさ半分嬉しさ半分に感じ入る。
今日は二人で遊びに出掛けようと予定を立てていたのに、これじゃあ外を出歩けるかどうかも怪しい。
もうちょっと……身長があと二十センチあれば、とちょっとどころではない水増しをどこかの誰かにお願いしながら、熱の籠もった溜息を吐く。

「……あいつは喜んでくれただろうか」

喜んでくれただろうとは思う。
けれどもうちょっと……やっぱりあと二十センチ。
できればバストランクAAのこの胸もなんとかしたい。高ランク貧乳なんて称号は微塵も嬉しくない。
なんとかなれば、もうちょっと、こう……。

『……出しなさい。いい加減にここから出しなさい。
 デバイス虐待で訴えますよ二人とも。ここは暗いです。狭いです。寒いです。
 可及的速やかになんとかしなさい』

ううむ、と一人でチンクが唸っていると、地獄の底から響いてくるような念話がどこかから聞こえてきた。
いや、チンクはその出所を知っているのだが。

横着して匍匐前進の要領でエスティマの机、その引き出しに指を引っかけ、引っ張った。
そして紐を指に絡めて腕を引けば、掌にはSeven Starsが。

憤慨した様子でSeven Starsはコアを瞬かせ、虐待反対、と表面に映し出す。

『……昨夜はお楽しみでしたね』

「よし、仕舞おう」

『待ちなさい。今のはウィットに富んだジョークです。
 大体、何故この私があんなところに押し込められなければならないのですか』

「……お前は自分のやろうとしたことを覚えてないのか?」

『旦那様に彼女ができた決定的瞬間、サイズ差補正無視の荒技が披露される所を映像として残し、未だに独り身のマスターに所持されてるレイジングハートへ自慢しようとしただけです』

「……ああ、今理解した。
 お前、実はかなり愉快な性格だろう」

『馬鹿な。クールビューティーであるこの私を捕まえて愉快だなどと。
 だとしたらバルディッシュは一流のコメディアンです』

「そうか。それはすごいな」

『なんですかその可哀想な物を見る目は。
 こら、止めなさい。なんでまた私を引き出しに――』

Seven Starsをガン無視しつつ再び引き出しに放り込むと、チンクはデバイス扱いで渡されているシェルコートを起動し念話のジャミングを開始。
これで少しは静かになる、と息を吐いた。

「あれ、フィアットさん何してるんです?」

「ああ、なんでもない。気にするな」

「……そうですか?」

トレーに朝食を載せて姿を現したエスティマに清々しいほどの笑顔を見せるチンク。
Seven Stars、哀れ。

何か着るものはないかと見回すも、昨日身に着けていた衣服は部屋の入り口に脱ぎ散らかしてある。正確には脱ぎ散らかされた、だが。
困った、とチンクは眉尻を下げつつ、自分が着れそうな物を見付ける。
フローリングに丸まって転がっているそれは、エスティマのカットシャツだ。
チンクはそれを手に取ると、だぼだぼの袖に手を通してボタンを留める。
装着完了、と自分の姿を見下ろすと、無性に嬉しくなり着たばかりのシャツを抱き締めた。
無地の布からはエスティマの匂いと、僅かな汗臭さが。だが決して不快ではない。

「……あの、目の前でそういうことをされると、その……」

「……わ、私に構うな」

そっぽを向きつつだぶだぶの袖を捲り、エスティマの持ってきたトレーへと目を向けた。
盆に載せられた料理からは湯気と共に食欲をそそる香りが立ち上っているが――

「エスティマ、一人分しかないぞ?」

「……すみません、はりきったら失敗しちゃって。
 半分ずっこ、ってことで勘弁してもらえません?」

「ほう。どうしてはりきったんだ?」

「そりゃ勿論、フィアットさんに食べて貰いたいからに決まっているでしょう」

「ぐっ……」

照れもせずそんなことを云うエスティマに、チンクは歯噛みする。
が、エスティマはそんな自分を見たいがためにあんな台詞を口にしたのだと、すぐに気付いた。
にやにやとした笑顔を向けられるのは全然嫌ではないものの、年上の威厳がっ。

「そ、そうだエスティマ」

「なんです?」

「あーん、で食べさせてやろうか?」

「ぐっ、それは……あ、はい。
 お願いします」

「なん……だと……」

一瞬躊躇いながらも即座ににやにや笑いに戻ったエスティマに恐怖を覚える。
この男……私に何をさせる気だ……!

「あれ? あーん、してくれないんですか?」

「貴様……!」

「なんだ、ガッカリだな……」

「ま、待て。姉に二言はない。
 それぐらいのこと、造作もない」

多分ここで断ったら自分がそれをされる立場に。
そんな嫌な予感というか、間違いなくこの男はやるという最悪の確信があったためチンクは折れてしまった。

スプーンでスクランブルエッグを掬い、持ち上げる。
羞恥のあまりにぶるぶると手は震えて、エスティマの作った朝食は不気味な踊りを見せていた。

「ほら、食べると良い」

「……あーん、って云わないんです?」

「お前、この……あとで覚えていろよ!?
 あ、あーん……!」

「あーん」

真っ赤に染まりながらチンクは清水の舞台から飛び降りる覚悟でスプーンを差し出したというのに、エスティマは照れも何も見せずに食らいついた。
なんだか無性に納得いかない気分でいると、スプーンを奪い取られてしまう。

「じゃあ次は俺の番ですね」

「待て、なんだそのルールは。聞いてないぞ」

「あれ? 口移しの方が良いですか?」

「ふざけるな貴様!
 く、口移しだなんて卑猥な!」

「卑猥じゃないですって。皆やってますよ」

「嘘だ!」

「……嘘じゃないのに」

「そ、そうなのか?」

残念、といった様子でエスティマが溜息を吐くと、ついつい慌ててしまうチンク。
残念な顔を見せている一方で、彼女の死角になっている顔半分はにやにや笑っているのだが。

チンク、更正プログラムを果たしても自分が世間知らずという自覚が一応はあった。
彼女の読んでいる女性週刊誌などはこういったじゃれ合いに関して書かれていることが少ないため、エスティマの言葉を信じそうになる。

「ほら、少し深く考えてみれば分かりますよ。
 恋人同士ならキスぐらい普通にするでしょう?
 口移しなんてそれの延長なんだから」

「そう……なのか?」

「そうです」

「……そうか」

愛し合うのは奥が深い、理解がまだ及ばない、とチンクが一人で思っている一方、フハハハハ状況はすべてクリアされた、とエスティマは喜んでいたり。
それに気付かないチンクは、上目遣いの視線を彼に向ける。

「そ、それでどうすれば良いんだ?」

「どう、とは?」

「知っての通り私はそんなの、したことがない」

「じゃあ俺がリードしましょう」

「したことがあるのか!?」

「いやまぁ、俺もないんですけどね。
 何事もレッツトライッ」

「待て。何やら猛烈に嫌な予感が――」

止めようとするチンクをガン無視して、エスティマは少量のスクランブルエッグを口に含む。
そしてやや強引にチンクの後頭部に手を回し、顔を近付けてきた。
その瞬間、彼の瞳に悪戯めいた輝きがあったことに気付いて、この男は――! と憤慨するも時既に遅し。

唇同士が重なり合い、こじ開けられると、顫動するように二人の頬が蠢いた。
舌がチンクの舌と絡み合って、卵が押し込まれてくる。
彼女はそれを嚥下しようとすると、邪魔するように、エスティマの舌がチンクの頬を内側から舐った。
やっぱり卑猥じゃないか、と目を白黒させつつ、彼女はされるがままに。
そのまま押し倒しそうな勢いで水音が撹拌され続け、解放された時にはお互いの口元がべたべたになっていた。

はふ、と熱っぽい息を吐くチンクとは逆に、エスティマは満足そうな表情をしながら手の甲で唾液を拭った。
惚けたようにそんな彼の様子を眺めて、唾液が顎を伝うくすぐったさで我に返ると、再びチンクは沸騰しそうなほど真っ赤になる。

「こ、この、この、この……っ!」

「この?」

「このドSが――!」


















ドSが、と罵りつつも満更ではなかったのか、そのまま口移し朝食は続けられたり。
無論そんなことをすれば服は汚れて顔はべとべと。ついでに云えば昨晩の汗も洗い流したいということで風呂に入ることになったわけだが――

「……なんで一緒に入っているのだ」

「嫌でした?」

「……もうその手には乗らないからな」

湯船に浸かったチンクは、さっきまで良いように弄られたのを根に持っているのか。
風呂に持ち込んだタオルでぶくぶくと泡を立てつつ顔を俯けている。
だが彼女の頬は朱色に染まっており、それは決して風呂に入っているからではなかったり。

「髪長いと大変そうですね」

「こら弄るな。解ける」

後ろから束ねた髪をつつかれて、チンクは抗議の声を上げる。
が、後ろは振り向かない。どうせまた意地悪な笑みを浮かべているに決まっている。
そう、すぐ側にエスティマはいるのだ。
大して風呂場は広くないものの、それはそれ。チンクが小さないのでなんとかなっている。

まるで父親が幼い娘を入れるようにエスティマが浴槽に背を預け、彼の胸板にチンクが背を向けている状態。
ただ父親と娘のようではあるものの、その密着具合は恋人のそれだ。なんだかんだでチンクも嫌がっていないようである。
ちなみに風呂には入浴剤が入っているため、白濁したお湯の中がどうなっているのかさっぱり不明だった。

「んっ……こ、こら!」

「どうしました?」

「不意打ちで触れるんじゃない」

「あはは、そんな。手が滑っただけですよ。
 こんなに密着してるし、お湯の中見えないし」

「もう騙されないぞ私は」

「酷いなぁ。騙した覚えなんてないのに」

「……ついさっき私を、その……抱きかかえて脱衣所まで連れてきた人間の云う台詞じゃないな」

「お姫様抱っこは嫌でした?」

「お姫様云うな!……くぅ、どういうことだ。
 キャラが違うぞエスティマ。お前がこんな男だとは思わなかったっ」

「あー……まぁ、はしゃいでる自覚はありますよ。
 けどそれもこれも、フィアットさんが可愛いのが悪い」

ざ、と湯の表面を波立たせてエスティマは腕を持ち上げた。
そしてそのままチンクを背後から抱き締めて、腕に包まれたチンクは更に顔を真っ赤にする。

――このままではまた良いように弄ばれてしまう……!

それは駄目だ。年上の威厳とか台無しだ。
羞恥で顔から火が噴き出そうな気分だったがそれを乗り越え、チンクは腕を持ち上げると、すぐ側にあるエスティマの後頭部に掌を添える。

「フィアットさん?」

「そ、そういうふざけたことを云う奴は、こうだ!」

ぐいっとエスティマの首を手繰り寄せて、同時に首を捻って口吻を。
決して楽な体勢ではなくむしろ苦しいので、唇は触れるだけに留まった。

「ふ、ふふ……どうしたエスティマ。
 顔が真っ赤だぞ?」

「ぐっ……」

エスティマの頭を解放しつつ、後ろを振り返ったままチンクは得意げな笑みを浮かべた。
勿論、顔はさっき以上に真っ赤だ。だがそれはエスティマも同じ。
さっきまでの勢いが嘘のように、彼は視線を泳がせていた。
主導権を取り戻したチンクは不敵な笑み――を恥ずかしさから浮かべられず、せめてもの抵抗とばかりに口元をひくつかせる。

「そ、それにだな。
 人のことを可愛いと云っておきながら……これはどういうことだ?」

ざ、と今度は湯を波打たせたのはチンク。
やっぱりお湯に隠れて何が起こっているのか分からないものの、彼女は動かした手で何かを掴んでいるようだった。
なにを掴んでいるのだろう。

「可愛いと云うならこれは何か違うんじゃないのか?」

「フィアットサンガ、セクシーダカラデスヨ」

「そうか、そうか」

棒読みなのをわざと黙殺するも、チンクの顔は以前赤いまま。
掴んでいるものが掴んでいるものだからだと思われる。

「まったく……昨日のだけでは足りなかったのか、お前は」

「……すみません、やっと触れ合えたから」

「……そ、そうか」

密着したまま頬を染める二人は、まるでサクランボのよう。
お湯に浸かったまま肌を重ねることは当たり前のように熱い。
汗は次々と流れ出すものの、不快と思わないのは側にいる者を愛しく思う故だろう。

そのままのぼせる寸前まで、二人はそうしていた。



















「えっと、本当に大丈夫ですか?」

「心配するな」

云いつつ、がくがく震えた足取りでチンクとエスティマはクラナガンへと出ていた。
風呂を上がった二人はそのままゆったりと時間を過ごしていたが、時間が勿体ない、とチンクは外に出るための準備を始めたのだ。
エスティマが心配するように体調は昨日のあれこれで良くはないものの、しかし、彼女はじっとしていることが我慢できなかった。
家の中で一緒に映画でも見ていれば、と彼が提案したものの、それは帰ってからでも十分。

チンクはずっと、エスティマと一緒に昼間のクラナガンを歩きたいと思っていた。
まだエスティマが幼い頃に歩き回ったこともあったが、だからこそ余計に――恋人同士となった今、彼と一緒に、と。

……しかし少し無茶だったかもしれない。
ベルカ自治区ならともかく、人がごった返しているクラナガンの駅前は、身長の低いチンクにとって壁が歩き回っているようなものだった。
エスティマがそれとなく人の流れに巻き込まれないよう気を遣ってくれているものの、歩くことすらやや辛い彼女には厳しいものがある。
それに加えて――

「……むぅ」

「喫茶店にでも入って休みますか?」

「いや、違うんだ。気にしなくて良い」

――すぐ近くにいると、どうしても背の高さが気になってしまう。
五十センチ近く身長差がある二人。
腕を組めば抱きついているようにしか見えないし、手を繋いでもなんだか風船を持つ子供のようになってしまう。
それがチンクからすると大層不満だったのだが、云えばまた弄られると分かっていたため口を噤む次第。

が、

「……人が多いですね」

「あっ……」

やや苛立たしげにエスティマは呟くと、チンクの肩を抱き寄せた。
本当だったら腰を抱き寄せて、となるのだろうか。
そんなことを考えながら、これはこれで悪くない、と小さく笑んだ。
お返しとばかりにエスティマの腰へ手を回すと、くすぐられたように彼は身体を震わせえる。

「ふふ、どうした?」

お返しだ馬鹿め、と悪戯っぽく笑いかけると、エスティマは苦みを堪えるような顔になる。
無論それは嫌がっているからではない。照れ隠しだろう、とチンクは思った。

「……なんでもないです」

エスティマに庇われつつゆっくり歩いていると、ふと、雑踏の中に自分たちと同じカップルの姿を見かける。
一昨日までは羨ましいと思っていたが、今は違う。そんなことは絶対しないものの、私の彼氏はどうだ、と自慢したい気分だった。

が、些細なことで幸せに浸っていても歩きづらいことに変わりはない。
強がってはみたもののやはりエスティマには見抜かれていたのか、喉が渇きました、と強引に喫茶店へ連れ込まれた。

店はそこそこ繁盛していたが、空席は残っている。
ウェイトレスに通されて禁煙席に進むと、ようやく腰を落ち着かせる場所へと辿り着いた。
変な歩き方をしたせいか、座った際に股関節が軽い音を鳴らす。正直に云えば思った以上に辛かったため、声には出さずチンクは感謝した。

「俺はコーヒー……いや、ケーキセットにするかな。
 フィアットさんはどうします?」

「そうだな……」

メニューを手に取って開きつつ、どれが良いだろう、と視線を彷徨わせる。
ケーキは十種類。喫茶店にしては多い。エスティマと違うものを頼んで半分ずっこも悪くないかもしれない。
そんなことを考えながらメニューをひっくり返すと――

「こ、これは……」

――THE トロピカルジュース。無論、合体ハーティーストロー。
なんでこんなものが喫茶店にあるのだ、と心の中で突っ込みを入れながら、そっとエスティマの顔を伺った。
彼は死んだ目になりながら、まさか頼みませんよねははは、と訴えかけてくる。

「……何事もレッツトライが信条だったな」

「嘘です反省してますすみませんでしたっ!」

「うん。ならば良し」

……実を云うと流石に自分もこれは無理だったけど。

店員に注文をしてケーキが届くと、それぞれのを交換しつつ時間を過ごして休憩は終わり。
再び外に出ると相変わらずの混雑具合だったが、エスティマと一緒にやり過ごして二人はウィンドーショッピングを楽しんだ。
やや疲れてきたら休憩がてら映画館に立ち寄って、見終わったらパンフレット片手に公園で感想を言い合ったり。
そんな、有り触れている、と形容するのが正しい恋人同士と過ごす休日を、チンクは噛み締めるように過ごす。

ずっとこの時を待ち望んでいた。
その時間をエスティマと共に過ごすことが出来るのは、やはり嬉しい。
まだまだ遊び足りない気もするけれど、エスティマといるだけで腹八分目、彼と笑い会えて満腹に。
これ以上は贅沢だとすら思える。

徐々に陽が傾いてきた頃合いを見計らって、帰りましょうか、とエスティマは言い出した。
やや未練は残っているものの、これっきりではない。また来週くれば良い。
そう思うだけで、彼と一緒に住む家に帰ることも嫌ではなく、むしろ楽しみですらあった。

きた時と同じように肩を抱かれ、腰を抱き、二人は寄り添って岐路に着く。
海上収容施設に戻るのではなく、彼の家へ。
妹たちには申し訳ないと思いながらも、やはり共に暮らすホームへ戻ることは格別だ。
……ふと、愛の巣、という単語が浮かんできて何かが込み上げてくる。
そんな形容はまだ早いと思いつつも、今の自分にとっては夢じゃない、とも。
今までは夢を見るような話だと思っていたが、こうしてエスティマの隣に立っている自分は嘘じゃない。
鈍い痛みも、肩に置かれた温もりも、長い時間をかけて掴み取った宝物だ。

「……あっ」

「な、なんでもないぞ!?」

「え?」

どうやらこちらの様子に気付いたわけではなかったようだ。
彼はチンクが上げた素っ頓狂な声に首を傾げる。笑って誤魔化すと、チンクは視線をエスティマが見ていた方に向けた。

そこには一人の少女が立っていた。
杖をついているが盲目というわけではないだろう。彼女のことはチンクも知っている。
あの子と知り合ったのは四年も前のことだ。その間、顔を合わせなかったわけではないものの、病院の外で彼女の姿を見たのはこれが初めてになる。
年月のせいだろう。前は短かった髪が、今は背中を覆うほどにまで伸びていた。

彼女もどうやらこっちに気付いたようで、足を止めながら顔を向けてきた。
まずエスティマを。
そして隣に立つチンクを驚いたように見て――しかし笑みを浮かべて、手を振った。

屈託のない表情に僅かな罪悪感を抱きながらも、いや、とチンクは口元を緩める。
そして真正面から彼女と目を合わせるとチンクは手を振り返し、エスティマの腰に回した手で、ぎゅっと彼の服を握り締めた。















END



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