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[6585] Over the lights・Under the moon (なのはと型月クロス) 22/王聖。投下
Name: くおん◆1879e071 ID:b2456052
Date: 2016/04/26 17:28
・クロス作品です。
・クロスのための設定のすり合わせとかしてます。
・しかし整合性だけ求めて「設定のための物語」にしても本末転倒だと思ってます
・つまり捏造設定とかありまくりです。
・型月関係キャラは基本的にアフターですがどのルートの後とかは考えてません。
・なのははStsのあとです。
・オリキャラでまくる予定です。
・まあそういう話なんで、そういうのでよければ読んでください。
・関係ないけど、タイトルは那州雪絵の漫画から。

2009年11月4日 外伝 回想/1 投下。
2010年2月28日 10/葬列。  投下。
2010年4月14日 11/剣戯。  投下。
2010年12月17日 11/剣戯。  修整。
2010年12月30日 12/魔拳。  投下。
2011年1月7日 12/魔拳。  改訂・の前半を分割・改訂して投下。
2011年1月7日 13/無刀。  魔拳。の後半を分割・改訂して投下。
2012年3月10日 14/夜魔。  短めだけど、長すぎたので分割。
2012年3月15日 15/焔浄。  投下。なんか長めだと後半弄るかも
2012年8月4日 16/根源。  投下。だべってばかりの休み回
2012年9月8日 17/真相。  投下。同じくだべりまくりの回。長い
2012年10月2日 外伝 回想/2 投下。ちょい短め。けど22kbあるな
2013年1月7日 18/灰白。   投下。ちとお遊びが過ぎたか。
2013年6月1日 19/巨人。  投下。長く空白が開いてしまった…。
2014年12月19日 20/閃刃。   投下。一年半ぶり。しかもちょっと短い。
2015年12月25日 21/虚構。  投下。一年ぶり。短いなあ。
2016年4月26日 22/王聖。  投下。半年振りかー。次は割りと早い、はず。

2013年2月4日 長期の鯖落ちに対応してハーメルンさんにマルチ投下開始やや修正されている版です。まだ色々と思案中ですが、とりあえずArcadiaさんをメインに、何日かしたら修正版投下という具合になるかと。
あと前回の更新後、少し困惑の声があったようなので、関連作として型月×リリカルなのはクロスまとめwikiの「なのぎる」を。
各所で書いて来ましたが、今ひとつ広まってなかったようなのでこの際明言しますが、「なのぎる」と関係があります。
ただし今後の展開に関係するかもしれませんのでこれ以上は述べません。



[6585] 来訪。
Name: くおん◆1879e071 ID:b2456052
Date: 2009/07/02 13:46
 1/来訪。



 ティアナ・ランスターが八神はやての家を訪れたのは、マリアージュ事件の後処理も済んだ年末だった。
 アポイトメントもとらずに訪れたかつての部下を、はやては快く受け入れた。
「まあ、ちらかっとるけど寛ぐとええよ」
「お邪魔します」
 案内されたのは客間ではなくリビングだった。
 壁際に大画面のモニターを設置して、その向かい側にテーブルとコの字にソファーが置かれている。ここでみんなが座って、みんなでモニターを見ているのだろうということは容易に窺い知れた。
 その「みんな」というのははやての部下であり、それ以上に家族であるヴォルケンリッターたちであるということもティアナは知っていた。
 そのはやての騎士たちの中で、はやてと一緒に休暇を取れているのもヴィータだけであるということも、である。
「おう、久しぶりだな」
 ソファーに座って膝の上で本を広げていたヴィータが、顔を上げてティアナを迎えた。
「お久しぶりですヴィータさん――ザフィーラさんも」
「うむ」
 ザフィーラも顔をあげて、軽く頷く。
 ヴィータの足元、テーブルの下に半ば身体を置いて寝そべっている守護獣のザフィーラは、管理局に所属している訳ではないので休暇などには関係ない。機動六課の時代はほとんど人間形態をしてなかったこともあって、ペット感覚でザフィーラと呼びすてたりしていたが、今はとても無理だ。後でヴィータやシグナムと同格の存在であると知ったが、その時はかなり冷や汗をかいたものである。
「ティアナは久しぶりですー」
「あ、リイン曹長も」
 台所から飛んできた小人は、はやてのデバイスであるリインフォースⅡである。一応は管理局で階級を持っているのだが、デバイスなので休暇は申請しなくともはやてと同じになる。
 彼女はぷくっと小さな頬を膨らませ。
「もう部下じゃないんですよ」
「あ、はい。リイン……ちゃん?」
「はい、よくできました♪」
 ティアナは褒められて顔を真っ赤にしてしまった。
 ヴィータはその様子を何処かまぶしそうに眺めていた。 
「活躍は聞いているぜ。いろいろと大変だったみたいだけどよ」
「恐れ入ります」
 ティアナは頭を下げてヴィータの真正面の席に座る。モニターから見て左翼と右翼にあたる位置関係だ。
「まあまあ、詰まる話もあるやろうけど、とりあえずコーヒーでもどうやね。――ティアナはミルクいらんかったよね?」
「あ、はい」
「あー、はやてー」
「わかっとるよ。ヴィータのは最初からコーヒー牛乳にしてあるから」
「あんがと♪」
 はやてが作るとなんでもギガうまだからなーとヴィータは外見相応に喜色を浮かべた。
「ザフィーラの分もあるよ。席につき」
「恐れ入ります、主」
 声の位置が高くなっているのに気づいてティアナがそちらを向くと、いつの間にか人間の形態になっていたザフィーラが立っていた。
 本当に久しぶりにザフィーラの人間形態を見たティアナは、ぎょっとしてのけぞる。
 ヴィータが悪戯っぽく笑みを浮かべる。
 どうやらさっきの表情の動きを見られたらしい。
 それでもからかうでもなく、ヴィータはトレイに上に載せられたお茶請けに手を伸ばす。皿の上に盛られたのは手作りと思しきクッキーだ。
 そういえば八神部隊長……じゃなくて、はやてさんが作る料理はなんでも旨いのだと今ではない何時に聞いたことがあったのを思い出す。誰から聞いたのか、思い出せないけれど、多分ヴィータさんなんだろうなと思った。なるほど、確かに焼き色も食欲をそそる、美味しそうなクッキーだ。
(遠慮しない方が礼儀よね)
 いただきます、と手を伸ばしてクッキーを指先でつまむ。遅れて伸びた褐色の腕はザフィーラのものだった。守護獣はコの字のソファーの真ん中に座ったはやての隣の、ティアナとの間の位置に腰を下ろしていた。
 例えかつての仲間だろうと、油断はしない――ということだろうかとティアナは思ったが、それは多分穿ちすぎだろうとも考え直す。
 少し状況が状況なせいか、神経質になっている。
「美味しい?」
 ティアナが口に入れたのを見て、はやてが微笑みながら聞いてくる。
「あ、はい」
 やっぱり誰かのいったとおり、はやてさんが作ると美味しい――と思った瞬間、
「それ、ヴィータとリインが作ったんよ」
「え!? あ、その、あー、はい! 美味しいです」
 そう言ってからテーブルの上を飛んでいるリインと、その向こう側に座るヴィータがニヨニヨしていた。
(あー、なんか調子狂うなあ……)
 なんというか、この人たちには一生頭が上がらないのではないかという気がする。そしてそれは多分、正しい。
 ぽりぽりとクッキーを齧りながら、彼女ははやてたちの言葉を聴いている。
「最近はみんなで料理を覚えてみようといろいろと試している」
「一番上達が激しいのがザフィーラなんやけどなー」
 というような話から……。
「長期休暇とって出身世界にみんなで戻る予定なんだけど、話題についていくためにいろいろとみないといけないから大変」
「最近は向こうとネットが繋がるので、リインは休みの間ずーっとそればかり見てる」
「ネット小説って面白いんですよー。ただで見れますし」
 とか。
 いちいち相槌を打っていたティアナだが、やがて皿のクッキーも半分以下になった時。
「あの」
 と口を挟んだ。
「――うん」
 はやては静かに頷いた。
「そろそろ、本題と行こうか」
「はい」
「ティアナはなんの用事できたんかな」
 仕事がらみのことやろうけど……とはやては呟き、ティーポットから残りをカップに注ぐ。彼女とザフィーラの分は紅茶だった。
「実は……ちょっと現在調査中の事件で、今までに知らない言葉が出てきまして」
 ティアナが言うと、はやて以外の全員が眉をひそめた。
 知らない言葉があった――そして、知ってそうな者のところにくる。
 それは道理だ。
 しかし、ここにくるのは間違っている。
「古代ベルカの関係?」
「かもしれません」
 少なくとも、ミッド式の関係では調べた限りではありませんでしたと彼女はいう。
「それなら――」

「概念武装、という言葉なんですけど」

 失礼を承知で、言葉を遮る。何を言われるのかは予測がついていたからだ。それについての説明は今すぐには……というかなるべく後に回したい。
 ティアナの気持ちを知ってか知らずしてか、守護騎士の二人はさらに困惑したような顔を見せ、はやても「うーん」と唸ってザフィーラと、それからヴィータとリインの顔を順に目を向ける。
「聞いたことある?」
「ある」
 まさか、ここでそう返るとは、あるいはティアナもはやて自身も思っていなかったのか、そう口にしたヴィータをザフィーラ以外の者は驚いた眼差しで見つめた。
「古い言葉だな。今時は、使わない」
「あたしはきいたことないな。古代ベルカ式の用語はたいがい勉強したつもりやけど」
「ベルカっていうかさ」
 ヴィータは残りのクッキーに手を伸ばす。
「まだ古代ベルカ式が確立する以前の魔法の用語なんだ」
「とても古い時代の言葉です。ヴィータの言うように、ベルカの先人たちがいまだ魔法の深奥を会得していなかった頃から伝わる時代の」
 ザフィーラもいい添え、金属製のスプーンを手に取る。
「――どう説明したらいいものか」
「解りやすくいうとさ、はやて。わたしらの魔法はデバイスを通じて世界に働きかけて通常の物理法則ではありえない現象を起こしているんだ。それはミッド式でも変わりないだろ」
「そうやな」
 今更言われなくても解ることである。
 魔法学校で習う初歩の初歩だ。
 ティアナもはやても顔わ見合わせて頷き合い、ヴィータか、あるいはザフィーラの次の言葉を待つ。
「しかし、ずっと昔の魔法は違っていました」
 言葉を継いだのはザフィーラだった。
「私たちの魔法は通常ではありえぬ現象を起こす……つまりは世界を構成している理を歪めることによって成立しているものです。しかし、古代ベルカ式が確立する以前の先人の魔導師たちは、世界の理を歪めるのではなく――、世界に隠されていた理を操作することによって、魔法を使っていたのです」
「……? ちょっと意味が解らんな」
「そのままの意味です」
「裏技みたいなもんだよ」
 ヴィータはクッキーを手づかみに五つほど丸ごと口に放り込む。
「世界に仕込んである隠しギミックっていうかさ、ほら、ゲームの裏技に何種類かあるじゃないか、元から開発者が仕込んであったりバグだったりするようなの。世界そのものをひとつのパソコンみたいなもんだと思えば話は早いかな。ベルカ式もミッド式も、外部からアクセスして仕様を変更させてる感じで。そのもっと昔の魔法ってのは、プログラムに元から仕込んであるのを引き出す感じなんだよ」
「あ――なるほど」
 ティアナは何か納得したようだが、はやてはさらに怪訝な顔をした。
「世界の理、なあ……」
「主、今の説明では不服ですか?」
「いや、続けて」
「では、今度は私が――その古い魔法は、仮に古魔法と呼びますが、その中の用語として概念効果というものがありました。概念武装とは、その概念効果の作用した武器のことをさします。世界による修正を受けて、本来以上の効果を持つ武器となったもののことです」
「世界が、修正?」
 一度は納得したはずのティアナが聞き返す。
 ヴィータが頷く。
「修正するんだよ。世界の方が。ただ、世界自体が人間の意志で修正されているというか――観測効果って知ってるか? 量子力学不確定性原理。地球のSFなんかじゃよく出てた」
「観測することで世界に干渉する系の超能力とかか。それこそわたしらの魔法やないん?」
 はやてが口を挟んだ。
 量子レベルでは人間が観測することによって物体に干渉を与える。
 そのことから逆説的に観測することによって世界は変容するという発想がある。よくSFなどに用いられるが、人間の視線や意思では世界を構成する物理現象を左右するほどのエネルギーを用意できない。明らかな矛盾理論なのである。
 その矛盾を解決するのが、魔力であり、魔法プログラムであった。
 魔法というのはリンカーコアに魔力素を取り込み、あらかじめ仕込まれたプログラムに従って世界を変容させるもの――というのが定義なのだ。
 ヴィータは頭をかき。
「ああ、最初からそっちの用語で説明した方が話が早かったかもな。ベルカ式もミッド式も観測効果で一時的に世界を変えることで物理現象ではありえないことを起こしてる。儀式魔法なんかはちょっと違うけど、基本おんなじもんだ。……そうだな。儀式魔法か。古魔法というのは儀式魔法の古い形態と思った方がわかりいいんですかね」
 世界のシステムという根源的なところにアクセスして行う――という意味において、儀式魔法は古魔法の生き残りといえた。
「私も最初の説明でそれを思いました」
 ティアナがそういう。
「今は概念武装のことを話そう」
「ああ」
 ザフィーラの言葉をヴィータは肯定する。
「概念武装とは、世界によって修正されて、本来もたないはずの効果を持つ武器、――といいましたが、その世界の修正はその世界の住人の意思の結露なのです。信仰心、思い込み、といってもいいですが」
「例えば、どっかの祠に奉られてる剣があるとして、それは大昔の伝説だと竜を倒した英雄が持っていたということになってて……それが事実かどうかってのはあんま関係ないんだ。みんながそれはそういうもんだ、と思い込んで、長い年月がたっていたら」
「その剣は竜の類に対して本来以上の効果を持つ、ということになります」
「そんなこと、ありえるん?」
 はやてのその言葉は、リインとティアナも含めて三人を代表した質問だろう。
 竜というのは彼女らにしてみたら身近な存在というには憚りがあるが、決して知らないモノではない。怪物の象徴であるとする竜ではなく、力持つ生物としての竜は、かつて六課に所属していた召喚師の少女と共にみなの記憶にある。
 竜を打倒する力を観測効果が持つとして、しかしそれは魔力によって歪められた現象においての話だ。
 皆が「これは竜を倒せる」という思い込みで竜退治のアイテムになるなどということは、どうにも納得できることではない。
 ヴィータは「誤解させるいい方しちまったかな」とぼやく。
「竜は例えっていうか……いや、やっぱり竜の方が解りやすいかな」
「そうだな――竜のような物理現象を超えた存在は、それ自体が魔力によって仮想の本体を維持している魔法の存在なのです。――何処かで聞いた言葉ですが、そのような世界の物理法則に反した生き物は、とある世界では幻想種といわれていました。幻想に対抗するには幻想を、というべきなのでしょうか。そのような存在に対しては、概念武装は効果が高いのです」
「魔道物理学の基礎だろ? 世界の修正力の方が、世界を歪ませる力よりつえーってのは。魔法が基本的に永続しないのはそのせいなんだってさ。その世界の修正力を、さらにその世界のみんなの意思が干渉して左右しているのを概念効果っていうのさ。まあ、あたしらにもそこらよくわかんなにいんだけど」
「私たちも本当に、大昔に聞いただけだけですから。古魔法も、概念武装も、夜天の書ができた頃には使われなくなっている言葉でした」
 効率が悪いから――と二人の騎士の言葉は重なった。
 考えてみたら当たり前である。
 武器に力を付与するのなら、みんなで祈ったり思い込んだりとせずに魔力をつぎ込めばすむだけの話だ。
「それに、細かい理屈は覚えていませんが……概念効果とは理屈の上では幻想の効果は年月を経過するごとに増して行きます。すでに信仰する者がいなくとも。最初に意味づけられた物があって、それから形態を保ったままに年月を経れば概念の重みが増すのです。逆にいえばそれは年月を経過していない概念武装ではたいした効果は得られないということを意味します」
 戦いに使うのならどうしても即時性が求められる。
 自分らの知る限りでは、古代ベルカ式の魔法が確立されて以降、概念武装がそうと意識されて使用された例はない――とザフィーラは言った。
「我らとて本来は知る必要もない知識でしたが」
「……ずーっと昔の主でさ、転生機能を止める方法とか研究していた人がいて」
 ――転生を否定する概念効果があれば、あるいは。
 そんなことを言っていた。
 研究者としては優秀であった。
 人格も、歴代の主の中で言えばまともな方だったと思う。
 いや、もっといえば闇の書の所有者はみんなまともであったとも思う。
 力という魔性に取り付かれてしまっただけで……魔性こそが我らであり、闇の書であるのか。ザフィーラもヴィータもそこに思い至り、同時に瞼を伏せた。過去の主たちを彼らはそれほど嫌いではなかった。好きとか嫌いとかを考えるような思考回路さえも存在していなかったといえばそれまでだが、今から考えてみたなら、自分らが関わらなかったら彼らは力に溺れることもなく、静かに生きていけた者もいたのではあるまいか。もう、確認しようのない過去の話ではあるが。
 二人の説明を聞いていたはやてだが、「んー」と首を捻る。
「まあ、概念武装の理屈と、それは使われなくなった、というのは解った。けど、その古魔法? 世界の理そのものに働きかける魔法。ベルカ式より力が劣るって訳でもなさそうなのに、どうして現在つかわれてないん?」
「それは、手間がかかるからです」
 ごく簡単に、ザフィーラは言った。
「隠しモードだろうと世界の法則に沿った力だから、結構凄いことができるらしいんだけどさ。世界に設置された魔法システムにアクセスするのは面倒なんたよ。聞いた話しだと、そういう古魔法はなんていうか、お手軽に勉強して身につくものでもないんだってさ。なんかややっこしい手続きがいるんだって。あとなんか、使用者が増えるのはよくないって。システムに介入する人間が多すぎると、処理が重くなって威力がその分おちるんだってさ。よくわかんないけど、元主はそんなこと言ってたな。だから古魔法は使用者を限定するように隠して伝承されてきたって。まさしくオカルトだな。あれは〝隠されたもの〟ってのが語源だから」
「その手間を考えても、魔法プログラムを介して世界を変容させた場合と違い、古魔法で起こりえる現象はそれこそ御伽噺の魔法のようなものだとも聞き及びます。現状の儀式魔法として残っているものの多くは、規模はともあれ現象としては通常の物理法則を大幅には逸脱しませんが、古魔法ではそれこそあり得ぬ現象を可能にすると」
「例えば?」
「詳細はわかりかねます――ですが、因果律をも覆すことができたとも」
 原因があり、結果が生じる。
 それは物理というまでもなく常識の範囲である。
 だが、古魔法は世界そのものに働きかけることによって、それを覆すことが可能だったというのだ。
「それはまた……凄いな」
「ですがヴィータの言うとおり、使用はかなり限定されていました」
「……ふーん?」
 何かひっかかるな、という顔をしたはやてであるが、それ以上は何も言わなかった。
 ティアナが自分でも質問をしようとしたが、「わかりました!」とリインが叫ぶ。
「つまりミッド式とベルカ式がゼロの使○魔でいう系統魔法で、古魔法が先住魔法なんですね!」
 なんなんですかそれは、と突っ込みたいティアナであるが、「あー、なるほど」とはやてが力強く頷いているのを見て、なんか力が萎えた。
「そうするとわかりやすいなあ。リインはほんまにかしこいなあ」
「えっへん」
 胸に抱いて可愛がりするはやて。
 ヴィータはため息を吐き、ザフィーラは苦笑を浮かべた。
「……えーと、系統魔法とか先住魔法とかよくわかんない言葉なんですが……」
「地球の漫画にでてくる魔法だよ。確か。そういう設定の」
「漫画ではなくてライトノベルだ。ヴィータ」
「どっちでもかわんねーよ。……ああ、はやてとリインは今それにハマってんだよ」
 そう説明されて、ティアナは「なるほど」と相槌だけを打った。納得したとかはそんなことは全然なかったが、もうなんかつっこむ気力がわいてこなかったのだ。
 そして改めてはやてを見ると、リインに頬ずりしていた。
(機動六課の時代もフレンドリーな人ではあったけど、休暇中のプライベートだとさらになんというか、全然管理局員らしからぬ風な。馬鹿親というか親ばかというか……)
「○ロ魔のネット小説も結構おススメですよ」
 聞かれてもいないのに、リインは言う。
「特におススメは『夜○の使い魔』と『三○』やねー」
 はやてもそれに乗って、なんだかよくわかんないタイトルを口にする。
「聞いてねーよ……」
「面白いんよ。ほんまに。それでどんな話かというと……うん――まあ、もしも鏡みたいな召喚ゲートがいきなり目の前に現れたとしても、迂闊にてーつっこんだらあかへんよって話なんやけどな」
 なんなんだそれは、と重ねてティアナは思った。
 ヴィータは深いため息を再び吐き。
「心配しなくても、そんな迂闊なことをするような間抜け、そうそういる訳ないよ」
 と言った。
「ヴィータ!」
「え?……って、どうしてはやてが俯いてるんだよ? それでリインもなんで顔を逸らす!?」
 ザフィーラに叱責されるように名前を呼ばれたヴィータは、自分の主と妹分の雰囲気が変わっているのに気づき、狼狽した。
「ヴィータは……しばらく、シャマルの作ったご飯やね」
「えー!?」
「です」
「ちょっと! 一体いつなんの地雷踏んじゃったんだよぉ!?」
(全然収拾がつかない……)
 ティアナは額を押さえたが、その間にも守護騎士と主とデバイスとの間には深くて広い溝が刻まれつつ、なにやら訳のわからない言葉が飛び交っていた。正直、そこらのことは理解するつもりがなかったので聞き流していたのだが、ふとはやては口調を改めて。
「しかし、あの世界の魔法は系統魔法は個人の精神力が源だから、世界そのものを動かす先住魔法には分が悪いって――設定、やったな……古魔法とベルカ式との力関係はそんな大差はないみたいやけど。要は凄いことが出来たとしても、実用性で劣ったということなんやな」
 廃れるには廃れるなりの理由はあるんやねーとか一人で納得しているはやて。
 ティアナも「そうですね」と同意してから残りのクッキーに手を伸ばす。
「――それで」
 声が、さらに変わった。
 さっきまであった暖かみとか、そんなものが全て抜けきったようだった。
 手を伸ばした姿勢のままでティアナが固まった。
 はやてが自分に対して言ったのだとわかっていたからだ。
「なんで、うちに来るんかな、ティアナ・ランスター執務官は」
 ヴィータの目がティアナを見ていた。
 ザフィーラはいつの間にか狼の姿になって床に伏せ、ティアナを見上げていた。
 リインはヴィータの頭の上に身体を寝そべらせて、ティアナを見つめていた。
「なんで、といわれましても」
「解らんことがあるのなら、まず無限書庫にいくんが筋やね。管理局員なら当たり前にそうするよ。勿論、あそこは年中無休で忙しいから、事件に関係しないような些細なことで問い合わせたりしてたら司書長に怒られてしまうやろうな。やけど――」
「…………」
「仮にも執務官で、機動六課出身のティアナの依頼とあれば、優先して資料を探してくれる。これは間違いないね。司書長はセクト主義とは無縁やけど、六課は別。元の責任者のあたしがいうのもアレやけど、六課は司書長とも関わりが浅からぬところやった。司書長は、ユーノくんならば、なのはちゃんの愛弟子であるティアナのための労は惜しまないはずや」
「――それ、は」
「言っとくけど、調べた限りでは解らなかったって言ってたけど、無限書庫に概念武装の資料がなかったとか、そんなのはあり得ないんだぜ。常識で考えて、あそこになかったらもう次元世界のどこにもないんだ。だいたい、あるんだよ。古代ベルカの時代には一般的ではないけど、それでも研究者は知っていた言葉なんだ。あそこなら、あるさ。あたしらにそれを教えてくれた元主の著書も、あそこにはあったくらいだしな」
「……………」
「察するに、司書長には知られたくない調べものであったということであろうが――」
「なんでです?」
「――――――――」
 現存八神家の総戦力による問い詰めの一気がけであった。
 さすがは家族、息が合っている。
 ティアナはなんとなくそんな場違いなことを思った。実際は念話で打ち合わせていたのだろうけど。
(結局、全部話さないといけないことになるか――)
 最初に覚悟はしていたことではあった。
 覚悟はしていたはずのことであった。
 それでもなるべくは触れたくないことであり、もしかして……と希望を持っていたのも確かだった。
 座り直し、両拳を膝の上に置く。
「ここからは、本当に他言無用にお願いしたいんですが――」
「解った」
「ああ」
「承知」
「了解ですー」
 全員の返答があったのを確認すると、ティアナは語りだした。
 それはマリアージュ事件が終わってから二ヶ月ほどたった頃の話であった。


 つづく。



[6585] 遭遇。
Name: くおん◆1879e071 ID:b2456052
Date: 2009/03/02 15:36
 2/遭遇。




『大量失踪事件――のはずですよね?』

 まだマリアージュ事件の処理が途中だったのに、急遽第16管理世界のとある町で起こったという事件に呼び出されたティアナは、現地で改めて渡された資料を読んで首を捻る。
 最初に管理局で渡された資料にはざっと目を通していた。
 それによると、ある時期からその町では失踪者の届出が急増した――ということだった。
「第16管理世界で? あそこは何度か以前に行ったことがあるけど、何処にでもありそうな普通の世界やったよ?」
「地球でいうと名古屋とか仙台みたいな、地方都市としては大きいけど無茶苦茶な大都会でもないって感じだったかな」
「六課を立ち上げる前に事務的な用事で立ち寄っただけですな。歴史は古代ベルカ時代から続いてるのですが、もうほとんど遺物も残っておらず、ロストロギアの流通経路の一部に入っていた形跡があったというだけで、結局は何もみつかりませんでしたが」
「お土産のゼリーはなのはちゃんには好評でした」
 ティアナはそれぞれの言葉に頷き、話を続ける。
「失踪そのものは、何処の世界でも普通にあることなんですが……それにしても短期間でのその量があまりにも多くなっていて」
 現代において、人間がいきなり姿を消すということ自体はよくある話ではある。何万人もの人間が毎年姿を消している。だが、それは社会の中で認知されなくなったというだけの話であり、それもたいがいが地元の世界で浮浪者などをしている場合が多い。
「しかし、浮浪者が増えたという情報もないんです」
「……何人が失踪したん?」
「この半年で届出があっただけで三百人です」
「一ヶ月に五十人、か――第16世界の総人口はどんだけやった?」
「二百万人くらいです。主要都市は十ありますが、事件のあったモーゲンは二万人いない中規模の地方都市です」
 はやては唇をすぼめる
「微妙やな……確かに二万人の町で月五十人消えているっていうのは大事やといえばそうやけどな……他の街にいったとかではないんやね?」
「ありません。第16世界では環境課が住所不定の人間を月一で調査していますから――それに、各都市部の移動はレールウェイを使用する他はなくて、だけどそれに市民IDの使用された形跡がないんですよ」
「使えば一発で何処にいるのかは解るからなあ。公共サービスも受けずに就職もせずに生活していくとなったら、それこそ路上生活者になるか、あるいは非合法組織に所属して糧を得るか――」
 市民IDは次元世界で生活していく上では欠かせないものである。要するに市民としての登録証なのだが、公共サービスを受ける場合、あるいは就職などをする場合にはそのカードを通して申請しなければならない。
 日本では管理社会ではないかと左巻きな人たちに非難されそうなシステムであるが、実際に上手く社会を運営している側としては文句を言われる筋合いはない。というか97管理外世界的に見ても、この手の管理システムは左翼側から提出されるものであるが、それこそ関係のない話だ。
 個人の認識は各自が持っているリンカーコアから検出される魔力素の入力パターンなどで、これは変身魔法でも偽造は不可能される。基本的に犯罪などに関わるとIDカードは停止させられるのだ。カードには当然のことながら個人情報が満載だが、それを読み取るには持ち主の認証か管理局の一定以上の地位の魔導師の許可が必要となり、管理局からも犯罪に関わらない限りは手を出してはいけないこととなっている。
 そこらの細かいシステムなどを説明しだしたら、それこそ何十行書いても終わらない。
 はやてはうーんと唸り、「考えられる可能性としては」と言った。
「他の次元世界へいって、そこで浮浪者をしている」
「別世界への移動は、それこそ絶対に管理局に記録が残ります」
「意図したものではなくて、何らかの災害か、あるいは――」
「災害の可能性はほぼ皆無です。近い場所での次元震の記録は、最新のもので一年前にあります。結構大規模なものなので余波が残っているとも考えられますが、しかし失踪は半年前から断続的に起こり続けているものなので」
 もしも観測不可能な小規模な次元震が細かく何度も起こっていて、そのつど誰かを別の世界に移動させてるというのなら――
「それこそ、管理局でもお手上げです」
「そしてありえんな。次元震が一人だけを飲み込む程度の規模だとしても、管理局はそれを見逃すほど無能やない。何百人も飲み込むのなら何百回も起こっとるはずや。いくらなんでも、それを感知できへんわけはない」
「可能性としては、常に残り続けるから厄介なんですが」
 しかし、やはり現実的ではないといわざるを得なかった。
 失踪した場合、元の世界からいなくなるということは実は少数派だ。次元航行のルートは管理局が完全に押さえているし、個人で世界を移動できる魔導師というのはあまりいない。たまに次元漂流者として何処かの別世界にいくというケースもあるのだが、それこそ限りなくコンマの向こうに七つばかりゼロを並べたくらいの低確率だろう。失踪者は多くが元の世界で浮浪者をしているか、さもなくば誰にも発見されないところで死んでいるというのが相場だ。
 そうでないとしたら。
「犯罪に巻き込まれたか――」
「月に五十人づつが関わることとなる犯罪、となると」
 ふむ、とはやては瞼を閉じる。
「届出がある分だけで、というてたけど、それはつまり届出がない分がかなりあるかもしれへんということやね」
「恐らく。しかしそうなると、月にどれだけの人間が姿を消しているのか、見当もつきませんでした」
「まわりっくどいこと話してないで、続きをいえよ」
 ヴィータが口を挟んだ。
「のっけから止まってんじゃねーですよ。現地で渡された資料にはなんて書いてあったんだ?」
 ティアナもはやても顎を上下させた。
「その資料は、私が依頼されてからそこにいくまでに起きていた目撃情報についての報告書でした――」

『殺されてた?』

 ティアナはその目撃証言を読んで、首を捻る。
 正確には、失踪していた知人が殺されているのを目撃した――という人の報告だった。
 ティアナがこちらの世界にくるまでにおきた事件で、ほんの十五時間前にあったことだった。
 それは重大な事態の進行を意味している、のだが。
 現地管理局駐留の若い男の執務官補が、重々しくティアナの言葉に首を振る。
『死体は残っていません』
『完全に魔法で焼却されたってこと……でもないんだ』
『鑑識専門の魔導師が五人、その殺人があったという場所に報告があってから三十五分以内に駆けつけたんですが』
 殺人があったとされる時刻からでも一時間以内だ。
 それでも――そこで殺人があったという痕跡は発見できなかったのだという。
『ただし、そこで争っていたかのような形跡はありました』
『……靴のサイズから推測して女性ではないかと思われる、と。体重のかけ方から考えて、何かの接近戦のスキルを所有していたらしい、か。誰かが戦っていたのは確かだとして』
『しかし、死体は痕跡すらありませんでした。衣服だけが残っていましたが』
『目撃した人には話を聞ける?』
『入院中です。話わ聞くことは可能ですが、あまりおススメできません。彼女が言っていることが正しいのなら、彼女は失踪していた自分の婚約者が、とおりがかりの女性に襲いかかり、反撃を受けて切り殺され、灰になっていったのを見ていたことになるのですから』
『錯乱していたと?』
 いっそ錯乱して支離滅裂なことを証言した、というのなら問題はない――わけではないが、事実関係はよりシンプルになるのだが。
 少なくとも、行方不明者が切り殺されて灰になったというのはどうにも納得しがたい事態だった。
『灰になったということですが、その灰すらも見つかりません。ただ、衣服は表面の様子から失踪時以来手入れしていなかったというのは確実だそうですが』
『灰に、なる――切り殺したという女性が何かの魔法を使ったのか……』
 ティアナは額を押さえる。
 どんな魔法を使ったのだろうか。
 殺傷設定にして魔力で熱を操作すれば、烈火の将といわれているシグナムならばそのくらいはやってのけそうな気はする。彼女ならあるいは――だが、この報告書を読んだ限りでは魔力光は見えなかったとある。夜中で。何かの魔法を使用したのならば魔力光は確認できるはずだ。それに、灰も残っていないと執務官補も言っていた。燃やせばその痕跡は残るのだ。
(そうなると考えられるのは未知のロストロギアを使用したか、あるいはISか……戦闘機人がまだ何処かで作られているという可能性はあるのかな……いや、もしかしてマリアージュと同様のケースであることも――いやいやいや、そもそもこの場合に問題なのは、灰にどうやってしたとかなったということよりも――)


「失踪者の全てがそうなっているのか、それが解らんということやね」
「はい」
 ティアナは肯く。
「そうなっている」というのは、つまり夜の裏路地で女性に対して襲い掛かるようになっているのか、ということだ。
「念のために目撃者にも確認しました。話はちゃんと聞けました。先に手を出した方が自分の婚約者だと」
「慣れない生活で精神が追い詰められていたというのなら、まだいいんやけどね――」
 解らないのは、果たしてこの失踪者は集団失踪に関係があるのかということである。本当にたまたま、なんの犯罪にも関係なく自分の都合で失踪した可能性だってあるのではないか。迂闊な予断は許されない。 
 ただ、その女性というのが事件にどう関わっているのかについては不明だが、尋常な存在ではないというのは確かだった。
「どうしても、その人の容姿が思い出せないそうなんです」
 ティアナは言った。
「その人が女性なのかどうかも確信はもてなくて、ただ女性だったような気がするとしか。髪の色もどれくらいの年齢だったのかも」
「嘘ついてんじゃねーのか?」
 ヴィータは自分でも信じてない突っ込みを入れる。
「嘘にしても不自然にすぎます」
 ティアナはまず、その現場に直接出向いてそこを中心に調査範囲を広げていった。
 勿論のこと、手のすいた管理局員を動員してである。
 そして一週間目に、彼女はたまたま事件に関わりのありそうな重要人物を目撃することになるのだが――
「本当に本当に、絶対に他言無用です」
 改めて、念を押す。
 はやてもヴィータもザフィーラもリインも、そろって頷いた。

 
 ◆ ◆ ◆

 
 ティアナは焦りを感じていた。
 調査は進めているが、事態の全容は相変わらず解らないままだった。目撃証言はあれから増えていて、行方不明だったと思しき人間を見た、というような報告も何度か受けている。しかしそれらは断片的なものだった。全体を構成する絵の象(かたち)は未だ見えてこない。
 しかしそれでもある程度の事実はつかめてきた。
(どうやら、今回の大量失踪は、一つの事件みたいね……)
 目撃証言は共通してその失踪者の様相が変わっていることを伝えている。
『なんか生気がないというか、意思の感じられない顔でした』
 人間の他人の顔に対する記憶というのは、かなりいい加減なものである。
 よく見知った家族ですら、その顔のパーツの細かい部分は覚えていない。無縁仏の死体などを特徴などから失踪届けを出していた家族を呼んで照合し、「間違いありません」として引き取って荼毘に伏した後、実は家族ではなかったということが判明する――などということはよくあることなのだという。しばらく見ていないと家族ですらそのようなものである。もっというのなら、人間はその人物の姿を「印象」で記憶しているのだ。だからその人物が記憶にない通常ではない様子だと、遠目では果たして当人なのかも判別が難しくなる。
 意思が感じられない、感情の抜けた、例えば死体のようなモノの顔は、記憶の中の印象を元には照合しづらいのだ。
 今回の失踪事件もそのようなものだとティアナは感じた。
(何かの事情があって、朦朧としている状態にされているんだわ)
 そしておそらく、街中をふらふらと出歩いてるのだろう。
 しかし、普段では見せない顔をしているために、ちょっとした知り合い程度では遠目に見ても失踪した当人かの確信が持てないのだ。
 勿論、目撃証言の全てが夜であることを鑑みれば、そのような知人と出くわすということもほとんどないのだろうけど。
(夜になったら歩き出す、か……わかんないわね。これは一体、どんな事件が起きているのかしら)
 何か人為的な原因がある「犯罪」ではないのかもしれない。
 ティアナはそのような考えも持っている。
 もしかしたら罹患した人間の思考力を奪わせて徘徊させるような、そんなウイルスにこの町が密かに犯されているなんてことも――
 全容を把握するには明らかにピースが足りなかった。
 ティアナはあらゆる事情を考えながらも、いまだ解決の糸口を掴めないことにひどく焦燥を感じていたのだ。
 その日の夜は補佐官と別れて一人で出たのも、その焦りがさせたのだろう。本来は大規模な事件の場合は、優秀な執務官であってもツーマンセルでの行動が奨励されている。単独で事件を解決できるようなケースの方が少ないのだ。ティアナもそうしていた。しかしその日は補佐官はどうしても外せぬ用事があり、ティアナは「早めに切り上げる」ということで一人で出ることにした。そろそろ捜査の方法を切り替えようかとも思っていたところでもあった。
『そろそろ日付が変わるか……帰ろう』
 時間を確かめて、定時連絡をしてから管理局に一度寄ろうと思ったその時。

 ―――――!

 大気を振るわせる衝撃をティアナは感じ取った。
(魔力が使われた)
 それもかなり攻撃的な力だ。
 数々の修羅場をくぐりぬけただけあった。ティアナの足は思考が結論を導く前に動いていた。
 その魔力が生じたと思しき方向に駆けながらクロスミラージュにビーコンを発動させることを指示する。たいていのことなら一人でもどうにかなる。しかし万が一は常にありえた。自分の位置を管理局の人間に知らせなくてはいけない。秘匿の周波数を夜に流れていく。
 そして走り出して五分で。
 廃棄された工場にまできていた。
 ここは当初から失踪した人間が大量に隠れる場所があるということで、じっくりと念入りに調べられたはずである。
 と。
 工場の中から人間にはありえない速度で走り出ていく者がいた。
「ま」
 て、と言葉を出す暇もなく、そいつはティアナの目の前を一陣の赤い風のように走り去った。
 そう。
 赤い色だった。
 あれは多分、コートか何かの外套の色だ。
 ティアナはそう思った。
 そして、黒い髪――をしていた、と思った。
(――あれ!?)
 たった数秒前なのに、記憶が混乱している。
 目の前をものすごい速度で走られて記憶できなかった、というのは勿論そういう部分もあるだろうが、しかしなんだかこの違和感は違うと思った。
『クロスミラージュ! 今の人は多分女で、赤い服で、きっと、黒い髪だった――記憶して!』
【了解いたしました】
 彼女のデバイスは主人の言葉の意図を正しく把握したのか、あるいはただ言われているとおりにしたのか、とにかくその言葉をメモリーした。
『再生して!』
【 今の人は多分女で、赤い服で、きっと、黒い髪だった 】
『ありがとう。よくやったわ』
 言いながら、彼女は顔をしかめる。 
 自分が口にしたはずの言葉に確信がもてない。
 その時に自分が感じた印象をしっかりと口にしたはずなのだが、なんかそれが正しくないような気がするのだ。なんとなく。
(……おかしい。明らかにおかしい。変な魔法を使っているのかもしれない)
 困惑しつつも追おうとして、果たして今の女?がどっちにいったのかも解らなくなっていた。
 クロスミラージュは主の変調に気づいていた。
 ティアナが声を出す前に管理局に連絡をいれ、ここから周囲に非常線を張るように要請していた。執務官の使用するインテリジェントデバイスとしてはかなり高得点を稼げそうな行動であった。
 彼女は自分のデバイスが自分より役に立ってるのか、ということに少しだけ苦笑したが、落ち込む暇なんかないと思い直し、駆け出そうとして。


「―――トレース オン」


 声がした。
 廃工場の中からの声だ。
 そして生じる魔力の波動と。


「―――ロールアウト バレット クリア」
 
 
 積み重なる声。
 呪文だ。


「―――フリーズアウト ソードバレルフルオープン」
 
  
 何かが突き刺さる音。
 ティアナは反射的に振り返り、障害物に身を隠すようにしながら廃工場の中を覗き込める場所にまで移動していた。スニーキングミッションはお手の物だ。
(誰かいるの?)
 とっくにガラスが壊れてしまった窓枠の下に頭をおき、手鏡を出す。
 迂闊に顔を出すわけにはいかなかった。
 そして彼女の鏡の中には、二つのフードつきの黒いマントで姿を覆った二人の人物と、床に突き刺さる何十本もの剣が見えた。その剣はただ床に刺さっているのではない。誰かが着ていただろう服を突き刺し、縫い止めるように打ち込まれている。
 それがどういう意味を持つのか、ティアナは理性ではなく、本能の領域から悟った。
(ここにいた人を、まとめて――)
『凄いね』
 激昂しかけた精神にまったをかけたのは、マントの一人が出した声だ。女だった。女の声だった。
 聞き覚えがあるような声だった。
『凄くない』
 もう一人の声は男の声だ。
 何処か吐き者てるような言い方だった。
『救えなかった』
『仕方ない――なんて言葉は使いたくないけど、こうなってしまっては、もうどうしようもないもの。あまり自分を責めないで』
『そうだけど……どうしても考えてしまう。最初から管理局に協力を要請すれば――』
『きっと、ひどいことになる』
『すまん』
 二人はそれぞれ感情を抑えた声をしていた。
 男も女も。
 苦渋に満ちた、というような声だった。
 やがて男が何かを言うと、床に着きたたっていた剣が全て消失した。
(転送? ――いや、なんか違う)
 ティアナはその光景を見ていて、何か違和感を感じていた。
 なんというか、この男がしていることは異質なのだ。
 ミッド式とかベルカ式とかの違いではなく、どちらかといえばISのような特殊な能力に近い、しかし何か今までに見たこともない異質何かを見たような気がしたのだ。
 男はそのまま壁に向かって歩く。
 その視線の先にあるのは、壁に突き刺さっていた一本の剣――いや、あれはアームドデバイスだ。
 ベルカの騎士の使う、武器の形をしたデバイス。
『……どうやらあいつ、この剣を切り札にしたみたいだな』
 男はそれを手にとって、引き抜く。
 それはまさに剣で、ベルカの騎士であるシグナムが使用するレヴァンティンの、一番見慣れているシュベルトフォルムによく似ていた。
『ベルカ式を使えるようになったのかな?』
 女も歩み寄り、その剣を見る。
『いや、さっき解析したら、カートリッジロードのための重要な部品が壊れて使えなくなってる。仕様が特別で修理もできないんだろうな。ただの骨董品だ。しかし作られてから千年近く経過している上に、この刻まれた文字』
『古いベルカの文字だね。聖王教会でみたことがある。読めないけど、これは聖王教会で使う慣用句だったと思うよ。確か〈聖王の御世の永久たらんと願い、我等は剣にて闇を刻み〉……だったかな。ごめん。全部は覚えてないの』
『千年の月日を閲した、そしてこれはその頃の騎士が誓いの言葉を刻んだ剣だ。デバイスとしてはただの壊れたガラクタだけど、魂魄の重みが重なっていて、一級の概念武装になってる』
(概念武装?) 
 ティアナは聞いたことがない言葉に眉をひそめる。
 古代ベルカのことを口にしていたが、ベルカ関係の用語なのだろうか。
『あいつの魔術は攻撃には向いてないからな。どうやら切り札として概念武装をこちらで入手するって手を考え付いたみたいだな』
『よくは解らないけど、こちらのそれでも効くの?』
『効くん――だろうな。現に効かせてる。取り巻きのシシャになんか目もくれず、目標だけ始末したらとっとと逃げた。こちらの概念があいつらに効くかどうかは未知数だったろうに、ものは試しとばかりにやってのけた。……たいした奴だよ。本当に。やっと追いつけたと思ったのに、また振り出しだ』
『本当に、聞いてた以上に大した人みたいだね……でも、まだ二人いるんでしょ? それとももう仕留めたのかな? この剣はもういらなくなったからおいてったのかな?』
 女の言葉に、男は『いや』と何処かため息混じりに。
『〝うっかり〟と力をかけすぎて、壁にささって抜けなくなったんだろう』
『…………』
(…………)
 思わずティアナも呆れてしまったが、女は『そうだ』と手を合わせた。
『つまり、その骨董の武器が必要になるんだよね!』
『ああ……――そうか。一つなくしたら、また入手しなくちゃいけない。あるいは予備をすでに手に入れているにしても、それならそれで』
『何本もの古い武器を購入している、あるいはいた、というのは、やっと見つかった手がかりだよ。幸い、私はそういうルートに詳しい人を知ってるから、頼んでみる』
 何処か嬉しそうにいう女の声に、しかし男は立ち尽くして。
『……いいのか?』
『世界はこんなはずじゃなかったことばかり――そう、昔いってた人がいたんだ』
(―――――) 
 ティアナの身体が震えた。
 その言葉を口にした女の声は。
 聞き覚えがあるなんてものじゃない――

 
 ◆ ◆ ◆

 
「ちょお待ちい」
 はやては口を挟む。
「その女ってのは、つまり、まさか……ティアナは」
「――なるほど。それで無限書庫に持ち掛けなかった訳だ。部外秘は家族にももらさないのが建前だが、ヴィヴィオやユーノから万が一にももれることを警戒していたのだな」
 ザフィーラの言葉にティアナは肯く。
「ありえねーだろ!」
 ヴィータが不機嫌に吼える。
「え? みんな何を言って、ええ!?」

 
 ◆ ◆ ◆

 
『もう、最善は失われてしまったんだ。犠牲はでてしまったんだよ。〈こんなはずじゃなかった〉――だからって、何もしない訳にはいかない。そうなったのなら、もう、次善の手に出るしかないよ。最悪は管理局に全ての事情が知られること、だったら、最悪にしないために、そうならないための犠牲を私たちは払うべきなんだ』
『――――』
 女が勢い欲前に出ると、フードが外れて長い髪が外に出た。
 夜の闇の中でその色はよく解らない。
 だが、ティアナには見覚えがあった。
 よく知る髪だった。
 よく知る顔だった。
 人は人の顔を印象で覚える。
 だから、ティアナは間違えなかった。その顔は昔見たものに似ていて、より強い覚悟が秘められているものだったのだから。
 あの懐かしくも激しい日々の延長にあり、より眩しさを増したその人の笑顔を、ティアナが忘れることなどは地獄に落ちてもありえないだろう。

『エミヤくん、いくよ』

 管理局のエースオブエース。
 高町なのはが、そこにいた。



 つづく



[6585] 疑念。
Name: くおん◆1879e071 ID:b2456052
Date: 2009/03/02 15:37
 3/疑念。




「なのはちゃんが」

 それは確認だったのか否定だったのか、はやては言葉をそこで切った。
 守護騎士たちは主の心情を慮ってその表情を伺うが、案に相違して夜天の王である八神はやての顔にあるのは、困惑でも怒りでもなかった。
 ――きょとん
 なんて擬音の似合いそうな、何処かあっけに取られたような表情だ。
「……はやてちゃん」
「ん――いや、リイン、心配ないよ。あとティアナ、話続けて」
 心配そうに囁くリインを止め、ティアナに報告の続きを促す。
「え、あ、はい」
 ティアナは改めて居住まいを正し、言葉を続けた。
 内心で自分ほどにこの人たちは衝撃を受けてないのだろうかと訝しんだが、それも無理もないと思い直した。到底、信じられることではないのだ。あの人が、あの管理局の空戦を得意とする魔導師の頂点に位置するエース・オブ・エースが、よもや犯罪者と共に行動しているなどとは――
(自分の目で見たって信じられない)
 今だって、信じたくはない。
 しかし。


 ◆ ◆ ◆


『――――ッ!』

 驚愕のあまりに悲鳴を漏らすなどというミスを彼女はしなかった。
 だが、それだけだ。
 声は洩れずとも息が出た。あるいは、その気配はこの夜には似つかわしくなかったのかもしれない。
 ティアナの手の鏡の中で、二人は確かにこちらを見た。
(バレた)
 即座に鏡を懐にいれてその場を跳躍して離脱。足音を消すなどということは考えない。着地点を探すなどという思考ははなっからない。見つかったのだ。見つかってしまったのだ。本物であるのかどうかなどは問題ではない。あの姿をした者に見つかってしまったのだ。脳内でひたすら悲鳴をあげる声と並行にマルチタスクで戦術ロジックを組む。あれが本物だとして、本物の高町なのはだとして、手持ちの自分の戦力で打倒するにはどうすればいいのか。無理。無理無理無理無理無理無理無理無理無理。
『――だからって!』
 予想される砲撃魔法の射線から体を外してクロスミラージュを構える。
 シュートバレット バレットF。
(逃げ切るだけの距離を稼がないと)
 フェイクシルエットも展開させて――
 

『――――I am the bone of my sword』


 ティアナに聞こえたその呪文は、彼女の思考を凍らせる力を持っていた。
 理性より遥かに根源的な部分が叫ぶ。
 とにかく逃げろ。
 足は何よりも早く反応していた。
 魔法キャンセル。
 足を動かせ。
 クロスミラージュはマスターの状況を管理局に報告している。
 足を、もっと早く。
 もっと早く。
 もっと早く。
 もっと早く。
 呪文が聞こえてから三秒でおよそ50メートルの距離を駆け抜けた。
 発動が遅い、とようやく回復した論理思考が再開された瞬間、工場の窓から一筋の閃光が射出された。
(アクセルシューターか何か?)
 振り向いたティアナの視界の端で、それはかろうじて判別できた。
(あれは)
 
 剣。

 と認知した瞬間、閃光はさらに炸裂し、夜を白く染めた。轟風が地上を撫で上げ、執務官の身体を吹き飛ばす。非殺傷設定も何もあったものではない。魔力の塊をただ爆発させただけの単純極まりない、――しかし強力な攻撃だ。
 いや。
 地面を転がりながらティアナは悟っていた。
 両手両足を伸ばして態勢を整えなおした彼女は、逃げるのではなくてさきほどまで自分がいた場所にまで走り、そのまま躊躇なく窓へと飛び込んで二人がいたところまでたどり着く。
 誰もいなかった。
『逃げられた……』
 

 ◆ ◆ ◆


「――まあ、そこらは仕方ねーな」
 話し終えたティアナに対し、ヴィータはむしろ優しく言った。
「得体の知れない相手と接触した場合は、とりあえずはまずは一旦引くというのがセオリーだし、まして相手の一人があのなのはだったりしたらな……執務官としては足止めして援軍の到着まで粘るべきだったんだろうが、この戦力比じゃどうしようもない」
「はい」
 そう相槌を打ちながらも、ティアナは内心で忸怩たる思いを抱えていた。すみません、ヴィータさん。庇っていただいて。だけど、違うんです。私は怖かっただけなんです。戦術も戦技も何もなかったんです。口にはしなかったが、それはあるいは顔にでていたのかも知れなかった。
 ヴィータは何か難しそうに頭をかいて、はやてへと目配せした。
 はやては頷き。
「証拠隠滅はされてたんやね」
「はい――転移魔法を使ったものと思われます。遺留品はほとんどありませんでした。今も鑑識は続けているようですが……とりあえず、残されていた衣服は、判別がついているものは全て行方不明の届けがある者か、届出はなくともやはり職場などから突然に姿を消した人間のものでした」
「そして死体も残っとらんか。やりきれんな……しかし、剣、か」
 なんでわざわざ剣を使うんやろう、とはやては呟く。
 剣という武器は古くから地球でも使われていた。実際に物理的に武器として考えた場合、エネルギー効率として剣は例えば長柄の槍などに比して劣る。中国において冷兵器の王とされたのは槍であるし、その効果の及ぶ距離においては弓矢には及ばない。日本では古くは剣士ではなく、弓取りが武士の呼称であった。近代ベルカ式は槍術が基本として管理局では指導されるが、実戦を考えるのならば長柄が有利だというのは魔法戦闘においても同様である証左だろう。
 それでもなお、洋の東西を問わず剣の技は研鑽されて受け継がれ続けた。はやてに仕える古代ベルカ式の使い手である烈火の将シグナムも、剣の形状のアームドデバイスを使用しているし、ミッド式でありながらも近接の戦いを得手とするフェイト・T・ハラオウンもデバイスを大剣のように展開させる。
 改めて何故なのかを突き詰めて考えると、奇妙な話ではあった。
 当人たちに詰問しても、明確な答えはでないのではないかとはやては思っている。
 人類学や歴史的に考えて、平和時において携帯性を持った武器である刀なり剣なりが戦士の象徴として残され、それがそのまま定着したものと考えられる。そしてそれは魔導師や騎士たちの戦闘にも反映して、剣を使う者が残されるのだろうか。
 つまり、剣とは、遍く世界における武勇と権力の象徴なのではないか。
 人々の意念が現実での物理的な有効性を超えて存在に影響を与える――これもあるいは『概念武装』なのかもしれなかった。
 そういうわけで、剣の状態のデバイスなりアイテムなどというのはそう珍しくはないわけではあるが――
「やけど、聞いた限りでも、なんやあたしらの知っている魔法とは異質やね。概念武装いう言葉を使っていたということも加えて考えると、その『エミヤくん』と言うのはザフィーラがいうところの古魔法の使い手かもしれんな」
 そんなんに心当たりはある? と二人の守護騎士は聞かれたが、同時に首を振る。
「生憎と先ほども申しましたが……」
「ごめん、はやて。話に聞いただけで、実際にそういうの使う相手と闘ったことはないんだ」
「そやったなあ」
 つまり手がかりとはならない、ということだった。
 基本的にベルカ式かミッド式が次元世界の魔法では大半だが、そこから派生したマイナーな魔法体系は意外と多い。そのあたりをいちいちチェックしたり探索するというのは不可能と言ってもよかった。簡単に全ての魔法を把握できるようなら、夜天の書など生み出されるはずもない。古魔法というのはそのような現行の魔法体系とは異なるようだが、なおさらに現在の管理局の体制では見つけ出すのは難しいように思われた。
「それでも、一歩進んだ気はします」
 とティアナは言った。
 概念武装という言葉が何を意味しているのかも解らなかったときに比べれば……ということらしい。
「いや、それは本末転倒、というか、さっきも言ったけど、無限書庫で調べればすぐ解ることなんだぞ」
「それは解っていますが……」
 言葉を濁すかつての自分の部下を、はやては目を細めて凝視する。
「ティアナは、そこにいたのが、本物のなのはちゃんだと思っているんやね?」
「いえ、それは――」
 変身魔法というのが次元世界にはある。
 文字通りに姿を変える魔法である。
 使用には制限があるが、もとより犯罪者であるのならば使うことを躊躇わないだろう。
 だから、犯人というかその容疑者が自分の知る人間の姿をしているからと言って、その人当人であるという可能性は考えなくてもいい。むしろ、有名人の姿を好んで借りるというタイプの犯罪魔導師というのもいないでもなかった。目撃者を混乱させるためにそのような姿をしているということも充分にありえる。そのティアナが目撃したなのも、そのような中の一人であると考えれば問題はない。
 だが。
「なのはちゃんの姿で犯罪というのは……いっそデメリットが大きいような気がするなあ……」
 はやての声は、ぼやくようであった。
 高町なのはは有名人であるし、管理局の捜査官を混乱させるために変身して……ということはありえそうに聞こえるが、現実的では実はない。なぜならば、もしも高町なのはの姿を使用して違法行為などをしようものなら、管理局を大いに刺激することだろうからだ。実際にやった犯罪の程度はおいといて、管理局が威信にかけて追い詰めてくるということは容易に想像できることであった。どこの世界でもヤクザだの警察だの国家の類は面子を重視する。時空管理局も例外ではない。いっそもっとひどいかもしれない。一つの国家でも世界でもなく、次元世界という遍く多元世界を管轄している司法組織なのである。舐められたら十倍にして殴り返してくるだろう。
 それでも、まったく可能性がないというわけでもないが。
 世界に不思議は満ちている。
 絶対につかまらない自信があるようなカンチガイやろうな犯罪者なら、あるいは。
 はやては溜め息を吐く。
「結局、そこにいたのが本物のなのはちゃんか、ということは解らんかったん?」
「あ、はい――あの、教導隊に連絡しましたが、なのはさんは二ヶ月前から長期休暇中だそうです」
 よりもよってか、とヴィータとリインは一様に顔をしかめた。
「なのはちゃんが二ヶ月も? えらい長いね。あと、休暇中いうても連絡はつくと思うんやけどな」
 ことによれば、管理局の方に出頭してもらえるだろう。
 ティアナは「それが……」と首を振る。
 果たしてこれ以上言うべきだろうか、と苦悩している風であった。
 しかしここまで言ったのだから、と意を決して。

「妊婦は今が一番大切な時期だからと、場所を教えていただけませんでした」

「ああ、なるほど」
 とはやては頷き。
「そうか」
 とヴィータは相槌を打って。
「うむ」
 とザフィーラは肯定し。
「ですねー」
 とリインも顎を上下させた。
 それからしばらく……十数秒ほどの奇妙な沈黙が世界を支配した。
 はやてはカップを手に取って、口元に寄せた。空っぽだった。
 ヴィータは指先を湿らせてお茶請けの皿に載せられていたクッキーの粒を集めていた。
 ザフィーラは犬、ではなくて狼の形態になり、キッチンの方へと去っていった。
 リインはそのザフィーラの後を追うように飛んでこうとして。
「――誰が?」
 はやてがカップを置き、言った。
「妊婦が、ということでしたら、高町なのは教導官が。三ヶ月だそうです」
 ティアナは口にしながら、なんて現実感のないことを口にしているのかと自分でも思っていた。
 はやては「なるほど」とまた頷き――
「て、なのはちゃんが妊娠ッッ!?」
「あ、相手は誰なんだよ!?」
「初耳ですぅッ!?」
 あぁ、やはりこの人たちも聞いていなかったのか、とティアナは改めて思い、自分の中の推測が形を整えつつあることに嫌気がさしてきた。
「全然、聞いてなかったんですか?」
「いや、ほんま全然きいてへん! ちゅーかシャマルはどうしたんや、なのはちゃんの主治医ちゃうんかいな!」
「守秘義務がありますから、言わなかったのでしょう」
 人間形態で戻ってきたザフィーラは、手にクッキーの入った皿を持っていた。
「しかし、高町も水臭い。我らにはともかくとして、主には一言二言あってもよかっだろうに――相手などは解らないか」
 そういいながらテーブルに置く。
「そうだよ! だから誰が相手なんだよ!」
 ヴィータはティアナの襟首を掴んでいた。
「です! なのはさんのお相手は誰なんですか!?」
 リインも詰め寄る。
「それは、秘密というか、教導隊の方でも聞いてないそうでして――」
 そもそもが高町なのはが妊娠、というのは管理局を震撼させないほどの大事件である。それが知らされた時の教導隊の恐慌ぶりはティアナにだって想像できることだった。
 ランクSクラス以上の魔導師は、当人の意思がどうであれ、もはや一個の兵器と呼んでも差し支えはない。かつてランクAAA以上の魔導師は管理局でも五パーセントほどしかいないといわれていたが、その中でもSクラスとなるとさらにその中の一握りである。勿論、ランクの高さは戦闘能力を直接意味していないが、所属が各部隊のエースの集まりである教導隊で、なおその中でのエースともなれば誰もがその力を認めるべき存在だ。ましてなのはは実際に若くして多くの実績を積んでいた。教導官としても、前線の局員としても。
 九歳にしてAAAランクで、一年にも満たない間に二つの重大な次元犯罪を解決し、なおその容貌は抜きんでいた。そして性格も温厚篤実であり――
 賛辞の言葉はどこまでも尽きない、そんな人物だ。
 彼女に憧れて管理局に就職を希望するものも多い。
 高町なのはという人物は、もはや一人の管理局員というにとどまらない。優秀な魔導師である以上に管理局のアイドルですらあるのだ。
 もしもだが、もしもその人が未婚のままに妊娠した、などということが明るみになればどうなるのか。
(とんでもないスキャンダルだわ)
 マリアージュ事件もあったばかりである。
 管理局はただでさえ、JS事件からこっち、様々な非難にされされていたのだ。そこにあんな事件があり、そしてエースオブエース、高町なのはの妊娠。
 イエロージャーナリズムは過熱報道するのが目に見えている。
 あるいは、有名人にはプライバシーなどないとばかりにレポーターが殺到するという事態も十分にありえた。
 管理局は彼女の妊娠を隠すだろう。
 ティアナはさらに考える。
(もしかしたら、大々的に婚約発表をした方が管理局のイメージアップに繋がるかもしれないけど)
 本質的に大衆というのは飽きやすい。そして表層的な事象に気を取られて流される。
 マリアージュ事件のことを吹き飛ばすために、管理局のアイドルが結婚ということで大々的に報道をするという手段をとることも考えられることではあった。
 どちらにしても、その効果をだすためにもしばらく事態は秘密にされるだろうが。
 しかし。
「私は執務官ということで、特別に――ということでしたが」
 休暇して、何処にいるのかまでは教えてくれなかったが。
 執務官は管理局でも特別な存在である。だから特別に教えた、といわれると説得力はあった。辻褄も合う。ちなみに休暇時に隊員が何処にいるのかということは秘匿されるのが通常である。特になのはのような重要な役目を持った隊員ならば。休養をとっているところに犯罪者が強襲を仕掛けてくるということは当然ありえることであった。妊娠がどうこうは関係ない。今回は妊娠ということで特に厳重に情報は封鎖されているようだったが。
 はやてはティアナの表情の動きを眺めながら。
「ふむ……ティアナは納得していないんやな」
「はい」
 はやてとティアナのそのやりとりに、周りの者も落ち着き直し、顔を見合わせる。

「つまり、なのはちゃんの妊娠はカモフラージュで」
「現在は特殊任務についているか、あるいは――」
 
 全員が沈黙した。
 その静寂がどれほど続いたのか、最初にそれを破ったのは、この家の主である八神はやてである。
 ザフィーラが新たに持ってきたお茶請けに手を伸ばし、クッキーを十枚ばかり鷲掴みにして、まず二枚口に放り込む。
 しゃりしゃりと咀嚼する音がリビングに響く。
 守護騎士とデバイスと執務官は、その様子をあっけに取られたように見ていた。 
 食べ終えると、次は三枚、また咀嚼――
 その次は四枚――で。
「なあ」 
 とティアナへとはやては向き直った。
「ユーノくんやヴィヴィオのラインから、自分が調べているということがなのはちゃんに知れるとまずい――そう思ったのは、解らんでもないわ」
「はい」
「あのなのはちゃんが犯罪に関わっているのか、それともただのそっくりさんか、変身魔法を使っている相手か解らんけど、用心に用心は越したことはない。まあ知り合いのことですらそこまで神経をとがらせられるってのは、執務官としては立派なことやと思うよ」
「はい」
「それでもな、改めて聞くよ」
 はやての声に、重みが生じた。
 それはかつての部隊長の時代のそれとも違う、とティアナは思った。
 何処かの王様のようだった。

「なんで、うちに来るんかな、ティアナ・ランスター執務官は」

 それはどういう意味なのか――
 八神はやては、底知れぬ微笑を浮かべていた。

「つまりな、そこまで気を使ってものを考えているティアナ・ランスター執務官殿が、わたしもなのはちゃんに協力している人間だったら、という可能性を考えずにきたのか」

「考えませんでした」
 
 ティアナの答えは、本当に間もおかずに返った。そこには寸毫の迷いも感じられない。
 さすがにはやても驚いたように目を見開き、守護騎士たちは訝るように目を細める。
「なんでですか?」
 とリインが聞いた。
「マイスターはやては、繋がりでいうのならば司書長にも聖王陛下にも劣らないもののはず、です」
「本物かどうかはわかりませんが、あのなのはさんは、言ってました。『最悪にならないための、そうならないための犠牲は払うべきだ』って」
 正直、なのはの言葉とは思えなかった。
 会話の内容を吟味すると、管理局にことの真相が露見すると『ひどいことになる』ということだが、それはどういうことなのだろうか。ティアナには想像もつかない。すでに確認できるだけで二十人もの死者?が出ている。何が起きているのかはよく解らないが、それでも組織の力で解決するのが最良の、合理的な判断のはずである。少なくともティアナならそうするし、管理局に幼くして所属していたなのはなら、管理局の力を借りるのも吝かではないはずだ。管理局に報告もなしに非合法な活動をしているという理由はまるで思いつかない。どう考えても、あの人はなのはだとは思えなかった。高町なのはだとしたら、そもそも『犠牲』を許容しない。
 それでも、考える。
 もしもあの人が、本物の高町なのはだとしたら。もしももしも、高町なのはという人が何かを成す為に犠牲にできるものが、あるのなら、もしももしももしも、あの人が本物の高町なのはだとして、非合法行為に巻き込んでもいいと思える犠牲があるのなら、あるとするのなら――
 
 そこには、八神はやてはいない。
 
 それが結論だった。
「意外な答えやね」
 はやては、むしろ面白いことを聞いたかのように、揶揄するかのように言う。
「なのはちゃんが、ユーノくんやヴィヴィオよりも、私のことを大切にしているってことかいな、それは」
「あの人がもっとも大切にしているのは、法と秩序です」
 どうしてか眼差しを逸らし、ティアナは断定する。
 目を向けなかったのは、そこに混じった感情を読み取られたくなかったかもしれない。
「もしかしたら、土壇場では感情を優先するかもしれませんけど、だけど判断力が伴っている状態であるとするのなら、万が一にも非合法な活動をする場合、はやてさんを巻き込むことはありえません」
 何故ならば――
「ユーノ司書長の代わりも、聖王でないヴィヴィオの代わりも、います。恐らく、多分、フェイトさんの代わりの執務官も。次世代の人たちを待てばすむだけの話です。いなくなったとしても、管理局の未来においてどうしても必要な人材というわけではありません。なのはさんは一人でできないとしたら、ぎりぎりまで頑張ってもできないとしたら、そのために力を借りる人たちがいるとしたら、犠牲にしても問題ないと考える人たちがいるとしたら、そのあたりまでです」
「―――――」
「はやてさんだけなんです。はやてさんとその家族だけなんです。管理局の未来を担うために出世コースを進んでいる人たちは」
 ティアナは立ち上がっていた。
「そして、あのなのはさんたちに対抗できる、管理局で唯一にして最大の【戦力】の持ち主も」
「……それを私に望むんやね、ティアナは」
「はい」
 はやては立ち上がらなかった。
 眼差しは、何処か遠くを見ていた。




 つづく



[6585] 決意。
Name: くおん◆1879e071 ID:f44e25fd
Date: 2009/03/02 15:37

 4/決意。



 ティアナが帰るのと入れ替わるように、シグナムとシャマルが帰宅した。
 シャマルにはなのはの妊娠について問い詰めたが、「主治医として秘匿義務があるんです」とだけ返答された。それでも、表情の動きからだいたい察した。
 恐らく、何もしらないのだ。
 とは言え、それは即座になのはの妊娠が嘘だということにはならない。なのはは近頃は定期的に休暇をとって故郷に帰っている。そのおりに不調になって地元の病院で検診を受けるなどということはありえることである。それでも主治医には連絡くらいいくだろうが、前述のとうりに教導隊がなのはの妊娠を隠そうとした場合、シャマルがはやてらとの繋がりがあるということから警戒して、適当なことを報告してごまかすということは十分にありえることだった。
 職業倫理を言えば身内にも患者の病状を言わないのは当然ではあるが、シャマルたちとはやての関係はむしろ使い魔と主人との関係に近しい。そのことはあまり知られてはいないが、知る者は知っていることではある。現実にはシャマルはどうしてもという場合でなければはやてにも個人情報をもらすようなことはしないのだが、ティアナがユーノとヴィヴィオを警戒した以上の必然性はある。他にも――可能性を言い出せばきりがない。
 ヴィータたちにはティアナが今日きたということも含めてシグナムたちには話すなと言い含め、はやては二階のベランダに作ったテラスに出た。
「少し考えてから、明日には結論を出す」
 リインにそう告げて、部屋に行くように指示する。
「風邪を引かないようにしてくださいね」
「うん。リインはええ子やな」
 そうして一人になったはやては、椅子に座って静かに呼吸を整え、瞼を閉じた。
 手に持っていた煙草の箱から紙巻を一本取り出し、口に加える。小さく右手の人差し指と親指をこすり合わせると、煙草の先に火が灯った。細く長い煙が流れ始めた。
 はやてが煙草を始めたのは、もう大分前だ。中学を卒業してから捜査官に専業し出した頃、ストレス解消にと手を出した。すぐにシャマルに諌められて、リインとヴィータに嫌がられた。シグナムは「匂いを消す魔法を使うように」と言った。匂いの染み付いた服で皆に会わないようにということだろう。ザフィーラだけは何もいわなかった。
 そのままの姿勢で静かに紫煙をたゆたわせていたが、やがてはやては目を開き、煙草を唇から離し、煙を吐き出した。
 そして。
「なのはちゃんが非合法活動、か」
 呟いた。
 ありえない。
 自分なら、解る。
 自分なら、権力の甘い蜜に酔い、初志を忘れて専横をふるうこともありえるだろう。
 何故ならば、権力というのはそのようなものだからだ。
 尊い意志も愚劣に腐らせ、熱い希望を冷酷に凍らせる。
 それほどに権力という名の壁は高く堅い。いかにしても崩せない壁の前で立ち尽くしていたのなら、人はそのようになってしまうものなのだ。
「やけど」
 高町なのはには、それはない。
 断言できる。
 それはなのはという女が誰よりも堅くて熱くて尊いということを意味しない。
 あの娘は、そもそも壁に立ち向かうなどということはしないのだ。壁の前に立ち、歯向かう者を迎撃する番犬だ。管理局という権力機構を維持するためだけに動く歯車のひとつだ。
 そのようなものに、成っている。なってしまっている。
 幼馴染の友人としての位置から離れ、一人の指揮官――いや、政治家の目線で見た時、高町なのはという存在はそのようなものだとはやてには思えた。
 決して馬鹿にしている訳ではない。蔑ろにしているわけではない。むしろ、なのはのような存在がいるからこそ管理局というか、組織は成立している。自己のアイデンティティを組織に重ね合わせて行動することによって保つ忠実なる下僕。前線にありて組織の掲げる法と秩序を護ることによって自我を満たす兵卒。それが組織にとっては必要な存在なのだ。
 そして同時に、私事においてはよき隣人であり友人であり、母であり妻であり――女、たりえる。
 だが、決して公私を混同させることはない。
 そのあたりまではティアナ・ランスター執務官の分析は正しいとはやては思った。
 が。
「しかしなあ……」
 それでも、思うのだ。

 高町なのはが管理局を裏切るなんて、ありえない。

 管理局に隠して非合法活動などをするなど、もってのほかだった。
 そんな超常現象が起きるなど、まだヴォルケンリッターが夜天の王を裏切る可能性を論じる方がありそうに思えた。
 勿論、そんなことはどちらもありえないことではあるのだが――。
「ああ、違うか。ありえるか」
 悪気もなく、夜天の王は自分の忠実なる騎士たちをそう評した。
「うちの子たちなら、私のために私を裏切るくらいするやろうな」
 それはかつてあったことであり――これからもありえることだと思った。
 だからこそ、自分はこうして上を目指せるのだ。
 前述を訂正しよう。
 自分は決して権力に溺れない。酔わない。
 壁に当たっても、決して挫けない。
 断言できる。
 例えどれほどの苦難に出会おうとも、自分の家族である騎士たちは、助けてくれる。
 あの叢雲の騎士たちならば、自分の忠誠のために自分を裏切り、修正してくれるに違いないのだ。
 本当の意味での「忠誠」とか「忠実」という意味を、あの子たちは知っているのだから――
 と。
 そこまで考えてから再び煙草を口にした時、閃くものがあった。
(『ひどいことになる』ってのは、もしかして――)
 思わず、もう一度煙草を話そうとして。

「主、それは聞き捨てなりませんな」

 背中から声がかかった。はやてはしかし振りむかなかった。ふりむかずに考えた。
 声の主が、守護獣は何を聞いていた?
 すぐに思いだし、振り向かないままに唇の端を歪めた。
「ほら、いうた傍からや――来るなというといたはずやで」
「聞いていました」
「主のいうことを護らん子は、悪い子や」 
「夜風は身体に悪い」
「うちを誰やと思っとる?」
 ザフィーラは、しかしどうしてかその言葉に答えるのに逡巡した。
 はやても促したりはしなかった。
 やがて。
「我らが主、夜天の王、八神はやて」
「そうや」
 はやての声は、どうしてか冷たかった。
「人の心を安らかなさしめる夜の王や。その私が夜風にあたって風邪を引くなんて、」
 言葉が切れたのは、人の姿をしたザフィーラの胸の感触を後頭部に感じたからだった。肩の上から自分の臍の辺りまで伸ばされて包み込んだ褐色の肌の男の腕を見たからだった。
「そして、このザフィーラは雲です。あなたを覆い、暖める雲です」
「………ん」
 はやては背もたれに身体を預け、上体を自らの忠実な守護獣に任せた。
 ザフィーラも上体を傾け、はやての右耳の横に自分の頭を置いて、囁いた。
「主、主よ。夜天の書の最後の主、真実の夜天の王、八神はやてよ。
 貴女が望むのなら、我らはどのような非道も行います。
 貴女が治める夜の空の下、掲げる剣十字の下、
 烈火の将は、ハラオウンとその養い子を斬り裂き、その血で大地を染めあげるでしょう。
 紅の鉄騎は、高町なのはとその弟子たちを打ち砕き、その肉を大地に撒き散らすでしょう。
 湖の騎士は、管理局の自分の患者たちの杯に毒を盛り、その屍を大地に積み上げるでしょう。
 祝福の風は、あらゆる怨嗟の声からも呪いからも貴女を遠ざけ、祝ぎの言霊を捧げるでしょう」
「………お前は?」
 はやては腕を上げ、自分に覆いかぶさる男の頭を挟み、自分の頬に摺り寄せた。
「盾の守護獣は、ザフィーラは、あたしの男は、何をしてくれる?」 
「どのようなことでも」
 ザフィーラははやての首筋に唇を這わせて、自分の腕で主を、いや、女の顎を持ち上げて唇に唇を寄せ、左手ではやての口にあった煙草を取り上げていた。
 彼の主は抵抗もせずに女の声で言う。
「匂うよ」
「構わない」
 やがて二人のそれが重なり合ってから、数秒の時間を置いて別れた。
 その名残を惜しむかのように陶然としている女の顔に、男は囁きかけた。
「はやてが望むのなら、聖王の首級を銀の皿に載せて捧げよう」
「私がヘロデヤの娘なら、預言者の首でも王の首でもなく、忠実な騎士の首をこそ望むわ」
 そう言って、はやてはザフィーラの頭から手を離す。
 ザフィーラも一歩引き、主の身体から離れる。
(ああ、ずるいなあ、ザフィーラは)
 はやては思う。
 何がどうずるいのかなんてよく解らない。だけどとにかくそう思った。ザフィーラはずるい。
 そして、その言葉を反芻する。
 ハラオウンとその養い子。 
 高町なのはとその弟子たち。
 管理局の自分の患者。
 そして、聖王。
 それはきっと、みんなにとって大切な人たち。自分と同じくらいに大切にしている者たちのこと。
 護り慈しんできた大切な大切な命たち。
 そんな者たちですら、切り捨てるというのか。打ち砕くというのか。殺すというのか。
 自分のためなら、当たり前のようにそうするというのか。
 ぶるっと震えがきた。
「主?」
「いや……」
 なんでもない、と言いかけて、そのまま両手を自分自身の体を抱きしめるように廻す。
 怖い。
 それは魔法の力を得てから、ずっと思っていたこと。
 ヴォルケンリッターと家族になった時から、ずっと考えていたこと。
 ティアナは【戦力】と言った。
 そうだ。力だ。自分には力がある。
 幾千もの星霜を閲して来た夜天の書の守護騎士たち。
 そして蒐集されてきた魔法。
 怖くて、恐ろしい力。
 ああ、だからこそ、ティアナはウチにきたのだ。もしも万が一、あの娘と対峙することがあるとするのなら、それができる人間は他にいないと。自分たち以外の何者も彼女を打倒することは叶わないと。
 あの、高町なのはを。
(管理局のエースにして自らの恩師を、しかし悪であるのならば倒すことも厭わないか……ティアナも、大分腹括っとるみたいやな……)
 しかし、自分にはそれができるのだろうか。
 高町なのはを敵にするということは、あるいはあのフェイト・T・ハラオウンと闘うかもしれないということであり、聖王ヴィヴィオと対決するかも知れぬということであった。
 後者はまだいい。いまだ聖王とは言え、成長途上の身だ。かつてのJS事件の時ならいざしらず、今はその器に見合った力しか振るえないはずだ。
 だが、あの百戦錬磨の執務官は?
 なのはと自分の親友のフェイトちゃんは、だけどもしもなのはが何かをするのならばなのはの側にいくだろう。過去の経歴から、今の二人の関係から、はやてはそう思っている。勿論、積極的に自分と戦おうとするとも思えないが、それでも……。
 自分でもひどいことを想像していると思う。親友が自分ともう一人の親友とどっちを大切にするかなんて、そんなことを考えるだなんて最悪だ。しかし、指揮官である以上は自分は最悪の想像をしなくてはならず、もっというのならフェイトがそうするだなんてのは最悪ではなかった。最悪の想像をするのなら、なのはの教導を受けた者たちがなのはにつくという可能性。
 管理局のアイドルであるなのはを慕う者は多い。
 器量よしの上に圧倒的な実力、そして厳しくも優しい教導。
 その彼女を見る局員の目は、人によっては憧憬というよりも信仰の域に達してすらいる。
 もしもなのはが何か非合法な手段で何かを為そうとしたとして、それを知った彼らが、なのはのために行動することはありえるのではないか――。
 そして自分は、自分とヴォルケンリッターたちは、そのような者たちをもどうにかできるのだろうか?
 はやては首を振った。
 思考が暴走しすぎたようだった。
 今の時点でそんなことを考える必要はない。まだティアナには返事していないし、自分の中での答えも出ていない。
 自分が今するべきことは、やりたいことは……。
 そっと右手の、煙草を挟んでいた指で唇を撫でた。
 ついさっき、別の唇が重ねられていた場所だ。
 彼女は俯いてから
「だっこ」
 と言った。
「は?」
「だっこ」
「恐れながら、主の足は」
「罰や」
 はやては、言って両足を上げて椅子の上で自分の両手で抱え込む。
「主の命令を無視した罰や。守護獣ザフィーラは私をベッドにだっこして運んでから、今晩は一晩中、抱き枕の刑」
「……主の望むままに」
 忠実な守護獣は微かに笑い、主の膝の下に手を通し、椅子の背もたれと身体の隙間から手を寄せて静かに抱き上げる。
 はやては「へへー」と照れたように笑い、男の首に両手を巻いた。
 そして。
 
 振り向いた先に、四人の家族が立っていた。
 
 烈火の将が。
 紅の鉄騎が。
 湖の騎士が。
 祝福の風が。
 テラスの入り口に立ち、笑っている。
 微笑んでいる。
 はやての顔は、夜目にもわかるほどにも真っ赤になった。
 怒ればいいのか笑えばいいのかも解らぬままに口を開け閉めしている主を前にして、四人は微笑みのままに跪く。

「我ら、夜天の主のもとに集いし騎士 」
「主ある限り、我らの魂尽きることなし」
「この身に命ある限り、我らは御身のもとにあり」
「我らの主、夜天の王、八神はやての名のもとに」

「あ――――」

「其処に真実の敵が立とうとも、私の刃は切り裂きます」
「其処に運命の壁が塞がろうとも、私の槌は打ち砕きます」
「其処に致命の死が待っていようと、私の杯は癒し治します」 
「其処が天籟の尽きる果てであっても、私の風は流れ祝ぎます」
「其処が――」
 
 守護の獣の声が、はやての顔のすぐ上からした。

「夜天の下に在らざる大地であろうとも、私の盾は護り続けます」

「主よ」
「命令を」
「命令を」
「命令をください!」
「貴女のために、我等はあるのですから」

 はやてはザフィーラの顔を見て、四人の家族を見て、果て無き夜空へと目を向けてから、瞼を伏せた。
 思う。
 守護騎士ヴォルケンリッターと融合機リインフォースⅡ。
 あたしの家族たち。
 この子たちがいて、自分に何を恐れる者があろう。
 この子たちがいて、自分に何ができないことがあろう。
 そうやね。リイン。リインフォース。聖なる日に空に還った貴女も、そう思うでしょう。貴女も変わらずあたしに、あたしたちに祝福の風を送ってくれているでしょう。あたしとこの子たちの行く道に、全ての夜の空の下に眠る者たちに幸いあれと、祈ってくれているんでしょう。今も空の果て、あたしたちが何れ行くところで見守ってくれているんでしょう。リイン。リインフォース。祝福の風よ。
 瞼の裏に、微笑んでいる彼女の姿が浮かんだ。
 はやては目を開き、

「解った」

 と言った。

「夜天の王、八神はやての名において命ずる――」

 それは、命令であり、何よりも自分と夜にかけた宣誓の言葉であった。



 ◆ ◆ ◆



 フェイト・T・ハラオウンがアーネンエルベという喫茶店に入ると、何処か覚えのあるコーヒーの匂いがした。
(なんか懐かしいな)
 と思った。
 どういう訳だかコーヒーは次元世界でも嗜好品として行き渡っているが、やはり第97管理外世界のそれとは、どう焙煎してもフェイトの覚えのあるものにならない。土が違うのか栽培法が違うのか、気にならなくもなかったが、決してまずいわけではないので彼女もそれを積極的に知りたいと思ったことはない。それはそれでいいと思う。
 しかし、ここで薫るのは地球のそれと同一だった。
 彼女の第二の故郷と呼んでも差し支えのない97管理外世界とミッドチルダとは、何か時たま妙なリンクを見せることがある。嗜好品や言語が近いというのもあるが、管理局員が事故でそちらに迷い込んだり、また逆があったりということが起こったりする。思い返せば自分の運命もジュエルシードがあの世界に落ちたことで変わった。闇の書が結果として最果ての場所となったのもあの世界だった。
(なんだろうな……考えてみると、ちょっと不思議)
 きっと、ただの偶然と片付けたほうがいいのだろう。
 運命論は魔法を操る者にとってはタブーとは言わないまでも、あまり奨励されることではない。
 無意味に意味を見出すようなオカルトは、魔法を操る者にとっては甘い毒のようなものだった。
 確かに、基本物理学の枠を超えて魔法によって世界を操作することは、一見して奇跡のようであるが、魔法を行使する者にしてみたら演算と論理の果てにある通常の物理現象の一つにしか過ぎない。たまに精神錯乱したものは、そのことを忘れてしまい、自分を超越者とみなす、あるいは本当にありえない現象を起こそうとする。彼女の母であるプレシア・テスタロッサがそうであった。
 死者の蘇生などという、決してありえない奇跡を望んでしまった者は、どれほどの大魔導師であろうとも、まともとは言えまい。
 そこまで思ってから「いや」と思い返す。
(違うか。死者蘇生は可能なんだ)
 とは言っても、様々な条件があるらしかった。あの当時のプレシアでは、どうあがいてもその条件を満たすことはできなかっただろう。
 フェイトは肘をついてそんなことをぼんやりと考えていた。
 JS事件からこっち、フェイトは魔法とはなんだろうかと考えることがあった。勿論、魔導師であるからには定義もその歴史も知ってはいるし、そのロジックもシステムも理解している。当然のことながら、限界もである。知っている。知っている、はずだった。
 しかし、アルハザードの技術を持つというスカリエッティはロストロギアの力を借りたとは言え、死者の蘇生などということを可能なさしめていた。それは魔法文明が発達したミッドにおいても、太古において栄華を極めた古代ベルカにおいても不可能とされていたことだった。いや、古代ベルカにおいては記録の上では何度かそのような事例はあるとユーノから聞いたことがある。ただしどのような条件があったのかなどということは不明瞭で、記録としては信用に値するかというと大変心もとないのだというが。
 そもそもからして、アルハザードというのはなんなんだろうか。
 失われた幻の都。
 古代ベルカに多くの影響を与えた文明。
 無限書庫ですら、明確にそこの存在を証明するに足るという資料は未だ発見されていないという。それなのに最高評議会はそこから得たという知識でスカリエッティを創造して――
 フェイトは様々なことを思考した。執務官として、魔導師として。そして、フェイト・T・ハロオウン、いや、フェイト・テスタロッサ個人として。
 ポツリと、呟いた。
「母さんがスカリエッティと組んでいたら、あるいはもしかしたら、アリシアも――」
 いけない、と小さく首を振る。
 ありえなかったifを考えるのは、ありえぬ奇跡に思いを馳せることの、その次くらいに不健康に思えることだった。
 そこに自分がいないというのならなおさらだった。
 だけど。
 フェイトは考えてしまう。
 もしも。
 アリシアが死んでいなかったら。
 もしも。
 ジュエルシードが落ちたのが海鳴でなかったら。
 もしも。
 自分が、なのはを決して立ち上がれないほどに打ちのめしていたら――
 そこまで考えて、彼女は笑った。
 ありえない。
 絶対に、絶対にありえない。
 あの子が決意を砕かれてしまうなんて、決してありえない。
 もしも折れたとしても、なお立ち上がっただろう。
 そう。
 不屈とは決して折れないものではなくて。

「あの、」

 と声がかかった。
 顔を上げたフェイトが「なのは?」と思わず言ってしまったのは、ウェイトレスのつれられたその少女の髪の色と髪型が、彼女の友人になんとなく似ていたからだった。勿論、似ているということは同じということではなく、違うということである。
 何処かの高校の制服を着ているその少女は、髪を二房の束にして左右にぶらさげていた。
(あれ、ここって第16管理世界だよね?)
 思わずそんなことを自問してしまった。
 そんなことを思ってしまうくらい、その少女の姿形といい、制服の質感といい、次元世界離れ――というか、第97管理外世界風のものだった。風というよりそのものだった。
 少女はおずおずと「人と待ち合わせているんですけど、席が空いてないので、相席お願いできるでしょうか」というようなことを語った。待ち合わせ時間より大分早めにきたのはいいのだが、満席になってしまって座る場所がないのだという。そちらも誰かを待っているのでしたら別にいいんですが、という話である。
 フェイトも待ち合わせというか、呼び出した相手を待っているところではあるのだが、やはり早めにきているし、また時間がたてば別の席が空くかもしれないし、話を聞けば少女の待ち合わせ時間はフェイトのそれより三十分は早い。ならば問題はないと思えた。
「ありがとうございます!」
 その声に、何処か大げさだなあと思いながらも、「いえいえ」といいながらフェイトは着席を促した。
 席についた少女は「トマトジュースを」と注文した。
(ふうん?)
 なんかイメージが違うかなーとなんとなくフェイトは思ったが、そのことについては特に何も言わず、
「時間があるのに、黙っているのも何かおかしいよね」
 と自分らしからぬ態度でそう切り出した。
「私の名前はフェイト・テスタロッサ・ハラオウンです。あなたは?」
「へ? え――」
 戸惑う少女の姿を見ていると、微笑が口元に浮かんだ。
 どうやら自分は、友人とちょっと似た感じの女の子を戸惑わせて、ありえなかったifを疑似体験しようとしているらしい。
 少女はやがて落ち着いて。

「あの、私の名前は弓塚さつきって言います」

 そう、名乗った。




 つづく



[6585] 接触。
Name: くおん◆1879e071 ID:b2456052
Date: 2009/03/07 17:26
 5/接触。




「さつきって呼んでいい?」
「あ、はい。えーと、ハラオウンさん?」
「フェイトでいいよ。――名前を、呼んで」
「わかりました、フェイトさん」
 名乗りあった後、二人はそんなやりとりから会話を始めた。
 とは言っても、すぐに話が弾むというわけはない。いきなり見ず知らずの女性に話しかけられたさつきは何処か困惑していたし、執務官としてではなく、ただなんとなく話かけたフェイトの方も、少し緊張しているようだった。
 とりあえずさしつかえないところでと、フェイトは「この喫茶店、昔いってたところにちょっと似てて懐かしいんだ」と言った。
「あ、そうなんですか?」
「うん。ちょっとね」
 実は、あんまり似ていない。
 フェイトが昔よくいってた喫茶店というのは翠屋という親友の実家で、今も休暇で家に帰るたびに寄っている。最近は長期の仕事が立て込んでいるのでしばらく行っていないが、フェイトが喫茶店と言って最初に思い出すのがあそこだった。このアーネンエルベは内装の色彩も翠屋とは大分異なる。ただ、雰囲気……というか、もっと具体的には珈琲豆を焙煎する香や、紅茶の葉の匂いが次元世界のそれではなく、第97管理外世界の、地球のそれと同じだった。それで翠屋のことが思い浮かんでいたのである。匂いというのは記憶に直結しやすい。そして記憶は連鎖して別の記憶に繋がるのだった。ましてやここは地球を遠く離れた異世界である。郷愁は普段よりも強く感じるのが道理だった。
 フェイトは詳細こそは言わなかったが「懐かしい」と繰り返した。
「雰囲気も落ち着いてるし」
「ここ、雰囲気いいですよね」
 とさつきも首肯した。
「ここはコーヒーが美味しいんですよ」
「そうなの?」
「待ち合わせによくくるんですよ」
「なのに、トマトジュース?」
「……待ち合わせている人が、そう言ってたから」
 さつきは何処か恥ずかしそうにいう。
「わたしはあんまりコーヒーとか飲まないから。昔、お父さんに刺激物を小さいときから飲んでたらバカになるっていわれて、なんとなく」
「そうなの?」
「コーラみたいな炭酸飲料も駄目って言われてて。中学までコーラのんだことなかったもの」
 ああ、だからトマトジュースなのかとフェイトは納得した。論理的な整合性がとれているというわけではないが、なんとなく辻褄が合ったような気がした。なんとなく。
 なのに。
「ああ、だけどコーラだって学校の友達とかみんなコカコーラがいいっていうけど、わたしはペプシの方が好きだし」
 いきなり前提をひっくり返される。
 記憶は連鎖して別のことに繋がる。さつきは何かどうでもいいようなことを思い出したらしい。そして、その言葉にフェイトは眼を大きく広げた。「ペプシ」と口にして、黙り込む。
「……どうしたの?」
 こちらを心配そうに伺うさつきにどう答えていいのか、フェイトは一瞬だが迷った。 
「いや、私も好きだから。ペプシの方が」
「そうなんだ!」
 なんでこんなことで、といいたくなるくらいにさつきが喜色を顔に浮かべた。
「なんでかなー、わたしのお友達とかはみんなコカコーラの方がすきって人ばかりだったから、ちょっと嬉しくて」
「……そうだね。なんでか知らないけど、私の友達もみんなコカコーラの方が好き、なのかな」
 実はあんまり友達が炭酸飲料などを飲んでいるのを見たことはないのだが、それは言わなかった。
 何がきっかけになるかわからないもので、二人の話はここから盛り上がりだした。
 マクドナルドのチーズバーガーにはペプシの方が合うよね、というようなことから、好きな映画の話、読んでいた漫画の話、ドラマの話、……およそ年頃の娘がしそうな話を、さつきとフェイトはした。さつきはどうも話に飢えていたらしく、フェイトの話で解らないことがあると「どんなの? 詳しく教えて」と熱心に聴いてくるし、フェイトはというと彼女にはそういう経験が少なかったが、それゆえに新鮮だった。彼女は学校は中学までだったし、それまでの友達とは今もつきあいがあるが、その友人たちは地球でもちょっと変り種の方だった。少なくともさつきのようなみるからに一般人というような女の子とは、あまり地球では話したことはなかったのである。
 ……そんな十数分のやりとりで、フェイトはさつきが熱心に読んでいたという漫画シリーズのタイトルと巻数を知ることができたし、さつきはというとフェイトには義理の兄と甥と姪がいて、実家に帰ると義母と一緒にその子たちと見ているという教育番組のことを知った。
 そして、届けられたコーヒーとトマトジュースに二人が手を伸ばして。
 おもむろにフェイトが。
「それで、さつきの出身世界は何処?」
 と聞いた。
「へ?」
「私はミッド生まれ……」
 ということになっている。多分、実際にミッドに母がいた頃に作られたのだろうとも推測している。だから、あながち間違いではない。
 さつきはというと、いきなり聞かれ、
「え――あれ? だって、あんなに詳しいのに」
 戸惑ったような顔をした。
「もしかして、ペプシとかマックって、ミッドにも進出しているの?」
「まだないよ」
 もしかしたら、いずれ次元世界にも進出しかねない企業ではあるけど。今のところ、そういう話はフェイトも聞いたことはない。
「私はミッド生まれだけど、地球育ち」
「えー、あー、そうなんだ」
 さつきはしばし考えてから言う。
「えっと、地球です。多分」
「うん、まあそれは解っていた」
 フェイトは微かに目を細めて、さつきを観察する。さっきまでの年頃の娘としての眼差しではなかった。執務官として見ていた。
 一見して表情を変えず。
「だけど、管理外世界から来るのは、珍しいね」
「そうなんですか?」
「うん」
 基本的に、時空管理局は管理外世界には不干渉ということになっている。そこに次元移動の技術があれば話は別だが、魔法文明のない世界で次元間移動を完成させたという事実はない。もしも管理外世界の人間が次元世界に紛れ込むことがあるとしたら、それは次元震に巻き込まれたか、次元犯罪に巻き込まれたかの二つである。そして次元犯罪はミッド式かベルカ式に由来する魔導師たちによって行われる。それは時空管理局が他の世界に干渉する際の大義名分でもあった。自分らから出た犯罪の芽は自分らで刈り取らなくてはならない、ということだ。
(多分、さつきは次元震に巻き込まれてきたんだ)
 とフェイトは話をしながら見当をつけていた。
 丁度一年前に、この世界の近くで次元震が起きていたということを彼女は知っていた。
 その時にさつきはここの世界に来たのだろう。
 そうでなくては第97管理外世界のことをこんなに詳しく知っているだなんて、普通はありえない。
 管理外世界はそれこそ星の数ほどあって、ミッドやベルカに由来しない世界の文化は多様であった。専門家でも把握しきれない。その中でも有名な世界というのならまだしも、第97管理外世界の風俗や文化は比較的マイナーな方面に位置する。最近でこそ知られるようにはなっていたが、それでもマックだのペプシだのという言葉が出てくるようなことはない。ましてやあの世界は現在、管理局の大物が何人も関わっているということもあって、人の出入りには厳重に管理されていた。
 次元震によって人間が世界の外に弾き出されるという現象は、過去からたまに確認できることである。
 地球で古くから伝えられる神隠しだのというような現象の何パーセントかは、このような次元震によって起きているのではないかとも推測されていた。
 勿論、生身のままに、しかも災害に巻き込まれて無事にいられるという可能性は限りなく低い。
 低いが、まったくありえないということでもない。
 そのような者を次元漂流者とか時空漂流者とか呼ぶことがあるが、低確率なので定着した用語というのが未だない。それでも万が一に遭遇したのなら、管理局員は直ちにその漂流者を調べた上で原世界に復帰するかどうするか当人の意思を確認するべしと規定されていた。
 そのような漂流者でないとするのなら、何かの犯罪に巻き込まれたということもある。
 次元犯罪の中でも、人身売買は比較的に多くある犯罪だった。
 管理外世界で科学も魔法も発達していないところで人間を捕え、その世界の、あるいは別の管理外世界で売りはらうというものである。勿論、労働力としてということはあまりない。何の技術的な基盤のない人間ができるような単純労働を奴隷的に奉仕をさせるより、一定の給料を支払った方が効率が上がるし、何処の世界にも治安組織はある。人権意識だってたいがいの世界にはある。そのようなことから奴隷としての人材などというのは、デメリットが遥かに大きいのだ。暗黒街や一部の歪んだ趣味の資産家が少年少女を性的奉仕をさせるために売買していることはままあるが、それだって全体のケースからしたら三割程度であるとフェイトは知っている。
 人身売買で一番多いのは、人体実験に使用されるケースである。
 特に医学方面では、その成果を人間で試してデータを集めたいという者が現状では多い。発達した科学と魔法は非人道的な行為を介せずともある程度の医療、薬物の効果のシミュレーションが可能である。だが、新薬などの開発にかかるコストは天文学的なものであり、それが外れたら会社が傾きかねないということがままある。そのようなリスクを考えると、異世界からさらってきた人間で徹底的に実験するのもやむなし、ということらしい。
 しかし、さつきはそのような犯罪に巻き込まれているようにはフェイトには思えなかった。
 性的な奉仕をさせられるために攫われたという感じはしない。特に根拠はないが、執務官としての経験と勘でそう思った。人体実験をされているというのなら、ここにこうしているというのがまずありえない。ことが露見したのならば次元世界に響き渡る大スキャンダルになる。
 まあ、もしも犯罪でも事故でもないのだとしたら、たまたまに地球にきた魔導師と意気投合して次元世界にきたなんて可能性もないではないが――それは限りなく考慮に値しないほどのコンマとゼロの向こうにあるものだ。
 とはいえ、漂流者にしろ、犯罪の被害者にしろ、まだまだ事実として確定するには材料が足りない。
 フェイトはなんとなく話しかけただけの少女が、思いもかけずに自分の仕事と関係しそうなことに驚きを感じていたが、表面にはそのことをおくびにもださず、手に持っていたカップを口元に寄せた。
「私は仕事で、今日ここにきているんだけど、さつきはいつからここにいるの?」
「えーと、一年前、くらいかな」
 考えながら答えるさつきの顔を見て「やっぱり」と思いながら、フェイトは何も言わない。言わないままにコーヒーを一口含んだ。
「なんかわたしも、お仕事で」
「仕事?」
 さつきの言葉の続きは、意外であった。
(次元漂流者というのは早とちりだったかな?)
 訝る顔をしたフェイトを見て、さつきは何を思ったのか「あー、信じてませんねー」と苦笑した。
 フェイトはどきりとする。
「わたしは、えーと、こう見えてももうすぐ二十歳になるんですから。お仕事だってできますよー」
「いや、それは――ちょっと驚いた。だけど、信じるよ」
 どうやら、さつきは自分が仕事をしている歳だと言うことを、フェイトが信じていないのだと思ったようだ。
(え? だけど、さつきが着ているのは制服だよね? 二十歳なのに制服?)
 フェイトの記憶だと、確か高校は18歳までだった。あるいは留年しているのだろうか。
 んー、とカップをテーブルにおいてから、フェイトは首をかしげ。
「というか、管理世界では十代以下でも仕事はできるんだよ」
 そういうことも知らないということは、やはりさつきはこの次元世界の社会体制などに対する予備知識はあまりないのだということを証明しているようなものだった。もっというのなら、地球でも別にハイティーンなら仕事はできる。
 案の定、「えー」と驚いたような顔をしている。
(やっぱり、地球の人だよね)
 さつきの反応は、典型的な管理外世界の住人の管理世界での就業条件を知った者のそれだった。
 次元世界では能力に応じて仕事につくことができるのが普通だ。特に優秀な魔導師ならば、十歳以下の人間だろうと戦闘魔導師のような危険な仕事につくことが可能である。そのことについては「子供に危険なことをさせるなんて」といわれて、たまに管理外世界からの批難の対象となる。だが、フェイトは自分自身がそうであったためか、子供でありながらも戦闘をするということそのものについて、忌避感はあまりない。勿論、自分の養い子であったエリオやキャロに危険なことにはなるべく関わってほしくないということは思っていたが、それは子供とか大人とかの問題ではなく、単なる身内意識でそう思っていただけだった。結局は二人の管理局入りをフェイトは許したのだ。
(戦闘能力のある子供を在野にいさせ続けるというのが、ずっと問題だと思うんだけどな)
 という風にフェイトは次元世界の就業体制を肯定している。
 小人閑居して不善を為す、だったか。
 中学の授業で習った昔の人の言葉にあった。暇をもてあました小人……つまり、道徳心のない人間はロクなことをしでかさないという意味だったと記憶している。
 子供を小人というのはちょっと違うと思うけど、だけどこの場合の説明にはわりと適当かなともフェイトは思った。
 もしも魔導師適正の高い子供をそのまま放置していたとしたら、社会体制は維持できない事態になり得るのだ。それは子供というのはどうしても経験がたりず、犯罪などを無自覚に行う可能性があるからだった。そうならないように、適正が高い者はなるべく早い段階で社会に組み込み、教育して何がしかの役割を与えた方がいい。
 このことについては次元世界でも異論はある。能力適正と当人の志向は必ずしも一致しない場合があるし、当人をまだ判断力がない年齢から社会に組み込むのは、個人の自由意思を蔑ろにしているのではないかという論だ。就業に限らず、自分の未来への選択肢はあくまでも当人の意思と志向によって選ばれるべきではないか。
 それはそれで一理あるとはフェイトも認めるところだが、人間は生まれ育った共同体の内部で自己実現するべきであると彼女は信じていた。適正があるのならば、その力を高めて社会に貢献すべきだと思っていた。できるのにやらないというのは、それは我がままなのだと考えていた。自分の能力を私利私欲のために使うという発想が彼女にはなかった。欠けていた、というべきなのだろうか。それを欠損だといわれたのならば彼女は否定しただろうが、美徳だというにはいささか生臭い事情も背景にあるのは確かだった。
 そんなわけで、少し話しはずれたが、能力があるのならば次元世界での就職は自由にできるということをひととおりフェイトはさつきに説明した。
「へー」
 とさつきは感心したように声を出した。
「一年くらいこっちにいるけど、そういうことは気がつかなかったなあ」
「ふーん?」
 それはそれで妙な話だとフェイトは思ったが、そのことは問い詰めず。
「それで、仕事でこっちにきたの? さっきそう言っていたけど」
「……うん」
 少しだけ、さつきが逡巡したのをフェイトは感じた。
 嘘ではないが、そのまま素直にいえない事情があるらしい。
「一年くらい前にね、仕事でちょっと人探ししていたの」
「人探し? 探偵さんか何かなの?」
 一応、次元世界にも調査会社のようなものはある。ただし届出が必要で、それにも厳重な許可が必要となっている。
 しかし。
(え? さつきって管理外世界の人なんだよね? それで管理世界のことはよくしらないんだよね?)
 頭か混乱してくるのをフェイトは感じた。さつきには、自分の中の大前提を覆す何かがあるのではないかと思えた。
「探偵というのとはちょっと違うの。ただ、頼まれてて、探してたの。本当はわたしがやる仕事じゃないんだってシオンには言われたんだけど、わたしが協力した方がいいと思って。あ、シオンというのは、わたしのお友達。相棒っていった方がいいのかな」
「ふうん……それで、どうやってここにきたの?」
 とりあえず、そこが肝心だとフェイトは思った。
 次元震に巻き込まれてきたのか、それとも次元転移の魔法を使って、魔導師の協力を得てこちらにきたのか――
 もしも後者だとしたら、管理局の知らないところで管理外世界の人間と交流を持つ者がいるということである。少なくとも97管理外世界に関わる魔導師で、彼女の知らない人間はいない。そして知っている人間がさつきのような者をこちらに送ったなどということがあれば、執務官であり、あの世界に「実家」があるフェイトの知るところになっていたはずだった。
「ああ、それは……どういったらいいのかな?」
 さつきは少しだけ思案して。

「『魔法』を使ったんだと思うよ」

「それは――」
 さつきをこの世界に転移させた魔導師がいるということなのか。
 フェイトが身を乗り出して聞こうとした時。

「弓塚さん」

 声がした。
 
「あ、遠坂さん」

 とさつきが言った。
 フェイトがその声のした方向を見ると、赤いコートの女性がそこに立って――


 ◆ ◆ ◆


「――フェイトさん?」
「あ、ティアナ?」
 気がついた時、目の前に元六課で自分の元補佐官を務めていた、現在は立派に執務官をこなすティアナ・ランスターの姿があった。フェイトが彼女を見て眉を寄せたのは、そのティアナが心配そうに自分の顔を覗き込んでいたからである。
「どうしたの?」
「えと、それはこっちの台詞ですよ」
 なんか今きたら、ぼーっとしていて呼びかけるまではなんの反応もなかったのだと言う。
「え? あれ? そうなの?」
 なんだろう。凄く変だ。落ち着かない。何か苛々する。足の裏の何処かに目に見えない小さな棘が刺さったかのような、どうにもできない不快感と違和感がする。
 なんでそんなことを感じるのかがわからずに、さらにいらつく。何か変だ。何かおかしい。何か異常が起きている。そして自分はそれがなんで異常なのかが認識できていない。胃の中に重いものを感じた。ストレスが急激に胃液を分泌させている。彼女はもともと神経質なところがあったが、それにしても今のこの状態は明らかに異変であり、異常であった。
 そんなかつての上官を見ていたティアナも、眉をしかめる。
「フェイトさん……」
 二人の間に漂った空気は、なんとも言いがたい気まずさを伴っていた。
 と。
「――誰かと相席していたんですか?」
 ティアナはフェイトの前におかれたティーカップと、グラスを見て、言った。細められた目は鋭かった。
「…………………ッ」
 それを見て、フェイトはがたりと音をたてて立ち上がる。
 紅茶の入っていたティーポットとカップ。トマトジュースの入っていたと思しきグラス。そして重なられていた二つのレシートに重しのように載せられていた貨幣が三枚。そして、自分が飲んだ覚えのない、空になったコーヒーカップ。
「どうしたんですか?」
 静かに、ティアナは問うた。何が起きているのか解らないが、何かの異変があったということだけは彼女も察知した。それは些細なことのようでいて、この管理局でも優秀な執務官であるフェイト・T・ハラオウンを焦燥たらしめる何かであるようだった。
 フェイトは周囲を見渡してから、見覚えのあるウェイトレスを呼ぶ。
「あの、私とここで相席していた人は、いついなくなったの?」
 問われたウェイトレスは、何処か不思議そうな顔をした。
「お客様とお話されていたお二人でしたら、ついさっき出て行かれましたが――」
 フェイトはその言葉を途中から聞いてなかった。
 手にとったレシートを凝視していた。

 ごめんなさい

 日本語で、そう書かれていたのである。


 ◆ ◆ ◆


「……ちょっと、迂闊だったかしらね」
「ごめんなさい」
 二人は黄昏の街を歩いている。
 人通りは少なかった。
 一年前に初めてここを通った時に比べると、半分以下になっているようにさつきには思えた。
 無理もない話だった。
 日に日に増えているという行方不明者の噂は、情報管制が敷かれても巷間に広まりつつあるに違いない。何が起こっているのかはわからないだろうけど、あるいはだからこそ、みなが不安になっているに違いない。
 右隣を歩く赤いコートの女性を見ると、なにやら考え事をしているようだった。
 凛々しいな、と思った。
 自分の知ってる魔術師という人たちはみんな女性ばかりで、そしてみんなこんな風に凛々しくかっこいい。ひょっとしたら、世の中にいる女の魔術師という人たちはみんなこうなんだろうか。
 さつきは「わたしも魔術を使いたいなあ」とぼそりと呟くと、それを聞きとがめたかのように「なんですって?」ときつい顔を向けられた。
 さつきはあわてて手を振った。
「いや、だってわたしもまほ、じゃなくて魔術が使えたら、もっと遠坂さんとか、元の世界に帰ってもシオンの役に立てそうだし」
 さっきみたいなことになっても、遠坂さんの手を煩わせずに済んだのに――と言うと、赤いコートの、遠坂さんと呼ばれた女は目を細めた。
 綺麗だ、とさつきは思った。
 長く黒い髪に、蒼い目。
 最初に会った時から美人さんだなーとか思っていたが、今改めて見てもやっぱり美人だと思った。
 彼女は溜め息を吐き。
「さっき迂闊だったかしらって言ったけど、あれ、あなたに言ったんじゃないから」
「え?」
 話の脈絡が掴めずに、さつきは固まった。
 この人とは一年の付き合いがあるけど、なんかたまに考え事に没頭して脳内で話を進めてしまって、それを聞かされている側としては話が解り難くなる時がある。今がそれだった。
「私が使った魔術のことよ」
「ああ……そうなの?」
「こっちの魔導師とかはああいうのに慣れてないから、わりと掛かりやすいって、油断してた。かなり我流くさいっていうか多分無意識だろうけど、レジストされたわ」
「れじすと?」
「抵抗されたってことよ。前にも似たようなことをされたことがあるのかもね。どうにか、記憶を削るくらいはしたけど。改竄まではいかなかった。……迂闊だった。何もせずにいた方がまだマシだったかも。明らかな記憶の空白は違和感を作る。ほっといたら一日二日で忘れてしまうだろうけど、執務官なんてことをしている魔導師に、そこまでご都合を期待するのはむしが良すぎる……」
 また思考の世界に入り込む彼女を見ていて、さつきは「んー」と首を捻った。
 遠坂さんが何を気にしているのかがよく理解できなかったのだ。
 確かに自分たちがしていることは知られるとまずいけど、ちょっと偶然に出会った魔導師の人の記憶を消すというのはどうなんだろうかと思っていた。魔術師の秘密主義は知らないでもなかったし、自分も世間に知られるとまずい立場ではあるけれど――
「偶然は必然の別名だわ」
 遠坂さん、はそう言い切った。
「この広い世界でなんの意味もなく、あなたと私が地球のことを知っている、しかも強力な魔導師と出会うだなんて、そんなことはありえない。どんな確率よ。数学的には十万分の一以下の出来事が起きたのなら、それは奇跡って言ってもいいそうだけど、そうね。多分、これは奇跡なんだわ。文字通りね」
「……え?」
 さつきが聞き返したのは、奇跡という言葉もさることながら、彼女の表情が変わっていたからだった。
 それは、獰猛な猫科の獣のような。

「抑止力が働いてる――か」

 ――微笑を、浮かべていた。



[6585] 宵闇。
Name: くおん◆1879e071 ID:fed7bf27
Date: 2009/04/01 09:46
 6/宵闇。




 ユーノ・スクライアは無限書庫の司書長をしている。
 この無限書庫については、知らない者は管理局の中にあるばかでっかい図書館、という程度の認識しかないが、実際は次元世界の各地から資料が毎日毎分のように運び込まれているという代物で、現在の管理局ではなくてはならない場所であるとされている。ここが十数年前に稼動しだすまでは、各部署が各々持っていた資料室にあたっていたという。そのために情報が共有されず、横の連携がとりにくくなっていた部分があった、らしい。そして情報の独占という状況も当然のことながら生まれる。それは容易にセクショナリズムにつながっていた。時空管理局は大別して海と陸に分かれていたが、その内部でさらに細かい派閥の対立があったのだ。それは組織の常であるとは言え、現在ではセクショナリズムの弊害を取り除くために、資料請求はまず無限書庫に、というのが管理局にとっての常識となっていた。
 そうすると、どうなるのか?
 無限書庫の司書は、恐ろしい激務と対峙することになるのである。
 何せ管理局の全部署からの注文なのだから、その内容を確認するだけでも人手間だ。
 特に若くして司書長として抜擢されたユーノ・スクライアのこなす仕事の多さときたら、内容を聞くだけでタフネスが売りの武装局員が青ざめるほどと言われていた。管理局の一部で囁かれている伝説では、ここの司書は最低でも総合AA以上の優秀な魔導師でなければ勤まらないと噂されている。勿論、実情はそこまでではないというか、司書長のユーノにしてからが総合Aなのだから、デマもいいところである。とにくそんな噂が立つくらいの激務であるということには間違いなかった。
(それでも最近は、大分楽になったんだよなあ)
 ユーノは注文のあった資料をまとめ、注釈を添付した上で転送する。
 この程度のことでも、昔に比べればかなり違っていた。
 必要は発明の母であるというのは、この無限図書においてはこの上ない真実である。
 彼は眼鏡の位置を直し、適当に本棚に手を伸ばして本を取り出す。ここに勤めだした頃は、ちょっと息抜きに本を読むということすらもなかなかできなかった。息抜きのために仕事を増やして、時間を作る。そして休憩時間で横になってる間に眠くなって……の繰り返しだった。
 JS事件からこっち、業績が認められて司書も増えたし、検索魔法も二日ごとにバージョンアップされて往時とは比べ物にならないレベルになっている。
(そろそろ、私生活も充実させていい頃だよね……)
 首を左右に傾けてこきりと鳴らす。
「今度の論文をまとめたら、一度一族の集落に帰って……」
 ぼやくように呟き、開いている本に目を落とす。
『次元世界の神話たち』
 というタイトルの本だった。
 四十年ほど前のクラナガンの有名な大学の教授が書いた本ではあるが、その教授は神話学だの考古学だのが専門の人間ではない。専門は経済学という著者が、あちらこちらの次元世界を歩き回って採取した伝説だの神話だのの固有名詞と筋立ての共通性に注目し、でっちあげたという有名な本である。
 そう。
 まさにでっちあげた、というのにふさわしい代物だった。
 少なくとも考古学を専攻し、現在では書誌学とかそういうことにも通じてしまいそうなユーノの所感としては、そういう風に捉えられる代物だった。
 この本の主旨は一言でいうと「現在の次元世界の文明は、一つの場所から流出したものではないか」というものだった。
「まあ、いわゆるトンデモ本の類だよね」
 そんなことを呟きつつ、目を通す。
 実はこの本は当時でベストセラーになっていて、その後の〝謎のアルハザード文明〟ネタの大本になってる代物だった。
 古代ベルカにも関係したという、失われた魔法文明の都アルハザード――それ自体はそれこそベルカの時代から様々な伝承が残されていたが、この無限書庫をしてアルハザードに関係するといえる一次資料は皆無に等しい。その一次資料という分類に入ってるものにしても当時の神官がこう言ったとか、賢者がああ言ったとか、そのようなことを記録しているという程度のことで、アルハザードからきたとかアルハザードに到ったとか、そのような話ではまったくない。
『次元世界の神話たち』では、そんな証言記録を一次二次問わずに集めまくった上で、自分流の解釈をしている。
 いわく、「アルハザードの末裔こそが各世界の魔法文明を生んだ」とのことである。
 アルハザードが滅びた後で、その末裔たちが各地に漂流……そして、あるところは魔法文明を退化させ、ある地域では魔法文明を保存できたのだという。
 そしてその中で、もっとも繁栄していたのが古代ベルカであるというのだ。
 その証拠として、次元航行技術が確立する以前より伝わるはずの伝承なのに、別々の世界で同様の物語があることなどがあげられている。
(まあ、でたらめなんだけどね)
 一般普及用の初級読書魔法でさっさと読み通したユーノは、溜め息混じりにそんなことを考える。
 古代ベルカ以前にもベルカ世界で魔法が存在し、そこからベルカ式が発達したということは魔法史では定説となっている。
 しかし、この本ではそのベルカ以前の魔法である、旧式魔法とも呼ぶべきものについては言及がされていない。多分、しらなかったんだろうなあとユーノは思った。魔法史の上でもこの旧式魔法については現在ではその存在については軽く触れられている程度で、今でもマイナーなのに、当時で知っている人間がいるとしたら、それは研究者かよほどのマニアかだ。
 だから、「古代ベルカ式魔法がアルハザードより伝えられるまでは魔法文明はなかった」などというのはでたらめもいいところだった。
 他の世界の失われた魔法文明にしても、その成立年代はばらばらで、一つの文明が滅んでその末裔たちが散らばって、というのは無理がある。
 だが、そんなことは研究者でなくては知らないことである上に、各世界に似たような伝承や固有名詞があるということは大衆の興味を大いに刺激した。
 まともな学者は様々な反論の本を書いたりしたが、こういうのは退屈な反論よりも過激な珍説の方が受けがいいものである。
『次元世界の神話たち』はその後、換骨奪胎をされながら「在野の学者たち」によって「補強」とか「解釈」をされつつ、現在まで残されることとなった。
 ユーノは『次元世界の神話たち』を棚に戻し、その四つ右となりの『古代文明アルハザードの謎』という、いかにもなタイトルの本を手に取る。
 こちらは『次元世界の神話たち』を下敷きにして、さらにアルハザードが魔法文明を時期をおいて断続的に各地に魔法を伝承させていたというものである。旧式魔法も彼らが伝えたが、それは魔法を人々になじませるためであり、時機を見て彼らの持つ高度な魔法を伝えていく予定だったという。
 こらちは一応の学説を踏まえている。書いたのはあんまり有名ではない大学で助教授だったという魔法史家であるから、専門家の書いたものであるには違いない。
 確かに記録で最初にアルハザードという言葉がでてくる前後に古代ベルカ式の成立とが重なること、そしてそれ以前の旧式魔法とも呼ぶべき体系からどうして突然にベルカ式が生まれたのかはっきりしないということもあり、何かしらアルハザード文明のようなものがあって古代ベルカ式に影響を与えた――というのなら、それはある程度の説得力はある。あるように思える。
 こちらは整合性がとれているだけあって反論も穏やかなものであった、というとそれは正確ではない。
『古代文明アルハザードの謎』が出版されたのは『次元世界の神話たち』の十五年ほど後であり、その頃には数限りなく類書が出回っていたため、もはやいちいち反論する学者などはいなくなっていたのである。
(まあ、こっちもこっちで、もう古いけどね)
 考古学だの歴史学だのというのは、何処から新しい資料が出てくるのか油断ができないもので、その後の研究で古代ベルカ魔法の創造についてはかなり時期などが特定できている。未だ誰がどのような経緯でというのは不明だが、少なくともアルハザードから突然に伝えられたというものではないと考えられていて、アルハザードは御伽噺とは言わないまでも、そのような名前の研究グループか何かではないかという風に解釈されていた。ユーノも多分、そのようなものだと思っている。
 いや、思っていた。
「ジェイル・スカリエッティか……本当に、そこらよくわかんないよなあ……」
 御伽噺の技術で生み出されたという天才科学者。
 その男が最高評議会の手によってアルハザードの技術を使って生み出された――というのは、一部では知られるところであり、その一部に彼もいた。
 しかし、果たしてどのような技術が使われたのかということはさっぱり解らない。
 評議会は自分らとスカリエッティの繋がりを隠すために、彼を生み出したという技術その他を完全に封印してしまっていた。
 消滅と言い換えてもいいくらいだ。
 いまだに続いている管理局の調査でも、僅かな痕跡すら見いだせない。
 ジェイル当人は面白がって、そこらのあたりについては黙秘を続けている状態である。
 ユーノは溜め息を吐いて、本を本棚に戻した。
 別にアルハザードについて、巷間に出版されている本で真相に迫れると思ったわけではない。
 これらを手に取ったのは、たまたまはやての言っていたことを思い出したからだ。

『なんでレヴァンティンいうんやろかねー』

 随分と昔の話である。 
 言わずと知れたヴォルケンリッターの烈火の将の愛剣の銘であるが、聞けば、その名前は地球における神話に登場する魔剣の名前なのだという。
 ユーノはその時にこの『次元世界の神話たち』のことを思い出していた。各世界での神話だのの固有名詞が共通するということは、この本にて広く認知されるようになったからである。
 トンデモ本だろうとなんだろうと、このことがきっかけにして学会が活発したのは確かだった。
 共通する物語があるということは確かなのだ。
 こちらについての研究も進んでいて、次元航行の術式が記録にあるのより早くに成立していたということと、伝承の成立時期について、実はわりと最近であった(それも古代ベルカ以降)ということが確認されている。この手の記録は実際よりも古くから伝わっていることにしたい人たちが多かったということである。そういう悪意のない捏造は伝承学や民俗学の分野ではよくあることであるが、この本がなければ広域での次元世界の調査というのはもっと後になったであろうことは間違いなく、結果からすれば学術の発展に大きく寄与したといえることだった。
 調べてみると地球の伝説や神話には、ミッドやベルカに伝えられているものと共通している部分があった。
(もしかしたら、地球でいう神々の類は、ベルカからきた騎士ということも、ありえるのか――)
 それはそれでありそうな気もするが、時期が少し合わないなあとぼやきながら、ユーノは「さてと」と私信を打ち始めた。
 空間に展開されたディスプレイに文章を書き込みながら、はやてとの会話を思い返す。
『ほんまに不思議やね。あたしがこないだ行った第16管理世界で会った子なんか、カリバーンなんて名前のデバイスつかっとったんよ』
『なにそれ』
『地球の伝説に伝わる宝剣なんよ』
 ……そんな話をしたのは、もう何年前だろうか。
(あれは機動六課を立ち上げる前だったか)
 ユーノはいったん手を止めて、んんっと大きくのびをした。
「しかし、なんでこんなこと知りたがるんだろうな」
 首をかしげながら、彼はその管理世界で遺物や骨董品を扱っているブローカーの名前を書き込んだ。
 少し前に送られたメールには、第16管理世界での遺物売買に関係する事柄を調べたいので、すぐに手に入る範囲でいいから情報を送ってほしいという旨のことが書かれていたのだった。
 遺物の販売ルートならばスクライア一族にとっては馴染み深いものであるが、末端の流通経路となるとそれほど詳しいわけではない。調べるのに少しばかり時間がかかってしまった。
(なんの事情があるのかな? 周りには極力知られないようにって……)
 ユーノは不審に思いつつも、しかし続きを書き込んだ。
「その人は今は喫茶店を経営しているはずです、と――名前は確か」
 ベルカの言葉だったな、と改めて確認のために視界の隅に表示させた空間ディスプレイを見た。

「アーネンエルベ」


 ◆ ◆ ◆


「……まだ気になりますか?」
 かつての自分の補佐官であるティアナに聞かれ、フェイトは「うん」と素直に頷く。頷いたが、すぐに息を吐きだす。
「大丈夫。仕事に集中するから」
「はい」
 ティアナはそう答えながら、前を向く。街灯の並ぶ夜道はそれなりに明るいが、やはり真昼のようにとはいかない。この辺りはただでさえ人の気配もまばらであった。女二人で出歩くには向いていない。自分らに危害を与えられるような犯罪者は稀ではあるが、いない訳ではない。ティアナは自分の神経がやや過敏になっていることを自覚していた。
 それと。
(フェイトさんに何かを出来る魔導師がいるし)
 ということもあった。
 喫茶店での一幕は、彼女たちに緊張を強いるのに充分であった。
(記憶とか認知に影響を与えられる魔法――ないでもないけど、フェイトさんに対して仕掛けられるだなんて、どんな反則)
 周りにいたお客さんやらウエイトレスなどに話を聞いて、フェイトが二人の女性と相席になったということは解った。解ったのだが、話の内容だのは誰も覚えてなかった。誰も聞き耳を立ててなかった。
(あるいは、それもその魔導師が何かやったのかしら? 周辺にいる人間の認知を操作する魔法なんて――)
 脳裏に、あの夜のことが浮かんだ。
 自分とすれちがった――という女性について、ティアナは上手く記憶できなかった。
(同じ人間か、同じ技術か)
 にしても、この街で偶然に自分たちが遭遇するだなんてことがあり得るとも思えなかったが。
「ティアナ?」
「あ、すいません。こっちもちょっと考え込んでました」
「うん――なんか、お互いに調子が狂っているよね」
 そういって、フェイトは笑った。
 無理に出した微笑のように見えたが、ティアナもまた笑った。
 お互いがお互いを慮っていた。
 やがて歩きながら話を続ける。
「喫茶店ではゆっくり話ができなかったけど、今回の事件、聞いた限りでも厄介そうだね」
「ええ」
 ティアナは頷き、フェイトは足を止めずに顔に手を当てて考えるポーズをとった。
「行方不明者の続出、そして関係していると思しき古い魔法の使い手」
「確定はしてませんけど」
「だけど、ティアナは関係があると見ているのよね」
「はい」
 歩く足音が、やけに強く響いた。
「私は、その古い魔法によって、死体が灰にされているんじゃないかって思うんです」
「なるほど――――」
 行方不明者がどういう状況に陥っているのかは判断が難しかったが、最初の証言などを聞く限りでは正気を奪われている状態らしい。相手から自由意志を奪う魔法はミッド式にもベルカ式にもあるが、それもやはりティアナは自分の知らない方法で行方不明者は操られているのではないかと思えた。
 フェイトは歩きながら相槌を打っていた。
「それがどういう意味があってというのは良くわからないけどね」
 そうだ。
 それは確かにそうなのだ。
「人間を操るのも、それを灰にしてしまうのにしても」
「まったく意味が解りません。灰にするというのは、証拠隠滅を画しているとも考えられますが」
「衣服を残して、体だけ灰にする――というのも、どういう魔法を使えばそんなことができるのか……ユーノかはやては何か言ってなかった?」
 ティアナは一度俯き、それから顔を上げた。
「いえ。該当する魔法については心当たりはないそうです」
「無限書庫にも、夜天の書にもない魔法か……」
 フェイトの呟きを耳にしながら、ティアナは「すいません」と内心で謝っていた。彼女は捜査の段階ではやてには相談しにいったことはフェイトに言っているが、無限書庫にはまだ問い合わせていないということは隠していた。
(もしもこれで、全てが私の杞憂だとしたら……事件の解決を遅らせて犠牲者が増えていたら、全て私の責任だ)
 今からでも遅くはないのかもしれない。
 無限書庫に連絡を入れて、古魔法についての解るだけの資料を集めてもらうべきなのではないか。
「ティアナ?」
「いえ、ちょっと頭の中で話がまとまらなくて」
「うん。これは無理はないよね」
 苦悩の様子を察せられたらしい。補佐官時代のことを考えれば、旧六課の関係者で、ティアナの最も親しい人間はスバルたちを除けばフェイトであった。
「脈絡が掴めない。多人数をどうやって操っているのか、それを魔法で灰にしてどうするのか、そもそもどうして操っているのか……」
「ええ」
「もしかしたら、灰にしているのは魔法じゃないのかもしれないけど」
「――フェイトさん?」
 心当たりはあるんですか、と言おうとしてフェイトの顔を見ると、何処か懐かしそうに目を細めているのが解った。何かを思い出そうとしているようだった。
「いや、死んだら灰になるって、まるで吸血鬼のようだなーって」
「吸血鬼――ですか?」
 なんだそれは。
 御伽噺の怪物ではないのか。
 吸血鬼の伝承は次元世界にもないではない。だが、それはあくまでも昔話の類であり、もっと言えば迷信の部類と世間では思われていた。魔法が日常で使われているこの世界であっても、怪物の存在が全て肯定されている訳ではない。
 フェイトは唇に右手の拳を寄せていた。
「地球の方で見た吸血鬼の話ではね、吸血鬼は死んだら灰になってたんだ」
「灰に――」
 ティアナが聞いた地球の吸血鬼の話は、荒唐無稽もいいところだった。曰く、しばらくの間死んでおり……蘇った死体。夜な夜な人の血を求めて彷徨い、十字架を恐れ、大蒜を苦手とし、太陽の下では生存できない怪物。
 次元世界の吸血鬼の話もたいがい出鱈目だが、それに輪をかけていると思った。
 しかし、聞いていて気になる部分があるのも確かだった。
(蘇った死体)
「そう」
 ティアナの内心を見計らったように、フェイトは言う。
「蘇った死体を操る能力とか、そういうものに対する心当たりは、ティアナの方があったよね」
「マリアージュ……ですが」
「私は最初にマリアージュについて聞いたとき、吸血鬼を思い出したよ」
「確かに共通点がありますが……」
 そういえば、マリアージュも確かに倒せば黒い液体になっていた。
 素体が死体であるとは言っても、ああなっていては存在そのものを変換されてしまっていたのだろう。
 ティアナは首を傾げる。
「確かに似ていますが、それでも存在の痕跡は残していました。灰のようになるというのは、やはり違うと思います」
 とはいえ、共通点が多いというのも間違いない。
 事件に当たっていたティアナがマリアージュのことを連想しなかったわけではない。ただ、いくらなんでもそんなたびたびに、しかも短期間に同様の事件に当たることがあるとは思えないということと、やはり言葉にしたとおりに灰になってしまうということが心に引っかかっていたからだった。当事者だけあって、相違点の方に目が向きやすいのだ。
 それと古魔法なる未知の魔法体系へと関心が向けられていたということがある。
 未知の魔法なら未知の現象を引き起こしても不思議ではないのではないか――ということである。
「冥王とは違うにしても――あるいは、もっと古い時代の、冥王の原型になるような能力ということも考えられる」
 フェイトはそう言う。
「より古い時代のですか。それで、古魔法と……」
「納得できない?」
 ティアナは微かに逡巡したが「はい」と素直に肯いた。
「今の段階では、とても。材料が少なすぎます」
「だよね。……そうなると、無限書庫の答え待ちか」
 ずきり、とティアナの胸が痛んだ。
 胸が痛んでいるというのは錯覚で、実際は胃が痛んでいるだけなのだが。
(やっぱり、本当のことを話したほうが……)
 そう思う。
 しかしためらわれた。
 高町なのはが非合法活動をしているという類推、そのために情報を収集しているということをも外部に漏らせないというジレンマ。
 フェイトに伝えるべきだろうか。聞くべきなのだろうか。
 貴女はなのはさんが今していることを知っていますかと。
 もしも非合法活動をしているとして、それを許容できますかと。
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンという人は、スバルともなのはとも違う、しかしある意味で二人よりもティアナにとっては特別な存在だった。
 執務官補佐としてフェイトの下にいた期間、彼女は多くのことを学んだ。危機を助けてもらった。またティアナの方がフェイトを助けたりもした。
 なのはは厳しい父のようで、スバルがほっとけない妹のようなものであるとするのなら、フェイトは優しい母であり、頼りになる姉のような存在となっている。
 自分でも信じたい。この人は裏切らないと。この人は自分と同じ方向に志を向けていると。
 だけど。
 フェイトにとって、恐らく高町なのはという人は、母とか娘とか姉とか妹とか――そんなことよりも何よりも何よりも大切な〝友達〟なんだと、ティアナは思っている。二人の馴れ初めを聞いて、戦いを見て、そう確信している。あるいは自分自身よりも大切な人なのだと。フェイトにとってのなのはは。きっと。
「ティアナ?」
「あのフェイトさん、」
 迷いを吹っ切れたわけではない。
 吹っ切れてはいないが、聞かなくてはいけないと思った。
「もしも、もしもですけど――もしも、なのはさんと闘うことがあれば、フェイトさんはどうするんですか?」


 ◆ ◆ ◆


「ご飯ができたぞ」
 そういわれて、みんなが慌てて席に着く。
「今日の晩御飯は餡かけうどんだ」
 というと、食事係の赤い髪の青年はみんなの席に配膳された皿に生うどんを乗せ、その上に野菜と肉が何種類も入った粘性の高い餡をかける。入っている野菜は白菜、人参、筍などで、他に椎茸なども入っている。肉はきれっぱしのような豚肉と欠片のような鳥の挽肉ではあるが、それでもかき集めたのか結構な量が入っている。あとは小さな剥き海老などだ。
 それらの材料を胡麻油とオイスターソースで炒めたものに、乾し椎茸と顕粒のスープを加え、一度煮立ってから片栗粉でとろみを出す。
 意外とお手軽なメニューなので、青年はよくここで作っていた。勿論、味がよいというのもあるし、材料が安くて済むというのもある。野菜の種類を変えればバリエーションも豊富ではあるし。
 現に子供たちには好評だった。
「いっただきまーす」
 と元気な声があがり、みんな楽しそうに勢いよくうどんを口に運ぶ。もっとも、うどんと呼んでるのは作り手とその相棒の女性だけで、みんなはこれをパスタの一種だとみなしていた。フォークを使って同じ様に食べている。実際に小麦粉を練って作っているので大差はないと言えばそうなのだが、作り手の青年は「これはうどんなんだ」と拘っていた。
 とはいえ、みんなが美味い美味いといいながら食べてくれるのは嬉しいらしく、彼がみんなを眺めている様子は満足感がありありと浮かんでいるのだった。
「はーい、デザートだよ」
 そしてみんなが食べ終わる頃に、青年の相棒の栗色の長い髪の女性が大きなパイを運んでくる。
 すでに人数分に切り分けているらしく、群がる子供達の手に紙皿に手際よく配っていく。
「た――なのは、食事が終わったら、部屋でちょっと話があるから」
 全員に配り終えた相棒――なのはに、青年はそういう。
「解ったよ」
 なのははそう答える。
「皿洗いとか終わった後でだよね」
「当たり前だ」
「じゃあ、一緒に済ませちゃおう」
 青年が頷いた時、
「お二人とも」と孤児院の責任者のシスターが声をかけた。
「お二人でお話があるのなら、そちらを優先するべきです」
「いや、こちらとしては居候の身として、仕事はきちんとするべきだと」
「お二人がこられる前は、食事の片付けなどはみんなでしてました」
 そう言って、少女と言える歳の銀髪のシスターは子供たちへと顔を向ける。
「おー、なのはさんもシローも遠慮なんかしなくていいから」
「片づけくらい、わたしたちにもできるから」
「このようにこの子たちもいっております。たまに、夫婦二人で水入らずの時間を過ごすべきですよ」
 シスターの言葉に二人は顔を見合わせてから苦笑し合い、「わかりました」と言った。
「それでは、先に上がらせてもらいます」
 そう言って、二人は自室へと向かった。


 この孤児院は、しかし正式な許可を得ての経営はされていない。
 聖王教会の慈善事業の一つとして広く各管理世界で行われている孤児院などの施設運営は、教会の中枢を為していると言っても過言ではない。施設で育った少年少女は幼くして聖王教会の教えを受けて育ち、やがては教会を通じて管理局などにも勤める人材となる。ただ、その仕組み自体は古くから批判の的となっていた。教会と管理局の癒着構造の元凶であるというのだ。
 勿論、現実には管理局と聖王教会との関係は他にも様々な現実的な理由があっての関わりであるが、孤児院からの管理局入りというのは解りやすく、そしてほどほどに同情を誘いやすい構図であった。
 そんなこんなの声があって、聖王教会は孤児院の数を表向き増やすことはなくなっていた。作っても宗教色を抜いた施設として、経営者か従業員も教会とは直接関係ない者を雇うことにしている。
 だが、現実にはそういうことがおいつかない場所というのもある。
 このモーゲンの第六分教会などがそうであった。
 ここは孤児院としての機能を持ちながらも、聖王教会がそれと認めているわけではないし、管理局などの組織から正式な運営許可をもらっているわけでもない。
 前述の理由で聖王教会は孤児院を新規に作ることはしていなかったが、この町のこの教会では、現実的な理由で孤児院の存在が必要とされていた。他にそのような施設がないのである。いや、あることはあるのだが、定員一杯というところが多かった。次元難民の流入などが関わっているのだが、そのあたりの詳細は省く。
 そんなこんなの事情で、聖王教会が「一時預かり施設」という名目で、実質孤児院を運営するという事態が生じたのであった。
 この第六分教会の場合は、ベルカ式を収めるシスターが一人で切り盛りしている。本来ならはシスターが一人ということはありえないのだが、彼女の父でこの教会の本来の主が行方不明となっていたため、一人だけなのである。
 さすがに一人ではどうにも運営できないということで困っていたのだが、ふと迷い込むようにやってきた二人の夫婦ものを、当面の住み場所を提供するという名目で雇うことが出来て一息つけたのだった。
 シスターは習慣となっている聖王への祈りを終わらせてから、ふと灯りがついたままの二人の部屋を見た。
「あの二人は、やはり……」
 呟き、目を伏せた。


「……思ったより、状況はひどいね」
「ああ」
 十畳ほどの広さにベッドが両端に並べられているというだけの簡素な部屋で、二人は互いのベッドに腰掛けながらそれぞれが手に持つ資料を見せ合う。
「管理局が情報管制を敷いているようではあるけどな。だけどいい加減、情報は必ず洩れる」
「この規模の町で、あれだけ消えてたらね……私たちだけで何人処分したっけ。私は覚えているだけで二十五人」
「俺は五十三人」
 そして、沈黙が一分近く続き。
「遠坂さん」
 となのはは言った。
「あの人も多分、同じことをしているんだよね」
「多分な。あいつなら、しかし――」
「しかし?」
「あいつは戦闘向きの性格はしているけど、魔術はそうじゃないからな。どうしても率は落ちる」
「ああ、なるほど……」
 士郎は両手を組んで拳をつくり、その上に額を置くようにして顔を伏せる。
 彼の本来の相棒である、遠坂凛という女性を案じているのだと知れた。
 なのはは一度目を伏せてから開き、
「死徒は、二人、いや、三人……遠坂さんが一人倒しているとして、彼女が倒したのは、その三人の誰なのか特定できる?」
「解らないな。そもそも、俺は死徒たちの情報をよく知らないんだ」
「それ聞くたびに思うけど、事前情報も知らずに作戦活動とかってしゃれにならないよ?」
「本来は、死徒がいるという事件じゃなかったからな……凛と系譜を同じくする魔術師が外道に堕ちたというだけで。何が起きてこうなったのかということもよく解らなかった。こっちに来る前に話をした死徒は、弓塚さつき一人だけで――」
「弓塚さつき、か。私はそちらの事情は良く知らないんだけど、相当に強力な吸血鬼なんだよね」
「ああ、凛からの受け売りだけど、最近できたハグレの死徒たちの組織【路地裏同盟】の盟主だって聞いてる」
「路地裏同盟」
「よくは知らないけど、ただ、相当に強力な連中を仲間にしているそうだ」
 とにかく新興の組織にして急速な勢力の拡大ぶりには死徒たちのみならず魔術協会や聖堂教会も警戒を強めているのだと、さつきに出会った直後に凛は士郎に説明してくれていた。彼はそれを思い出していたのだった。
「そもそも、あの弓塚さつきは、一体、どういうつもりであそこにいたのかがよく解らないんだが」
「そこらも含めて、お話する余裕があればいいんだけどね……」
 士郎は「そうだな」と答えつつ、資料を読み返す。
 途中で何かに気づいたのか眉を寄せたが、自分の気づいたことが何を意味するのかがよく解らないのか、そのまま首を傾げる。
「どうしたの?」
 となのはは聞く。
 ここ一年ほどの付き合いだが、士郎の表情の変化くらいは読み取れるようにはなっている。
「いや、行方不明者を調べていて気になっていたんだが……」
「何を?」
「どうして死体は見つからないんだ?」
「――それってどういう意味?」
 士郎は軽く説明したが、なのはもその意味を掴みかねている様子だった。
 やがて、かちりとアナログ時計がある時刻を刺した。
 二人は頷きあい、立ち上がる。

 二人にとっての夜は、今から始まる。


 ◆ ◆ ◆


「久しぶりやね、この世界も」
 建物から出て、まず最初に口にしたのがその言葉だった。
「はいです」
 彼女のデバイスである少女は、彼女の肩に乗ってそう相槌を打った。
 彼女の前を進んでいた赤毛の家族は、途中で振り返る。
「シグナムとシャマルはアギトと合流して三時間後の便でくるって話だけど、ここで待っとく? それとも、先に行っておく?」
 どっちにしても構わないぜ、と言った。
「そうやね……事態を早めに把握しとくためには――といいたいところやけど、まずここでホテルとっとこ。事件のあった街にいくのは、全員が揃ってからでええわ」
「解ったよ、はやて。ホテルに部屋とってきとく。あとレールウェイの時間とか調べとくよ」
「頼むよ」
 彼女は目の前から勢いよく駆け出していく家族の背中を眺めていたが、やがて夜空を見上げて目を細める。 
「はやてちゃん?」
 デバイスの少女――リインフォースに声をかけられても、しばらく彼女は反応はなかったが、やがて彼女は微笑み、「なんでもないよ」とリインの頭を撫でた。


 その日、宵闇の中、夜天の王は静かに第16管理世界に降り立った。



 つづく



[6585] 接敵。
Name: くおん◆1879e071 ID:b2456052
Date: 2012/03/13 09:10
 7/接敵。





「私がなのはと戦うことになったら?」
 フェイトは聞き返してから間をおかずに「ミドルレンジで戦う」と答えた。
「いや、その――」
 そういう意味ではない、と言おうとしたティアナであるが、フェイトは腕を組み、さらに言葉を続ける。
「意外? 砲撃魔導師相手ならクロスレンジというのは相場だけどね。なのはも基本的に砲撃魔導師だから比較的にクロスレンジは弱い――んだけど、それはクロスレンジで即効性のある決定力を持ってないというだけの話で、なのはは近接で対応できる技術も持ってるもの。あのシグナム相手に互角とまではいかないけど、攻撃を防ぎきるくらいには。その上であの圧倒的な防御力。攻めあぐねて膠着状態になったりしたら、それこそいい的。接敵する前に飛ばしていたディバインシューターで背後から狙い撃ちされるんだ。勿論、クロスレンジの攻防をしながら操作できるディバインシューターの数はそんなに多くないだろうけど、かなり衝撃くるよ。あれ」
「は、はあ……」
 ティアナはつい聞き入ってしまったのは、フェイトが考えながら言っているのではなく、常日頃から考え続けていることをこれを期に開陳しているのだと察したからだった。
「そうすると残された選択肢はロングレンジかミドルレンジかだけど、ロングレンジは、それこそ砲撃魔導師高町なのはの真骨頂。常識外の距離からのディバインバスター、下手したらスターライトブレイカーとか。一か八かの吶喊なんかしたら、それこそ迎え撃たれちゃう。だから、残されるのはミドルレンジ。この距離は、もっと言えば私の距離でもあるんだけど。そこからのヒットアンドアウェイで防御を削りながらなのはの集中を乱して砲撃のチャージを防ぎ、隙を作って――という具合に」
 そこまで言ってから、フェイトは溜め息を吐く。
「ずっと以前に戦った時とやることはそんなに変わらないんだ。結局、なのはと私は空戦主体ということでは同じだから。空を舞台にするという時点でどうしてもそんな風になるの。自分にとって最適の舞台を選ぶのが戦術の初歩だけど、それが相手もまた同じく得意なところだとね……」
「なる、ほど」
「ずっと以前にもこんな話したよね」
 ティアナは頷く。
 かつて機動六課にいた頃、『強さの意味』を問われたことがあった。
 なんだかんだとみんなで頭を悩ませたが、つまるところは――。
「相手に勝つためには、自分の得意な分野で、相手の苦手な分野を攻める……ということですね。要約すると」
「そう。敵を知り己を知れば百戦危うからず。地球で何千年も前の人がいった言葉」
 なのはのお父さんに聞いたんだ、とフェイトは言う。
「似たような格言はミッドにもあるけど……やっぱりね。相手に自分のことを知られているってのは、怖いよ」
「つまり」
「なのはも私の得意を知ってるから、こちらの選択肢なんてお見通しってこと。そうしたら何かの対策を立ててくる訳で、私もなのはがどういう対策をしてくるのかも予想しなきゃならなくなるの」
 そうなると戦技教導官のなのはの方がずっと有利なのだと彼女は言った。
「思考のリソースをどう戦うかに振り分けて常時考えてられるもの。そしてそれをどう教えるか。打倒の仕方も含めて。教導官は、そういう意味で怖い相手だよ。執務官は戦うことが多いけど、それを仕事にしている訳じゃないから」
「です、ね」
「最悪なのは、こっちの情報は相手に知られてて、相手のことをこちらは解らないということ。――多分、ファーン・コラード校長と戦った時がそうだった」
「校長先生が?」
 陸士訓練校の頃の校長の名前である。いきなり出されてティアナは驚いたが、フェイトの顔を見るとますます困惑する。
 彼女は、笑っていたのだ。
「昔、なのはと二人がかりで模擬戦をすることになったけど、AAAの私となのはの二人で、AAの先生には勝てなかった」
「――――」
 ティアナは映像でだが二人が幼少の頃からどれだけ強いのかを知っているし、その二人がどれだけの経験を積んでいたのかも知っている。
 ファーン・コラード校長とAAAの頃に模擬戦をしたというがいつ頃かはよく解らないが、それでも二人で一緒に行動をしていることから考えても、P・T事件と闇の書事件の二つは経験していたのは確実だろう。確かこの二つの事件の間では、フェイトは裁判などが終わっていなくて一緒に行動はできなかったと聞いている。
 それはつまり、二人は二つの難事件を解決したAAA魔導師ということで、実戦の経験も生半の武装隊員以上に積んでいたはずだ。
 その二人をして勝てなかったというと――
「その時に先生から聞かされたのが『強さの意味』」
「ああ……」
「今から思うと、先生は私たちのデータをあらかじめ徹底的に洗い直して、どういう戦術を組み立てればいいのかも把握していたんだと思う。舞台にされていたのも空戦主体の私たちに不利で、もっと言えば陸戦有利なところだったし。教導官としては私たちには絶対負けるわけにはいかなかったからね。なのはが言ってたよ。武道でもそうだけど、力をもってるはねっかえりは、まず最初にがつんと力の差を見せておくんだって。そうすると生徒は素直に言うことを聞くようになるって。もしもそういう前提が一切なかったら、もしも初見のデータが揃ってない同士だったのなら、私となのはは多分、勝ててた……と思う。ファーン・コラード先生の切り札のあの魔法もあるから、圧勝とかは無理だろうけど。ただ少なくとも二人がかりで負けるようなことはなかった」
 けど、それは意味のない仮定でもある。そうフェイトは言う。
「執務官なんかやってるとね、相手がどんな未知な能力を持っているか解らない、こちらの手の内はだいたい相手に知られている――そんなことは当たり前にあることだもの」
「そうですね」
 ティアナはそのことについては実感している。
 そして、なんとなくフェイトの言わんとしていることも察した。
 フェイトは笑っていたままなのだ。
「だから、執務官は常に手の内に一つや二つの切り札を隠しておく――ということなんですよね」
「うん」
「それもどう外にばれるか解らない。だから、」
「本当の自分の切り札は言わない、ということですか」
 ティアナも笑った。
 それもフェイクかもしれないよ、とフェイトは言うが、ティアナは信じなかった。フェイト・T・ハラオウンという人は生真面目だ。そして自分の職務のために妥協はしない。戦闘が仕事ではないが、戦闘となることは常に想定しているはずで、自分が有名人であるということも把握している。J・S事件のようなことは例外ではあるが、管理局の関係者と敵対することはありえることである。その際に自分のデータが外部に流出しているということも考えてしかるべきなのだ。
 そしてそのためには、親友であるなのはすらも知らない切り札を隠している――と。
(わたしが聞きたかったこととは違うんだけど……)
 内心でだが溜め息を吐く。
 意図して質問を取り違えられたのか、それとも本当にただ言葉のままに解釈したのかはよく解らない。
 問いただすべきなのだろうか――
 ティアナがもう一度自分の中の覚悟と決意を集め直そうとした時。
『ティアナ・ランスター執務官に報告!』
 空間にディスプレイが浮かぶ。
 見慣れた補佐官の顔が焦燥に歪んでいた。
『たった今、B18区にて巡回中の武装隊員が――』


 ◆ ◆ ◆


「あれは、管理局の人間だな」
「うん。武装隊の人たち」
 ビルの上からその様子を眺めている黒いフードのついたマント姿の二人は、暗闇の中で行われている闘争を分析していく。
「死者の巣に入り込んだのか。むしろ今までよく入りこまなかったというべきか……」
「そうだね。何か条件が変わったと考えるべきなのかも知れないけど、ちょっと情報が足らないね」
 淡々とした口調で女は言う。
 感情を殺しているようだった。
 眼下で行われている戦いはおよそ通常の武装隊員が遭遇するはずもない異常だ。保護するべき行方不明者に襲われるという異常。しかもその相手は常人離れした動きと速さと力を持っているという異常。いかなる訓練でも、このような状況を想定されて行われたことはあるまい。混乱して当然だ。
 それでも彼らは咄嗟にバリアジャケットを展開させて攻撃を防ぎ、非殺傷設定ながら砲撃魔法や槍型のアームドデバイスで迎撃していたりしていた。
「ミッド式三人にベルカ式二人――、陸士分隊の通常の編成だね」
「そうなのか」
「うん。ベルカ式三人でミッド式二人でもあるけど、近代ベルカ式でもミッド式やってる人よりは少な目だから。どうしてもミッド式の人が多い編成になるの。それに最近はミッド式も近接対応のが普及しだしているし。前衛にベルカ式という構図は基本だけど、古典になりつつある様式でもあるの。それでも、あと二十年はベルカ式の前衛というのが主流であり続けると思う」
「さすがに、詳しいな」
 男はそう言ってから、「死者は十八人、か。いや、今一人増えた。十九人」と数える。
「増えた?」
 女は怪訝に言う。
「エミヤくんが見逃してたの?」
「そういわれてもな。俺の目だって完全じゃない」
「何処かに隠れていたのかな」
 そう呟いた女は、だが自分でいっておきながらも何か納得いかないようだった。
 男も気になったのか腕を組むが、状況の変化に「む」と声をあげた。
「一人減った」
「――ショックだよね、あれ」
「ああ」
 威力設定をして殺傷力を抑えていたはずなのに、ベルカ式の槍が相手の胸に突き刺さり――消滅していく。
 そのあまりにも常識を逸脱した光景にその局員は悲鳴すらあげかけた。
 続けて襲ってくる死者に無防備な姿をさらしていたが、仲間が砲撃魔法でその死者を叩き、その局員を引っ張った。
「ショックではあるようだが、それで崩れたりはしないのか。やはり訓練を受けているだけある」
「援護は必要なさそうだね」
「別の巣を探そう」
 二人は頷きあってその場で背を向けた時。

「あっ、ああああああああああああ」

 悲鳴がもれた。
 階下からの女の声だ。
 ただの恐怖ではない、それは魂の奥底から出る叫びだ。

 二人は見た。

 いつの間にか死者と局員の中間の位置で膝を落としているミッド式の魔導師の姿を。

「何が――」

 あったの、と女がいう前に、男は飛び降りていた。 
「ちょ、エミやく、」
 女が覗きこんだ瞬間、そして男が着地するまでの刹那、そのごく短い時間のうちで、女は叫びながら杖型デバイスを振り回していた。その穂先から放出されたのは本来ありえぬ計算式で編みこまれた砲撃魔法であり、主の激変にインテリジェントデバイスのあげた悲鳴であった。
 緑がかった白い砲撃は味方も死者もまとめて吹き飛ばす。かろうじて非殺傷設定がしてあったので意識を失っているだけで済んだようだが、それも一瞬の正気がもたらせた奇跡のようなものだと、男は直後に知る。

「投影、開始」

 両手に現れた黒白の双剣。
 投影魔術。
 それを重ねて頭上に掲げたのは、女魔導師が杖を振り上げて彼へと叩きおろしてきたからだった。
 彼が受けるとさらにがむしゃらに杖を振り回す。近年ではミッド式でも近接の技術は発展しつつあるが、女がふるっているのはそういうものではなかった。単純に正気を失っているだけだった。自らの愛杖を振り回し続ける。杖の先に魔力光が灯っているのは、ふるいながらも溢れる魔力を同時に注ぎ込んでいるからだろうか。しかしそれは通常と違って魔法のていを為さない。
 男はそれを双剣で捌いている。
 傍から見ると、それは攻めあぐねているようにも見えたし、防御に専念しているだけのようにも見えた。
 あるいはその両方か。
「ち――――こいつは、駄目だ!」

「リリカルマジカル!」

 叫ぶ声がした。
「福音たる輝き、この手に来たれ。導きのもと、鳴り響け。ディバインシューター、シュート!」
「たか――おおっ!?」
 男の叫びは無理もない。声と共に桜色の光の弾丸が五つ頭上から現れ、猛烈な勢いで女魔導師に叩きつけられたのだ。
 さすがにのけぞった女の胸元に、いつの間にかビルの屋上から黒マントの女が降り立っていた。
 そして。
「フンッ」
 呼吸音と同時に両掌を魔導師の胸に置いた。
 まるで、吸い込まれていくかのようであった。
 女魔導師の身体が足から崩れ落ちたが、女はそこから後ろに飛びのいた。
「やっぱり、バリアジャケット越しだと勁の徹りが悪いの」
 それは、崩れてから二秒とおかずに立ち上がった女魔導師についてのいいわけであったのだろうか。
 女と挟み込むように女魔導師と対峙している男は「仕方ない」と言った。
「首筋を見ろ」
「?―――噛まれてる。いや、だけど、吸血鬼になるのって、時間がかかるんじゃなかった!?」
 戸惑うような女の声に、男は小さく首を振る。
「何をされたのか解らないが、もう、駄目だ。その局員は噛まれている。噛まれて正気を無くしている。噛まれて、もう人間じゃなくなっている。人間じゃなくなって、もう戻れなくなっている……」
 それは、取り返しのつかないことになっていると自分自身に言い聞かせているような声と言葉だった。
 ぎりっ、と夜の中で、男が歯を食いしばる音が聞こえた、ような気が、女にはした。

「死徒だ」

 
 ◆ ◆ ◆


「――――!」
 さほど遠くない場所から急に生じた大気を震わせた魔力の波動に、その場にいた三人は反射的にそちらを見た。
 いや。
 ただ一人だけ、前を見たままの少女がいた。
 右手を振り上げて、五メートルの間合いを一瞬にして潰した。
 高速移動から打ち下ろされる打撃は、一撃で容易に人を撲殺し得る。
 しかし、それを受けたのもまた尋常ならざる存在であった。
 とっさに両手を上げて。
 吹き飛ばされた。
「ごめんッ」
 そう言ったのは、仕掛けた少女の後ろに立っていた女性だ。
 赤いコートを翻して、こちらも常人離れした速度で、こちらは地面の上を滑るようにして接近する。
 そして繰り出されたのは槍を突きこむかの如き中段の拳――八極拳に云う馬歩衝捶だ。
 しかもその拳があたった瞬間にその拳の中から青い光が生まれた。
 さらにそこから踏み込んでの顎を突き上げる拳から肘への連携に入る。
 打たれたのは身長180センチほどの男であったが、最初の少女の打撃で両手の袖がーの部分のバリアジャケットが破れ、赤いコートの女の拳で胸を打たれた時に衣服は管理局のインナーになった。肘を打たれて前のめりになりながらも、しかし歯を食いしばって両手に魔力を籠めて目の前の女の頭を挟み潰そうとした。できなかった。
 少女の手が振り回され、男の腕よりも早くその胸を叩いたからだ。
 再び吹っ飛ばされ、男は壁に背中から激突した。
 その瞬間には再びバリアジャケットを再展開していた。
 回復が――速い。
「ち」
 赤いコートの女は最初に当てた拳を胸元に寄せると、その拳の中から煌く光の砂粒のようなものが落ちていく。魔力を失った宝石の欠片だった。
 打撃の瞬間に魔力を炸裂させて相手の防御を打ち崩せたのだが、それも一瞬のことでしかなかったらしい。
「遠坂さん、下がって」
「了解」
 身を翻して後方に飛びのくと、赤いコートの女――遠坂凛は、懐ろから新たな宝石を取り出した。
 前に出ている少女である弓塚さつきは、油断なく壁際で蹲っている男を見ていた。
「ごめん、遠坂さん。この人、結構強い。だから、」
「謝るのはこっちよ。今のは、私まで気をとられるなんてね」
 いいながら、彼女もまた油断なく目の前の男を見ている。
 紅い目をしていた。
 大きく口をあけて涎をたらしていた。
 口腔から覗いている二本の長い――牙は、男を人間以外の存在だと証明していた。 
 そう。
 吸血鬼だ。
「想定するべきだったわね……短期間で死徒に至るなんて例は、すぐ傍にあるんだから」
 そう言いながらも顔には腑に落ちないというか、何かの疑念が張り付いている。どうにも上手く方程式の解が埋まらないという風にも見える。升目を埋めるために数字が用意されているが、そのどれを選んでも正解ではない。そのような表情だ。
「まあ、そのことについては後でじっくり考えますか……割と近いところで結構大きい魔術――じゃなくて、魔法使った感じがしたし」
「管理局の人かな? すぐにこの人倒して逃げよう」
 できるの、と遠坂凛は聞かなかった。
 目の前の少女は決して大言壮語を吐かないということを知っていたのだ。
 弓塚さつきは、無言で立ち上がる局員の顔を凝視しながら、言った。
「ごめんね」 

 
 ◆ ◆ ◆


(もしもなのはと戦うことがあればか)
 フェイトは考えている。
 フェイトは思い出している。
 かつての海鳴での出会いと戦いと、その後の何十回も、あるいは何百回も行われた模擬戦とその結果と、時折に時間の空いた時にしているなのはとの戦いのシミュレーションを。
 思い出している。
 飛びながら考えている。
 並列思考で現在の状況を分析していくが、それは芳しくない。情報が少なすぎるからだ。
 巡回中の陸士の小隊が歓楽街の裏路地を歩いていて、突然に何者かに襲われたという知らせ。何者かというのは直前に伝わった映像だと一般人のように見えるということ。すぐに音信不通になったということ。そして、自分たちがそこから一番近いところにいたということ。考えるべきことは多そうだが、やるべきことは一つしかない。
 急行して――援護。
 それだけだ。
 そこまで結論を出してから、フェイトは右手を掴むティアナの方を見る。
 急いでいるのでこうやって引っ張ってきているが――
(なんでティアナは、突然になのはと戦うなんてこと言ったんだろう)
 よく解らなかった。
 解らなかったので、聞かれたことに素直に答えたのだ。
 vs高町なのはにおける戦術ロジックは、フェイトが常に考えていることだった。
 今の自分がこうしているのは、なのはとの戦いがあったからであり、もしもなのはに勝てていたら、立ち上がることもできないほどに叩き伏せていたら、自分はここでこうしてはいない。
 それはありえないifだ。
 高町なのはは挫けることがあるとしても、決してそのままでいるはずもなく。
 もしももしもあの時になのはと戦って勝って、ジュエルシードを手に入れることができたとしても、母は用済みとなった自分を廃棄していただろう。アリシアはきっと優しくて素敵な人だから、自分のようなモノを母が作り出していたと知ったら、責めないまでも悲しむだろう。きっと、母はそう思っていたに違いない。アリシアが蘇った時、自分が生き延びていた可能性なんかまったくない。
 だから、なのはと出会って、なのはと戦ったということは、彼女にとっての一つの奇跡だった。
 ここでこうしていられるということは、なのはと戦ったおかげ。
 それゆえに、彼女はなのはとの戦いを常に考えている。
 自分はなのはに助けてもらい、友達になれたから。
 だから考える。

 いつかなのはのように、誰かを救うために。

 ティアナ・ランスターの推測は正しい。
 フェイト・T・ハラオウンにとって、高町なのはは何よりも大切な存在であった。
 大切な大切な友人であり――
 超えるべき目標でもあるのだ。
 
 ――――と。

「何、これ――――!」
「?――――フェイトさん!」
 大気を、いや、空間そのものを震わせたかのような魔力の波動。
 先ほど感じた砲撃魔法のそれとは根本的に異なる、次元震にも似た、世界そのものを軋ませる衝撃。
 夜空の中で停止したの二人は、反射的にその波動のあった方向を見ていた。異常を察知した二人のデバイスは防御魔法の演算を自動的に開始している。己たちの主人の身を案じて電子音で悲鳴をあげていた。
「これは、空間攻撃をした感じに近いけど」
 フェイトはしかし、それについての思考を五秒で打ち切った。
 気になる。
 しかし、今すべきことは、そうではない。
 高速で管理局員のいた場所に急行する。
 何がおきているか解らない場所を調べにいくことよりも、確実に援護すべき人がまっている場所にいくべきだ。
 執務官として、こんな場面に何度も立ち会った。その都度後悔した。もう二度とこんな失敗は犯さないと誓い、それからもやはり後悔を繰り返し、誓いを新たにしてきた。失われた命の数を数えて救われた誰かのそれを足してなしにはできなくて、だけどそうしたいという衝動に何度もかられて、そうしようとした自分の情けなさが悔しくて悲しかった。
 今もきっと、そういうことになる。
 フェイトはそう予感した。
 五秒の停滞で救われなかった命があるかもしれない。
 謎の現象を捨て置いて世界が崩壊するのかもしれない。
 しかし自分のできることは一つだけだ。
 だから、今は全力で行くしかない。
 全力で、全開で。
 なのはのように。
 
 彼女の予感は、当たっていた。
 あるいは、外れていた。

 その光景を見た時、フェイトは自分がありえないifの世界に紛れ込んだのだと思った。

 武装隊員の胸の中央から背中を貫く白い刃を見た。
 日本刀に酷似した、あるいは日本刀そのもののアームドデバイス。
 それを手にするのは、何処かで見たような、しかし見たこともないデザインの白いバリアジャケットの女。
 栗色の髪をヴィータのようなお下げにした、フェイトもよくしる人。

「なのは―――ッ!」

 高町なのはが、そこにいた。




 つづく。
 



[6585] 宣戦。
Name: くおん◆1879e071 ID:fed7bf27
Date: 2009/05/14 13:59
   8/宣戦。




「フェイトちゃん――」
 
 微かになのはがそう呟いたのを聞いた者は、何処にもいない。
 彼女の目の前にいた女だけは別であったが――

 次の瞬間には、消滅していた。

 体が一瞬にして灰になって消えていくその様は、見ている者をしてそれは悪夢の中であると思わせるような現実離れした光景だった。
 残されたのは刃に貫かれて留まっていた衣服のみだ。


 ◆ ◆ ◆


 フェイト・T・ハラオウンは戦闘の専門家ではない。
 専門家ではないが、その能力が武装隊の人間に劣っているという訳ではない。むしろ、彼女以上の戦闘能力を持つ人間は、エースの集まりである教導隊ですらもほとんどいないというのが現状だ。
 執務官という職務は高い戦闘力が求められる役職ではあるが、それは戦闘の専門家であるということとは違う。
 執務官は時にワンマンで、あるいは部下を従えて厄介ごとを対処するトラブルシューターであり、作戦行動を規律を以って行う武装隊とは似て非なる存在である。 求められるのは高い戦闘能力と、それ以上に柔軟な対処ができる知性と応用力だ。
 そう。
 執務官の真骨頂は、突発時にこそ発揮される。
 夜の街で親友の高町なのはらしき人物と遭遇――などというありえざる事態に際し、彼女は叫んだ。
 バルディッシュをザンバーモードにして高度を落として路地の中に入って突貫をしかけた。
 それは感情に任せた行動にしか見えないが、そうではなかった。
(ティアナ、私が抑えている間にスターライトブレイカーを!)
 情報圧縮した念話でそれを伝えていた。
 叫びながら魔力光を発していたのは、自分がなのはに近接を仕掛けてる前に路地を作っているビルの上に着地させておいてきたティアナの存在を隠すため。
 いや、なのはの視野はサーチャーなど展開させずして魔法的な脅威を持つ。自分がティアナと共にきていることはすでに察しているに違いない。
 ゆえに彼女は突撃した。なのはを抑えるために。抑えている間にティアナに必殺の一撃を撃たせるために。それが現状における最良の手だと判断した。判断から一秒もかけずにバルディッシュを振り上げて落としていた。
 これでなのはの防御を抜けるだなんて思っていない。
 なのはの防御を打ち砕くためには溜めがいる。
 スピード重視の自分では、なのはの防御は生半な魔法では崩せない。
 しかし。

 動きをとめることができれば、今は充分だ。

(なのはの動きを止めて、その間に収束させたティアナのスターライトブレイカーで自分ごと撃ち抜かせる――)
 無茶なんて言葉を通り越している。
 いかに非殺傷設定であるとはいえ、それは絶対に人を殺傷しないということを意味しない。強烈な衝撃は心臓に対して負担になるし、何よりもリンカーコアへの影響は一時的にも相当なものがある。神経系に障害が残る可能性も指摘されていた。
 だが、それが今一番確実な、高町なのはを打倒する手段だった。
 これが、あらゆる戦闘を知悉する教導官にしてあまねく戦場を疾駆した砲撃魔導師である高町なのはに対し、不意を撃てる唯一の手段だった。
 そこに躊躇いが一ミリグラムとあっても成立しない、ミッションともいえないミッション。
 ここで彼女は、この女魔導師を高町なのはを相手にするものとして処理していた。本物か偽者かなどを気にしている暇などないと思っていた。そんな余分な考えは邪魔だと考えていた。
 ゆえに、ティアナは念話を受けたコンマ一ミリ秒後に収束を開始しており、フェイトもまた逡巡することなく最速の一撃を叩き込んだ。
 それが。

 よもや、なのは以外の魔導師に防御されようとは。

 いつの間にその男が割り込んだのか、フェイトには解らなかった。あるいはなのはに気を取られるあまりに認識から外していたのかも知れない。
 赤毛の若者が右手を差し出して呪文を唱え、そこに生じた魔力の力場はぎりぎりでフェイト・T・ハラオウンの全力の大打撃を受け止めた。
(プロテクション? いや、違う!)
 ありえざる戦場のありえざる戦況に、思考は加速してゆく。
 見たことも無い障壁に薄赤い光はなのはの隠し持っていた防御魔法の一種かと考えたのと並行に思考は目の前の男が何者かという推測に入っており続いての刹那になのはが壁伝いに駆け上がっていくのを視界の隅に捉えて。
(ティアナ――!)
 叫ぶ。
 圧縮させる意味も時間もなかった。
(フェイトさん)
 彼女の頭蓋の内側に響いたその思念には、焦燥と困惑と決意とが同時に感じられた。焦燥にフェイトは歯噛みして、困惑にフェイトはただちに反転したい衝動を覚え、決意にフェイトは紅い双眸を閉ざした。
 大丈夫。
 それが、彼女の結論だった。
 それが、彼女がティアナに向けている信頼の強さだった。
 ティアナ・ランスターは執務官で彼女の元補佐で、何よりも六課でなのはに鍛えられた、現役最高のストライカーの一人なのだから。
 瞼を下ろしていた時間は一秒にも満たない短い瞬間だ。
 再び見開いたのと同時に、バルディッシュを一旦引いて跳び退き、間合いをあける。
 このままティアナを救援にいくべきかという並列思考を押さえ込んで輝く大剣を脇構えにとったのは、青年が「トレース・オン」という呪文を唱えながら黒と白の剣を両手に呼び出したのを見たからだった。
(この人、かなり使う)
 ベルカ式を含めたアームドデバイスの操作法を一通りフェイトは知っている。
 二刀小太刀の術は地球でも見たことがある。
 それゆえに彼女は自分に対峙したこの赤毛の青年魔導師の実力を、かなり正確に見て取れた。
 ここで自分がティアナの応援に行こうと背中を向けたら、その瞬間は、恐らく致命的な隙となる。
 そう判断した彼女は「フォトンランサー」と呟き、背後に十八の弾体を構成した。
「――時空管理局の執務官、フェイト・T・ハラオウンです。貴方たちのしているのは違法行為です。直ちに投降してください」
 そして、抑制した声でそう言った。
「無茶な奴だな」
 男は苦笑したようだった。
「だが、」


 声がした。 


 ◆ ◆ ◆


「スターライトブレイカー!」


 ◆ ◆ ◆


(ティアナ――!) 
 悲鳴のようなフェイトの念話を聞いた時、 
(向かってくる)
 ビルの屋上の端に立ち、壁を垂直に駆け上がる白い魔導師を冷静に見ながら、ティアナは魔力の収束状態をチェックしていた。まだ八分。駄目か、と思った。思ってからやると断じた。
 自分の収束できる規模でのスターライトブレイカーでは、高町なのはの防御を打ち抜くことは無理だ。
 だから駄目だと思った。
 しかし他の魔法ではどれも一緒だ。
 だからやると断じた。
(スターライトブレイカーを叩き込んでから同時に下に身体を落として――)
 プランはできた。
 同時に並列思考で迫り来る魔導師を観察している。高町なのはによく似ている魔導師を分析している。
(壁を駆け上がっての移動は飛行魔法の応用? 飛び立った瞬間に生じる空間を作らずに壁際での移動によってそれを物理的な盾としているつもりなの? 手に持っているのはアームドデバイス? なのはさんだとしたらレイジングハートは?)
 解らないことだらけだ。
 解らないことばかりだ。
 だけど。
(フェイトさん)
 名前を呼んだ。
 大丈夫です。私は、あなたの元補佐官です。機動六課で一年を過ごした魔導師です。執務官です。ティアナ・ランスターなんです。心配はいりません。それだけの言葉を常重ねようとしてできずに出せたのがそれだけだ。だけど、それだけの想いは伝わったような気がした。あるいは、それ以外の何もかも伝わったかも知れないけど。
 視界の中でビルの上にまで駆け上がった白い魔導師は。
(速い!)

 ありえざる速度で、瞬くうちにティアナとの距離を半分に削った。

 飛行魔法を使わずに接地した状態でこの機動力――冷たい衝撃が背筋を駆け抜けながらも、ティアナ・ランスターには狼狽はなかった。
 構えたクロスミラージュの照準は動体である敵を捉えている。
(いける!)
 トリガーを引いた。
 そして、叫んだ。
 

 ◆ ◆ ◆


 光の奔流が夜を昼と変えた。


 ◆ ◆ ◆


「カートリッジロード!」
 白い女魔導師は、怯むことなくその光に対して刀を頭上に振り上げた。
 射出されるカートリッジは二発。
「斬釘裁鉄――ディバインカッター!」
 迎え撃つ。


「――――!」
 この手の「溜め」のある攻撃は機動力のある相手に対しては回避される可能性も高く、味方の援護のない場合は使用は難しい。ゆえに彼女の師である高町なのははバインドなどを使用して相手の機動力を封じるなどをしていた。
 今回のティアナはそれができずにいた。だから相手に避けられるというのは想定の範疇だった。
 スターライトブレイカーの射出と同時に脱力して、階下に身を落とし、その落下の最中からクロスファイヤーシュート――というのが彼女の組んでいたシナリオだ。
 しかし、目の前で起きたあまりにも常軌を逸した事態に、ティアナは続けてするはずだった予定の行動の全てを失った。

 斬ったのだ。

 スターライトブレイカー ――それはミッドの魔導師なら誰もが知る最強の砲撃魔法の一つだ。周囲に散らばった魔力を集めて、射出するという高難度の収束魔法。発射シークエンスに際して魔力の光が集まる様相は星の煌きを寄せているかのようで。――ゆえにつけられた名前がスターライトブレイカー。
 砲撃魔導師・高町なのはを象徴する魔法でもあり、ティアナ・ランスターがなのはより伝えられた大切な贈り物。
 防ぐことは、可能だ。回避することも、できる。受けきれる魔導師もいるだろう。
 それでもなお。
 そういうことを知っていてなお。
 ティアナはこの魔法の威力には、絶大な信頼をおいていた。
 しかしその大魔法を、よもや真正面から切り裂くとは――。
 
 桜色の光がデバイスより発せられていた。
 スターライトブレイカーが魔力を収束させての砲撃だとしたら、そのディバインカッターは魔力を収斂されての斬撃だった。
 いや、あるいはそこには彼女の魂そのものが積み重ねられていたのかもしれない。
 砲撃と斬撃が拮抗したのは一瞬。
 光を切り裂いた光が孤を描いて振り切られたのは、そらにその刹那後だ。
 
 刃は、銃口の寸前を通過していた。

「――――!」
 
 あまりにも近接した間合いに、咄嗟にティアナは背後に飛びのいていた。飛びのいたように見えた。
 本来ならば階下に落下するはずだったが、最早そのプランは彼女の中にない。
「クロスファイヤーシュート!」
 跳躍したティアナが叫んだ時、振り下ろして残心をとっていたなのはの、その右横に回り込んでいたティアナがトリガーを引いていた。
「シュートバレット バレットF!」
「――フェイク・シルエットと、」
 切り下ろした姿勢のままで呟いたなのはの声を、その視線を真正面から見ていたティアナは確かに聞いた。
(見えてる?)
 中段に構えられた刀の切先がそのまま何もいないはずの空間に突き進められ――
 ティアナは、眉間に向かって突かれた切先を真後ろに跳躍して回避した。
 同時に、なのはの右のティアナと、最初に跳んだティアナは消失していた。
 それを見定めたなのは、アームドデバイスを下段に下げた。
「オプティックハイドとフェイクシルエットを組み合わせたんだ。凄い制御能力だね」
 感心するような、喜んでいるかのような声で、なのはは言った。
「!……一瞥で見抜かれるとは、思ってもいませんでした」
 ティアナは、笑った。
 無理に浮かべた笑顔だった。
 だけど、精一杯浮かべた笑顔だった。
 彼女が仕掛けたのは幻術魔法の組み合わせだ。自身の幻影を作り出すフェイクシルエットと、自身の姿を消すオプティックハイドを同時に展開させるというものだ。
 ただ姿を消しただけならばなのははオプティックハイドと気づく。
 ただ姿を増やしただけならばなのははフェイクシルエットと気づく。
 この二つを組み合わせることによって、ショートレンジから離脱する――とさらに見せかけ、近接でのショートパレットを射出、するつもりだった。
 できなかったのは、目の前のなのはが幻術で別たれた分身を視野に捉えながらも、なおまっすぐに消えたはずの自分を見つめていたからだ。
(見えていたのかしら――いや、でも)
 だとしたら、遅い。
 自分に対して突きを仕掛けるタイミングが遅すぎると思った。
 いや、もっと言えば、その突きの速度も。
「……手加減しました?」
 剣術において、突きとは最速の技だ。
 魔法を使ったとはいえ、シューティングアーツの使い手でもない自分が跳躍でショートレンジから逃れ得るものではありえない。
 なのはは答えず、前に踏み出して。
『マスター、時間ですよ。あと五秒』
 声がした。
 なのはの胸元からした声だ。
 ティアナが怪訝に眉を寄せたのは、その声が聞いたことがない声だったからであり、もしもインテリジェントデバイスの声だとしたら、その声は手に持ったアームドデバイスからしなければならないからだ。
(どうなってるの? あの剣はストレージデバイス?)
 解らないことがまた増えた。
 なのはは残念そうに目を伏せてから。
「……ビー、……イバースタイル解除、……ランサー……に」
 今度の呟きは不明瞭でよく聞き取れなかったが、何かのモード変換をするつもりなのだとティアナは判断した。チャンスだと思った。その変身を黙って見過ごすなんて手はない。コンマ一秒でも隙があるのならシュートバレルを叩き込んで。
 ティアナが動く前に、なのはの変身か終わっていた。
 一瞬、虹色に輝いたかと思うと、なのはの姿が変わっていた。
 正しくはバリアジャケットが。
 かつて見たエクシードモードに似た、しかし袖などに蒼い縁取りの幅が増えた、微妙にデザインの異なるバリアジャケット。
 そして、髪型も変わっている。先ほどまでのお下げでも、ツーテールでもなく。
 真後ろに束ねた、ポニィテール。
「ハッケイ、スピアフォーム」
 そして、手に持つ刀は身の丈よりも長い――槍となる。
「ベルカ式?」
「違う」
 思わず呟いた言葉に答えが返り、ティアナは目を見開いた。
「ケイメンパーチーチュアン・リューヒーダーチャン」
 今まで聴いたこともない発音と言葉に、戸惑いを浮かべてしまう。
 その様子に今日初めて、ティアナがかつて見たのと同じ微笑を浮かべたなのはは、腰を落として槍をまっすぐにティアナへと向けた。
「シェンチャン・リー正伝の槍、果たして執務官に通じるかどうか……」
 むしろ、自分に言い聞かせているような言葉だった。 



「ち。――時間が足りない」
 目前のフェイトに対して静かに構えていた男は、僅かに視線を上に向けてから、そう言った。
「逃げるつもり?」
 ならば、いますぐにでもフォトンランサーを叩き込むべきか。
 フェイトがプレッシャーをかけるために半歩前に進むと、男は観念したように両手を下げ。
「投影、開始」
 呟いた。
「――――憑依経験、共感終了」
「何を――」
 するつもりだ、と言いかけて、口を閉ざす。
「工程完了。全投影、待機」
 ぞわり、と背中をおぞましい何かに撫でられたかのように、フェイト・T・ハラオウンは震わせ、どうしてか頭上を見上げた。
 直感だった。
 見るんではなかったと思った。
 そこにあったのは煌く星であるかのように夜空を覆い尽くす、剣と刀と剣と剣と剣と剣と剣の――刃の群れであった。
(いつの間に)
 ざっと視認して五十から……二百は超えている、ように見えた。
 それらが魔力によって作られた光というのではなく、実体と質量を伴った本物の剣であるということに、彼女は戦慄する。
「……転送、いや、召喚――」
 違う、と呟きながら思う。
 そういうのとは違う。
 そういう、彼女の今まで知っているような範疇にある魔法なんかではありえない――
「安心しろ」
 慄然と佇む執務官に対し、男はむしろ憮然とした声と顔で言う。
「積み重ねられた概念も、籠められた魔力もない、現代の大量生産品の剣だ。射出のための運動エネルギーだけは加えられるが、あんたのジャケットは、多分、抜けない」
 だけど、と顎をしゃくって彼女の背後の、路地裏で倒れている武装隊員達を示す。
「まさか」と、フェイトの眦が怒りでつりあがる。
「その剣を」
「そうだ」
 
「あんたの仲間たちに、落とす」

「………!」
「まったく、正義の味方のやることじゃない」
 どうしてか、脅迫している方が悔しそうだった。心底、悔しそうだった。状況からしたら限りなく偽善めいた言動と表情だった。だけど、フェイトは、この男が本当にどうしようもなくしたくもないことをしているのだと思った。だからと言って、この行為を許せるはずもないが。
「――ここは退くぞ!」
 階上で槍を構える仲間に対し、叫ぶ。



「ん――」
 なのはは、構えを解いて階下を見下ろした。
「仕方ないか。というか、声にださなくても……」
 何処か残念そうに呟く。
 それからティアナに向き直り。
「強くなったね」
「あ――貴女は」
 その先に何を言おうとしたのか、ティアナ自身にも解らなかった。
 出るはずだった言葉は、しかし出ることはなく、永遠の謎になった。
 なのはの手からスピアは消え、その両手を大きく振り回され、右膝が大きく上がっていた。
「じゃあね」
 踏み下ろされ。
 そこから床に亀裂が走り。


 ◆ ◆ ◆


 轟音が響き渡った。


 ◆ ◆ ◆


「――なんて、無茶な!」
 頭上で起きた破壊に怒声をあげるフェイト。
 それに対し。
「まったくだ」
 男は同意し、背中を向けた。
「待って」
 声と同時に待機させていたフォトンランサーを射出した。




 転章




「……あー」
 一キロほど離れたビルの上からそこを見ていた彼女、弓塚さつきは、崩れていくビルの様子に怯えたように顔をしかめる。
「凄いね……」
「ふーん。運動エネルギーに魔力を乗せて震脚にしたのね」
 遠坂凛は、さも面白そうな喜劇を見たかのように笑っていた。
「大したもんだわ。――見せてもらったわ、マジカル八極拳」
「まじかる!?」
 なんだか凄い言葉を聞いたと、さつきは叫ぶ。
「というか、知っているんですか遠坂さん?」
「知っているわ。あれこそは開門八極拳に魔力を加えて戦闘技術として再構成したという、伝説の武術……!」
「えー!?」
「――まあ、嘘だけど」
 そう言って、歩き出す。
「遠坂さーん……」
 さつきの顔は、なんだか泣き出しそうだ。
 おいすがるさつきをほっといて進んでいる凛の顔は、しかし先ほどとは違って何処か拗ねているようだった。
「マジカルは冗談だけど、というかあのバカ杖の命名だけど、魔術と八極拳を加えたスタイルは私も使うわ。この三十年は八極拳はかなり日本で広まったから。あの魔導師が使ってもおかしくはない……いや、おかしいか。そもそも、直前までとスタイルが全然違うじゃないの……それにあの光……まさかとは思うけど」
「遠坂さん……」
 さつきは溜め息を吐く。
 一旦、思考に没頭した彼女はなかなか答えを返してくれない。
 それはさつきだってこの一年の付き合いでよく解っている。解っているのだが。
 あえて、その背中に何かを言いかけた。
 言えなかった。

 二人は同時に振り向いたのである。

 弓塚さつきは両手を上げた。
 遠坂凛は右手に宝石を持っていた。

 二人の視線は、遠くに……何十キロも離れた、この街で、モーゲンで、最も高いタワーの上に向けられている。

「――見える?」
 そう聞いた凛は目を細めて。
「見えます。だけど、」
 その後に、どう続けようとしたのか。
 口をつぐみ、さつきは構えを解き、真紅に輝く眼差しで「それ」を睨みつける。
 凛もまたさつきに倣って腕を下ろし、またその口元に不敵な笑みを浮かべる。
「ふん。やっと、今日になって、ここにきて、初めてその姿を見せてくれたわね。――大したもんだわ。この距離で、この威圧感、金ピカとまではいかなくても、充分にサーヴァント並みだわ。まったく」
 宣戦布告のつもりかしらね、と呟く凛の声を、さつきは聞いていなかった。
 
 異界の死徒の視線の果てで、金髪の吸血鬼が微笑んでいた。




 つづく。



[6585] 疑惑。
Name: くおん◆1879e071 ID:b2456052
Date: 2009/05/28 22:51


 9/疑惑。



『あ、フェイトちゃん』

 表示されたディスプレイの中で、いつもどおりのなのはが笑っている。
 それを後ろの席で眺めているティアナは、画面の中の高町なのはの挙動を見つめていた。
 フェイトはいつも通りに微笑み。
「おはよう、なのは」
『うん。おはよう』
 和やかなものだ。
 いつもそうしているんだろうな、と思わせるやりとりを二人は続けた。
 体調のこと、今朝食べたご飯のこと、ヴィヴィオのこと、昨日寝る前に読んだ本のこと、……あと、ユーノとはやてのことに話が及んでから、フェイトは「それで」と話を切り出した。
「聞きたいことがあるんだけど」
『どんなこと?』
 いつの間にか、二人の顔が緊張に引き締まっていた。
 いつものやりとりの延長ではなく、仕事が絡んでいることなのだとフェイトは視線と声で知らせていて、なのははそれを受けて察したようだった。
「なのはには、そっくりな親戚とかいる?」
(直球過ぎです、フェイトさん……)
『え?』
 画面の中のなのはは少し驚いた様子だったが、「んー」と首を捻っている。どういう意図を持ってフェイトがそう言ったのかを考えている様子だった。
『お父さんの方の親戚は、美沙斗叔母さん以外はみんな死んじゃってるから、いるとしたらお母さんの方かなあ……だけど、聞いたことないよ』
「うん。そうだったよね」
『それで、そういうことを聞くってことは、私のそっくりさんがいたってこと?』
 なのはの面持ちは真剣だ。
(ティアナ、なのはの表情をよく見ていて)
 画面に顔を向けたままのフェイトの念話が聞こえた。ティアナはその意図を掴んでいたので、返答もせずに沈黙を選んだままで画面を見ていた。ちなみに、彼女は一言も話していない。なのはからはこちらはフェイトしか見えていないはずだ。
「うん。そうなんだ」
 フェイトが素直に認めると、なのはは『んー』と怪訝に眉ねを寄せた。
『そういう場合にこちらに確認がくるのは解らないでもないんだけど、変身魔法とか使われている可能性は吟味したんでしょ、フェイトちゃん?』
「考慮済み。ただ、その相手はなのはの魔法を使った」
 使っていない。
 ティアナが現在知る限りの情報では、あの女魔導師がなのはと同じ魔法を使ったという話はでていない。
 簡単な引っ掛けだ。 
 こちらがわざと間違った情報を見せることによって、相手がそれをどう受け止めるかを判定するのである。初歩の初歩もいいところだった。
 案の定、なのはは画面の中で『私の魔法というと……』と少し考えている。こんな程度のことに引っかかってくれるようでは、管理局のエースなどは名乗れるはずも無い。あるいは、引っかかるようなものは彼女にはないのか。
 なのはは言う。
『私の魔法っていえるのは、スターライトブレイカー?』
「うん」
 まったくの嘘だ。
 親友を相手に根も葉もないことをよく言える。ティアナは自分がスバルに捜査の為とは言え、完全な嘘をつけるのかを想像してみた。うまく頭が廻らなかった。考えたくないことだったのかもしれない。
『スターライトブレイカーは収束魔法としてはかなり優れていると自分でも思うけど、ランクS以上で収束技術に優れた魔導師になら、同様のことはできると思うよ。一から組み上げるとなると、ちょっと面倒だけど』
 そういえば、この人は九歳で自分であの魔法を編み出したんだっけ……とティアナは思い出す。昔見せられた記録映像の中で、当時の自分よりずっと年下の女の子がAAAランクの魔導師として自由に空を飛び、自在に魔法を操り、戦っていた。あの頃はあまりの才能の差を見せ付けられて圧倒されていたものだが……今なら、勝てる。そう思う。状況の設定次第で、あの天才魔導師にも自分は勝てる力を自分は身につけているという自信が今のティアナにはあった。勿論、九歳の頃の、と限定しなければならないが。
(違うか。こちらが向こうの手口を知ってて、向こうがこっちのやり口を知らないという前提だからこんなことを考えられるんだ。情報のあるなしは大きい……)
 そんなことを考えてしまうのは、やはり今の状況だからだろうなとティアナは思う。無意識に、自分はどうやって勝つのか、それを模索しているのだと気づいた。
 画面の中のなのはとフェイトの会話はそれからひとしきり進み、大した収穫もなく終わった。話し出したら二時間でも三時間でも続くのが二人の常だが、今日は昼前にヴィヴイオが来るので、その用意をしなければならないのだという。
 そういえば、そこは97管理外世界で、長期休暇中だという話なのだと思い出した。
(それにしても不自然な話ではあるわね。わざわざ故郷とはいえ、管理外世界に帰って、しかも誰も知らない別荘を借りるだなんて)
『じゃあ、フェイトちゃんも元気でね』
 そう言って、高町なのはは画面の中で言って、閉じた。


 ◆ ◆ ◆


「それで、ティアナはどう思う?」
 なのはとの通信を終了させてから、自分の後輩である執務官へと向き直り、最初に聞いたのがそれだ。
「どう」というのはつまり、彼女らの疑惑どおりかということである。
「色々と確認すべきことはありますが――」
 ティアナは何処かためらいがちに、
「高町三等空佐は、どの程度の次元移動魔法を使えるのでしょうか?」
「次元移動魔法はかなり面倒な部類に入る魔法ではあるけど、なのはにも一応使える。ただ、それは武装隊員として最後の脱出手段の一つとしてであり、距離に関しては心もとないものだと思う」
 そこらについては、自分もそうだとフェイトは補足した。
 ティアナは頷く。すでに知っていたことではあった。
 次元世界を生身で移動するという次元移動魔法は、デバイスの計算処理能力があったとしてもかなり難しい魔法であり、なおかつ人間の使える程度のものでは、移動できる距離もたかが知れている。
 この場合の世界と世界との距離というのは、言語では説明しづらい概念であったが、とにかくある種の相対的な移動しにくさ、しやすさというものがあると思えばいい。移動についての計算処理が少なくて済む世界を「近い」と称し、計算処理が多い場所を「遠い」と考えている。実際の距離としての遠い近いは関係ない。移動コストの問題なのである。
 例えば東京から北京までは飛行機に乗ってからすぐにいけるが、四国の中央の山に行くには、まず飛行機にのってから空港へと行き、そこからおりて車で移動……などという手間暇が必要となるのであった。純粋な距離としては北京の方が遠いが、移動にかかる時間では四国の真ん中の方が時間がかかるという――そんな感じのものなのだとティアナは理解している。ティアナは四国なんていったこともないが。
 今このことを論じているのは、97管理外世界からなのはが移動したという記録がないためであった。もしも次元移動魔法を使用せずに移動しようとしたら、一度バニングス家を経由してミッドにまできて……というルートを辿らねばならず、必ず記録も残る。最初に調べた時には、なのはは二ヶ月前に97管理外世界にきてから、たまにミッドにいく以外は記録がない。その最後も二週間前だった。
 かつての自分のように時の庭園のような次元航行能力のある艦船に移動して……と考えるのも無理があった。そういう能力のある船は管理局で登録済みであり、97管理外世界周辺は最近では念入りに巡視されている。そもそも、それだけの人員やら道具を運用していたら絶対に足がつく。
 もしもあの魔導師がなのはだとしたら、次元移動魔法を使う他は考えようがなかった。
「第16管理世界から97管理外世界へと生身で移動するには……理論値としては人間にも可能、だけど」
 フェイトは右拳を作って、親指の爪を唇に押し当てていた。
「なのはの次元移動魔法では、そこまでの移動処理は難しいよ」
「ですよね」
 次元移動はこの次元世界において、もっとも重要な魔法と呼んでもよかった。
 ミッド式、ベルカ式がこの世界において重視されているのも、そのせいと思っていい。
 限りなく低コストで次元世界の壁を突破して、別の世界に干渉できるということは、それができない世界の社会に対して絶対的ともいえるアドバンテージを持つことが可能だからだ。すぐさま次元の果てに移動されてしまっては、その相手がどれほどの犯罪を犯そうとも逮捕できないということであり、そんなことを繰り返されては社会秩序は保てない。
 それゆえに、次元移動魔法については多大な制限がかけられており、一般の魔導師にはほとんど使えない。そして使える者でも処理の問題があって近場の世界にしか移動できない。そして、ミッドを中心として「移動しやすい世界」というのはことごとくが管理世界である。そのあたりの制限については、武装隊員である高町なのはも同様であった。
「武装隊員として大隊規模以上の部隊指揮をとる立場の人間には次元移動魔法が公開されるが、それは緊急手段として」
 ティアナは暗記されていた知識を口にしてから、そこで「しかし」と言葉を続けた。
「ごく稀に、既存の次元移動魔法を解析した上で、遠距離移動法を確立する魔導師もいる、と聞いています」
「なのはがそういうことができるかといえば、可能性だけならYES」
 高町なのはという魔導師は、天才だ。
 魔導師としての魔力の総量という意味ではない。
 魔力をどう運用すべきか、それを感覚で把握してしまい、その処理を論理的にも解析して組み上げることが可能である。
 教導隊の前線から引退すれば、開発の方へとそのまま異動できるのではないかと皆には言われていた。
「だけど、その可能性は限りなく低いといわざるを得ない」
 フェイトはそういいながら、額に皺を寄せていた。
 果たして自分は冷静に思考できているのか、自分の親友を庇おうとする無意識に確証バイアスをかけて推論を歪めていないのか、それを彼女は懊悩していた。
「なのはは管理局に入ってから、それこそずっと武装隊員として最前線で戦い続けてきた。教導隊として後衛に回ったけど、それは仕事が減ったということを意味してない」
「ええ。教導官の仕事は、ただの武装隊員よりずっと多いですからね。戦闘訓練のスケジュールを組んだり、開発課に協力して新兵装の実験をしたり――次元移動魔法の開発を個人的に行えるかというと、それは無理でしょう」
「そう。もしもなのはが武装隊に入らずに、ずっと普通の魔導師として研究をし続けていたとかなら話は別だけど、そういうのでなければ身につけられるものではないんだよ。超距離次元移動魔法というのは。それに」
「それに?」
「もしもなのはがそんな魔法を使えるのだとしたら、」

「それを使って、多くの人を救おうとしているはずだから」

「ですね」
 無理に抗弁はせず、ティアナはそれを肯定した。
 確かに、そうだろう。
 高町なのはという人ならば、超距離の次元移動魔法を使用できるとなったら、それを使ってより多くの世界に行き、より多くの人を助けようとするはずだ。
 自分らにそれを隠そうとするはずはない。
「だとするのなら、協力者が――というのはどうです?」
「例えば、あの赤毛の男とか?」
 ティアナは頷く。
「フェイトさんも知らない魔法を使っていたそうですが」
「そうだね。ちょっとよくわかんない魔法を使っていたし。あれが転送系の魔法だとしたら、あるいは彼は私たちには未知の転送、もしくは次元移動魔法が使えるのかも知れない」
「その魔法で高町三佐をこの街から97管理外世界にまで運び、アリバイを作った……と」
「うん。なのは当人が超距離次元移動魔法を使ったというのよりは現実的だね。それに協力者ということを考えれば、他の魔導師がいて、サポートしている可能性だってある」
 例えばユーノとかはやてとか、という言葉をフェイトは口の中でだけ呟く。
 無限書庫の司書長のユーノ・スクライアは補助系の魔法を得意としている。彼に超距離の次元移動魔法が使えるのかというのは長い付き合いであるフェイトにもよく解らないことではあったが、可能性を言うのならばなのはよりはありえる。
 夜天の王、八神はやてについていえば、どれほどの魔法を保有しているのかは誰にも解らない。蒐集行使なるレアスキルを使えば、現在進行形でほとんど訓練期間なしにあらゆる魔法を保有できるからだ。ただし「蒐集」は「習得」ではないので、例えば近接戦闘用の魔法を蒐集したとしても、それを使いこなせるかというと、そうではない。はやてのような大魔力持ちはマルチタスクが基本的に苦手で(魔力制御に処理の大半がとられるため)、近接戦闘における瞬間的な判断ができないのだ。次元移動魔法の場合はそういう類ではなく、むしろはやての得意分野なので問題はないだろうけど。
(しかし、二人とも違う……少なくともユーノは無限書庫でいたことは確認できている。はやてはみんなと一緒にでかけているということでアリバイは確定しなかったけど――)
 少なくとも、なのはとはやてが協力しているのだとしたら、前線にはヴォルケンリッターがいないというのはおかしい。なのはが出ていて、ヴィータがいないというのはありえない。
 そうフェイトは思っている。
 だが、この二人以外にもなのはには知り合いがいてもおかしくはない。
「とりあえず、なのはのアリバイについては不確定、と」
「はい」
 ティアナの言葉と共に、ディスプレイに映像が浮かんだ。
 デバイスが記録している、あの夜の戦いだ。
 
 白い魔導師が刀を振りかぶっている。

 ティアナがボタンを押すと、その映像が入れ替わった。
 続いて浮かび上がったのは槍型のデバイスを構えた白い魔導師。

 両腕を振り回しつつ高く足を上げて、踏み込んだ瞬間。

「ケイメンパーチーチュアン・リューヒーダーチャン」
 フェイトは、その言葉口にした。まるで呪文のようだと言いながら思った。
 彼女はその言葉が何を意味しているのかは知っていたのだけれど。
「開門八極拳・六合大槍――」
「なんです、それ?」
 ティアナの疑問はもっともだった。
「97管理外世界にある戦闘技術の名前だよ。海鳴でも、趣味でやってる人がいた。なのはの家の近所で。昔あったことがある。もう何年か前に亡くなっているけど」
「つまりそれは、高町三佐も知っている技術ということですよね」
「うん。だけど、それと習得しているかというと別問題だよ。なのはの戦闘スキルは基本的にミッド式で、地球の武術は習っていないんだ。それも体系が異なる二つもの武術を、しかも高レベルで習得しているだなんて、無理がある。八極拳だけならまだしも、剣術もだなんて。剣術だけなら、もしかしたら、高町家に伝わる御神流二刀小太刀術の基本技くらいは学んでいる可能性はあるけど」
「色々、あるんですね」
「だけど、それもやはり――」
 そこで口をつぐみ、フェイトは画面からティアナへと向き直る。
「ティアナは、どう思う? この魔導師について」
「戦闘スタイルから考ると、高町三佐とは完全に異なります。推定ですが威力の規模、スキルとしての習熟度合いから鑑みて、最低でも管理局における魔導師ランクで陸戦AAかそれ以上はあります。高町三佐は空戦を主体としている人ですから。いざというときのための隠しスキルとして身に着けた、という可能性は否定し切れませんが、地球の武術は対魔導師、騎士戦を想定していない以上、次元世界では通用しません。魔法の補助によってそのあたりは補えますが、研究だけでもかなりの期間を要するでしょう。空戦主体の砲撃魔導師である高町三佐が、そんな本来の自分のスタイルとは完全に違うそれを時間をかけて身に着けるというのは、ありえません。そもそも隠しスキルは隠しスキルです。隠して、不意を衝くというのが最良の方法です。真正面から、端くれではありますけど執務官を務める私を相手にして、本来の自分のスタイルを封印してまでしてそれを使って対峙するというのは、明らかに理屈に合わない行為です」
「どうやってその技を身に着けたかは置いといて、ティアナ相手にそれを使ったのは、正体を隠すためだとしたら?」
「それならば変身魔法も使うでしょう。いつもと変わらない姿でスキルだけを別というのは、どう考えても不合理な行為です」
「なるほど……」
 フェイトがそう相槌をつくと同時に、ディスプレイの中の映像が消えた。
「まだ色々と聞きたいことはあるけど、とりあえずティアナの結論は?」
「はい」

「この人は、高町――なのはさん、です」

 フェイトは呆気にとられて目を丸くした。ここまで説明を聞いていて、ティアナがそういう結論を下すというのが信じられなかったのだろう。
 ティアナはそれに構わず。
「私の心証ですけど」
 と続けた。
「……根拠は?」
「私のことを知ってました。私の幻術を即座に見抜かれました。データで知っていたというのではなくて、明らかにこの人は、私の習得している技術の全てを把握しています。そんな人は管理局にもなのはさん以外にはいません。それと、」
 ――強くなったね
 あんな言葉は、なのはさんでなければ……と続けようとして、やめた。どうしてか、そこまでは言いたくはなかった。
「それと?」
「いえ、すみません。ちょっと勘違いしてました。ですが、間違いないと思います。この人はなのはさんです」
「そう」
 自分が残念そうな声をあげていないか、それをフェイトは気にしていた。自分が私情を言葉に滲ませていないか、それをフェイトは気にしていた。
「なのはが犯罪か――」
 ありえない、信じたくない、そんな声を心の中でもう一人の自分が叫んでいるのが解る。なのはのしていることならば何かの理由があるんだよと主張している自分がいる。理屈じゃないな、と思う。自分はどうあってもなのはの味方でいたいと思っている。それは隠しようがなかった。そしてそれとは別に、なのはが間違っていることをしているのだとしたら、自分が止めなくてはいけないと思っていた。
(それはかつて私がなのはにしてもらったことだから……だから、だけど、私はなのはと……)
 目を伏せて苦悩する先輩執務官に対し、ティアナは「ですが」と言った。
「全ては私の心証でしか、ありません」
「…………そう?」
 フェイトは目を開けていた。
「この魔導師がなのはさんである、ということを証明することは、今の時点では無理です」
 そう――かもしれない。
 彼女は、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは考える。
 画像に残っているこの魔導師が高町なのはである、ということを証明する根拠は、確かに今のところ二人にはなかった。
 なのはしか知らないようなことを知っていたというのは、絶対のものではない。ティアナのデータを入手することは不可能に近しいが、幻術を見抜かれたからそうだというのは強弁にも近しいように聞こえる。例えばティアナをよく思わない人がいたとしたら、「自分の未熟を棚に上げて」とかいいそうだ。そうでないにしても、あるいは陸戦でS+以上の、ストライカー級の騎士か魔導師だとしたら、一瞬で把握してしまう可能性はある。もしも自分やヴォルケンリッターがティアナと対峙することがあったとしたら、ティアナのことをよく知らなかったとしても、幻術を見抜けてはいたと思う。自分ならばともかく、ヴォルケンリッターならば、できるだろう。
(逆に言えば、なのはでないのだとしても、なのはと同等かかそれ以上の魔導師が相手ということになるのか……)
 厄介なことには違いなかった。
 ティアナはフェイトの思考を知ってか知らずしてか、言葉を続けていた。
「だいたい、なのはさんがこんなことができるとか、どう考えても普通は無理がありますからね。誰も信じてくれません」
 それは剣術と拳法の両方を使いこなしていたということについてだろう。
 フェイトはどこか呆れたように。
「普通は、そのいう心理的なブレーキがかかって、なのは当人だとは思わないんじゃないかな」
「いやー……なんかロストロギアでも使ってるんじゃないですか?」
「なんか投げやりだ。というか、そんなロストロギアあるの?」
「あっても不思議じゃないと、思います」
 ティアナは肩をすくめてみせた。
「執務官としての経験はフェイトさんと比べると浅いですけど、それでも、色んなロストロギアと遭遇しましたから。もうたいがい何でもありだと思うことにしてます。はやてさんみたいに、魔法とかを蒐集するなんてレアスキルもありますし。次元世界の何処かには、戦闘技術を蒐集することができるロストロギアとかレアスキルがあったとしても、私は驚かないですよ。今なら」
「そこまで都合のいいものはないと思うけど……」
 まったくありえない、と言い切れないのがロストロギアの恐ろしさであり、次元世界の広さであった。
 ティアナの操作でまた画面が入れ替わった。
「一晩で、二人の管理局員の死亡が確認できました」
「うん」
 表示されたのは、二人の男女の顔だった。
 一人は武装隊の、昨晩に胸を貫かれて消滅した陸戦Aの女魔導師であり、もう一人は一般局員ではあるが魔導師ランクで陸戦Aを持つことから警邏に借り出された男だった。通常、陸士だの武装隊だのの隊員のランクはBが平均であると言われる。魔導師ランクは直接に戦闘能力の上下を意味してはいないが、ある程度の目安にはなる。A以上ともなれば、かなりの逸材と言ってもよかった。
「彼女は近代ベルカ式の近接スキルも併習しているんだね。近頃はそういうタイプが増えてきているとは聞いてるけど。身体強化で反射速度を上げて――うん。私と近いタイプだ」
「フェイトさんに憧れている局員も多いそうです」
「そうなんだ。それで、この人が突然、おかしくなったんだよね?」
「はい」
 証言によれば、行方不明者たちと思しき一団との交戦中、いつの間にか現れた誰かに捕らわれて、突然におかしくなったのだとその場にいた隊員たちは言っている。
「金髪の、多分女だとしか解らないそうですが。突然に後ろから抱え込まれて」
「ミッド主体とはいえ、ベルカ式の使い手を?」

「はい。首筋に噛み付いていた、ようにも見えたそうです」

 フェイトはぞっとした。
 それは――それでは、まるで――。
「吸血鬼みたいな」
 血を吸って、仲間を増やし。
 殺された『犠牲者』は、灰になる――
「今回の事件で、殺した方か特別ではなくて、殺された方が変異させられていたということが確認できました」
「ティアナは、これがマリアージュと同様のケースだと思っているんだ」
 無言で頷き、男の画像をピックアップする。
「彼は元武装隊の人間です。こちらはベルカ式主体です。結婚を機に、四年前に内勤を希望して異動しました。半年前に離婚していますけど」
「彼は死亡が確認されたという訳ではなかったね」
「はい」
 映像は、また別の路地裏だった。
 しかしそこでは殺傷設定の魔法を使ったのか、不自然に壁が凹み、大きく床が砕けているのが解る。
「証言も取れています。あの時刻とほぼ同じ頃、この周辺から戦闘と思しき騒音が聞こえていたと」
「元とはいえ、陸戦Aの魔導師……騎士が暴れまわったら、それはとんでもないことになる――彼のインナーが残っていたんだ」
「はい。戦闘の痕跡から類推して、恐らく二人以上の陸戦タイプの、近接主体の相手と戦ったのだろうと」
「衣服だけ残されていたということは、彼もまた変異させられていた、ということか……」
 どうやったら、あるいはどんな怪物だったらそんなことが可能になるんだろうとフェイトは思った。
 捕らえて変異させるにしても、恐らくは制限の外れたA級騎士を打倒するにしても。
 ベルカ式の使い手を組み討ちで封殺するのは、同レベル以上のベルカ式の使い手であっても骨の折れる仕事である。ましてそれを戦闘の最中に不意をついたとしても行いえるかというと――例えばヴォルケンリッターの盾の守護獣ザフィーラにしても、難しいと思う。
 そして、バーサーク状態にされてたと思しき陸戦Aの魔導師を倒すというのも尋常ではない。同様の状態になっていたと推測される女魔導師は、砲撃を敵味方関係なく浴びせて一瞬にして倒してしまったのだという。男がそうなっていたとしたら、倒すのはフェイトにしても容易ではあるまい。
「ここでもなのはがやった、ということはないよね」
「距離としては五キロ離れています。時間的に、別のグループがいて倒したと考えた方が辻褄は合います」
 ディスプレイに、地図が表示された。
 フェイトたちが交戦した場所と、男のインナーが見つかった場所がポイントをつけられていた。
「ここだと、私たちがきたのはこっちだから――アレが起きた、その方向で起きていたことなんだね」
「アレですね」
 アレとは――あの、二人の背筋を寒からしめたあの衝撃のことだ。
 空間そのものをめくり返すかのごとき不快感を伴った、未知の波動。
 数秒間、フェイトはそれで動きを止めた。
 その数秒間があれば、あるいはあの女性も助かったのではないか――そんなことを悔いてしまう数秒間。
「管理局の方で観測されていました。何かの空間作用の魔法を局地的に展開させていたと考えられます」
「空間作用だと結界魔法を最初に考えるけど、そうじゃないんだよね?」
「その可能性は大きいんですが……少なくとも魔力波形のパターンから、管理局では初めて検出したものであり、確定はできかねる、とのことです」
 画面に浮かんだのは数式と波形図である。それがだーっとした勢いで上から下に流れていく。
 フェイトは何処か興味深そうにそれを眺めていたが、「かなり乱暴な感じだね」と呟く。
「乱暴、ですか」
「強引といってもいいのか。ミッド式にしてもベルカ式にしても、空間作用の魔法は結構デリケートなんだ。結界魔導師の中には、デバイスに計算を任せる時に生ずる、極小の認知速度のズレをすら嫌う術者もいる」
「はい。聞いたことはあります」
「一定空間内の時間流さえも制限するんだから当然なんだけど……この波形だと、強引に空間を塗り潰している感じ」
 こんなだと、長持ちしないなと言った。

「まるで、世界そのものを自分の魔力で作り変えているみたいな――」

「そんなことして、なんの役に立つんです?」
 ティアナは当然の疑問を口にした。
 ミッド式にしてもベルカ式にしても、世界そのものに働きかけて特殊な効果を起こすという点では共通している。ベルカ式は体内を中心として、ミッド式は自分から離れた場所に対して効果を及ぼすという違いはあるが、基本概念は同じだ。量子レベルでそのような効果が起こり得る世界というものを、一時的に現出させているのだ。そういう意味では、魔法というのは世界を魔力で塗り潰しているという行為であるといえる。だが、世界は矛盾を嫌う。強固な物理法則に対して魔法が効果を及ぼせるのはほんの僅かな時間だ。
 この謎の魔法は、一定時間、一定範囲において作用しているという点が特異――というよりも、異常であった。
「いうなれば、砲撃魔法を一定時間、全方向に出し続けているようなものでしょう?」
「さあ、それこそ解らない」
 そう答えるほかはなかった。
(ティアナだって気づいてる。このやり方はなんだか効率が悪い。まるで魔法プログラムを使わずに魔力だけを使ってるようにしか思えないんだ。野生種の魔導生物がこんな感じでブレスを吐いたりするけど、そういうのともまた違う)
「フィールド系の魔法の感じがしないでもないけど、何かよほど核になって強く働きかけるものがないと、ただ魔力を放出しているだけで終わるはず。そうなると、はやてのデアポリック・エミッションが近いかな……多分、まだ私たちの知らない何かがまだあるんだ」
「謎だらけですね」
「解らないことを並べていくだけで、うんざりしてくるよ」
「はい」
 二人は疲れたように頷き合うと、立ち上がる。
「それじゃあ、ミーティングはこれくらいにしておこう」
「お昼ご飯はどうします?」
「昨日の喫茶店で……といいたかったけど、局内の仕事があるから、食堂で間に合わそう」
「仕事――そういえば、密葬ということになったんですよね」
 それは、昨日殉職した二人の管理局員の葬儀についてである。
 いまだ事件が解決していないということもあるが、全容の知れない状況において、まだあまりことをおおっぴらに触れ回りたくはない……という判断が上の方でされたらしい。
 葬儀に参加するのは同じ武装隊の人間とその関係者、直接の上司――そして執務官の二人までだった。
「私たちは三時の埋葬の時にだけ立ち会えばいいという話だけど、教会には早めにいっておこう」
「はい」
 歩き出してすぐに、ふと思い出したようにフェイトは言った。
「あと、補佐官の追加を申請しているから、葬儀が終わる頃には選出されているかもしれない」


 ◆ ◆ ◆

 
 さつきの目の前で、凛は全ての衣服を脱ぎ捨てた。
 綺麗だな、と思う。
 黒く艶やかな髪、白い肌、青い瞳。
 体形はスレンダー型だが、くびれのある腰、形よく自己主張をしている胸の膨らみなどは、吸血鬼としてはともかく、女の子としては平均的なそれを大きく突出しないさつきの劣等感を煽ってならない。
「あんまり、じろじろ見ないでよね」
 そう言ってから、遠坂凛は浴室……というか、浴場まで歩く。
 この場所は部屋の中央に七畳ほどの大きさの風呂があるという様式であった。湯気はどうい仕組みか一定の空間以上は広がらないようになっている。まわりを囲むように配置されているベッドやクッションなども、多分、水を弾いて濡れて染みになるということはないだろう。
 さつきはぼんやりと凛が身体を洗ってから湯船に入るのを眺めていたが、やがて溜め息を吐く。
「はーあ……こういうところには、遠野くんと一緒にきたかったなあ……」
 ぼやいた。
『こういうところ』というのは古風にいうのなら連れ込み宿で、現代風というか日本風にいうのならラブホテルだった。日本のそれは海外に比べればありえないほどに内装や設備が充実してるいとテレビでやっているのを見たことがあったが、さつきが凛と入ったここは、日本の何処と比べてもありえないほどのサービスがついていた。
 風呂が室内にあるのに、湯気が広がらないだとかもその一つだ。
 凛の姿は湯気の向こうで白く霞んで見えたが。
「私もねー、女の子と入るってのはちょっとないわと思ったわ」
 凛の声は、しかし何処か揶揄を含んでいるように聞こえる。
 さつきが唇を尖らせて。
「別に、路地裏とかでもいいんじゃないかな?」
「私は疲れて、ベッドで眠りたかったのよ」
 いつもならば何人か作っている『パトロン』の部屋で過ごしているのだそうだが、さすがに二人で行くというのは気が引けたという。
「そうなんだ」
「あと、『パトロン』って言っても、暗示で家族に成りすませているだけだから。この世界は魔力持ちが多いし、なんの拍子で術が解けるかも解らないし。なるべくおとなしくしておきたいのよ」
 それが本音だろうということはさつきにも解ったが、そのことには触れずに、
「……なんか便利だよね、暗示って」
 と呟き、私も暗示能力を高めよう、とさつきは心の中で誓った。凛は湯気の中で「魔術師は本当は滅多に魔術は使わないけどね」と言っているが、ほとんど聞き流している。
「儀式と戦いの時くらいにしか使わないものなのよ。本当に、この世界の魔導師と私たちのような魔術師とでは、あり方が全然違うのよね」
「はあ……」
「聞いてないでしょ?」
「聞いてます」
「まあ、いいけどね……あんたも入りなさいよ。いいお湯よ? なんかよくわかんない成分はいってるけど。多分、疲労回復とかにはいいと思うわ」
「んー……残念だけど、吸血鬼は流れ水とか駄目だから」
 あまり知られていないが、吸血鬼は流れる水が弱点の一つである。
 それは「流水は穢れを洗い流す」というような原始的な概念の作用ではあるのだが、より霊的な存在となってる吸血鬼は、大きくその影響を受けるのだ。
「そういえば、そうだったわね」
「吸血鬼というか死徒の人で流水を克服した人は一人だけって話だから。――概念の効果って世界が変われば無効化されるかと思って期待していたんだけどなあ……」
 ちょっとがっかりした、とさつきは言う。
「日光が弱点というのは紫外線に身体が持たないということで、概念の効果とは別だっけ。水が弱点というのも概念とは別という可能性もあるのかしらね。まあ、この世界でもどういうわけか魔術基盤がある訳だし、あるいは〝根源〟が一緒だと別の世界の概念の効果も生じるのかも――平行世界の一つだとするのならそこらの推測に無理がないんだけど、ちょっと問題が……」
 また考えはじめたらしい凛を眺めていて「のぼせないでねー」とさつきは声をかける。凛も聞いているのだかいないのだか、「解ってるわよ」と返事をした。
 さつきは「はーあ」と溜め息を吐く。
「本当に、こういうところは遠野くんと来たかったなあ……遠野くん、シオンも、猫さんたちも、リーズも……今頃どうしてるんだろう」
「きっと心配しているわよ」
「うん、まあ、それは多分。だけど、遠野くんは私のこと知らないみたいだし……もしかしたら今頃」
 こんなホテルで――と言いかけて、恐らくはその相手であろう存在に思い至り、また溜め息を吐いた。
「溜め息が多いと幸せを逃がすわよ」
 凛の言葉はもっともだとさつきは思う。
 さつきは、だけど――と言いかけて、やめた。
(私、もう幸せこないんじゃないかなあ……吸血鬼に噛まれて吸血鬼になっちゃって、家にも帰れずに路地裏生活だし)
 それでもなんとか頑張っていたら仲間もできたけど、気づいたらこんな遠い世界に来てしまってるし。
「まあ、気持ちはわかんなくもないけどね」
 湯気の向こうで、遠坂凛は苦笑しているようだった。
「死徒に噛まれたからって、すぐ死徒になれるもんじゃないって話じゃないの。死徒に吸われてしまったことは不幸ではあるけど、死徒になったということは、チャンスを拾えたということではあるわ。アトラス院の学長さんも協力してもらえるみたいだし、元に戻れる可能性だって僅かにもあるし。――いっそ、死徒としての力を極めるというのもありなんじゃない? 貴女は性格的に向いてないみたいだけど」
「そういうことも言われたけど……だけど、そういう資質があるっていわれてもあんまり嬉しくないし。それにこっちの世界だと普通に死徒になれてるみたいだし」
「それは――」
 さつきが言っているのは、昨晩に対峙した死徒の男のことだ。
 管理局の制服を着ていたあの男は、かなり強い吸血鬼となっていた。元から、かなりの強さを持っていた魔導師だったのだろうと思った。彼女ら二人をして短時間で倒す方法は現状では一つしか選べなかったほどに。
 二人がわざわざこんなラブホテルにいるのは、別々にいては問題ありと思えるほどに消耗しているからというのがあった。
「まー、この世界は魔力を持つ人間がかなり多くいるのは確かだけどね。だけど多分、あの男は、死徒に意図してされたのよ。多分。あの女に」
「…………かな」
 そのあたりは二人ともまだ把握仕切れていないようだった。
「あれがもしも貴女が言っていたとおりの存在だとしたら、その可能性は高いと思うわ。私の追っていたあいつも、死徒化していたけど、やはりあの女にやられたんでしょうね。あるいは、自らその牙にかかったということだってありえるわ。あまり常識的ではないけど、死徒化は魔術師として一つの選択肢でしかないもの」
「うーん……」
「まあ、貴女はあまり難しいこと考えないでもいいわよ。今はとにかく、魔力を補充することを考えてなさいよ。今の状態だと飢餓とまではいかないけど、かなり消耗しているんでしょう。衝動で吸血行為なんかしたら、それこそ目も当てらんないわよ」
「あとで遠坂さんの血をくれるんでしょ?」
「あとでね……本当は、もう一つ魔力補充の手段はないでもないけど……」
 凛の言葉は、後のほうが消えていくような小さなものになった。
 さつきは少し気になったが、凛のような魔術師なら常に最善のものを選択するだろうという信頼がある。それを選ばないということは、何かの問題があるのだろう。きっと。そう思って、聞き返すような野暮は言わなかった。
 それから少しだけ気まずい空気が流れ、沈黙が場を支配する。
 やがて二分もたてば耐えかねたのか、さつきは「だけどさ」とどうでもいいようなことを言った。
「この世界の人たちは、平均、資質が高いと思うよ。だって、一人も死体になってないもの」
「? どういう意味――」
「だって、三咲町では結構死体とか出てきていたし」
「――しまった!」
 大きな水音をたてて、凛が立ち上がった。
「ちょっと! 貴女なんでそのことに気づいてたのに言わなかったのよ!」
「え? ここ魔法の世界だから、そういうこともあるのかと思って……」
 さつきの前に、風呂から上がって水に濡れた凛が歩み寄ってきていた。
 真正面から見た女魔術師の姿は、綺麗という以上に凄艶ですらあった。
 反射的に股間の濡れたヘアに目をやってしまい、思わず顔を覆った。女の子同士でも、恥ずかしい。特にこんな綺麗な人の裸だなんて、正面から見ていると凄く――喉が、渇く。
「ち。うっかりしてた。死徒に噛まれたからって死徒になれるわけじゃないけど、必ず死者になるって訳でもなかった……資質がまったくなかったら、普通に死んで死体になる――誰かが処分しているってことよね……これはひょっとして……」
 自分の思考に入り込んでいる凛を見上げているさつきは、いつの間にか手を下げていた。
 真っ赤になった顔で、凛を視ている。
 喉を両手で押さえている。
「あ、あの、遠坂さん」
「ん?――どうしたのよ」
「ちょ、ちょっとでいいから、あの、その――い、痛くしないですから!」
「え? 何? ちょっと、その顔で近づかないでよ! お願いだから――――」
 飛びかかったさつきに真正面から押し倒され。
 二人は湯船に派手に落ちた。



 転章



 そこは、何処か暗い場所だった。
 女は静かにベッドに横たわっていた。
 一見したら、それは人間とは、いや、生物とは思えなかったかもしれない。
 金糸をもって造ったかのような金髪、白磁器を思わせる肌――天上の工芸の神が美というものを形にしたのならば、このような造形が生まれるのかも知れない。
 そんな、あまりにも美しい女であった。
 ベッドに横たわり、胸の前で両手を組み合わせて、女は眠っている。
 そう。
 眠っているのだ。
 微かに上下する胸が、その鼓動の存在を確かに証明している。いや、その身体が持つ存在感こそが、女がただの作り物なのではなく、生きているのだと示しているのかもしれなかった。

 その女を見下ろす男がいた。

 暗い部屋で女を見て、しかし何もせずにいる。 
 ただ傍らに立ち、女を見ているだけだ。
 やがて、ぽつりと呟いた。
「局面が変わったか」
 その言葉にどれほどの意味があったのか。
 男は静かに言葉を続けようとしたが。
『――準備が整いました』
 空間にディスプレイが現れる。
 男はうむ、と軽く頷いた。
「そうか。では、いますぐ行く」
『葬儀を行う聖王司祭のプロフィールは、後ほどまとめて――』
 画面を消し、男は踵を返した。
 向こうところには、扉がある。
 あの扉をくぐれば、そこにあるのは日常の、退屈なつまらない仕事のはずだった。
 それすらも楽しく感じてくる。
 男は、自分の人生が充実してきているのを感じていた。



 つづく。



[6585] 回想/1
Name: くおん◆1879e071 ID:b2456052
Date: 2009/11/04 12:29
 回想/1



 
「――凛」
 と士郎は何処かためらい勝ちに口にした。
 彼女を名前で呼ぶようになってもう一年たつが、未だに慣れない。というか、慣れたくないと心の何処かで思ったりもしていた。彼の元同級生であり、師であり、恋人でもある遠坂凛の名前を呼び捨てにしている者というと、まず最初に彼が思い出すのは彼女のサーヴァントであった。
 だから、その響きがあいつと似ないように声に出すように、士郎は苦心している。
 なのに気を抜いたら。
「何よ士郎、アーチャーみたいに」
「いや、ごめん」
 不機嫌に言われて、士郎はすぐに頭を下げた。
 凛は何処か呆れた口調で。
「謝ることじゃないでしょ。ていうか、何か聞きたいことがあったんじゃないの?」
「ああ」
 士郎は頷く。
 手は分解した銃の整備をしていた。構造解析の賜物なのか日頃の訓練の成果なのか、よそ事をしながらもその動きには淀みはない。凛の視線はちらちらとそこに向けられていたが、やがて彼女は小さく息を吐き、「なんなの?」と士郎の言葉の続きを促した。
「作戦の最終チェックをしたい」
「ん……」
 凛は士郎に言われて、少し思案する。
「正直、時間ないんだけどね」
「事前の打ち合わせをきちんとしておかないと、何処でどういう失敗をするか解らないだろう」
「まあ、そうなんだけど……実際のところ、私もそうしたいところではあるけれど――」
 時間がせっついているのだと、凛は重ねて言った。
 二人がいるのは、日本の中部地方のある都市である。街、という方が適当かもしれない。小規模で、産業も対して発達していない。彼ら二人の出身地である冬木市に比べても、田舎と言ってよかった。
「依頼があったのは一ヶ月前で、場所を特定するのに三週間――後は、ずーっと昨日までここらの管理をしている退魔組織との折衝に時間とられちゃったもの」
「ああ……」
 そのあたりの愚痴は、ずっと聞かされていた。
 日本での魔術師の立場というのは微妙なものがあったりする。この国には古くから魔のモノと血を交えて力をつけた〝混血〟の一族と、そのような魔を討伐することを目的にその牙を磨いてきた退魔の組織があり、お互いがお互いを監視しあうように対立し続けていた。結果として生じた「冷たい平和」は、しかし微妙な力関係で成立しているものであり――比較的新しく外来としてやってきていた魔術師たちは、それこそ難しい立場なのだった。
(愚痴を言い出せばきりがないからな……協会が日本で霊地を確保するためにどんだけ無茶やったか、とか)
 さすがに、そこまでこの遠坂凛という少女が言及することはほとんどないが。
「――時間がないのよ。どういう偶然なんだか、そういう星のめぐり合わせなのかしらないけど、今日の、恐らく三時が標的の魔力が最も高まる時刻だわ。その時までにどうにかしないといけないのに、こっちは戦力は私と士郎の二人だけ。装備はなんとか揃えたけどね。あんまり使いたくないけど、切り札も用意したし――それでも、万全とは言いがたいけど」
「今からでも、時計塔や退魔の連中に協力を要請できないのか?」
 できないんだろうな――ということは士郎にも解っていた。
 だが、あえて聞いた。
 自分の考えるようなことはたいがい凛がやっているだろうと思っていたが。
「駄目なのよ」
 凛は静かに頭を振った。
「時計塔とかの魔術師が新たにこの国に入るとなればまた色々と悶着が起こる可能性があるわ。退魔は元々、私ら魔術師に対しては非協力的だしね。それに、これはアンタには言わないでおこうかと思っていたんだけど。――わりと近いところで、ちょっと霊的な問題が起きたらしいのよ。今はその後始末でこの辺りの退魔が総出で頑張ってるそうよ」
「それは」
 なんで俺に言わなかったんだ、と立ち上がろうとして腰を浮かし、すぐに座り直す。自分の性格を考えた上での凛の判断なのだろう。
 もしも自分がそのことを聞いていたのなら、そちらのことが気になっていたかもしれない。
 もしも自分がその場にいけたのなら、もっと人を救えているのかもしれない――そう考えるのがやめられないのだ。
(にしても、なんだ? 霊的な問題ってのは……)
 そのことの詳細については凛も知らないらしく、「なんか純度の低い真祖が出たとかなんとか、地脈が意図して歪められていたとかどーとか」と適当なことを言っていた。
「もう大本は絶ったらしいけど、相当に厄介なことらしいわ。正直、交渉が成ったというよりも今回のことについては『意地悪する余裕がなくなったから勝手にそっちで始末をつけてくれ』ってことだから」
「……………」
 士郎は憮然とした。
 よくある話だった。彼らとて元々は人々のために退魔を生業としていただろうに。いつの間にか組織として体裁が整えられたときにはその初期の志などは失われている。組織の面子、勢力の拡張……そのために本来守る人たちを巻き込んで、見殺しにさえする。よくある話だ。だが、士郎はそれが許せないと思った。衛宮士郎にはそれは到底許せることではなかった。
 凛にはその様子が把握できているらしい。
 腰に手を当ててから溜め息を吐き。
「落ち着きなさい。退魔組織だって、被害が明確ならばちゃんと手を打ってるわよ。今回の標的はそこらが巧妙だったから、面倒な事態になってたんじゃない。まだ、何もしていないと言ってもいいのよ」
「ああ」

「奴らが何かするのは、今晩からだわ」

 士郎の銃が組みあがった。
 イスラエル製の大口径自動拳銃、デザートイーグル。
 現在、市販されているハンドガンの中では最高威力を誇っている。
 当然、そんな銃だろうとも、それなりの魔術的な処置をしていなければ魔性の類には通じない。弾頭には呪いの言葉が刻まれ、銃身に仕込まれた擬似魔術回路によって射出された時、射撃そのものが一種の魔術となる。それだけではない。弾丸には魔術によって加工された水銀を仕込み、着弾と同時に生体に対して致命的な効果を発揮できるようにしてある。結果として生じる殺傷力はランクにしてBかそれ以上に達する――はずである。理論上は。
 不確かなものを実戦で使うのは、あまりほめられた行為ではない。むしろ、データを得るためにと時計塔のある魔術師から士郎に貸し出されたものだった。
 魔術師がいかな理由があって近代科学の産物たるハンドガンを魔術的な改良を施したのか――ということは考えても仕方がない。誰にも理由はあるのだ。
 士郎としてはあまり気乗りがしなかった。そもそもからして、彼はこの手の殺傷力を追求された武器は好まない。弓で射て剣で斬るという戦闘スタイルを用いているが、それでもまだ手加減は効く。拳銃なら足を撃ち抜くなどで済ませられるが、前述したとおりにこの銃と弾丸は相手を殺す、あるいは滅ぼすことに専念して作り上げられていた。使えば、相手がよほどの非常識でない限りは殺してしまう。一応は貸し出されてから戦闘のたびに持ち出してはいるが、今回のように使用を前提として携帯するのは初めてだった。
 凛は士郎の手の中の銃を、無理に感情を押しつぶした目で眺めながら。
「持っていくのね」
「ああ」
 士郎は答える。
「投影の回数を、できるだけ節約したい」
「そうね。何が起きるか解らないから……私も、できる限りのことはしてくるつもりでアレまで持ってきたけど」
「使うのか?」
「――まさか!」
 それこそ忌々しげに彼女は肩をすくめて見せた。
「何の気まぐれをおこして持ってきたんだか……自分で自分をとことん問い詰めたい気分よ。まあ、簡易封印だから、抜け出そうと思ったらすぐ抜け出せるんでしょうけどね」
「でも、でてこないんだな」
「『せっかくですが、こういうシリアスは私の好むところではないのでー』だって。圧し折りたくなったけど、掴んだら負けだもの。そのまま聖骸布で包んで縛ってきたわよ」
「なるほど……」
 そんな会話をしてから、二人は最終チェックを済ませ、ホテルを出た。
 できるだけ魔力は温存したかったので、レンタルした車での移動ということになった。燃料を満タンにして戻さないといけないなんて、なんてせこいのかしらと凛はぼやいていたが、目的地にたどり着いた頃には言葉も少なくなった。

 二人の行く先には、外道の魔術師がいるのだ。


 ◆ ◆ ◆


 かつて、冬木の地に聖杯戦争という儀式があった。

 それは七人の選ばれた魔術師が、七人のサーヴァントを召喚し、戦い――その勝者が万能の願望機である聖杯を得られるというものだ。厳密には、聖杯戦争というのは聖杯を巡る闘争全般をさしており、冬木のそれはその中でも特異な部類に入る。特に戦いの道具として召喚されて使役される使い魔、サーヴァントは、天秤の担い手たる英霊と呼ばれる存在たちだった。
 本来、人の手にあまる存在である英霊を召喚するというのがすでに奇跡の部類であり、その英霊たちを戦わせるなどというのは、最早神話の彼方の事象と呼ぶに足る。
 衛宮士郎がその戦いに巻き込まれ、戦い抜いたのは二年前のことだ。
 聖杯戦争の結末がどのようなものであったのかは、ここで語ることではない。
 ただ、士郎はその戦いの中で自分の理想の在り方、自分の生き方について様々なことを知ることとなった。
「正義の味方」
 それが彼の理想であった。
 それは自分を救ってくれた義父の望みでもあり、彼の生き方を縛る呪いともなっていたが――だけど、全てを助けたいと願うその想いは決して間違いではないという確信を、士郎は得ることができた。自分の進み道を、士郎は得ることができた。
 ならば、後はそれに向かって進むだけだ。
 幸いにも、彼を導いてくれる人間はいた。
 それが、彼と同じく魔術師であり、聖杯戦争の始まりの御三家の一つである遠坂家の当主である遠坂凛である。
 彼女の鮮烈さに、士郎は聖杯戦争以前から憧れていた。その魂の在り方、精神の強さに、聖杯戦争以降の士郎は魅せられた。

 そして、士郎は凛の恋人となり、凛は士郎の師となった。

 聖杯戦争から一年のときをおいて、二人は冬木から旅立ち、倫敦へと向かう。
 そこは魔術師たちの集う場所であり、凛と士郎はそこで魔術を学ぶためにふるさとである日本を巣立ったのである。
 それからさらに一年を経て、二人は日本へと戻っていた。

 ただの里帰りではない。

 二人は使命を帯びていたのだった。


 ◆ ◆ ◆


「ここから先は、車では無理だな」
「みたいね」
 目的地である町についた時には、日付が変わっていた。
 予測では三時に儀式が開始されるはずであるが、安心はできない。魔力が足りなければ他から持ってくることを魔術師ならば選択するはずで、そのために外道が最初にどういうことをするのかを、二人は知悉している。いや、彼らの思う選択肢を選ぶがゆえに外道というのだろう。
 二人は念のために、その城の周辺を車で回った。
 そう。

 城なのである。

 一般に日本で城というと、天守閣のある熊本城などを想起するだろうが、この城はそのような派手なものはない。お堀に囲まれて城郭を形成されてはいるが、せいぜいが三階建て程度のものでしかない。それでも敷地は広く、面積は五万坪程度はある。今の持ち主が手放したのならは公園として解放されるものだといわれている。

 持ち主――つまり、この城には所有者がいるのだった。
 
「ほとんど、うちの先祖と同時期に宝石翁の弟子入りしたそうよ」
 と遠坂凛は言う。
 それはすでに資料から少しは知っていたことではあるが、士郎は黙って頷いた。
「うちもそこそこの家格の武士だったそうだけど、こことはさすがに桁が違うわ。れっきとした大名家だものね。うちの先祖は無の境地から〝根源〟に到ろうとしたらしいけど、あるいは同じ流派を修めていたのかしら」
「殿様の剣術ってお座敷剣術ってイメージがあるけどな」
「そういうのが大半だったと思うけど、実際には結構武術を修めて免許皆伝を得ていた殿様はいたそうよ。それもどの程度とかは知らないけど。ここの殿様は、かなりやる方だったんでしょうね」
 二人は車から降りると、二人並んで歩き出す。
「旧華族の家柄でお金もあるし、商売もかなり成功させてたって話だわ――先々代までの話だけどね」
 貿易商として財を成した先々代が引退してから、先代は商売を縮小させて、資産の運営を金融で投資することにしたのだという。より魔術師としてその力を磨くことにしたのだろう、というのが凛の推測である。商売にしろ学業にしろ、余計な時間を食うということには変わりない。魔術だけを修行できるのならばそれに越したことはないのだ。丁度、先代が家督を継いだころに金融関係でオンラインでの資産運営などが始まった。ある程度の資産があるのならば、投資信託などに分散して委任すればローリスクでほどほどに儲けられるはずだった。ほどほどとは言っても、十年を堅実にやっていると大した額となる。
「先代は投資でそれまでの財をそれこそ数倍にもしたっていうわ。今の時代、世界の大金持ちの大半は金融関係者だもの。貿易商をちまちましているよりか、ずーっと割りはよかったんでしょうけど」
「リスクもでかいか」
 士郎の言葉に、凛は溜め息で相槌を打つ。
 それなりのリスクの分散などはしていたのだろうが、基本的に投機というのは博打であり、博打というのは完全にリスクがないということはありえない。
 また時代も変わりつつあった。あまりにも肥大化した市場では流動する金の額が激増したが、それは同時に市場でのリスクに歯止めをかけるためのセーフティが効き難くなるということを意味していた。どれほどの安全弁を配していたとしても、一旦加速のついた激流は生半なことでは止まらないのだ。それが実体をもっていないオンライン上の架空の金であるのならなおさらであった。
 そして――金融危機。
「相当、財産は目減りしたそうよ」
 凛はアゾット剣を取り出した。
 江戸時代のそれを復元されたという木製の門の前に立ち、ドイツ語で何かの呪文を呟き、集中する。
「開錠」
 声と共に、無音で正門の扉が開いた。
 魔術によるロック――だが、時計塔で主席をとった彼女にはそう大した障害にはならなかったようだ。
 凛が進もうとするとするより先に、士郎がするりとその前に体を滑らせて門内を見渡す。
「罠の一つもあるかと思っていたが、ここから見た限りではないな」
「仮にも魔術師の城よ。ちょっと見ただけで解るような防御機構じゃないんでしょ」
「ああ」
 魔術師の家に敵対する者が足を踏み入れるということが何を意味するのか、魔術師ならば誰でも知っている。慎重になりすぎるということはないはずだった。
 だが、二人の赤い魔術師は真正面から自分たちを隠そうともせずに侵入した。
 時間がない――ということもあるが、この二人には自信と力と、何よりも信頼があった。
「トレース・オン」
 門の内側に入ってから跪き、地面に手をつけて呪文を唱えた士郎は、目を細めて相棒を振り返る。
「さすがに解析できたのは、門内から堀に続く橋までだった」
「そう」
 そんなに距離はない。
 アーチ型の長さ十メートル、幅五メートルほどの石橋は五十メートルも歩けば見える。
「魔術がかかったものはあるが、ここらにはそんな大したものはない。ただ、橋から向こうは見えなかった。直接解析したらまた別だろうが……」
「そんなもんでしょうね」
 歩き出した二人は、ゆっくりと、しかし淀みなくその橋に向かっていた。
 凛は門の前での話を続けた。
「それで、資産が激減して、城の維持費もままならなくなったらしいわ」
「世知辛い話だな。この規模なら、税金もかなりかかるだろうし大変だとは思うが」
 固有資産税だのなんだのと大変なことになりそうだということは、彼にだって想像はついた。
「それまでは、時計塔から教授クラスの魔術師を招いて年間拘束できるくらいのお大尽ぶりだったっていう話よ。今でも金持ちな方ではあるけど、城を維持しようと思ったら余計にお金がかかってそれどころではないし」
「…………」
「お城を手放せばなんとかなるんでしょうけど、この城、明治からこっち魔術的に改造を続けているから、とても一般解放なんかできる代物じゃないものねー。工房もあるし」
 仮に魔術やらを隠せたとしても、プライドが城の売却を許さなかっただろう。魔術師として本拠を捨て去るというのは許容しきれない事態であるのに違いない。
「それに悪いことは重なるもので、先代もつい何年か前に亡くなられたのよ」
「新聞で死亡記事を見た覚えがあるな」
「篤志家としても有名だったものね。実際、魔術師としてはどうだか解んないけど、人物としてはそこそこ立派だったらしいわ。城の維持と魔術のための資金以外のかなりが、見栄もあるんでしょうけど孤児院の運営とかそういうのに回されていたっていうし」
 勘ぐれば何かろくでもない実験をすることを考えて孤児院を経営していたのかもしれないが、今となっては解らないことだし、どうでもいいことではある。
 先代がどういう人物であったとしても、故人の名誉を傷つける真似を、この城の今の持ち主はしたのだから。
「まあ、相続税とかで、そーいうのも全部売り払ったらしいんだけど」
 実に世知辛い話だった。
 橋の手前まできてから、士郎は再び解析する。
「橋そのものには、特殊な魔術はかかってない――と思う。ただ、気脈の流れがここからの出入りになるのが気になるな……古い寺とか神社でもよくこういう感触にはなるんだが……」
 凛は顎に手を当ててから「風水ね」と答えた。
「城そのものが東洋の魔術思想によって設計させられているんでしょ。それ自体は珍しくないわ。多分、この辺りの魔力がここに集中するように造られている。――どうにかできる?」
 どうにか、という問いかけにはどれほどの意味が含まれているのか、士郎は聞き返しもせずに首を振る。
「キャスターあたりならなんとかなるんだろうが、俺ではどうにもならないな」
「そうね。私でも、それなりの儀式は必要になるわ。ごめん。つまんないこと聞いた」
 士郎は凛のその言葉に、むしろ静かに笑った。
「焦らなくてもいいぞ」
「焦ってなんか――ごめん。ちょっと焦ってた」
「時間がないからな」
 二人は同時に橋へと足を踏み出して、進んだ。
 そして。
 ――――――!
 渡り切った時、急激に違和感に襲われた。
 空気の匂いが変わった。大気の温度が変わった。月の光は変わらないままに昏くなった。踏みしめている大地の硬さが解らなくなった。触覚が身に着けている衣服を不快なものと判断した。視覚がここの景色を不快と判断した。嗅覚がここの匂いを吸い込みたくないと判断した。味覚が舌に触れる何もかもをはき捨てろと判断した。聴覚が吹き抜ける風の音を拒絶すべきだと判断した。服を脱ぎ捨てて目を潰して鼻孔に剣を突き刺して耳朶に指を埋め込んで舌を噛み切らねばならないと思った。
 ――ぱんっ
 と士郎の手が勢いよく打ち合わされて。
 凛は深く息を吸い、吐いた。
「ありがとう、士郎」
 いわれた士郎は頷き。
「今のは、幻術か何かか?」
「それっぽいけど、違うわね……それだったら抵抗力が低いあんたの方がもっと深くかかってたわよ。なんというか、今の感覚は幻術でもなんでもなく、ここでの常識なのよ。多分、この世界ではまともな人間ではそうするしかないんでしょうね」
 彼女の柳眉が歪められているのは、事態を把握しつつあるからだろう。
 一瞬とはいえ、遠坂凛の如き一流の魔術師が錯乱しかけたというこの事象は、この世の論理、常識にあらざる――まさに、異界のものによるのだと。
 世界の仕組みが異なっているのだと。
 それはあるひとつの事実を意味していた。
「異界常識……固有結界みたいだな」
 搾り出すようにそれを口にした士郎だが、それで自分が比較的に無事であったのだということについての理由も解った。彼の持つ精神(セカイ)が、この世界の侵食を許さなかったのだ。
 凛は不快げに口元を押さえながら周囲を見渡した。
「元より、結界というのは世界を区切って別の世界を作り出す法のことよ。紐でも石灰でもなんでも、線を引いて境界を作って閉じてしまえば、そこは結界となるのよ。そして、境界の内側はどんなものであれ異界であるとはいえるわ。民俗学とか人類学的な意味での話だけど」
「ただ、ここは……」
「迂闊だったわ。魔術師の工房は術者の作った結界にして異界。――まさか、城の内堀からこっち、全部が工房になっているだなんてね」
 それも、ここまでの異端の結界だとは……という呟きをもらす。
 魔術師の工房は現世から隔絶されているという意味において異界であり、そこは魔力の充実によってまさに異状である。士郎は師匠である凛の工房に出入りすることはあるが、それは彼が弟子であるからこそ可能なことであって、本来、工房とはそこの持ち主以外の者が出入りすることは難しいのである。それこそ、サーヴァントでもなければ。
 しかし、そんな工房をこの規模で展開するとなると相当な準備が必要になるし、そもそもあまり意味がない。
「規模もそうだが、仮に工房であるにしても、ここまでに異質な世界を形成するのは並大抵のことじゃないぞ」
「工房は術者の心象が反映されているという点で固有結界にも似ているけど、確かにそうね」
 見事なまでの異界だと、凛は重ねていった。
 異界とは字義のとおりに異なる世界だ。そこでは別の常識、別の論理で世界は成立している。場所が異なればルールが異なるというのは道理であるが、それでも隣接している世界ではそれほど差異はない。ここまでの異状となるからには、それこそ人の生存を許さないほどに荒廃した、よほどに離れた世界なのだろう。
「ほとんど『神殿』のレベルだわ……」
 凛の言葉は唸るようだった。
「地脈を集めたからって、キャスター並みのことをしでかすなんて」
「儀式の邪魔を防ぐためなのか?」
「そういうのもあるんでしょうけどね。それだけでもないとは思うわ。あるいは、儀式を成立させるための条件として、現世のままでは問題があるのかもしれない」
 それが果たしてどういう意味を持つのか。
 士郎はそれ以上聞かなかったし、凛もそれ以上いわなかった。
 足早に二人は駆け出した。 
 時間がないということが焦燥を生んだということもある。
 だが、それ以上にここにいたくない、どうにかしたいという気持ちがあった。
 ここは――この現世にあってしかるべき世界ではない。
 と。
「凛」
 士郎が鋭く名を呼ぶと。
「三番――」
 凛は懐からとりだした宝石を投擲した。
 それは、突如として現れた正面の道を塞いでいた門に叩きつけられ、爆散して門扉を吹き飛ばす。
 士郎は同時に凛の背中を守るように立ち、背後から襲撃してきた黒い影を黒白の剣で迎撃する。
 四人――いや、四体。
 顔のない人形を思わせる体型だった。四体ともが。黒い体は肌に密着した服を着ているのかとも思わせたが、そうでもないと一瞥でみてとれた。そのような色の体だ。艶のない、闇に溶け込む黒だった。
「士郎、ためらわないで」
 凛はアゾット剣でそいつらの一人の首を刎ね、返す連撃で四肢を切り飛ばした。常人には到底なしえぬ剣捌きは、八極剣の応用と魔術の強化によるものだ。赤い血飛沫が夜に散る。その中をさらに赤い彼女は踊るように跳んだ。舞うように切り裂いた。これほどの惨劇において、なお彼女は凛然として清冽ですらあった。
「解ってる」
 感情を押し殺した声で、衛宮士郎は答える。黒と白の刃は的確に襲撃者達の腕を断ち、脚を切り、胸の中央に突き刺さった。機械的ともいうべき精密で鋭利な仕事だ。そこに感情などはない。そこにあるのはただの冷然な眼差しだった。いかにして効率よくこれらを制圧するかのみを考える作業をこなすための思考だった。
「トレース、オン」
 干将・莫耶を投擲して二人目を打ち倒し、続いて投影した物干し竿――アサシン・佐々木小次郎の得物たる長大な刀を手に、凛と対峙する最後の一人の前に立ち、まっすぐに肩に担いだ構えから拝み撃ちにした。
 通常の剣術では担いでからの斬撃は速さに欠けるというが、魔術によって強化された肉体はそれを覆した。
 まっすぐ―― 一刀両断に、そいつの体は切り裂かれ、左右の二つに分かれた。
 残心をとってその死体を見ていた士郎であったが、やがて不快げに目を細めた。
「やっぱりね」
 凛もまた、それを見ていた。
 それの肉体には、内臓ともいうべき器官が何もなかった。いや、胸の中央にだけ、一つだけ、心臓の機能を果たしている何かがあった。それ以外はすべてが筋肉の塊ともいうべきものであり、消化器や肝臓のようなものはない。
「呼吸器すらもないなんて」
「短時間だけ動けばいいというだけの人形か……」
「外道は外道というだけで、やることは大差ないわね」
「ああ」
 外道の魔術師がやることなどは、だいたいにおいて決まっている。人の命を弄び、残された肉体を玩具にするのだ。二人が遭遇してきた者たちはたいていがそうであり、過去の記録を見てもだいたいそうだった。それがゆえに外道と呼ばれているのだといえる。元より、魔術師は己の目的のためには手段を選ばないものではある。それがゆえに魔道といわれるのだし、ヒトデナシである。ただ人を殺すだのというだけでは魔術協会は動かない。彼らも同じ穴の狢だからである。凛とても、必要があれば似たようなことをする。そう言っている。
 しかし、衛宮士郎はそう聞いていてもなお、遠坂凛を嫌うこともできない。それに、何処かでそんなことをしないと信じていた。いや、信じる信じない以前に、彼女は絶対にそんなことをしない。それはきっと、1+1が2になるような当たり前のことなのだ。
(そもそも効率的ではないしな)
 中世や近世ならまだしも、現在では魔術の実験に人の肉体を使うなどというのは流行らない。そのような派閥もないでもないが、わざわざ殺したりすると面倒であり、「業者」を介して入手しているのだという。その「業者」もたいがいが非合法ではあるが、わざわざ誰かを殺して死体にするというのはリスクが大きすぎる、らしい。良くも悪くも、現代社会の中に生きる魔術師たちは、社会というルールに最低限縛られている存在といえた。だから、彼らは人を殺すという程度のことではとやかく言わない。ただ、殺しすぎるということが問題なのだった。
(孤児院からいなくなった子供は、十五人……こいつらを何体作れた)
 あるいは、もっと別の手段で「材料」を集めてたのかもしれないし、別の目的があったのかもしれない。
「いくわよ」
「ああ」
 二人は駆け出し――

 五分とかからずに、その少女を見つけた。

 最初は、この城の中に迷い込んだのかとも思った。
 ありえないことである。
 ありえないことのはずなのに、そう思ってしまうくらいに、彼女は普通だった。
 夜道をおっかなびっくり歩いている女子高生にしか見えなかった。
(あれは)
 まずは髪型が士郎の目には何処か既視感を伴って見えた。隣に立つ恋人にして師匠が、学生時代にあんな髪型をしていた。左右に尻尾のように分けたツーテール。凛はもっと長めの髪だったが。その女子高生も似たような髪をしていた。何かを探しているのか、それとも怖がってるのか、周囲を見回しながらじゃりじゃりと足音を立てて歩いている。
 その少女の目が、二人を見た時に少し驚いたように見開かれた。
 
 ざわり

 と空気が震えた、ような気がした。
 警戒と緊張が大気を軋ませたのだということに気づくのに普段の倍はかかった。
「士郎、あの子――」
 凛が何を言おうとしたのか。
 次の瞬間、少女は両手を振った。
 そこには洗練と呼ぶべきものはない。
 力任せに、強引に振りぬかれた腕。そして、――爪。
 技もなければ術もない。
 腕にこめられた力と魔力をただただ強く振り、交差させた一撃。
 ――力と、魔力?
 完全に虚をつかれた形になった二人であったが、衝撃の刃は二人に届く前に、いや、二人に襲い掛かるのではなく、二人のすぐ傍にいつの間にかいた黒い何かを弾き飛ばしていた。
「もう――!」
 たん、と少女は地を蹴った。
 我慢の限界だ、とばかりに空に伸ばされた腕は、中空から襲撃していた影の首筋を掴んでいた。そして、そのまま力任せに叩きつける。
 着地し、さらに腕を振り、衝撃を飛ばし、さらには相手を掴んで壁に打ち込み、あるいは大地に落とした。
 ……気づいたときには、少女の周りに十数体もの黒い人形たちが墜ちていた。墜ちて死んでいた。
 時間にして二分とかかってはいまい。
 たった二分の、120秒にも満たない間に起きた、それを戦闘というべきか、否か。
 蹂躙と呼ぶにも足りる圧倒的な少女の力。
 二人は呆然とそれを見ていたが、やがて、戦いを終えた少女の目が自分たちに向けられた時、それぞれアゾット剣と物干し竿を構える。

 少女には技もなければ術もない。
 だから、その姿は士郎や凛たちと違って人形たちの飛散した血に濡れている。
 その姿のまま、何処か怯えたように二人を見ている。
 この少女の今の様子を見ては、例え非常識を見慣れている二人であっても、これらの虐殺ともいうべき戦果を挙げたということは信じられなかったに違いない。目の当たりにしなければ、いや、そうしていてなお、これが何かありえぬ舞台劇を見ているかのような気分になってくる。悪夢の再現であるかのような気がしてくる。
 あるいは、この異界ともいうべき場所では、無力な一般人であるほどに力を得ることが可能だとでもいうのだろうか。
(――馬鹿な)
 士郎は即座にその思考を放棄した。
 人形たちは全身が文字通りの筋肉の塊であり、侵入者を打ち砕くことのみを目的に作られた魔術の産物だ。ここがどのような場所であれ、その目的を果たすにふさわしい力が与えられている。士郎も凛も生半ならぬ体術を習得してはいるが、魔術による助力を得ていなければ一体を倒すことも難しかっただろう。
 それを、この少女は二分とかけずに十体以上を打ち倒したというのだ。
 魔力を使っていたとはいえ、人間に到底不可能なことであるに違いない。
 それはまさしく異状。
 それを成し得るのは異常。
 それを成し得るのは異能。
 それを成し得るのは――、異形。

 今この瞬間、この場所で最も強力な怪物である少女は、意を決したかのように言った。

「あ、あの……こんばんわ」

 月下の下。
 異界の中で。

 吸血鬼の少女と二人の魔術師は、そんな風に出会ったのである。




 つづく。



[6585] 葬列。
Name: くおん◆1879e071 ID:fed7bf27
Date: 2010/02/28 18:57
 


 10/葬列。



「天空の果てを往きたる船、大いなる墓所たる〝ゆりかご〟に坐します永遠の旅人たる聖なる王よ。
 貴方の国に生まれ、貴方の法に傅(かしず)き、貴方の力に従う、忠実なる貴方の臣民たる我らの魂を救い給え。
 現世の役目を終えた、貴方の従僕たる我らの輩(ともがら)の魂を導き給え」


 玲瓏とした女性の声が、その墓地に流れていた。
 まだ若い。
 少女といった方がいいような、そんな年頃の司祭の声だった。
 それ故にこそ美しく、しかし切なく響いているようにも思えるものだった。
 銀髪の少女司祭の目の前にあるのは棺であったが、本来はこの祈りの最中にはまだ開け放たれているそれには、通常と違って蓋がしてあった。そうされることには幾つかの理由がある。死体が二目と見れぬ状態である事。あるいは、死体などここには納められていないという事。今日、ここにおいては後者であった。
 祈りは粛々と続けられていく。 


「この者は私たちのよき隣人でした。
 この者は私たちのよき騎士でした。
 勁き力もて人々の盾となり、勁き技もて正義の矛となり、勁き心もて世界を愛しました。
 貴方の臣民たる私たちを護るため、数多の地上での戦いに赴きました」


 何処からか、しゃっくり上げような、鼻をすする音がした。
 泣いてる。
 誰かが泣いている。
 墓穴を囲む誰かが泣いている。
 棺は司祭の魔力によって浮かび上がり、墓穴に吸い込まれていく。古い時代から伝えられるセレモニーであり、パフォーマンスだった。まだ魔法が一般的でなかった時代に、魔力が支配者階級のものだった時代の名残だった。今となっては、あるいはだからこそ、その瞬間に嗚咽の声が重なり、高まっていくのだった。 


「王よ。
〝ゆりかご〟に眠る我らの王よ。
 この者の地上の肉体を大地は還りますが、その魂を貴方の御許へと導き給え。
 願わくば眷属として、歴々の貴方の家族と共に、天空の〝ゆりかご〟に眠ることを許し給え
 貴方たち聖なる王の傍らにありて、ともに旅することを叶え給え」


 白いマント状にバリアジャケットを展開されているフェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、一度とて会うことがなかった陸士の棺の上に、何人かの隊士と一緒に手渡されたスコップでひとかき土を被せた。そして、隣にいたティアナ・ランスターにそれを渡し、後ろに下がる。ティアナもフェイトや他の隊士に倣い、掘り出されていた盛り土を掬い、棺に被せる。 


「インノミネ・サンクトス・レックス・アーメン」


 最後に司祭が古典ベルカ語の聖句を唱え、葬送は終了した。



 ◆ ◆ ◆



「……よろしいのですか?」
 その葬列を遠目に見ている者がいる。
 二人だ。
 背の高い者と、小柄な者と。
 背の高い者が、自分の前に立つ小柄な者へとそう言った。
「うん」
 小柄な、黒い髪の娘は、静かに頷く。
「しゃあない。決めたことやし。ここで私達ができること、することは、するべきことは、あの人たちの魂を見送ることやない。今はまだ、な」
「そうですが」
 背の高い、何処か武人とした風のある女は、何か追憶に浸るように眦を細めていた。
「テスタロッサたちと話をするくらいは」
「しつこいよ」
 娘は苦笑を浮かべながら踵を返した。
 そして、迷いなく歩いていく。
 その背中を見送っていた女は、一度だけ瞼を伏せてから開け、何かを振り払うように頷き、足早に前を行く娘を追った。
 隣に追いついた頃に、女の耳に微かな呟きの声が届いた。

「この落とし前は、必ずつける。必ずや。必ず。百倍千倍では足りん。万倍、億倍にでもして返してくれる」

 女が足を止めたのは、その言葉に恐怖したからではなかった。
 覗き見た女の主の横顔に、壮絶としか表現のしようがない笑みのような表情が浮かんでいたからである。



 ◆ ◆ ◆



「――いらっしゃいませ」

 喫茶店アーネンエルベの扉を押すと、ちりーんとベルの音が鳴り、続いて愛想のいいウエイトレスの声がかかる。「お二人様ですか?」との問いかけに無言のままに頷きだけで応えたフェイトにも、彼女は嫌な顔一つしなかった。黒いロングスカートの、ヴィクトリア朝のメイドを思わせる衣装で二人を先導し、「メニューがお決まりになったらお呼びください」と告げて去っていく。いつの間にかテーブルには二つのお冷が置かれていた。魔法を使ったのかと思わせるほどの早業だった。
 フェイトはそれに手を伸ばしたところで。
「何度出席しても、慣れないものですね」
 とティアナの声がかかり、停止する。
「うん」
 フェイトは伸ばしかけていた手を戻し、ふう、と深いため息を吐いた。
「凶悪事件の時にはお葬式にも出ることはままあるけど、やっぱり、ね」
「遺族には管理局からの補償金が出るのが不幸中の幸いですけど――だけど」
 ティアナが何を言いかけたのか、フェイトにも解っている。言いかけてやめたた理由にもだ。
 再び訪れた沈黙は、そんなに長くは続かなかった。今度はティアナがお冷を取り、ぐいと一飲みにした。
 口に出した言葉は、言いかけたこととは別の言葉である。
「多分、ランスロットさんの奥さんには出ませんね」
 補償金のことだ。
 フェイトは「うん」と言って目を伏せた。
「仕方ないよ。だけど、あの人が……まさか、離婚していたなんてね」
 脳裏に浮かぶのは、出席した列の最後尾に佇む女性だった。元とはいえ、武装局員の葬送には魔導師や騎士は自前のバリアジャケットで見送るのが習慣となっているが、彼女は喪服だった。黒い。絵に描いたような金髪碧眼の人。会ってから、思い出すのに少しだけかかった。
「お知り合いだったんですか」
「――言ってなかったっけ。六課立ち上げの時にスカウトしようって話が出てた人。結局、なのはの出向が決まってランク制限の問題とかでてきてね。面談までいったんだけど」
 私も、顔をあわせるまでは忘れてた……とフェイトは告げた。
「六課立ち上げの話が出た頃は、教導官の長期出向は前例があまりなかったから。一応の伺いは立ててたけど、話は流れると思ってたんだ。だから中期プランでの機動六課は、はやてが捜査官時代に知己を得た騎士とかを中心にするつもりだったんだよ」
「そのほうがよかったんじゃないですか?」
 ティアナは、劣等感に苛まれることもなく自然にそう問いかけることができていた。六課に参加したあの頃、彼女は自らの才能のなさ、志の高さに比しての実力のなさに常に焦燥を感じていた。厳しくも優しい教導官に諭され、暖かく頼もしい仲間たちに励まされ、その日々をどうにか駆け抜けることができた。今の自分に自信をもてるようになった。
 それでも、あるいは、だからこそ、思う。
「自分らのような新人たちを訓練させながら使うのより、ある程度の実力のある人を最初から集めていたほうが」
 事件は、より簡単に解決の方向に向かったのではないのかと。
「そう?」
 フェイトは首をかしげる。
「結果としてちゃんと解決しているし、ティアナもスバルも、エリオもキャロも、みんな成長してそれぞれが管理局や世界を支えてくれているよ」
「それは結果論だと思うんですけど……もしも」
「〝もしも〟はないよ」
 ティアナの言葉をさえぎり、フェイトは言う。
「あのときにああすればよかった、こうすればよかったとか、みんな思うけどね。結局、自分が選んで進んできた道が全てなんだ。後悔は、それこそとめられないけど。だけど、私は六課のみんなでできたこと、駆け抜けてきた道、たどり着けた場所は、決して間違ってはないと思う」
「…………フェイトさん」
「ちょっと話がズレたかな」
 フェイトは今度はお冷を全て飲み干してから、ベルを鳴らしてウエイトレスを呼んだ。コーヒーを二つ、と注文を告げてからお冷のお代わりをもらった。
「仮になのはが六課出向してなくても、どの道、あの人が六課に入ることはなかったと思うよ。というか、面談したんだけど、断られたんだ」
「そう、なんですか」
「確か、愛用していたデバイスを自分のミスで壊してしまったと、そんなこと言っていた。一族に伝わる大切なものだったんだって。古代ベルカ式を受け継ぐ家柄だったって」
 我に騎士たる資格なし――あの人は、そう言って一線から退くと断ったのだった。
 大袈裟な、とはフェイトは思わなかった。彼女もバルディッシュを自分のミスで失ったりなどしたら、立ち直れるかどうか解らない。そして、続けてのあの人の言葉を思い出す。
『それと、これを機会に結婚しようかと思っているんです。以前から、プロポーズを受けていたので』
『それは……おめでとうございます』
 何処か恥ずかしそうに俯いていた。
「フェイトさん?」
 心ここにあらずという風なフェイトに、ティアナは訝りながらも声をかけた。
「ごめん。ちょっと、どうでもいいことを思い出していた」
 どうでもよくはないことだったが、ティアナにここで話すべきことであるとも思えなかったので、フェイトはそれだけを告げて話を変えようとした。 その時。
 突然に、二人の前で念話のモニターが展開された。管理局からの連絡だった。
 同時に周辺の大気を操作する魔導が発動する。機密保持のためだ。管理局外から映像での通信があった場合、オートで展開される。これを発動させると一定時間、フィールド内を外からは「見えにくく」する効果がある。内側からは普通に見える。完全に見えなくした場合、わからずに自動車などが走ってきたら事故の元になるからだが、それにしても大したものではない。ただし、空間モニターは外部からはさっぱり解らないようになっている。光の波長の問題であるが、技術的にはそう難しいものではなく、民間でも使用が許可されているレベルの魔導だった。現に、広い喫茶店の中では、フェイトたちの他にも二つほど同じ術式が発動していた。
 念話は補佐官の補充についての報告だった。
 予定通りか、と思いながら二人は見ていたが、フェイトは「え?」と声を出してしまった。ありえない、とも口の中で呟いてもいた。こんな人事は、これは、少なくともこの時にあるとは思えない――。
 ティアナは先輩執務官が表情を曇らせたのに気づき、視線をモニターからそちらに移し。
「あいつ……」
 視界を横切っていく、見覚えのある男に気づいた。



 ◆ ◆ ◆



「ギル・エレクです。よろしくお願いします」
「あ、ああ――エミヤ……エミヤだ」
 そこまで名乗ってから、士郎は何処か戸惑いつつも右手を出した。ギルと名乗った少年は迷いなくその手をとる。握手というのは次元世界で共通してある習慣だった。
 二人はしっかりと握り合ってから放し、「こちらへ」とギルに先導されて士郎はその跡をついていく。
 レンガ造りの壁に艶のある黒い木の廊下を歩きながら、士郎は感心したように見回した。
「ご心配ですか?」
 と少年が言ったのは、古い素材の建築物についての不安というのがいつもあるからだろう。
 すぐに士郎は首を振り。
「いや、ちゃんとした構造になってるのは、視れば解る。かなり贅沢に魔導が仕掛けてあるな」
「ご慧眼ですね」
 彼は少し考えたが、隠しても仕方ないので「いや、俺の特技なんだ」と返した。
「特技、ですか」
「構造解析。――レアスキル、というのに近いかな」
「へえ。さすが、あそこから紹介状を貰えるだけありますね。かなり閉鎖的だし、この手のことについては関わりも深いだけあって慎重になる傾向があるのに。やっぱり、そのレアスキルを使って随分と彼らを助けてあげたんでしょう」
「そこらについてはノーコメント、だ」
 士郎は表情を消した顔でそう答える。その無表情が問いかけが正しいと言っているようなものだが、それもミスリードだった。無理に隠そうとするよりも、思わせぶりな言葉の方が情報隠蔽になる。彼が何年もの戦いの日々の中で覚えた知恵だった。正しいことも本当のことも等しく混ぜて伝える。ウォルステッターの罠。士郎は答えてから「慧眼というのなら、君もそうなんだろうな」と言った。
「僕は、ただのコレクターですよ。まだ若輩ですから、よく贋物を持ち込まれるんですよ」
「その全部をすぐに見破ったんだろうな。答えなくてもいいよ。君はそういうことができるんだということは、俺には解ってるから」
「―――――それも、構造解析というやつでわかるんですか?」
 本当に驚いたように赤い目を広げて問いかける少年に、士郎は未来の自分がよく浮かべていたような皮肉げな笑みを口元に浮かべた。
「これはそうじゃない。だが、内緒だ。種明かしはしない方がいいこともある。人生は驚きが必要だからな。〝すべてを見たる人〟などになってしまわないほうが、君にとってはいいことだろう」
 少年は目を細めて言葉と士郎の表情を吟味していたようだが、軽く溜息を吐いてから「こちらへ」と再び歩き始める。
 士郎はその後ろを歩きながら「やっぱり、小さい方がいいよな」と呟いていた。

 
 衛宮士郎がここに来たのは、骨董品のアームドデバイスの出所を追ってである。
 彼が数日前に見つけた、吸血鬼退治に使用されたと思しき剣型のそれは、かなり強力な概念武装だった。
 概念は概念によって打ち破られる――このルールは世界を変えても変わらない。
 ただ、魔力を魔導として操作して日常のレベルで使われている管理世界において、概念の効果というのはそれほど重要ではなかった。武器に魔力を付与すれば同様以上の効果を期待できる。そもそも、概念武装は概念を以って概念を打ち破るためのものであり、物理的効果は目に見える範囲ではない。例えば五百年を閲した日本刀は切断の概念を以ってすれば封印指定されるような魔術師の結界をも切ることが可能になる。結界とは「括る」ことであり、囲うことであり、切断の概念とは相克する。一般的な魔術師の結界とはそういうもので、魔導師の展開するものとは違うのだ。しかし、それほど強力な概念武装だろうと、ビルから飛び降りながら人に突き刺して落ちたりなどしたら、さすがに折れる。だが、それ故に意味はある。
 さしあたっては、この世界においては武器として登録されていない……というのは重要だった。特に、神秘を秘匿することを旨とする魔術師にとって。『デバイスも、ある程度以上のものになると登録制になるの。日本刀とか猟銃みたいなものだね』
 と士郎にこの世界におけるアームドデバイスについての説明をしてくれた女性は、自分の掌に赤い宝玉のようなものを乗せて見せてくれた。
『インテリジェントデバイスなんかは特にそう。それだけに違法で作られることも後を絶たないけどね。ある程度以上の魔導師になれば自作できるんだよ。バルディッシュとか。インデリジェントでないのはそれこそ普通に自作されているよ。部品を集めて自分でくみ上げた方が既製品を買うより安く済むから。基本OSとかはコピーとか出回っているし』
『まるで自作パソコンみたいだな……』
『感じとしては近いかな』
 彼女も自作して実家では使っていたという余談を少し述べてから、話を続ける。
『当然、自作デバイスで登録しなければならないものはなかなかないよ。作れても登録が面倒で作らないという人も多いみたい。高性能のデバイスは登録制になるというのは、逆に言えばあまり高性能でなければ登録しなくてもいいってことだから。それに普通の人が使える魔導は、それこそそこらで買えるものでで十分だし』
『たいしたもんだよな、魔導ってのは』
『うん――それで、性能の良し悪しは、極論を言えば部品の良し悪しなわけね。高位の魔導師なら作れるとはいっても、そんな人はそんなに多くないからね。ある程度以上の性能を発揮するための部品は高くて特殊で、やっぱり流通ルートは限られるの。管理局でそこらのルートは押さえているから、自作の高性能デバイスを登録しないままに犯罪に使用しても、時間をかければ足跡をたどることは可能、という建前になってる』
『建前か』
『最初に言ったけど、後を絶たない――管理局も万能じゃない。そういう組織は必ずあるから。そういう伝手で強力な魔法を使用できるデバイスを入手することは可能だよ。ただ、やっぱりその遠坂さんがそういう組織に接触してデバイスを得るというのは、現実的ではないね』
『文字通りの異世界の人間が、そう簡単に接触できるものでもないか。金もない――仮にあったとしても、あいつら宝石を買うことを選ぶだろう』
『そうなのかな。とりあえず、その吸血鬼と戦うのに遠坂さんが魔導の補助を得ようとするのは、あり得そうでいてちょっと難しいってのが現実だと思う。勿論、簡易デバイスを使用することはなんら問題はないけど、それはこっちから辿るルートが特定できないということも意味するし』
『それで、骨董品――概念武装か』
 士郎は先日回収した剣型デバイスを手にしていた。
 概念武装とは、年月とともに魂魄の重みが積み重なって特定の効果を持ったモノ――である。大雑把に言えば、古い時代の武器ほど神秘に干渉する深みが出るということだ。
 復元呪詛を持つ吸血鬼を打倒するためには、それを断ち切るだけの神秘が必要であり、ただ魔力だけでそれを達成するには手間も力もかかりすぎる。概念武装を使って対抗するというのが常識だった。
 魔術師である遠坂凛が死徒と対峙するのならば、魔力で押し切るよりも現実的な対処法ではある。
 上手い具合に武器型のデバイスであるアームドデバイスは、魔導のシステムが壊れて使用できないという状態ならば登録する必要はない。刃渡りからすれば日本刀並みで、そのまま凶器に使えそうなものであろうとである。
『この世界で骨董品について詳しい人を、なんとか紹介してもらえるようにしたよ』
 彼女はそう言って、紹介状を――とは言っても、魔力署名付のメッセージの封入された簡易デバイスだ――を士郎に渡した。
『私は今日は一日動けないから、頼むね、衛宮くん。気をつけて』
 そうして士郎は、今日は葬儀だというシスターの手伝いをした後で、その紹介されたコレクターの経営しているという店を訪れたのだが――。


「……ッ! 凄いな」
 収集品の展示室に入り、士郎は素直にそうもらした。
 彼の視界には、ワンフロアまるまる使ってあらゆる品々が設置されているのが見える。多くが一メートルほどの高さの展示台に置かれ、透明なケースを被せられている状態だが、剥き身のままに床におかれたものもある。そのほとんどが剣や槍などの武器の類のように見えたが、大きな絵つきの皿や小さな香水瓶などもある。煌びやかなものもあれば、歴史を感じさせる傷やくすんだものもあった。
「古代ベルカ時代のものが中心です。もともと、僕の家は王を名乗っていた者の末裔だったそうです。まあ、古代ベルカの王なんて珍しくもないですけどね。それこそ、いっぱいいましたし」
 ギル・エレク少年の説明は、自慢というようなものではなく、普通に事実を語っているだけのようだった。ベルカ時代の王については一応は聞きかじっていたのだが、その末裔と聞くと「なるほど」と士郎は思う。
「王の財宝というわけだ……」
「? ここにあるのは、僕個人の収集品ですよ」
 不思議そうな顔をして自分を見つめる少年に、「いや、すまん」と手を振って見せた。
 少年は首をかしげていたが、やがて思い直したように踵を返す。糸のような金髪がさらりと揺れた。もう十五歳という年頃なのだそうだが、無垢な幼さが見てとれる。美少年、という言葉がよく似合うと士郎は思った。
 しかし、そんなことはおくびも顔にださずに手近な剣を指差した。
「やっぱりこれらは骨董品で、今は使えないものなのか」
「構造解析というので解らないんですか?」
「専門じゃないものは、手に取るくらいはしないとよく解らない」
 士郎の言葉をどう受け取ったものか、ギル少年は「なるほど」と頷き、とりあえず士郎の目の前のそれから説明した。
「この剣はベルカ動乱期のものでも、末期に聖王の親衛隊がもっていたものですね。わりと出回っているタイプです。収集品としては手ごろですね。デバイスとしては使えませんが。先日も、譲って欲しいという人がいたので、幾つか融通してあげました」
「――女じゃなかったかな?」
 ギルは微かに目を細め「そういうのは、個人情報ですから」と言った。
「まあ、そうか」
 当然だよな、と士郎は頷き。
「もしもまたその客がきたら、エミヤという者が探していたと伝えてくれないかな」
「ああ、そういう――」
 少年は途中で言葉を切って、入り口の方を見た。
 士郎はその様子を訝しげに眺めていたが、同じく自分らの入ってきた廊下を凝視する。
「どうかしたのか?」
「いえ、気のせいかな。誰かが無断でここに入ってきたような反応があったような……」
 ほう、と士郎はその言葉に目を凝らした。
 侵入者感知の魔導が仕組まれている――が。
「トレース、オン」
 呪文を唱えた、まさにその瞬間――
 
 光の縄が。

 身体に絡みつき――、

 刹那に士郎のそれぞれの手に黒白の剣が現れていた。迷いなくそれらは振るわれ、自分の身体に絡まりかけた捕縛魔法を切り捨てる。発動したバインドに身体の反射だけで対応するのは理論上は不可能ではないが、限りなく無理といわれていた。だが、士郎はそれを可能にした。続けての旋回しながらの誘導弾を弾き飛ばせたのは奇跡にも似ていて、直後に真上から突然現れた魔力の刃を受け止められたのは奇跡そのものだった。
「あんたは――」
「管理局執務官です」
 バルデッシュ・アサルトのハーケンフォームを叩き付け、押し付けた状態で、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは言った。
「重要参考人として、貴方の身柄を確保させていただきます」



 ◆ ◆ ◆



 ティアナ・ランスターは衛宮士郎が店の中を横切るのに気づいたが、声を出さずにそれを見送った。
 問題になるのは二つ。
 距離と場所。
 同じ店内でも、十メートルは離れている。だからこそ、視覚をやや弄っているだけのフィールドで相手はこちらに気づけなかったのだろう。十メートルは魔力で強化された肉体ならばどうにでもなる距離ではあるが、それは相手も同様だと思えた。ましてフェイト・テスタロッサ・ハラオウンと数秒とは言え、真正面から近接戦ができるとならば、相当の速度の持ち主と考えねばならない。
 そして、ここは結構な人間がいる場所だった。民間人を巻き込むわけにいかない。そして、昨晩の戦闘では容赦なくこちらの気絶している仲間を狙うという手を使ってくる相手だ。フェイトがいうにはこちらの気をそらすためのブラフだった感じが強いとのことだが、万が一というのは常にある。
 それらを考慮して、ティアナはフェイトに念話で状況を伝え、士郎の後を追うことにした。
 士郎は店を横切り、奥の方でこの店のオーナーという少年と顔をあわせて、どうしてか少し驚いたような顔をしていた。そして渡り廊下ですぐ裏にある別館のようなところに案内されてゆく。
 二人の執務官は幻術魔法で姿を消しながら跡をつけていた。それもある程度の距離をとってである。近づきすぎれば察知される可能性もあったが、もっといえば目的地が解っているのだからそんなに距離をつめる必要も感じなかった。
 廊下は一本道で、目的地は一つなのだ。
 別館の扉が閉められた時は、中に侵入すべきかさすがに迷った。ここで待ち受けていても、別館の方の出口から帰っていかれたら間抜けもいいところだ。一人はここで見張って、もう一人は外で――ということも考えたが、相手の戦力が解らない。正直な話を言えば、ティアナにはフェイトと正面から戦えるようなスキルを持った未知の魔導師だか騎士だかと対峙するのはごめん蒙りたかったというのがある。確実に二人揃って捕縛に臨んだ方が効率はいいというのもあった。
 一分ほどで方針を決めた二人は、頷き合ってそれぞれのインテリジェントデバイスで魔導錠に干渉した。大魔導師の使い魔が手ずからフェイトのために精魂こめて作成したバルディッシュと、機動六課のデバイスマスターが持てる技術の粋を集めて作ったというクロスミラージュの二人(?)がかりでのハッキングである。ものの十秒とたたずにミスティックロックは外れ、二人は侵入に成功した。
 ここで二人に誤算があったとすれば、魔導錠を仕掛けていたギル・エレクという少年が民間ではほとんどいない総合AAAランクの高位魔導師であったということだった。
 十歳の時に管理局からスカウトが来ていたが、事業を始めたばかりでそちらの方に専念したい……という事情で断ったという経緯があったと二人が知るのは、それから数時間ほど後のことであるが。
 ギルは魔導錠の異変に気づいたようだった。
 それは些細な違和感にすぎないようだったが。
 フェイトが「仕掛ける」と告げたのは、渡り廊下を歩いていた二人の会話を微かにでも聞いていたからだった。

『構造解析。――レアスキル、というのに近いかな』

 詳細は解らないが、一瞥しただけで廊下に仕掛けてある魔導を察知することができたということは、あるいは幻術魔法を見抜ける可能性がある、と彼女は考えた。実際にどうであるのかは解らない。解らないが、ここで見抜かれるかどうかをただじっと待って試してみるというのは執務官の選択としてはありえなかった。
 そして。
 二剣を交差させてハーケンフォームのバルディッシュを受け止めている士郎に向けて、ティアナはクロスミラージュを向けた。七メートル。この距離なら外さない。自分の誘導弾なら外さない。万が一にもフェイトに当たってもいいように、威力は最小限に留める。ただし、バリアジャケットも展開させてないような人間ならば一撃で昏倒するショートバレット。焦らないように、構えてから呼吸を整えるまで、一秒秒。引き金を引くまでに一秒。あわせて、たった二秒。
 だが、その二秒で士郎には充分だった。
「――トレース・オン」
 呪文。
 ティアナは、フェイトの頭上一メートルの位置に突如として現れた四本の剣を見た。
「ちっ」
 念話でフェイトに危機を呼びかけつつ、誘導弾を連射した。一発はまさにフェイトに向けて落下――いや、射出された剣に、もう一つは士郎に向けて。
 フェイトは士郎の呪文から頭上に何かが出現したのを見もせずに察していた。執務官としての経験というよりも、昨晩の感覚からだった。魔力の波動ともいうべきものを彼女は感じ取っている。勘のようなものだったが。
(フェイトさん、上に剣が)
 というティアナの念話を聞いて「やはり」と思ったし、しかし目の前の赤毛の青年の表情に焦りがあるのもみてとれていた。
(ティアナ、焦らないで。ブラフだ)
 そう返答する前に発動させられていた誘導弾に対し。
 士郎は力を抜いて押さえつけるフェイトの体勢を崩すことで対処した。
 拮抗状態からの脱力で相手を崩すのは武道の型ではままあるが、それを実戦で再現するのは不可能と言ってもいい。それをなしえるには技量の高さはもとより、幾たびもの戦場を駆け抜けた胆力と経験があってこそだ。
 そして百戦錬磨というのは、管理局執務官であるフェイトもまさにそうだった。
 流される体をそのままに旋回しながらバルディッシュを戻す。
 士郎は突然のフェイトの行動に、力を入れていた両手が伸びてこちらも体勢を崩す。
 背中に衝撃を感じながらもフェイトの集中力は崩れなかった。この程度の窮地など、慣れっこだった。
「〝サンダーアーム〟」
 右腕に集めた電撃を、転げながら士郎の左足に触れるようなさりげなさで流し込む。
「おおっ!?」
 士郎の反応は激烈だった。むしろ仕掛けたフェイトが怯むほの激しさで反応して、撥ねるように跳躍したが、それはあるいは痙攣したかのようにも見えた。バリアジャケットも使用していないのだから、それは仕方なかった。
「バルディッシュ!」
 フェイトはそれでもすぐに身を起こし、再びハーケンフォームでデバイスを展開させた。
「ちっ!」
 士郎はさすがにすぐさま回復したのか、こちらも身を起こし、トレース、オンと呪文を唱え、長い日本刀をその手に現出させた。物干し竿、と言われる刀だ。武装としての格はむしろさっきまでの二剣に劣るが、憑依経験をトレースすれば、この持ち主の技量をある程度まで再現できるという強みがある。
 彼がアーチャーとの差異を意識して作ろうとして、護りの剣としての干将・莫耶と、攻めの剣としての物干し竿の二極の分割というスタイルに至ったのだった。
(護りだけでは、ここは凌ぎきれない)
 その判断は間違いではない。
 フェイトはバルディッシュを下段に下げた。一般的に、下段はカウンター狙いであるが。
「貴方には、あのなのはについて、他にも、色々と聞かせて……もらう!」
 するりと間合いを詰めていく。
 士郎は目を細めて。
「トレース・オン」
 昨晩と同じだ、とみてとったフェイトは加速する。
 士郎の背後に何十もの剣が出現した。
 ここまでは昨晩と一緒だった。
 違うのは、迷いなく士郎はそれをフェイトめがけて射出したことであり。
 フェイトが淀むことない歩法で間合いを詰めようとしたことだった。
 と。

 それは、突然に現れた。

 黒い
 竜巻のように、フェイトと士郎の間に出現したそれは、ただ一度の旋回で二十五本の剣の魔弾を弾き飛ばした。
 それの黒い衣装は喪服であり、ドレスであるということには、止まるまで誰にも解らなかった。
 貴婦人というべく装束でありながらも、片手に剣型のアームドデバイスを持ったその姿は、覇軍の先頭に立つ将軍を思わせる風格があった。
 あるいは御伽噺の英雄であるかのような。
 金髪に青い瞳。
 年の頃二十代前半の、その女性は。
 玲瓏として声で。
 言った。



「双方、それまで」



「セイバー……か」
 と茫然と士郎は呟き、フェイトもまた。
「あなたは――」
 と言葉を失ったようだった。
 彼女はフェイトを見て。

「管理局執務補佐官、ウルスラ・ドラッケンリッターです。フェイト執務官、先ほどは、どうも」

 言った。
 彼女こそはかつて六課に勧誘したこともあるはやての旧知の騎士であり。
 昨晩亡くなった、騎士ランスロットの離別していた妻であった女性であり。
 つい先ほど決定した、補充の執務官であった。





 つづく
 
 



[6585] 剣戯。
Name: くおん◆1879e071 ID:fed7bf27
Date: 2010/12/17 06:09
「ママー、この荷物何?」
 娘に言われ、読んでいた本を机に置いた高町なのはは、ゆっくりと顔を向けた。
「荷物?」
 と口にしてから気づく。彼女の娘のヴィヴィオがいるのは部屋の隅で、そこに開封こそされているものの、封をしなおして四段重ねに積み重ねている木箱がある。前に中身だけ確認して、片付けるのも面倒なのでそうしたのだった。
「埃被ってるね。ママちゃんと掃除しないと」
「あんまりここは使わないから――と、ヴィヴィオ、何してるの」
 少しだけ咎めるような口調になってしまったのは、娘が四段に詰まれた木箱を見下ろせる背の高さになっているからだった。
 高町ヴィヴィオ九歳は、変身制御の魔法で「大人モード」になれるのだ。
 しかし、それは濫用してはいけないとなのはに言い含められていることだった。好奇心に任せ、母の別荘にある木箱の中身を知ろうとするために使うなど、とてもしていいことではない。
「だってー」
 ヴィヴィオは唇を尖らせた。
「だってー、じゃないよ、ヴィヴィオ」
 なのはは軽く溜め息を吐くと、「仕方ないなあ」とぼやきながら立ち上がる。
「まあ、変身しちゃったというのもあるし、ヴィヴィオにあげようかなーって思ってたから」
「私に?」
「中身、見ていいよ」
 母に許可されたヴィヴィオは、ちょっぴり疑問を抱いたのも束の間、すぐに箱を全部床に並べてそのうちの一つを開ける。持っていたときに少し重いと思っていたが、中身は本だった。それも紙の。この世界のこの国のコミックの単行本だった。
「あー、ドラゴンボ○ルが完全版で揃っている!」
 ヴィヴィオは喜び勇んで残りの箱も全て開けた。
「こっちは○闘士星矢! マ○キンの完全版もある! これ読みたかったんだ!」
「マン○ン?」
 覚えの無いタイトルに首を傾げるなのはだが、「シャー○ンキングのことだよー」と言われて「ああ」と納得したようだった。
「完全版には、オマケと連載では描かれなかった最終決戦、そしてその後のエピソードも入ってるんだよ」
「……詳しいね」
 娘が自分の知らない世界へと足を踏み込んでいるのではないか――そんなことを微かに懼れつつ、なのはは曖昧に笑う。
 笑いながらダメだよ母さんなんだからちゃんと娘の趣味にも理解を示さなきゃ否定なんかしちゃだめなんだよ小さい頃は興味がある分野に才能を伸ばしてあげないといけないんだよだけどイケない方向に進んでいるんだったら止めるのも親の務めなんだけど無闇に説教なんかしちゃだめなんだからとにかく最初はちゃんと目を見て名前を呼んで話し合おう……などということを並列思考で考えていた。
 最近はネットで地球のそれが見れるということを、なのははまだ知らなかった。
 ソースは○ちゃんとwiki。
 楽しそうに本をチェックしていたヴィヴィオだったが、やがてあることに気づく。
「……これ、出版社みんなほとんど偏ってるね」
「ああ、それは、」
「――あの人からなんだね」
 ゾクッと、なのはの背筋に一瞬だが冷たいものが走る。
 先ほどまでの笑顔が嘘だったかのように、彼女の娘の表情は冷え切っていた。 

「他の人には内緒にして、あの人にはこの場所を教えているだなんて……!」

「誤解です!」
 愛すべき娘が、何やらありえないところに思考を入り込ませたことに気づき、なのはは叫ぶ。
「ヴィヴィオの言うあの人とは何もありません! 勝手に居場所を見つけて送ってくるの! 胎教にって! っていうか、あの人ではなくて、ちゃんと名前を呼ぼう!」
「胎教って何それ!? なんであの人はママにそんなことすんの!? あと怒るとこズレてるしっ! もっというのなら、あんなのアイツでいい!」
「もう~~~~」
 なのはは唇を尖らせて溜め息を吐くのだが、その後で何処か嬉しそうに苦笑した。
(うん、まあ、遠慮なんかしないで、ちゃんと言いたいことを言ってくれてるのはいいことかな)
 ――ちゃんと、親子できてるかも。
 そんなことを思うのだった。
 聞く者がいたら「あんたどんだけ前向きなんだよ」と言いたくなってしまうような内心の声はさておき、彼女は魔力を体に通して箱を持ち上げようとする。元の通りに積み重ねていこうとしたのであるが。
「あ、ママ、私がやるよ」
「そう? じゃあ、お願い」
 先ほどまでの激しいやりとりなどながったように、ヴィヴィオが箱を積んでいく。
 なのははその様子を見ていて。
「胎教ってのは冗句だと思うけど――なんというか、世話焼きのついでだと思うよ。きっと私が暇しているだろうって思ったんだよ。私のいる場所は内緒にしているとは言っても、少なくとも同じ世界にいて隠し事なんてできるはずが無いんだ」
「もう――――」
 ぷくぅと頬を膨らませたヴィヴィオは、最後の一つを乱暴に魔力で浮かせて積んだ。木の擦れる音が先ほどまでより強くしたが、衝撃は殺してあるので、床にまで響いたり下の木箱が壊れたりというようなことはない。
「ヴィヴィオ!」
 それでもなのはが声をあげたのは、感情に任せた行動をあまりさせたくないからだった。
 普通の子供であるのならばさほどに問題はないのだが、彼女は聖王のクローンで、今は大人モードだ。激情のままに何かをすれば、それは直ちに周囲に影響を与えてしまう。
「ママ! もうあんなのなんかどうでもいいよ。ママはアイツの子分でもなんでもないんだよッ」
「子分ではないけど――お世話になったし」
「漫画とか送りつけるのは、向こうが勝手にしたことでしょ?」
「そっちじゃなくて、昔色々とね。ガリガリさんとか奢ってくれたよ」
「安いよ!?」
「あ、おいしい棒とかも」
「安すぎるよママ!」
 ちなみになのはの好きな味は納豆味である。
 あの食べた後に口の中に残る、微かな粘つきがたまらないのだそうだ。
 何だか言い合うのが億劫になったのか、ヴィヴィオは「もう知らないっ」と背中を向けた。
「ヴィヴィオ」
 となのはは声をかけたが、その後でどういう言葉を続けたらいいのか解らない。解らないままに名前を呼んだ。
「ヴィヴィオ」
「ママ、あのね――」
 ヴィヴィオは、少しだけ振り向いた。
「私は、あんなんにならないから、ママはああいうのがいいっていうかも知れないけど。私は、ならない……なるにしても、私はあんなんじゃなくて、――

 ……わたしは、やさしい王様になる」

「ヴィヴィオ……」
 駆け去っていく娘の後姿をしばらく見つめていたなのはだったが、やがてぽつりと。
「そっか……ヴィヴィオは○ンデー派だったものね」
 内心とは別に、そんな限りなくズレたことを言ってから、窓際の椅子に座りなおす。
 件の作品の作者は、すでに小○館で書かないことを決めているのだが、なのははそんなことを知らなかった。
 しばらくぼんやりと肘を立てて顎を支えていた。開けっ放しの窓から流れ込む風は暖かかった。
 ミッドでは年末だが、ここはいつもこんな心地好い風が吹く。
「常春の国、か……」
 今回のこれが済んだら、みんなをここに呼ぼう、となのはは思う。
 みんなを呼んで、みんなで遊ぶのだ。
 そのみんなの中には、色んな顔がある。
 目を閉じると思い出す。
(早く済ませて、ゆっくりとしたいなあ……)
 ――……くん、
 ふ、と。
 自分が思いもかけずに口走った名前に、なのはは驚いて掌に置いていた顔を上げた。
「あー……もう」
 呟き、さっき読むのを途中でやめた本を手にとった。開けて捲ると、ほどなく自分がさっきまで読んでいた場所に辿りつく。
 彼女は自分が誰かの名前を口走らないように、本の内容を意識して声に出して読み始める。
 これも送られてきた本で、以前にも読んだことがあった。
 なのははこのシーンが結構好きだった。緊張感があって。
 それでも。
 口元の綻びと、微かにも赤くなった頬は消せることはない。

「――知らなかったのか? 大魔王からは逃げられない!!!」
 

 
 11/剣戯。



(逃げ出したいところだが……)
 衛宮士郎は考える。
 即座に「無理か」と結論をつけた。
 目の前に突如として現れた女剣士をどうにかしないと、勝機はおろか逃げ延びる目もでてこない。
(そして管理局の執務官二人――こいつらのデータはあるから、まだなんとかなるが……)
 それでも到底油断ができる相手ではない。
 ティアナ・ランスターと。
 フェイト・T・ハラオウン。
 そして、知ってはいるが知らない剣士。
 士郎は物干し竿を脇構えにして、呟いた。
「次元世界のセイバーに、近接タイプと射撃タイプ別々の魔導師二人か。まったく、これはまたキツいな……」


 彼女は一見して、高貴な死神のようだった。
 高貴さはその凛とした気高い王のような気品から。
 死神のようなとは、その身の備える戦闘者としての一分の隙もない風格から。
 
 黒い美貌の剣士――

 ウルスラ・ドラッケンリッター。
 管理局警防部所属の騎士。
 執務官を四年前に休職して、現在は特務補佐官として復帰。
 古代ベルカ式陸戦[限定]Sクラス。
 ベルカ戦乱期の王族の直系の末裔にして、ベルカ古流剣術の継承者。
 字は〝烈風の騎士姫〟。
 管理局全体を見渡しても五指に入る、最強の剣士の一人であった。


「ウルスラ補佐官」
 深く呼吸してから、フェイトは鋭く声を投げかけた。
「その男は今回の事件の重要な参考人なんだ」
「――のようですね」
 極端な半身になって立っているウルスラは、剣の切っ先を右手を上げて赤毛の男へと向け、顔を微かに動かして視線を前と後ろをへと何度となく往復させていた。
 こちらも警戒しているのだとティアナは察した。
 どうしてなのか――ということは、さほど考えなくても解った。
 彼女は、ウルスラ・ドラッケンリッターはこの魔導で管理されているこの部屋へと転送されてきたのだ。
 ちらりと士郎からさりげなく距離を離したところに、金髪の少年が少し困ったような顔をして自分たちを眺めているのが見えた。
(ちょっと強引過ぎたか) 
 多分、というよりも確実に、ウルスラというこの補佐官の人は、この少年と何某かの関係があるのだろう。恐らく近所にいる彼女に向かって、いきなり現れた自分たちのことを念話で告げて助けを求めたのだ。
 時空管理局は司法権や行政権を併せ持つ強権組織である。それは次元世界においては僅かな対応の遅れ、些少の組織間の対立などが致命的な問題になりれえたという成立初期の事情が大きい。それだけの力があってなお、管理局が成立して数十年たっても〝あわただしくも一定の平穏を保っている〟という状況をどうにか維持するのが精一杯なのである。現在でも基本的に初期と変わらない強権を有していた。それなのに、あるいはそれゆえにこそ、局員には高いモラルが求められる。
(家宅侵入の上に宣告なしに捕縛……管理局法の内規に完全に違反しているものね)
 ただしそれは。

「私は執務官です」

 フェイトは言った。
「緊急時の容疑者捕縛に際しては、〝それなりの処理〟をする裁量が認められている」
 そうなのだ。
 管理局の執務官には、緊急事態に遭遇した場合に一定の枠内だが法規を超越した行動をする権限を有しているのだ。
 もっとも、それは本当に限定されていることであって、執務官だからといってやりたい放題という訳では当然ない。それでも一般の局員からすれば天地ほどとはいえないが相当の差がある。捕縛に際しての無警告での魔法による攻撃――なども、そのうちの一つであった。
 それほどに強大な権限を有する執務官になるには、それこそより高いモラルと実力が求められるのだが。
 フェイト・T・ハラオウンはその執務官の中でもトップに有する、エリート中のエリートなのだ。
 彼女が「できる」としたからには、それは即ち法的には問題がない、ということになる。
 とは言っても、いきなりのことに混乱するのは当たり前である。執務官という名乗りだって本当かどうかだってすぐには解りもしない。少年がどうにかしたいと願って、自分の信用できる人間で実力のある執務補佐官を呼ぶのは自然な流れだと思える。そうでなければ自分の大切なものを所蔵している部屋への転送の許可を出すわけがない。ちなみに、あらかじめ少年個人へと念話で侵入の許可を得るという案は却下されていた。管理局員でもない少年にいきなりそんなことをしたら、何か微かにでも不自然な反応を示すに違いなく、それをこの赤毛の男は察知してしまうかも知れないと警戒したためである。
 それと。
「今回はその少年が人質になる可能性も考慮した。その男は、先日に気絶した管理局員に武器を向けた前例がある」
 フェイトの言葉に、赤毛の男はあからさまに嫌そうな顔をした。不本意な認知を持たれたと思ったのかもしれないが、全て事実だ。
 ウルスラは顔を前――この場合は赤毛の男と少年のいる方向――へと顔の向き固定すると、軽く頷いて。
「だ、そうです。ギル。安心しなさい」
 と告げた。
 どうやら、少年を安心させるためにフェイトに改めて言わせたようだ。
「彼女らは信頼していい」
「だけど、姉さん」
「何ですか?」
「…………えーと、できる限りここの所蔵品を壊さないようにしてほしいん……だ……け…ど…」
 ギルといわれた少年の声が尻すぼみになったのは、ウルスラの声に含まれた重みというか凄みと、そしてティアナとフェイトの位置からは見えなかったが、恐らくキツくにらみつけられたからだろう。
 それを示すように。
「それはすでに聞いています!」
 ウルスラはあからさまに不機嫌になった。
「ですから、ここでこうして止めに入ったのです。あなたも少しは私を信用なさい」
「――解りました」
 ギルは溜息を吐いて、赤毛の男に向けて言った。
「そういうことらしいです。短い付き合いでしたね」
「まあ、そういう事情なら、こちらも仕方ない」
 実に殊勝な言葉である。
 それでも赤毛の男は、構えを崩さない。大人しく捕縛を受けようという気持ちがまるでないのは明らかだ。
「念のためにいっておくと、ウルスラ姉さんはベルカ古流剣術の名手ですよ。陸戦の近接戦闘に限定するのならば、ほぼ無敵です」
「ギル!」
 余計なことを言うな――という意味を込めていたのだろう。
 ギルは「すみません」と悪びれずに頭を下げた。
 ウルスラは視線を赤毛の男に固定した。
「……とにかく、そういうわけです。私はベルカの騎士で、後ろの二人の執務官はミッド式の魔導師です。どんな距離でも対応できる面子だ。貴方に勝ち目は万が一にもありえません。大人しく投降してください」
 言った。
 ティアナは微かに安堵の息を吐く。
 果たしてどうなることかと思ったが、形勢はむしろ自分らに有利となった。奇妙な魔法で剣を呼び出し、魔導の仕掛けを一瞥で見破るレアスキルらしいものを所有している謎の男だが、これだけの布陣を前にしてはどうにもならないだろう。三十メートル四方のこの狭い空間内では、例えここにいるのがエースオブエース・高町なのはだろうが、烈火の将シグナムだろうが抜け切ることなど不可能だ。
(連携ができるのは私とフェイトさんの二人だけだけど、それならば近接ができるウルスラ補佐官に突撃してもらって、そこから逃げ出したところにリアクションすればいい。古代ベルカ式の騎士と知って真正面から相手する人間なんて、そうそういるわけがないし)
 よしんばあの男も古代ベルカ式の使い手だとして、そうなれば左右からプレッシャーをかければいい。
 それだけで焦燥は募り、動きは鈍るだろう。
(突撃のタイミングを念話であわせてもらって、援護に私から誘導弾を)
 静かに弾頭に魔法をチャージする。
 これで、いつでも仕掛けることができる。
 最善は、この男がここで投降してくれるということだが――。
 待って、とフェイトの念話が聞こえた。
 赤毛の男は微かに目を細め。
「残念ながら」
 
「ここで捕まるわけにはいかない」

 男の背後に、再び十幾つもの剣が出現した。
 フェイトが眦を鋭くしたのは、その剣の悉くが先ほどや昨晩のそれとは違い、何某かの強力な魔力を感じさせるものだったからだ。
(本気になった――か)
 こうなれば、
 と魔力の集中を高めようとした時、
(ここは任せてください)
 ちゃり、と剣を八双に構えなおし、黒いドレスの上に黒い騎士甲冑を展開させたウルスラからの念話が聞こえた。目を隠す黒いバイザーまで出している。何処か恐ろしげで、禍々しくすら感じられる衣装だった。
 そして、構えたままに剣を消失させて、名乗りを上げる。

「ベルカ古流、正統クイーン・ブレイド――ウルスラ・ドラッケンリッター ――参る」

 突撃した。


 ◆ ◆ ◆


 黒い風のようだった。
 瞬く内に間合いを詰めて、ウルスラはその手にないはずの剣を叩き込む。
 衛宮士郎は、それを体捌きと被せるような打ち込みを乗せする形で軌跡を逸らす。
 そこから返すように跳ね上がった刃は、刹那の間もおかずに黒い剣士の篭手を打つ――ことはなかった。
 ウルスラは打ち込みを流されたにも関わらず冷静だった。
 半歩を引きながらの剣を持つ手の左右を返し、自らへの打ち込みを弾く。
 そこからの連撃はさらに加速を続け―― 一合を聞くだけで背筋が冷たくなるような、そんな金属音が幾度となく響き渡る。
 迅く、鋭く、重く。
 触れただけで致命傷になるのではないかと思わせる見えざる魔剣の連撃。
「凄い……!」
 思わずティアナは言葉を洩らしていた。
 幻術とは違うようだが、何かの魔法によって剣は隠されていて、そしてそれを振るう技は当代最高峰ともいえる高みに達しているのだと彼女にも解ったのだ。
 ティアナの直接知る剣技はフェイトとシグナムのそれだ。二人の剣は流派は違えどその境地はともに高く、近接戦闘ではどうあがいてもティアナには到底勝ち目がない。勝つためには工夫がいる。それ故に六課時代も今も研究は絶やしてなかった。無敵の人間などこの世にいない、というのが彼女の師である高町なのはの教えであり、ティアナは愛弟子としてそれを常に忘れず、対剣士の戦法を練り上げている。
 その成果として昨晩の『なのは』らしき剣客に対する幻術の連携があったが、あえなく破られた。
 しかし、それは彼女の幻術遣いとしての癖や技量を知悉しているらしい『なのは』が相手だからであり、ティアナのガンナーとしての対近接戦闘者に対する見識は高い。
 そのティアナの目から見て、ウルスラのこの剣技は二人の元六課出身の剣士と同等の位置にある。――あるいは、それ以上か。
 同じく見ているフェイトの、こちらは念話も彼女の耳に届く。
(クイーン・ブレイド、か。相変わらずの剣の冴えだけど)
 その思念には、だが、何処か訝るようなものが混じっている。
(フェイトさん?)
 どう問い質そうかと思っていたティアナであったが、ウルスラの剣技を、戦いをみている内に、次第にフェイトの疑念の意味が解ってきた。
「………なんで?」
 それに気づき、今度もやはり思わず口に出していた。
 戦いは続いている。
 それは。 
 迅く、鋭く、重く。
 その魔剣の連撃を。

 あの男は――凌ぎ続けていた。

 ということだった。
 それも、決して真っ向から受けることはない、剣の刃筋を見抜いているかのようにあの日本刀を使って逸らしている。
 ティアナにも、勿論フェイトにもそれがどれだけ異常なのか解っていた。
(ありえない)
 剣の最高峰の、さらにその上などというものがあるとしたら、それは――。


「――埒があきませんね」
 と呟いたウルスラは、剣を目前にかざすように真上に立て、そのまま姿勢を低くして強く踏み込んだ。
 剣による体当たり――ともいうべき一撃だ。
 床に亀裂が入った。魔導仕込みで強化されたそれを打ち破るのに、果たしてどれほどの威力が込められていたものか。
「くっ」
 ウルスラの剣を、さすがに今度は逸らせなかったものか真正面から受けた士郎は、そこから自ら飛ぶようにして後ろに下がる。受けた物干し竿は鍔から三十センチほどのところから折れていた――と見えた瞬間、消失して、また現れた。
「さすがに、物干し竿では強度が足りなかったか。これで受けきるんだからな。つくづく、奴の剣は怪物だ」
「奇妙な剣です」
 士郎の呟きを聞いているのかいないのか、ウルスラは構えを解き、独白する。
「流麗にして華美、しかしそこに正しき剣理がない。形無しの我流を才覚を梯子として無理のままに高みに至らせたかのような。最早それは奇剣、悪剣を通り越して妖剣の類でしょう。だが、」
 ――貴方にその剣は似合わない。
 と言った。
「刻み込まれた正しき修練の痕跡が、踏み込みや呼吸に伺える。今のその剣は、貴方に相応しいものとは思えない……となると、その剣か――使い手を操る魔導器などというものもあるとは聞きますが、確かに私はそれを折った。その感触を見紛えようがない。そもそもそれには魔力を感じない」
「刀だ」
 士郎もまた、構えを解いた。
「物干し竿と呼ばれている。名工の手になる野太刀だが、所詮はただの鋼の刀だ。特別なのは刀ではなく、元々の使い手の方だ」
「……察するに、貴方は剣を再生し、再生した剣から元々の持ち主の技を度再現するレアスキルを有しているのですね」
「…………………」
 無言は肯定であったか、士郎は口を閉ざした。 
 フェイトは小さく頷き、ティアナは息を呑んでいた。
 剣身を再生し、剣技を再現する。
 それは――彼女たちの常識を遥かに絶している。
 しかし、それで先輩執務官は動揺するようなことはなかった。フェイトは士郎の背後に浮かぶ剣に目を向けていた。牽制のつもりか、と呟きを洩らした。
(フェイトさん)
(ティアナ、ここはウルスラに任せた方がいい。一対一の決闘には入り込めないし、それに彼女が切れ目無く仕掛けてくれていたおかげで、あいつはあの後ろの剣を射出できなかったんだ、それと多分、こちらが手出ししたのを感じたら即座に自動射出されるとか、そういう設定がされていると思う)
(しかし、)
(あれはさっきまでのそれとは違うよ。多分、射られたならバリアジャケットを抜ける。魔力が込められている上に、威力調節とか非殺傷設定とかはされてない。対処の方法はないでもないけど、それは彼女とタイミングを合わせないと)
 二人の前で、ウルスラはさらに言う。
「にしても、恐るべきものです。そのレアスキルではない。その刀の本当の主のことだ。溢れるほどの才能を糧に、無闇と刀を振って無上の光明を得たのでしょうが――もしも正しき修行を積めば、剣理だの術理だのを超越した神域の剣境に達していたに違いない」
「……それは、違うな」
 ウルスラは「ほう」と目を細めた。
 自分の言葉を思いもかけない言葉で否定した男の、続きの言葉を持っているようだ。
 凝視を受けている士郎は、僅かにも視線を左右に巡らせている。
 対峙している三人には、彼がどのタイミングで剣を射出しようとしているのか、そのタイミングを計っているのだと解っている。
 いや、
(それだってブラフかも知れない)
 フェイトの思念が伝わってくる。戦闘中は常時接続が基本だった。
(この男は、まともな戦い方をするタイプじゃない……)
 それはまったくティアナも同じ印象だった。
 一挙一動、言葉の一つ一つを何かの策と繋げるような、そういう類の戦闘者だ。
 そして男――士郎は剣を眼前にかざして。
 言った。

「これの本物の使い手は、あんた達の上をいく存在だ」

「俺の能力では、その全てを引き出すことはできない」
「…………なるほど」
 何処まで本気ととったか、ウルスラは剣の位置はそのままに両手を柄に添え、下段の構えをとった。 
「奇妙なことはもう一つある」
「……………」
「レアスキルとか剣技とかいう以前に、貴方は、」
「――知っている」
 ウルスラの声を遮り、衛宮士郎は微かに笑う。
「同じ剣を受けたことがある」
「……………ありえない」
「そうだな。まるで同じじゃない。だが、似たようなものだな。体格と武器が似たものだと、必然と同様の型になるんだろう。似て非なるというのは少しややこしいが、問題はない」
「ほう」
「簡単な話だ。俺の相手をしていたその彼女の剣の方が、あんたより一枚上だという、それだけのことだ」
「戯言を」
 ざわり、と世界が揺れた。
 陽炎のように沸き立つ大気がそう見せたのだ。そして、その陽炎はウルスラの身より発する強烈な魔力が為せるものであった。
 足元に金色の魔法陣が浮かび、バイザーに隠された双眸が同じく金色に輝いた。
「なるほど。確かに貴方は私の剣を知っている。少なくとも近い関係にある流派のそれを体験したのだろう。だが、まったく別の流派ではなく、同じくクイーン・ブレイドの剣脈にある者がいたとして――私に勝ることはありえない!」
 怒号とも咆哮とも呼べる声を受けてなお、士郎は笑っていた。嘲笑のようですらあった。
「正統か。外道の剣に劣りながらも正統を称するのは滑稽だな」
「何をっ」
「これの持ち主は我流外道の剣技であいつの剣を捌いた。借り物の俺の剣技では彼女の剣は防げない――が、あんたの剣は凌げる」
 その『あいつ』とやらが、『彼女』というのが――
 もう一人のクイーン・ブレイドの使い手ということか。
「ありえない!」
 もう一度、ウルスラは同じ言葉を発した。
「正統クイーン・ブレイドの使い手たる私をして届かぬものは。我が祖たる剣王以外にはありえない」
「剣王――か」
 何処か懐かしむような顔を、衛宮士郎はした。
 ――剣王。
 古代ベルカ戦乱期にその名を記す、諸王の一人である。
 というよりも、ベルカにおける最初期の【王】の一人というべきだろうか。
【王】とはベルカ世界で、魔導による改造を受けた人間兵器の名でもあった。
(赤い真竜の魔導器官を移植されたと伝えられるベルカ戦乱時代の、初期の王。彼女はその直系なんだ)
 フェイトはティアナへと説明する。
(聞いたことがあります。あまりにも昔過ぎて性別不詳で、男性名が伝わってるのに剣技の名前はクイーン・ブレイドっていう……)
(その覚え方はどうかと思うけど)
 間違ってはいない。
 無双の剣技と無尽の魔力――そしてもう一つ、無類の異能を以ってベルカ統一に最も近い位置にあるとさえ謳われた伝説の【王】。
 剣王の血統は、後に聖王や覇王の雛形になったという説すらある。
 そんな強大無比な能力を持ちながらも結局ベルカ統一の悲願は果たせず、息子と腹心に裏切られて道半ばにして倒れたという。
 その血とその技と、恐らくはその精神をも受け継いだこの剣士が、自分の亜流にある者が自分より上にいるなどということは到底許せることではないのだ。
 衛宮士郎は「なるほど」と頷いた。
「そういう繋がりか――」
 なにやらしみじみとした呟きであったが。
(フェイト執務官)
 背中を向けたままのウルスラの思念が、フェイトに伝わったのは同時であった。
(私が出るのに合わせて、巻き込むように打ってください) 
 返事を聞く前に――

 黒い剣士は、再び黒い風となった。

「――――っ!」
 衛宮士郎はその機を読んでいた。
 そうとしか思えなかった。
 待ち構えたかのように打ち出された魔剣の射出。しかしそれは。
 圧倒的な魔力の弾幕によって悉くが迎撃されていく。
「フォトンランサー!」
 圧倒的な攻撃力を持つ、フェイト・T・ハラオウンの射撃魔法だ。
 一つの弾核から数十発の魔力弾が乱射され、前方にある存在に無差別に叩き込まれていく。
「フェイトさん!?」
 思わず叫んでしまうティアナだが、それはあまりにも無体な攻撃に対してである。
 フェイトとあの男の間には、ウルスラ補佐官もいたのだ。あと少し離れた場所にはギルという少年が。
 攻撃は彼女たちをも巻き込んで叩き込まれたかのように見えた。
 非殺傷設定で打ち込めば、確かに相手に致命的な攻撃を与えずにすむ。しかし、それは必ずしも傷つけないということではない。神経系の損傷などがありえることは指摘されて久しい。確率上は一定の規模を上回る魔力攻撃でなければ、魔力ダメージで傷を負うのは二百分の一以下とされているが、それでも管理局員はめったなことでは仲間を巻き込んで打つという戦法はとることはない。昨晩はよりにもよってスターライライトブレイカーでフェイトを撃とうとしたティアナであるが、あれはそれこそ緊急事態だったからだ。
 果たしてフェイトの返事はというと。
(大丈夫)
 確信に満ちた声だ。
(見て)
 ティアナの視界の向こう側、収まりかけた煙の中で、二人の剣士が膠着状態になっていた。
 黒いドレスの上に黒い騎士甲冑とバイザーを装着しているウルスラの剣を、衛宮士郎はいつの間に取り替えたのか、黒白の短剣を重ね合わせてまっすぐに受けて立っている。いわゆる鍔迫り合いという状況だ。
「やりますね、貴方」
 ウルスラの声には嫌味は無かった。紛れもない賞賛の色がある。
「………」
 衛宮士郎は、無言で干将・莫耶を持つ手に力を込めていた。
 ティアナは唖然としてフェイトとウルスラの両方を見回す。
 見た感じ――いや、どうみても、ウルスラには魔力ダメージの痕跡はなかった。甲冑の構成に綻びは無く、気力体力ともに充実している。あれだけの魔力攻撃の弾幕に曝されてもそうだというのはありえることではない。それこそ、彼女の知る限りでもっとも強固な防御を持つ高町なのはや八神はやてであっても、不可能だろう。
 フェイトはティアナに頷いて、念話を送る。
(彼女には魔力攻撃は通じないんだ)
(それって、AMF――?)
(違うらしいけど、だけど彼女のレアスキル)
 そうなのだ。
 一定以下の魔力攻撃を完全無効化するレアスキル――それこそがかつて機動六課へとウルスラ・ドラッケンリッターをスカウトした理由の一つなのだった。
 かつて機動六課が想定していた敵であるガジェットは、AMFという魔力結合を弱める粒子を撒き散らすことによって魔法を弱体化させていた。そんな相手に対して有効な攻撃力を持つには幾つか方法があるが、ウルスラの能力はその中でもまさに破格といえるものだ。
 AMFの干渉すら撥ね退ける「対魔力」。
 おおよそAAAまでの威力の攻撃を無差別に無効化するのである。
 武装形態をとった彼女を、通常の射撃・砲撃魔法で傷つけることは、理論上ほぼ不可能に等しい。
 現にフェイト・テスタロッサ・ハラオウンのフォトン・ランサーは通じていない。さらに理不尽なことに、ランク以下の攻撃では、どれほどの弾幕で攻撃しようとも無駄となるのだ。それは例えば、フォトン・ランサーをファランクスシフトで一千発と叩き付けようとまったく効かないということである。
 この異能に加え、近接戦闘でさえも無尽の魔力と無双の剣技を以って圧倒して捻じ伏せる――かつての剣王に比肩し得る能力を彼女は持っているのだった。
 それはつまり、同時に彼女は剣王の弱点をも備えてしまっている訳であるが。
 ――今の、この瞬間には関係がない。
 ウルスラはプラズマランサーを浴びながら衛宮士郎へと切り込んだのだ。
 彼は赤い光の障壁を呼び出して光の魔弾を受けていたのだが、それも一撃を喰らって障壁が消失したのをフェイトは見ている。自分のザンバーの受けきったそれが、昨晩より構成している花弁の数が少なくなっていたということにも彼女は気づいていた。急いでいたので構成が足らなかったのか、あるいは。
 衛宮士郎は双剣で受けたままで「トレース・オン」と呟いた。
 背後に出現する剣と剣と剣と剣と剣と剣。
 十二本、今度は魔力はない。この状態では集中が足りなくなっていたのか。
「小賢しい!」
 踏み込み、またもや弾き飛ばすと、見えざる剣を大きく後ろに振りかぶる。
 その時、ほどけた――とフェイトには思えた。
 何が解けたのか、上手く言葉にはできなかったが。
 とにかく何かがほどけ。
 剣の姿が現れた。
 
 剣を縛っていたのは竜巻であった。

「――轟風一陣!」 

 彼女は、剣を竜巻ごと振りぬいた。 
 その一撃は殺到する魔剣を吹き散らし、衛宮士郎を吹き飛ばす。
「風王鉄槌か!――よもや、ここまで」
 プラズマランサーの直撃を食らってもかろうじて亀裂が入るだけで済んでいた透明なケースのほとんどが粉々に砕け、飛び散った。中に飾られていた宝物が宙に舞った。ギルが展開させている結界魔法陣の向こう側で苦虫を噛んだような顔をしていた。
「おおおおおおっ」
 さらにやまぬ風の中、ウルスラは衛宮士郎に切り込んだ。
 黒白の短剣がそれを迎撃し、再び始まった剣の舞が刃音をかき鳴らす。
「そうだ!」
 喜悦すらその顔に浮かべ、ウルスラは叫ぶ。
「王道に非ずして外道にも成らず! 極めるための剣技ではなく、目的のためだけに愚直に積み重ねたそれが、貴方の剣だ!」
「はっ! 聞いたようなことを!」
 二剣をまとめて弾き飛ばされた瞬間に、衛宮士郎の手には物干し竿が出現した。
 背中を見せるほどに振りかぶり、上段から担ぎの面打ちを仕掛ける。

「秘剣・虎切り―――」

 半歩引いてそれをやり過ごそうとしたウルスラは、さらに衝動的に大きく飛びのいた。
 自分のいた位置を下段からの切り上げの太刀が疾り抜けたのを見た彼女は、大きく眼を見開いていた。
「それが、元の使い手の技か!」
「全然だ!」
 物干し竿を消しながら赤い剣を取り出し、ティアナの撃ちだした誘導弾を弾き飛ばしながら言った。
「本物は、三つの太刀を同時に相手に当てられた」
「戯言を」
「ウルスラ」
 フェイトがウルスラの横に並ぶ。バルディッシュはザンバーモードに展開されていた。バリアジャケットも簡素化されていた。
「やつは大分疲れてきてる」
「解っています。正直、もう少し剣を交わして見たかったのですが――」
 ここは確実に行こう、と頷きあう。
 ティアナは後ろで片膝を落とし、クロスミラージュを構えた。
 フェイトからの念話が届いた。
(ティアナはそこから、あいつがギルくんを人質にとろうとかしないように見といて)
(了解しました)
 ティアナはどうやら魔導師らしいここの主人であるギルを見た。何か諦めきったような顔をしていた。可哀そうに、と少しだけ思った。
 何発かプラズマランサーの直撃を受けているはずなのだが、魔力障壁でどうにか防ぎきったらしい。フェイトが魔弾を打ち込んだのは、ウルスラのレアスキルを知っていたのと念話か何かでギルのことを聞いたからに違いない。
 そのことが自分に伝わらなかったのは、
(あとで思念通話のコードをウルスラさんに渡しておかないと)
 戦闘の最中に念話などで邪魔をされないように、管理局の局員は識別コードをつけて戦闘中などでは部隊関係者以外の念話をシャットアウトするようにしている。
 ウルスラとフェイトにのみ話が通じているのは、恐らく六課設立時の関係からだろう。
 二人の剣士は確実に獲物を追い込むように間合いを詰めていくのが見える。
 衛宮士郎はギルの方を見たが、それは人質にしようなどと考えている風ではなかった。
(何か確認しているような……なんだろう)
 時折に床の方へと目がいっているように思えなくもない。
 ティアナも確認するが、あるのは撒き散らされた宝物と――弾き飛ばされた剣だけだ。
 ふと思う。
(この剣は、転送でもなく召喚でもなく、創出しているのか。どういう理屈か知らないけど、完全に物質を作り出して、それに付随する機能を使えるとかどんなインチキ。いちいち持ち運びしなくても、必要なときに出したり消したりするからかなり便利な――)
 そういえば。
 昨晩にも、あの現場には一本の剣も残ってなかった。
(………?)
 何かもやっとするものがある。
 弾き飛ばされたそれが消されていないのは、どういう理由なのか。
(――何かの伏線? 例えば、先に出しておいて拾い上げて使うとか)
 違う。
 あの速度で剣を出せるなら、そういうことをいちいちする意味がない。
 だけど。
 だけど。
(何か忘れている気がする――何か、重要なことを)
 ティアナが並列思考で推測を重ねる中、衛宮士郎は「そうだな」と言った。
「色々と聞きたいことはこっちにもあるが、正直、あんた達二人を相手にするだなんてな、さっきの物干し竿の持ち主にも、あいつにも――ああ、セイバーというんだが、あいつにも、難しいだろう」
 本当に、世界は広い――
 フェイトもウルスラも、その言葉にもまったく意識を弛ませることもない。
「貴方はそのセイバーとやらにも劣るのならば、勝てないと自分でも解るはずでしょう」
「まだ投降するつもりはないみたいだけど、これ以上は無駄な足掻きだ」
 士郎は二人に頷き。
 ウルスラの剣を見た。
 竜巻を解いた今、剣の全貌が晒されている。長剣だ。ベルカ式のアームドデバイスとして平均的なシュベルトスタイルの、魔剣。
「……なるほど、ここまで同じで、それが違うとなると、そういうことか。そういうこともありえるのか」
「? 何を言いたい?」
「いや、こういうことだ――」
 ―――I am the bone of my sword
 咄嗟に緊張を増す二人の前で、衛宮士郎は新たな剣を作り出した。
 それは剛毅さと壮麗さを併せ持つ、シンプルな意匠でなお美しい宝剣だった。
 フェイトは何処かで見たことがあると思った。思い出す前に、ウルスラの呟きが聞こえた。
「それ、は――貴方は、なんでその剣を、貴方は、それをどうやって――いや、」
 茫然とした、声。
「カリバーン」
 と衛宮士郎は言った。
 そして。

「受け取れ」

 ふわりと、
 投げた。
 
「あ」

 思わずそれに向かって無防備に手を伸ばしたウルスラを。

「危ない」
 フェイトは抱え込み、跳んだ。
 どうして自分がそうしたのか、彼女にもよく解らなかったが。
「あ――」
 ティアナは思い出した。
 あの時。
 最初に、あの倉庫で。
 あの呪文は。
(あの男は、あそこにいたんだ)


 剣が、爆発した。


 続けて誘爆するかのように連鎖して床に散らばる剣が爆発する。
 その爆圧はそれぞれが大した規模ではなかったが、数が問題だ。
 四十もの剣があったのだ。

「クロスファイアシュート」

 そんな中で冷静にティアナは魔法を射出する。空間制圧のための十発の誘導弾。かわせ切れるか、と思ったが、衛宮士郎は落ち着いていた。新たに剣を取り出して、また爆発させた。
 その爆風の向こう側で、ティアナには彼がどうしてか泣きそうな顔をしているように見えた。


 許さない、とフェイトは思った。
 許せるはずが無い。
 茫然とした顔で、自分の腕の中にウルスラがいる。
 覚えがある。
 目の前で大切なものを失った――そんな顔だ。 
(許さない)
 あの男は、どうしてかあの剣のことを知っていた。
 フェイトにはウルスラがどうしてあの剣を見てこんなに動揺したのか解らないが、ただ、これだけは解る。

(あの男は、ウルスラがこうなることを知って、あの剣を目の前で作り出し、爆破したんだ――)
  
 許せるはずなどあろうものか。
 飛行魔法から着地した時にウルスラは目を瞬かせ、現状を認識した。爆発からおよそ三秒というところか。
「ここで待ってて」
「あ、執務官」
 ウルスラが何を言おうとしたのか、フェイトは聞かなかった。
 再び跳躍した。
 あの男は、絶対に捕縛する。
 そして、この人に償わせるのだ。
 

「さてと」
 壁際にまで寄った衛宮士郎は、高い天井に飛び上がりながら自分に突進する執務官を見ている。
 見ながら新たに短剣を創った。
 それは、奇妙な形状の短剣だった。
 とても実用に耐え得るとは思えない、曲がりくねった刃物。
 それを逆手に持った士郎は、壁に向かって突き刺した。
「ルールブレイカー」
 煙の向こう側から士郎を見ていたギルであったが、その瞬間に「え?」と彼らしからぬ声をあげた。
 彼には、その剣が突き刺された区画の魔導が、およそ二メートル四方の壁の強化、防音などの処置がしてあった壁が、刹那の時間でただの煉瓦を組み合わせたものとなったのを目撃したのだ。
 そして。
 ザンバーモードで打ち込んでくるフェイト・T・ハラオウンを。
 彼は真正面から受けて、

 打ち負けて、壁を突き破って外に吹き飛ばされる。

「え――?」
 ありえない事態に彼女が動きを止めたのは僅かに一秒。
 すぐに気を取り直して外に出るが、破片は散らばる中で士郎の姿はない。
「逃げられた――いや、逃がすか」
 飛ぶ。
 

 ◆ ◆ ◆


「随分と派手にやってるみたいやね」
 アーネンエルベの何処かのテーブルにつく二人の女性は、差し向かいに座りながら話していた。
「どうやら、賊は逃げたようです」
「へえ、あの二人――三人か。管理局屈指の使い三人を相手に立ち回ってなお出し抜くだなんて、たいしたものやね」
「テスタロッサが追跡に出たようです」
 小柄なほうの女性は、コーヒーのカップを口に運ぶ。
「フェイトちゃんなら、問題ないと思うわ」
「ならばいいのですが……」
 何処か悩ましげに言って、長身の女性もまたカップを口元に寄せ、一口含む。
「まあ、シャマルにそのままサーチを任せて……ザフィーラとヴィータにもみはらせとこ。もしもの話、万が一遅れをとることがあるようなら――」
「主」
 言葉を遮り、カップを置き、長身の女はいう。
「私も、行ってよろしいでしょうか?」
「気持ちは解るけど、あかんよ。私を護る人間がおらんようになってまう」
「……すみません」
「ま、フェイトちゃんならなんもないとは思うけど、さて、この事件のキーになるだろう男と、恐らく一緒に活動しているだろう〝高町なのは〟について、これで何かはっきりすればいいんやけどな」
 ぼやくにようにそう言ってから、小柄な女性は窓へと目を向けた。
「なんや雲行きが悪いな」
 一雨きそうだ、と呟いた。


   転章


(投影をしすぎた)
 息を荒くしながら路地裏に入り込んだ彼は、全身に走る激痛と熱っぽさに膝を折りそうになるのを耐えながら、それでも駆け足で進んでいく。
 幾度も路地を曲がり、進んでいく。
「ダメだな、これは……だが、つかまる訳にはいけない。高町に迷惑がかかるし。凛――」
 口走った言葉をぬぐうように、拳を唇に当てた。
(弱気になるな)
 自分に言い聞かせ、走る。
 それでも言葉が溢れてくる。
「凛、――、遠坂、――凛、凛、――」
 壁に手を着いた。
 体重を預け、遂に立ち止まる。
「逢いたい」
 言ってから、振り向いた。
 雨が降り出す。
 ぽつぽつと。
 その雫は、まだぱらついたものでしかないようだったが。
 かつり、と音がした。
 彼が曲がった向こう側から。
 現れた。

 フェイト・T・ハラオウン。

 管理局執務官。
 白いマントの通常のBJを展開させて、手にはそれでもザンバーモードのバルディッシュを手に。
 歩いてくる。
 言った。

「あなたは管理局法に違反しています。あなたは現在進行中の重大事件について何らかの情報を持っていると思われます。大人しく投降してください」
「……投影、開始」
 呪文の言葉で応えながら、士郎は構えた。
 手にあるのは物干し竿。
 ただの鋼にして、世にあるまじき天才剣士が所有していたモノ――その再現。
「…………」
 フェイトは無言のまま。
 捕縛の魔法を発現させようとして。

「待って」

 声がした。
 フェイトが振り向いたのは、その声にあまりにも聞き覚えがありすぎるからだった。
 予測はしていた。
 助けに現れるだろうということは、あらかじめ考えていた。
 会いたくはないと、そう思ってもいた。
 路地の向こう。
 薄暗闇の向こう側から。

「なのは」
 
 硬く、そして困惑した声をフェイトは出した。
 そこにいたのは、黒い衣装を着た、黒い小太刀を両手に持つ。
 短く襟首で髪を切り揃えた娘が。

 高町なのはが、そこにいた。




 つづく


  
 



[6585] 魔拳。
Name: くおん◆1879e071 ID:f95b7a17
Date: 2011/01/07 04:22
「……あーあ」
 ギル・エレクが何処か諦めたような溜息を吐いて、壁に開いた穴を見ていた。穴の向こう側では雨がぱらついて、砕けた煉瓦の破片を濡らしていた。
 煉瓦をセメントで組んだだけの壁だが、それだけでは衝撃に耐えられない。高度に処理された対衝撃、耐久力増加の魔導が仕込んであった。Aランクまでの砲撃魔法の直射でも壊れないという保障もついていた。彼自身も宝物を所蔵しているので試してみてもいる。それだけにこの状態は信じがたいものがあるのだった。
 彼は雨を防ぐ簡易の魔法防御を張りながら外に出て、ばらばらになった破片の中に何かを突き刺した跡が残っているそれを見つけて手に取る。
「どうやら、彼はとんでもない剣を創り出せるようですね」
「それも――やはり、創り出した剣の特殊能力ってこと?」
 傍らで被害状況をチェックしていたティアナが話しかけた。ギルの魔導師ランクがかなりの高等なものであり、能力が分析・防御特化であるということはすでに聞いている。その彼が口に出したのならば充分以上に参考になるとティアナは判断していた。
 ギルは「そうでしょうね」と答える。
「姉さんの分析に、まず間違いはないでしょう。あの人は論理ではなく直感の人ですけど、肝腎なことは外しません。どんな非常識な結論であっても……です。あと、僕は確かに見ました」
 奇妙な形状の短剣を突き刺すことによって、壁に仕掛けられていた魔導が無効化されたのだ。
「この面の、この範囲の魔力が一気に消し飛んでました。魔導の構築を解体すること自体は理論としては可能ですし、現状で開発されてもいますが――あんな一瞬でなんて、通常の魔法では考えられません」
「ふーん……」
「話に聞く魔導殺しというのも違いますね。あれは、なんかベルカ式だのミッド式だのとはかなり遠い――というか、まるで接点が感じられない何かです。ISというのも違うでしょう」
 これも勘みたいなものですが、と言い置いて、ギルはティアナへと振り返った。
「魔道物理の発達した現在でなお容易には原理の解析できない類の、あれは、定義的にロストロギアと呼んで差し支えないかと」
「つまりそれは、あの男は、ロストロギアをも再現する能力を持っているってこと?」
 二人の間に沈黙が生じた。
 ロストロギアといわれるモノの定義は些か混乱している部分があるが、ごく大雑把にいえば現代の魔導においてさえ原理の解析が不明で、なお稼動している古代遺産をさしている。危険度の問題ではないのだ。それゆえに一般売買もされているロストロギアというものも存在する。原理は不明だが現在の技術で同様の現象が可能なもの、危険性がまるでない効果を持つものなどである。あの短剣が単純に小規模の魔導の構築を破壊するだけの能力であるとするのならば、現状でも再現可能な技術に分類されるが、反面、用途の範囲は広く、犯罪へ使える危険性は高いと考えられ、売買不可の指定がされるだろう。
 ただ、戦闘に限定するのならばあのサイズでは使い勝手が悪いに違いなく、稼動条件もシビアなものと考えられる。簡単に使用できるのならばさきほどの戦闘の渦中で使われていたはずだ。
 それに、重ねて言うが再現は可能な能力ではあるのだ。ミッド式にしてもベルカ式にしても、ただ魔法構成を破壊するというだけならば不可能ではない。能力の特定ができていない段階での断定は危ういが、ティアナの知る魔導師でも時間をかければ似たようなことは多分、できる。できるが――。

 その機能を持ったアイテムを能力で複製する――などということは、明らかに常軌を逸している。

「再現できないものを再現する、か」
 ティアナの声は硬かった。
 それは要するに、あの赤毛の男は、現代魔法工学などを超越したレアスキルの持ち主である……というよりも、存在自体がロストロギアのようなものだと言うことである。
 いや。
「仮にあの能力を〈創出〉として、すべての剣を〈創出〉しているとも限らない……」
「ああ、なるほど」
 ギルも同意したように頷く。
「つまり、転送魔法も併用している可能性ですか」
「……まあ、自分で言ってて意味不明だけどね。それこそ意味があるのかないのか。こちらに能力の誤認させたいのだとしても、あんまり上手い手だとは思えないし」
 ティアナは頭を掻いて待機モードをとっているクロスミラージュに指をかけ、話しかける。
「〝常識的な判断〟に固執しているだけかな。だけど、ロストロギア関連の事件はそれこそ非常識なのが多いんだから、素直にあの男そのものがロストロギアみたいな存在だと考えた方がいいのかもしれない――どう思う?
 と聞かれたクロスミラージュは、解りません、とだけ簡潔に答えた。他に答えようがないようでもあった。
 最初から答えを期待していたわけでもなかった。ただ、自分が思い込みのままに突っ走ってないかを確認するための儀式のようなものである。
「しかし、ロストロギアそのものか……」
 ティアナの脳裏に、〝歩くロストロギア〟と言われている元上司と、師の養女となった〝聖王の複製〟の少女と、今は眠る冥王と呼ばれる娘の顔が浮かんだ。
 生きながらロストロギアと同等……あるいはそのものと言える存在を彼女は知っている。いずれも古代ベルカに関わる血筋だったり、その遺産を受け継ぐ者だった。
 もしかしたらあるいは、あの男も古代ベルカの王族とかの関係かもしれないとティアナは思った。クイーンブレイドの剣筋を知悉していたこと、恐らくは古魔法だのなんだのを使っていること、先日のマリアージュやらのことを考えると、ベルカの王の末裔のような特殊な異能の持ち主であると考えた方が納得がいく。とはいえ、王族の末裔がそうごろごろそこらにいるとも思えない……いや、目の前に二人いた。
(剣王アルトゥースの末裔であるウルスラ補佐官――)
 目を向けると、バリアジャケットを解除した状態で用意された椅子に座ってうな垂れている。葬送の列で見かけた時とも、さきほどまでの戦いの中でみせていた清冽な姿とも違う、力なく消沈しきった様子だった。見ていて胸が痛くなる。目を逸らすようにギルを見ると、今は瓦礫ではなく、骨董品のチェックをしていた。鈍い光沢を持つ金属性の壷を手にとっていて、ティアナの視線に気づくとやれやれと肩をすくめてみせた。
 やがて。
「姉さんは、どう判断します?」
「――私は、」
 聞かれて、それでも顔をあげたウルスラであったが、何かを言いかけて首を振り、また俯いた。
「すみません。今はちょっと思考がまとまらないのです。今は……少しだけ時間をくだされば、分析にも参加できますが」
「無理はしないでいいですよ」
 ティアナは労うように言う。いかに実力は管理局屈指のものであろうと、この数年は前線に出ていなかったのだ。そこから先日に離婚していたとは言え、元夫とは死別、それからの先ほどの得体の知れない相手との戦い――の上に、あんな真似をされては、精神に負担がかかって当然だと思えた。
 正直、戦力としては申し分はないのだが、経緯が経緯である。今回のこの人事はティアナには納得がいかない部分があった。腕の立つ局員が少ないとはいっても、つい先日に身内を事件で亡くした者を担当にまわすというのは常識ではありえない。
 そんなことを執務官が考えているのを知ってか知らずしてか、ウルスラは力のない視線で周囲を見渡した。誰かを探している。目の止まった先には、彼女の弟分が壊れた鎧を拾い上げて溜め息を吐いていた。
「――ギルッ、いつまでそんなガラクタを見ているんですか!?」
 傍から彼女を見ていてたティアナが、思わずびくりと肩を震わせるような声だった。先ほどまでの無気力な様子が嘘みたいだった。
 怒鳴られたギルはというと、落ち着いていた。この姉貴分に理不尽に怒られるのに、彼は慣れているのだろう。
 溜め息交じりの苦笑を浮かべ。
「ガラクタにしたのは姉さんですよ」
 と鎧をそっと床に置く。
 ウルスラは唇を尖らせた。
「うるさいですね。防具なのにこんな簡単に壊れてしまうようなものなどは、どうせ役立たずです。欠陥品です。そもそも現在の戦闘者なら、普通にBJなり騎士甲冑を展開させればいいのです」
「これは古代ベルカの最初期のもので、まだ騎士甲冑の展開術式が未完成だった頃のものなんですよ」
 魔法が完成していなかった時代を証言する、貴重な遺物だったんだけど――という言葉を続けようとして、ギルは黙り込んだ。自らが姉と慕う女性の目が剣呑な輝きを湛えていたのに気づいたのだ。
「……傷心している女が目の前にいるのですよ」
 と、ウルスラは目を細めながら、言った。
「はあ」
「もっとこー、男ならガラクタを弄くる前にすべきことがあるでしょう!」
 椅子から立ち上がり、すたすたとウルスラはギルに詰め寄る。
 ギルは表情の抜け落ちた顔をした。
「女って――ウルスラ姉さんでしょ?」
「私の何処が男に見えますか」
 微妙にずれたやりとりのようにティアナには見えた。そういえば剣王アルトゥースは女性なのに男装して臣下を誤魔化していたという伝承があったなあと思い出したが、思い出しただけで口にはしない。
「肩に手を廻して慰めるとかくらいできるでしょう。男なら」
「それくらいで済むんなら――」
「それから頤に手を添えて顔を上げさせてキスするとかできるでしょう。男なら」
「……………それから?」
「あとは――、そうですね。添い寝とかしなさい」
「添い寝」
 ギルは言葉を繰り返すだけとなっている。
「それから?」
「私はまだ中でイッたことがありませんから、できるだけ、」
「…………………………執務官」
「――はい?」
 いきなり話を振られて、ティアナはびくりと肩を震わせた。正直、なんか痴話喧嘩みたいなのにはあまり関わりたくないとは思っていたのだが。
「どうして女って、結婚すると品がなくなるんですか?」
「いや、私は未婚なのでそこらは……」
 とはいいつつも、別にこのくらいの話は普通にしているかと思い返していた。女同士だと遠慮がなくなるので、きわどいというかエロい話は日常的に出ていたものである。あの性欲どころか恋愛経験なんてありませんという風なスバルやフェイトとさえ、たまに冗談半分にしていたものだ。
 もっとも、三人とも仕事が恋人という状況が長く続いてる訳で、そんなに突っ込んだ話にはならないのだが。
 しかしそれはあくまで女同士での話であって、さすがに年下とはいえ、男の子の前でこういう話はしない。
 適当に言葉を濁すティアナであるが、「何をいってるんです」とウルスラは何処か呆れたような、優越感すら漂わせて言う。
「女の慎みだのそんなものは、男を得るためのパフォーマンスです」
(言い切った!?)
 あまりの言い草に、二人は言葉を失った。
「ああいう外向けの態度というものは、男からの好感度をあげるためのものです。すでに私はバツイチで、ギルは私のものだし、執務官は女性です。今更、慎みある態度とかとってカマトトぶる必要もないでしょう」
「……そういうのも極論すぎるというか、今は一応、勤務中ですので……」
 ティアナがさすがにそう言うと、ウルスラも「すみません」と頭を下げた。
「私も興奮しすぎました。ギルが聞き分けがないので」
「僕のせいなの!?」
「当たり前です」
 ティアナは溜め息を吐く。真面目な人だと思っていたのだが、どうにも違ったらしい。あるいは、無理にでも乱暴なことを口にしてから元気を搾り出そうとしているのだろうか。ビッグマウスだのエロトークだのをよく出してくる人間は、繊細な人間が多い。周囲に本当の自分を見せるのを恐がる者は、仮面として極端な態度をとることがあるということを執務官であるティアナは心得ている。自分でも覚えがあった。
 二人の口論というか痴話喧嘩はしばらく続いていたが、やがてギルが言う。
「だいたい、姉さんはランスロットと結婚しといて、何を今更……」
「……あの時は――あなたは結婚年齢に達していなかったし、それに、結局、別れたじゃないですか」
(ふうん……)
 なんか、ギルの方も満更ではないのかとティアナは思う。
 この二人の間柄は姉と呼んでいても幼馴染だということはすでに聞いているのだが、見た目にでこぼこなカップルに思えた。同じく剣王の血筋に当たるのかと思っていたが、ギルの方は別の【王】の出だという。王族のバーゲンセールだな、とティアナは思ったものだ。
 何処のなんという【王】なのかは聞いていないのだが、ベルカにおける【王】とは魔法にて改造を受けた人間兵器のようだと思ってあまり間違いではない。この少年も何某かの資質を色濃く受け継いでいるのだろう。
「別れたにしても、死んだ翌日に何いってるんですか……今日は葬儀があったんでしょう」
「ええ。空っぽの棺おけにスコップで土をかぶせる作業でした」
 自分も参加したというのもあるが、身もふたもない、とティアナは思った。
「死体はありませんでした。状況から、そう判断されたというだけです。おかげで、実感がまだもてません。ランスロットの馬鹿のことですから、実は死んだと見せかけて何処かで隠れている――くらいのことはするでしょう」
「ああ……まあ、そういうことはしそうだけど……」
(どういう人だったのかしら、ランスロットさんって……)
 勤務態度などの生前の記録に目を通しているわけではないのだが、陸士としてAランクにも達せる人間なのだから生半ではないはずである。勿論、能力と人格には必ずしも関係がないというのも承知はしているのだが、才能だけでAランク以上の能力を発揮できるようなのは、それこそ一部の怪物じみた人間だけである。
 それと、実感がないというのもティアナ解る。おそらく状況から考えて、ランスロットは変異させられてから倒されたのだろうと推測されていた。だとすると灰のようになってしまったに違いない。目の前で彼女はその実例を見ていたのだった。しかし、そのことはまだ一部の人間にしか報告していない。ウルスラはそのことを知らないのかもしれない。それに、万が一の可能性だがインナーだけ残して何処かに隠れたということもありえないわけではなかった。そも隠れてどうするのかという疑問は承知の上でだが、可能性だけならば、ある。それこそ万が一の話ではあるが。死体もなく死んだといわれても早々信じられるはずもなかった。ウルスラの振る舞いは、そう考えると納得できなくもなかった。
「〝実はAAAランクなのに、出世とか面倒だからAランク〟とか子供みたいなこと本気でやってしまうような馬鹿だったものね」
「本気で馬鹿でしたね。あれがかっこいいと思ってたらしいですが」
「―――――え?」
 由々しきことを聞いた、気がした。
 ウルスラは遠い目をしていた。
「そんな、馬鹿で子供じみたところが、私は好きでした。そんな子供っぽくても、しかしやるべき時にやるべきことをやれる男だと、私は知っていましたから……剣の腕も、魔力抜きでなら私以上だったでしょう。だから、ランスロットは今でも何処かで死んだ振りをしていて、いつか私がピンチになったら颯爽と助けにくるとか、そういうことをしそうな気が……」 
 嫌いあって離婚したわけではないのだと、その口調から解った。むしろ、今でも好意を持っているのだと聞いていて思えた。その上でギル少年への愛情だか欲望の方が上回っているのか、その辺りまでは解らなかったが。
 ギルは歳に不相応な大人びた表情で頷いてから。
「そういえば聞かなかったけど、ランスロットとはどうして別れたんです?」
「性生活の不一致です」
 いいにくければ……と言いかけていたギルよりも早く、ウルスラは即座に答えていた。
 ギルは口を何度か開け閉めしていたが、やがて諦めたように溜め息を吐く。
(【王】の末裔同士でこういう会話って、なんかシュールよね……)
 ……考えてみれば、王族だろうと神官だろうとなんだろうと、やはり人間で、性欲もあれば食欲もある。トイレにだっていくだろう。下世話な話だってして当然のことである。
 あるのだが。
「不一致って、……」
「……さすがに私でも、口に出すのもはばかられることは――」
「そういいながら耳打ちとかするんだね、……え? お尻?」
「馬鹿ですかあなたは!? 口に出してどうするんです!」
 ……でも、ほどほどにしてほしい。
 ティアナは溜め息混じりに注意しようかどうか、迷いながら口を開きかけ、

「――フェイトさん?」

 ギルとウルスラの視線がティアナに集まった。
 ティアナは虚空を睨み、「はい」とか「ええ」とか呟いている。
「解りました。――ギルくんに頼んだらいいんですね。座標は、……後はタイミングを合わせて仕掛けましょう。合図をお願いします」 

 


 12/魔拳。




「――なのは」

 フェイトは、その声が誰か別の人間が出したのかと思った。
 自分が、こんな声で彼女の名前を呼ぶだなんて。
 ――いや。
 ザンバーフォームのバルディッシュを肩に担ぐように構え、フェイトは『なのは』と対峙した。
 目の前の、およそ十五メートルほどの距離を置いて立っているその女は、確かに高町なのはに似ていた。
 だが。
 人は、人の顔を、印象で記憶する。
 フェイトの抱いているなのはの印象と、その女はまったく違っていた。
 造作だけでいうのならほとんど変わらない、と彼女は思う。この十年以上、フェイトにとっては誰よりも大切な存在がなのはだった。高町なのはだった。魔導師としての高度な魔導の演算を可能にする脳の一部に、彼女は親友であり恩人であり好敵手である――なのはの姿を焼き付けている。その彼女の脳が記録する映像と、目の前の黒い女魔導師の顔は、少なくとも髪型と目つき以外はまったく同じといってよかった。
 ただ、作り出している雰囲気が違っているのだ。
 それは単純にバリアジャケットの真っ黒な色や細部の形が違うことだけではない。
(可能性は三つ)
 フェイトはマルチタスクで思考しつつ、油断なく『なのは』を見ていた。
(私たちを混乱させるためになのはの顔を写しているか、偶々、なのはとそっくりの顔をしているか――)
 あるいは、この女は高町なのは当人か。
 それについては、すでに午前中に話をしたばかりだった。
 彼女は答え――否、覚悟を決めていた。
(ティアナ、なのはが出た。座標はX284gderY0003Z111122dis。ギルくんは防御・転送系の魔法のスペシャリストだから、彼に頼んでみて)
 指向性を徹底して高めた念話によって一方的にそれだけを告げた。
 その時に『なのは』の眦が微かに動いたのをフェイトは見逃さなかった。
(私が念話を使ったのを察した――か)
 戦闘魔導師として一線に立つ者ならば、対峙する敵が何を仕掛けようとしているのか、何かをしているのかを察知することは決して難しいことではなかった。大気を震わせて肌に伝わる魔力の昂ぶり、視線、口元の動き――それらから念話をフェイトが使っていることを察することだけなら不可能ではない。
 稀れにコード化された念話を傍受して解読できる者もいるが、それこそレアスキルの領分である。そして、そんな魔導師であっても、今のように徹底して指向性を持たせれば傍受することすらできないはずだ。
 となれば――
(早めに仕掛けてくる)
 応援の来る前に。
 いや、あるいは。
 集中を増すフェイトの前で、『なのは』は二人の間で立ち尽くしている赤毛の男に声をかけた。
「今のうちに、逃げて」
 冷静――というよりも、冷たい声だ。
 感情がまるで感じ取れない、機械のような声だとフェイトは思った。
 男の、士郎の返事には些かの間が空いた。
「……………今の俺では、足手まといか」
「役割だよ。あなたは、そもそも戦いに向いてない」
 士郎はその言葉に頷き、フェイトに背中を向けて裏路地の先へと足を進めだした。
 フェイトは思わず前に出る。
「待て――」
 いや。

「クロスファイヤーシュート!」

 フェイトの出るタイミングにあわせて突如彼女の前に転送されてきたティアナが、手に持つクロスミラージュから魔弾を
 撃つ、瞬間。

『なのは』はティアナの目前にまで移動していた。
 
(はや、)
 対応し切れなかった。
 脇腹を両手で包み込むように『なのは』の掌は打たれていた。柔らかく、鋭さのない、そこに何気なく置かれたと思われたかのような、そんな打撃だった。もしもその瞬間を目撃した者がいたとして、それを攻撃と看過できたかどうか。打たれてなおティアナは倒れもしなかったのだ。
 いや。
 反撃しなくては、とティアナが思考を再開させようとした時。
「……」
「え?」
 耳元に『なのは』の呟きが届いた。
 そして一瞬の硬直から。
「――――ッ!?」
 全身の神経に異様な衝撃が駆け抜けたのをティアナは感じた。腹の奥底から何か逆流するかのように湧き上がってくる熱があった。それは瞬くうちに嘔吐として口から溢れ出ようとしている。脂汗が顔に珠のように浮かんだ。足の力が抜けて膝から崩れ落ちる。ヤバい、と思った。
「ティアナッ!」
「―――と」
 側面から打ち込まれたザンバーフォームの一撃を『なのは』は両手に小太刀を顕現させて十文字に重ねて受け、そのまま衝撃で飛ばされるままに間合いをあけた。
 五メートル。
 そこから『なのは』はまた移動した。速い、とティアナは改めて思ったが。
「そこか」
 フェイトは無造作にバルディッシュを振った。
「――さすが」
 先ほどと同じく小太刀を重ねて受けた『なのは』が出現し、また間合いをとり、今度は右手を担ぐように、左手を前にした構えをとった。
 フェイトは眉根を寄せ、片膝をついているティアナの傍に歩み寄る。
「大丈夫?」
「あ、――はい。なんとか」
「そう。多分、丹田を挟み込む衝撃を打ち込まれて、太陽神経叢を揺さぶられたんだと思う。無理しないで」
「……フェイトさん?」
 自分から意識をはずし、バルディッシュを下段に落としたフェイトに、ティアナは訝しげに視線を投げかけた。
 今の言葉といい、さっきの対応といい――、
(フェイトさんは、このスタイルを知ってる?)
 ティアナは思い返す。
『なのは』は速かった。速かったが、それは彼女が知る他の近接戦闘の専門家であるところのスバルやエリオに比してどうであったかというと、よく解らない。いや、彼女の今まで知る魔法格闘の名手たちとも何か印象が違っていた。うまく説明できないが、スバルらのようなどう動かれたかも解らない絶対的な速度の差があって追いつけないというのではなく、いつ動かれたのかが判断できずに対応が遅れているという感じだった。
(なんというか、魔力の昂ぶりがなかったというか……)
 その思考は、あるいはフェイトに念話として通じていたのかもしれない。
「御神流」
 とフェイト・テスタロッサ・ハロオウンは呟いた。

「久しぶりに見た。御神流二刀小太刀術の奥義ノ歩法――〝神速〟」

『なのは』の表情は変わらなかった。
 ただ、微かに目が細まった。
「集中力を高めて脳の演算処理力を加速させ、肉体から潜在能力を引き出す技法。その速度自体は魔法のそれよりもむしろ遅いくらいだけど、入り込むタイミングが違うから、慣れてないとベルカの騎士でも不覚をとりかねない」
 ああ、そうか……とフェイトのその解説でティアナは得心した。
(魔法でもISでもない未知の、というよりも魔力を用いないことを前提とした、全然別体系の技術なんだ)
 とはいえ、魔力の直接関係しない戦闘技法というのは次元世界にもないではない。例えばストライクアーツなどでは、魔力で強化した上でだが筋肉の使い方や重心の落とし方などを変えることで普段の運動と質の違う歩法(ステップ)を用い、相手を困惑させるスタイルもある。今の〝神速〟をティアナが捉え損なったのも、効果としてはそれと似たようなものだった。人間は未知の、あるいは普段目にしないものを見たときには反応がどうしても遅れるものなのだ。
 それにしてもそれらのスタイルは速度そのものが絶対的に速くなるのではなく、相対的に相手より早く相手を打つということに焦点があてられた技法のはずだが――御神流は魔法を使わずして魔法と同様に絶対的な速さをも引き出すのだ。魔法戦闘を前提としている魔導師には、初見では防ぐのは些か困難に思えた。
(……けど)
 ティアナの目はフェイトの背中に向けられた。
「私には通じない」
 彼女は告げた。
「恭也さんと美由希さんに中学の二年の春休みの間、御神流の戦闘法はレクチャーを受けた。今の私に、御神流は通じない。通じるとしたら士郎さんの『閃』のみ」
 フェイトはいいながら、声が徐々に鋭くなっていった。
 そう。
 所詮は慣れの問題なのだ。
 知らぬ技であるから対処ができないというのならば、知ればいいだけの話である。
 フェイト・テスタロッサ・ハロオウンが御神流と訓練したのは、執務官として次元世界を渡る中で、魔法を用いずして魔導師と戦える使い手と戦うことを想定していたからだった。
 暗殺者と対峙すること、あるいは暗殺することを目的として練りこまれ、なおかつ異能相手の戦いをもその歴史に抱えている御神流は、そういう意味でフェイトにとっては格好の訓練対象だった。さすがに習得こそしていないものの、実際に執務官としての職務で、これらの経験は大いに生かされた。今もまたそうだった。

「あなたが高町なのはなら、知っているはず」
 
「――それで?」

『なのは』のその声は、冷たく、静かで、重く、鋭い。
 彼女らの知る「高町なのは」ではありえない。
 ティアナは先ほどの呟きを思い出した。伝えるべきか、と逡巡した。
 フェイトは何かを言おうとした。
 それらの前に『なのは』は動く。
 小太刀を重ね、目を閉じる。
 桜色をした、三角の魔方陣が浮かび上がった。
「ベルカ式!?」
 フェイトの声に驚愕が混じった。御神流ならまだ解るが、ミッド式以外の魔法を使う高町なのはなど想像の埒外だった。咄嗟に止めに入ろうとしたが、その前に魔法は発動していた。
 
 雨がやんだ。

「結界――!?」
 フェイトは空を見上げた。
 変わっている。
 空間を構成している大気成分そのものが変質したかのような、微かな息苦しさをも伴う、世界の構築そのものが限定的にだが組み替えられたこの感覚は、間違いなくベルカの結界魔法――。
 さらに『なのは』は魔法を続けた。重ねていた小太刀を離したところに、二十センチほどの桜色の魔力の塊が生じる。

「祝福の光よ我が元に集え」

(アクセルシューター ――じゃない!)
 ティアナは直観した。アレは駄目だ。アレは使わせてはいけない。
「――――――ッ」
 フェイトはためらわなかった。ザンバーフォームのままに、真正面から最速の打ち込みを仕掛ける。
 だが。

 魔力塊に刃が触れた瞬間、刃は消滅した。

「ッッ!?」
 それが魔力素への強制的な分解であったということに気づくのにコンマ二秒。
 その時には『なのは』は魔法を完成させていた。

「聖別の吐息となりて天地を清めよ!」

 散った。

 瞬間、フェイトは自分の展開させている魔法が崩壊するのを感じた。
 常時展開させている防御魔法の構築が維持できない――
(これ、は)
『なのは』を睨みつつバルディッシュを待機モードに戻しながら、マルチタスクでフェイトは状況を分析していた。それが声に出て口から洩れたのは、自分でも信じ難い結論であったからかもしれない。

「AMF――!?」

「正解」

 彼女の胸元に踏み込みながら、『なのは』は言った。小太刀を消した両の掌は、先ほどにティアナへと仕掛けたのと同じく脇腹を包み込むように打ち込まれている。決まれば彼女であっても、いや、彼女のBJは軽装でティアナよりも薄い。受けるダメージはより深刻になっただろう。
 しかし。
 軽装であるということは、より速いということであった。

 フェイトの反応速度は、管理局の全魔導師の中でも最速の領域にある。

 両手を手刀の形で振り下ろしていた。
『なのは』の両掌を迎撃していた。
 そこから繰り出された右の前蹴りまでの動作は、半ば無意識のものであったろう。
「―――――ッ」
 バックステップして回避した『なのは』は、四メートルの距離を開けて構えなおす。
 今度は刀を手にしていない、指をぴんと伸ばした掌で。
 左を縦にして前に。
 右を下に向けて後に。
 身体は全体的に正中線を隠すようにして。
「その構えは……」
 フェイトはいいかけて、BJを真ソニックフォームにまで変えた。
(結界で援軍阻止、そして高濃度AMFで私たちの魔法を阻害――AMFが結界の魔法構成を崩さないように拡散速度を遅くして濃度を高める……か。AMFの局所頒布はファーン・コラード先生の得意技だったけど)
 AMF――アンチ・マギリング・フィールドは本来AAランク以上の魔法だ。
 元々は古代ベルカの時代から伝わる特殊な魔法だ。かつては管理局でも研究されていた対犯罪魔導師の鎮圧技術の一つである。相手を傷つけず、周囲にも被害を与えないためにと使用されていた。現在では大規模なテロなどには使用されることがあるが、ごく稀である。高ランクの魔法であるということもあるが、使えば特殊訓練をしていないと領域内でろくに魔法が使えず、逆に犯罪者の物理的な攻撃にされされることになるからだ。効果も安定しないし、大規模散布となればよほどの大魔導師でも難儀する。それらのデメリットを鑑みれば非殺傷設定で攻撃して制圧するというのが主流になるのも仕方がなかった。ジェイル・スカリエッティはそれらを魔導によって自動生成するという方法を編み出して解決しようとしたのだった。
 それでも、一部の魔導師はAMFを使う独特の戦闘技術を磨き上げた。かつてのベテラン教導官のファーン・コラードの使うAMF局所頒布もその一つである。
 教え子であるなのはとフェイトも当然、その技を知っているが――
(だけど、これは、先生のそれとは展開のさせ方が違う……)
 あくまでもミッド式魔法として使うファーン教導官とは異なり、この『なのは』のそれは古代ベルカ式だ。
 AMFの効果そのものには大差はないが、ここまで高度なそれを「高町なのは」が使うというのは、まさにありえざる事態と呼ぶ他はない。
 彼女らの師であるファーン元教導官は、局所頒布で相手を心理的、魔法的に防御を一時的にも剥ぎ取り、その隙に研ぎ澄ませたタイミングで誘導弾と砲撃を叩き込むというコンビネーションを使った。かつてなのはとフェイトは、その戦技の前に敗れたのだった。
 もしも高町なのはがAMFを使用して戦いに臨むのならば、それの模倣か発展形だろう――とフェイトは予測していた。少なくとも彼女が今まで幾百と重ねた対高町なのはの戦闘シミュレーションにおいてはそうだった。
 だが、今ここにいる『なのは』は、違う。
 するりと、
 いつの間にか二人の距離が詰まった。

「――――!ッ」
「――――!ッ」

 フェイトは反射的に右手に拳を作り、振り抜いていた。
『なのは』はその拳を受けつつも相手の側面に廻り込んだ。転身を繰り返すかの如き独特の歩法。そこから突き出された掌がフェイトの右脇を叩き、さらに廻り込みながら背中に掌、下段の前蹴りを膝裏に当て、救い上げるような掌を左肱を打ち、開いた隙間に鋭く振った肘を打ち込み、顔を覆うように当てた掌を、――
 
「フェイトさん!」

 吐き気を塞ぐために閉じていた口を開け、ティアナが叫んだ。彼女の目の前で、黒い『なのは』はフェイトの頭をコンクリートの壁へと叩き付けたのだ!
 
 と。

 地を蹴って、『なのは』は後ろに飛び退いた。
 そして。

「さすが」

 と言った。
 フェイトは壁際で蹲るように腰を落としたが、それでも膝をついてはいなかった。両手は闘志の存在を証明するかのように胸元に挙げられている。それはレスリングの構えのようにも見えなくもなかったが、身を屈めて獲物を狙う猛獣のようでもあった。
 ふさり、と後ろにまとめていた金色の髪が広がった。髪留めが壊れたようだった。
「痛かった」
 僅かに顔を上げた彼女の声は、重く、掠れていた。
「BJ越しに、カバーし切れなかった打撃が伝わってきた……けど、抜ききるのには勁力が足りない」
「…………そう」
「けど、やはり、痛い」
 ゆらり、とフェイトはさらに前屈みになり、今度は左手を床に着けて上体を支え、足を伸ばして腰を上げた。クラウチングスタートのダッシュ直前の姿勢に酷似している。ただし、その右手が真横に伸ばされているのが完全に異なる。
 彼女の体表を音を立てて黄色い光が浮かび、のたうつ蛇のように踊って消えた。それは何度となく起こっていた。電気変換。彼女の生来の魔力変換資質が、感情と魔力の昂ぶりに呼応してその身に雷電を這わせているのだ。
(あの構え……)
 近接戦闘の研究をしているティアナにも、今フェイトがしているそれにはまったく覚えがなかった。
 ただ、彼女の体内をいつになく魔力が漲っているのは解る。
 
「ベルカ・クリーゲの一派、獣王手」

 意外にも、というべきか。
『なのは』が、何処か感心したような声をあげた。
「そんなの、隠しもってたんだ」
「そっちこそ、昨日は八極拳で――今日は八卦掌か。節操がなさ過ぎる」
「勉強熱心だね」
「シグナムがそういうのが好きなんだ。よく研究っていってビデオ鑑賞に付き合わされてた」
「そうなんだ」
「前にも言ったことがあるけど――」
 言いかけて中断したのは、彼女自身の選択によるものだった。
 弾けたように執務官は跳躍した。
 ティアナの目には消えたとしか思えない速さであった。

 たんっ、

 と音がした。立て続けに、二度。
『なのは』は驚かなかった。あくまでも彼女は冷静だった。冷静なままに両手を頭上で交差させ、その場で転身した。
 フェイトの繰り出した、真上から斧を打ちこむかのような蹴り受け、投げたのである。

 たんっ、

 とまた音がした。
「あ――――」
 この時には、ティアナにも解った。
 フェイトは壁に向かって跳び、そこを足場にしてさらに攻撃を仕掛けているのだ。
 戦闘魔導師としては珍しいものではない。むしろこんな閉鎖的な空間ならば当然のように選択肢に上がる戦法だ。ただ、その速度が常軌を逸していた。
 閃光の二つ名を持つフェイトの戦闘を目撃したことは訓練を含めて数多とあったが、これほどに高速で、こんな徒手のみでの格闘戦などというのは初めて見る。
 今度は『なのは』もまた地面を蹴り、床へと足を伸ばして駆け上がる。
 つい先ほどまで『なのは』がいた場所へと着地したフェイトもまた、追い詰めるように壁に立つ『なのは』へと跳ねた。
 振り回すような掌を捌く掌。
 突き刺すような脚を受ける脚。
 縦横無尽の言葉通り、路地裏の壁という壁を床にして、二人の戦いは続いていく。
(凄い)
 ティアナは半ば茫然とその戦いを見ていた。
 彼女の前で路地裏の壁を舞台にして跳躍と旋回と交差とを繰り返し、二人の魔導師が高速の近接戦闘をしている。その速度とレベルはティアナのよく知る二人のそれとはまるで違っていて、手のだしようがなかった。下手に仕掛けたらどちらに当たるか解らない。
(あのなのはさんモドキが使う技も相当だけど、フェイトさんに、まさかこんな隠しスキルがあっただなんて――)
 昨晩の会話を思い出す。
 ――執務官には、隠し技がある。
 それはまさに真実だったらしい。
(しかし、ベルカ・クリーゲって、ベルカ古流のことよね……獣王手――ベヘモス・ハンドか。聞いたことがある。十二種の獣の動きを模した型と五種の基本技で構築された、かつてベルカ古流の主流をなしたという伝説的な流派……)
 もう一方の『なのは』が使うという八卦掌に関しては全く知識がないので、自然とそちらのことばかりに思考がいく。
 とはいっても、ティアナとて今はとっくに絶えたとされるベルカ古流などよくは知らない。映像すら残っていないのである。概要程度の知識しかないのは無理もないことである。
(多分、高濃度AMF下での戦闘補助スキルとして習得したんだ)
 魔法の内力作用ならばベルカ式だが、ミッド式にもある。
 特にフェイト・テスタロッサ・ハロオウンの高速機動は局内でも屈指のものであり、もっというのなら最速であるとすら言われている。しかしその戦闘法の型は剣を持つことを前提としたものであり、このような狭い空間での戦いはシューティングアーツを主体とするスバルが有利に立ち回りができるとティアナは分析していた。AMF下での魔法機動戦でならなおさらである。ミッド式の内力作用は、ベルカ式よりも外部からの魔力素の供給を必要としており、AMFが散布されている状況では長時間の戦闘は向いてない。それゆえに、徒手空拳の型を使うことによってその不利をカバーしようと考えたのだと思われた。
(本来自分にとって不利な状況での戦闘を、少しでもカバーするために……長所は伸ばし、短所は埋めるという基本に、どこまでも忠実なのがこの人たちの凄さなんだ)
 リソースの振り分けの問題があるが、少しでも苦手をなくしていこうとするのは当然のことではある。問題は、それを実行してなお身につくかということにある。よほどに効率的な訓練と資質が揃っていなければ、すでに魔導師として安定期に達していながら新しいスキルを体得できるはずがない。
 ティアナの心中に大きな羨望と微かな嫉妬とが同時に生まれ、そしてその後で焦燥がそれらを焼いて灰にした。
(けど、隠しスキルをどう高めたところで――)



 転章



(大分離れたか……)
 衛宮士郎はあと少しで裏路地から抜けでようかというところで、ようやく息を吐いた。
 それでも、緊張を緩めたりはしない。
 角から鏡をだして周囲を見渡し、誰かが追ってきているかを調べている。天性の直感には欠けるが、数多の戦場を駆け抜けた彼の観察眼は常人の域を超えている。
 それでも雨が降る中では、視覚も聴覚も精度が落ちるのはやむをえないが――。
「あのもう一人の執務官も、セイバーっぽいのもいない、か」
 呟く。
(高町が相手をしているのかも知れないが……まあ、なんとかするだろう)
 その辺りには信頼があった。ほんの半年ほどの付き合いだが、彼が今までともに戦った仲間達の中でも、あれほどの力量を備えた者は滅多にいない。
 それでも。
 彼がその全てを預けられるという人間は、彼女ではなかった。
「雨が……やまないな。このままいても体力を奪われる……早く帰って、一度休むか―――」
 と。
 何かに気づいたように、士郎はビルとビルに挟まれた細い空を見上げた。
 当然のように、そこに人の姿などは見えるはずもないのだが。
「―――ふん、まだ安心というわけにはいかんか……」
 ぼやきながら、路地裏から躍り出る。
 ふらつく足で、人の波の中に混ざりこんでいった。


   ◆ ◆ ◆


「……気づかれたかしら?」
「みたいです」
 二人の影が、五キロほど離れた場所で士郎の姿を捕捉していた。
「けど、遠隔視の魔法は感知できなかったですよ。使ったとしたら内力作用の視力強化系だと思うのですけど……」
「いくらなんでも、この距離をそれでは難しいと思うわ。だけど――まあ、それくらいやってのけたとしても、不思議ではないわね」
 影たちはそんなことを話しながら、思念通話のモニターを開けて打ち合わせを続けた。
 ここからのミッションは重要であり、独断での失敗は許されなかった。
『頼んだよ、二人とも』
「はい」
「はいです」
 そして、影たちは消えた。


 雨が降っていた。




 つづく。



[6585] 無刀。
Name: くおん◆1879e071 ID:f95b7a17
Date: 2011/01/07 04:32
「方向はこちらであってますか?」
「もう一つ向こうの区画ですよ」
 ウルスラの問いに、空間に地図を表示して確認したギルが答える。
 二人はティアナを送り出した直後に街に出ていた。
 座標が解っているのならば、何故二人は同じく転送魔法を使わなかったのか。
 その理由は二つある。
 一つはティアナが送り出された直後に結界魔法によって空間が閉じられたということ。結界魔法はデリケートであり、結界の中への出し入れというのは、極端に安全性が低くなる。あまり奨励されることではない。それは防御・転送系のスペシャリストであるギルにしてもそうだった。
 もう一つは、彼の手を引っ張って街を走っているウルスラである。
 狭い場所での陸戦、という状況下でならばこのベルカ古流の剣士の力は十全に発揮されるだろう。ティアナではなく、ウルスラの方を転送するのが理にかなっている。しかしフェイトはそうするようには指示しなかったし、ギルもそうしなかった。ウルスラでさえそれに同意した。
 フェイトがティアナを指名したのは、ウルスラが先刻にエミヤに仕掛けられたトラップで神経が消耗しているということもあるのだが。
「こんな時に飛行魔法が使えたならば……」
 ウルスラは歯噛みした。
 そうなのだ。
 彼女は飛行魔法が使えない――。
 いや、もっというのならば、武装形態をとっている間のウルスラ・ドラッケンリッターは、内力作用の魔法以外はほとんど使用できない。そればかりか、彼女に対して使用される補助魔法ですらもほとんどが無効化されるという始末だ。
 剣王の家系が保持する「対魔力」は、悪意のあるなしに関わらず、ほとんど無差別に魔力干渉を拒絶してしまうという欠点があった。
 これこそが剣王が理不尽極まりない能力を有しながらも、結局はベルカの天地を平定し得なかった決定的な理由である。伝承や物語としてはさまざまな内政面の問題も取り沙汰されているのだが、それらも剣王が補助魔法を万全に受け入れられたのならば解決し得ただろうというのが定説だ。
 飛行・転送などの移動魔法を使えないのならば、その戦力としての運用はどうしても限定的なものにならざるを得ない。剣王の行動を封じるために敵国は叛乱工作を仕掛け、その解決に時間をとられてしまったらしい。剣王の主な戦歴の後半はほぼ内戦鎮圧であった。
 さすがにウルスラの代になると、武装形態をとらない限りはそのようなことにはならないのだが、それでもやはり限定的な活動しかできない。
 彼女が管理局屈指の剣の腕前と攻撃力を持ちながらも、一支部での執務官に甘んじ、なお陸戦〔限定〕Sクラスというランクにとどまっているのは、そのせいである。
 先ほどに宝物庫に転送した時はギルが射出のタイミングを計っていたから非武装の状態での転送ができたが、裏路地で魔法が飛び交っているであろう戦況に同様のことはできない。
「とりあえず急ぎましょう。結界の強度がとれほどのものであれ、姉さんだったら突破は可能でしょう」
「ですね」
 頷き合い、駆け出す。雨の中で人通りがまばらになっているということもあって、二人は尋常ではない速度で移動できた。陸戦だけしかできないとはいえ、ウルスラの移動速度は生半ではない。ティアナを転送してから三分とたたずに現場の近くにまできている。
 ウルスラに手を引かれているギルも、足元に青白い三角のベルカ式の魔法陣を展開させて彼女に付き合っていた。浮遊、そして飛び散る泥や雨の雫などから身を守る魔法だった。
 彼女が走るだけで、かなりの水がはねてしまう。
 ギルは「そこで曲がります」と指示しつつ、掴れた手を見ている。
「ここですね」
 と路地裏の入り口に立ったウルスラは、ギルの手を引いてたのを離し、剣を展開させた。
 すぐさまそれの姿が消えていくが、それは彼女の魔法で光の屈折率を操作したためである。どういう訳か、彼女は両手で接触したものに対しては魔法で干渉ができる。足の裏も同様である。いかなる事情でそうなっているのかよく解らないのだが、そうなっているのだから仕方がない。
 ギルは慎重に進みだした姉の背中と、さっきまで自分の掴まれてた方の手を見比べていたが。
「ねえ」
 と声をかけた。
「どうしました?」
 足を止めず振り返るウルスラに。
「本当に、ランスロットが生きているとか、姉さん思っている訳?」
 そう聞いた。
 ウルスラは押し黙ったが、やがて。
「執務官にはああいいましたが……」
「自分でも、信じてないんだ」
「――生きていてほしい、とは思っていますが」
 望み薄だ、とウルスラは思っていた。反則じみた精度で答えを探し出す彼女の直感が、ランスロットはもういないのだと彼女に告げていた。生きているような気がする、というのは願望でしかなかった。それは仕方のないことだった。ランスロットは彼女にとっての最初の伴侶だった。最初の恋人だった。最初の男では、なかったけれど。
 ギルは姉の顔を見ていたが、やがて歩きながら溜息を吐く。
「結局、今回の事件の担当に加わるの? いくら姉さんが支部で最上位の戦闘者とは言っても、身内が亡くなった事件にはあまり加わらない方がいいと思うけど」
「それは――」
 管理局の方針というか、内部規定である。被害者の身内に関係者がいると冷静に対処ができにくくなるという、常識的な話であるが。
 ただ、管理局は基本的に人手不足でもある。原則は破られるものでもある。ことは16管理世界でも未曾有の大事件でもある。彼女のところに話が回ったのも、非常識ではあるが不自然というほどでもなかった。結局、支部全体で対処せねばならない羽目になるのは明白だからだ。
 しかし、ウルスラ・ドラッケンリッターはそのような事情を口にするようなことはなかった。
 目を閉じて、前へと向き直る。
「もしもランスロットを手にかけたものがいるのならば、それは私が仇を討つべきだと、思います」
 少年は「管理局の仕事に私情を持ち込むのは、どうかなーって思うけどね」と小さく呟きながら。
「まあ、姉さんの好きなとおりにするといいよ」
「……ありがとうございます」
 歩きながらも俯く。どのような表情をしているのか、ギルには見えなかった。見せたくないのだろうと思わせた。
 だが。
 やがて彼女は顔を上げ。
「では、今夜は一緒に寝てくれるということですね。楽しみです。久々ですからね。ずっと男日照りの体をもてあましてましたから」
「いーけどさー……」
 そう答える少年の口元は、しかし苦笑の形に綻んでいた。
「けど、姉さんは新しい恋人はどうするの?」
「―――恋人?」
 再び振り返る。ひどく意外なことを聞いたようだった。
「忘れてたけど、ネヴィから姉さんに新しい同居人ができたみたいだって聞いたよ。今度は黒髪の女だって」
「……それは彼女の勘違いでしょう。ネヴィは、あの子はちょっと思い込みが激しい」
「それで別れたんだっけ?」
「他にもありますけどね。彼女は道具だけでなくクスリも使う趣味だったので、ちょっとついていけなくて……」
「クスリ」
「合法ですよ」
「みかけによらないね……」
「あと、私でも引くくらいのハードプレイが好きでしたね」
 また前へと向き、時間をかけすぎたとすたすたと進んでいく。
 ウルスラ・ドラッケンリッター。
 伝説の剣王の末裔にして、管理局執務官補佐。
 そして、バイセクシャルだった。
 
 やがて十数秒ほど歩くと、二人は空間を遮る魔力の障壁へとつきあたった。

「これは……仕方ありませんね」
 ウルスラの目が、姿を消している自分の手の中にあるはずの剣へと向けられた。
 どうしてか、悼んでいるようにギルには見えた。

 


 13/無刀。




(このままでは勝てない)
 フェイトは戦いながら、それを実感していた。
 獣王手――それを彼女が使えるのは、無限書庫の司書長であるユーノと使い魔のアルフ、そして八神家のザフィーラの協力があってこそである。
 無限書庫の映像ライブラリから獣王手の解説マニュアルを見つけ出したのはユーノであり、それをアルフは直感的にフェイトに役立てることだと察し、技術の再現に幾つかのベルカ古流を知り、断片的にも獣王手に見識を持つザフィーラに協力を要請したのだった。
 当時の、JS事件の直後のフェイトは狭い場所での戦闘により効率よく対処できる方法を模索していた頃で、いまや誰も知らないというベルカ古流は、執務官の隠しスキルとしても充分以上に条件を満たしているように考えられた。自分が素手の技を心得ているなどとは誰も思うまいし、それが幻の技であるというのなら、相手も対処のしようがないだろう――ということである。
 だが、ベルカ古流、それも真正のそれとなるとフェイトの手には余るものだった。近代ベルカ式でのエミュレートをするにしても、フェイトが今からそれを身につけるとなれば膨大なリソースが必要となり、職務を果たす余裕がなくなるという本末転倒な事態に陥る。
 結局、戦闘法の基本として現在の近接戦闘用のミッド式魔法を流用しての格闘戦ということになった。
 それが急ごしらえのものであるというのは承知の上で、そうした。
 今朝にティアナも言っていたが、隠しスキルは隠しスキルであり、隠して不意を撃つように使うというのが理想である。本式のストライクアーツの上位選手とやりあう必要はない。自分は長大なデバイスがなければ戦えないと思っている相手の数瞬の油断をついて突破口を作ることが目的である。
 こんな、今の『なのは』のような格闘戦に長じた相手と真正面から戦うことは想定していなかった。
 総合的に判定して、フェイトの現在の格闘戦のスキルのランクはストライクアーツ選手としては都市戦上位に入れるかどうかである。徒手での連携の技術には未だ不慣れであった。技と技の繋ぎ目に微かだが綻びがある。結局はなれの問題だが、それを驚異的な集中力でカバーしているというのが現状だった。しかし、なれてないということは消耗が激しいということであり、早晩に破綻することは目に見えていた。
 かといって。
(こちらが焦って突っ込めば、八卦掌の餌食だ)
 フェイトの私見では、徒手格闘戦は大雑把に二種に分類できる。
 相手に対して正面から入るか。
 相手に対して側面から入るか。
 その二つだ。
 つまり、正面からガードを崩して攻めるか、側面からガードの死角を狙って打ち込むかである。
 八卦掌の戦闘法は変転自在であって、これと決め付けるのは難しいのだが、多くが相手の死角に入り込もうとするもので、単純に打撃を出しても軽くいなされ、最初のように脇だの背中だのを打たれてしまうだろうことは目に見えていた。
 そうされないためには飛び込むのではなく自分の距離を保って下半身にローキックなどで足を止めるのが有効である。ほとんどの古武術ではムエタイ式のローキックへの防御法は未熟なのが現状だ。
 しかし、それとてもこちらの反応が寸秒と遅れたらたちまちのうちに密着戦にもちこまれ、防御を無効化されてしまう。
 独特の歩法と近接の戦闘技術が古流の武術には存在する。
 それを実戦で可能にできる達人などはほとんどいないが。
 この『なのは』ならば、それができると思われた。
 だから、フェイトは今もヒット&ウェイの方式で攻撃しては離れてということを繰り返しているのだった。
 本来の獣王手のスタイルでは相手を猛烈な攻撃を防御の上からでも仕掛けて後退させ、反撃の暇も与えず打ち倒し、組み伏せるのが理想とされている。
 それをしないのは、最初の一撃をいなされてからのコンボを警戒してのためであるが……。
(三次元の空間をフルに使って、上下から攻めたらいけるかと思ったけど)
 壁を足場にしてそれに対処するというのは、このAMF散布下の状況では考えにくい方法だ。フェイトは壁を蹴って跳躍を繰り返しているだけだが、『なのは』は明らかに壁に立ち、歩き、走っていた。あるいは魔力以外の方法を使っているのかもしれない。
(とにかく、一瞬でも動きが止められたら……)
 やりようはあるのだが――。
 ティアナの援護を頼もうにも、この状態ではさすがにあの子がどれだけ優秀であっても無理だろう。
 いや。
 フェイトはたんっと『なのは』を置いて頭上に飛んだ。
「――――?」
 初めて、『なのは』の表情に疑問が浮いた。
 ここでフェイトがわざわざ上のポジションをとろうとする意図が読めなかったのだ。
 フェイトはビルの屋上ぎりぎりのところで、『なのは』のように壁に立った。立ったように見えた。
 それは、慣性の果て、運動エネルギーが尽き、一瞬の静止状態でしかないのだが。
(ティアナ!、今!)
 
「クロスファイヤシュート!」

 誘導弾の射出。
『なのは』は目を見開いた。
 フェイトの跳躍からのヒット&ウェイは、実のところ運動エネルギーの都合もあってごく狭い範囲で繰り返されていた。あまり時間をあけると『なのは』に詰め寄られる可能性も考慮していた。
 その連続攻撃の前には『なのは』は当面防御に回るしかなかったのだが、それはティアナからの支援の齟齬も同時に起こしていた。あまりに近距離での高速機動の連続は、さしもの凄腕のガンナーである彼女とても対応しきれるものではなかったのだ。さらに『なのは』はそれを見越した上で壁から壁へと移動していたようでもある。なおさらどうにもできなかった。
 そして、今、フェイトは一気に距離を広げた。
『なのは』がここですべき選択は、ただちに移動することであった。
 フェイトが大技を仕掛けることはすぐに解る。それを黙って受ける馬鹿はいない。しかし、フェイトからの距離を離すということは、ティアナの攻撃を受けるということであった。
 すでに最初の打撃から回復したであろう、ティアナの。

 ティアナ・ランスターの弾丸は、いかなる相手をも逃しはしない。 

 師たる高町なのはをして及ばずといわしめた魔力の弾頭の速度は、まさに魔弾というべきだ。
 あるいは、この近距離でさえも『なのは』ならば防御してのけるかもしれない。
 だが、すでに落下速度を加えつつ攻撃動作に入っているフェイトは、その防御の一瞬を見逃さないだろう。
 回避運動に入ろうと同じことだ。誘導弾は何処までもおいつめてくる。そしてそれは、BJだろうとも容易に打ち抜く硬度があるのだ。
(どうでる――?)
 すでに詰めたという状況でなお、ティアナは気を緩めていない。彼女は高町なのはの弟子であり、管理局屈指の執務官であった。
 その彼女に油断はない。
 相手が『なのは』ならばなおさらだった。
 そして。
『なのは』はいかにしたのか。
 両掌を前に突き出し、魔弾を受け止めた。
 そう。
 受けて、止めたのだ。
 まるで、魔法のように。
 そこからの『なのは』の動きはさらに信じ難いものだった。受け止めた魔弾を両掌に挟み込み、そのまま舞うようにその場で転身した。
「ティアナ!」
 フェイトが叫んだのは、『なのは』の手より放たれた魔弾が七つに分かたれ、自分とティアナにそれぞれ弧を描くかのような軌道で襲い掛かったからだ。左手の指をを壁に立ててスピードを殺しつつ、自分に向けられた四つのそれを執務官は右手の一振りで丸ごと消失させたが、それは彼女がその技を知っていたからだった。長年の経験で聞いたことがあり、見たことがあったからだった。故に、知らずに「返された」時、どれほどの動揺を生むのかもフェイトは知悉していた。
「くっ」
 果たしてティアナは先達の危惧したとおりに面食らいはしたが、冷静に対応した。クロスミラージュから魔力の刃を出し、自らに向かう弾丸を打ち消した。
 フェイトはその様子を見ながら、『なのは』を凝視する。
(今のは真正古代ベルカの一技――〝旋衝波〟、その応用か)
「〝旋断撃〟」
〝旋衝波〟は打ち込まれた魔力弾を一旦受け、そのまま受け流して相手に返すという真正ベルカ古流の防御技として高名な技である。魔法による反射(リフレクト)ではなく、魔力を篭めた手で「受け流す」ことは理論上には不可能ではないとされるが、よほどの使い手でも実戦で使用するのは困難であると言われる。
〝旋断撃〟とは〝旋衝波〟の応用で、弾殻(シエル)を分断した上で返す技なのだろう。弾殻が壊されている以上は当てられても大したダメージにはならないが、増やされて返されるというのが現代の魔法ではありえない技だ。仕掛けられた相手は混乱することが必至である。
 現にフェイトすらも必殺の機を失ったかのように見えた。
『なのは』は壁に指をたててブレーキをかけたフェイトに向いて、猛烈な速度で駆け出す。
 一気に密着して勝負を決めるつもりだというのが解った。
 そして、今のフェイトにはそれに対処がしようがないように思われた。
 いや。 
(ここまでは想定の範囲内―――)
 何らかの手段で、どうにかティアナの攻撃を切り抜け、自分に向かってくる……程度のことまでは考えていた。
 よもやそれが真正ベルカの絶技であるとは思っていなかったが。
 こちらに向かってくるというのなら、むしろ好都合だった。
 しかし、『なのは』の速さは尋常ではなかった。
 フェイトの表情が緊張で強張った。
 恐怖を感じているように見えた。
 事実、彼女は恐怖したのである。

『なのは』を殺してしまうことに―――。

 全身に変換された電流が蛇のようにのたうった次の瞬間、フェイトは右手を横に伸ばした。
 そこに、集まる。
「―――!?」
 驚愕が『なのは』の顔に浮かんだ。
 何がおきてるのか、完全に予想外だという風であった。
 光る蛇が執務官の右手に集約し、そして。

「雷光電撃―――Lightning Bolt!」 

 振りぬかれる。
 

 ◆ ◆ ◆


 魔力変換資質――というのは、そう珍しいものではない。
 要するに体内の魔力を術式を経過せずに物理エネルギーに変換してしまう体質のことであり、フェイトのような電気変換は同じ元機動六課のエリオも持っている。単属性ではなく、炎などと同時に持っている者もいる。重ねて言うが、決して珍しいものではない。
 だが、それでも。
 高濃度AMF下において、体表から発したばかりの分解される前の魔力を用い、一点に集めるというのを戦闘の最中に行うということは尋常ではありえなかった。
 派生効果をぶつけるというのは、対AMF戦闘での基本である。基本であるが、変換資質でのそれを細密に制御して使用するということはそうそうあることではない。彼女の場合は電気の誘導にサンダーアームの魔法も使用していたが、この状況において訓練でも人間相手に使ったことがない技を繰り出すということは、ほとんど賭けに等しかった。
 何故、人間相手に使えないのか――というのは、この手の派生効果をぶつける技では威力調整が難しいからである。魔力ダメージでさえも神経系の障害の危険があるといわれる中で、こんな物理攻撃を人間相手に使うというのは倫理に反するし、何よりも管理局の執務官としての理念に反する。
〝無傷で相手を制圧する〟というミッド式は、そのようなコンセプトがあって発展したという歴史を持つ。
 これを「覚悟が足りない」などと揶揄する意見もあるが、「殺さずに相手を制圧する」ということはただ殺すことよりも遥かに難しいことは論ぜずとも解ることである。ミッド式の使い手たちに言わせれば、簡単にだされる「殺せばいい」などという言葉には、覚悟云々以前に「己の能力の未熟を囀っているだけだ」となる。もっとも、ミッド初期の〝魔弾使い〟と称されたある魔導師は「一番強いのが殺す気のある馬鹿だなんて、ロマンがないでしょ」といっているのだが、案外とそれがミッド式の理念の原点かもしれない。
 とはいえ――
 常に魔力ダメージのみを使うこと、というのは現実には不可能である。状況によっては過酷な選択を管理局の魔導師は求められる。原則として人間相手に物理攻撃は使用しないということになっているが、それは「例外はある」ということでもあった。
 今のフェイトが、その選択した直後である。
 雷撃というのは人間相手にはBJを着用していたとしても気軽には使えない。物理作用のそれならなおさらである。電圧をどの程度まで絞ればいいのか、ということがまず解らない。BJによって大半のそれが遮断されたとしても、むしろ電流はそれほど強くない方が危険だという説すらあるのだ。高電圧の雷を受けても体表で弾かれて火傷を負うのがせいぜいであるが、そこそこの電流の方が心臓にまで伝わって止めてしまうことがあるともいう。相手のBJの程度によってはそうなる可能性は常にあった。そのあたりは経験によって判断するしかないのだが、万が一を考えると訓練で試せるものでもなく。
 しかし、瞬間的にこのAMF下で間合いを外しての攻撃となると、他に手はなかった。
 ティアナやファーンのように、高濃度AMF下を想定した射撃魔法というものを、フェイトはそれほどもっていないのである。近接の格闘戦でそれらを展開するのも無理があった。
 それゆえにとった手段が、この雷撃だ。
 そして、それは見事に図に当たった。
 
「―――――ッッッッ!」

 悲鳴を噛み潰して、しかし直撃を食らった『なのは』は足を踏み外して落下していく。
 フェイトの動きに不審を感じて回避行動に出ようとしたのは見えていた。しかし、雷撃の速度には及ばない。その上に、指向性をもたされて放たれたとはいえ、雷撃の軌道は不確かであり、もっといえば効果範囲内にいるのならば少々距離をとっても無駄であった。
 煙を上げている『なのは』を、再び指を壁にたててスピードを殺しながら目で追ていくフェイトは、

『なのは』の目を見た。

「――――――――――」

 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、その目を知っている。
 かつて何度も見た眼差しだった。
 十年以上も前に、敵として立ちはだかった少女があんな目をしていた。
 倒しても退けても。
 どれほどのことをしても、少女はその目をして、何度も何度も何度も、前に出てきた。
 今も、思い出すたびに胸を焦がす。
 砂糖菓子のように甘く、恋のように苦く。
 地獄のように熱い――

 折れない。
 あの目をした者は、決して折れたりしない。
 いや、折れたとしてもまた立ち上がる。

 何処かの武人が言っていた。

 不屈とは決して折れない者のことではなく――


 折れてなお、立ち上がる者のことだと!


『なのは』の足が再び壁についた。摩擦熱で煙を上げる。いかなる手段か、接地していくのが解る。
 まだ意識がある。

 その時、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、執務官としての義務ではなく、母のためでもなく、友のためですらもなく。
 初めて、自分自身の意志でこの相手を打ち倒さねばならないと決意した。

「―――――ッ」

 叫ぶ。
 駆ける。

 落下速度に自分の加速もかけて、フェイトは右手を振り上げた。
 この時のフェイトの脳裏には、友のことも娘のことも家族のことも、何も残っていなかった。
 ただ、この『敵』を倒すためにどうすべきか、それだけのことしかなかった。

 力の位置を感じ取る。
 日本武道でいう臍下丹田――へその下の三センチのところにあるとされる仮想の器官から無限の力を引き出して上体を捻り、練りこむ。
 そして『なのは』にまで接近し。

 躊躇うことなく、胸の中央へとその掌を叩き込んだ。

 古代ベルカの各流派には、独特の打撃法が存在するという。例えば覇王流では足先より練りこんだ力を拳脚より打ち出す技術を総じて「断空」と称する。他にも体幹を振るわせるなどのさまざまな技法がある。
 獣王手では「螺穿」、あるいは「螺閃」といわれている。
 体の中央である腰、あるいは下腹部より力を引き出し、体内を螺旋させて打ち出す技だ。
 伝説に残る獣王は、その掌で竜巻の如き衝撃波を作り出すことができたとされる。
 フェイトが型として知る獣王手の中でも基本にして奥義。

 ―――獣王螺閃掌

 別名を。


「獣王壊神撃ッッ!」

 
 神に挑むために作り出されたと称するベルカ古流の、その中でも最大威力を誇る超絶の打撃技。
 使い手としては未熟ながら、執務官として優秀な魔導師であるフェイトが全霊を以って打ち込むそれはまさに渾身の一撃。
 この打を受けて無事でいられる存在など、おおよそ次元世界には存在しないようにすら思わせた。
 
『なのは』の体が打たれてから錐揉みしながら落ちてく。

 フェイトは、しかし。

(――――!?)

 ぞくり、と肌が粟立った。

(この感じは――)
 
 何がおきているのか、何がおきるのか、そんなことはまるで解らない。
 ただ、解る。

 ――まだ終わっていない。
 
『なのは』の足が、三度壁に張り付いた。

 そこから伸ばした前蹴りを、咄嗟にフェイトは避けた。
 八卦掌とは違う蹴りに、しかし何故かフェイトは既視感を感じた。
 それが何かを思考する前に。
『なのは』の手が伸ばされているのが見えた。
 横に伸ばされた腕は左。
 なのはの利き腕だ。

 フェイトは見た。
 その左腕に力が集まっているのを。
 回転しつつ自分に打ち込まれて打撃エネルギーをいなし、フェイトと同じく体の中心から引き出した力も合わせて、捻り込んだそれは―― 

(――獣王手!?)

 螺旋を描き、捻り込まれた掌。

 フェイトは両手を重ねて防御する。
 しかし、それは気休め程度のものだと彼女にも解っている。

(これは―――ッ)
 
 耐えられたのは、一瞬だ。次の瞬間には猛烈極まりない威力が彼女を撥ね飛ばし、刹那の後に背中に「熱さ」を感じた。壁に激突したのだと気づいたのはそのコンマ2秒後。その間、意識がブラックアウトしていたのだ。魔導が仕込まれて強化されているはずの壁が砕けるのを背中の感触で知った。
 そして、フェイトは、
 
『なのは』の唇が紡ぎだした言葉を、確かに耳にした。


「獣王、通魂撃」


 相手の攻撃を受け、〝旋衝波〟の要領で「螺閃」と共に相手に打ち返す――獣王手の中でも高難易度の技だ。
 フェイトではまだ使えない。使えたとしても、それはもっと直線的でシンプルな攻撃に対してであろう。記録にある限りでは伝説の獣王以外では実戦で使用した例はほとんどない。
 それを、よもや最大威力を誇る螺閃掌を相手に仕掛けるとは――

 
 ……二人が着地したのは、ほとんど同時だった。
 撥ね飛ばされたフェイトの方が何十分の一秒か遅かったようでもあるが、ティアナにはそれほど大差は感じられなかった。着地した『なのは』はさすがにダメージの全てを返せなかったのか、そのまま片膝を落として蹲る。フェイトは力なく倒れている。
「………ッ」
 ティアナが逡巡したのは一秒となかった。 
『なのは』とフェイトの中間の位置から、上司を庇うように立ち、被疑者へと向かう。
 そのまま声をかける前に捕縛魔法で動きを封じ込めようとした、まさにその瞬間に。

『マスター、時間ですよ♪』

 昨日も聞いた声だった。
「――――!?」
 咄嗟にクロスミラージュを構えたのは、この後に起きることを予感していたからかもしれない。
「……ルビー、アサシンモード解除……イバーに」
『なのは』の声がすると、彼女の体を包んでいたBJが輝き、それは全身を覆った。
 そこで反射的に打ち出された捕縛魔法だが、立ち上がりつつ抜刀した『なのは』の刀によって、切り裂かれた。
「…………その姿は」
 昨晩見た、白いBJに髪をおさげにした、刀を装備とする魔導師の姿だ。
 しかし、ティアナの目が見開かれたのは姿が変わったためではない。モード変換による容姿の変化は普通にあるものだ。
 彼女が恐怖とも驚愕ともつかぬ感情を覚えたのは、『なのは』の顔から疲労の跡がまったくなくなっていたからだった。
 いや、それと。
(……顔つきが、全然違う……)
 人は、人の顔を印象で記憶する。
 先ほどまでの黒い『なのは』とこの白い剣士の『なのは』とでは、まったく違っていた。昨晩の夜の中での記憶では自信がなかったが、今の明るさの中で、ついさきほどまでのそれと比較したら解る。変身魔法を使わずに、まったく別の人間に変化してしまったとしか、彼女には思えなかった。
「あなたは……一体……?」
 本当に、なのはか、そうでないのか。警告もだせないし攻撃も仕掛けられない。
 そのティアナの背中の向こうで。

「…………解除」
『――Yes sir』

 声がした。
 フェイトの声だ。
 ティアナは振り向くことなく確信できた。
 高町なのはが不屈というのならば、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンもまた不屈だ。折れようが倒されようが、収束砲を食らおうが、それでもなお立ち上がり、戦場へと舞い戻る彼女をして不屈と呼ばねば、誰をそう呼ぶというのか。
 しかし、解除とはなんのことか。
(まさか、純魔力攻撃の設定を解除したなんてことは……)
 振り向けない。
『なのは』から目をはなせないし、フェイトの方を見るのも怖い。
 ミッドの魔導師として、特殊な状況でもなく非殺傷設定を解除するということは、自らの理念を捨て去るということだ。怒りのあまりにそれをするなどということは、あってはいけないことだ。誇りを捨て去り、衝動のままに戦う魔性と化すということだ。
(ありえない)
 だが。
(―――だからこそ、ありえる!)
 こと『なのは』が敵としてたちはだかるという状況においては、何がおきるか解らない―――

「ザンバーモード」

 と声がティアナの真上からした。
 するり、と棒高跳びの背面跳びのように、ぎりぎりの高さでフェイトが跳躍していた。手に持つのはザンバーモードのバルディッシュ。先ほど直接AMFの塊を叩いた時とは違い、今の濃度でも展開そのものは可能だった。狭い場所で使わなかったのは、長柄が不利だと思ったからである。その手にあるのは、黄金のような光の刃だ。
 その刃が非殺傷設定で相手に打ち込まれたのなら、例えBJを展開していようとも真っ二つになることは避け得ない。
 ティアナは驚愕したままに自分の真上を通ったフェイトが、
 魚が水中で身をよじるように捻りをいれた時、
 顔が見えた。

 笑っていた。

 微かに、だが確かに笑っていたのだ。
 それはティアナを安心させるためにそうしたのだろう。
 魔力設定の解除は、ブラフだ。
 全身に残るダメージと魔力残量からして、これ以上の近接戦闘を『なのは』に挑むのは到底無理だとフェイトは考えた。相手のスキルは未だ未知であり、どれほどのものを残しているのか解らない。対する自分には、もう実戦で使えるレベルの、『なのは』に対抗できるような隠しスキルはない。こまごまとした技はまだいくつもあるが、所詮は小細工だ。
 ならば、もう自分にできるのは不意打ちしかない。
 上手い具合にティアナが自分の姿を隠してくれている。
 そして咄嗟に魔力設定の解除を指示した。
 長年の相棒であるバルディッシュは、フェイトの念話を受けて正確にマスターの意図を受けた返答を返した。
 ミッドの魔導師が感情に任せて腹いせに制限解除をするということは、ごく稀にだがある。
 そして今の状況は、それをして不自然ではないように思われた。
 自分が魔力設定を解除したと聞いたのなら、相手は一瞬だが緊張するだろう。上手くすればティアナのように困惑するかもしれない。そこまでは期待できないが、もし受けて死ぬかもしれないという攻撃が自分に打ち込まれるというのは、相手に緊張を強いる。逆に言えば、非殺傷設定は相手も死なないとわかっているので態度が悪くなるということでもある。そういう意見も事実あるのだ。
 フェイトは現場を幾つも経巡り、それらのシチュエーションをあまねく経験していた。
 つい先刻にも、あのエミヤという青年も同様の手を使った。
 相手の精神を緩ませる、あるいは緊張させて攻撃する。
 人間としてあの手段は許せなかったが、執務官としてはその手段を是としていた。
 他にもう手がないということもあるが――

 フェイトの光の大剣の一閃は。

『なのは』は刀を消した。

 フェイトの体が震えた。
 
(―――――ッ)

 咄嗟に武器を消すことによって、こちらの動揺を誘うつもりか――
 その時のフェイトは、そう思った。
 自分と同じ手を使うのか。
 違っていた。

『なのは』は両手を軽く左右に伸ばした。
 真横というほどの高さでもなく。およそ45度ほどの角度に。
 指をぴんと伸ばして。

 フェイトは躊躇わなかった。

 大剣は――振り下ろされ、


 次の瞬間には、彼女の体が再び壁に激突する。
 

「フェイトさん!?」

 ティアナが叫び、駆け寄ろうとした時、目の前で『なのは』はフェイトから奪ったバルディッシュをぽいと投げ捨てた。
 あわてて受け止めたティアナだが、顔を上げたときには、もう『なのは』の姿は消えていた。


 五分と十八秒。
 後にバルディッシュが告げた、『なのは』の登場から消失までの、それがこの戦いにかかった時間である。





 転章





「あれは――無刀取りか」
 つい数秒前まで戦場だった地上を見下ろし、二人の影の一人が口にした。
 褐色の肌をしていた。
「だな」
 もう一人、小さな赤い影が言う。
「柳生流のだ。石舟斎がしてみせたってやつ。演武ではしゃがんでっけど、あれは立ってるな」
「空戦を前提としているのだろう。そうなれば、自然と目付けも変わる。あの高町は剣術に空戦もできると見える」
「……そうなるか」
 二人はそれから少しの間沈黙していたが、
 やがて。
「――どう見る?」
 と赤い影から聞いた。
 褐色の男は腕を組み。
「……恐らく、モード変換によってスキルまで変えることができるロストロギアか、その類のものを使用しているな。あらかじめ登録されているモードがあって、それを入れ替えることによって変幻自在の対応が可能になるというような。その際に体力回復というおまけまであるようだが」
 スキルというのは技術であり、技術というのは経験であり、経験というのは記憶である。
 記憶付与の魔導はプロジェクトFの名前を出すまでもない。他にも多く、それこそ古代から研究されていた。彼ら自身が魔導の生命体としてどれほどに倒されようとも、連続した記憶を保って何度も現出されている。モード変換によって別の技術を獲得、使用するということは決して荒唐無稽なことではなかった。
 ただ。
「しかし、新陰流に、先ほどのは御神流に八卦掌か。ロストロギアにしては地球のものが多いのが気にかかるな。新陰流ならまだ古くからあるが、八卦はたかだか百数十年……ロストロギアに登録するには近年に過ぎる」
「……まーな」
 赤い影は褐色の肌の男に向き直る。
 男は赤い影が何かを言いかけているのを察していたが、わざとそれは無視して、「あの男は」と言った。
「シャマルが追っているのか?」
「ああ」
「リインもか。索敵ならば、あの二人に任せればよいだろう」
「まーな」
 投げやりにそう答えてから、しかし赤い影は大きく息を吐き、
「なあ、おめーもわかってんだろ?」
「……なんのことだ?」
「あのなのはモドキが黒い時に使った技、八卦以外にもあっただろ!?」
「ああ、獣王手だな。ベルカ式と八卦と御神流と組み合わせは節操がなさ過ぎるが、八卦はコンセプトとしての色合いが強い。他門派と組み合わせるのはよくあると聞く―――」
「そうじゃねーだろ!」
 赤い影は叫んだ。
「あいつ、ベルカ式をただ使ったってだけじゃねーぞ! あの獣王手の前の、あの蹴り、あと、他にも幾つか見えた――」


「あれは、お前の拳筋じゃねーか!?」


 男は答えなかった。
 沈黙のままに、結界の外から剣撃で壊される音がして、同時に二人の姿は消えた。




 つづく。



[6585] 夜魔。
Name: くおん◆1879e071 ID:aa6f3de4
Date: 2012/03/18 19:00
「――にわかには信じかねる事態だな」
 クロノ・ハラオウンはそう言って、医務室に収容されているフェイトの様子をモニターで眺めていた。
 白いシーツを被って静かな寝息を立てている彼の義妹の体調は、しかし表示されている数値を見る限りでは深刻なものではない。彼女の頑健さから考えたのなら、四時間も睡眠をとれば八割がたは回復するだろうと思われたが。
「戦闘データはバルディッシュのそれがありますよ」
「それはもう見た」
 シャーリーの言葉にクロノは答え、新たなモニターを表示する。
 モニターの中で、記録されている謎の魔導師が縦横無尽に戦っていた。その姿は彼らの知る高町なのはによく似ていた。印象は異なるが、顔の造作でいうのなら酷似していると言ってもいい。だが、その中で彼女が使っている魔法、戦技――そのどれもが高レベルで、そして彼らが知る高町なのはのそれとはかけ離れていた。
「獣王手――古代ベルカ式の伝説の拳技か。フェイトもいつの間に復元したんだ……そして、その上を行かれるとはな――」
 ぼやくように呟くが、それを聞きとがめたようにシャーリーが言った。
「フェイトさんは、仕事の合間でしたが地道に鍛錬してました。生中な使い手に遅れをとるとは思えません」
「まあ、それはそうだろう」
 クロノの声は、むしろ呆れるようだった。
「フェイトほど職務に対して忠実で使命感をもった執務官もそうそういない。そのフェイトが復元したというのなら、それこそ前線で使えるという確信があるからだ」
 そしてその上を行くということは、それは最早マスターレベルの使い手といって過言ではなかった。
(に、しても、ちょっと節操がなさすぎるな……この黒い『なのは』だけで中国武術と日本古流とベルカ式の3つまでも重ねて使用できるというのは……)
 画像は白い『なのは』になっていた。刀型のデバイスでティアナの捕縛を切っている。その太刀筋からしてやはり日本の剣術であるように思われた。
(変身一つで一つの技能というのならまだ解るんだがな……)
「バルディッシュの分析では、85%以上の確率でシンカゲ流だろうという話です」
 そう解説するシャーリーには、しかしその有名な日本古流剣術に対する知識はほとんどなかった。彼女はあくまでも魔導のスペシャリストであって、魔法に関係する戦闘スキルについての見識は人並み以上ではあっても、管理外世界のマイナーな術式や体術についてはさほど詳しくはない。
 クロノは「ふん」と鼻を鳴らして。
「……しかし、どうにも法則が解らない」
「法則?」
「変身による能力変化……は、まあ解る。そういうものは現在の技術でも、もっといえばモード変換の極端なものであると思えばいいわけだが――」
 二つの画像が並んだ。
 白い『なのは』と、黒い『なのは』だ。
「このモード変換は、両方共近接対応技術だ。別個にする意味があまり感じられない」
 黒い方も剣術を使うし、白い方も体術に通じている。
「武器の長さの違いがあるんじゃないですか?」
 シャーリーは自分でも信じてない口調で答えていた。
 クロノは首を振った。
「魔導抜きの純粋格闘戦、あるいは徒手と武器の違いならばともかくとして、刀と小太刀とでは魔導戦闘におけるスタイルの差異は誤差の範囲だ。小太刀術は体術に近いとは聞くが、魔導戦闘ではリーチの差は極端には意味をなさない。放出系の苦手なベルカ式の騎士にしても、だいたい中距離をカバーできる程度の技は持っているのが普通だしな」
「ははあ」
「黒い方は芸が多いが、白い方もまだ何か隠し持ってる可能性はある。もしかしたら、まだ見せてない何かの部分でモードを分けているのかもしれないが……」
 何かしっくりこない、という風であった。
「に、しても、これはやはりなのはさん――だと仮定して、当人がスキルを隠し持ってたというのではなくて、使用しているデバイスの効果ってことなんでしょうか?」
 それも信じ難いのですが、とシャーリーは言葉の裏で、眼差しで問いかけていた。クロノはモード変換の極端なものだろうと言っていたが、専門のデバイスマスターとしての彼女の知識では、モードを分けるだけでこれほどの多彩な変身を可能にすることはほとんど不可能に思えたのだ。
 ただし、常に例外があるということも彼女は知っている。
「どうせ、たちの悪いロストロギアを使用しているんだろう」
 クロノはなげやりな言い方をした。
 そうなのだ。
 ロストロギア――滅びた魔法文明の遺産であれば、何があっても不思議ではないのだ。
 シャーリーも「ですかね」と頷き。
「高町三佐の当該時間での不在証明を求めて見ますか?」
 と言った。
 言われたクロノは。
「いや――」
 瞼を伏せる。
 現段階では、これ以上事態を深刻にすることはできない。
 それは人々を守る正義の味方ではなく、管理局の、体制側の一員としての判断であったが。
(あれが『なのは』であるのならば……)
 溜息を吐く。
「どうせ、軽々しく尻尾をつかませるようなことはしていないだろうし、地球で休養中だというのなら、どうとでも誤魔化せる」
 自分でも言い訳がましいと彼は思う。 
 それに、と内心で誰に言うでもなく言葉を続けた。
(『なのは』がやることなら、私利私欲ではなく、みんなの幸福のための選択のはずだ)
 いずれ現場で遭遇したのならば、見逃すことはできないが――
 それは、自分に言い聞かせている言葉である。
 そして体制側の人間としてではなく、正義の味方としての思考でもあった。
「それに今はもっと緊急にやるべきことがあるからな」
「行方不明事件捜査についての人員増強ですね」
 いくら地方都市でのこととはいえ、この短期間にあまりにも行方不明者が増化しすぎている。しかし何が起きているのかが解らなければどういう人材を派遣していいのかが定まらない。管理局は絶対的に人間が不足していた。執務官の中でもオールマイティーであらゆる戦闘環境で活動できるというフェイトがティアナのサポートとしてついたのは、状況を見極めようとする上層部の焦りがあったからである。
「そうも簡単にいかない」
 クロノは諦観にも似た眼差しを画面の中のフェイトに向けた。
「先日の冥王の件もまだ事後処理も完全には済んでないんだ。フェイトも他に何件も事件を抱えている状態で――つまり、それほどの無理をさせねばならない状態だってことだ」
「エリオやスバルたちは?」
「あの子たちには、この手の事件には向いてない」
「ですね」
 向き不向きというものがある。
 例えば高町なのはには接近戦が不向きなようなもので、スバルやエリオのようなタイプの魔導師や騎士には事件捜査はそんなに向いてない。勿論、今回のような協力な魔導師との対峙を考えるのならばスバルはガードとしてでも協力して欲しいというのが本音であるが。
(事件が解決に向かっているのならともかくとして、現段階ではどうしていいのかも解らないという状況ではな。それに、あまりに長期間元の職場から離しておくわけにも行かない……)
 せめて、ある程度の目処はつけておかねば。
 クロノがそんな算段をしている横でシャーリーはデータ整備していたが、何かに気づいたように「あの」と声をかけた。
「この増員候補のウルスラさんって、あのウルスラさんですよね?」
「そうだけど」
「やっぱり。けど、」
「けど?」
 新たな映像が浮かんだ。 
 重要参考人と考えられる男を相手に剣を振るう、黒い騎士の姿があった。
「元執務官で、現在は執務官補佐のウルスラ・ドラッケンリッター。古代ベルカ式の名門に生まれたSランクの騎士だな。今日は事後処理のために帰ってもらった。――面識があるのか?」
 シャーリーは「ええ」と頷く。
「ああほら、六課立ち上げの時に参加するかもっていうので一回クラナガンにきたことがあるんですよ。結局、断られたし六課の構想が変化したこともあってそれっきりになってしまいましたけど――えーと、彼女に渡すものがありまして」
「渡すもの?」
 画面の中で、赤毛の男が剣を創りだし。
 その時、幾つかの画面の中の一つで、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの目が開いた。
 


 14/夜魔。



 インディ・マサラティが第16管理世界に降り立ったのは、親族の一人が亡くなったためであるが。

 気がつくと、彼女は自分がバリアジャケットを展開して夜の路地に立っているということに気づいた。
(あ―――れ?)
 白い長袖の上着の表面に、幾つもの魔導による打撃痕があった。自分が何者かと激しい戦いをしていたということは確かだった。だが、誰と? そして何のためにこんなところで戦っているというのだろうか。
「いや、これって……」
 彼女は銀色の目でまじまじと自分のバリアジャケットを観察する。
 紺色のレオタード型のインナーは自前のものだが、この白いコートはかつて所属する手前までいっていたある組織から支給されたものだった。長い研修に付きあわせてしまったお礼だという話で、元々はその組織の長が通っていたという管理外世界の学校の制服をモチーフにしていたものであるという。インディは純打撃戦の使い手なので、防御のためにコート状に丈が長く作られていた。動きやすく頑丈で、並大抵の誘導弾程度の魔法では通らないという話だ。
 そのジャケットの表面に浮かぶ打撃痕は。

「これは、一度貫かれて再構築した跡、みたいな……」

 間違いない。
 頑丈な魔導で編まれた魔力構築が、容赦のない魔力の弾圧で貫かれてたのだ。そしてその跡で一気に再構築されている。自分が。しかし、おかしい。そうしたのだという記憶がなかった。彼女の記憶はこの世界に降りて伯母の葬儀にでたあたりから曖昧になっていた。戦闘の後遺症だろうか、と思った。激しい打撃を受けて記憶が飛ぶという話はよく聞く。彼女自身にはそういう経験はないが、そういうことはあり得るものなのだという認識はあった。
(けど、私の魔力、減ってない……)
 そうだ。
 それがおかしいということだった。
 バリアジャケットの再構築した割には、自分の中の残存魔力が減っていない。おかしな話だった。
 それに、あと一つ気になることがある。
(この抜かれ方は、殺傷設定の物理破壊力を付与されたとしか……)
 純魔力攻撃との感触の差異は実際のところ厳密に判断できるものではないのだが、彼女にはそれができた。
 銀色の瞳が虹色の光彩を帯びた。
(魔力痕から推測される術式は――古代ベルカ改変ミッド式……? え? ミッド式をベルカ式にコンバートしているということ?)
 ありえない――とは言わないが、奇妙な話だ。
 ベルカ式をミッド式で再現するのが近代ベルカ式である。この近代ベルカ式の長所は、ミッド式の特徴でもある放射系の魔導も一部再現できるということである。元々がミッド式なので当たり前の話ではある。
 だが、古代ベルカ式は近代ベルカ式と違い、体系そのものがミッド式と異なる。
 魔法史としてはベルカ由来の魔法をミッド式に長い年月をかけて改良したものがミッド式であるが、その原理の一部には未だ理解が及んでいないとされる。それ故に多くのベルカ文明から生じた魔導器がロストロギアとして指定されているのだった。そこまでいかずとも、現在でも古代ベルカ式の騎士は存在するが、彼らの多くはミッド式を使わない。使えないという部分がある。古代ベルカ式とミッド式との間には未だその程度に距離があるのだ。
 だから、ミッドの魔導を使うというベルカの騎士というのは、ごく少数の特別な存在であるとも言えた。
 そのような存在はある種の畏怖を持ってこう呼ばれる。

 ――――魔導騎士。

 どくん、とインディの胸が鳴った。
 恐らく管理世界の全てを合わせて十人といない中の一人を、彼女は知っていた。
 管理局総合SSの魔導師である、その人の名は――

「……なに、ぼうっと突ったってるん?」

 声がかかった。
 はっと見上げたのは、声の位置が高かったからだ。
 ビルに遮られて狭い夜に、その人は立っていた。
 黒い翼を広げ、書物に似せたデバイスを手に持った、魔導師。
「あなたは……」
 インディは言葉を失った。
 そこにいた人を、彼女は知っていたからだ。
 何故、ここに?
 そして、何故、自分はこんなところにいるんです?
 それを問い正すことは彼女にはできなかった。その人が彼女にとっては尊敬すべき者であると同時に、その声、その存在感が―ーあるだけで大気を軋ませ、世界を震えさせる強大極まりない魔力が彼女の口をまわらなくさせていた。
「ふーん……?」
 インディの様子に何を感じ取ったか、その人はゆっくりと降り立ち、静かな足取りで二歩、三歩と歩み寄った。
 左手には本、右手にはいつの間にかベルカを象徴する剣十字の長い杖が顕現していた。
 その人は微かに目を細めると。
「―ーそうか、意識が戻ったんやね」
「あ、え? あ―ーはい」
 インディはその場で姿勢を正す。
「二日前に伯母が亡くなったという報告を受けて、それで、葬儀に出席するためにすぐにこちらにやってきて――」
「二日前」
 どうしてか、その人は表情を曇らせた。
 何か聞くべきではないことを聞いたかのような、そんな顔をしていた。
「あの……どうなさったんです?」
 恐る恐る、と質問するインディだが。
 その人は、眼を閉じてから。
「――試験中やったんよ」
 と言った。
「試験?」
「今度新設する部隊の。前のとは違うコンセプトで、特殊な調査活動もする予定の。その選抜試験をしているところ。インディは一週間前に葬儀にでた時、私に会って、それで入りたい言うからこうやって特別に選抜試験をしているところだったんよ」
「そ――う、だったん、ですか……」
 その人の言っていることには何一つ覚えがなかったのだが、インディは頭を振って思い出そうとする。
(葬儀は出席した……そこまでは覚えている。けど、あれ? 元々身寄りがほとんどいない伯母で、私以外の出席者は近所の人も含めて十人くらいで……あれ? 葬儀の後でホテルに――)
 おかしい。
 会った、話した、という記憶がまったくない。
 それに、自分は新設の部隊とやらに入りたいと言ったのだろうか?
 言いそうでは、ある。
 この人のいう「前」というのがインディが研修を受けるまでしても結局入らなかった部隊なのである。
 特殊かつ奇妙な形態に構築されたその部隊は、一年間という運用期間で大きな成果を上げて管理世界に名を馳せた。彼女がその報告を受けて悔しいと思わなかったというと嘘である。
 自分以外にもあの部隊を編成するために何人もの魔導師、騎士が集められていたが、自分はその中でも抜きんでいたと思っている。自分ならあの部隊でより活躍できたはずだと思っている――その彼女の自負は、客観的に見ても正当なものではあった。
(もしも機会があれば、今度こそ、この人の部隊に入りたいと……)
 そう考えていたのも確かだった。
 そんな事情があるのだから、試験を受けて――いや、やはり変だ。
(記憶が繋がらない)
 戦闘の前後で衝撃を受けた記憶が混乱するということは普通にある。特に精神系の特殊攻撃を受けた後などはそうなる頻度も高い。このことはすでに述べた。だから、今の自分がこの人の強烈な魔導を食らったせいで記憶を失うということは十分にありえることだとは思う。 具体的にこの人が持つ戦闘能力はよくわからない。わからないのだが、世間に知られていない特殊な技術の一つや二つは隠し持っていても不思議ではない。それはこの人の渾名の一つからも窺い知れることだった。それは管理局内で彼女と対を成す異名だった。彼女自身、強く意識せざるを得ない称号だった。
 それでもなお思う。
(だけど……私がこんなダメージを受けるほどの、死ぬかもしれないほどの打撃を打ち込んでくるだなんて――)
 ありえない。
 訓練だとか試験で魔導師が死傷するということは、ある。稀にだがある。人の死なないように構築されたというミッド式の魔導であっても、不慮の事故というのは起こりえる。
 だが、知識だけの新米魔導師ならばともかく、幼い頃から十年にわたって管理局で働き、数多の実戦を経験してきたこの人が、そんなことを考慮せずに戦闘訓練を行うということなど――
(それに、ここは一体……訓練なり試験なら、管理局の支局とか使うのが普通のはずだけど………)
 周囲が結界されているということは解る。
 だが、それはあくまでも個人の魔力によるものであり、ミッド式の魔導技術による閉鎖空間ではないということも解っていた。
 考えれば考えるほどに、今の現状はありえないことばかりで構築されているようだった。
 特別な選抜試験というからには、急遽行ったということだろうか。
 それ自体は有り得なくもないが――
 インディの目の前で、その人は軽く息を吐き。
「なんや……調子悪いみたいやしな。今日の試験はここまでにして――続きは明日にしようか」
 と、それこそありえないことを言った。
 この人は多忙のはずだ。選抜試験をこんなところで行ったということは、それで時間がないからだろうということでなんとか納得できなくもない。
 しかし、それをずらすということは。
(そんなことができるのならば、今ここで行うという意味がそもそもない……)
 勿論、万全の体調での試験をこの人が望んでいるのだとしたら筋が通らなくも――いや、今のこの状態になったということで不合格と判定するのが妥当ではないのか。
(なんだろう……本当、細かいことだけど……気に障る……嘘をつかれてる……多分、それが解るんだ)
 何か辻褄が合わない。
 その何かが彼女には解らないのだが。
 細かい違和感や筋の通らないことも、後からそれなりに説明されたら別にたいしたことではないように思える範囲のことだ。だが、彼女の奥底の、魂のレベルから「嘘だ」と囁く声がするのである。
 だから。
 彼女は口にしていた。
「いえ、大丈夫です。続けてください」
 数メートル離れたところに立つその人は、笑顔のままで「そうか」とだけ応えた。


  
   ◆ ◆ ◆



「………どう思う?」
 静かな、女の声がした。
「衝撃による破損から――おそらく驚異的な回復作用がもたらせたものだろう」
 落ち着いて男の声が返す。
「さすがはインディ・マサラティというところね……けど、一時的なものでしょう」
 何処か憐れむような女の声に。
「ああなっちまうと、もうダメなのか?」
 と、少女が沈むように問いかける。
 返答は――無言。
 それでも。
 やがて。
「今の段階で解ることでは、恐らく物質時間を遡行させるくらいしか――」
「実質、不可能ということか」
 重々しく、女が声を遮った。
「……ええ、そうね」
「あとは主に任せる他はあるまい」
「大丈夫なのか――大丈夫だよな」
「ああ」
「そうだな」
「問題ない」
 四種類の声がそれぞれ同意して、8つの目が一つの映像に注視される。

 そこでは、彼らの主が強敵と対峙していた。


  
   ◆ ◆ ◆



(しかし……どう攻める?)
 試験内容については聞いていないにも関わらず、インディはこれが目の前にいる人を打倒することが目的のミッションであるということを理解していた。何か仕掛けられているトラップや魔導機械の追跡から逃れるというものでないということは「観れ」ば解るのだ。この封鎖空間内での脅威はこの人だけ――
 距離は十メートル。
 近接戦が主体のベルカ式であろうと、放出系の攻撃に偏ってミッド式であろうと、どちらにしてもこの程度の距離はさほど問題にはならない。戦闘訓練を受けた者ならば一秒とかけずに仕掛けられる。もっといえば、彼女にとっては致命打を浴びせるには十分に過ぎた。
 だが。
(それは向こうも同じこと……)
 現代の魔導戦闘では、相手の防御をどう打ち崩すかが肝要となる。しかし戦乱の時代をくぐり抜けて開発された防御魔法とバリアジャケットは生半な手段では突破できない。AAAランク以上の砲撃魔法ならば別だが、一人前の戦闘魔導師の展開する防御をそれ以外の方法で撃ちぬくのは困難を極める。ゆえに魔導師の戦いでは相手の防御の削り合いとなる。勿論、一定以上の攻撃を与えることができたのならば防御を抜けてダメージを与えることも可能だが、ジャケットはすぐに再展開されてしまう。構築されている魔法ブログラミングはあまりにも強固であった。
 とはいえ、それもあくまでも一般論である。
 彼女らのレベルの超攻性能力を持つ者となれば、ちまちまと防御魔法を削ることなど考える必要はない。バリアジャケット越しに相手にダメージを通すことは容易ですらあった。
 お互いに。
 そう。
 インディにできることは、目の前の目標にも可能であるのだ。
 当然、それは同じ手段を使えるということではないが。
(戦闘の記憶がなくなったのが本当だとして………実際にわたしがあの人と戦っていたのだとして――それはつまり、わたしがあの人の防御を抜けきれずに、反撃を受けたということを意味している……)
 自分が先手を打たれたということはありえない。それだけは確信できる。もっといえば可能性はまったくない。仕掛けたのはこちらが先で、それをあの人はどうにかして防御し、こちらの記憶がなくなるほどの攻撃を打ち込んだ。これは疑いようがない事実であり、今考えねばならないことの大前提だ。
 インディは考える。
 相手はSSクラスの大魔導師。超絶の魔力の持ち主だ。しかしそれは戦闘力においても強者であるということを意味しない。一口で戦闘といっても、状況においては必要とされる魔力運用も戦技も戦術もまるで違う。近接戦闘に於いて重視されるのは、めまぐるしく変化する状況に対応する速度――常に幾種もの魔導を展開するマルチタスクだ。それが大魔力持ちとは相性が悪いのは周知の事実である。一定以上の魔力を持つ者は、戦闘時では自分のそれを制御することに多くのリソースを削がれる。大魔力の持ち主の戦闘においての役割は、戦技のレベルではなく戦術、戦略レベルとなる。そこまでに至って、ようやくその力が発揮されるというのが常識だ。目の前の人もそのはすだった。
(けど、それがそもそものフェイクという可能性だってある)
 あらゆる物事には例外がある。大魔力持ちであっても戦技に長けた者はいる。運用や適性によっては、大魔力を持ちながらも細密な制御を可能にできる。それらにこの人は含まれないということになっていたが、それ事態が虚偽申告であるかもしれないのだ。
 そうでなければ、この閉鎖環境で彼女の猛攻を凌げるはずもない――
(考えられるのは、超高密度の防御魔法の展開)
 一番単純な大魔導師の近接対応は、相手の攻撃を防いだ上でのフィールド攻撃。
 簡単に言えば、相手の攻めを受けきって反撃するというもの。
 インディは視る。
(物理防御を含めた常時展開の防御魔法が二層……一つだけの硬さでも、AAAクラスはある。高町三佐の砲撃でも、真正面からは到底撃ちぬくのは無理だ)
 ほとんど戦艦クラスの防御である。
 だが。
(けど、それだけの防御を、私が撃ち抜けなかった――?)
 自分なら。
 自分にならできる。
 できる、はずなのだ。
 それでできなかったということは、それは今見える範囲以外での防御魔法か迎撃魔法を使われたということだ。
(常時展開しているものと思っていたけど、高速詠唱魔法? それとも、もう使えるだけの余裕がないのか――)
 記憶が飛んでいるというのは、実に面倒なことだ、と思う。
 自分がさっきやったであろう攻撃が思い出せない以上、それとは別の方法で試すという選択肢ができないのだ。
 もしかしたら、今また試そうとする方法はさっきもそうしたことなのかもしれず、それは相手側にとっては二度目のことであり、容易く対処されてしまうのではないか。
(けど、このままではジリ貧――)
 ならば。
 インディの銀の瞳が、虹色に輝きはじめる。
(〈グラム・サイト〉発動――)
 

「はじまったか」
「ああ」
「あれが、あの子の希少能力――」
「〈グラム・サイト〉」


 インディ・マサラティーの足元から、紫色の光が伸びて道となった。
 その魔法を知る者がいたのなら、その能力をこう呼んだはずだ。
 ウイングロード――
 現在はナカジマ家の姉妹しか使う者はいないとされる先天系魔法である。
 光の道は真上に伸び、そこからほとんど絶壁にも似た急角度で下に向かっていた。その上を魔力放射による高速移動法で彼女は駆け上がっていく。
 その道の途中で握りしめた右拳に銀色の輝きが宿った。
 登り切った光の道の頂上から、落下するに任せてインディはその右腕を頭上にかざした。
「〈クラウ・ソラス〉――」
「――――光の魔剣か」
 数秒にも見たない時間でインディの掲げた魔法を見切ったのか、その人は左手を伸ばした。
「アロンダイト」
「―――ッ!」
 インディは輝ける右腕をそれに向けた。
 白い――光だ。
 瞬時に展開された三角のベルカの魔方陣から迸った魔法である。詠唱が短いながらも強力な貫通力を持つ中距離射撃。アロンダイト。それを迎え撃ったのはインディの右腕に宿る光の剣であった。 
〈クラウ・ソラス〉。
 光の魔剣の異名を持つこの一撃は、遍く全ての存在を切り裂くとさえいわれた。
 全て――それは、魔法の結界も、魔導の砲撃さえも。
 彼女の手の輝きは一筋の魔光を二条と切り裂いた。
 アロンダイトは、なるほど強力な魔導だ。彼女のクラウ・ソラスと同じく魔剣の銘を持つ魔導であり、貫通力に特化した魔導であるが、収斂密度が絶対的に劣る。瞬間射撃魔導と近接斬撃魔導の差と言ってもいい。
 だが、しかし。
「―――ッ」
 砲光は一瞬でやんだ。インディの視界を奪った光は一秒とて存在してはいなかった。そして、それだけで、あの人には充分だったのだろう。ウイングロードを降り切る直前の彼女は、地面に広がる三角のベルカ式魔方陣の中心にいるはずの人がいないのを見た。
 同時にインディの周囲に二つの魔方陣が浮かび、彼女の右手と左足を固めた。ベルカ式の拘束魔法。動体に対してのそれはよほどの練度がない限りは難しいとされるが、これは設置型だ。あらかじめ、近接されることを予期していた――のではなく、ついさっき跳躍のついでにおいていったのだろう。最初からそうしているのなら、インディには「観え」ていたはずだった。いずれにせよ、恐るべき手際だ。
 そして。
 高速移動で遥か上空にて黒翼を広げた大魔導師がいた。

「ディアボリック・エミッ――」

「ブリューナク!」

 インディは一瞬で拘束魔法を引きちぎり、振り返りざまに右手をつきだした。そこから延びた光の槍が発動間近だった魔方陣に突き刺さり、砕いた。
 ブリューナク――先ほどに向けられたアロンダイトと同じく、ベルカ式から伝わる中・長距離での瞬間的な攻撃を可能になる射撃魔法だ。アロンダイトよりも収束率が高く、そして距離も貫通力も上である。ただし発動に際しての時間がアロンダイトよりもコンマ四秒ほどかかるためか、近接戦闘ではそう使われる部類の魔法ではない。彼女にはそのルールを乗り越えることができたという、ただそれだけのことであった。
 続いての攻撃がくるか、とインディは地上で構えたが、さらなる追撃をする気は向こうにはないらしい。
「はー、やるもんやね……」
 と、何処か呆れるような声をあげていた。笑っているようでもあった。
「話には聞いてたけど、反則やね。〈グラム・サイト〉っていうんは」
「そちらこそ」
 インディも言い返した。
「今の高速移動は、ミッド式ですね――さすがは魔導騎士と言われている人……」
「それもなあ、〝生きるレアスキル〟言われているインディ・マサラティに言われても自慢にならへんわ」
〝生きるレアスキル〟――それはインディの異名だ。通称といった方がいいかもしれない。 
 一般にレアスキルと言われる希少技能は数あれば、彼女のもつ〈グラム・サイト〉はその中でも破格の存在である。何故ならば、多くのレアスキル保持者はそれ以外に魔導を専門に習得していることはあれど、レアスキルに関してはそれオンリーの単一能であることが当たり前なのに、〈グラム・サイト〉はその一つだけで複数のレアスキル、魔導を再現することが可能だからだ。
 本来、〈グラム・サイト〉とは『見えないものを見る』ということができる能力の総称であったが、いつの頃からか魔力の流れや不可視領域の魔導プログラミングを「観る」ことができる者を指すようになっていたという。そしてそれができるということは、本来は希少能力者にしか成し得ない魔導事象を再現することも可能であるということだった。現在のミッドの魔導工学においてさえ機械での完全再現は不可能であるそれらを、〈グラム・サイト〉の使い手はまるで『ちょっと変わった体操』をする程度の難度でやってのける。あまりに希少な能力であったが、その存在はベルカ時代の初期より知られていた。聖王家はその能力を取り入れるようとしていたとさえ言われている。
 インディは現在において、ただ一人の〈グラム・サイト〉の使い手なのだった。
「にしても、ウイングロードに、今のバインドを破ったのはアンチェインナックルかー……」
 その人は、何かを確かめるようにそう言う。
「アンチェインナックルはまだしも、ウイングロードみたいな先天系の資質まで再現可能なんやね。まあ、本来一人で一つのレアスキルをも一瞥で再現できるいうんなら、これくらいはむしろできて当たり前か――元々近接戦闘の資質が高く評価されていたっていうから、この組み合わせも納得できへんでもないが……それともやっぱり、まだこだわっとんるん? 自分が採用されんかったのを」
「………………」
 インディはすぐには応えられなかった。
 拘ってなどいない――そう返事したかったが、それは嘘の言葉であったからだ。
 今目の前の人が言った技は、彼女が何年か前に所属していたかもしれない部隊でのストライカーが所有する技能だった。何度となく映像で見たし、目視でもその活躍を見たことがある。なんで自分はあそこに所属していなかったのだろう、とそう歯噛みしたのは確かだった。自分ならばそのストライカーと同じように、そしてより以上の成果をあげることができたと確信できている。仮に先天資質で長じられていたとしても、自分にはそれをもコピーして使いこなせるレアスキルがある。自分なら、あの管理局のトップエースたちと共により活躍できていたと信じていた。
 勿論、インディにだって解っているのだ。
 部隊の方針が新人の教導をかねたものになったことで、高ランクの魔導師はお呼びでなくなったということ。そして彼女のランクが当時で陸戦Sマイナーで、部隊のランク規定ではどうしても外さなくてはならなくなったこと。
 自分が劣っていたから部隊に選ばれなかった訳ではないということ。
 だが、そんなことで割り切れるものではない。
 眼の前の魔導騎士の存在も含めて、あの部隊はまさに夢の部隊だった。彼女の憧れや目標足りえる騎士や魔導師が揃い、一つの家族のようにして戦う格別で特別な部隊だった。 
 一瞬でも、自分がそこで共に戦えると思えたことは、まさに甘美な夢のようなものだった。
 醒めた時の自分があまりにも惨めに思えるほどの、夢だったのだ。
「すまんなあ……」
 と、その人は、インディの表情の変化を見て何を思ったのか、瞼を伏せてそう言った。
 それが何を意味しているかは知らず。
 インディはかっときた。
「何をッ」
 叫ぶ。
 ここで同情される謂れはない、と続けて言おうとした時。
 あの人の瞼が。
 瞳が。


「やはり――手加減なんて、無理――」


 変わっていた。
 水色は、さっきまでと同じくユニゾンしていたことを示す色だ。
 だが、違っている。
 先程までのこの人とは、決定的に何かが違っている。
 彼女の〈グラム・サイト〉ですらも容易に見通せない変化――――。


「――偽典放棄。外典起動――」


『了解致しました。マイマイスター。偽装術式《闇》モード放棄――外典起動準備――起動コードを求む』


「微睡みに 見ゆる空は暁か あるいは黄昏とも知れず逢魔の刻――」


『起動コード、承認。発動――外典術式《紫天》――モード〝闇統べる王〟』 


 ――――夜が来る。




 つづく



[6585] 焔浄。
Name: くおん◆1879e071 ID:aa6f3de4
Date: 2012/03/15 10:55




 その者は 叢雲を従者にやってくる

 その姿は 王のように気高く
 その瞳は 死のように冷たく

 その咆哮は

 ――――闇を切り裂く。


 ベルカ諸王讃歌 《夜の王》 より



 15/焔浄。



 ぞわり、と背筋が震えた。
 それが恐怖だということに、彼女は、インディ・マサラティは気づけなかった。
 何故ならば。
(見通せない………?)
 彼女の〈グラム・サイト〉で「観て」も、容易に見抜けない重層で重奏な術式の構築。巨大建築物の設計図とてもこんな複雑で大規模なものではあるまいと思えるほどの、大気に充ち満ちた咒紋の海。彼女にしかそれは「観え」ず、だが、それゆえに彼女以外の人間にはその強大で巨大な術式の深淵は理解できない――その彼女ですらも、その端緒に触れることがやっとであった。
 そう。
 インディ・マサラティは、彼女が〈グラム・サイト〉を身につけて以来、ほとんど初めて『解読できない術式』と遭遇したのだ。
 そして、それはまったく未知の方法をとっているというのではなく、圧倒的な情報量と複雑さからそうなってているのだと気づいた時、本能のレベルで彼女は脅威を感じた。
 人は、あまりにも圧倒的なものに出会った時に、理解し難い存在に接した時、恐怖を覚える。
 今までに彼女の人生において、そんなものはほとんどなかった。
 大魔導師の魔力の凄まじさ、管理局エースの術式構築の見事さに心打たれたことはある。
 だが、それらとても〈グラム・サイト〉の前ではなんとか把握できるものだった。対処できるかというのは別のことではあるが、それは彼女には理解できるものだったのだ。
 それが。
 この、目の前のこの術式は理解できなかった。
 圧倒さゆえに。
 複雑さゆえに。
 重厚さゆえに。
 見抜けない。
(落ち着け)
 とインディは自分に言い聞かせる。
 焦燥に蝕まれつつある心を、体内作用の術式を構築してなんとか整えていく。内力作用に長けたベルカ式のものだ。
(どれほどに複雑で強大な術だろうと、この結界内での発動を前提としているのなら、それほど巨大な作用をもたらせるもののはずがない)
 そう言い聞かせながら、果たしてこれが本当に試験なのか、ということを疑う声が内側からした。
 判然としない自分の記憶。
 撃ちぬかれた痕跡のあるBJ。
 かなり無理のある条件設定の試験。
 そして、目の前で変貌した―――――――
 と、彼女の耳に先ほど聞こえた言葉が蘇った。
(偽装術式?)
 確かに、聞こえた。
 それは迷彩防御か何かのことだと思っていたのだが。
(偽装? 何を偽装していたの? 何のために偽装していたの?)
 
 
 ―――すまんなあ……


 そして、あの言葉は。
 どういう意味が。
 あの人は、徐に口を開けた。

「〈グラム・サイト〉――厄介ではあるが、とりあえず全くの未知の術の構築も見抜けるかどうか」

 心なしか、口調までが変わっていたように思えた。
(まずい)
 今の、この圧倒的な魔導構築に気を取られていたが、そんなことに怯えているより先にすべきことがあるとインディはようやく気づいた。これが試験であれ、そうでないにしても、あの人を倒さなくてはいけない。それは今や義務ですらなく、彼女に課せられた使命であるようだった。
 ウイングロード、そして魔力放出スキルで一気に距離を詰めようとして。

「試してみようか――」

 ――ナウマク・サラバタタギャーテイビヤク・サラバボッケイビヤク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケン・ギャキ・ギャキ・サラバビギナン・ウン・タラタ・カン・マン

『〈蒐集行使〉 ――【不動明王火界呪】』 

「――――ッ!?」

 インディが驚愕したのは、それが突然出現したからであった。 
 いや、出現過程は「観え」ていた。
 あの人が両手を組み合わせて奇妙な形を作った瞬間、見たこともないような文字が浮かび上がり、それが巨大化したかと思うと青黒い色の巨人となったのだ。
(なんだこれは!?)
 召喚――いや、純粋魔力構築されたゴーレム――が、近い。
 彼女の〈グラム・サイト〉は一瞬でそれを見抜いていたが、その存在までの過程がまったくの未知なものであり、恐ろしく不自然なものであった。
 恐らくは本来この条件では術式が到底成立しないものであったのを、剛強な魔力と意志力でそれを捩じ伏せ、顕現させたのだ。
(こいつッ)
 巨人の全長は十数メートルほど。ゴーレムとしては巨大すぎるというほどのものではない。だが、その身より発する紅蓮の炎と、片手に持つ剣と、鞭のような細長い縄は要注意だった。剣は威力調節などしていないのは明らかであったし、縄は恐らく捕縛のために振るわれるものに違いない。だが、それらの武器よりも何よりも、異形めいてすらある怒りの形相の凄まじさがこそが彼女の心胆を寒からしめていた。睨まれるだけで震えが来る。それは、未知とかそういうものではない。今の彼女にとって、この巨人の存在こそが天敵とすら言えるほどの絶対的な脅威のようだった。
「一切不浄を浄化する不動の利剣――喰ろうて見るか!」
 声と共に、巨人は動いた。
 その巨体に見合わぬ速度で利剣を打ち振るい、まず最初にインディの進むウイングロードを断ち切り、返す太刀で下方から切り上げて彼女を狙う。
「―――くッ」
 それを咄嗟に両手をつきだして防御魔法を構築したインディであったが、三角のベルカ式魔方陣が利剣をたたきつけられた瞬間に「燃えた」のを見た時、さらに空を蹴り、転身する。
(対魔導攻撃――!?) 
 違う。
〈グラム・サイト〉は即座に答えを導き出していた。
 魔導構築を破壊したのではない。
(魔力構築そのものを「燃やす」――だなんてことは……通常の魔導ではありえない!)
 それをなし得るとしたら――
(上位概念の存在――『神』を召喚する術式か……!)
 ミッド人にとっての『神』とは、多くの場合は魔導構築に際して助力を与えてくれる形而上の概念存在を指す。
 儀式魔法のような大規模術式では、自然の諸力を司る『神』に接触することは当たり前に行われることだが、現在の魔導理論ではこの『神』は人間の意念が生み出したものであると解釈されている。人の認識が世界に働きかけ、『神』が存在するのだと。ただしこの手の概念領域に関係する魔導は、現在では儀式魔法のようなものでしか通常知られてはいない。古代ベルカ式の中でも、さらに古式のものに微かに伝わる程度のものだ。このことは大半の魔導師は知るまい。能力の特性上、古今の魔導を研究していたインディは知っていたが、それでも実際に見たのは初めてだ。  
 伝え聞くところによれば、この『神』、あるいは『魔神』を召喚する術式は確かにベルカ式にもミッド式にもかつては存在していたらしい。
 だが、それは想像するだに複雑で強大な規模の術式であったはずであり、こんな簡単に呼び出せたり操れたりするような類のものでは決してないはずだ。
 もしもそれを、ついさっきの推測どおりに魔力と意志力で成し得たのだとしたら――
 それは当人が『神』にも等しい強大な何かであるということではないか。
(だけど)
 もう一度、インディは右手を掲げた。
「〈クラウ・ソラス〉」
 この術式、この魔剣ならば――。
 真正面から叩きつけられた利剣を、魔剣を打ち振るい迎撃する。今度は、魔導構築は崩壊しなかった。激しい炎が生じたが、それは刃と刃を打合せた時に生じる火花のようなもの。魔力と法力の衝突が創りだした爆発であった。
(例え上位概念だろうと、ここまで収斂した魔導刃をも打ち消すことはできないはず……!)
 あるいは、あらゆる魔導を打ち破り、切り裂くという魔剣クラウ・ソラスという銘の概念が、この上位概念存在の干渉に対抗できているのかもしれない。
 だが、そんなことを考える余裕はなかった。
 空中で足場となる魔方陣を作り出し、跳躍を繰り返し、インディは利剣を回避し続けた。巨人の速さは見た目を裏切るものであったが、ここが路地裏の隙間であるということが彼女には有利に働いた。
(いける)
 上位概念存在は、多くの場合物理現象を超越して活動する。それは時に通常物理ならずとも魔導さえも干渉できない規模であることがあるというが、この巨人はそこまでデタラメな存在でもないようだった。防御魔法を「燃やす」などという理不尽は、しかし魔法の干渉を受ける存在であるということを自ら吐露しているようなものだ。本当に魔導の通じ無いレベルであるのならば、防御など透過しての攻撃すら可能になるだろう。
 つまるところは――
(あてれば勝てる)
 ということだ。
 インディは魔導の咒文を詠唱していた。
「汝、影の国より出でよ我が映し身――」
 そして。
 分裂した。
「ほう」
 巨人の後方に浮遊して眺めていたその人は、何処か感心したように呟いた。
「風の遍在――違うな。分身魔法は数あれど、〈グラム・サイト〉保持者の固有魔法だな。本来は見えないはずの別次元に存在する自分の影を召喚したのか。三次元ではせいぜいが維持できて二分というところだが」
 それで充分、なのだろう。
 一気に十数体に分裂したインディは、それぞれがそれぞれの方法で巨人に接近していった。ある者は飛行魔法で、ある者はウイングロードで、ある者は地を駆けて。
 その半分は一瞬にして利剣に切り裂かれたが、もう半分は右手の魔剣を巨人の体に突き立てることに成功した。
 しかしそれらは所詮は影だ。
 当人と同じ能力を持ちながらも決定的にこの次元においての干渉力が不足している。
 巨人は微かに動きを止めた程度だ。
「本命は?」
 その人は呟くと。
『上です』
 と応えが返った。
 その通り、遥か上空に跳躍していたインディの姿があった。

「光牙裂閃―――ッ!」
 
 光の刃が――伸びる――

 巨人の体を左右に分ける光が奔った。
 あらゆる防御を切り裂く魔剣の、その最大射程形態であった。
(勝った!)
 現世にあり得ざる上位概念を切り裂く、という快挙に、さしものインディも喜びを隠せなかったが。
「まだだ」
 との声がしたかと思うと、巨人が再起動した。真正面から切られ、現世に顕現していられる状態ではとてもないはずだったが、片方の手は動いた。あるいは、それはかろうじてという程度のものであったのかもしれない。だが、その挙動はインディにとっては致命的ですらあった。
 利剣とは別に片方の手に持たれていた縄――羂索が、飛行中のインディの体に絡みついた。
(熱い――)
 と思ったのも一瞬、彼女の体を浄化の炎が灼きつつ、巨人の手の動きのままに壁に叩きつけられてしまう。意識が飛びかけたが、かろうじてなんとか保てた。それでも急激な傷みと炎の熱さに集中が解けてしまった。ずるずると壁から滑り落ちるように地面に着地した。
 気づけば、目の前の巨人の姿は崩壊しつつあった。
 やはり、力任せの召喚による無理のある顕現であったのだろう。インディの魔剣の一撃で法身の構築が維持できなくなったのに違いない。利剣の持つ手が崩れ落ちると焔の塊になって、大地に横たわる何かに燃え移った。ゴミか何かだろう、と最初は彼女は思ったが。
 違っていた。
 なんで、みてしまったのだろうか。
 その時の彼女は思った。
 思ってから、さらに思った。


 なんで自分は気づかなかった―――。
 

 燃え移り、灼けているのは人間だった。鼻腔をつくのは肉の焼ける匂いだった。まだ新鮮な血の芳香。
 積み重なっていたのは、首を捻られ、あるいは腕や手足があらぬ方向へと寝じ曲がっていた屍体だった。
(これは……!)
 いかなる魔導をも「観る」ことができるはずの〈グラム・サイト〉であったはずが、路地裏の暗がりにうず高くつまれていた屍体を認識できないでいただなんて……そんなことはありえない。あるはずがないのだ。
(なんだ? 一体、ここで何があったんだ? 誰がここで、こんなことをしたんだ?)
 混乱しつつも思考をまとめようとする。先程と同様に体内魔力制御をしようとする。しかし、動揺はあまりにも深く強かった。無理もないことだ。この光景は衝撃的にすぎる。突然にこんな状態に投げ込まれてなお冷静でいられる人間がいたとしたら、それはもはや人間ではないだろう。
 と。
 唐突に一つの答えが閃く。 
 そうだ。


 自分がやったのでなければ、この人がやったのだ………!


 普段の彼女なら到底でないような結論だった。目の前のこと人が、そんなことをするはずがなかった。しかし、彼女の脳裏で、自分のバリアジャケットを貫いてた非殺傷設定を外された魔導による痕跡と不自然極まりない選抜試験という言葉と、何よりもここにある屍体を無視してそう語っていたということが一つに繋がった。
 叫ぶ。
「なんで――なんでこんなことをッ!」
「なるほど」
 その人は、むしろ感心したようだった。
「では、お前はどうしたい?」
 嘲笑だった。
 ぷつり、とインディ・マサラティの中で何かが切れた。
 凶悪なまでの衝動が身体を動かした。
 許せない。
 こんなことをするモノを許しておいてはいけない。
 その報いをうけさせねばなない。
 右手から伸ばした魔剣の輝きは通常に倍するものとなった。感情が魔力を生み出しているようだった。ありえないはずのことだが、そのように彼女は感じた。殺害の意志が、そのまま力となっていくようだった。

「おオヲぉぉぉぉッッッッ」

 駆ける。
〈グラム・サイト〉発動――からのレアスキル再現〈ファイブ・ステップ〉―― 足元に魔方陣を生み出し、踏み台にして移動する高速移動魔導。通常の魔導師にも同様のことは可能だが、〈ファイブ・ステップ〉は五つの反応を示す魔方陣を任意に、しかも瞬間的に生み出すことができる。それは加速であったり炎熱作用を体表の魔力に纏わせたりなどだが、〈グラム・サイト〉の再現・加工能力と組み合わされた時、電気変換と加速とを兼ねた魔方陣を創りだすことが可能になった。
 どうして自分にそんなことができるのかも彼女には解らなかったが、それをさらに五つ。
 ジグザグに、高速に、駆けて、跳ねて、飛ぶ。
 そこから生み出された術の名は。

「〈ライトニング・ステップ・シュート〉ッ!」
 
 最後の跳躍からの左の飛び回し蹴り。
 彼女の身体より発せられる電気は、その身が雷電そのものに変わっているかのようだ。
 おそらくはストライクアーツの上位選手とても回避困難な、超高速魔導打撃!
 それをベルカ式の防御魔法が受け。
 砕けた。
「――――ッ!」
 さすがに、大魔導師の顔が強張った。戦艦並みの防御術式が展開されていたのだ。特殊効果か概念作用のない魔導では、よほどの大打撃でもない限りは容易に破壊することはできないはずなのに。
 インディは。
 さらに。
 空中で身を捻り。
「―――〈クラウ・ソラス〉!」
 右手の魔剣を―――!


『〈蒐集行使〉――太陽の刃よ、我が主の剣十字に宿れ――〈ガラティーン〉』


「――――ッッッッ!?」

 その人は、恐るべき速さで剣十字の杖を掲げ、インディの魔剣を受け止めていた。
 それは、何重もの意味でありえぬはずのことだった。
 一つは強度。魔剣の銘を持つ〈クラウ・ソラス〉は強力な防御魔法をも切り裂く。ストレージデバイスであろうと同様に。
 一つは速さ。〈ファイブ・ステップ〉より得られた加速力の効果、そしてインディの体術はは、生半には反応しきれない。
 考えられることは、よほどに高密度に収斂された魔力をデバイスから発動していること。
 考えられることは、よほどに特殊な身体強化魔法を発動させているということ。
 何故ならば、〈クラウ・ソラス〉と杖の間に反発が生じたからだ。
 何故ならば、その人の動きは、体術を知る者のそれであるからだ。

 インディの身体が魔力反発の作用によって数メートル弾き飛ばされたのは、受けられてから百分の一秒とかからない短い時間だ。高速化魔法はまだ効いている状態だったし、瞬転しての体術、魔剣の攻撃はいくらでもできた。そして、実際にそれをしようともした。
 できなかったのは、いつの間にか自分を縛る何重もの魔法の枷があったからだ。
(遠近自在の高速バインド!?)
 違う。
 この人は、あの部隊長では――、

 その時になって、ようやく解った。

〈グラム・サイト〉の視界の端に「観え」たのは、大魔導師の身体が別の何かに変わっていることであり、左の手の甲に浮かび上がる未知の魔法の構成であり、それを覆い隠すように展開された魔導構築だ。
(まさか)
 この重厚で重層で重奏な魔導構築は。
 この大魔導師の現在の戦闘モードを維持するためである以上に。
 この戦闘モードそのものの正体を隠すためだけに展開されている……!
 彼女が驚愕のあまりにバインドを破る反応が遅れていたが、それでもそれは十分の一秒単位でのこと。
 
 刃は下段から真上に迸った。

 剣十字の杖より生じていた光の刃が、インディの右腕を肩から切り落としていた。
 あまりにも疾く、あまりにも鋭く、あまりにも鮮やかな剣閃であった。
 痛みを感じる間すらもない。
 が。


「あ? 嗚呼あああ唖々あ阿アああアアアアアアアあああああッッッッ!!!!?」


 口から漏れていたのは、なんとも形容しがたい苦鳴の叫びだ。
 それは夜の中に響き渡り、「煩いな」とこともあろうに切り落した当人がそう言った。
「このまま止め――というわけにもいかんか。ふん」
 冷たい声で告げて。

 ……オン・キリキリ・オン・キリキリ・オン・キリウン・キャクウン

『〈蒐集行使〉 ――【不動金縛り】』

 突然、足元から火柱が上がった。
 先ほど消滅はずの巨人、その巨人の身体が崩壊した時に生まれた屍体を灼く火が、真言に応えて急激に増大化したのだ。それは新たに青黒い腕となって、インディの身体を鷲掴みし、地上にそのまま降りていく。
「アアアッ」
 だが、降りた瞬間に叫びと共にその腕は砕け散った。魔力放出スキルとアンチェイン・ナックルの合わせ技だ。〈グラム・サイト〉は、今の状態でもなお働いていた。
 インディは遅れてきた痛みを耐えようと歯を食いしばり、夜空に浮かぶ大魔導師を睨みつけている。
右肩からは血が大量に吹き出ていたが、それはしかしいつの間にか止まっていた。そして地上に落ちていた腕がぞろぞろと何に掴まれることなく動き、インディの右肩に自動的に接着された。希少能力〈イモータル・フィールド〉――特定空間内部での自己復元が可能になるという修復用のスキル……であるが、その時の彼女にはそれを意識して働かせたという記憶はない。死にたくないという生存への意志が瞳を虹色に輝かせたのだった。
 いや。
 彼女自身には気づくはずもなかったのだが、瞳の色が赤く染まっていた。血の色に似ていた。それはまさに、先ほどまで彼女が吹き出していた鮮血の色だった。
 インディの脳内に、
(痛い)
 から、もう一つの言葉が浮かび上がった。
(乾く)
(欲しい)
 とも思った。
(壊したい)
(痛い)
(難い)
(痛い)
(乾く)
(欲しい)
(欲しい)
(痛い)
(欲しい)
(乾く)
 

「ほう」


 と、その声に思考が途切れた。
 何か、興味深いものを見ているような目で、大魔導師は言った。
「バリアジャケットの再生は不完全なのに、腕が先に再生されたか」
(え――――――!?)
 意味が解らない。
 いや、腕がバリアジャケットよりも先に再生した、という言葉の意味は解る。だが、そんなことは常識で考えてありえないことだ。いくらなんでも、レアスキルをどう使おうとも、バリアジャケットの自動破損修復の方が速いはずだ。
 そう思った。
 なのに、つい見てしまった。
 白いコートを。
 機動六課のユニフォームとして構築されたコートの裾が、確かに灼けて焦げていた。あの巨人の羂索と腕に掴まれた時にそうなったのだろう、というのは解った。他に原因は思い浮かばなかった。
「え――――――――」
 意味が解らない。
 なんでバリアジャケットは修復されてないのか?
 まるで説明がつかない。
 腕の方が先に再生される理由が解らない。

「やはり、概念作用か」

 その人は、むしろ面白がっているようだった。

「太陽の剣たるガラティーンといっても、所詮は魔導でその銘の魔剣を再現したというだけのものか。不動明王の浄化の炎の方が効果は強くでるのだな。後で他にも試さねばならぬが、対吸血鬼戦術のデータとして有用なものが得られたな」

(―――――――え?)

 今、この人はなんと言ったのだ?

「吸血―――鬼?」

 ミッドにもそのような言葉はある。血を吸う怪物の伝承は普遍的なものだ。ベルカ時代にもそのような話はあった。
 だが、それは今、何か関係があるというのか。
 今の言い方では、まるでここで戦っている相手である自分がそうなのだとでもいってるような――――。
「まだ気づかんのか」
『マイスター!』
 融合騎の声が聞こえた。自分の主の声を遮るように叫び、続ける。
『やめてあげてください……早く、封印してあげるのが一番いいんです……』
「そうか」
(何を………何をこの人たちは言っている………?)
 いや。
 本当は解っていた。
 解らないふりをしていた。
 マルチタスク――というよりも、より本能に近い部分が、表層の思考とは別に答えを出していた。
〈グラム・サイト〉を持っていたはずの自分がなぜ屍体の存在に気づかなかったのか。
 夥しい血の匂いが充満するにも関わらず、それに違和感を覚えなかったのか。
 感覚に訴えかける幻術魔法や、視覚を誤魔化す偽装魔法が仕込まれたという可能性はあり得なかった。なぜならば彼女は〈グラム・サイ〉の能力保持者だ。いかなる魔導の構築も、魔力の流れも見通す眼を持つ存在だ。
 その自分がこの惨状に気づけなかった――なんてことはありえない。
 それに。


 この人がやったのでなければ、自分がやったのだ………!


 単純な理屈だった。
 他に第三者がいて、自分らを何らかの手段で操作したということはない。彼女は〝生きるレアスキル〟であり、目の前の大魔導師は、それに対を成す〝歩くロストロギア〟の異名を持つ人だ。
 管理世界のどんな魔導師だろうと騎士だろうと、自分らを操作できる魔法などあるはずもなく――。
 いや。
 灼ける屍体に眼をやった。それは頭上の大魔導を直視できなかったからであるが、結果として最悪の選択であった。
 たまたま、少女の顔と眼があった。
 見知らぬ顔――ではない。
 その顔が笑っていたのを覚えている。
 その顔が凍りついたのを覚えている。
 その顔が恍惚としていたのを……覚えている。

 そして。

「ア……嗚呼ああ唖々………」 

 その血潮が、ひどく美味だったのも――覚えていた。
 
 途端に、思い出す。思い出していく。自分がどのような方法をとって少女を、少年を、男を、女を、誘い出して路地裏に連れ込んだのかを。
〈グラム・サイト〉で幻術を使うまでもなかった。
 娼婦の真似をして声をかけただけで、男の半分は自分についてきた。もう半分の男でも、眼が合うと自分の思い通りになった。女も、似たようなものだった。最初に自分にキスをせがんだ相手は、確か女だった。安い酒の臭いがしたが、恋人にふられたばかりなのだと言っていた。自分より十歳ほど年上の女を可愛いと思ったのは、それが猫のように思えたからだった。どんなに爪をたてようとも自分にさほどの脅威足り得ないという認識ができていた。人間は全て愛玩すべきか弱い生き物であり、自分の喉を満たすために生きる畜生でもあった。それが魔導師でも同じだ。自分は相手よりも上位の生き物であるという認知が、彼女の精神を別のものに変えていた。人を殺すという罪悪の感情は、優越の愉悦を超えるものではなかった。
 インディは男を知らなかった。
 恋愛感情そのものも、さほどなかった。
 それは高位の魔導師には往々にあることだった。
 魔力制御のために感情をコントロールすることを学ぶ騎士や魔導師は、戦闘時において高揚することはあり得ても、平常においてはさほど昂ぶることは少ない。一見して激しい感情を持つように見えても、いわゆる切れるとかいうようなところにまでなかなか到達しない。閾値が高いのだ。それは些細なことでも自他の命に関わる魔導師の宿痾のようなものだった。
 だから、ミッドでの魔導師の結婚率はさほど高くない。高位の魔導師ほどその傾向は高いと言われる。特に幼少から魔力を強く顕現させていたような天才児ほど、それは強くみてとれていた。思春期においてさえも脳を完璧に制御できるので、さほど乱れずに過ごす者が多いという。いずれ晩婚だろうとも魔力に充たされた肉体は老いを遅らせる。医療技術も発達しているミッドでは、五十を過ぎての出産すら珍しくない。
 インディ・マサラティも、そんな意味では平均的な魔導師ではあった。
 そのはずだった。
 
 あの時から、全てが変わった。

 路地裏で眼を覚ました時、世界は変容していたのだ。
 世界は箱庭であり、地を歩く全ての生き物は彼女の餌になり果てた。
 自らを慰めることすらも最近覚えたインディであったが、餌に対して羞恥など覚える必要もない。下等生物に自分の身体を弄らせているということは屈辱ではあったが、むしろ、それは脆弱な自分とは違う生き物に好きにさせるということによる嗜虐の感情が芽生えていた。自分の下着の中に手をいれてきた少年にも、性器を出して自分に口唇による愛撫をせがんだ男にも、彼女は従った。後で自分の喉を潤すためだけの餌に好きにさせている、という感情は、人間だった頃にしたあらゆる自涜にも勝る快楽を生んでいた。
 そう。


 彼女は人間ではなくなっていたのだ。


「……………ッ」
 膝まずき、四つん這いになる。
 沸き上がってくる記憶の奔流に、彼女は耐えられなかった。羞恥など感じられない。恐怖など感じられない。ただあるのは絶望だった。
 好きにさせていた以外にも、様々なことをインディはしていた。
 幾つもの屍体を積み重ねて、その上を褥として女を犯していて平気だった自分。
 何も知らない少女をわざと眼の力を使わずに引き入れ、屍体の転がる路地裏で恐怖で震えてたその身体に快楽を埋め込むために〈グラム・サイト〉を使った自分。 
 恋人同士だった少年と少女を交互に支配におき、少女の痴態を少年に見せつけ、少女の目の前で少年に自分を貫かせていた自分。
 ありとあらゆる、思いつく限りの背徳の業をした。
 自分を律していた感情の枷が無意味なものに成り果てたことを本能で理解していたのだ。自然に回復する不死にも近い肉体があれば魔力を制御する必要などなく、社会のもたらせるあらゆる恩恵なく生きていけるようになったのならばルールを守る必要もないし、いかなる背生物をも自分を傷つけることができないのならば同等に扱う必要もなくなった。
 だから。
 大魔導師のこの人にさえも、自分は汚れた鴉を視るような目を向けたのだ。
 インディは思い出していた。

 ―――――ちゃんと意識があるん?

 ―――――なんで、こんなことを……。

 ―――――もう、ダメなんやな。

 ―――――いいよ、おいで。

 あの人は、自分を心配してくれていたのに。
 自分はそれを嘲った。
 それどころか、こともあろうに背後にて控える守護獣の男に目を向けて。

 ―――――それを貸してくれたら、話聞いてあげてもいいですよ。

 ―――――やっぱり、そうでしたか。知っていますよ。噂になってましたから。

 ―――――あの〝歩くロストロギア〟が最近雰囲気変わったのは、色気づいて自分の使い魔に股の間舐めさせること覚えたからって。

 ―――――じゃあ、あなたを吸った後で、それの味見させていただきますからね。

 容赦はされなくて当然だ。
 解禁された大魔力と融合騎による補助によって行われた威力調整なしの魔弾の弾幕の集中一斉掃射。その五段構え。舐めきっていた自分は〈グラム・サイト〉の補助なくその一撃を受け、ニ撃目で防御を壊され、三撃目に身体を貫かれ、四撃目に紛れ込まされた捕縛魔法で固定され、五撃目の掃射の集中打に、肉体の四割を失った。
 生きていたのは、かろうじて心臓を守れたということと、なんとか発動できた〈イモータル・フィールド〉、そして人間でなくなった時に発現した再生能力のおかげだった。あと概念的な決定打が足りてなかったというのもあっただろう。もしかしたら、追い打ちをかけることをあの人が躊躇ったためかもしれない。
 そうでなくとも、彼女の身体はほとんど壊されていたのだが。
(…………そうだ。この人に壊されたおかげで、今の自分に戻れたんだ………)
 頭の三分の一が欠けたせいだろうか。再生された脳はここ数日の自分の記憶を消し飛ばしていた。そして蘇った自分は路地裏の屍体たちを「無視」していたのである。皮肉めいていたことだが、再生したばかりの脳は記憶を欠けさせていたが、無くしていたはずの理性と良識は蘇らせたのだ。そしてその理性たちが自分という意識を守るために「無視」を選んだのは当然であった。記憶にはなくなっても魂は覚えている。この惨状を創りだしたのが自分であるということを彼女は無意識で理解し、そして今の自分では耐えられないと判断したに違いない。
(それに気づいたから、この人はあんなことを………)
 試験をしていた、ということにしてくれた。
 咄嗟についた嘘だったのだと思う。
 戦闘態勢で再生した自分を騙すために。
 なんとかこの場から去らせて、油断しているところを捕縛して封印――というようなことを考えていたのではないか。
(わたしは、バカだ………)
 違和感を感じるような、それは稚拙な嘘だ。
 だが、それは自分を、あんなにひどいことをいってしまったインディ・マサラティというバカを救うためについた、優しい嘘だったのだ。
(それなのに………!)
 信じればよかった。
 憧れていた人たちだったのだ。
 その人がついた嘘ならば、それは意味があることなのだと。
 もう、取り返しがつかない。

 自分は思い出してしまったのだから。

 異形の論理で。
 人外の倫理で。
 怪物の道理で。

 そう生きることを決めてしまった自分を。
 後戻りなど、もはやできようはずもない。

 この身はすでに魔物であり、この心もまた魔性に堕ちた。

 快絶の欲望のままに人を犯し、血の渇望のままに生き物を殺し、命の意味も魂の価値すらも貶めて踏み躙ることを是とする人にあらざる何かとなることを選んだのだ。


「………ころしてください」


 自然と、声が漏れた。
 そんな言葉を吐き出せることができたということに、自分自身で驚きながらも、インディ・マサラティだった吸血鬼は、遠い異界で死徒と呼ばれる存在となった管理局の魔導師は、涙を流して、血の染みた地面を見つめながら懇願した。
 それに対する答えは。


「――――償おうと、思わないのか?」

「―――――――――――ッ!」

 
 思わず顔をあげた彼女は、自分を睥睨するその大魔導師を見た。
 黒い魔力の翼を広げた、黒い騎士甲冑にその身を包んだ姿は――まさしく、夜の王。

 闇の全てを支配する王者の冷たい眼差しに射抜かれ、彼女は。

 口を開けて。

 何かを言おうとして。

 それは、次の瞬間に永遠の謎となった。


 彼女は目にしてしまったのである。


 王の背中の向こうに見える、皓々と光る月を。


「唖々ああ嗚呼アアアあアああああ」


 思い出した。
 自分を変えたモノを。
 アレは。


 あの金色の女が、自分を―――――。


 視界が赤く染まった。
 実際に、彼女の目は赤く輝いていた。 
 それは血の色に似ていた。
  
 絶望的なまでの渇望が彼女の魂を襲った。
 根源的なまでの欲望が彼女の心を蝕んだ。

 なにもかもからおかしうばいふみにじりたい――思考が退化していく。

 彼女の精神は、――――


「そうか」

『マイスター……』


 夜を配下とする大魔導師は、自らの創りだした融合騎に命じる。


「もう一度だ。【不動金縛り】を」

『―――了解いたしました。マイスター』


 再び唱えられた真言によって、周囲の燃える屍体から立ちのぼる焔から新たな巨人――『神』――不動明王が構築された。
 それは、まるでインディ・マサラティの犯した罪が、彼女を罰するためにそれを生み出したかのようでもあった。

 不動明王が振るった羂索を、インディは回避した。獣に似ていた。

 だが、着地した瞬間に全く別の方角――四方八方から延びた羂索に彼女は絡め取られ、その場に固定された。
 羂索はいつの間にか周囲の屍体の山の全てが燃えだしていて、そこの焔から伸びていたのだ。
 当然のように暴れる彼女であったが、どれほど力づくで破ろうとも、羂索は破れたそれが焔となった次の瞬間にはまた再生されていた。ここまでのレベルになると復元といった方がいいのかもしれない。
 そして。
 
 浄化の概念を持つ不動明王の羂索は、死徒になっていたインディ・マサラティの身体も燃やしだした。
 
 白いバリアジャケットが灼けた。紺色のインナーも燃えおちた。

 もはや、彼女を守るものは何もなくなった。

 それでも彼女の身体は燃えなかった。いや、正しくは燃えながらも再生し、再生した身体が端から燃え出している。耐性がついたのか、あるいは無意識に発動させたレアスキルが促す再生速度が浄化を上回っているのか、それとももしかしたら、容易な浄化を許さないという焔を発する彼女に陵辱された者たちの魂がそうさせているのか――。
 夜空に浮かぶ大魔導師は、悲鳴とも言えぬ苦鳴の咆哮をあげる彼女の姿を見つめていた。

 やがて。


『マイスター……もう、楽にしてあげてください……』

「そうだな――」

  
 大魔導師は、夜の王は、書を片手に、剣十字を高く掲げた。


「聖剣よ、あれ」

『全ての者に救いあれ』



「『エクスカリバー』」



 光の剣が、
 地に振り下ろされ、


 その時に、ほんの一瞬だけインディ・マサラティの瞳が赤でもなく虹色でもなく、元の銀色になった。
 唇が動いたのが見えた。


 死の色の瞳を持つ夜天の王は、その時のその言葉を、決して忘れないと思った。


 しにたくない、と彼女は最後にそう言ったのだ。


  
   ◆ ◆ ◆



「お疲れ様です、主」
 彼女が従者たる烈火の将にそう声をかけられたのは、自分の先程まてしていた外典術式を解いた直後だ。
「うん」
 と言葉少なく返したのは、その時の彼女には自分の声にいかなる感情が混じっているかについての自信がなかったからである。怒りを篭めて返したくなかったし、泣いている声など、決して家族には聞かせたくなかった。出せた声には、何も混じっていなかった。どうやら、自分は思っていた以上に冷酷な人間らしい。外典術式を使う必要などはなかった。あるいは、それとも、知らずにアレに侵食でもされているのだろうか。
 瞼を伏せる。
(違うか。単に、慣れてしもうただけやね)
 もう、この程度のことでは心は動かされることはないのだろう。威力調整したベルカ式も、非殺傷設定のミッド式も自分は使える。にも関わらず――多くの人たちを傷つけてきた。それは例えば直接的に魔法で打撃を与えたということだけではなく、書類上のやりとりでやむを得ず最小の支援しかだせなかった何処かの部隊であったり、政治上の問題で見捨てる他はなかった見知らぬ世界の人たちであったりした。顔も知らない、何処かの誰かたちの運命を、彼女は左右してきたのだ。今更、ここで誰か一人や二人増えたところで変わるはずもなく――。
「にしてもさあ、外典のアレ使ってるはやてって、なんか変な感じだよなー」
 紅の鉄騎の声が背中にかかる。
 自分を慰めてくれようとしているのだろうか。そうではないのかもしれない。ただ、自分の思っていることを言っているだけなのかもしれない。もしかしたら、単純に今の空気が嫌なだけかもしれない。
 いずれにせよ、今は少しありがたかった。
「アレは、まあ仕方ないんよ」
 うん。いつも通りの声だ。いつもどおりの、なんてことはない日常を家族で過ごしている時の声だ。
「〝闇統べる王〟は戦闘用の人格として設定しているからね」
「あいつは身内には甘かったぜ?」
「その分、敵には容赦せえへんてことやろね」
 ―――違う。あれは、
 はやては胸の内側から生まれた言葉を飲み込んだ。。
 人格を取り戻し、正しく育まれた技と心を思い返したインディ・マサラティに対しては、彼女は殲滅攻撃を仕掛けることが出来なかった。なんとか生きて捕縛しようと考えた。それは到底、不可能なことであった。インディはすでに取り返しのないことをしていて、それは例え記憶を失っていようとも許されるはずもなかった。
 それでも、なんとか封印処置ですませられないかと考えていたが……。
「どうしたんだよ、はやて?」
「ううん。なんでもない」
「………はやては、気にしなくていいと思うぜ。インディがああなっちまったのも、それをああいう風に灼いちまったのも――あれは、ああするしかなかったんだ」
「けど、……」
「ヴィータ!」
 横合いから、二人のやり取りを静観していたシグナムが口を挟んだ。
「僭越に過ぎるぞ。主には主のお考えがある」
「そんなことは言ってもさあ……はやては、夜天の王で、大魔導師で、わたしらの主だけど、できることとできないことがあるんだ。できないことができなかったからって、それをいっぱい背負い込む必要なんかない――」
「ヴィータ」
「ありがとな」
 はやてはむりやりに笑顔を浮かべる。
「みな、心配してくれてありがとう。私かてできることできんことくらいの区別はつくんよ。できんかったことを嘆くより、できたことを精一杯後に繋げるために……残されたみんなの未来のために、やれること、やるべきことを頑張ろな」
「はっ」
「うん。解った」
 そういって二人の家族が改めて主に対する礼をとったのを満足そうに眺めながら、はやては先程のヴィータの言葉を思い返していた。
 ――――外典のアレ使ってるはやてって、なんか変な感じだよなー
(違うんよ。あれは、あの態度は、〝闇統べる王〟ではあるけど、私自身の感情でもある……あかんなあ……ザフィーラを『それ』呼ばわりされたことが心に残っとったんやろうな、冷静ではいられへん……)
 夜天の主である八神はやての戦闘人格プログラム〝闇統べる王〟は――闇の書の奥底に秘匿されていた《紫天》システムから抽出したものだ。
 本来の〝闇統べる王〟は《紫天》の制御統括プログラムであったが、闇の書との繋がりも深く、強い。はやてにしか成し得ぬはずの〈蒐集行使〉の権限を持ち、長くの年月をかけて蒐集されてきた魔導の全てを使用できた。そしてその上にプログラムとしての優秀な演算能力を持っている。はやてはその《紫天》のシステムを現在使用している夜天の書に封印し、状況に応じて開封して使用しているのだった。
 それは主にデバイスに使用ログを残さない極秘の活動をするためであったり、自分ではどうしても突破できない戦況を打破するためであるが。
 そのことは、八神家以外の人間ではほとんどの人間が知らない。友人である幼馴染のなのはやフェイトにすらも隠し通している。


 夜天の王たる八神はやての隠し札――。
 八神家ではこれを外典術式《紫天》と呼んでいた。
 
 
 問題は、使用される〝闇統べる王〟は卓絶した戦闘時の判断力と技術を持っているが……その人格の攻撃性の強さである。
 戦闘に際して、はやて当人ではどうしても躊躇ってしまうような状況がある。
 異形と堕し、家族を侮辱したインディを殲滅することを、はやては躊躇わない。彼女にとって一番大切なものは家族であるからだ。人を犯し、人を殺し、人であることをやめてしまったインディに容赦するつもりはなかった。吸血鬼の回復能力を持っているのならば、多少のダメージを与えても生半には死なないということを知っていたというのもある。
 だが。
 再生、回復したインディは、人の心を取り戻していた。
 インディははやての後輩だった。
 自分と同じくレアスキルを有していて、幼少の頃から管理局で働き、捜査官時代には何度となく彼女に協力してもらったことがあった。
 この町で、吸血鬼になった彼女を見つけた時、その精神までもが怪物と化したのを知った時、大切な家族を侮辱された時、ひどく悲しくなった。
 もしも、なんとか捕縛できて、封印処置の後に元の人間に戻すことができたのなら………。
 それは誘惑は、恐ろしく甘美だ。
 しかし同時に、そんな心構えで戦っていては、インディをどうすることもできないということを彼女は悟ってもいた。ヴォルケンリッターたちの手を借りて――ということを考えなかった訳でもないが、他人数でかかれば最初についた嘘が露見してしまう。冷静ではいられなかった。家族を呼ぶべきか、このまま戦うかを、迷った末に選択したのが〝闇統べる王〟であるが。
 ここで誤算があった。

 この人格が持つ攻撃性は、思考の方向を外側に向けることによって成立していたのだ。

 八神はやてが抱いた苛立ち、怒り……そのような普段なら内側で処理してしまうような感情を、〝闇統べる王〟は外側に向け、それを解消する方向へと行動をとったのである。
 なんのことはない。
〝闇統べる王〟の怒りは、夜天の王たる彼女の怒りでもあったのだ。
 冷酷な言動も、行動も、みんな彼女の中の感情に由来するものであったのだ。
(あかんなあ………)
 はやては反省している。
 危うく、流されるままにインディを………まあ、このことについては後で考えよう。
「にしても………」
 はやてが周囲を見渡すと、燃え盛っていた屍体から火は消えていた。最後に放ったエクスカリバーの衝撃が、全ての火を消し去ってしまったらしい。元々《不動明王火界呪》によってつけられた火である。もしかしたら術を解けば長らく現世には顕現できない類のものであったのかもしれない。
 それでも、屍体の多くは原型をとどめていない。
 人間の屍体というものは簡単には処理できないものである。ほとんどの成分が水ということもあり、よほど乾燥させて水気を抜くか、燃料を大量に用いるなどをしなければ短時間にこのような風にできるはずもない。本来は。インディの活動がここ数日のことであることから考えれば、屍体の多くはまだ腐敗が始まったばかりのはずだった。そのままでは火をつけるのも困難であったはずだ。
 屍体が特殊な状態であったか、焔が特別なものであったか。
 その両方であったのだろう。
「《不動明王火界呪》か。夜天の書に記録されているのは知っとったたけど……使用したことはなかったなあ……」
 概念作用――これが吸血鬼に対して効果が高いのは、この第16世界に降り立ってからのここ数日の調査ですぐに判明していたことであったが、それを可能とする術式としてこの魔法ならぬ密法を選択したのは〝闇統べる王〟である。はやて自身も一応の存在は知っていたが、どうにもまだ概念作用というものがどういうものか、肌で実感していないということがあった。戦闘経験と知識がまだ足りてないのだ。
「はやてちゃん。屍体の身元については、こちらで戦闘中にサーチしておいてから」
 風の癒し手――シャマルにそう言われたのは、彼女が屍体の山を眺めていたからだろう。
 はやては頷き、屍体の山の一つに歩み寄った。
「ぬかりなしやな。ありがとう。これで決着がついたら、」
 言葉が途切れたのは、手を伸ばした先にあったそれが、ぱっと崩れて灰となっち地面に散らばってしまったからだ。
 まったく奇妙な現象という他はなかった。
 先述したが屍体はそう簡単に焼けない。
 短時間であるのならばなおさらだ。
 そして、これははやての個人の感覚ではあったが、灼けてしまったそれらに対して、生理的な嫌悪感をまるで感じなかったのが不思議だった。インディとの闘いの最中は嗅覚と視覚にフィルターをかけて、わざと認識しないようにしていたのだが。
 本来なら充満しているはずの蛋白質や脂肪の焦げるときに生じる匂いもしない。
 聖なる焔によって浄化された――とでもいうのだろうか。
「………概念作用もあるんかな? 通常の炎熱効果とは全然違うものになっとる」
「『神』のもたらせる概念作用です。世界そのものにそのように定められた概念(ロジック)の凄まじさは、時にあまりにも理不尽です」が、このような場合には有効かと」
 シグナムもそう言って、腕を組む。
「『神』とまではいかずとも、竜族のような魔導生物でも決定的な力はなくともある程度の概念作用のある攻撃を使えるはず……」
 ザフィーラが言い、ヴィータもまた首を振った。
「幻想種だの上位概念存在だのってのには、毎度毎度苦労したもんだぜ」
「本当にねえ……」
 シャマルも何かを思い出しているのか、遠い目をした。
 その時にはやては気づいた。
 自分がこの《不動明王火界呪》が使えるということは――かつてその使い手から蒐集したということであり。
「そういえば、これの使い手は何処の誰なん?」
 自分のいた世界で蒐集したものであるのは確かだろうが。
 自分のいた時代ではないだろう……とは判断できる。
 いくらなんでもこんなことができるような人が、現在にいるはずがない――と思う。
「もう千年くらい前だったかな?」
 ヴィータが言った。
「当時の主はベルカ時代の賢者でありました……彼女はとにかく珍しい、まったくベルカとは系統の異なる魔法が欲しいと申されていたので、随分とあちらこちらの異世界を巡ってものです」
「………最初は、ただの小娘だったのになー……ちょっと年食ったら色々と欲しいものが出てきて……結局、他の主同様に欲望で身を破滅させたよ」
 ヴィータが顔を背けた。最初の頃のその主のことは嫌いではなかった。むしろ、歴代の主の中では結構いい方だったとは思う。もしも戦乱期でさえなかったのなら、一生を研究だけして終えたのではないかと思えた。それを言い出せば、ほとんどの主がそのような人たちではあったのだが。
「それでたどり着いたところがはやてちゃんの生まれた世界……だったけど、あの頃は結構色んな人たちがいたわね。そのはやてちゃんが使った術を使う人は、確か今でいう京都でいたはずよ」
「懐かしい話だ」
 ザフィーラも、腕を組んでいた。
「あの僧侶は、一度に五体の明王を顕現させることができた」
「――――どんな坊さんや!?」
 静かに聞くつもりであったが、あまりの無茶苦茶さかげんについ突っ込んでしまった。
 正式な手順を踏まなかったのが原因であろうとは思うのだが、あの明王を顕現させるのにはかなりの魔力が必要であったのだ。
「どんな……と申されても、私たちはただ戦っただけですから……」
「いやシグナム、そういうことやのうて、」
「誰かと勘違いされたみたいでさ、わたしらがいくとすぐ迎え撃たれたぜ?」
「確か……そうそう、あのお坊さん、『シュビンの手の者か』と言ったんだったわ」
「しゅびん……」
 はやてはそう呟いてから、口を閉じた。
「? なんか心当たりあるのか、はやて?」
「いや、…………それで、そんなの五体も出されて、よう勝てたなあ」
「さすがに我ら三人でも、五分ほど粘るのが限度だった」
 ザフィーラの言葉に、はやては首を傾げる。
「三人?」
「私がクラールヴィントで」
「………………………あー」
 だいたい解った。
 はやては額を抑える。
 しゅびん――という名前には心当たりがあった。
 千年前にしゅびんというと、平安京で当時の帝の信任も厚かったという高僧・守敏僧都のことだろう。そしてこの守敏と対立していた人物で絶大な法力を持っていたとなると、弘法大師・空海に違いない。この二人は雨乞いの儀式から端を発する抗争で、互いを殺しあう呪術合戦をしたという伝説がある。
 はやてが知る話では、いつまでたっても互いの強力な護身法によって術が効かず埒が明かないことに業を煮やした空海が、自分が死んだという噂を流し、その話を聞いた守敏が術を解いたのを見計らって呪いをかけて殺した……のだという。
 高徳な僧侶らしからぬ話であるが、それゆえにかはやてはこの話をよく覚えていた。
 しかし、今彼女は家族に聞いた話をそれに絡めると、新たな可能性が見えてくる。
(シャマルがリンカーコア抜いて、しばらく死んだように臥せったいうのが噂になって流れて、それ聞いた守敏さんが術を解いた、とか……それで回復した大師さんが――)
「まあ、いいか………」
 今更、確認できることでもない。それに、この子たちにそれを言ってもどうしようもないことだ。
 それに、いま考えなければいけないことは別にある。
 彼女の騎士たちは主の思いを知らぬような、あるいはあえて言葉をかけずに話を続けていた。
「けど、あのインディなら、五体は無理でも三体くらいならどうにかしたんじゃないか?」
 ヴィータがいい、他の三人も同意する。
「当人は気づいてないようだったが、吸血鬼化による魔力の増大と身体能力の強化の恩恵が強くあったようだな」
「反応速度と再生能力、あと魔力――それらがあり得ないレベルに達していたわね。陸戦限定で推定でSS+ってところかしら。かつて管理局では、そういう人間は存在しなかったんだけれど」
「大魔導師としての総合能力ならばともかくとして、直接戦闘力でのそれとなると、我らとてそのような怪物は【王】に準ずるレベルでないと記憶にない。確認できるインディの最終ランクは古代ベルカ式陸戦S+であったというから、元々の地力も相当にあったということも関係しているだろう……」
 

「つまり、その陸戦S+の管理局でも超一級の人材をあんな風にしてしまえるモノが、まだこの街を徘徊しとるってことやね」


「…………そういうことです。主」
「はやて……」
「――――理屈としては、そういうことよね」
「―――――」
 はやては、それぞれの騎士の反応から、自分が口にしたことがどれほどに重大な意味があるのかということを改めて噛み締めていた。
 あの管理局屈指の使い手〝生きるレアスキル〟インディ・マサラティを怪物に変えてしまうような、それこそ怪物を超える怪物がこの世界に存在するということが、どれほど恐るべき事実であるのか。
 毒やウイルス、あるいは特殊な魔法といったものを使用していたのではないということははっきりとしている。
 彼女たちは、インディが人の喉に噛みつき、血を吸い、死者を創りだすのを見たのだった。
 はやては息を吐き。
「なあ、シャマル」
「――――はい」
「屍体の数は幾つやった?」
 風の癒し手は、彼女らが戦っている間に屍体の身元をサーチしたと言った。それはおそらく、個人IDを遠隔から魔法で読み取ったのだろうが、それはつまり何人分の屍体があったのかも把握できているということだった。当たり前の話だった。それができないでいたのなら、サーチしたのだとは言ってないはずだ。
 シャマルはどうしてかしばらく逡巡したが。
「三十ニ人」
 と答えた。
 はやては。
「そうか。――インディを加えると、三十三人か」
 きっと、こんな風に血を吸ってしまう怪物になってる者は、この町に他にもいるのだろう。はやてはそう思った。
 ティアナは三百人ほど失踪の届出があったというが、まだまだいるに違いない。
 もしかしたら、千人以上……そして、それは後手に回ればもっと――この町の、この世界の全てを埋め尽くすモノとなってしまう可能性があるのだ。
「陸戦Sランクを羽交い絞めにしてか、どうやってかしらんけど倒して血を吸ってまう――か。せやけど、例えどんな怪物が相手だろうと、私らはもう退けん。退くわけにはあかん。いざとなったら、全てを明るみに出してでも解決せにゃあならん」
 全てを明るみに、ということがどういう意味を持つのか、彼女の騎士たちにも解っていた。
 彼女らがデバイスの使用ログを残さないような隠密行動をとっている理由は。

「なのはちゃん――――高町なのは、彼女に事情を聞かんとあかんな」

 全て、親友のためだったのだ。






 つづく。
 
 



[6585] 根源。
Name: くおん◆1879e071 ID:aa6f3de4
Date: 2012/08/04 04:34

   是故に其名はバベル(淆亂)と呼ばる――



   旧約聖書創世記第十一章九節


   






「〝根源〟ってしってる?」




   16/根源。




「知りません」
 弓塚さつきの返答は、ごくあっさりしていた。
「そう」
 聞いた方の遠坂凛も、さっぱりしたものである。返答に失望するでも落胆するでもなく、当たり前の答えを聞いたかのように頷き、テーブルの上におかれたお茶うけを入れた菓子入れの中から、クッキーをつまみ出して口元に運ぶ。
 二人はあるマンションのダイニングにいた。
 テーブルに差し向かいで座り、お茶うけのクッキーをつまみつつテレビ番組などを眺めていた。
 勿論、テレビ――といってもそれは彼女らの認識にそった便宜上の呼び名で、この管理社会ではテレビジョンなど使用しない訳で、その略語のテレビなどという言葉もあるはずもない。
 ちなみに二人の視線の先では人気番組『魔導少女プリティコギー』が始まってる。
 架空の管理世界を舞台に、古代魔法の力で魔導少女プリティコギーとしての力を得た少女が復活した古代ベルカ世界の王とか管理外世界で崇拝されている異教の邪神らと戦いつつ恋をしたり友情したりの一大巨編であった。
 すでに番組開始から十四年。第二十五部にまで至り、コギーも二十九歳の大人の女性になっているのだが、どういうわけかタイトルはいつまでたっても魔導少女のままだ。今や彼女は戦闘の第一線から離れ、彼女が育てた魔導少女たちとその仲間が秘匿魔導戦隊を率いて管理外世界のあちらこちらで縦横無尽の大活躍をしている……のだった。
 今彼女らが見ているのは、第十九部。過去世界に飛ばされたコギーの弟子のファニーが、未来では自分の師匠であるコギーの少女時代と対立しつつとうに滅んだはずの魔導文明の流れを組む秘密結社と対決するという話――で、今度そのシーズンをベースにした劇場版が出るため、その宣伝ということでの再放送だ。
 シリーズでも屈指の熱い展開と高密度のバトル描写は、ファンの間でも評価が高い。
『ファニーちゃん、……受けてみて』
 黒衣のバトルモードに変身したコギーが、ミッド式の魔導杖を掲げて叫んでいる。
『これが私の全力全壊ッッ……!』 
「あ、けど……なんかそれらしいことはシオンに聞いたことがあるかも」
 さつきは画面から目を離さず、言う。
 凛も顔を動かさなかった。
「ふーん」
「魔術師の求めているもの、くらいのことしか聞かなかったけど」
「ま、そんなもんでしょう」
 そう言って、サクサクとクッキーを食べる。「あー、どういう材料使っているのかしらね。ここのクッキー。地球のそれとはまた違うっていうか……」
「材料表示はされているみたいだよ?」
「調味料の名前とかわっかんないのよねえ。地球に帰っても代用できるものがあるといいんだけど」
「帰れるといいんだけどねー……」
 ため息混じりにいうさつきであったが、凛は「帰れるわよ」とあっさりと言ったものだった。
「時空漂流してこっちきちゃいました、と管理局に申し出たら、面倒な調査とかされるだろうけど無事に帰ることはできるでしょうね」
「それができれば苦労しないよう……」
 恨みがましい目をしてしまうさつきであったが、すでにこの話題は以前にもしていたものであった。
 二人がこの世界にきたのは、もう一年ほど前になる。
 ある魔術師の城で彼女らは出会い、なりゆきでの共闘の結果、この世界に飛ばされてきたのだ。
 状況の把握には三日ほどかかったが、なんとか彼女たちは自分たちがミッドチルダを第一世界とする管理世界の一つに来ているということを知ることができた。というか、最初の二日間は寝場所と食料の確保のために時間が費やされ、三日目に通りがかりの人間につい声をかけてしまい、それを誤魔化すために暗示をかけ、そこで思いついて情報を聴きだしたのであるが。
(遠坂さんは、うっかりした人だからなあ)
 さつきはその時の光景をふと思いだした。この世界にいるはずもない人物と勘違いしてしまったのだというが……どうにかしてこの世界に居場所を確保できたのではある。
 管理局のことなどもその時には知れたし、地球についてもこの世界から行けるということも家庭用の端末で調べて解った。二人共この時に真剣に自分たちの状況を話して帰還すべきか悩んだ。
 結局それをしなかったのは、まずさつきの体質――正体、という方が適当だったかもしれない。――吸血鬼であるということを明かさねばならなかったからである。
 死徒と化してまだ日が浅い彼女ではあるが、肉体がまともな人間のものとは違っていることは調べれば解る。元の世界の医療機器などならなんとでも誤魔化せるが、管理局の設備は魔導によるものであり、吸血鬼であるということは隠し通すのはまず不可能に思えた。
 別に、それを明かしてしまってもいいのではないか、という意見は凛から出された。この世界を調べれば物騒な種族なり職業なりは普通にいる。吸血鬼というものはさすがに確認できなかったが、人の形と意志をしている者に対し、そう無理矢理な対応はしないのではないか……そう言いつつ、凛は自分の言葉を信じていないというのはさつきにも解った。あくまでも選択肢を無駄に狭めないための、思考実験、議論するために出された意見である。
 対するさつきの言葉が。

『……やっぱり怖いから、無理』
『うーん………』

 仕方のない結論だった。
 仕方が無かったが、その結論そのものについてはさつきは後悔している。
 もしも自分がそれではなく、別の結論――たとえば自分らの素性を隠すことなく管理局に出頭してここに至った経緯なども明かし、協力を求めていれば。
 あるいは今のようなことにはなっていなかったのではないか……?
 最初にこの世界で死者を見た時から、さつきはそのことを考えずに入られなかった。
 勿論、ここでこうしていることも含めて二人で話し合った結果であり、さつきだけの責任ではなかったのだけれど。
 遠坂凛……彼女もまたさつきと同じく管理局に出頭することについては否定的だった。それはさつきと同じく自分の正体が知れることを恐れていたということであるが、さつきにしてみれば魔法(この呼び方については凛は頑なに使いたがらないが)が当たり前にある世界で魔術師であるという素性を隠すことはあまり意味が無いように思えてならなかった。神秘の秘匿云々はシオンという彼女の元の世界の相棒にも散々いわれていたのだが、霊的な素養に優れてはいても魔術の分野には彼女は根本的に疎い。
『とにかく人に知られるとまずいんです』
 というシオンの言葉にあまり考えずに従っていただけである。
 しかし彼女にとってのこれらの異能や異形を秘匿していることについていえば、「皆におかしなものとして扱われる」ということが問題であって、この世界で凛が魔術師であることを隠すということには、前述したがやはり意味が感じられない。
(私のためなのかな?)
 ともさつきは思う。
 自分がこのことで責任を感じてしまうことを和らげるために、さつきの結論に凛も賛成したという可能性だ。こういう風に決めたのはあんただけではなく私も選択したことだから――と。
 ちょっと考えただけで、あまりしっくりとこないのでその方向には考えないことにしたが。
「………うーん」
 と悩みこむさつきを眺めていた凛は、ふと口元をやわらげて。
「どうにもね、この世界――管理世界は、私たちのいた世界と〝根源〟を同じくする平行世界っぽいのよね」
『その技は……!』
『これがコギーさんに学んだ、未来のコギーさんの必殺魔法……』
『必殺!?』
「根源――って、なんなんです?」
 とりあえず、さつきは聞いてみた。あんまり難しいようだったら自分にはわかんないんだろうなあ……とかは思っていたが口にはしない。
「全ての源――アカシックレコードという風に説明されることもあるけど、古くはイデアとかも言われてた……まあ、一番簡単な説明をするのなら〝神〟でしょうね」
「神様!?」
「といっても、宗教のそれと違って人格なんてものはないわよ。ただの力の塊……材料の塊――というのが適当かもしれないわね。全ての源であり根本であるから……だから、〝根源〟」
「……よくわかんない……」
「安心しなさい。私にだってよくわかんないだから」
「えー……」
 凛は悪戯っぽく笑った。猫のようだ、とさつきは思った。誰かを玩ぶことを楽しみにしているイキモノだ。
「世界の何もかもが生まれて還っていくところ……が〝根源〟よ。あるいは世界そのものもそこから産まれて還っていくのかもね。私たち魔術師はそこに至り、全てを知覚することを至上の命題として代を重ねてきたわ。全てを知ることができたのなら、それは全てを手に入れることができることと同義でしょ?」
「それは……ちょっと極端だなあと……」
 さつきは「例えば」とテレビの方へと向き直り。
「この子たちみたいに時間を越えたりすることもできるの?」
 知識を得ただけで。
「時間を越える方法を知ることが出来れば、可能でしょうね」
「そんな方法があるとは限らないのに?」
「あるわよ。何もかもがあるってことはそういうことだもの」
「無茶だあ……」
「無茶じゃあないわよ。それに、確かに時間を操作することは魔法の領域だけど、空間を支配することができるこの世界の魔導師たちにしてみればまったく不可能な領域のことではないわよ。時間と空間は同じだもの。一定の空間を支配する結界技術を持つのなら、それは原理的に一定の時間を支配できたのと同じことよ。私たち魔術師でも限定的な時間操作は可能だからね。ただ、魔導師にしてそうだけど、時間流は未来方向へと流れていくから、逆行させるためには強大な魔力が必要になるわ。未来方向へと進めるにしても、相当に難しいでしょうね。今の魔導師たちがすぐに用意できる程度のそれと魔導だと、一分の時間移動が限度かしらね」
「じゃあ、できないってことじゃないの?」
「〝根源〟に至れば、全てがあるのよ。当然、魔力の不足をカバーする方法も見つかるでしょうね。あるいはそんなものを必要とすることなく過去へいく方法もあるかもしれない。もしかしたら〝根源〟に至るということは、それらをも自由に好き勝手に操って、歴史――いえ、世界を作り直すことさえ可能かもしれない。そして多分、それは可能よ」
「……断言しちゃえるの?」
「全てがあるんだもの――勿論、私たちが想像し得ることは全て可能だって思った方がいいわ」
 人の想像しえることは、全てが科学で可能になりえる……という言葉をさつきは思い出した。あれは誰がいったのだろうか。何か昔テレビか漫画で読んで知ったことではあるが。
 つい、それを言うと、凛は笑みの形を変えた。苦笑したようだった。
 そして。
「〝人の想像しえることは、全てが実現可能な魔法事象である〟」
 と言った。
「魔道元帥――私たち魔術師の頂点にいる爺……大師父の言葉よ。人が想像できる範囲のことは、全てが魔術によって実現できるってこと。科学でもそういう言葉があるのは、当然ね。科学と魔術は方向が異なるだけで、突き進む場所にあるのは同じ〝根源〟であるのには違いないから」
 全てが産まれる場所であり、全てが至る場所である――
「ただ、科学はどこまでいけば〝根源〟に至るのか、もっといえば〝根源〟を認知していない科学では果たして至れるのかどうかも疑問ね……もっとも、〝根源〟に至る必要もなく、同様のことは可能になるのかもしれないけど……」
「それって、」
 とさつきは首を傾げる。
「凛さんの言葉を借りるのなら、〝根源〟に至ったのと同じことができるのならば、それは〝根源〟に至ったってことと同じ――ということなんじゃないですか?」
「まあ、そうね」 
 皮肉ともとれる言葉をかけられ、しかし凛はあっさりと認めた。
「同じことが出来るのなら――少なくとも同じ結果が出せるのならば、神秘の技であるところの魔術なんか使う必要はないのよね。神秘……というと大仰だけど、要は物理法則では見つからない世界の隠された法則……のことだから。魔術を作り出した古い時代の人間にとっては、それに繋がることの方が物理法則どおりに文明を築き上げることよりも簡単だったんでしょうね」
 なんとなく、二人は黙り込んだ。
 画面の中では、必殺魔法を受けたはずのコギーが意識を失ったままにファニーの首に腕を巻き、さらに自らごとバインドして絞めあげていた。
 魔導少女プリティコギーの四十八の必殺魔法に対を成す、五十二のサブミッション魔法の一つ――
〝プリティ・裸締め〟
 コギーシリーズの中でも今までシリーズを通じて四回しか使われておらず、しかもそれは最初期の2シーズンだけだったという……あまりのえげつない絵面と効果に、さすがに管理局が『教育的指導』に入ったとすら噂された禁断の技だ。
 ファニーは魔力変換資質で炎熱を発してコギーを離そうとするが、コギーは意識を失っているせいもあってかそれにまったく反応せずに逆に腕へと力を込めて、両足をファニーの胴に巻いた。
 と、その瞬間にコギーの瞼が開き、腕が外れた。
 しかし次の瞬間には改めてファニーの胴へと腕がまわされていた。
 そこから。
『〝プリティ・飯綱落とし(サンダーフォール)〟――――』
 逆さになり、そのまま地上へと――。
 …………。
「つい、みいちゃったわね」
「うん……」
 二人ともが感情の抜けた顔を向け合っていた。
「子供向けっていうから正直舐めてたわ……こっちの世界の映像技術が半端ないってこともあるけど、脚本とかもよく練られている……」
「なんていうか、変にリアリティがあるっていうか……子どもの台詞じゃないとは思うんだけど、だけど、なんかこー、この子達ならばこういうこといってそう……って、変に納得しちゃうっていうか……」
 キャラが立っている、というのかな。さつきは自分でそうつぶやいてから何度も頷き。
「それで、なんの話してましたっけ?」
「〝根源〟の話よ」
「ああ……」
 さつきはお茶請けのクッキーに改めて手を伸ばす。
「なんか話が大分それてましたね」
「実は、そんなでもないんだけどね」
「え?」
「まあ、それで〝根源〟なんだけど、まったくの異世界でも同じ〝根源〟なのか――ということは、議論されていたのよね」
「……どういうことです?」
「解りにくい言い方したかしら。つまり、想像しえることはなんでもありえる――ということを突き詰めると、根源を同じくしない世界だってありえる……ということじゃない?」
「あー……」 
 さつきは漠然とした表情で頷く。
「そういうのも、ありなんですか?」
「ありでしょ。というか、まったくあり得ないことではないと思うわよ。可能性としては、たとえば〝根源〟かそれと同位の存在がいたとして、新たに世界を創世したとしたら……」
「そんなこと、」
「可能性ならなんでもありよ。もしもそういう世界が創世されたとしたら、大元はその作った人間の所属していた〝根源〟より派生したものではあるけど、そこは新たな〝根源〟からでてきた世界でもある……果たしてそこは〝根源〟が同じであると見なせるのか」
 遠坂凛の表情は、大真面目だった。フザケているのではないということはさつきにも理解できた。だからといって、どういう風に返事をしていいものかというのはさっぱり解らなかったのだが。
「確かめる方法は――ありませんよね」
 慎重に考えつつ選び出した言葉だが、そこで凛は「ふふ」と笑った。
「この思考実験も、そこで止まったわ。いえ、正確には試す方法そのものにはだいたいの結論はでたんだけど」
「……あるんですか?」
「魔術が使えるかどうか、試してみればいいのよ」
「――――」
 魔術というのは、いくつかの例外はあるが基本的に魔術基盤というものがあり、そこに魔術刻印を通じてアクセスして魔術回路から送り出した魔力で現世にその効果を発現する――というものだ。
 魔術基盤、というよりも魔術そのものが〝根源〟より流れ出たものである以上、〝根源〟が別のものでもないかぎり、どこの平行世界にいこうとも、仮にその魔術がまだ作られていない過去の世界に行こうとも、ちゃんとした手順を踏めば魔術は発動するはずだ。
「ま、理屈の話なんだけどね」
「ああ、それで……」
 やっと最初の話に繋がった。
 この世界でも彼女の魔術が使える以上は、この管理世界というのは彼女らのいた世界と平行世界の関係か、少なくとも〝根源〟を同じくしているということなのだ、ということになる。
「そうなるとね、いくつか困ったこととかできるのよね」
「困ったこと?」
「平行世界だということは、この世界の人間にも魔術は使えてしまう可能性が高い、ということよ」
「――困ることなんです?」
「困ることなのよ。まず魔術基盤の性質の問題があるのよね」
 魔術基盤というのは、その世界から〝根源〟へと繋がるための通路であるともいえる。勿論それは比喩表現であるが、通路というのは恐らく実態としてもかなり近しいものだと魔術師たちは考えていた。というのも、彼らの使う魔術は使う人間が増えることによってその発動された場合の威力、効果……切れ味のようなものが異なるのが確認されているからだ。
 これは一つの基盤にはなにがしかの処理できる限界があり、少なくとも即時的、同一世界においては、その魔術を使用する人間が多くなるほどに使いにくく……あるいは、どうしても威力が落ちていく、という風に考えられていた。
 さつきはその説明を聞いて。
「ああ、アクセス過多になるとサイトを開くのが重くなるみたいな感じなんだ」
 という納得の仕方をした。
 今度は凛の方が怪訝な表情をしてみせた。
「たまにシオンと一緒にマンガ喫茶とかにいってネットしたりするんだけど、その時にそういう話を聞いたことがあるの。夏休みになると大規模投稿サイトとかをみるのが大変だって」
「……やけに斬新な比喩だけど、だいたいあってるのがムカつくわね」
 まあいいわ、と凛はそこで気を取り直し。
「これが魔術を秘匿する理由。そしてこの世界でもこのことを隠している理由よ。『神秘は隠されているから神秘である』ってことね。衆目に晒されて公然の技術として広まってしまったのなら、神秘の技はあるゆる意味において力を失ってしまうのよ」
「秘すれば花――」
「秘さざれば花ならざるなり――風姿花伝ね。それは芸事における演出上の心得をさして述べたものであるから魔術師にとっての神秘とは意味が異なるけど、まあおなじようなものではあるわね。隠しているからこそ力になる、ということはあるのよ」
 もしもこのことを別に異世界だからかまわないか、とばかりに晒して回ってたのならば、凛は元の世界に帰ることはできなかっただろう。元の世界の魔術師たちにとっては、隠していることによって力を得ているのだから、それを公開するということは彼らの存在そのものを否定することになる。
 中世、近世から現代へと通じて魔術はただの迷信と貶められた。それは発展した科学が神秘を存在しえないものと暴き出したということもあるが、彼ら魔術師が魔術基盤の仕組みに気づき、自らの存在を隠すために行った情報操作という一面があった。
 そこまでしてまで隠し通そうとしたことをばらしてしまったのならば――
 凛は決して許されまい。
 彼女だって、自分の命は惜しいのだ。
 それにもしも、そこまでのことをしてしまったのならば、処罰の対象になるのは彼女だけではなく、累は家族や一族にまで及ぶ可能性があった。
 それでも。
 それでも、もしも万が一、目の前で誰かが命を失おうとしているのを目にした時、果たして……。
「うーん」と腕を組んで考えていたさつきであったが、ふと気づく。
「あ、それだとこの世界の魔法――魔導はなんなんですか?」
 魔術をこの世界ではそう言い換えているのかと、さつちきはなんとなく思っていたのだが。
「あれも魔術基盤のようなものがあるのかもしれないけど、私のみた限りでいえば神代魔術に近い感じね。基盤を通じてではなく、術式を通じて世界に直接干渉しているわ」
「?」
「彼らの操る魔導の言語は、偽神言語にかなり近い……あるいは彼ら自身がより〝根源〟に近い存在なんだと思う」
 さつきにはさっぱり解らなかった。
 凛は「バベル」と言った。
「聖書にあるわね。天へと届く高い塔を建てようとした私たちの先祖は、神の怒りに触れて塔を崩され、互いに言葉を通じなさしめん――共通する言葉を奪われたのよ」
「あ、なんか聞いたことがあるかも」
「この話が何処まで事実を反映したものかは解らないけど、遙か昔に何かの霊的な混乱があったのは確かみたいよ。世界各地の神話に残る大洪水や、世界が崩壊するという物語の源イメージはそれではないかって説もあるわね」
「ノアの洪水みたいな」
「あるいはラグナロクなどもね。でまあ、これで古代や神代では簡単にできていた大がかりな神秘がどうして今ではできないのか、ということについての説明もつくの。かつては星振の位置や龍脈などの世界のありようが違っていたのだと考えられていたけど、十何年か前に一人の天才が言葉そのものが神代と今とでは違うのだということを突き止めたわ。それがバベル以前に使用されていた言葉――ゴドーワードよ」
「……どんなことができるの? なんか聞いてるだけですごそうなんだけど」
「いわゆる言霊みたいなものよ。その言葉自体があらゆる言語の原型であり、より〝根源〟に近い言語であると考えられているわ。だからどんな言語圏の人間でも使える……いえ、使えるのではないはね。聞こえる、通じるっていった方がいいかしら。その言葉を使って話しかけたのならば、世界はそれに従うの。言葉そのものに力があるということはそういうことよ。勿論、その言葉が日常的に使われていた時代は、人間そのものが違っていたみたいだから、そうそう簡単に悪事に使用されることはなかったんでしょうけど」
 さつきはその説明を聞いてふと疑問を覚える。
「人間そのものが?」
 そういわれて、凛は苦笑した。
「ああ、少し話が横道にそれたわね。この世界の人間の話よね。ええと、話そうとしていたことは霊的混乱についてで、私たちのいた世界では、ゴドーワードのように古代では言葉そのものが〝根源〟に近かった――それならば、それらを当たり前に操る私たちの先祖たちもまた〝根源〟に近い存在だったというのが、最近での通説よ」
「はあ……」
 さつきはなんだか感心したように息をもらす。
「昔の人はすごかったっていうのは、本当なんですねー」
「それはちょっと意味が違うと思うけど……」
 まあ、それで。
 と凛は気をとりなおし。
「なんで〝根源〟から遠ざかったのかはまだ正確な事情は解らないんだけど、とにかく起きたバベルによって、人々の血、霊的因子がごちゃごちゃに入り交じってしまったんでしょうね。あの金ぴかが今の人間たちを雑種って呼ぶのもそういう意味では正解ね。あいつの頃にすでにバベルが起きていたのかどうかは不明だけど、代が下れば混交はより進むもの。そうして私たちはより〝根源〟から遠ざかりながらも、なんとかそれに逆行するために研鑽を続けているって訳ね」
 そのより〝根源〟に近かった頃の、原型とも呼べる時代への人間への回帰を求めて、ある魔術師は人間そのものを再現する術を作りだし、ある魔術師は魂の指向性そのものを探りだそうとした。あるいは――
 それらの試みがまったくの無駄であった訳ではない。
 幾つかの研究は封印指定を受けるほどの高度なものと認定されたという。
 しかし。
 それらの研究から人間の原型に至り、〝根源〟へと足を踏み込めた者は未だでていない。
「でまあ、ここからが私の推測。多分だけど、この世界、管理世界と言われるところでは、そのバベルが起きなかったか、起きたとしてもかなり小規模だったか……もしくは最近に起きたんじゃないかしらね」
「ああ……」
 とさつきはやっと納得した。
「つまり、この世界の人たちは、わたしたちの世界よりずっとその〝根源〟に近い、スゴい人たちだってことなんだ」
「そういうことになるんだけど、なんかその言い方はムカつくわね」
 そういいながらも、凛は大して怒ってはいない風ではあった。
「この世界にいう魔導の解析なんて私にはちょっと無理があるから、もうほとんど推測なんだけど、どうにもこの世界では魔力で世界に直接働きかけて物理現象を越えたことを起こす方法を総じて魔法、あるいは魔導といってるみたいね。機械的な補助はされているけど、世界に直接働きかける術式は、私たちのいた世界でも存在する。神代の魔術師であるキャスターが使っていたのをみたことがあるけど、感触としてはそれにかなり近い……と思う。ただ、使用に際しては魔術回路に相当するリンカーコアで魔力を作り出していることから考えて、私らの使う魔術と神代の魔術の中間くらい――みたいなものね」
「わたしはそのキャスターさんって人は知らないんですけど」
 さつきは手をお茶請けに伸ばした。話が一段落したとみなしたらしい。
「推測に推測の重ねがけってもなんだけど、もう一度いうと、この世界ではバベルが起きてないか、起きてても小規模だったか、それともわりと最近で、まだ私たちほどごちゃごちゃ入り交じってない状態なのか……で、自分らの使う魔術式を、さらにある程度発達していた機械文明で解析して再現することが可能にできたんだと思う。ああ、だとしたらこの世界でバベルが起きたのは最近ってのがもっともらしいのかしらね。あるいは次元移動魔法とやらで機械文明の発達した世界から技術を導入することができたのか。いずれ私たちのいた世界より、遙かに発達した魔術――というよりも、これは魔力運用、あるいは活用……もっと簡単に利用、でいいのうかしら。そういう術を身につけているってことね。いうなれば、この世界では魔術と科学は未分化のままに発達している、ということね」
「なるほど」
 といってから、さつきはクッキーを口にいれ、ぽりぽりと噛み砕く。
 どうして今になって凛がこんな話をしたのかということはさっぱり解らないのだが、なんとなくいろんなことが解ったような気になれた。とりあえずの時間潰しの雑談としては、こんなものでもいいだろう。
 では今度は、自分の方から何か話してみようか、とさつきは考える。
(けど私の知ってて遠坂さんの知らないことで、なおおもしとかためになることって何かあったかな)
 だいたいのプライベートに関係するようなことは、出会ってから半年で折を見てだいたい話してしまったようにも思うのだが。

「で、ここからが本題なんだけど」

 不意打ちを食らった。
 気がした。
 凛の表情は真剣になっていた。一体なにに対してどうというのはさっぱり見当はつかなかったが、真剣で本気で大まじめだった。
「今日あなたがいってたこと、覚えている?」
「今日?」
 さつきは思い出す。
 あのラブホテルで凛の濡れた肢体を見てから吸血衝動に襲われて湯船の中に押し倒してしまって……
「真っ赤にならないの! 私だって恥ずかしいって――いうか、それじゃない! それの前に話していたでしょ」
「? んんんんんんん」

 ――死体がでてこないですし

「ああ」
 自分がいってたことを思い出す。
「ああ、遠坂さんのいってたことはそのことなんだ。この世界では死者のなり損ないの死体がでてこないのは、みんなその〝根源〟に近いから、なんだね」
 なるほどなるほど、となんだか納得して頷くさつきであるが。
「私も検証しつつ、そういう風に考えて納得しようと思ったんだけど」
 凛はTVへと目を向けた。
「次回のプリティコギーの活躍、楽しみに待っててね」
「――?どうしました?」
「なんというか、このアニメの舞台は、架空ではあっても管理世界ではあるのよね」
「え。ええ、そうなってるはず……」

「この作品でも、魔法を自由に使いこなせない人間はふつうにでてくる」

「……アニメと現実をごっちゃにするのも問題ありだけど、最低限のリアリティは確保されてはいると思うのよ。こういうのでも」
「あ、だけど、でも、魔法が使える使えないっていうのは、霊的な資質とかそういうのとは関係ないと思うんです……けど、」
「そうね。それはあるでしょう。私もこの世界の人間が私たちの世界の人間より〝根源〟に近いとしても、魔法に対する向き不向きとかはあるかもしれないって」
 だけど。
「さっきも言ったけど、次元移動魔法で、いろんな世界への行き来が可能になってるのよね。管理世界って。ならば、魔法の資質がほとんどない世界からの人たちだってある程度はいるはずよね」
「…………」
「いくらなんでもね、一年間吸血鬼が、死徒が、それも二人もが暗躍しといて、それでもなおかつ死体がでてこないっていうのはさすがに不自然にすぎるわ」
「でてきたのを始末しているとかは?」
「あいつらが? 二人でこの都市全体をカバーしていたわけ? 一年間も?」
「…………」
 さつきは答えられなかった。
 死徒が血を吸い殺した人間は死者という使い魔になる。そして自我のないままに血を吸い、その力を主へと送るということになる。だが、血を吸われた相手が必ず死者になるかというとそうでもない。死徒の方にも選択権はあるし、死者になるにもある程度のポテンシャルが必要となるのだ。かつて三咲町でも、死者にならずに死体となって見つかった例が幾つもあった。ただ、そのことでさつきは特に疑問を覚えていなかった。この世界ではみんなではないが多くの人が魔法を使えるし、それならばある程度の霊的な資質を持っているということであり、死体になることもないのだろう……という風に考えていた。
 しかし、確かに言われてみれば不自然ではある。
 三咲町のような街ではなく、ここは管理世界では小なりとはいえ、管理局の支部もおかれた都市部である。
 そこで広がり続ける死者たちの汚染の中からでてくる死体――を、全てどうにか始末してしまう――というのは、さすがに無理があるように思えた。
 過去の二十七祖に匹敵するといわれたさつきであっても、それが自分に可能かと言われたら無理だと首を振るしかない。
 いや。
「死徒の仲間をどんどん増やしているとかして」
 それはそれで由々しき事態なのだが、さつきは言う。
「そういう死徒を別働隊にして、死体を見つけては始末させているとか……ありえない、かな?」
「その可能性も、あるわね。むしろそれが一番高いのかしらね――けど」
「けど?」
「……それだったら、私たち、すでにそいつらに接触してないとおかしくない?」
「―――――――」
 もっともだ、という気はした。
 しかし、例外というのは常にあり得る。
 もしかしたら、あの二人……は、自分らを確実に追い詰めるために監視体制を敷いていて、死徒たちを数多と作りつつも接触させないようにしているのではないか……とまで考えて、それはありえないとさつきは首を振る。
(そんなことしているのなら、こうして休んでいる時とかでも襲ってきたらいいわけだし……それに、元魔術師の方はともかくとして、もうひとりのアレは――)
 そんな小細工は考えまい。
 眉をひそめるさつきであったが、ふと凛へと顔を向ける。
「とりあえず、遠坂さんには何かそれについて思いついたことがあるみたいですけど」
「ええ、私は管理局が、」
「――帰ってきたみたいですよ? 家主さん」
「あら、今日は随分と遅いのね」
 ガチャリ、と機械式の錠が音を立て、扉が圧縮空気と共に開いていく。
 
「――誰だ」

 誰何の声が、した。
 どうやら玄関に入った時に異変を感じ取ったらしい。
「あら」
 と凛は目を瞬かせた。
「暗示が解けてる?」
「ええと、確か言ってませんでした? 確かここの人は武装形態をとるごとに何か術式が無効化されるとかって……」
 魔術の知識はないのだが、一応今の生活に直結することについては彼女だって記憶しているのだった。
「そういえばそうだったわね。もう訓練なんか随分としてないから忘れてたわ」
「もう……」
 訓練というのはその暗示をかけている対象がしているか、ということであるが。
 ダイニングに黒い風が飛び込んできたのはその時であった。
 黒い喪服姿をきた女――ウルスラは、留守にしていた自室のダイニングでくつろいでいる二人の女性を見て、眼をいっぱいに広げた。
「貴方たちは……!」
「あ、おじゃましているわよ。セイバー、じゃなくてウルスラ」
「おじゃましてまーす」
 のんきな挨拶をする二人。
 ウルスラは一瞬あっけにとられたが、さすがにそのままではいなかった。手に剣型デバイスを顕現させようとして、それが今日の闘いで壊してしまったことを思い出し、それでも片手に魔力を集中して魔風を拳に纏わせて、
 凛の前掃腿とさつきの内腕刀が繰り出されるのは、同時であった。
「…………!」
 いかに彼女が室内での魔力展開を躊躇っていた、今日にあった闘いにより心身共に消耗していたとはいえ、二人の動きは鋭く、容赦なく、見事なまでに連携がとれていた。
 気がつけば、ウルスラの両手は頭上に伸ばされてさつきによって床に押し付けられ、腰の上には凛が跨っている。
「貴様ら……ッ!」
「うーん……この世界の魔導師とか騎士って、この手の魔術に不慣れだから割りとすぐ効くんだけど、この子みたいな無効化体質の子がたまにいるのよね。さすがは平行世界のセイバーってところかしら」
「!? 一体、何を――」
 顔を覗きこまれ、凛の目を直視して。
 ウルスラの表情が凍った。
 そして。
 凛は、ウルスラに覆いかぶさるようにキスをした。
 さつきは「うわー」と顔を赤くさせてから目を逸らしつつ、ちらちらとその様子を見ている。
 ……数分ほどの粘りつくようなやりとりの後、凛が上体を起こし。
「おかえりなさい、ウルスラ」
 と言った。
「あ、はい……遅くなりました。リン」
 ウルスラはそう答える。
 さつきはそれで安心して両手を開放し、立ち上がる。
 凛もまた立ち上がり、元のダイニングの席に座り直した。
「友達を呼んでいたのですか……まあ貴女には鍵を渡していますから、どういう風に扱ってくれてもいいですけど……急に襲いかかるというのはやめてください。私とて騎士たるものとして常に冷静に心がけるようにしていますが、こんなことをされてしまってはとっさにどんなことをしてしまうか。今日はたまたまデバイスが手元になかったからよかったものの……」
「こめんなさいね」
 凛は艶っぽく笑ってみせた。

 彼女がウルスラに出会ったのは、この世界にきてからそう間もない頃である。
 なんとなく町を歩いてて、元の世界の友人と間違えて声をかけてしまったのがきっかけだった。なんで世界が違っているのが解っていながらもそんなことを凛がしてしまったのか。
 それは彼女がうっかりしてしてたからであるが。
 とりあえずその時にごまかそうとして暗示をかけてしまい、思いの外かかりがよかったことから凛はこの世界の魔導師がこの手の精神系の魔術に不慣れであると知ったのだった。そしてウルスラがバイセクシャルであると知って恋人として上がり込み、寝物語にこの世界の事情を聞き出したのである。概念武装の確保のためにギル・エレクという恐らく金ぴかの平行世界の同一存在らしい少年も紹介してもらえた。そんな感じで、ほとんど結果オーライみたいにこの世界に彼女は足場を築いたのであった。ちなみにこの少年についてはさすがに小型金ぴかだけあって油断がなく、暗示をかけて売値を安くしようとしたが無理だった――というどうでもいいエピソードがあるのだが、それこそどうでもいい。
 さらに凛は念のためにと他に何人かの「パトロン」を確保し、何日かごとに渡り歩いているが、ほとんどジゴロみたい――とは、彼女自身が思っていることである。
「今日はお葬式だったんでしょ。ちゃんとお別れの言葉は言えた?」
 凛はウルスラの帰りに合わせて用意していた料理をテーブルに広げながら、本当に何事もなかったかのように世間話のつもりそう聞いた。
 さつきはその様子を感心しながら眺めている。
 つい先程にあんなことをしといて、なお平然としていられるという凛の精神力……というよりも、肝の太さ、あるいは図太さには賛嘆を禁じ得ない。
 ウルスラは喪服から普段の部屋着に着替えてから、椅子につく。
「ええ。とは言っても、遺体はございませんでしたが」
「? ――どういうと?」
「それは……」
 彼女らは互いに知らない。
 昨晩にこの二人の娘が死徒になりたててほとんど理性のない状態だった騎士を滅ぼしたことと。
 そしてその騎士が、このウルスラの元夫であったことを。

 まだ、知らない。






 転章



 


(静かだ)
 ティアナは目を閉じていた。
 余計な情報を耳にいれないためだ。
 かつて六課で学んだこと、執務官として得たこと、それぞれ重要なことは幾らでもあるが、つきつめれば集中と選択――何にリソースを振り分けるか、そしてその判断をどういう風にするのかということとなる。一人の人間にできることは限りがあり、そしてできること以上にやらねばならないこと、またはやるべきことが厳然とその瞬間瞬間に存在する。ティアナが六課で学んだことはその理念と修練の方法であり、執務官として得たことはそれらの判断のための経験値であった。
 今、彼女はかつてなく集中しようとしている。
 夕刻に激しい戦闘をしたばかりだ。
 いや。
 正しくは、彼女自身はその戦闘に際してほとんど関わっていない。
 あのエミヤという男に幾つかの魔法を仕掛けた。
 あのなのはさんモドキに攻撃を仕掛けようとした。
 それらのいずれもが不発に終わり、腹部に得体の知れない打撃を受けた。外傷を与えずに内蔵に衝撃を叩きこまれた。フェイトさんに効いた話では、恐らく八卦掌なる地球の武術に伝わる浸透勁だろうという話だ。勁という概念はフェイトにも説明は難しいようだったが、ティアナはそれを地球におけるストライクアーツ的な魔力打撃法の一種だという風に理解した。それ以外にもそれ以上にも考える必要はないように思えたし、実際にスバルに以前にそのような打撃があるというようなことを効いたことがある。原理が異なっていようとも現象が同様のものであるのならば、とりあえずはそのように判断をすればいいだろうと、彼女は執務官として培った経験から思う。とにかく触られなけれけばいい……というのは対症療法的なものであるが、いずれ打撃に対する根本的な処方でもある。そしてミッドの魔法医療はストライクアーツに対してはそれなりの蓄積があった。
 今は特に違和感はない。
 それでも、今日の残務はクラウディアの面子が片付けるから、現場で戦った者は休むようにという通達を受けた。
 クロノ・ハラオウン提督の判断は妥当だとティアナは思う。
 妥当だとは思うが、そのまま従う訳には彼女はいかなかった。
 本来ならばクラウディアで昏睡中のフェイトの隣のベッドで、自分も横になって調整を受けてなければいけないはずだった。
 なのに。
 彼女はここにいる。
 休養をとるのも職務である。だから、ここにこうしているのは明らかに職務に反することであった。
 特に見咎められることなクラウディアを抜けだして地上に降りることができたのは、ティアナのダメージが軽微であると看做されているということと、地上の宿舎に忘れ物をしたという言い訳が通じたからであるにすぎない。
 そう長くここにいることもできないだろう。
 あまり遅くなると、心配される。
 それは、今はあまりありがたいことではない――。
 瞼を閉じたまま、呼吸を整えていく。
 外部の情報を遮断し、集中を高め、皮膚感覚を鋭敏にしようと彼女はつとめていた。
 一瞬とても油断はできない。
 ティアナは、今の自分が敵地にいる前提に精神をおいていた。
 何故ならば。

 こつり

 音がした。
 ティアナは振り向かなかった。
 しかし。

「遅かったですね」

 感情を押し殺した、声。
 返ったのは。

「ごめんね」

 何処か親しみの混じった言葉。

「遅くなっちゃった」



 モドキでも。
 思念通話の先にでもなく。

 ――高町なのはが、そこにいた。
 



 つづく。




[6585] 真相。
Name: くおん◆1879e071 ID:aa6f3de4
Date: 2012/09/08 07:42
(――巧い)
 フェイトは黒い『なのは』と対峙していた。
 改めてその脅威を実感する。
 地球の中国武術の一つの精華と謳われる八卦掌と、日本古流の暗殺剣たる御神流二刀小太刀――のみならず、近接戦闘に特化した古代ベルカ式の中でもすでに失伝されて久しい獣王手を併せて使いこなすその戦闘技術は、恐らくは六課のストライカーであるスバル・ナカジマとすらも正面からやりあえるように思われた。
 少なくとも。
 フェイトが前に出した右手の甲に添えられるように伸ばされた『なのは』の右手。押そうが引こうが捌こうが、この手は貼りついたままだった。そして、一瞬の油断で彼女は身体を崩されかけたりもするし、さらに両手を叩きつけられて吹き飛ばされかけたりもした。
 推手。
 地球の武術に古くより伝わる訓練にして実戦技法であると、フェイトは聞いている。
 接触した部分から力の流れを察し、あるいは力を流し、崩し、吹き飛ばす。
 ストライクアーツにも同様の技術はあるし、その発展系であるシーティングアーツにも当然ある。ただ、これほどに繊細に使いこなせるほどの者はどれほどいるものか。
 良かれ悪しかれ、魔力による攻撃があるということは肉体の純粋な技術をおざなりにしている部分がでてくる。逆にいえば、それに頼れないからこそ細密なコツ、要訣のようなものが編み出されるのだった。骨や筋肉をどう意識するか、力の流れを察知し、操る技術も、魔力がない者同士での戦いだからこそ生み出されたというべきだろう。
 だからこの分野では、地球の格闘技は管理世界の格闘技に優っていると考えてもいい。魔力に頼れない部分を少しでも補い、伸ばし、高みを目指す……涙ぐましい努力の上に、地球の格闘技はあるのだ。
 しかし、何事も例外はある。
 それは日本古武道や中国武術のような、魔力に似た氣のようなものを鍛え、活用する武術である。
 初期段階では通常格闘技と同様に鍛え、練り上げ――その後に「氣」を使う技を身につけていく。
 その「氣」を魔力と入れ替えれば、そのままストライクアーツとして使えないこともない。実際に地球由来の古武術に魔法を加えた流派門派は幾つかミッドにもあり、公式試合でも大いに活躍しているという。
 この『なのは』もそれに近いようだった。
 しかし、最初から魔力使用が前提にある通常のストライクアーツやシューティングアーツでは、そのような修行はしない。
 古代ベルカ式の格闘戦技・獣王手を使うフェイトも、そのベースにあるのはミッド式の格闘技法であり、やはり精妙な身体操作という点ではこの『なのは』には劣っているといわざるをえなかった。
 推手の均衡はたちまちのうちに崩れ、フェイトの体はミッド式の魔法テンプレートの上にうつ伏せに組み敷かれかけた。
 とっさに彼女は右手に魔力を集め、変換資質で電気に変える。
 接触した部分から流された電気に、『なのは』は反射的に手を引いた。
 その隙にフェイトは態勢を立て直し、立ち上がりざまに掌に集めた魔力を炸裂させ、衝撃を浴びせかけた。
 良かれ悪しかれ、魔力を使わない武術体系ではどうしても魔法を織り込んだ攻撃には対処が鈍くなる部分がある。魔力にしても「氣」にしても、高難度の技法であるのだから使う相手もほとんどおらず、どうしても単純放出か硬気功程度にしか使用法が限られるからだ。八卦掌にしても凌空勁で「氣」を飛ばし、相手を打つ――程度にしかすぎない。
 そしてその部分において、ミッド式やベルカ式の格闘戦技は地球の武術にはるかに勝るのだった。
 さらにいえば、真正の古流ベルカの者ともなれば魔力の流れを精密に使いこなし、自分に向けられた攻撃を受け流し、あるいは操る者もいるというが、なお悪いことにこの『なのは』はそのベルカ式をも使いこなす。
 魔力放出によって爆発的な加速を得たフェイトは距離を開け、フォトンランサーを繰り出した。
 何十もの光の乱射。
 それを『なのは』は両手を踊るように動かして捌き、逸らしていった。
 真正のベルカ式の術者にとって、小手先の魔力攻撃はほとんど通用しない。
 それゆえにベルカ式には近接での魔力打撃技術が発達したのか、あるいはその逆か――は今となっては不明であるが。
 射出は数秒とかからずに終了したが、その時にはフェイトはさらに上空へと飛行して大剣と化したバルディッシュを構えて。
 そして『なのは』は両手を顔の前で合わせるようにすると、桜色の光が生まれた。
 AMF。
 プラズマザンバーの一閃に、まだ拡散する前のAMFがぶつけられた。

「フェイト」
「あ、クロノ」

 映像が消えた。
 フェイトはばつの悪そうな顔をしてバルディッシュを通常の待機モードに変え、バリアジャケットを解いて管理局の制服姿へとなる。
「今回の戦いに参加した者は安静にしていろと、そう命じたはずだぞ」
「ごめん……だけど、イメージが鮮烈に残っている内にシミュレーションしときたくて……」
「その気持ちは解らなくもないがな。しかしあの『なのは』、特殊なモード変換をするぞ」
 お前もわかっているはずだろう――というクロノの言葉に、フェイトは頷く。
 彼女は先日と今日の二回の接触で、少なくとも槍と八極拳を使う『なのは』、二刀小太刀と八卦掌とベルカ式を使う『なのは』、そして刀の恐らくは新陰流を使う『なのは』との三つのモードを体験している。
 もしかしたら、この八極拳の『なのは』も新陰流の『なのは』も、ベルカ式かミッド式とを合わせて使いこなすかもしれないし、あるいはもっと別の何かのモードの『なのは』もいるかもしれない。
 今ここでこの黒の『なのは』に対応した訓練を積み重ねていたとしても、そんなまったく別の『なのは』が出てくればそれらは無駄になってしまう。
 クロノはそれを指摘しているのだ。
 当然のことながら、フェイトだってそのことには気づいているのだ。
「確かに別のモード変換をされたら厄介だけど――多分、あの『なのは』はこれ以上は特に、少なくとも近接戦に対応するモードはもってないんじゃないかな」
 シミュレーションルームへの出口へと向かいながら、フェイトは言った。
「根拠は?」
「この二回の接触でこれらしか使ってこなかったから」
「……執務官としては、随分と大雑把というか、楽天的な観測だな……」
 呆れたような言い方はしているが、クロノの表情には特に変化はない。彼は自分の義妹の能力を知っていた。そして信頼していた。だから少なくとも自分を納得できる程度には論理的な解答がだせるはずだと信じていた。
「近接戦にあの三つ以外のがあるのなら、最後にはそれを見せたとしてもよかったんじゃないかな」
「……他のを隠しておくつもりだったということはないのか? あと、あの場合はあれが一番適当であったと判断したか」
「隠すのには、それこそ意味がないよ。勝率を高めたかったら、こちらの予備知識がないモードをとるのが一番確実じゃないかな? それにあの変身は特殊で強力すぎる。いくらなんでもそんなモード変換がそういくつもあるとは思えない。やはりある程度の限度はあると思う。あと、あの無刀取りは確かにあの場合適当だった――ように見えるけど、殺さずに相手を制圧するだけならば非殺傷設定や威力調整すればいいだけの話だよ。徒手空拳での無刀取りはリスクが大きすぎる技だ」
「待て。それは相手の……『なのは』の消耗を度外視していないか? あの戦いは激闘だった。むこうも魔力を損耗して――いや、そうか。それならば集中力が特に必要な無刀取りをあえて選択することもないか。あれしか選択できなかったと考えた方がいいのか」
「……それについては少し疑問が残っているけど、だいたいそういう風なところかな」
 フェイトの脳裏には、あの白い『なのは』の姿が浮かんでいた。
 あの時に感じたあのプレッシャーは、まるで……。
(まだ、解らないことだ)
 ありえないとは思いつつ、ありえないようなことは常に起こりえるということも彼女は知っていた。だからあのときに受けた自分の印象については否定せずに、しかし根拠がそちらはないので黙っている。
「あと、武器がね。槍と小太刀、剣――これで近接戦のものはほぼ出揃ってる」
 これら以外の武器を使うモードとなると、少し離れた、近接とはいえないものになるのではないか、とフェイトは言った。
「そういわれてみればそうだな。しかし、それは近接以外でのモードはまだあるかもしれないという可能性でもあるぞ」
 今のシミュレーションが無駄になるかもしれない、という意味では変わりがない。
 フェイトは立ち止まり、クロノに微笑んだ。
「だとしたら、中距離、遠距離で――それは私の距離でもあるよ」
「なるほど」
 これらの『なのは』は脅威だ。しかしそれは近接戦闘に際してのことであり、むこうがもしもこれ以外の戦闘モードをもっていたとして、それが中距離かそれ以上の距離のものだったとしたら、その脅威は半減する。より正しく表現するのなら、フェイトにとっては中・遠距離での戦いは自分の得意の領分なのだ。そこで相手がどれほど特殊な攻撃を仕掛けてこようとも、どうにでも対処できるという自信がある。あくまでも狭い空間での近接戦闘、それもザンバーモードを使いこなすのが難しいような距離でのそれを挑まれた場合、脅威なのだ。空間があれば、中距離からのヒット&ウェイ戦法を仕掛けられることができ、自分のペースに持ち込めることだろう。
 このシミュレーションは、それを確認するためのものでもあった。
 近接した状態からの離脱、そしてフォトンランサー、ザンバー……
「しかし、AMFがあるぞ?」
 さっきも、それで相手に防御されたものだが。
「あの魔法は無限書庫に記録があった。撒布濃度の広がりが遅いから、散開する前に魔法にぶつけると、かなり強力なものであったとしても打ち消せるものらしい」
「AMFの局所撒布は、ファーン・コラード教官の得意技だったな」
「うん。ファーン先生はミッド式だけどね。それに運用法も違う。先生は瞬間的に展開させて不意打ちにこちらの心の隙を誘導弾を使って撃つのに対して、あの『なのは』は相手の攻撃を防いだりしてから永続的に展開させ、行動を制限させて近接でしとめるという違いがある。なのはがするのなら先生のやり方だと思ってたんだけど」
「まさか、近接戦闘をするとは思ってなかったか」
「うん。だけどどっち道、知ってたのならこちらも対処できるし、それに結局はただのAMFだしね」
 機動六課での訓練と戦いは、AMFを自在に撒布させるガジェットドローンを相手のものだった。機械式のAMFは人間の魔法によって作られたそれよりも長時間、安定して効果がある。その状態での戦いを前提にしていたフェイトにとって、今更ただのAMFなど問題にならない。勿論、自分の距離で戦えるのならば、だが。
 クロノはそれでも。
「まだ残されているモードがどれだけあるのか、どのようなものか、その全貌は解らないんだからな。予断は禁物だ」
 と言った。そう言いつつも義妹の判断には特に異を唱えることはなかった。
 彼が考えても、今の段階ではフェイト以上の判断はできない。慎重論を唱えることはできるが、それも過ぎれば何もできないままになってしまう。
(必要なのは一歩を踏み出す勇気――か)
 口ほどにも、フェイトは楽観視している訳ではないだろうとクロノは思う。
 相手がどんなことをしてくるのか解らないのは、執務官には普通にあることだ。相手の能力も目的も解らないままに、しかし執務官はそれでもなお怯むことは許されない。相手がどんな技術を持っていようとも、どんな罠を仕掛けていようとも、それに踏み込み、突破することが求められる。それが管理局における執務官と呼ばれる職務の人間に課せられた使命のようなものだった。
 それゆえに執務官には優秀であることが求められるのだ。
 実際に管理局中、陸海問わずに損耗率がもっとも激しいのが現場担当の執務官であった。
 かつて現場に出ていた頃を思い出し、クロノはため息を吐く。
(やはり、尻で椅子を磨いてばかりだと、どうしても鈍っていくな。あの頃より戦闘技術そのものは上達しているつもりだが……)
 今のフェイトが持つ鋭さ、柔らかさ、そして勁さは、現役の執務官ならではのものなのだとクロノはしみじみ思った。
 自分では、ここまで割り切れない。
 勿論、実戦においては自分の距離で相手と戦い、対処するなどということは当たり前に行うべきことだと解っているのだが。
 フェイトはシミュレーションルームから出ると「安心して」といった。
「ちゃんとクロノの言うとおりに安静にしておくから」
「命令なんだぞ」
「……クロノ提督の命に従い、フェイト・テスタロッサ・ハロオウン執務官は、規定どおり12時間の休養に入ります」
 びしっ、とフェイトは敬礼をしてみせた。
 クロノは鷹揚に頷く。
「ああ」
「ただし、緊急時においてはその限りではない、と」
「――フェイト」
「解ってるって、おにいちゃん」
「―――――」
 黙りこんだクロノの顔を見てくすくすと笑ったフェイトであったが、やがて念話でティアナを呼び出そうとして眉根を寄せた。
「……どうした?」
「いや、ティアナに明日のことで打ち合わせしとこうかと思ったんだけど――」
 
 


   17/真相。




「――なのはさん、ですか?」

 ティアナが聞くと、目の前のなのはは静かに微笑んだ。
 その姿は今日戦った『なのは』のそれとは違い、ワンピースにカーディガンという年頃の娘らしい姿だ。勿論、こんな行方不明事件が多発している町の夜を一人出歩くには、あまりにも軽装過ぎるものであったが。
 夕刻とはあまりにもギャップのあるその姿のまま、彼女は笑い、しかし黙ったままだ。
 沈黙は肯定――と考えるべきか、あるいは否定もするつもりはないが、いずれ言質をとられたくないということだろうか。
(どっちでもいいか)
 今この状況において、この目の前の『なのは』がティアナのよく知る高町なのはであるかを調べる術はない。確かめることができないのならば、なにを言おうとも同じだ。
 いや。
 二人の間で、長距離通信のウインドが開いた。
 地球とこの第16管理世界とを繋ぐ通信だ。
(お願い、出てきて)
 ティアナは顔に出さずにそれを祈った。表情は硬いままで、焦燥が彼女の内側にあった。
 ほどなく『はーい』という声と共に表示が【コール】から切り替わって人の顔になった時、ティアナは瞼を広げた。驚愕――と言っていいほどの、しかしそれは安堵だ。
『どうしたの、ティアナ?』
「なのはさん……!」
 地球にいる高町なのはだった。


 そもそも、なぜティアナ・ランスターはここにいるのか。
 ここ――は、かつてティアナが最初にこの管理世界にきた日に『なのは』と遭遇したあの工場跡だった。フードつきマントで姿を隠し、エミヤと呼ばれる男とここにいたのを、彼女は外側から覗き見ている。  
 そしてそのエミヤとも『なのは』ともティアナは今日戦った訳だが……。
 その折りに、ティアナは『なのは』に接敵され、打撃を受け。
 囁かれたのだ。
 
『最初のあの倉庫でまつ。一人で。時間は――』

 というわけで、ここにいるのだった。
(内緒できてしまったけど……)
 きた甲斐が、あるいは意味があったとティアナは思った。
 こうしてなのはさんとこの『なのは』が違う存在だということがこうして明らかになったのだから。
 それだけのことがティアナの心を軽くした。かつての師である人が犯罪者であるかもしれないという可能性は、彼女の精神にとてつもない重荷となっていたのだった。

 ティアナにとって、高町なのはという人は師であり友人であり、母とも姉ともいえる人だった。あるいはもしかしたら、想い人ともいえる存在であったのかもしれない。

 その憧れであり、あるいは思慕の対象でもあったなのはが犯罪者であるのかもしれない――という状況は目に見えないストレスとなってティアナの心を蝕んでいた。フェイトだって同じだったろう。むしろティアナよりもつきあいは長いのだ。その苦悩のほどはより深かったに違いない。
 しかし、たった今それらが杞憂であるということがしれた。
 心を弛緩させてはいけないと自らに戒めつつ、喜びが彼女の中には隠しきれなかった。
 いや。
『ん――、ああ、そういうことなんだ』
 ウインドウの向こうでなのはが何かに気づいたように言った。
 何に気づいたのか。
 ティアナは反射的に『なのは』を探してしまった。探して、というのはいつの間にか位置を変えていたからで、気づけたのはなのはの視線の先をつい追ってしまっていたからでもあった。
 そこは。
 高町なのはから見える場所だ。
『なのは』はあろうことか、高町なのは相手に手を振って見せた。 
 親しい友人に対してそうしているかのようだ。
 そしてなのはもまた。
 手を振って。
『ちゃんと説明しといてね』
「勿論」
 ――え。
 それは、まるで。
『じゃあね、ティアナ』
 本当に知り合いであるかの、ような――
「おやすみなさい」
『おやすみなさい』
 ウインドが消える。
「さて、と」
「あなたは……一体……誰、なんですか?」
 駆け引きも何もなかった。呆然とでた言葉は、自分の口からでているというのが信じられなかった。
『なのは』は苦笑した。
「誰って、見たとおり」
「――なのはさんの姿をして、だけどなのはさんはそれに反応してなくて、」
「どういうことなのかしらね?」
「…………、」
「私が偽者だと思ってた? もしかしたら、別に身代わりを立ててる可能性とか考えてなかったの?」
 ティアナは口をつぐんだ。
(迂闊だった。万が一にもなのはさんが身代わりをたてている可能性を考えていなかっただなんて)
 しかし、それはありえないことのはずだった。
 彼女は「高町なのは」という人物をよく知っている。それは能力・人格のみならず友人関係……人脈に至るまでもほぼ把握しているという自信があった。長いつきあいであるフェイトにも確認しているが、なのはが何か法に抵触するような行為に手を染める場合があるとしたら、それに巻き込めるような相手は存在しないという点で一致をみている。勿論、教導官として方々に出向いてる訳だから、二人も知らない友人の一人や二人もいるに違いないが、それにしたって事件に巻き込めるとしたら相当に親しく秘密を守れる間柄だろうし、そこまで関係が深い相手のことを、高町なのはの一番の友人であるフェイトが知らないということはありえない。
 とはいえ、今回の事件では最初から「エミヤ」という男と連れ立っているという時点で、二人はそれまでもっていた「高町なのは」に対するイメージを一新しなければならない必要性を感じていた。     
 執務官として、予断で間違った結論を導き出してしまうわけにもいかない。
 そのはずだったのに。
(けど、確か地球には今はヴィヴィオもいたはず)
 ヴィヴィオと一緒にいさせても安心できる人間だってことなのか――それとも、あるいはあのなのはさんはヴィヴィオの変身魔法で……いや、画面越しに見ただけだが、あれは確かになのはさんで、自分もフェイトさんもだまし通せるほどの演技力をヴィヴィオが持っているとは考えにくい――
 思考がまとまらない。
 うまく考えられない。
 状況は劇的に変化しのにも関わらず、それを評価、判断するための情報がたりなさすぎるのだ。
(いや、まって)
 先ほどのやりとりを思い出す。
 なのはと『なのは』の二人はどういう言葉をかわした?
(そうだ) 
 何一つとして。
 目の前の二人が共謀しているという、そのことを示すような言葉はでてなかった。
 なのはが「そういうこと」や「説明しといて」などといって、それに応じて『なのは』が動いたことによってこちらが勘違いしてしまっただけで、なのはは別にこの目の前の『なのは』とは特に関係がないのでは。例えば、ウインドウ越しに見た場合に自分の姿をごまかすタイプの魔法を使っていた――としたら。               
 初歩的な視覚操作の魔導だ。
 公衆の面前でのコールがかかった場合には自動的に展開されて表示内容がある程度の距離が離れると見えなくするという魔導は普通にある。それを応用すれば、距離に応じて自分の姿を別の人間に見せる術だって構築できるだろう。自分にも理屈の上では可能なはずだ。
 いや。
(もっとよく考えなさい。具体的に言葉をかわさなかったのは、言質をとられたくなかったからだってこともありえる)
 ティアナはマルチタスクで思考しつつ、『なのは』の表情を観察している。自分をみて相手がどう想ったのか、考えたのか、その反応を伺っている。
 彼女の得意な幻術は、人を騙す術だ。
 幻術スキルは魔導師の資質としてもやや特殊な部類に入る。しかしレアスキルというほどのものでもない。高度なものとなると資質は必要だが、それがなくても普通の魔導師にもある程度は修得可能であるし、さほど魔力も消費しないし、管理局でも「ちょっと珍しい特技」程度の扱いだった。
 しかし今のティアナを一級の戦闘魔導師、一流の執務官たらしめているのは、その幻術スキルとそれを「活用」するために仕込まれた思考と観察力である。
 どれほどに高度な幻像を放とうとも、それが不自然な動き、相手の集中の高まっている場合には見抜かれる可能性が高い。逆にお粗末な幻であろうとも、それを相手の心の隙を突く形に展開すれば大逆転をねらえる。
 要は手品師と同じだ。
 相手の注意を引きつけてその間にことの仕込みをすませてしまうこと。
 ミスを誘導すること。
 そのために必要なのは、相手の心象を見抜き、誘導する観察力。
 六課時代、ティアナは「強さの意味」を問われたことがある。
「『相手に勝つためには相手より強くなければいけない』。この言葉の矛盾と意味をよく考えなさい」
 といわれた。
 結局何を言いたかったのかということの本当は教えてくれなかったが。
 考えた末に答えはだした。
 あの時はあの時なりに自分の答えだったが、今ならば別の言い方をしているだろう。
(勝つということと強いということとは別の問題よ)
 絶対無敵の、最強の能力というのはこの世に存在しない。
 いかなる相手であろうとも打ち崩す隙はある。その隙を見いだすための観察力であり、そこを突くための幻術であり、それらをまとめての運用方法、概念こそが彼女が学び、練り上げてきた「力」だった。
 その彼女の目から見ても、目の前の『なのは』の心底は見抜けなかった。
 より正確には。
(微笑み続けていることによって、表情の変化を隠している)
 ティアナはそう読んだ。
 情報とはどんなに砕いてもゼロにはならない。情報がない、というのが一つの情報であり、『なのは』がこうして何かを隠そうとしている、惑わせようとしているということが一つの情報だった。
(もう少し、情報を引き出さないと)
 会話を重ねるだけでいい。
 それだけで今以上に情報が集まり、判断の材料は増える。
「あなたがなのはさんならば、通信に出てきたあの人はなのはさんではない、ということになる」
 慎重に言葉を組み立てながら、ティアナは言う。
『なのは』は表情を変えずに。
「だから、身代わりという可能性は?」
「……あのなのはさんは、確かに本物のなのはさんです。そうでないとしたら、偽者だとしたら、一緒にいるヴィヴィオも誤魔化していることになる」
「身内の証言なんか、アリバイにならないよ。たとえば今の高町なのはも、変身魔法でその子に姿を変えさせていたとか」
「ヴィヴィオは子供です」
 ティアナは断言した。
「仲間として抱き込んで、それで嘘をつかせるにしても、その秘密を守りきれるかは心もとない。もしも私の知るなのはさんが何かよからぬことをしたとしても、ヴィヴィオを直接巻き込むようなことはしないはず。巻き込むのが可哀想だとかその前に、やはり仲間として嘘をつかせるには信頼性に欠けます」
「随分と信頼しているんだね」
「常識の範囲での判断です――けど、」
「けど?」
「そうすると、今のなのはさんの反応が解らない」
「改めて聞き直したら? 執務官の仕事だとしたら、たとえ夜遅くであっても応じてくれると思うよ」
「それは……」
 考えなくはなかったが。
「できない理由はあるの?」
「『説明』――」
 ティアナは、言った。
「あなたは、説明しといてねと言ったなのはさんに『勿論』と答えたでしょう?」
「ああ……」
「それを聞いた後からでも、確認はできると思っただけです」
 本当は、違う。
 焦燥したままになのはを再び呼び出して話を聞きだそうとして、そこにできる心の隙を恐れたのである。
 今目の前にいるこの『なのは』から一瞬でも目をそらすのは危険だと思ったのだ。 
 先ほどの通信のときにも、彼女は細心の注意をしていたにも関わらずその位置を一瞬見失ってしまっていた。それはなのはがちゃんと通信に出たということでの喜びもあったが、やはりこの女魔導師は油断がならないと思ったのだ。素の身体能力でもやはり何がしか特殊な訓練を受けていることを思わせる身のこなしだった。
「説明――ね。ふーん……」
『なのは』は少し顎に手を当ててから。
「そうね。高町なのはという魔導師は空戦適正の高い戦闘魔導師で、感覚的に魔法を組み立てる直感型と想われているけど、実際は理数が得意で理論面での組立も得意だったりするわね。知ってた?」
「ええ」
 高町なのは直感型の魔導師で、感覚的に魔法を組み立てることを可能としているが、理論面から高度な魔法を解説、構築するこちも得意としている。抽象的な感覚と論理的な思考を併せ持つというのが、彼女をエース・オブ・エースたらしめている要素の一つだった。
 勿論、元機動六課、なかでも愛弟子であるティアナがそのようなことを知らないはずもない。彼女は高町なのはが感覚で組み立てた収束スキルを、理論的な解説で伝授されたのである。
『なのは』は言葉を続けた。
「例えば、そんな彼女が管理局に入っても武装隊には入らず、研究者としての研鑽を積み続けていたとしたらどうだったかな。もしかしたら、ちょっと空戦が得意だけど総合ランクでの大魔導師になったりしたかもしれないよね」
「…………?」
 ティアナには、この目の前の『なのは』が何を言わんとしているのかが解らない。
 さらに続ける。
「ほかにも、そうね。高町なのはは接近戦がそれほど得意ではないと言われているけども、クロスレンジに入り込まれて打撃を打ち込まれていてもそれが単発ならどうにか対処してしまえる。空間認識力が優れているからだけど、それは打撃系の格闘、あるいは近接対応の可能な剣士としての資質も持っているということにならないかな」
「………」
 ティアナの脳裏に、かつて自分とスバルが訓練で挑み、なのはによってこともなくその打撃、魔力刃を封じ込まれた光景が浮かんだ。
 真正面からと上からとの二方向からの同時攻撃に対処というだけでも尋常ではなかったが、真に恐るべきはそれを面での防御魔法ではなく、それぞれを片手で抑え込んでしまったということだろう。まるで、自分らの姿と位置、攻撃のタイミングのすべてが見抜かれていたようだった。
 そして自分ら以上の速度と技量を持つベルカの騎士たるシグナム。
 彼女と高町なのはの模範試合は、見ていただけで鳥肌がたった。
 高町なのはが近接戦闘が苦手だとかいう風評など、ただの机上の空論でしかないと思った。あるいは、当人がいっているだけで、それだって「空戦に比較して」という類の謙遜でしかないと。
 結果は引き分けであったが、真正のベルカの騎士が自分の距離で一対一での試合で勝利を得られなかったというだけでも、なのはという人がどれほどに凄まじい戦闘魔導師であるかということが理解できようものだ。
『なのは』は続けた。 
「例えば、幼い頃、家族が父に恨みを持つ犯罪組織に襲われて、自分だけを残して生き残ってしまったら。ただ一人の叔母が養い親になってくれたら。その彼女は御神流を教えることしかできなくて、そして香港の組織に所属していた彼女の人脈を通じて中国武術を学ぶことがあったりして、そしてその後にベルカ式の魔法使いたちと出会って――」
「なんです、それ?」
「ちょっと、過剰に乗せすぎだったかな?
 他にも――
 例えば、幼い頃、武術を学んでいた家族に自分も混ざりたいけど、危険だからと教えてくれず、近所の八極門の老人に教えを乞うたことがあったかもしれない。
 例えば、幼い頃、やっぱり武術を学んでいた兄や姉に憧れて自分も習いたいと考えてたら、父親の知り合いの新陰流の剣士が手ほどきしてくれたこともあるかもしれない。
 例えば――」
「何がいいたいんです」
『なのは』は微笑んだ。
「そういう『可能性』があったとしても、別に不思議ではないってこと。基本的な資質は同じであったとしても、辿る道筋、選んだ選択が違っていれば、当然至る場所だって違っているよ」
「なんの話です?」
 そう訝しげに言いつつも、ティアナは頭の中で推理を組み立てていた。
(今まであげていた可能性は、あくまでも可能性であって、今のこの時点ではそうではない……けど、)
 あげられてきたそれらの「なのは」がいたとしたら――
 それはあの『なのは』たちのイメージと重なる。
「可能性の話」
『なのは』は微笑みを絶やさない。
「可能性の話、ですか」
 ティアナも言葉を復唱した。
「そう。可能性。もしかしたら、大魔導師の高町なのはならば、通常の転送魔法ではあり得ない位置関係の管理外世界と管理世界を魔導で簡単に生身で行き来できるかもしれない」
「――――」
「もしかしたら、自分の姿になれる使い魔を作るのなんか簡単かもしれない。ひょっとしたら自分そっくりなコピーを半日かけたらお手軽に作れてしもうかもしれない。あるいは、執務官に自分にとって都合のいい記憶を植え付ける幻術を使えるかもしれない」
「可能性の話、なんですよね?」
「まあ、ね」
「けど、高町なのは、という人は大魔導師にはならなかった」
 武装隊に入り、若くして教導隊に入隊した。エースクラスの魔導師の集う教導隊の中で、さらにエースと呼ばれた。エース・オブ・エースというのが彼女に管理局が与えた評価であり、称号だった。
 勿論、そこに至るまでの道は平坦ではなかった。撃墜されたこともあったし、そうでなくとも手が届かずに救えなかったことだってあった。
 もしもを考えることは誰しもがある。
 もしもああしていれば、もしも……もしも……。
 だけど、とティアナは思う。
 だけど、高町なのはという人は悔やむことはあったにしても別の自分などは夢想しまい。それはともすれば今の自分を否定することだ。彼女ならば、高町なのはという人ならば、自分の辿ってきた道、選んだ選択、それらを肯定するだろう。
(だけど)
 もしも、だが。
 もしも高町なのはが、別の道筋を辿った自分などとをいうものを言及することがあるとしたら――
(それは、夢想するということではなくて)
 
 ――ロストロギアなんて、なんでもありなんですから

 自分の言った言葉が蘇った。
「あ――――」
「どうしたの?」
 悪戯っぽく笑う『なのは』だが、ティアナは狼狽を隠しながら。
「……なんでもありません」
 そう取り繕った。
(どこまで信用していいか解らないけど、もしかしたら、可能性を呼び出せるロストロギアっていうのがあるかもしれない)
 平行世界という概念がある。
 地球では量子力学を研究していると出てくるものなのだが、この世界の魔法は大雑把にいえば量子レベルで世界を一時的に術者にとって都合のいいように改変する技法であった。だから量子力学に似たような学問は当然存在するし、同様の結果になる研究成果も多くある。違う時の流れを辿ったパラレルワールドという概念と存在は、確かにミッドの魔導においてもその可能性を示唆されているものだった。
 そしてそのことから、もう一つ推測できることがある。
(もしかして、目の前のこの人も……?)
 判断はすぐにはできない。
 ティアナは目を細める。
 そういうミスリードをこの『なのは』が企んでいるのかもしれないのだ。
 そもそも、そうでなければこの場に自分を呼び出すなどということは考えまい。自分だけをこうして呼び出して話すというメリットというのはほとんどない。抱き込むつもりか、何かおかしな情報を吹き込みつもりであるのか。
「可能性可能性っていいますけど」
 ティアナは言った。
「そこまでいうと、何でもありじゃあないですか」
「本当に、そうだね。まあ、そういう『可能性』もあるかもしれない、という話」
「そうですか……」
 ティアナは考える。ここまで一方的に情報を聞かされ続けていも、判断の材料を増やせているようで実は誤情報ばかりでミスリードを誘われるだけかもしれない。分析は別に慎重にすべきだし、それは後でフェイトさんと一緒にすればいいだろう。もっと積極的に、こちらから情報を引き出さなくては……。
「その可能性でいうのなら」
 無理に唇の端を歪める。
「例えば、吸血鬼になった高町なのは、というのもありえるのかもしれないんですね」
 それは今直面している事件のことからの皮肉ではあるが。
「……身内が吸血鬼と結婚した高町なのは、というのもいるかもね」
 どうしてか、この時は真顔になって、『なのは』は答えた。
 あるいはもしかしたら、ここからが本題ということなのかもしれなかった。
(なんだか妙に具体的ね……)
 なのはさんの身内というと、兄と姉がそれぞれ一人いて、結婚したというと兄の方であると聞いているが――。
 いや、それも後で考えよう。
「つまり、その身内がどうにかしているのをあなたが解決しにきている、ということですか?」
 思い切って踏み込んでみた。
 交渉ごとというのは喧嘩とにたような部分がある。相手が用意した言葉(防御)の上から攻撃してもだめだ。意識の隙をついて相手の心に届かせなくては、本音や大事なとことを知るのは難しい。
 果たして『なのは』は「うーん」と腕を組み、唸る。 
 もしかして、これは防御を抜けたということだろうかとティアナは一瞬考えたが、そんなに甘いものではないと思い直す。この様子からして演技ではないかという疑念が振り払えない。この人が本物であれなんであれ、『なのは』という存在に対しては一瞬とて油断できない。改めてティアナはそう認識なおしていた。  
「多分、適当にいったんだろうと思うけど」
 と『なのは』は言った。
「まあかなり近いところだね」
「……!」
「吸血鬼の後始末に。私たちはきた」
「何処から――」
「というのは明かせない。理由は、まあ――考えたら、解るよ」
「そうですか」
 その言葉だって何処まで本当なのか、とティアナは思ったが口にしない。今はそのことで会話の流れを滞らせるのは得策ではないと思えた。やっと見えた突破口なのだ。
「そのことについては解りました。では、吸血鬼の他の情報についてお答えねがえますか」
「たとえば?」
「能力、弱点、などです」
「ふーん……」
『なのは』は少し思案してから。
「手間を省きたいね」
「こちらがどの程度まで把握できているか、ということですか? それならば――」
 血を吸って仲間を増やし。
 死ねば、灰になる。
 その程度のことしか解っていない。それは昨晩にティアナとフェイトが遭遇したことであり、その現場に『なのは』もいたのだ。
『なのは』は頷き。
「能力は、個体差がある。もっといえば、人間の限界を越えた力を発揮できているように見えても、そうじゃない。あくまでも彼らは鍛えた分、もっている以上の力は発揮できない。もしも吸血鬼化したことによって能力が強化されたように見えても、それはその吸血鬼が本来持っていた能力の限界値を出しているだけでしかない。生身の人間の肉体では到底出せない、出してしまったのならばその肉体が保たないほどの力を出しているというだけ。それだけでも十分以上の脅威ではある。つまりはいつだって限界ぎりぎりの全力を出せて、それで身体が壊れないってこと。それができるのは、吸血鬼の持っている固有の能力が関係している。復元呪詛――というらしい」
(らしい?)
 ティアナは耳ざとく『なのは』の言葉を捉えていた。
 僅かな違和感から話を聞きながらもマルチタスクで推理を組み立てていく。
(話し方からしてなのはさんのそれとは違う。まるで男の人みたいな。口調からプロファイリングをされるのを避けてる――というのとは違うか。さっきまでで十分にサンプルは採れている。無意識のものかな? もしかしたら、この人は説明を受けた時の言葉をそのまま口にしているだけかもしれない。自分の主観で情報を歪めたりしないように。ああ、そうか、そういえば、あの男、エミヤがいたか)
 もしかしたら、他にもいるかもしれないが、ティアナの推測は一つの帰結に至った。
「復元呪詛は、その吸血鬼の肉体の損傷を復元させる。相応の魔力を必要とするらしい。ただ、頭と心臓が残っていたのならば、普通の魔導師ではとても助からないような状態からでも蘇生ができる」
「狙うのならば、頭と心臓ですか」
「個体によっては、ほとんど肉体が残ってない状態からでも復元できるらしいけどね。それに呪詛を打ち破る概念があれば、その急所を狙わなくてもダメージは与えられる」
「概念武装――」
 思わず口にしてしまった言葉に、『なのは』は不意をつかれたような顔を一瞬してから、苦笑した。
「ああ、やっぱりあの時の話は聞かれてたんだね」
「……古魔法に属する言葉だそうですね」
 ティアナがそういうと、『なのは』はまたきょとんと笑みを顔から落とし、「古魔法……?」と眉を寄せた。これは予想外の展開だった。こちらはそちらの情報をこれだけ知ってますよ、というメッセージを送ったつもりであったのだが、向こうはそんな情報は知らないという感触だ。ブラフか、と一瞬思ったがそうではなさそうだ。
『なのは』は「まあいいか」と一人ごち。
「いちいち説明しなくてもいいのなら、それでいいよ。まあ、念のために聞くけど、その、古魔法での概念武装ってのはどういう意味?」
「それは……」
 まさか、こちらから説明をする羽目になるとは思わなかったが、ティアナはヴィータとザフィーラから聞いた話を咀嚼して自分なりにまとめた知識を説明する。
 曰く「年月の積み重ねによって人々の想念が世界にそのような概念を刻み込み、その形而上の効果が現実の世界でも効果をもたらせること」
 それは概念効果というものの概要としては模範的な解答であった。
「概念武装とは、その概念の効果を持った武器のことですね」
「…………ロジックカンサー、と呼ぶそうだよ。人々の想いが世界にかけた魔法――みたいだよね」
「――」
 なのはさん、と言おうとしたが、彼女はそれを歯を食いしばり、噛み潰す。今は情緒に流される訳にはいかない。
「その概念武装でなければ、吸血鬼に対しては有効打にはなりにくいということですか?」
「魔力での攻撃ならにたようなものらしいけどね。ただ、不死殺しや必殺の概念がある方が呪詛には眼に見えて効果がある」
 魔力にも種類があって、効きにくい――というよりも、むしろ効きやすい、効果がでやすい種類のものがあるのだと、『なのは』は告げた。
「浄化概念が強い魔術なら、吸血鬼に対して決定的な効果が得られるともいうけど、とりあえずミッド式では火炎系が効くんじゃないか、程度の推察しかできないね。私もまだ試してない」
「……なるほど」 
「他に弱点としては、日光や流れ水などにも弱いっていうけど、これは決定的なものではないね。陽光の下や水の中では活動がかなり限定されるのは確かで、これらも概念的な効果ではあるそうだけど、強力な吸血鬼はそれらを克服してしまってる場合もあるんだって。流れ水を克服している吸血鬼はほとんどいないらしいけど」
 そのあたりの話は、フェイトから聞かされていた話にも共通していた。陽光や水を苦手としている血を吸う怪物。彼女らの住んでいた第97管理外世界ではポピュラーな存在であるらしい。あくまでも伝説を元にしたフィクションとしてだが。しかしこの『なのは』の言葉の通りだとすると、それらの元になった伝説には幾らかの真実が隠されていたということだろう。
「あと、太陽の場合は紫外線が遺伝子などを傷つけているということから苦手だって話もある。――吸血鬼はすでに死んでいて、常に滅び続けている肉体を魔力と呪詛で支えているだけにしかすぎないから。だから彼らは血を吸って自分らの体にエネルギーを補給し続けないといけないんだ」
「ああ……」
 なるほど。
 ティアナは納得した。管理世界ではあまり聞かない、人型で血を吸う怪物である吸血鬼に対して彼女は「よほどエネルギーを必要としているのかな」と推察していた。血というものは高いエネルギーと魔力を秘めている。だからそれを吸ってエネルギー補給というのは解る。だが、血というのは一般に催吐性があり、そのまま食するには適していない。血の料理というのは各世界にあるが、生のまますするというのはほとんどない。人型でありながらも好んで血を吸うのならば何かよほどのことだろうという風に考えたのである。
 いかにも管理世界の執務官らしい、ロマンのかけらもない推論であるが、だいたいあたっていたようだ。
 いや、血を吸うことでいえばもう一つ気になることがある。
「血を吸われた人間は、どうなるんですか?」
「死ぬ」
 みもふたもない返事に、鼻白む。
「吸われた時点で、その人の人としての人生は終わる」
『なのは』は、ティアナの心情など知らぬげに、あるいは知っているからこそなのか、わざと素っ気無く言葉を続けた。
「絶対に?」
「量にもよるかもしれないけど、基本的に血を吸われた人間は死んで『死者』になる」
「『死者』?」
「吸血鬼の下僕である、生きた死体だよ。私たちが追っている種類の吸血鬼は、血を吸った人間を『死者』とただの死体とに分けることが可能らしい」
「…………」
「『死者』はこれまでに遭遇している人間もいると思うけど、彼らに思考力はない。ただ主人のために血を吸うだけの怪物になる。『死者』は血を吸い、その霊力を主人に分け与えるだけの器官でしかなくなる。ただ、その中でも資質のある者の場合、また違う末路がある」
「それは?」
 ティアナはいいながらも、その答えについての予測がついていた。彼女はフェイトに聞いていたのだ。
「吸血鬼化」
『なのは』の声は託宣にも似ていた。
「これは、最終段階としてだけどね。細かい区別は説明しないけど、長い長い時間をかけて自我を取り戻し、『死者』から吸血鬼になる者が、ごくまれにいる。そういった者でも完全に主人と独立した吸血鬼と、そうとなる前とでは区別がされるというけど、私たちの場合はさして重要じゃない。吸血鬼となった段階で、すでに危険度、脅威については『死者』のそれを遙かに上回る。自分で考えて自分で活動できて、自分で自らを鍛え上げることができるという時点で、それはただ自律行動ができるというだけの戦闘人形である『死者』とは全く異なる存在だよ。勿論、これは『死者』から段階的にという話で、そうでない場合もあり得る。吸血鬼が血をすう段階で選択して仲間にすることもある」
 そして『なのは』は息を吐き。
「さらにいうと、そのどれでもない――段階的にレベルをあげたのでもなく、吸った吸血鬼の意図したものでもなく、本当にただの資質の高さだけで、吸われたというだけですぐに吸血鬼になってしまう者もいる」
「それは、もしかして」
 昨晩の、あなたが殺したという管理局の女魔導師のことではないのか、とティアナは尋ねようとした。
 証言によれば、吸われた直後に暴れ出したのだという。それも『死者』と化したからかと思ったが、自律行動ができるだけというそれと彼女の様子とでは、少し違うように思えた。それに、昨晩に武装隊の人間が遭遇した『死者』たたの中には民間で魔導師だった者もいたのだ。さほとランクは高くなかったにせよ、魔導師の『死者』の中でも魔法を使ったのは彼女だけだったというのが少し気になった。
『なのは』はティアナの言葉を察したのか、あるいはそうでないのか、途中で遮った。
「いずれにせよ脅威であるし、もう元には戻せない」
「……本当に、もうどうやっても戻せないんですか?」
 この人が断言するからには、本当にもうどうしようもないのだろうとは思った。『なのは』が高町なのはと同一人物であるかどうかはまだ彼女の中でも決定していないが、なんとなくそんな気がした。
 それでも聞いてしまうのは、このままではあまりにも救いようがないと思ってしまったからだろう。
「戻す研究をしているという人はいるというけど、上手くいっているとは言い難いらしい」
「そうですか……」
 声が重くなるのは仕方がない。
「ただ、親である吸血鬼を殺せば、子は支配から独立できるともいうし――吸血鬼化してもなお理性が保てている人もいる場合があるから、それも考慮して、なるべく生かして封印処置をする、という選択肢もあるとは思う」
「―――――ッ なるほど」
『なのは』の言い添えた言葉に、初めて希望を抱いたようにティアナは目を開く。なんの救いにもなっていないようでもあったが、それでも何か指針が見えたような気がした。
「では、その親である吸血鬼について教えて下さい」
 まずは最初にその頭を狙う……と決めた訳ではないが、とにかく首謀者ともいうべき元を断たねばダメだと思った。その吸血鬼とこの『なのは』との関係も、あわよくば聞けるかもしれない。
 答えは絶望的なものであった。
「……この世界にきた吸血鬼は二人――いや、三人」
「三人!?」
 一人であると無意識に思い込んでいた。
 そうでない可能性も考慮すべきであった。
『なのは』の続いての言葉は、さらに彼女の想像を超えていた。
「その内の一体は、すでに私たち以外の者の手によって始末されてる。もしかしたら、三人の内の一人の手によるものかもしれない」
「……? どういうことです? その、つまりその三人は全員が仲間ということではないんですか?」
「一人はその二人の敵、らしい……詳しくは解らないけどね。さっきも言ったけど、理性を保てている場合もあるって。彼女は恐らく、そっちの側だね」
(彼女?)
 うっかりと口を滑らせた、というべきか、あるいは半ば無意識であったので余計なことを言ったのにも気づいてないのか、『なのは』の言葉からそのことをよりわける。
 三人の吸血鬼の内、一人は死に、今は二人の吸血鬼が敵対していると。
 そしてその中の一人は女性。
 それらが喜ばしいものであるかどうかは解らないが、少しだけ前進できたような気がした。勿論、彼女の言っていることが本当であればの話だが。
 他にも確認しないといけないことはある。
「その……あなたはその二つの吸血鬼のグループの、そのどちらとも敵対しているということですか? 片方だけなんですか?」
「それは――」


≪時間だ≫


 唐突に、遮る声がした。
 ティアナはそちらに目を向けた――が、誰もいない。
 姿を隠す魔法を使っているのか、と思ったが、そうではなかった。気がつかなかったが、椅子がある。そしてその上に通信デバイスが置かれていた。声はそこからしたのだ。
「……もうきたの?」
『なのは』の言葉に、ああ、とそっけない返答があった。
≪すでに、囲まれている。かなりの手練たちだ。俺はすぐに離脱する。お前はどうする? 助けに入ると、多分両方ともつかまるぞ≫
「さすがはクラウディアのクロノ提督、か。思ったよりもはやい」
「――クロノ提督が?」
 驚いたのはティアナだった。
 自分が抜け出してここにいることについては、不自然にならないようにちゃんと手続きどおりにしてきたのだが……。
(最初から監視されていた? まさか、そんなことはないと思うけど――)
 いや、それはいい。
 そのことは後で考えればいいことだ。考える前に、向こうから告げられることでもありそうだし。その前に、今すぐに考えなければいけないことがある。
「私は、ここにくることは誰にも言ってません」
 言い訳がましい。
 自分でもそう思う。
 本来なら、取引を持ちかけてきた犯罪者というか容疑者を相手にこんなことをいう必要はない。だが、言ってしまった。それはどうしても目の前の相手が『なのは』としか思えないからだった。この人に裏切ったと思われてしまう、ということに心底からは耐えられないという想いが迸らせた言葉だった。
『なのは』は微笑む。
「そんなこと思ってないよ」
「―――――」
 どうして、こんなことで安堵してしまうのだろう。
 この人が仮に本当の、本物の高町なのはだとしても、管理局に勝手に違法行為をしている犯罪者だというに。
(だめだ。浮ついちゃう……というか、落ち着きなさい……今、この隙に幻術をかけられたりしたら……)
 ティアナは焦燥を感じた。
 展開に心が追いつかない。
 いつもならこういうことがある時は、バインドを相手にかけて――
 気づけば、ティアナの身体には魔力の輪が絡まりついていた。
「え―――」
 手首と胴と足首と首と。
 違和感を感じることもなく、術式の展開の予兆さえも感じさせない。 
(けど、これはどういう類の……)
 このタイプは空間固定タイプが普通だが、それではない。それは解る。微細な身体の動きにも魔力輪はそれに合わせて動いている。
 だが。
 デバイスを構えようとした時、腕が動かなくなった。
「何、これ……」
 意思を感じているのか動きに応じているのか、このバインドの術式は特定条件になった時にだけ作用するタイプのようだった。こんな術式は、彼女だって始めて見る。
 思わず『なのは』の方を見る。
 彼女はそれを待っていたように、変身のキーワードを口にしていた。


「ルビー、キャスターモードに」

『はい♪』


 ……随分と調子のよさそうな声が応じ、『なのは』の衣装が変化する。
 彼女には見慣れた、高町なのはのバリアジャケットだ。
 いや、違う。
 ティアナはそのモードを見たことがなかった。基本的に高町なのはの衣装は白を基本としているが、今の彼女を包んでいるのは確かにそれをベースにして、しかし別の方向へと進化したように思えた。長いスカートに、白いコート。コートの表面には細い線で幾何学模様と紋章のようなものが余さず書き込まれている。強力な術式がそのコートには織り込まれているというのが一瞥で窺い知れた。恐らくはあらゆる攻撃に対しての無効化作用と反射、そして魔力展開の補助――似たような術式を、昔八神はやて隊長がしていたことがある。しかしそれはリインフォースが補助しての一時作用のものであり、常時展開のバリアジャケットとして構築しているものではない。
 もしもそんなことが可能であるというのなら、バリアジャケットにするというだけでかなりの魔力が必要となる。
 八神隊長に劣るとはいえ、莫大な魔力を持つ高町なのはならば可能ではあろう。
 だが。
 リンカーコアを傷つき、年ごとに魔力が衰えていく彼女がこんな術式の展開をするようには思えない。そもそも、こんな術式をどうやって身に着けたのか。こんな術式は、今のこの世界の管理局には存在しない――
 
 ―――例えば、そんな彼女が管理局に入っても武装隊には入らず、研究者としての研鑽を積み続けていたとしたらどうだったかな。もしかしたら、ちょっと空戦が得意だけど総合ランクでの大魔導師になったりしたかもしれないよね

(!……まさか)  
 槍使いの『なのは』を見た。
 剣士の『なのは』を見た。
 二刀小太刀使いの『なのは』も見た。
 これは、このモード変換は……。

「じゃあね、ティアナ」

『なのは』の前に、三角と三角を組み合わせた、六芒星といわれる星を真円の中にいれた魔方陣が浮かんだ。ティアナが今までに見たこともない術式だ。
 そして。
 彼女はそれに向かって歩き、その魔方陣の中に入り込み――
 桜色の輝きが視界を覆った。
 

「ティアナ」


 背中に声がかかった。
 硬い。
 フェイトの声だとは、すぐに解った。
「いたんだね、ここに……」
「はい」
「後で、話を聞かせて」
「……解りました」

 二人の執務官の前には、なんの痕跡もなかった。
『なのは』の姿も。
 魔方陣も。


 ただ、闇だけがある。






 つづく。




[6585] 回想/2
Name: くおん◆1879e071 ID:aa6f3de4
Date: 2012/10/02 15:44
 吸血鬼とは……しばらくの間死んでおり、その後に蘇生して生者の血をすするようになった死体のことです。

 18世紀ヴァチカンによる吸血鬼の見解



   回想/2



「あ、私の名前は、弓塚さつきって言います」

 月下の魔術師の城で出会ったその少女は、ぺこりと一礼してそう名乗った。
 その仕草はお世辞にも洗練されているとはいえず、さりとて無礼というような類でもなく、本当にそこらにいる女子高生が緊張しながらも精一杯やってみた……という風だった。
 少なくとも、衛宮士郎にはそのようにしか見えなかったし、その隣に立つ彼の師である遠坂凛にとってもそうだったろう。
 とても、十数体の魔道の兵器を一人で片づけられるような存在には思えない。
 そう。
 まさに「片づけた」という言葉が似合うような少女の所行であった。とてもこれをさして戦闘だなんて呼ぶことはかなうまい。魔力、身体能力、反射速度……およそ生物が持ち得る戦闘力において、その全てで圧倒的なまでの性能差があったのだ。まったく相手にならなかった。赤子と大人を比べるようなものだった。
 その少女がぺこりと頭を下げた時、凛も士郎も思わずぴくりと体を震わせてしまったものであるが。
 ただの挨拶だったことで、しかし安堵ではなく二人は困惑してしまった。
「……どう思う?」
「どうって……あんたこそ、どうなのよ?」
 二人は顔を見合わせたかったが、この少女の脅威度を考えたのならば一瞬だって目を離せない。
「ただものじゃあ、ないよな……」
 慎重に言葉を選んでだしたのだが、「バカ?」と言われた。
「ここにいる時点でただものなはずがないでしょ」
 まして、あの戦闘能力。
「サーヴァント並……とまではいわないでも、それに準じるレベルね。正直、ここまでとなると何かの混血か、さもなくば、」
「あ、あの………」
 おずおずと、さつきと名乗った少女は口を挟んだ。
「何よ!?」
 思わず叫ぶ凛。
 士郎はとっさに物干し竿を構えようとしてしまったが、さつきの方もまた士郎たちのリアクションにおぴえてのけぞっているを見て、なんだか自分たちがひどく間抜けなことをしている気がしてきた。
「………………………」 
「………………………」
「………………………」
 お互いにどういう反応をしていいのか解らなくなっている。
 対峙しているのは魔術師二人と強力な魔性を秘めた謎の少女。
 であるのに、ここに漂う空気というか緊張感は微妙なものだった。
 さつきはそれでも気を取り直し。
「あの、私、名乗りましたよね!?」
 思い切って、という感じで大きな声を出す。
「名乗ったわよ!?」
 凛も、なんだかよくわからないが声を張り上げて応じた。
「だから何!」
「えっと、その……名乗った訳ですから、そちらのお名前とかお聞かせ願えると、うれしいかなあって……」
 凛は息を吐き。
「あのね、あなた、そういうのは、そちらから――………名乗ってたわね」
(あの遠坂凛が、緊張している………)
 士郎はその様子を眺めていて、なんだかそんな場違いなことを考えてしまった。彼の師であり恋人でもある彼女、遠坂凛ともうあものが、明らかに自分のペースを取り戻せていない。理由は考えるまでもなかった。ついさっきにみせた圧倒的戦闘力と、このどうみたって一般人にしか見えない仕草のギャップが埋めきれないのだ。
 彼らにしたって今まで様々な修羅場を乗り越えてきている。
 強大な敵、理不尽な敵、……対峙したものだって、そこらの魔術師が一生かかっても二度とは巡り会わないだろうようなおかしな相手が何人となくいた。
 しかし、それらのどれともこの少女はタイプが違う。
 むせかえるほどの血の匂いをさせながら、恐るべき魔性の力をふるいながら、この弓塚さつきという少女はあまりにも――普通だ。
 容姿でいえば結構かわいい。絶世の美少女だの傾世の美女だのとまではいかないが、クラスにいれば自然と目が吸い寄せられていくような、テレビで眺める最近のアイドルたちくらいには充分に綺麗といえる。雰囲気も、人を寄せ付けないような怜悧さ、華やぐような派手さはない。むしろ地味めだろう。しかし、あるいはだからこそ暖かみというべきか、親しみやすさが感じられるものだった。
 今まで彼らと出会った敵は、誰もが平凡を装いながらもどこか違っていた。善人として振る舞おうとして何かを隠しきれなかった。
 この弓塚さつきという少女は、それらとは本当にまったく違っている。
 むしろ真逆というべきなのだろうか。
 これほどに異常なのに、その能力も資質も、彼女の平凡さを隠し切れてない――
 精神のありかた、魂の位置が、あきれるほどに常識的で普通なのだろう。
 それはそれで異常といえなくもなかったが、だからといって何がどうでどう糺せばいいのかなど士郎には見当もつかない。
 だからこういう時は生物としての本能と魔術師としての感覚と、何よりも聡明である師の凛の判断に任せることにしている。
 時に凛の判断を超える事象もありえるが、今のところ彼の本能も感覚もそういう予兆はとらえていない。
 凛に任せて問題はないだろう。
 いや、それどころか。
「さつき――弓塚さつき――弓塚」
 口の中でさつきの名前を繰り返していた凛は、何かに気づいたように顔をあげた。
「弓塚さつきっていうと、もしかして三咲町の弓塚さつき――〝逆時計〟、〝乾いた五月〟、〝悪夢砕き〟、〝夜破り〟、〝獣殺し〟、〝路地裏の散歩者〟、〝姫君の孫娘〟――数多の異名を持ち、新参にしてすでに白翼公を警戒成さしめている、死徒二十七祖の十位……!」
 凛のその言葉に。
「ええええええぇぇぇぇっ!?」
 あろうことか、とうの弓塚さつきが驚きの声をあげた。
「い、いつの間にそんなにいっぱいあだ名が……」
 二十七祖入りという話は聞いてたけど、などとぶつくさと、半ば現実逃避するように呟く。
「二十七祖って、凛……」
 士郎は耳打ちする。
「ええ、そうよ。あの子はおそらく、この世界で上位27人に入る強力な吸血鬼の一人よ。しかも十位ってことは、ほとんど人間の太刀打ちできないレベルってことね」
「そんな怪物みたいに言われても……」
「怪物じゃあないの」
「うう………」
(だけど、いじめられっ子だな……)
 ナチュラルボーンいじめっ子の遠坂凛に突っ込み返されてしょぼーんとしているさつきを見て、士郎は思う。
 凛とさつき、この二人の戦闘能力の差は、恐らく頭二つはこの少女が上だ。
 しかしそれはそれとして、精神の部分で凛が上位に立っている。それは生物としてのスペックの差ではなく、人間としての相性のようなものだろう。勿論、そういうものがなくとも凛は容赦はしなかっただろうけど。
(どっちにしても、そんなに悪いやつには見えないが)
 三咲町という地名には覚えがある。
 ここからそんなに遠くはないところにある、遠野という混血の家が支配する霊地であるという。近年この街に多くの異能やら怪物やらが集まり、おかしな事件が頻発しているのだそうな。冬木の管理者である遠坂の一門に連なる魔術師として、その程度のことは士郎だって頭に入れていた。ここ数年は倫敦で生活をしていたが、いずれは冬木に帰って凛をサポートするのが彼の役目であるからだ。もっとも、凛は士郎よりもさらに日本の事情に詳しいらしい。定期的な報告が日本から倫敦にあるのだろうか。
 彼がそんなことを考えている間にも、少女吸血鬼と女魔術師は言葉を交わしていた。
「常識で考えなさいよね。あんたみたいなのは普通に化け物とか怪物とかいうのよ」
「だけど、怪物と人間の差は心のありようだってアウグスティヌスさんが……」
「そんなのおためごかしよ。あの連中は裏では異端狩とか怪物狩とか当たり前みたいにやってるし」
「リーズやシエル先輩はそういうことしてなくて……」
 ……なんだか、難しいこと話してる。
 いや、そんなに難しくはないのかもしれない。
 とにかくなんだかよく解らないのだが、さつきは自分がそんなに大仰に言われるような怪物ではない――ということをいいたいらしい。確かに、いわれるまでもなく、雰囲気やら態度やらは本当に普通の人間にしか見えない。これは何度だって重ねていえる。
 と。
「―――――」
「―――――」
「―――――」
 三人は同時に顔を上げ、ある一方へと眼を向けた。
 そこにはまだ何もない。
 濃密な闇があるだけだ。
「……三分、くらいか。だけどちょっと遊びすぎだったかしらね」
 凛の言葉は、さつきと遭遇してから話し始めての経過時間である。
「ペース争いは重要だからな。凛の判断は間違ってないぞ」
「ありがとう。救われた気分だわ……」
「え? え?」
 二人のやりとりに、さつきは思考がついていってないようだった。
 要するに、これから戦うかどうかも解らない相手ではあるが、どうなるか解らない相手なだけにとにかくこっちのペースに乗せてしまおうと……凛がそこまで戦略的に考えていたかどうかというとかなり怪しいというか、そもそもからして彼女はナチュラルにいじめっ子であり、たとえ英霊が相手だろうとも自分のペースを崩さず、相手をやり込めるように行動するわけであるが――倫敦での生活で、そのあたりを彼女は意識してするようになっていた。 
 しかし問題は、この領域の本当の支配者は別にいて、そいつを止めるまでに時間がさほど残っていないということだった。
(だけど、どうする? この娘を放置していくか?)
(そんなことできるわけないでしょ。強力な吸血鬼が目の前にいて、敵対するつもりはないにしても、このままほっとけるわけが――)
「あ、あの……」
 改めて、さつきが口を挟んだ。
「もう一度、聞いていいですか? あなたたちのお名前を、教えてください。できれば所属している組織とかそういうのも」
 二人はしばしだまりこんだが。
「冬木の管理人――魔術師、遠坂凛」
「その弟子の衛宮士郎だ」
 そう、名乗る。
 さつきは「とおさかさん、えみやさん……」と口の中で呟いていたが。
「改めて。私は、弓塚さつきです。路地裏同盟の吸血鬼です。ちょっと依頼を受けてここにやってきました。気軽に、さっちんと呼んで下さい」
 さっちん。
 本当にそう呼んでいいものか、二人はしばし悩んだ。
 悩んだ末に二人してその呼び名は使わないことに決めた。
(キャラじゃないし……)
(あんまり渾名で呼ぶの慣れてないしな……)
 二人の内心などしらないさつきは、ぺこりと頭を下げて。
「詳しい事情は後ほど話しますけど、とにかく今は急いでいますから。あ、悪いことしにきたんじゃないから、安心してくださいね」
 では――
 と言い残し、跳躍する。
「ちっ。――トレース、」
「やめときなさい」
 凛は士郎を止めた。
「無駄に魔術を使う必要はないわ。今はとにかく、追うわよ」
 勿論、士郎にいなやはなかった。



 ◆ ◆ ◆



「なあ、路地裏同盟ってなんなんだ?」
 二人は再び城の中を駆け出したが、数分とたたずに士郎は併走する凛へと聞いた。
「そんな組織、聞いたことないが」
「……まだ、世界ではそんなに広まってないか」
 業界では一部有名なんだけど、と凛はぼやくように言う。
「あの弓塚さつきを盟主とした、はぐれの吸血鬼や異能たちの集まりよ。とはいっても、純粋に死徒は彼女一人だけって話だけど。かのワラキアの夜の残滓たちを集めたとも言われているけど、詳細は不明。ただ、どいつもこいつも並々ならぬ怪物ぞろいらしいわ」
 アトラス院の学長やら聖堂教会の騎士団の元団長、果ては退魔の殺し技を使うパンダ、強力な夢魔……まで、とにかく色々といるのだという。
「色々というか、色物って感じだが」
 士郎はそう感想をもらす。
「私も、正直そう思った」
 凛は苦笑しているようだった。
「だけど、その実力は本物よ。混血の統領たる遠野家も一目おき、教会の代行者ですらも手出しせず、真祖の姫がたまに一緒にティーパーティーを開くくらいだっていうわ」
「……最後のがよくわからないが、とにかくすごい連中が集まった組織だってことだな」
「凄いのよ」
 凛は頷く。
「もしかしたら、全員集まったらサーヴァントの一人や二人ともやりあえるかもしれないくらい」
「……………そういえば、あいつらは桁外れなんて言葉でも足りない連中だったんだよな……」
 しみじみと、士郎は言った。
「普段をみてたらすっかり忘れてしまいそうになるけどね」
「違いない――で、そのサーヴァントとすらもやりあえるかもしれない路地裏同盟の盟主ってことは、弓塚さつきは相当に強力な死徒なんだな」
 実際にこの目でみているからには並みではないのは解っているが、仮にも二十七祖に数え上げられる存在だ。先ほどのそれとても片鱗程度のものでしかないのかもしれない。
「やはり、みた目通りの年齢じゃないんだろうな」
「いえ、みた目通りのはずよ」
「………本当か!?」
 士郎が驚くのも無理のない話だ。
 いわゆる吸血鬼の中でも死徒になる方法は幾つかあるが、一番多いのはやはり血を吸われるということだ。それも吸う側がそうすることを選択した場合と、霊的資質が高かったせいで偶発的に、結果としてそうなったという場合の二つがある。さつきの場合は後者のようだった。
 そしていずれの場合にせよ、力を持つにはそれなりの期間を修行に費やさなければならない。吸血鬼になった段階で身体能力も魔力も格段に延びるが、それは人が本来潜在させている力を発揮させているにすぎない。それだけでも常人にとっては脅威ではあるが、吸血鬼の頂点たる二十七祖に成り代わるとなると、それだけではとても無理だ。それ相応の年月を閲していると考えるのが当然だった。
 しかも。
「彼女、たった一晩で死徒化したそうよ」
 通常は数十年はかかりかねない行程を一晩にまで圧縮してしまえる資質とは、一体どれほどのものか。
「そして親たる二十七祖番外位であるロアをその手にかけ、十位のネロ・カオスを殺し尽くし、十三位のワラキアの夜をも駆け抜けたというわ」
 さらに恐ろしいことに、それほどまでの力をこの弓塚さつきという少女は、たった一年にも満たない期間で身につけたということ。
 何かの人外の血筋にあるのでもなく。
 特別な魔導の修行を積んだのでもなく。
 ただただその身に眠っていた素質だけで、そこにまで至った怪物。
 たまたま彼女が死徒の牙を受けることがなければ、そのまま平凡に生涯を終えていただろうに。   
 士郎にはそう思えた。
「さあ、それはどうかしらね」
 凛には彼の内心が伝わっていたらしい。走りながら素っ気ない声でそう言った。
「あの子、みた感じも話した感じもとにかく平凡よ。だから、もって生まれた資質だけが異常であるように思うかもしれないけど、そもそもそんな資質を持っているからこそ、なんの努力もなく平凡でいられたのかもしれないわ」
「……どういう意味だ?」
「平凡に、人並みでいるためには、それなりの努力がいるということよ」
「ふむ……」
「あの子は多分、平凡であるということをもって生まれた資質によって、本能的に選択したのよ」
「――――」
「平凡で地味であるといことは、周囲に埋没していくということ。けどそれは、生き延びていくためには有効な手段よ。自然界では目立つと言うことは致命的なことになりかねない。出る杭は打たれるっていうでしょ。平凡であろうとすることは目立たずに平穏にいきていくための処世術なのよ。あんたも魔術師ならば解ることでしょ」
 士郎は無言で頷いた。
 凛が魔術師であるということを隠して生きていたというのは、士郎も知るところだった。もっとも、彼女が平凡で普通にいきようとしていたのかというとそれは絶対にないと断言できるのだが。
 凛は続ける。
「ナチュラルに能力を持っている者は、普段はおとなしかったり地味だったりすることが多いというけど、そのためにストレスがかかって精神がドコか変なチャンネルにつながったというよりも、私は多分、そういう人たちは本能のレベルで、自分の資質が目覚めない方が生きやすいということを知ってたんだと思う。そうあることが心地よいからそうしているの。うちの学校にいた三枝さんとか、あの子もその類よ」
「ああ……あの子は霊視持ちなんだっけ」
「そう。どうもあの子、霊体化したサーヴァントの気配も察知できるらしいんだけど……まあそれはいいとして、あの手の異能持ちは、そういうわけで無意識のレベルで周囲に合わせた『普通』を選択していくものなんだわ。ひょっとしたら、そのために異能を使っていることすらあるかもしれない」
「それは………」
「だけど、そういう人たちはいわば意識せずに普通でいられた人たちよ。どう努力したら、どうみんなに合わせたらいいのか、そういうことを考えずに平凡で普通で当たり前に生きられた人たち。もしも、もしも彼女たちが何かの事情があって価値観がズレたのなら――」
 異能の力を自覚した上で、認識が変化してしまったのならば。
 やはり、それまでと同様に当たり前のように普通に生きていこうとして――
 だけどどうすれば普通で当たり前なのかを本当の意味で認識していない彼女らは、とんでもないところにたどり着いてしまう可能性がある。
「たとえば、当たり前のように人を殺してしまえるようなものになったりね。人を殺すことに悦楽を覚えてしまったのなら、葛藤することもなくそうなってしまうことだってあるかもしれない。普通でありたいと思って普通になったのではなく、そこが居心地がいいから普通でいたのなら、より居心地のいい場所でそう振る舞ったとしても、なんの不思議もないわよ」
「…………」
 士郎は、どうして凛がこんなことを長々と話していたのか、ようやく悟った。
 とにかく平凡で普通に見えても、決して気を許すなといいたいのだ。
 狂っているのでもなく、異常な人格を持っているのでもなく。
 普通の精神と心をもったまま、異形の領域に至った者であるのかもしれないと。
 現に、あのさつきは何のためらいもなく魔導人形たちを倒していたではないか……。
「で、それはそれとして、だ」
 士郎の言葉に凛の返事がしばらくなかったのは、彼女はアゾット剣を振るって魔道の仕掛けを迎撃していたからであるが。
 彼もまた、魔術で強化した右腕でデザートイーグルを抜き、引き金を引いていた。
「――で、それとして、何?」
 一瞬立ち止まってから、二人はまた駆け出す。
「それであの弓塚さつきがとんでもない吸血鬼で、路地裏同盟というのが恐ろしい怪物たちの集まりだとして――」
「ええ」
「依頼ってのは、どういうことだと思う?」
「そうね……」
 凛は思案顔をして。
「考えられるのは、ここの主と敵対する者が私たちとは別にいるということ」
「可能性としては、退魔か混血かのどちらかか」
「どっちもありそうだけど、どっちでもなさそうね」
 退魔にしても混血にしても、手を下すのならば自分たちで直接にするだろう。相手が西洋魔術の使い手であれど、彼らがその気になったのならば二日ともつまい。退魔にしても混血にしても、それほどの力があるのだ。
 今回の事件も彼らに協力を求めていたが、別の案件があったということと、やはり縄張り意識などがあってうまく話しがまとまらなかったのだった。
 あと、彼らがすでに手を出していたというのなら、その旨は凛たちにだってしらされていたはずだ。
「――まあ、結構裏社会で変なことしてたみたいだしね。何処で恨みを買ったもんだか解ったもんじゃないわね」
 もしかしたら、ここの主の手にかかった誰かの身内が路地裏同盟と接触した……のかもしれない。
「けどそうなると、範囲が広すぎるわ。とても特定できない。あとは……話の出所が私たちと同じであるという可能性もあるかしらね。真祖の姫君と路地裏同盟は友好関係にあるらしいし、姫君は元帥とも懇意だっていうし」
「宝石翁が、別々に依頼を出したなんてことがありえるのか?」
 それは絶対とまではいかずとも、まずありえない、と士郎は思う。あの魔道元帥が持ち込んでくる仕事は、多くが試練と同義だったからだ。今回の事件を解決したのなら、また別の、より難しい案件をもってくるだろう。弟子たちを便利に使うということと鍛えるということの区別があまりない老人なのだ。
「まあ、ないでしょうね」
 凛もそこらは士郎と同じ意見だった。
「ただ、姫君は今は日本に滞在しているというし、私らが手間取っているということを知って、心配になって路地裏同盟に仕事をもちかけたのかもしれないわよ」
「かの姫君なら、直接出向いてくる方が速いとは思うが」
「そうね。だから、これも確実な話ではないわ」
「……やはり、考えるだけ無駄か」
「考えることは大切なことよ。敵の敵は味方、だなんて単純な構図になるなんてことはめったにないし」
「そうだな……」
 士郎はそういいながらも、さきほどのさつきの言葉を思い出していた。
『詳しい事情は後ほど話しますけど、とにかく今は急いでいますから。あ、悪いことしにきたんじゃないから、安心してくださいね』
 これだけを聞いた限りでは、こちらに対して敵意はないように思える。だが、凛も先ほどいっていたが、普通で平凡であるように見えるからといって異常でないわけでも安全であるわけでもない。一年ほどにーで二十七祖になりあがるような怪物なのだから、むしろ価値観が根本的にずれていると考える方が自然だろう。
 ただ。
(敵の敵が味方とは限らない、が……今のところは充分に役立ってくれているな)
 二人の魔術師が荒野を突き進むかの如く城の中の通路を駆けていけるのは、さつきの通った後の道を辿っているからであった。
 本来は魔術による認識阻害、悪霊、魔道兵器などの数々の罠が仕掛けられた工房にして異界であるこの城を、あの女子高生っぽい吸血鬼はまるで運動会の障害物競走を走っていくかのような気軽さで突破していったらしい。
 二人が暢気に会話なんぞしつつ駆けていけるのも、もはや魔導仕掛けの罠のほとんどが蹂躙され尽くし、機能していないからだった。
 凛も士郎も戦闘者として並々ならぬ使い手ではあるが、その二人であってもこれほどに鮮やかに、かつお手軽な感じでこの道を通過できるかというと、到底不可能としか言いようがない。
(ほとんどサーヴァント並だな)
 士郎も吸血鬼に遭遇することは初めてではないが、ここまでの力を持つ者が存在するとは夢にも思っていなかった。
 勿論、二十七祖と呼ばれるものたちは格別だとは聞いてはいたのだが――
「……どうやったんだろうな」
 何度目か門の前で立ち止まり、士郎は呟いた。
 より正しくは、門のあっただろう場所だ。
 今はなにもなかった。
(ぼろぼろ……というよりも、これは……)
 文字通りの粉々――というべきだったろう。
 しかしそれにしたって、ほとんどこれは砂粒のようなものだ。
 石垣に、ぱっくりと直径にして十メートルの大穴が空いている。その周辺に落ちていたのは破片でもなく、もっと細かい砂のようなものだった。どんな方法を使えばこんな風に分解されてしまうのか、まったく見当もつかない。
「〝乾いた五月〟、か……噂だと、あの子もそうだって話だけど、信憑性は高そうね……」」 
 凛の呟きが耳に入ったが、どういう意味なのかを問い直す前に。
「そういえば、今思い出したことだけど、路地裏同盟の目的はワラキアの夜の完全な排除だって」  
「なんだそれ?」
 とうの昔にその吸血鬼は打倒されたのではなかったのか。
 凛は肩をすくめてみせた。
「さあ? 私も意味はよく解らない。ただ、彼女らはその残滓にかなり関わりが深いともいわれているわ。そしてその完全排除のためならば、かなり無茶な仕事でも受けているとか」
「今回も、そういうものだと?」
「可能性の話だけどね」
 二人は話しながら、しかし油断なく門の跡をゆっくりと歩いて通過して。
「――――」  
「――――」
 また、空気が変わったことに気づいた。
 先ほどまでの異端の世界の空気と違い、今度は馴染みのある……血の、匂いだ。
(これは)
 弓塚さつきに感じたそれとは、桁が違っていた。
 何の、と問われても上手く答えられる言葉は士郎にはなかったが、あえというのならば濃度というべきだろうか。
「まるでこれは、ライダーの鮮血神殿みたいだ」
 そうだ。
 これほどまでの異界は、それこそ士郎の知る限りではあの騎兵の英霊の持つ鮮血神殿くらいしかない。
 キャスターの結界並みの防壁は、まだ外周でしかなかったということか。
「一体、これほどまでの物を作り上げるのに、何万人を贄に捧げたというのよ……」
 凛の声にもさすがに戦慄が入り交じっていたが。
「凛、あそこだ」
 それを遮るように、士郎はいった。
 指さした方向には、あの弓塚さつきが立って――

 吹き飛ばされた。

 二十七祖の一人である彼女の姿が、血の如き夜気の中で遙か空高くに舞い上がっていく。
 目測にして二十メートルはあろうか。
 仮に彼女の体重を50kg程度だとしても、それだけの質量をそこまで飛ばすのは相当の力が必要だ。
 それこそサーヴァントにも比肩する何かでなければ。
 そして、飛ばされた側も並みではなかった。
 そのまま落下することもなく、空中で膝を抱え込むようにして体を丸め、回転しつつ態勢を整え、ふうわりと足から着地する。
 これが人間ならばそのまま大地に叩きつけられ――る前に、吹き飛ばされた時点で意識を失っていたか、そもそも弾き飛ばされたのだとしたら命もなくなっていたに違いない。
 そして。
 二人の魔術師は見た。
 さつきと対峙していただろう相手を。
 士郎も、凛も、その相手のことをよく知っていた。
 そして、ここにいるはずもないことも知っていた。
 この異端の異界の中でさえ、なおも際立つ異常。
 二十七祖中の上位者ですらも一撃で吹き飛ばす強大な力。 
「なんてこと……」
 凛の声は、はっきりと怯えを含ませていた。
「…………トレース、オン」
 士郎は彼女の声に応えるように聖剣を投影していた。あれを相手に手持ちの武装などはなんの役にもたたないということは解りきっている。本物がここにいるはずもないのだが、しかしだからと言ってあれが本物以下であるという保証はない。そう。偽物が本物に勝てないという道理はないのだ。むしろこの異状を考えるのならば、本物以上に警戒してしかるべきだろう。 
「なぜここにいる………!」
 まるで、暴力という概念を具現化させたかのようなその威容は――


「■■■■■■■■■■■■■■■ッッッッッ!!!!」

「バーサーカー………!」


 狂戦士の英霊――かつて冬木の聖杯戦争において猛威をふるったギリシャ最大の英雄ヘラクレスが、そこにいたのだった。
 



 つづく。



[6585] 灰白。
Name: くおん◆1879e071 ID:aa6f3de4
Date: 2013/01/07 06:12
「いい景色だね」
 遙か彼方に霞む水平線を見ながら、偽りなくフェイト・テスタロッサ・ハロオウンはそう口にした。
 窓から見下ろせる景色は海岸線。その果てでは空の青と海の蒼がとけあっているかのようで、境界線が解らない。
「うん」
 フェイトに短くそう応えたのは、この別荘の現在使用している高町なのはである。
 椅子に座り、窓から外を見ているフェイトの背中を見つめていた。
「なのはがいる場所がこんなところだと知ってたら、もっと早くにくるんだった」
「無理しなくていいよ。フェイトちゃんは忙しいんだし」
「そうでもないよ。一日――は無理でも、五時間くらいならなんとでもなる」
 それだけあればミッドチルダから地球にいって、さらにここまできて、一時間ほど滞在することは可能ではある。勿論、それはかなりの強行軍にはなるのだが。
 なのはは、フェイトの言葉に目を伏せた。
「忙しい時にきてくれて、本当にありがとう」
「だから、そんなに気にしないで……」
 フェイトは窓から振り返り、そして窓縁に腰かけた。風が入り込み、彼女の髪を揺らした。
「今は、ティアナの助手、みたいな仕事だしね」
「そういえば、そういうこと言ってたね」
 なのはは微笑んだ。
「立場逆転だね。――こき使われている?」
「誰かさんと同じく、人使いが荒いよ」
 フェイトも微笑む。
 なのははそれを受けて、瞼を伏せる。
「わざわざ、フェイトちゃんに直接ここに行かせるくらいに、ね」
「まあ、当人が始末書を書かされているからというのもあるんだけど」 
「始末書! ティアナも結構、無茶するものね」
「きっと師匠譲りだね」
「そんなこと、」
「待機指示に逆らって、でたんだ」
「………なるほど」
 なのはは肩をすくめた。いつかのことを思い出していたのかもしれない。
「けど、ティアナが無茶をしたのも仕方ないよ。今回の事件は、本当に解らないことが多すぎる」
「ふーん……?」
 フェイトの言葉になのはは何かを感じたのものか、どこか訝しげな顔をしながら眼を細めた。 
 だが、やがて。
「担当の事件ではないから話は聞けないけど」
 そう言って、溜め息を吐く。
「あんまり無茶をするようだったら、前みたいな罰を与えた方がいいかも」
「……というと?」
 前、というので思い出すのはあの撃墜事件と。
「ほら、六課解散のちょっと前に」
「……あったね」
 あの時にしたのは、確か。


「首筋にキスマークつけて、魔法をかけてそれが消えないようにして一日過ごさせるって――」


 今思い返しても、ひどいペナルティだ。
 ティアナは一日中、真っ赤な顔をしていた。襟を立てたり、絆創膏を貼ったりして隠すのは禁止されていた。だいたいどういう理由でそういうものがついているのかはみんな知っているので「ああ、かわいそうに」という同情の眼であったが、それすらも彼女の羞恥をかきたてるものでしかなかった。あの日、事件が起きずに六課の外に出ることがなかったのは不幸中の幸いだったろう。
「あれは、はやてが考えたものだと思ってたけど」
 ――これってセクハラなんじゃないですか!?
 とかなんとか騒いでいるティアナの様子を思い返し、フェイトはなのはを見つめる。
「なのはが考えたの?」
「考えた、というよりも教導隊伝統のバツゲーム」
「伝統!?」
「考案したのは、リーゼ姉妹らしいけど」
「……なるほど」
 フェイトはなんだか色々と納得したようだった。何度も頷く。しかし、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
「そういえば、あれってスバルがしたの?」
「何が?」
「だから、その――キス」
「ああ、それは……」


 ――ははは。雑魚がかかりおるわ!
 ――もう!何よそんな物量作戦


「……ヴィヴィオ?」
 海岸の方から聞こえてきた声に、フェイトは思わず反応してしまった。
 確かに、この声は彼女たちの愛娘であるところのヴィヴィオと、あと一人は誰か知らない男の人の声だ。
(いや、なんか聞き覚えはあるような……)
 気のせいかもしれない。
 しかしそれが錯覚であろうとそうでないにしても、ヴィヴィオが誰かと口論しているということだけは間違いない。
 ヴィヴィオがこちらにきているということはあらかじめ聞いていた。身重のなのはの身の回りの世話をするのだという名目だった。そのことは同じくなのはの同居人であるフェイトは知っている。こちらにきてまだ顔をあわせていないが、それは客人と釣りにいっているからだった。呼び戻すのも気が引けるし、なのはと話をする場にも立ち会ってほしくないというのがフェイトの本音だった。だからそのままにしていた。
 勿論、自分たち家族以外にもこの場所を知っている人間がいることについては気にはなっていたが――
「どうしたの?」
 返答を待たずに窓の外へと意識をやったフェイトを訝しげに眺めながら、なのはは尋ねた。彼女にも外の会話は聞こえてきているはずだったが、特に気になってはいないようだった。
「え。いや、なんかヴィヴィオが喧嘩しているみたいな」
 
 
 ――ふん。まだおまえはその程度か。聖王の写し身だとかいうが、笑わせてくれる
 ――それを、いうなぁああああああッ


(ヴィヴィオ………?)
 今まで生活していても、ほとんど聞いた覚えがないヴィヴィオの怒号?に、フェイトは慄然とした。
 一体、何が起きているというのだ。
 姿こそは見えないが、凶悪な魔力の昂ぶりを感じる。
 というか、この魔力は間違いなくヴィヴィオのそれだ。
「どうしたんだろう……こんなに激しくあの子が怒っているだなんて」
 あまり、聞いただけでは大したことは言われてないと思うのだが……いや、肝心なのは当人がどう思うかであって、どういうことを言われても、言われた人間によって反応は異なって然るべきだろう。にしても、普段はこの程度のことでヴィヴィオが怒り出すようなことはないと思う。親子喧嘩もたまにするけど、基本的にあの子はとてもいい子だ。
 なのに。
(仮に、相手がとてつもなく嫌な相手だろうと、こうも簡単に魔力を滾らせるような沸点の低さは――)
「仕方ないね」
 なのはは、何処か困ったような笑顔を浮かべていた。
「あの人がいうと、なんというか……魂に響いてくるから」
「たましい……」
「カリスマスキルっていうらしいよ。私にもよく解らないけど、魂からでた本気の言葉は、ふだんの生活では何気ないようなものであっても、より強く相手の魂に響くんだって」
「ああ……」
 フェイトも、そういう人や状況に心当たりがある。
「? フェイトちゃん?」
「いや、なんでもない」
 ついついなのはを凝視してしまったが、やがて思い出したように。 
「……どういう人なの?」
 と聞いた。
 最初は管理世界の人間ではないと思っていた。なのはの妊娠と休暇中の居場所については、どういうルートから情報が漏れるか解らないので関係者にも極力秘密にする――ということを決めたのは管理局上層部だが、フェイトにもそれは異論がない。身内を信用していないわけではないのだ。単純に機密保持はそれを知る者が少数であればあるほどいいというだけのことである。
 とはいえ、それは管理外世界の人間にまで及ぶかというとそうでもない。両親に身重であることは知らせても問題はないし、最低限、この場所さえ伏せていれば、親友のアリサやすずかたちには言ってもいいのではないかと思っている。犯罪者がなのはの行方を探そうとして彼女らをどうにかしようとしても、海鳴市周辺にはハラオウン家の者もいるし、何かの異常があればすぐに対処ができる。勿論、海鳴市から離れるとそれも難しくはなるが、それならそれでその潜伏場所の近所の人には適当な虚構の経歴をでっちあげてしまえばいい。何も全ての真実を語る必要など無い。
 だからフェイトは、自分より少し先にきてヴィヴィオと釣りに行っているという人を、この別荘を借りるにあたってお世話になった地元の人間……辺りだと見当をつけていた。しかし、今聞こえてきた声では聖王の写身だとかなんだとか、少なくともなのはの身内かそれに近い人間でなければこの世界では知らないことを知っているようだった。
 そうなると管理世界の誰かということになるのだが、それだと先述のように機密の問題がでてくる。
(――とすれば、なのはが私たちと同等に信用できる人で、機密を教えても問題がない範囲の人……教導隊の上司か同僚の誰か?)
 と改めて推測したのだが。
「昔、管理局に入る以前、ずっと幼い頃にお世話になった人だよ」
 なのはの答えは予想を尽く裏切っていた。
「何年か前に、フェイトちゃんもあったことあるよ」
「……ああ」
 それで聞き覚えがある声だったのか――とまで思ってから、フェイトはさらに眉をひそめた。
(声まで覚えていて、名前が思い出せない?)
 自慢ではないが、執務官という仕事柄、人の顔と声は忘れないようにしている。ましてやなのはが「お世話になった人」というからにはフェイト自身にとっても重要な人物であるはずだった。会って、忘れているというのは考えにくい事態であった。
 それをいうと、なのはは「ふーん」と首を傾げ。
「あまりにも嫌なことがあったら、人間は無意識に記憶を削除することがあるそうだけど……フェイトちゃんはどっちかというと、ずっと覚えてて乗り越えようとするタイプだものね。むしろ忘れられないからみんなよりもずっと苦しんでいく、みたいな」
「う」
 否定できない。
「記憶操作の宝具でも使ったのかな」
「え。」
 何それ。
 なんだか、とても聞き捨てならないようなことを聞いた気がするのだが。
 なのはは親友の疑問に対しては答えず。
「まあとにかく、この世界の人ではあるんだけど、信用はできるよ」
 より正しくは、絶対にここに私がいることを他人に教えたりはしない、ということなんだけど――
 と言い添えられたが、フェイトはそれでは納得がいかない。
「……この世界でどれだけ強かったとしても、次元犯罪者には対抗は難しいんじゃない?」
 彼女の知る限り、この世界の最高峰の剣士である高町家の人たちであっても、戦闘魔導師が一人くらいならばなんとか闘いようはあるだろうが、犯罪者が徒党を組んでくればどうしようもないと思える。
 今まで高町家他彼女たちの知己が次元犯罪に巻き込まれたりしなかったのは、ハラオウン家や駐留している管理局の人間がカバーをしているというのも要素としては無視できないはずだ。
 なのに。
「大丈夫だから」
 なのはは、迷いなく断言した。
「ふうん……」
 フェイトは黙った。もしかしたら、グレアム元提督のように管理局と接触して魔導師の能力を持った人なのかもしれない。97管理外世界の人間で管理世界に関係する人はたまにいる。ナカジマ家の先祖の人たちのように、管理世界にやってきた者までいるのだ。
(なのはがここまでいうんだから、とにかく腕はたつんだろうけど……)
 それでも、小さな子供と喧嘩してしまう大人というのはいただけない。
 それは確かに、あの子はこの世界の基準からいえばかなり強い部類には入るとは思うが。  
 そういえば、こんな魔力を放出してまでしているあの子をほっといていいのだろうか。なんだかなのはがあまりにも暢気にしているのでそれに巻き込まれてしまったが、冷静に考えなくてもゆゆしき事態ではないのだろうか。
 なのはは微笑み。
「あの人に対して、ヴィヴィオでは相手にならないから。適当にあしらってくれると思うよ」
「それは、そうだろうけど……」
 フェイトの脳裏で、習いだしたばかりのベルカ式格闘戦技の構えをとったヴィヴィオの姿が浮かんだ。ザフィーラより学んだという守護の拳。一瞬、黒い『なのは』の姿が重なったが、どうしてか解らない。
(ベルカの獣王手を再現してもらうのに手伝ってもらったせいかな)
 あの『なのは』も獣王手を使ったことからの連想だろうか。しかし、ザフィーラの拳技は獣王手の流れは汲みながらも、基本は別の体系にあるはずだ。技のイメージからザフィーラと『なのは』が繋がるのは論理としては無理があるように思えた。勿論、連想というものが論理的に繋がっていく訳でもないとフェイトは知っているのだが。
(もっとヴィヴィオは、こう……)
『なのは』のイメージを追い出して現れたのは、彼女の知るヴィヴィオでありながらも、もはや二度と現れるはずもない聖王の姿をしていた。
(だめだ。戦っているあの子というのが、上手く想像できない)
 愛娘が大人モードなる格闘形態をとれることを、フェイトはまだ、知らない。
 いずれにせよ、なのはが信用できるというほどの人ならば、ヴィヴィオがどれほどに魔力を暴走させたところで問題にはなるまい。
 それに、感情に任せて戦ってしまえば痛い目にあう、ということも知っておくべきかもしれない。フェイトは自分にそう言い聞かせる。ちょっと厳しいかもしれないけど、戦闘力を持つ魔導師という存在は少々挑発したくらいで暴発するようではいけない。本当に厳しいかもしれないけれど、大丈夫。問題ない。ない。本当に何度も自分に言い聞かせている。これで止めに入ったりしたら、また過保護だ甘やかしすぎだと言われてしまうかもしれないと。彼女だってそれは気にしているのだ。
 なのははフェイトの葛藤を知らずしてか。
「それこそ、ゆりかごくらい持ち出してこないとね。本気にもなってくれない」
 と言った。
「ゆりかごか……あんなの持ち出されたら、それこそ個人ではどうにならないよ」
 フェイトもようやく笑った。なのはが自分を安心させようと冗談を言っているのだと解したのだった。
 しかし。
「あ、だけど本気にさせてしまうより……むしろ今のままの方が勝ち目があるかもしれない……」
「なのは?」
「――あ、ごめんなさい。ちょっとね。職業病みたいなものだから」
 気にしないで、と告げられた。
 フェイトはなのはの様子を見ていたが。
(まあ、いいか)
 と追求するのはやめることにした。
 ヴィヴィオやお世話になった人とやらのことはきにならなくもないが、今はより優先しなくてはならないことがある。
 フェイトは静かに息を整え。
「それで、」
「ああ、そうそう。さっきの話だけど、ティアナにしたの、私だから」
「――え?」
 なのはの言葉が何を意味するのか、それを理解するのに数秒かかった。そして理解してなお、
「え?」 
 もう一度言ってしまった。
「だから、さっき言ってたこと。バツゲームの。キス」
「え?」
 フェイトは重ねて言ってしまった。もうここまでくると、脳が認識を拒んでいるのかもしれない。
 なのはは根気強くフェイトにつきあっている。
「私が提案したんだから、やはり私がするべきかなって。あと私も教導隊でされたことあるけど、あれはする方も結構恥ずかしいみたいで、」
「――え」
「いや、だから」
「なのはも、されたことある……?」
 うん、となのはは頷いてから、唐突に顔に朱を浮かべた。もしかしたら、その時のことを思い出して羞恥が蘇ったのかもしれない。
 フェイトは目を大きく見開き。
「――誰に?」
 鋭く、言った。
「え、あ。――ヴィータちゃん、だけど?」
「ヴィータ」
 そう言うと、フェイトは固まった。表情も何もかもが凍り付いた。
「あのね、フェイトちゃん、その時は本局でフェイトちゃんもユーノくんもたまたま席外してて、はやてちゃんは地上本部の方で……とにかく、そういうの頼めそうな人はヴィータちゃんだけしかなくて、その――」
 なのはは言葉を積み重ねるが、フェィトは固まったままだ。
 もう少しだけ説明してから、なのははやがて溜息をはき。
「ねえ、今日はそれで、私に何を聞きにきたの?」 
 



   18/灰白




『昨晩の通信――?』
 ミーティングルームのモニターの中で、高町なのはは少し首を傾げてから。
『それって、ティアナから繋がったアレかな』
 誰かの息をのむ音がした。
『他のはきてないから、それでないとしたら……うん。ユーノくんも一緒にいたよね』
 ざわり、と空気が動いた。
『うん。ティアナと一緒にいるから、多分、あのことについてだろうって、……そういえば、フェイトちゃんから教えてあげなかったの?』
 ――。
 会話は進む。

『ああ、フェイトちゃんは服務規程違反になるから、黙ってたんだ。まあ私も内緒にしているけど』 

『え? ユーノくんから聞いて、その確認のために通話してきたんじゃないの?』

『ああそうか。フェイトちゃんに確認すればよかったんだものね』 

『うん。確かにユーノくんだったよ。映像ログも残っている』

『ユーノくんがそこにいたのに、疑問を覚えなかったかって? うーん? 第十六管理世界からでしょ? あそこは昔、オフの時にユーノくんと何度か一緒にいってたから』

『まだ管理局の嘱託魔導師だった頃に。たまのオフに一緒に化石探したり、遺跡を見学したり。フェイトちゃんとも一緒だったじゃない。あ、16管理世界はいってなかったかも』

『もうすぐ自由時間も減るからって言ってたしね。また昔みたいに旅行にいこうって……その下見にきて、局あたりでかちあったんじゃないかなって』


 ――どうした。貴様の力はその程度か。
 ――うるさいッ


『ねえなのは、今魔力波動が……?』
『ん――セイクリッドブレイザーかな?』


 ――うはははははははは。その程度でよくも王を名乗っていたものよ。
 ―― 一閃必中! ディバィィィィィィンバスタァァァァァァッ


『聞こえた……ッ 今確かにディバインって聞こえた! バスターって言った!』
『あれま』


 ――なんだそれは。埃をたたせる技か?
 ――くぅッ
 ――せめてこれくらいのことはしてみせろ


『?――今のは物理打撃の爆発音だよね?!』
『ランクCの宝具の単射――まだ、どうにかヴィヴィオにも対処できる程度だね』
『一体なにの……』

 
 ――口ほどにもない
 ――ま、まだ、まだだよ……
 ――ほう。

 
『こ、このプレッシャー……』
『大丈夫だよ』
『なのは……』
『まだ全然、本気じゃないから』
『そっち!? いやこれで!?』
『本気だしてAランク宝具の一斉射出とかされたら、さすがにゆりかごは大げさにしても、クラウディアあたりならなんとかしちゃいそうだったね』
『そんなノンキな!』
『フェイトちゃんは、ヴィヴィオを甘やかしすぎだよ』
『え!? 私、なのはが何言ってるのか本気で解んない……』
『やっぱりね、戦闘魔導師ならば挑発を受けてもそう簡単に魔力を暴走させ、感情に任せて攻撃を仕掛けるようなことはしちゃいけなと思うの。だからそういうことをしてしまったら痛い目にあうということもちゃんと学ばないと……』
『そうだけど! だけどそんなの、軍艦どうにかできちゃいそうな人にさせたらだめだ!』
『大丈夫。結構子供好きだから、あの人』
『嘘だ!?』
『子供の時、お膝にのっけてもらって撫で撫でしてもらってたんだ』
『そんな感じじゃないよ! なんか女の子の心臓抉りだしてぐははって笑ってそうな声だよ!?』
『具体的だね』


 ――さて、悪い子供は尻を叩かねばならぬという言葉がこの国にはあったな。
 ――や、やめて……
 ――仮にも王器を持つ者がこの体たらくでは、ベルカの聖王の名が泣くぞ
 ――あ、ああああ
 ――お仕置きだ。きついのをお見舞いしてやろう
 ――ママぁ


『ッッ――!』
『フェイトちゃん!?』


 ブツリ。


 映像が途切れた。
  
「……以上が、今日の午前中にテスタロッサ執務官によって地球の高町三佐より得られた証言映像だ。質問がある者は挙手するように」
 クロノ・ハラオウンが感情を殺した表情でそう告げると、ミーティングルームにいる関係者たちは一様に困惑の表情をしてみせた。
 正確に言えば一人だけが首筋に手を当てて真っ赤になって俯いているのだが、それ以外のクラウディアのスタッフで現在この事件に関わっている人間は「一体何がどうなったんだ」という眼でモニターの前に立つクロノと、モニターを挟む位置で座るフェイトを見た。
 
 抜け殻のようになっていた。

 シャーリーはこの時の彼女の様子を見て、昔機動六課で八神はやて私蔵のアニメーションを鑑賞した時のことを思い出した。
 なんという名前だったか、主人公のボクサーが最後にリングの上で椅子に座り「真っ白に、燃え尽きたぜ」とかなんとか言って終わってた。その後彼がどうなったのかは解らないが、フェイトはそのボクサーとほぼ同じポーズをとって座っていた。
「質問が二つあります」
 と手を挙げたのは、第16管理世界の支局で陸戦[限定]Sクラスのランクを持つ執務補佐官のウルスラ・ドラッケンリッターだ。
「なんだね、ドラッケンリッター執務補佐官」
 と促すクロノ。
「この後で、テスタロッサ執務官はどうなったのですか?」
「――見てのとおりだ」
「―――――」
 見ても解りません、という言葉を飲み込んだのはウルスラだけではなかったろう。
 クロノは微かに溜息を吐くと。
「皆のいわんとすることは解る――」
 と言って、殺しきれなくなった感情と表情を現した。つまり、苦虫を噛み潰したような……ひどく不機嫌なそれだ。
「ここでいえることは、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官は、管理外世界で許可なくインテリジェントデバイスを使用し、リミッターなしの全力戦闘を十五分三十二秒続け――細かいものを入れて七つの服務規程違反で、今日一日の謹慎と三十五枚の始末書を書かされることになった。現行の案件が急務なのでね。通常ならここまでやらかせば一ヶ月は謹慎なんだが、減給30%を半年ということでとりあえず代替しておいた、ということくらいだ」
「十五分」
 ウルスラはクロノの返答からそれだけを拾い上げ、眉をひそめる。
 Sランク魔導師の全力戦闘ともなれば、都市一つを壊滅させるほどの規模のものとなっても不思議ではない。それゆえに高ランク魔導師の運用には厳密に規定が設けられ、状況によってはリミッターで制限が課せられる。現実には高ランク魔導師、騎士の戦いであっても周囲に被害が及ぶことは少ないが、それは戦闘時の相性――噛み合わせや、環境保全のために結界を張ったりするからだ。
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官が行った戦闘行為は、推測だが映像を見た限りでは海岸の開けた場所でのものであり、全力闘争を管理外世界でするからにはどんなに頭が血が上っていたとしても結界を張るくらいのことはするだろう……もしかしたら、あの剣幕ではそれも忘れてしまっていたかもしれないが……まあそれはいい。この場合での闘争条件としては、結界を張ってる張ってないはあまり関係ない。都市部の路地裏や建築物内部でのような限定空間でなく、開かれた場所での戦いであるということが重要だ、とウルスラはしかし首を捻った。
「名うての執務官、Sランクオーバーの空戦魔導師であるテスタロッサ執務官が、自分のステージであるオープンスペースで全力で十五分も戦わなければいけない相手……」
 なんだそれは。
 ウルスラの呟きというにはやや大きすぎる声を聞いた者たちは、一様にそう思った。
 戦闘が長引くということは、それは膠着していたということであり、つまりは彼女と拮抗している戦闘力を持っているということだ。
 彼女と、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンとまともに戦える魔導師、騎士などというものは管理世界を探してもそうはいない。
 できるとしたら魔法戦技を極めたストライクアーティストたちか、管理局の戦技教導隊の上位レベルの者たちくらいだろう。それだって、彼女の速さに対応できるものなど少数だ。
「付け加えておけることとしては」
 クロノの声は冷たく響いた。
「彼女の服務規程違反の一つは、管理局法第二十二条――つまり、魔導師でもない管理外世界の民間人に対して一方的な闘争をしかけたことだ」
「民間人!?」
 しかも非魔導師。
「信じ難いが――まあ、あの高町なのはの故郷なんだから、そういうこともあるだろう」
 あー………。
 なんとなく、皆の間の空気が鎮まった。
 エース・オブ・エース高町なのはの故郷といわれたら、どれだけ強力な人間がいたとしてもなんとなく納得できる――気がしたのだろう。理屈には全然になっていないが、恐ろしく説得力がある。
 きっと手加減一発岩をも砕くとか、そんな感じの人外魔境なのだ。
 ウルスラは「ふむ」と呟いて。
「興味深い話ではありますが、どうにも……この高町三佐の知人というのは、声だけ聞いても虫唾が走るというか……ひどく悪寒がするというか――私には絶対相容れないナニモノかでしょうね。機会あれば私の手で叩き伏せたいですが、民間人というからにはそれは果たせないか――いや、そういえば」
 彼女はフェイトに眼を向けた。
「そもそも、貴女は勝ったのですか?」
 ――――。
 再びざわついた空気の中で。
 フェイト・テスタロッサ・ハロオウンは。
「答えは得た――」   
 と、いい笑顔をしてくれた。
「大丈夫だよなのは、私、これからも頑張っていくから」
 クロノもウルスラも、フェイトから目をそらした。
「……それが二つ目の質問かね」
「いえ。これは今気になったことで、それとは違います」
 ウルスラは瞼を伏せ。
「ですが、これについてはもう結構です」
「まあ、ごらんの有様だ。察してくれ」
 なんというか……色々と察するにあまりある光景であった。
「フェイトさんのバイタルスコアは、全然問題ないんですけどねー」
 シャーリーは数値をチェックしていた。
「あ。口を挟んですいません」
「いえ」
 ウルスラは鷹揚に頷いてから。
「あの様子で、問題はないのですか」
「肉体面では」
 空間にフェイトの健康状態の検査結果が表示される。
「むしろ昨日の疲労もすべて回復しています。四日前にチェックした時よりも好調なくらいです」
 クロノは首を振った。
「バルディッシュのログによると、戦闘中に心停止を二回しているんだがな」
 なんだかものすごいことを言う。
「幻術魔法で感覚支配されたんでしょうか」
「それだと回復の説明までつかないだろう」
 一体、何があったというのか。
 シャーリーは空間モニターを消してから。
「とにかく、今のこの状態は精神的なものですね。それだって神経疲労というのはまったくないです」
「今回の事件からして色々と起こっているからな。その上に馬鹿やらかしたので少し現実逃避しているんだろう。まあこれでもなんだかんだとフェイトは強い女だから、ほっとけば復活してくる……それにどっち道、今日一日は調査手順の問題から書類仕事に専念してもらって、回復に努めさせるつもりだった。謹慎ということで書類はこちらの方で処理しておくが、とにかく一日部屋に閉じ込めとくさ」
 そこで言葉を切ったクロノは、じろりとティアナの顔を見た。
 ティアナは赤くなっていた顔を見る間に青ざめさせる。
「そうでもしないと待機任務も守れないような、そんな不良執務官が最近は増えているらしい」
「……すみません」
 服務規定違反をして始末書を書くことになっていたのは、フェイトだけではなかったのだった。
「非常時だから二人共減給だけですませるが、やらかしすぎだ。執務官というものが管理局の中でもどれだけ特別な存在であるのかについては、君たちも解っているだろう。いずれこの案件が終わったら二人揃って審問されるだろうから、今の内に覚悟しておくように」
「…………………はい」
「…………………」
 ティアナと、フェイトもさすがに逃避しきれない現実をクロノにつきつけられて項垂れた。
 そして。
「ごめん」
 と、ようやく意味のある言葉を出した。
「手間をかけさせちゃった。審問については、これが初めてじゃないから。問題ないよ」
 クロノは呆れたように溜め息を吐き。
「そういのの常連になっているというのは、上司としても義兄としてもあまり感心できることではないがな。冷静沈着な管理局随一の現役執務官――だろう。お前は」
「そうはいうけど……クロノだって、実際にヴィヴィオがパンツずらされてお尻むきだしにされているところみたら、冷静ではいられないよ」
「そのログは僕もみた。衝撃的な光景ではあるが、よくみればいわゆるお尻ペンペンのポーズだったというのは解るものだったぞ」
「だけど……」
「確かに、原始的だな。しかし躾としてそういう行為をする文化は各世界に残っている。いちがいに否定するのも問題だ」
「……地球はもうちょっと文化的なところだよ!?」
 なんだかもの凄い偏見に基づいた発言をされた気がして、ついフェイトは声を荒げた。
 なんだかんだと、あの世界は彼女にとっては第二の……いや、今となっては本当の故郷なのだった。
「まあ、そうだな。ただ辺境だと強力な力を持つ子供を追放したりなどを普通にやっているような部族もある。文化相対主義もいきすぎると問題だが、怪我させたり命にかかわるようなものでなければそう目を剥いて怒り散らすようなことでもない。それに地球基準だと、十歳以下の子供に仕事させている時空管理局も、児童虐待で訴えられる」
「……………」
「この件について、前後の事情から児童虐待と思って襲いかかってしまった――というストーリーで審問を弁護する方向でいるから、ちゃんとそれに合わせた言い訳を考えておけ」
「そのまんまだよ……」
 フェイトも溜め息を吐いてから、立ち上がった。
「ただ、児童虐待となるとなのはも罪に問われない? 聖王教会から保護者不適格とか言われたり……」
「問われない」
 クロノは目を閉じた。
「この場合の二人は同意で試合を開始したと認められる。立ち会いとしてデバイスとはいえ、レイジングハートがいたわけだしな。……気づいてなかったのか? あと、なのは自身もサーチャーを通じて監視していた、ようだ。監督不行き届きにもあたらない……いずれなのはについては、今回の件が片づくまでは保留としておきたい」
 額を押さえながら、そう言った。
 また頭の痛いことが増えてしまった、いうことらしかった。
 やりとりが途切れたとみると、ウルスラが「思わぬ災難でしたね」とフェイトに近寄る。
「まさか、高町三佐に証言を確認しにいっただけで、このような目に遭うとは……」
「まあ仕方ないよ。半分は自業自得だったわけだし。それに、世の中にはああいう人がいると解っただけでも収穫だったよ」
「さすがはテスタロッサ執務官……見上げた心構えです。にしても、この相手、改めて気に入りません」
「はは………」
「声だけでも偉そうで、うざい。非常にうざい。この手の男はどうせセックスもひとりよがりで雑なものに決まっています。そのくせ自分をテクニシャンと勘違いしていたり。寝た数だけで経験値を積んだなどと思っているうちはダメだということも解らない。うちのギルなどは最初から大したものでした。何よりも大切なのは、愛情と奉仕の精神です」
 またとんでもないことを言い出した……とティアナは顔を押さえた。
 この人は真面目な顔をして、どうしてかこういうことを平気で口にするのだ。
 クロノが目を剥いて黙り込んでいるのは、ウルスラを元腕利きの執務官で管理局全体を見渡しても五指に入る剣士であるという――そんな経歴でしかしらなかっただろう。そして見た目にも謹厳実直そうになのに。そんな女性が仕事の最中にセックスがどうこうなどと言うのは、彼の常識と美意識からしてもとても許容できることではない。
 ティアナは彼の表情の変化からその程度のことを察した。察したのだが、黙っていた。
 苦笑しているのはシャーリーであったが、こちらも何も言わない。
 ただ、ウルスラと向かい合っているフェイトは。
「………どうしました?」
「いや――――」
「何か気に障ることを言ってしまいましたか?」
「そういうんじゃなくて……」
 フェイトは少しうつむいてから、やがて顔をあげた。
(あ、これはさすがに注意するつもりかしら)
 とティアナは思ったのだが。
「あのギルくんって、そんなに、凄いの?」
「フェイトさん!?」
「フェイト!」
 想定の斜め上の質問に、ティアナとクロノがほとんど同時に声をあげた。
 ウルスラもフェイトもそちらには注意を向けなかった。
「……私も経験値はそんなにある方ではありませんが」
 と声を潜め。
「指が」
「指?」
 フェイトも顔を寄せる。
「――神技です」
「それは、」
 何か言いたげに、しかし言葉を切ってそのままフェイトは押し黙った。
「その辺りの詳細は、非常に興味深いですよ!」 
 シャーリーが食いついてきた。
「君等は慎みというものがないのか!?」
 クロノがさすがに声を荒げる。
 フェィトはようやく彼を見たが。
「クロノは少し、女の子に幻想持ちすぎだよ」
「もってない!」
「エイミィが驚いてたよ。まさか挿れる場所もよくしらなかったなんてって」
「濡れ衣だ!」
「割と聞きますね。処女童貞同士で三年くらい別のところに挿れていたという話も」
「うわあ……何処だったんだろう……」
「私が思うに――」
「いい加減にしろ!」
 クロノがデバイスを顕在させたのを見て、さすがに全員黙った。
「女同士が普通にそういう話をするのはよく知ってる! だけどな、今は勤務時間内、そして会議中だ! せめてそういうのは後にしてくれ! あとウルスラ補佐官! 君は先日に元とはいえ、夫を失ったばかりだろう!」
「あ、はい。それが何か?」
「それが――」
 クロノが言葉を続けられなかったのは、ウルスラのあまりの言い草に頭に血が上りすぎたからである。
 ウルスラはクロノの視線を真っ向から受けると。
「ランスロットを私は愛してました。別れた後でも友情は感じていました。剣士としては尊敬すらしていました。ですが、それとこれとは別の話だ」
 と、堂々と言い放つ。
 ――つまり、エロいこと話すのに別に元旦那が死んだばかりだろうと関係ないといいたいのだ。この管理局屈指の剣士様は。
「――!…………!ッ――!」
 クロノ提督は何を言っているのか傍で聞いていてもさっぱり解らない声をあげた。多分、当人にも解らなかっただろう。無理もない話ではある。彼の今までの管理局の人生でも、ここまでなしが通じない人間などというものはそうはいなかったに違いない。それでもさすがに提督というべきか、そんな混乱状態も二分とかからずに呼吸を整え、通常へと回復しだした。
「――まあ、いい」
 やがて。
 落ち着いて、息を吐く。
「君たちの家のことは、以前にも聞き及んでいる。ベルカ古式を伝える者同士のあれこれは、自分らの想像の及ぶところではない。それに、さっきいってたギルというのはかの【真皇】の末裔の少年だな」
「………よくご存じですね」
「事件に際して関係者の公開プロフィールを暗記するのは、執務官の基本中の基本だ。【真皇】家と【剣王】家のそれぞれの末裔が恋仲というのは、神話を知る者としては驚きでもあり、喜ばしくもある」
「どうも」
(声のトーンが下がっている?)  
 ティアナはウルスラの様子の変化を、怪訝そうに眺めていた。それも【真皇】という名前がでてからだが、彼女にはその意味が解らなかった。
 ベルカの王族関係の知識は彼女にもあるが、【真皇】だなんてほとんど聞いたことがない。確か最古にして最強の女王であり、最初にベルカの天地を平定したとされる……程度だ。あまりにも古すぎるので、伝説すらもろくに残っていない。実在していなかったのではないかとも言われている。もしもいたとして、その治世は【剣王】よりも遙か以前に遡るはずだ。この二つの家に何の因縁が生じるというのか。
 果たして、クロノ・ハラオウン提督はどのような神話を知っているのだろうか。
 ……押し黙らせて溜飲を下げたのか、クロノは「さて」と言った。
「それで、二つ目の質問というのはなんだ?」
「ああ……」
 ウルスラは、少し驚いた顔をした。
 まさか、ここで彼から改めて振られるだなんて想像もしてなかったのだろう。あるいは、それとも、単純に忘れてしまっていたのか。
「気になったことの一つですが」
 ウルスラ・ドラッケンリッター執務補佐官は言った。


「ティアナ・ランスター執務官には、誰がキスするのかです」


「え?」
 とクロノ。
「は?」
 とシャーリー。

「な、なんの話ですかぁぁぁぁぁぁ!?」

 ティアナは真っ赤になって立ち上がる。
「あ、ペナルティのあれね。それは――私が、責任もってやっておくよ」
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、なんでもないことのように答える。
「フェイトさん!?」
「そうですか。それは残念です」
「ウルスラさん!?」
「ああ、ウルスラはそっちもイケたんだっけ」
「誰でもというわけではないですが」
 真剣なんだか適当なのか解りにくい感じに二人は言い合っていると、シャーリーがさらに口を挟む。
「あ、ペナルティでいうのなら、フェイトさんも今回のことでそれをやらないといけないんじゃないですか?」
「シャーリー、それは……」
「おおっ」
「ウルスラさんにそういっていただけるのは、そのうれしいんですけど、だけど、だけど。そりゃあ、私だって、その……フェイトさんは嫌いじゃないですけど、だけど、そんなの、こんなのって……私、やっぱりなのはさんの今回のことが片づくまでは、やっぱり……やっぱり……スバルのことも、あるし……」
 女三人よれば姦しいとはいうが。
 四人もいれば、煩いどころではないようだった。
 クロノは今日何回目か、額を押さえて呟いた。
「君ら……いい加減に話を戻していいか?」 
  


  ◆ ◆ ◆



「ティアナの予測は、今回の高町三佐の証言によって裏づけられた」
 クロノは最初のようにモニターの前にたっている。
「念のため、なのはとティアナの会話ログもチェックしたが、向こう側からはティアナと一緒にいたのはユーノであるように見えていた――」
 それは、昨晩の『なのは』とのやりとりの際に彼女が推測していたことの一つだった。
 なのはが「そういうこと」や「説明しといて」などといって、それに応じて『なのは』が動いたことによってこちらが勘違いしてしまっただけで、なのはは別にこの目の前の『なのは』とは特に関係がないのではないかと。例えば、ウインドウ越しに見た場合に自分の姿をごまかすタイプの魔法を使っていた――
「これでなのはさんの容疑もはれましたよね」
 とシャーリーはいったが、フェイトとティアナの表情は晴れなかった。クロノも静かに首を振る。
「まだ、解らない」
「そうなんですか?」
 彼女の言葉とともに、空間に『なのは』と高町なのはの姿が浮かんだ。
 昨晩にティアナの前に現れ、消失寸前に変身したモードの『なのは』と、今朝にフェイトと話していた時のなのはだ。どちらも同じ人間のように見える。しかし、違う。それは昨晩にモニター越しに二人で話していたことでも解るし、今のなのはの証言とログで、『なのは』が魔導で姿をごまかしていたということもはっきりした。これ以上疑う必要はないように思われた。
「どうして、この『なのは』がこんなことをしたのかが、よくわからない」
 クロノの言葉は、鉄の重みをもっていた。
「自分が高町なのはではない、ということを示すだけならば、別にユーノ・スクライア司書長の姿を幻術で作る必要はないですしね」
 とティアナ。
「考えられることとしては、なのは当人の介入を避けたかった、とか?」
 とフェイト。
「確かに、あの場でなのはが『なのは』と対面した場合、彼女の性格を考えたのならば……」
 クロノは頷きながらも。
「だが、そんなことを言い出せば、そもそもからしてどうしてティアナに接触しようとした?」
 手っとり早く確認しようと考えるのならば、『なのは』の目の前で高町なのはに連絡をとるだろう――ということは、誰にでも想像できることである。
「ティアナにはどうしても伝えておきたかった、というのは――」
「それならばメールでいいだろう。ティアナのメールアドレスは、管理局を通じて簡単にしれることだ」
「直接会う必要があったから?」
「確かに、メールにかかれているというだけでは信用してもらえない可能性はあった、が。それだけでは理由としては弱い」
「こちらがどれだけのことを知っているのか、それを確認するため?」
「確認か。しかしそれは、捕まるリスクなども含めてもやらなければならないことなのか?」
「もしも――」
 ティアナは、わざと声を落とした。
 全員の視線を集める。
「もしも、メールだとしたら、私はあの人からもたらされた情報の信憑性を下げていたでしょう。そして、致命的に事態を遅らせていたかもしれないです」
「ふーむ……」
 押し黙る。
「失礼ですが、ランスター執務官」
 とウルスラが手を挙げた。
「事態の対処云々についていえば、すでにもうかなり致命的なものになっているのではないでしょうか」
「それは――」
「最初にあなたがあの高町なのは三佐によく似ている人物と接触したのは、確か先週でしたよね」
 報告書を読む限りでは、と断ってから、少し思案するように口を閉ざし。
 開く。
「仮に彼女とこのエミヤと言われる者の行動がその頃からであるにしても……この吸血鬼という存在の情報を見る限りは、一秒でも早い対処が必要となるケースでしょう。ならば、彼女らは行動する前に、あるいは行動してすぐにでも何らかの形で管理局にリークをするべきだった」
「それはそうだよね」
 フェイトも頷く。
「ただ、ログは見させてもらったけど、彼女らは秘密裏に対処しておくことが第一のようだった。それは相応の理由があったにしても――今になってそれを変えたのは、なんでなのか」
「状況が変わったということでしょうか?」
 ウルスラは目を細め、問う。
 フェイトはため息を吐いた。
「あまりにも、情報が少なすぎる……もしかしたら、私たちと接触したことによって、完全に秘密にするプランが無理になったから……という程度のことかもしれない。もしかしたら、彼女らもここに来て状況を確認するまでは楽観的に構えてたのかもしれない。いずれにせよ、彼女らの動機について考えるのは、今の段階では無理だし、無用だと思う。少なくとも、優先順位としては高くない」
「正体についても、か?」
 クロノが言った。
フェイトは瞼を閉じた。
「正体については、」


「念の為に聞くが、もしかしてフェイトは、彼女らが平行世界の高町なのはではないか――と、考えているのか?」


「……可能性はあると思う」
 彼女は目を開けて、顔をあげる。
「クロノの言いたいことは解ってるつもりだよ」
「そうか。だけど、言うぞ。その可能性については、願望が入り込んでいる」
「……………………解ってる」
(フェイトさん………』
 ティアナは昨晩の『なのは』との対峙を思い出していた。
 幾通りの可能性について語っていた。
 大魔導師になっていた高町なのは。
 剣士になっていた高町なのは。
 復讐者になっていた高町なのは。
 ……それらは全て可能性――ここではない、何処かの世界であったかもしれない高町なのはたちだ。
 きっと、そういうのは自分にもあるのだろう、とティアナは思う。
 兄が生きていたのならば、自分は執務官になっていただろうか。なっていたかもしれない。いずれにせよ、憧れだった人なのだ。生きて執務官になった兄を助けるために、勉強して補佐官になっていた自分もいるのだろう、と彼女は思う。
 その場合に自分が辿り着いていたところは、今のこの場所ではあるまい。
 あの『なのは』は、そのようなありえたかもしれない可能性を呼び出せるのだ――多分。
 勿論、それらは『なのは』の言葉を受けての彼女の推測にしか過ぎないのだが。
 フェイトとクロノにそれを話した時、二人はそれぞれが対照的な顔をしたのをティアナは覚えている。

 フェイトは一瞬だが確かに喜色を浮かべ。
 クロノは明白に疑念に眉を寄せたのだ。

「別の可能性を呼び出す、別の時間の流れの世界から別の自分がやってくる――ということについては、否定しない。それらについては、そもそもが魔法というのが量子的に世界の確率を操作するものだからだ。別の世界の存在は魔導学としては肯定されているし、その世界から人がやってくる可能性もあり得る。そうと思しき事例も過去に報告されている。それでも」
 それでも。
 クロノは、あえてその言葉を重ねた。

「それでも、平行世界の可能性を呼び出せるロストロギアがあるとして、それと、それを使う人間までもが平行世界の人間であるという必然性はない」
  
 その通りだった。
 平行世界と関係するのと、平行世界の住人であることは、イコールでは結ばれない。
 むしろ。
「そうと錯覚させるために、この『なのは』はティアナを呼び出したのかもしれない」
 だとしても、やはりユーノとしてなのはに見せたのは不明であるが……いや、そもそもが『なのは』が高町なのはと同一人物であるとするのなら……。
「例えば、この『なのは』の言ってた通りに、大魔導師になったなのはが、通常の転送魔法ではあり得ない位置関係の管理外世界と管理世界を魔導で簡単に生身で行き来したいたのかもしれない。簡単には解析できないレベルの変身魔法ができる使い魔を使役している可能性、自分のコピーを作ってしまってることもあり得る。
 もっといえば、仮にあの『なのは』が平行世界の高町なのはだとして、そのロストロギアでこちらの世界の高町なのはが呼び出したのかもしれないんだぞ?」
 そうなれば、主犯は高町なのはということなる。
 いずれ今の段階では確認のしようがない。
「魔法での次元移動した可能性についてですが、昨晩の、その大魔導師のスタイルの時に行った転移魔法が――観測されてないんです」
 シャーリーは報告した。
「最近の魔導索敵技術の向上から考えたら、範囲を絞った上でなお観測できないなんてことはまずありえないんですけどね」
「大魔力と超一流の魔導構築能力があれば、それは不可能ではないだろう。例えば、母さん――リンディ・ハラオウン元提督や、はやてクラスの大魔導師になら不可能ではない。彼女らなら、管理局の観測範囲内で結界を展開して大規模戦闘を行おうと、完璧に隠蔽してみせるだろう。そして、この『なのは』も。もしも彼女が高町三佐と同一人物で、地球とこことを移動していたとしても、こちらの方向ではチェックは不可能ということだ。使い魔かコピーであるのかの検査についてだが――」
「人権的にも、健康的にも難しい」
 フェイトが言葉を継いだ。
「そうだ」
「なのはの妊娠は確かだよ」
「それは報告を受けている……偽装の可能性なども考慮すると、魔導の検査にしてもかなり乱暴な――負荷をかけるものにならざるをえないだろう。勿論、彼女ほどの魔導師ならばどうとでもないが、妊婦であることを考えると、リスクが高すぎる。もう少し安定してからでないと検査はできない」
 お手上げだ。
 クロノは首を振った。
「たまたまなのか、意図したものなのか……ここまでこちらが動けない条件が揃うと、何もかもが怪しくも感じてくる」
「とりあえず今のところ、なのはは白、ということでいいと思う」
「限りなく灰色に近い白だがね」
 そうして二人のハラオウン家の魔導師は、意味有りげに視線を交わし合い。
 やがて、どちらともなく外した。
 そして、フェィトは空間に『なのは』の姿を浮かべて。 
「いずれにせよ、リソースは有限だ。さっきもいったけど、優先すべきことは別にある。これは、私の願望でも私情でもない」
「そうだな……」
 そうだ。
 対処を急がなくてはいけないのは、『なのは』についてではない。彼女らのいうところの『吸血鬼』についてだ。
 クロノは渋い顔をした。
「問題は、その情報の真贋だがな」
「結局、何も解ってないのも同然だね」
「この情報だけだと、管理局としても動けないぞ。少なくとも、専従のチームを作って対策をとるというのは無理だ。執務官特権でごり押しするにも、な」
「そのあたりは、サンプルがあればどうにかできると思う」
 聞いてから、フェイトはウルスラへと向き直る。
「……ウルスラには、この『なのは』がいうところの『死者』か『死徒』の確保を頼みたいんだ」
「私がですか?」
「現在の管理局でこれが頼めそうなのは、あなたしかいない。特殊な任務だというのもあるけど、任務の途中であのミエヤか『なのは』に出くわす可能性も大いにある。あの二人については未だにどういうスキルを隠し持っているか解らない。管理局の武装局員に任せるのには不安が残るんだ」
「もっとも頼りになる執務官二人が、そろって謹慎になるしな」
 とクロノはいい添える。
 ウルスラは、即答しなかった。
 否、できなかった。
 フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官の言い分は解る。
 管理局全体を見渡しても、自分以上の戦力を持つ者はそうはいない。陸戦に限定するのならば自分を打ち負かせる者など皆無といってよいだろう。仮に、あのエミヤと高町三佐のそっくりさんか同一人物か平行世界の当人かは不明な『なのは』が相手であっても、自分が全力全開で挑めばなんとかできる、という自信はある。
 ウルスラは、そう思っていた。
 実際に補佐官としてフェイトとティアナにつくようには任命されてはいるが――
「難しいですね」
 と苦渋に顔を滲ませた声で、ウルスラは答えた。
「任務とあせば是非はありませんが、私は愛剣を失いました」
 そうだった。
 彼女は先日の戦い、ティアナとフェイトを助けるために結界にかけつけ。
 愛剣を犠牲にして、それを破ったのである。
 ストレージデバイスではあるが、改造に改造を重ねて彼女の専用のものに作り上げた特注品だ。
 かつて家伝されていた宝剣を失った後、ギルより贈られた思い出の品だった。
 勿論、騎士たる者が得物がないから戦えないなどとは区口が裂けてもいえない。
 代わりになる剣も入手することは可能だろう。
 しかし、彼女の魔力に合わせて調節して万全のものとするには時間がかかる。そしてその万全でない時にもしも『なのは』と出くわしたりすれば……。
「そのことに関しまして」
 シャーリーが、言った。
「ウルスラさん、かつて機動六課に来たときのことを覚えています?」
「あ、はい。あれは……」
 自慢ではないが、記憶力はいい。日付から言おうとしたが、さすがに止められた。
「あの時にウルスラさんが入ることを断りに来て、それであの剣をうちに預けたまま、忘れて帰ったでしょう」
「忘れたというのではなく、」
 ウルスラは反射的にそう答えかけて。
 目を見開いた。
 まじまじとシャーリーをみる。
「まさか」
「あ、はい。あの時にお預かりしたあの剣、修理終わってますから」
「まさか」
 ウルスラは、もう一度言った。
 彼女の脳裏に浮かんだのは、あの時に無理な負荷と自分の不注意によって家伝のデバイスが折れた瞬間と。
 先日にエミヤというあの男が作り出し、放り投げたあれが爆発する寸前に見えた剣の姿。
 思わず、口にしていた。


「カリバーン――――」

 


 転章


(本当に、遠坂さんはどうしたんだろう)
 弓塚さつきはそんなことを思いながら、黄昏時の町を歩いていた。
 吸血鬼――死徒である彼女にとって、太陽の光はあまり好ましいものではない。それが元の世界であれ、遠い次元の壁をへだってたところにあるこの第16管理世界においてでも。
 光の持つ紫外線は、彼女の細胞を壊すのである。
 それは死徒でるがゆえの概念の効果であるのかもしれないし、もっと単純に死徒であるということは人間よりはかなくも脆いということを意味しているのか。もっとも、彼女だからこそ「好ましくない」ですんでいるのであって、これが普通に屍食鬼や死者、成り立ての死徒であるのなら、陽光とは毒と同義であったろう。
 気だるげに歩くさつきの姿は、それだけで彼女がどれほどに強力な存在であるのかを示している。
 いつもならば彼女はこの世界にきてからの相棒である遠坂凛と待ち合わせして、夜をどういうコースで巡回していくのかを計画してから、日が沈むのを待って出歩くことになっていた。しかし、先日にいつも待ち合わせしていた店の一つで管理局の人間と出会ってしまった。記憶を消したがどうなったのかはわからない。とりあえずは別の店にするか、それともしはらくは一緒に行動しようかという話になって、先晩は凛がこの世界にもっているパトロンの一人であるウルスラの元に押し掛けた訳だが。
(ウルスラさんも管理局の人だものなあ)
 管理局内部の捜査状況を把握できるというのもあって、二人はしばらくウルスラの元でいることに決めた。
 それが今朝までの話である。
 昼前には、その計画は白紙に戻された。
 ウルスラの前に恋人というのがやってきたからだ。
 ギネヴィア――ネヴィとウルスラは呼んでいたが、彼女がウルスラの前の夫が死んだという話を聞きつけて、ウルスラの元に駆けつけたのである。
 ランスロットにギネヴィア、そしてウルスラ、ね。
 遠坂凛がこの時に意味ありげに呟いたのだが、さつきは聞き流した。
 とりあえず部屋にいた二人にネヴィは鋭く詰問しようとして……凛が面倒がって眠らせてしまった。
 聞けば、以前にも彼女とは面識があるのだとはいうが。
「適当な記憶操作して帰しましょう」
 その時にも、やはり面倒な相手だとは思ったのだそうだ。
 そして帰らせてから、「やっぱり面倒ね」と凛は言い出した。どういう意味なのかはさつきにも察しがついた。
 ウルスラの元夫の死で、彼女の友人たちが随分と心配しているらしいということである。
 普段は平然というか冷静というか超然とした風であるウルスラであるが、さすがに友人であり元とはいえど夫が死んでしまったのならば、それなりに堪えているだろう――とはみなが思うものらしい。
 実際にどうであるのかは、さつきには解らない。
 ただ、寝室に連れ込まれた時の彼女の顔は、恐ろしかった。
 危うくそれに恐怖しながら、初めてのエッチを女の子相手にしてしまうところであったが。
 そこらも凛がうまくごまかしておいてくれた。
 凛は適当にウルスラあての伝言を書き残し。
「やっぱり、今日もいつもどおりに昼間のうちに巡回ルートを決めて、夜に一緒にいきましょう」
 と提案してきた。
 さつきも承知した。
 ただ、昨日のこともある。あの執務官のフェイトさんとであったアーネンエルベは使えない。
 ほかの店で落ち合うことにして、二人はウルスラの家を出た。
 そして――
(待ち合わせの時間になっても、こないし)
 何かあったのだろうか、と思う。
 決めてあった時間から三十分ほど待って、それでも連絡がない。
 さつきは店の人間に伝言を残して、でる。
 何処かにあてがあったわけではない。
 まだ、店で待ち続けてた方がよかったのではないかとも思う。
 しかし、彼女は街にでることにした。
 なんともいえない不安感に、胸を焦がされていた。
「……といっても、やはり何処探していいのかっていうあてもないんだよね……」
 日中の自分ならともかくとして、昼間の遠坂凛をどうにかできる人がいるのだろうか、とさつきは思う。
 魔導師というのがどれほど強力な存在であるのかはさつきは知っているが、それにもまして遠坂凛という女性は恐ろしく手ごわい相手だということも知悉している。豊富な人外との戦闘経験と、自分の魔術の特性を魔導師たちが知らないことをアドバンテージとし、かなりの高ランクの魔導師にも対処してしまえるだろう。 
(かといって、あの人に襲われてというのも考えにくいしなあ)
 元魔術師の、事件の元凶ともいえる死徒は、すでに凛の手によって始末された。
 あと一人の、あの人については――
(どうなんだろう?)
 凛は人の流れの中をぼんやりと歩きながら考える。
「元になったあの人と、同じような感じになるのかなあ……?」
 関わって何年もたつけど、タタリは本当によくわかんない。
 そうぼやいていたが。
 顔を上げた。
 道行く人たちも立ち止まり、ざわめいた。
(何、これ……)
 何事か、と見回した時、轟音が響いた。
 悲鳴と爆発音。
 騒ぎ出す人たち、逃げ出す人たち。
 さつきは見た。
「アレは………」
 巨大な、石塊のヒトガタ――

「ゴーレム」

 聞き覚えのある声に、顔を向ける。
 昨晩、彼女が泊まった家の主、ウルスラ・ドラッケンリッターの美しい横顔がそこにあった。



 

 つづく  



[6585] 巨人。
Name: くおん◆1879e071 ID:d65115d0
Date: 2014/12/19 13:34
「あれは――!?」
「ゴーレム」



 19/巨人。



 ゴーレムクリイト――それはミッド式の魔導師ならば初等部で学ぶ程度の初歩の魔法だ。
 勿論、全ての魔法がそうであるように、それが使えるということと、それを使っての戦闘が可能であるということは違う。
「なんという巨大さ」
 ウルスラが、思わず口にしていた。
 ある程度以上の使い手には、ただ巨大なだけのゴーレムを作ろうと思えば三、四十メートルほどのサイズは容易だ。それでも、ほとんどのゴーレム使いが実戦で作成し、操作するのは、せいぜいが二十メートルまでだ。それは単純に「創生できるサイズ」と「動かしきれるサイズ」の差である。まず第一に大きさに比例して魔力が必要になり、さらにそれを操作するためには別に膨大な集中力のリソースを要する。巨躯を術者の思い通りに動かすのには限度があるのだった。
 それは管理世界の戦闘者ならば、誰しもが経験的に知っていることである。
 もしかしたらではあるが、彼女が知る中でも最高の大魔導師である八神はやてならば、あるいは常識外の四十メートルクラスの巨大なゴーレムを創生して操作することすらできたかもしれない。

 それは、どう見ても六十メートルほどはあった。

 そして、そのサイズで動いている。
 動作は滑らかで、まるで普通の人間のようだ。
「――ウルスラさん?」
 立ち尽くしている彼女に話しかける声があった。
「サツキ……?」
 ――なんでこんなところに。
 そう応える前に、ウルスラはさつきの腕を取り、引っ張っていた。
「ウルスラさん、どうしたんですか!?」
「どうしたもこうしたもありません。早く避難するんです!」
「あ……」
 夕刻の人の流れの中で、彼女らは取り残されていた。常識外のことに驚いていた者は彼女らの他にもいた。当然いた。むしろあのゴーレムを見た者は皆が驚く。そして一瞬呆然もとはそんなにない。危険を感じて逃げていくのが当たり前の反応だ。
 ウルスラは管理局の人間として、一個の戦闘者として状況を分析するためにゴーレムを観察していたのであったが、さつきの場合は違う。
(うーん……やっぱり今頃の時間帯は、どうしても反応が鈍くなるなあ……)
 それでも、真昼よりはマシではあるが。
 さつきは目の前で自分の腕を握るウルスラを見る。
 凛の話では、管理局でも屈指の実力を持った騎士だという。
 そして自分の背後、数百メートル向こうで中央通りを歩く巨人へと眼をやった。
(そんな人でも、あんな巨人には手をだしかねるのかな? いや、そうじゃない。この人は、私を巻き込まないようにしているんだ)
 黄昏時の吸血鬼は、勘が鋭くなる。
 ――と、彼女は思っている。
 それは経験則でしかなく、特に再現性もない。だから彼女の友人であるところのシオンは「非論理的です」といってはいるが、それでも一定の信頼をよせてくれてはいる。「もしかしたら昼と夜と境目の時間帯には、さつきの脳にありえない負荷をかけるのかしもれません。そもそもからして、死徒でありながらも脳があるというのが普通ではないわけで、サンプルは少ないので確定できませんが、それで通常ありえない超感覚が生じて――」とかなんとか推論を言ってもくれてはいる。さつきには半分も理解できなかったが。
 そんな彼女の感覚が言うのだ。
 この腕を掴んでいるこの人は、アレに脅威を感じていない。
(むしろ……いい獲物を見つけた、みたいな感じ)
 こんな人だったろうか、と思う。
 違和感を感じてしまったのは、昨晩の数瞬の戦いの感覚が彼女の中に残っているからかもしれない。
(今朝と、雰囲気が違う)
 何があったのだろうか。
 十時間かそこらで。
(こう……王気が充溢しているっていうか……)
「サツキ」
 駆け足を止め、ウルスラは彼女を見た。
「は、――い」
「ここまで離れたら、ひとまずは安心でしょう」
「うん」 
 ゴーレムの巨体はもう視界にはない。ただ、その歩く足音、悲鳴、壊れる道路と街路樹などの音は聞こえる。
「あとは、一人で逃げなさい」
「え」
 ウルスラさんは、――と問おうとして、それは意味がない問いかけだとすぐに思い至る。
 彼女は管理局員で、そして今は、すぐにでもその権能を振るわんと昂ぶっている戦闘者だ。
 一般人を戦闘に巻き込まない距離にまで避難させることを優先させたが、今から何をするかなどは聞くまでもないことだった。
 それでも。
「勝てるんですか?」
 と聞いてしまった。
 ウルスラは一瞬、虚を衝かれたような顔をしたが。
 やがて。
 微笑む。
「大丈夫です」
 安心させようとしている、とさつきは思った。
 そしてそれ以上に、この人には自信があるのだとも。
「巨人殺しは我が祖たる【剣王】も成し得たことです。神話に聞こえた彼の武勇――現世において再現する機会がこようとは、まったくもって私は幸運だ」
「……………………」
 さつきは言葉をだすことができなかった。
 ウルスラが言っていることは冗談めかしているが、半ば以上は本気であるということが解ったからだ。
「それに、例え一夜限りの契りといえど、あれほどに愛し合った貴女を護り、精強な我が剛勇を示せるというのは――まさに騎士の誉れ。古えの騎士物語のように、今宵は閨にて睦言に我が勇壮たる剣舞のほどを語ってみせましょう」
「……………………ッッ」
 さつきは言葉をだすことができなかった。
 ウルスラが言っていることは冗談めかしているが、半ば以上は本気であるということが解ったからだ。
 というか、むちゃくちゃ本気だ。
 潤んだ眼差しに、上気してほのかに朱に染まった笑顔。
 黄昏時の吸血鬼とかそういうのは全然関係なく、誰だって解る。
 これは――欲情している。
(遠坂さん……一体、どういう夢を見せたんですか……!?)
 ひっくとさつきは顔を引きつらせ、のけぞった。
 妖精の如き美貌は、色欲に身を滾らせてもなお美しかった。   
 しかし、正直引いた。
 ウルスラとさつきが昨晩にそういうことをしていたという事実はない。正しくは、現実にそういうことをしていたという訳ではない。凛が泊り込んで暗示を改めてかけるついでに、三人で……なんというか、とにかく処女のさつきには説明し難い色々とエロいことをしたという夢を見せたということ――らしかった。
 具体的な内容は聞いてない。
 教えたがってた風な顔をしていた凛であったが、あれは彼女をイジりたいだけだろう。
 しかし今となっては、やはり聞いておけば……と思ってから、やはり違うと首を振った。
(聞いたら、どんな顔をして顔を合わせたらいいのかわかんなくなるよお)
 もっとも、昨日のことをいえば、彼女自身からして凛をホテルの浴場で押し倒してしまっている訳だが。
 その時は、幸いにも未遂ですんだが。
 ……騎士と死徒の二人が向かい合ったのは、ほんの十数秒であった。 
 先に眼を逸らしたのは――
 先にその少年の姿に気づいたのは、さつきの方だった。

「あの子は――」
「? どうしました――」

 さつきにつられ、ウルスラもビルの隙間から這い出るように姿を現したその少年を見て。
 どうしてか、眉根を寄せた。


「死徒」


  ◆ ◆ ◆


 彼が『それ』に遭遇したのは、ストライクアーツのトレーニングの帰り道の路地裏でのことだった。


 ストライクアーツというのは、この管理世界で最も人気がある競技である。
 競技とはいっても、はやい話が魔法による戦いで、その内容はレギュレーションを守っていればどんな魔法を使っても問題はないというのだから、ほとんど実戦と変わりがない。新暦での非殺傷設定やら威力調整やらの機能が発達した、その成果といえるかもしれない。実戦と異なるのは環境となるステージが一定のもので、戦う相手が決まっているという点だけである。それだけというべきか、それが実戦でもっとも重要な要素であると考えるべきか、そのあたりはまたそれぞれ考え方があるだろう。
 地球での格闘競技はだいたいルールに応じて技術体系が発達し、それなりのバリエーションはあってもある程度の範囲の中に収束してしまうものであるが、ストライクアーツはそうではない。先述の通りにどんな魔法を使ってもいいとなると、それこそ色々なタイプの戦闘魔法が使用されることとなる。勿論、戦闘スタイルにも流行や人気のあるなしはあるのだが、各流派独自のものがそのままの風格を保って使用されることが多い。個人個人のスタイルはそれこそ千差万別のものとなる。
 彼が使うゴーレムクリエイトは、そんなストライクアーツでも少数派のスタイルではある。
 理由は明確だ。
 ゴーレムの動きは、総じて人間よりも遅い。
 当然、それらは術者のレベルに応じたものであるのだが、速く動くゴーレムを構築するくらいならば、自分の機動力を挙げてしまうのが大方の人間にとっては安上がりだ。
 実戦においてもゴーレム使いというのはそれほどいないが、理由は似たようなものだ。
 そのような不利な条件でなおゴーレムを使用するというのは、何かの拘りがあるのか、あるいはゴーレム以上の得手がないのかのどちらかだ。
 彼の場合は後者であった。
 ――とはいえ。
 そのスタイルしか選べないということは、逆に言えばそのスタイルこそが適合しているともいえる。
 それを彼のストライクアーツの試合成績は示しているといえよう。
 都市戦では最初に出場してから四年連続で上位十番の中に入り続け――、
 公式戦、草試合問わず、全ての試合での勝率は七割を超える。
 管理世界全体を見渡しても、彼以上のゴーレム使いはなかなかいないだろう。
 その日の彼も、試合場での草試合で三戦して、全勝だった。
 いつもならば五戦ほどして帰るのだが、最近この街で起きている行方不明者続出の事件もあって、トレーニングにきている選手も少なめだった。出歩くのを控えている者もいるだろうが、中にはその行方不明者になってしまった者も何人かいるらしかった。
 一体、何が起きているのだろうか――ということを考えなくもなかったが、彼はそのことについてあまり深く考えなかった。自分の考えるべきことではないと思っていた。事件に素人が関わって解決するというのはフィクションの世界の話だ。かの有名な管理局の若手最強の魔導師は、子どもの頃に偶然にロストロギア争奪事件で活躍し、大きく貢献したというが、そういうのは極々稀れな例外というべきであり、そもそもからして十歳にもならない歳でAAAランクという破格な才能の持ち主だからこそできたことであったに違いない。
 とにかくそんなこともあって、彼はまだ日が暮れない内に帰宅の途についた。
 行方不明者が夜間に出歩いていたということは、聞いていたのである。
 やや急ぎ足に、黄昏色の街を歩いていたのだが。
 そんな彼が、ふと裏路地を通ろうと思ったのは、なんとなくここを通ればショートカットができる――ということを思い出したからであって、何か深い理由があったわけではない。
 距離にしてたった二百メートルほどの行程。
 全力で走って三十秒とかからない程度の道。
 

 その半ばほどのところに、その女はいた。


 最初、彼はその時、夢を見ているのかと疑った。
 金糸の如き髪、白磁器を想わせる肌、均整のとれた――否、完全なるバランスで構築された肢体のライン。そのどれもが人の領域を超えたものであり、それらの組み合わせで作り出されたその容貌は、美しいというよりも神々しいというべきものであった。ただ一つ、双眸に輝く朱色のみが、あまりにも毒々しく――
(この人は、)
 危険だ、と感じたのは、理性の領域にあるものではなかった。
 洞察力だとかそんなものでは決してない。
 もっと根元的な――
 魂に近いところから、あるいは魂そのものが叫ぶのだ。
「ゴーレム――」
 クリエイト、と術式の構成にかかる時間は一秒とない。
 その一秒未満の時間にさえも備えていた。
 得意ではないが、格闘戦もできる。
 試合ではゴーレム構築前に勝敗を決しようとするのは常道であった。
 だから、戦闘が始まった段階で彼には隙はない。
 術式展開の寸前に構え、備え、相手がどのように動こうとも対応できるようにしていた。
 この時も、

 
 気づいた時には、体が動かなくなっていた。


 術式展開も、両腕をあげたのも、すべての手順は脳内でのみのことだった。
 いつも通りの行程を、現実を認識するのを拒否していた脳が反芻していただけにすぎない。
 そう。

 目があった瞬間に、すべて終わっていたのだ。
 
 磨きぬかれた魔導も、鍛え抜かれた戦技も、積み重ねられた戦闘経験も。
 その女の前には、何もかもが無力で無駄で無意味だった。
 ただの一瞥で、彼の魂までもが呪縛されたかのようだ。
 ゆうるりと歩み足取りは踊るよう。
 間近にまでやってきた時にも、その女に対して彼は何もできなかった。
 それどころか、首に回された手に、胴に回された腕に、触れられたということに歓喜し、勃起した。
 美しい顔が自分のそれに寄せられ、あと少しで唇同士が合わされるという距離になった時には恍惚とした。
 思考といえるものはすでになく。
 白いセーターごしに胸が押し付けられ、戦慄いた。
 首筋に牙を突き立てられた瞬間、彼は射精していた。


 ◆ ◆ ◆


「死徒」

 さつきは呟き、駆け出した。
 黄昏時とか、そんなことは今はどうでもよかった。
 いたのだ。
 死徒がいたのだ。
 管理世界に。
 この街に。
 自分以外の死徒が!
 それが意味することはただ一つだ。
 距離は二百メートル。
 百メートルスプリンターならば十メートルを一秒で走ることができる。二百メートルならば魔法なしでも二十秒前後で生身の人間には可能だ。魔法があるのならば、さらにその半分に時間を圧縮することもできるだろう。閃光の異名を持つ魔導師ならば、一秒とかけまい。
 死徒ならば?
 弓塚さつきには、二秒。
 たったの五歩で、死徒と思しき少年との距離を無とした。
 振り上げた腕は右。
 伸ばされた爪は一フィート。
 そこから打ち下ろすのに躊躇いは欠片とてなく、油断など一つまみとありはしない。
 死徒と思しき少年は、

「―――――――ッ」

 呼んだ。
 来た。
 さつきはふりおろしかけた瞬間にはそれに気づいた。
 気づいて、とっさに頭上へと落ちてくるそれに対して身を捻り、迎撃しようとする。
 失策だった。
 視界いっぱいに広がる大質量――跳躍してきたゴーレムの全身だ。
 おおよそ60メートルはおろうかという巨躯を構築しているのはコンクリート。単純に考えて、その重量は数百トンを下るまい。
 そのような大質量の降下を、いかに死徒二十七祖の十位に位置する大吸血鬼といえども片手で支えられるはずもなく。
 
「サツキ」

 黒い風が彼女の身体を浚ったのは、そこからさらに刹那の間もおかなかった。
 武装形態をとったウルスラが、さつきの胴に腕を回して確保したのである。
 落下するゴーレムが道路に巨大な穴を穿ったのは、その直後であった。
 三百メートルの距離を作ったウルスラが着地したのは、その二秒後だ。
「あなたも無茶をする――」
 言いかけて、ウルスラの表情が固まった。
 さつきはその様子に尋常ならざるものを感じたが、自分の身体にまわされた腕とウルスラの衣装に気づき、事態を把握する。
(あ、まずい)
 とっさに腕を伸ばし、ウルスラの手の中から逃れようとして。
 右腕を捕まれた。
「……待ちなさい」
「あの、今はやっぱり民間人はいない方がいいかなーって……」
「そうです。そうでした――いや、そうですが、そうではなく、て――」
 何かはっきりとしない頭をどうにかしようと左右に振り、それでもさつきの手を握る右手に力を籠める。
「あたたた……」
「サツキ――そう、サツキ、ユミヅカサツキ……リン――トオサカリン――貴女は、貴女たちは何者だ?」
 

 ◆ ◆ ◆


「フェイトさん」
 とティアナに呼ばれ、対面の席に座っていたフェイトは書類に集中していた顔を上げた。
「何?」
「さっきの話ですけど」
「ああ……」
 フェイトは苦笑する。
「ごめんね。ちょっと、どうしてか気になってね」
「え? いや、それは」
「もう随分とご無沙汰だったから」
「――その話じゃないです」
 またおかしな方向に話がもっていかれうな気配を察し、ティアナはぴしゃりと遮った。
「ごめん」 
「……何か、まあなんていうか……そういう話は、オフの時にでもまたお酒でも飲みながらするとして」
 本気でしゅんとしているフェイトを見ていると、あまり強くでられない。
 とりあえずフォローをいれてから、「さっきの話ですけど」と改めて言った。
「死徒、といわれる吸血鬼の件です」
「ああ、そっちね」
「ええ、そっちです」
 ティアナは念を押すように言う。
「ウルスラさん――ドラッケンリッター執務補佐官一人に一任するというのは、どうなんでしょう?」
「どう――というと、ティアナは、彼女の実力について疑問があるの?」
 きょとんとした顔で聞き返され、ティアナは「うーん」と首をかしげる。
「ベルカ古流クイーンブレイドの継承者にして、管理局[陸戦限定]Sランク。戦闘能力だけでいえば単体では十指に入るでしょう」
「加え得るに、かつては執務官としての活躍もしたことがあり、経験も豊富。対魔力なんてレアスキルもちでもあるしね。彼女を圧倒できる魔導師も騎士も、なかなかいないよ。少なくとも私にはあまり自信はない。彼女に効かせるためには、まず対魔力を超える圧縮した魔力か実体の伴った打撃をぶつけなければならないし、その下にある騎士甲冑がまた硬いんだ……シグナムやなのはでも、かなり難しいね。直接打撃メインのスバルの方がまだ相性はいいと思う。――とにかく、そうそう遅れをとるような人ではないよ。彼女に任せるのが、今とりえる選択肢としては最良だと思う」
「そうは、あるんですけど……」
 何か、言いたいことがあるらしい。
 フェイトも「ふーん」と唸っていたが、やがて作りかけてた始末書に眼を落とした。
「確かに、たった一人に全部任せるというのはあまりいいことではないけどね。こういうのは最低限、ツーマンセル以上が基本だからね」
「――はい」
「だけど、私たちがこの体たらくだからね……」
「……はい」
 待機任務を無視しての独断専行、あるいは管理外世界での未許可の全力戦闘――いずれ執務官として褒められた行為ではない。
 今日一日の謹慎で済んだのは、寛容にもほどがあるというべきだろう。
 ティアナはそれでも。
「ですが」
 と言った。
「さっきの話だと、私たちが復帰しても彼女一人に任せることになっているみたいですが」
「人材の余裕がないのも、確かなんだ」
「―――――――」
「本来、この手の任務に直接関係者が巻き込まれているような可能性が高い場合、そういう人間に担当させるというのは内務規定ではできるだけ避けるようにされている」
「―――しかし、」
「ウルスラは、その原理原則を守るのならば明らかに現場に行かせるわけにはいかない。感情的になって判断を誤るかもしれないし。だけど現実問題として、今のこの街で、三百人以上の人間が行方不明になっているという状況で、まったくなんの関係もない局員を探せというのも無理があるんだよ」
「それでも、死んでいるというのがはっきりしている人は少数です」
「そうだね」
 フェイトはそのあたりはあっさりと認め。
「とはいっても、それで根本の人材不足がどうにかなるわけではないから」
「………せめて、あと一人くらいカバーにつけられたらって思うんですけどね」
 ティアナは脳裏に昨日の彼女の姿を思い出していた。
 目の前で愛剣を模されたモノを爆破され、呆然としている姿を。執務官になる前にも、なった後にも、あんな姿をしている人を何度もみた。大切なものを失った時、ひとはみんなああなっていたものだった。
 すぐに立ち直っていたかのようにも見えたが――
(本当は、平気なはずはない)
 元の夫を失ったばかりであり、かつての愛剣を爆破されるという悪夢を見せられ、その後で彼女は結界破りのために今の剣をも使い潰してしまったのだ。平気でいられるはずがない。品のかけたようなことを言っているのだって、きっとああいうことを言ってなければ心が持たないからだろうとティアナには思えた。口調が乱暴な者ほど繊細だなんてことは、ままあることだった。
 そんな彼女に、人手が足りないからと重要で危険な任務をやらせるというのは、ティアナにはどうにも許し難いことのように思えたのだ。
 フェイトはそんなティアナの様子を観ていたが。


「ティアナは、ウルスラの本気を知らないものね」
   

 ぽつり、とこぼれ落ちすように言った。
「本気――?」
「そう。本気。クイーンズブレイドの継承者であるウルスラ・ドラッケンリッターの本当の本気の力」
 それは、どういう意味か。
 先日にティアナが見たウルスラの力は圧倒的なものだった。
 フェイトのフォトンランサーの掃射を浴びて平然とし、得体のしれない剣群の投擲を一閃で弾き飛ばし――
 あれほどの攻撃能力、特殊技能、ティアナとて今まで多くの魔導師や騎士を観てきたが、おおよそ類のないものだった。六課の隊長たちにも比肩する怪物、というのがティアナのウルスラに対する評価だ。それでいてなお、心が傷ついてる様子をも見ている。
 それなのに。
「本当の本気の、ウルスラの力はあんな程度じゃないんだよ」
 フェイトの言葉は衝撃的だった。
「それはどういうことです?」
 まさか、あの時のエミヤという男相手の闘いは本気ではなかったということなのだろうか。
「本気だったと思う。いや、彼女の発揮できる、あの時の限度での本気だったというべきかな」
「それは……デバイスのせいですか?」
 フェイトは頷く。
「【剣王】家に代々伝えられてきたというデバイス、カリバーン……一族の特殊な魔力に合わせて調整されたそれは、現代ではとうてい再現不可能と言われてた――古代ベルカの魔法文明の生み出した最高傑作の一つといっても過言ではないね」
 それを、ウルスラは失ってしまったのだという。
「私は、一度だけ、彼女が模擬戦をしていたのをみたことがある」


 ◆ ◆ ◆


「……問いただしたいことはいくらでもあるが」
 ウルスラは改めてビルの上に着地してからさつきをおろし、手を離す。
「今は、あのゴーレムの方の始末が先だ」
「は、はあ……」
 さつきはようやく自分の腕が解放され、捕まれたところをさすりながらそう生返事する。
「あなたは、あの若者のことをシトと呼びましたね?」
「ええ」
 反射的に答えてから内心でしまったと思ったが、どうせこの世界で死徒のことを知っている人間のことなど自分ら以外ではほとんどいないということに思い至り、さてどう誤魔化そうかと思考をシフトさせ――
「あれが、話に聞いた吸血鬼か」
 ウルスラの言葉に、驚く。
「知っているんですか!?」
「……ふむ」
 ウルスラはゴーレムとさつきを見回してから、「なるほど」と呟いた。
「とりあえず、死徒の弱点を知りたい。あなたが知っていれば、ですが」
「あ、それは知っていますけど」
「ほう」
「あ、じゃなくて、その、えーと……」
 さつきは混乱してしまった。
 この世界では自分たち以外で死徒のことを知っている人間はいない。というのが大前提だった。もしも知っているとしたらそれは敵対する「彼女」かその関係者たちであると限っているものと考えていた。それがたった今崩れてしまったのだ。
 さつきは頭が悪いわけではない。ないのだが、基本的に彼女のメンタリティは一般人とさほど変わらない。少なくとも表面上は。恐るべき強敵を何度となく撃破したが戦闘は今だって好きではないし、凄まじい死地を幾度となく踏み越えてはいても未だ慣れない。予定外のことが起きたのならば混乱して当然だった。
 ウルスラはそれを察したものか、ゴーレムの足下でふらついいる少年へと目をやった。
「念の為に言っておきますが」
「はい?」
「今の私には、精神系のスキルも通じませんよ」
「はい……」
 ウルスラの対魔力スキルは甲冑を装着した時にのみ発動する。故に、彼女に普段は魔法は通じるのだ。凛の暗示も効く。ただし、騎士甲冑を展開した途端にそれらの魔法や暗示の効果は無効化されてしまう。今の状況がまさにそうだった。
 先日にギルに言われた黒髪の新しい恋人のことが思い出せなかったのは、そのせいである。
 しかしさつきを目の前にしながらも武装して暗示が解けると、記憶の整合性がとれなくなった。いくらなんでも、つい数秒前まで話していた人間のことを忘れるということはそうそうない。記憶と行為の矛盾を脳が認識した時、植え付けられてた記憶を一気に思い出し、そしてそれが現実ではないということをも認知してしまったのである。
 彼女は自分が何をされたのかということははっきりとは解らなかったが、とりあえず精神系の未知のスキルだという風に判断した。
 それが通じない、と今言ったのは、「偽情報などで誤魔化そうとしないように」と釘を差したまでのことであるが。
「弱点っていっても、太陽に弱いとか流れ水を渡れないとか……」
 目の前で、ゴーレムが暴れだしている。
 少年の苦しみに呼応するかのように、ふらふらと動き、手足を振り回し、建物を壊していく。
 さつきは目を凝らす。
「……今のあの人、苦しんでいるんだと思う」
「ふん?」
「多分、全身が痛くて辛くて、だけどそれが太陽のせいなんだってのがまだ解らないんだ」
 死者などの経過がなく死徒になったためか、太陽に対する忌避感というか警戒感が薄い。本能的に怖くは感じてはいても、おそらく成り立てたばかりの混乱している頭ではそれがはっきりと認知できていない。そして今の時刻――黄昏という頃合いは、夜のモノである死徒の感覚を酔わせる。
「あと少しして、日が完全におちて夜になったら、もう少し落ち着く――と思う」
「……完全な日没まで、あと半時間か」
 ウルスラは目の前にウインドを表示して、眉をひそめた。
「あと半時間もあれば、あのゴーレムがどれだけの破壊をもたらせるか――いや、そもそも、あと半時間も保つのか?」
 あれだけの巨体を維持する魔力となると、相当のものだ。
「解りません。だけど」
「だけど?」
「だけど……私の勘だと、あと一時間くらいなら動かし続けると思います」
「勘、ですか」
 どう判断すべきか、とウルスラは呟いたが、彼女自身の直感も同様の判断を下していた。具体的に一時間だとかは解らないが、日没がすぎてもアレは動き続けるだろうと思えた。
(いずれにせよ、日没まで放置しておくわけにもいかない)
 ウルスラの目の前でウインド表示が複数現れる。さつきはびくんと震えたが、唐突なそれに驚いたためだろう。ウルスラはそちらを一瞥したが、それだけであとは応対する。どれもが管理局からの問い合わせであり、複数の部署からのものだった。その内の武装隊とクラウディアからのものだけを残し、ウルスラは一通りの報告だけをすませる。
 そして。
『結界封鎖だけでいいんだな』
 クラウディアからのクロノの問いに。
「はい。執務官たちの応援は不要です。むしろ、私一人の方がやりやすい」
『君がそういうのなら』
 納得したらしい。
『二百秒後に、上空から結界素子を展開して空間を封鎖する』 
『武装隊からの援護は?』
 こちらは支局の武装隊からであるが。
「結界魔導師の派遣ができるのならば、バックアップに。私の新デバイスからの斬撃魔法は、結界破壊効果が付与されている可能性が高いので」
『了解』
 二つのウインドが消えると、「さて」と改めてさつきをみる。
「ああは答えたものの、正直な話、まったく未知の相手です。できるならば経験者のアドバイスなどがあるとうれしいものですが」
「えー」
 さつきは思わずそんな声を上げてしまうのであるが、それでもゴーレムへと顔を向けてから。
「ないです。あんなおっきなの相手に戦ったことないですから」
 ヘルメスはもうちょっと小さかったと思う。
「ゴーレムは私がなんとか。肝心なのは、あの吸血鬼にされた少年のことです」
「あー……それなら」
 どうにかなるかも、と肯定するさつきであるが、続いてのウルスラの言葉にまたもや声をあげる。
「ただし、生きたままに」
 それがどれほどに難しいことか――
「無理……ではないけど、難しいですよ」
「無理でないのならば、やる価値はあるでしょう」
「そうかもしれないですけど……」
 だけど、できるのかなあと呟く。呻くようだった。
 彼女とてこの世界にきて、何人もの死者を屠ったし、死徒と化した者も滅ぼした。それらも好んでした訳ではない。死徒であるのならばまだ意志の疎通ができる可能性だってある。そう思ったりもしていた。だが、先日に彼女たちが二人がかりで倒した騎士などもそうなのだが、どうにもここで出会った死徒は違う。まだあの少年で二人目なのだが、彼女にはそう思えてならなかった。
(なんだか、自分やシオンの時とは違うんだよね……勿論、私たちの方が珍しいんだってのは解るんだけど)
 上手く言葉にできないもどかしさに、さつきは眉を潜める。
 しかし、時間は有限だった。
 彼女たちの葛藤や事情など考慮はしてくれない。

 突然、世界が翳った。

「!?――――」
「落ち着いてください。結界です」
 言われて、さつきはウルスラを見て、それからいつの間にか緑がかった、しかし曇天の空へと目をやる。
「これが、結界――ああ、なるほど」
 夜でこそないが、日光が完全に遮断されている。この状態ならば、万全でこそないが真昼間や黄昏時などと違って支障なく死徒としての全力を発揮できるはずだ。
 と、なると――
「あ、あの子も止まっている」
「ゴーレムもです。しかし、」
 全身を襲う倦怠感と痛みからは解放されたはずだ。それはさつきの様子からもわかる。だが、ウルスラは目を細めている。訝しげな眼差しで吸血鬼にされたらしき少年と巨大なゴーレムを見ている。何か胸騒ぎが止まらない。嫌な予感がするのだ。
 距離にして数百メートル離れた少年は顔を抑えていたが。
 やがて。

 彼女たちを見た。

「―――――ッ」
「―――――ッ」
 二人の背筋に悪寒が走った。
 彼女たちもまた直視したのだ。
 
 鮮血の色に染まった双眸を。

 それに宿っていたのは劣情と害意と憎悪を合わせたかのような、原始の破壊衝動にも似た表現し難い感情ともいえない何かだった。おおよそ人がもつものではなく、人に向けるようなものではない。
 人ならぬ怪物が、人ではない――餌を見る目だった。
「まずい」
 抑揚もなく呟いたのはさつきだ。
 彼女は、知っていたのだ。
「サツキ――ッ!」
 ウルスラが叫んだのは、ゴーレムの姿が一瞬にして消えたからであり、その次の刹那にゴーレムがどういう動作をとったのかを悟ったからである。
 
 跳躍していた。

 二人がそこから飛び退いたのとほとんど変わらない時間に、またもやゴーレムがそこに落ちた。大質量の落下に、彼女たちがいたビルが崩壊する。
「これほどの距離を跳ぶとは……ッ」
 ウルスラは舞い散る埃から脱出するように駆け上がり、跳び、距離を取ろうとする。
 人間の視覚は上下の動きに対して若干反応が鈍くなるというが、ウルスラのような騎士や魔導師にとっては三次元にて縦横無尽に機動していく相手との戦闘は珍しくない。飛行魔法の普及したこの世界においては当然のことといえた。戦闘時において飛行できないウルスラであってもそれらに対応した訓練は積んでいるし、そのような経験も数多くある。それでもなお、あの巨大なゴーレムが高く高く――それも一流の機動魔導師の如き速度でそれをなし得るというのは認識の埒外だった。
 それゆえに一瞬だが反応が遅れてしまった。
(サツキはどっちに――)
 それでも彼女だけならばどうにでもできたが、さつきを伴っての跳躍は不可能だった。
 やむをえずしての単独での脱出であったが、彼女の直感はさつきが無事であることを確信していた。
 果たして、視界の隅にウルスラを追うように跳ぶ影を見つけた。
「ウルスラさん」
 むこうもこちらを見つけたらしく、安堵の笑顔を浮かべているのが見える。
 ウルスラは、

 空中にいるさつきめがけて拳を振るっているゴーレムの姿を見た。

「―――――――光牙裂閃!」

 全くの溜めもない、抜き打ちの斬撃――光の刃が、巨大な拳を切り裂いた。



 転章



「相変わらず、見事なものやね。ウルスラは」
 ソファーに腰掛け、彼女は呟く。
「はい。主はやて。彼女の手にかかれば、あのようなゴーレムなどさほど問題としないでしょう」
 彼女の傍らに立つ女騎士が、そう答える。
 二人の目の前には空間にモニターが展開されていた。表示されているのはここから十数キロ離れた場所での戦いの様子だ。黒い女騎士とどこから見ても普通の少女が、常識外の巨大な敵を迎撃していた。魔導師や騎士が魔法を操り、戦うことは管理世界ではさほど珍しいことではないが、それであってもこの光景は破格にすぎる。まるで神話の一場面のようだった。
 が。
 突然、そのモニターいっぱいにノイズが走る。
「――結界素子が定着したか」
 彼女は告げて、そしてモニターを消す。
 結界内部の様子を覗きみるのは、SS級の大魔導師である彼女であっても容易なことではない。それが個人のそれであるのならまだしも、戦艦から照射された結界魔法相手では結界素子の構築が定着するまでのわずかな時間しか難しい。無理ではないが、難しいのだ。
「まあ、シグナムのいうとおりやね。あんだけの巨人はなかなか使えるもんやないけど、ウルスラならばどうにでもできるやろうね」
「なんのイレギュラーも起きなければ、ですが」
「そうやね」
 わずかに思案するように瞼を閉じた彼女であったが、やがて開き、部屋の中央へと目をやった。
 そこにいたのは彼女の騎士の一人である湖の騎士と――
 
 両手を上げた状態で空間に拘束されている女性がいた。

 黒いスーツにスカート、そして赤いコート。
 そして、黒く長い髪を背中に流した――
 閉ざされた瞼の下にある瞳はいかなる色であるのか。
「シャマル」
 と彼女は呼んだ。
「そちらの調子はどない?」
「あまり、芳しくはないみたいね」
 空間に拘束している女性を前にして、シャマルと呼ばれた女騎士は眉を潜める。
「自白剤を合法のものだけで七種類投与しているけど」
「七種類!?」
 ただでさえ、自白剤の使用には賛否が別れるところだというのに、それを七種類、しかもこの一日だけで投与するというのは、どれほど少量だろうとやっていいはずのことではない。
 彼女が叫んでしまったのも無理からぬことである。
 シャマルは、静かに首を振った。
「それが、片っ端から無効化されていってるみたいなの」
「対薬物のプロテクトがされている――?」
「というより、害のある異物が体内に侵入したりすると、それをこの子の手の、この変な印がどうにかしちゃうみたい」
 三人の視線が一点に集中された。
 拘束された腕の片方が輝いている。
「ざっと解析した感じだと、これ、魔導書の一種ね」
「魔導書――つまり、これはリンカーコアに蓄えられた情報を外部化したものということか」
 もう一人の女騎士がそう推論を口にすると、「ええ」と緑の女騎士は頷いた。
「術式を一時的に紋章化して体に固着させるというのはままあることだけど、この子の場合、固着というレベルじゃないわね、文字通りその身に刻んでいると言っていいくらい。魔導を入れ墨にしている、といったほうがイメージに近いかしら」
「……どんな魔法が刻み込まれているか、解析できへんの?」
 彼女の言葉に、今度はシャマルは首を左右に振った。
「フォーマットが完全に異なる上に、圧縮されてなおかつ人体に刻み込まれているから……摘出、蒐集してしまえば夜天の書の魔法の一部としてはやてちゃんの『蒐集行使』で使えるはず――だけど」
「だけど?」
「リンカーコアならともかくとして、こんな状態でのそれを蒐集なんてしたケースはないから。理論上は可能ではあっても、何が起きるのかちょっと予測がつかないし、あまりお奨めできないわね。あとリンカーコアと違って、これは多分、摘出してしまったらそれっきり。改めて移植しないと、この子の手から消えてなくなってしまうわ」
「なるほど……」
 この女性の使う魔法には興味はあるが、そのために奪ってしまうというのは気が引ける。

 彼女らが未知の魔法を使うこの女性を捕らえたのは、ほんの数時間ほど前である。
 
「しかし、薬が効かないっていうのは予想外やね」
 相手の手の内が解らないからといって、隠してある札をわざわざ出させるような悠長な真似はやっていられない。だから彼女はさっさと打ち倒してしまった。まったく未知の魔法の使い手ではあるが、彼女とその騎士たちにしてみればさほどに面倒がある相手でもなかった。数多くの世界で戦った騎士たちには未知の魔法などというものに遭遇することはさほどに珍しいことではない。
 制圧にかかった十三分という時間は、むしろ捕獲対象であるこの女性がどれだけ優秀であったかを示しているといえよう。
「情報を引き出すだけならば、拷問という手段もありますが?」
 傍らの女騎士に言われ、彼女は苦笑する。
「拷問は施術する人間の主観と嗜好に左右されて情報の精度が落ちる。それに、万が一管理局にバレた場合は面倒なことになる――シグナムがそこら心得ていないはずもないか」
「……差し出がましいことを申しました」
「ええよ。まあ他にとれる手となると、あとは精神干渉系スキルしかない、か」
 二人の騎士がその言葉に顔を曇らせたのはどういうことか。
 彼女は立ち上がり、上着を脱ぎ捨てて目を閉じた。
 瞬くうちに全身が輝き、一糸纏わぬ姿となる。
「リインのサポートは」
「いらんよ。あの子に、こんな汚れ仕事をまださせるわけにはいかんやろ?」
「しかし、」
 騎士たちの言葉にそれっきり耳を貸さず、彼女は囚えてる女性の元に歩み寄り、その胸の中央に手を当て――
 そのまま突き進む。
 
 十秒を経ずして、彼女の姿が消えた。

「主……」
「はやてちゃん……」
 二人の騎士の目の前で、女の拘束が解ける。
 そして、目を開いた。




 つづく。
 



[6585] 閃刃。
Name: くおん◆1879e071 ID:d65115d0
Date: 2014/12/19 13:37
「……騒がしいですね」
「うん――」
 フェイトはティアナにそう答えながらも、「ふうん」と何かに気づいたように声を漏らした。
 クラウディアの乗船履歴の長さはもう随分となる。フェイトは今この艦がどういう状態に移行したのかを察していた。張り詰めた空気感というべきものを感じ取っていた。ティアナも同様に何か尋常ではないものを察しているようだが、具体的に何が起きているかということについてはまだよく解っていないらしい。無理もないことだった。
(対地上干渉の魔導兵装を使ったんだ)
 微細な振動と魔力の波動。
 フェイトは目を細める。
(対地攻撃を行うような警戒レベルになったのなら、さすがに解る……となると、地上での作戦支援――封鎖領域でも構築したのかな?)
 可能性の高いものを幾つか頭の中で並べていたが、やがて首を振る。
「まあ、私たちにお呼びがかからないということは、まだそんなに深刻な事態ではないんだと思う」
 次元航行艦からの対地干渉魔導というのは、普通に考えて深刻でゆゆしき事態なのだが、フェイトはそんな風に言って、書類仕事に戻る。
 彼女は義兄の判断力を信頼していた。石頭で融通が効かなさそうに思われることもあるが、クロノがまず第一に考えてるのは民間人の命であり、続いて局員の、部下たちの安全だ。規律にうるさいのはそれを守ることこそが人々のためになると信じているからであり、そしてまた、それを守っていれば人々が安全だと盲信するほど愚かでもなかった。規律違反をせねばどうしても助けられない命があるというのならば、彼は迷わずそれを選択するだろう。
(いずれ私たちの力が必要なら、謹慎中でも呼び出されるはず)
 それがないということは、まだ執務官二人にはここで書類仕事にとにかく専念していろ、ということなのだろう。
「そうですね」
 ティアナもフェイトの言葉を受けて、自分の書類に戻る。
 しかしすぐに顔をあげた。
「それで、さっきの話ですけど」
「さっき?」
「念のため、フェイトさんの性活事情ではないですから」
「……私もそう何度もおなじぼけはしないよ。さっき――というと、ウルスラの本気の話だっけ」
「はい」
 ティアナは微かに身を乗り出した。
「彼女の本当の本気の模擬戦について、です」
「うん。あれは確か戦技交流会でだったね。戦技交流会というのは最近はやってないけど、かつては部署を乗り越えて戦闘魔導師たちが集まって半年に一回くらいやってたよ」
 どこか遠いところを眺めているかのような顔をして、フェイトは言った。
「最近はやらないんですね」
「だいたい、シグナムが勝つからね」
「…………はあ」
 なのはは一度撃墜されてから交流会に参加することはほとんどなくなった。出場はしても一度か二度戦うだけでドクターストップがかかる。シグナムと一度行われた模範試合があまりにも凄惨で壮絶だったというのもある。あれ以来、シャマルはなのはとシグナムが戦うということをなかなか許可したがらない。
 それでフェイトはといえば、執務官としての仕事が忙しくて、交流会にもでられないことが多くなった。彼女はシグナムの対抗馬として期待されていたということは自覚していたし、そのために試合の調整をしていたこともあるのだが、どうしても現場担当の執務官というのは激務だ。急な用件がたびたび入り込み、仕方なく試合をキャンセルすることが続き――
 ……という具合に、シグナムがほぼ必ず勝つという状況が続けば、おのずと盛り下がろうというものである。
「他のヴォルケンリッターの人たちは参加しなかったんですか?」
「ザフィーラははやての護衛ではあるけど、正式な任官はしてないからね。ヴィータは『お前らと違ってバトルマニアじゃねーんですよー』だって」
「ははあ……」
 勿論、教導隊にしても他の部署にしても、探せば誰かはいただろう。シグナムとても無敵ではない。どこかには彼女を打倒できる使い手がいてもおかしくはなかった。
「けどまあ、結局、そういう人たちだって予定とかあるしね。仕事も大変だし。シグナムも仕事はあるんだけど、あの人、わざわざそれに合わせてスケジュール調整してくるから……」
「バトルマニアなんですねえ……」
「仕事は忙しかったんだけど、シグナムを満足させる相手となるとね」
 ウルスラが参加を表明した時は、そういう状況に飽きてた局員たちを大いに盛り上げたものである。
 ウルスラ・ドラッケンリッター。
 聖王家よりも古くから続く剣王の末裔にして、正統なるクイーンブレイドの継承者。
 現場担当の執務官として名の知れた彼女は、シグナムに対抗できる数少ない局員として期待されていたのだった。
「結果はどうなりました?」
「引き分け」
 フェイトは首を振った。
「ウルスラは武装形態をとると空戦スキルがまるで発揮できないからね。彼女の対魔力は自分のそれすらも無効化
してしまう。となると、空戦のできるシグナムに対しての決定打が限られてしまうから」
「なるほど……」
 そう相槌を打ちながらも、ティアナは違和感を覚えていた。
 確かに、空戦を得意としたシグナムと陸戦しかできないウルスラとではそのような結果となっても仕方はない。想定の範囲内である。だが、そんな結果ならばフェイトはわざわざウルスラの本気などと称して意味ありげにいうのもおかしな話だ。そして、もっというのならば、彼女の知るシグナムというベルカの騎士は、陸戦しかできない相手だからといって塩漬けにするような、そんな消極的な戦い方をするような人ではない。 
 ティアナの表情から何を察したのか、フェイトはいたずらっぽく笑った。
「ウルスラの手段は限られる――といったでしょ。つまり、無いわけじゃないの。彼女には対空戦の戦技があるんだ」
「それは、」
「あのシグナムをして、なんとかぎりぎりの回避しかできず、安全圏に避難してから対抗手段を考えることすらできなかった、制限時間いっぱいまで睨み合うことしかできなかった秘剣がね」
「………………っ」
 想像できない。
 あのシグナム隊長が攻めあぐねるというだけならまだしも、間合いを詰めることすらできない、対抗策の一つも見いだせないような技が、使い手がいるだなんて。
 勇猛にして冷静、灼熱の闘志と機械の如き精緻な技を併せ持ち、使いこなすあの騎士が、何もできないということは、共に戦い、鍛えられたティアナには信じ難い事実だった。
「シグナムは勇猛を第一とする騎士だけど、特攻隊じゃないからね。勝機のない突貫はしないよ。逆にいえば、どんなに低確率だろうと、勝機があれば無謀にも見える突撃をしてくるけど」
 ウルスラのあの技の前では、シグナムでさえも勝機を見いだせなかったということだ。
「その技は」
「クイーンブレイドの奥伝――光牙裂閃・弐式」



 20/閃刃。




「え、えええ――!?」
 さつきは思わず叫んでいた。
 自分へと向けられた巨人の拳が迎撃された、というのはわかる。 
 それは見えた。
 見えていた。
 ウルスラの手が握る剣も見ていた。
 吸血鬼である彼女の目は、拳銃の弾丸ですらも容易に見切る。
 その彼女をしてすら、その時にウルスラがやってのけたことには理解が追いつかなかった。
 難解な術理があったということではない。
 ただ――
 
 一瞬で数十の光の刃が乱舞した。

 最初の一閃から生じた光が拳に喰いこんだ、と見えた時には華が咲いたかのように何十もの光が打ち出されていた。
 恐るべき速さ――そして力だった。
(あんな技打ち込まれたら……)
 さつきの背筋が震えた。
 鋭く強烈な剣撃を一点に集中して何十も打ち込む――というのはあまりにも単純であり、それゆえにどう防御していいものか彼女にも思いつかなかった。
 速いだけの打撃は威力がない。
 威力のある攻撃は速度がない。
 勿論、例外はある。あるのだが、だいたいの場合において、威力と速度をかねあわせるというのは難しいのだ。 
 その難事を、ウルスラは、剣王と呼ばれた者たちの末裔は可能にしたのだ。
(どうしよう……遠坂さん……この人、私の力ではどうにもできないよ)
 弓塚さつきという吸血鬼の持つ能力では、ウルスラの剣はどうにもできない。
 彼女が本当の本気を出せばまた違うのかもしれないが、アレを出すときは必殺を決意した時だけだと決めている。少なくともウルスラを相手にその場から離脱するというだけのことで使うものでもない。ないはずだったが。
(けど、そういうの拘っていられないかも……)
 幾多の異形相手の戦いを経験してきたさつきは、相手の実力を見誤ることはない。
 卓絶した直感もある。
(なんとか、この巨人をどうにかしたら――)
 その時は、アレを使い、ウルスラを動けなくなる程度に痛めつけて、そしてこの結界だかを破って逃走しよう。
 そう覚悟を決めた。
 そこまでにかけた思考は二秒となかった。
 吸血鬼ならではの高速の思考能力がなせる技だ。
 だから、続いての巨人が繰り出したもう片方の手による攻撃に対処できたのは当然のことだった。
 空中で腕を交差させてとばした衝撃刃は、ウルスラのように鮮やかにとはいかなかったが、見事に掴みかかる手をまっぷたつにした。
「見事」
 賛辞の声をあげながらもウルスラは油断なくゴーレムを見ていた。そして、その向こう側で立ち尽くす術者を眺めている。
 着地して、改めて剣を巨人に向けて構えなおしたのは、切り崩されたはずの両手があっさりと元通りに復元しているのをみたからだった。
 同じく着地していたさつきが「ええー」と声をあげた。
「あんなにあっさりと再生するなんて…………!?」
「珍しいものではありません。ゴーレムは魔力の供給が続く限りは形態を保ち続けることが可能――とはいえ、この規模であの速度、やはり尋常ではありませんね」
 さすがに復元に使った分、動きは鈍ったようだったが、改めて巨人は腕を振りあげた。
 二人は同時に跳躍し、その場から離脱する。
「珍しくないって、攻略法とかあるんですか!?」
「教科書通りにやるのならば術者を直接叩くのですが、この巨体でこの速度では、術者に接敵する前にまた攻撃を食らうのが落ちでしょう」
 ウルスラは冷静だった。
 彼女もまた経験豊富な戦闘者であり、同様の状況に対しても突破してきた実績がある。さすがにこれほどの巨体ではなかったが、ゴーレム殺しには慣れているのだった。とはいえ、やはりこれはそれまでの経験と比較しても異常というに足りた。
「となると、魔力切れまで延々削り続けるか――しかし、見た限りでもこの魔力はとんでもない規模だ。生命力の根元、魂を絞り尽くしているかのような」
 その魔力がなくなるまでどれほどの時間がかかるか解らないし、そもそもあんな状態で魔力を出し尽くすとどうなるかも解らない。
「…………そっか」
「さつき?」
 ウルスラは足を止め、さつきの顔を見た。
 自分の推論を聞いて取り乱すでもなく、むしろ落ち着いてた声で答えた彼女に対し、ウルスラは違和感を覚えた。さつきのことをそんなに知っているわけではないが、こんなところでこんな風な声をだすような娘ではないというとはなんとなく解っていた。
 それなのに。
「だったら、一方が巨人を足止めして、その間に術者であねあの子をもう一方が取り押さえる……しかないよね」
「そう――なりますか」
 しかし、と続けようとした。
 それを単騎でやり遂げるような者となると、低く見積もってAAA級以上の魔導師か騎士かでないと無理だ。
 そう言おうとした。
 できなかった。
 
 さつきの目が赤く輝いている。

 ピリピリと――騎士甲冑越しにも伝わってくる緊張感、殺意ともとれる何かは、ウルスラをしてその場から離れたいと思わせるほどのものだった。
「あなたは、一体……」
 目の前にいる存在は、昨晩に見せられた幻惑の中の、ウルスラの舌と指に翻弄されていた少女とはまったく違うモノであると、ウルスラはその直感で、あるいは魂の底から理解した。巨人を操る少年と似ていて、それ以上の脅威になりえるモノだと、はっきりと認識した。
「……私がこの巨人をどうにかするから、ウルスラさんが、あの子を取り押さえて」
「――それは逆だ」
 自分が巨人を抑え、さつきが少年を捕縛するべきだった。
 それは議論にも値しない。ウルスラ以外の騎士や魔導師で、あの巨人をどうにかできるはずがなかった。さつもかなりの使い手であるということはこの数分で解ったが、それでも安全性、確実性を考えるのならば、巨人の相手はウルスラがするべきなのだった。
 だけど。
 さつきは首を振る。  
「私だと、あの子を殺しちゃう」
 非殺傷設定なんかできないし。 
 それに。

「私なら、確実にこの魔法を壊せる」

「――――――」
 ウルスラはその言葉をどう受け取ったものか。
 微かに目を細めてから。
「解りました」と頷いた。
「ですが、一太刀なりとも」
 そう言った次の瞬間に、ウルスラの剣が光の塊となった。

「光牙――烈閃」

 参式。
 巨大な光の剣が、巨人を頭上から真っ二つに切り裂いた。



 ◆ ◆ ◆



「凄いな」
 ウルスラとさつきから二キロほど離れた場所に立っているその男は、偽りない賛嘆の声をあげた。
「セイバーのエクスカリバーより威力は格段に落ちるけど、収束の速度と打ち込みの速さは段違いだ。ほとんど抜き打ちにやってるぞ。それに魔力にまだ余裕がある。とんでもない怪物だな。二人がやりあえばセイバーが勝つと思っていたけど、あれがあるのならば解らないな」
「……この距離から魔法を使わずに状況がはっきり解る衛宮くんも、違う意味で凄いと思うけど」
 男の隣にたちながら、目の前にモニターを開示している女がそう呟く。

 巨人は真っ二つになった直後にすぐさま復元し、足下を潜り抜けようとしたウルスラへと拳を振りおろす。
 それをさつきが衝撃刃を飛ばして弾きとばした。
「感謝します」
 ウルスラがいった直後にまた、今度は掌が――

「……あれが、衛宮くんの言ってた能力だね」
 女が目を細めながら呟く。
 男も「そうだ」と頷いた。
 モニターの中で、さつきの振り回した腕が巨人の掌に当たり――
 その掌から肩まで、粉々に砕けたのである。
 しかし、その砕け方は異常であった。
 剛性の強い物体が砕けるのは、靭度以上の圧力がかかればあり得ることである。程度の差はあれど、それはどんな物質にでもあり得ることだ。だが、モニターの中での巨人のそれは、違っていた。文字通りに粉々に――砂粒になるほどの微細さの崩れ方をしたのだ。
 こんな砕け方は、単純に圧力がかかって生じるものではあり得ない。
「…………どうなってるのかな? ゴーレムとして構築された魔導の物質は、魔力が行きわたっているから、そう簡単に壊せないはずなんだけど」
 しかもあんな感じに粉々になるだなんて、と女は言ってから、「逆かな」と言い継ぐ。
「逆?」
「魔力が満ちた状態ではああならないってことは、魔力をどうにかして無効化しているって考えるべきだと思う」
「道理だな」
「アンチマギリングフィールドで魔導構築を打ち消されたら、ゴーレムは砕けるけど、ああはならない……ということは、もっとそれの強力にしたのを使って――いや、それでもあんな感じにはならないかな。それとも私が知らないだけかも……」
「高町にわからないのならば、俺にはさっぱりだ。向こうの世界の魔術に詳しい凛でも、あの弓塚さつきの使う技は、はっきりとはしなかったんだからな」
 ただ、ある程度の推測はできていたようだが。
 彼の相棒であり師でもある魔術師は、「あんたと同じかもね」と言ったのだった。
 その意味は彼自身にはよく解らなかったが。
 なんとなく、見当がつかなくもない。
「どちらにせよ、あの二人ならばどうにかするだろう。援護もあるみたいだし――ただ、弓塚さつきにはなんとか単独で接触したかったんだが、この状況では無理だろうな」
「彼女を通じてならば、遠坂さんにも会えたかもしれないのにね」
 残念だね、とは高町と言われた女は言わなかった。
 まだチャンスはあるとでも思っているのかもしれない。
「最悪、管理局の方で弓塚さつきと凛を捕捉、拘束してしまうかもしれない。それは短期的には彼女たちを保護することになる……」
「だけど、私たちの選択肢の中では、それは敗北と同義」
「そうなると、介入のタイミングは勝敗の決着の直後か」
 そうして二人は無言で頷きあった。
 つきあいはこの一年ほどだが、すでに何度も修羅場はくぐり抜けた仲だ。
 全部が全部ではないが、言わずともかなりの意志疎通はできる。
「ウルスラが決めたら、でるよ」
 確認するような高町の言葉に、だが彼は首を振った。
「あんたに万が一があったら、――リスクが高すぎる」
「じゃあ、衛宮くんが……どうするの?」
 彼はそれには答えず、黒い弓を投影した。


「アイアムボーンオブマイソード」



 転章



「凛ちゃん」
 ――そう声をかけられて、遠坂凛は「誰!?」と振り向いた。
 今まで聞いたことがない人間の、今の彼女の知り合いが決して使わない呼び方で彼女に声がかけられたからだ。
「誰って、なにいうてるん?」
「――――あんた、確か」
 車椅子に座る少女が、こちらを見ている。
 ショートカットの髪をした、その少女に凛には見覚えがあった。
「…………、そう――」
「忘れてたん? ひどいなあ。八神はやて。ずっと前からの幼なじみやのに」
「え」
 凛はあまりの予想外の言葉に、混乱した。
 そして反射的に自分の記憶を遡る。
 彼女だってこの町に長く住んでいる。友人は昔からいっはいいたし、小学生からの連続してつきあいがある人間だって何人もいる。そのほとんどとはさすがに最近は疎遠ではあるが、会えば挨拶くらいするし、時間があれば近況報告のひとつやふたつもする。凛は記憶力にはそれなりの自信があった。向こうが忘れていたって、彼女の方はほとんどの知己の顔を覚えていた。覚えていたはずだった。
 なのに。
「いや、待って、この町って」
 そもそも、ここは何処だ?
 自分がいたのは、
「おかしなこというなあ」
 八神はやてと名乗るその少女は、首を傾げた。

「ここは、凛ちゃんが通ってた学校なんよ?」

「穂群原学園――」
「そう。そしてこの学校があるのは?」
「冬木市の……」
「そうそう」
 ようできました、と八神はやては苦笑しつつ頷いた。
「ここはそのフユキで、ホムラハラ学園なんよ?」
「ここは冬木で、穂群原学園……」
 そう言われれば、そうだ。
 どういうわけかさっきまでの記憶がはっきりしないが、自分がいるのは確かに穂群原学園で、その校舎の屋上で、ここでこうして話しているのは、昔からの幼なじみの女の子の八神はやて。   
 何もおかしいことはない。
 何も、おかしくはない。
 しばらくしたら、彼女の恋人である衛宮士郎が弁当を携えてやってくるだろう。
 もしかしたら、彼女の妹である間桐桜もつれているかもしれない。
 あの男はつきあいだした恋人同士、なかんずく彼女にとって、二人きりでいられる時間というものがどれだけの価値があるというのか解っていない節がある。いや、絶対に解っていない。なんの気負うでもなく桜に声をかけ、あらかじめ三人分はあるだろう弁当を作ってきて、桜も一緒に食べようなどと言うのだ。もしかしたら慎二あたりにも誘いをかけるかもしれない。まあ、あの男も空気を最低限読める。「お前らみたいなバカップルと一緒に飯を食うとか、そんなのありえないんですけど」とか言って桜もやめるように無言で指示するくらいのことはしそうだ。
(けど、そうね――)
 たまには桜と慎二も交えてご飯を食べるというのも、それはそれで悪くないかなと思う。
 あの聖杯戦争を生き延びられた者たちであるという、か細くも確かな繋がりがあの二人とはある。
 奇跡的にほとんど犠牲がなく終結した、もっとも小規模でもっとも苛烈な、あの戦いを――
「って」
 そこまで考えて、凛の中の違和感が膨らんだ。
 何かおかしい。
 何かが変だ。
「どうしたん?」
「え。いいえ、なんでもない――わ」
 はやてに問われ、凛は首を振った。
(そうよ。何もおかしいことはない。私には愛するバカがいて、愛しい妹がいて、憎みきれないバカな友人がいて、そして……)
 目の前の車椅子に座る、幼なじみがいる。

「遠坂」

 屋上への扉があき、桜と慎二を連れた彼女の恋人が、いつもどおりに弁当箱を携えてやってきた。

「遅いわよ、士郎」
   
 そう言って、遠坂凛は微笑んだ。
 そうだ。
 何もおかしなことはない。
 恋人と肉親と友人たちがいる。
 これほどに幸せなことがあるだろうか。
 きっとさっきの違和感は、あまりにも幸せすぎたからだろう――


 ◆ ◆ ◆


「…………なんとか、掌握ができた」
 縛を解かれて床にひざまずいた遠坂凛だったが、やがて目を開けて立ち上がり、そう告げた。
 いや。
 彼女は遠坂凛だ。
 間違いなく遠坂凛という名の、魔術師だ。
 だが、今彼女の体を動かすのは。
「主はやて」
 と烈火の将が言った。
「その娘、やはり尋常な者ではありませんでしたか」
「うん。かなりのもんやね。正直、失敗するぎりぎりやったよ」
 そう応えたのは、遠坂凛――ではない。
 彼女の口を使って、八神はやてが言ったのである。
「……正直、はやてにはそれ使ってほしくなかったんだけどな」
 鉄槌の騎士の声には、どこか諦観にも似たものが感じられた。
 はやては遠坂凛の顔で困ったように笑う。
「仕方ないんよ。拷問にかけるわけにもいかんし、薬を使うても効かない……となったら、精神系スキルを使うしかない。それが、私自身の魂を蝕む魔性の術であってもや」
「…………解ってる、だけど」
「ごめんなあ」
 はやてはそう言ってから、手をのばしかけてやめた。
 覚悟はしていようとも、自分ではなく他人の、その魂を奪おうとした相手の手でこの愛しい騎士の頭を撫で回すことは、とてもとても許されない行為に思われたのだ。
 彼女が使った魔法は、ベルカ式ともミッド式とも違う。
 どこかの世界に存在した魔法ではあるが、厳密には魔法ではないかもしれない魔法だ。
 仮想された霊子世界を作りだし、そこに相手の魂を飲み込み、夢を見せる――
 かつて闇の書の管理人格であったリインフォースが、主であるはやてとフェイトに用いた魔法でもある。
 本来は自らの内側に作り出した世界に作成するのだが、はやてが相手を支配する時、相手と同化した上で、相手の中に作り出すのが違いといえば違いだった。
 はやてではリインフォースより相手の記憶を材料にして世界を構築するのに処理能力が足りない……というのがその理由であるし、より深く作り込むには、相手の精神世界に入り込む方がよいということもあった。
 フェイトが自らの力でかつて抜け出せたのは、リインフォースの中に作り出された世界であるからだった。
 もしもフェイトが自らの内側にあの世界を構築されたのならば、違和感はより少なかったに違いない。夢のような夢だとして、脱出するなど考えずに浸り込んでしまったもしれない。
 はやては目を伏せる。
「とりあえず、今の段階で解ったことは、この人の名前は遠坂凛。地球出身の魔術師――まさか、私らの住むあそこにもそういうモノがいるってのは驚きやったな」
「いえ。かつての地球に立ち寄った時の記憶は我らにもあります。数百年はぶりですが、凄まじい使い手に遭遇したことは何度なりとも。今の地球では感知できなかったので、その伝は絶えたものかと思われてましたが……よほどに隠蔽の技術に長けているのでしょう」
 烈火の将の言葉に、はやては頷く。
「システムの問題があるみたいやね。神秘は隠されているがゆえに神秘……使い手が増えるほどにその術の切れが失われる……衰えていく。それがこの凛さんの使う魔術体系やね。私らの魔導とはまた違う。不便やけど、より深い領域に辿りつけるみたいな、そんな感触がある……」
「主、疑似霊子の架空虚構世界とはいえ、あまり没頭はされぬように……」
 あまりに深く潜ると、飲まれる。
 そのことを心配しての言葉であったが。
「そうやね。だけど、まだ……」
 言いかけた言葉を、はやては止めた。
 その表情には戸惑いが見える。
 やがて、言葉が漏れた。

「金ぴか――!?」

 それは、しかし、八神はやての声ではなかった。





 つづく。



[6585] 虚構。
Name: くおん◆1879e071 ID:a7511923
Date: 2015/12/25 09:28
「あの地獄のような鬼魔尽帝磨闘が終わってはや3日か……」
「本当に地獄だったな」
 健康的な小麦色の肌の少女の隣りを歩く眼鏡っ娘は、ぼやくように言った。
「汝のテスト勉強のために、私たちがどれだけ苦労したことか……」
「おかげでなんとか乗りきれたけどな!」
 サンキュー、氷室っち。
「鐘ちゃんも蒔ちゃんも、テストはどうにかできたんだねー」
 その後ろからついて来ている少女が、何処か嬉しそうな顔をしている。
「は? 乗り切れたとは言ったが、どうにかできたとは言ってないぞ?」
「……汝は何を言っているのだ」

「相変わらず仲いいわね」
 陸上部三人娘のコントみたいな会話を横目にしながら、遠坂凛は車椅子を押していく。
 凛の同級生である彼女らは、この穂群原学園でもそれなりに知られている面々である。穂群原の黒豹と言われる陸上部の部長である蒔寺楓と、その参謀にして冬木市長の娘である眼鏡っ子・氷室鐘。そして二人との間でパランサー的に陸上部をマネージメントしていく三枝由紀香――卒業してからは音沙汰も聞かないが、きっと元気でやっていっているはずだ。
「――――?」
「どしたん?」
「……いえ」
 なんでもないわ、と続けようとした凛であるが、上手くまとまらない思考を整理しようとして眉根を寄せ、首を振った。
「おかしいわね」
「ふーん?」
「なんだか、こうしているのは当たり前のはずなのに、当たり前じゃない、なんて気がしてくるんだけど……」
 何か違和感がある。
 だが、何が違和感を生んでいるのかというのが解らない。
 当たり前の光景、当たり前の日常……これのどこがおかしいのだろうか。
 凛は再び車椅子を押し始めるが、それは考えがまとまったからではなく、今はとりあえず考える必要はないことだと一応の結論を出したからにすぎない。まだ少しこれが続くようだったら、一人になった時に改めて考えればいい、ということにした。
「たいしたもんやね」
 はやては椅子に座りながら微笑んでいた。
「ここまで極濃の絶対幸福空間に閉じ込められながら矛盾を感じていられるとか……精神の強度、というよりも、魂の在り方がそもそも魔導師とはまた違うもんなんやね」
「はやて?」
「――帰りに、商店街の方に寄ってこう」
「何か買うものがあるの?」
「たまには、寄り道したいっていう、そんな気分なんよ」
 凛はその言葉に「そうね」と応え、足を早めた。
 はやては彼女の大切な幼馴染だ。めったに自己主張しない彼女が何かを望むというのならば、それに応えてあげるべきだろうと思う。
(そうよね。私には昔から続いての友達なんていなかったし――――)
 ふと、足が止まった。
「…………ねえ、はやて」
「なあに?」
「私、いつからあなたとの付き合いがあるんだっけ?」
「幼馴染にそれ聞く?」
「いや、だって――」
 私には、あなたといつから付き合ってるのかの記憶が……と言いかけた凛に、はやては「仕方ないなあ」と困ったように微笑んでみせた。
「じゃあ今日は、それを確認しながら行く、ということにしよか」




 21/虚構。




 あれは、いつ頃した会話だったか………。


『霊子虚構世界――というものらしいね』
『霊子虚構世界――』
『本来のその魔法文明では別の用語があったんかもしれへんけど、私らの言葉であれを解説すると、それが一番的確やと思う』
『……霊子世界、あれがシミュレーションだとか幻術だとかではなくて、一つの世界であるということは私にも解る。夢、というのも違う。夢に近いけど、夢よりもなお現実的だった。架空の世界を作り上げたものだといわれたら、信じがたいけども、だけど実感としてそれを信じるしかないというのも解る。あれは確かに、ひとつの世界で、そしてそれは私の記憶を元にして創りだした世界だった』
『フェイトちゃんが見たものがどないなものやったんか、私には伺い知れんけども……だいたいどういうものかの想像はつく。私も夜天の書の魔法の全てを把握しているわけやないし、特にあの魔法はベルカ式とも言い難い、かなり特殊なもんみたいやってことも解ってる。ただ、それでも、私は夜天の主なんよ。使える魔法については、ある程度の詳細を知ることは可能なんよ』
『まあ、そうでなければ、王とも言えないか――』
『うん。それで幾つか解ったことといえば、霊子虚構世界を作るベースを何処に設定するかによって、その精度がかなり変わるってことがあるね』
『ベース?』
『フェイトちゃんが体験したものについていえば、あれはリインフォースの中にフェイトちゃんを取り込んで、フェイトちゃんの記憶を元にしてリインフォースの中をベースに作った世界やった。より正しくはリインフォースの中に作られた霊子虚構世界、ということなんやろうか。つまりあの時のフェイトちゃんは、二重に囚われてたってことやね』
『なるほど……』
『フェイトちゃんにとって幸いだったのは、この場合はフェイトちゃんの中に作った場合と較べて、精度がかなり落ちるってことなんよ』
『私の、中――?』
『そう。なにせ霊子虚構世界は、霊子というだけあって本当に僅かなスペースさえあれば作れるからね。わざわざリインフォースみたいに自分の中に霊子虚構世界を作って、さらにその中で……なんて二度手間をする必要は本来ない。リインがそうしたのは――まあ、フェイトちゃんの中に入って、というのがそもそも状況的にできなかったということなんやろうけど』
『そういうことだろうね』
『ある程度の時間の余裕があれば、フェイトちゃんの中に入って、フェイトちゃんの記憶と魂から読み取った情報を基にした、より高い精度の絶対幸福空間を創りだせたと思う』
『絶対幸福空間――あれは、確かに、そう言ってもいいものだった』
『そうや。人間、苦痛には耐えられる。悲劇も乗り越えられる。やけど、快楽に抗うのは難しい。幸福から抜け出そうなんてなかなか思えることちゃうわね。そこにある幸福より、なおも得難い、得たい幸せが別にあるのならば…………』
『…………もしもリインフォースがその気ならば、私はあれよりもなお深く幸せの世界に浸りきって、抜け出せなかったかもしれないのか』
『さあ。それは解らんね。フェイトちゃんならば、それさえも振り切ったかもしれへん』
『どうだろうね』
『……まあ、今となっては解らんけど』
『改めて試したい、という気にはならないな、私も』
『そうやろうね』
『ああ、けど――――』
『けど?』
『はやてにも、その魔法、霊子虚構世界を作り、相手を絶対幸福空間? それに取り込んでしまうということができるんだよね?』
『…………できるね』
『聞いた限りだと、その魔法、相手の魂の領域にまで干渉する術式みたいで――』
『うん』
『…………かなり、危険だと、思う』
『それは、まあ……』
『それでも、その……相手を取り込むことによって、その魂を丸裸にして、虜にしてしまえることによって……その……』
『何がいいたいん?』
『――――いや』
『フェイト、ちゃん……』
『はやて、その魔法はどれだけ捜査上、メリットがあるからって、リスクが大きすぎる。もしも万が一、術が破られることがあれば、リインフォースの時とは違う。はやては大魔導師だ。だけど、ただの大魔導師だ。リインフォースのような魔導の産物とは違う。あくまでも人間の延長線上の存在でしかない。その術が破られ、魂領域で反撃されるようなことがあればどんなことが起きるか、想像もできない』
『…………やけど、』
『友人である私たちと、家族であるヴォルケンリッターたち、そして君自身のために』


『もう二度と、その魔法を使ったりしないで』



 …………ごめんなあ、フェイトちゃん。



 ◆ ◆ ◆



「お、嬢ちゃん、今日は二人連れかい」
 商店街で最初に声をかけてきたのはランサーだった。
 暇な時は釣りをしているが、それ以外ではどこかの店でバイトをしているか教会でこきつかわれているというのがこの男のライフスタイルだ。アイルランドの大英雄がなにしてんだか、と思わなくもないのだが、今のご時世では自慢の槍捌きを見せる相手などほとんどいまい。それはそれで結構なことだと凛は思う。
「ええ。見ての通りよ。そちらは、今日はなんのバイトしているわけ?」
「こちらも見ての通りさ」
「今日は買い出しというところね」
「見たまんまやね」
 そう。
 ランサーは両手に買い物袋を下げていた。白い袋の中には日用品から生鮮食品などが入っているのがみてとれる。「うちの性悪マスターが、なんか宴会するってんで買い出しだよ」
「珍しいわね。いつもなら金ぴかが電話だかで最高級品とか届けさせているのに」
「ネットだぜ、嬢ちゃん」
「ネット。そうね。ネット」
「こないだ届けさせたのに不良品が混じっててな。金ぴかの面子が丸つぶれで、まあそれはいいんだが、マスターはそれで俺に直で目利きして見てこいとかなんとかいいやがってよ」 
「金ぴかが注文したところに不良品?」
 なんというか、それは随分とあり得なさそうなことが起きたのだと思う。
 ほめたいわけではないが、あの金ぴかは当代――いや、神代から未来まで含めてなお随一と言うに足る目利きだ。黄金律などともいう羨ましすぎるスキルまで持っている。 それが選別した店で、なおあの男の幸運をまですり抜けて不良品が届けられるだなんて、それは到底あり得ないことのように思われた。
「あり得ない――だからこそあり得る、というのがこの世界の法則ったもんだぜ嬢ちゃん。ましてこの町ならばいくらでもそういうことは起こり得る」
「そう言われると、そうかもね……」
「まあアイツにとってはまた何か話が違うんだろうがな。届けられたものを見て、何かを察知したみたいだぜ」
「ははあ。あの金ぴかは本当に相変わらずね」
「まったくだ。遠からず、またなんか起きるぜ」
 二人はそこで苦笑しあった。
 この町には過去からやってきた英霊もいれば、未来から訪れた守護者もいる。
 どんなことが起きたとしても何ら不思議ではないし、そしてどんなことが起ころうともどうにかなるだろう、そんな安心感があった。
 それに、と凛は思う。
 この時の事件は今まで起きた中ではそれほど大した問題ではなかった。
 それこそ聖杯戦争の時や、あのゼルレッチ卿に命じられた死徒討伐の任務に比べれば、後で笑える程度のものだ――
「――!?」
「どうしたい、嬢ちゃん」
「凛ちゃん?」
 二人の心配そうな声をかけられて、はっと凛は気づく。
(えっと……いま、なに考えてた私?)
 なんだか妙なことを考えてしまっていたような気がする。
 しかし、何が妙なのかというのがさっぱり思い出せない。
「なんでもない――と、思う」
 そうは答えたものの、凛は屋上で覚えた違和感が自分の中で膨れ上がっていくのを感じていた。
 おかしい、変だ、しっかりしなさい、早く気づきなさい、内面の、それこそ魂に近い領域から囁く声がある。だが、何がなんだか凛には解らない。何が起きてるのか凛には解らない。何をしていいのか凛には解らない。

「――凛ちゃん、もう帰ろうか?」

「はやて」
 どうしてか、幼なじみの名前を呼ぶ自分の声が空々しく聞こえた。
 まるで、自分が出しているようには全然思えなかった。
「そうだな。嬢ちゃん、ここは早くかえんな。携帯電話とかあんた持ってないだろうから、こっちから坊主かセイバーには連絡しといてやるよ」
 無理なんかせずにゆっくり養生するといい――ケルトの大英雄らしからぬ言葉と声に、凛は思わず笑ってしまった。
「嬢ちゃん?」
「いえ、ありがとう、ランサー。そしてはやて。心配させたみたいね。だけど、もう大丈夫。なんだかよくわかんないけど、ちょっと立ちくらみしたみたいだから」
「そっか」
「魔術刻印があるから、体調はある程度、一定に保たれているはずなんだけどね。もしかしたら、夕べの魔術の実験のせいかも……」
 そう答えながら、思う。
 ――こんなこと、幼なじみとはいっても、一般人であるはやての前でしていいのかしら?
 だめだ。
 頭がうまく働かない。
 脳味噌の機能――いや、何か精神、あるいは魂そのものが不調になっている、気がする。
 やっぱり、帰ろうかな……と思った時、「おう、ちょうどいいところにきた」とランサーが言った。
(――誰?)
 凛が顔をあげると、そこには金髪の美少年がいた。

「どうしました、お姉さん?」

「あんた……金ぴか、ね」
「そうですよ」
 白いパーカーを着こなす十歳程度の美少年。
 だが、彼こそがこの町における最大戦力。最強のサーヴァント。
 英雄王ギルガメッシュ。
 その幼年体なのだ。
 心配そうに凛の顔をのぞき込む少年英雄王は、「ふーん」と興味深そうに眉をひそめ、それからどうしてか、はやての方を見た。
「…………何か、」
「いや、なんでもないですよ」
 問いかけようとしたはやての声を遮り、ギルガメッシュは微笑む。
「大丈夫そうですね。お姉さんの体は特に不調があるわけではないみたいですよ」
「おう。てめえが言うのなら、まず間違いないか」
 ランサーはなにやら手に石を持っているが、僅かにそれに視線を注いでから、やがてズボンのポケットにしまいこんだ。恐らくは何かのルーンだったのだろう。
 この大英雄は、武術のみならず魔術も極めたという男なのだ。
 クー・フーリン。
 そしてその男をして一目置き、ある種の敬意さえ抱いている風なのがこの少年英雄王なのである。
 あくまで、この少年の、幼年体としての英雄王に対してであり、大人になった英雄王に対してはそういうものはない、まったくない、というのがランサーの言葉である。
 大人の英雄王は大嫌いなセイバーですらも、この少年には士郎や凛に準ずる信頼を寄せている。
 地上世界の謎と秘密のすべてを見とおしているという英雄王。  
 そんな彼が大丈夫、というからには、それは大丈夫なのだ。
 まず、間違いない。
 大人の方だと、その信頼性は果てしなく下がるのだが。
 しかし彼は、所用で出かけていたのではあるまいか。
「問題は残ってますけど、だいたいの道筋はわかったので帰ってきました。あとはまあ、僕ではなくてみなさんでなんとかしてもらうとして……」
「あんたがやれば一番手っとり早いじゃないの」
「いやですよ。あれは地上の王である僕が手を下すべきことじゃあない」
 それは、
 どういう……
「まあそれはそれとして、お姉さん、改めて大した人ですね」
「……どういう意味?」
「そのまんまですよ。大人の僕が、マスターとして組むのならば時臣より娘の方がよかったと言ってたそうですが、その意見には僕も賛成です」
「そんなこと、大人金ぴかが話してたの?」
 驚き、というわけではないが、なんだかそれは少し意外な気がした。
 あの傲慢きわまりない男が、自分のマスターについて言及するだなんて。
 マスターなんて別にいらない、邪魔にならなければそれでいいというくらいのものだと、なんとなく思っていたのだが。
「僕と彼が同じ意見になるのは珍しいことです。あなたは最強のマスターだ。まったく、贋作者のお兄さんたちが羨ましいですよ。あるいは、惜しいというべきかな。もしも自分と組んでたのならば、もっとおもしろいことになってただろうって――本当に思います」
 凛は苦笑した。
「それは、ほめ言葉だと受け取っておくわ。――けど、サーヴァントのほぼ全員が居残ったままで聖杯戦争が集結、だなんて事態より面白いことなんて、どんなのよ、それ」
 そうなのだ。
 聖杯戦争は、召喚されたサーヴァントがまったく誰も倒されることなく現界し続けるという、イレギュラー極まりない事態で終結したのだ。
 死んだ者は監督役の言峰綺礼ただ一人。その綺礼にしたところで、聖杯戦争がなくとも近いうちに死んでいただろうとのことだった。すでにその生命は十年前の第四次聖杯戦争の時には失われていて、残滓のようなものが動き続けていただけなのだ、とは大人金ぴかの言葉である。
 この結末のあまりのイレギュラー具合には、管理者である凛も頭を抱えたものであるが、やがてまあいいかと開き直ることで乗り越えることにした。
 強力な英霊たちなど自分にはどうにもできない。魔術協会にだってどうしようもない。聖堂教会のだって手に余るだろう。
 地元の退魔組織からも、非公式にだが不干渉の提案がされた。
 八人の英霊たちに対抗できる者たちなど、それこそ世界中探したってほとんどいないのだ。
 だから凛は、彼らにできるだけ勝手に出回らないでほしいとだけ頼んで、そういう状況であることを報告して管理者としての責務を果たした、ということにしていた。
 勿論、その頼みをいちいち守ってくれている英霊たちではないが、一応、マスターの一人として顔をたててくれているらしい。できるだけ、こちらの言うことを守ってくれているのだった。凛としても等価交換として現実世界で住むための戸籍やらなにやら便宜をはかることで、彼らをなんとかこの地でおとなしくしてもらっている……のだった。
 子供ギルガメッシュは困ったように頬をかいた。
「まあ、例えば……今のお姉さんが陥っているような状況にはならなかったと思いますけど」
「……何、それ」
「今からだと、どうしようもないですね。この世界のルールは、ここにいる僕たちではどうにもならない。お姉さん、あなた自身がどうにかするか、それとも……」
 とびっきりのルール破りを呼び込むしかありません、とどうしてか、はやての方へと目をやった。
「この子、いったい……」
 困惑した顔をするはやてであるが、にぱっとギルガメッシュに微笑みかけられる。
「魂を弄ぶ者は、魂を歪ませる。あなたは外道にあってなおまっすぐな心と魂を持つ、希有な存在だ。だけど、それだっていつまでもそうでいられるという保証はない。警告しておきますよ。今回のこれが破られたのならば、もう二度とこんなことはしてはいけない」
「…………………」
「その翼は夜のように世界を覆う――だけど、あなたの肩は世界を背負うには少し小さい。体以上に広がる翼は、しかしいつまでも羽ばたけるものじゃあないんだよ」
「…………肝に銘じとくわ」
「はやて?」
 凛は名を呼ぶ。
 二人は、一体なんの話をしているというのだ。
 一体、何をはやてはしているというのだ。
 いや。
 そもそも。


 はやてとは、誰のことなのだったか。


「――――?」
 気づいた時、凛は帰り道を歩いていた。
 車椅子に座るはやてが、何か自分に話しかけている。
 どうやら、自分は、さっきまでこの子と話しながら歩いていたらしい。
「どしたん、凛ちゃん?」
「え、いや……なんでもないわ」
 なんでもない。
 なんでもない、はずだ。
 自分は学校帰り、幼なじみの女の子である八神はやてと共にいる。
 いつものことだ。
 いつもこうだった。
 いつも、いつも、いつも。
(いつも、そうだった、はず)
 なんだろうか。
 上手く言葉にできない。
 上手く言葉にできないが、自分は何かとんでもない勘違いをしているような気がする。
 それが何か解らないけれど。
「悩みごとがあるんなら、私に相談してほしいなあ」
「……そうね。そうすべきかもね。けど、今はまだいいわ。できるだけ、自分で解決できるか模索してみるから」
 他人に迷惑をかけられない、と凛が呟くと、はやては寂しそうに微笑んだ。 
「そんなこといわんと」
「ありがとう。だけど、」

「私ら、幼馴染で、恋人やない……?」

「恋、人――?」
 はやての言葉に、凛は愕然とした。
 なんだそれは。
 全然覚えがない。
 自分は女の子をそういう対象にしていたことなんてない。ない、はずだ。ない、ない、ない……多分、ない。
 ……どうしてだろうか。
 考えれば考えるほど、自分の思考にも嗜好にも自信が持てなくなってくる。
 女の子に対してそのようなことをしたいと思ったことはまったくない――とまでは言えなかった。
(そりゃ私も可愛い女の子とか好きだけど)
 三枝さんやセイバーに対して抱いた感情はあくまでもLike的なものであって、Laveなものではない、はずだ。
 いやいや、そうでもない?
 頭が混乱している。
(だめだ。なんか全然頭が働かない……) 
「大丈夫、凛ちゃん?」
「え、ええ……大丈夫……大丈夫だから……」
 何やってんだか、と思う。
 自分は魔術師だっていうのに、一般人の少女の、しかも車椅子に座っているような子に恋人に心配させるだなんて。
(恋人――やっぱり、恋人でいいのかしら?)
 わからない。
 ワカラナイ。
 なんでだろうか。
 自分の恋人はもっと違う誰かだった気がする。こんなかわいらしい女の子ではなくて、何処か気が利かない癖に変に鋭くて、無骨で無愛想なのに器用なあいつ。あいつは、あいつの名前は、名前は――
 はやては、小首を傾げてから。

「ねえ、キスしようか?」

 ――凄まじい爆弾を、投下してきた。

「きすっ!? キスってそれはあの接吻でベーゼで口づけでキスの、キス!?」
 さすがに狼狽を露わにしてしまう凛であるが、はやては困ったように微笑んだ。
「全部同じ意味やって。あとキス二回言うた」
「それ、は――解ってるわよ。いや、解ってるけど、解ってるから、だけど、それは――」
 キス。
 きす。
 この子と。
 自分が。
 凛は上手く機能しない脳味噌を回転させる。
(何よ。何が起きているのよ。いったいどうなってるのよ!?)
 なんで自分が、いくら恋人とは言っても、こんな会って間もない娘とキスしなくてはいけないのだ!
(だいたい私には、しろ――)
 ふと。
「……あれ?」
 今。
 何を考えていた、私。
 私の恋人はこのはやてで、キスなんか当然のように何処ででもしてしまうようなバカップル呼ばわりされてて――
「ねえ、いつものように」
 凛ちゃんから、して。
 はやての言葉が耳に届いた瞬間に、彼女の頭の中に靄がかかった。このまま、この子にキスをするのが当然だと思った。そうだ。この子は自分にもっとも親しい幼なじみで、自分ももっとも愛する恋人だったのだ。ここが帰り道の、人通りのないとは言っても町中であるなどということは、はやてから求められるキスを拒む理由にはならない。自分は彼女のためには何でもしなければならない。
 だから。
 だから。
「きて」
 とはやては車椅子に腰掛けたままで両手を広げた。
 どうしてか、それは大きな鳥が翼を広げたように思えた。
 その翼の中にかき抱かれたのならば、その庇護の元になったのならば、二度とそこから抜け出ることはなど考えなくなるだろう。
 遠坂凛の中の、本能にもっとも近い部分が囁く。
 だめ。
 こたえたら、すべてがおわる。
 あなたのすきなのは、――


 ――――凛!


 声がした。
 反射的に振り向いた彼女が見たのは、自分と同じく穂群原学園の制服を着た、見覚えがある……

「岸波、さん?」

 確か、生徒会庶務で、一成の後ろをよくついて回ってた……そんなことを思い出す。
 クラスの中で三番目くらいには容姿の整った女の子だった。優秀で、時期生徒会長、あるいは副会長と目されていた、はず。
 だけど突然の病気で休学して、そのまま。
 卒業式にもこれなくて。
「…………何を、」
 
「落ち着け。雑種。それはお前の知るあの娘ではないぞ」

 その声は。
 この声も、知っている。
 さっきも会ったばかりだ。
 会ったばかりの、はずだ。
 なのに。
 その男は、赤い眼差しを細めた。
「ふん――いつぞやムーンセルの戯れで時空の果てより呼び出された、赤い娘と同じ姿の者がいたが、それはアレに近い者だ。察するに、ここもまたあの時と同じくいずことも知れぬ時空からの……いや、あの者の夢の中のようだな」
 その男は、世界の果てまでをも見通しているかのようにそう言った。
 黄金の甲冑を着た、大英雄。


「金ぴか――!?」



 つづく。



[6585] 王聖。
Name: くおん◆1879e071 ID:a7511923
Date: 2016/04/26 17:30
「――金ぴか!?」



 22/王聖。



「主はやて!?」
 シグナムは即座に異変に気づいた。
 完全に掌握した魔術師の体を使って話していた八神はやてが、彼女らヴォルケンリッターの主である彼女が――制御を奪い返されている。
 それは瞬間的なものであったかもしれない。だが、決してあり得ないはずのことだった。
 どれほどに精神力が強大な存在であろうと、絶対幸福空間に囚われた魂はいずれ『堕ち』る。
 人は痛みにも耐えられる、苦しみも乗り越えられる。だが、幸福には抗し得ない。例えそれが罠であると知っていても、破滅が待つと解っていても、至福ともいえる気持ちよさの中に包まれては、選択するという意志もなくそれに埋没してしまうのが必然。それを奪われるくらいならば、そこに伸ばされた助けの手を拒否してしまうことすらあり得た。
 幸福とは、そのようなものなのだ。
 もしもそこから這いでることができるのだとしたら、その者の魂は人間の規格外にあるということの証明であろう。
 かつてフェイト・テスタロッサはリインフォースの作り出したそこから脱出することができたが、はやてが今しているそれは、より強く深く綿密に作り出したものなのだ。
 夜天の王たる彼女が念入りに構築しただろう架空霊子世界は、それこそはまりこんだ者にとっては決して抜け出そうなどと考えることもない理想郷であったに違いない。
 それなのに。
 今、その魔法に抵抗されようとしている。
(あり得ない)
 シグナムは思う。
 いや。
(――だからこそ、あり得る!)
 彼女は数多の世界を経巡り、闘争を重ね続けてきた騎士の中の騎士だ。
 絶対の敗北を覆したこともあれば、必然の勝利を逃したこともある。
 あり得ない、なんてことはあり得ない。
 そのことを骨身に染みて理解していた。
 彼女らの主の魔法に抵抗するという、絶対の不可能を可能にする者がいても、なんら驚くべきことではないのだろう。
 しかしそれは、彼女の主の危機をも意味する。
 反射的にシュベートフォルムにデバイスを展開させてしまったが。
「落ち着け、シグナム!」
 鉄槌の騎士が呼び止める。
「てめえにできることなんか何もねえぞ!」
「だが――」
 シグナムは、言いかけて剣を下げた。
「お前のいう通りだ。すまぬ」
「いいさ。だけど、てめえはあたしらの将だ。いわばヴォルケンリッターの要だ。その要が慌ててどうする。シグナムはどんな窮地でも狼狽えたりたりしちゃ駄目なんだ」
「ああ……」
 頷きながら、彼女らは叫んでから膝をついて胸を押さえる遠坂凛――の姿のはやてを見る。
 苦しむでもなく笑うでもなく、表情の欠けた顔で何か呪文のように呟きだしていた。
「マルチタスクもできなくなっているのか……となると、霊子世界の時間も圧縮は解けていると考えるべきか」
 それは相対する時間に差がなくなったということであり、これからはやてが事態を解決するまでに長らくこちらも待たなくてはならないということだった。
「その程度の負荷もかけられないとか、どういう抵抗されているんだ?」
「解らん」
「理論上は、仮になのはが相手だろうと問題なく取り込めるはずなのに……」
 そう。
 この術は相手の精神をベースに、理想郷とも思える架空世界を作り出して魂を虜にするものだ。
 術者であるはやて自らが入り込み、施したそれを被術者が抵抗することは原理的に不可能である。
 何故ならば、精神――記憶から作られた理想郷とは、その魂の持ち主が心底から望んでいる世界であり、重ねていうが、いかなる屈強な魂の持ち主であろうとも、幸福から抜け出そうなどという発想は持ち得ないからだ。
 シグナムはふむと思案顔をした。
「この娘が、精神構造が全く異なる生物だったということは?」
「それだと術そのものが成立しないだろ」
 ヴィータは凛の顔をのぞき込む。
「そうか。一度は掌握したと主はやては言われたのだったな。だとすると」
「……外部から何かの要因が入り込んだということか」
 褐色の肌の盾の守護獣が呟く。
 それを聞き咎めたかのように、シャマルが答える。
「それこそあり得ないわ」
「そうか?」
「霊子虚構世界の位置関係は単純ではないけども、三次元上ではこの子の体内にあるという事実は変わらない。誰かが干渉をしたというのならば、それは私たちの監視の目を逃れたということ」
「なるほど。――三次元でなければ?」
「解らないわ」
 癒しの風の担い手は、ゆっくりと首を振った。
「さっきもいったけど、霊子虚構世界の位置関係は単純ではないの。可能性だけを言えば時間も空間も関係なしに……まったく別の世界から干渉することはできるかもしれないけど、そんなことができるのならば、最初から三次元の、ここにいる私たちを倒してしまう方が手っとり早いわ」
「つまりは、それほどの能力が必要な行為であるということか」
 自分らを軽くどうにかできるほどの、文字通りの次元が違う存在がいるのなら――
「そうでないとしたら、ただの偶然かしらね」
「偶然!?」
 ヴィータが目を剥いた。聞き捨てならないことを聞いた、そんな顔をしていた。
「そう。偶然。たまたま、隣接した世界からなんらかの事情で干渉した何者かがいた――とか」
「……その、たまたま干渉した人間がいたとしてだ。百歩譲ってそういうのがいたとして――そいつがなんではやての邪魔をするんだ?」
 そうだ。
 もしも推察通りにたまたま入り込んだ者がいたとして、その誰かが本当にたまたま入り込んだただの部外者だとしたら、その相手がわざわざはやてに敵対するという、その理由が解らない。
 シャマルは首を振った。
「その誰かがいるのかすら推論にすぎないんだから、今ここでどういう風に論じようとも推論に推察を重ねた……それこそ机上の空論もいいところよ。はやてちゃんの身に起きていることは今のこの私たちにはなにも解らないわ」
 もしかしたら、この魔術師の精神と魂にはこの術をどうにか破る術があらかじめ仕掛けてあったのかもしれない。
 もしかしたら、はやての集中が何かの些細なミスで破れただけかもしれない。
 もしかしたら。
 もしかしたら。
 もしかしたら……。
「どのみち、ここからでは我らにはなにもできぬということか」
 腕を組んだままでそう言うザフィーラに、全員が暗澹たる顔をして頷く。
 しかし。
 シグナムは顔をあげた。
「あり得るとしたら、我らの前に立ちはだかるのは“運命の敵”であるのやもしれぬ」
「運命――!?」
 それは。
「時として、我らの前に――いや、全てのあらがえる者たちの道に立ちはだかるモノ――」
 あるいはそれは敵として。
 あるいはそれは偶然として。
 彼女らの前に現れる、それらは。
「それは、古魔法の関連で聞いたことがあるが……それか?」
 ザフィーラの言葉に、彼女は無言だった。
 それは肯定を意味している。
「前ベルカの古魔法に仮想された概念ね。だけどそれは」
「それは、滅ぼす者の前に現れるんだぞ!?」
 ヴィータの声は悲鳴に似ていた。
 もしもシグナムの想定が正しかったとしたのならば。

 今、“世界の敵”は、彼女らのことなのだから。



 ◆ ◆ ◆



「金ぴか――!?」
 凛は叫び、首を振る。
 いや、こいつとはついさっき会ったばかりで、その時はこいつは子供の姿で……いやいや、それはいつのことだ? 自分は、いつからここにいる?
 どうしてここにいる?
 そもそも――

「ふむ。心配するな。月の裏側の時と同じだ。少し頭をいじられているだけにすぎん。魂領域にまで食い込んで改竄されつつあるようだが、相手側はそう悪質でもないようだ。形質記憶は残されている。あの娘自身の魔術での抵抗も続いているようだ。切り離せばすぐに問題なく以前の状況に復元するだろうよ」
 ギルガメッシュは腕を組み、どこか愉快げに彼女たちをみている。
 その姿は黄金の鎧をまとった――武装形態だ。
 この英雄の中の英雄王といえる存在がこのような姿をとるということは、そう滅多にあることではない。
 人間が相手では欠片も本気を出さないだろうこの男が、何故にこのような――
「とはいえ、やはり手元においておかねばな。先手はとったが、二手目も譲る気はない」
 ギルガメッシュの言葉に、そちらを一瞥することなく白野が頷く。
 双眸は、凛に向けられたままだ。
 それを受けて、
(ああ、なんか相変わらずだ)
 と凛は思った。
 そんなに交流があったわけではないが、生徒会の書記だった白野のことはよく覚えている。
 どこにでもいそうな、しかし誰とも何かが違う心のあり方は、彼女の恋人である衛宮士郎とは似て非なるものだった。
 士郎が人間のようで人間のそれとはズレていたのに対して。
 白野は人間で、あまりにも人間で、あまりにも人間すぎて、それゆえに人間の領域から逸脱していた。
 どこまでもまっすぐに進む意志と眼差しは、見る者を引き寄せてなおあまりある。
(って、士郎――!?)
 気がついた。
 なんで忘れていたのか。
 それは、彼女の本当の、

 何処からともなく伸びた鎖が、凛の身体に巻き付く。

「な――――!」
 これは、ただの鎖ではない。
 かつて何度となく見た、この英雄王が使う切り札のひとつ。
 足下がなくなり、横向きの重力を感じた……のも、たった一瞬。気がつけば、凛は鎖をほどかれて白野の真横に立たされていた。膝の力が抜けるが、それはあまりの環境の変化に心はともかく身体がついていかなかったからである。
 肩を掴んで支えられていた。
 白野だ。
「あ、りが、とう……」
 白野は笑って頷き、しかしすぐに前に向き直る。
 前――即ち、彼女らの「敵」がいる方向にである。

 八神はやてが、そこにいた。

「…………なんか、ようわからんことになっとるなあ」
 さすがに笑顔ではなく、訝るようにそう言ったはやては、凛と白野と、そして最後にギルガメッシュの顔に視線を向けた。
「ほう……?」
 それだけで何を感じたのか、ギルガメッシュは愉快げに唇の端を歪めた。
「その声と眼差し、呼吸で解るぞ。――貴様、我のことを知っているか」
「そこまで解るの!?」
 凛の戦慄をよそに、はやては「うーん?」と首を傾げる。どう答えていいものか解らない、そのような顔をしていた。
「今のここに、なんでその人がいるのかよう解らんけど……まあ、ええわ。そういうこともあるんやろうな」
 そういうこと――とはどういうことなのか。
 はやてはしかしそれ以上説明をすることはなかった。
 おもむろに車椅子から立ち上がると、左手を前に突き出した。その手の中に光と共に剣十字の杖が現れると同時に、彼女の姿もまた変わっていた。
 白と黒を基調とした、それは。
「バリアジャケット……?」
 凛はぽろりと口にだし、自らの口を手で覆った。
「違うよ。同じものやけど、違う。バリアジャケットはミッド式。これはベルカ式で、騎士甲冑言うんよ」
 はやての言葉に、凛は「そう……」と目を細めた。
「思い出してきた……ベルカ式、ミッド式……ここは私の今いるべき時間じゃない。私がいたのは」
 あの、魔導と科学が同居している奇妙な世界たち。
 次元世界と言われる、遠い平行世界群だ。
 遠坂凛は、大師父より命じられた試練を達成しかけたというところで、不完全な第二魔法の実験の暴走によってこちらに跳ばされてきたのだ。
 そして目の前にいるこの少女は、勿論彼女の幼なじみでもなければ、恋人でも当然ない。
 確か、八神はやて。
 聞いたことがある。
 あの次元世界では高名な大魔導師。
 おそらく彼女と同じく地球からやってきたと思われる、超絶の大魔法の使い手。
「…………そう。そうだわ。確か私は、あの時に女剣士に追われて……」
「だいぶん、術の拘束が弱まってきたみたいやなあ」
 はやてはそう呟くと、凛の表情が固まって――溶けた。
「――ほう?」
 英雄王がそう呟いたのは、はやてが何をして、どうして凛がこんな――目を潤ませてだらしなく顔を弛め、紅潮させてしまったのかを察したからであろう。魔道に生き、幾多の試練を乗り越えた歴戦の女丈夫がしていいような、そんな表情ではなかった。
 ――――ギルガメッシュ!?
「騒ぐな。一度天の鎖で呪縛から解いたのが、改めて仕掛けられたというだけのこと。どうやらここでいる限りは、距離に関係なくあの女の領域であることには変わりなく、どこにいようとも術を自在にかけることができるのであろうよ」
 常時、天の鎖で縛り付けておけばそれは防げるものであったが、それをする気には彼はなれないようだった。
 代わりに、何かを見定めようにはやてを睨みつける。
「にしても、惨いことをする。場の状況を設定せずに直接的に強引に魂を支配下に置くとなると、記憶野も復元できないほどに形質を壊すことにもなりかねんぞ」
 英雄王の言葉を受けて、はやては一度だけ瞼を伏せた。
 だが。
 見開いた眼差しには決意があった。
「貴方に勝つためには、手段を選べない」
 何かを切り裂くような、そんな声だった。
 あるいはそれは、八神はやてという魔導師自身の魂であったのかもしれない。
 手段を選んで勝てるような生易しい存在ではない――そう目の前の英雄王を断定した大魔導師は、だが顔に汗の珠を浮かばせた。
 それは苦悩と後悔のためか。
 それとも。
 白野の腕の中で、遠坂凛が大きく跳ねた。もしくは痙攣した。喘ぐ声と顔を見れば、それは閨の中で快絶に悶える娼婦のようだ。それがこの魔術師の魂の、最後の足掻きとも呼べる抵抗のためであるということは、抱きかかえる白野には解っていた。
「……………」
 凛を抱きしめていた白野であるが、やがてその顔が変わった。
 はやてが強張ったのは、白野のその時の表情を、目を、直視したがためだ。
「あなたは……、」
 何を言おうとしたのか、はやて自身にも解らない。
 存在規模からいえば、英雄王にも、はやてにも、凛にも及ばぬ平均レベルの魔術師でしかない白野の双眸に、この次元世界でも屈指の、管理局でも有数の大魔導師が怖気を感じていた。
 ギルガメッシュの口元が歪んだ。
 彼は知っていたのだ。
「――やれ。万色悠滞、今の貴様ならば十全と使いこなせるであろうよ。なに、マスター直々の術式の行使だ。邪魔などこの我がさせん」
 白野はやはり無言で頷き、それから戸惑ったように自らのサーヴァントを見上げた。
 ギルガメッシュは先程までと違う、あからさまな軽蔑をみせた。
「なんだ? やり方が解らんのか? ここはお前の見せ場というのに、しまらぬ女よな」
 そして。
 蛇のように。
 笑った。
「――――――!」
 はやての背筋に戦慄が走る。
 何かをしようとした。
 何をしようとしたのか。
 何かを言おうとした。
 何を言おうとしたのか。

 ――――白野は気にしなかった。

 英雄王は、こう告げたのだ。
 お前がされたように、インストールしろ。

 そのようにした。



   ◆ ◆ ◆



「きまし……」

「!」
「!」
「!」
「!」
 彼らの主が唐突に呟いたのを、騎士たちは聞き逃さなかった。
「――今、主はやてはなんと言われた?」
 烈火の将の言葉に、しかし残りの騎士たちは何も答えない。聞こえなかったわけではない。ただ、どういう意味かは解らなかったのだ。それは問うた彼女とて同様であったろう。
「はやてちゃんが、かなり強烈に考えたことが口に出たんだと思うんだけど……」
 それは言われずとも解ることではあったが、騎士たちは一様に戸惑っているようだった。
「…………なんか、心配するのがバカバカしくなったような、そんな気分が一瞬したな」
 ヴィータは、だがそう言いながらも遠坂凛の、はやての顔を心配そうに見ている。
 真剣に見つめている。
 だからこそ、その一瞬だけの変化に気づいてたのかもしれない。
「……何が起きているのか、さっぱり解らん」
 腕を組んだままにザフィーラは言った。
 それは、騎士たち全員がそうだった。



   ◆ ◆ ◆



「×△◎◆□×○――!?」
 凛は目を開き、その状況を認識して混乱した。
 口付けられている。
 唇をあわせられている。
(な、なななななななな、なにコレ! なんなのコレ!?)
 言葉にするのなら、接吻でキスでくちづけでベーゼでキスだった。
 あと、舌も入れられていた。
 自分もそれに応じて舌を動かしてしまっている。高校時代に何度か話しただけの、一緒に屋上から黄昏を見たことがあるだけの、そんな少女のくちづけに、舌を絡めて吸い付き、貪ってしまっている。
 どうして、自分がこんな風にしてしまっているのか、凛には解らない。解らないのだが、そうした。混乱していたが、こうするべきだと思った。それは先程までのはやての創りだした時と似ていたが、少し違う。あの時は魂領域からの警告があった。本能が警鐘を鳴らしていた。
 その時とは、逆だ。
 今はこの娘を求め無くてはならない、自然にそう思っていた。
 脳裏を愛しい馬鹿野郎の姿が掠めた。
 すぐに忘れた。
 この瞬間は、この時間だけは、今だけは、この娘とのこの行為だけが全てだと思った。
 自然に、両腕を白の身体に巻きつけて締め付けていた。
 この娘とひとつになりたいと、心底から思う。
 いや。
(…………これ、溶かされて、混じって、作りなおされていく……)
 もしも凛が魔術師でなければ、そんなことも感じられずにただ溶かされていく自分を感じただけであったかもしれない。
 しかし魔術師としての知覚力を持つ彼女は、自身に起きていることをそれなりに具体的に把握していた。
 何処とも知れぬ世界の魔法で魂を改竄されつつあったのを、恐らく東洋由来の魔術論理で組み上げられた術式が切り離し、欠けた部分、歪められた部分を再構築しながら、その術式そのものを魂に刻印していく。
 遠坂家に伝わる西洋魔術の魔術刻印は血族のみに伝達されていく魔導書のようなものであったが、これは普遍化された技術として誰にでも使用できるもののようだった。いわばベルカ式だのミッド式だのというこの世界の魔法に近い。プログラム、といっていいようなモノだ。
 魂を情報化しているこのような世界でなければ使用は難しいと思われたが――
(…………彼女、どうやってこんなのを……)
 そう思った時、脳裏に不可思議な光景が浮かんだ。
 月。
 近未来。
 聖杯――、
 ――桜。
(これ、は――)
 すぐに消えた。
 それは、彼女が、この世界の遠坂凛が知るべきではない、遠い世界の物語だ。
 
「――終わったか」

 ギルガメッシュのその言葉は、白野の唇が凛のそれから離される一秒前に発せられた。
 世界の全てを見通す眼を持つこの最古の英雄王は、凛の魂を快癒させて抗体の如く万色悠滞を刻印するのをあっさりと見ぬくことができるらしい。
「………あ……」
 白野の身体に抱きついていた凛であるが、離れる時に名残惜しげに声を漏らした。
 白野は微かに笑うと、そのままはやてを改めて見た。
 夜天の王、管理局の大魔導師・八神はやては、白野の眼を今度はまっすぐに受け止めて。

「……ありがとうございました」

 と両手を合わせて頭を下げた。
「な、ななななななななななななななな、何がありがとうなのよ!?」
 さすがに恥ずかしくなった凛は、すぐに右手を向けた。
 ガント打ちの構えだ。
「いやあ、なんと言うか……ええもんみせてもらったっていうか……」
「ふむ。術式の最中、何事か仕掛けてくるかと思っていたが、何もせぬとは意外であった――しかし、なるほど」
 英雄王は得心した、という風に頷く。
 はやては「は?」と訝る。
「何よりも自らの欲望を優先させたその余裕、態度、なかなかの王器、王聖の持ち主であると見た。いずれの外界の者かは知らぬが、貴様の領土の者はさぞや堅く篤い忠義忠誠を捧げているのだろうな」
「いや、まあ……さっき凛ちゃんを壊してしまおうとしといてアレやけど、その、今のはほんまにこー……尊い、思ってしまうたんよ」
 思わず手を合わせてしまうほどに。
 凛は真っ赤になってガントを発したが、はやてに届く寸前に三角を基礎とした魔法陣が浮かび、消滅する。
「対魔法防御……私のガントでも、B級の魔導師程度のそれならなんとか撃ちぬくことくらい可能なんだけど……」
 いい加減に羞恥心もおさまったのか、歯噛みしつつも冷静に凛は呟く。
「大魔導師・八神はやて――SS級となると、ひとつの世界の命運を左右できるレベルって話よね……私たちの世界でいうと『王冠』クラスは軽くある、か……私じゃ、勝てない」
 どんな状況であろうと現実を受け入れる理解力が、彼女の長所にして欠点であった。
 どうあがいてもひっくり返らない、そういうことも受け入れるのは潔さではあるが、奇跡を手に入れるには足りない。机上の空論を承知でなお手を伸ばす者に、世界は運命を覆す権利を与えるのである。
 だが、この時の彼女は知らなかった。
 この世界で元の世界に戻ることを諦めずに、使命を果たすために一年も異世界の街に潜伏し続けた執念は、世界の後押しという報酬を得るのに充分であったと。
 まだ、知らない。



   ◆ ◆ ◆



 そもそも、何故岸波白野が凛の精神世界を元にしたこの霊子虚構世界にやってきたのか――

 ひとことで言えば、偶然である。
 彼女がどういう理由で英雄王と共に旅をしていたのか、どういう冒険をしていたのか、それは今ここで語られる物語ではない。
 ただ、それは波乱万丈という言葉に相応しいものであった。
 これまでの人類史を紐解いても、彼ら二人のように宇宙の星々の果てまで広がる霊子ネットワークに足を踏み入れた者はいまい。地球の上にて無双を誇り、無上無敵の大英雄であったギルガメッシュをして苦難と歓喜を味合わせたそれらの旅の行き着く先が、異なる世界にある霊子虚構世界であったとして何ら不思議ではなかったろう。
 そして凛との再会――
 白野にとって、凛は忘れられない少女だった。
 誇り高く、何度も自分を助けてくれた。
 そして、自分がこの手で――
 勿論、白野にはこの遠坂凛が自分の知っている遠坂凛ではないということも解っていた。
 この凛は自分の知っている凛とは違う凛で、限りなく同じく遠坂凛だと。
「――え? あなた……」
 知らず、白野は凛の手を握っていた。
 この手は、いつまでも繋いでいられない。
 それは解っている。
 自分はここでいるべきでもない。
 それも解っている。
 だが。 
 だからこそ。
 
 ――――ギルガメッシュ!

「さあ、くるぞ! マスターよ、赤い女よ! 術を破ってなおここは奴の領域だ! 心せよ!」

 そんなこと、百も承知だ。
 白野は頷く。
 自分は今まで、色んな者と戦った。
 伝説に残る英雄、戦士、騎士たち――月の裏側では女神の複合体などというものさえいた。
 宇宙にあってはそれらにも比肩、匹敵、あるいは凌駕さえしている者とも遭遇した。
 そして、それらの悉くを打ち破ってきたのだ。
 今度は勝てないかもしれない。
 今度も勝てるかもしれない
 だが、それは今考えるべきことではない。
 やるからには全力だ。
 全力で、打ち破る!

「は――――」

 白野の眼を受けたはやては、絞りだすように、しかし笑った。
 友人たちの前では決して見せない、騎士たちの前でも滅多に見せぬ、王たる者の笑みだ。王にしか許されない、そんな類の、傲慢で、何よりも鮮やかな、そんな笑みだった。
「夜よ――」
 剣十字の杖を掲げた。
 その瞬間、世界は夜になった。
 冬木という街が消えた。
「――海?」
 凛は呟く。
 確かにそこは、夜で、海だ。
 見渡すと遠くに街が見えた。
 冬木ではない、と直感で解る。だが、日本の何処かの海だと言うことは理解できた。空気がそう感じさせた。きっと、ここは、あのはやての故郷なのだと理由もなく思った。
 この世界の主導権がまだはやてにあるのだ、と痛感した。凛の精神の中に作られた世界であるが、この支配者ははやてだ。凛は取り込まれない権限を得たにすぎない。
「――海鳴」
 はやてが言った。
 それは、何かの魔法の言葉のようであり、宣言のようでもあり――

「ここが私にとっての始まりの場所、始まりの夜。
 運命の、
 人生の、
 ――王命の。
 最初の夜」

 はやては三角を基調としたベルカ式魔法陣のテンプレートの上に立っていた。
 あの時と同じように。
 あの夜と同じように。

「おいで、私の騎士たち」

 叢雲の騎士。
 そこに現れたのは、
 烈火の将であり。
 鉄槌の騎士であり。
 癒しの風の担い手であり。
 盾の守護獣であった。

 ――そして、夜空いっぱいに広がる、無数の魔法陣。

 雷があった。
 炎があった。
 光があった。
 剣があった。

 闇が、あった。

 遠坂凛の顔が青ざめた。
 英雄王の顔に笑みが浮かんだ。

 岸波白野は、――変わらなかった。

 目の前にある、世界そのものといえる規模の脅威を前にしてすら、その覚悟は揺るぐことなく、夜空を支配する王を見つめていた。

 はやては。
 やがて。
 覚悟を決めたように。

 杖を掲げた。


「――征け」


 戦争が始まる。




   転章




「I am the bone of my sword」

 衛宮士郎がそう呪文を唱えた時。
 その後ろに立っていた高町なのは急に振り向いた。
「…………!」
「どうした?」
 そちらを振り返ることもなく、数キロ離れたところに立つ巨人を鷹の目で凝視したままで士郎が聞いた。
 彼は高町なのはという魔導師を信頼している。少々のことでは動じない歴戦の戦闘者であり、目的のためならば感情を飲み込んだまま、あるいは感情の昂ぶりすらも道具のように使って目標達成の糧とできる――
 英雄の如き魂の持ち主であると。
 その彼女が、このような急激な反応を示したということは、それは到底無視しえない何かを感知したということだ。
 なのはと士郎の問いに答えなかった。
 ただ、眉根を寄せて静かに呟いた。


「はやてちゃん……それに、ギル、さん……?」




 つづく。


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