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[15556] 【俺はすずかちゃんが好きだ!】(リリなの×オリ主)【第一部完】
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:ae5d78b9
Date: 2012/04/23 07:36
                                  【!】WARNING【!】









この作品はあくまで作者の大妄想です。大暴走です。真面目に付き合って読んでやろう、というよりも「あ、なんかくだらなさそう」程度の気持ちで読んでいただくことを強く推奨いたします。
中身としましてはタイトルにもありますように

・かなり酷いオリ主
・すずか大好き。
・むしろすずか、俺だ!結婚してくれ!な勢い。
・オリ主ツンデレ。キモい。変態。ロリコン。ウザい。
・原作知識なし
ストーリー介入……え、むしろそれまで続くの?
・とにかくネタもの。バーボン片手にどうぞ。
・自分をツンデレと勘違いしているヘタレ
・恭也=鬼ー様(思いこみ)
・ジュエルシードに呪われてTS
・Tokihiko honda may well be kidnapped
・混浴があります。
・打ち切り模様のエンディング
・チートなのは
・出鱈目すずかちゃん

といった内容となっております。
以上を考慮した上で、なおも


・それでもいいぜ!
・俺を誰だと思ってやがる……俺のスコップはどんな難物だろうと掘り起こす!
・俺のスコップは、世界一ぃいいいい!!
・いいさ、わかってるぜ……あえて死地に飛び込んでやるよ。
・俺はすずかちゃんのことが好きだ!


などなど、覚悟ができるor心が寛大なお方はぜひともお立ち寄りください。若干最後はすごく間違っている気がします。満足満足。
なお、上記の注意書きを読んだ上で足を踏み入れたにもかかわらず「萎えた」「つまんね」「オナニー乙www」といった苦情、クレームには一切お応えできません。かしこ。



では、以下よりどうぞ。






――――――――――――――――――――





 ふむん。
 まずは意外と冷静じゃない自分を棚に上げつつ、何故こうなったかを分析(笑)してみよう。

 まず一つ目の可能性。
 洗脳、あるいはそれに類する邪眼や魔眼や魔術や呪いにかかった。

 ……う~ん、いまいちインパクトに乏しい。何よりも現実世界ではどうあってもオカルティックで黄色い救急車な話だ。のでボツ。

 二つ目の可能性。
 実は前世で婚約の契りを交わした相手で、しかも俺は勇者、彼女は囚われのお姫様だった。助けたオレサマちょーかっこいー。

 ……いやいや、これは俺の厨二病そのものじゃないか。妄想乙。

 三つ目の可能性。
 単純に、俺こと“本田時彦”が“月村すずか”に惚れている。

 …………あ~、なるほどねぇ。
 そりゃぁ確かにあるあるあ――――――――



「うん? どうかしたの、本田君?」
「いぃいいやぁあんでもありやせんよー!? 本田さんそんな月村さんガン見してなんかいませんよー!?」
「え、あ、そ、そう?」
「くぉらぁああ本田ぁー! アンタすずかに何ちょっかいかけてんのよー!」
「ひぃい!? 金髪ナマハゲババァが怒れる有頂天にぃ!?」
「……コロス! そこのモヒカンが似合いそうなうだつの上がらないバカは絶対にコロス!!」
「あ、アリサちゃん落ち着いて-っ!」
「け、喧嘩はダメだよ二人とも!」


 
 そして始まる俺とゴールドヘアードオークとの鬼ごっこ。無論、行く先々で女の子達のスカートを捲り上げるという名のタッチ=鬼増やしをすることは忘れない。
 


「あーばよとっつぁ~ん!」
「むわぁあてぇええええ!!!」
「……あの、今、授業中なのだけれど……」



 なんか先生の声が聞こえたような気がするけど気にする余裕なんてないなさすぎありえない!
 今はただ、全力であの金色や……鬼から逃げるべしっ!

 あ、ちなみにさっきの話だけど。
 俺が月村すずかに惚れてるって可能性ね?

 ふむん。

 そんなわけ――――――――あるに決まってるじゃないか! むしろありすぎて悶絶死する勢いですわっ!

 本田時彦九歳。前世の記憶持ちつつ元気溌剌容赦無しの小学校三年生。
 ただいまクラスメイトの月村すずかに惚れていることを自覚しつつ、自由に向かって逃亡中!









                           俺はすずかちゃんが好きだ!









 〝天才〟なんて言葉は、この世に二度目に生まれて初めて言われた言葉だ。ちなみに一度目はその真逆のことを言われていたように思う。一応奨学金取ったり特待生やってたりしてたはずなんだけどなぁ……。
 いやそれはいいとして。
 この世の中は小学生になる前に百科事典を読み漁ると、天才とか言われてもおかしくないらしい。いやいや、たかが本じゃないか。本読むのなら幼稚園でもできるっつーの。
 んでもって、俺は以外にも小学生を大満喫しているらしい。前世でもあまり年齢差関係なく遊んでた気がするから特に不思議ではないけどね。
 ……話が脱線しまくりだな。
 まぁつまりです。
 俺こと本田時彦は、前世(享年24歳)の記憶を持って二度目の生を受けたちょっぴり特殊な小学生なわけです。
 生まれ変わるなら人間がいいなぁ、っていう願いが叶えられたのはうれしいけど、しかし何故女の子じゃなかったんだろうか、とちょっぴり残念に思わないでもない。
 生理やら月経やら体験してみたいなぁとか言ってたら、前世の恋人に絶対に喜べる要素が無いから冗談でもそんなこと言うなって頭はたかれた記憶がある。気になるんだけどなぁ。
 ともあれ。
 男の子として生まれたからにはもうどうしようもないと割り切るしかない。そこら辺は伊達に大人一歩手前な青年やってたわけではないので慣れきったものだった。
 最初はフルスロットルで生まれ変わりの特権使いまくってたけど、後々それがとんでもなく面倒なことをひきおこすんじゃないか、という可能性に気付いて、幼稚園に入った頃からは少しずつ自重し始めた。
 ……代わりにやることが本当に小学生じみてきたのでプラスマイナスゼロ、って気がしなくも無い。小学校に入ってからは、ちょっと良心が痛むくらいに母上が嘆いておられた。うむ、すまない。
 あぁ、そうそう。今の両親に関しては、実はあまり戸惑いも無かったりする。なんていうか、一緒に暮らしてれば否が応でもあの方たちの愛情はびしばしと伝わってくるわけで。そうなれば、どこぞの小説や漫画のひねくれた主人公みたいに「俺は孤独が好きなんだ」とか「俺は愛される資格なんか無い」とか「この人たちは俺の本当の両親じゃない」とか考えない俺としては「おかーさん、おとーさんだいすきだっ!」といって満面の笑みでダイブインバストしてしまうわけです。

 総合すると、二度目の生も実に幸せ満点順風満帆。

 ちなみに前世の終わりはテロに巻き込まれて、という味も素っ気も無いものだった。テロといっても引き起こしたのは超デカイ化け物だったけど。
 それが破壊したビルの破片が上から降ってくるところまでしか覚えていない。マイラバーや両親がどうなったかなんて当然知るはずもなく、生まれ変わった上で心残りなのはそれぐらいだ。
 とはいっても、あっちとこっちはどうも〝平行世界〟ってやつらしいので、ここに生まれ代わった俺が心配しても無駄でしかないと思う。そもそも歴史からして違うのだから。

 ……うし、めんどいことはここまで! 遊びに行ってくるっ!



「かーちゃーん! ちと、うみこーえんまでいってくるー!」
「夕飯までに帰りなさいよ! あと服破かないでね!」
「あいまむっ!」



 いくら身の上を案じようがこの身は小学生。やれることは限られているし、そしてやらなきゃいけないことも限られている。
 イコールすなわち自由。たった六年だけ与えられる箱庭の自由を満喫せずしてどうするか。
 いざゆかん、我が栄えなる自由のロード!
 ……のはずが、ちょっと思っても見ない寄り道をする羽目になりそうなのですよ、ええ。









 私立聖祥大学付属小学校は結構でかい。
 私立っていうだけでお金が滅茶苦茶かかるし、小学校なのに制服着用で、おまけに家からすごい遠いのでバスに乗って通わなければならない、という超不便さ。正直話だけ聞いたときは本気でいやだって思った。
 しかし通ってみるとこれが案外悪くなかったりする。
 まずバスに乗ってる時間は友達とのおしゃべりタイムだし、制服も実は毎日着るものを考えなくていいというお手軽さがあり、学校が遠くてもそこは子供パワー。特に面倒だとも思わなくなっていた。
 まぁ、両親としては特待生として授業料50%免除してくれるのなら入れない手は無い、という理由だったらしいが、今ではそれにも感謝している。
 そしてなによりもまず、俺の隣の席が最高だ。 

 今俺が通っている学校は、大体そんな感じである。
 
 がやがやと騒々しくにぎやかな教室に到着し、一緒のバスに乗っていた友達とバカなことを言い合いながら席に着く。
 授業開始まで見れば残り二十分はあった。よし、これなら一戦はやれる。



「おーい、ドッジやりにいこーぜ!」
「おっけー!」
「あ、ボールとってくる!」
「早く早くー!」



 一回声をかければ、まるで砂糖に群がる蟻のごとし。
 普段から仲のいいヤツもといバカが有り余ってる男子の殆どが集まって、みんなでぎゃーぎゃー言いながら廊下へと殺到した。
 ちなみに言いだしっぺの俺は後からのんびりである。あんな一緒の流れについていったらさすがの僕も疲れるって物ですよ、ええ。嘘だけど。
 そして、それにしても、すっかり小学生が板についたなぁ、としみじみしながら、のんびりと教室を出ようとした時。



「きゃっ」
「わわ」



 ちょうど教室に入ってこようとしていた女子とぶつかってしまった。
 幸い軽くだったのでお互いによろめいただけで済んだけど、ぶつかってしまった以上謝らなければならない。そう思って顔を上げ、ぶつかった相手を見て俺は心臓が止まるかと思った。



「ご、ごめ――――っ!?」
「ごめんなさいっ……あれ、本田君?」
「あいっ、今日も明日も元気満点本田時彦ですっ!」



 びしぃっ!と我ながら惚れ惚れする敬礼。そんな俺の奇妙な行動に目の前のぶつかった少女――――月村すずかちゃんはびくぅと肩を震わせた。
 もし髪が透明だったとしたら、そこに夜の闇を集めて凝縮して流し込んだかのように美しい黒髪は、ゆるやかなウェーブを描いて腰まで届いている。
 大きく瑪瑙の様な輝きを放つ瞳はぱちくりと俺を見つめ、驚きに軽く開かれた桜色の唇は健康をたたえる様なやや赤みがかった桃色で、その瑞々しさに思わず心臓が高鳴ってしまう。
 別にぶつかったから動悸が激しくなったわけじゃない。彼女の姿を、顔を見たから激しくなったんだ。
 そのぐらいは自覚できる程度の理性を残して、他の思考は全て真っ白にスパーキングしてしまう。
 なんていうか、こう、緊張してしまった。
 


「そんじゃ、そんな本田くんは今からドッジボールなのでしたっ!」
「あ―――」



 正直、もう限界です。
 それ以上正視することが出来ず、俺は走り出す。無理、ごめんなさい勘弁してくださいでももっと見たいさらに見たいずっと見ていたいっ!
 脳内で二重顎の警察官が渋い声で言っている。「旦那、アンタは病気です。恋と言う、治療法が確立されていない不治の病なんですよ」「あぁお巡りさん、俺は一体どうすればいいんでしょうか!」「戦うのです! 渾身に、力の限り、その心が砕け散るまで!」「そうか……そうですね! でもそれは明日にしておきます!」「うぉおいっ!?」そんな寸劇が繰り広がっている間にも、いつの間にやら俺は無意識にドッジボールの輪に加わって無双をはじめていたらしい。気が付いたら死屍累々が夢の跡。チャイムが鳴る二分前だった。









 ここまできたら、察しがいい人はもうわかっているかもしれない。
 そう、俺の隣の席は月村すずか、その人だ。
 頭の中身大学生な俺は、わざわざノートなんぞとらなくてもこのレベルなら聞いているだけで済む。
 だが、席替えという天命によって彼女が隣になり、彼女を見るたびに俺の動悸が馬車馬の如く走り出したその日から、俺はノートをとることにした。彼女から少しでも意識を逸らすためである。
 ……はっきり言おう。俺は自分でも自分の行動を変態ちっくでキモいと思っている。
 だってあれだぜ?
 ちょっと気を抜いたら彼女の息遣いが聞こえて、下手をすればどのタイミングで唾を飲み込んでるとかがわかるんだぜ?キモいだろこれは。
 さらに彼女が時折動かすペンの動きもそうだ。短い時間なら、彼女がどんな文字を書いたのかそのアクセントと鉛筆が紙の上を走る長さで大体わかってしまう。読唇術ならぬ聴読術を知らぬ間に見につけた俺すげーよりも、彼女が気になるあまりそんなくだらない特技を見につけた自分が恐ろしい。あぁなんてキモいんだこの小学生は。
 さすがに彼女のトイレタイミングがわかるとか、そこまでストーカーじみたことは考えずに済んでいるが、果たして将来その領域に至らないかというと甚だ不安になって仕方が無い。よもや自分がここまで変態ポテンシャルを秘めているとはおもわなんだ。
 まぁそんな未来の事を考えてもナンセンスであることには変わりない。ここは一つ、現状をどうやって打破するかを考えるべきだろう。
 放課後、そんな益体があるようなないような微妙な――――しかし俺にとっては死活問題である難題について頭を捻らせつつ靴箱に向かっていると、あろうことかその意中の人が既に目的地にいるのを発見してしまった。すなわち月村すずかちゃんとその取り巻きである。



「あ、本田君?」
「なに、アンタも今から帰るの――――って、なに固まってんのよ、アンタ?」
「だいじょうぶ? なんだか顔が赤いよ?」



 言葉が出ないとはこのことか。
 いや確かに月村すずかちゃんとその取り巻きであるアリサ・バニングス、高町なのはの靴箱は、俺のソレからはそう遠くない位置にある。
 別にすずかちゃんはさらに俺のところから離れているし、高町にしたって問題ない。
 問題なのは、何故アリサのバカがまだ靴を履き終わってなくて、それを誘蛾灯に二人を――――特にすずかちゃんを俺の靴箱の近くに集めてくれやがっているのかと、俺は驚愕しているわけなのだった。なのです。なのでした。あがー。
 アリサの苗字はバニングス。俺の苗字は本田。そしてうちのクラスには行はあと二人だけ。つまり、同じ列なのだ、アリサと俺の靴箱は。
 そんなところに二人が――――特にすずかちゃんが寄って来てみろ。ものの見事に俺の靴箱の前に立つことになるじゃないか。とてもじゃないが俺にその中へ割り込んで靴を履き替えるなんて芸当は不可能に等しい。お話にならないなりにくい。



「あ、ごめんね? ここ邪魔だったでしょう?」
「い、いやいや! 好きなだけそこにいてくだしぁ! そないだ俺はちょっくら校舎内一週全力ダッシュの旅してくるんで!」
「そ、そんなことしなくていいから!? 私達がどくから少し待っててくれるだけでいいから、ね!?
「……ねぇなのは、ここは私たちは笑うべきなのかしら?」
「あ、あははは……」



 なにやら呆れている女子が二人いる気がしなくもないが、そんなことよりすずかちゃんの優しさに俺の涙がヘロゥワールドだ。あ、やばいまた持病の動悸が。
 しかしここで俺は渾身のミスを犯してしまった。そう、“渾身”のミスである。ある意味ラッキーな、しかし考えてみれば自分の首を自分の腸で絞めるようなでっかいミスを。
 にやりと、どこぞのパツキンデビルが怪しく笑っていたことに気付かず、しかもそいつが隣の高町になにやらこそこそと話しかけているのに、俺は高鳴る鼓動とまっかに火照る顔と、そして申し訳なさそうに眉を曲げているすずかちゃんの可憐さに目を奪われて気付くことが出来ずにいた。
 そして、話し合いが終った二人が、両側からすずかちゃんを拘束するようにして陣取り、右側にいたパツキンヘアードオークが意地悪気な笑みを浮かべて俺を見た。



「ねぇねぇ本田。私たちこれからお茶会やるんだけど、このさいアンタもどぉ?」
「ほう、お茶会とな……ん? お茶会……っ!?」
「私のお店のクッキーももってくよ!」
「え、あれ、二人とも? 今日はアリサちゃんの家でむぐもがっ!」
「で、どーよ本田。来るの、こないの?」
「いやいやいや、ちょっとまてそこのパツキンロリジャリ。誰が、どこに、何をしに?」
「だからアンタと私達で、すずかん家に、お茶会をしに」
「――――りありぃ?」
「「――――Realy/りありぃ♪」」



 子憎たらしい悪魔が、とても子供っぽい悪戯娘な顔で微笑んだ。見れば隣の高町も便乗して笑っている。むぅ。
 突然すぎて理解が脳です。もといノーで追いついていない。結構な勢いでこの大学生頭脳は混乱をきたしていた。まさか小学生相手にここまでパニクるとは夢にも思わなかったんだぜぃ。 
 ふと、脳裏に前世のマイラバーが全力で俺に向かってなにかを罵ってる姿が垣間見た。すなわち「このロリコン!」と。いや違うから。絶対そんなつもりないしそもそもそんなこといったら僕もまだ今はショタですから!?
 ……いやまて俺。落ち着いてクールなビーになれ。とりあえず今はそんなことよりも現状把握をすべきだろう。あぁしかしなんだろうかこの夢のような状況は。
 互いの間合い約1メートル。それも互いに正面から見合う形だ。いくら普段机が隣同士とはいえ、横顔と正面では破壊力が違う。
 長い睫が瞬きの度に震えるのが可愛い。おろおろと手を口元に持ってきて左右の二人を交互に見やる姿が可愛い。そのたびにひらひらゆれるスカートの裾が可愛い。あ、いや今のなし。
 まぁ総じて犯罪的に可愛いわけです。もう俺のハートがブロウキューんなわけです。もしこれが邪眼で見せられた悪夢で、あと数秒後にぱりぃん!とか言って割れたら自殺してやる。
 てわけで答えは決まりきっていた。



「――――いやだ!」
「はぁ!?」



 その後、唖然とする三人を放置して俺は目にも留まるすばやさで靴をつっかけ、疾風迅雷の如くではないけれど意識的にそのぐらいの必死さでその場から逃げ出した。
 家についてただいまも言わずに寝室に飛び込み、真昼間から布団を引っ張り出してばふっと勢いよく広げる。
 そして鞄やらなにやら持ち物を全てそこらへんに放り出すと、その上にスカイダイブ。枕に顔をうずめながら、さながらプールでするバタ足の如く足をばたつかせる。
 


「時彦! 帰ったらただいまは!?」
「俺の……俺のばかばかばかばかぶぅわぁっかぁあああああああああ!!!!」
「…………どうしたのかしらこの子。ついに気でも触れちゃった?」



 母上の存外に酷い物言いなど気にならないくらい、俺は気が動転していた。
 そして自覚する。
 あぁ、俺はツンデレだったんだ。






――――――――続くの、これ?
――――――――続いてしまいました。














――――――――――――――――
手違いで消えてしまったので、再アップ。



[15556] 風鈴とダンディと流れ星
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:36
 正直な話、俺がいつからすずかちゃんを意識しだしたかというと、明確な境界線というのは自覚できていない。

 あえて強引に、そう、焼き過ぎて網に張り付いた餅を引き剥がすかの如くでっちあげるとすれば、よくある話のように「気がついたら好きになっていた」とか、そんな面白みも甘みもない話になる。
 ただ、そのきっかけになったのではないか、という事件については一応心当たりがあったりする。するような? いやするんだって。まるでドクダミ草を丸かじりした時のような、ハンパじゃなく苦い思い出が。

――――話はさかのぼること約半年前。俺が小学校二年で、夏休みが明けた二学期のことだった。

 小学生になって二度目の夏休みというのは、俺に―――いや、小学生にとっては戦争期間なわけだ。
 昨年の夏休みというものがどんなものかを肌で味わった全国の小学生達は、まずその中で真面目なカテゴリーを除いて一様に同じ行動をとる。
 即ち、一日中遊び回って、へとへとになって飯食ってお風呂入って爆睡して。子供パワーにものを言わせてひたすらはしゃぎまわる一ヶ月間なのだ。もちろん俺もその類にもれず、予想を裏切ることなく宿題なんてやってない。とりかかったのは夏休みが終わる一週間前という、ちょっとだけ優等生さを見せつけるおきまりコースだ。
 で、その夏休みの宿題の一つに小学生のお家芸とも言うべき〝自由工作〟があった。
 生徒達の自由な発想に任せ、その想像力や調査力――――ようは子供の自立心を養うという名目で課せられる、人によっては拷問極まりないコンコンチキなアレである。
 ちなみに俺は、無難に〝:1/48サイズF-22A〟をプラやらパテやら駆使して作った。〝前世の記憶/チート〟万々歳である。
 ともあれそんな俺のことなどどうでもいい。問題はそう――――すずかちゃんの作ってきた作品だ。
 なんていうか、うん。実にすずかちゃんらしい作品だったと思う。
 透明なガラスに、清涼爽やかな色彩で極め細やかに描かれた絵は、まるですずかちゃんの心をそのまま表したかのように鮮やかで、俺は初めてソレを見た時から目を釘づけにされたのだった。
 あぁ、今でもその詳細ははっきりと思い出せる。赤と青、そして黄色と水色。使われているのはそのたった四色だったのに、何故か俺には二四色の色鉛筆全部を使った絵よりもカラフルに感じられて、とても心が震えた。
 あー……とにかくアレだ。この馬鹿な頭と金魚の糞程度の量しかない語彙じゃ表現できないくらいに感銘を受けた、って話ですよ。たかが〝風鈴〟に。〝すずかちゃんの作ってきた風鈴〟に!! 大事なことだから二回繰り返しました。
 で、俺はついふらふらと、その風鈴に、誘蛾灯に惹かれる哀れな蛾の如く近寄り、不用心にもこの手に取ってしまったわけだ。
 もちろん、事前に「これ、見せてもらってもいい?」って承諾は取ってあったし、すずかちゃんも笑顔で「うん、いいよ」って言ってくれたんだ。あぁ、言ってくれたのに、それをあろうことか俺は……俺と言うクズ野郎はっ……!! このっ!このっ!このっ!こn―――(ただ今机に激しく頭突きを繰り返しておりますので少々お待ちください)

 ――――えー、あー、で、なんだったか。

 ちょっと額を切って血が止まらなくなったが、とりあえずそう。すずかちゃんの風鈴を手にとって、まじまじと眺めてたんだ。
 俺だってプラやらパテやら使う以上、それなりにモノづくりについては心得ている。一応、今の両親にも〝前世の両親や知人〟にも「それなりに才能あるよね?」とは言われたからには、人並み以上に物心がある、なんて自画自賛及び慢心してるわけでして。
 実際手に取ってみてみればわかったけど、それはとても素人の小学生が作ったような風鈴とは思えなかった。
 形も綺麗で装飾も文句なし。しかしながら、少女らしい可憐さがにじみ出るそれは、まさにすずかちゃんの魂そのものだった。
 
 いやだから、話が脱線するのはお約束だな、おい。

 こほん。
 まぁつまりだ。ここまで話してしまえば、察しの良い方達は内心「このクズ!」「死ねこの不埒モノ!」「貴様の罪を数えろ!」と罵っておられるに違いない。
 そう、ご想像の通り。俺こと本田時彦(当時)八歳は。








―――――――あろうことか、

―――――――その風鈴を、

―――――――手を滑らせて、

―――――――還らぬモノとしてしまったのだった。







俺はすずかちゃんが好きだ!







「うん? どうかしたの、本田君?」
「……いや、その、ホントゴメンナサイ」
「え!? あ、えと、その……」
「あぁいやいや気にせんでざっつらい! アレだよアレ、哀れ極まりない愚者の過去に憐みを頂ければそれでいいのですよ!」



 困ったように眉を曲げる麗しのすずかちゃんに、俺はわざと身振り手振りを交えて大袈裟にそんなことを言ってのける。思わず謝罪してしまったが、まさかあの話を蒸し返すわけにもいかないしなぁ。



「……本田くーん? 貴方が御勉強が〝とっても良くできる〟子なのは先生もよく知ってます。でもね? 今は授業中なの。勉強が出来ても真面目に授業が受けられないのなら、先生、本田君のお母さんにお電話しないといけなくなっちゃうのよねぇ~?」
「ひぃ!? そ、それだけはご勘弁をっ!!」



 季節は春。
 なんだか麗らかな陽気に心まで昇天召されそうな春の日差しの中、我らが私立聖祥大学付属小学校は平和で呑気な一日を送っている。
 三年に進学しても相変わらずクラスの半分以上が前と同じメンツで、その中にはもちろん、あの月村すずかちゃん含む三人娘も含まれている。
 幸いにして、年度初期恒例の〝名前順席〟は男子全員及び女子の過半数の多数決により回避されたわけだが(無論、その扇動は俺がした)、その甲斐あって今こうして隣には月村すずかちゃんが座っている。
 さすがにこればっかりはクジで決めたので、完全な運だ。「そうなればいいなぁ~」程度に夢想していたのが現実になった時は、真剣にその日に俺死ぬんじゃなかろうかと思い悩んだくらいである。ちなみに当日は一日中心臓バクバクいっててとてもじゃないけどまともじゃいられなかった。
 とまれ、そういうわけで、俺の隣は念願の月村すずかちゃんである。そして、その可憐な睫毛が揺れる横顔を眺めていたら、あの悪夢の二学期初頭を思い出したわけだ。あー俺ってサイテー。

 とまぁ、俺が〝この少女〟に恋した理由――――もとい、きっかけなんてのはそんな最低のものだったわけです。
 
 それまではクラスのイチモブキャラで、可愛い子がいるなー程度にしか思ってなかった。
 ただ、最初の頃は友達が少なかったみたいだし、いつも本ばかり読んでて“うわー、やっぱいるんだこういうインテリ系お嬢様”とか内心で眉をしかめてたのが懐かしい。人間、どんな風に心変わりするかなんてわかったもんじゃない、って証拠だねこりゃ。
 ついでに言えば、アリサとは一年の頃からの腐れ縁だ。幼稚園からの幼馴染も結構いるけど、あの鬼はそいつらよりも短い付き合いの癖に、古馴染み達をゴボウ抜きにする位、俺と激しく敵対してきている。
 一応これでも中身大学生(卒業間近)だったわけだし? 最初「ちょっとアンタ、面貸しなさいよ」みたいなこと言われても“はいはい目立ってゴメンナサイ”みたいな態度で軽く流してたんですけど?
 だってーのにあの野郎、こっちが下手に出るのをいいことに散々言いたい放題言ってくれやがって。さすがの大人な俺様もぷっつんオラァ!するのに一分もかかりませんでしたよ。
 ヤツとの敵対はそれ以来――――つまり、入学直後のテスト以来続いている。あぁ、それにしてもこんな腐った縁がなければすずかちゃんと知りあえなかったかと思うと、運命の皮肉さを呪わずにはいられない。
 


「で! 今日の放課後アンタはどうすんの、って聞いてんでしょこの不良学生!」
「うぉっ!? な、なな、なんだよいきなりこのパツキンデビル!」
「誰がデビルよ誰が! ていうか、こんな可愛い天使みたいな女の子捕まえて悪魔って、どういう神経してんの!?」
「はぁ? 天使ぃ~? だぁれが? お前が? じょーだんは休み休み言え、このジャリヤンキー!」
「んですってぇええ!!? いーどきょうしてんじゃないの! ちょっとボール持って表に出なさい! ドッジでタイマンよっ!」
「じょーとーだゴラァ! てめぇ如きにヤラれるひこちん様だと思うなよコノヤロウバカヤロウ!」
「ふ、二人とも落ち着いて! 喧嘩はだめだよ~!」
「ですよねー♪ まったく何考えてんだこのエセアメリカンヤンキーは。ちったぁ落ち着きを覚えろジャリガキ」
「っ、~~~っ!」
「どーどーどー! アリサちゃんさすがに椅子はだめだよおちついてー!」


 
 ちなみにコロリと態度を変えたのは、もちろんすずかちゃんの言葉に対してである。こんな乱暴ロリパンキーとすずかちゃんの言葉どっちを取るかって言われたら言うまでもないだろう。あ、椅子を振りあげて顔を真っ赤にした猿を押さえつける役割いつもごくろーさんな、高町。
 時刻は放課後。先生の雑務を押しつけられて帰ってきた俺を待っていたのは、いつものすずかちゃん筆頭の三人娘達。何やら放課後遊びに行くらしいのだが、そこに俺もどうか、と誘うために待っていてくれたらしい。
 いつも塾やら何やらで忙しそうなんだが、時たまこうやって三人一緒に遊びに行くことがよくある。
 すずかちゃんは言うに及ばずバイオリンやピアノ、書道や歌唱関連、その他さまざまな習い事をやっていて暇な日の方が珍しい。休みの日まで習い事漬けだ、ってこないだ話してくれたんだ。くれたんだよ!? いやーもうこれだけで俺ってばその日テンション舞い上がっちゃってゲーセンで「確かすずかちゃんこんなの好きだったよなー」とかピキーン!とセブンセンシズに触れた商品をかたっぱしからUFOキャッチングしまくって翌日プレゼントしたんだぜ!?
 ……あー、取り過ぎて大量に余ったから、高町とジャリパツキンにもあげることになっちゃったんだけどさ。これ、絶対すずかちゃん以外の高感度も上がって〝特別度〟ってプラマイゼロだよね。
 でもま、喜んでくれたようだしよかったよかった。
 


「それで、どう本田君? 時間があるなら、なのはちゃんのお店でお茶したいなーっておもってるんだけど」
「高町の店かー……確かにそれは魅力的なんだけど……」
「けど?」



 小首をかしげるその仕草がまたラァヴリィ~♪なんて思いつつ、俺はその背後で二やニヤニヤと、いつ復活したのか怪しげに笑っている金髪幼女を見た。
 なんだろうあの笑い方は。こう、いかにも「私面白いこと(総じて負のベクトルで)考えてます♪」的な笑顔は。こんな時、大抵高町は無難な態度である〝苦笑〟を浮かべて様子を見ている。おのれ策士め。
 ……まぁつまりだ。
 こんな状況でのこのこついて行ったら、この幼女悪魔の思う壺である。すずかちゃん個人の誘いなら是が非でも行くんだが、悪戯されるとわかってて参加するのは愚の骨頂。逆にハメ返すにしても、すずかちゃんの前ではあまりそういう〝悪戯餓鬼〟なところは……その、みせたく……ないし? ネ?
 それにあれだ! 俺、今日は予約してたプラモ取りにいかないといけないし!



「俺、今日は用事あるんだ。ちょっと帰りに買い物してすぐ帰んなきゃいけなくて」
「そう、残念だね……」
「―――――つ、次は絶対一緒にあそぼーぜ! な!?」
「……うん、そうだね。私、楽しみにしてるよ♪」



 あぁ、この純粋な笑みが痛い。胸が抉られるように痛い!
 言えるはずない――――その買い物が〝たかがプラモを引き取りに行くんです〟なんて言えるはずがないっ!
 ていうかそんなこと口にした日には、ヘタをすれば「え~、プラモ~? いまどきプラモってだっさいーい♪ むしろキモくて幻滅ぅ~♪ きゃははは♪」とか思われて主に俺の精神が波乗り特攻で昇天する。
 そんなわけで、俺は良心の呵責を押し殺し、引きつったような笑顔を浮かべて三人娘――――主にすずかちゃんに手を振って教室を後にしたのだった。
 

 








 海鳴駅の北口から出て徒歩五分。
 こじんまりとした佇まいを見せるその店は、俺がこの町で偶然見つけた老舗的プラモ屋だ。
 そこから一つの袋を抱えて出てきた俺は、空を振り仰いで感激にむせび泣いている。



――――ねんがんの ざ・ば○ぐ を てにいれたぞ!



 苦節二十四年と九年。いや性格にはその半分以下だけどさ。
 ともかく、前世から買いたい買いたいと願いやまなかった俺の悲願であるプラモ(総パーツ数367点の逸品)を手に入れて、今の俺はつい先ほどのすずかちゃんとの悲しい別れを忘れるくらいに幸せだった。いや、正確に言えばその悲嘆を塗りつぶせるほどに。
 このプラモ屋のお姉さん、一体どういうコネを持ってるのか、既に発売終了生産終了しているコレを格安で仕入れてくれたのである。
 いやー、まさかこっちにもF○Sシリーズがあるとは思わなかったから、あるって知ったときは飛び上がって喜んだなぁ。惜しむらくは、いまだに本編の方を読んでないので中身がどんなのかはわからない、ってところか。
 でもま、俺は話とか興味ないしね。この心の琴線に触れるロボットを作って飾って眺めることができればそれでいいんだ。他に何も望むことは無い。
 ちなみに価格は六千円。実に三千円も安くなっているお得な品物です。お年玉がここぞというときに役立って俺様のテンションゲージマーックス! 
 


「~~♪ ~♪」



 思わず鼻歌もでてしまうってもんですよ。
 駅をくぐり反対側に出て、バスのロータリーへと向かう。
 今の俺の頭を占めているのは、半分がすずかちゃんと次遊べるのはいつだろうってことと、もう半分が早く家に帰ってコレを組み立てたいってことだ。
 近くに高町のお店があるけど、今さら合流するのもあれだし、何よりコレを抱えているのを見られたくない。理由はいわずもがなだ。
 ま、総じて気分は最高。これで、明日にでもすずかちゃんとお昼を一緒に食べられたら、言うこと無しでむしろ死んでもいいかもしれないとか思い始めているあたり、俺って結構重症だよね。
 そしてバスに乗って揺られること十数分。
 そろそろ俺が降りる駅の近くまでやってきたとき、その事件は起きた。



「あの、お客様? 申し訳ございませんが、現在その紙幣は取り扱っていないんですよ」
「ふむ……やれやれ、随分と世の中が様変わりしとは思っていたが、まさか貨幣制度まで変わっているとはな。うっかりしてしまったか」



 なにやら、客が降りるのに使えないお金を出しているみたいだった。
 多分二千円札かなにかでも使ってるんじゃないかな?
 確かこのバスじゃ使えなかったはずだから、言えば交換してくれるだろうしそのうち終るでしょ。
 それよか早く着かないかなー。早く帰って作りたいんだけどなー。
 そうだ、まず帰ったら早夕しておこう。(早弁の夕飯版)
 そうすれば寝るまでずっと集中して作り続けられる! やったねすずかちゃん! アタイ天才ね!
 


「ですからお客様、現在ですとその紙幣を現金と交換することはできないものでして……」
「だが、私も手持ちは今この紙幣しかない。どうにかならないかね?」



 しかし、相変わらず前の方ではグダグダと客と運転手が言い合っているらしく、いつまでたっても出発する気配は感じられなかった。
 ――――あーもう! だったらとっとと叩きおろせよ!
 たかが客一人、しかもそんな払えない客ってんなら無視してこのまま発進するか叩きおろすかどっちかすりゃぁいいだろうが!
 いつしか俺のイライラは有頂天を突破して時空を割りそうな勢いで膨れ上がり、このあふれんばかりのドキドキワクワクが抑えきれない衝動となって体を動かしていた。――――え?



「あーちょっといいですかー? この人の分、俺が払うんで早く出してくれます?」
「え、あ、君?」
「ほら行きますよ。まったく。こんなところで往生させたら他の客に迷惑じゃないですか。主に俺に」
「ほほう、中々行動力のある小童もいるものだな。なるほど、時代が変わったのが頷ける」



 気がつけば、俺は不機嫌な顔を隠しもせずに、器用に片手で財布をポケットを取り出した。まったく、このトラブルメーカーっぽい体質、どうにかならんのかねぇ……。
 なんかおっさんがうだうだ言ってる気がするけど、とりあえず俺は財布から二百円を取り出し、コイン入れに投げ入れると、そのままおっさんの手を引っ張ってバスの外へと降りた。
 よし、これで問題解決。さーあて後十数分の辛抱――――ぶろろろー。
 …………ぶろろろー?



「ってうぉおおい!!? 俺置いていったらだめでしょー!?」
「なんだ小童。ここで降りるのではなかったのか?」
「違うよ! も一個先だよ!」



 気が付けば、先ほど乗っていたバスは遥か彼方。よもや俺をスケープゴートに職務を全うするとは――――恐るべきはその職人魂か。いやいやむしろダメだろ。子供を犠牲にして成り立つ世界のどこに存在価値がある! そんなのがこの世界と言うのならば、俺は、この世界を、ブッ壊―――したいなぁもう。
 ……ちくしょう、あの運転手覚えてろよ。顔は覚えたから今度無賃乗車しちゃる。
 そうやって世の無常薄情さをかみ締めながらこぶしを握り締めて天に向かって泣いていると、唐突に肩を叩かれた。



「ふむ、何やら私のことで迷惑をかけてしまったようだ。お詫びと言っては何だが、これを君に譲っておこう」
「いや、別にそういうつもりじゃなかったですし。ていうかコレ何!? え、なんかお札なのに百とか書いてあるよ!? つーか束かよ!札束ですか!?」 
「屋敷にあった日本円がそれしかなくてな。持ってきたはいいが、時代が変わり貨幣制度も変わっていたらしい。やれやれ、隠居生活が長引くと世間に疎くなっていかんな」
「おじさん何歳ですか。生きている間に貨幣制度変わるって……」
「なに、ちょっと長生きしているだけにすぎん。それより小童、ついでといってはなんだが、一つ質問していいかね?」
「ほい?」



 なんていうか、あまりのインパクトにそれまでそのおっさんを見ていなかったんだけど。今ここに来てようやく、俺は自分の頭の中におっさんの姿をまともに捉えた。
 うん、びっくりした。すげぇびっくりした。とてもすごくびっくりした。驚愕したので三回繰り返してみた。
 左目につけたモノクルに、ぴんと伸びた背筋。モスグリーンのスーツと白縁のネクタイ。
 口周りの綺麗に切りそろえられた顎鬚と、いつの間に取り出したのかその口に加えている〝パイプ〟が実に様になっている。
 身長百八十は優に超えるであろう長身痩躯でありながら、年老いた感じを見せない若々しさというべきか――――いや、なんかこう、長年を生きてきた年長者の雰囲気みたいなのをひしひしと感じる。
 正に見紛う事なき紳士だった。ジェントルメンだった。かっこよかった。将来なれるならこんな大人になりたいと思った。



「ぉ……おぉ~~!」
「うん? 私の顔に何かついているかね?」
「いえいえそんなとんでもない! ていうかおじさんどこの人ですか? イギリス?」
「ドイツだ。よく間違えられる」
「ど、ドイツっ! あの科学力が世界一で有名な!」
「……はて、確かそれは向こうの大陸の自由主義者共の国だったはずだが」



 首をかしげる仕草も妙に様になっていやがるっ……!
 これが紳士の力かっ!
 


「それはともかく、迷惑ついでにもう一つ頼まれてはくれまいか。
 ……この住所がどこかわかるかね? 久方ぶりに来てみれば、街の様子も随分様変わりしていてね。昔の記憶便りに歩こうにも、指標が何も無いため危うく迷いかけた」
「あー、そうだったんですか。ちょっと失礼します――――って、これすずかちゃんの家じゃん!」
「ほう、小童。あの者達と知り合いか。――――いや、確かに知り合いでもおかしくはあるまいな。丁度末に君と同い年くらいの娘がいると聞いた」
「知り合いも何も、同じクラスですよ。それにしてもびっくりしたぁ……おじさん、すずかちゃ――――いや、月村さんと知り合いなんですか?」
「遠縁の叔父、といったところだな。彼の家流は私の眷属だが、極東の地に流れ着いたこともあって長らく疎遠だったのだよ」
「それで久々に顔を出しにきた、って感じですか。ドイツからはるばるご苦労様です」



 とりあえず、俺はこの紳士のおっさんを引き連れてすずかちゃんの家へと向かうことにした。
 しかし見れば見るほどダンディズムにあふれるおっさんだ。俺の親父とは大違いである。
 一応、元山男ということでそれなりに体格はがっしりしているが、性格が大雑把で粗雑、家庭思いで優しいどこぞの課長だかなんだかをやってるらしいが、少なくともこのおっさんのひざ先ほどにも届いていない。ちょっと身内贔屓してコレなのだから、このおっさんのカッコよさが窺い知れるというものだろう。
 さて、そんな俺とおっさんだったが、道中あまり会話という会話は無かった。
 せいぜい今の貨幣はどこで手に入るのか、とか両替はどこで出来るか、とか、日本語ペラペラですね、私の言語は108式まであるみたいな会話をしたくらいだ。ていうかマジで108ヶ国語喋れたよこのおっさん。
 そして、ようやく後はこの道をまっすぐいて左ですよー、っていうところまで来た。



「ここですね。この坂道を登っていけば左側に屋敷が見えると思うんで。そこが月村さんの家です」
「わざわざすまなかったな、小童。礼を言おう」
「いやいや、別にいいですよこのぐらい。ていうか、こんなにお金貰ってるんですから、むしろこの程度でいいのかなって恐縮です」



 別れ際までおっさんはパイプを咥えていた。
 時折ぷかぷか空に消えていくドーナツの紫煙が面白くて、何回もおねだりしてしまったのは公然の秘密である。中々にノリがよくて、そのあたりも実に紳士的でかっこいい。
 


「ふむ、君は中々不思議な小童だな。まるで私と同じ何かを感じるな」
「はい?」
「――――何、気にするな。〝袖振れば 札束代わって また今度〟」
「……それ、川柳ですか?」
「違うぞ小童。これはこの国のすばらしき文化〝ハイク〟だ」
「あぁ……俳句ですか…………え?」



 いや、え、だって今どこに季語入ってた? どこかに紛れ込んでた?! ていうか今のどう考えても川柳だと思うんですがそこんところいかがでしょーか天にまします我らが役立たずの父よ!
 そして、そんな俺の驚きと苦悩なぞもはや知ったこっちゃ無いのだろう。小学生にとっての〝これが未来の私像〟的な紳士は、そんな意味のわからない一句(?)を残して去っていった。
 なんだかすごく狐か狸か蝙蝠に化かされた気がする。最後の最後でぶちこわしとはこのことだろうか。ご都合主義万歳。
 


「……ま、まぁいいや。これで帰れる」



 面倒がようやく片付いた。俺はとにかくほっと一つため息をつくと、随分と遠ざかってしまった我が家への道のりをるんるんらんらんと軽くスキップを交えて辿るのであった。

 ――――にしても、マジで変な紳士だったな。あれが世に言う〝変態紳士〟か。











「――――てなことがあったわけさ」
「アンタもんのすっごく失礼極まりないわね。特に最後」
「あ、あはは……叔父様も楽しい子供だった、って言ってたし、お互い様なんじゃないかな」



 翌日の学校の二十分休み。寝不足で眠い目をしょぼしょぼさせながら、俺は昨日起きた珍妙奇天烈摩訶紳士の話を聞かせてやっていた。
 ちなみに二十分休みというのは、二時間目と三時間目の間にあるやつだ。元気な奴らはこの時間にも外に出てドッジボールやらドロケーやらで白熱した戦争を繰り広げる。今日は眠いので俺は不参加だけど。
 それはともかくとして。
 あの紳士がすずかちゃんの家に到着してからの話は、生憎すずかちゃんがその場に同席していなかったためにあまり聞くことはできなかったが、どうやらすずかちゃんには色々期待しているらしい、というのが話を聞いていてわかった。なんでも紳士曰く〝将来この地を監督する人間となるのだから〟だそうだ。

――――もしかして、ヤのつく自由業だったり?
 
 

「私、ちょっと見てみたい! すずかちゃんの叔父さんって、そんなにかっこいいの?」
「えーと、かっこいいといえば、確かにかっこいいのかも? お姉ちゃんも〝あんな紳士は見たこと無い〟って言ってたし」
「うちの鮫島も紳士といえば紳士だけど、すずかのお姉さんがそこまで褒めるって、只者じゃないわね」
「パイプ咥えてたしな。ドーナツの煙作れてたしな」
「アンタそれナンも関係ないじゃない」



 いやいや、バカにしちゃだめだって。してないわよ。ていうかなんでアンタはそんなにパイプにこだわるわけ?
 そんなくだらない応酬を始める俺達を眺めるすずかちゃん&高町。どちらも苦笑を浮かべているのは呆れているのか、はたまた見限られているのか。
 こうやって二十分休みに集まったり、昼休みに誘われて一緒に弁当食べたりし始めたのは、あの〝風鈴粉砕事件〟の以降のことだ。
 詳細については省くが、ようは壊したお詫びに新しいのをできるだけそっくりに作ってすずかちゃんに献上し、その上で土下座――――するべきだったんだろうけど、それで手打ちにしてくれたんだ。ほんとにもう筆舌に尽くせないほど優しくていい子である。このドキドキをどうしてくれる。

 
  
「あ、そういえば昨日、私本田君のこと見たよ?」
「うぇっ!?」



 ――――なんて回想に浸ってやや動悸が激しくなったところで、出し抜けにそんなことをすずかちゃんに告げられ、俺は危うく心臓が止まる思いでしたよ?
 まままま、まさか、あの場面を!? あの宝物を抱えているところをっ!?



「なにか大事そうに抱えていたみたいだけど、それが昨日言ってた買い物?」
「あ、いや……えと、その、まぁなんていうか、そうだっていうか……ちょっと違うって言うか」
「あーもう! あんたにしては煮え切らないわね!」
「うっせぇな! お前には関係ないだろヤンキーパツ!」
「毎回毎回一々一々人の名前を変な風に呼ばないでよこのバカサル!」
「はん。おまえなんざに固定名詞は高尚過ぎて不似合いだっつーの」
「んですってぇ?!」
「もう、二人ともストップ! ダメだよ、そうやってすぐに喧嘩しちゃ!」
「ほんだくんもそうだよ。そんな暴力的な話し方じゃなくて、もっと仲良くお話しようよ」
「「……はい。ごめんなさい」」



 結局すずかちゃんと高町には逆らえない俺達である。
 いやいやそれよりも。
 


「ていうか、いつの間に見たの? 月村さん、昨日は高町達と一緒にお茶してたんでしょ?」
「うん。でも私、途中でお姉ちゃんに呼ばれて帰っちゃったんだ」
「そーなのよ。ま、その〝紳士の叔父様〟が海外からはるばる来るって言うんだから、仕方ないわよね」
「ははぁ……それじゃ、俺がバスに乗るところを見られたのか」
「うん、実はそうなの。まさかそのバスに叔父様も一緒に乗ってるとは思わなかったけど」



 くすくすと、口元に手を当てて笑うすずかちゃんは、相も変わらず白百合のように可愛らしくて可憐そのものだった。見てるだけで顔の表面温度がみるみる上昇していくのがわかる。
 こうやって間近で会話できるのは途方もなく嬉しいけど、その代わりに俺が〝すずかちゃんのことが好き〟ってことがバレやしないか、最近は戦々恐々する日々が続いている。くそ、もっと上手に隠さないと、ゴールドヘアードグレムリンにばれてしまうというのにっ!
 あ、ちなみに高町は論外ね。こいつ意外と――――いや見た目通りに超鈍いから。

 にしても、そういうことか。
 ならまぁ、見られても仕方ないかなぁ。不幸中の幸いだったのは、袋の中身がなんであったか見られることがなかった、ってことだろうか。
 ていうか、あの紳士のおっさん、すずかちゃんの家行くなら迎えだしてもらえばよかったのに。なんでわざわざバスなんか乗ってたんだ?



「それにしても、すずかちゃんのお家って、海外に親戚がいるんだね。すごいなー」
「そんなことないよ、なのはちゃん。親戚って言っても、最低でも六親等以上離れた遠縁の人たちだし、そもそも私とお姉ちゃんは海外とかあまりいかないから、会った事も無いの」
「え、そうなの? いいなぁすずかは。私なんて毎年変な口実つけられては会いに行かなきゃ行かないのに~。すずかだけずるいっ」
「あ、えと、でも私はアリサちゃんのことうらやましいよ? だっていろんな人に会えるし、何より海外に一杯いけるじゃない」
「そんないいもんじゃないわよ、アレ。私はむしろ、この中で一番うらやましいのはそこのトーヘンボクとなのはなんだけどね」
「ふわ?」
「にゃ?」



 あくびをしているところで突然名指しされたので、思わず間抜けな声が出た。ていうか高町、お前は猫か。
 そしてそんな俺達を見て、すずかちゃんとロリジャリがくすくすと笑い始める。
 何がなんだかわからず、互いに顔を見合わせる俺と高町。なんで笑ってんのこの二人? さぁ?
 ひとしきり笑った二人は、何がそんなにおかしかったのか眦に溜めた涙を拭いながら、話を続けた。



「ま、なんにせよすずかの叔父さんはもう外国に帰っちゃったんだ?」
「あ、ううん。まだ叔父様は日本にいるの。京都が見たい、って言って今日の朝出て行ったんだけど……」
「あのおっさん、お金あるの?」
「それは大丈夫。お姉ちゃんが一緒について行ったし、叔父様、すごく記憶力がいいんだ」
「へ~。すずかちゃんの叔父さんってすごいねー」



 高町が素直に感嘆したような声を出すと、すずかちゃんはとても照れくさそうに頬を赤らめて「うん、ちょっと自慢の叔父様」なんていってはにかんだ。はにかんだよ!?



「――――っ!」
「? どうかしたの、ほんだくん?」



 あわてて顔を背ける俺。死ぬ。あんなの直視したら俺の眼が死ぬ。脳が死ぬ。心が死ぬ。不思議そうに小首をかしげる高町なんてどうでもいいくらいにやばかった。
 汚れきった心にあの純真無垢で可憐極まりない繊細一輪の薔薇は猛毒だ。どくどくだ。時間がたつごとにダメージがどんどんでかくなっていくんだ。
 なんか隣の高町に「どうしたんだろう、ほんだくん」なんて心配されるが、俺は意地にかけてなんでもないとかたくなに突っぱねてやった。なんか頬を膨らませて「せっかく心配してあげてるのにー!」とかいって俺の頬をつまんでぐにぐにやってくるが、知るかそんなもの。今はむしろこの火照った頬と今にもはじけるブリキ人形のごとく鳴り止まない鼓動のせいでそれどころじゃないんだ。
 結局、話はいつしか俺と高町の似通っている点とか、最近高町がロリパツの影響を受けて乱暴気味なってきたとかいう話に移っていた。特に後者に関しては激しく同意する。まだ引っ張られた頬がひりひりするんだぜ……









 夕飯を食べ終えた俺は、ようやく仮組みが終ったアレを前に、これからどう塗装するか、どこをどう改造するかという予定をあれこれ立てながら、簡単な予定図を書き起こしていた。
 小学生に何が出来る、などと侮ること無かれ。学校の六年の担任のザッキーに頼めば、塗料やらエアブラシやら余ったプラ板やらを貸してもらいーのわけてもらいーのできるのだっ!
 ビバ小学生特権。残念ながらエアブラシを使うときはザッキー同伴でなきゃダメだけど、好きに色が塗れるっていうのはデカイ。それだけで完成度が六割り増しになるといっても過言ではないのだ。
 


「しっかし……」



 ちまちまちまちまと、設計図(っぽいもの。つもり)を書きながら、俺はうーんと唸る。
 なんか、暗いよね、この趣味。



「そうねぇ~……もう少し男の子らしい趣味だと母さん嬉しいのだけど」
「閉めろよっ! ていうかさっきからじーっと見てるなって! はずかしいだろっ!」
「あらやだ。その工具買ってきてあげたのは誰だったかしら? まったく恩知らずもいいところねぇこのダメ息子は」
「もとは 母 さ ん が 使 っ て た 工 具 だろうが。さも息子に恩を売りつけるように話を捏造するんじゃありません!」
「……貴方ーっ! 貴方ーっ! ひこちゃんが! ときちゃんが反抗期にっ!」
「ひこちゃんなのかときちゃんなのか愛称統一しろよっ!? ていうかちょっと待て親父に言いつけるのは反則だろー!?」



 今日も今日とて騒がしい我が家です。
 結局乱入してきた父親とくんずほぐれつのプロレスごっこをして大量に汗を流し、親子三人水入らずで風呂に入り、なぜか鍋を囲んで家族そろって星を眺めました。
 ……あれ? なんかおかしくね?
 そんなことを思ったんだけど、ふと空の一点が明るく輝き、いくつもの流れ星が落ちるのが見えた。
 


「あらー、綺麗ねぇ~」
「まだ流れ星の季節ではないんだがな」
「いや、季節とかあるの? 嘘だよね? 見栄っ張りだよね? 大人しく自分の無知を認めようぜ親父」



 ともあれ、その美しさに見惚れていたのは事実だ。
 無論、俺はそんな憎まれ口を叩きながら、密かに心の中では〝すずかちゃんと仲良くなれますようにすずかちゃんと仲良くなれますようにすずかちゃんと仲良くなれますように〟とお祈りしておいた。へへ、これで明日からのスクールライフもといすずかちゃんとの好感度アップイベントも盛りだくさんになるに違いないぜ!

 ――――あ、なんか町のほうに流れ星が落ちた。
 
 

「……なぁ親父。こういう場合、探究心がうずくのは男の性だよね」
「……あぁ息子よ。それは紛う事なき男の探究心という性だ」
「親父っ!」
「息子よっ!」
「あぁ~はいはい馬鹿男達は早く歯を磨いて寝ましょうね~。ほら貴方! 明日は早いんですから、準備して寝ちゃってくださいな!」
「何を言ってるんだいマイワイフ。今日は朝まで我が息子の弟妹を創る約束をしていたじゃないか」
「まぁ貴方ったら。そんなに求められたら私――――我慢できないわよ?」
「頼むから小学生の前でそんな生々しい話はしないでくれ馬鹿両親」



 あー……すずかちゃんにだけは、この両親は見せたくないなぁ。
 そんなことを考えながら、既に頭の中では明日の放課後の予定が組みあがっていた。
 我が家の家訓は即断即決即実行。何事もスピードが命。買わずに後悔するな、買って後悔しろ。その心は……。
 


――――即ち、あの流れ星が落ちたところに行ってみよう。













1007240244:Ver1.1 先生の言動を修正=担任を女性に。



[15556] 星と金髪と落し物
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:36
 両親と流れ星を見た翌日。
 塾で忙しいすずかちゃんやヤカマシングス、んでもって最近とみに俺への暴力係数が右肩上がりの高町達と別れた俺は、なんとなく昨日の記憶を頼りに町を散策していた。
 ――――が、結局流れ星が落ちたと思われる場所は発見できなかった。しょんぼり。
 どちらかというと、高町がしていた方が似合いそうな哀愁の表情を漂わせながら、とぼとぼと海鳴の商店街を抜け、帰宅することにした。
 駅前のロータリーへと向かう道すがら、ふと一昨日出会った紳士のおっさんを思い出す。今頃京都で何してるんだろうか、あの不思議なおっさんは。
 しかしアレがすずかちゃんの叔父ってなぁ……俺、失恋フラグじゃね?
 なんていうか、あのおっさんの様子を鑑みるに、すずかちゃんに告白しようものなら「うちの姪or孫に何をする!」的な感じでそのスジな方々に追い回されたり。


――――いやいや落ちつけ俺。そりゃドントなマインドだぜユー。


 すずかちゃんの実家がそんなマダオの集団なわけないじゃないか!
 あれだぞ、すずかちゃんはお嬢様だぞ?
 俺的に学校一可憐で清楚で柔和で観音菩薩なぞそこらへんのフンコロガシ以下にすら思える超絶美少女小学生だぞ!?
 そんな彼女の実家がヤのつく自由業だなんて、はは、まるで漫画みた――――いやまてよ。
 そういえば、大抵やくざがご実家の漫画のヒロインとかって、性格は二極してるような……。

 ①:超乱暴者。言葉遣いもあらあらしく、平気で木刀や釘バット振り回して人を殴り殺しかねないような乱暴者。もしくはそんな人格になる二重人格者。
 ②:その対極で、清楚で可憐。柔和な笑みを崩さず、まるでそのスジの家のものだとは感じさせないほどお嬢様。しかし腹黒。

 うーん、こう考えてみるとなんか、すずかちゃんってば物凄く②の条件に当てはまってしまっているような気が。


――――マィガッ!?


 嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!
 そんな、すずかちゃんの実家がヤクザで腹黒だなんてそんなの嘘だ!
 そんなことがあってたまるもんか! すずかちゃんは正真正銘のお嬢様なんだ! ジャリブリットみたいな粗暴モノとは格が違うんだよっ!
 いや、でも確か昨日、すずかちゃんの話の中に、あの紳士のおっさんがすずかちゃんに対して「将来この地を監督する」とかなんとか言ってた気が……。

 はっ!? それっていわゆる〝シマ〟ってやつなのか!? 縄張りなのか!?

 だめだ、そう考えたらますます、すずかちゃんのご実家がヤのつく自由業の方々になってしまう……っ!
 仮に、そう仮にだ。
 もしすずかちゃんのご実家が、実はドイツからきたマフィア系のちょっとアレな素晴らしき人々だったりして、それでそれで、もし億が一にでも俺がすずかちゃんに告白しようものなら………………。




「やめよう。精神的に死ぬ」



 とりあえず傍にあった電柱に手を当てて項垂れた。ぼくのじんせいおさきまっくらっ!
 


「はぁ……気になるなぁ。けど聞くのは憚られるんだよなぁ……」



 どうしようもなく気まずい話題だ。こっちから吹っ掛けるなんて正気では絶対に無理だな、うん。
 いっそアルコールでも摂取するか?
 素面がだめなら酔えばいいじゃない! とは前世のマイラバーの言だが、案外的を得ているかもしれない。そのせいで俺の初めては食われてしまったんだが。
 


「あぁ、俺ってば女運絶対悪いよな、これ」



 自分で古傷を抉ってしまった激痛に耐えきれず、そばにあった植え込みの近くでうずくまってしまった。あかん、ぼく泣いてまう。
 さめざめと嘘涙を流しながら項垂れ、世の無情さを嘆いていたその時だった。



「……おろ?」



 茂みの奥に、何かが陽光を反射して輝くのが見えた。
 青い――――石? いや、宝石か?
 うぬっ、と一つ唸って手を突っ込み、がさごそと探し出す。
 ややひんやりとした、しかしつるつると表面の滑るソレは、まだ高いところにある太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
 薄ぼんやりと陽炎みたいに揺れている気がするんだが……気のせいか?
 


「にしても、誰だよこんなところに宝石投げ捨てたの。勿体ないなぁ」



 ふーっと息を吹きつけて、表面に付いた砂を取り払う。どうやら投げ捨てられてあまり時間は経っていなかったみたいで、息を吹いてもとれなかった汚れは、服でごしごししたらすぐに取れた。
 色合いはアクアブルー? いやマリンだったか? そんな感じの青い奴で、やや長めの六角形カットの宝石だ。
 


「……売ったらいくらになるかな」



 なんて考えて「いやいや、そんな貧乏くさいこと考えてどうする」と自分の愚行を窘める。紳士を目指すもの、そんなセコイ真似は言語道断。あ、でも中古漁りは全然オッケーだよ? ほら、アンティーク探しとかって貴族とかお偉いさんとかやってるじゃん。あれと一緒一緒。
 まぁ、それはともかくとして、だ。



「ま、流れ星が落ちたところは見つけられなかったけど、代わりとしちゃ上々かな?」



 ふと、すずかちゃんにプレゼントしたらどうかな、なんて考えがよぎる。
 だけど、自分で買った物や創ったものならいざ知らず、こんな植え込みに放り投げられてたような宝石(?)を上げるのは気が引ける。ていうかやっちゃいけないだろ。んなことしたら賽銭箱にゲーセンのメダル入れるようなもんだ。ダメ、絶対。
 というわけで、これは今日の戦利品として家に持ち帰ることにしよう。今度、荒木達に自慢してやろ。
 そう思いながら、俺は上々の機嫌になって、海鳴のバスロータリーへと向かって歩き出したのだった―――――。
 








                           俺はすずかちゃんが好きだ!







 
 

「いやまてよ……そういえば、最近あのジャリヤンキーの機嫌がすこぶる悪かったような――――」



 夕暮れ近くなってきたためか、若干すれ違う人たちの足並みが慌ただしいものになってきた。それを視界の端に流しながら、ふとそんなことが思いつく。
 ふむ、ここらで一つ、この拾いモノで機嫌を取るというのはどうだろう。
 高町の家が経営している喫茶店で買ってきたシュークリーム(計2個三百五十円、友人特別価格なり)をほおばりつつ、そんな妙案が思いついた。
 思い返せば涙と激痛と間接の悲鳴しか聞こえない回想が、俺の脳裏を生々しくよぎっていく。もはや生きるサンドバックのごとく毎度毎度殴られる立場となってしまった不遇の身の上を思い出し、ぶるるっ、と寒気に襲われて震えてしまった。
 おまけに、最近は高町の馬鹿もあの暴力パツキンに影響されたのか、言葉よりも体で話をつけてくることが多くなってきた気がする。ていうか、半年前とは比べ物にならないくらい遠慮なくなってきたような……。



「はぁ……余計なこと言っちゃったよなぁ、アレ」



 去年の冬、その時はまだ大人しくてあまり自分の意見を言わない高町に、俺は「お前影薄すぎ。三沢って呼ぶぞ(ちなみに三沢とは空気人間の隠語である)」って脅してやったことがあった。
 それが恐らくは気転だったのだと思う。それまで結構引っ込み思案で自分から話に割って入るようなことはしなかった高町が、それ以降も俺が何度か「エアーガール」だの「メタンガス」だの「あ、むしろオゾンか」とからかってやったら、なんだかバクテリアが増殖するくらいの勢いで積極的になりだしたのだった。
 その過程で何度も鬼幼女に殴られ蹴られ関節を極められ……とにかく酷い目にしか合ってない気がする。あいつら疫病神だなホント。
 


「むぐむぐっ。でも高町はなぁ……あげてもあまり喜ばなさそう」



 大体そこまで仲がいいわけじゃないしな。餌をあげて手なずけるという作戦も悪くはないが、正直そこまで深刻化しているわけでもないのでスルーしても大丈夫じゃね?
 まだ直接的な被害は頬だけだし。ぐにぐに引っ張られても痛いというよりむず痒いだから、別段気にしてはいない。だって小学生がやることだしな。
 ……となれば、だ。



「あのヤンキーお嬢様しかあるめぇ」



 記憶輩引っ張り出されてきたのは、両手を腰に当てて目を釣り上げ、がるるるっ!と吠えたてる金髪猛獣の姿。あな恐ろしや。



「……うーん、でもあいつら、確か塾とか言ってたからなぁ」



 今から家に行ったとしても、恐らく本人はいないだろうし。悩むところですますよ。
 いっそ塾に乗り込むかなぁ……もしくは終わる時間まで待つ、ってのもアリか。
 ……いやおいばかやめろ。そんなことしたらまるで、俺があのロリベアーに気があるみたいな態度じゃないか。つーか下手をしたらすずかちゃんに誤解されるっ!?



「――――のぅ! それだけは断じてのぅっ!」



 がっくんがっくん頭を振ってシャウトしてしまう。そんな俺を奇異の目で見つめる公衆のみなさんであるが、それよりも脳内で繰り広げられるすずかちゃんの邪気のない毒針攻撃の方が心に痛かった。
 やめて、そんな素晴らしい満面の笑みで「がんばってね本田君。私、応援してるよ!」なんて言うのやめてっ!
 違うのっ! ミーはあんな暴力幼女なんかに興味関心なんてないのっ!
 誤解だ、誤解なんだ!「本田君、アリサちゃんとは特に仲が良かったからね」ちが―うっ!
 もうやめてすずかちゃん! ミーのライフもうゼロよっ!



「……見つかるのだけは絶対にだめだ。もしかしたら、このミッションは前代未聞の超高難易度のモノになるやもしれん」


 
 敗北条件はただ一つ。 
 俺がアリサにこのブツを渡す瞬間を見られてはならない、ただそれだけだ。
 であればどうする?
 ヤツの家に直に手渡しするという手段は使えない。かといって、塾が終わるのを待ち伏せするのはリスクが高すぎる。

 ……まいったなぁ~。

 もはや俺の頭の中では、この〝拾いモノ〟をゴールドデビルに押しつけることで一杯だった。それを曲げるのは、つまり俺の負けということに他ならないとさえ思っている。なんだこの強迫観念は。
 でもなぁ、かといってコレを俺が持ってるってのもなぁ~?



「こんなの持ってても、なんの足しにもならないし」



 親指と人差し指でつまみ上げ、陽光に翳したそれは相変わらずの綺麗さで輝いていた。
 こうやって見ると、結構値打ちのありそうな宝石にも見える。もしかしたら持ち主が探し回ってるかも――――と考えて、だったらあんなところに投げ捨てたりしないだろうことに気付く。
 投げ捨てた理由に関しては考えないようにしておく。変にドロドロした大人の痴情の縺れだったりするかもしれんしな。触らぬ神にたたりなし、だ。
 ちなみに警察に届け出る気は毛頭ない。あんな子供の敵なんぞに塩を送るなど狂気の沙汰ぢゃ。
 ちょーっとゲーセンで遊んでるだけで絡んできやがって……おちおちゲームもしてらんないじゃんかよ。あと夜遅くにプラモ買って帰った時も。なぁにが「ボク、こんな時間にどうしたの?」だ! こちとら中身二十うん歳のバーロー様だぞ!
 ……あー、メンドクセェからもうゲーセンで遊んでから帰ろうかなぁ。主に気晴らし的な意味で。渡すのは別に今すぐじゃなくてもいいんだし。
 


「あ、本田じゃない」
「ほ?」



 欠伸を交えて、ほとんど本気でゲーセンに向かおうかと心が固まりかけていた時、ふと後ろから俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
 眦に浮かんだ欠伸涙をぬぐいながら振り返り―――――見てはいけないモノを見てしまったショックで俺は空を仰いだ。あー、なんだっけ。なにしよーとしてたんだっけ。



「そーだゲーセンいこ」
「待ちなさいよコラ。ていうか逃げんな」



 がしっ、と肩を掴まれて強制的に振り向かされる。
 逃げる暇もない電光石火。くそ、俺の行動パターンを熟知していやがるっ!

 

「この私を無視しようなんて偉くなったじゃない。またコブラツイスト極めてあげましょうか?」
「ノ―センキューでございやがります暴力お嬢様」
「ったく……それより、一人で何してんのよ、こんなところで」



 パシン、と平手に拳をあてて不敵に笑うソイツ――――アリサ・バニングスに、俺は不機嫌を隠しもせずに断りを告げた。
 そんな俺の態度も織り込み済み、というかいつものことなのでなんとも思わなかったらしい。金髪お嬢様は一つ溜息をつくと、腰に手を当ててわかりきったことをきいてくる。



「決まってるだろ、遊んでるんだ」
「どこがよ。どこからどう見ても暇人じゃないの」



 一刀両断された。なんてやつだ。子供の言葉を信じないなんて、こいつは大人の毒に侵されている。



「……可哀そうに」
「何さも〝僕わかってます〟的な憐みの笑み浮かべてんのよアンタはっ!」
「〝的な〟ではない。憐れんでるんだ」
「余計なお世話よ! っ~~あぁもう! アンタってやつは、こっちが友好的に話しかけてもいっつもそれなんだから!」
「そりゃ今さらだろ。で、どしたんだよお前。今日は塾じゃなかったのか? ていうか月村さんどうした」



 きょろきょろとあたりを見回してみても、あの特徴的な黒髪微ウェーブのロング美少女が見当たらない。それだけで俺の生きる気力が1割を切ってしまった。あぁ死にたい。いやむしろ死ね。すずかちゃんが傍にいない金髪なんて、生きる価値ゼロじゃないか。



「……わっかりやすい態度よねぇ、アンタも」
「あ? なんか言った?」
「別に。すずかなら先に行ってるわ。私は切らしてたノート買いに来たの。結構時間ぎりぎりだから急いでるんだけど、文房具屋がみつからなくて……」
「ノート? んなもんコンビニで買えばいーじゃんか」
「お気に入りのやつがあるのっ! いつも行ってたところが売り切れてて、今こうして探してるんじゃない!」
「あー……なるほどね」



 お気に入りがどーとか正直どうでもいいが、まぁこだわりを持つってのは大事だよな。
 人間誇りや矜持を捨てたらただの生ゴミだ。いまどきの悪人はそんなこともわからないやつらばっかりで反吐が出る。
 まったく、西博士を見習えってんだよ。あのおっさん、自分の美学は最後まで貫いてるぞ?
 他にも自分の志や信念が一貫している人間っていうのは、やってることが悪だろうが善だろうが、人間として正しいと思うんだ、俺ぁ。
 そんなわけで、ちょっとだけ――――そう、ちょっとだけこの幼女お嬢様の手伝いをしてやろーかな―という気になった。



「んじゃ行くか」
「……は?」
「ほら、っさとこいよ。買いに行くんだろ、ノート」
「え、あ、いや待ってよ! アンタ売ってるとこ知ってるの?」
「たぶん」
「たぶん、って……」
「まーまー。あそこ、品ぞろえは豊富だったし。よっぽどドマイナーなモンじゃなけりゃ手に入るだろ。のんびりいこーぜ」
「なら、制限時間三十分よ。それまでに見つかんなかったら、アンタ明日覚えてなさい」
「なにチンタラ歩いてんだよ! オラ走るぞ!!」
「うゎ、ちょっ、急にひっぱるなぁ~!!」



 知るかっ!
 我儘幼女と俺の命どっちがだいじ?! とーぜんぼくのいのちっ!
 ってなわけで問答無用で市中引き回しじゃごらぁああああああ!
 
 
 








 結局、あの後ノートはすぐ見つかって、なんだか全力疾走したのが無駄に感じられてしまった。俺のカロリーを返せ。
 こだわってるらしいからどんなのかと思えば、なんてことはない。表紙と裏に犬のプリントがあしらってある極ふつーのノートだった。俺猫派なんで、って言ったら無言ではたかれた。さらに言えば、ノートが見つかった時もはたかれた。何故だ。



「あーもう、無駄に走ったせいで汗かいちゃったじゃない……」
「おれわるくねーし。急かしたのはおまえだろーが」
「うっさいわねー……だからって全力疾走してまで探せとは言ってないわよ」
「へーへー、どーせ俺がわるいんですよー」
「~~っ、ふんっ!」
「あでっ!」



 いつか俺、こいつに殴り殺されるか蹴り殺されるんじゃなかろーか。
 今度は拳骨で思いっきり後頭部をド突かれて、目の前に星花が散った。
 非難がましく睨みつけるも、あっかんべーをもって敢え無く撃退。ぎゃふん。
 


「誠意の感じられない謝罪は侮辱と同じよ。その辺わかってやってるでしょ、アンタ」
「ぶーぶー、ぼく豚だからわかんなーい」
「~~~しねっ!」
「ふっ、いつまでもやられっぱなしの本田さんじゃないのだよ」
「あ、こら避けるな!」
「これぞ本田流回避術〝シンクロメーター〟!」
「単に手が届かない距離まで逃げてるだけでしょーがっ!」



 そんな風にぎゃーぎゃー騒ぎながら、なんでもこのサワムラー・バニングスの迎えの車があるというので、そこへと向かっている。
 駅前のバスのロータリーにつくと、ひときわ目に付く黒塗りのリムジンがあった。なんていうか、アレだ。映画からそのままトリモチで引っ張り出してきたような、いかにもな車。
 それを目の前にして、俺は改めてこの隣のグレムリンガールが正真正銘のお嬢様なんだと再認識するのだった。



「不思議とお前がこの車以外に乗る姿が想像できないんだよな」
「それ、褒めてるの? けなしてるの?」
「気持ち後者で。事実前者で。フィフティーフィフティーはコーヒー牛乳の黄金律だ」
「……あーもうそうですか。アンタと話してると頭痛くなるわ」
「大丈夫。俺も後頭部とケツが痛くなる」
「嫌味!? 嫌味よねソレ絶対に!?」
「あっはっは~そんなはずありすぎて困るよな!」
「笑ってんじゃねーわよっ!」
「ごふっ!?」



 レバーががら空きでした。
 


「い、いきなりフックはずるいと思うんだ、俺」
「だったら言葉に気をつけなさい。まったく……あ~、それと、付き合ってくれてありがとうね。助かったわ」
「どうチャーハンしまして。今度高町ん家のシュークリーム六個で手を打とう」



 考えとくわ、と後ろ向きに手を振って車へと向かう後姿に、俺はやれやれようやく解放されたよ、という安堵感と共に、何か大切なことを忘れているような気がした。
 はてなんだったっけ……?
 なんかこう、すごい色々悩んでたんだけど、この馬鹿が突然現れたばっかりに有耶無耶になった――――頭を捻りながらポケットに手を入れると、指先に触れる堅い何かに気付く。

 ――――あ。

 そうだった。



「ちょいと待ちなそこのホワイティ・ゴールドベア」
「誰よそれ!?」
「ほれ、ついでに土産だ。これで明日からの俺への暴力係数をゼロにしてくれると俺はすごくとても嬉しい。そして月村さんと今度遊びに行こう」
「……下心がここまで全開だと、いっそすがすがしいわね」



 振り向いたそいつに、ごそごそとポケットから取り出したソレを渡してやった。
 薄ぼんやりと輝いているような気がしなくもないソレ――――さっき植え込みで拾ったあの綺麗な宝石だ。
 もともとコレを渡す手段を考えていたところへ、突然こいつが来たから今の今まですっかり忘れてたぜ。危ない危ない。
 幸い、目標があっちからやってきてくれたので大幅に手間が省けた。それでもゲーセンには行くけどね。



「どうしたのよ、コレ」
「拾った。なんかキレーだけど、拾いモノだしな。捨てられてたっぽいから、本物のお嬢様の元に還元してやろうと」
「泥棒じゃないのっ! 交番に届けなさいよ!」
「え~……? だって植え込みンところに捨てられてたんだぜ? 届けたって無駄だろ」
「でも、もし間違えて落としたんだったら……」
「ないない。泥まみれで投げつけられたように土んところに埋まってたから、きっと憎さ百倍の怨念込めて投げつけたんだろ」
「……アンタ、暗に私のこと呪ってるでしょ」



 あー、なんていうか、今更な話だけどこいつってすごく真面目なんだったっけ。俺と話す時はいつもふざけてばっかりだからそんな気全然しなかったんだけど。
 始業式の翌日、つまりはクラスでの委員や係決めの時、こいつが学級委員長をやろうとしたけど、俺(及び支持者)の断固とした反対に遭って却下されてたのを思い出した。
 そんな真面目ちゃんのことである。少し考えれば、こんな宝石を拾ってガメようとしたら、面倒なことをぐちぐちと言い始めるのは目に見えていたはずだ。残念ながら今回ばかりはそこに気がつかなかったわけだが。


 
「あーもーうっせーな。いいからもらっとけ。そして俺への暴力係数を減らして月村さんを誘って今度遊びに行こう」
「……はぁ。もういいわ。アンタに言ったところで無駄だもんね」
「そうそう。いつもそのぐらい妥協して理解してくれると嬉しいな。主に俺の打撲軽減的な意味で」
「うっさい。アンタはちょっとド突かれるぐらいがちょうどいいのよ」
「おかげであの大人しい高町が最近俺に暴力をふるうようになったぞ。どうしてくれるこのジャリヤンキー」
「自業自得ね。ま、仕方ないからもらってあげるわ。たまには悪いこともしないとね」
「悪女だな、おまえ」
「アンタに言われたくないわよ」



 そういって、お互いにくっくっくと怪しく笑う。
 なんていうか、端から見たら絶対に変な小学生に見えただろう。たかだか九歳の子供達がこんな黒い笑いをしているのをみたら、俺なら間違いなくドン引きする。
 ともあれこれで目的は果たせた。
 危うく無理にリスキーな行動をとって最悪の結果――――つまりすずかちゃんに誤解されるなどという事は避けられたわけだ。ふぅ、よかったよかった。



「ところで、時間は良いのか?」
「そろそろまずいわね――――それじゃ、もらったついでに、気まぐれで良いこと教えてあげる」
「は?」
「週末は市立図書館に行ってみると良いわよ。素敵な出会いが貴方を待ってるかもね?」
「なんだそりゃ。占い師気取りか?」
「信じるか信じないかはアンタ次第よ。じゃ、私はもう行くわ――――鮫島、出して!」



 その一言をきっかけに、黒塗りのリムジンは壮大なスキール音を響かせて走り去っていった。
 最後に残された言葉が、無駄に頭の中で反響している。
 週末の市立図書館……ねぇ?
 まぁ、本を読むのは嫌いじゃないし、場所がわからないわけでもないから別に行ってもかまわないんだが。
 しかし、なんなんだ、素敵な出会いって?
 


「……考えるだけ無駄か」



 どうせあのジャリヤンキーの戯言だろ。
 そう決めつけて、俺はロータリーから踵を返して歩き出した。
 見れば、町の向こうに広がる水平線に、太陽が半分以上も沈んでいた。
 西側が茜色で鮮烈に染め上げられる中、それに追いすがるように東から宵闇の波が押し寄せている。
 そして、その波の中に見えるのは宙で輝く夢幻の星々。まるで海に浮かぶ灯台のように、それらは際限なく光を放ち、眩しい夜空を彩る。
 
 ここ海鳴は、とても静かな街だ。
 
 個人的にとても気に入ってるし、生まれ変わった場所がここで良かった、と今は心底思っている。
 なにより、学校が楽しい。
 前世の小学校もそれなりに楽しかったと思うが、今回はそれ以上に格別だ。
 どいつもこいつも個性的で、毎日接していて飽きがこない。まぁなによりも勉強しなくても高得点とれる、っていうのが“俺TUEEEEE!!”できて楽しいんだけどな。厨二病は高校生まで。ならば、それまで全力で楽しむのが子供の義務というものだろう。
 


「あーあ、結局流れ星は見つからなかったか」



 その過程で得た宝も、あっさりと消えた。
 明日からの俺の身の安全が保証されるわけでもないのに、これじゃまるでUFOキャッチャーに数千円つぎ込んで何もとれなかったのと同じだ。なぜだか色濃い敗北感だけが残ってしまっている。
 プラモも、今は小物の製作だから急ぐ必要もないし、それ以上に、色が塗りたいから今度ザッキーの家に行かないと、実質的に作業が進まない。なんで母さんエアブラシ持ってないんだよ……全部筆塗りとかキチガイだろ。ていうか俺が勝ってきたあの〝夜光の蜃気楼〟を勝手に作った挙句、それが全て筆塗とか未だに信じられん。盾のクローバーとか花模様とか自分で彫ってプラで補填してって、どんな職人だっての。
 とまれ、敗北感が残ったにしても、後悔はしていないのだから、結果としては上々なのかもしれない。
 もしかしたら、明日から本当に暴力幼女の乱暴係数が下がってるかもしれないしな。



「さーてと、ゲーセンで気晴らししてから帰りますか。今日の夕飯何かなぁ~……あ、ハンバーグ食いてぇ」



 てくてくと、残り制限時間1時間ちょい(小学生は、ゲーセンには基本夜六時までしか入れない)なのを確認し、ゲーセンへと向かいながらそんなことを呟く。
 けど、俺はこのとき予想すらできなかった。
 ほとんど宝くじを買ってそれがあたらないかなぁ、くらいの気持ちで考えていたことが、まさか本当に起きるなんて。











 翌日、夜遅くまでプラモの小物作りに邁進していた俺は、眠気でしぱしぱする目をこすりながら、教室のドアをくぐった。



「あら、おはようございます、時彦君」
「あーはよー………………え?」


 なにか今、変な現象が起きたような。
 おかしいな、眠すぎて頭がぼけたか。それとも幻覚か。
 いやいやまて落ち着け。確かに昨晩は気合い注入と称して様々な栄養ドリンクをチャンポンして飲んだが、せいぜい胃が気持ち悪くなって吐き出しただけで、他に副作用はなかったはずだ。腹の調子が良いのは果たして俺がおかしいのかそれともドリンクの効果なのかは考えないことにする。
 でないとすれば、いったい何だ。これは何だ。何なんですか天にましますクソッタレな父上様!?



「あら、どうかされました、時彦君。そんな御口をパクパクされるのは、少々はしたないですわよ?」
「な……っ! なな、なん……っ!」
「“な”?」



 目の前には、どうかされましたか?とか呟きながら小首をかしげる可憐な――――いや、すずかちゃんほどではないにしろ、完全無欠で鮮美透涼然とした、私立聖祥大学付属小学校の白いワンピース型の制服を纏ったお嬢様が立っている。
 すずかちゃんとは違い、小川のごとく流れるさらさらしたストレートの金髪を腰まで伸ばし、今日はかわいらしくも、その内の一部である二束を結い上げ、ツーテールロングの体裁をとっていた。
 そして、いつもはキリッとつり上がっている眦は、今日に限ってすずかちゃんのように柔和に垂れ下がり、まるでその雰囲気に擬音をつけるとすれば“ほわほわ”というのが一番似合いそうなほど牧歌的な雰囲気を醸し出している。
 そこまで確認して、俺は深く――――ふかぁ~~く深呼吸した。
 自分の気持ちを落ち着けるためであり、そしてなおかつ混乱する頭をなんとかなだめすかし、今にも柵を体当たりでぶち破って突っ走りそうな猛牛のような理性を押さえつける。
 そして、激しく高鳴る鼓動(無論すずかちゃんへのソレと同じモノではない。断じてない!)を押さえるように胸に手を置き、ゆっくりと口の中にたまっていたつばを飲み込んだ。
 よし、準備は万端。いくぞ、この元ロリヤンキー。その演技は万全か?



「だ――――」
「?」
「――――誰だおまえーーーーっ!!!」



 相変わらず小首をかしげるソイツ――――アリサ・バニングスとおぼしきソイツに右手の人差し指を突きつけながら、俺は絶叫した。
 奇しくもそれはクラスにいたみんなの代弁でもあったと、この瞬間俺は確信していた。
 誰が信じよう。誰が認められよう。
 傍若無人が猫の皮を被り、鉄拳制裁が座右の銘、逆らうモノは容赦なく踏みつぶし、立ちはだかるモノにはその肉体言語を駆使して話をつける。
 我らがクラスを裏で統べる真の番長。裏学級委員が最強の女王!
 それが俺の知る――――いや、このクラス全員が知る“アリサ・バニングス”だ!
 であるからして、目の前のコレは否! 断じて否!!
 こんな――――こんな清楚なお嬢様口調で、出会いがしらにラリアットもかましてこないヤツを、俺は――――――っ!



「誰って、ふふ。おかしなことをおっしゃいますのね。同級生のアリサ・バニングスですよ、本田時彦君♪」



 アリサ・バニングスだとは、絶対に認めねぇえええええええええええええ!!!!!





















――――――
言い訳
――――――

アリサ、豹変。
主人公、錯乱。
そして世はなべてこともなし。



[15556] 御嬢と病院と非常事態
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:36
――――アリサ・バニングスが壊れた。
 


 その速報は瞬く間に学校中に広がり、その様子を一目見ようと、休み時間には大勢の生徒が俺達の教室へと詰め掛けてきた。
 低学年だろうが高学年だろうが関係なし。さながらサバンナのバッファローの大移動のごとく押しかけた生徒達は、こぞって豹変したパツキン娘を見ようとその周囲を囲んでいる。
 もとよりあのパツキン娘に興味があった輩と、それまで凶悪だった猛獣が突然従順なペットに変わったと言うニュースが珍しくて集まってきた輩、他にもファンクラブやらなにやら考えるだけで頭のリソースが無駄に割かれる種々様々な思惑を持った連中が集まったせいで、教室は半ば混沌と化していた。
 本来、こんな事態は発生した瞬間から、蜘蛛の子を散らすかのごとく早々に解決されているはずなのだが――――残念ながら、今現在俺達のクラスにそれをなしえる傑物はいない。
 なぜか? んなの決まってる。



「アリサちゃん! これ、犬が好きって聞いたから、そういうノート探してみたんだ。よかったら貰ってくれない?」
「あら、ありがとうございます。ですが、悪いですこんなに一杯……」
「アリサちゃん、これ可愛いねー! どこで買ったの?」
「あぁそれですか? 海鳴商店街にいいお店がありまして。恥ずかしながら、ついつい衝動的に買ってしまったんです」
「いいなぁ、私も今度行ってみたーい!」
「あ、私もー!」
「それはいいですね。ぜひとも今度、ご一緒にお伺いしましょう♪」



 その傑物であるパツキンロリータが、あの様だからさ。
 信じられるか……? あいつ、昨日俺を殴り飛ばして鼻息荒げてたバイオレンス・ビザール何だぜ? まるで別人だろ。
 陳腐極まりない表現だが、そうとしか言いようが無いのだからしょうがない。てーか語尾に“♪”がつくとか、アイツ本当に頭大丈夫か……?
 主に集まっているのは女子連中だが、遠巻きに、そしてたまに勇気ある誓いを掲げたバカ(男)が、身の程知らずにもその底知れぬ魔窟へと時折身を投げる姿ももちらほらと見受けられる。あ、一人吐き出された。入る前とは比べ物にならないほどボロ雑巾と化している理由は、わざわざ考えるまでもないだろう。

――――とまぁ、朝からずっとこんな調子だ。

 おかげで昼休みは俺とすずかちゃんと高町という珍しい組み合わせで食べることになって、俺としてはとても落ち着かない一時間を過ごす羽目になった。
 すずかちゃんと話せるチャンス、などと不謹慎な気分になれるはずもなく、あのやかましい金髪がいないせいで主に口を開くのは高町だ。あいつなりに場を盛り上げようとしたのだろうが、いかんせん一人じゃ荷が重い。
 ジョンブルロリータが豹変したことがよほど気にかかっているのか、朝からすずかちゃんの口数は少なく、俺も漫才相手を失ったことと、気になる女の子が真正面に座っているという緊張感の所為で、口が鉛のように重くて開けることができなかった。
 そうなれば、高町が口を閉じたら殆どみんな無言になってしまう。その時の空気といったら、まるでお通夜だ。
 必死に盛り上げようとした高町の努力は認めるが、その必死さがかえって悪化を招いたようにも思う。あの子には今度もっと上手な話術というものを指導した方がいいのかもしれん。
 とまれ、そんなお昼休みとは思えない、まるで座布団が変わった勉強机の椅子に座っているような、非常に据わりの悪い時間を過ごさざるを得なかったわけである。おのれ、ジャリガールめ。
 
――――そして、時は移ろい、放課後になった今。

 冒頭にも述べた通り、教室は混乱極まった、しかし局地的に桃色フィールドが発生するという、どこから手をつければいいのかわからないという有様なのであった。








                           俺はすずかちゃんが好きだ!








「というわけで、緊急対策会議を開きたいと思います」
「えっと、対策って言っても……」
「アリサちゃん、どうしたんだろうね……」



 机を三つ囲んで、「第一回キンパツジャリガールをどうにか元に戻そう作戦会議」と描いてあるスケッチブックを立てかける。ついでに両手を組んでその上に顎を乗せてみた。気分はどこぞの特務機関の司令。しかし問題はありすぎだ。バケツに両足突っ込んで涼んでいる余裕も無いくらいに。
 どうやら、他の連中はパツキンブリッ娘の変化についてなんとも思ってない――――いや、むしろ性格が軟化して万々歳っぽい。だが、正直あのバカの隣で四六時中付き合ってきた俺達としては、喜びよりも困惑と心配という感情の方が先立つ。
 何より気持ち悪いのだ。俺が全力で拒否反応を起こすくらいに。次にヤツから気持ち悪いお嬢様言葉を投げつけられたら、冗談じゃなく蕁麻疹が起きるかもしれない。史上最大のダメージだ。正気に戻ったらその健闘をたたえてやらねばならないだろう。
 そういうわけで、「第一回キンパツジャリガールをどうにか元に戻そう作戦会議」を急遽開催した次第でござる。皆の者出会えぃっ!



「では各々意見を言うように。まず高町――――アレ、どうしたらいい?」
「にゃっ!? え、えーと、えーと――――あ、明日には戻ってるんじゃ、ないか、なぁ……なんて、あは、あはは」
「はい零点。高町落第。今日の放課後みっちり補習な。主に漢字書き取り百字×十種。間違えたら最初からやり直し。もちろん元の漢字見るのダメ」
「ひ、ひどいっ! 横暴だよほんだくん! というか、とりあえず様子を見たほうがいいと思うんだけど……」
「まぁ、聞きました月村さん! 高町さんったら、親友がどうなったっていいって言ってますわよ?」
「あら、それはいけないわ。ダメよなのはちゃん。お友達はもっと大切にしないと」
「す、すずかちゃんがグルになったっ!? アリサちゃん、アリサちゃん帰ってきてー! なのはには、なのはにはとても荷が重すぎるのっ!」
「さて、錯乱した高町は放っておくとして」
「あはは……ごめんね、なのはちゃん」
「酷いよ、二人とも……」



 うにゃー、とか奇妙な鳴き声をあげながら、教室の隅でのの字を書き始めた文系ダメ娘の姿に苦笑する俺達。なんていうか、やっぱり高町はいじりやすいな。似非御嬢化したヤンキーガールのせいで溜まっていたストレスが、今ので若干和らいだ気がする。
 


「さて、高町は役に立たなかったし……」
「ひどっ!? わたし役立たず!?」「落第生シャラップ」「もがっ!?」



 うにゃーうにゃー喚く小動物を、物理的に黙らせる。主に口を手で塞ぐついでにチョークスリーパーもかけて完璧♪
 


「……で、月村さんは――――あー、妙案があったり?」
「うーん、そうだねぇ。とりあえず、何があったか聞いた方がいいんじゃないかな? 心境の変化があったのか、それとも何か悪いものを食べちゃったのか。どちらにしても、まずは話してみないとわからないと思うの」
「それは道理だな。よし、高町聞いて来い」
「ぷはっ! 目の前がまっしろになりかけたよ!? ほんだくんひどいのっ!」
「やかましいわ!」
「うにゃんっ!?」



 若干土気色になっている高町に、気付の意味合いも込めて空手チョップを脳天に落としてやったら静かになった。
 なんだか涙目でこっちを睨んでいる気がするけど、とりあえず無視。



「いいからとっととあの気持ち悪い金髪的な生き物にインタビューしてきてくれ。主にどんな心境の変化があったか、あるいは俺に対する何かの策略なのかについて」
「って、また私っ!? ほんだくん、私の扱いすごくひどいよね? アリサちゃんとすずかちゃんより全然ひどいよね!?」
「あっはっはー、ソンナワケナイダロー」
「棒読みっ! それすっごく棒読みだよほんだく――――にゃっ、ちょ、待ってほんだくんわたしまだ心の準備がっ~!」
「ごーとぅーへぇーる♪」
「うにゃ~~~!?」



 嫌がる高町を無理やり押して、人の壁を掻き分けてお労しく変わり果てた親友の下へと送り届けてやった。
 最後に「後で絶対にお返ししてあげるんだから~!」とかなんとか聞こえた気がするが、まぁいいだろう。
 なんだかんだで高町は打たれ強い子、という認識が俺の中にはある。こう、不良共に殴られ蹴られしても、意識が途切れるまでその足にしがみつくいじめられっ子的なイメージが。
 そのうち不撓不屈の鬼リーダーとなりえる素質を持っていると俺は睨んでいるのだが……そうなったら俺の命がやばそうな気がしてきた。主にキンパツガルーダとコンビを組んだ場合の未来図の所為で。まぁ「この私を誰だと思ってるの?」なんて台詞は、あそこのジョンブルガールが一番似合ってると思うんだけどさ。



「……帰ってきたら飴を与えておくとしよう」
「あはは……酷いことしてるって自覚はあったんだ?」



 もう、仕方ないなぁ、とでも言いたげに苦笑しながらこちらを見るすずかちゃんに、俺は若干ばつが悪くなって頬をかく。
 ていうか、ちょっと洒落にならない罪悪感がちくちくと俺の良心を突っついてくるんですが、これはいったいどうしたらいいんでしょうか恋のキューピッド様。
 
 

「や、別に酷いことしてるつもりはないんだけど……あんまりいじりすぎると拗ねそうだし、何より未来が怖い。かじられそうだ」
「あ、ひっどーい。ダメだよ本田君。なのはちゃん、すっごく繊細なんだから」
「う……ごめんなさい」
「それは、後でなのはちゃんに直接言おうね?」
「……えぇ~?」
「ほ・ん・だ君?」
「あいまむ。全て了解仕りました」
「よろしい♪」



 なんていうか、すずかちゃんにはホント敵わない。去年の秋に比べれば、だいぶまともに話せるようになったとはいえ、未だに話していても照れが残ってしまう。
 おまけにこの笑顔だ。
 ヒマワリのように派手なモノではなく、白百合のようにしっとりと、それでいて可憐ではんなりとした満面の笑みを浮かべ、ちょこんと首をかしげて微笑むその姿は、どこか異国の雰囲気を感じさせる彼女自身の不思議な雰囲気も相まって凄まじいまでの破壊力を秘めている。主に俺の顔を、融解温度まで熱せられた鉄塊のようにするという意味で。
 そんなわけで、例え俺がどんな態度をとっていても、いつもそんな彼女の柔和な笑みとハッとするような鋭い視線を見ると、俺はどうやっても反論することが出来なくなってしまうのであった。
 
――――ようは、彼女を相手に嘘がつけないってことです。

 ふざけていても、軽くそれを看過されて本心を言い当てられてしまうし、照れ隠しなんてしようものなら、後でこっそりと「がんばったね」って耳打ちされる始末。
 無論、そんなことをされた日には耳まで真っ赤になって全力でその場から逃げ出す。恥ずかしいが、こればっかりは俺自身でどうにかできる問題じゃない。
 当然、俺にそんな彼女の笑顔がまともに見れるはずもなく、頬に熱を感じた瞬間すぐさま顔を逸らして、高町を生贄に捧げ/リリース――――もとい放り込んだ騒動の中心へと目を向けた。

 なにも、すずかちゃんとこうして二人っきりで話すのは今日が初めてというわけではない。

 高町やパツキンジョンブルが用事で先に帰ってしまい、一人図書館で残ると言ったすずかちゃんに付き合った時や、同じように暇になった身同士で商店街に繰り出したり、何度か二人きりで過ごした時間は結構ある。
 だが、幾度それらを経験しようと、この無駄に破裂しかねないまでに暴走する心臓を制御することは叶わなかった。
 ドクンドクンと激しく脈を打つ鼓動の音が、耳の奥でやかましいくらいに反響している。教室の喧騒などその音に掻き消され、まるで二人っきりの空間にいるような錯覚まで覚えた。 

――――お、おちつけ、落ち着くんだ俺。

 こういうときは九九を唱えると良い。羊を数えてもいいだろう。できるなら動き回って一箇所にとどまらない、元気のある羊ならばディ・モールト・ベニッシモ!/非情に良い!
 そう、羊が一匹、二匹、あっちに三匹でここに四匹。五匹と六匹はあそこで、ちょっぴり肌の露出が多い羊のコスプレをしたすずかちゃんがコッチを見て手を振って――――って、ストーップ! ストップだストップ!!
 ……待て、待て待て待て俺っ!?
 落ち着け俺。そしてまずは一端、その映像を全て抹消しろ。チリも残さず――――あ、でもちょっともったいな……いやいやいや、ダメだダメだダメだ。こんなの、すずかちゃんへの冒涜に他ならない!
 
 気が付けば鮮烈に思い浮かべていたよこしまな妄想を、ぶんぶんと首を振って振り払い、俺は罪悪感から右頬をおもいっきり抓った。うん、痛い。
 そしてちらりと、今の痴態を見られてはいないかと恐る恐る横目ですずかちゃんを伺ってみると――――なんとも陳腐な言葉だが、やっぱり可愛かった。それ以上の賛辞など、ただの蛇足にしかならないほどに。

 背筋はぴんと伸び、しっかりと手入れがなされているであろう、宵闇の黒髪は緩やかなウェーブを描きながら彼女の背中を包んでいる。
 白いワンピース型の制服を皺無く着こなし、かつきちんと揃えられた足をやや斜めにして膝の上に手を載せたその姿は、まさに少女がかくあるべき、という見本をそのまま体現したかのような理想的な座り方だった。
 だが、その可愛らしい容姿に、今は若干の陰りが付き纏っている。いうまでもなく、親友のキンパツ幼女のことだ。
 性格が豹変したのはまだ許容できる。でも、その過程で何があったのか、何か辛いことがあったんじゃないか。私はそれが心配なの。彼女は昼休みのときにそう言っていた。
 そして、結局これまで何も出来ずにいる自分を悔やみ、彼女は今、その細い柳眉をへの字に曲げ、緩やかにカールしている睫をフルフルと、憂いに満ちた表情と共に風にそよぐ草原のように揺らしている。
 本当は、心底心配なのだろう。その気持ちが痛いくらいに理解できてしまい、俺は彼女よりも全然楽観視している自分に自己嫌悪した。

 正直に言おう。俺は、今回の騒動をそれほど重く見てはいない。

 せいぜい、ライミー・ロリータのやつ、悪戯心を起こしてあんな演技をしてるんだろうとか、どうせそのうち飽きてボロをだすだろーし、待ってりゃいいだろとか、そんな風に考えているくらいだ。
 それが人でなしとか、思いやりが無いとか、ましてや友達甲斐がないというのであれば、そうなのだろう。
 ただ、かといってあのバカが危険な目にあえば心配もするし、これ以上あのふざけた演技が長引くようであれば、力ずくでも元の性格に戻ってもらおうと考えてはいる。何より、すずかちゃんが心配しているのだから。
 


「こいつばっかりは、どーにかしないとな」
「うん? 何か言った、本田君?」
「いんにゃ? 本田さんなーんも言ってませんよ?」
「あ、何か隠してる。もう、いつも何かあるとそうやって隠すんだから」
「いやいや、そんなこと無いって。ていうか近いっ! ご尊顔がとっても近うございます月村おぜうさまっ!!」
「本田君、ときどきそうやって遠いところを見てるよね? ……あ、もしかして今回の件について――――実は、何か知ってるとか?」



 「んー?」とか言いながら顔を覗き込むの反則! 反則です月村さんっ!
 慌てて顔を逸らして直撃こそを回避できたものの、僅かに被弾しただけでこのダメージかっ……!
 あな恐ろしきはその可憐さよ。今ならばその可愛さだけで世界を征服できるに違いない。可愛いは正義。可愛いは絶対。そして可愛いは無敗なのだから。
 しかしどれほどそんな「すずかちゃん最強説」を頭の中で絶叫しようと、ようやく収まっていた心拍数が瞬時にリミットブレイクしたことは覆せない。
 バクバクと恐ろしいほどの速度で脈打つ鼓動に焦りながら、俺は必死に情けなく、一生懸命弁明した。
 

 
「めめめ、滅相もないっ! だって、昨日の夕方会ったときは全然いつも通りで、俺もアイツがあそこまで様変わりしてるって気づいたのは今朝だし!」
「あ、それは私も昨日聞いたよ。ノート一緒に探してあげたんだってね?」
「う……」



 まさか、アイツ俺があの宝石あげたことまでしゃべってないよな……?
 予想外のピンチが訪れたことに、知らずと冷や汗が背筋を流れ落ちた。
 万が一その話が耳に入っていようものなら、俺は今から全力ですずかちゃんに言い訳をしなければならない。
 瞬時に頭の中で18通りもの言い訳を思い浮かべ、そのうち最適なプランを取捨選択し、これと思える非常に無難なモノを拾い出す。
 ……だが、どうやらそんな俺の危惧は杞憂だったようだ。
  


「いつも喧嘩してるのに、そういう時は仲いいんだね」
「え……あれ? 他には何もきいてないの?」
「他に? ううん、一緒にノート探したっていう話と、今週の週末、市立図書館行ってみるといいよって話だけかな?」
「……や、やってくれたなあぁあああパツキンライミィイイイイイイ!!??!」



 ここに来てようやく、昨晩あのライミー・オークが残した言葉の意味が繋がった。
 まさかそんな風に気を回されるたとは――――っていうかちょっと待て。
 ていうことはアレか?
 もしかして本田さんの秘密、あのゴールドヘアードライミーにバレバレ!? 赤裸々白書のすっぱ抜き!?
 


「あ……あぁあぁ…………!」
「ど、どうしたの、本田君?」
「殺してくれ。いっそひと思いに殺せぇえええええええええ!!」
「本田君、だめだよ! 気をしっかり持って!」
「う、うぉおおおお!!! ちくしょう、ちくしょぉおおおおおおおおう!!!」
「どうしたの本田君!? なのはちゃん! アリサちゃん! 本田君が、本田君を止めてーっ!」


 
 すずかちゃんの制止の声すら振り切って、俺は赤熱どころか白熱し始めた顔と羞恥心に耐えきれず、教室の床に額をガンガン打ち付ける。
 終わった。俺の第二の人生が終わった。
 よりにもよって一番バレてはいけない相手にバレてしまった……っ!
 そして何度床に額を打ち付けた頃だろうか。
 土下座の姿勢で額だけ床にひっつけるように突っ伏したまま、俺はじんじんと痛む額の痛みを心地よく感じながら、少しずつ意識が薄れていくのを感じた。

―――どれもこれもあのクソヤンキーの所為だ。

 だが、薄れゆく意識の中でも、あのジャリジョンブルに対する恨みだけは忘れない。
 わざわざ俺様が賄賂を渡したというのに、まさかそれを俺に切り替えしてくるとは――――恐るべしバニングス家が長女。
 つまりこれはアレか。あのお嬢様態度は、俺に対して絶対従属を誓えという密かな暗号文なのか。
 ……くそう、昨日の夕方までは、そんな素振り一つ見せていなかったから見事に騙されたっ!!



「な、何してるのほんだくん!?」
「いけないっ! 時彦君しっかり! 誰か、ハンカチを!」
「はは……刻が……かゆ―――――うま……………」
「本田君、だめだよしっかりして!」
「せんせー! 本田君が頭から血を流して気絶しましたー!」
「本田ー! ばかやろう! てめぇ今ここで死んだらどうすんだよっ!」
「立て、立つんだひこちーん!!」



 なんか、周囲が騒然としだした気がするけど、もはや心のタガが外れてしまった俺には何も感じられなかった。
 ただただ、これより先に待ち受けているであろうゴールドオークによる精神的ないびりを思うだけで、ワタクシめの儚きバラは散り散りに引きちぎられてしまいます。
 あぁ、恋心は秘めてこそ美しいとは誰が言ったか。願わくば、今朝より――――いや、昨晩より今までの出来事が全て嘘でありますことを……。











 目が覚めると、なにやら頭が重かった。もとい痛かった。
 ずきずきと痛む額を抑えながら、はてなにがあったっけ、と思考をぐるんぐるん、ありったけの努力を注ぎこんでまわしてみる。
 確か、気づいてはいけない事実に気付いてお先が真っ暗になり、いっそこの世全てが夢であったら、という願いを込めて土下座頭突きを敢行したのだったか。
 


「あら、ようやく目が覚めましたか?」
「……はは、冗談きついぜ。夢の中で夢を見るなんて」



 ファッキンゴッドは死にたまふれ。
 今一番夢であってほしいという夢が未だに現実だとは。乾いた笑いが止まらないぜ。



「お生憎ですけれど、これはれっきとした現実です。夢ではありませんよ?」
「…………………おはようございました、アリサおぜうさま」
「はい、おはようございます。お加減はいかがですか?」



 ベッドの隣を見れば、悪夢の具現者がいた。
 にっこりと、ついぞこの半年の付き合いにおいても見たことがない、実に〝お嬢様らしい笑顔〟を浮かべた俺の天敵――――アリサ・バニングス。
 何を考えているのか、見慣れることのできないその笑顔からは、ヤツの真意を欠片たりとも窺うことはできない。
 ただ、どこかすずかちゃんを彷彿とさせる柔和な笑みを浮かべ、その膝の上に読みかけであろう文庫本を乗せている姿は、不覚にも可愛いと思えてしまう何かがあった。
 反対側に首を向け、窓の外を見てみればまだ日が高い。恐らく、放課後になってから一時間も経っていないだろう。
 改めて部屋の内装を見渡してみれば、意外でも何でもなく、良く見慣れた保健室のベッドの上だった。
 遊んでる時にすりむいたりなんだりで世話になることが多いから、ここには良く来る。その都度保健の先生に「アンタまた来たの? もう自分でできるでしょ」と投げやりに放っておかれるようになってしまったのは、俺が常連になってしまったという証なのだろうか。美人だからちょっと嬉しい。
 ともあれ、どれくらい気絶していたかはわからないけど、これならまだ全然遊びに行く余裕あるな、なんて考えているあたり、相当小学生化しているなぁと自虐したくなった。いや気に入らないわけじゃないんだが、二十歳代の頃には考えられなかった精神状態だから、ちょっとおかしく感じるんだよな。
 それはそうと、さっきから発情したメス猫のようにやかましく痛みを訴え続けている部位がある。それが鬱陶しくて、思わず顔を顰めてしまった。



「……額がジンジン痛みますな。これがニャーニャーというんだったらまだ可愛げもあるんだが」
「〝猫の額ほど〟にかけての洒落ですか? 面白くありません、3点ですね。そもそも、あれだけ床に額を叩きつければ当然でしょう。いきなり土下座して頭突きを始めるなんて……すずかなんて隣で泣きながら動転していたんですよ? 後できちんと謝罪してくださいね」
「うわ、そりゃやばい……後で土下座しておこう」
「おやめなさいったら」
「あだっ」
「まったく……相変わらず意地の悪いことをおっしゃいますね、貴方は」



 すぱぁん!と心地いい音が響くのと、俺の頭が何かではたかれるのはほとんど同時だったと思う。ていうかちょっと待てコノヤロウ?!



「ハリセン!? え、いやまてどこから取り出したんですかソレっ!?」
「突っ込みには必須のアイテム、ととある本から薫陶を頂きまして」
「薫陶なんて難しい言葉良く知ってるな。お前本当に小学生か」
「あら失礼な。それをおっしゃるなら、時彦君こそ」
「アタイ天才だから。いやもうみんな腰を抜かすくらいに天災だから。将来の夢はダンディーな紳士かマッドでドリルでマッチョな博士です。MDMです」
「はいはい。それだけ元気があるようでしたら、もう大丈夫ですね」



 ふぅ、と見慣れた溜息をつきながら立ちあがったエセお嬢様は、俺に向かって一瞬だけ流し眼で一瞥をくれると、そのまま立ち去っていく。
 何故か、その背中だけは昨日のジャリベアーと変わりがなく、もしかして今までの言葉遣いとか態度は、ヤツが本気を出して演技しているんじゃないのか、と心底疑ってしまえるほどのものだった。
 一人うーん、と唸りながら悩むが、ぶっちゃけその真偽はわからない。
 本当にヤツが心変わりしてしまったのか、それとも本気でみんなをだまそうとか、あるいはからかおうと思って演技しているのか。
 どっちみち、その尻尾をつかむ――――つまりヤツがぼろを出さない限り、俺達にはどうしようもないことでもあるんだけど……。
 そして保健室のドアに手をかけたところで、ゴールドヘアードベア―はこちらに振り向くと、なんてことのない忘れ物を届けるような態度でこういった。 



「あぁ、もうすぐご両親がお見えになるそうですよ? 酷く頭をぶつけたのですから、病院に行って検査するのは確定ですね」
「―――なん……だと……っ!?」
「それと、すずかには後でしっかり謝っておくこと」



 クスクス笑いながら「それでは、お大事に♪」などと残して去りゆくパツ金詐欺娘。
 さ、最後の最後にとんでもないお土産を残していきやがった……っ!
 すずかちゃんに謝るのは当然として、問題は両親が来る、ってことだ。
 両親が来るというのは、すなわち母のことだろう。
 親父は仕事が忙しくてこれるはずがないし、そうなれば仕事場でフリータイムで働いている母上がいらっしゃるのは自明の理……っ。
 そして、もし母上が今のこの俺の惨状を見たならば、恐らくもへったくれもなく山が啼き海が慄き地が震え、俺のグラスハートは粉砕骨折必死っ!
 いかん、逃げなくては……っ!
 主に俺の魂の安寧のために――――――「時彦! アンタ頭ぶつけたって本当!?」――――遅かった……。
 がららっ!と、ドアが壊れるのではないかと言うくらい激しく開いて現れたのは、言うまでもなく我が母上。それに紛れて、単純に聞くならば息子が心配で慌てて駆けつけた理想的な母親だろう。
 だがしかし、その真の意味を知る俺にとっては、暗澹たるものがこの胸に降り積もるような絶望感に等しい台詞だった。
 恐る恐るそちらを見れば、恐らく〝作業場〟からそのまま慌ててきたのだろう。着の身着のままやってきた母上がいらっしゃった。
 汚れてもいいようにきている臙脂色のつなぎ姿で、ざんばらにまとめた髪もいとわず息を切らすその姿は、我が母上ながらも女としてどうなのだろう、というくらいにヤバい。
 つなぎなんかは、あちこち変な色に染まって汚れているし、恐らく作業中にミスったのか頬に赤い染料が付いている。あーもう、子供が心配なのはわかるが、もう少し自分の身を顧みてほしいわ、うん。なんて現実逃避をしてみるが、血走った眼でこちらに詰め寄る母上の言葉には逆らうことはできなかった。
 


「はい……母上。自分で自分の頭を、大地に向かって激しく叩きつけることで、この世に生まれ出たことを感謝しておりました」
「っ……ぁほかぁあああ!!」
「ぎゃんっ!!」 



 我が母上の拳骨は北斗が岩山なんちゃらという奥義に匹敵するくらいの威力があるのではないか、と俺は常々推測している。
 しかしげに恐るべきは、頭をしこたま叩きつけて気絶したという息子の頭に、躊躇なく怒りのチョップを振り降ろす我が母上よ。なんの戸惑いもないとはこれいかに。



「い、いたいでおじゃる」
「当り前でしょう! もうホントにこのバカ息子はっ! 幼稚園の頃はもうこれ本当に私の子供かしら?ってくらいに頭良かったのに、小学校に入った途端こんなバカな子になるなんて――――あれ? でもそれで成績落ちてないアンタってやっぱり頭いいのかしら?」
「褒めたいのかけなしたいのかどっちなのでせうか母上殿!?」
「まいいわ。とにかく病院行くわよ。変にぶつけたせいで頭になにかあったら大変なんだから」
「いや、恐らくこの痛みの半分以上は今の母上のチョップのせいかと存じ上げますがいかがでございましょう」
「やかましい。ただでさえ私の大切な作業時間削ってるんだからちゃっちゃと動きなさい。なんだったら、アンタのコレクション、全部私色に染め上げてもいいんだけど?」
「粉骨砕身、疾風迅雷の勢いで準備させていただきますっ!」
「ほら、アンタの鞄。来る途中、可愛らしい黒髪の女の子が準備しててくれたから、後で感謝しておきなさい」



 はぁ、といつもの溜息をつきながら、ぽいっと鞄を投げつけられた。
 何なくキャッチして中身を見てみると――――あれ、なんか荷物増えてる? 置き勉してる教科書とかがいつの間にか増えていて、気持ち普段よりも2割増で重い。
 ていうか〝可愛らし〟くて〝黒髪〟な女の……子っ!?



「そ、それってもしや腰まで長くてちょっとウェーブかかってる絶世の美少女でございやがりますか!?」
「そうでございやがりますよこのバカ息子。ていうか何、アンタ惚れてんの、あの子に?」
「どきーんっ!? そ、そそそ、そーんなことあるわけねーじゃねーんですかー? あーんま馬鹿なこと言ってると小じわと染みがシャーレの上で培養される大腸菌のように爆発的に増殖すんぞチクショウ!?」
「……あー、やっぱりアンタはそういう子だったわよね。なんで小学生が大腸菌だのシャーレで培養だのを知ってるのかは今さらすぎるから突っ込まないけど、その態度はアンタ、バレバレよ?」
「―――――なん……だと……!?」



 本日二度目の驚愕入りましたーっ!
 そして、母上のその言葉は俺のグラスハートに罅を入れるどころか、粉砕機にかけられたプラスチックランナーの如く粉々に砕いてくれやがりましたー!



「なによアンタ、もしかして今まで気づいてなかったの? うわーはずかしー♪ もしかしなくとも、アンタの恋心クラスのみんなに筒抜けねー?」
「の…………のぉおおおおおおおおおお!?!!」




 目の前が真っ暗になり、同時に脳裏から様々な自分の過去の姿がよみがえる。
 あぁ……そう言えば、今まで誤魔化せてたと思ってたあれやこれや全て、今みたいな反応だったっけー……あはは、あは…………。
 それでも世界は止まることなく回り続けていた。未来はすでに始まり、止まることを知らずに時計の針を推し進める。その中で私の絶望だけが足を止め、ひたすらにその足跡を振り返るのだ。何故もみ消さなかった。何故あちらの方へ歩かなかったと際限なく呟きながら。
 (訳:気が付いたら病院にいて、検査のために仰々しい機械に括りつけられていました。その間僕は過去の自分の行いを悔やんで悔やんで悔やみまくって、結局開き直ることにしました)
 ……………合掌。











「あーちくしょう。あの呑気な夕日が憎い」



 検査の結果もオールグリーン、極めて健康体(頭部のたんこぶ及び擦過症を除く)であると太鼓判を押された俺は、とりあえず軟膏だけを受け取って病院を後にしていた。
 ちなみに母上は先にタクシーで作業場へとリターンしている。なんでもインスピ湧いたから早くそれを形にして残しておきたいんだとか何とか。
 ともあれうるさい輩もいなくなって、ようやく訪れた俺の心の平穏と言ったところだろうか。何よりも、本日のお仕置きが保健室でのチョップだけだったというのが奇跡に等しい。
 万が一、インスピ湧いて集中し始めた頃に呼び出そうものなら、折檻コース満漢全席、一週間缶詰食事とかザラだからな。あぁ恐ろしいぜ女は。
 あと、惜しむらくはこの額にまかれた仰々しい包帯か。まぁ、変に入院するはめにならなかっただけマシと言うものだろう。
 自分で言うのもなんだが、割と全力で自分の頭かち割るつもりで頭突きかましてたからなぁ……よく擦過症とたんこぶだけですんだもんだ。えらいぞ俺の石頭。
 これならどんな不良が相手でも必殺の〝ド魂〟を叩きこめるな。ウス、俺、がんばるっす。



「あ、ほんだくんいたー!」
「おろ、高町じゃん。それにす――――月村さん?」
「しばらくぶり。頭、大丈夫だったの?」



 病院から出た俺は、二人の友人に暮れゆく茜色に照らされた、病院の入り口前で出迎えられた。
 話しを聞くに、ついさっき到着したらしい。高町なんかは「もうあちこち探しちゃったよー」と意外に耽美な柳眉を曲げながらげっそりとぼやいている。
 ていうか、すずかちゃんのセリフ、聞き様によっては結構酷い言いようかもしれない――――が、それも、ディモールト・イイっ! なにより彼女に〝心配された〟! その事実だけでもグレィト!
 ……いやまぁ、実際あんなことやらかしゃ、誰だって「こいつ頭大丈夫か?」って疑いたくもなる。俺だったら疑うもん。そしてわかっておりますとも、今後すずかちゃんの前で土下座はタブー。多分、次やったら絶対に嫌われる。そんなことになったら俺の生存意義が失われてしまうので、そのアクションはバッドエンドルート直行です。
 ともあれ、元気な姿を見せることはやぶさかではない。



「おー、本田さんがこの程度でおしゃかになるなんて甘甘もドロ甘。いやむしろチョロすぎて甘いからチョロ甘ですよ!」
「……まぁ、そんなことだろうとは思ってたの」
「本当に大丈夫? その……かなり激しかったから……」
「ぶっ―――!」



 まるで脳天を打ち抜かれたような衝撃でした。
 


「ほ、本田君?」
「――――だめ、月村さんそれはいけないっ! いいかい、男の子に向かって〝激しかったから……〟とかもじもじしながら言うと、とてもすごく大変な問題が起きます! 主に俺が!」
「え……えっと?」
「まぁつまりは本田さんはガチで丈夫なので問題ないというわけです。だから別に激しくなんてないのです。あぁチクショウ、俺ってば汚れてるなぁ……」



 しかし直後に自身の汚さを思い知って地面に突っ伏した。
 中身元二十うん歳の身としてはしょうがないのだが、しかし相手が純情可憐の化身である少女の場合、自分の汚れ具合がダイレクトに帰ってくるためダメージがハンパない。まるでリフレクションに二倍効果つけられたみたいだ。



「……って、あれ? 高町、そのハムスターどうしたの?」
「ハムスターじゃないの、フェレットなのっ!」



 いい加減、跪きっぱなしも芸がないのでぽんぽん埃を払って立ち上がった俺は、ちょこんと肩の上に乗っている妙な動物の存在に気がついた。
 狐を連想させる色合いと、遠目から見てもわかる艶のいい毛並み、BB弾くらいだが吸い込まれそうな翡翠色の瞳はひときわその愛嬌を際立てている。
 後ろ足で器用に立ち上がったソレは、パチクリと瞬きをしながら俺を見つめていた。なんだこら、人間様に喧嘩売ってんのかばかやろう!?
 しかし人間様がわざわざこんなげっ歯類に牙をむくのも大人げない。ここは一つ、動物の先輩として威厳を見せつけるように鼻で笑ってやった。
 


「なんだ、動物飼えないから悔しい、って昔言ってたのに」
「お母さんが特別に許してくれたの! えへへー、いいでしょー♪」
「まだ根に持ってたのか、あのこと……」
「あたりまえだよっ! ほんだくん、ここぞとばかりに私のこといじめるんだもん!」
「嫉妬深いと臍周りが黒くなるんだぜ。一週間後、そこには臍の周りが真黒になった高町の姿が……っ!」
「な、ならないよ! それに私、別にシットなんてしてないの!」
「ほー、へー? どうだかー? こないだ四字熟語のテストで負けたからってすげぇ悔しがってたじゃんか。ぷぷぷ……〝全力全壊〟とか、お前しか思いつかないセンスだよ。というか、よく〝壊〟って漢字知ってたな?」
「も、もぉ~~っ! すずかちゃーん、ほんだくんがいじめる~!」
「あはは、よしよし。本田君? あんまりからかっちゃだめ、って言ったじゃない」
「すみません。調子に乗りました」
「私の時とすごく反応が違うよ!? うう…………は、早くアリサちゃんを元に戻さないと、私がダウンしちゃいそうなの」
「どんまい高町。まぁ明日があるだろ、多分」
「ほんだくんのせいだもん! 少しでも申し訳ないと思うんだったら意地悪しないでよー!」
「それはそれ、これはこれ。大人の事情によりカットでお送りします」
「……う……ぅう…………うにゃーーーっ!」
「な、なのはちゃん落ち着いて!」
「なの次郎殿がご乱心召された!? 皆のモノ、にげませいー!」



 警戒心むき出しの猫の如くがなり始めた高町の魔の手から離れるべく、俺は迷いなく走り出した。
 それによって距離を離されたせいで俺を捕まえるのを諦めたのか、その無念をぶつけるようにすずかちゃんに高町が抱きつくのを尻目に、俺は50メートルほど先の駐車場入り口のあたり――ここは病院の入り口からも近いので、人通りが多い――で立ち止まって息を整える。
 あーびっくりした。ちょっとからかいすぎたか?
 まぁ、どちらにしろこれ以上下手に近づいてかまれては堪らないからな。どうせここらへんで待ってれば、落ち着いた高町を連れてすずかちゃんも追い付いてくるだろう。
 本音? もちろん、すずかちゃんと顔を合わせるのが気まずいからにきまってるじゃーないですかー♪
 …………あーもう、本当にどうしましょう?
 今日はすずかちゃんに変に迷惑かけっぱなしだ。だからこそ、ここは素直に謝罪と感謝を述べるべきなんだろうけど――――しかしここにきてくだらない〝男の子〟の羞恥心がそれを邪魔してくれている。
 あれだ、思春期によくありがちな〝あやまるの、カッコワルイ〟的な。



「……アホですか俺っ!」
「そうですね、ソレに関しては私も同意見です」
「ってなんか出たぁああああ!?」
「ごきげんよう、時彦君? いえ、どちらかといえば、しばらくぶり、かしら?」



 どこから現れた、もしくはいつからそこにいたのか、気がつくと隣にゴールドベアー(豹変版)が立っていた。
 聖祥大付属の白いワンピース型の制服を皺なく着こなし、膝の前で両手で鞄を持ちながら背筋をぴんと伸ばして立つその横姿は、いつも見慣れているそれでありながら、やはり雰囲気とその口調は俺の記憶のソレとは全然違っていた。
 特に、口調からは普段感じるとげとげしさが全然ない。気持ち悪いくらいに。まるで腕のあるミロのヴィーナスみたいだ。
 


「……なんでここにいるんでせうか」
「すずかとなのはの二人と一緒にお見舞いに来たのですけれど……ちょっと眩暈がしてしまって。車の中で少し休んでいたんです」
「貧血か? 普段からほうれんそう食べないからそうなるんだぞ。好き嫌いいくない」
「してません。どちらかというと私、草食嗜好なんですけれど?」
「……だめだ、やっぱりお前じゃ調子が出ねぇ」



 何故か無茶苦茶疲れた。この短い会話だけで、一日分の体力をごっそり持ってかれた感じがする。
 


「人の顔を見て顔をしかめるのは、あまりよろしくない態度だと思うんですけれど」
「今のお前じゃしょうがない、って言ってんだ。……ったく、いきなりその〝お嬢様〟っぷりはどうしたってんだよ。何があったんだお前」
「何って……私は別にいつも通りですけれど? むしろ、時彦君こそどうしたのですか? 普段より元気がないようですし」
「……素で言ってんのか、それ。だとしたらマジで重症だぞ、お前」
「まぁ! 相変わらず失礼な物言い。いつも言っておりますけれど、レディーに対する気遣いが足りていませんよ?」
「どこでそんな変な物言い覚えたんだよ、ホントに。あーくそ、滅茶苦茶疲れる……」



 こめかみのあたりがずきずきと痛みだしたのは、きっと頭突きだけが理由ではないだろう。
 そうやって俺が目の前の金髪お嬢様のせいで頭を痛めていると、ぐすぐすと鼻をすすりながら目尻に大粒の涙をため込んだ高町と、それをなだめるように頭を撫でるすずかちゃんが追いついてきた。まるで手のかかる妹の面倒をみる姉のようで、しかし様になっているその姿に俺は納得する。
 ていうか、やっぱりこの四人の中だと、高町が一番妹っぽいよな。家でどうしてるのかは知らんが、手がかかる妹、って感じで思わず――――いじめてあげたくなる。
 


「――――ほんだくんのばかぁああ~!」
「あらあら……大丈夫ですか、なのは?」
「アリサちゃん聞いてよ! ほんだくんったらひどいの!」
「心外な。俺ほど優しくて頼りになるお兄さんはいないぞ。さぁ、お兄さんの胸に飛び込んでおいで! 全力で避けるけど!」
「ぜったいいやっ! アリサちゃん、早くこの人なんとかしてぇ~……ぐすっ……」
「あぁ、泣かないでなのは。きっと時彦君も悪気は―――えぇと、その、まぁ多少と言うか、それなりにというか……」
「おおありだよっ! うぅ、ごめんねアリサちゃん。いつもこんな苦痛の中で耐えていたんだよね……なのは、今日一日でアリサちゃんの苦労を思い知ったの……ほんだくんは悪魔です……」
「酷い言い草だな、お前ら」
「本田君、自業自得だよ?」
「はがぅぁっ!?」



 すずかちゃんの、かいしん の いちげき!
 はぁ、と呆れに呆れたように溜息をつくすずかちゃんの言葉と態度に、俺は本気で目の前が真っ暗になった。
 いや確かに、今日はマッド・ブロンドの豹変の所為でストレスがたまりまくったおかげで、それを高町で発散しているのは自覚している。それにかなりやりすぎたことも。
 とはいえ、すずかちゃんに溜息をつかれてしまうほどだとは自分でも気付かなかった。いかん、相当疲れているらしい。
 これ以上すずかちゃんの中にある俺の心象を下げないためにも、今日は早く帰って寝てしまった方がよさそうだ。明日のことなんか考えない。若さは振り返らないことだって、ばっちゃが言ってた!



「……俺、今日はすごい疲れたよ。早く帰って寝るわ」
「あ、少々お待ちを、時彦君」
「んぁ、なんですかもう。本田さんは疲れて頭が痛いのです。じんじんするのです」
「それは貴方が床に頭突きしたからでしょう。自業自得です。とにかく、お話がありますので、少しお時間をいただきます。よろしいですね?」
「……ちょうどいい、俺も貴様に話がある」



 なんとも強引だが、その強引さがちょっぴりいつも通りのこいつらしい態度で、俺は少しだけ安心した。どうやら、本質はいつもどおりらしい。
 それに、すっかり忘れていたが、そう言えばこいつには俺のトップシークレットがバレにバレているはずだった。ここで話があるというのならばちょうどいい。しっかり釘をさしておくことにしよう。
 ……べ、別にパツロリの静かな剣幕に圧されたわけじゃないんだからねっ!



「そうなの? 別に、私は待っててもいいんだけど……」
「私もだいじょうぶだけど……でも、そろそろ帰らないとお母さんが心配するかも」
「鮫島に送らせます。それに、少し長くなってしまうかもしれませんので……ね、時彦君?」



 急にこっちに話題を振るなゴールド・ベア―。そう言いたいのをぐっとこらえて「いんじゃね?」とぞんざいに返す。
 なんていうか、照れとか狼狽とかそんな以前に、こいつと話してると歯車が噛み合わねぇ。
 あれだ、キャッチボールをしているとして、普段は変な方向に投げまくるから警戒して待っているのに、今日に限って直球ど真ん中に投げまくってこられる感じ。
 肩すかしを連続で食らいすぎて、本当にこのまま直球が続くのか、あるいは突然いつも通りの変速珠が飛んでくるのかとびくびくしている、みたいな。
 そして俺がそんな風にやきもきしている間にも、宿敵バニングマはすずかちゃんと高町に話をつけたらしい。二人は少し心配そうに妖怪アリサギに挨拶を残し、バニングス家の車へと乗り込んだ。
 すずかちゃんにはちゃんと「本田君、また明日ね」と言ってもらえたけど、高町の野郎は「ほんだくん、べーっ……だ!」とかやってきやがった。
 ふ……ふん! お子様な奴め! 別に悔しくねーもんねー!
 


「……なのはにアレだけ敵意剥かれるなんて、一体何をしたんですか、時彦君」
「つい、過剰な愛情を注いでしまったようだ……ふ、罪作りな男だぜ」
「では、向こうにちょうど喫茶店がありますので、そこでよろしいですか?」
「全力スルーですかそうですか。好きにするがいーですよえーどうぞご自由に」
「ほら、行きましょう」



 半ば投げやりな俺の態度もなんのその。まるで「想定の範囲内です」とでも言いたげなくらいに涼しい顔をして、金髪の幼女の顔をした死神は歩き出した。
 しぶしぶその後ろから付いていく俺。
 病院から出て五分ほど歩いただろうか。
 海鳴の中心からやや外れているとはいえ、総合病院ということもあるのか、周辺には色々と店が多い。
 文房具屋にコンビニに本屋。あと不動産とかなんとかごちゃごちゃと。
 それなりに区画整理されているから雑然とした感じはしないが、人通りが少ないから物寂しさを感じる。
 そして、その喫茶店はそんな道を行った曲がり角、ちょうど大通りに面した所に存在した。
 全体的に白い装飾。
 店内は広くスペースをとってあり、全体的に涼しい色合いで統一されている。



「〝C.Cubic〟……ね」
「どうかしましたか?」
「いんや? どっかでみたことあるなー、って思っただけ」
「以前来たことがあるわけではないのですか?」
「当たり前じゃん。自慢じゃないが、喫茶店なんぞ高町の家以外にいったこともない」
「……本当に自慢になりませんね」
「えへん」



 なんか溜息つかれた。なんやねん一体。
 店内に入り、可愛らしいチビな(小学生の俺が言うのもなんだが)女性の店員さんに案内されて、俺達は窓際の席に案内された。
 最初バニングマと俺を見てびっくりしていたみたいだけど、意外としっかりしたバニングマの態度を見て考えを改めたのか、特に何も言われることなく案内されてしまった。ていうか、普通こんなあからさまに小学生な二人組がやってきたら怪しく思わないか? この町は小学生に寛大すぎる。いや、むしろ大人びた小学生が多いのかな、これ。
 お互いにホットのキャラメルミルクを頼むと、形容しがたいくらいに気まずい沈黙が二人の間に降り積もった。
 ヤツは礼儀正しく椅子に座ったまま、ジーッと窓の外を眺めている。
 いつもならばそこに頬杖をついて、とう修飾語が入るんだが、現在お嬢様モードなためかそんなお行儀の悪い作法は一切する気配がない。もはや何度目かもわからないが、一体コイツどうしたってんだ、マジで。
 一方、俺はちびちびとコップを傾けて水を飲みつつ、時折氷を含んでかみ砕いたりして暇を潰していた。
 話ってなんだろーいやていうかまずどうやってこいつに口止めしようーもし脅されたらどうしよう―などと益体もない考えが浮かんでは消えていく。
 結局、それはぐるぐるとメビウスの輪のように途切れることなく頭の中で繰り返され、それが止まったのはキャラメルミルクが届いて、ヤツが口を開いてからだった。



「一つ、お伺いしたいのですけれど」
「……あにさ」


 
 この時になって、パツキンジョンビーは俺へと顔を向けた。
 同時に、俺は思わずドキリと鼓動を跳ね上げる。
 こちらを見つめる視線は真剣そのもの。まるで鷹の眼光のように鋭いまなざしを向けられ、これが冗談や茶化しを交えてはならない真剣なものであるというのを無理やりに納得させられる。
 なるほど、大企業の娘というだけはあるな。常々他の奴らとは一線を画してしっかりしてる、とは思ってたけど、ここまでとは予想外だった。



「今日の私は、そんなに変でしたか?」
「……わかってて聞いてんの、それ?」
「質問に質問で返さないでください」
「……いや、そりゃ、なぁ? ていうか、なんでそれを俺に聞くんだよ。月村さんとか高町に聞けばいいじゃんか」



 質問の意図がわからなかった。
 それを聞きたいならば、むしろ長年の親友に聞いた方がいいだろうに。
 というか、そもそも気付いていたんならさっさと演技を辞めればいいだけだと思う。もしくは、本気でイメチェンしたくてこんなことをやっているのかもしれないが、十中八九、親友二人は「いつものアリサちゃんが一番だよ」と返すだろう。そのぐらいは、この馬鹿でもわかっているはずだ。
 だからこそ、意図が読めない。
 アリサは、少しだけ悩んだ素振りをすると、静かにカップを傾けた。
 ほんのりと甘い香りが二人の間を漂う。まるで、食虫花に誘われた虫のようだ、と俺はくだらないことを考えた。



「だって……私は、こうだったとしか、覚えていないのです」
「……はぁ?」



 とぎれとぎれのその告白に、俺は思わず耳を疑った。
 待て待て、一体何を言い出すんだこいつは。
 


「ですから、私にとっては、今の私がいつも通りの私なのです。皆さんの言う〝乱暴で言葉遣いが荒い〟という態度だったなんて、信じられません……」
「……マジなのか、それ」



 さすがに、この状況でこいつが嘘をついているとは思わない。
 俯いて、微かにその肩を震わせているのが全て演技だというのならば、こいつは将来ハリウッドの大スターになれるだろう。
 ここまでくれば、俺とていつものようにふざけるわけにもいかない。
 いくら子供っぽくなったとはいえ、これでも人生経験はこいつらの二倍――――いや、三倍はあるのだ。メリハリをつける場面くらいはわきまえている。
 
 

「はい。私は、自分でも今の自分を〝いつも通り〟だと思っていますし、何より皆さんの言う〝昨日までの私〟ということの方が信じられません」
「――――ファッキンゴッド死にたもうれ」


 
 カップをひっくり返さなかったことを、俺は褒められるべきだろう。
 大げさ?
 大仰?
 わざとらしい?
 ノンノンノン。これマジで。ときちゃん本気。
 冗談じゃない、とばかりに俺は額を覆う。本当にやってくれたぜ。アレか、俺は前世でそんなに悪いことをしましたか。えぇ神様よ?

 ・たった一日だけで性格が豹変した。
 ・しかも、それが今までずっと〝普通〟であったという認識。
 ・周囲は変化したと思っているのに、本人は変化していない。

 ……こんな頓珍漢な事態、普通の人が聞いたら臍で茶が湧くくらいくだらない話に聞こえるだろう。
 だが、お生憎なことに俺は〝普通〟ではない。もうひとつおまけで、俺にはこの〝楽しい現象〟に一つだけ、心当たりがある。



「なぁ、アリサ」
「まぁ、今日初めて名前を呼んでくださいましたね。もう、いつも名前で呼んでくださるのに、今日になって突然酷い呼び方ばかりするんですもの……」
「待て待て、おい一寸待てそこのバニングマ。今なんつったコノヤロウ」
「もう、またそんな酷い呼び方。私、いい加減拗ねますよ?」
「いいから答えろ! つまり何か、昨日までの俺は、お前のことを〝名前で呼んでた〟ってことか!?」
「え、ええ……当り前です! だって、その、時彦君は私の―――――」



 なぁ、知ってるか?
 世界、ってのは一つの木からあちこちに、無限に枝を別れさせて分岐している。文字通り、無限に世界は存在する、っていう解釈があるんだ。
 これがいわゆる〝多世界解釈〟というものであり、そこには〝重なりあい〟という考え方が存在する。
 暴論してしまえば、全ての事象には〝ありえたこと〟と〝なかったこと〟が同時に存在している、ということ考えだ。自分がその現象のどちらに属しているかは、実際にその結果が出るまでは分からない、というやつである。

 ――――ちょっと回りくどいな。

 俺も男だ。もっと単刀直入に、シンプルに言おう。
 
 つまり、今俺の目の前にいる金髪の(見た目は文句なしの美少女)お嬢様は。
 


「――――許嫁なのですから」
   
 
 
 俺と同じ、別世界の人間だ。
 
 ディア、ファッキンシット、名も知らぬ偉大なる神様へ。
 俺は貴方が大嫌いだ。でも頼むからすずかちゃんとの初恋だけは、散らさないでくださいお願いします。










 





















――――――――――――――――――――――――――――――――――
アリサ、実はトリッパー。

今回は迷走しました。ノリで書くからこうなる。
ついでにチラ裏からいどうしますた。



[15556] 魔法と夜と裏話
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:37
 彼女――――高町なのはにとって、やや茶色かかった自分の髪の毛は、秘かな自慢だ。
 母親譲りのソレは、純日本人でありながらどこか日系人を思わせる非凡さを持ち、何よりも大好きな母とおそろいというだけで、その事実はなのはの胸を軽く弾ませる。
 本音を言えば、母のように腰まで伸ばしたいのだけれども、お手入れがとても大変で時間がかかる、と母から教えてもらって、断腸の思いで断念した。
 


≪なのは、もういいかな?≫
「うん、だいじょーぶだよ♪」



 実家の自室。小学生の部屋にしては小奇麗な内装で、しかしクリームやオレンジを主体とした柔らかい色づかいは、なのは自身の趣味の良さがよくあらわれている。
 主に部屋の装飾はなのはが自分で決めて行ったものであり、そのサポートに母がついていた。父も張り切っていたのだけれど、ちょっとそのセンスが独特すぎたために、母と末娘の反対にあい、敢え無く轟沈。女二人は家庭内では最強である。
 そして、学校から帰宅して真っ先に私服に着替えたなのはは、部屋の隅で壁を向いているハムスター――――もとい、フェレットに向かってにっこり微笑みながら言った。
 ふぅ、と小さな体を震わせて溜息をついたフェレットは、くるりと振り返ると、そのつぶらな瞳をなのはに向ける。
 見た目はただのフェレット。だが、その中身は人語を理解する、次元外生命体。
 昨晩、なのはが運命的な出会いを果たした〝魔法生物〟だ。



「ユーノくん、なんでいつも私が着替えると壁をむくの?」
≪え、いや、それはだって、一応ボク男だし、ていうかなのは! 着替えるなら着替えるって先に言ってよ!≫
「えぇ~、だって私は気にしてないのに……」
≪僕が気にするの! あぁ……なんだか、今日の昼間の男の子がなのはをからかう理由がわかってきた気がする≫
「ガーン!? や、やだよユーノくん! ユーノくんまでほんだくんみたいに意地悪になったら、わたし明日から誰を味方と思えばいいの!?」
≪……そんなに苦手に思ってるのに、意外と仲いいよね、なのはとあの子って≫
「……しりません! もう、意地悪言うユーノくんきらいっ!」
≪わーっ! ご、ごめんなのは! 別にそういうつもりで言ったんじゃ……!≫



 傍から見れば、実に奇妙極まりない光景である。
 女の子がフェレットに向かって百面相しながら話しているのだ。普通ならば〝この子、きっと辛いことがあったのね〟などと勝手な同情をされて憐れまれるのがオチである。
 


≪でも、本当に今日はお疲れ様。まさか二つもジュエルシードが見つかるなんて。すごく幸先がいいよ≫
「でも、まだ一個は回収できてないんだよね……」
≪それは、仕方がないよなのは。だって、あの女の子が持ってるんでしょ?≫
「うん……アリサちゃん、どこで拾ったんだろう?」



 ユーノがこの世界に来た目的はただ一つ。
 詳しい話はだいぶ簡略化されたが、彼はとある遺跡で何かを発掘していたらしい。
 そして、その発掘物の輸送中に起きた事故によって、この世界にばらまかれたのが古代の遺失物〝ジュエルシード〟と呼ばれる計21個の結晶体。
 それを集めるために、彼は単身、何の準備も無しにこの世界へとやってきた。
 彼のその行動を勇敢と取るか、無謀ととるか――――なのはとしては、前者だと思っている。
 ユーノが探している古代の遺失物〝ジュエルシード〟とは、見た目は青い綺麗な宝石だった。
 魔力を通すとうっすらと発光し、その内部にシリアルナンバーを浮かび上がらせるその結晶体の最たる特徴は、何よりも〝願いを叶える〟という願望実現魔法にある。
 詳しい原理こそ不明だが、恐らく世界の因果律、あるいは因果そのものに干渉して〝願望〟を実現させるために本来のソレを書き換えているのかもしれないとかなんとか、ユーノが昨日あたりに教えてくれたような気がしないでもない。
 正直、因果が云々とかの時点でなのはの頭には?マークが雁の群れの如く飛び交っていたため、結局その話を理解するには至らなかったが、その話の最後の部分―――ジュエルシードが叶える願い事は〝なにかしら歪んだ形になる〟という一文だけはしっかりと理解できた。無論、言葉ではなく、体で。
 というのも、今日、クラスメイトである本田時彦が突如謎の奇行を繰り返して気絶した後、なのはは放課後の帰り道、近くの神社で件の魔法結晶体を一つ回収したのだ。
 その際の状況はと言うと、もとは賢くたくましかった犬が、どうやってかは知らないが落ちていたであろうジュエルシードを媒介に、凶暴で醜悪極まりないバケモノに変貌し、その場にいた一般人を襲っていたというものである。
 既に現場に急行して到着していたユーノのおかげで結界こそ間に合ったものの、一般人の結界外への避難が間に合わず、結果的になのははその一般人を守りながら封印作業を行うはめになった。
 だが、それでもなのはは子供ながらも勇敢に立ち向かい、それを見事封じて見せたのである。
 その活躍をユーノは手放しで褒めたものの、一方で内心、こんな危ないことが今後何度も続くようでは早いうちになにかしら対策を打たないとまずい、と感じ始めてもいる。その対策案の一つに、夕方なのはに連れられて会った少年が含まれていることは、まだ秘密だ。
 他にも、なのはには話していない秘密の考えが色々とあるのだが――――それは蛇足になる。
 ともあれ、なのはとユーノはそうやって一つ目の探し物を順調に回収する傍ら、一方で非常に頭の痛い事態に遭遇していた。
 なのはの親友――――アリサ・バニングスの変貌である。



「でもユーノくん、アリサちゃんの場合、本当にジュエルシードのせいなの?」
≪十中八九、間違いないよ。あの子自身からすごく強い魔力反応を感じたし、何より、その反応がすごく歪なんだ≫
「歪……?」
≪レイジングハート、データを頼める?≫
“Yes.”



 ユーノの傍らに、小さな座布団にちょこんと乗せられていた赤い球体が、その内部に短い英文を煌めかせて反応した。
 パソコンが立ちあがるときのような電子音を奏で、中空に映し出されるのは、まるでSF映画に出てくるようなホログラフのウィンドウ画面だった。
 なのはは、その隠された機能を目の当たりにして、ほぇぁ~と口をあけて驚いている。
 この赤い球体は、ただ綺麗なだけの宝石でない。
 ユーノの世界における魔法使いの杖、それも自律思考型の高性能〝デバイス〟だ。
 本来はユーノの持ち物なのだが、現在は協力してくれるなのはに譲っている。というか、レイジングハートがなのはを〝気に入った〟ようで、ユーノとしても完全になのはに譲った気持ちでいる。
 もちろん、なのはは事が終わったらユーノに返すつもりでいるが、今この段階で別れるのを寂しいと思っているあたり、互いの相性は本当にばっちりのようだ。



「れ、レイジングハートって、こんなこともできるの?」
≪デバイスは基本、このくらいの機能は備えているんだ。レイジングハートは特に高性能だから、もっとすごい機能もあるよ≫
「すごいすごい! 今度全部教えてよ、ユーノくん!」
≪あはは、そうだね。今度練習がてら、レイジングハートの機能を把握するのもいいかもしれない≫
“I am honored to be pleased./光栄です”



 謙虚な反応を示すレイジングハート。ユーノとなのはは苦笑するしかない。



≪それで……このグラフの上がジュエルシード単体が起動したときの魔力波形パターン。下が、今日計測したあの女の子から発せられていた魔力波形パターンなんだけど……≫
「……一致してるところもあるけれど、ちょっとずれてる感じ?」
≪うん。多少の違いはあるけれど、起伏のパターンがほとんど一致してる。重なりこそしてないけれど、間違いなく、ジュエルシードの影響だ≫
「でも、アリサちゃん……性格だけ変わったみたいで、他には何ともなかったよ? てっきり物凄く大変なことになると思ったんだけど……」
≪それは僕も不思議に思ってる。ただ、ジュエルシード自体が色々と秘密の多い古代の遺失物/ロストロギアなんだ。だから、僕もあまり詳しいことまではわからないんだよ……≫



 ともあれ、なのはとしては、今日の犬のような変貌を親友がしていないだけで嬉しいと思う。もしそんなことになっていたら、なのははその親友と戦わなければならなかっただろうから。
 だが、かといってこのまま放置するわけにもいかない。
 なんとかしてアリサからジュエルシードをもらうか、あるいはそのジュエルシードを預かるなりして封印作業を行わなければ、いつ暴走して今日の犬みたいな事態にならないとも限らないのだから。



「とにかく、明日お話ししてみる。アリサちゃんだもん、きっと事情を話せばわかってくれると思うの!」
≪あまり、魔法のことは知られない方がいいんだけど……仕方ないか。ごめんね、なのは。こんなことに巻き込んで……≫
「何言ってるのユーノくん! 一度手伝うって言ったんだから、私は最後まで手伝うよ。後悔するより反省しろ、だもん!」
≪……念のために聞くけど、それは誰の言葉?≫
「えーと……ほんだくん」
≪やっぱり≫



 てへへ、と小さく舌を出しながら笑うなのはに、ユーノは小さく溜息をつく。
 なんだかんだで、なのはとあの少年は仲がいい。
 もし彼が協力者になってくれたら……そこまで考えて、ユーノは小さく頭を振ってそれ以上考えることをやめた。



≪(なのはを巻き込んだだけでも大変なことなんだ……なのはを信じよう)≫



 自分が心配性であるのは百も承知だ。一族のみんなからもその点は指摘されてきたし、自分でも少しその面が強いことは自覚している。
 だからこそ、この胸騒ぎも、自分の悪癖のせいだと決めつけて蓋をした。
 そもそも、なのはの才能は素晴らしいものがある。それこそ、自分なんてはるかに上回る、恐らくは百年に一人の逸材と言っていいくらいだ。
 そして、事情を聴いて悩みなく手伝うと言ってくれた彼女を信用しないのは、むしろ礼を失することになる。ここは、彼女を信じよう。彼女と、その才能と強さに。



「なっのはー! ユーノ貸してー!」
「うにゃっ!? お、お姉ちゃん!?」
「ぅん~っ♪ ユーノただいまー! 相変わらず君は可愛いねぇ~♪」
「きゅ、きゅぅーっ!?」



 結局、ユーノの不安は突如としてなのはの部屋へ乱入してきた姉、美由希によって強制終了と相成った。
 入ってくるなり、なのはの驚き様には目もくれずにユーノへと抱きつく彼女は、見て分かるように最近ユーノにご執心である。
 帰宅するなりこの溺愛ぶり、いまや高町家において彼女がユーノを一番愛していると言っても過言ではないだろう。溺愛されている本人がどう思っているかはさておき。
 


「≪あ、あはは……ユーノくん、ごめんね?≫」
≪ううん……居候させてもらってる身としては、このぐら―――うひぃっ!?≫
「おー、お腹あったかーい。なのはなのは、触ってごらん!」
「お、お姉ちゃんあまりユーノくんいじめないで!」
「むっ、いじめてないよー。私は純粋に可愛がってるの!」



 きゃいきゃいと、もてあそばれている本人を余所に始まる、姉妹喧嘩とも呼べない他愛のない喧嘩。
 まだこの家に来て一週間も経っていないが、なんだかすっかり環境に馴染んでしまったことに、ユーノは苦笑を隠しきれなかった。
 











 月村すずかはそっと、ベッドのサイドランプに照らし出された本を読みながら溜息をついた。
 本の内容が、溜息が出るほど美しい話や、あるいはその逆に悲しい話、はたまたつまらないほど単調な話、というわけではない。
 今の溜息は、純粋にすずか自身が抱えている悩みから来るものであり、実際、その本の中身は全然頭に入ってこないでいた。
 親友の変貌―――そして、もう一人の親友のこと。
 前者は言うまでもなくアリサ・バニングスのことであり、今現在もっとも悩みの多くを占めている案件である。
 昨晩まではいつも通りだったというのに、今朝にきて180度人が変わったような態度を取り始めた親友に、表面上こそ動揺せずにいられたが、内心は混乱の極みであった。
 何があったのだろう?
 何を考えているのだろう?
 何故、あんな態度をとるようになったのだろう?
 生憎、すずかには親戚達のような〝ヒトの心を読む〟と言った特殊能力はない。
 もしかしたら、今後〝成長〟があった時に発現するかもしれないが、その時にどんな力が発現するかはわからないのだ。
 だが、例えそんな力があったとしても、すずか自身は使うつもりもないし、その予定もない。大事な友人の心を盗み見るなど、彼女の矜持が許さない。



「……アリサちゃん」



 携帯を開いてメールボックスを起動する。
 受信メッセージは画面いっぱいに〝アリサちゃん〟の文字。つい一時間ほど前まで、すずかはアリサとメールをしていた。
 特に大した内容ではない。今日の出来事についてと、アリサの態度の変貌について、少しだけ探りを入れるような会話をしただけ。
 特に後者のこともあって、すずかには未だに小さくない罪悪感が付きまとっている。
 素直に〝どうしたの?〟と聞くべきだったかな?
 でも、聞いてほしくないことだったら……?
 ううん、違うよ。やっぱり、親友なんだからしっかり聞かないと……。
 そうした思考を、本を広げながら実に一時間以上も延々と繰り広げている。
 それが生産性の無い行為だとはうっすらと理解しているが、まだ9歳の少女の身だ。無駄だと割り切って寝るには、いささか若すぎると言うものである。
 ともあれ、今日の態度が一過性のものなのか、それとも本気で何かきっかけがあって変貌したのか――――今日だけではあまり判断がつかない。
 どの道、今のままでは何をどう考えたところでわかるはずがない。情報が少なすぎるのだ。
 ……やっぱり、明日の朝、様子を見ながら聞いてみよう。
 そんな、なんとも無難極まりない結論を出して、すずかは本を閉じた。
 


「そういえば……本田君、大丈夫かな?」



 ベッドのサイドランプを消しながら、すずかはふと思い出したように呟いた。
 脳裏によみがえるのは、突如正座をしたかと思うと一心不乱に床に向かって頭突きを始めた友人の男の子の姿。あの時、すずかはあまりにも突然の出来事に、気が動転してパニックに陥ってしまった。
 結局、駆け付けたアリサの判断によって、急いで保健室へと運ばれたのだが……病院で精密検査を受けるくらいだったのだから、相当強く打ちつけていたのだろう。
 時々、その友人――――本田時彦は理解できないような、奇妙な行動をとることが多い。
 普段はクラスのみんなと楽しそうに遊んでいるが、ふと見ると、まるで大人じみた静かな眼差しで教室を見回していることがある。いや、他にもまるで大人みたいな物言いをすることもあった気がする。
 例えば、今年の元旦だったか。
 半年前の禍根も水に流され、いつしか四人で遊ぶようになったことから元旦の初詣はみんなで集まって一緒に行こうということになった。
 詳しい過程は良く覚えていないが、確か自分が大人の誰かにぶつかったのだったと思う。
 体格のいい、やや強面の大人だった。ドスの利いた低い声で自分に詰め寄り、「膝の皿が割れた」とかどうのと言っていたと思う。
 まず反応したのが隣にいたアリサで、次に反応したのが本田だった。
 突然男の膝――男が割れた、と言っていた個所だ――にローキックを叩きこみ、突然大声で「助けてー!誘拐されるー!!」と大声で叫びだしたのだった。
 当然、そんなことを叫ばれては大人達も反応せざるを得ない。結果的に絡んできた男達を撃退できたが、すずかは心臓が破裂するかというくらいにドキドキしていた。
 


「……あの時は本当に怖かったぁ」



 今思い出しても体が震えてしまう。
 あの怖い面相に、低い声。子供が相手だからと言ってなめきった態度に、下卑た笑い顔。どこまで人が堕落すればあんな風になるのか、すずかには想像すらつかない。
 そしてなによりも、そんな大人を相手に、むしろ笑い出しそうなのをこらえながら堂々と立ち向かった本田時彦という人間も、すずかには理解できない。
 普段はアリサと一歩間違えば喧嘩と捉えられてもおかしくないようなやり取りをする子供の一面と、あの時のような子供離れした一面――――すずかには、どちらかと言えば後者の方が〝彼らしい〟と感じてしまう。
 失礼だよね、こんなこと……。
 流れるままに出してしまった結論が、考えてみれば本人にとっては失礼なことだと思い至り、すずかは暗闇の中で寝返りをうちながらぎゅっと瞼を瞑る。
 だが、その一方で言葉にできない関心が鎌首をもたげているのも、事実だった。
 不思議な人。どこか、捉えどころのない人。
 仲良くなるきっかけは、はっきりいって最悪のものだった。
 丹精込めて作った風鈴を、わざとではないにしろ割られてしまい、夏の思い出の一つを壊されたことは――――許せないとは言わないでも、未だに心が痛む出来事だ。
 しかし、その後の彼のフォローがあったからこそ、今自分はこうして彼を許し、むしろ好意を抱いて親友として接することができるようになった。まさか、一週間も学校を休んで、自分が作った風鈴と8割方そっくり似せたものを作ってくるとは思わなかったが。



「ふふ……」



 その時のことを思い出して、すずかは思わず笑い声を洩らす。
 小さな木の箱を両手で差し出しながら真剣な目でこちらを見つめる本田の真っ赤な顔は、今でもはっきりと思い出せる。
 大事な夏の思い出を壊されたことで、彼とはあまり関わりあいたくないと思っていたのに――――〝一寸先は闇〟ではないが、まさか彼と親友と呼べる間柄になるとは、その時思いもしなかった。
 彼が何故そこまでしてくれたのか、と考えれば、恐らくは罪悪感からだろう。だが、親友のアリサ――無論、変貌する前のだが――はそれだけじゃないと思うとも言っていた。
 他に、何か理由があったのだろうか?
 普段から仲が良い上に、息もぴったりなアリサと彼という組み合わせならばまだ分からないでもないが、自分と彼ではそれほど接点があるわけでもないし、そもそもあの時は加害者と被害者という立場だった。謝罪と償いという意味をおいて他に意味があるとは到底思えない。
 ……そう、本当に彼はアリサと仲がいいのだ。



「心配してたな、本田君」



 今日、彼がもう一人の親友であるなのはをあそこまでからかったのは、本人いわくアリサに吐き出せないストレスのせいと言っていたが、きっとそれは変貌したアリサへの心配によるものだったに違いない。実際、夕方の病院では、二人っきりで何か重大な話をしていた。
 それが、少し悔しいと思う。
 


「私も心配してるのに……アリサちゃん」



 何故、彼にだけ相談したのだろう?
 自分には話せないこと?
 それとも、二人だけの間の秘密?
 考えれば考えるほど、二人の関係を疑ってしまう、耳年増な自分の性格が嫌になってきた。
 とりとめのない思考は、きっと眠いからに違いない。今日は色々あったし、それに明日もなんだかんだで早いのだから、早いところ寝てしまおう。
 


「……明日、はっきりさせればいいよね」



 秘かな決意を胸に、すずかは布団を耳の部分まで引き上げる。
 カーテンから漏れ入る月明かりが、緩やかに揺れながら部屋の一部を照らし出す。
 ふとその光に導かれるように視線を追いかけされると、箪笥の上にある木箱が目に付いた。
 クリーム色よりも柔らかい、まだ若い木のそれとわかる木目の小箱は、半年前から変わらずそこにある。すずかの、大切な思い出の代わり――――いや、今はもう、大事な思い出の一つ。
 夜光に照らし出されたそれを眺めつつ、すずかは霧のようにまどろみ始めた思考を動かして、他愛のないIFを想像する。
 それは、アリサと自分がもし反対の立場だったら、という実に他愛のない、子供らしい夢想。
 毎日毎日、彼と飽きもせずに激しく口論し、時に叩きあい、時に追いかけ、時に笑いあう。
 今の関係に不満があるわけではない。だが、少しだけアリサに憧れもするのだ。
 彼とふざけあっている時に浮かべる、あの宝石みたいに輝く笑顔を浮かべる親友に――――自分も、あんな風に笑ってみたい、と。
 まどろみは、ついに闇色へと染まっていく。
 夢現の境界線を飛び越えて、すずかは抗いきれない眠りの手に引かれるようにして、そっと思考を手放した。


 




















――――
そろそろ補足説明をと。
なのは→リリカル化完了
すずか→フラグ建築に暇なし。

原作で言うと、神社での回収が終わった感じです。

100207/1631 Ver,1.01修正。アリサとすずかごっちゃになるw
100304/0848 Ver,1.02修正。ちょこちょこと。



[15556] プールとサボりとアクシデント
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:37
 小学生というのは、単純そうに見えて実に複雑な生き物だ。
 しかも、大人ならば誰しもが通ってきた過程にもかかわらず、多くの大人は子供を完全に理解できない。〝一度体験している〟のに、理解できないのだ。考えてみれば、実に不思議なことだ。
 精神構造が違うから?
 ならば俺はどうだ。同じ小学生の身で、頭の中身だけが大人だから、理解できないのか?
 いや、違うな。
 確かに、完全とは程遠いけれども、俺には少なくともクラスメイトの考えていることや、これからやろうと思っていること、その時その時における感情の移ろいくらいは予想がつく。そして、その予想は大方外れない。
 そもそも別の生き物だから?
 生物学的に考えれば、それはNOだ。子供だろうが大人だろうが、どちらも生態学的分類の上ではなんちゃらホモサピエンスに変わりはない。せいぜい、そこにあるのは遺伝子上の些細な発現形質の違いだけ。例外があるとすれば、この世界に〝も〟あの連中がいればだが――――〝そいつら〟だろう。やつらは人間とまるで同じ姿をしていながら、その中身はまるで別次元の存在だ。やつらを引き合いに出すのであれば、この仮説にも納得できる。
 まぁ、〝いない〟と過程している今、考えるだけ無駄なのだけれども。
 では、成長にするにつれて、何かを忘れるからか?
 ……俺としては、それが一番しっくりくる結論だ。
 こんな話がある。ある日、営業帰りのリーマンオッサン二人の前を、小学生の集団が歩いていた。
 そして突然、その内の一人の男の子が立ち止まって叫んだ。「俺、学校に忘れ物してきた!」
 それを聞いていた大人の片方が、ふと呟いた。



「あぁ、俺小学校の教室に忘れ物しっぱなしだなぁ」
「何を忘れたんだよ?」
「〝夢〟さ」



 親父からこの話を聞かされた時、俺はあまりにも共感できてしまうそのリーマン達のために、軽く涙を流した。突然泣き出した俺を見て親父が母上に殴り飛ばされる光景には、泣きながら腹を抱えて笑ったものだが。
 ともあれ、そんな話を踏まえなくとも、みんながよく聞くように大人はこう口にする。



――――「若さって何だと思う?」「振り返らないことさ」



 クールだ。実にクールでかっこいい名言だと思う。
 振り返らない人間を見て、大人達は「無謀だ」「まだまだ子供だな」「現実を見ろ」と指摘する。それはつまり、大人の中にあっても、大人ではない人間が居ることを指しているのではないだろうか?
 であるならば、きっと俺は、どちらにも属することができない中途半端な存在だ。 
 子供達の「振り返らない無謀さ」も理解できるし、大人達の「現実を見る冷淡さ」も理解できる俺は、言うまでもなく異端。そして、異端だからこそ、この大人達にとっては不可解な状況が理解できてしまう。


 ……なんて小難しいことを考えてしまうのは、やはり現状が理解できつつも、納得できないからなんだろうな。



「おいバニングマ、ちょっとこい。それと月村さん、高町。悪いけど、こいつを連れて先に屋上に行っててくれ。俺はとりあえず、飲み物買っていくから」
「でも、本田君……」
「いいから」



 ショックを隠しきれないバニングマ――――この世界に〝転生〟してきたアリサと、高町、そしてすずかちゃんを促すように俺は顎をしゃくると、彼女達が出て行くのも待たずに、教室の中心に向き直った。
 ガラガラと、後ろの方で開かれる扉の音を聞きながら、俺は腕を組んで睨みを利かせる。 
 なんでか?
 1から説明するとなると、これがかなり骨なんだが……まぁ、ようはアレだ。つまらないお芝居は、子供たちにとって一日以上も続くとただの毒でしかない、ということ。
 


「てめーら……どういうつもりだ」



 冷たく静まり返った教室に、俺のドスの利いた低い声が響き渡る。
 誰もその表情の奥に戸惑いと恐れが半々にミックスされた、美味しくもクソもない感情をにじませて俺を見つめ返してくる。
 反応は、限りなく静かで、冷ややかなものだった。
 誰もが口を開くことを憚り、さりとてこのまま俺が退出するとも思っていないのがわかりきっているために、迂闊なことを口にすることもできない。
 そんな重苦しい沈黙が教室を締め上げ、その悲鳴が耳の痛くなるような静寂となってこの場にいるモノの心を押し潰す。
 
 アリサ・バニングスが変貌した翌日。クラスメイト達は〝アリサ〟を――――村八分にしていた。







                           俺はすずかちゃんが好きだ!








 朝はまだ平気だった。それは断言――――いや、できないな。正直にいえば、昨日の放課後になる直前あたりからこの空気は感じ始めていたのだから。
 確かに、午前中は物腰柔らかくなったアイツ見たさに色々な学年から人間が集まってきたが、それがすぎればただの怪奇現象だ。
 そして、小学生と言う〝子供〟は、そういう未知な存在に大きな恐怖と排他的な感情を覚えることが多い。
 わかりやすい例を挙げよう。
 ある日、小学生達の教室に外国人が転入してきた。
 最初こそ友好的な態度を取っていたクラスのみんなだったが、昼休みには、その子の運命が二通りに決まる。
 一つ。問題なくクラスメイト達と溶け込んで、順風満帆サティスファクションなスクールライフが確定する。
 一つ。最初は仲良くしてもらったものの、奇異な目でみられることが多く、結果的に誰も近寄らなくなる典型的でファッキンシットなぼっちスクールライフが確定する。
 今回の件が後者の場合に当てはまるのは、言うまでもないだろう。
 話が通じようが通じまいが、転入生は必ず上記の2パターンのうち、どちらかに当てはまる。それは、転入生が昨日までクラスメイトだった相手に置き換わったとしても変わりはしない。残念ながら、今回は運悪く〝アリサ〟のやつは後者に巡り合ってしまったみたいだ。



「はぁ……薄々感じてはいたけど、まさかうちのクラスがねぇ……」



 多少の安心と期待があったが故に、さすがにこの事実は俺にも堪える。何より、信じていたクラスメイト達に裏切られた、という感情が強い。
 それはすずかちゃん達も同じだろう。いや、俺以上に心を痛めているに違いない。
 なんだかんだで、彼女達は純粋な小学生。一方で俺は二週目だ。ある種の覚悟と知識があってこのダメージなのだから、なんの予備知識もない彼女達からすれば、甚大極まりないダメージに違いないだろう。
 


「気が重い。こんなんじゃ冗談の一つも言えやしねぇじゃねぇか」



 せめて米国式のブラックユーモアが俺にあればまだ良かったかも知れないが、ないものねだりをしても仕方がない。
 とりあえず、人数分の缶ジュース及びお茶のペットボトルを抱えた俺は、器用に肘と足を使って屋上へとつながる扉を開けて、待ち合わせの場所へと向かった。



「本田君、お疲れ様」
「ありがとう、ほんだくん。あ、お金今渡すね」
「いーよ。今日は俺の奢りだ。ほれ、そこのバニングマも受け取れ」
「……ありがとう、ございます」



 いつもの場所を陣取り、ピクニックシートを広げて座り込んでいるみんなに飲み物を手渡す。
 最後に、今回の件の中心人物であるバニングマに、好物のオレンジジュースを渡すも、反応は芳しくもない。
 いつもおしるこやらマンゴー&ドリアシェイク、はたまたメロンとアボガドのミックスジュースなるイロモノをプレゼントしている俺からしてみれば出血大サービスもいいところだと言うのに、ヤツの反応は芳しくない。心なしか、いつもは輝かんばかりに輝いている金髪が、今日はかなりくすんでしまっているようにも見える。
 ……それだけショックだったんだろうな。
 あ、ちなみにイロモノドリンクは最終的に俺の分であるまともなジュースと無理やり交換させられて、毎回自分で飲む羽目になっているのは秘密だ。
 


「気にすんなよ。どーせその内収まる」
「でも、私……何もしてません!」
「知ってるっつーの。言っても無駄だからいわね―けど、別にお前のせーじゃねぇ。仕方ないんだ、こればっかりは。日曜にクリスチャン達が教会でお祈りするのと同じくらい、どうしようもないことなんですよ。おわかり?」
「――――っ!」



 唇をかみしめて、もらった缶ジュースを手が白くなるほど握りしめる〝アリサ〟。
 その姿に、すずかちゃんも高町も心配からその名を呟くが、それ以上を口にすることはない。当然だ、それ以上言ったところで今は意味がないことを理解しているのだから。
 そのまま、俺達四人の間に重苦しい沈黙が流れる。
 無理もないな……昨日までは普通のクラスメイトだったのに、今日にきていきなり村八分だ。裏切られたショックは俺の想像の範囲外だろう。
 おまけに、アリサは昨日、曲がりなりにもクラスメイト達に最初は受け入れられていた。それが今日にきて突然手のひらを返されたのだから、困惑しない方がおかしい。事情を知っているだけに、俺にはその気持ちが痛いほど理解できてしまう。
 だが、いくら悩んだところで意味がないことだ。
 やつらがアリサを村八分にした以上、よっぽどのテンプレご都合主義でも起きない限り、状況は変わらない。
 しかもそれだけじゃなく、このまま事が進めば、アリサと仲が良いすずかちゃんや高町も村八分にされかねない。小学生とは単純に見えて、実に狡猾で残酷な生き物なのだから。
 はぁ、とジュースを飲み乾した喉から思わずため息が漏れる。
 すずかちゃんが意を決したように言葉を発したのは、そんな時だった。
  


「……ねぇ、アリサちゃん。何があったか、教えてくれない?」
「え?」



 〝何が〟というのが〝アリサに何があったのか〟ということであるくらい、その場にいた俺達にはすぐに分かった。
 何故か高町があたわたと大げさに慌てていたが、それよりも、そのことを尋ねられたアリサ本人が大きく驚いていることの方に意識を大きくもっていかれる。
 まぁ、昨日詳しい話を聞いている俺は高町程ではないが、しかし、ここにきてすずかちゃんが訪ねてくることに驚いているのは事実だ。
 昨日は気にしていなかったのに、何故今日にきて?
 すずかちゃんの真意がわからないまま、俺は静かに耳を傾けた。



「す、すずかちゃん、そんな無理に聞いても!」
「駄目だよ、なのはちゃん。みんながあんなことになっている以上、理由をきちんと聞いておかないといけないと思う。それに、なのはちゃんだって気になるでしょ?」
「それは……でも、アリサちゃんにも事情はあるだろうし……」
「その事情でアリサちゃんが困っているなら、それを何とかしてあげるのが親友の私達がするべきことなんじゃないかな?」
「……うぅ」



 酷く筋道だった正論だった。さすがの高町もぐぅの音しか出ないらしい。実際はうぅというニアミスなのが残念すぎる。これが〝うぐぅ〟だったら鯛焼きでほっぺたぺしぺししてやったんだが。
 そんなくだらないことはともかくとして。
 麗しいという言葉がこれほど似合う小学生はいないだろう。
 普段とは正反対の凛とした雰囲気で、真剣な眼差しを曲げることなく友情を語るすずかちゃんの姿に、俺は頭がくらくらするほどときめいてしまう。ていうか顔が熱くなってきた。慌てて顔をそらしてジュースを一気飲み。雰囲気ぶち壊し? 知らんがな。
 ていうか疲れた。何がって、このおもっ苦しい雰囲気が。
 確かに、このすずかちゃんの凛々しい姿はずっと眺めていたい。眺めていたいが、それはこんな重苦しい雰囲気の中で見るべきものじゃないと思うんだ、本田さんは。
 希望としては、そう――――桜吹雪の舞い散る某伝説の木の下で互いに見つめあいながら、すずかちゃんは異を決したように口を開く。

――――私、ずっと前から本田君のことが!
 
 凛とした佇まいに、どこか今にも消えてしまいそうな儚さを湛えて、俺を射抜くように見つめるすずかちゃん。
 あぁ、そのシンプルでありながら何物にも勝る耽美な姿を想像するだけで、俺の鼓動はアクセルマキシマムドライブ並みにドックンバックンですよっ!
 そして徐々に近づく二人の距離。互いの吐息が触れ合い、そのくすぐったさですずかちゃんは眉を軽くひそめる。そしてそのまま目を瞑ると――――!



「うだぁああああ!!」
「うひゃあ!?」
「な、なになに、なんなのほんだくん!?」


 
 自分の妄想の恥ずかしさに、さすがに耐えきれなくなって、俺は奇声を上げながら悶え転げ回った。
 それまでドシリアスだった雰囲気をぶち壊し、あっちへこっちへずったんばったん転がる俺を、すずかちゃんと高町が怯えたように見つめる。
 しかし、それでもバニングマの奴は顔を俯かせたまま黙りっぱなしだ。
 ……やはり気持ち悪い。
 いつもなら「何キモイ動きしてんのよこのゴミハチ!」とか怒鳴って踏みつけてくるもんだが、やはり何のリアクションもない。
 ふふ……知ってるかい?
 突っ込まれないギャグほど寒いものはない、って。今の俺は、まさに渾身のギャグをかましたのになんのリアクションも返してもらえないお笑い芸人の気分さ。
 ったく、いつまでたってもうじうじうじうじと。せめてこの世界での自分の役割くらいきっちりこなしてくれないと困るだろうが!
 アレか? 反抗期ですか? こんな自分の世界じゃない別の世界なんかで私なにもしたくないとかいうゆとり教育ですか?
 ……よろしい。ならば反逆だ。
 


「――――ぃよぉおおおし決めたっ! 学校サボる!」
「……へ?」
「……あの、本田君?」
「おいこらバニングマ、お前今日金あるか?」
「はい? と、突然なんですか、いきなり?」
「いいから。そうだな……小学生一人頭大体千五百円だったから、四人で六千円だ」



 脳裏に、これから向かうつもりの目的地の利用料金を思い浮かべながら、他の諸費用を俺が持つとして、入場料くらいは払ってもらうべくさっさと合計金額をはじき出す。
 訳も分からずに財布を確認し始めるバニングマをしり目に、俺はさっさと食い終わった弁当類を片づけた。



「余裕は、全然ありますけれど……あの、時彦君? なにをするつもりで――――」
「ちょっと待ってろ。月村さん、一緒に来て。帰り仕度するよ」
「あ、あの本田君!? ちょっと待って、どうするつもりなの?」



 さすがになんの説明も無しに帰ろうとか言いだしたのがまずかったのか、すずかちゃんが心配そうにこちらを覗き込んできた。
 ですが残念。もはやバルーンリザードが破裂したかのごとくぷっつんオラァしてしまった本田君は今、その程度の破壊力ではびくともしないのです。



「ボイコットする。こんなつまんねぇ状態で学校にいても意味がないだろ。俺たちゃまだ小学生だぜ?」
「……ほんだくんが不良になったの」
「違うな、間違っているぞ高町」



 わかっていたけどね、みたいな半眼になってそんなことを言う高町。
 しかし、こいつはなにもわかっちゃいない。まるっきり部外者のようなことを言っているが、今この場に貴様が居る時点で、既にその認識は間違っているのだ。
 俺は屋上の扉へと向かう体を振り向かせ、静かに三人を見渡した。
 高町はさっき言ったように呆れてる様子だが、すずかちゃんもバニングマも、事態についていけないとでも言いたげな困惑した表情を浮かべている。
 それが今から驚愕に変わることを考えると、俺はこぼれそうになる笑みを我慢できなかった。


 
「俺だけじゃない――――お前らもだよ」
「「「え……ぇええええ!?」」」









 というわけで。
 それから説得にかなり苦労したけれど、とりあえず三人を連れて、海鳴カリビアンベイにやってきた。
 無論、すずかちゃんと高町による猛反対にあったんだけれど、バニングマがまるで塩を振りかけられたナメクジのようになっていることを指摘し続けたら、最後には「今日だけだからね!」と折れてくれた。
 そしてやってきたのは、海鳴の駅から電車に乗って30分。山間部より手前に建設された一つの行楽施設――――〝海鳴カリビアンベイ〟だ。
 名前からわかるように、ここは遊園地型温水プールとでも言うべき行楽施設で、一昨年開園したことで話題になっている。
 全体の3分の2が屋内温水プールで、季節問わず遊べる今までにない新しいタイプの行楽施設と言うこともあり、今も地元では結構話題になっていたりもする。
 当然、市民プールなんかよりもはるかに値段が高く、とてもじゃないが小学生が気楽に来れるような場所ではない。
 そのために、さっき学校でバニングマにお金の余裕があるか聞いたんだ。だって俺手持ちねーもん。
 厚かましいとか女の子におごってもらうなとか小学生になんてことさせるんだとかいう文句はこの際聞かない。
 ていうか、そもそも小学生がクレカ持ち歩いている時点でどうなんだよ。しかも金銭感覚色々狂ってるしさ、すずかちゃんとバニングマは。
 去年、そんなカルチャーショックをまざまざと味合わされたからには、その借りを返す意味でも有効活用させてやろうじゃないの。
 しかし、さすがに小学生四人組が真昼間から来るのは怪しかったのかもしれない。もちろん、そのあたりも抜かりなく対策済みだ。
 受付のお姉さんに怪訝な顔をされたが、物わかりのいいお方で助かった。特に何も聞くこともせずに通してくれたのだからありがたい。
 ただ気になったのは、入場直前で受付のお姉さんが、何故か俺に向かって「がんばれよ少年」とか言ってきたんだが、何をがんばれというのだろう。
 まさかすずかちゃんへの淡い恋心を読み取ったとか?
 ……ないない。さすがに初対面で理解されたら、それこそサイコメトリーとか超能力になっちまう。残念ながら、この町に一年中枯れない桜の木とか、暴走族の知り合いが居るイケメンの兄ちゃんとかいませんので、そんなファンタジーには期待できない。



「てわけでやってまいりました、海鳴カリビアンベイ」
「うわぁ、すごいねぇ。私初めて来たけど、こんなに大きいんだ……」
「本当……前々から興味はありましたけれど、中々来る機会がありませんでしたから」
「うー、よ、よかったのかなぁ……?」



 既に四人そろってばっちり水着に着替えてスタンバっていると言うのに、高町の奴はいまだにもじもじと困惑顔を納めない。
 まったく、すずかちゃんとバニングマは目をキラキラさせてあちこち見ているというのに、こいつはまだ悩んでいるのか。
 


「高町ぃ~、ここまで来てその発言は、まさにKYとしか言いようがないぜ? ちなみにKYは〝空気が読めない〟と〝漢字が読めない〟の二つ意味があるんだ☆」
「うにゃっ!? な、なのははKYじゃありませんっ! ていうか、二つ目の意味が今とすごくかんけいないよ!」
「あーはいはいそうですねナノハムさん。ていうか月村さんとバニングマ見習えよ。二人とも、遊ぶ気満々だぜ?」
「……なんであんなに切り替え早いんだろう。わたしがおかしいのかなぁ」
「お、ようやく理解したか。そうだ貴様は馬鹿だ。KYでNW(ノリがワルい)のアホの子だ。わはははー!」
「むかぁっ!」



 ほっぺたをリスのように膨らませた高町に、借りてきたビート版で結構容赦なくべこべこ殴られる。



「もう、もーう! ほんだくんはいつもそうやってわたしのこと馬鹿にしてー!」
「いだっ、いだいだっ! 角はダメっ、角はらめなのぉおお!」
「な、なのはちゃん、もうそれくらいにしてあげた方が……」
「いえ、すずか。これは時彦君の自業自得ですから、放置してあげるのが彼のためです」
「要救助者を見捨てたレスキュー隊員!?」
「……でも、本当によかったのでしょうか……さすがに学校を抜け出してこんなところに来るのはいけないと思うのですけれど……」
「そうだよねぇ……四人そろって早退なんて、絶対に怪しまれると思うんだけれど……」
「スルーですかそうですか」



 高町の弱気に汚染されたのか、さっきまでは結構乗り気だったバニングマが不安そうに口にする。
 とはいっても、既に借りた水着に着替えている時点で色々手遅れだ。
 なにより。



「バニングマ。今さらだ、諦めろ。ていうか俺が絶対に逃がさない」



 せっかくのすずかちゃんの水着姿だぞ!?
 しかも、極普通のスクールタイプではあるものの、その色こそや伝説のホワイトっ!
 そもそも水着の生地において、ホワイトは水に濡れると中が透けやすいと言われ、多くの女性達が忌み嫌う色であった。
 近年の技術革新によってその欠点が克服された新型素材を用いた白水着が出回るようになったとはいえ、この九年間で白い水着を着ている女性を見た回数なんて片手で足りるほどしかない。それほど希少な色なのだ、ホワイトとはっ!
 なによりも、いくら技術の進歩によって透けにくくなったとはいえ、〝もしかしたら……っ!〟というそのステキ/ロマン仕様には、嫌が応にも男心をくすぐらずにはいられない。え、〝お前小学生だろ〟って? 知りません。好きな子の水着姿をガン見して何が悪いっ!
 あぁ素晴らしきは、神が与え給うた〝白〟の神秘。俺のホワイトアルバムに、その神秘がまた一つ刻まれる――――っ!

 

「……あぁ、そういうことですか。まったく、わかりやすいお方」
「ぎくっ!? な、なんのことかなぁ~♪」
「視線が泳いでますよ? まったく、あっちもこっちも、性格は同じなのが残念ですね……」
「だから、何を言ってるのかわかんねぇよ」
「あら、とぼけても無駄ですよ?」


 
 にやっ、ととても見覚えのあるやらしい笑みを浮かべたバニングマの奴が、そーっと俺の耳元に顔を近づけてこっそりつぶやく。



「……すずかの水着」
「ぎくぅっ!?」
「ほーら当たりじゃないですか。ふふ、わかりやすい人」
「お、おまぇなぁ~!? つーか、なんでそんな考えがわかるんだよこの耳年増!」
「まっ、レディに向かってなんていう暴言! 時彦君、常々言っていますけれど、そういう発言は自分の品位を貶めますからご自愛なさいとあれほど言っているでしょう!」
「やかましいっ! レディなんて言葉は、貴様にゃまだ10年早いわ!」
「もう二人とも! こんなところまで来て喧嘩は禁止!」
「そうなの! 学校抜け出しちゃった以上、しっかりたのしまないともったいないおもうの!」
「……ナノハムに説教された。しかもついさっきまでブルブル震えていた小心者のナノハムに!」
「むむ、なんだかまたばかにされた気が」



 脳内で高町アラートが鳴り響いた。
 同時に即座に転身し、話題をすり替えるべく俺はバニングマの背中をぐいぐいと押して進み始める。



「さぁーて月村さん、バニングマ! あとついでにナノハム! まずはあっちのコースターに行くぞ!」
「え、あれ、ほんだくん? 私の名前、いつの間にかナノハムになってない!? ねぇ、なんで!? なんで私までそんな変なアダ名ついてるの!?」
「やっぱ最初はでっかいスライダーからだよな! おーっし、今日は空いてるし、はっちゃけるでー!」
「ほんだくん質問にこたえてよー!」


 
 とにかく、だ。
 既に〝悪いこと〟をしてしまっている以上、全責任は俺が被るという覚悟はできている。ならば、変な遠慮や躊躇はせずに、ガキらしくおもいっきりはしゃごうじゃないの。
 ……ふと、これが原因で、すずかちゃん家のご両親から〝お付き合い禁止令〟が出されたらどうしよう、と背筋が寒くなったが、もはや今さらである。
 そうなったらそうなったで仕方ない。そもそも、初恋とは散るためにあるものだ、とは誰が言ったか。
 ……そんな悲愴な覚悟でもしなけりゃ、現状楽しめそうにないとは口が裂けても言えません。
 しかももしそんなことになったら―――――。



「母上、先立つ親不幸な愚息をお許しください」
「なに? どうかしたの、本田君?」
「あ、いや。なんでもないよ、俺の個人的な問題」
「そう? 何かあったら、相談してくれていいからね?」
「……あぁやばい。俺、この瞬間があっただけでも、学校サボって良かったと思う」



 にっこりと、ひまわりとは違う、蓮華や白百合のようにしっとりとした微笑みを投げかけてくれるすずかちゃんの言葉に、俺は胸がいっぱいになった。
 じぃいいん!と感動に打ち震えている俺を不思議そうに見つめるすずかちゃん。
 きょとん、と小首をかしげるその姿は、白いスクールタイプの水着も相まって、普段よりも可愛らしさがン十倍増しで決壊寸前だ。
 あどけない表情と、それでいてその顔に浮かぶ心配気な雰囲気という、ある意味危険極まりない要素を併せ持った今の彼女は――――堪らなく、イイっ!



「……はぁ。すずか、行きましょう。時彦君は、遠い世界に旅立ってしまったようです」
「え? あの、アリサちゃん、ちょっと怒ってる?」
「いいえー? 怒ってませんわよ。あーんなニブチンに、なんで私が怒らなければいけないんですか?」
「う、うん……?」
「ねぇねぇ、二人ともなんのおはなしー?」
「なんでもありませんよ、なのは。どこかの朴念仁のことなんて話してませんから」
「??」


 
 なんだかバニングマが酷く悪しざまに誰かをけなしている。可哀そうな奴だな、そいつ。
 ま、そんなことより、今は遊ぼう。俺の大事な栄養素であるスズカミンはいまや充電率120%だ。これであと一週間は戦える。
 そんな元気一杯になった俺を放置して、三人が何やら話していたみたいだが、俺は舞い上がった気分故にその内容になど気にも留めない。若さとは振り返らないことだ。



「よーっし、まずは一人ずつ滑るアレだ! 俺、チューブ借りてくる!」
「あ、わたしもいくー!」


 
 そして何よりも、せっかく子供特権でやってこれたこのめったにない機会を全力で楽しむべきという、今や当初とは別のモノにすり替わった目的が、頭の中にちらついているのだ。
 本当は、落ち込んでいたバニングマを励ますつもりでやってきたんだが、まぁあここまで回復してりゃ大丈夫だろ。
 ……根本的な問題は何も解決していないが、今考えたところでどうにかなるものでもない。
 最悪、明日またみんなで休むか、今日みたいに俺が直接先生に話に行くしかないかな?
 先生は、俺に対して元々から〝変な子〟という認識があるから、どこまで本気で取ってもらえるかわからんし、話したところでどうにかなるとは思えないが……何もしないよりかはマシだろ。
 できるのであれば、なんとか原因を突き止めて、バニングマを元に戻してやりたいけどさ。



「……ま、なるようになれ、だな」
「なのはは、かくごをきめましたっ! お母さんやお父さん、先生に怒られても負けません!」
「おい、ナノハム。その時はちゃんと俺の名前出せよ? まぁ、今日の帰りにちゃんとゴメンナサイしに行くけどさ」
「ええっ!? ほ、ほんだくんがしゅしょーなこと言ってる! もしや、今朝へんなもの食べちゃったりしたの?」
「……よーしいい度胸だコノヤロウ。まずは貴様からスライダーの面白さを叩きこんでやる」
「うにゃぁ!? なんだかよくわからないけれど、私変な地雷を踏んじゃったり!?」
「はーっはっはっは! 喜べナノハム! 貴様は俺達四人組の中で初の犠牲者となるのだー!」
「いやぁあああ! あ、アリサちゃん、すずかちゃん助けてーー!」



 苦笑するすずかちゃんとバニングマが見送る中、本気で涙目になって逃げようとする高町をふん捕まえる。
 そして、借りてきた二人乗り用のチューブの前の席に無理やり座らせると、俺はやめてとめておろしてー!と泣き叫ぶ高町の言葉に耳を貸すことなくその後席に座り、勢いよくスライダーを蹴りだしたのだった。


 







「ふぅ、子供用の癖に、中々やるじゃねぇか……っ」
「ふにゃぁ……めが、めがまわるぅぅうう……」
「楽しかったー♪」
「すごかったねぇ~。私、初めてバイキングに乗っちゃった」



 高町の悲鳴から始まった、我らがサボタージュもとい心の慰安旅行は、実に順調に消化されつつあった。
 とはいっても、小学生三年生が遊べるものと言えば、そんなにあるわけじゃない。
 それでも、チューブスライダーのほとんどが遊べるし、バイキングや水上遊覧型アトラクションだって遊べるのは多い。あ、ちなみに今乗ってきたのがそのバイキングなんだけど、子供専用のちょっと小さいバージョンだった。しかし、トリプルアクセルもかくやと言うべき横回転や、緩急をつけた縦回転の巧みさは、そんじょそこらの遊園地のソレを上回る。しかも、プール型遊楽施設と言う特性を生かし、乗っている最中にあちこちから水がかかることで、まるで本当に船の上で嵐にでもあっているかのような疑似体験ができるのだ。どういう仕組みになっているかは知らんがな。恐るべきは海鳴カリビアンベイの脅威のメカニズムか。
 まぁ、すずかちゃん達の反応を見る限り、結構楽しかったみたいなのでよかよか。
 俺もすずかちゃんの笑顔を見れて幸せです。あぁ、もはやバニングマの村八分事件なんてどうでもよいとすら思えてきてしまう。

 ……あくまで、この楽しい空気故に、という意味でだけどな。帰るときには、明日どうするかしっかり話しあわねぇと。

 ともあれ、ここに到着したのが一四時ちょっと手前で、今時計を見ると既に一六時近い。
 休みなしで二時間もぶっ通しで遊び続けたら、さすがに疲れが出始めた。体を動かすたびにやや気だるさを感じる。いくらガキの体とはいえ、こんだけ水の中ではしゃぎまわれば当然か。
 しかし、まだまだ余裕があるあたりはさすがヤングボデー。これが歳をとるごとに衰えるのだとわかっている分、この一秒一秒がとてもありがたく思えてしまう。
 ともあれ、今は施設内のあちこちに設置されたパラソル付きのデッキチェアに座って休憩中だ。俺はまだいけるんだが、さすがにバニングマとナノハムが疲れたと申告してきたため、とりあえず休憩しようということになったのだ。
 ちなみに、すずかちゃんは全然そんな素振りが見られない。ていうか俺より疲れてなさそうだ。
 授業とかでも普通に男子とタイマン張れるくらい運動が得意なすずかちゃんだが、まさか体力も男子並みとは。しかも勉強も出来て超美少女。なにこのパーフェクツ・ガール。麗し過ぎて鼻血でそう。



「さてっと、どうする? そろそろあがるか? それとも、もうちょいしてから帰る?」
「そうだねぇ。せっかく来たのに、すぐ帰るのはなんだか勿体ないかも」
「でも、あまり遅いと、お姉ちゃん達が心配するし……」



 それもそうだ。というか、小学生がこんなところに遊びにきてる時点で、普通の親御ならば心臓が止まりかねない事態なんだけどさ。
 いまさら夜帰りがどうのとかのレベルじゃないんだが、まぁそれはそれ。一応優等生集団であるすずかちゃんとナノハムにしてみれば、門限は気になるところだろう。バニングマ? ヤツは優等生と言う名の羊の皮をかぶったグレムリンだ。



「あぁ、その点はご心配なく。鮫島が待機していますので、帰りはお送りいたしますよ?」
「さすがアリサちゃん! 細かい気配りは本当にしっかりしてるね~♪」
「いえ、そんな大層なものではありません。私達だけでは危ないですし、一応鮫島には保護者役をしてもらっている意味もあります」
「あ、そうだったんだ。受け付けで何か話してたのは、そのこと?」
「あぁ、俺が頼んどいた。さすがにガキだけでこんなところに来るのは不味いしね」
「むむむ、ほんだくんがなんだかすごく大人っぽいこと言ってるの」
「どーいう意味だコノヤロウ」



 どうやら、バニングマの奴も昨日の調子が出てきたようだ。
 衝撃的過ぎて忘れられない、〝元の世界〟のアリサとは正反対の御淑やかさと上品さを乗せて、さらりとすずかちゃんと高町の懸念を吹き飛ばして見せる。
 なんていうか、こっちのバニングマより全然大人っぽいような……?
 知識や、根本的な性格にあまり違いはないみたいだけど、代わりになんだか精神年齢が異常に高い気がする。へたすりゃ中高生並みだ。
 まぁ元のバニングマもそのぐらいあったのかもしれないが、いつもいつも、飽きもせずに俺とド突き合っていたが故に、周囲からはちょっとオマセな小学生程度にしか認識されていなかったのもあるのかもしれないが。
 そのあたりの温度差も、今回の村八分に関係してるのかも知んないなー……。



「ま、月村さんとナノハムは家に連絡いれときゃいんじゃね? 俺なんかは放任主義だから別に平気だし」
「うにゃ、じゃぁなのははお家に連絡してきます。携帯電話更衣室だから、ちょっと行ってくるね」
「あ、なのは。私もご一緒します。なんだか一人にしておくと迷いそうですし」
「さすが幼馴染。ナノハムを良く知っておる」
「アリサちゃんひどいっ! ていうか、ほんだくんもさりげにひどいこと言ってるの!」
「まぁまぁ。アレでも心配してるのですよ。ほら、行きましょう」
「うー、ほんとかなぁ……?」



 半眼で俺を睨みつけながら、ナノハムはバニングマに手を引かれて更衣室へと向かって行った。
 つーか、昨日今日と、バニングマの俺に対する読心レヴェルがヤバい領域にきてるんだが。思わず図星を突かれて固まってしまった。
 実はテレパシーとか使えるんじゃなかろうか?
 俺とは違って、生きてる時に途中で〝トリップ〟なんてしてるんだ。そのぐらい出来ても不思議じゃない。
 日常生活で支障がないのはそのおかげか?
 腐っても〝トリップ〟なんだし、あっちとこっちじゃ環境が違うだろうに、見たところそれほど齟齬なく暮らせているのだから、絶対にありえないとは言い切れないのが怖すぎる。 
 ……ま、どうでもいっか。あいつがテレパスだろーがサイコメトラーだろーが、とにかくアイツを元に戻さなきゃならないのは変わらないんだし。もしあったとしても、それを有効活用して変な問題から回避してくれるっていうんなら、逆にありがたいってもんだ。
 さっき、売店で買ってきたコーラをちびちびすすりながらそんなことを考える。
 少しでも暇になると益体もない思考をしてしまうのは昔からの癖だ。どうやらこれは死んでも治らないらしい。ぎゃふん。
 周囲を見渡してみれば、平日であるにも関わらず、そこそこ人入りがいいようだった。あちこちから老若男女のはしゃぐ声が絶えず聞こえ、売店を見回してみてもそれなりの人がたむろしている。まぁ、休日とは比べるべくもないんだけどさ。
 しっかし、ホント平和だなぁ……。これですずかちゃんも一緒っていうんだから、不平不満なんてある……はず…………が……「ぁぁああっ!?」



「ど、どうしたの、本田君? 何か忘れ物?」
「い、いいぃ、いやべつにっ! そ、そそ、そーだ! 月村さん、何か飲まなくていいの!?」
「え? ううん、そんなに喉乾いてないから、今はだいじょうぶだけど……」
「そ、そっか、うん、そうだよね。いやぁ、はは――――――すんませんちょっとお待ちを」
「ほ、本田君?」



 ゴロン、とひっくり返って頭を抱える。
 そう、そうだよそうだよバカヤロウっ!?
 ナノハム→更衣室にお電話。
 バニングマ→ナノハムの付き添い。
 そしてここに残っているのは俺とすずかちゃんの二人。二人――――二人っきり!?
 いやいや、まて落ち着くんだ本田時彦推定精神年齢三十ウン歳。この程度でうろたえてしまうとは情けないことしきりだぞ。
 素数を――――いや、むしろ円周率だ。円周率は限りがみつからない無限(仮)の数。その無限は未知の象徴。未知は畏怖と勇気を分け与えてくれる――――かぁあああ!!
 くれねぇよ! むしろ不安と不安と不安をいつもよりBIGチャンス並みに割増しで与えてくれるよ! 有難迷惑だよ!
 あぁあ、やばい、やばいよやばいよ、なんて話しかける? ていうかどうすりゃいいんだこういう時?
 思い出せ。前世でマイラバーをどうやって口説き落としたか、ヤツとこういった甘酸っぱい雰囲気(?)になった時何をしていた――――ねぇよ! あの豪快一升瓶娘とこんな甘酸っぱい雰囲気になんてなったこと一片たりともねぇよ!?
 駄目だ、前世の俺駄目すぎる……っ!
 まさかことここにいたって なんの対処法も思いつかない精神年齢三十ン歳なんて聞いたことねぇぞ!

――――本田時彦、九歳児相手にパニック状態。

 もはや情けないなどと罵倒されるだけでは生易しいまでのヘタレっぷりをさらけ出しているが、そんなこと気にしてなどいられない。
 半年経っても、すずかちゃんと二人っきりになるとテンパるという〝ウブっぷり〟が治らない駄目人間なのは、この際置いておこう。いっそのこと、小学校三年生を相手にここまでうろたえるのは、俺自身がその年にまでランクダウンしているからに違いないと思わなければ正気を保っていられない。 

――――はっ! これがまさか、あの有名な恋!?

 ……いやいや、そんなのはわかりきってる。すずかちゃんにベタボレしちまったのは、既に半年も前のことだ。今さらすぎて検討する余地もねぇ。
 問題は、なんで彼女と二人っきりになると、いっそ弾け飛んでしまうのではないかと言うくらいに心臓が激しく脈打つのか、ということだ。これが解消できない限り、俺は一生すずかちゃんと二人っ気になれない。だって死んでまうもん!
 
 

「本田君、本当に大丈夫? お顔、真っ赤だよ?」
「きにしないでベリーオーケー! ハッピーすぎてもう気分はバラライカだから!」
「えと……大丈夫なら、いいんだけど……?」



 いかん、ハッスルしすぎた。
 ちょっと自重する意味も兼ねて、別の話題を振るとしよう。


 
「あぁあっと――――そうだ! そういえば、月村さんは家に連絡しなくてもいいの?」
「うん、平気。ここに来る前に電話したし、アリサちゃんが送ってくれるのはいつものことだから」
「そっか……」



 そういえば、すずかちゃんの家は、大学生の姉とメイド二人の四人暮らしだと聞いたことがある。
 ご両親がどうしているのかについては聞いていない。下手に藪をつついて蛇を出すのもいやだし、わざわざ尋ねるのもアレだからな。
 メイドが二人もいるのと、彼女の住んでいる家を見て分かるように、すずかちゃんが物凄いお金持ちなのかもしれないとは常々思っていたが、しかし姉がこんなにも放任主義でいいのだろうか。
 仮にもまだ小学校三年生の女の子なのに、まるで心配している素振りを感じられない。まぁ、単に俺がわかっていないだけで、実は物凄いシスコンなのかもしれないけどさ。
 話だけを聞くと、すごく面倒見が良くて機械いじりが好きなねーちゃんという感じがするんだが、はたしてこの予測はどれほど当たっていることやら。
 
――――いや、待てよ?

 ひょっとしてこれはチャンスだったりするのだろうか?
 すずかちゃん帰るの遅い→夜道は危ない→一緒に帰ってあげる→あら、気のきく男の子ね→好感度アップ!?
 ……これだ。これしかないっ。
 あわよくばすずかちゃんの姉に好印象を持ってもらうという〝外堀を埋める〟という一石二鳥な展開もありえるっ!
 二人っきりが耐えられないとか、心臓破裂で珍死とかもはやどうでもいい。そして何よりも、すずかちゃんを危険なことから守るためにもこの考えは賛同されてしかるべきだろう。そう言い聞かせる。
 覚悟を決めろ本田時彦。ここが男としての正念場だぞ。



「あ、あのさ、月村さん」
「うん? なぁに?」
「その、一応バニングマが送ってくれるとは言ってくれてるけど、その……やっぱ女の子だけで帰らせるのはアレだし、あー……アレだ。付き添ってあげても、いいよ?」
「え?」



 ……あぁ、死にたい。
 つい数秒前の自分の首を絞めて鼻に指突っ込んでガクガク揺さぶりながら絞め殺してやりたい。
 なんだってそんな偉そうなのちょっと前の僕様ー!?
 そこはむしろ許可を求めるべきだろ!? どんだけ俺様思考なの貴様! 刺ね! 死ねじゃなくて刺ね!
 せめてもの救いは、十中八九「何言ってんのこのナルシスト?」的な視線を投げかけているであろうすずかちゃんを直視せずに済んでいることであろうか。
 顔を逸らしているために、お互いに向き合うということはなく、しかしすずかちゃんからビシバシと痛い視線が注がれているのが感じられる。あぁ今日はきっと眠れないな。この生涯始まって最悪の汚点を思い返す苦行的な意味で。



「いいの?」
「あはは、そうだよな。車で送ってもらうのにわざわざ俺がついていく理由なんてない―――――ぅへ?」
「えと、送ってくれるんだよね? 本田君がいいなら、お願いしたいな、って思うんだけど……」
「は……え?」



 ちょっと、脳味噌さんが今耳から拾ってきた電気信号とその伝達をサボってしまっていたらしい。ついでにその機能する数秒単位で止めると言う、人生始まって以来の長時間のストライキを決行してくれやがった。
 そのために、今この瞬間すずかちゃんが言った言葉の意味に理解が追いつかず、遅れてあまりにも間抜け極まりない、ただ黙って空気でも吐き出してた方がましだったんじゃないかというくらい間抜けな声が零れてしまう。
 はっはっは、すずかちゃんも冗談がうまいなぁ~☆
 …………………マジ?



「え、いや、だって――――」
「それに、本田君に相談したいこともあるの。あ、もちろん帰りはちゃんと車で送るよ?」
「…………俺が? 月村さん家に? 相談…………っ!?」



 立て続けに起きる予想外の事態に、俺の頭が大決壊。まるで陸に打ち上げられたチョウチンアンコウの如く、だらしなく口をぱくぱくさせて驚くぐらいしか能の無い本田君人形。定価五九八〇円。誰も買わねーよっ!
 ……などという一人突っ込みを始めてしまうほど、俺の頭は大混乱をきたしていた。
 だって、だってお家にご招待だぞ!?
 いくら小学生できゃっきゃうふふな展開が0%でも、好きな子の家にお呼ばれするんだぞ!?
 これで興奮しないで小学生にいつ興奮しろってのさ! 恋愛的な意味で!



「い、行くっ! 是が非でもっ!」
「ありがとう、本田君♪」
「いえっ! むしろ俺の方こそ土下座して感謝する勢いですっ!」



 そして本当にデッキチェアの上から土下座する小学校三年生(精神年齢と同値に非ず)の図。
 軽く引かれている気がするが、この喜びを表すためならばそれもいたしかたない。
 ふふふ……まさかここにきていつかのリベンジマッチがやってこようとはっ!
 靴箱前でバニングマにすずかちゃんの家でのお茶会を勢いで断ってしまって以来、虎視眈々と狙ってきたこの機会! 逃してなるものかっ!
 


「……しかし必至すぎるな、俺」
「うん? どうかしたの?」
「いやや、なんでもないでありんす。てゆーか、バニングマ達遅いね。何してんだあいつら」
「そういえば……」



 既に二十分も経っているのに、一向に帰ってくる気配がない。
 今までの会話でだいぶすずかちゃんと二人っきりでいることに慣れてきたし、いっそこのまま帰ってこなくてもいいくらいなんだが、しかし心配だ。
 さすがに小学生二人を放置しておいたのはまずかったか……?
 仮にもここは遊楽施設。規模もそれなりに大きいし、ここから更衣室までそれなりに距離がある。普通に歩いて往復しても十分はかかる計算だ。
 さすがに平日、しかも海鳴のこれだけの公衆の面前で、紳士の風上にもおけないような行為に及ぶ馬鹿がいるとは思いたくないが――――少し様子を見に行くべきだろうか。



「遅いね、アリサちゃんとなのはちゃん」
「う~ん……ちょっと様子を見に行ってみる? ここからなら一本道だし、すれ違うこともないだろうから」
「でも、もしすれ違っちゃったりしたら大変だよ」
「そりゃそうだ。……ったくぅ、何してんだあいつ――――――!?」



 「あいつら」と言い切る前に、突如として耳をつんざくような悲鳴と、ザパーン!という大量の水が叩きつけられたような音が、人口波プールから聞こえてきた。
 そして、しばらくすると俺達の踝までつかりそうなくらい大量の水が流れ込んでくる。
 フードコートだけでなく、あたり一面がその大量の水で一杯になり、あちこちでばしゃばしゃと水が跳ねる音がした。驚いて足踏みしたり、慌ててのけぞったりする人が散見され、さすがに今の状況が尋常ではないことを悠に物語っている。
 ただ事じゃないのは明白だ。
 機器の故障か?
 いや、にしたって規模が大きすぎる。人工波プールからこのフードコートまで近いとは言え、この量はいくらなんでもありえない。
 最大波高を三,五メートルまで調整できる大型プールでも、これだけの大量の水を、しかもこんなところまでぶちまけるくらいに暴走したら、その前から警報が鳴っていてもおかしくないはずだ。
 慌てて起き上がった俺は、人工波プールの方を睨みつけた。
 ちくしょう。せっかくのいい気分が台無しだぞ。一生に一度あるかないかっていう(実際前世ではなかった)甘酸っぱい雰囲気を中断してくれやがった罪は、マリアナ海溝よりも深いっ!
 ……正直なところ、さっきから嫌な予感がうなじをズルズルなめくじのように這い回っていて、気持ち悪いことこの上ない。そして残念なことに、俺のこういう予感は絶対に外れたことがないんだよな。
 


「……っ」
「じ、事故かな? あ、本田君!?」
「……移動しよう。嫌な予感がする!」



 俺に横に並んで、胸の前で手を合わせながらすずかちゃんが不安を交えながら呟く。
 だが、俺はそんな戸惑いを無視するように、すずかちゃんの手を無理やり手を引っ張ると、近くにあった荷物をまとめて持ちあげた。



「ど、どうしたの本田君!?」
「悲鳴が終わらない! これ、なんかやべーことになってる!」



 後ろですずかちゃんが息を飲む気配がした。
 そりゃそうだろう。いくら同学年の中で大人びているとはいえ、まだ小学校三年生だ。ヤバいこと、と言われて怖気づかない方がおかしい。
 ただまぁ、俺の杞憂という可能性もあるから、ここで余計に怖がらせるのは悪手なのかもしれないけどさ。
 しかし、前世から〝何事も最悪を想定して行動せよ〟をモットーとしてきた身としては、その程度の警戒はまだまだ軽いものと言っていい。
 秘かに心の中では〝テロ〟などという物騒な二文字が、ホームに滑り込む電車を知らせる電光掲示板の如く光り輝いているのだから。



「このまま更衣室に向かおう! あの馬鹿達と合流してさっさと逃げるぞ!」
「う、うん!」



 三十六計逃げるに如かず。
 こんなところで、変な野次馬根性や英雄根性見せるなんてもってのほかだ。
 この場における賢い方法とは二つ。
 〝現状把握〟と〝即時退散〟のみ。
 下手な勇気を出して〝事件現場〟に向かおうものなら、間違いなくよろしくない結果が待ち受けている。そう、俺の〝最後の記憶〟のように。
 ばしゃばしゃと、水たまりもかくやというくらいに浸水している地面を蹴りつけながら、俺とすずかちゃんはカリビアンベイの更衣室へと向かって駆けだした。
 足を止めずに周囲を見渡すと、どうやらまだ事態が飲み込めていない人間達が大半らしい。警報もなっていないし、なんの放送もないことからこれはどう見ても〝突発的事故/アクシデント〟だ。
 確認しに行くのは、何度も言うが愚策極まりない。
 何よりも、俺一人ならまだしも、今はすずかちゃんがいるんだ。しかも、今日は俺が勝手にこんなところに連れてきている手前、下手に危険な目には合わせられない。
 ……よーは、怖気づいたわけですよ。恋するラブチキンハートな俺としては、一刻も早く逃げたい気分だね。
 しかし、どうやら神様はそうそう簡単に俺を逃がしてくれるつもりはないらしい。
 確かに、このすずかちゃんと手を繋ぐという幸せな時間が続くのはありがたいが、しかしその代償として嬉しくもないスリルをプレゼントされるなんざ、有難迷惑以外の何物でもないんだけどな……!



「本田君……あれっ!」
「……はは――――冗談きついぞ、おい!」



 フードコートを抜け、先程乗ったバイキングのそばを通って更衣室に向かう道すがら。
 その左前方に見えた光景に、俺は走りながら絶句した。
 ここの人工波プールっていうのはかなりでかい。五〇×四〇メートルというドでかいプールに、最大水深十二メートル。最大波高三,五メートルという、国内でも最大規模と言われている、この海鳴カリビアンベイの名物だ。
 ならばこそ、そこにある〝水量〟はとてつもない。
 何せ普通の50メートルプール以上の大きさに、絶えず水を供給するバルブ付き。もし排水構造無しにずっと水を補給し続けたら、容易に今の状況が作り出せるだろう。
 ――――ああそうさ。俺だって最初はそれを疑った。排水機構が故障して、おまけにバルブがだらしなく栓を開きっぱなしにしたんじゃないかってな!
 だが、違う。そんなの、〝ソレ〟を見れば一発で理解できる。
 屹立する二本足。
 その上に乗っかるのは、まるでシャボン玉のように綺麗な水の球体。
 中央には軽い窪みがあり、さらに胴体である水球の左右から二つの腕が伸びている。
 頭も、口も、眼も鼻もないというのに、俺はそれをきちんと〝人型〟と認識できた。いや、俺だけじゃなく、その場にいた全員がそう認識できただろう。
 一言でそいつを形容するなら――――〝ブルーデビル〟
 ……そこ、パクリとか言わない。滅茶苦茶ギリギリなのは承知でござい。
 そんなどこぞの岩あるいはメガな男の世界から飛び出してきたような〝異形〟の姿を見た俺とすずかちゃんは、思わずお互いに足を止めて、そのあんまりにもあんまりな非常識さに呆然とするしかなかった。



「水の――――――お化け?」「なんぞこれぇええええええ!!?!」


 




















―――――
プールイベント消化。
しかしアリサはそのまんま。どうしよう☆

1003041628:Ver,1.01修正 誤字やらなにやら。



[15556] プールと意地と人外
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:37
 突然だが、話を聞いてほしい。俺のトラウマの一つについてだ。
 ACTというゲームのジャンルがある。
 Action(アクション)の頭文字からとられたそれは、文字通りプレイヤーが〝行動/アクション〟することを主体として作られたゲームであり、それは2Dであったり3Dであったり、時代を経るごとに模索を繰り返し、進化を遂げ、そしてその〝作品〟に最もふさわしい形に落ち着く。
 ちなみにマイフェイバリットは〝ガイ○レイブ〟という横スクロール型3DACTだ。
 自機はポリゴンなのに、アクション自体は横スクロールで行うと言う変わり種の作品で、いわゆる〝偉大なる戦い〟や〝最後の戦い〟と言った古典ゲームの流れをくむ、ドマイナーもいいところのワゴンゲームだった。
 個人的にはすごく好きな作品だし、ワゴンで投げ売りされている姿を見た時は思わずほろりとしたものだが、ともあれそのACTというジャンルにおいて、世界で最も有名な作品のうちの一つに〝岩の男〟あるいは〝メガの男〟という作品がある。
 これまた横スクロール型のアクションゲームなんだが、シンプルな操作性ながらステージの凝り具合とボスのユニークさ、そして地味に奥深いゲーム性が売りな超有名シリーズである。
 話の本題は、その作品に出てくる、〝黄色い悪魔〟というボスについてだ。
 文字通りの黄色い体に二本の腕、二本の足、そして首の無い丸い胴体の中央に一つの目玉という、子供でもかけそうなくらい手抜きそのものなボスなんだが、俺はこいつを倒すのに滅茶苦茶苦労した。
 えぇそりゃもう最終的にはセレクト連打でもしない限りクリアできなかったくらいに。単に俺が下手? ほっとけ。
 飛んでくる肉片。ワンパターン極まりないのに避けられない理不尽さ。そしてなによりも、負け続けたことによる潜在的苦手意識。
 以来、俺はそのボスと似た容姿をしたモノに激しい苦手意識を覚え、同時に絶対に敵いっこない、という強迫的なまでのネガティブペナルティを背負うことになってしまったのである。
 そういうわけで――――だ。



「オレ、オワタ」



 目の前の〝異常事態〟を見上げながら、俺は茫然と呟いた。
 前世のトラウマをリペイントして空想具現化した、という表現が実にしっくりくるその造形。
 あぁ、思い返すだけでも嫌になる。スライディングというアクションがなく、ただジャンプだけしか回避手段が存在しない、あの鬼のような難易度。
 一体何度ティウンティウンを見たか考えるだけで嫌になる。
 そんなか弱い小学生のトラウマを抉りだすような、しかしどこか愛嬌のある造形が、非現実よろしく〝海鳴カリビアンベイ〟の人工波プール中央で屹立していた。





                           俺はすずかちゃんが好きだ!





 ついぞ十分前に突如と発生した〝事故/アクシデント〟は、こいつの仕業だったことが容易にわかる。
 屹立している足元――――つまり、人工波プールに満たされていたであろう水は、そのほとんどがなくなっていた。
 さすがにその全てを周囲にぶちまけたとは思えないが、それでも相当の量がここからぶちまけられたに違いない。
 プールの中身は既に空といっていいくらいだ。並々と満たされているはずの温水は、いまやあの化け物の体となって存在している。
 それがいったいどういう原理で、どういう意図と現象によって引き起こされたのかなんて、興味はあるものの今はどうでもいい。重要なのはただ一つ。



「――――逃げるよ!!」
「きゃっ、本田君!?」



 突然腕を引っ張って走り出したせいで、強くすずかちゃんの手を引っ張ることになった。
 痛みに顔をしかめているのが見えたが、謝る余裕なんて俺にはない。
 そもそも、〝アイツ〟が俺のトラウマをバリ三で刺激していることに加えて、さっきからこの怖気を振りまく嫌な予感が止まってくれないんだ。
 このままここにいたら、間違いなく〝前世の今際の際〟と似たような展開になるに違いない。
 そう考える暇もなく、俺はすずかちゃんの手を引いて、バニングマとナノハムがいるであろう更衣室へと向かう。
 だが――――その程度でこの〝事件〟を乗り切れるなんて、あるわけがない。
 もしその程度で逃げられる〝危険〟ならば、こんなにもうなじがジリジリと気持ち悪いはずが、ないんだ。



――――バシャァ!



 再び鼓膜を震わせる、大量の水がぶちまけられる音。そして耳をつんざくような悲鳴が脈絡もなく途切れる不自然さ。
 慌てて振り返ると、突然の異常事態という誘蛾灯に誘われて集まってきた人達が、〝バケモノ〟のぶちまけた水流に巻き込まれたところだった。
 まるで、無造作に置かれた蝋燭を水で流しだすような光景に、俺はある種の滑稽さを覚えた。
 だってアレだぜ? 
 あの化け物、あろうことかどこぞの勇気だけが友達のパンヒーローみたいに、自分の体の一部を引きちぎって投げつけたんだぜ?
 著作権どうなってるんだバカヤロウって叫んでいいなら叫んでるくらいだ。
 これがシュールでないなら、何がシュールなんだ。
 しかし、確かに見た目は笑えるが、これがそう笑ってもいられないくらいに洒落にならない。
 例えば、だ。
 市販されているポリエチレン製ゴミ袋45リットルに水を一杯にため込んだとしよう。
 それをマンションでも何でもいい。大体三階くらいの高さから下に向かって放り投げたとしたら、はたしてどれぐらいの威力があると思う?
 少なくとも、その真下に人がいた場合、容易にその人を押し潰してしまうほどの威力があるのは確かだ。実は〝前世〟でゴミ袋一杯に水をためて、五階だか六階だかから下に放り投げるという悪戯があった。
 幸い怪我人こそいなかったものの、地面に激突したポリ袋は、まるで紙風船のように破裂し、中につまっていた大量の水を半径十数メートルにわたってまき散らした動画があった。
 そして今、全長8~10メートルはありそうなあの水の化け物は、今話したポリ袋と同じくらいの大きさの水塊を、やたらめったらぽいぽいと投げまくっている。
 回りくどく言ってしまったが――――ようは、あんなもんが直撃したら、ただじゃすまないってことだ!
 


「うわっ!?」「きゃぁ!」



 引きつる苦笑いを湛えながら、死に物狂いでその場を離脱しようとするも、気付いた時には既に遅い。
 まだ混乱の収まらないすずかちゃんを連れ、人工波プールを遠回りするルートを行く俺達の進路上に、さながら中世の投石機による攻撃の如く、巨大な水塊が叩きつけられる。
 おそらくは無作為に、それも延々補給される水をいいことに遠慮無用と投げ飛ばしているのだろう。
 突如として地上で発生した小規模な津波は、幼い俺達の体をサメが獲物を食らうように飲み込んだ。
 高度十数メートルから叩きつけられた水流の運動エネルギーは洒落にならない。無論、小学生の俺たちなんて突風の前の自転車の如く、抵抗することもできずになぎ倒される。
 それでも、咄嗟にすずかちゃんをかばったのは褒められてもいいと思う。



「げほっ、げほっ……っつ~、運わりぃなクソっ」
「ぅ……」
「す、すずかちゃん大丈―――!?」



 おもいっきり尻餅をつく形になってしまったため、床にぶつけた尾てい骨がジンジンする。
 水だか涙だかわからない滴をぬぐって、慌てて隣のすずかちゃんを見て――――世界が凍った。



――――……え?



 気が動転した、ですまされる衝撃ではない。
 一刻を争う状況であるにもかかわらず、俺はその瞬間呼吸することすら忘れてその場で硬直する。
 水に濡れた艶やかな黒髪がその頬にかかり、瑪瑙のように綺麗な瞳は、今はその瞼の奥に隠されている。
 それまで俺の手を握りしめていた指からは力が失われ、ぐったりと四肢を投げ出すその姿は、まるで糸の切れた人形のようだった。

――――嘘だろ、おい。

 一瞬、世界から色が失われる。何もかもが凍りつき、今この瞬間に俺の人生の全てが詰まっているかのような、息苦しいまでの緊張。
 それが見苦しい、いや、おおげさな反応だと言うのであれば逆に問おう。
 もし、健全な男にとっては辛抱たまらんあれやこれやを数年かけて収集した1TBのHDDが、親の八つ当たりで物理的かつ徹底的に破壊された時、はたして冷静でいられる野郎がいるのか?
 しかも、そこには明日提出予定の卒論が丸々入っていて、迂闊なことに、印刷しておいた修正前の原稿はついさっきシュレッダーにかけてしまった。これで時が止まらないというのであれば、そいつは人間をやめている。
 今まさに、俺はそんな心境だった。
 何よりも大切で、何よりも尊くて、この世界に生まれて初めて惚れた――――自分の命よりも大事な女の子が、気絶している。



「――――~っ! マテ、マテ落ち着け俺」



 反射的に意識の無いすずかちゃんにしがみ付きそうになるのを慌ててこらえ、奥歯を噛みしめながらその場に手をつく。
 真っ赤な感情の激流に飲み込まれかけたにしては、実に上出来な反応と言えるだろう。
 もし今の状況が〝前世〟であったなら、こうも理性的な行動はできなかったはずだ。
 


「……思い出せ。やっちゃいけないことは頭を揺らすこと。手順。思い出せ覚えてるだろそんくらい、そうあれだあー……意識確認脈拍気道人工呼吸よし覚えてるっ!」

 

 そして、無意識のうちに、ほとんど単語だけを並べたような呟きを洩らしながら、俺は恐る恐るすずかちゃんの顔の横――――正確には口元へと耳を近付けた。
 大丈夫。前世の記憶が大分色あせ始めているとはいえ、まだまだそういう雑学は覚えている。多少間違っているかもしれないが、大事なのは四つ。
 決して頭を揺らさない。意識の確認。呼吸の確認、そして出血の有無。
 ぶるぶる震える手を伸ばして、まるでビスクドールのように白い肩を軽く叩き、俺はすずかちゃんへと呼びかける。



「すずかちゃん? すずかちゃん、大丈夫か?」
「…………」
「っ―――すずかちゃん! 起きて、すずかちゃん!!」
「………………」



 しかし、思わず喉を鳴らしてしまうほどに可愛らしい睫毛は、しっとりと濡れたまま弱々しく震えることもなく、周囲には逃げ惑う人々の悲鳴と俺の情けない叫び声だけが響く。
 すずかちゃんの意識が覚醒する様子は、微塵もない。
 ここにきて、まるで吐き気のように焦りばかりが喉元からせり上がってくる。併せて動悸が激しくなり、知らずと呼吸が荒れ始めた。


 
「……大丈夫。だいじょうぶだから、気絶だ。気絶してるだけ――――あぁうるせぇ心臓だなバカヤロウ!!」



 その場ですずかちゃんに飛びついて抱き起したい。今にもすずかちゃんの名前を叫びだしたい。肩をおもいっきり揺さぶって無理やり起こしたい。
 そんな衝動を抑え、荒く高ぶる心臓を必死になだめすかす。
 耳に響く自分の呼吸が煩い。最悪の想像ばかりが脳裏をかすめ、慌ててそのクソッタレなイメージを頭を振って叩きだす。
 意識がないのは確認した。呼吸はしているし、出血はない。大丈夫、命に別条はない。だから、そんなふざけた、冗談にもなりゃしないイメージなんかするんじゃねぇ。
 


「……ヤロウ、覚えてやがれ」



 ぐったりしているすずかちゃんを、頭を揺らさないよう慎重に背負いながら、俺は向こうに見える青い悪魔を睨みつける。
 沸々と、いい感じに煮え滾っている腸を意識しながら、同時にあのサノバビッチになんの仕返しもできない無力さに、どうしようもないやるせなさを覚える。
 ……今この瞬間、この世界に生まれて初めて、俺は世界の神様とやらを恨めしく思った。
 こっちの都合もお構いなしに、こんな〝転生〟なんて奇妙奇天烈な境遇にぶち込んでくれやがった癖に、某RPGのような〝強くてニューゲーム〟みたいな特典を何もつけてくれなかったのは、一体どういう了見なのだろうか。せめて某音声魔術師みたいな必殺技みたいな、好きな女の子を守れる程度の何かをくれたってよかっただろうが。



「あぁくそ、天国行ったらクレームたんまりぶちまけてやるからな畜生!」



 しかし、そんなものは所詮はお伽噺――――フィクションでの妄想だ。今俺がここにこうして生きている現実世界において、そんなことありえるはずがないのは、重々承知している。〝前世〟だったらまだありえないとも言い切れないんだけどさ。
 ともあれ、そんな愚痴を垂れ流しながらも、気絶したすずかちゃんを背負った俺は、えっちらおっちらと緊急避難口ではなく、更衣室の方へと再び向かい始める。
 恐らく、ナノハムとバニングマもそこにいるだろうし、この騒ぎだ。わざわざ安全なところから危険地帯にくるはずが――――ありえる。ありえてしまうっ!
 体が正義感でできてるような馬鹿娘の気質を失念していた自分に、激しい失望を覚えざるを得ない。
 そうだよ、あの二人は、赤の他人がこけているのを見て積極的に助けに行くようなお人よしじゃないか。そんなやつらが、こんな状況でのんびりしているはずがない。
 
―――あぁもう……あとからあとから面倒なことになりやがるっ!

 やはり、学校サボってすずかちゃんの水着姿に見惚れていたのがまずかったのだろうか?
 いや、そんなはずはない。
 すずかちゃんの水着姿は言うなれば芸術。人類が求めてやまない究極の美の答えがそこには間違いなく存在し、俺はその美の一端を垣間見るという、名誉極まりない芸術活動をしていただけだ。ていうか神様だって「憎まず恋して愛に励め」みたいなこと言って推奨してるじゃねぇか。
 曲解?
 違うね、真理だ。
 そう、つまり好きな子の綺麗な姿を見てにやにやするのだって、立派な人間の仕事なんだよ! 小学生だろうが大人だろうが、くだらねぇつまらねぇおもしろくねぇ勉強してるよか、そっちにいそしんでた方がよっぽど健全ってもんだろうが!!
 


「それを邪魔してくれやがったあのブルーデビルは地獄に落ちてもいい。つーか、落ちろっ!」



 俺のすずかちゃんが怪我でもしてみろ。お百度参りじゃすまねぇくらい重い呪いふっかけてやる。
 どす黒い復讐心に身が焦げるのにも構わず、俺は既に頭の中で数十回ほどあのビチグソをブッ殺しながら歩を進める。
 相変わらず、あの化け物は無差別に水爆弾を投げつけているらしく、そこかしこから水が破裂する音と、その被害に遭った客達の悲鳴は止む様子がなかった。
 なんてはた迷惑なやつか、と振り向いてみると、あろうことかバケモノは移動を始めてしまっている。
 もしかして、無差別爆撃をしたのは単純に自分の活動範囲を広げるためか?
 にしたって、やり方が乱暴すぎる。もっとスマートな方法はなかったのかと小一時間問い詰めたいが……人間の言葉、理解できそうにないよなぁ、アレ。
 どちらにせよ、ここまで被害を拡大させた以上、友好的な関係にはなれそうにもない。今の俺に出来ることは、この御姫様を迅速かつ安全にここから連れ出すことだ。
 そう意思を固めたところへ、左前方に水爆弾がさく裂した。文字どおりに水を差された、という状況だ。
 今度はさっきみたいに無様な結果にはならなかったが、しかし不意打ちと変わらないその一撃に、ただでさえ不安定だった足をとられ、ぐらりと体勢が崩れてしまう。
 
 

「くっ……んなろぉ!」



 すずかちゃんを背負ったまま倒れるなんて、紳士の名折れもいいところ。男は気張って耐えるのが仕事!
 慌てて重心をずらし、片足で体重を支えながらバランスを取る。



「あっぶねぇ……クソ、モタモタしてる場合じゃないってのに」



 やはり、小学生の体で女の子一人をおんぶするのは結構しんどい。
 この歳だと、男女でも体重にそう大きな差はないものの、そもそも筋力からして青年の頃とは段違いに違う。むしろ、この歳で同学年の子供を軽々とおんぶして軽快に動けるとしたら、そいつは間違いなく〝異常〟だ。
 もちろん、俺はそんな〝異常〟な範疇からはずれた常識人であるため、好きな子一人担ぐだけでもひいこら言うような軟弱者だ。情けねぇことこのうえねぇな畜生。
 


「あと、ちょっと……っ!」



 残り50メートルといったところか。
 入場口のアーチがすぐ近くに見え、そろそろこの独り言も終わりが見えてきた。
 気を引き締め、あと少しの距離を少しでも縮めようと速足になった時だった。
 


「時彦君!!」
「――――バニングマ!?」



 アーチの向こうから、見慣れた金髪を振り乱して駆けよってくる少女が一人。
 言うまでもなく、バニングマだ。
 全力でこちらに向かってくるバニングマは、俺の姿を見るなり全速力で駆けよってくる。
 さすがは学年トップクラスの俊足。多少の息切れはあったものの、俺の元まで来るのに十秒もかからないという、男の俺ですら感嘆するくらいの速さだった。
 
 

「御無事ですか!?」
「気絶してるだけだ。でも、早く病院に連れて行った方がいい。強く頭を打ったかもしれない」
「すずかはもちろんですけれど、時彦君にも聞いているんです!」
「いーんだよ俺は! ほれ荷物持て! もたもたしてる暇はないんだ!」



 目をむくように口早に告げてくるバニングマの口元へ、それまで首にかけていた荷物類を押しつける。
 もがもがとなんか言っているが、今はそんなこと気にしてなんていられなかった。
 それよりも、本来いるはずの人間がいないことに気付く。
 バニングマがここに来た以上、もう一人の金魚のフンが居ないとおかしいんだが……姿が見えん。
  


「おい、バニングマ。ナノハムの馬鹿はどうした」
「それが――――きゃっ!?」
「うぉお!?」



 バニングマが口を開こうとした矢先、目前にまで迫っていたアーチが砕け散った。
 原因は言うまでもないだろうが、ちょーっとばかし今回はケースが違う。
 あの化け物のせいであるのは言うまでもないんだが、今回の〝弾〟は水の塊じゃない。そこらへんにあったアトラクションの看板の一部だ。
 更衣室の入り口にしつらえてあるアーチに、看板の一部が盛大に直撃している。そのせいで、入口のドアまでひしゃげてしまったらしく、ついでに周辺の構築物まで巻き込んでかなり酷い有様だった。
 今度ばかりは、本当に俺達の悪運の良さに感激するほかない。万一にも直撃していたらなんて――――うぅ、想像したくもねぇ。



「入口が……!」
「と、時彦君! なな、なんですかあのお化け!?」
「やかましい! それよか入口ふさがっちまった! 別ルート探さないと!」
「それよりも! あのお化け! どういうことなのか詳しくせつめ――――って、こっちに向かってきてますよ!?」
「後から後から問題ばっかりだなおい!?」



 バニングマの、予想外な冷静さが頼もしい半面、おかげで目をそらしたい現実に気付いてしまいました。
 うすうすそんな気はしてたんだよ。 
 やたらと俺の進路上に水の塊がさく裂するわ、まるで狙い澄ましたかのように俺達に向かって塊が吹っ飛んでくるわ、極めつけに入口のピンポイント破壊だ。ここまでやられたら、さすがに認めざるを得ない。
 ――――あの野郎、俺とすずかちゃん、あるいはどちらかを狙ってやがる!



「一体何をしでかしたんですか時彦君!」
「なんもしてません! ていうかなんだそれ、まるで俺が悪いことしたの前提みてーじゃねぇか! 本田君は事件があったら真っ先に容疑者確定の呪いでもかかってやがるんですかガール!?」
「日ごろの行いの所為です!」
「この健康優良不良生徒を捕まえて何言ってやがる! サボりは立派な課外学習だ!」
「なんですかその屁理屈は!」
「えぇい、それよりも口論は後だ! バニングマ、非常口はどこだ!?」
「初めて来たのに、そんなの知るわけないで――――っ!?」
「伏せろ!!」



 バニングマが何かを叫ぼうとしているのをさえぎって、俺はバニングマの頭を押さえながらしゃがみこむ。
 その頭上を飛んで行くのは、またしても施設の残骸。今度はデッキチェアだった。



「くそっ……おいバニングマ、先に逃げろ! アイツの狙いが俺かすず――――月村さんなのは分かってるんだ。巻き込まれないうちにナノハム見つけてとっとと警察でも何でも呼んで来い! いっそのこと自衛隊呼んできて、対戦車ライフルでもぶちかましてやれっ!」
「無茶をおっしゃらないでください! そもそも、貴方達を置いてなんて……っ」
「やかましい! 俺が死ぬのはどうでもいいが、お前らだけは絶対に守るのが俺のケジメなんだよ!」
「あっ―――!」



 言い終わらないうちに、俺はバニングマの手を引っ張って走り出した。
 わざわざあの青瓢箪のために的になってやる義理はないし、狙われている以上、その場にとどまるのは危険だ。
 


「いいか、そもそもお前じゃ月村さんを背負って走れないんだ。お前一人で行動してもらった方が効率がいいんだよ!」
「ですから、それでは時彦君が……!」



 再度、背後の方で施設が壊れる音が響き渡る。
 金属がへし折れ、綺麗に整備されていた噴水がぶち壊れ、砕かれた破片の一部が背中に当たる。
 着実に背後に迫っている死の予感に、さしもの俺も寒気が止まらなかった。俺でさえそんな恐怖を覚えているのに、バニングマはどれだけ怖いことだろう。
 すずかちゃんの身の安全は確かに大事だが、そのためにこいつを連れまわすのは本末転倒だ。



「――――俺を信じろ!」
「……時彦君」
「絶対に月村さんは守り通す!」
「っ……もう、知りませんからね! 帰ってきたらおしおきですよ、馬鹿っ!」
「やなこった! ナノハムも任せたぞ!」
「言われるまでもありませんっ!!」



 こういうとき、頭の回転の速いヤツを友人に持っていると、本当に助かるってものだ。
 バニングマの奴も、現状狙われているのが確定している俺達と一緒に逃げ回るよりも、離れてナノハムを探すほうが合理的と気付いたのだろう。
 無論、それは俺も探すという〝二手に分かれる〟という連係プレーを意味している。
 すずかちゃんをどこかに放っておいてそんなことをするわけにもいかないし、かといって三人で動けば、バニングマにいらない危険が降りかかることになる。
 それだったら、多少機動力が落ちて、すずかちゃんと俺を囮にすることになっても、機動力のあるバニングマが一人で動いた方が圧倒的に効率がいいんだ。
 幸い、俺がどこにいるかという目印にはあのブルーデビルを使えばいい。
 アイツが俺達を狙っているというのなら、どんな手段を用いているにしろ、俺達をずっとおいかけてくるはず。ということは、必然と俺達もその近くにいる、というわけだ。
 バニングマならばそこまで理解してくれているはずだし、してもらってなきゃ、こんな無謀なこと頼めやしない。
 


「とはいったものの……どうしたものかね」



 施設の被害をなるべく抑えながら、しかし自分達の安全を確保しつつ逃げ回る、というのは小学生には無理無茶無謀の3M――――まさにドMなミッションとしか言いようがない。
 しかし、できなければ間違いなくBADENDルートで反省道場に直行すること間違いなし。俺的には天国に行って神様にクレームを叩きつけたいので、そのルートばかりは謹んで辞退申し上げたい。
 ……そうなると、だ。
 屋内にいる限り、あの野郎からは逃げられない。裏を返せば、屋外に出れば少しは逃げられる可能性がある〝かもしれない〟ということだ。
 ここで悩むのは、はたしてその賭けに乗るべきか否か。
 


「――――そんなもん、論外だろ」



 息を切らせながら、俺は近くの流水プールを横切り、さらに通路を洞窟と崖のように模したレイジーキャニオンエリアへと向かった。
 屋外に出たところで、むしろ被害が拡大する一方だ。
 だったら、いっそ屋内をこそこそ逃げ回ったほうが遥かにマシだろう。隠れる場所も屋外に比べればはるかに多い。
 特に、流水プールを内部に引いてその上に通路を張り巡らしたそこは、身を隠すにはうってつけだ。
 今のところ、あのブルーデビルの攻撃方法も水爆弾と施設のモノを投げつけるという二通りのみのようだし、掴めるものが少ないここならば、かなり時間を稼げるだろう。
 その間にすずかちゃんが起きてくれれば一番いいんだけど……っ。
 エリア内に入ると同時に、屋内の建物二階へと繋がっている、崖のように設計された橋の下に隠れ、息をひそめる。
 ズシン、ではなくベシャァ!という、一歩ごとに水をぶちまけるような足音が、腹の底まで響いてくる。どうやら、ヤツが俺達を狙っているのは間違いないらしい。
 理由なんて知らん。それよりも、重要なのは俺とすずかちゃん、どっちを狙っているのか、だ。
 


「どうしようかね、ホント」



 すずかちゃんをここにおいて、ヤツの気を引いてみるか?
 いや、それこそ駄目だ。ヤツがすずかちゃんを狙っている可能性を捨てきれない以上、意識の無いすずかちゃんを一人にするのはまずい。
 そう逡巡する間にも、時間は無常に流れていく。
 それはつまり、刻々とヤツが俺達との距離を縮めているということでもあり、忌々しいことにあのビチグソ野郎はなんらかの手段で俺達の場所を正確に把握していると見れる。
 まっすぐ、俺達が隠れている場所に向かって近づいてきているんだから、その推測は間違っていないだろう。問題は、どうやって俺達を補足しているかだが――――あんな非常識極まりない相手にそんなこと考えても益の無いことだ。
 そうして、俺がぐるぐると堂々巡りのような思考の袋小路に陥っていると、ふとそれまで腹の底を響かせていた不気味な音が止んでいることに気付いた。
 


「足音が……止んだ?」


 
 俺達を見失ったのか……それとも、誘っているのか。
 どちらにしても、移動するなら今がチャンス……だろうか。
 あるいはこの場にとどまっていてもいいかもしれないが――――ヤツの攻撃で万が一にもここが崩れる図を想像した時には、既に体が勝手に動いた後だった。
 音をたてないように――気休めにしかならないだろうけど――すずかちゃんを抱え、恐る恐る通路を見回してみる。
 


「……ふぅ、いないみたいだな。それじゃ今のうちに――――≪ベシャァ≫―――へ?」



 安心したのもつかの間。まるでその瞬間を見計らったかのように、ちょうど俺の右後方からにゅっ、と青く透き通った体をした何かが現れた。
 まるで、透明なサッカーボールに手足が生えたような不格好。俺の胴はありそうな太い指。動くたびに揺れ動く水の体表。
 ぎょろりと動く胴体中央の瞳が、不思議な光を湛えて周囲を睥睨している。
 仮称〝ブルーデビル〟と俺が名付けたそのバケモノは、今まさしく俺とすずかちゃんを補足し、じーっと、見ようによっては円らとも言えなくもない瞳でこちらを見つめている。



―――うむ。



 意中のあの子を狙う間男と遭遇した場合、男ならばするべきことは一つ。
 まずは右手の拳を突き出しまして。
 中指を思いっきり伸ばして天を突く。
 さぁ対象を呪い殺さんばかりにメンチを切って~……せーの!
 


「何見てんねや。いてこますぞワレ!?」



 ―――――く……屈辱っ!!
 首(?)を傾げられた! 傾げられたっ!!
 渾身のガン付けを、まるで〝何してるの、君?〟みたいな感じに馬鹿にされた気がして、顔が真っ赤になるのがわかる。
 そもそも、こんな図体のでかいヤツにガン付けようが、それこそ象に対して蟻が威嚇するくらい無駄極まりない行為なのは重々承知だ。
 そんなことしてるくらいなら、さっさと逃げろと言われかねない暴挙である。事実、俺は次の瞬間に後悔をしていた。



「うぉおおおお!!」



 まさに火事場の馬鹿力。筋肉が悲鳴を上げるのにも構わず、俺はその場から全力で走り出す。
 化け物がこちらに向かって、のそりと右手を動かすのを見てから走り出すまで、僅か0コンマ数秒。まさに神速のインパルスとでもいうべき反射速度だった。
 気分としては、前世でやり込んだ某ハンティングACTで、竜の卵を運んでいたらその親御さんに見つかった時の心境。実際、走り方もそれに近いものになっていたし。
 


――――ズドムッ!



 腹に響くような衝撃音と、同時に揺れる大地。
 間一髪、迫りくる魔の手から逃れられたものの、狙いが外れたことによって俺の代わりにブッ叩かれた地面を通し、震度3~4に匹敵する震動に襲われる。
 「あ!」という短い声と共に、気がつけば体のバランスが崩れて左肩から地面へと倒れ込むところだった。
 咄嗟に体を捻り、抱えていたすずかちゃんをぎゅっと抱きしめる。
 こんなアホなことで怪我なんてさせようものなら、バニングマだけでなくすずかちゃんの御家族から私刑ものだ。それでなくとも、俺自身がそれを許さない!



「がっ……は!」



 左肩から入って背中で倒れた瞬間、その衝撃が心臓と肺を圧迫する。
 目尻に無意識に涙が溜まり、想像以上の衝撃に呼吸が止まる。
 しっかりと抱きしめていたすずかちゃんは、運よく俺が緩衝材となって怪我ひとつない。涙でじゃっかん歪む視界の中にそれが確認できて、俺は心の中で安堵のため息をつく。
 ……だが、まだ窮地を脱したわけではない。
 むしろ、転んでしまったことで状況はさらに悪くなっていた。
 ようやく衝撃から回復した肺が、一杯に空気を吸い込んで大きく深呼吸を始めた時には、すでに水でできたバケモノが俺達を外した手を引きもどし、今度は反対の方の腕を伸ばしてきていた。
 ごぽごぽと、その腕の中に水泡を生みながらこちらに迫ってくる巨大な腕は、俺の体の底から言葉にできない恐怖心を嫌が応にも引きずり出す。
 ようやく吸い込んだ空気を吐き出せすこともできずに、俺はその恐怖から顔を引きつらせながら、情けないことに怯えるしかできなかった。
 ただ、視界の全てを覆いながら俺達を押し潰そうと迫ってくる腕から目をそらさず、睨みつけることしかできない。
 ぎゅっと、この手に抱える何よりも大切な少女を抱きしめて、無力極まりない自分を呪う。
 こんなところで――――また、好きな子を守れないで死ぬのか?
 前世で味わった、筆舌に尽くしがたい黒い何かが、視界の端から流しこまれていく。
 世界から色が失われ、時が失われ、ただすぐそこに迫る運命に抗うこともできない絶望に、怒りがこみ上げる。
 あぁくそ。絶対にクレーム叩きつけてやる。叩きつけて、ついでに一発ブン殴りでもしなきゃ気が収まらねぇ。
 あと数秒まで迫る腕。決意を固め、覚悟を決め、数秒後に訪れる運命を呪った―――――その時だった。



「奥義之肆―――――雷徹!」


 
 突如として耳に音が蘇る。
 低く、雷鳴が轟くような澄んだ声が響き、同時に目前に迫っていた腕が〝弾け飛んで〟いた。
 


「……へ?」


 
 あまりにもあんまりな超展開に、脳の処理速度が追いつかない。
 突如として巨大な腕が形を崩し、目の前で破裂、四散する光景を見て、誰がこの瞬間何が起こったかを理解できるというのだろう。
 そもそも破裂って……グレネードか!?
 咄嗟に思い浮かぶのは、警察か軍隊によって炸裂弾が打ち込まれた可能性だった。
 特にかのソ連が生みだした携帯型対戦車兵器/RPG‐7みたいなものであれば、今の現象にも説明がつく。 
 しかし、そんな俺の予想は意外な形で無理やり中断させられることになった。
 呆けている俺と、俺が抱きしめたままだったすずかちゃんごと、まるで掻っ攫われるように抱きかかえられる。そのまま体が引っ張られると共に、気がつくと俺とすずかちゃんは、突如として割り込んできたもう一人の第三者にその場から連れ去られていた。



「危なかったね。大丈夫?」
「……え、と……へ?」



 着地と共に声が掛けられた時には、俺とすずかちゃんは両脇に抱きかかえられたまま、さっきいた場所から数十メートルも離れた場所に移動していた。
 なにがなにやらさっぱりという、まさに混乱ここに極まるという状況の中、声がした方へと顔を挙げると――――大人なすずかちゃんがいた。



「ほんとに間一髪、だったね。ダメじゃない、あんな無茶しちゃ」
「あの――――月村さん?」
「あら、私のこと知ってるの? 初対面だと思ったんだけど」



 出る所はでて、引っ込むところは引っ込んだモデル体形に、腰まで伸びた、夜の闇のような黒い髪。
 すっきりと通った鼻梁と、すずかちゃんよりやや鋭い眦。しかし、その瑪瑙のような綺麗な瞳はすずかちゃんとそっくりで、そこに至ってようやく彼女がすずかちゃんの肉親ではないか、という推論に達した。
 確かに、ぱっと見はすずかちゃんと瓜二つだが、よくよく見ればすずかちゃんと〝似ている〟程度のものだ。
 しかし、裏を返せば、この人が将来のすずかちゃん像と考えても大差ないわけで――――おおう、将来有望だ。



「君、結構余裕あるね?」
「え、そっすか?」
「――――胸、見てたでしょ?」
「ぎくりっ! やや、やだなぁー。僕みたいな色恋もわからん小学生の若輩者が、そんな不埒なことかんがえるわけないじゃないですかーあっはっはー」
「なるほど、君がすずかの言っていた〝本田君〟か。確かに、かなり変わった子だね」
「つ、つつ、月村さんが俺の話を!? どんな、どんな話だったか差し支えなければ是非今のうちに教えてください美しいお姉さん!」
「残念、それはまた今度ね」
「えー」
「そんなあからさまに残念そうな顔してもダーメ。まずはここを離れるから……ちょっと揺れるわよ―――ふっ!」
「うほぃっ!?」



 大人版すずかちゃんな女性は、俺の返事を待たずにもう一度〝跳躍〟した。
 一瞬の間をおいて、ついさっきまで俺達がいた場所にこの短い間に随分と見慣れた水塊が炸裂する。
 特殊コンクリートが抉れているところから、今までの無差別爆撃のような攻撃ではなく、指向性を持った破壊力重視の一撃であることがうかがえる。
 なるほど――――今までのは、様子見だったってわけか。
 対象が自分の攻撃から逃げられないとわかった以上、手加減する必要はなしと判断した、ってところだろう。一々姿からして忌々しいヤツだ。
 ……それよりも先に、俺は確認しなきゃいけないことがあると思うんだ、うん。



「あの……今、〝飛び〟ましたよね?」
「あらら、ホントに冷静だよこの子。まぁ、そういう肝っ玉の据わった子は嫌いじゃないよ、お姉さん」



 そう言ってウィンクをくれるすずかちゃん似の謎のお姉さん。
 確かに、すずかちゃんと瓜二つな人に褒められて嬉しくないわけはないんだが――――今、間違いなく〝飛んだ〟よね、このお姉さん。しかも、俺とすずかちゃんという重い荷物を二人も抱えながら。十数メートルも。
 ……失礼ですが、人間でしょうか?
 
 

「歳不相応にエロイ顔したり、無邪気に喜んだり、突然難しい顔をしたり……やっぱり面白い子だわ」
「いやぁそんな月村さん似のお姉さんにそんな褒められると本田君照れ照れのデレデレでしまいにゃツンツンしちゃうぞ!?」
「あっはっは♪ いやー、すずかも面白い友達を持ったみたいね。それに、すごく勇気もある」



 アレだろうか、もしかししなくとも、さりげなく煙に巻かれているのだろうか?
 人外じみた身体能力には並々ならぬ関心を惹かれるんだが……まぁそういう人間もいるんだろ、と納得することはできる。〝前世〟でも数人いたし。
 しかし――――しかし、だ。
 俺にはもう一つ、確かめたくて仕方ないが、できれば夢幻白昼夢の類であってほしいエキセントリックな現実がある。
 はたして聞くか聞くまいか数秒ほど逡巡した後――――俺は覚悟を決めた。 
 恐る恐る、俺がこけたあたりを指差して、目上のおねーさまにお尋ね申し上げる。



「ところで、月村さん似のおねーさん」
「なんだい少年?」
「……あそこで、マンガみたいに非常識極まりない動きで戦っておられるまするのは、もしかしなくとも高町家の鬼ー様じゃありませんことか?」
「そうだけど…………日本語がおかしくなってるのは、何か良くない思い出でもあったのかな?」


 
 意外そうな顔でこちらを見つめるおねーさまの視線はそっちのけ。俺の耳には、肯定の返事しか届いていなかった。
 さらに、視線は結構遠い向こうで繰り広げられる人間VSブルーデビルの人外バトルに釘付けである。
 いくら鈍重な動きとはいえ、その体面積で鈍重さをカバーするブルーデビルに対し、ちょっと頭おかしいんじゃないかってくらいの動きで翻弄しつつ、的確にブルーデビルのあちこちを抉ったり爆破したり斬り飛ばしたりする一人の人間がいる。
 指で煌めくナニか。次の瞬間、ブルーデビルの指が千切れ飛んだ。
 ブルーデビルに、キラリと光りながらナニかが伸びる。次の瞬間、ヤツの胴体から腕が千切れ飛んだ。
 高町の鬼ー様と思しき人が、ブルーデビルの足を殴りつける。次の瞬間、その足が弾けた。

――――相変わらず、おそよ人間の動きとは思えない人外っぷりだ。

 なんて冷静に状況分析してられるのも数秒のこと。
 スグサマ、今までの観測結果から得られた該当人物の照合が完了し、俺はこの世の終わりを垣間見た。
 
 

「……に」
「に?」
「にげてぇえええ! 本田君逃げないとしんじゃううぅうううう!」
「ちょ、ちょっと君?! どうしたのよ!?」
「あ、あぁああ! 来るっ! 鬼が! 鬼ー様がくるぅうううう!!!! すみませんごめんなさいちょうしにのりましたなのはさんに生言ってホントごめんなさい今度からできるかぎり善処するように自重しますのでおねがいいのちだけはぁあああああ―――――!!」
「……気絶しちゃった」



 トラウマを自分でほじくり返した結果、俺は喉を枯らさんばかりに絶叫した挙句――――ほんだときひこは めのまえが まっくらになった!


 




















―――――――――――――――――――――

本田、発狂。
ちなみにブルーデビルと対戦中なのは、言うまでもなく高町恭也。
本田とすずかを助けたのが月村忍です。
何故二人がここにいるのかという理由は次回。

1003140659:修正 Ver1.01 ちょこちょこと。



[15556] 屋敷とアリサとネタバレ
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:37
 夏が過ぎ、あのすずかちゃんとの衝撃の事件から季節が一つ廻った同年の冬。
 俺は、高町家の離れにある道場で、一人の男性と対峙していた。


「よし、それじゃあまず、君の基礎体力を測る。――――覚悟はいいか?」
「うすっ!」



 それが、俺こと本田時彦と、高町家が長男――――高町恭也鬼ー様によるトラウマとの出会いだった。
 それから30分も満たない内に俺は気を失い、次に気がついた時は高町のベッドの上で、高町の奴が心配そうに俺のことを見下ろしていたのを覚えている。
 意外に端整なその顔立ちに、とても少女らしからぬシップと絆創膏をこさえて、どこか複雑な面持ちで俺を見下ろすヤツの顔は、恐らく一生忘れることはできないだろう。 
 あいつがそんな世にも愉快な顔をしていた原因は、無論、どっかで転んだとか、どこかにぶつけたとかそういうオチじゃない。
 実は、つい数時間前に、俺がこさえさせてしまったものだったりする。

 ……きっかけは実に些細なものだった。

 夏の事件のせいでわだかまりが多少あったものの、一ヶ月もたたないうちに俺とすずかちゃん、そしてその友人であるアリサ・バニングスことパツ金ジャリガールと、高町なのはとの仲は急接近していた。
 具体的には、昼休みや放課後一緒に過ごす時間が多くなった。
 ソレ自体は、俺個人の話で言えば嬉しいことしきりだったし、何よりその時には既にすずかちゃんにベタボレしていたから、純粋に〝なんという天恵か!〟と無邪気に喜んだりもしていた。
 ロリオークとのバカみたいなやり取りもその頃からお決まりになりだし、秋の中頃には運動会もあって、俺とジョンブルジャリロールとの熾烈な争いがくり広げられたりもした。
 そして秋が終わり、冬が来て。聖祥大付属、年末最後のお祭りと言ってもいい生誕祭を一ヶ月後に迎えたある日のこと。
 生誕祭では、クラスごとに何か舞台芸をやらなければいけない。テーマはもちろんクリスマスで、既にうちのクラスは〝マッチ売りの少女〟をやることになっていた。蛇足で付け加えておくならば、マッチ売りの少女役はジョンブルジャリガールだったりする。
 しかしながら、他にもクラスごとに、クラスでの出し物と言うものがある。舞台での芸は二日目だ。
 初日は各クラスが思い思いので店だったり展示だったりをすることになっているのである。
 そして、その内容をどうしようか――――そういう話だったと思う。
 よくある班ごとではなく、クラスみんなであちこちに集まって思い思いの考えを言い合って案を募り、そこから最終的に選ぶという形で話し合いは行われていた。
 幸い、うちのクラスは全員仲が良かったし、誰か一人だけポツンとひとりぼっちで机に残っていたりすることもなく、あちこちで活発な意見が交わされていた。
 当然、その時には俺とすずかちゃん達三人はセットで扱われるようになっていたこともあって、俺達四人は真っ先に集まって意見を言い合った。
 ヤンキーロリの意見に俺がケチをつけ、すずかちゃんの意見に一も二もなく賛同し、そのことに「贔屓してるんじゃないわよ!」とグレムリンガールにイチャモンをつけられ――――概ねそんな感じで、話し合いはつつがなく進んでいたと思う。
 
 ところで、俺は常々思うのだ。この俺には、間違いなく余計なお節介癖があると。
 クラスの連中にやたらと頼られるのもそれが原因だろうし、担任の先生にやたらと仕事を押しつけられてしまうのも、そういった生来の性格を見こされているからなのかもしれない。
 だが、〝余計な〟という枕詞がつくように、それは決していいことばかりではないのだ。
 そしてその良くない〝癖〟のせいで、俺はこの度の事件を引き起こすことになった。



「おい高町。お前もなんか意見言えよ。聞いてばかりだとつまんないだろ」



 きっかけは、そんななんてことのない話題振りだった。それは間違いない。
 その後に起きた乱闘の所為で、そのあたりの記憶が結構あやふやなんだが、しかし俺がそう言って話題を振ったことだけは、間違いなく覚えている。
 もともと俺は付和雷同という気質があまり好きじゃない。
 ……何故かって?
 〝前世〟でそういう性格をしたヤツにロクなやつがいなかったからだ。早い話が、ハイエナしかいなかったからである。
 だから俺は、高町のいつもどこでも「うん、私はそれでいいよ」という、消極的かつ付和雷同的な態度が到底我慢ならなかった。
 今回の件にしたって、先の言葉の根底には、俺のそんな感情が含まれていたのは否定できない。
 だが……それよりも俺は、高町がずっとにこにこ笑ったまま何も言わないでいるのが、すごく残念だと思っていた。
 意外と知られていないが、高町の奴は頭がいい。
 国語――――特に漢字がクソ苦手なことを除けば、多分エセお嬢様やすずかちゃんと十二分に争えるくらいの学力を持っているし、特に算数や理科なんかはいつも満点だ。
 そんな高町が、なんでいつも何も言わずにみんなの意見に従うだけなのか――――疑問に思うと同時に、すごく勿体ないと思っていた。
 そう思っての、先の発言だったのだが……。



「ほんだくんのばかっ! ほんだくんなんかだいっっきらいっっっ!!」
「俺もてめぇみたいな〝事なかれ主義〟の偽善者が大っ嫌いだよっ!!」



 気がつけば、殴りあいの喧嘩に発展していた。
 あぁそうさ。正真正銘、なんのチートもない小学校三年生と、精神年齢三十ン歳の俺が、正面から恥も外聞もなく力の限り殴りあうことになってしまったのだった。
 ジョンブルヤンキーが「二人ともやめなさいってば!!」と喚くのを無視し、すずかちゃんが泣きながら「お願いだからやめて二人とも!」と制止するのすら振り切って、俺と高町はとにかく先生が止めに入るまで大乱闘を繰り広げていた。
 相手が女? そんなの関係ない。
 その瞬間、その時、俺と高町はお互いに互いを〝敵〟と認識していたし、それ以上の理由はいらなかった。
 腹にケリを入れ、顔を殴られ殴り返し、椅子を投げられ筆箱を投げつけ、最後にはとっくみあいになって床にもつれあうと、髪をひっぱり頬を引っ張り、先生が止めに入る頃にはどちらかが気絶するまで頭突きをかましあうという、そこらの男同士の喧嘩よりも男らしい喧嘩をやらかしたのだった。
 そして先生が仲裁に入った頃には二人して目を回して気絶し、放課後まで俺達二人は仲良く保健室でおねむ、という次第だったわけである。
 無論、この大乱闘のことは互いの両親の元へ連絡が行き、なんというか、事情が事情なだけに俺が全面的に悪い――俺自身もそうとられるように話をした。ほとんど事実だし――ということになって、両親が仕事で忙しいために夜に謝罪のために高町家に窺わせていただく、という話でその場は終わった。
 顔のあちこちにシップと絆創膏を貼った高町が、慌ててやってきたであろう母親に連れられて先に帰り、そのすぐ後に俺の携帯に母からの電話がかかってきたのは、俺が高町家の道場で気絶する、一時間前のことだった。
 電話越しに母親に盛大に怒鳴られた揚句、今晩の晩飯抜きを通達され、帰ったらさらに説教確定と言うバンドエンドコンボフルコースを食らってげんなりしたのも束の間。
 そもそもからして、今回の事件は俺が招いたものだ。自分のケツは自分で拭くのが常識である。
 相変わらずジンジンと顔だけでなく体中あちこちが痛むのを我慢して、俺は誰もいない教室に戻って帰り仕度をすると、すぐさま高町の家へと向かった。
 意外に大きな日本家屋である高町の家にびっくりしつつ、恐る恐るインターフォンをならして自己紹介をする。
 ややこわばった声の主は高町のお母さんだった。
 一人でやってきた俺にびっくりしたらしく、パタパタと慌ててやってきた高町のお母さんに案内されて、俺は高町家へと上がらせてもらった。
 そして、高町家一同がリビングに集まり、俺の土下座による謝罪会見が開かれた。
 最初こそ渋い顔をしていたご家族だったが……まぁ色々あって結局「今度から、女の子を殴るようなことをしてはいけないぞ」と高町のお父さんにたしなめられ、それ以上お咎めはなかった。
 しかし、ここで終わってればよかったのである。
 そうすれば、俺が今もこれからもいらんトラウマを引きずることもなかったし、俺が高町のお兄さんを〝鬼ー様〟などと呼ばずにすんだはずなのだ。
 しかし、その時の俺は何をトチ狂ったか、高町の家がなにかしらの武術を教えているのを思い出して、よろしかったらぜひとも教えて欲しいですなどと名乗り出てしまい――――そして冒頭に至る、というわけである。
 では、夕食をうちで食べていきなさい。いいんですか? ついでにご両親もお誘いしよう、せっかくの機会だし、君のご両親とも話してみたいからね。いやもうホントすみませんでした。あぁ違うよ、君みたいなしっかりした子供を育てたご両親に、ぜひともアドバイスを頂きたいんだ。
 ……そんな、なんかよくわからない会話があって、うちの両親と高町家一同は仲が良くなってしまったのである。特に、内の母上と高町のお母さん―――桃子さんはすごい仲がいい。その仲善さたるや、喫茶店での支払いがツケでいいというくらいである。恐ろしや我が母上。

 色々とあったが、はっきりしているのは、その事件がきっかけで高町の奴は我を出すようになったことと、うちの両親と高町の両親が仲良くなったこと。そして、俺が高町恭也という鬼ー様に対してトラウマを覚えることになった、という三つの事柄だけである。
 特にトラウマの原因となった道場内での出来事は今でも思い出したくない。うぅ……妙に年齢不相応の身体能力をしている所為で、変に目をつけられてしまったこの身の上が憎いっ!

 だから、俺は夢であってほしいと願った。
  
 だって、アレだぞ?
 いつもいつも、隙あらば俺を殺そう――多大な誇張表現、及び誤解が混じっております――としてくる人が、あんな場所にやってきたんだ。俺じゃなくとも心臓が止まる思いがすると思う。
 いつもなら追っかけまわされるだけで終わるんだが、しかし今回は事情が事情だ。
 あろうことか自分の妹を無理やり学校から連れ出して、化け物が闊歩する行楽施設にサボりにきているだなんて知られたら――――俺だったら間違いなく元凶の人間を半殺しにしかねない。それでなくとも、あの一件以来鬼ー様には「次になのはに傷をつけたら――――そうだな、俺と組み手をしてもらおうか」という、事実上の半殺し宣言をされているのだ。
 だというのに、俺がこうして益体もないことを考えながら、見知らぬ天井を見上げていられるのは一体なんの悪戯なのだろう、と思わないでもない。
 埃一つない天井に、柔らかいクリーム色の照明。
 ふかふかのベッドに、くらくらするくらい鼻腔を刺激してやまない、どこかで嗅いだ事のある気がする女の子の甘い匂い。
 ぱっちり開いたお目目をぱちぱちさせて、次の瞬間がばっと身を起こす。



「…………はて?」



 身の毛もよだつ最後の記憶から、突如として放り込まれたこの癒しワールド。
 はっきり言ってしまえば、地獄から突然天国に投げ込まれたような気分である。
 しかしながら、最悪の状況から最高の状況に好転した場合、えてしてロクでもない罠があるのは世の常だ。だからこそこうして警戒を密にするのだが……。
 豪奢とまではいかないが、しかしどれもこれも品のいい調度品が置かれ、床には高級そうな絨毯が所せましと敷かれている。
 首をかしげて状況把握に努めるが、正直さっぱりだ。何が起きているのか誰か説明プリーズ。
 そんな俺の要求に神は答えた。それも心臓が止まりかねないサプライズと共に。









                           俺はすずかちゃんが好きだ!










「っ―――目が覚めたの、本田君!?」
「ほ……ぉおお!?」
「どこか痛いところはある? 頭痛とかしない?」
「な、なつ、つつき、月村さん!?!」


 
 ドアが開いた音を耳ざとく聞きつけた先には、宵闇の長髪に白いヘアバンドがよく似合う、俺の大好きな女の子が立っていた。
 学校の制服とは違う、黒いロングスカートに、薄手のカーディガン姿という実にお嬢様らしい私服姿で、ぱたぱたと俺が横たわっていたキングサイズのベッドに乗り上げてくる。
 わけがわからず混乱する俺。
 そもそもここはどこなのか、なんで俺は寝ていたのか。そして、何故ここにすずかちゃんがいるのか。
 説明を要求したくても、顔に息がかかりそうなくらい顔を近づけられた俺は、ただどぎまぎして口を満足に動かすことすらできない。
 


「あの、え……? なんで?」
「本田君、気絶してたの覚えてる?」



 どうにかしてここにいる理由を尋ねる意味で〝なんで?〟と絞り出した俺の問いを、すずかちゃんは的確にとらえてくれたらしい。
 確かに、最後の瞬間あの鬼ー様の姿を見て気絶したのは覚えてる。
 ついでに、俺とすずかちゃんが謎のすずかちゃん似のおねーさまに抱きかかえられていたことも。



「そのあと色々あったんだけど、本田君気絶したまま動かなかったの。だから、私の家に運んできたんだ」
「はぁ……うん? 月村さんの家!?」
「そうだよ。何もない客室よりも、私の部屋の方が看病しやすいから、私のベッドに運んでもらったの」
「へぇ、そうだったんだ。ごめん、ありが――――――――――なんですと?」



 今、とてもじゃないが看過できない事実を聞いた気がする。
 俺が気絶しっぱなしだったから、とりあえず月村邸に運んできた。
 しかし、客室は何もなさすぎるから、すずかちゃんの部屋に―――――すずかちゃんの部屋ぁっ!?!



「――――――きゅぅ」
「ほ、本田君!? 本田君しっかりして!」



 あぁ、薄れゆく意識にまじって、天国へ誘うかほりがする……っ!
 そうか、コレが天国へ至る道か。
 神父、アンタの言う〝天国へ行く方法〟は一つじゃぁ、なかったんだ……。
 わざわざらせん階段だとかイチジクのタルトだとかドロローサへの道だとか秘密の皇帝だかを唱えずとも、天国へと至る道はあったんだよッッッ!!
 へっ……俺ぁ、満足したぜおやっさん。
 なんたって、好きな子のベッドで寝れるんだ。これ以上幸せなことはない。
 そうだろ………………ブラザー? 
 










 そんな馬鹿なやり取りをしていたら、さすがにすずかちゃんに怒られた。
 曰く、



「みんな心配してるんだから、狸寝入りはいけませんっ!」



 とのこと。いぇあ、イグザクトリーでございますお嬢様。
 というわけで、俺の回復報告も兼ねて、すずかちゃんに手をひかれるまま〝みんな〟が待つリビングへ案内されることに。
 同時に、てくてくと歩きながら俺の背中を冷や汗が気持ち悪いくらいに伝って落ちてくる。
 言わずもがな。歩きながら話していた状況確認によって、俺の悪夢はまだ終わってないことがわかったからだ。
 まったく今日は何という日だろう。
 〝前世〟でのトラウマをほじくりまわされ、結構ガチな勢いで殺されかけ、そして最後に我が天敵――もういろんな意味で――に出会ってしまった。
 そしてすずかちゃんの話によると、どうやら俺は今、彼女の家――――というか屋敷にいるらしい。
 豪勢なシャンデリアが廊下の天井をずらりと彩り、普通の家じゃ到底お目に抱えれないような豪華な調度品があちこちに並ぶ、毛長の絨毯の上を歩きながら、俺は初めて来た大好きな子の家の内装に見惚れた。

――――なんていうか、想像通りだ。

 いつものはんなりとした柔らかい笑みに、少女特有のあどけなさを内包した無邪気で優しい性格。
 深窓の令嬢とはかくあるべき、と断言してもいいくらいに清楚で落ち着いていて、そして趣味が読書に好きな動物が猫ときたもんだ。これですずかちゃんが可愛くないとかいうやつがいたら、そいつは自分の目を抉って自殺していいと思う。
 とにかく、俺は今、そんなすずかちゃんの家のリビングに向かっている。
 そして、そのリビングには全員が揃っているそうな。
 


「……全員って、具体的には?」
「うーんと、なのはちゃんとユーノ君、恭也さんと美由希さんと、アリサちゃんと私のお姉ちゃんと叔父様だよ?」
「おろ、あのダンディなおっさん、まだいたんだ?」
「うん。昨日京都から帰ってきて、来週には帰国されるんだって。ただ、その……」
「なに、何か問題でもあったの?」
「ううん、そうじゃなくてね? なんていうか……その、本田君が気絶してから、すごく色々あって……」
「色々……ですか?」
「そう、色々」
「ふむん。色々十色。じゅーにんじゅっしょっくひとよばならにゃー♪ なっさーけむようのおにおやぶん♪」
「くすくす。なぁに、その歌?」
「作詞作曲本田時彦。哀愁のバラード」
「今の曲調はバラードじゃないよ、もう」
「偉大な人間は細かいことを気にしないものさ。ゲーテもそう言ってるぜ」
「ウソ。なのはちゃんと違って、私、だまされないからね?」
「月村さんが今ナノハムを暗にアホの子だと認めた気がするのですが気のせいでせうか」
「ち、ちがうよ!? そういう意味じゃないもん!」
「あっはっはー♪ だーいじょーぶ。本田さんはよーくわかってます。ええ、ナノハムは誰もが認めるアホの子だと」
「もう、本田君いじわるっ!」



 てくてく歩きながら、俺とすずかちゃんはそんな益体もない話を続けた。
 無論、その間俺の背中は冷や汗で濡れっぱなしである。意図的に現実を受け入れたくなくて逃避していたのは言うまでもないだろう。
 しかし、俺は今幸せだった。
 何故かって?
 そんなの決まってるだろ。
 大好きな女の子の家で、手を繋ぎながら、たとえその内容がくだらないものでも、すごく楽しいお話ができているのだ。これ以上の幸せがあるならば、それはまだまだ性急過ぎる望みと言うものである。
 


「みんな、本田君が目を覚ましたよ!」



 しかし、神様/現実はいつも残酷である。
 ギィ、と予想通りな音をたてて開かれた豪奢な扉の向こうには、さっきすずかちゃんの言っていた面々が深刻そうな面持ちでずらりと雁首を揃えていらっしゃった。
 そして突き刺さる俺への視線。若干一名、なんだかすごく子供じみた純粋な視線を投げつつ「お、やっぱり無事だったか」とかその言外に不穏な響きを含ませて話しかけてくる人がいたが、スル―9割の愛想笑いで乗り越える。



「ちゃすっ! 本田時彦、れいずでっどのおかげで復活しました!」
「やほー本田君♪ 元気そうでよかったよかった」
「あれま、美由希さんじゃないっすか。なにしてんですこんなところで?」
「いやー実は色々用事があってね」
「さいでございますか……っと、それよりも、心配おかけしましたみなさん。御覧の通り、本田時彦、完全に復活しております!」
「……どうやら無駄な心配だったみたいね。アホ猿はやっぱりアホ猿のままだったわ」
「んだと!? このファッキンロリガー……る?」



 はぁ、とあからさまな溜息をついてこれ見よがしに言ってのけられた台詞に、半ば脊髄反射の如く口が反応し――――気付いた。
 部屋の中央、あははーとなんだか気疲れしたような感じの乾いた笑いを浮かべるナノハムの傍ら。
 憤然と腕を組んで胸を反らし。態度も大きく足を組みながら、そのソファーの背もたれにゆったり寄り掛かって俺を睨みつける一人の少女。
 はちみつ色の金髪に、まんまるだけどややつり上がった可愛らしい瞳。意思の強そうな眉に、小さな桜色の唇。
 すずかちゃんに負けず劣らずの美少女お嬢様――――アリサ・バニングスだった。それも、〝元〟の。 
 今日何度目の思考停止だろうか。
 脳味噌が「もうヤ。ふざけんな馬鹿こんなしょっちゅうエンストさせやがってこんち本気で拗ねるぞバカヤロウ!」と怒り狂っているのが俺にもわかる。
 その気持ちはよぅくわかる。俺だって、何がなんだかさっぱりなんだ。



「あ、ああ、アリサ!? え、あれ!? 今俺のことアホって!?」
「アホにアホって言って何が悪いのよ」
「戻った!? お前、ナニ戻ったの!?」
「まぁまぁ、詳しい話を今からしてあげるから、まずは座ったらどうかしら、少年君?」



 驚愕に身を震わせる俺に、そう言って優しく声をかけてくれたのは、例のすずかちゃん似のお姉さんだった。
 くすくすと柔和に微笑む姿は、やはりすずかちゃんが大人になったソレとしか思えない。
 ただし、やや悪戯好きそうなその笑みは、どこかチェシャ猫のような魅力を持っている。すずかちゃんが将来こんな悪戯猫みたいな笑い方をするのかと想像したら――――おおふ、なんだか背筋がゾクゾクしてきましたヨ?
 そして、俺はすすめられるままにソファに座り、改めて周囲を見回してみた。
 リビングと言えば、ごくごく普通の、それも中流家庭が暮らすようなマンション、あるいは一軒家のソレを思い浮かべるだろう。
 3LDKだったり4LDKだったり、間取りはどうでもいいが、それなりに大きなリビングを思い浮かべれば、俺の想像したものがどんなものかわかると思う。
 だが、ここは違った。ていうかリビングとかそんな生易しいもんじゃなかった。
 まず天井だ。
 真っ白な天井ではなく、綺麗な絵が描かれている上に、その中央には値段が想像できないような豪奢なシャンデリアが燦然と輝いている。
 そして、足もとには真っ赤な、これまた毛長の絨毯。もちろん、どことなく豪華そうな柄であり、いちいち踏みしめるためにモフモフとしているのが物凄く心地よい。踏むのがもったいないくらいだ。
 部屋全体は長方形であり、うちの学校の教室の二倍はありそうなくらい広い。
 短い辺の南側には暖炉が設えてあり、冬はそこで暖を取るのだろう。物語に出てきそうなマホガニーのロッキングチェアーが2つ置いてある。ていうかマホガニーかよオイ。
 確か、前に偶然ネットか何かでみたが、一つ十五万とかしてたな。
 さすがはお嬢様といったところだろうか。
 そして、本来ならばだだっ広いとしか評価しようのない空間の中央に、大理石のそれなりに大きめのテーブルが置かれ、それを囲むようにソファが置かれている。
 東側に俺達小学生組、その対面にすずかちゃん似のお姉さんと鬼ー様。そしてその妹であり、ナノハムの兄であるお姉さんこと美由希さん。
 その後ろには――――え、あ、うん?

 ……タイムタイム。やーおかしいな、俺の目終わってんのかな。

 本当に今日はカルチャーショックどころか、ブレインショックが多い一日だ。転生者だったおかげで発狂せずに済みました(笑)――――とか洒落にならんぞおい。
 ここは一つ、俺の脳味噌さんが正常な事を確認するためにも、隣でぎこちなく笑いっぱなしのナノハムに聞いてみることにしよう。
 
 

「なぁなぁナノハムさんや」
「なに、ほんだくん?」
「メイドさんがおるんだが……え、アレマジ?」
「うん、ノエルさんとファリンさんだよ。すずかちゃんのお家で昔から働いてるの」
「マジか。マジなのか。俺がおかしいんじゃなくて、世界がおかしいのか」



 本田さん、新しい発見をまた一つしましたよ。世界は不条理極まりない上に、いつだってどこだって意味不明だ。
 まさか現代の、それもこんなに身近に生メイドさんが存在しているとは。神様って、もしかしてオタク?
 


「さて、少年も現状がそろそろ把握できた頃合いのようだ。話を再開したいのだが、構わんかね?」
「あ、ダンディなおっさん」
「こ、こらほんだくん!」



 そして、いわゆるお誕生日席にふんぞり返るようにして大仰に座っているのは、いつぞやのバスで会ったダンディズムに溢れているおっさんだった。
 つまりすずかちゃんの叔父さん。
 今日もまたその厳つい髭と口にくわえたパイプが非常に渋かっこいい。



「あぁ構わん。私のことは好きに呼ぶと良い。堅苦しいのは嫌いでね」
「そ、そうですか……」



 なんかナノハムに怒られたが、そもそもからして前に会った時も呼び方については気にしてなかったし、存外にこのおっさんは茶目っけに溢れていると見える。
 以上、俺達を含めた10人がこのだだっ広いリビングの中央に集まっていた。
 思っていた以上に空気は重い。
 当然と言えば当然だが、ここで土下座をしなきゃいけないかと思うと、なんだかそれまで平気だった胃がしくしくと泣いているような気がする。
 あぁくそう……いくらバニングマのためとはいえ、やっぱり学校をさぼってカリビアンベイに行ったのはまずかったか!
 動機も俺の欲望七割だったし、弾劾されても文句は言えないが、しかしこのプレッシャーは想像以上だった。はっきり言って、昔ナノハムの家で土下座した時以上に緊張する。
 ていうか、そもそもなんだってこんなに勢揃いしているんだろう。両親まで勢揃いしているならまだしも、何故かこの場ではすずかちゃんのおっさんしかいない。
 しかし、俺のそんな些細な疑問は、この後すぐに氷解することになった。
 重苦しい沈黙の仲、パイプを優雅にくゆらしながら、おっさんが俺へと視線を投げかける。
 


「さて少年。聡明な君のことだ、今がどういう状況なのかは、薄々気づいているのではないかね?」
「えーと……まぁ大体二つくらいだったら」
「言ってみるといい。そのうえで、足りない部分を補足するとしよう」



 どうやら、俺が現状を完全に理解しないことには話が始まらないらしい。
 まぁ俺としても、今何がどうなっているのか気になって仕方ないので、おっさんの指示に従うのはやぶさかではなかった。



「それじゃ、まず一つ目。あのカリビアンベイの化け物は片付いてるんですよね?」
「あぁ」
「ちょーっと、色々とあったんだけどね」



 鬼ー様と、隣のすずかちゃん似のお姉さんが苦笑する。
 ていうか、そもそもまずはこのお姉さんが誰かとか、あの時助けてくれてありがとうございますとか、なんでみんなこんなところに集まってるのとか根本的な疑問が後から後から湧き出してくる。
 しかし、そこはほら、大人としてぐっと抑えて、ね?
 じゃないと話が進まないし。
 それに、今現在最も気になっていることを確かめたい気持ちもある。
  


「色々、ですか?」
「あはは、それは後で説明するよ」
「何故にそこでナノハムが割り込んでくる」
「わ、わたしも関係あるの!」
「あの騒ぎの中行方不明だったお前が? なにしたんだお前。あれほど人様に迷惑をかけるなといっただろう」
「アンタがそれをいうなっ!」
「おふぅっ!?」



 調子に乗ったら、暴力ライム娘にわき腹を抉られたナリ。
 


「げふっげふ……で、次ですけど、なんでかこのパツ金バイオレンス娘が〝元に戻ってる〟んですが、一体全体なにがあったんでしょうか本田君はさっぱりわかりません、と疑問を投げかけます」
「誰がバイオレンスですって!?」
「お前しかいねぇだろうが! いきなり人様のわき腹抉ってくるたぁ、随分な御挨拶だとはおもわねぇんですかね今時の外国のお嬢様ってやつぁ!?」
「……ふむ、事態の推移はどうやら飲み込めているらしい。では、これまでの話を整理する意味でも、まず始めから事の成り行きを説明せねばなるまい」



 バチバチと、俺とロリパンツとの間に火花が散るが、大人及び青年組はさらりと無視してくれた。むぅ。
 そんな中で、ナノハムの奴が何故か立ち上がると、ちょうどおっさんの正面側になるところまで歩いていき、みんなを振り返った。



「えと、今日は本当にすみませんでした。あと、いっぱい隠し事していて、ごめんなさい」



 ぺこりと、腰を九十度曲げて謝罪を始める。
 これには俺も度肝を抜かれた。ていうか意味がわからない。
 起きてからこっち、はっきりいって胃がむかむかするほど状況の推移についていけず、今にも「なにがどうなっとんじゃいわれぇ!!」と叫びだしたくて仕方ないのだが、ここで話の腰を折るのもなんだ。とりあえず、大人しく話を聞くことにする。



「謝ることはない。あの異常事態の中、君はよく動いてくれた。なにより、君がいなければあれほど被害を抑え込むこともできなかっただろう」
「そうだよなのはちゃん。その、色々びっくりしたのは本当だけど、なのはちゃんは何も悪くないよ」
「すずかちゃん……うん、ありがとう」



 どうやら、話の流れからして、あの化け物はナノハムが始末したらしい。
 ……アレ? 違和感がないのはどうしてだろう。むしろしっくりくるんだが。



「何変な顔してんのよ、アンタ」
「いや、さすが高町家だなぁと。人外じみたことをするのはあの家系の因子なのか」
「アンタ、それ絶対に恭也さんの前で言わない方がいいわよ」
「言われるまでもない。これでも自分の命は惜しいんだ」



 なんか自然とデビルベアーと話せているが、その声は実に小さなものだった。
 前の方では、ナノハムと鬼ー様が話していて、危険な事をするなとか、ああいう危ないことをする以上、これ以上放ってはおけないとかそんなことを話している。
 いや、だから一体何がどうなって――――あー、もういいや、メンドい。



「……アンタ、今考えるの投げたでしょ」
「うっせぃ」



 思考がダダ洩れである。俺のプライバシーはどこに行った。
 そんな馬鹿話をしている間にも、話は進んでいた。
 どうやらなのはの言い訳タイムは終わったらしく、いよいよ話の本筋が始まる雰囲気が周囲に満ち始める。
 同時に、みんなの視線が集まるナノハムの肩に、どこかで見た――――あぁ、そう。俺が病院で頭の検査をした時だ。その時に見たフェレットがちょこんと、器用に立っていた。
 そして、今度こそ俺は、自分がもう常識で測れる世界にいないことを思い知らされる。 



「初めまして。僕の名前はユーノ・スクライア。この世界とは違う、別次元の世界からやってきました」



 …………拝啓、お父様、お母様。お元気ですか?
 私は今、とても混乱しています。コンランノキワミアッー!って感じです。
 そんな愚息がお一つお伺いしたいのは、他でもありません。
 お父様とお母様の記憶に、しゃべる動物、というのはございませんでしょうか?
 生憎、二度目の生を受けましたワタクシでも、ついぞそのような記憶には心当たりがないのです。
 もしございますならば、ぜひともこの愚息めにそのお話をお聞かせください。そうすれば、この混乱の極地からも少しは解脱できるというものでしょう。
 だって……だって…………っ!


――――――フェレットが喋ってるんですよ!?!!


 




















――――――――――――――――――
なのは、ネタバレ。
次の更新でいったんおやすみ。
さすがにここまできたら、ちゃんと考えないといけないことがでてきた。
流れ自体はできてるけど、それはなのは主軸の話。本田主軸のものを考えないと。


1003210650 Ver2.00 恭也、及び高町家との絡みについての記述を大幅変更。ダウナー状態でモノ書くとロクなことにならないことを痛感。この度は高町恭也氏に多大なご迷惑をおかけしたことを、深く謝罪申し上げます。



[15556] 屋敷と魔法少女と後日談
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:42

 話をまとめると、こういうことだ。
 


――――高町なのはは魔法少女である。
 

 
 ……おいこら、そこ。ヒトを憐れむような目で見るんじゃない。なに、今さらだって? 抉るぞコノヤロウ。
 とにかく、ヤツは魔法少女らしい。テクマクマヤコンとかピーリカピリララとかそういう平和な系統ではなく、我は放つなんちゃらのなんちゃらとかでっかい鎧着てでっかい金属の杖ブン回して〝顕現!〟とか叫ぶような魔法使いよりの、かなり武闘派な魔法少女らしい。聞いたことねぇぞそんな物騒な魔法少女。つーか魔法少女って何だ。いきなりなんだそりゃ。頼むから俺にいつもの日常を返してプリーズオーマイガッ!

 …………しかしながら。
 
 誠に遺憾なことに――――誠に遺憾なことにっ! 彼奴の兄である高町恭也鬼ー様と、その嫁(将来確定事項らしい)であるすずかちゃん似の御姉様こと月村忍さんが、まるで某竜玉のようなとんでもバトルを繰り広げていた高町を見たらしい。というか、そのバトル云々よりも、俺としては鬼ー様がどうやって嫁を獲得したのか興味しんしんでならない。今度命を捨てる覚悟でその秘儀を乞おう。
 まぁ、二人の発言に疑いの余地はないし、実際に目の前でその〝変身〟を見せられた以上、〝高町なのは=魔法少女〟という図式はもはや事実と受け止めざるを得ないのだが、こうも非現実的な事が続き過ぎると感覚がマヒすると言うのは本当だな。ファッキンゴッド死にたまふれ。
 ただ、高町の奴が魔法少女になったのはごく最近のことであり、ユーノ曰く高町の魔法使いとしての錬度は初心者中の初心者らしい。ただし、まるで人間とサイヤ人の間に生まれた息子のように、アホみたいなポテンシャルを持った、百年に一人と言っていいくらいの逸材だとのこと。なんだそのチート。俺によこせよ。いやさ分けてくれよぅっ!(心の中で号泣しております)
 
 …………既にこの辺で色々とナニかを疑いたくなるんだが、黙って話を進めよう。

 そして、先程俺に今世紀最大の衝撃を与えてくれた存在であるフェレットのユーノ。彼(?)曰く、高町の奴がそんな凶悪極まりない存在になってしまったのは彼の所為であり、そして彼がこの世界にやってきたのは、偶然の事故から持ち込まれてしまった21個の〝石〟を回収するためだと言う。
 その石こそが、今現在ユーノと高町が探し求める古代に失われし超技術の結晶〝ジュエルシード〟で、今日のブルーデビルといい、昨日今日におけるバニングスさんところの小熊がおかしかったことといい、どうやら全てそれが原因だったとのこと。

 ……早い話が、後者は俺の所為だったってことだ。

 俺が先日拾った青い宝石。まさにそれがジュエルシードで、そうとは知らずに俺がゴールドヘアードオークに渡してしまったばっかりに、あんな珍妙奇天烈極まりない事態に陥ってしまったのである。なんという運命の悪戯だろう。
 ただ、そこら辺はグレムリン・バイオレンスのやつがうまくごまかしてくれたので、直接的には俺の所為だとばれた訳ではない。すなわち、俺はこの凶暴な小熊にでかすぎる借りを一つ作ってしまったのだ。あぁ、これから先の人生が地獄で彩られていくようだ……っ!
 ともあれ、そういうわけで、原因がわかったらあとは簡単。高町によって原因の石の活動を封印したことで、今日まで続いた〝アリサお嬢様化事件〟は、俺の預かり知らぬところで終わりを迎えていて、実に後味の悪いエンディングを聞かされている俺は、思わず眉間に皺を寄せてしまった。
 ……俺の所為で別世界の〝アリサ〟に迷惑をかけてしまったというのに、謝罪一つまともにできなかった。それは、結構な負い目となって俺の中で残っている。
 そのあたりに関する俺の心持や感想は色々あるので、今は割愛だ。
 とにかく、そういうわけで今現在、アリサ・バニングスは元のツンデレ暴力幼女に戻っているし、今日のカリビアンベイにおけるブルーデビルについても、その魔法とやらで方が付いているのだった。

 ただし……ブルーデビルの件に関しては少し特殊である。

 高町が封印(?)をしたのではなく、途中から割り込んできた第三者に掻っ攫われてしまったというのだ。
 ユーノの知らない、しかし同じ系統の魔法を使う少女が現れ、高町より手際よくブルーデビルをしとめて、ジュエルシードを回収してしまったらしい。
 そして、海鳴一帯に散らばったらしいジュエルシードは、全部で二一個。そのうちの四つを高町が確保していて、最低でも一つがそのライバルの魔法少女の元にある。
 シード一つ回収するのに、あんな化け物を相手にしなきゃいけないというのに、手練の魔法使いまで相手にしなきゃいけないとなると、駆けだし魔法少女である高町一人の手には余る事態だ。
 できるならば、そんな高町を助けて欲しい。具体的には、一緒にジュエルシードを探してほしいというのが、最終的なユーノの御願いだった。
 結果なんて言うまでもないだろう。
 みんな、高町のことは大切に思ってるし、特に鬼ー様と忍さん、美由希さんあたりはノリノリだ。
 すずかちゃんやグレムリンガールにしたって、やる気満々だし、これで俺が嫌というわけにはいくまい。
 ちなみに、すずかちゃんのおっさんはというと、なんでか渋い顔をしつつも「ここら一帯はツキムラの管轄だ。治安維持は一族の仕事の内でもある」とか言って応援していた気がする。手伝ったりする気はないようで、本当は何を考えているのかさっぱりなお人パート2だ。ちなみにパート1はもちろんのこと高町恭也鬼ー様である。
 とにかく、そういうわけで、満場一致で高町の手伝いをすることが決まったのだった。

 ……ちなみに。
 なんでカリビアンベイに鬼ー様と忍さんがいたかというと、すずかちゃんの連絡を受けて、じゃぁ自分達も、というなんだかよくわからないノリで大学をサボってきてたらしい。
 実は、密かにその理由を聞いてお互いに親近感を覚えたのは内緒だ。中々ノリがイイねーちゃんのようで非常に好感が持てるネ。さっすがすずかちゃんのおねーさん! 









                           俺はすずかちゃんが好きだ!









「にしても、高町が魔法少女ねぇ~……」
「うぅ、なんだかほんだくんに言われるとすごくはずかしいのですが」
「……どう思うよ、イラックマ?」
「誰がイラックマよ誰が! まったく……〝あっち〟のアンタとは大違いよね、ホント」
「ん? おいこらちょっと待て。まるでその言い方じゃ、向こうの俺がすごく優しかったみたいな言い方じゃねぇか」
「そーよ。そりゃもう私がむしろドン引きするくらいに優しかったんだから。私が『近寄るな馬鹿犬!』って言ったら、ほとんど泣きそうな顔しながら『悩みがあるなら、相談してくれよ?』とか言うんだもん。人生で一番びっくりした、って言っても過言じゃないわね」
「うげっ……勘弁してくれ。なんだその精神的罰ゲーム。冗談じゃねぇぞコノヤロウ」



 俺がこのゴールデン・イラックマにそんな台詞を吐いている姿を想像してみて、背筋に蕁麻疹が起きた。ありえねぇ。



「あ、ちなみにすずかは私のポジションだったわよ。気の強いすずかっていうのも新鮮で楽しかったなぁ」
「気の強い私って……アリサちゃんみたいな?」
「そうそう♪ すずかがこう、目を釣り上げて『べ、別にそういう意味じゃないんだからねっ!』とか言ってきたときは、さすがに私もびっくりしたわ」
「にゃはは……まんまアリサちゃんだよね、それ」
「うぅ、なんだか恥ずかしいよ」


 
 なんというツンデレすずかちゃん。ちょっと本気で見たかった気がしないでもない。しかし黒高町、てめーはダメだ。
 照れ照れと、頬を朱色に染めてもじもじするすずかちゃんは、間違いなく世界で一番可愛らしい。ぬこなんて目じゃないねっ!



「あ、ちなみになのははすごい無口だった。こう、黒魔術でもやってそうな感じで」
「く、黒魔術っ!?」
「ソレはアレか。こっちで魔法少女やってる弊害なのか」
「や、やだよぅそんなのっ! ほんだくんのばかっ!」
「なんで俺の所為になるっ!?」



 なぜか知らんが、高町のヤツに八つ当たりされた。ならばとこちらも頬をひっぱってやる。餅みたいにうにょーんっと伸びて楽しい楽しい。当然、二秒と立たずにロリポップにはたかれて中断せざるを得なかったが。
 今現在俺達は月村邸がすずかちゃんの部屋のバルコニーにいた。
 話し合い自体は既に終わり、その後の俺による謝罪会見も無事つつがなく終了。
 今日はもう遅いので、すずかちゃんの家に泊めてもらうと言う、もうナニ俺明日死んじゃうのかしら?と思いたくなるような幸運に見舞われている。
 最初は、こっちに来ていた〝向こうのアリサ〟の話をしていたのだが、たった二日とは言え、それでも俺らとアイツは間違いなく親友をやっていたんだ。そんなやつとの別れが、寂しくないわけがない。だから、湿っぽくなる雰囲気だったので俺が無理やり話題を変更した。
 アイツについての話は、後でライムガールと二人っきりで話そうと思っている。この中で、俺だけ挨拶できなかったからな。
 


「はは……俺、週末生きてるかな」
「殺したって死にそうにない奴が何言ってんのよ」
「ひでぇ言い草だ。俺だって人間なんだから、死ぬときゃ死ぬぞ? 今日なんか、何度そんな気分を味わったことか」
「うん、そうだね……本田君、命がけで私のこと守ってくれたんだもんね」
「いや、そんな大層なもんじゃないって! 単に、アレに巻き込んだのは俺のせいみたいなもんだし、月村さんを守るのはむしろ当然の義務だったから!」
「それでも、ありがとう。私、すごくうれしいよ」

 
  
 にっこり――――いや、はんなりと微笑むすずかちゃんの笑顔に、俺はそのまま気絶しかねないほど舞い上がった。
 わたわたと手を振り回して「そ、そんな気にしなくていいから! ていうか悪いの俺だし、むしろ謝るのは俺の方っ!」なんてしどろもどろに返すのが精一杯だ。
 隣でナノハムとゴールディッシュ・グレムリンがくすくす笑っているのが気に障るが、ここはぐっと我慢。大人の器ですよ奥さん。
 

―――ドスゥン……。



 そして〝また〟響き渡る地響きの音。もはや数えるのすら馬鹿らしくなるくらい聞こえていたその騒音に、俺はとうとう我慢できずにげんなりと溜息をついた。



「ところでさ、ばあさんや」
「なんですかい、じいさんや」
「月村邸の庭は、いつから人外バトル頂上決戦の場所になったんかのう?」
「それはもちろん、そのお家の方にお聞きしたらよろしいのではなくて?」
「あ、アリサちゃん、なんだか、帰ってきてからすごくノリノリだよね……うにゃっ!?」
「冗談はアンタの魔法だけにしなさいよね。だぁーれがこんな奴と」
「だ、だからって空手チョップはないとおもうの……」
「あはは……」



 視界の端で、樹齢四十数年はありそうな大木が、まるでマッチ棒のように折れていた。
 同時に鼓膜を震わす激音。ガサガサガサ、と木の葉があちこちに引っ掛かってかすれる音が夜の静寂を引き裂き、次の瞬間には、遥か十数メートル向こうで同じようなことが繰り返される。
 眼下に目を向けると、忍さんと美由紀さんが腕を組んで森に向かって目を凝らしていて、その後ろの方ではメイドさん方がなにやらやっているようだ。
 


――――早い話が、鬼ー様VSおっさんによる、無制限一本勝負である。



 一連の事件の暴露話が終わった後、カリビアンベイでの鬼ー様の活躍っぷりを聞いたおっさんが「高町恭也、と言ったかな? よろしければ、是非手合わせを願いたいのだが」と零したのがきっかけだった。
 最初は渋っていた鬼ー様だったが、そんな態度をみたおっさんの「ふむ。では、ツキムラとの婚約は解消だな。仮にも私の末裔を、君のような腑抜けに預けるわけにはいかん」とかなんとか挑発をしだして、おうおうならばやったろうじゃねぇの的殺気をむんむんまき散らしながら二人してイントゥーザフォレストなわけです。ヘルオアヘブンなのです。意味わからんぞバトルジャンキー。
 そんなことを考えている間にも、再び地響き。
 ここがいくら住宅街の外れとは言え、いくらなんでもご近所迷惑どころか地域迷惑のレベルに達しているんじゃないでしょうか。つーか今夜中だぞ。なにしてんだいい年こいた大人の二人!?



「おー、そうだよ高町。お前、自分の鬼ー様に技教えてもらえばいいんじゃね? そうすりゃ、そのライバルなんざけちょんけちょんだろ」
「む、むりだようっ! だいたい、そんなこと言うならほんだくんがやってみればいいの! お兄ちゃんとお姉ちゃん、それにお父さんもすっごく厳しいんだから!」
「むぅ…………今こそトラウマを克服する時なのか…………っ!」
「え? なに、アンタマジで教えてもらうつもりなの?」
「そりゃ、まぁ俺だって男の子ですよ? 強さへの憧れってのは当然あるわけでして――――まぁ、あんな人外じみた領域にまでは行きたいとは思わないけどさ。つーかそれ以前に、俺が鬼ー様と一緒に道場に入れるかどうかからなんだけどな」
「そこからなのっ!?」



 ついでに、高町の奴が鬼ー様並みの身体能力を持った場合を想像してみて、俺は自分のうかつさに顔を若干青くした。
 いかん。今、俺は非常にとりかえしのつかない――――いや、軽率極まりないことをしでかしてしまったような気がする。
 そしてその予感は、ふと隣で真剣なまなざしで鬼ー様VSおっさんの様子を眺める高町の姿を見て、嫌なくらいの確信に変わっていった。
 


「うー……でも私、本当に習ってみようかなぁ」
「あれ……? もしかして俺、なんか立てちゃいけないフラグ立てちゃったりしでかしちゃったり?」
「んなもんいつものことでしょ、アンタは」
「……耳が痛すぎてもげそうです」



 金髪幼女の言葉が俺のピュアでガラスなハートを容赦なくえぐり取る。
 こいつの身に起きた事件の原因が俺にあるだけに、いつものように強く言えなくなってしまったことが、俺と彼奴のパワーバランスがひっくり返っていることを如実に語っていた。

 しかしながら、〝強くなりたい〟と思っているのは割と本気のことだ。
 今回の件で自分の弱さを痛感したのもそうだし、おっさんが何気なく言っていた「腑抜けに預けるわけにはいかん」という言葉が物凄くひっかかったからでもある。
 もしかしたら、単純に挑発のつもりで言ったのかもしれないけれど、割と本気でそんなことを言ってるようにも見えたから、「ただの冗談かも」なんて、そんな希望的観測は持つだけ悲惨と言うものだ。
 俺個人のプライドの問題的にも、将来の備え的な意味でも、高町のお父さんが教えているという〝御神流〟を教わるのは悪くない手段だと思う。 
 そのためにはまず、俺自身がトラウマを克服しなけりゃならんと言う、さながらK2の如く高くそびえる壁が存在するのだが。

 ………………………でもま、うん。なんとかなるでしょ。なるなる。…………なるよね?

 でも目指せ! 打倒、高町恭也! 当たって砕けろ、ダンディなおっさん! 月村すずかは俺の嫁っ!
 


「でもまぁ、今はあくまでも〝強くなりたいなぁ〟って感じだから、本気で習いたいとは思ってないなぁ~」
「そっかぁ……」
「ま、教わったって一日二日で強くなれるもんでもないしね。お前が強くなりたいなら、まずはどんな魔法があるかを理解するところからなんじゃねーの?」
「うにゃ? うーん……? そうなのかな?」
「お前とユーノの話を聞いてると、どうにも魔法ってのは〝術式構築〟と〝使用効率〟が大事っぽいじゃん。ようは、どんだけ上手に魔法が使えるようになるか、ってことだろ?」
「うぅ、それはわかってるんだけど、イメージがあまりつかめないの」
「アレだよ、MP馬鹿食いする大威力乱発するより、MP消費少ない初期魔法でちまちま削りつつ、隙を見てしびれさせたりマヒさせたり。でとどめにでかいの乱発とかさ。そういう戦法考える上でも、手持ちの武器に何があるかは確認しないといけないじゃんか。もしくは、うちらがゲームでやるやり方まねるのもアリかもな」
「あ、そっか。うん、それならすごくわかりやすいね!」
「……アンタにしてはまともな事言うわね」
「でも、本田君の言うとおりかも。体を強くできないなら、技を強くするっていうのは間違ってないと思うよ。それに、魔法もうまく使えるようになれば、レベルが違っても勝てるかもしれない」
「アリサちゃん、すずかちゃん……うん、私、魔法をもっと勉強する!」
「私達も、できることがあれば手伝うからね?」
「そうそう。遠慮なんかしないで、どーんと頼りなさい」
「うん、うん! ありがとう、二人とも!」



 おー、なんか俺様いつの間にか蚊帳の外。
 しかし見目麗しい少女三人の友情劇を眺めるのも悪くはない。俺が無理やり割って入るのは、無粋以外の何物でもないだろう。
 ちなみに、高町のペットであるユーノは今、忍さんと一緒にいる美由希さんが連れている。どーやら、ユーノは美由希さんのお気に入りらしい。
 同時に、鬼ー様VSおっさんによる人外バトルも決着がついたようだった。
 鈍い地響きと共に、一際盛大な轟音が空を貫く。
 一体どっちが勝ったのか、と身を乗り出せば――――涼しい顔をしたおっさんが、結構な具合にボロボロになりかけている鬼ー様に肩を貸しながら現れた。
 考えるまでもないが、どうやらおっさんが勝ったらしい。
 ……ってちょいまて。鬼ー様でも勝てないって、どんだけ化け物なんだおっさん。本気で泣くぞ俺。
 


「お、お兄ちゃんが負けた!?」
「……確か、恭也さんてすごい強かったわよね。すずか、アンタの叔父様ってどんだけ強いのよ?」
「あ、あはは…………私もびっくり」
「俺の未来は絶望に包まれていることが発覚した。割と真面目に死にたいと思う今日この頃DEATH」
「あわわ、お兄ちゃん大丈夫かな!? 私、様子見てくる!」
「あ、待ちなさいよなのは! 私も行く!」
「ほら、本田君も行こう!」
「ほぁ!? お、俺も!?」
「四の五の言わず、きなさいってのっ!」
「うひゃ~!」


 
 ロリポップが、戸惑う俺の手を引っ張って廊下へと引っ張り出す。
 本当に俺、こんな受難続きで将来生きていられるだろうか。
 それよりなにより、すずかちゃんを嫁にする際の最後の砦がおっさんって…………。
 


――――こうなったら、しのごの言ってられん。



 ぱたぱたと、全員が階下に下りていくのに続きながら、俺は秘かに心の中で決意を固めた。
 
 
 
 






 怪我だらけの鬼ー様と忍さんが部屋にこもった後、俺はパツ金ジャリサと一緒に廊下を歩いていた。
 何のことはない。トイレがどこか分からないから案内してもらっているのである。
 なんですずかちゃんに頼まなかったかって?
 こんな恥ずかしいこと、すずかちゃんに頼めるかっ!



「まったく……なんで私がアンタを案内しなきゃなんないのよ」
「うっせ。俺だって好き好んでお前に頼んでるわけじゃねぇよ。一応、話したいこともあったんだ」
「…………〝向こう〟の私のことでしょ、どーせ」
「わかってンなら一々茶化すなよ。結構、真面目なんだぞ」
「……ふん」



 なんで怒ってるのかわからんが、ともあれこいつを連れ出した本当の意味はそれもある。
 俺は、前を行くアリサを呼びとめて立ち止まると、腰を九十度曲げて謝った。



「今回は、ホントにゴメン。俺の所為で、すげぇ迷惑かけた」
「…………は!? ちょ、ちょっと待ちなさいこの馬鹿っ!」
「なんだよ、俺の本気の謝罪なんてめったにないぞ。こんなサービス、めったにないんだからねっ!」
「キモっ」
「ひでぇ!?」



 今のは割と本気で傷つきましたママン。
 



「――――別に、気にしなくていいわよ。きっと、向こうの私もそう思ってるから」
「なんでわかるんだよ。まさか、テレパシーで繋がってたりとかするのか?」
「んなわけないでしょ。ただの勘よ、勘。そもそも、私とおんなじなんだから、私がわからないはずがないじゃない」
「むぅ? いや、そのりくつはおかしい」
「なんでよ! あーもう、いいからそういうことにしとくのっ! 大体、私が良いって言ってんだから、アンタもいつまでもウジウジ言ってんじゃないわよ情けないわね!」
「八つ当たりされた!? いや、確かに怒られるようなことはしたが、今そういう流れだったか?!」
「うっさい黙れShut Up!! 別にアンタのことを気遣ってるわけじゃないんだし、お互いさまでいいでしょ!」
「なんちゅー横暴な」
「そ・れ・に!」



 一歩パツ金幼女が前に出ると、俺に向かって振り返りながら、その綺麗な白い手を腰に当てて憤慨したように言った。



「アンタね、私のこと気にするより、すずかの方を気にしなさい!」
「なっ……なな、なにをいきなりっ!?」
「まったく、せっかくこんなチャンスが来てるのに、アンタってばまるっきりヘタレ丸出しなんだもん。見てるこっちがじれったいわよ」
「ちょ、ちょーっとまてぇえええいそこなロリポォオオオップ!!?! ソレはアレか? やっぱり全部が全部ピーピングトムられてやがったりするのか!?」
「当り前でしょ。アンタがすずかにホの字なんて、とっくの昔にクラス中のみんなが知ってるわよ。気付いてないのはすずかとアンタ、あとなのはだけね」
「ワッツァワンダフルワールド!! 略してワールド3!!」



 そのまま頭を抱えて悶え転げ回りたい衝動に駆られるが、なんとか人としての尊厳を保つためにも必死に我慢。
 一気に顔の表面温度が上昇するのがわかる。ぽっぽと顔が火照り、恥ずかしさで一杯になった感情が暴走するように動悸を誘発する。
 なんということだ、我が国家機密がこうも簡単に漏えいしているとは……っ!
 ええい、諜報部は何をやっていた! すみません! 「忘れたのか? 俺はポーカーフェイスが得意なんだぜ?」なんて思いあがってましたっ!



「……俺、そんなに態度に出てた?」
「そりゃそうよ。アレだけすずかを意識してたらすぐわかるわ。まぁ、クラスのみんなに言いふらしたのは私だけど」
「うぉおおおおおい!? 何してくれやがってるんですかァアアア!?」
「うっさいわねー……いいじゃない別に。その方が面白いし♪」
「可愛らしく言って許されると思ったら大間違いだぞこのジャリガールっ!」



 それまで催していたことなどすっかり忘れて、俺は世界の残酷さにその場で慟哭した。
 おお神よ、俺が一体何をしたというのですか! いやしたけど!
 でもでも、これはその仕打ちにしては酷すぎるっ!
 天敵にでかすぎる借りを作った挙句、こんな俺のアキレス腱を握られるなど――――俺はそれほど酷いことをしたというのですかっ!?
 つーかそもそもこの世界に転生させてる時点で俺はアンタが大っ嫌いだけどな! ふん!



「何が望みだ! 金なんかないぞ! あと俺のコレクションは絶対にあげないからなっ!」
「いらないわよあんなガラクタ」
「がっ……!? 貴様ぁ、言うに事欠いて俺様の魂を込めた作品/子供達をガラクタ呼ばわりしやがったな!?」
「ホント、なんで男ってああいう玩具に夢中になれるのかしら……。私には理解できないわ」
「されたら土下座して嫁に欲しいくらいだな」
「ばーか。……うーん、でもそうねぇ。考えてみれば、私アンタからは迷惑こうむりっぱなしだし、無償で協力してあげるのもなんか馬鹿らしいわね」
「いかん。これは余計なフラグをまたしても立ててしまったオチだろうか。俺の渾名が墓穴掘り人形になりそう」



 真剣に自分は呪われているんじゃないかと疑いたくなる。なんでこうも藪を突いてアナコンダを出すような真似を繰り返しているのだろうか。
 恐ろしいのは、酷く真面目な思案顔で、真剣に俺への要求を考えている金髪幼女の横顔だ。こやつなら、全裸でラーメンレボリューション踊れとか言いかねない。ふんどし姿でならやってもいいかも知れんが。
 しかし、そうやって悩んだのも数秒。そして、要求された内容も、実に意外なものだった。



「――――アンタって、私の名前を呼ぶ時いつも変な呼び方するわよね」
「そりゃそうだろ。なんで天敵のヤツの名前を呼ばにゃならんのだ」
「んじゃこれからソレ禁止ね。私には〝アリサ・バニングス〟っていう立派な名前があるんだから。これからはきちんと〝アリサ〟って呼びなさい。私もアンタのこと、時彦って呼ぶし」
「……あれ? なんかふつーだ。ふつーすぎて肩すかし砲食らった気分だ」
「なんかすごく嫌な秘密道具ねそれ」
「だって、てっきり全裸でラーメンレボリューション踊れとか言われるかと思ったから」
「……今度罰ゲームでやらせてあげましょうか?」
「姫殿下のご用命とあらば喜んでご尊名をお呼びさせていただきますっ!」
「うん、よろしい♪」



 くっ……(小)悪魔のような満面の笑みを浮かべて勝ち誇りやがってっ!
 いつかその顔を恥と悔しさで真っ赤に染めてやるっ。



「だが、変な手出しはするなよ。お前、月村さんにも土曜に図書館行くように勧めたんだってな?」
「あら、良いじゃない別にそのぐらいなら。むしろ、そのぐらいしないと、アンタ達の仲は全然縮まらなさそうなんだもん」
「余計な御世話だぞコノヤロウ」
「のわりには、随分嬉しそうだけど?」
「ば、ばばばーかっ! だれがっ!」
「あはは♪ それじゃ、さっさと済ませてきなさいよ! まだ一回ぶっ飛ばし足りないんだから」
「ふん、俺様のドンキーで返り討ちにしてくれる」



 いつの間にか到着していたトイレ。その前で、俺の首に手綱と言う名の絞首紐をくくりつけた金髪幼女が宣戦布告をしてきた。
 どうやらくる直前のゲームで、俺様のドンキーに抱えられてカミカゼされたのをよほど根に持っているらしい。
 最後に強気な台詞を残していくあたりは、やはりアイツらしいというかなんというか……。



「ホントに…………余計な御世話だよちくしょう」



 正直、やり辛くなったのは間違いない。なにせ、今までは生意気なジャリ幼女としか見てなかったのに、俺の大ポカを軽く流してくれて、しかもすずかちゃんとの仲も取り持ってくれるなどと言ってくれているのだから、頭が上がらないどころの話じゃない。
 だというのに、それを鼻にかけるわけでもなく、全然気にしてない風にああも言ってくれるのは――――俺には、勿体なさすぎる〝親友〟だ。
 正直、そんじょそこらの大人よりも全然大人だ。人間が出来ていると言ってもいい。
 恐らく、一度の人生であんなに〝イイ女〟に出会える回数なんて、それこそ片手の指を満たすか満たさないくらいに少ない。いや、もしかしたら出会えない可能性だってある。
 そう考えると、前世でも今世でもそういう〝イイ女〟に出会えた俺は、中々に運がいいのかもしれないな。まぁこうやって転生している時点でアレなんだが。逆にアレすぎて他の事に対する運が軒並み下がってるかもしれないことのほうが否定できない。
 …………まぁ、つまり、だ。



「べ、別に借りを作ったなんておもってないんだからねっ!」



 誰もいない廊下にそんなことをのたまいながら、俺は月村邸のトイレのドアを明けた。いつか、今借りは必ず返してやるっ!
 そして、あまりにも次元の違う〝本物のトイレ〟というものを見て、俺は世界の広さを知ったのだった。










 トイレ革命というコンランノキワミから脱した俺は、ついでに喉が渇いたので水でも貰おうと、月村邸の食堂へと無謀な冒険に挑戦していた。
 イコール。



「…………むぅ、迷った」



 廊下に灯る明かりは最小限で、ただでさえだだっ広い廊下が不気味にライトアップされている。
 もう少し俺に風情とかが理解できれば、この仄明るく照らし出された廊下の壁や、やんわりと浮かび上がる天井の絵に優美さを感じるのかもしれないが
、生憎そっち方面に興味はないので、今は単純にこの薄暗さが不気味にしか感じられなかった。
 早い話が、ここがどこだかわかりませぬ。
 


「っかしぃなぁ~……たしか、こっち側がリビング(?)だったから、その向こうに厨房があった気がするんだけど……」



 人間、ノリと冒険心だけで行動するとロクな目に遭わない、という実にわかりやすい実例です。てへ☆



「いかん。携帯も置いてきたし、この時間帯に大声で助けを求めるなど、俺の矜持を砕いてあまりある……っ! これは万策尽きたか……」



 恥も外聞も捨てる、というのは本当にどうにもならなくなった時だけにしか許されない最終奥義だ。俺はまだ恥も外聞も惜しい。今更だろって? やかましいわっ!
 ……まずは落ち着こう。
 そう、こういうときは焦らず落ち着いてじっくりと冷静に的確に現状把握に勤めるべし。前世のマイラバーはいつも言っていた。〝常に冷静でありながらホットな人間だけが生き残る〟と。ヤツの矛盾極まりないご高説にはいつも頭を捻らざるを得なかったが、今はその言葉の奥に秘められた意味が実によくわかる。裏を返すと、それだけピンチな状況をくぐり抜けてきたからなんだが、今は置いておこう。
 さて、まずは現在地だ。
 先程のトイレから数分程度の距離にあり、そして高町の暴露話があったリビングから二部屋程離れたところの廊下である。
 月村邸がどういう作りになっているかはさっぱりだが、リビングがあるのが2階。すずかちゃんの部屋が3階。そして、食堂は一階だ。
 なんとか階段を探して降りたはいいが、どうやらメインホールではない所の階段から下りてしまったせいで、なんだか余計な遠回りをせざるを得ない状況に陥っている気がする。するだけだもん! 絶対そんなことないもん!
 ……ええい、面倒だ。とりあえず片っ端から部屋をノックして回ろう。
 無理やり自分を納得させるために、半ばこじつけのようにしてそう行動指針を固めた俺は、とりあえず廊下の左端の方から攻めることにした。



「あれ、本田君じゃない」
「ほにゃらはっはー!?」
「あはは、何その驚きかた♪」



 心臓がマジで止まった気がした。言葉によるハートブレイク攻撃がこの世に存在するとは思いもしませんでした。
 顔面蒼白になりながら慌てて声のした方に振り向くと、そこにはメガネを外した湯上り姿の美由希さんがいらっしゃった。
 薄闇の中でもわかる、水に濡れた艶やかな黒髪をタオルで覆いながら、ニコニコと笑みを浮かべてこっちに近づいてくる。
 幽霊や物の怪の類でないことがわかって、俺はほっと溜息をついた。あぁもう、なんで高町の兄姉はこうも心臓に悪い登場の仕方をするのだろうか。軽いイジメだぞコレ。



「み、美由希さんじゃないっすか。びっくりした、もう喉から肝臓が飛び出るくらいびっくりしたっ! 謝罪と賠償を要求するっ!」
「ごめんごめん。驚かせちゃった?」
「そりゃもう。気配もなくこの薄闇の中、背後で急に声をかけられたら誰だってビビりますがな」
「うーん、気配殺しちゃうのは癖みたいなものだからねぇ、あはは」
「癖で済ませる高町家、マヂパネェっす」
「本田君も習ってみる?」
「謹んでご辞退申し上げます」
「ありゃ、残念」



 対して残念そうでもないのに、わざわざ舌を出しておどけて見せる美由希おねーさま。いやー、やっぱノリが良くていいなぁ。
 鬼ー様もそれなりにノリはいいんだが、いかんせん悪乗りが過ぎるところがある。おかげで〝あの時〟は…………うぅ……っ! 頑張った、本当によく頑張った俺っ! よくあの地獄のシゴキから生き延びたっ!!



「ガクガクブルブル」
「あちゃー、トラウマ思いださせちゃった」
「なしてっ………なして鬼ー様はあんなに目をキラキラさせてうちをおいかけるんっ!? うちがなにしたっていうんやっ!!」
「おーよしよし。だいじょうぶだよー、恭ちゃんはここにいないからねー」



 フラッシュバックが俺の脳髄を掻きまわす。
 今や笑う鬼となって俺を嬉々として追いかける鬼ー様の姿が、まるで立体映像の如く目の前で再現されていた時、美由希さんがむんずと俺の顔を両手で挟んだ。
 そのままぐにぐにぐに。ぽんぽんと優しく頬を叩かれて、俺は正気にかえる。



「はっ!?」
「よしよし、我に返ったみたいだね。ごめんねー、嫌な事思いださせちゃって。ほら、涙拭いて」
「な、泣いてないっ! 本田君、泣いてないもんねっ!」
「あはは、そんな目をぐしぐし擦って言っても説得力無いよ」
「悪いのは全部鬼ー様だ! 俺は悪くない! 鬼ー様がやれっていったからっ!」
「うーん、まぁ恭ちゃんも子供みたいなところあるから」



 苦笑しながらぽんぽんと俺を撫でる美由希さんは、まるで〝しょうがないお兄ちゃんだよねー〟とでも言いたげな感じで鬼ー様をフォローしていた。
 いやまぁ、確かに悪い人じゃないし、あの時だってちょっと悪乗りしただけだってのはわかってる。わかってるからこそ、俺にはあの純真な好奇心で俺を試そうとしていた高町恭也という人間が恐ろしいのだ。
 まるで俺の限界を超えた先が見たいとでも言いたげなあの瞳。繰り出される竹刀。変貌する世界。俺を襲う凶風。あぁ……思いだしただけでも恐ろしい!



「それより、こんなところでどうしたの? お風呂ならさっき入ったでしょ?」
「あぁ……そうか、ここお風呂だったんだ」



 そう言えばと周囲を見回してみて、薄明かりに照らされている廊下の様子が記憶の箪笥から掘り起こされたソレとマッチする。夕食をごちそうになった後、鬼ー様と一緒に入るなどゴメンだという恐怖心故に速攻で入って出たから、あまり記憶に残っていなかった。
 


「いえ、実は喉が渇いたんで水でも飲みたいなーって食堂を探してたんですけど……」
「なるほど、それで迷っちゃったんだ。ふふ、でも本田君、飲み物が欲しいなら部屋でファリンに頼めば良かったのに」
「いっ!? いやいや、それはちょっと申し訳ないっすよ! たかだか飲み物一つのために人をこき使うとか、何様だよって思うじゃないですか!」
「逆に、こうして屋敷内で迷われた方が、ファリンは困ると思うんだけどなー、お姉さん」
「うぐむっ……」



 痛いところを突かれた。にやにやと意地悪気に笑う美由希さんの言う事はまさに正論だ。さらに言うならば、今ここに至るまで、その方法を思いつかなかった。
 仕方ない……ここは大人しく部屋まで連れてってもらうとしよう。飲み物はそのあとだ。



「さて、おねーさんもそろそろ戻って寝ようと思うんだけどー……一緒に寝る?」
「へいタクシー!すずかちゃんの部屋まで頼むぜっ!」
「ちえ~、残念♪」



 全然残念そうじゃない笑みで、美由希さんは俺の手を引いて歩きだした。
 その途中で聞いたことだが、どうやらこんな遅くまで自己鍛錬をしていたらしい。しかも、その相手がおっさんだというから驚きだ。
 鬼ー様とあれだけやらかしておいて、まだ美由希さんに付き合う余力があるとか――――マジでオッサン強すぎだろ。
 しかも、美由希さん曰く〝私じゃ、200年は修業しないと五分にも持ち込めないね。すごく強いよ〟だそうで。
 ……さて、将来すずかちゃんを頂くためには、その色々と人の規格外なおっさんという壁を乗り越えなければならないのだが。
 


――――なんで俺の周りには、こうもいろんな意味で人並み外れた人間しかいないのだろうか。


 神様は、きっと俺がヤツを嫌いなのと同じくらい、俺のことが嫌いに違いない。でなければこんなにもアブノーマルな日常が俺を囲んでいるはずがないのだから。
 結局、俺の人生の先には強大過ぎてもうどうしていいかわからないような壁が立ちふさがっていることが認識できただけで、なんの解決策も思い浮かばなかった。こうなった以上、もはやなるようになれと開き直るしかあるまい。えへん。

 内心でそんなことを考えながら、俺と美由希さんは廊下を歩きながら「本田君さ、結構筋がい言って恭ちゃんが褒めてたんだから本当に習ってみない?」「マジ勘弁してください。まだこの歳で死にたくないです」「大丈夫だよ。なんか、本田君て殺しても死にそうにない、ってアリサちゃんが言ってたし」「俺、もはや人外扱いっ!?」「君も私のこと人外扱いするじゃない。お互い様だと思うんだけど?」「いやいや、一瞬で人の背後に回ったり、壁を通り越して向こうの藁を破裂させたり、20メートルも先に立てた一円玉を飛針で打ち抜いたりなんて、普通の人間にはできません」「修行すれば本田君もできるようになるって」「嫌だぁあああ!」なんて他愛のない話題を、すずかちゃんの部屋に突くまで続けたのだった。

 追伸。
 美由希さんの手は、意外におっきくて、そしてすごく手の平がかたかったです。がくぶるがくぶる。


 




















――――――――――――――――――
ようやくプロローグらへんが終わり。
次からはマキマキでいきたいな。

*1恭也の性格
前回の更新時に、ちょっとアレだったので大幅に設定変更。関連イベントも結構削除しました。まぁ出番減るけど問題ないよね。むしろいらななかったからよかったのかも。

*2本田とアリサ
小学生同士の呼びあい方なんてこんなノリです。経験者は語る。あの程度ではまだまだ蔑称レベルには。
ついでに本田のセンスの無さは筆者のセンスの無さです。

*3本田視点
本田が考えていること全部が全部〝真実とは限らない〟



[15556] 怪談と妖怪と二人っきり
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:42
 私立聖祥大付属小学校。
 それは、海鳴という海岸線に建てられた白亜の学び舎。
 中央に大きな噴水を備え、周囲には約3,200平方メートルもの巨大な校庭が広がる超巨大マンモス校。
 そんな、海鳴に住む者ならば誰でも知っている超有名私立校の廊下に、涙と恐怖とパニックの入り混じった悲鳴が響き渡っていた。



「いやぁあああ!!」
「きゃぁあああ!!」
「うにゃぁあああ!!」
「うぉおおおおおおお!!!」



 拝啓、お母様、お父様。
 夜天に輝く蒼月の下、息災でいらっしゃいますか?
 誠に勝手ながら、私本田時彦は、手前勝手な理由ながら、今現在深夜の学校へと訪れています。
 ついでに、とても嬉しくないたくさんの〝友達〟と、学校を舞台にした鬼ごっこ中ですっ!!



「きたっ、きたきたきたっ! ちょっと時彦! アンタが言いだしたんだからアンタが何とかしなさいよ!」
「無茶ゆーなよばかやろうっ!? あんな大群相手にどうしろってんだ!!」
「ふ、二人ともこんな時まで喧嘩しないで!」
「そうだよ! 今は隠れないと!」
「あわ、あわわ! ねぇ、ねぇほんだくんどうしたらいいの!? やっちゃうっ!? でぃばいんばすたぁでいっそーしちゃっていいよね!?」
「さりげに物騒な事言ってますよこの子っ!?」
「ふにゃぁああぁ!!! お化けもうやだぁ~!」



 阿鼻叫喚。
 高町なんか完全に泣いてるし、すずかちゃんも今にも泣きださんばかりの涙目。アリサなんて、もはや泣いてるのか怒ってるのかわからない有り様だ。
 救いなのは、高町の肩に必死にしがみつきながらも、ユーノが冷静な判断を下せていることくらいか。
 ……うん? 俺?
 いわゆる饅頭怖いだぜ☆
 このおいかけっこを秘かに楽しんでいもするが、しかしながら、〝本物のお化け〟においかけられるというスリルにすっげぇドキドキしてる!
 とまぁ楽しさ半分怖さ半分という不謹慎極まりないアレなんだが、いささかこの状況は拙い。
 走りつつ後ろを伺えば、個性豊かな夜の学校のお友達連中が鬼気迫る勢いで追いすがっていた。――――すみません、やっぱ俺もちょー怖ぇええ!!!



「ちぃ、こうなれば高町、実力行使だ! 砲撃戦よーいっ!」
「やっちゃうよ!? 遠慮なしにやっちゃうんだからっ!!」
「え、ちょっ! 時彦!? こんな狭いところでそんなっ――――!」
「なのはの目がぐるぐるしてるー!?」



 急ブレーキをかけながら振り返りつつ、俺達に追いすがる〝大群〟を指差し指示を飛ばす。ユーノがなんか文句を言っていた気がするがこの際無視だっ!
 若干戸惑いながらも俺の命令を受けた高町は、それまでの赤いミニスカートにボーダーチェックのシャツ姿から、うちらの学校の制服にも似た〝魔法少女〟へと変身した。
 同時に、高町の手にはそれまで影形も見当たらなかった杖が握られていて、それは高町の宣言と共に、まるでプログラムが変化するかのようにその形を変えていく。



「レイジングハート、カノンモード! ディバインバスター、セット!」
≪All right. Stand by cannon mode. Charging "Devine buster"≫
「な、なのは待って! タイム! だめだよ、こんな狭いところでそんな魔法使ったら――――!」



 高町の構えた杖が、まるでその先端を銃口のような形に変えたと思うと、持ち主の言葉に従ってその銃口の前に魔方陣と共にサッカーボールじゃきかないくらいの、大きな光を集めだす。
 実際にこの目で魔法とやらを見るのは初めてだが、この状況でそのことに感動している余裕なんてなかった。
 とにもかくにも、今俺達が求めているのは、現状からの脱出。さらに言えば、敵の排除なのだから。
 俺は、準備ができたであろう頃合いを見計らいつつ、さながらどこぞの艦長の如く左半身になりながら人差し指を敵陣へと突きつけた。



「目標、敵陣中央! 主砲! テぇーーっ!」
「こっちにぃ――――こないでってばぁああ!」
≪Shoot!≫



 まさに漫画だった。いや、アニメと言った方が正しい。ハリウッド映画でも、こうまで荒唐無稽なシーンを再現するのは不可能だろう。
 それほど冗談じみていながら、しかし現実感があり過ぎて逆に信じられないような攻撃だった。
 桃色の魔方陣の向こうに、一条の光が走る。
 光と言っても、その太さがヤバかった。
 率直に言おう。学校の廊下を埋め尽くすほどの光を、はたしてまともな一撃と捉える事が出来る人間がいるだろうか。それも、普段はほぇほぇとしていてあまりぱっとしないドジっ子娘がそれをやらかしたという事実を、一体誰が信じられると言うのか。なんというメガ○子砲。
 


「おぉう…………まさに死屍累々」
「なのは………恐ろしい子っ!」
「なのはちゃんすごーいっ!」
「にゃ、にゃはは…………はぁ~……」
「……あぁ、なんてことを」

 
 
 言わずもがな、上から俺、アリサ、すずかちゃん、高町の順だ。そして最後に、器用にも背後にたくさんの縦線を引きながらユーノが項垂れる。
 高町の放ったかめはめ波の跡には、それまで俺達を追いかけまわしていた〝日本の妖怪~学校の怪談シリーズ~〟の無残な姿が積み重なっていた。
 




――――そう、俺達は今、季節外れの肝試しに来ていた。









                           俺はすずかちゃんが好きだ!










 結論からいえば、ジュエルシードとやらの影響だ。
 どっかの馬鹿が俺みたいにジュエルシードを拾った後、あろうことか保健室だかどっかにおっことしてその時に発動したんじゃないか、というのが我らが灰色の脳細胞ことアリサ・バニングスの推理である。
 情報が入ったのは、海鳴カリビアンベイでの事件の翌日、つまり昨日のことであり、どうやらカリビアンベイでの事件が解決したその夜に、ここでもジュエルシードが発動していたらしい。
 なんでも、警備員が夜な夜な廊下を「僕の肝臓、どこだよぅ~」とか涙目になって探し回っている人体模型と、その人体模型を慰めるように肩を叩きながら横を歩くケタケタ笑うガイコツ標本を見たとかなんとか。さらに言えば、夜中の間ずーっと音楽室から大合唱が響いていたり、トイレからすすり泣く声が止まなかったり――――昨日の昼、話を聞いていた高町はこのあたりで気絶した。
 

 
 で。



 ならば、我ら海鳴防衛隊が出張らなくてはならんだろう、という話に相成ったわけである。
 ちなみに隊長は高町。副隊長がアリサでその補佐がすずかちゃん。俺が雑用。なんだこの人為的な差別は。しかし人選はアリサが行っているので、俺に文句を言う権利はないのでした。ぐっすんおよよ。
 学校の外には忍さんと鬼ー様が待機していて、俺達に万が一があった場合手助けしてくれることになっている。美由希さんは明日朝早いので今日はお休みとのこと。
 まぁ、そもそもなんで俺達だけでこんなことをしているのかというのは、多少なりとも事情があったりなかったり……。



「ふぅ……まさか勘で入ってみた保健室がドンピシャだったとはな」
「ふざけんじゃないわよこのウスラトンカチ!」
「あでっ!?」



 ぺたりと廊下に座り込んだアリサが、おもむろに俺に向かって上履きを投げつけてくる。
 見事にテンプルに的中したそれは、ポテンポテンとシュールな音を立てて廊下に転がった。
 ヒットした衝撃でのけぞった頭を戻しながら、俺は金髪怪力女にモノ申すべく拳を掲げて見せる。



「てめぇこらアリサ! だからって上履き投げんなよ! 滅茶苦茶いてぇんだぞソレ!?」
「知るないわよそんなのっ! あぅう……もう一生分の恐怖を味わった気分だわ……」



 いつものアリサにしては勢いがない。言葉の途中でしおしおと養分の足りない食虫植物のようにくずおれてしまった。
 見回してみれば、高町もすずかちゃんも同じようにしてその場に座り込んでしまっている。
 確かに、ここまでずっと全力疾走だった上に、その鬼が学校の怪談から出てきたようなお化け集団だったのだ。腰が抜けたように力が抜けてしまっても、無理はない。

 

「すごくドキドキしたね……お化けさんを見たのは初めてだよ」
「にゃぅうう……もうお化けやだぁー! こんなことになったのも、全部ほんだくんのせいなんだからっ!」
「だから僕はもっと慎重に行動した方がいい、って言ったのに……」
「あ、ユーノてめぇ、お前だって保健室の前に来た時は怪しいとか言ってたじゃねぇか!」



 いつの間にか俺の肩に飛び移っていたユーノが、ほとほと呆れたような口調で俺を窘めるようなことを言ってくる。
 俺はこいつが怪しい、っていうから保健室に突入する決心をしたというのに、この責任転嫁はどういうことなの……。
 まぁ、確かに学校で怪しいことが起きてるって言うのに、その怪しい匂いがぷんぷんする中へ突入するとか、今考えてみると馬鹿にも程があるんだが。



「お、俺は悪くねぇぞ! ユーノがやれっていったから!」
「えぇえ!? 僕のせいなの!?!」
「いや、ネタだからな? いきなり突っ込んでったのは実際悪かったと思ってるし」
「……変な冗談はやめてよね」
「はは、わりぃわりぃ」
「うむうむ。まったくじゃ。男が人に責任をなすりつけるなど、冗談にしても唾棄すべき愚行よな」
「ですよねー。いやー本田さん失敗しっぱ…………え?」



 気がつくと、俺とユーノを除く皆が、俺を指差して一様にガクガクと震えながら蒼い顔をしていた。
 ……既にこの時点で嫌な予感はびんびんとしているんだが、俺は男。本田君はあえて死地に足を踏み入れる勇気ある人間っ!
 はたして、振り向いたそこには。



「ところで少年、勉強はしとるかの? 勉強はいいぞ。人類が生み出した文化の極みじゃ」
「にのみやきんじろうさまでしたぁああああああああああああああ!!!!!」
「「「きゃぁあああああああああああああ!!!!!」」」



 わけのわからんことをしたり顔でのたまっていやがる石像を無視して、俺達は蜘蛛の子を散らすように逃げだしたのだった。



「……なんじゃい。最近の若いもんは、向学心がなっとらんな」


 
 俺達が走り去った後、ポツネンと一人残った二宮金次郎さんはそう呟いていたそうな。
 ……んなもん知るかぃっ!!









 さて。
 不覚にも、一体いつの間に背後へと回り込んでいたのかわからない二宮金次郎さんを捲いて逃げ出したのは良かったのだが。



「いかん、はぐれてしまった」
「なのはちゃんとアリサちゃん、大丈夫かな……?」
「なのはがいるからきっと大丈夫だよ。むしろ、僕は時彦と一緒になってしまったすずかさんが心配なんだけれど……」
「おいこらそこの茶色いバナナ。あんまり本田さんを見くびるなよ?」



 どこをどう逃げ回ったのか全然記憶にないんだが、気がつくと西棟の反対側、それも特別教室などが並ぶ三階にきてしまっていた。
 隣でじんわりとにじんだ汗をぬぐっているのは、何の因果か月村すずかおぜうさま。正直、目下俺の悩みはと言えば、こんな真夜中の学校で彼女と二人っきりという極限状態に他ならない。ぁあ、俺の意識あとどのくらい持つんだろう。



「時彦? 顔が真っ赤だけど大丈夫?」
「本当だ……! 本田君、具合悪いの?」
「い、いやいや! 大丈夫、全力疾走したせいで息切れしてるだけだから!」
「……その割には息荒れてないけど」
「さ、さーて! とりあえず保健室に戻ろうぜ! アリサのヤツが冷静なら、きっとそうするはずだし!」
「……誤魔化したな」



 肩で呟くユーノの声なんて聞こえません。
 


「あ、あの本田君!」
「はいっ! なんでせうか!!」



 びしぃっ!と体を一直線に伸ばして気を付けの姿勢。ともすればそのまま敬礼さえしだしかねない勢いだが、別にそこはどうでもよろしい。
 問題は、あのすずかちゃんが白木のような御手を胸に当てながら、ウルウルとやや涙目でこちらを見上げているこの現実である。



「そ、その……本田君が嫌じゃなければ、ね?」
「いやもう月村の御嬢さんとこの御願ならこの本田さん、血を吐き骨を砕こうとも叶えてあげる所存ですよ!」
「本当に! それじゃぁ、その…………手を、繋いでもいいかな?」
「――――――て?」



 予想を外れた――――それも斜め仰角48度くらいを飛んでいくその言葉に、俺はしばし我を忘れる。
 〝て〟とは……まぁ手だよな?
 繋ぐって、俺と? こんな二人っきりの状況で? そんな不安そうにおろおろしているすずかちゃんの、白磁の如く白くて細い指が眩しいその御手を?



「――――――全力で喜んで!!」



 思わずその場で跪いてしまいそうになるくらいの勢いで、俺はすずかちゃんの手を取る。
 ちょっとがっつきすぎたかなとも思うが、すずかちゃんは一瞬驚いて手をこわばらせたが、すぐに弛緩して俺の手を握り返してくれた。
 ……あかん、これは夢だろうか。しかし夢であっても覚めてほしくないのでそのままにしておく。
 正直、今日は厄日かとも思ったがとんでもない。むしろコレだけで俺は昇天してもいいくらいだ。



「よかった……本当はね、すごく怖かったの」
「そ、そっか……ごめん、俺が無思慮に突撃したばっかりに」
「ううん、本田君は悪くないよ。私だって、あんなところに原因があるなんて思わなかったもん」
「そう言ってもらえると、その――――すごく救われる」
「ふふ、それにね?」
「うん?」



 てくてくと、心臓がバクバク言うのを意識しながら廊下を歩く俺。その隣に、餅のようにしなやかな手を俺と繋ぎながら、すずかちゃんが歩いている。
 窓から差し込む月明かりはまばゆく、非常灯しか付いていない暗い廊下を、青白く染め上げている。
 その青白いキャンバスの上に黒い影を映しながら、俺は隣のすずかちゃんを見た。



「こうして手を繋いでくれてるから、今は怖くないよ?」
「――――――っ!?」



 死んだ。本田時彦の精神体は、この瞬間ん完膚なきまでに再起不能寸前に追い込まれた。
 あぁ、この喜びをどう表現したらいいのだろう!!
 英国民が女王に微笑まれる? いや、それともアイドルのライブで直接握手してもらう? はたまた、期待もせずに買った宝くじが一等賞だった?
 ……違うね。そのどれもがどうでもいいくらい、今の俺は幸せすぎて気持ちが天元突破している。
 マジで今なら火の中水の中所構わず突撃しても生きていられる自信がある。あぁ神様今だけありがとう! でも死ね!



「そ、それはよかった。うん、ホント」



 なんとか口にできたのは、その程度の言葉。
 感謝でも、否定でもない。ただただ、無難な回答。
 いくら緊張で頭が飛んでいるとはいえ、コレは酷い。紳士を目指すのならば、いや、そうでなくとも惚れた女の子の手前なら、もっと気のきいたことを言ってあげるべきだと言うのに……っ!
 せめて――――そう、せめて「大丈夫、僕が守るから」とかそのくらい気障な台詞をいっても、今なら絶対に許されたはずだ。シリアスにしろ、ジョーク扱いにしろ、少なくともそのぐらいの気概があることを示せたはずなのに。
 肝心なところでポカをやらかす。それは、前世から変わらない俺の欠点の一つです。



「……ねぇ、本田君」
「な、なななんざましょ!?」



 唐突に声をかけられたせいか、声が裏返る。
 相変わらず心臓は激しく血液の輸出入を繰り返し、その過剰動作によって呼吸が激しく乱れてしまう。
 見れば、すずかちゃんはそれまでの清純な少女らしい清涼な雰囲気から180度ひっくり返したような、とんでもなく真剣なまなざしと雰囲気を纏っていた。



「つ、月村……さん?」
「失礼なこと、聞いちゃうと思うんだけど……聞いても、いいかな?」
「月村さんの質問だったらなんでもっ!」
「それじゃ御言葉に甘えて聞くけれど……本田君、〝夜の一族〟って、知ってる?」
「〝夜の一族〟? なにそれ、小説?」



 すずかちゃんが紡いだ言葉に心当たりがないか、すぐさま脳味噌がフル回転を始める。
 しかし、いくらあっちゃこっちゃ記憶の棚をひっくり返してみても、該当する単語は見つからなかった。
 名前からして、何かの本のタイトルのようだけれど……はて、映画のノスフェラトゥとは違うのかな?
 それとも、ブラム・ストーカーの出した本の一つだろうか?
 どちらにしろ聞いたことがないし、読んだこともない。そもそも、そういう本が世にあるのかどうか……いやまぁ、俺の〝前世〟とは微妙に違う世界なんだし、出ていないとも限らないんだが。
 すずかちゃんは、そんな「本気でわかりません」という間抜け面な俺をじーっと見つめて、ふっと笑った。
 その笑みはどこか儚げで、まるで「知らなくてよかった」とでも言いたげなものだった。



「そっか……ううん、知らないならいいの。ただ、少し気になっただけだから」
「なに、探してる本? 俺、出来る範囲で手伝うよ?」
「あ、ううん、本じゃないんだ。本当、私の個人的な疑問だから」
「??? ま、まぁ大丈夫ならいいんだ」
「ごめんね、変な事聞いちゃって」
「いえいえ、このぐらいなんてことないっすよ。そりゃもうアリサの毎度のド突きに比べたら……」



 そこで、クスクスとはんなり笑ってくれるすずかちゃん。あぁかぁいい。
 その笑みの前では、それまでの俺のささやかな疑問なんて火の前の虫である。たどり着く前に焼却されるか、恐れ戦いてまわれ右だ。
 


「でも、なんで小説だって思ったの?」
「んー、なんとなく、だけど……しいていうなら、月村さんがよく本を読んでるから、かな。タイトルも小説の題名っぽいし」
「確かに……言われてみれば、小説のタイトルみたいだね」



 手を繋いでない左の人差し指を口元に当てながら、うーんと唸るすずかちゃん。あぁかぁいいその2。



「んでもって、内容は吸血鬼モノと見た。あるいは人狼とか、そういう超人が主役で、こそばゆい恋愛をするんだ」
「本田君、恋愛小説も読むんだ?」
「むしろ大好きです! あとはサスペンスも好きだね。シェルダンの血族とかはすごい面白かった」
「あ、それ私も読んだよ。途中で犯人はわかったんだけど、正直信じたくはなかったなぁ……」
「……あれを小学校三年で読むとは、さすが月村さんパネェ」
「そ、そんなことないよ! それを言ったら、本田君だってすごいと思うよ?」



 俺の顔を覗き込みながら、ぎゅっと手を握りながらそう言ってくれるすずかちゃんの顔に、蒼い月光が反射してキラキラと輝いていた。あぁかぁいいその3。ていうかヤバいだろこれ。お月さま空気読み過ぎです。ここにおわすのは一体どこのアフロディーテ様だろうか。
 瞬間湯沸かし器のように、自分の顔が熱くなるのがわかる。
 思わず恥ずかしくなったのを悟られたくない一心でその視線から逃れた俺は、ぽりぽりと頬を掻きながら無難に誤魔化す。まさか〝前世〟持ちのチートなんです、なんて口が裂けても言えない。



「あー、まぁ俺はほら、ちょっと特殊だから」
「特殊……?」
「イイ男には秘密がつきものなのです」
「ふふ、なぁにそれ」
「紳士たるもの、意味深な秘密の一つや二つはないとだめなのですよ、ほっほっほ」
「くすくす」



 そんな感じで、俺達はのんびりと保健室に向かうのだった。
 しかし、俺は知らなかった。
 いつものように、またこの後騒ぎがあって、しかし最終的には何事もなかったかのように解決するこの事件が、あんな衝撃的な出会いを生むなんて――――。


 




















――――――――――――
とりあえず学校の怪談編前篇
妖怪さん達との騒動については割愛しまつ。
大事なのはフラグ。オリ主の特権だよね!



[15556] 妖怪と金髪と瓜二つ
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:42

 
 夜の学校。蒼い月光に照らしだされた廊下を、俺とすずかちゃんは歩く。あ、もちろん俺の肩にいるユーノも忘れていないよ?
 アリサと高町の二人とはぐれてしまったものの、俺達はなんとか保健室にたどり着くことができた。まぁ、遠くからなんかすごい爆発音とか聞こえているから、あの二人はきっと無事なんだろう、うん。……ぼくしーらない。
 無論、その道中では様々な出会いと別れがあった。以下にダイジェストでお送りいたします。

 ①ろくろっ首の姐御

「やっぱり夏の風物詩は花火と祭りと肝試しだと思うの。でもね、近ごろの若者って、妖怪なんてこけおどし、正体見たり枯れ尾花なんて言う輩ばっかりで、ちーっとも私達に対して真面目な態度を取ってくれないの! 酷いと思わない!?」
「はぁ……苦労してるんですね?」
「そう、そーなのよっ! 私達は人様に怖がられてなんぼなのっ! でないとこの業界やっていけないってーのに近頃のジャリガキどもは『あはは、お化けだってチョーウケルゥ~♪』よ!? なにこの辱め! アンタら〝お化け怖くないアタシらチョークール〟とか思っちゃってるわけ!?」
「いや、それはちょっと偏見が混じってるような……」
「アンタ達だってそう言う口でしょ!? ていうかそこのジャリガール! アンタは一応私達側じゃないの! なんで逃げる側に回ってきゃっきゃうふふしてるのよ!」
「え、あの、別に私はそういうつもりは……」
「きーっ! 差別ね、これが(色々な意味で)持つモノと持たざるモノの格差ってやつなのね! うぅうううらぁああめぇえええええしぃいいいやぁあああああああ!!!!」
「「ひぃいいいいいい!!?」」


 
 ②テケテケ&トコトココンビ



「よーあんさん。こんな夜中に彼女とデートかい? ひゅーひゅー!」
「今度は上半身と下半身の妖怪か。…………どこから突っ込むべきなのか」
「なに、俺っちの相棒に突っ込みたい!? あんさん、ガキンチョの癖に中々ディープな趣味を……!」
「ちげぇえよ!? 何勘違いしてるんだこの腐れ上半身!?」
「その……痛く、しないでね? と相棒が言っております」
「なにがっ!? ねぇ、なんのこと!? 俺のことなんだって思ってるの!?」
「あれ? いわゆる公園で誘われてトイレで〝ウホッ〟な事が大好きな人種じゃ?」
「するかっ! ていうか小学生を何だと思ってやがるテメェっ!?」
「……あの、本田君? なんのお話なの?」
「月村さんは一生知らなくてもいいことでーすっ!!」



 ③図工室の傍、粘土の手&埴輪コンビ。



「わぁ、かわいい♪」
「……なんで粘土の手と埴輪がダンスしてるかな。アダムスファミリーでもあるまいし」
「でも、悪さとかしなさそうだね?」
「うわべだけで判断すると痛い目を見るのが常。いやしかし、こいつら器用だな。手と埴輪というシュールな光景にもかかわらず、思わず見とれてしまう優美さがある……っ!」
「あ、終わったみたい。拍手してあげようよ」
「いや、構わんけど……」
「ねぇ本田君、あの子たち、私達にもっと近づいて、って言ってるのかな……?」
「つ、月村さん危ないよ! そんな不用意に近づいた――――てめぇええそこの粘土月村さんの手から離れろやゴラァアアア!!?」
「本田君落ち着いて!? 私握手しただけだよっ!」
「お、俺ですらまだの体験を粘土と土くれ如きがぁああ!? ―――――死のう」
「彫刻刀で切腹はダメぇええええ!!」



 ――――とまぁ、色々ありました。
 最初はおっかなびっくりドキがムネムネしながら怖がってたんだけど、ろくろっ首の姐御との会話で、どうにもやつらはそう悪いヤツらでないことが発覚。なんでも、いきなり自我が発生してみんな混乱してるんだとか何とか。なんだその超常現象。楽し過ぎる。
 結局、俺とすずかちゃんは出会う妖怪達と仲良く挨拶して話を聞いてあげ、そして件のジュエルシードをどこかで見なかったか、と尋ね回っていた。
 その甲斐あって、今回の事件の根本的な原因―――――というか、まぁ始まりとなった理由がわかったわけである。
 カギを握っているのは、警備員さんが話していたという〝肝臓を探し回る人体模型〟にあったのだ。
 なんでも、そいつが青く光る石を持っているのを、この学校に存在する妖怪達全員が目撃したらしいのである。となれば、考えるまでもなく、そいつが今回の元凶である。
 探し出す存在も確定し、あとは地道な聞き込みと足を使った探索と相成ったわけなんだが……。



「貴方は……この間の!」
「…………」
「―――――マジかよ」



 月村さんが鋭くねめつける先には、一人の―――――とても見覚えのある少女が、悠然と立っていた。









                           俺はすずかちゃんが好きだ!









 俺は、改めて今この瞬間、神を殺してやりたいほどに憎んでいる。
 あぁくそ、なんの悪戯――――いや、嫌がらせだろうか。
 忘れるなんてできない。いや、確かに記憶から少しずつ薄れ始めてはいたが、それでも〝彼女〟という存在は〝俺〟という魂に未来永劫焼き付いている。
 だからこそ、俺は信じられなかった。
 呼吸が長く止まる。息することすら忘れ、隣で喚くバナナ獣の言葉すら右から左に流し、俺の手をぎゅっと握りしめてくれる天使の存在すらもその時忘れて、俺は彼女に見入った。
 踝あたりまで伸びてそうな髪をツーテールに結わえ、その身を黒いマントに包んでいた。
 背はすずかちゃんと同じくらい。どこか眠たそうで気だるそうな目は、しかしはっきりとした意思と覚悟を伴って、俺達を見据えている。
 どこかの窓が空いていたのだろうか。ふと、俺達の間に一陣の風が吹き抜ける。
 舞い上がる金砂のシルク。さらさらと心地よい音を立てて、目の前の少女を風が撫でていく。
 懐かしさで胸がいっぱいになった。そりゃもちろん、あいつはこんな奇天烈な格好はしていなかったし、ツインテールなんて可愛らしい髪型をしていたわけでもない。



――――その容姿が、〝前世〟のマイラバーと瓜二つということに、神の悪意をまざまざと感じざるを得なかった。



 物事を淡泊に捉えていつも大人ぶっていて、しかし静かで優しい旋律を奏でる―――――のは外面だけ。
 二人っきりの時とか俺の家にいる時とかなんか、あの野郎、まるで鬱憤を晴らすかの如く俺の中の〝女〟をぶち壊してくれやがった事実は、今でも俺の心臓を締め付けてやまない悪夢である。
 ……いやまぁそのせいで〝ぶち壊される以前の理想の女性像〟とも言うべきすずかちゃんにベタボレしてるんだけどさ。一概に害悪とも言い切れないのが質悪い。
 そして、そんな懐かしさ爆発な容姿をしている少女――――恐らく、彼女が先日のブルーデビル事件で高町と相対したという、ライバルの魔法少女なのだろう。



「――――この間の魔導師の友人か。邪魔をしないと言うのなら、すぐに帰って。ここは危険」
「デンジャーな場所はジンジャー」
「………………」
「………………本田君、その……ごめんなさい」
「うん、むしろ何も言わないでくれたほうが心の傷が浅かったです」



 思いっきり滑ってトリプルアクセルをかました俺に、すずかちゃんが慰めの言葉をかけてくれる。しかし今ばかりはその心遣いが悲し過ぎた。



「……とにかく、ここは危険だから」
「それで、貴方はまたなのはちゃんを傷つけるの?」



 ざっ、と俺達を置いて去ろうとした少女を呼びとめながら、すずかちゃんが俺より一歩前へと踏み出す。
 その声には、少女に対する敵意がありありとこもっていた。俺が思わず唾を飲み込んでしまうほど重く、そして強い敵意が。
 しかし、高学年の子供がひるんでも可笑しくないその恫喝を受けても、少女は眉ひとつ動かすことなく踵を返す。
 黒いマントが緩く翻り、風を撫でる音だけが静かに廊下に木霊する。
 俺も、すずかちゃんも追いかけることはしない。いや、容易に近付けないんだ。
 高町のやつが使って見せてくれたことで、魔法使いが使う魔法の威力は良く知っている。ここで迂闊に手を出して反撃をされようものならば、凡人でしかない俺達は容易にコテンパンに伸されてしまうだろう。
 ようは、こっちには一瞥もくれやしない象に対して、蟻んこが一生懸命罵詈雑言吐き散らして威張るようなものだ。無茶無謀もここに極まれり、だ。でもそんな強気なすずかちゃんも可愛くて大好きですっ!
 


「その沈黙が肯定の意味なら―――――私は貴方を許しません」 
「…………」



 少女の足が止まる。
 いつの間にか、すずかちゃんの手は俺から離れ、気がつくと俺をかばうようにして前に立っていた。
 その意図に気付いて、俺は慌てて「月村さん!?」と声をかけるが、すずかちゃんはそれにこたえず、ただ静かに足をとめた少女を睨み据えている。

――――いやいや、何この【すずかちゃんVS謎の魔法少女】のガチバトル一歩手前の雰囲気は!?

 そもそもからして、あの少女が俺のマイラバーと瓜二つなのは一体何なのか? いや、彼女はこの世界でのマイラバーなのか? それとも俺と同じく転生してきたのか? それとも姉妹か何かなのか? 好きなものは何ですか? 俺のこと誰かわかりますか? あとやっぱりプロレスとか得意ですか?
 ……聞きたいこと(聞きたくないことも含め)は、それこそ山のように積み重なっていく。しかし、そんな俺の衝動は、すずかちゃんの静かな言葉に否応なく抑えつけられる。
 抗えない。何故だろう、今この瞬間、すずかちゃんの言葉に割入る勇気が、俺には持てない。
 そうしている間にも、二人の間で話は進んでいく。



「だとしたら……?」
「ここで貴方を止めます。なのはちゃんの邪魔は、させない」
「ちょ、月村さん!? そんな危険な事、おとーさん許しませんよ!?」



 よもや俺の予想を鉛直方向に裏切らない、とんでもないことをおっしゃる月村のお嬢様に、俺は思わずいつもの勢いとパニックから、普段は絶対に言えないようなジョークを交えた台詞を飛ばす。
 「おとーさんって……」と苦笑しながら振り返るすずかちゃん。いやもうごもっともです。
 しかし、そんな俺達を交互に見ながら、ちょこんと小首をかしげるマイラバーと瓜二つの少女。
 


「……親子?」
「「そんなことはありません」」
「……そう」



 ノリがいいのか、それとも素なのか。
 判断に苦しむところだが、ともあれ中々面白い性格をしているのは間違いないようだ。
 いや、それよりも……っ!



「なんだか忘れられてた気がするけど、無茶だよすずかさん! 普通の人が魔導師に挑むのは自殺行為だ!」
「……あぁ、そういやいたっけ、バナナ獣」
「忘れないでよ!? ていうかバナナ獣って呼ぶのやめてよねっ!」
「だって、なんか形がひわ……」
「それ以上言ったら縛るよ!」
「……とても優美で雄々しくあらせられますね、ユーノ様」



 獣如きに平身低頭しなければならない、この弱者の地位が恨めしい。
 昨日、調子に乗ってからかいまくったら、ユーノの魔法である鎖でがんじがらめに縛られて三十分くらい逆さ吊りにされた記憶がよみがえる。うぅ、最初は「わーいミノ虫だー♪」とか喜んでられたけど、次第に頭に血がたまってきてしんどかったんだぜ……。
 


「とにかく、正面衝突は危険だ。ここは大人しく見逃してもらった方がいい」
「でも、ここで足止めしないと、またなのはちゃんに……!」
「わかってる……! だけど、君達をこれ以上危ない目に合わせられないんだ!」
「――――ふむん?」



 ユーノとすずかちゃんの言い合いを聞いていてわかった。
 ようは、高町の奴がジュエルシードを確保するまで、ここでこいつを足止めできれば俺達の勝ちということか。



「じゃぁこうしよう」
「本田君?」
「時彦? どうするつもりなのさ?」
「月村さん、高町達に合流してくれ。そのまま外にいる忍さんと鬼ー様に連絡を取ってもらえると助かる。ここは俺とユーノがなんとかするから」
「「ええっ!?」」



 ……なんでそんなに驚かれてるんでせうか。むしろ俺としては、すずかちゃんが足止めするって言った時の方が驚愕してたんですが。
 


「大丈夫、〝ブツはもう確保した〟んだ。うまく逃げて見せるさ」



 にやり、とわざとらしく大声で言いながら笑ってやる。ついでにちらりと視線を少女の方に投げれば、どうやら〝餌〟に食いついてきたようだった。
 さらに言えば、すずかちゃんは俺の言わんとしていることを理解してくれたらしかった。小さく「でもまだ――――あ!」と気付いてくれた。



「アイツの狙いは、どうやら〝あの石〟みたいだしね。月村さんを危ない目に合わせるわけにはいかないよ」



 少女は微動だにしない。が、その前髪の奥から、俺を見ているのはわかった。
 間違いない。ヤツは、ジュエルシードがどこにあるか知らない。ならば、アドバンテージは俺達にある。



「それに、俺より足が速い月村さんが高町と合流して助けを呼んでくれるなりすれば、俺としても逃げやすくなる。もっとも、女の子にこんな荒事はやらせちゃいけませんからね。紳士的に!」
「――――まったく、危険だって人が言ってるのに」
「お前は獣だろうが。……まぁ、そういうわけだからさ」



 すずかちゃんの手を引っ張り、無理やり俺の後ろへと下がらせて、にかっと笑いながら振り向いた。
 


「任せてもいいよね?」
「本田君――――うん、わかったよ」
「さすが。頼りにしてるぜ?」
「無茶は、しないでね?」
「任せておきなさい。本田さん、無茶することにかけてはプロ級ですから」
「もう、またそう言う事言って」



 やっぱり、俺の惚れた女の子だ。聡明で、何より決断力がある。



「あぁ、あとさ、月村さん」
「え、なぁに?」
「――――高町に聞いてみてくれ。〝人間の肝臓って、どこにあると思う?〟ってさ」
「!――――うん、わかった!」



 「絶対に、無茶しちゃだめなんだから」と俺に念を押したすずかちゃんは、すぐさま踵を返すと、月光に照らされる廊下の中を駆け抜けていった。
 その後姿を最後まで見届けることなく、俺は正面の少女と向き合った。
 闇と前髪に隠れて影に埋まったような顔からは、一体彼女が何を考えているかはわからない。
 だが、俺を〝締め上げよう〟と思っているのは間違いない。なんせ、アイツと瓜二つなんだから。



「さーて、本命の子を袖にしてお前とダンスするんだ。ちったぁ良い思い、させてくれよ?」
「―――――」



 蒼白い闇の中、静かにゴングが鳴り響いた――――ような気がした。










  
 映画で、よく爆発で人が吹っ飛ぶという描写がある。
 実際、爆発が起きるとその時のエネルギーが周囲に拡散することによって衝撃波が発生するため、あれはあながち嘘でもないのだが、場合によっては誇張も交えてやや大げさに吹っ飛ぶこともあるらしい。
 ん? なんで急にそんなことを言ったのかって?
 ………そりゃお前、世の中には誇張抜きでも、あんなに吹っ飛ぶこともあるんだな、って実感したからに決まってるじゃねぇか。



「死ぬっ!! マジで死ぬっ!!!」
「大丈夫。どうやら彼女、非殺傷設定で攻撃してるみたいだ」
「何そのご都合主義!? いやそれでもようは嬲り殺しじゃねぇか! なお悪いわっ!!」
「そうさせてるのは時彦じゃないか。まったく我儘だなぁ」
「〝やれやれだ〟みたいに肩すくめてんじゃねぇよこの役立たず! てめぇも魔法使いなら少しは反撃しろ!」
「あはは、それが僕は攻撃に関しては才能ゼロなんだよねー。いやーもうなのはの魔法を見た時は軽く絶望を味わったよ。世の中、才能が全てなんだ………はは」
「あのーユーノさーん? 今俺達、絶体絶命だってわかってますかー!?」



 ズガガガガ!とまるで映画の一場面のように、俺が走る廊下が削られていく。非殺傷設定とか言ってるが、明らかにこれ物理ダメージあるよね!? あんなん当たったら死ぬだろ間違いなくっ!!
 滑り込むように教室のドアをくぐり、慣れた手つきでドアのロックをかける。
 私立校だけあって、聖祥大付属の校舎の教室扉には全てロックがあり、それは普段の金色夜叉ことアリサから逃げ回るときに非常に重宝していた。
 おかげで〝校内で最速ロックができる男〟という嬉しくもない称号を頂くことになったのだが、まさかこんなところで役に立つとは……人生、何があるかわかったもんではない。



「はぁ! はぁ! ……っくしょ、どうしろってんだばかやろうっ!」
「時彦が〝ブツは確保した〟なんて嘘をつくからだよ。あの子、間違いなく君から奪い取る気満々だね」
「投げやりですね!?」
「だって、僕は逃げろ、って言ったんだよ? それを無視して危険に自ら足を踏み込んだのは時彦じゃないか」
「耳が痛すぎてもげそうです」
「そのままもげるといいと思うんだ」
「酷いよ相棒!」



 期待が大きく外れた。
 てっきり、ユーノの魔法でどうにかできるってタカをくくっていたんだが、野郎、肝心の攻撃魔法がてんでさっぱりときた。なんという役立たずか。まだ栄養源になるバナナの方が有益だろ。つーかそう言う事は昨日の内に教えておけってんだバカヤロウコノヤロウ。
 今この瞬間、俺の頭の中で「バナナ>>>>越えられない壁>>>ユーノ」という公式が完成した。



「何気に失礼なこと考えてるよね!?」
「んなことより、お前が使える魔法にトラップ系はないのかよ! こう、時間差で爆発させるとか、一定範囲内に入った対象を吹っ飛ばすとか!」
「なんでことごとく爆発系なのか疑問だけど、一応あるよ。遺跡の瓦礫を吹きとばしたりするのに必要だったし。でも、発動時間がきっかり決まってたり、対魔導師用の魔法じゃないから、魔導師に対してはあまりダメージを期待できない」
「はぁ? 対魔導師用? なんだよそりゃ、さっき非殺傷設定とか言ってたけど、それ以外にもなにかあるのか?」



 そう言いながら、俺は教室の窓を開けて下を覗き込む。
 でっぱりを伝っていけば、隣の教室まで移動できそうだ。……いや、パイプを伝って下に逃げるべきか?



「簡単に言うと、殺傷設定は、その魔法が対象の生命活動を停止させるか否かに繋がって、ソレとは別に物理透過設定っていうのもある」
「もしかしなくとも、さっきの光の槍みたいなのが体を突き抜けるかそのままブッ刺さるか、ってことか?」
「理解が速くて助かる。まさにそれだよ。透過設定をしていれば、リンカーコアに対するダメージだけ――――まぁ、精神力を奪うっていう感じかな」
「……メタルギアの麻酔銃みたいなもんか」
「なにそれ?」
「きにすんだ。で、さっきの対魔導師用ってのはなんなんだよ」



 駄目だな、いくら運動神経に自信があるって言っても、この高さでそんな冒険するには状況が緊迫しすぎている。もっと余裕があって慎重にできるならやってもいいが――――くさってもここは三階だ。誤って下に落ちようものならば骨折どころの騒ぎじゃない。
 しかたないな……なんとかこの教室に誘いこんで足止めするしかないか。



「対魔導師用っていうのは、文字通り。そもそも、魔導師はバリアジャケットっていう狭範囲型結界を纏っているから、対魔導師用のプログラムを設定していないとダメージのほとんどがその結界に遮断されるんだ」
「……おーおー、それってつまりアレか? 〝バリアジャケットなら物理攻撃も安心♪〟ってか? なんだそれ、アーマードマッスルスーツ涙目じゃねーか。全世界のスプリガン様に謝れ!」
「意味わからないよ! それよりも、これからどうするの? さっきからロッカーあさったりしてるみたいだけど」
「ここで迎え撃つ!」
「……開き直ったね?」
「おうともさっ!」



 教室に隠れて既に二分ちょい。
 だというのに、まだ続きの攻撃がないのは俺達を無視して高町を探しに行ったか――――それとも、月村さんを!?

 

「わわっ!? と、時彦、急にどうしたのさ!」
「今アイツがどこにいるかわかるか? 月村さんを追いかけてたりしたら、意味がない!」
「さすがにわからないけれど……待って、探査魔法をかけてみる」
「頼む!」



 バケツに箒、ついでに乾いた雑巾と適当に漁った道具箱からちょろまかしたタコ糸。ついでに教卓を漁ればもちろん見つかる画鋲。
 やることは簡単。バケツの中にひたすらモノを詰め込み、タコ糸で教室の扉の上に釣り上げる。ドアが開いた瞬間、真下に落下するアレだ。
 さらに、そこから予想できる行動範囲内に足をひっかけるようにタコ糸を張り巡らせる。
 画鋲でとめられなくても、椅子の足に巻きつけたりなんだりすれば問題なかった。
 そこまでするのにさらに三分。
 ちっ……やっぱりすずかちゃんを追いかけたか?



「……時彦、どうやら彼女、まだここの廊下の端にいるみたいだよ」
「なーるほど? 最初のハッタリがここにきて利いてるな」



 すずかちゃんが去った後、いの一番に俺が宣言した「俺はトラップマスター・ひこちん! 俺がリバースした時、貴様は既につかまっている!」とジ○○ョさながらのポーズを決めながら言い放ってやった。もちろん、言い終わる瞬間に、ユーノの鎖の魔法で捕まえようともしたが、いとも簡単に避けられてしまっている。
 恐らくそのことがあって、俺達が罠を仕掛けていないかを警戒しているのだろう。
 ユーノが魔法を使える生物だってのは既にバレテいる上、しかも、どうやらあの子もユーノと同じ系統の魔法を使うらしい。
 となれば、最初に見せた鎖の魔法と、これまで反撃もせずに逃げ回ったことを併せて考えれば、俺達が〝攻撃はできないけれど、拘束魔法は使える〟という情報に行きつくはずだ。そうなれば当然、俺達が隠れているところにのこのことやってくるのは、オツムの足りない馬鹿か、そんなのかんけーねぇ!とばかりに力技でぶちぬいてくるかの2通り。俺としては、仮にもマイラバーと瓜二つのあの子がそんな残念な子でないことを祈るばかりである。



「それにしても時彦。やけにあの子にこだわるね?」
「あん? 男として足止めするって約束したからにゃ当然だろうが」
「いや、それならこんなところで隠れてるよりも、あちこち走りまわってた方がいいじゃないか。なんで無理にあの子を捕まえようとするのさ」
「……ちょっとな。あの子に聞きたいことがあるんだよ。出来れば二人っきりで」



 そう、できれば俺自身が確認しておきたいことがあるんだ。
 ユーノがいるのはちょっとまずいが、まぁこいつにならばれても問題ない。
 そのためにも、すずかちゃんや高町達がここに来る前に、何としてでもあの子を捕獲する必要がある。



「とにかく、詳しいことは後だ。ユーノ、扉が開いてあの子が入ってきたら間髪いれずにクモの巣みたいに鎖を張れ。できるだろ?」
「う、うん? いや、まぁできるけど……強度は保障できないよ?」
「一瞬隙を作ってくれればそれでいいんだよ。そのあと、合図したら一際強力な拘束、よろしく」
「何を考えてるか知らないけれど、わかった。とりあえず、議論してる暇はなさそう―――――だしっ!」



 ユーノがきっ!と扉を睨みつけるのと、扉が爆発すること、そしてその上に釣り上げてあったバケツが落ち、黒い何かが飛び込んでくるのはほとんど同時だった。
 さすがにこの展開に俺は一瞬だけ唖然とする。まさか扉を爆破するなんて誰が思うか。
 遅れて張り巡らされたユーノの魔法の鎖。要望通りクモの巣の如く張り巡らされたソレは、疾風のように突入してきた黒い影の突撃を邪魔する。くそっ、俺御手製のトラップは盛大にシカトかよ!
 心の中で毒づきながら、俺は大慌てで床を蹴る。
 鬼ー様のお墨付き。日ごろ金色夜叉アリサ丸から逃げ惑う事で手に入れた小学生にしては脅威の脚力で、一秒と少しで俺はその黒い影――――マイラバーに瓜二つな少女へと飛びついた。
 そんな俺の行動は予想外だったのだろう。その右手に持った斧のようなものを一振りして魔法の鎖をなぎ払った彼女は、突撃してくる俺を見て目を丸くしていた。
 
――――衝撃。

 ほとんど餌に飛びかかる猫のように飛び込んだ俺と、予想外の行動でさっきの俺のように固まった少女が絡み合って倒れ込む。無論、その際に彼女を思いっきり抱きしめるのは忘れない。あぁくそ、すずかちゃん意外にこんなことするのは、前世以来初めてだぞっ!



「捕まえたっ!!」
「――――っ!?」
「〝チェーン・バインド!〟」


 
 同時に、ユーノの声が朗々と高く響き渡る。
 それとほぼ同じくして抱き合った俺と少女をまとめて緑色の鎖が縛り上げ、まるで簀巻きにされた布団の如く俺達はその辺を仲良くゴロゴロと転がって――――いだっ!? 



「ば、馬鹿かユーノテメェ! 俺まで一緒に縛り付けてどうすんだよ!?」
「そうでもしないと強度が保てないんだ。まだ馴染んでないから、精密な操作が難しくて……」
「ぐぬぬ……あーいてぇ、たんこぶできたぞ間違いなく」
「男の子でしょ。我慢我慢」



 野郎、自分だけ平然としやがって。
 俺が飛び出した瞬間、ユーノは俺の肩から飛び降りながら魔法を詠唱していた。おかげで多少のアクシデントはあったものの、概ね作戦通り――――俺と少女まとめて簀巻き状態になり、被害は俺の頭のたんこぶと爆破された扉程度で収まっているのだから、結果としては上々だろう。



「さーて、大人しくしてもらうぜ謎の魔法少女」
「くっ……離せっ!」



 武器を振り回そうにも、この至近距離じゃ難しい。
 だったら魔法を俺に向かってぶっぱなせばいいんだろうが、残念。そんなことをすれば、逆に意識のなくなった俺のせいで動きにくくなる。
 意識のある人間より、意識の無い人間の方が体感的には重いのだ。こんな密着してる状態で意識の無い俺ごと動こうとするなら、少女の力ではいささか力不足というものだろう。
 まぁついでに俺が背中に手をまわして腕を動かせないようにしているってのもあるんだけどね。セクハラ? ぼくしょうがくせいだからむずかしいことわかんなーい♪
 とにかく、こうしてなんとか足止め作戦は成功した。後は鬼ー様と忍さん達の到着を待つばかり。
 ……と、その前に。



「俺をノックアウトしても、そこのバナナをどうにかしない限り意味がないぜ? だから、その物騒な魔法を止めてもらおうか」
「……っ」



 夜で暗いおかげで、背後に浮かぶ何かの光に気付けたのは僥倖だった。ちょうどバナナ獣の視界からは見えない位置でなにかやらかそうとしているあたり、なかなかに賢しい子と見える。



「おーけ。話が早くて助かる。ついでに、このまま暫く待っててもらうぜ。解放して大人しく武装解除してくれるとは思えないしな」
「……」
「だんまりですか。都合が悪くなるとすぐダンマリするのはアイツとそっくりだな……」
「え……?」



 思い出すのは一人暮らしをしていた時の俺の部屋での出来事。
 大学から帰ってきたら、何故か部屋に飾ってあった俺の宝達が、まるで気化爆弾を落とされた爆心地のような有り様になっていた。むろん、部屋の片隅には狸寝入りをしているマイラバーの姿が。
 一体何があったのか、と聞いたらダンマリを極め込むこと数時間。ようは狸寝入りである。揺らしても振り回しても叩いてもくすぐってもうんともすんともいいやしねぇ。逆にその無反応さに感動したけどな!



「ちょっと質問なんだが、昔一人暮らしの男の家のプラモを爆砕したことは?」
「……は?」
「じゃぁ、料理だと称してガスコンロに油を満載したフライパンをおいて、何を血迷ったのかエビをそのままぶち込んだ覚えは?」
「……ない」
「時彦、割とそれは洒落にならないよね」
「そうか。ごめん。人違いだったや♪」
「しかも結論がそれっ!?」



 ふぅ、なんだ安心した。ただのそっくりさんだったぜ☆
 いやーそうだよねー。いくら俺が転生なんて言うとんちきな目に遭ってるとは言え、そうそうあちこちであんなアグレッシブでエキセントリックな女の子がポンポンいたら怖いよねー♪ あっはっは☆
 ……いやもうアリサと高町だけで十分エキセントリックなんだけどさ。
 


「……」
「まぁアレだ。せっかくなんだし自己紹介でもする? 俺本田時彦9歳。私立聖祥大付属小学校3年生で、一途に恋する純情な少年だよ!」
「うわぁ……なんだか背筋が寒くなるくらい痛々しいんだけどなんでだろう」
「やかましぃっ! で、君の名前は?」
「……」



 見事にだんまりを決め込まれて本田さんちょっぴりショック。いやまぁこんなお互いに不本意な状況で抱き合ってたらそりゃ無言にもなるよな。ていうか俺だったら絶対口もききたくない。
 


「名乗らないなら勝手に名前つけるぞ?」
「………………フェイト」
「フェイトってのか。運命なんてまた洒落た名前だなぁ」
「ねぇ時彦。それはもしかしてギャグで言ってるの?」
「いい加減黙ろうな淫獣バナナ?」



 確かに今のは我ながらこっぱずかしいこと言ったとは思うけどさ。
 とにかく、名前がわかったならば遠慮することはない。



「じゃあフェイト、聞きたいんだけどなんでジュエルシード集めてんの? あれ、すげぇ危ないもんだってしらなかったり?」
「……あなたには関係ない」
「いやいや関係あるっての。一応あれのせいで人様に迷惑かけた覚えあるし、それにその回収を手伝っている身として、下手に他人にわたって大ごとになったら寝覚め悪いって」
「……」
「それで応えてくれたら、僕もなのはも一昨日の時点で分かってるって」



 うーむ……それもそうか。
 まぁそう簡単に応えてくれるとは思ってなかったし、仕方ないやね。



「で……いつまでそうしてるつもりなのさ? ていうか、この後のこと考えてる?」
「…・…あ」
「考えてないんかいっ!」
「いやー、足止めすることしか考えてなかったからさー。ほら、僕小学生だし!」
「一番説得力の無い回答ありがとう。でも、ごめん時彦」
「は?」
「っ――――時間切れだ!」



 それは、なんの前触れもなく起きた。
 ユーノの言葉が終わるか否か、そんなタイミング。
 ガラスの砕けるような音と共に、それまで俺と少女――――フェイトをまとめて締め付けていた魔法の紐が砕け散る。
 驚く暇もない。何が起きたのかが理解できず、ただ俺から離れていくフェイトを見つめることしかできない。
 それはまるで豹のようにしなやかで、無駄のない美しい動きだった。彼女が俺から離れたのにたっぷりと三秒もかかり、気がつけば彼女はその手に持っていた黒い斧を俺へと突きつけていた。



「悪く思わないで。貴方に恨みはないけれど――――私にはどうしても必要なの」
「……わぉ。電光石火」
「感心してる場合じゃないだろっ!」



 ユーノが叫びながら再び魔法を唱えた。
 ……何度見ても不思議なんだが、突如空間にライムグリーンの魔方陣が浮かび上がるってどんな超技術なんだろうな。いやSFだよコレほんと。
 しかし、ユーノの抵抗はまるでゴミでも払うかのように、金髪の少女によって一蹴される。魔方陣が出来上がった瞬間に、少女が先に打ち出した光の鏃のようなものがユーノのいた場所を打ち抜いた。それによって発動しかけていた魔法が霧散し、ユーノは慌ててその場から逃げ出す。
 けど、少女はそんなユーノは捨ておいて、とにかく俺を威圧することに集中していた。うーむ、喉先に突きつけられた黒い斧がとってもデンジャラス。

――――ひょっとしなくとも、僕ちゃんピンチ?



「ジュエルシードを渡して。渡してくれれば、危害は加えない」
「あはー、やっぱりそうだよねぇ……」



 呑気なことを言ってる場合じゃないと言うのはわかってるんだが、日ごろの行いの所為でそんなとぼけたような返事が口を突いて出た。
 ユーノの援護を期待したいが、さっきのアレを見る限りじゃ無理だろうなぁ……。さっき拘束できたのは本当にまぐれのようだ。
 とりあえず両手を挙げて降参のポーズ。


「でもさ」
「……なに?」
「もし――――そのジュエルシードを持ってない、としたら?」
「まさか――――っ!?」
「その子から、離れなさい!!」



 その闖入者は突然にやってきた。
 教室の扉をぶち壊しながら、豪快かつ派手に教室に飛び込んできたその人は、それまで俺に斧を突き付けていた金髪の少女に向かって拳を叩きつけるようにして、俺と彼女の間に割り込んでくる。
 しかし、先程の電光石火の動きのように、金髪の少女は身をひるがえしてその一撃を回避。
 結果、着地と同時に、避けられたことによって目標を失った乱入者の拳が教室の床を砕き、衝撃が教室全体に響き渡る。
 遅れて粉砕された扉の残骸の雨が降り注ぎ、俺はその非現実的すぎる光景に唖然とするしかない。
 なにこれ。え、いやマジでなんぞこれっ!!?



「大丈夫、少年?」
「し、忍さん!?」
「良く頑張ったね。おねーさん感心しちゃったよ」
「いやいや、つか……えぇえ!? 今扉ぶちこわしてっ―――!?」



 その闖入者は誰であろう、月村忍おねーさまだった。
 すずかちゃんと同じ宵闇の長髪を揺らして、こちらを振り返ってにっこりほほ笑む姿は、なんていうかやっぱりすずかちゃんの大人バージョンとしか言いようがなかった。
 しかしですね。わたくし本田時彦の私見としましては、目の前で無残にもとばっちりを受けて砕き割れている床の惨状についてお伺いしたく存じまするおねーさま。アンタ何者だよ!?
 あまりにも現実離れした目の前の光景と超展開に、脳が付いていくことを拒否し始める。そらそうだ。俺だってこんな漫画みたいな展開信じたくありません。ただでさえ友達が魔法少女なんつーけったいなもんやってるってのに、今度は教室の床を破壊するおねーさま? はは、またまた御冗談を。冗談は鬼ー様という存在だけでお腹いっぱいです。つーかここ最近こんなんばっかだなおい。いい加減能天気な小学生の俺でも胃に穴が空くぞ。



「なのはちゃんの方には高町君が向かったよ。〝石〟も確保したって」
「それじゃ!」
「そ。任務完了、後は撤退するだけ」
「でも、あの子を捕まえないと!」
「それは、おねーさんに―――――まかせてっ!!」



 そんな俺の魂の嘆きもどこ吹く風。
 呆然とする俺をほっぽって金髪少女とのガチバトルに移行した忍おねーさま。教室などという狭いフィールドでは満足できなかったのか、もはや本当に鬼ー様と同レベルかそれ以上の人外じみた廃スペックを発揮しながら、金髪少女を追い詰めつつ窓から外へとケリ飛ばした。
 ――――うわーお、本当に同じ人間様かしら。
 散らばるガラス。ぐしゃぐしゃにされた教室。そして――――鳴り響く警報。



「やばっ!? おいユーノ! ユーノ起きろっ! てめぇ、どーりでなんもアクションがねぇと思ったらこんなところで気絶してやがったな!?」
「うきゅ~……」
「ええい、とにかく逃げないと!」



 ぐるぐると目を回して気絶しているバナナ型フェレットをむんずと掴み上げ、俺は全速力でその場を後にした。
 うぅ……週明けの朝礼が物凄く怖いよぅ!
 ジリリリリ!と耳やかましく鳴り響く警報をBGMに、俺は心の中で学校の警備員型に何度も何度も謝罪しながら、高町達と合流するのだった。











 結論から言おう。
 あの金髪少女――――フェイトには逃げられた。
 忍さんが最後まで追いかけてくれたらしいんだけど、空を飛ばれちゃどうしようもなかった、とのこと。まぁ確かに。いくら忍さんが鬼ー様並みに人外的運動能力を持っていても、空を飛ぶ人間は捕まえらんないわなぁ……。
 ただまぁ、無事に学校の七不思議実体化事件の原因となっていたジュエルシードを回収できただけでも御の字である。むしろ、フェイトを相手にジュエルシードを確保できただけでも上等だろう。
 退治してみて分かったが、あの子はマジで強い。高町なんか屁の河童ってくらいに強い。……本気で死ぬかと思ったもん!
 そのことを高町に言ったら、なんだかすごい複雑そうな顔で頬を膨らませていた。なんかおもしろかったのでほっぺたを潰して差し上げた。楽しかった。
 ともかく、学校側の被害は置いておけば、事件は無事に解決。
 ちなみに、人体模型が持っていたというジュエルシードは、高町とアリサが逃げてる途中でどこかしらで拾ったらしい肝臓と交換してもらったとのこと。お化けから逃げるのに夢中で、どうやって肝臓を手に入れたのか覚えてないあたり、やはり高町とアリサである。
 ……さらに付け加えるならば、フェイトと忍さんがブッ壊した被害よりも、高町が乱射して暴れ回ったせいでぶっ壊れた被害の方がはるかに多かった。後日、高町は自主的にその修理に従事することに決まっている。哀れ。
 
 しかしながら、今後ともフェイトとジュエルシードを奪い合うのだと考えると、すごく不安だ。
 ユーノの魔法を解除した手際といい、鬼ー様と引けを取らない(そうだと確信できる)であろう忍さんと互角に渡り合った上、逃げおおせた実力を考えれば、とてもじゃないが高町じゃ逆立ちしても勝てるとは思えん。そう、どこぞの熱血漫画のような特訓をしない限りはっ!
 というわけで、明日から高町は鬼ー様の全面監督の元、毎日修業をすることになったそうな。涙目で勘弁してくださいと泣きつく高町の姿には、他人のことながらも心の底から同情するしかなかった。なーむー。
 
 そんな細々とした事後報告とかが終わったのが深夜過ぎ。
 こんな夜中に帰すのは危険だし、元々友達の家に泊まりに行く、という名目で夜を抜け出してきた俺達は、またしても月村家のご厚意で御泊りをさせていただくことになったのだった。いやっほいっ!
 うん、もうこれだけでも今日死にかけた甲斐があったね! むしろこんなご褒美のために頑張ったと思えば安いものだ。
 


「本田君、すごく機嫌がいいね?」
「え、そ、そうかな? 単に深夜すぎてハイになってるだけだよ」
「すずか、野暮な事聞かなくていいわよ。その馬鹿、アンタん家に泊まれるのが嬉しいだけなんだから」
「ばっ――――アリサさんお願いですからそのクソやかましいお口をチャックして頂けませんでしょうかねコノヤロウ!?」
「えー、なんでー? ほんだくん、すずかちゃんのお家に御泊りしたかったの?」
「お願いですから空気読んでください高町さん!」



 月村家が所有するロールスロイス―――ちなみに、運転手はノエルさんだ―――の最後部で、そんな俺達小学生組のやかましいやり取りが続く。
 深夜を回っても、初めての肝試しで興奮しっぱなしの俺達は、自分達が体験したお化けの話で大いに盛り上がった。
 そして、そんな俺達を鬼ー様と忍さんが苦笑しながら見つめていた。



「やれやれ……あんなに危ない目に遭ったっていうのに、元気だな」
「いいじゃない。子供なら、あのぐらい元気があったほうがいいと思うわ」
「ありすぎだ。もう少し大人しくしてくれないと、俺達の寿命が縮む」
「あはは、それは言えてるかも」
「……でも、よかったのか、月村?」
「うん? 何が?」
「彼の前で本気を出したんだろう? アイツ、きっと何か勘づいてるぞ」
「――――そうだね。そのあたりは、近いうちにきちんと話すつもり」
「…………そうか」



 なにやら意味深な御話をしている様子。
 忍さんの驚異的な身体能力を垣間見た本田君としては、色々と聞きたいことが山ほどあるんですが――――まぁ今はいいや。
 ぶっちゃけ〝そんなこと〟よりも、俺は今この瞬間、そして眠りにつくその時までの一瞬一瞬を堪能したい。
 大好きな女の子が笑って、その友達が馬鹿を言いながらさらに笑って。
 ただそこにいるだけで楽しい、夢のようなこの時間を。
 ……でも。
 


「本田君、やっぱり今日は変だね?」
「……どうしましょう。本田君今日は月村さんにとても注目されてる気がします!」
「気のせいだよ、ほんだくん」
「そーそー。あんまり自意識過剰すぎると嫌われるわよ?」
「なんだとぅ!?」



 脳裏をかすめるのは、あの金髪の少女の顔。
 どこか憂いを含んでいて、でも確かな決意を胸に動く、マイラバーと瓜二つの子。
 あの子がもし、この場にいたら―――――そんなことを考えてしまう今日の俺は、やっぱりおかしいのかもしれない。
 今度会ったら、もっと話を聞いてみたいんだがな。
 ……違うよ!? これは浮気なんかじゃないよ!? 俺様すずかちゃん一筋だかんね!!?



「今度は頭抱えてくねくねと――――きもっ」
「あはは、まるでイソギンチャクみたい」
「イソギンチャクって……なのはちゃん、その例えはちょっと……」
「うぉおおお! 俺は、俺はそんなつもりは―――ぶげらっ!?」
「黙れこの馬鹿猿!」
「……て、てんめぇこの野蛮ニングス! いい加減靴を人に向かって投げつけるのやめろよな!」
「はん。この程度は挨拶にも入らないわ。手加減してもらったことをありがたく思いなさい!」
「そんな手加減ありがた迷惑じゃっ!」
「なんですって? この私の慈悲を受け入れられないっての!?」
「てめーの慈悲より、月村さんの施しの方がウン百万倍も嬉しいね!」
「……あの、本田君?!」
「はっ!? い、いや違うよ月村さん!? あくまで今のはアリサなんかの慈悲という名の皮をかぶせた暴力なんかよりも、月村さんの何気ない優しさのほうが遥かに嬉しいってだけで――――うぁああああ! 俺は一体何を口走ってるかー!?!」
「え、え? えと、それって……?」
「……ばーか、自分で墓穴掘ってどうすんのよ」
「もとはと言えばお前の所為だっ!?」
「むぅうう。ねぇ、私にもわかるように教えてよー! どういうことなのー!?」
「「お子様は黙って寝てろ!」」
「ひどっ!? ひどいよ二人とも!」



 俺達のやりとりを聞いて、車内の前方から忍び笑いが聞こえてくる。
 でも、そんなの関係なかった。ヒートアップした俺達は、さらにくだらないことで口論をし、馬鹿笑いをし、ただその時間を楽しむ。
 車は、すずかちゃんの家を目指して走り続けている。
 


――――俺の胸に、どうにもしがたい物足りなさを残したまま、走り続けていた。


 




















―――――――――――
衝撃の事実と共に、ようやくフェイトそん登場。
でもマンネリしてきた。もっとはっちゃけたいなぁ。
次は髭VS誰かか、それとも本田君がんばる!的な話にするか……。
ちなみに瓜二つ設定は大した意味はありませんよ。よ!
 
  



[15556] 閑話と休日と少女達
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:41
※今回は本田君視点ではありません。一応物語の補足としての御話=チラ裏です。




――――――――――――――――――――――――――――――

 アタシのご主人さまは強い。すごい。かっこいい。
 ……いやちょっと頭の悪い表現だと思うけど、事実だ。事実なんだよ!
 そんなアタシの素敵なご主人さま――――フェイトは、どうにも昨日の夜から様子がおかしくなっていた。
 最初はジュエルシードを手に入れらんなくて落ち込んでるのかな?と思っていたのだけれど、話しているとそんなことではないことがわかった。
 


「フェイト、御飯できたよー?」
「ありがとう、アルフ」



 いつも通りの返事。ちょっと元気がなさそうだけど、胸がドキドキするような可憐な笑みと共に返事をくれるご主人さまに、アタシの胸は熱くなる。
 あのクソ婆に痛めつけられ、たった一人でこんな管理外世界にまで放り込まれたアタシのご主人さまのためにも、アタシはこの世界にある料理を一生懸命勉強した。
 最初はあんまり上手にできなかったけれど、それでもアタシは一等優秀な魔導師である、フェイトの使い魔だ。数回こなしてしまえば、後は簡単にそれなりの食事が作れるようになった。



「今日はオムライスだよ。ソースはケチャップとアタシ御手製のがあるけど、どっちにする?」
「ん、じゃぁアルフの作ったソースで」
「りょーかい♪」



 はんなり――――フェイトの笑顔は、まさにその表現がぴったりだ。
 静々と咲き誇る百合のように可憐なその微笑みは、アタシにとって最高のご褒美だ。肉もいいけど、でもフェイトのこの笑みが、何よりもうれしい。



「いただきます」
「たくさん食べておくれよ!」



 見た目通りに、うちのご主人さまは食が細い。
 だから、そんなに一杯食べられるというわけではないんだけど、言わずにはいられなかった。
 アタシは使い魔だ。いつだってどこだって、フェイトと繋がっていて、その感情の機微をある程度感じることができる。
 この世界に初めて来たとき、フェイトはただあのクソ婆のために、っていう気持ちだけで一杯だった。
 一人で――もちろんアタシもいるけど――この管理外世界でやっていく不安なんて露ほども考えないで、ただただ、あのクソ婆に喜んでもらいたいという気持ちで、頼まれたことをこなそうとしていた。
 それは今も変わっていない。
 アタシがクソ婆の悪口を言えば困ったように怒るし、この間でっかいプールでジュエルシードを手に入れてからも、その気持ちはますます強くなっていた。
 でも、昨日の夜帰ってきてから、その気持ちに加えて、よくわからない〝ナニか〟が増えている。
 まるで、それまでぶれることなく燃えていた焔が、微風にさらされてゆらゆらと揺れるような、ちょっと不安定な感じ。
 困ってるわけでも、苦しんでるわけでもない。けど、まるで魚の骨が喉につっかかって、それが取れなくてもどかしいような――――そんな気持ち悪さ。



「ねぇフェイト? 昨日、何かあったかい?」
「……え?」
「だって、フェイト昨日から少し元気ないよ。やっぱり、ジュエルシード取られたのが……」
「ち、違うよアルフ。アレは、出し抜かれた私の責任だし、後で取り返せばいいからいいの。気にしてないよ」
「でも……」
「……うん、でも、何かあったか、って言えば――――あったかも」
「なっ!」



 怪我がなければそれでいい。そんな甘っちょろいことを言っていた過去の自分を噛み殺してやりたくなった。
 体に怪我がなくても、心に傷を負うのはなお悪いことじゃないか。それが、こんなにも優しくて素敵で可愛いご主人さまが傷つくなんて、絶対に間違ってる!
 アタシは思わず体を乗り出して牙を剥きかけ、フェイトに詰め寄った。



「なに、何をされたんだい! このアタシが直接――――!」
「アルフ落ち着いて! 別に、本当に大したことじゃないの。えっと、ちょっと気になってるだけで……」
「……気になる?」



 スプーンを口にくわえながら、もごもごと恥ずかしそうに零すアタシのご主人さま。
 そんな仕草は、思わずバルディッシュを持ちだして画像に撮って永久保存したくなるほど可愛らしいものだった。
 でも、今のあたしには、フェイトの言葉の先の方が気になる。
 一体何があったのだろう? 
 昨夜はあのちびっ子とやりあったわけではなく、別の人と戦ったと言っていた。もしかしてその相手に?



「えと、怒らないでね、アルフ?」
「内容によるよ。アタシのご主人さまを傷つける奴は、ガブッと思い知らせてやるんだから!」
「もう……心配してくれるのはうれしいけど、本当に大したことじゃないのに」
「だから、その大したことじゃない、っていうのが一体なんなんだい?」
「えとね……男の子がいたんだけど」
「……むっ」



 ぎりり、っとフェイトの見えないところで拳を握る。
 男の子。
 異性の存在。
 つまりは雄。
 雄と言うのはすべからく獣だ。文字通りの意味で。特に人間の雄ってやつは、年中発情してて、とくに可愛い――――フェイトみたいに可愛い女はすぐ手篭めにしようとする、ってリニスがい言ってた
 故に、アタシの中では、沸点に向かってマグマがじわじわと登り始めている。



「ちょっと失敗しちゃって、その子とこの間の魔導師の使い魔に捕まっちゃったって話したじゃない?」
「でも、それは相手が待ち伏せなんて卑怯なことしたから!」
「アレはアタシがうかつだったんだよ。それでね……捕まった時に、不思議な事を言ってたの」



 うーんと、と呟きながらその時のことを思い出しているのだろう。
 アタシのご主人さまは、口元にスプーンを当てながら天井の電球を見上げている。 
 そしてしっかり思い出したのか、すぐに顔を元に戻してこう言った。



「〝一人暮らしの男の家のプラモを爆砕したことは?〟とか、〝油一杯のフライパンにエビをぶち込んだことはないか?〟とか。結局人違いって言ってたんだけど……」
「なんだいそれは……聞くだけでわかるけど、酷いくらいの生活破綻者だね……」
「そうなの?」
「当り前さ。家を爆破は当然だし、油一杯のフライパンに、多分生エビだろうね。そんなものを投げ込んだら大惨事になっちまう」
「へぇ……」



 初めて知った、とばかりに小さく眼を開いて驚いているフェイト。
 こんなつまらない知識でも、少しでもフェイトの役に立ったのかと思うと嬉しくなってしまう。
 ……とと、今はそれよりも。



「それで、アタシのご主人様は、その話の何が気になるのさ?」
「……なんとなくね? そんなこと、あったんじゃないかなぁ、って気がするんだ」
「へ?」
「ち、違うよ!? そんなことしてないし、全然そんな記憶ないんだけど、ただ……なんとなく、そんなことがあったような――――ごめん、私もよくわからないや」
「いや、フェイトは全然謝らないでいいんだよ。言いたいことはアタシもわかる。だって、アタシはフェイトの使い魔なんだから」
「ふふ、ありがと、アルフ」
「えへへ」



 にっこりと微笑んで、嬉しいことを言ってくれるフェイト。あぁ、こんな時間がいつまでも続けばいいのに。
 ……でも、同時にアタシは少しその男のことが気になってもいた。
 フェイトには身に覚えがないのに、〝そんなことがあった気がする〟出来事?
 今までずっとフェイトと一緒に、あの〝庭園〟で暮らしてきたアタシにはわかる。その男の子がいう出来事なんて、これまで一度たりとも起こったことがない。そもそも、フェイトは今まで一度も料理をしたことがないし、〝庭園〟の外に出たのだって今回が初めてなんだ。だから〝ありえない〟。
 アタシの中の〝獣の勘〟がナニかを訴えていた。
 放置してもいい、つまりはどうでもいい〝勘違い〟かもしれない。でも、忘れてしまうにはなんだか勿体ないような――――。
 「心配かけてごめんね」というフェイトの言葉を遮りながら、アタシ達は食事を再開した。
 でも、アタシの中では既に新しい目的が組み上がっている。
 もちろん、アタシのご主人さまであるフェイトの願いは一番だ。でも、その傍らでなんとなしにやってみてもいいかもな、という考えがちらちらと脳裏を横切ってもいる。そのせいで、洗いモノの皿を一つ割ってしまった。

 その後、食事を終えたアタシ達は、すぐに支度を済ませて街へと繰り出すことにした。
 この街に魔導師がいるとわかった以上、もたもたしている暇はない。早いうちに事を済ませないと、最悪管理局が介入してくる可能性もありえるからだ。
 フェイトは昨日とは逆の方向にある公園とかを中心に。アタシはフェイトの代わりに郊外の森や山付近を担当する。
 ただ、アタシはその探索の最中も、ずっと頭の中で考えていた。
 フェイトに変なことを聞いたという少年。
 そして、その出来事を〝なんとなくあったかもしれない〟気がしているフェイト。
 ……偶然だろうか?
 フェイトには幼少期の記憶がない。
 アタシがフェイトの使い魔になった時、そのもっと昔の記憶が、フェイトにはない。
 ふつうはいるはずのお父さんが誰か、あの庭園以外にどんな場所に行ったのか、あのクソ婆は昔どんなだったのか。
 ……アタシの中で、さらに疑問が沸き起こる。
 もしかしたら、その少年とやらはなにかのきっかけなのかもしれない。だからこそアタシは、そいつを探してみることにした――――。
 



 







 さいきん、アリサちゃんはほんだくんとすずかちゃんを避けているんじゃないか、って思う。
 そんなことをアリサちゃんに聞いたら、大笑いされてしまいました。むぅ、すごく心配したから聞いたのに、ひどいよ。



「だって、なのはがそんなバカなこと聞くんだもん。あーおっかしぃ」
「おかしくないよ! だって、ほんだくんも一緒に行こうか、って聞いてきたのに、あんな風に断っちゃったら……」
「いーのよ。むしろこうしてやったほうがあのバカは喜ぶんだから」
「ふぇ? どういうこと?」



 おとといの学校でもそうだった。
 夜の肝試し――というのはほんだくんの弁だけど――で、最初にアリサちゃんが〝みんなで行くより別行動に分かれて探そう〟と言って、今日みたいな組み合わせを提案したんだったっけ。
 もちろん、私がみんなと離れるのが怖くて全力で反対したから、結局はみんなで行動したんだけど……なんでほんだくんとすずかちゃんが二人っきりで、ほんだくんが喜ぶんだろう?
 


「本当にわからない?」
「うん。本当に、喧嘩とかじゃないの?」
「……なのは、さすがにそれはちょっと鈍すぎるわよ?」
「え、え?」



 昨日、すずかちゃんのお家でお泊まりをした私たちは、そのままみんなで一緒にお父さんのサッカーチームの試合の見学に来ていた。
 試合までにまだ時間があって、みんなウォーミングアップをしながら順番を待っている感じ。お父さんにはもう会ったし、その時「今日は必ず勝つからな、見てなさいなのは」と自信たっぷりに私の頭を撫でてくれた。
 そして試合が始まるまでの間、何か飲み物でも買ってこようかという話になって、アリサちゃんが一緒に行こうとしたほんだくんを黙らせ、私を連れ出して今にいたるんだけれど……。
 ガコン、と自動販売機の中に落ちたジュースを取り出しながら、アリサちゃんがため息をついた。
 


「はぁ、いいからほっときなさい。むしろ、あのバカは今この私に感謝して涙すら流してるでしょうね」
「うーん? なのは、わけわかんないよぅー!」
「気にするだけ無駄よ。いいからはい、これなのはのね」
「あ、うんありがとう」



 渡されたのはココア。なんとなくで選んだけど、コーンポタージュでもよかったかなぁ、なんてちょっと後悔が。



「で、これがすずかので」
「うん」



 すずかちゃんのは紅茶。
 いつもノエルさんやファリンさんが淹れてくれる紅茶とは比べるべくもないけど、たまにはこういうのもいいよね、なんて笑っていたすずかちゃん。意外となんでも食べれるし飲めるんだよね。苦手な食べ物とかがそれなりにあるなのはとしましては、そんな大人なすずかちゃんが羨ましくも尊敬できてしまったりするのです。
 そして……。



「はい、これが時彦のね」
「あつっ!? なにこれ…………〝デロリ濃厚獄甘おしるこ〟?」
「くっくっく、年不相応なあのバカにはそれがぴったりよ。あてつけられる私らの身にもなるがいいわ!」
「あ、アリサちゃん……」



 …………やっぱり、アリサちゃんは全力でほんだくんのことが嫌いなのではないんでしょーか。まるで悪い魔女みたいに意地悪な笑みを浮かべるアリサちゃんを、私は苦笑と共に見なかったことにしました。
 ほんだくんのジュース(?)がとっても熱いので、服の裾で恐る恐る持って、私たちは元いた場所へと戻った。
 その途中、何度もさっきの話がどういう意味なのか聞いてみたけれど、アリサちゃんは真面目に答えてくれません。むぅ、ほんだくんのいじわるがアリサちゃんに移ったみたい。
 
 

「中学にでも上がる頃になれば、なのはにもわかるようになるわよ」
「うにゃ……今日はアリサちゃんがとってもいじわるです」
「そんなことないってば。単にあのバカがすずかのことを好きってだけの話よ。大したことじゃないでしょ?」
「……それだけ?」
「そ。それだけ」
「?? なのになんで二人っきりで喜ぶんだろ……?」
「は?」
「だって、好きな人みんなで集まったほうが嬉しいよね?」
「……そっちの〝好き〟かいっ!」



 アリサちゃんがげっそりと疲れたように呟く。え、あれ? 私なにか変なこと言ったかな?
 ほんだくんがすずかちゃんを好きなのは見ててわかるし、嫌いだったら一緒にいたくもないと思うもん。むしろ、ほんだくんは嫌いな人がいるのかな、っていうくらいいろんな人と仲がいいから。
 いっぱいいじわるするし、とてもずるいことを言ったりもするけど、でもそれは相手が好きだからできるいじわるだから。
 もちろん、いじわるされるのは嫌だし、そんなことしないで仲良くできたらもっといいと私は思うんだけれど……ほんだくんはいつも「そんなキレイキレイな付き合いは気持ち悪い!」と言って聞いてくれません。いじわるばっかりの付き合いよりは全然いいと思うんだけどなぁ。
 でも、一番気になるのは……。



「ねぇ、アリサちゃん」
「なによ。まだわかんないことでもあるの?」
「うん。だって、アリサちゃんはいいの?」
「……は?」
「だって、ほんだくんとすずかちゃんを二人っきりにしてもいいのかな、って。ほんとは、アリサちゃんがほんだくんと二人っきりにならなくてもいいのかな、って思って」
「な、ちょ――――ばっかじゃないの!? なんで私があんな馬鹿トンチなんかにっ!」
「え~、だってアリサちゃん、ほんだくんとすっごく仲がいいじゃない。いつのまにか名前で呼び合ってるし」
「違うわよ! 別にこれは、そういう意味はなくて、あのバカがいつもいつも変な名前で私のこと呼ぶから止めさせたくて!」
「むむ、とってもあやしいです。アリサちゃん、お顔を真っ赤にしてまでいいわけするのはごまかしてる証拠、って前言ってたよね?」
「あ、ああ、赤くなんてしてないわよっ!! 変なこといわないでよね!」
「あ、待ってよアリサちゃん!」
「なのはなんて知らない!」
「ご、ごめんアリサちゃん、だから待っ――――あうっ!」
「なのはっ!?」



 早足で前を行くアリサちゃんを追いかけようとして、私は道端にあった石を変に踏んでしまい、そのまま転んでしまった。
 横に倒れた衝撃で持っていたジュースを落としてしまい、あわててアリサちゃんが抱き起してくれた。うぅ、膝をすりむいちゃったみたい。



「ちょっと血が出てるわね。とりあえず、近くの水場に行きましょ。傷口を洗わないと」
「ご、ごめんなさい……」
「なに謝ってんのよ。アンタが鈍くさいのはいつものことでしょーに」


 
 それまで怒っていたのがまるでウソみたいに、アリサちゃんは心配そうに私の傷口をハンカチで拭いてくれる。
 そのまま抱き起された私は、ぴりりと走る痛みに少し顔をしかめたけれど、頑張って我慢する。



「うぅ……なんで私だけこんなに運動がだめなんでしょーか」
「単に、体の動かし方をしらないだけじゃないの? だってなのは、あんまり外ではしゃがないタイプだし」
「……そんなものかなぁ」
「そんなもんよ。時彦のバカみてりゃわかるでしょ? すずかも、ああ見えて結構運動するみたいだしね」
「そっかぁ……」



 確かにそうかも。
 体育の授業以外でサッカーしたりドッジボールしたりしないし、おいかけっことかもあまりしなかった気がする。
 ……ほんだくんと出会ってからは、なんだかほとんど毎日そんなことしてる気がするんだけれど。おかげさまで、ここ半年は膝や肘の生傷が絶えたことがありません。
 周囲に散らばったジュースを集めなおし、すりむいた箇所の痛みを我慢しながら、私とアリサちゃんは水場を探して歩きだした。
 


「時彦の話じゃないけど、士郎さんに相談してみてもいいんじゃない? 修行とかそういうのじゃなくてさ」
「そうだねぇ。うん、いいかも」
「それにしても――――まさか魔法少女がこんな運動音痴なんて、誰が想像できるかしらね」
「うにゃっ!? し、しつれーだよアリサちゃん! 私、確かに運動は苦手だけど……だけど」
「だけど? なによ? 何かいいわけでもあるわけ?」
「う……」
「縄跳びは普通飛びでも百回いかないし、逆上がりは補助板があってもダメで、登り棒はまず無理。えーと、後ほかには……」
「うにゃーー!! やめてやめてーー!! ごめんなさい、なのはは運動音痴です! だからそんな大声でばらすのやめてよーー!!」
「おーっほっほっほ! なのはの癖に生意気なことを言うからよ!」
「まだ根に持ってたの!? てっきり忘れたのかと思ってたのに!」
「この私がそんな簡単に恨みを忘れるはずないでしょ? くっくっく、時彦とすずかのところに戻ったら、今までのなのはの失敗談祭りを開催するわよ!」
「いやぁあーー!!」



 教訓。
 
・アリサちゃんは下手にからかってはいけません。
・からかっていいのは、からかわれてもいい覚悟がある人だけです。
・やっぱり、ほんだくんはいじわるでした。……………とっても、とぉおおーーーってもいじわるでしたっ!!











 なのはちゃんのお店での打ち上げも終わって、私と本田君は図書館へと向かっていた。
 本当はなのはちゃんとアリサちゃんも誘ったのだけれど、用事があるみたいで、今日は残念ながら遠慮することになっちゃった。残念。
 


「でも、アリサちゃんとなのはちゃんと二人で用事ってなんだろうね?」
「イノシシ狩りじゃね? 今晩の夕飯的な意味で」
「本田君?」
「はい、ごめんなさい」
「もう」



 のんびりと、うららかな春の日差しの下を歩く私達。
 時刻はもう午後を回って、もうすこしでおやつタイムに入るくらい。上り坂の途中に見受けられる、いくつかの個人経営のカフェやレストランのチェーン店では、その窓越しにそれなりのお客さんが談笑しているのが見えた。
 海鳴の商店街ほどではないけれど、それでも決して少なくない人と美味しそうなメニューに、私達は目を奪われる。



「お、あのケーキ美味しそうだな!」
「ストロベリークレープサンド? あ、ブルーベリーもある」
「いや、でも翠屋のケーキより割高か……桃子さんのスイーツ以上の味ならアリだけど」
「桃子さんのスイーツ、美味しいもんね」
「あの人のはある種のボーダーラインになっちゃうくらい安定しすぎてるからなぁ。桃子さん御手製に慣れると、妙に舌が肥えてしまう気がするのです」
「ふふ、いいことじゃない。実際、お姉ちゃんも桃子さんのスイーツ好きだから、ああやって時々アルバイトしてるみたいだし」
「いや、多分鬼ー様と少しでも一緒にいたいからじゃないかなソレ。ていうかスイーツの店でスイーツをまき散らすなと、俺は声を大にして言いたい」
「ラブラブだよねぇ、二人とも」
「ですなー」



 そんな雑談を交えながら、ゆるやかな上り坂を上り続ける私達。
 本田君と二人っきりでこうやって歩くのは、別に初めてのことじゃない。週に一度や二度はあったことだし、先週だって一緒に本屋巡りをしたくらいだ。
 ……でも、なんでだろう。
 今日は、ちょっとだけ違う気がする。本田君が変だとか、そういうのじゃなくて、単純に私自身が緊張しちゃっている気がした。
 原因は多分、今朝のお姉ちゃんの言葉の所為だと思う。
 

 
――――ごめん、すずか。彼に正体、バレちゃうかも♪



 冗談を言えるような内容じゃないはずなのに、お姉ちゃんはまるで冷蔵庫に隠していた私のおやつを食べたときみたいな気軽さで、そう言っていた。
 ……もう、笑ってる場合じゃないんだよ?
 つい、記憶の中のお姉ちゃんに私は文句を言ってしまう。それだけ、重要な秘密なのだ。……だよね?
 それなのに、まるでそんなのたいした問題じゃないとでも言いたげな今朝のお姉ちゃんの態度を思い返すたび、その自信というか、事実に疑いを持ってしまう。
 考えてみれば、お姉ちゃんはずるい。だって、お姉ちゃんにとってはもう、私達一族の秘密なんて、たいした問題じゃないんだもん。
 お姉ちゃんには既に恭也さんという、自分を認めてくれる存在がいる。
 だから、いつしか秘密についてもまるで気にしなくなって、昨日みたいな軽はずみな行動ができるようになったんだとおもう。
 おかげで本田君は無事だったけれど――――でも、そんな風にされると、未だに悩んでる私が馬鹿みたいに思えた。
 私は、ちょっとだけ鬱々とし始めた考えを振り払うように首を振って、ふと隣を歩く本田君を見てみた。
 にこにこと、一体何が嬉しいのかわからないけれど、今日の本田君は終始ご機嫌だ。昨日、あんな危ない目にあったというのにも関わらず、いつもみたいに元気で楽しそうにしている。
 そう、お姉ちゃんが〝本気〟を出したのを見ているはずなのに、まるで気にしてないんだ。
 


「うん? どうかした、月村さん」
「え、ううん。なんでもない。ただ、昨日怪我なくてよかったね、って」
「あぁ……確かに。いや、てゆーか俺よく生きてたな。こないだのベイ以上に命の危険を感じたんだけど」
「無茶しないで、って言ったのに」
「し、仕方なかったんだって! ああでもしないと時間稼げないって思ったし、それにまさかあんな必殺的な攻撃を乱射されるとは思いもよりません!」



 ……本当に、お姉ちゃんのことはまるで気にしていなかった。
 話を聞いても、昨日の魔法使いの子がすごく無口だったとか、なのはちゃんとは違う魔法を使ってたとか、死神みたいに鎌を使ってたとかそういう話ばっかり。
 お姉ちゃんに関する話は全然なくて、我慢できずにお姉ちゃんのことを聞いてみたら「いや、鬼ー様みたいな人間がいるんだし。忍さんもなんかやってるんでしょ?」という答え。……それでいいのかしら?
 でも、同時にもしかしたら、本当のことを言っても気にしないんじゃ……という、ありえもしない期待を抱いてしまう。
 そのぐらい、本田君は〝いつも通り〟だった。  



「確かにびっくりしたっちゃぁしたけどねぇ。いやしかし、考えてみればわかることだし」
「え? どういうこと?」
「だってさ、あの鬼ー様の同級生でその嫁でしょ、忍さんって? 鬼ー様の妹の美由希さんは言わずもがなで、おまけにその鬼ー様を上回るオッサンの縁者なんだから当たり前かなって。正直、僕としては将来月村さんがその領域に入るんじゃないか、と戦々恐々しております」
「あ、あはは……」



 腕を組みながらウンウンと頷いている本田君を見て、私はただ苦笑するしかなかった。
 確かに、本田君の周りを見ると――――うーん、別に私の一族がどうとかどうでもよくなっちゃうくらい、濃いよね。
 なのはちゃんは魔法少女で、そのお兄さんとお姉さんはすっごく強い武術家、アリサちゃんはとても大きなBICの社長令嬢、そして私とお姉ちゃん。
 ……確かに、こんな状況だと、別にお姉ちゃんが本気出して見せても驚く程のことじゃない気がしてきちゃった。



「まぁ、元々人外領域の人間には慣れっこだし」
「え、何が?」
「いやいや、なんでもないですよ。単に、俺がそういう〝ちょっと外れた常識〟には慣れっこだっていう話さ」



 いいことばかりでもないんだけどねー、とからから笑いながら言う本田君は、言うほど困ってるようには見えなかった。
 もしかしたら、それは私に気を使っての言葉だったのかな?
 叔父様にしたって、お姉ちゃんにしたって、本田君から見れば立派に〝ちょっと外れた常識〟の中の存在に違いないのに、それでも気にしないと言ってくれるのは、そうだとしか思えない。
 なら、本田君は私の〝本当〟を知っても、今までと変わらないでいてくれるかしら……?
 淡く、そして儚い期待が、私の胸に去来する。
 そんな都合のいいこと、あるはずない。だって、そんなのまるでお伽噺だ。
 いくらお姉ちゃんと恭也さんがわかりあえたって言っても、それは本当に極稀にある奇跡のような例外。奇跡は、そう何度も起きるような安いものではないことを、私は良く知っている。
 だから、私はそんな都合のいい夢を見ようとはしない。見ない。見たくない。
 大切な友達を失いたくないから。今のこの関係を、いつまでも続けていきたいから。
 でも、もしなのはちゃんやアリサちゃん、そして本田君に私の〝本当〟を知られて、嫌われたりしたら――――体を貫くような、痛みを感じた。



「どうかした、月村さん?」
「う、ううん! なんでもないの! ほんと、なんでもないから」
「うん??」



 慌てて両手を振りながら誤魔化す私。それを受けて、本田君は怪しそうに私を見つめたけど、すぐにそっぽを向いて「そか、それならいいんだ」と言って先に歩きだした。
 ……怒らせちゃったかな?
 まさか、この程度で怒るはずがないのはわかっているけれど、私は何とも言えない後ろめたさの所為でそんなことを考えてしまう。 
 小走りで本田君の背中を追いかけながら、私はふと気付いた。本田君、耳赤い。
 そこで、私はようやく(あぁ、いつもの本田君だ)と安心した。本田君はよく、今みたいにそっぽを向くことがあるけれど、決まってその時は耳が赤い。そして、こういうときは別に怒ってそっぽを向いたんじゃない、というのを私は知っている。
 ……だからかな。
 なんとなく。そう、本当になんとなくだけれど。
 


――――もしかしたら、私にも〝奇跡〟が起きるんじゃ?
 
 
  
 そんな期待が、とてもリアルな現実味を以て、私の胸の中にストンと落ちて来るのだった。

 




















――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
フェイト側の事情、本田への視点の補足?でもない蛇足。
ちなみに、本田が手渡されたおしるこは落ちた衝撃と、なのはがアリサに向かって投げつけ避けられて落下した衝撃でベッコベコのボッコボコでした。
その結果は、なのはの教訓三つめで察してあげてください。
ちなみに、どうあってもフェイト×本田ということはありません。絶対にです。すずかちゃん一筋ですから!



[15556] 金髪二号とハンバーガーと疑惑
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:41
 
 



 怒涛の一週間が明けて、翌週月曜日。その昼休みの教室の出来事だった。
 実はすずかちゃんのおっさんがジュエルシードを一個回収していて、偶然例の金髪魔法少女に渡してしまったといういざこざがあったものの、それ以外特に問題はないまま日曜日は終わった。
 むしろ、俺としてはのんびりとすずかちゃんと一緒に図書館で過ごせたのが幸せすぎてどうでもよかった。
 図書館に行くまで、なんだか元気がない感じがしたけど、図書館についた時には既にいつもの元気を取り戻していたので大丈夫だろう。彼女は俺なんかよりずっとずっと強い人間だ。
 ……まぁ、それはアリサにも高町にもあてはまるんだけど。
 ともあれ、今日はやつらとは別に、久しぶりにクラスの悪友三人と集まって一緒にお弁当を食べている。
 どいつもこいつも有名私立校にやってくるだけあって、それなりに美味そうな弁当を持参してきていやがる。……え、なに関係ないだろって? バカヤロウ、お金があればそれなりに美味しい弁当が食べれるんだぞ! 俺みたいに焼きそばパンとあんパンにコーヒー牛乳なんて、九年か十年先に嫌でも経験しなきゃいけないような昼飯メニューを食わなくてもいいんだ! くそう、なんだこの格差は。貧富の差もとい貧乏は敵です。むしろ親父に弁当作って俺には弁当を作ってくれなかった母者が敵です。今日だけドンピシャで材料が足りないって、なんの嫌がらせだよ……。



「諸君、私は金髪が怖い!」
「……いきなりどうしたひこちん」
「ほっとけよ。またいつものバカが始まったんだろ」
「それよりさー、紅玉とりたいから今日リタマラやらね?」
「話きいてよブラザーズ!?」



 盛大なスルーありがとう。そして最後の友人C、貴様には延々と尻尾しかはぎとれない呪いをかけてやる。



「金髪怖いだろ?! 金髪ちょーこえーじゃん!」
「いや、だからいみわかんないって」
「そりゃーバニングスはこわいけど、殴られんのはいつもおまえだし」
「そーそー。別に俺達がこわい思いしないんだったら、別にどーでもいーかなー」
「母上……私は世の薄情さに反吐が出そうです」



 いや、たしかにたかが小学生に何を期待するんだ、っていう話なんですけどね。
 けど、今回の話にはもっと深い事情があるわけでして。



「バカヤロウ。アリサ程度なら別にどうってこたーねんだよ。俺が言ってんのは、アリサを含めた金髪全員についてなんだ」
「なになに、なんかあったん?」
「つーか別に金髪の女ぜんぶが怖いってわけじゃねーじゃん。ていうかさいこーだろ金髪。ぼんきゅっぼんはロマンの塊、ってじっちゃが言ってた」
「あー、金レイアでもいいな。ちょうど連弩作りたかったし」
「いやーそれがさ」



 かくかくしかじか。
 かいつまんで先週に味わった夜の恐怖体験を聞かせてあげる俺様。
 しかし、ヤツらから帰ってきたのは、とても友人とは思えないような辛辣な言葉という名の暴力だった。



「また女か。ま た 女 か!!」
「もーひこちんは首相めざして法律かいせーとかすればいいと思うよ」
「ディアにもメスがいたりすんのかな?」
「なんでだよ! 死にかけたんだぞ!? わりと真面目にちびりかけたんだぞ!? 少しくらいは心配してくれてもいいじゃんか!」
「あー、そりゃきっとアレだよ。てんばつてんばつー。世界のしゅーせーりょくってやつ?」
「クラスのアイドル三人に囲まれてんだから、そのぐらいはわりくってもらわないとなー?」
「ティガ2匹同時に相手すんのもしんどいのに、さらにナルガとかどんなイジメだよって話だよな」
「ひ、ひどいわ! それが友人に対する慰めの言葉なの?!」
「他人のふこーは蜜の味、だっけ?」
「お前のふこーは俺の幸せじゃね?」
「モンスター同士のダメージって、あんまないのが理不尽だよね」
「「「とりあえずお前はモンハンから離れろ」」」



 どうやら奴らには、金髪の本当の恐怖がなんのか理解できないらしい。
 まったく。すぐ身近にわかりやすすぎる例があると言うのに、こいつらは一体今まで何を見てきたというのだろうか。
  


「で、だ。ひこちんよ、お前さん、ちょーいと俺達に話さなきゃならんことがあるんでないかい?」
「そうそう、ぜひとも詳しい話を聞きたいもんだけどねぇ?」
「天麟ばっかいらないんだよねー。紅玉の方が全然重要だっていう」
「な、なな、なんだお前ら! まて、よせ、落ち着くんだ! そう、もっとよく話し合おうじゃないか! 俺とお前達の間には、なにやら致命的なすれ違いがあるように思える! ってあぁ! 俺の昼飯がっ!!」



 俺のコーヒー牛乳が! 俺の焼きそばパンが! やめろ、それ俺のあんパンだぞ!?



「くっくっく……無事にこの食料を返してほしくば答えるんだな」
「言え! 貴様、どんな手段を使って月村さんの家に泊まりに行った!」
「なぁなぁ、やっぱ月村さん家のテレビってでかいの!? 何インチ!?」
「そしていつから貴様バニングスを名前で呼ぶようになった!?」
「裏切ったな! 俺達の純情を裏切ったんだ!!」
「クックを先生と呼び始めたら玄人の証、っておれの姉ちゃんが言ってた」
「「「だからてめぇはモンハンから離れろっての!!」」」
 


 そして始まる私刑という名のリンチ。
 ジャケットを奪われ、上履きを奪われ、あろうことか俺のランチーズが、目の前でこれ見よがしにヤツらの腹に収められていく様子を見て、俺は黙っていることなんてできるはずがなかった。



「はん。やっぱ惣菜パンは総菜パンだな。とうてい、うちのママの手作り弁当の足元にも及ばないね!」
「いや、でもこのあんパン結構いけるぞ。さらっとした口どけに、しつこくない甘みがまたなんとも……」
「じゅーっ! ぷはぁ! コーヒー牛乳うめぇっす!」
「て――――てめぇらの血は何色だぁああああああ!!!!」
「「「トナカイの鼻色でーす♪」」」



 ここに、第○次昼休み戦争が開幕した。
 開戦当初はおいかけっこという平和なスポーツであったが、一人が捕まりエビ反り固めを決められるや否や、それまで逃げ回っていた二人が軍事介入。すかさず四人による白兵戦へと発展し、いつしかその戦いは波を広げていき、教室の様々な生徒を巻き込んで、最終的にクラスの男子の過半数を巻き込んだ世界大戦へと発展してしまうのだった。



「……ホント、男子ってバカばっかりね」
「あ、すずかちゃーん、そのおひたしほしー!」
「いいよー。あ、なのはちゃんのミートボール美味しい。やっぱり桃子さん、お料理上手だね~」



 そんな戦国無双的な大決戦が教室で繰り広げられている中、被害の及ばない隅の方では、我がクラスのアイドルこと魔法少女組が、まさに180度真逆な平和そのものの雰囲気で弁当を突っつき合っているのだった。
 てめーらの出番これだけだから! ばーかばーか!



「シネっ!」
「あでっ!!」



 ……最近、アリサのコントロール力がヤバいと思うんですよ。上履きで俺のテンプル百発百中ってどういうことなの。









                           俺はすずかちゃんが好きだ!









「とまぁ、そんなことがあったんですよ」
「そ、そうなんだ…………大変だったね?」
「いやいや、別にこんなのしょっちゅうだしね。ていうか先週が別な意味でヤバかっただけだと思う」



 ちゅーっと、甘さ8割炭酸2割なコーラを吸い込む俺。
 それを真似するように、対面に座る少女もまたおずおずとドリンクに手を伸ばした。
 


「っ!」
「あれ、炭酸苦手?」
「けほっけほっ! ち、ちがうのっ。初めて飲んだから、びっくりして……喉に絡まる感じがするね、コレ」
「…………ソデスカ」



 今の台詞で思わずエロイと思ってしまった俺は、間違いなく汚れている。あぁ、いっそ死んでしまいたい。すずかちゃんへの忠義的な意味で。
 


「? どうかした?」
「はは、いいんだ。ほっといてくれよ。こんな浮気者のクズなんて、見捨ててくれていいんだ…………」
「え、え!? えーと、あの、コレ―――コレ食べて元気出して?」



 そう言って自分のポテトを差し出す少女。
 さらりと、その砂金のようにきらきらした髪が肩から滑り落ちる。
 アリサに負けず劣らずの輝きと、しかしながらヤツとは違って両端をツインテールに結わえ上げた金髪は、ハンバーガーショップの店内の明かりを眩しいくらいに反射していた。
 こうしてみると、とてもじゃないが他人を襲ったり攻撃できるような人間とは思えない。
 しかしなぁ…………こんな人畜無害そーに見える子がなぁ…………。



「こないだ殺されそうになったというのにこの優しさは……貴様、俺をたぶらかしてどうするつもりだっ!」
「えぇ!? ち、ちがうよっ! そんなつもりないし、それに、この間もちゃんと非殺傷設定だったから……」



 顔を真っ赤にして、わたわたと慌てつつ弁解する金髪少女――――もといフェイト。
 そう、この目の前に座っているアイドル顔負けな超美少女、実は先日の肝試しで俺を殺しにきていた高町のライバル魔法少女だったりする。
 あの時は黒いマントに、結構放送禁止ギリギリなエロイ水着(?)+ミニスカモドキというきわどい恰好だったが、今日はかなり普通だった。
 黒いフリル付きのブラウスに、裾部分を折った白のサスペンダー付きホットパンツという出で立ち。しかも黒のハイニーソにベージュのバックジップブーツときている。
 下手をすれば、街を歩いているだけで色んなジャンルの人間から声がかかってきそうな可愛さだ。ま、すずかちゃんには及ばないけどな!
 


「ま、気にしてないんで別にいーさね」
「……い、いいの?」
「おーおー。つーか早く食わねーと冷めるよ? 冷めたらガチガチの石みたいになって食べれなくなるから」
「わわっ」
「ウソだけど」
「ウソなんだ!?」



 うむ。ノリもなかなかにいい。
 可愛くて素直でノリが良くて、でもって魔法少女――――いかん、状況が状況だったら、この娘最強すぎるだろ。
 間違いなくマイラバーのスペックを(魔法少女的な意味で)超えてるし、一生懸命はむはむとハンバーガーを食べている姿は、例え小学校三年生のこの身あろうとも、際限ない保護欲を掻きたてられてしまうほどに愛くるしい。
 くっ……これは試練か。俺のすずかちゃんに対する愛の深さを確かめようと言うクソッタレな神様の試練なんだな!?
 上等だ受けて立ってやろうじゃねぇの! すずかちゃんの愛の前では、この程度の試練なんぞ屁の河童ってことを思い知らせて――――!



「あーあー、ハンバーガー食うの初めてか? ほっぺ、ケチャップついてるって」
「え、あぅ」
「ちょいまち――――ん、とれた」
「あ、ありがとう」
「お、おう」



 ……すみません、やっぱちょっとしんどいです。
 にへら、とは違う。
 にぱっ、とも違う。
 ふにゃっ―――そう、ふにゃっ、だ!
 こう、見てる側が思わず脱力してしまうような笑みを浮かべて、そいつは極々素直にお礼を述べた。
 ……っていうかやばいだろぉおおおお!?!!
 なにこの可愛い生き物! え、なにこれちょっとお持ち帰りしていい!?
 つーか反則だろ畜生! 
 街中でバッタリ出会ったかと思えば、腹の虫鳴かせて空腹アピールするし、お金の払い方分かんないとか言うし、ハンバーガー食べるのも初めてとかどんなお嬢様!? ていうかコレなんてエロゲ!?
 そうか……ついに俺にも春が来たんだな!
 すずかちゃんへの想いは相変わらずあるけれど、これはむしろそういうイベントじゃなくて義妹フラグだよね!? いやっほぃ! 本田君に妹が出来ちゃうよ!



「…………っ」がんがんがん!
「あ、あの、大丈夫!? いきなり机に頭ぶつけだしたらだめだよ!」
「いいんだ………ほっといてくれよ。あぁそうさほっといてくれこのダメな浮気やろうなんて……はは」



 駄目だろうがおい。なにトチ狂ってやがりますか本田時彦九歳!?
 それ以前にこの子敵だよ!? ライバルだよ!? お持ち帰りとか何その美味しい考え方! いいかもしれない!



「よし、お前俺の妹になれ」
「え、えぇっ!?」
「すまん、冗談だ」
「そ、そうなんだ……」



 だから落ち付けとゆーとるに。
 いかんな……こいつは確かに強敵だ。高町の奴が手こずるはずだぜ。
 フェイトがハンバーガーを食べ終わる間、それはとてもとても楽しくて、しかし同時に俺の心がさんざんぱら痛めつけられる時間だったのだった。

 事の始まりは、ただの偶然である。
 学校が終わって、今日はすずかちゃん達三人が塾のため、一人でいつものように例のプラモ屋に行くところだった。
 で、ついでに本屋によって週刊誌でも立ち読みしよーかなーとか思いついたのが、恐らく今回の出会いの始まりだと思う。
 目当ての週刊誌+包装されてなかった月刊誌を立ち読みし、ちょっと小腹空いたし――冒頭の昼食ボッシュート戦争の影響――、なんか食ってこーかなーとか思ってぶらぶらしていたら、遠くに見慣れた金髪が見えた。
 海鳴に外国人が多いとは言っても、アレだけ見事な金髪はそうそういない。しかも、俺と同じぐらいの背丈で、腰以下まで髪を伸ばしている金髪少女は、俺の知る限りアリサのヤツしかいないのだ。
 よって、俺はその髪の持ち主をアリサと勘違いして―――。



――――「おい、こんなとこでサボりですか不良お嬢様?」
――――「ふぇ!?」



 見事に人違いで、さっきのすごい端折った説明の末にこの状況に至る、というわけである。
 ……いやー、世の中狭いネっ! ぼくびっくりだよ!



「さってーと。これからどうする? またジュエルシード探しに行くの?」
「うん。そのつもり」
「そかー」



 一通りハンバーガーを食べ終わって、俺達は互いにジュースをちびちびとすすりながら食後のまったりタイムに入っていた。
 周囲からなんかすげー好奇の視線が突き刺さってくるけど、気にしない気にしない。ていうかアリサとかすずかちゃんとかと一緒にいてもこれだし、既にもう慣れてしまったと言っていい。
 故に、こうしてまったりと、それこそ炭酸の抜けたコーラのような時間を過ごすことも日常茶飯事であり、フェイトは半強制的に巻き込まれている形だ。たぶん、ここを出たらすぐにでも探索に向かうつもりだろう。
 ……別についていって横からかすめ取る、ってことも考えついたんだけど。それってあんまりにもアレじゃね?
 ていうか、そもそもこれは高町とユーノの問題なんだし、俺がそこまで首を突っ込むようなもんじゃないよね。……よね?
 


「ん? なに?」
「いやっ、べつにっ!」
「そう?」



 ついじーっと見つめてしまったせいで、フェイトは顔を挙げて小首をかしげて見せた。慌ててなんでもないと手振りを加えて返事を返すも、やはりドキドキしてしまう。
 この短時間の間で、フェイトは随分と打ち解けたような気がする。最初はおずおずと借りてきた子ネコみたいな感じだったが、今はもうアリサとか高町とかあの辺くらいのフレンドリーさにレベルアップしていた。
 まぁ、とっつきやすい人間とはよく言われるからな。アリサに至っては「遠慮するだけ時間と感情と思考の無駄」とばっさり切られたくらいだし。
 俺自身もあんまり遠慮した間柄ってのは好きじゃないから、この変化はありがたい。
 ……それに、マイラバーの顔で変に遠慮されるのは、すげぇ気持ち悪いし。



「あ、そうだ」
「お、なんじゃい?」
「ちょうど君に聞きたいことがあったんだ」
「聞きたいこと?」



 はて? 
 なにか疑問に思われるようなことを言っただろうか?
 たかだか三十数分の間の記憶を掘り返してみるが、それらしきものは――――あぁ、買い物の仕方か?
 いやでも、さっき見た限りじゃ既に覚えたっぽいし、おっさんと違って貨幣価値に関してはちゃんと知識があるみたいだから問題ないはずだけど。
 あるいはこの街の地理とか?
 ……これも無理があるな。だったらどうやって学校の位置を知ってたんだって話になるし。
 


「この間の夜のことなんだけれど……」
「こないだって……あぁ、肝試しの時か」
「肝試し?」
「いや、こっちの話だよ。そういう趣旨で学校に侵入しててさ」
「そうなんだ」



 納得したのか、はたまたそういうものなのかなとスル―したのか。そこらのアイドルがはだしで逃げ出しそうなくらい可愛い顔立ちではあるが、あまり変化しない表情からはどちらか判別がつかない。
 フェイトはストローを咥えて一口飲むと、一息をおいてから話を続けた。



「なんで、私に〝あんなこと〟聞いたのかな、って。ずっと気になってて……それで」
「あ~……と? あんなこと?」
「うん。家を爆破したか、とか。フライパンにエビを入れたか、とか」
「――――アレかっ!」
「うん、それ。…………なんで、私にそんなこと聞いたの?」



 そうそう。思いだした。そう言えばバナナ獣に縛られてる間、そんな質問をしたんだっけ。
 まぁンな記憶あるわけねーだろっていう結論だったんだが――――そりゃそうだよなぁ。いきなり変人極まりない所業に覚えがないかって聞かれたら、誰だって気になるよなぁ。

 ……さて、どうしようか。

 ユーノについては適当にごまかしたからいいけど、今回もおんなじように誤魔化すべきか?
 まぁ、馬鹿正直に話したところで到底信じてもらえるとは思えんし、あるいは「誤魔化そうとしてる?」と取られてスルーされるかもしれん。なら、どうするかなんて決まってる。



「俺の大切な人に、お前が似てたからさ」
「……え?」



 決まった……!
 これ以上ないくらい――――痛い演技だ!
 イメージとしては、背景にややピンク色の泡と薔薇がこれでもか!というくらいに舞っている感じ。どこぞの少女漫画にでも出てきそうな一場面である。
 ふっふっふ。どうだコノヤロウ。時の人曰く〝ナンパの常套句〟だぞ?
 普通なら「うわなにそれナンパのつもり?」「センスゼロ。アオミドロクラスからやり直せ」「本気で言ってるなら病院行ってきな」と言われること間違いなしの〝痛い台詞〟だぞ? さぁ、こんなことを言われたからには諦めるしかあるま――――、



「そ、その……実は、私も………」
「―――――は?」
「私も、その……私もね? 実は〝そんなことがあった〟ような気がしてたんだ。私、君と会うのは初めてだったのに――――おかしい、よね?」
「……・………なんですと?」



 俺は、思わず驚愕の声を漏らして眼を見開き、そのまま硬直してしまった。
 下手をすれば、そのまま立ち上がりかねない勢いだった。
 えへへ、と苦笑しながらフェイトは軽く言うが、俺にとってはまさに寝耳に水、晴天の霹靂だぞ!?

 だって、それってつまり――――こいつ、マイラバー?

 い、いやいやいや待てって! ちゃんと言ってたじゃんか「記憶にございません」って!
 今こいつが言ってるのは、単にそういう〝デジャヴュ〟みたいなのがあるって話で、コイツ自身がマイラバーという確定事項じゃないんだ。
 おーけい落ちつこーぜラブラザー。これはデウス・クレアートルの罠だ。巧妙かつ絶妙な、俺とすずかちゃんの愛を引き裂こうと言う卑劣で狡猾極まりない、クソッタレで独善主義のデウス・エクス・マキナなんだよ!!

 ……けど、さすがに放ってはおけないよなぁ。放置するにはあまりにも俺の好奇心を刺激してやまない話だ。
 とくれば、まずしなきゃならないのは事実確認です。



「なぁフェイト。聞くけど、フェイトって名前は偽名?」
「え? ど、どういうこと?」
「いや、ジュエルシード集めなんて危ないコトしてるんだし、実は偽名を使ってます、ってのが考えられるじゃん?」
「ううん、本名だよ。フェイト、フェイト・テスタロッサ。それが私の名前」
「シルフィって名前に聞き覚えは?」
「シル、フィ? ……ううん、ごめんなさい。聞いたことないと思う」
「そか。いや、むしろそれを聞いて安心した」



 大丈夫。どーやらマイラバーでないのは間違いないらしい。
 ……まぁ、平行世界から別人格が飛んでくるようなトンデモ世界だしぃ? このぐらい、別に不思議でもなんでもない……のか?
 あるいはドッペルゲンガーか。はたまた、実はこの世界だけにいるアイツの双子か。
 考えれば考えるほど可能性が出てきて、むしろ考えるだけ無駄に思えてきた。いやむしろメンドイ。ていうかもーどーでもいーよね?
 結局、俺はフェイトに「ま、そーゆーこともあるって」と適当にごまかしとおした。
 ……べ、別に真相を知るのが怖かったとかじゃないんだからね! ヘタレじゃないもん!


 その後、手早くトレイを片づけて店を出た俺達はすぐに別れることにした。
 時刻は夕暮れ。既に太陽は西に大きく傾き、あと一時間もしないうちに夜が訪れるだろう。
 そんな夜遅くに、俺がジュエルシード探しについていくのはアレだし、かといって今から街を連れまわして遊び回るのもフェイトの迷惑だもんな。俺と違って、フェイトにはやらなきゃいけないことがあってここにいるのだから。
 ……まぁ、妨害した方がいいっちゃいいんだろうけどさ?
 でも、なんていうか、そんなことはしたくない、って思えてしまったんだ。

 フェイトがマイラバーに似てるから? 
 …………かもしれない。

 それとも、ヤツの境遇に同情した?
 …………むしろそっちのほうが大きいかも。

 話を聞けば、フェイトは今、遠見市で従姉と二人暮らしだと言う。
 無論、友人や知り合いなんているわけがない。フェイトがユーノと同じ別次元の人間なのは明らかだし、目的はわからずとも、こんな心細いところにたった二人でやってくるくらい、フェイトはジュエルシードが必要なんだ。
 しかも、仮にもフェイトと俺は一緒に飯を食った仲である。釜めし仲間とは言わないが、そんな相手をすぐさま邪魔するなんて無神経な事をするのは、なんていうかちょっと――――嫌だ。
 早い話が、ただの我儘である。
 また、どーせ一個奪われてんだし、この後フェイトがいくつ回収しようが、最後に高町が分捕ればいいだろというあくどい考えがあったのも、理由の一つだ。小学生でもそんな汚い思考が出来るのは俺だけの特権だね! ……自慢できるようなもんでもないけどさ。
 それに、そんなポンポン見つかったら誰も苦労しねーよ、という希望的観測が八割だったりする。見つけたらみつけたでラッキーなんじゃね? みたいな。



「そんじゃな、フェイト。協力できなくて悪いが、あんま無茶すんなよ?」
「うん。ありがとう、トキヒコ」
「いいっていいって。それに、これでも俺、お前のライバル側の人間だぜ? いいのか、そんなに親しくしても」
「あ……そっか。そうだよね……」



 シュン、とまるで落ち込んだ猫みたいに表情を曇らせるフェイト。
 そこに計算や演技と言った偽りはなく、ただ純粋に俺との関係が残念で仕方がないといった、素直でまっすぐな気持ちが窺える。

 ……ずるいよなぁ。

 いくらマイラバーじゃないとは言っても、マイラバーと瓜二つの顔でそんな顔されたら、どうすればいいかわかんなくなる。
 できれば事情を話してもらって、出来る限りの範囲でユーノや高町と相談できたらいいのにと、心から思う。
 なにより、こんなに素直で良い娘と敵対するなんておかしいじゃんか。



「やっぱさ、事情は話してもらえないのか?」
「……うん。これは私の問題だから。それに、トキヒコ達だって目的があるんでしょう?」
「まぁ、そうだけどさ」
「だから、言わない。トキヒコは優しいから、きっと困る」



 ……あぁもう、ホントにこいつは。
 はっきり言おう。性格はまるで似てない。似てるのは声と顔立ちだけで、その生い立ちやら趣味やら特技やらはまるでマイラバーと似通っていない。そもそも、こんな大人しい少女みたいな話し方をやつはしない。
 でも――――この笑い方は、そっくりだ。
 ナニかを誤魔化す時、本当に悪いと思って謝る時。そう言う時に限って、あの馬鹿娘は見るモノの胸を締め付けるような、儚くて弱弱しいけれど、でもすごく綺麗な笑顔を浮かべる。……………質が悪いのは、それが自分の武器であると〝自覚〟して使ってたことか。その癖、時々自覚なしに恍けたことを言うから振り回される羽目になるのだ。あぁ、今となっては何もかもが懐かしい……。
 もちろん、目の前のフェイトにそんな打算的なものはないだろう。純粋に、俺を困らせたくないという思いやり一つに違いない。
 だからまぁ、俺としてはそんなフェイトさんを邪険にできるはずもなく。



「んじゃさ、また今度遊ぼうぜ。せっかく知り合えたんだし、もっと会いたいじゃん」
「…………いいの?」
「おう。今度会えたら、お前のデバイス見せてよ。斧ってかっこいいから、本田君としてはすごくうらやましいのです」
「ふふ、わかった。それじゃ、また今度」
「気をつけてな」



 おそらく、これが戦時中だったら、俺は間違いなく国家反逆罪かスパイ容疑で即刻拷問部屋送りになるだろう。特にアリサなんぞにバレようものなら、凄まじい折檻が待って――――うぅ、背筋に凄まじい寒気が!
 ともかく、俺達はそんなやり取りをして、意外にもあっさりと別れた。
 てくてくと街の雑踏に消えゆくフェイトを見送っていると、途中こちらに振り返って手を振って来る。
 周囲が何事かと注目してくるのにもかかわらず、それに対して手を振り返した俺は、さてこれからどーしよっかなーとか能天気な事を考えながら振り向いて―――――世界が凍った。



「――――本田君、いまのって……?」
「つ、月村さん……っ!」



 信じられないモノを見た、とでも言いたげなくらい目を大きく見開いて、そこには塾帰りと思しき月村さんが立っていた。
 その後ろには、いつぞや見たロールスロイスが見える。幸いアリサの馬鹿まで一緒にいる気配はないのが本当に救いだ。
 いや、でも今はそんな些細なことで喜んでる場合じゃない。アリサに嫌われようが殴られようがどうなろうがかまやしないが、彼女にだけは――――月村さんだけは、特別に例外なんだから!
 早く誤解を解かなきゃ、今まで築き上げたフラグがダイナマイトで吹っ飛ばされてしまうっ!
 焦りと共に弁明を口にしようとするが、うまく言葉にならないまま「あ、と。そのこれはっ!」とか漫画とかでよくある修羅場での言い訳で駄目なパターンに陥ってしまう。
 しかし、すずかちゃんはそんな俺の言葉なんてまるで聞いてなかったらしい。ただ静かに、しかしこの雑沓の中でもはっきりと聞こえる綺麗な声で、尋ねてきた。
  


「なんで?」
「え?」
「なんで、本田君があの子と一緒にいるの?」
「月村、さん?」
「…………っ!」
「あ、月村さん!!」



 呼びとめる俺の声には耳も貸すことなく、すずかちゃんは突如踵を返すと、そのまま車に乗り込んでしまった。
 慌てて追いかけるが、既に車は発進した後。
 綺麗に整備された道路の向こうへ消えていく長い車を呆然と見詰めながら、俺はいつまでもその場で呆然と立ち尽くす。
 なんだ、これ。なんでこんなことになった?
 いや、それよりも、最後、踵を返す直前に見えたのって……。 



――――――すずかちゃん、泣いてた?



 その考えに思い至った瞬間、俺はその場で崩れ落ちた。
 やってしまった。やらかしてしまった。もっともやっちゃいけないことを、絶対にやってはいけなかったことを――――やらかした。
 そう考えるだけで全身から力が抜けて、何も考えられないまま俯いてしまう。
 周囲がざわざわと騒がしくなっているが、今はそんなことどうでもいいくらいに何も考えられない。
 再び顔を挙げて、車が消えていった方向を呆然と見詰める。見つめるが――――ただ、それだけだ。
 茜色のカーテンが引き、紺碧の天蓋が空を覆って、見かねた誰かが俺に声をかけてくるまで、俺はずっと、そこで呆然としていた。
 











――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あーあ本田君カワイソスな回。
とりあえず、これでフラグ1成立、ということで。

1004270011:Ver1.01 びみょーに修正
1007240300:Ver1.03




[15556] 誤解と欠席と作戦会議
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:41

 神様。すみませんでした。いやもうホントクソとか馬鹿とか独善的とか生言ってほんっとーにすみませんでした。
 今後ともに心を入れ替えて熱心に祈りをささげ土下座でも焼土下座でもお百度参りでもしますからどうか――――どうか昨日の出来事をなかったことにっ!!



「……なのは、あの馬鹿どうしたの? 教室の隅で膝抱えて寝っ転がるとか、不気味すぎてキモイんだけど」
「さぁ……? ほんだくん、今朝からずっとあんなかんじなの」
「昨日までなんともなかったのに? ……まーたぞろ変なことやらかしたわね」
「あ、あはは……」



 シクシクシク……。
 終わった。
 おれの人生オワタ……!
 よりにもよって……よりにもよって高町でもなく、ましてやアリサでもなく! すずかちゃんに泣かれた! 
 ……ボク、もういきていけない。
 


「ていうか、教室の隅だっていうのに、まるで教室全体が重くなった感じがするわ」
「すっごーく暗いよね。なんていうか、こう、どろどろしてる感じ?」
「コールタールに似てるかしら。どろっとしてて、こう触りたくもないくらい気持ち悪い見た目の」
「ひぅっ! あ、アリサちゃんのばかっ! へんなもの想像しちゃったよぅ!」
「……ごめん、今のは私のミスだわ。うん、すごい軽率だったと思う。ちなみになのは、今アンタが想像したのは虫?」
「いわないでっ! 幼稚園の時、いきなり顔に飛びかかられてひどいことになったんだからっ!」
「…………あー、ほんとごめんね? よしよし、大丈夫よ。ここにはゴキさんいないからねー」
「うぅう……アリサちゃんがすごくいぢわるです!」
「って、それよりもあの馬鹿よ。あ、いきなり頭を抱えて悶えだした」
「えとね、だいたい十五分おきくらいであんな風になってるよ?」
「……キモイにもほどがあるわね」
 


 つーかよ! 思うんですよ!
 二度目の人生、なんでこんなに波乱万丈なんでしょうか!?
 一度目はほんとに面白みのおの字しかないくらい普通(俺個人に関して言えば)だったんだぞ!? 養親というちょっと普通とは違う家族構成だったくらいで、他はそこらのいっぱんぴーぽーと変わらない生活だったし、唯一自慢できたのもマイラバーの存在くらいだ。こんな、魔法少女とかとんでも人間カーニバルとか小学生でSYU★RA★BAとかありえないだろ常識的に考えてっ!
 神とやらは俺に対してなんか恨みでもあんのかちくしょーーー!!



「あれ、そういえばすずかは?」



――――――――ぴくっ。



 ふと耳に入った単語に、俺の全思考が停止する。
 他のすべての感覚器を遮断し、ただこの耳に入る音の情報だけを拾うべく、今際の際の如き集中力で全感覚を耳に傾ける。



「アリサちゃんも聞いてないの?」
「ええ。ほら、今日バス乗れなかったじゃない? だ れ か さ ん の せ い で」
「…………ほんとうにごめんなさい」
「まぁ、だから私もすずかが来てるかどうかはわからなかったのよ」
「そうなんだ。わたしもさっきメールしてみたんだけど、まだ返事がこなくて」
「うーん……どうしたのかしらね、すずか?」
「心配だよねぇ……」



 ちなみに、バスが運行不能になったのは言うまでもなく高町のせいである。
 先週の肝試しで離ればなれになった際、恐怖に錯乱した揚句魔法の設定をミスって乱射した一撃が、校庭の車庫を直撃。ちょうどうちらの区画を回るはずだったバスを見事にぶち抜いてくれたのだった。南無。
 ……いやいやそれよりも
 すずかちゃん不登校?
 まさかでもなく俺のせい!? 
 オーマイガッ! ホーリーシッ!
 どうするどうしようどうしたらいい俺!?
 あぁああぁああああああ!! だれかお願い僕を助けてぷりーずっ!



「……で、なんであんたはいきなり私の足にしがみついてんのよ?」
「ぐぎぎ……こうなれば背に腹は代えられない。事情を知っている貴様には協力してもらうぞ暴力女王」
「なんで私が……」
「ならむしろ高町でもいい! お願いだ、俺を助けてくれよ!」
「はわわ、な、なになに、どうしたのほんだくん?」
「ていうか時彦。それよりすずかどうしたのか知らない? アンタなら真っ先に知ってそうなもんだけど」
「オフゥッ!?」
「……あ、死んだ」

 

 ……言葉の暴力。それはまさに文字通りの代物です。
 時にそれは物理的な攻撃となって対象を襲い、冗談でも比喩でもなく本当に対象の心を抉ります。



「…………まさか、時彦?」
「びくっ」
「アンタ、すずかになんかしたわね?」
「びくびくびくぅっ!?」
「やっぱりかーっ!? なにした、アンタこの野郎すずかになにしくさりやがったーーっ!?」



 げしげしげし!
 アリサの豪脚が俺の全身を襲う!
 ほんだはいのちのききにさらされた! ほんだはひっしにからだをまるめてぼうぎょする!



「あ、アリサちゃん落ち着いてー!? ほんだくん死んじゃうよ!」
「これが落ち着いていられるわけないでしょ!?」
「そ、それでもだめだよっ! ちゃんとお話を聞いてから、判断はそれからでも遅くないと思うの!」
「そうだぞバニングス!」
「暴力はやめろよ!」
「まずはひこちんの話を聞くべきだ!」
「た、高町……! おまえら……!」



 いつの間にか周囲に集まっていたクラスのみんなの言葉を受けて、一瞬、アリサの暴力がやむ。
 そんなみんなの言葉に、その友情に心が震えてならない。
 俺は今、モーレツに超感激しているっっっ!!



「だからリンチはそのあとで!」
「……え?」



――――しかし、現実はそんなに甘いものではなかった。
   


「事情聴取は義っ務の下っ♪」
「よぉ~が済んだら襤褸・雑巾♪」
「俺とお前で取り囲み♪」
「みんなでボコろう我らの敵を~♪」
「ついでにとどめはディバイン・バっスター♪」
『みんなでやれば、こーわくないっ!!』
「――――――――この、裏切り者どもがぁあぁぁああああああ!!!!」
「……なのは、ノリノリね」
「ほんだくんに仕返しするいい機会だとはんだんしましたっ」










                           俺はすずかちゃんが好きだ!










 ひどいめにあいました。たぶん俺の人生十年分くらいの濃密度で。



「自業自得でしょ」
「だよねー」
「げぇっ、アリサと高町!?」



 放課後に移り、保健室から生還した俺はほうほうの体で逃亡もとい帰宅しようとしたところを、再びアリサと高町に捕まっていた。
 あ、朝あれだけ俺をボコにしたくせに、まだやりたりないというのかっ!
 ええい、聖祥大の小学生は化け物か!?
 でももう勘弁して! 本田君のライフはもうゼロよ!
 そんな俺の祈りが通じたのか、あるいはそうでなくとも情状酌量をもらえたのか。
 下駄箱でアンブッシュしていた二人が、今朝の如く俺に襲い掛かる様子はなかった。
 俺の姿を認めたアリサが、そんなびくびくした俺を見てフン!と鼻で笑う。



「まったく……あんた、クラスでのすずかの人気知らなかったわけじゃないでしょ?」
「それなのに、すずかちゃんが休んだ原因みたいなこと言っちゃったら、みんなだって怒るよ」



 腰に手を当てこちらを睨みつけるいつもの仁王立ちスタイルのアリサに、ランドセルの肩ひもを両手で持ちながら、にゃははと苦笑する高町。
 これで隣に鞄を両手で前に持ったすずかちゃんが穏やかに微笑んでくれていれば、何も変わらない、いつもの風景だったのに。
 あ、やばい。意識したらなおさら辛くなってきた……。



「わわ、ほんだくん大丈夫!?」
「い、いきなり泣き出さないでよもう! ホント、アンタ今日はおかしいわよ?」
「う、うるせいっ! 泣いていない、本田君泣いてないもんね!」



 ぐしぐしと、慌てて目元を擦る。
 ちょっとじめっとしたけど、そんなの気のせい! 本田君は元気で強気な男の子! 絶対に泣いたりしません! ……しないってば!
 結局、ちょっとだけしょっぱい汗が出てしまったのをアリサにハンカチで拭われて、俺達は一緒に帰路につくことにした。
 高町が爆砕したせいで、行きも帰りもバスはないのでアリサが送ってくれるという事に。持つべきは金持ちの友人だな、と痛感した。
 ちなみに補足しておくと、バスの件は結構学校でも話題になっていた。件の怪談騒ぎと合わせて「妖怪の仕返し」とか「宇宙人の侵略」とか好き勝手な噂が飛び交っています。あぁちくしょう……こんな状況じゃなきゃ、面白おかしく噂を誇張して回ったっていうのに……。
 無理やりテンションのギアを上げようにも、ちょっと針が上に向いた瞬間昨日の出来事が脳裏をかすめ、あっという間に針が地面に向かって叩き落とされるというのを繰り返していて、どうにもいつもの調子が出ない。
 車に乗り込んで走り出してから暫く立つまで、アリサと高町が今日の授業のことやら宿題のことやらで話の花を咲かせていたが、俺は全く持ってその会話に入ろうという気が起きなかった。
 普段なら所々で俺が茶々を入れ、アリサが肉体的突っ込みを以て俺を黙らせる、というのが定番パターンなのだが……生憎、今の俺にそんな元気はない。ないったらない。むきゅー。 



「……とりあえず。この馬鹿をどうにかしないといけないわね」
「そうだねぇ……さすがに、ちょっと可哀そうかも」
「とにかく、なにはともあれ事情聴取しないと。そうね……市街の方に行きましょうか」
「うにゃ? 今日はウチじゃないの?」
「この馬鹿を連れていく気? 間違いなく恭也さんか美由希さんにとっつかまるわよ?」
「……市街地でよろしくおねがいします」



 今あの二人(そのどちらかにでも)に捕まるのはひっでょーにまどぅい。
 特に鬼ー様に捕まろうものならば、間違いなく俺の命が燃え尽きてしまうだろう。例えば「俺の将来の義妹になんてことをっ!」的な感じで――――ガクブルガクブル…………っ!



「あ、返事した。でも、なんだか今度は激しく痙攣してるような……?」
「はぁ……もういいからほっときなさいなのは。鮫島、今日は市街地に向かって頂戴」
「かしこまりました、アリサお嬢様」



 いやだ……・俺は――――「俺はまだ死にたくないぃいいいいいいい!!!」



「やかましいっ!」
「あふっ!?」
「……アリサちゃん、ここ数ヶ月ですごくパンチ上手になったよね」
「ふ……虚しい成長だわ」
「それよりももっと俺を労われよ!?」
「「……なんで?」」


 
 小首をかしげてハモられました。あっちょんぶりけ。
 その後も、金髪幼女と文系駄目幼女の二人にいびられながら、車は無慈悲に無言にただひたすらに目的地へと向かって走り続ける。
 もうこの時点で、俺の精神的ライフはゼロを突き抜けてマイナスを抉りぬいていた。つまりは死亡です。精神的なゲームオーバーです。
 それでもお構いなしとばかりに俺を連れ回そうとするこの二人の幼女は、はたして友達と呼べるのでしょうか?
 なぁ親父――――友達って、なんだろうな?
 










 市街に着いて車から降りた俺達は、何故か昨日フェイトと一緒にハンバーガーを食べた――――もとい、すずかちゃんとのフラグをバッキベキにへし折る羽目になった事件現場へやってきた。
 正直、昨日と同じ店に入るのは、物凄く腰が引けたんだが、そんな俺の弱音を聞いてくれるような優しい友人は、俺の周りにはすずかちゃんしかいない。そして、そのすずかちゃんは今いないのだ。

 ……なに? この店に来たくない理由?

 んなの、下手をすれば――それこそ星が俺の頭上に直撃するような確率だが――フェイトとまた会ってしまうかもしれないという恐怖と、この店から数歩出た先で起きた凄惨な事件(俺視点)を思い出してしまうからに決まっとろーが!
 そのことを懇切丁寧に、身振り手振りさらにはシャウトまで交えて真心込めて説明してやったら、アリサと高町はこういった。



「そんなの知るか」
「あ、私フェイトちゃんに会いたい!」
「……もう好きにしてください」



 そういうわけで、ただいま昨日とまったく同じスペースで俺はバニラシェイクをちびちびとすすっております。あぁ虚しい。
 ついでに、首を絞められつつも事情聴取という名の尋問を受け、昨日起きた事件については洗いざらい白状済み。隠してたってどうせバレることだし、ていうかそれ以前に白状しないと本気で締め落とされる勢いだった。
 


「……なるほど? なのはの邪魔をしているもう一人の魔法使いがそのフェイトって子で、アンタは昨日のまさに今ここで、その子とデートしてた、と」
「ちげぇよ!? お前は一体俺の話の何を聞いていたんでやがりますでしょうか!?」



 したり顔でウンウン頷きながら、まるで見当違いの結論を導き出した、アリサの脳内構造を俺は本気で疑った。
 特に最後。誰がデートだ!
 俺はあくまで、善意でモノの買い方ってやつを親切に教えてやってただけで、それ以上のやましい気持ちなんて電子顕微鏡で測ってやっとくらいしかなかったんだぞ!
 ……いや待てよ。むしろそんな芥子粒にも満たないくらいの下心があったからこそ、すずかちゃんがあんなにも傷ついてしまったのでは――――っ!?
 お、俺はなんてことを……っ! なんて取り返しのつかないことをしてしまったんだっ!!?



「駄目だ、もう………もう俺の人生はダメだ―――――死のう」
「はいはい、馬鹿言ってないでほら、ポテトでも食っときなさい」
「この俺様がそんなポテトに釣られ――――」
「ちなみにコンソメバーベキュー味」
「ちょーうめーっ! やっぱ味付きはコンソメバーベキューだよな!!」
「……で、問題はすずかがアンタ達の逢引を見て逃げ出したことだけど」
「逢引ちがいますからっ! 断じて違いますから! ポテトうめーっ!」
「うーん、でも、すずかちゃんが逃げた理由がよくわからないね」



 最近、この二人のスルースキルのレベルアップぶりが凄まじい気がするんですが気のせいでしょうか。
 もりもりとLLサイズのコンバベ味のポテトをジンジャエールと一緒にむさぼる俺を放置しつつ、お互いに〝何故すずかちゃんが逃げ出したのか?〟ということについて話し合っているアリサと高町。
 アレか。情報を引き出した以上貴様にもう用はないってやつか。
 いいもんいいもん! そしたら本田君、腹が破裂するまでポテト食べ続けてやるもんね!もぐもぐもぐ。うむ、やっぱりコンバベポテトうめぇ。



「単純に考えるなら、そのフェイトって子と時彦が会ってたのがショックだった、ってことなんだろうけれど」
「それって変じゃないかな? 別に本田君とフェイトちゃんが会ってたとしても、悪いことじゃないと思うんだけど?」
「うがった見方をすれば、時彦がこっちの情報をあの子に話してた、って可能性もあるでしょ? まぁ、こいつがそんなスパイみたいな真似をできるような、器用な奴じゃないのはわかってるから、その線はないんだけどね」
「うんうん。それは激しくどーいする」
「〝ど・う・い〟な、高町。漢字の書き方知ってる?」
「し、知ってるよ! 堂々の堂に意見の意だもん!」
「ぶっぶー! 同じ意味の同意でしたー。やーいやーい間違えてやん――――あつっ! うわっちょこのポテトマジ熱いってか無理! んな一杯食えるもがっ!?」



 絶好の突っ込みポイントを見つけたので突っ込んでみたら、仕返しにポテトを口に突っ込まれた。
 真っ赤な頬を膨らませて、眉を逆ハの字して迫りくるその姿はまさにポテト魔人。悪い子の口にポテトを詰め込んでおしおきだ!
 でも美味いから許すっ。
 ……いかん、そろそろ本格的に末期かもしれん。なんかこう、いろいろとテンションがおかしくなってきた。



「なにやってんのよもう。それより、ほら話を戻すわよ」
「だ、だって、ほんだくんがまた馬鹿にしてきたんだもん!」
「つーか食べ物を粗末にするなよ! ポテトの妖精さんに謝れ!」
「ごめんなさい……」
「いーや、駄目だね! 罰として高町、貴様はこれから毎日このコンバベ味のポテトをXLサイズ相当の量を夕飯に食べるんだ!」
「そ、そんなに無理だよ! それに、そんなに食べたらぶたさんになっちゃう!」
「ふははは! それはいいな! これより貴様は高町改めモス・高町と名乗るがいい!」
「い、いやだよそんなの! 私ぶたさんじゃないもん!」
「ん~~? きこえんなぁ~? 高尚な人間様には豚の鳴き声なんぞまるできこぶらげしゃっ!?」


 ノリノリでイイ感じになってきたところへ、問答無用のアリサ鉄槌が降ってまいりました。
 鼻頭をテーブルに直撃させた激痛が脳天を突き抜ける。
 なにしやがるっ、と頭を上げたら――――そこには般若を上回る炎鬼羅刹が光臨召されていた。隣であの高町ががくがくふるえているのを見れば、その恐怖の程がお分かりいただけるだろう。
 そして閻魔もかくやな威圧感を伴ったアリサは、ただ静かに告げた。


 
「――――アンタら少しは黙れ。いいわね?」
「「……はい、申し訳ございません」」



 やはり俺達四人組の中での最高権力者はアリサだった。
 俺と高町はそのアリサの一喝を受けて、その場で背筋を伸ばして両手は膝の上、足を揃えて拝聴の姿勢を取る。さながら就職面接試験のようである。
 そして大人しくなった俺達を見て満足したらしいアリサは、一つ小さく咳払いをすると、腕を組んで背もたれに寄り掛かりながら状況を整理しだした。



「とりあえず話をまとめるわよ?」
「うい、プレッピー」
「はーい」
「まず、昨日アンタはなのはの邪魔をしている魔法使いと偶然ばったり出会って、ここで一緒に御飯を食べた」
「ハンバーガーですけどね。ちなみに俺がテリヤキ、あっちがベーコンレタス」
「私、エビバーガーのほうが好きだなぁ。ベーコンレタスってまだ食べたことないんだけど、美味しいのかな?」
「結構いけるらしいよ? 俺もまだ食ったことないけど」
「はいはい。だったら後で追加すればいいでしょ。……で、時彦とその――――フェイトだっけ?は特に大した話をしたわけでもなく別れたわけね?」
「そうだなー……ほんと、自己紹介したくらいしか覚えてねぇや」
「それで、その現場をすずかちゃんに見られて逃げられちゃったと」
「―――――うぉおおおお! 絶望した! まるで謀ったかのようにあの状況を作りあげた現実に絶望したっ!!」



 現状確認したところで、やっぱり事態は進展しなかった。
 当り前と言えば当たり前だろう。第三者から見た場合、俺になにかしらの非があるとは――まぁ絶対にとは言い切れないが――思えない上に、そのせいで学校を休んでしまうほどショックを受けたとは思い難い――――というのが、アリサと高町の結論だった。
 それに関しては俺も同意で、これまで皆勤賞を貫いてきたすずかちゃんが、当日なんの連絡も無しに学校を休むのは異常事態とも言えるのである。むしろ、すずかちゃんの性格だったら、直接俺に問いただしに来たほうが遥かに自然なのだ。
 だというのに――――普段から真面目で欠点がなく、これ以上の優等生がいるだろうか、いやいない!と断言できるほど品行方正、眉目秀麗で才色兼備なすずかちゃんが無断欠席? なにその世紀末? ってなレベルなのである。異常事態だ。そしてその原因であろう俺は本気で死んだ方がいいかもしれない。



「ほんだくんが白くなっちゃった……っ!」
「駄目ね……こりゃ末期だわ」
「うぅ……どうせ俺なんて……俺なんて人生一度繰り返したところで成長の見られないダメ人間ですよ。好きな女の子を泣かせちまうようなマダオなんですよっ! そんな俺は死ねばいいよね!?」
「はいはい、泣かせたんならまずは謝ることを考えなさい。話はそれからよ」
「そうだよ。まずはちゃんと話し合わなきゃ」
「……高町が言うと説得力が皆無なんだが」
「な、なんでよう! 私、すごくまじめに言ってるのに!」



 ぶーぶー文句を言う高町はともかく。
 アリサの言うことに間違いはない。ていうかその通りだ。
 今俺がしなきゃいけないのは、すずかちゃんを泣かせてしまったことに対して謝ること。何が悪かったのか? そんなのどうでもいい。今最も重要な事は〝好きな子を泣かせてしまった〟という事実だけであって、その過程とか理由はゴミ以下でしかない。
 しかし、ここでただ愚直に謝りに行くのはただのバカであることを俺は知っている。
 何故かって?
 んなの、〝前世〟で嫌というほど思い知ったからに決まってるじゃないかHAHAHA!



「しかし、謝るにしても、自分が何をしてしまったのかを理解してからじゃないと、むしろ逆効果だろ?」
「そうなのよねぇ。事情を知らなかったにしても、すずかがそれくらいでショックを受ける理由がわからないわ」



 ストローを口に咥えて、上下にフラフラさせるという行儀の悪さすらも絵にしてしまう美少女は、まさに世界の秘密兵器だと思う。すずかちゃんがやったらさぞ可愛いだろうなぁ――――ってそれはともかく!
 そう、ネックはまさにそれなのだ。
 すずかちゃんの性格からしたら、(悪い捉え方だとして)俺とフェイトが逢引していたのを見たところで、ショックは受けても泣いて逃げてしまうというのは考えられない。ならば、彼女が思わず踵を返し、涙の尾を引きながらショックを受けてしまうような事とは、一体なんだ――――?
 ようやくというか、やはりというか。
 この場にいる三人は同じ疑問という名の壁にぶち当たり、沈黙してしまう。
 まだ半年ちょいの付き合いの俺よりも、数倍長い時間を過ごしているアリサと高町がわからないのだ。愛だけではどうにもならないことがあると知って、ぼくはまた一つ、おとなのかいだんをのぼったようなきがしました。まる。
 ………そんな馬鹿な思考を展開していたら、ふと思いついたように高町が「あ」と声をあげた。


  
「えと……もしかして、裏切られた気がしたから、なのかな?」
「裏切られた?」
「なんでさ?」
「だって、一応フェイトちゃんて私の邪魔をする相手、ってことになってるよね。それで、ほんだくんがその相手と仲良くしてたら、本当はあっちの味方だったんだ、って勘違いしてショックを受けちゃったのかなぁ……って」
「なるほど……それなら、確かにすずかがショックを受けていた、っていう理由にもつながるわね」
「いや、いやいやいや!? ちょ、ちょちょちょ、ちょーっと待ってくださいよ! てことはなんですか!? まさか月村さん、実は本田君とあの金髪二号との関係を誤解してしまったとかそういうテンプレなオチ!?」



 しかし、ある意味盲点だったとも言えるオチだ。
 聡明かつ温和で物静かという第一印象があるすずかちゃんだからこそ、その可能性に思い至らなかったと言っていい。いや、ていうかすずかちゃんがそこまで俺のことを友人扱いしてくれていたというのが、そもそも意外な事実だった。
 確かにこの二週間の間、すずかちゃんの家に誘われることが多かったが――実際、既に二回も遊びに行っている。しかもお泊りで!お泊りで!おー泊ーまーりーで!――、まさか〝裏切り〟という感情を覚えるまでに友情を感じてくれていたことには、不肖本田時彦、感動を禁じ得ませんっ!
 そしてその事実を確認して、喜びにむせび泣く俺を見ながら、アリサはなんだか物凄く白けたような視線を投げてきた。


 
「まさかもなにも、それそのものでしょうが。ていうかむしろなんでその可能性を思いつかなかったのかしらね……考えてみればそれしかありえないじゃない」
「にゃはは、でも原因がわかったんだし、後は誤解を解けばいいんじゃないかな? 明日はすずかちゃんも来れるかもしれないから、その時にしっかり話せばだいじょーぶだよ!」
「うぅ、よかった――――あぁもうホントよかった! 神が俺を見捨てていても、まだ世界は俺を見捨てちゃいなかった!!」



 今まで灰色だった世界に、色が戻ってきたような気がする。
 ていうか、今なら俺、自転車で時速100キロは出せるかもしれない! 某執事とまではいかないが、そのぐらいの勢いで盗んだチャリで走り出しそうなくらいテンションあがってきたぁああああ!!
 よーし、希望はまだついえていない! パンドラの箱は開けっ放しだが、ちゃんとそこには落し物があったんだ! いやっほい! 
 早速脳内で最も無難な謝罪プランを練り上げるとしよう!
 一方、頭の中で戦時体制下の陸軍司令部のような慌ただしさを見せ始めた俺をよそに、アリサと高町は二人でなにやら話しているようだった。



「大げさねぇ……」
「?? なんでほんだくん喜んでるの?」
「気にしないでいいわよ。バカが掲げた月夜の提灯だから」
「???」
「……すずかはきっと、自分が誤解してることに気づいてるわ。でも、今日欠席した。なんでだと思う?」
「えと……気まずいから、かな」
「半分当たり。半分はずれ」
「ふにゃ? なんで?」
「確かに、時彦が事情を話せば誤解は解けるでしょうけれど―――問題はその後。時彦とすずかの距離が戻るかどうかは、また別の問題なのよ」
「にゃ? うにゃにゃ? ……わかんないよぅ! アリサちゃん、おはなしが難し過ぎてよくわかりませんっ!」
「はぁ、なのはは良いわねぇ……いや、むしろずっとそのままでいなさい。うんうん、私みたいに汚れちゃだめよ?」
「……えと、なんかアリサちゃん変わったよね? ジュエルシードの一件以来」
「そうねぇ……それは否定できないかも」
「うぅ、やっぱりわかんないよぅ……」



 右の手で頬杖をつきながら、アリサが何か悟ったような顔をして苦笑いする。
 それを見た高町が、その頭上にクエスチョン記号でワルツを踊らせていた。
 そして俺はそんな二人のことなんか眼中になく、ただひたすらに明日すずかちゃんに対してどうスマートに事情を説明しようかと、のべ108程の計画を考えだしていたのであった。





――――しかし、現実はそんなに甘いものではなかった。
 



 
「月村さんが――――休み!?」
「ええ、今朝お姉さんから電話があってね? 何でも風邪をこじらせちゃったみたいで、数日休ませたいって」



 月村すずか、二日連続欠席。
 俺は、目の前が真っ白になっていくのを、はっきりと感じた―――――。


























――――――――――――――――――――――――――――――――――
ちょっと今回は長め。
ちなみに現在、なのはサイドとフェイトサイドのジュエルシードは

≪5:2≫

となっております。

以下蛇足の内訳

【なのはサイド】
・ユーノの初期所持で1
・動物病院襲撃の時の発現体退治で1
・神社での犬憑依体退治で1
・アリサの(本田が拾った)で1
・学校の怪談解決で1

【フェイト】
・カリビアンベイでの横取りで1
・すずかの叔父様から奪取で1(実は一戦交えております)



[15556] 月村邸とお見舞いとアクシデント
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:41
 空気が重かった。空を見上げると、体が浮いてしまいそうなほど蒼い、果て知らずの天井が広がっている。のどかに流れる雲が時折黒い影を落とし、その日影がまるで俺の立ち位置のように思えた。
 一歩一歩を踏みしめる度に纏わりつき、その場から踏み出すごとに背後へと流れていく風すらもが、まるで亡者の手の如く俺の体を絡め取る。
 視界が揺れる。
 ぐらぐらと、安定しない歩みが世界を揺らしていた。
 それでも俺は歩く。
 決して急ではない、緩やかで終わりのすぐ見える、憧れに憧れていた道を。
 今となっては、俺の未来を左右しかねない、運命の坂道を。



「――――っ」



 見上げる門扉は黒鋼。
 天を突き刺す城門の如き威容と、決して悪趣味ではない控えめな装飾が施された入口の前で、俺は唾を飲み込む。
 全高5メートル。幅6メートルはある大きな鉄の扉の前で、俺はその傍にあったインターフォンへと指をかけようとして――――思いとどまる。
 結局、我慢できずにやってきてしまった。
 いや、我慢などという感情を覚えた記憶すらない。
 ただ、今この瞬間までずっと、俺の心を支配し続けていたのはたった一つの感情。
 稚拙で、幼稚で、でもそれは大人ですらも患う厄介極まりない、治療不可能の病気。
 そんな俺を、友人――――いや、親友達は笑って見送ってくれた。肩を叩かれて激励もされた。自分達が行くまで頑張れと、アンタだから先鋒を任せると、信頼された。……今この場で立っていられるのは、俺の覚悟だけではないことを再確認する。
 


――――ごくっ。



 中空で、まるで縫いとめられたように固定されている自分の指を見つめる。
 固定していることからくる震えではなく、感情的な問題での震えが見て取れた。あぁ、やばい。落ち着こうにも落ち着けない。
 そもそも、俺は本当に来てしまってよかったのだろうか?
 今回の一件は、間違いなく俺の所為だ。たとえそれが見当違いであったとしても、きっかけは俺だったはずだ。
 ならば、〝自分のケツは自分で拭け〟が我が家のルールである以上、事態が自然解決するのを待つのはあまりにも〝俺らしくない〟と言えるだろう。しかし、それがこの行動の正当な理由とはならないのもまた、重々理解している。
 視点を変えれば、俺は加害者である。そして、〝彼女〟は間違いなく被害者だ。直接的に傷つけたわけではないが、俺が原因で彼女が〝泣いて〟しまったのは、揺るぎの無い事実である。……そんな俺が、はたして会いに来て良かったのか?
 だが、逡巡は短かった。
 なんのためにここに来たのか?
 それを思い出した時には、既に俺の指はインターフォンを力強く押し込んでいた。
 豪邸だろうがそこらの一軒家だろうが、インターフォンの音は変わらないんだな、とバカな事を考える。
 そして待つこと暫し――――それは、例えようがないほど長い時間に思えた。



『はい、どちらさまでしょうか』



 スピーカーから漏れ出たのは、まだ数回しか聞いたことのない、大人の女性のソレ。
 心地よいソプラノに、どこか涼しくも油断の出来ない鋭さを併せ持ったこの独特な女性の声は、この家のメイド長の人に違いない。
 俺は一つ深呼吸をすると、意を決して言った。



「あの、本田です! 月村さんへのプリントと、その、お見舞いに来ました!」
『――――本田様でございましたか、お待ちしておりました。少々お待ちくださいませ』


 
 そこで一端スピーカーから音が途絶える。恐らく、主人の判断を仰ぎに行ったのだろう。重々しい鉄の門扉が開いてメイド長――――ノエルさんが現れたのは、それからやや経ってからだった。
 主広間/メインホールを通り、応接間へと案内される間、俺達の間に会話は無かった。元々、彼女は口数が少ない部類のメイドさんであり、その気質はこの屋敷の当主――――月村忍さんと根底における性質に随分似通ったものがあるんじゃないかと、俺は想像する。
 とはいっても、その忍さんと知り合ったのもここ数日の間のことであり、彼女をどれだけ理解しているのか、と問い質されれば口を噤んでしまう程度の認識なので、当然ながら俺の想像の信憑性など皆無だ。
 そんな益体もないことを考えている間にも、俺はこの〝召喚状〟の〝送り主〟の部屋の前へと案内されていた。
 


「お嬢様はお部屋にてお待ちです。お飲み物はいかがなさいますか?」
「いえ、おかまいな――――……やっぱり、なんか冷たいものお願いできます?」
「かしこまりました」



 実に惚れ惚れとする一礼である。
 作法として知識にはあるが、それを実際に完璧にやってみせることなど夢のまた夢である俺にとって、ノエルさんの――――いや、この屋敷のメイドさんとかバニングス家の執事さん達がこなして魅せる一礼には、毎度のことながら感動を覚えてしまう。
 それは羨ましさか、あるいは諦念か。自分とは縁のないものを体現できる人間への羨望なのは間違いない。
 ……と、こんなくだらない思考の脇道へと踏み入ってしまうのは、やはり緊張しているからなのだろう。
 当然だ。考えてみれば、俺が〝自発的に〟この屋敷に訪れたのは、今日が初めてである。
 過去二回における訪問も、そのどちらも偶然やあるいはやむなくといった諸事情があってのことだ。こうして自らの意思で門扉を叩いたのは、今回が初めてなのである。
 ノックを二回。
 それはシンプルながらも、誰にでも知られたわかりやすい来訪の報せ。
 数秒の間も置かずに、中から聞こえてきたのはこの一日と半日の間焦がれ続けた鈴の声。あぁ、この瞬間、この場所に来て良かったと心の底から打ち震えると同時に恐怖も覚える。
 許可をもらったことを認識し、扉の取っ手に手をかけてゆっくりと捻る。そして手前に引いたその境界の向こうでは――――「本田君!」――――え?



「やっと来てくれた! もう、ずっと待ってたんだよ!?」
「……はぇ?」



 この際、俺の間抜けな呟きは忘れてもらいたい。それよりも、大事な事が二つある。
 一つ。
 ドアを開けたら、彼女――――俺が今この瞬間この世でこの心の中で最も大切に思っている少女が、泣いていたこと。
 目尻に涙を浮かべ、揺れる水面のような瞳で俺を見上げるその破壊力は、世界を数度壊して余りある。ていうか俺の心という名の世界が音を立てて何度も爆砕される。
 クラクラするようなその衝撃に奇跡的にも耐えられた俺は、全世界津々浦々にご存命の紳士皆さま方から名誉賞叙勲されても可笑しくないと思うんだ。
 そして二つ目は――――、



「朝メールしてから今まで、ずっと――――ずっと待ってたんだからね?」



 俺の大好きなその少女が。
 夜色の長髪に、神の寵愛を顕現させたかのように可愛らしくも美しい月村家の次女が。
 大和撫子の体現者と名高い、聖祥大付属小学校小等部一の純和風美少女こと月村すずかちゃんが!
   


――――俺の首っ玉にかじりついてきていることである。イィイイイヤッホオオオオオオゥ!!!











                           俺はすずかちゃんが好きだ!










 ぶっちゃけ、今朝の衝撃なぞ成層圏の果てにブン投げていいくらいどうでもよくなったその〝報せ〟が届いたのは、朝のHRが終わった時だったと思う。
 一時間目の授業の用意―――ちなみに道徳だ―――をするみんなを尻目に、真っ白の灰になって燃え尽きていた俺にとって、その報せはまさに青天の霹靂。
 いやまぁ、半分意識混濁状態で机の上でぐったりしていたため、アリサに頭をド突かれて無理やり叩き起こされでもしない限り、その〝報せ〟には気づかなかったんだろうけど――――えーと、つまりだ。
 俺、アリサ、高町の三人の携帯に同時にメールが届いたってことである。いかんな、頭がゆんゆんしてたせいか、何が言いたいかはっきりしない。
 もちろん、その〝報せ〟の発信者はすずかちゃん。タイトルは「ゴメンね」という簡潔なもの。無論、言うまでもなく保護設定にして受信箱に新しいメールフォルダを作って保存済みである。
 そのメール曰く、



――――≪ジュエルシードを見つけました。でも、ちょっと理由があって学校に行けないので、放課後、できれば私の家に来てほしいです≫



 とのこと。
 
 

『『『――――はい!?』』』



 三人同時にまったく同じ驚き方で固まる俺達。さぞや傍から見れば奇妙な三人組に見えたことだろう。しかし、その時の俺の内心はというと、もうなんていうか、ピカソも真っ青な凄まじいマーブル・マインドでしたのことよ?
 無論、最初は俺とアリサが学校をサボって今すぐ向かおうとしていたのだが、意外にも意外、高町による「学校終わってからにしよう!」という優等生発言に折れる形で、今のような放課後訪問となってしまいまして候。
 ちなみに、アリサは習い事の関係で夕方に。それでもキャンセルを入れるとのことだから結構無茶をしている。父親に何か言われないか心配だが、まぁ平気だろ。
 んで、高町は俺と一緒にすぐ行くことになっていたんだが、突然入った実家の喫茶店のヘルプのために一時離脱。すぐに合流予定だが――――いつになるかはわからない。
 そして、メイドさんによる差し入れも、俺がこの部屋に到着して招きいれられてから早々に届けられたため、これ以上は何も期待できない。用事もないのに呼びつけるのは論外だ。
 ……つまり、今現在俺は孤立無援なのである。むぎゃー。



「ねぇ本田君。なのはちゃんとアリサちゃんは?」
「あ、アリサは習い事があるから遅れて、た、たた、高町は家の手伝い……っだから、その、もちょっと、かかりそうっていうかなんていうか」
「そう……じゃぁ、まだもうちょっと二人っきりでいられるね?」



 まどろむ猫のように目を細めて微笑みながら、俺を嬉しそうに見上げる彼女は、本当に俺の知っているすずかちゃんなのだろうか。まるで絵画をそのまま現実にしたような光景に、胸がつまるような感動を覚えてしまう。
 ……いやていうかちょっとまてなんだこの状況。俺じゃなくてもどもるぞこれ。
 同じソファーに隣同士――――それどころか、俺にしなだれるようにして寄り掛かるすずかちゃんと、ぴんと背筋を伸ばし、拳を握った両手を行儀よく膝の上に載せて石像のように堅くなっている俺。…………これもまた果てしなく異様な光景に違いないと、俺は断固たる確信を以て言いきれる。絶対変だ。
 一体、この状況はなんだというのだろう?
 白昼夢?
 俺の妄想?
 それとも、嘘偽りの無い現実?
 ……瞬間、脳裏にかつて起きた一つの事件のことが閃く。



――――『誰って、ふふ。おかしなことをおっしゃいますのね』



 言うまでもなく、普段から暴力と乱暴と横暴を袈裟に着た金髪ライミーことアリサ・バニングスが、ジュエルシードのせいで〝別次元の存在〟と入れ替わった事件のことである。  
 今回は最悪な事に、事前段階として既にジュエルシードがあることが分かっている。そのジュエルシードのばら蒔きの責任者を名乗るバナナ淫獣もといユーノの言葉を借りるならば、ジュエルシードとは〝世界を揺るがす程の力を秘めている〟とのことだが――――なるほど、確かに世界をも揺らしたな。主にアリサを知る俺達全員の心という世界を。そこから考えるに、誇大解釈も交えるならば、次元なのか平行なのか具体的な規模はわからないものの、とにかく世界を超えた干渉ができるというのは間違いない。御蔭さまで、ここ一週間はスーパーファンタジックなドキドキが一杯過ぎてお腹一杯な勢いなのだから。

 そして今。

 そのSFD(スーパーでファンタジックでドッキドキ☆)な現象が今一度起きているのではないのか?
 ……妥当だ。妥当過ぎてむしろ俺の頭脳の冴えわたり具合が恐ろしいほどである。ふははは!
 


「いやいや、そんな呑気な事考えてる場合じゃなくて!」
「……私と二人っきりはイヤ――――かな?」
「いえ決してそんなことはっ!!」



 すずかちゃんと二人っきりがイヤ?
 そんな馬鹿な事っ!
 もし首を縦に振るような人間がいるならば、そいつは間違いなく人間を止めたクズだ。ゴミだ。燃えカスだ。男の、いや紳士の風上にも置けないファッキン・ルーピーだ!
 ……いいか? その脳味噌かっぽじってよぅく考えてみろよ?
 憧憬を抱き尊敬し親愛する我が女神と二人っきりだぞ?
 例えその状況が特異かつ異常だとわかっていても、オトコなら拒めるはずないじゃないかっ! 



「ふふ、よかった♪」



 俺の間髪をおかない返答に喜んでくれるすずかちゃん。
 抱きついた俺の左腕にさらに体重を預けながら、うっとりと俺を見上げて微笑むその姿には、脳天を串か何かで突き上げられたような衝撃を覚えずにはいられない。あぁやばい。幸せすぎて頭破裂しそう。
 故に、今の俺は注意不足はなはだしい状態だと自覚している。自覚しているが、どうにもできないのだ。できるわけがない。むしろやれるものならやってみやがれ!な勢いである。
 だから気付かない。
 彼女の口元が、〝彼女らしくない〟笑みを湛えていることに。
 もし俺がいつも通りの正常な思考状態にあれば、それはまるで悪戯が成功して喜んでいるような、無邪気な笑みだと気付くだろう。
 さらにもっと思考がが冴えわたっていたならば、それがつい最近どこかで見たことがあるという事実にも気づけたはずだ。
 だが、今はそれらの前提条件のどれにも当てはまらないほど、俺の精神はぶっ飛んでしまっている。さながら血を飲んで最っ高にHIGHになった感じだ。
 


「あ、あのさ、メール見たんだけど、ジュエルシード見つけたって、マジ?」
「うん。一昨日、家の庭で見つけたの。うちの猫が咥えてて、ちょっとした騒ぎになったんだよ?」
「そ、そか。いや、うんでもなんも怪我なくてよかったよ」
「……私が怪我してたら、お見舞いに来てくれた?」
「そりゃもう従僕の如き勢いで!」
「くすくす。優しいね、本田君」
「い、いいぃいええ!? そ、そんな俺如きが優しいとか、アリサの馬鹿野郎が聞いたら落撃猛蹴脚が飛んできちゃうって!」



 もはや自分でも何を言っているのかわからない。
 そんなバカ丸出しの俺を見上げながら、すずかちゃんはさらに笑みを深めた。
 ぎゅっと抱きついている腕に力が込められ、より一層すずかちゃんの体温を近くに感じる。
 女の子って、こんなに柔らかいんだ。
 そんな、彼女いない歴=年齢の人間みたいな定番の感想を覚えてしまう。
 


「本田君は、アリサちゃんが好きなの?」
「はいっ!?」



 え、や、はい?
 唐突に聞かれた質問に、俺は目を白黒させた。
 俺が、あの暴力ヤンキーを?
 ふと俺とあの馬鹿が付き合う姿を想像してみて、俺は開幕5フレームでその想像を破り捨てた。ちなみに1フレームは60分の1秒である。
 


「ないない。それは断じてない」



 右手を左右に振りながら、俺は同時に心の中で語尾に(爆笑)をつけたいくらいありえないことだな、と失礼な事を考える。



「そっか。それじゃ、なのはちゃんも?」
「うん。いやつーかむしろ高町はもっとありえないと思う。友人としてはどっちも好きだが、ヤツらを異性として見れるかというと、もうこれはどうしようもないくらいにNOですな」



 どう考えてもありえない。
 アリサはいわゆる悪友ポジションだし、高町に至ってはマスコットキャラだ。すずかちゃんを含めて三人がクラスのアイドルなんぞともてはやされているが、俺からしてみればそんなのすずかちゃんだけにしか当てはまらない評価と言える。アリサも高町も、俺の中では助さん格さん的なポジションだな。



「ふぅん……?」
「きゅ、急にどうしたのさ?」
「ううん。ちょっと気になっただけだよ。それに、ちょっと安心できた」
「安心って……」



 その言葉の裏の意味を汲み取ろうにも、意味深に微笑むすずかちゃんの前では思考力は疾風前の灯だ。
 今の俺に出来ることは、ただこの夢のような時間に身をゆだね、ひたすら時が過ぎ去るのが遅くなることを祈るだけである。



「なんで、本田君はそんなに優しくしてくれるの……?」
「なんでって……」



 そんな、俺が多幸感などという言葉では生温いほどの幸せに、麻薬を与えられた中毒患者の如く浸っていた時だった。
 ふと、すずかちゃんはその白魚のようにほっそりと美しい指を、俺の少年ぽさはあるにしても、彼女のソレとは比べるべくもない指に絡ませながら、それまで見詰めていた視線を俯かせて、かろうじて聞き取れるほどの小声で呟いた。
 それは俺に対する問い掛けなのか? それとも、単なる自分の中での疑問なのか?
 そして俺はこの言葉にどう答えればいいのだろう? 
 


――――告白するなら、これ以上ないタイミングだな。



 脳内で、悪魔がささやく。



「――――っ!」



 息を呑んだ。
 その誘いは凄まじく甘美で魅力的で、どこかがぶっ壊れたこの頭でも理解できるほど、身の程知らずなものだった。
 いっちゃうのか? ここでいっちゃうのか!?
 ……いやいや、まてまてまて。いいから待つんだ時彦右京衛門。
 そもそもからして、今はまだその段階ではないことを思い出すのだ。紳士の掟そのいち。

〝告白していいのは、玉砕する覚悟のある奴だけだ!〟
 
 そして今の俺にそんな覚悟はない。故に、できるはずがないのだ。
 そもそも、世界の理には〝初恋は実らない〟というものがあることからして、その掟はまさに破られることが少ない鉄の掟。例え破られるにしても、それは極々僅かな例外として片づけられるほど微々たる数だと、俺はとある本から知った。
 そして、同時に自分の(前世の)経験と照らし合わせてみても、その理はまさに真実であると確信できる。
 マイラバーとの出会いだって、ぶっちゃければそんな初恋の失恋がきっかけだったんだから、いわゆる初恋とは世界が作り上げた絶対悪のことなのかもしれないと俺は常々思っているのだ。
 だからこそ。――――そう、だからこそっ! 俺は慎重にならなければならない。その理をケリ飛ばし、無茶で無謀と笑われようと、意地と根性で貫き通すこの初恋道。安易な決断で散華とするなど以ての外!
 確かに、今この瞬間の雰囲気は完璧に整っていると言えよう。むしろ不気味なくらいにお膳立てされているとさえ言える。

 ……が、しかしだ。

 同時に俺は激しく警戒せざるを得ない。これが〝世界の仕掛けた罠〟だという可能性が無いと、誰が言い切れるのかっ!? いや、言い切れない!
 故に、俺はその手にはひっかからんぞザ・ワールドぉおおおお!!



「ベイでの時だって、学校のときだって――――本田君、すっごく危ない目にあっても、私のこと助けようとしてくれたよね」
「……あー、えぇ、結果的に見れば、まぁ」



 あんまりにも怖い思い出だったので、半ば抹消封印状態だったのですが。
 確かに割とガチで死にかけてたので―――特にベイでは―――、傍から見たらなんでそこまでして?と思わないでもないのだろう。ていうか普通思うわな。



「叔父様が、こう言ってたの。『誰かを守るために死地へ赴くのは、並大抵の覚悟ではない』って」
「いや、そんな大げさなものじゃないから!」
「でも、私、まだ本田君にちゃんとお礼、言えてない」
「そ、それこそ全然、月村さんが気にすることじゃないってば!」



 相変わらず、すずかちゃんは顔を俯かせている。でも、抱きしめられた腕には力が込められ、その言葉の奥には強い思いが隠されていることを感じ取れた。

 ……なんだこの状況?

 傍から見れば、羨ましさ億千万を飛び越えかねないほど素晴らしいシチュエーションであるにもかかわらず、俺は何故か、素直にこの状況を喜ぶことが出来なかった。
 背中をくすぐられているような、あるいは寝違えた時の首のような――――そんな違和感を感じる。
 だって、これじゃまるで、俺がすずかちゃんのことを好きだと知って――――待て。それじゃ、アリサの言ってたことが間違ってたのか?
 アリサ曰く、当人達以外は全員俺の気持ちを知ってるとのことらしいが、この反応を見る限り、もしかするともしかして――――気付いてらっしゃる?



 いやいやいやいや。それこそまさかのまっちゃんですぜメーン?



 俺よりも遥かに付き合いの長いアリサに限って、そんな判断ミスをするとは思えない。特にヤツは〝女〟だ。女の勘というモノほど恐ろしいものはないと、俺は〝前世〟で身を以て味わっている。
 故に、アリサの言葉にほとんど間違いはない〝はず〟なんだ。
 問題は、その〝前提条件〟に間違いがないのであれば、今のすずかちゃんの言動は明らかにおかしいという結論に結び付くことにある。
 仮に〝前提条件〟が間違っているとして、その場合における今のすずかちゃんの言動にもっとも確からしい整合性をもたらす解釈は、すなわち――――いや、それはいい。それ以上考えるのはこの場では蛇足だし、ぶっちゃけそれ以上を考えるのが怖くなったので、あえて思考を切り替える。へ、へたれじゃないやい!

 ……そう。つまり、俺はアリサが教えてくれた〝前提条件〟が間違っているとは、決して思っていないというのが肝心だ。
 
 悲しいことだが、俺の非積極的なアプローチごときじゃ、すずかちゃんにとっての特別な人間になることなど夢のまた夢である。日常会話においてもそれははっきりとわかるほど、すずかちゃんは俺のことを〝なんとも思っていない〟ことを、俺は身を切るような思いと共に知っている。
 せいぜい楽しいお友達が関の山だ。そしてさらに悲嘆にくれたくなる事実だが、それはアリサの〝前提条件〟に間違いがないことを、確度99%で間接的に証明している。
 そう考えれば考えるほど、今俺の隣に座っているすずかちゃんが、俺の知らない誰かにしか見えなくなってしまった。
 


――――すずかちゃんなのに、すずかちゃんじゃない。



 そんな、もやもやしててはっきりしない違和感が、まるでネバ付いた霧のように俺の思考にへばりついている。
 それを振り払うように隣のすずかちゃんを見やると、すずかちゃんは一瞬だけ物憂げな表情を浮かべていたものの、すぐに可憐な微笑みと共に見上げてきた。
 ……やっぱり変だ。
 これ以上ないくらい、純情可憐で穏健柔和な微笑みだと言うのに、今の俺には本当に言い訳のしようもないくらい〝別の誰か〟にしか見えなかった。

 そもそも、だ。

 すずかちゃんの性格からして、仮にその対象が――殴られ慣れてる人間という意味で――俺だったにしろ、誰かをひっぱたいてこんな平気な顔をできるか? いや、〝絶対に〟できない。
 たかが半年の付き合いだけど、自分の好きな人なんだからそのぐらいわかる。いやまぁ、アリサとか高町みたいな例外はいるけど。
 おまけに、まるでそんな事件は知らないどころか、そんな事件は起きてすらいないとでも言った方がしっくりくるようなこの応対に、さっきから感じる〝別の誰か〟のような違和感――――断言できる。今のすずかちゃんは〝俺の知ってるすずかちゃん〟じゃ……ない。



――――じゃぁ、いつだ? いつからこうなった?



 間違いなく日曜の――――いや、一昨日の月曜日まではいつも通りだった。そして、その月曜日の夕方に例の修羅場が発生。昨日、つまり翌日火曜日は病欠し、そして今日のコレである。

 …………まさか、またしてもジュエルシードか?

 過去の事例を思い返して、俺はその可能性が滅茶苦茶高いことに気付いた。
 そうだよ、それしか考えられない。
 てことは何か?
 今ここにいるすずかちゃんは、前のお嬢様アリサの時と同じような感じになっちゃってるってことか?
 しかも、〝そっち〟だと俺はこんな風に好かれてる?
 ………………いかん。別世界の自分のこととはいえ、本気で殺意の波動に目覚めそう。 
 ともかく、だとしたらすぐにでも解決しない不味いだろう。もしジュエルシードが本当に発動していて、この事態がその影響なのだとしたら、下手をすれば金髪二号ことフェイトがやってきかねん。
 髭ダンディズムに溢れすぎているおっさんはもういないし、鬼ー様は残念ながら現在翠屋にいる。イコール、フェイトに対抗できる戦力が、忍さんしかいない。……やばいよね?
 いや、確かに忍さんも鬼ー様並みに人並み外れた身体能力持ってるけど、さすがに魔法少女とガチンコして勝てるレベルじゃないでしょう。鬼ー様VS高町の場合は知らんよ。人外VS魔法少女の考察なんて、たかが人生一周しただけのパンピーがわかるはずないでしょうに。
 ……となると、だ。俺がすべきことはただ一つ。



「あ、あのさ、月村さん」
「なぁに、本田君?」


 
 例えるならば、それは純粋無垢の極み。
 濁り一つなく透き通った瞳――――穢れの無い純真な心そのものであるすずかちゃんの言葉に、俺は思わずひるんでしまう。
 くっ……俺がやらなくてどうするっ……!
 ここでやる……っ! 俺はやるんだ……っ!
 ここで俺がやらないと……やらないとだめなんだ………っ!」
 ちょっと気分は賭博黙示録。しかし、割とガチでその大勝負の時みたいな緊張感が俺をむしばんでいる。手にジンワリと汗がにじんでいるのがいい証拠だ。
 あー……もし「なんでそんなこと言うの?」とか「そんなこと言う本田君、嫌いです!」とか言われたら本気で脳死するレベルだな、これ。
 だが本田時彦はくじけない。そんなことでくじけていられるほど、俺様は人生二回目生きていないのですよ!
 さぁ、だから言うんだ俺っ! 勇気を出せ! 死亡フラグにぶち当たれ! ついでに恋心をベットに明るい未来をつかみとれっ!(最後は無理難題だと思うが)
 唾を飲み込む音が、やけに響いた気がする。聞かれたかな?なんて場違いな恥ずかしさを覚えながら、俺は恐る恐る――――言った。



「――――――――君、誰?」
「…………え?」



 時が止まるとは、まさにこのことか。
 いや、別に世界よ止まれとかお前は美しいとかいう台詞が聞こえた訳じゃないけど。
 二人の間に、気まずい沈黙が流れる。
 それは一体どれほどの間だったらだろうか。いっそ「ごめん!やっぱ今の無し!」と情けなく叫びだしたいくらい、居心地の悪い時間だった。
 そして、半ば本気でそれを口にしようかと悩み始めた時、先に動いたのはすずかちゃんだった。



「あ、あはは。新しい冗談? ちょっとびっくりしちゃった」



 苦笑い……いや、それですらない、ただ無理やり口を引きつらせているだけの歪な笑み。
 それはまるで、悪戯がバレて親に怒られるのを怖がる子供のようで――――ん? 悪戯?
 ちょっと待て。てことは……やっぱり?
 しかし、俺の思考はそこまでだった。
 誤魔化さなくてもいい、と言いかけたところで、突如ドアが爆破音に似た大音量で思いっきり開け放たれ、その向こうから所々艶やかな髪を乱し、肩で息をしている女性がずかずかとすずかちゃんの部屋へと入ってきた。
 そして、俺達との距離約2メートル程まで近づいてくると、いきなりそのすずかちゃんに負けず劣らずほっそりとした綺麗な右の人差し指をすずかちゃんに突きつけて、怒髪天を突く勢いで怒鳴り散らす。



「〝お姉ちゃん〟! これはどういうことなの!?」
「あ、あははー……ばれちゃった。そんなに怒らないでよ、すずか」



 たははー、と今度こそ本当の苦笑いを浮かべて、かなり軽い感じで謝る〝すずかちゃん〟。
 それに対し、ぷりぷりとおよそ大学生らしからぬ態度で怒りを露わにするのは、すずかちゃんの姉であり、現月村家当主である〝忍さん〟だった。
 ………………あれ?



「お客さんが着たって聞いたのに、全然連絡がこないから変だと思って来てみれば……っ」
「ど、どうどうすずか。大丈夫よ、ちょっとお話してただけだから。別に話すくらいはいいでしょ?」
「――――――――――――は?」



 ……はて?
 今、なにかおかしな単語がきこえたような? 
 すずかちゃんがお姉ちゃんと呼ばれて、お姉ちゃんがすずかちゃん?
 ………………あれ?



「そういう話じゃないの! もう、今はふざけてる場合じゃないのはお姉ちゃんだってわかってるでしょう!?」
「ばい……ごめんなさい。あ、でもすずか、安心して。少年君、しっかりと私のこと見抜いてたから」
「あ、あのー」
「ん、なあに本田君? 正解したからご褒美欲しいの? もう仕方ないわね。でもま、すずかの体だしいいわよね?」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん、何するつもりなの!?」
「何って――――きまってるでしょ?」

  

 ニヤリ。まさにそんな擬音こそがふさわしい笑みだった。
 そしてその笑みを向けられた〝忍さん〟が、瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤に染め上げた。
 そんな〝忍さん〟を放置して、今がチャンスとばかりにするり、と俺の方へと酔ってくる〝すずかちゃん〟を、慌てて止めに入る〝忍さん〟の図が出来上がる。
 まるでラブコメ漫画のワンシーンのようなやり取りを尻目に、俺の頭は真っ白ショートです。
 目の前には、ケラケラと見たことのない活発な表情で笑う〝すずかちゃん〟と、とても大学生には見えないくらい子供っぽく、しかし迫力をしっかり伴って怒る〝忍さん〟がいた。
 



―――――――――なんぞこれぇえええぇええええええええ!?


























――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回の事件は次で解決?
大まかなな推移まとめは
月曜日:本田とフェイトデートモドキ。すずかにバレて修羅場
火曜日;すずか欠席、本田轟沈
水曜日:本田轟沈お見舞いGO!
具体的に何があったかは次回に考えていますが……蛇足だしさらっとながしてもいいかなぁ。

あと、すずかのラブシーンを書きたいとは思う…………。
だが、それが本当のすずかだとは………明言していない………っ!
しかし、早くバカップル化させたい今日この頃。

1005110456:Ver 2.00に更新。
色々今回は誤字脱字が多かった事をお詫びいたしますorz



[15556] 月村邸と封印と現状維持
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:41
 
 すずかちゃんだと思っていた相手が、実は忍さんだったんだぜ。
 ……何を言ってるかワケワカメかもしれないが、俺にも何が起きてるのかさっぱりだった。
 気の迷いとか勘違い乙とか、そんなちゃちなもんじゃぁ断じてねぇ。
 もっと恐ろしい、ジュエルシードの恐怖の片鱗を味わった気分だぜ……。
 
 まぁ早い話が、つい先ほどすずかちゃん(?)と二人っきりだった空間へ突如としてやってきたのが、なんと実は忍さんと体が入れ替わってしまったすずかちゃんだったということなんだけどね。
 詳しい事情を聞きたかったが、まず俺が錯乱状態に陥ったことと、月村姉妹によるプチ喧嘩が起ってしまったことで、高町+バナナビーストと鬼ー様、そして何故か美由希さんら高町ーズが来るまで状況に進展が無かった。ちなみに、アリサは無念ながら本日は抜け出せなくなったとのことである。ふははざまぁ!
 そしてつい一時間前に待望の三人が到着し、それまで傍観していたノエルさんとファリンさんが夕食の準備で部屋を出て、そこでようやく状況の説明が始まった次第でござる。
 その説明の内容については、以下の通りに。

・まず一昨日、泣きながら帰ってきたすずかちゃんと忍さんの間でやりとりがあった。
・とりあえず落ち着かせるためにすずかちゃんを風呂に入れた忍さん。
・その間、なんとなく庭に出たらジュエルシード見ーっけ♪
・風呂上がりのすずかに詳しい事情を聴いて、とりあえず明日もっと詳しく話を聞いてみたら?とアドバイスして寝かせた。ジュエルシードは明日、忍さん自身が届けるつもりだったらしい。
・翌朝、気づいたら体が入れ替わっていた。
・あれー、なんでだろー? 原因がさっぱりだったのと、すずかちゃんin忍さんが体調を崩したので、とりあえず一日様子を見ることに。(ここ重要!)
・今朝になっても状況が変わらず、ふとジュエルシードのせいなのでは、と(しらじらしく)考えた忍さんによって、俺達に召集の声がかかった。

 以上が、今回引き起こされた頭痛を通り越して胃痛までしてしまうくらい、はた迷惑な事件の始まりである。
 ……さて、説明文の中にあからさまな表現があったが、つまりはそういうことだ。
 今回の事件が起きた原因……そしてこの異常な事態を放置した責任者――――いうまでもないでしょう。



「そう…………忍さん、アンタが犯人だ!」 
「フ…………ばれたなら仕方ないわね。そうよ、私がやったの」



 すずかちゃん――――いや、すずかちゃんの体に入れ替わった忍さんが、嘆息しながら告白する。
 少しだけ自嘲するような雰囲気が感じられるのは、やはり彼女自身も多少の罪を感じているからなのか。
 俺はその真意を問うべく、さらに疑問を投げかけた。



「何故……何故こんなことを……っ!?」
「私の好奇心を満たすのは、刺激に溢れた毎日なの。そして、私は今回の事件にその匂いをかぎ取った。それだけのことよ……」



 遠い眼をしてそういう忍さん。
 物憂げに、そしてどこか儚い自嘲じみたほほ笑みは、とても幼い少女の浮かべるものではなかった。
 間違いなく、なんの疑問もなく、このすずかちゃんは忍さんであると、思い知らされる。



「だとしてもっ! もっと他にやりようがあったはずだ! 妹まで巻き込んでまで、そんな目的が大事だって言うのかよ!」
「坊やにはわからないわ……この渇きは、ね」
「忍さん……!」
「おしゃべりはおしまい。さぁ、終わりにしましょう? それは貴方も望むことなのだから」
「こんなの…………こんなのって――――!」
「――――はいそこまで」
「あでっ」「きゃっ」 



 突如として、雰囲気をぶち壊す空手チョップが天から舞い降りた。
 まさに今いいところだったのに誰だ邪魔しやがったのはという恨みを籠めて見上げた先には、鋭い眦にたくましい痩躯、そして見慣れた黒ずくめの格好の男が立っていた。
 やれやれとあきれたように嘆息しつつ、振り下ろした両手を腰に持っていき、「ふざけている場合か」と俺と忍さんを窘めるその男はいわずもがな、高町家が長男である高町恭也鬼ー様であらせられる。
 じんじん痛む頭部を抱えながら周囲を見回してみれば、高町+バナナビーストと美由希さんも俺たちの〝寸劇〟を見て苦笑している。高町とユーノの間からは「……なのは、僕は物事を深く考えすぎなのかな?」「ううん、そんなことないよ。みんなが楽観的すぎるだけだから」「そうか、そうだよね! ジュエルシードがまるでおもちゃみたいな扱いを受けているのがそもそも異常なんだよね!」とかいった会話が聞こえくるが、俺は敢えて突っ込まない。〝玩具扱いされてるのは間違いない〟と突っ込みたいが、意地でも突っ込まないったら突っ込まない。
 


「まったく………お前たちは状況を理解しているのか?」
「折角いいところだったのに。高町くん、ちょっと無粋」



 ぶー、と可愛らしく頬を膨らませて講義するすずかちゃんの体をした忍さんと、腕を組んで呆れたように溜息を洩らす鬼ー様の図。
 ……なんていうか、すごく危険な構図に見えてしまったのは気のせいだろうか。
 考えてみれば、今の忍さんは外見だけを見るならば小学校三年生である。そして、その小学校三年生と婚約している大学一年生――――ぅわお、あっという間に重症患者のできあがりだ♪



「き、恭ちゃんが犯罪者に……っ」
「……美由希、今日は帰ったら朝まで通し稽古しような」
「ごめんなさい!」
「美由希さんよわっ!? もっと抵抗しようよ! 抵抗して積年の恨みをはらしましょーよ!」
「ごめんね本田君……私には、できないよ」
「くそう……! あの美由希さんですら従えるとは、高町家長男は化け物か!」
「……よくわからんが、時彦、お前も一緒に鍛錬するか?」
「誠に申し訳ございませんでした! 本田時彦、ここに心の底より陳謝を捧げます故に、どうか平に、平にご容赦をっ……!」
「……ほんだくんも言うほど強くないの」
「仕方ないよなのは。恭也さんは時彦の天敵だから」



 美由希さんと二人揃って土下座する。
 高町とユーノの呑気な会話は、笑顔なのに笑っていない鬼ー様の恐怖を直に味わっていないからだと思うんだ、うん。
 そんなやり取りがございます、ただ今月村邸です。
 
 時刻は午後七時を大分回った頃。
 すずかちゃんと思っていた忍さんと二人っきりのところに、忍さんの体に入ったすずかちゃんが(あぁもうややこしいなコレ)乱入してきてから、すでに三時間以上が経過している。
 ……言えない。その間、すずかちゃんと一言も会話できなかったなんて、絶対に言えないっ!
 忍さんinすずかちゃんと二人揃って鬼ー様にくどくどとお説教を聞く傍らで、ちらりと俺は意識を逸らす。
 その逸らした先には、先程から、一人ぽつんとソファに座って顔を俯かせている、すずかちゃんin忍さんがいた。
 あれからずっと、どうにかして声をかけようかけようと思っているのだけれど……。



「すずかちゃん、だいじょうぶ? すごく顔色わるいよ……?」
「う、ううん。大丈夫。ちょっと熱っぽいだけだから、気にしないで。心配してくれてありがとう、なのはちゃん」
「ほんとうに? むりしちゃだめだからね?」
「うん、大丈夫」



 高町が見かねたのか、調子の悪そうなすずかちゃんへと一声かけるも、すずかちゃんは精一杯元気な〝フリ〟をしてみせる。
 無論、それは高町も理解しているみたいで、心配そうな表情はそのままに、しかしすずかちゃんの意見を尊重した。



「むぐぐっ…………!」
「こら、人の話は最後まで聞け」
「あべしっ」




 そこに加われない自分のヘタレっぷりが情けなくて仕方がない。そして油断して鬼ー様に再び拳骨をもらったことも悔しくて仕方がない。
 ここでナイスでダンディな心配をできれば、こないだのポカを帳消しにできるかもしれなかったというのに!!
 俺のバカ、バカバカ! ダムィッ! ホーリーシッ! あちょん・ぶりけー!











                           俺はすずかちゃんが好きだ!










  
 ともあれ、状況はそんな感じである。
 
 本当なら昨日のうちに解決できたはずの事件だと言うのに、忍さんのいらん好奇心のせいで今日まで長引いてしまったのは、らしいというかなんというか……。
 鬼ー様の御説教もひと段落つき、これ以上この混迷を長引かせるわけにもいかないとのことで、とりあえず忍さんに原因と思われるジュエルシードを持ってきてもらう。
 後はコレを高町が封印しておしまい――――のはずだったのだが。



「……おかしいな」
「にゃ? どうかしたの、ユーノ君?」
「ううん、別によくない事態、ってわけじゃないんだけど、さ」
「けど?」
「妙に安定してるんだ……多分、封印処理してある時と同じくらい、ジュエルシードの状態が安定してる」
「……つまり、このまま放置していても大丈夫、ってことか?」
「いえ、そこまでは保証できないんですが……でも、恐らくこの状態が、ジュエルシードを使う上で最も最適な状態なのかもしれません」



 むー、と難しそうに唸る細長い獣もといユーノ。
 それからちょっとばかし鬼ー様と忍さんを交えた会話が繰り広げられ、封印する前にちょちょいとデータを取っておこうという話になりまして。
 今現在、俺と高町と――――すずかちゃんの三人でソファに並んで待機中という次第でございます。
 


「えーと……」
「…………」
「…………」
「あの……」
「…………………」
「…………………」
「ほ、ほんだくんもすずかちゃんも黙ってないで何かお話しようよ!」
「……………………………………」
「……………………………………」
「ふにゃぁん……」



 高町が頑張ってなごまそうとするが、もはや焼け石に水。
 空気が超絶重いです、マザー。
 俺、すずかちゃん、高町という順でソファに座っているが、俺は完全に明後日の方にそっぽを向いてるし、すずかちゃんは変わらず行儀よく座って顔を俯かせっぱなし、そして高町はそんな俺達をどうにかしたいけどどうにもできなくてオロオロオロ。
 すまん、高町。俺みたいなまるで駄目な男には、どうすることもできない。……できないんだっ!
 好きな女の子一人心配することもできないなんて――――あぁ、俺ってやつぁ、死んだ方がいいよね。



「鬱だ、死のう」
「だ、だめー! は、はやまっちゃだめだよほんだくん!」
「うるせぇ! 俺はダメなやつなんだ! 俺みたいなダメなやつは生きるどころか一分一秒酸素を吸い続けることすら許されないんだ! でも逆らってやるもんねへへーん!」
「お、落ち込んでるのかそうでないのかよくわからないよほんだくん!」
「しゃらくせぇええ! 俺を止められるもんなら止めてみやがれモス・高町!」
「あぁ、また言った! こないだからやめてっていってるのに、まだそうやっていぢわるするの!?」
「違うよ高町。これは俺の愛情表現の一種だよ。ただのストレス発散だよ」
「本音ダダもれですほんだくん。もう、やっぱりただのいぢわるなんじゃない!」
「―――――ごめん、私、やっぱり部屋に戻ってるね。封印する時になったら、呼んでもらえるかな?」



 すっと、音もなくソファから立ち上がったすずかちゃんは、俺達に背を向けながら静かにそう言った。
 そして、俺達の返事を待つこともなく、足早に部屋を出て行ってしまう。
 それを呆然と見送る俺と高町。もとい、ほぼ半狂乱になってソファに向かって頭を叩きつけまくる俺。



「俺は! 俺は! 俺ってやつはぁあああうあがぁああぁああああ!!」
「ほ、ほんだくん落ち着いて。別にすずかちゃんはほんだくんのことなんてきにしてないから、ね?」
「〝ことなんて〟……!? う、うぉおおお!! やっぱり、やっぱり俺如きダミ虫なんて意識の端にも留めたくないくらい御怒りにぃいいい!!」
「ふぇ!? ち、違うよほんだくん! そうじゃなくてね―――」
「ほっといてくれ! 俺なんて――――俺なんてぇえぁああぁああああああ!!!!」



 死にたい。今この瞬間死んでしまいたい。
 この絶望感は一昨日の比ではない。例えるならば、カレーに砂糖を一瓶ぶちこんでしまった後、さらに醤油を二瓶ぶちこんだ挙句、ちょっと目を離したすきに魔界の海を作り出すという暴挙をしでかした後のマイラバーを見守るような。いや、これ例えじゃなくて実体験じゃん。さらに考えるならば、ぶっちゃけそんな絶望感より、今このまさに〝やっちまった!〟的な絶望感の方が絶望度のランクは遥かに上である。
 魂が抜けたようにぼへーとソファにだらしなく寝転がり、高町がそんな俺の額をぺちぺちと叩いている。あー、もうどーにでもなーれ。あはははは。



「うにゃー、これはとても重傷ですねー」
「ふふ……あとは任せたぜ、高町。俺はもう、だめだ」
「もう、何言ってるの。それより、すずかちゃん大丈夫かなぁ? すごく辛そうだったし、お顔、真っ赤だったもんね」
「……へ?」
「風邪、やっぱり酷いのかなぁ。無理におしかけちゃって迷惑だったんじゃ……」
「お、おい高町ちょっと待て」



 どうやら、俺と高町の間に、ちょいと看過できないくらい重大な認識の齟齬が見られる。
 これはもしかしたらもしかすると、まだツーアウト二塁くらいだったり!?



「そんなにすず――――月村さん、調子悪そうだった?」
「うん。最初からずっと顔色わるかったじゃない。息も荒かったし、来た時からずっと、すごく辛そうだったよ?」
「…………はて?」



 ずっと顔を伏せて拳を握りしめているから、てっきり俺に対する怒りが絶賛沸騰中なのかと思ったのだが。
 どうやら皆目見当はずれの杞憂――――だったのか?
 いや、それはさすがに楽観し過ぎだろう。一昨日のあの様子を思い返せば、そんな楽観的な考えは即座に破棄だ破棄。
 ……しかし、となるとこのままじゃ埒が明かんな。
 


「……こうなりゃ、当たって砕ける他ないな」
「ふえ?」



 正直なところ、これ以上生殺しにあうのはもう勘弁願いたい。いっそのこと早く煮るなり焼くなり爆発させるなりしてほしいところなのだ。
 これ以上すずかちゃんの真意がなんなのか、足りない情報と俺の主観のみで想像したところで埒が明かないし、ならもういっそ直接聞きに行ってしまうのがいいだろう。
 それに、どの道フェイトのことについてきちんと話しておかないといけないだろうし、さ。
 ……あぁやばい。でも考えたらまたガクガクブルブル膝が震えてまいりましたよ。
 でも男本田時彦九歳。ここでやらずしていつやるか。俺がやらずに誰がやる! よし、いけるいける!



「高町、俺ちょっと月村さん見てくる。お前はジュエルシードとみんなへの説明任せた」
「え、あちょっとほんだくん!」
「たのんだぜ~!」
「もう、すずかちゃん泣かせちゃ駄目だからね!」



 やー、やっぱ高町はなんだかんだで優しいなぁ。
 俺への文句は一杯あるだろうに、結局何も言わずに送り出してくれた。
 ま、どのみち今日はこれなくなったアリサにも説明しなきゃいけないんだし、そん時に話してあげるとしよう。
 ……これで時折飛び出る天然ドS行動が無くなれば完璧な美少女なんだろうが。そうはいかないのが世の常というかなんというか。うん、世の中って良くできてるよ。
 








 さて、やってまいりましたすずかちゃんの自室。
 俺が今日この屋敷に来て初めて入った部屋であり、そして忍さんinすずかちゃんに見事に騙されてしまった部屋でもある。
 すずかちゃんの部屋自体には今まで来たことあるから、この道のりを迷う事はなかったけど、しかしなんだろうなぁこの既視感は。このままドアノブひねったら、なんぞまた夕方みたいな出来事が起こったりしないだろうか、なんてありえもしないことを考えてビクビクうきうきしてしまう俺って、やっぱり男の子だネ!
 そして、そんなややテンション上方修正されている今の俺にとって、目の前のドアノブを捻って押しのける程度児戯に等しいのだよ! うははははー!



「しつれーしまー……す」



 ノックを二回。しかし返事がないので声をかけて失礼しまーす。ただし小声で。
 え? やってることがチキンだって?
 ばっかおめ、こんなの女の子の部屋に入るときのマナーだろーが! 守れない奴は紳士じゃないね!



「あ……本田、君?」



 部屋の内装は、夕方来た時と変わってない。
 やや広い部屋に大きな本棚とテーブル、ソファ、そして四〇インチを超える超デカイ液晶テレビ。
 そんな初見ならば庶民の誰もが唖然とするような部屋の奥、大きな西窓の隣には大人二人、子供三人なら余裕で寝れそうなキングサイズのベッドがあり、その端っこで、大人版すずかちゃんが熱っぽい顔で文字通り寝込んでいた。
 頬はリンゴのように赤く、桃色の唇から洩れる吐息は妙に熱っぽい。なにより、その表情が俺の心臓を金縛るほど色っぽくて、俺はすずかちゃんの視線を真正面から見つめた瞬間、電気が走ったように硬直した。いかん、これが大人すずかちゃんの破壊力か――――っ! くっ、マジパネェとは今まさにこの瞬間使うべき言葉だな…………っ!
 暫くの無言を経て、俺は息をのみこみながらなんとか再起動を果たし、つっかえながらも来訪の理由を告げた。 



「あ、あのさ、具合悪そうだったから……」
「わざわざ見に来てくれたの?」
「あー、まぁ。そんなかんじです」
「ごめんね? わざわざ来てもらったのに、こんな姿で……」
「いいい、いいよそんなこと気にしないで! ていうか、そんなに風邪辛いなら無理に呼ばなくてよかったのに!」



 予想していたような拒絶の言葉のきの字もなく、すずかちゃんはいつもよりもやや弱々しくも、その可憐な微笑みを俺に返してくれた。
 ベッドに横たわってこちらをみる大人すずかちゃんは、見て分かるほど具合が悪そうだった。
 先程まではここまで酷くなかったはずなんだけど、どうやらここ数分の間で一気に悪化したっぽい。……あぁあ、それより薬だよ薬! 



「薬とかは飲んだ? 辛かったら氷嚢とかも持ってくるけど」
「う、ううん、大丈夫だよ。風邪とかじゃなくて、ちょっとした持病みたいなものだから」
「持病……って、え? 月村さん持ちの?」
「ううん、お姉ちゃんの。私もあるけど、まだその年じゃないから……」
「うん……? ご、ごめん、ちょっとよくわかんないや」
「あはは、そうだよね。でも、大丈夫だよ。一週間から二週間経てば、すぐに良くなるの」



 ぶっちゃけ、さっぱり事情が飲み込めない俺だったが、とりあえず忍さんが結構しんどそうな風邪っぽい持病持ち、というのは理解した。
 その体に移ってしまったすずかちゃんは、そりゃ大変だろう。早いとこ元の体に戻してあげるべきだと思うのだが……上の連中は一体何をしているのやら。
 しかし持病ねぇ……まだ出会ってそんなに経ってないけど、そんな重そうな病気を持ってるようには全然見えなかったけどな、忍さん。
 それに、どうにもすずかちゃんも将来発症するっぽいこと言ってたし、もしかして、月村家だけに起きる病気なのか?
 ……しかも、一週間から二週間のスパンって、滅茶苦茶辛いんじゃ。
 まるで生理みたいだけど、見た感じ結構しんどい風邪っぽいから――――もしや忍さんって普段は二重苦!?
 なんて、まぁ俺がここでそんなこと考えても意味はないことに変わりはない。知ったところで、俺にどうにかできるわけでもないし、ましてや今の大人すずかちゃんの体調が良くなるわけでもない。
 俺に出来るのは、こうやって苦痛を紛らわす雑談をするか、静かに黙って早く良くなりますようにと祈りを捧げるくらいだ。そして同時に、それしか出来ない自分の無力さに、言葉にならない腹立たしさを感じる。
 


「それ、もし毎月とかだったら、普段の忍さんはもちろん、今の月村さんも相当しんどいんじゃ……!」
「お姉ちゃんの話だと、二ヵ月に一回くらいみたい。それに、その、そういう時はちゃんとよくする方法もあるみたいで」
「あぁ、そうなんだ――――って、じゃぁ今すぐにでもやんないと駄目じゃん!? ちょ、ちょっと待ってて! 忍さん呼んでくるから!」
「あ、待って!」


 
 慌てて踵を返す俺を、大人すずかちゃんはちょっと焦ったように引きとめた。
 出鼻をくじかれた俺は、思いっきり背を向けた勢いを殺しきれずに一回転。バランスを崩してブッ倒れかけるが、そこは意地で我慢した。



「な、なに?」
「気持ちは嬉しいんだけど……その……」



 布団の中に顔を半分ほど隠しながら、大人すずかちゃんはもごもごと尻すぼみになっていく。
 なんだろう、と首をかしげそうになる俺だったが、じーっと布団の中から俺を見つめる大人すずかちゃんの反応に、俺の記憶の箪笥ががこーんと引っ掛かった。
 そう、この様子はまさかもなにも、まるっきり〝注射を嫌がる子供〟のソレである。
 もしや、その治療法とやらが嫌なのかな?
 そう考えれば、別に何の不思議もない。実際はすずかちゃんだってまだ小学三年の女の子だ。苦手な薬や注射が嫌だったりしても不思議じゃない。俺だって苦い薬嫌いだしね。
 ……まぁ、見た感じは本当に熱っぽいだけで、それ以外に症状はなさそうだ。咳や鼻づまりはないものの、熱を出しているのだから風邪の親戚みたいなものだろう。大事に至らないと言うのであれば、無理に忍さんを呼ぶ必要もない……か?
 何より、すずかちゃんが嫌がることを無理やり、というのがすごく気が引けてならない。できることなら、すずかちゃんの意見を尊重してあげたかった。



「あの、ホントに大丈夫なん?」
「うん。ちょっと熱っぽいだけだから」
「わかった。じゃ、氷嚢だけ持ってくるよ」
「え、わ、悪いからいいよ! 別に本田君が行かなくても、ファリンに頼めば持ってきてくれるから」
「いや、でも」
「それに、ね? 今は、その……傍にいてほしいの。ダメ――――かな?」
「是が非でも!」



 俺の答えなんて決まっていた。
 およそ人間が反応できる最速の時間を以て返答を返し、俺は即座にすずかちゃんの横たわるベッドの傍へと近寄った。
 今この場で、俺にすずかちゃんのお願いを断れるはずがない。つーかむしろこれは渡りに船、棚から牡丹餅BIGチャンスだ。飛びつかない俺がいたらそれは偽物と断言できるだろう。
 ……そんな冷静ぶってモノを言ってるが、実際はそんな余裕なんてアリはしなかった。
 ただ、大人すずかちゃんのお願いを聞いてあげたい。そして何より、合法でその手を握ってあげられるこの機会を逃すわけにはいかない。そんな真心オンリーな正直な気持ちでいっぱいです。
 ああ、しかし一つだけ心残りがある。
 これが忍さんの体ではなく、もとのすずかちゃんだったらと思えば、その悔しさや億千万。うぬれ忍さん、下手な好奇心なんぞ持ってからに。
 


「わ、すげぇ熱い」
「やっぱり? ふふ、ちょっと自分でも熱いかな、って思ってた」


 
 くすくすと、布団の中から顔だけをだしたすずかちゃんが微笑む。
 そして、ベッドの近くに俺が寄ってくると、すずかちゃんは何も言わずにその左手を布団の中から差し出した。
 言葉もなく、俺はただその手を両手で握りしめて、ベッドに腰掛ける。
 そっと差し出された大人すずかちゃん、もとい忍さんの手は、すごく柔らかくて、そして何よりも熱かった。
 遠目からみるとわからないが、指先が結構荒れてる。物弄り――――特に油やグリスを扱う人間の手だ。親父がそういう仕事をしているから、すぐにわかった。
 そういえば、ちらっとだけ聞いた覚えがある。忍さんの趣味が機械弄りで、現在大学の工学科でロボット開発の勉強をしてるとか何とか。
 それでも、手の柔らかさは女の子のそれだ。男ではこうはいかない。
 現に、子供の俺でさえやや骨ばってて、とてもじゃないが今握っている手と同じくらい柔らかいなどとは言えない。


 
「熱いけど、その――――すごく柔らかいね。やっぱ男とは違うや」
「ふふ、でも、本田君の手、小さい」
「そりゃ、体は忍さんだしな。しかし心は大きいですよ、本田さん」
「あら本当に? それはとても素敵ですね」
「いやいや、月村お嬢さんには敵いませんって、はっはっはー」



 くすくすくす。
 小さな笑い声が、室内に木霊する。
 これが他愛のない冗談だというのは、お互いよくわかっていた。だからこそ、こんなくだらない冗談を言い合える。
 俺の手は小さく、今のすずかちゃんの手は大きい。
 そして、心が大きいのは俺ではなく、すずかちゃんだ。
 一昨日のことを忘れたわけではないだろう。それなのに、まるで何もなかったかのように――――いつものように接してくれるすずかちゃんの心遣いに、言葉が出ない。
 会話が途切れ、笑い声も止み、しばらくすると、ふとすずかちゃんの手に力がこもった。
 見れば、こちらをじっと見つめる二つの瞳。夜の闇のような綺麗な双眸が、俺を見つめている。 
 すずかちゃんが何をいいたのか、それだけで理解した。俺もだが、すずかちゃんももちろん、忘れていたわけではない。
 ちょうどいいタイミングだしな。ちゃんと説明しとかないと。



「その、さ?」
「うん」
「こないだのことなんだけど……その、月曜の」
「うん」



 静かに、でもはっきりと頷いて、すずかちゃんは俺の言葉に相槌を打つ。
 話したことは、アリサや高町に話したものと同じだった。
 たまたま街を歩いていたらフェイトと偶然出会って、世間話がてら一緒にハンバーガーを食べた。そして、その帰りにすずかちゃんに見つかって、今に至る。
 フェイトが根はいいやつなんじゃないかってこと。
 きっと、ジュエルシードを集めるのはあっちにも大きな理由があるんじゃないか、って思ったこと。
 フェイトが――――俺の大切な人に似ていたこと。
 まとめると短い話だが、すずかちゃんはその間ただじっと、俺の言葉に耳を傾けていた。
 そして、話が終わると、すずかちゃんは一つだけ大きく息を吐き、目をつむる。
 聡明なすずかちゃんのことだ。これだけの説明でも、大方の事情を掴んでくれたことだと思う。高町の言う〝誤解〟も、おそらくこれで解けたはずだ。



「…………ごめんね、本田君。私、嫌な子だ」
「いや、月村さんは全然悪くないって! そもそも、あんな誤解されるような真似しでかした俺が悪いし、普通に考えたら、俺がフェイトと一緒にいるなんてありえないことだろ? 誤解されても無理ないって」
「ううん、それでも、勝手に勘違いしてあんな態度とったのは、私が悪いよ」



 事実、その言い分はとても正しいものだと思う。
 あの時すずかちゃんが見たのは、あくまで俺とフェイトが別れるところであって、それ以上でも以下でもない。その事実以外に、何も断定できるものはない、たった一つのパズルのピースでしかなかった。
 しかし、たかが一欠片のピースでも、容易に人を惑わすことがある。今回は、不幸にもそんな特殊な事例になってしまっただけ。それだけなんだ。
 


「じゃぁお相子だ。お互いチャラにして、明日からはまたいつも通り。それでどーでしょ?」
「……いいの?」
「いいも何も、月村さんなんも悪いことしてないじゃん。それなのに謝るんだったら、無理やりにでも手打ちにしなきゃだめじゃね?」
「ふふ、なにそれ。なんだかアリサちゃんみたい」
「うげっ……それはちょっと、うれしくないぞ」



 そして、お互いにどちらからともなく笑いだす。
 ……外面は穏やかに笑っていますが、内心脱力しきっております。あぁよかった! ほんとによかった!! ありがとう世界! ありがとうすずかちゃん! おかげで本田時彦はまだ生きていられます!!
 これでもう、フェイトのことについては悩むことはないだろう。
 すずかちゃんの誤解も解けたし、この雰囲気は間違いなく、俺とすずかちゃんとの距離が元の状態に修復されたことに他ならない。そして何よりも、合法にすずかちゃんの手(実際は忍さんの手だが)を握っていられるという至福の時間。これで文句があるというのなら天罰が下るってもんです! いやっふい!
 無論、そんな俺の内心を悟らせるようなひこちんさまではございやせん。外はクールに内はでろーん。それが本田時彦(精神年齢約○十歳)です。
 だがまぁ、あまりここに居続けるのも迷惑だろう。すずかちゃんは体調を崩しているし、こうしている今も、最初より大分マシになったとはいえ、それでもやや熱っぽい息と紅潮した頬は治っていない。
 早いとこ、忍さん達を急かしてこの何とも言えない嬉しいんだか残念なんだからよくわからない状況を収束させないとな。
 


「さて、あんまり長居しすぎるのも体に触るだろうし、そろそろ俺は高町んところに戻るよ。ジュエルシードの封印って、一回見てみたいし」
「あ……」
「え」
 
 

 ぎゅっと、話しかけた手が再び強く握られる。
 驚いて振り向くと、すずかちゃんは自分でも自分が何をしているのかわかっていない、そんな驚いた表情をしていた。
 そして慌てて「ご、ごめんね」と手を引っ込めて、さらには布団の中に隠れてしまう。なんだこの可愛い生き物。
 救いは、今の外見が忍さんの肉体だと言う事か。もしこれが本来のすずかちゃんだったなら――――あ、やべ。



「ど、どうかしたの?」
「いや、なんか鼻血が」
「わ、大変!」
「い、いや気にしないで! すぐ治るから!」



 鼻の奥が鉄臭い。つーかおい、なんだコレ。なんにもしてないのに鼻血が出るとか、人生初なんですが。
 恐らく、頭に血が上った――――ってことなんだろう、多分。めいびー。いやいや、きっとそうだって。だってすずかちゃんが相手だし! 仕方ないって!
 そんな誰に対してなのか良くわからない言い訳をしつつ、ティッシュの場所を教えてもらって、暫く上を向きながら眉間を抑える。むしろ、コレは俺が氷嚢もらってきて頭冷やした方がいいんじゃなかろうか。うぅ、情けねぇ……。
 そして、ちょーっと収まってきたかな、と顔を下ろしたところで、まだ鼻の中を何かが垂れるのを感じて即座にティッシュで栓をした、その時だった。
  


「ほ、ほんだくん! すずかちゃんはどう!?」
「……はい?」



 突然、乱暴にドアを開け放って現れたのは、あらら魔法少女と化した我がクラスメイト、高町なのはその人だった。
 息を切らせているところから、ここまで全力疾走してきたことがうかがえる。いつも思うんだが、こいつの魔法のステッキってやけに攻撃的なスタイルだよな。こう、体は砲撃でできていた、みたいなオーラを感じるって言うか。もっと言いかえるならば、ロボットの装備を見て〝お前、それ明らかに狙ってるだろ〟みたいな突っ込みを入れずにはいられない、そんな造形。そして――――うん、滅茶苦茶高町に似合ってるんだよなぁ。恐ろしいことに。
 


「な、なに? レイジングハートがどうかしたの?」
「いや、お前にぴったりの武器だよな、と」
「え、ほんとー!? うわーい、レイジングハート聞いた? 私にぴったりだって!」
≪It's very kind of you≫



 そのまま「えへへー」とだらしなくほっぺを緩ませる高町。どうでもいいが、そんなに嬉しいのか……?
 


「……って、忘れるところだったよ! ほんだくん、すずかちゃんは元に戻った!?」
「は? いや、相変わらず体調悪そうな忍さんの体にお邪魔しておりますが。ね?」
「うん。なにも変わったことはないけど……?」
「はにゃっ!? すずかちゃんも!?」
「〝も〟……だと?」



 きゅぃいいーん!と、俺の脳に稲妻が駆け巡った。
 ことすずかちゃんの事において、俺の想像力もとい推理力はかのシャーロック・ホームズすら上回る。いや、むしろ回答すら導き出せる! はずだ!
 その特殊能力(?)によって、俺は今まさに高町の言葉から一つの解答を〝想像〟した。
 息せき切って表れた高町。元に戻ったか、と尋ね、さらには戻っていない事実に〝も〟と驚く。たった二つのことだが、それはたった二つでも十分すぎるほどのヒントだった。
 ちらり、とすずかちゃんを振り返れば、その表情はまさに俺と同じことを考えていたのだろう。体調さえ普段通りならば、その顔は今頃月光のような蒼白色に染まっていただろう。
 ……もし俺とすずかちゃんの予想が正しいのであれば、考えうる限り最悪の展開だ。
 絶対にありえない展開じゃぁない。何も、ジュエルシードを封印したら〝なかったこと〟になると、絶対に決まっているわけではないのだから。
 そこまで考えれば、導き出される答えはおのずと決まってくる。それはつまり――――。



「解除されないの! ジュエルシードを封印したのに、忍さんも元に戻っていないの!」
「―――――――な、なんだってぇえええぇええ!!?」



 誰が言ったか。
  
【換金はする。換金はするが、それが何時、何処でとは明言してはいない】
 
 つまり今回に限って言えば、こう訳すことができる。

【封印はされる。封印はされるが、それまでの効果が解除されるとは言っていない】

 きたない、さすがじゅえるしーどきたない。




――――――――つーか、魔法の石が聞いてあきれるぞばかやろぉおおおおう!!!
 




















――――――――――――――――――――――――
あとが(これ以上先は血がにじんでみえない

まだ終わらない今回のジェルシード。いじきたない、さすがジュエルシードいじきたない。
そこまで出番がほしいか! 
はやく終わらせてフェイトそんだしたいです。
もっといえばはやくマテリアルズだしたいです。
……イツニナルカナー
 

1007240259:Ver1.02



[15556] 意思と石と意地
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:41



 応接間に戻り、ユーノと忍さんから受けた説明は、予想通りと言えば予想通りで、しかしどちらかと言えば想定外すぎる――――つまり、結果としては最悪な部類に入るものだった。



「封印したのに――――戻らない!?」
「ええ。ちょっと、厄介な事になったみたいなの」



 驚く俺の言葉に応えるのは、相変わらずすずかちゃんの体に納まったままの忍さん。
 腕を組み右手を顎に添えて何事かを考え込む姿は、さながら灰色の脳細胞を誇る名探偵の如く凛々しい。
 同時にそんなシリアスなポーズすらも可憐に決まるすずかちゃんのラブリーさに俺はメロメロです。
 ……って、そうじゃなくて。



「いったい、どういうことなんだってばよ」
「忍さんの使ったジュエルシードが、やけに安定してる、って最初に話したのは覚えてる?」
「……そう言えば、そんなことを言っていたな」
「どういうこと、ユーノ君?」



 テーブルの上で物知り顔で講釈を垂れるのは、最近高町家のペットとして定着しつつあるバナナ獣ことユーノだった。
 事件の当事者、というかジュエルシードがばらまかれた元凶とも言うべき存在なのだから、今この場で状況を正確に理解できるのこいつしかいない。
 だが、いくらユーノでも全てを知っているわけじゃない。今回のすずかちゃんと忍さんの入れ替わりについても、ユーノは全く想像できなかったと言っていたのだから、それは当然だろう。
 ましてや、封印したのにジュエルシードで巻き起こされた現象が元に戻らないなんて事態、このバナナが予想できるずがない。
 それでも、この短時間の間に仮説を立てて、事態の解決方法を見出したと高町が言っていたことから、その実相当の頭がキレる奴なんだな、と俺は認識を改めている。
 だからこそ、今この場にいるみんなは、こいつの推論というか仮説というか、つまりは現状を打破するための策に期待しているのだ。



「まずはこれを。左がなのはが封印したジュエルシードの内在魔力波形で、右が忍さんが確保したモノです。魔力波形の大きさは、それ自身がもつ魔力量を表しています――――どう、気がつくことがないかな?」
「どうもなにも、そっくり、だとおもうけど……」
「うん。ちょっと細部は違ってるけど、ブレもそんなにない」
「敢えて言うなら、全体的に月村の持っていたモノの方がグラフの数値は高めということか」



 またもやユーノが高町の杖を借りて空中に浮かべたSFちっくな映像に対して、高町三兄弟が揃って意見を出す。
 俺から見ても概ね同じ意見だ。忍さんのジュエルシードの方がややグラフがうえ気味だけど、波形パターンはほとんどぴったりだと思う。でも、それがなんだっていうんだろう。
 忍さんなら何かわかるかなと思って窺って見ると、変わらず難しい顔をしたままじーっとグラフを見つめていた。……凛々しいすずかちゃんとてもカッコイイです。



「恭也さんが今言ったように、忍さんの持っていたジュエルシードは、封印状態のジュエルシードと内在している魔力波形が一致しているのに、何故か活動準位だけが異なっているんです。今回の〝未解決〟は、それが原因だと思われます」
「……えーと、ごめん、ユーノ。私にもわかるように教えてくれない?」
「――――つまり、私が見つけたジュエルシードは、波形だけを見ると封印状態なのに、実は励起状態にあった、ってことかしら?」



 たはは、と苦笑いを浮かべてもっとわかりやすい説明を求める美由希さんの言葉に答えたのは、説明の当事者であるユーノではなく、それまで沈黙していた忍さんだった。
 みんなから一歩離れて思考を整理していた忍さんは、そのままユーノの近くまで寄って来ると、その机の上に置かれていたジュエルシードを手に取る。
 そして、指の間に盛ったソレをまじまじと見つめながら、苦々しそうな表情を浮かべた。



「だから、なのはちゃんが封印したのに、私達の体は元に戻らなかったのね」
「ええ。封印前と封印後の魔力波形が同じなら、〝変化はない〟からです」
「――――おい、ちょっと待て」



 ユーノの最後の言葉に、脳裏にティン!と来た。
 相変わらず美由希さんと高町は何が何だかわからないような表情をしているが、そんなこと気にしてなんていられない。
 それよりも、今の閃きから思い至った推論の恐ろしさに、俺は身震いが止まらない。
 前と後で変わりがない。つまり、封印しようが封印しまいがなんの変化もない――――その意味とは、



「つーことは、〝俺たちゃもとからこのまんまなんだから、なんも元に戻すことなんざないんだぜ!〟ってことか!?」
「わかりやすいかみ砕きありがとう時彦」
「そんな……っ」
「…………厄介な事になったな」



 その場にいたみんなが口を噤んでしまうほど、それは最悪の報せだった。
 ようは、〝ジュエルシードを封印する〟といういつもの方法では、すずかちゃんと忍さんの体を元に戻すことはできないということだ。現状、それ以外にジュエルシードの被害を正す方法を知らない俺達にとってみれば、それは唯一の対抗策を封じられるという最悪の報せに他ならない。
 ユーノの話によれば、そもそもジュエルシードが叶える願いは、その内部で魔力波形となって〝記録〟されているらしい。そして、封印というのはその魔力波形を〝不活性化状態〟に変化させることであり、そして変化させた状態を維持し続けることを指すのだと言う。
 ところが、今回のジュエルシードは自身は〝活性状態〟にあるにもかかわらず、その内在魔力波形が〝封印状態〟と酷似していたために、封印しても何の変化も起きなかった――――そういうことらしかった。
 早い話が、〝封印〟をしてもすでにジュエルシードが封印状態だったため、〝書き換えられた出来事がなかった〟ということである。
 俺達の間に、静かな絶望が漂い始めていた。 
 悪い方向に考えるならば、それはつまり〝すずかちゃんと忍さんがずっとこのまま〟ということであり、同時に今現在苦しんでいるすずかちゃんを助けられないことを意味する。
 
 脳裏ではない、目の前に、つい先ほどまで息を荒くして苦しんでいた忍さんの体に入ったすずかちゃんの姿が蘇る。そして、それが今後ずっと続くのだと、ユーノは言っているのだ。
 ……そんなの、絶対に許せるか。そんなご都合主義のごの字もないような結果、俺は絶対に認めない。
 魔法や怪獣や幽霊やらがありえるこの世界で、なんだってピンポイントでそんな不幸が訪れなきゃならないんだ。
 しかも、よりによってその犠牲者がすずかちゃん? ふざけるな。神の嫌がらせにしたって、さすがにこればっかりは冗談が過ぎるというものだろう。

 …………あるはずだ、きっと。何か、すずかちゃんを助けるための手段が! 
 
 みんなが黙り込んでしまったのは、きっと俺と同じように何か手段を考えているに違いなかった。
 忍さんに続いて、高町と美由希さんも腕を組んで頭を捻りながらウンウン唸り、恭也さんもどうしたものか、と嘆息しながらすずかちゃんの体のまま変わっていない忍さんを見つめている。
 俺だけじゃない。この場にいるみんなが、この状況をどうにかしようと努力していた。
 変わらない現状を変えるべく。大事な人を助けるために。理不尽な運命を書き換えるために。みんなが一緒に悩んで――――待てよ? 〝運命を、書き換える〟?



「そうだ! ユーノ、封印されたジュエルシードをもっかい使うのは!?」
「……そんな危険な事、させられるわけないよ。ただでさえ一度封印が解けて不安定になっていたのをようやく安定状態に持ち込めたのに、それをまた不安定な状態にするなんて無茶苦茶だ!」
「なんでだよ。一回封印解いてもっかい封印するだけじゃねーか」
「だから、事はそんな簡単な話じゃないんだってば! いいかい時彦。忍さんとすずかさんを元に戻すためには、〝ジュエルシードが活性状態〟でありつつ〝その内在魔力波形が封印状態と酷似〟していなきゃいけないんだ。でなきゃ、例えジュエルシードを使って二人を元に戻しても、ジュエルシードを封印した時点でまた二人は今の状態に戻るだけなんだよ」
「だけど、もう手段はジュエルシードを使うしかねーじゃねぇか! 解決手段がそれしかねーなら、四の五の言わずにやるしかねぇんじゃねぇのかよ!」



 ずだん!とテーブルに両手を叩きつけてユーノを睨みつける。
 当然、意外とオツムの良いユーノのことだ。この俺の意見だって真っ先に考えついたことだろう。そして、まさにユーノが今言った理由こそが、この案を使えない欠点でもあった。
 せっかく封印したジュエルシードの封印を解いて再び使う。そして、事態の収拾がついたら再び封印する。
 単純にいえばそんな作戦だ。だが、そこにはなんの安全性も保障されてはおらず、必ず成功すると言うわけでもない。ましてや、その結果に至るには、そもそもユーノの言った二つの条件を満たさなければならない。
 仮に今ユーノが言った条件をクリアできたとしても、ジュエルシードが願いを〝正しく叶えてくれるとは限らない〟んだ。
 ここ数日耳にたこができるほど聞かされたジュエルシードの特性を考えれば、それがほとんど限りなく不可能であることは容易に想像がつく。
 
 ジュエルシードは、願いを叶える魔法の石。だが、その願いがいつもまっすぐ、そのまんまに叶えられるとは限らない。いや、それどころか、祈願者の表層的な願いではなく、深層心理に存在する願いを叶える可能性の方が高いらしい。

 それこそがユーノの言う〝ジュエルシードの歪み〟であり、本人の意図しない〝結果〟を生み出す原因に違いないのだ。
 そんな不確実なものを頼りにすずかちゃんを救う?
 我ながらトチ狂ってるにも程がある考えだ。……だけど、今はそれしか思いつかない。そして、実際にそれ以上の解決策は、誰も思いつけずにいる。



「心配なのはわかるよ。でも、冷静になって時彦。〝もしかしたら〟や〝ひょっとして〟なんていう曖昧で不確実な方法を試すには、あまりにも危険な方法なんだよ」



 ユーノが人間だったなら、恐らくその顔は苦渋に満ちたものだっただろう。声音から容易にその心境が想像できる。
 そりゃ、悔しいだろう。自分がばらまいた種でこんな厄介な事が起こってる上に、それがどうしようもない状態にまで陥っているんだから、バナナの癖に責任感がやたら強いこいつにしてみれば、恐らく身を引き裂かれるような思いを感じているに違いない。
 ……だから、それがむかつく。


 
「おいおいバナナさん、なーにひよったこと言ってくれちゃってるんですかえぇおい?」
「と、時彦?」



 前世で俺が育った孤児院の院長は、こう言っていた。

――――覚悟が出来てる人間は、極限の状況になると何をしでかすかわからない。 
 
 その言葉が意味するのは、窮鼠猫を噛むということではなく、〝人間誰だって、やろうと思えばできるもんだ〟という意味だ。
 最初っから無理無茶無謀と諦めていたら、たった数%の成功の可能性させ100%不可能の目に変わってしまう。
 どうせ孤児院出なんていう不遇の身だと思うのならば、ひよって不可能に逃げるんじゃなく、敢えてどんな手を使ってでもその数%を取りに行く覚悟を決めろ。院長は、笑いながらそう言っていた。
 無論、当時の俺がそんな言葉の深い意味を理解できるはずもなく、単純に簡単にあきらめちゃいけないんだよ、と言ってるんだなーと能天気に捉えていた。だが、今ならその言葉の意味がよくわかる。
 たった数%でも構わない。そして、その数%を叶えるためにリスクが必要だと言うのなら、んなもん俺が賄ってやる。
 当然だろ?
 だって、俺は―――――!



「安全性の保証? んなもん最初っからねぇだろうに。ないもんを心配してどうすんだお前。悪いが、こっちにゃフェレットの皮算用なんて諺はないぞ」
「いや、だから!」
「んで? えーと、次は成功率だっけ? それこそ心配ご無用私にお任せ、ってな。悪いけど、今この部屋で一番純粋に願い事が出来るのは、高町と俺の二人だ。でも、高町には万が一に備えて待機してもらわないといけないし、そうなりゃ必然俺がやらなきゃいけないだろ?」
「人の話を聞け! だから、そんな危険な真似をさせられるわけがないって言ってるんじゃないか!」
「――――いつまでも眠てぇこと言ってんじゃねぇぞこのビチグソが!」



 わかってねぇ。〝この馬鹿〟はまるでわかってねぇ。
 好きな子が困ってて、そして自分がそれを解決できるとわかってるのに、〝成功するかわからないからやめておく〟?
 なんだそりゃ。初恋舐めてんのか。
 しかも、今現在進行形ですずかちゃんは困ってるんだぞ? 今すぐにでもどうにかしてあげたいのに、〝もっと成功率の高い方法を見つけて〟だ?
 成功率ン%だろうが失敗したらどうなるかわからなかろうが、そんなことはどうでもいい。重要なのは成功させるか否かであって、そこにあるリスクがどうのなんてのは二の次でしかない些事だ。
 俺が心配なのはただ一つ――――すずかちゃんを助けられるか、否かだ!



「方法がねぇなら今あるのを試すんだよ。あーでもないこーでもないって議論してるよか、今現在できることをやったほうが遥かに建設的だろうが!」
「ほんだくん……」



 息も荒く言い放った俺を、みんなが見つめる。
 興奮しているせいか、顔が熱い。いや、これはむしろ見られてることへの興奮……!? やだ、本田君恥ずかしい!
 そんな馬鹿なことを思考の片隅で考えてしまう余裕を残しながら、自分が今どんなことを言ってのけたのか反芻してみて、内心恥ずかしさで悶え苦しむ。
 あぁぁああ、また俺はやってしまった!
 またこんな外見に任せた、しかし中身からしたらもはや病気指定間違いなしの台詞をクソ真面目に……っ!
 しかし、以外にも今の啖呵は鬼ー様にウケタらしい。



「……ユーノ。可能性は、ゼロではないんだな?」
「それは、そうですけど……でも恭也さん、本当に成功するかどうかは、」
「いい。それは、時彦も覚悟しているんだろう。それに――――」



 鬼ー様は組んでいた腕を下して俺の近くまで来ると、ぽんぽんと俺の頭を撫でた。
 そしてニヤリと笑うと、さらに挑戦的な表情を浮かべてユーノを見やった。



「分の悪い賭けは、そんなに嫌いじゃない」
「高町君……」
「もう、恭ちゃんったら」



 どこかの杭打ち屋さんみたいなことを、実に楽しそうに言ってのける鬼ー様に、女性陣のみなさん、苦笑を禁じ得ません。
 まぁかくいう俺もひくひくと引きつったような笑い方になってるんですがね。いや、だってあまりにもまんまな台詞じゃんか。つーか鬼ー様が言うと、割と洒落にならないくらい真実味があるんですが。例えばこう、窮地でも腕一本代わりに相手のタマを取りに行く、みたいな。わかるよね?
 


「ま、そう言う事なら私も協力するよ。恭ちゃんと本田君だけじゃ心配だし」
「私も協力するわ。もともと、今回の原因は私にあるもの」
「はい! なのはもお手伝いしますっ!」
「みんな………」


 
 美由希さんと忍さんが手を上げ、さらに高町も両手を上げる勢いで「はい!はい!」と参加を表明する。
 こうなれば、ユーノも理屈をこねることもできなくなったようで、結局大きなため息をついて「まったく、どうしてこう……」とかぶちぶちと小声で愚痴っている。はっはっは。そもそも高町兄妹を巻き込んでる時点で無駄な足掻きだったと知るがいい。
  


「……だけど、そのためにはまず活性状態のジュエルシードが必要だ。ただでさえこの街に散らばってるのを探すのに難儀してるのに、そう簡単にぽんぽん見つけられるわけが――――」
≪Alert! Receiving incoming response from Jewelseed≫
「――――見つかったぜ?」
「………そんな馬鹿な」



 ご都合主義な展開ありがとう。
 にやりと笑う俺に、ユーノは心底愕然としたような顔で呆然とそんな言葉を漏らした。
 周囲を見回してみれば、俺と同じように「よしきた!」とばかりにみんなが笑っていた。
 再び視線をユーノに戻してやれば、あまりにもあんまりな展開に、もう考えるのが疲れたのだろう。ひときわ盛大な溜息をついてから「……わかったよ」と開き直ったように首を縦に振ったのだった。
 ふふん、今頃高町兄妹の影響力を理解したらしいな。
 それに、覚悟を決めた人間にとって、状況ってのは大抵が面白い方向に動いてくれるもんだ。
 それがプラスであれマイナスであれ、結果のために踏破しなければならないその過程は、どんなにしんどくて辛くて大変なことであっても〝面白い〟んだから。 
 そして今の俺には信念がある。目的がある。意地がある。
 そのために決めた覚悟は、生半可な障害で止まるほどヤワなもんじゃぁ、断じてないんだよ。









                           俺はすずかちゃんが好きだ!










 
 既に、みんなは準備のために動いていた。
 忍さんはすずかちゃんの容体の確認に行き、美由希さんと鬼ー様は何やら持ち物の確認。ちらりと飛針みたいなのと刀の鞘と思しきものが見えたけど、俺は見なかったことにした。あーあーあーナニモミエナイヨー。
 そして、高町とユーノの二人が、杖の言ったジュエルシードの反応があった位置の絞り込みを完了し、後は、出発するだけだ。
 


「少年――――ううん、時彦君、ちょっといい?」
「はいな?」



 準備を終えた忍さん――七分丈の白いブラウスに、夜色のロングスカートというシックな格好だ――が、 玄関の前の柱に寄り掛かり、することもなくぼんやりと空を見上げて待っている俺に声をかけてきた。
 今回の捜索に俺が付いていく意味はないんだけど、まぁ一人でここに残るのも首が据わらないような落ち着かなさを覚えるし、それに自分だけ何もしないと言う無力感が嫌だったので、無理にでも着いていくことにしたのだ。
 みんなからしてみれば足手まといだろうけど、そもそもジュエルシードの回収で戦闘能力が必要とされるわけでもあるまい。まだ発動しきってるわけじゃないみたいだし、仮に、いつぞやみたいな化け物を相手に逃げ惑うハメになったら、俺はいの一番に逃げ出してもいいと言われているから問題ない。
 だからまぁ、こんなところで呑気に星なんか見上げているわけですが。
 そこへ突然かけられた声に、俺はぱちくりと瞬きしながら忍さんを振り返った。 



「変な事を聞いちゃうんだけど……どうして、ここまでしてくれるの?」
「どうしてって……」



 前に、どこかで聞いたような質問だ。
 その時はなんて答えたんだっけか、と思い返してみるが、具体的にどう答えたのかをどうしても思い出せない。まぁ、思い出せなくても今瞬時に応えられる質問なんだけどさ。
 俺を見つめる忍さんの目は、真剣そのものだった。無論、この質問に嘘をつく俺ではない。



「やっぱ、ほっとけないじゃないですか。それに、中途半端に諦めるの、俺大っ嫌いなんで」



 ……けど、まぁ素直に本音をゲロするのはとても恥ずかしいので、俺はとてもとても見苦しいことに、それっぽいことを言って誤魔化してしまうのでした。
 それで満足してくれたのかはわからないけれど、忍さんは「そう……」と微笑んで、それ以上聞いてくることはなかった。
 うーん、よかったのかな、これで。
 なんだかアリサその他悪友達の言葉を聞く限りでは、俺のすずかちゃんに対する態度はバレバレらしいのだが、まさか忍さん、わかってて聞いてきたのかしらん?
 だとしても、この俺に本音を言える程心臓に毛が生えてもなければ、好きな子のお姉さんの前でカミングアウトできるようなクソ度胸もないわけでして。
 しかしながら、今回の行動原理は、言うまでもなくたった一つの感情から来るものだ。
 俺がすずかちゃんを助けたいと思う理由。こんな、自分の身に何が起こるかもわからないような役回りを、進んで受け入れた理由。
 考える度に再確認する。思い返す度に嬉しくなる。少しでも彼女の役に立てることが。こうして自分から彼女を助けるために動けることが。
 今なら、かぐや姫に出てくる命知らずの野郎共の気持ちがよくわかる。みんな、こんな思いで無理難題に挑んでたんだな、って尊敬の念すら覚えるくらいだ。
 俺を突き動かすたった一つの感情。俺がこの世界でずっと強く胸に抱え続けている、誰もが患う一つの病。そして、今この瞬間もずっと俺を支え続けている、たった一つの譲れない想い。
 あぁ、もう。ホント、〝これ〟ばっかりどうしようもないよなぁ
 


 ――――――――〝俺は、すずかちゃんが大好きだ!〟って気持ちばっかりはよ!!












 月村邸から電話がかかってきたのは、既に夜の十一時近い時刻であった。
 夜の高町家。そのリビングとキッチンには、それぞれこの家の主である高町士郎とその妻、桃子がいた。
 リビングのテーブルの上には、今日の翠屋の売り上げや消費したと思われる食材、その日最も売れた商品のデータや、お客様から頂いた貴重な意見などの資料が広げられている。今現在士郎が手にしているのは、その中でも今後食べてみたいスイーツや、店に取り入れてほしいという意見が書かれたお客様の意見というやつだった。
 一方、キッチンでは桃子が翌日の朝食の仕込みを行っていた。
 明日は洋食で固めようと考えていただけに、クラムチャウダーから野菜スープの二つだけであったが、どちらにしても結構手間のかかるメニューであることに変わりはない。
 野菜スープの方は既に落ち着いているし、今はクラムチャウダーの仕上げで、細かい味の調整をしているところだった。
 そんな桃子の手を煩わせるわけにもいかず、士郎は一言「私が出るよ」と桃子に告げて、テレビの隣に設えてある電話の子機を取った。



「はい、高町です」
『あぁ、父さん? 俺、恭也だけど』
「おお、恭也か。どうした急に。忍さん達は大丈夫だったか?」



 士郎と桃子も、今現在恭也達が月村邸にいることを知っている。無論、その理由もだ。
 なのはが魔法少女となって今や街に散らばる危険な宝石を集め回っていることも、ユーノが別の次元世界からやってきた喋る魔法生物だということも承知済みである。
 そして、現在月村邸で起こっている〝事件〟についても、士郎だけでなく桃子も事前に話を聞いていた。
 士郎の言う〝大丈夫だったか?〟という言葉には、もちろん〝事件〟がどうなったのかという確認の意味が込められていることを、電話の向こうにいる恭也も理解している。



『少し厄介な事になった。それで、今から街の方に出かけるんだけど、できれば父さんもいつでも出れるようにしておいて欲しい』
「……なるほど。二人では難しいことになりそうか」
『今はまだ平気さ。ただ、相手によっては、どうなるかわからないから』
「そうか。なら、いっそのこと私も合流しよう。出かけるときになったら連絡しなさい」
『―――助かる』
「大事な息子達の為だぞ? このぐらい当然だろう」
『ありがとう。それじゃ、その時になったら連絡する』
「あぁ、気をつけてな。無理はするんじゃないぞ」
『わかってる』



 力強い言葉を最後に、電話が切れた。
 ツーツーという味気のない音を耳から話しながら、士郎はふっと薄く笑みを浮かべる。俺も歳をとったなぁ。思わずそんなことを考えてしまうのは、息子の成長が嬉しいからだろうか。……きっとそうなんだろう。



「あなた、電話はどなたから?」
「恭也だったよ。少し厄介な事になったらしく、街に出かけるらしい」
「こんな夜中に? 何かあったのかしら……」



 リビングからタオルで手を拭いながら現れた桃子は、その柳眉を曲げて子供達の心配をしている。
 そんな心優しく美しい自分の妻を心の中で誇りに思いつつ、士郎は桃子を安心させるべくそっと彼女を抱き寄せた。



「大丈夫さ。僕も出向くし、何より恭也も美由希も、まだ半人前とはいえ立派な剣士だ」
「あら、頼もしい。それじゃぁ、みんなが帰って来るまでまで私も起きていようかしら」



 茶目っ気たっぷりに、ウィンクを交えてそう言ってのける桃子。
 昔から変わらない、その芯の強い笑顔に士郎は惚れ込んだのだ。



「明日も早いだろう。子供達は僕に任せて、桃子は先に寝てくれ」
「ふふーん。そんなこと言って、本当は帰宅後の一杯をお願いしたいんでしょう?」
「……よくわかったね」
「ちっちっち。桃子さんを甘く見ちゃいけませんよー?」
「ははは……本当に、桃子には敵わないな」



 あまりにも簡単に自分の真意を見透かされてしまい、士郎は苦笑いするしかない。
 バレているのなら、隠す必要もないだろう。そう思い、士郎は桃子の言葉を否定せずにそっと身を離した。



「まぁ、恭也と美由希の二人だけでも大丈夫だとは思うが……万一のこともある。すぐに僕も出かけるよ」
「あらあら、お父さん、過保護が過ぎるんじゃありませんかしら?」



 再びからかうような桃子の言葉。しかし、その言葉の真意が自分の心配であることに気付いている士郎は「さてね?」と仕返しをしてみる。
 予想通り、そんな士郎の曖昧な返答に不満足な桃子は、「もう!」と唇を尖らせて、士郎の頬へとキスした。



「……気をつけてね。またあんなことになったりなんかしたら、離婚よ?」
「それは困る。僕はもう、桃子無しでは生きていけないんだから」



 おどけた口調の裏に、鋼のような真意を込めて士郎は言う。
 桃子の見つめる士郎の顔に、鋭い目つきが戻っていた。かつて初めて出会った頃、この体を駆け巡った紫電を思い起こさせるような、強い瞳が。
 彼は――――士郎は、とても強い人だ。その強さに惚れ、その強さに支えられ、そしてその強さに魅かれた。だからこそ、桃子はいつもいつも士郎のことが心配でたまらない。分かりやすく言えば、目を離せないのだ。
 士郎は今の喫茶店のマスターという仕事に落ち着く前は、世界を股にかけ、その業界で知らないものはいないとさえ言われてきた不撓不屈のボディーガードを営んでいた。だからこそ、無茶をして怪我をしてくることなんて数え切れないほどあった。中には、自分と子供達を置いて行きかねないほどの大怪我をしたこともある。そんな、気の休まる日というものと縁の遠い生活を送っていた桃子からしてみれば、士郎は子供達と同じくらい――――いや、子供達以上に手のかかる存在なのだ。
 最後の大怪我以降そういった危ない世界から引退したものの、しかし剣士として生きてきた性だろうか。彼の生き方には、未だに危険という名の螺旋の番が回っているように思える。
 それが、桃子には心配でたまらない。
 無論、そんな桃子の気遣いに気付かない士郎ではない。以前の大怪我のことは未だに申し訳なく思っているし、自分でも二度と〝あんなこと〟は御免だと思っている。さらに士郎からしてみれば、今桃子が言った〝離婚〟なんて、自分にとっては再起不能の一撃だ。そんなことにならないよう、細心の注意を払おう。



「あぁそうそう、恭也達が帰ったら、すぐになのはをお風呂に入れてくださいね?」
「勿論わかってるさ。なのはも明日学校だからね」
「そうなのよ! もう、なのはったら明日学校なのにこんな夜遅くまで! これはちょっと〝お話〟しないといけないかしら」
「はは、程ほどにな? 最近、どうにも桃子に似てきているせいか、なのはの言葉に逆らえないんだよなぁ」
「むむ、それはどーゆー意味かしら、あなた?」



 二人がお互いにお互いを思いやり、さらにそれを言葉少なに伝え合う。
 これでバックにジャズやしっとりとしたバラードが流れていれば、まるで何かの映画のワンシーンと言えるだろう。



「なに、心配いらないよ。なにせ僕達の子供達だからな」
「ふふ、とーぜんです♪」



 そんな、傍から見たらバカップルまっしぐら。子供達ですらその雰囲気に当てられてしまうほどラブラブっぷりが巷で有名な、高町夫妻、夜の一幕であった。







 
 

 結論からいえば、ジュエルシードはすぐに見つかった。
 ただし、できるならば外れてほしかったオマケも含めて。



「フェイトちゃん、お願い! 今回だけでいいの、そのジュエルシード、譲って!」
「代わりに封印状態のヤツ上げるからさ!」



 市内の十字路。アリサやすずかちゃんの通う塾からそう遠くない道路は、高町が張ったユーノ直伝の〝封時結界〟とやらの御蔭で人っ子一人、車一つ見当たらない。普段の外灯煌びやかな世界が、ちょっとだけ色合いをおかしくしたような不思議な空間が広がっている。
 なんでも、指定対象物以外を位相空間に閉じ込めてしまう系の魔法で、ここで起きたことは現実世界ではなかったことになるとかなんとか。改めて魔法すげー!と思った。俺も魔法使いたいよー。
 ちなみに、本来はユーノの専売特許らしき魔法なのだが、高町一人の時にジュエルシードの発動にはち合わせることが多いことから、ユーノが急遽教えてくれたらしい。まぁ、今回みたいなこともあるから、備えあれば憂いなし、ってやつなのかもな。
 そして、結界を張ったということは、ここにジュエルシードがあったということ。ついでに、既にそこには封印準備一歩手前のフェイトもいましたとさ。
 無論、即座に待ったをかけての交渉ですよ。



「フゥハハー! まどろっこしいのは嫌いだ! 最初っからクライマックスだぜ! さぁ高町、ブツの準備だ!」
「いえっさーぼす!」
「えーと……トキヒコ、だよね?」



 冷や汗を流して、なんとも不安げな様子で俺を呼ぶフェイト。いや、むしろ確認の意味合いが強いのかもしれない。
 そりゃそうだろう。こないだ会った時の印象そのままなら、ハイテンションになってはっちゃけている今の俺を見て同一人物だと思うには無理がある。
 後ろでは鬼ー様が呆れてるし、美由希さんと忍さんは俺のはっちゃけっぷりに唖然としていた。
 ちなみに高町はフェイトと再会できたことが嬉しいらしく、ノリが少し俺寄りである。



「無論のばっちこーい! そう、俺様が本田時彦九歳、聖祥大付属小等部三年のナスティボーイさ!」
「私、高町なのは! ほんだくんと同じクラスで、駆け出しの魔法少女やってます!」
「……止めなくていいのか、アレは」
「まぁ、ここは時彦君に任せてみましょう。どうやら、二人は知り合いみたいだし」
「ていうか、二人とも物凄いハイテンションだね」



 大人組に多大な期待を寄せられているようですが、残念なことにフェイトの方は事態の流れについていけずにしどろもどろと大慌てしているので、みんなが期待しているようなスムーズな流れにはならずにいる。あたふたと「えと、あの……アルフ、どうしよう!?」とか傍のねーちゃんに聞いてるあたり、よほどテンパってるらしい。
 ひとまず、即座に「貴様等に名乗る名は無い!」とか返してこなくて安心だな。一時はこの世界のマイラバーなんじゃないかと勘違いしていたが、この反応を見る限りそんなことは絶対にない。いやーよかったよかった。

 

「さぁ、返答はいかに!?」
「そうだねぇ……」



 相談がまとまった頃を見計らって声をかけると、フェイトの代わりに隣に立っていたバインバインのねーちゃんが前に進み出た。
 じんわりと空気に溶け込むような光に照らし出されたねーちゃんの髪は、燃えるようなオレンジ色で、おまけににやりと笑うその口元からは、滅茶苦茶おっかない犬歯が見え隠れしている。
 ……もしかしてこのねーちゃん、実は人狼だったりなんだったりするんじゃなかろうか。俺を見る目が捕食者のそれなんですがどういうことなの。
 間違いなく、喧嘩を売っちゃいけない相手に交渉を持ちこんだことに今更ながらに気付いて、ここは大人しく恭也さんか美由希さんあたりに交渉を任せた方が良かったかもと、内心がくがくぶるぶると震える俺である。
 そんな俺の内心を読み取ったのか、ねーちゃんは更に楽しそうに笑みを歪めると、俺を見ながら舌なめずりをした。


 
「――――アンタらをぶちのめして、ジュエルシードを全部頂くってことにしようかしらね!」
「残念、交渉決裂しましたー!」
「あの、今回だけ、どうしても見逃してもらえませんか!」
「アンタ達の事情なんて知ったことじゃないよ! こっちはジュエルシードが集まれば文句ないんだ!」
「あ、アルフだめだよそんな喧嘩腰じゃ」



 問答無用という雰囲気ばりばりである。犬歯をむき出しにしてストレートな喧嘩腰で怒鳴るねーちゃんの隣で、フェイトがおろおろしていた。あぁ、フェイトも事態についていけてないのね。まぁ、その戸惑いの大部分は俺のせいなんだろうけど。
 こないだ遊んだ時、あいつの根はとんでもなく良いヤツだっていうのはよくわかってる。きっと、本心では俺の願いを聞いてあげてもいいかも、なんてお人よしなことを考えているに違いない。
 ……うまくすれば、本当に物々交換で穏便に話が済んだに違いないのに、隣のねーちゃんのおかげでぶち壊しだ。フェイトとは違って、滅茶苦茶気性の荒いぼんきゅっぼんである。アレか、もしかして短気ってやつはおっぱいの大きさに比例するのだろーか。いや、普通は反比例だろ。貧乳ツンデレの短気こそが最強と前世で聞いたことがあるし。



「なんか不埒なこと考えてやしないかい、そこの坊主」
「いーえー! そんなまさか!」



 じろり、と怖いねーちゃんに睨まれる。……何故に女性方はこの手の事に関してはこんなにも勘が鋭いのでしょうか。ずるいと思います。



「……仕方ない。ならば、力尽くで奪わせてもらおう」
「やっぱりこうなるのね……。本田君ー、もうちょっと交渉がんばってよー」
「本田さん、ちょーがんばりましたっ! 俺、めっちゃがんばりましたけど無理なモンは無理です! あのねーちゃんマジ怖いっ!」
「失礼なガキだね。ガブッとしちゃおうかね?」
「ひぃっ!?」



 ガチン!と歯をかみ合わせて威嚇するねーちゃん。ついでに舌なめずりも忘れないあたり、人を脅すことに慣れが見えます。そしてその慣れっぷりがどことなく懐かしい。……なんでフェイトの周りってこー、俺のマイラバーを思い出させるような〝現象〟が多いんでしょうか?
 


「あ、あの!」
「なのは?」
「少しだけ、お話しさせてください! 」 



 一歩、俺達よりも前に出た高町が、声高らかにそう言った。
 両手で杖を握りしめ、煌びやかな街明かりに照らされた頬を少しだけ紅くして、俺のクラスメートは金髪の女の子を見つめている。
 そんな、本当にどこかの小学生の場違いな発言に、その場にいた全員が毒気を抜かれた。
 今まで敵意むき出しで俺達を睨みつけていたねーちゃんも、ぱちくりと瞬きしながら高町を見つめている。
 そして、フェイトも、突然大声を張り上げて前に進みでた高町を見て、呆気にとられているようだった。
 こちらからは見えないけど、間違いなく真剣な表情でフェイトを見つめているであろう高町に、なにがなんだかわからず戸惑うフェイト。このまま放っておいたら太陽が上りそうなので、仕方なく助け船を出してやることにする。



「……あー、フェイト。そいつ、俺が前言ってた友達の一人。通称、漢字は滅べばいいの」
「違うもん! わたし、高町なのは! そんな変な名前じゃありません!」
「なに、高町なのはみたいな変な名前じゃありません? そうかそうか自分の本名を否定するとはさすがだな漢字は滅べばいいの」
「うにゃー! 怒るよほんだくん!? レイジングハート、ディバインシュータースタンバイ!」
「ぎゃー!! ちょ、ちょっちょちょーっと待ちましょう高町のおじょーさん! すんませんでした! いやもうまじ生言ってごめんなさい高町なのはってすてきななまえだよねそうだよねって同意しろフェイト!!」
「ふぇ!? わ、わたし!?」
「ご、強引すぎる……っ」



 だまらっしゃい漢字は滅べばいいの。滅茶苦茶強引だと言うのは自覚してるのだよ。



「えと、うん。良い名前、だね?」
「ほんとに!? わたしも、フェイトちゃんの名前素敵だと思うよ!」
「あ、ありがとう」



 ぽっ、と。街灯に照らされていてもわかるくらいはっきりと、フェイトが頬を赤らめた。ぎゅぅとその手に持っていた斧を握りしめたのか、ちゃきり、と軽い金属音が耳朶を叩く。
 車一つない、喧騒一つない世界で、二人の少女の言葉が交わされる。
 いつから魔法を使い始めたのか。空を飛ぶことは好きか。この街で暮らしているのか。そして――――何故、ジュエルシードを集めているのか。



「フェイトちゃんは、なんでジュエルシードを集めるの? 理由があるなら、ちゃんと教えてほしいよ。理由が分かれば、わたしにも協力できることがあると思うから!」
「……そんなの、意味がない。言っても、きっとわかってもらないから」 
「やってみなくちゃわからないよ!」



 一際大きな、恐らく俺が知っている中で最上級の高町の怒鳴り声が、空気を一変させた。
 息をのむ声が聞こえたので少しだけ振り返ってみると、鬼ー様と美由希さんが驚いたように軽く目を見開いている。
 ……あぁ、そうか。高町の奴が怒鳴るなんて、珍しい姿だから仕方ないのかも。
 俺は一度、こいつと盛大にやらかしたことがあるから知ってたし、今までも結構な回数で怒られたりもしたから、何度か高町の怒鳴りを聞いている。けど、普段は良い子ちゃんの高町のことだ。家族の前では滅多に――――いや、下手をしたら一度も怒鳴ったことなんてないのかもしれない。
 そんな姿を知らない鬼ー様と美由希さんからすれば、今の高町の態度はまさに青天の霹靂だったのだろう。まさか、あの大人しい妹が、と思っているに違いない。
 けど、そんなのはただの勘違いだ。こいつは怒鳴るのが圧倒的に少ないだけで、怒るときはきっちり怒り、相手の間違いを指摘する時はむかつくくらいに正論を叩きつけてくる。その姿が、まさに今の状態である。



「無理だとか、できないからとか、最初から諦めて何もしないままでわかることなんてないよ! 誰だって言われなきゃわからないし、教えてくれなきゃ考えることもできない。だから相手とはしっかり〝お話し〟なさいって、わたしのおかーさんが言ってた」
「……そう」



 でも、フェイトは取り合おうとしない。いや、わざと差しのべられた手を見ないようにしてるんだ。
 脳裏に、あの日のフェイトの言葉が蘇る。

――――だから、言わない。トキヒコは優しいから、きっと困る。

 アイツは、フェイトは馬鹿みたいに優しい。そして、かなり頭が良い。
 きっと、自分が今やっていることは悪いことなんだって理解しているんだろう。だからこそ、それに巻き込むことになってしまうのを恐れて、高町の言葉や俺の誘いを断ってるんだと思う。
 それが、ただ自分達だけの力で物事を解決し、憎まれても嫌われても構わないと言う、同い年にしては異常すぎるフェイトの決意なんだと、俺は今更ながらに確信した。



「でも、ごめんなさい。やっぱり、あなたには関係がないから」
「フェイトちゃん……っ!」
「タイムアップだ、高町。今回はここまでにしておけ」
「でも!」
「今のアイツに何を言っても無駄だよ。どーにもあの野郎、俺の知り合いに似ててさ。あぁなったら、十中八九梃子でも自分の意思曲げねぇぞ」



 きつく口を引き結んで、胸元に斧を抱き寄せるフェイトの姿を見据えながら、俺は全く似たような仕草をしていたマイラバーのことを思い出した。
 あの時はたしか、なんだったっけ――――あぁそうそう。確か学校でイジメに遭ってて、それを問いただそうとした時だったか。まるで貝みたいに口を閉ざして黙秘権行使してきやがったんだった。
 そうなった場合、その場ではどうにもならない。何か心境の変化を起こさせるなりしなければ、天岩戸は開かないのだ。



「とりあえず、この場は無理やりにでも奪おう。話し合いは次回に持ち越しだ」
「――――わかった。今はすずかちゃんを助けることが一番だもんね……」
「お前にしちゃものわかりがよくて助かるよ。申し訳ないが、フェイトとお友達作戦は一時中断だな」
「うん。でも、次は絶対に成功させるもん」
「その意気だぜ」



 高町も、今はすずかちゃんの事が心配なのは同じだ。ここで無理やりフェイトの説得を続けるよりも、一刻も早くすずかちゃんを助けることを優先するのは、多少心苦しいかもしれないが、仕方がない。
 ……で、今ちょっと気付いたんだけど、今のやり取りってまるっきり戦隊もんの悪役側だよね。そして今からやろうとしていることも、なんだか傍から見たら悪役のソレっぽいような――――おお、ひこちんなんだかドキドキしてきました。



「てわけで、ブツは頂いていく!」
「させるかっ!」



 俺が飛び出すのと、オレンジのねーちゃんが飛び出すのはほとんど同じだった。
 多分、俺の行動をしっかり予測してたのだろう。動きに迷いがなく、おまけに一直線にジュエルシードに向かって走っている。
 距離的にはあっちのほうが近い上、体格差が大きすぎる。ていうか、足の速さがおかしい。明らかにアレは鬼ー様レベルだ。俺の脚じゃ絶対に間に合わないぞこれ!?
 わかりきった未来を想像して、悔しさで臍を噛む。だが、それで諦めるようなら、最初っからこんな無謀な事をしようとは思わないんだよ!



「ふっ――――!」



 オレンジのねーちゃんが、ジュエルシードまであと数歩という時だった。
 対して俺はまだまだ10メートルは離れていて、絶対に間に合わない絶望的な距離だ。
 突然、後ろで風が唸ったかと思うと、俺の耳をかすめるようにして何かが一直線に飛んでいく。
 同時に、街灯に照らされたからなのか、空間の中にきらりと〝何か〟が煌めくのを見た。
 次の瞬間には、その〝何か〟はジュエルシードへと届き、


「なっ!?」
「悪いけど、手段を選んでる余裕がないからね」


 
 しゅるるっとその〝何か〟は、まるで生き物のようにジュエルシードを掻っ攫うと、再び俺の耳の傍を通って後ろへと帰っていく…………って、はぁ!?



「ジュエルシード、ゲットだぜ!――――ってね?」



 慌てて後ろを振り返れば、ぺろりと舌を出したお茶目な笑みを浮かべている美由希さんが、右手にきらりと光る青い石を握っていた。
 確かめるまでもない。アレは、ついさっきまで道端に落ちていた、まさに俺とオレンジのねーちゃんが取り合っていたジュエルシード!?
 見れば、反対の手にはカギ爪のような何かを握っている。どうやら、アレをスリングのように使って拾い上げたらしい。なんつー離れ業を……。さすが戦闘民族高町、やることのレベルがハンパねぇ。



「ほい、なのは」
「わ、わとと!」
「それを、渡せぇええええ!」



 迷わず手に持っていたジュエルシードを高町にパスする美由希さん。突然のパスに、高町は慌ててそれをキャッチする。
 その瞬間を狙って、それまで突然の事態に呆然としていたねーちゃんが、再び獣のように飛び出す。



「悪いが――――ここは通さん!」
「うわっ!?」



 だが、それもまた予想外の乱入者に阻まれた。
 わき目も振らずにジュエルシードへと突撃するねーちゃんの足に、またしても街灯に照らされてちらっとしか見えなかったが、とても細い糸のようなものが巻きつき、その足を文字通り掬い上げた。
 危なく顔面からずっこけそうになったねーちゃんは、しかし本来持つバカみたいな運動神経のおかげなのか、咄嗟に片腕を突いて転倒を免れると、空気を読まない不届きモノは誰かと後ろを振り返る。
 そこには、黒い革の手袋を嵌め、その手に糸と思しきものをを巻き付けて力の限り引っ張っている鬼ー様の姿があった。
  


「美由希、月村達を連れて先に帰れ。ここは俺が足止めする」
「足止めって、本気ですか!?」
「問題ない。この程度なら、俺一人で十分だ」



 ギロリと、鷹のような眼光でねーちゃんを睨み据える鬼ー様の姿に、俺はいつぞや感じた寒気を覚える。
 いつでも動けるぞと言う無言の圧力と、絶対にここを通さないと言う覚悟が伝わってくる。
 敵に回すと恐ろしいが、味方にすればこれ以上頼もしい味方はいないだろう。実際に鬼ー様の恐怖の片鱗を味わった俺からすれば、まさに地獄に仏の如き頼もしさだ。
 ならば迷う事はない。ジュエルシードを持った高町とそれまで事態の推移を無言のまま見守っていた忍さんの腕を取って、俺は一目散にその場を逃げ出す。
 この場は、下手な事をしないで、自分にできることをすべきだ。すなわち、一刻でも早く月村邸に戻って、すずかちゃんの様子を見てもらってるユーノに処置をしてもらった後、ジュエルシードを発動するのが俺の仕事。
 だったら、三十六計逃げるに如かずだろ!



「美由希、三人を頼むぞ!」
「おっけー恭ちゃん!」
「くっ! フェイト、ここはアタシに任せて、あいつらを追って!」



 こうなったら、こっちが逃げ切るかあいつらが追いつくかの鬼ごっこだ。
 鬼ー様が足止めをしてくれると言うのなら、これ以上のガード役はいないだろう。おまけに美由希さんが護衛をしてくれるのであれば、追手がフェイトであっても逃げ切れる算段は十二分に立つ。
 ねーちゃんの言葉に突き動かされて、フェイトの奴も慌てて動き出す。だが、初動が遅い。この勝負、もらっ――――「待って、私は残るわ」―――はい!?
 するりと、俺の手をすりぬけて立ち止まった忍さんは、突然そんな訳のわからないことを言いだして、鬼ー様の方へと向かおうとする。
 それを慌てて引きとめる俺達。しかし、忍さんはまったくもって言う事を聞いてくれそうになかった。



「ちょ、忍さん!?」
「私がここにいた方が、成功した時にわかりやすいでしょう?」
「でも、危険ですよ!」
「大丈夫よ。こう見えてすずか、すごく強いんだから」
「いやいやいや、小学校三年生ですよ何言ってんですか!?」



 確かにすずかちゃんの運動神経はやばい。このまま順調に成長すれば、間違いなく忍さんみたいな超高校生級になれるだろうけれど、それと今は別だ。
 あくまですずかちゃんは俺と同い年であり、魔法少女でもなければ筋肉超人でもましてやノスフェラトゥでもない、まだか弱い小学校三年生なんだから。例え元の忍さんが超人的であろうと、今の肉体がすずかちゃんのソレならば、あんな鬼ー様級のサーカス人間とタメなんて張れるはずがない!



「心配しなくても大丈夫よ。いざとなれば、高町君が守ってくれるもの」
「議論してる暇、ないよっ!」
「うわっ!?」



 いつものすずかちゃんのように忍さんがにっこり笑うのと、空から突然黄色い槍が降ってきて、それを美由希さんと高町が弾き飛ばすのはほとんど一緒だった。
 フェイトの野郎、容赦無しだなおい!?
 しかし、今さりげなく高町の奴、美由希さんとほとんど同じタイミングで防御してたような……? 
 まさか、ここ数日の高町式特訓の成果だというのかっ! げに恐ろしきは戦闘民族高町よ!



「フェイトちゃん!」
「絶対に、ジュエルシードは渡さない!」
「なんか俺達悪役っぽくないですかこの状況!?」
「走るよ、本田君!」
「ちょ、美由希さん! 忍さんは――――!」
「恭ちゃんを信じる! 今この場で時間を食う方がダメでしょ!」



 俺の手をひっつかんで、素早く反転して走り出す美由希さん。
 高町も、フェイトに向かって魔法の弾を牽制としてばら蒔きながら、俺達についてくる。
 結局、忍さんはその場に残ってしまった。
 美由希さんに手を引かれながら最後にちらりと背後を振り返ると、いかにも余裕そうな表情でこちらに手を振るすずかちゃん――――もとい、忍さんの姿が見えた。
 それがまるで、いつもの学校で別れる前のすずかちゃんに見えてしまい――――胸が、苦しくなった。
  
 
 
 







 時彦と美由希、そしてなのはがフェイトという追手を引きつれてこの場からいなくなってから数秒。
 十字路のど真ん中で、高町恭也と月村すずかの体に乗り移ってしまっている忍、そしてフェイトの使い魔である、燃えるようなオレンジ色の髪をした妙齢の女性――――アルフは、互いに中央で睨みあっていた。



「アンタら、いったいなんなのさ。あのちっこい魔導師の仲間なのはわかるけど、なんでそんなに肩入れするんだい?」



 酷く苛立たしげに、アルフは目の前に立ちふさがる男と少女を睨みつけた。
 しかし、そんなアルフの殺意にも似た圧力の込められた視線を受けても、男は眉ひとつ動かすことなく、柳のようにそこに立っている。傍でゆったりと立つ少女も、同じくらい余裕な表情だ。それがまた、アルフの神経を逆撫でしてならない。
 今にも髪付いてきそうなほど険悪な雰囲気をまき散らしているアルフの言葉を受けて、それまでじっとアルフを見据えていた恭也は、すっと身を低くして構えを取りつつ、答えた。



「――――高町恭也。なのはの、兄だ」



 外面を変えることなく、なるほど、とアルフは内心で得心する。兄妹か。それならば納得できる。
 となれば、隣の少女はあの魔導師の友人か何かか。それにしては、やたらと大人びた風な喋り方だったのが気になる。
 だが、どちらにしろもうこれ以上まどろっこしいことをする必要はない。この二人を蹴散らして、すぐにでもフェイトを追いかけなければならないのだから。
 アルフはそれまで隠していた耳と尻尾を露わにすると、恭也に対抗するようにして軽く構えを取った。
 構えといっても、格闘家が取るようなそれではなく、むしろ自然体に近い、狼が獲物にとびかかる寸前といった表現が一番しっくりくるような前傾姿勢である。
 


「ふふ」
「……あン?」



 癇に障る、笑い声が聞こえた。
 見れば、男の隣に立つ少女がくすくすと笑っている。むかつく笑い方だ。かすかにこちらをバカにしているような態度が見て取れる。
 素体が狼のアルフだからこそ感じ取れた、僅かな機微だ。同時に、その鼻につく笑い方が途方もなく頭にくる。



「さっきからナニうざったげに笑ってんのさ。まずはアンタから噛みちぎってやろうかい?」
「あら、気に障ったならごめんなさい? だって、あまりにも可愛いから、つい」
「……はぁ?」



 こいつは何を言ってるんだろうか、とアルフは本気で少女の頭を心配した。
 ともすれば殺気とそう変わらない気圧をぶつけられていると言うのに、その発信源である自分を可愛い?
 もしかしなくとも、頭のねじが少々緩い少女なのだろうか。
 腰まで届く、毛先が少しウェーブがかった夜色の髪に、育ちの良さそうなお嬢様然とした振る舞い。しかしながら、その所作の一つ一つに見た目の年齢にそぐわない〝大人っぽさ〟が垣間見える。それが不自然なアンバランスとなって、アルフからしてみればずっと喉の奥に魚の小骨が引っ掛かっているような違和感として感じられた。ホントにこいつ、あのちびっ子の友達かい……?
 得体のしれない不安が、アルフの本能をじわじわと突いてくる。
 油断の出来ない相手なのはもちろんだが、それ以上に、隣の男以上に感じるプレッシャーが大きい。



「自己紹介が遅れたわね。今は事情があって体が違うんだけれど、私は月村忍。隣の高町君の、その、えーと……い、許嫁」
「……月村、照れるなら無理に言わなくてもいいのでは」
「大事な事だから言わないとだめでしょ! もう、そういうところは鈍感なんだから!」
「そういうものなのか?」
「そういうものなのです」
「そうか」



 ……本当になんなんだろう、この二人。
 しかし、どちらにせよこの二人を倒して先に進まねばならないのは事実だ。
 アルフは拳をきつく握り締めると、犬歯をむき出しにして再び威嚇した。



「ごちゃごちゃうるさい! そこをどかないっていうんなら、悪いけど怪我してでもどいてもらうよ!」
「……煩いのはそっちでしょ? 少し黙りなさい、犬っころ」



 踏み出した足を、アルフは反射的に止めた。
 少女から発せられる雰囲気が一変した。
 それまでの、どこかアンバランスだった雰囲気とは違い、今はまるであの鬼婆のような重く心臓を締め付けるような重圧を感じる。
 温和な笑みは、隣の男以上に鋭く怒りのこもったそれに代わり、フェイトと同い年くらいの外見とは遥かにかけ離れた人外の如き畏怖を、強制的にアルフの本能に叩きつけてきた。



「こっちにも妹を助けなきゃいけないっていう理由があるの。それを邪魔するっていうのなら――――」



 少女は、依然としてこちらを睨みつけたままだった。
 だが、アルフはそれ以上の足を踏み出せない。
 少女を狙えば男に狙われ、男を狙えば、少女に狙われる。
 具体的なヴィジョンは何一つ見えないが、しかし確実にそうなるだろうという未来が、本能で理解できる。
 そして、そんな風に本能と理性がせめぎ合うがために、一歩を踏み出せないでいるアルフを見つめながら、忍は薄く笑った。



「いいわ、少し遊んであげる。かかってらっしゃい――――――――子犬ちゃん?」



 アルフの本能の警告すら塗りつぶしたその言葉が、ゴングとなった。










 
 恭也さんと忍さんが残った方面から、なんだか物凄い怒声が聞こえてきた気がする。つーかなんか爆発しませんでしたか?



「ん……もうっ!」
≪Flash Impact≫
「くっ!」



 あぁ、俺の後ろの方でまさに爆発が起きてましたね。
 ちらりと振り返ってみると、あわく光る杖と死神の鎌のように変形した斧をぶつけあう少女二人の姿が見えました。
 俺が先頭を走りながら、その後ろを美由希さん、高町が並んでいる。あ、もちろん高町の奴は上を飛びながらフェイトの攻撃を迎撃したり、上から襲ってくるのを追っ払ったりと大忙しだ。危なそうなときは美由希さんが糸やら飛針やらで援護している。
 しかし、フェイトの攻撃も熾烈を極めてきていた。
 結界が張ってあるから良いものの、ユーノのそれと比べれば範囲、強度共に数ランクも下回るらしく、あまり派手な攻撃ができないのが、完全にフェイトを追っ払えないでいる遠因と言えた。
 再びフェイトが黄色い槍みたいなのを飛ばしてくるが、高町が俺達の上にくると丸い魔方陣みたいなのを広げて防御してくれる。
 ……今日初めて高町の魔法を使った戦闘を見たけど、こりゃアレだな。さながら軽量高機動型と重量高火力型の典型的なバトルだ。
 フェイトの奴はちょこまかと動き回って近接戦闘を決め手にしてるみたいだけど、高町の奴はその真逆。機動性はフェイトと比べると全然低いけど、一発一発の威力が見た目で分かるくらいにでかい。つーかこの間の学校で見た一撃といい、こやつもしかして月からマイクロウェーブでも受信してるんじゃなかろうか。



「お願いフェイトちゃん、どうしても今回だけ見逃してほしいの!」
「……っ!」
「私の大切な友達が大変なの! 助けるために封印してないジュエルシードが必要で、でも成功するかどうかもわからないから――――!」
「私には、関係ないっ!」
「フェイトちゃん!」
「私は、ただジュエルシードを集める! 邪魔をするなら、容赦はしない!」



 苛烈なフェイトの攻撃が、ついに高町の奴を抑え込み始めた。
 的確な単発の槍の射撃から、高速移動からのクロスレンジ攻撃のコンビネーション。無駄のない流れるような連携に、隙のない行動はそれだけで経験不足の高町にとっては大きすぎるハンデだろう。
 時折振り返って様子を見るけど、明らかに攻撃するよりも攻撃を受ける方の回数が多くなっている。このままじゃジリ貧なのは間違いないだろう。



「……本田君、君はこのまま先に行って。ここは私が食い止めるよ」
「なんでみんなしてどこかのヒーロー漫画みたいな展開始めるんですか! つーかあんな空中浮いてるヤツに対してなんも出来ないでしょうに!」
「ふっふっふ……甘いわね。例え相手が空を自由に飛び回る敵であっても、戦い方次第なの――――よっ!」
「うわっ!?」



 美由希さんが、走りながら唐突に背後を振り返りながら左手をふるった。
 その左手から延びるのは、つい先ほどみたあのスリングのようなもの。半ばやけくそのように投げられたように見えたソレは、しかし気味悪いほどぴったりとフェイトの右足に絡みついた。
 空中を激しく動き回る人間の、それも狙って足を絡め取るなんて、もはやただの人間がやれる技術の範疇を超えている。この世界における俺の人生の中で、今日は間違いなく人生最大規模の人間サーカスデイだ。美由希さんなら、将来間違いなくオリンピックで金メダルを総ナメできるに違いない。
 そのまま美由希さんはその手に巻きつけたワイヤーを引っ張ると、今まさに高町にきりかかろうとしていたフェイトの姿勢を思いっきり崩させた。
 空を飛ぶことにも意識しなければいけないのか、突然体を引っ張られ意識外の衝撃を与えられたフェイトは、そのまま浮力を失ったように地面へと落下する。
 あわや地面に激突というところで体勢を立て直し、結構激しい音を立てて着地したフェイトだったが、既にそれは美由希さんの術中にハマった後だった。



「くっ、こんな―――!?」
「よそ見してる暇、ないよ!」



 光の刃と、鋼の刃が鍔競り合う。
 恐らく本当に斬るつもりはないだろうけど、それでも腰に下げていた日本刀を抜き放った美由希さんは、俺ですらいつ動いたのかわからない程の速度でフェイトに迫ると、その動きを制限するように斬りかかっていた。
 無論、黙ってそれを受け止めるフェイトではないが、美由希さんが絡ませた脚のワイヤーがいつのまにか近くの電信柱に結わえられてしまっていて、思うように動けない。そのため、やむなくその手に持っていた黒い斧で美由希さんの攻撃を受け止めるしかなかった。
 ……マジで空中にいた人間を引きずり落としたよ、美由希さん。
 破天荒と言えば破天荒で、しかしそれを平然とやってのけるおねーさんの姿に痺れるっ、あーこがれるぅっ!



「ぼーっとしてないで! なのは、本田君連れて先に行って!」
「だ、だめだよお姉ちゃん! 魔導師相手に勝てるはずないじゃない!」
「……あーあ、普段の行いなのかなぁ、やっぱり」



 たははー、と珍しくメガネを取った姿で、美由希さんは苦笑いする。
 そのまま間断なくフェイトに攻撃をしかけ、またもやどこから取り出したのかわからないワイヤーでフェイトの足を縛り掬いあげる。意地でも空中に逃がさないと言う気構えが、その戦いから容易に見て取れた。
 


「今ジュエルシード持ってるの、なのはでしょ? そして、それを使うのは本田君。だったら、二人が戻らないと意味がないじゃない」
「でもっ!」
「いいから。たまにはさ、お姉ちゃんを頼りなさい。ね?」
「……お姉ちゃん」



 それは、普段の美由希さんからはあまり想像できないような、とても自信に満ち溢れた言葉だった。
 確かに美由希さんは剣術をやってるし、とんでもなく強いことは俺も知ってる。でも、普段はぽやぽやしてて、料理が壊滅的にダメで、しかも結構ドジな所があるお茶目なねーさんだ。
 そんなねーさんが、俺と高町の前に立って守ってくれている。
 それはとてもとても珍しい、意外にもかっこいい背中で――――だからこそ、美由希さんが本気なんだと思い知る。
 きっと、それは高町も感じているに違いない。
 俺の近くに飛んできた高町は、戦う姉の後姿を見つめるだけで、それ以上動けずにいた。
 このまま任せるべきか、それとも自分が介入するべきか。
 横顔を見れば、このポーカーやババ抜きが絶望的なまでに苦手なアホの子の考えていることなんてすぐわかる。
 同時に、この馬鹿がまたしても〝悪い癖〟を発揮しているのが明白過ぎて、思わず溜息をついてしまうほどだった。



「……はぁ。おい、馬鹿町」
「ば、ばか……っ!? ひどいよほんだくん! いくらなんでもそれはあんまりじゃないかな!?」
「うるせぇばーかばーか。あの喧嘩の時から何一つ変わってない馬鹿にはそんな名前でじゅーぶんです!」
「え……」
「自分で〝言わなきゃわからないことがだってある〟とか言っておきながら、肝心の自分が何にも言わないんじゃ、説得力皆無ですよねー」
「――――!」
「あーんなに未練たらたらで戦ってたら、そりゃー美由希さんも心配になるでしょーよ」
「うぅ……」
「まだ説得したいんだろ? ったく、だったら最初っからそう言えよ。無理やり切り上げさせた俺が罪悪感感じるだろ」
「……それはないと思うけど」
「あァン?」
「なんでもないですっ」
「……つーわけで、ジュエルシード寄こせ。別にお前の力なんてなくったって、俺一人で月村さんは助けられる――――いや、助けるんだ」
「ほんだくん……」



 ユーノと忍さんの話では〝ジュエルシードを活性状態でありながら封印状態であること〟が一番大事らしい。そして、その状態でジュエルシードが発動すれば、別に封印処置をしなくても安定したままとも言っていたので、その場に絶対に高町がいなければならない、というわではないはずだ。
 無論、失敗すれば何がどうなるかなんてわかったもんじゃない。最善策を取るならば、高町は俺と一緒に来るべきなんだろう。
 ……でもなぁ。こんな未練たらたらの奴連れてってもなぁ。むしろ、邪魔?



「何かありゃユーノがいるんだ。必ずしも、お前が俺の隣にいる必要はない」
「……」



 嘘だ。
 ユーノじゃ、ジュエルシードが暴走した時止められない。それは、アイツ自身がはっきりと明言していた。
 ソレを知らない高町じゃないし、ましてや忘れているはずなんてない。だから、今まで封印は高町がやってきて、ユーノはサポートに徹していたんだから。
 だから、本来なら高町は俺と一緒にすずかちゃんの所に行って、万一に備えるべきなんだ。何が起きてもいいように――――あるいは〝失敗してもいいように〟。
 でもさ、なんだかそれって、負け組みな思考じゃね?
 ようはそれって、俺が失敗すること前提、みたいな考えじゃん。ふざけんなよ。俺の初恋無礼んな。小学生のピュアでドキドキなハートバカにすんじゃねぇ。
 腹立つだろ。まるで俺の恋心否定されたみたいで。俺の器勝手に決め付けられたみたいで。俺の――――〝俺はすずかちゃんが好きだ!〟って気持ちは、その程度なんだって馬鹿にされたみたいでよっ!! 
 


「絶対に成功させる! お前がいなくても、ユーノがいなくても……俺が、絶対に成功させて見せる! だからっ!」



 それに、だ。
 俺は美由希さんと互角にやりあう金髪の少女をみやった。
 何回見ても、何回思い返しても、そっくりすぎるよ。そっくりすぎて、でも別人なのは間違いなくて……だからこそ、手を差し伸べてやれない自分が歯がゆくてならない。
 できるならば、俺がこの手でどうにかしてやりたい。マイラバーに似たあのお人よしのわからず屋を、ひっぱたいてやりたい。
 でも、無理なんだよな。それはどうやったって、無理なんだ。
 いくらフェイトがマイラバーにそっくりで、その今にも泣きそうな顔をどうにかしてやりたくても――――今の俺には、無理なんだ。
 俺は俺自身のことを俺なりによく理解しているつもりだ。
 俺はどこかの英雄でもなければ、なんでもできる天才でもない。ただ、二回目の人生をやっている、それ以外はどこにでもいるような小学校三年生で、でも自分の好きな誰かのために必死になれる、そんなありふれた弱いガキンチョだ。そして、その〝大切な誰か〟は、一度に一人までしか選ぶことが出来ないことも、知っている。
 だから、任せるんだ。
 一度本気で殴りあって、互いに腹の底を割って罵りあって、こいつなら大丈夫。こいつなら任せておける、って確信したこいつだから。 
 いつもはドジでアホで漢字が苦手で、でも最近妙に手が出るのが早くなってヒエラルキーが地味に俺より上回ってきてて、しかもクソ度胸まで座ってきたうえに高町式訓練法で運動音痴もほんのちょっぴり治ってきた〝親友の一人〟であるこいつを――――信頼してるから。

   

「だから、あのバカな〝ダチ〟を頼む」
「……ほぇ?」
「さっきはあきらめろなんて言ったが、ありゃ撤回だ! あのわからず屋で今にも泣きそうなさびしんぼを殴りつけて言ってやれ! 〝私とアンタは友達だ!〟って!!」
「――――うんっ!」



 高町が思いっきり頷き、その杖から先程しまったばかりのジュエルシードを取り出すと、俺に差し出した。
 俺はそれを無言のままに掴みとり、何も言わずに踵を返して走り出す。
 これ以上、言葉は必要ない。高町の奴は、一度決めたことは必ずやり通すし、そこに俺が心配するような要素など何一つないのだから。きっと、後で美由希さんに怒られるだろうけれど、そんときはそんときだ。素直に謝っちゃおう。
 それよりも、俺にはやらなければならないことがある。
 たった一人の好きな子のために。
 傍から見ればバカでアホで信じられないような愚策をやらかしているように見えても。
 俺は俺が最善だと思ったことをする。そして――――――必ずすずかちゃんを元に戻して見せる。
 そのためにも、俺は決して後ろを振り返ることなく、近くにあったママチャリを〝拝借〟して全力でペダルを漕ぎ出すのだった。









 時彦が結界外に飛び出して行ってすぐ、なのはは美由希とフェイトの間にディバインバスターを放った。
 突然の乱入者に、先に争っていた美由希とフェイトの二人は、お互いに距離を取りながら乱入者――――なのはの方へと振り向く。



「な、なのは!? 本田君と一緒に行ったんじゃなかったの!」
「私、どうしてもフェイトちゃんと話し合いたい! だって、お互いにわからないまま戦うなんて、そんなの嫌だよ!」



 杖を抱え、美由希の近くへと降りてくるなのは。
 本当ならば、先に逃げた時彦と一緒にいるはずの妹の姿に、美由希は面喰っていた。
 そして、先ほどは時彦の言葉で諦めていた本来の目的を、やっぱり諦めきれずにいたことを知って嘆息する。
 一度決めたら梃子でも動かない頑固さは、お母さん譲りかなぁ。母桃子の家庭内での地位を思い出しながら、美由希は隣のちっこい妹をみる。
 その横顔は、美由希ですら感心するほど真剣で、無論、その視線は向こう側にいる金髪の少女――――フェイトへと注がれていた。
 なのはの力強い言葉と視線を受けて、フェイトはちゃきりと相棒を握りしめつつ、それを真正面から受け止める。
 フェイトとて、できればなのはと戦いとは思っていなかった。
 先ほど戦ってわかったことだが、あの女の子は自分に対して間違いなく手加減をしている。そして、こっちを傷つけるつもりもなければ、もとより戦うつもりなんてないことが、胸が痛くなるほど伝わってきた。
 それに加えて、彼女達は時彦の友達らしい。時彦の友達を傷つけたら、きっと時彦は悲しむだろう。フェイトにとってそれは、理由がわからない苦しみを覚えるほど不快なことであった。
 だから、なのかもしれない。
 これは気紛れだ。あるいは、もう今回の〝争奪戦〟が自分たちの負けだとわかったからかもしれない。
 とにかく、さっきまでは全く聞く気になれなかった少女の言う〝話し合い〟とやらに付き合ってもいいか、という気分になった。



「…………それで。君は私と何を話し合いたいの?」
「ふぇ?! お、お話してくれるの!?」
「…………」



 こくり、とフェイトは小さくうなずく。
 相棒のデバイスであるバルディッシュは構えたままだが、すでにフェイトの中の戦意はなくなっていた。
 なのははそんなフェイトの返答に喜びながら杖――――レイジングハートを待機状態にするが、美由希は警戒を緩めることなく、いつでも動けるように武器を握ったままにしておいた。



「えと、さっきも聞いたけど、フェイトちゃんはなんでジュエルシードを集めるの?」
「……母さんが必要としてるから」
「お母さん? ひょっとしてユーノ君とお知り合い?」
「……知らない、と思う」



 なのははここで一つの疑問を持った。
 ユーノの知り合いでないなら、どうやってジュエルシードのことを知ったのだろう?
 ユーノの話によれば、この世界にジュエルシードがばらまかれてしまったのは、輸送中の事故によるものだ、と言っていた。救難信号は出したものの、特定までには時間がかかるだろうし、なによりも転移先がこの〝地球〟だとわかるにはかなりの時間がかかるかもしれない、とも。
 だとすれば、事故の当事者以外に、この〝地球〟にジュエルシードがばらまかれてしまったことを知っている人達はいないはずだ。だけど、現にそれを察知してこの〝地球〟にやってきたフェイトがいる。……ううん、違う。〝最初から知っていた〟?
 なのはの中で、恐ろしい勢いで説得力がありすぎる仮説が組み立てられていく。もし今自分が考えていることが本当なら、フェイトがジュエルシードを集める理由次第では、本当に取り返しのつかない事態になりかねない。
 だから、なのははその質問をすることに、激しいためらいを覚えた。そうであってほしくない。こんないやな考えなんて、外れてほしい。
 そう祈りながら、なのはは不安を押し殺しながら、フェイトへと尋ねた。 
 


「じゃぁ……フェイトちゃんがユーノ君を襲ったの? ジュエルシードを運んでたユーノ君を襲って、奪おうとしたの?」
「……違う。私は、母さんに言われてこの世界にジュエルシードを集めに来ただけ」
「そ、そっか! そうだよね! はにゃぁ……よかったぁ~」



 ほっ、と心底安堵したように溜め息をつくなのは。よかった。本当によかった。
 だが、それは翻って、今回の事件の黒幕がフェイトの背後にいるかもしれない、ということに他ならないことにも気づいてしまう。その黒幕はおそらく――――。
 なのはは、それ以上考えることをやめた。今考えても仕方がないことだし、何よりも、フェイトがユーノを狙ってジュエルシードを狙っていたわけではないことがわかっただけでも、なのはは満足だった。
 一方、勝手に納得して勝手に安堵しているなのはの態度に、フェイトは疑問を深めるばかりである。
 なにが良かったと言うのだろう?
 そもそも、この子と自分の接点なんてないはずだ。いくらトキヒコの友達とはいえ、先程から親しげに――――いや、いっそ慣れ慣れしく接してくるこの少女の態度が理解できない。
 あまりにも不可解すぎるなのはの態度に、フェイトは疑問を通り越して不安すら覚え始めていた。
 あるいは、自分に近づいて協力体勢を築き、最後の最後で裏切るつもりなのだろうか? しかし、目の前の少女がそんな腹黒いことを考えているとは思えない。どちらかと言えば、それはさっきの怖い顔の男の人とか、トキヒコがやりそうなことだ。
 目的がわからない。ジュエルシードを集める理由も、こうして自分と話し合おうとする意味も。一体、なんなんだろう、この子は。
 


「なんで…………」
「うん?」
「なんで、君はジュエルシードを集めるの?」
「私? 私はユーノ君のお手伝いだよ。ユーノ君が運んでいたジュエルシードが事故に遭って、偶然私達の世界に落ちてきたんだ。それを集めるのを手伝ってるの」
「……そう」



 どうやら、気にしすぎただけらしい。今の返答だけで、この子がそれ以上の理由を持っていないことがわかった。



「あ、フェイトちゃん!?」
「今日は、これで引く。でも、次は容赦しないから」



 フェイトは、バルディッシュを待機状態に移行させて踵を返した。なのはが驚いたように声をかけてくるが、応えることはしない。
 今日はとりあえず引くとしよう。ここで戦っても不利なだけだし、なにより目的であったジュエルシードはトキヒコが持って行ってしまった。
 それは、フェイトにしてはいやにあっさりとした決断だった。本来ならば、ここでなのはを倒してでもジュエルシードを奪い、そして逃げたトキヒコを追うべきなのだが……なんとなく、今のフェイトはそんな気分になれなかった。いや、そんなことをしたくなかった。なんでだろう、と考えても答えは出ない。それが不思議で、フェイトは自然と自分でもわからないまま薄い笑みを零した。
 できるならば、次出会った時も、この子とは戦いたくないな……。
 それは、間違いなく偽りのない、今のフェイトの本心であった。
 飛び上がる前に、自身の使い魔であるアルフに念話を飛ばし、撤退する旨を伝えた。
 少し渋った様子だったが、なにせフェイト至上主義のアルフだ。結局は渋々ながらも撤退を受け入れてくれた。今暮らしているアパートで合流することにして、フェイトもやっとここから離れることにする。
 だが――――ふと、フェイトは歩を止めた。気になることがあったからだ。
 


「ねぇ」
「ふにゃ? な、なにフェイトちゃん?」
「……」



 振り返って見た少女は、驚いた表紙にそのツインテールをぴこんと揺らして身を固くしていた。妙に緊張しているその表情を見て、フェイトは〝なんだかリスみたい〟と場違いな事を考えてしまう。



「なんで……君はそんなに私に構うの?」
「なんでって……」



 きょとん、と心底不思議そうに首をかしげるなのは。それを見て、フェイトはますますわからなくなる。
 いくら自分がトキヒコと多少の接点を持っていたとはいえ、この子の態度は理解不能すぎる。本来なら敵である自分と〝わかりあいたい〟とか〝話し合いたい〟とか、一体その行動の根幹にどんな理由があると言うのだろう。
 そして、なのははそんなフェイトの疑問に答えるべく、にっこりと満面の笑みを浮かべて、言った。



「――――お友達だからだよ♪」
「………とも、だち?」
「うん。フェイトちゃんはほんだくんのお友達でしょ? 私もほんだくんのお友達。そしたら、私とフェイトちゃんもお友達じゃない!」



 滅茶苦茶だ。
 向日葵が咲き誇るような、街頭でライトアップされたなのはの笑顔を見て、フェイトは正直にそう思った。
 同時に、あのトキヒコの友達なら、そうでもないのかな、なんてこれまた毒された思考が流れる。ソレに気付いたフェイトは、ふっと薄く笑みを浮かべて、今度こそなのは達に背を向けて夜空へと向かって溶けて行った。
 その後姿を、なのはと美由希は無言のまま見送る。
 これまで無言だった美由希は、フェイトが完全に去ったことを確認してようやく、その手に握っていた刀を鞘へと納めて溜息をついた。



「疲れたぁ~……」
「お姉ちゃん、ごめんね?」
「なーに言ってんの。妹を守るのはお姉ちゃんのお仕事だよ?」



 美由希が何も喋らなかったのは、単純に口をはさむ理由がなかったことと、いつでもなのはを守れるように全周囲を警戒していたからに他ならない。
 それをなんとなく肌で感じていた故のなのはの例だったが、美由希はメガネをかけながらからからと笑いながら可愛い妹の頭を撫でてあげた。



「でも、また仲良くなれなかった。今回はきっと仲良くなれるっておもったんだけど……」
「大丈夫だよ、なのは。きっと、あのフェイトって子もなのはのことを友達って思ってくれてる。もっと自信持ちなさい」
「お姉ちゃん……うん、そうだよね!」
「そうそう、その意気よ」



 根拠のない励ましであったが、なのはとしてはなによりも嬉しい励ましの言葉だった。
 少し落ち込みかけた気分も復活し、なのはは改めて満面の笑みを浮かべて大きく頷いて見せた。
 


「それじゃなのは、私は恭ちゃん達と合流するから、なのはは先に本田君を追いかけたら? 今からなら間に合うと思うよ」
「あ、そっか!」



 まだ時彦と別れて二十分も経っていない。いまから全力で空を飛んで追いかければ、なのはならギリギリ追い付けるはずだった。
 時彦はああ言ってた物の、実際はなのはが隣にいた方がはるかに安全である。追い付けるならそれに越したことはない。
 なのはは慌ててレイジングハートを起動状態に戻し、その靴に桃色の翼を生やして空へと浮かんだ。



「お姉ちゃん、なのはは先にほんだくんを追いかけます!」
「うん。気をつけてね」
「はーい!」



 そしてそのまま魔力でできた桃色の羽を散らしながら、濃い群青色の闇へと溶けていく。フェイトとは対照的に、黒い色が身の上に浮かぶ白い点が、徐々に小さくなっていくのが、なんだか面白かった。
 ほとんどなのはが見えなくなった頃、美由希は「さて」と一言呟いて伸びをすると、恭也達がいるだろうと思われる方へと足を向ける。
 恐らくフェイトと一緒に撤退しただろうから無事だとは思うが、しかし合流するまで油断はできなかった。
 再び唇を引き結び、美由希は駆けだす。
 その胸の内で、思う事は多々あった。だが、それでも妹のなのははよくやったものだと讃嘆の念を抱いているのもまた、事実だった。
 とりあえず、今夜は早いところ引き上げよう。そして、時彦の行動を見届けなければならない。それが、自分達〝大人組〟の義務だから。
 美由希の茶色がかった栗毛が、夜の街へと消えていく。せわしなく、揺ら揺らと夏のヒトダマのような動きのソレを、柱の陰から見送る人影がいることにも気付かずに。



「……ふむ。僕の出番はなかったか。成長したなぁ、二人とも」



 闇が人の形を取る。音もなく光の中に現れたその影は、ふっと青い月のような柔らかい笑みを浮かべると、再び闇の中へと消えていった。











 なんていうか、やっぱり魔法ってチートだ。
 屋敷にたどり着く数分前。ついぞ前にすずかちゃんのダンディなおっさんを連れてたどり着いた駅前当たりまで来た時、空から高町がやってきた。
 ソレを見た時は「つ、ついにこの短時間でフェイトをぶち殺すまでに強くなった……だとぅ……!?」「ちがうよっ!?」なんていう寸劇もあった。
 そのまま高町に抱きかかえられて空を飛び、まさに文字どおりに一足飛びですずかちゃん邸宅に到着する。
 転げ倒れる勢いで走り、すずかちゃんの部屋へと向かった俺達は、すぐさまユーノの指示の元〝作業〟を始めた。
 ユーノと高町の奴が、なにやら目の前で怪しげな儀式(?)みたいなのを行い、それまで淡く輝いていたジュエルシードが、より一層激しく発光を始める。
 


「さぁ、時彦」
「ほんだくん……」
「――――わ、わかってるっ」



 これから、一か八かの賭けが始まる。
 だが、失敗するとは思っていない。心臓が破裂しそうなほど脈打ち、頭がカッカする程の熱さを覚えていても、自分の〝やるべきこと〟は明瞭截然と思い描いている。不思議な感覚だった。
 ジュエルシードを握りしめ、目を瞑って祈るように思い描く。



――――すずかちゃんの日常。
――――すずかちゃんの仕草。
――――すずかちゃんの言葉。
――――すずかちゃんの、笑顔。



 全部、忘れることのできない鮮明な記憶の全てだ。
 この世界にやってきて、たった半年の間に起こった怒涛のような毎日だ。
 一体どうして、俺はこの少女にここまで惚れ込んだのだろうか。マイラバーにそっくりな少女すらも振り切る程に好きになってしまった原因は、どこにあったのだろう?
 単純に可愛いから? そうかもしれない。
 高町やアリサと一緒にいる姿が羨ましいと思ったから? なくはないな。
 あるいは、その大人びた雰囲気に魅かれたから? アリサもそうだが、すずかちゃんはもっと落ち着きがあって可愛いから当り前である。
 ……あぁ、そうだ。理由なんて、些細な事だよ。
 俺は、気がつけばすずかちゃんに惚れていて、あの風鈴を割ったその日から、俺の頭の中はすずかちゃんで一杯になった。
 たかだか小学校三年生のチビが、とんだ色狂いだって話だな。へへん。
 だから、もう一度見たい。絶対に、元に戻ってほしい。
 確かに忍さんの体は魅力的だ。まるですずかちゃんが大人になったかのようで、見る度にドキドキする。
 でも、すずかちゃんが大きくなった姿は、俺が同じ歳になった時に見たいんだ。こんなフライングで見ても、俺の体が釣り合わないんじゃ嬉しくもなんともない。
 


「返せよ……」



 それになによりも、俺は見足りないんですよ!
 小学生のすずかちゃんの可愛らしさを!
 小学生独特の純朴で可憐な愛い愛いしさを!
 小学生でありながらドキリとさせられる、あの純情たおやかな笑顔を! 



「俺の大好きなすずかちゃんの姿を――――――――返せっ!!!」



 ありったけの祈りを込めて、俺は叫んだ。
 途端、世界が白く染まる。
 すずかちゃんの部屋を突き抜ける程の光がジュエルシードからほとばしり、目も開けていられないほどの眩しさが、俺の絶叫と高町とユーノの悲鳴を飲み込んでいった。
 体の隅々から、力が抜けおちるような気がする。
 まるで穴という穴から血を吸い取られているかのような感覚だ。体重がなくなり、ふわふわと空中に漂うような頼りない感覚が体を覆い尽くし、光が弾けた。
 意識が、端から徐々に解れていくように、少しずつ薄れていく。
 それでも、必死に閉じかけた瞼を開いて、俺は白から色を取り戻した世界を見る。
 


――――へへ、やったぜざまーみろ。



 それは、誰への言葉だったのだろうか。
 すやすやと、ベッドの上で〝少女〟が眠っている。
 俺の見た、焦がれて止まない、この世界で一番大好きな少女の姿が、見えた。
 それが嬉しくて、ほっとして、俺は薄く笑っているのを自覚しながら、安心して目をつぶった。
 




















―――――――――――――――――
言い訳のようなあとがき。

今回は長くなってしまったのでかなりぐだぐだ。申し訳ございません。
でももとからそんなぐだぐだな話だったからいいよね! ……よくないです。
ともあれ、次からはまたのんびりとします。
あ、一つだけネタバレ。
題して、〝本田君はジュエルシードに呪いをかけられてしまったようです〟



[15556] 日常とご褒美と置き土産
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:41

 鞄を肩にひっかけ、まだ飲み込み切れていなかったパンを牛乳で無理やり押し流す。
 「ごっそさん!」と短く告げた俺は、ばたばたと慌ただしく玄関へと走り、急いで靴をはく。



「行ってきまーす!」
「月村さん達に迷惑かけるんじゃないわよ!」
「わーってるよ!」



 家を飛び出したのは、午前7時30分。時間ギリギリだった。
 もはや待ち合わせ場所と言っても過言ではないスクールバスの停留所まで、全力で走る。
 新芽が芽吹き、桜がまだまだ元気に咲き誇ってる並木道の下を走ると、春の朝独特の、優しく冷たい空気が胸にしみる。
 風を肩で切り、息を切らしてたどりバス停に着くと、そこには既に発射寸前のバスが待っていた。



「おはよーございます!」
「はい、おはよう」



 運転手さんにいつもどおりに挨拶をして、俺は走り出す勢いそのままに、バスの中へと転がり込んだ。
 きょろきょろとあたりを見回して、〝あいつら〟の姿を探す。特徴的な金髪に、ツインテールの茶髪、あと――――夜みたいな黒い髪。



「あ、ほんだくん! こっちこっち!」
「お、いた! はよろーん!」



 ぶんぶんと、席に座ったまま背伸びをしてこちらに手を振る目当ての少女。高町だ。
 こちらも手を振り返して、とたとたとその席へと向かう。
 


「遅いわよ、バカ。もう少しで出発するところだったんだから。
「あっはっは、わりぃわりぃ。寝坊した!」



 二人掛けの椅子で、高町の隣に座る金髪の少女、アリサが俺を睨みつけるようにして言う。見る人が見れば、まぁ喧嘩売ってるようにしか見えない辛辣な歓迎だが、これはいつものことで、こいつなりの挨拶だと言う事をよく知っている。なので、俺は適当に流しながら笑ってごまかした。
 溜息をついて「昨日休んでたくせに」と唇を尖らせてアリサが不満を垂れるが、すかさず隣に座っていた高町がフォローに入る。まぁ、昨日は昨日で学校を休んだのをこれ幸いとばかりに、溜まってたプラモとかガレキを仕上げてたんだけどな。おかげで夜更かししたら意味ないって? しゃーんなろー!
 そんないつもの朝の挨拶。
 くだらなくも、でもはっきりと一日が始まったというスイッチの入るそれは、しかしまだ不完全だ。
 あと一人。
 一番大切で、一番楽しみな、最後の挨拶。
 高町とアリサが座る席の前、連なる二人掛けの席の奥の方に、俺は視線を向けた。
 その窓際には、一人の少女が座っている。
 すっと走る細い眉。優しく垂れた丸い瞳。さっき並木道で見た桜の花びらよりも柔らかい、桃色の唇と頬。どれもが可愛らしく、全てを合わせれば胸を締め付ける程に愛らしい、黒髪の少女。
 ぼーっと見つめる俺と目が合うと、その少女はちょこんと首をかしげながら挨拶をくれた。 



「おはよう、本田君」
「お、おおう。お、おはよっ!」
「ふふ、よかったね、無事に間に合って」
「俺様の脚力一千馬力ですから!」



 くすくすと、その少女は愛い愛いしく微笑む。
 月村すずか。俺にとって世界で一番大切で、命をかけてまで助けた、大好きな女の子。
 顔が熱い。走ってきたからという理由だけでは説明がつかないほど顔が火照り、その隣に座る俺の体の節々が、がくがくと緊張で震えている。
 鞄を手にする指は、まるで極寒の吹雪の中にいる遭難者のように震え、そんなに柔らかくないシートに座り込んだ瞬間、全身から力が抜けるようにして俺はシートにもたれかかる。
 空いた窓から、ふわっと風が入ってきた。ソレに乗って、すずかちゃんの方から、甘く優しい香りが鼻腔をくすぐる。
 決して強くない、しかし一度嗅いだら忘れることなんてできないくらい優しくて柔らかい香りは、春の日差しのようだった。
 ぴーっとブザーが鳴り、バスのドアが閉まる。
 ゆっくりとバスが発車しだすと、途端に後ろの高町とアリサから声がかかる。



「ねぇねぇ、昨日はアンタ、学校サボってなにしてたの?」
「まったりごろごろ、シエスタオールデイロング」
「しえすた?」
「なのはちゃん、〝シエスタ〟っていうのはね、スペイン語で〝お昼寝〟って意味なんだよ」
「そっか! さすがすずかちゃん、物知りだね!」
「……あっきれた。アンタそのまま豚にでもなっちゃえば?」
「なってもいいが、俺は空を飛ぶぜ?」
「あ、それって〝紅の豚〟のこと? 本田君、見たことあるんだ」
「わたしも見たことあるよー! でも、宅急便の方が好きかなぁ」
「バカねぇ。一番面白いのはラピュタでしょ。空から落ちてきた女の子との大冒険なんて、とってもエキサイティングじゃない!」
「……俺は前から常々思ってたんだが、アリサって将来ドーラになりそうだよな。体格的な意味で」
「ドーラって誰だっけ?」
「ほら、あの空賊の」
「あぁ、あの人か……って、なンですってぇ!? アンタ私のこと一体どんな目で見てんのよ!?」
「なんだ、嫌なのか?」
「えー、ドーラおばさんかっこいいからわたしは好きだよー?」
「私も。凛々しくてかっこいいよね。昔の写真、すごい可愛かったし」
「だよなー! 俺もドーラおばちゃんすげぇ好きだぜ!」
「……何この怒るに怒れない、微妙な空気は」
「ふははは! まんまとはまりおったな将来ドーラ娘! こうなった以上、貴様の怒りの矛先は無理やりにでも治めねば悪者確定! ざまーみやがれっ!」
「ぐっ……相変わらず卑怯な真似を!」
「貴様如きに負ける俺様ではないわー! なーっはっはっは!」



 ぎゃーぎゃーわいわい。
 いつも通りのバスの中。
 いつも通りのやりとり。
 そして、いつも通りの面子。
 俺は今、この世界に生まれて本当によかったと思っている。

 入れ替わったすずかちゃんと忍さんの体が元に戻って二日目。
 私立聖祥大付属小学校へと向かうバスの中に、ようやくいつもの日常が帰ってきた。
 










                           俺はすずかちゃんが好きだ!










 すずかちゃんの体を元に戻した翌日、事件関係者全員が、その日は月村邸で爆睡していた。
 俺んちへの連絡とか、高町達の家への連絡は、どうやらメイドのノエルさんやファリンさんがやっておいてくれたらしく、その日帰宅しても、おそれていた程の雷は落ちなかった。高町の奴はこっぴどく怒られたらしいけど。
 結局昼まで寝更けて、昼食までごちそうになったあと帰宅したんだけど、あんなに頑張ったんだからこのぐらいいいよね?
 そういうわけで、昨日は一日中寝る&趣味に没頭という、まるで日曜日のような一日を過ごすことが出来た。
 ……本音を言えば、もっとすずかちゃんの家にいたかったんだけどさ。
 まぁ病み上がりってのもあったし、なにより俺自身が〝あんなこと〟を、いくら寝ているとは言え、本人の前でぶちまけてしまったが故に、そこにいるのが恥ずかしくてしかたなかったため、やむなく帰宅することにしたのだった。
 今日の朝、すずかちゃんの姿を確認するまでは結構不安だったんだけど、どうやら無事になんの障害もなく復活できたようなので安堵することしきりですよ。
 
 ……とまぁ、そんなこんながあって、ようやくいつもの日常が戻ってきたわけです。
 ふいー、一時はどうなるかと思ったんだぜ。



「なんだか、私が目を離している間にすごいことになってたのね」
「もう大変だったんだよー? 本田君が発動させたジュエルシードを封印するだけで私気絶しちゃったし」
「本当に、二人とも私のためにありがとう」
「全然気にしなくていいって! こんなん苦労の内にも入んないさー!」



 一人だけハイテンションなのは気にしない方向で。みんなが笑ってればそれでざっつおーらいだもんな!
 そして学校が終わり、今日はみんな暇な木曜日なので、放課後四人そろって翠屋にやってきた。
 小学生の身で喫茶店とか、どんだけブルジョワジーなんだと思わずにはいられないが、〝桃子さんの優しさプライスレス〟という不思議な現象によって、何故かシュークリーム一個とドリンク一杯は無料という優遇をさせてもらっている。おまけに料金30%引きだってさ! 持つべきものは友達だね!
 将来、バイトが出来るようになったら本気でここで働きたいなぁ、と思う今日この頃なのだが、はたしてその時までにバイトの枠があるのかどうか。
 いや、それよりも、高町の奴がここのフロアチーフになったりとかしてたら嫌すぎる。高町の下で働くとか怖くてイヤだぞ俺。



「むむ、ほんだくんが何か失礼な事かんがえてるみたいです」
「人の思考を読むなよ!?」
「あー、やっぱりー!」
「図星だったんかい」
「ずぶっと指された星なのだ!」
「……それは開き直りでしょうが」
「あ、そうそう。なのはちゃん、こないだ話してた新しいアンプ、届いたよ」
「ほんとー!? どうどう、やっぱりすごいの!?」



 危うく苛められるところだったが、すずかちゃんの咄嗟の話題転換によって難を逃れることが出来た。マジですずかちゃん俺の女神すぎる。
 ほっと一息をついてレモンスカッシュを一口。ぬぁ~、なんか今日は妙に美味く感じますなぁ~。
 ……隣から聞こえてくる謎の呪文については、敢えて聞こえない方向でスルーする。



「……まーた機械オタ娘達が世界作っちゃったわ。ほんと、こればっかりは私もついていけないわね」
「安心しろ、俺もだ」



 しかし、先のすずかちゃんの話題転換は、見事に俺とアリサを締め出す形になっていた。
 ゲンナリとした顔でコーヒーフロートを啜るアリサと、それに相槌を返す俺。隣のすずかちゃんとアリサの隣の高町は、何が楽しいのかしきりに音域がどうのとかドライバーがどうのとか言ってる。はっきり言って何言ってるかさっぱりだ。
 ……そう、実はこの二人の少女、見かけによらず機械好きなのである。
 高町の奴は、この歳で既にデジカメマスター+AV機器弄り好きというトンデモ趣味で、自室には現環境における〝ハイスペック〟のデスクトップと、いかにも高そうなオーディオやスピーカー、そしてかなりゴツイデジカメが置かれている。ちなみに〝ハイスペック〟の〝ハイ〟は、〝HIGH〟じゃない。〝廃人〟という意味での〝ハイ〟だ。
 初めて高町のパソコン見せてもらった時は度肝を抜かされましたよ。パソコンのスペック自体はあんまり詳しいわけじゃないのでこれと言えないけれど、とりあえず某有名MMORPGのLと、市販ゲームのCを同時起動してもぬるぬる動く、とだけ言っておく。あ、ちなみにCの方は俺の趣味で、他にもBとかも持ってる。マッスルスーツ着て無双とか、海底都市で大冒険とかロマンたっぷりだよな!
 そしてすずかちゃんの方も負けず劣らずの機械好きで、趣味はロボット作り。おまけに最近はプログラミングまで覚え始めているらしく、ついこないだの冬休みでは、自作の簡単なラジコンロボットを見せてもらった。開いた口がふさがらなかったのは言うまでもない。その内本気でロボットを作るんじゃないかと気が気でならないんですが。
 なんでも元は忍さんの趣味だったらしいのだが、傍で見ているうちに自分の趣味にもなってしまったとのこと。あなおそろしきは門前の小僧ならぬ小娘なり。



「でもまぁ、高町の撮る写真綺麗だしな。悪いことじゃァない」
「あぁ、あれね。なんかパソコンで処理してるらしいわよ?」
「……なん……だと?」
「ねぇなのは、こないだの冬休みの写真、アンタが撮った奴あるじゃない? あれ、パソコンで編集したって言ってたわよね?」
「え? うん。写真屋さんで簡単な加工しただけだけよー」
「ほらね?」
「マジかよ」
「あ、ちなみにこのメニュー、私が写真撮ったんだよ!」
「「「えぇええ!?」」」



 さすがにこれには、俺達三人もびっくりである。今まで全然知らんかった。 



「お前、機械と写真になると途端に鬼になるな」
「えへへ、なんだか知らないうちに得意になっちゃってて」
「それはそれで恐ろしい才能だ」
「そのうち写真撮るために世界中を旅してそうね」
「あ、それ楽しそう。いいなぁ、世界旅行。私も一回は行ってみたい」
「いや、月村さんもアリサも、その気になればいけるんじゃないの?」
「うちはそんな無駄な出費できるようなお金持ちじゃないわよ」
「私の家も、家が大きいだけでそんな余裕はないかなぁ」
「ていうかほんだくん、二人に対する認識が漫画のお金持ちだね。現実にそんなことあるわけないのに」
「ぬぐぐ……高町にバカにされた。あの馬鹿町に!」
「ま、またバカって言った! もー、次そんなこと言ったら本当にディバインシューターするからね!?」
「アリサ! 助けてくれ! 高町のヤツが最近魔法という暴力で俺をしいたげようとするんだ!!」
「バーカ、自業自得でしょ」



 とにかくかしましい俺達である。
 まぁ、放課後のお茶会はこんなもんであって、他にすることと言えば公園でのんびりしたり、市街地で適当にぶらぶらしたりと、そこらにいる小学生とやってることは変わらない。
 あとはやっぱり高町の家かアリサん家でゲームとかだろうか。アリサん家だと、広さを利用して色々と運動系の遊びが出来るから楽しい。すずかちゃん家は、ようやく行き始めたばかりだしね。
 


「あ、そだ。今度さ、バドミントンやろうぜ。高町が高町式訓練法でどれだけ運動音痴が治ったか試してみたい」
「なにそれ、またわたしをイジめるつもりなの!?」
「またとは人聞きの悪い。なぁアリサ?」
「そうよなのは。私達は単純にバドミントンを楽しみたいだけだもの」
「なー?」「ねー?」
「ウ、ウソくさい! 二人ともすっごくウソっぽいの!」
「「そんなわけないじゃない(か)」」にこにこ満面の笑みを浮かべる俺とアリサ。
「すずかちゃ~ん! 二人がわたしをいじめるー!」
「あ、あはは……本田君もアリサちゃんも、あまりなのはちゃんをイジメちゃだめだよ?」
「「いじめてませーん」」
「もう」



 ふえーんと泣きだす高町。ぱたぱたと席を移動してまですずかちゃんに抱きつくあたり、結構本気で泣いてるっぽかった。
 ソレを見て俺達三人は顔を見合わせて苦笑する。高町いじりのことは毎度のことで、こうして泣きだすのをすずかちゃんが慰めるのも、またいつものことだった。

 翠屋の一角で、俺達は日が暮れるまでずっとしゃべり続けていた。
 途中、美由希さんが「お姉さんからの奢りだよ♪」とケーキと紅茶を差し入れてもらったり、何故か鬼ー様に「うちの剣術、教わってみる気はないか?」とかなり本気で勧誘され、それを泣きそうなくらい必死に断る俺の姿があったり、そして夕方になった帰り、高町を送るついでにその家の前まで着くと、窓からユーノが出迎えにやってきて、さりげなーくすずかちゃんの隣を歩いている俺を見た後「今日はお楽しみでしたね?」的な事を耳打ちされて握りつぶしてやったり。概ね平和な一日が過ぎて行った。ていうかユーノの奴、ちゃっかりと俺のカミングアウト聞いてやがったなんて……っ!
 そして高町の奴が家に入っていき、アリサにも迎えの車がやってきた。
 そのまますずかちゃんも一緒に帰るらしく、俺とはここでお別れ。かなり名残惜しいが、明日も会えるんだから我慢我慢。
 いつもはここまで後ろ髪を引かれないんだけど、きっとここ数日まともに一緒に帰れなかったからかなぁ?
 内心でそんなことを考えながら、俺は車へと乗り込もうとするすずかちゃんとアリサに手を振った。



「気をつけて帰んなさいよ」
「また明日ね、本田君」
「おう。そんじゃ、また明日なー」



 いつも通りの挨拶。いつも通りの別れ。そう、これが俺達の〝日常〟だ。
 それがようやく戻ってきたことと、久々の〝日常〟の別れに、俺はとても寂しい気持ちになる。
 挨拶を終えて、後は二人が車に乗って帰るだけという段階になったが、なんだか二人の様子がおかしい。
 どうしたのかと心配になるが、なにやらアリサがしきりに小声で何かを言いつつ、肘ですずかちゃんを小突き回している。それに対してすずかちゃんは顔を真っ赤にして「む、無理だよ!」と断っていた。一体何させようとしてんだアリサの奴。
 アリサに対する呆れを隠そうともせず、俺は深く溜息をついて注意する。



「おい、アリサ。月村さん困らせんなって。話があるならお前が言えばいいだろ」
「違うわよバカ。アタシが言っても意味ないの。これは、ちゃんとすずかが言わなきゃ」
「も、もうアリサちゃん!」



 夕暮れの茜空のせい――――というわけではなさそうだ。まるでリンゴのような真っ赤な頬と、若干潤んだ涙目は、直視するに余りある可愛さである。あ、やべ鼻血でそう。
 慌てて顔を逸らすも、脳裏に焼けついた芸術/アートはそうそう簡単に消えるものではない。いやむしろどっちかというとコレは永久保存するべきじゃね? くそう、脳の中の映像をプリントアウトできないことが、これほど悔しいのもまた久しぶりだ……っ!
 


「うぅ……わ、わかったよぅ」
「そうそう。素直が一番よ」



 そうやって、俺が一人理性との対話をしていた頃、二人の間でも決着がついたらしい。だがそっちを見れない。油断すれば、すぐにでも鼻血が垂れそうだから。そんなのすずかちゃんに見せられるわけないでしょ!?
 


「あ、あの、本田君?」
「ふぁい!? なんでしょ!?」


 
 ちょっと鼻を押さえてるので篭り気味の返事になってしまった。
 恥ずかしさがこみあげてくるが、しかしそれ以上に好きな子の前で鼻血を流すなどというよろしくない未来を回避するために、必死に今の体勢を維持し続ける。なんか奥の方でアリサの奴がくすくす笑っているのが癪だ。
 


「今回、その――――本田君、すごく頑張ってくれたでしょ? それで、その、ちゃんとしたお礼、まだだったから……」
「へ? い、いいよ! お礼なら昨日言ったじゃんか。それで十分だし、俺は全然気にしてないからさ!」
「すずかがお礼するって言ってるんだから、大人しく受け取りなさいよー、この天の邪鬼~♪」
「てめぇは黙ってろアリサ!?」



 くそう、人事だと思って完全に楽しんでやがるなアリサのヤツ……っ!
 しかし、そんなくだらない応酬を交わそうが時は流れるものであり、すずかちゃんの話は続いていた。



「その、アリサちゃんがね? ここでしっかりお礼言って、感謝しなさいって」
「感謝って……そんな大げさな」
「ううん、アリサちゃんの言う通りだと思う。私、きっとあのままだったら大変な事になってた。お姉ちゃんだからアレは耐えられる病気で、今の私にはまだ無理だって言ってたし、私もすごく苦しかったの。だから、昨日目が覚めて、体が元に戻ったのがわかった時は思わず泣いちゃうくらい、嬉しかったんだ」
「……そ、そっか」



 俺としては、するべきことをしただけなので、そこまで大げさに感謝されると、逆に滅茶苦茶恥ずかしい。
 別にすずかちゃんに感謝されたくてやったわけじゃ――――ないとは言い切れないけれど、しかし恩着せがましくするつもりでやったつもりはない。あくまで俺がすずかちゃんのことを好きだから、好きな子を助けたいからやっただけのことだ。
 でも、それを感謝してくれるっていうのは、素直にうれしい。だって、頑張ってよかったって思えるし、何より好きな子に〝ありがとう〟って言われるのは、何よりもうれしいじゃないか。
 途端に照れくさくなって、俺はそれを誤魔化すように鼻頭を人差し指でぽりぽりと掻く。鼻血はなんとか止まったみたいだけど、今度は恥ずかし過ぎてまともにすずかちゃんの顔が見れそうにないな。
 


「だから――――ありがとう、本田君」
「いやー、そんな感謝されたら本田君感激しすぎて気絶しちゃ、」
 
 

――――柔らかい感触。ふわりと鼻腔をくすぐる甘い匂い。



 言葉が途切れた。いや、時すらもが止まった気がする。天使が頬を撫で、そのまますぐに離れて行った。
 相変わらず後ろの方でアリサの馬鹿が「ひゅーひゅー♪」とか囃したてているのが鮮明に聞こえ、しかしそれ以上に、今俺の頬を襲った未知の感覚が全神経を駆け巡っている。
 脳髄が痺れ、一瞬何が起きたのかわからなかった。
 首の骨が折れるんじゃないか、ってくらいに勢いよく振り返ると、視界いっぱいにすずかちゃんの顔が飛び込んでくる。
 夜色の瞳、綺麗な鼻梁、細い眉。可愛らしい睫毛がフルフルと揺れ、その静謐な瞳は今にも泣きださんばかりに潤んでいる。
 リンゴのように赤い頬と、茜色に染まりながらも、その鮮やかさを失わない桃色の唇が笑みを湛えていた。
 ぼんっ!
 顔から湯気のような爆発が起きた気がした。



「―――――え?」
「そ、それじゃぁね本田君! また明日!」
「ばいばーい時彦! 良い夢を♪」
「―――――――――――はい!?」



 飛び込むようにしてすずかちゃんが車の中に入り、それにアリサの奴が悪戯っぽい笑みを浮かべて続く。
 黒塗りのドアがバタンと閉まり、そのまま間も置かないで車は走り出した。
 そのまま道路の向こうを曲がって車が見えなくなってようやく、俺の脚は力の入れ方を忘れたようにその場に崩れ落ちた。
 どさりと尻餅をついて、右の頬を軽く抑えてみる。
 柔らかい風が吹いて、俺の〝髪〟を揺らした。
 妙に視界を邪魔する前髪を掻きあげて、呆然と俺は今起きたことを確認するように、呟いた。



「…………キス、された」



 当然、ほっぺだ。アリサからみれば、挨拶程度の軽いもの。欧米人やらが映画とかでしょっちゅうやってみせてる、アレ。
 だが、キスはキスである。直の接触である。つーかむしろ初めてのちぅである。



―――――キスされたっ!!?



 途端、体の奥底から、今にも弾け飛ばんばかりの喜びがあふれだす。
 ともすればそのまま飛びあがれるんじゃないかってくらいの興奮がわき上がり、俺はそれを隠すこともなく「ぃいいいいいいやっほおおおおおう!!!」とその場で飛び跳ねながら叫んだ。
 ガッツポーズをして「YES! YESYESYES!」などとバカみたいに喜んで、また「うっはぁああああああ!!」とか言葉にならない喜びを叫ぶ。
 よかった、命かけてホントによかった……っ!!
 今ばかりは感謝する! 本気で心の底から感謝する!
 神様ありがとう! 今までさんざんクソとか死ねとか言ったけど、実はこのご褒美を用意してたからなんだよね!? マジごめんなさい! 
 心の中でありったけの感謝を捧げつつ、やっほう♪とバカみたいに喜びながら、俺は帰路に就いた。











 少しばかり時間をかけ手帰宅した頃には、キスをされたことによる興奮も大分落ち着き、多少上機嫌に鼻歌を歌う程度までテンションも下がっていた。いやーでも今日は幸せだ。このままもう飯食って風呂入って寝ちまおう。
 そして俺、布団に入ったら、夕方のことを何度も思い返して寝るんだ……!
 なーんてね!
 やっほい夜が楽しみだぜー♪
 



――――なんて、呑気なことを考えていた時期が、僕にもありました……。




「ただいまー」
「あら、おかえり。今日は早かった………のね?」



 玄関の廊下を通ってリビングにたどり着くと、そこには既に母上がいた。
 冬は炬燵になるテーブルの上に図面を広げて、なにやら設計図を描いているっぽい。見た感じ、来月用のフルクラッチモノのようだ。
 そして、俺の帰宅に反応した母上が俺へと振り返り、気色悪いくらい楽しそうな笑みを浮かべていたその顔を、突如として凍らせた。
 何があったのかわからんが、息子が帰ってきたというのに失礼な反応だな。 



「まねー。てか腹へったよ。今日のめしなにー?」
「と、とき、ときき、ときひこ?」
「あんだよー、腹へったからはやくめしー!」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待ちなさいアンタ!」
 


 ずっこけかねないほど大慌てで、母上が俺へと駆け寄って来る。
 そのまま物凄い形相で俺を見下ろしながら、俺の両肩を掴んで来た。どうでもいいが顔近すぎ&物凄い形相で滅茶苦茶怖いんですが母上。



「な、なんだよいきなり。ちゃんと今からシャワー浴びんだしいいだろ?」
「ち、ちがっ! そうじゃなくてアンタ髪っ! その髪どうしたのっ!?!」
「髪?」



 はて? なんかついてるのか?
 今日は春風が強かったし、帰り道で葉っぱか花びらでも飛んできてくっついていても可笑しくはない。現に今日は学校でも何人かそういうヤツを見たしな。
 しかし、それが母上の凄まじい形相の原因とは思えないんだが。
 小首をかしげつつ、わしゃわしゃとゴミを払うつもりで髪を掻きまわしてみる。
 ……特にゴミはないみたいだが。



「なんだよ、なんか変なモンついてる?」
「ついてるって、いやもうコレそんな次元じゃないわよ。いいからアンタ鏡! 鏡見てきなさい!!」
「はぁ?」



 いいから早く!とケツを引っ叩かれながら、しぶしぶと浴室へと向かう俺。むろん、途中「なんだってんだよったく」とぶちぶち文句を零しております。
 せっかくの良い気分が台無しだ。これはもっと迅速に布団の中へとダイブインするべきだな。
 今夜は早めの就寝と洒落こもう。そう心に決めて、俺は制服を脱いで下着姿になった。
 鏡? んなもん見るわけないだろ。  
 そしてシャツを脱いでパンツだけになり(トランクス派です)、呑気に鼻歌を歌ってそのゴムに手をかけて引きずりおろした――――その時だった。



「え゛――――――?」



 なかった。
 何がって――――――――――――〝ナニ〟が。
 今度ばかりは、夕方のように時が止まることはない。そのまま途端にパニックに陥る。
 なんで、なくなってんの?
 


「ま、まてまてまてまて!!」



 そのまま下を覗き、トランクスの中を覗き、制服を放り込んだ洗濯機の中を覗き込み、しかし当然ながらどこにも見当たらない〝ナニ〟に、俺は泣きそうになる。



「おいおい、うそだろちくしょう…………っ」



 突然のワケワカメな事態にほとんど気を失いそうになりながら、俺はまたしても視界をうろちょろする〝髪〟を掻き上げつつ、天井を仰いだ。
 そこで、ふと気付く。
 ……俺、こんなに前髪長かったっけ?
 いやいや、そんなはずはない。俺の髪型はいつもスパイキーショートだし、間違っても前髪が視界にかかることなんて〝ありえない〟んだ。
 俺は慌てて洗面台の鏡をのぞき込み、そして絶句した。



「な――――っ!?」



 みんなは、鏡を覗き込む時どういう気持ちで覗き込むだろうか?
 無意識か? それとも自分の今の髪型か? はたまた自分の記憶の中にある〝自分の顔〟か?
 じゃぁもしも鏡を覗き込んだ時、そこに映っていたのが見たことのない人間だったら、どう思う?
 そこには確かに自分しかいないのに、けど鏡に映っているのは、自分が予想していた姿とは全く違うモノ。そんなものが見えたら、一体どんな気分になると思う?
 正解は――――――。



「なんじゃこりゃぁあああああぁぁぁぁああああ!?!!!」



 混乱だ。
 絶叫が響き渡る。鏡に両手を突き、そこに映る紛う事なき〝自分の姿〟に衝撃を受けた。
 鏡の向こうでは、前髪を眉にかかるからかからないかまで伸ばし、もみあげと襟足も肩甲骨あたりまで伸ばしている〝少女〟が、大口を開けて絶句している。
 ほんのわずかとはいえ、それでも多少男の子と差が表れ始めたやや丸みを帯びた体つきに、適度に日焼けした健康的な肌、そして特徴的な象徴が見当たらない真っ平らなソコ。
 そこに映っているのはここ九年間で見慣れた〝本田時彦〟という少年ではない。
 そこには、限りなく〝本田時彦〟に近い、しかし決定的に〝本田時彦〟と違う、全くの別人の――――――――――〝女の子〟がいた。



























―――――――――
あとがきのようなチラ裏

ジュエルシードの呪い、恐るべし。
今回はいわゆる後日談的な話でさらっと。
次回からまたどたばたするのかな?

ちなみにこの呪いは特に意味ありません。ないはず。多分。めいびー。例によって保証できませんのであしからず。

 
*ただ今のジュエルシード争奪模様

なのはside:フェイトside=7:3

【内訳】
≪なのはside≫
・ユーノの初期所持で1
・動物病院襲撃の時の発現体退治で1
・神社での犬憑依体退治で1
・アリサの(本田が拾った)で1
・学校の怪談解決で1
・忍が確保したモノで1
・美由希が強奪、時彦が使ったモノで1


≪フェイトside≫
・カリビアンベイでの横取りで1
・すずかの叔父様から奪取で1(実は一戦交えております)
・ごみ処理場で確保で1(すずかと忍の体入れ替わり週の火曜日)

ようやく半分近く。いつプレシアさんでてくるんでしょうね、この作品。 



[15556] 涙と心配と羞恥
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:41

 布団にくるまったまま、フェイトは窓の向こうに広がる明るく輝く青空を見上げていた。
 あの夜のジュエルシード争奪戦から一夜明けた、さらに翌日。結局、あれから朝が明けるまで起きていたフェイトは、アルフと一緒にシャワーを浴びた後、泥のように眠った。
 いくら魔導師として訓練を受けているとはいえ、まだまだ体は幼い子供。体力がソレ相応についていようとも、夜遅くまで起きているのは存外負担が大きい。生活も夜型に移行しているのも影響しているだろう。
 目を覚ましたのはその日の夕方で、そのまま夕食を食べてジュエルシードの捜索を行った。そしてまたしても朝方に帰宅して今に至る。
 水面をたゆたうような浮遊感に乗せられて目を覚まし、しかしまだ起きる気にはなれずに窓の向こうを見てぼーっとする。
 ぼんやりとする頭の中では、昨夜の少女の言葉が何度もリフレインしていた。
 


――――――――お友達だからだよ♪
 


 向日葵のような満面の笑みに、自信たっぷりの言葉。到底自分には出来そうもないソレを、その少女は臆面もなくやってのけた。
 名前は、確か漢字なんか……えーと、漢字?



「あ」



 そうだ、高町なのはだ。全然違う。
 トキヒコが言っていた変な名前が強烈過ぎて、危うく変な風に覚えてしまうところだった。今度会ったら、トキヒコにそういうのはよくないことだよ、とちゃんと注意しておこう。
 そこまで考えて、フェイトは自分の思考に苦笑するしかなかった。
 


「トキヒコと会えるなんて……」



 無理だろう、そんなこと。
 昨夜、自分はトキヒコの邪魔をした。本気で真剣に違いなかった彼の頼みを、無碍に断った。あれじゃ、きっと許してもらえない。
 自分が、もし母が今際の際にあってジュエルシードが必要となった場合を想像し、昨夜みたいな目にあったらと考えて、フェイトは身を丸くするようにして体を抱きかかえ、爪にありったけの力を入れた。
 ……無理だ。到底許してなんてくれない。
 何故だろう。トキヒコに嫌われたと思うと、胸の奥が苦しくなる。締め付けるように、押し潰すように、それでいて激しく脈打ちながらその苦しみをフェイトに叩きつける。呼吸が荒くなり、視界が真っ赤に染まり、例えようのない悪寒が次から次へとせり上がって来る。
 少しでもそれから逃れたくて、今度はあの白い女の子へと意識を切り替える。
 自分と違わないくらいの歳で、おそらくまだ魔導士になって日が浅いであろう、栗色の髪がかわいい少女。意志の強そうな眼差しと、決して後に引こうとしない覚悟、そして決して自分に攻撃を当てようとしない、変な子。
 一昨日の戦闘でも、あの子はこちらを〝堕とす〟つもりで攻撃をしているようには見えなかった。牽制程度の誘導弾と、時折近接戦闘でこちらのでがかりを封じて後退させるための攻撃以外、あの子は攻撃してこなかった。
 なぜ?
 あの白い子と自分は間違いなく敵対しているはずなのに、ジュエルシードを奪い合う敵同士なのに。
 そして再び、フェイトの脳裏にあの言葉がよみがえる。
 不思議と聞き心地の良い、フェイトの心を揺さぶる言葉が。



「……とも、だち」



 友達。 
 ともだち。
 優しくしてくれる人。必要としてくれる人。
 トキヒコは優しかった。暖かかった。私を、私として見てくれた。
 高町なのは。あの子も、きっと優しい。そして、強い。そして彼女もまた、私を見てくれた。
 あの子と――――トキヒコ達と一緒にいられたら……。
 そこまで考えて、フェイトは小さく被りを振った。
 ……でも、だめだよ。
 私は、母さんの手伝いをするんだ。それで、褒めてもらうんだ。母さんに、必要としてもらいたいんだ。
 それは、今も変わらない大切な願い。大好きで大好きな母への愛。だからこそ、迷う必要なんて、ないはずだ。
 胸の内でそう何度も繰り返すが、胸を締め付ける苦しみは一向におさまらない。
 


「ふぐっ……たたかいたく、ないよぅ」



 知らずに呟いたその言葉もまた、本心だった。戦いたくない。自分を友達として扱ってくれた二人と、戦いたくなんてない。
 だが、戦わなければ母の願いを叶えられない。それは絶対にダメだ。
 
――――じゃぁ、どうすればいいの!?

 答えの出ない苦痛のループに、ついに涙が溢れてくる。
 慌てて声が漏れないように枕に顔を押しつけ、こみ上げる嗚咽を我慢する。
 アルフに見つかりでもしたら、きっと心配させてしまうだろう。最悪、昨夜のことが原因だと思って、トキヒコ達を嫌いになるかもしれない。それは、絶対に嫌だった。
 後から後からこみ上げる涙は、まるで終わりのない雨のようだ。
 心という空を鈍色の曇天が覆い尽くし、肌を打ちつけるような大雨が、フェイトの心を容赦なく打ちのめし続ける。
 一体どうすれば、この苦痛から逃げられるのだろう。
 考えても見つからない答えに、フェイトはさらに布団をかき抱き、より強く枕に顔を押しつけながら嗚咽をかみ殺し続けるしかなかった――――。












 時彦によるすずかと忍の体入れ替え作戦が成功した翌日、昼過ぎというよりも夕方近くまですずかの家で寝かせてもらい、びくびくと兄と姉に手をひかれながら帰宅したなのはは、母と父、そして電話越しに親友のアリサからこってりと怒られた。
 両親に関しては、なんとか一週間の翠屋の手伝い(もちろんお小遣いなし)をすることで勘弁してもらえることになったが、アリサに関しては小言を少しもらうだけで、後の怒りが時彦に向ったのでそれ以上のお咎めはなかった。内心で時彦に手を合わせつつも感謝したことは内緒だ。
 翌日の学校は、久しぶりに仲良し四人組がそろったということもあって、なのはは上機嫌に一日を過ごした。翠屋の手伝いが明日の土曜日からでもいいということも、上機嫌になった原因の一つだった。
 そして、その夜。
 なのはは自室で寝間着に着替えると、明日の翠屋のお手伝いのために、いつもより早めの目覚ましをセットして寝る準備をしていた。
 


「うーん、ユーノ君、明日私が起きれなかったら、代わりに起こしてね?」
「それは全然構わないけれど……大変だね。朝六時から?」
「うん。仕込みとかはおかーさんがやるんだけど、お店の準備とかがあるし、開店は八時だからちょっと早めにいかないといけないんだ」



 ホールのセッティングから、商品の準備。なにより、お店の目玉であるシュークリームの焼き上げとそれらをショーケースに並べる等、やることは多い。
 なのはは、そのホールのセッティングと焼きあがったシュークリームを運んで並べる仕事がある。むろん、シュークリームだけでなくケーキもだ。
 とはいっても、昼食ぐらいの時には様子を見て解放してくれるらしいので、桃子と士朗の意図は〝今後夜更かしは控えること〟という注意勧告なのだろう。単純になのはと一緒に働きたかっただけかもしれないが。
 かくいうなのはも、なんだかんだで家族と一緒に働けるのは嬉しいことだった。……これでお小遣いも出ればいうことなしだったのだが、世の中そう甘くはないと、なのはは思い知る。
 そうして嬉しさ半分、落胆半分で電気を消そうとしていたところ、ユーノが思い出したように声を上げた。



「あ、そうだ!」
「ん、どうしたの、ユーノ君?」
「ちょっと聞きたいんだけど、今日の時彦、なにか変なところはなかった?」
「変なところ?」



 ユーノは、昨日今日と一人(一匹?)で街中のジュエルシードを探し回っていたため、ここ二日間、なのはと一緒に行動はしていない。
 時彦と会ったのも一昨日が最後だし、やはりジュエルシードを使ったこともあって気になるんだろうか?
 


「うん。何もなければいいんだけど、なにかしら異常があったら、些細なことでも教えてほしいんだ」
「えーと……ううん、特に変なところはなかったよ? いつも通り、とってもいじわるなほんだくんだった」
「あ、あはは、そっか……うーん、やっぱり気にしすぎなのかなぁ。いや、でも月村さんの件があるし……」



 しかし、ユーノはどうにも納得できないのか、しきりになのはの用意した簡易ベッドの上をごろごろしながらあれこれ呟いている。
 さすがに気になるので、なのははベッドに腰掛けてじっくり話を聞く態勢をとる。



「ほんだくんがどうかしたの?」
「……えーと、実は」



 ものすごく口にし辛そうな物言いに疑問を覚えたが、しかし次にユーノが口にしたその内容に、なのははベッドから飛び上がらんばかりに驚いた。



「えぇえええ!? こないだのアレ、成功してなかったのー!?」
「い、いや結果的には成功してるんだ。でも、過程がまるっきり違うんだよ」
「ふぇ? どゆこと?」
「えーと、つまり」



 ユーノの話を簡単にまとめれば、こういうことである。
 月村すずかと月村忍の体を入れ替えるという結果だけを見れば、なんの問題もない。むしろ危惧していた事故等がなかっただけでも御の字だった。
 だが、問題はその過程にあった。
 本来ならば、活動状態のジュエルシードの魔力波形を、封印状態のそれに固定して行うことで、月村忍が行ったような状況を再現してジュエルシードを発動するはずだったのだが、昨晩、レイジングハートのデータを閲覧していた時に、実はそれがまったくできていなかったことに気付いたのだという。
 早い話が、時彦は〝自力でジュエルシードを制御した〟ということだ。



「……さすがほんだくん。なんていうか、やっぱりとしかいえません」
「なのはの意見には僕も激しく同意。ただ、ジュエルシードを制御できたといっても、なんの影響もないとは思えないんだ。特に、今までのは発動の過程で歪みが出ていたのに、今回はそれがない。だからこそ、時彦自身へのアフターエフェクトがあるんじゃないか、って心配なんだよ」
「そっかぁ……でも、今日見た限りはいつも通りだったよ? ……うん、ほんとにもう、すごくいじわるに普通でした」
「あ、あはは……」



 昼間のことを思い出したのか、なのははベッドに再び座って枕を抱えると、ぶすーっと頬を膨らませて憤慨して見せた。いったい何をしたんだ時彦。なのはの怒りは後が怖いんだぞ、と心の中で忠告するにとどめておく。何事もとばっちりは御免だからだ。
 苦笑するしかないユーノだが、しかし放っておく訳にもいかない案件なので、なのはには厳重注意を促す。



「とにかく、しばらくは時彦の様子を見ててくれないかな。何かあったら、すぐに教えてくれると助かる」
「うん、りょーかいです。…………でも、ほんだくんだから、きっと自分でどうにかしちゃいそうな気がするんだよねぇ」
「否定できないのが恐ろしいね」



 時彦に対して同じ印象を持っていることがなんだかおかしくて、なのはとユーノはお互いに顔を見合わせてくすくすと笑いあった。
 話はそれだけだったので、なのはは電気を消してユーノにお休みを言う。
 ユーノもそれにお休みと返し、なのははうにゃーと鳴きながらもぞもぞと布団へともぐりこむと、目を閉じた。
 とにもかくにも、明日は朝早くからお店のお手伝いである。時彦も心配だし、一昨日以来姿を見ないフェイトのことも心配だ。しかし、今は明日の朝きちんと起きれるかどうかのほうが重要である。寝坊しようものなら、きっと兄と姉によるきっつーい鍛錬が待っているだろう。
 …………どーか目覚まし一回でおきれますよーに。
 静かに誰にともなく祈りをささげて、なのはは意識を少しずつ手放していくのだった。

 








 時計を見ると、すでに夜の十一時を回っていた。
 それまで読んでいた本に栞を挟み、すずかはうーんっと伸びをして机から離れた。
 そのままベッドに身を投げ出し、ばふっと顔をシーツの中へとうずめる。
 今日読んでいたのは、星の王子様。名前ならば誰もが聞いたことのある名作だ。
 半分ほどまで読み終えて、残りは明日に回すことに決める。
 ついでに、まだ明日の予定を頭の中で建てていく。アリサやなのはとの約束は特になかったから、午前中は久しぶりに作りかけのロボットに手をつけるのもいいかもしれない。
 


「んー……」



 しっかりと御日様の下で干されたシーツからは、柔らかくて落ち着く心地よい匂いがする。
 それを胸一杯に吸い込んで、今度はごろんと仰向けになって吐き出した。
 すずかと忍の体がもとに入れ替わって、二日。
 特にこれといった後遺症もなく、すずかと忍は普段通りの生活を取り戻していた。
 ……ただし、忍のほうは〝例の病気〟のせいで、今も大変な目にあっているが。将来自分もあんな風になるのかと思い、途端に顔がぼっ、と茹でた蛸のように赤くなるのを感じた。
 両手で頬を抑えながら、ともすればぷしゅーと煙でも吹いてそうな頭をぶんぶん振って、今思い浮かべたR18な思考を慌てて追い出した。
 偶然その辛さを体験してしまったとはいえ、まだ小学校三年生の身には刺激の強すぎる内容である。具体的にではないにしろ、〝どういう意味〟かを理解できているあたり、密かに耳年増なすずかであった。
 しかし、追い出したところで真っ赤になった顔はすぐに戻るわけではない。
 それよりも、今日の夕方、時彦との別れ際のことを思い出して、すずかはこれ以上ないくらいに、顔のみならずその首まで真っ赤にしてシーツの上を転げ回った。
 


「はぁぅ……」



 まるで初めて生の血を飲んだ時のような昂揚感に近いそれは、しかしどうしてだろう。この張り裂けそうなほど激しい鼓動を与える一方で、無視しがたいほどの心地よさも与えてくれる。



――――「ほら、せっかく命がけですずかを助けてくれたんでしょ? 御褒美の一つくらいあげなさいよ!」



 車の中、時彦との別れ際に、アリサからそんなことを言われてけし掛けられたとはいえ、我ながら大胆な事をしたと思う。
 いくら頬とはいえ、すずかは他人の誰かにキスをするのは、アレが初めてだった。アリサにとっては日常茶飯事の挨拶なのだろうが、すずかにとってはカルチャーショックを引き起こす程の冒険に等しかったのだ。
 いつもお調子者で、アリサと張り合ってて、時々なのはちゃんをからかってて、でもとても優しくしてくれる、一人の男の子。
 今回、自分の危険を顧みずにジュエルシードを使って自分と姉を助けてくれたクラスメイト。



「本田、君」


 
 彼の屈託のない笑顔を思い出すと、ドキドキと、なぜか心臓が早鐘を打ち鳴らし始めた。
 今はもう寝てるだろうか?
 それとも、何かやっているのだろうか?
 考えれば考えるほど、とりとめのない疑問が次から次へと溢れてくる。
 今まで気にもならなかった、なんてことのない日常の些細なことでも気になりだし、そして一つでもその疑問の答えが見つかると、言いようのない嬉しさがこみあげて来る。
 制御できない感情が、洪水のようにすずかを翻弄する。
 ひょっとして、お姉ちゃんの病気が移ったのかな?
 ドキドキと激しく脈打つ心臓は、まさに一昨日まで姉の体で味わっていたソレに近いものであり、すずかがそう錯覚してしまうのも無理がないといえる。
 だが、すずかは気付かない。
 それが忍の〝持病〟における精神状態とはよく似ているが、しかしながら全くの別物であることに。
 数多くの本を読み、同年代の子たちよりもかなり耳年増な知識を持ち合わせているとはいえ、自分自身がその立場になると、途端に鈍感になってしまう。それが月村すずかという少女だった。
 


「うぅ、どうしよう」



 息苦しさは、これ以上酷くなりはしないものの、しかし手で触れる頬は、風邪でも引いた時のように熱くて収まる気配が全く感じられない。
 ベッドから降りて、窓を開けて夜風に当たると、その冷たさが酷く心地よかった。
 空を見上げると、青い雲の向こうに三日月が煌々と輝いている。良い夜だ。満月の日とまではいかないが、それでも心が落ち着く優しい夜だと思う。
 
 月村の一族は、その名の如く夜に生きる一族。本来の活動時間はまさにこの夜の時間帯であり、月の恩寵の元でひっそりと静かに暮らしてきた。
 それがいつしか普通の人達と変わらない時間帯へとずれていき、偶に古き先祖達の風習を思い返すように、こうして夜の美しさに溜息を洩らす。
 
 だが、今日すずかが溜息を漏らしたのは、それだけが理由ではなかった。
 今までなんともなかった男の子が、無性に気になってしまう。それが果たして姉の体と入れ替わった影響なのか、それとも別の要因なのかわからないが、早くどうにかしないとまずいということだけは、理解できる。
 


「と、とりあえずアリサちゃんに……」



 すずかは慌ててぱたぱたと机の充電機ホルダーに立てかけてあった携帯を取り、アリサへのメールを認める。
 相手がなのはではなくアリサなのは、そもそも〝こう〟なってしまった原因の始まりが、今日の夕方のアリサの言葉にだったからに他ならない。
 だいたい、お礼の方法ならほかにもあったはずなのに、なんでよりにもよって〝キス〟だったのか!
 再び、墓穴を掘るようにして時彦にしたキスのことを思い返して、メールを打つ手を止めて首まで真っ赤になるすずか。携帯を握ったまままたしてもベッドにダイブインしては、脳裏から夕方の光景が消え去るまでゴロゴロと身悶える。
 結局、アリサにメールを送れたのは、それからたっぷり五分が経過し、ある程度の落ち着きを取り戻してからだった。



















――――――――――――――――――――
・あとがきてきないいわけ。
――――――――――――――――――――
忘れていたので補足のお話。
フェイトとすずかの対極っぷりが凄まじいことに。あれ、おかしいな。こんなはずじゃなかったのに。

 
 
また、気がつけばいつのまにか17万PVに。驚きすぎて七転八倒とはこのことか。
皆様の感想、毎度楽しく拝見させていただいております。
こんなグダグダな話ですが、今後ともゆるりと御照覧くだされば幸いでございます。


P.S
誤字指定の報告は、Verうpにてかえさせていただいております。多謝多謝。
 

1007240132:Ver1.02



[15556] 休日と女装とケーキ
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:40
 土曜日は、まさに悔恨と生き恥のバーゲンセールだった。
 まず、土曜の昼にすずかちゃんからお誘いのメールが来たものの、諸事情により涙をのんで断りのメールを入れた。
 その後、俺は〝諸事情〟である母上の拉致により、海鳴から二駅離れたところにあるデパートへと連れて行かれ、生まれて初めて男の尊厳を蹂躙され、かなりマジで泣きそうになったですのことよ。
 …………なんでかって?
 そりゃおめ、なんでか知らんけど、見た目俺様今女の子ですよ? 間違いなくジュエルシード関連の所為だと思うんですが、原因に心当たりがありません。誰かへるぷみー!
 そんなわけで、母上が俺を連れてきたのは、いつもは視界の端に留めるだけの女物の服が山のようにあるお店。
 そこで、俺はまるで往年の少女漫画の如く目を輝かせた母上によって、シャツにジーンズとユニセックスな格好から、ヘッドドレスにフリッフリのワンピースに縞ハイニーソとブーツというゴテゴテのゴスロリまで、多種多彩な試着ファッションショーをさせられましたよ。その内何着か本気で買ってしまうあたり、俺は自分の母親が理解できない。
 ……そーいや、生まれて初めてスカートを履いたが、アレだな。女性方はよくあんなものをお履きになられますのですね。あちょんぶりけ。
 同時に、前世で流行っていた〝男の娘〟が味わう「女の子扱いされることへの嫌悪感」というのがちょっぴり理解できた気がする。こりゃマジできついって、いやほんとに。お見事俺様のトラウマベスト3に殿堂入りだぜ!
 そんな感じに精神的な意味でのライフポイントを根こそぎ奪われつつ、着せ替え人形タイムという名の拷問時間は帰宅する夕方になるまで続いた。 
 そして、帰宅後はもちろん楽しい楽しいお風呂タイム。きゃっきゃうふふの親娘水入らずで二人っきりだぜ!…………ってんなわけあるくわぁああああ!!?
 ふざけんなよ!? なんでそんなに順応してるんンだよ母上様えぇ畜生!?
 性別変わったんだぞ! マイサンもとい男のイコンであるマイ・エレファントがなくなっちまったんだぞ!? なんとも思わねぇんでやがりますか!?



「いいじゃない性別ぐらい。というより、むしろ私もパパも娘が欲しかったからちょうどよかったわー。ほら、次この服」
「…………ハイ」



 差し出されたピンクのワンピースを受け取りながら、冷め冷めと涙を流す俺であった。
 我が母上のことながら、その心胆には御見それするばかりでございます。
 つーか、もうこの母上は俺が〝微妙に未来の前世の記憶持ち〟だと知っても「だからなに?」で済ませるに違いない。それどころか「じゃぁ今後の流行を言ってみなさい。上手く乗れれば、次のフェスで儲けられるでしょ」とか言いかねん。なまじ有名造型師なだけに、ただの大言壮語と切り捨てられないあたり質が悪すぎる。
 ともあれ、土曜日は概ねそんな感じで過ぎて行った。いつか絶対に母上が隠した俺の女装(性別は実際女だけど)写真を見つけて焼却処分することを堅く心に誓って、その日は屈辱を飲みながら布団に入った。

 そして翌日。
 さすがにこのまま明日から学校に通うのは不味いので、髪を切る許可とその費用をもらった俺は、朝飯を食ってちょっとだらだらした後、意気揚々と家を出た。
 これで無事に髪を切ることができれば、昨日のように女装させられることはあるまい。数着買ってしまった女物の服が無用の長物になってしまうのは、実にもったいない気がしないでもないが、俺自身はもう二度と着る気がないのでどうでもいい。どうせ母上のお金だし。
 ついでに昨日の迷惑料とばかりに、ちょっと多めにもらった費用という名のお小遣いのおかげで、のときばかりはちょっぴり気分が良かった俺様ちゃん。せっかくすずかちゃんから遊びの電話があったのに、それを断るハメになったんだからこの程度はむしろ当然の償いでしょー。へっへっへー。
 
――――とか調子に乗ったのが間違いだったのかもしれない。現実は無情であった。

 心にゆとりもできたし、髪を切った後すずかちゃんと遊ぼうと思って電話したら、なにやらものすごくあわてた様子で「ご、ごめんね! 今日はちょっと用事があって遊べないの」と断られてしまい、無残にも爆死してしまいもうした。
 そのため、家を出た時とは真逆のテンションに陥りつつ、とぼとぼと海鳴の商店街にある、いつも世話になってる床屋を探していた次第でございます。
 


「あー、青い空がにくたらしー」


 
 いつぞやも呟いたかもしれない、そんなくだらないことを呟きながら「はぁ……」とおもいっきり溜息をつく。この状況って、泣きっ面にハチだよね? つーか俺なんかしたっけ?
 こんな時に限ってアリサも電話つながんないし、高町は高町で今頃翠屋の手伝いだろ?
 たかやんにまーぼもどっか行ってて遊べないみたいだし……くっそー、せっかくの日曜日なのになんだこれ。暇は子供にとって一番の毒なんだぞー!?
 ……なんて、一人で憤っていても虚しい限りである。



「なんか面白いネタないかなー」



 タバコが吸えたらスパーっと吸ってる気分である。
 そんな、ちょっぴりやさぐれ気味な感じで歩いていたら、前方に何やら見慣れた後姿を見つけた。
 見慣れた金髪をツインテールにして、とぼとぼと、まるで俺とシンクロするかの様に意気消沈と歩いている黒服の女の子。
 もしやあの乱暴娘かと身構えるが、しかしあいつはあそこまではっきりとしたツインテールにしてないことを思い出す。ていうか、あの髪型は考えるまでもなくアイツじゃんか。
 これは何と言う天恵。逃がすわけにはいかない。
 悩むこともなく、俺は極々普通にその背中に向かって声をかけていた。



「おーい、フェイトー!」
「……え?」



 くるり。
 きょとん?
 ……ぎょっ!?
 だっ!
 …………簡潔にいえば、そんな反応が返ってきた。
 こちらの振り返ったかと思えば、目を丸くして驚き、次の瞬間脱兎のごとく逃げ出しやがったぞアイツ。
 そして気付けばそれを追いかけて走り出す俺様ひこちんいぇい。



「てめぇえええ!? 人様の顔見て逃げやがるとはいい度胸だちくしょぉおおおお!!」
「わ、わわ! なんで追いかけてくるのっ!?」
「鬼ごっこでこの俺様に勝てると思うか!? じょーとーだ! この海鳴のナスティボーイひこちんさまからは逃げられないってことぅぉを、ぉおおお教えてやるぜぇえええええ!」



 こちらを振り返るフェイトが若干涙目だった気がするけど全力でスルー。それよか挑まれた喧嘩を買うほうが大事である。
 そして始まる、第三回踊る海鳴大鬼ごっこ。
 かつての挑戦者二人を捕獲し、見事二連覇したこの俺様に挑戦したその度胸――――ふふん、褒めてやろうじゃねぇの。
 だが、貴様は二つの間違いを犯した。
 一つ。俺が声をかけたのに、失礼にも挨拶も無しに逃げ出した。挨拶されたらしっかり挨拶を返しましょう。これ、紳士淑女のマナーです。
 そしてもう一つは、今の俺様――――即ち、女みたいに髪が伸びてしまった姿を目撃してしまったことだ。
 


「てめぇを捕まえて口を封じるまで、俺は、てめぇを、追いかけるのを、やめねぇええええ!!」
「ひぃっ………!?」



 その日、桜色に顔面を染めながら、海鳴の街中を全力で追いかけっこする二人の少女がいましたとさ。
 ……どう見ても八つ当たりです。ほんとーにありがとうございました。











                           俺はすずかちゃんが好きだ!










「ぜぇ……ぜぇ………」
「はぁ……はぁ………」



 結局、海鳴臨海公園まで全力で鬼ごっこを続けた俺とフェイトであった。
 芝生の上で大の字に寝転がりながら、お互いにぜーぜーとタダより安いものはないとばかりに、酸素を貪って死んでいる。
 春のうららかな陽射しと、疲れきった上にだらだらと額を流れる汗、そして汗で額に張り付いた髪が、穏やかな海風に煽られてひらひらと踊る。
 


「くくっ……あはははは!」
「な、なに、どうしたの?」



 一息ついた頃、よっこらしょっと身を起して、俺は唐突に腹を抱えて笑いだした。
 突然笑い出した俺にびっくりしたのか、となりでねっ転がったままのフェイトは、若干引き気味なりながら俺を見上げている。
 まぁ仕方ないですよねー。いきなり起きたと思ったら大爆笑ですもん。俺でも引くわ。



「いやいや、久々にバカみたいに走ったなーって」
「……?」
「わっかんねーかなー? わっかんねーだろうなー」



 再びフェイトの隣に寝っ転がって、俺はバカみたいに晴れてる空を見上げた。
 こんな風に何も考えないで走ったのは久しぶりな気がする。
 ここ一週間は、なんだかずっと小難しいことを考えっぱなしで、あまりにも小学生らしからぬ濃ゆーい毎日だったからなぁ。
 たまにこうしてのびのびするのは、むしろ小学生の義務だと思う。多分、そのあたりのことがフェイトは理解できないんだろう。

 それから俺達は無言のまま空を見上げ続け、体が冷えて寒くなってきたな、って頃になってようやく芝生から身を起こした。
 服に付いた汚れをパンパン払って、なんとはなしにぶらぶらとそこら辺を散歩する。
 その間、何故かお互いにずっと無言だったが、それはフェイトが妙によそよそしい態度を取るのが原因だった。
 そして、その理由に見当がつかないために、俺も下手に話題を触れない。
 ……いや、こんなところまで追っかけてきておいて今さら何だ、って話なんだけれども。
 けどさ?
 


「あのー、フェイトさーん?」
「っ……な、なに?」



 これですよ。
 話しかける度に、びくっ!とおもいっきり肩を震わせて、恐る恐る俺を見る。
 いや、それだけならまだしも、あろうことかこの金髪ょぅι゛ょ、今にも泣きださんばかりの涙目具合でして。まるで叱りつけられた子供というか虐待されまくって対人恐怖症に陥った子犬と言うか……話しかけるのが憚られるほどに怖がられています。
 これでどーやってフレンドリーに話しかけろっつーんですかえぇおい!?
 つーかこれやばいだろ! 傍から見たら俺が虐待者みたいじゃん!?



「……むしろそれは俺の台詞だと思うのですが、いかがお考えでしょーか」
「え、あぅ、えと……」
「あぁいやいやいや、別に責めてないよ!? 責めてないから……って、あ、ちょ、こら泣くな!」
「ご、ごめん……怒ってるよね………私、こないだっ……えぐっ……ひどいこと………」
「お、おお怒ってなんてないぞ? 全然俺は怒ってないっていうか突然泣かれてパニックになりそうでむしろ泣きそうなのは俺と言うかいやすんませんマジ御免なさい俺が悪かったんで泣かないで―!?」



 ……泣かしてしまいました。
 えぐえぐぐしゅぐしゅ。いつぞやの高町みたいに派手な泣き具合で、フェイトはその場に座り込んでしまった。
 無論、ヒコちん様は大慌てですよ。
 座り込んでしまった金髪美少女の周りをどたばたおろおろする、短パン長袖のボーイスタイルの女の子(見た目だけ)の図。さて周囲から見たらどんなふうにみえるでしょーか!



「あら……喧嘩かしら」
「こんな昼間からなんて、大変ねぇ」
「しかし可愛い子達だこと。特に金髪の子。お人形さんみたいに綺麗だわ」
「隣で慰めてる子も、男の子みたいな恰好してるけど可愛いわねぇ」
「うふふ、仲良しな友達同士で、好きな子の取り合いでもあったのかしら♪」



 なにやら変な誤解をされてるー!? ていうか最後の奥様なにその怖い想像!?
 いかん、ここは早々に逃げないとどんどん人目がぁああああ!!



「と、とりあえずこっちこいフェイト! 場所を変えるぞ!!」



 よっこいしょ、と無理やり泣きじゃくったままのフェイトをおんぶすると、日曜の昼間と言う事もあって、ぞろぞろと集まりつつある人目を避けるべく、一目散にその場を後にしたのだった。










 
 先の臨海公園からやや離れて、今度は屋台が立ち並ぶ展望ホールの建物の中にやってきた。
 自動販売機からココアを二つ買ってきた俺は、先程みたいに泣きじゃくってはいないものの、時折鼻をすすりあげるフェイトにそれを差し出した。



「ほい」
「……え?」
「あったかいヤツだけど、まぁ泣いた後は冷たいのよりあったかい方がいいべ」
「あ、ありが、と……」
「ゆあうぇるかーむ。熱いから気をつけろよ」



 フェイトの隣に腰をおろし、ずずずと恐る恐るココアを啜る俺とフェイト。
 そのまま無言の時間が過ぎる。
 目の前を横切るのは、小さな子供連れの家族か、腕を組み楽しそうに歩くカップル、あるいは互いに罵声を飛ばしケリ飛ばしあい、しかしながら〝喧嘩をするほど仲が良い〟を地で行くようなバカップルだったり、種々様々だった。
 それをぼんやりと眺めながら、さてどうしましょーかねーと悩む俺。正直、ノリと勢いだけでここまでやってきてしまったので、今後どうしようかなんて何も考えちゃいない。
 


「…………」
「…………」



 気まずい。
 ひっでょーにきまどぅい。
 なにがって、この空気が。
 何か話しかけなきゃいけないのに、しかし話しかけたら一気に修羅場へフォーリンダウンしそうな、まさに鉄骨渡りで強風にあおられているような心もとなさ。くそぅ、なんだこの罰ゲーム。
 そもそも、こないだの夜の街でのこともあってか、物凄く気まずいんだよなぁ。
 結局、フェイトから横取りする形でジュエルシード持ってっちゃったし、交換条件で最初に封印した奴一個あげるっていうのも反故にしちゃったから――――うぅ、なんかじくじくとこう、胸を突き刺す罪悪感が。
 


「あ、あのさ、フェイト」
「……」
「こないだの夜の街のことなんだけど、気にしなくていいぜ?」
「……っ」



 びくっと、肩を震わせるフェイト。暫く無言だったが、覚悟を決めたように俺を窺うようにして見ると「…………大丈夫、だったの?」と消え入りそうな声で聞いてきた。



「へ?」
「その、助けたい、って言ってたから……」



 もじもじと、なんだか恥ずかしそうながらも聞き返してくるフェイトさん。
 確か、俺からは事情の説明をしてなかった気がするんだが、なんで知ってるんだろう?
 直接こいつにそんなことを言うのは卑怯な気がしたから何も言わなかったんだけど、高町とやりあった時にでも聞いたのかな。
 むー。だったら初めから事情を説明して譲ってもらうべきだったか。失敗失敗。



「もちろん大丈夫だよ。もう文句なしに一件落着してっから安心しろ」
「そっか……」
「いやー大変だったぜー。結構ガチで命がけだったから、目覚めた時に成功したってわかった瞬間、安心感で一杯だったなぁ」
「命がけって……何したの?」
「あぁ、俺の友達がね? ジュエルシードのせいで体入れ替わっちゃってさ――――」



 そのまま、こないだの騒動の顛末を1から教えてあげた。
 もちろん、街中でフェイトと出会って、その別れ際をすずかちゃんに見られてから、無事ジュエルシードを使って入れ替わった体を元に戻すところまで。
 暫く、得意げな俺の話をフェイトは黙って聞いていたが、しかし最後の最後、俺がジュエルシードを使ってすずかちゃんの体を元に戻したところまで話したら、首根っこを掴まれていきなり引き寄せられた。



「な、生身で発動したって……ジュエルシードを!?」
「うげっ!? ちょ、ふぇいとざんぐびがじまっでまず……」
「いくらあの女の子のサポートがあったからって、なんのデバイスの補助も無しに発動するなんて……っ!」



 驚いて呆然としてるのか、それとも俺の無謀な行動に呆れてるのか。
 どちらにせよ、そろそろ視界が白くなり始めた頃になって、俺はようやくフェイトに離してもらえた。
 慌てて酸素を貪り、言い訳もとい弁明するためにフェイトと向き直る。



「えほっ……い、いやいや、だって隣にゃ高町もユーノもいたし、ようはまっすぐ願い事をすりゃいいんだろ? もともとあの時はそのことしか頭になかったし、結果的に上手くいったんだからおっけーおっけー。本田さん、あんま細かいこと気にするのは苦手なのですよ」
「自分の命がかかってるのに、信じられない」
「おう、高町とユーノにも呆れられたゼ」
「……褒めてないよ?」
「知ってるYO!」
「……はぁ」



 おもいっきり溜息つかれた!?
 これは昨日の着せ替えショー並みの精神的ダメージである。
 くそー、やっぱり後先考えなさ過ぎだったかなぁ……おかげで〝こんなメ〟にも遭ってるし、そりゃフェイトが呆れるのも無理ないか。
 だけど、あの時はそれ以外に手段がなかったし、色々と切羽詰まってたから仕方ないと言えば仕方ない。
 それに、俺は高町とユーノを信頼してたしな。俺になんかあっても、あの二人ならなんとかしてくれるって信じてたから、危険だってわかっててもやれたんだ。決して蛮勇なんかじゃない。そんなこと言ったら、高町とユーノに失礼じゃんか。
 ……まぁ、結局こんな後遺症が残ってしまってる時点で、マリアナ海溝クラスで反省しなきゃならないんですが。



「でも……」
「ん?」



 さすがに無鉄砲すぎた今回の俺の行動に落ち込んでいると、フェイトが突然、俺の手を掴むとひっぱった。
 座っていたベンチから引っ張り起こされ、その原因であるフェイトを見ると、なにやら妙に晴れやかな笑顔を浮かべている。



「トキヒコらしくって、安心した」
「……おいこら。どういう意味ですかソレは」



 さっきまで、それこそ一週間かけて作り上げた1/350スケール安土城を目の前で叩き壊されたかのように意気消沈してたのがウソみたいに、フェイトは元気を取り戻したようだった。
 今までの俺の他愛のない話のおかげなのか、それともフェイト自身の心の強さなのか。あるいはその両方なのかもしれない。
 ともあれ、こいつの泣き顔を見なくてよくなったのは大いに歓迎すべきことだ。マイラバーとは別人とはいえ、その瓜二つな顔で泣かれるなんて洒落にならんってーの。
 まぁ、こいつのことだ。大方、こないだの夜、俺達の邪魔をしたことを気に病んでたんだろうけど、いらん心配なんだよな、それって。
 俺達に俺達の事情があったよーに、こいつにだって事情があるんだ。そのせいでぶつかるのは仕方のないことだし、汚い大人はそうやって他人を蹴落として上へと登る。それを考えれば、あの時のフェイトの行動は何一つ間違ってないし、むしろ無理やり強奪する形になった俺たちのほうが悪役だ。
 いやしかし小学生の分際でそんなこと考えちまうのはいかがなものなんだろうか。さすが人生二回目だと考えることが汚いねー。あー大人ってやだやだ。
 ……なんて、賢しげなことを考えてみたりするのは、やっぱり恥ずかしいからだろう。
 俺を引っ張り起こした時の笑顔は、不覚にもトキメイてしまうほど可愛い笑顔だったのだから。……でもすずかちゃんが一番だもんね!

 

「うん? なに?」
「いんやー、さっきまで洪水みたいに泣いてたやつが手のひら返したなーと思って」
「あぅ……も、もうトキヒコのばか!」
「あでっ!? ちょ、おま、今電気流れたぞ!? ピカチ○ウかお前!」
「なに、それ?」
「おいマジかよ。まさか現代に世界的アイドルモンスターを知らない奴がいるとは思わなかった。よし、じゃぁ貴様には現代の一般常識を教えてやる」
「え……きゃっ」
「よーし、そーと決まればウチに行くぜ! ついでに俺のコレクションも見せてやる!」
「あ、あの、トキヒコ!?」
「うはははー! 苦節9年! ついに俺のコレクションを見せびらかす日が来たんだぜー!」


 
 きょとんと小首をかしげる姿。
 目を見開いて驚く姿。
 あわあわとどうすればいいかわからずキョドる姿。
 そして、にっこりと花開くような笑顔。
 フェイトの仕草は、その全てが何度見ても〝アイツ〟とダブる。生き移しだとかクローンだとか、あるいはそっくりそのまま生まれ変わったとか言われても信じてしまいそうなくらい、そっくりだ。
 ……あぁ、そういえば〝アイツ〟も最初はこんな風に純朴だったよなぁ。何がどうまかり間違ってあんな風に成長しまったのかは、まったくもって理解と想像が及びもつかないのだが。

 

「あ、そういやお前、電車の乗り方知ってる?」
「し、知ってるよ!」
「おお、世間知らずのお嬢様が秘かにレベルアップを!」
「わ、私世間知らずじゃないよ。ただ、ちょっとこっちの世界に慣れてないだけで……」
「はいはい、世間知らずはみんなそうやって言い訳するんだ。ちなみに、既にその手の言い訳は使われているので俺には利きません。免疫バリヤー」
「あうぅ」



 困ったように眉を曲げる姿が、またもや出会ったばかりのマイラバーを思い出させる。
 ……うん、やっぱほっとけねーっす。
 もちろん、俺はすずかちゃんが好きだ。一番好きだ。多分、今ならマイラバーよりもあ……あー、あー、えー、好きだと断言できる。あぁできるとも!
 ……でもさ。
 生まれ変わった世界で〝アイツ〟と瓜二つの女の子に出会って。
 何の因果か、こうして手を取って一緒に走り回って。
 そして、そんなこいつのために、何かしてやりたいって思ってる俺がいる。
 そんな、奇跡みたいなことが重なってしまったら、ちょっとばかし情が移っちまうのも、まぁ仕方ないよね?
 そんな誰に対してなのかわからない言い訳を心の中で呟いて、俺はフェイトの手をしっかりと握りしめたのだった。
 
  
 
「ところでトキヒコ」
「なんだー?」
「……トキヒコって、女の子だったの?」
「よし、フェイトそこに正座しろ」
「えぇ!?」



 ……そういえば、女体化したことの説明を忘れてた。






 

 
 

「てわけでー、連れてきちゃいましたー」
「お、お邪魔、します?」
「あらあらあら!? ちょっと時彦何どうしたのこんな可愛らしい娘さん連れてくるなんて!」


 
 臨海公園を出た俺達は、そのままフェイトと一緒に自宅へとやってきた。
 理由? だって、お金を使わないで遊ぶ方法って考えたら、とりあえずうちにくるしかないでしょ? 俺はアリサ達みたいにお金持ちでもなければ、すずかちゃんや高町のように自力で遊ぶ資金をねん出できるような人間でもない、普通のどこにでもいるような小学生だからね☆
 ……無理があるな。いやまぁそれはいいとしよう。
 しかし今日は日曜日です。母上は休日です。つまり家には母上がおるわけでして。
 帰宅するなり、フェイトは母上による熱烈な歓迎を受けることになってしまいました。失敗したかなぁ、これ。



「初めまして、時彦の母です。お名前をお伺いしてもいいかしら?」
「え、あ……と、ふぇ、フェイトです。フェイト、テスタロッサ」
「あらまー、外国の子? アリサちゃんに続いて二人目なんて――――アンタ何、外国の女の子ひっかけるの得意なの?」
「なわきゃねーでしょ。ただの偶然だっつーの」



 目を女子高生みたいにきらきらさせてべたべたとフェイトに抱きつく母上殿。どうでもいいが歳を考えろ。
 母上はフェイトを人形か何かと勘違いしているのだろうか。ともあれあわあわと慌てるばかりでどうしたらいいかわからない、というのがまんまわかるフェイトの手を取って、母上は俺なんていないかのとごとく居間へと戻って行った。
 ……な、なんだろうこの疎外感。俺息子だよ? 息子よりも見ず知らずの女の子が来たことを喜ぶ母上ってどうなのよ。べ、別にやきもちじゃないもんね!?
 そして暫しの事情説明。とはいっても、どこで出会ったとか趣味とか好きな食べ物とかそういうので、どこに住んでるかとか両親はとかそういうプライベートな事は話さなかった。



「あらまぁ大変ねぇ。その歳で従姉さんと二人暮らしなんて、大変じゃない?」
「いえ、その、アルフがしっかりしてるので」
「でも偉いわねぇ。お忙しい御両親に迷惑をかけないようにと言っても、中々できることじゃないわよ?」
「は、はぁ……」
「うちのドラ息子には一生無理ね。一人暮らしなんかさせたら、一週間でゴミ魔殿が出来上がりそう」
「うぉーい母上ー!? それはあまりにも息子のことを軽んじてはいらっしゃりやがりませんでしょーかー!?」
「あんなダメ息子に捕まって迷惑でしょうけれど、我慢して付き合ってあげてね?」
「い、いえ、そんな迷惑だなんて……」
「……そろそろ俺、この酷い扱いに泣いてもいいよね?」
「〝泣きません、勝つまでは〟がアンタのモットーじゃなかったっけ?」
「記憶にございません」
「政治家かアンタは!」
「ぎにゃんっ」
「あ、あはは……」



 その後すぐに母上に解放されて、俺とフェイトはリビングでゲームに興じることにした。ちなみに、母上は休日だというのに、何故かフェイトを見て「ティン!ときたわ!」とか言って自室に篭られた。さすが生粋のモデラー。今度は何作るつもりなんだろうか……。
 ともあれ、気を使ってくれたってのもあるんだろうなぁ。そもそも、俺が家に女の子を連れてきたことなんて今まで一度もなかったし、いつもすずかちゃん達と遊ぶ時は外かあっちの家だったから。まぁ、横で茶々入れられないぶん全然マシだ。
 さて、とは言ったものの、うちにあるゲームと言えばアクションとか格闘ゲームばっかりで、女の子が喜びそうなゲームが無い。



「フェイトってどんなゲームやる? パズル系が得意なら、パソコンのエミュでぷ○ぷ○でもやったほうがいいかなー」
「えと……その、私そういうのよくわからなくて……」
「むむっ。ゲームを知らないと申すか。じゃぁこれとか知らんよね?」
「うーんと……ごめんね。まだこっちの字は読めないんだ」
「あぁ、そっか。まだこっちの字は覚えてないんだ」
「うん。ある程度は覚えたんだけど、まだまだ勉強が足りないから」
「でも言葉はペラペラだよなー」
「少し、魔法を使ってるの」
「汚い、さすが魔法汚い」
「あはは……」



 くそう、俺も魔法が使えたらなー。そしたら外国あっちこっちいけるし、就職の時もいい武器になるのに。
 ……って、小学生が今から就職のこと考えてどーする!?
 


「どうしたの、急に頭抱えて?」
「いや……なんでもない」



 きょとん、とソフトのパッケージを持ったまま小首をかしげるフェイト。
 その姿が、ふとマイラバーとそっくりそのままかぶってしまった。
 まるでつい昨日のことのように思い出せるのは、やっぱり未練があるからなのかな。結局、まともな別れの言葉も言えずに会えなくなっちゃったし、あの後アイツがどうなったのかは、正直かなり気になってる。
 でも、今更それを確認する術なんてなくて、そしてなにより〝ここ〟は〝前〟とは違う世界だ。似てるようで、全く違う。忘れるべきだとは思わないけれど、切り替えはしっかりするべきだと思う。
 そう、アイツとフェイトを重ねるのはいけないことだ。何より、二人に失礼だろ。


――――どうかした? 頭が悪いのか? あ、悪いのはもとからかー♪


 ……どっちかっていうと、失礼なのはフェイトに対してだな。主に人間性的な意味で。



「さって、基本を抑えつつゆるゆるやるかー。今日は試しだから、かたっぱしからやってくぜー!」
「う、うん」



 滅茶苦茶緊張してるのか、コントローラを握るフェイトの手は真っ白な肌が余計に白くなっていた。なんかミシミシ言ってるのは気のせいだと思いたい。
 ともあれ、そうして世間知らずのお嬢様への近代娯楽講義は始まった。
 ちなみに、最初の科目は某堂の64版スマブラです。ドンキーで抱え込みダイビングの恐怖を教えてやンゼ!








 

「ほーれ、ここがいいのか? ここがええんやろ?」
「あん、やっ! だめっ、そんな激しくしたら!」
「はっはっは! まだまだ! そらもっと激しくいくぜー!」
「やぁ! だめだよトキヒコ! そんな風にしたらっ……」
「ほーれほーれ! 我慢できまい!」
「んん! そんな、ずるいよトキヒコ。そんな風にされたら、私……」
「ふはははー! さぁさぁ近寄ってこれるものなら近寄って――――」
「あ、ホームランバット」
「にぎゃーーー!?」


 
 開始30分後の結論。ホームランバット超強ぇえ。
 何故か開始10分でコツをつかんだフェイトによって、俺のゴリラが数え切れないほどお星さまになってしまいました。なんたることか。
 


「……お前本当に初めてなのか。つーかこれはアレか。初めて詐欺なのか」
「初めてなのは本当だよ? コツを掴めば簡単だもん」
「……こやつも天才の一種だったとは。神よ死ね」



 なんで俺の周りはこう、なにかしら年齢不相応な能力を持った人間しかいないのか。
 いやクラスメイトの大半は普通だけど、アリサ然りすずかちゃん然り、高町にフェイトと四人もそんな超小学生級がいるとかどんな異常事態だ。
 しばらくピカチュ○は見たくもないので、早々にゲームを取り替えた。
 次は、なんとびっくり、既にこの世界でも発売していた通称ガンガンNと呼ばれるロボ格ゲー。しかし、これまたものの十数分でコツをつかんだフェイトは、俺の機体をフルボッコにしてくれた。いや正確には互角くらいなんだけど、気分的にはフルボッコです。



「しかし、死神が異常に上手いなお前」
「なんか、武器もそうだしかなりしっくり来るね。少し攻撃が遅いのが気になるけど……」
「おまけにエクシア使うと鬼のように強いフェイトさんに俺は絶望した」
「あ、あはは……」



 その次はよーしと気合を入れてスパデラ。ただし対戦系ミニゲーム限定限定で。
 かちわりこそ俺が勝ち越したものの、刹那の見切りでは驚愕の全戦全敗。何この子マジ怖い。



「一番遅くても03とかどんだけだよお前」
「集中してれば簡単だよ?」
「いや、そのりくつはおかしい」
「そうかなぁ……」



 道理で高町の奴が後手に回るはずだわ。ぶっちゃけた話が後の先が取れるんんだから、高町からしてみれば卑怯極まりない強さだろう。よくこいつ相手にアレだけ戦えたもんだ。
 結局、それからパズル系やらIQ試すダンジョン系やら、とにかく俺がもってるゲームの過半数を強行軍でやりたおした。
 フェイトも呑み込みが早いから、開始三十分もすると、ほとんどそのゲームの基本を抑えていたので、一つのゲームにかける時間は少なかったが、十分に楽しんでくれたようだった。



「おおう、もう三時半か。ちょっと小腹空いたな」
「そういえば、お昼は鯛焼き一つだったもんね」
「ちょっと待ってろい。今なんか食いもん持ってくる」
「え、い、いいよトキヒコ! そんな、私は大丈夫だから!」
「お前が良くとも俺がダメなんじゃい。変な遠慮するくらいなら、俺のついでってことにでもしとけ」
「うぅ……」



 変に遠慮深すぎるんだよな、フェイトの奴。
 とりあえず無理やり納得させて、俺はキッチンの戸棚や冷蔵庫を開けてがさがさと物色してみる。
 しかしげんじつはざんこくだった。



「ははうえー! ははうえははうえー! 兵糧攻めでござる! 腹が減ったのでストライキがステンディバイなのですよー!」 
「もう煩いわねぇ……って、あら、そういえばフェイトちゃん、何も食べてないの?」
「俺よりフェイト!? いやまぁ客人だしもてなさにゃならんのはわかるが、何故だろう。今の言葉に明らかに俺の優先順位が最下層にあると言外に言われたような気が……っ」
「間違ってないから否定しませーん」
「なん……だと……!?」
「あらまぁ、ホントだわ。さっき私が食べたので終わりだったのね。ならちょうどいいわ。時彦、あんた桃子のトコ行って買ってきてよ。ちょうど甘いもの食べたかったし」
「行って帰ってきたら夕飯の時間にならねーか?」
「デザートにすればいいでしょ。ついでにフェイトちゃんにも美味しいもの食べさせてあげなさい。夕飯も一緒に食べるなら準備しておくから」
「わかった。食うかどうかはわからんが、とりあえず聞いてみる」
「じゃ、もうちょっと私は籠ってるわね」
「へーい」


  
 子供には眩しい、五千円札をポンと手渡した後、母上はまた部屋に戻って行った。いくらなんでもハッスルしすぎじゃなかろーか。
 まぁこんなのはいつものことなのでたいして気にはしてない。



「おーいフェイト。外に食いに行こうぜ。母上からお小遣い貰ったし」
「いいの?」
「母上のお達しだ。逆らうことは許されぬ」
「ふゎ……ものすごい縦社会なんだね、トキヒコの家って」
「うむ。母上が法律だからな」


 
 遊んでいたゲームを片づけて、さぁて出かけようという段階になってようやく気付いた。
 ……俺、髪切ってねぇ。
 おまけに、今頃高町の奴は高町家式罰則により今頃翠屋でただ働きしてるはずだ。そんなところへ女体化した俺がフェイトを連れていく……?
 社会的な意味で死ぬ気か、俺!?
 いやいやいや、よく考えろ俺。命を粗末にしてはいけないだろ。命令は〝いのちをだいじに〟だということを忘れちゃいけない。 
 そもそも俺が女になったことはバレちゃまずいし(主に俺の弱点的な意味で)、なんの準備も無しにいきなりフェイトを連れて行こうものなら、一体どんな厄介な事が起こるかもわからない。
 しかし母上はしっかりと〝桃子のとこ〟という、翠屋を指定してきた。これはもはや変更不可能な確定事項。避けて通れぬ地雷原。どうする俺!?



「それにしても、トキヒコのお母さん綺麗だね。だからトキヒコも髪伸ばしてると可愛いのかな?」
「――――って、何真顔でアホなこと言ってるのこの子!?」
「アホって……だって、トキヒコ、そのままでも可愛いよ? ちゃんと服着れば、普通に可愛い女の子に見えるのに」
「嬉しくねぇ!? おま、よりにもよって男の俺を捕まえて女装しろとか――――ん? 待てよ?」



 母上じゃないが、ティン!ときたぞ。
 どのみち、昨日の時点で俺の男としての尊厳は、瓦割100枚クラスの勢いで粉微塵にされてしまってるんだ。今更気にするほどのプライドなんて、ミミズの涙程しかない。
 ためしに「あーあーあー」とちょっと高めの声を出してみる。いわゆる女声というやつだが、さすが第二次性徴期前。これなら誤魔化せるだろう。
 ……ならば、決まりだ。



「よし、これで行こう」
「トキヒコ?」
「えーと、確か昨日買った服は……あったあった! フェイト、お前コレな!」
「へ? いや、あの、いきなりこれって言われても」



 とりあえず、昨日適当にしまっていた女物の服の内、似合いそうだなと思う服をポンポンと手渡していく。
 やや大人っぽい、小学生にしてはおしゃまな服だが、しかし元が滅茶苦茶いいフェイトが着れば、それこそ鬼に金棒の魅力となるだろう。ルーズシルエットの白ワンピースに、これまた白のハイニーソ。んで胸元には青い水晶のブローチとボレロ風カーディガン、靴は確か無難な黒のニットブーツがあったな。



「あとコレ。バレッタで髪結い上げて、んでこの帽子しとけ。これでバレないだろ」
「や、だからトキヒコ」
「うーし。じゃぁ俺はユニセックス系で行こうか。デニムのホットパンツにレギンス、あとはー……」
「ねぇ、トキヒコ! わたし、何が何だかよくわからないんだけど……」
「あー、くそどーしよ。ハイニーソにしてもいいんだが、嫌いなんだよなぁ……いっそ素足にサンダルか? お、意外といいんじゃね?」
「……バルディッシュ」
≪Yes,sir.≫
「このキャミにカーディガンいいね。紅ってのがちと派手だが、キャミがロイヤルパープルで派手だしいっか。つーかこの際なんでもいい。とりあえず見栄えがそれっぽくて誤魔化せれば――――」
「トキヒコ? 事情を説明してほしいんだけど?」
「―――――あい、とぅいまてん」
「もう」



 喉元に黒い何かを押しつけられまして、ひこちん脂汗だらだらなのよさ。
 見れば、いつぞやみたフェイトの愛用の武器――――さっきのガンガンNの死神がもつ武器と似ているソレを握って、フェイトがむーと頬を膨らませていた。いやいや、可愛い顔してなんて物騒なマネしてるんですかあなた。



「どういうこと? いきなり着替えてだなんて」
「い、いやな? 実はかくかくしかじかで……」



 フェイトに説明したのは、簡単に以下のように説明した。
 今から行く店がお前の不倶戴天の敵もとい友達を自称し続ける馬鹿町がいるところで、ついでに俺は今の姿を見られたくないこと。
 もし俺がなんの連絡も無しにお前を連れてけば、下手をすれば厄介な事になりかねないこと。 
 だから、いっそのこと別人になり済ましてしまうために変装すること。
 重要なのはその三点で、とりあえずお互いに着替えながら、そんなことをかなり駆け足で説明した。
 説明が終わる頃にはお互いに着替え終わっていて、そしていきなりすぎる俺の説明にフェイトは溜息をついた。



「もう、そういうことなら先に説明してほしかった」
「う、すまん……もしなんの連絡も無しにお前をつれてったら、また面倒な事になるのは目に見えてるからさ。それは、きちんと準備を踏んでからにしたいんだ」
「……私は、別にそういうつもり、ないのに」
「お前がなくても、馬鹿町のやつがその気なの。諦めろ」
「あれ……? トキヒコが言ってるのって、あの白い魔導師の子だよね?」
「そうだけど?」
「タカマチ、じゃなかったっけ?」
「いやいや、〝タ〟じゃなくて〝バ〟ですから。馬鹿町。お前アイツの自己紹介ちゃんと聞いてたの?」
「え? あれ? だってあの時は確かに〝タカマチ〟って……」
「ちっちっち、まったくお前も注意散漫だなぁ。きっとそれは間違いなくお前が聞き間違え――――」
≪Mister. Don't give my lady the lie.≫
「…………トキヒコ?」
「はい、すみませんウソですごめんなさい」



 ジャンピング土下座で今日も膝が痛い。
 つーかフェイトのデバイスってすげぇ主人思いなのね。優秀な執事様ですこと。レイジングハートはむしろ自力でどうにかしろ、ってタイプっぽいんだが、どうやらこちらのバルディッシュさんは過保護なタイプらしい。……あくまで俺の勝手な印象だけどな。
 ともあれ、バルディッシュさんに窘められてしまったので真面目に答える。



「とにかく。高町がいる以上、油断するわけにはいかんのだ。さらに言えば、俺の女体化がバレるわけにもいかんのじゃ」
「そっか……うん、そういうことなら仕方ないよね」



 物わかりのいい子供、おにーさん大好きだよ。
 というわけで、お着替え続行。
 女装で変装大作戦、スタートだぜ!
 













――――――――――――――――――――――
弁明もといやっちゃったんだZE☆
――――――――――――――――――――――

と言うわけでもちょい続きます。
これが終わったら、テンプレのイベントが待ってるんだぜ。


わたくしめが未熟なばかりに、最近とみに文体が乱れまして申し訳ございません。
この作品はかなり気楽に書いているので、あまり文体にこだわらないスタンスだったのが主な原因だと思うのですが、しかし安定しないなぁ。
こんな作品ですが、気がつけば驚愕の18万撲殺件数。あかん、予想外や。
これもひとえに皆様のおかげでございます。これからもどうか、生温く見守りくださいませ。



P.S
らんま2分の1ネタとわかっていただけて感無量です。




[15556] 休日と友達と約束
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:40



「すみませーん、デザートの注文したいんですけどー」
「はい、お待たせしました。御注文をどうぞ?」 
「ウチ、ココアとティラミス、あとピーチタルトで! シルはどうする?」
「えっと……私もココアで。あと、このドゥーブルフロマージュを」
「一個でいいの?」
「だって、そんな悪いよ」
「いいから気にしないで頼んじゃいなって。あ、ウチミルフィーユ食べたいから一緒に食べよ」
「トコがそれでいいなら……」
「おっけー、それじゃミルフィーユも追加で。いじょーでお願いしまーす」
「かしこまりました。少々お待ちくださいねー♪」



 注文を取り終わった美由希さんが、テーブルの上の食器を持って去っていくのを見届けながら、俺は内心で超ガッツポーズを取っていた。
 その嬉しさがにじみ出ていたのか、対面のフェイトが呆れたように溜息をつく。



「…………ククク、ワレの正体に気付かぬとは。まだまだひよっこよの、美由希さん」
「……入った時はびくびくしてたのに」
「こーもあっさりいくとむしろ楽しくなってきたんだよ。いかん、女装ハマるかも」
「え……」
「ウソだよ!? ちょっとしたお茶目をマジに取らないで!?」
「でも……トキヒコだし」
「なにその〝あいつだしなぁ〟みたいな認識。俺様かなりショッキングなんですが。そして今は俺はトコね? あーゆーおけ?」
「トキ……トコはもうちょっと自分の特殊さを自覚したほうがいいと思うよ?」
「シルはもっと積極的に他人とかかわるべきだと思うよ?」
「……いきなり話をシリアスな方に捻じ曲げたね」
「逃げるためですから」
「まったくもう」



 俺がトコ、フェイトがシルとなった女装で変装大作戦は、むしろこちらが罠なんじゃないかと疑いたくなるくらい、上手くいっていた。
 てっきり妙なところで鋭い美由希さんのことだからばれるかなぁと半信半疑だったのだが、いやーまさに案ずるより産むがやすしってね。
 まぁ、代わりにいつものお得意様サービスが受けられないのは残念だが、別に俺の金じゃないからいいや。母上の金でスイーツが美味い。ざまーみさらせはーっはっはっは!



「にしても、犯罪的な可愛さだな、お前」
「へっ!? い、いきなり何言ってるのトコ!」
「いやー、服を選んだ俺が言うのもなんだけどさ」



 今俺達が据わっているのはテラスのテーブル席で、ちょっと小さめなために頭を横にずらせば簡単に対面に座るフェイトの全身が見れる。まぁ、そもそも二人掛け用だし、そんなでかいテーブルでもないから当然なんだけど。
 もちろん、俺としてはリスクを減らしたいのでボックス席を希望したのだが、生憎混んでる時間帯だったためボックス席は満席。カウンター席も同様で、外のテラス席しかなかったので現状と相成っている。
 それはさておき、今はフェイトの格好だ。
 まだ夕暮れ前、日が暮れ始めたばかりということもあって、結構日差しは強い。パラソルがなかったら、長時間居続けるにはちょっとしんどいくらいだ。
 変装をより完璧にするためと言うのもあったが、何よりもそんな陽射しの中を、真っ白な肌をしたフェイトをそのまま歩かせることが憚られたというのが、フェイトに帽子を渡した理由だったんだが、ここにきてその選択は予想以上の副次効果を生み出している。
 フェイトは今、白いルーズワンピースに、白のハイニーソ。淡い水色のカーディガンにブローチという姿に、いつものツインテールではなく、バレッタで一つにまとめて肩から胸に流し、クリーム色の、青い蝶細工があしらわれた鍔広帽子を被っている。普段が黒一色だから、それに反抗する感じで正反対の色をチョイスしてみたんだが、コレヤバいな。
 シンプルながらも、その類稀なる容姿と普段の儚い雰囲気のおかげで、まさにどこかの御令嬢と言った風体だ。ただでさえ美少女なのに、なおさら少女趣味な可愛い服を着たりしたら鬼に金棒だろう。想像していた以上の可愛さっぷりに、さすがの俺もどっきどきですよ。
 


「道行く人たちも、なんだか気になるお年頃のようだし」
「え、うそ」



 ばっ、と街道になっているすぐ隣を振り向いて目を見開くと、すぐさま顔を元に戻し、今度は顔をリンゴのように真っ赤にして俯いてしまった。どうやら視線がばっちりと合ってしまった人がいたらしい。そら恥ずかしいわ。
 ともあれ、こんな変装をしていても注目されてしまうのは、やはり素材が良すぎるからだろう。きっとすずかちゃんでも同じことになってるに違いない。
 


「お待たせしました。ティラミスにピーチタルト、そしてこちらがフロマージュとミルフィーユになります。御注文の品は以上でよろしいでしょうか?」
「はーい。ありがとうございまーす」
「ふふ、ごゆっくりー♪」



 待ちに待ったデザートタイムである。
 三時過ぎという時間に加え、ここまで歩いてきた軽い疲労も手伝って、お腹は結構減り減りなのだ。
 フェイトはそんなに食べないとのことで、ピザセット一人前で十分足りてしまった。どの道夕飯があるし、あまり食い過ぎるのもあれだからな。
 しかしデザートは別です。特に桃子さんの作るデザートは値段と質の等価関係をぶち壊してあまりあるので、食えるならばたくさん食いたい。ていうかここまで頼んで母上からもらったお金の半分くらいしか使ってないんだよね。
 


「わ……美味しい」
「でしょー? 値段の割に、味が高級店に劣らないからねー。商店街ん中じゃ、超人気なんだよここ」
「うん、わかる気がする。さっきのピザもすごくおいしかったし」
「惜しむらくは、フードのメニューがちょっと少ないことかなぁ。ま、季節で変わってくから、そこまで不満じゃないけど」



 美味しいデザートも食べれて満足満足。
 俺が一人でこんなに食ったら母上に折檻されるだろうが、今日はフェイトがいる。さっきの様子じゃ、いたくフェイトのことを気に入ってたみたいだから、この程度ならむしろ「もっと美味しいもの食べさせてあげなさい!」と怒られかねん。金銭的な問題でこれが限界だからソレはないと思うけど。
 まぁそのぐらいフェイトは気に入られてた、っぽいんだよね。無類の可愛い物好きな母上なんだから間違いない。
 あ、でも写真撮影だけは自重させよう。さすがに余所様の娘さんを勝手に写真撮るのはいかんだろて。



「……あの子も、ここで働いてるんだね」
「おー、さっき見たろ? 主にレジやってるみたいだけど、時々ショーケースの中のスイーツの補充とかもしてるみたいだな」
「うん。さっき、一生懸命シュークリーム運んでた」
「ちょーっと危なっかしいから、まだまだホールは任せてもらえないのかも。まぁ小学生がホールやるのはさすがに無理あると思うし」
「注文とったり、お料理運んだり、だっけ。……私には、難しいかな」
「うちらは身長の問題もあるし仕方ねーよ。そういうのはもっと大人になってからだって」
「そっか」
「ま、しばらくの間は、高町のやつここで手伝いしてるだろうから、暇を見つけて会ってやれ。すげぇ喜ぶと思うぜ?」
「…………うん」



 だめだこりゃ。フェイトの気のない返事を聞いて、俺はそう確信した。
 理由はわからないけど、多分まだアイツに会う勇気が持てないんだろうな、とあたりをつけてみる。
 まぁ、元々親しい間柄どころか敵対関係にあったのに、いきなり会ってみろなんて無茶もいいところだしな。
 大喧嘩やらかした赤の他人に、翌日に笑顔で話し掛けてみろ、って言われるのと同じ話だ。俺だったら絶対無理。
 ココアを一口飲みながら、ちょこちょことケーキを突っつくフェイトは、それでもちょっとばかり悩んでいるみたいだった。
 悩むのはいい。まだ会うのは難しいかもしれないけど、そうやって悩み続けて、いつか会おうっていう結論が出せるなら、それでいいさ。
 焦って結論を出しても、あんまいいことないし。急がば回れとは、昔の人はよく言ったもんだ。
 …………なんて、油断してたせいだろうか。



「……あれ? フェイトちゃん?」
「「―――!?」」



 ぎぎぎ、と錆びついたブリキ人形のようにその声の方へと振り返ってみれば、ちょこんと小首をかしげてこちらを見る、とてもとても小さな翠屋の店員様の姿が。
 …………何故にばれたーーーーーーーー!?!!?



「わぁ、やっぱりフェイトちゃんだ! ひどいよ、来てたなら言ってくれればいいのにー!」
「あ、あの……って、わわわ」
「すっごい可愛い服だね! フェイトちゃん可愛いから、まるでおとぎばなしのお姫さまみたいだよ!」



 まさに喜色満面。なんていうかもうこれ以上ないくらい嬉しげな様子で、イノシシのごとくフェイトに詰め寄ったそいつ――――高町は、ぶんぶんとフェイトの両手を取って喜びを露わにした。
 一方、フェイトは茫然としたままされるがまま。なんと答えればいいのか、あるいはどうしてバレてしまったのか考えているのだろう。俺も同じである。
 


「あれ? そっちの子は?」
「えっ!? あ、あの、その子は……」
「フェイトちゃんのお友達? だとしたら、フェイトちゃんって近くに住んでるの!? うわー、ねね、こんど遊びに行ってもいい!?」
「あ、あの、えと」
「その時はアリサちゃんとすずかちゃんも誘って良いかな? あ、アリサちゃんとすずかちゃんは私の友達で、二人ともすっごくいい子なの! フェイトちゃんもきっと仲良くなれるよ!」
「そ、そう。……って、そうじゃなくて」
「あれ、フロマージュ好きなんだ……ということは、まだデザートの途中? よかったー、わたしも今から休憩だから、よかったら一緒に食べようよ。なんならおかーさんにお願いしてシュークリームも貰ってきちゃ――――」
「落ち着け馬鹿町」
「はにゅっ!?」



 興奮して周りが見えなくなっているのか、混乱の極みに陥って目を回しかねないほどパニクってるフェイトに気付かない高町の頭に、俺の空手チョップが叩き下ろされた。
 情けない声を洩らしながら、涙目でこちらを振り向く高町。物凄く恨めしそうな表情が、しかし徐々に困惑へと染まっていく。



「何するのほんだくん! 痛いじゃ――――あれ?」
「条件反射かよ!? 頭にチョップされたら無条件で俺なのか!?」
「え?」
「あ゛……」



 空気が凍る。
 やっちまった。思わずノリで――――いやいや誘われるようにして突っ込みを入れてしまった。



「…………う~ん?」
「っ~………!」



 じーっと、俺の顔を覗き込んでくる高町から、必死に顔を逸らして素知らぬふりをする俺。実際は流れる汗滝のごとしですよ。
 目を細め、俺の全てを暴きたてようと頭のてっぺんからつま先の先まで舐めるように見てくる高町。
 こう、なんつーの?
 菱形の目の中央に小さな丸がある、あのギョロッとした感じの。アレだよアレ、うさ○ちゃんみたいな! 
 ……冷静に考えたら超怖いな、今の高町。
 対して、必死になって目が合わないように顔を逸らす俺。当り前だ。悪あがきだろうがなんだろうが、俺は最後まで諦めない!
 しかし世の中何事も限界と言うものがあるわけでして。
 じーっ。さっ。
 じとーっ。ささっ。
 じじーっ。さささっ。
 「あ!」ぴこーん!
 


 ……オワタ。
 ぽん、と高町が手を叩いた。
 その先の台詞が予想できてしまい、俺はあちゃーと思わず額を抑えてしまう。
 しかたない、こうなれば大人しくゲロるしかないか――――。



「ほんだくん、女の子の格好すごく似合うね?」
「って、そっちかぁぁぁああああ!?」











 というわけで。
 もはやバレてしまったものは仕方ない、といった開き直りの精神で、ここに来た敬意を簡単に説明してやる。もちろん、俺の女体化については黙っておいた。今話してもややこしいことになるだけだし、ノリで女装したのは間違いじゃないからな。
 

 
「なるほどー、そういうことだったんだね」
「……なんでそんなあっさりと受け入れられるのか不思議で仕方ないんだが」
「にゃははー♪」
「うぜぇ」
「ふきゃっ!? ま、また叩いた! 次叩いたら怒るんだからね!?」
「おーやってみろこの馬鹿町。エルフ示現流の弟子であるこの俺様に勝てると思うなよ?」
「えー、またほんだくん変な漫画にハマってるのー? ていうか、それはいくらなんでもださい気が……」
「ださいとか言うなよ!? 妖刀ざっくり丸の恐ろしさを知らないからそんなこと言えるんだ!」
「ざっくり……うわぁ、名前だけ聞くとすごく痛そう」
「ふふふ……貴様は全エルフ示現流の人間を敵に回したのだ。夜はつむじに気をつけるんだな。妖刀ざっくり丸が貴様のつむじを狙っている!」
「ふぇ、フェイトちゃんどうしよう! わたしほんだくんに狙われちゃう!」
「あ、あはは……」



 苦笑いするしかないフェイトに、高町は半泣きになりながら抱きついた。
 俺達の据わっていた席に、まるで当り前とばかりにちゃっかりと座っているのはいいとして、だ。
 ……何故に当り前のように俺の正体まで、桃子さん以下高町ファミリーにバレバレなのでしょうか。
 つーか美由希さん気付いてたのかよ!? なら突っ込んでよ! あやうく超赤っ恥かくところ――――いやもうかいたからいいのか。そーだよなー、既にバレてんだから今更恥の上塗りしよーが関係ないもんな!
 ……あれ?



「急に頭抱えてどうしたの、ほんだくん?」
「……ちょっとな。人生って、ままならないな、って」
「うにゃ? どーゆーこと?」
「いや、いいんだ。高町のお嬢ちゃんにはまだまだ早い話題だったかな、はは」
「むー……へんなの! ねー、フェイトちゃん?」
「え? あ、う、うん?」

 
 
 ともあれ、高町の奴は念願のフェイトとの対話ができて酷く満足の御様子である。
 フェイトも、戸惑ってはいるけれど、まんざらでもなさそうだ。
 正直、もうちょっとギスギスするかなぁと心配してたんだが、杞憂だったみたいで安心安心。
 しかし、不思議なものだ。「本当なら、お互いにジュエルシードをめぐって骨肉を抉り、復讐と復讐をぶつけ合って血潮を飛び散らせるような凄惨な戦いを繰り広げていた二人が……」「「してないよ!?」」……あれ?



「声に出てるよほんだくん! というか、わたしたちそんな危ないことしてませんっ!」
「そうだよトキヒコ! それに、それだとほとんど殺し合い……!」
「え? ちがったっけ? お前らの戦いっぷり見てると、まるでどこぞのロボットアニメを思い出すんだが」



 こう、もとは味方同士だったのに、とあるきっかけで敵同士になって、ガチバトルするっていう展開。
 高町の重火力と、フェイトの高機動を見てると自然とそんな印象を持ってしまうのです。分かる人にはわかるはず。
 少なくとも、フェイトは一度覚悟を決めた後、かなり本気で高町のこと潰しにかかってたし、あながち間違いではないと思うんだよな。
 しかしながら、どうにも高町とフェイトの二人には不満だったらしく、二人して仲良く俺のことをじとーっと睨んできました。
 


「そ、そういえば! 月村さんとアリサのやつはどーした! なんか月村さんは用事があるとか言ってたけど」
「むむ、なんだかろこつに話題を逸らされた気がするんだけど……」
「木の精だ」
「もう、いつもそうやって誤魔化すんだから」
「いいから教えろよ。特に月村さんから何か聞いてる? 今日電話したら、なんか用事あるって言ってたんだけど」
「すずかちゃんが? うーん……わたしも何も聞いてないよ?」
「そかー」



 やっぱり、急な用事か何かだったんだろうか。残念だなぁ……。
 まぁ、実際に会えるとなっても、こないだの〝事件〟が未だに脳裏にくっきりはっきりと残っているので、恥ずかしくて顔合わせるどころじゃないんだけどさ!
 ていうか、冷静に考えてみたら、俺まだ女装中なんだよね。
 もしこんな状態ですずかちゃんに会おうものならば……。

 本田君、女の子だったの?→違うよ俺男だよ!→男の子なのに女装してるの?→いや、これには深い事情が……!→本田君が変態だったなんて……ごめんなさい!
 
 ……俺死亡のお告げが聞こえてきた。
 今の状態で会うのは絶対に避けよう。何としてでも避けよう。つまりは現状維持でいこう、うん。
 


「アリサちゃんは、お父さんと一緒にお出かけだって」
「あ、アリサはどうでもいいや」
「……時々、ほんだくんってアリサちゃんに優しくないよね」
「そんなことないよーほんとだよー」
「あー! ウソだ! ソレぜーったいにウソ!」
「フェイトは信じるよな! 俺のこと信じてくれるよな!? あんな馬鹿町みたいに俺のことを心の底から疑ったりしないよな!?」
「え……? あ、えと、私は……」
「ダメだよフェイトちゃん! ほんだくんは平気な顔してウソ吐く、ウソ吐き村の村人なんだから!」
「ウソ吐き村……? そんなのがあるの?」
「フェイト! そいつの戯言に耳を貸すな!」



 結局、そのまま俺達三人は、翠屋で延々と雑談してました。
 ……なーんか忘れてる気がするんだよなぁ。なんだっけか?
 








 春といえど、太陽の帰宅時間は未だに早い。
 さすがに五時を回ると太陽も「わしゃ疲れた」とばかりに帰宅準備をしだし、気がつけば西の空が綺麗な紫色へと塗り替わっていた。
 その間、美由希さんや恭也さん、あと士郎さんもやってきては話し掛けていき、それに対して俺は滅茶苦茶恥ずかしい思いをしながら「趣味じゃないんです! 今日は仕方なくてこんな恰好してるんです!」と必死な言い訳をする羽目になった。おのれタカマチ、貴様のせいでまたしても俺のイメージが壊れてしまった!
 ともあれ、その度に差し入れと称したお菓子とドリンクのお代わりをさせてくれたので(無論ドリンクはサービス、お菓子は特別に4割引きという、赤字覚悟の良心である。今度土下座するしかない)、必ずしも迷惑だったと言えないのが苦しいところか。いやしかしなぁ……まさか女装少年と勘違いされるのはいち男の子としてどうなんだろうか……。
 嵐が過ぎ去った後、深く男の子とは何かを考えざるを得なかった。
 


「さーてと……そろそろ帰るかなぁ。夕飯の時間だし」
「えー、もう帰っちゃうの?」
「バッカおめ、良い子は既に帰宅の時間だぞ? 夕焼け小焼けがモノ悲しく皆を帰宅させているのがわからんのか。俺様ちゃんは近隣で有名な超良い子なので早く帰らねばならんのだ」
「にゃはは♪ ほんだくんが良い子だったらわたしはもーっと良いこにゃにゃにゃ!?」
「ほほーう? 俺様を悪く言うのはどの口かなぁ?」
「にゃうーー! ひゃにゃひへょーー!」
「ま、まぁまぁトキヒコ。私も、トキヒコが良い子っていうのはちょっと無理がある気が……」
「フェイト、お前もか!?」



 最後の最後で酷い裏切りを見た気がする。
 この短時間で、高町とフェイトは随分距離が縮まったようだった。
 相変わらず、フェイトはまだまだ遠慮している気が抜けないが、それでも最初のころに比べれば、少しばかり積極的に話しかけるようになってきたし、こうして俺と高町との茶々にも合いの手を差し込んでくる階数が増えている。いいことだ。
 まぁ、大抵が高町の味方なのはどういうことなんだろうと首を捻らざるをえないんだが。それは置いておこう。
 


「あ、そうだ! ねぇほんだくん、だったら今日はわたしのウチでお夕飯一緒に食べようよ」
「高町ん家で?」
「うん! フェイトちゃんもいるし、ちょうどいいと思うの!」
「……んー、まぁ俺は別にかまわんけど……フェイト、お前はどうよ?」
「……えぇと」

  

 俺はというと、高町の家で夕飯を御馳走になるのは今までにも結構あったことだから構わない。だが、フェイトはそんな話を振られた途端、眉根を寄せて俯いてしまった。
 ……やっぱり、早すぎるよな。
 いくらこいつの性根が実は、バカみたいなお人よしだとしても、今まで争っていた相手といきなり食卓を囲む、ってのはしんどいだろう。それは無論、居心地が悪いとか敵同士なのにとか、そういう話ではなく、もっと単純な話――――つまり、迷惑をかけた相手に、遠慮してしまっている、ということだ。
 高町が敵だからではなく、自分の目的のために迷惑をかけてしまった相手として、フェイトは遠慮してるんだ。そして、高町はそんなことをまったく気にしていない。
 まぁ、フェイトがそれに気付いたにしても、頑固なフェイトのことだ。どの道、今日のところは一緒に夕飯を食べるのは諦めるしかないだろうな。



「ごめんね。今日は、ちょっと無理かな」
「えー! そんなぁ、せっかく会えたのに……」



 予想通り、心底申し訳なさそうにその耽美な眉をハの字にして、フェイトは高町の誘いを断った。無論、不服な高町はその返答に納得できずに食ってかかる。
 けど、それから約十分もの間、高町の奴は熱心にフェイトを夕飯に誘っていたが、結局フェイトは終始困ったような表情を浮かべるだけで、決して首を縦に振ることはなかった。
 太陽が沈み、暗い群青の群れが空を覆い尽くした頃、俺達はしょんぼりする高町を慰めながら、会計を済ませて翠屋を出た。
 ちなみに、退店間際に美由希さんに捕まって「可愛かったよー♪」と耳打ちをされた。ちくしょう、気付いてて黙ってたとかきたない! さすが美由希さんきたない!
 ついでに高町のかーちゃんである桃子さん(おばさんと呼ぶと何故か旦那さんが殺気を放つ)に夕飯を御馳走になってもいいという許可を頂き、ついでにうちらの両親も誘って高町本田両家を交えた夕食会に発展することになったのはどうでもいいことである。

 フェイトは電車で移動するらしいので、俺達は海鳴駅まで見送ることにした。
 改札前でフェイトが切符を買う傍ら、高町がしきりにどこら辺に住んでるのかとか今度いつ会えるのかとかいろいろと邪魔している。それを俺は離れたところから眺めつつ、はて遠見市か、と聞こえてきた単語からフェイトの住んでるという場所を想像していた。
 初めて会った時、かなりのお金を持っていたから、その推測は間違っていないだろう。どうやってお金を用意したのかは謎なんだけどさ。
 とにかく、遠見市である。海鳴の近隣にあるオフィス街で、ちょっと外れたところに住宅街が多い市街地だったはずだ。
 ここ海鳴よりも高層ビルが多く、地方都市にしてはかなり発達している方で、交通量も多く人通りもここの倍以上はある。なにより、道行く人たちのほとんどがスーツ姿なのが印象深い。
 ただ、完全なオフィス街かと言うとそうでもなく、ショッピングモールや百貨店と言ったお店が多く立ち並び、どことなく前世で数えるほど行ったことがある東京の銀座に似た雰囲気があったようなきがしないでもなくもないような……?
 まぁとにかくそんなところだ――――ていうかそんなところに住んでるのかよ。ボンボンのお嬢様じゃねぇかソレ。
 もし想像通りにフェイトがどこぞのお嬢様だったりしたら、俺の周りのお嬢様率が異常な事になるな。前世からみたらゆうに三倍とか頭おかしいんじゃないのか、ってレベルだ。
 まぁ、通ってる学園がそもそもお金持ちが多い学園だしあたりまえっちゃあたりまえなんだが。その時点で普通よりもお嬢様お坊ちゃまと知り合う可能性は高いのはわかるけど、しかし友人の過半数がお嬢様というのもどうなんだろうか。見ようによってはハーレムでうっはうは? いいえ、僕はすずかちゃんが大好きです。他はいりません。それ以前にアリサも高町も友達としてはいいんだが、恋人とかになるとちょっとなぁ……。いや失礼だとは思うよ? 思うけど、なんていうかすげぇ苦労しそう。特に高町。がんばれユーノ。俺は草葉の陰で思い出した時に応援するよ。
 そんなことを考えていたら、もうフェイトが改札の前までやってきていた。
 高町がフェイトの手を取ってぶんぶん勢い良く振りながら握手しており、道行く人々が「なにあの子達可愛い!」とでも言いたげな、とても温かい視線を投げかけながら通り過ぎていく。
 ……あぁ、できればここから逃げ出したい。なんだってこんな女装とかしてるんだろ俺。死ねばいいのに。
 


「それじゃ、また今度ね!」
「う、うん……」
「次は、絶対にお夕飯一緒に食べようね! わたし、楽しみにしてるから!」
「……ありがとう。私も、楽しみにしてる」
「――――っうん!」



 向日葵のような笑顔、とはこのことだろうか。
 はんなり微笑みながら返されたフェイトの言葉に、高町は猫のようにツインテールを逆立たせながら思いっきり首を縦に振った。
 そんな大げさな反応に、すぐにフェイトは微笑みを苦笑に変えて、今度はこちらを見やる。
 


「トキヒコも、その……今日はありがとう」
「いーって。つーか何もしてねーし。むしろ振り回しただけだろ」
「でも……私、楽しかった」
「……そか。よかったな」
「……うんっ」



 今度ははっきりと、しかし先程よりももっと明るい笑顔だった。
 


「あ、そうだフェイトちゃん」
「なに?」
「これ、忘れてたから」



 高町がごそごそとポケットから取り出したのは、封印済みのジュエルシードだった。
 恐らくは、俺達がすずかちゃんを元に戻した時に使ったジュエルシードだろう。淡く内部に浮かびあがっている数字に見覚えがある。
 そして、突然そんなものを差し出されたフェイトは、目を白黒させながらいきなりキョドり始めた。



「え、あ、ええ!? えと、どういう、ことなの……かな?」
「あー、やっぱりフェイトちゃん忘れてたんだ。ほら、この間の夜、約束したじゃない。〝わたし達のを一個あげるから、それと交換して〟って」
「……え?」



 フェイトもあの時の会話を思い出したのか、今度は鳩が豆鉄砲を食らったような表情で固まった。
 まぁ、まさかあんな口約束でしかないような話を持ち出されるとは思いもよらなかっただろう。
 高町曰く、これを渡すことはユーノと相談して決めたらしい。ユーノにはかなり反対されたとのことだが、そこは頑固の高町。無茶で無謀と窘められようと、意地を通すが高町流とばかりに半ば強引に納得させたようだった。
 対して、突然の申し出にフェイトはどう反応すればいいのか本気でわからないらしい。
 そりゃそうだろ。今まで喧嘩というか敵対しながら取り合ってたものを、いきなりポンと渡されたんだ。無理やり手のひらに握らされたそれを、ぼんやりと見つめながらぽやーとしている姿を、高町はすごく楽しそうににこにこ笑いながら見つめていた。



「なんで……」
「なんでって……友達なんだから、約束を破っちゃだめでしょ?」
「……とも、だち?」
「うん。だって、フェイトちゃんはほんだくんの友達で、わたしもほんだくんの友達。それなら、フェイトちゃんとわたしも友達だよっ!」



 いや、そのりくつはおかしい――――と突っ込みたい気持ちでいっぱいになったが、ここは空気を呼んでぐっと我慢する。
 どの道、この高町節にケチをつけたところで無駄な事だし、この理論はこの理論で面白いからいいんだけどさ。
 なによりも――――言われた本人が、涙ぐむくらい嬉しがってるんだから、むしろ高町の台詞を全肯定してやってもいいくらいだ。
 


「あり……ありがと……っ」
「ううん、お礼を言うのはわたし達だよ。あの時、フェイトちゃんが見逃してくれたおかげで、大切な友達を助けられたから。だから、これはわたし達の感謝の意味もこめてあるんだ。本当に――――ありがとう、フェイトちゃん」
「っ……うん! うん!」



 二人の少女が、駅の改札前でひしっと抱き合う。
 フェイトは感情のダムが決壊したのか、とめどなく溢れる感情の奔流に振り回されるように、嗚咽を噛み殺していた。
 そんなフェイトをあやすように抱きしめる高町は、時折その背中をさすりながら、ぎゅっと力を入れて抱きしめ返す。静かに、ゆっくりと。その綺麗な金髪を撫でながら、高町はフェイトという異人の少女を、心の底から抱きとめていた。

 その光景に嫉妬しなかったか、と言われればウソになる。
 なぜならば、今まさに目の前で繰り広げられる光景は、かつて俺とマイラバーとの間であった出来事の再現に他ならないのだから。
 大分色褪せた記憶の向こう、しかし決して忘れることのできない、魂に刻み込まれた記憶が俺の心を揺さぶる。
 


――――あぁ、もう、本当に会えないんだな。
 
 

 前世で、誰よりも大切だった人。
 そして、誰よりも愛していた人。
 その大切な〝家族〟に、もう二度と会えないのだとわかったのは、いつだったか。
 頭で何度理解していても、こうしてふとした機会に、抉るような胸の痛みと共に何度も納得しなおしてしまう。それは俺が女々しいからなのか、それとも未練がましいからなのか。どちらにせよ、俺はこれから一生、どうあってもマイラバーのことを忘れることはできないだろう。
 だからこそ。
 俺は、出来る限りのことをしてあげたい。
 ただの偶然と片付けるにはあまりにも似すぎているその容姿は、俺にそんな感懐を抱かせる理由として、十分に過ぎる。
 ……これは、間違いなく俺の偽善であり、ただの傍迷惑な他者投影だ。決して褒められるようなことじゃない。
 でも、同時に俺は確信している。
 仮に――――そう、仮に、俺がフェイトを赤の他人と割り切って動いていて、今の俺の傍らに〝アイツ〟が立っていたならば。
 間違いなく、俺は酷い目にあう。そりゃもう筆舌に尽くしがたいアレコレのせいで。
 それに、だ。
 もし本当にフェイトを赤の他人と切り捨てたら、すずかちゃんに嫌われちまうだろうしな。
 打算的? 大いに結構。人間多少狡っからい位でちょうどいいんだ。ソレに俺、中身はきたない大人ですから。今更体面なんて気にしませんよ。あ、すずかちゃんの前だけは例外ね。見栄張るよ! 超見栄張っちゃうよ! そのせいで何回か墓穴掘ったけどな!
 とにかく、今後ともフェイトに対する〝お節介〟を止める気はない。フェイトの上司(?)には悪いが、遠慮なくフェイトをこっち側に引き込んでやるとしよう。
 


「――――ったく、世話が焼けるぜ」



 誰にともなく呟いた言葉は、夜の雑踏にかき消されるように消えていく。
 そして、そろそろ周囲に集まりだした野次馬の視線に耐えられなくなった俺は、二人に「おいそこのジャリガール共、そろそろ終わりにして下さりやがりませんと、俺が恥ずかしくなって泣き出すぞ」と声をかけながら、近づいて行くのだった――――。
 





 
 


 

 

 










 



―――――――――――――――――――――――――――――
あとがきっぽいなにか
―――――――――――――――――――――――――――――

翠屋の設定をちょびっと変えてます。
店内の内装は特におおきな変更はありませんが、店の商店街側の外にテラス席ができている設定です。二人席3に四人席2の小さなスペースですが。
本編中では蛇足なのでここにて補足。
まぁこのぐらい誤差誤差。

さて、そろそろアースラ組がこないとまずいよね。


1007240128:Ver1.1 微修正



[15556] 愛とフラグと哀
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:40
 

 本田、高町両家を交えて行われた夕食会は、つつがなく終わりを迎えた。
 本田家の面々はしきりに桃子の準備した料理とお土産に持たせてくれた翠屋謹製の洋菓子とに感謝を告げ、既に帰宅している。
 今や大切な友人であり、同じ子育てに苦労する本田家の奥様と久しぶりに楽しい時間を過ごせたことから、シンクで洗い物をする桃子の表情はご機嫌でいっぱいだった。
 長男と長女は、現在道場でいつもの鍛錬をしており、末娘のなのはは明日から学校と言う事で早めに就寝している。もちろん、お風呂に歯磨き、そして宿題と明日の時間割の準備もばっちりだ。
 


「よし、っと」



 最後に一枚を布巾で拭い、飛沫で汚れたシンクを布巾で拭った桃子は、満足気に笑み浮かべた。
 鼻歌を歌いながら、冷蔵庫の中に作り置きしていたココアを取り出し、よく振ってからマグカップに注ぐ。
 氷を入れるような邪道な真似はしない。欲を言えばアイスマグを使いたかったが、生憎それは先の夕食後のデザート時に使い切ってしまっていた。
 そのままリビングのソファに腰掛けると、「はー、今日も一日疲れたわー」と、言葉とは裏腹な笑みを浮かべて一息をつく。
 旦那の士郎達は、恐らくあと30分以上は戻ってこないだろう。戻ってきても、シャワーやらなにやらで、寝るまではあと一時間以上ある。
 店に関する仕事は既に終わっているので、後は寝るだけだ。無論、士郎を残して寝てしまうような真似は、するつもりがない。
 そうやって暇を持て余しながら、たまにはこうやって何も考えずにぼーっとしてるのもいいわね、と内心で考えつつも、脳裏では先の夕食時の光景を思いかえす桃子。まさか今度は息子に女装をさせるとは、相変わらず斜め上方向に突飛な発想をする友人を思い出して、図らずも苦笑が漏れてしまった。
 去年、末っ娘のなのはと大喧嘩をやらかした少年の母は、なんとも不思議な人物である。
 先週の〝朝帰り〟で息子が巻き込まれたにもかかわらず、「本人が責任を持てるならなにしよーがおっけー、がうちのモットーよ」と放任主義なんだか育児放棄なんだかよくわからない台詞をのたまい、しかしながら息子に向ける愛情は、桃子が然りとわかるほどの深いものだ。
 事情を聞いた自分ですら驚愕した話だと言うのに、事情も知らず結果だけを聞かされた本田家の奥様はなんと豪胆な傑物か、と思わずにはいられない。
 普段は模型雑誌の専属モデラーというのをやっているらしく、他にも結構色々な副業に手を広げているらしい。旦那は旦那で有名な某エレクトロニクス会社の課長で、時折長い海外出張をしているんだとか。
 主婦でありながら仕事を持ち、さらには旦那がよく出張するという身の上が自分と重なったためでもあるのだろう。最初、なのはと大喧嘩をやらかした息子の親ときて、どんなダメな親なのだろうかと思ったが、腹を割って話し合うと意外や意外、思いのほか意気投合してしまって、今では店の造形物をもらったりお菓子を差し入れたりといった、お互いに気の置けない仲にまで発展してしまっていた。

 そしてなによりも、一番印象深いのはその息子だろう。

 なのはと同学年の男の子だが、長男の恭也に妙に気に入られていたり、所作がどことなく浮世離れしているような、しかし年相応の悪戯小僧の邪気っぽさを併せ持つ、実に不思議な少年だ。
 どうやら同じクラスの月村家の妹さんに惚れているらしいが、今のところその恋が実りそうな話は聞いていない。実は、その恋路の結果がどうなるか、密かに楽しみにしていたりする。
 最初は、てっきりなのはに惚れているのかと思ったのだが、どうやら今日の夕食時におけるなのはとのじゃれあいを見ている限り、その線は限りなくゼロのようであった。というより、じゃれ合ってる双子という感じである。思わず、その時のなのはのムキになって反発する姿を思い出して、桃子はまたしても噴き出してしまった。

 

「ほんと、女の子の恰好がよく似合ってたわねぇ」


 
 クスクス笑いながら独り言をもらしてしまうのは、あまりにも少年の恰好が似合いすぎていたからに他ならない。
 母親の趣味が入っていたに違いない女の子向けの服を、二次性徴前の中性的な印象と元より端整な顔立ち故に、見事なまでに違和感なく着こなしていたのだ。
 終始その格好で振舞っていたのだが、やや男勝りな性格の女の子、という認識で改めてみてみると――――うん、やっぱり違和感が無い。
 なのはとは違って黒髪だし、顔も似てないが、雰囲気を見ていた限りでは、本当に双子のように見えてしまう。 
 もし、なのはに双子がいたならば、あんな感じだったのかもしれないわね……。



「……言えないわよね、そんなこと」



 それはなのは本人に、ではない。士郎にだ。
 恐らく、知っているのは士郎と一握りの知り合いだけだろう。恭也と美由希には、「かもしれない」とだけ曖昧に説明してあったし、なのはを生んだ後は「残念、一人っ子だったわ」とおどけるようにして誤魔化した。
 当然、〝その事〟をなのはは知らない。
 きっと、知ったらなのはは悲しむだろう。もしかしたら〝いたかもしれない〟双子の存在を聞いたら、あの優しくてしっかりした少女は、間違いなく悲しんでしまう。
 教えることを悪いとは思わない。だが、不必要に悲しませてしまうことを、今言う必要もない。でも、逆にそれは〝あの子〟の存在を完全になかったことにしていまうのではないだろうか。それは、はたして母親として正しいのだろうか?
 桃子は、なのはが生まれてから今日まで、数え切れないほど繰り返してきたその自問自答に、思わず宙を仰いで溜息をついた。
 


「……考えても仕方ないんだけれども」



 〝今〟に不満などない。むしろ幸せすぎて怖いくらいだ。
 夫の士郎が一時期瀕死の重体に陥って回復し、内気で我儘一つ言わなかったなのはも、今では年相応に明るく、それなりに我儘を言う可愛い末っ娘として成長している。
 店に至っては順風満帆すぎて文句のつけどころがない。これ以上なにかを望むのは、罰が当たるというものだ。
 ……でも、今日の光景を見てしまってから、その想いが頭を離れない。
 もしかしたら、ここに〝もう一人の我が子がいたかもしれない〟ことを、想像してやまないのだ。
 その子はなのはとそっくりで、ちょっと無愛想かもしれない。でも、なのはと似てとても頑固で、一度こうと決めたら絶対に引きさがらない。だから、なのはと意見が食い違ったりすると、よくとっくみあいみたいな喧嘩をやらかしてしまう困った娘。あぁ、きっとそんな子だろう。根っこはそっくりな癖に、外面が正反対の二人。なんて微笑ましいのかしら。
 


「……なんてね」



 どうしようもない想像だ。これは、自分の胸の内にしまっておこう。苦笑と共にそう決める。
 残りのココアを飲み下した桃子は、「よしっ!」と気合を入れるように立ち上がると、マグカップに水を注いでシンクに置き、そろそろ道場から戻って来るだろう旦那と子供達のために、お風呂の用意をすることにした。
 ……それは、もしかしたらただの逃避だったのかもしれない。けれども、桃子にはそうする以外に、この胸の中で渦巻く悲しみをどうにかする手段が思い浮かばなかったのだった。


 








「次元空間内の次元断層、沈静化を確認」
「艦座標軸、固定完了」
「緊急航行モードより次元空間航行モードへ移行、全システム異常無し」
「目標次元座標設定完了。予定では〇二〇〇で目標次元世界近郊次空間へと到着します」
「了解。当艦は別名あるまで現状維持。各員はシフトに従って休憩をとること」



 白亜の機械城。あるいは、白の裁判所。
 一目見ればそのような感想を抱いてしまうほど広大な空間の中で、複数の人間が忙しげに端末を叩きながらインカム越しに指示を飛ばしあっている。
 時空管理局本拠所属、巡航L級8番艦〝アースラ〟のブリッジは、ようやく安定した艦の航行に、誰もが安堵のため息を漏らしていた。
 その頂上とも言うべき席、艦長席に座って一際大きなため息をついたのは、アースラをまとめ上げる艦長、リンディ・ハラオウンその人だった。
 腰まで届く緑髪に、優しい眦。それでいてピンと張りつめた凛々しさを纏う妙齢の女性は、そのままウィンドウを操作して一息をつく。
 そこへ、背部の扉がスライドして開き、一人の女性が、手に両手にマグカップを持ってやってきた。右手のマグを差し出しながら、チャーミングな笑みと共に労いの言葉をかける。
 


「お疲れ様です、艦長」
「あら、お疲れ様エイミィ。でも、それはむしろスタッフのみんなへ言うべきだわ。私は何もしてないもの」



 短く「ありがとう」とお礼を言いつつ両手でマグを受け取ると、リンディは苦笑しながら艦橋で仕事をするスタッフ達を見やる。
 リンディがそう自嘲してしまうのは、久々の修羅場とはいえ艦に多少なりとも被害を出してしまったからだった。ここ連日、平和な航行が続いてしまったためというのはただの言い訳だ。リンディは、そんなたるんでいる自分の精神を叱咤する。
 そんなリンディの内心がわかるだけに、アースラ通信主任であるエイミィは苦笑しながら「何言ってるんですか、もう」と返すしかない。
 艦長が酷く謙遜――――あるいは自分を低く見過ぎる質だということは、艦内の人間ならば誰もが知っていることだ。
 


「そんなことありませんよ。艦長の的確な指示があったから、みんな落ち着いて乗り越えられたんですから。……まぁでも、今回は本当にギリギリでしたね」
「そうねぇ……私も久しぶりに肝を冷やしたもの。まさか五次元障壁型次元断層が立て続けに三回も起きるなんて」
「しかも最初のヤツは、危うく虚数空間に呑まれかけましたから」
「運良く生き残れたから良かったけれども、大分時間を取られてしまったわ」
「みんないい経験になったと思います。実際、その後の断層は見事に乗り切ったじゃないですか」
「ふふ、みんなが元より優秀だからよ」



 五次元障壁型次元断層――――早い話が、自分達の存在している軸世界から外れてしまう〝脇道〟に通じる隙間のことである。
 次元空間という広大な海を往く次元航行艦乗りにとって、それは所謂海で巻き込まれる大渦に等しい。
 僅かな隙間にもかかわらず、それは質量を無視して何もかもを吸いこんでしまう引力を持ち、抵抗しなければあっという間に引きこまれてミンチになってしまう恐ろしい断層だ。
 それが発生する原理は詳しくわかっていないものの、もしその空間を通ることが出来れば、理論上ではいわゆる〝並行世界〟にたどり着けるらしいが――――未だそれに成功した事例は一つとして聞いたことがない。
 そもそも、その断層では理不尽なまでの重力異常が発生しているのだ。宇宙空間におけるブラックホールが可愛いと思えるほどのそれは、常にランダムに重力方向が変動し、さらにはその重力係数もランダムで様々な値に変動している。引きこまれたが最後、あっという間に文字通りのミンチにされてボン!が関の山というのが通説である。
 その恐ろしさを知らない次元航行艦スタッフではない。滅多に起きることではないが、しかし決して対処法を忘れてはならない〝艦乗り〟の常識だ。

 アースラは現在、世にも珍しい断層三連続という危機を乗り切って、本局から発令された任務を全うするべく、とある次元世界へと向かっている。
 約一週間前(おそらくタイムラグ的に考えて二週間かそれ以上前)に発生したロストロギア輸送船事故の折、管理外次元世界へと漂流してしまった人間の救助が、今回の任務である。
 依頼主はかの有名な遺跡発掘一族の〝スクライア一族〟で、今回漂流してしまったのは、中でも最年少で現場指揮を務めていた実に有能な少年らしい。加えて、彼が責任者となって輸送していたロストロギアも件の管理外次元世界に漂着したらしく、その回収も並行して命令されている。
 
 

「それにしても変ですよねぇ……ロストロギアが管理外世界に落ちたっていうのに、情報が伝わるのが遅すぎます」
「……なにかしらの妨害があった、と考えるのが妥当かしら」
「目的は時間稼ぎでしょうか。でも、それにしては適当にも程がある気が……」
「あるいは、それすらもブラフか。自分の足取りを消すという観点でなら、十分な時間だわ」
「――――案外、間違ってないかもしれませんよ」
 
 

 艦長と通信主任の会話に割って入るように、艦橋艦長席の入り口から現れたのは、片手に電子ノートを抱えた一人の少年だった。
 黒一色の服に、物々しい籠手。そしてざんばらに切りそろえられた漆黒の髪と端整な顔立ちの中に、静かな情熱を宿した黒い双眸がある。
 


「おかえりー、クロノ君」
「あらクロノ。なにかわかったの?」
「えぇ、ちょっと面白い事が」



 クロノ・ハラオウン。管理局本局、次元航行艦アースラ所属執務官に最年少で就任したその少年は、アースラ艦長がリンディの、実の息子でもある。
 同時に、自身が魔導師ランクAAA+の高ランク魔導師であり、アースラの〝切り札〟たる実力を持つ少年だ。
 やや無愛想な面持ちだが、それは職務に忠実で仕事一辺倒の真面目君だからに他ならず、もうちょっと肩の力を抜けばいいのに、というのはアースラ艦長及び通信主任並びに全女性アースラスタッフの言である。大人のお姉さま方にモテモテであることに気付かない朴念仁に天誅を!というのは男性側の怨念である。



「輸送船の事故が起こった現場周辺における魔力濃度を調べてみたんですが、どうも奇妙な点がみつかったんです」
「奇妙?」
「エイミィ、通常空間から次元空間への移動時における、両次元間魔力濃度平衡の法則は知ってるな?」
「そりゃもちろん。てゆーかクロノ君、君はおねーさんをなんだと思ってるんだね?」
「……まぁ知ってるなら話が早くなる。記録だと、事故現場周辺の魔力濃度だけ、事故後数時間の間、かなりの濃度の上昇を見せていたんです」
「こらー! おねーさんの言葉を無視するなー!」



 クロノにバカにされたのがよっぽど腹に据えかねるのか、エイミィはこめかみに青筋を浮かべながらクロノの頭をがしがしとかきまわすと言う報復に出た。
 それを微笑ましげにリンディが見守り、ある程度二人のやりとりが収まったところを見計らって、クロノの言葉の先を促す。



「濃度が高くなりっぱなし……数時間も下がらないで?」
「ええ。ただの事故――――つまり、輸送船のエンジンが爆発したにしても、上昇幅が明らかに大きすぎます。事故と片付けるには不自然なくらいに」
「……なるほど」
「加えて、周辺濃度の上昇に合わせて、近辺の通常空間の魔力濃度変動の測定結果も洗ってみたんですが、やはりどこも変動は起きていませんでした」
「てことは――――!」
「同じ次元空間からの干渉があった、と見るべきね」
「ええ……間違いありません。今回のロストロギア輸送船事故は、誰かが故意に狙って〝襲撃〟したものです」
「なるほど……だから情報が伝わるのが遅れたのね。きっと、今回の中途半端な偽装工作も、どの次元座標からの干渉だったのかを誤魔化すため……」
「……一気に、話がきな臭くなってきたね」




 そもそも、通常空間から次元空間への侵入を行った際には、普通両次元間の均衡をとるために魔力濃度の平衡現象が起きる。これは、いわば異なる濃度の液体が、互いに安定状態に移行したいがために外界と内界の濃度を等しくする、生物の浸透圧調整に近い現象で、次元空間同士の間では起こり得ない現象だ。逆に言えば、次元空間内での〝魔力濃度が上昇しっぱなし〟という現象は、その内部――――次元空間内のみでなにかしらの魔力的作用が起きたということを意味する。人間の血管内で、なんらかの作用により一か所だけ濃度が急上昇するのと同じ理屈と考えればいい。周囲が同濃度である中、いずれかの箇所で局所的に濃度が変わってもある程度であれば平気なのと同じことだ。
 また、魔力濃度の上昇については、ロストロギアの輸送船に搭載されていたエンジンが魔力炉型エンジンであったにしても、爆発事故程度で上昇したにしては、濃度の上昇値が異常に過ぎたのである。クロノが疑問に思ったのは、まさにその点だった。
 翻って考えると、それはつまり内部において、誰かが高位力の魔法を発動した、あるいはそれに準ずる行為をしたことを意味する。もしそれが意図的な襲撃であったならば――――自ずと、三人の間に緊張が走った。
 ただの事故ならばいい。時限漂流者の保護や、輸送中に今回のような事故に巻き込まれて管理外世界へ流れ着いてしまったロストロギアの回収任務は今まで何度もやってきた。
 だが、事に何らかの思惑が関わってきているとなると、話が違う。
 下手をすれば、ロストロギアを用いた大規模次元犯罪になりかねないうえ、最悪ロストロギアの悪用によって次元世界が滅ぶという最悪の事態も想定される。どうにも、当初の想像から外れた大事の事件になりそうな予感が、三人の胸に宿っていた。



「まだどこから襲撃があったのかはわかりませんが、事故当初、明らかな大魔力の流れを観測しています。それも、次元空間から次元空間への、空間跳躍攻撃魔法です」
「……まぁ」
「うわぁ、なにそれ。本局でも空間跳躍攻撃魔法なんて、使える人間そうそういないよ?」
「全盛期のグレアム提督なら、平気でやっちゃうんだけれどねぇ~」
「……マジですか」
「あら、知らないの? 提督、若い頃は相当大暴れしてたのよー」
「……あー、で、ですね。とりあえず調査の方は続行しますが、今回の事件、背後に少なくともAAAランクの魔導師が関わっているのは間違いありません。いや、次元跳躍攻撃魔法なんて使ってるくらいだから、間違いなくオーバーSは堅いですね。十二分に警戒しなければなりません」
「そう、ありがとうクロノ執務官。引き続き調査をお願いするわ。何かわかったらすぐに連絡を」
「はい」



 クロノは短く返事をすると、現時点でのまとめである報告書がはいった電子ノートをリンディに渡し、惚れ惚れするような敬礼を残しって艦橋より去って行った。
 その後姿を見送りながら、エイミィはすこし不満そうに唇を尖らせる。



「艦長、クロノ君ってば仕事熱心すぎると思いません?」
「そうねぇ……でも、正面から休めといって、休むような子じゃないのは貴方もよく知ってるでしょう?」
「お母さんがこれだ……ダメですよ艦長。息子のことはもっとしっかり構ってあげないと。でないと、反抗期苦労しますよー?」
「残念。私の自慢の息子は、もう反抗期を通り越してるのでした♪」
「うぐっ……そう言えばそうだった」



 同じ士官学校をでたからわかる、エイミィただ一人の納得であった。
 ともあれ、息子の過労ぶりはリンディも懸念している事項の一つである。父の背中を目指して頑張っているのは分かるが、もう少し肩の力を抜いてもいいと思うのだけれども……。



「それにしても、ここのところ事件が立て続けですね。今回の輸送船事故もですけど、同じ管理外世界で起きた三回もの次元振、おまけにさっきまでの次元断層に、今度は輸送船〝襲撃説〟ですよ。うわー、今回、実はかなりハードスケジュール?」
「そうねぇ……まぁ、悩んでも仕方ないわよ。わたし達は、今できることをせい一杯やっていくしかないし、そうしていれば結果は自ずと付いてくるわ」
「艦長が言うと、説得力が数倍増しますねぇ」
「あら、おだてたって何も出ないわよ?」
「できれば、今度本局に帰ったら一週間の有給がほしいです」
「却下。本局に帰ったら、事後処理で二週間は缶詰ね。残念だわぁ~」
「あうぅ……報告書の量が比例倍数的に溜まっていく…………」
「とりあえず、無理はしないでね、エイミィ」
「わかってます。ていうか、それはむしろ私の台詞ですよ、リンディ提督」



 気がつけば、かなり長い休憩になってしまっていた。
 エイミィは一言「それじゃ、エイミィ・リミエッタ通信主任、仕事に戻ります!」としっかり敬礼を残し、リンディのいる艦橋から去って行った。
 圧縮空気と合金扉の自動ロックの音を聞きながら、リンディは想いを馳せる。
 確かに、今回の航海は随分とアクシデントが多いような気がする。
 ロストロギア輸送船の事故から始まり、その犠牲者と行方不明者の調査、さらにはその行方不明者が漂流したと思われる管理外世界から発せられた三回もの大規模次元振。正直、黙って見過ごせるような軽い出来事ではない。



「……さて、一体何が待っているのかしらね?」



 決して小さくない期待と不安、そして疑問を隠しきれないように、そう小さく呟くリンディの顔は、まさに数え切れないほどの修羅場をくぐり抜けた歴戦の将のソレであった。
 


 

  





 
  
 そこに空はなかった。
 あるのは水に混ぜ合わせた絵の具のような、マーブル模様の形容しがたい気味の悪い天蓋。偽物の青空。
 しかし、その〝庭園〟に降り注ぐ陽光は確かな暖かさを持っており、それ故に咲き誇る花々は瑞々しい活気を伴っている。
 まるで古城のような、壮麗な建物だった。
 鋭く天を突く尖塔、あちこちにしつらえられた優雅な彫刻、時代の逆行すら感じる美術的建築技術が随所にちりばめられ、ともすれば本当に時間逆行したかのような錯覚を味わう。
 そして、そんな絢爛荘厳の古き城のとある広間では、外の荘厳さとは裏腹の陰湿な空気の中、一人の少女が中空へ縛りあげられていた。



「……あぁ、本当にがっかりだわ、フェイト」



 呟くのは、妙齢の女性。
 腰まで届く漆黒の長髪に、紫色のルージュが引かれた妖艶な唇。豊満かつ痩身の肢体は、歳を経た老衰ではなく、経験を重ねた嬌艶さを溢れさせている。
 だが、その雰囲気は陰鬱そのもの。表情の随処に酷く疲れたような暗さを表し、その右手には黒く艶やかな鞭を持って、眼前に縛り上げられた一人の少女を憎々しげに睨みつけている。
 彼女こそが、時が時であれば歴史に名を残したであろう大賢者。ただ一人の娘のために生涯を投げ打ち、ただ一人の娘がために生きる悲愴の母。
 プレシア・テスタロッサは、目の前の〝出来そこない〟に酷く憤っていた。



「こんなにも時間をかけて、たったの五つだなんて。酷いわ……酷過ぎるわ、フェイト。貴方はお母さんが嫌いなの?」
「そんな、ちが――――うぁっ!」
「お黙りッ!」



 空気を割く音と共に、少女の苦悶の声が響いては消えゆく。
 魔力の糸によって縛り上げられた少女――――フェイトの白い素肌に、蚯蚓腫れのような赤い筋が走る。
 だが、それは一つではない。いくつもいくつも、数えればそれだけで顔を背けたくなるような数の痕が、体中あちこち、服を切り裂く程の勢いで刻まれていた。
 それでも、宙吊りにされた少女は涙を流さない。
 なぜならば、悪いのは自分だから。自分が悪いことをしているのに、泣いてしまうのは間違っているから。
 恐ろしいまでにいじらしく、何より健気な愛情を以て、フェイトは母に報いろうとする。だが、悲しいことに母はそれを理解しようとは到底思っていなかった。
 一方通行の愛情。ただ愛されたいがために、全てを受け入れるフェイトは、ただ母を悲しませてしまったことに、ひたすら申し訳なく思う。



「それでは全然足りないわ……最低でもあと五つ。それでも予定していた成功率の三分の一にもならないの。言っている意味、わかるわね?」



 幽鬼のような底冷えのする声音で、プレシアは鞭を弄びながら、傷だらけの〝出来損ない〟を眺める。いや、睨みつけている。
 そのおよそ実の娘に対する態度とは思えない憎しみを全身で受け止めながら、フェイトは弱弱しく「……はい」と応えるしかない。



「次は、お母さんを喜ばせて頂戴。もし、また私を失望させるようであれば――――いらないわ」



 なにが、とはっきりと明言せずに、プレシアはフェイトの拘束を解いた。
 同時に、プレシアの言葉を聞いたフェイトの目が大きく見開かれる。解放され、地面に下ろされながら、フェイトはその台詞の奥に隠れた真意に思い至り、胸を引き裂かれるかのような焦燥と悲しみを覚えた。
 プレシアはそのまま話すことはもう何もないとばかりに背を翻し、広間にしつらえてあった玉座に腰を下ろす。すらりとした美しい脚を組み、頬杖をつきながら片手でポップアップディスプレイを目にもとまらない速さで操作する姿は、最早フェイトの存在など思考の片隅にもないようだった。
 
 これで、かつてのフェイトだったならば意気消沈したまま広間を出て行ったことだろう。
 失敗すれば絶縁、いや捨てられると明言されてしまった以上、どうあっても失敗することは許されないと言う強迫観念と、もとより備えていた責任感により、自身の体など顧みることなく無茶をするために、すぐにでも海鳴へと向かってジュエルシードの捜索をするはずだ。
 ……だが、フェイトはよろよろとその場から立ち上がると、中々その場を去ろうとしない。
 何かを思い悩んだような表情を浮かべ、しきりに顔をあげては俯かせると言う所作を繰り返す。
 視界の端にとどまり続ける不快な〝モノ〟にそろそろ嫌気がさしたプレシアは、ついにソレを追い出すべく口を開こうとして――――フェイトが尋ねた。



「一つ、質問が、あります」
「……なにかしら」



 珍しいこともあるものだ、とプレシアは内心で言ちる。
 今まで、自分の言葉に従順を示したことはあれど、自分から質問をしてきたことなどほとんどなかったというのに。
 その変化に多少の興味を――あるいは無意識の期待を――抱きながら、プレシアはソレを睨み据えたまま先を促した。



「……ジュエルシードを使った後、後遺症がでることは、ありますか?」
「……なんですって?」



 その時の驚きを、どう表現したらいいのだろう。
 プレシアの聡明な頭脳は、今この瞬間ソレが発した台詞の持つ重大さに、数秒とおかずにたどり着いた。
 驚愕に声が震える。後遺症? アレを使った後に? いや待て、その前に前提条件はなんだ? 封印か? それとも本当に文字通りに〝使った後〟なのか?



「詳しく話しなさい」



 ソレへの嫌悪よりも、その瞬間プレシアの中では学者として、話題への好奇心の方が勝った。
 話を聞けば、どうやら現地で知り合った少年がジュエルシードを生身で発動したらしい。それも、魔法素養も何もない、ただの一般人が、だ。
 それでいて、結果的にジュエルシードの発動と制御に成功。その時傍にいたらしい友人の魔導師―――これが恐らくフェイトの邪魔をしている魔導師だろう、とプレシアは確信している―――により即座に封印したとのこと。そしてあろうことか、見事に願望を叶えて文字通り〝発動に成功〟させたのだという。
 だが、その少年に後日副作用が現れ、性別転換が起きてしまったというのがフェイトの話だった。
 


「(…………ウソでしょう)」



 その話を聞き終えて、プレシアは全身を襲う興奮の波を抑えることが出来なかった。
 なぜならば、プレシアにとってそれは望んでやまない、まさに究極の理想とも言うべき〝サンプル〟だったからである。
 今すぐにでも計画を修正し、改めて練り直さないといけない。もし仮にこの話と今自身が立てた仮説に間違いがないのであれば、長年待ち望んでいた〝悲願〟の成就に、より近付けることになる。
 図らずして転がり込んできた吉報に、プレシアは思わず笑み浮かべていた。
 フェイトはソレを見て、何故今の話で嬉しく思うのだろう、と純粋な疑問を浮かべる。聞いたのは、後遺症があるかどうかなのに。
 できるならば、その後遺症を治す方法がないかも聞きたかった。トキヒコが困っているのはわかりきっていることだし、それをどうにかして上げられれば、きっとトキヒコは喜んでくれるはずだから。なによりも、トキヒコを助けると言う目的であるならば、あの白い魔導師の子とも戦わずに済むかもしれない。
 それは、フェイトにとって夢のような話だった。
 だが、プレシアはそんなフェイトの夢を早々に打ち砕く。
 ポップアップウィンドウを操る手は、先よりも激しく細かく、そして縦横無尽に加速していた。
 そして、プレシアはフェイトにとって想像だにしていなかった命令を下す。



「フェイト、その子を連れてきなさい。ジュエルシードの回収は、後回しでも構わないわ」
「……え?」
「もう忙しいの。わかったなら出ていって頂戴」

 
 
 驚きに目を見開くフェイトに一瞥もくれることなく、そのままプレシアは作業に没頭していく。
 頬杖を解き、両手を使ってせわしなく複数のポップアップウィンドウを操作する姿は、口をはさむ余地がないほど、フェイトのことを思考の慮外へと負いだしているに違いなかった。
 質問にも答えてもらえず、さらには想像もしていなかった命令を与えられ、フェイトはただただ、自分が引き起こした恐ろしい未来を自覚して、足を震わせながら広間を出ていく。
 


「ふぇ、フェイト!? どうしたんだい、顔が真っ青じゃないか!」
「……」
「それに体中酷い怪我……っ、あんのクソババァ! またフェイトを―――!」



 広間の外で待機していたアルフの心配の声すら、今のフェイトには届かない。
 その胸中で渦巻くのは、ただひたすらの後悔と、心に強く残る少年への謝罪だった。
 絶対に巻き込みたくなかったのに―――――こんなつもりじゃなかったのに。私はただ、トキヒコを助けたかっただけなのに。
 


「ひぐっ……ぇうっ……!」
「フェイト? どうしたのさ、フェイト! あぁ、ダメだよ、泣きやんでおくれよ」



 使い魔のアルフが、その弱弱しく今にも折れそうなご主人さまを抱きとめる。
 その背中に手をまわして、フェイトはただただ泣きじゃくった。
 どうして自分はいつもこうなのだろうか。
 よかれと思ってやったことは、全て相手に迷惑をかける。喜ばせてあげたいと思って頑張っても、いつも失敗ばかりして不快にさせてしまう。
 あぁ、なんて自分は罪深い人間なんだろう。
 母を満足させることもできず、友人すらも危険に巻き込んで。一体自分は何のために生きているんだろうか。
 こんな自分じゃ、きっといつかあの白い魔導師の子にも酷いことをしてしまうに違いない。自分を、初めて〝友達〟と呼んでくれた、あの眩しい笑顔の少女に、絶対に酷いことをしてしまう。
 そんな自分が許せなくて、でもほかにどうしたらいいのかわからない〝役立たず〟としての自分が情けなくて。
 胸を引き裂くような悲しみに、フェイトは只管に涙を零し続ける。
 そして、そんな主人の悲しさが伝わってくる使い魔は、どう言葉をかけたらいいのかわからないまま、ただじっと、その小さな御主人の体を抱きしめ続けるのだった――――。




























―――――――――――――――――――
あとがきのようなもの
―――――――――――――――――――
恒例のいんたーみっしょん。
今回はかなり大切なお話ばかり。
……あれ? すずかちゃんでてこないよ?
で、出てくるもん! 次に出てくるもん! 日曜日何やってたかも含めて出てくるもん!
しかしほんだきゅんに拉致フラグが立ちました。


p.s
当SSでは、リンディさんTueeeeeee!どころかリンディ様Yaveeeeeeeeee!!!!!レベルに昇格してあります。
いつかそのチートっぷりをお披露目する時が―――――こないな、うん。

p.s2
誤字脱字の修正は週末にさせていただきます。あちょんぶりけ。


1007240127:Ver1.1 微修正。



[15556] 日常と不注意と保健室
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:40
 

 月曜日。別名、青の憂鬱。
 それは始まりの憂鬱と同義であり、世の青年大人の皆さまは「また一週間が始まる……」と煤けた肩を落としながら電車に乗り込む一日。
 だがしかし。
 小学生の俺に、そんな通例は通用しない!



「おはよーごぜーまーす月村さんっ!」
「お、おはよう本田君。今日はすごい元気だね?」
「応ともさっ! ていうかもう元気にしなきゃやってらんねーっていうかね!」
「え?」
「はっはっはー気にしない気にしない! オラ馬鹿町そこをどけー!」
「うにゃっー!? ちょ、ちょっとほんだくんおさなむぎゅっ」
「こらー! 時彦アンタ、開いてる席あるんだからそっち座りなさいよ!」
「やだぷー」
「こいつ朝から人に喧嘩売ってバカにしてんのかしら……っ!?」



 通学バスの中、そんないつものやり取りを交わす俺とすずかちゃん及びその愉快な仲間達。
 周りから投げかけられる視線に、どことなく微笑ましい何かを感じるが、すずかちゃんの隣に今日もまた座れたという事実さえあれば、全てが些事である。
 そしていつもの朝のように、アリサと二人でくだらない口論をしながらじゃれ合っていると、ふと思い出したようにアリサが言った。



「あ、そうそう。週末の温泉旅行、私達も一緒に行くことになったわよ、なのは」
「わ、ほんとー!? すずかちゃんも一緒にこれるの!?」
「うん。お姉ちゃんも温泉久しぶりだからいいわねー、って。でも、お邪魔じゃないかな……?」
「そんなことないの! 正直、ほんだくんと一緒とか不安で仕方なかったのです」
「おやおやちょいとそこのアホ町さんや。そりゃどういう意味かしらのう。むしろそれは俺の台詞だぞ」
「あ、あほって……今度はあほってゆった!」
「アホにアホと言って何が悪い。やーいバーカアーホほふゎっ!?」
「うーっ! バカとかあほとか言った方がバカであほなんだよ! 友達にそんな酷いこと言っちゃいけないんだから!」
「わはったはらはなへーっ!」
「……え、なに? そこのバカも一緒に来るの?」
「あ、うん。昨日お夕飯一緒に食べてて、おかーさんが誘ってたんだ。ほんだくんのおとーさんとおかーさんだけなら歓迎だったんだけどねー……」
「……高町ん家のなのはさん、最近俺に対する発言が容赦なくなってきたよね?」
「気のせいなの!」
「うぜー! その朗らかで純真そうな笑顔がうぜー!」
「大丈夫よなのは。私とすずかもいるんだから、なのはは一人じゃないわ!」
「うん、うんそうだよねアリサちゃん! ありがとう二人とも!」
「あ、あの、二人とも。私は別に本田君のことは……」
「何言ってるのすずか! このエロガッパは間違いなくお風呂を覗きにくるわ! 油断しちゃいけないんだからね!」
「うぉおおいちょっと待ちやがれそこのバニングスの女ー! 何勝手に人を覗き屋本舗に認定しくさってやがるんですかねー!?」
「なによ、どーせそうするつもりだったんだから変わんないでしょーが!」
「するかー!? そんな墓穴掘りを通り越した自殺行為を誰がするか―!?」
「ふ、二人とも落ち着いて。みんなに迷惑だよー」



 昨夜突然決まった温泉旅行。
 それは、毎年高町家がこの四月の連休を利用して執り行う家族旅行なのだ。
 そして何故か知らんが、その話を昨日の夕食会で聞いた母上が羨み、気を良くした桃子オネーサマが「あらー、それじゃ今年はご一緒しましょうよ!」という謎の気まぐれによって、我が本田家一同もご相伴にあずかるハメになったのである。なんてこったい。
 しかも、どうやらこの金髪ガールと月村家の皆様も一緒に来るらしい。なんという大所帯……っ!
 いや、すずかちゃんが来るのは全然いいさ。つーかむしろそれだけで今回の温泉旅行は、負の「絶対行きたくねー家でゲームしてー」から正の「この命を燃やし、這いつくばってでもイってやるっ!」という怨念へと切り替わった。
 ……まぁ、どーしよーもないくらいヤバい問題が一つあるんだが、今は忘れよう。



「とにかく! 時彦、アンタもし女湯を覗こうものなら、十七個に切り刻んでカラスの餌にしてあげるんだからね!」
「だめだよアリサちゃん! それじゃぁ〝押すなよ! 絶対に押しちゃダメだからね!〟っていう前振りになっちゃうの!」
「くっ……!? しまった、これは時彦の巧妙な罠だったんだわ! こうやって私たちに前振りさせて、いざ実行して捕まっても私達に罪をなすりつけるための!」
「え……、そうなの本田君?」
「何故そこで俺に振りますか月村さーん!? つーかそこまで手の込み入ったことするほど暇じゃねーよっ!!?」
「おい時彦うるせー! いちゃつくなら学校着いてからやれよなこのリア充!」
「そーだそーだチ○コもげろバカヒコ!」
「朝のドッジはお前一人対俺達な!」
「俺達の怒りと悲しみを受け止めやがれっ!」
「……りっ、理不尽だっ! 今日の俺はなんか理不尽な不幸に見舞われている……っ!!」



 俺達聖祥大付属小学校の通学バスの中は、こんな感じに姦しくも笑いの絶えない、実に楽しい登校風景です。
 あぁ、平和って良いなぁ…………俺に対する理不尽な八つ当たりさえなければっ!!











                           俺はすずかちゃんが好きだ!











「―――――はい、では実習前の注意事項は以上。何か質問は?」
「はーいせんせー!」
「あらあら、元気がいいわね本田君。質問はなぁに?」
「班内で納豆を入れるか入れないかでもめた場合はどうすればいいですか!」
「……えーと」



 家庭科室の教壇で、三角巾とエプロン姿の先生が笑顔で硬直する。いや真面目な話なんですって。
 班の奴らを見渡せば、マジでその事について口論していたがために、滅茶苦茶真面目に先生の返答を待っている。



「確かに納豆は平安時代からある由緒正しい日本食です! でも、だからといってそれを味噌汁にぶち込んでいいという理論は間違ってる!」
「いいや! うまいものにうまいものを足したらもっとうまくなるのは当たり前だからいいんだよ!」
「ふざけんな! それは料理のできないやつが盛大な失敗をする典型例じゃねぇか! アリサなんか、こないだの実習のカレーの時に〝チョコレートを入れたらもっと美味しくなるに違いないわ〟とか言ってカレーに板チョコ十枚ぶっ込んだんだぞ! あの時の惨劇を忘れたとは言わせないっ!」
「ぐっ……た、確かにあれはひどかった」
「あぁ……思い出すだけでも吐き気が……」
「あんたらまとめて涅槃に叩き込むわよ!?」
「は、はいはいみんな落ち着いて! お味噌汁の具はみんなでよく話し合って決めるように! どうしても決まらないなら先生のところにいらっしゃい。余分に材料を渡してあげるから、こっちで作りましょうね」



 月曜日の午後は、家庭科の授業がある。
 やることはどこの小学校とも変わらないような内容で、今回みたいな調理実習もあれば、簡単なパッチワーク、あるいはハンカチづくりだったりとそれはそれは微笑ましい授業だ。
 そんな今日の実習は、家庭科室での味噌汁づくり。
 日本に生き、日本で教育を受ける以上、避けては通れない一つの道である。かくいう俺は、すでにン十年も前にその道を通りすぎているのだが、今日は初心に帰ってみんなと一緒に楽しむつもりである。
 約三十人もいるクラスを五班に分け、それぞれの班員が材料を持ち寄って~、というお決まりの前準備があり、それから具の選定と実際の調理における注意事項の説明。それだけでも授業開始から三十分を費やした。
 まぁ、三時間もあるから時間にはまだまだ余裕がある。
 俺の班には仲のいいヤロウ友達が二人と、そこそこ親しい女の子二人。そして――――



「今日はがんばろうね、本田君」
「超任せてください。もう月村さんのためなら俺、死力を尽くして任務にあたりますんで!」
「あはは、大げさだよー」
「……オイ、誰かあの馬鹿を止めろよ」
「……よせよ。せっかく良い夢見てるんだから。見守ってやろうぜ」
「にしても月村さんも鈍いよねー」
「本田君がちょっと可哀そうかも」



 そう、これは一体なんの運命の悪戯か。すずかちゃんが一緒なのである!
 そんなすずかちゃんと同じ班なのに、あまつさえ一緒にお料理が出来る……だと……!?
 もうこの時点で俺のやる気が天元突破してる。つーかすでに俺の中でこの家庭科の時間は戦場になっている。主にすずかちゃんへの俺アピールするという意味で。
 ここでいっちょ家庭的な料理上手な面を見せておけば、

 本田君すごーい!→ほかにもいろいろ作れるんだぜ?→ホントに? じゃぁ今度作ってくれる?→もも、もちろんでさぁ……っ!

 みたいな展開に!? 
 やだなにこの完璧な作戦……我ながら自分の才能が恐ろしいわ……っ。
 ふっふっふ、まさかここにきて昔の家事スキルが役に立つ日が来ようなどとはな。前世で生きるために仕方なく身に付けたスキルだったが、この日この時のためだったと考えればお釣りがくるんだぜ!
 むらむらと、俺の中でのやる気が爆発寸前まで高まる。見ててくれすずかちゃん! これから作る味噌汁、俺は君に捧げるっ!



「えっとー……ホウレンソウってこんな感じに切ればいいの?」
「わ、馬鹿違うって。みじん切りになんてしなくていいよ! それなりに食べやすい大きさに切ってくれればいいんだ。根っこの部分は切り落として捨てるんだぞ」
「ねー本田君、お水ってこのぐらい?」
「ちょっと多い。もらった味噌の量にそれじゃかなり薄味になるから、ちとばかし捨てれ」
「納豆練ったよ! 5パック全部!」
「練りすぎじゃボケ!? つーかおまっ、5パック全部空けたのかよ!?」
「あ、一つ俺食べるー」
「ウチも食べるー!」
「てめぇら仕事しろっ!」



 そんな感じで始まった俺たちの家庭科実習。案の定大変なことになっていた。
 周囲をうかがってみれば、きゃいきゃいと楽しそうに調理をしているが、案の定楽しみながらも四苦八苦、というお約束に洩れない展開を送っていらっしゃる。
 例外と言えば、家でよく手伝いをしている高町とか他数人程度の女の子くらいか。まぁこの歳で料理が超得意とか俺ぐらいなもんだよな、うん。
 その点、すずかちゃんは可もなく不可もなく。猫の手で材料を抑えることや包丁の使い方も間違ってないし、多少危なっかしくコトンコトンとニンジンを切っている猫さんプリントのエプロン+三角巾姿は、動画に保存したいほどにラヴリーである。あぁ癒される……!
 ……と、見惚れてばかりもいられません。逃してなるものかこのアピールチャンス。よーし、おにーちゃんここぞとばかりにがんばっちゃうぞー!
 一通り指示を出し終え、次いで自分の担当する鶏肉と出し汁の準備をしておく。
 出し汁は既に先生が準備してくれたものを使う。今から出汁なんて取る余裕ないしね。
 


――――だが、問題は油断している時ほどよくやってくる。



 すずかちゃん達がえっちらおっちらと材料を切るのを尻目に、自分で持ってきた鶏肉を取り出した俺は、つい〝いつも〟のように包丁を使いだした。



「――――いぢっ!?」
「……どうかしたの、本田君?」



 予想以上に皮が切りにくかったから、というのはただの言い訳だろう。
 確かに包丁の切れ味は悪かったし、それを確認しないで使いだした俺が悪い。だが、すずかちゃんには猫の手のことを注意しておきながら、当の自分が全然守っていなかったことが、何よりも滑稽でならなかった。
 思わず口を突いて出る悲鳴を出来る限り噛み殺し、慌てて切ってしまった左人差し指を口に含む。
 ……鉄クセェ。
 じわじわと広がる血液独特の味に顔を顰めながら「な、なんでもないよ。ちょっと切っただけ」と苦笑する。きょとんとしていたすずかちゃんが、途端に顔を青くして慌て始めてしまった。
 あー、ったくマジかっこわりぃ……。
 こんなくだらないことでミスしたことで、すずかちゃんにカッコ悪いところを見せた事実に激しい自己嫌悪を覚える。浮かれすぎだろ俺。包丁持つ時は危ないんだから、気を抜くな、なんて自分でいつも言ってたくせに……。
 バツが悪くて、ちゅーちゅーと指を吸いながらどうしたものかを考える。
 大人しく先生に告げるべきなんだろうが、まぁ暫く待ってみて、血が止まるかどうか様子を見よう。
 しかし、ここに予想外の強敵がいることに、俺は全く気が付いていなかった。



「切ったって……見せて!」
「え、あ、イヤ別にマジで大したことないから。暫くなめてりゃ血も止まるし……」
「だめだよっ。ほら、ちゃんと見せて。意外と傷が深いかもしれないんだから!」
「Ja!」



 ぐいっと、慌てて駆け寄ってきたすずかちゃんに、それまで舐めていた指を引っ張られる。
 血は相変わらずだくだくと切り口から染み出すと共に、ずきずきと熱に浮かされたような疼痛を訴え続けている。あかん、こりゃ案外深く切ったかも。
 ちょうど包丁を引っ張ってる時に切った形だから、切れ味が悪くてもすっぱり逝ってしまったんだろうと思う。見た目以上に傷は深いらしく、流石に放置治療するには無理があるかな。
 そんなことを俺が呑気に考えている間、遠慮なく流れる俺の血を見たすずかちゃんは、想像した通り、目を大きく見開いてびっくりしていた。
 同じ班の女子もきゃーきゃー言ってるし、それを聞きつけて先生がこっちにやってきているのが眼の端に見える。いや、それよりも目の前で硬直しっぱなしのすずかちゃんですよ。
 もしかして、所謂漫画にありがちな〝立ったまま気絶〟とかいうやつだろうか?
 眼を見開いて、そしてそのまま機能を停止したアンドロイドのように、ピキーンと硬直しているすずかちゃん。夜の闇みたいな黒紫の前髪に、ゆらゆらと揺れる長い睫毛。いつみても端整な顔立ちは、今や猫さんプリントのエプロン&三角巾の威力も相まってがマジパネェ勢いで可愛いです。眼福眼福。
 ……なんて、またもや呑気なことを考えていた時でした。
 すずかちゃんの表情が一層険しくなり、同時にその瞳の焦点がどこか危うくなったような……?
 そんな疑問を覚えた時には、既に事が始まっていた。



「っ…………はむ」
「ほ……ぉおおおおおぉぉ!?」



 すずかちゃんに、指を噛まれた。そしてそのままちゅーちゅー指を真っ赤にしていた血を吸われている。
 ……いや、これはどちらかというと咥えられたのか!? 
 俺の指を、すずかちゃんが!?
 つーかさっきまで咥えていた俺の指を、すずかちゃんの唇が咥えてあまつさえ俺の体液をちゅーちゅー吸って――――煩悩滅ッッッ!!
 待て落ち着けこういう時こそビークールになるんだダディ!

 情報を整理しろ! 現状を把握し最善を尽くすんだ!
 報告! 左人差し指第一間接指腹部における裂傷の止血、未だ完遂ならず! 血小板足りないよ、なにやってんの!
 患部を女神に咥えられています! つーかちゅーちゅー吸われてます!
 こ、これは……っ!
 知っているのですか隊長!?
 あぁ。これは古来より伝わる秘術が発祥と言われている、今や民間療法に紛れ込んだ信頼の表現。その名も――――〝間接喜棲〟っ!
 か、間接喜棲……!?
 そうだ。他人の傷口を、細菌の感染を厭うことなく舐める、或いは毒の混じった血を吸い取ると言った高等医療技術だ! しかも、多くの民間治療の場合、その処置がされるのは本人が患部を舐めたり吸った後であることが多いっ!
 つ、つまりそれは……!
 あぁ、やる方は覚悟している、すなわち〝貴方なら信頼しているからここまでするのよ!〟という隠されたメッセージだったんだよ!
 な、なんだってぇえええええ!?
 メーデー! メーデー! 我らが女神の様子が変です! ついでになんか患部がすげぇ気持ちよくて痛みが引いてる気がします!
 な、何が起こっているんだ、あの戦場(=患部)で……っ!
 
 以上、混乱の極地でオーバーフロー寸前の時彦君ブレインから、中継でお伝えいたしました。 



「……っぷ。はぁ」



 それは、一体どれほどの時間だったのか。
 ほとんど体感にして永遠に近い程の一瞬が終わり、広大なる小宇宙に漂っていた自我意識が突如として現実に引き戻される。
 俺の指を加えていたすずかちゃんは、ある程度出血が収まった頃を見計らってその口から指を離した。
 抜ける際に〝ちゅぽっ〟と小気味の良い音と共に、ぬらり、と銀色の細い糸がすずかちゃんの唇と俺の指との間にできていて、心臓破裂するんじゃないかってくらいドッキリした。
 


「うふふ……」
「――――っ!」



 ふにゃっと。すずかちゃんは糸を拭おうともせずに微笑む。
 ……やべぇ。今本当に呼吸止まった。
 


「血、止まったみたい。まだちょっとでてるけど、だいじょうぶ?」



 すずかちゃんが、その歳にしてはやたらと蠱惑的な笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んでくる。
 何故だか知らないが、その目で見られた瞬間、俺は背筋を凄まじい身震いが駆け抜けた。
 もし気が抜けている状態だったならば、間違いなく腰が抜けていたに違いない。前世の経験と照らし合わせれば、下品な話だが、軽い絶頂に近いような――――ますます変態じみてきたな俺。誰か助けて!
 ともかく、そんなイヤな現実から目を背けるように、先程まですずかちゃんの口の中にいた幸せ者の指を見てみると、うっすらと血が滲んでいるだけで、さっきのようにどばどばと血が流れる様子はない。ついでに、あの疼くような痛みもなくなって、どちらかというと治りかけの傷口みたいな、こそばゆいくすぐったさが残っている。



「あ……うぇ? ホントだ。結構深く切ってたと思うんだけど……あぁいやそうじゃなくて、ゴメン、なんかもう、ホント色々と」
「ううん、いいよ、ぜーんぜんへーき。あは♪」
「……ぅん?」


 
 おかしい。いや、何がってすずかちゃんの様子が。
 ふらふらと、なんだかすずかちゃんの頭がメトロノームのように小刻みに揺れている。
 表情は多幸感に満ちた笑顔そのもので、一体何がそんなに嬉しかったのかわからないくらいだ。
 頬は若干上気してるし、心なしか目の焦点も合ってないような……?
 まるでアルコールを大量に摂取した幼児みたいな状態に陥っているすずかちゃん。さっきまで普通にしてたのに、これはどういうことでせう?



「あ、あの……月村さん?」
「ふふ。なぁに、ほんだくん?」
「いや、なんかすげーやばそうなんだけど……大丈夫?」
「もぉ、しつれだなー! 私はいたってふつーですっ」
「……既にその言動の時点で普通じゃないのにお気づきでございますかおぜうさま」
「ちょっと時彦! アンタ指切ったって、大丈夫なの!」
「わわわ、すずかちゃん凄い顔真っ赤だよ!?」
「……なんか煩いのがやってきたぞ」



 先生がやって来る前に、案の定アリサと高町の奴らが血相を変えてやってきた。
 当人よりもパニックになっているバカ二人を安心させるためにも、すでに出血の止まった指を見せてやる。なのに「大げさな話にして困らせるんじゃないわよバカっ!」と思いっきり頭をブッ叩かれた。何故に!?
 そして、遅れてやってきたせんせーに、このまま放置するのは不味いから、一端保健室で消毒してきなさいと言われてしまう。
 まぁ、後は材料切って鍋にぶち込んで云々だし、難しいことはないだろう。誰かが余計な事さえしなければ。
 鶏肉は野郎友達に押し付けるとして、この場は大人しく保健室に行くかな。
 ……ついでに。



「あ、んじゃせんせー。なんか月村さんも熱あるみたいなんで、一緒に連れてってもいいですか?」
「あら、ホント。月村さん、お顔真っ赤よ?」



 手を頬に当てながら、心配そうにすずかちゃんの顔を覗き込むせんせー。
 なんだか周囲に野次馬が集まってきて、騒ぎがどんどんでかいことになってるような気が……。
 それはそうと、せんせーに心配されたのが不服だったのか、すずかちゃんはまるでリスのように頬を膨らませると、両の拳を胸の前に持ってきてせんせーを見上げた。
 


「むー、大丈夫れす。わたし、ヤれますっ!」
「いやいやいや、月村さんそんなグルグル回ってる眼で言われても説得力皆無ですから――――って倒れたぁああああ!?」
「す、すずかちゃん!?」
「衛生兵ー! 衛生兵ー!」



 メトロノームの振れ幅がでかくなるように、くらくらと揺れていたすずかちゃんがついにブッ倒れた。
 危うく机にぶつけそうになったところを慌てて抱きとめた俺は、腕の中で「ふみ~……」と気を失っているすずかちゃんの可愛さに充てられて、鼻の奥にツンと感じたナニかを必死に吸いあげる。



「仕方ないわね。先生、月村さんは私達で保健室に連れて行ってきます」
「……そうね。バニングスさんの班はもう材料は入れ終わった?」
「はい。後は班のみんなに任せても大丈夫だと思います」
「そう。じゃぁ申し訳ないけれど、高町さんと二人で付き添ってあげられるかしら?」
「わかりました」



 さすが影の委員長。
 アリサの奴は、てきぱきと先生から支持を仰ぎつつ、同時に班のみんなに作業の注意点を伝えてすぐに戻ってきた。
 そして、気絶したすずかちゃんを俺に背負わせると、高町と二人で俺の両隣りについて、保健室へと同行する。
 道中でさんざんぱらアリサに罵倒されまくったが、そんなことよりもすずかちゃんを背負っているというこの夢のような状況に酔いしれるのに忙しかったので、馬耳東風とばかりにスルーしました。

 ……うん? あれ? なんで自然に俺がすずかちゃんを背負う事になってるんだ?

 いやまぁ、むしろ願ったりかなったりで全然いいんだけど……ま、いっか!
 








 保健室につくと、そこにいた保健の先生に「あら……すずかちゃん、倒れちゃったの?」とさもすずかちゃんが常連みたいな事を言われたのが不思議だったが、特にそれ以上聞かれることもなくベッドを使わせてもらえた。
 意外と寝心地の良いベッドの上で、すずかちゃんは真っ赤に顔を上気させたままくーくーと、気持ち良さそうに寝ている。
 とりあえず、単純に血を見て興奮しただけだから、大事ないと言う診察結果を聞いた俺とアリサ、高町の三人は揃って安堵のため息を漏らした。



「しっかし、血を見て興奮って……なんか普通とは真逆だな」
「まぁ、絶対にあり得ないわけじゃないでしょ」
「でも、確かにすずかちゃん、血を見るとちょっとのぼせちゃうくらいに顔赤くしちゃうよね」



 普通なら、血の気が引いて貧血でぶっ倒れるんだろうけれど――――まぁ、その逆がいてもありえなくはないか。
 それに、確かに記憶を掘り起こしてみれば、ちょっとした怪我で滲んだ血を見た時とか、すずかちゃんはあまり血を見ないようにしてたりしてたし、相当苦手だったんだろう。貧血になるにしてものぼせるにしても、普段から苦手そうにしてたのは間違いない。
 ……そして、そんな苦手なモノを直視させた上、あまつさえ口に含ませてしまった罪悪感で身を切り裂かれそうな気分だ。
 ちょっと考えればすぐ思い出せたはずなのに、その場で舞い上がってて全然気付かなかった自分を殴り飛ばしたい。



「そんなに落ち込まなくていいわよ、本田君。人間生きてるんだもの。血を見ないで生きるなんて不可能だし、今回はちょっと巡りあわせが悪かっただけだから、ね?」
「先生……」
「そーよ時彦。まぁ元々怪我したアンタが悪いけど、すずかはそんなアンタを心配したんでしょ。だったら落ち込んでないで、起きた時にしっかり謝ることだけ考えなさい。あと感謝も!」
「う……そう、だよな。むぅ、まさかアリサに諭されるとは」
「とーぜん。私はアンタより何倍も大人ですから」
「……あはーそうですねーすごいすごーい( ´,_ゝ`)プッ」
「あ゛ぁん!? アンタ今笑いやがったわね!? 人がせっかくフォローしてやってんのに……しかも最後にすっさまじく腹立つ笑い方したわねアンタ!」
「うわー……ほんだくんがまたエアーブレイクしてるの」



 髪を引っ張られ頬を引っ張られ、怒り狂ったアリサと取っ組み合う俺達を、先生と高町の二人が苦笑しながら眺めていた。
 無論、途中で先生が「騒がしくしたら起きちゃうでしょ。喧嘩するな追い出すわよー?」と背筋が震えるような笑みで仲裁に入ってこられたので、すぐさま大人しく俺達は授業に戻ることにした。



「ちょっと、時彦。何でアンタまで一緒に来てんのよ。アンタは残りなさい」
「は? いや、もう怪我は平気だし、戻んないとまずいだろ。何言ってんだお前」
「……ふーん。それじゃアンタ、すずかが起きた時一人にしとく気なわけ?」
「……あ」



 むぅ、言われてみれば確かに。いきなり気絶して、起きたら保健室と言う深紅の王状態とか不安すぎるよな。
 いや、でもそれこそ先生がやってくれるだろ。確かに俺が残ってすずかちゃんが起きるまで待っていたいけれど、そんなことしてたらそれこそ授業をさぼったことで怒られちまう。
 ……無論、本心がどちら側であるかなど、わざわざ考えるまでもないんだが。



「先生には私となのはから説明しとくから、アンタは起きた時用の説明係として残んなさいよ。後で味噌汁は持ってきてあげるから」
「そうだよほんだくん。それに、すずかちゃんはほんだくんのために気絶したようなものなんだから、責任を取るのはほんだくんの役目だと思うの」
「……わかった」



 ここまで言われちゃ、俺もイヤとは言えない。
 ……いや、それよりも、わざわざこんな風に想いやってくれてるんだから、ここは素直に甘えるべきなんだろう。あぁちくしょう、ホント良い奴らだよな、こいつら。
 思わず緩みかける涙腺を気合で引き締めて、俺はいつものように笑った。



「んじゃま、言われた通りお留守番してますよ。ただし、絶対に納豆の入った味噌汁は持ってくるんじゃねぇぞ。後、アリサの作った奴も」
「っ……ふふふ、あーそう。そりゃ気をつけなくっちゃねぇ? じゃぁ、公平を期すためにも、後でクラスのみんなに希望者を募ってその中から選んでくるわ」
「……あーあ、ほんだくん墓穴掘っちゃった」
「え? なに? ちょっと高町のなのはさんそれどういう――――」
「楽しみねー。私以外にもシュネッケンとかナマコ羊羹とかダイエットドクターペッパーとかいろんな材料持ってきてる子いたし。私の班がふつーに作ったふつーの味の味噌汁がイヤって言うんなら、そう言う系の味噌汁貰ってくるしかないわよねー」
「は!? いやちょっ、ナニその名前だけでも凄まじそうなヤバいチョイスはッ!?」
「……せっかくアリサちゃん、今日は普通の材料で作ってたのに。ほんだくん、地雷を自分から踏みに行ったよね」
「待てぇえええぃ!? 高町、だから貴様は何故そういう大事な事を最後に言うんですかねぇ!?」
「いくわよなのは。こうなったらクラスのみんなに気合入れて〝美味しい味噌汁〟を作るように頼まなくっちゃ」
「アリサさん、アリサさん!? すみませんマジ御免なさり俺が悪かったんでホント勘弁して下さいっ! いや、待って! お願い! 許してーーーーー!!」



 だが、俺の必死の土下座等、まるで路傍の石頃の如くスルーしたアリサは、そのまま高笑しながら高町を引きつれて家庭科室へと戻っていくのだった。自分の墓穴掘り属性に心底嫌気がさした一瞬である。

 そんな絶望感に包まれながら、あと数十分後に待ちうける自分の暗澹とした未来を想像して、俺はすずかちゃんの眠るベッドの横に設えたパイプ椅子に肩を思いっきり落としながら座った。
 再び保健室に戻ってきた俺を訝しがる先生に事情を説明したら、意外にもあっさりとオーケーを出してくれたが、なんか釈然としない。なんでアンタ終始ニヤニヤ笑ってんだよ。まるで初々しい恋愛初期のカップルを見守るような――――はっ!?

 まさか、俺がすずかちゃん好きだってことがバレてる!? 

 いやそんなまさか……バレてるにしたってこんな保健室なんて言うフィールド外まで及んでいるなんて――――ッ!
 そこまで考えて、俺は更にヤバいことに気付いた。
 下手をしたら、校内中に広がっているんじゃなかろうか、と。
 思い返してみれば、通学バスの中でもすずかちゃんとのことでからかわれたりする比率が上がっている気がする。
 最初は乗ってる奴らの多くが同じクラスの連中だからと思っていたが、よくよく思い返してみれば、別に俺達のクラスだけじゃないんだ、乗っていた人間は。つまり、そいつらがふとした話の種でばらまいたと考えれば――――っ!?



「いやん。本田君、もうお外を歩けない」
「……あの、大丈夫、君?」
「はい。大丈夫です。大丈夫なんでそのマジで可愛そうなものを見るような白い眼はやめてもらえますか」



 割と容赦のない保健教師だな、と俺は心の中で愚痴るにとどめた。ちくしょう!
 ……とにかく。もはやこうなったら今さらである。周りが気付いていようと、本人様が気付いていらっしゃらないのであればそれでいいのだ、と逆に考えることにした。考えて〝ますますそれってダメな状況じゃね?〟という事に気付いて更に凹んだのは内緒である。
 だって、それって所謂――――――――脈なしってことじゃんっ!!
 
 う、うぉおおおおおおお!! 
 嫌だ! そんなのは嫌だ!!!
 せっかく最近順調にフラグが建ってきて、ようやく俺の時代到来!? それともこのまますずかちゃんルート一直線!? なんて調子に乗ってきたのにぃいいいい!!!!
 いや、まだだ……まだ終わらんよっ!
 今回だってこの後のフォローを完ぺきにやって見せれば、きっと好感度が上がるはずだ! 
 たとえすずかちゃんにその気がなくても、じっくりと地道に努力を続けていけば、いつかゴールした亀の如く俺にも道が見えるはずっ!
 せめてそんな風に頭の中で疑似ADVにでもしなければやってられないほどの不安感が俺を襲う。
 いくらすずかちゃんの傍にいられるだけでも嬉しいとはいえ、まるでその好意に気付いてもらえないと言うのも辛いものがあるのだ。我儘と言うことなかれ。これが所謂〝恋〟という奴なのだから。あぁ畜生ホントやっかいな病気ですねぇおい!

 
 
「だから本田君? 君、さっきから大丈夫?」
「極めて平常です。ですからその珍獣を見て楽しんでるようなむかつく笑いを止めてくれやがりませんかね?」
「ぷっ……くく。だ、だって貴方、さっきから頭抱えてどったんばったんしたり、突如笑顔になったかと思えば次の瞬間思いっきり落ち込んだり、まるで劇団一人よ?」
「うぐっ……」



 つぶさに俺の奇行を観察されていたと知り、思わず赤面してしまう。
 最近人前にもかかわらず平気で奇行に走る自分が恐ろしい。女体化したことに原因があるのか、あるいはそもそもそれこそが俺の本質なのかわからんが……間違いなく前者だな、うん。(超自信満々)
 


「まぁ、好きな子が心配なのはわかるけれどねぇ」
「……バレてます?」
「うふふ。お姉さんを甘く見ちゃだめよ? こう見て、お姉さんは人生経験たっぷりなんだから」
「具体的な数値をお聞きしたいです」
「そうねぇ……ざっと五世紀くらい?」
「あっはっはー! せんせーウケルー!」
「あらそんなに面白い? ふふふ、やぁねぇお世辞が上手なんだからもう」



 そんな感じに、すずかちゃんが寝ている間、俺と保険の先生はバカみたいな話をして暇を潰していた。
 まぁ中身と言えば、実はこの学園の理事長は昔女装して聖祥大の付属中と付属高を卒業してるとか、誰々先生はここの出身で、昔どんな騒ぎを起こしたとか、他には知り合いに聞いたと言うちょっと昔に津で起きた濃霧の事件の噂とか、そういうなんてことのない話である。つーか理事長何してんの。
 自分で人生経験が豊富と言うだけあって、保険の先生は随分と知識が豊富だった。それも、個人的に尊敬できるレベルの人格者で、出会うのが後一年早かったら憧れていたかもしれん。
 そんなことを言ったら「あら、でも君女の子でしょ? それじゃ百合の花になっちゃうからお姉さんは遠慮したいなぁ」とか衝撃モノの暴露をされた。



「なな、なんで知ってるんですか!?」
「だって骨格が違うもの。いくら二次性徴前の体つきが変わらないって言っても、男の子と女の子じゃ全然違うのよ?」
「………今の一言で一気に先生の評価が〝マッドドクター〟に変わりました」
「まぁ失礼ね。でも面白いから許してあげる」



 そして再び爆笑する俺達。いやー、先生ノリが良くて話しやすいわ。
 ついでに、それとなく「俺、実は精神年齢30超えてるんですよ!」とか言ったら「んー、まだまだね。せめてあとプラス百歳はないと話にならないわ」と軽くスルーされた。やべぇなにこの先生滅茶苦茶面白い。
 ほとんど時間を忘れるようにして話をすること約一時間。そろそろ実習も終わる頃かなー、という時になって、ベッドの方から低い声が上がった。



「ん……ぅん?」
「お、月村さん気が付いた!?」



 まだぼんやりと起きぬけと言う感じに視線が定まっていないが、うっすらと眼を見開いたすずかちゃんは、ぼーっとベッドの横に立つ俺を見ている。
 そしてしぱしぱと眼を瞬かせると、急にはっと眼を見開いて布団を眼の下まで引き上げた。



「ほ、本田君!?」
「あら、眠り姫様は御起床あそばされたのかしら? でも残念ねぇ時彦ちゃん。できれば王子様のキスで起こしてあげたかったんじゃない?」
「あっはっはー変な事言うと先生が昼寝してる頃を見計らって理事長にチクリますよ」
「うぐっ……この短い間に、なかなか言うようになったじゃない」
「くっくっく。この本田時彦には人を貶める術が一〇八通りあるぞ」
「それはそれで物凄く嫌な子ね……」
「自分でもそう思いますがウソですから。ウソだからそんなドン引きして信じないでくださいよ!?」
「やぁねぇわかってるわよ。ふふ、そういうところはまだまだ子供ねぇ」
「くそう……なんかこの人に全然勝てる気がしないぞ」



 母上にこてんぱんに伸された時並みの敗北感に打ちのめされる俺。まさかこの世に母上に匹敵する人間が桃子さん意外にもいようとは……ッ!
 


「って、別に先生はどうでもいいんだった」
「……先生、地味にその発言の方が傷付くのだけれど」
「知りませんよ。それよか月村さん、体調はどう? なんか貧血の逆パターンで気絶したみたいだけど」




 相変わらず布団をひっかぶったままのすずかちゃんは、一向に顔を出そうとしないでコクコクと首を振るだけだった。
 それが「ノープロブレム」という意味のボディランゲージだと理解するが、しかし布団の中に引きこもる理由がわからない。
 普段なら「ううん、大丈夫だよ。心配かけてごめんね?」みたいな、逆にこっちが恐縮してしまうほど謙遜した返事が返ってくるはずなんだが。
 よくよく見れば、すずかちゃんの顔はまだ少し赤い。多少時間が経ったとはいえ、まだのぼせが完全に治っていないのかもしれない。
 さっきの雑談の中で、ちょっとばかし聞いた先生の話だと、実は症状的にはさっきも言ったように貧血の反対であるのぼせの状態なのだが、実際にはアルコールの過剰摂取と似たようなものらしい。所謂悪酔い、ってやつだ。
 あれは酒の中にあるアルコールを分解した時にできるアセトアルデヒドとかゆー毒素がたまりにたまったせいで引き起こされるものなんだが――――果たして何故にすずかちゃんがそんな状態に?
 そして、同時になんか違和感を感じた。
 


「あの、まだ辛いようだったらもう少し寝てる? なんだったら、荷物俺が持ってくるよ?」
「そうねぇ……本田君、ちょっとお願いできるかしら。悪いんだけれど、さっきのお友達にも御味噌汁の方はキャンセルするよう伝えてもらえる?」
「あー、そうですね。月村さん、今なにか食べれるような気分じゃないでしょ?」
「う、うん……」
「喉渇かない? 今お水を用意してくるわ」
「あ、はい。ありがとう、ございます……」



 確かに症状が悪酔いと言うのならば、ちょっとした脱水症状になってるかもしれない。実際、すずかちゃんは喉が渇いているらしく、先生の申し出を断る様子はなかった。
 ともあれ、それなら早いとこアリサ達に伝えに行くとしよう。せっかく持ってきてもらったのに食べれない、なんて話になったらさすがに申し訳ないし。
 すずかちゃんへの違和感は相変わらず拭えなかったが、俺は後ろ髪惹かれるその疑念を無理やり振り払うようにして「んじゃ、ちょっと行ってくる。荷物は道具箱の中?」と確認を終えて保健室を後にした。
 授業中なので、当然のごとく誰もいない廊下を歩きつつ、恐らく家庭科室にもすずかちゃんの荷物はあるだろうから、先に教室で荷物を回収しておくか、あるいはアリサ達に先に味噌汁を持ってこなくていいと伝えてから回収すべきかを悩む。
 結局、先にアリサ達に伝言を済ませた方がいいだろうと結論付けた俺は、それまでゆっくり歩いていた脚をかけ足にして家庭科室へと向かいだした。
 


「―――――あ」



 その時、ふと気付く。
 どうにも喉に引っ掛かった魚の小骨のように、俺の思考の隅をちらちらとうろついていた違和感の正体がなんだったのか。
 俺が指を切る前のすずかちゃん。
 気絶する直前、顔を真っ赤にしてフラフラしていたすずかちゃん。
 そして、ついさっきベッドの中で俺を見ていたすずかちゃん。
 


――――――すずかちゃんの眼の色って、何色だったっけ?
 


 結局、家庭科室についてアリサ達に伝言を伝える時になっても、俺はそんなふとした疑問に答えることができなかった――――。 
 













 
 


 

 

 










 



―――――――――――――――――――――――――――――
あとがきろんりねす
―――――――――――――――――――――――――――――
リアルがばたばたで暇がなかったんだぜ……orz
ともあれようやく更新できたので一安心。でもまだまだバタってるので次は来月かも。

月曜日はまだまだ続く。





p.s

例のごとく誤字修正は次回に。

p.s2
前話ですが、プレシアさんのブラインドタッチ=赤○リツコのソレという脳内設定があります。リツコさんSugeeeeee!!!




[15556] 再会とお見舞いと秘密
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:40
 
 とりあえず脳味噌に沸いた変な疑問(すずかちゃんの眼の色がどうだったか)は隅に置いて、まずはすずかちゃんの荷物を回収すべく家庭科室へ着いた時。
 ちょうどみんなが味噌汁を美味そうに啜っているのが見えたので、バターン!と勢いよく扉を開けて「俺、参上!」とかやったら、野郎のほとんどと一部の女子が味噌汁を噴き出して大惨事になった。そして、何故かその中にアリサと高町も紛れていたので、危うく二人にタコ殴りにされる寸前まで追い詰められかけるという、九死に一生の体験をするハメになった。
 結局、先生に「月村さん早退です!」とだけ短く伝え、俺とすずかちゃんの荷物をひっつかむと大慌てで教室に逃げ帰り、残りの荷物を手早くまとめては保健室へと急いだのだった。
 
 そうやってプチ命がけな短い旅を終えて戻って来ると、一体いつ連絡を受けていたのか、月村家筆頭メイド長のノエルさんと、その妹のドジっ子メイドという美味しい立ち位置を欲しいがままにしているファリンが、保健室の先生に深く御辞儀しているところだった。
 校庭の方へと目を向ければ、校庭の一角に黒塗りの車――――ブルジョワジーの代名詞ともいえるメルセデス様が鎮座しており、そこでようやくこの学校が御金持ちの子息女が通う私立校だったことを思い出す。
 やー、特待生でもなけりゃまずこないよなぁこんなとこ。つーか校庭にベンツって。
 そんなことを考えつつ、さりげなーく空気になって風景に溶け込もうと、抜き足差し足で保健室の中へ入ると、目敏くもファリンのやつが気付きやがった。



「あ、本田くん。こんにちはー」
「ワタシ、ホンダチガウアル。フォンディー・トゥクィフィーコゥアル」
「むむっ、今度は中国人ですか。もう騙されませんよ。私こう見えても学習能力は高いんですから!」
「学習能力(笑)」
「うわひどっ! 今すっごい嘲笑されました!」
「ノエルさんちわーっす。まぁ、大凡想像はつきますけど、どうしたんすかこんなトコに」
「無視しないでくださいよー!」



 〝ファリン=面白いヤツ〟という公式が俺の中で出来上がっているので、とりあえず会ったらからかうという反射的反応が出来上がっている。まだ出会って一週間も経ってないはずなんだけどね。
 とりあえず涙目で自己主張するファリンを放置して、ノエルさんに挨拶。



「御健勝のようで何よりです、本田様。ファリン、ここは保健室です。騒いではいけません」
「うぅ……本田くん、出会い頭にメイドをイジメル気分はいかがですか? 私はとってもよくありません」
「ふはは俺はむしろ楽し過ぎて絶好調だぜ!」



 ノエルさんと同じように、やや色素が薄いけれども銀に近いブロンドの髪を揺らしながら、ファリンがぶーたれる。髪の色がもっと濃かったら、すずかちゃんとしまいか何かと勘違いしそうなくらい、顔立ちはすずかちゃんとよく似ているんだよな、コイツ。
 最初の頃はファリンにもノエルさんに対してするように慇懃丁寧な対応をしていたんだが、出会って初日―――つまりあのブルーデビル事件―――の時、明らかに小学生高学年か中学生くらいにしか見えないファリンに「本田様」等と呼ばれるのが嫌で、今のような関係に落ち着いた。つーか落ちた。
 実際の年齢は知らんから何とも言えないが、まず俺よりも体は子供で頭脳は大人なことはないだろう、という意識があったからかもしれない。
 それまでノエルさんに対するのと同じように、俺にしては殊勝にも分を弁えた緯度でファリンに敬語を使っていたのだが、気が付いたらお互いに同級生みたいなタメ語になっていた。一体なんの拍子だったかは忘れたが、ファリンに対してつい〝素〟で話し掛けてしまいそうになってた記憶がある。それこそ「おいそこのメイド」みたいなノリである。考えてみれば、すげぇ失礼な奴だな、俺。今さらだが。
 とまれ、俺とファリンの関係とはそんなもんである。まるで長年付き合ってきた腐れ縁のような気安さが、俺達の間にはあった。



「それより、聞くまでもないでしょうけど、ノエルさん達は月村さんの迎えっすか?」
「はい。先程連絡を受けましたので、お迎えに上がった次第でございます」
「びっくりしましたよー。すずかちゃんがのぼせて倒れたって聞いたのは、本当に久しぶりでしたからー」



 ファリンの口ぶりだと、以前にも何回かこういうことはあったらしい。
 保険の先生の対応がどうりで手慣れているなと思ったら、こういうことか。
 俺の記憶の限り――――とはいっても、親しく付き合うようになってから半年の間のことだが、すずかちゃんが血を見て保健室に行った、なんていう出来事はあまり記憶にない。
 せいぜい、顔色を悪く……じゃないな。今回みたいに真っ赤にしてフラフラすることが何回かあったくらいだ。今回みたいに眼をグルグル回してぶっ倒れるほどのことはなかった、と思う。
 それだけに、すずかちゃんを迎えに来たというノエルさんとファリンさんの組み合わせは、なんだか新鮮だ。



「お嬢様は既にお車の中にいらっしゃいます。御挨拶をされていきますか?」
「あ、そうなんすか。んー、いえ、やめときます。ただお大事に、って伝えてあげてください」
「……いいの、本田くん?」
「なんだその意味深な問いかけは。それよりホレ、月村さんの荷物」




 と、手に持っていたすずかちゃんの荷物を、ファリンにぐいっと押しつけてやる。
 正直を言うならば、今すぐにでもすずかちゃんに会って挨拶をしたいのだが、さすがに迷惑だろう、と思って自重した次第だ。
 ただでさえ体調よくないのに、俺なんかのせいでこんなところに長居させるのは申し訳ない。俺だって、そのぐらいの空気は読めるつもりだからな。
 荷物を受け取ったファリンは、なぜだか知らんが「素直じゃないんだから」とかいうわけのわからんことを呟いて俺を半眼で見据えた。
 後ろでは、ノエルさんが保健の先生から預かった何かしらの書類を鞄につめており、2、3言葉を交わしている。
 それも終わると、二人は再び深くお辞儀をして車の方へと去って行った。
 若干――――いや、滅茶苦茶後ろ髪を引かれるような後悔を覚えつつ、ゆっくりと校庭を去っていく車を見送る俺と保健の先生。
 すずかちゃんの体調が心底悪かったのは理解できているが、しかしだからこそ、せめて最後に一言くらいは挨拶しておくべきだったかな、と今さらどうしようもないことを考えてしまう。
 ……優柔不断は俺の常だ。バカは死んでも治らない、というのは本当らしい。



「さて、それじゃ時彦ちゃんは教室に戻りなさいな。患者さんがいない以上、貴方がここにいる理由はないでしょ?」
「くっくっく……そこらへんはぬかりないんだぜ。既に先生には俺も一緒に早退すると話を付けてある!」
「……まったく。それじゃ、さっさと帰りなさい。指の消毒はもうしたんだから、ここでサボってたらイケナイ子よ?」
「んにゃー、アリサと高町が終わるまで待つつもりっす。連絡はいれときましたしね」
「サボる気満々じゃない。んー……でも、ただ居座られるのはなんだか悔しいので、保健室の掃除でもしてもらいましょうか」
「っつかぇさまっしたー!」
「逃がさないわよ♪」



 いざ保健室を後にせんと扉をくぐりかけたところで、首根っこ引っ掴まれて中に引き戻されてしまった。無念。
 そのまま箒と塵取りを押しつけられ、なし崩し的に掃除をする羽目になってしまう。
 ぶっちゃけ、面倒極まりない上に放り出して逃げてやろうかとも思っていたんだが、まぁ別にいいか、となんかよくわからない諦めの境地に達したので、大人しく掃除することにした。



「あ、そうだ。ちょっと聞きたかったんですけど、月村さんって前にも今回みたいに倒れたこと、あったんですか?」
「うん? そうねぇ……そんなに頻繁ではないけど、何回か。でも、今回のように悪酔いしたみたいに酷く体調を悪くしたのは初めてかしら」
「……そっすか」
「ええ。今までは、本当にのぼせた程度だったんだけどね。まぁ、今日一日栄養取ってしっかり寝れば、明日には元気に登校してくるわ。気にしないでいいわよ」
「ふむん……」
「なぁに、そんなに気になるなら、最後に挨拶しておけばよかったじゃない」
「子供の純情を弄ぶのはよくないと思います」
「はいはい。シャイな男の子ですもんねー♪」
「なんだろう、このそこはかとなくむかっ腹の立つ保健教師は」



 そんな俺と保健の先生とのくだらないやり取りは、放課後のチャイムが鳴って、アリサと高町がやってくるまで続くのだった。











                           俺はすずかちゃんが好きだ!











「でさー、俺ってば思うのよ。こらあかん、どーにかしてでも詫びを入れなあかんと」
「はぁ」



 アリサにド突かれ、高町にまで「うわー、ほんだくんいけないんだー」という蔑みを受け、たかだか午後の授業をすずかちゃんの早退に便乗してサボったくらいで何を大げさな、と俺が世の理不尽を投げてから約二時間後。
 俺は今、海鳴の臨海公園の海岸沿いにあるベンチに座って、隣にちょこんと座っているバナナビーストに話し掛けていた。



「だってさ、元はと言えば俺の不注意の所為だろ? それで気分悪くなって早退する羽目になったんだ。どう考えても俺の所為だよな?」
「いや、それはその、月村さんの捉え方次第じゃないのかな? 良かれと思ってやったことを、そう言う風に〝恩を押しつけられた〟みたいな感じに捉えられたら、あまり気分は良くないんじゃない?」
「……うがー。そういう可能性もあるかー」



 ベンチにぐでーっと背中を預けて、全身コレ軟体動物、とばかりに体を弛緩させる。
 ぽんぽんと俺の太ももを叩く細くて黄色いナニかことユーノは、そんな俺を元気づけようとしてくれているのか、「そんなもんだって。下手に考えないで、素直に感謝すればいいと思うよ」とわかったようなわからないような、そんなアドバイスをくれるユーノ。
 ……まぁ、頭では理解してるんですけどね。なんつーの? 心が納得しないというか。惚れた女の子があんな風になっちまって、しかもそれが、遠因とはいえ自分の所為だと考えるとこう、胸を引き裂くような罪悪感がじわじわと……。



「時彦って、意外とナイーブだよねぇ……普段の行動を見てると、神経図太い怖いもの知らずにしか見えないのに」
「うっせー。これでも俺様大人なのよ。そんじょそこらの小学生とは格が違うのです、格が」
「うわー……そしてこの無駄にデカイ根拠ですよ。一体その自信はどこから湧いてくるんだか」
「そりゃおめ、恋に恋する男の子ですから」
「はいはい。まったく、そんなに好きなら早く告白すればいいのに」
「せからしか。自分のこと棚に上げてんじゃねーよぃこの風呂覗き魔」
「ち、ちがっ!! それはだから、なのはが無理やり僕を捕まえて――――!」
「あーあーちくしょーうらやましーなー! 俺も好きな女の子と一緒にお風呂入りてーなー!!」
「違うって言ってるだろーーー!?」



 これで歳があとプラス11歳くらいあったら間違いなく警察の御世話になるところだが、生憎と俺様、今小学校三年生なんで。見た目が。
 なので、公園を歩く皆さま方から白い目で見られこそすれ、街の平和と安全を守る大義のもと、疑わしくも罪なき人々に職務質問という拷問を平然としかける悪魔の手先達に捕まることはない。
 もちろん、ユーノの声は超小声だ。最後だけ危なかったけど、平日のこんな時間である。人通りはソレ程多くないし、多少不自然な声の一つや二つが聞こえても、人間ってのは対して気にも留めないもんだ。
 灯台もと暗しとはよく言ったもんだよねー、なんて一人変な感心をする。
 
 すずかちゃん抜きの三人という、非常に珍しい組み合わせで帰宅した俺達は、アリサが習い事があると言って先に別れ、高町も翠屋のお手伝いという罰ゲームがまだ持続中なので、途中で別れることになった。
 その後、なんとはなしにこの海鳴海浜公園に向かっていたら、偶然にも道端でぱったりとこのラブコメ漫画の主人公みたいなラッキースケベことユーノに出会ってしまったわけである。
 なんでも、普段から高町が学校に行った後、自主的に街に散らばった残りのジュエルシードを探しているんだと。てっきり毎日高町の部屋で惰眠を貪っているのかと思えば、意外にも責任感の強いその姿勢に密かに感心した。
 ただ、やはり朝からずっと探しっぱなしだということもあって、どこかしら安全なところで休憩しよう、としていたところだったらしく、そこへ俺が偶然現れたので、せっかくだから一緒するかーみたいな、そんな軽いノリでの合流だった。



「それにしても、時彦」
「あによ」
「そんなに悩んでるなら、なんで告白しないのさ?」
「ぶッッ!!!」



 なけなしの小遣いをはたいて買ったコーラが!!
 コノヤロウ、人が飲み物を口に含むというタイミングでとんでもないことをサラリと聞きやがってからにッ!



「うわ、汚ッ!」
「ば、ばば、馬鹿な事をいうでねぇべさ!」
「……動揺しすぎだよ、時彦」
「う、ううう、うる、うるるるせえぇえい! 一言で告白しろっていうけどな、そんなおまっ、振られた後滅茶苦茶気まずいじゃねぇかバカヤロウ!」
「最初から負け犬思考なんだ……」
「いいだよそのぐらい臆病で。特に、一世一代の初恋なんてのはな、九割九分のケースが失恋に終わるんだ。そして俺は、この初恋をそんなケースに入れたくない」
「……気持ちはまぁ、わかるけどね」
「お前だって、脈なしってわかってる状態なのに高町に告ろうなんて思えないだろ」
「だっ……! だからそれは違うって!」
「はん。なんとも思ってない女の子に、自分のために毎晩危ない目に遭ってるのが申し訳なくて仕方がない、なんて思うかよ。特に、お前の〝心配〟のレベルの話なら、明らかに〝好きな子が危ない目に遭うのが嫌だ〟レベルだろ」
「うぐっ……」
「いくらお前が底抜けのお人よしでも、このひこちん様にゃぁ〝気になる相手か否か〟の違いはわかるんだぜぃ?」
「…………要求は何さ」
「すずかちゃんの御見舞行くんで付き合え」
「うわぁ……カッコいいこと言ったと思った瞬間これですよ」



 心底呆れたような視線で俺を見るユーノ。まぁ今更その程度の蔑みじゃぁ、俺のSAN値は減りすらしないがな!
 頭にユーノを乗せて、早速すずかちゃん家にお見舞いに行くことにした。
 やっぱり、保健の先生に大丈夫と言われても、気になるものは気になる。ついでい忍さんにすずかちゃんの苦手なものを聞きだして、今後の対策を立てようと思う。
 とりあえず移動するにあたって、以前ダンディなおっさんを案内した時のようにバスに乗る。
 海浜公園からだとやや遠回りになってしまうが、ここからじゃどのルートを取ってもかかる時間は大差ないからな。
 そして、歩きながらも時折ユーノと小声で雑談を交わしつつ、海浜公園の芝生を横切ろうとしていた――――その時だった。



「トキヒコ!」
「んお?」



 振り向くと、フェイトがいた。
 息を切らして肩を上下させ、火照った頬と額を流れる汗と、ぺったりと額やら頬に張り付いた金髪から、かなり走りまわっていたことが窺える。
 ただでさえ武闘派系魔法少女というカテゴリ故に、同年代と比べるとアホみたいな体力を持っているフェイトが息切れしているなんて、半端な距離じゃないだろう。どんだけ走ってたんだこいつ。



「フェイトじゃん、どうしたよそんな息切らして」
「あ、あのっ……っ……」
「いいから落ち着け。深呼吸三回、そしてラマーズ法だ!」
「うん……っ!」



 さすがにラマーズは知らないようなので、そのままスルーして深呼吸だけしてもらう。
 そして幾分呼吸が落ち着いた頃。
 俺達はそのまま芝生の上に座っていた。



「――――で、どーしたんだお前。そんな息切らして」
「えと……その」



 指をあわせてもじもじするフェイト。あわせた指をせわしなくグルグルさせたり、または付けたり離したりと落ち着かないことこの上ない。
 それほど言い難いことなのか、フェイトはなんとか俺を見はするものの、それ以上口を開く前に俯いてしまった。
 思わず、頭上のユーノと視線を交わして首をかしげてしまう。
 お互いに視線だけで「なんぞこれ」「知らんがな」と短い会話をしたところで意味はない。やはりここは、俺から話を切り出すしかないのだろうか。
 頭上の再びユーノを見上げたら、なんか顎をしゃくられて「GOGO!」みたいな視線を投げられた。
 


「あー、フェイト? アレだ。なんかすげぇ言いにくそうなんだけど、もしかして、ジュエルシードの件?」
「え? あ、ううん、違うの。ジュエルシードは、もう集めなくていいって言われたから……」
「えぇ!? そんな、あれだけ必死に集めようとしてたのに!?」
「その子は……あの子の使い魔?」



 あんまりにも突然過ぎる告白に、さすがに俺もびっくりしたんだが、それ以上にびっくりしたユーノの所為で驚くタイミングを奪われた。
 フェイトも、ようやくここに来て俺の頭上にいる獣が〝何なのか〟気付いたのだろう。驚くユーノに向かって「その、ごめんなさい」とお人よしすぎる謝罪までしている。
 


「使い魔じゃなくてただの居候のエロイタチな。ホントは人間の男のくせに、魔力が云々とか言って女の子の部屋に獣モードで居候してるんだこいつさいてー!」
「う、ウソじゃないって言ってるだろ! ていうか仕方ないじゃないか! 僕だって今とかトイレとかお風呂とかでいいって言ったんだ!」
「やだ奥さん聞きまして? この獣お風呂ですって! お風呂で高町家の秘密をすっぱぬきしたいってまぁこのエロイタチ!」
「……スパイク・チェーン」
「ぎにゃーーー!!? いだっ、いだだだっ! すんませんユーノさんマジ調子に乗りましたホントごめんなさい許してーー!!」



 一瞬にして、ユーノのドスの利いた声と共に、俺の指にバラの枝のように棘が生えた鎖が巻きついてくる。
 しかも、巻きつくだけでなくおもいっきり締め付けてくると言うあくどさ。みちみちと指が締め付けられると共に、つっぷりと棘が指のあちこちに突き刺さって痛いのなんの。
 涙目になりながら必死に謝罪することでなんとか許してもらったものの、学校の調理実習で指を切った時よりも精神的にデカイダメージをくらってちょっと本気で泣きそうになった。学習その1=ユーノ怒らせるとマジ怖い。



「だ、大丈夫トキヒコ?」
「平気だよ。せいぜいバラの棘が刺さった程度だから、見た目ほど酷い傷じゃないからね」
「代わりに精神的ダメージは凄まじいがな。ユーノ先生えげつないです」
「君が人の気にしてることをからかうからに決まってるじゃないか。まったく、僕だって申し訳なく思ってるし、かなり気にしてるんだからね?」
「うい、すんません」
「ぷっ……あはは」



 俺とユーノのやり取りの何が面白かったのか、突然フェイトが笑いだす。
 通算、何度目になるかもわからない俺とユーノの視線の会話。「なんぞこれ」「知らんがな」
 その後、発作のように笑い上戸になってしまったフェイトが落ち着いた後、さて振り出しに戻ったぞどうしよう、という空気が俺達の間に流れ出す。
 そうやって動こうにも動けない、実にもどかしい気持ちに悶々していたら、なんとフェイトから切り出してきた。
 


「あのね、トキヒコ。実は、お願いがあるの」
「お願い?」



 さて、短い付き合いとはいえ、このフェイトという少女が遠慮という文字が服を着て歩いているような人間だと十分に理解している俺は、一体どんな無理難題が飛び出してくるのだろうかと身構える。
 そして飛び出してきたお願いとは――――はっきり言って、俺の想像していた鋭角斜め48度よりも上のものだった。



「うん。母さんに、会ってくれないかな?」
「「……え゛?」」



 野郎二人(内一匹イタチ)の、なんとも間抜けな声が、芝生と蒼穹へと消えていった。
 しかしながら、そうやって呆けていたのも束の間。すぐさま我を取り戻した俺は、とりあえずいかなる事情故にそんな話がでてきたのかをフェイトから聞きだす。
 ところどころ口ごもっていたものの、それでもなんとかフェイトの話をまとめると、どうやらフェイトのママンさんが俺に興味を持っているとのこと。
 こないだの月村家事件(いつの間にかこの言い方が定着していた)の折、俺がジュエルシードを使ってすずかちゃんと忍さんの体を戻したことをフェイトがママンさんに話したらしく、それを聞いたママンさんが突然「連れてこい」とのたまったらしい。
 まぁ、俺としちゃフェイトのママンさんには前から興味があったし(色んな意味で)、今回の御誘いは願ったりかなったりなんだが、一つ気になる点が。 
 意を決して誘ってきたフェイトだったが、次の瞬間にはえぐえぐ泣きじゃくりながらしきりに「ごめんっ……ごめんなさいっ……!」と謝ってきた。
 理由がわからないうえ、たかだか母親に会いに行くだけのことが何故謝罪につながるのか、俺にもユーノにも全然理解が及ばない。それどころか、なぜフェイトのママンさんがフェイトの話を聞いて俺を呼ぼうとしているのかについても、まったく動機が想像できないのだ。
 つまり、この〝招待〟には裏に何かある。それが、なんとはなしに心のしこりとなって残ってしまっている。
 そして何よりも、俺はフェイトには話してはいないものの、フェイトのママンさんをこれっぽっちも信用していない。
 会ったことがないんだから当然だし、フェイト一人をこんなところに来させている時点でもう色々とアレなんだが、理由はそこじゃない。
 あくまで個人的で、かつ反則的にも程がある、八つ当たりに近いような理由だ。
 そんな俺が、結局のところ出した結論はというと……。



「おっけ。ユーノも一緒に行って良いんなら、招待されませう」
「時彦!?」
「……いいの?」


 
 二人してなんだその反応。特にユーノ、その「何考えてるのこのおバカさんは!?」みたいな非難がましい視線はやめてくれ。俺にだって色々考えがあるんですよ。
 そりゃ、ユーノだけじゃなく、今回のジュエルシードの件に関わってたみんなの視点から考えれば、フェイトのママンさんに会いに行くっていうのが、それこそわざわざ敵の中に単身突撃するような無謀極まりない行為だってのは自覚してる。
 けどまぁ、俺みたいな何処にでもいるような小僧一匹をどうこうするつもりなんてないだろ。高町みたいに魔法が使えりゃ別だろうけど、こちとらあくまで極々一般の範囲を逸脱しない、実に優等で清廉潔白、優秀極まりない一般庶民です。最近ちょっとばっかし一般常識から外れた事件に巻き込まれまくってるが、それだけだ。解剖やら洗脳やらされても、そもそも敵側に旨みがないし、するだけ無駄な事くらい誰でも考えりゃわかる。
 ……若干希望的観測が混じってるが、まぁそんなちょっとした打算もあっての承諾だ。そのことを話すつもりはさらさらないんだけど。
 


「……っと、そうだ忘れるところだった! フェイトすまん、あともういっこ。すず――――月村さんの御見舞に行ってからでもいい?」
「ツキムラ?」
「おう。俺のクラスメイトなんだけど、今日俺の所為で体調崩しちゃってさ。一応、お見舞いしとこうと思って」



 危うく忘れるところだったが、しかしこの俺トキヒコ・ホンダ。すずかちゃんへの愛を忘れるなど決してありえない。
 でもって、やっぱり優先順位はすずかちゃん第一位なんで、こればっかりは譲れないのだ。お見舞いって言っても、そんなに長い時間かけるつもりないしね。
 ただ、フェイトの方もそれなりに急ぎの話らしいので、無理そうなら泣く泣く諦めるしかないかなぁ、とか頭の中で考えていたが、どうやら杞憂だったらしく、快諾してもらえた。



「私は全然平気。その、ただでさえ迷惑かけてるし……」
「迷惑じゃねーって言ってんべ? ま、そんならフェイトも一緒に来いよ。それまでお前さんを一人にしとくわけにもいかんしな」
「……時彦、いいの? どうなっても知らないよ?」
「なんだねユーノ君その意味深な台詞は」
「……わかんないならいいんだけどさ」



 溜息を一つついて「どうなっても知らないからね」とかのたまうユーノ。一体何を心配しているのか知らんが、お見舞い一つに大げさすぎる。
 ともあれ、フェイトの承諾も得たことだし、俺達は一路、月村邸へと向かうのだった。













 
 


 

 

 










 



―――――――――――――――――――――――――――――
あとがきのじかんぶらいすれす
―――――――――――――――――――――――――――――
終盤戦スタート。
それにしても、よくもまぁここまで続いたものだと感心することしきり。
正直風呂敷広げすぎた感があり過ぎますが、がんばります。


1008100332:ver1.01 誤字微修正。pop◆2cb962ac様、誤字指摘ありがとうございました。



[15556] 城と訪問と対面 前篇
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2012/04/23 07:40
 かれこれ、前世と合わせれば俺は都合30余年は生きている化け物、ってことになる。
 前世があまり良い思い出がなかったせいなのか、あるいは元よりそういう破天荒な性格であったのか(できるならば前者を信じたいが)、この二回目の人生が始まってからというもの、前世なんていわば数ある青春の一幕でしかなかったと断じれてしまうほど、今現在の俺はブラックコーヒーがいっそ豆から煮出している時点で薄いわ!的な勢いで濃すぎる人生を歩んでいる気がしないでもない。
 いやまぁ、個人的に言えば、マイラバーとのいざこざも十分濃いモンだったと思うんだけどさ。
 けどな?
 いくらそんな人生経験が(多少)豊富な俺とはいえ。
 


―――――小学三年生にガチ惚れし、魔法少女の戦いなんつぅー胡散臭いモンに巻き込まれ、挙句の果てにそのライバルさんの母上にご招待を賜わるような人生なんて、はっきり言って想像すらできなかった。



 その上、いつの間にかつるむようになった周りの人間がほとんどガチお嬢様とか喫茶店という表の顔をした暗殺家系(思い込み)の末っ子とかという廃スペックの塊で、しかもこれが滅茶苦茶重要なんだが、魔法なんてものがここ最近、購入した新しいパソコンのIEが使いにくすぎて新しくブラウザを投入してみたらそれがデフォルトになった、みたいなノリで当り前になりつつあるなんていう二回目の人生を歩いている人間なんて、果たしてこの世界で俺を除いて存在しているだろうか。…………きっと、俺はナニか想像もできないような悪意に振り回されてるに違いない。
 ただまぁ、それが死ぬほどつまらない上にまったく碌でもないようなもんなら発狂するしかないんだが、生憎ご褒美ってやつが上手い事用意されてるわけで。
 ……〝小学三年生の少女にガチ惚れしてます〟とか、俺の前世知る人間が聞いたら裸足で日本から生み泳いでハワイまで逃げかねんな。
 そんな意味のない仮定すら考えてしまうほど、つまりはこの状況にテンパっているわけでして。
 たった一度しか言わねぇからよく聞いとけよ?

 俺は、ユーノとフェイトと一緒にすずかちゃんの家にお見舞いに行った。
 だが、気が付くと俺は、いつもの仲良し組と一緒に遠見市にやってきていた。
 幻覚とか超展開だとか、そんなチャチなもんじゃぁ、断じてねぇ。
 もっと恐ろしいものの片鱗を、俺は味わってる気分だぜ……ッ!
 


「ちょっと時彦、何ぼさっとしてんのよ!」
「ほんだくーん! 置いてっちゃうよー!」
「大丈夫だよなのは。いざとなったら僕がバインドで連行してくから」
「俺の扱いの酷さに、全俺が泣いた!」



 前方を意気揚々と歩く、そんな見慣れた三人組+α二つ。
 つまり、金髪一号こと無敵の肉体言語姫アリサ・バニングスと、〝魔法は暴力!〟を地で行く高町なのは、そして月村家が次女にして我が聖祥大付属小学校最高の女神/アイドルこと月村すずかちゃん。
 別名高町ファミリーズと呼ばれる三人娘に加えて、高町の馬鹿が桃色の暴力を得るきっかけとなった、イタチモドキのユーノが高町の頭の上でまったりし、そんな三人組とはちょっと外れて俺の隣をおどおどと付いてきている、高町のライバルと言うべきなのか――――金髪二号の水着魔法少女ことフェイト・テスタロッサが歩く。そんな五人と一匹が、ちょっと迷惑な感じに歩道を制圧しながらずんずんと歩いていた。
 ていうか、むしろ付いていくべきは俺達で、フェイトは案内人の立場のはずなんだが……。
 
 とまぁ、気が付いたら、こんな人数に膨れ上がっていたわけですよ。
 
 ちなみに、こんなことになった経緯をすごく簡単に説明すると、
 
①すずかちゃんの家にお見舞いに行くと、何故かそこには高町とアリサの姿があった。
②高町は家の手伝い、アリサの奴は習い事か何かがあったはずなのだが、二人とも先にすずかちゃんのお見舞いで後回しorキャンセルしたらしい。
③すずかちゃんの容体は既に回復しており、二人が待っている間お風呂タイムとのこと。
④すずかちゃんのお風呂風景を想像して俺の脳味噌がハァハァ……ッ!
⑤隣にいたフェイトにみんな気付く。質問攻めタイムスタート。
⑥お風呂上がりのすずかちゃん登場。まだ乾ききっていない艶やかな髪に当てられて鼻血が出る。
⑦俺がフェイトの母上に会いに行くと言う事情を把握したみんなが、何故か付いてくることに。
⑧フェイトの住むマンションに向かう道中なう。

 と、こんな感じになる。
 ……改めて振り返ってみてもわけわからんな。
 そして無暗に連れて行く人数を増やしてしまったことで、フェイトに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 
 

「……すまん、フェイト」
「え? う、ううん。大丈夫だよ。別に、母さんはトキヒコ以外連れてくるな、って言ってたわけじゃないし……ただ、来ても私の部屋で待っててもらう事になるけど、いいのかな?」
「構わんだろ。むしろおまけを連れていく羽目になってしまって申し訳ない。主にアリサと高町だけど」
「あはは……」



 まぁ、問題ないようならいいんだけどさ。
 ただ……フェイトの母上に会う以上に、今の俺には気になることがある。



「ねぇねぇ! フェイトちゃんの住んでるマンションって、アレなの!?」
「デカッ! すンごいデカいわよアレ!? ていうか、確かあのマンションって家賃ン十万じゃなかったっけ……?」



 高町とアリサの奴が、ようやく見えてきたフェイトの住んでいるマンションを見ては、テンションの高い質問を繰り返している。
 ちなみに、アリサの金銭感覚は既に修正済みだ。少なくとも、家賃がン十万するのは庶民からしたらアホみたいに高い、というレベルまでには。
 ……修正前は数百万でちょっと高いわね、というレベルだったことを鑑みれば、十分な成長と言えるだろう。
 そして、二人の異様に高いテンションを困ったように受け止めながらも「うん、一応……」と答えているんだが、二人ともそんなフェイトに気を使う気ゼロだな。
 一方で、意外と冷静なのがすずかちゃんだった。
 太陽光をさえぎるように手を掲げ、遠くに見えるいかにも高級そうな小奇麗なマンションを見上げて感心しつつも、なんだかお嬢様らしい感想を口にしていた。



「確か、このあたりは地価が高いってお姉ちゃんが言ってたかな……それに駅も近いし、それにマンションの作りも有名なデザイナーの人が手掛けた、って聞いたことあるよ?」
「そうなの!? うわーうわー! フェイトちゃんすっごーい!」
「ふ、ふん。まぁ、確かに庶民には住めないマンションよね。一応、フェイトがすごいお金持ちだってことは認めてあげるわ!」
「あ、あのアリサちゃん? 別にそこは張り合わなくてもいいような……」
「う、うう、うっさい! とにかくフェイト! こんなことで勝ったなんて思わないでよね!」
「え、ええと……」



 なんだか理不尽な怒りをアリサからぶつけられたせいで、フェイトはちょっと怯えながら戸惑っている。つーか何張り合ってんだあの馬鹿。
 そんなアリサを宥める高町と――――すずかちゃん。
 すずかちゃんは、ついさっきまでの学校での不調がウソのように、今ではその頬を若干薄いバラ色に染めて、普段通りの健康極まりない顔色になっていた。
 笑う姿に無理している様子は微塵もないし、足取りもしっかりしている。学校で見た酔っ払いみたいな千鳥足なんて、まるで俺がいつもみたいに妄想した挙句の産物だったのでは、と疑いたくなるくらいだ。
 ……まぁ、健康ならそれに越したことはないんだけどさ。
 


――――――ううん、いいよ、ぜーんぜんへーき。あは♪



 ただ、どうにもあの時の酔っぱらったような様子のすずかちゃんが気になって仕方がない。
 いや、だってさ?
 普通、血を見たとか舐めたとかで、そんな可笑しくなるもんか?
 確かに、血を見て失神するなんて話はよく聞くけど、血を見るor舐めて酔っぱらうなんて聞いたこともないぞ。
 そりゃぁ個人差があるんだから、世の中にはそう言う人間もいるだろう、とは思わないでもないんだが……どーも、俺のシックスセンスだとかセブンセンシズだとかいう、そんな〝理屈にできない直感〟が〝それは違う〟って言ってる気がするんだよな……。
 だいたい、人間って自分の苦手なものを見たら普通気分が悪くなるもんだろ。それなのに、あの時のすずかちゃんは気分が悪くなってたというより、どちらかというと―――そう、ハイテンションになってたんだ。普通とまるっきり逆。酒を飲んで気持ち悪くなってテンション下がる人間に対し、酒を飲むとアホみたいにテンションあがって手がつけられなくなるとか、そんな感じの!
 ……でも俺、どーっかで〝あの状態〟のすずかちゃんを見たことあるんだよね。
 まんまそれじゃないんだけど、雰囲気が似てるって言うか、それに近い状態っていうか。うーーーん…………。



「本田君? 大丈夫、気分悪いの?」
「ふぉほわはぁっ!?!!」
「きゃっ!」
「ご、ごめん。いきなりでびっくりしたから」
「ううん、私の方こそ……本当に、大丈夫?」



 突如視界に躍り出た御尊顔に、俺のすずかちゃんセンサーが過敏に反応してしまう。
 思わずその場から三メートルは飛びあがりながら後退してしまうと共に、そんな俺の反応に驚いたすずかちゃんが体を仰け反らせた。
 いつの間にか、高町とアリサに囲まれるように歩くフェイトの後ろを歩いていたらしく、ソレに気付いたすずかちゃんが気遣ってくれていたことをすぐに理解する。
 ただ、同時に今まですずかちゃんのことを考えていたのがばれたのかな、と不安になった。別にすずかちゃんを変に疑ってるわけではないけど、自分が変に疑われてると知って良い気分になる人間はいないだろう。だから、さてどう誤魔化そうかとちょっと焦りながらも頭を捻ってみるが……妙案は浮かばない。
 ので、とりあえず全力で誤魔化しにかかることにした。



「ずぇんじぇんへーきっす! それよか、月村さんこそ、今日あんな調子悪くなってたのに大丈夫なん?」
「うん。ほら、車酔いみたいなものだから。少し休めばすぐに良くなるの」
「そんなもんですか」
「そんなものなのです」



 お互いに「えへへ」と笑いあう。なんというか、短いやり取りでいつもの雰囲気に戻れたのが嬉しいと同時に、そこはかとなくこそばゆかった。
 とりあえず、元気になったようでなにより。特に不調の原因が俺のせいだったこともあって大分気をモミモミしたので、この安堵感マジぱねぇ。
 


「本田君は切ったところ大丈夫?」
「おうよ。バンドエイドでちょちょいのぱっぱでんがな」
「ふふ。今度から気をつけないとだめだよ? でも、本田君料理上手だね。みんなへの指示も上手だったし」
「いあいあ、別にそんなことないって! むしろ月村さんの才能のありっぷりに本田君軽く嫉妬団!」
「くすくす。もう、また変な事言って誤魔化すんだから」



 ……あぁ、やばいなんだろうこの癒し空間。
 間違いない。今この瞬間俺はリア充してると断言できる。今まで爆発しろって呪ってごめんねリア充のみんな! でもやっぱり俺とすずかちゃん以外爆発すればいいよ!
 気がつけばお互いの距離は隣同士に歩く程に縮まり、ともすれば肩と肩が触れ合いそうになる。
 恐らく、俺の人生の中において、すずかちゃんと隣同士で歩いていて最も距離が縮まった瞬間だった。



「あ――――」
「ご、ごめっ!」



 だから、これは仕方ないことだったんだ。
 人間、歩く際にはどうしても反動を利用するために手を振ってしまう。体の関節を駆使し、なるべく負担がないよう最も効率の良い駆動によって歩行を行うと言う〝人体の構造〟的な意味で、手を振ってしまうというのはどうしても避けられない事態なのである。
 そして当然のことながら、お互いの並ぶ距離が縮まれば縮まる程、振った手が相手に触れてしまうという確率は比例倍数的に上昇していく。
 そう!
 だからこそ、俺の左の手の甲とすずかちゃんの手の甲が触れてしまっても、決しておかしくはないのであるっ!
 しかしそこはほら、ボクチキンで有名な時彦ちゃんですから。ひこちんマジチキンですから。
 触れた瞬間、すずかちゃんが驚いたように俺を見ると同時に、俺は飛び上がらんばかりに驚いて左手を引いてしまった。
 ……何故だろう。少しだけ、俺を見るすずかちゃんの視線に非難がましい色が混じったのは。
 


「い、いや……えと、ごめん」
「う、ううん。私のほう、こそ」



 一瞬にして、それまでのゆるゆる癒し空間が超絶気まずい空間へと変貌した。
 もうやだこのチキンランっぷり。
 いっそ、触れあった瞬間にその手を握りしめるくらいのことはやらかしてもよかったんじゃないか、と今さらながらに激しい後悔が俺を襲う。
 もしかしたら、「手を握る→本田君男らしい→だいすきっ!」みたいな展開が有り得――――無い無い。そんなん無いから。俺妄想乙。
 しかしながら、さっきまでとは打って変わって一気に躁から鬱へと急転直下してしまったすずかちゃんは、踝まであるロングスカートの前で指を絡めて俯いてしまっていた。
 それとほとんど同時に、俺とすずかちゃんの奇妙なやり取りに気付いた三人が振り返る。
 ……後で冷静に考えてみると、今この瞬間の俺とすずかちゃんの構図って、間違いなく〝俺がすずかちゃんをいじめているor困らせている〟以外の何物でもないよな。
 そして、そんな構図を認識した金髪一号が、眉を吊り上げ犬歯をむき出しにして怒鳴りつけてくるというのは、高いところから重さの違う鉄球を落としても落下速度が同じなのと同じぐらい、当り前のことだった。



「くぉらぁ時彦! アンタ何すずかいじめてんのよ!」
「するかボケぇ!? 俺がいじめるのはお前と高町、あと最近はフェイトだけだ!」
「あんですってぇ!?」
「ふぇ!? なんでいつの間に私も入ってるの!」
「え、あの、トキヒコ? 私の名前もあったよ……?」
「……時彦。時々気味の地雷踏破スキルには心底感心するよ」
「何言ってるんだユーノ。やつらは元々核地雷じゃないか」



 アリサ達の理不尽な逆鱗に触れてしまったせいで、あっという間に袋だたきにされる俺。主にアリサに肉体言語でお話されたわけだが、地味に高町がぺしぺしとほっぺを叩いてきたうえに、その間じーっと恨めしそうな目でフェイトの奴が俺を睨みつけていた。
 無論、すずかちゃんはそんな俺達を見て滅茶苦茶苦笑していたわけだけど。
 まぁ、こんな馬鹿なやり取りで少しでもすずかちゃんの機嫌が良くなったなら万々歳だ。
 しかしながら、問題の根本的な解決になったわけじゃない。依然としてすずかちゃんへの疑念は残っているし、そもそも〝心の喉〟に引っ掛かり続けているこのもどかしさがなんなのかは、結局わからずじまいだ。
 だがしかし、いつまでもそれを気にしているわけにもいかない。一度に二つ以上のことを考えて行動すると碌な目に遭わないというのは、この二回の人生上、嫌と言うほど経験していますので。
 すずかちゃんへの疑問は相変わらず解決することなく、心のしこりとなって残ってしまっていたが、今はフェイトの母上との面談が第一だ。非常に、非っ常~~に断腸の思いではあるのだけどなッ! あぁ、早く終わらせてすずかちゃんとくんずほぐれつの御話合いをしたいDEATHっ!
 そんな邪念のようで純水極まりない情熱を抱いたまま、俺達はフェイトの案内に従って、普通の人生を歩んでいたら間違いなく一歩も踏み込むことがなさそうな高級マンションのエレベーターへと乗り込んだのだった。











                           俺はすずかちゃんが好きだ!











「……つくづく私思うんだけど、魔法ってインチキも大概の技術よね」
「あぁ、珍しいな。俺も今まさにそう思っていたところだ」



 アリサと二人並んで、互いに腕を組みながらうんうんと感慨深くうなずき合う俺達。
 目の前に広がるのは青々とした緑匂う大草原。周囲一帯には色とりどりの花が咲き誇り、その向こうにはうっそうとした森林地帯が広がっている。
 振り返れば、現代建築から退行しつつも、その芸術性を見るならば世界遺産に指定されても可笑しくないほど技巧の凝らされた奇岩城がそびえたつ。
 早い話が、異世界だった。ファンタジーだった。日本じゃなかった。



「ていうかここどこだよっ!? 俺達さっきまでフェイトのマンションの屋上にいなかったっけ!?」



 そう、俺達はフェイトに案内されるがままにエレベーターに乗り、気が付いたら屋上へと連れてこられていた。
 無論みんなして首をかしげるばかりである。何故に部屋に入らずこんななんもない屋上へとやってきたのか。
 下を見ればタマティンがヒュンッと恐怖で体の中に逃げ込みそうな程ヤバ高い高度。空を見れば憎たらしい青いあん畜生が無駄に無限に広がっている。
 はて、何故こんなところに案内されたのだろうかと四人と一匹そろって首を傾げていたら、突然フェイトが魔法にお決まりの呪文を詠唱しだした。
 驚く暇もない。
 気がつけば足元に複雑怪奇な金色の魔方陣が浮かび上がり、ぐるぐるとゆっくり回転を始めると共に、俺達の体を包み込み始めた。
 そしてフェイトの詠唱が終わると同時に、気が付くとご覧の有り様、というわけである。まったくもって魔法とは不思議な技術だね!
 


「えと一応、ここが私の家」
「なん……だと……っ!?」
「ウソっ!? アレが!?」
「すごい……」
「はにゃぁ………」



 大草原から歩くことほんの少し。
 案内されたのは、すずかちゃんの屋敷ですら小屋の何かに思えるような、あほみたいにスゲぇ―――――〝城〟だった。
 大阪城なんて目じゃない。フランスのバッキンガム宮殿だって、装飾度でなら張り合えるだろうが、規模で言うならばこの〝城〟の方が圧倒的だ。
 外から見た限り、それは黒い岩を削り出したかのような城塞に近く、目を疑うような細やかで細緻に富んだ装飾が随所にみられる。
 幾つもの空を貫くように聳え立つ尖塔が、猛々しくその存在を誇示し、文字通りかつての中世ヨーロッパの時代に迷いこんだ気分を叩きつけてくる。
 とにかくすげぇ。それ以外に言葉が出ない。
 そして無論、そんな〝城〟を家だなんて言われた俺の反応と言えば。



「今までの数々の無礼、お許しを、姫殿下!」
「へ!? ひ、姫ッ!?」



 ずざっ、と即座にフェイトの足元に膝をつき、頭を垂れる。
 そんな俺の突然の奇行に、フェイトが後ずさりながら目を白くさせていた。



「あいやみなまで言わずともよろしゅうございます。その御身には深い御事情が御有りのご様子。しからば不肖この本田、その真意を汲み取り愚かな事を口走るこの口を噤むことを誓いましょう」
「あ、あのトキヒコ、違うから! 私別に御姫様とかそんなのじゃないの!」
「うん、知ってる。やってみたかっただけ」
「えぇー!?」
「はぁ……そんなこったろうと思ったわよ」
「にゃはは……」
「………」



 俺の迫真の演技に見事に騙されたらしいフェイトは、若干涙目になりながら俺を睨みつけてきた。
 長年の付き合いのアリサはそんな俺の演技を見抜いていたようで、腕を組んでさも呆れたとばかりに溜息をつき、高町とすずかちゃんは苦笑を浮かべている――――ん?
 てっきり高町と一緒に苦笑しているかと思われたすずかちゃんは、何故かその表情を崩すことなく、無表情にフェイトを眺めていた。
 なんだろう……正確に言うなら、フェイトを、というよりその後ろにある城を、だろうか。
 ひょっとして、対抗意識とか?
 こう、自分の家よりも大きい家に住んでるフェイトすごい、みたいな。
 …………いやいや、ないない。それこそ、すずかちゃんに限ってそんなガチの貴族みたいな対抗心なんてもの程、縁遠い心情もないし。
 しかしまぁ、既に高町やアリサと一緒に談笑してるところを見るに、単に俺の勘違いだろう。
 それよりも、俺には機嫌を損ねたフェイトを宥めるというかなり重要で見逃せないタスクが残っていた。


 
「もうっ。トキヒコだけ置いてくよ!」
「うえ!? いや、ただの冗談なんだしそんな怒らないでくださいっ」
「知らない。みんな、こっち。トキヒコだけあっち」
「ちょま、フェイトそーん。その指が指してるの、なんか鬱蒼と茂った森の中っぽいんですが気のせいッスカー」
「もういっそ森の人になっちゃおうよ、時彦」
「黙れバナナ」
「スパイク・チェーン」
「いでーっ!? いだ、ちょっ、馬っ鹿ユーノこのやろう!? 地味に痛いとげとげ鎖とか悪質にも程があでーーーっ!?」



 そんな騒がしい集団御一行、フェイトに案内されていざ、自宅訪問ならぬ自城訪問へ!











 城の中にあるフェイトの自室へと案内された俺達は、いつぞや見たナイスバデーなねーちゃんにもてなされ(何故か俺の顔を見るなり嫌そうな顔をされた)、それからしばらく経ってフェイトの母上から呼び出しがかかり、ついに念願の御対面と相成ることになった。
 ちなみに、俺がフェイトの母上と面談する間、高町達はフェイトの部屋で待っていてもらうことになり、その相手は狼ねーちゃんことアルフさんがしてくれるとのこと。
 そしてついさっき知ったのだが、このアルフというねーちゃん、なんでもフェイトの従姉とかそんなんじゃなくて、もっと深いところで繋がった関係――――使い魔なのだという。
 いきなり言われた時はなんのこっちゃいと思ったが、目の前でねーちゃん→立派な狼→犬耳尻尾ねーちゃんと変身する姿を見せられたら、なんかこう、信じざるを得なくなった。身近に似たようなのが一人いるしね。
 聞いたところによれば、使い魔と言うのはまぁ、ざっくりと言ってしまえば、術者(この場合フェイトだな)の命、あるいはそれに類する何らかの力を貰う等、術者との間で何かしらの契約的行為の基になり立つ従者というもの、らしい。
 よくファンタジーな話に出てくる魔女が従えているものとか、日本なら、某国民的なアニメでも出ていることもあって、その知名度は結構高いだろう。
 まぁ、詳細な事なんていまいちよくわからんから、その程度の認識しかないとも言い換えられるが、当事者でもない限り、別にその程度の知識でも十分と言える。現に俺がそうだし。
 ともあれ、アルフさんはそんな立場の、いわばフェイトのメイドさんみたいなもんなんだな、と俺は納得することにした。すずかちゃんのファリン、アリサの鮫島のおっさんといった感じだろう。あ、ついでに高町のユーノもそんなもんか。

 そんな益体もないような事を、フェイトの母上がいらっしゃるという広間へ案内される間、俺はつらつらと考えていた。

 外見を裏切らぬ豪奢な内装と白亜の廊下を案内された先にたどり着いたのは、成人男性の身長の3~4倍はありそうな、重厚な木製の扉の前だった。
 大人二人がかりでも開けるのが難しそうな扉を、フェイトは取っ手に手のひらをかざすだけで呆気なく開けて見せる。
 やっぱりこういうのも魔法を使ってるんだなぁ、と妙な関心を覚えている間にも、年代を感じさせる巨大な門扉は、耳障りな甲高い音を響かせて黒い境界線を広げるように奥へと開いていった。
 


「母さん、トキヒコを連れてきました」
「そう。お入りなさい」
 


 フェイトの静かな言葉に、まるでマイクで喋っているかのような、すさまじく反響音の利いた返事が返って来る。
 扉の向こうに広がるのは、まるでどこかの大聖堂のような広大な空間。寒色で埋め尽くされた冷たい墓穴のような広間だった。
 両脇には俺の胴の何倍もある支柱が立ち並び、その間の通路には、まるで玉座へ通じるレッドカーペットならぬブルーカーペットが敷き詰められている。
 そして、その向こう側。広間の最奥――――異様なまでの威圧感と、この身を刺し貫くような視線を放つ、この城の主がいた。
 
 フェイトに促され、その後ろに従うように俺はその主の元へと近づいていく。
 最奥部に近づくにつれて、徐々にその玉座の主の容貌が明らかになって行った。
 唇を彩る紫、生気の感じられない視線、艶やかな黒髪は神話の魔女の如く、ゆったりとしたローブを身にまとった妙齢の女性。
 


「……マジかよ」



 フェイトですら聞き取れないくらい、それこそ呼吸の音に近いくらいのかすれ声で、そんな驚愕の声が漏れる。
 俺はその女性の双眸に見覚えがあった。
 その女性の眼差しを覚えていた。
 そもそも、俺はその女性を〝知って〟いた。



――――プレシア・ベルリネッタ。



 俺の記憶に残るその名前を、〝前世〟などと言うオカルトな現象をくっきりはっきりと覚えている俺が、忘れるわけがない。忘れられるはずがない。
 フェイトという少女がマイラバーと瓜二つであったように。
 その母親と言う人間が、瓜二つであっても何一つ、不思議ではないように。
 〝前世〟においてマイラバーの母上と深くかかわり、そしてその因縁がこの世界でも再現されるのが運命だと言われても。
 ……今の俺なら、それを然りと納得し、受け入れることが出来てしまう。
 


「初めまして。私はプレシア・テスタロッサ。その子の生みの親よ」



 傲然と、まるで遥かな頂きより虫けらを見下ろすような威圧感と共に、女性が低く、しかし高らかに名乗りを上げる。
 そんな何気ないしぐさですらも、俺の記憶を想起させるほどにその所作が瓜二つすぎて――――思わず、〝いつものように〟軽口を叩きそうになってしまい、慌てて自制する。
 ふと視線を感じて見れば、フェイトが心配そうに――無論決して態度に出さないものの――俺を見つめていた。
 一応、安心させるためにもいつものようなヘラっとした笑みを浮かべたつもりだったんだが、緊張故に上手く出来たか自信がない。
 だから、俺はほとんど逃げるようにしてフェイトから顔を見られないように前に進み出ると、なるべくいつも通りの声が出るように、腹に力を入れて挨拶を返した。



「ども、本田時彦っす。……で、俺になんか用と聞いたンすけど、なんざんしょ?」
「…………フェイト、下がりなさい」
「はい」



 相変わらず、人の話を聞かないのはどこの世界でも一緒なんだろうかこの人は。ついでに、娘に対するソレも五十歩百歩といったところだ。
 俺の返事なんか耳に入っていないかの如くシカトし、フェイトに一瞥をくれるプレシアさん。フェイトは恐縮そうに頭を下げると、そのまま広間を出て行こうと踵を返す。



「……ごめんなさい」



 その時、短く、俺にだけ聞こえるようにフェイトが呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。
 思わず振り向いてなんのことだと聞きだしたい衝動に駆られたが、敢えて右手を振るだけに留めておく。
 フェイトが無駄な謝罪をするような子じゃないのは、この短い付き合いでもよくわかっているつもりだ。それはつまり、この〝招待〟にフェイトが謝罪をせねばならないなにがしかの事情があることを意味している。
 ……ま、この人が黒幕ってだけで、そんなのは考えるまでもないんだけどな。
 だから謝られる必要なんて全然ないんだが、そんな俺の事情をフェイトが知るはずもない。

 再び、耳を削るような耳障りな音が響き渡り、巨大な扉のしまる音が心臓を貫く。
 反響音の消えた広間には、肌の泡立つような静寂が沈み、対照的に俺とプレシアさんとの間では、無言の牽制が始まっていた。
 そして、ついに暗黒奇岩城の主が、俺を見下ろしながら静かに問いかけてきた。



「単刀直入に聞きましょう。貴方――――どうやってジュエルシードを制御したの?」
「えーと……忘れちゃったー♪」



 おそらく、この場にアリサがいたならば問答無用で後頭部をド突きまわされること請け合いな、実にふざけた態度の返事を返してやる。
 無論、俺のそんな態度は想像もしていなかったのだろう。俺の唐突な切り返しに、黒衣の魔女は目を瞬かせて絶句していた。
 ……ま、お急ぎのところ悪いが、まずは俺の目的が最優先である。世の中、タダ程都合のいいものは無いっていうじゃない?
 この世界に来てから―――正確には、フェイトと出会ったときから抱いていた疑問の答えを得る、まさに千載一遇のチャンスなんだ。
 それを聞きだすまで、小学生の身とはいえ一歩も引く気は無い。



「あ、でも俺のもやもやが晴れたら、思い出せるかもー」
「……あら、そうなの」



 白々しい俺の台詞を受けたプレシアさんが、ジロリ、と玉座の上から睨みつけてくる。
 ホント、あいっかわらずの女王様っぷりですね。あながち、〝今世〟が〝前世〟の平行世界だという説は間違いじゃないのかもしれん。今まではそういう前提で生きてきたんだけど、今後は確定的な事実として捉えたほうがよさそうだ。すなわち、〝前世〟であったことは〝今世〟でも起こり得る、みたいな。
 ともあれ、今の短いやり取りで、この黒い魔女様は既に俺が何を考えているかくらい看破しているだろう。少なくとも、〝前世〟ではそのぐらい頭が回る人だったからな。
 言い換えるならば「知りたいことあるんなら、俺の質問に答えてからにしろや」という宣戦布告だったりするのだ。我ながら非常に遠回りでチキンくせぇことこの上ないが、仕方ない。ぼくまだしょーがくせーだもん!
 ようは、最終的にミッションコンプリートすればいいのですよ。そのための手段なんて選んでられません。特にこの人を相手にした場合は。

 つーわけで、だ。

 せっかくの御対面なんだ。久しぶりの腹の探り合いと洒落こもうじゃありませんの。



 ――――なぁ、お義母さんよ?

















 
 


 

 

 










 



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いいわけぷれーす
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

今回は前後で分けます。
ちょっと長くなっちゃった。
とまれ、クロノ登場まであと少し。

そして修羅場期待していたスズカスキーの皆さま申し訳ない。
すずかとフェイトのやり取りに関しては、幕間で書きたいと思います。

例によって誤字がたんまりあると思いますが、生温くご容赦くださいorz
修正は気が付き次第したいとおもいまつ。

p.s
>ファリンは高校生くらい
ヒントつ「明らかに小学生高学年か中学生くらいにしか見えないファリン」は時彦の主観……ッ!



[15556] 城と訪問と対面 後篇
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:96b828d2
Date: 2012/04/23 07:40


 〝前世〟における俺の人生が、万人から見て幸せなものだったと言えるかというと、ちょっと難しい。
 ただ、最後の死に様はどうであれ、その人生自体は、俺自身とても幸せなものだったと思っているし、なにより生涯をかけて愛してもいいと思えた女性に出会えたのは、恐らく〝人間〟という枠組みだけでなく、〝生きるモノ〟として贅沢極まりない幸福であったのは確かだ。
 で、そんな自慢たっぷりなマイラバーなんだが…………正直な話、万人から見て彼女が好ましい人物、あるいは人格的に評価されるような良識ある人間だったか、というと――――あー、その、まぁなんだ。人それぞれだよね、みたいな? 
 大学から帰って来る途中、公園が騒がしいので見てみると、マイラバーの奴が学校帰りの小学生とベーゴマで遊んでたり。
 遊園地に遊びに行けば、着ぐるみの中の人を引きずりだそうとしたり。
 信号が赤から青になかなか変わらなければ「ボクの道を邪魔するのか!」とか叫びながら信号機をショートさせたり。
 電車のドアが目の前でしまれば「おのれ世界め! またしてもボクの道を塞ごうとしているようだがそうはさせない!」といって無理やりこじ開けて電車の発進を止めたり。
 あ、あと、飯を作ってやれば作ってやったで、やれ「オムライスが食べたい! ケチャップで狼描いた奴で!」だの「何故ハンバーグにニンジンを付けるんだ!」だのまるっきりガキそのものだ。
 …………つーか、思い返してみると俺に対してやらかした所業といい世間様にかけた迷惑といい、常識と言う言葉に真正面から喧嘩を売ってるようにしか思えないな。よく俺はそんな問題児と暮らしてこれたもんだと、今さらながら自分を褒めずにはいられない。ふーはは!

 ……いかん。時々、わけもわからずアホなことをしてしまうのは、間違いなくアイツの影響だ。くそう……昔はもっとクールで物静かなナイスミドルだったのに。あ、ちげナイスガイだ。

 と、ともかく!
 そんな〝アホの子〟と一言で片づけていいようなマイラバーなのだが、アイツ自身が特殊なように、その出会いもちょっとばかし、世間様から見ると特殊なものに分類されそうなものだった

 当時、俺は寂れた孤児院から寮付きの高校に給費生として入学し、大学も給費生プラス奨学金という赤貧学生まっしぐらな方法で進学しており、ついでに御多分に洩れることなく家賃月二万八千という格安ボロアパートで独り暮らしをしていた。
 大学が終わればほぼ毎日バイトに直行し、帰宅したら課題やら何やら片づけ、少しテレビ見るなりネット漁るなりして就寝。以下ループなので省略。
 そんな、他人から見れば楽しみもへったくれもないようなルーチンワークの日々だったが、俺にしてみれば毎日が必死だった。早く社会人になって安定した収入を得て人心地つきたい。頭にあるのはそんなことばっかりで、他の事に興味関心を持つような余裕なんてなかった。
 だからか、周囲の人――――まぁ、バイトの知り合いや大学の友人達にはそろって〝怖い人〟という印象を持たれていたらしい。そりゃぁ、生きるのに必死な人間て言うのはいつも切羽詰まってるしな。常日頃ピリピリした雰囲気をしてれば、誰だって怖がるもんだろう。
 それはともかく。
 そんな周囲の人々に〝マッド・デーモン〟だのなんだの陰口を叩かれていたある日のこと、いつものように特筆することもない日課を終えて、寒風に身を震わせながらとぼとぼと帰宅している途中だった。
 ファミレスのバイトというのは、主に金土日の週末がクソ忙しい。そして、丁度その日は前日が世の給料日な金曜日と言うダブルパンチの重なった日で、お店にとってはハッピーデイ、バイトにとってはブルーデイな一日だったわけだ。
 おまけに、急な風邪で本来出るはずだったバイトの一人がこれなくなり、ヘルプの子が来てくれるまで普段より一人少ない状態でお店を回したもんだから大変も大変。その日は久しぶりにへとへとになっていて、帰ったらシャワー浴びて速攻寝ようそうしよう。どうせ明日は夕方からだしいいよね、と頭の中で些細な幸せを楽しみにしていた。
 そして、欠伸を噛み殺しながら近所の公園を通り過ぎようとした時、ふと足を止めてしまったのである。
 理由は、今でもよく思い出せない。ただ、なんとなく寂しいような、悲しいような、ちょっと気にかけてやらないといけないような―――それが一体何に対してだったのか、当時の自分でもよくわからない理由だったと思う。
 心底疲れきっていてだるい事この上なかったはずなのに、俺はそのまま公園の中に入ると、そのままぐるりと一周散歩することにした。
 11月というう季節的にはもう完全に冬に突入した深夜。息を吐けば白く溶けていくし、手を出しておけばあっという間に冷たくなってかじかむような、身も凍る寒い夜。
 そんなクソ寒い日に散歩して帰ろうかとか、今にして思えばホントに何を考えてたんだろうな。当時は頭のねじがダース単位で吹っ飛んでたとしか思えない。
 そして本当にそのままぐるりと公園を一周し、入口近くのブランコへと近づいた時だった。



―――ギーィ……ギィ。ギーィ……ギィ。



 錆びついた金属がこすれる音。モノ悲しく響き、それでも止まることを知らずに規則的に揺れる金属音が、まるでトンカチで胸を叩かれたような衝撃となって俺を襲った。
 こんなところで無駄に税金使うなよ、と場違いな八つ当たりをしたくなる公園の外灯の下。
 揺ら揺らと影が前後に揺らめき、その度にブランコの錆びついた金属音が虚しく空へと消えていく。
 長い、青いツインテールを揺らしながら、一人の少女がつまらなさそうにブランコを漕いでいた。
 寒さで赤くなった、すっと通った鼻梁。同じく寒さで少し青くなった、ややへの字に曲がった口元。ずずっと時折鼻をすすりあげては、ぐしぐしと赤くなった目元をこするその姿は、まるで家出をしてきた少女そのもので。
 たまらず、俺はその隣のブランコに腰掛けて、声をかけていた。



「ブランコ、楽しいか?」
「同情するなら家をくれ。そして君を糧にボクは飛ぶ!」
「…………」



 けど、帰ってきたのはなんか凄まじい言葉だった。つーか痛い子だった。
 そもそも金じゃなくて家かよ。そして飛ぶんですか。いわゆるアイキャンフライって奴ですね――――って何故か本当にブランコから飛んだぁああ!?
 そのままブランコから飛んだ謎の美少女は、空中で花丸満点な前方抱え込み宙返りで着地すると、何故か「ふん。どうだ!」なぞとドヤ顔で俺の方に振り向いてきたのである。
 あまりにも超展開すぎる流れに二の句が継げず、加えてこの何を考えているのかわからない少女の奇行に、俺は只管絶句した。
 
 これが、マイラバーことシルフィ・ベルリネッタとの出会い。
 
 実の母に捨てられた家無き子。俺と同じ、誰からも必要とされない寂しがり屋。そして、ちょっぴり…………あー、いや、滅茶苦茶アホで、常識知らずのアホで、何かあると「ボクは飛ぶ」とかいうちょっとアレな痛い系超絶美(微)少女のアホ。
 そんなどうしようもないくらい残念な美少女との出会いは、やっぱりどうしようもなく残念で、そしてどうしようもなく普通から程遠い出会いから始まったのだった。











 以上回想おしまい。〝ドキっ☆ ひこちんの何故何マイラバー伝説!〟のプロローグだったわけですがいかがでしたでしょうか。俺的には黒歴史過ぎてちょっと辛い。
 まぁ、なんで急にそんな回想に走ったのかと言うと、絶賛目の前にまします黒衣の魔女様のせいだったりするんですけどね。



「それで、貴方は私に何が聞きたいのかしら?」



 冷たい瞳だ。〝相変わらず〟過ぎて吐き気がするほどに冷静で、相手が小学生の小僧だろうと容赦がない。キャープレシアさん濡れるー!
 ……んなくだらないこと考えてる場合じゃないって。モノの見事にこっちの考え見透かされてますがな。



「やー、大したことじゃないンスけどぉ~」



 ともあれ、どうしたものか。
 一番気になる〝現在の御歳はおいくつでございましょう?〟は地雷極まりないし、かといって直球に〝シルフィどこっすか?〟と聞くのhダメ。絶対。
 そもそも、この世界か゛前世〟との平行世界だというのなら、この世界におけるシルフィがフェイトであると言うのが、この人自身の〝フェイトに対する態度〟ですぐわかる。ただ、フェイトの性格がシルフィと似ても似つかないせいで確証にまでは至れないのがアレっちゃぁアレだ。下手したら他人の空似というオチかもしれない。
 ……しかし、となると聞きたいことなんてあと一つしかないんだよな。



「フェイトから聞いたんですけど、なんでまたジュエルシードを集めてるんすか?」
「……それが聞きたい事なのかしら?」



 すっ、と。お義母さんならぬプレシアさんの怜悧な目が細まる。
 まるで剃刀を首元に突きつけられたような圧迫感と、下手な事を口にできないという緊張感で、知らず知らず握りしめた拳がじんわりと汗で濡れてくるのがわかった。
 それでも、俺は聞かなければならないんだ。でなければ、この人と〝取引〟のしようがない。
 俺を呼んだ理由が、以前に生身でジュエルシードを発動して無事だった―――呪いの事は置いておくとして―――からで、知りたいのはその時の話だということはわかっているが、では゛何故そんなことを知りたいのか〟という話になると、まるで深海の世界を調べようとするかの如く理由が不透明になる。
 この人を相手(仮にお義母さんと同一の存在と仮定した場合だが)にするならば、話し合いという状況に置いて一つでも不鮮明な点を残したまま話を続けるのは、自分で灯油をかぶってライターを点火しようとする事に等しい。
 少しでも憂いをなくすため、ひいてはすずかちゃんとその友人たちの身の安全のためにも、ここははっきりとさせておかなきゃならない、重要事項の一つなのだ。



「や、やっぱり世界征服とか狙ってるんですか! だったら絶対に話さないぞ! ちきゅうのへいわはぼくがまもるんだー!」
「…………………」


 
 ただまぁ、まともに聞いても答えてくれるとは思っていなかったので、とりあえず思いつきで誤魔化しっぽい台詞を叫んでみたら、寒い風がホールを吹き抜けた。
 力の限り拳を振り上げて、どこぞの熱血少年アニメの主人公の如く気合を入れて演じてみたが、どう考えても逆効果でしかなかったらしい。
 く、くそう、俺の読みが間違ったか!?
 ここは小学生っぽく誤魔化してなんとか場を流そうと考えたんだが、やはり上手くは行かないかっ!
 よーしならばヒコちんプランBだ! プランB、なんだそりゃ! んなもんねぇよ! ……ッてぅおい!?
 以上脳内ミニドラマより中継でお伝えしました。
 ………・そうでもしなきゃ、この気まずい空気の中間がもたないんですよ! あぁちくしょう、マジで5分くらい過去にさかのぼってやり直したい!



「……はぁ」
「なんか溜息吐かれたー!?」



 世界が変わっても〝前世〟の初対面の時とまるっきり同じ反応をされるのは一体どういうことなんだろうね。おにーさんちょっと悲しくなってきたよ。



「何かと思えば……残念だけど、貴方の期待には応えて上げられないわ」
「それはありがとうございます! でもその滅茶苦茶憐れみのこもった白い目で見るのは止めてほしいなぁ!」



 あっはっはー!と、とりあえずヤケクソになって大声で笑ってみた。自体の改善には至らなかった。無念!



「それで、坊やの質問だけど………私がジュエルシードを集めているのは、私の研究に必要だからよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「むむ、てことはその研究が世界せ――――」
「違うわ。そんなくだらないことのために費やす時間なんて、一分一秒たりとも存在しない」



 どうしても世界征服を狙う悪の大魔女に仕立て上げたかったのに、ことごとくフラグを潰されてボク涙目。
 ついでに言うと、さっきから俺を睨みつける魔女様の視線が恐ろしく冷たくてちびりそうです。
 さて、こっからどうやって話を引き延ばしてうやむやにしようか。
 ぶっちゃけた話、最初っからこのオバサンにジュエルシード関連の話をする気なぞナッシングである。
 
 理由そのいち。〝前世〟とそっくりな時点で気にくわねぇ。つーか大嫌い。
 理由そのに。この人にジュエルシード使わせたら、なんか嫌な――――いやとんでもなくヤバい事が起こりそうな予感がする。
 理由そのさん。単なる俺個人の感情による嫌がらせがしたい。

 以上。実に個人的で我儘な話だが、この人相手にはこのぐらいでちょうどいいのだ。まぁ正確には別人なんだけどね。でも雰囲気といい態度といいモノ言いといい、あらゆる点でそっくりなので全然別人と思えないコレ不思議。
 つーわけで、そろそろふざけるのは終わりにして、本音トークと行きましょうかね。
 実際、この人の真意がわからない以上、下手に情報を与えて碌な目に遭うなんて絶対にゴメンである。



「おふざけはここまでよ。そろそろ真面目に答えるつもりはないのかしら?」
「あちゃー……もしかしなくとも、バレバレっすか」
「子供の割に頭は回るようね。これ以上私に手間を取らせるようなら、私にも考えがあるのだけれど……?」
「うわー、幼児虐待とかマジ大人げねー」
「そう……なら仕方ないわね。坊やがいけないのよ?」
「――――って、なんか死亡フラグ立ってるぅーーー!?」



 ちりり、とうなじあたりが総毛だった瞬間、俺はほとんど条件反射でその場から横っ跳びに飛んで転がっていた。
 ゴロゴロと無様に床を転げまわると共に、耳をつんざくような轟音とホール全体を軋ませるような振動が響き渡る。
 恐る恐るとさっきまで立っていた場所を見てみれば、なるほど。一歩間違えれば俺、間違いなく死亡フラグを握って笑うハメになっていたかもしれん。大理石のようにぴっかぴかだった石の床っていうかタイルが、木端微塵に弾け飛んでいる。ありえたかもしれない未来の俺像に、さすがに俺は冗談ではすまされない恐怖を覚えた。
 同時に、ここ最近魔法やら何やら、物騒な事に巻き込まれまくってた御蔭――――と喜びたくは無いが、しかし一命を取り留めたことに果てしない安堵を覚える。
 爆発するかのように心臓が高鳴り、耳の奥で激しく脈打つのが聞こえる。頭がカッカと熱くなり、今にも意味不明な叫びを口走りそうになるのを我慢しながら、間違いなく今の一撃の原因であろうその人を睨みつけた。
 玉座(?)から立ち上がり、魔女のチャームポイントもといトレードマークであるメカメカしい杖を掲げたプレシアおばさんは、その周囲に紫の雷を纏わせて傲然と俺を見下していた。
 その立ち位置といい態度といい、なんとなく某カリスマ吸血鬼さんを思い出したので、とりあえず場を和ませるために言ってみよう。



「い、いきなりなにをするだぁあああ! 許さん!」
「いつまでその態度が続くか…………おいたが過ぎるのも考えものよ、坊や」
「すみませんマジごめんなさいだから丸焼だけは勘弁してつかぁさいッ!」



 光の速度で土下座して謝罪ターン。超失敗しちゃった、てへっ☆
 しかしながら、この黒い魔女様はそんな俺のお茶目なジョークを英国淑女張りにスルーしてくれるような度量を持っているわけではないらしい。表情一つ変えることなく、さらに激しい雷光を杖だけでなく自分の周囲に纏わせた黒い魔女様は、底冷えするような低い声で俺に最後通告を投げかける。
 無論、俺がそれに逆らえるはずもない。いや、逆らうにしたってタイミングが悪すぎる。
 ここでいつものノリで「だが断る!」などと言おうものなら、次の瞬間、間違いなく〝本田時彦の燻製〟が出来上がることだろう。
 ……第二回目の人生でそんなバッドエンドだけは絶対に嫌である。ていうか、俺まだすずかちゃんに告白してねーしっ!
 そうだ!
 俺、無事に家に帰れたら、すずかちゃんに告白しよう。なんかもう、高町に関わった時点で明日とも知れぬ命に叩き落とされた気しかしないので、早いうちに未練を断って――――って何縁起の悪い事考えてるかぁあああ!?
 いかん、冷静になれ本田時彦。
 まずはこのひっでょーにまっどぅい状況を停滞させ、少しでも逃げる時間を延ばすんだ!
 いや、ていうか今気付いたんだけど、真面目に会話すればいいんだよね? よしそうときまれば話は早い!



「あー! そう、そうですそうだ! 聞きたい事あります! めっちゃ聞きたい事あります! ソレ聞いたら真面目に答えますんで!」
「…………」
「シルフィ! シルフィっていう名前に聞き覚えは!? ていうか、フェイトとそっくりだけどかなりアホで自分の事ボクとか言ってる残念系美少女のシルフィさんをご存じじゃぁありませんでしょうか!!?」
「……………シルフィ?」



 それまで激しく稲光を見せつけてくれていたプレシアオバサマは、ぴくりと片方の眉をひくつかせた。
 その反応に思わず内心で『釣れた? もしかして釣れちゃった!?』と九死に一生を得た気分で喜ぶ俺。
 しかし、世の中そんなに甘くありませんでした。



「うおぅっちゃぁ!?」



 耳をつんざくような轟音一響。
 突然のフラッシュに目を瞑った瞬間、すぐ真横の床のタイルが炭化しながら弾け飛んだ。
 ………背筋に氷のように冷たい汗が垂れ落ちる。
 ぞぞぞ、と鳥肌と言う鳥肌が恐怖で粟立ち、強制的に呑みこまれる唾が嫌に喉に絡みついた。
 嫌な予感が、さっきからざくざくと俺の体全体を突き刺している。
 できるならばこのまま逃げたい。一目散に、さっさと身を翻して全速前進DA!とばかりに逃げ出したい。
 だが、そんなことをしようものならば、それこそ俺の末路がこのタイル君になってしまうのは明白で、だからこそ俺は、まるで錆びついたブリキ人形のような動きで、横の炭化したタイルから魔女のオバサマへと視線を向けるしかなかった。



「残念だわ、坊や。本当は穏便な話し合いで済ませたかったのだけれど」
「……け、けれど?」



 絶対零度の視線とは、まさにコレだろう。
 感情の読めない暗い瞳。
 理性の中に狂気を孕んだ恐ろしい言葉。
 優しげで、それでいてナニが縮まる程の恐怖を感じさせる溜息。
 プレシア・ベルリネッタではないが、それとなんら変わることのない、むしろそれよりも遥かに凄まじい狂気を湛えた女性――――プレシア・テスタロッサが、俺を睨み据えていた。



「正直になれる薬をプレゼントするしか、ないようね」
「自白剤エンドとは新しい!!」



 玉座の魔女が杖を振りかぶるや否や、俺はその場から全力で横に跳んだ。
 再び轟音。爆発。
 さっきのような〝威嚇〟ではなく、本気で当てて行動不能にしようという意図がありありと伝わって来る一撃だった。
 せめて高町が使ってた輪っかみたいな魔法で捕まえてくれるならまだしも、ダメージを与えて昏倒させようってあたり、子供だからといって容赦する気が端からゼロである。



「あら、逃げたら余計痛いわよ?」
「逃げなきゃ殺す気だろアンタ!!?」



 「さぁ、どうかしら?」等と実に当てにならない返事を耳にするが、しかしそんなことを気にしてなどいられなかった。
 頭を抱えながら伏せていた状態から、爆発が収まったとわかるや否や、鬼ー様お墨付きのスタートダッシュで身を起こしながら駆けだす。
 目指すは先程入ってきたでっかい扉! 
 魔法でロックされてるとかだったらもうどうしようもないが、今視界にある出口はあそこだけだ。なんとしてでもここから逃げ出さないと、牢屋に監禁されての自白剤プレイと言う新境地を体験させられる羽目になる。残念ながら俺はドMではないのでそんなプレイお断りです!
 そしてあと少しで扉にたどり着くというところで――――、



「ぷぎゃっ!?」
「悪いけれど、逃げ道は塞がせてもらったわ。下手に騒がれても面倒だもの」



 何故か顔面から全力で見えない壁にぶつかって盛大にこけた。
 目の前で火花が散り、したたかにぶつけた鼻がジンジンと痛む。ツンと血の匂いがしたことから鼻血が出ているのかもしれないが、ぶっちゃけそれ以上にぶつかった痛みの方がやばすぎてそれどころじゃなかった。
 そして、じったんばったんと鼻の痛みを誤魔化すかの如くのたうちまわっている俺に向かって、例の黒い魔女様は一片の良心も存在しない、実に悪人全開な台詞をのたまっていらっしゃる。
 まずい、やっぱりマイラバーに関する話題は地雷だったか……!
 なんとか痛みを我慢して立ち上がり、再び扉に向かって駆けだそうとするが、目の前にマジで見えない壁があって進む事が出来ない。さながら透明な強化ガラスを目の前にした猿の如く、俺は必死にその壁をブッ叩いてみるが、当然のことながらびくともしなかった。
 その間にも、黒い魔女様は玉座から降りてゆっくりとこちらへと近づいてくる。
 カツン、カツンとヒールが石のタイルを叩く甲高い音が響き渡り、俺への牽制なのか、杖の周りに相変わらずな紫電を纏わせる様が実に悪の大魔女っぽくて痺れる。そう遠くない未来にマジで痺れそうなのが果てしなく不安だが。
  

 
「最初はジュエルシードについて話を聞くだけのつもりだったのだけれど……今は、それよりも聞かなければならない事が出来たわ」



 その癖してまったくもって話を聞くという態度ではないのはいかがなものだろうか、という突っ込みはしちゃいけないのだろう。
 とりあえず鼻を拭ってみたら、見事に拭った手の甲にべったりと血がこびりついた。だらだらと鼻から口にかけて流れてるもんだから気持ち悪いことこの上ない。その上、ビジュアル的にもかなりよろしくないイケメン状態(笑)になっているに違いないと考えると、軽く鬱になった。
 そんな感じに「あちゃー」と内心困りつつ、ここからどうやって逃げ出そうかと必死に頭を回転させる。無論、黒魔女様の言葉なんて聞いちゃいない。
 しかし、黒魔女様も俺に話を聞いてもらうつもりはないのだろう。半ば独り言のように話を続けながら、ゆったりとしたスピードで歩み寄って来ていた。



「答えなさい。なぜ貴方が〝あの子〟の事を知っているのかしら?」
「……ってこたぁ、あの馬鹿、やっぱりこの世界にもいたんだな」
「どうやら〝口から出まかせ〟というわけでもないようね…………」
「のぉおおおうっ!? もしかして俺、今滅茶苦茶いらんこと口走ったぁーー!?」



 なんかまたしても自分で自分の首を絞めるような事やらかしてる気がぁああああ!
 どうしよう、まさかのひこちん絶体絶命の大ピンチ!?
 もしかしなくともここでBADENDですか!? 
 好きな子に告白もできないまま、知らずと立ててしまった死亡フラグを握ってゴールしなきゃならないとかそういうルートなんでしょうか!



「大丈夫よ。殺しはしないわ」
「それって暗に生き殺し宣言してるのと同じっすよね!? ていうか待って! そんな乱暴な方法じゃなくても、ボク素直に洗いざらい吐きますから! シルフィとの関係もアイツの悪行も全部話すんでどうか命だけは―――――!」



 鼻先に杖を突き付けられ、今まさに紫色の雷に打ち抜かれんとした、その時だった。
 


『でぃばいいぃいいいん…………………ばすたぁあああーーーーー!』



 城が崩壊するンじゃないかと言うほどの衝撃と、とても見慣れた桃色の閃光が俺の真横を貫く。
 重厚極まりない扉とそれを支える柱と壁を丸ごとふっ飛ばし、さらには広間の天井すらも軽く抉っては爆砕したその一撃は、今まさに俺の命を摘み取ろうとしていた魔女様をも警戒させる威力を誇っていたらしい。咄嗟に杖を下げ、重力を感じさせない動きでとんでもない距離を後退した魔女様は、今の砲撃のせいで濛々と立ち込める砂煙の向こうを睨みつけていた。
 ……っていうか、今のってもしかしなくても!



「本田君、大丈夫!?」「大丈夫ほんだくん!?」「時彦、無事なら返事しなさい!」
「つ、月村さんにみんな!」



 そう、現れたのは何を隠そう、すずかちゃんとその仲間達、そして無言のまま駆け寄る険しい表情をしたフェイトと使い魔のねーちゃんだった。
 どうやら俺の想像通り、今の一撃は高町の魔法だったらしい。既にいつもの制服ではなく、それに限りなく似た魔法少女の衣装を纏っている。
 無論、手にはメカメカしい魔法少女の象徴を握りしめ――――そして俺の顔を見て顔を思いっきり引きつらせた。



「うわっ、ほんだくん鼻血すごいよ!?」
「ぶっ……あ、あはは! なにそれ時彦! だっさー!」
「人の顔見て笑うなよ!? 俺、今の今まで滅茶苦茶怖い目にあってたんだから仕方ないだろ!」
「あの、本田君……これ」
「つ、月村さん……ッ! こんな時にもかかわらずいつも通りの優しさをくれる月村さんにぼかぁ胸いっぱいですっ!」
「そ、そんな大げさだよ」



 照れ照れと頬を赤くするすずかちゃんからハンカチを受け取り、遠慮なくそれで鼻血を拭って抑えつつ、俺は心の中で未だに俺の顔を指差しながら爆笑しているアリサに復讐することを堅く誓った。アリサゆるすまじ。
 ただ、そんないつものほんわかタイムも束の間の幸せ。事態はまるで解決しておらず、ただ単純に高町の不意打ちによって多少の時間稼ぎが行われたにすぎない。
 真に重要なのは、ここからどうやってこの城を脱出し、俺達の地元へ帰還するかと言う事だ。
 そもそもこの城にやってきたのはフェイトの魔法だし、どう考えても、地元に帰るためにはフェイトに送ってもらわなければならないだろう。
 しかし、フェイトはあの黒魔女様の娘だ。つまり、この状況ではむしろフェイトは敵側に回ってしまうと考えるのが妥当であり――――しかし、意外にもフェイトは実の母親に向かって敵意を隠しもせず、逆に批難の色を込めて見つめていた。



「……フェイト、何故その白い魔導師の子がここにいるのかしら?」
「……母さん。どうしてこんな……ッ!」
「答えなさい。私はその男の子を連れてきなさいと言ったはずよ。何故無関係な人間を連れてきたの?」



 すがすがしいほどに会話が成立していない親娘である。まぁ、シルフィだってそうだったし、こっちでもこんなもんだろ、と納得している俺がいるのは秘密だ。
 ともかく、今のうちに逃げ出さなきゃ。
 そう思ってなんとか立ち上がろうと脚に力を入れるが、まるで生まれたての小鹿の如くガクガクと震えてしまい、立つことすらままならない。
 やべぇ……もしかして、腰が抜けてる?
 さーっと、顔から血の気が失せるのがわかった。まさかこんな土壇場でお荷物とか、俺ってどんだけダメ人間なの!?



「……まぁいいわ。そのあたりは後で聞きましょう。それよりもフェイト、母さんからのお願いよ。その後ろにいる坊やを捕まえなさい」
「捕まえるって……私は、話を聞くだけって言われたから!」
「事情が変わったの。その坊やに話してもらわないといけない、大事な用件ができたわ」
「そんな……っ! 私はそんなつもりで彼を連れてきたわけじゃありません!」



 フェイトの主張なんて、端から聞くつもりもないだろう魔女様。だというのに、必死に食い下がるフェイトを見ていると、とても申し訳ない気持ちになる。
 そして何よりも、こんなヤバい修羅場にすずかちゃん達を巻き込んでしまった事こそが、俺は申し訳なくて仕方なかった。
 なんですずかちゃんの家に寄ってから、なんて考えたんだろうか。あのままユーノと二人で行けばよかったのに、らしくないことを考えたばっかりにこんなメに――――って、あれ? ユーノのやつ、どこいった?
 フェイトと魔女様が睨みあい、その隣に使い魔のねーちゃんが立つ後ろで、俺含む地球組のメンバーは事の成り行きを見守っていた。
 そんな中、きょろきょろとあたりを見回してみれば、いつも高町の肩あたりにいるユーノの姿が見えない。てっきり無茶をやらかした俺に対する罵声の一つや二つが飛んでくるかと思ってたんだが……そうか、ナニか物足りないと思ったらアイツがいないのか。



「おい、高町。ユーノはどうした?」
「ユーノくん? えと、実は……」
「なのは、そんな呑気に話してる場合じゃないわよ!」
「伏せてみんな!」
「――――ッ!?」
≪Protection.≫


 稲妻と稲妻がぶつかりあい、凄まじい爆風が吹き荒れた。
 咄嗟に高町が魔法のバリアみたいなものを張ってくれたおかげで俺らは吹っ飛ばずに済んだものの、その向こう側にいたはずのフェイトはいつの間にか消え失せ、代わりに煙を突き破るようにして使い魔のねーちゃんが飛び出してくる。
 そして突如淡い光にその全身が包まれたかと思うと、次の瞬間には立派な赤毛のでっかい犬に変身していた…………って、変身!?
 


「ちょ、なにこれなんなの!? 一体何が起きたのさ!?」
「チビ二人、さっさと背中に乗りな! あと、えーと……なのはだっけ? あのイタチに連絡取れ!」
「え、え?」
「いいから早く!」
「「「は、はい!」」」
「……あのー、ちょっと状況がわからないんで是非とも説明をぷりー………ずぅうううううううう?!!」

 

 せんせー。礼儀正しく挙手して質問したのに、気が付いたらでっかい犬に首根っこ咥えられましたー。そしてそのまま全力で逃走を始めたんですがどういうことですかー。



「ていうか痛ぁーーーッ!? ちょ、歯! 歯が肌に食い込んで微妙になんと誤魔化していいかわからない歯型がぁあああ!」
「ふっはい! じはははふんは!」
「何言ってるか分かんねーけどとりあえず静かにしますんで喋らないでぇえええ! 歯が、歯が食いこんで痛いっす!! つーか体がっ、走る度にべっ、床にぶつかってエライことになっだぁっ!!」



 傍から見たらなんと珍妙奇天烈な一行だろう。
 背中に二人の少女を乗せたでっかい犬様が、その口に鼻血ダラダラ首からも血をちょっぴり垂れ流しながら咥えられ、全速力で城の中を駆け抜けていく。
 ……ていうかこれ、俺が咥えられる理由なくね?
 なんで俺も背中にのっけてくれなかったの?
 あ、そうか。俺腰抜けてたから立てなかったもんなぁ、あっはっは――――って笑いごっちゃねぇってマジ痛いですって!?
 四足歩行動物が走れば、そりゃもちろん地面を蹴り上げるわけです。その度にずっしんずっしん揺れるわけです。でもってその度に歯が首に食い込むんです。そして凄まじい勢いなので俺の膝やら体やら着地の度に思いっきり床にぶつかってるわけでして……洒落になんないくらい痛いんですがー!!
 


「あ、いた、ユーノくん!」
「なのは!――――ていうか時彦が食べられてる!?」
「こんな不味いの誰が食べるかっ!」



 城を抜け、さっき俺達がフェイトに連れられて魔法で転移してきた草原までやってきた俺達は、見慣れたミントグリーンの魔方陣を広げ、その中央でぼへーっと突っ立っている(命名、イタチのう○こ座り)ユーノを見つけた。
 先行していた高町はそのまま魔方陣の外縁に着地し、一方で使い魔のねーちゃんは咥えていた俺を着地様にぺっと投げ飛ばしながら着地する。
 その勢いでごろごろと草原の上を転がった俺は、そのままユーノの上に覆いかぶさる形で倒れ込んだ。さ、最後まで人をモノ扱いですか使い魔のねーちゃん……!



「ちょっ、時彦重い……ッ!」
「ぃっててて……少年への扱いが乱暴すぎるあのねーちゃんに言ってくれ」



 なんとか全身打撲したように痛む体を引きずり起こし、ひとまず押し潰していたユーノを引っ張り出す。
 しかし、体力がもったのはそこまでだった。そのまま力が抜けた俺は、草原の上にどさりと仰向けに転がってしまう。あーくそ、もう力が入らん。
 首筋がじくじくと痛いし、なにより魔女様にいたぶられた以上に走ってる時に床にたたきつけられまくった痛みの方がでかすぎて動きたくない。動くだけで全身にミシミシというかムチムチというか、ともかく動くのすら億劫になるくらいの激痛が走るのである。これ、普通の小学生だったら絶対泣きわめいてるぞ。泣かない俺超えらい。えろくないよ。えらいんだよ。



「だ、大丈夫本田君!?」
「いてーっす。超いてーっす。ねーちゃんマジ乱暴」
「フェイトの頼みじゃなかったら誰がアンタみたいなバカを助けるか! アタシゃ謝らないよ!」



 慌ててすずかちゃんが駆け寄ってきて、俺の顔を覗きこみながら心配してくれた。その女神菩薩の如き優しさに俺は目頭が熱くなるのを抑えられない。
 せめて、今日はすずかちゃんのこの優しさに甘えるくらいは許されてもいいと思うんだ、うん。そもそもなんで俺だけこんな酷い目に遭わにゃならんのだ。マジあの羞恥心皆無なコスプレ魔女様覚えてらっしゃい。いつかきっと仕返ししてやるんだから!
 


「それよりイタチ! 術式の構築は!」
「既に済んでる。それより、君の主人の子は……」
「アンタらを逃がせって言って、今あのクソババァの足止めしてるに決まってるだろ! 座標指定はアタシがやるから、さっさと魔方陣に入りな!」



 再び人間フォームに変身したねーちゃんが、犬歯をむき出しにしながら円の外にいた高町とアリサを中へと押し込んでいく。
 事情がわからない俺達は、ただ只管に目を白黒させるしかなかった。
 わかるのは、俺がすずかちゃんに介抱されながら、高町にユーノの居場所を聞いている間に、何故かフェイトとあの魔女様とでバトルが始まった、ってこと。そして、その最中でこのねーちゃんが突然俺達をひっ捕まえて、あの城から逃走を図ったと言う事実だけだ。
 それがフェイトの指示だと言うのなら、まさに今ねーちゃんが言ったようにフェイトはあの魔女様の足止めをしているわけで……って無茶だろ!?
 実力云々はともかく、フェイトにあのババァを攻撃できるはずがない。いや、逆らえるはずがない。
 少なくともシルフィがそうだったんだから、平行世界のこの世界ならフェイトだってその御多分には漏れないはずだ。それなのに、それに逆らってるだって……っ? 
 例えるなら、会社の廊下で社長が通ろうとするのを木端職員が通せんぼするようなもんだぞソレ!



「足止めって、そんなことしたらアイツ、後で凄まじい折檻されるってわかってて!?」
「そうだよ! アンタらを助けるために、私の大切な大切なご主人様は身を投げてるんだ! わかったらとっととここから出てけ!」
「っ私、助けに――――!」
「ふざけんじゃあないよッ!」



 話を聞いた高町の奴が、今まさにその靴に桃色の羽を付けて飛び出そうとした瞬間、使い魔のねーちゃんが凄まじい形相で高町の手を掴み、狼のようなとんでもない声量で怒鳴り散らした。
 あまりにも凄まじい迫力に、その場にいた全員が思わず肩を震わせて体を堅くする。
 犬歯をむき出しにし、その見事な赤毛を逆立たせて高町を睨みつける様は、まさに狼そのものだ。
 下手な事を口走れば、そのまま噛みちぎられる。そんな必死さを感じると同時に、このねーちゃんがフェイトの事をとてつもなく大切に思っている事がひしひしと伝わって来る。
 そして捕まえていた高町をそのまま俺達の方へ放り投げると、どこぞの弁慶さんの如く仁王立ちして俺達を睨み据えてきた。
 


「フェイトはアンタらを逃がせって言ったんだ。助けてくれなんて一言も頼んじゃいない。それはアタシのご主人様の誇りだ。それを汚すっていうんなら、アンタらを叩きのめしてでもここから追い出してやる……!」
「でも、フェイトちゃんは何も悪くないのに!」
「知ってるさ! そんなの、使い魔のアタシがよーく知ってるよ! でもね、そのいらない苦労をフェイトにお仕着せてるのはアンタ達なんだよ! アンタ達さえいなければ、フェイトはこんな苦労しなくてもよかったんだ!」
「そんな…………」
「アルフさん……」



 使い魔のねーちゃんの言葉が、比喩なしに俺の心に――――いや、俺達全員の心にぐっさりと突き刺さった。
 確かに、フェイト達からしてみれば俺達はフェイトにいらん苦労をかけさせてばっかりのお邪魔虫にしか見えないだろう。事実、今まさにフェイトは俺達を庇って、本来なら被んなくてもいいような辛い目にあってるわけだし、そして自分の大切な人が、そんな貧乏くじを引く羽目になった原因そのものである俺達を逃がさなければならないねーちゃんの心境は、察して余りあるものがあった。
 ……ならば、俺達にできることなんて一つしかない。
 相変わらず、全身をしたたかに打ちつけた所為でまともに動きそうもない体だが、それでも歯を食いしばって上半身を起こす。
 慌ててすずかちゃんが支えてくれたが、それでも完全に座る形になるまではかなりの激痛が走った。
 そしてどうにかして上半身を起こし、不格好ながらも座る形にまで体勢を持ってきた俺は、なおも食い下がろうとする高町を制した。



「高町、ここは大人しく帰ろう」
「ほんだくん、何言ってるの!?」
「……そうだよなのは。ここはいったん戻ろう。悔しいけど、時彦の言うとおりだ」
「ユーノくん、どうして!」
「いいえ、私も時彦の意見に賛成よ。ここはいったん帰るべきだわ」
「アリサちゃんまで!?」
「……なのはちゃん。気持ちはわかるけど、いったん帰ろう。アルフさんのためにも、そしてフェイトちゃんのためにも」
「すずかちゃん…………」



 頭の回転が早いアリサは当然としても、すずかちゃんまでもが俺とユーノの言わんとしていることに気付いてくれるとは思わなかった。
 いや、むしろすずかちゃんだからこそ当然なのかな。ここに来る前、フェイトと二人っきりでナニかを話し合ったらしいし……きっと、その事もあって、今フェイトが抱いているであろう思いに、正確に気付く事が出来たのかもしれない。
 無論、だからと言って高町の奴が納得できるはずもない。あいつにとって、もはやフェイトは俺達に並ぶほどに大切な友人で、今すぐにでも助けてあげたいと思っているはずだ。
 俺達だってその気持ちは痛いほどわかるし、そして同じぐらいアイツを助けたいと思っている。
 でも、だからこそ尚更、俺達は今この場から離れなきゃならないんだ。フェイトの覚悟を。フェイトの思いやりに応えるのであれば。
 フェイトにとっての勝利条件は、俺達を無事に地元へ送り返すこと。もし、ここで俺達がフェイトを助けに向かうような事があれば、逆に尚更アイツをピンチにしかねない。なにせ、高町とユーノを除けば、ここにいるのは極々普通の小学生しかいないんだから。
 ほんのちょっとの間だったが、それでもあのババァの実力がフェイトや高町を遥かに超えているのは肌で感じ取れた。オーラが違うし、何より気迫も、肌を焼くような威圧感もレベルが違う。
 ……小学生らしくないとは思うが、ここ最近の超常現象に加えて、いつぞやの鬼ー様による〝特訓〟の所為でそういったことには敏感になったからなぁ。
 そう言った理由から、俺達がフェイトを助けに向かうのは、逆にフェイトを困らせる結果にしか結び付かない。だからこそ、使い魔のねーちゃんは必死に俺達をつっ帰そうとしているんだろう。
 ……だが、だからと言ってやられっぱなしで終わるのは癪に障る。ていうか許せねぇ。
 


「とにかく、いったん戻る。けど、ただ戻るだけじゃねぇ。戻って、体勢を立て直して――――改めてカチコミに来るぞ」
「……ほんだくん、それって」
「このまんま借りを借りっぱなしでいられるか。つーかそもそも俺、聞きたいことなんも聞けてねーし。なんか理不尽にいたぶられただけだし! この恨みはン倍にしてでもあのババァ様につっかえしてやらんと気が済まん!」
「……はぁ。まったくこのバカは」
「でも、私は悪くないと思うな、その意見」
「…………ちょっと時彦。すずかが不良になりかけてんじゃない。どうしてくれんのよ」
「ちょーまてコノヤロウ!? なんでそこで俺の所為になるんだ!?」
「ふ、不良って…………」



 アリサのあんまりな言いように、すずかちゃんが滅茶苦茶ショックを受けていた。
 ……いや、俺も実は内心で滅茶苦茶驚いてるんだけどね。
 ともあれ、俺の意見に反対する人間は、今この場にいないようだ。
 高町は言うまでもないし、ユーノは全面的になのはの意見優先。アリサも口ではぶつぶつ言いながらも乗り気で、すずかちゃんもやる気満々。となれば、これからの俺達の行動指針も決まったもんだ。



「あー……レイジングハート、ここの座標の記録、お願い」
≪All right.≫
「私達、きっと――――きっと戻ってきますから! フェイトちゃんを助けに、絶対に戻ってきますから!」
「ま、助けられたようなもんだし……借りの作りっぱなしは、私の性に合わないもの。仕方ないわね」
「もう、アリサちゃんってば、すぐそうやって照れ隠しするんだから」
「仕方ないよ月村さん。こいつ基本ツンデレだし」
「誰がツンデレかーーーっ!」
「アンタ達……お礼は言わないよ。アタシはなんも頼んでないんだからね」



 使い魔のねーちゃんが、不敵な笑顔を浮かべながらそんなことを言う。
 無論、俺達はその言葉の裏に込められた気持ちを察して、一斉に頷いた。
 それからすぐ、使い魔のねーちゃんがなにやら滅茶苦茶長い意味のわからない呪文を紡ぎ上げ、それに呼応するかのように足元の魔方陣が輝きだす。
 ここに来る時、フェイトがやったのと同じ現象だ。徐々に世界が霞み始め、体が浮くような不思議な感じが全身を包み込む。
 そして、完全に重力を感じ取れなくなるその一瞬前、詠唱を終えた使い魔のねーちゃんが俺達を見つめながら、短く呟いた。



「―――――ありがとう」



 その小さな声は、間違いなく俺を含むみんなの耳に届いていて――――だから俺は、完全にねーちゃんの姿が見えなくなる前にサムズアップをして見せたのだった。 





☆ 




 ……まぁ、そんな風にやりなれてないかっこつけをしたのが悪かったんでしょうかね?



「ほ……ぁだーーっ!?」
「よっ」
「わとと……っ」
「にゃっ!?」



 すっかり忘れてた。この転移魔法って、転移した後に若干浮いてから着地するってことを。
 本来なら軽く尻餅をつく程度の高さだったにもかかわらず、その事を失念していたせいで無様に尾てい骨から落下した俺は、全身打撲の痛みに加えてピンポイントすぎる激痛に、思わず悲鳴を上げながら目尻を濡らした。
 あぐぅ………この痛みは久しく忘れていたんだぜ……。



「ほ、本田君大丈夫?」
「今、おもいっきり〝ゴッ!〟って音が……」
「天罰よ天罰。人のことツンデレ呼ばわりした天誅ね」
「罰なのか誅なのかどっちだよ。つーかツンデレ言うだけでこの激痛はかなり割に合わないんですが」



 一瞬、全身打撲の痛みすら凌駕する痛みにのたうち回った挙句、うつ伏せになって死に体なった俺に、文字通り死体に鞭打つ所業をやってのけるアリサ様マジパネェっす。
 それに比べて、まるで新妻の如く甲斐甲斐しい優しさを与えてくれるすずかちゃんの女神っぷりときたらもう……っ!
 よくよく考えたら、こうやって大好きな女の子に心配してもらってるだけで滅茶苦茶役得だよね。ポジティブすぎる気がするけどいいや。あぁ……本田君ぶち幸せ……!
 だが、どーにも今日は世界の創造者と言うか管理者と言うかご都合主義の権化とも言うべきマッキーナ様は、俺が少しでも幸せを味わうのを許せないらしい。
 じんじん痛む尾てい骨付近をすずかちゃんが撫で摩ってくれる幸せに酔いしれ、まだ精通もしてないのに続々とした気持ちよさを感じていたその時だった。……え? 変態だって? ちがっ、ばっかおめマジでやべぇんだって! すずかちゃんの手ってばまるでゴッデスハンドなんだよこれホントに!



「あー……取り込み中悪いんだが」
「んぉ?」
「?」
「え?」
「にゃ?」
「あぁっ!?」



 突如降ってわいたかのようなエクスキューズミー。
 慌ててみんなが声のした方へと振り返ると―――――。



「時空管理局本局、巡航L級8番艦所属執務官、クロノ・ハラオウンだ。今の〝転移〟を含めて色々と話を聞かせてほしいんだが――――ひとまず、艦まで同行願おう」



 黒い、刺々しいコスプレした少年が立っていたのでした。

















 
 


 

 

 










 



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
にゃにゃにゃー
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
やっとクロノん登場。

しかしそれよりも、今回は酷い乱文なってしまい申し訳ありませんorz
書きたいこと色々あったけど、あれいらないこれいらないと削りまくってたらこんな滅茶苦茶に……未熟っ

ともあれ、補足事項は次回の幕間で。ちょっと長くなりそうかな?

しかし今回すずかちゃん影薄すぎる……。やりたかったことやれなかったからだなんて言えない……ッ!
出番をカットしたからだなんて絶対に言えない……ッ!


p.s
フェイトが何故ここまで時彦に執着するかについては、後々に。

p.s
>>ベルリネッタ
元ネタは512BBです。ていうかそれしかわk(ry





[15556] 疑念と決意と母心
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:a9a6983b
Date: 2013/10/21 04:07
 

 その日、月村すずかは生まれて初めて、〝本来の衝動〟を体験した。
 いや、厳密に言えば初めてではない。これまでにも小なりとも〝そういった〟トラブルはあったし、かねてより姉から聞かされていた彼女の家系の〝持病〟―――それが〝本来の〟程度と同じだったかどうかはさておき―――と思われるものは体験していた。
 しかし、彼女が今日体験した〝衝動〟に比べれば、今までの〝衝動〟など〝衝動〟とすら呼べない。例えるなら、グルメ雑誌の写真を見て味を想像するのと、料理を実際に味わうのと同じくらいの違いと隔たりがあった。
 すずかは最初、〝ソレ〟を見た時今まであったように心臓が跳ね上がったのを感じた。
 呼吸が激しくなり、鼓動が爆発的に加速し、ついで耳朶が熱くなって知らぬうちに熱い吐息を漏らしてしまう。
 だが、普段はそこまでで治まるはずの〝衝動〟が、さらに今回は頭がくらくらし、まるで一日中水を飲まなかった時のような、いやそれよりももっと激しく酷い飢餓感と、例えようがないほど体が訴える渇きとなってすずかを襲った。
 起きた出来事、トラブルに関してはなんてことない。
 ただ、調理実習の最中に、クラスメイトである本田時彦が包丁で少しだけ深く指を切っただけ。
 包丁で指を切る、というありふれたトラブルではあるが、だからこそ誰だってその対処法に関しては慣れていると言って良い。事実、すずかの知らない所でもほんのちょっぴり指を切ったり、危うく爪をかすめて背筋が総毛立つような思いをしている少年少女は、ごく少数ながらいたのだから。
 そう言った意味で、その時にすずかがとった行動は、誰から見ても〝極普通〟の行為だった。
 急いで駆けより、傷の具合を見る。少し深めに切ったようだが、きちんと治療すれば病院に行くほどの怪我ではない――――残っていた理性が考えられたのは、そこまでだった。
 次の瞬間には、理性を一瞬で食い殺す濁流の如き本能がすずかを襲い、気がつけば、少年が切った指の血を吸い取り、あまつさえその指を口に含んでいた。
 別に難しいことでも不思議なことでもない。誰かがやらずとも、あるいは本人が無意識にでもやりかねない、誰だって思いつく応急処置だ。
 ……しかし、その瞬間におけるすずかは、彼の傷を治さなければという意識のほかに、同じくらいの比重で、とある意識が渦を巻いていた。
 深く、大きく、たとえどれほど歳不相応に精神が大人びていても抗うことの難しい、彼女の一族に纏わる鎖とも言うべき本能が。



――――血だ。



 ただそれだけ。しかし、それほどシンプルだから故にこそ抗いがたい。
 人が持つ三台欲求に匹敵するソレは、まだ九つを数えるばかりであった少女の精神を容易く蝕んで余りある程強力なものだった。友人の怪我を治すという意識を上塗り、まだ未成熟も甚だしい、幼い彼女の中に潜む本能が鎌首をもたげてしまうほどに。
 それは赤い液体だった。
 さらには見ているだけで喉を震わせる液体の瑞々しさと、少し離れた位置にいるだけでわかる甘美な誘惑、さらには滴り落ちて床に弾けた際に、鼻腔を貫くような凄まじい芳香を放っていた。
 気がつけば、すずかは彼の指をその口に含んでいた。それまでの細かいやり取りは、はっきりいって覚えていない。
 桜色の唇に、まだ鮮血の滴る傷跡新しい指を加え、小さな舌でじっくりと溢れてくる滴を舐めとり、形容できないほどの名残惜しさと共に嚥下する。
 脳に、比喩なしに紫電が迸るのを感じた。
 舌先が彼の血の味を電気信号に変換するだけで背筋がゾクゾクと震え、十二分に過ぎるほど丹念に味わったソレが喉を滑り落ちると、それまで激しく高鳴り過ぎた鼓動が遂に刹那の停止を迎える。その瞬間、間違いなく少女は、今までの記憶を粉砕して余りあるような、想像を絶する美酒の味に酔いしれていた。

 月村家という〝夜の一族〟に生まれた以上、すずかが生まれてこのかた、一滴も血を飲まなかったことがないとは言わない。
 姉が市の総合病院の院長に協力してもらい、定期的に輸血パックを買い取っていることは知っているし、無論すずかもその輸血パックには数え切れないほど世話になっている。
 初めて形容しがたい〝渇き〟を覚え、いやいやながらも姉に輸血パックの血を口移しで飲まされた記憶は未だに生々しくすずかの脳裏に刻まれている。その抵抗感は、今でも輸血パックを飲むのに嫌気を覚えてしまうくらいだ。
 ……そう、本当は〝血を飲む〟という行為が嫌いなのだ。
 血を飲まなければならない宿業を背負った一族でありながら、その宿業に幼い身で抗う。それが、月村すずかという少女だった。
 繰り返すが、すずかは〝血を飲む〟ことが大っ嫌いである。
 なぜなら、彼女の周りは姉を除いて誰一人そんなことを必要としない。月村と言う家系が異常だというのは幼少のころから知っていたし、だからこそ自分はみんなとは違う存在なのだと、幼心ながらも傷つきながらしっかりと受け止めていた。
 しかし、そんな大人顔負けの精神の強さを持っていても、やはり大切な友人と〝違う〟という現実は、少女の繊細な心を傷つけて余りある程の嫌悪を覚えさせた。だからこそ、少女は限りなく友人たちと近い位置に、出来る限り普通の人間としてありたいと願った。
 別に血を飲まなくとも死にはしない。我慢すれば、きっといつかは皆と同じ人間になれる。ある日、少女は心の中で〝絶対に血を飲まない〟と堅く心に誓ったのである。
 それは、この歳の少女にしては異常すぎるほどの忍耐力と言って良い。いわば、すずかの誓った〝血を飲まない〟という決心は、人が一生水を飲まずに生きようとするのに等しい程の苦行であり、しかしだからこそ、事実その苦行は月村すずかという少女を徹底的に追い詰めた。
 二週間が過ぎ、姉でさえ呆れかえる程に血を飲むのを我慢し、そして彼女の努力をあざ笑うかのように〝衝動〟が爆発した時、月村すずかという少女は初めて己の宿業を思い知った。
 あの我慢の末の最後の三日間の事を、今でもすずかは覚えていない。自分がどのように一日を過ごし、最後にどうして気絶し、また自室のベッドで目を覚ましたのか。ただわかったのは、結局自分は〝衝動〟に負け、どうあっても血に頼らなければ静かに生きることすら叶わない化け物であるということだった。
 だからこそ、月村すずかという少女はとりわけ〝血を飲む〟という行為に嫌悪感を持つ。それこそ、自分からは決して進んでやろうとは思わず、姉やメイドに促されていやいや飲むくらいに嫌っているのだ。
 そんなすずかが、生まれて初めて自分から〝飲みたい〟と望んだ。自分ですら不思議に思わないくらい、極々自然に彼の血を飲んでいた。
 あまつさえ、その血に対して途方もない程の甘美さを覚えてしまった。例えそれがどれほどこの体に必須なものであっても、今まで一度たりとも〝美味しい〟と思えなかったソレに。
 そして生まれて初めて泥酔状態に陥り、妙に高揚している気持ちを抑えつけられず、ついには今まで感じたことのない満足感に包まれながら、すずかは意識を落としたのだった。

 目が覚めた時には、既にそこは自宅のベッドの上であった。
 姉の忍は所用で出かけており、代わりにメイドであるノエルとファリンが看病してくれていたのだが、同時に学校で何があったのかについても説明を迫られたのは言うまでもない。
 すずかの説明を受けた二人は、暫くどうしたものかと眉をひそめてしまった。
 無論、今までどれほどすずかが〝血を飲む〟という行為に対して自制と嫌悪を抱いていたのか知らない二人ではなく、ましてや自制どころか自覚すらできなかった〝衝動〟故の事故のようなものだったとなれば、二人のメイドにそれ以上すずかを責められよう筈がない。
 それよりも、我を忘れてしまうほどの〝衝動〟に襲われた、という事実の方が、月村家のメイド達にとっては頭の痛い問題であったのだ。
 親友の二人、高町なのはとアリサ・バニングスの血を見ても、すずかはここまで酷い〝衝動〟に襲われたことはない。それは他の人間も同じで――――つまり、本田時彦という人間が例外なのだ。
 では、ナニが原因なのだろうか、と推測を始めたところで、すずかはファリンの思いつきの一言に〝衝動〟とは全く異なる理由で顔を赤らめることになった。
 なのはとアリサが月村の屋敷を尋ねてきたのは丁度そんな折であり、それまで面白いくらいにしどろもどろの弁解を続けていたすずかが、まるでその場から逃げ出すように出迎えに走ったのは、とても微笑ましい照れ隠しであったと、ノエルは後にすずかの姉である忍に報告する。
 
 だが、すずかを待ち受けていたのは、親友たちの嬉しい思いやりだけではなかった。
 なのはとアリサを出迎え、汗をかいてしまったこともあってとりあえずシャワーを浴びて着替えたすずかが客間に戻ると、そこには今最もすずかの心を揺るがし続けている少年と、もう一人――――決して忘れることなどできない、すずかにとっては今最も敵視しているといっていい金髪の少女がいた。

 最初は状況の理解に頭の回転が追いつかなかった。
 なのはとアリサがいるのは問題ない。なぜなら最初からいたのだから。
 そこへ何故、彼――――本田時彦がいるのか。そして何故その隣に、あの金髪の少女が立っているのか。その刹那、少女の心を一瞬だけ塗りつぶした負の感情に、本人は気付く事が出来ない。
 多少驚きはしたものの、それでも以前に時彦から話を聞いた通り、すずかから見た金髪の少女――――フェイトという少女は、以前対峙した時と比べると嘘のように大人しい様子だった。
 常に時彦の斜め後ろに位置し、すずかを見た時も非常に恐縮そうに小さく挨拶をするだけで、斧を構えるだの魔法を撃って攻撃してきそうだの、そういう乱暴な印象は露ほども感じられない。本当にあの黒い少女と同一人物なのかと疑いたくなるくらい、別人然としていた。
 ただ、同時にすずかは少年の来訪が嬉しくもあった。
 迷惑をかけたのはこちらだというのに、むしろ少年は「それは俺の所為だから。月村さんは何も悪くない」とそもそも指を切ってしまった自分に非があると主張し、あくまでも体調を崩したすずかのことを気にかけてくれる。
 それは無論、なのはとアリサが心配してくれたのと同じようなものだったが、何故かすずかは少年の優しさにより大きな感慨を覚えたのだ。先程のファリンの言葉の影響もあるのだろう。知らず知らずと頬が熱くなるのを感じた。
 だからこそ、すずかは少年が一緒についてきた金髪の少女の家へと向かうと聞いて、即座に意識を切り替えた。
 今は仲良く見えるが、仮にも命を狙われた間柄だ。だというのに、なんの頓着もなく「なんか、こいつのかーちゃんが俺に話があるらしくってさ」と安気に言ってのけた時、すずかは文字通りに自分の耳を疑った。
 しかし、すずかは聡明な少女だ。
 同い年のアリサと比べても大人びたモノの見方をするし、物腰や所作、纏う雰囲気すらもそこらの同年代――――いや、小学生の高学年、あるいは中学生とでさえ一線を画す程のものがある。
 故に、すずかは瞬時に思い至ったのだ。常々突飛なことをやらかしては、知らずとトラブルに首を突っ込む少年のことである。今回もまた、無自覚に大変なトラブルに巻き込まれているんじゃないか、と。
 そう考え至れば、すぐにでも確認しなければならない。場合によっては、なのはやアリサを巻き込んで説得してでも少年を行かせるのを阻止しなければならない。
 おそらく、この時のすずかは自分が何をどうしてそういう考えに至ったのかさっぱりわからなかったことだろう。いや、その時も現在も、すずかはきちんとした理由があってそういう結論に達したのだと胸を張って言える。言えるが、その根底にあった感情がなんであったかまでは、十中八九未だ思い至っていない。
 だからこそ、すずかは迷わなかった。逡巡すらしなかった。結論を導き出すと、それこそが最善とばかりに、少年の横に立つ少女へと疑問を投げかけたのだ。



「…………本田君を連れていくのは、また危険なことに巻き込むため?」
「違うよ。ただ、話を聞くだけ」
「本当に、危害を加える気はないの?」
「……彼の安全は、私が約束する」



 場の空気が凍りついた中、たった二人の少女の、背筋の凍るような冷たい会話だった。
 およそ九歳の子供が交わすようなものではない。
 かたやほとんど睨み殺さんばかりに少女を見据え、方やそれを受けて微塵もたじろくことなく受け止める。
 そして再び訪れた重苦しいまでの沈黙の中で、すずかは以前、ジュエルシードの影響で姉と体が入れ替わった時、少年から聞いた〝フェイト〟という少女の情報を思い出しもしていた。
 本当は、根が優しいということ。
 なにかしらの事情があって、ああいうことをしているということ。
 そして、少年の大切な人に瓜二つであるということ。


――――ズキン……。


 その時の胸の痛みがなんだったのか。
 すずかは、それを「少年がそこまで認めている少女を疑わなければならないことへの罪悪感」と捉えた。それは同時に、すずかに「だからこそ」という動機を与えることになる。
 本当に、このフェイトという少女が時彦の言う通りの人間なのか。そもそも、本当に少年に危害を加えないのか。そういった疑問と懸念への保険の意味合いもあったし、加えて、毎度毎度無茶ばかりする少年のお目付け役をしなければ、というすずか本人ですらよくわからない義務感も手伝い、すずかは自身ですら予期していなかた台詞を口走ることになる。



「それじゃ、私も付いていきます。悪いけれど………私はまだ、あなたを信じることができていないから」



 その台詞を聞いた少年が、それこそ目玉が飛び出かねないほどに驚いたのは言うまでもないことであるが、以外にもなのはとアリサが「わ、わたしもいくよっ!」「しょうがないわね……あんた達だけじゃ不安だから、私がついてってあげるわ!」と、乗り気で賛成してきたことに関しては、すずかも若干びっくりした。そして時彦がそれに大きく反対し、最終的にいつものごとくアリサに説き伏せられてしまうのもまた、いつものことであった。
 ともあれ、そういった経緯があって、すずかとその友人二人の仲良し三人組が時彦のテスタロッサ家の家庭訪問へ付いてくることになった。
 ただし、すずかの内心では、未だ消えそうで消えずにいる蝋燭の火のように、ちろちろと静かに揺らめく疑念が残っている。

 何故時彦の血にだけ、あのような反応をしてしまったのか。
 フェイトの母が時彦に尋ねたいこととは一体何なのか。
 そして、なによりも気になって仕方がないのは――――。
 
 屋敷を出て、道中で少しだけフェイトと会話をしたすずかは、ふとその疑念が孕む大きすぎる矛盾に気づいた。

 少し話は逸れるが、月村の家は仮にもこの海鳴一帯を管理する旧家だ。世間話とはいえ、どこどこの誰がどこに引っ越した、逆にどこそこにどこから誰かがやってきた程度の話であれば、すずかは物心つく前から聞いて育ってきている。
 そして、密かに完全記憶力に程近い記憶力を持っているすずかは、自身の記憶の中にここ数年〝海鳴から引っ越していった、同年代程度の子供のいる家庭〟が一世帯たりともないことを覚えているのである。
 一方で、すずかは以前、時彦が生まれてからずっとこの街に住んでいるという話を聞いたことがある。もっと言ってしまえば、この海鳴に住んでおり、かつ時彦の知人で〝フェイトと瓜二つの人物〟という人間がいないことを、知っているのだ。
 だというのに、時彦ははっきりと言った。



――――フェイトってさ、俺の大切な人に瓜二つなんだよ。だからほっとけないっていうか……。



 ふと、すずかは前を歩く少年の背中を見た。自分達と背丈はそう変わらない、むしろ最近は自分よりも細く、華奢になったような印象さえ覚える背中だ。
 だが、すずかは今まで何度もその小さな背中に助けられた。
 カリビアンベイでも。
 夜の学校でも。
 姉と体が入れ替わった時も。
 単純にすごいと思った。同時に、どうしてそんな勇気が持てるんだろうと不思議にも思った。
 だからこそ、すずかは問わずにはいられない。決して口にはしないものの、それでも悲鳴に近い心の言葉を、その小さくもたくましい背中にぶつけずにはいられない。聞きたくて仕方ないその言葉を、苦しくも胸の奥に飲み込まなければならないもどかしさを覚えながら。
   



 …………貴方の大切な人って、誰?


  
 少年の背中は、すずかの問いには答えてくれない。ただじっと、その白い制服の背中を、すずかに見せ続けるだけだった。


 









 フェイトの連れてきた客人達を無事に送り返し、息を切らせて駆けつけた大広間は――――凄まじいことになっていた。
 雷撃によりあちこちが炭化し、強固な大理石の床は嵐が通り過ぎたかのように彼方此方が砕けて捲れ、しまいにはホールを支える支柱の何本かが盛大に折れてはただの石ころと化している。
 そんな大広間の中央、玉座と入口の間に、二人の人間がいた。
 一人は言うまでもない、この城の主たるプレシア・テスタロッサ。
 そしてもう一人は――――。


 
「こんの……クソババァああああああ!!!」
「――――フン」



 大理石の床の上にうつ伏せに倒れ、もはや怪我していないところがどこかを探すのが難しいほど傷だらけになっている最愛の主人の姿を見た瞬間、使い魔アルフは一瞬にして怒りの沸点を超えて咆え猛った。
 人間フォームから狼フォームになることすら忘れ、ただ純粋に一途な思いを以てその拳を振りかぶる。
 ただのダッシュではない。
 一瞬で凝縮させた魔力を足裏で爆発させて加速力とし、猛進しつつも乱数的に角度変更とフェイントを織り交ぜてのフォトンランサーを展開。その弾幕に紛れてプレシアの死角を突く形でアルフは大広間を駆け抜ける。
 しかし、プレシアはそんなアルフの鬼のような形相を、犬の遠吠え程度にしか思わないのか、つまらなさそうに鼻で笑って杖を一振り。瞬間、アルフの進路上に雷のカーテンが猛々しい放電と共に迸る。
 鼻を突くようなイオン臭を感じ取る以前に、アルフは自身の猛加速を止めることが出来ないまま、その雷の雨へと自ら突っ込んだ。



「あが―――ッ!?」



 僅差で発動できたプロテクションのおかげで致命傷こそ避けられたが、それでも大きなダメージを受けたことに変わりはない。当初の狙いを外れて、アルフはプレシアにその拳をとどかせることなく、皮肉にもその遥か前方、うつ伏せに倒れるフェイトの横へと転がるようにして倒れた。



「主によく似た駄犬ね」
「っ……さい……うっさいんだよこの鬼婆!」



 雷で筋肉をやられたのだろう。
 一時的にせよ、軽い痙攣症状を引き起こす筋肉の所為で、アルフは立つことすらままならない。いや、立つどころか呼吸さえ苦しい有り様だ。もし直撃していたならば、今頃こうして憎まれ口を叩くことすらできなかったに違いない。
 必死に両手両脚をずりずりと動かしては立ちあがろうとするものの、未だに筋肉はアルフの意志を離れている。なんとか肘を突いて上半身を起こせたが、それ以上は無理だった。脚を動かした瞬間に力が抜け、無様に地面へ熱烈なキスをしてしまう。
 そんなアルフの姿を見ることなく、プレシアは身を翻すと、感情の篭らない、実に平坦で冷たい声でアルフに告げた。



「……その子が起きたら伝えなさい。〝ジュエルシードの回収は継続、次は拘束してでもあの少年を連れてきなさい〟と」
「なっ……なにさそれ! なんで、なんでフェイトにそんな酷いこ――――ひぁっぐ!?」



 問答無用だった。反論しようとしたアルフを再び強烈な雷が襲い、アルフは自身の身が焦げる匂いを嗅ぎ取った。
 今度こそ指一つ動かせない程ダメージを与えた事を確認したプレシアは、そのまま無言のままに立ち去っていく。
 焼け焦げた肌の痛みは既に感じられずとも、体表を走った雷による感覚の麻痺と、今度は先程とは逆に、急激な電流による筋肉の硬直の痛みが、濁流のようにアルフを襲う。
 それでも、ガチガチと冬山で遭難したかのように震える歯を噛みしめ、立ち去ろうとする黒髪の魔女を睨み上げたアルフは、血を吐く思いでようやく声を絞り出した。



「なんで、さっ……! なんで、フェイトにばっかり、こんな…………ッ!」



 果たして、その執念の怨嗟はプレシアに届いた。
 ゆっくりとした足取りを縫い付け、こちらの言葉に耳を傾けさせただけという小さな成果ではあるが、それでも無情冷酷極まりない魔女の歩みを留める事ができたのは、賞賛に値するだろう。



「……決まってるでしょう?」



 首だけを振り向かせ、黒い魔女が嗤った。
 それは、陰惨で、凄絶で、そしてなによりも凶悦の入り混じった笑みであった。
 同時に、アルフは動物的本能で全身を総毛立たせる。
 雷で痙攣していた筋肉が畏縮し、危険時における緊急的な興奮状態に陥る。痛みすら感じなくなり、ただただ、目の前に存在する得体のしれない狂気に震えた。
 それがなんという感情だったか――――アルフは久しく忘れていた。
 フェイトが大切にしていたマグカップを壊した時とは違う。リニスにこっぴどく怒られた時のソレに似ていると思ったが、だがあの時のそれとは、根本的な何かが違っていることに気付く。そして、その思い違いからすぐに、アルフは結論を見出した。
 〝恐怖〟だ。
 これは、正体不明のナニかに対する、〝恐れ〟に他ならない。
 わからない、ということほど恐ろしい事はない。
 特に、今アルフを見下している黒い魔女の思考など、その欠片の一端程も、アルフに理解できるものではない。
 故に恐怖した。何を考えているのか。一体何を企んでいるのか。
 そして、何よりも――――。



「出来損ないだからよ」
「な――――――っ!!?」



 実の娘を、〝出来損ない〟呼ばわりする母親の心境など、アルフに理解できよう筈もなかったのだ。
 そして、驚愕に震えるアルフに一瞥をくれたプレシアは、それきり二度と振り返ることなく、大広間の奥の方へと静かに消えていった。
 大広間には、傷だらけで気絶したままのフェイトと、体のあちこちに蚯蚓腫れと火傷を負い、それでも意識を失わずに這いつくばっているアルフだけが取り残される。
 ぎり、っと。大広間に音とも言えない音が消えていった。
 それはアルフが自身の奥歯を噛みしめた音だった。
 悔しさと、怒りと、そしてやるせないほどの無力感。
 決して愛を向けてはくれない母へ尽くす主人への憐憫。健気な娘に愛を向けてすらくれない母への憤怒。そして何よりも、最愛の主のためになにもできない自分が許せなくて、やるせなくて、アルフは震える拳を振り上げて、力なく振りおろした。
 いつもなら、この程度の大理石の床など粉砕せしめる威力を持つ拳は、しかし罅一つ入れるどころか、ぽすっ、という軽い音を響かせるだけにとどまる。
 


「っ――――ぅ」



 ぎゅっ、と。爪が指先に食い込むほどに握りしめた両拳の内側で、アルフは俯いてこらえていた。
 フェイトが褒めてくれた色鮮やかなオレンジの髪も、今は酷く色褪せて見える。
 震える喉を力づくで抑え込み、洩れそうになる声を必死に歯をかみ合わせる事で飲みこむ。
 何故も、どうしても、今は何も問う事が出来ない。問う気にもなれない。
 微かに希望を持っていた。ひょっとしたら、もしフェイトがあの鬼婆の願いを叶えてやれば、と。
 例え、それが砂漠の中から一粒のダイヤモンドを見つけるのに等しいほどありえないことであっても、可能性はゼロじゃない。そして自分のご主人様なら、きっと掴み取って見せる。そう、ほんの微かに信じていた。
 それを今この瞬間、完膚なきまでに否定された。そんなことは所詮夢幻でしかない。だから〝諦めろ〟という言葉もなく。
 それがアルフにはたまらなく悔しい。
 一度のチャンスすらなかったのだ。あるように見せかけて、実際はただ単に〝便利な道具〟として扱っていただけなのだ。
 その何処に幸せがあると言うのだろう。フェイトの求める愛情があると言うのだろう。そもそも、その関係の一体どこに〝親子〟という絆があるというのか。
 あるはずがない。ありえるはずがない。そして恐らく、フェイトも薄々その事に気付いている。それなのに、あんなにも健気に母を思って闘ってきたのだ。
 そんなフェイトの心情を慮ったら、悲しさで胸がつぶれそうだった。切なさでこの身を掻き毟りたくなった。
 何故運命は、同じ名を持つあの心優しい少女に、こんなにも残酷な仕打ちをするのだろう。
 フェイトはただ、優しい母と静かに笑いあいたかっただけなのに。
 晴れた木漏れ日の下で、母と娘で一緒にランチマットの上に座り、ただ穏やかながらも取りとめのない話をして、手作りの昼食を一緒に食べたかっただけなのに。
 そんな、9歳の少女が抱えるにしてはあまりにもささやかすぎる夢だったというのに……。ましてや、それ以上の夢など考えたことすらないような、純真で無垢で、心優しい少女なのに!
 世界が一人の少女に圧しつけた理不尽に怒りを覚え、今度こそ全力で床を砕かんばかりに力を込めて拳を振り挙げたその刹那、アルフの脳裏をよぎるものがあった。



――――『私達、きっと――――きっと戻ってきますから! フェイトちゃんを助けに、絶対に戻ってきますから!』
 


 白い魔導師の少女。栗毛を結わえ、くりくり動く瞳で、本来なら敵同士であるはずのフェイトを〝友だち〟と呼んでいた、あの少女の言葉が。
 溜まりに溜まったマグマのような怒りが、瞬時に冷やされどこかへと消えていくようだった。
 振りあげた拳をゆっくりと下ろし、同時に自分の中で一つの決意が芽生えていることに気付く。
 そう……運命がフェイトに不幸を押しつけてくると言うのならば、黙ってそれを受け入れなければならない道理など何処にもないのだ。

 アルフはフェイトが好きである。大切なご主人様であるし、自分の命の恩人だ。だからこそ、彼女の望む幸福の形ではなくとも、今ある不幸ではない、別の幸福を授かってほしいと心の底から願っている。
 そして、そのためには手段を選ぶつもりがないのが、アルフと言う使い魔の覚悟であり、そして決意だ。
 誰かが言っていた。
 すると口にした時には、すでに実行していなければならないと。
 


「……いに――――る」



 みしり、と体のあちこちが軋むのがわかる。
 だが、それでもアルフは構わずに全身に力を込めて、這いつくばった姿勢から無理矢理上半身を起こした。
 多少なりともマシになったものの、それでも未だに軽い痙攣状態にある筋肉を無理矢理動かし、蚯蚓腫れや火傷その他で引きつるような痛みに顔を顰めながら、どうにかして天井を仰ぐようにして膝立ちになる。
 傍らの小さな少女を見やり、自分よりははるかに軽傷であることに改めて気付いて、アルフはふっと安心の溜息を洩らした。このぐらいなら、普通に手当てするだけで十分だろう。
 そして再び大広間の天井を見上げて、目を細める。
 この際、もはや立ち場だの手段だのを選んでいる場合ではない。
 あのプレシアが集めさせているジュエルシードが、危険極まりないモノであると言うのは、これまでの経緯で嫌と言うほど認識している。そして、目的こそわからないものの、そんな危険なものを使った〝研究〟がどんな結果を引き起こすかなど、考えるまでもない。
 ならば、アルフがするべきことは一つだけだ。
 たとえそれが主人である少女の意に反する事であったとしても――――彼女が、今の現状でいいと望んでいたとしても。



「絶対に……っ! 幸せにして見せる…・…っ!」



 〝幸福〟に決まった形は無い。
 もしかしたら、今のままでもフェイトは幸せなのかもしれない。今が不幸だと思っているのは、アルフだけなのかもしれない。
 だが、アルフはフェイトの使い魔だ。使い魔はその性質上、主の本質とある程度直結/リンクしてもいる。フェイトが幸せだとアルフは幸せだし、フェイトが悲しければアルフも悲しい。逆に、アルフが幸せならばフェイトも幸せであり、アルフが悲しいとフェイトも悲しくなる。二人はいつも必ずどこかで繋がっていて、そして二身一体のように、お互いの心が通じ合っている。
 つまり――――フェイトは、心のどこかで、今の状況を多少なりの〝不幸〟や〝幸せでない状態〟と認識しているのは間違いないのだ。
 ならばこそ、アルフはもう、自分の決意に迷わない。
 気絶したままのご主人さまを抱きあげて、アルフは大広間を後にした。
 ゆっくりと、ゆったりと、しかし着実に。
 腕の中に眠る主のために。
 狂気の中にある、虚構の愛情に捕まった主のために。
 そして少しだけ――――主を〝友だち〟と呼んでくれた、あの少女達のために。



―――――使い魔アルフは、一つの決意を固めた。










 
 




 シルフィ――――その名は、プレシア・テスタロッサにとって忌むべき名前と同義であった。
 思い出すだけでも胸が痛み、哀愁と失望の入り混じった複雑な思いが去来する。
 腰かけたデスクシートの上で、プレシアは全身を締め付けるような痛みから逃れるように溜息を吐いた。
 うずたかく積もった書類の山と、空になった薬瓶の集群。吸えばそれだけ肺を蝕まれそうな重苦しい研究室の空気の中、プレシアはそっと一つの写真立てを撫でた。
 淡い木目の額縁に納まるのは、幼き金髪の少女と、その少女を抱えて微笑む若かりし頃の自分。忙しくも、しかしはっきりと幸せを感じていたあの頃――――必ず取り戻さなければならない、幸せの偶像。



「……ゴホっ!」



 突然湧き出た咳を、慌てて口を抑えて塞ぎ、同時に抑えた手に生温かい何かが付着するのを感じ取る。
 そのまま咳が収まるまでこらえたプレシアは、焦ることなく抑えていた手を口元から離し、手のひらに付着した血をいつものように近くにあった布巾で拭きとった。
 あとどれほど、この体が持つかはプレシアにすら想像できない。
 そして、その何時とも知れぬ刻限までに、もう一度この手に本当の愛娘を抱く事が出来るかどうかも、わからないのだ。
 苦々しい思いと共に、もはや味すら感じられぬ常備薬を飲み下し、プレシアはシートに深く、その身を沈めた。
 脳裏をよぎるあの日の事――――ようやくこの手に、愛娘を抱けると思ったあの日の事を思い返して。



 ありとあらゆる手段を用いた。だからこその結果であったし、そこに不備があるとは思っていなかった。それは嘘ではない。
 だが、不備はなくとも、前提が間違っていたのだ。より正確に言うのであれば、〝魂〟と〝因果〟に関する認識がずれていた、と言った方が良いだろう。
 生命創生、あるいは死者蘇生の秘儀とも呼ばれる前人未到の研究は、確かに成就したのだ。
 生きていた人間と全く同じ人間を創り上げる事。死んでしまった人間を蘇生する事。どちらも、凡百な科学者では決して成し遂げられない非凡極まりない領域の偉業に他ならない。
 だが、そのどちらとて、プレシアの要求を満たすものではなかった。
 前者の問題点。それは、例え生前の人間と全く同じ人間であっても、それは始まりの違う別個体であったという事。即ち、一卵性双生児に近い類似性しか持たないことにある。
 例え遺伝子情報が全て同じでも、それだけなのだ。生まれも違えば育ちも違う。価値観も異なればその性格も似て異なる〝別人〟でしかないのだ。生前の人間と同じと言うのは、あくまでも記号としての意味しか持たない。これは、プレシアの求める〝本当の愛娘〟の姿ではない。
 後者の問題点。それは、例え死者を蘇らせようと、そこに〝魂〟が存在しないことに他ならない。
 例えプレシアがどれほど希代の才能を持っていようとも、失われた〝魂〟とそっくりそのまま同じものを創り上げるのは、前述した生命創生の技術にあった問題点を克服できなかったことと同じように、不可能であった。
 故に、例え脳の破損意外に肉体的損壊のない愛娘の体を、狂気を代償とした医術により生きている人間のソレへと蘇生せしめたとしても、愛娘がもう一度、その可愛らしい瞳にプレシアの姿を映してくれる事は、二度となかったのである。

 愛娘を蘇らせるための手段。そう思っていた二つの手段が失敗に終わり、プレシアは一度絶望を味わった。
 もう無理なのかと。もう一度、せめて一瞬だけでも、生きている娘に逢いたいというこの些細な願いですら叶わないのかと。
 例え誰かに〝貴方は人の身でありながら神の領域に踏み込んだ〟と褒め称えられるよりも、ただ一言、愛娘の口から〝おかあさん〟と呼ばれる事と比べたらなんと些末な事か。ただ一言、最愛の娘の口から〝おかあさん〟と呼ばれれば、それだけで自分は生きていて良かったと胸を張って言えるというのに!
 そんなプレシアに救いの手が差し伸べられたのは、果たして天使の慈悲なのか、それとも悪魔の誘惑であったのか。
 とまれ、絶望の淵に立たされていたプレシアを再び立ちあがらせたのは、一つのシンプルな助言であった。
 即ち、生命創生と死者蘇生の融合。



――――――〝F・A・T・E計画〟である。



 生命創生による同一存在の創造。
 死者蘇生による同一存在の蘇生。
 この二つの融合による、死者であろうと生前の存在へと完全に復活せしめる、前人未到の生命操作技術。
 生命創生では完全な同一存在を創ることはできない。死者蘇生では、肉体は蘇生できても精神が蘇生できない。
 ならば、元となる体で創り上げた複製の体に、蘇生対象である存在の〝精神〟を転写してみてはどうか、という単純な発想である。それが、〝あの男〟からのたった一つの助言であった。
 何故その事に気付かなかったのか、とプレシアは自分の愚昧さを呪った。
 考えてみれば当然のことである。創り上げた複製の体に、本体の〝精神〟を全て余すことなく完璧に転写する事が出来たならば、それは〝本物の愛娘〟となるのではないか。
 例えそれが、人の命を〝大量生産品〟と同系列で扱う事になる危険な思想であっても、その時のプレシアには、その考えこそが天啓の如き妙案に思えてしまっていた。それほどまでに、狂気に蝕まれていた。
 多大なある苦難と困難の果てに、プレシアはついに複製した愛娘の体に、愛娘の持つ記憶、癖、所作、その他全てのありとあらゆる要因をコピーした。
 実験は成功し、ソレは目を覚ました。
 その瞬間の嬉しさを例えるには、一体何を持ちだせばいいのだろう。筆舌に尽くしがたい幸福を胸一杯に味わいながら、プレシアは在りし日の思い出の猫、リニスを蘇生すると共に使い魔とし、娘との再会を心か今か今かと、まるで遠足を控えた子供のように楽しみにしていた。
 ベッドに眠る最愛の娘。震える睫毛が、覚醒が近い事を物語る。
 プレシアは溢れんばかりの愛情を以てその頬へと手を伸ばし、優しく撫でた。今までの途方もない離別の日々の溝を埋めようと、それまで溜まりに溜まった娘への愛を注ごうと。
 だが――――。
 


「アリシア……目が覚めた?」
「やだ……触るなッ!!」
「アリ……シア……?」
「そうやって……そうやってまたボクに姉さんの姿を重ねるんだな!」



 その幸福の絶頂のような心の高揚は、そんな〝愛娘の姿をしたナニか〟によって崩壊させられる。
 愛娘と同じ姿。同じ声。同じ瞳。
 だが、その声に込められた感情は紛れもない憎しみであり、その瞳が放つのは疑いようのない恐怖。
 プレシアは自分の中で何かが壊れそうになるのを感じた。それでも必死にその何かを抑えつけ、震える指を〝ソレ〟へと近付ける。



「姉さんのほうが大切でボクを捨てたくせに……今度はボクを姉さんの代わりにするのか!?」
「なっ……何を言っているの、アリ―――」
「アリシアじゃない! ボクは、ボクはアリシア/姉さんじゃなくてシルフィだっ! たった一人の妹/シルフィだッッ!」



 瞬間、プレシアの中で、それまで抑えていた何かが崩壊する音が聞こえた。
 指先から全身が凍ったかのように冷たくなり、それまで春の陽気のように暖かかった心は極寒の冬の如く冷え下り、仇敵を睨むかの如き憎しみを向ける愛娘の姿に、絶望すら生温い漆黒の槍を穿たれる。
 気がつけば、プレシアはデバイスの補助なしに〝ソレ〟を気絶させていた。
 スタンガンに似た簡単な電撃魔法であったが、まだ目が覚めたばかりの〝ソレ〟には必要以上の効果を示した。
 目尻に涙を浮かべ、ギリギリと歯を食いしばって自分を睨みつけていた〝ソレ〟が白目をむいて気絶したのを確認した時、とうとうプレシアはこらえることのできない嗚咽と共に、心を削るような涙を流す。
 いっそのこと、このまま死ぬ事が出来たらどれだけよかっただろう。
 愛娘への愛情も、この世への憎しみも、全て何もかもを投げ打って命を断てたならば、それだけで幸せな事だろうと思えてしまうほどに、プレシアは疲れてしまった。
 だが一方で、ここまで来た以上後に引く事ができないのもまた、事実だ。愛娘の姿をしたソレの記憶を操作し、今のフェイトという存在へと修正する傍らで、プレシアはそんなことを考える。
 理論は間違っていなかった。工程にも不備は見られなかった。そして、結果を見るならばある意味で成功とも言える成果が出ている。
 ならば、前提が間違っていたのだ。
 〝精神〟だけでは足りない。では何が足りないのか――――そこまで考えて、プレシアは一つの決意をしたのであった。



 意識を河岸の向こうから引き戻し、我に返る。
 自立天候プログラムにより、城の外には夜の帳が重い緞帳を下ろしている。窓の向こうから微かにしみいる虫のオーケストラが、夜の静寂を際立たせていた。
 シートから体を起こし、ふと自分の手が何かを持っていた事に気付く。



「……アリシア」



 それは、あの写真立てだった。
 中に納められているのは、自分と、最愛の娘と、その良き友であった山猫の移る在りし日の幸せ。それがこの小さな写真の中に凝縮されていると考えると、羨ましさと切なさと、そして言い知れぬ哀愁が胸を締め付ける。
 プレシアの立てた最後の計画は、既に終わりに近付いている。
 多少の予定変更があったものの、概ね最終的な目的に変わりはない。
 当初の懸念であったジュエルシードの数による出力不足も、仮定が違っていたからこその計算違い。実際は、出力不足などとんでもない話だ。むしろ、現在保有しているジュエルシードだけでも有り余るほどと言って良い。
 もし、本来想定していた〝アルハザード〟への道を開こうとするならば、確かに足りないだろう。せめて今の数の三倍はなければ、そもそも最低限のエネルギーを確保できない。
 だが、あの少年が用いた方法ならば――――〝作業〟に必要なジュエルシードなど、極端な話一つで十分なのだ。それは、あの少年がその身を以て証明してくれている。
 何よりも、今回の件において、あの少年の御蔭でジュエルシードの〝本質〟に気づけたのは大きい収穫だった。同時に、あの少年が〝シルフィ〟と何らかの関連性があった事には大いに驚いたが、はっきり言ってしまえばそれは二の次である。大切なのは、あの少年の御蔭で下準備がはかどり、それもあと少しで完了するということ。ジュエルシードの捜索とあの少年の確保を〝出来損ない〟にさせるのは、あくまでも後々来るであろう時空管理局を欺く囮にすぎない。
 出来得るならば、あの少年と〝シルフィ〟の関連性について調べることで、何故あの時失敗してしまったのかが知りたいと言う、科学者としての学術的好奇心を満たしたいものだが、そうするだけの余裕はもうないだろう。そして言うまでもない事であるが、今のプレシアにとっては、それは文字通り二の次の目的ですらないのだ。



「もうすぐよ……もうすぐ、本当の貴方に逢えるわ」



 狂気に蝕まれる精神と、死の病に蝕まれる肉体。
 二つの苦難の渦中にありながら、愛娘を求める一途な母が独り言ちる。
 そんな彼女の思考の中に、フェイト・テスタロッサという健気な少女が入り込む余地など、塵芥ほどの領域も残ってはいなかった――――。

































――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
心よりのお詫び
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
よ、ようやく更新できました……!
大変お待たせして申し訳ありませんorz
今回でようやく伏線の回収ができて一安心と申しますか……えーと、うん。風呂敷また広げた!?

ともあれ、ようやくシルフィについてある程度お分かりに頂けるエピソードが盛り込めました。
恐らく予想していらっしゃった方も大勢おられたとは思いますが、〝フェイトの最初の人格がシルフィだった〟というのが正解でございます。
本文中にもありますように、結局シルフィの人格はプレシアさんによって今のフェイトへと処置されてしまったわけですね。プレシアさんマジ鬼畜。


ともあれ、次回からはプレシア事件の終焉に向かいます。同時に、すずかちゃんの回りでもちょろっと事件の匂いをさせていきたいなぁ、みたいな。


こんな超不定期更新なアレですが、完結まで今しばらくお付き合いくださいませ。
そしてここまで付き合って下さっておられる読者の皆様方に、改めて最大の謝辞を。



[15556] 管理局と現状整理と双子姉妹
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:96b828d2
Date: 2012/04/23 07:39
――――――か、こーん。



 高らかに響き渡る、添水の鳴き声。
 静かに舞い散る桜吹雪の中、ともすれば雅楽でも聞こえてきそうな和風空間の中、一人の女性が微笑んだ。



「ようこそ、時空管理局本局次元航行部所属艦船、L級8番艦〝アースラ〟へ。私が艦長のリンディ・ハラオウンです」



 そう挨拶をくれたのは、柔和な微笑みが似合う緑髪の女性だった。
 白いぴっちりとしたスーツの上から青い制服を羽織り、見ているものの腰を砕きそうな柔らかい微笑みを浮かべる姿は、まさに菩薩の如し。
 なにかのSF映画に出てくるような宇宙船のブリッジであったならば、さぞや絵になったことであろう。
 ……そう、宇宙船のブリッジとかそんな、SF色たっぷりな空間であったならばな!
 
 周囲を見渡してみれば、一面眩しい程の真っ白な部屋。
 しかしながら、その中央付近には目を疑うような桜の木が立ち、その木陰の位置に俺達が座っている赤布を敷いた、大人が十人近く座れそうな台座がある。挙句の果てには、その台座の傍らに――どんな構造か知らんが――日本庭園にバリバリ現役で存在する、ししおどし様が鎮座ましましておられるのだ。
 そんな、どこぞの日本庭園まっしぐらな風景が広がるここが、宇宙船の中だと言われて誰が信じられようか。


――――ぶっちゃけよう。俺ですら信じられん。



「なんで日本庭園!? しかも明らかに室内に桜の木だとぅ!? ちゅーかあのししおどしはどこから水汲んでるんですか!?」
「あらあら、ふふ。その様子だと、傷の具合は大丈夫そうね」
「御蔭さまで超平気っす! それよりマジでなんなんだここぉおおーーー!!?」
「うっさい!」
「あべっ」



 あまりにも非常識すぎる空間に絶叫する俺を、アリサがどこからともなく取りだしたハリセンでしばき倒してきた。うむ、実に予想通りの良い突っ込みである。おかげで幾分か落ち着きを取り戻す事が出来た。
 そんな俺とアリサのやり取りを苦笑いで眺めるみなさん。特に、リンディと名乗った女性の傍らに正座している真っ黒な少年の視線が氷のように冷たいんですがどうしませう。
 


「す、すみません。このバカったらもうホント礼儀ってものと無縁で……」
「あらあら、いいのよ気にしなくて。大変な目に遭ったのにも関わらず、元気なようで何よりですもの」



 そしてなんでお前は俺の母親かのような弁明をしてらっしゃるんでしょうかねアリサさん?
 無論、心の中での俺の呟きなど全力でスルーなのだが。



「えと……本当に申し訳ありません。私、アリサ・バニングスって言います」
「ご丁寧にどうも。よろしくね、アリサさん」
「はい!……っていうかほら、なのはにすずかも! きちんと挨拶しなさいよ!」
「ふぇ!? え、えと―――た、高町なのは、9歳です! 私立聖祥大付属小学校の三年生です!」
「初めまして、月村すずかです」
「みんなとは同じ学校のクラスメイトで……あ、この隣のバカは本田時彦です。バカなことしかしないんで基本的に無視して下さると助かります」
「俺だけ酷い扱い!?」
「はい、初めまして。ふふ、みなさん仲がいいのねぇ♪」



 あらあらまぁまぁと言わんばかりに、蕩けるような微笑みを浮かべるリンディさん。……あれ、この雰囲気どっかで見たぞ?
 そんな俺の疑念など余所に、というより俺と言う存在そのものを置き去りにして話は進んでいく。
 ちなみに、今ちらっとリンディさんが自分の急須に角砂糖十個近くをぶっこんだのは見なかったことにしておく。きっとあれは、緑色をした紅茶かなにかなんだろう。抹茶なんかじゃない。断じてない。あってたまるか。



「大したものは用意できませんけれど、とりあえずお飲物とお茶菓子を用意しました。遠慮せずに食べて頂戴ね」
「あ、はい! すみません、ありがとうございます」
「ふふ、そんなに肩に力を入れなくても大丈夫よ。もっと楽にしてくれて構いませんわ」



 リンディさんの言葉に、アリサとなのはは困ったように顔を見合わせる。恐らく、言われた通り肩の力を抜くべきかどうか迷っているのだろう。
 一方、我が女神ことすずかちゃんは、実に超然としていた。
 アリサもアリサでこういう場に慣れているのがわかるが、すずかちゃんはある意味で別格である。リンディさんの言葉を受けてもまるで動じていないし、ここに招かれるまでの間、ずっと表情を硬くして周囲を観察しているようだった。
 ……さすが俺の女神! その歳不相応な冷静さが頼もしいと同時に痺れるっ、憧れるぅっ!
 まぁ、端的な話、見ず知らずの異星人の方々に出会ってすぐ本音をさらけ出せるかと言うと、俺も微妙なところなんですけどね。
 特に――――、



「艦長。彼らは客人であると同時に重要参考人です。その事を忘れないでください」



 この、いかにも委員長系のむっつりヤロウのせいでな!
 リンディさんの隣に正座している、全身黒ずくめの少年、名をクロノ・ハラオウンと言う。
 なんでも、リンディさんと同じようにこの宇宙船所属の執務官(?)とやららしく、先の家庭訪問からの帰り、俺達をここまで連行してきたのも彼だった。
 黙ってると少女のように端整な顔立ちではあるが、しかしそれはむすっとした常時不機嫌そうな顔で常時そげぶ。おまけに全身から発せられる〝エリート系〟の雰囲気が相まって、まさに〝堅物〟とうい言葉がふさわしい印象を覚えてしまう。それに加えて、こやつの態度が俺達に対してとても友好的なモノとは思えないのが、俺がこの人に友好的感情を覚えられない最大の理由だった。
 ……いや、いじったらすげぇ面白そうなんだけどね?
 


「もう、ダメよクロノ執務官。彼女達は現地での協力者でもあるって、ユーノ君が言っていたでしょう? いわば私達にとっての客人なのだから、そのあたりをきちんと気遣ってあげないと」
「規則ですから」



 つん、と味もそっけもなく良い捨てるクロノ執務官殿。
 事実、態度も言葉遣いも〝堅物〟にふさわしいソレである。まさに典型的な面白味の〝お〟の字もないヤツだ。
 アリサもそれなりに委員長気質で煩いところがあるが、それでもこれに比べたら全然気が利く方だろう。
 正直、仲良くなれるか自信がない。こう、少年漫画によくある良識派なポジションの友人みたいな感じがしてどうも馴染めん。
 ……悪い奴じゃ、なさそうなんだけどな。
 ま、別に無理に友達になる必要はないだろうし、気にする必要はないか。
 


「もう。ごめんなさいね、みなさん。クロノったら、少し融通が利かないところがあって……」
「艦長!」
「はいはい」



 それにしても、ふと思ったんだがこの二人、名前が一緒だよな?
 もしかして……姉弟?
 いや、リンディさんはどう見繕っても二十代半ば前後だし、こっちのチビスケもといクロノとやらは、少なくとも俺らよりタメか歳上、それでも中学生ではないくらいだろう。
 だとすれば、ギリギリ親子ということもあり得なくはないが――――そうそう何件も例外である高町家のような事例があってたまるものか。きっと、姉弟かなにかなんだろう。
 ちなみに、桃子さんの若々しさは海鳴七つの謎の一つとして数えられていたりする。主に喫茶翠屋の常連様方での間で。(美由希さん談)
 しかし、一端気になるとそれを止めるのは非常に難しい。俺の性分が〝気が済むまでとことんやりこむ〟というものでもあるせいか、こう、喉の奥に魚の小骨がひっかかったような苛立ちが残ってしまうのだった。
 ……別に聞いちゃいけない質問ってわけでもないだろうしな。名前が同じ、っていうのはみんなも気になってるだろうし。
 うんうん、別に問題ないない。
 そんな風に自分への自己弁護と予防線をしっかり張った俺は、相も変わらず何が楽しいのか、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべているリンディさんへと思いきって尋ねることにした。



「あの、つかぬ事をお伺いしますが……」
「はい、なにかしら?」
「お二人は……姉弟、だったりしちゃったりするんでしょーか?」
「ぶっ―――!?」
「……あらまぁ」



 何故か隣のクロスケが、飲んでいたお茶を勢いよく噴き出していた。
 リンディさんはリンディさんで、片手を頬に当てて「あらあら、そう見えちゃう?」と、ただでさえ楽しそうなのに、さらに嬉しそうに頬を緩めて見せた。
 ……はて。俺はナニかおかしいことでも聞いたのだろうか?
 そう思って隣のアリサ達を見るも、みんなして首を横に振り振り。つまり「私たちにもわかんない」だ。
 そんな風に呆気に取られていると、咽ていたクロスケが、トントンと胸を叩きつつ、吹き零したお茶を布巾で拭いながら言った。



「姉弟ではない! 僕と艦長は――――」
「そうだ、今度一緒にお買い物行きましょうかクロノ。〝おねーさん〟は、久々にクラナガンのガーデンホールあたりに行ってみたいのだけれど♪」
「艦長も悪乗りしないでください! そもそも、艦長は母さんでしょう!」
「……なん……だと……ッ!?」



 顔を真っ赤にして怒鳴り散らすようにしてカミングアウトされるハラオウン家族の真実!
 あいた口がふさがらないとは、まさにこの事。アリサや高町は言うに及ばず、すずかちゃんですらも目をまん丸にして驚いていた。いや、誰だって驚くって。なんだよ外見年齢二十代前半で子持ちのおかーさまって。どこの桃子さんだ。



「やぁねぇクロノったら。別に家族なのには変わりないのだからいいじゃない」
「そういう問題じゃありません。ていうか、そろそろ彼らにも事情を説明しないと」
「もう。そんな所だけお父さんそっくりに育っちゃって。ダメよ、若い頃から規則規則って硬い事ばっかり言ってちゃ」
「艦長が緩すぎるんです!」



 そして繰り広げられるハラオウン親子のショートコント。
 ……あれ、おかしいな?
 俺、確かどこかでこれと似たようなやり取りを見たような気が……気のせいだな、うん。そうに違いない。夫婦そろって大学生になり済まそうとして息子に怒られてたどこぞの喫茶店のオーナー夫婦のことなんて気のせいだ。
 そんな感じに、暫くの間なんとも緊張感を欠くようなハラオウン親子のショートコントでほっこりさせてもらった次第である。
 


「……こほん。余計な脱線があったが、話を戻そう」
「あ、はい」



 澄まし顔のクロノなんちゃら君ではあるが、母親様のリンディさんに散々いじりからかわれたせいで頬が若干赤くなってるあたり、なんていうか憎めないキャラだな、と思ってしまう。ていうかやっぱりいじられキャラなんだな。ひこちん、覚えた。
 同時に、それまで漂っていた和やかな雰囲気は、いつの間にか雲散霧消していた。 
 リンディさんは相変わらずにこにこと人が良さそうに微笑んではいるが、しかしそれは、いわゆる〝食えない〟類の大人の笑みだ。隣に座るクロちーは言うまでもなく仏頂面だ。さすがにこれからは、場の雰囲気をぶち壊すような冗談を言えるような状況ではなくなったことを理解する。
 それとなく視線を横にずらしてみれば、すずかちゃん達も同じように神妙な表情で二人の話に聞き入っていた。

 


「まずは、救援要請があったにも関わらず、こうして到着する事が遅れてしまい申し訳なかった」
「道中、予想外のトラブルが立て続けに起こってしまったの。本当に申し訳ないわ」
「ともあれ、遺失物捜索依頼は本局からきちんと受けている。ソレに関して、まずは現地の人間にもかかわらず、古代遺失物/ロストロギアの捜索に当たってくれたことは、感謝する」
「いえ、そんな! わたし達はただ、ユーノ君のお手伝いをしただけですから!」
「高町なのは、だったか。主に封印を担当してくれたと聞いている。初めて魔法に触れたにもかかわらず、それだけできれば上出来さ」
「え、えと……にゃはは」
「すげぇ……高町が褒められてる」
「むっ、ほんだくん、それどーゆー意味かな?!」
「アンタは一々変な茶々入れないのっ」
「ごふっ!?」



 高町が手放しで褒められるところなど、学校ではついぞ見たことがなかっただけに素直な感想を言ったつもりが、怒れるパツ金ゴリラの逆鱗に触れてしまったらしい。実にキレのいい、正座状態からのレバーブローが決まり、俺はそれまでの激痛も合わせて割と本気で涙目になった。
 教訓。しばらくお口にチャックします。



「あの、それで話と言うのは……」
「あぁ、そうだったな」



 しかし、そんな俺の決断も一瞬の儚い夢でした。
 俺とアリサのショートコントを華麗にスルーしてみせたのは、それまでむすっ、と珍しくも黙りこくっていたすずかちゃんだった。
 高町やアリサもそれなりに綺麗な姿勢ではあるが、しかしすずかちゃんのそれは別格だ。
 綺麗に伸びた背筋。きゅっとひかれた口元に、これ以上ないくらいに美しい配置の手と足。なにかの御手本と称することすらおこがましいまでに、その正座は美しかった。あぁやばい、できればこの姿を写真に収めたい……永遠のメモリーにっ、俺の脳内だけではない、ナニか形に残る記録として……ッ!
 そんな風に俺が頭の中で純情極まりない恋情を募らせている間にも、すずかちゃんはクロちーに劣らぬ真剣な表情で、ハラオウン親子を見つめる。
 一瞬、何でそんなに警戒しているんだろう、と不思議に思うが、しかしその疑問は、それまで無様な姿を見せてしまったのを仕切りなおすためなのか、一気に湯呑に入っていた飲み物を飲み干した後、世間話でもするかのようにクロちーがサラリと言ってのけた発言によって、すぽーんとホームランされてしまった。



「話と言うのは他でもない。このままでは、君達の世界が消滅するかもしれない、ということだ」
「「――――な、なんだってぇええええええ!!?」」


 
  異質な日本庭園風の空間の中に、俺とアリサのM○Rな絶叫が響き渡ったのだった。











                           俺はすずかちゃんが好きだ!










 宇宙船と言えば、男のロマンである。
 SFの類には大抵出てくるし、今となってはハリウッド映画で宇宙船関連がでてこないSF映画の方が少ないくらいだ。アニメや漫画、ゲームでは言わずもがな。特に某五つの星の物語の戦艦なんかは、見てるだけでよだれが出てくる。
 そんな俺の些細な趣味は置いとくとして。
 もしも将来、宇宙船なるものが建造されて星の海を漂う事となったとしよう。そして自分はそこに乗り込んでいる。
 そんな状況に逢った時、まず俺だったら何をするか、というと―――。



「くそう……まさか初手からその行動プランを潰されるとは。予想外すぎる……ッ!」



 目の前には、まるで鎧戸のようなシャッターが降り切った壁、もとい窓。
 本来ならば、どこぞの展望台のように外が見通せるはずのソレは、今はとある理由によって厳重に蓋をされてしまっているのだった。
 宇宙船に乗ったら普通、窓から星の海を眺めるのが常道だろーが!
 んでもって感動に浸りながら「……星の海だ」なんて呟くのがオツってもんでしょーねぇ!?
 ガガーリンだって窓から地球見て感動したんだぞ!?
 ちくしょう、その感動を俺に味あわせないだなんて、こんなの横暴だいっ!



「だからって子供みたいに地団太踏むのやめなよ、時彦」
「うっせー! お前に俺の気持ちがわかってたまるかこの裏切り者系ボクっ娘が!」
「人が気にしてる事をホント平気で抉るよね君は!?」



 隣に立っているのは、見た目だけでいえばショートヘアの美少女に見えなくもない野郎だった。
 アリサ並みにサラサラ流れるパツ金。宝石のようにきれいなエメラルドの瞳。そして、どこか民族的な雰囲気を醸し出している衣装を纏っており、ぱっと見はどこかの部族からやってきた少年だ。
 ……何を隠そう、この美少女じみた美少年、実はユーノだったりする。あのフェレットの。
 あのお城から逃げ出す時に使った魔法が負担となって疲労困憊に陥っていたユーノは、俺達が艦長と話している間に医務室で休んでいたらしい。そして、つい今しがたこうして再会した次第なのだが……。



「てっきり……てっきり俺は、古き良き魔法少女のマスコットアニマルかと思っていたのに……いたのにっ! よりにもよって野郎かよ! 俺の夢を返せ!」
「何でそんな理不尽な理由で逆切れされなきゃならないのさ!?」
「やかましゃぁ! しかも女と間違えても可笑しくないイケメンだと? 貴様なぞいっそチ○コがもげてしまえばいいんだッ!」
「なんてこというんだよ! それに、そもそもマスコットアニマルって……」
「いや普通誰でもそう思うって。まぁ、俺は高町にゃさらっさら興味ないんでどうでもいいんだけどさ」
「どうでもいいならなんで…………はぁ、相変わらず君と話してると、根こそぎ気力を削り取られる」
「やだなー、そんな褒められたら俺っち調子にのっちゃうぜ? 天狗になっちゃうぜ?」
「毎度のことだけど、褒めてないから」



 ここ数週間を経て、俺とユーノの関係がどう発展したかと言えば、まさに今の会話に集約されると言って良い。
 歯に衣着せぬやり取りと言うか、お互いに正直過ぎると言うか。
 お互い、周りに女子ばっかりという肩身の狭い思いをしているためでもあるかもしれない。そんなマイノリティ同士なら、自然とつるむことも多くなるってもので。いや俺は今秘かに女体化してるんでアレなんだがな。
 まぁ、そんな感じなものだから、自ずと会話の流れも決まった方向へと流れるのだった。



「しっかし、次元世界のお巡りさん、ねぇ~」
「管理局の次元航行部は特に、次元災害や犯罪に対するプロだからね。任せておいて問題はないよ」
「ふーん……にしても、やけにあっさり諦めるな。あんだけ自分の責任だ、って言い張ってたのに」
「勿論、今でもそれは変わってないよ。ただ、これ以上僕が意地を張り続けてみんなを危険に巻き込むわけにはいかないだろ」
「……次元断層、ね」
「それも三回も、だ。普通に考えたら、これは世界崩壊の予兆と取られてもおかしくないレベルだよ」



 お互い、ビニールなのかプラスチックなのか、材質がいまいちわからない欄干に上半身ごとぐてーっと乗りかかる。
 いまいち俺にはピンとこない話だが、なんでも、俺達が今まで集め回っていたジュエルシードさん――――実は見た目以上にとんでもないことを裏の方でやらかしてくれちゃっていたらしい。

 宇宙がなんなのか、という定義はめんどくさいので省くにしても、この広大で雄大で広さを想像することすら馬鹿馬鹿しい宇宙の中に、一つ面白いモノがある。ブラックホールだ。

 超新星爆発と呼ばれる星の死の後、あるいは超重力により大きな質量やガス雲が中心部に引きこまれるなどすることで生まれる現象の一つで、誰もが知っているように、それはあらゆるものを選択の余地なく吸い込んでいく。
 そして、先程ヘンテコ極まりない和風ちっくな部屋でクロちーに聞かされた次元断層、あるいは次元震と呼ばれる現象は、危険度に関して言うならば、このブラックホールが子供の悪戯レベルで片づけられるほど洒落にならん〝災害〟なのだという。
 詳しい話を聞いてて思ったのは、よくもまぁアンタらはそんな危険極まりないモンを前にして〝止めてやらぁ!〟という気になるな、という感心と呆れの半々だった。

 だってアレだぜ?

 ブラックホールは放置してても、ぶっちゃけ近づかなきゃなんともない。せいぜいが近くにあるものを片っ端から吸い込む大食漢ってだけだ。
 ソレに比べて次元震とやらは、近づく近づかない云々以前に、それが発生するだけで世界が〝崩壊〟しかねない、文字通りの〝終焉のラッパ〟なのだ。

 ブラックホールは、ただ吸い込むだけ。
 次元震は、世界そのものに罅を入れる。

 ……こうしてシンプルに並べてみるだけでも、危険度の度合いがまるで違う。
 っていうか罅かよ!? 地震とかそういうのじゃなくて罅いれるのかよっ!?
 単純に考えても、世界と言う器に罅を入れるってのがどれだけすさまじいことか、俺の脳味噌様でも簡単に理解できる。そして、罅を入れられた容器がたどる末路も、だ。
 ただ、次元〝震〟という名前が付いているだけに、その規模にも大小があるらしく、不幸中の幸いで俺達の世界で起きていたと思われる三回の次元震は、やや中規模ながらも世界崩壊を導く程のものではなかったらしい。
 それでも、次元震は次元震だ。仮に、また俺達の世界でそれが起こった場合、次も無事であると言う保証はどこにもないわけである。
 そしてこれが一番重要なんだが……。



「一度目は、アリサが別世界のアリサと入れ替わった時」
「二度目は、月村さん姉妹が入れ替わった時」
「そして三度目が――――」
「もう一度、月村さん姉妹を元に戻した時、だね」
「……はぁ。俺、なーんとなく嫌なことに気付いたぞ」
「奇遇だね、僕もだよ」



 つまり、だ。今挙げた三件に共通する事。
 ジュエルシードの事件?
 いやそんなんはわかりきってるんだ。俺らの周りで非常識な事なんてそれしかなかったんだし。
 重要なのは、何故その三件と次元震とやらが被ってしまっているのか、ってこと。別に他の事件でもいいんじゃねぇの?っていう疑問。
 例えばプールでの出来事。あるいは学校での怪談。他にも何件かジュエルシードが発動しているはずなのに、何故タイミング的にはさっき挙げた事件だったのか。
 


「いずれも、〝誰かと誰かが入れ替わった〟事件だね」
「より正確に言えば、〝別世界の同じ人間と入れ替わった〟だな」
「そう考えれば、次元震が起きたのも納得がいく。なにせ別世界との隔たりを無理矢理こじ開けたようなものなんだから」
「あぁ……考えてみりゃ、とんでもねぇ話だ」



 ユーノの言葉に、俺は心底気だるく頷いて見せる。厄介極まりない事に、それが今後起こり得ないという保証はどこにもないのだ。
 ただ、気だるい理由は別にある。
 ……多分ユーノも他のみんなも気づいてないんだろうが、最後の三度目は、間違いなく俺が原因だ。
 なんでか?
 決まってる。



――――その三度目の後に性別入れ替わってんだよ、今の俺はっ!!



 ちくしょう、なんだこれ! なんだこれ!!
 アレか、神様ってやつはそんなに俺をいじめるのが楽しいってか。世界を滅ぼし掛けた災害を引き起こした原因の一つとか、かなり洒落にならないジョークだぞおい!?
 うぁああ……しかも、ただでさえややこしい事になってんのに、ここにきて〝未解決〟の案件が残ってるなんて言えるはずないじゃんか……!
 あの時、発動したジュエルシードは高町が間違いなく封印してただろうし、元に戻ろうにも、〝次元震〟などという危険極まりない現象が起きると聞かされた以上、まさかもう一回同じこと(未封印のジュエルシードを使ったアレ)をするなんて危ない真似できん。
 仮にやらせてもらったとして、それで世界が滅んじゃったら笑い話どころの騒ぎじゃない。「性別戻そうとしたら、世界が崩壊しちゃいました♪」とかブラック通り越してダークだろぉがオイ……ッ!



「どうかした、時彦? なんか、汗すごいよ?」
「う、うぇぁ!? い、いやいや、なな、なんでもないでごんしたりちゃったりですますよ!?」
「……いや、全然大丈夫そうに見えないんだけど」
「せ、せせせからしかぁっ!」



 じとー、っと。粘着質な感じにじとじとーっとユーノに睨まれる俺。
 いかん、お子様生活が長すぎた所為で、前世お得意のポーカーフェイスができなくなっている……だと!?
 このままでは俺の秘密が……マイサンが次元埋葬されてしまったことがばれてしまう……!
 だがしかし、このまま黙っているわけには…………それとも、ここは逆の発想でいっそのこと、さっさと打ち明けてジュエルシード使って治してもらうか?
 ……いぃやいやいやいや!!
 何言ってやがる。んなアホなこと出来るはずがないでしょ!?
 仮にそんなことやらかして、運悪く「てへっ♪ 性別直したら世界が崩壊しちゃった♪」なんてことになろうものなら、もはや土下座で済むレベルじゃないのだ。いかな俺様といえど、自分の性別と世界の命運を天秤にかけるようなクソ度胸とずうずうしさは持ち合わせていない。
 ……やっぱり、ここは黙っとこう、うん!



「まぁ、聞いても無駄だろうけどね。君はいっつも大切な事は秘密にするし」
「あ、あっはっはっは! なーんだよくわかってんじゃねーか! なに心配すんな大したことじゃねーしそんな気にする程の事でもないかんよ!」
「……いきなりテンション高くなったのが物凄く怪しいんだけど」
「そ、それより! 月村さん達ずいぶん遅いな! 身体検査ってこんなに時間がかかるもんなのか?」



 相変わらず疑わし気に俺を見据えるユーノから、必死に話題を逸らすべく苦し紛れの話題変更を試みる。
 運が良いと言うのはアレだが、今現在すずかちゃん達女子組は、艦長様のお話が終わった後、今までジュエルシードと関わった事で何か身体的に異常がないか、といった諸々の理由のために検査を受けている。話題変更の種としては願ってもない話題だ。
 あぁ、こんな状況においても俺に救いの手を差し伸べてくれるすずかちゃんマジ天使!
 ちなみに、俺とユーノはというと、ユーノは先程医務室で昏倒している間に既に済ませ、俺は女子組が終わってから、という話になっている。
 本当は意地でも断るべきなんだろうけど、それじゃみんなに怪しまれちゃうからな。それに、俺の体が女だっていう件については〝自分はこう見えて女なんです〟ってことで押し通す&〝あまり性別について言われるの、好きじゃないので……〟のダブルコンボ作戦で、この宇宙船の人達に黙っててもらえば大丈夫だろう。
 楽観的と言えば楽観的だが、まぁどうせ彼等とは今回限りの付き合いだ。今この瞬間だけ死ぬ気で誤魔化せば大丈夫だろ。



「多分、なのはの方が検査に時間かかってるんだと思う。魔法が無い世界の現地人でありながら、Aランク相当の魔力を持ってるし、今までの戦闘で受けた体の方の影響とか、色々検査しておかないといけないからね。月村さんやアリサも、ジュエルシードの影響を直に受けてたから、きちんと見ておかないと」
「なるほどね…………あ、ちょっと聞きたいんだけど、その魔力のランクってのは何段階なわけ?」
「概ねF~Sの間だよ。ただ、Aのランクだけ、A~AAAの三段階に細かく分けられてるんだ。付け加えて言うなら、ランクも純粋な魔力のランクと、魔導師としてのランクの二種類がある。なのはは多分……魔導師ランクもAランクくらいじゃないかな」
「なんだ、それって強いってことなのか?」
「あのフェイトって子、僕から見ても間違いなく魔導師ランクはAオーバーだった。そして、なのははそんな彼女と互角に戦えていた、って言えばわかる?」
「なるほど。すげぇよくわかる」



 ド素人の俺でも、フェイトの奴がクソ強いってのはよくわかるしな。
 しかし高町でAか……鬼ー様だったら果たしてどの程度なのやら、怖いもの見たさな興味は尽きない。絶対に聞いたりしないけどな!



「ちなみに、Aランク以上の魔導師は管理局でも数が少ないんだ。きっと、あの艦長からしてみれば、なのはは数万……いや、数十万や百万人に一人の逸材だね」
「……え、何それ。もしかしなくとも、それって高町のバカが魔法の分野に関してならば超天才って意味?」
「そういうこと。なのはは、まぎれもなく魔法の天才だよ」



 まぁ……薄々とわかってはいたことだった。
 最近、高町の奴はアリサ達のアドバイスもあって、どうも実家の方で簡単な稽古を付けてもらい始めたらしいが、それを考えたってフェイトに肉薄できるレベルにまで強くなっているのにはびっくりしたものだ。
 ここ数週間、アイツってばギリギリの勉強時間以外、全てを魔法の練習に費やしてたみたいだしなぁ。なんとなくだけど、前よりかは体育でのドジも少なくなった気がする。
 相変わらず漢字とか社会とかはダメダメなんだが、理数系は何時も通りに完璧で、体育もそこそこできるようになってきたとなれば、ヤツの努力を認めないわけにもいかないか。

 一方で、フェイトの方も気がかりと言えば気がかりだ。
 俺達と同い年にもかかわらず、アイツは言うまでもなく闘う事が得意に見えた。いや、得意と言うよりか〝慣れてる〟って感じか。
 アレは間違いなく〝そういうこと〟を訓練してきた動きで、高町のようなどこかに感じられるぎこちなさや戸惑いといった迷いが何もない。
 どう考えたって一朝一夕に身につくようなもんでもないし、そしてソレをやらせたのが誰であるかなんて考えるまでもない。つーか状況的に明らかだろ。ホント、フェイトの奴もあんなの親に持って不憫極まりねぇよな。シルフィもだけどさ。
 そうやってフェイトとちょっぴりだけマイラバーの事を考え出したら、どうしても最後に見たフェイトの姿が脳内でアホみたいな勢いでフラッシュバックを繰り返した。
 さらに言えば、その姿は俺の記憶の奥にある、マイラバーの最後の姿とも重なる。
 結局今こうしておっ死んで転生なんていう愉快な経験をしている以上、その後のアイツがどうなったかは俺に知る術がない。だからこそ、この世界でも同じようなことをやらかしたフェイトの奴が、心配でたまらないのかもしれないな。
 


「……大丈夫かな、フェイトの奴」



 思わず口を吐いて出たその言葉は、でも確かに今の俺の本音でもあった。
 姿形が似てるだけでここまで入れ込むのはどうなんだろう、と思わなくもないが、しかしソレは悩むだけ無駄なんじゃないかなとも思う。
 人間、誰もかれもが悟りの境地に至れるもんでも無し、特に自分にとって大切な人の姿をした誰かがいたならば、無意識にでもその人に優しくしたり、出来る限り力になってやりたい、って思うもんだろう。
 それに、今回はアイツに迷惑かける形になっちゃったからなぁ……狼のねーちゃん、すげーキレてたし。



「どうだろう……あの使い魔の様子を見る限りじゃ、親子間の関係は随分悪そうだったからね……」
「……最悪だよ。俺の知ってる限りじゃな」
「え? 何か言った?」
「んにゃ。俺もよくわからん、ってだけ」
「そっか」



 どう考えたって、あの鬼婆がフェイトに優しくしてるなんてあり得るはずがない。
 仮にこの世界のフェイトと〝前世〟のシルフィが同じ立ち位置だとして、あの大広間で見た鬼婆のフェイトに対する扱いを見た限りじゃ、二人の親子関係はおおよそ似たり寄ったりに違いないからだ。なにより、俺の中であの婆がフェイトに――――シルフィに優しくする絵面が想像できない。それくらい、〝前世〟ではシルフィとあの婆様の親子関係は冷え込んでいた。
 ……でも、ここでそんなことを気にしても、どうにもならないのも事実なんだよな。
 心配な事は心配だが、かといって俺に何が出来る?
 冷静に考えてみればみるほど、自分の無力さ加減に苛立ちが募るばかりだ。
 まさか前世の時みたいに、あいつを無理矢理連れて駆け落ちなんて無理だし、あの鬼おばばを説得するなんて夢物語もいいところ。
 一人の友人として、なにより個人的なエゴで、アイツをあんな状況から助け出してやりたいことには変わりない。だが、その手段が俺にはどうしても思いつかなかった。
 シルフィの時も、それはスマートな解決手段とは言えるものじゃなかったし――――なんせ駆け落ちじみた同棲だったからな。とてもじゃないが、褒められたやり方じゃぁなかった。それでも、お互い最後まで幸せに過ごせたんだから、まぁ幸運だったと言えば幸運だったのだろう。
 だが、それをこの世界でフェイトに強要するのはどうなんだろう?
 果たしてそれは、本当にアイツの心を救う事になるのか?
 少なくともあの時、シルフィは若干悲しそうに笑いながらも〝救われた〟と言ってくれた。大嫌いな母から逃げ出させてくれて、こうして自分を連れ出してくれてありがとうと言ってくれた。
 ……今回、またそれと同じ事ができるのか、俺は?
 何より、その時俺はシルフィが好きだった。誰よりも。何よりも。だからこそできた無茶だったし、後悔もなかった。
 でも今は違う。今の俺は、はっきり言ってしまえばすずかちゃんの方が好きだ。
 シルフィが大切な人間だと言う事には変わりはない。だが何故だろう。悲しい事に、すずかちゃんとどっちが好きかと言われてしまえば、俺は大いに悩んだ後、それでもすずかちゃんを選ぶと言う確信がある。
 勿論、それは今この状況下で、という前提条件があってこそ成り立つ話だ。
 仮にシルフィとすずかちゃん、両者がこの世界に生きていたとして、そのどちらを選ぶ?なんて聞かれたら、俺はたとえアリサの奴に殺劇十連コンボを叩きこまれようが結論を出せないままだろう。えばって言う事じゃないけどさ。
 ともかく、今の俺は大いに悩みまくってるわけです。超絶コダック状態なわけです。いけね、知恵熱でそう……。
 どうしても恋愛感情と一緒くたにして物事を考えてしまうのは、この少年ボディのせいなのだろうか。それとも俺の性格的な問題なのか。どちらにしても、大人のようなドライな考え方が出来ないのはゆゆしき問題だよな……前世だったらもっとこう、シビアな考え方ができてたと思うんだが。

 それからも、俺はずっと頭の中でフェイトをどう助けるか、そして助けるにしてもその手段をどうするか、そもそもフェイトとすずかちゃんどちらが大切なのか。いやすずかちゃんが一番なのは代わりのない結論なんだけど、しかしならばなんでこんなにも今フェイトの事がきにかかるんだとか、そんな堂々巡りな疑問をぐるぐるさせながら、ユーノと一緒になってぼんやりしていた。

 ――――結局、クロちーが検査の番だと俺を呼びに来ても、結論は出ることが無かった。











 結果だけを言うならば、検査における性別バレはどうにかなった。やはり〝ボク、実は女の子なんですけどそれに触れられるの嫌いなんです!〟作戦は偉大だった、とだけ言っておこう。
 本音?
 無論のこと〝お人好しとかマジチョロい〟にきまってるじゃないか!
 ……………………若干の罪悪感を感じておりますので少々お待ち下さい。
 あぁ、そう言えばなんか、検査が終わってから〝君にも微かに魔力反応がある〟とかなんとか言われてたような……間違いなくジュエルシードの呪いの所為です。本当にありがとうございました。無論、その場では必死に誤魔化し通したけどな!

 俺達全員の検査が終わった後、俺達は簡単な今後の予定を説明されてから各々の家へと帰宅させられた。
 まぁ、早い話が「こんな危ない事は以後私達に任せてください」という話である。
 勿論、それに納得がいく俺達ではない。特に、高町なんかは声にこそ出さなかったものの、視線で猛反対していたくらいだし、俺も俺でさすがにここまで来て全てを他者に丸投げと言うのは気分的によろしくないことだったので、思わず某弁護士の如く「異議あり!」と申し立てをした次第である。
 おかげで「それじゃ、みなさんのご協力については、また明日改めて話し合いましょう」という結論の先延ばしに成功。明日の放課後にもう一度あの宇宙船にいけることになったとさ。やっほい!
 そんなわけで、あれからみんなと解散した俺は、まだちりちりと痛む体をぐるぐるとほぐしつつ、家へと向かう帰路についていた。
 まだねーちゃんに噛まれた首筋がひりひりするし、あちこち打ちつけた所は打撲した時のような鈍い痛みを訴えている。一番わかりやすく例えるなら、友達と大げんかやらかした翌日みたいな感じだ。あぁくそぅ、この鈍痛が鬱陶しいったらないんだぜ……。



「痛つ……くっそー、さすがにお伽噺の魔法みたいに全回復とはいかねぇか」



 とぼとぼ、一人さびしく家路に着く中、首筋の噛み傷をさする。穴こそふさがったものの、妙にそこにだけ痛みが残っているのがなんとも奇妙だ。
 これがゲームとかだったら、魔法一発で体力満タンまで完治したんだろうなぁ。ま、世の中そんな甘くないってことでしょう。
 ともあれ、ようやく激動の一日も終わりだ。
 視線を上げて空を見れば、西の空が綺麗なオレンジ色に染まっていた。
 感覚的には、一週間くらいは寝ないで過ごした感じがする。
 ……ホントに色々あったもんだ。
 まず、すずかちゃんの血酔い(?)から始まって、学校早退からのフェイトとの再会、すずかちゃんの御見舞に風雲テスタロッサ城ときて、最後に異星人の宇宙船と、まさにイベント目白押しな一日だった。軽く一週間分の激動を体験したと言っても良いね。
 前世でもそれなりに色んな事に巻き込まれたものだが、しかし今世は群を抜いている。何が原因なのかは知らんが、よくよくトラブルエンカウンターな体質が継承されたものだ。ていうかむしろクラスアップしてる感がしなくもない。
 ただ、これがどこぞのそげぶなお方だったら「不幸だ!」と頭を抱えてしまうのかもしれないが、俺からしてみればむしろ幸福と呼んでいい状況にあると思う。
 なにせ、前世で一通り一般的な人生と言うものは歩んできたものだから、それを今世でもう一度繰り返せと言うのは……ねぇ?
 さすがに同じゲームの内容をまったく同じようにプレイしなおせ、と言われたら誰だって苦痛に思うだろ。それがさして名作と呼べるようなゲームでもなく、一度クリアしたらそれで飽きてしまうような中身であれば、なおさらのことだ。不謹慎と思われるかもしれないが、二回も人生をやってるとそういう考え方をしてしまうんだ。
 そう言う意味で、今世の慌ただしい毎日はそれなりに楽しいと言える。
 ……さすがに今回のような、命に関わる事件ばかりが続くのは考えものだけどな。
 ま、なにはともあれ、ジュエルシードも残り半分ちょい。
 21個中6個は高町が確保済み。そして恐らく、フェイトは5個くらい集めているはずだ。
 残り10個がどこにあるかが問題だが、この調子だとあと一週間もかからないで集め終わってしまいそうな気もする。単純に時空管理局という専門家が現れたことだし、今までのような運よく見つけては封印、みたいな行き当たりばったりなことにはなりにくいはずだ。
 それに、そろそろテレビとかでも「突然頻発する謎の怪奇現象、海鳴に何が!?」とかいった見出しで特集が組まれ始めてるからなぁ。誤魔化すにしても無理が出てき始めたと思うし。
 ふと思ったんだが、そこら辺が今まであまり騒がれてなかったのは、もしや何かしらの情報操作があったってことなんだろうか?
 …………なんか背筋が嫌な感じに冷たくなったので、深く考えるのはよそう、うん。
 
 ともあれ、長かったジュエルシード事件も、もう終焉へと向かっていることが、素人の俺の肌でも感じ取れた。
 フェイトとあの婆の事は相変わらず気にはなるが、恐らく黙っていても向こうから俺にアクションをかけてくるはず。それがフェイトの意志にしろ婆の意志にしろ、少なくともあと一回――――チャンスがあるはずだ。
 大切なのは、そのたった一度のチャンスで、フェイトを助けられるかどうか。いや、それまでにどうしたら〝フェイトを助ける〟ことになるのかを、見つけること。
 


「……あぁ~、考えてみれば、ものすげぇ厄介事に首突っ込んじまったなぁ」



 それが迷惑だ、というわけじゃないが、大変なのは事実なので思わず愚痴っぽい独り言を零してしまう。
 なまじ、今回一番の大ボスが俺の一番苦手なプレシアという人間なのが問題だ。前世から苦手な人間が相手って、これもう嫌がらせを通り越して試練の域なんだけど――――、
 


「ぁわっ」
「……っと!」



 などと、益体もない考えごとをしながら歩いたせいだろうか。
 ちょうど十字路を曲がろうとしたところで、突然現れた何かとぶつかりかけてしまう。
 慌てて回避したのでぶつかることはなかったが、ちょっとびっくりした表紙に転びかけるが、そこは根性!
 崩れた姿勢を直してぶつかった相手を見れば、



「ご、ごめんなさい! お怪我はありませんか?」



 そこにはくりくりした大きな瞳と、バッテン型の髪留めが特徴的なショートボブが可愛い、俺と同い年くらいの少女が〝車椅子〟に座り、眉をハの字に曲げて申し訳なさそうに俺を見上げていた
 膝には暖かそうな膝掛けと、買い物帰りなのか、お約束的なフランスパンを覗かせたパンパンになった紙袋を抱え持っている。…………洒落じゃないよ?
 そんなくだらない思考から、彼女が車椅子で移動していると言う事実に、思わず思考が同情のベクトルへと傾きかけた。
 明らかに、見た目は俺と同い年か、それ以下だ。どう考えても中学生ということはないだろう。よっぽど特異な例外でもなければ、だが。
 そんな幼い身で 車椅子の行動を強いられていると言うのは、どれほど不便なことだろう。俺も一ヶ月くらい、ちょっとした理由で松葉杖にお世話になっていた時期があったが、松葉杖であのメンドくささだ。車椅子ともなれば、それこそ、その面倒くささは比べ物にならないに違いない。
 ただ、彼女がどういう理由で車椅子を使っているのかは知らないから、これ以上邪推するのは失礼ってもんか。
 いやそれ以前にまずは謝らないと。不注意だったのは間違いないし、この場合はむしろ俺が謝らないといけない立場だろう。
 なにより、じろじろ見るのも失礼かと思い、すぐに謝って立ち去ろうとしたのですがね。



「いえ、こっちこそ。よそ見しててすみ――――」
「この塵芥めが。うぬの目は何処に付いている!」
「――――ま?」


 
 何故か、車椅子の少女の後ろにいた、もう一人の少女にエライ剣幕で怒られてしまいました。
 …………ていうか、え、なに。今俺、塵芥とか言われた?
 険しい表情で俺を睨みつけているその少女は、恐らく、車椅子を押していたのだろう。両手は車椅子の取っ手に添えられており、取っ手に取りつけられたフックには、これまたパンパンに膨らんだ買い物帰りと思しきビニール袋がぶら下がっている。
 そして何より驚いたのは、その少女の顔立ちだった。
 ぱっと見だけでも、彼女が車椅子に座る少女と瓜二つだとわかるくらいそっくりで、違うのはせいぜいその髪の色程度でしかない。
 車椅子の少女が栗のような茶髪であるのに対し、車椅子を押す口の悪い少女は、毛先が黒く染まった銀髪という、ちょっぴりパンダちっくな髪だった。
 えーと…………もしかしなくとも、双子さんだったりするんだろうか?
 その割には、色んな意味でお互いに物凄い差があるように思うんですが。



「ぁわわ、ちょ、ちょー待ちぃおねぇ! 今のは明らかにおねぇが調子乗ってスピード出したからやろ!」
「ふん、知らぬわそんな些末な事。我は闇統べる王。その王たる我が何故自身の為すことに制約を課せられなければならん。王が為す事は全て正しく、であるからして我の為す事に何ら非は存在しない」
「うわぁい………」



 そして、〝おねぇ〟と呼ばれた双子の姉らしき少女は、滅茶苦茶〝アレ〟でアイタタタタな少女でした。
 つーか一人称〝我〟かよ! その歳で既に厨二病ですかよ! レベルが高すぎて俺にはついていけねぇええええええ!!!
 想像の斜め上をぶっ飛んでいく双子の少女達は、しかしあまりものインパクトの強さに呆然とする俺を放置して白熱したトークを繰り広げ始める。



「せやからいつも言うてるやろ! ここは天下の公道、おねぇの持ちモノでもなければ、そもそもからしておねぇは王でもなんでもない普通の女の子ですぅ! 一般常識と交通ルールは守りましょうって、何回言えばわかるんや!」
「碌に歩けもしない小虫がよく吠える。いや、吠えると言うよりは鳴く、だな。やれやれ、そんな小虫の面倒を見ている我の寛容さときたら、それこそまさに宇宙広し、闇深しといえども、史上空前と言って良い器の大きさであろう」
「……相変わらずの自画自賛っぷりやね。ていうか、その小虫ゆーの止めてって言うてるやろ! 私の名前言ってみぃ!」
「なんだ、小虫」
「ちゃうわーーー! は・や・て! 我儘放題傍若無人で常識知らずなおねぇを健気にフォローする可愛い妹、スーパープリティーシスターはやてちゃんですぅ!」



 ……すまん、訂正。やっぱり妹の方もそれはそれで〝アチャー〟なお方でした。



「……ふっ」
「あ、今鼻で笑たな? 思いっきり鼻で笑い飛ばしたやろ!? くっそー、そんなら今夜は、アスパラガスとピーマンをたっくさん使った煮っ転がしや。ついでにナスの酢漬けも加えたる!」
「なにっ……!? くっ、この小虫め、小癪な真似を!」
「…………」



 突然、第三者を完全に置いてけぼりにして始まった目の前のコントに、本田時彦さんは驚愕を禁じ得ません。体感的には時が止まった気分。
 喧喧囂囂、ぎゃーちくぱーちくと、完全に俺の存在を忘れて何やら口論を始めた双子の姉妹は、果たして俺と言う存在を認識して下さっているんでせうか。
 ……いや、しっかし見れば見るほど似ている二人だなぁ。一卵性にしたってここまでそっくりなものなんだろうか?
 今まで双子というものを生で見た事がない(マイラバーも双子だが、ヤツはちょっと例外)ので、秘かにヒコちん感動なう。
 かといって、いつまでもこのコントに付き合ってあげられるほど、俺はお人好しじゃありません。本音は早く帰って寝たいのです。滅茶苦茶疲れてあいむべりーたいあーど、なのです。
 てわけでソロソロ、抜き足差し足、こっそーりと「そ、それじゃ俺はこれで~……」とその場を立ち去ろうとした―――――のだが。



「待て、そこな塵芥」



 ばっちり目敏く見とがめられました。おうまいがっ!



「我と小虫に不敬を働いておきながら、よもやタダで返してもらえる等と思うておるま―――「はやてちゃーん、バックあたーっく!」―――ごふっ!?」



 しかし、どうやら妹さんはこの我様より遥かに常識人だったらしく、そんな不条理難癖をつけくる姉に、車椅子を器用に後退させてバックステップアタックを敢行しつつ、無理矢理その口を黙らせてしまった。
 ……な、なかなかにアクティビティなお方のご様子で。



「こーら、おねぇ? あまり人様を困らせるんやない。今回は私らかて悪いんやから」
「あー、いや、ぶつかったのは俺も悪かったし、それはホントに謝るよ。ゴメン。ただ、今少し急いでるからさ、もう行っても良いかな?」
「いえいえ! こちらこそホントにもうすみません。うちのおねぇが我儘なばっかりに……」
「あっはっはー、妹思いな面白いおねーさんじゃん。俺ぁアリだと思うね」
「ほんまですか? いやー、おねぇもそう言われて本望だと思いますわ」
「待て小虫、我は面白がられる事が本望などでは決して―――「さいれーんと!」―――うごっ!?」
「……えー、と。それじゃ、これからはお互いに交差点は気をつける、ってことで」
「あははー、そですねー」
「おう。そんじゃ」
「ええい、だから待てと言って―――「ろーりんばーっく!」―――ぬぅ、三度も同じ手を食らうと思うてか!」
「あかん、止められた! くぅ、こうなったらここは私が抑えます! せやから、おにーさんは今のうちに……ッ!」
「妹ちゃん……!」



 三度俺の逃走を阻もうとする唯我独尊銀髪我様の魔の手から、俺を救おうと身を呈する妹ちゃん!
 俺は……俺は今、その献身に死ぬほど感動しているッッ!!



「だが、そんなことをしたら君は!」
「ええんや……私にできるんはこれくらいやもん。おにーさんのためなら、この命なんて惜しくない!」
「ええい、邪魔をするな小虫! 貴様の狼藉はそこの虚け者を片づけてからじっくりと問い詰めてくれる!」
「はよ行って! 私がおねぇを抑えきれる今のうちに!」
「すまねぇ……すまねぇ妹ちゃん!」



 そして俺は走りだす。
 振り返る事はしない。絶対に振りかえったりしてはいけない。
 何故ならば、俺の逃走は彼女の犠牲あってこそのものだから。振り返ると言う事は、その犠牲を無駄にしてしまうということだから……ッ!
 俺は涙を飲んで走りだした。全力で、一目散に、割と大人げないくらいに本気で失礼な勢いで。
 途中、背後から「あ、こら塵芥~~! うぬは次見かけたら、火刑磔刑極刑のフルコーラスだからなぁああああ!!!」とか物凄く物騒な台詞が聞こえたが、それを無視してしゃにむに走った!



―――妹ちゃん…………俺は、君の笑顔を忘れないよ…………ッ!


 
 あふれ出る涙をこらえて、俺は妹ちゃんの優しい笑顔を脳裏に描きながら、心の中で固く近いながら帰宅するのであった。

 


 こうして、俺の長い激動の一日が終わる。
 すずかちゃんの容体の急変から始まった、このイベント目白押しであった一日は、嫌が応にも事の終わりが近づいている事を示唆しているように感じられた。
 そして、帰り際に出会ったあのヘンテコ双子姉妹。
 俺はこの時、ついぞ想像することなんてできなかった。
 このヘンテコ双子姉妹との出会いが、まさか今回の事件をよりややこしくさせてしまう原因であったなどとは。
 誰にも……そう、ユーノやなのはどころか、あのクロちー達ですらも、想像することなんてできなかったんだ―――――。
























――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ひらきなおったいぶりす
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 たいへんだった……スランプ大変だったよ! 
 でも頑張って書きました! ごめんなさいっ!
 ようやく、ここからジュエルシード編もといフェイト編終了まで下り坂と相成りました。
 正直、そのツナギの話である今回をどうしたものか非常に悩んでいたのですが、ご覧の有り様となってしまっております。もはや言い訳はすまい。
 
 さて、最後にでてきた例のあの方なんですが、本当は出すつもりなかったんだ、てへり。
 でも、感想の方で「ヤツはまだかー!」みたいなお言葉がございましたので、気が付いたらこんなことに、てへりてへり。
  
 迷走も加速しております〝俺はすずかちゃんが好きだ!〟
 どうか、ここまでお付き合いくださったモノ好きな皆様、今後ともゆるゆるーっとお付き合いくだされば僥倖です。かしこ。




[15556] 作戦とドジと再会
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:96b828d2
Date: 2012/04/23 07:39

 未知との遭遇(宇宙人編)から一夜明けた翌日。
 多少のぎこちなさこそあったものの、それでも俺達はごく普通な日常的学校生活を送ることができていた。
 結局、フェイトの件は尻切れトンボの形で不完全燃焼に終わってしまったため、俺だけでなく高町、さらにはアリサやすずかちゃんも思うところがあったようで、日中は普段に比べてやや口数が少なかったように思う。
 それでも、放課後となると普段のテンションにまで回復したのは、みんな頭の切り替えが上手だということの裏返しなのかもしれないな。
 


「それで?」
「ぬ?」



 帰り道。今日は諸事情により四人で徒歩帰宅と相成っている。
いつもならアリサかすずかちゃんの御迎えさんがいらっしゃるんだが、本日アリサの家は両親の都合で車、運転手共に不在、すずかちゃんの方も、なんでも忍さんの知人さんがいらっしゃってるとのことで、そのお迎えに行ってるんだとか。
 もしやあの髭紳士様かと思って訪ねてみたら、残念ながらあのおっさん、今はどこぞの南米に知人の考古学者と旅行に行ってるんだとのこと。……あのおっさんの知人ってのがどんな人なのか、興味は尽きない。
 しかしながら、忍さんの知人様も気になるところ。なにせ月村家と縁があると言うだけで、将来もしかしたら俺も御挨拶に伺わねばならないかもしれんからな!
 ………なんでかな。自分で言ってて、こう〝俺は将来大統領になる!〟と宣言するのと同じレベルで胸が痛いのは。
 閑話休題。
 そんなわけで、珍しく四人そろって帰宅と言う光景の中、俺の右隣に何気なく陣取っていたアリサの奴が唐突に俺へ投げつけてきた言葉のボールは、そんな主語も述語もないただの疑問形の単語だった。



「〝ぬ?〟じゃないわよ。一体どうするつもりなの、アンタ」
「いや、だから主語と述語を用いた正しい日本語を使えよ。何を聞いてるんだかさっぱりだぞ」
「そんなのフェイトの事に決まってるでしょ! アンタわかってるの? もしリンディさん達にフェイトの事が知られたら、下手するとあの子捕まっちゃうかもしれないのよ!?」
「あー……うん。そーだったな」
「そーだったな、って……まさか何にも考えてなかったの!?」



 事実その通りなんだが、素直に答えるのはただのバカなので「ふ……そんなわけないだろ?」とカッコつけて答えてみた。



「んな見え見えの嘘に騙されるかっ!」スパーン!
「痛ってーな! 言い掛かりで人ブッ叩くと碌な大人になんねぇぞこのバーバリアン!」
「っ……ほ、ほほ~う? どうやらアンタは、その碌でもない大人になった私を見る前に、この世を去りたいようね?」
「させるか! 高町バリアー!」
「うにゃっ?! ちょ、なんでわたしをひっぱ――――わーー! アリサちゃん待って待って! わたし越しにほんだくんを攻撃するのは、間違いなくわたしが被害を受け≪スパァーン!≫うにゃぁッ!?」
「あの、三人とも落ち着いて……」



 怒り心頭となった金髪夜叉猿の攻撃を一通り高町バリアーで凌ぎ切った俺は、間違いなく褒められていいと思う。無論、その後に高町の奴から怒りのぽかぽか攻撃を受けたのだが、大した事は無かったので割愛。
 一通り暴れて落ち着いたのか、暴れた所為でぐしゃぐしゃになった髪をすずかちゃんが櫛で撫でつけてくれている間、アリサはひとまず体裁を取って咳払いすると、改めて口を開いた。



「とにかくね、私達はアルフさんと約束したんだから、どうにかしてフェイトを助けないといけないの。あんた、そのこときちんと理解してるワケ?」
「んなもん言われなくてもわかっとるがな」
「だったら―――!」
「じゃぁ聞くが、今、俺達に何が出来るんだ」
「うっ……」
「俺達の中で魔法を使えるのは高町だけなんだぞ。対してあっちはフェイトも含めてあのおっかない母ちゃん含めりゃ二人、下手したらあのねーちゃんまで加わって三人が魔法使いだ。どう考えたって、戦力的に俺達が不利だろうがよ」
「それは……そうだけどっ!」



 汚いとは思うが、しかし現状整理のためにも正論をぶちまけてみると、アリサはそれ以上何も云えずに口ごもってしまった。
 アリサの言いたいことも分かるが、一方で俺が言ったことも事実だ。ソレを無視してどうにかできるほど状況は生易しいモノではないし、そして子供の駄々で事態が好転するほど、俺達は万能じゃない。
 大切なのは、俺達に何ができて、何が出来ないのか。そして、その中でどうすれば目的を為し得るのか。それを把握することだ。



「ま、だからって何もしないわけじゃねぇよ。フェイトを助けたいってのは俺も同じだし、高町なんか尚更だろ」
「ふぇ!?」
「誤魔化しても無駄だぞ。お前、ユーノが説得しなかったら学校サボってフェイト探そうとしたらしいじゃねぇか」
「なんですって!?」
「なのはちゃん……?」
「ま、待って! ていうか、なんでほんだくんがその事知ってるの!?」
「くっくっく……ユーノがいつまでも電話を使えない小動物だと思うなよ……!」
「はっ、しまった! そう言えばこの間、ユーノ君に緊急時の連絡手段でうちの電話の使い方をおしえたんだった!」
「な、なのはちゃん……そのリアクションはさすがに……」



 高町のバカなリアクションはともかくとして、ユーノには昨日の内に俺の携帯番号を知らせてある。
 俺は普段、学校に行く時はめんどくさいから持ち歩いていない携帯電話だが、最近通り魔事件が発生していることもあってか今朝、母上に凄まじい政治的圧力をかけられたせいで珍しく携帯している。そこに、一時限目が始まる直前になって、ユーノから電話が来たのだ。
 内容は先の会話からわかるように、高町の奴が学校サボってでもフェイトを探しに行こうとしかねないか監視しておいてほしいとのこと。
 まぁ、結果的にそういうことにはならなかったから良かったものの、もし本気でそんな真似をしていたら、本田時彦君はその持ちうる情報網全てを駆使して高町捕獲作戦を発動する所存でありました。誠に残念です。
 


「まぁ、なのはの先走り未遂については後でみっちり問い詰めるとして……」
「うにゃっ!? ま、まってアリサちゃん、わたしべつにそんなつもりじゃ!」
「そうだな。そんなことよりフェイトだ」
「そうね。そんなことよりフェイトよね」
「う……うわーん! すずかちゃん、ほんだくんとアリサちゃんがいぢめるーッ!」
「あ、あはは。よしよし、大丈夫だよなのはちゃん。二人ともちょっとからかってるだけだから。……たぶん」
 


 いつもいつもフォローすみません我が女神。
 そしてそこは自信を持ってくださいお願いします。地味に凹むんです……ッ!



「まったく。それで、ホントにどうするつもりなのよ? あの後フェイトがどうなったかわからない以上、こっちから迂闊に動くのはバカのすることよ?」
「そうだよね……下手に探し回ったら、リンディさん達に気付かれちゃうかもしれないし」
「しかも、気付かれたら間違いなく、フェイトちゃん逮捕されちゃうの……」



 改めて問題点を列挙すると、俺達子供勢ではどうにもできそうにない無力感がひしひしと感じさせられるような問題ばかりだった。
 特に、リンディさん達にフェイトの事が見つかるのはヤバい。
 昨日話を聞いた限りじゃ、フェイトがやってる事はあの人達からしてみれば間違いなく〝違法行為〟だ。しかるに、俺達の世界の常識を照らし合わせてみても、違法行為は逮捕! 逮捕です!
 ……けど、誰だって友達が犯罪者扱いされたら嫌なモンは嫌なのである。これは、俺だけじゃなくみんなも同じ考えだし、せめて捕まるにしても、フェイトにだって情状酌量の余地がある、って説得してからにしたいのが俺達の中での結論だった。
 それを踏まえて、昨日は咄嗟の機転で俺達がプレシアのおばさんに追われて謎の城から逃げてきた、とフェイトの事は伏せて口裏を合わせる事が出来たが、いつまで隠し通せるかはわからない。何より、次にジュエルシードが発動して、クロちー達が回収作業をしているところにフェイトがやって来ようものなら、その時点であぼーんだ。
 一番良いのは、ジュエルシードが発動してもアイツが来ないでどこかに隠れてくれている事なんだが……まぁ、あの鬼ババ様のことだ。体を引きずらせてでも探しに行かせるだろうしな。
 ……うん?
 探しに〝行かせる〟……?



「あ」
「なによ、時彦。急にバカみたいな声出して」



 心底バカにした白い目で俺を睨みつけてくるアリサに、軽く怒りの波動に目覚めそうになるがぐっと我慢。それよりも、今まさにこの天才的な脳裏にティンと来た妙案を提示することこそが大切だ。



「バカは余計だバカ。それよか、ちょっと確認したいんだが、アイツを助ける上で大切なのは、ようはアイツが悪者じゃないって思ってもらう事だよな?」
「うっさい唐変朴。だから、さっきからそう言ってんじゃない」
「昨日、クロノくんが“その質と規模がどうであれ、遺失物強奪及び管理外世界での魔法行使は重い刑罰を処せられることになる”って言ってたし……」
「それが本当なら、できればフェイトちゃんが捕まらないようにしないといけないね」



 すずかちゃんが締めてくれたように、フェイトがクロちー達に捕まるのが何よりもマズイ。
 実際、今まで俺達とジュエルシードをめぐった争奪戦を繰り広げてきたという前科があるし、しかも、よりにもよってその前科がある時点でアウトなのだ。某車盗みゲームで言えば、ゲームスタートの時点で☆四つというデンジャラスな状態である。外に出るだけでポリに軍隊に戦車にヘリのフルコースに追い回されるというステキ仕様なんだから泣けてくるな。
 だが、別にこの状態が王手/チェックメイトというわけではない。大事なのは、逃げ切る事でもなければその勢力と真正面から闘う事でもなく――――たまった☆を早くゼロにすることなのだから。



「いや、逆にフェイトをさっさととっ捕まえよう」
「ふぇ!?」
「……どういうこと?」
「本田君……?」



 俺のぶっ飛び発言に、三者三様の反応を示しながら三人が同時に問いかけてくる。
 高町は意味がわからないといった、心底驚いた顔で。
 アリサは胡散臭そうな、それでいて〝やっぱり何か考えてたんじゃない〟と言いたげなのがありありとわかる顔で。
 そしてすずかちゃんは、何かを期待すると同時に、何故かとても不安げな顔で。
 そんな三人の顔を順繰りに見回すと、俺は一度咳払いをして自信満々な笑みを浮かべると、わざと声を一オクターブ程下げて言った。



「私に良い考えがある」


 
 勿論、気分は某正義の味方の総司令官であった事は、言うまでもない。 










                           俺はすずかちゃんが好きだ!










月村すずか。
 その名は俺にとって天上の調べに等しい神々しさを持ち、そして同時にその名は、俺がこの世界で一目惚れした少女の名前でもある。
 佇まいは凛として涼やかで、物腰は天使の如く柔らかく、発する声はさながらハープの音色。微笑みを見るだけで荒みきった心は癒され、その可憐な口で俺の名を呼んでくれようものならば、天にも昇る歓喜に包まれる。
 すなわち女神だ。超女神だ。ハラショーッ!
 出会いこそ不幸から始まったが、今となっては日々仲良しグループに勘定してもらえるほどに親しくなり、つい先日にはお泊り会もした。ここまで来て〝仲が悪い〟などということはまずないだろう。
 よほどの例外で、実は今までのは全て演技だったとかあるが、すずかちゃんはそんな悪質極まりないビッチではない。それは友人であるアリサも高町も勿論だし、そもそも俺のクラスにそんな姑息な事を思いつくどころか、〝友人を貶める〟という発想が出来る人間がいないのだ。こればっかりは、俺の命と誇りと恋心を賭けてでも断言できる。
 平和ボケしてるとか間が抜けたヤツらが多い、と他クラスでは散々言われているが、俺個人は今のクラスの皆を大いに気に入っているし、なによりもそんな悪評を気にもしない悪友達とクラスメイトが大好きだ。
 ……時々妙に団結して俺ばかりを攻撃対象にするのは、一種の愛情表現だと思いたい。
 そして、そんなクラスの一員であり、他クラスからは三大美少女組と呼ばれているうちの一人であるすずかちゃんが、俺は群を抜いて好きなのである。それこそ、この命をかけてでも助けたい、と願うほどに!
 …………さて、突然何故俺がこんな事を話しだしたのかというとだな。



「あ、あの本田君?」
「は、はひ……っ!!!」



 俺の目の前に鎮座ましましておられますは、菫色の毛並みが美しい、スレンダーな子猫が御一匹。たしか、すずかちゃんの家にもいたコラットとかいう種類の猫に似ている。ただ、あちらよりもちょっとふっくらしてて、どちらかというとシャルトリューの風格も併せ持った合いの子のような雰囲気だ。
 しかし、ちょこんとソファーに腰掛け、首をかしげて俺を見つめるその瞳は、すずかちゃんの瞳そのもの。青みがかった瑪瑙のような宝石がふるふると揺れ、その小さな宝石の中に、驚愕故に声を絞り出す事も忘れた間抜けな小僧が独り、映っている。
 


「えと、すごく顔真っ赤だけど……」
「大丈夫ッ! 本田時彦が誇る百八の特技の一、顔面赤化です!」
「そ、そうなんだ」



 菫の子猫様は、そういってちりん、と首の鈴を鳴らして小首をかしげて見せた。
 ……そう、今この瞬間俺と会話をしているのは、目の前の子猫様なのである。
 さらに言うならば、子猫になったすずかちゃんだったりする。
 つまり、こうだ。

 猫=すずかちゃん。

 すずかちゃん=女神。

 すなわち、猫=すずかちゃん=女神。


 ……うん、イイッ! すっごく、イイッッ!
 もうあれだね、ただでさえ女神なすずかちゃんが、動物界最強の癒し生物と謳われている猫に変化した事で天界すらも征服する勢いで神々しくなられておる。
 そんなすずかちゃんverぬこに見惚れている俺の傍らでは……、



「ちょっと時彦、なんでアンタだけ人間のままなのよ! こんなの不公平だわ!」
「うにゃ、うにゃぁああああ!? わた、わたし、わたし猫さんになってるーーー!?!」



 立派にキャバリアなんちゃらとかいう子犬と化したアリサと、マンチカンの子猫と化した高町が混乱と共に悲鳴を挙げていた。
 場所はとある街外れの港、その資材置き場。そのとある一画で、俺達は事件を〝引き起こして〟いた。
 あの後―――つまりフェイト捕獲作戦の説明を行った後、俺達はその作戦を実行するためにも高町の魔法探知機としての機能をフル活用して街中を練り歩いた。
 みんながこの日一日フリーだったのが幸いだったと言える。
 おかげで門限だけを気にすれば問題はなく、思う存分ジュエルシードの捜索に取りかかる事が出来た。
 結果、三時間と少しの時間がかかったが、海鳴港と海鳴駅の間にある資材置き場でついに未活性化状態のジュエルシードを見つけることができた。……できたんだが。



「もう、なのはが悪いのよ! 封印する前に油断なんてするから!」
「はぅ……ごめんなさい」
「ま、まぁまぁアリサちゃん。なのはちゃんだって、まさかこんなことになるなんて思ってなかったんだもの、仕方ないよ」
「すずかは甘いっ! だいたい、封印してないジュエルシードを持ったら、少なくとも無意識レベルの願い事でも勝手に叶えちゃうって特性は、前々からわかってたことじゃないの!」
「にゃ、にゃはは」
「笑って誤魔化そうとしても無駄よ。この件が片付いたら、じーっくり説教してあげるんだから!」
「ふ、ふぇええ~ん」



 既にこの時点で説教が始まっているんじゃないか、と突っ込みを入れるのは野暮なんだろうな。
 てなわけで、縮こまった茶とらの猫に御立派な犬様が説教をかますという、何故か和みを通り越してシュール極まりない状況ができあがっていた。
 まぁ、早い話がアリサver犬が説明してくれたように、簡単に話せば以下のようになる。

 資材置き場でジュエルシード発見
 ↓
 高町がうっかり手掴み。
 ↓
 変身合間に、ふと先程街中で見かけた立派なベンガル猫について談義
 ↓
 動物になってみたいよね~。そうだね~。にこにこ。
 ↓
 気が付いたら俺を除いてみんな動物に←今ここ。

 こんな感じである。
 何故俺だけが影響を受けずにいたのか、とか。
 なんでさっさと封印しなかったんだ、とか。
 そもそも何故いきなり猫談義したんだ俺ら、とか。
 突っ込みどころはもう素晴らしいくらいに随所にちりばめられているんだが、そんなことはどうでもいい。



「あ、あの月村さん」
「え、なぁに、本田君?」
「…………抱いても、いいですか?」
「え!?」



 じーっと、正座して目の前に猫座りされておられる月村すずかverぬこ様を見つめる。
 毛並みは暁に染まった日光を弾き、そのシルキーな菫色の毛は長く、同時にしっとりとした光沢感を出していていかにも高級そうである。
 円らな瞳はまるで珠玉の宝石の如く、暁の中においてそれはさながら神殿に眠る秘宝か何かのようだった。
 そんな全身国宝級の可愛らしさを誇るすずかちゃんverぬこ。それを目の前にして、一度でいいから抱き抱えたいと思わない人間がいようか! 否いまいっ!!
 今や俺のハートは震えるぞビート! 
 情熱は燃え尽きるまでにヒート! 
 あぁ、抱きしめたい! その夜の滴のような毛並みをもふもふと堪能しながら抱きしめたい……ッッ!
 そんな、ともすれば血涙を流しても可笑しくないレベルの俺の欲求が実を結んだのだろうか。唐突すぎる俺のお願いを聞いてびっくりしていたすずかちゃんverぬこは、きょろきょろと左右を見渡し、そのあとそっと俺を窺うように見ると、よぅーく耳を澄ましてやっと聞こえるかどうかという声量で、言った。



「えと……いい、よ?」
「ま、マジですか……ッ」
「う、うん。あ、でも、えと、優しく……してね?」



 本田時彦、享年(肉体年齢)9歳であった。
 死んだ。俺この後死んだ。
 今まで生きててよかったよ。オウブラヴォー。マイライフイズビューティホー!
 ほんっっっとに、生きててよかった……!
 仮に、俺の人生が今この瞬間のためだけに遭ったと言われても、俺は納得できるね。
 思えば理不尽な転生に始まって、今年は行ってから尽きることなく降りかかって来るトラブルの雨に悩まされたものだが……しかし、この瞬間のためにそれら試練があったのだと思うと、へへ……なんだ、かわいいもんじゃねぇか、って思えてきてしまう。いやぁ、人生って実に不思議/現金だなぁ!



「そ、それじゃ……」
「は、はい」



 そして遂に、俺は覚悟を決めてそっと、そーっと、その小さな体を抱き上げた。
 すずかちゃんverぬこの大きさは、まだ子供である俺の腕の中にすっぽり収まる程に小さい。
赤ちゃんを抱きかかえるくらいの慎重さと繊細さで抱き抱えた感想は、まず、暖かいということだった。
 それはきっと、大好きな人(今は猫だが)を抱きかかえていると言う興奮と、その存在への愛しさからくる熱なんだと思う。
 ……あぁ、ダメだな。つい、マイラバーのことを思い出してしまった。
 寒い日や大雨の日、そして決まって夕暮れになると、アイツはいつも俺の膝の上に乗っかって来る癖があった。
 どんなに邪魔だの重いだのどけだの文句を言おうと、頑として退こうとしなかったっけ。逆にそんなことをすると、手当たり次第に噛みついてくるという逆襲にあったものだ。
 結局、最終的には俺が折れてしまってそのまま抱き抱えたまま寝こけてしまう事が多かった。ほんと、今思い返すと良い思い出だけどさ。
 


「本田君?」
「え、あ、ごめん、痛かった!?」
「ううん、それは全然大丈夫だけど……その、なんだか悲しそうな顔してたから。大丈夫?」
「……俺が?」



 ちりん、と。何故かその首についている首輪の鈴を鳴らして、すずかちゃんverぬこが振り仰いで俺を見る。同時に投げかけられた疑問に、俺は知らずその質問を心の中で反芻していた。
 俺としてはちょっとばかし感傷に浸っていただけなんだが、もしかしたら本心では本当に悲しいのかもしれない。
 正直、前世のマイラバーとの暮らしが恋しくないと言えば、嘘になる。
 今思い返してもあの人生に後悔はないし、むしろ騒がしくて厄介事もそれなりにあったが、それ以上に楽しくて幸せな毎日だったと思う。そんな生活を突然打ち切られてこの世界に転生した悔しさと言うのは、今でも俺の心の奥底で未練として残っているのかもしれない。
 けど、だからといって今のこの世界が嫌いじゃないのは、ご存じの通り。
 何より、俺が今大好きなすずかちゃんが目の前にいる。しかも猫に化けてしまったとはいえ、そんな大好きな人をこの手の内に抱きかかえているのだ。これで幸せでないと言うのなら、そいつは色んな意味で終わってる。
 そもそも、生涯を通して心の底から好きになれる人に出会えるかどうかというのは、ほんのわずかな確率と運による。そして今、俺はその宝くじを見事に引き当てている確信がある。
 誰しも、宝くじが当たって嬉しくない奴はいないだろ? つまりはそういうこと。
 だから俺は、こちらを見上げる菫色の毛並みが美しい子猫様の頭をそっと左手で撫でると、極々自然に笑いかけた。



「そんな事あるわけないよ。むしろ幸せいっぱい過ぎてこの瞬間が終わるのが怖いくらいさ!」
「もう、またそうやってお世辞で誤魔化すんだから」
「……神様、どうして俺の本心はこう、ことごとく冗談として受け取られるんでしょうね」
「え? 何か言った、本田君?」
「幸せすぎて嬉しいなー、って言ったのさ!」



 幸せなのは本心です。小首を傾げてこちらを振り仰ぐすずかちゃんverぬこってばめっちゃラブリーなんですもの!
 こんなレアというか普通だったら一生遭遇する事の叶わないシチュエーションにいるのに幸せじゃないとか、俺には理解できないね。
 ただし、そんな幸せな時間はいつまでも続かないのが世の常。
 しばらくこの胸の中に納まったなまら暖かいぬこのぬくもりに癒されていたら、突然ケツに鋭い痛みが走って飛び上がらんばかりに驚いた。
 


「ぃいッてぇっ!?」
「ちょっと、いつまで私達の事無視してるつもり?」



 振り返ると、そこにはグルルルと威嚇しながら俺を睨み上げる子犬が一匹。いうまでもなくアリサver犬である。
 つーか貴様か、今俺のケツを噛んだのは!?
 その隣では、同じくアリサと同じ体勢で座っている高町ver猫がいた。見上げるその表情に、若干羨まし気なものを感じるのは俺の気のせいだろうか。



「別に無視なんてしてないだろ」
「おもいっきり二人の世界に入ってたくせに何言ってんのよ」
「ふははは! それは否定しない!」
「……はぁ。なのは、ちゃっちゃと元に戻してくれる? この馬鹿早くしばきたおしたいから」
「う、うん」



 ぐっ……このヤロウ。これ見よがしに溜息吐きやがって。しかも理由がアレすぎるだろオイ。なんでピンポイントに俺なんだ。
 だが、事態はここから予想外の方向へとぶっ飛び始めていた。
 アリサにせかされ、猫となった高町が焦ったように「レイジングハート、セットアップ!」と声高々に宣言する。
 本来ならば、即座に高町の全身を淡い光が包み、次の瞬間にはちょっと魔法少女と言うには武装的すぎる、しかし間違いなく男の子なら恥ずかし過ぎて悶絶する事必死な衣装に瞬間着替えするのだが……。



「………あれ?」
「………なんも起こらんぞ?」
「ちょっとなのは。遊んでる場合じゃないのよ? 早く変身してコレ治してってば」
「う、うんわかってるよ。でも、あれ? れ、レイジングハート、セットアップ!」



 アリサの呆れたような視線と、俺の懐疑的な視線にさらされながら、再び祈るように声高く宣言する高町。ちなみに、器用な事にその手には丸い宝石であるレイジングハート様を握っていた。
 ……なんで様付けかって?
 みなまでいうな、察しろ。
 しかし、高町の声は虚しくも資材置き場へと静かに溶け消えていくだけだった。俺達の見慣れたいつもの変身は起きず、ましてや光の本流など欠片も見当たらない。
 相も変わらず高町は猫のままで、そして俺達の視線はさらにその温度を下げていくだけだった。



「……あのー、タカマチサン?」
「……はい、なんでしょう」
「もしやとはおもうんですがね」
「…………はい」



 嫌な予感をひしひしと感じながら、俺は恐る恐る、見るからに意気消沈とばかりにシュンと項垂れている高町ver猫様に問いかける。
 ……すでに返事が生返事と言うか、力がないと言うか、つまり死んでいるところには敢えて目をつぶろう。おかげで不安感がましましに倍プッシュどころの話じゃないのは、きっと気のせいだと思いたい。
 あぁそうさ、きっと俺の―――俺達の勘違いなんだ!
 ったくよー、こんな状況で焦らせるなんて、高町の奴も随分と高度なギャグができるようになったじゃねぇかHAHAHA!
 見ろよ、隣のアリサなんて犬だってことを忘れさせるくらいに顔を青くしてるぜ! いやー、毛色が金色の犬が顔を青ざめさせるなんてまた器用だよなー!
 そんな葛藤を心の中でキリが無い程繰り返し、俺は遂にその質問を投げかけた。無論、心の奥底では、冗談であってくれ、頼む、次には「ごめんね、ちょっとしたドッキリだったの♪」と言ってくれッ……あ、いやでもそうすると今すずかちゃんを抱きかかえるのも終わるのかそれはちょっと勿体ないなあと五分……いや十分、いやいや後一時間はもっと堪能したいダメだそれじゃすずかちゃんが困っちまうやっぱり早いとここの状況をなんとかしたほうがいいよねだから高町お願いだからッ、お願いだから首を横に振ってください頼みますからッ!!



「まさか……変身、できないとか?」
「…………………はい」
「ちょ、えぇえええええええ!?」



 ……しかし、俺のそんな熱き思いは、無常なる現実という壁の前に脆くも打ち砕かれるのであった。
 ちなみに、声を挙げて驚いているのは、言うまでもないだろうがアリサである。あ、そのまましおしおと地面にへたり込んだ。
 俺も心境はアリサとまったく同じなんだが、しかしそうするには今俺の腕の中で固まってしまっている子猫様のことがあるので、安易に地面にへたり込むわけにもいかない。
 見れば、俺が抱き抱えているすずかちゃんは、まるで石像にでもなったかのように固まっていた。ぴきーんと尻尾を縦に伸ばし、石像か彫刻か何かのように硬直したまま、相変わらず項垂れて今にも穴に埋まりそうな程意気消沈としている高町を見つめている。
 さて、そんな風に冷静に状況を観察している俺だが、内心は物凄い焦りまくってたりする。
 そりゃそうだろ。だってこれじゃ、そもそもフェイト捕獲作戦が予定の前提段階で崩壊してしまうんだもの。いやそれ以前に、動物化したまま元に戻せない&次元震を引き起こす可能性が無きにしも非ずなままジュエルシードを放置という凄まじくヤバい状況なのでは!?
 そう思い至り、俺は今さらながら事が重大極まりない事態に陥っている事に気が付いた。俗に言う地球の危機というヤツである。冗談抜きに。
 本来であれば、未発動のジュエルシードを確保、それを餌にしてフェイトをおびき寄せ、可能ならば高町が説得。不可能であれば、当初の予定通り俺達で一芝居打った後に力づくでも捕獲するつもりだった。
 しかし、それはあくまで、フェイトと互角に戦える高町という戦力がいたら、の話である。まさか猫に化けてしまう事態など予測できなかったのは言うまでもなく、さらには変身(俺達からしてみれば、十分魔女っ娘の変身である)が出来ないなんて想定外もいいところだ。
 もしこんなところをフェイトに狙われでもしたら……!



「高町、落ち込むのは後だ! とにかく対策を考えないと!」
「で、でもわたし、レイジングハート無しでジュエルシードの封印なんてむりだよう!」
「ぐっ……そ、そうだユーノ! アイツと念話とかいうテレパシーできるんだろ? そんでもって、アイツに来てもらって封印してもらえば!」
「それもダメ! ユーノ君、まだ本調子じゃないし、それに封印魔法使うのってすごい魔力が必要なの。だから……」
「くそ、参ったな……」



 そう言えば、あの宇宙船の中でユーノがそんなような事を言っていた気がする。
 高町の奴は平気な顔して封印魔法を使っているように見えるけど、実は大の大人一人が死ぬ気でやってようやく成功するくらいの大魔法だとかなんとか。
 それもランクが云々って話のところで聞いたもんだから、いまいちよく覚えてないんだが。
 ……そういえば、あいつってばこっちだと魔力との相性が悪いとかなんとかで全力を出せないとか言ってたな。それも関係してるのかもしれん。
 ともあれ、現状俺達に打つ手なしと言うのはよくわかった。よくわかったが故に、ちょっと俺もパニックになりそう。



「そもそも、なんでなのはは変身できないのよ? まずはその原因がわからないといけないじゃない」
「にゃっ! えと、なんでだろう……レイジングハート、わかる?」
≪At the stage of the enrollee collation in the setup, the failure of collation and the irregular use by non-enrollee were detected.
  Perhaps, it is thought that the possibility of the influence by the jewel seed is the highest though the cause is uncertain≫
「……登録者照合の失敗?」
「ふぇ? あの、レイジングハート、それって……」
「今のなのはちゃんじゃ、登録者として認められない、ってこと?」
≪……Yes, Miss Tsukimura≫
「マジかぃ」
「……固有登録も考えもの、ってワケね」


 
 立ち直りの早いアリサの質問は、逆にブーメランとなってアリサにダメージを与える答えしかよこさなかった。
 ていうか、そうか高町の杖って使用者登録みたいなのがあったんだっけ……。
 しかし、ここにきて完全に王手がかかってしまった。
 唯一フェイトに対抗できる戦力の高町は変身できない。
 それはつまり、フェイトが来たらなすすべなくジュエルシードを持っていかれるばかりか、当初の作戦であったフェイトの捕獲もままならないということ。
 確かに生ジュエルシードを(ようは未封印のやつ)を確保して、それを餌にフェイトをおびき出そうと言う作戦そのものに無茶があったのは認める。だが、だからと言ってまさか俺を除いて全員が動物化した挙句、高町の奴が変身できなくなるなんて誰が想像できたと言うのだろう。やっぱり物事の計画を立てるときは、ありえないと思えるような事でも予測の範囲内に入れて―――――あれ?



「ちょっと待てよ」
「何よバカヒコ。くだらない冗談言うつもりだったらガブッと行くわよ?」
「いや、真面目な話、なんで俺だけ動物になってないんだ?」
「……そういえば」
「うにゃ、なんでだろ?」



 そう、そこがおかしい。
 なんで俺を除いたみんなが動物になっていて、俺だけ人間のままなのか。
 普通に―――つまり俺達が今まで経験してきた上で考えるならば、ジュエルシードが発動した時その近くにいたすずかちゃんやアリサが影響を受けたならば、同じく近くにいた俺も影響を受けていてもおかしくないはずだ。
 それがなんの影響もないと言うのは、単純に考えれば、高町が俺を動物に例える事ができなかったとか、俺にしかない、なんらかの理由があるってことだろう。

 ……俺にしか、ない?
 
 そのフレーズに、ティンときた。



「なに、時彦。アンタ心当たりでもあるの?」
「へ? あ、何が?」
「何がじゃないわよ。今、変な顔したでしょ。何か気付いた事でもあるワケ?」



 ぐっ、なんて目敏いヤツだ……!
 決して表情に出しているつもりはなかったと言うのに、それを見とがめるとは……いや、むしろ犬だけに嗅覚が並はずれてると言った方が良いのか。
 どちらにしても、ここで“例の事〟を知られるのは滅茶苦茶マズイ。何より、この場には関係の深いすずかちゃんもいるんだ。絶対に言うわけにはいかん!
 


「いや、もし俺が変化しなかったのが、高町が俺を動物に例えたらどんな動物か想像できなかった、って話だったらすげぇ間抜けだなぁ、っておもっただけだよ。まさかそんなアホな理由――――」
「にゃっ、そ、そういえば……私、本田君だけ動物さんに例えたらなんだろう、って考えて何も思い浮かばないような……?」
「――――ってホントなのかよッ!?」



 大慌てで誤魔化した話が、まさかドンピシャで的を得ていたとは。これぞまさに嘘から出た真というやつだろう。
 ともあれ、これでなんとか誤魔化す事は出来た。すずかちゃんに〝女体化〟の事がばれずに済んだのは僥倖と言って良い。
 ……実のところ、今回未発動のジュエルシードを回収する事にこだわってたのは、その〝女体化〟をどうにかする腹積もりもあったからなんだよな。結局高町の所為でそれはおじゃんになったわけだが。
 当初の予定では、未発動のジュエルシードを俺が確保。しかる後に〝男に戻りたい〟と念じて発動し、無事に俺は男に戻り、高町かフェイトでもいい。どちらかに発動したジュエルシードを封印してもらうつもりだった。
 無論、封印後にまた女に戻るかもしれないが、それでも何もしないよりははるかにマシってもんだ。なまじ、ジュエルシードによる呪いが原因と分かっているだけに、他に解決手段がなんも思いつかないのだから仕方ないだろ。
 ただまぁ、人間欲に目がくらむと碌な事がないと言うか……実際に、そんな余計な事を考えた所為でこんな窮地に陥ってしまったわけで。世の中実によく出来てるよな、うん。
 と、ともかく反省は後! 
 まずはこの状況をどうにかしないと――――!
 そう思い、憎たらしい事に呑気極まりなくぷかぷか浮かんでやがるジュエルシードへと手を伸ばした、その時だった。



「―――アリサ、避けろ!」



 背筋が痺れるような直感に従って、俺はアリサに指示を投げっぱなしにしてその場から全力で飛び退いた。
 動物化はしていなくとも、本能だけは動物的な勘を持つようになっていたのか。どちらにしても、我ながらよくも動けたもんだと褒めてやっていいほどの俊敏さだった。
 あまりにも俊敏過ぎて、着地に失敗した揚句に情けなくも地面を転がる羽目となったがな。
 無論、腕の中に抱えていたすずかちゃんを潰さぬよう、全身を丸めて身を呈し守ったのは言うまでもない。
 


「す―――月村さん、大丈夫!?」
「う、うん。ちょっと苦しかったけど」
「そか。よかったぁ……」



 慌てて身を起して腕の中のすずかちゃんを見ると、抱きとめている腕越しに震えているのが伝わってきたが、怪我はないようだ。
 これで怪我してようものなら俺は本気で自殺するレベルである。
 とりあえずすずかちゃんが無事な事に安心した俺は「そうだ、アリサの奴!」とアリサの姿を探す。
 だが、俺の心配は杞憂でしかなかったようで、見れば先程立っていた位置から俺の反対側の方へと飛び退いていた。しかも、犬特有の瞬発力を発揮して俺の倍以上の距離を離れている。それでいてちゃっかりと高町ver猫の首を咥えているあたりさすがと言えよう。
 どんな状況でも瞬時に反応して見せたり、自分のおかれた状況を素直に受け入れて、それに順応する適応力は小学生のレベルを超えてるんだよな、アイツ。そう言った意味では、間違いなくアイツも天才に分類される人間なのかもしれない。

 ……問題は、だ。

 みんなの無事を確認した俺は、改めて先程俺達の立っていた場所へと顔を戻した。
 そこには、ついさっきまで立っていた俺達に代わって、ロケット弾か何かを撃ちこまれたような小さなクレーターが出来上がっている。
 幸いな事に、その〝何らかの攻撃〟はジュエルシードには当たらなかったようだが、それでももう少し奥の方へとずれていたら、間違いなくジュエルシードに直撃していたはずだ。それとも、わざと俺達を狙って―――!?



「あ、ありがとう、アリサちゃん」
「礼なんていいわよ。それより、今のは……!」
「なのはちゃん、アリサちゃん!」
「ッ―――アリサぁあああ! 奪り返せぇええッ!」
「え――――?」



 黒い疾風が、逆巻いた。
 俺の叫びは遅く、そして、ジュエルシードが消え去った。それを呆然と見送ってしまったと言って、アリサを責めることはできない。今のは、どうあっても俺達では反応できるものではなかったからだ。
 まるで小さな竜巻のようにジュエルシードを鷲掴みにしたその疾風は、即座にその場から跳んで反対側の廃材コンテナへと飛び移る。
 ジュエルシードを世撮りされた、と歯噛みしても、もはや後の祭りだ。

 そもそも考えが足りなさすぎた。

 ジュエルシードを狙っている、という事実を利用したのは良い。実際、こうしてその目論見は成功している。
 だが、狙っている、ということはつまり、言い換えれば俺達がソレを持っているならば、ヤツは間違いなくソレを奪いに来るという事。
 先の一撃は、ターゲットを囲む邪魔ものを排除するためのものだった。
 ジュエルシードを壊すためでも、狙いが逸れたわけでもない。ただの〝威嚇攻撃〟でしかなかったわけだ!
 そして狙い通りに俺達がどいた瞬間、まるでトンビが油揚げを掻っ攫っていくようにかすめ取る。
 ムカつくくらいにシンプルで、そして鮮やかな手口だ。さっすが、黒い死神を真似るだけはある。
 
 風が収まり、俺達はその風の残滓を追いかけてコンテナの下へとやって来る。
 夕暮れの太陽は、既にその半身を海岸線の向こうへと沈ませ、空には紺碧色の絨毯が絨毯を広げるようにして茜色の天蓋を塗りつぶしている。
 そして、うっすらと輝く白い月の下、そいつの黒い衣装は何よりも映えているように俺には見えた。
 手に握る、高町の杖とは対極とも言える黒い斧。
 ひときわ強く吹きつけた一陣の風になびいて舞い上がる、黒いマント。
 そして、それら黒の中で鮮烈な存在感を放つ、金で編みあげたシルクのような髪と、こちらを見下ろす赤い双眸。
 そいつは一度、手に持っていたジュエルシードをギュッと握りしめると、おもむろに空高くへと放り投げる。



「バルディッシュ、グレイヴフォーム」
≪Yes,sir≫



 短い宣言とともに、その右手に持つ戦斧が形を変えた。
 刃の部分を前方に展開、さらにその付け根に羽のような付属パーツを増築し、各部から金色の光が吹き荒れる。
 その場にいた俺達の内、誰も声を出す事が出来ずにその成り行きを見守っていた。
 やがて、金色の奔流を身にまとった黒い斧だったモノは、主の言葉にしたがってその力を解放する。



「ジュエルシード、封印」
≪Sealing≫
 
 

 雷と表現することすら生温い、黄金の光芒が空を引き裂き、ジュエルシードに直撃する。
 俺は慌ててすずかちゃんを抱え込んだままその場に伏せ、襲い来る衝撃波に備えた。
 ちらりと横に視線を投げれば、高町とアリサも同じく身を伏せている。
 もう何度も経験したことだが、ジュエルシードを封印する時は決まって衝撃波が発生する。ぼんやり突っ立っていたら、西部劇のタンブル・ウィードよろしくゴロゴロと転がる羽目になることは、身を以て経験済みだったりする。
 爆音。
 続いて予想通りの衝撃波が駆け抜け、俺は口を開けて吹っ飛ばされないようにその場にしがみ付いた。
 衝撃波を伴った突風は長く続かない。目を焼くような激しい光が収まった頃には突風も止み、それを確認した俺は砂埃で汚れた服をはたきながら立ちあがる。
 


≪Captured≫

 

 再び顔をあげてみれば、ちょうど輝きを失ったジュエルシードが、黒い斧の目玉のような部分へと吸い込まれていく所だった。
 ……まったく、実に鮮やかな手並みだよ。イヤほんと感服するね。
 俺達からジュエルシードを奪い、封印するまでの過程に一切の無駄がない。無暗に触った挙句暴発させたどこかの誰かさんとは大違いだな。
 だがな、世の中手並みが手並みが良くて無駄がなくても、容量が悪けりゃいくらでも転けるんだぜ?
 
 

「よう―――――フェイト。せっかく会ったのに、挨拶も無しにバイバイか?」
「……」
「こっち見ろって。シカトされたら俺泣くぞ?」



 傍から見れば、歳を考えても実に痛い事極まりないコスプレをしているようにしか見えないそいつ――――フェイトは、本当に渋々といった様子で再びこちらに振り向いた。
 あぶねぇあぶねぇ……もしあのままシカトされてたら、もうその時点で計画はおじゃんだ。そしたら冗談抜きで俺泣いてたぞ、二重の意味で。
 しかしまぁ、そんな女々しい未来はどうにか回避できた。できれば、このまま俺的に男らしい結果で終わらせたいもんだな。
 


「いいから降りてこいよ。ちょっとくらい、話してってもいいだろ?」
「……」



 こくりと、言葉は無かったものの首肯を返してくれたからには、あちらにも話を聞くつもりはあるらしい。
 俺達を見下ろしていたフェイトは、手に持っていた斧を高町の持っているレイジングハートのように小さな〝待機モード〟と呼ばれる状態に戻すと、それまで立っていた場所から跳び下りた。
 そしてそのまま俺の方へと歩いてくると、そのルビーのように綺麗な双眸で俺を見つめる。
 その表情は、今まで俺が見た事がないくらいのっぺりとしたものだった。
 剥製の仮面をそのまま被っているような、なんの色も感情も感じられない、無色透明な表情。
 ……いや、俺は過去に何度か、この表情を見た事がある。
 髪の色も、性格も違うけど、全く同じ表情をしていたヤツの事を、俺は知っている。
 その理由が何故か、なんていちいち考えるまでもない。全く同じ表情をするからには、その裏にある理由もまた、似通ったものだからだ。
 だが、今はその無表情さが有難かった。そう―――〝今の状況〟においては、とてつもなく、有難い。



「俺の事、わかるか?」
「…………え?」



 ここにきて初めて、フェイトは俺の〝意味不明〟な質問に目を丸くした。 
 それでいい。その反応で、正しいんだ。
 〝フェイトをおびき寄せる〟という一つ目の目的は果たした。
 ここからは、二つ目の目的を果たすために、俺達のアドリブ力が重要となって来る。
 なに、敵をだますには味方から、って諺があるんだ。ちょっとばかし騙すくらい、大目に見てもらおうじゃねぇの。
 そんな身勝手な事を考えながら、俺はフェイトに向かって不敵に笑いかける。
 
 さぁて、ここからが正念場だ――――――!

 





































――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いぶりすのちらうら
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 はい、というわけで次回に続きます。もぉおおうしわけございませんっっっっっっ!!!
 当初は一話にまとめる予定だったのですが、予想以上にプロットが長くなってしまい、結果わけることとなってしまいました。
 ここからアルフのフラグをどう回収するか頭の痛いところではありますが、ラストのプロットが出来ているのは幸いであります。
 
 さて、俺すずフェイト編も終盤です。このままフェイト編解決まで頑張っていきたいです。

 こんな作品ではございますが、今後とも今しばらくお付き合いくだされば、この上ない喜びでございます。
 それでは、また次の更新で。



[15556] 作戦と演技とヒロイン体質
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:96b828d2
Date: 2012/04/23 07:39

 
 気がつけば、既に太陽は西の空にその半身を沈めていた。
 天蓋は群青色が徐々にその勢力を伸ばし、西の空を染める茜色を今にも飲み込みそうなほどに拡大していく。
 そんな二色のせめぎ合い(とはいっても、片方は一方的に追いやられているが)の空の下、相変わらずフェイトの金髪はアリサと同じく、この上ないほどに映えていた。
 ルビーのように赤い双眸が、静かに俺を見つめている。どこか戸惑いながら、しかし勤めてそれを表に出さないように努力しているのが見て取れる、そんな下手なポーカーフェイスが、何故か笑えた。

…………えー、そんなシリアスな雰囲気の中突然ですが、問題です。



 Q:魔法少女が変身した後って、着てた服はどこにいくの?



 古今東西、魔法少女は変身する、というのが常識である。
 杖やらコンパクトやらなにやらを振りかざしてテクマクマヤコンな台詞と共に変身するシーンは、時の少女ならずとも色恋に目覚めたりちょーっとばかし女の子を意識し始めた微エロぃ少年諸君にとって、親の前でも公然とガン見することができた貴重なエロシーンだったことだろう。
 ……何? そんなの俺だけ? 嘘つくなよボーイ。俺にゃぁわかってんだぜ。
 で、だ。
 問題なのはその変身の後。まばゆい光とともにロリロリな、時にはアダルティだったりセーラーだったりな衣装に身を包んだ後のことである。
 明らかにそれまで来ていた服とは違う服に代わっていると言うのに、それまで来ていた服はどこに消えたというのか。
 これは常々、つまり前世の段階から疑問に思っていた事でもあり、特に今世において身近に魔法少女が出てきてしまったことで、その疑問は並々ならぬ好奇心を俺に与えることとなった。
 その答えが今――――明らかになろうとしている事に、俺は気付いていなかった。
 


「あ―――」
「ん?」



 それまで真剣なまなざしで俺を見つめていたフェイトが、ふとその顔を真っ赤にした。
 いや、というより、俺から視線を逸らした拍子に目に入った何かを見て、の反応だ。
 ……ここで迂闊だったのは、俺が極々反射的に同じように視線を移してしまったことだろう。
 確かに、誰かが驚いた時、ついその視線を追ってしまうのはほとんど条件反射と言って良い。むしろ当たり前過ぎて責められる要素なんてないはずだ。
 だが、それはあくまで〝一般的に考えて〟の話であって、すくなくとも魔法少女が世界を終焉に導きかねない物騒極まりないモノを封印した後、なんていう特殊な条件下での話ではない。さらに詳しく言えば、女の子が動物化した原因を排除した後、などというピンポイントでやばい状況は度外視した上での話なのだ。
 そして今は、まさにその特殊な条件下であり、同時にソレは、俺に一生忘れ得ぬ記憶を刻みつけることを意味していた。



「なんだよフェイト、いきなり固まったりし――――」



 俺が言葉を飲み込むのと、あまりもの状況に息をすることさえ忘れたのは、ほとんど同時だったと思う。
 目に飛び込んできたのは、雪のような白さと、その上に微かに被さる菫色だった。
 そして俺の心を埋め尽くす感情は、ただ一つ。



――――ふ、ふつくしい…………ッ!



 それは例えれば、雪の化身。白の姫。幼き女神の使い。
 ほっそりとしたうなじは菫色の髪に隠れるも、子供特有の丸みを帯びた体のラインに、僅かに〝女〟の匂いを感じさせる艶やかさを孕み、恥じらいと言う名のスパイスが極上の美を彩る。
 四月も半ばとなれば、多少暖かくなって来るとは言え、それでも夕方にはそれ相応の冷え込みを見せる。寒い日の風は肌に突き刺さるほどだし、迂闊に薄着で出歩けば翌日風邪をひくなんて珍しくもないくらいだ。そんな春の夕方に素肌を晒そうものならば、寒さで鳥肌を立たせても仕方ないと思うし、その寒さを和らげるために体が無意識に震えてしまうのも無理はないだろう。
 それ故に自身の身体を抱きよせるように腕を回し、少しでも身体を寒さから守ろうと身じろぎする姿は、俺を精神崩壊に導いて余りある破壊力を持っていた。
 だが、それでも腕で隠せる面積には限りがある。両手を胸に、両脚をすり合わせて見たところで、隠せるのはほんの一部なのだ。つまり、ほんの少しだけ俺は天国を垣間見た。桜色の丘と、一筋の花開く前の蕾を。
 俺は、再び訊ねよう。

 

 Q:魔法少女が変身した後って、着てた服はどこにいくの?
 
 A:きっと、メルヒェンなどこかに仕舞われているのさ♪










                           俺はすずかちゃんが好きだ!










「ほ……ほんだ、く……ん?」
「ぁ……ぁが……」



 目と目がばっちり会う。
 その髪と同じ菫色の瞳を微かに震わせて、抱き寄せた腕に力を込める姿を何に例えよう。筆舌に尽くしがたいその美しさは、間違いなく俺を狂わせ、そして酔っぱらわせている。
 つい先ほどまで俺の胸の中で抱かれていたのは誰だったか。
 そして今俺の足元で、目尻に大粒の滴を滲ませて俺を見上げるのは誰か。
 どこか遠い世界に旅立つ意識の中、俺ははっきりとこの脳に刻み込んでいた。
 これほどの衝撃を受けたのはいつ以来だろうか。すずかちゃんの家にお泊りしに行った日―――いや、あの夕暮れの中、唐突にキスされた時に勝るとも劣らない。
 しかし、同時に俺は本能で理解していた。いつまでもこうしてはいけない。本当の紳士であるならば、一刻も早く、刹那を超えてこの状況を変えねばならぬと。
 気がつけば、俺は着ていた上着を引きちぎらんばかりの勢いで脱ぎ捨てて半裸になると、首から嫌な音が聞こえるほど思いっきり右を向いて、脱いだ服をすずかちゃんの方へと差し出した。
 ……そう、すずかちゃんに、である。ついさっきまで俺の胸元にいた、ほんの数秒前まで猫だったはずの、マイラブリーゴッデスすずかちゃんに。
 だって、ぜ、ぜん……いや、生まれたままの姿なんだぞ!? 眼福うんぬん以前に犯罪の匂いがしてくるわっ!!!
 


「ご、ごめっ……これ、これ着て!」
「え、あ……りが、とう」



 現状を把握しきれていないのか、あるいはあまりもの事態に混乱しっぱなしなのか。
 おそらく後者だとは思うが、普段の冷静なすずかちゃんからは想像もつかないような茫然とした返事が返ってきた。
 ただ、それと同時に差し出した上着を受け取ってくれたことから、完全に思考がフリーズしているわけではなさそうなのが救いと言えば救いなのかもしれない。
 ……いや、待てよ?
 猫化が解けたすずかちゃんがこの状態ってことは……。



                 「こっち見たらブッコロスわよ」 
「まさか、アリサと高町のや――――――――――――――――――――――――――あい、まむ」
                 「だめぇっ! こっち見たらでぃばいんばすたーするよ!?」



 行動を起こす前に突如飛んできた、冗談とは思えない、物騒極まりない台詞の御蔭で俺の命は保たれた。つーか高町の奴、最近俺に対して無性にディバインバスターブチ込みたがってるように聞こえるのは気のせいだろうか。気のせいだよな。そう信じたい。
 しかし、となると今の台詞からするに、二人ともすずかちゃんと同じようにマッパなのか。ボーンスタイルなのか。
 ……ぶっちゃけすずかちゃん以外どうでもいいんで、正味な感想「フーン」って感じだな。さっさと服着て欲しいところだが、生憎貸せる服は既にすずかちゃんに渡したので、あいつらに貸す分はない。
 かといって、あのまま放置はあまりにも外道というものだ。どうにかしてやらなきゃ――――と悩んでいたところで、ふと思い出した。



「そいや高町。お前、魔法で服みたいなの着れたよな?」
「……あ! バリアジャケット!」



 普段のドジっぷりの所為で忘れられがちだが、こう見えて高町の奴は思考がスムーズと言うか、直感が良いと言うか……とにかく、すずかちゃんやアリサに並ぶほど頭の回転が速い。
 ホント、もう少しドジな所を改善すれば、それなりに完璧超人(文系科目除く)になれるのになぁ。実に惜しいヤツである。
 


「えと、レイジングハート、バリアジャケットの展開、アリサちゃんとすずかちゃんの分もお願いできる?」
≪No problem.≫
「よかった! それじゃ、セットアップ!」
≪Set up. The barrier jacket is developed.≫



 後ろで眩い桃色の光が迸ったのと同時に、俺の真下にいたすずかちゃんが、いつも高町を包んでいた桃色の光を纏う。
 それは本当に一瞬の出来事で、眼を焼く桃色の光は一秒にも満たなかった。そして、その光が収まった後には、先程の衝撃的な艶姿から一変したすずかちゃんの姿があった。
 ちなみに、見ていいかと聞かなかったのはひとえに俺の自制心が耐えきれなかったからだ、と捕捉しておく。
 


「わ……すごい。普通の服みたいなのに、全然寒くない」
「おおう……マーヴェラス」



 白いワンピースは聖祥大付属をベースにしたもので間違いない。
 しかしながら、高町の纏うそれとは細部が異なっており、よくよく観察すれば、それがどれだけすずかちゃんの個性を露わしているかよくわかると言うものだった。
 本来ならば青く装飾されている手甲と、ワンピースの随所にみられる青いラインが、すずかちゃんの髪の色である菫色にアレンジされている。
 そしてなによりも、その胸元を飾る群青色のリボン。小さすぎず、大きすぎずのそれは、しかし確固とした自己主張をする事で、すずかちゃんのパーソナルカラーを表している。
 全体的に寒色系なのが高町と比べた場合の大きな違いで、杖こそ持っていないが、十分魔法少女的な見た目と言えるだろう。


 あぁ……あぁちくしょうっ! なぜこんな時に限ってお子様ケータイなんぞしか持っていないのかっ!! 


 デジカメなどという高尚な物を、とは言わない。だが、もし普通のガラケーでもいいからこの場に持っていたならば、と心の中で血涙を流して俺は悔しがる。
 昨今、カメラ機能が携帯にデフォルトで搭載されるようになってはいるものの、お子様用ケータイは単純にメールと電話、そしてGPSといった所在位置が割れる機能という最低限の物を残し、その他の無駄な機能は一切合財省く事で脅威の格安お値段となった機種が主流となっている。
 無論、中にはカメラ機能も搭載されている機種だって存在する。だが、ガラケーが無理ならばせめてカメラ機能だけでも!とねだった俺に返ってきた母上の返事は、



『シャッター音消すように改造するようなアンタに、そんなもん持たせられるわけないでしょ』



 という無碍なるものだった。
 確かに……確かに俺は母上の携帯を勝手に改造してシャッター音を消すようにした挙句、後始末の不手際でメモリを全て吹っ飛ばした前科がある。
 だが、それはあくまで純粋なるすずかちゃんへの想い――――いや、ピュア極まりない、しかしながらどうしても表に出す事の出来ない『恥じらい』の現れだっただけだ!
 決してやましい気持ちですずかちゃん本人に隠れて盗撮したいとか、思いのままに麗しき初恋のポートレートを量産したいとか、半端ラブチキンな俺の恋心を慰めるためだとかのためではないッ!!
 例えるなら――――そう!! 今まさにこの瞬間、いや、今も含めたこの一連の流れ! 
 過去の偉人が残した〝一期一会〟という言葉が表すように、その瞬間にしか巡り合えない、人生に置いてたった一度のシャッターチャンスを永久保存したいと言う純然たる願いのみっ!
 あぁ神よ。貴方はそんなにも上げては落とすという鬼畜なイジメが大好きなのか。死んでも恨んでやるぞ畜生。

 ここまで思考する事数秒。
 
 そんな筆舌に尽くしがたい悔しさを心の中で噛みしめている間、俺は当然のごとくすずかちゃんをじーっと凝視していたわけで。
 気がつけば、すずかちゃんを俺を上目づかいに見上げながら、小さな声で困ったように訊ねてくるのであった。 



「あの……どこか変、かな?」
「へ!? あ、いや、むしろその反対であんまりにも可愛いモノだから見惚れて――――」
「……え?」



 ――――って俺は何を口走っておるくゎぁああああ!?
 見ろよ、あんまりにも気持ち悪い事言ったせいですずかちゃんドン引きじゃねぇか!
 思いっきり表情固まってるし、後ろのフェイトなんて口を一文字に引き結んで固まっちまってるよ! 
 後悔先に立たず。後の祭りとはこの事か。
 必死にこの場をどう誤魔化そうか頭を働かせるが、パニックに陥った俺の脳味噌様はむしろ目の前に広がるミロのヴィーナスをも上回る美の化身に心を奪われており、働くと言う前提からして不可能だ。
 そんな傍ら耳に飛び込んでくるのは、アリサと高町の「しっかし便利ねこれ。ちょっとなのは、これ私も使えないかな?」「うーん、どうだろう。アリサちゃんも魔力があればできるかもしれないけど……」「ホント!? よーし、じゃぁ今度アースラ行ったら検査してもらいましょ。もしかしたら私も魔法少女になれちゃったり……!」「にゃ、にゃはは……あ、でもアリサちゃん。昨日の検査の時何も言われなかったよね?」「うぐ……そう言えばそうだったわ。ってことは、やっぱり私には魔力はないのかなぁ」「で、でもでも! もう一度けんさしてもらったほうがいいとおもうの!」「そうね……そうよね! 諦めるのはキチンと検査してもらった後でもいいわよね!」等と言う、実に平和ボケした会話だったりする。お前ら頼むから空気読んでくれよ。
 


「あの………トキヒコ?」
「おーっとそうでしたー! すまんフェイトお前の事すっかり忘れてた!」
「忘れてた……」



 ズガーン、と器用にも肩の後ろに黒い線の垂れ幕を突くってショックを受けているフェイトを見て、面白いと思ってしまったのは俺だけで良い。
 いつまでもすずかちゃんとよくあるラブコメ漫画みたいなこそばゆい雰囲気を楽しみたいのが本音だが、しかしここに来た意味を忘れるわけにはいかない。
 何より、ジュエルシードの発動から時間的にはかなり経ったし、もう次の瞬間にクロちーが表れてもおかしくない。
 ……理由の半分に、すずかちゃんのドン引きしている姿から現実逃避したかった、というのが無かったかと言えば嘘になりますがね!



「それよりフェイト、覚えていないのか!?」
「……何を?」
「おれとおまがいいなずけで、おまえはおれのよめだってことだー」
「……………………はぇ?」



 棒というか平坦読みな俺の突然のカミングアウトに、フェイトは暫くの間何を言われているのかわかっているのかわからない、といった表情から唐突に顔を真っ赤にして目を皿のようにして驚愕した。
 まぁ無理もない。だってそんな事実、〝どこにもありはしない〟んだから。
 しかしここで手を緩める俺ではない。見せてやるぜ、俺の迫真(嗤)の演技!



「そのおれとおまえがなぜてきたいしないといけないんだー」
「え、あの、まってトキヒコ! いきなり、えと、いいなずけって、なにいってるの!?」
「……ねぇなのは。この馬鹿は〝これ〟で本気で演技してるつもりなのかしら」
「ものすごくひどい棒読みなの……」



 外野煩い。んなこたぁ昨日の鬼婆様の前でやらかした日から自覚してるんだよ!
 それよりも、ここにきてようやくフェイトは感情らしい感情を見せてくれたところから、今の演技(嘲)はかなり効果があったようだ。そしてこの反応は、今まさに俺にとって最高に予想通りのリアクションである。



「そんなーわすれてるってことはーやっぱりおまえはあの鬼婆に洗脳されてるのか!?」
「えぇっ!? ま、待ってトキヒコ! せ、洗脳ってなんのこと!?」
「……なんで最後だけ思いっきり素で言ってるのよ」
「きっとほんだくんにしかわからない理由があるんだよ。さっしてあげようアリサちゃん。ね?」
「あの、なのはちゃん。さりげなく、怒ってたりする?」
「あたりまえですっ! だって、ほんだくんとフェイトちゃんが結婚の約束してるだなんて……全っ然つりあわないもん!」


 
 外野がものすげーやかましいです。つーか高町、てめぇ後で覚えてろよ。
 で、まぁなんか後ろで散々な言われようだが……そう、これが今回の俺達の作戦だ。ていうか俺の、か。
 つまり、〝フェイトを俺の許嫁だとして、今のフェイトはあの鬼婆に操られている〟という〝設定〟である。
 こうすれば、仮にフェイトが犯罪者として捕まったとしても、あの鬼婆様に洗脳されていたot命令されていたという言い訳が立って、ある程度の情状酌量は貰えるだろう。
 これが地球人が相手だったなら、戸籍やらなにやらを調べられてすぐにボロが出るだろうが、お生憎と相手は宇宙人もとい異世界人様である。それをするにもある程度の時間がかかるだろうし、そしてそれだけの時間があれば、この事件を終わらせるには十分だと判断した。
 ……ただ、この案を提案した時、みんなに滅茶苦茶懐疑的な視線を投げつけられたのは当たり前だったと言うか、仕方がなかったと言うか。
 高町は「なんでほんだくんなんかとフェイトちゃんが、えーと、いーなづけ?とかになっちゃうの!?」とか頓珍漢な意味を含めた文句を垂れ、「それが嘘だってばれたらどうするのよ」というアリサの反論があり、おまけにすずかちゃんから「なんで本田君がそこまでするの?」と若干責めるような視線で咎められた。
 まぁ、知り合って一週間も経ってない相手に対して、この献身っぷりは異常にしか見えないのは仕方ないよな。
 俺だってフェイトがマイラバーにそっくりでもなけりゃ、ここまで頑張るなんて事はしなかっただろう。すずかちゃんを除けば、本当に例外中の例外だ。
 例えそれがフェイトにとって有難迷惑以外の何物でもなかったとしても――――あいつにとっての幸せが、あの鬼婆様に娘扱いされる事であり、そしてそれが決して叶う事のない願いだと〝わかりきっている〟以上、アイツを見放す事なんて俺にはできない。
 昨日あの鬼婆様と向かいあった時、俺ははっきりわかった。プレシアという母親は、やはりどこにいても自分の娘を愛する事ができない人間なのだ、と。
 前世でのマイラバーがそうだったように、この世界のフェイトもまた、決して自分の母親から愛される事はないんだ。
 それが俺の思い込みや、勝手な思い違いではないとは言い切れない。でも、いつまでも〝もしかしたら〟〝かもしれないから〟〝ここではもしかしたら〟なんて玉虫色な考え方をしていたら、いつか絶対に取り返しのつかないことになる。だったら、俺は例え独りよがりな決断だったとしても、俺が正しいと思ったことを俺自身の責任の基に行動する。それが、今だ。



「思い出してくれフェイト! あの日夜の学校で俺と交わし約束を! 〝ご飯とお菓子と美味しいモノをくれるなら、お嫁さんになってやってもいいぞ!〟とかいう俺を食糧庫としか見てない条件で承諾した約束を!」
「してないよ!?」
「婚約条件具体的過ぎる気がするんだけど。ていうかただの食糧庫扱い?」
「フェイトちゃんはそんな事言わないもん」
「ま、まぁまぁなのはちゃん。でも本田君、急に演技が上手になったね?」
「そういえば……なんかあるわね、あれは」



 即答されてしまった。むぅ、よそういじょーにせんのーがきょーりょくなよーだ。
 とまぁ冗談はさておくにしても、実はさっき言った条件、マイラバーが前世で俺に出してきやがった条件の七割だったりする。あの野郎、食い気だけはどこぞの島国の王様とタメ張れるレベルだったからな……。
 そして後ろでなんだか変なフラグが立ったような気がするが全力でスルーします。
 内心心臓ドキドキものでフェイトを見れば、そこには心底〝君が何を言っているのかわからない〟と言葉にできない驚愕に染まった表情で俺を見つめていた。
 ……正直気持ちはわからんでもない。俺だってすずかちゃん以外にこんなこと言われたら問答無用でけたぐり倒す自信がある。
 ともあれ、ここまですれば当初の予定としては十分だ。大切な事は二つ。フェイトが俺と深い関係にある関係者。フェイトが操られている可能性がある、の二点だからな。それを示唆できた今のやり取りは、作戦としては大成功の部類に入る。
 なにより、 



「妙な結界の所為で手こずったが、なんとか間に合ったな……時空管理局執務官、クロノハラオウンだ! そこの魔導師、武装解除して大人しく投降しろ!」
「ッ……管理局!」



 これ以上は、タイミング的に限界だ。フェイトが心底驚いたように振り仰いだ先には、黒いコートに鋼鉄が良く似合う、ぶっちゃけ俺達と対して身長変わらないのに歳上と言うある意味可愛そうな発育具合のお子様が空に浮いていた。
 言うまでもない、我らが待ちに待ったヒーローもといじくーかんりきょくのエース様、要はクロちーがようやくご到着したわけですよ。
 しっかし、こいつホント主人公属性だな。
 右手に持つ天使の翼の意匠が映える鈍色の杖をフェイトの方へと向け、左手を虚空にかざしてホログラフの警察手帳的なものをかざしている。
 その姿はどう見ても正義の味方なアレだし、格好と言い杖の装飾と言い、こう何かのアニメか何かで主人公がやってそうなイメージそのままだったりする。
 ……べ、別にカッコいいとか俺もやってみたいなぁとか羨ましいとかおもってないんだからねっ!?
 あ、あんなのをカッコいいとかさ、はん! アレだアレ、所謂厨二病ってやつだよ! 俺はもうそんなん卒業してるもんね! 小学生だけど大人だし? そうだよ別にあんなん憧れたりなんてしねーって。はは、は、はははは!
 ……すげぇ羨ましい。俺も超やりてぇ。こう、「動くな、○○だ!」みたいなのって、男なら誰しも一度は憧れるだろう!?
 まぁ、そんなわけで下から妬み光線を出していたら、ふとこちらを見たクロちーが物凄く微妙そうな顔をした。失礼な奴だ。
 


「ちょ、ちょっとほんだくん、クロノ君来ちゃったよ?」
「予定は変わんねぇ。戦闘を始めたらさりげなくクロちーの邪魔するんだ。魔法戦になったらお前だけが頼りだからな」
「う、うん……!」



 クロちーに聞こえないよう、高町と小声で今後の段取りを確認する。
 さっきまでの俺とフェイトの会話が今どんな効果をだしているかわからない以上、ここでフェイトが捕まるのは展開としてはよろしくない。
 そうさせないための札が、高町だ。
 最近はフェイトととも互角にやりあえるようになってきており、専門職のクロちーには敵わなくとも、少なくともフェイトが逃げ切れる時間程度なら稼ぐ事が可能だろう。
 勿論、最初からぶつかる気なんてない。物事には順序があるように、高町がクロちーの邪魔をするのはあくまでも最終手段だ。
 そのためにも、まずは世界平和への第一歩、即ち〝話し合い〟から始めるべきだろう。



「あの、クロノさん! フェイトは友達なんです、誤解しないでください!」
「友達……? しかし、先程彼女は君達からジュエルシードを」
「フェイトはあやつられてるんだー。だからおれたちからじゅえるしー……ぶっ!?」
「もういいからアンタ黙ってなさい」
「クロノさん、フェイトちゃんは事情があるんです! お願いします、もう少しだけ、様子を見て上げてくれませんか!」
「しかしっ」
「あの、クロノくん! さっきのジュエルシードだけど、奪われたんじゃないの! むしろさっきは私達を助けてくれたんだから!」
「……今だフェイトッ。俺達がうやむやにしとくからさっさと逃げろ!」



 俺達の必死の擁護に戸惑った隙を突いて、俺は背後のフェイトに向けて告げる。
 その間にもすずかちゃんに高町、アリサの三人が必死にクロノに向かって説得を試みており、当然〝敵〟を擁護し始めた俺達の突然の行動に戸惑いを隠せないクロちーは、その向けていた杖をどうしたものかと逡巡させている。
 それが大きなチャンスだった。
 前々からわかっていたことだが、アイツのすばしっこさは変態的と言って良い。高町とやりあってるのを何度か見ているが、ぶっちゃけ俺じゃアイツの動きを目で追うので精一杯だ。その行動に反応できている高町は素直にすごいと言って良いだろう。
 ……まぁ、あの戦闘民族鬼ー様の末妹なのだから当然と言っちゃ当然なんだがな。
 ちなみに、以前、高町のレイジングハートの映像でフェイトの動きを見た鬼ー様に話を聞いたところ、「あれぐらいならまだヤれる」と仰っていた。アンタの限界ってどこにあるんでせうか。ていうかホントに同じ人間なのか疑いたくなる人間ばかりだよね、俺の周りの人間って。
 
 で、まぁあれですよ。

 ここまではぶっちゃけ、多少のアクシデントがあったとはいえ、概ね予定通りだったわけだ。
 そう、ここまでは。



「――――ごめん」
「は?……って、ちょぉおおおお!?!」



 気がつけば、俺はフェイトに抱きかかえられて空を飛んでいた。
 一瞬にして10メートル以上も飛び上がり、そのままの勢いで俺――――と俺を抱えるフェイトは、資材置き場を離れていく。
 眼下には突然の事に目を白黒させるみんなが見える。
 高町は言うまでもなく、アリサもすずかちゃんも、そしてクロちーも。全員が全員、何が起きたのかわからない、とでも言いたげな表情で俺とフェイトを見上げていた。
 ……ってそんな冷静に観察してるバヤイじゃねぇって!



「おい、コラフェイト!? 待て待て、俺はお持ち帰りせんでええから!」
「母さんに、言われてるから。ごめんなさい……」
「あの鬼婆様が……? って、そうか! そいや昨日、俺から話を聞き出そうとしてたのを逃げ出したんだっけ!」



 そうだよそうですよ! 
 確か手段を選ばずに吐かせるとかなんとか、そんな物騒なこと言ってたよなあのおばさん!
 まさか昨日の今日で拉致させるとは思ってなかったし、つーかそもそも逃がしてくれたフェイトがわざわざ俺を捕まえに来るなんて想像ができていなかった。
 考えて見れば当然の事で、昨日のあの場は、単に俺が傷つけられそうだったから、その場しのぎで俺を逃がしたに過ぎないんだよな。
 フェイトが俺をあそこに連れて行ったのは、あくまでも俺の身の安全の保証が一応はされていたからだ。それは、昨日俺達を必死に逃がそうとしてくれた行動からも間違いない。
 ……いや、でも待てよ。
 このままもう一度会いに行っても、昨日の様子じゃどの道二の舞になるんじゃねぇのか?
 しかしそんな俺の憂慮を察したのだろう。フェイトは俺を抱える手にぎゅっと力を込めると、絞り出すような声音で告げた。
 


「でも、安心して。トキヒコは、私が絶対に守るから」
「…………守る、ったってなぁ」



 そのまま噛みしめた奥歯を噛み砕きかねないほどの渋面を浮かべて、そう言い切るフェイトに俺は何も言えなくなる。
 こいつがあの鬼婆様に逆らえないのは、よっぽどの事でもない限り無理だってのは身にしみて理解している。現に、こうして鬼婆様の命令で俺を拉致ってるわけだし。
 まぁ、俺としては昨日聞きそびれた話とかいろいろ知りたい事もあるんで、拉致されるのはある意味願ったりかなったりなわけなんだが。
 問題は、まるで予定になかったこの予想外の事態によって取り残されたみんなだ。
 まるで老年のおっさんのような諦観を覚えながら眼下を見れば、必死に追い縋る高町と、なにやら魔法を唱えているクロちーの姿が見える。
 だが、反応が遅れたのはフェイトを相手にしている場合致命的だ。
 当然、常にトップスピードのフェイトを相手に出遅れた高町達の対処が間に合うはずもなく、俺は何かを叫んでいる高町の姿をぼんやりと眺めながら、ここ最近慣れつつある、ここではないどこかへと転移する不思議な感覚に呑みこまれていくのだった。
 



























――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いぶりすのちらうら
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
やったねすずかちゃん! 時彦ってばまたヒロインしちゃってるよ!
滅茶苦茶更新遅れましたがなんとか更新。
駆け足ですが、フェイト編はこのまま終息へと向かう予定です。
そして次回は幕間。その後時彦VSプレシア。
解決前に、なのはとフェイトのガチバトルくらいはやりたいなぁ……。




[15556] 任務と先走りと覚悟
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:96b828d2
Date: 2013/10/21 04:07


―――――――――――時空航行艦L級8番艦〝アースラ〟:ブリーフィングルーム



 本田時彦が、魔導師フェイト・テスタロッサによって拉致されてから二時間。
 現場に居合わせていた本田時彦の友人ら三名、即ち高町なのは、アリサ・バニングス及び月村すずかの三名と、直前に合流したユーノ・スクライア含む四名は、現在アースラ艦内のブリーフィングに集まっていた。
 腰かけているテーブルの反対側には、アースラ艦長リンディ・ハラオウンとその息子、管理局執務官クロノ・ハラオウンと補佐官のエイミィ・リミエッタの三名である。
 室内には重苦しい沈黙が垂れこめ、もしこの部屋に拉致された件の少年がいたならば、あまりもの居た堪れなさに、大火傷覚悟の寒いジョークでも言っていたことだろう。無論、この場にはいないため、そんなことも起ころうはずが無い。
 リンディとクロノの両名は、親子であるのを納得せざるをえないほど、二人揃って目を瞑って腕を組み押し黙っている。
 言うまでもなく、つい先ほどの出来事が原因だ。
 独断専行のみならず不用意な古代遺失物の発動。さらにはその発動の余波で一時的な魔法行使すら不可能になるという緊急事態。
 幸い今は魔法行使も問題なく回復しているが、万が一これが回復せず、さらには古代遺失物による影響が解かれなかった場合、迂闊な行動だった、の一言で片づけられない大問題へと発展する。
 ただ、今現在も迂闊な行動だった、と一言で片づけられない大事な事態なのだが、それはそれだ。どちらにしても、リンディとクロノからしてみれば、対面に座る少女達の身勝手な行動が危険極まりないものであった以上、子供大人の区別無しに彼女達に少なからず処断を下さねばならない。
 


「まず、皆さんが無事だった事は僥倖でした。過去には古代遺失物の発動に巻き込まれ、最悪死亡したり、あるいは生涯にわたって後遺症を抱え続ける事になった事例がある以上、皆さんは本当に運が良いと言えますわね」
「そ、そうなんですか?」
「大げさだと思わない方が良い。君達は間違いなく稀なケースだ。一般人が一度だけでなく数度にわたって古代遺失物の発動に巻き込まれながら、なんの異常もない事自体が、そもそも異常なんだからな」
「もっとわかりやすく言うなら、コップに入っていた水をひっくり返して零してしまったのに、それがまた元通りになった事が何度も起きている、と言えばわかりやすいかしら」



 うーん、と人差し指を頬に当てながら告げるリンディの言葉に、なのは達は揃って身を硬くする。
 いくら彼女達が初等教育三年目の少女達であろうと、ひっくり返したコップの中の水を、元通りにするなんて限りなく不可能である事は知っている。特に日本では〝覆水盆に返らず〟という諺があるくらいだ。
 自分達が限りなく奇跡に近い幸運によって、今こうして五体満足無事でいられるのだと理解すると、三人娘は互いに顔を合わせて苦笑する。
 ただし、なのはだけは先の諺を知らなかったのは、言うまでもない。
 


「そう言った意味では、君達はある意味特殊な体質なのかもしれないな」
「ただし、それは同時に無謀さを助長する一因ともなります。つまり、今回の皆さんの行動は軽挙に過ぎます。これまでの事件からも、皆さんは件の古代遺失物―――ジュエルシードの危険性は良くわかっていたはずです」
「はい……すみませんでした」



 はっきりとキツい口調で面責され、少女達は一様に項垂れて謝罪した。
 そして、それまで腕組みしながら瞑目していたクロノが面を挙げ、なのはの隣に座る少年へと鋭い一瞥を投げかける。



「そしてそこの使い魔。君にも今回の責任の一端はある」
「う……ごめん」
「いくら彼女達が管理局法の拘束によらない現地協力者とはいえ、君には彼女達を巻き込んだ以上、その安全を守る義務がある。少なくとも、彼女達を出来る限り危険から遠ざけるくらいはするべきだろう。これは、条約や規定云々以前に、人として当然のことだ」



 クロノの言葉に、ユーノは更に肩を落としてシュンと項垂れる。
 とある事情があって、今回の事件にユーノは全くというわけではないものの、それでもなのは達の危機に助けに入れなかったのは事実だ。それを責められても反論できないし、そもそもユーノにはそれについて反論するつもりもなかった。
 一時は発動した古代遺失物/ジュエルシードの傍で魔法が使えない事態に陥ったなのは達を助けに入れなかった事実と、なのは達がこれまでのことを鑑みても―――というより、なのはと本田時彦の二人が組み合わさった時の暴走具合を、今までの経験から十二分にわかっていたはずなのに、それを失念していた挙句に、時彦が攫われる事態にまで発展したこの度の事件における己の軽挙さを顧みて、ユーノは大きな慙愧に堪えない。
 その事情については後ほど説明するつもりでもあるが、同時に内心では今すぐにでもここからあの〝城〟へと転移して、すぐにでも時彦を助けに行きたい気持ちでいっぱいだった。
 無論、そんなことをすれば正面に座っている堅物執務官が黙っていないだろうし、おまけに魔導師ランクがAクラスを超えてニアSクラスに届くであろうフェイトを相手に、自分独りで時彦を奪還できると思えるほど、ユーノは自分を過大評価していない。
 そも、攻撃魔法がまともにつかえない自分が単身乗り込んだところで、よくて時間稼ぎ程度しかできないだろうし、おまけに未だに魔力が安定せず、十全のコンディションとは言い難い。それを考えれば、断腸の思いで今は我慢し、より確実な計画の基に、みんなと協力して時彦を助けに行くべきだろう。
 古来より遺跡探査を生業にしてきたユーノの一族で、遺跡を甘く見た上、無謀な探査を行って命を落とした人間は両手で足りないほどだ。計画無き蛮勇は失命を示唆している事を、ユーノは良く知っている。
 そんなユーノの葛藤を察したのか、或いは単純に戒めるだけであったのか。クロノは一度だけ深く嘆息すると、「ま、今回は事情があったようだし、これ以上言及はしないさ」と呆れたように言うだけで話を終わらせた。
 それから少しだけ厳しい顔を保っていたリンディは、彼女達が本当に反省しているのが見て取れたところで、突然相好を崩すと、短く手拍子を一つ。



「はい、反省しているならこの話はこれでおしまい。みなさん、今度からは気を付けてくださいね?」
「しかし艦長、さすがに何の咎めも無しでは……」
「クロノ執務官? 彼女達はあくまで現地における古代遺失物の被害者であり、好意的な協力者という立場です。管理局に所属しているわけでもありませんから、過度な問責はただの押し付けになるわよ?」
「ぐっ……ですが、本田時彦が拉致されてしまったのは、彼女達の軽はずみな行動にも原因の一端があるのは間違いありません。少なくとも、今後そういった行動を控え、事前にこちらに連絡をするといった対策を約束してもらうくらいはしなければ、彼女達が今後とも今回のような危険な事をしでかさないとは限りません」



 本人達を前にして随分な物言いではあるが、しかし正鵠を射ているだけに誰も反論できず縮こまるしかない。
 ……ただし、その大半の理由が某少年にあるのは明白であり、そしてその少年がこの場にいないことでストレスを溜める羽目になっている金髪の少女が約一名いるのだが、敢えて触れずにおこう。未来の某少年に幸あらん事を。



「そうねぇ……それじゃこうしましょう。なのはさん、アリサさん、すずかさん、そしてユーノ君」
「はい」
「今後―――と言っても、次の機会があるかどうかはわかりませんけれど、皆さんには、少なくとも古代遺失物に対して何か行動を起こす場合、極力私達に連絡するようにしてもらいましょう」
「連絡、ですか?」
「ええ。古代遺失物の扱いには最大限の注意を払わなければなりません。そんな危険なモノに近づく事がそもそも言語道断なのですけれど……皆さんは生憎、時空管理法に縛られない管理外世界の住人ですから、こちらのルールを強要する事はできません。ですから、私達からできるのは〝できるだけ、危険な物には自分から近づかないでほしい〟〝しかし、それでも近づいてしまう場合、私達に事前の連絡が欲しい〟とお願いする事しかできないのです。特に後者は、事が起きる前に対策を立てたり、万が一の事態に備えると言った意味でも、連絡一つしていただくだけでとても助かります」
「なるほど……つまり、万が一に備えて私達のバックアップをする、って感じでしょうか?」
「理解が早くて助かりますわ、アリサさん。その通り、私達は皆さんの安全を守るために、全力でバックアップすることを惜しみません。勿論、そんな事態にならない事が一番なのですけれど……」
「にゃ、にゃはは……」



 言外には、無茶な行動をして危うい状況に陥ったなのは達への棘が含まれていたが、ともあれ、なのは達はリンディの言わんとしている事をしっかりと理解していた。
 自分達が危険な出来事に巻き込まれても、事前に連絡があれば自分達がそれに対処できる。そうすれば、ある程度の危険は減らせるし、なにより危険な目に逢ったとしても、最悪の事態を避けられる可能性が高くなる。
 そう、例えば今回の事件においては、なのは達がリンディらに事前連絡をしていたならば、もしかしたら時彦の拉致は阻止できたかもしれないのだ。
 ジュエルシードの奪取は無理だったにしろ、時彦が拉致されるのを防ぐ事が出来れば、なのは達にしても当初の〝予定通り〟に事が進んだであろうことを考えれば、リンディの申し出もとい忠告は、拒否する点が何一つない。



「すみません……今度から、連絡を入れるようにします」
「はい。わかっていただければ幸いです」
「使い魔、君もだ」
「だから、僕は使い魔じゃないって言ってるだろ!」
「どっちでもいい。とにかく、君は彼女達と違ってこちら側の人間だからな。今回の事件が古代遺失物案件である以上、君には管理局が定めた規定に従ってもらう」
「わかってる。なのは達が危ない事をしそうになったら、すぐに連絡を入れるよ」
「……わかっているなら、それでいい」



 少し険悪なやりとりではあったが、それでも喧嘩しているわけではないとわかって、隣でやり取りを見ていたアリサはやれやれ、とユーノとクロノの犬猿の仲に溜息を吐き、すずかは微笑ましそうに二人を眺め、そしてなのははほっと短く溜息を吐く。
 ともあれ、リンディにしろクロノにしろ、二人は今回の件そのものに怒っているのではなく、あくまでも自ら危険な事に巻き込まれに行った、軽はずみな自分達の行動に対し怒ってくれているのだと思うと、なのはは申し訳なさと同時に嬉しくもあった。
 もしかしたら、アリサとすずか、それにユーノもその事に気付いているからこそ、リンディとクロノからの叱責を粛々と受け入れてるのかもしれない。勿論、今さらながらそれに気付いたところで何かの意味があるわけでもないが、しかし、まだ出会って二日も経っていない相手が、自分達の事を真剣に心配してくれているのだと思うと胸の奥が暖かくなった。
 特に、クロノは口を酸っぱくするように「もっと危機管理意識を持て」と言ってくれていることからも、かなり自分達を心配してくれているのだろう。



「えへへ」
「……何がおかしい、高町なのは」
「ううん、おかしくなんかないよ。ただ、クロノくんって、実はすごく優しいんだなって思って」
「なっ―――」



 にっこりと、ひまわりのように朗らかな笑みで答えるなの派の言葉に、ぼっ!と湯気が出るのではないかと言う勢いで顔を真っ赤にするクロノ。
 それを目撃したアリサが、咄嗟に口元を覆って顔を背けた理由は、微かに肩を震わせていることからお察しだろう。
 すずかはなのはの意見ににこにこと「そうだねぇ~」と同意を示し、いつものクールさが欠片も残っていないクロノがあたふたと焦っている姿に、なのはと二人で「あと照れ屋さんだ♪」と頷き合う。
 ユーノが少しばかり複雑そうな顔をしていたが、しかしすぐに嘆息しながら、使い魔呼ばわりされていた仕返しなのか「素直じゃないなぁ、クロノ執務官?」と嫌味たっぷりなお返しをする。
 そんなみんなの遣り取りを、リンディとエイミィは微笑ましそうに眺めていた。
 


「こ、こほん! とにかく、古代遺失物に関しては先程も言ったように、極力関わらない事! 仮に関わるとしても、僕達に連絡ぐらいはしてくれ。君達の助力にはなれるし、何より万が一における対処ができるからな」
「はーい」
「……本当にわかっているのか?」
「だいじょうぶだよ、クロノくん。次からはきちんとクロノくんとリンディさんにも連絡するもん」
「だといいが……」
「あの、それと本田君の事なんですけれど……」



 ともすれば能天気ともとれるなのはの返答に、しぶしぶといった様子で納得するクロノ。
 話がキリのいいところでまとまると、今度は待ちかねたようにすずかが少しだけ身を乗り出すようにして、今最も重要とされている案件を取りあげた。
 それまで穏やかだった室内に、瞬時に緊張感広まっていく。
 子供達の遣り取りをニコニコと眺めていたリンディも、すずかの言葉に幾分表情を固くすると、ゆっくりティーカップを持ちあげて一口だけすすり、ゆっくりとカップを下ろしながら口火を切った。



「そうね。皆さんへの注意はそれくらいにして、本題に入りましょう。エイミィ」
「はい、艦長」



 リンディの呼びかけに、補佐官であり、同時に卓越した情報収集能力を持つエイミィ・リミエッタが答えた。
 すぐに腰掛けていたテーブルに設えてある端末を起動すると、ブリーフィングテーブルの中央に投影されたホログラフ・モニターが浮かび上がる。
 すずかは言うに及ばず、その場にいた全員が表示されたモニターを注視した。



「なのはちゃん達の話から、本田君を攫ったのは〝フェイト・テスタロッサ〟という魔導師の少女です。本田君を拉致した彼女は、八回の短距離転移魔法/ショート・ジャンプを繰り返した後、追跡阻害魔法/トレース・ディスターバの反応を残して行方を眩ませています」



 エイミィの説明が始まると共に、その指がまるで鍵盤を奏でるように仮想キーボードの上で踊る。
 すると、中央のモニターに先程までのなのは達の状況の推移と共に、時彦が攫われてからのフェイトの逃走予測経路と、転移魔法発動地点の概念図が映し出された。
 最終的に九つ目の×印の後、経路はぱったりと途切れている。
 それらを見たリンディは、顎に手を当てながら小さく「ふむ」と呟くと、隣のクロノが眉間に皺を寄せながらエイミィに訊ねた。



「彼女のプロフィールは?」
「残念ながら、管理局の魔導師登録目録/マグス・レキシコンには登録されていません。ただ……」
「ただ?」
「彼女の血縁者、と思しき人物なら……」
「映して頂戴」



 少しだけためらうように告げるエイミィに、リンディは一切の迷いなく宣言した。
 それを受けて、エイミィはやや気が進まなさそうな表情を浮かべながらも、迅速にその言葉に答える。
 次にはモニターが切り替わり、全員に見えるように七つのモニターがそれぞれの面々に見えるように映し出され、そこには一人の女性のバストアップの写真と、長々としたプロフィールが表示された。
 


「プレシア・テスタロッサ。二六年前、某企業の中央技術開発局の第3局長に就任。しかし、記録ではその後に新型エネルギー駆動炉『ヒュードラ』の試験駆動実験で事故を起こし、それが切っ掛けで辺境へと異動。その後失踪しています」
「……事故?」
「資料が僅かで詳しい事はわかりませんが、実験中に駆動炉が臨界を超えて暴走。周囲数百メートルに渡る酸素を根こそぎエネルギー変換し、中規模次元震を発生させたそうです」
「凄まじいわね……その改良型が、現在の時空航行艦の主要駆動炉に使われている、と」
「というより、根幹はほとんどそのまま、と言って良いかもしれません。実験が失敗したのは、現場で勝手に行われた実験ステップの前倒しが直接的な原因で、被害が拡大したのは事前に設置されていたはずの安全装置が機能しなかったため、とあります。その後、プレシアは実験の事故の責任を負わされて退職。企業側はプレシアの退職後、安全装置を取り付けた、実験当時の駆動炉とほとんど変わらないものを市場に出したみたいです」
「……なるほど。利権絡みの出来レースと言うワケだ」



 エイミィの報告に一区切りがついたところで、クロノが心底胸糞悪そうに小さく呟く。
 アリサとすずかもまた、クロノのその言葉が何を意味しているのか理解したのだろう。揃って苦々しそうな表情を浮かべると、写真の女性を労わるように見つめ……気付いた。



「あ、そう言えば、この人―――!」
「昨日、お城の大きな広間にいた!」
「……なんだって?」



 アリサとすずかの脳裏にフラッシュバックするのは、盛大に鼻血を流し、尻餅をついている時彦と、それを護るように立ちはだかるフェイトの二人を、傲然と見下ろす一人の妙齢の女性。
 腰まで届く長い黒髪と、子供でもわかる程扇情的な恰好をしながら杖を持つその姿は、いっそ一国の女王と称してもなんら遜色が無い程、迫力に満ちていた。
 同時に、なのはもまたその姿を思い出すと同時に、フェイトが彼女の事をなんと呼んでいたのかも思い出す。そう、確か――――〝母さん〟と。



「フェイトちゃんの、お母さん……?」
「それは本当か?」
「え、えと、昨日フェイトちゃんのお家でちらっと見ただけなんですけど……その、フェイトちゃんが、この写真に良く似た人を〝母さん〟って呼んでるのを聞きました」
「なるほど……プレシア・テスタロッサ。魔導師ランク推定Sオーバー、か。となれば、その娘であるフェイトさんがアレ程の実力を持っている事にも十分納得がいくわね」
「……でも、それはありえないんです」
「……どういうこと、エイミィ?」



 再びエイミィがキーボードの上を踊り、モニターの画像が切り替わる。
 おそらく、それは何かの記事の切り抜きなのだろう。
 事件が起きた現場と思われる駆動炉の残骸の写真を中心に、左右に事細かな記述がなされている。
 そして、なのは達にもわかりやすいよう、地球の言語に訳された写真の隣に記されていたレポート記事を読んで、一瞬、なのはとすずかが息を呑みこんだ。
 


「プレシア・テスタロッサには、その企業に就職する前から一児の娘とペットがいました。父親とは離婚済みで、母子家庭だったようです。離婚後は、ミッドチルダからオフィス近くの街郊外に家を構えています。ですが、その家は……事故の暴走による余波の影響範囲内でした」
「……〝死亡していた被害者の中には、計画主任であるプレシア・テスタロッサの娘も含まれていた〟」
「そんなッ……」



 その身を切るような戸惑いの声は、誰のものだったか。
 それから誰もが口を噤み、衝撃的なその事実に言葉を失っていた。
 室内に重苦しい沈黙が満たされる。
 記事が示すのは一つの事実だが、それは同時に二つの真実を語っている。
 即ち、プレシア・テスタロッサの娘は既にこの世にいない事。そして、その真実に矛盾した、プレシア・テスタロッサを母と呼ぶ少女が存在する事。
 この二つの真実が一体何を示しているのか。
 エイミィの話はさらに続いた。



「娘を亡くし、企業を追われたプレシアですが、その後は数え切れないほどの医療関係及びデバイス開発関連の特許を取得しています。特に、現在のミッドチルダにおける最先端医療の根幹にある技術や、デバイス開発の技術の多くに、プレシア・テスタロッサ名義の特許が申請されていますね」
「細胞分裂促進薬に細胞全能性を利用した再生治療プロトコル、魔力伝導式疑似神経、同式神経バイパスを用いた機械義肢、デバイス回路の魔法術式高速処理プロセッサ、特定魔力反応型形状変化液体合金、エトセトラエトセトラ……」
「特許のパテント料だけで大富豪じゃないか。ミッドチルダでもこんな大金持ち、十人といないぞ」



 次々と表示される、プレシア・テスタロッサが取得したと思われる特許の数々を見て、文字通り目をむくリンディとクロノ。無論、ユーノも例外ではなく、特に医療関連の特許を見て「今使われている先端技術の大半じゃないか!」と身を乗り出す程だ。
 いまいちその凄さがわからない地球組のなのは達は、互いに目を合わせて「どういうことなんだろう?」と首をかしげて見せる。
 


「わかりやすく言えば、金鉱脈と油田の両方を持っているようなものだな」
「うげ……それって、ウチとかすずかの家どころか、FTIも目じゃない大金持ち、ってことじゃない」
「ふぇ!? そ、それってもしかしなくても、フェイトちゃんってばとってもすごくすごいお嬢様ってこと!?」
「うん……たぶん、私の家なんか及びもつかないくらいの、だね」
「それどころか、世界の金持ち御三家って言って良いわよ。下手すればそれすら上回り兼ねないんじゃない?」
「ふぇええ……」


 
 すずかが苦笑しながら捕捉し、アリサがもはや驚きを通り越して呆れ返る様を見て、なのはは絶句したかのように口をポカンと開けて驚いた。
 お嬢様という称号に違わぬ育ちである二人の友人は、なのはにとっての御金持という記号でもあった。だからこそ、なのはにとってお金持ちと言えばアリサやすずかのことなのである。
 それだというのに、二人が言うには、フェイトは自分達等話しにならないレベルと言うのだ。正直想像の埒外過ぎて想像が追いつかない。
 


「ともあれ、今までの話を総合するに、プレシア・テスタロッサがフェイト・テスタロッサの母親である事に間違いはないだろう。問題は、彼女達が何故古代遺失物/ジュエルシードを狙っているのか、ということと――――」
「本田君を二度も狙ったのか、という事ですね」
「まぁ、君達の話を聞いた限りでは、本田時彦とフェイト・テスタロッサが婚約関係であったなんていう話もあるからな」
「情報があまりにも少なすぎるわ。少なくとも、本田君本人か、プレシア・テスタロッサ本人に話を聞くでもしないと、二人の関係についてはこれ以上判断する材料がないもの」



 クロノの台詞を継いだエイミィの言葉に、アリサとすずかが揃って身を硬くしたことに、リンディは秘かに気付いていた。しかし、敢えてそれを無視して話をまとめ上げる。
 二人が何かを知っているのは間違いないが、それを差し引いて考えても、何故時彦がプレシアに狙われているのか、その具体的な理由はわからないのだ。
 なのはを含めた四人とも、時彦の口からも明確な答えを聞いたわけではないうえ、ただ「お互い、聞きたい事があるからだよ」としか聞いていない。
 唯一の手掛かりと思われる、時彦とフェイトの関係にしたって、その実時彦の口からの出まかせなのだ。つまり、フェイトを助けるための嘘。
 だが、今回はその嘘が事態をよりややこしくしている事に、揃って内心頭を抱えていた。そして、同時に四人とも同じ考えに至る。即ち――――時彦に任せよう。

 ともかく、プレシアの目的は依然として不明であり、早急にプレシアの居場所を特定してジュエルシードと本田時彦を奪還しなければならない事には変わりない。
 既にフェイトが回収したジュエルシードの数は、少なくとも5つを超えている。
 それだけあれば、中規模どころか大規模次元震を引き起こすことも難しくないだろう。たった一つで小規模な次元震を起こした代物だ。警戒に警戒を重ねても、したりないということはない。
 下手に発動されて次元震を起こされるのは、なんとしてでも避けなければならない。そして、そのためにもまずは、プレシア・テスタロッサの居場所を見つけなければならないのだが……。



「ただ、幸いだったのはユーノ君が昨日、プレシアがいた居城から地球へと転移する際に術式の一部を記憶していた事です。おかげで、ある程度潜伏先と思われる座標の絞り込みができました」
「そう。でも、まだ特定までには時間がかかりそうね……」



 そう言って頬に手を当て、困ったように思案するリンディ。クロノもまた眉間に皺を寄せた難しい顔をしており、とてもそれ以上話し掛けられる雰囲気ではない。
 だが、それでもなのはは聞かずにいられないことがあった。



「あ、あの!」
「なにかしら、なのはさん?」
「フェイトちゃんは! フェイトちゃんは、やっぱり捕まっちゃうんですか!?」



 シンプルかつストレートなその問いに、リンディとクロノは揃って難しそうな顔を以て返答した。
 なのは達の話を聞く限りでは、フェイト・テスタロッサが違法的な管理外世界での魔法行使や、遺失物捜索を行っているのには、間違いなくプレシア・テスタロッサが関係している。だが、だからと言って犯してしまった罪が許されるわけではないのだ。
 リンディ達が来る前はいざ知らずとしても、来てしまった後にフェイトが管理局法における違反行為を犯しているのは何度も確認されている以上、それを見逃すわけにはいかない。
 無論、フェイトが捕まったとして、その背景事情も考慮せずに罪を断じる事もないのだが、なのはの懸念はそう言ったベクトルの物ではないのだろう。
 なのはから見れば、フェイトはただ母親のために東奔西走してるだけの、普通の女の子に見えるのだから当り前だろう。確かに何度か危険な目に遭わされたり、互いに杖を交えた事もあったが、それとて互いの事情を知らないが故の衝突にすぎない。なのはにとっては、どれも〝ただの話し合い〟に過ぎないのだ。
 故に、フェイトが犯罪者扱いされているという現実に納得がいかない。何故少し擦れ違ってしまっただけで、フェイトがそんな目に遭わなければならないのか。
 そのルールを説明するにはあまりにも時間が足りなく、またあまりにも互いの価値観が違いすぎることに、リンディもクロノも、そしてエイミィも気付いている。
 だからこそ、なのはに返ってきたのは希望を裏切る現実的な、〝大人の〟回答だった。



「……当然、そうなるな」
「でも! フェイトちゃんはただ、お母さんに頼まれたからッ!」「君は勘違いをしているぞ、高町なのは」「――――――え?」



 その声は平坦で、特に感情のこもらぬ業務的なものだった。
 組んでいた腕を解き、ゆっくりとその面を挙げて見つめてくるクロノの双眸に、なのはは言葉を呑みこんでしまう。
 同時に悟った。言葉通り、自分が勘違いをしていたのだと言う事に。
 クロノが……リンディ達が時彦を助けようと動いているのは、間違いない。しかし、だからといって、彼らがフェイトも助けようとしているわけではないのだ。



「僕達は、時空管理局の人間だ。管理内外の世界を問わず、次元犯罪を取り締まらなければならない立場にある」
「勿論、フェイトさんの境遇を考慮した扱いは約束します。ですが、今現在彼女がやっているのは、私達から見て立派な犯罪なのです」
「特に、今回は君達の次元世界が滅びてもおかしくない、最大級の災害である次元震が引き起こされかねない事件にまで発展している。直接的であれ間接的であれ、僕達はどのみち、その関係者と思しきフェイト・テスタロッサ、及びプレシア・テスタロッサを確保しなければならない義務があるんだ。それが、僕達時空管理局の義務であり、次元世界を守るという僕達の誇りでもある」
「ぁ………ッ………!」



 僕達は、時空管理局の人間として動いている。それは慈善事業なんかじゃないんだ。
 クロノにはっきりとそう言われたなのはは、二度ほど何かを言いかけて口を噤む事を繰り返すと、ぎゅっと口元を引き結んで俯き、そのまま何も言わずに踵を返すと、脱兎の勢いでブリーフィングルームを飛び出していった。


 
「ちょっと、なのは!」
「なのはちゃん!」



 アリサとすずかが立ちあがり、なのはの走り去った扉の向こうへと身を乗り出す。
 しかし、走りだそうとした直前で二人はリンディ達を見ると、一言「すみません」とだけ謝り、そのままなのはを追って走りだした。











 少女達が慌ただしくぶり―フィーングルームを去ると、室内にはなんとも言い難い空気が漂い始める。



「……エイミィ、機動隊のみんなに伝達を。第二警戒態勢で待機。プレシア・テスタロッサの居場所が分かり次第、乗り込む」
「……了解。でも、良いの、クロノくん?」
「何がだ?」
「その、なのはちゃんのこと……本当に、フェイトちゃんを捕まえる気?」
「当り前だろう。彼女にどんな事情があれ、古代遺失物の不法収集に管理外世界の住人を拉致しているんだ。捕縛するには十分すぎる理由だ」
「まぁ、それはそうなんだけど、さ」
「煮え切らない言い方だな。言いたい事があればはっきり言ったらどうなんだ?」
「や、クロノ君がそれでいいならいいんだよ。うん。おねーさんには文句はありません」
「……まったく」



 リンディとユーノはただ静かにその二人の遣り取りを聞いていた。
 前者は何か考えがあっての事か、あるいは頭の中で事案を整理しているのか。ともあれ、リンディの動きはクロノの言葉通り、フェイトの確保というベクトルで間違いないだろう。ユーノは管理局組の人間を見ながらそう考える。
 だが、それを良しとしないから―――いや、その行動指針に納得できないからこそ、なのははああして飛び出していった
 クロノが主張に間違いはない。彼らは彼らの義務を為そうとしているだけだし、その中で最大限なのは達の言葉に耳を傾け、その期待に応えようとしている。
 もちろん、アリサとすずかは言わずもがなで、鈍臭くて少しドジっ娘だけど、実はとても賢く聡明ななのはもまた、その事に気付いているのだろう。だからこそクロノの言葉に何も言い返せず、そして言い返せなかった自分に耐えきれなかったから、ああして飛び出して行ってしまったのだろう。
 本当に優しい子だ、とユーノは嘆息すると共に憧憬にも似た思いを抱く。
 自分のような見ず知らずの人間の頼みを二つ返事で引き受けたことといい、フェイトに対する思いやりといい。逆に優し過ぎて怖くなってしまう事もある。
 ……そう、優し過ぎるのだ、なのはは。時空管理局といった〝正義の味方〟のような職業が致命的にまで似合わないと思えるほどに。
 彼女の優しさに敵味方の区別はない。ただ、自分が助けられるのであれば誰彼にと手を差し伸べ、例えその結果〝自分の身がどうなろうと〟誰かを助けられたのならそれでいい。自分の命が、他者のそれよりも圧倒的に軽いのだ。それが、ユーノは怖い。
 いつか、その優しさ故に自分の身を滅ぼすのではないのか。いや、滅ぼす程には至らなくても、それでも傷だらけの道を進んでしまうのではないのか。そんな不安が、最近ユーノの心の中で寒々しい悪寒となって巣食っている。
 きっと、なのははその事を指摘されても、「へいきだよ、ユーノくん!」と笑うのだろう。どれだけ自分が傷ついても、どれだけ自分が犠牲になっても、ただ相手を助けられればいい。そんななのはの思いの強さを、ユーノはここ数週間でこれでもかと思い知らされたのだから。
 現に、今もまた、フェイトを助けたい一心で無茶な事をしでかしたばかりなのだ。……まぁ、その原因にとある誰かさんの無茶と無謀の影響が多々あるのは忘れてはいけない事実だが。
 ともあれ、その悪影響を差し引いても、なのはの自己挺身、あるいは自己犠牲の心は常軌を逸していると言って良いだろう。だからこそ、ユーノは己に誓ったのだ。
 無防備な彼女を、自分の身を全く省みようとしない、彼女を傷つけるありとあらゆるものから、自分が守ろうと。そして、彼女が行こうとする道を、彼女が思う存分走れるように支えていこうと。

 ぐっと、誰にも見えないところで拳を握ったユーノは、改めて覚悟を決める。
 〝彼女〟の提示した取引が罠でないとは言い切れない。だが、たったの数度しか会い見えなかった相手とはいえ、その主人に対する忠誠は、赤の他人である自分でも痛いほど理解できる。
 そんな〝彼女〟が、自身の立場が危うくなることすら顧みず、ただ〝主人〟のためを思って行動したのだ。信用するとすれば、その忠誠心だけで十分というもの。ユーノはそう考える。
 ただ、クロノ達がユーノと同じく〝彼女〟を信じるかどうかは別問題だ。そして、クロノ達を信じさせる事が、取引におけるユーノの役割でもある。
 ……説得、できるのか?
 ちら、とエイミィと何事かを話しているクロノを盗み見ながら、ユーノは突然不安に駆られた。 
 クロノ・ハラオウン執務官殿の理路整然とした物言いと、生真面目が服を着て歩いているような人柄を思い出すと、途端に自分がしなければならない〝ミッション〟が、その後ろに〝インポッシブル〟と付け加えなければならないような気がしてならない。
 仮にも相手は、今まさに捕まえようとしている人間の関係者だ。しかも、その関係者からの協力の申し出なんて、この堅物執務官が果たして受け入れてくれるだろうか?
 内容的には、間違いなくクロノの嫌う類のものなだけに、成功する確信よりも失敗する不安の方が倍々に増している気がする。例えれば、三流アクション映画で敵組織の人間が、主人公に向かって〝お金はやるから助けてくれ〟と頼む類のものなのだ。果たして生真面目堅物執務官様は、それに対しどう返事するのか――――ユーノは、どう考えてもNO以外に想像する事が出来ない自分の想像力に嫌気がさした。
 ホント、説得できるかな、ボク?
 ……いや、できるできないではない。させるしかないのだ。
 なにより、なのはの事を思うのであれば――――きっと、この〝取引〟の成功は、なのはの望む未来だ。 
 フェイトを助けたいという願い。フェイトの力になりたいという願い。どれも、クロノ達管理局からしてみれば、叶えるのが難しいモノだ。だが、この〝取引〟にクロノが応じれば、少なくともなのはの望む前者の願いを叶える事は出来る。



「…………やってみせるさ」



 なのはのためだ。
 いつでもどんな時でも、自分の事以上に他人を気にかけるあの優しいパートナーの事を思えば、今の今まで弱気になっていた自分が情けなくなる。
 決めたはずだ。なのはを支えていこうって。彼女が彼女の望む道を進めるよう、力になろうって。
 だったら、いつまでもつまらないことでウジウジ考えている暇なんてないじゃないか!
 


「あの!」

  

 それまで沈黙を保っていたユーノの、やけに通る朗々とした声が、ブリーフィングルームの中に木霊する。
 リンディとエイミィがこちらを見て、そして送れてクロノがゆっくりと振り向く。
 少し、その威圧感に気圧されかけたが、ユーノは改めて内心で自分を鼓舞して耐えて見せる。
 そうさ。僕は守るんだ。なのはが進む道を、なのはが進みたい道をなのはが進めるように、いろんなものからあの子を守るって決めたんだ。
 なら、こんなチビ豆執務官の圧力なんかに屈してなどいられない。


――――例え火の中水の中だろうが、好きな子のためならえんやこら!


 ふと、時彦のそんなバカな台詞を思い出した。
 時彦なんかの言葉に同意するのは癪だが、しかし今この時ばかりはそれに賛同せざるを得ない。
 何故ならば。



「リンディさん、クロノ執務官。お話があります」
 


 自分がやろうとしている事は、時彦のそれとまるっきり同じような動機からきていたからだ。
 









 
 ブリーフィングルームを飛びだしたなのはを追っていたアリサとすずかは、思っていたよりも早くなのはの姿を見つける事が出来た。
 部屋を出て角を一つ曲がったところ、休憩用にという意図で設えられているのか、三人が腰かけられそうなベンチに独り、俯いて腰かけていた。
 なのはの座るベンチの背後には、鎧戸のようなシャッターが下りた窓があり、もしここが宇宙空間に浮かんでいたのであれば、そのシャッターの向こうには息を呑むほど美しい、漆黒の海に浮かぶ星の絨毯が広がっていただろう。時彦が今朝、それを見れなかった事について地団太を踏むほど悔しがっていたのを、アリサは思い出した。
 やや癪ではあるが、しかしこのシャッターの向こうに広がる星空を見れたら――――そう思うと、そんな時彦の悔しさに同感せざるを得ない。
 そして、そんな星空を背景に黄昏るなのはを想像して、やや不謹慎だが、それが見れない事を改めて残念に想うのだった。



「…………わたし、どうしたらいいんだろう」
「なのは……」
「なのはちゃん……」



 足音でわかったのだろう。
 アリサとすずかが近づいてくるのに合わせるようにして、なのははぽつりと、蚊の鳴くような声でそう呟いた。
 二人とも、なのはが今抱えている苦悩が痛いほど理解できてしまう。
 友達としてフェイトを助けたい思いと、クロノの言葉の正しさ。
 互いの世界におけるルールが異なるが故の、些細な擦れ違いだ。単純ではあるが、だからこそどうしようもない。
 フェイトを助けようとすれば、きっとクロノは自分達の事も捕まえようとするだろう。
 しかし、フェイトを助けなければ、きっと悲しい結末しか待っていない。
 


「わたし、フェイトちゃんを助けたい。でも、クロノくんが言っている事も正しいってわかるの。ジュエルシードが危険なもので、フェイトちゃんがそれを集めてるのもほんとうで、でもそれはいけないことで……。だから、クロノくんが次元世界のおまわりさんなら、フェイトちゃんを捕まえようとするのは何もおかしくないんだって……頭ではわかってるんだ」
「……そうね。クロノは間違ってないわ。それが彼の仕事だし、フェイトは現に、私達からジュエルシードを奪ってるもの」
「それでも! フェイトちゃんは好きで集めてるわけじゃないんだよ!? お母さんに頼まれたから、仕方なく集めてるだけなのに……」



 何もできないことへの悔しさなのか、なのはの声は徐々に水気を帯び始めていた。
 深く俯き、膝の上に載せられた拳が微かに震える。ぎゅっと握りしめられた手は、微かにスカートの裾に皺を作り上げていた。
 その姿に、アリサとすずかは何も言えなくなってしまう。
 だが、同時に二人は想う。今、自分達にできる事は何もないのだ、と。
 時彦を助けようにも、それにはユーノかクロノ達の協力が不可欠だし、仮に自分達だけでフェイトに会いに行けたとしても、会ったところでどうなるというのだろう?
 フェイトの意志の強さは言わずもがなで、ともすればなのはの頑固さにも引けを取らない。そんなフェイトの説得などまず無理な上、下手に戦闘にでもなろうものなら余計に話がこじれてしまうのは火を見るより明らかだ――――明らかなのだが。



「ま、それをどうにかしたいから、っていってあの馬鹿が拉致されたんだけどね」
「ちょっと、無理矢理だった気がするけどね」



 やれやれ、と嘆息して呆れるアリサの言葉に、すずかが苦笑を交える。
 今回の時彦の演技―――といえるかどうかは微妙だが、題して〝実はフェイトが許嫁とそっくりだったから勘違いしちゃった〟作戦には、正直三人ともあまり乗り気ではなかった。特に、アリサとすずかは。
 時彦の言い分では、そうすることでクロノ達にフェイトが自分達の関係者であることを印象付け、出来る限りフェイト=犯罪者であるという認識を挿げ替えようとしてのことだった。
 ……結果は、まぁ言わずもがなで、正直成功したかどうかでいうと、否としか言いようがない。
 クロノ達がフェイトとその母親、プレシア・テスタロッサの逮捕に踏み切ろうとしているのは明白だし、アリサとすずかでさえも大規模な組織なのだと理解できる時空管理局と言う組織は、一度決定が下れば余程の事でもない限り、それが覆る事はないだろう。



「フェイトちゃんの住んでるお城も、今はまだ分からないみたいだけど、時間が経てばわかる、みたいな事をエイミィさんがおっしゃってたし……」
「居場所が分かったら、クロノ達は間違いなく、すぐにでも踏み込みに行くでしょうね。この組織、一度動き出したら迅速っぽいし」
「じんそく?」
「えっと、物事を進め方とかが、とても素早いことだよ。ほら、子供と大人じゃ全力で走る時の速さが違うでしょう?」
「え? なんでクロノくん達が動くと速いの?」
「組織っていうのは、最初の動きだしは亀みたいにおっそいけど、一度動き出したら新幹線、って相場が決まってるのよ。逆に、最初の動きが素早いけど、最高速度がせいぜい乗用車程度なのがうちらみたいな小さな集団ね」
「そうなんだ……ということは、フェイトちゃんを助けるためには、クロノくん達が動く前にどうにかしないとだめ、ってことなの?」
「そう、だね……クロノ君達が動き出してから私達が動いても、多分間に合わないと思う」



 そうなれば、もはやフェイトの逮捕までは秒読みだ。なのは達には、フェイトの逮捕という結果を指を咥えて見ているか、あるいはフェイトを助けるために、厳罰を承知で捨て身の邪魔をする他ない。
 前者は自分達にとって納得のできる結果ではなく、後者は自然とクロノ達と衝突する事を意味する。
 そして、自分達がもし後者の選択肢を取った際、果たしてどんな結果になるのか――――そのリスクが想像できない以上、迂闊に行動するわけにはいかないのだ。
 ……時彦に出会う前であったら、そう思っただろう。



「ま、どっちにしろ私らがすることは決まってるでしょ?」
「問題は、どうやってユーノ君を説得するかだけど……」
「言う事聞かなかったら美由希さんの手料理フルコース食べさせればいいんじゃない?」
「それは、ちょっとひどいような……」
「あの……アリサちゃん、すずかちゃん?」



 何故か話に置いていかれているような気がしたなのはは、おずおずと手を挙げて二人の名前を呼ぶ。
 そもそも、さっきのクロノ達の行動が云々という話から、どうしてユーノの説得(そもそも何をどう説得するかは置いておいて)という話が出てくるのか、なのはは理解が追いつかない。
 みる限りでは、アリサもすずかも、お互いこれからどうするかを決めているらしく、その言葉の節々にはなんら迷いを感じられない。
 一体この二人が今何を考え、そして何をしようとしているのか――――なのはは首をかしげて、質問を投げかけた。
 


「なんで、ユーノくんがでてくるの? というか、なにをするつもりなの?」
「……はぁ? アンタバカぁ?」
「うにゃっ!? ば、ばかはひどいよ!」
「バカにバカって言って何が悪いのよ。なにするかだなんて、そんなの決まってんじゃない」
「決まってるって……」
「なのはちゃんが今、一番やりたいことだよ」
「わたしが、いま、いちばん、やりたいこと……?」



 一言、一言。すずかの言葉を口の中で転がすように反芻する。
 腕を組み、心底呆れたと言いたげな表情で顔をしかめているアリサ。
 その隣で、まるで母の桃子のように慈愛にあふれた微笑みを浮かべるすずか。
 二人の顔を交互に見比べ、そしてようやく、なのははアリサの態度と、すずかの言葉の意味に思い至った。



「そ、それって――――!」
「そういうことよ。でも、アンタはその、てんそうまほー、だっけ? 使えないんでしょ?」
「でも、ユーノ君ならこの間使ってたでしょう? だから、ユーノ君に協力してもらおうって」
「アリサちゃん……すずかちゃん……!」



 感極まったなのはは、目尻に浮かび始めた涙を拭う事もせずに、勢いよく大好きな親友二人へと抱きついた。
 いつまでもうじうじと迷って、くさって、悩んでいた自分が恥ずかしい。
 自分がそんな情けない醜態をさらしている間にも、二人の親友はずっと前を向いていた。心を折ることなく、迷うことなく、逸らすことなく、ただまっすぐに走らせていた。
 そんな親友に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思うと同時に、こんなに素敵な親友が二人もいる自分が、とてつもなく幸せに思える。



「もとより、私達はフェイトを助けるつもりでやってきたんだもの。あったりまえでしょーが」
「アルフさんとも約束したし、私も、ちょっと個人的に気になる事があるから……」
「それでも、それでもうれしいよっ! アリサちゃん、すずかちゃん、ありがとう、だいすきっ!」
「ちょっ、力入れ過ぎだってばっ! もー、しょうがないやつね、アンタって娘は」
「ふふ、アリサちゃん顔真っ赤。ひょっとして、照れてる?」
「う、うっさいっ! そういうすずかだってちょっと顔赤いじゃないの!」
「もちろん、嬉しいからだよ?」
「うー……時々、アンタが私と同い年なのが不思議でしょうがなくなるわ」
「えへへー、アリサちゃんとすずかちゃんもやさしくてだいすきですっ!」
「よしよし。大丈夫、私も優しいなのはちゃんと照れ屋さんなアリサちゃんが大好きだよ」
「アンタらちょっとは恥ずかしがりなさいよ!?」



 少女三人の間に、くすぐったくて、こそばゆい空気が流れる。
 フェイトという、新しい友達を助けたいという共通の思いと、それに伴うリスクなどものともしない友情。
 見る人が見れば、それはきっと、子供の御ままごとに取られるようなものなのかもしれない。
 だが、例え第三者がどう思うとも、なのはとアリサ、すずかの三人にとって、今この瞬間、そしてこれから先もずっと、互いに繋がった見えないソレは、誰にも断ち切ることのない、強固で柔軟な宝物だ。
 その宝物を、フェイトに――――あの不器用な少女に分けてあげたい。あなたは独りじゃない、私達もいるんだよ、って伝えたい。
 三人の思いは違わず一つ。その友情は、どんな困難すらも撥ね退けて見せる。
 二人の親友と手を繋ぎ、互いに顔を見合わせて歩きだす。
 ぎゅっと、暖かく滑らかな手に力を込めて、なのははまっすぐ前を向いた。
 友達を助けるために、今は迷わず歩いていこう。例えそれが、クロノとぶつかってしまう道になるのだとしても――――。






 それからしばらく後、高町なのは、アリサ・バニングス、月村すずか、ユーノ・スクライアの四名はアースラから姿を消した。
 去り際に使用したと思われるトランスポーターに残されていた転送履歴より、四名の転移先は、その直前にユーノ・スクライア及びその協力者による情報提供によって割りだされた、プレシア・テスタロッサの拠点と思われる〝時の庭園〟と判明。
 時空管理局所属アースラ魔導師部隊は、クロノ・ハラオウン執務官の指揮の下、四名の捜索、及びプレシア・テスタロッサ、フェイト・テスタロッサ両名の身柄確保のため、四名の失踪から数時間後、ようやく〝時の庭園〟へと突入する。
 折しも悪く、クロノらアースラ魔導師部隊が〝時の庭園〟へと侵入した時点で、庭園深部より高魔力反応、及び微弱な次元振動を感知。状況は次元震発生一歩手前に差し掛かっており、プレシア・テスタロッサ及び既に発動していると思われる奪取されたジュエルシードの確保、封印の急を要する事態となっていた。
 そして……。



「どうしても、そこを退かないと言うんだな?」
「……ごめんなさい、クロノ君」
「でも……これが、わたしと、わたしたちのだした答えだから」
「そうか――――ならば、力尽くでもそこを退いてもらう!!」



 〝時の庭園〟へと突入したクロノ・ハラオウン含むアースラ魔導師部隊は、庭園の城、その中央大広間にて、高町なのは、及び月村すずかと対峙した。
 










 フェイト・テスタロッサが使い魔、アルフにとって今の状況は予想外と言って良いものだった。
 ちらりと気付かれないように後ろを振り返れば、肩にブロンドの毛並みが眩しいフェレットを乗せた少女と、その友人の二人の計三人の少女が付いて歩いている。
 フェレットと、ソレを肩に乗せた少女はわからなくもないが、その両隣の二人の少女が何故ここにいるのか。いや、そもそも何故この三人〝しか〟この場にいないのか。
 この事態を招いたのは自分だが、しかし予想の斜め上をいく少女達の行動に、アルフは視線を前に戻しながら、そっと嘆息した。 

 先日のプレシアとの対話以降、秘かに最愛の主であるフェイトにも打ち明けず抱えていた考え―――それを敵側であるはずの魔導師、ユーノ・スクライアへと取引として持ちかけたのは、フェイトが海鳴の街外れにある廃材置き場で、高町なのはらとジュエルシードを取り合っている時のことだ。
 内容はいたって簡単。
 こちらの――つまりフェイトの事――身柄の安全の保証と引き換えに、プレシアの居場所を教える。
 それは間違いなく、裏切り以外の何物でもない行動だ。
 主人であるフェイト・テスタロッサは母プレシアの命令に従う事を第一とし、その邪魔をするものを出来得る限り、時には容赦なく排除してきた。
 それが間違っているとは思わない。だが、その努力の末に与えられる結果を見た時、アルフは到底ソレを許容する事が出来なかったのだ。
 文字通り身を削り、危険を顧みず必死の思いで言われた通りに古代遺失物を集めてきても、待っているのは〝役立たず〟の罵倒と容赦なき鞭打の〝躾〟では、あまりにも救われない話ではないか。
 アルフは知っている。彼女の主フェイト・テスタロッサは、決して〝役立たず〟でもなければ、理不尽な鞭打ちを褒美として頂かなければならないような〝無能〟でもないと。
 だからアルフは、あまり得意ではない〝頭を使って〟必死に考え抜いたのだ。どうすれば、大好きなご主人様を幸せにできるか。そのためには、まず何よりもあの鬼婆からフェイトを引き離さなければならない。それが最も近道で、フェイトにとって最良ではなくとも、それでも今よりはるかにマシな道となると、アルフは考えたのだ。

 しかし、それには二つの障害があった。

 一つは言うまでもなくフェイトの承諾。
 母のためなら命すら投げ出しかねないフェイトが、母を見捨てる、ないしは裏切ってどこか遠くへ逃げるなど考えられない。きっと、説得しようにも無駄に終わるのは火を見るより明らかだ。
 そしてもう一つは、仮にフェイトをあの鬼婆から引き離せたとして、その後どうするか、ということである。
 万一説得に成功し、あの鬼婆の下から逃れられたとして、ではその後、自分達はどうすればいいのだろう?
 アルフにとって、世界はあの〝時の庭園〟であり、その外側へとやってきたのは今回の探索が初めてのことだった。はっきりいってしまえば、世間知らずの一言に尽きる。
 基本的な生活の知識こそあるものの、実際に暮らしてみるのとでは大いに違う。それは、今回の探索の前準備として、第九七管理外世界における活動拠点の確保の際に痛いほど学んだことだった。
 つまり、後ろ盾―――バックアップがないのである。
 戸籍も何もないような管理外世界で拠点を手に入れられたのは、結局はあの鬼婆の御蔭である。それに伴う諸雑務や使用する通貨も同じくプレシア・テスタロッサのバックアップの御蔭であり、仮になんのサポートも無しに自分とフェイトが管理外世界にほっぽり出されていたら、その日の内に路頭で迷うハメになっていただろう。
 速い話が、逃げ出してからの転がり込む先がないのだ。幸せになるために逃げ出したのに、逃げ出した先で不幸になりましたでは笑い話にもならない。

 結局、アルフが選択したのはソレは苦渋の決断だったと言えよう。
 だが、二つ目の障害を考える場合、こと時空管理局という組織は実に魅力的な存在だったのだ。
 なによりフェイト達にとって身近とも言える第一管理世界/ミッドチルダに本部を置いており、様々な次元世界を旅する性質上、イレギュラーな出来事があってもある程度の柔軟性を以て対応できる。
 であれば、古代遺失物の違法収集や管理外世界での魔法行使といった、時空管理法を犯した自分達であっても、彼らが今直面している危機を餌として利用すれば、もしかするかもしれない。
 アルフが思い至ったのは、そんな漠然とした博打のような取引だったのである。
 無論違法行為による罰則は免れないだろうが、それでも愛する母に報われぬ愛情を求め、挙句に鞭で打たれるような今の生活よりかは遥かにマシの筈だ。
 最悪の場合、フェイトを連れてあの第九七管理外世界のどこかに逃げ込んで、ほとぼりが冷めるまで身を隠し続けても良い。万年人手不足の管理局が、自分達ごときを、おなじ次元世界にとどまって何年も探し続けるというのは考えにくいし。
 ……例え結果的にフェイトに恨まれようとも構わない。愛する母に鞭で打たれる主人の姿を見るより、自分が嫌われた方が遥かにマシだ。

 そういった考えの末、アルフは先日、ユーノに件の取引を持ちかけたのだった。

 仮にこのたくらみが上手くいったとしても、フェイトはきっと悲しむだろう。
 例え鞭で打たれようと、母の元で暮らす方がいいというに違いない。
 最悪の場合、大好きなご主人様はこのバカな使い魔を嫌いになるかもしれない。
 でも――――例え身を引き裂かれるような言葉を投げつけられ、この世で最も憎いとばかりに睨まれようとも、アルフは想う。
 それでも、愛する主人が実の母に鞭で打たれるのを見るしかないよりは遥かに良い、と。 

 ただ、アルフはもう一つ、その決心の裏側に潜んでいる打算から敢えて目を背けていた。
 今自分の後ろを歩いている三人の少女と一匹、そして今まさにフェイトとあの鬼婆と共にいるであろう少年。
 しつこいくらいに幾度となく自分達の前に立ち塞がり、今なおこうして自分達に纏わりつく物好きな子供達。
 彼女達なら、もしかしたら――――。
 


「……なんて、なにバカなこと考えてんだろぅね、アタシは」
「え? なにかいいました、アルフさん?」



 耳聡く自分の独り言を聞きつけたなのはが、そのお下げを揺らして首をかしげながら近づいてくる。
 つい先日までは敵対していたと言うのに、この無防備さはどうなんだろうね、と内心で呆れ返りながら、アルフは「なんでもないよ」と適当にあしらう。
 そんなアルフのつれない返事に、まるで邪険にされておちこんだ子犬のようにシュンと項垂れるなのは。それを右隣の黒髪の少女が慰め、今度は左隣の金髪少女がなんか怒鳴ってくるが、アルフは聞こえないふりをして無視した。
 ホント、こんな小娘達に何を期待してんだろうね、アタシは。
 今度ははっきりと溜息を吐いて、アルフは再び前を見据える。
 やがて、異様な威圧感を以て聳え立つ巨大な扉の手前にたどり着くと、アルフは深呼吸をした。
 小娘達の話からして、管理局の連中が踏み込んでくるまでもう少し時間があるはずだ。
 それまでに、何としてでもフェイトを説得する。今、自分が為すべき事はそれだけだ。
 例外的に一つだけ、することがあるとすれば――――それはきっと、いるのかいないのか定かではない神様とやらに、御祈りをするくらいだろう。
 アルフは、ほとんど期待もしてない神様へ、短い祈りを捧げながら、扉を押しのけた。



――――フェイトが、宇宙一幸せになりますように、と。
 

 

































――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いぶりすのせーぞんほーこく
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
とりあえずいきてます。

地震直後ホント諸々あって、しかし筆が進まず放置

月末変なウイルスに掛ってニート

なんとか更新←いまここ


  あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

『おれは〝なのはとフェイトのガチバトルを書く〟と思ったら、いつのまにか〝クロノとなのはのガチバトルを書く〟と思っていた』

 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
  おれも何をされたのかわからなかった  

  頭がどうにかなりそうだった…

 超展開だとか催眠術だとか
  そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ

 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…


そんなわけで次回からようやく終息編。
第一部完に向けてがんばりまっしゅ。




[15556] 魔女と僕と質疑応答
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:96b828d2
Date: 2012/04/23 07:39
 
 プレシア・ベルリネッタ。
 前世を思い返せば必ずと言って良いほど思い出す、俺とシルフィ双方に共通する超天敵の名前である。
 ぶっちゃけシルフィの実の母親で、俺にとってのお義母様なんですけどね。

 そんなお義母様を一言で表すとすれば―――――ずばり、マッドサイエンティスト。これしかあるまい。

 前世における大富豪世界ランキングトップ10に入るような財力と、世界一と呼んでも差し支えない超大企業、ヒザキコンツェルンの医療生体科学研究局の局長とかいう肩書を持ち、当時加速度的に深刻化していた少子化問題の解決手段として、後に大流行することとなる代理出産用人工子宮型培養機を開発した〝現代の聖母/マリア〟と称される大天才様。
 だが、それはあくまで表向きの顔。
 実態は 双子の娘の内片方しか愛さず、その愛していた片方の娘が死んだとなると、すぐさま全財産と人生を費やして死者蘇生紛いの技術を完成させた挙句、その実験に必要だからと人様の血液欲しさに殺しにかかって来るような、モンスターペアレンツも真っ青なヤンデレママである。
 そんな、金を持っているマッドサイエンティスト程質の悪いものは無いカテゴリに入るお方のおかげで、前世ではホントに酷い目に遭った。シルフィも十分性格がアレだったが、その母親も母親だ。
 ちなみに、その殺されかけた奴っていうのは言うまでもなくシルフィの事であり、ヤンデレ選手権ぶっちぎりトップのプレシアお義母様に愛され過ぎている双子の片割れというのが、実はシルフィの姉だったりする。転じて、シルフィはその内のもう片方―――つまり、〝愛されずに捨てられた〟方だってわけだ。
 親子関係が歪んでるどころの騒ぎじゃない。
 そんな背景事情を知ってしまえば、シルフィのあの破天荒な性格にも思わず納得が言ってしまうばかりか、よくもまぁこんなにも正しい方向にひねくれてくれたもんだ、と感心する事しきりだった。
 無論、一度だけ俺は、シルフィに家族関係の事について詳しく訊ねて見た事がある。だが、シルフィはその姉の事も含めて多くを語らなかったし、プレシアお義母様に至っては「貴様なんぞに語る舌などもたぬわ!」みたいな態度だったので、実のところシルフィの姉というのがどんな人物だったのか、俺はまったくもって知らない。
 ただ、シルフィが言うには「本当なら、死ぬのはボクの方だったんだ」と語っていたことから、きっと何かの事故に巻き込まれたのかもしれない。
 シルフィの姉に関する事は、全て憶測だ。俺が知っている事と言えば、シルフィには姉がいた事。プレシアお義母様はその姉を生き返らせようとしていた事。そのためにはシルフィの血液――遺伝情報――が必要だった事。そして、そのシルフィの血液をめぐって、俺とシルフィがものすんごくエライ目に遭わされた、ってことだけ。
 その過程の中で、シルフィは自身の血液と引き換えに大金を得て、〝ベルリネッタ〟の名前を捨てた。
 結果だけを見れば、それは決してハッピーエンドとは言い難い。
 口では憎まれ口を叩きながら、愛が欲しいと行動で示し続けた醜いアヒルの子は、結局一滴一欠片の愛情すら得ることなく、天涯孤独の身で空へと旅立ったのだから。
 
 だが、俺はそんなシルフィを心から誇りに思うと共に、最後まで偏屈な科学者であり、たった一人の娘の母親であり続けたプレシア・ベルリネッタを、色んな意味で尊敬する。
 
 最終的に、その頑固比べはプレシアお義母様の勝利で終わってしまったわけだが、負けてもタダでは転ばないシルフィの強かさは、間違いなくあのヤンデレお義母様譲りに違いない。
 ともあれ、頑固者で意固地で一度決めたら絶対に曲げないところなんて、ホント親子そっくりだ。
 そのそっくりさ加減が、まさか〝こっち〟でも当てはまるなんて、ホント世界ってのはフシギで一杯だ。



「それで、二回もいたいけな少年を拉致した理由ってなんなんでしょーか」
「先日は邪魔が入ったから聞き出せなかったでしょう? 今日はその続きよ」
「うわーい全然うれしくねー」
 
 
 
 ホントに――――しつこさまでもが〝あっち〟のお義母様とそっくりって、勘弁しろよ畜生。




 





                           俺はすずかちゃんが好きだ!










 フェイトに拉致された後、俺が案内されたのはまたしても、あのバカでかい広間だった。
 ぶっちゃけ鼻血を出したり殺されかけたりすずかちゃんに情けないカッコ見せたりで、全然良い思い出がないんだが、連れてこられた以上しかたあんめぇ。
 拉致されたのは予想外にしても、できればもう一度落ち着いて話を聞きたかったというのは少なからず考えていた事なので、こうして再び見えた事は棚から牡丹餅な出来事であるとも言える。
 ……そうポジティブに捉えないと、いいかげん俺の身体どころか魂に染み付いているとしか考えられない不幸体質にめげそうになるのですよ。
 実はね、恥ずかしながらワタクシ、前世におきましても数回拉致されたことがありまして、ええ。
 さらに付け加えますと、その度に助けてくれたのは何を隠そう、重度の邪気眼厨二病患者ことワタクシの嫁さんでしてね?
 いやー、もう今世でも既に心の中の嫁ことすずかちゃん(+その他数人)に一度拉致から助けてもらっている以上、またこうして拉致されてしまうとなると、もはや不幸の星の下に生まれたというより、魂の芯までヒロイン体質が染み込んでるんじゃなかろうかと疑ってしまう次第でして……。
 …………ちくしょうっ!
 今度こそは絶対に自力で脱出してやるからな! 今度という今度こそヒロインみたいな助けられ方はしてやらねぇぞクソッタレがァっ!



「……なんて思っていた時期がボクにもありました」

 
  
 冷静に考えてみたら、自力で脱出しようにも俺ってば魔法使えないから無理なんだった。てへぺろっ♪
 どう考えてもこの〝時の庭園〟とやらは地球にはないだろうし、仮にあったとしても海鳴の近くとは絶対に考えられん。
 城の外に出れば青空が広がり、青草の香りを一杯に孕んだ風も吹いているしで、たぶんどっか別の星か何かなのかもしれんが、まさか歩いて帰れる距離にあるわけじゃないだろ。
 もしくは、クロちーとかが言う別の〝次元世界〟って線もありかもしれん。ていうかそっちのほうが濃厚な気がする。
 ……どちらにせよ、脱出は不可能ってわけだ。



「どうやら、お話をしてくれるつもりにはなったようね?」
「そりゃまー、拉致を二回もされちゃぁ、逃げ回る気も失せますって」
「賢明な判断が出来る子で助かるわ」



 表情を一切変えず、前回と同じように広間の中央奥、デン!と設えられている玉座に腰掛けている妙齢の奥様は俺を見据えていた。
 俺を連れてきたフェイトは既にいない。あのオバサンに、広間にはいるなり「下がりなさい、フェイト」と労いの言葉もなく追い出されたからだ。
 下手すりゃクロちー達に現行犯逮捕されてもおかしくないほどのリスクを背負って、アイツは俺を拉致したと言うのに……薄々思っていたが、このオバサンからは、前世の〝お義母様〟と全く同じ匂いを感じてしまう。
 同時に、胸の奥にどろっとした何かが溜まっていくのを感じ、俺はそれをぐっと堪えてわかりきったことを聞いた。



「……んで、何が聞きたいんですかァ? 人一人攫うっていう博打を打った娘に労いの言葉一つ賭けられない冷血オカーサマ?」
「娘というのが誰の事を言っているのかわからないけど、そうね。回りくどいのは私も好きではないから、単刀直入に聞くわ」



 ……おいおい、マジですか。そんなところまで瓜二つってか。
 だが、ここでそれを突っ込んでもまた話がグダグダになりそうなので再び我慢。



「貴方、どうやってジュエルシードを制御したの?」
「へ?」
「とぼけても無駄よ。あの出来損ないから話は聞いているもの。先日、ジュエルシードを発動した際に、その力を制御したらしいわね?」
「いや、あの、いきなりなんのことやら……」
「本来、アレを発動させてかつ自分の思い通りに制御するには、大規模な演算能力を持ったデバイスが複数必要なはずよ。それも演算能力が高いだけでなく、〝使用者〟のイメージを出来る限り具体化できる〝偶像抽象化〟の補助も可能なものでなければならない。とてもではないけれど、人一人が個人で制御しうるものではないの」
「……えくきゅーずみー? 自分、てんでお話についていけないんですが~」



 ジュエルシードの制御って、もしかしてすずかちゃんと忍さんの身体入れ替わり事件の事を言ってるのか?
 確かに二人の身体を元に戻すために発動したのは俺だけど、その後どうやって封印したのかとか全然知らん。制御方法なんて以ての外。
 そもそも、そんな事できるんだったら既にやってますがな! 大事な大事なマイ・サンッを取り戻してますがな! ないジュエルシードは高町から死んででも奪い取って!
 ……でもなぁ、最近の高町おっかないんだよなぁ。鬼ー様とかしろーさんとかに鍛えられてるのもあるし、魔法なんていうチート技覚えた所為で妙に強気になってきたって言うか。
 以前は自分に自信がないからか、言動に主体性が無くて見てるこっちがイライラしたり、周囲に合わせようと必死にへらへらしてたりで見ててむかつくような奴だったのに、今じゃしっかりと「だめだよほんだくん、それはやっちゃいけないことなんだから!」とか何とか某金髪学級委員様みたく歯向かってくるようになっちゃってまぁ……いいことだな、うん。

 ってそうじゃねぇよ!

 高町なんてどうでもいいんだって。そんなことよりジュエルシード、そうジュエルシードです!
 


「俺がアレを制御って……魔法少女でもない、極々一般家庭に生まれ育ったいち小学生の俺にそんなことできるわけないじゃないですか」
「……なるほど、発動した事に関しては否定しないのね」



 うげ、墓穴掘った!?
 ええぃ、隠す事でもないし、ここは素直に話を続けよう。



「いや、まぁ確かに発動はしましたよ。危急の状況でしたし、俺がやらなきゃ誰がやる!的な感じで切羽詰まってましたもん! でも、だからってアレを制御できたとかいうのとは別の話です! 俺はただ発動しただけで、その後どうやって封印されたのかなんて知りませんし、仮に俺が制御したんだったとしても、やり方なんて覚えてるわけでもないし後遺症出てるしで失敗もいいところですがな!」
「それでも、貴方は今こうして無事に生きているわ。つまり、最初の目的は〝叶えた〟ということよ。そして、願いを叶えて生きているということは、十分制御できたと言えるわね」



 組んでいた膝を組み換え、頬杖をつきながら冷然と俺を見据えてくるプレシアおばさん。
 同時に、俺はその威圧感の向こう側に潜む心の声を聞いた。



「つまりなんですか――――速い話、自分も使いたいからその制御方法を教えろ、と?」
「理解が速くて助かるわ。そうよ、それさえ教えてくれれば、すぐにでも貴方を家に帰してあげるわ」
「魅力的な提案ですが、残念ながら知りません。あえていうなら〝イメージしろ!〟としか」
「……そう。とりあえず、この質問は後回しにしましょう」



 あれ?
 やけにあっさりと引き下がったな。
 てっきり前回のように力尽くでも危機だそうとして来るかと思って、内心かなり身構えていたんだが……。



「次の質問だけれど……」
「はぁ。俺としてはさっさと家に返してほしいんで話がサクサク進むのはありがたいんです―――「〝シルフィ〟」―――がっ」



 心臓がとび跳ねた。
 全く予想していなかったわけじゃない。
 前回アレだけ凄まじい〝尋問〟をしかけてきた以上、その名前がこのオバサンにとってタブーに等しいモノであったのはわかりきっていた事だ。
 ならば、次に会う機会があれば、その事について聞かれるんじゃないか、ってくらいには俺も頭の中では考えていた。
 でもこれは不意打ちすぎる。
 ゆっくりと、先程よりさらに冷え込んだ、まさに絶対零度の眼差しで俺を見据える魔女の方へと向き直る。
 


――――殺される。
 


 下手な回答をすれば、文字通りその運命が俺の目の前に待ち受けている事を理解した。
 虚偽も誤魔化しも許さない。ただ真実のみを語ること以外に、この城を出る術は無い、とその双眸は語っている。
 間違いない。
 俺は、無意識にも――――またもや特大の地雷の上に足を乗っけてしまったのだ。



「何故、貴方がその名前を知っていたのかしら?」
「そ、れは……」
「いえ、貴方がその名前を知っている事にはなんの問題もないわ。もしかしたら貴方の暮らしている世界にいた知人かもしれないし、なんらかの縁がある人間なのかもしれない」
「や、やだな、そんなわかりきってるなら、なんでわざわざ――――」
「問題はね、坊や。何故、貴方がその名前を、私に訊いてきたのか、ということなのよ」


 
 今度こそ、全身に緊張が走った。
 意識しなくとも足の指先にまで力が入り、手のひらには気持ち悪いほど汗が溢れてくる。
 鋭いなんてもんじゃない。このオバサン……ほとんど答えをわかっていながら聞いてきてやがる。
 確かに、普通に考えれば俺が〝シルフィ〟なんていう名前をしっていようがいまいがどうでもいいことだろう。
 仮に生き別れの兄弟か何かだとして、行く先々の人に聞いているんです、とでも言えば言い訳としては成り立つ。



 あくまでも、赤の他人に対しての質問であれば。



 だが、それが関係者―――つまりシルフィの肉親だったり、ないしはそれに近い、深い関係を持っている人間であれば、話は違ってくる。
 もし、もし仮にだ。
 この目の前の魔女様がシルフィの実の肉親、つまり母親だったとして、見ず知らずの別世界に住む小僧が、突然「シルフィって子のこと知りませんか?」と実の娘の名前を出してきたらどう思う?
 当然警戒するはずだ。
おまけに、あの時俺はシルフィの事を聞くのに合わせて、アイツの具体的な性格までもをうっかりはちべぇどころではないレベルで暴露してしまっているのでした。
 だとしたら、この魔女様の懸念が何であるのか――――容易に想像できる。
 
 
 
「今までのやり取りでわかったことだけれど……貴方、見た目とは不相応に頭が賢いものね。私が何を聞きたいのか、わかるのではなくて?」
「か、かか、買いかぶり過ぎじゃないっすかねぇ~……いやほら、ホント自分、単にませてる小3のガキでしかないんで……」



 噛み噛みの返事をしながらも、俺は必死にこの後につなげる会話を考えていた。
 今の俺に出来ることと言えばそう多くはない。
 せいぜい、このまま必死に知らぬ存ぜぬで突っぱね続けてデッドエンドを迎えるか、命がけの慣れもしない虚実入り混じった会話で駆け引きをするか、それとも死ぬ気で高町達が助けに来てくれるのを期待してここから全力で逃げるか。
 どれも、生還率一割を下回る事間違い無しの大博打なのは言うまでもない。気分的には鬼畜何度で有名なアドベンチャーゲームで、調子に乗っていたらいつの間にかデッドエンド直前の選択肢に遭遇した時のアレに似ているな。そんな呑気な自己分析でもしていなければ、正直どうにかなってしまいそうなほど、心臓がバクバクと痛いくらい動悸を起こしている。
 だが、逆に考えればどの行動を取っ手も、俺が生き残れる確率は五分といったところだろう。なら―――、 



「――――昨日のように逃げるつもりかしら? 残念だけれども、それは無駄よ。私が納得できる答えを聞くまでは、貴方をここから逃がすつもりもなければ、時間をかけて聞き出すつもりもないわ」



 それは、ぞっとするほどに冷たい声色だった。
 差し向けられる視線は絶対零度の凛冽を極め、逆らう事を許さない、膝が笑いだす程の威圧感を孕んでいる。
 嘘をつけば、その言葉に違わずどんな手段を使ってでも真実を引きずりだそうとするだろう。
 駆け引きなんて生温い会話をさせてくれるとも思えない。
 ましてや、逃げだそうものなら、あの時のような不可思議な壁で捕まえてくるのは当然として、ロシアンマフィアも真っ青な拷問をしかけてきても妙に納得できてしまう。それほど凄惨な決意と、強迫的な威圧感を纏っている。
 ……もしかしなくとも、俺は事態を軽く見ていたのだろう。
 前世で、初めてお義母様に会いに行ったときのように――――心の中の何処かで、今の自分の立ち位置を、まるで映画を観賞しているかのような気分で、軽々しく、実感もないままに首を突っ込んでしまった。
 ……ホント、バカってのは死んでも治らないらしい。
 あの時、アレ程反省したと言うのに、結局死んでから二度目の生でも、やってることは死ぬ前と何一つ変わっていない。
 中途半端な覚悟で首を突っ込めばどうなるか、嫌になるほどわかっていたはずなのに……。
 ここにきてようやく、俺は胸の奥につっかえていた何かが取れたような気がした。ふっきれたと言っても良い。

 そうだよ……そもそも、俺の本当の目的はなんだった?

 初めてここに来る時、何を考えてフェイトの誘いに乗った?
 のらりくらりと、できもしない下ッ手クソな会話をするためか?
 違うだろ。
 例え偽善だろうが自己満足だろうが、俺の納得いく答えを手に入れたかったからじゃないのか。
 だったら、いつまでも趣旨を履きちがえた行動をしてるわけにはいかねぇよな。
 俺がこうしている間にも、高町達は間違いなくクロちー達と合流し、どうやってここに侵入しようか考えているはずだ。
 アニメや漫画的なお約束が通じると考えれば、この城が秘密基地みたいな存在だったとしても、バレるのは時間の問題に違いない。
 そして、その時までに状況が今となんら変わりなければ、結末は俺や高町、アリサとすずかちゃん全員にとって、誰も幸せになれない、いつだって突きつけられる〝現実は残酷だ〟という夢も希望もない話に終わってしまう。
 ……そんなの、絶対に嫌だ。
 〝俺とシルフィの物語〟は、どう贔屓してみても幸せな結末とは言い難かった。
 どれだけ母の愛を求めても報われることなく、終いには自分の血液と引き換えに母と決別したことのどこが幸せだと言うのか。
 あれだけ、何時になるともしれない結婚式を楽しみにしていたっていうのに、結局ドレスを着ることすらなく死んでしまった結末が、どこをどう見れば幸せだったと言えるのか。
 だから。
 せめてこの、生まれ変わった二度目の人生では、あと少しで手が届くところにある幸せな結末を逃すなんてことは、したくない。
 


「おっけ、わかりました。観念しました。どの道、このまんま誤魔化し続けても、その後におっそろしい尋問が待ってそうなんで素直にゲロしますよ」
「……あら、存外素直ね。こちらとしては、貴方の言う尋問とやらを真剣に考えていたのだけれど」
「本気で命の危険が!?」


 
 知らずと死亡フラグその1を回避できたことに心から安堵。
 ともあれ、ここまできてしまったらもう腹決まったようなものである。
 


「ただ、俺もタダで喋るつもりはありませんよ。お互い一問一答。ギブアンドテイク――――ってのはどうでしょ?」



 ニマァ、っと笑みを浮かべながら、俺を見下ろす玉座の魔女様を見返す。
 見れば、そこには意外にも俺と同じように、うっすらと嗤う妙齢の魔女様がいた。
 それはかつて、今でさえも鮮明に思い出せるあの時――――〝前世〟でシルフィが母親を目の前にして自分の血を売ると宣言したあの瞬間。その宣言を聞いたお義母様の表情とそっくりだった。
 それが何を意味しているのか、考えるまでもない。
 シルフィの言葉が終わるや否や、あのマッドサイエンティストお義母様がシルフィに向かって小切手を投げつけてきたように。
 雷の御姫様の母上は、頬杖を吐きながら俺を見据えると「では、次の質問は坊やからね」と、話の続きを促してきたのであった。











 なんて、かっこつけて質疑応答に臨んだものの、今もって俺の頭の中で渦巻いている第一の欲求は全然変わっていない。
 


「(あ~……ここ最近、すずかちゃんと全然話せてない)」



 玉座に腰掛けた魔女様の質問には真面目に答えつつ、脳裏ではラブリーマイゴッデスすずかちゃんの微笑を無限ループで上映中。
 器用な真似ができるもんだ、と思われるかもしれんが、自分伊達に精神年齢三十超えてませんから。
 深夜バイトで眠くて仕方ない時、授業中少しでも真面目に授業を受けているように見えるためには、と試行錯誤を積み重ねた末の努力が実を結んだ、と思ってもらえればいい。
 ちなみに、魔女様の答えに真面目に答えているのは、文字通り後が怖いから。下手に答えてこないだみたいなデッドエンドまっしぐらとか絶対に御免こうむる。
 ともかく。
 ここ最近、フェイトの事やらジュエルシードの事やらで、我が癒しのオアシスことすずかちゃんと触れ合う機会がほとんどない。なさすぎる。
 あいや、確かにさ? ここに来る直前に猫すずかちゃんなんていう至宝もののレアイベントに遭遇出来ましたよ? 加えて、不可抗力とは言えあのすずかちゃんのやわ肌をちらりとも見ることができてしまったわけですよ!? これが嬉しくないはずないじゃないですかっ!
 あぁそうさ、すずかちゃんの柔肌を拝めただけでも奇跡モノの幸運さ!
 だがな、それはそれなんだ。あくまでも〝遭遇したら嬉しい〟イベントであって、〝すずかちゃんと仲良くなれる〟イベントじゃぁないんだよっ!
 ぶっちゃけると、俺はもっとすずかちゃんと仲良くなりたいんですッ! つーか最近すずかちゃんと気まずいイベントばっかり起きてたから少しでも関係修復したいんだよっ神様のバカヤロォオオオオオオオ!!!
 ……うぅ、そのためにも、早いとここの魔女様とフェイトの問題を処理しないといけないんですけどね。



「……つまり、ジュエルシードを制御しようとしたわけではない、ということかしら?」
「だから、さっきからそう言ってるじゃないですか。こっちはあくまで発動しただけ。その後どうにかなったのは、一緒にいた高町かユーノのおかげなんですってば!」



 だというのに、この魔女様のしっつこい追求である。さすがは俺を二回も拉致させた魔女様。しつこさで言えば前世のお義母様と比類する。
 既にこの問答も三回目だ。先程身の危険を感じたばかりの〝シルフィ〟というキーワードよりも、どうやらこの魔女様はジュエルシードの制御方法にご執心の様子。
 中身は相も変わらず、すずかちゃんと忍さんの身体入れ替わり事件の事で、どうやって俺がジュエルシードを制御したのかということをしつこく聞いてくる。
 答えなんて俺すら知らないと言うのにどう答えろってんだ。
 そのくせ、俺の質問には「それは答えられないわ」「貴方に話せる事柄ではないわね」「貴方とはまるで関係のない事よ」という政治家みたいな回答ばかりをくれやがる。
 この世界にジュエルシードがあるってなんでわかったのか、ジュエルシードを集める理由はなんなのか、ジュエルシードの制御法を知ってどうするつもりなのか。
 どれも悉く回答保留、もしくは回答拒否という一問一答もへったくれもない有り様だ。さすがの俺もこれにはやる気がうせてくる。
 ……最初から予感してはいたことなんだけどさ。
 この魔女様が、前世のお義母様にそっくりな時点で、他人様の質問に律儀に応えるような人間だなんて絶対にあり得ない、って。
 思いっきり嘆息しながら、俺は大分距離の離れた位置に腰掛けている魔女様を見やる。
 心なしか疲れたような表情をしているのは気のせいか?
 あるいは、期待通りの返事が得られなくてがっかりしているのかもしれんな。
 どちらにしても、ご期待に添えず申し訳ございませんという気持ちは毛頭ないのでどうでもいい。
 さて、それじゃ今度はこっちの番だ。



「で、俺としてはもう、碌な答えが返ってこないんで期待してないんですが……」
「あら、失礼ね。私は貴方との約束通り、きちんと質問には答えているわよ?」
「そういうのは回答拒否と対して変わんないんですよ。どの道、それならもう回りくどいのも面倒なんで聞かせてもらいますけど」
「なにかしら?」
「――――俺が〝シルフィ〟って名前を知ってると、何か不都合でもあるんですか?」



 ぞくり、と背筋が寒くなる。
 暫くの間消えていた緊迫した空気が、再び、今度は濃密な圧力を伴って再来した。
 〝シルフィ〟という名前が地雷ワードだっていうのは、先刻の問答で百も承知だ。しかし、どうせこちらから質問しても得られる回答が碌にないのなら、虎穴に入らずんばなんとやら、である。
 結果として、俺は虎穴に入った挙句にその尻尾を踏んだらしいが。



「……知ってるのね?」
「その名前は知ってます。俺にとって、世界で一番大切な二人の内の一人でしたから」



 だが、もう怯まない。
 そもそも、俺が最初にここに来た理由は、シルフィとフェイトの関係を知りたかったからだ。
 単純に二人が瓜二つなそっくりさん、ってなら別にいい。だが、何かの要因で――例えば、俺の場合のように――同一人物だというのならば、無視するわけにはいかない。
 もはやここにきて、俺はすずかちゃんの微笑みだけを思い浮かべているわけにはいかなくなった事に気付く。
 変わらず俺の中での大切な人一位はすずかちゃんであるが、アイツに関する事は別枠なのだ。つまり、それはそれこれはこれ。
 残念な事に、この本田時彦と言う人間は、大切な人を一度に二人も考えられるほど器用な人間ではなくてね。胸を割き、断腸の思いを振り切って、俺は一端すずかちゃんの事は忘れる事にする。
 
 

「こればっかりは、俺も引くつもりはありませんよ。事と次第によっちゃ、時空管理局に通報させてもらいます」
「……なんですって?」
「ふっふっふ……これ、なーんだ♪」



 そう言ってとりだしたのは、俺が普段持ち歩いている携帯電話。
 それをこれ見よがしに持ちあげて軽く振ってみる。普段からストラップを付けていないまっさらなものだが、遠目から見た限りでは新品そのものに見えるだろう。



「なるほど……私を脅迫しようというのかしら?」
「どうとって頂いても結構。けど、このボタンをひと押しするだけで、この秘密のアジトの場所が大公開って結果がありえるということは留意してもらいたいですね」
「それを私が信じるとでも?」
「信じなくとも、警戒せざるを得ないでしょう? 質問に真面目に答えてさえもらえば、俺はこれを押すつもりはないですし、答えてもらった後にこれを渡してもいいくらいですから」
「今まで連絡しなかった、という保証はない以上、その言葉を鵜呑みにはできないわ」
「ここにきてからもう大分時間が経ってますが―――外に動きは無いんじゃないですか? それが答えですよ」



 お互いに余裕そうな笑みを浮かべながら、腹の探り合いを兼ねた短い会話を交わす。
 手に持った携帯電話は、いわゆる昔の二つ折りタイプではなく、海外で主流となっているようなストレート式のものだ。オマケに、簡単単純なボタン操作三回で、登録している相手にすぐに電話がかけられる便利機能付き。
 ここまでくれば、俺がどんな事を言っているか理解してもらえるだろう。
 そう、つまりはこのボタンを押すだけで、管理局の皆さんに繋がるのですよーという――――ハッタリである。
 ボタン一つで管理局のクロちー達に繋がるなんて嘘八百。実際はうちのこわーい母上殿の携帯に繋がるだけであって、管理局に繋がるなんてこたぁ一切あり得ない。
 ただ、このハッタリに、先程俺が言ったように信じる信じないは関係ない。ようは、相手が警戒さえしてくれればいいのである。
 質問にさえ真面目に答えれば、それだけでこの秘密の場所がバレるというリスクは減らせると俺は明言している。
 それはつまり、この場所をバラされるリスクと、〝シルフィ〟について話すことのリスク、その両方を天秤にかける事を意味しているのだ。
 正直、俺としては真面目な答えが貰えるとは思っていない。それは先程からの俺の質問に対する態度からも明らかだしな。
 となれば、俺の撮る手段は一つ。
 つまり、この魔女様にとって〝シルフィ〟ってのがどれくらい重要なものなのか、ってことだ。
 その比較対象として、隠れアジトがバレるってリスクは妥当なものだろう。クロちーの言葉通りに考えれば、ただでさえこの魔女様はフェイトを使って超違法行為をやらかしているわけだし、管理局に見つかれば逮捕は当り前だ。
 そんな危なっかしいリスクを抱えてまで話したくないっていうのであれば、〝シルフィ〟が今回の件で重要なカギになっているのは確定的に明らか。そうでなければ問題無し。どっちに転んでも、俺としては万々歳、ってわけだ。
 ……ふ、ふふふ!
 我ながらこの知略が恐ろしい! さすが精神年齢三十●歳の第二人生! 僅か小学三年生ながら妙齢の大人とネゴシエーションできることがこんなにも気持ち良いなんて知らなかったぜ! フゥーハハァッ!



「……やっぱり、見た目の年齢で判断するのは危険のようね」
「子供を甘く見ると、痛い目見るっていうことですな。それで、返答は如何に?」



 調子に乗り過ぎて痛い目に見たことも数多いので、ここらへんで止めておく。
 最悪、問答無用で電撃が飛んでくるとも限らんので油断はできない。前回は文字通りに問答無用で酷い目にあわされたからね。
 さて、今回はどう動く?
 ごくりと唾を呑みこみ、表面は大胆不敵に、その実背中にはイヤな汗をだらだら流しながら戦々恐々としつつ、魔女様の返事を待つ俺。
 沈黙は短いものだったが、それでも俺には数時間にも感じられるほど長いものだった。
 もういっそこのまま「やっぱいいですすみません変な事聞いちゃいましたねあはははー!」となかった事にしたくなってきた頃、ようやく魔女様はその思い口を開いた。



「はっきり言って、別に不都合な事は何もないわ」
「その割にゃ、前回はエっライ剣幕で脅された記憶があるんですが?」
「不都合はなくとも、問題は大いにあるのよ」
「……えーと、それは何かの頓知問題でしょうか?」



 不都合はないのに問題あるって、さっぱり意味がわからん。
 穿って見れば、俺が〝シルフィ〟を知っている事自体は問題ないけど、どうして知っているのか、ってことが問題なのか?
 それだって、仮に俺が知ってると思いこんで詰問してきても、俺が「俺の世界で関係があったんで」とか言ってしまえばそれでおしまいだろうに。
 ……いや、まてよ?
 たしか、前回だったかシルフィについて聞く際、いらんことをたくさん口走ったような……具体的にはアイツの性格とか特徴とか言葉遣いとか――――ってこれかぁあああああ!!!?
 


「いいえ、極常識的な話よ」
「……と、申されますと」



 この時点で、ときひこくんのせなかにはひやあせが滝のように……ッ!



「――――自分の娘の事を、赤の他人が詳しく知っていたら気になるでしょう?」



 予感的中ウううううう!!??!!!?
 


「い、いいいいいやぁあ、そりゃまたすごいぐうぜんですねまさかボクの知っているトモダチがそちらのおこさんだったなんてわーせかいってせまいなぁっていうかそんなそっくりさんがふたりもいるなんてすご――――」
「けど、残念ね。その〝シルフィ〟という名の〝出来損ない〟は、もういないわよ」
「――――今、なんて?」



 いま、ときひこくんのみみに、ちょっとありえないことばがとびこんできたようなきがしたんですが。
 知らず強張る体を無理矢理動かして見ると、こちらを睥睨しながら楽しそうに嗤っている魔女様がいた。
 その表情からは、冗談の色を欠片も窺う事が出来ない。妖しげに嗤っているのに、くだらない冗談だとかつまらないハッタリだとか、そんな〝嘘〟めいた色が何一つ見当たらなかった。



「本当に、がっかりしたわ。ただの失敗作なだけならまだしも、アリシアの顔と声で私に暴言を投げるだなんて」
「……」
「〝ボクはアリシアじゃない〟? アハハ! 当り前じゃない、あんな〝出来損ない〟が私のアリシアであってたまるものですかッ!」
「………」
「しかも、言うに事欠いてアリシアの妹ですって? フザけるのも大概にしてほしいわね。私のアリシアに、あんな〝出来損ない〟の妹なんて存在すらしないわッ!」



 最後には玉座から立ち上がり、ふらつく体を杖で支えながら喉が裂けろとばかりに叫ぶ魔女様。
 その形相はもはや名状しがたく、歪んだ口角は悪魔の如く、見開かれた目は有らん限りの憎悪を湛えてここにはいない誰かを睨みつけている。
 そして俺は、ただ無言でその独白を聞き続けた。



「――――フフ、でも、フフフ……そうね、あの〝出来損ない〟にも少しは感謝しなくてはね?」
「…………」
「アリシアとそっくりなのは忌々しい事この上なかったけれど、その分駒としてはそれなりに役だったんじゃないかしら?」
「……………」
「失敗作の〝出来損ない〟とはいっても、素は私の娘ですもの。当然と言えば当然かしら……記憶の再構築の御蔭で、あの忌々しい口調も話し方もきれいさっぱり消えたようだし」
「………………」
「あぁ、そうそう、安心しなさい坊や。貴方の言う〝シルフィ〟という人間自体は、まだ生きているわよ。――――最も、貴方を連れてきたあの〝出来損ない〟の中身までは、保証しないけれど」
「…………………そうか」



 ここまで語られてしまった以上、いくらバカな俺でも結論が何であるか、察することはできた。
 ゆっくりと顔を伏せ、暴風雨のように荒れ狂う感情に胸を締め付けられる痛みに、思わず洩れてしまいそうな声を噛み殺す。
 可笑しいとは思っていた。
 フェイトが時折見せる表情、仕草、言動。ふと、何か忘れた事を思い出そうとしながら俺を見つめる困ったような顔。ふと、アイツみたいに俺のシャツの裾を握って来る手。ふと、アイツを思い出させるような言葉を呟き、次の瞬間には顔を真っ赤にする行動。
 どれも見覚えがあり過ぎたのは、至極当然のことだったんだ。
 俺がこの世界に〝二度目〟の人生を受けたように。
 最後の瞬間、間違いなく俺と一緒にいたあいつもまた、この世界に〝二度目〟の人生を受けていても、何も可笑しくはなかった。
 ただ、場所が悪かっただけにすぎないんだ、って。
 このバカみたいにでっかくて広い世界で、二回目でも最初から二人一緒にいられるだなんて、そんな奇跡あるはずもない、って。
 だから、アイツはやっぱり前世でも今世でも運が悪い超ド天然のアホ娘で――――仕方なかったんだ、って。

 自分にひたすら言い聞かせても、頬を伝う涙は途絶えない。

 フェイトは――――シルフィだ。
 何故性格や言動が違うかなんて、細かい事はわからない。恐らく、さっき魔女様が言っていた記憶がどうたらってのが関係してるんだろう。
 だが、ここまで情報がでそろった以上、もはや疑う余地は何処にもなかった。フェイトは、シルフィ〝だった〟んだ。

 はっきり言ってしまえば、心のどこかで期待していた。
 もしまかりまちがって、街かどでドッキリ出会うような事があったら、なんて考えた事がなかったわけじゃない。
 それどころか、いつもは意地悪で性悪極まりない神様が、なにかの気まぐれですずかちゃんと恋人になれたなんて未来をくれたことを想像し、そんな時にアイツと再会したら――――なんて、それこそ数え切れないくらい妄想した。
 もしかしたら人生二度目にして、この俺に両手に花の季節が!? とかバカみたいな想像をして一人浮かれてた自分が恥ずかしい。
 ……残念ながら、その想像は、文字通り幻想となって消えてしまったが。
 
 できれば嘘であってほしかった。誰か他人の空似であればどれだけよかっただろう。
 薄情と思われてもいい。身内贔屓だろうが構うものか。アイツが……シルフィがこの世界で幸せに生きてくれていたら、どれだけよかったことか……ッ!
 俺の言葉を否定しないプレシア。
 〝ボクはアリシアじゃない〟という台詞。
 そして、プレシアの最後の言葉。

 

――――かつてシルフィとしてこの世界に生を受けた少女は、その名を奪われ、フェイトという名前として生きている。
 


 それが、全てだ。

 

「もう質問は無いのかしら? ないのであれば、もう坊やに用は無いわ。今〝出来損ない〟を呼んで――――」
「最後に、一つ」
「……もう一問一答も何もあったものではないけれど、いいわ。サービスで答えて上げましょう」
「アンタの言う〝出来損ない〟って、一体誰の事ですかね?」



 顔は伏せたまま、震える声でそう問いかける俺。
 答えは聞かずともわかりきっている。だが、それでも俺は淡い希望と叶いっこない期待を込めて、最後の質問を投げかける。
 ……どの道、その答えは俺に対して実に見事なトドメとなったのだが。



「誰って――――決まってるでしょう?」



 突然、背後の大広間の扉が開いた。
 大きな音を立てて開くその音に反応して振り返った俺の視界に飛び込んできたのは、あまりにも予想外な人物達で。
 特に、その先頭に立っていた、アイツとそっくりな少女の表情を見て、俺は凍りついた。



「さっきから盗み聞きをしていた、そこの〝出来損ない〟――――フェイト、貴方の事よ」



 カラン、と。
 大広間に、一人の少女が崩れ落ちる音が響き渡った。 


 
































――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いぶりすのせーぞんほーこく
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 気がつけばプロットから大幅に脱線した揚句がこの有り様です。
 すずかちゃん成分が足りなさ過ぎて生きるのが辛い。
 とりあえず、魔女との対決が終わったら思う存分書こう。
 
 ちなみに、元のプロットは下記のような感じ。
・時の庭園まで乗り込むのは原作通り、その最中に時彦救助。
・フェイトと全力全開のなのはがガチバトル。その後、プレシアとの連戦に。

 これがどうねじ曲がってこんな事に……。
 キャラが勝手に動き出すのは構わないのですが、こうも引っ掻きまわされると書きだすのが大変ですね。

 そしていつもご覧下さっている皆様に言葉にできないほどの感謝を。
 今後とも生温くお付き合いくだされば幸いでございます。
 では、今回はこれにて。



[15556] フェイトとシルフィとともだち
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:96b828d2
Date: 2012/04/23 07:38
 

 
 かのサン・ピエトロ大聖堂程ではないにしろ、小柄な子供からすれば十二分に広い大広間に、思わず注目せざるを得ない音が、二度木霊した。
 金属が大理石とぶつかる音。力なく一人の少女が崩れ落ちる音。耳朶を叩く甲高い金属音に続いて、鈍く、質量を感じさせる生々しい音が響き渡る。
 


「フェイト!」


 
 その名を叫んだのは誰だったのだろう。
 その場にいた誰かであり、そして全員だったのかもしれない。
 崩れ落ちた少女――――実の母から〝出来損ない〟と蔑まれたフェイトは、呆然自失の体でその場にくずおれていた。



「わたし――――うそ………」
「フェイト、フェイト!?」



 真っ先にフェイトに駆け寄ったのは、あの犬のねーちゃんだった。
 今にも泣きそうな顔で、力なく崩れ落ちているフェイトの肩を抱いてゆさぶっている。無論、フェイトからの反応は無い。
 ただ、虚ろな目で前を見つめ、その瞳にこれまで実の母と思っていた女性の姿を移し続けながら、フェイトはうわごとのように繰り返している。



「出来損ない……わたしは、わた……しは……? ちがう、ちがうよかあさん……わたし、ふぇいとだよ。出来損ないなんかじゃないよ」 



 両手で顔を覆い、震える声で脈絡のない言葉を紡ぐ姿は、とても正視できるものではない。
 高町が胸の前で杖をギュッと握りしめるのが見えた。その肩の上に載っているユーノが、遠目からでもわかるほど顔をしかめている。アリサがぐっと両の拳を握りしめ、恐らくは奥歯を力の限り噛みしめているだろう。
 そして――――すずかちゃんは、言葉にならない何かを呑みこむように、その口を両手で押さえていた。

 何故みんながこんなところに、等とは思わない。

 クロノ達がこなかったのは確かに予想外だったが、しかし高町が来る、という確信はあったのだから。
 ただ、その人数と構成、そして到着時間があまりにも早すぎたことが、予想外だった。
 もしこれを予想できていたなら、俺はあんな質問などしなかっただろうし、答えなかっただろう。
 できるならば、フェイトには知られたくなかった事だ。知って得するような事でもない以上、知らずに済めばそれでいい。これは、単純に俺の好奇心と言うエゴのための茶番なのだから。
 だというのに――――俺の無頓着さと無配慮が、この結果を招いてしまった。



「――――いいえ、あなたは最初から〝出来損ない〟だったわ、フェイト」



 そして、打ちひしがれる娘に対して、プレシアは壮絶な笑みを浮かべて追い打ちをかける。
 その笑顔は、まるで見るモノの心臓を氷の手で鷲掴みにしたかのような陰惨さを見せ、文字通り、その場にいた全員の背筋を――理由がなんであったにしろ――震わせた。
 


「言葉遣いも、効き手も、その仕草も身振りも何もかもすべてが! あなたはアリシアではなかった!」
「アリ、シア……」
「何よ……それッ! 全ッ然、意味分かんない! フェイトは貴方が産んだ娘なんでしょ!? なのに失敗作って、自分の娘の事を何だと思ってるのよ!?」


 
 ついに耐えきれず、アリサが牙をむくようにして怒りを露わにする。
 だが、そんなメスガキの怒りなどどこ吹く風なのだろう。玉座に再び腰かけた魔女は、余裕を持った狂気の笑みを浮かべたまま、さながら世間話をするような気軽さで答えた。



「言ったでしょう?――――――ただの〝出来損ない〟だって」



 再び、場が凍りつく。
 フェイトの様子など、見られるはずもない。
 俺はみんなから背を向けて、自分でも知らず玉座の魔女を睨みつけていた。
 先程から頭痛が酷い。動悸が激しく、耳の奥ではマグマの鼓動のように盛大な脈拍の音が響き渡っている。
 今にも堪え切れない爆弾が爆発しかねないというのに、俺はそれを無理矢理に抑え込んで、玉座の魔女―――狂気に沈んだ母親の独白に耳を傾け続けた。



「もうこの際だから、本当のことを全部教えて上げましょうか」
「ほんとうの……こと?」



 そのオウム返しに、フェイトの最後の希望が感じられた。
 嘘であってほしい、こんなの、ただの冗談であってほしい。
 そんな、言葉にならずとも想いとして伝わってくる、悲痛なまでの希望が。
 だが、世界で最も不幸な生まれの少女が抱いた幻想は、あっけなく砕け散る。



「フェイト、貴方は私がお腹を痛めて産んだ子供ではないわ」
「――――――――――え?」
「貴方はね――――クローンなの。私が殺してしまった、たった一人の娘、アリシアの複製品、贋作なのよ!」
「ぅそ…………うそ………ッ!」
「でも、貴方はアリシアになれなかった。ならなかった。――――だから、〝出来損ない〟なのよ。フフ……ゥフフフフ」



 誰もが絶句して言葉を紡ぐ事が出来ない。
 フェイトは言うに及ばず、高町やアリサ、すずかちゃんにユーノ、犬耳のねーちゃん、誰もが言葉を失っていた。
 その事実は、俺の想像すらも裏切って斜め上方向にカッ飛ぶ凄まじいもので、他人の俺でさえこれほどの衝撃を受けていると言うのに、当人のフェイトが受けたショックはいかほどのものだろうか。
 かく言う俺も、今まで繋がりそうで繋がらずにいた事実がはっきりと一本の線で繋がったことと、今まで完成したと思っていたパズルが、実は肝心な部分ではめ違いをしていた事に気付いて、思わずその場に座りこんでしまいそうなほど脱力していた。
 そう、勘違いだ。
 シルフィはフェイトであり、フェイトはシルフィ。それ自体は間違っていない。俺が勘違いしていたのは。



「フェイトちゃんが…………クローン?」



 すずかちゃんが、眉根を寄せるようにして呟く。
 何故たった小学校三年生のすずかちゃんがソレを知っているのか、という疑問を一瞬思い浮かべはしたが、すずかちゃんだから当然だよな!とコンマ零秒おかずに〝すずかちゃんの定理〟で考えなかった事にする。 
 それよりも、そう、クローンだ。
 クローンという言葉自体は広義的なもので、学術的にはもっと細かい呼称が存在するが、この場合はいわゆる生物クローンの事に違いない。
 つまり、映画や漫画、小説などのSFフィクション作品でよくある、素となった生物と、遺伝子レベルで同一のコピーってことだ。
 ……何故魔法云々の世界でこんな科学サイドな技術が突然出てくるのか、とか色々な疑問や突っ込みはさておき、これは俺の中にあった前提というちゃぶ台をひっくり返されたに等しい。

 俺はてっきり、フェイトは双子の姉妹、その片割れの妹なのだとずっと〝思い込んで〟いた。
 前世と今世の類似点、フェイトの境遇、魔女の言葉から推測される、シルフィと同じくらい冷遇されているフェイト。
 フェイトとシルフィの余りにも似通った共通点故に、俺は無意識に二人が環境は違えど、全く同じ境遇にあるのだと〝憶断〟していたんだ。
 同時に、今まで不鮮明だった最後の謎を理解する。
 前世でのベルリネッタ家の騒動と、プレシアの言う〝アリシア〟〝出来損ない〟〝クローン〟〝記憶の再構築〟〝駒〟――――そして〝ジュエルシード〟の収集。これらの情報を組み合わせることで、ようやく俺は、間違いなく一つのパズルを完成させることが出来た。



「さて、もう貴方達に用は無いわ。その出来損ないを連れてどこへなりとも失せなさい」
「なっ―――ふざけんじゃないよ!」



 玉座から立ち上がった魔女は、俺達に一瞥もくれず、マントを翻らせながら踵を返すと、そのままどこかへと立ち去ろうとする。
 それを呼びとめたのは、怒りで凄まじい形相となっている狼のねーちゃん。
 握りしめた拳からは、ミリミリと今にも破けそうな皮手袋の音がして、むき出しの犬歯と言葉の端々から感じられる怒り具合から、むしろよくそんな状態で飛びかかるのを我慢できるな、と感心する。
 場違いな感想だとは思うが、ねーちゃんの怒り具合が凄まじ過ぎて、逆に冷静になってしまったようなもんだ。
 ねーちゃんのフェイトに対する溺愛っぷりは、いわゆる親バカの程度を軽くジャンプした挙句そのままロケットブースターで待機件突破する勢いでヤバいレベルだ。そんなねーちゃんが、未だフェイトに狼藉を働いた魔女様に殴りかかっていなかったのは、ある意味奇跡と言って良い。
 だがそれももはや限界らしい。
 いかにも煩わしげに振り返った魔女が放った一言の後、俺は間違いなく、何かがぷっつんと切れる音を聞いた。



「――――三度は言わないわ。そこの出来損ない共々、早く失せなさい」
「っ……もういっぺん、ッぃ言ってみろぉおおおおおお!」



 ずごん、と聞いたことのない轟音が響いたと思った瞬間、俺のすぐそばを砲弾のような風が飛び出して行った。
 それが狼のねーちゃんであることに気付くのと、俺の頬が風に殴りつけられるのはほとんど同時だったが、事態は俺の認識を上回る速度で、加速的に展開していく。
 ねーちゃんの姿を追いかけて顔を動かした次の瞬間、今度は耳をつんざくようなスパーク音が広間一体に響き渡り、視界全体を紫色の雷の閃光が覆い尽くした。
 そのスパーク音に混じって、ねーちゃんの苦悶の呻きが耳に届くが、突然の事に事態を把握しきれない。
 ようやく音が収まり、視界を埋め尽くすハイビームのような光の渦がなくなって、俺は慌てて状況を確認する。
 鼻を突く、コピー機を使った後のような、静電気が溜まってるところに鼻を近づけたような独特な異臭に思わず顔を顰め、次いで目に入った光景に絶句した。
 突風のように突っ込んでいったはずの狼のねーちゃんが、大理石が砕かれて出来た小さなクレーターの中心でうつ伏せに倒れている。
 四肢が小刻みに痙攣しているのと、周りに漂う異臭から、俺はそれが電撃による攻撃の後だと理解した。
 そして、事態が呑みこめると同時に、それが示す状況のぶっ飛び具合に思わず眩暈を覚えた。

 ……おいおい、嘘だろコラ。

 映画なんかじゃサラッとこなしているから勘違いするけど、普通猛スピードで突っ込んでくる者に対して、正確に迎撃――例えば銃等で――するのはとんでもなく難しい。だというのに、それを軽々とやってのけた挙句、相手を昏倒させるとかどんなチートだ。ていうか、コレねーちゃんよく耐えられたな……常人だったら絶対死んでるぞオイ。



「言ったでしょう? 三度は言わないと」
「ま……ッ!」



 そんな、まさに映画のワンシーンのような出来事に、俺達小学生ズ一同が絶句している間にも、文字通り魔女の如き力の程を見せつけてくれた魔女様は、満身創痍にも関わらず手を伸ばそうとするねーちゃんを一瞥する事もなく、今度こそ広間から去って行った。




 





                           俺はすずかちゃんが好きだ!










「ッ……つつ」
「我慢して。咄嗟に防御したみたいだけど、それでも貫通してるダメージが酷いんだから」
「くそッ……まさかアンタに治療されるなんてね」
「もう、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! こっちは心臓止まるかと思ったんですよ!?」



 人間モードに戻ったユーノの治療魔法による、淡いミントグリーンの光に包まれつつも悪態を吐く狼のねーちゃんに、アリサが心底呆れたように眦を釣り上げて怒鳴った。
 ……何時の間にお前らそんなに親しくなったんだ、と疑問に思わなくもないが、あぁ見えて社交性の高いアリサだしおかしくはない。
 その隣ではフェイトが涙目でねーちゃんお手を握り、すずかちゃんと高町が心配そうにその様子を眺めている。
 魔女様が去ってから数分と経っていない。
 だというのに、俺――だけでなく、恐らくみんなも――は既に何日もここにいたかのような疲労感を味わっていた。



「アタシより、フェイトは……!」
「フェイトちゃん、フェイトちゃん!? お願い、こっちを見て、フェイトちゃん!」
「…………」
「どうして……どうしてフェイトちゃんがこんな……ッ」



 かつてシルフィであったフェイトは、今もなおくずおれたまま項垂れ、光を失った紅の双眸で魔女様の消えていった方を見つめ続けていた。そのフェイトへと語りかける高町の叫びが、悲痛な切なさと共に大広間へと木霊する。
 何度呼びかけても、何度揺さぶっても、高町の言葉にフェイトは一切反応しなかった。
 その姿は、ほとんど生ける屍/リビングデッドだ。……そして、俺はこの姿を既に知っている。
 それまですがっていた柱が根元から折れ、支えていた拠り所が崩れ去り、必死に引き摺ってきた感情すら擦り切れ、もはや泣く力さえ失ってしまった、茫漠の亡者。
 生きる希望を失った少女のなれの果て……それが、今のフェイトそのものだった。



「クローン……ね。にわかには信じがたいけど」
「……なんだアリサ、クローンか何か知ってたのか」
「アンタ私をバカにしてんの?」
「意外だっただけだ。さすがにこの状況でふざけるつもりはない」
「……そ。ちょっとね、パパの仕事の話とか聞いてるから知ってるだけよ。大したことじゃないわ」



 アリサとの会話にキレがない。
 言葉にしたように、お互いこんな状況でふざけ合うつもりなど欠片もないからなのだが、それでもアリサの言葉の端々に、自身の無力感を責めるような響きが感じられる。
 こいつもこいつで、フェイトのことを想ってくれているのだ。そしてソレはもちろん、隣に立つすずかちゃんも……。



「……アルフさんも、知らなかったんですね」
「当り前じゃないかッ……こんな、こんなことなら、アタシは……ッ!」
「地球ではどうなのかしらないけれど、時空管理局がある第一管理世界〝ミッドチルダ〟じゃ、クローンによる人間の複製は禁止されてる。プレシアは、その禁を破ってでも、自分の娘を奪り返したかったんだろうね……」
「それでも! クローンだと何がわるいの!? だってフェイトちゃん、あんなに一生懸命だったのに! あんなにがんばってたのに!」
「なのはちゃん……」
「それなのに〝出来損ない〟だなんて……ひどいよ……こんなの、あんまりだよ……ッ!」



 高町の嗚咽混じりの言葉が、虚しく大広間へと吸い込まれていく。
 腹が立って、悔しくて、でもその怒りをどこにぶつけたらいいかわからなくて。
 フェイトがどれほど母のために頑張っていたか、俺達はよく知っている。
 カリビアンベイで、夜の学校で、銀月の光に染まった夜の街で、そして今この場で。
 母のために頑張り続けてきた健気な娘は、しかしその実、ただの道具でしかなかった。
 


――――ここでも、フェイト=シルフィは、結局実の母に道具扱いされているのか。



 お義母様が、娘を蘇らせるためにシルフィを遺伝情報倉庫としか扱わなかったように。
 フェイトもまた、魔女様にとっては自分の願いを叶える為にジュエルシードを集める、使い勝手のいい収集機でしかなかったわけか。
 ……報われねぇなぁ。本当に、なんでお前ってやつは、あっちでもこっちでも報われねぇンだろうなぁ。



「……ユーノ、管理局がここに突入するまで、あとどのくらいある?」
「あと一時間もないと思う。ここに来る前、ブリーフィングで解析に手間取っていたけど、僕達が飛んできた所為でかなり短縮されてるはずだ」
「それなら、クロノさん達が来るのを待てばいいわ。フェイトのためにも、私達はすぐに撤退した方がいい」
  

 常識的に考えて見れば、アリサの提案は極々利に叶ったものだ。
 しかし、それに間を置くことなく異を唱える人がいた。



「そんな、アタシとの取引はッ!?」
「……残念だけど、フェイトの完全無実と引き換えにはできないって」
「くっ……!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何、何の事? アルフさん、取引って一体なにするつもりだったの!?」



 狼のねーちゃんである。
 さすがにこれは俺も初耳だ。なーんか最近影が薄いなぁと思っていたが、ユーノの奴、裏でねーちゃんと何かやってたのか?



「フェイトの完全無実の保証と引き換えに、この〝時の庭園〟の座標を教える、って取引だよ」
「……夕方、アンタ達がフェイトとやり合ってる時、アタシがユーノに持ちかけたんだ」
「でも、残念ながら完全無実にはできないって拒否された。少なくとも、管理外世界での違法な魔法行使と、古代遺失物の違法収集の罪は確定してるって」
「そうか……確かに、そりゃ仕方ないね……」
「だけど、リンディ艦長がこう保証してもくれた。〝フェイトさんの背景事情も鑑みて、出来る限り以上のバックアップを約束します〟って」
「それじゃぁ!」
「うん。裁判でも情状酌量の余地は十分ある。少なくとも、多少長い期間になっても、保護観察まで持って行って見せるって」
「……まさに、不幸中の幸いってやつだな」
「なら、これ以上ここにいる意味はないわ。早くアースラに行って、クロノさん達に保護してもらうわよ。……それでいいわよね、なのは?」
「…………でも」
「いいんだ。もう、いいんだよ……ありがとう、なのは―――だっけ? フェイトをこんなにも想ってくれて」
「アルフさん……」



 ただ、保護観察ってことは、きっとリンディさん達の監視下におかれるんだろうな、とは思う。
 まぁ問答無用で刑務所にぶちこまれるよりかは遥かにマシだが、それでも、本来この年頃の少女が過ごすには、あまりにも過酷な生活には違いない。
 でも……。



「……なぁ、月村さん、アリサ、高町」
「何、本田君?」
「何よ」
「ふぇ……?」



 みんながいっせいに俺を見る。
 でも、その時には既に俺はみんなに背を向けていて。
 ぎゅっと両の拳を握りしめながら、魔女様の消えていった方を見据えていた。



「もっとさ、フェイトと遊びたいよな」
「……はぁ?」
「夏には海とかプール行って、ついでに遊び足りなかったカリビアンベイも行って、海鳴神社の祭りもあるし秋にはオチバミだってしてぇ。冬はみんなで集まってクリスマスパーティして、年末みんなで泊り込んでさ……そのまま初詣した後、罰ゲーム賭けてみんなで正月遊びするんだ」
「本田、君……?」
「そうだよ。いっそさ、フェイトにはうちらの学校に来てもらえばいい。そんで、みんなで学校行事に参加するんだ。運動会ん時はきっとびっくりするぜ、フェイト。高町の運動神経の悪さとか、アリサの天才っぷりとか、月村さんの運動神経の良さとかさ。聖祥祭も楽しみだし、年末の聖誕祭なんか、今から考えるだけでも楽しみになってくる」
「……急にどうしたの、ほんだくん?」



 俺達がフェイトと一緒にプールではしゃぐ姿を想像した。
 俺達がフェイトと一緒に運動会でしゃかりきになってる姿を空想した。
 俺達がフェイトと一緒に毎日を過ごす姿を、夢想した。
 どれもこれも、全部が全部俺の他愛のない妄想だ。こうあればいい、こうなればいいというガキの戯言だ。このままじゃ叶いっこない……画用紙に書き殴ったクレヨンの落書きでしかない。

 誰かが言っていた。
 大人になると言う事は、夢を見なくなることだと。
 夢を見なくなったら、もう子供ではいられないと。
 そしてそんな言葉を聞いた時、俺は心底吐き気がするほど腹が立った。



「……俺は、まだガキだ。精神年齢が三十超えてようが人生経験がどうであろうが、今のこの俺はまだたった9歳のガキでしかねぇ」



 でも、だったら。
 子供であるうちは、夢を見続けても良いんじゃないか?
 叶わなくても良い。届かなくても良い。
 それでも、万分の一でも、億分の一でも、その可能性を握りしめるために無様に足掻いて見せたって――――いいんじゃないのか?
 


「だから、諦めねぇぞ俺は。ここまでやってきたのに、よくて保護観察処分? ふざけんな」
「ちょ、待ちなさいよ時彦! アンタ何するつもり!?」



 何? 何するつもりかって?



「んなの決まってんだろ。あの魔女からジュエルシードを取り返す。でもって、そのジュエルシードでクロちー達にフェイトを見逃すよう直談判だ!」
「…………はぁ!?!」
「直談判って……それより、取り返すってどうやって!?」
「どうにかする。ついでに、あの魔女様には色々言いたい文句が溜まってんだよ。最後の最後にデカイ爆弾ブン投げていきやがって……俺の十八番をパクるとか絶対に許さねぇ……ッ!」
「キレるのはそこかっ!?」
「いーから、みんなはクロちー達がくるまでどっかに隠れてろ。こっから先は俺一人の喧嘩だ」



 前世の経験から、今後一切他人の家庭事情には絶対に首を突っ込まねぇって決めてたが――――もう無理。限界。腸煮え繰り返って昇華しそう。
 今の俺には、傷心のフェイトを思い遣れるほど余裕がない。
 なんせさっきから頭の中でトラウマ寸前の記憶がフラッシュバックしまくってるんだ。
 狂った笑みを浮かべながら実の娘に銃を突きつける実の母親しかり、平気な顔して実の娘を粗悪品呼ばわりする実の母親しかり、その他諸々頭がどうにかなりそうだ。
 ぶっちゃけた話がただの八つ当たりである。二度にわたって人の大事な嫁を粗悪品だの出来損ないだのふざけた扱いをしてくれやがった似非母親に対する不満であり、俺の大事な友人を傷つけたムカつく野郎への怒りであり、二度にわたって、俺の大事な人を不幸に貶め続ける世界に対する嫌悪でもある。
 だから行くんだ。
 そんな決まりきった未来を、許せない結果を、納得できない不幸に殴りこみをかけにっ!


  
「ちょ、ちょちょ、ちょぉおっと待ちなさいこの猪バカ!」
「うっせぇ止めんなロリセレブ! こっから先は完全に俺個人の私怨だ! お前らを巻き込むつもりはねぇ!」
「誰がロリセレブか! それより、だったらなおさら止めなさいっての! こんな状況でアンタに何が出来るってのよ!?」
「やってみなきゃ分かんねぇだろうがっ!」
「やらなくてもわかるから言ってるんでしょうがこのバカッ!」
「それでもやるんだよ! やらなきゃいけねぇんだ! でなきゃ、このままバッドエンド直行で終わっちまうだろうが!? そんなの俺は嫌だぞ! 何が何でも、結果死ぬことになってでも、俺はあのババァからジュエルシードをブン奪る!」
「――――本田君」



 突然肩を掴まれ、無理矢理後ろを振り返させられた。
 犯人が誰だかなんて考えるまでもない。
 振り返り際に鼻腔を擽る、ささやかな甘さと爽やかなフルーツ系の香り。それだけで、背後に立っていた人物が誰か、すぐに想像がついた。
 だが。



「止めないでくれ月村さん。こればっかりは、月村さんの頼みでもやめ――――」



――――スパァン!



「――――ぅえ?」



 先に衝撃が弾け、次に視界がぶれると、じわじわと頬からひりつくような痛みが湧きだす。
 何が起こったか、理解が追いつかなかった。



「……ごめんね。でも、こうでもしないと本田君、話聞いてくれそうになかったから」



 目の前には憧れの人。
 闇の中でなお輝きを誇り、見る者の心を掴んで離さない魅力を湛えた双眸。瑪瑙の中に刹那の間きらめく金色の暗闇。
 心臓が跳ねる。急速に思考が凍る。
 それがどれほどの時間だったのかはわからない。
 でも、その刹那のように短く、永久のように長い間に、俺の中でマグマのように煮えたぎっていた感情の奔流は、まるで手品のようにどこかへ消え去っていた。
 残っているのは、氷のように冷たい冷めた思考と、結構な威力で引っ叩かれた事で頬から絶えず伝わってくるじくじくとした熱さ。
 すずかちゃんに、ビンタされた。
 その事実が、想像以上の衝撃となって俺の心をぶちのめした。



「つき………む、らさん?」
「……私ね、考えてたの。どうして、本田君はこんなにもフェイトちゃんのために頑張ってるんだろうって」



 驚愕に見開かれた俺の間抜け面が、まっすぐに俺を見つめ返すすずかちゃんの瞳に映っている。
 静かに紡がれる言葉は、それまでアレ狂っていた心の海を宥めすかし、不気味な静けさを取り戻させた。
 すずかちゃんは、じっと俺を見つめる。
 悲しそうに。
 悔しそうに。
 そして、優しく。
 桜色の唇が動き、鈴の音すらもが煩わしいと想わずにはいられない程、心地よい声音が耳朶と心をノックする。
 


「会ってまだ一ヶ月も経ってないのに、フェイトちゃんのためにすごく一生懸命で……殺されそうになったこともあるのに、そんなの気にもしないで一緒にご飯食べたりしてるし……危険なのがわかりきってるのに、一人でここまで来ようとするし……」
「それは……だって、フェイトは友達だから」
「うん。でも、それだけじゃ、ないんでしょ?」
「ぇ――――」



 ドクン、と。心臓が面白いくらい盛大に跳ねた。
 まさか、フェイトの事を知ってる……?
 ぃ、いやいやいや!
 そんなわけあるか! そんなわけあるはずがない!
 だって、俺が前世持ちの厨二病で、フェイトがシルフィで前世の俺の嫁だなんて知ってるのは当人達しか知らん超機密事項だぞ!
 しかも、俺は誰にもその事を話した事が無いし、当人のシルフィは絶賛フェイト中だから話しているどころか覚えてすらいないんだ。
 だとしたら……まさか、読心術!?
 


「もう、そんなの本田君を見てればすぐにわかっちゃうよ」
「見てたらって――――」
「本田君の目。視線。言動。全部。フェイトちゃんの事を考えてる時の本田君は、私も見た事のない本田君だった。だから、わかったの」
「……そんなにわかりやすかった?」
「うん。でもね、それがどんな理由なのかは聞かない。多分、軽々しく聞いていいような事じゃないと思うから」
「……月村さん」



 にっこりと、淑やかに咲き誇る百合の花のように微笑みながら、すずかちゃんはそっと、引っ叩かれてじんじんと熱を放つ俺の頬を撫でた。
 その思いやりが嬉しいと同時に、そんな気を使わせてしまっている自分が嫌になってくる。
 いっそ、キチガイの烙印を押されてもいいから、今ここで全てをゲロしたい衝動に駆られる。
 確かにシルフィとの関係はあまり公言できるものではないが、しかし無理に隠してやりすごさなければならないものでもない。
 せいぜいデメリットと言えば、俺が頭のおかしいヤツかこの歳でかなり重度な厨二病を患っているか、と誤解される程度だ。そして、その程度の誤解ならば、あまり胸を張って言う事ではないが、普段の行いの所為で大したことではなくなってしまっている。
 だが、そんな俺の曖昧な決意は、続くすずかちゃんの言葉で見事に押し込められた。



「だから、いつか、本田君が話したいと思ったら、その時に教えてほしいな」
「……いいんでせうか、そんなんで」
「いいんです。ね、アリサちゃん、なのはちゃん?」



 そう言って振り向いた先には、腕を組んでそっぽを向いてるアリサと、フェイトを抱きしめたままこちらをきょとんと見つめる高町の姿があった。
 


「別に。私はそんなバカの事情なんか興味ないし」
「えと……ほんだくんは、フェイトちゃんの事を大事なともだち、って思ってるんでしょ? わたしは、それで十分だと思うの」
「―――だって」
「……若干一名、話の内容をあまり理解できていないような気がしますがまぁいいか」



 相変わらずお人好しが服着て歩いてるような奴らである。ちなみにすずかちゃんは慈愛が受肉してさらに天使の如き寛厚さだけでなく仁慈の女神が生まれ変わったこの世に降臨したんだと思う。つまりすずかちゃんが麗し過ぎて生きるのが辛い。
 ……なんて、すずかちゃんLOVEアピールが出来る程度まで思考能力が回復したところで、俺は改めてすずかちゃんのメンタルの強さに感服した。
 正直、フェイトがシルフィだったっていう事実に加えて、あの魔女様が前世のお義母様とまるっきりおなじことをやらかそうとしていることを前にして、頭におもいっきり血が上っていた。
 それもすずかちゃんのおかげでどうにかクールダウンできた今、さっきみたいな暴走はもうしない。
 あぁそうだ。俺は、もう一人じゃない。
 大切な誰かを助けるために、頼れる味方が一人もいないなんてことは、もうないんだ。



「ごめん、ありがとう」
「それはおあいこだよ、本田君」
「それでも、やっぱり俺は、感謝したい。アリサにも、高町にも、そして月村さんにも。
 ―――――ありがとう。俺と、友達でいてくれて。俺と、出会ってくれて」
「…………ぁ、えと、うん!」



 さすがに自分が今言った台詞が小っ恥ずかしいのは自覚しているので、俺は感謝の言葉を伝えるや否や、即座に顔をそむけて頭をがりがりと掻きむしった。
 背ける間際に、すずかちゃんが俯いていたのが気になったけど……でも、どうしてもお礼を言いたかったんだ。そうしなきゃいけないって思った。
 ……だって、今ここにいる三人はきっと、これから先もずっと、フェイトの―――シルフィの大切な友達になってくれるはずだから。
 前世では友人一人おらず、親しい人間はと言えば俺しかいなかったようなシルフィに、こんなにも素敵な友人が一気に三人もできるんだぜ?
 これで感謝できないってんなら、一体何に感謝しろって言うんだよ。
 ……あぁちくしょう。ずるいよな、神様って。
 いっつも意地悪で余計なことしかしない癖に、こういうふとした瞬間に、胸がいっぱいになるくらい嬉しい事を置いてくんだからよ。
 だから……俺は前世とは違う選択をする。
 一人じゃ、あいつを救う事が出来なかった。
 それどころか、あいつを幸せにすらできなかった。
 一番欲しかったものをあげる事も叶わず、人生で一番楽しみにしていたことすら叶えて上げられず、挙句一緒にいてやるという約束すら果たせなかった。
 そんな不幸しか与えられなかったアホで末期厨二病患者な、けれどバカみたいに一生懸命な少女が―――― せめて今度/今世こそ、幸せになれるように。
 


「そんな、俺の大事な友達に、頼みがある。……手伝ってくれるよな?」
「「「――――もちろん!」」」



 こうして、聖将大学付属小等部が三大美少女と、前世持ちのニアサー厨二小学生による『第三次フェイト幸福大作戦』が、始まった。






 
 
 


 一生懸命、自分なりに頑張ってきたつもりだった。
 少しでも母さんの役に立てるように。褒めてもらえるように。力になれるように。
 母さんに会えない日々は寂しく感じたりもしたけれど、リニスの教えてくれる魔法はとても楽しくて、アルフと一緒に練習する時間も充実していたおかげで、その寂しさを忘れることが出来た。
 なにより、日を追うごとに使える魔法が増えていくのが、まるで一歩ずつ母さんの力になって言ってるような気がして嬉しかったのも覚えている。
 母さんはいつも不機嫌な顔をしていて、偶に会えても、一分も会話を出来た記憶が無い。
 でも、研究で忙しい母さんの邪魔をするくらいなら、別にそれでもよかった。
 例え数秒の、たった一言の会話だけでも、母さんと触れあえるなら……大好きな、母さんの役に立てるなら。
 そう、思っていたのに。 



――――『貴方はね――――クローンなの』



 耳をふさいでも、まるでこびりついたようにその言葉が離れない。
 クローン。
 複製。
 偽物。
 リニスとの勉強で知ったその言葉の意味が、私を絶えなく突き刺す槍のように心を穿ち続ける。
 一生懸命、自分なりに頑張った。
 一人で寂しいと思う事はあっても、悲しいとは思わなかった。
 だって、母さんのために頑張っているから。
 きっと、言われた事をきちんとできれば、ジュエルシードを集めてくれば、母さんに褒めてもらえると思ったから。
 昔みたいに……似顔絵を描いて見せた時みたいに。



――――『アリシアの複製品、贋作なのよ!』



 でも、それは偽物だったんだ。
 そして、贋作で、出来損ないで、役立たず。
 それが……私。フェイト・テスタロッサというクローン。
 


――――『でも、貴方はアリシアになれなかった。ならなかった』



 疑問には思っていた。
 昔の記憶はあるのに、そのどれもが霞がかかったようにもやもやしていて、いつも母さんが私を呼ぶ時だけ、その名前が聞こえない。
 聞こえる時もあったけど、それは決まってどこかバグが起きた電子音声みたいに、聞きとるのが難しい雑音でしかなかった。
 名前さえ読んでもらえない失敗作。
 母さんの手伝いすらまともにできない私には、それはきっと、これ以上ないくらい相応しい扱いだ。



――――『だから、〝出来損ない〟なのよ』



 もう、何も考えられない。考えたくない。
 一言でもいいから名前を優しく呼んでほしかった。
 一度でもいいから頭を撫でてほしかった。
 一回でもいいから褒めてもらいたかった。
 それなのに、私がしたことと言えば、母さんの研究の邪魔や機嫌を損ねる言葉や、期待を裏切ってばかりで。
 なんで、私はこんな〝出来損ない〟なのだろう。欠片も母さんの役に立てなかった……それどころか、邪魔しかしていなかった私に、一体何の価値があるっていうんだろう。
 だから、自分でも――フェイト・テスタロッサという存在には、生まれてきた価値すら無かったのだと思い知らされて――いやになるほどすっきりと、納得してしまった。
 それなのに――――。
 


「フェイトちゃん、聞こえる?」
「気絶しちゃいねーんだから聞こえてんだろ」
「もう、ほんだくんはデリカシーがないと思うの。もっと普段から優しくなりましょう!」
「出来る限り善処いたしますが、保証は致しません」
「なに政治家みたいなバカ言ってんのよ」スパァン!
「ってぇ!? 人の頭をタンバリンか何かみたいにパカンパカン叩くんじゃねぇこのツリ目デレ無しツン娘!」
「……えーと、おバカなほんだくんは放っておいて、と」
「フェイトちゃん、そのままでもいいの。答えてくれなくても良いから、聞いてもらえるかな?」



 誰かが、話しかけていた。
 誰に?
 私に。
 優しくて、楽しそうで、でもどこか悲しそうな、そんな声。
 意識が暗い海の底から引き上げられるような感じがする。徐々に外界への認識がはっきりしてきて、消え去っていた感覚が、じんわりと染み込むようにして戻ってくる。
 暖かい。泣きたくなるくらい、手が暖かい。
 ゆっくりと意識を動かすと、〝みんな〟が、私を見ていた。



「返事はいらん。とにかく今から俺達が話す事を聞いて、それでどうしたいか、お前が決めろ」
「無理強いはしないよ。フェイトちゃんが今どんな気持ちなのか……それはきっと、私達には想像もできないくらい、深くて大きなものだと思うから」
「でもね、それでも私達は、アンタのために何かしてやりたいのよ」



 私のため……?
 うそだよ……。
 こんな、役立たずで、出来損ないで、生まれてこなければよかったような私に、そんな価値があるなんて思えない……。
 


「お前が今、自分の事をどう考えているか――――多分、俺は今この場にいる誰よりもよく理解できている。それを踏まえて言うぜ。俺は今から、フェイト・テスタロッサっていう人間のためだけに動く。あの魔女からジュエルシードを取り返して、お前の完全無実と引き換えにして見せる」



 ジュエルシード。
 母さんの研究に必要なモノ。
 でも、それはきっと――――〝本物〟のアリシアのためで、元々、母さんの目には私なんて映っていなかった。
 なら、今まで私がしてきた事はなんだったんだろう……母さんのために、って頑張って……最後にはこうして見捨てられて。
 だからもう、どうでもいい。母さんに捨てられた私なんか、どうなったっていい。それどころか、管理局に捕まってしまうなら、それはそれでいいと思う。



「ロストなんちゃらの違法収集だの、違法な魔法行使だの、ンなの知ったことか。俺はお前と学校に行きたい。一緒に遊びたい。それだけだ。そのためだったら、なんだってやってやる」



 …………私と?
 そんな、つまらない理由で?



「悔しいけど、私も今回ばかりはこのバカの意見に賛成なのよね……まったく、まさか九歳の身で犯罪行為に手を染めるなんて、思ってもみなかったわ」
「だいじょうぶだよ、アリサちゃん! 赤信号、みんなで渡れば怖くない!」
「な、なのはちゃん……その考えはとっても危ないからやめよう、ね?」
「でも、わたしもフェイトちゃんと一緒に学校行きたいもん。それに、わたしはどうしてもフェイトちゃんが悪いとは思えない。あんなに一生懸命お母さんのために頑張ってたのに、最後の最後でこんなの――――あんまりだよ」



 …………なんで。
 私は、母さんに捨てられて……出来損ないで……母さんの〝本当の娘〟の偽物なのに……。
 だからきっと、これも私の運命なんだって……こうなるのが、私には御似合いなのに――――!



「それは違うよ、フェイトちゃん。フェイトちゃんの〝結末/エンディング〟が、こんな冷たくて、哀しくて、寂しいものであったいいはず、ないもの」
「すずかの言う通りよ。仮にもアンタはこのアリサ・バニングスの親友なんだから、こんなしみったれた結果に甘んじるなんて事、断じて認めてやるもんですか」



 言葉に導かれるようにして顔を上げる。
 そこには、手を差し伸べてくれる人がいた。
 菫色の綺麗な髪を揺らしてにっこりと笑う、綺麗な女の子。
 腕を組んで不敵な笑みを浮かべる、頼りになる女の子。
 ひまわりが咲くような、見てるだけで胸がいっぱいになる笑みを浮かべた、あの白い魔導師の女の子。
 そして、その三人の後ろで、言葉にできない複雑な顔をして笑っている、不思議な男の子。
 
 私は、みんなから差しのべられた手を見て、再び顔を俯かせた。

 〝私〟はいつだって我慢してきた。
 
―――〝姉さん〟の代わりとしてすら見てもらなくても。
 
 母さんに嫌われたくないから。

―――〝姉さん〟のために、殺されかけても。

 母さんを困らせたくないから。 

―――〝姉さん〟との、約束のためにも。 

 母さんを、悲しませたくないから。
 
 だから今回も、我慢しなきゃいけないのに。
 母さんに捨てられたのは、私が悪いから。
 役立たずで、言われたことも碌にできないで、そして〝本物〟には遠く及ばない〝出来損ない〟だから。
 複製品の粗悪品の末路として、この結末/エンディングは至極相応しいモノだと、受け入れるべきなのに。
 
 あぁ――――どうして?



「最初はぶつかりあったりもしたけれど、わたしにとって………ううん、みんなにとって、フェイトちゃんはもう――――」



 どうして、貴方達は――――〝私〟を見てくれるの?

 

「――――大切なおともだちなんだもん」



 そう言って微笑む彼女の顔は、笑っているのに泣きそうで。
 隣に立つ彼が私の手を取って、そっと彼女の手に重ねて言った。



「ったく、あいっかわらずお前は面倒ばっかりかけるな。〝言っただろ?〟〝お前を、独りになんか絶対にしない〟ってな」



 口調は乱暴なのに、でも彼の表情はこれっぽちも乱暴なんかじゃなかった。
 優しく、暖かく、まるで〝偽物の記憶〟にある、私を見つめる母さんみたいで……。
 でも、彼の言う言葉は初めて聞いたはずなのに、どうしてか初めて聞いた気がしない。
 それどころか、彼の顔に重なって、見たこともない記憶が逆流する。
 そう……私は昔、今と同じセリフをそっくりそのまま、聞いたことがある。
 場所も、時間も何もかも違うのに、今彼が言った言葉がそのままそっくり、私の頭の中で繰り返される。
 


――――お前を、独りになんか絶対にしない。



 その言葉は、まるで私の使う魔法とは違う、〝本当〟の魔法になって、私の心を包み込んだ。
 ぎゅっと握りしめられた手が、焼けるように熱い。触れあった肌と肌から、痺れるほど暖かい何かが流れ込んでくる。
 その何かはあっという間に私の胸を一杯にして、結界したダムのように次々に溢れかえる。
 抑えようとしてもダメ。どんなに歯を食いしばっても、胸を抑えつけても、それは言う事を聞かない。
 ぽたぽた、ぽたぽたと、頬から顎にかけてとめどなく溢れ出る。

 初めてだった。
 夢みたいだった。
 信じられなかった。
 
 こんな〝複製品〟に――――母さんに見捨てられた〝出来損ない〟の手を握ってくれる人がいたことが。



――――――〝    〟ですらなくなった〝ボク〟を、未だに忘れていないバカがいたことが。
 


 まるで、夢の中に置き去りにしてきた幻想が、現実になったみたい。
 モノクロに色が挿して、途端に世界に光が戻る。
 私を見つめる優しい双眸と、強く、暖かく握りしめられた手から、世界を感じられる。
 


「………………いいのかな」



 まだ、怖い。
 母さんにいらないって言われたことも。
 私が〝本当の娘〟じゃなかったことも。
 受け入れがたい残酷な現実は、今なお私の心を突き刺す槍となって存在している。
 そんな世界で、また生きるのが、怖い。
 だけど――――。



「わたしなんかが生きても……このままは嫌だって、諦めなくても、いいのかな?」
「そんなの、言うまでもないじゃない」
「世界中の誰も、フェイトちゃんが幸せになるのを止める権利なんて、持ってないもの」
「もしそんな人がいたとしても、わたし達がフェイトちゃんを助けるよ!」



 みんながいてくれるなら、頑張れるかもしれない。
 だから、うん。
 不思議と、がんばってみようかな、って思えた。
 自分一人だけじゃ無理だけど……今私の手を握ってくれているみんながいてくれれば。



「フェイト。もう、我慢しなくても良いんだよ。だから、自分の好きなようにしてみるといいさ」
「……アルフ」



 そして、私の大切な、小さな頃からずっと傍にいてくれたアルフがいてくれるんだから。
 もっと、最後の最後まで足掻いてみて――――諦めるのは、その後でもいい。
 


「―――――――――うん」



 足元に落ちていたバルディッシュを拾い上げる。
 いつも文句一つ言わずに闘ってくれた、リニスの残してくれた大切な魔導具/デバイス。
 無口で口数が少ない彼も、今ばかりはどこか嬉しそうに〝Already I got set.〟と答えてくれる。 
 そして、ぐいっと手を引かれて立ちあがった私を、みんなが見て。
 


「さぁ、選ぼうぜ、フェイト」


 
 彼―――トキヒコが、心底うれしそうに、そしてたのしそうに、笑って問いかけてくる。
 


「ここで、全てが終わるのを待つか」



 もし、この世界に神様っていう存在が本当にいるのなら、〝ソレ〟はきっと、非の打ちどころがないほど平等で。



「それとも、俺達と一緒に〝運命/フェイト〟を変えに行くか!」



 とてもいじわるで――――でもイチゴのように甘酸っぱい優しさを持った、素敵な存在だと思う。
 だって、一度世界が崩壊した〝私〟のために、こんなにも暖かくて、優しくて、そして胸が一杯になるほど嬉しい救いを与えてくれたのだから。



「私は――――――」



 もう一度、頑張ってみよう。
 今度は諦めないで、最後に与えられたチャンスを、精一杯足掻いてみるために。
 私の答えに、みんなが満足そうに頷いてくれたのが、心が痛くなるくらい、嬉しかった。






 























――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いぶりすのせーぞんほーこく
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 大分間が空いてしまいましたが、久々の更新でございます。
 最後の最後まで前々回ちらりと出ていたクロノVSなのはのところまで入れようか悩みましたが、あえなく次回の更新に回させていただきました。
 ともあれ、この冗長で長かった物語も残すところあとわずか……。
 リアルが少々忙しいため、超スロースペース更新となってしまいますが、どうか生温かく見守りください。

 あまりにも足りないすずかちゃん成分は、最終回で一気に挽回する事にしました。ぐへへへ。
 むしろそのためだけにこんなカッツカツなスケジュールになってしまったのは誰にも言えない秘m(ry

 いつもご照覧下さる読者の皆様方に、最大の謝辞を。
 
 では、今回はこれにて。






[15556] 後悔と終結と光
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:96b828d2
Date: 2012/04/23 07:38



 高町なのはと月村すずかの二人は、共に連れだって〝時の庭園〟のエントランスホールに立っていた。
 そこは、相変わらず大きな空間だった。
 数千年もの昔に建造されたギリシャ神殿のような造りもさることながら、随所にちりばめられた細やかな意匠、天井を支える石柱に刻まれた紋様、歩けばそれだけで甲高い音を奏でる鏡面のように磨き上げられた大理石の床。どれをとっても、世界遺産に登録されてもなんら可笑しくない。
 おそらく、普通の小学生として暮らしていたままでは、一生お目にかかる事は無かっただろう代物である事は間違いない。



「やっぱり、何回見てもすごいわね、ここは……」
「うん……ほんとうに、おとぎ話のお城だよね、ここって」
「そうね……ギリシャ神話の舞台とかにぴったり」
「ほんだくんだったら、ゲームのステージみたいとか言いそうかも」
「あはは、そうだね~」



 ゆっくり周囲を見回しながら、二人とも感嘆の溜息を隠すことなく思い思いの感想を述べる。
 窓一つない閉鎖空間であるにもかかわらず、ホールの中は淡い光で明るく包まれていた。
 見れば、壁のあちこちにランタンのようなものが設置されており、そこから焔とは違う、独特な燐光が光源となっているのがわかる。
 おそらくは、魔法技術を使ったものなのだろう、とすずかは言葉にはせずに推測した。
 なのはの使う魔法も、フェイトの使う魔法も、どちらも〝発動〟の際には淡い発光現象を見せる。おそらくは、その現象を利用した簡易なもので、ユーノ達の暮らす世界では最もポピュラーな技術なのかもしれない。
 そんな、技術者の卵としてのロジックが思考を走ったものの、すずかはすぐに頭を振って思考を切り替えた。気負い過ぎは良くないが、かといって集中しないのもまずい。
 なにせ、なのはと一緒にここにいるのは、二人にとっても、時彦達にとっても重要な意味を持つのだから。



「……フェイトちゃん達、うまくいくといいな」
「大丈夫だよ、なのはちゃん。みんな一緒にいるんだもの」
「……できれば、私も一緒に付いていきたかったけど」



 現在、時彦達はフェイトと共に姿をくらましたフェイトの母――プレシアを追っている。
 一時は心神喪失していたフェイトだったが、みんなの語りかけでどうにか正気に戻ってくれたのもあり、その案内もある御蔭でこの広大な城の中で迷う事はないだろう。
 時彦曰く『第三次フェイト幸福大作戦』と名付けられたその目的は二つ。

①:ジュエルシードの奪還。
②:フェイトとプレシアの親子関係の修復。

 前者はともかくとして、後者の達成が非常に困難である事は、なのはとすずかも言葉にせずとも理解していることだ。
 だが、それをどうにかするために今、時彦達は動いている。
 そしてなのはとすずかが今ここにいるのは、そのサポートのためだった。
 本当なら、時彦達と一緒に行動したかったのだが、その時彦に熱心なお願いをされてしまったために、ここに残る事にしたのだ。その〝お願い〟がフェイトのために繋がるとすれば、なおさら断るわけにはいかなかった。



「うん……私も。でも、アリサちゃんと本田君ならきっと大丈夫。特に、本田君ってば時々すごいことしちゃうから、案外あっさりとどうにかしちゃうんじゃないかな」
「にゃはは、すずかちゃんの時すごかったもんねぇ。わたしびっくりしちゃった」
「その節は大変お世話になりまして……」
「いえいえこちらこそー♪」



 呑気な会話が弾むが、二人に課せられた〝任務〟は、結構ハードなものだったりする。
 ずばり、そろそろ踏み込んでくるであろう管理局の足止めだ。
 正確には、時彦がプレシアからジュエルシードを奪い返すその瞬間まで。ジュエルシードを奪い返せさえすれば、ソレをネタに管理局に交渉を持ちかける腹積もりらしい。
 ……最初、アリサがその話を聞いて〝それじゃまるっきり犯罪者じゃないのよ!〟と目を吊り上げて大激怒していたのだが、時彦の〝今までさんざんぱら危ない目に遭ってんだから、このぐらいの役得いいだろうが〟という屁理屈でやり込められてしまったのは秘密である。
 そのためにと、時彦はなのはの持っていたジュエルシードも預かって行ったのだが―――どうしても、すずかにはその行動が気にかかって仕方なかった。
 プレシアに対する交換条件に用いるというのはあり得ない。それは第一の目的と矛盾するからだ。わざわざジュエルシードを取り戻すためにジュエルシードを渡すなど本末転倒ものだし、フェイトとプレシアの仲を修復するためにジュエルシードを使う事に対しても同じことが言える。
 では、一体何のために……?
 ジュエルシードを使って、一体何をするつもりだと言うのだろう……?
 


「すずかちゃん、どうしたの?」
「え、あ、ごめんなさい。ちょっと考えごとしてただけだよ。大丈夫」
「そっか……なんだか、すごく難しそうな顔をしてたよ?」
「ちょっと気になる事があって」
「きになること?」



 きょとんと、杖を両手で腰のところに持ち、かくんと上半身ごと傾けながら問いかけるなのは。その仕草が妙に小動物っぽくて、すずかは微笑ましいやら可愛いやら、思わず笑みを浮かべながら答えた。


 
「――――本田君、なのはちゃんからジュエルシード預かって持って行ったじゃない? アレ、何に使うのかなぁ、って……」
「あ~……たしかに。ほんだくんは〝目的のためにどうしても必要なんだ!〟~って、すごい真剣だったけど、何に使うのかなぁ?」
「危ない事じゃないと良いんだけれど……」
「ほんだくんだもんねぇ~……きっとあぶないことしちゃうんだろうなぁ~」
「でも、アリサちゃんもいるし、なによりユーノ君とフェイトちゃんもいるから大丈夫よね、うん」
「うぅ……今さらながらに、ほんだくんにジュエルシードを渡してしまった事を深く後悔してます……」
「あ、ち、違うよなのはちゃん! 別に、なのはちゃんの事を責めてるんじゃなくて!」
「ううん、だいじょうぶ、わかってるよすずかちゃん。それに、すずかちゃんの言うように、すとっぱー役のアリサちゃんにくわえて、ユーノ君とフェイトちゃんもいるもん。何かあっても、三人がいればきっと大丈夫だとおもうの」



 なのはの言うとおりだった。
 仮に何か問題があったとしても、相棒役のアリサに、優秀な魔導師である二人がついているのだから、きっと大丈夫だろう。
 特に、ユーノはアースラで受けた処置(?)の御蔭で、ベストコンディションに近い魔力が回復してきているとも聞いている。余程の事が無い限り、ジュエルシードが関わる問題は大丈夫だろう。
 異変が現れたのは、ちょうどそんな結論を出して二人で笑いあってた時だった。
 大きな光の円陣が虚空から現れ、大理石の床を綺麗な燐光で彩る。
 それは周囲にある魔法のランタンの光にそっくりで、考えるまでもなく、その円陣が魔法によるものであることがわかった。



「……来た」
「無理はしないでね、なのはちゃん」
「うん……すずかちゃんも、気をつけて」



 円陣は一つだけではない。二つ、三つと増えたところで、さらに最も手前に一つ―――ただし、これは人一人分程度の小さなものだ―――が現れた。
 そして、円陣が一際眩く光ったかと思うと、瞬きする間に、そこには特徴的な衣装に身を包んだ人達が立っていた。
 時空管理局が本局次元航行部所属、次元航行艦〝アースラ〟専属魔導師部隊。
 総勢三十名近くにも昇る魔導師が姿を見せ、最後の円陣からは、なのはとすずかの両名が良く知る人物が姿を現す。



「――――探したぞ、高町なのは。月村すずか」



 指先まで覆う金属グローブに、棘付き肩パットの黒装束。
 時彦の弁を借りれば〝立派な厨二病患者〟と不名誉な呼ばれ方をされた格好だが、それを身に纏う少年の眼光の鋭さは到底茶化せるようなものではない。
 クロノ・ハラオウン執務官。
 若干14歳にて最年少執務官となった、異世界のエリート少年は、その手に携えた杖を大理石の床に突き立てながら、心底呆れたように嘆息して見せた。



「とりあえず、君達に言いたい事はたっぷりとあるが……他の人達はどうした?」
「えと、クロノ君。あのね、その、実はお話と言うかお願いと言うか――――ちょっと、事情があるの。聞いてもらえるかな?」
「悪いが、そんな時間は無い。プレシア・テスタロッサの身柄を一刻も早く確保しなければならないんだ。だから――――」
「お願い、話を聞いて、クロノくん!」



 頑なに事務的な態度で一歩を踏み出そうとしたクロノの足が止まった。
 そして、顔を挙げて、彼女を、彼女達を見て。
 


――――息を、呑んだ。 



「……どういう、つもりだ? いくら君達が相手でも、これ以上は公務執行妨害と見なすぞ?」
「わかってる。これはクロノくんのお仕事で、わたしがしようとしているのはイケナイことだって、ちゃんとわかってるの」



 クロノ・ハラオウンの執務官時代は、まだ数年の短いモノではあるが、その密度は他の執務官/ベテランに負けず劣らず、非常に濃密なものであったと自負できる。
 チャチな違法魔導師から極悪次元犯罪者まで、程度の差は関係なく彼自身が解決してきた事件、出会ってきた人々、それら全てをひっくるめたこれまでの人生―――どれもこれもが忘れることの難しい、クロノ・ハラオウンを形作る経験の全てだ。
 その数多の経験が、濃密な過去が、無意識のうちにクロノへと語りかける。


――――今、自分の目の前に立つ――――いや、立ちはだかる少女二人の双眸は、決して〝巫山戯て〟などいない、と。


 だから足をとめた。
 だから顔を上げた。
 だから耳を傾けた。
 決して気まぐれなどではない。そうせざるを得なかったから。
 そして、希代の最年少執務官に対し、白い天才魔法少女と夜の一族の姫が、語りかける。



「でも、お願い。少しだけでいいの。フェイトちゃんが幸せになるために、わたしの大切なおともだちがお母さんと仲直りできるまで! それまででいいの!」
「私からもお願いします。少しの間で良いんです。――――どうか、ここでお待ち頂けませんか?」



 そう言って、白と菫の少女が揃って頭を下げた。
 広間に、戸惑いと逡巡を孕んだ沈黙が広がって行く。
 魔導師部隊の面々は、突如始まった少女達の懇願をどう受け止めていいかわからなかった。
 無理もない。彼らからしてみれば、いざ勇みこんで敵の本拠地へと足を踏み入れたはいいモノの、そこには既に彼らが保護するべき少女達の姿があり、しかもその少女達から、いきなり〝ここで待ってて欲しい〟と、彼らにとっての敵――すなわち犯罪者の肩を持つような事を言われたのだ。
 隊員の中には、少女達が洗脳されているのではないか、と当て推量をする者までいた。もしそれが事実であれば、彼女達の〝懇願〟は明確な時間稼ぎであるのは言うに及ばず、自分達を一網打尽にする相手の罠の可能性が高くなる。最悪の場合、部隊の全滅すらありえるのだ。警戒しない方がおかしい。
 故に、部隊の面々が揃って先頭に立つ少年――――この場における部隊責任者を任された最年少の執務官を見やるのは、当然の帰結と言えた。最終的に彼の判断で流れが決まる以上、彼がどんな答えを選ぶのか、誰もが気を揉みながら待つ。
 ただ、その沈黙も長くは続かなかった。
 そんな風に周囲から指示を求める視線を投げかけられたクロノは、毅然とした態度で、そして静かにはっきりと答えた。
 


「――――――断る」



 それは単純で力強く、そして鋼のような意志を宿した断固たる答えだった。
 悩むことではない。悩んではいけない。それゆえの実直な答えだった。
 クロノ・ハラオウンだけではない。その彼の背後に立つ局員達全員にとって、今自分達が為すべき事は〝次元犯罪者:プレシア・テスタロッサ、及びフェイト・テスタロッサの身柄確保〟である。
 特に、この件は次元震による次元崩壊の可能性を大きく孕んでいる。次元崩壊はそのまま高町なのは達の住む世界が崩壊する事に直結し、同時にそれは管理局における犯罪規模として最上級に位置するものだ。
 だからこそ、クロノは一分一秒でも早くプレシアの身柄を確保し、彼女達―――高町なのはとその友人達の世界を守りたいと考えている。


――――だが、彼の持論通り、世界とは何故こうも〝いつもこんなはずじゃなかった〟事ばかりが起こるのだろう。


 あろうことか、皮肉にもその守りたい対象であるはずの少女達は今、自分達の前に立ち塞がっているのだ。
 ただでさえ危険な事件に現地住民であるなのは達を巻き込んでしまい心苦しいと言うのに、更に最後の詰めの段階で、突如保護対象であるはずの少女達に立ち塞がられたクロノは、内心どこに向ければいいのかわからない、荒れ狂う嵐のような苛立ちに奥歯を噛みしめる。

 だが、クロノ・ハラオウンという少年は、良く言えば職務に忠実で、悪く言えば不器用な人間だった。

 彼の中に存在する〝二人の主張を呑みたい〟という考えは、なのは達の姿を見たときから存在していた。
 だが、彼はその〝私情〟をグッと奥歯を噛みしめて抑え込んだ。抑え込んで、その事はおくびにも出さずに、毅然と少女達の願いを拒絶した。
 何故なら、彼にはその〝私情〟以上に、〝高町なのは達の住む世界を救いたい〟という強い思いがあったからだ。


――――だから、こちらは何があっても引く気はない。


 言外にその意味を載せて紡がれた言葉は、だからこそ確りと二人の少女へと届いた。
 優しく不器用な、幼い身で世界を救おうとする黒ずくめの少年の心は、その真意を一切違えることなく、二人の少女の元へと届いたのだった。
 そしてそれは、奇しくもなのはの望む〝話し合い〟として、〝最高〟ではなくとも、〝最上〟の結果と言える。
 不思議なものだった。
 世界には千を超え万ですら足りない言葉でも、互いの心を通わせることが出来ずにいる事の方が多いと言うのに。今この場では、十も半ばに満たない少年と、十にすら満たない二人の少女は、たった数度の言葉の遣り取りで互いの心を理解したのだ。
 故に惜しまれる。
 互いに互いの心がわかりあえたと言うのに、立場の違い故にぶつかり合わなければならない運命が。そしてなにより、どちらも誰かのためにという同じ未来へのベクトルを向いていながら、合わさることのできないもどかしさが。
 クロノの鋭い眼差しを受けて、なのはもすずかもこの先どんな未来が待ちうけるのか理解したのだろう。
 なのはは相棒の魔導具/デバイスを胸に抱き寄せ、今にも泣きそうな表情をクロノに見えないように伏せた。
 その隣に立つすずかは、形容できない沈痛な面持ちのまま、そっとなのはの傍らへと立つ。
 二人の行動は決して機敏なものではなく、むしろ緩慢で、ゆっくりしたものだった。
 それを受けて、クロノも自身の魔導具/デバイスを構える。構えながら、ほんの僅かに、その顔を顰めた。
 図らずも、二人の少女の顔を曇らせてしまった事に。こんな、お互いに望まない結果に導いてしまった自身の力無さに。そして何より、いつでもどこでも誰にでも襲い来る〝こんなはずではなかった現実〟への苛立ちが零れてしまったがために。
 クロノの動きに釣られて、その背後にいた魔導師達全員もまた、一様に杖を構えなおす。
 それが呼び水となって、それまで俯いていたなのはと、傍らに立っていたすずかの両名が、顔を上げた。



「ほんとは、こんなのイヤだけど……でも、わたしはやっぱり、フェイトちゃんに幸せになってほしい! だから、とめるよ! 全力全開で、絶対にクロノくんを止めるよ!」
「本当は、話し合いだけで終われば一番良かった。でも、そうはいかないんだよね……なら、私も本田君との約束を果たします」



 二人の宣言を受けて、クロノは尚更遣り切れない思いをする。

 一体自分は何をしているのだろう。
 本来ならば、自分が向けるべき杖は彼女達ではないはずなのに。彼女達は守るべき対象のはずなのに。だというのに、自分は今、彼女達に向かって杖を向けるばかりか、彼女達に歳不相応な〝覚悟〟までさせてしまっている。



「どうしても、そこを退かないと言うんだな?」
「ごめんなさい、クロノ君」
「でも、これが、わたしと、わたしたちのだした答えだから」



 だが――――だからこそ、迷うわけにはいかない。自身の〝信念〟のために、なにより彼女達の〝未来/明日〟のために。そのためなら、自分はいくら謗られようと恨まれようと構わない。
 なぜならそれが、クロノ・ハラオウンの〝正義〟だからだ。 
 


「そうか――――ならば、力尽くでもそこを退いてもらう!!」



 水色の閃光が、突風と共に弾けた。




 





                           俺はすずかちゃんが好きだ!










 数ある喧嘩の中でも、親子喧嘩に赤の他人が割って入ることほど、割にあわないモノは無い。
 俺はそれを前世で身を持って経験したこともあって、今世では絶対に他人の家庭環境に首を突っ込むような真似はしないようにしよう、と心に堅く誓っていた。
 ……よもやその誓いをあっさりと破り捨てる羽目になるとは夢にも思わなかったがな。
 大体喧嘩ソレ自体が、他者が首を突っ込んで得するようなものではないのだ。往々にして首を突っ込んだが最後、余計な面倒まで抱え込んだ挙句にババを引かされる羽目になるのが常である。それが親子関係ともなれば尚更だ。そして、一時の感情の流れやくだらない偽善心から、好き好んで自分からババを引きに行くなんてとんだモノ好きもいいところだろう。
 だというのに……俺は今まさに、自分がその〝とんだモノ好き〟であることを自ら証明していた。



「……もう、貴方達に用は無いといったはずだけれど?」
「ざーんねーんでしたー! アンタになくとも、こっちにはあるんですぅー!」ベーッ



 ほとんど小学生の特権とも言って良いあっかんべーを、俺はここぞとばかりに披露する。が、それに対する反応は全力のスルー。期待通り過ぎていっそすがすがしい。
 無論、俺達と相対している〝この人〟が、そんな子供じみた(というかそのまんまだが)挑発に反応するようなお人ではないのは、よぅくわかっている。

――――プレシアという名を持つ、俺と因縁深き妙齢の魔女。

 前世でも今世でも、そのマッドサイエンティストっぷりは某ギターケースバズーカの博士に勝るとも劣らないものがあり、同時に娘を愛して過ぎてしまったあまり正道を踏み外してしまった悲難の人だ。
 きっと、その本来の性格は穏和で優しい、いっそ理想的とすら言える母親だったのだろう。不運だったのは、それに加えて天才的な頭脳を持ってしまった事にあると、俺は考える。
 なまじ頭が良過ぎたから、〝娘が死んだなら生き返らせればいいじゃない〟と頭が悪い方向に物事を持って行ったに違いない。だからと言って、もう一人の実の娘を殺しに来るのはどうかと思うのだが。今世でも前世でも〝もう一人の娘を憎む〟事に代わりがないのは、きっとこの人が持つ業というやつなのかもしれないな。
 改めて考えると、小学生が臨んでいい状況じゃねぇな、これ。苦笑いすら浮かんでこねぇよ。
 言うなれば、アーカムアサイラムの常連であるピエロさんに匹敵するような危険人物を目の前にしてるわけで……しかも、そんなアブナイ人相手に〝交渉〟を持ちかけようとしてるってんだから、自分の無鉄砲さ加減に我ながら辟易するね。本当に〝バカ〟ってのは死んでも治らんらしい。 
 おまけに、今俺達がいる場所も、そんなヤバい状況にぴったりってな具合に素敵な場所なせいで、さっきから背中に流れる冷や汗がナイアガラの滝レベルで酷い事になってる。
 一言で言えば、RPGのラスボスがいるようなステージだ。
 まるで理屈が理解できないほど広大な空間は、紫がかって薄暗く、見回せばあちこちに大黒柱と思しき巨大な石柱と、結晶体のような岩塊が空中でフヨフヨ漂っている。
 踏みしめている足場も紫がかった岩でできており、大人五人が横に並んでもまだ足りるほど幅は広い。そして、そんな岩道を彩るように、ラスボスの住まう神殿よろしく、どこぞの宗教遺跡を連想させるやたらと凝ったレリーフが印象的な石柱が立ち並んではアーチを作っている。
 まさに魔窟だ。ついでにラスボスのステージとしてこれ以上ぴったりな空間もない。
 ……おかしいな。俺、ゲームと現実の区別はきちんとつけられる良ゐ子のはずだったと思うんだけど。



「なるほど……ソレが、アンタのご執心な〝アリシア〟ってわけか」



 目の前で繰り広げられているのは、そんな二次元と区別するのが難しいほど、あまりにも非現実的な光景だった。
 いやすでに〝魔法〟なんつー非現実の極地みたいなもんを見せつけられて久しくないが、それでも俺は、改めて自分が非現実の真っ只中にいるのだと理解した。
 


「うそ…………ホントに、フェイトと瓜二つじゃない!」



 呻くようにそう言うアリサの声音は、はっきりとわかるほどショックに震えていた。
 アリサだけじゃない。その場にいた皆が――――特にフェイトが、目の前で起きている事を信じられないとばかりに目を見開いて驚いていた。
 ソレは大きな円柱の水槽だった。内部は淡く発光する蛍光イエローの液体で満たされ、どこぞの社会現象を引き起こしたアニメの操縦席を思い起こさせる。
 しかもご丁寧に、その中に漂っているのは、そのコックピットのパイロットとでも言いたげな一人の少女の姿だった。
 蛍光イエローの液体においても眩く輝く金髪。抱え込んだ膝に顔をうずめ、まるで眠りから覚めるのを待つ眠れる森の御姫様のような〝フェイト/シルフィそっくり〟の女の子。
 俺の知る限りでは、その生存を世界に認められなかった悲しい存在。フェイト/シルフィの不幸の始まり。
 そして――――フェイトの素体となった存在。


 
「まるで、今にも起きだしそうだ……」
「そうよ。この子は長い眠りについているだけ…………けど、長かったその眠りも、もうすぐ醒めるわ」



 ユーノの呟きに反応して、水槽に寄り添う魔女様は、得も言われぬ感動に包まれた様子でそのガラスの表面を撫で上げた。
 それはちょうど、水槽の中で眠る少女の頬の辺りで、まるでガラス越しにその頬を撫でようとするかのよう。だが、分厚いガラスに隔てられたその行為には、眠れる少女の無言と無機質な冷たさしか帰ってこない。 
 だからこそ、俺達は魔女の言葉に戦慄した。
 言葉だけを見れば、それはさぞかし心優しく娘想いな母親の言葉だったろう。だが、現実に俺達の耳朶を叩いて見せたのは、底冷えするような空虚さと、全身が泡立つようなおぞましさだった。
 もはや、これは執念という一言では表しきれない。
 冷たく、無機質で、まるで心をヤスリで擦られるかのような痛みさえ覚えるほど――――彼女の言葉は痛々しさに満ち満ちている。
 ……正直言うと、俺はもうこの時点でこの魔女様の説得は諦めていた。
 前世のお義母様も相当にアレな精神状態だったが、はっきりいって、今俺達の目の前にいるお方は、そんなお義母様を軽く凌駕している。残念ながら、そんな〝まともじゃない〟人間と話が出来るなどと勘違いするほど、俺は平和主義者にはなりきれない。
 だから、俺は無言のままポケットに手を突っ込んだ。
 すずかちゃんと高町との別れ際、高町の持っていた6つのジュエルシード全てが、今俺のポケットの中に入っている。
 高町には〝フェイトのためにどうしても必要だから〟と、ほとんど詐欺じみたやり込め方で借り受けたのだが、まぁそれは割愛しよう。
 勿論、借りた理由が高町に話したようなモンじゃないこたぁ言うまでもない。悪いが、これも俺の目的のためなんでな……。
 そして俺は、その六つの内から適当に一つを掴みとり、以前すずかちゃんの家でやった時のように、〝とある事〟を強く脳裏に思い描こうと――――、

 
 
「母さん!」



 して、やめた。驚いて思考を中断したせいと言えばそれまでだが、それに加えて何故か、俺は中断しなければいけないような気がしたから。
 気がつけば、俺の横を黒い風が通り過ぎていた。
 それは金髪の髪を靡かせ、黒のマントに身を包み、その手に漆黒の鎌を携える捨てられた娘/スクラップド。



「フェイト……?」



 思わずそう呼びかけてしまいながら、同時に見えたその横顔に、あの時のアイツの横顔がダブる。
 意識した時には、既に遅い。脳裏にめまぐるしくフラッシュバックが走り、抑えように抑えきれない胸の痛みが去来した。
 しかし、結果的にそれはよかったことなのかもしれない。
 元々、俺がフェイトをここに連れてきたのは、言うまでもなくフェイトに最後の悪足掻き/チャンスを与えてあげるためだった。
 ただ絶望して、諦めて、〝アイツ〟が辿った不幸な運命を辿るのが許せなかったから、無理矢理ここまで引っ張ってきた――――はずだったんだけどなぁ。
 
 シルフィは、アホでドジで世間知らずで、挙句に重度の厨二病患者という、割とガチで手の着けようがないくらい〝残念〟なヤツだった。
 だが、その一方で頭脳の明晰さと思考の回転の速さは凄まじいモノがあり、ぶっちゃけた話天才ってカテゴリーに当てはまる人間でもあった。
 天は人に二物を与えずとはよく言ったものだと思う。シルフィという少女がもし、厨二病患者でさえなければ、アイツは間違いなく周囲から認められる天才少女として一躍勇名をはせたことだろう。……まぁ、アイツから厨二病を取り除いたらぶっちゃけなんも残らん気がしないのは気のせいだと思いたい。それぐらい、シルフィという少女を形作る厨二病と言うのは、重要なアイデンティティだった。
 ただ、そんな残念系ジーニアス美少女シルフィさんであるが、これが存外精神的にもタフで、生半可な事じゃその心を折らない。
 例え実の母に捨てられても「これはボクが臨んだ家出だ!」と開き直り、自分を殺しに来たヤツが、実の母の差し金だったと知った時も「だから言っただろう? ボクはとある機関に命を狙われている、と。そんなボクに関われた事を感謝するんだな、はーっはっはっは!」と厨二節全開だったり、挙句実の母と絶縁した時なんかは「違うな、間違っているぞ! ボクがあの人に捨てられたんじゃない。ボクがあの人を捨てたんだ!」と強がって見せたり………とにかく、生半可な事じゃ、絶対に心を折らない強さを持っていた。

 ならば、それはこの世界におけるフェイト/シルフィにも言える事だ。
 例えシルフィとしての記憶が失われていたのだとしても、その本質に差異はないはずだと俺は信じている。でなきゃ、ついさっきまで廃人同然だったフェイトが、こうも覚悟に満ちた表情をしていることへの説明がつかないじゃないか。
 そうさ。コイツは俺に無理矢理引っ張られてここに来たんじゃない。
 前世で、シルフィが母の名を捨てたあの時のように、フェイトは不退転の覚悟と毅然とした目的を持って、今この場に自らの意志でやってきたんだ。
 ならば、今はまだ、俺の出る幕ではない。
 静かに一歩、後ろへ下がり、俺はフェイトの後姿を見守る事にした。
 


「どこへなりとも失せなさい、と私は言ったはずだけれど?」
「――――貴方に、どうしても伝えたい事があって、来ました」



 それは、まるで鈴が間を打ち払う瞬間のような静謐さを湛えた、それでいて力強い宣言だった。
 威圧するような返答に一瞬ビクリと体を竦ませたフェイトだったが、一度覚悟を決めたこいつはその程度でめげることはなかった。
 胸の前で両手を握りしめているのは、今にも逃げだしそうになる自分の心を抑え込んでいるのだろう。現に声は震えているし、僅かながら、その両足も震えているように見えた。
  


「私は……出来損ないで、失敗作で、母さんの望む者にはなれなくて、期待を裏切ってばかりで……いつも母さんを困らせてばかりだったと思います」



 独白を続けるフェイトの言葉を、魔女は氷のような冷たい無表情で受け止めていた。
 その胸中には、一体どんな思いが渦巻いているのだろう。



「でも、それでも、私は……プレシア・テスタロッサの娘です」



 表情通りに何も感じてないのか?
 役立たずの出来損ないに対する侮蔑か?
 あるいは、今の今になって罪悪感を覚えているのか?



「嫌われていても構いません。顔も見たくないと言われたら、どこか遠くへ行きます」



 どちらにせよ、既に〝フェイト/シルフィを捨てた〟魔女の胸中を推し量ることはできない。
 フェイトを見る目からは何も感じられず、それどころか、忘我とした視線は果たしてフェイトを捉えているのかどうかすら分からない。
 それでも、フェイトは独白を続けた。
 強く、静かに、しっかりと。
 自分の心の内をさらけ出し、胸の奥に溜め続けていた想いを少しずつ吐露する。
 


「でも、例え私が貴方にどう思われていても、私は貴方を愛しています。貴方のためなら、例えどんな時でも、どんな場所からでも、貴方の力になるために手を差し出します」



 そう言って、フェイトはゆっくりと自分の右手を前に差し出した。



「―――――だって、私が貴方を愛しているこの気持ちは、間違いなく本物だから」


 
 フェイトはそこまで言うと、一度言葉を切り、目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。
 紫幻の空間に、どこか遠雷の残滓のような低く唸るような音がやけに煩く響き渡っていた。
 そして、その闇の囁きを振り払うように頭を振ると、再びゆっくりと目を開けたフェイトは、ふっ、と枝垂れ桜のような、柔和でありながらどこか物悲しい、切なさに満ちた微笑みを浮かべて言った。

 

「例え今までの記憶が全部偽物だったとしても。私が今、この瞬間抱えているこの気持ちだけは、きっと、間違いなく、本物だから。私が〝フェイト・テスタロッサ〟として抱いているこの気持ちは、紛れもない〝真実〟だから」


 
 力強くそう言い終えたフェイトの横顔に、シルフィのそれが重なって見え、俺は我知らずと息を呑んだ。
 状況が似ていた、っていうのもあるのだろう。だが何よりも、その覚悟を決めて母と対峙する姿がかつてのシルフィの姿を彷彿とさせる。
 差し出した手も。
 儚げな笑みも。
 そして、どんな事があっても、それでも母を愛しているその心も。
 ……だが、結局あの時差し出されたシルフィの手が取られる事は無かった。
 帰ってきたのは、シルフィの〝希望〟をあざ笑うかのように残酷な、絶縁の小切手と、完全に母に捨てられたと言う〝絶望〟の未来。
 だから、俺は今こんなにも胸が締め付けられているのだろう。
 この世界のシルフィが――――フェイトが、また同じ未来を迎える事になるのではないかと。それが、怖い。
 
 いや、弱気になるな。弱気になる事が、今は最もやってはいけないことだ。

 ドロドロとした不安に飲みこまれそうになるのを、俺はポケットの中のソレを強く握り締めながら耐えた。
 弱気になるな。不安になるな。疑うな。
 例え待ちうける運命が絶望の未来だったとして、〝今回〟は〝前回〟のようにはいかない。そのための手段が、〝今回〟は確かに存在する。
 ……そうさ。これはフェイトだけの戦いじゃない。俺のリベンジマッチでもあるんだ。
 気をしっかり持て、本田時彦。そして覚悟しろ、プレシア・テスタロッサ。
 


――――最後の最後に笑うのは、今度はアンタ/プレシアじゃねぇ。この俺だ。 
   
 
 
 ただまぁ、そんな風に腹の中で真っ黒な事を考えていつつも、頭の片隅ではこのままご都合主義満載なハッピーエンドに向かてくれたらどれだけいいだろう、と夢想してしまうのは止められない。
 それはフェイトの独白が終わり、絶賛天使が行列組んで大行進しているこの沈黙の時間においては、ほとんど止められない自然現象だ。
 だからこそ、世界が見せつける残酷な現実とやらに、俺は〝デスヨネー〟と辟易する。



「何を勘違いしているのかしら」
「え――――」



 氷を通り越して鉄面皮の如き無表情のまま、黒装束の魔女が吐き捨てるように呟いた一言が沈黙を引き裂いた。
 同時に、俺は心の中で頭を抱える。……〝やっぱりこうなったか〟と。



「私にとって、娘はこの世にただ一人―――アリシアだけよ」
「……母、さん」
「誰も代わりにはなれない……例え遺伝子レベルで同じ人間でも、私の娘であるアリシアは、今ここで眠るアリシアただ一人。そんな簡単な事に気付くのに、私は十何年もかかった…………」



 そこまで言って、初めて魔女は俺を見た。
 ゾクッと背筋が震えると共に、前世でのやり取りがフラッシュバックする。
 あれは確か……今見たくお義母様にシルフィの姉の事を問いただした時だったか。まさに今のやり取りのように、お義母様はシルフィを完全に否定していた。自分の娘は、シルフィの姉ただ一人だったと。
 世界が変わろうと、その人間の本質はやはり変わらないのだろうか。期待してなかった、と言えば全くのウソになるが、しかし救いも何もない残酷な事実には、少しばかり嫌気がさしてくる。
 


「最初から最後まで、私の娘はアリシアただ一人だった。―――――〝貴方なんて、私は知らないわ〟」
「母さん……」
「それに……どうやら、招かれざる客まで来てしまったようね」



 その言葉が示すように、突然前触れもなく空間の空が揺れた。
 パラパラと埃が落ちてくることから、無限に広がっているようでもきちんと天井のある場所ではあるらしい。まぁ当然と言えば当然だが、目の前に広がっている光景があまりにも非室内的だからか、妙な感動を覚えてしまう。



「管理局!? 」
「クロちー……仕事熱心なのはいいが、少しは空気読んでほしいな」



 もはや疑うまでもなく、クロちー達がやってきたらしい。まだこっちは始まってすらいないと言うのに……ぐずぐずしている場合じゃなくなってきたな。
 すずかちゃんと高町の話術には期待しているが、どれくらい時間を稼げるかまでは分からない以上、無駄に時間をかけるわけにはいかない。
 結局、フェイトの説得も意味を為さなかった。魔女様の性格を考えれば、これ以上の説得は無意味だろう。
 とくれば、やる事はもう一つしかない。
 俺はポケットの中にある〝アレ〟を握りしめ、最終手段を切りだそうと―――――、



「ねぇ、時彦。ちょっと待って」
「……なんだよアリサ。人がせっかく覚悟決めたってのに邪魔しやがって」
「少し、私に任せてくれない?」



 それまで沈黙を保っていたアリサが、冗談を挟む余地がないほど真剣な表情で俺を呼びとめた。
 そのあまりにも真面目な様子に、俺は思わず口を突いて出そうになる軽口を押し留めてしまう。こんなにも真剣なアリサを見たのは何時以来だろう。
 少なくとも、つまらない理由で俺を呼びとめたのではないことぐらいは推察できる。その内容までは窺い知れないが……それでも、俺が道を開けるには十分すぎた。



「……手短に済ませろよ。もう、何を言っても無駄だろうからな」
「わかってる。Thanks,時彦」
「ヘッ」



 いつにもましてらしくない態度に、俺はつい顔を背けた。
 ……い、いかんっ。今のは明らかにツンデレ的な行動だったんじゃないか?
 そんなのはアリサの専売特許だろうに、まさか立場が入れ替わるほど今の奴は影響力があると言うのか……恐るべし、真面目モード。
 なんて、つい自分でツンデレな反応をしてしまった事を内心で誤魔化している間にも、アリサはフェイトに並び立ち、ゆっくりと魔女様を見上げた。
 みんなの視線が、一様にアリサへと集まる。だというのに、そんなプレッシャーに負けることなく、紡がれたアリサの声音は堂々としたものだった。



「最後に一つ、お聞きしたい事があります」
「………なにかしら」
「―――――貴方は、本当にそれでいいんですかッ?」



 静かでありながら、しかし力強い言葉だった。それも、今まで俺が見た事もないような真剣な面持ちで、アリサは臆することなく魔女様へと食ってかかっている。
 相変わらずのクソ度胸と言うか、怖いもの知らずと言うか……周りからしてみれば心臓にヨロシクナイ行動である。何故か今、あちこちからお前が言うな的な声を聞いた気がするが気のせいだろう。
 下手をすれば問答無用で雷撃をぶっ放されてもおかしくないんだ。心配にならない方がどうかしてる。
 事実、今この瞬間も俺はその危険性を考えていたのだが――――予想に反して、魔女様からの反撃は無い。代わりに、酷く諦観した声音で、静かな返事が返ってきた。



「止まれないのよ。ここまできたら、もう振り返る事は許されない」
「だからって! こうやってまた、やり直せるチャンスがあるのに! それをみすみす不意にするなんて――――愚かだわッ!」
「…………私はね、いつも遅すぎるの。そして今回もまた、私は遅すぎた」
「だから諦めるんですか!? 自分の娘を生き返らせるために、こんなに頑張ってきたのに……たったこれだけの事ができないって、諦めるんですか!?」
「何度も言わせないで頂戴。私はその子の事を〝何も知らない〟わ。娘に似ているから利用した。ただ、それだけよ」
「そんなの、卑怯よ……結局、全部私達に丸投げするってことじゃない!」
「そうよ。私は、卑怯者なの。自分の娘を幸せにするためなら、なんだってする。聡い貴方なら、わかるでしょう?」



 …………何故だろう。
 アリサと魔女様、二人の会話を聞いている限り、何も可笑しいところは無い。アリサが怒るのは当然だし、魔女様のスタンスも別段今まで通りで、言っている事にぶれは一切ない。
 なのに、何故か違和感が拭えなかった。いや、違和感というより、自分の認識と相手の認識が〝ズレ〟ている時のような気持ち悪さが、胸の中でもやもやと渦を巻いてしまう。
 二人が話しているのはフェイトの事で間違いないはずなのに……どうしてか、それだけじゃないような気がした。
 だが、いくら考えても答えはわからない。そして、そのまま二人の会話は、終わりを迎えた。



「私は…………フェイトの友達ですから」
「見ていればわかるわ。貴方と、その後ろにいる子供達も。だから―――――」



 最後に聞き取れないほど小さく何かを呟いた魔女様が、ちらりとフェイトを見た。
 びくり、と肩を震わせながらも、フェイトはその視線を正面から捉える。
 しかし、それもほんの一瞬。瞬きする間に魔女様は再び顔を逸らすと、唐突に手に持っていた杖の石突で、高らかな音を奏でて地面を突いた。



「さぁ、お行きなさい。後は、私の問題よ」



 魔女様の言葉と共に、いつの間にか水槽の上に展開されていたジュエルシードが眩く発光を始めていた。
 一体、何時の間に……全く気付かなかったぞオイ!
 仕方がない。こうなったら、問答無用で実力行使だ。



「待ってくれ! その子を生き返らせるのなら、俺も手を貸す!」



 叫びながら、俺はポケットにあったジュエルシードを全てひっつかみ、握りしめたまま眼前にかざした。
 既に頭の中でイメージは出来上がっている。そのせいか、握りしめた拳の中は仄かに暖かく、そして淡い青紫の燐光が洩れていた。
 ジュエルシード。これは、人の願いを叶える石だ。
 そして叶える人の願いは、つまりイメージに強く依存する―――――はずだ。
 さらに、これは俺がジュエルシードを使ったから、という経験則によるのが大半だが、特にそのイメージには二種類が必要だと考えている。
 即ち、主観と客観の二つ。
 叶えたい願いを願う人間自信が持つ、願いへのイメージと、それが叶った状況を第三者が見た視点でのイメージ。
 例えば俺の事例を持ちだせば、月村家事件の際、あの日俺がジュエルシードに願ったのは〝すずかちゃんと忍さんの日常〟だ。
 小難しい事は考えず、ただ純粋にいつも通りのすずかちゃん達の日常を想像し、それが現実になればいいと願った。
 結果的に試みは成功したわけだが、実のところあの時、すずかちゃん自身にも自分が元の体に戻る事をイメージしてもらっていたのだ。
 仮にあの時、俺のイメージだけでジュエルシードを発動させていたら、きっと高い確率で失敗していただろう。最悪、すずかちゃんでありながらすずかちゃんではない――――以前の〝お嬢アリサ〟のような状態になっていたかもしれないのだ。
 ……つまり、ナニが言いたいかと言うとだな。



「プレシア・テスタロッサ。アンタはジュエルシード/ソレの正しい使い方がわかってるのか?」
「愚問ね。そういう貴方こそ、ジュエルシード/コレの本当の正体を知っているのかしら?」



 振り返ることなく即答して見せる魔女様。
 無論、こちらに返事を返しながらも、作業を止める事は無い。水槽の上に展開されたジュエルシードの燐光は徐々に力強さを増していき、気のせいか、周囲の空間というより、この〝世界〟全体が緩やかに揺れているような気さえしてくる。
 ……わかってるっていうなら、なおのこと今の魔女様がやっていることが腑に落ちない。



「ジュエルシード/コレの正体がなんだとかはどうでもいい! それより、ジュエルシード/ソレを使うつもりなら、客観的イメージをどうする気だ!? このままアンタの主観イメージだけで発動すれば、失敗は間違いないんだぞ!」
「…………」
「時彦、まさか君……!」
「気付いたに決まってんだろ。こちとら生で発動してんだ。どういう仕組み/カラクリなのかぐらい、直感的に理解できたよ……!」



 元々発掘したのはユーノだから、ジュエルシード/コレに関する情報を詳しく知っているのは当然だ。それは勿論、ジュエルシード/コレが造られた目的からその使い方、そして本来の用途まで知っているはずだ。
 それを俺達に教えなかったのは、その必要が無かったから。とりわけ、目的用途がとんでもないものだった場合、高町達に余計な恐怖感を植え付ける可能性もある。
 俺達に必要だったのはあくまでジュエルシード/コレの封印方法だけだ。効率よく、的確に、そして確実に。失敗することなく封印するためには、極力不安要素を排除する。
 誰かが聞けばユーノの事を腹黒野郎だとか言いそうだが、俺としては全面的にユーノの考えを支持するね。ある程度物事を理性的に捉えられる人間なら、誰だってそうする。俺だってそうする。
 だから、ユーノに非は全くないとは言わないが、あの状況下での行動は十全中九は正しい行動だったと、俺は支持できる。
 そのユーノが今、間接的に認めたのだ。


――――ジュエルシード/コレの発動には、発動者の叶えたい願いにおける主観的イメージと客観的イメージが必要なのだ、と。


 つまるところ、ジュエルシード/コレは、最低でも発動者とその発動者の願いをイメージし、観測できる存在が必要に違いないのだ。
 まさか、ここにきてそれがわからない魔女様ではあるまい。そして、自身でも公言しているが、この魔女様は目的のためならば手段を選ばず、その手段の完遂のためにはあらゆる準備をしているはずだ。
 なのに、その客観的イメージの補助手段が見つからない。あるのは一人の少女が揺蕩う水槽と、その上に縁を描くようにして配置されたジュエルシード。そして、魔女様の持つ杖のみ。
 発動者は魔女様本人として、その観測者が見当たらないんだ。こんな状態で発動させたら、ナニがどうなるかなんて予測がつかねぇってのに――――最悪、クロちー達が言っていた〝次元震による世界崩壊〟だってありえるんじゃねぇのか!?
 そんなの、絶対にさせてたまるもんかよ!



「ちょっと、時彦それどういうこと? まさかアンタ、ジュエルシード/ソレを持ちだしてきた理由って……!」
「あぁそうさ、お前の考えてる通りだよアリサ。最初っから、俺はあの魔女様の願いを――――その客観的イメージの補助をするために、ここに来たんだ」
「トキヒコ、それじゃ最初から……!?」
「勘違いするなよフェイト。確かに俺はあの魔女様の手伝いをするために来たが、ただそっくりそのまま手伝うつもりはない。俺が望むのは――――」



 神様はいつもそこにいる。
 願いを聞き届けてくれるわけでも、世界から不公平が無くなるようにするでもなく、ただ自分の造りだした箱庭で繰り広げられる世界を見て、時折悪戯的な介入をして楽しんでいる。
 なら、ほんの少しの〝気まぐれ〟で良い。ジュエルシード/コレがアンタにその〝気まぐれ〟を起こさせる事が出来るって言うんなら、せめて前世で不幸だったヤツを、こっちの世界で幸せにしてくれたっていいだろう………?
 俺は聖人君子でもなければ博愛主義者でもない。自分とその周りが大切な、極々普通の独善的な人間だ。
 すずかちゃんが大好きなのは変わらないし、ぶっちゃけ嫁にしたい。でも、それに勝るとも劣らないほど、俺にとってシルフィ/フェイトという人間は大切な存在なんだ。
 前世で約束を果たせなかった身の上であつかましいってのはわかってる。でも、せっかくもう一度チャンスを貰ったのなら、俺はなんとかしてでも果たせなかった約束を果たしたい。
 大切な人間が何人いたっていいじゃねぇか。好きな子が二人以上いたっていいじゃねぇか。その中で一人を選べっていうのなら、そん時は神様/アンタに任せるよ。
 この世界で生きて見つけたすずかちゃんを想い続けることになっても、前世の約束を果たすためにシルフィに囚われ続けることになっても、どちらを選んでも、俺は後悔しない。……盛大に残念がるとは思うけど。
 だから、奇跡を起こしてくれ。
 前世で恵まれなかった俺の大切な人のために。
 ただ、母と手を繋いで笑いあいたかったアイツのために。
 家族と幸せに過ごす、そんなささやかな願いすら叶わなかった親子のために!
 


「俺が望むのは――――――アンタ達親子が揃って幸せになることだッ!!」
「トキ、ヒコ……」
「同じ過ちは繰り返させない。せっかくここに運命を捻じ曲げる力があるんだ。ありえなかった未来を現実にすることができる裏技/チートがあるんだ。夢物語みたいな望みを持って何が悪いんだよ。自分の娘を生き返らせるっていうんなら、全員揃って幸せになるぐらいやって見せろ、プレシアさん!!」
「―――――やはり、貴方……」



 ズズンッ!
 魔女様がこちらへ振り返って小さく呟くのと同時に、遥か彼方の天井から青い光芒が突き抜けた。
 何事かと皆がそっちを見れば、瓦礫を打ち崩すようにして飛び込んできた影が一つ。
 額から決して少なくない血を流し、疲弊によるものなのか肩で息をしながら籍中の上に降り立ったのは、誰であろうエリート少年クロノ・ハラオウンだった。



「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ! プレシア・テスタロッサ、貴方を時空管理法違反の疑いで逮捕する!」
「げぇッ、クロちー!」
「彼がここにいるってことは、なのはと月村さんは……!? 無事なのか!」
 


 無骨ながらもその服装に良く似合う杖を突きつけながら、高らかにクロちーが宣言する。
 まずい、早すぎる。先程からユーノやアリサがあちこちを見回して探しているであろう高町だけでなく、すずかちゃんの姿も見当たらないことから、文字通り〝力尽く〟で突破されたのか?
 


「安心しろ。高町なのはと月村すずかはこちらで保護している。僕達の〝援護〟でかなり疲弊していたからな」
「援護……? 足止めされてたはずじゃ……」
「……やはり、アレは君の差し金だったか」
「やべっ、藪蛇った!?」
「……まぁいい。その話は後だ。それよりも、プレシア・テスタロッサ。大人しく投降してください。既にこの庭園の動力炉は魔導師部隊が制圧。次元震は艦長が直接抑えてくれています。これ以上無理にジュエルシードを発動しようとすれば、この庭園ごと次元断層の虚無空間に呑みこまれてしまう可能性も低くは無い」



 既にそこまで制圧済みとは……さすがというべきか、エリート様のやることはえげつないな。
 けど、一手遅かったな、クロちー。
 魔女様がジュエルシードを発動させる前だったならば、間違いなくチェックメイトだった。
 翻って言えば―――――もう、止まれない。



「貴方もソレは本意では―――――「わりぃ、クロちー!」―――――なに?」
「実は、俺も使っちゃったんだ、ジュエルシード/コレ」
「―――――ッなぁ!?」



 器用に両手に三つずつ、指の間に挟んだジュエルシード/ソレを、テヘペロしながら見せびらかす俺。それを見たクロちーの顔が、平静なものから徐々に引き攣っていく様は実に面白かった。
 もちろん、この隙を逃すような俺ではない。素早く魔女様へと向き直り、俺は高らかに言い放った。



「プレシアさん、アンタの邪魔はしない! ただ、俺はそこにフェイトを加えてあげたいだけなんだ!」
「ッ―――待て、本田時彦!」
「だから、手伝わせてくれ! アンタの望む幸せな世界に、フェイトも加えてやってくれ!!」



 水槽の上で発光するジュエルシードは、いよいよ輝きを強めていた。
 クロちーがやかましくこちらに何かを言っているみたいだが、今の俺の耳には馬耳東風とばかりに、入ったそばから外へと飛びぬけているため聞こえん。
 それよりも、俺はじっと黙したままの魔女様の返事を聞き洩らさないために、全神経を集中して耳を傾ける事に忙しい。
 指の間の六つのジュエルシード/ソレも、俺のイメージを汲み取っているのか、徐々に光の強さが増してきた。
 ここまできたらもう止められない。後ろに立つユーノが何も介入してこなかったのは、既に諦めていたのか――――あるいはフォローする手段をきっちり備えていたのか。恐らくは、後者だろう。
 なにせ今の状況は以前の月村家事件の時と似たり寄ったりだ。なら、その時の経験を基にしていくつか対策を用意できていてもおかしくはない。ユーノ・スクライアという少年は、それぐらい勤勉で細かいところで熱心な、実に優秀な人間だから。
 そう言う意味では、最も信頼して背中を預けられる人間、とも言える。

 そして、俺の身勝手極まりない願いを聞いた魔女様は、縹渺とした表情にうっすらと温容の色を浮かべると、



「――――――好きにしなさい」
「ッ――――――有難うございます!!」



 その言葉を聞き取ったと同時に、俺は両の拳を強く握りこんだ。
 そして、背後を振り返り、そこに思っていた通りのモノを見て、深く安心する。



「わり、ユーノ。後任せた」
「……そんなことだろうと思ったよ。帰ったら覚えてろよ、時彦」
「そう言うなよ。友達だろ?」
「随分便利な友達だ。まったく――――ヘマは絶対に許さないからね?」
「―――――任せろ!」
「くっ、まて二人とも! ソレがどういう事を意味しているのか―――――!!」



 相変わらず、向こう側からはクロちーのやかましい声が聞こえてくる。けど悪いな。颯爽と登場させておいてなんだが、お前の出番はここまでだ。エリートの勝ち組ざまーみろ!
 ……後の報復がとても怖いが今は勤めて無視。
 それよりも、イメージするんだ。
 魔女様が望む願いと、そこにほんの少しだけ加える追加要素。
 ベースは〝前世〟の記憶。シルフィの語った理想の世界を夢想したあの時の事。
 それをこの世界の人物に置き換え、ヴィジュアルを変更し、夢想するままに動かす。

 笑う少女。
 微笑む母。
 はにかむ娘。
 手を取り合う親娘。
 そして―――――三人の親娘。
 
 それは、なんてことのない、やや特殊な背景を持つ極々平凡な家族だ。
 仕事で忙しい母をフォローする、気立てのいい娘達。
 時たましか構ってあげられない事を悔みながらも、精一杯娘達に愛情を注ぐ母。
 母が、どちらか一人を切り捨てることもない。
 娘が、母と縁を断つこともない。
 妹が、姉と離別する事もない。
 母の右手と左手、それぞれを二人の姉妹が握り、穏やかで朗らかで、見るだけで心安らぐ笑顔と共に歩いている。そんな、聞けば噴き出すような、つまらなくてありふれた、でも実現する事のとても難しい家族模様。
 
 そこには義母様/魔女様がいた。
 そこにはアリシア/長女がいた。
 そこには―――――シルフィ/フェイトがいた。

 思い描いた夢が、そこにある。
 水彩絵のように儚く、判然としないイメージとしての未来が、徐々に明確な色彩と存在感を伴って光を強めていく。
 未来が近づくように。
 過去が遠ざかるように。
 そして、理想が受肉するように。
 


「やっと、約束を果たせそうだよ―――――シルフィ」


 
 視界全てを、ついに青白い閃光が覆い尽くしていく。
 目を開け続ける事が出来なくて、俺はぎゅっと目を閉じた。
 それでも瞼越しに目を焼く光が余りにも眩しくて、ついには顔を逸らしてでもその光から逃れようとする。



―――――ギュッ。



 何かが、俺の手のひらを包み込んだ。
 すべすべした心地よい肌触りは何かの布で、その布越しに伝わってくる熱は例えようがないほど暖かい。
 それでいて、包み込む力は儚く、少し拳を開けばすぐにほどけてしまいそうなほど、弱々しい。
 でもこれは、以前どこかで――――、



「――――――――――随分待ったぞ、バカ」
「…………え?」



 耳のすぐそばで囁かれた言葉を聞いた瞬間、ついに俺の意識は、あの日/月村家事件の時と同じように、光の中へと溶けていった。
 とても懐かしく、心地よく、実は、心のどこかでずっと願い続けていた、もう一度聞きたかったあの声と共に。
 ありえなかった未来が、ありえてしまった過去を凌駕する。
 その時、俺は間違いなく、嬉しさのあまり――――――泣きながら笑っていた。
 
  








































――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いぶりすのせーぞんほーこく
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 以上、俺はすずかちゃんが好きだ―過去の女襲来編―、最終話一歩手前をお送りいたしました。
 
 一ヶ月以上もお待たせしてしまい、申し訳ございませんorz
 挙句にこのクオリティではもはやどうにも言い訳できませぬ!
 どうかひらに、ひらにごようしゃを……ッ!



 本当に今回は難産でした。
 特にプレシアとの会話の辺りは都合十数回は書きなおした結果になります。
 ホントに極悪マッドサイエンティスト一直線だったり、子供の気持ちがわからないダメ母だったり、ふんぐるい・むぐるうなふとか言いかねないほどヤバい病み母だったり……結局、MOVIE1stの演出を誇大&妄想解釈した結果に落ち着きました。
 
 あと、予定していたクロちーVSなのはのガチバトルは、さすがにこれ以上お待たせするわけにはいかん、ということで全面カットすることにいたしました。
 機会があれば番外編みたいな感じで書いてみたい気はするのですが……果たしてそんな機会が来るのやら。
 
 ともあれ、このお話も残るところエピローグのみ。
 もしかしたら癪が長くなりすぎて前後編に分かれてしまうかもしれませんが、次回も更新は絶対致しますので、どうか長い目で見守りください。
 それでは、本日はこの辺にて。
 ここまでこのお話が続いたのも、ひとえに読者の皆様方のお陰です。ここまでこの冗長でまとまりのない話を読んで下さった読者の皆様へ、深く感謝を。



[15556] 事後と温泉旅行と告白
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:96b828d2
Date: 2012/04/23 07:38

 かっ――――ぽぉ~ん。



 ししおどし
 みどりかなでる
 いかりのせき

          字余り  ほんだ ときひこ



 ちなみに〝みどり〟はししおどしの竹と、現在目の前におまします緑の髪が美しい、青筋が隠し切れていないド迫力の艦長様に、〝せき〟は静寂の寂と裁判の席とにかけております。
  


「……本田さん? 私が言いたい事、わかっていますね?」
「はい、もちろんでございますマム!」



 静かな、それでいて実に力強いリンディ・ハラオウン艦長様のお言葉です。わかっていようがいまいが、許可された返事は〝イエス〟オンリーワン。
 なにせ、艦長様の背後には【┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨―――】と、某カリスマ不老作家が描く作品によくある、あの独特極まりない威圧感を伴っているのだ。その圧迫感たるや、胃がそっくりそのままひっくり返りそうなほどである。



「一歩間違えれば、貴方の住むこの次元世界が崩壊していのかもしれないのですよ? 今回は〝偶然〟にも――――本ッ当に〝奇跡的〟なことにも、〝ジュエルシードの消滅〟という結果だけで終わりましたけれど……貴方の軽率な行動が、危うく貴方自身だけでなく、みんなと貴方の世界そのものを危険にさらしていた事を自覚しなさい」
「はい、誠に申し訳ございませんでしたッ」



 離れた所においてある湯呑がガタガタ震える程の怒気を全身で受け、ひこちんマジで失神寸前です。
 無論、終始土下座である。額を床に擦りつけ、そのままグリグリしながら額よめり込め!とばかりに圧しつけつつ、ひたすらに土下座である。
 返事をするときも、話を聞く時も、ひたすら土下座。面を上げるなど許されない。ここにいるのは大罪人。
 なにせ、今の俺の立場は〝ジュエルシードを意図的に六つも発動し、次元震を引き起こした〟等と言う暴挙に出た、超S級戦犯。
 マジで自分で思い返してみても、なんでそんなキチガイみたいな真似をしでかしたのか不思議でしょうがない。
 そもそもすずかちゃんに告ってすらいないというのに、何故に自分から試合放棄みたいな真似をしでかしているのか。事件前の俺をとっつかまえて小一時間問いただしたいレベルである。
 しかしやってしまったことは事実。
 結果として、先程リンディ艦長様のおっしゃったように、発動したジュエルシード計12個中6個の消滅だけで済んだものの、一歩間違えれば告白うんぬん以前に世界が消し飛ぶかもしれなかったのだ。むしろお説教だけで済んでいる現状が奇跡と言って良い。



「……ですが、貴方達が無事で、本当によかった」
「リンディさん……?」



 この後さらに小一時間ほど叱られるに違いないと覚悟していたので、唐突に態度が百八十度入れ替わったリンディさんの様子に、俺は意表を突かれて戸惑った。
 先程まで背後に浮かびあがっていた威圧感は一瞬で雲散霧消し、今やうって変わって菩薩もかくやとも言うべき慈愛に満ちた優しい微笑みをうかべていらっしゃる。ただし、その手にもはや砂糖汁と形容した方が適切な緑茶を持って。あ、ぐいっと呷った。すげぇ。



「過去、私達が関わってきた古代遺失物/ロストロギアの事件を含めても、今回の事件は史上最大規模と言っても過言ではありません。なにせ、世界が一つ、崩壊しかけた程の事件ですもの。それも、文字通り崩壊一歩手前まで進んだ事例は、恐らく今回が管理局史上初めての事ですわ」
「……改めて、今回は本当に申し訳ございませんでしたッ!」
「はい。そこは十二分に反省してくださいね。そして今後二度と、このような後先と命知らず極まりない、危険な真似はしないように」
「ええそりゃもう。俺だって今回みたいな事はもう二度と御免ですし」
「ふふ、期待はしませんからね♪」
「……え、あれ? なんで僕、こんな信用ゼロなんでしょうか?」
「ご自分の胸に手を当てて、よぅく思い返してみてはいかがかしら?」



 ……………………………。
 心当たりがあり過ぎてぐぅの音も出ませぬ。



「わかっていただけたところで話を戻しますけど、今回は本当に奇跡的と言って良いほど、被害がありません。過去に起きた大規模な古代遺失物/ロストロギア事件では、死傷者が多数出ていたのですよ?」
「死傷者って……」
「勿論、行方不明者の数は除外して、の話です。行方不明者も含めれば――――酷い件では、本田君、貴方の住む国の総人口でも足りない数になります。もっとも、その件で崩壊しかけたのは世界ではなく、惑星でしたけれど」



 さすがに、想像以上の事のデカさに絶句するしかない。
 同時に、惑星が崩壊しかけたと言うのに、日本の総人口に被害を留めたというのは、素直に凄いと思う。
 昨今のSF映画でも、世界を巻き込んだ大戦争じゃとんでもない死傷者が出る。某独立記念日とか宇宙戦争なんかその最たる例だろう。
 それを考えれば、今回の件をリンディさんが〝奇跡〟と臆面もなく言ってのけるのは、決して誇張でもなんでもない。実質的な被害者が、行方不明になった事件の首謀者とその娘だけというのは、あまりにも出来過ぎた結果だ。無論、それが良い事であるかどうかはまた別だけど。



「でも、そんな大事件すらも上回る今回の件では、死者ゼロ。若干名の負傷者と行方不明者こそ二人出ましたが、事件の規模を鑑みれば有り得ない結果です」
「……ですねぇ」
「ですから、本田君には感謝してもしきれませんわ」
「へ?」



 何故そこで感謝されるのかまるでわからない。
 なにせ自分ですら今回の件は――全面的ではないにしろ――俺に多大な責任があった事を自覚している。怒られる事はあっても、褒められる事なんて一つもないはずなのに。

 ……そう、結局、俺のやった事と言えば、いたずらに世界を崩壊の危機に巻き込んだだけだ。

 あれだけ〝シルフィとの約束を守る〟と息巻いていたくせに、件のマザー・オブ・ドSマッドサイエンティストは行方不明。フェイトはフェイトで、ファッキンマムと和解する事も出来ず、あろうことか前世のシルフィと同じように天涯孤独の身になってしまった。
 何もない。何も残っていない。あるのはただ、バカな事をしたという、強い悔恨の念だけ。
 ジュエルシードを発動した時、気のせいかもしれないけれど、ほんの少しだけマイラバーに会えた気がしたのもあって、偉そうに息巻いてたくせになんもできなかった事が申し訳なさ過ぎて、フェイトに会わせる顔が無い。
 さらに言えば、せっかく恨まれ役を買って出てくれた高町にも、俺の無茶を黙認してくれたアリサとユーノにも、そしてなにより、俺が目を覚ますまでずっと傍で心配してくれていたと言う、すずかちゃんにも。
 俺がここでこうして一人、リンディさんに叱られているのは、そういった俺の臆病な逃げ腰のせいでもある。
 だというのに、リンディさんはそんな俺に感謝を述べている。意味がわからなかった。



「ふふ、少々わかりづらかったかしら?」
「いや、そりゃまぁ……今回の事、自分がどんだけバカな真似したのかは自覚してますから。怒られるのは当然でも、褒められる理由がありません」
「そんなことありませんよ。確かに、本田君の取った手段は褒められるものではありませんでしたけれど、結果を見れば、貴方は世界を救ったのと同じですもの」
「……」



 穏やかに微笑みを浮かべながら、俺をまっすぐ見つめるリンディさん。ゆったりと膝の上で揃えられた白い手袋に包まれた手は、極々自然体だ。
 お世辞でもなんでもない。嘘偽りなく、リンディさんは俺を褒めている。世界を救ったなどと言う、ありえもしない事を。



「違います。俺は世界を救ってなんていない。ましてや、フェイトすら救えていない。俺はいつも、誰かを救う事も出来なくて、結局それは今回だって変わらなかったんです。だから、何一つ褒められる点は、ありません」
「……確かに、今回の事件の首謀者、プレシア・テスタロッサは行方不明になりました。そして、恐らくは〝本物のフェイトさん〟である少女もまた、プレシアと共に行方不明になったと見て間違いありません」
「……へ?」



 〝本物のフェイト〟?
 ここにきて、いきなりなんのこっちゃい?



「ですが、〝身代わりのフェイト〟さんを救ったのは、紛れもなく本田君、貴方なのですよ?」
「……いや、あの、それってどういう」
「ここに来る前、保護したフェイトさんの精密検査の結果を聞きました」
「精密検査? って、さっき俺が受けたやつですか?」
「ええ。なにせ、ジュエルシードの発動の間近にいたのですから。本田君だけでなく、その場にいた全員――――特に現地住民の皆さんから優先的に精密検査をするのは当然ですわ。幸い、皆さんが目を覚ますまで大分時間はありましたから、目を覚ました方から順次、検査させていただいたのはご存じでしょう?」
「はぁ、まぁ。俺も体の隅々までばっちりされましたからね」
「そういうわけで、真っ先に目を覚ましたのがフェイトさんだったので、先程ようやく解析結果が先に出てきたというわけです」
「なるほど。けど、それがどういう…………?」



 言わんとしている事がいまいちわからん。
 精密検査って、結果が出るまでかなり時間がかかると思うんだが。
 まぁそこは異世界の皆様の魔法と言う事で片づけるにしても、それを今ここで話す意図がわからない。
 そもそも、本物だの身代わりだの、一体何の事を言っているんだろう?



「〝身代わりのフェイト〟さん……つまり、本田君が守ろうとしたフェイトさんには、非常に強度の高い記憶操作の跡が見られました。恐らく、人格を一度初期化されるほどのモノです」
「……うぇ?」



 今、初期化、って言いました?
 初期化ってアレですよね、今まであった記録をマッサラにして、いわゆる出荷状態にリセットするって、アレでしょ?
 ……いやいや、確かにあのクソ婆からフェイトの記憶を弄った云々の話は聞いてたけど、さすがに初期化はないだろ。だって、それって――――、



「はっきり言いましょう――――――――彼女は、一度人格面で殺害されています」
「殺……え?」
「初期化は、私達の世界での専門用語ですが、その個人が持つあらゆる記憶全てを消去/デリートする事を意味しています。意味記憶も、エピソード記憶も、何もかも。それまで一つの人格を形成していたあらゆる痕跡、その全ての一斉消去です」
「そんな……こと、可能なんですか? だって、どんな話でも完全に記憶を弄るのは無理って……」
「理論上は、可能です。ですが、従来の技術では直接脳神経を切除する等外科的手術を必要としますし、そういった技術的な問題だけでなく、仮に出来たとしても術後に重大な障害が残ってしまう他、様々な理由から法で禁止されています」
「でも、フェイトの奴に障害っぽいものなんて何もなかったんですが……?」
「プレシアの執念は、それだけ恐ろしいものだった……そう片づける事ができたら、どんなによかったでしょうね。外科的な方法ではなく、あくまで魔法と投薬による内科的手法による記憶操作技術だったのだと思われます。それも、副作用の無い、新技術ですわ。事実、彼女に外科的な手術痕は一切ありません」
「………マジなんですか」
「残念ながら。恐らく、フェイトさんは初期化された人格の上に、プレシアの娘の代わりとしての人格を上書きされたのでしょうね。そのため、彼女はプレシアの命令に逆らう事も、疑問を抱く事も無く、忠実に言われた通りに動いていた。プレシア自身から、真実を明かされるその時まで、フェイトさんはプレシアを実の母と信じていたのでしょう」



 ショックで言葉も出ない。
 リンディさんが嘘を吐くような人ではないのはわかってるし、明らかに俺達の世界よりも技術レベルの高い世界からやってきている以上、その検査結果も確かなのだろう。
 とどのつまり、俺の予想は正しかった、という事だった。
 フェイトは、シルフィとしての人格を操作――――初期化されて、今のフェイトになった。そして、初期化される以前の人格に戻すのは、ほとんど不可能。いくらアイツが鬼婆様と同じ末路をたどらなくて済んだとはいえ、そんなのは慰めにすらなりはしない。だって、本当のフェイト―――シルフィは、もう〝いない〟んだから。
 正直、ほんの少しでも期待していなかった、と言えば嘘になる。フェイトが元の記憶を取り戻す事を望む望まないにしろ、もう一度シルフィと会えるかもしれないという可能性に期待していたのは、事実だ。
 それが、今この瞬間はっきりと否定された。それなりに覚悟はしていた事だけど、改めて突きつけられるとこう、滅茶苦茶キツい。



「……この事を、アイツは?」
「まだ、お知らせしていませんわ。簡単にお話しできる事ではありませんし、最悪……自己同一性の消失に繋がりかねません」
「そう、ですか」



 そりゃ、当然と言えば当然か。
 なにせ、フェイトは一度、俺達の目の前で心を壊しかけたんだ。そこへ追い打ちをかけるような真似をすれば、今度こそどんなダメージがあるかわからない。
 あいつが立ち直っているように見えるのは、あくまで見せかけだろう。マイラバーがそうだったように、あの家系の人間は演技というか感情を表に出さないという技術に関しては、ポーカーフェイスってレベルじゃないからな。しかもほとんど素面/無意識でやってのけるから質が悪い。
 おまけに、立ち直ったきっかけである〝母親との仲直り〟も結局果たせずじまい。ジュエルシードの発動のショックで有耶無耶になってしまっているが、事の仔細を把握した今、あいつの心境がどうなっているかは想像がつかない。
 リンディさんの話を聞いてる限りじゃ、一応塞ぎ込んでいるワケではなさそうだが……後で見舞いにいった方がいいのだろうか。



「お知らせするかどうかは、今後専門の医師と相談しながらになるでしょう。場合によっては、このまま伏せておく事にもなりえますから」
「……多分、その方がいいと思います。今回の事で、アイツには、辛い事が多すぎましたから」
「そうですわね…………力になれなくて、本当にごめんなさい」
「い、いえいえ! なんでリンディさんが謝るんですか! そもそもの原因はあのマッドサイエンティストにあるんですし、俺達はその悪の科学者から助けてもらってるんですから逆にお礼を貰うべきでしょう!」



 そして土下座しながら厚くお礼申し上げる俺。「この度はワタクシめ共の尻拭いをしていただき、誠感謝の極みでございます!」
 リンディさんは一瞬キョトンとしたものの、すぐに「あらあら、うふふ」と柔和な笑みを浮かべると、「どういたしまして」なんて大人な対応を見せてくれた。
 
 そう、結局、今回の事件はどうやっても不完全燃焼にしか終わらないんだ。何せ、事件の首謀者が行方不明となってしまったのだから。

 だったらもう、どうしようもないじゃないか。怒りの矛先や、責任の追及先なんて考えてる暇があるなら、どうやったらフェイトがこれから幸せになれるかを考えた方がいいに決まってる。
 あれだけたくさん傷付いたフェイトが、もう一度一人の人間として幸せを掴めるように―――――前世で辿る事が出来なかった、幸せな人生を。
 ただ、それとは別に。



「あの、さっきから気になってたんですけど……」
「何かしら?」
「その、〝身代わりの〟フェイトとか〝本物の〟フェイトとか、何の事かよくわからないんですが……」
「あらあら」



 シルフィとフェイトの関係は知らないだろうから、もしかしてあの魔女様の実の娘――――アリシアの事を言っているのかと考えもしたが、それならきちんとアリシアと呼ぶはずなのでボツ。
 だが、本物とか偽物とか言うからには、フェイトがクローンであるという所まではいかなくても、先程の説明からして、誰かしらの役割をおっかぶせられて利用されていた、というところまで把握しているのは間違いない。間違いないんだけど、じゃぁ何が本物扱いされてるんだ?
 


「―――――あ!」



 と、そこまで考えて思い出す。
 フェイト。記憶操作。魔女と実の娘と偽の娘。魔女の目的。フェイト幸福大作戦。そして、「うふふ♪」と一見穏やかそうに見えて、なんだかものすごぉ~くプレッシャーを感じさせるリンディさんの微笑み。
 ……まさか。



「……アリサ達が、何か?」
「主犯は本田君。フェイトさんは記憶を操作されて良いように駒扱いされていただけ。私達管理局と皆さんの見識に相違はない――――――と言ったころかしら?」
「は、はは……!」



 おーけー、把握したぜ艦長。
 つまり、だ。
 俺達小学生ズが無謀にも計画し、無鉄砲にもやらかした命と後先知らずな、とある少女一人のための作戦は――――――見事に成功したと言う事であった。



 






                           俺はすずかちゃんが好きだ!










 まず結果から言ってしまおう。
 今回俺達が巻き込まれたジュエルシード事件の内、特にプレシア・テスタロッサによる介入行動は事実上の終わりを告げ、フェイトは暫く保護観察を経た後に事件の重要参考人として、色々面倒な手続きやらなにやらをすることとなった。
 直接的に介入してきたフェイトが保護され、張本人は行方不明となった以上当然の流れだわな。
 また、フェイトの扱いについても、リンディさんの言葉から、大凡俺達の望む方向へと進む事がわかった。
 つまり、保護されたフェイトは、以下のような背景を考慮して扱われる事になったわけである。

1:フェイトは二人いた。
2:今までジュエルシードをかっぱらおうとしてたのは偽物の方で、記憶を操作されていた。(こちらが、ようはフェイトだ)
3:そしてフェイトは、実は俺と昔馴染みの知人で、地球の人間。
4:今回、プレシアと共にいた水槽の中の少女が本物で、フェイトはその少女の代わりとしてプレシアに拉致され、操られていた。
5:だから、フェイトは何も悪くない。

 最後の飛躍っぷりにはさすがに首を傾げたくなったが、なんとも絶妙な〝真実に最も近い嘘〟と言えるだろう。これを即座に考えてリンディさんに話したうえ、見事味方に引き入れたアリサの交渉手腕には、さすがの俺も敬服の念を覚えざるを得ない。
 おまけに、上手い具合に虚実入り混じった話なもんだから、真相を知らなければこの話が嘘だとバレる事も無い。そして、真相を知る人間は俺達聖祥付属小学生組とユーノ、そしてあのドSマッドサイエンティストのみなのだ。フェイトも知っているには知っているが、自分が記憶を弄られたクローンだと言うことぐらいだし、どちらかというと知らない側に回ると言って良い。
 だから、事実確認をしたくとも、真相を知る俺達が全員揃って黒を白だと言えば、それは白になる。
 うん? なに? 汚い? さすがチート小学生汚い?



――――――ふぅぁーあっはっはっは!!



 汚くて結構!
 世の中上手く渡るためには清濁併せ飲んでこそよ!
 元々俺達の目的は、フェイトを犯罪者にしないことだ。さすがにこの期に及んでまで無罪放免で済ませてもらいたいとは思っていないし、少なくとも保護観察で実質無罪にまで持ち込めればそれでいい。
 その点で見れば、フェイトが記憶操作をされていたという事実が大きな説得力となってくれていた。おかげで無理なくフェイトは容疑者から被害者へとクラスチェンジ。今後待ち受けている管理局での裁判とやらでも、フェイトの罪はほとんど無いよう取り計らってくれるらしい。
 勿論、それは言うほど簡単な話ではないが、リンディさんが出来る限り力になってくれると約束してくれたものだから心強い。フェイトが今、被害者扱いで保護されているのも、リンディさんの計らいである事を考えれば、その信用度は言うまでも無いだろう。

 で、だ。
 フェイトの件はそれでどうにかなるとして、本題である。つまり、ジュエルシードの件だ。

 ついつい忘れがちだが、ジュエルシードの件は何も解決していない。それどころか、回収した(或いは確認できた)12個の内六つが消滅。六つはそのままリンディさん達が引き取ってくれたが、まだ残り9つが行方不明なのだ。なお、ユーノの処遇については、とりあえず〝事なき〟で済んだ事を捕捉しておく。
 勿論、このまま未確認のジュエルシードを放置するわけにはいかないので、リンディさん達は継続して、ユーノと一緒に捜索を行う事になったのだが――――そうなると、今度は某魔法の力に魅入られた危険人物(本田時彦主観)、つまり高町の扱いが問題となる。
 今までは緊急事態、かつ対処できる人間が高町しかいなかったから仕方なく、というこじつけのような理由で問題なかったのだが、何せこれからは魔法を取り扱うお巡りさん達がやってきているのだ。お巡りさん達の前で堂々と未成年喫煙とか二ケツとか赤信号横断とかはできんわけですよ。ちなみに、フェイトは保護という名目で魔法を使う事を禁じられてしまったので戦力外。あうち。
 となると、高町が取れる選択肢は二つになる。大人しく諦めて、平凡な小学生に戻るか。あるいは、リンディさん達の組織に所属して、お手伝いをするか。
 前者ならば何も問題はない。このまま俺達は魔法のなかった元の生活に戻ればいいだけの話だ。
 だが、後者ならば、それは高町一人の問題ではなくなる。はっきり言えば、親御さんへの事情説明をしなければならなくなるってことだ。何せ一人の未成年に危険な仕事をさせる事になるのだ。いくら異次元世界の方々とは言え、そのあたりの道理はきちんと弁えていらっしゃる。
 そして、高町の選択はと言うと……ま、当然すぎて答えは言うまでも無いだろう。
 
 結局、その日の内に俺達は帰宅する事になり、リンディさんとクロちーは、高町と一緒に高町家へと向かった。勿論、ユーノも一緒に。
 理由は言うまでも無く、一連の事件に関する謝罪に加え、高町の事件協力への事情説明と許諾を取るため。そりゃまぁ当然の話ですわな。
 ついでに、アリサとすずかちゃんは揃って高町の家にお泊りする事にした。何故か、気が付くと忍さんまで加わっていたらしいが、恐らくは鬼ー様目当てなのだろう。畜生、リア充爆発しろ!
 
 この時、俺はまだ気づいていなかった。
 確かに目先にドデン!と立ち塞がっていた障害物は消えた。
 だが、だからと言って、俺が抱えている問題がきれいさっぱりと解決したわけでは、決してないのである。
 そう……既に、俺自身の戦いは、平常通り、再び始まっていたのだった―――――!
 








 


 
 突然ですが、本田時彦君は月村すずかちゃんが好きです。大好きです。
 以下某少佐のようにすずかちゃんへの愛を延々と告白し続けても俺的にはなんの問題も無いのだが、それをすると話が全く進まないので割愛。
 そう、改めてしつこいようだが、俺はすずかちゃんが好きなのである。
 マイラバーことフェイトも気になると言えば気になるし、今回のトンデモ事件のドタバタで死ぬ気でアイツを助けようとしたりと、ここ半月の自分の行動を顧みると信じられない話だが、それでも俺はすずかちゃんが大好きなのである。
 ……だというのに。



「気がつけば俺! ここ数週間全然すずかちゃんとキャッキャウフフ(はぁと)できてないッッッ!!!」



 魂の慟哭。心の底からの憂悶が口から迸る。
 気がつけば激動の四月も終わり、時は既に五月の黄金週間。
 俺は独り、誰もいない温泉旅館の客室の布団の上で、遅々として進まないすずかちゃんの好感度UP作戦の遅滞っぷりに、びったんばったんのたうちまわっていた。
 
 今、俺を含めた高町一家+αの一行は、日程こそジュエルシードやフェイトの一件のごたごたで若干ずらしたものの、当初の予定通りに温泉旅行に来ている。
 客の多いゴールデン・ウィークは避けたかった、とは桃子さんの弁だが、みんなで旅行に来れる日が他になかったから仕方なかったのである。
 だが、日程がどうであれ、俺にとっては待ちに待った温泉旅行だ。
 なにせすずかちゃんと一緒に旅行に行けるのだ。
 しかも子供部屋と言う事で、四人の少年少女がいっしょくたに!
 これで高ぶらず荒ぶらず、一体俺にどうしろというのだろう!?
 ひゃっほう! ロリロリガールズ最k……いや、小学生ボディ万歳!
 とにかく嬉しくて楽しくて胸が一杯なのだ。
 さっきも言ったようにここ一月の間、件の事件の所為ですずかちゃんとは全くと言って良いほど触れ合え無かった空白の時間を埋めるには、またとないシチュエーションである。



「このチャンス/好機……逃すわけにはいかない……ッ!」



 ごろごろのたうちまわった末、ごろんとうつ伏せになりながら、鼻腔一杯に布団に染み込んだお日様の匂いを吸いこむ。決してその大本が何の匂いなのか考えてはいけない。
 そして、そのまま額をぐりぐり押しつけながら、呪詛のように俺の口から漏れ出たのは、そんな煩悩に溢れた素直で純粋な思いでした。
 


「ユーノがこれなかったのは誤算だったな……にゃろう、変に生真面目ぶりやがって」



 せっかくなんだし一緒に来ないか(本音=お互いに気になるあの子の距離を縮めるために、協力しようぜ☆)と誘ったら、「まだジュエルシードの件が片付いてないからね。僕は遠慮させてもらうよ」―――な~んてキザったらしい台詞を吐きやがりましての事よ。
 ……まぁ、普段から高町と同じ部屋で暮らしてたり、初期の頃は一緒に風呂に入ったりとかしてたから、温泉と言う特殊なフィールドを知らないユーノからしてみれば、あまり魅力を感じなかったのかもしれない。
 恐らく、今もユーノはリンディさんやクロちー達と一緒に、海鳴にまだ散らばっているはずのジュエルシードを探し続けているはずだ。
 ここ一週間ちょっとの間で、すでに二つを回収している。どちらも忘れられないくらい印象的な事件だったが、とりあえずそれは割愛で。
 とにかく。
 ここで頼れるのは文字通り俺自身。粉骨砕身の思いでとりかからなければな……。
 俺は、むっくりと上体を起こしながら、改めて自分が今いる客室を見渡してみる。
 子供四人分の布団が並んでも、余裕でスペースが余る十畳の部屋に、きっちり四つの布団が敷かれている。
 部屋の隅っこには、みんなの持ってきた荷物が整然と並んでいるものの、俺の荷物だけそこからさらに対角線上に離れた所にぽつんと置かれていて、なんだか物凄い寂しさを醸し出していた。ちなみに自分から離しました。だからイジメなんかじゃないよ!
 大人勢の言い分では「まだこの歳なら一緒でも大丈夫でしょう。というより、みんな一緒の方が楽しいわよね♪」とのことですが、明らかに子供/お荷物をひとまとめにしてるようにしか見えないのは、俺の性根がねじくれてるせいだろうか。
 御蔭ですずかちゃんと同じ部屋で寝れる!!ので逆に俺は世紀末のモヒカン並みにハイテンションになったわけですが。
 そんな大人勢(高町夫妻、鬼ー様、美由希さん、忍さん、うちの母上の六人)の皆様は、二人三部屋に分かれている。あ、うちの母上と美由希さんがペアね。後は言わんでもわかるだろう。
 その編成を発表された時は、俺はてっきり母上と同じ部屋だと思っていただけにいい意味で驚いた。なんでも、美由希さんの方からうちの母上と同室が良いと言ったらしい。……母上、美由希さんに何したんだ。
 と、とにかく。
 現状はそんな感じ。加えて言うならば、今は夕餉も終わって各々楽しみにしていた温泉にざぶーん、というわけである。
 


「えーと、確かこの旅館は二三時にはお風呂終了で、カップルは二組、家族連れが四~五組、内娘持ちは無しだったから……そのちょい前くらいに行けばいいな」



 先程仲居さんに確認した、お風呂に入れるタイムリミットの時間を思い返しながら、我が身の不幸を改めて確認して若干鬱になる。
 みんなが風呂に向かったと言うのに、独りこうやって残っているのは、無論のこと俺の体のとある事情の所為だ。
 すずかちゃんと忍さんの身体入れ替わり事件を境に、突如として女体化した俺の体は、残念な事に今なお改善する兆しが無い。
 実のところ、ユーノには既に相談済みで、最初はこっぴどく「なんでそんな大事な事を早く教えてくれなかったのさ!」と怒られたが、すぐに現状出来得る最善の手として、ジュエルシードを回収する傍ら、アースラである程度解呪の方法を探してみてくれると約束してくれた。
 当然、もう一度ジュエルシードを使って解呪する、なんて手段はボツである。どう考えても俺の体の解呪だけで終わる気配がしないし、既にリンディさんに厳重に釘を刺されているんだから、誰がそんな命知らずな真似が出来ようか。
 ただまぁ、ユーノはなんだかんだいって面倒見のいいヤツだよな。同時に、その性格の所為でいらん苦労と厄介事を抱え込む事になってることに、奴は果たして気付いているのだろうか。
 ともあれ、ユーノの好意は素直に有難い。解呪がこの旅行に間に合わなかったのは残念だが、どの道そんな簡単に治るような話じゃないのはわかっていたことだ。
 だからこそ、こうして俺なりの次善策を取っているわけである。
 


「……まぁ、この年齢ならギリギリ男湯も入れるが」



 とはいっても、せいぜいが時間ぎりぎり、誰もいないような時間帯にひっそり入浴する、程度の策なんですけどね。
 まかり間違っても、士郎さんや鬼ー様と一緒に入るわけにはいかん。ばれたらどう言い訳したらいいのかわからんし、そもそも俺の人生にとって取り返しのつかない事態になりそうな予感がしてならないのだ。
 ……まぁ、仮にバレても、あの二人なら口外しないでくれと言えば、絶対に秘密にしてくれるだろうけれどな。
 でも、何故か知らんけど恥ずかしいのである。
 まったくもって奇妙で気持ち悪い話なのだが、この体が女でそれをあのお二方に見られる&知られるっていうのが、どうにも耐えられんほど恥ずかしい。
 果たしてこれは正常な反応なのか、あるいは体が女になった事による副作用なのかはわからないが、そういうわけで俺は独り、時間をずらして風呂に入る事を決意したのである。
 事情を知る母上には口裏を合わせてもらい、アリバイもばっちり。変なトラブルさえなければ、滞りなく俺も温泉を満喫できる予定だ。
 ただ……最も重要な案件が、まだ未解決だったりする。



「どうしよう。マジで」



 ちらり、と誰もいないと言うのに、目だけを動かしてソレを見る。
 もはや何処を見ているのかなど言うまでも無いが、みんなの荷物が集められている、それもすずかちゃんの旅行鞄だ。
 茶褐色の革製トランク型の旅行鞄は、緑と赤、そして白の三色ストライプバンドで止められており、すずかちゃんの趣味からすればやや珍しいモノだ。
 俺はてっきり、シンプルなモノトーン、あるいは寒色系の旅行鞄かと思っていたのだが、ここにきて世界を流離う魔法使いさんが持ってそうな鞄とは、うんやっぱり素敵なご趣味をしてらっしゃいます。さすがすずかちゃんや……そのセンスの冴えわたりっぷりは、例えこんな小さな小旅行でさえも妥協を許さない。五年生の林間学校、及び六年生の修学旅行がマジで楽しみです。
 ……いやいやそうじゃなくて。別にすずかちゃんのトランクケースが云々というわけじゃなくってですね。



「…………うぅ、死にたい」



 再びぼふっと布団に顔をうずめ、リンディさんにこってり絞られた翌日からこれまでの日々を思いかえして、俺は胸が張り裂けそうな悲しみに襲われた。
 理由?
 そんなもの決まってんだろう!!



「今日ですずかちゃんから無視され始めてはや数週間……もうひこちんのライフポイントはゼロです」



 えぐえぐガチで嗚咽を漏らしかけながら(決して漏らしてないよ!?)、いらん演出をしてくれる走馬灯のような記憶の連続再生に悲しみを募らせる。



―――――始まりは、平和な日常に戻ったその翌日だった。



 その日、俺はいつものようにバスに乗り、いつものようにバスの後部に座っているアリサと高町に挨拶をし、いつものようにすずかちゃんに挨拶をした。



『お、おはようございます、月村さん』
『……』つーん。
『―――――ッッッッ!?!!!?!?!!?』←声にならない絶望の呻き声。
  


 ……ええ。正直、その瞬間俺の世界が止まりましたね。ていうか崩壊したように錯覚しました。事実色が消えましたもの。
 もちろん、我が麗しの女神の無視/シカティングはそれだけに留まらない。
 授業中も。 


『つ、月村さん? あの、実は教科書を忘れまして……』
『……』つーん!



 昼飯の時も。



『つ、月村、さん? その、一緒にお昼でも……』
『……』ぷいっ。



 放課後も。



『あの、月村さ―――』
『あ、なのはちゃん、アリサちゃん。ごめんなさい、私用事あるから帰るね』



 一瞥もくれることなく、すずかちゃんは颯爽と独りで帰宅してしまうのだった。

 

――――俺、あうと・おぶ・がんちゅう。



 その後、泣き崩れる俺の肩に、アリサの奴が、心底哀れなモノを見る目をしながら手を置いたのを、俺は一生忘れないだろう。
 とにかく、そういうわけなのである。
 事件が終わってからこの数週間。俺はすずかちゃんにシカトされ続けているのであるッッッ!!!
 
 理由を聞こうにも例のごとく口を聞いてもらえないので聞きだせるはずも無く、アリサやすずかに聞いても「さすがに今回ばかりは私もわかんないわよ」「うーん……私も、理由はわからないよ」と実に使えない返事が返ってくるだけだった。
 原因も何も分からない以上、俺に出来る事は〝これ以上余計に刺激せず、ひたすらご機嫌取りに終始するか、刺激を与えないように振舞う〟しかなかったわけだ。
 そりゃもう地獄のような日々でしたよ。
 話しかけても徹底的に無視されると言うのは初日でわかったことだし、無視された時の衝撃がハンパなかったので、ひとまず自分へのダメージを少しでもなくするためと、下手に刺激しないためにも、今日までずっと声をかけず触れず関わらずの三重苦の拷問の日々だったのだ。

 ……しかし、それも今日まで!!

 この小旅行の期間中に、なんとしても状況を改善してやる。すくなくとも、無視されている理由を聞きだすくらいまではやり遂げてやろうじゃねぇの!
 俺は心の中で誓いを新たに、その場で勢いよく両の拳を握りしめるのだった。









 ……とかなんとか息巻けるのは猿でもできるってね。
 ちらっと周囲を見渡しながら、俺はさめざめと心の中で涙を流した。



「(…………気が付いたら皆さんおねむでしたぁあああああ!!!!)」



 かっちこっちと時計の針の音だけが響く静かな寝室。四列に整然と並べられた布団の廊下側端っこの布団に包まりながら、俺は自分のへたれ具合に絶望していた。
 すずかちゃん達が風呂から戻ってきたのがおおよそ八時前後。
 そこまではいい。みんなが戻ってくる前に一念発起して、すずかちゃんと仲直りすべく決意を固めたまでは本当によかった。
 ……だが、その後がいけない。
 まず、戻ってくるなり高町のやつが「ねぇねぇ! うのやろうよ!」と言い出した。
 特に反対する理由も無く、俺はむしろ、ゲーム中を通じて少しでもすずかちゃんとの仲を修復できるチャンスだと捉え、積極的にゲームに参加した。
 その積極性がまさか仇になるとは、この時予想すらできなかったのは、今日の最大の誤算である。
 ドロー4を出したら巡り巡ってすずかちゃんに10枚の三連鎖を叩きこんだり。
 スキップを出したらまたまたすずかちゃんだけ狙い澄ましたようにスキップしたり。
 ワイルドで色替えしたらすずかちゃんだけ出せなくなったり。
 そんなドツボの雰囲気から抜けだすべく、今度はトランプに変えたりしたのだが、そこでもまた俺が出す手が悉くすずかちゃんを狙い撃ちにして邪魔したりなんだりしてしまったのである。
 そういうわけだから、終盤になると俺の顔は真っ青、すずかちゃんは常時俯きっぱなしで大変ヨロシクナイ空気になっていた。
 途中でアリサが察してくれたおかげで、それ以上すずかちゃんを傷つけずに済んだのだが、当然そんな空気では何をしようにも楽しめるはずもない。
 ついでに、初日と言う事もあって、みんな疲れもあるだろうから今日は早めに寝よう、ということで早めに就寝することにしたのだった。
 つまり、ぶっちゃけすずかちゃんとの仲は一ミリたりとも改善できなかった、ということになる。



「……はぁ」



 静かに溜息を一つ吐いて、俺はもぞもぞと枕元に置いてあった携帯を開いた。
 液晶パネルに表示されている待ち受け画面は、この間フェイトを交えて皆で撮った集合写真だ。
 アリサの余計な計らいの所為で、高町、フェイト、俺、すずかちゃん,
アリサと並び、その後ろにユーノとアルフのねーちゃんが並んでいる。
 クロちーも入ればよかったのに、頑なに嫌がったんだよなぁ。
 写真では、みんな楽しそうに笑っていた。
 それは俺も例外ではなく、多少の照れこそ感じられるが、それでも全力で楽しそうにしているのがよくわかる。まぁ、この直前でいいことあったし、しかも隣にすずかちゃんいるんだし、当然だ。
 だが……このすずかちゃんの笑顔が見れなくなって、もうどのくらい経つのだろう。
 まだ半月も経っていないはずなのに、俺には数年のように長く感じてしまう。
 もし、このまま仲直りできなかったらどうしよう。
 そんなバカな事まで考えてしまうのは、きっと俺が弱気になっているからなのかもしれない。



「あ~……」



 よそう。いつまでもネガティブな事を考えてたら、ホントに気が滅入る。 
 もう一度液晶パネルの時計を見て、まだ温泉に入れる時間であることを確認する。
 顔も洗ったし歯も磨いたが、今日はまだ温泉に入ってないんだよな……せっかくだから、入ってくるか。
 さすがにこのままじゃ眠れないし、良い気分転換になるだろう。
 俺は手早く、かつ静かに入浴用具を準備すると、なるべく音をたてないよう、ひっそりと部屋を後にした。









「ッ……ぅはぁ~!」




 足先から徐々に全身へ、痺れるような気持ちよさが駆け抜ける。
 湯加減は上々。人気はゼロ。入浴可能時間間近のほとんど貸し切り状態の露天風呂。
 


「贅沢過ぎる……」



 ぐぐーっと伸びを一つしながら、俺は感無量といった風情で呟いた。
 実際、言葉にできない満足感でいっぱいだ。
 こうして一人、のんびりと露天風呂を独占できるのならば、この体の不遇も許容できなくはない。不便な事には変わりないが。
 でも、改めてぐるりと露天風呂を見回してみれば、この環境を独り占めできるのは実に贅沢と言える。
 5畳ほどの広さの石造りの湯船に、その半分を覆う木枠の屋根、そこかしこに置かれた良い雰囲気を醸し出す灯篭。
 そして木造りの注ぎ口が奏でる水の音に、満天の星空となれば、実に風情豊かな趣だ。
 ……改めて考えると、なんともじじむさい感想ではある。
 とはいえ、こうしてでかい湯船を独り占め、等と言う環境は人生初めてだ。この際だからたっぷり楽しむとしよう。



「あふぅ……」



 いっきに脱力してぷかー、っと浮いてみる。
 ゆらゆらと水面を揺蕩いながら、ぼんやりと空を見上げると、紺碧の黒い絨毯の上に、眩い星空が視界いっぱいに広がっていた。



「あー……本当なら、すずかちゃんときゃっきゃうふふしてた予定なのになぁ」



 それがただの希望的願望でしかないのは言うまでも無いだろうが、思わず口に出さずにはいられなかった。
 脳内では、俺とすずかちゃんが、客室の窓からこの空を見上げ、どこぞのロマンスドラマばりのくっさい台詞の応酬を経てラブい雰囲気になる様子が絶賛上映中である。
 もちろん、クライマックスは俺がすずかちゃんに「月が、綺麗だね」と言うのだ。そして博識で情緒豊かなすずかちゃんは、そんな俺の台詞の意図に気付き、「うん……私も、そう思うよ……」と言ってそっと俺の手を握りしめ…………ッ!



「ぶくぶくぶくぶく……」



 さすがに、我ながら恥ずかしくなって、水中に沈みながらそんなアホな妄想を振り払った。
 そもそも現状ではそんなステージまで望めるはずも無いのである。なにせそのすずかちゃん本人から完全無視をくらってるわけで、おまけに今夜の事(風呂帰りのみんなとトランプやらウノで遊んでたら、何故か俺のプレイが悉くすずかちゃんのプレイングの邪魔ばかりしでかした事。終盤では、さすがのすずかちゃんも若干頬を膨らませたふくれっ面もどきになりかけていた。かわいい)があったから、関係の修復はほぼ絶望的と言える。 
 あぁくそう……フェイトの事件に首突っ込んでから踏んだり蹴ったりだ。
 そりゃ、シルフィと再会できたという良い出来事もあったにはあったが、だからといって本命の好きな子に嫌われては元も子もない。
 今さらすぎる話だが、自分の野次馬根性っぷりを恨むと言うか呆れると言うか……とにかくネガティブな気持ちになってしまう。
 まぁ、俺の性格上、無視することもできなかっただろうから結果は変わりようが無いんだけどさ。
 だから、今問題なのは、今回のすずかちゃんの逆鱗がどれだったのか、俺にはさっぱり見当がつかない事にある。
 冷静に考えて見れば、あのすずかちゃんがこんなにも怒っていると言うからには、根本にそれ相応の理由があるはずだ。
 そもそも、滅多に怒らない事で定評のあるあのすずかちゃんが、である。数週間にもわたって、徹底的に無視を決め込むと言うのは、相当な御怒り具合だと思って間違いない。
 そして、それを自覚できていない俺に問題があるのは明白で、だというのにまったくもってその逆鱗が思い当たらない俺は、無視されてしかるべき存在だと思う。
 と、そこまで考えた所で、そろそろ息が苦しくなってきた。
 一度呼吸のために浮上しなければ……そう思って、俺は勢いよく水面から顔を出したのだが。



「ぶはっ!」
「きゃっ!?」



 ……………〝きゃっ〟?
 水中から飛び出すようにして顔を出した瞬間、突然シルクの肌触りを連想させる、耳触りのよい声が耳朶を叩いた。
 いや、しかし有り得ない。
 俺が部屋を出た時、確かに俺以外のみんなは眠っていたし、大人組は隣の客室内でまだ談笑中だったのを確認している。
 それに、この旅館の浴場の都合で、露天風呂は確かに男湯女湯両方に通じているが、この時間帯は女湯専用。かつ、俺が入った時女湯には誰もいなかった!(露天風呂に入りたかったので女湯を利用しただけである。他意はない。ぼく、いまおんなのこだからへいきだもん!)
 だが、しかし!
 俺が、この俺が、〝彼女〟の声を聞き間違えよう筈が無いッ!!
 それなのに、俺の首はまるで石化でもしたかのように、ぴくりとも動かなかった。
 振り返るのが怖かったのかもしれない。そもそも、どんな顔をして振り返ればいいのかわからなかった。
 でも、とりあえず、涸れ錆びついた喉から「ご、ごめん」とだけ絞り出す事は出来た。無論、返事はない。



「…………」
「…………」



 無言と注ぎ口の水音だけの空間に、静かに〝彼女〟が湯船へと身を沈める音が混じる。
 ぽたぽたと、髪先や鼻面、顎先から水が滴り落ち、それを俺は拭う事も出来ずに固まっていた。
 これは、振り返った方がいいのだろうか。いや、そうだしっかり振り返って顔を見て謝罪した方が言いに決まってる。あぁでもだめだ首動かねぇっていうかなんか水が動いてるこれって〝彼女〟が近付いて―――――「ぅひっ!?!」―――――背中に、なんかよっかかってるぅ!?
 
 
 
「あの……つ、つきむら、さん……でせう、か?」
「…………うん」



 蚊の鳴くような、水面で弾ける水音にかき消されそうなほど小さな返事だったが、確かに肯定の返事が返ってくる。
 うむ、やはり俺のすずかちゃんセンサーは今もばっちり機能している。そもそもこの俺がマイラブリーゴッデスの御声を聞き間違える事などありえよう筈が無いのだから当然と言えば当然だな。
 ……って、そうじゃなくて!?!



「で、でも、確か寝てたはずじゃ……?」
「……寝てないよ。ずっと、起きてたもん」
「あぁ、なるほどタヌキ寝入りってやつですね。それで俺が出たのを見てこっそり後をつけてきた、みたいなー、はは」
「ご明察」



 こつん、と。
 冗談めかして言ってみたら、俺の後頭部にすずかちゃんの後頭部が預けられる。
 


――――心臓、爆発するかと思った。



 そんな今も、暴走しっぱなしの鼓動はまるで全力疾走中のように激しく、既にこめかみあたりはやばいことになっている。だって耳の奥で「ドクンドクン」聞こえるレベルだぞ。やばいやばいこれマジやばっていうか何この状況何なのどういうことなの!?!
 よーし落ちつけ本田時彦。こんな時こそ冷静になるんだ。ソー、ビークールの思考こそが大切だということを思い出せ。
 現状、俺とすずかちゃんは、露天風呂の湯船のほとんど真ん中あたりで、背中あわせに座っている形だ。
 しかも、あろう事に背中に触れている感触が、この世のモノとは思えぬすべすべとした肌触りであることから――――お察しである。
 そして周囲に人影なし。というかこんな時間ぎりぎりなもんだから誰かがいるはずも無く、恐らくは今この瞬間、この旅館の温泉を利用しているのは(男湯は知らんが)俺とすずかちゃんの二人だけ……ッ!
 これはつまり…………すずかちゃんと文字通り裸のお付き合いなうッッ!?!
 いやいやいやいや!
 待て待つんだすたーっぷうぇいうぇいうぇーいっ!
 そんなバカな! そんな バ カ な !
 確かに今露天風呂は女湯からしか繋がっていなくてここにこれるのは生物学的に女性であるないしは9歳以下の男女を問わぬ児童だけだが同時にそれは絶対にこのような可能性が発生しないとは言い切れないつまり今こうして起きているこれは―――――夢だ!
 白昼夢だ! そうに違いない!
 きっと水中瞑想が長すぎていつの間にか気絶してるんだ俺は!
 だから確認しなければ! 主にこの背中に感じる艶めかしい感触がなんであるのかをッッ!!



「あ、あぁ、あの、つきむら、さん? その、もしや……い、今……タオルは?」
「こ、こっち見ちゃだめだよ!」
「……Oh、My Goddes」


 
 これが夢だなんてそんなバカな。いや仮に現実だとして、俺は一体どうしたらいいのでせう!?
 そもそも有り得んだろ、なんだこの昭和時代のようなエロコメ展開!
 耐性の無い本田君には刺激が強すぎて今にも鼻血がでそうですよ!?
 状況の推移が突然かつ予想外すぎて、脳の冷却化が追いつかない。
 そもそも今この瞬間が本当に現実なのか夢なのか区別が難しくなっている辺りからお察しできるだろうが、現状本田時彦君の思考は背中に当たるシルクのように滑らかですっべすべで、かつふにっと柔らかい極上の〝何か〟の感触を堪能するだけで一杯一杯なのです。
 だが、その程度ですますはずが無いのが、我が唯一女神すずかちゃん。
 今度は、湯船の底に付いていた俺の手に、そっと手を重ねてきた。そして、そのままやんわりと包み込むように握りしめてくる。
 


――――――もうね。死ぬかと。このまま昇天するんじゃないかと思いましたね。ええ。 



 これまでさんざんぱら無視されていた中で、この突然の、それも怒涛のスキンシップの嵐。(注、多少誇張表現が混じっております)
 あざとい。さすがすずかちゃんあざとい。でもそんな所も大好きです。
 


「……ごめんね、本田君」
「は、はひぃっ!? な、なにがでございましょう!?」
「その……今までずっと、無視しちゃってて」
「あ……」



 それまでふわふわと頼りなかった意識が、一瞬にして引き戻される。
 同時に、これまで無視され続けたエピソードの数々が、走馬灯のように脳裏をよぎった。
 ……思い出すだに涙を覚える。
 だが、その事についてすずかちゃんを責めようとは思えなかった。むしろ、何故すずかちゃんが謝罪するのかわからない。



「いやいや、待ってください。むしろ謝るべきは俺でしょうに。きっと俺がまた自分でも気づかん内にバカな事やってたから、その……無視したくなるほど怒らせてしまったんだと思うから。だから、むしろ俺の方こそごめんなさい。原因はまだわかんないけど、でも絶対思い出すから。思い出したら、その時絶対、改めて――――」



 我ながら、とてもみっともない姿だと思う。
 言ってる事は言い訳じみたものばかり。それも堂々としているわけでもなく、つっかえつっかえに、何が言いたいのか趣旨がはっきりせず、何かを誤魔化したくてしかたないみたいな、情けない姿。
 これがアリサだったら問答無用で張り飛ばされる事請け合いである。無論、アリサ相手にこんな弱腰になる等まずあり得ない事だが。
 だから、これ以上情けない姿を晒さないようにと思い、尚も口から吐いて出ようとする言い訳をぐっと呑みこんだ。
 当然、そうすると場に訪れるのは静寂だ。
 お互い、暫く一言も交わさぬまま、ただお互いに背と背を預け合い、湯船の底で、手と手をそっと握り合う。
 


――――断言しよう。俺は今、幸せだ。



 この静かな沈黙が。
 僅かな肌の触れ合いが。
 背中越しに伝わる、彼女の体温が感じられる事が。
 まるで、今この瞬間こそが、全ての終わりの収束であったかのように。
 この瞬間が本当の、非日常から、俺の望む日常へと戻ってきた事を告げ知らせる象徴のように思えたのだ。
 俺が、そんな安堵と安心に包まれてどれくらい経っただろうか。暫くすると、まるで意を決したかのように、俺の手を握るすずかちゃんの手に力がこもり、水音のみが響く静寂の中、囁くような声音が響いた。 



「一つだけ、聞きたいの」
「な、なんでせう?」
「本田君は…………フェイトちゃんの事、愛してる――――んだよね?」
「ぶっ!」



 あまりにも突飛なその言葉に、俺は素で噴出してしまった。
 確かに、言われてみればそう取られてもおかしくない行動を、ここしばらく続けていたかもしれない。
 というか、俺が今までやらかしてきた事を思いかえせば、すずかちゃんがその結論に至ったのは極自然な事だ。
 見ず知らずの女の子のために東奔西走し、死にかけたり世界を滅ぼしかけたりと、常識じゃ考えられないような危険な事をたくさんやらかして――――そんな姿を見れば、誰だってその結論に至るだろう。俺だってそう思う。
 だから、逆に思考は冷静になれた。
 確かに、すずかちゃんの言う事は間違っちゃいない。でも、間違ってはいないだけで、その事実が示す意味は全然違う。
 そして、それは今ここで、はっきりと説明しなきゃいけない事なんだと、俺は直感的に理解した。



「あー……まぁ、確かに間違っちゃいないけど……」
「………そっか。そう、だよね」
「でも!」
「ひゃっ!?」



 勢いよく振り向き、握りしめていたすずかちゃんの手を顔のすぐ手前まで持ってくる。
 目の前には、驚いた所為で見開いた、月夜に映える瑪瑙の瞳があり、精彩に輝く万華鏡のような虹彩に息を呑んでしまう。
 でも、俺は詰まりそうな喉を無理矢理震わせて、今まで秘めていた想いの丈をぶつけるように、はっきりと言葉を紡いだ。



「それは、家族だからだよ。アイツが、例え俺と血が繋がっていなくても、俺しか知らない絆が、アイツとの間にあったからさ」
「絆……」
「うん、絆。死すらも乗り越えた、もう俺しか知ることの無い、神の気まぐれでつながったままの、大切な絆なんだ」
「……うん。わかるよ。本田君が何を言おうとしているのか、その絆の大切さがどんなものなのか……心で感じる」



 すずかちゃんの手を握る俺の手に、空いていたもう一方のすずかちゃんの手がそっと乗せられる。
 そして、すずかちゃんは祈りを捧げるようにその手を自身の胸のあたりまで引き上げながら、ゆっくりと俺を見上げた。
 必要以上の事をしゃべった気がしないでもなかったが、今さら気にはならなかった。
 それよりも、俺はまだすずかちゃんに伝えたい事を伝えきれていない。
 だから俺は、こちらを見つめるすずかちゃんの目を、竦む事も無く、怯む事も無く、また動揺する事も無く、まっすぐに見つめ返しながら言った。



「でも―――――俺にとって一番大切な人は、今も昔も、そしてこれからも、絶対に変わらない。たった一人だけだ」
「ほんだ……くん?」



 じっと、これが決して冗談でもなんでもない事を伝えたくて、俺はすずかちゃんの目を見つめる。
 既に、すずかちゃんの目に驚きの色はない。代わりに、今は当惑の色が見え隠れしていた。
 水音だけの静寂と、優しく降り注ぐ星空の光が、怖いくらい美しく、目の前の少女を飾り立てる。
 艶やかに濡れた睫毛。しとどに濡れ、頬に張り付く髪。あごを滴る水滴。うなじを滑る汗。
 水面に映える星空の光に照らされた、美しく艶やかな白い肌。
 星の光を吸いこむ黒髪は、まるで宵闇に溶ける夜そのものだった。
 ここまできたら、もう引き下がる事は出来ない。
 これまでで最も激しい動悸が俺を襲った。
 頭がくらくらして、喉が枯れ、そのくせ今にも暴れ出しそうな興奮が体中を駆け廻る。
 


―――今だ。今しか、言うチャンスはない。



 誰かが俺のすぐそばで囁いた気がした。
 そして、俺は言葉に後押しされるように、今度こそすずかちゃんと真正面から向き合う。
 すずかちゃんの両手を、改めて俺の両手で包みこみ、まるで神に祈るように、すずかちゃんをしっかりと見つめる。



「俺は、君のためなら死ねる。例え俺がどんなに非力でも、全身全霊を以て君を守りたいと思っている。俺にとって、この世界で一番大切なのは、すずかちゃんただ一人だから」
「――――――――――」



 世界で星が弾けたような気がした。
 二人の間で確実に時が止まり、そのくせ鮮やかに色だけが流れて行く。
 震える肢体が星夜に輝き、儚い白が生を感じさせる赤へと染まっていく。
 濡れる瞳が小刻みに揺れるが、果たしてソレはこの手の震えでもあるのだろうか。あるいは、この震えは俺のものなのか。
 答えの出ないまま、俺はすずかちゃんを見つめ続けた。
 そして、静寂の中で小さな波紋が広がり続けた末、ついに月の女神のような少女が、面を伏せながら呟いた。 



「……もしも」
「ん?」
「もしも、私が人間じゃなかったとしても?」



 それが、一体どんな意味を込めての質問だったのか――――俺には、その正確な意味を推し量る事は出来なかった。
 でも、例えどんな意味が込められていたとしても、俺の答えが変わる事は、一言一句たりとも有り得ない。



「すずかちゃんだから、大切なんだ。人間かどうだかなんて、どうでもいい」 



 はっとしたように、すずかちゃんが面を上げた。
 その表情を見て、俺はなんだか可笑しさを覚え、思わず笑みをこぼしてしまう。
 なんでだろう。一瞬だけ、かつてアイツが見せた時の表情に似ていたからだろうか。
 同時に、面白い事も思いだして、俺は完全に笑いながら捕捉した。 
 そう、なんせ前世での俺は、癇癪起こして電撃ぶっ放すだけでなく、挙句近隣一帯を停電に追い込んだ〝大バカ娘〟と一緒に暮らせていたのだ。



「それに、元々人外と接する事に関しちゃかなり慣れてましてね?」
「―――――――――ずるいよ」
「うぇっ!?」


 
 微かだけど、はっきりと聞こえたその言葉に、心臓が一段と強く跳ね上がる。
 もしかして何か地雷を踏んでしまったのだろうかと内心キョドりだし、ついで、今まで自分がのたまった台詞を反芻してしまったことで、顔から火が出出るんじゃないかってくらい顔が熱くなる。
 この時点でもはやパニックであったのは言うまでも無い。
 だから、せめて距離を取って顔をそむけようと、握っていた手を離そうとすると――――突然胸元に何かが飛び込んできたような衝撃が起こった。
 状況に頭がついていかない状態だったにもかかわらず、ソレを見たのはほぼ反射的な行動だったのだと、今この場で弁明させていただきたい。
 より正確に状況の推移を述べるのであれば、以下の通りだ。
 目の前には見るのも憚られる、触れることすら恐れ多く思っていた最愛の少女の肢体があり、俺はその少女の両手をぎゅっと握りしめていた。
 そして、先に述べたように気恥ずかしさというには余りにも大きすぎる羞恥心で意識が飛びかけたと思ったら、そのまますずかちゃんが俺の胸にダイブ、受け止める俺。
 それだけでなく、するっと極々自然な動作ですずかちゃんの両手が俺の首っ玉に巻きつき、先程の姿勢など比べ物にならんくらいヤバい――――つまり、ほとんどお互いが抱きつくような格好になっている。
 もはや、俺に論理的な思考が出来る力等、残っていようはずがない。



「あ、あぁあああ、あのの、つつ、つ、月村、さん!?!」
「……本田君、寒い」
「はい直ちに!!」



 ほとんど抱きあう格好のまま、俺はすずかちゃんに抱きつかれたまま湯船へと身を沈めた。
 温泉独特の刺激が全身に広がっていき、その刺激に慣れようと体を強張らせる。
 それはすずかちゃんも同じだったようで、しばらく二人でじっと抱きあったまま縮こまっていた。
 そして、徐々に体が慣れ始め、長い時間外気にさらされていた事で冷え切った体が温まり始めた頃。
 俺は、恐る恐る、未だに俺の首っ玉にかじりついたままのすずかちゃんを見下ろしてみる。
 恐ろしい事に、この時すでに、俺はすずかちゃんを御姫様だっこするように抱き抱えていたのだった。
 それはつまり、隠す物が何もない、表現することすら憚るモノがあるわけで。
 その事に気付いた俺は、コンマ零秒の素早さで空へと視線をブン投げた。



「ご、ごめん、月村さん! その、そういうつもりは全然なくて!!」
「……」
「いや、別に良いわけじゃないけど、でもなんていうか、つい癖みたいなもんで!」
「……」
「なんかほんと自分でもびっくりするくらいナチュラルに動いちゃったんだ! だからホントすみま――――「すずか」――――せ?」



 ぽつり、と。
 相変わらず俺の手に首を巻き付けたまま、すずかちゃんは蚊の鳴くような声で呟いた。
 とはいえ、時彦君のすずかちゃんボイスセンサーはいまだ健在。今何を呟いたのかくっきりはっきりと聞きとっているわけでして――――それ故に、その言葉の意図が掴めなかった。



「月村さん? あの、それはどういう――――」
「…………すずかって、さっきみたいに呼んで」
「ごふっ!?!」



 微妙に声が震えていることから、今のすずかちゃんの心中を察するには余りある。
 これはつまり――――仲直りの印のようなモノなのだろう!
 もちろん、これは俺にとって願っても無い事だし、断る理由なんてどこにもない。
 だけど、それ以上に、すずかちゃんが名前を呼ぶ事を許してくれた事が、なによりも彼女との距離が縮まった事を如実に表しているようで、俺はそれがたまらなく嬉しかった。
 


「い、いいのでしょうか?」
「だって……アリサちゃんだけ名前で呼ぶの、ずるいよ」
「……あ、あぁ、なるほど。そういうことか」



 さっきちょろっとだけ聞こえた〝ずるい〟という言葉は、そういう意味だったのか。
 しかし、同時に俺はこの上ない喜びに駆られていた。
 今のすずかちゃんの言葉を裏返せば、つまりそれは、俺がアリサを名前で呼ぶ事に対して、少なからず意識してくれていた事を意味する。
 勿論、すずかちゃん本人にその自覚があったのかどうかはわからない。でも、〝ずるい〟と思ってくれたという事実は、多少なりとも、すずかちゃんが俺の事を意識してくれているという事の証左に他ならない――――はずだ。
 ……という事は、だ。
 今まで無視され続けてきたからといって、すずかちゃんが俺に対する興味関心を全く失くしたというわけではないという事!?



――――つまり嫌われてない!? マジで!!? ぃやッッほおおぉおおおぃ!!!!



 今の俺にとって、これ以上の喜びがあるだろうか! 否、無い!!
 くらっと、一瞬眩暈を覚えた。
 相変わらず顔は赤熱したように熱く、興奮による高揚感の所為でテンションを抑える事が出来ない。
 本来ならば狂喜乱舞したい状態なのに、すずかちゃんに抱きつかれているという事実と、まさかの混浴継続中という非現実的な状況に、体は石化したように動けずにいる。
 あるいは、事こういう時に限ってチキンプレイに走るのが本田時彦という人間の性なのだろうか。その場合、より正確に言うなら、親父の系譜に連ねる者としての呪縛なのだろうけど。
 だから俺は、せめて今この状況が現実であると認識する最後の手段として、恐る恐るすずかちゃんへと確認するように問いかけた。



「それじゃ……その、これで仲直りできた、ってことでいいんでしょうか、月村さん!?」
「――――ううん、まだ」
「えっ!?」



 驚きに視界が真っ白に染まりそうになる、その瞬間だった。

 突然両の頬に何かが添えられ、強引に首をひねらされたかと思うと。

 目の前に芸術的なまでに美しい睫毛が飛び込み。

 

――――――唇に、熱い何かが触れた。



 それは、果たして何秒の間に起こった出来事だったのか。
 意識は酩酊したかのようにフラフラし、現実を認識する視界は真っ白だか真っ赤だかよくわからない色に染まっていく。
 ただ、そんな前後不覚のような状態に陥っていても、この唇に残る熱い感触だけは、恐ろしいまでの実感と非現実感という矛盾を伴い、強く残り続けている。
 そして、俺の意識がそんな現実と夢の間をたゆたっている間に、すずかちゃんのか細く、それでいて婉然とした静かな言葉が、アフロディーテのささやき声のように耳朶を叩いた。
 


「―――――これで、仲直り」



 まるで幽体離脱でもしているかのような虚脱感を覚えながら、俺は薄れゆく意識の中、確かに答えた。
 だが、俺は一体なんと答えたのだろう。
 結局、それは翌日の朝に意識を覚まし、いのいちで目に飛び込んできたすずかちゃんの微笑みを見ても、全く思いだせなかった。
 でも、これだけは言える。
 俺が今まで秘して語らなかった正直な気持ちを、例え状況に任せた強引なモノだったとはいえ、はっきりとすずかちゃんに伝えられたことは、なによりも良い事であり、とても大きな一歩だった、と。
 だから、意識を失う直前に俺が何を口走ったのか、覚えはなくともはっきりとわかる。
 何せこの本田時彦のアイデンティティと言って良いものだからな。自分で自分が何を一番言いたいのかぐらい、当然のようにわかるってわけだ。


 つまり、あの時、俺が答えた台詞は―――――――――!

 


  
 





































 



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いぶりすのいーわけたーいむ
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 

ふぅ、ついに最終話更新です。
こんな打ち切りの如き終わりで大変恐縮ですが、本田時彦の奇妙な冒険第一部はこれにて完結。
最後に、某アサシンゲームのダウンロードコンテンツのような捕捉的エピローグもどきな後日談を以て、この作品はひとまずのゴールと相成ります。

数カ月物無更新期間となり、大変お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。
その上クオリティ的にもこのような出来で、もはや申し開きもございません。

しかし、こんな長い期間、それもフラグやその他いろいろをブン投げっぱなしな拙作を読んでいただいた皆さんには、多大な感謝でいっぱいです。
こうして一つの作品を完結まで書きあげる事が出来たのは、ひとえに皆様のおかげであります。
ここに改めて感謝を。ありがとうございました。



第2部のプロットは一応つくってあるのですが、書くかどうか決心がつきません。
ですが、もし書こうと一度思い立ったのであれば、次もまたきっちり(今度はフラグその他もきっちり回収できるよう)完走したいと思います。


それでは、改めて読者皆様に感謝を。
まだ後一話残ってはおりますが、これまでご愛読、ありがとうございました。


                         ~いぶりす



[15556] 後日談:クロノとエイミィの息抜き模様
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:96b828d2
Date: 2012/04/23 07:38
――――――四月某日:時の庭園エントランス




 戦いの火蓋を切って落としたのは、他ならぬ青き短剣だった。
 鋭い軌跡と光芒を棚引きながら空間を引き裂く、魔法の短剣。
 青い魔力結晶のそれは、素分違わず術者の意図を反映し、狙い過たず目標を穿つ。
 着弾、爆発。
 だが、それは目標に命中したのではなく、あくまで目標の〝いた〟場所に命中したからである事を、術者は一瞬のうちに理解した。
 理解と行動はほぼ同時。新たに術者は魔法陣を展開。さらに12の青い短剣が、術者を囲むように現れる。
 着弾の煙を吹き散らしながら、桃色の閃光が迸ったのはそれとほぼ同時だった。
 術者は迫る光芒をしっかりと視認しながら、右前方へと身を滑らせ回避。光芒と擦れ違いざまに3本の短剣の矢を放つ。
 無論、それは牽制。放たれた短剣は再び真っ直ぐ目標へと殺到し、二度目の着弾を披露する。
 さらに、術者は相手に狙いを絞らせないためにジグザグに三次元機動を披露。高度は低めに、かつ上下左右を交えた複雑な高速機動で相手へと接近を図る。
 


「―――――ッ!」



 だが、突如横から飛び出してきた影に、あわや術者は杖を奪われかけた。
 重力を無視した急速停止により、術者の目の前を目論見が外れた影が通り過ぎていく。ただ飛び込んできただけではない、ともすれば常人では視認するのが難しいほどの高速度で飛び出してきたその影は、到底一般人のソレとは思えない速さと動きであった。
 そもそも目標は〝二人〟いた。その内一人は一般人であったとはいえ、魔法戦に気を取られて失念するとは何たる失態か。
 だが、自分への悪態はすぐさま締め出し、交差した影に三つ、短剣を小さな輪へと変換させて放つ。 
 あわや影の手足を捉えるかと思われたそれは、しかしどこぞより飛来した桃色の光弾によって撃ち落とされる。
 その直前、術者は静止状態から急速後退。ついでに目視することなく残りの短剣を〝予測位置〟に向けて一斉に発射。
 桃色の光弾の軌跡から、それが誘導制御型の射撃魔法であると判断した術者は、フィールドの配置よりタイミング的に自身の魔法を打ち落とせるであろう位置6か所にそれぞれ残りの短剣を発射したのだ。
 弾着と爆発が三度。
 そして、すぐさまそれを振り払うように突風が吹き荒れる。
 術者は高揚する意識を抑えつつ、しかし高鳴る鼓動を自覚しながら、二人の目標たる少女達を睥睨した。
 足元に桃色のミッドチルダ式魔法陣を展開する、栗色の髪の少女。
 柱の陰からこちらを油断なく見上げながら、突風に濡れ羽色の長い髪を棚引かせる少女。
 戦況は、当初の予想とは打って変わり、予想外の苦戦の様相を呈していた……。











―――――五月某日:時空管理局所属、次元空間航行艦船巡航L級8番艦〝アースラ〟#ブリッジ





「改めて見て見ると、なのはちゃんもそうだけど、すずかちゃんの身体能力がとんでもないねぇ~……」
「まったくだ……」
「あはは~。やっぱりクロノ君でも焦ってたか」



 エイミィ・リミエッタの茶化すような質問に返事するのは癪だったので、クロノ・ハラオウンは黙って手に持っていたマグを呷った。
 熱く、苦い液体が舌を刺激し、豊饒な香りが鼻腔を突く。嚥下する事に由る別れを若干惜しく思いながらも、クロノは静かに嘆息した。

 クロノは今、次元航行艦アースラのブリッジ、エイミィの管制座席へとやってきていた。
 元々は、今回の事件―――通称〝JS事件〟に関する新しい報告書を提出するために来たのだが、そのついでにエイミィに誘われ、息抜きがてら以前の〝時の庭園突入作戦〟の際に記録した高町なのはと月村すずかとの戦闘記録を閲覧しにきたのだ。
 ちゃっかりとコーヒーを用意していたあたり、エイミィの用意周到さがうかがい知れる。



「あの時は、何故一般人の月村すずかがあの場にいたのか不思議に思ったが、〝こういう事〟だったワケだ」
「仮にも手加減しているとはいえ、クロノ君と並みに戦えているって時点でとんでもないなぁ。そりゃなのはちゃんと並んでとおせんぼしにきたわけだわ」
「加えて、自分達の力量を把握した上、敢えて僕の杖を奪う選択肢を取ったことを鑑みても、二人の状況判断能力も高い。二人とも、素人とは思えないな」
「なんでも、なのはちゃんのご家族やすずかちゃんのお姉さん達はこれ以上にすごいらしいけど……」
「恐ろしい世界だな、ここ/第97管理外世界は。生身で魔導師相手に肉薄できるなんて話、古代ベルカ騎士や聖王並みの眉唾だと思っていたんだが……」


 
 古代ベルカ―――現在では扱える者すら希少となった、〝古代ベルカ式〟と呼ばれる魔法を操る者達が築き上げた古代文明。
 多くのロストロギアが造られ、またそのロストロギアによって滅んだと噂され、今もってその全容が明らかになっていない。
 だが、古代ベルカ式を操る魔導師―――騎士達についての文献は、確かなモノがいくつも残っている。
 それらの話に上がっているような騎士達の話を総じれば、曰く管理局の魔導師ランクのSランクに匹敵、あるいはそれすら上回るとさえされている。
 実際、管理局首都防衛隊に所属するとある魔導師がその〝騎士〟であり、その実力のほどは噂程度ではあるがクロノもよく耳にしている。
 それでも、前提はあくまで〝魔法を使った上で〟の話だ。この映像の月村すずかのように、一切魔法を使わない状態で、仮にも魔導師ランクAAA+の執務官に肉薄する等、冗談でも聞いた事が無い。
 改めて口にすると、月村すずかが如何に出鱈目なのかがよくわかる。ついでに、まだ見た事の無い、高町なのはの家族も。
 直接的なダメージこそ受けなかった―――バリアジャケットもあったし、月村すずか本人から攻撃を受けたわけでもない―――ので、もし本気で戦った場合どうなるかは分からないが、それでも魔導師の空戦機動に対応して見せた、というだけで驚嘆モノだ。確かに魔導師の攻撃を生身の人間が避けることは可能だが、これはもはや冗談の領域なんじゃないか、とクロノは自分の常識が信用できなくなる。
 映像の中で、月村鈴鹿は蝶舞蜂刺の如き身のこなしをしたかと思えば、閃光烈火の如き怒涛の攻めを見せる。クロノの攻撃を悉く避け、かつ何度かクロノにその一撃を届かせんばかりの攻撃を見舞う。
 ただ――――。



「動きに〝雑さ〟があるところをみると、恐らく普段は全く〝荒事〟とは無縁の生活をしているはずなんだがな……」
「うーん……本人もそう言ってるんだけどね。でも、この動きって訓練した人間じゃないと無理だと思うよ?」
「そこが腑に落ちない。とはいえ、これ以上は本人に直接聞く他はないだろう」
「それもそうだね」



 既に、モニターの中での戦闘は、中盤へと差し掛かっていた。当然、記録映像の主観者は変わらずクロノだ。
 まるで重装高火力型を体現したかのような、やや不慣れではあるが堅実なスタイルを貫く――しかし、良い師の指導を感じさせる――駆けだし魔導師の少女と、時に水のように、時に猛禽の如く緩急をつけた動きで的確に〝自分〟に食いつく一般人の少女。
 その二人を相手取り、ある程度の加減をしながら、常に二人をバインド魔法で無力化しようとしている〝自分〟という構図は、対象さえ犯罪者と入れ替えればよくある構図――――の筈だった。
 しかし初撃を交えあった時点で、己の認識が甘かった事を改めたのをクロノは思いかえす。
 既にこの時点で、念話によって他の武装隊員達には別名を与えてあった。その裏付けとして、武装隊員達の報告書にはこの時、それぞれ庭園の動力炉に向かっていたことが記録されている。無論、それまでの道のりがノーガードであったはずもなく、道中では天才魔導師たるプレシアの手によって随所にしこまれた周到極まりない〝妨害工作〟によって、隊員達に少なくない被害が出た。
 とはいえ、この時はそんな由など知るはずも無く、とにかくなんとしても目の前の二人を早急に無力化し、迅速に隊員達の援護に向かわねばならないと息巻いていた。



「(……やはり、高町なのはの熟練度が高い)」



 静かにモニターに映る戦闘を眺めながら、クロノは改めてそう分析する。
 動作一つ一つのキレ、魔法と魔法の間における行動、状況に合わせた最適な魔法の選択。
 そして、なによりも。



「目が良いね、なのはちゃん」
「ここまで来ると、もはや未来予知のレベルだな」



 映像では、クロノが高町なのはの死角に完全に回りこんでから、その背面めがけて間髪無しに直射型射撃魔法〝スティンガー・レイ〟を放ったところだった。
 しかし、高町なのはは振り向くよりも早く、背面にシールド系防御魔法〝ラウンドシールド〟を展開。それを〝完全に〟防いで見せた。
 


「ちなみにクロノ君」
「なんだ」
「〝コレ〟の威力はどのくらい?」
「…………八割だ」
「わぉ………全周囲警戒能力と、強固な盾持ちですか」



 クロノは確かに最年少指揮官と幼い身であるが、両親譲りの魔力量と、積み重ねてきた飽くなき努力、そして英才教育という言葉が子供のお遊戯レベルに感じられるような厳しい指導を受け続けてきたおかげで、管理局屈指の魔導師ランクAAA+という実力者まで上り詰めた。
 それはつまり、彼自身の魔法のスキルが決して低くない事を意味する。
 先程映像で見た直射型射撃魔法は、威力こそ低いものの、本来であれば並みの魔導師のラウンドシールドであればやすやすと〝貫通〟せしめる威力を持っている。
 無論、クロノも相手の魔力をシールドの上から魔力をそぎ取るつもりで放った―――――放ったのだが、その一撃を高町なのはは完全に防ぎきって見せたのだ。それも、不意打ちに近い形での攻撃を。
 おまけに。



「うわぁ……えっぐ」
「……エイミィ。正直に言おう。僕は彼女がフェイトよりも末恐ろしい」



 再び映像では、魔力による閃光が画面を満たしていた。
 何の事はない。攻撃を完全に防がれた事に思わず虚を突かれたクロノに、高町なのはがお得意の直射型砲撃魔法〝ディバイン・バスター〟を放ってきただけだ。
 どうにか防御魔法は間に合ったのだが、その瞬間の事を思い出して、クロノは渋面を浮かべるのを隠す事が出来ない。



「受け止めた瞬間、全身に鉛を溶接されたかのようだったぞ。あれは〝撃ち抜く〟のではなく、〝抉り抜く〟と言って良い」
「加えてとんでもない火力持ち、と――――ねぇ、クロノ君。これなんて重装高火力型移動要塞/ギガンティック・フォートレス?」
「しかもまだ魔法に触れて一ヶ月も経っていないときている。艦長でなくとも、局員なら誰もが是が非でも欲しがる人材だな」



 最近、艦長ことクロノの実母、リンディ・ハラオウン提督の口癖と言えば、「あぁ……なのはさんが欲しいわねぇ……」である。局員(特に武装隊員達)の中には、その台詞を百合な方向に受け止めて勝手に盛り上がってる輩もいるとか何とか。無論、そういう連中は例外なくクロノの実戦演習の餌食となったが。
 それはともかく、艦長ことリンディ提督は、高町なのはにご執心なのである。
 今現在、高町なのはは臨時嘱託魔導師としてアースラに所属、現地住民として協力をしてくれているが、艦長としてはなんとしてでも管理局にひっぱりこみたいらしい。
 特に、ジュエルシードの回収などで、直接現地に出向く事が多いため、なにかと高町なのはと会う機会の多いクロノに、会うたび会うたび催促のように言ってくるのだから質が悪い。
 確かに、高町なのはの才能は稀有を通り越している。
 わずか一月と経たずにこれだけの成長を見せ、なおかつ未だ発展の始まりでしかないと言う事実に、クロノは自身と彼女との隔絶した才能の差に呆れるどころか、同時に背中が寒くなるのを感じる程だ。嫉妬を覚える余地すらない。
 


「でも、ここまでなのはちゃんを仕上げたユーノ君の教育もすごいよ。特に防御系は教導隊としても通じるレベルに仕上がってる」
「奴の異名を知れば納得がいくことさ。むしろ、この程度はやってもらわないと困る」
「なに、クロノ君ってば、なんだかんだ言いながらユーノ君の事調べてたの?」
「スクライアの一族でも一等優秀だったようだからな。探せばすぐに見つかった」
「そっか。彼の素性までしか調べてなかったから、魔導師としての実力までは調査してなかったよ……ちなみに、その異名って?」
「――――〝結界魔導師〟」
「………そりゃまぁ、なんとも頼もしい」



 エイミィが苦笑するのも無理はない。
 その異名を単純に捉えるならば、結界魔法が殊更得意な魔導師となるが、より多角的に見るのであれば、〝サポート魔法のスペシャリスト〟と言い換える事が出来る。
 結界魔法とは、端的に言うならば、空間を切り取る、ないしは空間を支配する特質を持つ魔法系統の事を指す。
 世間一般で知られているイメージでは主に防御系の発展型と思われがちであるが、実際は防御系とはまた独立した、れっきとした別系統の物であり、その特質もまた異なるものだ。
 例えば、術者の指定した範囲内を時間と因果より隔絶して封鎖する〝封時結界〟や、空間封鎖による捕獲を目的とした〝捕縛結界〟等のエリアタイプ、空間に足場を形成したり、魔法陣の内部を守るための障壁を形成するフィールドタイプの二種に大別されるが、どちらも絶大な〝防御力〟を持つ。
 特に、エリアタイプの結界魔法を破壊、ないしは突破するには、魔法ランクAA以上が威力として最低条件であり、特に一撃で結界を破壊するとなればランクS相当の魔法威力を必要とする。
 故に、結界魔法は一度張られたが最後、術者が解除するか、ほぼ全力の一撃を以て粉砕しなければならないという、結界の名に恥じない防御力を持つ実に厄介極まりない魔法系統なのだ。
 例外として、術式そのものを破壊するという方法もあるが、えてして結界魔法を用いる魔導師と言うのはそう言った術式戦においても非凡な才能を持つ事が多い。
 そもそも、結界魔法そのものが認識空間及び魔法効果の範囲指定、及び結界の強度や維持地時間など実に繊細な術式構築能力を必要とし、発動するだけでも少なくない魔力も必要になることから、単身でこの系統の魔法を好んで使う者はほとんどいない。いても、それは魔導師ランクA以上、ないしはBでも魔力量に余裕がある者だけで、それ以下の者は複数人による発動を行うか、ないしはデバイスの補助に頼った、極限定的な範囲に絞ったモノになる。つまり、ただでさえ資質に左右される魔導師達ですら、誰もが簡単に扱える魔法系統ではないのだ。
 なおかつ、必然的に必要とされるスキルから、様々なサポート系統の魔法も得意な事が多いため、管理局では常に歓迎ランキング一位のポジションだったりする。
 防御の固い回復役、と言えば、そのポジションの重要さが分かると言うものだろう。



「〝結界魔導師〟なんて、その道のスペシャリストじゃない。なのはちゃん、運まで兼ね備えてるなんて、もう行くところ敵なしなんじゃない?」
「全くだ。百年に一人の天才と、魔導師数万人に一人の結界魔導師。これでさらに攻撃のスペシャリストまで加わったら、文字通りエース・オブ・エースになる日も夢じゃないな」
「というより――――――魔王?」
「………よせ、エイミィ。何故か寒気がする」
「自分で言っておいてなんだけど、ごめん、クロノ君」



 二人揃って、何故か背筋が凍るように冷たくなった。
 しかし、二人は知らない。既に高町なのはがその〝攻撃のスペシャリスト〟の指導を、簡易でありながらも受けている事を。
 しかも、その兄は、ゆくゆくは一族秘伝の技術を仕込みたいとすら思い始めていることを。
 それだけでないばかりか、一族秘伝の技術と魔法と言う未知なる技術を組み合わせた、新たなる可能性に心ときめかせている親バカがいることを。
 唯一の救いは、高町なのはの一家における女性陣が、あまり彼女の訓練に賛成的ではないことだろうか。高町なのはが魔王となるか否かは、まさに高町家の母と長女の手腕にかかっていると言っても過言ではない。
 閑話休題。
 改めてクロノとエイミィは、依然戦闘が続くモニターの映像に見入った。
 相変わらず、画面内の戦闘は激しいばかりだが、よくよく見ると、攻撃のテンポが変化している事に気づく。
 特に、それまでは高町なのはがメイン、月村すずかが不意打ちといったパターンを組んでいた二人の動きが、徐々に月村すずかの方に重点が移ってきていた。



「……この時点で気付いておくべきだったな」
「改めて見るとはっきりわかるけど。でも、戦闘中じゃ気付くのは難しいかも」
「恐らく、月村すずかの考えだな。高町なのはは、どちらかというと人を出し抜くという事が得意な方ではない」
「類は類を知る、って感じ?」
「……何が言いたい、エイミィ?」
「さて~?」



 すっとぼけるエイミィに冷たい視線を送るも、それをいつもの事とばかりに涼しげに流すエイミィであった。
 そして、モニターの中の戦闘はついに佳境を迎える。
 月村すずかの攻撃(というより、杖の奪取)が主軸となり、高町なのはの攻撃はあくまでも月村すずかのフォローに回り始めてから暫く、突然月村すずかがペースを上げる。
 柱を蹴り、高町なのはの展開する疑似足場/フローター・サークルを蹴り、獲物を狙う鷹の如く全方位からクロノに襲いかかる。
 もはや常人とは思えぬその身体能力に、画面上のクロノは面白いように揺さぶられている。
 当然だ。空も飛べぬ人間が、周囲の空間や高町なのはの展開するフローター・サークル等をフルに活用して上下左右、360度の三次元機動による高速機動戦をしかけてきたのだ。なまじ月村すずかを心のどこかで常人だと思っていたクロノにとって、その事実はあまりにも予想外すぎた。
 それに、クロノが度肝を抜かれたのは、それだけではない。



「エイミィ、そこで止めてくれ」
「え、ここ?」
「いや、もう少し前。そう、そこだ」
「ん~? ここがどうかしたの?」



 クロノの指摘したシーンは、ちょうど月村すずかの攻撃が何度目ともしれぬ失敗に終わり、エントランスの石柱に彼女が――まるで、重力を無視するかのように、柱へ垂直に――〝着地〟した場面だった。
 


「……やっぱり、おかしい」
「?? 一体どういうこと?」
「…………杖を、取られていない」
「………………はい?」



 一瞬、エイミィは目の前の少年が何を言っているのか理解できなかった。
 あるいは、あまりにもめまぐるしい戦闘だったため、記憶の細部がごっちゃになったりしたのだろうかと推測するが、目の前で腕を組み、渋面を浮かべて真剣に悩んでいるクロノの姿に、その可能性をすぐに棄却した。
 


「僕の記憶では、この時に僕は杖を取られていた」
「……え、あの、クロノ君?」
「だが、映像では、彼女は杖を持っていないし、ただ僕を〝見上げている〟だけだ」
「……えーと、お姉さんにもわかりやすいように話してくれると助かるんですけどぉ~」
「言葉通りだ。この場面、僕の記憶では〝杖を取られていた〟んだ」
「……でも、すずかちゃんは何も持ってないよ?」
「そう。そして映像の中の僕は変わらず杖を持ち続けている。それがおかしい。いいか、エイミィ。僕の記憶では彼女は僕の杖を奪っていた。だが、この映像では〝そうじゃない〟んだ」
「―――――まさか」




 クロノが何を言わんとしているか、エイミィはここにきて理解した。
 記録映像と異なる本人の記憶。その異なる記憶を、今の今まで真実と認識していたという事実。
 二つが示すのは―――――、



「〝催眠〟あるいは〝認識操作〟系の希少技能/レアスキル」
「……あぁ、間違いない。それも、とんでもなく強度の高いものだ」



 〝希少技能/レアスキル〟
 それは文字通り、身につけている者が極めて珍しい固有技能であり、今もってそのメカニズムが明らかになっていない未知の分野だ。
 超能力や先天技能とも称され、広義では古代に失われた魔法(それこそ、前述した古代ベルカ式魔法も含まれる)や、今では再現するのも困難な魔法も含まれていたりするが、意味するところは全て同じである。
 即ち、普通であれば持つことすら叶わない、希少な技能。その存在確率は、高町なのはのような天才魔導師を発見する確率に匹敵するか、あるいは上回ると言えば、その希少具合がうかがい知れるというものだろう。
 また、希少技能/レアスキル保有者には、その技能の種類によって特別扱いがされるものもあり、有名なところでは聖王教会教会騎士団のカリム・グラシアがいる。
 月村すずかの場合はそこまで希少と言うワケではないが、しかし対象に違和感を抱かせる事も無く認識誤認を起こす程となれば、特別措置を受ける資格は十分に持っていると言えよう。



「クロノ君の認識をまるまるすり替えてたなら、実はこの勝負、最初から決着付いててもおかしくないよね」
「あぁ……事が始まる前に仕掛けられていたら、その時点で僕の負けだった」



 そう、相手の認識や思考を操作する類の希少技能/レアスキルの恐ろしいところは、対象に気付かれる事無く〝洗脳〟するところにある。
 戦闘で言えば、単純に自分に向かってくる飛礫を〝視えなく〟させるだけでも十分脅威となるし、距離感を狂わせるだけでも絶大なアドバンテージとなる。
 加えて、それが相手の認識や思考を阻害、操作できる領域にまで達しているとなると、もはや相手にした時点で負けが確定すると言っても過言ではないのだ。戦闘開始直後に絶対服従するように洗脳されようものなら目も当てられない。
 そう言う意味では、この戦闘においてクロノは運が良かったのかもしれない。あるいは、月村すずかに事情があって最初から希少技能/レアスキルを使う事が出来なかったのか―――――はたまた、〝本当は使いたくなかった〟のか。



「どちらにしても、この二人はもう二度と敵には回したくない。絶対にだ」
「あはは~…………うん、確かに。これは酷い」



 そうこう言っている間にも、映像内の戦闘は進んでいき、ついに終わりへと差し掛かっていた。エイミィは、その映像とクロノの表情を見てイヤな汗と同時に乾いた笑い声を出すしかなくなってしまう。
 士官教導センターからの長い付き合いだが、ここまで顔色を悪くしたクロノを見た事があるのは片手で数えて足りる程度しかない。
 映像を見れば、そのワケにイヤが応にも納得せざるを得なかった。










――――――四月某日:時の庭園エントランス





 戦いは既に佳境を超え、先に動力炉を目指していた武装隊員達からは念話で応援要請が来ていた。
 これ以上戦いを長引かせるわけにはいかない。一刻も早く二人を無力化し、みんなの応援に向かわねば。
 だが、どうする?
 月村すずかの動きは無視できるモノではなく、しかしそれは高町なのはも変わりない。ならば、先にどちらかの動きを封じる――――いやせめて足止めをして!
 その思いが、焦りとなった。



「今だよ、なのはちゃん!!」
「おっけーっ!」



 月村すずかの掛け声に、高町なのはの元気な声が答える。
 


「しまっ―――!?」



 気付いた時には遅かった。
 回避は絶望的であり、故にクロノは咄嗟に自身が身につけている魔法の中でも最硬の防御魔法/ラウンド・シールドを、最大限の魔力を込めて即座に展開した。
 高町なのはを相手に、中途半端な防御はむしろ自滅を招く。この短時間の戦闘でそれを嫌と言うほど思い知ったが故の選択だった。
 だが、防御を選んだ――――いや、防御しか選べなかった時点で、既にクロノの未来は決まっていたのだ。



「ぐぅっ――――!!!」



 衝撃が全身を蝕む重りとなってのしかかる。
 視界全てが桃色の閃光で満たされ、その眩しさに痛みすら覚えるほどだった。
 片目を閉じ、もう片方を薄めにして、抉り削られる防御魔法/ラウンド・シールドを維持するべく更に魔力を込める。
 直撃すればただでは済まない。例え魔力が削られようと、このまま耐えきらなければ。
 どの道防御を選んだ時点で、クロノの未来は決まったようなものだった。
 確かに、高町なのはの攻撃を防御する際、中途半端な防御はするべきではない。何故なら、彼女の砲撃は生半可な防御であれば、塵紙を貫く銃弾の如く食い破ってしまうからだ。そうなれば、結果的に砲撃によるダメージ+展開した魔法分の魔力という笑えない結果が待っている。
 そう言う意味では、クロノの取った行動は実に最善であった。魔力をけちって自滅するより、通常では考えられないような魔力量を込めてでも絶対に防御する。高町なのはの攻撃を防御するのであれば、それ以上の答えはない。
 だが、既にその時点で間違いだ、とクロノは内心で自身を罵倒する。
 そも高町なのはを相手取った際、決してやってはならないことは〝防御しない〟事なのだから。
 そしてその結論は、この後の結果/経験により、より確かな真理となる。

 閃光が終わり、全身を苛んでいた自身の体重の数倍もの圧力が消える。
 耐えきったことへの安心感もそこそこに、クロノはすぐさまその場から移動しようとして―――――今度こそ、背筋を凍らせた。
 見れば、四肢全てに桃色の光輪が巻きつき、まるで何もない空間へ磔にされたかのように体が動かない。
 さながら標本図鑑の虫のように空中に磔にされたクロノは、これが高町なのはによる拘束魔法であると即座に看破した。
 しかし、それを看破したところで、自身の拘束が解かれるわけではない。おまけに、コレはいかな優秀な最年少執務官といえども即座に振りほどくのが困難な強度だ。
 油断はなかった。常に対象二人の動きには気を配り、動きを予想し、決して隙を晒したつもりはなかった。
 しかし、現実には捕まってしまっている。ほんの少しの焦りが、決着を急ぐばかりに致命的なコンマ数秒の遅れをもたらした。
 隙を突いての砲撃魔法に由る足止め。そこから気付かれる事無く高位の拘束魔法で対象の動きを完全に封じる。
 まるで無駄の見当たらない、実に教科書通りの美しい連携だ。こうも綺麗に決められては、逆に感心する他ない。
 無論、クロノは拘束された瞬間から即座に拘束魔法の特定、解析、解呪を試みるが、〝デバイスの補助なし〟に行うには、あまりにも時間がかかり過ぎる。
 いかなクロノであっても、解呪には約数秒――――最悪二桁に達する時間が必要だと判断した。
 そう思考している間にも、マルチタスクに由って拘束魔法の同定が完了――――厄介な。クロノは臍を噛みながら続けて術式解析を行う。
 よりにもよって、拘束系の中でも一等面倒極まりないレストリクトロックとは。オマケにやたらと錬度が高いのと込められた魔力量のせいで、冗談のように強固だ。
 レストリクトロックは、基本にして単純な拘束魔法の高位に位置する魔法であり、それ故に極めれば絶大な拘束力を発揮する。何より単純なのは、込めた魔力量に拘束力は比例する所だろう。
 故に、クロノは予想以上にその解呪に手間取ってしまう。そして、その〝隙〟こそが、高町なのはの最大の好機であったのだ。



「いくよ、クロノ君。これが――――――私の、全力全開!
「……ぉい待て、ちょっと待て。なんだそれは」



 思わず普段使わないような言葉遣いになってしまうほど、クロノの目の前に広がる光景はばかげていた。
 端的に言うならば――――そう、それは極小の〝星〟だ。
 それも自らが輝き光を放つ、その内に絶大なるエネルギーを内包した恒星のような、人口の〝星〟だ。
 同時にクロノは気付く。
 周囲に漂っていた残留魔力――魔法の行使で生まれたり、元々その場にあった魔力――が、次々にその星へと吸い込まれている事に。
 始まりは桃色から、次第に周囲に散らばる魔力を際限まで吸い込もうとするそれは、いつしかクロノの魔力光すらも取り込み、いっそ禍々しささえ感じさせる紫色に染まっていった。
 既に、その大きさはバカ広いエントランスホールの半分を埋め尽くし、集められた魔力のうねりが、その途方も無いエネルギーの行き場を求めて暴風と衝撃波をまき散らしている。
 柱が崩れ、瓦礫が砕け、突風がエントランスごと崩壊へと導く。
 ついに崩れた天井から、庭園の疑似天候システムに由る日光が差し込み、偽物とは思えない美しい青空が垣間見えた。
 だが、その青さすら塗りつぶす勢いで、その〝星〟は成長を続け、ついにはホールの天井を消し飛ばす。
 可能性として考慮はしていた。彼女の得意としている魔法、魔法行使後の妙な違和感、砲撃型の魔導師であるにもかかわらず、異様に無駄な魔力消費……振り返れば、わかることだったのだ。
 だが、できるはずもないと、心のどこかでその可能性を排除していた。
 まだ魔法に触れて一月も経っていない子だぞ?
 そんな子が、〝こんな芸当〟ができるなどと、一体誰が想像付く?



「――――収束、砲撃…………だと…………ッ!!!?」 



 吹きつける突風、荒れ狂い、行き場を求めてうねる魔力の渦。
 それらが内包する途方も無いエネルギーの恐ろしさを肌で感じ取ったクロノの呟きは、ほとんど掠れた音となって風に呑みこまれる。
 正直に言うならば、クロノはどこかでまだ高町なのはという人物を甘く見ていた。
 確かに錬度は素人と思えないほど桁外れ、腕も天才的で魔力量も圧倒的。油断できるような相手ではないし、するような無能でもないつもりだった。
 だが、これは自身の想像を超えていた。まさかとは思いつつも、どこかで心が〝有り得ない〟と断じていたはずだった。 
 


―――収束魔法系統。



 文字通り、ただ魔力を塊にして放出する直射魔法とは違い、周辺や自身の魔力を収束させ、従来の魔法とは隔絶した威力を誇る魔法系統のことである。
 単純に、自身の放出した魔力体(弾体となった魔力等)を再び取り込んだりすることは、それなりに経験を積めば誰でもできる。だが、こんな――――周囲にある魔力を〝無差別に掻き集める〟技術、即ち〝収束魔法〟を行えるのは、それこそ魔導師ランクSクラスでもなければ出来ない芸当だ。
 それを、高々訓練から一月にも満たない魔導師が――――それも、管理外世界のたった9歳の少女が行えるなど、一体誰が知っていよう。予測できよう。もしこれを知っていたのであれば、そいつは未来予知者の類か何かだろう。
 どちらにせよ、〝コレ〟は防御するだけ無駄だ。したところで、数秒と持たずに防御の上から〝潰される〟のは間違いない。
 呆然としつつも、拘束魔法の解除は進む。術式解析完了。解呪のための対術式構築を開始。脚部拘束捕獲輪の解除を優先。左足10%、右足4%―――――!



「すたーらいとぉおおお……………」



 風が凪へと移る。
 肌を震わす衝撃が霧散し、恐ろしいまでの静寂の中、甲高い耳鳴りのような収束音だけが耳朶を叩く。
 まるで嵐の前の静けさだ。多分、この次に待っているのは嵐など比べるべくもないものだろうが。
 クロノはマルチタスクで忙しい思考の中そんな益体も無い事を考え、そしてその間にも彼の思考は目まぐるしく戦術を組み立て上げる。

 発射までに完全解除は無理だ左足はいける右足と腕に時間がかかるな一秒いや二秒稼ぐ〝三発分〟だけ残せればそれでいい他は全て防御に回す―――――!

 間に合うかどうかはわからない。いや、間に合わせる以外に選択肢はない。

 自分は誰だ?
 時空管理局執務官クロノ・ハラオウン。
 その職務はなんだ?
 次元世界の安寧と平和を保つ事。
 ここで敗れればどうなる?
 次元震によって取り返しのつかない事態が起こり得る。

 無音詠唱防御魔法/ラウンド・シールド五重展開完了バリア・ジャケット再構築完了拘束完全解呪まで残り三秒――――――!

 彼女達が行おうとしている事を間違っているとは思わない。だが、それが失敗した時、犠牲になる存在があまりにも大きすぎるのが問題なのだ。
 悪党と思われたって構わない。彼女達の邪魔をする事になっても、自分は次元世界を守ると言う義務を全うせねばならない。
 十を救うために十を殺しかねないより、九を救って一を殺す。
 夢を見る段階は既に通り過ぎた。今はただ、より確実な手段でより多くの人を助けたい。例え彼女達に恨まれようとも、クロノ・ハラオウンは〝こんなはずじゃなかった〟悲劇を食い止めるために、全力を尽くす。
 それが、クロノ・ハラオウンの正義だから。

 左足の解呪に成功。完全解呪まで残り二秒同時に術式二重起動による―――――!

 そして、星を砕く奔流が、解き放たれる。
 
 
 
「――――――ぶれいかぁぁあぁあぁぁあああああああああ!!!!!!」



 それはまさしく、星を砕く一撃と言ってよかった。
 五重にも展開した防御魔法/ラウンド・シールドがものの一秒と持たず砕け散り、クロノはコンマ数秒、その直撃を一身に受ける。
 それは、彼の人生を振り返ってみても、筆舌に尽くす事のできない衝撃だった。
 四肢全てをもぎ取られんばかりの衝撃が全身を襲い、みるみるとバリアジャケットが破壊され、元は端整なコートだったものが冗談のような勢いで襤褸切れへと変貌していく。そして、バリアジャケットがみすぼらしくなるのと比例して、全身から魔力と言う魔力がごっそり持っていかれるのを感じた。
 魔導師の生命線、魔力の源泉たるリンカーコアから形容しがたい痛みが走る。それが、リンカーコアが全身から削られゆく魔力を補填しようと異常なまでの活動を始めた弊害であるとわかったのは、突入作戦が終わってから受けた精密検査の時だった。
 とにかく、まるで大洪水の鉄砲水に晒されたかのような状態の中を抜けだせたのは、ひとえにクロノの歳の割りに豊富な経験のおかげだった。
 相手の攻撃を防御しながら、裏へと回り込む。やった事と言えば、それだけだ。ただこの時は、その攻撃が信じられないほど大規模なモノで、ついぞ忘れていた〝我武者羅〟な状態だったというだけだ。
 予想以上に魔力をごっそりもっていかれながらも、クロノは拘束魔法/レストリクトロックの解呪と同時に、事前に準備しておいた二つの魔法の内一つ、高速移動魔法/フラッシュ・ムーブを発動。高町なのはの一撃から即座に身を外し、その勢いのまま彼女の側面へと回り込む。



「なのはちゃ――――!」



 そのクロノの動きを追う事が出来ていた月村すずかの動体視力は、やはり驚嘆すべきものがあったと言える。
 だが、彼女の警告が届くより早く、クロノの反撃の一撃が高町なのはの脇腹へと突き刺さった。



「あ――――!?」
「―――…ァシュ・インパクトッッッ!!」



 トリガーボイスを完全に発音できない。しかし、魔法は確実に発動し、高町なのはの脇腹へと直撃した。
 だが、浅い。
 大威力の魔法を行使した後であるにも関わらず、インパクトの瞬間、高町なのはが打撃面のバリアジャケットを瞬間的に強化したからだ。
 故に、直撃したはずのソレは、しかしクロノの予想通りのダメージに終わる。
 高速移動魔法/フラッシュ・ムーブからの高速度を利用し、拳に乗せた圧縮魔力を直接叩きつける打撃魔法/フラッシュ・インパクトは、その単純さ故に直撃すれば相当の威力を誇る。
 その威力はスピードと圧縮魔力の密度に比例し、今この時クロノが放ったのは、並みの魔導師であれば即座に昏倒しかねないレベルのものだった。しかし、高町なのははそれをバリアジャケットの破損だけで済ませている。
 わかってはいたことだが、あまりにも出鱈目な反応速度とバリアジャケットの強度に、クロノは内心で乾いた笑みを浮かべるしかない。
 その思考とは切り離された現実時間の中、クロノは打撃魔法/フラッシュ・インパクトの直後からさらに術式を起動。高町なのはのバリアジャケットを撃ち抜いた右手を、そのまま高町なのはの体に密着させる。
 
―――バリアジャケットの固有振動数を解析。特定。術式に組み込み発動!

 打撃魔法/フラッシュ・インパクトの衝撃で、まだ高町なのはが体勢を立て直せていない今がチャンスだった。対策を取る前に、畳みかける!
 


「―――ブレイクゥッ!」
「――――じゃ、けっと!」
「―――――――――インパルスッッ!!!」



 クロノの攻撃の前に、高町なのはが欠損した部分のバリアジャケットを再構築する。
 しかし、それに構うことなくクロノはトリガー・ヴォイスを唱え、右手に溜めていたエネルギーを放出。
 一瞬、高町なのはの体が激しく痙攣し、各所のバリアジャケットが弾け飛ぶ。同時に、声にならない呻き声を漏らすと、高町なのははそのまま全身から脱力して気絶した。
 クロノはそれを確認しながらも、間髪を逃さず魔法を発動。こちらに迫っていた月村すずかを、一定空間に侵入した者を捕獲する遅延反応式捕獲魔法/ディレイド・バインドで捕獲する。ちょうど魔法三回分の魔力。中々に、ギリギリだった。



「くっ――――!」
「無駄だ。魔力を持たない君では、力尽くでも解除できない。君達の負けだよ」
「―――――そう、みたいですね」
「モノわかりが良くて助かる。ひとまず、下に降ろそう」
「はい」



 潔く、自分達の負けを認めてくれたのは、クロノにとって実に有難かった。
 これが高町なのはであったならば、もう一悶着が起きていたことだろう。そう考えると、思わず溜息が洩れてしまう。
 もはや原形をとどめていないエントランスの中でも、比較的マシな場所に高町なのはを寝かし、月村すずかの拘束を解く。
 本当であれば、このまますぐにでも隊員達の救援に向かわねばならないのだが、出来るならば少しだけ、ほんの一分でもいいから休みたかった。
 


「あの、これ……」
「ん、すまない」


 
 先程の収束魔法の煽りで飛んできた飛礫がぶつかったのか、切れた額から流れた血が、目に入る。
 驚きながらもそれを拭うと、横からそっと、菫色のハンカチを差し出された。
 見れば、申し訳なさそうに月村すずかがハンカチを差し出しており、同時に心配そうにへたり込んだクロノの顔を覗き込んでいる。
 断る理由も無かったので、クロノはそれを有難く受け取り、鬱陶しく感じ始めていた出血を拭う。
 額の血を拭いながら、どこか呑気な感じに寝こけている――正しくは気絶しているのだが――高町なのはを見て、クロノは何とも言えない気持ちになって、思わず笑ってしまった。
 あちこちに空いた隙間から、疑似天候システムによる穏やかな風が吹き抜けていく。
 それはまるで、吹き荒れていた嵐の終わりを告げる、音無き調べのようであった。










 戦闘記録の映像が終わり、クロノとエイミィは揃って溜息を吐いた。
 片方は蘇る悪夢を振り払うために。もう片方は、今見た戦闘の出鱈目さ故に。



「……ねぇ、クロノ君」
「なんだ」
「よく、生きてたね」
「自分でも不思議に思うよ」



 まず最初の感想がそんなものであるあたり、エイミィの受けた衝撃の大きさは相当なものである事が窺い知れる。
 それはクロノも同じで、改めてよくあの攻撃を受けて無事だったな、と己を自画自賛せずにはいられなかった。
 


「なのはちゃんのあの魔法、直撃を耐えきれるような人がいるとはとても思えないんだけど」
「艦長なら、もしかするかも知れんがな……あとは、グレアム提督とか」
「どっちも規格外の人間の話じゃないの。そうじゃなくて、普通の魔導師の話だよ」
「そんなの議論するまでも無いだろう。後であの魔法の推定魔力値を見て見ろ。考えるだけ馬鹿馬鹿しくなる」
「まぁ、AAAランク以上の魔導師二人分の魔力の塊みたいなもんだもんね……」
「挙句巨大一式収束円環と四式加速円環のコラボレーションだ。その内本当に星を砕きかねないな」
「〝打ち毀す星の光/スターライトブレイカー〟とは、よく名付けたものだねぇ……もうこれ、なのはちゃんがラスボスでよかったんじゃないかな」



 未だに二人の脳裏には、あの形容しがたいトンデモ魔法の映像がリピートされている。特にクロノは、防御間際まで自身に迫り来ていた、あの光の奔流がフラッシュバックしており、よくよく見れば、マグカップを持つ手が小さく震えているのがわかっただろう。
 幸い、エイミィがその様子に気付いた様子はなく、クロノは取り繕うようにわざとらしくマグを仰ぐと、無理矢理話題を変えに行った。



「しかし、マリーには感謝しないといけないな」
「あぁ、出港前にS2Uの調整ついでにくれた、〝試製緊急用魔力補填莢機構/プロト・カートリッジ・システム〟の事?」
「おかげでその後の戦闘を切り抜けられたからな。試作品とは言え、今後ああいうのが採用されれば、現場での心配も減る」
「うーん……どうだろう」



 戦闘記録の後、つまり別動隊に合流する前に、クロノは失った魔力を補充するためにとある〝試作品〟を使用した。
 
 〝試製:緊急用魔力補填莢機構/プロト・カートリッジ・システム〟

 特定の容器に魔力を圧縮して充填し、必要時にそれを解放する事で失った魔力を補填する。
 そういったコンセプトのもとに開発されたその技術は、しかしその危険性や安全性の問題から、まだ実用化には至っていない物だった。
 大きさはせいぜい煙草一箱分でありながら、使用可能な回数は一度のみ。しかも、安全面など諸々の理由から回復できる量はよくてせいぜい10%程度。
 だが、管理局技術部謹製の試作品であり、未だ実用化の目処すら立っていない物だったにも関わらずクロノが躊躇いも無くソレを用いたのは、それだけ状況が切迫していたと言う事に他ならない。
 ただ、やはり問題点は多い。
 なによりも、それを使用する事によって、対象にどんな影響があるか完全に把握できていないのだ。最悪なパターンでは、魔力の制御に失敗して手足が吹き飛んだ、等と言うグロテスクな話もある。無論、そう言うのは違法な代物の所為ではあるのだが、危険な事には変わりはない。
 懐から取り出した、魔力の感じられないソレを矯めつ眇めつ、クロノは感慨深そうに呟いた。



「暴発の危険さえなくなれば、すぐにでも採用してもいいと思うんだがな……」
「今後採用されるかどうかは微妙なところじゃないかな。ベルカ式のカートリッジ・システムを参考にしているとはいえ、今じゃ失われた技術だからね。再現するだけでも大変だよ」
「逆に言えば、よくここまで再現できたとも言える。マリーにお土産を買わないといけないな」
「あらま、意外と気配り屋さんです事」
「茶化すな」



 クロノの手にあるその試作品は、管理局本部を出港する前、とある知り合いの技術部局員より渡されたものだ。
 前々より、戦闘中の魔力切れが心配であったクロノのために、彼女―――マリエル・アテンザが開発中だった試作品を託してくれたのである。
 とはいえ、まだ正式な認可の下りてない品であり、使用許可こそ得たものの造った本人ですら安全性に問題があると念を押していた事もあり、クロノはそれこそ最後の手段としてこれまで温存してきていた。
 もしこれが実用化されれば、今まで魔力切れや決定的な威力不足に悩んでいた魔導師達全員の希望ともなる。
 本部に戻ったら、出来得る限り力になるとしよう。クロノは、心の中で静かに決意した。



「ともあれ、未回収のジュエルシードも残り四つ。あと少しでこの事件も完全に収束だね」
「……完全とは、言い難いがな」
「やっぱり、気にしてる?」
「当然だ。もっと早く事態を把握できていれば、ここまで事態を深刻化させずに済んだだろう」
「この言葉は嫌いだけど、でも敢えて言うよ。今回は仕方なかった。私達が、事態を把握するのが遅すぎたから」
「……わかってる……ッ」



 不器用だなぁ、相変わらず。エイミィは、内心腸が煮え繰り返っているであろう小さな弟分の様子に、苦笑を洩らすしかない。
 次元輸送船の事故より今回の事件が始まっていた事を考えると、エイミィらアースラ組は、あまりにもスタートから出遅れていた。
 しかも、遡ればさらに十年以上の歳月が必要となるほど、今回の事件には根深い禍根がある。少なくとも、あの天才魔導師であるプレシア・テスタロッサの動向に、全ての始まりの事件以降から気を配っている人物でもなければ、今回の事件に最初から気付く事は出来なかっただろう。
 そう言う意味では、ユーノ・スクライアの行動は違法ギリギリではあったものの、エイミィ的には不幸中の幸いに思えてならなかった。
 もしユーノ・スクライアの存在がなければ、最悪この世界は次元の狭間に消えてしまっていたかもしれないのだ。そういう意味もあって、ユーノ・スクライアの〝おイタ〟はなんとかお咎めなしに終わったのだが。
 結果的に、今回の事件は首謀者が行方不明となったことで幕を閉じる事になるだろう。
 それがクロノにとって満足できる結果であろうとなかろうと、一つの次元世界の崩壊を救った事には変わりはない。それは、手放しでほめられて良いことだと、エイミィは思う。
 だが、例えどんな事件を解決しても、もっと良い結末があったのでは、もっと良い解決方法があったのではと悩むのがクロノ・ハラオウンという少年である事も、エイミィは知っている。
 そうなると、もうエイミィからは何も言えなくなってしまう。
 その答えを見つけるのはクロノ・ハラオウンその人自身でなければならず、自分にできるのはその手助け程度であることをわきまえているからだ。
 言葉では納得していると言いつつも、一人静かに苦悩する少年を見守るエイミィは、常に心の中で彼を応援する。
〝正義の味方になる〟と息巻いていたあの少年が、その重圧に押しつぶされないように。



「ほらほら、堕ち込むにはまだ早いぞクロノ君。まだ事件は全部解決してないんだからね!」
「……わかってる。昨夜もう一つのジュエルシードの反応を見つけたはずだが、どうなっている?」
「もっち解析済みよ♪ ただ、なーんか妙なんだよねぇ……」
「何がだ?」
「何日か前にも同じ反応をキャッチしたんだけど、どーやら〝移動〟してるみたいなのよ」
「……起動状態なのか?」
「ううん。基準値を超える反応じゃないから、まだ待機状態の筈」
「となると、動物かなにかに運ばれていると考えるべきか」
「それが順当だね。もしかしたら、なのはちゃん以外の現地魔導師かもしれないけど……」
「……例の正体不明な魔力反応だったか。それも合わせて調査できればいいが」
「残念ながら、今のうち/アースラにそんな人的余裕はないんだよねぇ、これが」
「……まぁ、地道にやるしかないだろう」
「つまりは、いつも通りって事で」
「そう言う事だな」



 管理外世界に散布された古代遺失物/ロストロギアも、全21個の内6つが失われたが、それでも残る15個の内11個が集まった。まだ見つかっていないモノも、そう遠くないうちに全て回収できるだろう。
 そして無事に全ての古代遺失物/ロストロギアが回収できた時――――ようやく、この長く、哀しい、だけども素敵な出会いに満ちていた事件が終わりを告げる。
 だが、不思議な事に、クロノとエイミィにはそれはただの仮初めでしかないように思えるのだった。
 まだ何か、二人には想像もつかないような大きな事件が、再び起きそうな気がする。
 その原因を考えると、なんとなく二人の脳裏に、今回の事件で活躍した怖いもの知らずな四人組の姿がよぎるのだった―――――。
















――――――――――――――――――――――――――――――
いぶりすのちんしゃたーいむ
――――――――――――――――――――――――――――――

 あと一話と言っておきながらこの様です。いぶりすです。仕様です。
 ……ほんッッッとうにもうしわけありませんッッッッどうかひらに!ひらにご容赦を!!orz


 もはや説明するまでも無い事ですが、後日談を書いていたところ、どうせなら蛇足も追加してしまえと調子に乗った結果、とてもではないが一話で投稿するには量が多くなりすぎる事になってしまい、この度分割投稿という形にあいなってしまいました。
 一応、現状では後日談③まである予定です。
 今回は、以前なくなくカットする事になったクロノとなのは&すずかの戦いのお話です。
 せっかくだから、もう色々好き放題やっちゃおうという内容になっております;;;
 
 恐らく結果については納得されない方もいらっしゃると思いますが、その弁明として以下にいくつか設定を捕捉させていただきます。
 (*注意!!:以下ネタバレとなっております。まだ本文を未読のお方はご注意くださいませ)


Q1.なのはの強さはどのくらい?
A.ドチートです。なのは様だからしょうがない。
 ……というのは冗談にしても、元々の才能に加え、半月ほど父兄姉に簡易的ながらも稽古をつけてもらったり、ほとんど勉強そっちのけでユーノに魔法を教えてもらったり自主的に訓練に励んだりしていたことが補助的な要因となって、庭園突入後はフェイトとタイマンでは互角。クロノとは今回の話の通りとなっております。
 まぁつまりはチートレベルです。ベクターキャノン打てるアヌビスみたいな。サブウェポン使いだすのはA'sからじゃないでしょうか……?((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル


Q2.すずかは結局どうなってるの?
A.〝夜の一族〟として半覚醒状態にあります。以前時彦が家庭科の時間に指を切り、その血を呑んだのを皮切りに、忍の体と入れ替わった際の吸血衝動でがきっかけで、忍のような身体能力のブーストが可能になっていました。
 具体的な背景については、第2部で明らかに……?


Q3.なんで素人のなのはにクロノがこんなに苦戦してるワケ?
A.まず、第一にクロノはすずかの〝特技〟によって、杖を奪われていると思い込んでいます。故に、後半はずっとデバイスの補助なしに戦っていました。
 第二に、すずかが予想以上に出鱈目に手強く、特に後半は杖を使わずに戦っていたため想定以上に消耗していました。
 第三に、クロノ自身、心のどこかで二人に対して手加減していたからでもあります。冷徹になりきれない真面目な熱血漢。そんなクロノ君をいぶりすは応援しています。


 以上、蛇足となりましたが捕捉説明をさせていただきました。

 次回の後日談②は、温泉旅行後の日常話で、第二部への布石や、いぶりすの趣味嗜好がダダ漏れとなる予定です。
 なるべく早く次回のお話をお届けするべく、鋭意努力いたします。今しばらくお待ちくださいませ。

 また、改めましてここまで読んで下さった読者の皆様方に多大なる謝辞を。ありがとうございます。
 それでは、本日はこの辺にて。

                ~いぶりす



[15556] 後日談:ジュエルシードの奇妙な奇跡。そして――――。
Name: [ysk]a◆6b484afb ID:b24863d4
Date: 2012/04/23 07:37









―――――四月某日。海鳴市中丘町。




 世界は呆れるくらいに平等だ。全てに意味があり、全てに役割が定められている。
 そう思えばこそ、自身の不遇の身の上にも我慢が出来た。
 生まれた時より足が不自由なのも、突然の事故で両親を失い天涯孤独の身になったのも、全部そう〝定められていた〟からなのだ、と。
 それは、幼い彼女にとって望外より手繰りよせた、歳不相応の諦観だったと言える。
 だが、そうでもしない限り、彼女はこの辛く残酷な現実を正面から受け止める事ができなかったのだ。
 そんな彼女――――八神はやてにとって、その出会いは奇跡だった。
 
 最初は、ラッキーだとしか思っていなかった。

 その日、はやてはいつものように病院での献身を終え、相変わらず変化の無い検査結果に特に何かを思うでも無く、今夜の夕飯は何にしようかと存外呑気な事を考えながら帰路についていた。
 ソレに気が付いたのは、何の事はない。手になじんだ車椅子の車輪を転がした時、何かを踏んだ気がしたからだ。
 危うく車椅子から転げ落ちそうになるのをどうにか踏ん張って、かなりの努力を費やして拾い上げたソレは、不思議な魅力を孕んでいた。
 透き通った青、角度によってその色を帰る不思議な表面。気のせいか、時折表面が脈動しているようにすら見える。
 誰かの落としモノなのだろうか。にしては、ケースにも入っていないし台座が付いているわけでもない。路傍に転がっているにしてはあまりにも無防備すぎる。
 あるいは、見てくれは確かに宝石のように美しいが、本当は単なる〝綺麗な珍しい石〟なだけなのかもしれない。
 数旬、これは警察に持って行って大丈夫なのだろうかと悩むが、諸々の理由により却下した。代表的な理由としては、1にこれがただの石だったら恥ずかし過ぎて地面に埋まりたくなる。2に自分の〝なり〟を見て何かを言われたりしたら、また説明するのが激しく面倒。3に余計な気遣いをされるのが非常に困る。そんなところだ。拾ったその石は、とりあえずスカートのポケットに放り込んでおいた。
 綺麗な石が手に入ってラッキー。ねこばばちゃうもんね。ただの石やもんね。
 そんな言い訳のような屁理屈を内心でこねながら、はやては何事も無かったかのようにその場を後にした。

 その後ちゃっちゃと夕飯の買い物を済ませ、暖かな夕焼けを眺めながらはやては帰宅した。
 手早くシチューを作り上げ、いつものように一人で夕飯を済まし、諸々の用事を片付けると、これまたいつものように就寝時間になっていた。
 通信教育の勉強を終わらせた後、ほとんどぶっ続けで図書館から借りてきた本を読んでいた所為か、体の節々が硬くなっている。
 ベッドの上に大の字で寝転がり、ぐにぐにと若干気持ち悪い動きをしながら体をほぐしてみる。何故か、ストレッチをするのはめんどくさくてやりたくなかった。
 そうやってひとしきり一人でグダグダしていると、ふと右の太ももに妙な感触がある事に気付く。
 手探りで取り出してみると、それは夕方路傍で拾った、あの妙な石――もう、宝石とは思えない――だった。
 天井の明りに透かせば、相変わらず綺麗な青と不思議な表面を楽しめるが、それだけである。
 ただ、じっと見つめていると、なんとなく不思議な光を放って自分を魔法少女にしてくれるとか、まだ何個か世界に散らばっていてそれを全部集めると願いを一つ叶えてくれるとか、万能な錬金術の触媒になるんじゃないか、なんて考えてしまう。
 最近読みあさった漫画や本の影響がもろに出ている思考だったが、勿論そんな事が現実にあるはずもない。

 はやてはバカな事を考えていた自分の思考に自嘲するように溜息を吐き、石を握りしめたまま手を額に当てた。



「でも……もし、本当に願いが叶うなら」



 それは、今まで幾度となく夢想した戯言だった。
 その願いがどれだけ贅沢で、どれだけ我儘で、どれだけ非現実的なのかは自分でも理解している。それでも、八神はやては夢想して止まない。

 もし。
 もしも、私の願いが一つだけ叶うのなら。

―――ただ、手を伸ばせば暖かな手が握り返してくれる。そんな、家族が欲しい。

 それだけでええ。それ以外、なんにも望みません。
 とっても贅沢なお願いやけど、私のお願い事は、それだけです。

 所詮は、ただの戯言だ。子供の妄言だ。叶う事の無い、現実逃避に他ならない泣き言だ。
 それでも、八神はやては祈る。何もしないで諦めるより、無駄と知りつつも諦めない事を選ぶ。ちょっぴり強がりで、ちょっぴり頑固。八神はやてと言う少女は、そんな子だった。
 だからこそ、神の気まぐれははやてを選んだのだろうか。あるいは、これすらもが予定調和だったのか。
 その真偽は誰にもわかるはずもなく、それは唐突に起きた。



「あつっ!?」



 突然、握りしめていた石が発熱した事に気付き、はやては慌てて握っていた石を放り投げた。
 まるで、高温の油が手に跳ねた時に似た痛みが手の平にジンワリと広がり、悪態を吐くよりも驚きで身を起こす。
 次いで、思わず石を放り投げた事を思い出して、その行方を追って部屋を見渡した。見渡して、呟いた。



「―――――は?」



 石が、浮いている。
 先程握りしめていた、突然発熱しだしたのに驚いて放り投げたその石は、まるで漫画かアニメのように、ひとりでにふわふわと、青い燐光を洩らしながら宙に浮いている。
 状況が呑みこめない。現実を認識してはいるが、一体何が起こっているのか把握する事が出来なかった。
 はやてが混乱している間にも、さらに異変は続いた。
 何故か石の燐光に呼応するかのようにして、本棚の最も上に鎮座していた〝あの不思議な本〟までもが輝きだし、次の瞬間には突如として一際眩い光が室内全体を満たす。
 まるで閃光手榴弾のような激しい眩しさに、はやては顔を背けて目を瞑る。
 光が収まり、ようやく目を開けて石を見ると―――――今度こそ、はやては絶句した。



「――――ふむ、なかなかどうして、具合は悪くない」
「んぁ……なっ……!!」
「やや肉体が幼いのが気になるが……ま、贅沢は言うまい」



 宙に浮かんで輝いていた石はどこかへと消え去り、代わりにそこにあったのは――――鏡映しのように、自分と瓜二つの人間だった。
 クリーム色のハイネックシャツ、ネイビーブルーのフリルスカートに暖かそうなブラックレギンス。
 左の髪を留める特徴的な髪留め、どこか小型の動物を思わせる風貌。
 ただ違うのは、自分の栗毛とは違った美しい銀髪と、その毛先にかけて黒いアッシュがかかっている事。
 そして――――深淵の闇を思わせる、形容しがたい瞳。



「いずれにせよ、大義であったぞ、我が子烏よ」



 そんな〝もう一人〟の自分が、無い胸をふんぞり返らせて腕組みしながら何かを言っている気がした。
 だがしかし、はやての耳には入らない。
 ずりずりと、動かない足を引きずってベッドの上を移動し、〝もう一人の自分〟に近付く。


「むっ……王たる我の言葉を無視するか」
「…………」
「……まぁ良い。我の受肉を手助けした功績は大きい故、特別に許そう。感謝するがよいぞ、我が子烏よ」



 はやてから返事が無い事を不服に思ったのだろう。〝もう一人の自分〟が柳眉を曲げ、反応の無いはやてに向かって再度何かを言う。
 繰り返すようだが、それでも今のはやてにはただの雑音でしかない。
 無言のままずりずりとベッドを移動し、ついにはやてはベッドの縁へとたどり着いた。
 ベッドの傍、それも手を伸ばせばたやすく届く距離で立ちつくす〝もう一人の自分〟と、それをベッドの縁に腰掛けて見つめるはやて。
 暫しの間、二人の間に妙な沈黙が流れ、その間ずっと、はやては〝もう一人の自分〟を舐めまわすように見つめていた。
 どれほどの時間をそうしていただろうか。
 無言の重圧に耐えかね、ついに〝もう一人の自分〟が口を開こうとしたその瞬間。
 はやての伸ばした手が〝もう一人の自分〟へと伸び―――――その頬をつねり上げた。 
  
 
   
「ぅぃだだあぁあああッッッ!!?!」
「――――おぉ、ほんまもんや」
「当り前であろうこの大戯けッ!!?」


   
 手加減なしに全力でつねりあげたせいか、〝もう一人の自分〟が物凄い剣幕で涙目になっていた。
 赤く腫れた頬を抑えながら、はやての目と鼻の先まで顔を近づけ、今にも噛みつかんばかりの形相で睨みつけてくる。
 しかし、はやてはそれでも怯む事はなかった。
 それどころか、自分の目の前で怒りを湛える少女の姿が、頭のおかしくなった自分の妄想でもなく、れっきとした肉と温度と存在感を持って、今自分の目の前に確かに存在する事に、筆舌に尽くしがたい興奮を覚えている。
 何が原因で、どうしてこうなったのか等どうでもいい。
 気がつけば、はやてはそっと〝もう一人の自分〟へとその両腕を伸ばし、抱き寄せた。



「むっ、いきなりなんだ子烏よ。ええい離せ! いくら我が寛大といえど、これ以上の狼藉は――――」
「……夢じゃ、ないんよね」
「――――ふん」



 突然抱き寄せられ、初めこそ強く抵抗していた〝もう一人の自分〟は、はやての蚊の鳴くような問いかけを受けてすぐに大人しくなる。
 そして、ゆっくりとはやての頭を撫でながら、言った。



「無論だ……貴様の抱きしめているその温もりが、何よりの証左であろう」



 優しく耳朶を叩く、どこか不思議な感じがする自分のモノではない自分の声に、はやては何度も頷く。
 自分が今抱きしめている温もりがどこかへ行かないよう、強く、強く腕に力を込めながら。

 世界は呆れるくらいに平等だ。全てに意味があり、全てに役割が定められている。
 そう思えばこそ、自身の不遇の身の上にも我慢が出来た。
 生まれた時より足が不自由なのも、突然の事故で両親を失い天涯孤独の身になったのも、全部そう〝定められていた〟からなのだ、と。
 それは、幼い彼女にとって望外より手繰りよせた、歳不相応の諦観だったと言える。
 だが、そうでもしない限り、彼女はこの辛く残酷な現実を正面から受け止める事ができなかったのだ。

 正直に言えば、生きている事が苦痛だった。自分一人が生き残った事が恨めしかった。
 変わり映えのしない毎日。静かなリビング。一向に動く気配の無い脚。そんな日々を終わらせる勇気も無い滑稽な自分。
 しかし、八神はやては今日。生まれて初めて、この世に生きている事に感謝した。今この瞬間まで生きてきた自分を、誇らしく思った。
 夢なんかじゃない。
 頭がイカレた末の妄想でもない。
 嘘偽りの無い、確かな現実として、いつも夢想していた〝一生のお願い〟が、今此処に在る。ずっと求めていた暖かさが、この両手の中にある。
 その事実が、例え様が無いほど嬉しかった。

 

「それとも何か、子烏よ。よもやここにきて、我を夢幻の類だと抜かすつもりでは無かろうな?」
「……ううん、ちょぉ温い。温過ぎて、なんや目から汗出てきたわ」
「ふふん、そうであろうそうであろう。感謝するがよいぞ子烏よ。今宵の我は深淵なる闇の如く寛大で――――子烏貴様、決して鼻水は垂らすなよ?」
「なんやケチ。ちょっとくらいええやろ」ズズッ
「待て貴様突然ぐずぐず言いおっておいまさか言っている傍からかこのバカ小烏!? ええいやはり離れろ貴様! 闇統べる王たる我を塵紙扱いするとは何事かッ!」
「ええやーん! もうしばらくこうしててーな!」
「こ と わ る ! ぬぐぅおおおお! は な れ ろぉおおおお!!!」
「い や やぁああああああああ!!!」



 そのまま二人はもつれ合ってベッドに倒れ、ぬぎぎだのむぎぎだの、実に淑女らしからぬ呻き声をあげながら泥臭いキャットファイトを繰り広げた。
 そして、互いの衣服があられもなく肌蹴てしまうほど戯れ合った二人は、乱れた息を整えながらも、ふとどちらからともなく声を上げて笑いあう。
 この奇跡がどうして起きたのか。あるいはこの出会いは決まっていた事なのか。
 八神はやてにとって、そんな瑣末な事等どうでもよかった。
 ただただ、只管に笑いながら神に感謝する。今日まで生きてきた事に感謝する。なによりも――――この出会いに感謝する。
 そして、はやては固く心に誓う。



「なぁ、そっくりさん?」
「なんだ、子烏」
「―――――私な、今日の事は一生忘れへん」
「―――――当然だ。なにせ、我の生誕日なのだからな」



 春特有の涼しさが残る夜。
 いままでありえなかった、二人分の温もりを乗せたベッド。
 ちょっと言動がおかしい、自分のそっくりさん。
 そっと手を伸ばすと、初めて温もりが返ってきた。
 
 それが嬉しくて、幸せで。

 はやてはそっと、空いた方の手で目を覆うのだった――――――。 



 

 














―――――五月某日。海鳴市藤見町。





 高町桃子はその日、珍しくオフの一日を満喫していた。
 前々から気になっていた喫茶店や洋菓子店は当然として、道中で見つけたアンティークショップや雑貨屋等にも立ち寄り、店に使えそうなもの、レシピのヒント等を探し求めて歩きまわった。
 昼も大きく回ったところで、歩きづめで減っていたお腹を満たすために近くにあった適当なレストランに入り、今は食後に運ばれてきたヨーグルトムースタルトを堪能しているところだ。
 有名パティシエの作るような異様に凝った出来ではないが、しかしシンプルすぎない見た目に作者のセンスを感じつつ、しっかりとした味にライバル心を刺激される。
 確かにそれは桃子なりの休日の過ごし方であり、楽しみ方なのだが――――どうみても、それはもはや職業病だった。
 
 ともあれ、そんな久方ぶりの(一人で過ごす、という意味で)休日を楽しむ一方で、桃子は今もって、高町家の末娘が巻き込まれている〝事件〟の事を考えていた。
 始まりは四月。桃子が事態を把握したのは、既に大事になりつつあった時だった。
 フェレットに変身できる少年。願いを叶える魔法の石。魔法少女として頑張っている末の娘。
 今までの常識を打ち壊す不可思議な事件は高町一家のみならず、その親しい知人一家にまで波紋を及ぼし、四月の中頃より末まではまさに怒涛の毎日を体験する事になった。
 とはいえ、事件も山場は過ぎ去り、後は事後処理と言った感じで沈静化しているので、先月に比べれば心労は遥かにマシになっている。
 少なくとも、娘から痛ましい擦り傷や生傷が少なくなっただけでも、母親としては心の荷が軽くなったものだった。
 ただし、その副次効果というか弊害と言うか、末の娘――――なのはがその事件をきっかけに兄や姉の鍛錬に少しずつ付き合い始めた所為で、危険が無くなった今でも擦り傷や生傷が絶えないのが新しい悩みの種となっているのだが。
 そもそも、年頃の少女が体中あちこちに生傷をこさえてしまうこと自体、お母さんとしてはなんとも喜ばしくない出来事なのだ。出来るならばそんな危ない事等せず、以前のように極一般的な女子小学生として毎日を謳歌してほしいのだが……血は争えない、ということなのだろうか。
 そのくせ、旦那の士郎や長男の恭也、あるいは長女の美由希のように運動神経が出鱈目にすごいというわけでもなく、むしろ逆だというのだから悩ましいところである。
 なにせ、ここ最近こさえてくる生傷等の原因の九割が、なのは自身のドジ(転んだり蹴躓いたり足を滑らしたり……とにかく転ぶのである)なのだ。
 自分がなのはと同い年の頃を思い返して、なんでまたそんな変な所だけおかーさんと似ちゃったのかしらねぇ、と桃子は苦笑するしかなかった。
 だが、そんな運動音痴の我が娘が、かの専門家曰く〝百年に一人の天才魔法少女〟であると言うのだから、世の中どうなるかわかったものではない。
 そもそも、この世界に〝魔法〟等と言うファンタジーの象徴が確かに存在する事自体、桃子には未だ以て実感が得られない事実であった。
 確かに何もない空間から突如明りが生まれたり、人が生身で空を飛んだり、アニメや漫画のように変身したりと様々な〝魔法を使っている〟場面を目にしたが、桃子の中でそれらは、どこか〝映画の中の出来事〟のような感覚として受け入れられていた。
 つまるところ、〝自分は無関係〟という認識が強いのである。
 その原因として、桃子自身が夫や子供達と一緒に事件の渦中に身を置いていたにもかかわらず、直接的な〝事件〟に巻き込まれた事が無かった事が挙げられる。
 それは勿論、桃子を危険から切り離すと言う立派な理由があってのことだったのだが、それ故に桃子は今一つ、末の娘が〝魔法少女である〟という、どこかふんわりと宙に浮いた、曖昧な認識しかできずにいるのだった。
 
 故に、〝ソレ〟を桃子が手に入れた時、桃子は今まで散々聴かされた〝ソレ〟の危険性を失念していたのである。

 



―――――同日。海鳴市海鳴臨海公園、第二海水浴ビーチ。





 空腹も満たし、気力も十二分に快復した桃子が次に向かったのは、海鳴臨海公園だった。
 水上バスの発着場や、サッカーコートくらいはありそうな草原、海を望む散歩道や、小さな池を囲む公園等、付近の住民だけでなく、近隣の都市からも客足が伸びる有名な場所だ。
 そんな中でも、今桃子が歩いているのは、小さいながらもシーズンには海水浴も楽しめるビーチだった。
 避暑地のように真っ白な美しい砂浜とは言えないし、海も透き通る程綺麗と言うワケではないが、桃子はこの砂浜が好きだった。
 なんてことない、どこにでもありそうな小さなビーチ。そんな慎ましさが、どこか桃子の琴線に触れるのである。
 晩春が足音を立て始めた今日この頃、徐々に気温は上がっていき、気がつけば海水浴のシーズンとなっているのだろう。
 こういうと、なんだか年寄り臭くなってしまうので嫌なのだが、どうしてもこの年齢にまでなってしまうと、時間が経つのを早く感じてしまうものだ。
 誰かが言っていたが、『二十歳の一年は、二十年が凝縮された一年』という言葉を聞いた時は、いやに納得できてしまった。
 


「そっかぁ……もう、九年も経つのねぇ」



 細波の調に耳を傾けつつ、波打ち際の砂を踏みしめながら、桃子は一人言ちた。
 九年。
 それは、高町家の末娘が生まれてから流れた歳月であると同時に、顔も見れなかった〝もう一人〟の末娘と別れてからの歳月でもある。
 高町桃子は、片時もその子の事を忘れた事はない。
 無論、いらない心配をかけないためにも、普段はその事を憂いている様子等おくびにも出さないが、こうして一人でいる時だけは、どうしても隠しきれるものではなかった。
 
 原因がなんだったかと考えるなら、それは〝わからない〟としか答えようがない。あるいは〝仕方なかった〟とでも言うべきだろうか。

―――――九年前、本来であれば、なのはともう一人が、双子として生まれてくるはずだった。

 初めての診察の時は、一卵性の双子だろうと言われていた。
 それを聞いた時、士郎は手放しで喜んでくれた。
 まだ幼かった恭也と美由希には、生まれた時のサプライズとして黙っていようとしたのだったか。
 だが、その〝もう一人〟は生まれてこなかった。
 新たな命を授かってから、それが世に生まれ出るまで。たったそれだけなのに、その期間に想像もつかないアクシデントが起こり得る。それ故に、生まれてくるはずではなかった子が生まれ、またその逆も起こってしまうのが、この世の常だ。
 言ってしまえば、それは〝世の理不尽〟だ。
 何故私が。何故この子が。何故あの人が。これまで桃子が経験してきた理不尽を数え挙げればキリがない。
 そういった〝世の理不尽〟とどう折り合いをつけるか。生きると言う事は、その巧稚さをどう身につけるかでもある。
 そして、桃子自身はどうかと言えば――――正直、上手な方ではないな、と自分でも理解している。
 九年の月日が経った今でも、桃子は時折夢に見るのだ。


 それは決まって、普段の家族の団欒のワンシーンから始まる。
 夕飯を食べ終え、士郎と恭也はソファーに座ってテレビを眺め、美由希はテーブルでなのはと一緒に談笑している。桃子はそんなみんなのために、お手製のデザートを用意している。
 そして準備を終え、みんなに『はぁーい、みなさんお待ちかね、桃子さんの手作りデザートよ~♪』と配るのだ。
 そうしてみんなに配り終えると、唐突に恭也が問いかける。『母さん、一つ余ってるみたいだけど』と。
 見れば、デザートは自分含めて全員に行きわたっている。なのに、持ってきた盆にはもう一人分、誰のかもわからないデザートが残っているのだ。
 最初、桃子はそれを自分のうっかりだと思う。だがしかし、余ったそれを片付けようとしたところで、末娘のなのはが言うのだ。



『おかあさん、だめだよ』
『どうして? なのは、もう一つ食べたいの?』
『ちがうよ。なのはのじゃなくて、あの子の』
『あの子……?』
 


 なのはの指さす方に振りかえると、そこにはなのはと瓜二つの、〝もう一人のなのは〟が佇んでいる。
 髪を二つのお下げにしているなのはと違って、その子はなのはよりもやや濃いダークブラウンのショートカットで、どことなく恭也と雰囲気が似ている、とても無表情な子だった。
 桃子は気付く。あぁ、そうだった。これは〝この子〟のだったっけ、と。
 慌てて『ご、ごめんなさい! そうだったわよね、もう桃子さんうっかりしすぎだわ』と、静かに佇む〝もう一人のなのは〟にデザートを差し出す。
 だが。



『……どうしたの?』
『……』



 〝もう一人のなのは〟は、ただ静かに首を横に振るだけで、桃子の差し出すデザートを受け取ろうとしなかった。
 最初は存在を忘れていた所為で怒っているのだろうかと、内心おろおろする桃子だったが、次にその子が微笑んで見せた事で、そうではないことを理解する。
 そして、〝もう一人のなのは〟は桃子に対して深々とお辞儀をすると、そのまま一言も呟くことなく踵を返して去っていくのだ。
 慌てて『ま、待って!』と桃子が呼びとめても、〝もう一人のなのは〟は止まらない。
 必死に手を伸ばし、駆け寄ろうとしても、桃子の足はその場に縫い付けられたようにして動かない。
 ついには〝もう一人のなのは〟がその空間からいなくなってしまうと、桃子はその場に頽れ、訳もわからず涙が溢れてくるのだ。
 


『おかあさん、なかないで。おかあさんがなくと、あの子もいっしょにないちゃうよ』



 なのはがそう語りかけてくれても、桃子の涙は止まらない。
 謝罪の言葉だけは決して口にしたくなかった。
 でも、他に〝あの子〟になんと声をかければいいのか思いつかない。
 申し訳なさと、悔しさと、自分への怒りで胸が千切られそうになる。
 だから、桃子は泣くしかなかった。
 情けない母親だ。〝自分の娘〟に声すら掛けられない、謝る事も出来ない自分に、どうしようもなく腹が立つ。
 だが、そんな桃子に、なのははなおも語りかける。



『おかあさん。あの子はおこってなんかいないよ? そうじゃなくて、ありがとうって。ごめんなさいって』



 はっと振り返ると、なのはの顔に〝あの子〟の顔が重なって見えた。
 同時に、なのはが何を言っているのか、はっきりと理解する。
 でも、それでも。
 高町桃子は、末の娘にすがりつくようにして泣くしかなかった。
 〝あの子〟に掛ける言葉は結局見つからず、なのはの言葉にどう答えていいかもわからないまま。
 夢は、いつもそこで終わる。
 

 そんな、他人に話すにはとっても恥ずかしい夢を思いかえしてみて、桃子は自然と笑みを零す。
 あの夢が、果たして桃子の都合のいい解釈なのか、はたまた本当に〝あの子〟からのメッセージなのか、それはわからない。
 だからこそ、こうして時偶ふと一人になると考えてしまうのだ。〝あの子〟の口から、本当の事を聞きたい、と。
 


「――――きゃっ!?」



 当然、そんな風に物思いに耽っていれば、高町家のドジ遺伝子ホルダーこと桃子さんの事である。
 もはやお約束とも言って良いくらい綺麗に砂に足を取られ、しかも砂場の方ではなく波打ち際の方へと体が傾いてしまう。
 気が付いた時にはもはや遅い。
 勢いよく左半身から押し寄せた波にダイブし、盛大にその体を砂と海水でデコレーションする羽目になってしまった。
 


「……うぁっちゃぁ」



 下が砂だったため怪我こそなかったが、しかし海水その他諸々で酷い有様だった。
 慌てて周囲を見渡してみるも、幸いな事に時期外れの平日(ただし夕方近く)という事もあって、この醜態を目撃した人はそう多くない。
 その事に少しだけ安堵しながら、桃子はすぐにその身を起こし、急いでその場から離れようとして――――気付いた。
 


「あら……?」



 砂地に手をついたところで、なにやら硬い物が手のひらに当たっている。
 何かと思って手を退けると、半分砂に埋もれる形で、どこかで見た記憶のある〝青い宝石〟のような石があった。
 桃子はなんとなしにその石を掘り出し、半分海水でべとべとになってしまった服から(無駄とは知りつつも)砂を軽くはたき落としながら立ち上がる。
 そして、その石を指でつまむように持ち、太陽の光にかざしてみると、表面をきらきらと様々な色に輝かせながら、仄かに光を放っていた。
 はて、どこかで見たような……と暫くためつすがめつその石を眺めてみて、桃子は気付く。



「これって、もしかして……」


 
 先月の中頃より、末娘のなのはが関わっていた〝例の石〟ではないか。
 持ち主の願いを捻じ曲げて叶えてしまう、曰くつきの〝危険な魔法石〟とやら。
 もはや名前すら忘れて久しいそれを、まさかこの自分が拾ってしまう事になるなんて。
 運命の皮肉さに苦笑が漏れると同時に、少しだけ――――ほんの少しだけ、悪戯心が芽生える。

 そして、その悪戯心こそがトリガーであった事に、桃子は気付かなかった。

 桃子が我に返った時には、既に遅かった。
 手に持っていた石の、一瞬の発熱と発光。その熱さに驚き、眩さに思わず目を瞑る桃子。
 次第に光が収まり、恐る恐る次に目を開けると。

――――――桃子の目の前に、一人の少女が佇んでいた。

 子供特有の柔らかさを持ちながら、すらりと伸びたしなやかな肢体を清楚な水色のワンピースに包む少女は、調子を確かめるように二、三度左右の手を握ったり開いたりを繰り返している。
 肌は病的からは程遠く、しかし健康的とはやや言い難い、淡い桃色がのった白で、これで麦わら帽子をかぶっていればどこぞのお嬢様という風体だろう。
 年のころは10歳前後――――いや、ちょうど末の娘と同い年くらいだろうか。それにしては纏う雰囲気が泰然としており、歳不相応な大人っぽさを醸し出している。
 それはもしかすると、どこか大人っぽさを感じさせる、風に靡くやや濃い目のブラウンショートのせいでもあるのだろうか。
 だがなによりも、桃子は突如目の前に現れた少女の相貌に、言葉を奪われていた。
 桃子の思考が目まぐるしく走りだす。
 様々な推測と願望が入り乱れ、今すぐにでも目の前の出来事が本当なのか、それとも転んだ拍子で見ている幻覚なのかを確認したくて仕方がない。
 気がつけば、無意識に膝を付いて少女の目線まで下り、ついにはこちらをどこか焦点の定まらない表情で見つめている少女の左頬に触れていた。

 暖かい。
 
 初雪のように滑らかで、しかしじぃんと染みいるような暖かさを持つ頬は、間違いなく〝本物〟だった。
 そっと、二度、三度とそっと頬を撫でると、そんな桃子の手がを、少女の左手が包む。
 見れば、それまでどこか空ろ気だった視線はしっかりと桃子を捉え、次第にその瞳に力強い色を灯していく。
 そして、桃子の右手を掴む左手に、力がこもる。
 桃子は、この次に起こった出来事を――――いや、今この時に起こった出来事を、一生忘れないだろう。
 何度思い描いたかわからない。
 何度思い願ったかわからない。
 九年の歳月の間、この子の存在を忘れた事等片時もなかった。ありえないことを夢想し、それが夢になった時は何故夢なのかと、その度に涙した。
 だからこそ、胸が潰れそうな想いで桃子は祈る。
 
 どうか、どうか夢でありませんように。数日限りの魔法でありませんように……ッ!

 この右手を包む左手の熱が、消えてしまわないように。自身の手を包んでくれる少女の手を握り返しながら、桃子は強く祈る。
 そして、目の前の少女は、そんな桃子の祈りに応えるように、口を開いた。



「―――――痛いです」



 末の娘と全く同じ声で、しかし無表情のまま簡潔にそう呟く少女。
 その声には、どこか憮然とした、あるいは少しだけ不機嫌そうな色が編みこまれていた。
 だが、その声はどこまでも末の娘そっくりで。
 なによりも、夢に出た双子の娘、そのままだった。
 それが嬉しくて、幸せで。
 気がつけば桃子は、その少女の体を力いっぱい、抱きしめていたのであった―――――。



 

 















―――――――五月某日。海鳴海浜公園、水上バス発着場前広場。






 空高く輝く太陽は、春の日差し特有の暖かさを持って海鳴の街を照らし、休日故に海浜公園を行き交う人々は多い。
 週に一度か二度の貴重な活気に満ちた公園は、同時に併設されている水上バスの人入り大きな影響を与えていた。
 本日幾度目かもわからない水上バスが発着場に到着し、その白い船体からわらわらと搭乗していた人々が吐きだされていく。
 それほど大きい水上バスではないので、一度に吐きだされる人数はせいぜいが多くて五〇、少なくとも二〇~三〇人程であるが、普段は閑散としている発着場である事を考えれば、実に珍しい光景と言える。
 とはいえ、その普段を知らない異邦人である彼女にとっては、目の前の光景が全てでしかない。
 今まで見た事も無い景色に秘かに胸を高鳴らせながら、その少女はそっと目を細めて微笑んだ。
 淡いブルーのブラウスにクリーム色のカーディガンに、下は黒のボタンデザインが印象的なキュロットに黒いタイツ。そして小さく控えめながらしっかりとした主張をするリボンのついたショートブーツ。
 そして何よりも、優しく吹き抜ける風に靡く、細くしなやかで砂金のような輝きを放つゴールデンブロンドのツインテールが眩しい。
 すらりと伸びる肢体と纏う儚げな雰囲気も相まって、どこかお忍びで散歩に来た御姫様のような風体だ。
 蔦で拵えた屋根付きベンチに静かに腰掛け、道行く人々を飽きることなく眺めるその少女―――――フェイト・テスタロッサは、鼻腔を吐く生臭い匂いに少しだけ目を見開いた。



「……これが、潮の香り」



 初めて嗅ぐ海の匂いに、フェイトは得も言われぬ感動を覚える。
 海。
 星を覆う水の塊。
 その海から香る匂いがこんなにも生臭いとは。
 


「君は、海を見た事が無いのか?」
「うん……ずっと、庭園にいたから」
「湖は言った事あるけどね。海なんて資料でしか見たことなかったよ」
「……そうか」



 フェイトの隣、ベンチの横に立つ黒髪の少年――クロノが問いかけると、フェイトは短く答え、それを捕捉するように彼女の隣に座る妙齢の女性――アルフが言葉を繋ぐ。
 少し質問を誤ったか、と内心で苦虫を噛みながら、クロノは口を噤んだ。
 同時に、約束の人物が未だ現れない事に苛立ちを募らせる。彼は場を和ませる会話が苦手なのだ。
 
 クロノがフェイトと彼女の使い魔アルフを連れてここにやってきたのには、二つ理由がある。
 一つは、単純にフェイト達に息抜きをさせるため。
 本来であれば重要参考人は本局に連れていくまで軟禁していなければならないのだが、リンディの計らいで特別に(無論、監視や時間制限が付くが)外出許可を出してもらったのだ。
 そしてもう一つが。



「……あ!」
「おー、いたいた!」



 水上バスの発着場とは反対側、公園の入り口方面からこちらへとやってくる一人の少年が、フェイト達の姿を見るなり大きく手を振りながら駆け寄ってくる。
 その姿を認めて、フェイトは顔をほころばせ、アルフはあからさまにしかめっ面を造り、そしてクロノはようやく来たか、と内心で溜息をつく。
 約束の時間より遅れる事十数分。やや額に汗をにじませながら走ってきた少年は、その面立ちに悪戯小僧じみた笑みを浮かべ、後頭部に手を当てながら軽い調子で挨拶した。



「お待たせ―! いやー、わりわり。帰り際に先生にとっつかまってさ」
「どうせ何か問題を起こして怒られたんだろう。約束の日くらい神妙にできないのか君は」
「クロちーひでぇ! これでも本田君、今日はすげぇ真面目に勉学に勤しんだのに!」


 
 聖祥大付属小等部の男子用制服に身を包み、ひょうきんな態度でありながら、どことなく〝演技っぽさ〟を感じさせるこの少年――本田時彦たっての願いであった、というのが二つ目の理由だった。
 フェイトは、相変わらず元気そうな時彦の姿を見て、ほっ、と安堵する。
 先日、彼を含めて今回の事件に関わったみんなで一度集まった事があったが、その時の彼は(何があったのかはわからないが)大分落ち込んでいるように見えたからだ。
 だが、今日の様子を見る限りでは、そういった陰りは何もない。おそらく、自力で問題を解決したのだろう。なんとなく、そう直感できた。
 そうでなくとも、彼がこうして元気な姿を見せてくれるのは、フェイトにとって素直に嬉しい事だった。
 思い返せば、彼との関係はとても特殊なモノだ。
 母のために必死であり続けたフェイトを揺さぶった、初めての人。
 彼女に初めて友達を作るきっかけを与えてくれた人。
 そして何よりも、フェイト以上にフェイトを知る、不思議な人。
 そんな彼が、わざわざフェイトと二人だけで話したい事があると言うのだから、フェイトもそれに応えないわけにはいかなかった。元より、フェイトも彼に聞きたい事はたくさんあったから、渡りに船だったと言える。
 


「フェイトも暫くぶりだな。元気そうで安心安心」
「うん。トキヒコも、元気で良かった」
「……ゴキブリ並みにしぶとそうだもんね、アンタ」
「久方ぶりに再会したってのに、ねーちゃんってば酷い! 俺の心は痛く傷付きました! 訴訟!」
「その前にアンタの骨を噛み砕くよ」
「すみません」



 相変わらず、アルフと時彦の仲は良くない。というか、アルフが一方的に時彦を嫌っている、という感じだろうか。
 以前アルフにその理由を聞いてみた所、なんでも「胡散臭い」とのこと。……確かに。
 ただ、悪い子ではないというのはアルフも認めているらしく、邪険には扱いつつも完全に忌み嫌っている、というワケではないらしい。そのあたりの境界は、フェイトにはよくわからなかった。
 そして久しぶりの再会からくる歓談がある程度落ち着いた頃、二人の遣り取りを傍から眺めていたフェイトに、クロノが静かに告げた。



「それじゃ、僕は暫く向こうにいる。話が終わったら呼んでくれ」
「……はい」
「あ、あたしも。このアホと一緒にいたらアホがうつりそうだからね」
「ねーちゃんホントに酷いね!? 俺の事なんだと思ってるの!?」
「次元破壊未遂者。でもってフェイトを危ない目に遭わせた胡散臭い奴」
「…………」
「まさか、自分がやらかした事を理解してないなんて言やぁしないだろうね?」
「…………………その節は、貴方様の大切なフェイトお嬢様を危険にさらしてしまい、大変申し訳ございませんでしたぁッ!!」
「ってわけだからフェイト。あたしは向こうでこのちびっ子と一緒にいるけど、大丈夫かい?」「おい、誰がチビだ。僕はチビじゃない!」
「うん、大丈夫だよ、アルフ」
「そっか。でもいいかいフェイト、何かあったら容赦なんてするんじゃないよ。バルディッシュも遠慮なくぶっ飛ばしていいからね」
≪Leave it to me≫
「いやー、ねーちゃんは相変わらず心配性だなぁ」
「……いいね小僧、くれぐれもうちのフェイトに変な事するんじゃないよ。もしそんなことしたら……!」ガチガチ(歯を噛みあわせて鳴らす音)
「しませんしません! ただちょっと二人っきりの内緒話するだけなんで変な誤解しないでその立派な犬歯で威嚇しないで!?」
「……フンッ!」



 一度だけ、勢いよく鼻を鳴らしたアルフは、踵を返しながらチビと言われた事に関してブツブツと文句を言っているクロノを引きずるようにして、その場を離れていった。
 途中、クロノの背中を勢いよくぶったたいていたせいで、クロノが思いっきり咽る姿に、時彦はどこか納得いかないような声を漏らした。



「……おかしい。俺の場合だったら軽く数メートル転がる勢いでぶったたかれるのに」
「あ、あはは……アルフも、悪気はないんだよ。その、たぶん」
「……そうだといいけどな」



 「隣、いいか?」と訊ねる時彦に、フェイトはこくりと頷く。
 小さく一つだけ溜息をついて、時彦は勢いよくフェイトの隣へと腰を下ろした。
 そして、暫くの沈黙を経て、時彦は意を決したように深呼吸すると、しかしキレの悪いジャブでフェイトの様子を窺う。 



「……えー、でだ」
「うん?」
「今日わざわざクロちーに大目玉くらってまでお前さんを呼び出した理由なんだが……」
「……うん」



 静かに相槌を返しながら、フェイトは隣に座る少年と自分との間にある、不思議な繋がりについて想いを馳せた。
 出会いは唐突で、かつ不思議なモノだったと思う。
 夜の学校、恐らくは何かしらの理由で夜遅くに来ざるを得ない状況下で、フェイトと時彦は教室の一画で偶然鉢合わせした。
 身に覚えの無い事をあれこれ聞かれ、異様なまでに馴れ馴れしかった彼の事を、フェイトは最初「少し変な男の子」としか認識していなかった。
 けれども、時間が経つにつれて時彦の質問がやけに気にかかるようになり、それから少しずつ興味を覚えていく。
 そして、時彦の告げたあの言葉。



――――〝言っただろ?〟〝お前を、独りになんか絶対にしない〟



 フェイトが覚えている限り、そんな事は言われた事が無い。あの時、あの場所で聞いたのが初めてだ。
 それなのに、フェイトは〝覚えていた〟のだ。いつ、どこでだったかは思い出せずとも、間違いなく誰かにそう言われた事があるのを、記憶ではなく経験として覚えている。
 その奇妙な出来事が、今日こうして再び時彦と会おうと思った、大きな原因となっている。
 もしわかることができるなら、教えてほしい。この奇妙な〝既視感〟は何なのか。そもそも自分と時彦の関係は一体何なのか。
 ……薄々と気付きつつあるその悩みの、答え合わせがしたい、と。



「俺から色々話しても良いんだけどさ……その、いきなり言われてもわけわかんないだろうし、やっぱりお前の方から質問してくれね?」
「……私の方から?」
「おう。あれこれ、お前も聞きたい事あるだろ。今日は出血大サービスで嘘無し百パーセントで答えるよ。その方が、お前にとってもいいはずだ」
「聞きたい、こと」
 


 そう言われて、フェイトは噛みしめるように時彦の言葉を口の中で転がす。
 時彦に言われたように、フェイトは彼に聞きたい事がたくさんあった。それらは全て、彼の用件が終わってから、許されるならといかけたかったものばかり。
 だからこそ、こうしてフェイトから質問するようにしてくれた事は僥倖で、同時に〝事実〟を知る事に対して、前もって心の準備が出来る。
 少しだけ逡巡と選別をし、そしてフェイトは意を決して、その最も大きかった疑問を問いかけた。

 

「――――私は、トキヒコと昔、会った事があるの?」
「……ある」
「やっぱり、そうなんだ……」



 満足できる答えが帰ってきて、フェイトは心から安堵した。
 もし違ったらどうしよう、と今までもやもやとしていた悩みだけに、それが晴れた安堵憾はひとしおであった。
 フェイトが時彦とかつて会った事があるように感じていたのは、初めて出会った時の事に加えて、今までの時彦の言動が遠因となっている。
 そして、それらの言動に不思議と違和感を覚えなかった事と、自分でも不思議なくらいに〝自分と時彦がかつて知り合いだったならば〟という仮定をすんなりと受け入れられた事が、フェイトにほぼ確信に近いものを抱かせていた。
 ただ、それはあくまで自分の中だけで完結した推測であり、事実ではなかった。それがこうして間違いでないと分かった事が、なによりも安堵できる。
 ともすれば、もう他に聞きたい事はないと言って良いほどに、その答えこそが欲しかった。
 そんなフェイトの様子を見て、時彦もまた想う所があったのだろう。
 やや乱暴に髪を掻きむしると、それから少し言い辛そうに捕捉を付け加える。



「正確に言えば、この〝時間〟じゃないけどな」
「……〝時間〟?」
「ああ。ぶっちゃけると、〝前世〟での話なんですねー、これが」
「………………え?」


 
 なははー、と少しだけ冗談めかしつつ言ってのける時彦。そこに少しだけやるせなさとやり場のない憤りを感じたのはフェイトの期の所為なのか。
 しかしどちらにしろ、フェイトは突然、彼が何を言っているのか理解できなくなった。
 いや、言っている言葉の意味は分かる。そうではなく、彼が意図しているところが理解できないのだ。
 ここにきて彼お得意の冗談?
 いやしかし、最初に嘘偽り無しに答えると言っているし、まさかここにきて約束を反故にするような人間ではない事は、フェイトもよく知っている。
 では、その言葉通りの意味だと言うのだろうか?
 いやいや、それこそ可笑しい。〝前世〟ってあの〝前世〟だよね? そんなおとぎ話みたいな。



「まてまてこら、その目だけで〝うわ何この人頭大丈夫かしら〟みたいな困惑と心配を訴えるな」
「あ、ご、ごめんなさい……別にそういうつもりじゃ……」
「……気持ちは痛いほどわかるから謝らなくても良いよ。つーかお前からそんな普通の反応が返ってきた事に俺は酷い違和感を感じる」



 何か今さらりと、とても失礼な事を言われた気がしてむっとするフェイトだったが、しかし別に怒るべき所等無い事に気付いて内心で首を傾げた。
 


「まぁ、俺とお前の関係ってのは、そんくらい出鱈目な前提を基にしてるってこと。そもそも、俺だってなにがどうなってこんなことになってるのかさっぱり見当つかないしな」
「……嘘だとは思わないよ。でも、その……ちょっと、ぴんとこなくて」
「そりゃーなぁー……よっぽど完成ぶっ飛んでるか厨二病最盛期でもなけりゃ誰だって首かしげる話だよ、コレ」



 そして、時彦は一つ大きく溜息をついて、



「でもさ、おかげで俺はもう一度お前に会えた。それだけで、前世とかなんのかんのはどうでもいいんだ。本当に、十分なんだよ」



 そう言ってフェイトの方に振り向き、少年は無邪気に屈託ない笑みを浮かべた。
 子供っぽいくせに、しかしどこか大人びた諦観をも含んだ、複雑な笑み。
 けれども、そこには暗い感情は一切なく、純粋にフェイトと再び会えた事に対する喜びが浮かんでいる。
 知らずと、フェイトは自身の鼓動が高鳴るのを感じて、我慢できずに顔を逸らして俯いてしまった。
 軽い動揺の中で、今のは失礼だったのでは、謝るべきだろうか? いやでも、何故かそれは恥ずかしい気がする。なら話題を変えるべきだ、そう話題を……!
 そこまで思考を目まぐるしく走らせて、ふとフェイトは大切な質問がまだ残っていた事に気付いた。
 別に、先程の答えを貰った時点で、フェイトが時彦に聞きたい質問はほとんどなかったのだが、よくよく考えて見ればもう一つ……それこそ、自分の個人的な興味と好奇心による質問が一つだけ、あった。



「あの、トキヒコ!」
「はい、なんでしょう!」



 やたらと元気のいい返事に少し面喰ったフェイトだが、意を決して質問する。



「えと……その、わ、私とトキヒコって……ど、ど」
「ドドリア? ザ―ボン? ギニュー?」
「ち、ちが――――」
「あー、すみません、余計な茶々入れましただからそんなあわあわ動揺するな罪悪感がキリキリと俺の胃を痛めつける」
「……トキヒコ?」
「はい。失礼しました。どうぞ先を続けてください」


 
 平身低頭で謝る時彦の態度に全くもって誠意を感じないのだが、しかしフェイトはそれ以上気にしなかった。
 だが、おかげで妙な緊張がほぐれた。別に変な事を聞こうとしていたわけでもなし。うん、そう、全然変な事じゃない。だから大丈夫。
 内心でそんな風に自分に言い聞かせて、でもやっぱりどこか照れを残したまま、フェイトは改めて問いかける。


 
「……私とトキヒコって、その――――どういう、関係だったの?」
「――――ま、気になるよなぁ」



 なっはっはー、と力なくわざとらしい笑みを浮かべながら、時彦は頭を掻く。
 その様子を見て、やっぱり聞いちゃまずい事だったのかなとフェイトは後悔するが、今さら撤回するつもりも無い。
 そもそも、その心配は杞憂だった。



「ほんとはさ、今日はその事を話しに来たんだけど、ぶっちゃけ言って良いかどうか判断が付かなくて、迷ってたんだよ」
「……どうして?」
「……知らない方がよかった、ってこともあるだろ?」



 突然空気が切り替わった時彦の言葉に、フェイトは不意をつかれた。
 今までのお気楽で楽天的な様子は何処にもない。それは、あまりにも不自然な大人びた姿。
 口にした言葉は鉛のように重く、冷たく、フェイトの心にのしかかる。
 


「そういう経験は俺もしてるし、お前も経験したばかりだろ。だから、何も〝事実〟は知っておくべきとは限らない、って思ったら……その、迷った」
「そっか……ふふ」



 だが、対称的にその言葉に込められた暖かさを知って、フェイトは顔をほころばせた。
 


「……あの、フェイトさん? なんでここで笑っていらっしゃるんでしょうか。あ、もしや俺今なんか面白い事言っちゃったり? ひゃっほい!」



 勘違いした末に何故か激しく喜び踊り始めた時彦を内心で可笑しく思いつつも、フェイトは「そうじゃなくてね」と首を振る。



「トキヒコは、優しいなって思ったから」
「……はい? どゆこと?」
「だって、心配してくれたんだよね? その、私が母さんからクローンだって聞かされた時の事、考えて」
「あー……まぁ、考慮の一つではありましたね」
「だから、優しいなって思ったの」
「……うん?」



 腕を組んでさらに首を45度横に傾けながらも、意味がわからないと言った様子で悩んでいるトキヒコ。だが、そんな彼らしい反応が、フェイトは嬉しかった。
 だから、それ以上説明はしない。



「大丈夫だよ、トキヒコ。どんな形だったとしても、私は大丈夫」
「……聞いてて楽しい話でもねぇぞ?」
「それでもいいの。だって、私の話なんだよね?」
「……後悔しても知らんからな」
「ふふ、しないよ、そんなこと」



 なおも食い下がるフェイトに、遂に諦めが付いたのだろう。時彦は一度深く溜息をつくと、「……ったく、そういう強情な所はしっかり残ってるのな」と呟きいてがりがりと頭を掻きながらそっぽを向き、ぽつぽつと語り始めた。



「……こういう話がある。とある母子家庭に、双子の娘がいた。でも、母が愛していたのは姉の方だけで、妹はまるで存在すらしていないかのように扱われていた」
「……それが、私?」



 フェイトの質問には答えず、敢えて無視する形で、時彦は話を続けた。



「……妹は、それでも優しくしてくれる姉に支えられながら健気に生きて……でも、ある日その姉すらも死んだ。妹は、姉の葬式にすら出る事を許されず、一枚のカードと鞄一つに収まる私物を持って、家を追い出された」



 ゆっくりと、全てを初めから思い返しながら、しかしどこか他人事のように訥々と語り始める時彦。フェイトは、それ以上質問をすることをやめて、静かに話しに聞きいる事にした。
 時彦と双子の妹との出会い。
 双子の妹の背景。
 時彦と双子の妹が過ごした日々。
 それらを要点だけ抑えながら、酷く簡潔に、あっさりと。
 そうしないと、その過去に自分が呑みこまれそうだとでも言うかのように。
 特に、ようやく母に愛されるかもしれないと思った矢先に裏切られた双子の妹、結局は死んだ姉の代用品としてしか見られなかった双子の妹、ついには母と絶縁を決意した双子の妹。それらのエピソードを語る時の時彦は、フェイトが見ていて辛くなるほど、わざとらしく明るかった。
 時彦の口ぶりからして、以前の自分―――双子の妹との絆は相当に深かった事が推し量れるだけに、それでもなんでもない、他人事のように語り続ける時彦の胸中を想って、フェイトは胸が詰まる。
 それでも「もういい」と言わなかったのは、それこそ時彦に失礼だと思ったからだ。
 どんな話でも覚悟していると言ったのは自分で、それを了承してくれたからこそ、時彦はこうして話してくれている。
 ならば、最後まで黙って話を聞くのが、今の自分の役割だと、そう言い聞かせながら。
 話は、佳境を迎えていた。



「結局、双子の妹さんは母上様に絶縁状叩きつけてお金を巻き上げた後、連れのヤロウを引きつれて散歩してたわけだ」
「……お金の件は時彦がそそのかしたんでしょ?」
「……ぼくよくわかんない」
「時彦?」
「はい、そうです、すみません。僕がそそのかしました」
「やっぱり」
「だってさー! そうでもしないといくらなんでも不憫過ぎるじゃねぇか。相手は自分の娘を塵芥かせいぜい利用できる道具ぐらいにしか見てなかったんだぜ? ならせめて金むしり取るくらいはしてやんねぇと俺の気が済まなかったんだよ」
「もう……それで?」
「……まぁ、んな事があった後、元気なワケないよな。そういうフリをしてるのはみえみえだったし、いつも以上に強がりにキレが無かったのは確かだ。おまけに、珍しく夕陽の土手に座りこんで愚痴るなんて、意識しないで厨二病やらかすもんだからびっくりだわよ」



 なんとなく、時彦の述べる情景がフェイトの脳裏に簡単に蘇る。
 仮に時彦の言う双子の妹のような性格だったとして、自分をその立場に置き換えて考えて見ると、ちょっとだけ違和感を感じたが、ちょっぴりだけ共感できるモノがある。実際、先日の一件では心神喪失に陥った程だったことを思えば、むしろ気丈と言えるだろう。
 だからこそ、本当にその子と自分は同一人物なのかと疑いもするが……些細な事だと考えるのをやめた。
 それよりも、それから続いている時彦の言葉の方に、フェイトは意識を持って行かれる。



「――――だから、寂しそうなそいつに向かって、お人好しのバカは言った。〝お前を、独りになんか絶対にしない〟って」



 続けて、彼はこうも言った。あの時の事は、決して忘れない、と。
 夕陽の沈む黄昏。
 少しだけ鼻を突く血の匂い。
 とても弱々しかった、あの背中。
 返ってきた返事は〝どうせいつもの口約束だろ! 期待なんかしてないからな!〟なんていう、実に酷いモノだったこと。
 でも、そんな事を言いながら、時彦曰く双子の妹は笑っていたらしい。時彦が一番好きな、無垢で無邪気な笑顔を浮かべながら。
 


「でも、結局約束は果たせなかった」



 締めくくるようにそう結ぶ時彦の言葉に、力はなかった。
 終わりは呆気ない。
 そもそも、明確な終わりがあったのかどうかすら定かじゃない、と彼は言う。
 自分が死んだ時の事なんて良く覚えてないし、そもそも双子の妹がどう死んだのかさえ、彼にはわからないらしい。当の本人ですらそれを覚えていない以上、双子の妹が遂げた今際の際を知る手段は皆無だった。
 そして気がつけば、〝二回目〟が始まっていた。
 現実はドラマや小説のようにうまくできてなどいない。でも、こうして奇妙な運命を通じて、再び巡りあう事が出来たのは、決してまぐれやたまたまなんかじゃないと俺は思う。そう、彼は力強く述べ、続けてこう言った。



―――――〝なら、俺がお前を幸せにしてやる〟
 
 
 
 その約束を果たせなかったのは、とても悔しい、と。



「やっぱ、お前の言うとおりだったよ。口ばっかりだな、俺」
「……」
「すげぇ自分勝手だけど…………でも、やっぱり謝らせてくれ。ごめん、〝シルフィ〟」



 ようやく、絞りに絞って染みだしてきた、それが彼の懺悔だった。
 〝フェイト〟ではなく、〝双子の妹〟に対する謝罪であるのが、彼の心情の何よりの表れだろう。
 彼はずっと謝りたかったのだろう、とフェイトは推し量る。
 約束を果たせなかった事を、何より悔いていたのだろう。
 だけど、この九年間、彼はその事を誰に話せるわけでもなく、誰かに打ち明ける事が出来るわけでもなく、ただひたすら、己の心にしまい続けていたのだ。
 謝りたくても謝れない。そもそも、そういう感情を持つことすら失礼なのではないか。だけど、決して忘れる事はできない。そんな事をすれば自分で自分が許せなくなる。
 赦しを乞えぬ罪悪感ほど辛い物はない。それが許されぬ罪とは言わないが、彼の中ではきっと、約束を破った事こそが、そもそも許されぬ事だったのかもしれない。
 そう思えば思うほど、フェイトは胸に熱い物がこみ上げてくる。
 身に覚えのある物、そうでない物。様々な感情がごた混ぜになって、圧縮され、指向化されて、それでもなお最後に残ったのは、たったひとつの結論だった。



「――――ううん。トキヒコは、ちゃんと約束、守ったよ」



 そっと、フェイトは隣に座る少年に手を伸ばし、つい最近感じたあの温もりを握りしめた。
 驚いたように、時彦が顔を上げ、フェイトを見た。
 やや釣り目で、ともすれば怖い印象を与えそうな黒目に、柔和に微笑む金髪の少女が移りこむ。
 彼に伝えたい事は数多くある。
 でも、そのどれよりも、フェイトはただ一つの事を、彼に伝えたかった。



「そっか……〝シルフィ〟っていうんだ、私の名前」
「……あぁ。もうこの世界で、俺しか知らない、お前の本当の名前だ」
「なんか、変だね」



 えへへ、とはにかみながら、フェイトは言う。



「本当はね、私もよくわからないんだ。自分が誰なのか、本当は誰なのか。私は本当に私なのか。全部が全部嘘で、今ある私はただの張りぼてなんじゃないか、って」
「……」
「でも、これだけは――――この暖かさだけは、識ってる。覚えてる。こうやって、トキヒコの手を握ると、いつもざわざわする心が、嘘みたいに静かになるの」



 ゆっくり目を閉じて、まるで潮騒に耳を傾けるように、フェイトは静かに続けた。



「いつも、いつも思ってた……〝母さんのために頑張らないと〟〝母さんのために強くならないと〟って。何をしていても、どんな時でも、ずっとそんな心の声が聞こえてた。でもね、あの日――――夜の学校で、トキヒコに抱き締められた時、初めてそれが聞こえなかったんだ」



 フェイトが言っているのは、あの〝怪談騒ぎ〟があった時の事だ。時彦と初めてであった、夜の校舎での出来事。
 抱きしめられたと言うのは不慮の事故だし、その後も気が動転してかなり失礼な事をしでかした記憶があるが、そもそも動転した理由を考えれば、納得がいく。 
 今まで自分にのしかかっていたプレッシャーがさっぱりと消え失せて、フェイトは平静さを失っていた。
 人は、〝無知〟こそを恐れる。理解できない事に遭遇した時、それを理解しようと努めるようとする余り、その多くが冷静さを欠く一因となってしまうほどに。
 フェイトのソレは、特に長く続いた。校舎を去り、街に用意した拠点に戻った後も、布団にもぐって目を閉じても、何をしていても。翌朝まで、その疑念はフェイトにまとわり続けた。



「とても不思議だったんだ。どうして、トキヒコに触れていると、あんなにも心が静かになったんだろうって。そんなの、今までなかった事だから。何も聞こえなくて、心が静かになって、すごく眠くなって――――ずっと、ずっとこうしていたいって、思った」



 それは、母とアルフ、そして乳母でもありよい教師でもあったリニスしか知らなかったフェイトにとって、生まれて初めて覚えた他者への関心。
 初めて抱いた好奇心に幾度となく戸惑い続け、その好奇心は、今日やっと氷解した。
 思えば、その興味、関心、好奇心があったからこそ、今のフェイトが此処にいる。
 そして、その原点こそは、目の前の少年なのだ。
 初めて会った気がしない不思議な少年。何故か誰よりもよく自分を知っていて、不思議なまでに自分を気遣ってくれていた彼に抱き続けていた、正体不明の安心感の理由が、ここにきようやくフェイトは理解できた。



「でも、やっとわかった。それは、トキヒコが私を識っていてくれたからなんだ」



 たった一人の、〝フェイト/シルフィ〟という人間が存在した事を知る存在。それこそが、フェイトが時彦に覚えていた正体不明の安心感の理由だったのだ。 
 今までの自分が偽物だった事を知り、母にすら見捨てられたフェイトにとって、〝本物の自分〟を知ってくれている人間がどれほど嬉しいか、時彦はきっとわからないだろう。
 こんな自分を友達と言ってくれる稀有な少女達には、もちろん感謝で一杯だが、この感情はそれとはまるで別のものだ。
 言うなれば、アルフやリニス、そして母に抱いていた感情のソレで――――つまるところ、他人とは思えない。
 気がつけば、フェイトは意識せずとも微笑んでいた。
 そして、極々自然に、感謝の言葉を口にする。



「――――ありがとう、トキヒコ。こんな私を、覚えてくれていて」
「おう、感謝しとけよ!」



 にひひ、と悪戯小僧そのままな笑みで答える時彦の笑顔が、見ていてとても心地よい。
 見た事の無い、記憶にも無い少年の笑顔が、なぜかとても懐かしく思える。
 できるならば、こんな彼と初めてできた友達がいる輪の中に、自分も入りたい。
 その願いが叶うなら、なんだってしようと思う。
 誰かが自分を知っていて、誰かが自分を見てくれる。手を差し出せば握り返され、名前を呼べば名前を呼び返してくれる。
 ささやかだが、フェイトにとってはこれ以上ない幸せだ。
 こんな幸せの中で生きていけるのならば、これから先もずっと頑張れる。たくさんの事を見て、たくさんの事を知って、与えられたこの命を誰にも恥じることなく生き抜きたい。フェイトは掛け値なしに、そう思った。
 今こうしてこの場にいるだけでも、自分にとっては過ぎた幸せなのだから。
 一方で、これまで願い続けてきた母の幸せを見る事が叶わないのは、やはり悲しかった。
 あんな危険な方法を用いてまで、亡くした娘/アリシアとの時間を取り戻そうとした母は、結局あの光の中に姿を消してから見つかっていない。
 クロノ達の話では、次元の狭間に落ちたか、あるいはJSの発動の影響で存在ごとこの世界から消えたか、という話だが――――どちらにしても、真実はあの光の中にしかない。そして、その光の中を覗く事が出来ないフェイト達にとって、それは永遠の謎であり、永久に叶う事の無い夢である事を意味する。そう、思っていた。



「――――フェイト」
「え、あ、ごめん。なに?」



 突然、真剣な声音で呼びかけられて、フェイトは慌てて我に帰る。
 見ると、時彦が真剣と言うよりも剣呑な表情で、水上バスの発着場の方を睨みつけていた。
 つられるようにしてフェイトも彼の視線を追いかけ―――――絶句する。



「―――――――かあ、さん?」



 腰まで伸びた艶やかな黒髪と、上品で清楚さを感じさせつつ、どこか瀟洒さも窺わせるワンピースに、シンプルなブローチとストールで着飾る妙齢の女性は、左手に日傘を持ち、右手で娘と思われる少女の手を握っている。
 時彦とフェイトが驚いたのは、その女性の容姿だけではない。
 風に棚引く度に、砂金のようにきめ細かく煌めく長い金髪。くりっとした丸い瞳は海のように青いアクアマリン。
 物静かなフェイトとは対照的に秒を刻むごとにころころと表情を変え、薄手のワンピースをひらひらと躍動させるほど、全身を使って何事かを傍に立つ母にしきりに語りかけている。
 フェイトは、そんな二人の姿に暫し心を奪われる。
 そこには、フェイトの記憶深く――ソレは仮初めのものだったが――に刻まれた原風景が広がっていた。
 微笑む母。甘える自分。在りし日の――――あるいは、親娘で夢見た幸せな風景。
 真実を知った今、それがただの幻想であり、幻想であったからこそ、母が命を賭してまで欲した物であったことを理解している。だから、フェイトは言葉を失ったのだ。
 目の前のコレは、その再現に他ならない。 
 あの日、母が躊躇なく命を賭け、時彦が危険を顧みずに助力してさえも叶わなかった、誰もが夢見た幸せな未来が今、フェイトの前に存在する。
 気がつけば、フェイトはベンチから立ちあがって走りだしていた。



「フェイト!?」


 
 時彦の驚きの声すら置き去りにして、フェイトは全速力でふたりの親娘の元へと走る。
 何かの間違いだ。バカな事はしないで。
 母さんだ。母さんが、笑ってる。母さんとアリシアが、そこにいる!
 走りだす直前まで繰り広げられたコンマ数秒の理性と衝動のせめぎ合いを制したのは、言うまでも無く衝動だった。
 


「――――あのッ!」
「……はい?」



 手が震えるほど緊張しているくせに、自分でも驚く程悩むことなく声をかけたフェイトに対し、親娘は怪訝な表情で呼びかけに応えた。
 その反応に、フェイトは息を呑む。
 二人の反応は、突如見知らぬ人に声をかけられたソレそのものだった。
 確かに、母の方は自分を見るなり目を丸くしたが、それでも反応は知人に対するソレではない。むしろ、珍しい物を見た、とでも言いたげな好奇心と驚きのソレだ。
 もしかして、私の事が……わからない?
 そんなの当り前だろう、という理性の反論が聞こえるが、敢えて無視。それよりも、思考は冷静に今確認しなければならない事を列挙し、心の焦りを押しのけてその疑念を口にする。



「お、お名前を!」
「名前?」
「お二人のお名前を、お聞きしても……いい、でしょうか」



 最初の勢いは、語尾になるにつれてしおしおとしぼんでいく。
 最後には今自分がどんな事をしでかしているのかをじわじわと実感して、ほとんど蚊の泣くような声になってしまった。
 そんなフェイト――――突如現れた闖入者に、二人の親娘は互いに顔を見合わせる。
 二人が交わす一瞬のアイコンタクトが、フェイトには数時間のような長い時間に感じられた。
 幸いにも、二人の親娘はフェイトを不審者扱いして避ける事も無く、少しだけ戸惑いがちではあったが、律儀にもフェイトの質問に応える事にしてくれたらしい。
 まだ戸惑いの残る娘の代わりに、女性はフェイトと向き合いながら姿勢を正して答える。



「プレシアよ。プレシア・ベルリネッタ」
「プレ……シアさん」
「ええ。初めまして。えぇと……?」
「あ、す、すみません。私、フェイトと言います。フェイト・テスタロッサです」
「そう……フェイトさんとおっしゃるの」



 先に名を名乗る非礼を詫びつつ、わたわたと顔を真っ赤にしながら答えるフェイトを、プレシアと名乗った女性は微笑ましそうに見つめていた。
 その視線が何を意味するのかフェイトは良くわからなかったが、悪い感情から来ているものではない事はわかった。
 それよりも、フェイトは目の前の女性の正体がより一層分からなくなった事で、例え様の無い戸惑いに襲われていた。 
 名前は同じ、でも性は異なる、自分の母と瓜二つの女性。
 口ぶりからしてフェイトの事は知らず、あまつさえ初対面である事を感じさせ、しかし纏う雰囲気はフェイトの記憶に残るかつての優しい母のそれと同じものだ。
 これは、一体どういうことなのだろう。
 ここが次元の異なる世界とは言え、同一人物は存在しないのが通説だ。その例外が所謂二重存在/ドッペルゲンガーと呼ばれるものだが、であるならば今フェイトの目の前にいる人間は、フェイトを知っていなければならない。
 演技である可能性も捨てきれないが、仮にこの人物がテスタロッサのプレシアであるならば、反応が薄過ぎる。というより、ほとんど皆無だ。
 せいぜい、その傍らに立つ少女とフェイトが余りにも瓜二つであることに驚いた程度で、反応と言えばそれぐらいである。
 なにより、今こうしてフェイトに向かって柔和な微笑みを浮かべている事自体が、フェイトにとって彼女がテスタロッサの人間でないことの証左と言えた。
 内心で目まぐるしい推測を繰り広げ、そのせいで黙りこくったフェイトを訝しむプレシア。そしてふと気付いたように隣の少女を見ると「ほら、アリシア」と、終始黙っていた少女へと声をかけた。
 それを受けて、フェイトとは目の色以外に違いの無い少女が、慌てたように背筋を伸ばす。そして、声すらもフェイトと瓜二つであった少女は、元の調子を取り戻したように元気に挨拶をした。



「初めまして、フェイト! 私、アリシアっていいます!」
「――――ッ!?」



 よろしくね、と小首を傾げながら微笑む少女に、フェイトは何度目かもわからない絶句を覚えた。
 アリシアと名乗った少女は、ともすればフェイトの双子と呼ばれてもなんら違和感がない。
 違いと言えば前述したような目の色と服のみで、あとはせいぜい纏う雰囲気程度だ。
 フェイトが静ならば、アリシアと名乗った少女は動と言える。じっとしているだけでも躍動感を感じ、所作一つ一つが見る者を楽しませる、太陽のような少女だ。
 どうしよう、何を聞けばいいのだろう。
 ここにきて、フェイトは混乱する。
 そもそも、何故自分はこの二人に声をかけようとしたのだろうか。今は行方不明となっていた母だと思ったから? この二人の中に、自分も入れるかもしれないと勘違いしたから?
 今やフェイトの胸中を満たすのは後悔だけだった。衝動に身を任せ、ありもしない奇跡を期待した末にこれでは、まるで道化でしかない。
 自嘲と後悔ばかりが吹き荒れ、フェイトはそれ以上二人を見るのに耐えられず面を伏せた。次いで、鼻を突く痛みが目頭を熱く襲う。
 ほんと、私はバカだ。勝手に思い込んで、勝手に期待して……なんにも変わってない。
 大人しく遠くから見ていればよかったのだ。それを、こんな考えなしの行動に及んだばかりに――――。
 乗り越えたと思っていて、ふっきれたと思っていたのはただの勘違いだったのだ。本当は、こんなにも未練たらたらで、少しでも可能性があれば藁にもすがりたい思いで一杯の、諦めも受け入れもできていない、表面すらも取り繕えずにいる小娘でしかない。
 改めて自覚すると、あまりの自分の愚かさ加減に目尻に溜まる涙をこらえる事が出来そうになかった。
 そして、溜まりきった涙が滴りそうになった、その時。



「すみません、こいつちっとワケありでして」
「――――っ、トキヒコ?」
「あら、あなたは……?」
「コイツの友人で、本田時彦って言います。すみません、いきなり割り込んじゃって」

 
  
 突然頭の上に手を載せられ、誰かと思い見上げれば、それは時彦だった。 
 いつもの人の良さそうな、そしてどことなく悪戯小僧らしい笑みを浮かべながら、プレシアも驚く丁寧な物腰で挨拶をしている。
 どうして、と視線に込めて見つめると、時彦は一瞬だけにっかと笑った。
 恐らく、それは〝俺に任せろ〟という意味だったのだろう。そう汲み取ったフェイトは、大人しく時彦が話すまま、場の流れを託す事にした。



「えっと、プレシアさん、とアリシアさん、ですよね。……外人さんですか?」
「ええ。先日この町に仕事の関係で引っ越してきて」
「今日はおかあさんとお散歩なの。いいでしょー!」
「もう、この子ったら」



 心底嬉しいのだろう。見せつけるように母の手にすがりつきながら、アリシアは満面の笑みを浮かべる。
 それを見て、フェイトは少しだけ、胸が詰まるような気がした。
 苦しくならなかったのは、そんなフェイトの機微を感じ取って、もう一度頭をぽんぽんと撫でてくれた時彦のおかげだ。
 そして、時彦はにこやかに話を続ける。
 


「異動ってやつですね。じゃぁ、海外に住んでたんですか?」
「そうよ。イタリアのフィレンツェから来たのだけれど……わかるかしら?」
「ふふん、バカにしてもらっちゃぁ困りますぜ。あれですよね、長靴の半島にあるメディチ家とレオナルド・ダ・ヴィンチ!」



 ふふん、とドヤ顔でプレシアを見つめ返すプレシア。少しだけ、プレシアは驚きに目を見開き、素直に時彦を褒める。



「あら、意外と物知りなのね、坊や」
「ミケランジェロやラファエロも活躍したよ。芸術の街なんだから!」
「アリシア、わざわざ対抗しなくていいの」
「ミケランジェロ……えーと、ダビデ像の人か!」
「……本当に物知りね。どこでそういうのを?」
「いやー、母が造形家なんつー職業をやってまして。家に転がってる本とか読んでたら自然と」
「そう、いいお母さんね」
「私のおかあさんはもっと良いおかあさんだよ!」



 そういった世間話を程なく交え、お互いの間にそこそこ打ち解けた雰囲気が漂い始めた頃。
 その間、フェイトはただ沈黙して話に聞き入るしかできずにいたが、時彦がタイミング良く本題を持ちだした事で、意識が会話の中へと入っていく。



「それにしても、アリシアとフェイト、すごい似てるよな」
「え、えっ!? わ、私!?」
「……そうね。私もそう思うわ。似てると言うよりも、瓜二つ」
「えへへー、こうやって並ぶと双子みたい?」
「おぉうマジだ……ほんと見分けつかんわ」
「ほんとに!? やったね、フェイト!」
「う、うん……そう、だね」



 既に、アリシアのフェイトと時彦に対する警戒は解けていた。
 少なくとも、二人を呼び捨てで呼ぶほどフランクに接し、自分と瓜二つであるフェイトを気味悪がる事も無く、むしろその特徴が嬉しくてたまらないという様子を、先程からフェイトにくっついたり抱きついたりと、体全体で表現している。
 一方で、プレシアの方はそう簡単ではない様子だった。
 恐る恐るフェイトが見れば、プレシアは確かに微笑んではいるものの、しかしフェイトを見る視線には間違いなく、拭いようの無い疑念が込められている。
 それがどういった意味合いの物であるのか――――フェイトは今すぐにでも確認したかったが、恐怖がその勇気を押しつぶして邪魔をする。
 聞こうか聞くまいか、いややはり止めておこう。そう思考をまとめて、アリシアに力一杯抱きしめられながら愛想笑いを浮かべるフェイト。しかし、傍らに立つ少年は、そんなフェイトの考えを読んだかのように、ど直球な質問をブン投げた。



「お二人は喜んでるみたいですが……やっぱ、お母さんとしては気になります?」
「……そうね。失礼だけど、フェイトさん。貴方のご両親は?」
「え――――」



 ついに疑念を隠す事もせず、それどころか腕組をしてじっと自分を見つめるプレシアの問いに、フェイトはどう答えたものかとうろたえた。
 まさか「目の前にいる貴方です」とは答えられよう筈もなく、かといってバカ正直に事の顛末を話せるわけでもない。
 ではどう話したらいいだろうと頭をひねり、結局出てきたのは、



「その、事故に遭って、まだ行方不明で……」



 そんな、嘘ではない、しかし大半の事情を隠しているぼやけたものだった。
 だが、聡明なプレシアはそれだけでフェイトの事情を――勝手に想像して――察してくれたらしい。 
 まずい事を聞いてしまったと、口を手で覆いながら割と大げさに腰を曲げて謝罪までしてくれた。



「ご、ごめんなさい。嫌な事を聞いてしまったわね」
「いえ! それは、平気です、大丈夫ですから! ただ、その……貴方が、とても母さんと似ていらっしゃったので……」
「おかあさんを、フェイトのおかあさんかと思ったの?」
「……うん」
「そう……そういうことだったの」



 プレシアなりに、先程のフェイトの突然の行動の納得がいったのだろう。何度か頷きながら、沈痛な面持ちで相変わらず顔を俯かせたままのフェイトを見やる。
 無論、プレシアの視線を感じているフェイトは、やはりどうすればいいかわからず、今度は押し黙る他なかった。
 そんなフェイトを、アリシアは心から共感したように力強く抱きしめた。 



「そっか、フェイト、寂しいんだね。わかるよ、私も。おかあさんがいないと、すごく寂しいもの」



 ぎゅっと、服に皺が出来るほど強く抱きしめながら、アリシアは独白するように言った。
 プレシアが少しだけ表情を歪めているのを見て、時彦はこの二人の間にも、それなりの擦れ違いがあったのだろう、と想像した。
 そして、フェイトはアリシアの言葉に、今度こそ理解と納得を得る。この二人は―――――〝違う〟のだと。 
 どれだけ姿形が似ていようとも、ここにいるのはフェイトの識っている二人ではない。ましてや、フェイトを識っている二人でもない。この世界の、この星での、この次元での二人なのだ。
 そう思い至った瞬間、ついにフェイトは我慢する事が出来ず、涙を流した。
 戦いが終わって、光を最後に見てから目覚めた後、母が行方不明であると聞かされた時も。こんな自分を友達と言ってくれた彼女達と再会できた時も。真実を知った時も流す事がなかった涙を。
 静かに、嗚咽を必死に噛み殺しながら、それまで耐えていた反動のように涙があふれる。
 そう――――もういないのだ。フェイトの母も。フェイトの本当の姉も。
 リニスがいなくなった時と同じだ、とフェイトは思い出した。あの時も、アルフは敢えて、「あたしは、ずっとフェイトの傍にいるからね」と言ってくれた。そして、今回も。
 その意図するところに気が付かなかったわけではない。気付いていながら、今の今まで敢えて目をそむけていたのだ。〝まだ、見つかるかもしれない〟という淡い幻想を持って。
 その幻想/夢も、今日で終わった。いや、醒めたのだ。
 フェイトが静かに涙を流す間、アリシアはずっとフェイトを抱きしめていた。
 時折頭を撫で、その頬をすりつけながら。フェイトは、そんなアリシアに遠慮することなく抱きつき、気のすむまで涙を流した。
 傍から見ると、それは本当の姉妹のようで、まるで今まで生き別れだった二人が再会したような、そんな一場面にすら見えた。
 二人が抱き合って、どれほどの時間が経っただろうか。実際はそんなに長い間では無かったかもしれない。でも、その場にいた誰もが、言葉には表しがたい、濃密な時間の流れを感じた。
 ようやく泣きやんだフェイトは、今までの自分の痴態を自覚し、慌ててアリシアから離れる。  
 


「……ご、ごめんなさい!」
「ん、平気だよ。それより、もう大丈夫?」
「――――うん。大丈夫。ありがとう、アリシア」
「えへへ、どういたしまして。でも、不思議だね。今日初めて会ったばかりなのに、私、フェイトの事他人に思えない」
「……私も。やっと、お姉さんに会えた感じがする」
「ほんと! それじゃ、フェイトは私の妹だね♪」



 にっこりと、ヒマワリが咲くような満面の笑みで、アリシアはフェイトの両手を取りながら喜ぶ。フェイトも、百合のように控えめであったが、それでも無垢な笑顔を見せて応えた。
 


「それじゃ、お姉さんから妹にプレゼントをあげるね!」
「プレゼント?」
「うん。拾い物だけど、すっごく綺麗なの。きっとフェイトも気に入ってくれるよ!」



 きょとんとするフェイトに構わず、アリシアはごそごそとスカートのポケットを漁りだす。しばらくそうして「あった!」とはしゃぎながら取り出しモノを見て、フェイトだけでなく、時彦もまた言葉を失った。



「じゃーん! どう、綺麗でしょ!」
「ア……アリシア、それって……!」
「さっきね、水上バス?だっけ。その中で見つけたんだ」



 アリシアが取り出したのは、フェイトと時彦にとって記憶に新し過ぎるものだった。
 菱型の透き通るような青い石。中心に行くにつれて色合いは濃くなり、最も濃い中央部には、ローマ数字と似たような文字が刻まれている。 
 確認するまでも無く、この一ヶ月この海鳴を騒がし続けていた魔法世界の古代の遺物――――ジュエルシードだ。
 まさか、探し求めていたものの一つがこうもあっさり見つかるなんて。加えて、それをアリシアが拾っていたと言う運命性に、フェイトと時彦はひたすら絶句する。
 無論、プレシアがその事を知るはずもなく、娘の意地汚い真似を咎めようと、少し声を荒げてアリシアを叱った。



「アリシア、貴方またそんなのを拾って」
「いいでしょ、お母さん。だって、誰も拾ってなかったし、宝石ならこんな無造作に落ちてるワケないもの」
「ダメよ。警察に届けないと……」「あ、あの!」



 少し、話の雲行きが怪しくなった事を感じ取ったフェイトは、慌ててプレシアの話を遮った。
 しかし、それは勢いの物だったらしく、「どうしたの、フェイトさん?」と怪訝そうに訊ねるプレシアに、フェイトはただあたふたと答えに窮するばかり。
 助け船を出して欲しくて時彦に視線を投げかけると、一瞬驚きはしたものの、少しだけ逡巡した時彦は、これまた立派な演技力/わざとらしさで会話に加わった。



「すげぇきれいだなー! 確か、フェイトって青い綺麗な石集めてただろ!?」
「ほんと、フェイト!?」
「う、うん。実は……」
「うわー、すごいすごい! じゃぁ、ますますフェイトにぴったりだよね、この石!」
「うんうん、マジでぴったりだと思う! ていうか、そんなフェイトの趣味ばっちしな奴拾ったのって、なんかすっげー運命感じますよね!」
「え、えぇ……? でも、誰か大切な人の落としモノだったりしたら……」
「それなら落としたその日の内に船止めてでも探す筈ですよ。なのに普通に落ちて立って事は、もしかしたらそんな宝石なんかじゃないってことなんじゃ?」
「そう……なのかしら……」
「それにほら、単純に綺麗な石ってだけかもしれないじゃないですか。高い宝石には見えないですもん!」
「それは……確かにそうだけれど」



 よく回る舌である。
 その舌に丸めこまれるように、プレシアも少しだけ態度を軟化させ、アリシアの持つ石を訝しげに見やる。
 確かに、それのぱっと見は綺麗な宝石だが、よくよく見れば市場で出回っているどの宝石にも当てはまらないモノだった。
 アクアマリンやサファイアとは明らかに異なる色合い、内部はさらに濃淡ではなくくっきりとした色分けがあり、少なくともプレシアの知識内に該当する宝石はなかった。
 もしかしたら未発見だった新しい宝石なのかもしれないが、それこそまさか、である。そんな代物であれば、先程時彦が言ったように船を止め、操業を止めさせてでも捜索するはずだ。
 考えれば考えるほど、時彦の言葉がもっともらしく聞こえてきて――――結局、プレシアは諦めた。



「……はぁ、わかったわ。確かに、宝石とは異なるようだし、本田君の言う事にも一理ある。今回ばかりは、目を瞑りましょう」
「ほんとう、おかあさん!?」
「ただし、次からこういうのはきちんと届け出るのよ。それが礼儀ですからね」
「はーい♪ おかあさん大好き!」



 プレシアとしても、折角二人が仲良くなれる機会があるというのに、それを潰してしまうと言う事に引け目を感じていた。本来であれば、良識にかける行動であると自覚しいる。せめて、これが誰かの大切なものといった大層なものではなく、単純に綺麗な石である事を祈るしかない。
 娘にはとことん甘くなる自分の性格を、プレシアは内心で自嘲した。
 
 

「ってことで、おかあさんからも許しが出たから……改めて、はい、フェイト」
「……いや、元々おまえんじゃねぇだろ」
「細かい事は良いの! 時彦は空気を読むスキルを身につけましょう」
「初対面でそのダメだし!? 遠慮ねぇなお前!」
「イタリア人はフランクさがうりだから」
「嘘つけ!
 いまおもいっきり棒読みだったろうが!」
「もー、そんなことはどうでもいいの! それより、フェイト、受け取ってくれる?」
「あ、あはは……うん、もちろん。ありがとう、アリシア」

「よかったー。もう、時彦が変な事言うから、なんか変な気分」
「俺の所為かよ……」


 
 ぷっくりと頬を膨らましたアリシアの抗議に、時彦はげんなりと項垂れる。初めて見る時彦のその姿に、フェイトは驚きと同時に少しだけ可笑しくなって、思わず笑みがこぼれた。プレシアも、子供達の他愛の無いやり取りを楽しそうに見守っている。
 


「そうだよー。せっかくのプレゼントだったのに」
「だったら、今度改めて渡しゃいいだろ。この辺に引っ越してきたんだし」
「え、フェイトってこの近くに住んでるの!?」
「と、トキヒコ!?」



 突然の時彦の言葉に、フェイトは面喰って大いに焦る。
 今のフェイトの身分は、今回のジュエルシード散逸も含めた事件の重要参考人と言う立場で、ある意味身柄を拘束されている。
 そもそも、元からしてこの世界に住んでいるわけでもないし、拠点にしていたマンションも先月で契約が切れたので使っていない。
 そんなフェイトの状況を時彦が知らないはずがないのに、この話題の振り方の糸がまるで掴めなかった。
 だが、半ば抗議するような意味合いを込めて名前を読んだフェイトに対し、時彦はにやりと意地悪い笑みを浮かべると、



「近いうち、こっちに引っ越してくるんだもんな、お前も」
「ほんとに!? うわぁ、それってすごいステキだね! ね、おかあさん!」
「ええ、素敵だわ。本当に、運命を感じるくらい」
「え、あ、あの、でも私……!」



 そんな無茶ぶりに、フェイトは答えに窮する。
 喜色満面で喜ぶアリシアとプレシアに本当の事を言うわけにもいかず、しかしそんな予定はないと言って悲しませる事もしたくない。だが、かと言ってこの世界で暮らす予定等まるでなかったわけで、フェイトはどうしたらいいのか、というかそもそもどうしてそんな嘘をつくのか、と時彦を睨んで……はっとした。



「今はちょっとごたごたしてて立てこんでるけど、半年後……あー、もしくはもうちょい先か? そんぐらいに、こっちくるだろ?」
「トキ、ヒコ……」
「つーか来いよ。すずかちゃんやアリサ、それに高町だって楽しみに待ってんだ。俺だってそうだし、アリシアもそうだろ?」
「うん! 私、待ってるよ! だから、こっちに引っ越してきたら、すぐに連絡してね♪」
「私もよ、フェイトさん。その時は是非、一緒に食事をしましょう?」
「……だとさ。こりゃー、〝妹〟としちゃぁ、期待を裏切るわけにゃいかんだろ」



 にやにやと、時彦は意地悪く笑いながらフェイトを見返す。
 やられた、と素直に思った。
 もとより、フェイトはここに戻るつもりなどまるでなかった。無関係だった人々を事件に巻き込み、多くの迷惑をかけ、危険な目に合わせた自分は、ここに来てはいけないと、そんな強迫観念を受け入れていたのだ。
 でも、時彦はそれを許さない。時彦だけじゃない、初めてできた友達――――なのはも、アリサも、すずかも、そして今日出会ったばかりのアリシアとプレシアまでもが、許そうとしてくれない。



――――――素直に、それを嬉しいと感じる自分がいる。
 
 
 
 不安だった。どれほどなのはや時彦達に友達だと言われても、母に言われた〝出来損ない〟という言葉がいつも胸にひっかかり、本当に自分なんかが友達でいていいのだろうかと、不安になった。
 ここに戻るつもりが無かったのも、結局は逃避でしかなかったのだ。確認するのが怖くて、嫌な想像が当たるのが怖くて、だったらアルフと二人、静かに暮らしていた方がいいと、そう思っていたからだ。
 なのに、状況はそれを許さない。自分に、逃げる口実を与えない。それどころか、この地に戻ってこなければならない〝理由〟さえ作っている。
 ふと、時彦の口癖を思い出す。
 二度目の人生を歩まされたことや、そのほかにも数多くの〝運命の悪戯〟というものを体験してきた事で、その度に口にする彼の口癖。
 フェイトは、再び溢れてきた涙を拭いながら、しかし先程とは打って変わった穏やかな雰囲気で、時彦達に微笑む。手の震えはもう、とっくのまえに止まっている。



「本当に……神様って、意地悪だね」
「――――だろ?」



 時彦の得意げな笑顔と、アリシアの満面の笑み――――そして、プレシアの柔和な微笑み。
 フェイトは、心の中で固く誓い、アリシアと小指を絡めて約束した。
 


――――きっと、こっちに引っ越してくる、と。



 初めて体験した神様の悪戯に、フェイトは心から深く、感謝するのだった……。



 


 



  
 アリシアとプレシアと別れ、そろそろ時間だ、とやってきたクロノとアルフは、フェイトの持つジュエルシードに度肝を抜かれた。
 入手した経緯については、時彦がプレシアとアリシアについてぼかしつつ、もっともらしい嘘をいけしゃあしゃあと話した。
 呼吸をするように嘘をついて見せる時彦に驚き半分呆れ半分になるフェイトだったが、クロノ達に変な追及をさせたくなかったフェイトも、結局時彦の口裏に合わせる事にした。



「……毎度毎度君達には驚かされてばかりだが、本当に君達はジュエルシードと奇縁だな」
「ひでぇなクロちー。せめて運が良いって言ってくれよ」
「君の場合は悪運だろう。それにしても、水上バスの中にあったとは……」
「よくもまぁそんな人入りの激しい所で発動しなかったね」
「うん、何事も無く見つかって、本当に良かった」
「ま、なにはともあれこれで残るジュエルシードもあと僅かだろ。やったねクロちー! 仕事が減るよ!」
「……何故だろう、君のその言い方には物凄く不安を煽られる」



 クロノはまだ納得しきっていないようだったが、しかしなんの被害も無くジュエルシードが見つかった事自体は良かったと、素直に受け入れる事にしたらしい。
 腕を組んで溜息を吐くのは相変わらずだったが、安堵している事には間違いなかった。
 


「とりあえず、エイミィに連絡しておこう。ちょっと待っててくれ」
「あいよー」



 人目につかないところへ移動し、通信端末を立ちあげるクロノを見送りながら、時彦が今度は別の意味で深く溜息を吐いた。



「しっかし、心臓飛び出るかと思ったぜ。さっきの二人、ホントに赤の他人かどうかが未だにわかんねぇ……」
「それってどういう意味だい?」
「……クロノには内緒だよ、アルフ」
「? まぁ、フェイトがそう言うんなら、約束は守るよ」
「ありがとう。えっとね、実はさっき話した二人って……おかあさんと、アリシアそっくりだったの」
「なっ……!」
「あ、でもね、二人とも私の事は知らなかったみたいで、多分、別人なんだ。だからその、アルフが心配したような事はなかったから、大丈夫」
「……はぁ。なら、あたしはその場にいなくてよかったね。いたら絶対怒りを我慢できなくって、がぶっといってたろうし」
「アルフ?」
「冗談さ。でも、フェイトにそっくりだっていう子、ホントにアリシアって名前だったのかい?」
「うん。おかあさんも、プレシアだって」
「……すごい偶然もあるもんだね」
「神様の悪戯、だよ」


 呆れるように感心するアルフに、フェイトは気に入ったのだろう、時彦の口癖のフレーズを口にしつつ、柔らかく微笑んだ。
 さらに言えば、名字は時彦とフェイトの前世での世界の物だったが、それは黙っている事にした。ただし、いつかアルフには話しておきたいな、とフェイトは考えている。
 


「つかさ、ホントにクロちーには言わなくていいのか?」
「……大丈夫だよ、トキヒコ。二人は、母さんとアリシアじゃない。それに……」
「それに?」



 答える前に、フェイトは一度目を瞑り、先程の二人の姿を脳裏に思い描いた。
 優しく微笑むプレシア。満面の笑みで話しかけるアリシア。二人の姿は、フェイトの思い描いていた幸せの図、そのものだった。
 ならば、それでいい。むしろ、それこそが、自分の望んでいた未来なのだから。それを、壊したくない。
 


「邪魔、したくなかったんだ。幸せな二人を」
「…………そか」
「うん。ありがとう、トキヒコ」
「なんでそこでお礼なのかさっぱりわからんぞ」
「だって、心配してくれてたよね?」
「……んなわけねぇだろ。それより、さっきもらったジュエルシード、見せてくれよ」



 それがただの照れ隠しである事は、フェイトとアルフから見ても明らかであった。
 それでもアルフはにやにやと、フェイトは敢えて素直にジュエルシードを渡して、その事には触れなかった。
 時彦はややぶっきらぼうにフェイトの手からジュエルシードを取りあげると、矯めつ眇めつと――それこそ照れ隠しだとわかりやすく――ここ一ヶ月の間、海鳴を騒がし続けてきた厄介物を眺めた。



「しっかし、マジで運良かったなぁ。これ、封印状態でもないんだろ?」
「そうだね、本当に運が良かった。水上バスで発動してたら、きっと被害が出てたと思う」
「下手したら沈没もありえたもんな。いやー、日頃の行いって大事だね」
「どの口でそれを言ってるんだい? 自分の胸に手を当ててよく考えてみな」
「うぐっ……!」



 にやにやと意地悪くからかうアルフに、時彦は反論の舌を持たなかった。
 


「ま、まぁ俺の日ごろの行いに関しては置いといて……」
「その内またツケが回ってくるね、きっと」
「ねーちゃんちょっとさっきからひどいよ!?」
「フン!」



 と言いつつも、雰囲気が以前と比べて柔らかくなっているのは、アルフも少しずつ時彦の事を受け入れ始めている事の裏返しでもある。
 それがわかるからこそ、フェイトは不器用ながらも仲良くしようとしてくれているアルフを嬉しく思う。まだもうちょっと時間はかかるかもしれないが、いつかはきっと、仲良くなってくれるだろう。



「ほい、返すよ。俺が持ってて変な願い事を叶えられたらたまんないしな」
「英断だね」
「あはは……」



 時彦からジュエルシードを受け取りながら、フェイトは苦笑いする。
 確かに、ただでさえトラブルメーカーの時彦が、意図せずにジュエルシードを発動などさせたら、どれほど大きなトラブルに発展する事か……自分が言えた義理ではないが、正直勘弁してほしい。彼が近くにいてジュエルシードが発動した場合、すべからく大問題に発展しているのだ。近くにいてそれなのだから、彼が発動の源になったりすれば、その規模は恐らく洒落にならない。
 そしてその時は恐らく、なのはのみならず自分も駆り出される事だろう事は目に見えていた。



「その苦笑いはどういう意味だコラ、ん~?」
「え!? べ、別に深い意味はないよ!?」
「その焦りっぷりが深い意味ありますよっていってるもんじゃねぇか!」
「アンタが関わると碌な事にならないってことさ。言わせるんじゃないよ恥ずかしい」
「ほーう。なら、お二方だったら問題ないとでも?」
「当り前だろ。あたしらは暴走してもジュエルシードをすぐ封印できるし、そもそもあたしは願い事がないからね。フェイトの傍にいられれば、それで十分さ」
「うわー、でましたよ忠犬様のご主人様惚気話」



 満面の笑みでフェイトを抱きしめながら、恥ずかしげもなく相言ってのけるアルフに、やれやれ、と時彦は呆れる。
 そんなアルフに抱きしめられながら、ふとフェイトは自分だったらどんなお願いをするだろうか、と考えた。
 母との幸せな生活は、先程の出会いで未練が無くなったと言って良い。そもそも、フェイトが望んでいたのは母の幸せだ。例えあの人が母で無かったとしても、母が望み、自分が望んだ幸せの形としてそこにいるのであれば、それは救われたのと同じなのだから。
 だから、この古代の遺物を使ってまで叶えたいと思う程の願いは、正直思い当らなかった。
 そんなことをぼんやり考えていたら、突然時彦によって現実世界へと引き戻された。 



「じゃぁ、そんな無欲な使い魔さんのご主人様は、どんな願い事をお願いするか聞いてみようじゃねぇの」
「ふぇ!? わ、私!?」
「ふん、うちのフェイトを甘く見るんじゃないよ。アンタ見たいな俗物とは違うんだからね!」
「……だってさ、フェイト。やっぱお前だって叶えたい願い事あるよな!」
「あるわけないだろ。ていうかなんだいアンタの願い事は。さっきから聞いてればよく回る舌が欲しいだの姿を変える魔法が使いたいだの、そもそも魔法使いになりたい? はっ、そんなのほっときゃ勝手になるよ!」
「あんた最後のやつ意味分かって言ってるな!? つーかそっちの魔法使いじゃねぇっての! そして俺にそんな予定は一切ない! あってたまるか!」



 またしても、二人はフェイトを置いてきぼりにして激しい口論へと移っていった。
 話している内容のほとんどは良くわからなかったが、とりあえず時彦が魔導師に憧れているらしい事はわかった。残念ながら、クロノの話によれば彼にはリンカーコアがないためその可能性は皆無らしいが。
 それよりも、時彦に改めて振られた事で、フェイトは再び――無自覚的に――考え込む。即ち、今の自分に叶えたい願い事はあるのだろうか、と。
 無論、すぐに思い至ったのは、もう一度ここ/海鳴に帰ってくる事だった。だが、それは決意であり望みではない。必ず、自分はこの地に帰ってくる。なぜなら、大切な〝友達〟と〝母と姉〟との約束だからだ。でも、それを叶えるのは己の力でなければならない。ましてやジュエルシードを使って叶えるような願いなどでは、断じてない。
 では、本当に自分には望みと言うのは無いのだろうか?
 もう一度深く、自身の声に耳を傾ける。
 しばらく熟考してみて、敢えて――――そう、本当に敢えて挙げるとすれば……。
 


「記憶、かなぁ」



 そう、フェイトは知らずと零した。
 記憶。プレシアによって書き換えられる前の、自分が失った記憶。
 そう思ったのは、単に時彦への申し訳なさだった。
 彼は以前の自分を覚えてくれているのに、自分はそれを覚えていない。
 確かに、この世界で彼を知っている人間は多い。だが、その前の彼を知っているのは、本来であれば自分しかいなかったはずなのだ。その唯一であった自分が忘れてしまったら、前の彼を知る者は本人しかいなくなってしまう。
 考えすぎかもしれない。そもそも、そこまで考える必要も無いのかもしれない。
 だが、フェイトは自身の体験があるからこそ思うのだ。
 自分を知る人間が他に誰も居なかったら―――――それは、究極の死を意味するのではないだろうか、と。
 何をバカな、と言われるだろう。そもそも、前の記憶がある方が可笑しい事だ。であれば、誰も知らない事こそが正常の証なのかもしれない。
 それでも、フェイトは納得できなかった。
 彼は昔の自分を知っていて、それを忘れる事が出来たにも関わらず、今の今まで決して忘れることなく覚え続けてくれた。だからこそ、彼は自分を救おうとしてくれたし、事実救ってくれたのだ。
 例えそんな理由が無くとも彼が自分を救ってくれただろう未来があったとしても、今この世界で、その事がきっかけになった事に代わりはない。
 恐らく、時彦は――口には出さなくとも――自分が前の記憶を持っている事を期待していたに違いないのだ。
 物心つくまでの情報の氾濫を耐え、世界の異和感に翻弄されながらも心を強く持ち、上書きされても可笑しくない記憶を頑なに守り続けてきたのは、きっと自分を知っている人間が他にもいるかもしれない―――そんな、砂漠からダイヤを見つけるような可能性を信じていたから。もっと言えば、彼の知る〝シルフィ〟と再会する事を、心のどこかで願っていたからなのかもしれないのだ。
 結果的に、その期待を裏切る事になってしまった事を申し訳なく思うし、できるならば、彼のためにも思い出せたら、と思うのである。
 それに、フェイト自身も自分の知らない自分/シルフィと言うものに、少なくない興味があった。
 時彦の話しを聞けば、今の自分とも、先程出会ったアリシアともまるで別人な存在。そんな存在が、以前の自分だったと言う事実は、フェイトに決して小さくない好奇心を植え付けていた。
 ……だが、フェイトはこの時、思索に耽る余り重大な事を失念していた。
 今自分が、その右手にどんな代物を、どんな状態で握りしめていたのかを。



「――――ぁッ!?」
「ちょ、ば、フェイトおまっ―――――!? 



 気が付いた時には、既に遅い。
 右手に突如熱が弾けたかと思うと、次の瞬間その場にいた三人のみならず、広場と水上バスの発着場をも呑みこむほど激しい光が満ちる。
 視界が白く染まる。奇しくも、それは先日の状況を如実に再現していた。このままでは、次元震を誘発する可能性すらある。
 目を閉じても痛みを感じるような暴力的なまでの光の奔流にのみこまれながら、フェイトは必死に右手に魔力を込める。
 こんなくだらない事で、この星の平和を、先程出会った〝母と姉〟の幸せを壊すわけにはいかない!
 右手の焼けつくような痛みをこらえ、少しでも光を抑え込もうと左手も添え、フェイトは力の限りジュエルシードを握りしめながら抑制術式を瞬時に構築。待機状態のバルディッシュの補佐も受けつつ、全身全霊を持ってジュエルシードの暴走を抑えにかかる。
 止まれ。
 止まれッ。
 止まれッ!
 己の迂闊さを罵倒する暇もない。ただひたすらに、ありったけの魔力を注ぎ込んで小さな宝石の暴走を抑える。
 そして――――――。



「お、おさま、った……?」
「―――――よかった……」
「フェイト、大丈夫かい!?」



 幸か不幸か、フェイトの全力の抑制術式のおかげで、光はものの数秒で収まった。
 全力で魔力を注ぎ続けた事で、フェイトはその場にへたり込む。
 額にはべっとりと汗がにじみ、濡れた前髪がどこか艶やかに額へと張り付いていた。
 気遣わしげに肩を抱くアルフに、「大丈夫だよ、アルフ」と答えるが、それで安心するようなアルフではない。
 ただ、それよりも次元震が起きていないか、ないしは発動の影響が何かないのか、フェイトには自身の体調よりもその事が遥かに気がかりだった。
 周囲への被害は?
 次元震の発生は?
 本当に、自分はきっちりジュエルシードの暴走を抑え切れたのか?
 気になる事は数あれど、なによりも気になったのは、先程声を上げて以降、沈黙したままの時彦の安否だった。 


「アルフ、私の事は良いから……」
「でも!」
「それより、何か代わった事は? 暴走の影響とか……トキヒコは?」
「そんなのあるわ―――――ッ!?」
「………アルフ?」



 バルディッシュの補助があったとはいえ、待機モードでのソレは微々たるものだ。ほとんど生身で、それも短時間における全力の魔力行使は、フェイトに想像以上の負担をかけていた。
 しばらく顔を上げるのすら億劫なほど体力を奪われていたが、アルフが突然押し黙ったことを不審に思い、けだるさを押し殺してなんとか面を上げる。
 最初に目に入ったのは、顎が外れんばかりに大口を開け、あまりヨロシクナイ絵面で呆けている時彦だった。次いで、首をひねって傍に立つアルフを見れば、こちらもまた口だけでなく目を見開いて絶句している。
 まさか、暴走の所為でとんでもない被害がでているのだろうか、とフェイトは背筋が凍るような想像を浮かべ、慌てて二人の視線を追う。
 そして、その先に広がっている光景を見て、絶句した。



「フン……調子は、まぁまぁか」



 そこには、一人の少女がいた。
 すらりと健康的に生長した四肢、少女特有の丸みを帯びた柔らかい腹部、つつましやかでまだ生長すらしていない胸を、腰まで長く伸びたスカイシルバーの髪で覆い、何度も手のひらを閉じては開く事を繰り返す。時折、少女の周囲でパリッと紫電が弾け、フェイトにはそれが自身と同じように、電気変換された魔力である事がわかった。
 端整な顔立ちはスッと通る鼻梁と気の強そうな柳眉、そして血色のいい桜色の唇で彩られ、夜の闇に差し込む月光のような、淡い紫の瞳が印象的な少女は、一糸纏わぬ姿で突如として広場へと出現していた。
 何よりフェイトが驚いたのは、その容姿だ。
 まさか、自分の運命とは、そっくりさんと何度も出会う事を決定づけられているのだろうか、と疑いたくなる。
 それも仕方ないだろう。何せ、この日一日で自分とそっくりの顔立ちをした人間と二回も出会ったのだから。
 そう、突如広場に出現した全裸の少女は、髪の色と瞳の色こそ違うものの、その顔立ちは紛う事無く――――自分そのものだった。
 誰もが言葉を失い、全裸である事を恥ずかしがりもしない、唐突なる闖入者の行動を見守るしかない。一体、こいつは誰なんだ。
 そして、今さらになって自身の一挙一動に注目していた観衆に気付いたのか、全裸の少女は三人の方へと向き直る。
 次いで、陶器のような白い肌の腰に手を当て、「う~~ん?」と目を細めながら舐めるようにフェイトとアルフを見つめたと思うと、次に時彦へと視線を移した瞬間、にんまりと口角を釣り上げた。さながら、〝懐かしい顔を見た〟とでも言いたげに。
 そして何故か、フェイトにはその仕草が時彦と似ているな、と感じた。



「待たせたな、電光―――じゃないけど、極光切り裂きボク、華麗に登場! 喜ぶがいいバカ彦!」
「ア――――――アホがでたぁああああぁあぁあああああ!!!?」



 この時、フェイト達はまだ知らなかった。
 つい先ほどまで自分が握りしめていたジュエルシードが消えていた事を。
 自分だけでなく、似たような事が他に二件も起きている事を。
 そして、これが本田時彦の言う〝前世〟と深い関わりを持つだけでなく、〝月村家〟をも巻き込む新たな事件となる事を。




――――――嵐はまだ、来たばかりである。
























 


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ちゅーかんほーこく
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皆様、あけましておめでとうございます。そしてハピバレレッツ大爆発しちまえ!
クリスマスとかお正月とかバレンタインデーとか、脳内でだけすずかちゃんのらぶちゅっちゅな妄想をしていました。
プラン:データ? んなもんねぇ!

……ともあれ、冗長となってしまったお話ですが、後日談②でございまする。
これがやりたかったがために今回のお話を書き始めたと言っても過言ではありません。
なら最初からこれで始めればよかったじゃない! フェイト編いらなかったじゃない!
……で、でもほら! きちんとフェイトとの絡み書いてみたかったし! ちょっとだけ古き良き魔法少女な事件をやりたかったんだもん!(←大失敗

結果的にとんでもなく申し開きの仕様の無い(ていうかすずかちゃん出番少なすぎorz)グダグダなお話となってしまいましたが、それでもここまでこれたのは読者の皆様方のお陰に他なりません。
改めまして、この場にて感謝を。ありがとうございました。


さて、今回のお話で後日談は終わりです。まだまだ続くと思った? 残念、こんな尻切れトンボでした☆
……いや冗談はさておき、最後にも書きました通り、これにてようやく役者が揃った次第です。これから、時彦は自身の過去と、そして現マイラバーたるすずかちゃんを巻き込んだ事件に身を投じて行きます。
第二部に関しては、正直モチベーションが続けば早めに再開したいと考えています。劇場版2ndがどれほどの起爆剤となるか……。
まぁ? 賞味な話、他にも三つほど作品をかいているせいで手が回らなくなってきただkローリングフック(#●゜Д゜)━━●)`Д)、'.・.、'..


ともあれ、このような主題からそれまくりなお話に長々と付き合って下さった皆様には、心の底から感謝申し上げます。ありがとうございました。
それでは、今回はこの辺で。次は第二部……ないしは別の作品でお会いしましょう。



                   ~いぶりす


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