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[8484] 【習作】使い魔ドラゴン (現実→巣作りドラゴン×ゼロの使い魔)転生・TS・オリ主・クロス有
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2010/11/15 03:08
 どうも初めまして。ブラストマイアです。
 皆様方の素晴らしい作品に目を通すうち、自分でも文章を生み出したい! という欲求が芽生えたので、どこまで出来るかはわかりませんが、投稿させていただきます。
 巣作りドラゴン系のSSが全くといって良いほど見つからないので、なら自分で書けば良いじゃないと思ったのも発端です。


なおこの作品は

・巣作りドラゴン×ゼロの使い魔のクロス作品です。(*06/16修正)
・現実世界から転生したオリジナルキャラが登場いたします。
・TS要素が存在しております。
・多少スプラッタな表現が存在する恐れがあります。
・独自解釈や設定の変更が存在する恐れがあります。
・筆者の知識不足により間違った設定が登場する恐れがあります。
・原作レイプになる恐れがあります。
・その場合は楽しんでもらえるレイプになるように心がけます。

以上の事にご注意の上、お楽しみください。



====更新履歴======

11/15 第十五話をやっと追加。一部修正

= 一言 =

エタると思った? 作者も思ってた。でも更新



[8484] プロローグ
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/05/06 14:31
==この部分は内容とあまり関係がありませんので、興味が無い方はスルーしてもらっても構いません==





 その日、西崎一(にしざき おさむ)は何の代わり映えも無い普通の一日を過ごしていた。
 新社会人になって早くも1ヶ月、平均よりはやや偏差値の高い大学を卒業したといってもこの不況で発生した就職難はバブルの崩壊を思わせるほどで、希望していた会社には入れず滑り止めのような形での就職になっていた。回された部署には不満を抱かなかったが、だからこそ「第一希望の会社に入れていれば……」という後悔のような諦めの悪い感情が付いて回っている。

 社会人としての生活にも慣れを感じてくる頃合であり、それまでは気が回らなかった様々な事が不満として噴出してくる時期でもあった。
 それは5月とは思えないほど高すぎる湿度による蒸し暑さだったり、過剰に詰め込まれた人間が身動きも出来ずに運ばれていく交通機関であったりした。小心者のきらいがあって人付き合いが苦手な彼からすれば、我の強い同僚からの酒の席への誘いというのもストレスを感じる要因の一つであった。

 かなりの下戸なのでビール2杯も飲めばほろ酔いになるし、3杯4杯と重ねれば二日酔いになってしまう。だから彼からすれば、仕事上のちょっとしたミスで同僚達と帰宅時間がずれたのは幸運の部類に入っていた。
 まだ研修期間なので過度の説教を受ける事もないし、遅れたといっても10分や20分の話だ。長くなってきた陽はまだしっかりと大地を照らしており、会社を出た彼は夕暮れの涼しげな風を楽しみながら帰路に着く。


「新装開店です! よろしくお願いしまーす」


 出てすぐの道で配られていたポケットティッシュを受け取り、それを懐へ仕舞うと同時、忍ばせておいたipodでお気に入りの音楽をランダムにして流す。話題作りにと流行曲も齧ってみたが何となく好きになれず、もっぱら聴いているのはアニソンの類だった。
 それにしたって、わざわざ金を出してCDを買う気にはなれない。動画サイトなどで上げられている動画から勝手に音楽を抜き出しているだけである。

 ちょうど視聴を決めていたアニメのOPがイヤホンから流れ出し、家に帰ったら食事でもしながら録画してあるのを消費しておこうと決めた。
 頭の中を流れるアップテンポの曲に合わせて口の中だけで鼻歌を歌い、朝ほどでないにしろ混雑を感じさせる駅へと入る。歩いてける距離に会社があればなあと思ったのは一度や二度ではない。この時もそんな叶わぬ願いを居ないと思っている神に祈りながら、催す物を感じてトイレへと寄った。


「すみません! どなたか、紙をお願いできませんか!」


 出す物を出して手を洗っていると、そんな声がトイレの個室から響く。生憎とティッシュを携帯する習慣の無かった彼は聞かなかった事にしようと立ち去りかけ、そういえば道で貰ったのがあったなと思い出したので人助けをすることにした。木のドアをノックして扉を開けてもらい、その隙間からポケットティッシュを差し入れる。 「ありがとうございます、助かりました」 自分と同じ新社会人風の男に礼を言われ、気持ちよくトイレを後にした。人助けはいい物だ。
 その代わりに間に合っていたはずの電車を乗り過ごしてしまったが、急いでいた訳でもなし些細な事。どうせ10分もすれば次が来るのだし、鞄の中には読みかけのライトノベルが入っているので暇つぶしには困らない。両手を使っておけば痴漢冤罪対策にもなるので、挟んでおいた栞を取り出して読み始めた。

 物語の中では伝説の使い魔になった少年が暴れ周り、右へ左へと大活躍をする。初期は人間以下としか思われて居なかった少年のサクセスストーリーで、日々の生活に疲れを感じていた彼からすれば、頭を空っぽにして楽しめるこの作品は大好きだった。
 目的地に着いた所でちょうど読み終わった彼は堪能し終わった物語を閉じて電車を下り、定期券を改札に押し当てて外に出る。 空に小さく輝いている一番星を見ながら小さく息を吐いた。
 ラノベはまあ面白かったし気分も中々に良い。駅前の商店街を抜けて自宅へと足を進める。


「明日はいい事があるかもしれん」

 


 ……そう呟いた所まで記憶があったのだが、何故かそれ以降が思い出せず、彼は大空港のターミナルを思わせる場所で呆然とした。








プロローグ それは終わりから始まった







「さてね、ここは何処なのでしょうか……。あのミスのせいで地方に飛ばされたとか無いよな? 書類の整理場所間違えただけだし……」


 後ろを振り向いてみても灰色の壁しかなく、前方には誰も居ない無人のターミナルが広がっているだけ。いつの間にか周囲に居た人々も困惑の表情を浮かべ、互いに顔を見合わせては不安を滲ませていた。
 彼も大多数の人間と同じように視線をさ迷わせ、何故だか寝巻きの老人が数多く見られる事に気付く。それ以外は年齢も性別もバラバラのようで、何の目的でここに集められたのかさっぱりだった。 「拉致?」 だとか 「誘拐か?」 という声も多く聞こえてきて、彼も少なからず不安を煽られる。


「はい! 皆さん、注目してください!」


 唐突に現れたスチュワーデス風の制服を着た女性が集団に対して大きな声で呼びかけ、バラバラだった意識を一箇所に集める。
 その清潔で整った服装を見て、彼は誘拐や拉致にあったのではないだろうと思えたので安心した。それに凶悪な犯人なら、何の拘束も無くこれだけの人数を集めはしないだろう。あの女性が漫画の登場人物のように強いのなら話は別だが。


「ここは三途の川の手前です。これから皆さんは船に乗り、前世での行いによって裁かれる事になりますが、安心してください。日本においては刑務所に入るような行為をしていなければ、間違っても地獄に行くことなどありえませんから……。加えて言うと、六文銭は必要ありません。お手元のチケットに付属しておりますので。
では、皆さん私についてきてください」


「……え? 俺が死んだ? マジかよ……」


 彼は呆然と口に出したが、周囲の人々は何かを思い出したように頷き、スチュワーデスについて行ってしまう。 「ふざけんな! 俺は死んじゃあいない!」 などのお決まりの台詞が飛び出すのを待ち、それにあやかって抗議しようと思っていた彼からすれば完全に当てが外れた。
 どうしたら良いのか分からずに立ち尽くし、集団から一人遅れたのを見て慌てて後を追う。自分だけ賽の河原で石を積み続ける羽目になってはたまらない。
 それに集団心理というか、まだ納得はできない物の自分が死んだという事実をどうにかして受け入れようとしていた。本当に死んだのなら今更足掻いても仕方がないし、皆が静かにしているのに自分だけ喚くのはみっともないと思ったからだ。典型的日本人的な流され方である。


「では皆さん、ご順にお乗りください。乗船時間は約10分。その後は、現地スタッフの指示に従って下さるようお願いいたします」


 彼を含めた集団はターミナルを進み、スチュワーデスさんの後に続いて細い通路を抜けた。まるで飛行機に乗るようだなと彼は思う。あまりに近代化していてあの世という気がせず、まるで修学旅行で先生に先導されているような気分になっていた。イマイチ飾り気が無くて殺風景なのが珠に瑕だけれども。
 いつの間にか手に持っていたチケットを自動改札機らしい物に入れ、数百人は乗れそうな巨大ボートへと乗る。川の上に浮いているはずなのに全く揺れないのが凄く、乗り物酔いする性質な彼には嬉しい。


「昔話で見たのとは大違いだなあ……」


「全くだよ。てっきり、恐ろしい奪衣婆に服を剥ぎ取られるかと思った。そっちも急にだった?」


 自分と同じくスーツを着ている青年に話しかけられ、彼は慌てて返事を返す。青年は自分と違って一部の隙もなくスーツを着こなしており、顔も合コンでは引っ張りだこじゃないかと思うほどイケメンだった。女だったらマジで恋する5秒前じゃないかと思う爽やかな笑顔である。ちょっと妬ましい。 


「そうです。道を歩いていた所までは覚えているんですけど、その先がどうも……」


 先ほどからどうやって死んだのかを思い出そうとしていた。所謂『突然死』と分かっていても、いきなり 「貴方は死んだのでこれから閻魔大王に会いに行きます」なんて状況になったら、どうしてこうなったのか知りたいと思うのは当然である。まだ完全に納得はしていなかったし、いざ会ったら文句の一つは言いたかった。


「おかしいな……。全員、あの案内役の天使に声をかけられた瞬間、自分が死んだ時の事を思い出して納得するようになっているらしいんだけど……」


「え、そうなんですか!?」


 完全に初耳だった。思わず大声が出る。

 いったい、どこでそんな暗示だか催眠だか分からない物を掛けられたのだろうか? そしてあのスチュワーデスが天使だったというのも驚きだ。チラリと天使(仮)さんの方を覗いてみると、相変わらず華のような営業スマイルを浮かべている。少なくとも、いきなり鬼になって衣服を剥ぐようには見えない。
 後姿でも美人と分かるぐらい美人だし、天使というのも間違っていないのかもしれなかった。それなら背中に小さく羽でも生やしてくれれば、もっと分かりやすくて良いと思うのだけれども。


「はじめに居た場所に来る前、魂がこの世界への門を潜る時にそうなる仕組みらしいよ? 万全だって言っていたけど、やっぱりミスはあるのだね」


「はあ……。全知全能の神が居る割に、神話とか聞くとトンデモ行為ばっかりだったりしますしねえ」


 誰だったかは忘れたが、娘だったか従妹だかを犯して子を産ませただのがゴロゴロしていた気がする。人間だってかなり身勝手な理由で作ったと聞いたことがあるし、全知全能がTOPにいるにしては異常にも程があるだろう。
 それとも、ストレスで胃腸薬を手放せないような人種なのだろうか。なんか嫌なゼウスだ。


「皆様! 到着いたしましたので、こちらへどうぞ!」


 そうこうやっている内に天使さんから号令がかかった。甲板上に散っていた人々は行儀よく船を降り、港の目の前にある巨大な建物へと案内される。
 見上げてみると先端が霞んで見えないほど高く、建物としても視界を覆うほど大きい。その事に気付いたのは、体感で10分以上歩いていても見えているはずの入り口にたどり着かなかったからだ。
 あまりに巨大すぎて遠近感が狂うというか、自分が指人形になったような錯覚を覚えた。

 メインゲートは東京タワーを折りたたまずに搬入できるほどのサイズがあり、一向はその脇に存在するネズミ用とも思える大きさの入り口から入る。見上げていて首が痛くなり、あの世ではなく親指姫か一寸法師の世界に入り込んだかと思うほどだった。それかこれ自体が夢だったのだと思いたい。


「あ、中は普通なのか……。安心したような、ガッカリなような」


 中は再びあのターミナルを思わせる作りになっており、道路と間違いそうな廊下には3台の大型バスが並んでいた。日本だったら絶対に土地が確保できないと思う程度には広く、壁には「魂善悪判断央センター日本支部入り口 ようこそいらっしゃいました」なんてポスターが張ってある。
 その隣には「清く生きて楽しく天国に入ろう。犯罪はだめ、絶対。 極楽警察」とか「迷子になった場合は目を閉じて強く祈ってください。 迷子管理部」等と並んでいた。やはり神様と言えど完璧ではない事の証明として、1箇所だけ右下の描画が無い。非常に下らないかもしれないが凄い発見だ。
 彼はしたり顔で、『神様とて万能ではない』と呟いてみる。


「ここからはチケットの番号によって行き先が違いますので、よくご確認ください。11N-1から3が向かって右側、4から6が中央、7から9が左側です」


 胸ポケットに入れ居ていた例のチケットを取り出して眺めると、「11N-K22Y113-234ATB-567K98-N1123-O432」という非常に長ったらしい英数字が並んでいた。意味があるからこそ並んでいるのだろうけれども、もう少し短くできない物かと考える。文字も小さいし、老人が見たら読めないのではないだろうか。
 だが人間の死者全てを管理している事を考えれば、これでもかなり少ない方なのかもしれない。少しだけ管理者である神様や天使の苦労を想像し、礼儀のなっていない人間に営業スマイルを浮かべたまま対応する天使達を思って涙した。もし大規模な戦争でも発生したら、終結するまでデスマーチの可能性もある。


「チケットを確認させていただきます……。はい、結構です。座席は奥側から詰めてご利用ください」


「あ、どうもです」


 彼は中央のバスへと並ぶと、ガイドさんにチケットを確認してもらい乗り込む。
 先ほどのイケメンさんと別れたのは少し不安だ。あっちは天国行きでこっちは地獄行きのバスだなんて言われたら絶叫物である。そりゃ顔だって劣っているしあの爽やかさには手も足も出ないキモヲタだけども、そんな基準で天国地獄を決められたら冗談ではない。見た目より中身だって言うではないか、結局は見た目に走るのが人間だけれども。


「到着いたしました。チケットは失くさず持っていくようにお願いいたします。お疲れ様でした」


 そんな事を考えている間に着いたらしい。嫌に近かったなと思いながらバスを降りてみると、目の前には空港のチェックインカウンターを思わせる物がズラリと並んでいた。今回は10人ほどなので、一列になってゲートを通過するらしい。前の人に習って電車の改札のようにゲートの脇にある機械にチケットを通し、体が光に包まれるのを感じながら門を潜る。相変わらずハイテクな天国だ。


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ。お疲れかもしれませんが、ここが最後ですのでご了承ください」


 一瞬だけ視界が真っ白になったと思うと、次の瞬間には飾り気の無いシンプルな小部屋に立っており、部屋の中央にあるテーブルセットでは眼鏡を掛けた事務員さんらしい人物が椅子に腰掛けている。彼は 「どうぞお掛けになって下さい」 と促されるままに椅子に座った。


「ここでは魂の善悪を判断します。一切の嘘は通用しませんので、あらかじめ心に留めておいてください」


 一瞬だけ眼鏡美人な事務員天使に目を奪われた彼だったが、自分の人生が最終的に判断される場に着いたことを知ると背筋を伸ばした。
 最初の説明を信じる限り、一般的な日本人として過ごしてきたので地獄行きは無いと思うけれども、それだって怖い物は怖い。今更ながら両親より早くこちらに来てしまった事に気付いて、どうしようもなく居た堪れなくなった。恩返しはまだまだこれからだったのに。


「では、西崎一さんですが……。善人とは言いがたいですね。初犯である15歳の時に万引きを4回、15歳の時には常習犯になって15回……。合計すると223回ですか。その他にも理不尽な暴力を振るった回数も日本人平均からすると極めて多く、善行も何度かは行っておりますが、相殺するには足りていません。人間の想像するような地獄ではないですが、D級更正プログラムに組み込まれる事になりますね。期間は貴方が生きていたのと同じ期間、26年です」


「え……? ちょ、なんですかそれ! 違いますよ!」


 彼の弁明など今までに何千何万と見てきたのか、眼鏡の奥でスッと目を細めた。微笑が消えて面のように無慈悲な一面が覗く。


「いいえ、間違いはありえません。ここでの言動は記録されておりますので、認めなければ更に罪を重ねる事になりますよ? 自らの罪を受け入れなさい」


「いや、だから……」


 彼は視線をさ迷わせ、困惑を露にしたまま言った。


「私は西崎一(にしざき はじめ)ではなく、西崎一(にしざき おさむ)ですよ? 年齢だって間違っていますし……」


 西崎一の弁明も想定の範囲内であったようで、彼女は軽く眼鏡を押し上げると何処からか小さな鏡を取り出した。あくまで冷たく罪を受け入れない不利益を説き、それでも認めないと見ると、突き出すようにして彼を鏡に映す。


「この鏡の前で、ありとあらゆる嘘は許されません。それでも尚別人だと言い張るならば、罪が更に重くなりますよ?」


「そう言われましても、違う物は違うとしか言いようがありません……」


 彼女は小さくため息を吐き、救えない餓鬼でも見るように彼を見つめた後、短く呪文のような物を呟く。何の変哲も無いような鏡が小さく光を纏い、鏡面が渦を巻き始めた。


「この鏡が赤く光った時、貴方の嘘は露見して罪が更に重なります。……これが最後ですが、認めますか? 貴方が西崎一であると」


「違いますってば……。はじめじゃなくて、おさむです」


 呆れさえ交えて彼が言う。当然の事ながら鏡はうんともすんとも言わず、20秒ほど鏡と見詰め合った所で事務員天使さんが焦り始めた。


「へ? あ、あれ? も、もう一回お願いします! 貴方は”にしざきはじめ”ですよね?!」


「……違います」


 相変わらず洗濯物を入れていない洗濯機のように回っているだけの鏡面を見つめ、彼はだいぶ投げやりに言った。
 鏡の代わりに、天使さんが目まぐるしく表情と顔色を変えている。今の顔色は気絶寸前という感じに真っ青だ。


「ち、チーフ! 問題が発生しました! カテゴリーAです!」


 机の上の書類をひっくり返し、あわあわと言いながらパニックになっている。その様子には先ほどまでの余裕など欠片も無い。涙目になった彼女の顔は先ほどよりだいぶ幼く見え、彼の好みストライクであった。せっかくなので今にも泣きそうな顔を観察しておく事にする。眼福だ。間違いならそのうち帰れるだろうし、せいぜい見納めておく。


「ちーふぅ! 緊急事態ですよおぉぉ! 助けてくださいぃぃ!」


 事務員さんの涙声が響くと同時に、彼が巻き込まれた厄介ごとはピークに達したのであった。









「はあ……。生き返れないから、変わりに転生させると」


 初めに感じた威圧感は完全に吹き飛び、シリアスからギャグの世界にぶっ飛んだ空間の中、彼は多分の疲れを感じながら呟いた。
 今回のミスの原因は因果律の操作バグのようで、物凄く低い確率でポケットティッシュを受け取ってしまったためにトイレでティッシュを渡すイベントが発生し、それが電車に乗り遅れる事に繋がり、飲酒運転で自滅するはずだったハジメさんのクッションとして代わりに死んでしまったようだ。

 人を殺して自分だけ生き残りやがって、恨めしい。


「は、はい。しかし、同じく日本人に転生させるとすると、最短でも1万2千年後まで予定が詰まっておりまして……」


 すっかりギャグキャラが定着してしまった事務員さんは頭を下げ通しである。
 チーフらしい羽の生えた巨乳さんは本格的に人違いだった事を知ると、焦りのあまり壁をぶち抜いてどこかに行ってしまった。チーフさんの突進を食らってコンクリートっぽい壁が砂のお城のように破られるのを見て、やはりここは既にギャグ領域の中だと痛感する。ついでに言えば壁の穴は完全に人型だった。羽の分まできっちりくりぬかれている事を除けば。


「転生って言うと、こう……前というか、今の知識とか持てるんでしょうか? というかそれが無いと、完全に死に損というか……」


「そ、それは……。えっと、あの、その……。こ、この世界では無理なんです。ごめんなさいぃ!」


 水飲み鳥のように頭を下げまくる事務員さん。そしてそんなに動いているのに、彼女の胸は全く揺れない。ビバ貧乳。揺れない地震源。


「いや、まあ、今すぐ転生できるリストが……。カマキリとかイワシとかマンボウで埋まっているのを見た時から、何となく予想はしていましたけれど」


 マンボウって成体になる確率3億分の1とかじゃなかったっけ? 記憶があったら逆に嫌がらせレベルだろそれ。


「で、でもですね! この世界が無理なだけで、異世界ならなんとでもなりますよ! 西崎さんってアニメ好きじゃないですか?!」


 アニメと聞いてピクリと体が動いた。そんな趣味を持っていると知られると恥ずかしいが、向こうは全てを知っているらしいし今更だろう。


「アニメとな……詳しく」


「えっと、ですね。この世界はパラレルワールドが無数にある中で、最も重要性が高い世界なんですよ。母なる大地と言う位ですから、地球は環境が整いすぎていて、それ以外の種類が覇権を握る事が殆どだったんです。それだけでなく戦争によって自らの種を壊滅させる事も多くて、ここまで無事に発展してきたのは天文学的な確立でして。いわば全てのオリジナル、その他はオマケのような扱いですね。……だからこそ手を加える事が難しく、転生先が困るような事態になっているのですが」


 今まで普通に過ごしていた世界がそこまで重要な物だと知って、彼は少なからず驚いた。思わず感嘆の呟きがもれる。

 神様軍団も可能な限り地球を応援しているらしく、石油が枯れそうになる度に油差しを持ってきてこっそり補充したり、隕石が飛来するたびにバットで打ち返したりと頑張っているようだ。最近でも月ほどもある隕石が地球との直撃コースに乗ったらしく、急遽天界一のハスラーがキュー持参で出動し、強烈なショットで隕石を見事ブラックホールへと打ち込んだらしい。ご苦労様です。

 何故そこまで地球が重要かといえば、かつて天国や地獄を作り出すほど繁栄した元地球とそっくりなのだという。それだけに今度の地球が滅びると神様軍団に供給されている信仰の力が激減し、ガス欠を起こして活動が猛烈に制限されるそうだ。言わば他の世界は殆どが引き立て役、地球を飾るデコレーション。


「つまり、今の地球に与える影響が少ない『誰かの作った二次創作としての世界』ほど無茶な転生をしやすいし、オリ主として無双できると」


「そうです。例えば西崎さんが作った黒歴史ノートの世界なら、そりゃもう真王神ルシフェルみたいに活躍できますよ?」


 思い出してはいけない記憶をナチュラルに責められ、彼は思わず声を裏返した。


「おいぃ?! さくっと人のトラウマを抉らないで下さいよマジで……。高校に入ったあの日、文房具屋で手動のシュレッダー買ってきてまで封印したのに」


 内容は典型的な厨二病が凝縮された物であり、自分を含め一部の人間には致命的な精神ダメージを与えられる。発見される前に紙吹雪状態にした後で古紙回収に出しておいてよかったと痛感していた。あれは人に見せてはいけない物だ。


「……転生先として個人的な希望はゼロの使い魔なんですが、もし地球への影響が大きい原作の世界に干渉するとなると、どの程度許されるんでしょうか」


「えっと、その場合は……。召喚のシーンに1匹の蚊として紛れ込み、ルイズとサイトが話し合っている最中、ルイズによって潰される、だそうです」


「それは酷い……」


 もう少しマシだろうと思っていただけに、台詞の有無以前に開始数十行の命だとは予想外だった。あくまで参考程度とはいえ、前の自分の価値が蚊と同じ程度だと知って凹む。
 しかしルイズになら潰されたいと思う変態という名の紳士も居るはずで、彼らからすれば理想の死に様ではないだろうか。
 無論、それを選ぶつもりは毛頭ないけれども。


「では、自分の理想は……」



[8484] 第一話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/05/06 14:32
 一度失敗された身の上としては上手く行くのか極めて不安だった物の、今回こそ無事に成功したようだった。彼は自分の小さな手を見つめながら考える。
 赤子の間は下の処理とかが恥ずかしいから意識を持ちたくない、という願いも完璧だったようで、転生者としては極めてスムーズに生れ落ちる事が出来た。体の何処にも不具合は無く、どれどころかすこぶる調子がいい。頭もたっぷりの睡眠をとって気持ちよく、前世での何倍もスッキリしていた。


 新しく貰った名前はベルティーユで、愛称はベル。麗しくも可愛らしい女の子だ。


 将来的には腰まで伸ばす予定の髪はミスリルにだって見劣りしない銀髪で、『巣作りドラゴン』の二次創作的な世界で生まれた竜族の幼女である。取引によって成長してもロリのままということは決定事項。竜の寿命といえば万単位だし、彼の好みであるロリババア一直線だった。

 3歳の誕生日と同時に覚醒した訳だけれども、それ以前から少しずつ変化を表していたようで新しい両親は全く気付かなかったし、既に基本的な知恵と言葉と文字はインプットされていたので、ベルが言葉などの方面で困る事は無かった。人間の3歳児から見れば物凄い天才なのだろうけれど、竜としては別に普通のようだ。
 大学生程度の常識をもった存在として普通に生活していても周囲は全く騒がず、転生物としてそういうイベントを期待していたベルとしては残念に思う。多分に拍子抜けすると同時に、竜という存在自体がとんでもない高下駄だから、たった20年そこそこ生きただけの人間では、竹馬どころか蹄鉄1枚分にもならないのだと気付いて欝になった。


「キャー! うちの子ったら天才よ! みたいなイベントは無し、と」


 何しろ巣ドラの竜族は人間と比べる事が無意味に思えるほど強力な種族である。寿命もとんでもなく長くて頭の出来も常識外れ。魔法の才能というやつも凄く、他の種族の天才が努力を重ねてやっとたどり着ける領域に最初から立っている状態。生まれつき種族としてそうなのだ。

 その証拠に、ベルが暇つぶしで「ウル・カーノ」とゼロ魔世界の発火の呪文を唱えてみると使えてしまった。具体的には指先が火炎放射器になり、ベルは眼前で噴出する炎に驚いて後ろ向きにひっくり返った。そして受身も取れず後頭部を床で強打した。その拍子に紅蓮の炎が鼻先を掠める。
 岩壁がむき出しになっている部分の廊下を歩いていたから良いものの、もし室内だったら大火事だろう。ベルは改めて竜族のチートさを痛感すると同時に、うっかり魔法が暴発しないように注意するべきだと心に刻む。


 そりゃ取引の時に使いたいって言ったけど、まさか召喚もされてないのに使えるとは思わなかったよ。そういえば取引で杖は面倒だって漏らしたような……。
 催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ。もっと恐ろしい種族格差ってヤツを味わったぜ……。




 このように結構面白く過ごしていたが、家庭環境としてはあまりよろしい場所ではなかった。

 両親はただ自分の血を継いでいるというだけのベルの面倒をみるより、お互いにイチャイチャラブラブしている方がお好みのようで、ベルを育ててくれたのはもっぱら巣に使えているメイド達である。両親とは会話を交わす事さえあまり無く、竜としての常識を教えてくれたのは教育用に雇われたらしい魔族だった。

 彼女らも両親が作り出す桃色の空間には入りたくないようだ。その気持ちはとてもよく分かる。あの空間に長居するのは精神的によくない。
 火炎放射事件の時に壁が舗装されていない廊下を歩いていたのも、居間で両親が口に出してはいけない行為を全力でやっていたからだ。下手に気付かれると 「だめ……。あの子が見てるの……」 と言う風にダシにされるため、全力で回避は必須事項である。ベルがこの素で両親から学んだ数少ない事だった。


 ……感謝すべきかもしれないけど、したくない。


 新たな両親と打ち解ける自信が無かったので安心する反面、この世界において私たち竜族は絶滅の危機に瀕しているようなのに、こんな子供としてグレやすそうな環境で育つのは良いのだろうかと少し不安になる。まあ、ベルは1:8の比率で余っている女の方だから、種族としてみればどうでもいい存在なのかもしれない。
 多少ながら血が混ざっている混血なので、この物語本来の登場人物の一人であるリュミスベルンのように純血種という訳でもないし。


「……失礼します、ベル様。お食事の用意が出来ました」


「あ、ありがとう。入っていいよ」


 ベルは覚えている限りのゼロの使い魔の呪文と発生する主要なイベントを書き込んでいた手を止め、豪華な手帳を閉じるとドアに向けて入室を促した。
 「失礼します」 という言葉と共に入ってきたのは、エルフのように大きな耳を持つメイドの少女だ。見た目は10歳を少し超えたようにしか見えず、彼女の実年齢は優に4桁を超えていると気付ける人間は居ないだろう。性格も子供っぽいので大人の女性には見えないし、ベルもどちらかといえば妹のように考えている。


「ああ、美味しそうな匂い。いただきます」


「はい。お代わりもありますので、沢山召し上がってくださいね」


 本日のメニューはご飯に味噌汁にアジの開きといった、ほぼ完全な日本食だ。
 この世界に日本があるかどうかは分からないので『日本食』と言って良いのかは議論のしどころだけれども、本家巣作りドラゴンには無くてもこの世界にはあるのかもしれない。ここは原作とはかなり違うパラレルワールドであり、だかこそベルの存在が許される世界であるから。
 もし本当にあったら、ひと飛びして観光するのもいいなと思った。竜の姿になれば海を渡るぐらい苦でもない。


「うん、美味しい。焼き加減もちょうどいいし、また腕を上げたんじゃない?」


「えへへ。そう言ってもらえると、作り甲斐がありますよ~!」


 長い前髪によって顔の半分以上は隠れていても、このメイドが褒められて照れていると察するのは難しい事ではなかった。屈託の無い笑顔だ。
 相変わらず幼い性格をしているメイドの少女を微笑ましく見つめる。

 彼女は味覚に疎い魔族では珍しく料理が得意で、この巣では料理長として君臨していた。
 本来なら彼女よりも地位の高い魔族が何人も居るのだけれども、美味しい食事を提供できる唯一の人間に逆らえる人物が居るだろうか? いや、居ない。と、言う訳で彼女の要求なら基本的に何でも通るため、キッチンはかなり広く使いやすく拡張されたそうだし、機材だってそこらの王宮では手も足も出ないほど充実している。魔力を利用しているらしい電子レンジもどきまであったのは驚いた。

 どれほど金がかかっているのかはベルの知るところではないにしろ、3歳児のお小遣いが宝物庫に転がっている宝石をどれでも一つという時点でこの巣の滅茶苦茶さは把握してもらえると思う。ちょっと鑑定してもらったところ、大貴族でもおいそれとは手を出せないような金額だった。前世でこれがあったらさぞ素晴らしいNEETな日々だっただろうに。

 日本人として最低限のマナーを守りながら食事をかっ込み、満足したら眠くなったのでベッドへと移った。


「さて、巣を出るまであと46年と10ヶ月か……。長いなおい」


 一般的なドラゴンは50年ほど巣の中で育てられ、それ以降は竜の村と呼ばれる場所で共同生活を送る事になっている。
 この世界の主役であるブラッド=ラインとリュミスベルンも、今はまだそこで生活しているはずだ。


「しかしまあ、本気でチート種族だな、この世界の竜って」


 単独で世界を相手に喧嘩を売れる女性が居るだけあって、その端くれであるベルでさえ既にドラゴンボール状態である。実際にリュミスなら初期べジータを殺せるのではないだろうか? 大猿になったら無理かもしれないが、少なくとも良い勝負はしそうだとベルは思った。
 マッスルな海兵隊員からおもちゃの兵隊ほどまで弱体化する人間形態でさえ、魔力で身体能力にブーストをかければ100キロ以上ある荷物が軽々と持ち運びできるし、歩くのと似たような感覚で空を飛ぶ事も出来た。まさかいきなり飛べるとは思わず、天井に頭を打った。痛かった。

 怖いのでまだブレスを吐いたりするのは試していないが、血が混ざりすぎて魔力を上手く扱えないという主人公でも吐くだけならやっていたし、ほんの僅かしか別種の血が混じっていないベルならば問題ないはず。最悪吐けなくともゼロ魔世界なら問題ない。


「しかし、まさか勉強が楽しいと思う日が来るとは思わなかったよ。これが天才ってヤツなのか」


 文字通りの意味で頭のつくりが違うからか、『240ミリリットルの水溶液の塩分濃度が25%の時、そこに20グラムの塩を混ぜた後で、水溶液が200ミリリットルになるまで蒸発させた。この時出来る水溶液の塩分濃度は何パーセントか』なんて面倒なのも、自分で問題を考えている間に解けてしまう。
 複雑な計算も暗算で済ませられるし、書物も一度読むだけで簡単に記憶してしまえるのだ。人間の矮小さというか種族の格差とかを痛感する日々である。
 大学受験の時には結構必死になって勉強したのだけど、それが3歳児にスラスラ解かれるこの屈辱。俺の頑張りは才能の前には無意味な物だったのですねハハハハってなもんだ。魔法は凄く楽しいのが逆に悲しい。念願だった天才幼女になれたのにやるせない。

 深く考えたら何かに負けそうになり、その日は眠くなったので不貞寝した。毎日こんな感じだ。食っちゃ寝のNEET生活楽しいです。






 ところで話は変わるのだけれども、ある日ふと気付いたら夏休み終了間際だった、といった経験は無いだろうか?
 宿題になっている日記を捏造しまくったり、徹夜してドリルを解いたりした経験は日本人なら誰にでもあると思う。いつの間にか8月の終わりまで捲くられていたカレンダーを見て、「おかしい! 2ヶ月もあったのに!」と無意味で虚しい悪態をつく、そんな経験。


「キングクリムゾンっ! 「結果」だけだ!!この世には「結果」だけ残る!!」


 巣の中って快適だよね。そろそろ1年位は経ったかな? と思ってメイドに聞いたら、既に30年も過ごしていたと気付いた日、ベルは自室でそう叫んだ。

 身長だって3歳児のちんちくりんだった頃から比べれば物凄く伸び、今では人間形態で112センチ。竜の状態だとちょっと分からない程に育ったけれども、それにしたって30年は経ちすぎだろう。1年が365日なら1万日以上もあったのに。
 目が覚めたら起きて、お腹が減ったらご飯を作ってもらい、気ままに魔法の練習をして、たまにメイドさんと遊んで、お腹が減ったらご飯を食べて、眠くなったら寝て、と今思えば物凄く自堕落だった生活のツケだろうか。一応はNEET卒業したのだけれども。


「私ってばもう三十路だなんて……。原作で50年が短い春って言われていた理由が分かったわ……」


 最近では全く同じように見えていたメイド達の区別が髪の色以外でつくようになったし、気まずい関係だった両親ともそれなりに打ち解ける事ができた。
 一時だって夫を離したくないと駄々をこねる母親に頼まれ、バイトとして村や町を襲ったりするようになったのは信頼された証だろう。しかしながら人を殺すのはちょっと気後れしてしまい、どうしようかと目標の村の上をグルグルと旋回していたら住人は避難してくれた。今にして思えばブラッドがやっているのと同じだ。きっと彼がやり始めたきっかけもこんな調子なのだと思う。


「ベルは優しすぎる。彼らと私らでは種族が違うんだ。博愛主義もほどほどにするべきだよ……」


「そうよ、ベル。別に気にする事なんて、これっぽっちもないわ」


 親に話したら上記のように甘いと言われてしまったが、人が死んでは富の生産量も下がる。そうなればイチャイチャ出来なくなるかもよ! と脅してみると、したり顔で納得するのだからこの竜は……と思う。

 現時点でバイトは累計で20回にまで登っていて、町の壊し具合も大まかにだが分かってきた。金持ちが多そうな通りを避けるぐらいの気遣いは出来るので、貴重品が失われずに貢物として巣に運び込まれる事も多くなり、軍隊を派遣できそうなバイト料に見合った働きは出来た、とベルは自画自賛してみる。

 襲撃で得られた貢物の半分と、襲ってから3回目までの冒険者撃退報酬の10%がこちらの持分なのだが、はっきり言って多すぎだ。
 既に城を作れるだけの金があるし、この巣にはまだ竜が居る=お宝もある。その上、竜は小さくて子供らしい。と彼らは察知したようで、襲撃者は順調に増えている。そして増えれば増えるほど、ベルの貯金も増えていく。
 元一般的な日本人として、飛んでいってブレス吐いて終わりの仕事だけでここまでの金が手に入ると気後れしてしまった。二人が結婚してから母親の独占欲が爆発したために長らく巣に籠もり切りだったので、襲ってくる人間が減少の一途を辿っていたのが彼女の悩みの種の一つだったらしく、足りなかったら増やすからもっと続けなさい、と言うので受け取ったけれども。
 竜の村が面白くなかったらこの金を使って貴族にでもなり、のんびりと過ごすのもよいかもしれない。異性の恋人を見つける気は無いが。


「後は、もう少し自制してくれればなあ……」

 普段の甘々っぷりを熟知しているベルはため息を漏らした。
 父親のかっこよさはベルも認める所だったし、母親の美しさも半端ではないけど、だからこそギャップが苦しい。
 両親の顔立ちはハリウッド俳優のように整っていて非の打ち所が無く、若干ながら電光竜の血が混じっている父親の髪はダイアモンドのように幻想的、水氷竜の血が入っている母親の髪は世界一の海でさえ尻尾を巻くだろうほど。微笑みあっている二人の姿は非常に絵になる。
 そんな二人が 「はい、あーん♪」 とか 「ん~! とっても美味しいよ!」 とかを日常的にやっているのだ。少しはベルの身にもなって欲しい。
 空気を読んで遠回りのルートを通って自室に戻るのは日常的になっていて 「巣が老朽化したから補修を」 などと嘘をついてまで防音性能を徹底的に上げてくれたメイドの気遣いに感謝の涙が耐えません。そのついでに空調も完備してもらい、工事が終わった後で告げられた際には手を取って感謝しましたよ。


「あのピンク色でハートマークが乱舞する空間は慣れないよ……」


 自室にて鏡の前で自慢の一つである銀髪を愛でていたベルは、無節操に絡み合う両親を思い出してもう一度ため息を吐いた。
 竜族の生涯出産数は低いけれども、あの分なら枯れるまでに10や20や30は子供を作るのではないだろうか。一日と間を置かず愛し合っている二人を見ると竜の膨大なスタミナに恐怖さえ感じる。竜族が皆あんな調子なら、世界はそう遠くない未来に竜で埋まるだろう。

 しかし両親が頑張ってくれたお陰で生まれる事が出来た訳だし、銀髪は父親譲りの雷鳴竜の血の影響だろうからそんなに悪くは言えない。自分の姿を見てニヤニヤするのは気持ち悪い行為だと分かっていても止められなかった。だって鏡の中の自分は物凄く可愛いのである。
 腰まで伸ばした銀髪は指で撫でるとシャンプーのCMに出ているモデルの一品のようにサラサラと流れるし、声も釘宮病患者には堪らないくぎゅボイス。一人で「くぎゅうううううう」と叫んでいてメイドに聞かれたのは物凄く忘れたい思い出だけれども。


 混血でこれなら、リュミスとかどんだけ強いんだろう……。


 ベルは烈風竜が8割5分、水氷竜が1割、残りの5分が電光竜、という感じの混ざり方になっており、竜化した際には純白に近い鱗をもった竜になる。混血の割合が低いので血の制御も比較的簡単で、30年経った今では人型のままでも力の部分開放をする事が可能になっていた。その気になれば空も飛べるし、本来の威力からするとマッチ位のサイズでいいならば、ブレスだって吐ける。
 ただ、威力の調節が凄く難しい。絞りすぎて煙が出るだけだったり、緩めすぎて家が吹き飛びかねないのが出たり、とイマイチ安定してくれないのだ。
 今のペースだと、安定するまでには50年位かかりそうである。巣の中には魔物たちが訓練するための広大な空間があるが、そこで行うのは巣を壊して貯金が減る危険があるとの判断から、巣がある隣の山の中で行うことにしていた。


「竜状態のブレスとかマジで兵器過ぎるだろ……。本気で生物なのか、私は」


 ブレスは血統の影響を色濃く受けており、竜巻を50個纏めて無理やり圧縮したような物が基本。そこに極寒のブリザードを20倍ほど酷くしたような冷気が混ざり、全体をプラズマ寸前の稲妻がちらつくような感じになっていた。
 威力は、全力でぶっぱなすと大帝国の首都が周囲の畑と城を含めて更地と化すレベルで、 「見せてあげよう! ラピュタの雷を!」 の数十倍は性質が悪い感じになっていた。町を襲う際には壊し過ぎないよう、かなりの手加減を必要とする。


「最初の頃は全力全開、でよかったんだけどなー。細かいのは苦手だ……」


 発射の際には上空2500から3000メートル付近でホバリングして狙いを定めるのが常になっている。
 距離があるためか20や30メートルほど着弾地点がブレるのは毎度の事で、うっかりスラム街ではなく豪華な屋敷を吹き飛ばす回数も増えてきた。やはり練習が必要のようだ。気軽にぶっ放せる威力ではないから、的は襲撃予定の町だけれども。
 元人間として町を壊して悦に浸る気質は少ししかないため、最小の攻撃で最大の結果が欲しい。壊しすぎるとお小遣いが減るので涙目である。

 あまり消費しないので貯金は増える一方なのに、貰える額が減ると悲しいのは溜める喜びに目覚めたというヤツだろうか。前回の襲撃によって更に一桁多くなり、ゼロの数が増えすぎて数えにくい。両親の作った巣は着工から300年以上経過しているので十分に大きいし、魔物たちも猛者揃いだから冒険者への対処は滞りなく、弱めの攻撃で大量の襲撃者を誘い込む方が効率的なのだ。


 人としてそれはどうなんだ、この殺人者め。


 一人の時にふとそんな事を考えたりもする。
 ここが創作の世界であっても、過ごしている人間は全て血の通った生き物だというのも理解していた。
 前の自分なら罪の意識に苛まれて発狂したかもしれないけれども、既に人間ではないベルでは破壊された街を見てもアリの巣を潰した程度のモノしか得られなかった。自分が人殺しだというのを否定するつもりは無いし、被害者に攻められれば反省するかもしれない。


 それとも、 「仕方が無かった」 と屁理屈を並べるだろうか? 涙ながらに自分を攻め立てたてる人間を相手に、苛立ちしか感じず殺してしまうだろうか?
 はっきり言って、自分でもまだよく分からない。

 たった一つだけ確かな事といえば、数百人を殺すより自分の貯金が増える方が圧倒的に嬉しいという事だ。
 宝物庫の一角に自分のスペースを設けて貰ったし、衝撃を与えても大丈夫な金銀宝石の上に飛び乗って転がるのは物凄く楽しい。頑張った自分へのご褒美(笑)として甘い物を食べると物凄く美味しい。メイドや両親たちと一緒に食べると、もっと美味しくなる。
 それが血に濡れた金で買った物だとしても、だ。


「ベル様、美味しく無かったですか……?」


「ん、ちょっと考え事をしていただけ。とっても美味しいわよ? ……あ、頬にクリームついてる」


「ふぇ……。あ、ほんとだ。ん~……。ぐぎゅっ?!」


 自分の頬についたクリームを舐めようと必死に舌を伸ばしているメイドが、上司に「行儀が悪い」と頭を叩かれ、その拍子に舌を噛んで悶絶している。ベルはクスクスと笑い、釣られて他のメイドたちも笑い声を上げ、キッチンは穏やかで優しい空気に包まれた。





[8484] 第二話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/05/06 14:33
 ベルはこれから行う事に緊張感を感じながらも、飛行という烈風竜としての血が最大限生かされる時を楽しんでいた。
 全身を叩く風が体に付着していた僅かな汚れを剥ぎ取ってくれ、見も心も洗い流されて清くなる。何処までも続く青空を舞台にダンスを舞うのは最高の気分転換。地表近くをそんな速度で飛ぶと凄まじい風圧が吹き荒れ、地べたを這っている生物には大被害なので注意が必要だけれども、文字通りの意味で羽を伸ばせるのでベルは大好きだ。前世では高所恐怖症の気があったけれども、この爽快感を味わえば一発で吹き飛んでしまった。


「千の風になって~♪」


 とにかく気分がよかったので、緊張を跳ね除けるためにもその部分しか覚えていない歌詞を口ずさむ。

 烈風竜の特徴として、他の竜と比べても飛行速度が速いというのがある。純血種の圧倒的な力の前には遠く及ばないものの、混血でも烈風竜の血を引いている事には相違ない。その速度はジェット戦闘機と追いかけっこが出来るのではないかと錯覚するほど。
 あくまで体感なので実際の所は分からないし、一般的な日本人だったベルは戦闘機に乗った事はなく、ミリオタでもなかったから平均的なジェット戦闘機がどれほどのスピードを出せるのかは記憶に無かったが、ともかく人間的な考えから言えばべらぼうに速い事は確かだ。ジャンボジェットみたいに大きいのに。


「本日の目標は、初めての大きな町な訳で……。頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれる! ……って、声がでか過ぎて迷惑か。黙ろう」


 もし聞いている人間が居たら鼓膜をクラッシュする音量で喋っていた事に気付き、ベルは少々の反省を感じながら無駄にでかい口を閉じた。竜の状態で人と同じ調子で喋るとメガホン20連結という感じに声が大きくなり、日本人だった頃と同じようにボソボソと喋ると良い具合になる。恥ずかしながら得意分野だ。

 周囲には人間どころか、高度が高すぎて鳥の一匹さえ居なくとも、もし今のを聞かれていたら物凄く気まずい。空中で苦笑いを交し合う竜とか最高にシュールな光景だろう。それに竜の村は狭い社会だし、これをネタに苛められるかもしれない。そうなったら物凄く嫌。
 しかし反省したのは10分だけ。すぐに普段の調子に戻って 「あ、これは今人間になったら頬を染めた美少女で萌え萌えだわ」 と下らない事を考えた。


「お、あれが目標か……。直感で北があっちだから、狙うのはあの薄汚れてゴミゴミした通りだな」


 スピードを上げるとものの2分ほどで目的地に到着する。ベルは町を見下ろしながら緩やかに旋回を始め、住民の避難が完了するまで待つ事にした。
 目が良いお陰か、本気で見ようとすると泡を食って逃げていく人間の群れが見える。押し合いへし合い大変な騒ぎで、誰も居なくなるまで待ってあげるのに、あちこちで激突しては勝手にけが人を増やしていた。人波に飲み込まれて踏み砕かれる子供も見える。ベルは無感動に、勿体無いなあ、とだけ思った。


「そういえば、そろそろ金に余裕もあるし、ペットでも飼おうかな……」


 無駄に子供が死ぬなら、一人ぐらい自分がちょろまかしても問題ないのではないか。竜らしくそんな傲慢な考えに辿り付いたベルは、鋭い鍵爪で唇を押さえながら『俺専用美少女育成計画』を練る。
 この世界は元がエロゲなお陰か、美男美女の割合が物凄く高い。実際なら無骨な不細工ばかりな筈である冒険者も美少女が多く、懐柔しやすそうな人間の少女を抱き枕として利用したいなあと考えていた。今使っているベッドは大きすぎて、今更ながら一人だとなんだか寝心地が悪く感じていたのだ。
 人間の年なら両親と川の字で寝ている頃だろうけれども、母は父以外眼中に無く、かといって父親とやるのは嫌だし、もしやったら本気で殺されかねない。女の嫉妬と言うのは物凄く怖い。それが竜族の女なら、人間の1万倍は恐ろしくなる。


私にそんな勇気はございません。そんな自殺行為をやれるのは、ルイズのベッドに忍び込めるKYなサイト君だけです。
 決してあの万年発情期に感化されたわけではなく、口には出せない行為をする気は無いですよ? 長生きと健康のために体液交換……つまりキスぐらいなら考えるけれども、それはあくまで美容と健康のためであって、私がそんな……。いや、そりゃちょっとくらい興味がある年頃にはなりましたよ? でも……。


「ふぅ……。そろそろ、ぶっ放して帰るか……」


 一回りして出す前に賢者モードになったベルは、男なら誰でも至れる無の境地から冷静な判断を下した。元より冗談が悪乗りして考え付いた事なので、本気で実行する気はあまりない。もし良い相手が居たらやってもいいけれども、そのうちルイズと出会えるし別にいいかなあと判断を下す。
 住人達も良い感じに居なくなったようだし、空を飛ぶのは楽しくとも首輪をつけられた犬のように同じ場所をぐるぐる回っているのは飽きるのだ。烈風竜としての特徴の一つである長距離兵器かと思えるほどに射程の長いなら狙撃も可能かもしれないが、まだそこまで上手く扱えない。
 よって他の竜と同じく、目標地点の上空で静止してから発射体制に入る。

 注意点としてブレス中にむせると口内がスタズタになって非常に痛いため、有事の際には事前に深呼吸などの前準備をしておくのがベター。ベルは経験からそう学んでおり、この時も2,3回ほど肺の中の空気を入れ替えた。
 最初にブレス練習をした時など、力みすぎて力に変換した魔力を吐き出しきれず、残り香が口の中で暴発した事があったのだ。いくら魔法に対して異常なまでに高い耐性を備えている竜とはいえ、ブレスが肉質的にも弱い部分に当たれば手痛いダメージになる。


自慢じゃないけれども号泣したね。あれはヤバイってマジ痛いもん。ひゃへえええとか意味不明な事を叫びましたよ。
 人間的感覚だと口内炎が3個も出来てしまった所に熱いお茶を流し込まれたレベルの激痛だったので、子供という利点を最大限に生かして迎撃チームの救護班に泣きつき、治癒魔法で治して貰いましたよ。痛いものは痛いのです。


 そんな下らない記憶を思い出しながらでもブレスの威力は変わらず、今回は見事に目標地点を吹き飛ばした。物凄い爆風と共に町の一部が消失し、土煙が一角を包む。途中で一度ブレスを止めたベルは、それが視界を妨害するより早くもう一つの目標である悪徳商人の家もこの世から消す。
 事前調査を行っていたメイドからすると、この家の人間は非常に性質が悪いので居ない方が経済的に活発化するらしい。家の地下に財宝を隠しているので貢物としてこっちに送られてくる可能性は低く、それなら消えてもらった方が世のため人のため、そしてベルのため。最後の一吹きで消え去った豪邸を尻目に、わざと空中でバランスを崩してから緩やかに巣へと向かう。

 これで仕込みは万全だ。今回はあまり町を壊していないし、弱った竜の子供をみてチャンスと勘違いしたレミングスの群れが財宝を抱えてやってくる事は間違いない。宝物庫が黄金の川で潤うのを期待し、町から見えない位置まで離れた事を確認したベルは速度を通常まで戻した。






 人間と竜には種族的に極めて大きな差があり、それはレベル99まで育て上げられたモンスターが無数に居ても、巣の主には最大級の敬意を持って接する事からも分かる。まあ不死属性や必殺無効を体得したモンスターからすれば戦闘によって命を失う可能性は限りなく低く、たまになら冒険者が持っていた小さな宝石一つをちょろまかして酒代に当てる位は許されているので、わざわざ危険を冒してまで反抗する意味は無かった。

 人間形態のパワーだけならまだしも、竜状態となればありとあらゆる想定を打ち破るほどに強大にして強靭、一山幾らで売買されるような下級魔族では幾ら鍛えても話にならない。その程度で下克上が許されるほど種族と言う差は小さくないし、天才にして秀才でも奇跡の助け無しには超えられないほど険しい山脈なのだ。
 そして失敗した場合、竜族は自分を害する事が可能であると判断した相手に対しては、極めて厳しい判決を下す物と相場が決まっている。理不尽なルールを多様に盛り込まれたギャンブルのように、極めが分が悪い。それだけに勝利した時の報酬は物凄いのだけれども。


「ああ? ガキだと……。ちょうど良い、身なりもいーみてえだし、売り飛ばして金にするか」


 だから金貨のベッドでごろごろしていたらいつの間にか眠ってしまい、暫くした後で寝心地が悪さ故に自室のベッドへと向かっていたベルが、ここの警備をすり抜けるほどに腕前のいい襲撃者と対峙しても、そこまで慌てる必要は無かった。


「え……?」


「あぁ? なんだ、呆けてやがるのか。こりゃいいな。おい、こっちへ来いよ」


 しかしそれはあくまで、火花を散らしながら命の奪い合いをする荒事に慣れていたら、の話だ。
 まだ40年足らずしか生きていなかったベルは本気の殺気を叩きつけられた経験も無く、捕虜に興味も無かったので荒々しい台詞を聞いた事もほぼ無い。日本人としてチンピラに絡まれた苦い経験が悪い方向へと作用した事もあり、箱入り娘のベルは完全に体を硬直させていた。


「いや……」


 今まで持っていた竜としての自信など、実戦も知らなかったベルに張り付いていた金箔のような物だ。強烈な殺意という剥き身の刃に切り刻まれ、ベルは竜としてではなく少女として恐怖を感じてしまった。本来ならすぐにでも逃げられる相手なのに、ずるずると後退りする事しか出来ず、一方的に追い詰められている。
 襲撃者の男の手には鋭く銀色の光を放つ剣が握られており、少女の柔肌が受け止めるには荷が重過ぎる凶器であるとベルは思った。刃が何倍にも大きく見え、それを振りかざす男の下卑た笑みが化け物のように映る。


「逃がすと思うのかぁ? 諦めな。逃げ場なんざ、どこにもねえよ」


 ベルの心臓は早鐘のように打った。心臓からは普段の数倍の血液が体へと送り出されているのに、顔からは血の気が引いて真っ青になると言う矛盾。生まれて初めて命の危機と呼べるモノに遭遇したベルは、伸ばされた男の手を前にして、何もする事が出来なかった。今にも細腕を鷲掴みにされそうになる。


「いやあああああああああ!」


 甲高い悲鳴をあげ、ベルは身を守ろうとする本能のままに蹲った。小さい体を折りたたんで細かく震わせながら、剣を取るべき両手で耳を塞ぐ。恥も外聞も無く涙を流し、目の前に居る圧倒的な恐怖から逃げようとした。


 怖い怖い怖い! 私、まだ死にたくないよ! 怖いよ……。たすけて、たすけてよ! おとうさん! おかあさん!




 ……暫くそうやってただ震えていたベルは、自分がいつの間にか竜となっていた事に気付いた。
 大粒の涙が浮かんだ目で周囲を見回してみても、どうやらあの恐ろしい人間が居るようには思えない。強靭な鱗が覆っている腕は涙を拭うには向いていなかったが、ともかく助かったと気付いて、ベルはその場に尻餅をついた。洞窟に風が吹き込むような音を立ててため息を吐く。


「ひゃっ?!」


 自分の体を見回したベルは、腹部に真っ赤な液体が付着しているのを見て小さく悲鳴を上げる。色から考えても、まず間違いなく血液だ。
 度重なるショックで意識が遠のきかけ、反射的に腹部を抑えた手に金属的な違和感を覚え、ゴミのように張り付いていた物を見て崩れ落ちた。


「良かったよ~! 怖かった……」


 それは見覚えのある剣で、少し前まであんなに怖れていた男の武器であった。あの時は自分などより断然大きく感じたのに、今になってみると爪楊枝みたいだ、と冷静になった頭で判断を下す。極度の安心からくる脱力感に身を任せ、ベルは竜のままごろりと身を横たえた。


「ベル様! やりましたね! 宝物庫の前まで侵入を許した時はダメかと思いましたが、見事に撃退成功ですよ!」


 高い天井に貼り付けられたスピーカーから聞き覚えのある声が響き、ベルはかっこ悪いところを見られなくて済んだなと苦笑を返す。 「まあね。ちょっと汚れたから、お風呂の用意をお願い」 なんとかそれだけ言うと再び人の姿へ戻り、赤いシミがついてしまったお気に入りの服を摘み上げて肩をすくめた。
 冷たい廊下の温度を背中越しに感じ、ともかく助かってよかったなと竜にあるまじき事を考える。


 今回の経験を受け、人間がトラウマになりかけたベルは半年近く巣の中に引き篭もった。
 そして寝るときはほぼ必ずメイドに添い寝を頼むようになり、ベルは 「竜族の女性なのに物凄く可愛い!」 「ベル様の寝顔マジヤバイ。鼻血で私の血圧がダッシュでマッハ」 とメイドたちの話題を浚った。本人は恥ずかしがって口には出さなかったのだが、そのツンデレッぷりがいいらしい。 「ベッドで上目遣いとかされると、反射的に襲いそうになる」 とは添い寝を経験したほぼ全てのメイドの弁。






 そして半年が経って、ベルがあの恐怖を克服したかと思えば、そういう事は全く無かった。


「魔法障壁……。完璧だ! これで怖い人が来ても、私には触れられない! ざまあみろ! フッフッフ!!」


 金に開かせて魔法書を買い漁り、自分のニーズに適した魔法を発見して習得したベルは少女の体で高笑いを上げる。恐怖を克服するためには立ち向かう必要が あるが、ベルにはそんなボジティブな考えなど欠片も無かった。ともかく引き篭もり的な発想で殻に篭る事を最優先とし、手出しさえされなければ問題ないとば かりの魔法を磨いて磨いて磨きまくった。

ベルは洗濯板のような胸を張り、腕を組んで自分の上空3メートルの所で浮遊している岩を見る。正確には浮遊しているのではなく、その下にベルが張った薄いほぼ透明のバリアーがあるので、そこに乗っかっているのだ。薄氷のようなバリアーだが、弾丸を跳ね返す防弾ガラスのように強い。
 地面から無理やり引き抜かれた巨大な岩石の重量は、どう軽く見積もっても10トンを越えているはずなのだけれども、障壁には毛筋ほどの揺らぎさえ見られない。更に試練を課したベルがレビテーションをかけて高々と投げ上げ、高度40メートル前後から落下させて激突させてみると、惑星が生んだ重力と言う力に逆らえなかった岩は反発に耐え切れず粉々に砕ける。ベルは噴水のように上空へ吹き飛んだ後、かなりの時間を置いてパラパラと落下してくる破片を見て深い満足感に浸った。


「よし! これで怖くない! さすが私! 天才じゃね?!」


 普通の障壁だとすぐに破られそうで怖いと言う理由から、ベルが覚えたのはただの壁を作る魔法ではなく、物理攻撃でも魔法攻撃でも加えられた力をそのまま反射すると言うかなり高度な魔法に分類される物になっている。竜などのブレスは規格外すぎて無理だが、それ以外ならかなり通用するだろう。
 ほぼ不可視のドームが持っている反発の力は物凄く、ベッドなどに使われている金属のスプリングのように生易しい物ではないので、ある程度の速度を持ってバリアーに接触してしまった物体に衝撃を吸収する柔軟性が不足していた場合、先ほどの岩のように粉々に砕け散るのが落ちだ。

 才能の無い人間では生涯を掛けてもほぼ習得不可能であるほど高度な魔法を、これほどの短時間で覚えたと言う自負はベルには無い。ただ剣を持って追いかけてくるような気がする襲撃者から逃れられれば、それでいいのである。
 ベルは麻薬でもキメてラリッた人間のごときハイテンションで 「やらせはせん! やらせはせんぞー!」 などと言いながら万歳を続けた。


 しかし巣を出て町を襲撃できるようになってもトラウマは中々抜けず、冒険者の襲撃中には最も安全な指揮センターに引き篭もり、メイドを抱いていないと寝られないという癖も変わらなかった。
 後者は既に治す気があまり無かったと言うのはあったが、メイドからは 「小動物のようだったベル様が、自信をつけた子犬のように!」 とか 「無い胸を張るベル様は魔族の宝 」とか「 あれ? 竜族の少子化って、これで解決しね?」 と評される事になる。
 その可愛さゆえに父親がベルに惚れて死亡フラグが経つかと思われたが、「僕の世界は君だけの物さハニー」という歯が浮くような台詞が全てを粉砕した。






[8484] 第三話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/05/06 14:41
 元来が小心者のチキンハート気質なベルは魔法障壁を覚えた事でやっと奮起し、内心ではビビリながらも人間の町にやって来ていた。
 保護者係として同伴してもらったメイドのシィの手を握り、やや後ろに隠れるようにしながら活気に満ちた町を散策する。巣から離れているお陰もあってか町は賑わっており、ベルはこれを無数に破壊してきた自分の罪深さを痛感して反省、したが10秒ほどで飽きたので止めた。


「ベル様、そろそろ目的の書店ですよ」


「む、わかった……。シィもほしい物があったら、何でも買っていいよ。家より安ければ」


 ベルはシィの背から顔を出し、アラブの王族のようなリッチ発言を飛ばした。今回の目的はズバリ娯楽小説なので、書店ごと買おうとしなければ構わない。
 本来はわざわざ自分の足で赴かなくとも、ギュンギュスカー商会を通して購入すれば巣に居るままで買えるのだが、こういうのはAmazonで購入するより自分で手にとって決めたいのがベルの性分だ。独特の本の香りだとか、背表紙を焼かないように配慮して少し暗めの照明だとか、そういう雰囲気も好きだし。


「ぐ……! ひょ、表紙絵がないだと……! 待て あわてるな これは孔明の罠だッ!」


 日本で販売されているようなライトノベル系の物を想像していたベルは、娯楽小説だというのにタイトルと著者が載っているだけのシンプルな調度を見て驚愕する。
 ネットで評判を見て買うこともあるが、基本的にはその場の直感で表紙買いするタイプのベルからすれば絵が無いのは物凄い大問題だ。この世界は日本と違って立ち読みするのも禁止であるし、開始数十行を読んだだけでは面白さも分からない。


「3択- 一つだけ選びなさい
 答え1.お茶目で可愛いベルティーユは突如絶好のアイデアがひらめく
 答え2.娯楽小説に詳しいメイドが転移してきて助けてくれる
 答え3.すごすご帰るしかない。 現実は非情である……ッ!」


 自分の背丈の1.5倍ほどもある棚を前に唇を尖らせながら、ベルはここぞとばかりに前世で使ってみたかった台詞ランキングの上位に食い込んでいるのを呟く。ナレーション代わりに頭の中で 「答え-3 答え3 答え3」 などと繰り返した。本人はそれなりに楽しんでいたが、それを見ていたシィに 「やっぱりベル様って変わり者なんだなあ。可愛いからいいけど」 などと呟かれ、少なからず凹む事になるのは暫く経ってからだ。

 魔族としては比較的小柄な部類に入るシィでさえベルと並ぶと大きく見えた。現在はベルを本棚の影から見守っている彼女は、撫でるのにちょうどいい高さにあるベルの頭を撫で撫でしたい誘惑と戦っている。


「……ご主人ッ! この店にある娯楽小説を全て一冊ずつ頂戴ッ!」


 やがて大人買いという暴挙に至ったベルを見て、シィは思わず 「さすがベル様! 私達金なしメイドに出来ない事を平然とやってのける! そこにしびれる! あこがれる!」 と世界を超えた合いの手を入れた。







 どうやらこの世界の創作小説にはTRPGの世界観のように、土台として共通な舞台設定が存在するらしい。パラレルワールドのように細かな差異はあるが、『人間にとって極めて都合のいい場所であり、大陸の覇権を得ているのは主に人間だ。そして人間こそ正義、魔物や魔族は僻地へと追いやられていて、物語の悪役や元凶と言えば竜であると相場が決まっている。』という基本理念は変わらない。人間向けの小説だからそれも当然か。

 この時代だしあまり複雑化したものだと読者がついて来られないのか、それとも文学が十分に発展していないのかは知らないが、ベルにはあまり気持ちのいいものではない。普段虐げられているだけに、そういう部分で鬱憤を晴らしているのだろう。竜の襲撃は天災と同じだが、家を壊されれば憎まない人間は居ないから。

 冒険物の主人公ならば、その生い立ちは竜に家族を殺されたのが鉄板中の鉄板らしかった。その位ならベルだって普段の行動がアレだと分かっているので文句は無いのだが、時代小説でも竜は必要以上に悪辣かつ残忍に描かれる事が多く、ミステリー系の小説でも犯人は竜に唆されただの竜の下僕である魔族の手先だった、だのとワンパターンな事この上ない。恋愛小説でさえ二人の恋を引き裂くのは竜の襲撃だ。いい加減にして欲しいとベルは思う。
 無造作に手に取った次の一冊のタイトルが『恐ろしい竜を退治せよ』だった事に腹を立て、ベルはバタンと音を立てて本を閉じると、苛立ちを隠さず棚へ戻した。


「もう! せっかく買ったのに……! 他の無いの! 他の!」


 シィが欲しがっていた小説を含めて棚ごと買ってきたので数だけは有るのだが、ベルはその内容のワンパターンさに呆れかえっていた。
 竜族の一人として、竜が悪役にされて弱い人間に一方的に倒される小説を楽しめる訳が無い。気が短くてプライドの高いリュミスであったら、それだけで町がいくつか地上から消えそうだ。そのとばっちりでブラッドがボコボコにされるのは目に見えている。


「むぅ……。不味ったかなあ、本が面白い世界にしてもらえばよかった」


 現在ベルの居るこの世界は、本家巣作りドラゴンのゲームとそっくりだがどこかが違うパラレルワールドの一つである。
 おそらく100年後か200年後に訪れる事になるはずのゼロの使い魔の世界も、ルイズとサイトがファーストキスから始まる物語を紡ぐのとよく似た別の世界だけれども、そこではサイトの変わりにベルが呼び出される手筈になっている。
 準備が完了したと思ったらベル自ら転移魔法陣に教えられた座標を入れ、竜の魔力に物を言わせて強引に世界の壁を破るのだ。

 本来ならその程度で突破できるほど巣作りドラゴン世界とゼロの使い魔の世界の壁は薄くないのだが、向こうの召喚が呼び水になっているから問題ない。そして一度行く事さえ出来れば準備も可能、帰還や往復などはどうにでもなる。
 因果律操作のお陰かベルが思い立って実行した瞬間がルイズの召喚と重なるようになっており、明日やっても1000年後にやってもピタリと一致する事になっていた。世界の方を操作するのか、それともベルの意思の方を操作しているのかは、あの嫌にハイテクな黄泉の連中しか知らない。ベルは気にしていなかった。


「この世界にはこういう小説しかないのか……。もうゼロ魔世界に行っちゃおうかな……?」


 正確な日付など竜にとってはあまり意味が無いので忘れていた。壁に貼ってあるカレンダーを流し見、そろそろベルが生れ落ちて40年が過ぎようとしている事に気付く。

 もう竜の村へと引越しする事も出来る。しかしここで働いているメイドたちと離れ離れになる事を思うとそれも気が引けた。
 この巣には合計で100人近いメイドが存在しているので、竜族としては驚異的な理解を示しているベルであっても全員を把握している訳ではないが、その内の4人ほどとはかなり親しい。下らない雑談をしたり抱き枕にしたりエッチな小説を読んでいる所を冷やかしたり、思い出は無数にある。彼女達と別れるのは辛かった。

 ピンク色の髪と大き目の胸が特徴のアル、メイドの中では力が強い部類に入るのに気弱な緑髪のベッタ、小柄で賓乳だけど包容力のある栗色髪のシィ、燃える様な赤髪と男勝りな性格をしているディー。

 幸か不幸か両親はメイドなど誰でも同じだと考えているので、彼女達が許可してくれれば専属メイドとして連れて行くことも出来るだろう。例え望まなくとも財力に物を言わせてギュンギュスカー商会と交渉すれば、無理やり転勤させる事だって可能かもしれない。竜の力とは恐ろしいものなのだ。
 強引な手段が可能なだけに、自分がそれを口に出したらその気が無くとも脅迫になってしまうのではないか。そんな思いがあるベルは未だに口に出せないで居た。あとたった10年もすれば巣立ちの時が来てしまい、おいそれと巣を訪ねる事も難しくなるだろうに。

 竜の癖に怖がりで、人間関係に措いては奥手な自分が恨めしい、とベルは思った。


「こんな事なら、人間に生まれればよかったかな……? でも、学校は嫌いなんだよ……」


 前世での記憶を思い出しかけたベルは、脳裏に立ち込めた嫌な記憶を振り払うために頬を叩いた。それでも染み出してきた苦汁が勝手に回想を始める。


 小学校の時は楽しかったのに、中学校の途中で親の都合によって転校する事になり、それが切欠で苛めにあったのだ。
 子供ながらに転校するのは仕方がないと分別できる年になっていたし、中学校もそこまでは楽しかったから大丈夫だと楽観していた。
 それが大きな間違いだったと気付いた時にはもう遅く、転校先の中学では早々に不良グループに目をつけられて日常的に野次を飛ばされるようになり、気付けば靴や持ち物を隠されるのはいつもの事と化していた。教師も自分をスケープゴートとして見て見ぬふり。両親を心配させたくなくて話す事も出来ずふさぎ込んだ。

 高校生活には僅かの希望を持っていたが、地元なので中学からスライドしてきた面子が大半だ。苛めは完全な無視へと姿を変えており、そこに居ても居ないものとして扱われ続けた。罵倒されるよりはそちらの方が気が楽だったから、休み時間はずっと一人で小説を読むのが日課だった。勉強嫌いな自分がわざわざ遠く離れた大学に入って卒業したのも、その時の恐怖と嫌悪感が尾を引いていたから。

 優れた人間として生れ落ちれば、周囲は自己の優位性を確保するために異端を排除しにかかるだろう。あの何一つ希望が無かった頃に戻るのならば、魂が消滅していた方が余程いい。もう二度とあんな経験はしたくない。



 ギリ、と歯を食いしばったベルは、硬く握り込んだ拳が真っ白になっている事に気付く。
 苦笑と共に強張った指を開いてみれば、掌に深々と爪が食い込んで出血しかけていた。どうやら無意識の内に魔力で力を強化までしていたようだ。もし人の腕でも間に入っていれば、今頃は圧力で千切れていただろう。こんな力があっても人が怖いのだから自分はどうしようもないなとベルは思った。ため息と共に治癒魔法をかけ、いつも通りの小さくて可愛い手に戻った事に安心する。


人間が怖いから竜になったのに、いざ人外の化け物になってみれば人恋しくなるなんて、本当に私はバカだな。


 精神的に疲弊を感じたベルは目頭を軽くマッサージし、今日はさっさとお風呂に入って眠る事にした。






 物事を深く考えすぎている間に嫌な方向にばかり想像をめぐらせ、自分で考えた最悪の結末を恐れて行動できず、そうやって居るうちに堂々巡りになってドツボに嵌る。人間だった頃によくやっていた事だ。勇気を出して行動してみればあっさり上手く行くのに、その一歩が中々踏み出せない。今回もその典型だった。


「ベル様も竜の村へ行く時期が来ているんですね……。私達でよかったら、お供させていただきますよっ!」
「あの、わ、私も……」
「そうですよ。水臭いじゃないですか……。もちろん、私もです」
「ああ。あたしもだよっ!」


 巣立ちまであとジャスト10年にまで迫った頃、4人を集めておずおずと専属のメイドになって欲しいと提案したベルは、二つ返事で提案を受け入れて貰えた事に深い安心と喜び、そして一抹の不安を感じた。彼女達だってこの職場に100年以上居たのではないか。仲間と引き離してしまうけど大丈夫か。人間のように気弱にそう切り出すと、 「そうやって私達の事を気遣ってくれるご主人様なんて、ベル様以外に居ませんよ? だから、良いのです!」 と満面の笑みで返される。


「じゃあ、皆……。あらためて、よろしく!」


 上司と部下の関係ではあっても、友人と呼べる人物を手に入れたベルは、町の襲撃によりいっそうの精を出すことにした。

 2ヶ月に1度は大きな町を襲撃し、ほぼ途切れなく金が入るようにする。町を襲う際のブレスの威力をかなり控えめにしているので出来る事だ。
 迎撃班の事も考えて慰安用の酒などを増量しておいたし、最も多く冒険者を倒したチームにはボーナスを出した。そうなると巣の最深部に配置されているチームから不満が出る事も分かっていたので、優秀なチームは列ごとに選別されるようになっている。
 巣の中でも武術大会を開き、優勝者は迎撃に影響が出ない範囲なら、という条件はつくが次の大会まで酒を飲み放題にしたので、魔物たちも互いにライバル意識を燃やして切磋琢磨を重ねた。ベルの財産からすれば小銭程度でここまで頑張ってくれるのだから良いものだ。

 両親は結婚してからは巣に対する興味を失ってしまったようで、あと10年の内に可能な限り金を稼ぐ事を伝えると二つ返事で了承の意を返してくれた。さっそく効率を上げるため、ストレス発散用の娯楽施設を巣の奥に建造してマッサージ器やサウナなどを置き、けが人を手早く治療できる医務室も隣に作った。バックヤードのメイドたちの負担を減らすため、今まで使っていたモップやホウキ、チリトリなどの掃除用具も近代的なものに変更し、能率を大幅に上げる。


 手痛い出費だが、先行投資だと思って我慢……。大きく高さを減らした自分の宝の山を見てちょっと泣いた。必ずやここに財宝の山を作る!


 変装が得意なメイドを募って町の情報を集めてもらい、そのついでに『あの竜が頻繁に町を襲っているのは、魔法剣による怪我が治らない事に苛立ちを感じているからだ』という情報も流してもらった。結果として侵入者は大幅に増え、最初の襲撃では稼ぎが桁一つ大きくなっている。雑兵が増えたのは問題点の一つだが、巣の周囲に魔物を放つ事によって最低ランクの分別は済ませる事にした。貧乏な冒険者は巣に必要ない。
 急激に冒険者が増えたため、初期では襲撃者に対応しきれず問題もいくつか発生したが、やや襲撃の速度を緩める事で対応する。2ヶ月もした頃には余裕さえ見え始め、少しずつ襲撃ペースを上げても問題なく運用されていた。


「ベル様、なぜそんなにお金が必要なんですか?」


 この真面目な仕事振りが竜に似つかわしくなかったのか、メイドの一人に不思議そうな顔で言われたことがある。
 ベルは自分で巣を作る事になった時のためだと言い訳したが、実際には竜の村に行くのが怖いと思っていたからだった。自分以外の竜といえば両親しか見た事が無いし、巣作りドラゴンの主要キャラクターでも竜は少ない。マイトやブラッド、ライアネさんなら友人になれても、全部が全部リュミスベルンのように強烈な性格だったら、ベルはとてもじゃないが馴染めないだろう。


 人間と比べれば圧倒的に強い体をしていても、他の竜と比べれば平均レベルでしかない。もしかしたら中学校や高校時代にでそうであったように、また苛められるかもしれない。もしそうなった時、いつ竜の村から逃げ出して巣作りに移行しても良いように。そしてメイドたちと幸せな日々を送るために。


 ベルは決して強くない。臆病だからこそ準備をするし、怖いからこそ逃げるための策を打っているだけなのだ。







[8484] 第四話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/05/09 20:34
 この世界の共通通貨であるB=ブレッドは1Bでパンが一つ買える程度の価値だ。それ以下の金額の物になると個別の小額通貨を使用しているため、判別しやすいようにメイドたちのお小遣いとして消費されたり、まとめてBに両替したりするらしい。
 ベルは金色の山を見ながら、現実逃避のためにそんな事を考える。

 見渡す限り宝の山な宝物庫には、総額で27,457,469,716B(約274億B)の金銀財宝が詰め込まれており、冒険者がこれを直視したら目が潰れるのではないかと危惧してしまうほどだった。地上の富を全て吸い上げたのではないかと錯覚さえする。
 元よりこの宝物庫には7,225,985,091B(約72億B)が入っていたから、その差分である20,231,484,625B(約200億B)が、ベルが50年かけて稼いだ合計金額という事になるだろう。日本人的感覚では莫大過ぎる金額だと言う事ぐらいしか分からない。このうちベルの取り分は1割ちょいだけれども、それだって多かった。


10Bで1日の食費ぐらいだとしたら、ここにあるのは800万年分かぁ……。多すぎてイミフだな。


 巣作りドラゴンのゲーム内でならば50年より圧倒的に短い時間でこれ以上の金額を稼いだ事もあったし、リュミスENDに向かおうとすればこの程度では全く足りず、フェイENDやユメENDに逃げるしかないスローペースなのだろうけれども、液晶画面に映った数字を見るのと実際に目にするのとでは次元が違う。
 途中から現実離れした金額になってしまって気後れしたのと、ここまで高くなった山に乗ると雪崩が起きるのに気付いたので宝物庫に入る機会が減っていたベルは、これは新手のドッキリなのではないかと思って困惑していた。


「やまーは高いーなー大きいーな……」


 あまりに現実離れしたモノを前に、ベルは少し前から思考停止状態にある。ぶつぶつと変な歌を呟いてはメイドらから心配げな視線を送られているが、元が極普通の日本人の社会人としては仕方が無い事であった。1Bが約200円だとすればベルの総資産は約5000億円。全て1円玉にして積むと3700キロメートルにもなる計算なのだ。
 メイド4人を買い取ってこの数字なのだから、もう笑うしかない。ベルとしても何故自分がこんな計算をしているのか理解していなかった。

 とにかく竜の本能が財宝を求めていたので溜めたのだけれども、ここまで多いと竜になったとしても運びきるのは物凄い手間だろう。数千万ならば喜びようがあるのだけれども、十億単位となると数字が大きすぎて現実味が沸かない。
 小銭が落ちていても拾うけれど、札束がギッシリ詰まったスーツケースを見たら逃げるような心境だった。


「ベル様~。どうするんですかぁ?」


 フリーズしている主人を見かね、持ち前の能天気さを生かして声を上げたのはアルだ。艶のあるピンク髪を持つメイドの少女で、ベルと共に巣を出る一人である。 ギュンギュスカー商会から買い取られた4人のメイドたちもベルと共に巣を出るため、宝物庫にあるベルの資産を受け取ってから出発となるはずだった。
 はずだったのだが、ベルが石像になったのと、量が多すぎて受けとろうにも受け取れない予想外の事態が発生したので立ち尽くしていた。


「あ、ん~……、ど、どうしましょうか……。転移魔法で運んでもらうにしても、この量はちょっと……」


 やっと正気に戻ったベルは、アハハと乾いた笑いを浮かべ頬を掻きながら答える。

 1枚10万円の金貨でも、5000億円分ともなれば5千万枚。6桁減らしたのに相変わらず多すぎる。
 よくもまあこれだけの量を搾り取った物だ、とベル本人でも思った。金貨や銀貨に変えれば25メートルのプールを埋め尽くせるのではないだろうか。量が多すぎて現実味が無い事には変わりないが。


「ぬぉぉ……、上がれぇぇぇ……! って、やっぱ無理かあ」


 ベルはゼロ魔世界の魔法であるレビテーションで一気に持ち上げられないかと試し、一気に運ぶには重過ぎてピクリとも動かないという事実だけを得る。全体で一つの塊ならば浮いたかもしれなくとも、全体を等しく持ち上げようとするのは精神力を使うのだ。ベルは早々に諦めた。
 竜になり膨大な魔力に物を言わせれば持ち運べる可能性はあるが、道中で零したら掃除の手間がすさまじい事になるだろう。それに加えて、巨体のままでは転移用の魔方陣がある部屋まで行けない。
 サイズがサイズだけに全ての場所を竜が通れるようにした場合、余計な費用とスペースがかかりすぎるので仕方が無かった。

 無事に移動させる事が出来たとしても、竜の村へこんな金銀財宝の山を運び込めば目立つ。住居がどの程度の大きさなのかベルは知らないし、最悪宝の山に埋まって寝る事になるだろう。ベッドとしてはとんでもなく豪華な寝床になるだろうが、金貨や銀貨に押しつぶされながらでは寝心地が良いとは思えなかった。
 かといって何か買い物をする度にこの巣の中へ引き出しにくるというのもバカらしいし、うっかり立ち入って二人の織り成すピンクストームに巻き込まれると精神的な被害が大きすぎる。被害者の一人であるベルは頭を抱えた。


「あ、そうだ! メイド長に頼んで本社に連絡してもらって、そこに預けておけばどうですか?」


「んー、他に手も無いしね……。アル、任せた」


「はーい」


 ベルの両親達は見送りに来る筈なのだが、今の所姿を見せる気配は無かった。
 あの二人は基本的にお互いしか見えないし見ていないので、恐らく 「あんなに小さかったベルが巣立ちだなんて、月日が経つのは早いわね……」 「でも、僕らの愛は永遠さ」 「貴方……」 という流れで忘れたのだろう。あの二人はベルに対して愛情を持っていても、それはお互いに抱いている物より圧倒的に少ない。そういう人なのだと諦めていた。


 メイドたちも大変だよね。ブラッドの巣なら楽しそうだけど、竜の中には同属以外ほぼ全てを働きアリの一種みたいに考えているのも居るみたいだし。


 ベルは手近に居たメイドのべッタに抱きつき、女の子らしいその柔らかさを楽しむ。こうやって甘えても怒られないのが同姓同士の良い所だ。

 この巣作りドラゴンの世界では慢性的な男性不足になっており、もし男として生まれていたら巣作りという名の墓堀に強制参加。ベルはそれを回避すべく女の子になったのだけれども、このような得点があったのは想定外だった。鏡を見れば可愛い少女が写っているのもベルは気に入っているし、化粧などは面倒なのでやった事が無い。それでも十分に美しいのだから、やっぱり竜ってのは凄いなあと思う日々だった。

 自分の頭を撫でる優しげな手つきを感じ、ベルは満足と共にされるがままにする。
 抱きつかれたりするのをメイドたちが嫌がっているようなら止めるべきかという考えもあったのだが、どうやら大丈夫のようだと安心した。


 実際は嫌などころか、メイド達は竜らしからず可愛らしいベルを非常に気に入っている。
 それは気弱なべッタをして、撫でやすい位置にあったとはいえ新しいご主人様であるベルの頭を撫でさせてしまう程度には。
 残されたメイド二人は、羨ましい役得を満喫中の同僚に向かって、身振り手振りで 「私と変われ!」 とか 「羨ましいぞちくしょう!」 と騒ぎ立てた。ベッタは頬を赤くして困ったような表情をしながらも、頭を撫でる手を止めたり変わろうとしたりしない。シルクのようにサラサラな銀髪の感触を堪能する。


「ベル様~。呼んできましたよ~」


「……失礼いたします。ギュンギュスカー商会から派遣されてまいりました、魔族のクーと申します」


「っ……。ベルティーユよ、クーさん」


 しばらくして宝物庫に現れたのは、黒に近い執事服を着て赤髪を服と同じ色のリボンでツインテールにした魔族の少女だった。原作メインキャラの一人だ。
 まさかいきなりクーが来る事になるとは思っていなかったベルは一瞬だけ絶句し、下手をしたらブラッドからクーを奪ってしまうのではないかと危惧する。

 ベルもブラッドとクーのコンビは好きだし、クーENDも見た事があるので、今はまだそういう関係ではないにしろ寝取るような真似はしたくなかった。二人の恋路の手助けになるならいいけれども、自分の存在が邪魔になるようなら別の人に変えてもらおうと決める。


「ご丁寧にありがとうございます、ベルティーユ様。……本日は、貸し金庫をご利用との事ですが……。この財宝全てをお預けいただいた場合ですと、特A級の物になりますね。年間使用料はこちらになりますが……、最低で3千万Bを10年以上の定期預金として預けてして頂ければ、引き出しや預け入れなどの手数料を含め全て無料となります。また、預金額が1億Bを上回りますと、年利が1%上昇するボーナスもございます」


 17人しか居ない本社勤務に限りなく近いだけあって、クーの売り込みは非常に上手い。ついつい乗せられて24億Bほぼ全額を100年定期にしそうになり、途中で我に返ったベルは慌てて計画の修正を要求した。竜の村での集団生活が怖いからお金を溜めたのに、このままではほぼ無意味になってしまうではないか。


「んー。竜の村での生活が気に入らなかった時のために、お金を溜めていたから、全額定期は不味いかな……。問題なのは金額であって品物じゃないし、貴重な魔法書以外はお金に変えても構わないわ。20億を普通預金、1億は手元に置いてお小遣い、残りは10年定期って感じかしらね。……こういう事はよく分からないし、何かあった時はまたお願いしていい?」


「え、いいんですか……?! やった! 上客ゲットー! ……って、あ、も、申し訳ありません、取り乱しました……」


 ベルは手放しで喜ぶクーを見て驚いたものの、歩く軍事国家とも言える竜を相手に専属契約を結べたのだから、その喜びも一入であるのだろうと納得した。
 竜が使う物は、日用品だろうと何だろうと常識では考えられないぐらい値が張る。両親が使っている香水やコロンなどは人間の貴族でさえ喉から手が出る最高級品らしいし、竜はそれが当然だと思っているので100円均一の物にするように扱いは雑の一言。消耗品を補給したりするのは主にメイド長の役目だからか、実感が沸かないのが拍車を掛けている節もある。

 日本人的な感覚があるベルだってつい最近、30年ほど前まではそうだった。両親がそうなのでベルも大して気にしていなかったのだが、うっかり踏み折ってしまったブラシが日本円換算で50万円以上すると知って気が遠くなった。更にメイドが極普通に代わりを持って来るというジャブが続き、折れたブラシを指差して 「それ、捨てておきますね」 とストレート。思わぬ所でカルチャーショックを受けたベルは完全にノックアウトされ、苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。


「別にいいよ。それで、引き出す時はどうすればいいの?」


 ベルからすれば見ず知らずの魔族よりクーが喜んでくれた方がよいし、有能な人間にありつけたと考えればこちらも得である。今の痴態はブラッドの巣に行く機会があるまでとっておいて、慌てる彼女の姿を楽しむべくとっておく。ついでに注文は大目にしてあげようと決めた。

 元一般人として日用品などにまで見栄を張る気は無く、100円でも100万円でも使えれば同じだと思っていたベルだが、クーの業績となるならば安物を使う訳には行かない。この後クーはブラッドの巣に配属され、彼が真面目に巣作りをしない50年間、最低に近い成績を収め続ける事になるのだ。ベルは中小企業の営業部に配属されてしまった大学の友人の苦労を知っている。人間関係を金に変える商売だと泣いていた。


「はい、えっと……。このアイテムが、ギュンギュスカー銀行窓口に直通回線を開くキーとなっております。必要な際にはすぐさま係員が出動しますので、ご安心ください。一度に10万B以上の引き出しは本人以外には不可能ですので、万が一の紛失の際にも安全ですが、キーの作り直しは有料になりますし、本人確認にお時間をとらせてしまう恐れがあります。大切に保管してください」


 そう言ってクーが取り出したのは、紫色の結晶がついた香炉のような物だった。表面には美しい細工が施されており、置物としても十分に通る神秘的な一品である。これだけでもマジックアイテムとしてそれなりの値はつくだろうに、それが鍵だというのだから、竜の優遇のされ方が如実に表れていた。
 説明通り上部の結晶部分に手をかざしながら魔力を込めていたベルは、登録が終わるまでの暇潰しにその理由を聞いてみる。


「昔はそれほど差がなかったようなのですが、先の戦争の影響で……」


 いくらクーだろうとも知らないだろうと思っていたベルは、こんな所まで熟知している博識さに驚きながら説明を受けた。何度か頷きながら説明に聞き入る。

 どうやら竜族がこういったアイテムに魔力を込めようとすると、混血による弊害からか、過剰に魔力を注ぎすぎて壊してしまう例が多発したらしい。
 最も弱いブレスでも家の一軒や二軒は吹き飛ばせてしまう竜であるから、ダムの放水でコップに水を注ごうとするようなものだ。そうなるのは自明の理である。
 耐えられるようにランク分けした結果として上位の物ほど高価になったので、それならいっそ見た目も豪華にしてしまえという事で変わったようだった。

 登録時は壊しても仕方がないで済むようだが、ベルが渡されたレベルになると修理や交換には最低1万B、日本円換算で約200万円は必要になるという。5000億円などよりよほど現実的な数字に、ベルはうっかり壊しやしないかと内心で冷や汗をかいた。


「あ、そろそろ終わるようですね」


「……そう。説明、ありがとうね」


「へぁ? ……あ、は、はい!」


 クーは竜族の女性から感謝の言葉を受けるという極めて貴重な体験に驚愕し、客の前だというのに目を見開いて顔を見つめるという失態を犯した。5秒ほど経ってようやく再起動し、あわてて表情を取り繕う。ベルは壊さないようにと神経を右手に集中させていたので気付かなかった。

 その豪華な見た目からして 『終了の合図はこの結晶が光るのだろう』 と思っていたベルだが、その予想は大きく外れた。完了の合図は何故か安物のキッチンタイマーのような音で、ベルはここ50年ほど聞いていなかった電子レンジの合図かと首をめぐらせる。ベルの傍らで見ていたメイド達に終わったと指摘され、先ほどのチーンというアレがそうだったのかと気づいて気が抜けた。
 指摘した少女たちも同じ思いを抱いたようで、それぞれ拍子抜けしたようなガッカリしたような、揃って微妙な表情をしている。


「……い、以上で、登録は完了致しました。これより、ギュンギュスカー商会が責任を持って、お預かりします」


 その場に居たほぼ全員から抗議の視線を受けたクーは引きつった顔を見せ、それでも有能な社員として最後まで勤めを果たした。この香炉状のアイテムは極めて有望とされる客、つまり竜やごく一部の神族や魔族といった人間にしか手渡されず、そういった人種はほぼ間違いなく財宝を手元に置く事を好むため、クーも実際に見たのは初めてのようだ。
 知らなかったのかと聞いてみると、クーは困ったように苦笑いしながら 「ま、まさか、あんな安っぽい音だとは思いませんでした……。光るのかと」 と本音を漏らし、皆に同意されている。ベルもまったくだと相槌を打った。


「じゃあ、そろそろ出発しましょうか。……クーさん、後は任せたわよ」


「はい。今後とも、ギュンギュスカー商会をよろしくお願いいたします」


 何とも締まらない出発だなと溜息を吐き、ベルは深々と頭を下げ礼を尽くしているクーと、いつの間にか集まってきていたメイド達に見送られながら宝物庫を後にする。温かな行為に不覚にも涙腺が緩みそうになったベルは図らずもツンデレっぽく慌ててしまい、廊下には迎撃部隊の面々まで並んでいると知って少しだけ泣いてしまった。巣の中にある転移専用の部屋には居ないだろうと決めつけていた両親までおり、本格的に涙腺は崩壊状態である。ベルは嬉しいやら恥ずかしいやらで顔を真っ赤にした。


「いってらっしゃい。私たちのベルティーユ」
「竜の村での生活に不安があるようだが、あそこはいい場所だぞ? ……何しろ、俺が彼女と会った場所だからな。悪い場所である筈がない」
「貴方……」
「お前……」


 寄り添う二人。重なり合う唇。こんな時までピンク色の空気を吐き出そうとする両親を見て、ベルは相変わらずにも程があると笑った。おそらく赤くなっているであろう眼を擦って涙を飛ばし、巣作りドラゴンの世界にシリアスは似合わないと思いながら両親たちを見やる。


「じゃ、じゃあ、行ってきます!」


 最大限の笑顔と共に両親へと別れを告げ、ベルは大きく手を振りながら光に包まれた。



[8484] 第五話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/05/13 01:07
==今回、竜の村での生活がよく分からなかったので捏造しております。==







 竜の村というから小規模なものを想像していたベルだったが、実際には人間の都市クラスの巨大さがあった。
 千人足らずの住居としては規格外で、見張り台のような背の高く細い塔がいくつか建っている事からも建築技術の高さが分かる。白を基調とした町並みは美しく、隅々まで掃除と手入れがおき届いていて、汚物と死体で薄汚れたスラム街の影さえなかった。
 今までベルが見たどの町よりも整っているだろう。

 まあベルの見てきた町と言えば、その後ベル自身の手によって 『散らかされた』 事が殆どであったため、参考になるかは疑わしかったが。


「んにゅ~……!」


 自分に宛がわれた家の前。珍しく朝日を浴びていたベルは、猫のような声を上げつつ背筋を伸ばす。
 竜の村に来て本日で1週間が経過している。その間はほぼずっと引き篭もっていたのだが、新しい家は巣に負けないぐらい住み心地が良かった。
 引き篭もる上での問題点は特に発見できなかったし、今の所は殺すだの殺されるだのといった殺伐とした事態も発生していない。

 ベルが日差しを浴びに出てきたのはメイドによって安全がほぼ確認されたからで、ベルの住む区画には 『行き送れて殺気立っている迷惑な隣人』 の存在は確認されておらず、外に出てもいきなり喧嘩を売られる可能性は低いと判断された。そもそも町を歩く竜自体が少ないようだ。


「ふぅ……。思っていたより、ここが平和でよかったよ……」


 薄く広がった雲の隙間から覗く朝日を見て、ベルは大きく脱力しながら息を吐く。

 ベルはもっと活気のある村だと思っていたが、竜族は基本的に自由人な上に生まれつきの引き篭もり体質である。結婚した後は巣の中で何千年も過ごすという特性上からも社交的であるとは言い難く、睡眠時間が短いので昼夜逆転が続く事はあまり無いけれども、定刻通りに竜を叩き起こそうとしたら鋼鉄製の目覚ましがいくつあっても足りない。一部の竜を叩き起こしたら死亡フラグが立つし。

 加えて言えば竜は物凄く我が強いので、管理者にとって殺し合いが好ましい物ではないと思うのなら、居住スペースを広く取って物理的に遠ざけるのが最も単純で効果の高い方法である。多少は嫌いでソリが合わない相手が居ても、わざわざ会いに行って喧嘩をする竜はあまり居ないから。


「……ブラッドとは友達になってみたいし、リュミスとの仲を取り持って死亡フラグを折ってあげたい……けど、クーエンドも好きなんだよなあ」


 軽く周囲を窺って誰も居ない事を確かめたベルは、小さく声を潜めつつもそう漏らした。 「リュミスもクーもフェイもルクルも、デレた後は至福。異論は認めない。」 と続ける。
 趣味で冥土さんやホーンちゃんを育てる際に何度も逃げ道として使ったフェイENDやユメENDも好きだったし、ベルが嫌いな物といえばブラッド破産エンド位だろう。取り残されたブラッドの台詞がなんとも哀愁を感じさせるので好きではない。この世界ではそうならないように願うばかりだった。


 そういえば、巣ドラとゼロ魔って似てない? 主人公はエッチな男だし、ヒロインは暴力的なツンデレだし。規模はちょっと違うけど……。


 意外な共通点を見つけたベルは自分の鋭さに満足し、せっかく気分も良いしダラダラと過ごそうと決める。

 ブラッドに近づくにしても何か切欠が必要であり、それを求めて竜の村を歩き回るのもいい。今は巣作りを始める100年ほど前の時代設定のようだが、彼の巣作りが始まっては会うことも難しくなる。巣作り中は基本的に巣の主である竜とその許婚しか入れないため、ベルが入り込む隙間はなくなってしまうのだ。
 どうにかしてブラッドと友人関係を築いておきたい所だった。

 問題となるのはリュミスの存在だけれども、ベルティーユの見た目はブラッドの好みから外れているし、女の子になったとはいえベルは男に興味など無い。両親にも自分は結婚するつもりがないから相手は探さなくていいと伝えてある。大丈夫だろうと思いたかった。
 ホモにならない限りベルはブラッドの友人としての立ち位置を貫くつもりであるし、きちんと友人になれればリュミスだって排除しようとはしないはず。ブラッドも竜の村では何人かの女性と仲がよかったというし、その一人に紛れ込めばいい。


「とりあえず朝ごはんを食べてー。それから、かな」


 ベルは朝日を一瞥して家に戻り、メイドたちと会話を交わしながらのんびりと朝食をとる。
 本日のメニューはイタリアンなパスタ。残念ながら麺の茹で方はアルデンテではなかった、とベルは思う。毒を飲んでも美味しいと思える竜にそんな細かい事は分からない。ともかくトマトソースは美味だった。

 メイド達と一緒に食べるだけどんな食事だって美味しくなるような気がするし、特にデザートのケーキやお団子といった甘い物はそれが顕著だ。
 ベルが男だった頃はケーキよりも煎餅やらポテチといった塩味系の物が好きだったのに、今はクリームたっぷりのケーキを1ホールまるまる食べられそうな気になっていた。しかも竜はデフォルトで太らないのだから体系も気にしなくて良い。まさに引き篭もるために生まれた最強生物である。

 今回のデザートはイチゴの乗ったショートケーキで、白くてフワフワなそれを食事と甘物は別腹だと笑いながら食べあった。
 やはり皆で食べると美味しいとベルは思う。


「ああ、お湯が気持ちい……。お風呂が楽しいと思えるのはいい事だー」


「そうですねー……。極楽です~」


 ブラッドと会う可能性を考え、ベルは食後の休憩も兼ねてお風呂で一服する事にした。
 そうすると何故かじゃんけん大会が始まり、勝者であるシィと共に入る事になったのでベルは少し混乱したが、嫌ではないので一緒に湯に浸かっている。

 女の体は色々とケアが大変のようだが、 「初潮とか来なくて良いですマジで。あそこから血が出るとかパネエ。その他も二次元的ご都合で頼みます。そういうのも含めて永遠にロリのままでOKですよ」 と天使に向かって言ったような記憶が残っていたし、今のベルはツルペタのロリロリなので肉体的には男とあまり変わらない。

 視点が少し低いのが問題だけれども、本棚に手が届かなければ飛べばいいのだし、スカートといった女の子特有の服装を気にしない心は生まれたときから身についていた。それでも深く意識すると恥ずかしくなってしまうのだが、電車の中で自分の考えが読まれているのを危惧するような物だ。考えなければいいのである。

 二次的成長が来ずに子作り不可能なのは女としては終わっているような気もするが、出産やら子育てをやる気にはならないので良いとベルは思っていた。
 鼻からスイカとか出したら死ぬと信じていたし、そんな痛い思いをしてまで子供は欲しくないと断言できる。何より男と絡み合うなど想像もしたくない。


「ん~。シィの肌って綺麗だね~。それにすべすべー……」


「わわ、ベル様……! えっと、ベル様だって凄くいい肌をしていますよー? こっちが羨ましいぐらいです!」


 適温のお湯に浸って夢見心地なベルはふざけてシィにもたれ掛かかった。柔らかくて滑らかな肌に頬擦りする。

 ベルは半ば目を閉じていたので、メイドの視線が自分の胸やらそういう場所をさ迷っていたのに気付かなかったし、お風呂効果で適度に蕩けていたので 「脳内フォルダに永久保存決定!」 と気合の入った呟きが漏れたのも気付かなかった。

 今まで一方的に萌える側だったので、まさか自分が萌えられているとは思っても居ないのだ。
 こういう無防備さもメイド達からは萌えポイントとして数えられていた。


「じゃ、そろそろ出かけてくるー……けど、シィも出た方が良いと思うよ……? なんか顔真っ赤だし」


「ふぇ?! あ、はいー!」


 何故だか湯の中でこちらを凝視しながら顔を真っ赤にしているシィを見つけ、ベルは彼女が茹蛸にならないように忠告した。
 頷きながらも自分から視線を逸らさないシィを見て、ベルは頭の上に?マークを浮かべる。振り返って彼女の方を見やり、両手を腰に当てたまま首をかしげた。その手の人間ならまず間違いなく悩殺されるポーズである。何も分かっていないその表情がイイのだ、というのはメイド4人共通の意見。


「ベル様可愛いよベル様」


 にやけた笑いのまま表情が固定されたシィは、脳内フォルダが素晴らしく潤ったのを喜んだ。








 初めて竜の村を歩いたベルは村の外にある森にきていた。木に背中を預け、ぼんやりと空を見上げる。
 村の中を歩き回るのはまだ怖いという理由から、村を囲う石壁の向こう側にある森を中心に散策しており、迷わないように方向を確かめつつのお散歩中だ。
 枝の隙間から見える太陽の位置からして、今は正午を少し回った頃合だろう。ベルは森を通り抜ける風を感じながら目を閉じた。

 本日の目的は外に出られるか否かの確認で、外に出る気は殆ど無くとも閉じ込められているように思うと気分が悪い、という竜らしい傲慢さの解消もついでに行う予定だった。自分で鍵をかけて引き篭もっても外から鍵を掛けられるのは嫌というやつである。

 今の所は危険に思う事は何も無く平和な時間を過ごしており、久しぶりに嗅いだ草の匂いは悪くないとベルは思っていた。


「ゼロ魔に行くタイミング、どうしようかなあ……。自分もくぎゅ声だし」


 現在のベルは112センチから13センチほど伸びた125センチ3ミリで、声はルイズよりもシャナに近い。
 見た目も髪の色が銀だという以外は結構似ていると思う。ただ、確固たる意思だとかそういう物とは無関係な性格が影響したらしく、あの強い意思を感じさせるような目はしていなかった。どちらかといえばやる気なさげで、女子高生の緩い日常を描いたアニメに出てきた青髪の少女の眼に似ていると判断を下す。

 まあ可愛いしい、ベルにとっては問題ない。


「うーむ。最初は適当に世界を引っ掻き回すつもりだったけど、いまさら人間の使い魔とか、なる気がしないや……。自分じゃ虐めっ子を見返せなかったから、ならルイズの使い魔として無双して擬似的に満足するという、とんでもなく後ろ向きな計画だったというのに……」


 ベルは自分で口に出して苦笑し、 「人間だった頃は本気で後ろ向きだったんだな私……」 と呟いた。

 今中学時代に戻ったのなら、虐めっ子を学校ごと消し飛ばして終わりだ。何もかも綺麗サッパリこの世から消える。何とも素晴らしい。
 巻き込まれる人間が数百人居るだろうけれども、地球には六十億人も居るし学校一つ分の人間ぐらい明日には増えているはず。自分を生贄として見捨てた集団の巣窟を消すのに躊躇う理由などありはしなかった。きっとスッキリするだろうとベルは思う。

 メイドたちが死んだらベルは泣くだろうけれども、自分と無関係な人間の死ならばとっくの昔に慣れきっていた。それこそ日常の一部と言える位に。
 巣の司令室から侵入者が殺されたりするシーンを何度も見ているし、ハラミボディの斧に真っ二つにされた襲撃者の男が飛び散っても汚いと思うばかりである。巣の中を清掃するメイドの手間は考えても、その侵入が歩んできた人生などは考えたりしない。

 後期になると司令室のメイドらとトトカルチョをやっていたのだが、巣には異様に賭け事の強いベトが居て中々勝てなかった。
 そいつの口癖は 「倍プッシュだ」 とか 「「きたぜ  ぬるりと……」 だの 「ふふっ。そう来るとはね」 と嫌にどこかで聞いた事があったので問いただしてみれば、悪かった頃は流しのギャンブラーとして名を馳せたやつらしく、負けた少女の服を剥ぎ取って体で代金を支払わせるのが日常だったらしい。
 ちなみに最も得意なのはマージャンらしいのだが、体が半透明なのでイカサマがやりにくいのが唯一の弱点だという。

 試しにやったら5順目で七対子ドラドラをツモられました。次は安手で即上がられてベトが親になったら大三元とかなんなのあのベト頭おかしいよ。昼食にタコスを食べたのに手も足も出なかったよ。
 熱くなったら4時間で2千万5百万B巻き上げられた。日本円にして時価50億円である。その上で 「倍プッシュ」 とか言われて心が折れた。涙目。金がなくなって全裸にされたメイドはもっと涙目。
 しかし勝負の後、笑って全額返してくれてマジで恋する5秒前。メイド隊のハートも残らずブロークンですよ。 「中々楽しい遊びだったぜ」 とか本気で何なのあのベト。中の人誰だよ。サイン寄越せよ。むしろ下さいよ。


「さて、そろそろ帰るかなー」


 家に戻ろうと立ち上がったベルは、周囲が急に暗くなった事に気づいて顔を上げた。


「……おろ? 雨?」


 そして驚愕する。


「ちょ! ま、ひゃあああぁぁぁ……」


 ベルが見た物は上空に浮かぶ巨大な壁だった。黄銅色の天井が空を覆っており、物凄い勢いでベルに向けて落下して来ているのだ。
 その様子はまるで趣味の悪いゲームオーバーの画面である。押し潰されればどうなるのかは明白だった。

 情けない悲鳴を上げながらも反射と本能をフル活用し、恐怖で硬直しかけた体を無理やり動かす。ベルは肩で木を抉りながら全力で遠くへと弾け飛んだ。岩より柔らかい障害物など避けている余裕さえなく、竜の頑丈さに任せて何本もの大木を圧し折りながら逃げる。


「ふええ……なんだよぉ、もう……」


 天を突く巨人が四股を踏んだように大地が揺れ、体の芯まで透過するような轟音が響く。ベルは逆さまに木に激突しながら先ほどまで自分が居た場所を見て、あと1秒遅かったら挽肉になっていただろう事実に気付いて涙を浮かべた。
 竜族が人間の姿で殺されても死にはしない。ベルとてその端くれだから強制的に竜の姿へと戻されるだけで済む。ただし死ぬ苦しみが消える訳ではないので、痛いのが嫌いなベルは、数十トンの何かに押しつぶされても死なないで済むかどうかなど確かめたいとは思わない。
 情けない事だが下着が少し濡れたのを感じ、更に涙目になる。ベルは出かける前にトイレに行って良かったと思った。


「空が落ちてきた、って訳じゃないよね……? これ、竜かな?」


 ひっくり返ってパンツはおろかヘソまで丸出しだったベルは、ケホケホと咳をして埃を払いながら立ち上がる。
 怪我が無かった事で冷静さを取り戻し、眼前に広がる巨大な壁に鱗があるのを見て取とった。ベルは肩の上に乗っかっていた枝を投げ捨て、空を塞ぐ枝の隙間を縫って舞う。森の天井を突き抜けたベルは迷惑な竜に一言文句をつけてやろうとして、その竜が全身に深い怪我を負っているのを見て驚愕した。


「きゅ、救急車―! 119番! 110番! ……あー、もう! 携帯なんて持っている訳が無いじゃないの!


 パニックに陥りかけたベルは咄嗟に救急車を呼ぼうとして携帯電話を探し、そんな物は50年以上前から持っていない事に気付いて更に慌てた。
 横たわる巨体の持ち主は虫の息で、今にも遠い世界に旅立ってしまいそうなのだ。無残に引き裂かれた鱗が痛々しく、全身から流れ落ちる血が森を赤く染めている。ともかく何かをしなければならない。
 助けを呼ぶにしても向こうの準備があるだろう。この場にはベルしか居ないのだから、自分の手でこの竜を助けなければならない。


「そ、そうだ! 治癒魔法……!」


 逃げ出したいほどのプレッシャーを感じたベルだったが、秒刻みで弱っていく竜を前にしてどうにか心を落ち着かせる。ベルも血の力を解放して竜になり、大きく深呼吸してから体内に渦巻いている膨大な魔力を引き出した。ギュッと目に力を入れて目の前を見据える。
 通常ならブレスによる破滅を引き起こすために変換するのだが、今回必要なのは癒しの力。
 怪我が怖いので治癒魔法は最も得意だったベルでも、竜の状態ではブレスしか撃った事がない。蛇口を全開にしたホースのように暴れる魔力を制御しかね、緊張で目じりに涙を浮かべながらも魔法を完成させる。


「ひ、必殺! 癒しビーム!」


 ベルは自分でもよく分からない技名を叫ぶ。ヘンテコにも程がある名前はともかく魔法自体は成功したとみえ、傷ついた竜の巨体を優しげな光が包んだ。
 裂けていた鱗の修復が始まり、森の中に紅い川を作るほどだった出血が納まっていく。か細かった呼吸が徐々に力強さを取り戻す。

 間一髪のところで、間に合った。






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予定ではサクッとゼロ魔に行くつもりだったのですが、まだこの路線の方が楽しそうなので、固まるまでは巣ドラに居座ります



[8484] 第六話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/05/27 12:58


 数分前までは森の一角だったこの場所は、非常に珍しい竜の墜落事故によって広場になっていた。
 周囲には巨体によって押し潰された大木が薪のように転がっており、バラバラに粉砕されたり釘のように地面に埋没したりと原形を留めていない木も多い。その風景は無言ながら雄弁に、体長100メートルを超えるドラゴンの肉体とはそれだけで恐ろしい武器だという事実を主張している。
 人間が高所から落下すれば怪我を負うだろうが、竜の場合は余程の高所でなければ問題ない。落ちた彼にあった傷も全て何者かによってつけられたものであり、強靭きわまる竜の鱗は岩だろうと木だろうと地面だろうとイージスの盾のように防いでしまうのだ。
 竜の鱗を傷つけられる相手は限られるため、竜が怪我をすれば事件になりそうなものだが、基本的に同属での喧嘩が原因のために気にする竜はあまり居ない。


「それにしても、どこかで見た事がある竜だなあと思ったら、ブラッドかぁ……」


 ベルは転がっていた木の一本を適当に削って平らな部分を作り、作りたてのベッドにブラッドを寝かせた。自分もその隣に腰掛ける。
 深々と抉られていた傷跡も完治と言って問題なく、意識はなくとも肉体が命の危機が去った事を悟ったのか、巨大な竜は栗色の髪を持つイケメンに変わっていた。
 その姿はかつて液晶画面の中で見た事のある存在で、ベルの記憶がさび付いたが故の勘違いでなければ、間違いなくブラッド=ラインだ。彼は巣作りドラゴンの主人公でもあり、最強にして最凶のリュミスベルンの許婚となる存在である。


「やっぱかっこいいなあ、ブラッド」


 この世界に来てからは男性を見た経験が殆ど無いベルでも、ブラッドが美男子に分類される存在である事に異議は無かった。
 身を飾る服は派手ではないが、竜が使っているのだから最高級品である事には違いなく王族でさえ気軽には手を出せない匠の技の結晶。それに内包される体つきも鍛え上げられたアスリートのごとく引き締まっているし、顔だって悪くないどころか、微笑みかければ気高い女騎士とて頬を赤らめるほどに整っている。
 そんなブラッドを生で見たベルには、彼が何度か女を抱くだけで捕虜だろうと盗賊だろうと僧侶だろうとツンからデレに堕とせる意味が分かった気がした。


「今の時期というと、リュミスの手料理を不味いと言って殺されかけたのかな……? つくづく不幸だな、彼」


 しかしそんなブラッドでも運命というやつは如何ともし難いようで、生まれ持っての不幸体質はどうしようもないようだった。
 今も 『リュミス』 という単語に反応したらしく、ブラッドは反射的に服従のポーズをとっている。ベルは哀れみの目線を送った。


「リュミスの手料理って、どんなのだったんだろう……」


 ふと気になった想像を巡らせる。
 5桁の二乗や三乗の計算さえ瞬時に完了する竜の頭脳を持ってしても、その光景を思い描く事は中々に難しかった。

 なんというかリュミスのエプロン姿という時点で猛烈にイメージに合わないし、普段から料理などしないだろうから得意だとは思えない。
 クーのように生野菜を文字通りの意味で皿に突っ込んで出すとか、張り切りすぎてまな板ごと切り刻んだり、鍋を火にかければキッチンが爆発炎上したり、一口で神さえ殺すような猛毒を生成したり、何故か調理場が錬金術の実験場と化したり、一般的な食材からプルトニウムが生成されたりしそうである。
 女性が作った料理なら例えなんであれ食するのが真の漢だと考えているベルだが、今回はその点においてブラッドを攻める気にはならなかった。皿の上で紫色の触手がウネウネと踊っていたら、ベルでも箸をつける勇気は無い。


「誰かに教えを請うとかしないだろうし、ジャイアンシチューはほぼ確定か……?」


 せっかく作った物を不味いといわれる悲しみは分かるけれども、手料理を不味いと言われたからってアレはやり過ぎだ。ブラッドの傷は照れ隠しとか八つ当たりとかで済ませられる領域を大きく超えている。なにせあと1時間も放置されていたら本気で命が危なかっただろう。多少の傷ならたちまち治癒する竜族なのに。ツンデレとかそういう言葉で許される領域を大きく超えているような気がしてならなかった。
 今でもブラッドの肉体が押しつぶして出来た広場のあちこちには血溜りが出来ており、黄金の数十倍の価値があるであろう液体が雨上りの後のようにぶちまけられている。その量たるや100人の人間を集めてジューサーにかけた後のようで、はっきり言えば気持ち悪い。焦っている間に臭いに慣れてくれたのが救いだった。


「んー……。原作への介入は慎重に行こうと思ったけど、これは結果オーライ、なのかなあ」


 作中の説明では処置が悪かったら死んでいたと書かれていた、ちょうど今回のような悲惨さだったのだろう。
 つまり今の流れならベルが介入した事も問題にはならない上に、結果的に見れば美味い具合に原作通りストーリーが進行しているとも取れる。ベルが居なければブラッドが死亡していた恐れまであったし、今後ブラッドやマイトに絡んで行きたいと考えるベルにとって、命の恩人というスタンスは実に美味しい。

 ブラッドを愛しているリュミスだからこそ、彼を本気で殺しかけた事を後悔しているに決まっている。今頃は蒼い顔をして半狂乱になっているのではないだろうか?なにせブラッドの傍に居られるなら二番手でも構わないと言う程に彼を愛しているのだ、もし自分の手でブラッドを殺したとなれば自殺してしまうかもしれない。
 だからこそベルが争奪戦に参加する気が無い事を伝えておけば、リュミスとしても無理に引き剥がして不興を買うような真似はせず、むしろブラッドの気持ちをそれとなく引き出す為の要員として利用しようと動く目算が大きかった。


「む……?」


 何かの気配を察知したベルは顔をあげ、訝しげな視線で周囲を見渡す。
 瀕死の竜だなんて宝の山その物だ。原作でも竜の目の破片一つあれば山を吹き飛ばせると言われていたし、竜の村の近くだからこそ小悪党が潜伏している危険は大きい。虐殺は好きでも嫌いでもないけど戦闘は嫌いなベルからすれば一大事である。
 残った魔力を引き出しつつ戦闘態勢に入ろうとして、数キロ先から飛来してくる人物に見覚えのあったベルは胸を撫で下ろす。無意識の内に張っていた5重の反射防御バリアも解除し、今も近づいてくる男性が激突して跳ね返される、というギャグを未然に防いだ。


「ブラッド! ブラッドッ! 大丈夫か!」


 冷汗を垂らしながら隣に降り立つなりブラッドを覗き込んだのは、金の刺繍によって装飾された赤い服に身を包んだリュベルマイトであった。
 彼はブラッドの肩を掴んで前後に揺さぶりながら 「姉さんが青い顔をして俺を頼ってきたんだぞ! 死んでいても起きろ!」 とか 「姉さんに『愛しておりました』と遺言を残すまで死ぬな!」 などと言いたい放題であった。その姿からは鬼気迫る物を感じる。

 彼の腕が往復する度にブラッドの頭が木のベッドに直撃してリズミカルなビートを刻んでおり、先ほどまでは平らだったベッドに無数の凹凸が作られていた。それでも目を覚まさないのは先ほどまで瀕死だったからだろうが、このままでは人の姿で死亡して強制的に竜に戻るのも遠くないだろう。哀れブラッド。


「あー、もしもし? どなたかは知りませんが、彼は怪我人ですよ? そう乱暴に扱うのは……」


 ウーウーとゾンビのような呻き声を上げ始めたブラッドが可愛そうになり、ベルは仕方なくヒートアップ中のマイトへと声をかけた。
 竜族はその名の通り竜が本来の姿であるため、人間の状態で殺されても死ぬことは無いのだが、本能が全開になる上に死ぬ苦しみは消えないので悲惨な結果を招く。ブラッドは混血だが強暴で残忍な暗黒竜の血が強いため、そうなれば周囲の森は消え去るだろう。爆心地に居るベルも大迷惑を被る。


「っ?! き、君は……? いや、それより、ブラッドは大丈夫なのか!」


 彼は眉を顰めながら振り向くと、たった今ベルを発見したように驚いた。どうやらブラッドの頭を凸凹にする事に夢中で気付いていなかったらしい。
 ベルはずっこけそうになったが、このままブラッドの命の恩人フラグを折ってたまるかと、無い胸を張って自己紹介を始める。


「は、初めまして、私はベルティーユと言います。最近この竜の村に越してきました。……今日は、初めてのお散歩をしていたのですが……。森の中を歩いていたら、瀕死の大怪我を負ったブラッドさんなる人物が降ってきまして。このままでは死ぬ事がほぼ確実でしたので、不慣れながら治癒魔法を」


「な、き、君がか?! あ、いや、すまない……。俺はリュベルマイトだ。親しい者はマイトと呼ぶが、是非君もそう呼んでくれ。……ブラッドの親友として、彼の命の恩人に心から礼を言おう。ありがとう」


 ベルが治癒魔法を使用したと言うと、マイトはいっそ清々しいぐらいに目を白黒させた。
 乱暴で短気で傲慢なリュミスベルンを姉にしているだけあって、女性の竜が自分以外の生き物に情けをかけるとは思っていなかったのかもしれない。ベルの考えは恐らく的中していた。
 もしブラッドの落下地点に居たのが普通の竜なら、怪我の状態に関係なく殴り返すか蹴り返すかで済ませるだろうし、少し心優しい竜なら避けてそのまま、かなり優しい竜なら気が向いたときに医者を呼ぶ、とその程度だろう。自らの魔力を使って治癒魔法をかけてやる竜はまずいない。


「まあ、自分が変わり者だという自覚はありますから……。私の事はベルと呼んでくださって結構ですよ。えっと、よろしければ、彼がこんなになった理由を聞きたいのですが……。男性とはいえ竜が瀕死になるだなんて、事によっては一大事ですし」


「う、そ、それは……」


 彼としても 「ブラッドは姉さんの手料理を不味いと言ったのが原因で殺されかけました」 とは言えないのだろう。マイトは喉に言葉を詰まらせた。端正な顔には冷や汗が浮いており、視線はあらぬ方向を疾走している。どうやら全力で言い訳を構築している最中であるらしい。
 作中では常に冷静だと描写されていたが、事が姉のリュミスベルンに関連すると途端に冷静さが引っ込んでしまうのは彼の短所であり長所でもある、とベルは改めて思い直した。


「なにやら複雑な事情があるようですね……。よろしければ、ブラッドさんが目を覚ますまで、お話しませんか?」


 ベルが微笑みかけながら自分の隣を勧める。少々急性かと思ったが、勘違いのまま通してしまったら不味いのだ。もしリュミスとブラッドが会ったばかりで、敬語イベントの方であったら、 「私がブラッドに手作りの料理なんて! 」 という風に怒ったリュミスに追い回される危険があった。烈風竜の速さは竜の中でも最も優れているから逃げる位ならできるだろうけれども、ベルとしては怒り狂ったライオンに追いかけられる獲物の役はやりたくない。


「……すぐにカッとなって何でも力ずくで解決して、でも頭も良くて何でも知っていて、この世に怖い物なんて無い。俺はそんな姉さんが好きなんだ……。魔界とだって喧嘩したり、天界にだって乱入した事がある姉さんが大好きなんだ! ……なのに、ブラッドの事になると、途端に……」


 相談相手の居ないマイトは相当に煮詰まっていたのだろう。ベルが秘密を厳守すると約束すると、意外なまでにあっさりと胸の内を吐露してくれた。
 愛しい姉だから幸せになって欲しいという思いと、だからこそ弱い姿は見せて欲しくないという願望。親友だと思っていた男が兄貴になるかもしれないという戸惑い。何かしてやりたいのに何も出来ない焦燥感。マイトの中で渦巻いていた物が堰を切って流れ出していた。ベルは何度か相槌を交えつつ聞き役に徹する。


「俺はどうしたらいいんだ……。姉さんには幸せになって欲しい。しかし、ブラッドを殺すなんて、俺には……」


 マイトの言葉を聴きながら、ベルはこの世界が紛れも無い現実なのだと痛感していた。
 日本人として巣作りドラゴンをプレイしていた時は深く考えていなかったが、実際に世界の一人になってみると恐ろしいまでのリアリティがある。それは洞窟の壁にへばり付いた冒険者の血痕だとか、財産を失って奴隷に身を落とした人間の成れの果てだとか。今までも何度か似たような経験をしていた。

 ブラッドに選ばれなかったヒロインたちの後日談もそうだろう。フェイやルクルやクーを選んだ場合、結論が先延ばしになるだけで、膨大すぎる竜の歩みはいずれ彼女らを置き去りにしてしまう。選ばれたヒロインはハッピーエンドを迎えたが、残されたブラッドがどうなったのかは語られていない。

 シンデレラは王子様と幸せに暮らしました、めでたし、めでたし、で終わる物語とは違って、現実ではその後も人生は続くのだ。リュミスとの相性が最悪に近い竜殺しの一族であるユメが一緒の巣の中で平和に暮らし続ける事が出来るとは思えない。リュミスはブラッドが他の女と肌を重ねるだなんて許しはしないだろうから、遅かれ早かれ両者は激突し、悲惨な事態が起きる可能性は非常に高かった。
 少なくとも惚れた相手が一方的に他の女とイチャついていたら幸せではないだろう。ほのぼのとした世界観を持つソフトハウスの世界とて、現実に興してしまえば完璧とは言えないようだ。


「ライアネさんって、珍しいものが好きなんですよね……? なら……」


 ベルはこの世界に入り込んだ異物。招かざる客として、ならば友達であるマイトを含めてハッピーエンドを迎えられるように動こうと思った。









「姉さん、ただいま」


 マイトは上機嫌に帰宅の合図をすると、鼻歌を歌いたくなるような心持で姉の部屋へと向かう。
 今までどうしようもないと思っていた問題に突破口が見つかり、弱り切った姉の姿をこれ以上見なくて済むかもしれない。それだけで彼は嬉しかったし、親友のブラッドが無事だった事も良いニュースだ。彼の姉であるリュミスが抹殺した10匹目の竜がブラッドにならなくて本当によかった。
 医者曰く瀕死の状態から回復魔法による治療が行われた形跡があったそうで、ベルが居てくれなければ本当に危なかっただろう。

 マイトは改めて新しい親友に感謝の意を送っていたが、部屋の奥から駆けてきたリュミスに胸倉を掴み上げられて息が詰まった。 


「もう! 遅いじゃないの! ブラッドはどうなったのよ!」


「ね、姉さん! 苦し……」


 マイトと同じ金髪に意志の強そうなツリ目、性格は竜族の傾向的特徴を備えた傲慢にして短気で独占欲が強く乱暴、そして最強にして最凶の女であるリュミスベルン。彼女の前では男の中では最強であるマイトといえど打つ手がない。必死に酸素を求めながら落ち着かせるのがやっとだった。


「早く教えなさいよ! ブラッドはどうなったの?」


「げほっ、げほっ……。ブラッドは大丈夫だよ。医者が言うには、あと2日か3日もすれば、目を覚ますってさ……。ブラッドが落ちた所にベルティーユっていう烈風竜の女の子がいて、彼女が助けてくれたんだ。よかったね、姉さん」


 顔を真っ青にしたリュミスに襟首を引っ掴まれて 「ブラッドを殺しちゃったわ! マイト、助けてきなさい! 死んでても生き返らせるのよ!」 などと叫ばれた時は困惑したものの、親友であるブラッドが死ぬのは悲しいし、ブラッドを殺してしまったと姉が落ち込む姿など見たくない。
 基本的に姉一筋であるマイトからすれば、今リュミスがしているような安堵の表情が一番の報酬であった。
 それが自分に向けられた物でないのが残念ではあるが、ブラッドは病院のベッドで寝ているし、ベルは家に帰ったので、この顔を見られたのはマイトだけである。彼は満足だった。


「そ、そう……、よかった。あ、でも……」


「……姉さん! ベルは、まだ村に来たばかりの子供だよ? いくら姉さんだって、彼女を虐めるのは……。それに、ベルは姉さんの恋を応援するって言っていたよ?」


 姉の目に剣呑な光が宿るのを見て、マイトは慌てて付け足す。
 自分の姉がブラッドに近づこうとする女性に対して容赦という物を持ち合わせていない事は、そんな彼女の弟である彼が一番よく知っていた。
 全てを暴力で解決するような姉の姿は恐ろしくも美しく、自分の姉が世界で最も優れていると実感できるので好きなのだが、そんなマイトでも親友になったばかりの少女が殴られたり脅されたり殺されたりするシーンは見たくない。


「マイト……。私の、恋を、応援する、って、いうのは、どういう事、かしら……?」


「へ? あっ……」


 咄嗟に漏らしてしまった今の一言によって自分の寿命が数千年単位で削られる可能性がある、とマイトが気づいたのは、リュミスの目が先ほどの10倍近く鋭くなったのを見た後だった。
 姉の目が血の色に輝き、背後に黒いオーラが立ち上る。ほぼ同時に猛烈な寒気がマイトの背筋を走り抜けた。
 リュミスがブラッドを好いているというのは重要機密であり、迂闊に漏らせば大爆発を起こすような劇薬である事をすっかり忘れていた。姉の恋愛について相談できる相手が今まで居なかったから、初めてまともに話し合いができるベルと知り合ってガードが低くなっていたようだ。


「ひ、ひぃー! ごめんよ姉さん!」


「マイト! 待ちなさい!」


 この日竜の村の上空では、ジェット戦闘機並みの速度とヘリコプターを超える機動性をもった竜の姉弟による追いかけっこが展開された。






[8484] 第七話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/06/03 23:20


 ブラッドが瀕死になってから1週間。ベルは半ば現実逃避気味に生卵を撹拌していた。既に10分近くかき回し続けているので泡立ってきている。
 卵黄だけを使っているので熱々ご飯の上に醤油と一緒にかけたら美味しそうだけれども、今回この卵はそういった利用法をしない。ベルは惜しみながらも諦め、より大きいボウルに重ねるようにして入れる。隙間に水を注ぎ、冷却の魔法をかけて氷水にした。

 日本人だった頃は一人暮らしだったからある程度日常的に料理をしていたが、ベルティーユとなってからは一度もやった事がない。食事なんてメイドが作ってくれるのだから、ベルはそれを食べていればよかったのだ。ベルには料理を作る趣味がなかった事も理由の一つに加えられる。
 まさか自分が料理をする羽目になるとは思っていなかった。それもこんなプレッシャーを感じながら、だなんて。


「ベル、出来たわよ。これでどう?」


 ベルの隣で華麗な包丁捌きを見せながら魚を解体していたのは、ブラッドさんの嫁にして最強生物であるリュミスベルン様である。
 アジっぽい魚を開いて骨を取る動作は板に付いていて、とても数十分前まではよくわからない肉片を無数に作っていたのと同一人物だとは思えない。先ほどまで彼女から撒き散らされていた負のオーラは人間なら気絶しかねないレベルで、ここに居るより人間同士の戦争の最前線に居た方が余程安心できると思うほどだったので実に嬉しかった。竜族の強靭な胃袋でさえ胃潰瘍ができないかと心配になったし、隣で待機していたベルは冷汗が止まらなかったものだ。

 あのままだとこのキッチンが無くなっていたかも知れないから。最悪の場合は竜の村ごと。


「はい、大丈夫ですね。どんどん上手くなっていますよ」


 現在リュミスが製作しているのは、ベルが必死に簡単で失敗が無くて手料理といえるような物を模索した結果なんとか思いついた、ずばり天ぷらである。
 これなら食材を切り分けて衣をつけて油で揚げるだけであるし、うっかり系のミスさえしなければ素人でも悲惨な結果を招くような失敗はしにくい。工程が少ないのに焼くだの茹でるだのと違ってしっかりと姿が変わってくれるのもポイントだ。
 リュミスも天ぷらについては知らなかったらしく、簡単で失敗しにくくてそれなりに美味しい料理だというと納得してくれた。
 あれこれと手伝わされる事を予測していたベルだが、今回のメインはあくまでリュミスであり、ベルは補佐的な行動しかしていない。魚を捌くのも前世の記憶を総動員しつつ何回か見本になっただけで、今並べられている総勢150近いネタの数々は全てリュミスの手作業である。
 ある意味では満漢全席の何倍も貴重な料理となるだろう。なにせ世界最強に限りなく近い女性が作った料理なのだから。
 どのぐらい貴重かと言えば、全ての大陸を完全に支配している王でも望んで口に入れる事は叶うまいほどだ。そんな事を口に出せばその大陸ごと消される。


「ふうん……。聞いた事の無い料理だから、もっと難しいのかと思ったけど、意外と簡単なのね」


 満足げに胸を張っているリュミスへ、ベルはアハハ……と乾いた笑いを返す。
 リュミスは料理などした事も無いのだろうから包丁の持ち方を知らないのも当然なのだが、その状態の相手に一からここまで教えるのは苦労した。


 ……最初は驚いたものなあ。


 目を覚ましたブラッドと簡単な会話を交わしたのが昨日で、その翌日。
 暖かくて心地よい夢の中から強制的に叩き出されたと思ったら、目の前にリュミスが居た時は心臓が停止するかと思った。夢の残り香を追ってむにゃむにゃとお決まりの台詞を呟いていたら、いきなりジト目のリュミスさんと見詰め合って素直にお喋りできない状態である。普通の竜なら驚くだろう。ベルも物凄く驚いたので反射的に後ろへと弾け飛んでしまい、背にした石壁をぶち抜いて廊下に転がった。壁の穴から見えるリュミスの顔に皺がよったのを見て慌てて戻った。


「私に料理を教えなさい」


 そして戻るなりこれである。ブラッドに近づいたから殺すとかそういう方面でなかった事を喜ぶべきか、ともかく言われた時は目が点になってしまった。
 どうやらマイトとの雑談で少しぐらいなら料理ができると言ったのが間違いだったようだ。ベルはパジャマから普段着に着替えながら世を儚んだ。気分は対戦車地雷の上に乗っかってしまった不幸な兵士Aであった。いかにリュミスとて気まぐれで自分の住む村を吹き飛ばしたり他の竜を殺したりはしないと思いたい。けれどもリュミスがそれだけの力を持っている事は事実で、正しく規模を表すなら大陸殲滅型核地雷という感じだろうか。ともかく怒らせると危険、とベルは判断した。


「さ、サーイエッサー!」


 先ほどまでの考えが適応されたのか、軍隊に入りたての新兵Bのような調子で叫んでしまったベルを攻められる人間は居ないだろう。もし居たらその勇気を利用して凄い事が出来ると思う。死ぬ気になれば大概の事は出来るらしいから。


「……ベル! ベルってば! 次はどうするのよ」


「へ……? あ、すみません。ぼんやりしていました……。えっと、次は、卵に小麦粉を加えて軽く混ぜて衣を作り、それをネタに絡ませた後、油で揚げればとりあえず完成です。衣を作る際のポイントはグルテンが作られないように冷水でよく冷やす事と、混ぜすぎない事、だと思いました。今回は十分に冷やしていますので、そこまで気にしなくて大丈夫だと思います」


 考えに没頭していたらしく、リュミスの声が聞こえていなかったらしい。ベルは慌てて卵を入れていたボウルを指差し、次にやるべき事である衣の製作を伝える。
 揚げた時によく膨らむようにとケーキ用の小麦粉を使用していたが、日本で揚げ物に使っていた小麦粉とはまた違いそうなので、とりあえずの量しか混ぜないように伝えた。これも何度か試行錯誤を重ねる必要があるだろう。


「ふうん……。それにしても、生の卵に触るのは、気持ち悪いわね……」


 リュミスは黄色にプールに手を入れ、少しずつ小麦粉を混ぜながら呟く。
 その点についてはベルも同感だった。卵欠けご飯や半熟卵やらは大好きだけれども、あの鼻水のような微妙な感触は好きになれない。


「私も、ちょっと苦手ですね……。何個か試して衣の量が分かったら、菜箸でやっても大丈夫だと思いますよ」


 自分とリュミスの共通点を発見し、ベルは苦笑しながら笑いあった。
 軽く魔法を使って手を洗うための水を用意しておおく。平常時のリュミスは付き合い辛いと言うほどでもなく、自ら料理を教えろと言い出して来ただけあって真剣だったし、唇を尖らせながら不慣れな手つきで包丁を扱う様は結構可愛く見えた。もう少し付き合えば友達になれるかもしれない。
 これで包丁が手に当たっても切り傷一つつかないとか、八つ当たりに握り込んだ拍子に柄の部分がリュミスの手の形に歪んだりとか、終いには音を立てて包丁が砕けたりしていなければ、今の光景をもっと平和な気分で見られたのだけれども。


「極めようとすると油の温度だとか油から出すタイミングだとか奥が深いようですが、素人がやるならこれで十分だと思いますよ。それにリュミスさんもどんどん料理が上手くなっていますし、本格的にやるにしても回数をこなせば大丈夫でしょう」


 お世辞も入っているが大部分は本音だった。当り前よ、なんて胸を張っているリュミスを見つめる。
 まさか彼女がここまで真剣に料理に取り組むとは予想外、話をしっかりと聞いて役立てようとしてくれるので教えやすいのも想定外。ベルのイメージでは気に入らない事があれば、圧倒的なパワーを持ってその周囲ごと焼き払って壊滅させるタイプだと思っていた。どうやらブラッド絡みとなれば違うようだ。
 イメージの補正を抜きにしてもリュミスが原作より優しげに思えるのは、ベルが50歳を超えているとはいえ竜の感覚だとまだまだ子供だというのも一役買っているのだろう。いくら彼女でも子供を苛めて楽しむような趣味は無い、と思いたい。


「で、もう揚げちゃってもいいのかしら?」


 リュミスは期待を込めて小さく鼻を鳴らし、揚げられるのを今か今かと待っている食材の群れを指差した。

 急だったのでたいした物は用意できなかったが、失敗の分を抜いてもアジやイワシのような魚が二十数匹分と、薄くスライスされたカボチャが1/4個ぶんほど。その他は茄子だとかアスパラガスだとか見知った野菜に、日本には無かった物らしくベルが知らない野菜が少々、というのが現在の布陣だ。
 何故かそれ単体でも高級食材であるロブスターが四尾ほど坐していたりもするが、これはメイドのシィに海老を頼んだらこれが出てきた物なので、決してベルのセンスが異常な訳ではない事を注意してもらいたい。
 ロブスターはやや乱暴に殻を剥かれてなおベルの腕よりも大きく見える裸体を晒しており、プリプリした身は新鮮そのもので豪快に齧りつきたくなる。素人が下手に天ぷらなどにするより普通に食べたほうが美味しいのではないか、と無粋な突っ込みを入れるのは自由だが、わざわざ自分が処理した食材を奪われて怒るリュミスを宥めるなり彼女から逃げ出す事が可能なら言うといい。ベルには無理だと思うしやりたくない。だから何も言わない。


「そうですね……。最後の確認ですが、油の温度は180度ぐらいになっていますか? 大丈夫なら、何個か試してみましょう」


 ついに本番か、とやる気を見せているリュミスの姿は恋する女の子そのもので、彼女のこの姿を見せられればブラッドだって彼女を好きになるだろうなあとベルは思う。長時間冷やされて氷のように冷たくなっている卵に小麦粉を加えつつ混ぜる手つきには、ぎこちなくとも溢れんばかりの誠意が見えた。
 リュミスがブラッドを苛めるのは照れ隠しだと描かれていたし、自分の気持ちのやり場に困ってストレスを溜めていた部分も多いのだろう。暴力ではなく料理に労力を注ぐ事で発散できれば、毎度ながら殴られたりパシリにされたりしているブラッドの生傷も減るのではないかとベルは予想する。

 いかな小さい堪忍袋とて、容量を超えて破裂する前にガス抜きが出来れば問題はないのだから。


「温度は大丈夫ね。それで、コロモの量はどのぐらいつければいいのよ」


「……うーん、個人の趣味の部分もありますし、私の料理経験が少ないので、適量はなんとも……。幸い材料はたっぷりありますので、何個か作ってから味見すれば大丈夫だと思いますよ? 厚くするにしても控えるにしても、味見は大切ですから」


「頼りないわね……。でも、味見とは気付かなかったわ。許してあげる」


 リュミスの額に皺が寄ったが、自ら味見すれば不味い物を出さなくて済むと気づいたのか怒ってはいなかった。
 どうやら以前にブラッドに食べさせた際、普段自分が食べているような物を、つまりは化学調味料が無いのでかなりの手間と時間がかかる物を作ろうとし、材料と簡単な手順しか載っていないレシピ帳を見て作ったらしい。付け加えると 『肉が程よく焼けたらひっくり返す』 等の”程よく”な基準が全く分からない状態で。
 それでも見た目には料理の体裁をとれる形になったらしく、リュミスは意外に料理の才があるのかもしれない、とベルは思った。


「油が跳ねるかもしれませんので、入れる時は気をつけてくださいね」


 リュミスがカボチャにたっぷりの衣を纏わせて静かに油の中へ投入すると、揚げ物特有のジュワワワーっという音を立てて油の中に沈んだ。無数の気泡が表面を泡立たせる。それを見てベルは、ファンタジーな世界であっても油は爆発したりしない、と誰かが聞けば飲み物を噴き出すような杞憂で胸をなでおろした。
 跳ねるかもしれないとは伝えてあっても、爆発するとは言っていない。もし盛大に煙を上げるような事態になればベルの命にかかわってくる。戦争やらなんやらで大きく減少してしまった竜族の平均寿命である三千年以上は生きたいと思っていたし、種としての限界は数万なのだから、せめて長すぎる自分の人生に嫌気がさす位には生きたかった。


「ベル、これでどう?」


「あ、いい感じですね……。あとは油を切って、冷める前に軽く塩を振っておけば完成ですよ」


 リュミスは菜箸を掲げ、香ばしそうなキツネ色の服を纏っているカボチャを示した。上手い具合に完成したようだ。
 油へ入れてからずっと突付き回しただけあって喜びも一入のようで、うんうんと満足げに頷くと油を吸い取るために用意された布の上に置く。するとリュミスは塩を鷲掴みにしてその勢いのままぶちまけようとした。ベルは慌てて引き止め、つまむ程度で十分だと言って戻させる。
 いくら味に鈍い竜だからといっても限度がある。本体と調味料が同じぐらいある物を口に入れれば、ただでは済まないだろう。主に味覚が。


「……とりあえず、塩、醤油、砂糖醤油、レモン、そばつゆ、と用意しておきましたので、お好みでどうぞ」


 ベルは予め小皿に盛っておいた調味料を並べる。


「うん、美味しい。……これなら、ブラッドも」


 中世ファンタジーな世界観でバリバリな日本食である天ぷらが他人の口に合うかは少し心配だったが、顔をほころばせているリュミスを見る限り問題は無かったようだ。最強にして最凶だけども最高の女を嫁に貰えるブラッドは果報者だなあと思う。彼女の胸までしかないベルが言うのもなんだけれど、頬を薄っすらと赤く染めた彼女はとても可愛かった。


「保温はしておきますので、ゆっくりどうぞ」


 ベルはまだ時間がかかるとみて、キッチンの一部に保温用のドームを形成しておくことにした。直径約1メートルの範囲を切り取って空気の対流を可能な限り停止させ、その区域のみ温度を上げていく。空気を扱うことにかけては最も優れている烈風竜だけあって、高温への調節というやや苦手な部類に入る仕事も問題なくこなせる。それでも失敗すると大変だから、間違って布にまで影響を与えて発火しないよう慎重に温度を上げていき、投げ込んでおいた温度計の目盛りが100度前後まで到達した所で過熱をやめた。これだけ暖かければ冷めはしないだろう。

 張り切って次を揚げているリュミスを眺めながら、何はともあれ無事終わりそうで良かったと溜息を吐いた。あとは頃合いを見て、メイドに作ってもらった蕎麦を茹でるだけだ。ポイントを書いたメモも作ってもらったし、なんとかなるだろう。










「なあ、マイト。竜に胃薬って効果あるのか?」


 マイトは自分の隣で無礼な呟きを漏らすブラッドに複雑な感情を抱きながらも、彼がそういう結論に行き着くのは仕方がない事なので納得していた。
 前に殺されそうになったのは姉さん手作りの料理を貶めたからだと伝える事ができ、何の意味もなく殺されかけたのではないと知って貰えたものの、今度も似た様な物が出てくると思っているのだろう。手伝わされているだろうベルは大丈夫だろうか。マイトとして本当に親友になれそうだと思っていたので、今回ベルを売るような形になった事は心苦しかった。姉さんは少しだけ素直じゃない所があるから、泣かされていなければいいのだが。


「ブラッド。姉さんの手料理なんだぞ?! 美味しいに決まっているじゃないか!」


 自分の姉、リュミスベルンこそが世界一の女性だと確信しているマイトは当然だとばかりに言い切った。姉さんの手料理ならばどんな物でも美味しいに決まっており、味覚を頼りに甘い苦いと評価を付けるのは間違いなのだ。手作りだからこそ価値がある。ただ美味しいものを食べたければ、人間の演技でもしてレストランなりに行けばいい。


「お待ちどうさま……。あ、ブラッドさん? 危険ですので、料理に対する否定的な批評は止めておいたほうがいいですよ? 私の家も壊されたくないですし……」


「了解。……あぁ! 楽しみだなあ、ブラッド!」


「……ああ」


 ベルが持ってきたのは大きなザルいっぱいに入った灰色の麺だった。どうやら鍋物のように、何人かで分け合って食べるらしい。食欲をそそる色合いではないが、姉さんの手作りとなれば同じ量の金貨など足元にも及ばないほどの価値がある。マイトはたくさん食べようと決めた。


「ふんっ! こ、光栄に思いなさいよ!!


 続いてリュミスが大きめなトレイに乗せて運んできたのは、こちらもマイトには理解しかねる不思議な料理だった。黄色の何かに包まれた魚や野菜だろうか。名前は天ぷらというらしく、野菜や魚を手軽に美味しく頂ける調理法であるらしい。麺のほうはソバという名前で、黒いソースにつけて食べるのが一般的だそうだ。ブラッドは当然驚いたし、マイトもいい意味で目を白黒させ、この前までは料理の「り」すら満足にできなかった姉の成長に度肝を抜かれている。部屋を満たす香ばしい香りは、朝から食事をとっていなかった面々の胃袋を快く刺激する物であった。


「見たことがない料理だけど、美味しそうだ。凄いね、姉さん!」


 ベルに急かされてブラッドの前の席に座るリュミスの頬は少し赤い。二人の姿は姉妹を見るようで微笑ましく、マイトは照れている姉さんも可愛いなあと表情を緩ませた。隣で唖然としているブラッドに肘を入れて正気に戻しておく事も忘れない。さっそく自分の分の天ぷらに手を伸ばそうとしたマイトだったが、その瞬間背筋に強烈な悪寒を感じて手をひっこめる。どうやら最初の一口はブラッドに食べて貰いたかったようで、顔をあげるとリュミスが睨みを利かせているのが見えた。


「ブラッドさん、まあ、食べてみて下さいよ。私も味見しましたし、ある程度は保証しますよ?」


 素直になれないリュミスの苛立ちをベルが察知してくれた。本当に彼女は思いやりがあるというか優しいというか、姉さんとはベクトルが違うけれどもいい娘だなあとマイトは思う。まだ100歳にも満たない年齢なのに気が利くし、暇潰しとして練習しているらしく魔力の扱いも非常に上手い。なぜだか攻撃魔法は全くと言ってもいいほど使えず、障壁を作る魔法だとか傷を治す魔法ばかり覚えているようだけども、ベルの性格を表しているようで微笑ましかった。


「は、はい! 食べさせて頂きます……。む? 初めて食べる味だが、サクサクしていて美味い……」


 リュミスの視線に気づいてしまったのか悲鳴交じりでフォークを握ったブラッドだったが、予想外に美味しかった事で呆気に取られたらしい。
 険しいし表情をしていた姉さんも顔をほころばせ、当然よ、なんて意地を張りながら自分の分に手を伸ばす。マイトも茄子らしい物に塩をつけて口に運び、不思議な触感を楽しみながら咀嚼した。これなら食卓に上っても不満を漏らさないと思うぐらい美味しく、それ以上に姉の成長が嬉しい。


「うん、とっても美味しいよ! 姉さん」


 マイトは心からの笑顔で姉を祝福する。姉さんはブラッドと一緒にいるとすぐ照れ隠しにパシリにしたり殴ったりするので、こうやって慣れていけばブラッドのリュミスベルン恐怖症も和らいでくれそうだ。最高の姉さんがブラッドなんか……と言い切れないのが親友の弱みであるが、ライアネさんにゴマを擦って二番目になろうとする、なんて悪夢は見なくて済むだろう。そんな姉さんの姿は絶対に見たくない。もう少しで長老が隠し持っていた竜殺しの剣を持ち出して、ブラッドの婚約者と決まっているライアネさんを殺すところだった。

 その後は特に何もなく、強いて言えばリュミスがソバを取る際にブラッドの箸が触れた部分を執拗に狙い続けるという珍事があったが、どうやらブラッドは気づいていなかったようなのでマイトは安心した。



[8484] 第八話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/06/11 01:50

 ベルの一日は、隣で眠るメイドの暖かな体温を感じるところから始まる。
 季節を問わず常に一定の温度・湿度に保たれているので暑苦しい思いをする事は決してなく、ダブルキングサイズの更に上を行く竜族特注のベッドは一家全員で寝てもまだ余裕があるほど大きい。日本人であった頃からすると信じられないほどゆったりと流れる時間を感じながら目を空け、幸せそうに夢の世界を旅している彼女の寝顔を拝んで眼福を得る。


「みゅー……。はれかぁ……、おやすみ」


 次に窓を見ながら今日も平和な一日が始まるのだなあと噛み締め、視界を塞いでいる自らの銀髪を背中へと戻すと、テープを逆回しにするかのように二度寝するのが日課だった。

 人間状態は省エネモードなので精神的に休めれば睡眠など大して重要ではないのだが、ベルの場合はやる気が無いし寝るのは好きなので人間並みに寝ている。
 起きるのは大体9時前後で、ベルは気付いていないが一緒に寝ているはずのメイドはほぼ必ず8時には目を覚ます。その理由は精神的な癒しを補給するためである。ベルはよく夢の中で胸を揉まれたり、頬を突付かれたり、首筋やおへそを舐められたりするので起きた時は大体頬が赤い。そういう時はまず間違いなく一緒に寝ているメイドも顔を赤らめているのだが、変な夢を見ちゃったな、恥ずかしいなあ、なんて寝ぼけた頭で考えながら朝の挨拶をするのが日常だ。

 少し考えれば、メイドらに 『朝のベル様成分』 を補給されまくっている事に気付くかもしれないが、寝起きのベルの頭は冥王星の公転周期よりゆっくりとしか回らない。実は色々と限界突破したシィが暴走したのが5年前で、初めては奪っていないにしろヤッてしまった本人は壁に頭を叩き付けたりと恐慌に陥ったりもしたが、ベルは竜族特有の鈍さもあって全く気付いていなかった。そして冷水で顔を洗う頃にはただの夢として忘れているので、恐らく明日も気付かずに補給されるのだろう。

 ちなみにメイドらはこの時間の事を 『スーパーベル様もふもふタイム』 と呼んでいる。


「べ、べるさま、おあひょ、おはようございます!」


 二度寝から覚めたベルが目を覚ますと、シィは寝ぐせでやや乱れた栗色の髪をばさばさと震わせ、手に持っていた水晶玉型の記録装置を後ろ手に隠す所だった。
 それの中にはベル様ベストアルバムなどと銘打って、あられもない恰好で寝ているベルの姿が大量に保存されている。本人が見たら怒る以前に泣くだろう。黒歴史のページが増えただとか言って。


「ナ、ナンデモナイデスヨ? ……あ、ベル様、お洋服がっ!」


 ベルが着ているピンク色のパジャマのボタンは一つ残らず外れており、白い肌やつるんとしたおへそ、僅かな盛り上がりを見せる胸などが絶賛大公開中になっている。これを行った犯人は本人でも寝相の悪さなどでもなくシィなのだが、意識の9割9分が眠っているベルは曖昧な笑みを浮かべながらお礼を返す有様だった。非常にかわいい。シィは口元を押さえながら込み上げてきた鼻血を押し戻し、主人の身なりがまともな状態に戻った事を確認してから、水晶玉を持ち去りつつ顔を洗うための水を用意しに行く。

 その後ろ姿はかなり挙動不審なのだが、眠気で頭が空っぽ状態のベルは今日も気づかなかった。





「ベル様。お水、持って来ましたよ~」


「ん~……」


 ベルは水桶の水を操って水面を持ち上げ、水飴のように練り上げられた中に顔だけ入れて水流に洗ってもらう。それでも尚ぼんやりしているベルは暫くボコボコと息を吐き続け、5分ほど経った頃に水の温度を急激に下げて覚醒を促した。
 この時の冷却加減はかなり適当なので、水流を止めた瞬間に過冷却を起こして氷の彫刻になる事も多かった。どうやら今回はその典型のようで、水の冷たさに意識を引っ張り上げて貰ったベルが顔を引き抜くと、水は瓢箪のような形のまま凍りつく。人間がこの温度の水に顔を突っ込んだらショックで二度と覚めない眠りに逆戻りしそうであるが、鈍い事には定評のある竜族ならば大丈夫だ。リュミスベルンなどは煮えたぎる油の中に手を突っ込んで揚げ物を作っていた事さえあったし。


「ふぁ……。今日もいい天気ねえ」


 ベルは自分の腰に届くほどの長髪を持っているため、口に何か入っているなあと思ったら自分の髪だった、という経験も多かった。それでも切らないのは長髪の方が可愛いとベルが思っているからであったし、維持の手間が殆ど無かったのも理由の一つだ。癖の無いストレートは気に入っていたし、人間ならば朝の手入れなどは欠かせないだろうけれども、ベルの場合は無意識レベルで魔力を肉体の隅々まで行き渡らせているお陰か常日頃からの細かいケアといった煩雑さとは無縁だった。気が向いた時にメイドに櫛をかけてもらう程度で難しい事はやっていないにも関らず、目覚めたばかりである今も宝石のような色と艶を保っている。

 恐らく日常生活ごときで痛むには頑丈すぎるのだろう。20年ほど前に魔力を込めた竜の肉体の強さが気になったものの、指などで試すのが怖かったので毛髪を切ってみようと思った事があったが、特になんでもない極普通のハサミでは魔力で強化された髪の毛1本さえ切れなかった。それでも無理に切ろうとしたら、鉄製のハサミがベルの力に耐え切れず折れて真っ二つになった。つり橋を支えるワイヤーも真っ青の強度である。

 私の髪の毛はどういう構造をしているのだろうか。不思議パワーで強化されているにしても強靭すぎだ、手触りはいいのに。


「ベル様~。朝ごはんできましたよ~」


「ん、今行く~」


 まだ寝惚けの延長戦に居たベルだったが、本日の料理番であるアルの声を聞いて声を返す。
 途中まで進めていた着替えを手早く終わらせ、皆が待つ食卓へ。いい香りに鼻をくすぐられたベルは、ここでようやく完全に意識を覚醒させる。同時に寝た後から今までの記憶も消去させるのが問題だが、本人は忘れている事さえ忘れているので変えようも無い。
 巣から連れてきたメイド4人にベルを加え、5人はタイミングを合わせて仲良く食事前の挨拶を交わす。


「「「「「いただきま~す」」」」」


 本日のメニューはご飯に味噌汁に卵焼きとアジの干物、という日本的な朝食だった。意外にも燃えるような赤毛かつ男勝りな所があるディーが一番の料理上手で、今日の担当は彼女だったらしい。ご飯の炊き具合は硬すぎず柔らかすぎず丁度いいし、砂糖を入れた甘い卵焼きも焦げたりせずにふんわりと焼きあがっている。味噌汁の加減も申し分ない。
 ベルはメイドらと会話を挟みつつ、楽しく食事を終えた。膨れたお腹をさすりながらベッドへと戻る。


「魔法書は読み終わっちゃったし……。久しぶりに魔法の練習でもするかな」


 食後は済ませたベルは暫くぼんやりしていたが、ふと思い立って竜の村の外れまでやってきた。この前ブラッドが落下して広場になった場所だ。
 竜の村には周囲の森も含めて管理人が居るらしく、戦場跡のようだった悲惨さは影も無い。それでも完全に爪痕を消す事は不可能だったようで、周囲の森と比べるとまだ浮いている。草しか生えていない空白地帯になっていた。


「そういえば、飛ぶ時のポーズどうしよう……。スーパーマンスタイルは恥ずかしいから嫌だし、普通に立ったまま飛ぶと、下からパンツ見られるんだよなあ……。逆に考えるんだ、脱げばいいんだ。パンツじゃないから恥ずかしくないもん! とはいかないし……」


 広場の真ん中に降り立ったベルは、自分のスカートが風圧で捲くれ上がったのを見てばつの悪そうに手で抑える。料理に目覚めつつあるリュミスさんに呼ばれて料理を教えに行った際、特に気にせずに居たらマイトに注意されたのを思い出した。

 魔法少女といえばスカートが鉄板なのに、実際に空を飛べる人間とスカートは相性が悪いらしい。最近ではいい年齢になってきた某魔法少女もスカートだったが、地上に居る一般人が彼女を見上げたら物凄く間抜けなのではないだろうか。それともバリアジャケットは俗に言う絶対領域を発生させる機構も組み込まれているのかもしれない。ベルはアニメを軽く見ただけなので、詳しい設定は知らないのだけれども。


「認識阻害の魔法ってあったかなあ……? 後で探してみよう……。そういえば、そういうのが無いゼロ魔ではどうしているんだろう? パンチラ天国?」


 系統魔法を使えないルイズがミニスカートなのはいいとして、キュルケやタバサなどごく普通にメイジをやっている少女たちはどうやって隠しているのだろう。トリステイン魔法学院の制服はミニスカートのようだし、それを着用したままフライの練習などを行ったらストライク魔女アニメ並みのパンツ天国になりそうである。あの世界のメイジは貴族とほぼ同意義で、貴族の証であるマントを身に着けているはずだから、それで隠すのだろうか。むしろ女性がパンツを隠すためにマントが貴族の証になったとも考えられなくもない。

 それ以前に、メイジの学校で女生徒の制服をミニスカにするとか責任者は頭がおかしいんじゃないだろうか。学院長であるオスマンの趣味にしても年頃の女の子に対して間接的に露出を強制するとか変態すぎるし、そもそもパンチラは日常的にしていてはダメなのだ。偶然にチラッとしか見られないからこそ価値があり、その一瞬を目撃してこそパンチラたりえるのである。秘密の花園は隠されてこそ、だ。


「……ベル、何を言っているんだ?」


「ぬおおっ! ぶ、ブラッドさん?! なぜここに……」


 ベルは突如として背後から掛けられた声に本気で驚いた。気付かぬ内にパンチラについてブツブツと独り言を言っていたらしい。これにはベル自身でもドン引きだった。更には9割以上ジョークとはいえ 『周囲の大気を操り、ごく自然にスカートが軽く捲り上がる程度の突風を起こす魔法』 を練習していた事が露見したら、ダブルコンボでダメージが飛躍的に跳ね上がる事は間違いない。黒歴史とかそんな生易しい言葉では言い表せないだろう。ベルの背中に冷や汗が伝った。


「いや、ただの散歩だが……。ベルの声が聞こえてな。何をやっているんだ?」


「え、そ、そのですね……ま、魔法! 魔法の練習ですよ!」


 ほら! という掛け声と共に悪戯な風さんが広場を吹き抜け、ベルの膝まであるスカートをふわりと持ち上げ通り過ぎて行った。ブラッドの目にはバッチリ純白の下着が捉えられた事だろう。
 彼は何と返したらいいのか分からないようで固まっている。ベルも自分の行動に自分でショックを受けて固まった。


「あー、なんだ……。すまん」


 今日も竜の村は平和だ。










 予期せぬ遭遇から一週間後。ブラッドに 『努力家だけど天然』 属性だと認識されてしまったベルは、ベッドの上で身悶えしながら転がったりメイドに慰めて貰ったりしつつ引き篭もっていた。

 もっとも普段からそんな調子なので第三者から見れば大差ないのだが、自分の容姿は認識していても理解していないベルからすれば可愛い系の女の子にしか似合わないであろう “天然” だなんて萌え属性を身に付けた覚えは無く、特に努力を重ねている気も無かったので二重に恥ずかしかった。
 ベルが魔法の練習をするのは全くの自己満足にして暇つぶしでしかない。人間だって年に何回かは無償に体を鍛えたくなったりするもの、ベルが魔法の練習をするのはそんな衝動に駆られたからだ。ラノベしか読んでいないのに読書家だと持て囃されている気分である。


「失礼します……。ベル様、マイト様がいらっしゃいました」


「……? わかった」


 ベルは一瞬だけ困惑の表情を浮かべたものの、マイトと会うのはいい気晴らしになるだろうと思ったので素直に迎え入れる事にした。ベッドから降りて鏡の前に立ち、軽く衣服の乱れを整える。さりげなく手伝ってくれるメイドに礼を言ってから応接間へ向かうと、やや緊張したような真剣な面持ちをしているマイトの姿が目に入った。


「突然、すまないな。……ライアネさんの事で、話があるんだ」


「ライアネさんですか……? 計画では、もう少しブラッドさんとリュミスさんが親しくなってから、の予定だったと思いましたが」


 聞き様によっては物騒にも聞こえるかもしれないが、ベルとしては極めて平和的な解決を目論んでいた。
 ライアネは珍しい物が大好きだし、彼女のENDでも分かるように一か所に留まり続ける事をよしとしない。ブラッドの事は嫌いではないにしろ執着心を抱くほどではなく、リュミスが正面から頼みさえすれば後腐れなく許嫁の座を譲ってくれるだろうと見ている。これはマイトが可能な限り遠まわしに、だが間違いがないように確かめた。ライアネは巣の中で延々と子作りに励むだけの婚姻生活より、世界中を自らの足で歩きまわる生活を望んでいる。

 彼女を後押しするべく、ベルはギュンギュスカー紹介に依頼して各地に点在する遺跡やダンジョンの情報を集めていた。既にその数は300にも上っており、竜としての力を使わずに攻略するのなら、移動だけでも数十年はかかるだろう。まずライアネさんとリュミスさんが話し合ってブラッドを譲ってもらい、然る後に報酬としてダンジョンの分布図を渡すことで疑似的に行方不明になって貰う。これを建前にリュミスをブラッドの許嫁としてねじ込む算段である。
 原作ではマイトが竜殺しの剣を持ち、命をかけての一騎打ちの結果として導かれた答えを平和的に得られる筈だ。長老達はリュミスが落ち着く事を望んでいるようだし、ライアネさんにはほんの50年ほど世界をうろうろしてもらえば大丈夫だろう。最悪の場合はゼロ魔世界にライアネさんを放り込んで、話し合いが纏まった頃に戻って来てもらうという案もある。

 古代竜の純血種である彼女はリュミス程ではないにしろ戦闘能力がぶっ飛んでおり、もし大暴れされたら火の七日間よろしくハルキゲニアが消えて無くなるかもしれないが、この世界でライアネVSリュミスの大怪獣頂上決戦が繰り広げられるよりはよほどいい。なにせ天界や魔界を踏めて考えても圧倒的な戦闘力においては定評のある竜族である。ガチバトルなど繰り広げられたら世界が持たない。天は狂い地は裂け人間の世界では神話としてしか語られていない黙示録が現実の物となるだろう。単独でも三千世界を震え上がらせた女性を交えての修羅場など、想像するに恐ろしい。


「それは、わかっているんだが……。最近、姉さんが可愛いんだ! ブラッドの事を考えているから可愛いというのは、悔しいが……。ともかく、もっと姉さんを幸せにしてやりたいんだ! ベル、どうにかならないか……?」


「は、はあ……」


 拳を固めて力説するマイトの表情は本気だった。素晴らしい上達ぶりを見せるリュミスの手料理に毎回涙していたし、シスコンを拗らせたのかもしれない。


「この前なんて、ベルに貰った料理の本を読みながら微笑んでいたし……! ああ! この体に流れる高貴な血が憎い!」


 ベルは芝居がかった動作で悲哀を表現する彼を無視しつつ、感極まった彼に迫られても困るので対応策を考える事にする。
 普段はクールで知的なマイトなのだが、姉絡みとなると一周まわって基本馬鹿になってしまうのが珠に傷だ。その一途さが彼のいい所でもあるのだが。


「むう……。ブラッドさんって、人間状態じゃあ血の力を使えませんよね……? なら、その練習にでも誘ってみればどうでしょうか。竜殺しとかで血の力を抑えつけられたとしても、使用できる魔力で使える魔法を覚えておけば、そっちで対処できるみたいですし……。純血種のマイトさんにとっても、いいんじゃないですか?」


 意外にも竜殺しを目的とする人間は普通の魔法に弱いようだった。どうやら大半の竜には自らを鍛えるという発想すらないのが原因であるらしい。

 巣を必要以上に壊さないように手加減されたブレスでさえ、生身の人間が受ければ肉片一つ残らない。鉄壁を思わせる高価な魔法防具を身につけていても、竜の爪が掠っただけで腕や脚は簡単に飛ぶ。必然的に竜を相手にするなら攻撃は可能な限り回避する事が前提であり、避けるのが難しいブレスから生き残るための防具をチョイスするのが一般的のようだ。少なくとも両親の巣では、これが常識だった。

 竜殺しを狙う人間は事前の準備も抜かりなく、烈風竜の巣に挑むなら風属性のブレスを防げる魔法防具を身につけるし、火炎竜なら炎を防ぐ物を選ぶ。すべての竜族に対して効果のある竜殺しの剣や一部特殊な魔法防具でもあれば別にしろ、種族的には下級魔族にさえ劣る人間が竜を相手にしようというのだから、竜の傲慢さや油断を突くしか道はない。どれ程才能があって鍛え上げられた人間でも、正面から竜と組み合って力比べをしたら1秒以下でミンチになる。

 だから竜に一撃を加えるには搦め手を使うか、人間にとっては目玉が飛び出るほど高い魔法武器や防具で身か固めるか。そういった準備をしても研ぎ澄まされたレイピアで鎧の間隙を縫うような綱渡りが必要になるし、勿論本人も極上より更に上のレベルが求められる。どれほど高価な防具でも竜のブレスを防ごうとしたら専用対策になってしまうのが常で、対竜用に特化しているが故に別方向からのアプローチにはものすごく弱くなってしまうのだ。奇跡が百個ほど起きれば竜に勝てるかも知れない人間が、手前にいる漆黒騎士にやられてしまったりするように。


「竜殺しか……。確かに、あれは恐ろしい武器だ。俺も二十年、三十年したら巣作りに励む事になるから、備えておくのは悪い話ではないな」


 長老の元で竜殺しの剣を見たのであろうマイトは身震いをした。心なしか彼の顔が蒼褪めて見える。
 神族が創り出した竜殺しの剣はまさにドラゴンキラーの名に相応しく、限りなく無敵に近い竜族が唯一恐れる物といっても差支えない。特に純血種であるマイトと竜殺しは相性最悪であり、通常なら近づく事はおろか視界に入る事さえ嫌うだろう。


「私は混血なので、多少はましでしょうけど……。やっぱり竜殺しは怖いですからね。備えあれば憂いなしですよ」


 竜殺しの武器や一族は大戦期に神族などによって作られた物であり、当時は全くといっていいほど居なかった混血の竜に対しては著しく効果が劣る。最多の混血竜であるブラッドなどはその最たるもので、彼にとって竜殺しは必殺の武器足りえずに物凄い攻撃力を持っただけの剣にまで成り下がる。その代償として竜としての強さはかなり犠牲になっているが、多少力が減じたとしても竜族は竜族。千人力が九百人力まで落ちたとしても人間から見れば微々たる差だし、周囲を気にする事無く暴れられる場所であれば、落ち零れの部類であるブラッドでも絶対強者である。

 並みの魔族や神族では決して追いつけない速度で、それでも悠々と上空数千メートルにいる竜を撃ち落とす魔法など無い。人間が使用できる魔法では逆立ちしても届かないし、戦闘機を豆鉄砲で撃ち落とそうとするようなものである。単純な頑丈さなら竜族は三大世界一といってもいい種族だ。自重が2000トンを超える竜がうっかり転んでも鱗はびくともしないし、軽く20メートルほどジャンプしただけで足の裏がズタズタになったり骨が折れたりする竜など聞いた事も無い。そこに脆弱な人間の肉体をも鋼のように強化する事ができちゃったりする魔力やら魔法やらが加わったとなれば、竜の鱗がどれほどの強度を持っているのか計算する事を放棄しても誰も責めはすまい。


「だが……。ブラッドのやつが力を暴走させてしまったら、どうするんだ?」


 マイトの言う事はもっともだった。ブラッドは不用意に暴走させないために普段は平常心を心がけているようである。彼の血の力は混ざりすぎて不安定であり、一種の封印状態でもある人間の姿で故意に血の力を引きだし魔法を使わせようとするのは非常に危ないのだが、ベルには絶対に安全だと言い切れるだけの確信があった。


「それについては、リュミスさんが一緒に居れば大丈夫でしょう。多少暴走しても彼女なら睨むだけで抑えられると思いますし、暴走するといってもブラッドさんの本能ですからね。最近は殴られてないので慣れて来たかもしれませんが、リュミスさんに襲い掛かる気概は無いでしょうから」


「なるほど。それなら安心だな」


 さらりと言い切るベルと、納得の表情を浮かべるマイト。
 この時、竜の村のどこかでブラッドさんがくしゃみをしたとか何とか。




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ゼロ魔はどうしたって? 幻術だ。



[8484] 第九話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/06/16 01:35


 ベルは自分の中に流れる烈風竜の血に語りかけ、無暗に開放すれば周囲一帯を消し去って余りある力の中から必要な分だけを取り出し、望む形に加工する。

 今回使用するのは日常的に使うような、例えばベッドから動きたくないけど本棚にある本を取りたいとか、本が面白いから目を逸らしたくないのでワインを水球にして口に運びたいだとか、そんな生易しい規模の物ではない。開放すれば岩山を穿ち、大地を切り裂き、圧倒的な破壊として顕現する暴虐。人間がこれを実現しようとした場合、魔法使いを百人規模で集めてようやく達成できる戦略用の大規模魔法クラスのものだ。

 ベルの小さな掌の中に圧縮されたそれは小さくても烈風竜が吐き出すブレスそのものであり、一度暴走すれば英雄が十人がかりでも手に負えない。
 最高級の魔法防御を展開していても、数百万Bにもなる防具をつけていても結果は同じ。肉片さえ残らずこの世から消えるか、奇跡が起きて指の一本ぐらいは残るか、そのどちらかだろう。爆心地に居る人間が生き残る術はない。


「ふぅぅ……」


 まさに桁違いの魔力を手中に収めたベルは目標となる物を鋭く睨みつけ、圧倒的な暴力がもたらすであろう快楽に顔を歪めた。
 いかな他の竜と比べて温和な性格をしているベルであっても、人間が積み木を崩す時に背徳感を得るように、何かを破壊する事にはほの暗い快楽が伴う。
 自らの力を解放する瞬間は快いし、生まれもった力を封印するほど聖人君主な性格はしていない。だから手の中で荒れ狂う力の脈動を感じながら、特に気にするでもなくそれを解放した。


「かめ〇め波~!」


 全てを台無しにする言葉と共に手から巨大な竜巻をぶっぱなすと、組み合わされた掌から飛び出した暴風は数キロ先にある山の一部を削り取った。
 ここからなら、人間の目にも不自然に円く抉れているのが見えるだろう。見た目が非常にバカっぽい事を除けばかなりの一撃だが、ギャラリーであるブラッドは何とも言えない表情をしているし、リュミスはいっそ清々しい位に呆れ返っている。
 視線が実に痛い。動作が物凄く子供っぽいと自覚していただけに、ベルが負ったダメージが大きかった。


「うぅぅ……。だから嫌だって言ったじゃないですか……。だ、だって、仕方がないんですよ? 最近では結構慣れてきたんですけど、強いのを打とうとすると、どうしてもイメージ不足で制御が……。口からは問題なく出せるんですが、なんか化け物っぽくて嫌じゃないですか! だからイメージしやすいように、昔好きだったキャラのですね……」


 言えば言うほどドツボに嵌っている気がしないでもない。ともかくベルは頬が赤くなるのを必死に無視しながら喚き、最後には自分自身に負けてがっくりと膝をついた。わかりやすい落ち込み方だ。


「……いや、その。見た目は悪かったが、威力は凄かったぞ? な、なあ、マイト?」


「あ……ああ、確かにな。見た目は変だったが」


 ベルの本気を見ていたいと言い出したのはブラッドであり、鈍い彼なりにフォローしたかったのだろうが、二人して全くフォローになっていない。日本人の男子に生まれれば誰でも一度はやるだろう伝統行事に対し、変だの子供っぽいだのと散々な言い方だった。
 ベルが更に落ち込んだのは当然の結末だろう。わざわざ自分でどんよりとした雨雲まで作って身に纏った。


「ふんっ! な、なによ、凄い凄いって……。私だって……!」


 一応は喜劇だが、リュミスとしては面白くないようだった。ブラッドが自分以外を褒める所を見たくないらしい。
 唇を尖らせながら右手に猛烈な魔力を集めると、先ほどベルが放ったブレスの3倍ほど強烈な業火を同じ山に向けて放つ。すると虫食いのように抉れていた山の上部が吹っ飛んで、恐らく30メートルほど標高が低くなってしまった。本気でやったら人間状態でも山が蒸発しそうだ。


「うひゃー……」


 ベルは軽く顔を上げると、気の抜けた呟きを漏らした。
 巨大戦艦の主砲を思わせる一撃だったというのに、リュミスの足元では未だに花が揺れている。掌から放射された炎は完全に完璧に統制されており彼女が望んだ場所以外には全く影響を与えていないのだ。その証拠に周囲の気温は1℃たりとも上昇していない。恐ろしいまでのセンスと才能だった。
 これを完全に生まれついての才能だけでやっているというのだから恐ろしい。純血種と混血の差を垣間見たようである。


「さすが、リュミスさんは凄いですね! ね、ねえ、ブラッドさん?」


 ベルはまだ成長期らしく内包する魔力の限界量は伸び続けているし、わざと周囲の温度と湿度を上げてから溶けない氷でシャナの彫刻を作って涼を取る、なんて馬鹿な思い付きを年がら年中行っているので操作できる量は伸び精度も上がっている。彼女が立ち止まったままならば数百年後には追い付ける可能性も一応あるが、今は彼女が怒ったらベルにできる事は何も無い。
 惨事を防ぐために思考を巡らし、わざとらしい位にブラッドへと話を振った。


「……え? あ、そ、そうだな。リュミスは凄い。とっても凄いぞ!」


 無茶振りだったせいかブラッドは困惑したが、リュミスの目線がブラッドへと移ったのを見計らって 「かのじょほめて。しにたくなければ」 と空中に文字を書いたのでギリギリセーフ。天高く起立するブラッドの死亡フラグを折る事に成功した。
 小細工が露見する前に指を弾き、伸ばしていた水の鞭を空中に霧散させる。連載が長い間停止しているハンター漫画を読んで思いついた訓練法を試していてよかった、とベルは初めて思った。 「ルイズ! ルイズ! うわぁぁぁぁん!」 などと某コピペ書いて遊んでいたのを見られたのは一生ものの恥だったが。


「ふ、ふん! 当然よ!」


 ツンデレとしてはテンプレ的な台詞を言いながら、照れたのかプイっと目線を逸らすリュミスさんはとても可愛い。頬はほんのりと赤くなっているし、怒りで隠してはいても微笑んでいるのは丸分かりである。ブラッドには彼女を見る余裕はなく大仰に胸をなで下ろしていたが、彼女の顔をしっかり見れたら話は違うのだろう。

 毎度の事ながら素直になればいいのになあとベルは考え、これでも照れ隠しで半殺しにしていた頃と比べれば少しはマシになったか、と肩を竦めた。







 ベルが赤っ恥を掻くというハプニングはあったが 『ブラッドさん強化訓練』 は日没を持ってつつがなく終了し、これ以降はリュミスが手料理をふるう機会に合わせて訓練を続けていく事になった。具体的には月に一度リュミスが朝食を作る機会に合わせて集まり、腹ごなしの意味も含めて訓練場までピクニックに行き、適当に訓練しつつリュミスの作ったお弁当を皆で食べて解散、という流れである。

 ブラッドが血の力を暴走させる寸前まで行く事態は数あったが、その度にどさくさに紛れて抱きつこうとするリュミスが目を光らせたため、その真意を読み取れない彼は躾けられた犬のように服従のポーズをとった。ブラッドと彼に流れる血の目的が ”生きて帰る” という所で一致した瞬間である。
 いくら凶暴な魔王竜とて、リュミスの前では生まれたての子猫のようなもの。体重5トンを超えるサーベルタイガーが牙を剥くならば、逆らうはずもない。


「ブラッド、着実に成長しているな。この分なら姉さんだって怒らないさ」


 マイトがそう褒めるほど、ブラッドの成長は顕著である。
 訓練数が片手の指を超えた頃には小さな魔法なら人間状態でも安定して発動できるようになり、両手の指で余るようになっていた今は、人間で言えば見習魔法使いという所だろうか。ベルからみても太鼓判を押せる成長っぷり。天性のニート気質を持つ竜とは言え、自分の命がかかっていたら頑張るらしい。
 人の状態でもある程度は空を自由に飛べるようになっているし、幾度もの暴走を経験したお陰か血の制御についても格段に上手くなっている。今までリュミスがブラッドを殴っていたのは血の制御が下手だったから、と説明させてもらったので、これならリュミスさんもブラッドに嫌いじゃないといえるチャンスになるだろう。

 人の状態でもこれなのだから、より血の制御が容易い竜の状態であればさらに顕著だろう。火炎竜のパワーと水氷竜のパワーを同時に使うなどして、相殺され無駄になっていた魔力も大幅に減少するはずだった。
 これで巣作りの時には少なからず有利になったので、存分に自分の墓を掘って欲しいものである。


「ベル……。なんだか、不吉な考えを感じたのだが」


「はは、気のせいですって……。それより、もう少しで温まりますから、座る場所の確保を」


 ベルはブラッドを適当に誤魔化すと、草原の上空1メートルに浮かんでいる4つのバスケットへと意識を集中させた。
 中にはリュミスお手製のカツサンドや卵サンドなどが詰まっており、温めた方が美味しい物だけを狙って過熱しているので加減が難しいのだ。他の竜がやろうとしたら一瞬で消し炭である。いかな才能のあるリュミスといえど経験不足はどうしようもなく、無駄に慣れているベルにお鉢が回って来るのだった。

 ある意味ではベルの場合も命をかけた練習だと言えるだろう。失敗して焦がしたら、明日も生きている自信がない。


「よし、完成……。後はグラスが4個に、氷ですね。……はい、どうぞ」


 加熱を終えたベルは軽く指を弾き、虚空から作り出した氷の彫刻を並べた。それらは人が持っても割れそうなほど薄いワイングラスで、ガラスとはまた違った輝きを持つために芸術品のようも見える。魔法の訓練を無駄な方向に使用した結果だ。

 魔力が供給されている限り溶けない上にガラス並みには頑丈だし、ベルが制御を手放すか溶けるように操作すればただの水になるため、無駄な荷物を持ちたくないピクニックの時などはとても便利だった。竜や魔族など温度に鈍い種族でなければ冷たすぎて長時間持てないのが残念な所だが、普段使うにしてもメイドらには最高の食器と評判である。主に洗い物が必要ないという理由で。


「ベルは相変わらず、こういう小細工が得意ねえ……」


 光り物が好きなのは竜族の性分であり、グラスについては悪く思っていないようだが、リュミスは僅かな賞賛と多分の呆れを交えて言った。

 彼女からしてみればグラスが欲しければ誰かに言いつければいいのであるし、クーのような血統のいい魔族でもなければ空気に近い扱いであるため、ピクニックに一団引き連れても気にしない。彼女にとってメイドとは使われるために存在する物であり、絶対的強者である自分が気に留めるほどの存在ではないのだ。
 もしリュミスがブラッドへの愛でも綴った手紙を見られれば、即座にそのメイドを殺すか、たかがメイドごとき、と捨て置くかの二択だろう。ベルのように圧倒的弱者であるメイドを他人と認めて接する竜はごく一部。どちらかと言えば少なすぎて異常者の部類に入る。


「まあ、趣味ですし……。物造りも悪くないですよ?」


 金儲けのために町を爆撃しまくった竜の台詞ではない。ベルは自分の言葉に苦笑を漏らし、これはブラッドのために手作りの料理を作っている彼女にも言えるのか、と気付いて考えを改めた。どうやらリュミスも思い当たったようで、どこか納得いかないという顔をしている。


「とりあえず、食べながら話しません? ブラッドさんも、お腹減りましたよね? リュミスさんの手料理って美味しいから」


「へ? あ、ああ。そうだな。リュミスの手料理は、美味しいぞ」


 咄嗟とはいえ紛れも無いブラッドの本音にリュミスは気を許し、一瞬前までは憮然としていた思えないほどの照れ笑いを浮かべる。 「な、何言っているのよ!」 などとツンデレ的な台詞を言いながらもニヤニヤは止まらず、やはりよく分かっていないブラッドは困惑気味になっていた。さりげなく押し付けられた最もできの良いバスケットを手に固まっている。

 ここまで来ればリュミスさんがブラッドさんにベタ惚れだと分かりそうなものであるが、ベルの人生の数倍も殴られながら生きていただけに、まだそういった発想が浮かんでこないらしい。まあツンの部分で相手を殺せるツンデレも珍しいだろうから、ブラッドにとっては仕方が無いのかもしれなかった。

 最近ではリュミスさんを見ても、子犬がするような服従のポーズとか、途端に泡を噴いての死んだフリだとか、怯えながら物影に隠れたりとかはしなくなったので、それだけでも満足すべきか。

 4人揃って食事前の提携分を交わし、恐らくステーキ用の特上肉を使ったであろう最高級のカツサンドを頬張りながら、ベルはぼんやりとそう思う。




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タイトルを変更しました。ゼロ魔はサブ的な立ち位置に。



[8484] 第十話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/06/27 00:03



 ベルは傍らに積まれていた最後の一冊を読了し、数時間ぶりに肩の力を抜いてグルグルと腕を回した。
 この程度で竜が疲れる事は無いのだが、半ば儀礼的にぐいと背筋を伸ばしつつ猫のような声を上げる。
 大きく脱力しながら背もたれに体を預け、上下逆さになった書斎をぼんやりと見回した。

 乱立している本棚の量は尋常ではなく、個人の書斎というか図書室の方が雰囲気としては近い。日本人だった時も捨てられないタイプだったベルの性格は悪化しており、種族的特長として財宝などを溜め込む性質と元の性格とがマッチしてしまったようだ。
 その結果として読み飽きた本でも売る気にはならず、延々と本だけが増えていく事態が発生したのである。元が男なのでデザインやセンスの方面には疎いベルでも、自室が本と本棚で溢れそうになれば危機感を覚えたため、積もり積もった数十年分の本を隔離するために作られたのがこの書斎だった。

 部屋はすっきりして綺麗になったのだが、スペースに余裕が出たら余計に本を買うスピードが上昇しているので、ある意味では逆効果な気もしている。
 更に入り口側には大量の参考書やら図鑑やらが並んでいるので偉人っぽいが、部屋の奥には主に娯楽小説を詰め込んだ棚ばかり。読んだ本を出しっぱなしにする事も多い上に、掃除や整理といった管理はメイドらに丸投げ、というダメ人間っぷりを発揮していた。


「私の体はそんなに貴重だったのかー。竜攫いには注意しよう」


 このセリフも中二病的な発想の延長……ではなく、先ほど読んでいた書物から得た知識だ。
 タイトルは 『絶対強者ドラゴン その全て(1~9巻)』 といい、タイトルは竜向けでも内容は違う。読者の9割以上は人間か森の住人あたりだろうし、竜族でまともな人物ならまず読まないだろう。
 なにせ竜族の死体を利用して作るマジックアイテムだとか、体そのものを利用する方法について事細かに綴った本なのだ。完全に一部の魔法使い向けである。


「しかしね、血はもちろん唾液すら貴重だとは……。もし風邪とかひいたら、鼻水も貴重なのかなあ? 鍛えた鉄を竜の鼻水に浸けて作った魔剣! とか言われたら、ある意味ではすごく強そうな気がしないでもないけど……触りたくない」


 ベルは読み終わった本を空中で整列させて増設したばかりの本棚へと戻し、今も魔法を使っているくせにファンタジーを粉砕しかねない発言を飛ばした。

 純血種のドラゴンの骨は現在確認されている全ての世界でも抜群の素材であり、小さな欠片でも島を消し去るほどの魔力が圧縮されているという。物質的な強靭さでも至高にして究極。神の金属と呼ばれるオリハルコンさえ凌ぐ強度、そして生物由来の物であるが故の柔軟性を併せ持つと言われ、果てしなく複雑な工程を完遂させれば最高位の神族さえも容易く切り裂ける剣となるそうだ。

 ただし存在するだけでパワーバランスを粉々に粉砕する核兵器のような物であるため、実際に作られた事は有史以来一度も無く、その工法も封印され完全に潰えたという。不確かな情報を元に書物の筆者が推察したところ、そのような物が実在したとしても高密度の魔力の塊である竜の骨を加工するには大陸中の魔法使い全てをかき集めても足りないため、誰かがドラゴンの凄まじさを伝えるために用意した作り話だろうとも書かれていた。


「やっぱり鼻水はダメだよねえ……。かっこ悪いし、なんか手に取っただけで病気になりそうだ……。竜の精液も薬としては最高の部類に入る素材らしいけど、精液漬けの剣とかエログッヅそんままだし……。巣ドラの元がエロゲだけに、切られたら発情するとか……? でもそれ以前に、剣にぶっかけとか特殊性癖過ぎる……。俺だった頃は確かにロリとか大好物の紳士だった……訂正、今も好きけど、剣には欲情しないわ」


 書斎には誰も居ないのをいい事に、その手の魔法使いが聞いたら憤死するような内容を言いまくるベルだった。

 そして任侠映画を見た人間の気が大きくなったり、アクション映画を見た後だと強くなった気がしたりするのと似た理屈で影響を受け、我が家にも工房を作ろうと動き始める。

 まあ、それさえ通信アイテムでクーさんに依頼し、その後は彼女任せという適当さだが。




 そして1週間後。自宅の使われていない部屋を改造してもらったベルは、新品のデスクに座りながら鼻歌交じりで作業していた。

 自分ってぶっちゃけニートだし、日曜日って日付はないけど日曜大工の内なのかなあ、だとか、そういえば実家の近所に住んでいたおばちゃんが陶芸教室高に通っていたなあ……などと思いを巡らせる。

 前世でのイメージではリフォームにはかなりの時間がかかると思っていたのだが、ギュンギュスカー商会の仕事は実に迅速だった。
 依頼したその日の午後にはクーさんが十人以上のメイド部隊を連れてきて、ただの物置だった部屋をテキパキと整理したかと思えば防御用の魔法などを天井や床を含めた壁一面にかけ、あっという間にリフォームしてしまったのである。まさに劇的ビフォーアフターだ。

 家具などの料金を含めて施工費はかなりお高くついたものの、それに適うだけの仕事はしているので文句のつけようがなかった。すぐに物造りに飽きてしまっても、購入した素材や家具を売れば高々数百万Bの損失で済む。振り込まれる生活費のお陰でベルの貯金は増え続けているので全く問題ない。

 今ベルが向かっている机も商会から仕入れた物で、漆でも塗られているのか真っ黒い表面には竜の巣にも使われている魔法防御がかかっているらしい。
 幅は3メートルほどで、奥行きが2メートルほど。手触りにしてもツルツルしていて硬いという見た目通りの物で、ブヨブヨしているとかドロドロしているとか無駄に画期的な物ではない。淵を掴んで持ち上げてみた限り、重さは数百キロ程度だろう。細かく計るには軽すぎてよく分からなかった。

 見た感じではシンプルイズベストなデザインである事ぐらいしか分からないが、人間では本気で壊そうとしても傷一つ付かないほど頑丈だそうだ。


「それにしても、溶けた金って綺麗だなあ……。やたらと伸びるけど、けっこう動かしやすいし」


 ベルは溶けた金の両側をつかみ、ビローンという効果音が聞こえるほどに伸ばした。
 丸めるとサッカーボールより一回り小さいほどの大きさしかないのだが、その気になれば部屋を何週も出来るほど伸びまくって面白い。

 いかなベルでも人間状態で溶けた金に触れると火傷するので、両手を手袋のようなバリアで覆っている。隙間には真空を作っているので物理的に熱は通ってこず、手袋の厚みは一ミリ以下であるため細かい作業も問題ない、というオマケつき。無駄に小細工が得意なベルを象徴するような魔法だ。
 問題は維持が面倒な事だったのだが、新しい感触に無竜になって1時間近く粘土遊びをしていたら慣れてしまった。


「さて……。私の血を入れて、流し込んだ魔力を定着させる必要があるんだけど……」


 ベルは袖をまくって自分の右手首を露出させ、血管のあたりを指でつんつんと突いた。
 意図的に魔力を巡らせるのを停止しているため、何重にも着込んでいた鎧を外した腕はどうしようもなく脆く見える。
 下手したら自分で手首から先を吹っ飛ばしてしまいそうだ。あまり想像したくない光景だった。


「ぬおぉ……き、気合だ! ほぁぁ!」


 リュミス辺りが見たら呆そうなほどに気合を居れ、氷で作った注射針をそーっと動かす。見た目は間抜けでも本人は必死だった。
 皮膚に氷の冷たさを感じて反射的に腕を引いてしまうが、ここで止めたらせっかくの金が無駄になるぞ、と貧乏性を刺激して決意を固めた。大きく深呼吸しながら一気に指を進め、やがてツプっという感触と共に針先が皮膚を貫いたのが分かった。


「あれ? 思ったよりは……。でも、変な気分だ……。さっさと終わらせよう」


 封印状態の肉体は人間と同じぐらい脆く、ベルからすれば呆気ないほど簡単に皮膚を突き破った。体内に氷が侵入してくるのを感じて身震いし、痛みよりは気持ち悪さの方が勝っている事に安堵する。違和感にしても小さく、意図的に意識を集中させていなければ気にならなかった。

 手をひっくり返すと透明な注射針の中央が赤く染まり、緩やかに撹拌している金にポタポタと血液が落ちていく。その度に肉を焼いているような音が響いた。
 融点である1000℃を超えている金に触れても即座に蒸発しないのが不思議だ。予め親和性が高まっていたお陰だろうかと疑問に思う。砂時計のように一定間隔で落ちていく自分の血液を眺めるのは不思議な気分だ。混ぜていい血の量と込めるべき魔力量については注意が書かれていなかったので、どうせなら多い方がいいだろうと大量に混ぜておく事にした。心臓の鼓動に合わせて落ちていくそれをぼんやりと眺める。

 今回作る予定のアイテムは、RPGで言うと最大MP増量および回復率にボーナスがつくタイプのアクセサリーなので、蓄えられる量は出来るだけ大きい方がいい。回復率も最大保有量に依存するらしいし、いつもお世話になっているメイドたちへの感謝を込めたプレゼントなのだ。いい物を作りたかった。


「どうにも出血が遅いなあ……。もう少し針を太く……って?! あぁ! だばぁはらめぇぇ……」


 飽きたので針の太さを3倍にしたところ、かなりの勢いで勢いよく流れ出した自分の血を見てパニックに陥った。金の表面が赤く染まり、急激に魔力を取り込んだ事で不安定になる。そんな状態の金を落下させて大惨事を起こす寸前までいったが、針が勝手に抜けたので無事終わった。

 ベルは混乱してしまった自分を恥ずかしく思いながらも、今は傷跡さえ残っていない腕を神経質に擦る。しっかりと治癒魔法をかけたので貧血の心配はないが、日本人だった頃だってあんなに血が出た経験は無かった。自業自得ながら肝が冷える思いである。


「次に血液を混ぜ込むときは、あらかじめ容器に準備しておこう……」


 ベルは何度か深呼吸して気持ちを切り替え、魔法で適当に攪拌している金に向き直った。
 現状でもかなり大量の魔力が込められている。書物によるとマジックアイテムとして定着させる際にかなり減衰してしまうらしく、少々勿体無いような気もする。それで効果が半永久的になるとはいえ、半分以下にまで落ちてしまうのは残念。しかし現時点でも加工前の金より輝きが強くなっている気がするし、大量の竜の血を練り込んだために上限が大幅に増えているから、失われてしまう分ぐらいは取り戻せそうだった。

 もっと練り込んでおこうと決めたベルは再び両手を金の中に突っ込み、もう少し粘土遊びに興じる事にする。








 クーは今月の成績がグラフ化されている表を眺め、表情には出さないまでも深く満足していた。

 今までと比べると飛びぬけて高くなっている自分の成績を見て、思わず頬が緩みそうになる。二十年ほど前に専属的な契約を結べたはいいものの、数日前までは小物の取引しかなかった取引先が、長い冬を経てついに芽を結んだのだ。合計で1億B近い商品を気前良く購入して貰い、運がよければ今後とも高価な材料を購入してくれるだろう。悪くても売り上げが減る事はないし、もし返品されても手数料はきっちり頂く事ができる。

 どちらにしてもクーにとって悪い話ではなく、それどころか 『親友が巣作りに出る際はギュンギュスカー商会に社員を派遣して欲しい』 とまで言って貰えたのである。竜の巣となれば国家を運営するにも等しい大事業であり、有料物件中の有料物件。ほぼ間違いなく巨大な利益を上げる事が約束されたも同然で、普段は有能な社員としてクールなイメージを心がけているクーであっても小躍りしたくなるほどだった。


「~♪」


 それも、その友人というのがまた凄い。なんと竜族の男性の中では最も優れていらっしゃるリュベルマイト様だとかで、ギュンギュスカー商会でもぜひうちの商品を使って欲しい、と狙っていた相手である。この一件でクーの評価は大きくプラスの方向に動き、その結果が形となって現れ始めているのだ。
 まだ姉たちが居るのでクー自ら竜の巣の運営に関る事はできないが、ベル様曰くブラッド様という竜も百年か二百年以内には巣作りを始めるという。あまりにも美味しすぎて裏があるのでは、などと無駄な勘繰りをしてしまいそうなほど美味しい話であった。反射的に叫びまわらなかった自分は偉い、とクーは思う。


「ふっふ~ん♪」


 口から漏れる鼻歌にも熱が入ってきた。会社の廊下であるにも拘らず声が大きくなり、小指を立てながらエアマイクを握り締める。既にクーの脳内ではバックミュージカルが鳴り響き、冷たい雰囲気を覚えるオフィスの廊下は七色のレーザーと湧きあがった観衆の怒号が乱舞する舞台へと姿を変えていた。


 何万という群衆が魔力によって光を発するペンライトを振りかざし、サバトを思わせる絶叫と熱気がさらに彼らを湧き立たせる。魔界でも有数のコンサート会場だというのに、限界まで押し込まれた観客で今にもはち切れてしまいそうだ。今なら熱気だけで天井をぶち抜くことさえ可能と思えた。

 彼らの前に立つのは魔界でも有名なアイドルユニットであり、通常ならそれだけを目当てにして一大コンサートが開けるほど。
 しかし、本日の主役は彼女らではない。この場においては極上の美女たちで構成された精鋭メンバーをしても前座であり、たった一人の少女に敵わないのだ。


--- ありがとうございました! 素晴らしい演奏でしたね……。しかし、彼女の前では霞む! すべてが霞む! ---


 余韻を残して彼女たちの歌が終わり、新たなる人物の到来を予期して会場が静まり返る。この場にいる数万人の心が一致し、針の落ちる音さえ聞こえるのではと思えるほどの沈黙。嵐の前の静けさ。誰も彼もが魔法で石に変えられたかのように動きを止め、生唾を飲み込みながら、ただ一点を凝視する。

 そこに立つのは、魔界の歌姫として大人気絶賛活躍中のクー! 挨拶代わりの軽い一曲を歌い終わり、観客の盛り上がりも絶好調だ! さあ、今こそ!


「魔界の歌姫クー! 歌いま……」


 大声でそう宣言し、クーは固まった。

 固有結界と言ってもいいほど練り上げられた脳内妄想が次々に剥がれ落ち、観客も熱気も霞と消えたオフィスの廊下。

 未だ勤務時間内だけあって、先ほどまではクーしか居なかったのだが、今の今まで魔界全土に響き渡れとばかりに熱唱していたのである。
 当然のように注意を引きに引いており、その過剰効果として、リズミカルに踊り狂うクーの姿を見た無数の魔族までドン引きさせていた。


「あ、あの……お電話、なん、です……けど……」


 私は気にしていませんよ? 本当ですよ? という雰囲気を精いっぱい取り繕い、それでも腰が引けているメイド服の魔族が言う。
 彼女の顔には到底繕い切れない苦笑いが張り付いており、メイド村のメイド族の特徴である長い前髪によって顔半分が隠れていたとしても、言わんとしている事は一目瞭然であった。
 両者の間を極寒のブリザードさえ温かみを感じられるほどの空気が流れる。

 いかな回転の速い魔族の頭脳であっても、エターナルフォースブリザードを正面から食らってフリーズしていたら動く事はない。たっぷり1分近く物凄く気まずい空気がオフィスの廊下を吹き抜けていた。両者とも無言である。蛇に睨まれた蛙のように動かない。どちらが蛇でどちらが蛙なのかはわからないが、ともかく固まっていた。そのまま固まっていれば数十万年後に化石として発見されそうなほど、固まっていた。


「えっ……あっ、そ、その……これは……」


 認めたくない。絶対に認めたくない。それでも現実というやつはどこまでも無情であり、クーの聡明な頭脳は受け入れ難いそれを少しずつ理解し始めていた。
 同時にF1マシンのエンジンでさえ焼け付きそうなほどにフル回転するが、彼女の人生でも終ぞ無かったほど焦っている。そんな状態ではこの窮地を一発逆転するようなアイデアが閃く訳もなく、盛大に空回りをした挙句に暴走状態に陥ったのは必然であった。


「きゃあああああああああああああああああああ!!!」


 その日、魔界の一等地にあるオフィスの一角が爆発炎上したとか何とか。



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後2~3話でゼロ魔に行こうとは思いますが、テンプレ展開を踏襲する内容にするのは不可能なので結構好き勝手やると思います




[8484] 第十一話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/08/02 19:15
 ベルは塗りつぶしたように黒い机の上、夜空に浮かぶ星のように散りばめられた宝石を眺めていた。
 それらを装飾兼増幅装置として機能させるため、設計図と睨めっこしながら最適な場所に配置しようと試行錯誤しているのだ。

 宝石のサイズは同じでも結晶の構成やらが一つ一つ違う上に、カットの具合や角度によっても魔力の流れは変わるため、見栄えと効率を両立させるのはかなり難しい。それでもサイズはどれも小さいながら質の良い物ばかりだし、先ほどまでベルの血に浸されていたので魔力の通りも抜群。材料としては最高に近い物が揃っているのだから、致命的な失敗さえしなければ及第点には届くはずだった。

 この材料郡が腕のいい魔族の手に委ねられたのなら、軽く国宝級のアイテムが出来上がってしまうだろう。なにせ竜族は同属以外を、下手をしたら自分以外の存在など、取るに足らない働きアリ程度にしか思っていないのが基本的なスタンスなのだ。それが自らを傷つけてまでマジックアイテムを作ったりする訳が無い。原作のリュミスがブラッドの浮気を堂々と認めるだとか、自分よりもブラッドを愛しているから、なんて理由で許婚の立場を誰かに譲るぐらいにありえない。

 まあベルだってマジックアイテムを作るのは初めてだし、書物から得た上っ面の知識だけしかない事は否定できないが、失敗作しか作れないと決まっている訳ではなかった。巣の宝物庫には似たようなマジックアイテムが無数転がっていたし、センスがないベルでもデザインをパク……オマージュすれば問題ない。
 マジックアイテムとはいえアクセサリーである。成金趣味のゴテゴテとした装飾は好ましくないというのも分かっている。トンデモデザインを避ける最低限度のセンスはあるので、後は設計図を形にするために必要な指先や器用さや魔法の熟練度の問題になるだろう。そしてベルは無駄に細かい作業が得意だ。


「そういえば、クーさん滅茶苦茶落ち込んでたけど、この時期に何かイベントってあったのかな……? 覚えがないんだけど」


 設計図から顔をあげ、ベルは気晴らしに昨日の事を思い出す。
 いつも営業スマイルを絶やさないクーさんが珍しく落ち込んでおり、事情を聞いてみたら全力で話を逸らされたので細かい事は教えてもらえなかった。
 原作にはこんなイベントなんてあったかな、と首を捻ってみても分からない。基本は有能だけどもポカをやらかす事もあるクーさんだから、何か重要な取引でうっかりでもやってしまったのだろうか、とベルは推測している。

 まさか 『魔界にあるオフィスの廊下で大フィーバーしている所を発見されたクーが、悲鳴を上げながら半狂乱になった挙句、暴発させた必殺技で自爆した』 などとは想像だにしないだろう。知らぬが仏だった。


「金を見せた時も、なんか変な顔をしていたしなあ。クーさんも欲しかったのだろうか」


 メイン素材である金は現在熟成中。素材と魔力をより馴染ませるため、今も部屋の片隅にある魔方陣の上で寝かせている最中だ。
 この過程についてベルは 『一晩寝かせたほうが美味しくなるカレーみたいだ』 と非常に軽薄な感想を抱いている。


「それとも、人間にプレゼントするって思ったのかな? 人間がこれ着けたら発狂しそうだし……」


 ベルは丸めていた設計図を手に取り、刻もうとしているルーンに間違いや矛盾が無いかチェックしていく。

 誰かが聞けば物騒に思うだろうが、別に特殊なルーンなどを刻む心算は欠片もない。悪辣なトラップを仕込んだ呪いのアイテムではないのだから当然だ。作るのは開けると絶望が飛び出してくるパンドラボックスではなく、メイドらに日頃の感謝を込めて贈るプレゼントなのである。不意の事故から身を守るのと同時に、普段の仕事で疲れないようにサブタンクとして機能させ、中に魔力が溜まっている限り本人の負担がなくなるような、その程度のアイテム。

 それが何故人間に対して危険かといえば、人間にとっては嗜好品であるタバコが、小さな虫にとっては即死クラスの猛毒だったりするのと同じ理由だった。
 魔力を過剰に溜め込んでしまう性質をもち、定期的に他者へ魔力を与えないと生きていけない 『魔法使いの花嫁』 という存在がいい例だろう。人間が扱うには魔力抵抗が足りない。種として普遍的に耐性を持っていないヒトにとって、自分の限界を超える高密度の魔力を取り込む事は極めて危険な行為なのだ。


「魔力って言うから、やっぱ”魔”の力なのかなあ。別に神族だから潔癖で魔族だから狡猾、って事はないんだけどねぇ……。クーさんだって魔族だし」


 呼吸している大気の中にも魔力は存在しているにも関らず、並の人間が一生かけて取り込む量ではマッチに火を灯すのが精々といったところ。
 巣ドラ世界の人間が猿から進化したかはベルの知る所ではないにしろ、進化の過程で魔力は不必要な物だと判断したのだろう。呪文や詠唱などを無視して力を振るうには人間の体だと厳しいし、寄り集まって群れを作る生き物だから、個々の戦闘能力を重視する必要はなかったのかもしれない。

 まあ、世界には単独で大陸を沈められる生物が(主にベルのごく身近に)存在している以上、進化論がどうこう突っ込むのは野暮というものだろう。ベルのブレスは風なので強固な物を貫く事には向いていないが、射程に優れているだけあって広範囲を薙ぎ払うのはお手の物。天候操作して有害物質を含んだ雨を降らせて作物を壊滅させれば国の一つや二つを崩壊させる事など朝飯前であるし、竜巻を50個ほど作って国土を縦横無尽に踊らせれば一番手っ取り早い。


「でんでんで……あれ、ゴ○ラのテーマってどういう曲だっけ? でんでーん? でででーんでん……? 忘れちゃった」


 まあ、世界をどうこうする力があろうともベルはニートであるし、無意味に暴れたがるのはテレビの中の大怪獣だけである。
 知能の無いただの獣でもあるまいに、強大な力を持つ竜だからこそ最低限の自制は皆持っていて当然だ。上位の雌なら人間世界を何も無い荒野に変えるぐらいのパワーはあるが、金が欲しい時に貢いでくれる便利な存在が居なくなっては巣作りという文化が崩壊してしまうではないか。そうなれば竜だって困る。

 ベルの精神は多少、肉体に引きずられている部分はあっても 『ぐッ……わ、私の血が……。は、離れろっ! 暴走するぞ!』 なんていう厨二病的な破壊衝動が沸きあがるとか、怒ると両目がオッドアイになってしまうとかは無い。人間を皆殺しにしたくて堪らない、なんていう意味不明な衝動を覚える事も無かった。
 イライラしている時なら大暴れするのは効果的な発散方法かもしれないが、それなら人間の町よりもその辺の山の方がよっぽど壊し甲斐がある。


「そういえば、最近雪合戦してないな……」


 ベルの場合、大きく力を振るうのは暇つぶしと趣味が大半だった。

 暑さに参っているメイドらを見て急に雪遊びがしたくなり、適当な山まで出かけて雪を降らせるだとか、その他にも雷が近くで見たいからと雷雲を作ったり、入道雲を作る科学の実験を思い出して実際にやってみたり、雲の形を変えてカニだとか猫だとかジャン・ク○ード・○ァンダムとかを作って遊ぶ程度に限られている。
 最後のは巨人だとか悪魔だとか筋肉だとかヴァンダボー! などと人間を無駄に混乱させてしまったので、ならば、とダイナマイトボディのお姉さんを作ったら余計に混乱させてしまった。なんでも真下にあった街では、男性の9割が首を痛めてしまったそうである。自分の作品が認められるのは嬉しいものだ。


「フルプレートアーマーを買ってきて、ゴーレムなりガーゴイルなりに加工して、アル○ォンスとでも名付けてみようか……」


 息抜きの合間に人生を。今日も今日とてベルは自堕落に生きている。

 手のひらの上に小さな氷の塊を生成し、部分的に消したり継ぎ足したりしながら形を整え、5分もした頃にはミニミニ鎧なくぎゅ声弟さんが完成した。
 具足や篭手といった細部は覚えていないので、残念ながら全体的に省略されたアバウトな作りになっているが、あのマンガを読んでいた人なら分かってもらえるだろう。鋭角なフォルムをしている鎧の胴体部分には特に力が入っており、空洞化した内部にはジョークとして操縦者の猫が入っている。兜には猫耳もオマケした。
 その出来栄えに軽く満足し、声色を変えて 『兄さん! ネコミミモードだよ!』 と呟いて大きく頷く。くぎゅ声だけに相性はいいらしい。


「猫耳鎧……。これは流行る」


 ベルは些か奇抜なスタイルになった彼の姿を想像する。当初の目的とずれている事は自覚していたが、まあいいやと切り捨てた。

 別にデザインの決定は急務ではない。メイン素材である金は後1年ほど熟成させる予定であり、時間的な余裕は十分にあるのだ。
 4人のメイドに1対の腕輪を送ったとしたら合計で8個になるが、材料を節約すれば12個ぐらいは作れるだろう。致命的な失敗を頻発しなければ物資の余裕も万全だし、1年先に使う物を焦って仕上げたところで、もっと相性のいい素材が手に入ったら大幅に変更されてしまう可能性もあった。暇つぶしにある程度のパターンを考えておくのもいいだろう。

 材料が余ったら自分用の細工を作ってもいいし、クーさんに何か送るのも一興。なにせ親友であるブラッドの大切な人候補である、友好関係を築きたい。
 あの大きい耳に合うようなイヤリングがいいか、薄い胸板をさり気無く彩ってくれるネックレスにするべきか。それとも真っ赤なツインテールと色を合わせた髪留めとか、執事服の雰囲気を壊さない程度に艶やかなブローチなども良いかもしれない。バリエーションを考えれば1年は暇が潰せそうである。


「いっそ猫耳がついたカチューシャとかも……って、はーい?」


 ベルは部屋の中に響いたノックの音で我に返った。
 机の上に散乱していた宝石を素早く手近な箱へと収納し、作りかけの設計図は折りたたんで引き出しへと隠す。


「失礼します……。ベル様、マイト様がいらっしゃいました」


「マイトさんが……? わかった。ありがとねー」


 予定にない来客は珍しい。ベルは些細な驚きを感じながらも労わりと感謝の言葉を返し、礼儀正しく一礼して去っていくシィを見送った。
 やや乱雑な折り方をしてしまった設計図を取り出し、改めて丁寧に折り直す。一部プライベートな場所を除けばこの家を管理しているのはメイドらなので、このプレゼント計画を秘密のままにできるとは思っていない。実際にすぐにでも露見してしまうだろうとは思っていたが、サプライズの気持ちが重要なのだ。


「にしても、マイトさんどうしたのかな。まあ、リュミスさん絡みってのは間違いないだろうけど」


 ベルが覚えている限り、マイトがこの家を訪ねてくるといえば、どれもこれも彼の姉に関連した事ばかりだった。
 リュミスさんが手料理を作った時にブラッドさんと一緒に食べに来たのが最初だったはずだし、それ以外はリュミスさんをもっと幸せにしてやりたいだとか、リュミスさんが喜ぶプレゼントはなんだろうとか、最近リュミスさんがブラッドの事ばかりで寂しいだとか。何処までも真っ直ぐなシスコンっぷりである。
 恐らく大仰な内容ではないだろうが、せっかく訪ねて来てくれたのだから長く待たせては申し訳ない。

 ベルは忘れ物が無いか机の上を確認してから席を立ち、指を鳴らして椅子の位置を戻すと作業室を後にした。
 絨毯の敷かれた廊下を歩き、応接間に向かうため階段を下りる。万が一爆発させてもいいように作業室は上の方に作ってあった。そのため窓から飛び出せばもっと早いのだが、今日は空なんて飛ばないだろうと思っていたので、パンチラ対策に仕入れてもらったスパッツを履いていないのだ。運悪くスカートも膝までと短めだし、露出狂ではないベルは極普通のルートを通った。


「いらっしゃい、マイトさん」


 それでも5分とかから図応接間へとたどり着いたベルだが、笑顔で返答したマイトを見て少々困惑する。
 紳士的な態度で紅茶のカップを置く姿は絵になっており、彼の容姿とも相まって非常にカッコイイのだが、この家に来る度に慌てていた彼には合わない。
 リュミスさん絡みならもっと焦っているのが常で、ここまで落ち着いていると言う事は何か別の問題なのだろうか、とベルは推察した。軽く挨拶を交わす最中もクールで知的なマイトのままで、どうやら本格的に目的が違うらしい。

 テーブルを挟んで向かい合い、ベルは軽く首をかしげて続きを促す。


「実はライアネさんの事なんだ。今朝、町を歩いていたら、彼女とばったり会ってな。姉さんに婚約者の立場を譲ってもらえないか、と頼んでみたら、呆気ないぐらい簡単に受け入れてくれたんだよ」


「おお、成功したんですか!」


 完全に予想外だったが、朗報だった。思わず声が大きくなる。

 肩まである緑髪と豊満なボディが特徴のライアネは、竜族の女性にしては非常に温厚な性格をしているため竜族の男性からの人気は物凄く高い。そして収集癖のある竜らしく鉱物や植物、マジックアイテム、等と形や種類を問わず珍しい物を殊更好むので、凶悪極まりない花嫁から逃げたいと思っている男性から色々と送られる事も多いらしい。

 だが黙って捧げられるより、自ら求めてあちらこちらを冒険する事も好む、というこれまた珍しい気質から、玉砕者を量産しているようだった。
 例えば標高数千メートルの山の頂上にしか咲かない花を摘んでくるよりは、どこぞの山にはとても希少な花が咲いているんですよ、と情報を持っていく方が余程気を引けるだろう。上手くすれば二人っきりで冒険できるかもしれない。雪山で二人きりとなればラブロマンスに発展する可能性も無きにしも非ず。

 ただし過剰に竜の力を使って楽をする事は許して貰えないので、紹介した遺跡にあるトラップやら何やらで命の保障は全くないが。


「ああ、後は姉さんと長老たち報告するだけだ……。ベルに相談せずに決めてしまったのは、申し訳ないが」


「いやいや、私は構いませんよ? 結果よければ全てよし、ですよ」


 マイトが自分で成功をもぎ取ってきたのだから文句を言う理由などない。ベルは机に置かれたクッキーに手を伸ばしながら笑う。
 多少の修正を加える事には吝かではないが、あれこれと自分の理想を強要するのは避けたかった。どちらかと言えばベルは部外者であり、まだ巣ドラのメインメンバーとは十年ぽっちしか付き合いがないのだから、数百年もブラッドの親友をやっているマイトが決めた行動にケチをつけるのは出過ぎた行為だろう。


「そう言ってもらえると嬉しいよ。これで、姉さんも喜んでくれるだろうし」


 爽やかな笑みを浮かべているマイトはカッコイイけれども、ちょっと脳内のイメージと違うなあ、と失礼な事を考えた。

 シスコン紳士ではない優雅な態度で紅茶のお代わりを頼むマイトを見て、すぐに長老やリュミスさんに説明に行かなくていいのかと聞くと、ライアネさんの気紛れでキャンセルされる可能性があるために余裕を見ているらしい。なるほど納得だった。
 たしかにリュミスベルンをぬか喜びさせる代償は重いだろうし、命が大事だと思うなら懸命な行為だろうとベルは思う。

 ベルとしても友達の一人を悪く言うのは気が引けるのだが、怒ったリュミスは非常に怖いのである。漏れ出した魔力がゆらゆらと蜃気楼を作るし、あの鋭い眼光に睨みつけられたらもうダメだ。弾丸より早く機関車より強いチート生物に生まれ変わった現在でさえ、絶対に勝てない相手だと本能的に悟ってしまう。
 もし巣ドラがバトルだったら、ブラッドは某世紀末スポーツアクションゲームに出てくる石油王ジャギ様のように不遇だろう。中には魔法戦士に進化する猛者もいるようだが、ブラッドの場合は竜状態でも人間状態のリュミスに殺されるという格差社会。常に一撃必殺テレッテーが待っているようなものだ。


「ん~……。リュミスさんは、ブラッドさんのどこが良かったんでしょうね? いい友達だとは思いますけど、恋愛対象となると……」


 竜は親同士が子供の結婚相手を決める事が多いため、リュミスのように恋愛をして男を選ぶ女性の竜は極僅かである。
 原作ではリュミスに流れる古代竜の血がブラッドを選んだそうだが、姉弟であるマイトがブラッドの親友になったのも似たような理由なのかもしれない。


「分からないな……。姉さんは、私の血がブラッドを選んだのよ、なんて言ってたんだけど……。俺だって、姉さんと同じ古代竜の純血なのに……はぁ、姉さん」


 テーブルの上に項垂れてしまったマイトを見て、やっぱりこういうマイトの方がイメージに近いなあ、なんて思ったベルだった。

 その後は軽くチェスを嗜みながら議論を交わし、昼食を一緒に食べた後で分かれる。
 メイドと一緒に食べるというと驚かれたが、食後には賑やかな食事も悪くないと言って貰えたので、彼には概ね好意的に受け入れられたらしい。





 翌日、ライアネさん宅に今まで集めた遺跡やダンジョンの情報をまとめた物を渡しに行ったが、生憎と留守。
 仕方なくライアネさんの家に雇われているメイドに手渡したものの、1週間後に再び訪れた時には冒険に出発した後だった。ちょっとライアネさんに会ってみたいなと考えていたベルは肩透かしを食らった気分になったが、計画としては大成功なのだし、と仕方なく諦める。


 半年ほど経った頃にマイトが長老達に伝えに行ったが、そちらもそちらで大した問題がなかったようだ。ブラッドの許婚がリュミスへと変更され、ライアネはマイトの許婚になる事になった。マイトは伝えるのが楽しみだと言って心を躍らせていたが、その喜ばせようとしている本人に 『ニヤニヤしていて気持ちが悪い』 と殴られていた。ちょっと不憫だなあと思うベルである。

 メイドらにプレゼントを贈る計画が絶賛進行中であるからして、独りよがりの空回りにならないように気をつける必要がある。
 とりあえず材料は揃っているし、設計図も15枚以上描いて理想に近い物が出来ていた。それから1ヶ月、2ヶ月と過ぎて、成熟中の金を腕輪の形にだけは加工しておく事に決定する。芯としてベルは自分の髪の毛を何本か使用するつもりであり、本格的にルーンなどを刻む前にそちらとも馴染ませる必要があったのだ。

 作業室で机に向かい、ベルは魔力の篭った自分の髪を1本ずつ引き抜いてみた。チクっとしたものの大して痛みは無く、結果として得られた銀髪は大量の魔力の篭った、それこそチェーンソーでも切れないような素材だ。自分の血が混じっている金とも相性は抜群である。
 まずは腕よりもかなり大きい直径の円を作り、その周囲に溶かした金を薄く這わせる。マジックアイテムらしくサイズの調節はルーンでどうにでもなるので、ぶかぶかで大きすぎるぐらいが丁度いい。直径3ミリほどになるまで金を追加していき、冷やすために一度停止。後15個同じものを作り、終わった頃にはある程度冷えた事を確かめて最初の一個の続きに手をかける。

 この状態では単なる金で出来たリングに過ぎないが、これが全ての基礎になるので後から直すのは難しい。土台をより頑丈にするにはもう一手間かかる。
 ツメで柔らかい金を掘り、丁寧にらせん状の溝を刻む。そこに再び毛髪を埋め込んで、魔力を循環させる場を作るのだ。リングコイルと似たようなイメージであり、この基礎が弱くてはいいアイテムは作れない、と 『初めてのマジックアイテム製作 ~今日から貴方もクリエイター~』 なる本に書いてあった。

 埋め込んだ後は溶かした金でリングを覆い、もう一つ同じ物を隙間を空けて平行に並べる。このときの隙間が広ければ様々なルーンを書くスペースも広くなるようだが、あまり書き込みすぎるとよくないらしい。今回は単純なルーンしか刻まない予定なので、幅は狭めの2センチ程度に収めておいた。
 後は金で二つのリングの隙間を埋め、全体をすっぽり包めば外観はほぼ完成。望む効果が出るようにルーンを刻んで、外側に宝石を埋めればお終いである。


「とはいっても、ここからが神経使うんだよねー……。頑張れ、私」


 4人分、8個の腕輪の土台を完成させたベルは気合を入れなおした。

 まずは内側から慎重にルーンを掘っていき、ミスリルの粉末と自分の血液、その他にも色々な素材を混ぜた特性のインクで満たす。途中で何回も設計図を見直し、間違いが無いか確認したうえで一文字ずつ定着のための呪文を唱えていく。
 先ほどまで銀色に輝く液体だったインクがほぼ一瞬で固形になるのは結構面白かったが、簡単なルーンとはいえ象形文字のようにうねっていて手間がかかるし、全て刻めばそれなりの数になるので大変だ。大気中の魔力を取り込むルーン、使用者に魔力を補給するルーン、腕輪に堅牢さを与えるルーン、使用者の腕にあわせて大きさを変えるためのルーン。最も複雑なのは使用者の意思に反応し、危険が迫った場合に自動で障壁を張るルーンである。こんがらがったコンセントのコードのように複雑なので何度か間違えそうになり、その度に削りすぎた部分を金で補修した。

 内側を終えたら、次は外側である。のっぺりとした現状ではあまり美しいとはいえないので、こちらにも内側と同じようにルーンを刻んでいく。
 難しいのはルーンの隙間に小さな宝石を配置していく作業だ。設計図と現物ではどうしても誤差が出るため、少しずつ魔力を通しながら位置を微調整しなければならない。メインとなるのは1センチもあるエメラルドで、これに使用するためにわざわざ薄くカットしてもらった。これの設置には特に神経を使った。


「よっし、1個完成! サクサク行くぞー」


 一つでも完成させてしまえば肩の力が抜け、後はもう安定した流れ作業になる。
 ベルは巣作りドラゴンのオープニングテーマを鼻歌で歌いながら、黙々とプレゼントの製作に励んだ。






[8484] 第十二話 外伝? メイドな日々
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/11/12 19:46
 むにゃむにゃ……ん~……。あ、おはようございます……。
 って、寝巻きなんですから、あまり見ないでくださいよ!  私の赤裸々な姿を見ていいのはベル様だけですから、人間の方はあっち向いててください!
 いい、って言うまで振り返ってはダメですからね?

 ごそごそ……。ごそごそ……。ふう、もういいですよ。
 改めまして、ベル様にお仕えするメイドの一人、シィです。本日はこれをご覧になっている皆様に、メイドな一日を紹介いたしますね!


 ……なんて、脳内劇場をやってみたり。ああ、虚しい。


 やっぱり、隣でベル様が寝てないと寂しいですね……。主にエッチないたず……もとい、ベル様成分も補給できません。
 あれは私的に三大栄養素の100倍は重要なので、出来れば一日たりとも欠かしたくないのですが、一緒に寝る権利は交代制ですから仕方がありませんね。前に皆で一緒に寝たときは、私を含めて4人が4人ともベル様に抱き付いていて、蓑虫状態になりましたから……。よくまあ朝まで寝ていたものです。

 メイドは空気のように、必要であれども無視できる存在であれ……と研修では習うのですが、ベル様は私達を家族と言ってくれる優しいお方。それでは変に遠慮してしまう方が失礼なので、ガツガツしていてもいいのですよ! 勿論、ベル様が負担に思わない程度の範囲は弁えていますけれども。

 それでもベル様ですから、あまり、というか、殆ど自由です。

 その証拠に、竜の巣ではそれなりの位になって初めて個室がもらえるのですが、私の部屋ってかつてのメイド長の部屋よりも広いんですよね。
 そりゃ主であるベル様の部屋と比べれば、当然の事ながらかなり劣りますけど、それでも使用されている家具はどれも高価な物で、下手な貴族ではとても手が届かないレベルです。明らかにメイド部屋って感じじゃありません。
 単純に部屋が余っているっていう理由も大きいのですけど、6人一部屋だった下働き時代とは比べ物になりませんよ。ベッドも省スペースのための二段ベッドじゃないですし、衣服を入れるクローゼットだってこんなに大きなのを独り占め。

 自由に使えるスペースがいっぱいあるっていいですよね。こうやって丸秘の写真とか隠せますし。


「目の保養、目の保養っと♪」


 中に隠している秘蔵のコレクションを取り出し、今日一日の活力を補給しておきましょう。
 う~ん、流石はベル様。パジャマから覗くおへそが可愛いですね……。ぐへへ。
 私がベル様と初めて会ったのは、珍しく巣の奥にまで入り込んできた冒険者がベル様と接触してしまった時なのですが、今でもよく覚えていますよ……。指示を受けて現場に急行した私を、涙目+上目遣いで見上げるベル様はヤバかったですからね。危うく忠誠心が鼻から噴出するところでした。
 その後は一緒にお風呂に入って……。ここでも湯船を真っ赤に染めそうになりましたよ。あまりにも可愛いんで思わず抱きしめちゃったら、そっと抱き返してくれて……。メイドやっていてよかった! って思いました。役得でしたねー。

 これだけでも十分過ぎるほどいい感じなのですが、お風呂から出てメイド服に着替え直したらあらビックリ。お肌ツヤツヤ髪の毛サラサラになっていまして、同僚にどんな化粧品を買ったんだって質問攻めにありました。鏡を見てニヤニヤしすぎ、頬が筋肉痛になったのはこの日だけ。ベル様は竜ですので膨大な魔力をお持ちですが、前日に通販のカタログを眺めすぎて睡眠不足だった私が近くに居たからか、その魔力を肉体再生とか回復、治癒などの魔法として私に注いでくれていたみたいです。
 その日の夜に 「一人だと眠れない」 との理由から、始めてベル様と添い寝したのですが、目覚めた時にはお肌とか髪の艶が数百年ぐらい若返っていました。竜族の方々からすればメイド族なんて圧倒的下位の存在なのに、こんなにしてくれるなんて……。やっぱりベル様に仕えられてよかったなーって思います。
 メイドの私が口に出していい事ではないのですが、ドラゴンとなれば同属以外のほぼ全てを見下しているのが基本スタンスですからね。特に女性となると……。

 大変嬉しかったのですが、翌日は鏡を眺めすぎたせいで仕事に大幅に遅刻し、メイド長に嫉妬の混じったお小言を食らってしまいましたよ……あはは。



 おっと、素晴らしき思い出に浸っていたら朝食の時間ですね。
 ベル様を待たせる訳には行きませんし、今日のご飯係はディーの担当ですから、期待できます。

 彼女って男勝りな性格をしているんですが、その割には意外と料理が上手いんですよ?  私もベル様に美味しい物を食べて欲しいなあと思っているので、味覚の強化と料理の練習は欠かさないようにしているのですけど、ディーには今一歩及びません。キッチンメイドの資格を取っただけでは最低限キッチンに立っていられるだけであり、普遍的な食材を見分けられ、一般的な道具の名称と使い方をなんとか知っているに過ぎません。
 美味しい料理をつくろうとしたら、やっぱり修行が必要なのです……。ベル様は私の料理も美味しいって言って下さるのですけどね。

 でも、大好きなデザート系なら私に軍配が上がりますよ?
 甘い物は美味しいですから、練習もガンガン捗ります!
 例えばチョコチップをまぶしたクッキーとか、蜂蜜漬けのリンゴをふんだんに使ったタルトとか、新鮮な卵で作る自家製プディングとか……。んー、考えただけでよだれが。今日も練習する事にしましょう。主に3時ぐらいに。


 てくてく歩いてキッチンへ向かいながらも、廊下が汚れていないかチェックします。汚いお家はバッテンですからね。

 私ら4人だけでこの家を最高の状態に維持し続けるのは無理なので、しっかりとした掃除は部下の清掃専門のメイドに頼んでいます。
 掃除などの仕事に手を取られ、本来の役目であるベル様の呼び出しに答えられないと不味いですし……。通路とか玄関とかは私らでもいいのですが、ベル様だって自室や書斎などのプライベートな場所はあまり顔見知りに掃除されたくないだろう、というのもあります。
 これは私達メイドが番号で呼ばれる理由の一つでもありますからね。ご主人様に余計なストレスを与えてはいけません。

 ああ、キッチンに近づくにつれ、段々とパンの焼けるいい匂いが近づいてきました。
 お肉の焼けるジューシーな香りと油が跳ねる音もしますし、今日の朝ごはんはパンとベーコンとスクランブルエッグやサラダにシチュー辺りでしょうか? 
 ルンルン気分で部屋の中に入ってみると、本日の抱き枕担当なアル以外は集合済みでした。料理はもういつでも完成可能で、今はお皿やコップを並べているところ。 ぼんやりしている内にだいぶ出遅れたみたいです。幸いベル様はまだ来ていませんね。私も準備を手伝わないと。







 ふぅ、ごちそうさまでした。やっぱりディーの料理は美味しいですね。余計な雑念を覚えることなく、夢中で食べてしまいました。
 よく煮込んだシチューはお肉も柔らかくて野菜もホクホクで言う事無し。デザートはシャーベット状に凍らせたメロンで、これも甘くて最高でしたから。

 そういえばメロンって、ハムと一緒に食べたりもしますよね? あれって確かに美味しいとは思うのですけど、最初に始めたのは誰なのでしょうか?
 果物とお肉を一緒に食べるだなんて、私にはちょっと思いつきそうに無いです。凄い事を考える人も居るものですね。魔族かもしれないですけど。


「あ~……。ここで働けてよかったー。役得役得~♪」


 ちょっと食べ過ぎたのでゆっくりとお茶を飲んでいたら、うちで雇っているキッチンメイドの1号2号3号が余ったメロンを食べながら感動していました。
 高貴な香りを振りまく果肉にスプーンを突き立て、口に運んではニコニコと頬を綻ばせています。

 本来なら一介のメイドが食べられる品物ではありませんから、そりゃあ美味しいでしょうね。事実美味しかったですし。

 ベル様は贅をよしとする竜族の一員ですから、 『食材をケチり過ぎてご主人様の食事が足りませ~ん、今日は霞を食べていて下さ~い』 なんてお間抜けな事態の発生は許されません。ベル様だったら 『じゃあ、今日は外食にしようか』 という感じで軽く流してくれるでしょうけれど、普通はありえませんからね。
 食事の際には余る事を前提に、かなり多めに作るのが当たり前。シチューとかサラダのように一人前の量が指定されていない物はもちろん、メインとかデザートとかも、この家に仕えているメイド全員が食べられるぐらいの量は用意してあります。

 なにせ竜ですからね。人の姿を取っているのは利便性が高いからという理由もありますし、食べたければ物凄い大食いだって出来ちゃうのです。
 普通だと主人と同じ物をメイドに食べさせるのは良くない、とかで捨ててしまうのですが、ベル様は気にしていないそうなので問題無し。
 仕込みだとかで一番仕事が忙しいキッチンメイドらから順に、美味しく頂かれる事になっております。


「そんなに食べると……。太るよ?」


「うっ……! シィ様、それは言わないお約束ですよ……」


 やたらと食べても種族的特長として太らないのは一部の特権ですので、次のメロンに手を伸ばしたメイド2号に釘を刺しておきます。
 彼女らは賄いに加えてこれですから、最近体重計に乗るのが怖いとか、もし配置換えされたら質素な食事に戻れるのだろうか……っていう声も結構聞きますね。ここの食事は最高ですし、ついつい食べ過ぎてしまう気持ちもよく分かりますが、朝から暴食でダウンされては困りますから、止めておきましょう。


 ですが、職場で美味しい料理が食べられるか否かって言うのは運任せな面もあるので、ついついガツガツしちゃうのはよく分かります。
 ここの食事に慣れてしまったら大変なのですよ。何せ場所によってメニューは大違い。私も六百年程前、大海に浮かぶ離島に配属され、10年ぐらいお魚天国を味わった事がありますから……。魚介類は取れたてなので新鮮ですし、味は美味しいんですけど、朝も昼も夜も魚さかなサカナ。この家のように小規模な場所ならば、ご主人様の意思に反しない限りメイドの要望も通りやすいのですが、何百人も仕えているとなれば食費も結構な負担になりますし、好き勝手に食材を購入する訳には行きませんからね。


 あの時は猛烈にお肉が食べたかったなあ。休日には仲間達と魔界のレストランに通いまくった記憶があります。
 それ以前の問題として、何十人何百人と居るメイド向けの食事ですから、料理人の腕自体がイマイチで美味しくない、っていう事も多かったですね。例えばスープがしょっぱ過ぎて塩辛かったり、逆に味が無さ過ぎたり、ソースがきつすぎて全部同じ味だったりと。
 これは 『ゆりかごから死後の世界の安定まで』 をキャッチフレーズにするギュンギュスカー商会だからこそと言ってもいい問題です。

 なぜなら魔界に本社を置く商会ですので、社員の殆どは魔界に住む魔族という事になるのですが……。味覚というのは腐っている物や毒物とかを判断するために使われる感覚ですから、多少の毒など問題にならないほど頑強な肉体と免疫機能を持つ魔族にとって、あまり重要な感覚ではないのですよ。
 人間なら触れただけで皮膚が被れるような毒キノコなどでも、魔族にとっては何処吹く風。中には美味しいという理由で常食されている猛毒さえあります。

 それに一言で 『魔族』 とは言っても多種多様。ベトやネトのようなスライムなら味覚そのものがなかったりしますし、古撲刳(ふるぼっこ、と読みます)のように加工された陶器や金属を食べる種族だとかも居ます。暗黒騎士や漆黒騎士なんかはまんま骸骨ですので、私は彼らが何を食べるのかさえ知りません。
 そもそもスケルトンって、食べた端から骨の隙間から落ちちゃいますよね……。霞でも食べているのでしょうか? いつか聞いてみましょう。


 上記のように種族によって好みも大きく違いますし、万人受けする料理を作る事なんて殆ど不可能です。
 私も料理の腕にはそれなりに自身がありますが、突撃アイ(空飛ぶ巨大な目玉)とモエルモン(枯れ木のオバケ)とヘビサンマン(ラミア男バージョン)を同時に喜ばせられる料理を作れ、なんて言われたらお手上げですからね。あまりに嗜好の差が広すぎて、一流の料理人となれば数が限定されるのも当然なのです。

 そして料理人は自らの経験と舌で料理の味を判断するものですから、やっぱり自分が美味しいと思える物しか出したくないでしょう。
 私だって自分が不味いと思う物を他人に出すのには抵抗がありますし、それが敬愛するご主人様ならば尚更ですから、やっぱり何でも作れる料理人ってのは難しいですね。


「じゃあ、私はそろそろ部屋に戻るから、後はよろしくね」


 そろそろお腹もこなれてきましたので、一応仕事中ではありますし自室に戻りましょうか。
 軽く息を吐いて椅子から立ち上がり、デザートを口に運んでは顔を蕩けさせているキッチンメイドらに軽く別れを告げます。


「あっ! 3号! そのメロンは、私がお代わりしようと……」


「ええ、2号ちゃんまだ食べるの?!」


 食堂から出た頃にそんな声が聞こえてきましたが、今更戻るのも面倒なので放置しておきます。
 私以上に食いしん坊な2号だって、そう何度も食べすぎで倒れたりはしないと思うので、大丈夫だと思いますし……多分。
 まあ魔族の肉体は頑丈ですし、この家の救急箱には高価な薬とかも揃っているので、たかが食べ過ぎで死ぬ事は無いでしょう。

 気を取り直して歩みを進め、自室の机に座ってご主人様からの呼び出しを待つ事にします。





 家とは規模の違う巣ではまた違いますが、私達を含め仕事の無いメイドは自室で待機が基本です。

 いくら何時呼び出しがあるか分からないとは言え、四六時中ご主人様の隣にひっついていたら迷惑ですからね。各部屋に配置されている小さな呼び鈴が鳴らされると、私達が身につけている小型通信機がそれを察知する仕組みになっていますので、それを合図にご主人様の元へ急行するタイプのシステムを採用しています。
 通信用のアイテムはちょっと高価なのですが、人数が少ないので問題ありません。私達が寝ている時でも対応出来るように、深夜でも早朝でも必ずフリーになっているメイドが居る仕組みですので、24時間どんな時でもご主人様の要望に応えられるのです。


 ……まあ、ベル様って自分の事はある程度自分でやってしまいますし、あんまり呼び出しをかけませんから……。仕事が多いはずの日中に勤務時間がある私だって、一日中特に仕事がありませんでした……なんて日も結構あったりします。
 特に深夜組みのメイド11号と12号なんて、ここ5年ほど呼び出しが無いと言っていたような。
 夜は夜で仕事が無い訳ではないのですが、ベル様って夜はいつも寝ていますので、忙しいかと言われれば……。あ、いや、別にサボっている訳ではありませんよ? 私を含めて。

 ただ、ここは巣ではないので財宝目当ての侵入者も来ませんし、貢物の仕分けとか宝物庫の整理も必要なく、トラップやセンサーなどのメンテナンスもいりません。魔法を使えば日常的な掃除当はさほど手間になりませんし、メイドの数に対して仕事の絶対数そのものが少ないのですよ。

 ちょっと暇が多すぎて無駄な人件費にも思えますが、仕事が無いからと言ってあまりメイドの数を減らしすぎてもいけません。

 ギュンギュスカー商会のメイドはしっかり研修を受けているプロですが、仕事場によって多少の変化はありますので、それぞれの仕事に慣れるまでには時間が必要です。何かあるたびに雇って、必要がなくなったら即解雇、などとやっていたら非効率なのです。
 それに、仕事がありすぎて多忙なのが良い事だとは言い切れません。余裕が無ければ人為的なミスにも繋がりますし、竜の家となればたった一つで人間が死ぬまで贅沢できるような物も数多くあります。掃除中に高価な美術品を壊したりしたら大変ですからね。


 まあ、私の主な仕事といえば、こういう日常的な見回りとかを除くと、お客様がいらした場合の御持て成しとか、家の財政管理がメインでしょうか。

 仕入れた食材とか消耗品をチェックして、キッチンメイドが変な食材ばかり仕入れていないか、ハウスメイドが無駄な消耗品を勝手に購入予定に入れていないか、収入に対して収支のバランスが取れているのか、みたいな事をチェックします。
 それだって4人一緒にやる事が多いので私の分担は軽めですし、ベル様が購入する物と言えば小説や参考書といった文献がメインですから大した出費にはなりません。定期的に竜の村から入ってくる生活費で十分過ぎるほど賄えており、我が家の家計簿は常に黒字です。


 ……そういえば最近のベル様はマジックアイテムの製作が趣味になったみたいで、よく材料を購入していますけど、どなたかに贈り物でもするのでしょうか?

 作業室の奥に猛烈な魔力の篭った金塊が置いてありまして、初めて見た時はかなり驚きましたよ……。あれに篭っている魔力が全て破壊力に変換されたとしたら、山の二つや三つは簡単に平らになりそう。攻撃魔法が不得意な私だと、全身全霊を搾り出しても届かないでしょう。あれでマジックアイテムを作ったら、家宝なんて物じゃとても収まりきらない一品が作れる気がします……。国宝とか伝説級だって手が届く範囲ですよ。

 ぱっと思いつくお相手はといえばブラッド様やマイト様、リュミス様ですが……。装飾品兼魔力回路に使用するための宝石とかも購入していましたし、物凄い物が完成しそうですね。そんな凄い物を送られる方には、ちょっと嫉妬しちゃいます。
 私もベル様のプレゼント欲しいし……っと、これ以上は領分を越えますので思考の中断をば。



 さて、ちょっと暇になってしまいましたし、お呼びがかかるまでお掃除でもする事にします。
 医者の不養生じゃないですけど、メイドの部屋が汚いってのも問題ですから、パパッと終わらせてしまいましょう。
 ベル様の家族になってからはお給料もかなり増えましたし、私物が結構多くなってきましたから、定期的に整理しないとごちゃごちゃになるのですよ。


 まずは窓を開けて、空気を入れ替えながら部屋全体の埃を払って行きます。
 いくら調度品の大半が魔法で保護されているとはいえ、表面に積もる埃まではどうしようもないですからね。風の魔法を使って空中を舞っている埃を部屋の外へと吹き飛ばし、飛行魔法を使ってシャンデリアのお手入れを行います。光源のマジックアイテムは大量生産品ですが、この部屋を隅々まで照らす位なら十分。
 しかし魔力の一部が熱に変わってしまうので、魔法もなしに素手で触れるとかなり熱いのが珠に瑕。飛んで火に入るというか、光目当てに入り込んだ虫が熱にやられたりするので、見栄えを保つためには定期的な掃除は欠かせません。
 もっと高いのになると違うのですけどね。私らの部屋の掃除頻度が少し上がる程度でコストダウンできるのですから、ご愛嬌ってやつです。

 そのほかに窓や壁も掃除をし、この際ですからクローゼットの整理もついでにやっておく事にします。
 そろそろ湿気を取るための墨も交換時期ですから、後で新しいのを貰ってこないといけません。6号あたりのハウスメイドに頼んでおきましょう。
 この中には通信販売で買ったよそ行きの服とかも結構持っているのですが、メイド服に慣れ過ぎたせいか、他の服を着るとなんか違和感があるので困り物です。

 たしかにメイド服は魔法がかかっているので丈夫で汚れにくいし通気性もいいし、見た目も悪くないんですけど……。うーん、職業病ってやつでしょうか。
 私だってメイドである前に女の子、仕事着が普段着として定着してしまい、お洒落できなくなっちゃうのは問題ですねえ……。



 とまあ、そんな事を考えながらの掃除でしたが、時計を見ると2時間かからずに終わりました。

 綺麗になった部屋を見て回り、追加で清掃が必要な場所が無いか確かめ、最後に換気魔法で部屋の中の空気を入れ替えればお掃除完了。サッパリしていい気分ですし、ちょっと疲れましたから、お茶にでもしましょうか……。
 窓辺にある机に常備してあるお茶の葉と急須を取り出し、魔法のポットを傾けて湯を注ぎます。
 私は紅茶も緑茶も好きなので両方置いてあるのですが、一仕事した後は断然緑茶ですね。なんとなくですが、ティーカップで飲む紅茶よりも、湯飲みで飲む緑茶の方が落ち着ける気がするので。

 こう、湯気の立つ湯飲みを両手で持って窓辺にある椅子に座り、のんびり空を眺めるのは悪くないです。横にお饅頭などのお茶菓子などがあればもっといいですが、生憎と切らしていたのでクッキーになってしまいました。
 うむむむ、これなら紅茶にすればよかったかも……などと考えつつも、甘さに負けて食べ進めます。クッキーは2日前に作った奴ですけど、保存の魔法がかかっている容器に入れていたので味は落ちていません。美味しいですね。
 お茶を入れるときにちょっと失敗してしまいましたが、お茶の渋さがチョコチップの甘味を引き立てていい感じです。

 サクサク、うまうま。うーん、幸せ。もう一枚、もう一枚っと……。
 って、ぬお! ベル様から久しぶりの呼び出しが! これは行かねばなりませんよ!
 ……でも、もう一枚口に入れてから行きましょう。うまー。








「失礼します。ベル様、皆を呼んできました」


 軽いノックの後で扉を開けると、ベル様が愛用しているハーブ系の香水の香りが軽く鼻をくすぐります。
 ぞろぞろ連なって部屋に入る私達を出迎えてくれたベル様の笑顔を見て、これ幸いにと癒し成分を補給。アルやベッタも同様に頬が緩んでいますね。

 廊下に敷かれている物よりも柔らかい絨毯を靴の下で感じつつ、何故呼ばれたのかを把握するためにも軽く部屋の中を見回します。
 ベル様は絵画や彫刻などにはさほど興味が持っておられないようなので、人間世界の支配者といっても過言では無い竜の部屋なのに少々殺風景ですが、それでも使われている調度品はどれも高価な物ばかり。保護の魔法がかかっているので傷や汚れにはとても強く、ハウスメイドらには掃除が楽だと評判です。

 その中でも最も目立つ黒塗りの大きなテーブルの上に、灰色の箱が4つ、ちょこんと並べられており、私の注意はそれに注がれる事になりました。

 むむ、あれはなんでしょうか……? ピンク色のリボンで丁寧にラッピングされており、見た感じプレゼントのような気がしますが、まさか……?


「ほらほら、並んで並んで」


 私と同じくプレゼントらしい物体に気付いたのか、普段は男勝りで気が強いディーまでおろおろしています。
 ベル様は悪戯が成功した、とでも言いたげに笑っていますけど、性格上ニセモノのプレゼントを用意して引っ掛けるようなお方では無いですし、とすれば本物なのでしょう。ドラゴン族とメイド族には天と地ほどの種族的格差があるので、人間風に言うと平民が王様直々に褒章を賜るような事態ですから、前に並んだベッタが今にも気絶しそうなぐらいに狼狽しているのも当然です。
 私もまさかこんな日が来るとは、夢にしか思っていませんでした。心臓がドキドキいうのを感じます。念のために頬をつねっておきましょう。


 あ、痛い……。これは現実ですね。あははは。……って! こ、心の準備が! 竜に贈り物をもらうメイドなんて前代未聞ですよ?!
 お、落ち着け、ギュンギュスカー商会のメイドはうろたえないっ!  深呼吸ですよ深呼吸! ひっひっふー、ひっひっふー。って、もう順番がきちゃいましたよ!


「はい、シィ。いつもありがとう、これからもよろしくね?」


「はひ、はいっ! 勿論ですよ!」


 うああ、噛みました! 噛みましたよ! ここ一番で! まったく、私という奴は……。ああ、頬が赤くなるのを感じます。
 私達の一族は大きな耳が特徴ですが、今はその先っぽまで真っ赤になっている事でしょう。嬉し恥ずかしですよ、嬉しい方が圧倒的に多いですけど。


「ほらほら、開けてみて」


 私は感無量のままにプレゼントの箱をぎゅっと握り締め、それでも最後は飛び切りの笑顔をベル様に送りました。
 最後尾に並んでいたディーも受け取ったので、笑顔を返してくれるベル様をみて幸せを感じつつ、言われるままにピンク色のリボンの一端に手をかけます。

 箱から少なからず魔力を感じるので、きっと中に入っているのはマジックアイテムですね。何が入っているのやら、ドキドキがムネムネですよ。


「ふわぁ……!」


 はらりとリボンが落ちると、先ほどまで特徴の無かった灰色の箱が白い光を発しました。
 一瞬の輝きが収まった後に現れたのは、なんと金で縁取られ宝石の散りばめられたジュエリーボックス! 思わず声が漏れてしまいます。

 磨き上げられた艶やかな表面は魔力光によって緩やかに色を変え、纏うのは一国の王の頭上で輝く王冠さえ圧倒してしまうような輝き……。
 ベル様用の最高級の通信販売カタログで見た私の記憶が定かなら、これってお値段的な理由から竜族とか魔王とか専用のアイテムで、お値段は聞いてビックリの数千万Bぐらいするはずなんですけど……。

 やばい、ちょっと気絶しそう。助けてれーにん!
 私の給料じゃあ給料三か月分どころじゃない、凄いプレゼントです。


「実は、もう一段階あったりして」


 そう言うとベル様は軽く指を弾き、それに合わせて宝石箱がゆっくりと蓋を開け……。私の意識を地平線の彼方までぶっ飛ばすような出来事が起こりました。
 内側から噴出すように漏れる強大な魔力。思わず身を竦ませそうになるそれは、黄金の輝きを放つ1対の腕輪から放たれている物で、その腕輪は私の手の上にある宝石箱の中にあって、『いつもありがとう。これからもよろしくね』というメッセージが添えられていて……。

 完全に声を失った私達はお互いに顔を見合わせます。いつも冷静なアルまで、皆一緒に目を点にしていました。


 ここでちょっと話は変わりますが、私達メイドって、さほどエリートな種族じゃないのですよ。
 魔力は生まれつきほぼ全員が扱えますけど、戦いで強いか弱いかで言えば、やや弱い部類に入ります。

 最上位と最下位には天と地よりも大きな開きがあるので、決して弱すぎて話にならない程ではないのですが、紛れも無いエリートに分類される種族からすればドングリの背比べ。魔界でも人間界でも武力というのは重要なウェイトを占めているので、実力の差はそのまま待遇の違いにも繋がっております。竜族は大帝国の王様みたいなイメージで、私らメイドは平民ですね。
 竜ならば働かなくとも左団扇の生活が出来ますが、私らメイドはギュンギュスカー商会なりで働かなければなりませんし、実生活における立場というのも物凄く違うのですよ。

 仮に竜族がメイド族の誰かを殺したとしても、そのメイドを雇っている商会から損害を請求されるぐらいで、懲役などの罪には問われないでしょう。
 無論その竜は商会の間でマークされ、危険人物として取引を避けられる、程度のペナルティはありますが……。なにせ竜は単独で世界を破壊しかねないほど強いですからね。真っ向から立ち向かえるのは同じ竜族か、魔界や天界でも最上位の存在のみ。生まれ付いて将来を約束されている存在です。
 人間の社会でも、他者が所有している犬やネコを殺したら器物損害などの罪になるのでしょう? 私らメイド族とドラゴンの間は、その位の差があります。


 ……それなのに、ベル様は立場の違う私達をこんなに思ってくれている訳で、物凄い嬉しいのに頭がパニック過ぎて固まったままな訳で、言いたい事は山ほどあるのに何を言えばいいのか分からない訳で、そもそも喋ろうにも口が開いたまま塞がらない訳で。

 しかし、ここで頭脳明晰なシィちゃんは考えるのですよ。
 こういう時、言うべき言葉は一つですよね?

 諮らずもアルやベッタ、ディーもほぼ同時に同じ結論に至ったようです。互いに嬉し涙の浮かんだ目でアイコンタクトを交わし、一斉にベル様へと視線を向けて。


「「「「ベル様、ありがとうございます!!」」」」


 綺麗に揃った言葉の後で、またも皆一緒にベル様に抱きつきました……が、半ばパニック状態だったので、互いに頭をぶつけてしまいました。
 どうやらプレゼントの腕輪に障壁展開の効果があったため、目の前に星が舞い飛ぶ事態は避けられましたよ。また耳の先まで真っ赤にしてしまいましたが。

 仕切りなおしとばかりにもう一度、今度はちゃんとタイミングをずらしてベル様に抱きつきます。苦笑する顔を見上げて一緒に笑ったり。
 まあ、なんと言いますか。感無量すぎて、どうにも言葉にしづらいのですが……。


 私、幸せです!





[8484] 第十三話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/11/13 06:26
 100歳の誕生日を迎えても肉体的には殆ど成長していないベルは、やはり最初見た時から何も変わっていないリュミスベルンと向き合っていた。
 場所は毎度ながらベル宅の応接間であり、主にリュミスが一方的に喋っているだけではあるが、第62回 「愛の巣作成大作戦(ベル命名)」 が進行中である。
 高級感漂うテーブルを踏み潰さんばかりに身を乗り出しているリュミスに押されながら、ベルは取り繕った苦笑いで聞き返した。


「……ええと、マイトさんに巣作りをさせるんですか? 随分と急ですね」


 これほどブラッドを思っているリュミスであるが、思い過ぎているからと言うべきか、未だにブラッドの婚約者になった事さえ話せていなかった。
 二人っきりになっても彼の事をパシリにしたり、照れ隠しにサンドバッグにしたりする事こそ無くなったものの、普通に話せる領域には未だ達していない。緊張して顔が無愛想になってしまい、不機嫌になったのかと恐怖するブラッドを見ては、どうにかして笑顔になろうと更に緊張して、というループから抜け出せないのだ。


「そう! 私がこんなにブラッドを好きなのに、ブラッドがプロポーズしてこないのは、切っ掛けが無いからよ!」


「はぁ……。それとマイトさんの巣作りと、どういった関係が?」


 ベルは興奮している彼女を宥め、大まかに答えを予測しつつも聞き返した。
 リュミスは額が触れそうなほど近付けていた顔を引き、さも素晴らしいアイデアを聞かせてやるとばかりに胸を張る。


「マイトが巣作りを始めれば、ブラッドだって結婚を意識するに違いないわ! 私がブラッドに思いを伝えるのが難しいなら、向こうから伝えて貰えばいいのよ! プロポーズは男からする物だって、本にも書いてあったし……。それに、マイトがブラッドを手伝えば、巣作りする時だって役に立つ。一石二鳥じゃない」


 熱弁する彼女に対し、はあ、と気の抜けた返事を返す。

 ブラッドの事になると周りが見えなくなる性質のリュミスではあったが、ベルの事は恋愛関係を相談できる数少ない友達として信頼してくれているため、絶対に実現不可能だろう無茶を言われる事は少ない。
 そういうのはいくら酷使しても問題ないと断じている方、つまりマイトに伝えられるからだ。
 まあ重度のシスコンである彼は、リュミスの役に立てるならと大抵の事を受け入れてしまう部分があり、こき使われる姿は何だかんだ言いつつも幸せそうではある。ベルもたまに彼の愚痴に付き合っているものの、リュミスの事を話すマイトの姿はどこか誇らしげだった。


「えっと、それはいいアイデアだと思いますが、そうなったらブラッドはライアネさんのために巣作りしてしまうのでは? 勿論、リュミスさんがライアネさんに劣るという訳ではないですから、自分が新しい許婚だと伝えられれば別でしょうけど……」


 その言葉で自らの前に立ち塞がる問題点を自覚したのか、リュミスの額に刻まれている皺が深くなった。
 人間の学者が数十人がかりでも太刀打ちできないほどの知識を蓄え、5桁の数の二乗を1秒未満で弾きだせる頭脳を持っているのがリュミスという竜だ。生物的には間違いなくこの世界の頂点にいる彼女を、単純な問題にさえ気づけないほど混乱させられるのは、世界広しとはいえおそらくブラッドの事だけだろう。
 彼女の吐くブレスはどんな大国でも一瞬で焼き払える威力があるというのに、好いている男には愛の言葉一つ囁く事も出来ないのだから、世界ってやつは上手く行かないものだった。


「……そうね、いい機会だわ。うん、……私、今日こそブラッドに告白してくる!」


 リュミスは真紅の瞳に強い決意を漲らせ、自らを鼓舞するように両手でガッツポーズを作る。その仕草は普段とのギャップもあって物凄く可愛い。
 普段は見られない一面にこそ惹かれるのが男であるし、ほんのりと赤みが差した頬を膨らませ、好きの一言でも加えればブラッドだってイチコロだろうになあとベルは思った。彼にしても決して嫌っているのではなく、竜族最強と名高い彼女の実力を高く評価している部分はあるのだから、間違いなく落ちる。


「あ、そうだ。ちょっと待ってくださいね……」


 善は急げだと走りだそうとしたリュミスを呼び止め、ベルは数週間前に行った旅行のお土産として買ってきた飴玉をいくつか手渡す。
 大きさは小ぶりだがとても甘くて美味しい飴で、青とピンク色の包装紙には小さなハートマークが描かれており、地方に伝わるちょっとした伝説から恋愛成就の意味があるらしい。
 なんでも親同士の取り決めによって引き離された男女が、お互いに遠慮してしまって自らの思いを伝えられずに困っていたところ、妖精から受け取った木の実を食べたら心が伝わりあった、という伝説だそうだ。現代日本では陳腐な部類に入る話ではあるが、まだ活字印刷などが普及していないこの時代では中々にロマンチック。慎ましく日々を生きる村民からすれば小さな飴玉とはいえ甘く切ない贅沢品であり、実際に告白に使われる事も多々あるらしい。


「この青い方を男性が、桃色の方を女性が一緒に舐めると、お互いに秘めている思いが伝わるらしいんですよ。……まあ、人間の作り話ですし、気休めかもしれませんが、どうぞ」


「へぇ……。ん、ありがと」


 受け取ったリュミスは柔らかい微笑を浮かべ、甘い夢を見るような表情で飴を見つめる。
 恐らくブラッドとイチャイチャしている光景でも妄想しているのだろう。普段の暴君とした雰囲気は完全に消えており、そこには恋する乙女の姿があった。

 やがてそんな姿を微笑ましげに観察していたベルの視線に気付いたのか、リュミスは気恥ずかしそうに感謝の言葉を伝えるなり踵を返す。
 少々恥ずかしかったらしく、慌しくドアに手をかけた後で一瞬だけベルを睨みつけ、今の事は黙っているように、と視線で念を押した。
 その視線には洒落にならないほどの迫力が篭っていたので額に冷や汗が浮いたが、まあ毎度の事だ。何とか取り繕った苦笑いを浮かべながら見送った。




 しかしまあ、アレに晒されるのは心臓に悪い。伝説の勇者でも尻尾を巻いて逃げるに決まっている。立ち向かえるのは同じく恋に燃える女の子ぐらいだろう。
 遠ざかっていく足音が聞こえなくなった頃、ベルはふぅとため息を吐いてソファーへと体を預けた。

 いつの間にか隣に立っていたシィに、冷めてしまった紅茶の変わりにと淹れ立てのカフェオレを手渡され、感謝の言葉と共に受け取る。
 砂糖とミルクは多めに入れるのがベルの好みであり、これを作ったのはベルの嗜好を知り尽くしているシィであるから、これ以上手を加えるのは無粋だ。薄いカップを通して伝わってくる暖かさは心地よく、湯気と共に立ち上る香りも申し分ない。じっくりと時間をかけて味わう。


「ああ、美味しい……」


 竜の村に存在する最大の脅威である友人から解放されたベルは、安寧した日常生活では感じ得ない開放感を歓迎した。
 少々怖かったが、たまには悪くない。長く安定した日々は楽しいながらも少々刺激に欠け、時たまリュミスによって与えられる緊張は程よいスパイスなのだ。

 彼女にしても少々感情のぶれ幅が大きいだけで、決して人格破綻者ではないのだから、なんの意味も無く友人に暴力を振るう事などありはしない。
 竜族にしては格段に空気の読める少女であるベルは、ブラッドの事や結婚の事など地雷が敷設されているポイントも熟知しているので、藪を突付いて竜を出す事も無かった。
 毎日のようにつき合わされると疲れてしまうけれど、たまに相談に乗る分には微笑ましい大切な友達。ベルの中でリュミスはそんな立ち位置だろう。



「ねえ! ベル! 聞いているの?! 私、ついにやったのよ!」


「はいはい、聞いてますよー。……38回目ですし」


 だから今回のように連続して付き合わされるのは、ちょっと疲れる。
 ベルは39回目のエンドレスを聞き流しつつ、朝食代わりの紅茶とクッキーに手を伸ばした。

 気持ちよく朝寝坊しているところを叩き起こされ、最低限の身支度を整えるなり4時間に渡ってつき合わされている此方の身にもなって欲しいなあと思う。
 いくら長寿故に多少の退屈には耐えられる精神構造になっているとはいえ、いい加減に嫌気差してくる頃合だ。


 暇つぶしがてらにリュミスの話を再び検討してみると、どうやらあの飴玉が思わぬ効力を発揮したらしく、リュミス曰くロマンチックに……しかし話を聞く限り、かなり一方的に思いを叩きつける事には成功したらしい。たまに相槌を返すだけになっているベルに気付いていないのか、相変わらずリュミスはいかにして自分がブラッドに思いを伝えたのかを喋り続けている。
 それでもかなりの進歩といえるだろうし、曲がりなりにも思いを伝えられたのだから、それについては非常に良かったと思う。しかし照れ隠しとしてリュミスに背中をド突かれ、ギャグ漫画のように石壁にめり込んだらしいブラッドは災難だった。

 圧倒的な防御力を持つ竜状態ならスポンジにぶつかったようなものだが、人間状態では魔力を使用しにくいため、混血であり特に魔力操作が下手なブラッドでは死んでいてもおかしくない。竜の姿に戻らなかったのだから生きていたのだろうけれども、ピクニックで鍛えていなければ本気で死んでいただろう。
 それでも首の骨の1本や2本は折れている可能性があるので、後で回復魔法をかけに行ってあげようと決める。


「それでね、私はブラッドに向き合って……」


 クッキーと紅茶では朝食にしても軽すぎるが、目の前にある最高の笑顔がツマミになるなら、たまにはこんなのも良いかなと思った。






 全身を5箇所ほど骨折していたブラッドの治療をしてから、1週間。リュミスにせっつかれたマイトは慌ただしく巣作りの準備を始めていた。
 ベルはパラパラと項を巻くっていた手を止め、これから自分が行おうとしている行為は巣作りを補助する上で極めて有用である、と結論付ける。
 巣作りの後押しをするべく書物を読み解き、新たな世界を発見した者にはその世界を所有するにも等しい権利が生まれると突き止めたのだ。

 大陸間の貿易に莫大な富が絡むのは人の世の常であり、それは多少種族が違っても変化しない。自分の所に無い物が向こう側にあるのなら、多少は金がかかっても見てみたい、手に取ってみたい、味わってみたい、と思うもの。むしろ稀少であれば希少であるほど価値は上がる。
 地球でもコショウが同じ重さの金と引き換えに売られた歴史があると言われるし、目新しい物を好むのは知恵ある種族に共通する事柄なのである。
 そして、それが大陸などという小さな括りではなく、一つの世界との繋がりであったとしたら、新航路を発見した者は莫大な富を得る事になるだろう。それこそ帝国の国家予算に匹敵すると言われる竜の財宝さえも凌駕するほどに。


「にしても、やっぱり最初期を狙われた竜の巣って多いんだねえ……」


 ゲームでは序盤の強敵であるフェイさんだとか、中盤の山であるドゥエルナことライアネさんは、特定の条件を満たさなければ襲来してこない仕様になっているけれども、それはあくまでゲームの中だけの話。現実ではレベル1のモンスターを雇ったばかりなのに高ランクの冒険者が来る可能性だってある。
 というか竜の巣とはいえ、序盤は資金不足から警備が手薄になりがちであるため、冒険者にとっては狙い時なのだ。十分に育って強力な魔物が犇いている代わりに莫大な財宝がある巣よりも、多少財宝の量は劣ったとしても、魔物が弱く宝物庫にたどり着ける可能性が高い巣の方が圧倒的にいい。
 なぜならいかに財宝が少ないとはいえ、一人の人間が持ち帰れる金額には限界があるからである。何十人何百人が宝物庫へたどり着ける訳もないし、冒険者からすれば後者の巣の方がお得なのは自明の理だろう。


「あの物語にはハルケギニアしか登場していないけれど、東方だとかいう場所もあるみたいだし……。そういえば、聖地には現代にも通じているゲートもあるんだっけ? こりゃ大儲けだね」


 ハルケギニアなら石油がじゃんじゃん掘り放題~、と他人事のように呟いた。

 マイトやブラッドの為ならば数十億ブレッドの貯金を手放す事も吝かではないが、こちらにも生活がある以上、投資できる金額には限界がある。できる範囲で一肌脱ごうと思ったのだけれども、略奪は人間に愛着が出てきたのであまりやりたくない。自分の血や鱗は売りすぎると価格が下がってしまうし、武力を売るバイトは落ち零れの竜がするものらしく、普通に行うのはイメージが悪いらしい。

 そこで思いついたのが、ハルケギニアや地球との貿易である。
 大航海時代が来ていないのか、それとも東方の他には主だった文明は無いのか、今のところ海には目が向いていないらしい。
 つまり無人地帯が豊富にある可能性が高く、そこを開拓して小麦畑にでもすれば現代で売れるだろう。かすかに残る記憶では小麦が値上がりしていた覚えがあったし、石炭や石油などの資源も大量に眠っている可能性も大きい。実行はギュンギュスカー商会にまかせ、そのマージンを取るだけでも莫大な財になる。


「そう考えると、竜の巣作りって結構酷いよね。お小遣い目当てに手伝ったけど」


 しかしその台詞は、ある意味では人間であるベルだからこそ、言ってはいけない言葉なのかもしれない。
 現代でも家畜や作物に人間と同じ権利を主張する者は誰もおらず、そもそも人間には他種族の言葉が分からない以上、それこそ一方的な押し付けであると言われれば否定できない。
 鉢に植えられた花は地面に植え直せと常々愚痴っているかもしれないし、人間にとって有用かどうかで待遇が著しく違う事についても文句があるかもしれない。犬や猫は可愛いので虐めてはいけません。クジラは頭がいいので食べてはいけません。全ては人間の都合によって人間が行っている事であり、やっている事は竜と大して違いがないか、時にそれよりも遥かに残酷なのだから。


「この世に悪があるとすれば、それは人の心だ。……だっけ? 私は無害な方だと思うんだよねー」


 まあ少なくとも、ベルには大量虐殺を好き好んで行うようなひん曲がった精神と、天下統一だのなんだのという強烈な支配欲は無かった。
 そもそも世界を征服したとして、書類が増える以外に何かいい事があるのか? 根っこが一般市民であるベルにはよく分からなかったし、何より面倒事は嫌いなのだ。寝ても醒めても雪崩のように襲ってくる書類の山に対処し続ける生活はご免被る。

 ハルケギニアに行っても、民主主義最高! 立ち上がれ平民よ! 今こそ武器を取る時! などと政治形態の変更を強要する気も全く存在しておらず、無知な愚民どもを聡明な私が纏め上げてやるぜ、ぐへへへ、なんて行き過ぎた自己顕示欲も無いし、そもそも政治がどうだろうと全く興味が無い。
 何より書類仕事などは1ヶ月で投げ出したくなった口であるからして、強引な改革を進めるにあたって必要になるだろう何千何万という書類を処理する気はなかった。すべて部下に任せるのは言いだしっぺとして間違っていると思うし、そうなれば必然的に事務に参加する事になり、疲れるだろう。働きたくないでござる。


「金儲けするにも、クーさんに頼んで急激な変化は起こらないようにしてもらわないとな……。特に地球の経済は複雑で、デリケートだし、まずはハルケギニア……というか、ハルケギニアが存在する惑星の新規開拓か」


 ベルはちょっと気取った口調で話してみて、すぐに自分には似合わないなと思った。クッキーに手を伸ばしてつまみ、美味しさに頬を緩ませる。

 額に汗して働くより、シィが淹れてくれる紅茶を飲んでいる方が良い。ディーが作ったご飯を食べている方が良い。世界の壁をぶち抜く予定を持つ竜にしては無責任かもしれないが、世界がひっくり返るような影響は与えない、以上の方針は無かった。
 頼るのは世界を超えての商売のプロであるギュンギュスカー商会であるから、具体的にどうするかは完全に丸投げする予定だ。蛇の道は蛇である。
 おそらく地球でもハルケギニアでも、ギュンギュスカー商会という耳慣れない一団の名前を極稀に聞く程度で、大きな目で見れば何も変わらないのだろう。金品を吸い上げるだけのシステムはすぐに破綻してしまうから、気の長い魔族であるからして、多少時間がかかっても経済を循環させる仕組みを作り上げるはず。

 今の地球がそうだから、なんて理由でちょっかいを出すのは横暴。それこそ一方的な歴史と文化の否定でもあると共に、ありがた迷惑以外の何物でもない。
 それに貴族制度というのを人民が真に廃したいと思っているならば、それこそハルケギニアに住む民が自らの手で勝ち取るのが筋だ、とベルは思っていた。


「マイトさんやブラッドさんの巣作りは、やっぱり巣ドラ世界でやった方が良いだろうな……。ハルケギニアは竜に対して決定打を持たないはずだから、安全と言えば安全なのだけど……」


 ハルケギニアは竜が巣作りするのには向いていない。東側をエルフによって蓋をされているために、世界が狭すぎて拡張性に欠けていた。
 この巣作りドラゴンの世界において特出した才能を持つ人間は強いのだが、戦いのために作られた魔物と比べるとどうしても劣っている。
 鍛え上げた魔物を素手で倒せるほどではなく、必然的に神族や魔族が作った、極めて高額な武器防具で全身を固めており、それを奪った方が余程美味しいのだ。

 竜の宝物庫を潤わせるのは、得てして大陸に名を響かせるような勇者だとか英雄が持っている金品や高額な装備である。町や村を襲うのはそういったツワモノを引き寄せるという意味合いが強く、貢物だけで竜の巣を巨大化させようとしたら、よほどの広範囲を攻撃しなければならなくなるだろう。ハルケギニアで言えばトリステインにアルビオン、ゲルマニア、ガリア、ロマリア。全てに喧嘩を売っても足りないかもしれない。

 それに、過度の搾取は弊害も齎す。
 どうせ死ぬのなら命を賭しても憎き竜に一太刀、なんて考える貧乏人が増えるのがまず一つ。そこを治めている王なり貴族なりの力が低下して、隣と戦争になる事があるのが二つ。どちらも後処理が面倒であり、竜の巣にとっては全く美味しくない。
 戦争には莫大な金がかかり、王や貴族の収入をピンハネしている竜からしてみれば損以外の何物でもないのである。無理に取ろうとすれば隣が活気づいて余計に攻め込んできたりするし、人間というのは加減を知っているようで知らないから、やりすぎて村や町を滅ぼしてしまう事も多い。生産力が低下すれば困るのは自分だというのに、延々争い続けて共倒れする国家を見ていると、何がやりたいんだろうなあとため息が出る。


「ルイズがいい子ならいいけど、そうであっても他には実力は隠すべきだろうなぁ……。私みたいな重荷を背負わせちゃ、可哀想だし」


 向こうに行って最初に対面するだろうルイズへの対応に関しては、それはまあ彼女の出方次第というべきか、今のところは深く考えていなかった。
 歩み寄りの姿勢を見せてくれるならば、それは喜ばしい事なので受け入れる。他の竜のように人間だからと見下したりはしない。
 未来を知らないルイズからすれば理解に苦しむ思考だろうが、ベルには本来使い魔となるはずだったサイトを奪ってしまったという弱みがあるから、どこかの山からワイバーン辺りを連れてきて与えるなり、商会から護衛に適したモンスターを購入して与えるなり、ルイズが幸せだと思えるように尽力するだろう。

 だが、こちらの説得や説明に耳を貸さず、ただ一方的に使い魔になれとでも言われれば、詰め寄られた分だけ下がるしかない。
 竜と人とは立場が違う。目線が違う。歩調が違う。竜が人の生き様を尊く思い、共にあろうとするのは素晴らしい事だ。それを原作で好きだったなんて自分勝手な意思で汚すのは、自らの死角となる首の上をたった一人の人間に預け、命を共にする竜騎士という称号に対する冒涜でもある。

 その場合でも、ルイズには慰謝料として一生贅沢しても有り余るほどの金品を贈る程度は考えているものの、一緒に居てもあまり幸せな未来は築けないだろう。
 原作を知っているなどと言っても、これから会う事になるだろう人物は 『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール』 という、現実に存在する一人の少女である。物語として描かれた彼女の姿はほんの一面に過ぎず、ただ自伝を読んだだけでその人間を全て理解できるはずも無い。
 原作だとこうだったから、今回もこういう行動を取るだろう、むしろ取るべきだ。などと決めつける気は無かった。結果的にそうなってしまう場合は仕方ないにしろ、原作で馬鹿だったのだから馬鹿に決まっている、だから見下して当然だ、というのはNGである。


「人間の時は、ちょっと軽く考えすぎていたかなあ……。ぶっちゃけ俺TUEEEしたかった、厨二病だし」


 ルイズは今でさえ 『魔法が使えない』 とか 『大貴族の娘』 とか 『虚無のメイジ』 という派手な看板を引っ提げている。最後の奴は無自覚にしろ、作中でもレコン・キスタだとかその黒幕であるガリアなどは知っているのだろう。ロマリア辺りは積極的に利用してきそうだった。
 ラブコメである原作だからいいものの、食事に毒などを仕込まれる理由は無数にあるはず。まだ子供であるのに毒見された後の冷たいスープを飲ませるのは可哀想だし、それだけでも大変なのだから、 『世界を破壊できるドラゴンの主』 などという称号まで追加するのは忍びない。ルイズを見ようとせず、その威光だけを見るような連中の誘蛾灯になる気は無かった。


 人間だった頃は軽く考えていたものの、竜になって百年が経ち、その力の凄まじさはよく理解している。

 思い出すのは20年ほど前にお気に入りだったレストラン。代替わりして味が落ちてしまい、倒産の危機に、なんていう極ありふれた話。
 もう一度あの味を食べたかったので、跡継ぎである息子さんへ修行の費用を投資してみた事がある。ベルからすれば数万ブレッドなど、日常的に使っているクシ1本分でしかない。またアルやベッタを誘って食べに来られるなら、安いものであった。
 しかし一般には流通の制限されている世界において、限られた素朴な素材を磨き上げる事に尽力していた彼にとって、広すぎる世界は害にしかならなかったのである。限定された範囲であってさえ伸び悩んでいた彼は料理の才能に限界を感じ、開始から数ヵ月後に首を吊ってしまった事があった。

 彼が父親を超えようと燃えていたのは事実だったし、客足が遠のいていく現実に絶望していたのもまた事実だ。だからベルはよかれと思って手を貸したのだけれども、結果として彼は自らの料理の腕に見切りをつけ、お金を返せなかった事を詫びる遺言を残して逝ってしまった。

 彼が親父さんの足元で笑っていた頃から知っていたので、今も極たまにだが、自責の念に駆られる事がある。
 ただの客として深く関らない方が良かったのではないか。そうすれば彼は自分の手で困難を乗り越え、切り開き、もっといい未来に辿り着いたのではないか。
 人間の寿命を延ばす方法などいくらでもあるのだから、死のうとする前に一言相談してくれれば、百年でも二百年でも料理の修業が出来ただろうに、と。


「……私は怖かったのかな。人と親しくなって、必ず先立たれ、おいて逝かれる事が……。って、馬鹿しい! 辛気臭く考えてもしょうがないじゃない! ……さあ、アニメを求めていざ日本! そのためにはまず、ルイズちゃんが待つハルケギニアへ!」


 ベルは頭を振って暗い話題を吹き飛ばし、今はまだ肩の力を抜いて気ままに生きようと決めた。
 細かい事を考えすぎると老けてしまう。100歳というピチピチの子供盛りなのだし、慎重になるのはいいが臆病になる必要はない。

 それにハルケギニアへの道を開くなら、やるべき事も多かった。
 転移用の魔方陣を描くために必要な材料の収集、および魔方陣を描いても問題が起きないような場所の確保、万が一の時の為にこの城へと直接ワープできるようなマジックアイテムの調達、防御魔法を展開するための触媒の準備などなど。

 召喚や移動に使用される魔法はかなり高度なもので、必要とする魔力量も膨大だ。人間ではまず間違いなく魔力不足で使えず、また移動先の座標を精確に記憶していなければならないため、遠距離を移動しようとするなら目印となる魔方陣は必須。座標が間違っていた場合はろくな事にならない。
 良くても深海と繋がってしまって鉄砲水に押し流されるとか、移動した先が何も無い宇宙空間で迷子になるとか。酷いと次元の狭間に取り残されて永久に彷徨い続ける事もあるようだ。しっかりと準備は必須だし、ベルの場合は通じている先が有益だと知っているから、他人の目に付く場所に魔方陣を設置する事も問題になるかもしれない。


「まずゲートを開通させるのだけは庭でやって、安全を確認した後で室内に繋ぎなおせばいいか。ちょっと複雑化するだろうけど、時間と魔力には困ってないし」


 やるぞーっと腕を振り上げ、その動作がちょっと恥ずかしかったので、ベルは頬を赤くした。






 それから半年ほど経った頃。怠惰と息抜きの合間にやっと世界移動の準備を整えたベルは、自宅の裏庭にて魔方陣を描いていた。
 しっかりと踏み固められた地面の上に何十枚も張り合わせて作った巨大な紙を敷き、血を混ぜたインクで幾何学的な魔方陣を書くのだ。内容は主に暴走時の補助と座標が間違っていた場合の捕捉、双方に及ぶはずの悪影響を抑えつけるための記述など。空間を超越するのは大変なのである。起動と運用にはかなりの魔力が必要になり、使い勝手がかなり悪いので、これを使うのはフィールドバックの危険がある開通時のみである。


「私の想いよルイズへ届け!! ハルケギニアのルイズへ届けー、っと」


 某コピペの内容を思い出しつつ、ベルは全身から魔力が発されていくのを感じた。
 遠く離れた全く別の世界と繋げるのは大仕事であるが、一度でも貫通してしまえば同調効果とやらで自然と接近していくらしい。部屋の中を気ままに浮いている風船同士に糸をつけるようなもので、その糸が太くなればなるほど効果は大きくなるようだった。
 大抵の場合は接近に伴って時間軸のずれなども修正されていくが、完璧に同調するかは世界の質や構成によって異なり、中には全く影響を受け付けずに存在し続ける特殊な世界もあるらしい。なんでもその世界には葵屋なる高級旅館が建っているそうなので、いつかは行ってみたいものだ。


「よし、完成ーっと。いあ・いあ・はすた~……ぬぉりゃっ!」


 ハルケギニアではなく極めて危険な場所に通じてしまいそうな始動キーを呟き、某錬金術師のように魔方陣へ両手をあて、世界の壁を突き抜けるために大量の魔力を注ぐ。
 やや強引なので余った魔力が雷光となって弾け、魔方陣は様々な色の光を発しつつも明滅を繰り返した。全く未知の世界への道を開くとなれば、暴れ回る巨牛を投げ縄で強引に押さえつけるようなものだ。人間世界や天界、魔界など、既に通じている世界へ移動するのとは訳が違う。

 転移魔法があっても今までハルケギニアが発見されなかったのは、正確な座標を知らなければ何十倍何百倍の規模でぶり返しがあるからである。今だってベルが押さえていなければ、余波として発生した数百のもの雷が周囲をなぎ払っているだろう。ガンダールヴさんを呼んだ時のように、向こうから繋いでくれれば楽なのだが。
 その程度で怪我をする竜はごく一部のみだけれども、そもそも座標が違っていれば何の意味が無いので、準備が面倒な上に大当たりを引ける確率は極めて低い宝くじのようなものである。よほどの暇人でなければ無限に近い座標を組み合わせ続ける気にはなれないし、そんな変人であっても十分な実力がなければ探せない。


「よし、開いた! けど、不安定なのかな? いやに展開が遅いし……。要注意か」


 寄り集まった光が楕円形に薄く広がり、通常なら考えられないようなスローペースでゲートを形成した。ベルはやや額にしわを寄せる。
 普段なら0.1秒以下の時間で開かれるはずで、何かの前兆かと油断なくゲートを観察し続けるが、それ以上の反応を見せず安定していた。どうやら爆発オチかという心配は杞憂に終わったらしい。第一関門を突破した事を喜ぶ。

 アニメ版ならサモン・サーヴァントを何度か失敗していたし、勤勉らしいルイズの事であるから事前の練習も欠かしていないはず。
 地球と繋がりそうになっていたゲートをこじ開けた影響かもしれないし、ハルケギニアにも充満しているだろう魔力の性質や、はたまた単なる偶然、特殊な構成をしている魔法陣の影響。理由などいくらでも思いつく。珍しかっただけで害があるようなものではない。安定さえしていれば許容範囲内だ。

 短く安堵の息を吐いた後で、空中に留まっているゲートから目を離して魔法陣へと手を伸ばす。
 開通した時点でハルケギニアとのリンクは確立しており、後は誰かが通った時点で室内にある転移室へと繋ぎ直される仕掛けである。表面を撫で上げて魔力回路に不備が生じていないかチェック。自分が通過した後で溜まっていた魔力が暴走して大爆発、などという事態になったら目も当てられない。


「きゃあっ!」


 すると、気を緩めた瞬間に見知らぬ桃色髪の少女が胸に飛び込んできた。驚きを感じながらも咄嗟に抱きとめ、ベルは間抜けな声を上げなら目を擦った。


「……えっと、こんにち……はぁ?」


 視界に飛び込んできた少女は、ベルの目が突然おかしくなったりしていない限り、ルイズとそっくりに見える。
 しかも小柄なベルよりも更に背が低く、どこからどう見ても高校生にあたる年齢には見えない。いいとこ中学生になったばかりか、小学校の高学年程度だろう。
 魔力の使いすぎで疲れているのかな? などと思いながら目の周囲をマッサージし、深呼吸してから目を開ける。まだルイズは小さいままだ。もう一度目を擦る。やはり変わらない。
 現実逃避をしてしまいたいところだったが、ルイズらしい少女が困った顔をしてしまったので止めておく。


「こ、こんにちは……」


 舌足らずなCV. 釘宮理恵が響くと同時、足元の魔方陣が作動して光の鏡が消滅する。
 設定通りに室内のほうへと繋ぎ直されたようだったが、それが意味するところはつまり、何故だかルイズのほうがサモン・サーヴァントのゲートを潜ってきてしまったらしい。


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ゼロ魔に行く? 逆に考えるんだ。ゼロ魔が来ればいいやと考えるんだ



[8484] 第十四話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2010/01/16 23:51
 風の吹きぬける裏庭にて、二人はしばしお互いを見つめ合った。上空では白い雲がゆったりと流れていく。

 平行世界ではトリステイン学院春の使い魔召喚の儀式にて、そりゃあもう色々な使い魔を呼び出しているルイズだが、さすがに自分が召喚されてしまった経験は多くない。そのため二人揃って完全な思考停止状態に陥っており、ベルは 「こんな時の事を何て言うんだっけ? ああ、ポルナレフ状態か」などと考えていた。
 もしかしたらルイズは時計型麻酔銃を装備している少年探偵でも召喚しており、その代わりに黒の組織の取引現場を見てアポトキシン4869でも飲まされたのかと思ったが、どうにも違うようだと思い直す。
 服装がアニメなどでお馴染みのトリステイン学院の制服ではない。動きやすさと丈夫さ、そして着心地を重視した私服のようだ。貴族の証であるマントも羽織っていないし、身長だって10歳にも届いていないように見える。おそらく物語として観測される数年前なのだろう。


「え、えっと……。初めまして、人間さん? 私はこの世界でも最強の部類に入る竜族の一員で、大空を自在に翔る烈風竜の末裔であるベルティーユよ。今年で100歳になるわ。今日は世界を繋ぐ魔法の実験をしていたら、何故か貴方が出てきてしまったのだけれど……」


 もしやルイズではなく、ラ・ヴァリエール夫妻が頑張って四女を作ってしまったのではないかと考えたベルは、ともかく自己紹介をしてみる事にした。
 貴族らしい格式ばった挨拶は竜族にとって不要なものであり、焦っていた事もあってかなり適当だったが、ともかく向こうに通じればいいのだ。そもそもトリステイン風のやり方なんて知らないし、向こうだってこっちのやり方などは知らないのだから、それっぽく聞こえれば十分だろう。
 いきなりこんな事を言われて納得する奴は居ないだろうが、それならちょいと魔法を使って天候の一つでも変えて見せればいい。雪でも雨でも望みどおりに降らしてやれば、よほど疑り深い人間でもなければ信じてくれるはずだ。


「へ!? りゅ、竜……!? あ! そ、その……。私は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです! と、歳は、10歳で、えっと、使い魔召喚の魔法を練習していたら、間違ってゲートに……」


 ルイズも10歳にしては頑張って挨拶を返したが、最後まで言い切る前に顔を真っ青にして慌て始めた。手に持っていた指揮棒サイズの杖を取り落とし、特徴的なピンク色の長い髪を振りまくように首を巡らして、端正な顔に涙を浮かべながら困惑している。
 小さな口からは焦りと恐怖を含んだ小さい悲鳴が漏れており、鳶色の大きな瞳からは今にも涙が零れ落ちてしまいそう。魔法がどうとか竜どうのという以前に、自分が潜ってしまったゲートが消えた事で帰れなくなったと思い込んでいるのだろう。その素振りは小動物染みていて非常に可愛いのだが、非常に罪悪感を誘うものだ。少女を泣かせる趣味のないベルは助け舟を出した。


「ああ、ゲートの事なら心配しないで。足元の魔方陣は私の家の中にゲートを繋ぎ直す作用もあるから、問題が発生していない限りまだ繋がっているはずよ。安全の確認があるから、1,2週間ぐらいは時間を取られるかも知れないけれど、ちゃんと返してあげるわ。私は人間を使い魔にする趣味もないし」


 ベルは自分より少し低い位置にある少女の顔をまっすぐ見つめ、鎮静の作用のある魔法をかけながら優しく抱きしめた。子供らしい高い体温を肌で感じる。
 初対面の相手にいきなり抱きつくなんて、馴れ馴れしいと拒絶されるかと思ったものの、ルイズは多少戸惑った後でそっとベルの腰に手を回してくれた。
 お互いにお胸が小さい体系であるため抱き心地については一抹の不安があったものの、たった独りで異国の地に放り出されてしまったルイズにとっては頼れる温もりになれたようだ。落ち着いた後で先ほど落としてしまった杖を拾い上げると、ルイズは照れながらも感謝の言葉を呟いた。


「あ……あ、ありがとう、ございます……。えっと、私が住んでいたのは、ハルケギニアのトリステインという国で……。ああっ! 本当だ! つ、月が一つしかない! やっぱり、異世界なんだ……」


 冷静になったルイズと情報を交換してみると、見たことのない魔法や月の数が少ない事に多少驚かれたものの、ともかく害意がないとは信じてくれたらしい。帰るまではお客様としてベルの家に滞在する事になり、ルイズはラ・ヴァリエールの名前の下に保護を求め、代価は家名にかけて約束すると宣言した。
 格式ばったそれをしっかりと行うルイズの姿は驚くほど様になっていて、大貴族の娘なのだなあと実感する。驚きを感じたベルが聞いてみると、どうやら浮遊大陸であるアルビオンに家族で旅行へ行った際、万が一にも迷子になった時のために、と覚えこまされたらしい。
 しかし異世界で竜を相手にして言うとは思って居なかったようで、まさかこんな場所で役に経つなんてと笑うルイズに、ベルは心からの微笑を返した。






 ルイズは自分より頭一つ分背の高い銀髪の少女の背中を追いかけながら、多少の不安は残しつつも安堵していた。
 いつものように魔法の訓練を行い、いつものように失敗続きで逃げ出して、まさかそれが異世界へ旅立つ切っ掛けになるとは……。まるでちい姉さまと一緒に読んだお話の主人公になってしまったよう。けれども私は主役になりきれず、ラ・ヴァリエールではない城の影を見て反射的にパニックになってしまった。
 ベルさんが落ち着かせてくれなかったら、きっと泣いてしまっていただろうとルイズは思う。初対面から変なところを見せてしまい、少し恥ずかしい。

 まさかサモン・サーヴァントの呪文が成功したと思ったら、地面に躓いて自分がゲートに飛び込んでしまうなんて、夢にも思っていなかったのだ。
 ルイズは同年代の子供らが次々に成功させている魔法が、自分だけはどれほど努力を重ねても上手く行かない事に、多分の苛立ちと少量の恐怖を感じていた。もしかしたらずっと魔法を使えないままなのではないか。このままではラ・ヴァリエールという長い伝統を持つ名家の三女として相応しくないのではないか。その考えは常にルイズの中にあった。
 そして今日、魔法の練習が上手く行かない事で噴出してしまって、小さな泉の畔で泣いていた時。

(そうだ、あの呪文が成功すれば……!)

 一つ上の姉であるカトレアがたくさんの動物に囲まれている事を思い出し、自分を慰めてくれる存在が欲しくなった。
 サモン・サーヴァントの呪文は危険な動物が召喚される事もあるから、と両親には止められていたが、姉の部屋にいる動物たちは皆優しく仲良しである。自分が呼び出す存在だってきっとそうで、無条件に自分と友達になってくれると信じ込み、何度失敗しても杖を振り続けた。
 そして失敗の回数を数える事さえやめた頃、ついに成功してゲートが開き……。慌てて駆け寄りすぎて、小石に躓いて自分がゲートを潜ってしまったのだ。




「それにしても、異世界かぁ……」


 ルイズは魔法を得るために様々な本を読んだ事がある。各国から取り寄せられた書物の中にはイーヴァルディの勇者のような御伽噺も数多くあり、その中には魔法の暴走で異世界に飛ばされてしまった、という冒頭からスタートする物もいくつかあった。
 魔法の無い世界で苦労しながらも一国の王にまで上り詰めるメイジの話だとか、蔓延っていた化け物を倒して英雄へと成り上がる少年メイジの話、庶子として生まれた平民のメイジが貴族になる話など、どれも胸を躍らせる冒険活劇である。魔法を不得手とするルイズだからこそ、そういった話には憧れていた。
 周りの皆が当然のように使えるのに、自分だけはどれほど願っても手が届かないもの。憧れるなと言う方が無茶だろう。

 しかしお話の中であってさえ、最初は異なる世界の常識だとか不便さに打ちのめされ、挫折しそうになってしまう事が多いのもまた事実。

 様々な物を作り出せる錬金の魔法や、空を自由に駆けるフライ、敵を焼き尽くすファイアーボール、傷を治すヒーリング。そういった貴族ならば使えて当然の魔法さえ満足に扱えない自分が、両親の庇護の及ばない世界に放り込まれてしまっていたら、とても生活してはいけなかっただろうとルイズは思った。
 一人では何も作れず、どこへも行けず、誰も倒せず、誰も治せないメイジなんて、それこそ常日頃から統治されるべき存在であると教えられている平民と同じではないか。お話の中でそうであったように、貴族だからと威張り散らしたとしても意味が無い。それどころか魔法が無ければ馬鹿にされるだけである。

 恥ずかしながら数年ほど前に、私も魔法が暴走してしまったらどうしよう、と姉に泣きついた事がある。今思い出すとちょっと恥ずかしい。
 少々キツイ性格をしているエレオノール姉さまには馬鹿にされたけど、その後で魔法の練習に付き合って貰えたし、優しいカトレア姉さまには優しく諭してもらった。あの時は色々と考えたけれど、まさか事実になるとは。


「ほんと、ゲートの先に居たのがベルさんでよかった」


 もしも物語のように狼の群れの中へ落ちてしまったり、性悪な奴隷商人に捕まったりしたら大変だ。ルイズは人生の大半を屋敷の中で過ごしているし、外に出たとしてもラ・ヴァリエールの領地から出る事は少ない。魔法だって満足に使えないから、絶対に生きては帰れないだろうと分析する。

 異世界、と考えた際、何故か異国風な青い服を着た黒髪の少年が脳裏に浮かんだものの、ルイズの好みからは大きく外れているのですぐに忘れた。
 両親の口約束ながら許婚候補になっている、お隣の領地のワルド青年のような、頼れる存在が好きなのである。鈍感で気が利かない粗野な平民の子供など、よほどの理由がなければ気にも留めないだろう。

 そういう意味では、落ち着いていて話しやすかったベルさんは満点であった。お胸は小さいけどちい姉さまのような包容力が在るとルイズは思う。
 混乱していた自分を優しく抱きしめてくれたし、言葉に詰まれば無闇に急かしたりせず、じっと待っていてくれた。魔法が失敗した時に小石が当たって怪我をしてしまった指先だって、軽く指を動かしただけで治してくれた。多くの大人のように嫌な雰囲気も感じなかったし、貴族の鑑のようではないか。
 彼女は自分の事を竜だと言っていたけれど、見た目からは極普通の人間にしか見えなかったなと思う。


 魔法に詳しくない人間からすれば竜が人の姿を取るなんて思わないだろうけれども、勉強熱心なルイズは知っている。ハルケギニアにも韻竜(いんりゅう)と呼ばれ、高い知能を持ち人間との会話も可能にしている竜の種族がいる、と本に書いてあった。
 成体だと20メイルにもなり、千年以上の寿命を持つ。それにエルフと同じ先住魔法の使い手であるとも書かれていたので、姿形を自由に変えるぐらいは出来るのだろう。恐ろしいエルフとは違って人間に友好的である事が多く、国旗に竜を使用している国もあるほど象徴的な存在だった。
 
 歳経た固体になればスクェアメイジさえ凌ぐと言われていた強さもあってか、韻竜が居たと言われている数百年以上前には、始祖が竜から力を与えられたという説もあったらしい。中には始祖は人に姿を変えた竜であった、という過激な説だってあったほどだそうだ。
 ロマリアなどの神官が 「竜への信仰は始祖への冒涜に繋がる」 等と異を唱えたために今ではほぼ消滅しているそうだが、竜が使い魔の中では特別であるという事実だけは変わっていない。
 多くのメイジにとって竜を使い魔にする事は最上の誉れとされているし、竜の中であってさえ特に優れているとされる韻竜となれば、それだけで特別視されるのも当然と言えよう。ルイズも憧れである母のような強い魔法使いになり、竜を使い魔にしたいと思っているメイジの一人だった。



 彼女が本当に竜であるかは別としても、極めて高い地位に居る事は間違いないだろう、とルイズは思う。

 彼女の着ていた服は布や染料を贅沢に使っており、補修などの跡は一つも無かった。しかもラ・ヴァリエールというトリステインきっての大貴族の三女である自分の服と比べても見劣りしないどころか、むしろベルさんの着ていたそれの方が一枚上手なほど素晴らしい品だったのだ。
 美しい銀髪をした凄く綺麗な人(竜?)だったし、殊更富を主張するような宝石や刺繍など無くとも、そのまま社交界で使うドレスとして通ってしまいそう。
 それに、このお城はベルさん個人の所有物であるらしい。大きさや調度品の質もラ・ヴァリエールの屋敷と比べても遜色が無く、魔法先進国であるガリアの王宮『グラン・トロワ』だってここまでではないかもしれない。ルイズの基準でも凄い人だった。


「ここの魔法なら、私も使えるのかな……?」


 ここに仕えているメイドは一人残らず、メイド村のメイド族という冗談みたいな場所(マカイ、という地名?)の出身らしい。
 しかもベルさんから聞いた限りでは生まれつき魔法が使え、最低でもドット以上の魔法を手足のように使いこなしているのだと言う。主に使っているのは埃を集めて空気を綺麗にする魔法だとか、朝忙しい時に身支度を整える魔法、眠気を覚まして頭をスッキリさせる魔法、などと驚くほど身近な内容で物凄く驚いた。
 そういう風に魔法を使うのは貴族らしくないと思ったけれども、ハルケギニアで一般的な系統魔法が使えないルイズにとっては非常に魅力的に映る。お風呂から上がったらベルさんに頼んで、いくつか呪文書を読ませて貰おうと決めた。


「はあ、凄くいいお湯……」


 ルイズは小さくて細い手足をんーっと伸ばし、全身を蕩かすような暖かさを堪能していた。心地よくて鼻歌の一つでも歌いたくなる。
 詰め込めば三百人近い人間が入れそうなほど広い大浴場を、今はルイズだけで独り占めしているのだ。これで気分がよくならない訳がないだろう。

 それもいくつかある浴槽ごとに湯の温度が微妙に違っていて、熱過ぎず温過ぎず自分の好みの湯加減を探し当てる事ができた。自分の長いピンクの髪が湯船に広がるのを横目で見ながら極限まで脱力していると、このまま魂までぽわぽわと浮かんで行きそうになる。目を凝らしても汚れ一つ浮いていないお湯からは柑橘系の果物の香りが漂っていて、リラックスのあまり寝入ってしまいそうになるのをギリギリの所で防いでくれていた。

 大量の燃料と綺麗な水を必要とする湯浴みは金持ちの特権であり、トリステインでは貴族でも魔法で暖めた湯を浴びる程度で済ませる事が多い。火のメイジなら自分の魔法でお湯を温める事もあるが、これだけ大量の水となればトライアングル以上の腕前が無いとキツイだろう。客人であるからしていきなり無茶は言えないし、後で濡れタオルでも貰おうと思っていたルイズにとっては望外の幸運だった。
 失敗魔法で大量の砂埃を浴びていたため、実を言うと体のあちこちがジャリジャリしてかなり不快だったのである。擦れて肌が赤くなってしまう前にさっぱりできてよかった。


「ちょっと、のぼせちゃったかも……」


 ルイズは新しい生活に対する不安を汗と一緒に流し終えると、長湯のために若干ふらつきながらも脱衣所へと向かう。






 客人の少女が身奇麗にしている頃、ベルと言えば逆に埃を被っていた。
 体に付着する前に防いでいるので汚れはしていないものの、舞い上がる白い粒子を見ると咳が出そうになる。いい加減に掃除が必要だろう。
 最初は広々としてクリーンだった工作室も、数十年以上に渡って作られたガラクタで埋まれば手狭になると言うものだ。隅のほうには棚が乱立しており、しかも馬鹿なアイテムが多すぎて見られると恥ずかしいため、本人以外は掃除が出来ない。そして本人と言えば怠惰なので、掃除をあまりというか殆どしない。

 例えば街でモヒカンの男を見かけたので作ってみた火炎放射器は鋼鉄を数秒で焼ききるパワーがあるし、同じ漫画のネタ繋がりで作った人間大砲は30キロ先まで人間を安全に発射できる。ただし着地までは面倒を見られないので、そこは本人の努力に任せるしかないという欠陥品だ。元ネタは南斗人間砲弾である。
 数年前まではリュミスによって、ブラッドの飛行訓練の教材として実際に活用されており、彼が人間状態でも自在に空を飛べるようになるまでは現役であった。
 その他にも反発係数を1.5倍に設定してあるホッピングシューズ(一度履いたら自力で浮かないと止まらない)とか、両腕につけて羽ばたくと空を飛べるようになる腕輪(普通に飛べるし馬鹿らしくなって10分で飽きた)とか、他人の目線を感知して下着をガードする絶対領域ミニスカート(正式名称:パンツがなくても恥ずかしくないもん!)など、馬鹿なアイテムばかりである。


「流石、私だ。作る物に一貫性が無い。……っと、この指輪は使えそう」


 ベルはロケットパンチが出来る真っ赤なボクシンググローブを投げ捨て、その代わりに小さな箱に入っている一対の指輪を拾い上げる。
 これはブラッドが魔力操作の練習をする際に活用できるだろうと作ったものであり、指輪には竜から見れば少量の、人間から見れば相当な量の魔力が篭っている。これを両の人差し指に嵌めると害にならない程度の魔力が体内を循環するため、魔力の無い状態でも魔法が使えるようになるのだ。
 ブラッドがリュミスの影に怯えながら必死になって魔力の操作を覚え、自前の魔力を活用できるようになってからはお蔵入りしており、たまにアルやベッタの知り合いに(外部バッテリーとして)貸し出される程度だったが、世界観の違いから魔力があるか不明であるルイズにはぴったりだろう。

 その他にも魔力の流れを滑らかにしてくれる効果のあるネックレスを発掘していると、部屋の入り口からノックの音が響いた。


「ベル様、失礼しまーす。ルイズ様がお風呂から出ました」


「わかったー。ありがとね」


 ベルはドアの隙間から顔を覗かせたメイド8号にお礼を返し、魔法で綺麗にしたネックレスと指輪を持って立ち上がった。
 召使いとその主人が交わすには気軽過ぎる物言いだが、権威なんて威張るのに必要なだけだとベルは思っているので、この家では皆こんな感じだ。
 ブラッドやマイトの家でも似たような感じらしく、竜なのに気さくで仕え易いと上々の評判であるらしい。


「さて……。ギュンギュスカーの人が来るまで、ルイズちゃんと魔法の練習でも……。多分、知りたいって言うだろうし」


 ハルケギニアとこの世界の文字が同一であるか不明だが、他にも簡単な魔法書などは確保してあった。最低限、本日はこれでいいだろう。
 それにギュンギュスカー商会には 「新たな世界を発見したので調査団を派遣して欲しい」 と要請を送ってあるし、新たな家族であるルイズのためにメイドを3人ほど追加で雇う事、子供服を買う事も一緒に伝えてあるので、1時間もすれば専門のスタッフが駆けつける。その際には移動店舗のような物を引き連れてやってくるため、追加でやってくるメイドさんと一緒にルイズの服を買ったり、軽い歓迎会を開くための食材を購入したりする予定である。

 急な話だからキッチンメイドらには苦労をかけてしまうし、食べる人数が増えるのだから、そちらの方にも追加で一人二人雇う必要があるかもしれない。
 世界間の交易が認められればお金は腐るほど、というか現状でも腐っている気がするが、ともかくいっぱい手に入るのだ。買い物に付き合わせるという名目で皆を連れ出し、好きな物でも買ってあげようと思う。ルイズには「家に帰れなくて寂しい」と思わせるより、「もう帰らなければならないから寂しい」と言わせたかったし。

 ベルは鼻歌を歌いながら廊下を歩き、小さな客人の待つ部屋へと向かった。




[8484] 第十五話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2010/11/15 03:07

 ベルが手土産をぶら下げながら、ルイズのための個室として提供した客間へと迎えに行くと、お風呂上りの少女はハーブのいい香りを漂わせていた。
 彼女に合う服があるか心配だったのが、有能なメイドたちはベルが昔着ていた服の中から適当な物を引っ張り出してきてくれたようだ。仰々しい飾りはなくとも調和の取れた着心地のよい一着で、ルイズにはとてもよく似合っている。上気した肌がちょっと色っぽい。とても可愛らしい少女だと思う。

 ルイズは魔法が使えない事でアレコレと揶揄されているそうだけれども、財宝を稼ぐ手段として武力が必要な竜でもなし。ベルとしては別に気にならない。
 それにこの世界ならば、魔法を使えない人間でも特殊な形で魔力に触れる事でメイジになれる。その証拠にギュンギュスカー商会のカタログにも人間を魔法使いできるお薬として載っていたはずだから、もしルイズが此方の世界の魔力を扱えなくても問題はないだろう。脳内の購入リストにチェックをつけた。


「何か必要なものとか、欲しい物があったら、遠慮なく言ってね? 後でお買い物には行こうと思っているけど、お金の事は気にしないで。異世界のお話を聞けるだけで、金貨の山よりも価値があると思うから」

「はい。ありがとうございます」


 土埃などを洗い流したルイズはとても美しく見えた。厳しい教育の賜物か、背筋をしっかりと伸ばし佇んでいる様はそれだけで絵になる。心からの笑顔を浮かべたら、もっともっと可愛くなるだろう。ベルは手首をクルリと回すと、手品のように魔法の品々を取り出して見せた。
 驚きを露にするルイズの後ろに回り、真っ赤な滴型の宝石をベルの髪の毛を芯にした紐で留めているネックレスを首からかけてやる。途端に魔法の効果を実感したのか、少女の視線は自分の胸の上で輝く宝石とベルの顔を何度も行き来した。ルイズの唇から驚嘆のため息が漏れる。

 ネックレスの概観はシンプルながら、素材は豪華なので効力は抜群だ。高い魔法抵抗力を持つ竜にですら効果があるのだから、使用者が人間であれば体内の魔力の流れが手に取るように理解できるだろう。魔力というあやふやな物を扱い慣れていない初心者には最適である。
 また黄金に一対の宝石を割って据え付けている指輪の方も、ドラゴンのブレスとまでは行かないが、ブラッドのクシャミぐらいの魔力は篭っている。ここから引き出す分には殆ど労力をかけずに可能であるし、もし無くなったらベルが補充してやればいい。何十時間でも何百時間でも練習できる。

 早速つけてもらおうと思い指輪を手渡したベルだが、ルイズは自らの首で光るネックレスの効果によって指輪に篭められた魔力の大きさを理解してしまったのか、恐縮してしまってなかなか着けようとしない。まるで物語に出てくる伝説のアイテムを最初の村でいきなり手渡されてしまった勇者だ。
 ルイズは自らの掌の上で光る小さな輝きを呆然と見詰め続け、ベルは恐縮しきって固まってしまった少女に小さく苦笑いを漏らす。

 ベルは小さな掌から指輪を拾い上げ、そっと少女の細い指先に嵌めてやる。未だに驚き続けているルイズの手を引くと、早速試してみましょう、と言って連れ出す。二人は中庭へと飛び出した。


「……さーて。じゃあ、まずは簡単な魔法から」


 ベルは桃色の少女が落ち着くのを待って、初歩の初歩の魔法をゆっくり、段階ごとに区切りながら、できる限り正確に行う。
 普段なら瞬きもせずに使えるような、ライター程度の火を生み出す簡単な発火の魔法だ。ちょっとしたマジックアイテムでも行える事だが、ハルケギニアの魔法しか知らなかったルイズには、自分でも使える可能性があるとして一筋の光明のように映った事だろう。呼吸すら忘れて見入っている。
 ルイズにも見えやすいように魔力の流れを手中に生み出し、一つ一つ分かり易いように魔法を組み上げていき、再び小さな灯りを着火。それを何度か繰り返した。


「じゃ、今度はルイズがやってみて? 大丈夫、手伝うから」

「は、はい! が、がんばります!」


 補佐を行うために掌をルイズの肩に乗せると、少女の体は緊張で固まっているのが分かった。大きく深呼吸をしてから魔法の詠唱に入らせる。
 まずはベルがルイズの魔力に干渉して流れを作り出し、少しずつ独力で流れを再現できるようにしていく。魔法とは個人の感覚によるところが大きいので、ともかく理解してさえしまえば何とかなるのだ。よちよち歩きの雛鳥だって、周囲から気流を作ってやれば飛べない事はない。あとは飛び立つ勇気さえあればいい。
 ルイズは今までにも魔法の練習を欠かさなかったようで、単純な魔力の扱いならすぐにコツを飲み込んでいった。

 自転車の後ろに乗せて感覚を掴ませ、次は転ばないように補助輪の役目を果たしてやり、最後にそっと手を離す。
 今はまだ感覚を掴ませている状況であるが、マジックアイテムなどの優秀なサポートが脇を固めている。この分なら一人で魔法を使える日もそう遠くないだろう。


「……! で、できた! ベル! ベルさん、できました! わ、わたし、やっと……!」


 何度目かの詠唱にして杖の先に小さな灯りが灯り、儚いながらも確実に光を放った。仄かに揺らめくオレンジ色。少女の努力が報われた瞬間だ。
 サモン・サーヴァントに続いて2回目の成功を収めたルイズは、顔をくしゃくしゃに歪めながら涙を流した。






 興奮冷めやらぬ少女の姿を見て、ベルはほっと一息つきながら胸を撫で下ろす。どうやらルイズは喜んでくれているらしい。
 特定の個人と微妙な話をする経験が殆ど無かったため、実は結構テンパっていたのだ。だからちょっと強引に連れ出したり、魔法で注意を引いたり。人間の頃の勝手を忘れかけていたから、失敗したらどうしようかと思ったけれども、これで当分の間は寂しさを忘れてくれる筈だった。

 いくらルイズに魔法の才能があるとはいえ、まだマジックアイテムなどの助力なしに使いこなすのは無理だろう。ベルが見たところハルキゲニアの魔法は大気中の魔力をメインで使うような構成となっており、消費魔力こそ少ないが効力を発揮できるか微妙に思える。術式が雑で使い勝手があまりよくない。
 ハルキゲニアの魔法が遅れているとかではなく、どちらかというと故意に改変したような感じだった。この世界では扱いが難しいようだ。

 ベルも一応は神様に頼んだとかなんとかそんな事があったような気がするので、ハルキゲニアの魔法と呼んでいいのかよく分からないがともかく使えない事もないのだが、暇つぶしなどを兼ねて徹底的に弄り回したせいで初期の構成なんて忘れてしまっている。空は飛んでもコウモリと鳥ぐらいしか共通点が無いレベルになっていた。
 竜が持つ莫大な魔力を前提として魔改造とカスタマイズを繰り返しているので、竜と比べると雀の涙ほどの魔力も持たない人間には向いていないのだ。ベルが覚えている魔法の大半は一発芸とか雑用とかスカート捲りとか便利系とか威力過剰なテレッテーとかなので、ルイズに教えても意味が無いものばかりだった。


(ルイズの魔力ってなんだか微妙に質が違うみたいだし……。今みたいに指輪か何かでサポートするか、適した形に変換する必要があるかも……)


 人間が持つ魔力にはそれぞれの個性があり、中には性交渉などを行う事で魔力を与える「魔法使いの花嫁」というレアな人も居る。油は油でも経由とガソリンの違いのようなもの、ルイズは虚無の魔法使いとして恐ろしく希少な資質を得た際に、それ以外は切り捨ててしまったのだろう。魔力の形が術式に適していない。
 ただでさえ制御の部分が甘く術者の意識に大きな影響を受けるハルケギニアの魔法を使いこなそうとすれば、非常に微妙な魔力の操作が必要となる筈だ。適切な師の下で長年努力すれば不可能では無いかもしれないが、効率が悪すぎてドットかそれ以下が精々になってしまうだろう。
 よく燃えるからといって石油ヒーターに高オクタンのガソリンを注ぎ込んだら大爆発を起こしかねない。ルイズの魔力であれば唯一無二の存在にはなれても、極一般的なメイジとしての成功は非常に厳しい物となる。

 ベルにしても平和な生活を送れているのは、竜として絶対なる力と莫大な財力を保障されているからこそ、だ。日本人としてみれば決して良くは無い。
 個人主義の竜であるからこそ社交などは必要ないが、人間は違う。ルイズのように家柄と容姿が完璧に近くても、いやその両者が完璧だからこそ、他者を納得させられるだけの力が必要になる。嫉妬、やっかみ、その他諸々が直撃しようとも跳ね返せるような、あるいは全く寄せ付けないほどのパワーが必要なのだ。
 今のルイズには武器どころか身を守る鎧すらも無かった。
 可能であれば彼女の母親のような物凄いメイジにしてあげたい。今つけている指輪の一つや二つなら帰還祝いなり卒業祝いにでもプレゼントしてしまう心算だけれども、マジックアイテムに頼りきりでは心許無い。ギュンギュスカー商会の人に頼んでそういった類の秘薬でも用意してもらうべきであろう。


「うんうん、よかったねえ……。ルイズは飲み込みがいいから、きっとすぐに皆を見返せるような魔法使いになれるよ!」


 ベルは未だに感極まっている少女を抱き寄せ、出すぎた真似だと思いながらも頭を撫でてやる。服越しに高い少女の体温を感じた。
 まるで本当にお姉さんになった気分だ。ルイズは赤子のように泣きじゃくり、ただ感動に打ち震えていた。何度も何度も嗚咽を漏らし、止まらない涙に困惑しているかのように、あるいはベルが消えてしまわないか不安に思っているように、その細腕に許される限りの力を込めて身体を密着させていた。

 きっとルイズは苦労を重ねたのだろう。頑張って頑張って、しかし報われず、それでも頑張って頑張って。平民の使用人にすら馬鹿にされながら。
 流した汗は裏切らないというが、結果が出るかどうかは運命だけが決める事である。だから少女が流した大河から救い上げられたこの涙は、どれほど高価な薬よりも価値があった。なにせドラゴンを泣かせるほど強力なのだから。感動をおすそ分けされて鼻の奥がツンとする。これは涙じゃない、心の汗だ。

 出会ったばかりで部外者に過ぎないベルだが、シンデレラに魔法をかけた魔女だって赤の他人である。自分なりにルイズを祝福してあげようと思った。
 原作のシンデレラは王子様と結婚した後に不幸になってしまったと記憶している。魔女がボケてうっかりアフターサービスを忘れてしまったのだろう。ルイズの場合はそうならないように色々と手を打つ心算であるし、いざとなればこの世界で領地を買って貴族になるという手もある。なんでもいいから幸せに過ごして欲しい。


「そうだ。ルイズ、欲しい物はある? もし病気だったら、魔法薬を買わないといけないし」


 ルイズはやっと落ち着いた。真っ赤になった目を擦りながら恥ずかしげに俯いている少女の頭を撫でてやり、これからの生活で必要な事を聞く。
 二次創作の知識とごっちゃになっていなければ、ルイズには病気の姉が居たはずだ。せっかくギュンギュスカー商会の人を呼ぶのだから確かめておきたかったし、もしルイズに隠された持病などがあったら困った事になる。遺伝病であれば妹にだって発症するかもしれない。人間は脆いのだから、早めに対処したかった。


「魔法のお薬? ……! そうだ、ちい姉さま!」


 胸の中でルイズがパッと顔を上げる。縋りつくような目をした少女に先を促してみると、すぐ上の姉が大病を患っているらしい。話を聞く限りではかなりの重症のようで、ヴァリエール家お抱えの水のスクエアメイジでさえ対処の難しい発作を何度も起こしているのだとか。ルイズは痛ましげに唇を噛んだ。
 ベルは専門家では無いので詳しい原因は分からないが、ここは安請け合いだとしてもドンと胸を張って安心させてやるべきだろう。不安げに自分を見つめている少女に「大丈夫、それならきっとよくなるから」と声を掛けてやる。ともかくルイズに病気が無さそうで良かった。安心したらしく脱力した身体をそっと抱き寄せる。

 原作がストーリーの本当の流れだとするなら、ベルの行為は自己満足だけで流れを捻じ曲げる悪行になるのだろうが、既に関わってしまった少女を無視するのは趣味じゃない。ルイズの悲しみを前にして「原作が乱れるからずっと無能なゼロのままでいてくれ」なんて言える訳が無かった。
 それを言うならとっくに本筋とはズレてしまっているし、今更だろう。後はなるようになるさ。


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