<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[7405] デビルサマナー フラクタルカレーション(女神転生シリーズ世界観背景のオリジナル)
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/10/25 15:08
 夢でも見ているのかと思った。

 風に靡く金色の髪も、闇に浮かぶ雪のように白い肌も、
 知っているはずの彼女のその姿は、知らない誰かのものにしか見えなかった。

 いや、知っていても知らなくても彼女の姿に戸惑いを隠せなかっただろう。

 薄汚れ、電灯の光も届かない路地裏の中で佇む彼女の姿は、触れてはいけない神聖なもののように彼の目に映った。









 三月も終わりに近付いた平日の昼下がり。一人のスーツ姿の青年が、川沿いの土手の上を自転車で駆け抜けていく。
 暖かくすごしやすい気候になってきたとは言え、その青年の流す汗の量は尋常ではなく、単に体を動かしている以外に原因があるのでは無いかと思わせるほどだ。
 実際彼の流す汗はいわゆる冷や汗と呼ばれるものであり、このままでは人生が終わるという所まで追い詰められていたりする。しかしそんな事が他人に分かるはずもなく、彼とすれ違った人々はその自転車のスピードに唖然とするばかりだ。

「ち、遅刻する!」

 自転車をとばす青年の名は深海アキラ。この不況にやっと拾ってもらえるかもしれない就職先での面接。それに遅れそうになっている粗忽者だ。

「とぉっ!?」

 原付と並走出来るのではないかというスピードで走っていたアキラだったが、突然踏み込んでいたペダルの抵抗が無くなり、体勢を崩しそうになって足を地面へと下ろす。
 何事かと自転車をよく見てみれば、後輪に噛み合っているべきチェーンが外れており、そのせいでペダルが軽くなったのだとすぐに分かった。
 しかも外れ方が悪かったのか、チェーンは車輪の隙間に挟まってしまい、どう見ても素手でどうにか出来る状態では無い。
 このままでは遅刻はほぼ確定。泣きたくなるのを堪えて、アキラは自転車から降りて走り始めた。





 十分後。ようやく目的地付近に辿り着いたものの、周囲の地理に不案内なアキラは迷っていた。
 一応簡単な地図はあるのだが、中心市街地から離れたそこにはマンションばかりが立ち並び目印となる建物も無く、周囲にある建物一つ一つを見て回らなければならない状態だ。
 自転車でとばしたおかげでそれなりに時間に余裕は出来ていたのだが、それでもやはり時間はあまり無い。誰かに聞いてみようか、そんな事を思っていたら不意に見ていた地図に影が落ちてくる。

「……あの、何か?」
「え? あーゴメンね。道に迷ったんかなーと思て、地図見て分かるようなら教えよかなと」

 そう訛りのある口調で答えたのは、腰まで届く髪の他に眉や睫毛まで金色という、どう見ても日本人では無い女性。着ているのはジーンズにキャミソールのみと、今の時期にしては薄着過ぎる。
 目の前にいる女性に呆気にとられるアキラだったが、その女性はそんなアキラの様子など気にすることも無く、地図を覗き込むとなにやら頷いてみせる。

「ん、分かりづらいねコレ。アカイデザインスタジオなら、向こうのマンションの一階やね。入り口にちっちゃく書いてあるけん、近くまで行ったら分かると思うけど」
「え……と、あれですね」

 女性が道路を挟んだ反対側にあるマンションを指し示すのを見て、アキラは地図と見合わせて確認してみる。確かに周囲の地理からして間違いないらしい。

「ありがと……う?」

 礼を言おうとアキラは女性へと振り返ったのだが、さっきまでそばに居た筈の女性の姿は忽然と消えていた。周囲を見渡してみるが、その姿を見つけることは出来ない。
 アキラは不思議に思ったものの、自分が遅刻寸前であることを思い出し自転車を押して走り始める。
 そしてその姿を見てクスリと笑う女性が、アキラが今まで佇んでいた場所に居た。




 マンションの駐輪場に自転車を止めると、アキラは若干速歩きで目的地へ向かう。
 前面全てが透明のガラス張りのその事務所は、外から見た感じでは綺麗に物がまとめられており清潔感に溢れている。入り口の自動ドアを見てみれば、そこには確かに「アカイデザインスタジオ」と赤い字で書かれていた。
 それを確認し緊張しながら中に入ったアキラだったが、先ほどから外でアキラが観察しているのに気付いていたのか、社員らしき黒髪の女性が笑顔で待ち構えていた。
 それに気付いたアキラは少し恥ずかしくなりながらも、持ってきた書類を示しつつ要件を伝える。

「あの、面接に来た深海アキラですが……」
「はい~お待ちしてました~。すいませんが~所長は席を外しておりまして、しばらく奥の応接室でお待ちいただけますか~?」
「分かりました」

 間延びした口調と、どこか安心するような笑顔で応対する女性に連れられて、アキラは事務所の奥へと歩を進める。その際に事務所内を見渡してみるが、今はアキラの相手をしてくれている女性以外に人は居ないらしい。
 アキラ自身切羽詰って就職先を探しまくっていたため、ろくにこの事務所について調べていないのだが、この不況にこれほどの少人数の事務所がやっていけるのだろうかと、就職できるとも決まっていない就職先に不安を抱いた。





「すいませ~ん。すぐに戻ってくると思いますので~」
「あ、はい」

 紅茶を持ってきてくれた女性が、本気で申し訳なさそうな様子で謝意を述べてから応接室を出て行く。アキラが着席し紅茶が用意されるまで数分程度。わざわざ謝る必要があるとは思えないのだが。
 もしかして此処の所長は遅刻魔なのだろうか。会ったこともない相手に失礼な印象が出来始めたのだが、その印象が固まりきる前に応接室の入り口のドアが開く。

「ごめんねー待たせたかな?」
「いえ、それほど時間は……」

 やけにフランクな物言いを訝しく思いながらアキラは顔を上げたが、そこに居た人の顔を見て言葉が続かず呆然とする。

「やろねー、急いで着替えてきたけんね私」

 服装こそ白いシャツに黒のズボンとスーツで凛とした雰囲気すら感じるが、その長い金色の髪とこちらを愉しそうに見ているオレンジ色の瞳は、どう見ても先ほどこの事務所の場所を教えてくれた女性だった。

「ん? サプライズ成功?」

 どこかご満悦な様子でそう呟く金髪の女性。
 成功と言えば成功なので、早い所説明をして欲しい。そうアキラは脱力しながら思った。





「ごめんねー、面接が今日やって忘れとったけん、急いで着替えてきたんよ」
「……じゃあ自分が所長だと教えなかったのは?」
「面白そうやったけん。というのもあるけど緊張しとったみたいやけん、ちょいとびっくりさせてみよかなーと」

 そう言ってアハハと笑う女性。どうやらかなり気軽にお付き合いできる所長さんらしい。
 どちらかというと真面目な性格のアキラと合うかというと、激しく疑問が残る所だが。

「んじゃ自己紹介しとこか。私はここ「アカイデザインスタジオ」の所長の赤猪ヒメ。ヒメっていうんは、あだ名や無くて本名やけんね」
「お……自分は深海アキラです」
「そんなにかしこまらんでも、別に話し方いつも通りでいいよ。ここの人員私と表に居ったアヤちゃんだけやけん、気ぃ使ってもしょうがないやろ」
「えーっと……じゃあ少し砕けて話します」
「ほなよろしくー」

 どう見ても就職面接とは思えないノリで話すヒメに、アキラは戸惑いながらも辛うじて言葉を返す。
 しかし所員が二人だけと聞いてアキラは不思議に思う。この不況に二人で切り盛りされている事務所。他の人間を雇う余裕などあるのだろうか。

「お、今このスタジオ潰れるんじゃないかなと思たやろ?」
「……思ってません」

 本当は少し思ったのだが、そこは大人の対応で言わないでおく。言ってもこの所長は気にしそうにないが。
 実際ヒメは気にした様子も無く、アキラの疑問を察したように説明してくる。

「元々ここは私とアヤちゃんの二人だけでやっとったんやけどね、最近仕事が増えてきて二人だけじゃ回らんようになってきたんよ。それで新しい人雇おとなったんやけど、まさか年度末ぎりぎりに募集して新卒の人が来るとは思わんかったわぁ」
「……まあ不況なんで」

 そう言ってみるアキラだが、実際三月に入って就職先が潰れたりしなければ手当たり次第に就職先を探したりせず、ここの面接を受けることもしなかっただろう。
 余裕があったらこの事務所の内情を調べ、自分には合わなさそうだと候補から外している。

「ま、うちらとしてはありがたいんやけどね。工大出でデザインの勉強もしとる。正に今ここに必要とされとる人材やねー」
「え……でもデザインは流石に即戦力になれるとは……」
「あ、そこは流石に研修期間中に私が教えるよ。と言っても私もアヤちゃんもパソコンは使えても詳しくないけんね、何かトラブル起こるたびに近所の電気屋のおっちゃん呼ばないかん有様なんよ。
 そのおっちゃんも歳やけん最近の家電にはついていけんみたいでね、その辺りの事をアキラくんには期待しとるよー」
「ええ、まあ人並み以上には使えますけど」

 もしかして自分は雑用係なのか。そんな不満が顔に出てしまったのか、ヒメはまたしてもアキラの心情を察したように、人差し指を立てて説明する。

「技術者目指すような工大出やと知らんかもしれんけどね、中小企業ってのは大企業と違って、社員一人一人が色んな仕事を兼任せんと会社として成り立たんのよ。私も直接依頼人のとこ行ったり事務手伝ったりするし、別にアキラくんにだけ面倒事押し付けるわけや無いよ」
「え……あ、はい」
「んーまあ若い子はそういうのやりたくないと思うやろけどね。でも大企業で歯車みたいに働くよりかぁやりがいはあると思うよ」

「大変やけどねー」と付け加えながら笑ってみせるヒメ。
 それを聞いて確かにと思ったアキラだったが、先ほどからどうも気になることがあるので意を決して聞いてみることにした。

「あの……俺が就職するのって決定なんですか?」
「え? 就職したいけん面接に来たんやないん?」
「いや、そうじゃなくて」

 自分を雇ってくれるのかという意味で聞いたアキラだが、どうやら前提条件が違ったらしい。
 それをようやく理解したヒメは「ああ」と声を漏らしながら手の平を打つと、笑顔で結論を告げる。

「能力的にも人格的にも問題無いみたいやけんね。そもそも面接の希望自体がアキラくん以外にこんかったし、アキラくんが決意したらそんまま就職決定やね。あ、これ契約書な」

 あっけらかんと告げると何枚かの書類を出してくるヒメ。
 それに目を通すアキラを見ながら紅茶を一口飲むと、ヒメは詳しい内容を話し始める。

「最初の三ヶ月は研修いう事で、本採用はその後やけん。研修中は自給800円やけど、そこは下積みとして諦めてぇな」
「はい」

 少し申し訳なさそうに言うヒメに短く答えるアキラ。
 アキラ達が住んでいるような地方だと、コンビニのバイトなどは自給650円前後だったりする。それを考えれば、バイトをしながら他の就職先を探すよりは遥かにマシだろう。

「んじゃあOKならここに名前と印鑑な。あと給料振り込むけん口座も教えてなー」
「はい……ここですね」

 言われるままに契約書にサインをするアキラ。
 面接に行ったはずが就職してしまったのだが、彼がその急展開がおかしいことに気付いたのは、自転車屋でチェーンの修理が終わった頃だった。



◇◆◇◆◇◆◇◆
あとがきみたいなもの

 地方都市で起きた小規模な大事件(矛盾)という方向で書いていきます。
 女神転生やデビルサマナーシリーズみたいな大事件の裏では、小規模な小競り合いが起こってんじゃないかなというイメージで。

 この作品はフィクションであり、実在する人物、団体、事件などとは一切関係ありません。



[7405] 第一話 日常と非日常のハザマ
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/04/11 13:56
 アキラがアカイデザインスタジオに就職してから二週間。
 最初は慣れない事ばかりで四苦八苦していたアキラだったが、一週間もするころには仕事にも余裕が出てきた。
 時折所長であるヒメから唐突に雑用を仰せつかったりするのだが、そういう時はヒメ自身か事務員のアヤが手伝ってくれるので、それほど不満も無い。
 WEBや広告などのデザインの依頼も何件か手伝わせてもらい、アキラはそれなりに仕事を楽しめるようになっていた。



「おおうっ、ノートン先生がお怒りや!」
「変なリンク踏まないでくださいよ。……ていうか今仕事中!?」

 パソコンをいじっていたと思ったら唐突に叫び声を上げるヒメに、冷静に注意するアキラ。しかしすぐに何かがおかしい事に気付いて、ツッコミを入れ直す。

「いやー、ちょっと間違った意味で煮詰まったけん気分転換をやね。デザインはインスピレーションが重要やし、大事やと思うよ気分転換」
「気分転換するなとは言いませんけど、何でノートンが騒ぐようなページを見てんですか?」
「いや、この「女子高生おっぱい八連発」というのが気になってやね」
「事務所でエロ動画見んな!?」

 あくまで笑顔でマイペースなヒメと、若干疲れた様子でツッコミを入れ続けるアキラ。
 二週間もたち二人の間に余計な壁はなくなったらしい。エロ動画を見ようとしてる人と注意してる人の立場が逆なのには、残念ながらつっこみを入れる人は居ない。
 そして二人を止められる第三者であるアヤは、二人の様子に苦笑しながら立ち上がり声をかける。

「少し休憩しますか~? 私紅茶入れてきますね~」
「あ、すいませんアヤさん」
「ありがとねーアヤちゃん」

 片方は騒がしいことを謝り、片方は素直に礼を言う。その二人の様子にアヤは口元を手で隠しながらクスリと笑った。





「そういえば所長ってハーフですか?」

 所員全員で休憩に入ってしばらくした頃、アキラは以前から気になっていたものの聞きそこねていたことを聞いてみる。
 ヒメは金髪にオレンジ色の瞳と、どう見ても日本人には見えない。しかし「赤猪ヒメ」が本名である以上、生粋の外国人ということも無さそうだと思いハーフかとアキラは聞いたのだが。

「ん? アイスランド人」

 予想していた候補から完全に外れた答えが返ってきた。

「え……ハーフじゃ無くて完全にアイスランド?」
「色々混ざっとるって聞いたけど、日本は無いよ。両親が日本好きで帰化したけん、戸籍上は生まれた時から日本人やけどね」
「じゃあ名字は何で赤猪?」
「アイスランドってファミリーネーム無いけん、好きにつけたんやない?」

 あまり興味の無い様子で告げるヒメ。それを聞いてアキラはなるほどと思う。
 名字に「猪」という漢字を使うのはあまり聞いた事が無い。「赤猪」という名字は、恐らくヒメの家族以外には居ないのだろう。

「んー、この饅頭美味しいね。どこで買ったん?」
「大手通の美容院の方から頂いたものですよ~。この間の広告見てお客さんが沢山来たから~お礼にって~」
「へー、あそこの店長さん若いのに気ぃまわるねぇ」

 アヤの説明を聞いて、自分も若いのにそんな事を呟きながら紅茶を片手に饅頭を租借するヒメ。食べてる人間を含めて、ミスマッチ過ぎて違和感が漂う光景だ。

「そういえば大手通全体の割引広告の締め切り来週までやっけ。写真足りんけん今から撮ってこよかな」
「大手通って商店街のですか? 商店街全体の広告って、どんだけでかい広告ですか」
「ん? 新聞の反面サイズで両面刷り」
「でかっ!?」

 両面刷りは最近は当たり前の事だが新聞の半分。もし新聞に入れる広告なのだとしたら、チラシを新聞に挟む作業は著しく滞るだろう。
 アキラ自身中学時代に見学したことがあるのだが、あの流れ作業を新聞とほぼ同サイズのチラシがある状態で行えるとは思えない。新聞屋さんに心の中で合掌しておく。

「そういえば、行方不明者が出たのって大手通の辺りじゃ?」

 新聞の事を考えていたためか、アキラはふと近場で起きた事件について思い出す。
 大手通で若者数人が神隠し――そんな見出しの記事を見た記憶がある。

「ああ、でもあれって夜中に商店街にたむろしとった子らが中心やけんね。集団家出や無いかて言われとるよ」
「商店街の人が中心になって夜回りしたり~警察の人が警戒するようになってから~、姿が見えなくなりましたね~」
「まあ補導されたく無いやろし」

 何気なくふった話題にやけに細かい情報をくれるヒメとアヤ。地元だけあって詳しいのか、それとも単に女性は噂話が好きということなのか。
 どちらにせよ二人の言葉を信じるなら、行方不明になってるのは元から素行が悪い若者で、あまり周囲の住民は気にしていないらしい。
 アキラ自身、それほど気にしていたわけでもないので、それ以上は深く聞かなかった。

「ごちそうさまー。ほな行ってくるけん、留守番よろしくー」
「分かりました~」
「気をつけてくださいね。最近物騒だから」

 饅頭を食べ終わるなり飛び出していくヒメに苦笑しながら、片付けはアヤに任せアキラは企業から依頼されたホームページのデザインにかかる。
 研修期間中だというのにある程度の仕事を任せられるのは、それなりに信頼されているという事なのだろうか。もっとも後でヒメが確認し、まずければ作り直しても期限までには間に合うような仕事だ。これも勉強の内という事なのだろう。

 このデザインスタジオに就職が決まったとき、正直な所アキラは上手くやっていけるか不安だった。
 デザインというセンスの問われる仕事内容の上に、所長はあの通りの性格。人手が足りないという事は規模の割に繁盛しているのだろうし、付いていける自信が無かった。
 だが実際に働いていると、デザインの手伝いは面白く、雑用も一人で黙々とやるような事が少ないためか苦にならなかった。
 不満をあげるとしたら、マイペースにも程がある所長のヒメくらいのものだが、それもあの性格のせいか憎めない程度のものだ。

「アキラさ~ん? 何か問題でもありましたか~?」
「え? あ、すいません。ボーっとしてただけです」

 不思議そうな顔をしたアヤに聞かれて、アキラは自分の手が止まっていたことに気づく。
 それに対して何も言わずにクスリと笑うアヤに少し顔が赤くなるのを感じながら、アキラは作業に戻った。





「じゃあ、お疲れ様でした」
「はい~、気をつけて帰ってくださいね~」

 定時になり仕事を切り上げて事務所を後にするアキラ。それを見送るアヤはまだ事務所に残るつもりのようだが、恐らくまだ帰ってきていないヒメを待つつもりなのだろう。
 まったく猫のようなお姫様だ。

「大手通だったっけ」

 別に探し出して文句を言いたいわけでもないが、早めに帰らされても家でやる事が無い。
 本屋にでも寄るついでに。そう考えて大手通に向かうアキラ。
 この何気ない行動が、彼の行く末を決めた。





「品揃え悪……」

 数十分後。大手通の本屋を物色していたアキラだったが、いつも買っている雑誌が置いていなかったためすぐに店を出た。
 その足で商店街を見て回ったのだが、そう都合よくヒメと会うはずもなく時間だけが無駄に過ぎていく。
 ゲームセンターから騒音が漏れ聞こえ、久しぶりに何かやってみようかと近付いたのだが、ふと首筋に何か掠ったような違和感を覚えて立ち止まる。

 周囲を見渡すが、どこもおかしな所は無い。
 だが商店の光の届かない路地の奥。そこだけがまるで眠っているように静かなことが何故か気になった。
 路地裏が騒がしいわけが無い。だがその路地裏は何かが違う。そう確信してしまったから、アキラはその路地裏へと足を踏み入れてしまった。
 もし彼が違和感に気付かなければ、もし彼がそれに気付いても興味を持たなければ、わざわざその路地裏へと誘われることも無かっただろう。

「……何も無い……よな?」

 アキラの靴音だけが響く路地裏。商店街の光が遠のき、電灯もない路地裏の静けさが不気味だったためか、アキラは自分に言い聞かせるように呟く。
 そしてしばらくそのまま路地裏を歩いていたのだが、唐突に、パズルのピースがはまるように違和感の正体に気付いた。

――静か過ぎる。

 商店街からはそれなりに距離があるが、アキラの足音以外聞こえないと言うのはあり得ない。しかも先ほどのゲームセンターの騒音は、気付かないうちに消えたのではなく、唐突に消えはしなかったか?
 自分が発する音以外が消えた世界。それはまるで自分以外の存在が消えてしまったのでは無いかと言う不安を抱かせる。

 そんなわけが無い。音が聞こえないのは単に自分が気付かないうちに、思った以上に商店街から離れてしまっただけかもしれない。今すぐに進路を変えて商店街に戻れば、今の不安が下らないものだと笑ってしまうはずだ。
 そう自分に言い聞かせ、アキラは不安を散らすように振り返って走りだそうとした。
 だが走り出す前に、この場の異状を証明する存在がアキラの目に飛び込んできた。



 最初にアキラが思ったのは人が居るということ。暗闇の中に浮かぶその人間は、白いボロ布を身に纏い四つんばいになっている。
 それだけなら変な人が居るというだけで済んだかもしれない。だがアキラを見つめる眼も、鋭い歯をむき出しにした口も、頭の頂点付近にある耳も、
 それが人ではなく犬であることを主張していた。


――何だアレは?

――何だアレは!?

――何だアレは!!?

 声を出すことも出来ず、アキラはただひたすら心の中で問い続ける。しかし当然答えなど返ってこない。
 人面犬ならぬ犬面人。
 人の体に犬の顔を持ったソレは、牙をむき出しよだれを垂らしながら、闇の中で金色に光る眼でアキラを見てくる。
 暗闇の中でもアキラには分かった。いや、直感的に確信してしまった。
 アレは見間違いでも作り物でも無く、正真正銘のバケモノだと。

「う……うわああぁぁぁぁーーーーッ!!」

 アキラが未知の存在に恐れを抱き、一歩だけ後ずさった瞬間、それが合図だったかのようにそれまで様子を窺っていた犬面がアキラ目掛けて走り出した。
 それを見たアキラは足がもつれそうになりながらも体を反転させ、恥も外聞も無く言葉にならない声で恐怖を漏らしながら逃げた。

 しかしその犬面は瞬発力まで犬並だったのか、アキラが二十メートルと走らないうちに背後に迫り、残りの距離を人間離れした跳躍で詰めるとアキラの左肩に喰らい付く。

「だっ!? はっ、離せ!?」

 アキラは突然の痛みに混乱しながらも、右手で犬面の頭を掴んで引き剥がそうとする。だが犬面の牙はますますアキラの肩に食い込み、さらに鋭い爪の生えた両手でアキラの左手と右肩を掴んでくる。

「あ……うあ……ああぁぁぁぁーーーーッ!?」
『キャウンッ!?』

 どうやっても離れない。そう思い絶望し、半狂乱になりながらアキラは右手で我武者羅に犬面の頭を殴りつける。
 すると当たり所が良かったのか、犬面は悲鳴のようなものを上げてアキラから離れる。
 アキラは離れた犬面振り返ることもせずに、全力で駆け出す。しかし走り出してから十数メートル程度で、その足は止まることを余儀無くされた。


 いつの間にか出ていた月明かりに照らされて、アキラの進行方向に馬に乗った人間の姿が闇の中に浮かび上がった。
 街中に馬。奇妙だが犬面人に比べればまだ日常の範囲だ。
 だがその馬に騎乗しているのは、重厚な甲冑に身を包み、フルフェイスの兜で顔を隠した騎士。手にした槍はアキラの身長より長いのでは無いだろうか。ここまで来ると銃刀法を叫ぶのも馬鹿らしい。
 そしてその騎士から発せられる気配。それが人間で無いと、何故かアキラには感じ取れた。
 背後には犬面が迫り、前には槍を持った人外の騎士。前門の虎と後門の狼とはこのことかと、アキラは半ば諦めに支配される。

 そしてアキラがどうすべきか判断できずに棒立ちしていると、騎士が突然アキラに目掛けて馬を走らせた。
 アスファルトの地面に蹄鉄を打ちつけ、嘶きながら迫る馬と騎士。馬もまた普通の馬ではなかったのか、アキラとの距離は数秒と経たぬ内に無くなり、騎士がアキラの目前で槍を振りかぶる。

「うわあっ!?」

 咄嗟に足が動かなかったアキラは、反射的に腕で顔を覆い目を閉じてしまう。避けることも出来ないアキラに矛先が迫り――

『ギャンッ!』
「……え?」

 上がったのはアキラの悲鳴ではなく犬面のものだった。
 何の痛みも無いことを不思議に思いながらアキラが目を開けると、そこには未だ馬と騎士が居た。しかしその騎士の持つ槍はアキラのそばを素通りし背後へと伸びている。
 まさかと思いアキラが槍の行先を目で追うと、そこには腕から血を流して蹲っている犬面が居た。
 それを確認して、アキラはようやく目の前の騎士が自分を助けてくれたのだと気付く。


「あーあー、いつか巻き込まれるやろとは思たけど、自分から頭突っ込んで来るとは思わんかったなぁ」
「……え?」

 目の前の騎士に礼を言うべきか否か迷っていたアキラだったが、不意に呆れたような女性の声が頭上から聞こえてくる。そしてそれを確認する前に、突然一人の女性がアキラの背後に降って来た。
 実際には三階建てのビルから飛び降りてきたのだが、周囲の様子を把握する余裕など無かったアキラには、その女性が空から降ってきたとしか思えなかった。

「コンバンワやねアキラくん。いい歳して寄り道したらいけんよー」
「……え?」

 振り返った場所に居た女性に笑顔で言われて、未だ混乱しているアキラは間抜けな声を出すことしか出来なかった。ただ依然一度だけ見せた黒いスーツ姿のその女性が、自分の上司だと言うことだけは何とか理解した。
 日常と非日常を象徴する者に挟まれた状態の中、アキラは混乱しながらも不思議と落ち着いている自分に気付いた。
 それはもしかしたら、恐怖や苛立ちを押しのけて居座ってしまった感情のせいかもしれない。



 ――夢でも見ているのかと思った。

 風に靡く金色の髪も、闇に浮かぶ雪のように白い肌も、
 知っているはずの彼女のその姿は、知らない誰かのものにしか見えなかった。

 いや、知っていても知らなくても、彼女の姿に戸惑いを隠せなかっただろう。

 薄汚れ、電灯の光も届かない路地裏の中で佇む彼女の姿は、触れてはいけない神聖なもののように彼の目に映った。




[7405] 第二話 悪魔召喚師―デビルサマナー
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/03/18 16:03

『ウヲォォーーーーンッ!!』

 闇の中に響き渡った犬の遠吠えを聞いて、アキラは自分がヒメに見とれて呆然としていたことに気付く。

(いや、そうだけどそうじゃ無くて)

 頭の中で考えていたことを誰に聞かれたわけでもないのに否定しながら、アキラは冷静になろうと大きく深呼吸する。

『主、奴らは周囲に?』

 しかし落ち着く前に、背後から声がしてはねあがりそうになる。
 兜で顔を覆っているためか、くぐもった声で何かを問う騎士。それにヒメはどこかうんざりした様子で答える。

「確認しただけで十体くらいかなぁ。今ので集まってくるやろね」

 アキラはしばらく二人が何を話しているのか分からなかったが、すぐにその意味に気付いて驚愕する。
 あんな化け物が十匹も。アキラの常識からすればあり得ない。

(というか何で普通に話してるんですか?)

 今すぐに声を大にして叫びたいアキラだったが、叫んだ所で状況が変わりそうに無いので自重する。女性の前で取り乱したくないと言う見栄もあるのだろうが。
 だがアキラがそうやって心の中で悶絶している間に、犬面が本当に集まってくる。

「うわ……」

 思わず声が出てしまうほど、それは異様な光景だった。
 犬面の奇妙な人型二体が、我が先にと道路の向こうから四つんばいで走ってくる。

「ベリスはアキラくんを守っててーな。「もどき」やから、異界からわいて出ることは無いやろし」
『……御意』

 ヒメの命令に騎士――堕天使ベリスは間を置いて承諾し、何処からか出した長い棒の両端に刃が付いた武器、いわゆるツインランサーをヒメへと投げ渡す。
 それを危なげなく受け取ったヒメは、アキラに向けて微笑むと言い聞かせるように話しかける。

「アキラくんは下手に動かんようにね。ベリスにいらん手間かけさせたらあかんよー」
「いや……」

「所長は大丈夫なのか?」という質問は、ヒメが振ったツインランスの音でかき消された。
 そしてそれだけでヒメの常時の緩い雰囲気は、手にした刃のように鋭いものに変わり、それに圧倒されたアキラはそれ以上口を開くことが出来なかった。

「ほな……数が増える前に片付けていこか」

 ヒメの声に応えたかのように、最初から居た犬面が正面から跳びかかる。
 だがその跳躍が頂点に達する前に刃が一閃。正面から真っ二つにされた犬面の残骸が宙へと舞った。
 そしてその光景にアキラが目を疑っている間にも、ヒメは接近していた二体の犬面へ向けて駆ける。

「――マハジオ」

 ヒメが何かを呟くと同時に突き出した左手から、白い雷のようなものが二体の犬面目掛けて襲い掛かる。

「ハァッ!」

 そしてそれを受けた犬面たちは小さく悲鳴を上げて痙攣し、立ち直る暇も与えられずにヒメのツインランスで首をはねられた。


「……ニンジャだ。ニンジャがいる」

 立て続けに信じられない光景を見せられたアキラは、現実逃避気味にそんな事を漏らす。
 今の一連の光景で一番驚くべき所はヒメが白い雷を放ったことなのだが、それを考える余裕はアキラには無くなっていた。

『主、次は群れで来るようだ』
「OK。その程度の知恵はあるわけやね」

 ベリスが忠告したとおり、道路の曲がり角から今度は八体の犬面が飛び出してくる。
 それを見たヒメは「うわー」と面倒くさそうに言うと、スーツの内ポケットから携帯電話を取り出す。
 それを見たアキラは不思議に思ったが、ヒメが何かを操作すると同時に現れたものを見て不思議に思っている所ではなくなる。

「――Summon OK?」

ヒメの呼びかけによって現れるのは、誰もが知っている六亡星のマーク。その六亡を囲うように二重の円が描かれ、その中には「A」や「Ω」のように見慣れた文字から、読むことも出来なければ見たことも無い記号のようなものまで、様々な文字が描かれている。

「――GO!」

 そしてヒメが命令すると同時に、魔方陣を突き破るように何か白いものが飛び出してくる。
 何も無かったはずの魔方陣の奥から飛び出してきたのは一頭の馬。ベリスの乗る馬が赤いのに対し、その馬は少しの汚れも許さない白色だ。
 そしてその頭部からは一本の角が生えている。それを見てオカルトの類には詳しくないアキラでも、目前の白い馬が「ユニコーン」と呼ばれる聖獣であることが分かった。

「ユニコーン、突撃!」

 ヒメが携帯電話をしまいながら命令を下すと、ユニコーンは頭を下げて犬面たち目掛けて走り出す。
 犬面たちはそれを避けようとしたが、一体が避けきれずに突き飛ばされ、そこから振るわれた角によってもう二体が殴られてコンクリートの壁へと打ち付けられる。

「――マハジオンガ!」

 ユニコーンの攻撃を抜けた残りの五体目掛けて、ヒメの白い電撃が放たれる。扇状に放たれたそれは威力こそ先程より上のようだったが、五体全部を仕留める事は出来ず、辛うじて電撃の範囲から逃れた犬面一体が、電撃を跳び越えるようにしてヒメへ襲い掛かる。

「あまーい!」

 しかしヒメはそれを予測していたのか、犬面が跳びあがった時には既にツインランスを振りかぶっており、接近すら許さず切り落とした。
 最初と同じように両断された犬面のなれの果てが地面へと落ち、周囲に生きている犬面は居なくなった。






――翌朝

 アキラがいつも通っている川沿いの土手は、周辺の住民がジョギングなどをしており、今日も爽やかな朝だと晴れやかな気分になれる。
 しかし今日のアキラは、晴れやかどころか不景気な顔をさらして自転車をこいでいた。

 昨晩は、事情の説明は後日とヒメに言われ、アキラは心の整理もついていないので素直に引き下がって帰った。
 しかし家に帰り着くまで間、犬面にまた襲われるのでは無いかと不安でしょうがなく、曲がり角の度に警戒してしまい、結局家に帰り着くまでにいつもの倍の時間をかけることになった。
 家に着き母の顔を見て落ち着きはしたのだが、今度は寝るときになって、窓を割って犬面が飛び込んでくるのではないかと、根拠も無い恐怖に苛まれることになる。
 そんな状態のまま眠れるわけも無く、アキラは椅子に座ったまま殆ど眠らずに夜を明かすことになった。

「……足いてぇ」

 未だ精神的な緊張が解けていないのか、アキラは眠気を感じていないのだが、体が――特に起きている限りは休息を許されない足が疲れを訴えている。
 肩の怪我はヒメによって綺麗さっぱり治療されたというのに、疲労が溜まって結局コンディションは最悪。あのまますぐに説明を聞いたほうが、すんなり説明が頭に入ったのでないだろうか。
 そんな体に鞭打って事務所に辿り着くと、アカイデザインスタジオの癒し系であるアヤが満面の笑みで待ち構えていた。

「凄いですね~アキラさん。悪魔と遭遇して生き延びるなんて~」

 そして何の説明も無く賞賛される。アキラにも何が言いたいかは伝わったが、まず悪魔って何だと聞きたくなる。

「あ、奥でヒメさんがまってますよ~。昨日の事の説明をするそうです~」
「あー、分かりました」

 アキラは色々と気になったが、説明してくれるなら早く行った方がいいと判断し挨拶もそこそこに応接室へ向かう。
 そもそもアヤに説明を求めても、あの口調のせいで、ただでさえ切れかけている集中力が持たない気がする。
 
「……おはようございます」

 昨日の光景を思い出し、ヒメへの畏怖とも憧れともつかない感情を抱きながら応接室へと入るアキラ。

「ん? おふぁよー」
「………………」
「もふ!? どしたんアキラくん!?」

 しかしそれは、緑茶片手に栗タルトをほおばっていたヒメによって打ち砕かれた。
 何で朝っぱらからお菓子食べているんだとか、「人生」と書かれた湯飲みが似合わないだとかいうツッコミを胸に抱いたまま、アキラは崩れ落ちそうになった体をドアで支えた。





「いやー、昨日商店街歩いてたらケーキ屋のおいちゃんがくれてね。朝ごはん代わりに食べよったんよ」
「まあ朝に食べたものは日中の活動エネルギーになるから、甘いものは朝食べるべきでしょうけど」
「おー、物知りやねアキラくん。ま、それは置いとくとして」

 ヒメは手で何かを置くようなジェスチャーをすると、真剣な顔な顔でアキラを見つめてくる。

「さて、何から説明したらいいんかな。あ、長くなるけどトイレ大丈夫?」
「……大丈夫です」

 雰囲気が変わったと思ったらまた緩みアキラは脱力する。
 昨夜のヒメは口調こそ変わらなくとも凛とした印象だったというのに、普段は何故これほど緩んでいるのだろうかとアキラは愚痴を言いそうになる。

「ほんなら……まずは私の事を話とこか。昨日の事見取ったら分かったやろうけど、私は悪魔召喚師――デビルサマナーや」
「悪魔……でもユニコーンは?」

 悪魔という言葉にアキラは信じられない部分もありながら納得したが、昨日ヒメが呼び出したユニコーンを思い出して問う。
 ユニコーンは神聖な存在。悪魔という言葉にはそぐわない。

「んーそやね。アキラくんバールていう神様知っとる?」
「……いえ、知りませんけど」
「バールっていうのは元は豊穣の神やったんやけどね、唯一神を信じる人たちから悪魔やと貶められ、魔王ベルゼブブにされたんやと。あとインドでは霊鳥のガルーダが、スリランカではグルルていう悪鬼やとされたりするね」
「……神と悪魔は紙一重ってことですか?」

 ヒメの言いたい事を自分なりに解釈するアキラ。それにヒメは頷いてみせる。

「まあもっと詳しく話すのは今度にして、天使、悪魔、妖精、妖怪、魔獣、聖獣エトセトラ。とにかく人間界とは違う場所に居る幻想上の存在とされとるのは、皆ひっくるめて悪魔と私らは呼びよるんよ」
「……それで、その悪魔を召喚して使役するのがデビルサマナーだと?」
「そゆこと。そんで人間に悪さする連中を退治したりするんやけどね、私はどこにも所属してないはぐれサマナーやけん、普段は昨日みたいな事はしよらんのよ」
「組織って……デビルサマナーってどれくらい居るんですか?」
「……さあ?」

 アキラの質問にヒメはしばらく考える仕種を見せるが、出た答えははっきりとしないものだった。

「昔は召喚師とかよっぼど資質がないと無理やったんやけどねー。二十世紀の終わりに「悪魔召喚プログラム」ていうんが開発されてね、素人でもそれなりの資質があれば、悪魔を召喚出来るようになってしもたんよ」
「プログラム……?」

 突然告げられたことが信じられず、アキラは訝しげに呟く。
 オカルト的な悪魔をデジタルなプログラムで召喚。オカルト知識に乏しいアキラには、とても両者が結びつかない。
 しかし昨日ヒメがユニコーンを召喚した時の事を思い出し、アキラは一応の納得をみせる。

「昨日携帯をいじってたのは?」
「簡易の悪魔召喚プログラムやね。悪魔召喚プログラムの機能をサブまでフル活用しようと思ったら、素直に専用のコンピューターを使った方が効率ええんやけどねー」

 そう言いながらヒメは近くにあったダンボールから何かを取り出す。
 出てきたのは銃のような物。しかし銃にしては銃身が平べったく、所々に電子的な部品も見える。

「これは銃型の悪魔召喚プログラム内蔵コンピューター……一部では「GUMP」て言われとるらしい」

 そこまで説明すると、ヒメはGUMPをアキラの前に置く。
 置かれたGUMPの持ち手はアキラに向けられている。アキラはその意味に見当はついたが、何故なのか分からずヒメを見つめる。

「アキラくん。私はアキラくんと始めてあった時から、昨日みたいなことが起こるんは予想しとった。……そう言ったら怒る?」
「何故……と聞いてもいいですか?」
「まあ聞きたいやろねぇ。どっから話したらいいんかなー」

 どこか困ったような表情でヒメは唸るが、説明することの整理がついたのか、再びダンボールの中を漁ると緑色の液体の入った試験管のようなものを取り出す。

「まず先天的な理由から言うとこか。これはマグネタイトいうてね、悪魔はアッシャー界、要するにこの人間の居る世界に実体化するには、このマグネタイトが必要なんよ」

 ヒメの説明を聞きながら、アキラはマグネタイトの入った管を受け取る。
 揺らしてみるが、見た目には緑色の液体という以外には何も分からない。

「それは保存するために液体化させとるけどね、マグネタイトっていうのは本来はエネルギー体で、生物の体の中にも生体マグネタイトていうんが少しあるんよ。特に感情を持った存在に多く含まれとってね、人間界に来た悪魔が人間を襲うんは、たいていそのマグネタイトを補充するためなんよ」
「……悪魔が存在するための生贄ってことですか」
「そゆこと。ほんで、人間の中にはたまに生体マグネタイトの保有量が多い人がおってね、そういう人は悪魔に狙われやすいと」

 そこまで聞いてアキラにもヒメの言いたいことが分かった。

「つまり……俺は?」
「多いね。今まで平穏無事に暮らせた方がおかしいくらいには」
「おかしい……じゃあ何で俺は今まで?」
「うーん、どうもアキラくん勘が良いみたいやけんなぁ。今までは何か気付いても無意識に避けよったんやない? 昨日は私が張った結界見て、逆に意識的に近付いてしまったってとこやと思うけど」

 そう言われてアキラは昨日路地裏に行くことになった原因である違和感を思い出す。
 今までのアキラはああいった違和感を意識上には浮上させず、本人が認識しないまま避けていたということだろう。

「まあ自覚が無いならそれで良かったんやけどね。一度気付いてしもたら、完全に無視するんは難しいやろ? 今のアキラくんには、今までに見えんかったものが見えるようになっとるやろし」
「……今までみたいに無関係ではいられない。だから俺に……その……デビルサマナーになれと?」
「ざっつらいと。手っ取り早く戦闘能力手に入れるなら召喚師が良いよー。サマナーがへっぽこでも、仲魔がたくさんおれば何とかなるかもしれんし」

 遠まわしにへっぽこと言われているような気がしたアキラだったが、実際逃げることしか出来なかったので文句は言えなかった。ヒメの戦闘能力のほうがおかしいというのもあるのだが。
 しかしヒメの方が異状だと分かっていても、あの時アキラは守られる自分が情けなかった。
 目の前の女性に助けられるのではなく、対等にそばに立つ事が出来たらどんなに良いだろうかと、恐怖を抱えながらも思ってしまった。

「……サマナーになるかどうかは置いといて、ああいったときの対処法を教えてもらうことは出来ますか?」
「それは戦い方? それとも逃げ方?」
「両方です」

 迷い無く言い切ったアキラに、ヒメは嬉しそうに笑ってみせる。
 デビルサマナーなんてものになるかと言われて、すぐに「なる」と即答出来るとはヒメも思ってはいない。しかしアキラは悪魔の存在とヒメからの情報を受け入れて、逃避せずに生き残る手段を求めた。
 それはヒメとしては満足できる答えだった。

「OK. 任しとき。アキラくんに魔法が使えるかどうか分からんけど、武器があれば人間でも悪魔には対抗出来るって事を教えてあげらい」
「はい」
「じゃ、今日はもう帰りやー」
「はい。……え?」

 素直に返事をしたものの、すぐにおかしい事に気付いて間抜けな声を出すアキラ。それを見てヒメは苦笑いをしてみせる。

「昨日眠れんかったんやろ? 酷い顔しとるよ。今日は仕事はいいけん、ゆっくり寝とき」
「いやでも……」
「明日から仕事の後にビシバシ鍛えるんよ? 今のうちに休んどかんと、すぐに倒れるでー?」
「……そうですね。すいませんが、お先に失礼します」
「別に謝らんでええって」




 生真面目なアキラに呆れながら、ヒメは退室するアキラを見送る。
 そのまましばらくアキラの出て行ったドアを見つめていたが、一つ溜息をつくと机の上に置いたままのGUMPを手に取る。

「使ってみてほしかったんやけどなぁ。懐かしいもん引っ張り出してきたんやし」
『言わなくて良かったのか、主?』
「何を?」

 自分以外誰も居ないはずの室内に響いた声に、ヒメは驚きもせずに聞き返す。
 それに声の主――ベリスはどこか面白そうな様子で言う。

『昨日の悪魔もどきが、人間の成れの果てだということだ』
「……いきなり言うんはヘビーやろ。悪魔とか荒唐無稽な話より、よっぽど精神的にくるやろし」

 ベリスの言葉に嫌そうな顔で返すヒメ。それを確認したベリスは、くぐもった笑いを漏らしながら自らの主に告げる。

『くふ……なるほど。知らせなければ殺しても互いに楽ということか』
「……流石にその内話すよ。というかアキラくんに余計なこと言うたらアカンよ?」
『了解した。我が主』

 笑い声を漏らしながらも命令を聞き入れたベリスだったが、ヒメはそれがまったく信用出来ず溜息を漏らした。
 ベリスはソロモン王に封じられた72柱の悪魔の内の一であり、錬金術などに秀でその知識を召喚主に授けると言われている。だが同時に二枚舌であることも知られており、召喚主を翻弄し、時に死に追いやるとされている。
 単なる仲魔契約を超えてヒメを主と認めている以上、ヒメの不利になるような嘘はつかないだろうが、アキラに対しては何を吹き込むか分かったものでは無い。

「何でこの街の近くには悪魔合体師おらんのかなぁ……」

 そんな事をぼやきながら、ヒメは入れなおした緑茶をすすった。






『主。もう一つあった。悪魔に狙われる後天的な理由を言わなかったのは何故だ?』
「あ……忘れとった」



[7405] 第三話 Suicide repeated beforehand
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/04/11 13:54

「さあ、準備はいいかなアキラくん?」
「準備はいいとか以前に、何で防具も付けずに木刀構えてんですか俺達は」

 蛍光灯の明かりに照らされた板張りの道場の中。
 アキラはアヤと道場主であるアヤの父親に見守られながら、木刀だけ持たされてヒメと対峙させられていた。
 しかも服装はアキラは青いジャージで、ヒメはジーパンにTシャツ。道場をなめてるのかと言われても反論は出来ない。

「普通の人間は悪魔の攻撃に何度も耐えたり出来んもんなんよ。やけん避ける練習兼痛みに冷静さを失わない訓練をやね」
「ヒメちゃんの場合はSなだけじゃろ」
「否定は出来んかなぁ」
「不安になるから否定してください」

 アヤの父とヒメのやり取りに、自分の立場が危険なのではと思い始めるアキラ。だが鍛えてくれといった手前、逃げるわけにもいかない。

「大丈夫ですよ~アキラさ~ん。死にはしませんから~」
「何をもって大丈夫と言ってるんですかそれは」
「ほないこかー」
「マジでいきなり殴りあうんですか!?」

 そうしてひたすらつっこみを入れながら、アキラはヒメとの稽古に臨んだ。
 




「……日付変わりそうだし」

 アキラがメールを確認しようと携帯を取り出してみれば、そこに表示されている時刻は既に深夜と言っていい時間帯だった。
 しばらくそのまま携帯を眺めていたアキラだったが、目の前の信号が変わったのに気付き、携帯をしまうと自転車のペダルを踏み込む。

 元々アキラはそれほど遊び歩く趣味も無ければ友人も居らず、このような時間帯に外を出歩く事などそうそう無い。
 では何故こんな時間帯に自転車で帰宅しているのかと言うと、ヒメの「特訓」が予想以上に長引いたからだったりする。
 一応アヤの父親からある程度剣術の基礎を教わったのだが、その後はヒメの「まあその内慣れらい」という言葉と共に稽古という名のリンチ。タコ殴り。フルボッコ。
「殴る蹴るの暴行を加えた」という表現がこの上なく当てはまる勢いで、アキラは一方的に蹂躙された。

「体痛い……」

 普通ならば素人を木刀で殴るなど危険すぎるのだが、「痛い」ですんでいる辺りヒメも一応手加減はしていたらしい。
 生体マグネタイトの保有量の多い者は、魔法や超能力等の特殊能力に目覚めるケースが多いのだが、今のところアキラは一切特殊能力には目覚めていない。特殊な才能が無くても使えるような魔法や術というのは長い修練が必要なため、今のところアキラが戦うとすれば己の肉体と武器だけで戦うことになる。
 一応ヒメの仲魔がアキラの周囲を気付かれないように監視しているらしいのだが、分からなくても監視されているのは良い気分がしないため、アキラとしては早い所戦う力をつけて監視を外してもらい所だ。
 アキラも一応男。例え悪魔相手でも、日常生活は勿論セルフバーニングするのを見られる趣味は無い。



「ん?」

 もう少しで自宅と言う距離に架かっている、二百メートル近くある長い橋。その橋の中ほどまで来た所で、アキラの視界に一人の少女が佇んでいるのが入ってくる。
 黒いセーラー服を着た、高校生と思われる少女。少女はどこか思いつめた様子で、自転車に乗って近付いてくるアキラに反応もせずに橋によりかかって川を見下ろしている。

 あまりに異様な少女の様子に不安を覚えたアキラは、少女の数メートル手前で自転車を止めて様子を窺うことにした。そのまま通り過ぎてしまえば、その日アキラはぐっすりと眠る事が出来たのだろうが、そうしなかったためにアキラは犬面に続いて二度目の怪異に遭遇することになる。

「………………」
「……!? ちょっ早まるな!?」

 無言のまま川を眺めていた少女が、見た目からは予想できない軽快な動作で橋の欄干の上に登る。
 そしてそれに焦ったアキラが自転車から降りようとしたときには、既に少女はその身を虚空へと投げ出していた。



「……嘘だろ」

 アキラが呟いたのは、少女が飛び降りたせいだけでは無かった。

 慌てて自転車を歩道に投げ出しつつ橋から川を覗き込んだアキラの目には、水が流れていない石ころだらけの川底の姿しか見えなかった。
 その川がまるで干上がったように水が流れていないのはいつもの事。だが水が流れていない川底には、少女が飛び降りた痕跡など欠片も存在しなかった。





「……知らんがな」

 次の日……事務所に出るなり事情を説明したアキラに対するヒメの答えは何ともつれない物だった。
 ヒメもヒメで寝不足なのか、その目は胡乱な上に椅子にもたれて力を抜いており、全身で「面倒くせぇ」と主張している。

「というか何でそんなダルそうなんですか」
「昨日アキラさんが帰った後に~、父さんがヒメさんを無理矢理稽古に付きあわせちゃったんですよ~」
「……それは……お疲れ様でした」

 アヤの説明を聞いたアキラは、ボコボコに殴られたことも忘れて思わず労わりの言葉をかける。
 アキラが帰った後にさらに稽古。間違いなく終わる頃には日付が変わっていただろう。

「まあ眠いだけですんどるけん良いんやけどね。でも自殺の幻覚言われてもねぇ……私は実際に見てないけんよう分からんし。まあ自殺者の霊が有力やないかなぁ。自殺した人って成仏するまで自殺繰り返すけんね」
「霊まで見えるようになってんですか俺……」

 新たに追加された自分の異常性に若干落ち込みながらも、アキラは深く考えるのを止めてパソコンを立ち上げる。
 そんなアキラを見ながらヒメは大きく伸びをすると、少しはダルさが抜けたのか椅子に座りなおすと真面目な顔で説明を始める。

「アキラくんの場合は見えるようになったというより、今までも見えとったのに無意識にガン無視しよったんやと思うよ。見えるのに認識出来んて言えば良いんかなぁ」
「あー何となく分かりますけど」
「初めて会ったときも、アキラくんの隣で伸び上がり入道が天高く伸び上がっとんのを、明らかに視線で追っとったのに無視しとったし」
「むしろ認識したくないですそんなもの」

※伸び上がり入道――見上げると背が高くなっていく妖怪。噛み付いてきたり倒れてきたりする。

「うーん、でも生きとる人間と間違えるんは見えすぎやね。人間やないと思ったら無視したほうが良いよ。絡まれてもまだ対処出来んやろし」
「チンピラかヤクザですか」

 ヒメのアドバイスにそんな感想をアキラが返したところで、二人は朝の雑談を終えて仕事にとりかかった。





 時は流れて午後三時過ぎ。

「所長、ここはこんな感じで良いですか?」
「んー……ちょっと見辛いねぇ。色分けするんは良いんやけど、色に差がありすぎたら目が疲れるよー」
「……これくらいですか?」
「そうそう。他にも言えるけど、かっこよさより見やすさ考えてねぇ」
「分かりました。……って、さっきから俺ばっかみてますけど、自分の仕事はどうしたんですか?」

 ヒメのアドバイスを聞いてデザインの続きに取り掛かろうとしたアキラだったが、そのヒメが先ほどから自分の質問を待ち構えて何もしていない事に気付く。
 もしかして自分のせいで手が付かないのかと思いアキラは聞いたのだが、ヒメの答えはシンプルかつ呆れたものだった。

「飽きた」
「飽きないでください」

 飽きたというのは冗談で、仕事が間違った意味で煮詰まったのだろうとアキラは察したのだが、台詞に問題があり過ぎるため一応つっこみをいれておく。
 ここ最近アキラの事務所内での立場がつっこみ役になっているのだが、ヒメの戯言がつっこみ役の登場により増えていたりするのはアヤしか気付いていない。

「じゃあ少し休憩にしましょうか~。今日はクッキーがありますよ~」
「よっしゃー! アヤちゃん愛しとるよー」
「少し待ってください……あ、コーヒー自分でいれます」

 アヤの言葉を皮切りにして、ヒメはもちろんアキラも仕事の手を止めて休憩にはいる。
 この事務所では、ヒメが三時ごろに集中力を欠き、何らかのリアクションを起こすのを合図にして休憩が始まる。
 最初はその柔らか過ぎる事務所のあり方に戸惑っていたアキラだったが、今では自分用にコーヒーを持ち込んでいたりと、確実に朱に交わって赤くなってきている。

「前から思とったけど、アキラくんよくコーヒーブラックで飲めるなぁ」
「そんな事で感心されても。所長も緑茶は好きでしょう」
「えー緑茶とコーヒーの苦味は違うてや。トノサマガエルとダルマガエルくらい違う」
「何処がどう違うのか分かりません。それ以前にどっちも見たことありません」

 ヒメの説明に呆れながらも、紅茶を入れたアヤと共に椅子に座るアキラ。
 因みにトノサマガエルとダルマガエルは非常によく似ている上に、交雑したりもしている。そのため例としてはどうかと思われるのだが、残念ながらこの場でそのことを知っているのは発言者であるヒメだけのため、指摘する者は居ない。

「トノサマガエル見たこと無いん? 子供の頃に外で遊んだりしなんだん?」
「山の中で虫取りとかはよくしてましたけど……一回溺れかけた事があって、水辺ではあまり遊んだことがないんですよ」
「ふーん、河童にでも引きずられ……」
「「?」」

 会話の途中で突然言葉を切ったヒメに、アキラとアヤはそろって疑問符を浮かべる。
 しかしアヤもアキラと顔を見合わせたと思ったら驚いたような顔をしたため、アキラはますますわけが分からず二人の顔を交互に見てしまう。
 そしてしばらくした所で、二人の視線が自分ではなくすぐ隣に注がれているのに気付き、アキラはそちらへ体ごと振り向く。すると視界に突然小さな少女の姿が飛び込んでくる。

「………………」
『………………』

 アキラが首を傾げると、楽しそうな様子で一緒に首を傾げる少女。
 だがその少女はよく見ると……見なくても分かるが、人の頭くらいの大きさしかない。
 背中には透明の羽が生えていて、羽ばたいて起こる風で長い金髪と白いワンピースのような衣装が波立っている。

「……所長。これは目をそらした瞬間に襲い掛かってきたりしますか?」
「猿や無いんやけん。まあピクシーみたいやけん悪戯くらいはされるかもしれんけど」
「ピクシー?」

 アキラが疑問系で呟くと、羽の生えた少女――ピクシーが白い衣装のすそを摘んで丁寧にお辞儀をしてくる。
 その様子に敵意は無く、むしろ好意的な感情が見て取れる。

「イギリス南西部の妖精やね。悪戯好きやけど、気に入った人間は助けてくれるんよ。アキラくんに興味津々なみたいやねぇ」
「気に入るって、何を基準に?」
「さぁ? 何かプレゼントするのが一般的やけど、アキラくんまだ何もしてないしねぇ。単に好みなんや無いん?」
「はあ……」

 ヒメの曖昧な説明を聞いている間もアキラはピクシーを観察していたが、当のピクシーはそんな視線を気にもとめず、アキラの持っているクッキーに興味津々な様子を見せている。
 もしかして欲しいのだろうかと思いアキラがクッキーを差し出すと、ピクシーはきょとんとしてアキラの方を見てくる。

「……えーと、あげる」
『――――――!』

 妖精相手にどう話したらいいのか悩みつつもアキラが言うと、ピクシーは嬉しそうな顔になってクッキーを両手で受け取る。
 そしてそのまま小さな体には不釣合いなクッキーを、ポリポリとかじり始める。

「……で、この子は放っておいても害は無いんですか?」
「んー、友好的なみたいやし大丈夫やろね。というかここ一応結界あるのに、どっから入って来たんかなぁ?」
「お茶飲みますか~?」

 アキラがヒメに質問している間に、アヤがどこからか持ってきたペットボトルの蓋に紅茶を入れてピクシーに差し出す。
 いつの間に本人(本妖精?)からしたら巨大なクッキーを完食したのかと呆れながらアキラが視線を向けると、ピクシーが満面の笑顔でアヤから紅茶を受け取っていた。
 その様子を見ていたアキラに、また新たな疑問が浮かんでくる。

「……ピクシーって話せないんですか?」
「んー? むしろお喋り好きなはずやけど?」

 アキラに言われてようやくヒメも気付いたのか、訝しげにピクシーに視線を向ける。しかしピクシーはその視線にも無言のままで、ただ不思議そうに首を傾げるだけ。

「……まあ悪魔も個体差あるし、喋らんのも居るんやないん?」

 ヒメの言葉にその通りだとばかりに頷くピクシー。
 そして徐にアキラの顔の前まで飛んで行くと、じっとアキラを見つめ始める。

「……今度はなんですか?」
「仲魔にして欲しいんやないん?」

 アキラの質問にヒメが予想を口にすると、ピクシーはまたしても頷いてみせる。

「えー……俺はサマナーじゃ無いんだけど?」
『――――――!』
「話せんと交渉も出来んねぇ。断わるための交渉も珍しいんやけど」

 本来ならば悪魔との仲魔契約に至るまでに、代価として現金やマグネタイトなどを要求されるものなのだが、今のピクシーは無条件で仲魔になりたがっているし、アキラはアキラでサマナーになる気は無いのでそれを断わろうとしている。
 そもそもサマナーでもないのに、下位とは言え悪魔が仲魔になりたがるというのもおかしいのだが、アキラはそんな事は知らないしヒメもあまり気にしていない。

「別に良いんやないん? 別にCOMPやらマグネタイト持ち歩かんでも、アキラくんならピクシー一匹くらい維持出来るんやし」
「え……? そうなんですか?」
「というかアキラくん魔法使えんしねぇ。ぶっちゃげた話、仲魔の維持くらいにしか力の使い道無いんよ」

 それは要するに折角の才能を無駄にしていると言うことなのだが、アキラはそれでもデビルサマナーにはなる気が起きなかった。
 それは最初に会った悪魔が話し合いの余地の無い相手であった上に、危害まで加えられたことが大きいのだろう。アキラにとって悪魔はまだ「敵」としての認識が大きい。
 それにデビルサマナーの中には、自分の仲魔を制御できずに自滅するものも居るのも事実だ。ヒメは慎重な性格のアキラならばそういう事は無いだろうと判断しているのだが、当のアキラはその慎重さ故に悪魔を必要以上に警戒してしまっている。
 結局の所、アキラはまだ悪魔という存在に免疫が無さ過ぎるのだろう。

「……悪さとかしないんですか?」
「それも性格によるやろね。この子ピクシーにしては大人しいみたいやし、平気やない?」

 ヒメの言葉にコクコクと頷いてアキラをじっとみてくるピクシー。その目は真剣で、目は口ほどにを体現している。
 何故これほど必死なのかはアキラには分からなかったが、少なくとも害意があるわけでは無いのを再確認して苦笑してしまう。

「別に俺と一緒に居ても面白いことないぞ? それでも良いのか?」
『――――――!』

 少し悩んだ後についに折れるアキラ。それを聞いたピクシーは長い耳をピクンと震わせて反応すると、嬉しそうな様子でアキラの周囲を飛び回り始める。

「なつかれましたね~アキラさん」
「というかアキラくんのタメ口始めて聞いたんやけど」

 その様子を見て笑みを浮かべるアヤと、少し意外そうなヒメ。

「確かに二人とも年上ですから、タメ口で話す機会なんてありませんでしたね」
「別に敬語使わんでもいいんよ? 歳もそんなに変わらんのやし」
「嘘はいけませんよヒメさ~ん」
「……そんな事を言うんはこの口かーッ!?」
「ひひゃい~ひひゃいです~」

 思い切った嘘をつくヒメにアヤが余計なことを言い、それをきっかけにじゃれ始める二人。アキラ自身ヒメの年齢は知らないのだが、ここは聞かない方が身のためだろう。

「……ん、まだ欲しいのか?」

 どうやって二人を止めたものかと考えていたアキラだったが、ピクシーが菓子皿に残っていたクッキーをじっと見ていたので放置して餌付けを開始した。
 コクコクと頷いてクッキーを受け取るピクシーと、まだアヤの口を引っ張っているヒメと引っ張られているアヤ。
 中々にカオスな状況を眺めながら、アキラはとりあえずコーヒーを入れ直すことにした。





 その日の夜。前日と同じようにヒメにタコ殴りにされたアキラは、またしても深夜になってから自転車で帰路へとついていた。
 いつもより心なしかゆっくりと自転車をこぐアキラの胸ポケットには、心配そうな表情のピクシーが収まり腕をぶらぶらとさせている。

「もうすぐ家につくけど、母さんに悪戯するなよ」

 周囲に人も居ないので、アキラはあまり声を抑えずにピクシーに注意をとばしたが、当のピクシーは「失礼な」とばかりに頬を膨らませて抗議の意を示してくる。

 始めアキラはピクシーを連れ帰ることに難色を示したのだが、普通の状態では一般人には見えないとヒメに言われて結局連れて帰ることにした。
 それでも母にちょっかいを出さないかという心配もあるのだが、ヒメの言っていた通りこのピクシーは大人しいらしく、稽古の時もアヤの肩にちょこんと座りずっとアキラ達を見守っていた。

「……またか」

 昨日少女が自殺する幻覚を見た橋まで来た所で、アキラは再びセーラー服姿の少女を見つけた。
 半ば予想はしていたが、実際に遭遇すると背筋が薄ら寒くなる。アキラはヒメの助言通り少女をなるべく視界に入れないように橋を渡り始める。

 アキラはそのままゆっくりと少女に近付いていき、そのまま通り過ぎようとしたのだが――

『――オギャア』

「……え?」

 ――どこからか赤ん坊の泣くような声が聞こえてきて思わず自転車を止めた。
 
 それから間をおかずに、今度は何か重たいものが落ちるような鈍い音。まさかと思いアキラは少女の佇んでいた場所へ視線を向けたが、そこに少女の姿は無い。

「………………」

 一度胸ポケットに居る不安そうなピクシーと目を合わせると、アキラは意を決して自転車を降りて少女の居た場所へと歩み寄る。

「……どうなってんだ……これ?」

 そして橋から身を乗り出して川を覗き込むと、僅かに街灯の明かりの届く川底に、赤い花が咲いているのが見えた。
 昨日のような幻覚ではなく、垣根の無い事実。それを受け入れるまでアキラは幾ばくかの時間を要した。 




◇◆◇◆◇◆◇◆
あとがきみたいなもの

 ピクシーは漫画の鳩の戦記のピクシーのイメージです。
 最近の平均睡眠時間二時間。何かがみなぎってきたぜ!



[7405] 第四話 始動―しどう―斯道
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/04/25 13:21

「予想通りいうか、えらい短い内に騒動に巻き込まれたねぇ」
「……おかげで二日連続であまり眠れませんでしたよ」

 感心しているのか呆れているのか分からない口調で言うヒメに、アキラは疲れた様子で間をおいて答える。
 太陽が山に隠れ始めた夕暮れ時。一昨日に見た自殺の幻覚が実際に起こったとヒメに相談したアキラは、仕事が終わるなりヒメに言われて現場の川へと来ていた。
 ヒメの服装はいつものようなラフな格好ではなく、あの夜に見た黒いスーツ姿。何故なのかアキラは聞いていないが、デビルサマナーとして動く時の制服みたいなものなのだろうと勝手に思っている。

「んで、ここが現場やね。えらい派手やねェ……よく生きとったなぁ」

 むき出しの川に転がる石に飛び散った血痕を見て、ヒメは顔をしかめながら呟く。
 そう。アキラの前で身を投げた少女は生きていた。もっとも、ヒメの言うように生きているのが不思議な状態だったのだが。

「ピクシーに頼んで、命に関りそうな怪我は治してもらったんですけど……やっぱり不味いんですかそういうの?」
「あー……まあ怪しまれるやろうけど、ばれんかったらいいよ。別に悪魔やら魔法やらばらしたらいかんていう明確な決まりも無いし、普通の人は信じんしねぇ。まあ、あからさまにばらして回ったら、流石に同業者に殺されても文句言えんけど」
「……そうですか」

 安心して息を吐くアキラに合わせて、肩に座っていたピクシーも安堵した様子を見せる。
 アキラもあの場では慌ててピクシーに頼んだものの、後になって軽率だったのではと思い不安になっていた。仮に駄目だと事前に言われていたとしても、アキラなら同じように指示していたかもしれないが、それはそれということだろう。

「それで……結局何がどうなってるんですか?」
「んー、今のとこ推測やけど、アキラくんが事前に見たんは生霊か残留思念かなぁ?」

 確信は得られないのか疑問系で答えるヒメ。それを聞いたアキラは半分は納得したものの、半分が理解できず問いを重ねる。

「生霊は何となく分かりますけど、残留思念が事前に残るものなんですか?」
「その子が事前に自殺未遂をしとったならありえるやろね。実際に飛び降りて無くても、飛び降りようていう決意みたいなんを感じ取った可能性もあるし」
「そんな曖昧なものがはっきり見えるものなんですか?」
「普通は見えんね。でもアキラくん色々と異常やし」
「……そうですか」

 笑顔で異常だと言われて、苦虫を噛み潰したような表情でそう返すアキラ。実際に異常なものを見ている以上、反論は出来ない。

「他に可能性は……予知能力の類かなぁ。まあそんなレア能力は流石に無いと思うけど」
「俺もそんな厄介そうな能力いりません。……じゃあ赤ん坊の泣き声みたいなのは?」
「それこそ分からんて。不自然やし悪魔の類かも知れんけど、自殺と関係あるかは断言出来んし。とりあえずベリス、何か感じたりする?」
『微弱だが感じられるな』

 ヒメの言葉に合わせて、今まで姿を消していたベリスが現れる。
 一瞬アキラはベリスの視線が合ったが、何故かベリスが兜の下で笑ったような気がした。
 実際面白がっているのだろうが、ベリスの性格を知らないアキラは気のせいだろうとすぐに視線をそらす。

『我々を警戒しているのだろう。先ほどから地面の下を何かが動き回っている』
「地面の下? モグラ?」
『否。気配は水妖のそれに近い』
「地面の下……伏流水?」

 ベリスの言葉を聞いてアキラはもしかしたらと思い呟く。それを聞いてヒメも分かったのか苦い顔をする。

「地下水の中におるんか。話聞こうにも出てきてくれんし、関係あっても潰せんねぇ」
「あの、こういうのって気付いたデビルサマナーが対処するものなんですか? この手の問題を解決する……警察に似た機構は無いんですか?」
「あー……そういえばその辺の事説明してなかったねぇ」

 アキラの疑問に、ヒメは本気で説明を忘れていたのか「あっちゃー」という顔をしながらしばらく沈黙する。そして数十秒ほど経った所で説明することが纏まったのか、人差し指を立てつつアキラに向かって話し始める。

「陰陽師くらいはアキラくんでも知っとるやろ? 平安時代の国お抱えの占い師」
「ええ。一時期女性中心に流行ってましたね」
「陰陽師は基本的に公務員でね、平安時代の後は居らんなったことになっとるけど、その流れを汲む退魔機関はいつの時代も存在した……というより、妖怪やらの魑魅魍魎が跋扈する日本では居らんと困る。
 でもそこは少数精鋭でな、よっぽど大きな事件や無いと動かんけん、基本的には民間の退魔師やら拝み屋さんが依頼を受けて対処することが多いんよ。特に四国はその手の人らの修練の場として使われてきたけん、地域に根ざしとる民間の陰陽師やら退魔師やらが多いね。アヤちゃんのとこも、デビルサマナーでは無いけど修験道系の退魔師の家系やし」
「……もしかしてデビルサマナーって数が少ないんですか?」

 先ほどから「デビルサマナー」では無く「退魔師」という単語が多いことに気付いたアキラが問う。
 以前ヒメが言ったとおり、デビルサマナーというのは悪魔の強さ以上に、数を揃えられるという点で強力な力となる。そのデビルサマナーの数が少ないというのは、自分の事を棚に上げてもアキラには不思議に思える。

「まあねぇ……前も言ったけど才能がないと自爆するし。悪魔召喚プログラムで敷居が下がった言うても、結局悪魔を制御するんは召喚主なんよ。むしろ手軽に召喚出来るようになったけん、にわかサマナーが召喚したけど制御出来んていう迷惑な事件が増えたし」
「……それ無い方が平和だったんじゃないですか?」

 アキラの言葉にヒメが表情もそのままに一時停止する。
 自分も恩恵に授かっている以上無くて良いとは言えないが、そのせいで事件が増えたことは事実であるため答えが出し辛いのだろう。

「まあそれは置いといて……」
「ごまかしましたね」
「置いといて! アキラくんはどうしたいん!?」
「俺ですか?」

 明らかにごまかすために勢いよく聞いてくるヒメに、アキラは若干引きながら考える。

「別にどうも。もう一度同じことが起こるわけじゃないなら、放っておきますけど」
「……意外にドライやねアキラくん」

 ここで「必ず真実を暴く!」などと断言されてもヒメとしては困るのだが、どうも目の前の青年は冷静と言うべきか冷めていると言うべきか、とにかく勢いが無い。
 若いのだから、もう少し行動的でも良いのではないかと言いたくなるほどで、保護役としてはありがたいが、感情的にはもどかしい。

「ああ、分かった。アキラくんには若さが足りんのや」
「何がどうなってそんな結論が出てきたのかは知りませんけど、これからどうするんですか?」

 腕組みをしながらしみじみと失礼な事を言うヒメに、アキラはつっこむべきか迷ったがスルーすることにした。
 実際にはスルー出来ていないが、脊髄反射の領域に達しているつっこみスキルを持つアキラにはそれが精一杯だろう。

「んー、私もあんまお節介焼く気は無いんやけどねぇ。女の子に話聞いてみるしかないかな。聞いてみたら、悪魔関係ない普通の自殺未遂かもしれんし。アキラくんが助けたんやし、会うくらいは出来るやろ?」
「ええ、親御さんから凄い感謝されましたし」
「じゃ、女の子が目ぇ覚ますまでは保留やね」

 そう結論付けると「てっしゅー」とやる気の無い声で言いながらその場を離れるヒメ。
 アキラもそれに続こうとしたが、一瞬足元に何かが絡みつくような違和感を覚えて立ち止まる。

「……?」

 違和感は微かなもので、視線を向けてみても何も無かったが、アキラはここ最近鋭くなってきている直感で確かに「何か」がここに居ることを確信する。

『――!』
「あ、そうだな。帰るか」

 動こうとしないアキラを不審に思ったのか目の前に飛んでくるピクシー。突然視界に現れたピクシーに呪縛から解き放たれたアキラは、半ば逃げるようにヒメの後を追った。





 三日後。
 少女が目覚めたと連絡を受けたアキラは、話を聞くために病院を訪れていた。
 右手には紫陽花のフラワーアレンジ。ヒメに相談した所、食べ物は好みがあるし花が良い。でも鉢植えは縁起が悪いだの生花は水を替えるのが面倒だのとアヤと二人で盛り上がった挙句に、相談したアキラがもう帰ろうかと思い始めた頃に「紫陽花が良いんじゃない?」という結論に達した。
 紫陽花の花言葉は「元気な女性」と、女の子のお見舞いにはもってこいとはヒメの談。アキラ自身は花言葉に詳しくないので、結局ヒメとアヤの提案通り紫陽花を持っていくことにした。
 紫陽花には他にも「移り気」や「浮気」といった意味もあるのだが、そこはあまりお見舞いには関係ないので気にする必要は無いだろう。浮気して刺されてた人のお見舞いでもない限りは。

「こんにちは」

 目的の病室のドアは開いていたので、アキラはその前に立つと開いたままのドアを叩いて来室を知らせる。
 長い黒髪の隙間から白い包帯を覗かせている痛々しい姿の少女と、その少女の父親らしい男性が居た。二人はこちらに気付くと、少女はベッドに座ったまま頭を下げ、父親は慌てた様子で椅子から立ち上がるとこちらが萎縮してしまう勢いで頭を下げてくる。

「ああーお待ちしとりました深海さん。この度は娘がえらい世話になりまして、本当にありがとうございます」
「いえ。命に別状が無くて何よりです」

 自分にとっても父親くらい歳の離れた男性に頭を下げられ、アキラは居心地の悪さを感じながらも愛想笑いを返す。
 アキラの家は母子家庭であり、父親の事は幼い頃にほとんど遊んでもらえ無かった事くらいしか記憶していない。アキラにとって「父親」とはある意味未知の存在であり、少女の父親の事も無意識に警戒してしまっている。
 それでもそれを表に出さない程度には、気を使っているが。

「ほんで来てもらったばっかで申し訳ないんですが、わしは店の方があるんで、もう戻らないかんのですよ」
「ああ、お気遣い無く。少し話をしたら、私もお暇しますので」

 娘とよく知らない男が二人っきりとなるといい気分はしないだろうと思いアキラはそう言ったのだが、少女の父親は相変わらず慌てた様に首を横に降る。もしかしたら元からそういう仕種なのだろうか。

「いやーですね、娘も退屈しとるみたいなんで、色々話たって下さい。ほな、よろしゅうお願いします」
「ええと……お仕事頑張ってください」

 そのままぺこぺこと頭を下げながら病室を出て行く父親を見送ると、アキラは改めて少女の方へと向き直る。

「初めましてかな。俺は深海アキラっていってデザインの仕事してるんだけど……あ、これお見舞い」
「あ……どうも。私は……白山ミコトです」

 どこか気まずい雰囲気が流れていたのをあえて無視するように、アキラは一気に喋ると紫陽花を少女――ミコトのそばにある机に置く。
 それにミコトはどこか緊張した様子のまま頭を下げると、思い出したようにもう一度頭を下げて謝罪してくる。

「あの……すいませんでした。ご迷惑をおかけして……」
「いや、当然の事をしただけだから。まあかなり驚いたけど」
「本当にすいません。自分でも何であんなことしたか覚えてなくて……」

 警戒されないように慣れない微笑を浮かべながら話すアキラに、ミコトは謝りながらやたらと頭を下げてくる。先ほどの父親といい遺伝だろうか。
 そして話しぶりからして、どうも自殺しようとして飛び降りたわけでは無いらしい。嫌な予想が当たっているのかとアキラは内心辟易しつつも、普段はあまり使っていない気を使って何とか探りを入れる。

「学生さんだし、ストレスたまってたんじゃないかな。俺も大学はさっさと卒業したくて仕方なかったし」
「……? 高校生の時は思わなかったんですか?」
「思わなかったというか、高校は行ってないから」

 何でも無いような風にアキラは言ったが、ミコトは言われた意味がすぐに理解できなかったのか目を丸くしている。
 まあ高校行かずに大学行く人は珍しいと自分で思いつつ、アキラは苦笑しながら話を続ける。

「中学の時にクラスの女子にいじめられててね、そのまま社会からドロップアウトしかけたけど、何とか立ち直って大検受けて社会復帰ってとこ。それでも友達は出来なかったから、本当に勉強だけしに行ってる感じだったけど」
「いじめ……ですか? 深海さん大人っぽいし、そういうの流しそうですけど」
「いや、今は大人だから。何年も経てば人は変わるよ。良くも悪くも」

 大人っぽいと評されたことにむず痒さを感じながら、アキラは肩をすくめてみせる。
 若者の常というわけでも無いだろうが、アキラ自身は自分が大人になったという自覚が薄い。二十歳を過ぎた瞬間に突然大人の自覚が湧いて来るわけも無いのだが、働いて給料を貰う立場になってもそれは変わらなかった。
 やることなすことに責任が付きまとうようになったが、それを背負ったから大人になったというのは何か違う気がする。結婚して子供が生まれて、他人の人生も背負うようになれば流石に自覚が出てくるのかもしれないが、それはアキラにとってはまだ先の話。
 社会人一年生のアキラは、しばらくは「大人」について悩むことになるのだろう。

「まあ成りたい自分に成ればいい。目的があれば自然と人は努力するものだと思うけど……白山さんは何か成りたいものとかある?」
「私……ですか?」

 突然アキラに問いかけられて、ミコトは首を傾げた後しばらく考える素振りを見せる。

「お母さん……かな?」
「……それはまた予想外の答えが来たな」

 何らかの職業を答えられると思っていたのに「お母さん」と言われ、アキラは内心戸惑う。
 だがミコトの表情があまりに真剣だったため、動揺は顔に出さずミコトの言葉の続きを黙って聞き続ける。

「私……三ヶ月前に堕胎手術をしたんです」





『主。中々面白い話になってきているぞ』
「覗きな(覗くな)趣味悪い。報告もせんでいいけん、あんたは黙ってアキラくん守護しとき」

 アキラに張り付かせていたベリスが愉快そうに覗きの実況中継をしてくるのを、ヒメはこめかみに青筋を立てつつ斬り捨てる。
 思いっきり仲魔の選別を間違えてると思われるのだが、ヒメの仲魔は比較的高レベルのものが多く、待機状態でも燃費が悪い。一番レベルが低いのはユニコーンなのだが、ユニコーンは神話通りに乙女にしか体に触れさせないため、いざというときにアキラを乗せて逃がす事が出来ない。
 そのため比較的燃費がよく、馬に乗っていて機動力のあるベリスを行かせたのだが、今更ながらヒメは燃費では無く性格を重視した方が良かったかもしれないと後悔していたりする。



「あーやっと着いた。黒木さんおるー?」

 市の中心駅から程近い、太陽光を反射する白い新築のビル。ヒメはそのビルの二階にある一室の前に来ると、「黒木探偵事務所」と書かれたドアをノックして部屋の主へ呼びかける。

「開いてるよ。入ってくれるかい?」
「ほんなら失礼しまーす」

 中からの返事が終わらないうちに、ヒメは遠慮無く探偵事務所の中へと足を踏み入れていた。
 事務所の中は八畳ほどの広さしかなく、事務机や来客用のソファーが並べられているためか、ヒメのデザインスタジオとは違い閉塞感や圧迫感といってものを覚える。
 そう感じる一番の原因は、とっちらかった紙やファイルのせいかもしれないが。

「相変わらず整理整頓出来てないねぇ。バイト雇った方が良いんやないん?」
「それはちょっと難しいね。“裏”はともかく探偵業は赤字続きなんだようちは」

 呆れた風に言ったヒメの声に答えたのは、奥の窓から外の様子を眺めていた紺色のスーツを着た中年の男。
 その髪は白髪混じりで灰色がかっているが、ヒメへと振り向いた顔は生気が満ちており、整った顔立ちと合わせて魅力すら感じる。ナイスミドルというのは彼のような男性を言うのだろう。

「わざわざ来てもらってすまないね。電話ですませれば良かったんだが、色々と渡すものもあるからね」
「いいって。それで何の用なん? 依頼なら受けんよ、今ちょっと立て込んどるけん」
「それは困るな。烏と狐絡みの用事なんだが」
「立て込んで無くても受けたくないわ、そんな用事」

「烏と狐」という単語を聞いたヒメは、あからさまに嫌そうな顔をすると非難めいた視線を黒木へと向ける。

「仕方ないだろう。ご両親の事もあるし、葛葉の命令はなるべく受けた方がいい」
「私はもうフリーや言うてんのに、まだ付きまとうかあの人らは。私はなるべく普通に生きたいのに」
「それは無理だろうね。僕らにとってこの力は体質みたいなもので、いくら普通を望んでも消せはしない。君もそれを自覚しているから、あの青年の面倒を見ているんだろう?」
「……まあそうやけど」

 ヒメは溜息をついて肩にかかっていた髪を手で後ろに流すと、黒木から何枚かの書類を受け取りざっと目を通す。そして大体の事を掴むと、書類を持って事務所を後にする。

「んじゃ、確かに受け取りました。私がおらん間に世界を揺るがす大事件でも起こったら、黒木さんが何とかしてや」
「はは、何とかするともさ。気をつけてね」

 探偵事務所を出て一人になると、ヒメは手の中の紙に書かれた内容を改めてみて溜息をつく。
 多くのデビルサマナーを有する組織からの呼び出し。それが愉快なものであるはずが無い。

「……アキラくんにも釘刺しとかんとなぁ」

 自分が居ない間に騒動に巻き込まれないように、アキラに言い含めるべきだろうとヒメは思い呟く。
 あの青年は冷めているようでいて、首をつっこむ時は一気につっこむ。現在も積極的に関りたがる様子は見せなかったのに、件の少女の話を躊躇う様子も無く聞きにいっている。
 行動が予測しづらく、保護している立場のヒメとしては心配でしょうがない。

「まあ頭回るし、何かあっても無謀なことはせんやろうけど」

 そう楽観的な結論を出して歩き出したヒメ。しかし後にこの街に戻ってきたときには、アキラの無謀っぷりを知り呆れ果てることになる。
 だがそれは必要な事。中途半端な状態にある深海アキラという青年が、自らの道を選ぶための最初の一歩は、師とも言えるヒメの居ない場所で踏み出されることとなる。



[7405] 第五話 それは何時も突然で
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/05/06 14:40

 深海アキラは出社するなり悩んでいた。
 悩んでいたというならデザインスタジオに出てくる前、昨日寝る前から悩んでいたのだが、その悩みはアキラにはあまりにも異質なものであるために、いつまでたっても解決されることが無かった。
 昨日見舞いに行った少女――ミコトから、それとなく異常が無いか聞きだすつもりだったのだが、予想以上に警戒されていなかったのか、ミコトのかなり個人的な事情まで聞きだしてしまった。

――私……三ヶ月前に堕胎手術をしたんです。

 堕胎手術。正確には人工妊娠中絶だが、まさか自分より五つほど年下の少女がそのような事を話してくるとは、アキラには予想外すぎた。

――相手は妊娠したって言ったら連絡が取れなくなって……父さんにも内緒で……。

 アキラ自身は中絶の是非については否定も肯定もする気は無い。

――相談しても中絶はしたと思います。だけど……小さな子供を見かける度に、私はあったかもしれない子供の未来を奪っちゃったんだなぁ……って。

 ただ自分の子供を殺してしまったと認識しているミコトの罪の意識は、表面的に見える以上に深いのではないだろうかと接していて思った。
 元々赤の他人。何とかしてあげたいと思うのは傲慢だとアキラも思っているが、ミコトが会って間もない自分の事を信頼してくれたのだとしたら、それに応えたいと思う気持ちもある。
 感情移入しすぎている。人付き合いの少なかったアキラの、今まで目立たなかった特性が強く発露してしまっていた。




「やけんて、アキラくんが悩んでも解決せんやろ。気休めに水子供養でも紹介したげよか?」
「いや、気休めって……」

 最近恒例となりつつあるヒメの相談所。今までは主にオカルト関係の相談だったのだが、ここに来て女性関連の悩み相談も追加されたようだ。
 もっともヒメも妊娠などしたことが無いので、そんな相談を持ってこられても困るのだが。

「大体水子供養が出来たんが近代に入ってからやしねぇ。昔は中絶にそれほど罪悪感とか無かったんよ」
「そうなんですか? 昔の方がそういうのには気を使いそうなんですけど」
「そりゃ昔の人は、胎児がお腹の中でどうなっとるかなんて知らんかったしねぇ。人工中絶するにしても、「今は育てられないから神様にお返しします」みたいな感覚やったらしいよ。
 そのせいか知らんけど、早くに亡くなった子供は同じ両親の子供として生まれ変わるっていう言い伝えもあるね。まあ現代人からしたらごまかしみたいに感じるかもしれんけど」
「へえ……科学が発達したからこその宗教というのもあるんですね」

 多少話がずれているものの、話自体は興味深かったので素直に納得するアキラ。
 ヒメの方も話がずれているのに気付いたのか、肩をすくめながら自分なりの応えを示す。

「まあそういうわけで、結局は本人の気の持ち方やないかなぁ。それにしても十六歳で妊娠て、最近の若い子は……」
「…………」
「ヒメさん、おばさんくさいですよ~」
「……チェストッ!」
「ひゃうッ!?」

 反射的につっこみそうになったものの踏み止まったアキラだったが、アヤがわざわざアキラの避けた地雷へと突っ込んでいって、ヒメからボールペンで頭を小突かれている。
 もしかしてわざとやっているのだろうか。

「あー、でも“お母さんになりたい子”が、“赤ん坊の声”につられるみたいに落ちたんは関係ありそうやね。罪悪感につけこまれて操られた可能性もあるし」
「じゃあやっぱりあの川の悪魔が?」
「やろうけどね……相変わらず地面の下から出てこんし、どうにも出来んなぁ」

 文字通りお手上げとばかりに両手を上げて肩をすくめるヒメ。
 実は実際にいぶり出そうとしたのだが、地下を動き回るため目標が定まらず失敗に終わっていたりする。

「本気で叩くなら、呼ばれた子を囮にするのが一番確実やね。でも私しばらく出張するけん、しばらくこの件は様子見でいくよ」
「出張?」

 地元の中小企業が主な商売相手であるにも関らず出張。その事に疑問の声を上げるアキラを見て、ヒメは気まずそうな顔をしながら説明する。

「裏のお仕事やけん、詳しいことは内緒やでー。アキラくんが一人前になったら教えてあげらい」
「はあ……大丈夫ですか?」
「ん? 危険な事はせんけん大丈夫。それより心配なんは私のフォローが無い状態のアキラくんやし、念のためこれ渡しとこか」
「? これってGUM……」

 ヒメから手渡されたものを見て「GUMP」と言おうとしたアキラだったが、やけに重みのあるそれを見て言葉が途中で止まる。
 曲線を描くグリップ。背中についた撃鉄。そして銃身から伸びる長い筒。
 それはどう見てもGUMPでは無くてリボルバー式の拳銃だった。

「銃刀法違反!?」
「アキラくん。そのツッコミは、私がツインランス振り回しとる時にやっておくべきツッコミや」
「つっこみじゃなくて事実をありのままに言ってるんですけど!?」

 ある意味GUMPより物騒なものをいきなり渡されて、珍しく声を荒げるアキラ。そのアキラをヒメはポケットから無造作に弾丸を取り出しながら、面白そうに眺めている。

「大丈夫。許可はもらっとるけん、お巡りさんに見つかったら全力で逃げるんや」
「前半と後半で矛盾してるし!?」
「ヒメさ~ん。ここ外から丸見えですから、やるなら奥でやってくださ~い」
「あーごめんね。アキラくん、冗談やけん応接室行くよー」
「……どこまでが冗談なんですか?」

 流石に堂々と銃刀法に挑戦する気は無いのか、アヤに言われて素直に移動するヒメ。
 その後ろをアキラは出社した時よりさらに疲れた様子でついて行った。





「そういえば、何で銃なんですか?」

 ヒメから銃の扱いについてとことん説明された後、アキラはヒメから貰った銃――俗にピースメーカーと呼ばれるリボルバー銃を手で弄びながら聞く。
 当然撃てる状態にはなっておらず、弾はテーブルの上でピクシーが転がして遊んでいる。

「何でて……何で?」
「えーと……、素人が撃っても当たらないって聞きますけど」
「うん。まあ五メートルで当たったら良い方やろね」
「……俺にどうしろと?」

 予想以上に心もとない有効射程に思わず問うアキラ。その距離ならば、外せば即座に接近戦になることくらいアキラにも分かる。

「どうにも出来んね。まず一番問題なんは、アキラくんの身体能力が一般人と同じなこと。……まあ自転車乗り回しとるけん脚力は高めやけど。とにかく腕力が人並みな以上、剣やら槍やら持たせても最下位クラスの悪魔しか殺しきれん」
「あーなるほど」

 ヒメの説明を聞いて素直に納得するアキラ。
 実際剣を持たされて悪魔を殺せと言われても、ピクシーやこの間の犬面までは何とかなるかもしれないが、ベリスのように固そうな悪魔を何とか出来るとは思えない。
 あの重厚な鎧を拳銃でどうにか出来るかどうかも疑問だが、とにかくヒメの言いたいのは悪魔を倒すための攻撃力が無いという事だろう。

「とは言っても、別に殺す必要無い場合は確かに剣とかの方が防御しやすい。でもぶっちゃけすぐ手に入る長物が無いんよ。そっちはナイフで我慢して」
「……まあ仮に刀とか渡されても、いきなり振り回したら自分の足斬りそうですけど」
「銃も練習ならともかく、実戦でいきなり使うならオートマチックの方が良いんやろうけどね。それしか無いけん我慢してやぁ。まあどうせやけん革命的なリロードを目指して。あ、これホルスターね。こっちはベルトに着けれるナイフの鞘みたいなん」

 何が面白いのか笑いながら皮製のホルスターを差し出してくるヒメ。それをアキラは常識を捨てつつ受け取った。

「そういえば、川の悪魔の正体は分からないんですか?」
「んー……「カワアカゴ」かも?」
「……すっごい自信無さそうですね」

 正体が分かれば何かしらの対策が取れるのではないかと、アキラは思い出したように聞いてみたのだが、しばらく唸った後に言ったヒメの言葉には疑問符がついていた。
 アキラの言う通り確証が得られず悩んでいるらしい。

「川で赤ん坊の声ならカワアカゴやとは思うんやけどね、カワアカゴって目撃談とかが少なくて、どんな妖怪かよく分かってないんよ。まあ赤ん坊の泣き声で人を引き寄せて、そのまま引きずりこむらしいけん、河童の類やとは言われとるけど」
「あー河童ですか。俺が一人で近付いたら間違いなく引きずり込まれますね」
「ん。自覚があるのはええことや。この間みたいに違和感あっても、迂闊に近付いたらいかんよ」

 君子危うきに近寄らず。
 切迫した状況に無い今のアキラに必要なのは、戦闘能力以上に危険へと誘われないための先見性や警戒心だとヒメは判断している。もっとも、本人がその手のものを察知するのが異様に早いので、あまり心配はしていなかったりするのだが。
 その辺りから、アキラは潜在的に見鬼――先天的に見えざるものを見ることの出来る力を持っているのではないかとヒメは推測している。

「あれ? でもピクシーにはアキラくん反応遅かったなぁ?」
「? そういえばこの子するりと俺の内側に入ってきますけど」
「……内側?」

 本人にも自覚があったようだが、言っている意味がよく分からないのでヒメは聞き返す。

「内側というか、間合の中というか、絶対領域の中というか……とにかくセンサー的な何かの内側です……多分」
「あー……何となく分かった……多分」

 手で壁のようなものを示しながら何とか説明しようとするアキラに、ヒメも何とか理解して頷く。両者首を傾げている上に語尾に「多分」とついているので、相互理解が出来ているかは怪しいが。
 ついでにテーブルの上のピクシーも一緒になって首を傾げている。アキラの「内側」とやらに侵入しているほうも理解していないらしい。
 結局疑問符が室内を乱舞したまま、話を終えて仕事に取り掛かることになった。





「……それで人が慣れない仕事で緊張してたのに、いきなり「腹減った」とか言い出して。本当フリーダムにも程があるよあの人」
「緊張をほぐそうとしたんじゃないんですか?」
「それもあるだろうけど、八割がた本気だと思う。よく食べるしな……毎日何かしら近所からお菓子貰ってくるし」

 定時に仕事を終え、ヒメが出かけるために稽古も無しとなったアキラは、見舞いを兼ねてミコト様子を見に来ていた。
 そして暇そうなミコトと雑談を始めたのだが、出てくる話題が仕事場に関することばかりな辺り、アキラの趣味の少なさや行動範囲の狭さが実に表れている。聞いているミコトは特に気にしていないようだが。

「そういえばいつ退院するんだ? 骨折ってそんなに長くは入院しないよな」
「えっと、明日頭の検査をして、何も無ければ明後日に退院です。しばらくは松葉杖使わなきゃ駄目ですけど」
「ああ、俺はお世話になったこと無いけど、大変そうだな」

 ミコトが退院すると聞いて、アキラは言葉を返しながらもしばらく悩む。
 ヒメがいない以上……いや居たとしても、ミコトに何かあれば真っ先に自分が動くべきだとアキラは思っている。そのためなるべくミコトの様子を見ていたいのだが、流石に自宅療養に切り替わっても押しかけるのはどうかとアキラは考える。

「……ちょっと失礼」
「はい?」

 アキラは一言断わりを入れると、手帳を取り出して何やら書き始める。そして書き終わったのかボールペンを胸ポケットへ戻すと、今何かを書き込んだページを切り取ってミコトに差し出す。

「これ俺の携帯の番号。何かあったら電話して」
「え……と? 何かって?」
「……何だろう?」
「……ふふ」

 自分で渡しといて疑問形で返すアキラに、ミコトは呆れた様子ながらも微笑む。
 それを見たアキラも、少し照れたように笑うと改めて番号の書かれた紙を手渡す。

「まあ何も無ければどっかに放置すれば良いし、助けて欲しいことやら相談したいことやら、何かあった時のためにでも受け取っといて」
「え……その……そう何度もご迷惑は……」

 申し訳なさそうにそう言うミコトに、アキラは黙って首を横に振る。

「俺飛び降り自殺しようとしたことがあるんだ」
「……え?」
「まあ恐くなってすぐ止めたけど」

 突然告げられたことにミコトは頭がついていかず呆気にとられるが、アキラは大した事で無いかのように続きを話す。

「今思うと、いじめられたくらいで自殺っていうのも阿呆かと思うんだけど、当事者は結構いっぱいいっぱいなんだよ。情けないことに親にも相談できなくて」
「私も……父さんには相談できませんでした。……すぐにばれましたけど」
「でしょ? まあ遠回りしてた人間としては、長い人生たまには逃げても良いと思うんだけど、どうやっても取り返しのつかないことっていうのは存在する。だから人生の袋小路にでも入ったら、こっちにも逃げ道があるってのは頭の隅にでも入れといて」
「……はい」

 アキラの言葉に何か思う所があったのか、どこか困ったような様子で答えるミコト。
 そしてその電話番号がミコトによって使われることが無いまま、三日の時が過ぎる事になる。



[7405] 第六話 感応――他者の存在に確立される世界
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/05/24 15:42

 ヒメが出張で居なくなってから数日後。四月も下旬に入り桜も散り始め、前日から降り始めた豪雨によってそれはより顕著になってきていた。
 ヒメが居なくてもデザインスタジオは休みにはなっていないのだが、アキラは豪雨の中動き回る気も無く、仕事が終わるなりさっさと自宅へと帰っていた。

 既に闇に包まれている窓の外は雨だけでなく強い風も吹き、時折勢いよく雨粒を窓へと叩きつける。
 その様子を退屈なのか窓辺に座って眺めているピクシーと、それを横目に幼い頃から使っている机の前に座り、銃の確認をするアキラ。
 そこにはテレビとパソコンくらいしか家具が無く、そのどちらも電源が落とされているため、室内には窓に叩きつけられる雨音と、時計の秒針が時を刻む音だけが響いている。

「整備の時には弾を抜く……。弾倉が空でも装填されているものとして扱う……」

 帰宅したというのに着替えもせずに、未だに慣れないのかヒメに教えられたことを復唱しながら銃を見るアキラ。
 別に毎日手入れをしろ等とは言われていないのだが、物騒なものを持っている以上はどうしても神経質になってしまい、布団に入る前にちゃんと弾丸とナイフ一式を確かめないと眠れなくなっていた。

「……しかしこれ夏場はどうするんだ?」

 上着を着ないと隠しようがないショルダーホルスターを横目に、アキラは点検を終えた銃を置いてナイフをシース(鞘)から抜く。
 アキラは知らないことだが、そのナイフが銃と同社製の物なのは偶然かそれともヒメの趣味か。どちらにせよ実戦に向いてないのは事実なので、他に無かったというのは本当なのだろうが。

「ん?」

 突然ハンガーにかけていたスーツの上着から携帯の着信音が鳴り、アキラは咄嗟に部屋の壁にかけられた時計を見る。その針が示す時刻は、そろそろ深夜と言っても差し支えない。

 嫌な予感がする。
 アキラは漠然とした不安を感じながらも携帯電話を取り出すと、見覚えの無い番号に首を傾げながら電話に出た。

「はい、深海です」
『あ、深海さん? 白山ですが、ご無沙汰しとります』
「ああ、白山さん。お久しぶりです」

 聞こえて来た声はミコトの父親のもの。だがその声は以前聞いた以上に落ち着きが無く、焦っているように聞こえる。

『いきなりすいませんが、うちの娘のこと何か知りませんでしょうか?』
「ミコトさん? 退院してから会ってませんけど……まさか何か?」

 嫌な予感が質量を増していく。
 胸の奥に何かが居座っているような不快感を覚えながらも、アキラは平静を装って聞き返したが、帰ってきた答えは最悪のものだった。

『それが、さっきまで居ったと思ったら、いつの間にか居らんなっとったんです。まだ足ギブスで固めとんのに、松葉杖も置きっぱなしで……』
「………………」

 声が出ない。
 不自然な状況で消えたミコト。さらわれたか、あるいは以前のように“呼ばれた”か。
 どちらにせよ危険な状態だと、アキラの直感が告げていた。

『……もしもし! 深海さん!?』
「あ……すいません。俺は何も聞いてませんが、とりあえず心当たりのある場所を探してみます」
『そうですか。こんな夜遅くに本当申し訳ありません。あんなことあったばっかりなんで、心配でたまらんのです』
「ええ、分かってます。それじゃあ、何か分かったらお知らせします」

 アキラは手早く携帯を切ってズボンのポケットに入れると、脳が状況を認識しきる前に銃のホルスターとナイフを身に着け、スーツの上着を着ていた。
 そして部屋を出ようとしたところで、ピクシーがアキラの目の前に躍り出て来る。
 その顔はどこか怒っているようであり、同時に不安をはらんでいるようだった。自分を心配しているのだろうとアキラは気付いたが、かと言って本来なら頼るべきであるヒメは居ない。

「所長は居ない。ならアヤさんか……」

 アヤの実力は分からないが、少なくとも自分よりは頼りになるはず。
 だが件の川がアキラの自宅から二百メートルも離れていないのに対し、アヤの実家はその十倍以上は離れている。どう考えてもアキラのほうが速く現場につく。

「……連絡しないよりはマシか。行こうピクシー。動かずに後悔するより、動いて後悔した方が良い」

 そう断言すると、部屋を出てアヤへ電話をかけながら玄関へと向かうアキラ。
 そのアキラをピクシーはむっとした顔で見ていたが、諦めたのか溜息をつくとアキラの後を追いその肩へと腰掛けた。





 母に知り合いに会いに行くとだけ告げて自宅を出ると、アキラは雨具も無しに自転車で川へと向かった。
 時間が惜しいのか、アヤと電話が繋がっても自転車をこぎながら話をしている。 

「……それで、どうしたらいいと思いますか?」
『そうですね~。私もすぐに向かいますから、とにかく女の子の保護を優先してください~。悪魔と遭遇しても絶対に戦わないで、とにかく逃げてください~』
「ミコトさんを保護しながらですか? きつそうですね」
『……最悪の場合は~』
「見捨てるのも難しいですよ。そういう時は、理屈じゃ無くて感情で動いてしまうだろうし」

 アヤが一瞬の間を置いて言おうとしたことを察したアキラは、先にそれに難色を示す。

 咄嗟に冷静な判断をする自身などアキラには無い。悪魔を前にしたらわき目もふらずに逃げ出すだろうが、ミコトを置いて逃げるかどうかはアキラ自身も分からない。
 恐怖が勝り逃げ出すか、助けたいという思いが勝り無謀な真似をするか。
 どちらに転ぶにせよ、アキラはその後に精神的に傷つくか、肉体的に傷つくだろう。後者の場合は死の可能性すらある。

『……アキラさんは~冷静なタイプだと思ってたんですけど~』
「俺は性根は自分勝手で感情的ですよ。良くも悪くも……人は変わりますから」

 以前ミコトに言った言葉を自嘲するように吐き出すアキラ。そんなアキラ声を拾ったピクシーが、突然アキラの頬を両手で叩く。
 それに気付いたアキラが視線を肩の上へと向けると、怒っているのか鋭い視線を向けているピクシーの姿が目に入る。
 その表情は普段の無邪気さが消え、少女のような印象も薄れるほどに凛としており、それだけ真剣であることが窺える。

「…………」
『アキラさ~ん? どうかしましたか~?』
「え、いや何でもないです。そろそろ切りますね」
『はい~。無茶はしないで下さいね~』

 アキラはピクシーの様子が気にはなったが、相変わらず話は出来ず言いたいことが分からないので、保留してアヤとの通話を終わらせる。
 携帯電話をしまい改めて視線を向けると、ピクシーは視線をアキラから外し、何やら決心した様子で間近に迫った川を見つめていた。

「……ちっさいのに頼りになるな」

 その様子に引きずられたのか、不安が少しやわらぐアキラ。そして気を引き締めると、アキラは自転車のペダルを踏み込み、川のそばにある土手へと駆け上がった。





 流れる水が伏流水となっており、普段は干上がっているように見えていた川は、ここ数日の豪雨のためか地表にまで水が溢れ、濁流と表すほどでは無いが飛び込むのは躊躇する様相を呈していた。
 アキラが家を出てしばらくすると雨はやんだが、目の前の川の勢いはしばらく衰えないだろう。

 元々この川は古くは「暴れ川」と呼ばれており、今アキラが走っている土手が整備されるまでは何度も氾濫し、多くの被害を出していたらしい。
 幼い頃に近所のお爺さんから聞いた知識を思い起こしながら、アキラは川に異変が無いか注視しつつ、ミコトが飛び降りた橋へと急ぐ。

「だれか……居る!?」

 橋のたもとまで近付いて目を凝らしたアキラの視界に、右足をギブスで固めた少女らしき人影が佇んでいるのが目に入る。
 ミコトと思われる少女が居るのは以前と同じ橋の中央。いつ飛び降りてもおかしくは無い。

「ピクシー、捕まってろ!」

 念のためにピクシーに忠告すると、アキラは上半身を屈め競輪選手のようなスタイルで自転車をこぎ始める。
 偶然通りかかった大型トラックと並走する勢いでミコトの元へと走るアキラだったが、まるでそれから逃げるようにミコトの体が橋の欄干の上へと移動する。

『――オギャア!』
「!? この声!」

 アキラの手がもう少しで届くという所で、以前聞いた赤ん坊のような声が響き、ミコトの体が中空へと投げ出される。
 前と違い下には水が流れている。だが水深はそれほどあるとは思えない上に、半ば意識の無いミコトが溺れるのは目に見えている。

「ふ……ざけんなァッ!!」

 それを見たアキラは自転車から飛ぶようにして降りると、地面に一度着地すると同時に片足で跳躍する。
 そしてそのまま欄干を両手で掴んで跳び越えると、不自然な体勢で落ちていくミコトの体を抱き寄せた。

「……どうしよう?」

 落下による浮遊感を味わいながら呟くアキラと、その横を本当に浮遊しながら大慌てのピクシー。
 無我夢中で飛び出したのは良いものの、そこでミコトを抱いたまま橋に片手でぶら下がるなどという映画のような真似をアキラが出来るはずも無い
 アキラはそれなりに痛い目にあう事を覚悟すると、ミコトを抱え直しそのまま川の中へと落ちていった。





『くふ……やはり面白い』

 アキラとミコトが川へと落下し、水飛沫が上がるのを眺めながら呟く影がある。
 橋のたもとの街灯に照らされて浮かび上がったのは、ヒメの仲魔であるベリスの姿。先日ヒメはベリス以外の仲魔をアキラの守護につけようかと考えていたが、結局ベリスを信頼してそのまま守護を継続させていた。

『報告は……しなくていいから黙っていろと言っていたな』

 その信頼をベリスは屁理屈をこねつつ現在進行形で裏切っているのだが、何が面白いのか兜の下から笑い声を漏らしている。

『あの一瞬で体勢を整え足から着水……なるほど。無計画なようでいて、無自覚であれ後の対処は考えられている。ただの馬鹿では無いな』

 やはり水深はそれほど無かったのか、ミコトを抱えてすぐに浮いてきたアキラを見つけて、ベリスは馬に移動を命じる。
 アキラかミコトが死にかけるぎりぎりまで……否、アキラはともかくミコトは見捨ててもベリスは手を出さないつもりでいた。それはベリスがアキラの事をそれなりに評価しているためでもある。
 他人には多くを求めないにも関らず、自身には平然と重荷を課す大馬鹿者。何かを守るために強くなり、何かを失ってもまた強くなるだろう。
 そのとき“人間”のままでいる保障は無いが。

『かと言ってあの小娘を死なせれば主が騒ぐか……。くふ……残念だな……実に』

 ベリスは少しも気落ちしていない、むしろ楽しくてたまらない様子で見えない笑みを浮かべると、水流に流されるアキラたちを追った。





 水の中に落ちたアキラは、まず予想以上に浅かった川底に足をしたたか打ちつけることとなった。
 以前ヒメの言っていた通り、アキラは足の筋肉だけは他に比べて逞しいが、だからと言ってビルの三階に相当する高さから落ちて平気なわけが無い。
 抱えていたミコトは意地で川底に接触させなかったが、当人の足は衝撃でまともに機能しなくなっていた。そのため水深自体はへその辺りまでしか無いにも関らず、水流に逆らうことも出来ずに、流されっぱなしになっている。
 もっとも水が頭の上まで来ていたら、とりたてて泳ぎの得意なわけでは無いアキラは、ミコトを助けるどころか一緒に溺れていただろうが。

「痛いけど生きてる……よな。自殺は出来なかったのに、きっかけがあれば飛び降りられるもんだな……」

 一連の出来事に心のどこかが麻痺しているのか、遠い目で呟くアキラ。ピクシーはそのアキラの頭上から呆れた視線を向けている。
 だがいつまでも呆けているわけにもいかず気を取り直すと、アキラはミコトが無事か確かめる。
 暗闇の中ではろくに確認できないが、呼吸は穏かで出血している様子も無い。気絶してはいるが、すぐさまどうにかなる事は無いだろう。

「ミコトさんにも怪我は無し。このまま……」

『――オギャアッ!』

 足の痺れがとれ次第に川岸へと向かうつもりのアキラだったが、背筋を何かが駆け上がるような感触と共に赤ん坊の声が聞こえて来て、驚いて黒い水面を見渡す。
 ピクシーもゆっくりとアキラのそばに降りてくると、アキラの肩の付近に陣取って周囲の警戒を始める。

 伏流水の中に居たはずの悪魔が、この増水で地表へと現れても不思議では無い。そして何より、先ほどからアキラの胸の奥で、恐怖とも嫌悪とも知れない何かの存在が大きくなってきていた。
 何かが近付いてきている。それをアキラは感覚だけで確信した。

「……ピクシー、援護頼む。だけど所長みたいに電撃使うのは勘弁してくれ」

 ピクシーが頷くのを確認し、ミコトを左手で抱きしめリボルバーを抜こうとしたアキラだったが、そのリボルバーは左のショルダーホルスターに入っているため、ミコトと密着していては抜けない事に気付く。
 そのためミコトの体を少し離そうとしたのだが、突然胸の悪寒が強くなったため反射的に両手でミコトの体を抱き寄せる。そして結果的にそれがミコトの命を救うことになった。

「!? 何か……居る!」

 唐突に流れとは別の方向に引きずられるミコトの体。何事かと思ったアキラが闇を溶かしたような水の中に視線を向けると、細長い何かがミコトの足に伸びているのが微かに見えた。
 その間にも水の中へと引きずり込まれそうになるミコトの体。アキラは一瞬の判断でミコトの体から右手を離すと、腰のナイフを抜いて水の中の何かへと突き立てた。

『ぎゃァッ!』
「痛ッ!?」

 水の中に居るはずなのに聞こえて来た悲鳴と激痛に、アキラは驚きつつもミコトの体を左手で抱えなおす。
 水からナイフを持っている右手を上げると、手の甲が切り裂かれて血が滲んでいた。アキラの刺した相手が離れざまにやったらしい。
 すぐさまピクシーに傷を治してもらい周囲を警戒するが、何かが来る気配は無い。だが胸の奥の悪寒はおさまらず、むしろ強くなっている。

「……? 中洲?」

 急に水かさが減った事に気付いたアキラが視線を下流へと向けると、川の真ん中に人が一人辛うじて座れる程度の広さ、地面が顔を出しているのを見つける。
 このまま水に浸かったまま迎撃するよりはマシだと思い、アキラはミコトを抱えたままラッコのように後ろ向きで中州へと接近し、そのまま後ろ歩きで水から上がる。

「……で、どうすればいいんだ俺は?」

 安全圏に来たのは良いが逃げることも出来ない状況に、アキラは答えが返ってくるわけも無いのに自嘲しながらそう呟く
 もう一度水の中に入るのは勇気がいる。相手の姿が見えないというのは、戦いなれていないアキラには精神的な負担となるし、何より対処が遅れてしまう。
 しかし悪魔が自ら出てくる可能性もある以上、中洲が安全とも言い切れない。

「アヤさんが来るまで……その前に何か来そうだし」

 アヤの増援に期待しようとしたアキラだったが、その前に再び悪寒が強くなったので悪魔の襲撃を警戒する。
 ミコトを左手で抱えたまま自分へもたれかけさせ、ナイフを腰のシースへとしまうと、何とかホルスターから銃を引き出す。そして慣れない動作で撃鉄を上げると、即座に撃てるように構えた。
 そして構えてから数秒と経たないうちに、右方向の水面からイルカのように人型の何かが飛び出して来た。

「うわァッ!?」

 情けない悲鳴を上げながらも銃口を向け発砲したアキラだったが、慌てて撃った弾は標的の左脇を素通りし、離れた水面へと着弾した。
 しかしそれを確認する余裕も無く、アキラは飛び出して来た人型――カワアカゴの姿を見て硬直してしまう。

 大きさは十歳前後の子供と同じくらいだろうか。その表面は鱗のようなもので覆われ、僅かに届く光を反射して輝いている。
 大きく口を開けた顔はカサゴに似ていて、河童というよりは魚人といった方がしっくりとくる。
 だが何よりアキラの目に焼きついたのは、妊婦のように膨れ上がったその腹部。
 最初は手の平ほどの大きさの染みに見えた。だがよくよく目を凝らしてみれば、それは泣いているように歪んだ赤子の顔だと分かった。

「な……あァッ!?」

 そのカワアカゴの不気味な姿に恐怖を覚え、アキラは何度も引き金を引くが、銃はそんなアキラを無視したように沈黙し反応しない。
 ますます混乱するアキラに向けて迫るカワアカゴ。そして鋭い爪の生えた手がアキラの顔に届く刹那、反射的に顔を庇った右腕に四つの線が走り、闇の中に血飛沫が舞う。

『――!』
『ぎゃァッ!?』

 そのままカワアカゴはアキラに組み付こうとしたが、間に入ったピクシーが放った衝撃波を受けて真後ろへと吹き飛ばされる。
 そしてそのまま水中へと没すると、再び距離をとったのかアキラの中の悪寒が薄くなる。

「あ……、何で……どうしろってんだ!!」

 危険が遠のいた。そう認識した瞬間にアキラは意味も無く叫んでいた。

 視界を狭める闇。
 スーツごと切り裂かれ、熱を帯びて脈打つ右腕。
 不気味な敵に撃てない銃。
 そしていつ襲われるか分からない恐怖。

 逃げ出したくてたまらないのに、僅かに残った理性と、水に濡れた服越しに伝わるミコトの体温がそれを許してくれない。

「……? ぶッ!?」

 冷静さを失い混乱するアキラ。そのアキラの眼前を飛んでいたピクシーが突然振り返ると、両手で挟み込むように、力いっぱいアキラの頬を叩いてくる。
 素直に痛いと言ってしまいそうな意外な威力にアキラが呆気に取られていると、ピクシーが「しっかりしろ」と言わんばかりに睨んでくる。

『――何を恐がってるの?』
「……え?」

 ピクシーの眼力にアキラは思わず視線を反らしそうになるが、不意に聞こえて来た声に呆気にとられ周囲を見渡す。
 聞こえて来たのは女性の声。だがミコトの声では無いし、何より左手に抱えているミコトは未だに意識を失っている。

「ピクシー……か?」

 視線を合わせ聞いてみるが、それに答えること無く声はアキラに語りかけてくる。

『あなたは何もかも“受け入れる”事の出来る人だから。私を、他者を、世界を受け入れて』
「……受け入れる」
『だから――』




――汝に我が加護を与えよう――




「ッ!?」

 頭に響く声。最後に聞こえたそれは女性のものでは無く、まだ幼さを残した青年のような声だった。そしてその声を聞いた瞬間、世界が――アキラが変わった。

 目に入るのは、相変わらず間近からこちらを見てくるピクシーの姿だけ。だがアキラにはそのピクシーと抱きしめたミコトの存在が一層強く感じられ、闇と同化した水の中に潜む存在すら感じ取ることが出来た。
 突然現れたそれらの感触にアキラは戸惑うが、その感覚は目を閉じても消えることが無かった。

「……受け入れるって言うのはそういう事なのか?」

 ゆっくりと目を開きながら呟いたアキラの問いに返ってきたのは、表情をやわらげ嬉しそうに見てくるピクシーの笑顔。
 相変わらず何も話さないが、アキラにはピクシーが歓喜し、同時に安堵しているのが感じ取れた。

「誰かが居るってだけで落ち着くか……。ありがとなピクシー」

 恐怖は未だにあるものの落ち着いたアキラは、ピクシーに礼を言いながら視線を合わせる。
 ピクシーはそれに応えるようにアキラの右腕を再び癒すと、そこが定位置であるかのようにアキラの右肩の上へと戻った。
 それを視認せずに感じ取ったアキラは、調子を確認するように右腕を何度か振ると、親指で銃の撃鉄を起こす。
 
 アキラがヒメから受け取った銃はコルト・シングルアクションアーミー。
 その名の通りシングルアクション――撃つたびに撃鉄を起こす必要のある銃であり、先ほどのアキラのように引き金だけ何度も引いても撃てるはずが無い。
 ヒメにもちゃんと説明を受けたというのに、混乱したアキラはそれを忘却してしまっていた。その事を反省しながら、アキラは今度こそ撃鉄を起こし闇へと銃口を向ける。

「見えないのに分かるか……変な感じだな」

 頭の中に響いた青年の声によって目覚めたアキラの力。それはアキラの自己を確立すると共に、他者の存在を確固たるものとしていた。
 今のアキラには、例え一寸先が闇であろうとも、自分と他者の存在を感じ取り、世界を把握することが出来る。

「ピクシー、次で決めよう。銃口の先からあいつは来る」

 自信に満ちたアキラの声にピクシーが頷き、銃口の向けられた先へと意識を集中する。

――カワアカゴはピクシーの放った衝撃波――ザンを受けてそれなりにダメージを受けていた。
 しかし警戒するという事を知らないのか、しばらく周囲を意味も無く泳ぎ回ると、調度アキラ達の正面から速度を上げて近付いてくる。
 同時に向けられた敵意が強くなるのをアキラは感じ取る。敵意の主は徐々に加速し、水面へと上昇してくる。

「――来る!」

 アキラが警告するのに少し遅れて、カワアカゴが水面を突き破り宙を飛ぶ。

 それを予想していたアキラは銃の狙いを定め――
 それに反応したピクシーは意識を集中し――

――引き金を引いた。
――衝撃波を放った。

『ギャアァーーーー!!』
「ッ!?」

 左目に銃弾を受け、衝撃波を正面からまともに受けたカワアカゴが、耳をつんざくような絶叫を上げて顔を覆う。そして勢いを失ったその体はアキラ達に届くことも無く、仰向けに近くの浅瀬へと落下した。
 ダメージが大きかったのか、カワアカゴは顔を覆ったまま微かに痙攣をしている。
 その様子に尻込みして逃げ出したくなったアキラだったが、川に落ちてからずっとミコトを左手で抱えていたため、そろそろ彼女の体を支えるのも限界が近かった。
 これで最後にするために、アキラは足を引きずるようしてカワアカゴへと近付いていった。


「…………」
『……オギャア……ギャァ……』

 微かに鳴き声を漏らすカワアカゴ。そしてそれに同調するように泣く腹に浮かび上がった赤子達。
 その体から感じられる感情は恐怖、悲しみ、そして寂しさ。
 “彼ら”は寂しかったのだと、アキラは理解した。

「……でもな、この子を連れて行っちゃ駄目だ」

 赤子達の孤独を理解しながらもアキラは断言し、銃口をカワアカゴの頭へ向けると撃鉄を起こす。
 哀れに思う。悲しくも思う。
 だがそれでも、彼らの願いを叶える事はアキラには出来ない。

「この子はまだ生きてるから……おまえ達は……先に逝け」

 その言葉と共に銃口から一発の弾丸が吐き出され、カワアカゴの体が跳ねる。
 そしてそれを最後に、カワアカゴの体は動かなくなり、まるで最初から存在しなかったかのように水の中へと溶けていった。





『……よもや助けを必要としないとはな』

 アキラ達の居る中州に近い土手の上。戦いを見守り、手を出すタイミングを計っていたベリスは、驚きと呆れの混じった声を漏らした。

 カワアカゴの攻撃を受けたアキラが冷静さを失った時は潮時かと思ったが、そこへピクシーが何かをしたと思えばそれまでの混乱は消えていた。
 しかもその後はカワアカゴが見えているかの様に狙いを定め、放たれた銃弾は狙っていたであろう頭部に命中。銃の扱いをろくに知らず、試射すらしていないアキラには到底不可能な芸当だ。

『偶然もあるのだろうが、あの反応は異様……。何よりあの妖精が行ったのは……まあいい』

 いずれにせよ予想外ではあるが、ベリスにとっては面白いの一言で終わる話だ。

『くふ……興味深い』
「そうですね~」
『!?』

 笑い声と共に漏らした言葉に応じる声があり、ベリスは驚いて背後へと視線を向ける。
 そこに居たのは左手で傘をさし、右手に竹刀袋を持ったアヤ。いつもは明るい色のゆったりとした服を着ているのだが、今はヒメが着ていたのと同じ黒いスーツを着ている。

「それで? どうしてベリスさんはここに居るんですか~? どうも悪魔はアキラくんが倒しちゃったみたいですけど~」
『……中々奮戦していてな。手を出す機会を逃した』
「へ~。奮戦する前に助けなかったんですか~」
『…………』

 いつもと変わらない穏やかな口調のはずなのだが、その声が噴火直前の火口の溶岩のように震えている気がして、ベリスは下手な言い訳をせず黙ることにした。

『……む、小僧の体力が限界のようだ。助けに行かねば』
「はいどうぞ~」
『…………』

 アキラをダシにして、その場を離脱しようとするベリス。そしてそれを看破しているであろうにも関らず、素直に送り出すアヤ。
 調子が狂う。そうベリスは思い兜の下で溜息をつく。
 彼の主と違い、このアヤという女性はからかいがいが無い上に、揺さぶりをマイペースに受け流すのでベリスは苦手だった。
 これ以上この不思議空間に引き込まれ無いうちに、ベリスは馬にアキラのもとへ向かうように命じる。

 そしてベリスの馬が嘶き、急流の上を飛ぶように駆けていく。その様子を眺めながら、アヤは安堵して息を吐く。
 ヒメの居ない間にアキラに何かあったらどうしようかと心配していたのだが、アキラは自力で初陣を切り抜けたらしい。
 もっとも、妙に彼に懐いている妖精の助力はあっただろうが。

「こんな状況で勝っちゃうなんて、アキラさんは異常ですね~」

 空は雲に覆われ月明かりも無く、街頭の光も届かず足場の悪い川の中。しかも相手が水妖とくれば、最悪の条件が揃ったと言っても過言では無い。
 それでもアキラは生き残り、ミコトを守りきった。

「ヒメさ~ん。早く帰ってこないと、アキラさん勝手に成長しちゃいますよ~」

 アヤはこの場に居ないアキラの師匠役に向けて呼びかけると、ベリスの馬に揺られて川を越えてくるアキラとミコトのもとへと歩き始めた。



◇◆◇◆◇◆◇◆

悪魔全書1
・幽鬼 カワアカゴ(川赤子)

 川や沼地に現れ、赤子の泣き声で人を騙し川へ落とすと言われる妖怪。河童の一種とされ、その姿は人間の赤子に似ている。
 明確にその存在を示す民間伝承が少ないため、伝わっている行動はその姿から想像されたものだという説もある。

 本作に登場したカワアカゴは、その特徴や行動が一致したために「川赤子」の名を借りているに過ぎず、種族としては河童の変種だと思われる。
 古くから日本では奇形児や流産した子を川に流す習慣があり、本作のカワアカゴはそういった赤子達の魂を集めるうちに自我を失い、赤子達の魂の欲するままに母親を探していたと思われる。
 赤子の魂から力を得ようとしたのか、それとも赤子を哀れんだのか。当のカワアカゴが消滅してしまったので、その理由は不明。






[7405] 第七話 He doesnt become the hero.
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2010/09/14 14:05

 その日アキラがいつも通りに出社すると、一人の騎士が土下座していた。

「アキラさん、おはようございま~す」
「あ、おはようアキラくん」
「……おはようございます。戻ってたんですね所長、おかえりなさい」

 目の前の光景に一時停止していたアキラだったが、アヤとヒメが普通に挨拶してきたので流すことにした。
 それに腹が立ったのか、土下座していたベリスが顔だけアキラへ向けて明らかに不機嫌な声で問いかけてくる。

『待て小僧。今の光景に疑問を持たぬのか?』
「……馬どこ行った?」
『……貴様わざと言っているだろう』

 土下座したまま話しかけてくるベリスに対して、あまり深く関りたくないので敢えてズレた質問をするアキラ。
 ベリスとしては助け舟を出して欲しいのだろうが、アヤから川でのベリスの行動を聞いている以上、アキラが好意的な感情を持って助けることなどは間違っても無いだろう。

「ほやね。丁度良いけんアキラくんもちょっと正座しとこか? 結果オーライやけど橋から飛び降りるんはいただけんなぁ」

 何故正座? というツッコミは当然のように無視され、アキラはベリスと共に説教をされることになった。
 説教の割合はベリス9対アキラ1だったが。





 勤務時間を終えた夕方。アキラとヒメは机を挟んで対面に座り、その上に置かれているトランプを見つめている。
 そしてヒメは裏向けに置かれているトランプのうちの一枚を手に取ると、アキラに視線を向ける。

「……赤の……ハートの3」
「んー、惜しい」

 アキラがトランプの絵柄と数字を言ったのに対し、ヒメは楽しそうに口元を歪めると持っていたトランプを机の上へ表向きに置く。
 そのトランプはハートの5。アキラの宣言したものとは微妙に違っていた。

「とりあえずこれで百回やったんやけど……アヤちゃん結果は?」
「え~と……正当数は四回ですね~」
「そりゃまた微妙やね。誤差の範囲内かなぁ」

 アヤの答えでは判断がつき辛かったのか、ヒメは片目を細めながらアヤの記録していたパソコンのデータを覗き込む。
 今までアキラがやらされていたのは、ヒメの示したトランプの色と絵柄と数字を当てるというシンプルなもの。アキラの“力”に変化が表れたのを聞き、異様に高い直感がどうなっているのかを調べるための実験だ。
 もっとも実際に予知や透視の類を検証するために使われるのは、星や三角形などの絵柄の描かれたカードであり、トランプの数字まで当てるというのは難易度が高すぎるのだが。

「お? でも絵柄は結構当たっとるね。大体半分かな?」
「色だけなら八割近いですね~。凄いです~」
「選択肢が多くなるほど確率が下がるんかもしれんねぇ。やっぱ予知まではいかずに、あくまでも直感やろうね。あ、でもハイ&ロウなら大活躍やん」

 本人を置き去りにして話し合う二人を横目に、アキラはジョーカーを積み上げられたトランプの山の真ん中に入れ、指を鳴らすと山の中に入れたはずのジョーカーが一番上に来るという手品をピクシー相手に無言で見せている。
 それを見たピクシーは笑顔で拍手をしているので、これでもコミュニケーションはとれているらしい。

「んで、直感はこれで置いとくとして、他にも人の心が読めるようになったって?」
「……読めるって程じゃ無くて、喜んでるとか苛立ってるとか、感情の起伏が感じ取れるくらいですよ。見えなくても位置が分かるのは役に立ちましたけど」

 しばらく考える素振りを見せてから答えるアキラに、ヒメは何度か頷くと黙考する。
 そしてその様子を黙ってみていたアキラへ向き直ると、その鋭い目をさらに細めながら口を開く。

「んー、もしかしてアキラくん小さい頃とか思春期くらいに、感受性強かったりせなんだ? 他の人の感情に引きずられたりとか」
「……友達が泣いてたら一緒になって泣いたりしてましたけど」
「じゃあ決定かなぁ。非接触型の精神感応能力――所謂テレパシーやろね。送信は出来んみたいやけん受信専用かな」
「受信専用って……」

 テレビかラジオのような表現に呆れながらも、アキラは意識を集中して周囲の意識を拾ってみる。
 確かに読み取ることは比較的簡単に出来るが、呼びかけるのはやろうと思ってもイメージすらわかない。

「まあ弱めで良かったやん。何考えとるか詳細に読み取れたりしたら、アキラくんみたいな人に気を使うタイプは欝になるで」
「やっぱ読める人も居るんですか?」
「そりゃ居るよ。送信側も、強力な人は勝手に脳に命令して他人操れたりするし。でもテレパシー系は人の心に関するだけあって、制御で出来んかったら悲惨やけんねぇ。アキラくん制御は出来るんやろ?」

 アキラはヒメの言葉を聞いて、改めて周囲へ意識を張り巡らせる。
 それは自分を中心に、世界が広がっていく感覚。その広がっていく世界に、次々と人の意識が浮かび上がってくる。

「……意識したら効果範囲が広げられるみたいです。広げなくても二メートルくらいは無意識に拾ってしまうみたいですけど」
「最低で二メートルねぇ。……最大は? 具体的な範囲は分かる?」
「少なくともこのマンションに居る人の数と位置は把握できますけど」
「……ホントに?」

 さらりととんでもない事を言うアキラに、ヒメは一拍置いてから真顔で聞き返す。
 アカイデザインスタジオの入っているマンションは十階建て。つまり単純に距離で考えるならば三十メートルはアキラの精神感応能力の範囲内という事になる。
 その範囲自体はさほど広くないのだが、一般的なテレパスとは違い、範囲内全ての人間を同時に観測できるアキラの能力を考えれば、脳の処理が追いつくのが不思議な広さだ。

「アキラくんやっぱりデビルサマナーにならん? 付近の敵味方の動きが見んでも把握出来るて、めっちゃ指揮官向きやし」
「遠慮しときます。ピクシーは別にしても、まだ仲魔を増やせるような状態じゃないと思うので」
「へえ……」

 アキラのその言葉にヒメは感心する。
 以前のアキラは悪魔自体を近づけるのを忌避していたようだったが、今は自身に悪魔を従える力が無いと考えているようだ。悪魔に対する慎重さは相変わらずでも、警戒心や嫌悪感は無くなってきているらしい。
 その最大の要因は、今アキラに手品を見せられて喜んでいるピクシーだろう。その無邪気さもさるものながら、共にカワアカゴという敵を退けたのは大きかったはずだ。

「んー、でもアキラくんの能力考えたら、剣より銃に先慣れたほうが良いかなぁ。今度の土日ちょっと訓練しよか」
「訓練は良いんですけど……どこでやるんですか?」
「それは当日のお楽しみにしとこか。とりあえずこれ渡しとくけん、手に馴染ませとき」
「はい?」

 ヒメが懐から取り出して渡してきた物を、アキラは反射的に右手で受け取ろうとした。しかし右手で受け止めた瞬間に予想以上の重量がかかり、慌てて両手でそれを持ち上げる。
 一体何なのかと受け止めた物へ視線を向けると、そこには見慣れたくないのに見慣れてしまった物とよく似た物体が収まっていた。

「……何ですかこれ?」
「新しい銃。趣味で使うならSAAで良いんやけどねぇ、やっぱダブルアクションの方が使い勝手が……」
「だから無造作に危険物を出さないで下さい!?」

 何やら腕組みをして語り始めるヒメに向かって、未だ常識を捨てきれない男が叫ぶ。
 その様子をアヤとピクシーは呆れ混じりに見つつ思った。精神感応関係なく、今一番アキラに精神的負担をかけているのはヒメだろうと。





 アカイデザインスタジオから少し離れた場所にある中心市街地には、大手通、天橋街、水岐タウンという三つの商店街が存在する。
 それぞれの商店街は、中心市駅や大型百貨店といった施設を結ぶように隣接しており、まとめて中央商店街と呼ばれることもある。
 アキラはヒメに案内されて、三つの商店街の中でも一番スタジオから近い大手通へ来ていた。大手通を含む中央商店街は、不況の中でも良好な通行量と集客率を誇っており、今日は週末という事もあり家族連れなどで賑わっている。
 それでも歩くのが困難というほどでは無いのだが、ヒメはアキラの表情が何故か優れないことに気付き立ち止まる。

「どしたんアキラくん? また寝不足?」
「いえ、しっかりと寝てますよ。ただすれ違う人の色が飛び込んできて、混乱するというか気持ち悪いというか」
「ああ、なるほど……完全に能力カット出来んのは不便やねぇ」

 どこか覇気の無いアキラと、それを胸ポケットの中から心配そうに見上げるピクシーを眺めつつ、ヒメは腕組みをしてうなる。
 仕事中にヒメやアヤがそばに居ても平気だったので、人ごみの中で次々に他人が能力の範囲内に出入りした場合の事を考えていなかった。かと言って予想していたとしても解決方法など思いつかなかっただろうし、今現在も分からない。

 魔法や術といった連綿と受け継がれてきたものと違って、超能力と呼ばれる力は血筋に関係無く突然変異的に目覚める事が多い。
 その能力も一応は幾つかのカテゴリーに分類されてはいるが、例えば同じテレパスでも個人によって細かい能力は千差万別であったりするし、少数ではあるが前例の無い能力に目覚めるケースもある。
 各国で超能力の研究は行われてきたが、その能力を技術として体系化出来ないため、効果的な訓練方法も確立されていないのが現状だ。

「とりあえず目的地は近いけん、さっさと移動しよか。というかアキラくん何で休みの日までスーツなん? 今日結構暑いで?」

 しばらく悩んだ後、解決しない問題を悩んでも仕方が無いとヒメは判断し、歩き出しつつ気になっていた事を指摘する。

「最初は私服で来るつもりだったんですけど、俺の持ってる薄い上着じゃ肩の物騒なものが目立つ気がして。それに所長だって珍しくスーツだし」
「ん? まあその辺は人の居らんとこで説明しよか。ついたでー」

 ヒメが例の黒いスーツを着ているのを指摘したアキラだったが、ヒメは話題を区切って近くの店へと入って行ってしまう。
 その後を追いながらアキラが見上げた看板に書かれていた店名は「BARアーセナル」。
 その名前にそこはかとない不安を覚えながら、アキラは「CLOSE」と書かれた札の下がっている、木製の時代がかった扉へと手をかけた。


 BARアーセナルの店内は雰囲気作りのためか薄暗く、入り口から奥に向かって細長い作りになっていて、アキラはどこか息苦しさを感じた。その息苦しさの原因は、アキラがこのような場所に慣れていないというのもあるのだろうが。

「あら、いらっしゃーいヒメちゃん!」
「マスターおひさー」

 店内へ入ったアキラ達を、カウンターの奥から甲高い声で出迎えたのは、長くウェーブのかかった髪を紫色に染め、黒いドレスのような服を着た体格の良い三十代くらいの女性。
 だがそのどこか無理しているような声と、女性にしては広すぎる肩幅を見て、アキラは即座に彼女(?)が女性でないことを悟る。
 もっともそれをわざわざ指摘するような無粋な真似をしたりはしないが。

「こっちは社員兼弟子みたいな存在のアキラくん。アキラくん、この人はここのマスターのミキさん」
「どうもミキでーす。本名は御木本コウタロウ。君の予想通りオカマだが、誇りあるオカマであるが故にパンピーには手を出さないから安心しろ!」

 そしてその気遣いを、自己紹介の途中から野太い声になって粉砕するマスターミキ(本名コウタロウ)。今ここにアキラの常識を違う意味で破壊する新たな存在が現れた。

「えーと……深海アキラです」
「ええ、ヒメちゃんからお話は聞いてるわ。成人してからこの世界に入るなんて、見た目によらず豪気ねぇ」

 再び高い声に戻るミキ。どうやらこちらが基本らしい。生物学的に考えれば、野太い方が素だろうが。

「マスターは悪魔相手にしとる人らに銃器の販売しとるけん、銃関連で困ったことがあったらマスターに相談してぇや。地下に射撃訓練場もあるけん、練習したい時は言うてくれたら弾代経費で出すよー」
「うふふー。ヒメちゃんとは付き合い長いから、アキラちゃんが使うときも代金はお勉強させてもらうわね」
「…………」

 返事を返したいが、色々と予想外の事が起きすぎて言葉が出ないアキラ。いつのまにか肩に乗っているピクシーも引き気味だ。
 それにも関らずヒメが平気なのは、やはり付き合いの長さの差だろうか。

「それじゃあ二名様ごあんなーい!」
「行くでーアキラくん」

 呆気にとられたままの一人と一匹を置いて奥に移動するヒメとマスター。
 アキラは再び返事を返せずに、ただ無言でその後へ従った。





 BARの地下にある射撃訓練場。
 上にあるBARとは違い、コンクリートで覆われただけの殺風景な印象のその中で、アキラはヒメから渡された二つ目の銃――S&W M19を構えている。
 目元を覆う黒いゴーグル越しに見つめるのは、十メートルほど離れた場所にある人の上半身の描かれた的。そこには既に幾つかの弾痕が残っており、それらは絵の肩から鳩尾の辺りまでにばらけている。

「……ヒメちゃんも大変な子を引き受けちゃったかもしれないわねぇ」
「大変て何で? 基本的に手がかからんよ?」

 アキラが引き金を引くのを眺めながら呟いたマスターの言葉に、ヒメは意図が掴めず問う。危険なためその肩に避難しているピクシーも、気になるのか耳をピンと立ててマスターへ視線を向ける。
 アキラは確かに行動の予測のつかない所があるが、人の言う事はちゃんと聞くし要領もいい。仕事においても戦いにおいても教えたことをすぐに、あるいは時間をかけても諦めずに吸収するので、ヒメはむしろ楽だと思っている。

「そうねぇ……今も最初に教えた基本に忠実に撃ってるし、集中力もかなりのものだわ。でもね、間違わない人間なんて居ないの。普段間違わない人間ほど、いざ間違えた時に修正するのが難しいのよ。手がかかる子なら、普段から目が離せないからすぐに修正出来るんだけどね」
「あー……つまり出来が良いけんて、安心して目を離したらいかんと」

 とは言えアキラは成人男子。ヒメとしてはどこまで干渉して良いものか、測りかねている所もある。
 技術や知識は普通に教えればいいだろう。だが心構えや思想、信念といったものは人によって違うものだ。アキラが折れそうなら当然助けるが、自分の思想にアキラが染まることがヒメには何故か許容出来そうに無い。

「所長、全部撃ち終わりました」
「ん、いきなりマグナム弾撃ってよくそこまで当たるねぇ。何か不具合とかあった?」

 今までのアキラの撃ち方と弾痕の残る標的を見て、ヒメは特に指摘することも無かったのでアキラ自身に何か不便な部分が無かったか聞く。
 それに対してアキラは少し間を置くと、耳当てとゴーグルを外しながら答える。

「……連射だと狙いがますます定まらないのと、反動が前の銃と比べて激しいというか鋭いというか」
「連射で狙いが定まらんのは仕方ないかなぁ。ダブルアクションはどうしても引き金が重くなるしね。狙いを定める時はあらかじめ撃鉄起こしといた方が良いし。距離があったら撃鉄上げといて、接近戦になったら連射って感じで使い分けるんが一番かな。
 あと反動が激しい? 口径自体はSAAよりM19の方が小さいんやけど、使っとる弾の火薬が多いけんそのせいかなぁ。撃ち辛いんかもしれんけど、それは慣れるしか無いね」

 ヒメの説明を黙って聞いていたアキラだったが、ふと気になることを思い出して口を開く。

「そういえば、この銃を選んだのに何か意味はあるんですか?」
「んー本当はコルトパイソンが良かったんやけど、手に入らんかったし使い勝手が悪いけんね」
「つまりヒメちゃんの趣味ね。リボルバーが好きなのよ」

 ヒメの言葉だけ聞けば銃に詳しくないアキラは素直に納得していただろうが、そこに追加されたマスターによる真実。
 自分の趣味で初心者の銃を選ぶヒメにアキラは呆れたが、「リボルバーの方が丈夫やけん!」というヒメの言葉に納得して文句は言わなかった。
 装弾数が少なくリロードに時間がかかるという欠点には、素人のアキラでは気付けないし、気付いた所で総合的に考えてオートマチックとどちらが良いかなど、それこそ判断出来ないだろう。

「んじゃ、今日はこれで終わりやね。SAA……前の銃はどうする? 一応持っとく?」
「そうですね……予備のつもりで持っておきます。それより本当に経費で落とすんですか?」

 ヒメがマスターに試射したのと新たに購入した分の弾丸の代金を払うのを見て、アキラは先ほども感じた疑問を聞く。

「ん? 経費言うても、悪魔関連の仕事で稼いだお金から出すよ。その辺りは裏と表で完全に分けとるけんね」
「いや、そうじゃ無くて。俺のための出費だから、俺が出さなくていいのかと」
「それこそ新人育成のための必要経費やん。気にせんでええよ。まあそのうち腕試しついでに実戦に参加してもらうけん、そのときの働きで返してや」

 そう言ってひらひらと手を振るヒメ。それに今度こそ納得したアキラは、マスターに礼を言うとピクシーを肩に乗せて地下室を出て行った。



「……今どき珍しいくらいに良い子ね」
「やろ? 真面目やけど融通がきかんわけや無いし」

 しみじみとした様子で言うマスターに、ヒメはアキラの登って行った階段を眺めながら答える。
 類は友を呼ぶというのか、ヒメはアキラのようなタイプとは今まで親しくなったことが無い。ヒメはそれはアキラのようなタイプの交友関係が狭いためだと勝手に思っているが、実際にアキラの交友関係が狭いのでその認識は変わらないだろう。

「話は変わるけどね、この前私葛葉に呼び出されたんよ」
「あら、よく素直に呼び出されたわね」

 ヒメから“葛葉”の事を聞いて、目を丸くするマスター。付き合いが長い故に、マスターはヒメが葛葉と呼ばれる集団を嫌っていることを知っている。
 しかしヒメはマスターの言葉には特に何も返さず、ただそこで聞いた事を伝える。

「前に何度か出てきた悪魔もどき……ワードックとかワーキャットが全国各地で暴れとるんやと」
「……自然発生しえないものが全国各地で。葛葉は何らかの組織が動いていると判断したのね?」
「そういうこと。それでこの辺りは民間の同盟の力が強くて、葛葉はあんま立ち回れんやろ? いざとなったら葛葉名乗っても良いけん何とかしろ言われた。……誰が名乗るかァッ!?」
「ヒメちゃんどうどう。何かやらかしても葛葉が責任取ってくれるとでも思っておいた方が気が楽よ」

 自分で説明していて怒りが再燃したのか突然叫ぶヒメに、落ち着くように促しながら利点を告げるマスター。
 流石に付き合いが長いだけあって、御し方も心得ているらしい。

「うん。まあそういうわけで、下手すればアキラくんの面倒見れんかもしれんけん、アキラくんがここ来たらなるべく気にしてあげてくれんかなぁ? 多分しばらくは銃主体でいくと思うけん」
「別にヒメちゃんに何か無くてもお節介はやくつもりだったわよ? ヒメちゃん銃下手だものね」
「……良いんよ。私は剣も魔法も使えるけん、近代兵器に頼らんでも良いんよ」

 気にしているのか、悔しそうに負け惜しみを言うヒメ。自分の好きなリボルバー銃を使いこなせないのも悔しい原因か。

「とにかくお願いなぁ。んじゃ今日はこれでバイバイ」
「はいはーい。それじゃあまたね」

 軽く手を振るマスターに見送られて、ヒメは地下室を後にした。



[7405] 第八話 独り言に要注意
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/07/26 15:57
「ヤァッ!」
「反応遅い! 隙見逃すで!」

 アヤの実家である二神剣術道場の中で、アキラはヒメを相手に木刀を振るっていた。しかし絶好の機会と思って放った胴への一撃をあっさりと止められ、アキラは木刀を青眼に構えなおしながら後退する。
 二人の身を包むのはジャージやTシャツでは無く黒い袴。その後ろにはアヤとその父親であるゲンタも、同じ袴姿で木刀を持ったまま佇んでいる。

「大げさに飛び退きすぎや! 地面から足離さんつもりで動きて言よるやろ!」
「痛ぇ!?」

 飛び退いたというのに、即座に間合を詰めたヒメに太ももを叩かれ、アキラは思わず声を上げてしまう。
 痛いとは言っても、以前にも言及した通り普通木刀で殴ったらただではすまないので、ヒメも手加減はしているのだろう。

 しかし痛いものは痛いので思わずさらに後退してしまうアキラだったが、突然背後に居た二人から殺気が出るのをその能力で感じ取り、ヒメが追撃してこないことを確認すると体を反転させる。

「ハアァッ!」
「隙ありじゃァッ!!」

 アヤは普段からは想像できない鋭い動きで逆胴を、ゲンタは裂帛の気合と共に面を放ってくる。
 両方を捌く事が出来ないと判断したアキラは、頭へ降って来るゲンタの一撃を木刀で受け止める。そしてそれと同時に、鈍い音とともにアキラのわき腹へアヤの木刀がめり込んだ。

「あッ、すいませんアキラさ~ん、つい。大丈夫ですか~?」
「……何か口から色んなものが出かけた気がします」

 意外に手加減を知らないらしいアヤが我に帰って聞くと、アキラは二人の攻撃を受け止めた体勢のまま、青白い顔で静かに言葉を吐き出す。恐らく口から出かけた色々なものの中には、内臓等以外に魂等も含まれていたのだろう。

「まあいきなり全部回避出来るとは思ってないし、今は一番危険な攻撃を止められただけで上出来やね。……お疲れさん」
「……お疲れ様でした」

 ヒメから好感触の評価と労いの言葉を貰うと、アキラはそのまま崩れるように床に倒れこんだ。 





 ヒメが戻ってきてから約一ヵ月後。六月に入り世間では過ごしやすい季節になってきたが、アキラ達の住む深山市は朝夕になると付近の山から冷たい空気が吹き降ろされてくるため、見かける人々も長袖を着ている人が多い。
 そんな街の様子を眺めながら土手沿いを自転車で出勤していたアキラだったが、ふと視界に最近見慣れたものが目に入ったのでブレーキをかける。

『おや? おはようさんじゃアキちゃんや』
「ええ、おはようございますゲンさん」

 アキラに挨拶をしながら寄って来たのは、蕗の葉を傘のように掲げた白髪白髭の老人。しかしその身長はアキラの膝くらいまでしかなく、着ている衣装も見慣れないものだ。
 その老人はコロポックル――アイヌに伝わる小人であり、名をゲンさんというらしい。二週間ほど前に偶然見かけて以来、アキラは何となく世間話に付き合っている。
 因みに北海道の小人が何故ここにと聞くと、「今は国際化の時代なんぢゃ」と少しズレた答えが返ってきた。

『ピクシーちゃんもおはようさんぢゃ。今日もお仕事ぢゃな?』
「ええ。ゲンさんは今日も散歩ですか?」
『それもあるんぢゃがな。向こうの公園のさくらんぼが赤くなってきたから、ちょいと味見に行くんぢゃ』
「あーもうそんな時期なんだ。木から落ちないように気をつけてくださいね」
『アキちゃんは優しいのぉ。しかしワシぢゃってまだまだ現役ぢゃ! 木から落ちてもピンピンぢゃよ!』
「いや、まず落ちないようにしましょう」

 そんなやり取りを終えると、ゲンさんは手を振りながら去っていく。そして自転車をこぎ始めようとした所で、アキラは何か白いものが視界に入ってきて動きを止める。

「……なんだアレ?」

 思わず呟いたアキラにつられて視線を向けたピクシーも、そこに居たものが予想外すぎたのか耳をピンと立てて目を丸くする。
 短い手足を揺らしながら歩く雪だるまが居た。
 頭には二本のとんがりのついた青色の帽子を被り、両手には同色の手袋。顔は丸い目が二つに半月のような口と子供が描いたような単純なものだが、その単純さ故かどこか愛らしさすら感じる。

『ホ?』
「……!?」

 目が合った。
 何処を見ているのか分かり辛いのだが目が合ったと確信したアキラは、そっと静かに忍ばせた銃へと右手をそえる。
 だがそんなアキラの警戒とは裏腹に、その雪だるまは「ヒーホー」と謎の言葉を発しながら無防備に近付いてくる。

『おはようだホ!』
「……ああ、おはよう」

 突然の事にアキラはしばし唖然としたが、挨拶されたのだと気付くと殆ど反射的に挨拶を返す。
 そしてゲンさんのような友好的な悪魔だろうと判断すると、右手を銃から離して雪だるまへ話しかける。

「それで、何か用かな?」
『ヒホ! 用があるのはお兄さんじゃ無くて、そっちのピクシーちゃんだホ!』

 そう言いながら雪だるまが指を指して来た瞬間、アキラの胸ポケットの中でビクリと何かが動く。
 どうやらアキラの気付かない間に、ピクシーは胸ポケットの中に完全に姿を隠していたらしい。すぐに気付かれたあたり、あまり意味は無かったようだが。

「…………」

 状況がイマイチ掴めないので、アキラはピクシーと雪だるまの感情を読み取ってみる。
 やはり何を考えているかまでは読み取れないが、少なくとも雪だるまは敵意を持っていないし、ピクシーも怯えているというよりは何かを面倒くさがっているようだ。
 どうやら雪だるまの用事は大事では無いらしい。

「……ピクシー。とりあえずばれてるから出て来ないか?」

 待ってはみたが出てこないピクシーにアキラは呼びかけるが、当のピクシーが出てくる気配は無い。
 どうやらこのまま篭城を決め込むつもりらしい。場所は城でも要塞でも無くアキラのポケットだが。

「あー……ごめん。出てきてくれないね」
『困るホー。オイラおつかいで来たんだホー』
「おつかい?」

 雪だるまの言葉にアキラは聞き返すが、その雪だるまは何やら考え込んでいて答えは返ってこない。
 そしてこのままでは遅刻すると気付いたアキラが動こうとするが、それを見計らったかのように雪だるまが大声を出す。

『そうだホ! ピクシーちゃんがお話してくれるまで、オイラもお兄さんに付いていくホ!』
「えー……あー……まあ好きにするといいよ」

 いきなりストーカー宣言をされて唸るアキラだったが、別に仲魔になるつもりでは無いらしいので悩んだ後に了承する。ポケットの中のピクシーから抗議の意思が伝わってくるが、やはり切羽詰った感じはしないので放って置く。

『それじゃあしばらくヨロシクお願いするホ! オイラ妖精のジャックフロスト、みんなからはヒーホーくんとか呼ばれてるホ!』
「俺は深海アキラ。普通にアキラと呼んでくれ。よろしくなヒーホー」

 アキラはジャックフロストのヒンヤリとした手を取って握手すると、そのままジャックフロストを自転車のかごに乗せて走り出す。
 ピクシーは諦めたのかポケットの中でじっとしていた。諦めたのなら出てきたらいいのにとアキラは思いつつ、そのままスタジオへと向かった。
 




「ピクシー? いい加減出てこないか?」

 そして無事に仕事は終わって夕暮れ時。未だにピクシーはアキラのポケットにこもって出てきていなかった。
 普段なら昼食時や休憩時に一緒に何かを食べたりするのだが、今日はそれもせずにずっと出てきていない。一瞬体調でも悪くて出てこられないのかと心配したが、無理矢理摘み出そうとしたら手がえらい事になったので、元気いっぱいなのは間違い無い。

「もう諦めて帰ったら? 急ぐ用事や無いんやろ?」
『めっちゃ急ぐホ! このままピクシーちゃんを置いて帰ったら、オイラが怒られるホー!』
「連れて帰るのか?」

 ヒメの言葉に慌てた様子で抗議するジャックフロスト。そしてそのジャックフロストの言葉から用件を察して、アキラは若干驚いた様子で問う。
 するとジャックフロストは体全体を傾けるようにして頷くと、アキラに向かって説明を始める。

『ピクシーちゃんが妖精王国から抜け出したから、オイラが様子を見に来たホー。 抜け出すのは珍しくないけど、ピクシーちゃんはフライングで延滞料加算中ホ!』
「最後の意味がよく分からないけど、もうピクシーはこっちに戻ってこられないのか?」
『そんな事無いホ。勝手に抜け出したから、落とし前をつけにいったん戻って欲しいだけだホー』

 どうやら大したことは無さそうでほっとするアキラ。そして改めてポケットへと目を向けると、ようやく観念したのか頬を膨らませているピクシーと視線があう。

「…………」

 そしてそのままアキラとピクシーは見つめ合っていたが、アキラの言いたい事を察したのか、ピクシーはポケットから出ると、ジャックフロストの帽子の上へと腰掛ける。

『ピクシーちゃん久しぶりだホー』

 自分の頭の上に向かって挨拶するジャックフロストと、そのジャックフロストの頭をペチッと叩くピクシー。どうやらまだご機嫌斜めらしい。

『お兄さんもありがとうだホー。お礼に困ったことがあったら助けてやるホー』
「えー……と、俺はサマナーじゃ――」
「はいGUMP」

 仲魔契約の流れになりそうだったので断わろうとしたアキラだったが、そこへヒメが凄く良い笑顔でGUMPを手渡してくる。
 何処かから引っ張り出してくる様子が無かった辺り、朝にジャックフロストを見た時点でこうなることを予想し、ずっと出すタイミングを計っていたらしい。

「……何故に?」
「そろそろ観念したらと思ってなぁ。どう足掻いたってアキラくん悪魔に付きまとわれるんやけん、妖精とか地霊みたいな友好的なんはどんどん仲魔に引き込んだ方がええよ」
「でもここ一ヶ月は特に何もありませんでしたよ?」
「コロポックルと世間話をしとった男が何を言うんや」

 ヒメの言ったとおり、アキラはコロポックルやノッカーといった地霊と、頻繁にすれ違って話をしている。最初は警戒していたのだが、すぐに慣れている辺り順応性は高いらしい。
 しかしあくまでも出会った悪魔が友好的だったから大事に至らなかったのであって、最初から全力でマグネタイト狙いの悪魔と出会ったら、アキラは真っ先に狙われる事実は変わらない。

「それに何だかんだ言って、アキラくんピクシーのお世話になっとるやろ。これがあったらいざと言う時に召喚できるけん持っとき」
「……そうですね。分かりました」

 ピクシーの事を言われて、アキラは少し考える様子を見せた後にGUMPをヒメの手から受け取った。
 カワアカゴとの戦いでアキラがまず思ったのは、魔法という力が思った以上に戦闘で大きな役割を果たすという事だ。
 ピクシーの小さな体から放たれた衝撃波はカワアカゴにかなりのダメージを与えていたし、回復魔法が無ければアキラは右手を切り裂かれた時に銃を撃てなくなっていたかもしれない。
 魔法を使えないアキラは、他のデビルサマナー以上に仲魔に依存しなければならない部分が多いのだ。生き残りたいと思って武器を取ったのならば、いつまでもGUMPを使うのを躊躇ってはいられない。

 それにアキラ自身気付いてはいないが、ピクシーが一緒に居るのが自然になってしまい、居なくなられると寂しいという感情もある。
 本人が気付いたとしても、決して口には出さないだろうが。

「それじゃあ、よろしくヒーホー」
『ヒーホー。あらためて自己紹介だホ! オイラは妖精ジャックフロスト。コンゴトモヨロシクホー!』





「ほんじゃ、大体使い方は分かった?」
「一通りは。後で色々いじってみます」

 GUMPを片手にアキラはヒメにそう返すと、さっそくGUMPのキーボードを叩く。
 左手に握られたGUMPは、平べったい銃身が今は二つに割れており、それぞれにディスプレイとキーボードの役割を果たしている。

「しかしこれ実戦で使うには起動に時間がかかりませんか?」
「普通のパソコンよりは割れるだけやけん時間短いやろ。それに最初に悪魔召喚プログラム開発した人なんか、分厚いノートPC持ち歩きよったんやで」
「それはまた……使い辛そうな」

 最初の悪魔召喚プログラムがいつ作られたかアキラは知らないが、今の薄いノートPCでも使いづらそうだと思いそう呟く。
 余談だが、その最初の悪魔召喚プログラムはBASICで組まれており、オカルトの知識は無くてもプログラムの知識はあるアキラが知ったら「そんな馬鹿な!?」と叫ぶであろう程に常識を逸脱していたりする。

「あと短縮登録しといたら、引鉄を引いただけで召喚出来るけん。一度に召喚するんは四体くらいまで絞った方が良いんやけど、今は二体だけやしピクシーもジャックフロストも登録しとき」
「登録は……ここですね」

 ヒメに言われてGUMPを操作していたアキラだったが、仲魔として表示されている悪魔が三体居ることに気付き手を止める。
 ピクシーとジャックフロストの上に表示されている空白。そこにはただ悪魔の召喚の際の負担だけが表示されており、名前や能力といったものは一切表示されていない。

「これは……?」
「気付いた? その空白欄は私からの餞別やね。封印しとるけん、普通にやっても召喚できんけど」
「……召喚するための条件は?」
「アキラくんが死にかけたらやね。一撃死するような軟弱な子には召喚できんよー」
「一撃死とかするレベルの攻撃は、受ける方が軟弱だとか言う問題じゃないと思うんですけど」

 アキラの至極真っ当な指摘に、ヒメは悪びれた様子も無く笑ってみせる。

「まあベリスがひっついとるけん、そんな事態にはまずならんやろ。もしなったらベリスは私が始末するけん、安心して眠りや」
「…………」

 笑顔で言い放つヒメの言葉が冗談に聞こえず、何も答えずに視線を反らすアキラ。そして姿を隠しているベリスが恐怖を抱いているのを感じ取り、ヒメが本気だと確信する。

「そういえば今度の休みどうするん? また射撃訓練する?」
「いえ、土曜日は約束があるので」
「約束?」

 アキラにしては珍しいと思いながらヒメは聞き返す。
 アキラには友人らしい友人も居らず、趣味と言えるようなものも無い。放っておいたらずっとパソコンに向かっているであろう、引きこもりの見本のような青年だ。
 だからこそ今までのスケジュールの管理が楽だったのだが、ここに来て突然休日に約束事。ヒメが思わず首を傾げるのも当然だろう。

「ミコトさんの足が完治したらしいので、礼も兼ねて映画でも見に行かないかと誘われて――」
「アヤちゃーん! アキラくんがデートに行ってしまう!?」
「……なんでやねん」

 突然立ち上がったと思ったら、まだパソコンで何やら作業をしていたアヤへ向けて叫ぶヒメ。
 その様子にアキラは近所のおばさんみたいな反応だなと思ったが、言ったらただではすまないので、とりあえず無難なつっこみを入れておく。

「デートじゃ無くて、礼だって言ってるでしょう」
「そんなの口実にきまっとるやん」
「そうですね~。お礼だったら一緒に行かなくても良いですもんね~」
「…………」

 無駄だと思いつつ訂正するアキラだったが、予想通りに即座に反撃を受けて何も返せず沈黙する。
 そしてアキラが黙ったとみるや、本人を置いて盛り上がる女二人。

「やっぱり覚えて無くても、助けられたら気になりますもんね~」
「アキラくん顔はそれなりやしな。でもお母さんになりたい子に惚れられたら大変やん。もうロックオン完了でFOX2(赤外線誘導ミサイル発射)寸前やん」
「ヒメさ~ん。FOX2するのはどちらかというとアキラさんですよ~」

 年上の女性二人のあんまりな会話に頭を抱えるアキラ。
 中学時代の経験で女性が苦手な節のあるアキラに、さらなるトラウマを刻みながら、ヒメとアヤはアキラをいじり続けた。



◇◆◇◆◇◆◇◆
おまけの落書き
 このピクシーは間違いなくポケットには入らない。

http://p.pita.st/?avvbd5gi



[7405] 第九話 止まった時間と置き去りにされた時間と
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2010/09/14 14:06

 深山市には五つの警察署がある。それぞれ東、西、南、北警察署に中央警察署という単純な名であり、当然ながら中央警察署が一番大きな規模を誇っている。
 その中央警察署の前の交差点に架かっている歩道橋。その歩道橋へと登ったヒメは、その先に目的の人物を見つけて手を振りながら呼びかける。

「こんにちわー鬼塚さん」
「ん? やっと来たか姫さん」

 ヒメの呼びかけに応えたのは、殆ど白髪となった髪をオールバックにし、くたびれた背広を着た初老の男。体格はがっしりとしているが身長はヒメよりも低く、もう少し若さと覇気があればゴリラとでも渾名されていそうな外見だ。
 鬼塚と呼ばれたその男は、くわえていた煙草を無造作に折ると、左手に持っていた携帯用の灰皿に吸殻を入れる。

「どしたんその灰皿?」
「娘のプレゼントだよ。良いだろ?」
「はあ、気がきく娘さんやねぇ」

 そう言って得意げに黒い線の入った銀色の筒を見せびらかしてくる鬼塚に、ヒメは呆れながらも言葉を返す。
 ヒメは鬼塚の娘と会ったことは無いが、鬼塚の年齢が五十過ぎである事を考えればヒメと同い年くらいだろう。そんな歳の娘を未だに溺愛している様子なのは、ヒメには理解不能だ。

「だろ? それにアレだ。公務員は国民の皆さんの手本にならんとな。刑事がお巡りさんに注意されたら流石に情けないだろ」
「確かに情けないなぁ。けどそれは置いといて、今夜の準備は出来とるん?」
「ああ、事後処理の手配くらいすぐ済む」

 呆れながら本命の用件を聞いたヒメに、鬼塚はだるそうに背伸びをしながら答えると歩道橋の欄干にもたれかかる。

「けどまあアレだな。ドンパチするなら後始末もやって欲しいもんなんだがな」
「そこは民間の弱い部分やねぇ。でも普通の悪魔退治ならまだ何とかなるんよ。でもあいつらは死体が残るけんね……」
「……だな」

 少し沈んだ声で言うヒメに、鬼塚も眉をしかめながら搾り出すように声を出す。
 やりきれない。立場は違えど二人の思いは同じだった。

「そういや弟子とったらしいじゃねえか。どういう風の吹き回しだ?」
「弟子いうより、保護ついでに鍛えとるだけやで。まあそうなるように仕向けたんは否定せんけど」
「わざわざ保護するように仕向けたってのか。余計に分からんな、どうしてそこまで入れ込んでんだ?」

 訝しげな視線を向ける鬼塚に、ヒメは何も答えず何か考える素振りを見せる。
 そしてそのまま数十秒ほど何かを考えていたが、不意に顔を上げると重い口を開く。

「……他人の気がせんけん……それだけかもしれん」
「惚れたか? そろそろ姫さんも行き遅れ――」
「死んで来い不良中年ッ!」





「……(何だ今の気配?)」

 鬼塚にヒメによる制裁が加えられているのとほぼ同時刻。
 映画が終わり映画館の外へと移動していたアキラは、数キロ離れた所で自分のよく知る人間の感情(殺気)が高ぶりまくっているのを感じ取り、一瞬動きを止めていた。

 最近分かったことだが、アキラの精神感応の範囲は最大で百メートル近くに達し、特定人物のみを対象にした場合はさらに範囲を拡大させることが出来るらしい。
 もっともその場合は対象人物の心の色のようなものを覚えておかなければならず、知り合いを探すのが楽になる以外に今のところ使い道は無いのだが。

「どうかしたんですか?」
「いや、ちょっと目眩が」

 唐突に意識を他へ反らしたアキラの様子に気づいたのか、隣を歩いていたミコトが不安そうな様子でアキラを見上げてくる。
 その服装はチェック柄のワンピースに白いボレロと、ミコトの性格を表すような落ち着いた印象を受ける。

 一方のアキラは、白いシャツの上に黒のジャケットと特徴の無い組み合わせだが、着こなし方と本人の性格のためか、誠実さと清潔感が出ている。
 もっとも本人は正午近くになり気温が上がってきたため、ジャケットを脱ぎたくて仕方が無いのだが、ヒメに厳命されて持ち歩いている凶器のせいでそれが出来ずにいたりする。

「大丈夫ですか? どこかで休んだ方が……」
「そこまでじゃないよ。でもそろそろお昼だし、どこかに入ろうか」

 言い訳を本気で受け取って心配してくるミコトに若干罪悪感を覚えながらも、アキラは付近にある店を見渡す。
 だがアキラ達が出てきた映画館は天橋街――中央商店街の中でも一番洗練された、ぶっちゃけ高い店が多い地域にある。未だ研修中で時給八百円のアキラが、学生さん同伴で突撃するのはあまりにも無謀だ。

「あの……だったら向こうの交差点にファミリーレストランがありますよ」
「……そこにしよう」

 アキラが困っているのに気付いたのかは定かでは無いが、ミコトが遠慮がちに言ったことを素直に聞いて、そのファミレスへ向かうことにした。





「いらっしゃいませー。二名様ですね。禁煙席と喫煙席がございますが、どちらになさいますか?」
「禁煙席で」

 営業スマイルを浮かべる女性店員に案内されると、アキラとミコトは窓際の席に対面に座る。
 半引きこもりのアキラはファミレスに来るのは年単位で久しぶりなため、実は無意味に緊張していたりする。もし一緒に来たのが年下のミコトでなく年上のヒメだったなら、落ち着き無く周囲を見渡していたことだろう。
 自分より弱い立場の人間……特に女性に対してかっこつけたがるのは、男の悲しい習性だ。

「深海さん煙草は吸わないんですか?」

 気を使われたと思ったのか、それとも単に気になったのか、ミコトがメニューを両手で持ちながらそんな事を聞いてくる。

「……吸わないよ。昔一度吸ってみたけど、むせまくった上に肺が痛くなって。慣れれば大丈夫なんだろうけど、有害物質そこまでして吸おうとは思わないし」

 ミコトの問いに、何故か間を空けてから答えるアキラ。しかしタバコを吸わないのは事実だ。
 ついでにアキラは酒も自発的には飲まないのだが、そう言った所をヒメに「つまらん男やねェ」とばっさり斬られていたりする。何気に一緒に飲みに行きたかったらしい。
 それを察して飲めないわけでは無いので付き合うと言ったら、今度は「無理せんでええよ」と優しく微笑まれた。その反応にアキラが混乱したのは言うまでも無い。

「何頼む? おごるから好きなもの頼んでいいよ」
「え……、でも今日は私が……」
「まあそれとは別ってことで。一応社会人何だから、一食おごるくらい大したことないし」

 自分が誘ったのだからと遠まわしに拒否しようとするミコトに、アキラは先ほど高い店に入るのを躊躇したのを棚上げして言う。それに対するミコトの反応はどこか困ったような表情だったが、少なくとも内心はほっとしているようなのを感じ取ってアキラも安堵する。
 精神感応能力をプライベートで使うのは、あまり良い事では無いとアキラは自覚している。だがアキラは自発的に動かないタイプである上に、ミコトも控えめでかつ大人しい性格のため、彼女の扱いに困りどうしても頼ってしまうのだ。
 そういう意味では、ヒメはアキラの方から動かなくともあちらが動くため、アキラにとっては相手のしやすい女性だろう。例えそのマイペースな性格のせいで、別の意味でストレスが溜っても。

「ご注文はお決まりでしょうか?」
「カツカレーで」
「……ミートソースパスタを」

 結局ミコトが頼んだのは、サラダとドリンクを除いた中で一番安いものだった。





 昼食を終えた後、アキラはミコトと映画の話や、お互いの職場や学校で最近起きたことなどを話していたが、一時間ほどするとファミレスを出た。
 そしてしばらくは本屋や小物店などを巡り、五時を過ぎる頃には帰宅の途についていた。
 まだ日が暮れるには時間があるのに帰るというのは、ミコトには少し不満だったらしいが、半引きこもりのアキラが女子高生を気の効いた場所へ連れて行ったり出来るわけが無い。
 それでもミコトの自宅へと送り届ける辺り、まったくミコトの事を気にしていないわけでも無いのだろうが。

「……曇ってきたな。帰るまでは降らないでくれるとありがたいんだけど」

 何気なく空を見上げてアキラが呟くと、ミコトもそれに倣うように天を覆う分厚い雲を眺める。
 雲は途切れ途切れで、既に山に隠れる寸前にまで傾いている太陽は顔を見せたり隠したりしている。だが太陽の通り過ぎた空は完全に灰色の雲に支配されており、今すぐに雨が降り出してもおかしくない

「でも今年って水不足なんですよね。降った方が良いと思いますけど」
「まあそうだけど、ダムの貯水率を気にするのは、この地域の恒例行事みたいなもんだしね。十年以上前の大渇水は凄かったけど、ミコトさんくらいの歳では覚えてないかな」
「私が生まれた年だったと思います」
「……そんな昔だったっけ?」

 何気なく話した話題によって人生初のジェネレーションギャップを体験し、アキラは軽く落ち込みながらも記憶を遡る。
 小学一年生の頃に家に帰ると、水を溜めるための大きなポリタンクが鎮座していたのを覚えている。そしてミコトはアキラの六歳年下。確かにミコトが生まれたばかりの時期なのは間違いない。
 まだ社会人の自覚が薄く、学生気分が抜けていないアキラには大ダメージな事実だ。

「……そういえば学校の方は大丈夫? いや、大丈夫だった?」
「え……と、ちょっと噂が流れてて大変でしたけど、直接的に何かあったわけじゃないから大丈夫です。最初は気になったんですけど、友達が「下らない話してんじゃねー」って暴走しちゃって、何だかどうでもよくなっちゃって」
「それはまた良い友達……なのか?」

 あからさまに話題を変えるアキラに少し沈んだ声で答えるミコトだったが、友人の声を真似た辺りからは花が咲くように笑顔になり、嬉しそうに言葉を続ける。
 それにアキラは友人とやらの行動に半ば呆れながらも、ミコトの言葉に羨望と軽い嫉妬を覚えて自己嫌悪する。
 アキラは病院でミコトに電話番号を教えるときに、自分を最後の逃げ場だと思えばいいなどと言ったが、ミコトには他にも逃げる場所――頼れる人が居る。無論ミコトもあのような異常な出会いをし、悩みを正面から受け止めてくれたアキラに依存している部分もあるのだが。
 ヒメにはまるでミコトがアキラに執心であるかのようにからかわれたが、アキラはアキラでその関係に執着していているのだろう。
 対等な立場では無く、一方的に助ける存在。一人に慣れてしまい他人との距離感が上手く掴めないアキラには、ヒメもミコトも立場は逆だが一方的な関係であるために、求められる事が分かりやすく居心地が良いのだ。
 もっとも「一方的な関係」というのはアキラが思っているだけであり、実際にはあり得ない事なのだが。

「……どうしたの?」

 自宅のある天橋街付近へと近付くにつれて、落ち着きの無くなるミコト。それに気付いたアキラが問いかけると、ミコトは軽く驚いた様子を見せると苦笑いを浮かべながら口を開く。

「いえ……その。深海さんと出かけるって言ったら、父さんが挙動不審になってたので、見つかったら何か言われるかなって」
「……それは俺としては勘弁して欲しいかな」

 何せ会う度の第一声が「すいません」という腰の低い父親である。以前の“事故”のせいで娘への心配性に拍車がかかっているようだし、あちらの複雑な心境を目の当たりにするのは、精神感応能力と相まって相当疲れるだろう。

「家はもうすぐだし、ここで退散してもいいかな? あまりお父さんに気を使われるのも使うのもアレだし」
「え……あ、はい。……それじゃあ、ここで」
「うん、じゃあまた今度」
「はい、また」

 アキラの言葉に一瞬気落ちした様子を見せたミコトだったが、すぐに笑顔になって応えると自宅へ向けて歩き出す。
 アキラはそれを見送っていたが、ミコトの姿が曲がり角に消えた所で一つ溜息をつく。

(悪魔への対処法は教わったけど、尾行された時の対処はどうすればいいのやら)

 アキラから背後に二十メートルほど離れた地点。
 背中に目があるわけでは無いアキラには、当然そこがどうなっているかなど見えないが、精神感応によってそこに人が居ることだけは感知することが出来る。そしてその人間は、アキラとミコトがファミレスの中に居た時から、ずっとこちらへ興味のような意識を向けてきていた。
 最初はミコトのストーカーかと思ったのだが、ミコトと分かれてもアキラに意識を向けている事から、その推測は外れである可能性が高まった。だがそれが分かった所でどうすればいいのかアキラには分からない。

(無視するのが一番か? 自転車に乗ればさすがに尾行は出来ないだろうし)

 心の中でそう結論付けると、アキラは自転車を置いている近くの駐輪場へと移動を始める。しかしその途中で、背後をついてきていた者が速度を上げ迫ってくることに気付く。
 それに焦り思わず振り向いたアキラの目に飛び込んできたのは、同じく驚いた様子を見せる女性。だが夕日を背負う立ち位置のためか、その表情はよく見えない。
 歳はアキラと同じくらいだろうか。慌てて走ってきたのか、胸の辺りまである長い黒髪が跳ねる様に揺れ、前髪を後ろへ流して露出した額には薄っすらと汗が浮かんでいる。
 服装は濃い紺色のスキニーデニムに黒いノースリーブのシャツと、スタイルに自信が無いと出来ないであろうぴったりとしたものだ。

「あの、深海アキラさん……ですよね?」
「ええ、そうですけど」

 自分の名前を確認してくる女性に、アキラは内心首を傾げながら答える。
 相手はアキラの事を知っているようだが、アキラは女性に見覚えがない。そして知り合い自体が少ないので、知り合いで無いのはほぼ確定だ。
 だが女性の方は「やはり」と言った風に頷くと、しばらく迷う様子を見せると意を決したように、しかしどこか不安を抱えたように言葉をつむぐ。

「覚えてない? 中学の時同じクラスだった……





「静かやねぇ。このまま気付かんふりして帰りたいくらいやわ」

 暴れ川の土手沿いに広がる倉庫地帯。一キロメートル近く立ち並ぶ倉庫の中の一つと前にして、黒いスーツを纏ったヒメはやる気のなさそうな口調で呟いた。

「帰っちゃ駄目ですよ~。それに静かだけど殺気は凄いです~」
「やね。それでも出てこんのは、ワンちゃん達の躾が行き届いとるってことかなぁ」

 同じく黒いスーツ姿のアヤが指摘したのに同意しながら、ヒメは周囲へ視線を巡らせる。
 先ほどまでは重そうな荷物を運ぶフォークリフトやトラックが行きかっていたのだが、今は人っ子一人通る気配は無い。
 そのために周囲は静寂に包まれ、眼前の倉庫の中に充満している殺気がより濃厚に感じられる。

「人払いは済んだみたいやし、後は逃げられんように結界張って人数集まったらミッションスタートやね」
「そうですね~。あ、何人か来ましたよ~」
「んー」

 気の無い返事をしながらヒメが視線を向けた先には、山に隠れ始めた太陽と、スーツ姿や袴姿の人間が何人か歩いてきているのが見えた。
 暗くなり始めたためか、こちらへ来る人たちの顔はよく見えない。





――昼と夜の交じり合う黄昏時
  彼方より来たるは
  人か
  妖か




◇◆◇◆◇◆◇◆
あとがきみたいなもの
 日常を謳歌しているアキラと、非日常まっしぐらなヒメ。
 アキラの知り合いは女性ばかりなのに、ヒメの知り合いがオヤジ(オカマ含む)ばかりなのは何でだろう?



[7405] 第十話 追憶――あなたを忘れない
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/07/12 15:21

 中学時代の同級生だという女性――名持シオンに呼び止められたアキラは、そのままシオンに連れられて水岐タウンへとやって来ていた。
 水岐タウンは市駅に隣接した百貨店と天橋街を繋ぐ地下街であり、店舗が全て食に関するものであることから「深山の食い倒れ通り」と呼ばれている。

「お店ここでいい? 他に行きたい所があるなら任せるけど」
「それこそ任せるよ。どこの店が美味いかなんて知らないし」

 地下街の一角にあるラーメン屋を指して言うシオンに対して、アキラは普段より少し無愛想な様子で言葉を返す。これは別にシオンに対して含むものがあるわけでは無い。
 見た目こそ大人びてしばらく分からなかったが、確かに名持シオンという少女がクラスに居たとアキラは記憶している。そしてその記憶どおりなら彼女はアキラをいじめていたグループの女子では無く、むしろ何かと気にかけて周囲に睨みを効かせていた学級委員タイプの少女だ。
 普通そんな事をすれば彼女までいじめの対象になりそうなものだが、シオンは地元の大病院の娘であったために、遠まわしな報復がくることを恐れて表立って暴挙に出るような者は居なかった。

「変わらないね。先生とかには愛想いいのに、そうやってクラスメイトには無愛想だったのがトラブルの原因の一つだったって自覚してる?」
「良い子ぶってたって? それ言ったら名持も大概だったろうに」
「私は全方位で良い子ぶってたから問題無かったの」
「良い子ぶってたのは否定しないのか」

 ヒメが見たら「アキラくんが黒なっとる!?」という茶々を入れそうなやり取りをしながら、二人は混雑している店内の中、調度空いたカウンターの席に並んで腰掛ける。
 そのままアキラは首だけ動かして壁にかかったメニューを眺めるが、初めて来た店でどれが美味しいか等分かるはずもなく、とりあえずハズレの可能性が低いであろうしょうゆラーメンを注文する。
 それに続いてシオンが塩ラーメンを注文し、店主が忙しそうに動き出すのを見ながら会話を再会する。

「それで? 何の用があって呼び止めたんだ?」
「久しぶりに会った旧友に話しかけたらいけないの? 何だかさっきまで居た子と対応が違うけど、私何か嫌われるような事した?」
「……してないよ。というか見てたの隠す気無いのかストーカー」
「だって深海っていう名字だけじゃ確信が持てなかったもの。顔はあんまり変わらないのに、背は高くなってるし。牛乳何リットル飲んだの?」
「男は二、三年で普通に二十センチ以上伸びたりするよ。あと牛乳飲んだら背が伸びるのは嘘だって事くらい知ってるよね医者の娘」
「相変わらず雑学多いわね。深海君のそういうところ私好きよ」

 微妙に噛み合わない会話にアキラは呆れつつ、おしぼりと一緒にやってきた水を一口含む。その様子を微笑みながら見ていたシオンだったが、その笑みを苦笑に変えると恥ずかしそうに口を開く。

「本音を言うとね、中学を卒業してからもずっと深海君の事が気になってたの。家に押しかける勇気は無かったけど、何もしなかったのは後味悪かったし」
「律儀なのか違うのか。俺にとっては、もうどうでも良い事なんだけど」
「……本人より私の方が引きずってたって事? 何だったの私の十年近い葛藤は」
「医者になるなら良い事だと思うよ」

 少しショックを受けているらしいシオンから視線をそらしながら、アキラは水に口をつける。
 気付いていないうちに喉が渇いていたらしく、何の味もしないはずの水が妙に美味しく感じられる。

「それで、今は何してるの? デートしてるくらいだから、ひきこもりからは脱却してるんでしょう?」
「デートじゃ……いやいい。今はグラフィックデザイナーっていうのかな? WEBとか広告のデザインしてるとこで見習いやってる」
「へー、そういう仕事って不安定なイメージあるけど」
「うちのスタジオは地元密着型らしくてね。ほぼ定期的に依頼がきてるし、仕事自体は多いよ」
「しょうゆラーメンお待ちー!」

 会話を遮るように注文していたしょうゆラーメンがやってきたため、アキラは一旦言葉を止めて割り箸を手に取ると一口スープに口をつける。
 少し好みよりも薄かったが許容範囲であることを確認すると、そのまま麺をすすりはじめる。

「塩ラーメンお待ち!」
「来た来たー」

 そして少ししてから塩ラーメンが到着し、シオンは待ってましたとばかりに椅子に座りなおすと、長い髪を左手で押さえながら麺へと箸を伸ばす。
 その様子を見て食べにくくないのかと疑問に思いながら、アキラは近くにあった胡椒を自分の丼へと投入した。





「ちょいとー……五人中二人がルーキーってどうなん」

 既に日の落ちた川沿いの倉庫街。ヒメは今回合同で行われる仕事に参加するメンバーを見て呆れたように呟く。
 それにむっとする袈裟姿に茶髪というミスマッチな装いの少年と、自信なさげに俯いてしまう長い髪を後ろで一纏めにした袴姿の少女。どちらも高校生くらいの年齢で、身に着けているいかにもな衣装も、着ているというより着られているような印象を受ける。

「俺は親父に付いて何度か実戦経験あるっての。見た目で判断すんなよ」
「知っとるよ。小埜さんとこのリカイくんやろ。そっちは金凪の……ヤヨイちゃんやっけ? お婆ちゃんの方が来るて聞いてたけど、どしたん?」
「その……ぎっくり腰で私が代わりに」
「あ~金凪さん歳ですからね~」

 ヒメの問いに言いにくそうに答えるヤヨイに、皆を代表して納得したように頷くアヤ。それにヒメは溜息をつくと、殺気の充満している倉庫へと目を向ける。
 今回相手をするのは悪魔では無く、元は人間であった悪魔もどきだ。そんな相手に多感な時期のリカイやヤヨイを出してくるとは、保護者は何を考えているのかと愚痴りたくなるのも仕方が無いだろう。
 実際ヒメはアキラがそろそろ実戦に耐えられると判断しながらも、今回の仕事に連れて来るのは見合わせたのだ。

「……それで、この倉庫は備蓄米の保管場所だと聞いているが、どうして犬どもが居座っている?」

 今まで黙っていた残りの一人。背広を着てサングラスをかけた三十代くらいだと思われる男が、顎で倉庫を示しながらヒメに問いかける。
 それにヒメは肩をすくめて見せると、自分が知っている限りの事の説明を始める。

「そんなん分かりませんよ。ただここ管理しとるんは国やけん。一応葛葉の傘下におる黒木さんが音頭とって、私らが集められたわけです」
「事前調査では~体育館くらいの大きさの倉庫内に30体近いワードッグが居るそうです~。あと二日前に中に入った役人の方が戻ってきてないので~、生きていたら救助するようにと~」
「どう考えても死んでんだろそれ」

 大人達が分かっていても言わなかったことを、リカイが呆れたように口に出し、ヤヨイがまた俯いてしまう。
 その様子にヒメは再び溜息をつくと、額にかかっていた前髪を鬱陶しそうに払いながら指示を出す。

「入り口は北と南に一つずつあるけん、両方向から同時に突入して殲滅するよ。九峨さんはアヤちゃんと一緒に北からお願いします。私は若い子二人の面倒見るんで」
「いいのか?」

 ヒメの言葉に、九峨と呼ばれた男はサングラス越しにヒメを見つめながら聞く。
 それは年少二人の世話を任せることか、それともパートナーであるアヤと別行動をさせることか。あるいは両方の意図を持って聞いているのかもしれない。

「九峨さん確か援護向きの仲魔が多いやろ。うちは前衛向きの仲魔が多いけん、それを援護させた方が良いと思て」
「居ないわけでは無いが、まあ仲魔を何体も出さずに済むなら、こちらとしてはありがたい」

 明らかに若い二人を足手まといとして見ている大人二人に、リカイは食ってかかりそうになるが、その二人が合わせたように懐から何かを取り出すのを見て踏み止まる。
 ヒメの手には折りたたみ式の白い携帯電話。そして九峨の手には銀色の懐中時計。闇の中で月の光を反射して光るそれらを二人が操作すると、彼らの周囲に幾つかの召喚陣が現れる。

「SUMMON OK? ――GO!」
「プログラム起動――来い!」

 そして各々が呼びかけると同時に、召喚陣から零れ落ちるように三体の悪魔が実体化する。
 ヒメの側に現れたのは、狼の毛皮のような衣装で頭から背中、そして足の脛の辺りまでを覆った、見るからに逞しい剣士。そしてもう一体はヒメの腰辺りの身長で、鍛冶屋の着るような黒い服の上に鉄の胸当てをつけた悪人のような面構えの小人だ。
 それぞれ妖鬼ベルセルクと地霊ドヴェルガー。いずれも北欧神話に登場する悪魔だ。

 そして九峨の側に一体だけ現れたのは、白い旅装束を身に纏った金色の髪の女性。その双眸は深くかぶった三度笠に隠されている。
 こちらの悪魔は妖精センリ。年老いた山猫が神通力を得て変化した存在だと言われている。もしかしたら三度笠は、人とは違うものを隠すためにかぶっているのかもしれない。

「さて、すぐに始めるけど大丈夫?」
「お、おう!」

 どこか含みのある笑顔で言うヒメに、リカイは一瞬返答につまったもののすぐに気合の入った声を上げる。突然目の前に現れた悪魔達が、並みのデビルサマナーでは扱えないと分かる存在感を放っているために、その声はどこかカラ元気が混じっているようだが。
 そんなリカイの様子を見たヤヨイは、二人が何も言わずに仲魔を召喚したのは、勝気なリカイを御するためだったのかと納得する。
 実際には先ほどから俯きがちなヤヨイを安心させる意味もあったのだが、こういった事には本人は気付きづらいものらしい。

「……では、先に行くぞ」
「はい~。ヒメさんまたあとで~」

 一足先にセンリと共に北側の入り口に向かう九峨と、それに続くアヤ。
 その二人をヒメは手を振って見送ると、すぐにリカイとヤヨイに向き直り口を開く。

「今回は相手が相手やけんね。無理に攻撃しようとせずに私らの援護に回って。状況にもよるやろうけど、私らより前に出んこと。いいね?」
「はい」
「分かったよ」

 素直に返事をするヤヨイと、どこか不満そうな様子を見せながらも返事をするリカイ。その二人の様子を満足げに見ながら、ヒメは仲魔であるベルセルクとドヴェルガーにも声をかけ。

「あんたらも敵を倒すより二人のフォローを優先してな。そんかわり近付くもんは叩き潰し」
『ワカッタ。マカセロサマナー』
『了解シタ』

 人語が苦手なのか、どこかぎこちない様子で応える二体にヒメは頷いて返すと、そのまま倉庫の南側へ向けて歩き出す。

「――「彼の者は罪人を救うために来られた」 たが私には救う術が無い故に、哀れな魂を屠り、自ら罪人へと身を投じよう」





「ねえ、携帯の番号教えてくれない?」
「ん? 良いけど」

 ラーメンを食べ終わり店を出たところで突然携帯の番号を聞いてくるシオンに、アキラはすぐに返事をすると自分の携帯電話を取り出す。
 そしてあまり使い慣れていない赤外線通信の準備をすると、通行の邪魔にならないよう道の端によってお互いの携帯を向かい合わせる。

「ありがとう……うんオーソドックスなメルアド。この数字って誕生日?」
「いや何も思いつかなかったから適当にね」

 アキラのメールアドレスは、ローマ字で書かれた名前の後ろに、数字が羅列されているという簡単なもの。その数字を見てシオンが聞いてくるのに、アキラは首を横に振ると正直にその意味を答える。
 そしてアキラも自分の携帯に登録したシオンのメールアドレスを見てみると、やはり名前の後ろに数字が付いているという簡単なものだった。シオンが聞いてきたことを考えれば、この数字は彼女の誕生日という事なのだろう。

「……もしかしてこれは遠回しなプレゼントの催促?」
「そういうわけじゃ無いけど、くれるなら貰うよ?」

 アキラがふと思ったことを口に出すと、シオンがどこか期待したような笑みを浮かべる。その様子にアキラは藪蛇だったかと苦笑を返すと、携帯電話をしまっていい加減に移動するようにシオンに促す。
 そして二人が歩き出そうとしたところで、日常は突然終わりを告げ、異常な世界が二人を――その場に居た全ての人々を飲み込んだ。

「キャ!?」
「地震……かこれ?」

 まず最初に襲い掛かってきたのは、地下街が崩れるのではと心配になるほどの強烈な振動。だがそれはアキラの疑問通り、今まで経験したような地面が揺れる感覚では無く、まるで地下街そのものをどこかへ投げ飛ばしたような衝撃を伴った振動だった。
 そしてその揺れが収まったときにアキラがまず気付いたのは、自身の精神感応能力の効果範囲が極端に狭まっていること。しかもその範囲には一貫性あるようではあるが、地図上でその範囲を示したならば歪な図形が出来上がるであろう不可思議なものだった。
 しかしアキラは少し考えて、その効果範囲の形が地下街の形と同じであることに気付く。まるでこの地下街だけ隔離されたかのように、アキラの精神感応能力は外の世界を感知出来なくなってしまっていた。

「……まさか」

 初めて非日常を経験したときの事を思い出し、結界の可能性を疑ったアキラだったが、その事について深く考える前に、また新たな異常が襲い掛かってくる。

「だ、誰かたす――」
「ギャアアァァァァッ!」

 背後から聞こえてきた助けを求める女性の声と、気が狂わんばかりに叫ぶ濁った男の声。
 その声の主を見たのであろう、アキラと対面して向かい合っていたシオンの目が見開かれ、その顔から徐々に血の気が引いていく。
 そしてアキラも事態を把握しようと背後を振り返り、そして後悔した。

『……ニンゲン……だ』
『マグネ……タイト……たくさん』
『ニンゲン……たくさん』

 痩せこけて、しかし腹だけが大きく膨れ上がった人型の何かがそこに居た。
 その人型達は全部で三体居て、棒のように細い腕で何かを掴み、そして食らいつく。
 その何かはぎらぎらと光を反射する赤い液体に塗れ、人型達が食らいつくたびに床に赤い液体を撒き散らす。

「何だ……これは……」

 目の前の光景にアキラは体も心も凍りついたように動かなくなり、誰も答えることの出来ない問いを無意味に口から漏らしていた。

 目の前で食われているのが人間だと理解していながら、それが認められず、今までヒメから叩き込まれた教えも忘れて、銃を抜くこともGUMPを手に取ることも思いつかずに、ただ呆然と眼前に広がる地獄を見つめていた。




◇◆◇◆◇◆◇◆
あとがきみたいなもの
 一部あり得ない名前の人が居るのはわざとです。でも別にヒメみたいに帰化人とかハーフじゃありません。
 一話にするはずの話が三話くらいに膨らんでしまっているので、このままでは二十話越え決定。さらりと終わらせるはずだったのにネー。



[7405] 第十一話 力と正義
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/10/25 15:10
 幽鬼ガキ――日本人ならば一度は聞いたことがあるであろう、餓鬼道に落ちたとされる、飢えに苦しむものである。
 一口に餓鬼と言っても、その種類は多岐に渡り、一切の飲食を許されないものもいれば、不浄なものや供物ならば食べることが許されるもの。または食べることは許されるが、いくら食べても飢えから逃れられないものもいる。

 その飢えに苦しむガキに、深海アキラと言う人間はどう映るだろうか。一般的に肉を食べる生物の肉は不味いとされるが、飢えに苦しむガキには些細なことだ。
 そして何よりアキラは、一般人とは一線を画す膨大な量の生体マグネタイトを保有している。ガキに限らず、悪魔達にとって深海アキラという人間は極上の美酒に等しい。

『マグネタイトォーーーーッ!』
「ッ!?」

 故にガキの一匹が、それまで貪っていた人間には目もくれず、突然跳びかかってきたのは、アキラには予想してしかるべき事だった。
 しかしアキラは、目の前で起きた突然の惨劇に思考が鈍っていたし、何より武器の選択に迷ってしまい反応が遅れることになる。

 アキラが咄嗟に抜こうとしたのは、腰のナイフでは無く左脇の銃。しかし手を途中まで動かした所で、アキラは周囲の状況を思い出してそれを躊躇する。
 日が沈んだばかりの地下街には、当然の事ながら多くの人が居た。そしてその殆どがアキラと同じように突然の事態に動くことが出来ず、その場に留まっていたのだ。今アキラが発砲すれば、流れ弾がその人々に当たるのは目に見えている。

「深海君!?」

 シオンの悲鳴のような声をどこか遠くに聞きながら、アキラは胸の前に掲げるようにして止まっていた拳を握ると、全身を叩きつけるような勢いで裏拳を放った。

『ひぎゃぁ!?』

 殆ど反射的に振るわれた拳は、しかし狙い済ましたようにガキの横面に命中し、その体を映画さながらに殴り飛ばし、そばにあった壁へと叩きつけた。
 ここで幸いだったのは、偶然ながら裏拳が全身の体重が乗るほぼ完璧な動作で放たれた事と、アキラがヒメとの訓練(見学人からの奇襲在り)の中で、戦闘中に精神感応能力を使うことに慣れていた事だろう。
 相手との距離を正確に把握するというのは中々難しい。届くはずの攻撃が届かず、避けたはずの攻撃が当たるというのは頻繁に起こりうる。
 しかしアキラは精神感応能力に引っかかった存在を、三次元の地図のようなもので把握している。
 要は周囲の居る者の座標を常に検証している状態にあり、自分と他者はもちろん、他者と他者の相対的な距離を肉眼で見なくても把握出来るのだ。

『ニンゲン……なぐった!』
『ニンゲンがなぐった!』
「……」

 アキラの存在に気付いた残りの二体が騒ぎ始め、殴られた一体が思わぬ反撃に驚いている内に、アキラは右手で銃を抜くと、壁にもたれかかったままのガキの額を無言で撃ち抜く。

『ぎゃひゅうぅ……』
「キャアアアア!?」
「じゅ、銃だ!?」

 乾いた破裂音に続いてガキの気の抜けるような断末魔が漏れ、ガクリと穴の開いた頭を垂らすと、その体は溶ける様にして崩れ落ち、次第に透けていって完全に消え去った。
 そしてその一連の光景でようやく正気を取り戻した人々が、ある者は悲鳴をあげ、ある者はガキだけでなくアキラの持つ物に恐怖を抱きながら、我先にとその場を逃れ地下街の入り口を目指して走り始める。

「深海……君?」

 しかしその中にあって、シオンは逃げ出す素振りも見せず、アキラの背後で彼を見続けていた。

「早く逃げた方がいいよ。説明しようにも、俺にも何が何だか分からないし」

 感情のこもらない声が、アキラの余裕の無さを表していた。しかしそれに気付きながらもシオンは逃げようとせず、アキラの後姿をじっと見つめて動かない。
 迷っていることがアキラには感じ取れた。だが名持シオンという女性の中でどのような葛藤があり、またどのような吟味があって残ったのかはアキラには分からない。
 ただ真っ先に狙われるのが自分だという事を幸いに思いながら、アキラは二体のガキの内の右側の方へと銃口を向ける。

『マグネタァッギャア!?』
『ニンゲンくうーーーーッ!』
「ヒゥッ!?」

 ガキ達の雄叫びと、シオンの途中で飲み込んだような中途半端な悲鳴をきっかけに、膠着していた時間が動き出す。
 新たな獲物と定めたアキラ目掛けて跳躍するガキ。しかしその内の一体は、地面を蹴る前にアキラの撃った弾丸を腹に受け、動きが止まった所にさらに二発の弾丸を頭と巨大な口の中に叩き込まれて沈黙する。

『まるかじりッ!!』
「ク……ソォッ!?」

 ガキは悪魔の中でも下位に位置するものである。だがそれでも、その身体能力は人間と比べれば脅威であり、三メートルはあった距離を一蹴りでつめ、アキラの上半身目掛けて跳びかかって来る。
 そのガキをアキラは銃を持っていない左手で殴り落とそうとするが、その拳が届く刹那、ガキのスイカすら一飲みにしてしまいそうな大口が開かれ、アキラの腕は殴ろうとした拳ごと闇の中へと飲み込まれる。

「あ……ぎッ!!」
「深海君!?」

 飲み込まれた拳に伝わるぶよぶよとした形容しがたい不快感と、ジャケットの袖越しに噛み付かれた腕に走る激痛に、アキラは悲鳴を漏らしそうなる。しかし歯を食いしばってそれに耐えると、自らの肩に足を乗せた体勢で腕に食い付くガキを睨みつけ、左腕に力をこめる。
 だがこれまでの稽古と筋肉トレーニングで逞しくなったはずの腕に、ガキの歯は容赦なく食い込み、引き裂いていく。
 それは木刀で殴られるのとは比較にならない、かつて犬面に肩を噛まれた時と同じ焼け付くような痛みと、自らの体の一部を喰われる本能的な恐怖をアキラへと刻み込む。

『にぐ……にぐー』
「つぁ……そのまま……食ってろッ!」

 その痛みと恐怖を叩き伏せ、アキラは左腕を折りたたむようにしてガキの頭を引き寄せると、そのこめかみをM19の銃口でえぐりながら引鉄をひく。 

『ギャヒュゥッ!?』
「ぐぅッ!」

 頭を撃ち抜かれてガキが大きくのけぞった所で、アキラは左腕を引き抜くともう一度銃口をガキへと向ける。だが装填されている最後の弾を撃つまでもなく、力無く地面に横たわったガキは、他の二体のように溶けるように体が崩れ落ち、徐々に透けるように消えていった。

「……はぁ」

 ガキが完全に消えるのを確認した瞬間、アキラは銃を構えたまま尻餅をつくようにその場に座り込んだ。
 カワアカゴとの戦いでも実感したことだが、殺されるかもしれない恐怖、そして自分の肉体を破壊される実感を伴った恐怖と言うのは、例え戦っている間は抑え込めても精神力を容赦なく削り取っていく。
 さらに今回は、目の前で人間が捕食されているのを目撃してしまっている。カワアカゴの時には薄かった、殺されるかもしれない恐怖を無理矢理頭に叩き込まれたようなものだ。

「……」

 アキラは無言で自分の左手を見つめる。
 厚手の丈夫なジャケットを着ていたためか、服事態は破れていない。だがその痛みやぬるぬるとした感触からして、強力な力で噛み付かれた皮膚は破れ、肉も削げてかなり出血しているのだろう。
 それをどこか遠いことのように認識しながら、先ほどガキに喰われていた人へと視線を向ける。
 血溜まりの中にあるそれは人の形を留めてはいるが、所々が欠損し物言わぬ肉の塊と化していた。わざわざ近寄って確認しなくても、死んでいるのは医術の心得の無いアキラでも分かる。

『小僧。呆けている場合では無いぞ』
「ヒ!?」
「……ベリスか」

 突然アキラの隣に現れたベリスに、シオンがまたしても小さく悲鳴を上げる。

「おまえが出てきたと言う事は、今の状況はかなり悪いという事かな?」
『その通りだ。先ほどの衝撃、どうやらこの地下街がまるごと異界に飲み込まれたようだ。元凶を見つけ出し排除せぬ限り、先ほどのガキのような低位のモノ共が際限なくわいてくるだろう』
「ならその元凶を倒せば……」
『阿呆。すぐに逃げるぞ』

 ベリスの話を聞いて行動を起こそうと立ち上がったアキラだったが、そのベリスが呆れたような声で告げるのを聞いて動きを止める。

「……この状況を放っておくのか? まだ逃げ遅れた人がいるのに」
『まさか元凶を倒せるとでも思っているのか? 人か悪魔か分からぬが、狭くは無いこの地下街を異界化させるほどの力の持ち主に、ただの人間である貴様が?』
「ッ……」

 アキラが苛立ち混じりに放った問いは、ベリスの容赦の無い問いによって潰される。
 ただの人間。その評価は様々な意味でアキラの現状を表していた。
 今までの稽古によって身体能力的には一般人に勝るが、それは所詮付け焼刃でしか無い。精神感応能力と言う異能を持っているが、それは便利ではあっても戦況を劇的に変化させるほどの力では無い。
 下級の悪魔を倒せても、上位悪魔や場数を踏んだデビルサマナー、異能力者の類にアキラが挑むなど、少しボクシングをかじった素人がいきなりプロテストに挑むようなものだ。相手が予想以上に弱いなどの幸運に恵まれない限り、それはただの自殺行為でしかない。

「だったらおまえが戦えば……」
『阿呆か貴様は。私が居なければ、貴様などここを脱出することも出来ぬぞ? 随分とらしくないではないか。大局の前に己の成すべきことを見失ったか』
「何もせずに逃げるのが、俺がやるべき事だって言うのか!?」

 明らかに嘲笑の色の見えるベリスの言い様に、激昂し叫ぶように絞り出されたアキラの声が地下街に反響する。それはベリスは勿論、ベリスの主であるヒメや同僚のアヤも見た事が無いであろう姿だった。
 深海アキラと言う青年が、声を荒げたことが無いわけではない。だがそれは驚いた時か、ヒメが何かやらかして抗議したり叱ったりする時だけだ。
 純粋な怒りのために張り裂けそうな声を上げる姿など、アキラは今まで一度も見せなかった。

 その理由の一つは、アキラが精神感応能力を持つために、周囲の人間が助けを求め、また恐怖を抱きながら意識を消失――死んでいくのを、今この瞬間にも感じ取ってしまっているためだろう。
 手の届きそうな場所で人が死んでいくのを、何もせずに黙ってみているなど、アキラには出来なかった。

『クフ……意外に良い声を出すでは無いか小僧。ああ、私には分からぬが、貴様の言い分はとても正しく気高いものなのだろう。それが勇気では無く蛮勇であることを考慮しても、貴様の主張は正しいと他ならぬ私が認めてやろう。
 だがな小僧……』

 楽しげに、まくし立てるように一息に話していたベリスだったが、途中で言葉を止めると、今までアキラへ向けていた視線をその後ろへとずらす。
 それにつられて背後へと振り向いたアキラの目に映ったのは、不安と恐怖からか顔を白く染め、だがそれでも負けるものかとばかりに目を吊り上げ、祈るように両手を組んでいるシオンの姿だった。

『……今おまえが成すべき事は、見ず知らずの人間を救うために無謀な戦いに挑むことで無ければ、自分の命惜しさに逃げ出すことでも無い。その娘を安全な場所へ連れて行く。それ以上に優先すべきことが、今の貴様に存在するのか?』
「……」

 ベリスの指摘に、アキラは何も返せずに沈黙し、何かを振り払うように首を振った。
 振り払ったのは自らの弱さに対する怒りか、それとも己の信念か。ただ一つ確かなのは、深海アキラと言う青年が、力が無ければ何もできないという事を実感したことだけだ。

「……おまえにそういう事を言われるとは思わなかったよ。ごめん名持。状況分からなくて不安だったろうに」
「……うん。このまま置いていかれるのかと思って、ちょっと焦ったかな」

 謝るアキラに冗談めかして答えるシオンだったが、彼女が本気で不安に包まれているのはその顔を見れば分かる。

『納得したのならば、妖精どもを召喚して傷を癒せ。すぐにここを移動するぞ』
「分かった。ただし逃げる途中に生きてる人が居たら、おまえが何と言おうが連れて行く」

 ベリスの言葉に頷くと、アキラは痛む左手を眉をしかめながら懐へと入れると、右のホルスターに入れていたGUMPを取り出し構える。
 そして普通の銃の撃鉄にあたる部分を操作するとGUMPの銃身が二つに割れ、続いて引鉄をひくと割れた銃身に備え付けられた画面に様々な図形と文字が表示され、悪魔召喚プログラムが起動する。

「――SUMMON OK?」

 そしてその画面に流れる文字の中に、かつてヒメが悪魔召喚プログラムを使用した時に口にしていた言葉を見つけると、アキラはそれを無意識の内に読み上げていた。

「――GO!」

 そして画面に召喚完了の文字が表示されると同時に、二つの魔法陣が空中に描かれ、その中からピクシーとジャックフロストが現れる。

『――!』
『ヒーホー! お兄さんやっと呼んでくれたホー!』

 召喚された二体は、アキラが目に入るなり喜びの色を見せる。そしてピクシーは体当たりするようにアキラの側まで飛んできて、ジャックフロストはくるりと一回転するとポテポテと擬音が聞こえてきそうな歩調でアキラに近付いてくる。

「……深海君。詳しい説明って、やっぱり後で?」

 久しぶりに会った知り合いが、銃片手に化け物を撃ち殺しただけでも驚きだろう。しかしさらにその知り合いが、見た目可愛いが明らかに人間では無いものを呼び出して、シオンは冷静にと心がけていた意識が限界突破したのか、どこか諦めた様子でアキラに声をかける。

「うん。俺もこう見えて余裕無いから、また今度にしてくれると嬉しいかな。……と、ありがとうピクシー」

 その様子にアキラは悲鳴をあげて逃げ惑った自分とは凄い違いだと思いながら、ピクシーが頼まなくても腕の治療をしてくれたのに気付き礼を言う。
 それにピクシーは誇らしげな様子を見せると、もはや定位置となっているアキラの肩へと腰掛ける。

『では行くぞ。遅れるな』

 アキラの治療が終わったのを見計らい、ベリスを先頭にして移動を開始する。
 カワアカゴの時には、最後まで手を出さなかったべリスが先陣をきっている事が、今の状況の悪さを如実に物語っていた。





「こうも見事に罠にかかったのは初めてだな」
「私だって初めてですよー」

 ともすれば聞き逃してしまいそうな九峨の呟きに、ヒメは若干呆れの見える口調で返しながらツインランスを振りかぶる。
 板の上に米、またその上に板と米という風に、備蓄米がうず高く積み上げられた倉庫内。米の壁によって出来た十字路の中央で、ヒメ達は謀られたようにワードッグの群れの襲撃を受けていた。

 ワードッグの数が予期されていたのより少ないのは、突入してすぐに誰もが気付いた。だが不思議に思いながらも倉庫内を数匹だけのワードッグを蹴散らしながら突き進み、拍子抜けするほどあっさりヒメ達と九峨達が合流した所で、突然倉庫内に隠れていたであろう全てのワードッグたちが殺到したのだ。
 しかもその数は事前に聞かされていた三十よりも遥かに多く、状況だけ見れば情報提供者に嵌められたとしか思えない。

「フゥッ!」
「ヤァ!」
『――マハザンマ!』

 だがこの状況も、ヒメを始めとしたベテラン組や仲魔達には余裕のあるものだった。
 金属板の取り付けられた手袋をはめ、ボクサーのようにステップを踏みながら拳を振るう九峨。
 美しい刃紋の輝く日本刀を両手で構え、踊るように自らの体と刀を閃かせるアヤ。
 攻撃の届かない高く積まれた備蓄米の上のワードッグへ向かって、広範囲を巻き込む衝撃波で攻撃するセンリ。

『ヌゥンッ!』
『シャァ!!』
「遅い!」

 自らはあまり動かず、近寄ってきたワードッグを手にした鎚で叩き潰すドヴェルガー。
 地を這うように素早く動き回り、手近なワードッグを斬り捨てていくヒメとベルセルク。

「――マハブフ!」
「うおりゃあぁぁぁ!!」

 そして氷結系の魔法でワードッグにダメージを与えつつ、その動きを制限するヤヨイ。両手に持った拳銃を連射するリカイ。
 どこか躊躇いのあるヤヨイと違い、ヒメに口答えしていただけはあるというべきかリカイの攻撃は思い切りが良かった。だがその様子に気づいたヒメは、一旦攻撃の手を休めるとリカイへ向けて口を開く。

「そこのガンスリンガー坊主! 無駄弾多すぎやし、弾幕張りたいなら自動小銃でも持ってき!」
「何だよそのあだ名!? つーか別に弾幕はる気ねぇし、坊主が自動小銃持ち歩くとか怪しすぎるだろ!」

 二人の言葉を聞き流しながら、ヤヨイは「茶髪僧侶が二丁拳銃な時点で変なんじゃないかなあ」と思ったが、残念ながらそこにツッコミを入れる人間はこの場にいなかった。
 もしこの場にアキラが居たら、二丁拳銃どころかリカイと出会った時点で「何で坊主が茶髪なんですか!?」とツッコミを入れていただろう。

「あーもう、うっといし! ベルセルク、ドヴェルガー、正面の敵一気に蹴散らすで!」
『マッテタゾ、サマナー』
『了解ダ召喚師殿』

 ヒメの命令に応えた二体が攻撃の手を休めて構えた瞬間、それまで攻撃を躊躇っていたワードッグ達が一斉に動き始める。
 だがそれは正に飛んで火にいる夏の虫だと、数秒後に証明されることになった。

「――マハジオンガ!」
『――マハラギ!』
『――デスバウンド!』

 ヒメの放った白い電撃の嵐がワードッグ達を飲み込み、ドヴェルガーから発せられた火炎の波が動きを止めたワードッグ達を焼き払い、ベルセルクの放った剣戟と衝撃波が備蓄米ごとワードッグ達を切り裂いた。
 後に残ったのはまるで爆風にでも巻き込まれたような惨状であり、ヒメたちの正面に居たワードッグは一体残らず絶命していた。

「ヒメさ~ん、お米が勿体無いですよ~」
「知らん。きっちり正確な情報渡さんかった黒木さんが悪い」
「責任転嫁だな……フッ!」

 アヤの言葉に開き直るヒメを横目に、九峨が放った右ストレートをまともに受けたワードッグが、顔面を陥没させて仰向けに倒れる。

『――マハザンマ!』

 そして九峨をフォローするように、センリが衝撃波で広域のワードッグたちを殲滅していく。ヒメ達のような派手さは無いものの、九峨とセンリのコンビも着実にワードッグの数を減らしている。

「よっしゃー! とっとと片付けるで!」

 一気に数を減らしたワードッグ達を、ツインランスで蹴散らしながらヒメが声を上げる。
 始まったときは圧倒的な物量差が在った筈の戦いは、少数を取り囲んでいた側が追い詰められるまでに戦況を逆転させていた。





「う……ゲホッ……」
「大丈夫深海君?」
『死にはせん。戦場で食べたものを戻すのは、戦士の通過儀礼のようなものだ』

 地下街の壁に向かって嘔吐するアキラと、それを気遣いながら背中をさするシオンと心配そうに見つめるピクシー。そしてその様子を眺めながらも、まったく心配していない様子で周囲に気を巡らせるベリス。

 地下街を逃走するアキラ達は、これまでに五度の襲撃を受け、それを全て撃退した。
 襲ってきたのはガキばかりだったが、その数は毎回五体以上に及び、ベリスの助けが無ければアキラは相手を殺しきれず、確実に殺されて彼らの腹の中へとおさまっていた事だろう。
 しかしそれ以上にアキラのストレスとなったのは、ガキ達に殺されて食われていた人間だったものの姿だった。
 ズタズタに引き裂かれ、血だけでは無く肉片すら周囲に撒き散らしているその惨状は、アキラでなくとも衝撃を受けるだろうし、吐きもするだろう。
 むしろ顔色を悪くしながらもアキラを気遣っているシオンが異常なのだが、本人に聞くと「手術の見学とかで慣れてるから」という答えが返ってきた。
 例えば交通事故、特に大型トラックなどに轢かれた遺体は凄まじい状態になるとアキラは聞いたことがある。だがそれを想像するとさらに体調が悪くなりそうだったので、無理矢理思考をそらすと気だるい体を気合で動かし立ち上がった。

「はぁ……大丈夫。まだ動ける」
『ホントかホー? 無理しちゃ駄目だホー』
『いや、生き残りたいのならば無理をしろ。ぐずぐずしていては、ガキどもより上位のものがこの場に現れかねん』

 労いの言葉もかけずに先を急ぐベリスに、アキラは文句の一つでも言いたくなったが、自分達を守ってくれていることは確かなので首をふってその言葉を飲み込んだ。
 そのときに視界に入った死体を意図的に意識の外に出しながら、アキラはピクシーを肩に乗せたままベリスの後を追い、その後ろにシオンとジャックフロストが続く。

 しかし意識の外に追い出したはずなのに、どうしても無視できない疑問がアキラの頭に渦巻いていた。
 今まで見た死体に、見覚えがあるような気がするのは何故なのだろう。知り合いの少ないアキラには在り得ない既視感が、頭の片隅にこびりついた様に離れない。

「……? ちょっと待て、そこのゴミ箱の中に何か居る!」

 もう少しで出口と言う所で、アキラはすぐ近くに自分達以外の意識があることを感じ取り、即座にその場所を把握すると近くにあった青いゴミ箱を指差す。
 調度それは人一人が入りきれるほどの大きさで、アキラが指摘した瞬間に少しだけ動く様子すら見せた。

「助けないと」
『待て、中身が人間とは限らん』

 中身を確認しようと近付くアキラを、ベリスが言外に悪魔かもしれないと示しながら止める。
 アキラはそれに相手が恐怖を感じているのを理由に反論しようとしたが、言われてみればベリスに恐怖したガキが身を隠している可能性だってある。
 確認しようと蓋を開けた瞬間に、突然襲われでもしたらたまったものでは無い。

「じゃあどうする?」
『何、簡単だ。そこのゴミ箱に隠れているもの、三秒以内に出て来い! さもなくば我が槍にて、その体を紛う方無き塵屑へと変えてやろう! 3、2、1……』
「はぁ!? ちょッ、待って!?」

 明らかに秒単位より早い間隔でカウントダウンを進めるベリス。そしてそれに余程焦ったのか、ゴミ箱の中に居た男が勢いよく蓋を持ち上げながら立ち上がり、バランスを崩したのかそのままゴミ箱ごと前のめりに倒れる。
 その様子にアキラ達は拍子抜けしながらも、怪我が無いか確かめるために男へと近付いた。

「いってぇ……。何だよ、今日は厄日か?」

 そう愚痴りながら立ち上がったのは、金色に染めた髪を短く刈り込んだ、アキラ達と同い年くらいの青年だった。
 服装はジーパンに白いTシャツと地味だが、何かスポーツでもやっているのかその体は細身ながらも無駄なく筋肉がついている。
 その青年を見てアキラはまたしても既視感を覚えたが、その理由は後ろに居たシオンによってすぐに判明した。

「……石応(こくぼ)君? 何でこんな所にいるの?」
「石応? 石応ユウヤか?」

 シオンが言った聞き覚えのある名前に、アキラは確認するように言い直すと青年――石応ユウヤへと視線を向ける。
 石応ユウヤというのは、小学校からアキラと度々同じクラスになり、中学校でも同じクラスでそれなりに仲の良かった少年だ。
 確かに髪こそ当時とは違いすぎるが、その顔はアキラの見覚えがあるものだ。

「へ? ……ああ! 名持じゃん! マジで!? 地獄に仏ってこういう事言うのな!」
「あーもうテンション下げようよ煩いなぁ。あー、ついでにこっちに居るの、あの深海君よ」
「うへぇ!? 深海生きてたのか!? というかその妖精さん何!? もしかしておまえ苛められたせいで危ない世界にでも傾倒したのか!?」
「してない。というか声量落として頼むから」

 どうして隠れていられたのか不思議に思うほどテンションを上げていくユウヤに、アキラとシオンは合わせたように溜息をつく。
 アキラの覚えている限り、確かに石応ユウヤという少年はムードメイカー的な所があった。しかし今目の前に居る青年は、高すぎるテンションが非常に鬱陶しい。
 ピクシーやジャックフロスト、ベリスに気付いてもテンションを落とさないあたり、どちらかというと錯乱しているのに近いのかもしれない。

「とにかく、逃げようか」
「うん……」
「え、逃げんの!? 一緒に居るモンスターって深海の仲間なんだろ? こう悪のモンスターを退治するために暗躍する正義のモンスターマスター的な――」
「うざい、黙れ」

 留まる所を知らないユウヤのマシンガントークに、アキラのツッコミが珍しく暴言の域にまで達する。
 結局ベリスに睨まれるまで、ユウヤのテンションは下がることなく高騰し続けた。




◇◆◇◆◇◆◇◆
あとがきみたいなもの
 最後の最後に緊張感ぶっ壊し。
 ゲーム(ソウルハッカーズ)でのGUMPは、引鉄をひくと起動するようになっていましたが、この作品のGUMPは撃鉄を起こすと起動し、引鉄をひくと仲魔が召喚されます。
 



[7405] 第十二話 アンデッド――死に損ない
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/08/23 16:44

「……ふぅ」
「九峨さん。一応ここ禁煙なんですけど」
「細かいことは気にするな。それにこんなブラッドバスに煙草の煙がくわわっても、気分の悪さはそう変わらん」

 ヒメの呆れ混じりの注意にそう返すと、九峨はサングラス越しに倉庫を見回した。
 当初の予定より多くのワードッグを殺すこととなった倉庫内は、戦場となった場所を中心に血がちょっとした池のように溜まり、戦いなれたヒメや九峨でも長居はしたくない状態になっている。

「まあ確かにこれは酷いですけど……子供二人さっさと帰したけど大丈夫かなぁ」

 神経が図太いにも程があるリカイはともかく、見るからに細そうなヤヨイは戦闘が終わって冷静さを取り戻すと、嘔吐こそしなかったが顔色を悪くして口元を押さえていた。
 流石にこれ以上の無理は駄目だとアヤを付き添いにして帰らせたのだが、しばらくはこの光景の悪夢に苛まれるだろう。

「……黒木に敵と味方の把握をしろと言っておけ」

 煙を吐き出しながら放たれた九峨の言葉を聞いて、ヒメは彼が表面に見える以上に怒っていることを察する。
 ヒメは九峨という男と付き合いが長いわけでは無いが、それでも彼が怒るというのは珍しいのでは無いかと思う。

「しかし黒木ばかりも責められんか。今回のワードッグの数、これまでの例より多すぎる」
「……ワードッグの数は、直前に行方不明になった人間の数とほぼ同じ。まあ他の地域でもワードッグが確認されとるんやし、どっか他から持ってきたんやろうけど」
「それはそれで妙だと思わないか? 情報が各地にいきわたり、葛葉を始めとしたデビルサマナーや退魔師が行動を始めた途端に今回の待ち伏せだ。こちらの動きに合わせたとしか思えん」
「情報収集するのが早すぎですね。まあこんな田舎にまで手を伸ばし取る時点で、かなりの規模の組織だった連中が動いてんのは確定でしょうけど」

 そうヒメは言うが、深山市をただの田舎の地方都市だとはヒメも九峨も思っていない。
 以前にヒメがアキラに話した通り、深山市周辺には土着の民間陰陽師や退魔師、召喚師が多い。
 これは深山を始めとした地が修行に適している、所謂霊地と呼ばれる場所であることに端を発している。霊的な事件に限定すれば、深山という街はいつ狙われてもおかしくない場所なのだ。

「ん……噂の黒木さんから電話やね」

 ズボンのポケットで震える携帯電話を取り出すと、ディスプレイに表示された名前を見て呟くヒメ。
 ヒメ自身もそれなりに含むところがあるのか、通話ボタンを押すと相手が何かを言う前に言葉を放つ。

「黒木さん探偵なんやけん調査はきちんとやってくれんかな? 事前に聞いた三倍も敵が居るって、なにやっとんですかアンタ」
『やあご立腹のようだねヒメくん。だけどそれを棚に上げて、一刻も早く伝えなければならないことがあるんだけどね』
「アンタが棚に上げんな。……それで、どうしたん?」

 ヒメとしてはまだまだ言い足りなかったが、一刻を争うと言われて素直に話を聞くことにする。

『水岐タウンが異界に落ちた』
「は……? ちょっと一般人が溢れかえっとるとこが異界て、十数年ぶりの大事件やないですか!?」
『しかも君のお弟子さんが水岐タウンに居るらしい』
「はああああぁぁぁぁっ!?」

 予想外の言葉にヒメは絶叫しながらベリスへ連絡をとろうとするが、いくら呼びかけても反応は無い。
 ヒメとベリスの使っている念話は、アキラのような超能力では無く、魔術的な繋がりを利用したものだ。しかしそれでも片方が、異界という別世界と言っていい場所に隔離されては通じない。

『僕が何とかしたい所なのだけど、どうやら周辺に強力な結界の類があるらしくて近寄れなくてね。いや、いつの間にか目的地の反対方向に走ってるなんて経験をするとは思わなかったよ』
「……九峨さん、水岐タウンが異界化したらしい。鬼塚さん来るまでここ任せました」
「待て」

 黒木の話を聞くのもそこそこに、すぐに動こうとした所を止められて、ヒメは苛立ちながら振り返る。すると九峨はポケットをまさぐると、何かの鍵をヒメへと投げつけてくる。
 一体何かとヒメが視線で問うと、九峨は口に煙草をくわえたまま答える。

「手前の公園に俺の車が停めてある。急ぐなら使え」
「え……ありがとうございます!」

 何の事情も聞かずに車を貸すという九峨に、ヒメは慌てて礼を言うと、オリンピックに出場できるのでは無いかという速さでその場を走り去る。

「……日常をいきなり悪魔どもが侵食するか。まるで二十年前の東京だな」

 ヒメを見送りながら呟いた九峨の声は、吐き出した煙と共に闇へと消えていった。





『――マハブフだホー!』

 ジャックフロストが呪文を唱えながらクルリと一回転すると、冷気の渦が放射状にガキの群れに襲い掛かり、手足を一時的に凍結させてその動きを縛る。

『お兄さん今だホー!』
「分かってる」

 そしてジャックフロストの高い声に応えるように、アキラのM-19が火を噴き、パンパンパンと三度乾いた音が地下街に響き渡る。
 その反響音が消え去る頃には、発射された.357マグナム弾が三体のガキの体に命中していた。だがアキラはその内の一体がまだ生きているのを確認すると、間髪入れずに残りの弾丸を全て生き残ったガキへと叩き込んだ。

『ぎゅああああ!?』

「ッ……」

 その仮初の命を終え、溶けるように体が崩れ去っていくガキを見ながら、アキラは小さく舌打ちをする。これでアキラの射殺したガキは十体ほどになるが、何度見聞きしても損壊した肉体が崩れ去っていく様や、耳に残る断末魔に慣れる事が出来ない。
 この場にヒメかアヤでも居れば「慣れないのが普通だ」とフォローでも入れるのだろうが、今アキラに同行しているのは悪魔が三体に一般人が二人。
 実質保護している状態のシオンとユウヤに泣き言を零すわけにもいかないし、場合によっては笑顔で殺戮が出来るような悪魔達に、今のアキラの心境など分かりはしないだろう。

『ふむ。無駄弾が多いな。主よりはマシだが、致命的な隙を生みかねんぞ』

 予想通り反対方向に居たガキを殲滅していたベリスが、気遣うどころか愛想の無い声で駄目出しをしてくる。
 アキラは精神的な余裕が無いせいか、思わず銃口をベリスへと向けそうになったが、既に装填されている弾丸は撃ちつくした事を思い出し、無言でリロードを始める。

「なあなあ。それリボルバーだろ? 西部劇みたいに腰で構えて撃ったりしねえの?」

 何度も繰り返したためか、手馴れた様子で弾を装填するアキラを眺めながら、今まで黙っていたユウヤが興味津々と言った様子で聞いてくる。
 それにアキラは手を止めないまま、ヒメから聞いたうろ覚えの知識を引っ張り出してくる。

「あの撃ち方は、左手で撃鉄をあげて連射するための構えなんだよ。この銃は撃鉄を上げなくても撃てるから、わざわざ左手使わなくても連射出来るんだ」
「んーああ、なるほど。連射できるリボルバーとかあるんだな」
「何というか……余裕あるよね石応君」

 アキラの説明を聞いて納得しているユウヤを見て、同じくそれまで黙っていたシオンが呆れた声色を隠そうともせずに言う。
 その顔は少しマシになったとはいえ白色に近く、石応への評価とは逆に余裕が無い。それでも会話に参加したのは、何かしらの話をしていた方が気が紛れるからだろう。

「余裕……あんのかオレ?」
「え、あるでしょ?」

 首を傾げながら問いかけるユウヤを見て、シオンは冗談だと思い苦笑しながら返す。
 しかしユウヤの顔から表情が抜け落ちるように消えているのを見て、その苦笑はひきつったものに変わった。

「……どうしたの?」
「いやさあ……オレが隠れてたゴミ箱のさ、少し奥の方の曲がり角に誰か居なかった?」
「いや、居たら連れて来て……」

 ユウヤの言動を訝しく思いながら、その問いに否定の答えを返すアキラ。だが答え終わる前に、ユウヤの言わんとしている事に気付いて言葉が続かなくなる。
 ユウヤと出会う前の曲がり角には誰も居なかった。
 だがそこをアキラ達が通りかかった時にはガキが居て、地面にはガキに食い散らかされた「何か」が散乱していた。

「居なかったのか? 今日な、ダチと一緒に飯食いに来てたんだよ。なのにいきなり地震とかくるだろ? 別に地震くらいじゃ騒がねえけどさあ、収まったと思ったら何かダチの背中に引っ付いてたんだよ。
 最初は恐くてパニクッたどっかの子供(ガキ)でもしがみついてんのかと思ったんだけど、そいついきなり馬鹿でかい口あけてダチの肩に噛み付いたんだよ。かなり痛かったらしくてダチが悲鳴上げてな。そしたらダチに群がるみたいに何か殺到してな。
 何が何だか分かんなくて、俺一人で逃げちまって隠れて震えてたんだよ。遠くで誰だか分かんないけど叫び声上げててさ。それ聞いてるうちに何で自分が震えてんのか分かんなくなってさ。オレやっぱおかしいよな? 何で震えてんだってそりゃ恐いからだろ!?」
「もういい! 石応!」
『お兄さん落ち着くホー!』

 無表情のままゆっくりと話していたユウヤの瞳が、不規則に揺れ始めたのにアキラは気付いた。その様子と話の内容からして、ユウヤの今までの余裕はストレスが限界を越えて「切れていた」ためだと気付く。
 そのためこれ以上感情を揺らさないように慌てて話を中断しようとしたが、既にユウヤの感情の堤防は決壊してしまったらしく、アキラとジャックフロストの声も無視して自身を追い詰めるように叫び続ける。

「あいつがどうなったって、あの状況で生きてるわけ無いじゃん!? 俺一人で逃げ出してさ! しかも情けなく隠れてたし! でも逃げなきゃ俺だって――!」
「落ち着いて石応くん」

 地下街に反響するユウヤの叫びを遮るように、シオンの戒めるような声が通った。
 その声は決して大きなものではなかったが、直接声をかけられたわけでは無いアキラまでも動きを止めるほどの意志の強さが込められており、恐慌状態に近かったユウヤを命令された軍人のようにピタリと止めた。
 ユウヤの瞳はそれでも不安定に揺れていたが、不意にシオンがゆっくりとした足取りで近付くと、覗き込むように視線を合わせて語りかけ始める。

「大丈夫だから。深海君が助けてくれたから。もう危ないことは無いから、友達の事は後でゆっくりと考えよう……ね?」
「……あ、ああ。うん、悪い」

 幼い子供に言い聞かせるようなシオンの言葉に、ユウヤの瞳が一瞬大きくぶれたかと思うと、その表情は呆気にとられたような、どこか呆然としたものへと変わっていた。
 その様子にアキラは何をしたのかと問い質しそうになったが、その前にシオンが口元に人差し指を立てて見せたので、その意図を察して言葉を飲み込んだ。

「……行こうか。出口も近いし、もう安全だ」

 ユウヤをこれ以上刺激しないよう、慎重さからくる最悪の想定を飲み込んで、らしくも無い楽観論を口にする。
 どのように対処したらいいのか分からないユウヤを、半ば無視するようにアキラは先頭に立って歩き始めた。

 そもそもこの状況が異常ならば、その中で落ち着いているアキラも異常なのだ。
 カワアカゴとの戦いは異常なモノを相手にしてはいても、周囲にあるのはアキラという人間が慣れ親しんだ、現実の延長線上にある世界だった。
 だが今の状況は違う。例え目に見える景色が普段と変わらずとも、この地下街は確かに異界に飲み込まれている。

 異界とは文字通り、普段人間が存在する世界とは似て非なる世界だ。不安定な世界は、悪魔のような本来存在しないはずの存在の侵入を許し、また肉体という檻を持つ人間すら何かの拍子で引きずりこむ。
 そして異界へと飲まれた人間は、本能的にその場が己の存在を脅かす世界であることを理解し恐怖する。もし奇跡的に悪魔と遭遇しなかったとしても、異界の中というのは、ビルの屋上を繋ぐロープを綱渡りするような恐怖とストレスを人間へ与え続ける。

 繰り返しになるが、悪魔に対する恐怖はあっても、異界の中で何のプレッシャーも無く活動できる深海アキラという人間は異常なのだ。
 そしてその異常性の理由こそが、ヒメがアキラに伝えなかった、悪魔に狙われる可能性へと繋がるもう一つの理由でもある。


「そういえばさあ、何で深海って女子にいじめられてたんだ?」

 先ほどの件もあってか全員が無言で歩いていたというのに、張本人であるユウヤが唐突にそんな事を聞いてくる。

『お兄さんいじめられてたホー?』
「……昔な。名持が言うには、良い子ぶってたかららしいけど」

 ユウヤの言葉に不思議そうに口に手をあてたジャックフロストが、相変わらずの笑顔で重ねて聞いてくる。その話題はお世辞にも気のきいたものとは言えなかったが、ユウヤがまた恐慌を起こす可能性を考え、アキラは気をそらすために乗ることにした。
 実際アキラはいじめのことは過去の事と割り切ってはいるが、思い出して何の感情も湧き上がらないわけでもない。

「だったらいきなりいじめが始まったのおかしくねえか? おまえ一年の頃は結構人気あったぞ」
「はあ? その割にはチョコはもらえなかったんだけど」
「そういう人気じゃないかな。深海君って他の男子みたいに騒いだり、下ネタ言い合って爆笑したりしてなかったじゃない? だから他の男子よりはマシだよねーみたいは評価はされてたよ」
「それはまた相対的な評価だな」

 要は思春期の男子特有の馬鹿をやらなかっただけであり、アキラの容姿なり性格が良かったというわけでは無い。

「じゃあ結局何がきっかけだったんだよ?」

 ユウヤのその問いは、アキラでは無くシオンへと向けられていた。シオンはそれにしばらく考えるような素振りを見せたが、結局沈黙で答える。
 その沈黙が何を意味するのか、問いかけたユウヤだけでなくアキラも気になった。だが不意に頬を叩いてきたピクシーが指し示す先に出口が見えたため、その話題はここで終わらせることにする。

「出口か……ようやく出られる」
「警察とか来てんのかなあ。どうやって説明すんだこれ?」
「……さあ? でも警察の一部は悪魔の事を知っているらしいから、ありのまま説明して大丈夫だと思うよ」

 ユウヤの疑問にそう返しながら、アキラは出口のある広場のような部屋へと進む。
 広場の中央には噴水があり、勢いよく伸び上がった水の柱が、円状の雫となって零れ落ち水面を波立たせている。

『人も悪魔も居らぬ様だな。私が見張っている。おまえ達は早く外へ出ろ』
「ああ、頼む」

 周囲を見渡していたベリスが告げるのと同時に、精神感応で周囲に何も居ない事を確認すると、早足で夜の闇に包まれた出口へと向かう。
 しかし噴水を横切ろうとした所で、アキラは精神感応の範囲内に何かが入ってくるのを感知する。それは人間とは思えない速さで移動し、曲がり角を直角に曲がり、ベリスへ警告を飛ばそうとしたときには既に目視できる所まで接近していた。

「ベリス! 何かが来て、もうそこまで来た!」
『何!?』

 アキラの声に警戒を強め、地下街の奥へと槍を構えたベリスだったが、突然現れたそれはベリスの槍でどうにかできる存在ではなかった。

『霧だと!?』

 地下街の奥から文字通り飛ぶようにして出てきたのは、幅数十センチほどしかないという奇妙な形をした白い霧だった。
 そしてその霧は、驚きの声を上げるベリスを嘲笑うようにすり抜けると、アキラたち目掛けて飛んでくる。

「ピクシー! ヒーホー!」
『――ブフだホー!』

 アキラの呼びかけに応えたピクシーとジャックフロストが、霧に目掛けて衝撃波と冷気を放つ。
 だが霧は冷気と衝撃波の軌道を予測していたかのように迂回し、目で追うのがやっとという速度で、最後尾に居たユウヤへと襲い掛かる。

『立ち止まるな! 逃げろ!』
「え!? ちょ!? 何――」

 ベリスが警告するが既に遅く、霧はまたたくまにユウヤの体に纏わりつきその体を空中へと持ち上げていた。そしてその霧がユウヤの前で収束したかと思うと、瞬きする間に黒いズボンと素肌の上に黒いベストを身に着けた、一人の青年が現れる。

「――ん? 何か薄いなぁ、間違えたか?」

 右手でユウヤの首を掴み、浮かんでいた体をさらに持ち上げる青年。
 その口から発せられたのは、場にそぐわない、どこか気だるさの感じられる声だった。

『血も不味そうね。私としては、そちらの子の方が私好みなのだけど』
「……え?」

 突然聞こえた高い女性の声。
 それにアキラは一瞬気を取られたが、青年の視線が自分へと向けられているのに気付いて身を強張らせた。

 不気味な青年だった。
 肩まで無造作に伸ばされた髪は、闇に溶かしたように光沢の無い黒色で、波のようにうねり毛先が跳ね上がっている。肌は髪とは対照的に紙のように白く、近くで見れば血管が浮き出て見えるのではないかという程だ。
 そして何より目を引いて離さないのは、満月のようにらんらんと輝く金色の瞳。だがそれは決して十五夜の月のような美しいものでは無く、月の司る狂気を凝縮したような不吉な光を宿していた。

『目を合わせるな!』

 異様な青年の雰囲気に呑まれ、動けないアキラたち。だがその空気を蹴散らすように、馬に乗ったベリスが疾風のように青年へと接近し、そのまま駆け抜けながら槍を横へ薙ぎ払う。
 しかしその槍が届く刹那、青年はまたしても霧となってその場から離脱する。

『――アギラオ!』
「おっと」

 その霧へ対してベリスは巨大な火球でもって追撃をするが、霧は火球を避けるように地面へと落ちると、そのまま噴水の縁に立った状態で成年の姿へと転じる。

「かあ、は……なん……なんだよ」
「大丈夫!? 息ちゃんと出来る?」

 青年から解放されたユウヤが荒い息をつきながら蹲り、シオンが慌てた様子で状態を聞いている。
 しかしそんな二人を尻目に、アキラは青年から目を離す事が出来なかった。
 人間とは思えない。自在に霧へと変貌し、その容姿は極端に色が強くアンバランスだ。
 何より青年が口を開いた時に見えた幾本かの歯。それは噛み切るとか噛み潰すなどといった用途では無く、まるで穴を開けるために使うかのように鋭く、そして長かった。

「……何だあいつは」
『吸血鬼だ』

 思わず呟いたアキラに答えを返しながら、ベリスが皆を庇うように、吸血鬼との間に馬を横向きにして立つ。
 そこには今までアキラをからかっていたような余裕は無く、意識の全てを噴水の前に立つ吸血鬼へと向けていることが分かる。

『……小僧。私の言いたいことが分かるか』
「逃げろと言うなら予想内だけど、おまえが犠牲になってる間にと言うなら予想外かな」
『クフ……ならば驚く間もなくさっさと逃げろ。私では奴をどれほど留め置けるか分からん』

 くぐもった笑いの後に続いた言葉に、アキラは驚いてベリスの背を見上げた。
 こちらを不安にさせる性質の悪い冗談かとも考えたが、ヒメにアキラの身を守ることを厳命されている以上、命に関る冗談を言うとは思えない。
 そもそも余裕が無いと言えば、この異界に引きずり込まれたときから無かったのだ。今はただ生き残ることだけを考えて動くしかない。

「……名持、石応走れるか?」
「私は大丈夫。石応君は?」
「てぇ……きつくても走るっきゃねえだろ。これ以上こんなホラーな世界に居られるか」

 若干自棄になっている様子のユウヤに不安を覚えつつも、アキラは拳銃を右手に握って逃げるタイミングを窺う。

『――行け、ヒートウェーブ!』
「よし、逃げよう!」

 振り下ろされたベリスの槍の一撃が、巨大な波となって吸血鬼へと襲い掛かった。
 それを合図にして、アキラ達は一斉に出口目掛けて走り出す。その様子を吸血鬼は視線で追っていたが、目の前に迫ったヒートウェーブへと向き直ると、どこか面白くなさそうな声を漏らす。

「ハン……霧になっても逃げられないように広範囲攻撃ってわけか。――冥界波!」

 吸血鬼の両腕が鞭の様にしなりながら振り下ろされる。
 それに呼応するように放たれたのは、地面を這うように伸びる漆黒の波動。それは吸血鬼を中心として円状に渦を巻く様に広がっていき、ヒートウェイブの波を飲み込んだ。

『何だと!?』

 ベリスが驚くのも無理は無い。相殺されるならともかく、吸血鬼の冥界波はベリスのヒートウェイブを飲み込み、何事も無かったように広がり続けているのだ。
 それはあらゆるものを飲み込むブラックホールの如き理不尽さであり、ベリスの使える魔法や技では対抗出来ないことを意味していた。

『クフ……』

 それでもなおベリスは兜の下で笑い声を漏らす。
 それが強敵に対する賞賛の笑みなのか、それとも不甲斐無い己に対する自嘲なのかはベリス自身にも分からない。
 だがこのまま終わるつもりは無い。ベリスは確かに二枚舌で知られるが、主と認めた者の命令を全うせねば己の沽券に関るし、何より吟味に反する。
 視線を向けた先には、階段を上っていくユウヤとシオン。そして二人を守るためか、二人から遅れてようやく階段の数メートル手前まで到達するアキラの姿があった。

『小僧! 死にたくなければ素直に当たれ!』
「なん――!?」

 アキラの位置を確認したベリスは一方的に告げると、返事をまたずに馬を走らせ、そしてアキラの背中へ体当たりさせた。
 アキラは数メートルほど前のめりになりながら吹き飛ばされると、そのままの勢いで階段に頭をぶつけそうになる。この勢いで頭をぶつけると流石に死ぬと思ったアキラは、蹴るようにして階段に足をかけ、肩に乗っていたピクシーが慣性の法則で投げ出されそうになるのを、左手で何とか支える。
 そして痛む体も無視して、抗議のためにベリスへと振り返ったが、吐き出すはずだった言葉は予想外の惨状にかき消された。

『クフ……これほどとは……な』

 吸血鬼の放った冥界波は階段のすぐ手前まで伸び、アキラを突き飛ばしたベリスと、その場に残っていたジャックフロストを飲み込んでいた。
 その結果そこには力無く横たわる馬と、馬から投げ出されたのかそばで片膝をつくベリス。そしてうつ伏せに倒れたジャックフロストが居た。

「あ……大丈……」
『お兄さん……オイラもう駄目ホー……』

 アキラが言葉を終える前に、ジャックフロストが小さな声で呟き、雪が溶けるように縮んでいき、そして消えた。

「ヒーホー!?」
『落ち着け……体を維持できず魔界に戻っただけだ。主に頼めば蘇生は容易だろう』

 突然の仲魔の死に取り乱すアキラに、ベリスが静かに言う。そこには普段のようなからかいの色は無く、それがアキラを冷静にさせた。

「……おまえは大丈夫なのか?」
『クフ……言った筈だ。私に何があろうと、驚く間も無く逃げろと』

 その言葉は暗に大丈夫では無いと告げていた。
 アキラは真っ先にジャックフロストへと視線を向けたため、すぐには気付けなかったが、ベリスの甲冑は横から強力な圧力をかけられたかのように変形し、隙間からは血が水漏れのように滴り落ちている。
 もし甲冑の中身が人間だったら即死しているであろう、間違いない重傷だった。

「悪魔が召喚主でもない人間を庇うとはな。評判とは違ってお優しいじゃないか、堕天使ベリス」
『クフ……さあ生存率が下がってきたぞ。わき目もふらずに逃げろ小僧!』

 近付いてくる吸血鬼に対して、ベリスがひしゃげた甲冑を軋ませながら走り出す。それを見たアキラは一瞬迷いを見せたが、悔しそうに歯を食いしばると踵を返して階段を駆け上がった。
 しかし階段を上がる最中、アキラの中に一つの疑問が浮かんだ。何故この吸血鬼は、ベリスがアキラの仲魔では無いと知っているのだろうと。

「ハン、ピンキリとは言え、ソロモン七十二柱の一柱がこの程度とはなあ」
『それは仕方ないわ。貴方のような吸血鬼が、現代に居る事が異常だもの』
「……?」

 再び聞こえて来た女性の声をアキラは疑問に思ったが、精神感応によってすぐにその正体に気付く。
 今吸血鬼が居る空間。そこには確かに二つの異なった意識が存在している。どういう事かは分からないが、あの吸血鬼の中には確かにもう一人居る。

『受けろ――地獄突き!』
「――ジオダイン」

 ベリスが手にした槍を突き出した瞬間、地下街が閃光と轟音に満たされる。

「ぐう!?」

 視覚と聴覚を麻痺させかねない光と音に、アキラは反射的に耳を塞ぎ、目をきつく閉じたまま階段を駆け上がり続けた。そして階段を踏みしめようとした足が、空を切って予想より低い位置に落ち着いたところで、階段が終わって外に出たことに気付く。

「はい、残念でしたー」
「……え? グッ!?」

 気だるそうな声が前から聞こえてきて、アキラは思わず声を漏らす。しかし顔を上げる前に腹部が激痛と焼け付くような熱に支配され、驚愕に目を見開いた。

「あ……」

 アキラの体を、吸血鬼の腕が貫いていた。
 正確には吸血鬼の五本の指が根元まで刺さっていたのだが、その事をアキラが認識し終える前にその指が勢いよく引き抜かれる。

「ガァッ!?」

 声にならない声を上げて、アキラは両手で腹を押さえてその場に蹲る。何とか今の状況を把握しようと顔を上げるが、蹲った状態では前に立つ吸血鬼の足と、その後ろの国道しか見えない。
 だが視界が悪くとも、アキラは精神感応で新たな異常を感じ取り疑問に思う。
 国道に面し中心市街地に近いこの場所に、何故自分達以外に誰も居ないのかと。

「あーあー前言撤回だっての。突きで体が真っ二つになりかけるとかあり得ねえし」
『油断大敵ね。二十六の軍団を統べる地獄の侯爵の力、甘く見ていたわ』

 指から滴り落ちるアキラの血を舐りながら、吸血鬼がイラついた様子で愚痴を漏らし、楽しそうな女性の声が相槌をうつ。
 どういうことかとアキラが視線を上げてみると、確かに吸血鬼の腹にベリスがつけたと思われる傷があった。
 いや、それは傷というにはあまりにも大きく、吸血鬼の腹部を半分以上消失させていた。物理的に考えて、吸血鬼が上半身を支えていられるのがおかしい損傷だ。

「つ……あぁ!」

 それを確認したアキラは、腹の痛みを無視して拳銃を吸血鬼へと突きつけると、僅かな希望にすがって引鉄へ指をかける。
 だが人差し指に力を入れる寸前、肩から右腕が千切れ飛びそうな衝撃と共に、腕の半ばから感覚が無くなった。

「危ねえな。いくら不死身つっても、ダメージ蓄積するとやべえんだよ」
「あ……うわああああぁぁぁぁっ!?」

 銃を持ったままの右腕が、だらりと垂れてアキラの胸にぶつかった。
 手首と肘の間にあらたな関節が出来たように折れ曲がり、振り子のようにゆらゆらと揺れている。遅れてやってきた今まで経験してきたことの無い激痛と、自身の体を目に見える形で破壊されたという現実は、アキラに悲鳴を上げさせるには充分だった。

「うるせえな――ジオ!」
「!?」

 しかしその悲鳴も、煩わしそうに吸血鬼が放った電撃によって漏らすことも出来なくなる。
 最低レベルのはずの電撃魔法は、それでもアキラの身体機能を奪うには過剰であり、力の入らなくなった体は崩れ落ちるように倒れた。

『やりすぎでは無いかしら? 一応この子を連れ帰ることも、目的の一つなのだけど』
「ハンッ、生贄ってわけじゃねえんだから死んでも大丈夫だろ。むしろ暴れられると面倒だ。……殺しとくか」
「あ……ぐ……」

 吸血鬼と女の会話を聞いても、アキラにはその内容に疑問を持つ余裕は無かった。
 もはや何処に傷があるのか自身では分からない激痛の中、アキラは必死に「死にたくない」と心の中で叫び続けていた。
 ピクシーが傷を治してくれているらしいが、もはや生きているのが不思議な状態のアキラには焼け石に水。今にも落ちそうな意識を叱咤して周囲を探るが、この場から離れていく二人……恐らくシオンとユウヤの存在しか感じ取れない。

「じゃあな――ムドオン」

 そして誰の助けも期待できず虫の息のアキラへと、無慈悲に呪いの魔法が放たれた。
 絶え間ない痛みと悔恨の中、アキラはその魔法の効果を知らないまま意識を失った。



[7405] 第十三話 ファントム――世紀末の亡霊
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/08/23 16:43

 赤信号を前にした車中で、赤猪ヒメは焦っていた。
 これまで彼女が関ってきた悪魔絡みの事件は、一般人が犠牲になることはあっても、それは裏の世界に一般人が迷い込み巻き込まれたものばかりだった。だが今しがた黒木に聞かされた事件は違う。
 異界自体は人間の居る世界と重なり合っているも同然のため、いつ何処で発生してもおかしくない。しかしそれが街の一画を飲み込む規模というのは異常だ。
 異界に迷い込む人間は稀に居るが、空間そのものが異界に飲まれたという事は、その場に居た人間全てが異界に引きずり込まれたことを意味する。
 恐らく数十人以上、水岐タウンは外食産業が中心であり、異界に飲まれた時間が夕方以降であることを考えれば、下手をすれば数百人単位で被害が出かねない。
 世紀末の混乱期ならいざ知れず、ヒメがデビルサマナーとして本格的に活動を始めた数年間では前例の無い、二十一世紀に入って最悪のデビルハザード(悪魔災害)となるのは既に確定している。

「アキラくんは……ベリス並のやつが大量発生したらアウトやな」

 信号を通過し、ギアを操作しながらヒメは呟く。
 アキラの護衛につけたベリスは、決して弱くは無いが悪魔全体で言えば中堅クラスの力しかない。
 そもそも並みのデビルサマナーでは、その中堅クラスを召喚するのが精一杯なため護衛としては充分だと思える。しかし異界が自然的なものにしろ人為的なものにしろ、何かの拍子に魔王クラスの悪魔が出現しないとも限らない。
 そしてもしも異界化が人為的なものだとすれば、そんなことを出来る時点で仕立て人は一流の力を持っていると見たほうがいい。何故よりにもよってそんな事態に、アキラがピンポイントで巻き込まれるのかとヒメは心の中で愚痴をたれる。

「……もう少し」

 最悪の可能性を無視しながら、ヒメはハンドルをきって交差点を曲がると、水岐タウンの入り口に面している国道へと出る。そしてそのまま直進し、交差点の信号が青であることを確認しながら左へと曲がった。

「……!?」

 だがすぐにヒメは違和感を覚えてブレーキを踏む。違和感の正体をすぐに理解し、ヒメは自問する。何故自分は直進するはずだった交差点を曲がっているのかと。

 急ブレーキは後続車が居れば危ない行為だったが、幸いと言うべきか後ろには車は居なかった。それを確認してヒメは安堵しかけたが、そもそも後続車が居ないことがおかしい事に気付く。

「……いつからここはゴーストタウンになったんよ」

 車どころか、周囲には人っ子一人居なかった。
 厳密に言えば周囲のビルには明かりがついているし、まったく人の気配が無いわけでは無い。だがそれでも、国道沿いのこの場所に通行車も通行人も無いというのは不審すぎる。
 遥か遠くから聞こえてくる普段通りの街の騒音が、逆にこの場の静けさを際立たせていた。
 ヒメが先ほど直進するつもりが左折してしまった事といい、何らかの方法で人払いをしているのは間違いない。

「結界? ……やったら私があっさり引っかかるわけが無いんやけど」

 黒塗りの外国車から降りながら、ヒメは周囲へと気を巡らせる。
 いくらヒメでも、結界の類に絶対に抵抗出来るとは断言できない。しかしいくらなんでも、その存在を欠片も感知出来ない結界というのはありえない。

 ヒメは無言のまま九峨の車に鍵をかけると、ポケットの中で携帯電話を弄びながら歩き始める。
 だが予想通りというべきか、少しでも気を抜くと、真っ直ぐ歩いていたはずの足が言う事を聞かなくなる。

「おかしいなあ。黒木さんはともかく、私がそう簡単に結界の影響を受けるはずが……」

 若干黒木に失礼な事を呟くヒメの耳に、遠くから何かが震えるような音が届く。
 その音は一旦ヒメから離れて行ったかと思うと、しばらく停止する素振りを見せると今度は徐々に近付いてくる。
 そして国道を満たす街灯の光を引き裂くように、ビルの陰から黒い何かが飛び出し、横滑りしながら進路をヒメへと向ける。

「……バイク?」

 けたたましいエンジン音と共に現れたのは、他に誰も居ないのをいいことに片側二車線の道路を我が物顔で走るバイク。
 その車体は黒を基調としており、格部位を区切るように濃い赤色のラインが走っている。その黒いバイクが、街灯の光を寄せ付けない闇のようにヒメは思えた。

「……」

 静寂を切り裂くように走り続けるバイクは、無言で眺めるヒメのそばを挑発するように通り抜けると、タイヤを滑らしてヒメへと向き直りながら停車した。
 そしてバイクに跨ったままヒメを見つめてきたのは、黒いライダースーツを着た女性。ただ体つきから女性だと判断は出来るが、その顔はヘルメットに隠れて確認できない。

「……」
「……」

 ヒメと女。二人は身動き一つせず、言葉を交わさないまま視線を交じり合わせる。
 バイクのエンジン音をバックにしたにらみ合いは数秒か、それとも数分か。無言の時は永遠に続くかと思われたが、それを破ったのはヒメの方だった。

「よくそんなでかいバイク乗り回せるねえ。それニンジャ?」
「いいえ。でもよく間違われるんだ。あと見た目より結構軽いの」

 軽口にちゃんと返事が返ってきて、ヒメは少し驚いた様子を見せたが、すぐにそれを口を少し吊り上げた笑みで覆い隠す。
 それに対し女の方もヘルメットの下から小さく笑い声を漏らすと、バイクのエンジンを切って地面へと降り立つ。そして両手でヘルメットを取ると、長い黒髪がこぼれる様に背中へと流れ落ちた。

「ハジメマシテかな。葛葉のデビルサマナーさん」
「私は一応フリーなんやけどね。あと本当にはじめましてなんか疑問が残るんやけど……」

 内心を隠した笑みのまま、ヒメは女の顔を観察し、そして眉をしかめた。

 最初に見たときは美しい女の顔だった。しかし瞬きした時にはその顔は幼さの残る少女のように見え、また数瞬の後には凛々しい男の顔にすら見えた。
 今この瞬間にもヒメは女の顔を見ているが、それは女でようあったり男のようであったり、老人のようであったり子供のようであったり。女の顔は確かに見えているのに、その顔は認識する前に様々な人間の顔に塗りつぶされて脳に届かない。
 千の顔を持つ神――そんな存在を思い出したヒメは、まさかと呟きながら首を横に振る。
そんな大層な存在ならば、もっと強大な力を感じるはずだし、何より目の前に居るのは間違い無く人間だ。

「さっきから考えとることが実行出来んかったり、あんたの顔が上手く認識出来んかったりしとるけん、プリンパでもかけられたんか思たけど、違うね。今この瞬間も魔力が動くんが感じられんてことは、魔法じゃない力――テレパシー系の超能力者か」

 ヒメの言葉に、女は様々な顔で笑った。

「ふふ、正解。正確には催眠誘導能力(ヒュプノシス)って言うらしいんだけど、その気になればこんなことも出来るの」
「!?」

 女の言葉に疑問を持つとほぼ同時に、ヒメの右腕が跳ね上がるように持ち上がり、喉元へそえられた所で止まる。
 ヒメは突然自分の腕が勝手に動いたことに焦りを感じ、確認するように右手を何度か握ってみる。そしてその様子を見ている女は、ヒメの肝を冷やしたというのにどこか残念そうな声を漏らす。

「首を絞めさせるつもりだったのに……腕が勝手に動いたって気付いただけで、私の力に抵抗出来ちゃうんだ。どういう精神構造をしてるの?」
「知らんがな。というかあんた本気で何者なん?」

 焦りをなるべく表に出さないようにしながら、ヒメは女に問いかける。
 女は残念がっているが、今のように一瞬でもヒメの腕を動かせると言う事は、手に武器を持った状態ならば、ヒメを自殺させることは不可能でないという事だ。
 もっともヒメが使うのは小回りのきかないツインランスなので、ヒメを操れる一瞬で自殺させるというのは難しいだろうが。

「何者って? 答えるのは構わないんだけど、コレを見せたほうが早いかな」

 そう良いながら女は横向きにした左腕を胸の前にかざす。そして左腕についていた黒いプロテクターのようなものを弄ると、蓋が開くように上部が展開し中からキーボードとディスプレイが現れる。

「まさか……アームターミナル?」
「そう。二十年前に何処かの誰かさんがばら撒いた悪魔召喚プログラムを、効率良く運用するために生み出されたハンドヘルドコンピューター」

 自らのCOMPの説明をしながら、女はアームターミナルに繋がっているヘッドマウントディスプレイを左目に装着する。
 それを見たヒメは今まで左手に保持していた携帯電話を取り出すと、待機状態になっている仲魔の召喚プロセスを踏み始める。

「――SUMMON OK?」
「――DIGITAL DEVIL」

「――GO!」
「――SUMMON!」

 召喚プログラムの起動と共に、それぞれを守るように数体の悪魔達が出現する。

 ヒメのそばには、ベルセルクとドヴェルガーに加えて、さらに二体の悪魔が召喚されている。
 一体は赤い鎧を身に纏い、長い金色の髪を帽子のような兜で押さえた身軽そうな剣士――英雄ジークフリート。
 もう一体は黒い帽子とマントを羽織り、正座のような体勢で浮遊している女性――女神スカアハ。
 それぞれ叙事詩ニーベルンゲンの歌に語られる英雄に、ケルト神話に登場する影の国の女王と、人間界に存在することがおかしい程の上魔だ。

 対する女の召喚した悪魔は二体のみ。
 金色の毛皮に獅子のようなたてがみを持つ二メートルを軽く超える獣――魔獣オルトロス。
 もう一体は翼、そして蛇の尻尾を生やした額に角を持つ獅子――神獣キマイラ。
 いずれもギリシア神話に登場する獣であり、邪龍エキドナを母に持つ兄弟でもある。

「……PCも小型化が進んどるこの時代に、そんな骨董品を持ち出してくるとわなぁ」
「そんなに使い勝手は悪くないのよ? それに皆で決めたの。私達のCOMPはこれにしようって。あの英雄(ヒーロー)の影である、私達の存在を知らしめようって」
「なんやって?」
「さて、ここで大きく名乗りたい所なんだけど、本名を言って足つけちゃ本末転倒なんだよね」

 そこまで言うと女は展開していたアームターミナルの上部を閉じ、眼鏡のようにヘッドマウントディスプレイを指で押し上げる。

「だから……タタリクスとでも名乗っておこうかな。そして私達という郡体の名前はファントム――裏の歴史にすら埋もれて置き去りにされた、二十年前の事件の亡霊よ」





「……なんだぁ?」

 うつ伏せに倒れるアキラを見下ろしながら、吸血鬼は半目になりながら呟く。
 吸血鬼は確かにムドオン――呪殺の魔法をアキラへとかけた。だがその呪いがアキラへ降りかかろうとした瞬間、アキラの周りを薄緑色の光が覆い呪いが届かなかったのだ。

「オイ、てめえ何しやがった?」

 単に呪殺に失敗したのならば呪いが散っていくだけであり、薄緑色の光の説明がつかない。そのため吸血鬼は、アキラの背中に乗っているピクシーが何かしたのかと思ったが、当のピクシーはアキラの治癒に専念していて吸血鬼を見向きもしない。

「……聞けよ虫が!?」
『待ちなさい。その子は何もしてないわ』

 無視された吸血鬼は苛立ってピクシーを踏み潰そうとしたが、その前に内側に居る女が話し始めたため、宙に浮いた足を止める。

「じゃあ何だよ?」
『加護でしょうね。しかも私の魔力を上回っている……かなり上位の悪魔の』
「はあ? 聞いてねえぞ」
『今まで反応が無かったのだから、気付けなかったのも無理はないわ。瀕死の常態でしか効果を表さないか、あるいは特定の魔法のみ無効化する加護なのかもしれない』
「ハン、中途半端な加護な事で。やっぱ殺しといた方が良いなこいつ!」

 そう言うやいなや、吸血鬼の足が再び動き出す。それに気付いたピクシーが慌てて間に入るが、彼女の小さな体で吸血鬼の一撃を受け止めるなど無謀だ。
 事実吸血鬼はピクシーの事など気になど止めず、そのまま足に力を入れて踵を振り下ろした。

「なッ!?」

 しかし確実な死を与えるはずの一撃は、またしてもアキラ、そしてそれを守ろうとするピクシーの体へ届く前に阻まれた。
 倒れ伏すアキラの周囲に魔方陣が現れ、強力な圧力を持った場が吸血鬼の足を押し戻す。

 カリカリと、アキラの脇の辺りから音がしていた。気絶している主を守るために、ヒメから譲られたGUMPと、そこに封じられた力が目覚めようとしていた。

「おわぁっ!?」

 魔方陣から飛び出して来た白い影が、吸血鬼の足を持ち上げるように弾き飛ばす。
 吸血鬼は弾き飛ばされた勢いでバク転をしながら距離をとったが、白い影は実体化もそこそこな状態で距離を詰め、手にした何かで吸血鬼の胴体を薙ぐ。

「うぉっと!?」

 だが吸血鬼はそれが体へと届く前に霧と化し、攻撃が届かない上空へと避難する。
 それを見た白い影はしばらく動きを止めた後、両手を突き出して完全に実体化した口を開く。

「――マハザンマ」
「なぁっ!?」

 まるで空間を跳ねるように不規則に荒れ狂う衝撃波が、霧と化した吸血鬼へと襲い掛かる。
 例え霧と化していても、その霧ごと吹き飛ばす衝撃波を前にしてはダメージを受けることは避けきれなかったらしい。白い霧は地面に流れる落ちるように沈殿すると、そのまま蹲った状態で吸血鬼の姿へと戻る。

「ハッ……ン? ザンマってレベルじゃねえぞ今の!?」
『下半身が吹きとんだわ。不味いわね』

 女が声が言う通り、吸血鬼の辛うじて繋がっていた下半身は、霧から元の体へ戻ったときには無くなっていた。
 それでも平然と話している所が、この吸血鬼の異様な生命力の高さを物語っている。

『その体……仮初のものでは無いな?』
「!?」

 完全に実体化した白銀の鎧を纏う騎士が、手に持った槍を吸血鬼へと向けていた。
 それに気付いた吸血鬼は舌打ちをしたが、すぐに軽薄な笑みを浮かべると騎士の問いに答える。

「ハン、よく分かったな。俺は正真正銘、今この世界で生きている“人間”だよ。一度死ぬとそういう事が分かるようになるのか? クランの猛犬さんよ」
『……』

 皮肉のように「人間」という言葉を強調する吸血鬼。そしてその吸血鬼に己の正体を言い当てられたのが意外だったのか、白銀の騎士は僅かに眉をしかめながら吸血鬼を見下ろした。
 だがそれも一瞬の事で、雑念を払うように首をふると、騎士は射殺さんばかりの鋭い視線を吸血鬼へと向ける。

『お前達は何者だ? 魔術の力の薄れた今の時代に、お前ほどの力を持つ吸血鬼を生み出すのは至難のはず。この街を異界へ落とし、アキラ殿を連れ去るようお前に命じたのは誰だ?』
「ハン、質問多いなオイ。俺は別に誰かに生み出されたわけじゃねえよ。単に他の吸血鬼にお仲間にされただけだ」
『馬鹿な。他の吸血鬼の下僕ならばそれほどの――!?』

 重ねて問おうとした騎士だったが、その言葉は突然襲いかかって来た炎によって遮られる。
 火炎放射器のように横合いから襲いかかって来た炎を、騎士は後ろに跳んで回避すると、意識の無いアキラとピクシーを背に守りながら周囲を見渡す。
 そんな騎士の警戒を嘲笑うように、炎を放った主はゆっくりと歩いてその場へと姿を現した。





「ふふ――マハブフーラ」
『クゥ!? 召喚師殿!』
「――メディアラハン!」

 オルトロスへ斬りかかろうとしたジークフリートが、突然動きを止めてしまいキマイラの爪を避けきれずに鎧ごと切り裂かれる。そしてそこへ追い討ちをかけるように女――タタリクスが冷気の嵐を放つ。
 それらをまともに受けたジークフリートは瀕死の状態にまで追い込まれるが、それを予期していたようにヒメが回復魔法を唱えると、ビデオを逆再生したようにジークフリートの肉体が万全の状態へと戻っていく。

「怯んだらいかん! 攻め手を欠いたら飲まれるで!」
『分かっておる。――ザンマ!』
「粘るね。でもこっちも負けてられないから――ディアラマ」

 ヒメに応えるようにスカアハが衝撃波を放つ。しかしそれはキマイラの体を数メートルほど吹き飛ばしたものの、トドメをさすまでには至らず、すぐにタタリクスによって回復されてしまう。

 ヒメとタタリクスの戦いは膠着状態に陥っていた。
 最初こそヒメの方が圧倒的に数も質も勝っていたが、戦いが始まって数十秒ほどで数の差は無くなってしまっていた。
 ジークフリートの放った三日月斬りが、直前でタタリクスの催眠誘導によって標的を変えられたのが始まりだった。
 オルトロスを切り裂くはずだった剣閃は、ドヴェルガーを一撃で葬り、敵の能力を完全に理解したヒメの仲魔たちの動きが止まった所で、タタリクスの魔法とキマイラの連携によってベルセルクが撃破された。

 攻めれば味方を傷つけかねず、かといって何もしなければ敵の良いように翻弄されるだけ。
 ヒメ達は仲間を攻撃する可能性を承知の上で、攻撃を続けるしかなかった。

『ハッ!?』
「――ジオっとぉ!?」

 だがその攻撃も、催眠誘導を警戒して味方を一撃で殺しかねないものは使えない。
 現に今もキマイラの爪を弾き返したジークフリートの剣が、振り子のように後方に居たヒメへと襲い掛かり、危うくその頭を割る所だった。
 魔法を唱えるのを中断し、何とかツインランスで受けたヒメだったが、何度もこんなことが続けば流石に疲労も半端なものでは無い。

『も、申し訳ない召喚師殿!』
「気にしたら負けやでー。ほら、キマイラ来た」
『む、クゥ!? ハァッ!!』
『話をする間も無いか――ザンマ!』

 慌てて謝罪するジークフリートに向かって、キマイラが唸り声を上げながら爪を振り下ろす。
 ジークフリートはそれを剣で受け流すと、すれ違いざまにキマイラの腹を薙ぎ、それに合わせたようにスカアハも衝撃波でオルトロスを吹き飛ばす。

『今!』
「はい、残念でしたぁ――メディラマ」

 だがその優勢も一瞬。
 追撃をかけようとしたジークフリートとスカアハは、タタリクスの催眠誘導によって明後日の方向に踏み込んでしまい、その隙にキマイラとオルトロスは万全の状態まで回復してしまう。

「チィッ……こんな苛立つ敵は初めてやなぁ」

 今すぐタタリクスへ向かって駆け出したいのを堪えながら、ヒメは小さく舌打ちをする。

 ヒメは普段からツインランスで暴れまわってはいるが、どちらかというと魔法使いとしての能力の方が優れており、今のように後方から仲魔をサポートするのを本来のスタイルとしている。
 これは消極的なようにも見えるが、召喚主が倒れればその時点で決着がつく、デビルサマナー同士の戦いにおいては有利な戦い方でもある。

 しかし今のように、双方のデビルサマナーが後方からサポートに回り、しかも回復魔法が使える状態では長期戦になるのは避けられない。
 それでも戦力差だけ見ればヒメがいつか押し勝つはずなのだが、ここぞという所でタタリクスの催眠誘導によって妨害されるため、むしろ押し負ける可能性が高まってきている。

「うん良い感じ。まともに相手が出来るか不安だったんだあ。何とかなりそうで安心したわ」
「まともに相手して無いやん!? その反則超能力無かったら、私が十回は勝っとるし!」

 ほっと淑やかな女性の笑みを浮かべながら言うタタリクスに、ヒメが納得いかないとばかりに吼える。しかし事実を含んだその叫びも、今の状況では負け惜しみにしかならない。

『落ち着けヒメ。弱者が策を弄するのは当然の事であろう。そなたは強者として堂々として居れば良い』
「あ、今のはちょっと聞き捨てならないかな?」

 オルトロスを牽制しながら、スカアハがなだめるように放った言葉に、タタリクスの顔がムッとした様子の少女のものへと変わる。
 そしてその顔は次には余裕のある熟女の笑みとなり、最後には何かいたずらを企むような少女の顔へと落ち着いた。

「私だってその気になればこれくらいは出来るんだよ? ふふふ――マハブフダイン!」
「な!?」

 タタリクスが満面の笑みで放ったのは、氷結系の最大級の魔法。
 戦場となっている国道をまるごと包み込む程の広範囲を冷気が駆け抜け、渦を巻きながらヒメたちへと迫る。
 それを見たヒメは驚愕に目を見開いたように見えたが、その目はすぐに鋭いものへと変わり、呆けていたはずの口元は笑みすら浮かべる。

「凄いけど、私はそれを待っとった――マカラカーン!」
「ええ!?」

 ヒメが魔法を唱えた瞬間、国道を横断するように六角形を繋ぎ合わせたような壁が出現する。
 国道を氷に包みながら迫る冷気。しかしその冷気はヒメが張った魔法障壁へとぶつかると、物理法則をどこかへ忘れてきたかのようにその進路を反転し、タタリクス達へと襲いかかる。
 タタリクスは驚いた女性の顔を浮かべたが、自らの放った冷気に抗する術を持たなかったのか、何も出来ずに白い暴風の中へ飲み込まれた。

『やりましたか?』
「やったらいいなぁ。でもあの手のタイプはしぶとそうやし」

 控えめに聞くジークフリートに、ヒメはあまり期待していない様子で冷気の渦巻く場所を見つめる。
 ヒメたちの直前まで来ていた冷気は国道を完全に氷付けにし、タタリクスたちが居た場所には何本かの氷の柱すら出来ていた。自慢するだけあって中々の威力だったらしい。

「ふふ……油断しちゃった。マカラカーンとテトラカーンなんて、駆引きするなら一番警戒する必要がある魔法なのにね」
「ほら、生きとった」

 国道の真ん中に出来た、幅三メートルはあろうかという一番巨大な氷の柱の裏からタタリクスが歩み出てくる。だがその体には傷一つなく、寒さに凍えている様子もない。

「無傷……や無いね。仲魔はきっちりやられたみたいやけん、どっちかが庇ったんかな?」
「うんキマイラがね。自滅させるのが私の本分なのに、自滅させられるなんて格好つかないなあ」

 仲魔を失い追い詰められているというのに、タタリクスは少し困った様子の女性の顔で笑みを浮かべる。

「でも今日はここまで。お迎えが終わったみたいだし」
「お迎え? ってなんか来た!?」

 言葉の意図するところが分からず首をひねるヒメだったが、突然ビルの陰から白い物体が飛び出してきて思わず後ずさった。
 飛び出して来たそれはヒメたちには構いもせずに走り続け、タタリクスの前に来るとその足を止める。

「まさか……ケルベロス!?」
「ピンポーン。凄いでしょう?」

 得意げな少女の顔を浮かべながら、タタリクスはケルベロスと呼ばれた白い獣の頭を撫でる。
 その体躯は獅子に似ているが一般的な獅子と比べても二回りは大きく、たてがみに包まれた頭部はどちらかというと狼に近い。巨体を支える四肢の先には肉など簡単に引き裂くであろう鋭い爪が生え、牙の並んだ口は人の頭すら噛み砕くであろう程の凶器だと言える。
 地獄の番犬と呼ばれるに相応しい、威厳すら感じさせるほどの高位の魔獣がそこにいた。

「さて、このままリベンジと行きたい所なんだけど、目的の一つは失敗したみたいだし帰らなきゃ」
「いや、帰すわけ無いやん。確かにケルベロスは驚いたけど、まだこっちの方が総合的には……」
「うん、じゃあこれあげる」
「はい? って爆弾!?」

 満面の笑みの女性の顔を浮かべたタタリクスが、何かを取り出してピンを抜くとヒメの方へと放り投げる。
 ヒメはそれを手榴弾の類だと思い、物理攻撃を反射するテトラカーンを使おうとしたが、予想していた衝撃は来ることはなく、代わりに鼓膜が破れそうな轟音と、視界を白一色に染め上げる閃光がヒメの視覚と聴覚を奪い去った。

「――!?!!?」
『い、一体何が!? 召喚師殿!?』
「ふふ、爆弾は爆弾でもスタングレネード。苦手でも近代兵器の事は知っておいた方が良いよ。って聞こえてないか」

 閃光と轟音に襲われ、周囲の状況が確認できず混乱するヒメたちを尻目に、タタリクスはゆっくりとバイクに跨ると、エンジンを吹かしてその場を離れていく。

「あ……あの女絶対泣かす!」

 蹲ったまま、自分でも聞こえていないであろう叫びを上げるヒメ。
 それはかつてアキラが憧れた路地裏での華麗さの欠片もない、絶妙に情けない姿だった。





「わりぃ、しくじった」

 バイクに乗ったタタリクスと並走するケルベロスの背中に、上半身だけになった吸血鬼が横たわった状態で現れる。
 それを確認したタタリクスは少し驚いた様子を見せたが、苦笑いを浮かべながら言葉を紡ぐ。

「本当は君がやりすぎないようにケルベロスを向かわせたのにね。まさか助けることになるとは思わなかったなあ」
「ベリスが意外に強いわ、予想外の上魔が出てくるわ、むしろ生き残ったの褒めろって状況だってのあれは」
『普通なら死んでいたでしょうけどね。体を半分失ったのだから、再生に時間がかかるわ』

 女の言葉を聞いてタタリクスは吸血鬼へと視線を向けたが、すぐに引きつった顔になって視線をそらした。
 血や死体を見慣れていたとしても、下半身が無いのに普通に話している人間の形をした生物を見るのは心地が良いものでは無い。

「でも目的の一つは達したから良いよね。倉庫の方もちゃんと食いついたらしいし」
「随分とまあ回りくどいやり方だけどな。あと苛立ってあのガキ殺しそうになった。すまん」
「なるべく殺さないでって言ったのに、酷いんだあ」
「なるべくだろ。それに、殺さないでってのは、お前が殺したいからだろうがこのマッド」
「……」

 悪態混じりの吸血鬼の言葉に、タタリクスは何も返さず無言で笑みを浮かべる。
 その笑みは見惚れるほどに美しく、また見るものが見れば恐怖を感じるであろう程に美しすぎた。

「ふふ、どうせやるなら派手にやろうよ。あの時世界が救われたのなら、私達は世界を滅ぼす勢いで」

 そう楽しそうに言うタタリクスの言葉は、夜の闇に沈んだ街の中へと溶けていった。



[7405] 第十四話 通りゃんせ
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/09/06 14:50

――呼んでいる


 傾斜した地面に挑みかかるように、アキラはひたすらに歩いていた。
 行く手を阻むように生い茂る草は肩の上まで伸びており、いくら手で掻き分けても途切れることは無い。
 アキラは何故自分が前へ進んでいるかも分からずに、ただそうすべきだという思いに突き動かされ、賽の河原で石を積む子供のように、ひたすら草を掻き分け歩き続ける。

「そっちに行っちゃ駄目だよ」

 しかしそんなアキラを優しく、だが力強く引き止める手があった。
 その手の主は、白いワンピースを纏った長い金色の髪の少女。その少女を見上げて、アキラはやっと自分の体が子供のように……否、子供になっていることに気付く。
 だがアキラはそんな自分の体に疑問を持つことも無く、ただ少女の顔を見上げながらゆっくりと首を横に振った。

「どうして?」

 頑なに歩みを止めようとしないアキラに少女が問いかける。

「呼んでる」

 それにアキラは自分でも意識しない内に答え、そして歩き出そうとする。
 だが少女はそれでもアキラを引きとめようと手を伸ばし、問いかける。

「山の向こうはあの世に繋がってるよ? 一人で行くと危ないよ?」
「お父さんがいる」

 アキラの答えに少女は困ったような顔をする。
 しかし良い事を思いついたとばかりに手を合わせると、慈愛の込められた優しげな笑みでアキラに呼びかける。

「なら私のお父さんにも会って行って。もしもあなたが危ない目にあっても、お父さんならあなたを守ってくれるから」

 そう言って手をとってくる少女の手を、アキラは拒まなかった。
 今まで誰かに呼ばれるように動いていた足は、少女の手に導かれるように山の奥へと進んでいた。





「……?」

 手では無く額に何かが触れているのに気付き、アキラは怪訝に思いながら視線を巡らせる。そしてまず気付いたのは、自分が瞼を開いていないことだった。
 そんな当たり前の事にすら気付けないほど認識能力が働いていないまま、アキラはゆっくりと瞼を開きながら上半身を起こした。

 当然のように自身がもぐりこんでいた布団を持ち上げる。
 下から現れたのは、見覚えの無い白いシャツとゆったりとしたズボンを着た自分の体。それを少し疑問に思いながら、アキラは朦朧とする意識につられる様に焦点の合わない視界のまま、特に目的意識も無いまま周囲を見渡した。

 まず目に付いたのは、太陽の光を遮ろうとする白い障子。そこから徐々に視線を動かしてみれば、そこが六畳の座敷部屋だという事が分かった。しかし少なくとも、この場所がアキラの自宅の座敷では無い事は間違い無い。

「……自宅? 俺……は……」

 自宅の細かい間取りどころか、自分が何者かという事すら思い出せず、アキラは目元を覆うように右手で頭を押さえながら思考する。
 幸い記憶の喪失は一時的なものだったらしく、数分ほどすればアキラは自身の事に関する記憶を脳から引き出せるようになった。しかし思い出せなかった間の焦燥感は凄まじかったらしく、その顔には汗がにじんでいた。

「……?」

 汗ばんだ顔に張り付く前髪を払おうとしたところで、アキラは額に何かが張り付いているのに気付く。一度気付いてしまうと気になってしょうがないため深く考えずにはがしてみると、それは冷却シートだった。
 何故こんなものを自分がしているのかと、疑問に思いつつ冷却シートを裏返す。すると調度表にあたる部分に、黒い太字で一字書かれていた。

<肉>

「………………」

 あまりにお約束過ぎるその一字にしばし呆然とするアキラ。
 しかし何か反応を示すと、これを書いたであろう人物が子供のように喜びそうな気がしたので、無言で冷却シートを丸めると近くにあったゴミ箱へと投げ捨てる。

「……というか顔にも落書きして無いだろうなあの人」

 ペタペタと顔に触れながら呟くアキラだったが、それで確認できるはずも無く、鏡は無いかと周囲を再度見渡す。

「あ、起きたんアキラくん」
「え?」

 突然障子とは反対側の襖が開き、アキラの看病ついでに遊んだのであろうヒメが入ってくる。
 長い髪は編みこむようにして後頭部でまとめられており、着ているのはこの場にある意味合っている青い作務衣。それを着ている人間は容姿からして、座敷にも作務衣にも合っていないように思えるのだが、不思議と彼女の存在はこの場に溶け込んでいるように見える。

「どしたん? まだどっか痛い?」
「……いえ大丈夫です。ここは?」

 現れた人物は予想の範囲内でも、今現在の状況が把握できない。アキラは未だに霞がかったように上手く働かない頭を押さえながら、ヒメへと問いかける。
 そしてその問いへの答えは予想外のものだった。

「ここ? 私ん家」
「……何故?」

 何でヒメの家で寝ているのだとか、何故自分は熱を出していたのだとか、そもそもこの純日本家屋に住んでんのかよという様々な意味を込めてアキラは呟く。
 だがそんなアキラの思いもよそに、ヒメはアキラの隣に苦笑しながら正座する。

「何故と言われてもねえ……アキラくん昨日の事覚えてないん?」
「昨日……?」

 ヒメに言われてアキラは昨日の事を思い出そうとするが、思い出せるのは昨日より前の事ばかりなうえに、その時系列も上手く把握できない。
 それでも必死に記憶を繋ぎ合わせようとするアキラをヒメはしばらく見つめていたが、埒があかないと思ったのか、静かな声でアキラの記憶を呼び起こしていく。

「朝はミコトちゃんとデートに行ったんやけど、それは思い出せる? 前に助けたお礼に、映画のチケット貰って」
「……ああ、確かそのまま夕方までは……ミコトさんと一緒に居たはずです。……その後は……中学の時の同級生と会って……」
「中学の?」

 流石にそこまでアキラの行動を把握していなかったヒメは、思わぬ登場人物に驚き、そして次に眉を顰める。
 しかしそんなヒメには気付かずに、アキラは記憶を徐々に意識の奥から引き上げていく。

「それで話がしたいと言われて水岐タウンに……そこでラーメン屋に入って……食事を終えた後に……地震が――!?」

 そして巻き込まれた異変の発端が脳裏を掠めた瞬間、フラッシュバックするように一連の出来事が目の前を駆け巡る。
 その惨事にアキラは思わず怯えた子供のように頭を抱えて体を縮め、しかしそれでも冷静な一部の思考で自身の右腕が折れていないことに気付く。

「怪我が……治ってる?」
「私が治したんよ。でも、精神的なダメージは結構大きいみたいやね」
「……え?」

 どちらかというと色黒なはずのアキラの顔は白く染まっており、普段なら相手を揺らぎ無く見据えている瞳は小刻みに揺れている。
 殺されかけた事を考えれば当然の反応だが、アキラ自身がそこまで酷い事を自覚していない様子なのがヒメには厄介に思えた。

「まあ何はともあれ、落ち着くまでしばらく寝とき。……詳しい経過が聞きたいなら、話したげるけん」

 そう静かな声で告げるヒメの言葉には、聞かなくても――このまま日常に逃げ帰っても責めはしないというニュアンスが含まれていた。
 しかしアキラがそれに答えを示すことは無く、ヒメが部屋から出て行くのをただじっと見つめていた。


『アキラ殿は起きられましたか』

 庭に面し、太陽の光に満たされれている廊下をヒメが歩いていると、不意に正面から現れた白い騎士が言葉をかけてくる。
 それにヒメは驚く様子も見せず、溜息をつきながら答える。

「ああ、起きたんは起きたんやけど、やっぱ精神的にまいっとるみたいやね。下手すれば殺されかけたんがトラウマになって、まともに戦うことが出来んなっとるかもしれんなぁ……」
『そう……ですか』

 ヒメの言葉を聞いて、騎士は見ているほうが心配になるほど悲愴な表情で項垂れる。
 その様子をヒメはしばらく眺めていたが、ふと視線を庭へと反らすと独り言のように話始める。

「アキラくんが何者かなんて、私は知らんよ。やけんアンタが何でそこまで忠誠心みたいなん持っとんかも、何であんな強力な加護を受けてんのかも気になっとるけど、あえて聞きはしやせん」
『……申し訳ありません』

 いっそこちらが謝りたくなるほどに沈んでいる騎士に、ヒメは叱り付けたい気分になってきたが自重した。もし仮にこの騎士を叱る必要が出た時は、ヒメの仲魔にうってつけの者が一人居る。

「ただちょい一つだけ聞きたいんやけどね。アキラくんに加護を与えとる悪魔……アキラくんの行く末を縛り付けるような存在なん?」

 それは騎士がアキラに加護を与えた悪魔を知っている事が前提の質問。
 だが騎士はそれを気にする素振りも無く、しばらく考える仕種を見せた後に重い口を開いた。

『ある意味で縛ることにはなりましょう。ですがそれは、今のヒメ殿がやっている事と同じ事なのです』
「……そか。何となく分かったわ」

 ヒメがアキラにやったこと。それはアキラを悪魔達の居る世界で生き残るための術を教えた事。
 一見すればアキラが選択したように見えるその道は、選択せざるを得なかったという側面もある。

 深海アキラは悪魔に狙われ続ける。

 いくら上手く異常を避け続けても、いつかアキラの存在は悪魔達に発見される。そして既にアキラは悪魔達の居る世界に片足を突っ込んでしまったのだ。
 ヒメはアキラには言わなかったが、加護の事については会って間もないうちに気付いていた。
 そしてその加護はアキラを守ると同時に、アキラの存在が悪魔達に知られ始めれば、むしろ上位の悪魔の興味を引いてしまう可能性があることも。

 だがそれはさしたる問題では無い。問題なのは、アキラが生きれば生きるほど、悪魔たちの間で大量のマグネタイトを保有しながら生き残っている人間が居ると知れ渡るという事だ。
 いつどこから湧いて出るとも知れない悪魔達から、逃げ続けることは難しい。誰か他のデビルサマナーなり退魔士なりに護衛を頼むという選択肢もあるが、一生護衛を雇い続けるほどの大金をアキラが用意するのは難しいだろう。
 かと言って無料でアキラの一生を背負ってくれるような存在も、生まれが普通の人間でしかないアキラには居ない。

 戦い続けるしかないのだ、深海アキラと言う人間は。
 いつかその体が朽ち果てるその時まで。





「……」

 ヒメが去った部屋の中で、アキラは一人無言で佇んでいた。
 左手には枕元に置いてあったGUMP。ディスプレイにはジャックフロストのデータが表示されており、それを見る限りはジャックフロストの状態は良好らしい。ベリスの言った通りヒメが何とかしてくれたのだろう。
 当のベリスがどうなったのかアキラは少し気になったが、あの手の奴は殺しても死なないだろうと思い頭から切り離す。

「――SUMMON……」

 召喚プログラムを起動しようとして、止めた。
 何故止めたのかはアキラにも分からない。ただ左手に持ったGUMPが、実銃よりも重いようにアキラには感じられた。

「……駄目だな俺」

 足を投げ出すように壁を背にして座りながら、アキラは自嘲するように呟く。

 ヒメには大丈夫だといったが、アキラは一つの異常――ある意味で正常な自分の状態を自覚していた。
 いくら集中しても、精神感応能力が使えないのだ。今まではいくら抑えようとしても消えなかった力が今は欠片も感じられず、そんな力を持っていたのが夢だったようにすらアキラには思えてくる。

 理由はアキラにも予想がついている。
 あの吸血鬼。
 あの吸血鬼からダイレクトに受け取った殺意が、アキラの脳裏にタールのようにへばりついて離れない。

 アキラは自身の精神感応能力は、ピクシーの心を「受け入れる」のをきっかけにして発動したものだと推測している。
 そして吸血鬼の殺意に恐怖してしまい、他者の心を「受け入れる」事が出来なくなったために、精神感応能力が消えてしまったのだろうと。

「……情けない」

 右手で目元を覆いながら、アキラは様々な感情を抑えようと努める。
 だが理不尽に人が殺された事に対する嘆きも、仲魔や自身を傷付けられたことに対する怒りも、
 腹を貫かれ、腕を折られ、身動きが取れなくなるまで追い詰められ殺されかけた恐怖に塗りつぶされる。

 もっとやれると思った。
 誰かを助けられると思った。
 危機に陥っても諦めなければ何とかなると思った。
 だが強くなったと思ったのは幻影で、助けるどころか助けられ、なすすべも無く殺されかけた。
 それが深海アキラのリアル(現実)だった。

「世界って、こんなに静かだったっけ……」

 他者の存在が感じられない世界。
 少し前まで当たり前だったその孤独が、今のアキラには痛みを伴うほどに残酷なもののように思えた。




[7405] 第十五話 不繋鎖
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2009/09/27 14:46

「引退する前にこんな事件に出くわすとはなあ。田舎だと油断してたのかねえ」

 惨劇から一夜明けた水岐タウン。地下街への十近い入り口を全て封鎖しての現場検証の最中、鬼塚は懐から取り出した煙草をくわえながらくたびれた声を漏らした。
 しかしすぐに自分の思考のお気楽さに気付き、苦笑しながら首を振る。

 そもそも行方不明者が連続していた時点で、この田舎では大事件だったのだ。
 それを追っていた裏の連中が成果を挙げる前に起きたこの事件。予想していなかったとしたら自分も随分耄碌したものだと鬼塚は一人ごつ。

 いたる所がブルーシートに覆われ、その間を忙しそうに駆け回る青い服を着た鑑識員を眺めながら、鬼塚はくわえた煙草に火をつけようとライターを取り出す。
 しかし煙草どころかライターに火をつける前に、横から伸びてきた手が鬼塚の口の煙草を流れるような動作で奪い取った。

「……いつからこの地下街は禁煙になったんだオイ」
「一昨年の暮れです。路上で喫煙しないよう指導され、従わない場合は五千円以下の過料を徴収と市の条例で定められました」

 ジト目で見る鬼塚を気にした様子も無く、奪い取った煙草をしまう青年。
 しなびた焦げ茶色のスーツを着たどこかだらしない印象を受ける鬼塚とは逆に、はりのある紺色のスーツを着た青年は近付きがたいほどの硬い雰囲気だ。
 長めの黒髪をオールバックにし、縁の薄い眼鏡を指で押し上げるその姿は、青年の実直さと神経質な性格を表しているようにも見える。

「それに、現場で煙草を吸う事がそもそもの間違いです。その事まで私が言及する必要が?」
「あー分かった分かった。この石頭が」
「二宮カズトです。いい加減に名前を覚えてください」
「あー分かった。で、なんか報告か?」

 鬼塚がわざと名前を呼んでいないことに気付いているだろうに、そんな事を告げる青年――カズト。
 それに気の無い答えを返しながら問うてくる鬼塚に、カズト自身も深く問答する気は無いのか、手帳を取り出すとすらすらと言葉を紡いでいく。

「まず被害者ですが、遺留品自体は多く、この場に居合わせた人間をある程度特定する事は可能です。しかし肝心の遺体があの有様のため、身元確認と合わせて正確な数を出すには時間がかかりそうです」
「まあそうだろうよ。下手しなくても三桁はいくだろ」
「気になる事があります」

 相変わらずの淡々とした口調で言うカズトに、鬼塚はピクリと片眉を上げると視線で続きを促す。

「死体の損傷が少ないものが何人か、損壊していても出血量が異様に少ない死体が幾つか見受けられます」
「それはあれだろ。生存者が吸血鬼が出たって言ってただろうが」
「その生存者も含めて共通点が見つかりました」
「何?」

 ほぼ全ての人間が突然巻き込まれたであろう今回の惨劇の中で、共通点と言っても内容はピンキリだろう。しかしそれが大した意味を持たないのであれば、この青年はわざわざ報告してくるはずもない。
 そう思いながら聞いた共通点は、鬼塚がまったく予想していない、予想できないものだった。

「黒木という探偵に保護された生存者――石応ユウヤ及び名持シオン。そして吸血行為の後が見られる死体の中で、免許証等の証明書の類で暫定的ながら身元が判明している被害者。
 全て私と同じ中学校出身の同年代の人間です」





 鋭い円軌道で迫る攻撃を、アキラは反射的に竹刀でいなし、避ける。
 それは剣を取って一ヶ月ほどの人間にしては速い動きだったが、それも攻撃にさらされるたびに乱れ、精彩を欠いていく。

「ヤアァッ!」

 そして相手が雄叫びと共に放った面に反応しきれず、アキラは防具の上から綺麗な一撃をもらってしまった。

「ありがとうございました!」
「……ありがとうございました」

 元気よく礼をする自分より頭一つ背の低い相手を眺めながら、アキラも竹刀を横に持ち直して礼をする。
 その姿は誰が見ても分かるほどに消沈していた。



「やっぱ負けたなあ」
「あの子は幼稚園の頃からここ通っとるけんのう。ついてけるだけで大したもんなんやが」

 道場の端に並んで正座していたヒメとゲンタが、アキラの稽古を見てなんとも複雑な評価を下している。
 二神道場は剣道では無く実戦的な剣術を教えている道場だが、打ち合うときはもちろん防具はつけるし竹刀を使う。間違ってもヒメとアキラのように防具無しで木刀振り回すような稽古はしていない。
 それ故にアキラは防具に慣れていないというハンデがあるのだが、それでも今までのアキラに比べて反応速度が落ちている。

「精神感応能力が無くなった言よったし、反応速度が落ちたんはそのせいかな」
「死角から攻撃しても反応しよったしな。相手の攻撃のタイミングが分かるけん反応が早かったんじゃな。ほやけどそれだけじゃ無いやろ」
「うん……びびっとるなあ」

 ヒメの言う通り、アキラは相手が攻撃と共に声を張り上げるたびに体が萎縮してしまっている。反応が遅く、どこか動きがぎこちないのもそのせいだろう。

「……どないしたら良いんやろ」
「それはヒメちゃんが考えないかんな。弟子の面倒はちゃんと自分でみないかん」
「なら弟子の扱いに悩む弟子の相談にのってえな」
「おお、これは一本とられたな」

 そう笑いながら言うゲンタだが、あまり口出ししたくないのは本音である。
 一方的な関係などありえない。弟子が師から学ぶのは当然だが、師も弟子を見守り導く中で学ぶ事もあるのだ。
 故に手を出すまいと思っていたのだが、そのために自分が師としての義務を投げ出すわけにもいかない。

「まあこういう場合は荒療治しかないじゃろ。悪魔退治に引きずり回しとけばそのうち何とかなるわ」
「また大雑把な……。下手したら再起不能やないんそれ?」
「そん時はそん時じゃな」
「大雑把な……」

 非難めいた視線を向けるヒメだったが、ゲンタは気にした様子も無い所か戒めるような口調で言葉を続ける。

「ヒメちゃん。魔法やら術やらが発展して、最近では重火器が発展した。それで悪魔と戦える人間が増えてきたけど、わしら人間は悪魔より下位の存在である事は変わらん」
「それは……そうやけど」

 確かにヒメとて悪魔に勝る力を持っているわけでは無い。
 ツインランスを振り回してはいるが、上位の悪魔と一対一でやりあうのはヒメでも遠慮したい程危険だ。人間としては特異な能力である魔法も、悪魔たちからすれば使えて当たり前なもの。
 デビルサマナーとしては一流のヒメでも、悪魔と対等以上の存在ではありえない。

「それでも古から人間は悪魔に挑んで勝ったり負けたりしてきた。負ける可能性が高くても、人間は悪魔に挑み続けてきたんじゃ。
 びびるんが当たり前。それでもガタガタ震えて立ち向かう。それが人間の強さなんじゃとわしは思う」
「なるほどなあ。御伽噺の英雄も、最後は知恵と勇気で怪物倒すしな。アキラくんはほっといても知恵はつけてくタイプやし、私はどうにかして勇気を奮い立たせれば良いと……」

 そう言いながらヒメがアキラへ視線を向けると、当の本人は小学生相手にタコ殴りにされていた。
 流石に本気が出せずに手加減してしまっているのだろうが、殴られている全身からヘタレ臭が漂っている。

「……あかん。手遅れや」
「絶妙に情けない姿やな」

「邪魔するぞー」
「おお、何か用かいな?」

 ヒメとゲンタがアキラのやられっぷりを生温かく見守っていると、道場の入り口からいつも通りのスーツ姿の鬼塚が上がりこんでくる。

「ちょっと姫さん貸してもらえるか? 昨日の事で聞きたい事がな」
「構へんよ。ほんなら、おっちゃんアキラくん頼むわ」
「あー、深海アキラも連れてきてくれ。一応生存者だ。聞きたい事がある」

 鬼塚の言葉に、立ち上がりかけたヒメの動きが止まる。
 しかしそれも一瞬の事で、すぐにヒメは膝を立てて立ち上がると、いつのまにか年少組み数人に追いかけられているアキラに声をかける。

「アキラくーん。ちょい出かけるけん着替えてきぃ」
「え? はい、分かりました。ほら、みんなそろそろ離して」

 ヒメに返事を返すと子供たちに言い聞かせて道場を離れようとするアキラだが、その後ろを纏わりつくように付いて行く子供たち。
 あれはあれで慕われていると言うべきだろうか。





「取調室で……というのも息がつまるしな。奢るからまあ好きなもん食べな」
「奢るってマックやん。せめてモスにしてや」
「モスは高いだろ」
「ケチやな公務員のクセに」
「公務員だからケチなんだよ」

 二神道場からそう遠くないファーストフード店の中。ヒメと鬼塚のやり取りに呆れながら、アキラはポテトとコーヒーを注文する。
 既に昼は過ぎ二時になろうかという時刻のせいか、店内にはそれほど人は居ない。聞き耳をたてられるのではとアキラは思っていたのだが、その心配はほぼ無さそうだ。
 アキラは注文した品を受け取ると、鬼塚とヒメが向かい合って座っているのを見て、自然とヒメの隣へと座る。

「それで? アキラくんに聞いて事は全部伝えたのに、今更なんで事情聴取なん?」
「事情聴取は同じ人間相手でも何回もするものなんだがな」

 二段重ねのハンバーガーにかぶりつきながら聞くヒメに、鬼塚は苦笑しながら答える。
 実際事情聴取というのは、文句を言っても罰は当たらないほど繰り返されることが多い。これは供述に矛盾が無いかの確認。もしくは容疑者の供述から矛盾を引き出すために行われるのだが、今回の鬼塚の目的はそれでは無い。

「ちょいと確認して欲しいことが……って来たな」

 鬼塚が言葉を止めて視線を向けた先には、店内に入ってくるカズトの姿があった。
 しかしカズトはすぐにこちらへ来ずに、カウンターでコーヒーだけ注文するとやっと鬼塚の隣の席に座った。

「……まさか奢らせる気じゃねえだろうな?」
「何も注文せずに居座るのはどうかと思っただけです。奢ってくれるというなら奢られますが」
「誰が奢るか」

 漫才のようなやり取りをしながら、カズトは手にしていたファイルから数枚の資料を取り出すと、ヒメとアキラに向けて頭を下げる。

「お久しぶりです赤猪さん」
「ん、おひさ。相変わらず律儀というか真面目やね。アキラくんより筋金入りやわ」
「確かに深海は私の同類だとは思いますが。久しぶりだな深海」
「……え?」

 初対面だと思っていた青年に久しぶりと言われ、アキラはしばらく間を置いた後に首を傾げる。
 一体どこで会ったのかと思い出そうとするが、そもそも知り合いが少ないので脳内検索は数秒で終了した。
 要は知らない。もしくは覚えてない。

「……失礼ですがどちら様でしょうか?」
「二宮カズト。中学の時によく実行委員などで顔を合わせたはずだが」

 そう言われてようやくアキラは思い出す。
 中学一年の頃、アキラは中々決まらない運動会やら文化祭の実行委員に苛立ち、自分から志願したことがあった。そして当時チビで頼りなかったアキラの世話を焼いてくれたのが、生徒会長だったカズトだ。

「ああ! お久しぶりです。すいません覚えてなくて」
「まあ十年近く前だからな。覚えて無くても仕方が無い」

 そうは言うがカズトが自身の事を覚えていた以上、アキラとしては申し訳が無い。
 とは言え、アキラにとってのカズトが生徒会長という分かりやすい存在であったのに対し、カズトにとってのアキラはその他大勢の一人だ。
 しかもアキラは、同級生だったシオンが悩むほどに当時の面影が薄い。よくもまあ覚えていたものである。

「アキラくんカズちゃんの後輩やったん。世間は狭いなあ」
「狭いのはこの街でしょう。中学自体この辺りでは二つしかありませんし、同年代ならば地元の人間はほぼ全員知り合いですよ。あとカズちゃんはやめてください」

 ニコリともせずにヒメに呼び方を改めるように言うカズト。しかしその声に棘が無いのは、カズトなりにヒメの事を憎からず思っているためだろう。

「そしてこれもこの街の狭さを表す資料です。深海、これは君によく確認してもらいたい」
「俺に?」

 カズトがアキラとヒメに渡してきた紙には、片仮名でふりがなのふられた人名が並んでいた。そしてそのどれもが、アキラには見覚えのあるものだった。

「これは?」
「地下街の被害者の中で、吸血行為の跡が確認された被害者だけをリストアップしたものだ。何か気付かないか深海?」
「……吸血」

 身を貫くような殺意を思い出して顔色を悪くしながら、アキラは紙に書かれた名前を確認していく。

「私が覚えている限り、全員うちの中学の――」
「二年二組」
「何?」

 カズトの声を遮って放たれたアキラの言葉に、三者の視線が集中する。
 その中心のアキラは、顔色こそ元に戻っていたが表情は険しく、折れるのではないかと心配になるほど歯を食いしばっている。

「……全員二年二組。俺が中二の時の同級生です」
「間違い無いん?」

 代表して確認してくるヒメに、アキラは無言で頷く。
 シオンにもう気にしていないといったのは事実だが、当時クラスメイト全員を理不尽に憎んだのも事実だ。忘れようと思っても、強い感情と共に刻まれたものがそう簡単に消えるはずが無い。

「それ下手したら第一容疑者アキラくんになるんや無いん?」
「いえ、実行犯は吸血鬼ですから。問題は何故その吸血鬼が深海の同級生を狙ったのか……それに深海自身も狙われた」
「まさかその吸血鬼までアキラくんの同級生とかいうオチとか?」
「それなら名持か石応が気付くと思いますけど」

 あの吸血鬼がアキラの知り合いでないのは確かだ。ならば何故、誰が意図したのか。

「そもそもタタリクスとかいう女は、二十年前の事件の関係者っぽいこと言うとったやん。両者が仲間なんはケルベロスの動き見たら間違いないやろうし、アキラくんのクラスメイトと繋がるとは思えんのやけど」
「ファントムとか名乗ったんだったか。ソサエティとは別組織なんだろうが、聞いたことが無い組織だな」
「あの時のプログラムを流用しているのは本当かもしれませんが、目的がどうにもはっきりしません」
「……」

 話が次第に専門的になっていき、アキラには理解できない領域へと入っていく。
 それに特に抗議するでもなく、アキラは黙ってしなびたポテトへと手を伸ばした。





「後は警察と探偵さんに任せるしかないなあ」

 鬼塚達と別れて国道沿いを歩いて帰路へとつく中、ヒメが背伸びをしながら呟く。
 国道と言っても、中心市街から少しでも離れるとちらほらと田んぼや畑が広がっており、日曜日だというのにあまり車の量は多くない。
 ヒメの後ろを歩くアキラは、無言で時たま通る車を眺めている。表面的には静かに、だが内心では様々な疑問が浮かんでいる。

 アキラ自身が気絶した後の出来事はヒメから聞かされている。だがそれでも何故あのような事件を起こしたのかという理由が分からない。
 さらにあの吸血鬼は明らかにアキラに的をしぼっていた。
 それはアキラが吸血鬼の餌食になった者たちと同じクラスだったからなのかもしれない。しかしそれではアキラだけ連れ去ろうとしていた理由が分からない。そもそも何故アキラ達のクラスメイトが狙われたのかも分からない。
 分からないことばかりだ。

「……そういえば二十年前の事件って?」
「ん? 正確には十七年前やけどね」

 聞けば答えが得られそうな疑問が湧いてきたので、目の前を歩くヒメへと問いかけてみる。
 それにヒメは体ごと振り返ると、足を止めて話しはじめる。

「今から十七年前。まだインターネットじゃなくてコンピューター通信が全盛の時代に、ある一つのプログラムが不特定多数の人間にばら撒かれた。配信者の名前はスティーブン。配信されたプログラムの名前は悪魔召喚プログラム」
「は? 一般人に悪魔召喚プログラムをばら撒いたんですか?」
「うん。まあ殆どの人は悪戯やと思って削除したらしいんやけどね」

 目を丸くして聞くアキラに、苦笑しながら答えるヒメ。
 当時ヒメもまだ子供だったため詳細は知らないが、根っからのデビルサマナーである以上、良い感情は持っていない。

「まあ一応理由はあるんやけどね。悪魔召喚プログラムがばら撒かれた時期は、東京は混乱して人心が乱れて、その上悪魔が頻繁に出現する混沌の中にあった。
 そしてその混乱を助長する存在が東京に現れた。自衛隊を率いてクーデターを起こそうとした男と、それに呼応するように海兵隊を動かしたアメリカ大使のふりした悪魔」
「……それはまた大事件ですね」

 アキラの認識では、悪魔というのは社会の闇に潜み、人目につかない影である。
 にも関らずその悪魔が歴史の表舞台に、露見していないとは言え関与したという事実は、背筋を寒くさせるものだった。

「もちろん悪魔とか云々は秘匿されて、表向きにはクーデターは未遂で首謀者逮捕、アメリカ大使は病死したことになった。でも当然裏でその二人を止めた人間が存在する。
 それがヒーロー。本名は不明で、当時まだ高校生やった一人の少年。そしてその何の変哲も無い高校生のはずの少年は、手製の防具とハンドヘルドコンピューターを身に着けて、悪魔を使役しながら戦っていた」
「悪魔を? じゃあその少年が使っていたのが?」
「スティーブンがばら撒いた悪魔召喚プログラム。スティーブンは元々クーデターの首謀者の下で働いとったらしいんよ。それで東京に現れ始めた悪魔に対抗出来る人間を少しでも増やすために、悪魔召喚プログラムをばら撒いたんやって」

 その言い分は理解できる。だがアキラはどこか納得がいかず眉をしかめる。

「その……ヒーロー以外の悪魔召喚プログラムを受け取った人はどうしたんですか? 全員が破棄したわけじゃないでしょう」
「受け取った人全員を把握しとる人間なんかおらんけんね。ほやけど、悪用した人間も確かにおった。高校の敷地がまるごと魔界に転移したとかいう大事件も起きたし」
「……なんかもう理解の範疇越えてるんですが」

 いきなり高校が魔界に転移したと言われても、何をどうして転移したのかアキラにはまったく想像がつかない。そもそもそれは悪魔召喚プログラムは関係あるのだろうかと、疑問に思っても仕方が無い。

 さらに話を聞いて思ったのは、東京で起こった事件が遠いものにしか感じられないという事だった。
 山に囲まれた閉鎖的な箱庭のようなこの街と、東京で起こったという事件が繋がらない。
 まるで単体で完結している世界に、調和を乱す異邦人がやってくるような。噛み合わない現実に、悪魔の事を知った時以上の違和感を覚える。

「まあ私もそん時は十歳やったし。詳しいことは流石に知らんけどね」
「……そうですか」

 肩をすくめて言うヒメに、アキラは視線を反らしながら言葉を漏らす。
 何気にヒメの年齢が発覚したのだが、その事についてどうコメントしたらいいのか分からないので流すことにしたらしい。
 しかし態度があからさま過ぎたのか、ヒメがどこか不満そうな表情で、手を後ろで組んで上半身を低くしながら反らした視線の方へと回り込んでくる。

「アキラくーん。ここはこう……所長って意外と若いんですねとか言って欲しいんやけど」
「……」
「何でフリーズするん!?」

 ヒメの要求は理解したが、「予想より年齢が低い」という意味か「実年齢より若く見える」という意味なのか判断がつかず悩むアキラ。
 深く考えずにオウム返しに答えればいいだろうに、律儀というより不器用な青年である。

「傷ついた。バツとして今日は寝るまで酒に付き合ってもらう」
「寝るまでって。昨日の今日だからあまり遅くに帰宅したくないんですけど」
「何言よん? 今日からアキラくん私ん家に泊まってもらうよ」
「あんたが何言よんですか」

 予想外の事を決定事項のように言われて、アキラは真顔で聞き返す。
 表面的には落ち着いているように見えるが、動揺してイントネーションがヒメの訛りと同じになっている。

「アキラくん吸血鬼に狙われとるやん。私があげた悪魔だけじゃ不安やし、下手して家族巻き込むんは問題やろ」
「言いたいことは分かりますけど、別の問題が発生すると思うんですが」

 確認した限り、ヒメの家には他の人間が住んでいる気配は無かった。
 一人暮らしの女性の家に泊まるというのは、お堅い人間であるアキラには抵抗がある。というよりあり得ない。

「またまた、アキラくん問題起こすようなタイプや無いやろ。起こす度胸も無いやろし」
「……」

 笑顔で右手をパタパタと振りながら言うヒメに、無言で顔をそらすアキラ。
 信頼されているのか嘗められているのか微妙だが、少なくとも男としては嘗められているだろう。確実に。
 まあ仮にアキラが変な気を起こしたとしても、電撃でこんがりと焼かれる未来しか見えないのだが。

「ああ、でも私が襲う可能性があるか」
「……勘弁してください」

 何かを思いついたように手を打つと、どこか色のある視線でアキラを見るヒメ。
 羊の顔をした青年に食らいつくライオンの顔をした女性。草食系男子とやらについての記事にあったそんな風刺画を思い出しながら、アキラは溜息をつく。
 もちろんヒメが冗談で言っているのは分かっているが、からかうのは本気で勘弁して欲しいのがアキラの本音だ。

「まあそんな警戒せんでも、流石に同衾せえとか言わんけん安心し」
「でも部屋は一緒とかいうオチはいりませんよ?」
「惜しい」
「何が!?」

 そんなやり取りをしながら帰るアキラとヒメ。
 これから一緒に暮らしてもフラグは立ちそうに無い二人だった。




◇◆◇◆◇◆◇◆
あとがきみたいなもの
 カズトのようなノンキャリアが二十代前半で刑事というのは、あり得なくは無いけど珍しいです。二十二で刑事になった人とか居ますが。
 真・女神転生の事件について言及されましたが、事件の顛末は殆ど作者の想像です。
 デビルサマナーでゴトウの逮捕とトールマンの病死はニュースになっていましたが、実際に何があったかは分かりません。下手すりゃヒーローが活躍せずに、本当にニュース通りの事が起きただけかもしれません。
 あと真・女神転生の事件を十七年前と位置付けたのは、単純にSFCでの発売が十七年前だったからで特に意味はありません。無いったら無い。



[7405] 第十六話 状況開始
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2010/09/14 14:06

 二十二歳にもなって無断外泊を責められるわけがない。
 そう言ってアキラは笑っていたが、ヒメは正直頭を抱えたい心境だった。

 二人がアキラの母親に何の連絡もしていない事を思い出したのは、アキラの一見自棄にも見える稽古への打ち込みが終わった深夜。ヒメの家にて風呂を勧められて着替えがないことに気付いた時だった。
 日付が変わろうかという時間に電話するのはどうかと思われたし、何より本当に心配されているならアキラの携帯に電話をかけてくるだろう。そう判断して事情説明は後日に回したわけだが、アキラの母親の性格によっては、説明は修羅場となることが予想される。
 何せ真面目が服を着て歩いているような青年の親。しかも片親である。厳格でないはずがないし、未だに子離れが出来ていない可能性もある。
「一人息子に手を出しやがったのかこの泥棒猫!?」と罵倒されてもおかしくない。

「いや、おかしいですからその罵倒」
「さすがエスパー。心を読みおったな」
「読んでません。というか精神感応無くなってます」

 閑静な住宅街の中。アキラの自宅へと向かって歩きながら不毛な会話をする二人。
 アキラの自宅には車一台を停めるスペースしかなく、そこはアキラの所有する車でうまっている。そのため付近まで乗って来たヒメの車は、すぐそばのスーパーに停めて歩いているわけだが、その中途半端に増えた移動時間でヒメの緊張した精神は生殺し状態になっていた。
 因みにアキラがつっこみを入れたのは心を読んだからでは無く、単にヒメが考えている事を口に出していたからだったりする。

「どんなイメージをしているかは分かりませんけど、うちの母は怒る事の方が珍しいですよ」
「つまりぎりぎりまで笑顔やのに、唐突にぶち切れて殲滅戦を仕掛けてくる。日本人という人種を体現したような人やね」
「……」
「ジョークやけん否定して!? 何? 私殲滅されるん!?」

 半ば本気で焦り、必死に肩をゆすってくるヒメから黙って視線を反らすアキラ。
 実際にアキラ自身が母を怒らせた事など数えるほどしかないが、だからこそ余計に怒った時の印象が色あせる事無く強烈に残っているのだろう。
 さすがにヒメが殲滅されることは戦闘能力を省みるとありえないが、精神的に死亡確認される可能性は十分にある。

「というか別に所長が来なくても、俺が説明すれば良いのでは?」
「アキラくんじゃ裏の事を上手く隠して説明出来んやろ。あの事件はガス爆発って事にするらしいし」
「無理がありませんかそれ?」

 地下街に居た人間ほぼ全てが巻き込まれるガス爆発。ガスが漏れたとか言うレベルでは無い。

「遺体の損傷が激しすぎるけんね。猛獣が暴れたとかいうのにしても、被害者が多すぎるんは一緒やし。表の人間も納得するような人為的な事件をでっちあげるなら、犯人まででっちあげないかんなるし。色々と難しいんよ」
「……そうですか」
「まあアキラくんの処遇は事件とは関係無しで、ヤンデレストーカーに狙われて、しばらく警察関係者の関係者の私のとこに厄介になるみたいに説明するつもりやけど」
「関係者の関係者って説得力ないような。というかヤンデレってなんですか?」
「気になるんなら後でグーグル先生に聞きんさい」

 言われた通りにアキラがネットでヤンデレについて調べ、「どんな設定だ!?」と時間差つっこみを入れるのは半日後。

「あそこが俺の家です」
「あー……審判の時が来た」

 大げさに項垂れるヒメに苦笑しながら、慣れた手つきで家の門を開けるアキラ。
 そんなヒメとは逆に、三日ぶりに帰った自宅はアキラには数年ぶりの安住の地の様に見えた。





 アキラが住んでいる地域は深山市の中心地からは数キロほど離れており、ここ数十年で新たに住宅街として開発された土地だ。
 そのため並ぶ家々は比較的新しいものが多いが、アキラの家は外壁が白いためか汚れが目立ち、他の家より少々古いもののように見える。

 そしてその家へとアキラに案内されたヒメが遭遇したのは、自分を見て硬直している実年齢より若い印象を受ける小柄な中年女性だった。

「あ……あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ」
「母さん。それ外国人が「ワタシニホンゴワカリマセーン」って言うくらい胡散臭いから」
「いや、その前に日本語通じることを教えようや」

 のっけからお約束のような対応をされて、脱力しながらもアキラの指摘に重ねて言うヒメ。
 見た目がゲルマン系に近いヒメがこのような対応をされるのは初めてでは無いが、ここまで見事に硬直される事も滅多にない。

「そうなの? 失礼ですけど日本は長いんですか?」
「親が日本に帰化したんで、日本生まれの日本育ちで完全に馴染んでます。牛蛙みたいなもんですよ」
「何で蛙に例えるんですか」
「あーじゃあもう日本人なんですね。そういえば夕食の準備してる時って、やたらと蛙が鳴くなぁ」
「まな板に包丁が当たる音が蛙の鳴き声の波長に似てるから、つられて鳴くらしい。でも今はそれ関係ないから」
「相変わらず引き出しの数が多いなアキラくん」

 関係ないと言いつつも先に疑問に答えるアキラ。そのアキラの無駄に広い知識に呆れながらも、ヒメはアキラの母は天然が入っていると判断し、修羅場になる確率は低そうだと内心安堵する。

「そうでしょう。この子昔っから物知りで。そんなに勉強好きなわけでも読書家でも無いんですけどねえ」
「あー居ますよね。勉強しとる様子も無いのにやけに利口な子」
「でしょう? でも大人しいから女手一つで育てるのは不安だったんですけどね。今もあんまり活発では無いんですけど、しっかりとした子になってくれて……」
「話をずらすなとは言わないけど俺をネタにするな!? 所長も聞かなくていいですから」

 いつの間にか自分の過去話になっているのに気付き、慌てて修正しようとするアキラ。
 それを見てヒメは面白いものを見つけたとばかりに口元を歪めたが、彼女が話を牽引するまでも無くアキラの母がさらなる暴走を始める。

「所長って事はアキラが就職した? 自己紹介もせずにすいません。私アキラの母でマナカと申します。息子がお世話になってます」
「いえいえ。私はアカイデザインスタジオの所長の赤猪ヒメです。息子さん覚えがいいから助かってますよ」
「そうなんですか。安心しました。玄関でもなんですから、客間の方上がってください。アキラお茶入れて来て」
「うん……。もう好きにして」

 ヒメが来た理由も聞かずに長話を前提とした状況へ持って行ったという事は、関係無い話(主にアキラの)をする気満々だろう。
 それを理解しつつも止める事が出来ないと悟ったアキラは、生暖かい目で見てくるヒメを無視しつつ台所へと向かった。





「うむ。余は満足じゃ」
「……何を知ったのかは聞かないでおきます」

 ヒメとマナカの長すぎる話が終わり、車を停めているスーパーへと向かう途中。ヒメがやけに満ち足りた様子で言うのに、アキラは知らぬが仏とばかりに詳細を聞くのを止めた。

「さすがに中学入るまでおねしょしとったんはどうかと思ったなぁ」
「だから言わなくて!?」

 ヒメの放ったクリティカルな言葉に、アキラは発言の途中で頭を抱えて悶絶する。
 それを見てヒメはニヤリと笑ったが、アキラも切れると恐い人種だと思われるので、用法用量を守って正しく使うことを決意する。

「それはそうと、マナカさんって何者?」
「何者と言われても、ただのパートやってる主婦ですけど?」

 不意に真剣な様子で母について聞かれ、アキラは疑問に思いつつも悶絶するのを止めて答える。
 するとヒメはどこか納得言っていない様子で腕を組んで見せる。

「そうなん? 全体的に温そうな人やったけど、たまに妙に痛いとこをつかれて焦ったんよ」
「昔は良い家のお嬢さんだったらしいですけど」
「昔て?」
「母の家系は、戦前までは台湾あたりで商売やってたらしくて、それなりに裕福だったらしいです。でも祖父が死んで働き手が居なくなってからは商売も辞めて、父と結婚するまでは貧乏だったとか」
「台湾て。もしかしてアキラくん台湾系混ざっとる?」
「……聞いたことが無いから混じってるかも」

 今まで考えたことも無かったらしく、軽くアイデンティティが揺らぐアキラ。
 別に自分が純粋な日本人で無いからとショックを受けるわけでは無いが、台湾人の血が混じっているなら、台湾に対する考え方を改めることになるかもしれない。
 何をどう改めるのかは本人にも分からないが。

「それにしてもごつい車ですね」

 スーパーの駐車場に近付きヒメの車が見えて来た所で、アキラはその銀色の一歩間違えれば無骨とも言える大型車を評して言う。
 それに対してヒメはむしろそこが気に入っているのか、得意げな様子で軽く車の解説を始める。

「元々は軍用車を作っとった会社の車やけんね。万が一事故ってもそう簡単には壊れんで」
「そうでしょうね」

 軍用車と聞いて納得してしまうような重厚な「装甲」の車だ。相手がアキラの持っているような軽自動車なら、完膚なきまでに粉砕している所しか想像できない。

「アキラくんは車に拘らんの? 免許マニュアルで取っとったやろ?」
「取れるならマニュアルの方が良いと思っただけですよ。車はあまり好きじゃないんで」

 車に乗り込みエンジンをかけながら聞いてくるヒメに、アキラはシートベルトをしめると、うんざりといった感情が見て取れる表情で言う。

「あー、最近の若い子車買わんらしいしなぁ。不況だけが原因やないんやね」
「まあガソリン代や維持費が厳しいというのもありますけどね。それに工学やってた奴が言う事じゃないのかもしれませんけど、あまり機械に頼ってばかりだと人間の質が落ちると思うので」

 実際アキラは車には月に何回か点検も兼ねて乗るだけで、移動する際には自転車をよく使っている。
 健康や自然に考慮すれば良い事なのだが、アキラのような人が増えすぎるのは車産業の人間には歓迎出来ない事態だろう。

 ヒメはアキラの言ったことに少し感心しながらも、自分は楽出来るなら楽しようと思いつつ、周囲を確認してからギアを変えてアクセルを踏み込んだ。





 アキラの自宅が深山市の中心の南の山に近い地域にあるのに対し、ヒメの自宅は東の山間の地域に存在する。
 山ばかりだと思われそうだが、実際四国という土地は少し移動すれば山に突き当たるといっていいような地域だ。海沿いを少し歩けば、海のすぐそばに山がそびえ立っている様な風景も珍しくない。
 四国で他の県に移動するという事は、山を越えるのと同義。慣れていなければ非常に不便な地域だといえる。

「なのに何でこんなでかい車乗ってるんですか。帰るまでに何回対向車と道譲り合ってんですか」
「んー、二回?」
「四回です」

 首をひねって当然のように過小報告するヒメに、アキラは居間におかれた年季の入った木のテーブルに、つっぷすように覇気も無く項垂れる。
 アキラの家が山に近いだけなのに対し、ヒメの家は完全に山間に存在する。周囲には田畑が多く、道路も家々の間を無理矢理繋いだように細く曲がりくねっており、あまり車に乗らないアキラを酔わせるには十分だった。
 吐くほどでは無いようだが、その顔色はジャックフロストと良い勝負が出来そうな色になっている。

「まあそう言わんと。私も市街地に引っ越したいんやけどね、先祖代々の土地を手放すわけにもいかんし」
「先祖代々って、親が帰化したんじゃないんですか」
「いんや、明治時代くらいから日本にいりびたっとったらしいんよ、うちのご先祖さん。「赤猪」ていう名前も、ご先祖様がある事件を解決してからは、この国でのうちの一族の呼び名になっとったんやと」
「へー」

 ヒメの一族の意外な過去に、アキラは素直に感心する。
 少し中心地から離れれば田舎というのに相応しい風景の広がるこの街において、外国人は未だに珍しい。にも関らずヒメが街に馴染んでいるのは、先祖代々この土地で暮らしていたという背景があったからなのだろう。

「まあそれでも大戦中はアイスランドに帰っとったらしいんやけどね。自分だけ日本から離れるなんて、なんて薄情やと思いながら爺さんがこの街に戻ってくると、近所の人に「大丈夫やったんか?」と逆に心配されたらしい。
 それから爺さんは、自分達はもう完全に日本に根ざした方がいいかもしれんと思て、子供二人の内の一人――私の父親を日本国籍にしたんやと」
「良い話ですね」
「因みに大戦中のアイスランドは、中立のはずやのにあっという間にイギリス軍に占領された」
「駄目じゃないですか」

 素直に聞き入っていた所にオチをつけられて、アキラはジト目でヒメを見る。
 もっともアイスランドには常備軍が無く、抵抗らしい抵抗も無く占領されたため、深山市のような地方都市まで空爆された日本に比べれば、安全だったのは間違いないだろうが。

「まあ爺さんは置いといて。昼飯食ったら私はちょっと用事があるんやけど、アキラくんはどうする?」
「特にやる事は無いんですけど……そういえば仕事は?」
「急ぐ仕事も無いし、しばらくはお休みかなあ。例の吸血鬼とデビルサマナーを何とかするまでは、この街のデビルサマナー、退魔士ほぼ全員が警戒状態に入るやろうし」
「そうですか」

 この街にどれほど裏の人間が居るのかアキラは知らないが、少なくとも自分の出る幕は無いだろうと判断し複雑な心境になる。
 もっともアキラ自身が狙われている以上、まったくの無関係で居られるはずは無いのだが。

「あとアキラくんにあげた悪魔の封印は解いとるけんね。ヤバイと思ったら躊躇わずに呼ぶんよ」
「分かりました」

 アキラ自身はヒメの悪魔がどれほどの強さか見ていないが、あの吸血鬼を退けるほどならば頼れることは分かる。
 だがそれでも、呼び出すのを躊躇してしまう感情があるのも事実だ。

「そういえばアキラくん。なんでピクシー呼び出して無いん?」

 そしてそれは、ヒメの問いに咄嗟に答えが出なかったことからも明らかだった。





 当然というか、深山市内には中央商店街以外にも商店街は存在する。
 田舎とは言え、街が深山城を中心に発展してきた経緯を考えれば、明治以降に出来た交通網に合わせて発展した中央商店街より、周囲にある小規模な商店街の方が歴史は深いといえる。

 昼食を済ませたが特にやる事の無いアキラは、市内にある幾つかの商店街の一つを目的も無く歩いていた。
 お世辞にも賑わっているといえない商店街だったが、八百屋や魚屋といった専門店が並ぶ光景は、スーパーでの買い物に慣れているアキラには新鮮な光景だ。

 アキラが住んでいる地域はここ数十年で住宅街として開発されたため、古い店などは皆無で、日用品は一つしかないスーパーで揃えるしかない。
 それに対し、今居る商店街のように中心市街地に近い場所ほど古い店が多く、逆にスーパーの類は少なくなっていく。
 つまり市街地から離れるほど近代的な店が多く、市街地に近いほど古く寂れた店が多いという矛盾した発展の仕方を深山市はしているのだ。無論例外はあるが。

「兄さん、ネギ買おうぜ?」
「何故ネギ?」

 不意に後ろからかけられた声に反射的につっこむアキラ。
 やけに馴れ馴れしいその客引きを疑問に思いながらアキラが振り返ると、そこにはどこかで見た金髪の青年が「野菜なら石応!」と書かれたエプロンを着て立っていた。

「……何やってんだ石応?」
「店の手伝いに決まってんだろ。俺んち八百屋だぜ?」
「知らんわ」

 知っていて当たり前のように家業を言われ、アキラは呆れながら溜息をつく。
 あのような事件に巻き込まれても普通に店を手伝っているあたり、石応ユウヤという青年は意外にタフなのかもしれない。

「深海こそ平日にこんなとこで何やってんだよ。ニートか? 働いたら負けなのか?」
「違う。就職したとこが……その、お前があの時見たようなものの関係者でな。あの事件の影響でしばらく休みなんだよ」
「……凄いとこ就職してんなおまえ」
「……俺だって就職してしばらくするまで知らなかったよ」

 しかし今にして思えば、あの異様なほど早い就職内定は、ヒメが自分の異常さを知っていたからだったのだとアキラは気付く。
 因みにあの日アキラの横で伸びていた伸び上がり入道は固定出現らしく、毎日のように道路の脇で天高く伸び上がっている。伸び上がって何をしたいのかはヒメにすら分からない謎だ。

「そういうおまえは仕事なにしてるんだ? 手伝いって事は本職じゃないんだろう?」
「ふっ知ってて聞いてんなおまえ?」
「は?」

 アキラの質問に「やれやれ」といった感じで肩をすくめるユウヤ。だが残念ながらアキラには彼が何を言いたいのか分からない。

「今人気急上昇中のサッカーチーム深山FC。そのエースストライカー石応ユウヤとは俺の事だぜ!」
「……へー」
「何だその生暖かい目!? 本当だぜ!? エースだぜ俺!?」

 別に疑っているわけでは無いが、サッカーに興味が欠片もないアキラは反応に困る。しかしユウヤがそれなりに有名なのは事実らしく、それほど多くなかった通行人が足を止めて二人の漫才もどきを眺めている。
 一刻も早く話を切って帰りたい。そうアキラは思い始めたがユウヤの話は止まらない。

「分かってんよ。どうせうちは二部リーグで給料も安いよ! 俺以外の連中もバイトしなきゃ食ってけないほど安いよ!」
「そういう事は事実でもファンには言わない方が良いと思うんだが」
「夢を売っても腹はふくれないんだよ!」
「色々とヤバイぞその発言」

 間違ってもファンの人気で成り立っている仕事をしている人間が言う事では無い。

「というか夢(サッカー)が売れてないから給料安いんじゃないか?」
「おまえの発言こそヤバイだろ」

 全国のサッカーファンを敵に回しかねないアキラの発言に、本来なら怒る側のユウヤも素に戻る。しかし二部リーグの動向など、地元の人間しか気にしていないので事実でもある。

「……そういえば聞きたい事があるんだけど」
「ん? ちょっと待てよ。出かけるって伝えてくるわ」

 ふと事件についての疑問が出てきたアキラがそれを伝えると、ユウヤは長くなると判断したのか、店の奥に居た母親らしき女性にエプロンを脱ぎながら話しかける。
 それを見ながら、アキラはもう一人の生き残りに対する疑念をどうしたものかと頭を悩ませた。





「で、吸血鬼の正体が分かったって?」

 深山警察署の一室。
 ソファーと安っぽいテーブルだけが置かれた殺風景な室内にて、ヒメは鬼塚とカズトのの対面に座りながら、どこか納得行かない様子で聞いた。

「はい。監視カメラの映像からの推測ですが」
「断定や無いにしても早すぎん?」
「本庁に偶然奴を知ってる人間が居たんだよ。それなりに有名人らしくてな、向こうも驚いてた」

 鬼塚が言いながら渡してきた資料を受け取ると、ヒメは一枚目にそえられていた写真を眺める。
 ヒメ自身も直接見たわけでは無いので、監視カメラの荒い画像からは似ているとしか判断出来ないが、結論は資料の内容を読んでからだと目を通す。

「惣河アヤメ……女みたいな名前やねぇ。齢は十七歳」
「それは十年前のデータですから、今は二十七歳のはずです」
「私とタメやん。というか未成年の犯罪者のデーター簡単に見せて良いん?」
「今更法律を語れる立場でもないでしょう。それでも資料の持ち出しは禁止させてもらいますが」
「まあ妥当やね」

 カズトの言い分に納得しながらヒメは資料を読み進める。そして読めば読むほど、吸血鬼の正体が惣河アヤメなのではという思いが強くなってくる。

「容疑は十代の少女七人の殺害。ナイフを所持している所を別件逮捕されて、証拠が続々出てきて御用。そんで取調べ中に捜査官が目を離した隙に失踪。密室のはずの取調室には、容疑者のものとは異なる大量の血痕が残されていた……って、何このホラー?」
「血痕が誰のものかは未だに分かってはいません。しかし失踪するその瞬間まで、惣河アヤメが吸血鬼に類似する行動や特徴を持っていたという話はありません」
「そいつが密室から逃げたって事は、吸血鬼になって逃げたという可能性もあると」

 惣河アヤメがミステリー小説のようなトリックでも使ったのでなければ、何らかの特殊能力で密室から逃げ出した可能性はある。あくまで可能性があるだけだが。

「その資料には書かれてねえが、惣河アヤメは十歳の時に両親を亡くしてる。そんでその頃から精神病院に通っていたらしい。居ないはずの他人の声が聞こえるってな」
「……丁度十七年前やん。あの事件の関係者やと本人らが言っとったし、原因は悪魔召喚プログラムか」

 悪魔召喚プログラムを手に入れたが、悪魔を扱いきれずに憑かれて何らかの精神病と判断された。それで筋は通る。

「けど十歳の子がコンピューター触るかなぁ? 今ならあり得んことや無いけど、当時はコンピューターがあるだけで珍しかったで?」
「今となっては確かめようがありませんね。しかし惣河アヤメの両親のどちらかが悪魔召喚プログラムを手に入れ惨劇が起こり、生き残った御しやすい子供に悪魔がとり憑いた可能性はあるかと」
「結局結論ありきで推測するしかないわけやね」

 吸血鬼についての情報が少ない以上、証拠などはありはしない。結論が出るはずはないのだ。

「まあ吸血鬼の正体が誰でも、潰すことは決定事項やけど」
「今吸血鬼が潜伏出来そうな場所を探してる。太陽が平気な奴もいるらしいが、好き好んで昼間から歩かねえだろうからな。どこかに住処があるはずだ」
「OK.住処を見つけたら昼間に襲撃して、心臓に杭打ち込んで首はねたらいいわけやね」
「ニンニクを詰め込むのもお忘れなく」

 オーソドックスな吸血鬼退治の方法を言うヒメに、カズトが補足してとりあえずの話は終わる。
 そして十代の少女が被害者となる殺人事件が深山市で起き始めるのは、この日から数日としないうちの事だった。



[7405] 第十七話 月下美人
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:332bee0b
Date: 2010/09/14 14:07

――月の綺麗な夜だった。


 一つ角を曲がれば賑やかな繁華街が目に入るであろう、暗く冷たい路地裏。闇に溶けるような黒い制服に身を包んだ男女が、絡み合うようにして壁に寄り添い口付けを交わしている。

 否。そう見えるだけで、実際には少年の口は少女の喉下にあった。右手で少女の腕をひねり上げ、少女の体を壁へ押し付ける手には月の光を反射して白く輝くナイフが握られている。
 喉へ吸い付く少年の口元から、ジュルジュルと何かを啜るような音がするのに合わせるように、少女は背を反らしながら痙攣する。

「……う……うわあ!?」
『あら?』

 突然、少女を拘束していた少年が叫び声を上げて逃げるように後ろへと後ずさる。
 しかし狭い路地裏。すぐに少年の背は薄汚れたビルの壁へぶつかるが、それでも少年は顔に恐怖の色を浮かべて後へ後へと逃げようとする。

『フフフ、どうしたの? 好きな子を自分の“モノ”に出来るチャンスなのに』
「違う!」

 自身の内から聞こえて来た女の声に、少年は否定の声を上げる。
 否定したいのは女の言葉か目の前の状況か。少年は頭を抱えるようにしてその場に蹲る。

「違う! 違う! 違う! ……違うんだ」

 叫びは次第に嗚咽へと変わっていく。

 異常だと自覚する自分に何の気負いも無く接してくれた。
 女のような自分の名前を綺麗だと言ってくれた。
 あの日無くした温もりを自分に与えてくれた。

 だけどもう彼女は自分に話しかけてくれない。
 自分の名を呼んでくれない。
 自分を抱きしめてはくれない。

『邪魔するからよ。私が表に出ている状態なら、この子を思い通りに出来たのに』
「違う! 俺は……ただ一緒に……」

 責めているような言葉とは裏腹に、明らかに嘲笑の色を見せる女の言葉に、少年は涙を流しながらひたすらに否定する。

『ただ一緒に? お子様ね。それにもう手遅れだわ。せっかく私が“仲間”にしようとしたのに、中途半端になってしまったわ』
「何が!?」

 女の言葉が理解できず、苛立ちながら立ち上がった少年だったが、目の前ので起きる光景に動きを止めた。
 糸の切れた人形のように崩れ落ちていた少女の体がゆっくりと持ち上がる。しかしそれは酷く散漫で、顔は地面へと向けられたまま。
 そして少女の顔がゆっくりと持ち上がり少年と向い合う。

「あ……ああ……」
『ほら。半端者になっちゃった』

 優しかった瞳は暗く濁っていた。
 名前を呼んでくれた口は力なく開かれていた。
 優しく包んでくれた腕は棒のようにぎこちなく動いていた。

 大好きな少女だったモノは、ゆっくりとぎこちない動きで少年へと近付き、その小柄な体からは想像も出来ない力で少年へと掴みかかって来た。

「う……がっ……アアァァァァッ!?」

 目の前の光景に混乱し、理解することを拒んだ少年は、聞くものを竦ませる慟哭を上げると、全てを否定するように少女だったものへナイフを突き立てた。





「……」

 四方をコンクリートに囲まれた薄暗い部屋の中、シーツすらしかれていない固いベッドに腰掛けていた吸血鬼は、自分が寝ていた事に気付くと乱暴に両目を手でこすった。
 普通の人間ならば何も見えないであろう闇の中を見渡してみるが、そこには吸血鬼以外には誰もおらず、幾つかのベッドが規則正しく並べられているだけだ。
 その光景を眺めて自身の現状を確認すると、吸血鬼は大きく溜息をつく。

「ハン……夢なんか見るとはな」

 吸血鬼も昼間は棺の中で眠ることはよく知られている。だがそれはどちらかと言えば死体に戻るといった状態に近く、夢など見るはずも無い。
 棺で眠るなどというクラシックな真似はしない吸血鬼ではあるが、だからと言って自分が普通に眠っていたことには少なからず驚いた。

「へえ、どんな夢だった?」
「……おまえか」

 何の予兆も無く部屋の唯一の入り口であるドアが開かれ、吸血鬼の見知った女――タタリクスが遠慮もせずに入ってくる。
 もっともこの場所を用意したのは彼女なので、遠慮が無いのは当然かもしれないが。

「言わなくても読めるだろ。おまえなら」
「読めないわ。だって私のテレパシーは、考えたことが読めるだけだもの。考えてくれないと分からない」
「ハン。じゃあ考えないようにするか」
「ずるーい。って、別に良いけどね」

 そう言って笑うタタリクスに、吸血鬼は心底嫌そうな表情を浮かべる。

 一応のパートナーではあるが、吸血鬼はタタリクスという女が嫌いだった。本名も知らなければ素顔も知らない。そんな人間を信用できるはずが無い。
 そして何より、そのつかみどころの無い性格は、否応にも自分の中に居る女を思い起こさせる。

「そういえばカーミラは? 私より先にあなたをからかいそうだけど」
「……昼間は寝てるよ。おかげで気分が良い」

 今でこそ慣れてきたが、吸血鬼は自身の内に居る女――カーミラの存在が疎ましくて仕方が無かった。
 放たれる言葉の全てが心をかき乱し、磨耗させていく。
 そしてそれに慣れてしまった今の自分は、既に狂っているのだろうと思い至り笑う。

「で、動くのか?」
「うん。例のワーキャットも調整終わったし、すぐにでも誘いだせるわ」
「しかしおまえも悪趣味だな。別に苦しませて殺す意味無いだろ」
「死は平等に降り注ぐんだよ。ならその過程は無意味だけれど、劇的なものにした方が面白いでしょう?」
「違いない」

 そう無邪気な子供の顔で言うタタリクスを見て、吸血鬼は自嘲を含んだ笑みを浮かべた。





「ほれ、持って来たぞクラス名簿」
「悪い。助かる」

 緑色の表紙の本を受け取ると、アキラはあらかじめ買っておいた缶コーヒーを代わりのようにユウヤへと手渡した。
 二人が座っているのは、ユウヤの自宅から近い公園。しかし遊具の幾つかは危険を避けるためか使用出来ないようにロープがはられており、遊んでいる子供も殆ど居ない。

「んで、聞きたい事ってなんだよ?」
「ああ……思い出したくないかもしれないけど、あの時水岐タウンに居た理由だ」
「……飯食いに行ってただけだよ。あの辺でファーストフード以外って言うなら、あそこが一番近いし」

 その答えを聞いて、アキラはやはり望みの答えなど来ないかと気落ちする。
 あの日水岐タウンに、かつてのアキラのクラスメイトがほぼ全員集まっていたのは明らかに不自然だ。
 意図的に集められたのだとしても、その集め方によって新たな容疑者でも出てくるかと思ったのだが、やはりアキラやシオンと同じように、ユウヤも偶然巻き込まれたようにしか思えない。
 やはりヒメが会ったというタタリクスという女。彼女が持っているという催眠能力で、気づかない内に誘導されていたと考えるしか無いようだ。

「そういえば藤棚ランも生き残ったらしい」

 生き残りの中にあった因縁の相手の名前を思い出し、アキラは一応ユウヤに伝えておく事にした。
 藤棚ランというのは、アキラたちが中学生だった当時、女子のリーダー的な存在だった少女だ。アキラにとっては、シオンやユウヤと同じくらい印象に残っている人物でもある。

「……誰だそれ?」
「は?」

 だからこそ、ユウヤの間の抜けた問いに愕然とした。
 一瞬冗談かと思ったが、その顔は純粋に藤棚ランという人間が誰なのか疑問に思っているようにしか見えない。
 アキラはもしかして自分の勘違いだったのかと、受け取ったばかりのクラス名簿を見るが、そこには確かに藤棚ランの名が記されている。

「まさか……藤棚が?」

 クラス名簿が間違っているのでなければ、ユウヤが藤棚ランの事を完全に忘れてしまったのだとしか考えられない。
 そしてその場合真っ先に思い浮かぶのがタタリクスという女。
 タタリクスが藤棚ランの記憶をユウヤから消した。しかし何のために?
 そう考えてアキラが出した答えは、タタリクス=藤棚ランというシンプルなものだった。しかしそれならば、一応の説明はつく。

「悪い。ちょっと用事が出来た」
「は? まあいいけど。あんま無茶すんなよー」





「……やっぱりか」

 ユウヤと別れてすぐに、アキラはシオンにも藤棚ランについて電話で問い質した。
 答えは「そんな子が居たとは思うけどよく思い出せない」。藤棚ランについて記憶操作がされているのは間違いないようだ。
 しかしそれでは何故アキラは覚えているのかという疑問が残る。

「ん?」

 答えの出ない謎に苛立ちながらアキラが帰路についていると、ポケットに入れていた携帯にメールが届く。
「招待状」という題のそれを特に気にする事無く開いたアキラだったが、その内容を見て目を見開くと、無意識の内に民家の壁へ拳を打ち付けていた。

『今夜七時に旧深山中央病院へ一人で来られたし。先んじて白山ミコト嬢を招かせていただいた。前文通りに行動しない場合は、彼女の身の安全は保障しない』





 深海アキラが白山ミコトをどう思っているかと聞かれれば、好意を持っていると素直に答えるだろう。
 初めて出会った頃のミコトは、妊娠中絶の事もあって精神的に不安定だった。しかし生来の気性を取り戻した彼女は、大人しいのは変わらずとも歳に似合わない落ち着きを持っていた。
 それは母親という存在に憧れるミコトが、僅かなりとも母性に目覚めた結果なのかもしれない。そしてその変化を、アキラは好ましく思っていた。

「……」

 約束の午後七時。
 アキラはメールに書かれていた通り、一人で旧深山中央病院へとやって来ていた。
 本来なら正門であった壁の間から敷地内に入ると、廃墟となった白い建物が目に入る。

 何故こんな事になったのかと、アキラは叫びそうになった。
 母が何らかの形で巻き込まれる事は予想していた。だがミコトが自分を罠にはめるための餌にされるというのは考えていなかった。

「……行くしかない」

 後悔は心の奥に押し込めて、アキラは廃墟となった建物へと向う。
 理不尽な現実にいくら文句を言っても、世界は残酷に個人の思いや願いを置き去りにして進んでいく。
 今はただ、自分に何が出来るかを考えるしかない。

「そこで止まれ」

 恐怖と共に心に刻まれた声が聞こえて、アキラは僅かに体を震わせるとその場で足を止めた。そのアキラの様子を笑いながら、廃墟の闇の中からアキラに死の恐怖を植えつけた男が現れる。
 月の明かりの下に居る吸血鬼は、かつて見たよりもさらに神秘的で病的な印象を受けた。

「マジで一人で来たのかよ。阿呆かおまえ」
「……ミコトさんはどこだ?」

 呆れたような声を無視して問うアキラに、吸血鬼は肩をすくめると一歩横へ体をずらした。
 そして空いた空間を通って、一人の少女がアキラの下へ歩いてくる。
 俯いていて顔は見えないが、それは確かにミコトだった。一昨日会った時とは違う服だが、制服では無いという事はさらわれたのは日曜日の事だったのだろうか。
 恐い思いをさせてしまったと思い、アキラはそばまで歩いてきたミコトが抱きついてきたのを優しく受け止める。

「ぐっ!?」

 だが突然左肩に痛みが走り、アキラは突き放すようにミコトの体を離す。痛みを感じた場所には、大きな針でも刺さったように服ごと穴が開き、血がにじんでいた。
 乱暴に引き剥がされたミコトはその場に崩れ落ちるように座り込んだが、立ち上がろうともせずにじっとアキラを見つめてくる。

「……ニャー」

 その口から、猫のような声が漏れた。
 地面に置かれた手には、よく見てみれば人のものとは思えない鋭い爪が生えていて、髪の間から覗く瞳は、夜の闇の中で獣のように光を反射していた。

「な……にが……」
「悪趣味だろ。自分が狂ってるのは自覚してるけどな、こんなもん作れる人間も狂ってるぜ」

 嗤いながら狂気を口にする吸血鬼。
 アキラはその言葉に答える事はできず、ただ目の前の現実から逃れるように後退りする。

「さあ究極の選択だ。おまえはどんな理由(言いわけ)をひり出して、大切な人間を殺す?」

 狂気を宿した金色の瞳を輝かせながら、吸血鬼が逃れられない現実を突きつける。
 そしてその吸血鬼の言葉が合図だったように、ミコトが手を地に着いたままアキラ目掛けて走りだした。




――月の綺麗な夜だった。
――あの日、俺は化け物になった彼女を殺し、自らもまた化け物となった。



[7405] 第十八話 決意
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:e700d56f
Date: 2010/09/14 14:10
 現状を把握したアキラの行動は、吸血鬼が予想する以上に早かった。ワーキャットと化したミコトが走り出した瞬間、背を向けて全力で駆け出す。
 決断を先延ばしにして、アキラは全力で逃走した。

「逃げんのかよ? いいのか、お姫様を助けなくて?」

 嘲笑の混じる吸血鬼の言葉にアキラは足を止めかけたが、とにかく時間を稼ぐべきだと改めて判断し、地面を蹴る足に力を込める。
 だが相手は猫の身体能力をうえつけられたワーキャット。未だ常人の域を出ないアキラでは、すぐに追いつかれるのは目に見えている。

「うわ!?」

 背後からミコトが跳びかかってきたのに気付き、アキラは咄嗟に左へと跳んだ。目標を失ったミコトは空中で不自然に体勢を崩したが、地面に落ちて一回転すると、四つんばいのままアキラに鋭い視線を向ける。
 それと対峙したアキラは、いつミコトが襲い掛かってくるのか感知するために意識を集中する。
 そして気付いた。先ほど自分が、見えるはずが無い背後からの攻撃を正確に感じ取った事を。

「……精神感応が戻ってる?」

 呟いてみたが、それは正確ではなかった。感じ取る事の出来る周囲の意識は、風に揺れる蝋燭の火のように揺らめき頼りない。
 まだ何かが足りない。それが何かを考えるアキラに向かって、ミコトが鋭い歯をむき出しにして襲い掛かってくる。

「クソッ!」

 アキラは振り下ろされた爪を避けると、ミコトが地面に着地した所を狙って足払いをかける。だがミコトはそれを足を高く上げて回避すると、そのまま逆立ちをするように体を反転させアキラへと向き直る。
 その身軽さは猫というよりは、体操選手のような美しさを思わせる。

『――あなたは何もかも受け入れる事が出来る人だから』

 かつて一度だけ、ピクシーから語りかけられた言葉を思い出す。

 受け入れろというのか、この状況を。
 ミコトが化け物にされ、彼女に殺されかけている今の状況を。
 今すぐに目を背けたい、悪夢のようなこの光景を。

「つぅっ!?」

 避けそこなった爪が、アキラの左頬を切り裂いた。滴り落ちる血を袖でぬぐいながら、アキラは考える。
 この暗闇の中では避け続けるのには限界がある。かといって、どうすればいい。どうやってミコトを止めればいい。

 止めた所で、ミコトを人間に戻す事は出来るかも分からないのに。

「――パララマ!」

 最悪の予想をしたところで、僅かに隙のできたアキラをフォローするように、ミコトを電撃に似た魔力が包み込んだ。

『――!?』

 人と猫の声が混じったような悲鳴を上げながら、ミコトの体が痙攣し動かなくなる。完全に自由を失ったのか、魔法に抵抗する様子すらない。

「油断しやせんて、決めたはずなんやけどね」

 闇の中から現れたのは、ジークフリートとスカアハを従えたヒメの姿。呟いた言葉はアキラでは無く自身に向けたものなのか、いつものような覇気が無い。

「ハン。確かメールには、一人で来いって書いたはずなんだけどな」
「……誰にも連絡するなとは書いてなかった。それに俺は確かに一人で来たぞ」

 吸血鬼の言葉に、アキラは精一杯皮肉な笑みを浮かべながら返す。
 アキラは最初から素直に罠にはまるつもりは無かった。とりあえず一人で行って、可能ならばミコトの安全を確保し、後はヒメの援護を待つという大雑把な作戦をとった。
 状況によってはミコトの確保自体をヒメに手伝ってもらうつもりだったが、敵のやり方は予想を越えて卑劣だった。だからこそ、ヒメはアキラに真実を言うべきか迷っている。

「やっぱりね。昔からあなたは、優しいふりして自己中心的な嫌な奴だった」
「!?」

 吸血鬼の背後から言葉が聞こえて来た瞬間、アキラは反射的に銃を構えて闇へと銃口を向けていた。
 精神感応が弱まった状態でも、アキラの異常とも言える直感は健在だ。その直感が、語りかけてきた声が相容れないものだと告げていた。
 今まで出会った悪魔達や、自分を殺しかけた吸血鬼に覚えた嫌悪感よりも強い感情が、相手が人だと分かっていても銃口を向けることを躊躇わせなかった。

「あら、私を殺すの? そこにいる子と違って、私は人間だよ?」

 まず目に入ったのは、生理的な嫌悪感を覚えさせる陰湿な笑みだった。
 闇から這い出るように近付いてきたのは、黒いライダースーツに身を包んだ女。風にそよぐ栗色の髪を鬱陶しそうに払うその女の顔は、アキラがよく知っていた少女の面影を確かに残していた。

「藤棚か?」
「ピンポン。やっぱりあなたには私の催眠誘導は効かないか。八年前に、殺しておくべきだったのかもね」
「……なるほど。アキラくんが的にされたんは、アンタが原因なわけやね」

 ヒメの言う的というのが、中学時代のいじめと今回の事件のどちらを指しているかは分からないが、それを聞いた藤棚は楽しそうに笑って見せた。
 ヒメには相変わらず特定の人間の顔とは認識出来ないが、アキラにはその顔は出会った瞬間から同じ人間のものに見えている。

「一応言いわけするとね、あの時は初めて私の力が効かない人間に出会ったから、恐くなって何とか目の前から排除しようと思っただけなの」

「人もまだ殺した事無かったし」と付け加える藤棚の顔には、幻影にも本来のものにも貼り付けたような笑顔が浮かんでいる。それはまるで、「今なら笑顔で殺せる」と言っているように見える。

「――パララディ」
「チィ! やっぱ使えたか」

 藤棚が何か呪文を唱えた瞬間、それまで身動き一つ出来なかったミコトが体を屈め、跳ねるように藤棚のそばまで退がる。
 ヒメはそれに舌打ちをしつつもスカアハから何かを受け取ると、そのままアキラへと突き出してくる。
 反射的に受け取ったそれは、黒い鞘に収められた刀だった。長さは八十センチほどで反りは浅く、アキラには分かるはずもないが打刀と呼ばれる種類のものだ。

「アヤちゃんとおっちゃんからのプレゼントや。実戦でいきなり試し切りみたいに切れるわけ無いけど、今のアキラくんなら武器として扱えると思う」
「……はい」

 ヒメの言葉にアキラは短く返事を返すと、刀を左手で保持しながら藤棚と吸血鬼を見据えた。
 それに藤棚は肩をすくめて見せると、吸血鬼に向って下がるように手で示す。しかし吸血鬼は、気に食わないという表情を隠そうともせずに藤棚に問いかける。
 

「一人でやるのか?」
「大丈夫よ。確かに私の力は深海には通じないけど……」

 意味深に言葉を切ると、獰猛な笑みを浮かべながらジークフリートへと視線を向ける藤棚。そして瞬きをする僅かな間の後には、金属がぶつかる音が響き渡り、アキラの首のそばでジークフリートの剣とヒメのツインランスが打ち合っていた。

『ま、また!? 申し訳ありません!』
「謝るんは後! アキラくん私らから離れ!」

 自分のしたことに気付いたジークフリートが謝罪し、ヒメがそれを遮りながらアキラへ指示を飛ばす。
 ヒメ達は味方に攻撃されても咄嗟に反応出来るが、アキラはそうもいかない。近くに居ると足手まといになると気付いたアキラは、早鐘を打つ心臓を押さえながら走り出す。

「アハハ! そうそう楽しく踊りましょう――DIGITAL DEVIL SUMMON!」
「ハン、もう好きにしろマッド女」

 ヒメ達が気をそらした隙に、藤棚は悪魔召喚プログラムを起動し、吸血鬼は霧となって姿を消す。
 そして召喚陣から現れたのは、キマイラとケルベロス。総合的に見れば、ヒメたちとの戦力はほぼ拮抗していると言っていい。

「ケルベロス! 深海を死なない程度に追い詰めなさい!――ブフダイン!」
「くぅッ! させんわ!」

 藤棚の命令を受けたケルベロスが、その巨体からは考えられない速さでアキラとの距離をつめる。それを妨害しようとしたヒメだったが、藤棚の放った氷結魔法によって発生した氷の壁によって行く手を遮られる。

「スカアハ!」
『承知――ザンダイン!』

 自分の電撃魔法では破壊出来ないと判断したヒメは、即座にスカアハに命じて衝撃魔法で氷の壁を吹き飛ばす。
 だが崩れた氷を跳び越えた時には、アキラの眼前でケルベロスが人の顔ほどの太さはある前足を振りかぶっていた。

「アキラくん防御!」
「ッ!?」

 それは殴るというよりも、叩き飛ばすというのが正しい一撃だった。ケルベロスの攻撃を受けたアキラは、ボールのように宙へと舞い、元々割れていた窓ガラスを粉砕しながら病院の中へと投げ出された。

「オッケー良い感じ。ミコトちゃん、殺してきなさい。あなたの大好きな人を!」
「ッ! スカアハ! アキラ君を……」

 笑いながら藤棚が命じるのに従いミコトが病院の中へと姿を消すのを見て、ヒメはすぐにスカアハを追わせようとするが、具体的にどうするかを考えて言葉が止まってしまった。

 殺すのか? 自分の仲魔の手で、アキラの大切な娘を。
 殺させるのか? アキラの手で、アキラの大切な娘を。

「……アキラ君を害するものは例外なく排除し!」
『承知した』

 今のアキラならば、多少怪我はしてもワーキャットに負けるとは思わない。だが相手は人間の成れの果て、しかもアキラの知る少女だ。
 放っておけば、殺されるかもしれない。殺されなくても、アキラに知り合いを殺させるのは酷過ぎる。
 恨まれても良い。そう判断し、ヒメはただアキラを守る事を優先した。

『……難しいな。人というものは』

 建物の中へと消える直前に、スカアハはヒメの苦悩を理解したうえでそう呟いた。





「ハッ……ハッ……」

 病院の中に殴り飛ばされたアキラは、即座にその場を離れると暗い廊下へと出ていた。外の様子はあまり分からないが、何かがこちらへ近付いてくる事は感じられる。

「まだ……完全じゃ無いか」

 戻り始めた精神感応ではあるが、やはり相手の位置を知るには手応えが弱く、暗闇の中で役に立つほどでは無い。

『ニャアッ!!』
「なに!?」

 だからその奇襲を許してしまった。
 廊下にも窓から月明りは入ってきていたが、ミコトはその隙間を縫うように接近し、突然アキラの上半身目がけて飛びついてきた。
 咄嗟に抜き放った刀はミコトの左手をかすめただけで終わり、アキラは抵抗も出来ずにそのまま後ろに押し倒される。

(どうすればいい!?)

 背中にガラスの破片が刺さるのも気にせずに、アキラは食いつこうとしてくるミコトの顔を左手で押さえる。だが押し返すには至らず、このままでは腕が疲れたところで喉元へと噛み付かれかねない。

『――ザンマ!』

 しかしその硬直状態を、文字通り吹き飛ばすものが現れた。

『ンニャァッ!?』
「な!?」

 衝撃波を受けて吹き飛び、廊下の端までミコトが飛ばされていくのを感じ取りながら、アキラは衝撃波が飛来してきた方向へと視線を向ける。
 そこには赤い帽子とマントを身に着けた女神が、月明りをその身に浴びながら浮遊していた。アキラの視線に気付くと、その仮面のように整った顔にわずかに笑みを浮かべる。

『安心せよ。我が名はスカアハ。ヒメの命でそなたを救いに来た』
「……所長の」

 その言葉を聞いて、アキラはスカアハへの警戒を解きながら背中の痛みを無視しながら立ち上がる。
 そして視線を向けた先には、四つんばいでこちらを……スカアハを警戒するミコトの姿。ワーキャットとなり強くなったミコトの防衛本能が、スカアハの力を感じ取り襲い掛かる事を躊躇させていた。
 そのミコトへスカアハがゆっくりと右手を翳す。

「……元に戻せないんですか?」

 アキラの言葉にスカアハの動きが止まる。

 何を意図して聞かれたのかは明らかだろう。むしろそれを聞かれたくなかったからこそ、半ばアキラを無視するようにトドメをさそうとした。
 だがアキラは冷静にそれを察した。賢しすぎるのも困りものだと思いながら、スカアハは静かに息を吐く。

『アレはもはや人では無い。まして悪魔とも言い切れぬ、理性を失い生物としての尊厳を奪われた哀れな存在だ。貴殿の気持ちも分からぬでは無いが、邪魔は……』
「俺がやります」

 予想外の言葉に、スカアハはアキラへと振り返る。その目に宿った感情が、スカアハには読みきれなかった。

『何故? そなたがやる必要など無い。手を汚す必要など無いのだ』

 その言葉を聞きながら、アキラは首を横に振った。

 いじめから逃げた。逃げて、逃げて、逃げ続けた。
 それは今にして考えれば正解だったかもしれない。藤棚と言う女の力を考えれば、排除される前に逃げ出したのは結果的にアキラの命を延ばしたはずだ。
 深海アキラと言う少年は、ただ少し生真面目なだけの普通の人間だったのだから。

 異界から逃げた。助けられるはずの人を助けず、ベリスやジャックフロストを犠牲にしても逃げ続けた。
 それも正解だった。結果的に追いつかれたけれど、追いつかれて殺されかけたのだから逃げたのは正解だ。

 ならば……今逃げるのは?
 例えそれが最良でも、後悔をせずに居られるのか。

「ミコトさんは悲しんでる。ごめんなさいって謝ってる」

 その言葉にスカアハは目をむいた。
 アキラの精神感応は消えたとスカアハは主に聞かされている。だがアキラは確かに、ハッキリと断言した。

「起きた事実は変えられない。奇跡を願っても叶わない。俺に出来ることは、事実から目を背けずに、自分に何が出来るか考えて行動することだけだ」

 だから逃げない。
 ミコトが化け物にされ、彼女に殺されかけている今の状況から。
 今すぐに目を背けたい、悪夢のようなこの光景から。

「俺は全てを受け入れる」

 そう宣言した瞬間、アキラの世界が戻ってきた。

 目を閉じていても感じられる人々の存在。そして目の前で唸り声を上げる少女から、微かに伝わってくる思い。

(……たまには逃げてもいいけど、取り返しのつかない事態は存在するから)

 それはかつてアキラがミコトに言った言葉。
 そしてその時アキラは、そうなる前に自分を頼って欲しいとミコトに伝えた。

(取り返しのつかなくなる前に、私を……)
「殺す。俺の意志で、他に方法が無いのなら」

 その言葉は闇の中で静かに反響し、そしてアキラの意識は世界へと澄み渡っていった。

「屋上に吸血鬼が一人で居ます。こちらの邪魔をしそうになったら、妨害をお願いします」
『……良いのだな?』

 その確認は意味の無いものだった。既にアキラは決意を固め、戦う意志を取り戻したのだから。
 否。元々アキラには戦う意志などなかった。
 ただ自分の身を守り、可能ならば誰かを助けたいという、明確な目的の無い漠然とした願望。その曖昧とも言われかねない理由だけで、アキラは命の取り合いの中に身を置いたのだから。

 だがそれでは駄目だった。
 自分の身を守る。それが目的ならば、自分の身を守り、さらに誰かの命を背負うほどの力を手に出来るはずが無い。

 故に命をかける。

 相手の命を奪う代価に、自分の命を秤にかける。
 誰かの命を救うために、自分の命を代価にかける。
 自分の持っているものの中で、命と等価なものは自身の命しかないのだから。

「お待たせミコトさん」

 スカアハを警戒して距離をとっていたミコトに向かって歩みよりながら、アキラはなるべく優しい声で呼びかける。
 それに対する返答は、猫の威嚇音のような形容しがたい声。だがその内では、ただひたすら哭いている。

『シャアッ!』

 一声鳴いて、ミコトが暗闇の中で跳躍し、アキラに踊りかかる。
 それをアキラは横をすり抜けるように避けると、交差した際に振り下ろされた左手を刀の背で受け流す。

 反撃しようと思えば出来た。
 以前より強力になった精神感応は、相手の意識をより鮮明に読み取り、単体では当てにならない直感がそれを僅かに補う。
 それらが以前から行っていた対象との距離の検証と合わさり、剣を握って数ヶ月しか経たないアキラに達人の如き見切りを可能にしていた。

「……」

 自身の能力を把握したアキラは、無言でミコトに向き直り刀を構える。その重量は、時を経る毎に増している気がする。

 色々な事を話した。他愛の無い事で笑いあい、他人には話したくなかったであろう悩みを打ち明けあった。
 それはともすれば傷の舐め合いの様な関係だったかもしれない。それでも、共に過ごした時間は得がたいものだったと、大切なものだったと断言できる。

『シャアアァァァァッ!』

 一層甲高く鳴いたミコトが、再び地を蹴ってアキラに迫る。

「ごめん……さよならだ!」

 聞こえていなくても、言葉にせずにはいられなかった。

 アキラはミコトの両手が自身の首に届く刹那、体勢を低くして宙に舞うミコトの下へと潜り込む。
 そして保持するのも辛いほどの重さとなった刀を、両手で握り締め頭上のミコトへと振り切った。

『ニャオオオンッ!?』

 アキラの刀は悲鳴を上げるミコトの肩から腹の辺りにかけてを切り裂き、鮮血が闇の中で飛び散り床やアキラの顔に降り注ぐ。

「ツゥッ!」

 アキラは刀から伝わって来た肉を引き裂く感触に顔をゆがめながらも即座に反転し、体を抱きしめるようにして蹲るミコトに駆け出す。

 殺したくない。殺せば必ず後悔する。
 どんな理由があっても、誰かが責める事が無くても、自身の手で大切な人を殺した罪はアキラを苛むだろう。

 だが後悔は後回しにする。躊躇してる間にも、機を逃しかねずミコトは苦しみ続ける。
 嘆き、怒り、怨嗟。様々な思いが嗚咽となって溢れ出しそうになるのを歯を食いしばって耐えながら、アキラは刀を高く振り上げる。

「うわああああぁぁぁぁッ!!」

 それでも漏れた叫びは、思いを吐き出すためのものだったのか、それとも思いを断ち切るためのものだったのか。
 蹲るミコトに向って刀が断頭台の刃のように振り下ろされ、一人の少女の命と共にその首が落ちた。





「ッ!? まさか深海が!?」
「――ジオダイン!」
「きゃあ!?」

 廃墟の中で起こった事を感じ取ったのか、一瞬藤棚が気を逸らした瞬間に、ヒメの最大級の雷撃魔法がキマイラの体を貫く。
 そのダメージでキマイラは体を維持できなくなったのか、閃光が収まったときにはその体は跡形もなく消え去っていた。

「……あんたは殺す!」
「あら? ふふ、どうしたの? さっきまでとは違って凄い殺気」

 藤棚の言葉から何が起こったのか察したヒメは、両手で構えたツインランスを帯電させながら走り出す。

 ケルベロスは既に無力化した。ヒメもジークフリートを倒され一対一だが、藤棚は身のこなしからして接近戦の心得は無い。
 魔法を使うためには一瞬集中する必要性がある以上、催眠誘導で動きを制限されてもそれは致命的な隙にはならない。

 勝負を決めるため駆け出したヒメだったが、藤棚にあと一歩でツインランスが届くという所で、思わぬ邪魔が入った。

「――ジオダイン」
「な!?」

 ヒメの目の前で、爆雷と閃光が藤棚の身を包み込んだ。
 自身も雷の使い手のためか、ヒメの視界はすぐに回復したが、閃光のはれたそこには炭化した人間のような何かしか残っていなかった。確かめるまでもなく、藤棚の遺体だろう。
 そしてそれを見下ろすように、先ほどまで影も見えなかった吸血鬼が無表情に佇んでいた。

『賭けは貴方の勝ちみたいね』
「嬉しくねえな。わざわざ弱体化した敵を覚醒させてどうすんだ」
「あんたの仕業? どうして仲間殺したん?」

 先ほど殺すといったものの、ヒメは藤棚を本気で殺す気は無かった。殺したかったのは事実だが、情報を聞き出すためにも問答無用で殺すのはまずい。
 だがあっさりと、目の前の吸血鬼は追い詰められた味方を殺した。あの状況ならば、まだ吸血鬼が手助けすれば逃げ出せたはずにも関らず。

「あのガキがワーキャット殺した上で、自分が追い詰められたら完全に負けだから俺にトドメをさせだってよ。狂人の考える事は狂人にも分かんねえよ」
「そうなん。やったら代わりにアンタを捕まえよか」
「それは遠慮すんわ――ジオダイン!」
「!? ――ジオダイン!」

 吸血鬼から魔法の気配を感じ取ったヒメは、物理攻撃では止めることは出来ず、マカラカーンを使うには間合が近すぎると判断し、自身の最も得意とする魔法をカウンターで叩きつける。
 白い電撃と黄の電撃が両者の間でぶつかり、融合して一瞬安定したように見えた次の瞬間、弾けるようにして周囲に飛び散る。

「クゥ!?」
「ハン。こりゃスゲエ。じゃあまたな、お姫様」

 電撃を受けてヒメが体を硬直させている隙に、吸血鬼は雷の嵐に紛れてその場から消え去った。
 周囲に散り威力が多少緩和されたとはいえ、ヒメが動けない中で逃走が可能だったのは、吸血鬼特有の耐魔力の高さ故だろう。
 ヒメの体が自由を取り戻した時には、その場にはヒメ自身と藤棚の遺体しか残されていなかった。

「……逃がした。けど一人殺ったし一応勝ちかな?」

 そう誰に言うでもなく呟いたヒメだったが、その表情には納得いっていないという思いがありありと浮かんでいる。
 藤棚の自殺まがいの吸血鬼への命令。あまりにも不自然なそれは、藤棚が死んだと思わせるためのフェイクでは無いのだろうかと疑問に思う。

「……これから遺伝子鑑定って出来るんかな」

 炭化した遺体を見下ろして溜息をつくと、ヒメは廃墟の中へと足を進めた。
 守られる事を良しとせず、自らの意思で戦う事を決意した青年を迎えるために。



 ――月の綺麗な夜だった。
 ――その日、俺は化け物になった彼女を殺し、化け物と戦い続ける事を決意した。



[7405] 第十九話 愛別離苦
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:e700d56f
Date: 2010/01/21 14:26
「照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子」

 僧侶の唱える読経だけが聞こえる部屋の中、アキラは誰とも顔を合わせようとせず、ただ手元の般若心経の書かれた紙へと視線を落としていた。

 ミコトが死んでから――アキラがミコトを殺してから四日後。司法解剖を終えたミコトの遺体はようやく遺族の元へと返され、こうしてしめやかに葬儀が行われている。
 ミコトの死は、通り魔の犯行によるものと警察から発表された。事件の概要を明かせるわけが無い以上、カバーストーリーが作られるのは当然だろう。
 ミコトの遺族や関係者からしてみれば、犯人が不明というのは怒りの矛先を向ける相手がハッキリせず、辛いものになるかもしれない。アキラは特に何も聞いていないが、今回の事件に何らかの決着がつけば、藤棚かあの吸血鬼を犯人に仕立て上げるのかもしれない。

 いずれにせよ、アキラがミコトを殺したという事実は闇に葬られる。事情が事情だけに、それも仕方が無い事だろう。
 アキラ自身も、それについて殊更に罪悪感を覚える事も無く、ただ自分が自覚していれば良いと割り切っている。アキラのような人間にとっては、罪を自覚しながらそれを裁かれない方が罪悪感が募るだろう。

「……不生不滅。不垢不浄。不増不滅。是故空中」

 だが今はその罪悪感に囚われている時では無い。
 アキラは意味も知らない般若心経を僧侶に合わせて読み上げる。ただミコトの魂の安息を願いながら。





 焼香を終え別れの儀も済ませ出棺が終わると、ミコトの体は火葬場へと運ばれた。
 棺いっぱいの花の中で眠るミコトの体は、伸びたはずの爪や牙も無ければ、アキラが切り落とした首も縫合されていて綺麗な姿になっていた。それこそ、名前を呼べば瞼を開き起きて来るのではないかと思ってしまうほどに。

 しかしその体も、焼かれて灰となり骨だけの姿になる。所々崩れた骨は、ミコトが小柄だった事を考えても小さく見えた。その骨を、習わしに従って二人一組で箸を使って持ち骨壷へと収めていく。
 アキラと一緒に骨を拾ったのは、ミコトと同じ年頃と思われるショートカットの活発そうな少女だった。その沈んだ様子からして、以前ミコトが話していた友人というのは彼女なのだろう。
 少女の方もアキラの正体に気付いたのか、離れる間際に小さく「ありがとう」と呟いた。

 ミコトの事を大切に思い、純粋な感謝の気持ちから放たれたのであろうその言葉が、アキラの心には痛かった。





 火葬場を後にする頃には、来たときにはほぼ真上にあった太陽が傾き始めていた。
 六月も中旬に入り、陽射しも強くなってきたが、アキラは黒いスーツを脱ぐ気にはならなかった。それは別にスーツの下に、銃やナイフといった凶器を仕込んでいるからでは無い。
 葬儀に出席するにあたり、アキラは身の危険が増える事を覚悟で一切の武装をGUMPも含めて身に着けてこなかった。それはミコトの遺族への配慮もあるが、アキラの自己満足とも言える配慮でもある。

「おにーさん。ちょっとドライブいかん?」

 だからだろうか。火葬場から少し離れた所で、聞きなれた声がアキラを待っていたように呼びかけてきたのは。

「……所長」
「お疲れさま。お別れはちゃんとすませたみたいやね」

 視線を向けた先には、黒いスーツに身を包んだヒメが、銀色の愛車にもたれるようにして立っていた。右手に預けたGUMPを持っているという事は、早めにアキラの非武装状態を解除するために、わざわざ届けに来たのだろう。

「すいませ……ブッ!?」
「おお。愛のヘッドバッド?」

 手間をかけさせた事を詫びようとしたアキラだったが、ヒメの後ろから現れた何かが勢いよく顔にぶつかってきたため、最期まで言えずに衝撃で後ろへとのけぞる。
 何事かと右手でぶつかってきたものを引き剥がすと、いつも一緒に居た小さな妖精が、不満たっぷりな様子でアキラを睨みつけていた。

「……ごめんなさい」
「弱!?」

 手の平サイズの妖精に睨まれて謝るアキラに、ヒメが思わず声を上げる。
 まあアキラとしては、今まで一緒に居たにも関らず、自分の気分が落ち込んでいたから呼び出さなかったという負い目があるので、謝罪は当然とも言える。
 しかしピクシーはまだ不満があるのか、アキラの手の中で手足や羽をバタバタと動かして抗議している。

「いや、あの時は切羽詰ってたし。相手が相手だから俺が一人で相手すべきかなと」
「アキラくん。気持ちは分かるけど、独り言にしか見えんけん車の中入ろか」

 心底困った様子でピクシーに言い訳をするアキラ。その様子を見ていたヒメは、苦笑しながらGUMPをホルスターごと差し出して車の中へ入るよう促す。
 アキラはそれを受け取ると、ヒメに促されるままに車の助手席へと乗り込む。ピクシーの事もあるが、本物の銃では無いとはいえそれらしきものを往来の真ん中で堂々と身に着けるわけにもいかないだろう。それに車の中には、一緒に預けた銃もあるはずだ。

「何かアキラくん結構落ちついとるなあ」

 ヒメの言葉に、アキラはホルスターをつける手を止めると、確かに涙も流していなかったと今更気付く。しかしそれは、自身の心境を省みればすぐに理由が分かった。

「悲しみや憎しみよりも、虚無感みたいなものが強いみたいです。本当に、胸に穴が開いたみたいで」
「ああ、私も父さん死んだ時にそんなんなったなあ」

 ヒメが納得する声を聞きながら、アキラはホルスターを着けるために脱いでいたスーツを狭い車内で苦心しながら着なおす。

 敵がミコトを巻き込んだことに対する憎悪よりも、ミコトが死んでしまったことに対する悲哀よりも、もうミコトに会えないのだという喪失感がアキラの心を占めていた。
 それは自己の一部を失ったような欠落感にも近いかもしれない。

「それに、事を企んだであろう張本人が死んだから、憎む相手も居ないわけですし」
「ああ……。本当に何がしたかったんやろね」

 吸血鬼の電撃によって炭化した死体は、鑑定の結果藤棚ラン本人である事が確認された。
 実は生きていて、密かに催眠誘導で鑑定結果を捏造した可能性も考えられる。しかし鑑定には、催眠誘導が効かないアキラを無理を言って立ち合わせたので、その可能性は低い。
 ヒメの言うように、何がしたかったのかは謎のままだ。吸血鬼の言っていた通り、藤棚は狂人だったという事なのだろうか。

「……所長がいつも着てるスーツって喪服ですか?」

 会話が途切れた所でアキラが放った問いに、ヒメは表情を変えずにピクリと眉を動かした。そして困ったように鼻の頭をかくと、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

「あー……まだ私もアヤちゃんも駆け出しの頃に、父さんが私らを庇って……ね」
「……」

 庇ってどうなったのかは、アキラも聞かずとも察した。先ほどヒメ自身が、父が既に死んでいることを話したのだから。

「やけどこれは供養というより……戒めかな。いつ死ぬか分からん場所に身を置いとる以上、いつか死ぬ自分への喪服」
「自分への……ですか?」

 死んだ父親へのものでない事も驚いたが、ヒメが自分が殺される事を想定していることにも驚いた。しかしそれは、戦いに身を置いているならば覚悟して当然の事でもあるのだろう。
 アキラにとって赤猪ヒメという女性は、自身から遠い高み居る憧れ。手の届かない眩しい太陽のような存在といえる。
 しかしそれはアキラの勝手な憧憬で、ヒメだって殺されれば死ぬ普通の人間だ。故に死を覚悟するのは勿論、それが唐突に訪れることも知っている。

「……覚悟せないかんのよ私らは。いつの日か……戦い続ける限り……無様に負けて悲惨な最期を迎えるって」

 間に何度か入った沈黙は、ヒメが言いたい事を全て言わず、ただ事実だけを告げようとしたためだろう。そのヒメの言葉に、アキラは何も返せず視線を左手にある数珠へと向ける。
 確かにアキラは吸血鬼に無様に負けて、そのまま最期を迎えかけた。それを忘れたわけでは無い。
 そしてその中で恐怖を刻み付けられながらも再び戦う事ができたのは、不謹慎な言い方だがミコトが犠牲になったからだろう。
 自分の身一つで贖える事が出来ればまだ良かった。だが事態はアキラだけの問題では終わらなかったし、これからもそうなるのだろう。
 ならばガタガタ震えて逃げ続けるわけには行かない。何も出来ないからと言って、何もしないで良いという事にはならない。やれる事をやろうと、そう決意した。

「……」

 一方のヒメはアキラの様子を見て、なるほどこれは大変だと溜息をついた。

 どうやって立ち直らせようかと悩んでいたら、突然騒動に巻き込まれて勝手に立ち直っていた。話だけ聞けばなんと手のかからない弟子だろうか。
 しかし立ち直った後のアキラの様子と瞳の力強さを見て、この青年は厄介なタイプの人間だとヒメは感じ取った。
 この手のタイプは一度走り始めたら止まらない。ブレーキが壊れているのか最初から存在しないのか、自身の限界まで血反吐を撒き散らしながら進み続けてしまうのだ。
 倒れるときは前のめり。それを冗談でもなんでもなく実行してしまう。
 これが普通の人間なら「頑張りすぎて倒れました」で済むかもしれないのだが、戦いに身を置くものが同じ意気込みでやれば「頑張りすぎて死にました」となりかねない。というか絶対になる。
 現実には過労死する人間も居るのだし、アキラは普通の人生を送っていても、布団の上では死ねない人間なのかもしれない。

 死を覚悟するのと死に急ぐのは違う。そう諭そうかと思ったが意味は無いだろう。アキラはその程度の事、言われなくても知っているのだから。
 つまり知っているのに自重しない。なんと厄介な弟子だろうか。いつか冗談抜きで力ずくで止める時がくるかもしれない。

「何ともまあ。人生長いのだから、もう少し肩の力を抜いたらどうだねお兄さん」

 重い空気が漂っている車内に、どこかのんびりとした調子の男の声が外から聞こえてくる。
 二人が揃って視線を向けると、僧侶にしては体格の良い袈裟姿の中年男性が、窓から車内を覗き込んでいた。その姿を見て、アキラは「あっ」と軽く驚いた様子を見せる。

「ミコトさんの葬式に来てた……」
「小埜リショウと申す。まあ見ての通りの坊主じゃ」
「ついでにこの町の中でも上位の退魔士やで」

 リショウの自己紹介に補足するようにヒメが言ったのを聞いて、アキラは目を見開きながら両者を交互に見る。
 それにリショウはにんまりと笑って見せると、今度は申し訳なさそうな顔でヒメに向って話しかける。

「乗って来たスクーターがどうもご臨終のようでしてなあ、すみませんが寺まで乗せてってもらえんでしょうか」
「はあ、まあいいですけど。坊さんがスクーターに乗るってどうなんですか」

 剃髪した頭を右手で撫でながら聞いてくるリショウに、ヒメはスクーターに乗っている僧侶の姿を想像し、何とも微妙な感想を抱いた。





「四苦八苦というのは元々仏教用語でしてな、その八苦の内にあるのが、聞いたこともあるでしょうが愛別離苦なわけです。愛する人と別れるのは、八つしかない苦の中に入れてしまうほどの苦だと昔の人は言ったわけですな」
「なるほど」
「……」

 リショウの寺に向かっている車中。最初は他愛も無い話をしていたのだが、リショウがアキラのどこか危うい悲壮とも言える思いに気付くと、いつの間にか説法へと突入していた。
 大切な人を亡くしたばかりの人に、死について説くのはどうなのかとヒメは思ったが、本職の僧侶であるリショウがその辺りの事を考えずに発言する事は無いだろうし、何よりアキラが素直に聞き入っていたので黙っておいた。
 これはアキラの心理状態云々以上に、その貪欲とも言える知識の吸収力が、他の者ならばつまらないと思いそうな話を聞き入らせているのだろう。アキラはネットという便利なツールが手に入るまでは、分厚い百科事典を適当に開いて読み始める事を暇つぶしにしていたという、ある種の変人である故に。
 因みにアキラの肩に座っているピクシーは、退屈なのかすでに舟をこぎ始めている。一応はイギリス出身の彼女からすれば、仏教の教えなど知ったこっちゃ無いだけかもしれないが。

「よく坊さんの話はネガティブに聞こえると言われるのですが、それは仏教が死を前提に生を捉えるからでしょうな。「頑張って明日を生きよう」では無く「いつか来る死をどう受け入れようか」と考える。
 それに先ほど出た四苦は生老病死の四つで、死はもちろん生きる事すら苦であると言っているわけです」
「それでは人は永遠に救われないのでは?」
「そうですな。故にどうにかしてその苦しみを克服出来ないかと、お釈迦様は考えたわけです。時の流れの中で生まれた教えは様々ではありますが、その内の一つを簡単に言い表すならば、「生も死も思うままにはならない故に、思うままに生きて死ねば良い」という事です」
「……矛盾してませんかそれ?」

 助手席から首を窮屈そうに向けながら問うアキラに、後部座席に座るリショウは「ハッハッハ」と朗らかに笑ってみせる。

「一種の開き直りですな。生きるも死ぬもままならない、世の中はそういうものだと「あきらめる」のです。この「あきらめる」というのは、断念する事では無くそういうものだと受け入れる――「明らめる」という事です」
「ああ……」

 それを聞いてアキラの心の中で何かがストンと落ちた。
 アキラはどうにもならない現実を受け入れて、自分が成すべきだと思った事を成した。それは「思うままにならない故に、思うままに行動した」という事だろう。無論仏教におけるそれが、アキラの出した結論と同じとは限らないが。

「……俺のような若輩者が生と死について悟れたわけでは無いでしょうが、「明らめる」という事は理解できたような気がします」
「ハッハッハ、それは恐らく勘違いですな」

 控えめに行った言葉をあっさりと否定され、アキラの眉間に皺がよる。これ以上無いと言うくらいに感銘を受けたと思ったのに、その思いを引き出した人物に否定されたら心象が悪くなるのはしようがないかもしれない。

「若い時分にはありがちな、生き急ぐ者の目が消えておりません。生き急ぐ人間というのは完璧主義な者が多く、何か諦めきれない事があるから足掻く事をやめられないのです。
 貴方は確かに何かをあきらめましたが、何かを捨てきれずに居る。アキラさんのような人の死を心底悼む事の出来る方ならば、あきらめられないのは他者であり、あきらめたのは自身の生ですかな」
「それは……」

 違うとは言い切れなかった。確かにアキラは戦いの場に身を置くために、自分の命を掛け金に出した。それは当然の覚悟とも言えるだろう。

「しかし命を奪うつもりなら、命を奪われる覚悟がいるのでは?」
「確かに。……最近等価交換という言葉を良く耳にしますな。厳密には違いますが、それに似た考えは仏教にもあります。因果応報と呼ばれるそれです。悪因悪果。命を奪ったという因縁は、命を奪われるという結果によって完結すると考えるべきでしょうな」
「なら……」
「ならば、命を救うという因縁は、どのような結果によって完結するのですかな?」

 その問いにアキラはしばらくの間考えがまとまらなかった。
 答えは死という対価かと思ったが、それならば先ほどの命を奪った場合と結果が変わらない。等価交換という観点から見れば、それはある意味で間違いでは無いかもしれないが、因果応報という考えからすれば間違いだろう。

「情けは人のためならず。善因善果。他者を救った因縁は、自身を救う結果としてもたらされるべきでしょう。誰かを救いたいと願うのならば、自身の生を軽んじてはいけません。
 そもそも自身を救えぬものに、何故他者が救えましょうか。貴方がもし怪我をしたときに、血まみれの人間から傷薬を渡されて素直に受け取れますかな?」
「……例えが極端すぎる気がしますが、言いたいことは分かります」

 足元がぐらついている人間が、他人を支えようとしても一緒に転ぶだけだろう。いくら覚悟があっても、それに伴うものが無ければ破滅へと至る。

「まあ自身が足りないのならば、誰かを頼ってはいかがですかな。幸い貴方は良き師に恵まれているようですし」
「OK.どんと来ぃやあ」

 リショウの言葉を受けて、前を見たまま左手だけハンドルから離して掲げてみせるヒメ。
 アキラはそれを見て二人の言いたい事を理解しつつも、かなり切迫しない限りヒメを頼る気になれそうに無かった。それは以前までには薄かった意地であり、アキラが自立心を高めた故の反発心でもある。
 それはあたかも親に反抗する子供のような心境。本人が自覚している通り、アキラは良くも悪くも精神的にまだ子供だという事かもしれない。





「……」

 抜き身の刀を青眼に構えたまま、アキラは顔の前を走る刀身越しに無言で目標を見定める。そしてそのまま時が止まったかのように態勢を維持すると、小さく息を吸い込んだ後に刀を水平に構えなおす。
 そして静寂に包まれた中でも微かにしか聞こえないほど静かに、一度だけ呼気の音を響かせると、その静寂ごと引き裂かんばかりに刀を左から右へと水平に振りぬいた。
 刀は目標であった巻き藁に食い込み、芯にあった竹を切断し、その半身を中へと舞わせる。
 それは普段の稽古でも斬り下すか斬り上げることしかしないアキラには不慣れな剣筋であり、本人も納得がいかなかったのか巻き藁に刀身が半ばまで食い込んだところで眉をしかめていた。しかしそばで見ていたヒメにとっては予想の範疇らしく、軽く手を叩くと笑顔でアキラに評価を下す。

「途中で引っ掛かりがあったみたいやけど、初めはそんなもんやけん気にせんで良いよ。それに試し切りでは横切りが一番難しいて言われとるけん、刀歪めずに切れただけで凄いし」
「……そうですか」

 納得したように言いつつも、明らかに納得していない様子のアキラ。ヒメはそれに苦笑を返すと、あらかじめ並べておいた他の巻き藁を好きに切ってみるように言って、道場の隅に退がる。
 力をひたすらに求めるのは良い傾向とは言えないが、欲が出てきたのはアキラが変わった証拠だ。ずっと受け身だったアキラが、自らの意思で変化を望み始めた。
 それはリショウが諭しヒメが危惧するような危険も孕んでいるが、生き抜くためには少なからず必要な事だ。万が一間違えたなら引き戻す。以前マスターが言っていた通り、この真っ直ぐすぎる青年を導くのは大変なのだと、ようやくヒメは理解した。

「本当に基本に忠実やな。出来ることなら実戦なんかせずに、うちの道場継いで欲しいんじゃが」
「アキラくん一人息子やけん、婿養子はむずかしいと思うで」

 いつの間にか隣に居たゲンタの言葉に苦笑しながら、ヒメは壁を背にしてその場に正座する。
 基本を疎かにしないあの姿勢は、早熟なものでは無いが晩年大成するものの片鱗が見える。例え天賦の才が無くとも、生涯を引き換えにした努力のみで高みへと登ることが出来る。それも一種の才能だろう。

「まあでも生き残らんと晩年も何も無いわけやし」
「そのへんは心読めるせいで、異様に感知能力が高いけん大丈夫じゃ無いかのう。まあ試し切りが終わったら、心が読めてもどうしようもない状況を教える必要があるじゃろうけど」
「ほやね。そろそろ私らも本気出そか」

 そう言ってニヤリと笑いながら顔を向き合わせる二人。邪悪な気配を察したのか、巻き藁を切ろうとしていたアキラの手元が狂って刀が足元に落ちる。
 それでも何事も無かったかのように刀を拾っているのは、強がりかそれとも現実逃避か。アキラの性格的には後者の可能性が高いが。

「しかしヒメちゃんの方は少しゆらいどるな。どないした?」
「あー……。ちょいと自分に不甲斐無さを感じてね」

 ゲンタの指摘に、ヒメはしばらく言葉を失った後に笑いながら話したが、その笑みにはいつもほどの力は無かった。

「アキラくんの知り合いの事なら、ヒメちゃん一人の責任や無いで?」
「それについてはもう割り切っとるよ、私もアキラくんも。問題はアキラくんがどっか焦っとることかな。その事について、小埜さんがアキラくんに説法してくれたんやけどね。もし私がおんなじ様な事言っても、小埜さんほど重みのある言葉にはならんかったやろうなと思て」
「そりゃ説教で坊主の右に出るもんはおらんやろな」

 リショウの話しぶりからも分かるように、仏教は哲学的な一面を持っている。成り立ちからして古代インドの思想や哲学に影響を受けており、仏教哲学と呼ばれるものもある。
 古くから伝わる教え、その語り継がれてきたものは決して軽くは無い。しかしヒメには、リショウの言葉が重い理由がそれだけとは思えなかった。

「おっちゃんが言うても、私より説得力があると思う。まあ何というか、自分はまだ人生経験が足りんというか、若造なんやなあと」
「……四捨五入したら三十路やろ」
「女の四年を四捨五入で片付けんな」
「ハグゥ!?」

 呆れたように言うゲンタのわき腹に、右手をそえて威力を増した左エルボーを叩き込むヒメ。ゲンタにとっては完全に不意打ちだったらしく、呻くような悲鳴を上げるとそのまま上半身を折り曲げるようにして悶絶している。
 その様子を横目でみていたアキラは、ヒメが何気に一年サバを読んでいることに気づいていたが、つっこまずにスルーする事にした。





「――もし全てを明らめることが出来る人間が居るならば、その人は生への執着すら明らめる事になります。その上で他者を救う事だけに執着し生きることが出来るならば、それは正に菩薩の生き方です。
 一切の執着を捨てその上で他者を慈しむ。一方的な自己犠牲のようにも見えますが、それは違うのだと個人的には思いますな。
 愛は見返りを求めない。何の偽りも無い無償の奉仕から愛は生まれるのです。
 ただ救うのでは無く、人々に愛の種を蒔く。それこそが菩薩の生き方では無いかと私は思うわけです」




◇◆◇◆◇◆◇◆
あとがきみたいなもの
 スーパー説法タイム(誰得)。法事とかでお坊さんが話してくれる事は、ためになるものが多いです。
 しかし作中に出てきたリショウの言葉は、作者なりの解釈や願望が混じっているので、仏教の教えに興味がある人は鵜呑みにせずに自身で調べる事をお勧めします。



[7405] 第二十話 二つの儀式
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:e700d56f
Date: 2010/01/21 14:25

 闇と同じ色の制服を纏った少女が居る。もう既に午前の二時も回った不自然な時間に。
 丑三つ時と称されるこの時間は、魔物の跋扈するに相応しい時間とされるが、殆どの人が連想するのは「丑の時参り」と呼ばれる呪術の儀式だろう。しかし少女の居る場所は神社の類では無く暴れ川に架かる橋の下であり、橋を支える支柱にはりつけになっているのは藁人形では無く少女自身だった。

「う……うぅ……」
「……」

 コンクリートで出来た無骨な支柱に身を預けていた少女が、唸るような声を漏らしながら座り込む。そしてその姿を、無言で見つめる影がある。

「う……うあ……!?」

 呻き声がいっそう高くなったように聞こえた瞬間、それまで閉じていた少女の目が大きく見開かれ、跳ね上がるようにその体が起き上がる。
 少女の瞳に狂気の色が宿り、目前に佇む影を写す。そしてその影へと少女の手が伸び、ぐしゃりと何かが潰れるような音が橋の下に響き渡った。


「……またかよ」

 静寂を取り戻した橋の下に、吸血鬼の落胆したような声が広がる。その吸血鬼の前には、柘榴の実を壁に叩きつけたような光景が広がっていた。
 見ているだけで常人なら気分が悪くなるであろうそれを見て、吸血鬼は呆れたように右手で頭をかこうとしたが、その手に柘榴の一部が付着しているのに気付き、さらに気がめいった様子を見せる。

『フフ……いつまでこんな事を続けるつもりかしら?』
「おまえか俺が飽きるまでじゃねえ?」

 内側から聞こえて来た女の声に、吸血鬼は右手を舐りながら返す。その顔には笑みが浮かんでいたが、右手を口から離す頃には笑みは消え、代わりにうんざりしたような色を見せる。

「とは言え、本当いつまでここに居るかね。そろそろ獣人の数も足りなくなってきたしな」
『あの子を使わないの? 目的を達するなら、あの子の豊富なマグネタイトは魅力でしょう?』
「ああ……ありゃダメだ。あれは俺の天敵だ」

 女の言葉を否定する吸血鬼は、言葉とは裏腹に嬉しそうだった。その様子を、女は怪訝に思い問う。

『天敵? 心を少し読めるだけの、ただの人間が?』
「ああ天敵だな。ありゃ諦めるって事を知らない人種だ。冗談みたいに確率の低い未来を引き寄せて、恐怖の魔王すらぶっ殺しちまう勇者という名のただの人間だ」
『……買いかぶり過ぎでは無いかしら?』
「だよな」

 自分で言っている内にありえないと思ったのか、吸血鬼は女の言葉にあっさりと同意すると唇の端を持ち上げて笑った。

「どんなに祈ったって奇跡なんて起きやしねえよ。何でもありの殺し合いの中で生き残るのは、他人すら利用する残酷なまでに冷静な人間だ。だろ、そこのおっさん?」
「……」

 世間話をするように、街灯の光の届かない橋の影となった闇へと吸血鬼は呼びかける。それに対する返答は無かったが、不意に何かを擦るような音が聞こえてくると、小さな火が闇の中に現れる。
 それはライターの火だった。そしてその火に照らされて闇の中に浮かび上がったのは、煙草をくわえた九峨と、白装束を纏ったセンリの姿。
 夜だというのに九峨の双眸はサングラスによって覆われている。しかし視界には何の影響も無いのか、火のついた煙草をくわえたまま吸血鬼へと顔を向けていた。その視線には何の感情もこもっていない。吸血鬼のそばには無残な姿となった少女の死体があるというのに、それを風景の一部のように見流している。

「人の心が信じられないのは、おまえが化け物だからか。それともガキだからか」
「ハン? あんたがそれを言うか。今更友情だの愛にでも目覚めたってのかダークサマナー?」

 ライターの火を消しながら放たれた言葉に、吸血鬼は一瞬意表をつかれたように顔をしかめたが、すぐに嘲弄するような笑みを浮かべて九峨へと問いかける。
 それに九峨はすぐには答えず、左手でくわえていた煙草を口から離すと、ゆっくりと煙を吐き出した。後ろに控えるセンリも、主の言葉を待っているのか身動き一つしようとしない。

「……そうだ。だから俺はここに居る。ダークサマナーでは無く、一人のデビルサマナーとして」
「ハン。興醒めだぜ、まったくよ!」

 言葉とは裏腹に、吸血鬼は目を見開き口元を歪めて笑う。それを見た九峨は煙草を指先で弾き、両手にしていた手袋の調子を確かめるように引っ張ると、拳を握りボクサーのように構えた。

「――らあぁっ!!」
「――フンッ!!」

 動いたのは同時。吸血鬼が十メートルほどの距離を一蹴りでつめながら手の指をピンと伸ばして突きを放ったのに対し、九峨は左足で一歩だけ踏み込むと腰を回転させて右ストレートを放つ。
 キィンと甲高い音を立てて、吸血鬼の爪と九峨の手袋に付いていた金属板が衝突し、しかし弾かれた両者の手は誘導装置でもついている様にお互いの顔面へと突き進む。

「ハアァッ!」

 九峨は流石に吸血鬼と回避無しの消耗戦をするのは分が悪いと判断し、上半身を右へと反らして吸血鬼の爪を避ける。
 当然不自然な態勢になったためにその拳は吸血鬼の顔から大きくそれたが、九峨は上半身をゴムのように無理矢理起こすと、そのままの勢いで右フックを吸血鬼目掛けて叩き込んだ。

「!?」

 しかしその拳は、突然霧となった吸血鬼の体を抵抗無くすり抜けてしまった。視線を向けた先に吸血鬼は居らず、先ほど弾いた煙草が火の粉を散らしながら地面へと落ちる様子だけが目に入る。

「センリ!」
『――マハザンマ!』
「おおっと」

即座に状況を把握した九峨は、バックステップでその場から離れながらセンリの名を呼ぶ。それだけでセンリは九峨の命令を汲み取り、霧へと衝撃波を放ったが、吸血鬼はそれを予想していたように橋の支柱を盾にして衝撃波から逃れた。
 九峨とセンリは迷う事無く吸血鬼を追って支柱の裏へと回りこんだが、そこに既に吸血鬼の姿は無く、その場には九峨とセンリ、そして少女の死体だけが残された。

『……追いますか?』
「いや。俺達では分が悪い」

 獣としての習性か、鼻をひくつかせながら周囲の臭いを探るセンリに、九峨は地面に落ちた煙草を拾いながら答えた。考えるのは、最後までやりあって勝算があったかという事。そしてその答えは、先ほどの言葉通り分が悪いという一言に尽きる。
 九峨は魔法や超能力といった異能を持っていない。物理的な攻撃を霧となってすり抜ける吸血鬼相手では、例えセンリの魔法があったとしても、連携の要である九峨自身が足手まといとなり、本来の実力は発揮出来ないだろう。気付かれる前に他の仲魔も召喚しておかなかった、九峨のミスだと言える。
 だからと言って、九峨が実力不足という事は無い。総合的な戦闘能力では、自惚れ無しでこの街で五指に入ると断言できる。ただ吸血鬼との相性が悪いのだ。
 悪魔を使役できる以外は普通の人間と変わらない。そういったサマナーは悪魔召喚プログラムによって悪魔召喚の敷居が下がってからは、ポピュラーなタイプだといって良い。
 もっとも重火器や剣といった武器に頼らず、少し丈夫な金属板がついた手袋のみで悪魔と渡り合う九峨を、普通と言って良いかは大いに疑問が残る所だが。

 九峨は煙草をくわえなおすと、吸血鬼の逃げていった川の向こうへと目を向ける。

「……普通に川を越えるとはな」

 そして吸血鬼が、弱点の一つであるはずの流水をものともしなかった事に気づき、呆れたように呟いた。





 堀の内という地名がある。
 全国各地で見られるその地名は、多くの場合はその名の通り堀がある、もしくはかつて堀があった場所の内側に存在する。そしてそれはこの深山市にある堀の内にも当てはまる。
 頂に城を構える山の南西の方角を囲む凹型の外堀は、一辺の単純な長さだけで一キロメートル近くになり、そばを走る国道を歩くだけで調度良い散歩になるであろう程の規模を誇る。先の大戦後には埋め立てる案が出たのだが、地元の有力者らの努力によって整備され、今では多くの鳥達が羽休めに訪れ、公園の湖のような美しい景色を見せてくれている。
 そのお堀のそばを、アキラ達は歩いていた。

「集合場所って堀の内なんですか?」
「うん。この街の裏をしきっとる、宮間ていう家の屋敷があるけん」

 まだ日も登りきっていない頃に起こされこうして歩いているのは、その宮間の当主によって深山市に居る全ての裏の人間が呼び出されたからだ。
 いつまで経っても吸血鬼は捉え切れず、被害者だけが増えていく状況に、普段なら好き勝手に動いている人間を一纏めにする必要性が出てきたという事だろう。突然の召集という事を考えれば、吸血鬼以外にも厄介事が出てきた可能性もある。

「しかし宮間(みやま)というのは、もしかしてこの街の名前と何か関係が?」
「ある意味でこの街そのものやけんね。千年以上もこの深山という街を守ってきた、由緒正しいお家柄ってね」

 さらりと千年と言われてアキラは驚く。しかしこの四国に存在する日本七霊山の一つである石鎚山が、かの役小角によって開かれたのが飛鳥時代であることを考えれば、その時代から根付いている一族が居てもおかしくはないだろう。それでも千年も没落していないのはおかしいが。

「それはともかくアキラくん。もっと堂々としたら?」
「……無理です」

 隣を歩くヒメが呆れたように言葉をかけたのに、アキラは肩にかけた紐を確かめるように背負いなおした。振り返った一瞬に、肩にいたピクシーが情けなさそうに溜息をついたのが見えたが、無視する事にする。
 その背にあるのは、一見すると黒色のただの竹刀袋。しかしもしそれを誰かが手に取れば、その重さに驚き中身が竹刀でない事を悟るだろう。

「刀ならぎりぎりセーフやん。表向きにちゃんとアキラくん名義で許可貰っとるし」
「俺の記憶が確かなら、護身用に木刀を車に置いておくのもアウトだったはずなんですけど」

 警察というのは、大抵の場合融通がきかない。例えそれがアウトドアなどで使うナイフだとしても、正当な理由無く所持していれば違法とみなされる可能性がある。
 護身用に武器を所持するのは構わないじゃ無いかと思う人もいるだろうが、正当防衛が成り立つのは止むを得ず反撃した場合であり、待ってましたとばかりに凶器で反撃するのは過剰防衛と判断される。過剰防衛となる武器を所持するのは、差し迫った危険を予期でもしていない限りは許されないと思うべきだろう。
 そしてアキラにとって差し迫った危機とは悪魔だ。その存在を軽々しく説明出来ない以上、アキラは法的には危険物所持状態であると言える。銃を懐に忍ばせておいて何を今更といった感じではあるのだが。

「まあ万が一捕まっても、しばらくしたら上の方から圧力かかって釈放されるし」
「上ってどこですか!?」

 突然アンダーグラウンド気味なフォローをされて、アキラは落ち着くどころか慌ててつっこみを入れる。
 それを見てアキラに見えないように笑うヒメ。わざと順を追わず説明し、アキラが慌てる様子を愛でるのが最近の彼女の密かな楽しみだったりする。アキラが知ったら「俺で遊ぶな!?」と叫ぶことだろう。

「召喚師やら退魔士とかのオカルトの関係者は、それが必要ならある程度の違法行為は見逃されるんよ。あくまで見逃されるだけやけどね」

 それは遠回しな牽制でもある。いざとなれば、警察は裏の人間を罪にとえるという事なのだから。

「そもそもこの手の事に国が介入するんも難しいしね。知っとる? 呪殺って違法や無いんよ?」
「……呪殺したという証拠があってもですか?」
「うん。上司に丑の刻参りして訴えられたけど、呪いというものが証明出来んけん無罪になったていう人も居るし。まあ素人が呪いに手ぇ出したら、冗談抜きで穴が二つになるけどね」

 そこまで話を聞いたアキラは、しばし沈黙して頭をめぐらせる。
 法で縛られないのならば、裏の人間の一部はやりたい放題だ。無論ヒメたちのように人のために戦う者も居るだろうが、人というのは欲に流されやすい。取り締まるものが居なければ、自然と悪事を働く者の方が多くなるのでは無いか。
 そこまで考えて、アキラは以前ヒメが言っていた事を思い出す。平安時代の陰陽師。その流れを汲む退魔機関が、いつの時代も存在したと。

「前に言っていた陰陽師というのは、今もまだ国の傘下にいるんですか?」
「ん……ああ、葛葉一族て呼ばれとってね。一応は日本のために働きよるけど、この街には入って来れんやろうね」
「……何でですか?」

 日本を守る人間が入って来られないと聞き、アキラは意味が分からず問う
 もしかして深山市は、いつの間にか外国になっていたのだろうか。

「まあ色々あるけど、一番の理由は宮間と葛葉の仲が悪いことやね」
「それくらいなら押し切ってくるんじゃあ?」
「そんでもって、おっちゃんとことか小埜さんとこみたいな、古くからこの地に根付いて実力もある家系が宮間に協力的なこと。その上それらの家系が、この深山という霊地を代々守ってきたていう自尊心があるけん、上から目線で協力要請されても叩き出してしまうけんかな」
「……縄張り争いみたいですね」
「みたいじゃ無くて、まんま縄張り争いやと思うよ」

 例えるなら、所轄の刑事と本庁の刑事の対立のようなものだろうか。所轄の刑事が本庁の刑事をたたき出したら、ただでは済まないだろうが。

「まあそれでも葛葉の連絡員が滞在しとるし、以前よりは軟化しとるんやけどね。最近は外から葛葉と悶着起こした事があるフリーの人も移住してきよるし」
「前半と後半で矛盾してませんか?」

 相変わらず話にツッコミ所を作りまくるヒメに呆れて、アキラはためいきをつく。そしてそのまましばらく無言で歩いていたのだが、お堀にかかる橋を中ほどまで渡った所で、空気が澄んだものに変わったことに気付き首を傾げる。
 
「……何か空気が違いませんか?」
「ああ、「災いは水の流れを越えられない。そうあるべきである」やっけ?」

 アキラの問いに、ヒメはかつて誰かに聞いたのであろう言葉を反芻するように呟いたが、その意味はイマイチ理解できない。

「私も良くは知らんけど、お堀自体が結界の役割をはたしとるんやって。堀の中に一般の車が進入禁止なんも、表向きは環境保護やけど、なるべく人の出入りを少なくするためらしいし」
「でもお城への観光客がかなり来るんじゃあ?」
「アキラくんお城行った事無いやろ? お城直行のロープウェイは北側にしかないけん、わざわざ南側の堀の内に入ってくる観光客は、きっつい山道登りたい物好きな人たちだけやで」

 堀の内は立ち入りこそ禁じられてはいないが、実質的には宮間の私有地に近いという事だろう。広い堀に一本しか橋がかかっていない事を考えても、この土地は他者が立ち入る事を忌避しているように見える。

「……」
「って、どしたんアキラくん?」
「……いや、何でもありません」

 アキラが堀を沿うように存在する林の方を見ながら硬直しているのに気付き、ヒメは何事かと思って問い質したが、アキラは何事もなかったように前を向いて歩き始める。
 その冷静な見た目の内側で、アキラは先ほど見たものを見間違いだろうと忘れることにした。いい加減に悪魔の類には慣れてきたが、見た目はどう見ても普通のタヌキが、二足歩行しているというのは受け入れがたかった。





 宮間の屋敷は、期待通りというべきかまるで寺院のような立派な木造のお屋敷だった。家を支える濃い焦げ茶色の柱が歴史を感じさせるのに対し、汚れ一つ無い白い壁は年代を感じさせない清潔感がある。
 空気を入れ替えるためか開け放たれた廊下の戸の中は、太陽の光があまり入らず薄暗く見えるのだが、松や椿といった木々の彩りに包まれる明るい庭とのコントラストで独特の美しさすら感じさせる。
 そして何より圧倒されたのはその大きさ。木造の日本家屋といえばヒメの家もそうなのだが、そのヒメが一人で住むには広すぎる屋敷と比べても、宮間の屋敷は数倍以上広いように見えた。正面からでは門構えや横の広さはともかく、奥行きは把握出来ないので、もしかしたら本当に寺院並に広いのかもしれない。

「ようこそお越しくださいました、赤猪様」
「久しぶり八塚さん」

 アキラが屋敷に圧倒されながらもヒメについて玄関まで来た所で、待ち構えていたように木組みのガラス戸が開き、中からタイトスカートスーツ姿の女性が現れる。
 下げられていた顔が上げられた瞬間に印象に残ったのは、長い黒髪の間から見える鋭く涼しげな瞳。もし彼女がその態度で歓迎の意を示していなければ、その瞳は冷たくすら見えただろう。
 だがそんな事も気にならない程に、彼女の姿は異様に見えた。体に絡みつくように、半透明の白いイタチのようなものが浮遊しているために。

「そちらは?」
「あ、はい。弟子の深海アキラと申します」

 八塚と呼ばれた女性に尋ねられ、アキラは慌てながら名乗る。そしてアキラの名を聞いた八塚の目が少しだけ細くなったのだが、アキラもヒメもそれに気づく事はなかった。

「では、赤猪家の方としてお招きいたします。お二方ともこちらへどうぞ」
「それじゃあお邪魔します」
「……お邪魔します」

 この状況で「お邪魔します」と言うのにアキラは違和感を覚えたが、実際に宮間さんの家にお邪魔するのだから間違ってないと思い直しヒメの後に続く。
 しかし口に出しても違和感は消えなかった。少し考えて、この屋敷はやはり家というより寺院か何かにしか見えないのが原因だろうとアキラは一人納得した。





 案内された部屋は、何の飾り気もなくただ来客用の座布団が用意されているだけの座敷部屋だった。
 少し細長いその座敷には、左右の壁を背にして二十人近い人たちが向かい合って座っており、どこか思い雰囲気を感じさせる。座り方こそ違うが、それはまるで時代劇の殿様を待つ家臣たちのようだとアキラは思った。

「何というか、統一感がないですね」
「まあ正装して来いとも言われてないし」

 座っている人々の服装を見て呟いたアキラに、ヒメも他の人間には聞こえないように小さな声で返す。
 アキラたちより左手には比較的若い人が多く、服装もスーツだったり着物だったりカジュアルな普段着だったりと様々だ。そして右手側にいるのは、黒い袴姿のゲンタとアヤの二神家の他に、袈裟姿のリショウと少年の小埜家、巫女服姿の老婆と少女の金凪家。
 ヒメ、そしてアキラは黒いスーツ姿なのだが、調度それを境に左右の人々に服装に差があるようにも見える。

「見たら分かると思うけど、私らより右側におるんは数百年単位で退魔に関ってきた古い家系の人らやね。まあアキラくんは別に気にせんでええよ。よっぽどの問題起こらん限りは、この集まりは一年に一回だけやし」

 ヒメがそこまで言った所で、左手にある襖が開き八塚が礼をして入ってくる。そして無言のまま座っている人たちの前を横切ると、右手にある襖の前に立ちもう一度礼をする。
 そして一度その場に膝を着くと、両手でゆっくりと隣の部屋との境界になっている右手の襖を開けていく。

「……?」

 その襖の向こうに姿を見せた人物を見て、アキラは不意をつかれて間抜けな声を出しそうになった。恐らくは今回召集をかけた張本人であろう宮間の当主の姿が、アキラの予想していたものとは大きく異なっていたために。

「皆様。まずは突然の召集でありながら、一人として欠ける事無くお集まりいただいたことにお礼申し上げます」

 そういって頭を下げたのは、白い狩衣を纏った女性。しかしその見た目は少女の面影を残しており、ヒメより、もしかしたらアキラよりも若いかもしれない。
 ゲンタやリショウのような壮年の男性が出てくる事を予想していたアキラにとって、宮間の当主のその姿は予想外にも程があった。

「通例ならば、この場において先ず行われるのは皆様各々の生業の報告なのですが、此度は火急の案件がございますのでそれらはまたの機会にお願いいたします」

 その言葉に特に反論は起こらなかった。必要が無いから当然なのだが、アキラはそれ以上にその女性の場を仕切るその様に驚いていた。
 女性特有の高い声と柔らかな態度でありながら、そこに威厳のようなものが見えたのはアキラがこの場の雰囲気に飲まれているからだろうか。少なくともその瞳には、生まれついてのものか環境により育まれたものかは分からないが、人を従える者の厳かさを感じる。

「皆様もご存知の通り、四月ごろより日本各地に獣人の類が現れ始め、先月にはその元凶と思われる集団が行動を見せ始めました。この深山の地においても、強大な力を持つ吸血鬼と悪魔召喚師の手により、水岐タウンが異界に呑まれるという凶行を許してしまいました。
 吸血鬼と召喚師のうち、タタリクスと名乗った召喚師は赤猪家の方々の手によって討たれましたが、吸血鬼は幾度も姿が確認されながらも逃亡を続けています。僅か数時間前にも、九峨様が吸血鬼が少女を殺害する現場に遭遇しましたが、残念ながら討ち取るには至っておりません」

 その言葉にその場に居た人間のうちの何人かが九峨へと視線を向けたが、九峨は何の反応も見せずにただ前を見て微動だにしない。サングラス越しでは、彼が何を思っているのか一人の例外を除いて読み取れる人間も居ないだろう。

「このまま後手に回っていては、吸血鬼を捕らえる事は難しいでしょう。故に、この場にいる方々全てに、吸血鬼の捜索及び排除を依頼いたします」

 命令では無く依頼。つまりは報酬が支払われるという事である。それを聞いてやる気の見えなかった一部にも、目に力が入るのが分かる。

「被害者の分布から見て、吸血鬼が深山市の北東方面に潜伏しているのは間違いないと思われます。もちろん他の地域に潜伏している可能性もありますが、まずは北東方面より、警察の方々と協力し虱潰しに探索を行います」

 動かせる人数こそ少ないが、それは人海戦術によるローラー作戦と言えるだろう。今この瞬間に、深山市に吸血鬼包囲網が築かれた。

「以後の連絡は、その場の状況次第により携帯電話と私の使い魔で並行して行います。皆様の尽力により、この深山の地に一刻も早く平穏が訪れる事を期待します」





「どうぞ、粗茶ですが」
「……どうも」

 目の前に置かれたお茶の入った湯飲みと、それを置いた人物を交互に見ながら、アキラは緊張した面持ちで礼をした。
 今後の明確な方針が決まり、いざ解散となったときに、アキラは八塚に呼び止められてヒメと共に別室へと通された。それだけならここまで緊張はしなかっただろう。木目のあざやかな机を挟んで座っているのが、先ほど見た目相応とは言いがたい威光を見せた女性で無ければ。

「アキラくん、年下相手にそんな緊張戦でもいいやん」
「いやそういうわけにも……年下!?」

 完全にリラックスして茶を飲むヒメに言われて、アキラは反論の途中で意外な事実に気付いて驚く。
 若いだろうとは思っていたが、まさか本当に自分より若いとは思わなかった。しかしその反応は、いささか女性には失礼なものだろう。

「その反応がどういった意図のものか気になりますが……まずは自己紹介を。現在の宮間家当主、宮間ツバキと申します。信じがたいのかもしれませんが、今年で十九になります」
「いえ、その、失礼しました。赤猪ヒメさんの弟子で深海アキラと申します」
「それで、何で私らを呼んだん?」

 どこか怨念のこもった目を向けられて畏まって名乗るアキラを尻目に、ヒメはいつもと変わらない様子でツバキに問いかける。その様子にアキラは二人の関係や立ち位置といったものが気になったが、口には出さずにツバキの答えを待つ。

「先ほどは申しませんでしたが、虐殺の行われた水岐タウン。そして獣人を倒した地より、マグネタイトを収奪した痕跡が発見されています。恐らくは、大量のマグネタイトを集め、高位の悪魔を召喚する腹積もりなのでしょう」
「召喚した所で制御出来るんですか?」
「相応の能力があればね。まあ単に何かを破壊したいだけなら、制御できんでも十分やし。怪獣が街で暴れるようなもんやね」

 ツバキの説明に疑問を持ったアキラに、ヒメは肩をすくめながら答える。それなりにデビルサマナーとしてプライドを持っているヒメからすれば、暴走前提の召喚は邪道と言っていい。

「そんで、それをさっき言わんかったんは吸血鬼に集中させるためなんやろうけど、何で私らに話すん? 私のパイプ期待しとるんかもしれんけど、葛葉も正直なとこ此処に回す戦力は惜しい状況みたいやで?」
「期待しているのは、そちらの深海さんです」
「……俺?」

 頬杖をつきながら聞いたヒメに、ツバキは視線をヒメから外すと強い光を秘めた眼をアキラへと向ける。しかしアキラには、自分が期待される理由が分からない。
 一方のヒメはツバキが何を企んでいるのか気付き、机についていた手を戻すと腕組みをしながら渋い顔をする。

「目には目をってこと?」
「はい。最悪の状況、敵が何らかの高位の悪魔を召喚する事に成功してしまった場合には、こちらも高位の悪魔を召喚し対抗します。そしてその時には、深海さんに助力をお願いしたいのです」
「……なるほど。俺の生体マグネタイトを使うわけですね」

 納得はしたが、同時に驚くアキラ。今の言葉を全て信じるなら、吸血鬼が虐殺をしてまで集めているマグネタイトに匹敵する生体マグネタイトを、アキラは保有している事になる。
 そしてそれが事実だとしても、まるで生贄のような扱いに不安が無いわけでは無い。

「体に悪影響は無いんですか?」
「マグネタイトが枯渇するまで吸い上げられれば、最悪の場合死に至るでしょうが、もちろんそんな真似はいたしません。元よりこの堀の内には、高位の悪魔を召喚するための儀式の場がありますので、負担は最小限に抑えられるはずです」
「昔ながらの手間隙かけた儀式召喚やね。という事は召喚するんは仏教とか神道系?」
「それは秘密です。悪魔というより神である事は否定しませんが」

 そこまで言うと、ツバキは改めてアキラへと向き直る。

「深海さん。この依頼、受けてはいただけないでしょうか」
「構いません。俺もこの街の生まれですから、それを守る事が出来るならむしろお願いしたいですし」

 あまり深く考えた様子も見せずに了承するアキラを見て、ツバキは安堵したように微笑み、ヒメは呆れたように頬杖をついた。
 反対する理由は無いが、この一度決めたら一直線な青年が、危機的状況において一番安全な場所で召喚儀式が終わるまでジッとしていられるのか、ヒメには果てしなく不安だった。





「ツバキ様。お二方ともお帰りになりました」
「ええ。ありがとうございます八塚さん」

 ヒメとアキラを玄関まで案内した八塚が戻ってきたのを確認し、ツバキは礼を言うと少し残念そうな様子を見せた。

「深海さんは、私の心を読まなかったようです」
「……しかし彼がサトリなのは、師である赤猪様も認めておられます」

 どこか安堵したようにも見えるツバキに、八塚は戒めるようにアキラが心を読める事が間違いない事を告げる。それにツバキは小さく頷いて見せると、静かになった室内に染み渡るように言葉を紡ぐ。

「深海は深見。人の深淵を覗き見るサトリの一族。偶然でしょうか。それとも……」

 その呟きに答える者はなく、屋敷の静寂の中へ溶けるように消えていった。




◇◆◇◆◇◆◇◆
あとがきみたいなもの
 なげえよ。一話辺り六千から八千字を目安にしているのに、この作品はよく一万近くになってしまいます。
 地の文が長いせいですね。たまに改行もしてない字の塊を発見して、慌てて改行してますこのSS。



[7405] 第二十一話 七人ミサキ
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:e700d56f
Date: 2010/04/27 13:18

 吸血鬼と聞いて人々は何を連想するだろうか。
 恐らく多くの人がドラキュラ伯爵を連想し、次いで蝙蝠や霧といった特徴、そして十字架やにんにく、銀の弾丸といった弱点を思いつくだろうか。
 ちなみに銀の弾丸については後世の創作だとする説もあるが、地域の民間伝承(噂程度のものだが)では、吸血鬼らしき不死身の女に襲われた男が、銀の弾丸を撃ち込んで女を殺したという逸話がある。逆に吸血鬼と対峙者の信仰によっては十字架が効果を及ぼさ無い場合もあり、思わぬ不意をつかれることもある

 ともあれ、その特徴や行動には諸説あるものの、共通するのは彼らが人間を越えたバケモノだという事だろう。
 だがそのバケモノを、人は幾度となく打ち倒してきた。


「……湊町の空き家が制圧されたか。あそこは城に近いから、いざってときに重要な拠点だったのによ」
『近いなら相手も警戒することくらい分かっていたでしょう。敵の懐に伏兵を長期間放置しておくなんて、頭に血が巡っていないの貴方?』

 昼間だというのに薄暗い倉庫の中で、吸血鬼は太陽の光を避けるようにダンボールの山の中に埋もれながら呟いた。それ対して女の声が内から蔑みの色を含んだ言葉を投げかけてきたが、吸血鬼は「ありえる」と思い反論もせずに一人頷く。
 吸血鬼と聞けば、人によっては老獪なイメージを抱くかもしれないが、この場にいる吸血は三十年も生きていない若造だ。それに吸血鬼としての力を手に入れてからは、大抵の事をごり押しで解決してしまい、頭を使う事の方が少なかったと断言できる。

『それに紙の山に埋もれて寝ている場合なの? 先ほどから外が騒がしいのだけど』
「ああ。大方雑魚が群れで来てんだろ。昼間は動きたくねーんだけど、てきとーにやりあって、やばかったら逃げ……」

 その言葉を吸血鬼は最後まで続けることができなかった。
 広さ五十平方メートルほどの、本来は収穫した蜜柑がつまっているはずの、見た目はそう頑丈そうではない古い倉庫。その倉庫全体が共振するように軋むような音が漏れたかと思うと、バキリという豪快な音を立てて巨大な屋根に隙間が出来る。

「……」

 そしてそのまま宙に浮いた屋根は、ゆっくりと倉庫の上から移動していく。屋根が移動していく中で、その後ろに屋根を吊っているのであろうケーブルのようなものが見えたが、それを魔法で切断するなどという対処も思いつかず、吸血鬼は突然の理不尽な光景を呆然と眺めていた。

「気分はどうだ吸血鬼?」

 一連の出来事に呆然としている内に入ってきたのか、いつのまにか倉庫内に居たスーツ姿の男に問いかけられ、吸血鬼はダンボールの山の中から身を起こしながら答える。

「……最悪だよ。俺が日光浴びたら一発で灰になるタイプだったらどうするつもりだ」
「灰は川に流すのが筋やろな。今の時期は暴れ川は干上がっとるし、御坂川にでも流そか」

 九峨の代わりに答えたのは、袴姿のゲンタだった。そして九峨のそばに立つゲンタのさらに背後には、九峨の仲魔であろう悪魔達が無言で吸血鬼を見据えている。

「なるほど。ここで俺を仕留める気か」
「過剰かもしれんが。それに例え灰にならずとも、日の光を浴びて無事では無いだろう」
「……」

 あごに手をあてながら言う九峨に、吸血鬼は顔をしかめながらも無言を貫く。確かに日の光を浴びた全身は、熱した鉄板を押し付けられたように熱と痛みを訴えているが、それを馬鹿正直に肯定する意味はない。

「さすがダークサマナーってとこか。手段を選ばない上に無駄に大規模だなオイ」
「最初は倉庫ごと爆破しようとしたが、二神に止められた」
「……ダメだ。嫌味のさらに上を行きやがった」

 白昼堂々倉庫一つを爆破。どう考えても一応は正義側に立つ人間がすることでは無い。そういう意味で吸血鬼の嫌味は正当なものだと言えるのだが、九峨自身はそれがあまり気に入らなかったらしい。

「何をしても俺の過去は変わらん。だがそう何度もダークサマナーと呼ばれると、不思議と腹が立ってくる」
「ハン、そんなの図星だからに決まってんだろ。いくら人のためだと言いわけしたって、おまえの根っこは悪人なんだよ」
「そろそろ黙ろか。ワシも腹が立ってきたわ」

 





「……はい。ええ、その場合は別料金となりますが、よろしいでしょうか?」

 パソコンの前に座り鬱陶しそうに前髪を片手で押さえながら、アキラが電話を片手に任された仕事の確認をしている。シャツの袖は捲り上げられ、ネクタイもゆるめられており、その姿はアキラにしては珍しくだらしないと言われそうな状態だ。
 それにも関らず、応対する声にその色を微塵も見せないのは、流石はカズトの同類とヒメに評されただけはある。

「……えーと、全体的にピンク系のふわっとした感じで、上の方はキラッとした感じですね。分かりました」

 相手の言っている事を確認しているのか、らしくない擬音混じりの表現を返した後、アキラは耳に当てていた携帯電話を離すと通話を切る。

「って、分かるかああああぁっ!?」
「……きとるなーアキラくん」

 ちゃぶ台があったらひっくり返しそうな勢いで、アキラは携帯電話を握り締めたまま絶叫する。いつもならありえないアキラの雄叫びにヒメは少し驚いたが、その内容がつっこみである事に気付くと違和感が消える所か納得した。
 自分の仕事をこなすヒメの足元では、白色の一般的な扇風機が唸り声のような音を上げながら風を送り出している。
 服装も膝上何センチという表現をするのが馬鹿らしいくらい短いスカートに、肩がほとんど露出した上着と軽装だ。しかしそれでも汗ばむ体が気持ち悪いらしく、時折肌を拭うように手を動かしている。

「さすがのアキラくんも、電話越しに相手の考えとる事は読めんのやね」
「読めてもどうにもなりませんよ。どうも説明でするための語彙が少ないとかではなくて、単に自分でもイメージがはっきりしてないだけみたいですから」

 ヒメの言葉にうんざりといった感じに答えるアキラ。喉を潤そうと既に温くなってしまったアイスコーヒーに手を伸ばすが、二つあるコップの中のうちの一つに入っているものを見てさらに疲れたように溜息をつく。
 水の中に氷と一緒に浮かんでいるのは、白い肌をさらしたピクシー。さすが妖精というべきか、ガラスのコップの中で水と戯れる姿は、見るものが見れば幻想的な美しさだと讃えるだろう。
 しかしそれを見てアキラが真っ先に連想したのは、妖精の瓶詰め。ヒメの言う通り、どうやら暑さと疲労でギアがおかしな方向に入っているらしい。

「ヒメさ~ん。電気屋さん他に用事があって~、後一時間は来られないそうです~」
「えー、この暑さを一時間も耐えろって言うん」

 冷房の効いている応接室から出てきたアヤの言葉を聞き、ヒメは絶望したように頭を抱え、椅子の背にもたれるように体を反らす。
 その姿は、もし彼女が中身まで完全な英語圏の人間であったなら、「オーマイガッ!」と叫んでいるだろうと思わせるほどの絶望っぷりだ。

 ヒメとアキラを苛立たせているこの事務所内の異常な暑さは、今の季節が夏であるという当然の状況以外に、エアコンから突然水が漏れて壊れたという原因が存在する。
 水が漏れるという事は、恐らくコンプレッサーの故障だろうとアキラは診断したが、原因が分かったからと言って直せるわけがない。工大出とは言え畑違いであるし、何より本当にコンプレッサーの故障であるなら変えの部品が無いと直しようがない。

「そうや! ヒーホーや!」
「「ヒーホー?」」

 突然立ち上がりながら叫ぶヒメに、アキラとアヤは首をそれぞれ左右に傾げながら聞き返す。

「ジャックフロストに冷やしてもらえばいいやん。わざわざ魔法使わんでも、居るだけで涼しそうやし」
「あー、なるほど」

 ヒメの言葉に納得し、懐からGUMPを取り出すアキラ。いつもならば「そんな事に仲魔を使うのはどうなのか」と苦言の一つも漏らしていただろうが、それをしない辺り相当暑さに参っているらしい。

「――SUMMON OK? GO!」

 そしてあっさりと悪魔召喚プログラムが起動され、アキラの足元に魔法陣が浮かび上がる。そして魔法陣の中から白い塊が現れ……。

「……」
『ヒ……ヒホ……』

 溶けていた。
 実体化したジャックフロストは顔こそ原型を留めているものの、腰から下は完全に崩れており、両の手も力なく地面に横たえられている。

『こ……今年の冬は寒いよー……』
「アヤちゃーん。これ冷凍庫に放り込んどいてー」
「え~? 全部入りますかね~」
「……」

 自爆フラグを立てるジャックフロストに、冷静に間違った対処をする女性二人。
 疲れ果ててつっこむ気力も無くなったアキラは、無言でGUMPのリターンキーを押した。





「あーやっと落ち着いたなあ」
「ですね~」

 時刻は変わり午後三時。ようやく電気屋によってエアコンが修理され、室内には冷たい冷気が循環している。
 アキラとしては冷えすぎでは無いかと言いたくなる程だが、所長であるヒメがエアコンのリモコンを握っているためどうしようもない。

「いや、やっぱり冷やしすぎでしょうこれ」
「ええやん。私アイスランド人やけん暑いのダメなんよ。寒いのは大得意なんやけどねえ」
「アイスランドはメキシコ暖流の影響で、最低でも氷点下5℃くらいまでしか下がりません」

 都合の良いときだけアイスランド人を主張するヒメに、室温と同じくらいクールに指摘するアキラ。
 何故アキラがそんな事を知っているかというと、暇なときにヒメの祖父がアイスランド人だという事を思い出し、何となく調べてみたからだったりする。
 普通ならばそんな暇つぶしついでの調べものなど、数日どころか数時間後には頭から抜け落ちそうなものだが、そこはしっかり覚えて忘れないのが、アキラを知識の奴隷とも言える変人たらしめている要因の一つだろう。

「そういえば吸血鬼狩りに進展はあったんですか?」
「何回か見つけたけど、ことごとく逃げられたと。まあチクチクとダメージは与えとるみたいやし、相手が一人しか居らんならその内決着がつかい」
「一人しか居ないなら……ですか?」

 ヒメの言葉に何か引っかかりを覚えたのか、眉をひそめながら聞き返すアキラ。それにヒメはお茶を口に含みながら頷くと、たしなめるように話し始める。

「他の地域でも似たような事件が起きとる以上、仲間が居るんは確実やし、何よりこの手の事件は大小はあっても何度でも起きるもんやけんね。人間が何か企んでなくても、悪魔自体が何かやらかす事は度々あるし、私らは戦い続けるしかないんよ。アキラくんは特にね」
「……はい」

 最後に付け加えられた言葉を聞いて、アキラは重々しく頷き返した。





「――マハジオダイン!」

 吸血鬼が呪文を唱えた瞬間、晴天にも関らず巨大な柱のような雷が地面に突き立ち、うねるように周囲の空間を飲み込んでいく。

『マルカジリ!』
『いまぢゃあ!』

 しかしそんな嵐の中を、雷が獣の姿をとったような悪魔と巨大なサソリの姿をした悪魔――妖獣ライジュウと聖獣パピルザクが突き進み、吸血鬼に食らいつこうとする。

「うぜえッ!」

 しかしその二体を、吸血鬼は無造作に殴り飛ばし踏み潰す。殴られたライジュウは倉庫の壁に叩きつけられると動かなくなり、地面へと叩きつけられたパピルザクは玩具のように足がもげ落ち消え去っていく。

『――マハザンマ!』
『――マハラギオン!』

 しかし二体の悪魔を倒した吸血鬼に休む間を与えず、センリと炎を纏った小鬼――夜魔チュルルックが広範囲の衝撃波と炎によって吸血鬼に追撃を加える。

「もろた!!」

 そして魔法の効果が消えるのとほぼ同時に、ゲンタが飛び出し陽光を反射する刀を振るう。それを防ぎようが無いと判断した吸血鬼は、下手に受けようとせず回避行動をとったが、太陽の光の影響か体は思うように動かず、咄嗟にかばった右腕は切り飛ばされ、左腕にも深い裂傷を負う。

「まだ……やらねえ!!」
「いや、貰い受ける」

 辛うじて残った左腕を力任せに振り回し、ゲンタを弾き飛ばした吸血鬼だったが、その背後から腹が立つほど冷静な男の声が聞こえてくる。

「またてめえか!?」
「フンッ!」
「ぐおっ!?」

 吸血鬼は背後の男を撃退するために振り向こうとしたが、その体は振り向く事すら許されず宙を舞っていた。
 何が起こったかは、背中から這い上がるような痛みが教えてくれた。しかしそれが人の拳によって引き起こされた損傷だとは、吸血鬼の間違った常識をもってしても納得がいかなかった。

「てめえも……人間やめてんだろ……ダークサマナー」
「やめた覚えはない。しかしこの体が人の範疇に収まらないというならば、なるほど俺は人間ではないのかもしれん」

 無様に床にはいつくばりながら吸血鬼が放った負け惜しみに、九峨はそれが大したことでもないかのように、あっさりと認める。

「ならばそれで良い。それで人を救えるのならば、俺は人間であることを速やかにあきらめよう。だが俺を未だにダークサマナーと定義する事は、甚だ遺憾ではある」
「……ここにも居たか、狂人が」

 残った左腕で体を支えながら、吸血鬼は吐き捨てるように声を漏らした。
 理解できない。理解できるはずがない。
 吸血鬼は自らのために殺し、自らのためにバケモノとなった。既に取り返しのつかない所まで来てしまった吸血鬼には、自身と相容れぬものを許容するゆとりは無い。

『終わり……かしら? このままでは放置されただけでも死ぬわよ、あなた』
「まだだ。まだ俺は……!」

 内から聞こえて来た女の声を否定するように、吸血鬼は他人の体であるかのように上手く動かせない体を持ち上げる。
 逃げ出すのは無理だろう。生身では勿論、霧になっても魔法で殲滅される。それに弱った今の状態で霧になれば、形を保てずそのまま霧散する可能性すらある。対抗しようと思えば魔法ならばまだ使える。だが吸血鬼自身が弱体化している上に、相手は嫌がらせのように補助魔法を重ねがけしている。
 今この場に相対しているのがアキラのような新米だったとしても、吸血鬼を殺しつくせるだろう程に状況はつんでいた。

 だがそれを見計らったかのように、恐らくは見計らっていたからこそ、彼女はその場に姿を現した。

「ふふ。命長らえましょうか?「仲魔」の誼として」
「誰だ?」

 その女はいつの間にか、まるで最初からそこに佇んでいたかのように、九峨たちと吸血鬼の間に立っていた。

「修験者……か?」

白装束に傘を被ったその姿はセンリに似ている。しかしその顔は白い布によって覆面のように隠されており、その表情を窺うことは出来ない。
 ただ布の奥から漏れる声が、女が笑っていることを知らせていた。

「おまえは……誰だ」

 吸血鬼の問いに、九峨とゲンタは訝しげに視線を向けあった。だがそんな二人の疑念を気にする様子も見せず、女は再びクスリと笑い声を漏らすと楽しそうな声色で話し始める。

「私が何者か、重要な事かしら? あなたは一度でも、私たちに名前を教えようとしたかしら?」
「……「ファントム」の残りか。今まで何してやがった」
「ふふ。あなたが派手に逃げ回ってる内に、仕込みを済ませておいたの」
「仕込みやと?」

 責めるような吸血鬼の言葉に、女は悪びれる様子も見せずに自身の行動を明かす。それを聞いたゲンタが訝しげに声を上げる。

「ええ、準備万端。後は大雨の日を待つだけ。もしかしたら降らないかもしれないけど、その時はその時ね」
「何でわざわざ教えてんだおまえは!?」
「あら? 教えて何か困ることがあるの?」

 計画をにおわせるどころか暴露した事に吸血鬼は声を荒げたが、女は純粋に心から疑問に思っているように、驚きすら見せながら聞き返す。
 確かに暴露しても止めようなど無い。しかしだからと言って敵に情報を与えてやる必要も無い。吸血鬼はそう反論しようとしたが、目の前の女には言っても無駄だと気付き口をつぐんだ。

「それより逃げないの? どこかに引きこもるなら、大手通近くの廃屋はまだ手つかずのはずよ」
「おまえは俺をどうしたいんだ」

 敵の目の前で堂々と潜伏場所を話す女に、吸血鬼はいよいよこいつは頭の螺子が飛んでいるのでは無いかと危惧し始める。そして吸血鬼の様々な危惧に今更気付いたのか、女は思い出したように手を打ち合わせると、九峨とゲンタのほうへと向き直った。

「ああ、そうね。この人たちが生きてると安心できないなら、私が殺してあげましょうか」
「ほほう。お嬢ちゃん一人でワシらを殺せるんかいな」
「ふふ。私一人じゃ無理かしら。でも私は一人じゃないの」

 軽い口調とは裏腹に値踏みするように視線を向けるゲンタに対し、女は覆面の下で笑うと静かに右手を掲げた。
 するとその隣に、同じ白装束姿の女が突然現れる。そしてそれに連動するように、倉庫の入り口から、柱の影から、何もない空間からさえも、白装束姿の女たちが擬態をやめたカメレオンのようにその姿を浮かび上がらせる。

「ほら、逃げなさい。それともそろそろ死にたいのかしら?」
「……ごめんだ。じゃあお言葉に甘えて俺は退散させてもらうわ」

 得体の知れない女の言う通りにするのは癪だったが、吸血鬼はこの場は素直に逃げることにした。女は余程自信があるようだし、万が一この女が捕まるなり殺されるなりしたとしても、仕込みが終わっているなら問題はない

「ふふ。やはり吸血鬼と言ったところかしら。生にしがみつく貴方の姿、最高に無様で美しかったわ」

 背後から語りかけられた言葉を聞いて、吸血鬼はこの女がやはり異常者であることを悟る。
 この女は藤棚と同じなのだろう。敵の死、自分の死、人々の死。それらを前にして足掻く人間の様を、喜んで眺める狂人だ。

「……狂わなければ生きていけない」

 女の在り方、そして自らの在り方を思いこぼれ出た吸血鬼の言葉は、まるで自身に言い聞かせるような色を持っていた。





[7405] 第二十二話 死刻
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:e700d56f
Date: 2010/04/27 13:17
 病院とは人が生まれる場所であり、人が死ぬ場所でもある。
 特に近代に入り、誰でも当たり前に医者にかかれるようになってからは、それが顕著になっている。例えそれが突発的な事故であったとしても、死に瀕した人は病院へと担ぎ込まれる。
 実際には死んだ人以上に多くの人が救われているのだろう。しかしそれでも病院に死のイメージが付きまとってしまうのは、自分が死を良くも悪くも大きく捉えすぎているためだろうかとアキラは悩む。
 少なくとも、他人とは言え人の死を何度も見届ける事など自分には出来無い。数年ぶりに再会した医者志望の友人の顔を思い出しながら、そう結論した。





 誰も言葉を発することができなかった。
 その場に居る人間の息遣いすら聞き取れる静寂の中、アキラとヒメ、そしてアヤは白い部屋の中……病院の一室に居た。

「……」

 アヤが無言で見下ろす先には、ベッドに横たわったゲンタが居た。
 ゲンタも同じく無言。いや、もうその口が言葉を紡ぐ事はないだろう。既にゲンタは息をひきとっていた。

「……アキラくん。しばらく二人きりにさせてあげよ」
「……はい」

 ヒメに促され、アキラは部屋から出る。一度だけ振り返って見たアヤの後姿は、普段より細く見えた。


「アヤさんは大丈夫でしょうか」

 部屋から出るなり、小声で発せられたアキラの言葉に、ヒメはしばらく考える様子を見せた後溜息をついた。

「大丈夫やないやろ。おばちゃんが亡くなったんが一年前やのに、続いておっちゃん。本当、人が死ぬ時ってなんでこう連鎖的に死ぬんやろ」

 そう言って首を振るヒメにも、いつもほどの明るさは無かった。
 アキラは知らない事だが、ヒメにとってゲンタは剣の師であると同時に、親としては決して褒められる人間ではなかった実父の代わりのような存在でもあった。外見に似合わない訛りも、ゲンタからいつの間にかうつったもの。ヒメの中でも、ゲンタが占める割合は大きい。

「まあしばらくは通夜やら葬式やらの準備で、悲しむ暇も無いやろうけど。そういう意味では、宗教云々抜きでもよく出来た制度やわ」

 そう語るのは、ヒメ自信に経験があるからだろう。ヒメの両親も、既にこの世を去っているのだから。
 アキラ自身は自分の父が亡くなったときの事はよく覚えていない。覚えているのは涙を浮かべながらも笑おうとする母と、金色の髪の……

「……え?」

 見たことの無いはずの光景が頭をよぎった。
 背の高い草と、太陽を隠す木々の枝葉。ぽっかりと開けた場所には魚の泳いでいない湖が広がり、その周りには――

「どしたんアキラくん?」
「え?」

 ヒメの声に呼び戻され、浮かんでいた景色は消えていった。しかしそれをアキラは覚えている。覚えていなかったそれを思い出した。

「所長。神隠しって実際にはどういう現象なんですか?」
「いきなりどしたん? 神隠し言うたら……現実的な事は説明せんでも知ってそうやけん省くとして。神域、つまりは常世とかあの世みたいな別世界に迷い込んだりとか、あとは天狗とか隠し神みたいな妖怪に連れ去られるとかやね。アキラくん神隠しにでもあったことあるん?」
「……はい。よく覚えてませんけど、父の葬式の後に半日ほど。周りの大人は単に迷子になったと思ったみたいですけど」
「ふーん。まあ戻って来れたんはラッキーやったね。浦島太郎ほどではなくても、数年行方不明になったり一生戻って来んかったりするし」

 確かにそれは幸運だったのだろう。しかし断片的に思い出してしまったそれは、アキラに言いようの無い焦りを感じさせた。
 確かに誰かと会い、誰かと話した。そしてそれはとても重要な事だった気がする。
 
「ああ、あとイギリスでは神隠しの事「妖精の国に行った」て言うらしいね」

 それを聞いたアキラは反射的に肩に座る妖精に目を向ける。それに対しピクシーは不思議そうに首を傾げてくるだけ。
 思い出したようにヒメが付け加えた言葉。それがアキラには真実のように思えてならなかった。





「九峨さん生きとる?」
「洒落にならない問いだな」

 アキラがヒメについてやって来たのは、病院の奥の奥にある一室。そこには病院着を纏い、ベッドの上で上半身を起こしている男がいた。
 アキラはヒメが名を呼ぶまで、それが誰なのか分からなかった。
 九峨自身と顔をあわせた機会が一度しかないというのもあるが、何より病室でベッドに腰かけた目の前のタレ目の男と、黒いスーツに身を包みサングラスをかけた男のイメージが一致しなかったのだ。

「それに不謹慎だ赤猪。実際に死んだ奴がいる以上、そういった冗談は言うべきでは無い」
「固いなあ九峨さん。私がおっちゃん死んだの気にしてないとでも思たん?」
「……なるほど。俺の方が無神経だったな。後ろに居るのがおまえの弟子だったか?」
「はい。深海アキラです。表の仕事の方でも所長の手伝いをさせてもらっています」

 話題を帰るためか、九峨が視線をアキラへと向けながら問う。
 不思議な目だとアキラは思った。その目は決して鋭いものでは無いのに、見られると何かに狙われているように落ち着かない。しかし目を合わせてみると、そこにはどこか他者を慈しむような温かみがある。

「なるほど。若い割にはしっかりしている。旧家の跡取り連中には良い指針になるかもしれん」
「何で分かるん?」
「目を見れば全て分かる……とは言わんが見た目だな。見た目がだらしないのに中身がしっかりしている奴は稀にいるが、見た目がしっかりしているのに中身がだらしない奴は珍しい」
「んな安直な……」

 九峨の言葉にヒメは呆れたが、アキラからすればある程度納得できる言葉だった。
 元々ファッション等に興味の無いアキラが服装に気を使い始めたのは、人間の第一印象がどうしても見た目で決まってしまうと実感したからだった。
 ある意味では、九峨の判断がアキラの努力に意味を持たせたとも言える。

「それで、何があったん?」

 唐突にヒメが発した言葉に、病室の空気が変わる。

「……吸血鬼を追い詰めたまでは良かったが、そこに妙な連中が現れた」
「妙な連中?」
「白装束に布で顔を隠した女だ。最初は一人だったが、何処に隠れていたのかいきなり増えた」
「それは妙な連中やね」
「数は全部で七人。得物は刀に銃に魔法に徒手空拳までそれぞれだ。乱戦になると武器を持ってない奴の区別がつかなくなるほど、体格が似通っていた」
「……幻術とかじゃ無いん?」
「いや、似ているだけで完全に同じでは無かった。背の高さはそう変わらなかったが、その道のプロならば胸の大きさで判断出来るかもしれん」
「どの道のプロやねん」

 珍しすぎる九峨のジョークに、ヒメが苦笑しながらつっこむ。もっとも九峨は大真面目に言っていたりするのだが、ヒメやアキラにそれが分かるはずも無い。

「あとは……仕込みとやらが終わっていて、雨が降ると何らかの計画を実行に移すつもりらしい」
「雨……ね。他には?」
「……無いな。情報を無造作に開示しているように見えて、重要な部分は伏せているようだった。あとは……気を失うときに個人的に気になる事を言われた」
「気になる事?」
「ああ。「あなたが真実を知ったとき、どんな反応を見せるか楽しみだ」と言っていた」
「真実……ね。何か九峨さんわざと殺さんかったっぽいねえ」
「屈辱だが、借りを返す機会が出来たと思っておく」

 そう言って九峨は手を握り締める。
 生かされた事。ゲンタが死んだにも拘らず生き残ってしまった事。
 表には出さないが、内心は怒りと悔恨で満たされているのかもしれない。

「話ありがとう九峨さん。そういえばいつ退院するん?」
「怪我は魔法で治したが、宮間に工作を頼まんと、病院側が解放してくれん」
「……工作してから怪我治そうや」





 病院を後にしたアキラたちは、通夜や葬儀の準備を手伝うために二神家へ向かった。
 もっとも既にゲンタの死は周囲に伝わっていたらしく、道場の門下生の何人かが手伝いに来ており、この手の事に慣れていないアキラに出来る事はあまり無かった。

「……本当に悲しむ暇なさそうだな」

 家とは別に建てられた道場の中で正座しながら、アキラは一人呟いた。
 他は忙しそうなのだが手伝える事が無く、逃げるように避難してきたのだが、実際にそうしてみるとサボっているようで落ち着かないのはアキラらしいと言うべきか。
 気を紛らわせるために立てかけてあった木刀を握ってみるが、どうにも落ち着かない。

「……小指に力を込める」

 アキラにとっては今更な基本。それを教えてくれたのは、ヒメでは無くゲンタだった。
 細かい足運びや技についてもそう。ヒメは気付いた事は指摘してくるが、新しい事を教える時はゲンタに任せることが多かった。
 それは手抜きでは無く、ヒメ自身の剣技が我流混じりだったため。そしてアキラには型にはまった剣術を覚えさせた方が良いと、ヒメとゲンタが判断したためであった。

 無言で木刀を振るアキラ。
 こうしていると、ゲンタの指示が今にも飛んできそうな気がする。ゲンタの声が聞こえない事に違和感を覚える。

 ゲンタが死んだと聞いても、アキラはミコトの時ほど動揺はしなかった。しかしそれは、ミコトの時ほど死を受け入れきれて無いためかもしれない。
 ミコトはアキラにとって大切な人間だったが、そう頻繁に会っていたわけでは無い。会うこと自体がイベントといえる、ある意味で非日常に存在する相手だった。
 その逆にゲンタと過ごした時間は多く、稽古のためにほぼ毎日顔を合わせていた。アキラにとって、ゲンタの存在は間違いなく日常の中にあった。

 明日になったらいつも通りに、今この瞬間に当たり前のように、ゲンタが現れて剣の指導を始めてもアキラは驚かないだろう。
 それほどまでに、ゲンタの死に実感が湧かない。日常の一部が壊されたという事が理解出来ない。

「……アキラさん」
「え?」

 突然呼びかけられて、アキラは驚きつつも背後を振り返った。
 そこに居たのはアヤ。当然と言うべきか、その顔にいつものような微笑は無く、能面のように無表情だった。

「あ……手伝いもせずに、すいません。気付いたら木刀を握ってて……」
「ふふ。前に父さんも同じような言いわけしてました」

 少しだけだが笑ったアヤに、アキラは安堵した。しかし同時に、何かがおかしいと感じた。

「……少し相手をしてもらえますか? 一日に一度は体を動かさないと落ち着かないんです」
「良いですよ」

 正直に言えば、剣を握ると手加減を忘れるアヤの相手は、積極的に務めたいものでは無い。しかしここで断われるほど、アキラは空気の読めない人間ではなかった。

「じゃあ、お願いします」

 目つきを鋭いものに変えて言うのを聞いて、アキラはようやく違和感の正体に気づいた。
 稽古との時はともかく、普段のアヤは聞いているこちらの力が抜けそうなほどゆっくりと話す。しかし先ほどからのアヤは、早口といえるほどの調子で話している。
 それはまるでアヤの余裕の無さを表しているようだった。

 無言で木刀を振るアヤと、無言でそれを捌くアキラ。
 いつものそれに比べれば、アヤの攻撃は散漫なものだった。そうでなければ、アキラは自分から攻撃するどころか、立っている事すら数秒で出来なくなっていただろう。

「……やっぱりアキラさんは戦いより武道の方が向いてますね」
「は? ……どういう事ですか?」

 唐突に放たれたアヤの言葉を理解できず、アキラは防御に専念しつつも聞き返した。

「基本に忠実すぎるんです。実際に戦うときにはそうでもないんでしょうけど。だけどその特性は戦うのでは無く、技を後世に伝えるのに向いているって、父さんが言ってました」
「……そうですか」

 褒めてはいるのだろうが、実戦に重きを置きたいアキラとしては微妙な評価だった。

「アキラさん。今から連続で打ち込みます。反撃しても良いですから、全部受けて下さい」
「全部受けろという時点で、反撃は不可能です」

 反撃しようと思ったら、二・三撃はもらう覚悟をしなければならない。それくらいアキラとアヤの実力には隔たりがある。

「……いきます!」

 気合と共に放たれたそれは、小さく鋭い連撃。しかしそれは明らかに手加減されており、アキラでも何とか受けきれるものだった。
 しかし反撃が出来そうなほどに慣れてきたとき、攻撃の質が変わった。

「な!?」

 小さく鋭かった攻撃が、いきなり大きく隙だらけのものに変わる。しかし来るとわかっているそれに、小さな連撃に備えていたアキラは咄嗟に反応できなかった。

「グフッ!?」
「……あ」

 頭部に危険すぎる一撃を受けて倒れるアキラと、それを見て間の抜けた声を出すアヤ。
 また手加減忘れたな。そう思いながらアキラは意識を手放した。





「……アキラさん。大丈夫ですか?」
「……はい?」

 ズキズキと痛む頭に顔をしかめながら目を開くと、そこにはアヤの顔があった。
 しばし呆然とした後、自分の頭と床の間に何か挟まっているのを感じ、アキラは自分が膝枕をされているのだと気付く。

「……すいません起きます」
「私の方こそごめんなさい。本当に大丈夫ですか? 無理しないでくださいね」

 心配そうに言うアヤに、アキラは苦笑しながら起き上がる。
 後になってこれほど心配するのに手加減が出来ないとは、ハンドルを握ると性格が変わる人が居るように、アヤは剣を握ると性格が変わるらしい。

「本当にごめんなさい。あの連携は、今度父さんがアキラさんに教えるつもりだったものなんです」
「あの連携?」

 一瞬何の事かと首をかしげたアキラだったが、すぐに自分を昏倒させた一連の攻撃だと気付く。

「あれですか。反応は出来たんですけど間に合わないというか。意表をつかれました」
「そうですか。二神の技は、本来ああやって小技と大技を交えて変幻自在を心がける技なんですよ」
「まったくやってる覚えが無いんですけど」

 アキラが戦うところを見た事がある二神の門下はアヤとヒメ(一応)だけだが、二人とも小技ばかりか大技ばかりで変幻自在とは程遠い戦い方をしている。
 ゲンタに限って言えば確かに捉えづらい動きをしていたが、それはゲンタが特殊なのだと思っていた。

「ええ。だから私やヒメさんは技を使いこなせてないって事です。父さんはそういう意味でも、アキラさんに期待していたみたいです」
「いつの話になることやら」

 アキラに才能がまったく無いという事はないが、稽古の時間がそれほどとれないという事実がある。
 理屈を分かっていても、体がそれを覚えさせるには反復練習を続けるしかない。

「本当に、父さんはアキラさんの事を気に入っていたみたいです。門下生に裏の裏まで技を教えるわけにはいきませんし、私やヒメさんは自己流に近くなってしまっていますから。アキラさんを婿養子にしないかって、私に提案してきましたし」
「……あれ本気だったんですか」

 確かに遠回しに似たような事をアキラも言われた事があるが、まさか娘にまで言っているとは思わなかった。

「別に私は嫌じゃ無いですよ。少なくとも仲違いする事は無さそうですし」
「いや、それはそうかもしれませんけど」

 アキラもアヤも、相手に気を使い波風を立てないタイプだ。考え方も古風であり、恋愛感情が無い状態で結婚したとしても、御互いを思いやり上手く回るだろう。
 しかしだからと言って、アヤがそれを簡単に受け入れるのはおかしい。そもそも何故このタイミングでそんな事を言い出したのか。

「……アヤさん弱気になってませんか?」
「え……?」

 何気なく発したアキラの問いに、意表をつかれたようにアヤの顔から表情が抜け落ちる。
 言ってしまってから「しまった」とアキラは思った。
 弱気になってないわけが無い。もしゲンタの死が二十年以上も先の事だったなら、アヤも悲しみはしても、いつも通りに振舞えたかもしれない。
 しかし現実としてアヤはまだ二十代前半だ。普通の家庭だったならともかく、道場を所有し門下生も多い家を継ぐには、まだ経験が足りないだろう。深山ではそれなりに古い家系だという事も、それに拍車をかけているのかもしれない。

「あ……そう……だったんだ」

 俯きながら、アヤは辛うじて聞こえる声量で呟いた。それを聞き取ったアキラは、何故かは分からないが「まずい」と本能的に思った。

「ヒメさんもアキラさんも、凄いですよね。大切な人が死んでも、ちゃんと前を見て立ってて」
「……前を見ないと立っていられないだけですよ」

 それはアキラの本心。一度後悔してしまったら、後悔の渦に巻かれて立ち直れなくなると、考えるまでも無く理解していた。
 だから振り返らずに走り続ける決意をした。それは前向きなようで結局は逃避。後悔から逃れるために、全力で前だけを見て走っている。

「分かって無かったんです。いつかはこんな日が来るって、知ってるつもりになって本気で考えた事が無かった! お父さんなら大丈夫って、お父さんならどんな奴にだって負けないって信じていたかったのに!」

 俯いたまま語られるアヤの言葉は、次第に強く、しかし何かに耐えるようにかすれたものへと変わっていく。

「私まだ何も返せてない、何も伝えてない! 時間なんてたくさんあったはずなのに、私は未熟なままで、でも父さんが居るからまだ大丈夫って、いつまでも父さんが居てくれるんだって勘違いして!
 父さんやヒメさんに甘えてばっかりで、何も出来ない自分を何とかしようとすらしなかった! 後悔と不安ばっかりで、もうどうすればいいのか……分からない……」

 慟哭のような告白は、最後には泣き声に紛れて小さくなっていた。道場にはただアヤが時おり鼻をすする音だけが響き、床に点々と水滴が落ちていく。
 どうすれば良いのか、アキラは悩んだ。
 アキラ自身にも先行きが見えず、何をすれば良いのか分からなかった時期はある。だがそれは、逆に言えば何でも出来る状態であったとも言える。アヤのように、目の前に進み方の分からない道があったわけでは無い。
 大丈夫だとか頑張れだとか、励ましの言葉をかける事は簡単だろう。だが気休めの言葉だけでは無責任だと、アキラには思えてならなかった。

 散々悩んで、アキラは先の事を考えるのを諦めた。
 とにかくアヤを落ち着かせようと思い、そっとアヤへと近付き、無言でその頭を抱くように抱えた。

「え……?」
「……」

 驚いた素振りを見せたアヤに、アキラは何も言わなかった、何も言えなかった。
 ただかつて遠い昔に誰かがそうしてくれたように、アヤの頭を胸元で抱えるようにそっと抱いた。

「……何やってるんですか?」
「何やってるんでしょう。えーと……この際だから思いっきり泣いた方が良いんじゃないかなと。えー……なんだろう。とにかく安心してください。自分でも何言ってるか分かりませんけど」
「ふふ」

 自分でも自分の行動が理解しきれていないのか、しどろもどろに言葉を発するアキラ。その様子がうけたのか、胸元に顔を埋めたアヤから笑い声が漏れる。

「じゃあ、少しだけ……胸を借りますね」

 それきり道場は静寂に包まれた。アキラは一言も話さず、泣いているアヤも声はあげなかった。
 その様子を、少女の姿をしているはずの妖精が、子供を見守るような優しい目で見守っていた。





[7405] 第二十三話 目覚め
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:64249a1b
Date: 2010/09/14 14:04

 蛍光灯に照らされた明るい地下室の中に、連続して渇いた破裂音が響く。それに続いて人の上半身の描かれた絵に、次々と浮かんでいく黒い点。それらは絵の心臓、喉、額を、一本の線で結べそうなほど正確に並んでいる。

「……アキラちゃん。人間はね、いくら意識しても体は完全に静止せずに動いちゃうものなの」
「はい?」

 突然隣から言われ、アキラは耳あてを外して声の主へと視線を向ける。
 そこに居るのは、逞しい肩と二の腕が露出したドレスを纏った、バーアーセナルとこの射撃場の持ち主であるマスターミキ。驚きと呆れの混じったような顔で、平坦な声を出している。

「それに銃の引鉄って、意外と重いでしょう? 特にダブルアクションの銃は引鉄を引く動作の中に撃鉄を上げる過程が含まれるから、シングルアクションの銃よりさらに引鉄が重いの」
「はあ」
「同じ理由で、引鉄を引く距離がシングルアクションよりも長いの。そのせいでダブルアクションは精密射撃には向かないと言われているわ」
「なるほど」

 マスターの説明を聞き、アキラは納得したとばかりに頷く。しかし一番言いたい事は伝わらなかったらしく、それを察したマスターは大きく息を吸い込んだ。

「……何で当たるんだよ!?」
「狙えば当たるもんでしょう!?」

 突然男声で叫ぶマスターに、激発を精神感応で無駄に早く感じ取ったアキラは即座に反論する。その反論が反論になって無い辺りが、アキラが異常である事を告げているのだが、本人は気付いてなかった。

「まあ色々納得いかないけれど、それは置いといてアキラちゃんに渡すものがあるの」
「何ですか?」
「これよ」

 言いながらマスターが箱から取り出したのは、アキラの使っている銃より少し大きめのリボルバー銃だった。銀色の表面は落ち着いた光沢を放っており、見ているとガンマニアの気持ちが分かりそうになる美しさ持っている。

「ヒメちゃんがアキラちゃんにって注文した銃よ」
「また新しい銃ですか?」
「何で嫌そうなの? そこは喜ぶ所でしょう」

 そう言われても、保守的なアキラとしては、ようやく使い慣れてきた銃を変える気にはあまりならなかった。しかしそれを知ってか知らずか、マスターは半ば無視するように説明を始める。

「これはS&W M686。アキラちゃんが今使ってるM19の改良型として設計されたステンレス製の銃よ」
「改良型?」
「M19は稀に見るバランスの取れた傑作と言える拳銃だけど、幾つか欠点もあるの。その一つが携帯性を重視したために、.357マグナム弾を多用するには耐久性に問題がある事。そこを改良して、携帯性と耐久性を両立させたのがこのM686なの」
「今まで結構撃ってるんですけど」
「技術が発展したから、M19の耐久性も上がっているらしいけど、絶対では無いわ。良いからこっちに代えとけ」
「……はい」

 野太い声で言われて、素直にM686を手に取るアキラ。やはりというべきか、グリップの形が違うだけで、握った瞬間に違和感を覚える。
 しかしそんな違和感を置き去りにして、アキラは弾が既に入っていることを確認すると、標的に向けて三回引鉄を引いた。
 渇いた音の後に、標的の胸の辺りに吸い込まれるように銃弾が集まる。

「……もうつっこまないわよ」

 隣から聞こえた呟きは無視して、アキラは案外大丈夫そうだと思いながら射撃練習を再開した。





 新しい銃と弾とを買い取って、アキラは地下室から一階にあるバーへと戻った。店の雰囲気に合った木製の扉を開くと、薄暗い店の落ち着いた空気がアキラを迎え入れる。

「あれ? 深海くん?」
「え?」

 そのまま外へと向かおうとした所に声をかけられ、アキラは反射的に振り向く。そこに居たのは、カウンター席に座ったシオンだった。何故ここにと聞くのも野暮だろう。

「大学の帰り……じゃなくて、もう大学は夏休みか?」
「一応ね。でもレポートやら何やらで、遊んでる暇なんか無いの。まあ今から愚痴るからここに座りなさい」
「お断りしたいな。酒はあまり好きじゃ無いし」

 飲めないわけでは無いのだが、それでも酔っ払いの愚痴をシラフ同然で聞かされるのは勘弁して欲しい。しかしそんなアキラの願いを遮るように、シオンの相手をしていたバーテン……女性なのに美男子に見えるというマスターとは逆の存在が、柔らかい口調でアキラに話しかける。

「でしたら、ノンアルコールのカクテルもありますよ。お作りしましょうか?」
「アハハハハ、男がバー来てノンアルコールとか」
「……いい感じに、酔っ払ってるな」

 馬鹿笑いをするシオンに若干ムッとしながらも、隣の席へと腰かける。
 素直に席についたのは、シオンの態度に苛立ったのもあるが、何よりこのまま帰るとこの酔っ払いが騒ぎ出すと思ったからだ。遅れて戻ってきたマスターが、そのアキラの姿を見つけて驚いたように声を出す。

「あら、アキラちゃんが裏じゃ無くて表のお客になってくれるなんて、明日は雨かしら」
「あーマスターこんばんわー。というか裏って……まさか深海くんはマスターと同好の士!?」
「どんな想像をしてるのかは知らないけど、確実に違うとだけ言っておく」

 何故か若干輝いた瞳を向けてくるシオンに、アキラは静かに、だが全力で否定しておく。精神感応を使えば彼女が何を考えているかは丸分かりなのだが、決して知ろうとは思えなかった。

「それで、アキラちゃんは何飲むのかしら?」
「おまかせします。お酒には詳しくないですし」
「ふーん。じゃあおまかせされちゃおうかしら」

 どこか楽しそうなマスターに少し後悔しながらも、隣に座るシオンへと視線を向ける。
 エメラルドグリーンの、見た目にも綺麗なカクテルをグイグイと飲み干していた。大丈夫なのかとアキラは心配になったが、目が合った瞬間にニンマリと笑ったので流す。その笑みに別の意味で心配になったのだが、そちらも流すことにした。

「はいアキラちゃんお待たせー」

 しばらくして、グラスの中ほどまで注がれた黄金色の酒がアキラの眼前にやってきた。しかしそれを自然な動作で口元に運ぼうとして、強い臭いを感じて思わず遠ざけてしまう。

「……何ですかこの薬品みたいな酒は」
「ザ・トリニティ。アードベックとボウモア、ラフロイグがヴァッティングされた……まあとにかく色んな意味で刺激的なお酒よ」
「へえー」

 出された単語の意味がさっぱり分からないまま、少しだけ口に含むアキラ。そしてマスターの言う通りの感想を抱く。
 まず口の中に刺激を感じ、次に苦味と甘味とか波状攻撃を仕掛けてきた。酒を飲みなれていないアキラには、それらを楽しむ余裕もありはしない。

「……美味しい人には美味しいのか?」
「割と平然と飲んでるね。それ確かアルコール度数60くらいじゃなかったっけ?」
「そう言われても、それが高いのか低いのかも分からないしな」

 言いつつも、チビチビと飲み続けるアキラ。どうやら飲みなれていないだけで、アルコールには強いらしい。恐らく一気飲みをさせられても、倒れるような事は無い人種なのだろう。

「そういえば深海くん。うちの前の病院跡で何があったのか知ってる」
「……知ってると言えば知ってるな」

 不意に予想外の事を聞かれて、アキラは僅かに眉をひそめながら返した。
 深山病院跡。アキラが呼び出され、ミコトを殺した場所だ。

「何か刑事さんがいきなり来て、死体が見つかったらしいんだけど、何があったの?」
「悪魔絡みだよ。詳しくは話せない」
「……そっか」

 あっさりと、シオンは納得し追及はしなかった。実際に悪魔絡みの事件に巻き込まれただけに、無闇に首をつっこもうとは思えなかったのかもしれない。
 しかしシオンは何やら考える素振りを見せると、先ほどまでの緩んだ顔を引っ込めて、真剣な眼差しをアキラへと向けてきた。

「深海くん。じゃあ今病院跡に居るのも悪魔なの?」
「……何だって?」
「気になって見に行ったら、何か黒い影が中に入っていったんだけど」
「……」

 シオンの言葉を聞き、アキラは無言で考える。
 悪魔とは限らない。しかしあそこには、少し前まで吸血鬼が潜伏していた痕跡があった。何も関係の無い人間が、今そこに居座っていたりするだろうか。
 吸血鬼が戻ってきたとは思えない。九峨の話通りなら、吸血鬼はかなり弱体化している。一度発見された場所を潜伏場所に選ぶはずがない。

「……何とも言えないけど、気になるな。こちらで調べてみるから、はっきりするまでは近寄らないようにしてくれ」
「分かった。知り合いにもそう言っておくね」

 アキラの言葉に、シオンは少し安堵したような様子で頷いた。





 翌朝。まだ太陽が顔を覗かせたばかりの時刻に、アキラは深山病院跡を訪れた。
 夜の内に調査をしなかったのは、吸血鬼を警戒しての事。しかし早朝を選んだのは、アキラの隣に立つお姫様のわがままのためだ。

「さあ、暑くならん内にちゃっちゃと調べようか」
「仕事があるから早く帰ろうじゃ無いんですかそこは」

 念のために応援に呼んだヒメだが、普段の様子といい今の調子といい、本当に暑さに弱いらしい。
 風が吹き、比較的気温の低い今でさえ、冷房のある部屋に居る時よりは若干だれているように見える。

「しかし、この広い病院を二人で調べるんもね。アキラくん精神感応の範囲で病院内フォローできるん?」
「できますよ。でもさっきから人間らしきものの反応はありません」
「うわー、いっそ居ってくれた方が早く終わったのに」
「居る事を証明するより、居ない事を証明する方が難しいですからね」
「悪魔の証明やね。まあもしかしたらもう死んで灰にでもなっとるかもしれんし、念のために見回っとこか」

 そう言って病院の中へ入るヒメに続いて、アキラも警戒しながら病院内へと侵入する。
 まだ頼りない太陽の光は、病院内では満足な明かりにすらなっておらず、光の届かない闇を所々に生み出していた。アキラには精神感応で何も居ない事が分かるが、それでも目で確認しないと警戒は解けない。

「別行動は……死亡フラグやけん止めとこか。しかし肝試しができそうな雰囲気やねえ。アキラくんの友達が見たのって、肝試しに来た阿呆やないん?」
「かもしれません。というか肝試しに来ただけで阿呆て」
「阿呆やろ。ここ肝を試すどころの場所や無いよ。空気がかなり淀んどる」
「空気が?」

 言われてみれば、確かに外よりもどこか息苦しさを感じる。雰囲気と、ミコトを殺した場所であるためにプレッシャーを感じているのかと思っていたが、どうやらそれだけでは無いらしい。

「そもそも、この病院が廃墟になった経緯もよく分からんしね」
「何で分からないんですか?」
「正式には事故ってことになっとるけど、曖昧な部分が多いし、明らかに隠蔽された形跡もあったんよ。それが追及されんのは、相手が医者やけんかな。田舎は医者の力が強いけんねえ。公権力とかやーさんとか宮間みたいな裏とはまた違った、別種の権力みたいなもんがあるんよ」
「つまり下手に追求したら、地元で暮らしていけなくなると」
「うん。医者の息子が何かやらかしても、笑ってしまうほどあからさまに刑が軽くなったりしたしね。とはいえ、この淀みからして何か悪魔絡みの事件なり事故が起きたんは間違いない。それなら素直に、宮間に解決なり御払いなり頼むと思うんやけどね」

 呟きながらも進むヒメと、それに追従するアキラ。廊下から見える各部屋のドアは、殆どが壊れてその意味をなしておらず、部屋の中も机やらベッドやらが散乱し、どうすればこれほど荒れるのかと疑問に思うほどだ。

 ふと見下ろした床に血の跡を見つけ、アキラは立ち止まった。朝日の差し込むその場所に、アキラは見覚えが無いながらもそうなのだと確信し、膝を曲げて屈む。
 床に僅かに残った血は、かつてアキラと共に過ごした少女のもの。それを見たら、葬式の時にすら感じなかった悲哀が胸にこみ上げ、目から雫が零れ落ちそうになった。

 好きだったのだという自覚はあった。しかしそれが恋だとか愛情だとか呼ばれるものだったという事を、アキラはミコトが死ぬときまで気付けなかった。
 死んだ人は永遠。残された人間の中で、死んだ人間は老いる事も無く存在し続ける。そして特殊な状況で出会い、特殊な状況で出会った少女への思いは、アキラの中で大きく在り続ける。
 既に自分を支える(支配する)程に大きくなった少女の存在を、アキラは辛いものだとは思わない。ただ少しだけの後悔と共に、在りし日の少女の姿を思い出し、伝えたい言葉があったのにと苦笑する。

「さようなら。ミコトさん」

 だけどそれは叶わない。死者の時は止まり、生者は望まずとも先へと進まなければならない。
 三度目の別れの言葉と共に、アキラは立ち上がると、何も言わずただ待っていてくれたヒメの下へと歩き出した。





「本当に何も居らんねえ」

 事務室らしき部屋を物色しながら、ヒメが呟く。その言葉の通り、病院内をいくら探しても、吸血鬼はおろかネズミの一匹も見つからない。

「あとは屋上だけですよ。さっさと終わらせて帰りましょう」
「はあ……蝉も鳴き始めたし、本当にだるいわ」

 そう言いながらヒメが近くの机に手を置こうとすると、妙に凸凹した感触と共にガチャという音がする。
 二人が何事かと視線を向けると、そこにはパソコンのキーボードがあった。そしてその後ろにあるパソコンの画面が、キーボードの入力に反応したように画面に何かを表示する。

「……何で生きとるパソコンがあるんよ。ここ閉鎖されたん十年以上前やで」
「その前に、何で廃墟に電気が来てるんですか」

 疑問が浮かぶものの、二人はパソコンの画面を覗き込む。
 そこに表示されているのは、何かのログのようだった。どこか緊迫した様子の文章を見て、アキラは眉をひそめ、ヒメは驚愕に目を見開いた。

>DDS-NET
>DATE:199X-10-XX
>NAME:STEVEN
>このNETに せつぞくしている
>すべてのひと へ

「DDS-NET……十七年前に……スティーブンって、まさかこれアクマ召喚プログラムの……」

>げんざい われわれ ニンゲンに
>しんこくな キキが せまっている
>でんせつの アクマたちが
>やみから めざめたのだ
>すぐにでも アクマが おそってくるだろう


 ヒメが呟くのを、アキラはどこか遠くで聞いているように感じた。古いコンピューター特有の、黒い画面に映る白い文字。

>アクマと たたかうために
>アクマの ちからを りようするのだ
>この プログラムが あれば できるだろう

 その文章に何故……

>ゆうきあるものが
>うけとって くれることを いのる・・・
>アクマと たたかい ひとびとを すくうために(※)

 見覚えがあるのだろうか。





「これは……分霊をようやく送り込んでみれば、このような子供に括られようとは」

 突然現れた、大きな本を片手に抱え、裾の長い衣装に身を包んだ老人を、アキラは呆然と見上げた。そのアキラを見て、老人は落胆し、しかし何かに気付くと嬉しそうに、何かを企むような笑みで、アキラへとかたりかける。

「利発そうな子だ。名は何と言う?」
「……あきら。ふかみあきらです」
「そうか。いい名だ。しかし私のような悪いアクマに、簡単に名を告げるのは感心しない」
「アクマ?」

 呟いたアキラに、老人は冷たい視線を向ける。それに怯えたように、アキラは小さな体をさらに縮め後退る。

「おや、恐がらせてしまったか。この姿を恐れるか。……ならば」

 小さく何やら呟くと、老人の姿が霞みのように薄くなり、揺れた。そして薄れた輪郭が浮かび上がると、アキラの前には幼い、それでもアキラからすれば年上の、優しそうな少女が佇んでいた。

「そういえば名乗ってなかったね。私は堕天使ダンタリオン。こんごともよろしく……」

 そう言って少女は、老人とはまったく違った、見るものを安堵させる笑みを浮かべた。



◇◆◇◆

※……本文の引用部分は、真・女神転生本編より。

◇◆◇◆

悪魔全書
・堕天使 ダンタリオン

 ソロモン王に封じられた、七十二柱の悪魔の一柱。右手に本を抱え、あらゆる男女の顔を浮かべるとされる。
 召喚主にあらゆる芸術と科学の知識を与え、人の心を読み、意のままに操る力を授ける。
 数いる悪魔の中でも、特に召喚に気をつける必要のある悪魔だといえる。何故ならダンタリオン自らも人の思考を読み、意のままに操る力を持つからである。
 召喚が成功した瞬間に、ダンタリオンに心を読まれ操られたとしても、それに気づける召喚主は居ない。




[7405] 第二十四話 真夏の夜の夢
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:64249a1b
Date: 2010/11/25 12:46

「……ここか」

 曲がりくねった山道の最中で、アキラは車を止めた。
 久しぶりに運転する車での山道は少々緊張するものだったが、それも終わりかと安堵する一方で、これからが大変だと思い溜息をつく。

 コンクリートで固められた道路の途中に、細長い丸太を並べて階段代わりにした小さな道が伸びている。アキラの記憶にあるよりもさらに朽ちた丸太を見れば、もう何年も人の手が入っていないのはすぐに分かった。
 だがこの先に行かなければ。そうアキラはかつて操られるように歩き、今こうしてまた自らの意思で歩み始めようとしている。

「……人目は無いな」

 人どころか車すら滅多に通らない場所ではあるが、一応周囲を確認すると、アキラは竹刀袋から刀を取り出し、ズボンとベルトの間にさしこむ。
 そして一度目の前の山を見上げると、ゆっくりと歩き出した。


 病院での探索が空振りに終わった後、アキラは動揺を抑えて仕事をこなした。
 何故あの病院が廃墟となったのか。何故その際の記録が曖昧なのか。それらの答えはスティーブンの通信記録を見た時点で、ヒメにも予想がついていることだろう。だがアキラはそのヒメ以上に、核心に近付いていた。

 しかしそれを口にする事が躊躇われる。そして何より、確信へと至るための欠片が揃っていない。
 だからそれを探すために、アキラは突然無理を言って休みを貰い出かけることにした。ヒメにすら目的地を告げず、幼少の曖昧な記憶を頼りに、この山へとやってきたのだ。

 深海家代々の墓の裏手に、この山は鎮座している。
 向こう側へと続く道路が一本だけ伸び、他には農家の小屋くらいしか建物の無い、人の手の入っていない山。その山へとアキラが迷い込んだのは、父が死んだ直後の事だった。


 父は厳しい人で、いつも仕事ばかりで、帰宅するのは決まってアキラの眠った後だった。どうして父さんは早く帰ってきてくれないのと、母に言って困らせた事を覚えている。
 それでも父は、たまの休みには車を出して、アキラを色々な所へ連れて行ってくれた。夏になれば海へ行ったし、探検だといって山へ行き植物の名前を教えてくれた事もある。

 何かを作るのが得意な人だった。
 割り箸でゴム鉄砲を作るのなんて朝飯前。山から大きな木の枝を拾ってきて、それで弓を作ってくれたりもした。
 家電が壊れれば、どこからか部品をたくさん持ってきて、がちゃがちゃと弄っていつの間にか直してしまうほどだ。

 そんな父に憧れて、アキラは工作や機械弄りが好きになっていたのだ。
 絵は下手なのに、ぬいぐるみや模型を作るのは得意で、小学校に入ってからは色々な賞だって貰った。

 だけどそれを一番褒めてほしい父は居なかった。
 十七年前のあの日に、父は死んだ――。いや、殺された。
 深海アキラを、自身の子を守るために、父は殺されたのだ――。


 丸太の階段が途切れると、すぐに道と呼べる道は無くなった。獣道とすら呼べない木々の間を、アキラは腰まである草をかき分け進む。
 よく子供がこんな所を歩き通せたものだと、昔の自分を褒めたくなった。生い茂った草は足元を隠し、地面の石や折れた木の枝に足をとられそうになる。ここに子供の頃に作った、足をひっかける草の罠を作れば、殆どの人が気付かず転ぶだろう。
 それほどまでに山は歩きづらく、重ねて蒸すような暑さがアキラの体力を奪っていく。

「……暗いな」

 ふと空を見上げたが、太陽は木々に隠されて見る事ができなかった。
 昼だというのに不安になるほどの暗さを考えれば、雲が出て太陽そのものを隠してしまっているのかもしれない。太陽の熱から逃れることが出来るのは良い。しかしこのまま太陽が隠れたままでは、アキラたちにとって良くない事態となるかもしれない。

 天気予報によれば、明日から明後日頃にかけて雨になるという。九峨と戦った白装束の言葉を信じるならば、それが彼らの作戦の合図となる。
 それまでに、戻らなければならない。敵が何者であるか、それを知った上で。

「どこへ行くの?」

 不意に、聞こえないはずの声が聞こえた。

「どこへ行くの?」

 繰り返すように、同じ声が、同じ問いをする。
 視線を向ければ、一人の少女が草木に埋もれ、守られるように佇んでいた。
 一面の緑の中に浮かぶ、白い肌と金色の長い髪。見覚えのある、以前見た通りの姿で、少女はアキラの前に現れた。

「どこへ行くの?」

 三度同じ問いが放たれる。以前とは違うその語りかけは、以前とは状況が違うからだろうか。
 引き止めるのでは無く、ただどこへ行くのかと問う少女の顔には、不安と期待が入り混じっていた。

「……妖精の国へ」

 四度目の問いかけの前に、アキラは答えた。すると少女は驚いたように目を見開き、そして嬉しそうに笑った。

「じゃあ、私が案内してあげる。一人で行くと危ないから」

 そう言って、少女は草の間をすり抜けるように動くと、アキラの手を握った。そして山の奥へと歩き出す少女に、アキラは引かれるように続く。

 握った手は小さかった。
 見上げたはずの背は見下ろすほど低かった。

 十年以上も前に出会った時と変わらない少女。その得体の知れない少女を疑う事もせず、アキラはその手を握り返す。

 だって彼女は、死に惹かれていた自分を助けてくれた。
 そしてずっと自分を側で守ってくれていたのだから。

 少女の手に引かれるまま、山道を歩く。少女は足元が見えないほど生い茂った草木を気に止める事無く、浮いているかのように前へと進んでいく。それに引かれるアキラは、躓かないようにするのに精一杯だった。
 どれほど歩いたのか、アキラの足は疲労を溜め始め、それなりに時間が経ったことが分かったが、太陽の見えない森の中では判断する事が出来ない。
 ただ目的地はもうすぐだという確信だけが、アキラの中で強くなっていく。

「お待ちください」

 しかし目的の場所へと辿り着く前に、二人を止めるように白い影が立ち塞がった。
 白銀の鎧を身に纏い、呪いの槍を携えた騎士。その姿を認め、少女はムッとした様子で呟く。

「……邪魔をするの、クー・フーリン?」
「え?」

 少女が言葉に、アキラは思わず懐のGUMPへと視線を向けていた。

 クー・フーリン。クランの猛犬を意味する名を持つその騎士は、ヒメからアキラの護衛にと預けられた仲魔のはずだ。
 アキラの使っている悪魔召喚プログラムは、あくまで召喚を補助するためのシステムでしかなく、PCの中に悪魔そのものが収まっているわけでは無い。故にプログラムを起動していなくとも、現世に居る事は不思議では無い。
 しかしこのタイミングで現れるのは、クー・フーリンをケルトの英雄としか知らず、妖精の騎士という立場を知らないアキラには、不思議で仕方が無い事だった。

「貴女こそ、何故あの方がアキラ殿の記憶を封じたかお忘れか。我々と深く関れば、アキラ殿は本当に戻る機会を失ってしまう」
「それこそ今更でしょう。アキラの性質も異能も先天的なもの。年端もいかない子供の頃に悪魔と契約を交わした時点で、解放は免れないものだった。分かっているのでしょう。後戻りはできないと。だから貴女は、偶然出会った彼の守護を引き受けた」

 少女の言葉に、クー・フーリンは口をつぐむ。

「知らない事は時間稼ぎにしかならない。だからもう、全てを明かしましょう」
「残りの時間を、私たちで守るという道もあるはずです」
「いやよ」
「何故!?」

 プイと顔を横に向け、子供のように拒否する少女。それにクー・フーリンは詰め寄りながら訳を問うた。
 それを少女は睨め付けるように見上げながら答えた。

「私が隠し事をせずにアキラと一緒に居たいから。もう我慢できないの!」

 少女の答えは、我侭のような叫びだった。騎士は呆然と少女を見つめ、一方の少女は言ってやったとばかりに胸を張る。
 その二人の姿が、アキラにはとてもおかしなものに見えた。

「……ハハッ」
「あ、アキラが笑った。珍しいね」
「珍しいのか?」
「うん。笑う事はあったけど、声に出して笑ったのは初めて見た」

 そう言って微笑む少女につられて、アキラももう一度笑った。
 ああ間違いない。彼女はずっとアキラのそばでアキラを見ていたのだ。半信半疑だった彼女の正体に、これでようやく確信が得られた。

「クー・フーリン。俺の事を気遣ってくれてる事は感謝します。しかしピクシーの言い分は置いておいても、俺は知らなくてはならないはずです」

 アキラの言葉に、少女――ピクシーはどこか不満そうな顔をすると、抗議するように両手でアキラの手を握り締める。
 そんな光景を、クー・フーリンは睨むように見つめる。

「貴方を決意させたのは、死んでいった人々ですか?」
「かもしれません。だけど、例えあんな事件が起きる前にここに辿り着いたとしても、きっと俺は逃げたりはしなかった」
「何故?」

 たった一言の問い。それが重い。
 逃げ続けて命を拾ったというのに、何故この場ではどんな状態であっても逃げないと言えるのか。
 アキラは自分でも何故かと思い、しかしすぐに答えを見つけた。

「もう子供じゃ無いから……かな。理不尽な運命ならともかく、自分が背負わなければならないものから、逃げるわけにはいかない」

 父の死から逃れるために、アキラはこの山へと迷い込んだ。そして子供には重荷になる記憶を置き去りにした。そのツケが回ってきたから、アキラは今回の騒動に巻き込まれたのだろう。
 ならば、そろそろ責任を果たさなくてはならない。

「俺の悪魔(敵)は、俺が倒さなくてはならない」

 それが、わけの分からぬままに悪魔を召喚してしまった、かつて子供だった青年の精一杯の強がりだった。

「――ならば、汝を我が国へと招こう」
「え?」

 不意に、ピクシーでもクー・フーリンでも無い、少年のような声が響いた。
 それと同時に白く染まる視界。目の眩むそれから腕で顔を庇い、光の嵐が過ぎ去るのを待つ。
 そしてようやく静かになった周囲を見れば、そこは既にアキラの知らないはずの、だけどどこか懐かしい場所へと変わっていた。

 草木に覆われた中で、アキラたちの居る場所だけ、何かに削り取られたような空間が広がっている。
 その中心には湖が広がり、しかしそこには魚が泳いでいない。泳いでいるのは、透き通った体を持つ女たちだった。
 改めて周囲を見渡せば、草の間や木の葉の裏に隠れるように、木の葉の衣を纏った少年や、どんぐりの帽子をかぶった小人のような少女たちが、アキラを好奇の目で見つめている。

「妖精……の国?」
「その通り。私が治める。私の王国です」

 かけられた声に振り向けば、いつの間に現れたのか二人の妖精が宙に浮いていた。
 一人は背中に揚羽蝶のような羽を持ち、どこかの国の王子のような赤い服を着た男の妖精。その体は他の妖精たちより大きいが、それでも人間の子供ほどしかない。
 もう一人は透明の羽をはばたかせる、緑のドレスを纏った女性の妖精。こちらは人間とほぼ同じ大きさで、浮いているため分かりづらいがアキラよりも背が高いかもしれない。
 目の前の二人の妖精。そのどちらもが大きな力を持つことを、アキラは本能で感じ取った。その証拠のように、クー・フーリンが二人の前に跪く。

「貴方は……?」
「私の名はオベロン。隣は私の妻のティターニアです。説明は必要ですか?」
「オベロン……妖精王オベロン!?」

 多くの物語や歌劇に登場する、妖精たちの王。呪いをかけられたためにその姿は子供のまま成長しないが、その身には大きな力を秘めており、時に天候にすら影響を与えたと言われている。
 もっとも天候に影響を与えるのは、主にティターニアと夫婦喧嘩をしている時だと言われているが。

「あら。オベロンの事は知っているのに、私の事は知らないのかしら?」
「え、いえ。知っています」
「まあ、ありがとう」

 どこか不満そうにティターニアに言われ、アキラは慌てて付け加える。その反応が面白かったのか、ティターニアはクスクスと笑い、アキラをどこか気恥ずかしい気分にさせる。

「知っているなら話は早いですね。ようこそ妖精王国へ」

 自分たちの名を聞き驚くアキラに満足したのか、オベロンは頷きながら歓迎の意を伝えた。
 しかしアキラの傍らに居るピクシーに気付くと、怒ったように顔をしかめる。

「ピクシー。また貴女は先走りましたね」
「別に良いじゃないですか。全部思い出して無くても、アキラは自分の意思でここに来たいと願ったんだから、案内くらいしても」

 叱るように言ったオベロンに、ピクシーは拗ねたようにそっぽを向く。反省の色の無いピクシーにオベロンはさらに言い募ろうとするが、それを遮るようにティターニアが口を開く。

「別に構わないでしょう。ピクシーはずっと待っていたのだから。それにしても、あの子供がこんなに立派になるなんて。やっぱり私の手元で育てたかったわ」
「まったくですね。クー・フーリンが邪魔をしなければ実現したでしょうに」

 聞き捨てなら無い事を口走るティターニアに、オベロンは戒めるどころか同意する。それを聞いたアキラは呆気にとられ、クー・フーリンは頭を抱える。

「お二人とも、今の時代にとりかえ子などすれば、大騒ぎになって我々が退治される破目になると何度言えば分かるのですか」
「また? クー・フーリンは口うるさいわね」
「生前はあんなに豪快だったというのに、何故こんなに堅くなってしまったのやら」

 クー・フーリンの注意を煩わしそうに流す妖精二人。それを見てクー・フーリンは再び頭を抱えると溜息を吐いた。
 人の形に似ていても、やはり妖精。根本的な考え方が人間とは違うのだろう。元人間であるクー・フーリンは、感覚の違いから日々胃を痛めているのかもしれない。

「……大変ですね」
「……はい。とても」

 同情的なアキラの言葉に、クー・フーリンは疲れたように項垂れた。



[7405] 第二十五話 からから廻る
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:64249a1b
Date: 2011/02/09 10:50

 記憶の解放を望むアキラに、オベロンは止めた方が良いと告げた。
 それまで微笑を浮かべ、自己中心的とも言える振る舞いをしていた妖精が、初めてその顔に不安を浮かべ忠告をしたのだ。それだけで、アキラは己の記憶が決して心地の良いもので無い事を知る。

 子供には重い記憶だったから封じた。それは事前に予測していた事だったが、果たして重いとは?
 子供の頃の辛い記憶が、大人になって笑い話になるのはよくある事だ。アキラ自身にも、そういった記憶はある。
 しかし逆に、子供の頃は分からなかったが、大人になったからわかる罪深さというものもあるのではないか。

 子供の頃に耐え切れなかった記憶は、今のアキラには耐えられるものかもしれないが、同時に今だから理解できる罪を暴く事にもなりかねない。固めたはずの決意を木っ端微塵に粉砕し、アキラの心を切り刻むかもしれない。

「貴方が望むのならば、封印を解かず私の言葉で過去を語りましょう。貴方が望むのならば、私が貴方の敵を倒しましょう。どうかそう望んで欲しい。私もティターニアも、己の所業を悔い、自らを苛む貴方の姿を見たくは無い」

 その言葉はオベロンの本心なのだろう。オベロンだけでは無い。そばに居るティターニアも、寄り添うように立つピクシーも、背を守るように立つクー・フーリンも、周囲に居る小さな妖精たちも。
 どこを気に入ったのかは分からないが、この妖精王国に居るものたち全てが、アキラを案じ見つめていた。

 逃げても良いのでは無いか。そんな思いが頭によぎり、それを追い出すように首を振った。
 たまに逃げるのは良い。だけど逃げ続けたままでは、いつまでも前に進めない。ずっと心の隅に根付いていた、己を戒め、時に律してきた、己の根幹を成す淀みを知らなければならない。

「……俺はもう逃げない」

 だから口にする。
 己を象徴する言葉――決意を。

「俺は全てを受け入れる」

 その決意を受け取るように、オベロンは残念そうに、しかし誇らしげに頷くと、そっと撫でるようにアキラの頭に触れた。





 画面に映る小さな戦闘機を、アキラは必死に動かして迫り来る敵を撃ち落していた。
 手元にあるのは白いキーボード。一般的なゲーム機のようなコントローラーを使わないそれは、慣れない者には不便なのだろうが、アキラは気にした様子も無く画面に集中する。

 いつの頃からか、アキラは父のコンピューターに入っていたゲームをプレイするのが日課になっていた。
 当事は新たなゲーム機が登場して間も無く、同年代の子供たちは当然それらに夢中だったが、アキラはそんな周囲を気にせずコンピューターでのゲームに熱中していた。
 そこには他の子供たちとは違うという、優越感のようなものもあったのかもしれない。当時はコンピューターを使える、持っているというだけで、専門家であるかのように一般的な人間は感心していたのだから。
 もっとも当事のアキラは、コンピューターの起動からゲームの開始、そして終了までの手順を知っているだけだったのだが。

「……あれ?」

 だからそのプログラムに触れたのは、まったくの偶然だった。
 いや、偶然では無かったのかもしれない。ちょっと操作を失敗したくらいでは、そのプログラムは起動するはずが無かったのだから。





 


 商店街と商店街の間に通る、片側二車線のそれなりの広さの道路。市街地という事もあってか、車の通りの多いその道路は、一旦信号が変わってしまえば車の流れは当然止まり、代わりのように商店街の向こう側へと赴く人々で埋め尽くされる。
 しかしそんな人の流れの中に、奇妙な空白があった。
 まるでそこに見えない壁でもあるかのように、一番人が集まるはずの中央だけ、人が寄りつこうとせず空白が出来上がっている。
 しかしそれを疑問に思う人は居ない。何故ならそう仕向けられている事にすら気付けないのだから。

「うむ。アキラは物覚えが良いな」

 商店街の脇に備え付けられた、木製の古びたベンチに腰かけて、少女の姿をしたダンタリオンは言った。
 それを聞いたアキラが振り向くのと同時に、それまで歪だった人の流れが川の流れのように自然な形へと変わっていく。

「本当? ぼくって凄い?」
「ああ、凄いとも」

 頭を撫でながら褒めるダンタリオンに、アキラは満面の笑みを浮かべ、得意そうに胸を張る。

「人の心を読むのも操るのも私の力だが、例え召喚者が老獪な魔術師であっても、ここまで多くの人間を誘導する事は不可能だろう。アキラの性格や心根が、人というものを解するのに向いているのかもしれない」
「しんね?」
「アキラが素直で良い子だという事だ」

 そう言って微笑むダンタリオンに、アキラも嬉しそうに笑みを返す。

「さあ、もう少しだけ練習してみようか。完璧に私のあげた力を使えるようになったら、一つ褒美をあげるから」
「うん、分かった」

 頷いて、アキラは人が歩き始めた道路を見やると、一人一人の心を掌握し、誰も不自然に思わないようにその行動を操っていく。
 まるで蟻の行列を妨げて遊ぶように、少年は無邪気に人の群を操る。そこに罪悪感などという感情は存在しなかった。





「アキラ、最近は出かけることが多いな? 一人で遊んでるのか?」

 家に帰るなり、居間で寂しそうに転がっていた父が言う。

「ううん。お姉ちゃんと一緒に遊んでるの」
「お姉ちゃん? そのお姉ちゃんはどんな子だ?」
「えーとね、僕より少しだけ背が高くて、アメリカ人みたいな顔なんだよ」

 成人したアキラならば、人種の坩堝であるアメリカを例えには出さなかっただろう。
 しかし子供の頃のアキラにとって、外国と言えばアメリカだった。それ故に、外国人のようなダンタリオンの存在を、そのように言い表していた。

「お父さんもそのお姉ちゃんに会わせてくれないか?」
「……ダメ。二人で遊ぶって約束だもん」

 少し悩んだ後、アキラは姿を消していたダンタリオンに話を打ち切るように言われ、慌てたように言った。そして逃げるように、居間を後にする

 だから気付かなかった。

 父の顔に訝しげな色が浮かんでいた事にも、認知できないはずの存在を確かに視線で追っていた事にも。





「父さん? 何してるの?」

 ある時から、父は食事の時以外は書斎にこもりきりになった。
 あれほど家族を大切にしていた父が、団欒も忘れてPCのでひたすら何かを打ち込む姿に、アキラは少なからず寂しさを覚えていた。

「ああ。丁度いいアキラ。やっと作業が終わったところだ」
「作業?」

 父の様子を訝しく思いつつも、アキラは書斎へと足を踏み入れる。
 一方の父は、PCに向かいアキラに背を向けたまま、何かの文字列の流れる画面を見続けている。

「面白いプログラムを見つけてな。機械の動作によって発生する電磁波や磁場すらも計算に入れた、プログラムの常識を覆すプログラム。……まったく、間違いなく天才だよ。この悪魔召喚プログラムを作った人間は」
「貴様!?」

 父が言い終わる前に、それまで姿を隠していたダンタリオンが、顔を焦りと怒りに染め右手をかざすと、その先に炎の塊が生み出される。
 逆に父は少しも焦る素振りを見せず、タンッとキーボードを叩いた。

「なに!?」

 その瞬間、ダンタリオンの手先から炎が消えうせ、電光のような糸が雁字搦めにその身を束縛した。脱出しようともがくが指先すらも自由にならず、ダンタリオンはうつ伏せにその場に倒れこんだ。

「チェックメイトだ。何の保険も無く、こんな話をすると思ったか?」

 ゆっくりと椅子から立ち上がる父を、アキラは呆然と眺めていた。
 何故ダンタリオンは倒れているのか。何故父はこんな事をするのか。

「お父さん止めて! お姉ちゃんをいじめないで!」

 わけも分からず、ただ感情のままにアキラは叫ぶ。だが父は縋りつくアキラを片手で押さえると、自由な手で淡々とPCのキーボードを叩き続ける。

「プログラムによって召喚された悪魔は、プログラムによって縛られている。それがおまえたちデジタルデビルの弱点だ。単純にPCを破壊しても良かったんだがな、おまえとアキラが直接契約を結んでいたら、それも無意味に終わる。
 だから思ったんだよ、プログラムを応用すれば、召喚した悪魔を制御。あるいは完全に束縛する事もできるんじゃないかってな」
「馬鹿な!? いかに人間が知恵の実を食べた者の末裔だとしても、あれは人間には過ぎたもの。一握りの天才、いや異才にしか理解できるはずが無い!」
「確かに、全部は理解できなかった。正直な所、この拘束プログラムは起動しない可能性のほうが高かった」
「では何故!?」
「さて、父親の愛が起こした奇跡じゃないか?」

 説明をしながらもキーボードを叩き続ける父親。それにつれて拘束が強まっている事に気付いたダンタリオンは、催眠誘導によって父親の動きを封じようとする。

「……貴様、ただの人間では無いな!?」

 しかし父親は、催眠誘導をものともせず、キーボードを叩き続ける。抵抗する様子すら見せなかったという事は、催眠誘導そのものが効かなかったという事。

「ご先祖様は知らんが、俺はただの人間だよ。息子を守るために命を張る、ただの父親だ」
「クッ! アキラ! そいつを止めろ!」
「う……うぇ……」

 ダンタリオンが命じるが、アキラは父に両手を拘束され、何も出来ずに泣く事しかできなかった。

 何が何だか分からない。
 何故父はダンタリオンをいじめるのか。
 何故自分にまで痛い事をするのか。
 何故ダンタリオンから貰った力が効かないのか。

「今ここで契約を破棄しても、既に実体を得ているおまえが還るかどうかは確信できない。心苦しいが、一度死んでもらう」
「ハッ! 用心深い事だ。いや、私が迂闊だったか。貴様の意識を反らすのでは無く、完全に支配しようとしていれば、その特異性に気付けただろうに」

 父がナイフを取り出し、ダンタリオンへと近付いていく。その背中を、アキラは涙で滲んだ目で見ていた。
 だから、一瞬何が起きたのか分からなかった。
 プログラムに拘束されているはずのダンタリオンが自分へと飛びかかったことも、それを父が庇った事も、そして父の背中から腕が生えている事も、滲んだ視界ではすぐに認識できなかった。

「……何で?」

 ようやく視認して出た言葉は、何を指してのものだったのか。

「あ……」

 ダンタリオンが自分を殺そうとした事か、それとも父が自分を庇って体を貫かれた事か。

「ああ……駄目だったか。契約の元を断てば、プログラムの支配から逃れられるかと思ったが……最期までただの人間が邪魔をする……」

 かすれた声でダンタリオンが言う。雷光に縛られ、返り血に染まったその体に、深々とナイフが突き立っていた。

「ああ……」

 アキラには、ダンタリオンの言っている事の意味が分からなかった。ただ大切なものを失い、裏切られた事だけ理解して、涙が溢れ出した。
 理解できない事態に考える事を止め、白く染まったはずの心を、理不尽と悲哀とが引き裂いていく。

「限界か……さらばだアキラ。利用するだけのつもりだったが、おまえの事は嫌いでは無かったよ……」

 それだけ言うと、ダンタリオンは空気に溶けるように姿を消した。
 後には呆然と立ち竦むアキラと、血に塗れた父の死体だけが取り残される。

「う……あ……わあああああぁぁぁぁっ!?」

 ただ一人、取り残された少年。
 心をグチャグチャにかき乱されて、幼い少年は糸の切れた人形のように崩れ落ち、ただ悲鳴のような叫び声を上げることしか出来なかった。





「……遅い!」

 アカイデザインスタジオの中、所長のヒメは携帯電話を片手に苛立ちを表すように足踏みしていた。
 その様子にアヤは苦笑を漏らしながら、入れたての紅茶をヒメへと手渡す。

「心配しすぎですよ。アキラさんも子供じゃ無いですから、本当に何かあったら連絡をしますよ」
「それでも携帯の電源切りっぱなしなのはどうなんよ。こっちから連絡できんし」
「電波が届いてないんじゃないですか? アキラさんが充電忘れたなんてうっかりするとは思えませんから」
「でも間違った意味の確信犯でやらかす可能性はあるけんねぇ」

 人命がかかっていたとはいえ、単独でカワアカゴに挑んだと言う前科があるアキラだ。
 たまに見せる勢い任せの行動といい、そういった点ではまったくアキラを信用していないヒメだった。

「確かにそうですけど……あ……」
「どしたんアヤちゃん……雨?」

 アヤにつられてヒメが外へと視線を向ければ、ポツポツと小さな水の雫が地面を塗らしていた。
 それほど大した雨量には見えないが、天気予報の通りならば、数日は降り続けるはずだ。

「時間切れ。いや、まだロスタイムがあるかな。どっちみち敵が何をやらかすか分からん以上、後手に回るしか無いか」
「どうなるんでしょうね。この街」

 アヤの問いに、ヒメは答える術を持たない。
 ただ自分たちが後手に回ったのは失敗だったのでは無いか?
 そんな根拠の無い不安がヒメの胸に巣くっていた。



[7405] 第二十六話 光陰
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:44ba2e4d
Date: 2012/02/25 09:28
 深山市に降り始めた雨は次第に勢威を増し、豪雨と言って差し支えない状態となっていた。
 そのため人々は外出を控えていたのだが、夜の帳も落ちた頃に宮間を始めとした裏、及び一部警察関係者は街中を忙しなく走り回っていた。

「犬頭がひい、ふう、みい……たくさんだな」

 路地裏に積み上げられたワードッグの死体の山を見上げ、鬼塚は呆れたようにため息をついた。
 雨量の増加により道路には川のように水が流れていたが、その水はワードッグたちの血で赤く染まりながら排水溝へと消えていく。
 正に血の川だ。

「34体やね。公務員なら帳簿はしっかりつけんといかんやろ」
「やってられるか。この地区だけでどんだけ犬山があると思ってんだ」

 ヒメの言葉に鬼塚は愚痴りながら煙草を取り出す。しかし桶の水をひっくり返したような雨の中。当然火などつかず、鬼塚はさらに顔をしかめると煙草をしまった。

「しかし何やろうね、この嫌がらせのような犬ラッシュは」
「在庫一斉処分じゃねえのか。おまえさんらに拠点次々潰されて焦ってんだろ」

 鬼塚の言う通り、ヒメたちは宮間の指揮の下、市内にあるファントムの拠点を虱潰しに制圧している。
 しかし焦って戦力を投入したにしては、数ばかりでどうにも腑に落ちない。

「まあその辺は……なんだ?」

 携帯電話が震えているのに気づき、鬼塚は懐から取り出した。
 着信者名は生意気な相棒。今度は何だとうんざりしながら、鬼塚は電話に出る。

「どうした?」
「内宮にて深海が事故で立ち往生しているのを発見。保護した後堀之内へ向かっています」

 いきなりの発言に、鬼塚はもちろん横で聞いていたヒメも目を見開いた。

「おまえそいつの立場分かって……」
「何で電話に出んの!? 心配したんやけんね!?」

 携帯電話をひったくるなり雨にも負けじとばかりに叫ぶヒメ。
 さすがのカズトも怯んだのか、しばし無言が続いく。

「……電波が届かなかったんですよ」

次に携帯電話の向こうから発せられた声は、ヒメに叫ばれたアキラその人であった。
 しかしその声色は疲れたような呆れたような、とにかく覇気のないものである。

「このご時世に電波届かんて、どこまで行っとったん?」
「ちょっと妖精の国に」
「……はい?」

 アキラの言葉に、ヒメは鋭い目を丸くした。
 アキラという青年は、こういった冗談を言う手合いであっただろうか。いや無い。
 もしや偽物……。

「偽物じゃありません」
「ぬ? さすがエスパー。心を……?」

 違和感を覚え、ヒメは言葉を止めた。
 アキラは電話越しに心を読んだりはできなかったはずだ。近くに居るのかとも思ったが、内宮地区は現在地から十キロは離れている。

「……何があったん?」
「……色々と」

 その色々を聞きたかったのだが、ヒメは聞けなかった。

「そっか。色々か」
「はい。色々です」

 アキラの声は、今まで聞いたことのない揺れた声だった。
 幼い子供が泣くのを我慢しているような、そんな声だった。

「アキラくん無理したらいかんよ。呼ばれたらお姉ちゃんが助けに行くけん」
「誰がお姉ちゃんですか」

 苦笑しながらのつっこみに、ヒメは少しほっとする。
 アキラはアキラだ。なにも変わっていない。

「大丈夫よヒメ。アキラは私が守から」
「はい?」

 聞き慣れない少女の声が聞こえたと思ったら、ぶつんと電話は切れた。
 ヒメはしばし携帯電話を見つめた後、軽く振ってみたが反応があるわけがない。

「……なんや、あの子喋れたんやん」

 しばらく考えて、声の正体に予想がつくと、ヒメは呆れたように言った。





「ありがとうございました二宮さん」

 宮間の屋敷があるお堀のそばまでくると、アキラはカズトに礼を言った。

「気にしなくていい。市内を走り回るついでだ」

 ハンドルを握ったまま無愛想に言うカズトに、アキラはもう一度礼を言いそうになったが止めた。
 お互い生真面目に過ぎる。どこかで止めないと、礼と返答がエンドレスに続きかねない。

「……すまないな深海」

 車を降りようとしたところでかけられた言葉に、アキラは動きを止める。
 謝られる筋合いなど無い。少なくともアキラに心当たりは無かった。

「私は刑事だ。悪魔に関する捜査を任されていても、 ただの刑事でしかない。特別な力など無ければ、支給された拳銃以外の武装も許されない。
 おまえたちを頼ることしかできない」

 カズトの言葉に、アキラはようやく謝罪の意味を悟った。
 このアキラ以上に真面目で正義感の強い青年は、悪魔と戦いたいのだ。しかしそのための力が無い。持つことも許されない。
 なりふり構わなければ悪魔と戦えるだろう。だが刑事である以上なりふり構わざるを得ない。

 そのジレンマに、二宮カズトという青年はずっと苦しんでいたのかもしれない。

「二宮さん。今回のことが終わったら、飲みにでも行きませんか」
「酒は人を駄目にする」

 あまりにも「らしい」返答に、アキラは苦笑した。
 元々アキラもそれほど酒好きでもない。断られるのを前提にした提案だ。

「だが深海と話したいことはある。食事にでも行くとしよう」
「了解。美味しい店を探しておきます」

 対する自分の「らしくなささ」に、アキラは内心で苦笑する。
 そして本来なら自分はこういった人間だったのだろうと、どこか寂しく思った。





 闇の中を疾走する影がある。
 否。それは白い霧だった。闇夜を切り裂くように飛ぶ霧は、雨の降る街の中を駆ける。
 そして堀之内にたどり着くと、お堀の上を、結界の張られたはずの場所をあっさりと通り抜けた。

「……本当に通れやがったよオイ」

 人型に戻り地面に降り立つなり、吸血鬼は呆れたように言った。

『この周辺の水路は堀へと続いている。その堀に犬たちの汚れた血を流し込み結界を弱体化させる。理にかなっているわね』
「無駄だらけだろうが。何の意味があったんだよ」
『分からない? やっぱり頭に血が巡ってないわね貴方』

 女の言葉に吸血鬼は反論しようとしたが、不意に頭目掛けて飛来した何かのためにそれはかなわなかった。

「……イヌガミか」

 見れば白く長い胴体を持った犬の霊が、牙をむき出しにして威嚇していた。
 そしてそれを制するように、一人の女――八塚が片手をあげている。

「何やってんだよ犬神憑き。あんたらはこっち側の人間だろうが」

 吸血鬼の言葉に、八塚は僅かに顔をしかめた。

「侵入者は排除します」
「ハンッ。犬神如きがこざかしい」

 八塚が命じると五体のイヌガミが一斉に襲いかかり、吸血鬼は獰猛な笑みを浮かべそれを迎え撃った。



[7405] 第二十七話 今
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:bd4cd005
Date: 2012/02/28 21:31
「――南斗、北斗、三台、玉女、左青龍避万兵、右白虎避不祥……」

 宮間の屋敷の中庭。篝火が焚かれ、微かに揺れる明かりの中、宮間の当主であるツバキは濡れた衣服にも構わず歩き続けていた。

「――前後扶翼、急急如律令」

 足を止め、儀式を終えると、ツバキはふと息をついた。
 手慣れた、何度も繰り返した術ではあるが、いざ実戦が迫った中でのそれは緊張感が違う。
 未だ未熟であると、若き宮間の当主は己を戒める。

 既に外敵の侵入を許している以上、この場にまで攻め込まれる可能性も考慮しなければならない。街中でワードッグが暴れている以上、それが陽動だと分かっていても戦力をさかずにはいられない。
 いざとなれば自身が戦うしかない。その事実に不安を感じずにいられるほど、ツバキは大成してはいなかった。

「今のは反閇呪ですか?」

 突然の問いに、ツバキはピンと背筋を伸ばした。あからさまに不意をつかれたと分かるその姿は、それでもよく動揺を隠せた方だと言えるだろう。

「……お待ちしておりました。深海様」

 椿が背後をふり返れば、そこにはアキラが居た。雨に濡れ、長い髪を顔にはりつかせたその姿は、どこか幽鬼じみた不気味さを感じさせる。

「……あなたは」
「……深海は深見。深淵を覗き見るサトリの一族」

 アキラの言葉に、今度こそツバキは動揺を隠せなかった。
 それはかつて一度だけ口にした言葉。アキラには聞こえるはずの無かった言葉。

「便利な力です。俺みたいな素人でも、意識の隙間という死角を容易に感じ取れる」

 薄く笑って言うアキラに、ツバキは違和感を覚える。
 会ったのは一度だけだが、この青年はこのような自嘲混じりの笑みをするような人間には見えなかった。加えて明らかに以前より強力になっている精神感応能力。
 何かがアキラを変えた。変えてしまった。

「聞きたい……いえ『読みたい』ことがあるのでは? 『深海』である貴方には」

 聞こえるはずが無いその言葉を、この青年は「読んだ」のだろう。
 ならば語るまでもなく、ツバキの知る全てをアキラは知る事ができるはずだ。

「いいえ」
「……何故?」
「知りたいと思う気持ちもありますが、それはただの好奇心です。だって今の俺たちには、『そんな事関係ない』でしょう」

 アキラの言葉に、ツバキは目を丸くして、やがて息をつくとクスリと笑みを漏らした。

「確かに。今の私たちには関係ありませんね」
「そういうことです。だから、『深海家』の末裔は、相変わらず義務を『深山家』に押しつけたまま、己のやるべき事をやってきます」

 一方的にそう告げると、アキラは姿を消した。恐らくは意識の隙間とやらを利用して、ツバキに感知されないように移動したのだろう。
 この短期間で己の異能をどのように制御したのか。ツバキは疑問に思ったが、それ以上に呆れた。

「結局全て『読んで』いきましたね」

 かつて宮間家――深山家には、対となる家が存在した。
 その家は人の心を読むサトリの一族であり、その力で深山家を補助し、時に謀略を行った。
 戦国の世には、その家の謀りによって幾つかの大名家が滅びたという。

 だがそんな事は関係無い。
 宮間とその家はとうの昔に縁が切れていたし、ツバキもアキラの存在を聞くまではすっかり忘れていた。
 故に、あっさりと去られても、怒りの類は湧いてこなかったのだ。

「ただ、儀式が終わるまでには戻ってきて欲しいのですが」

 どうせ切羽詰まれば感知して戻ってくるだろう。
 先ほどまでより軽くなった内心でそう思うと、ツバキは召喚儀式の準備に取りかかった。





 犬神とは四国や近畿地方に見られる伝承である。その製作方法に諸説あれど、共通するのは人工的に作られた犬の悪霊だということだ。
 犬神は個人では無く家系、血筋に憑く。故に一人が犬神憑きとなれば一族全てに犬神が憑く。
 そのため一部地域では、結婚相手が犬神憑きで無いか戸籍を調べる事すらあった。それほどまでに犬神憑きは恐れられ、忌み嫌われていたのだ。


「――アギラオ!」
「ハンッ。火葬には火力が足りねえよ!」

 波状攻撃をしかけるイヌガミの隙間を縫うように、八塚の放った炎が吸血鬼を襲う。
 しかしその炎は吸血鬼が片手を振るっただけでかき消され、次いで放たれたイヌガミたちのファイアブレスも大したダメージを与えられれず消失する。

「――ジオダイン!」
「――オン・インドラヤ・ソワカ!」

 吸血鬼が極雷を叩きつける刹那、八塚は両手で印を組むと結界をはる。
 雷が阻まれるのを確認し、吸血鬼は舌打ちをした。予想以上に手強いと。

「今のは真言か? 犬神憑きが坊主の真似事かよ」
「……品が無ければ知識も乏しい。救いがありませんね」
『あら、正論』
「うるせえ」

 目の前の女と内の女にまとめて文句を言うと、吸血鬼は再び舌打ちをした。

「雑魚かと思ったらうざいほど粘りやがる。イヌガミも中位悪魔とやり合えそうだし、マジうぜえなオイ」
「去りなさい汚れた吸血鬼。――招来」

 おもむろに懐から管を取り出す八塚。その管が淡い緑色の光を放ったかと思うと、八塚を守るように、雄牛ほどの大きさはあろうかという白いイヌガミが現れる。
 牙をむき出しに威嚇をするその姿は、犬ではなく狼。否、狼ですら可愛く見える。
 その姿に吸血鬼は一瞬呆気に取られ、そして笑った。

「ハンッ。こんな上位悪魔並のイヌガミがいやがんのかよ。どんだけ恨み辛みが溜まってんだ。なあ汚れた血さんよ?」
「去りなさい。三度はありません」

 無視して言う八塚に、吸血鬼はくぐもった笑いを漏らす。

「ああ流石に『一人』じゃ荷が重いなこりゃ」

 吸血鬼はそう言うと、口元を歪め上着のそでをまくる。
 そして露わになったそれに、それまで表情を崩さなかった八塚の目が微かに見開かれた。

「それは……」
「アームターミナル。どっかのバカがばらまきやがった、悪魔召喚プログラムを効率良く運用するために作られた、ハンドヘルドコンピューター」

 吸血鬼の右手が踊るようにキーボードを叩き、背後に召喚陣が現れる。

「来な。クソ忌々しい悪魔ども!
――DIGTAL DEVIL SUMMON!」

 吸血鬼の言葉に応えるように、召喚陣を突き破るように幾つかの影が顕現した。



[7405] 第二十八話 血と水は混じり合い夜を駆ける
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:303fc4af
Date: 2012/12/29 20:42
 ようやく召喚の儀式の準備を終え、ツバキはゆっくりと体から力を抜いた。
 何せ百年に一度行うか否かという大儀式だ。ツバキ自身、自分の代でこのようなものをやる羽目になるとは思ってもみなかった。
 それでも、万全を期したと断言できる。後はしかるべき手順を踏みさえすれば、神と呼ばれる存在の召喚すら可能だろう。

「準備は終わりましたか?」
「……いきなり現れないでください」

 突如目前に出現した青年に、ツバキは内心の動揺を隠しながら言った。
 まったく性質が悪い。意識の間隙をついているというのは本当らしく、それまでそこに居たのに気付けなかった。そんな現れ方をするのだ。
 こんなことを続けられたら、常時無意味に身構えてしまう。

「すいません。急いでいたので配慮が足りませんでした」
「急いで……八塚!?」

 アキラが肩に担いでいる女性に気付き、ツバキは取り繕うのをやめて声を上げていた。
 八塚はぐったりとアキラに身を任せており、意識が無いのは一目瞭然だった。

「例の吸血鬼から逃げていたので、保護しておきました」
「そんな……八塚が」

 八塚は犬神使いという、デビルサマナーに比べれば限定した力の持ち主ではあるが、その犬神の力は並の悪魔では太刀打ちできないほどだ。
 吸血鬼如きに負けるはずが無いのに何故。

「吸血鬼が何やら大層な悪魔を呼び出していました。一体だけでしたが、下手をしなくても妖精王より高位の悪魔ですね」
「妖精王以上……」

 何故アキラが妖精王を比較に出したのかツバキには分からなかったが、その脅威の程は伝わった。
 多神教の神か、あるいは魔王か。それこそ伝説級の高位悪魔である事は間違いないだろう。

「吸血鬼がこの屋敷に向かってきてます」
「どうやって。お堀の結界は?」
「破られていました。恐らく堀に犬頭たちの血が……穢れが流れ込んだせいでは」
「……犬頭の陽動には、そういう意図もあったわけですか」

 今更敵の動きの意味に気付き、ツバキは吐息を漏らした。
 敵が組織だって動いているのに対し、こちらはあくまで同業者の組合でしかない。後手に回るのはある程度仕方が無いと思っていたが、実際に戦況が悪くなってくると、その考えが甘えであったと嫌でも理解せざるをえない。

「相手はまだ奥の手を使っていない。だからこちらが使うわけにもいかない。そしてここは死守しなければならない。だけど援軍がすぐ来るような状況でも無い。
 仕方が無い。俺が行きますか」
「……それで貴方がやられたら本末転倒です。私が行きます」
「それこそ本末転倒でしょう。準備は終わってるみたいですけど、俺にこんな儀式召喚ができると思いますか?」

 それは無理だろう。そんなにあっさりと召喚できるのならば、悪魔召喚プログラムがこれほど重宝されるはずがない。

「……貴方が行方不明になる前に、監禁して修行させておくべきでした」
「無茶言わないでください。『深海』はあくまで異能者であって、術師じゃないですよ」
「ですが現に貴方には素質がある。どこかで拝み屋の血でも混ざったのでしょう」
「父は『深海』でしか無かったみたいですし、母方の血かな? 台湾で商売をしていたと聞いてますが、怪しくなってきたかな」

 自身の血についてあっさりと受け入れるアキラ。その様子にツバキは先ほどとは違う意味で溜息が漏れた。

「大物ですね貴方は。数ヶ月前まで一般人だったというのに、周囲の異常も己の異状も受け入れてしまう」
「どうも生まれつきそういった特性だったみたいで。状況に抗うより受け入れるタイプみたいです」

 その言葉がツバキの意識に引っかかった。
 その二つの言葉は、ある状況下では重要な意味を持つ。今後アキラが悪魔とどう関っていくか、端的に表しているといっても良い。

「……LAW……ではあるけれど“彼ら”とは違う。まあ極論すれば天津神もそうですし、世紀末でも無い今は大丈夫でしょうか」
「LOW?」
「こちらの話です。しかし八塚が敗れるような相手に、やはり貴方を行かせるわけには……」
『心配性ね。大丈夫だって』

 不意に、アキラでもツバキでも無い第三者の声が響いた。

『なんたってアキラにはあのクー・フーリンがついてるのよ。それに私だってそれなりにやるし』

 背中に透明の羽を生やし白いドレスを纏った、金髪の少女がアキラのそばに浮かんでいた。
 その姿にツバキは見覚えがあり、一体どこで見たのかと記憶を手繰り寄せ、正解に行き当たるとまた溜息が漏れた。

「……何故ピクシーが人間サイズになっているのですか」
『私ハイピクシーだから』
「答えになっていません」

 ハイピクシーはピクシーたちを統括する高位妖精だが、だからといって人間サイズだったりはしないし、突然巨大化したりもしない。
 この妖精はピクシーなどでは無い。もっと別の何かだ。

「……どうも九峨さんが待ち伏せしてるみたいですね。このままだと九峨さん一人で吸血鬼と戦うことになりますよ」
「そういう報告はもっと早くしてください」

 精神感応で九峨の存在を捉えたらしいアキラに、ツバキから苦情が漏れる。
 九峨が居るのなら話しは早い。彼は深山でも五指に入る実力者だ。彼に前線を任せ、アキラには援護でもさせれば良い。

「じゃあ行っても良いですよね」
「行く前に、現在の街の状況を分かる限り報告してください」

 先ほどから電話が一切来なくなっている。何かあったかもしれないと、ツバキはある意味便利すぎる情報収集人に答えを求める。

「……ああ、これまずいかも」
「……何がですか?」

 少し意識を集中し、何かに気付いたアキラが声を漏らす。
 もう何があっても驚かないと覚悟を決めるツバキだったが、次のアキラの言葉は予想外すぎた。

「一度破られたお堀の結界が乗っ取られてますね。外と隔離されてます」
「……」

 何も言わず崩れ落ちるツバキ。
 状況が悪いのもあるが、アキラに言われるまでお堀の結界を破られた事にも、乗っ取られた事にも気付けなかったのだ。術者として自信を喪失しても仕方が無い。

「……援軍が来ないと分かった以上、戦力を出し惜しみできません。行ってください深海さん」
「ツバキさんも結構タフですね。他に敵は感知してませんけど、一応気をつけてください。行くよピクシー」
『はーい』

 ピクシーの手を取ると、現れたときと同じようにいつの間にかツバキの認識外へと離れるアキラ。
 手馴れているにも程がある。歴代の「深海」の中でも、アキラほど戦闘向きな力の使い方を覚えた者は恐らく稀だろう。
 その才能に、ツバキは少しだけ嫉妬した。





「ああーッ、うっとい!?」

 襲いかかって来たワードッグを切り伏せながら、ヒメは内心の苛立ちを吐き出すように叫んだ。
 暗闇の中爛々と光る犬たちの瞳。その数がどれほどのものか、数えるのも面倒になってきた。

「あんたら合わせ! ――マハジオンガ!」
『――デスバウンド!』
『――マハザンマ!』

 ヒメが雷撃を放つのに続いて、ジークフリートが剣撃による衝撃波を、スカアハが衝撃魔法を放つ。
 路地裏の道路を横切ったそれは、空中でタペストリーのように重なり合い、ワードックたちを蹂躙していく。

「……何ともまあ、これで本気じゃねえんだから、恐ろしいね姫さんは」

 ヒメの背後で、煙草をふかしながら鬼塚は呟いた。
 対オカルト捜査官という特殊な立ち居地にある鬼塚は、その立場上様々な異能者と協力関係を結んできた。しかしヒメほどの力を持った者は本当に稀で、恐らく全国を探しても数えるほどしか居ないだろう。
 何ともまあ羨ましいと、口には出さず思う。

 鬼塚自身先ほどから右手に拳銃をぶら下げてはいるが、使う機会には恵まれていない。
 仮に使う機会があったとしても、こんな小さな口径の銃弾が悪魔に効果があるかは怪しいし、何より弾は五発で打ち止めだ。
 悪魔相手に捜査させるなら、機関銃とは言わないがせめて小銃くらいは持たせても構わんだろうに。
 そう愚痴り続けてきた鬼塚だったが、未だに自分たちの基本装備は支給された拳銃一丁。
 頭は固いが有能な後輩も来た事だし、この事件が終わったら転属願いを出そうと決意する。

「……ん? 何だありゃ?」

 ふと妙なものが視界に入り、鬼塚は目を凝らす。

 女性が居た。電柱の影に隠れて、こちらを窺うようにしている女性が。
 しかしこの女性、ただの女性では無いのは明白だった。

 まず服装がおかしい。着物……と言えばまだ珍しくあってもおかしくは無いのだが、一体どこのお城の姫だと聞きたくなるほど華美だった。
 その顔立ちもその着物に負けず劣らず美しく、同時に一目で人外だと知れる異様さがある。
 着物の女性の悪魔。一体何の妖怪だと鬼塚は身構える。

「あれ? お袖さんやん。どうしたん?」
「……知り合いか」

 ワードッグを始末したヒメが、鬼塚のそばに来るなり女性に気付いて言った。
 すると電柱に隠れていた女性は、ピンと背筋を伸ばしてこちらへ走ってくる。……着物を着ているとは思えない軽快さで。

『こんばんは赤猪さん。相変わらずお強いですね』
「ありがとう。それで、どしたんお袖さん? アンタ今は堀端にすんどるんやないん?」
「……」

 どうやらお袖というらしい女性と普通に会話をするヒメ。その様子を鬼塚は遠い目をしつつ煙草を吸いながら眺める。
 必ずしも人に敵対するとは限らないのが悪魔だが、日本古来の妖怪というのは特にその傾向が強い。彼らは悪事をするにしても悪戯程度のことしかせず、懲らしめられた後に人間に利益をもたらすものも多い。
 民俗学者の中には、妖怪は堕ちた神だと言う者も居る。このお袖さんとやらも、人間に友好的な妖怪の類なのだろう。

『何だか古巣が騒がしいから、気になって見に来たんです。そしたらどうもお堀の結界に細工がされてるみたいで、入ろうにも入れなくて』
「入れんて、お袖さんが?」
『ええ。どうも霊的な結界を物理的な障壁へと転化したみたいです』
「……乗っ取られた?」

 状況を理解し、ヒメは眉をひそめた。
 宮間の戦力の殆どは、ワードッグを駆逐するために街を駆け回っている。結界がある堀の内の中には、殆ど誰も残っていないはずだ。

「ヤバイやん。よく知らせてくれたお袖さん! 鬼塚さん他の人らに状況説明任せた!」
「待てコラ!?」

 一番面倒臭い事を任せて、さっさと駆けて行くヒメ。恐らくは堀の内に向かうつもりだろう。

「……」
『……』

 何となく横を見ると、お袖さんが無言で鬼塚を見つめていた。
 すっごい見つめていた。それはもう何かを期待するように。

『……お困りですか?』
「……それなりにな」
『お手伝い必要ですか? 必要ですよね? 今ならおあげを下されば協力しますよ?』
「……後払いでいいならな」

 しばし考えた後に鬼塚が言うと、お袖さんはパァッと顔を輝かせる。
 その様子に、鬼塚はオソデさんの正体にようやく察しがつく。人間に化け、おあげを欲しがるとくれば、正体は一つしかない。

『では、おいでなさい!』

 お袖さんがパンパンと手を打つと同時、周囲の影から待ちかねていたように小さな影が飛び出してくる。
 それらはお袖さんの周囲に集まると、お座りをして待機する。

「ッて、狸かよ!?」
『あら? 狸だと何か問題が?』

 不思議そうに首を傾げるお袖さん。よくよく見てみれば、その尻の辺りにはまるまるとした狸の尻尾が見えている。

「おあげが好物なのは狐だろ!?」
『いやですね、狸だっておあげは好きですよ。特に松山あげは味噌汁にあうんです。それに四国に狐は居ませんよ。あいつら性格悪いから、オヅヌ様にまとめて追い出されましたし』
「何やってんだオヅヌ!?」

 オヅヌというのは、修験道の開祖である役小角の事だろう。動物愛護団体も真っ青な所業に、思わず鬼塚は声を荒げていた。

『まあ狐なんて置いといて。この子たちにも退魔士さんたちへの連絡を手伝わせますね』
「……ああ頼む」

 もう一度お袖さんが手を叩くと、狸たちはサッと影に隠れるように散っていく。
 後払いにしてもおあげは何処に届ければ良いのか。鬼塚は疲れた頭でそんな事を考えていた。





 吸血鬼は焦っていた。
 ワードッグ全てを撹乱、陽動に使い、手薄となった敵の本丸を急襲する。それがあの女から仰せつかった自分の役割だというのに、たった一人の犬神使いに随分と手間を取らされてしまった。
 しかも相手を仕留めるには至らず、多数の犬神が盾となり取り逃がしてしまった。後でどんな精神を磨耗するような嫌味を言われる事か、憂鬱であるとすら言っていい。

 吸血鬼は焦っていた。
 だからだろうか。宮間の屋敷を目の前にして、普段なら真っ先に気付いたであろう男の存在に気付けなかったのは。

『――マハザンマ!』
「うをっ!?」

 突如荒れ狂い始めた空間から、吸血鬼は霧化したまま後退って遠ざかる。

「やはり来たな。吸血鬼」
「……またおまえかよ。ダークサマナー」

 暗闇の中、九峨の煙草の火が浮かび上がった。周囲にはセンリ、チュルルック、パピルザクにライジュウの姿。
 漏れた舌打ちに、九峨は煙草の煙を吐き出しながら応じる。

「十年前だったな。俺がそう呼ばれ、おまえがまだなり損ないだったのは」
「ハンッ。よーく覚えてんぜ。偉そうな政治家のオッサンの首を、枝みたいにへし折るアンタの後姿をなあ」

 挑発するように言う吸血鬼に九峨は何も返さない。
 ダークサマナー。悪魔を使役し闇家業に手を染める、悪に堕ちたデビルサマナー。それが九峨の生業だった。

「……あの時俺はおまえを見逃した。一般人でもなければ、組織の障害となるほどの力も無い、哀れなガキのおまえを。それが間違いだったと知る事ができただけでも、この街に根付いた意味はあった」
「ハンッ。俺を見逃したのがアンタの罪だったとでも言うつもりか? 馬鹿ぬかせよ。俺を見逃したのなんて、アンタが犯してきた悪行の数々からしたら、万引きみてえな小さな悪事だよ」
「だが、それは悪だ」

 ハッキリと、九峨は断言する。

「間違いを正す。そのためだけに残りの生を使うと、俺は決めている」
「鬱陶しいなアンタ。うぜえよ。てめえの生き方になんぞ興味は無いし、付き合ってやる義理も無い」

 吸血鬼が鋭い爪の生えた右手を掲げる。それに呼応するように、九峨と仲魔たちも身構える。

『……何だ。面白そうな因縁じゃねえかアヤメ』

 緊迫した場に、やけに陽気な、しかしどこか人を小ばかにしたような若い男の声が響いた。

「……やっときたか。どこほっつき歩いてやがった」
『いや、わりいわりい。あの姉ちゃんが結構良い女だったから追いかけてみたんだが、まんまと逃げ切られた。どうも変なのに邪魔されたっぽくてな』
「変なの?」

 青い肌をした金髪の青年がそこにいた。吸血鬼の肩の高さで浮遊しながら、胡坐をかいて頬杖をついている。
 その存在が何であるか、九峨は理解し、同時に否定した。

「まさか……そんなはずが」
『いえ、九峨様……アレは、間違いありません』
『おっ、何だ。自己紹介はいらない感じか?』

 驚愕に顔を歪める九峨やセンリたちを見て、青年はニヤリと背筋の凍るような笑みを浮かべる。

「さて、ダークサマナーさんよ。悪いが俺はアンタの相手なんてしてるねえんだ。さっさと片付ける」
『良いねえ。女遊びも愉しいが、よえぇ奴を一方的に殺戮するってのも一興だ』

 嗤う。嗤う。嗤う。
 吸血鬼と青年は壊れた人形みたいにケタケタと嗤う。

『さて、やろうぜ人間。刻めよ。その目、その身、その魂に、魔王ロキの名を!』

◇◆◇◆

 悪魔全書

・神獣 オソデタヌキ(お袖狸)
 別名を八股榎大明神。透視能力を持ち、人々の様々な悩みを神通力で解決したと言う。人前に現れるときは、美しいお姫さまの姿をしていた。
 元は松山城の森に住んでいたが、人を大勢見てみたいと思い、八股の榎へと住処を変える。
 しばらくは人を観察していたが、通りがかりのお婆さんを助けて感謝されたのをきっかけに、人助けを自分の仕事にしようと決意する。
 その後お袖狸の住む榎は評判となり、線香やお供えをする人が後を絶たなかったという。
 昭和に入りその榎は切られてしまい、住処を失くしたお袖狸は御幸山や久万の台等を点々とした後、久万山の奥へと姿を消した。
 現在は堀端にて八股榎大明神として祀られている。 

・妖精 センリ(仙狸)
 山猫が長じて力を得た存在。猫又の親戚みたいなもの。
 動物が力を持って妖に転じる例は多く、それらが徳をためるのは自らをより高位の存在に高めるためだという。
 要するに皆お袖狸みたいに神様になりたいらしい。
 真・女神転生1では傘を被った白装束の女性の姿だったが、3で何故か怪しく蠢くキノコに。
 ネコマタからセンリに変異した瞬間、多くのプレイヤーが崩れ落ちた。

・夜魔 チュルルック
 よく分からない何か。ランダの手下らしく、バロンに追いかけ回されてたりする。
 MPが多いので雑魚相手によく使っていたが、こいつに思い入れがあるのはメガテニストの中でも作者だけだと思われる。




[7405] 第二十九話 魔王
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:e9b77304
Date: 2012/12/30 19:09
『――マハザンマ!』
『――マハラギオン!』

 仲魔の放った衝撃波と炎を隠れ蓑にして、九峨は一気に吸血鬼との間合をつめた。
 ロキを相手にするのは、流石に骨が折れる。ならば、召喚者である吸血鬼を倒してしまえばいい。
 今までの戦いの経験からして、接近戦では九峨に分がある。九峨自身の人類の限界に挑戦している身体能力に加えて、吸血鬼に武術の心得が無く力任せな戦い方しかしないためだ。
 故に一気に畳み込んで勝負を決める。それが九峨の策だった。
 火炎の幕が開けた瞬間、九峨は大きく踏み込んで吸血鬼へと右拳を叩き込む。

『……無視はいけねえなあ。遊び相手はオレだぜ人間?』

 だがその拳は、割り込んだロキの手にあっさりと絡め取られた。

「チィッ!」
『おっと』

 右拳を引き、体をひねった勢いのままに蹴りを放つ。しかしそれをロキは半身を反らして避け、続けざまに放った回し蹴りと前蹴りもすかされる。

『いっくぜぇセンリ!』
『承知!』
 
 九峨とロキの攻防の隙に、チュルルックとセンリが攻撃の態勢を整える。

『――アギダイン!』
『――ザンダイン!』

 そして放たれたのは、火炎と衝撃波の最高位魔法。

『ハハッ! 中々すげえじゃねえか! ――ブフダイン!』

 だがそれも、ロキは身を引いて避け、氷の一撃で相殺する。

『じゃあ、これはどうだ?』

 そして間合が開いたのを見るや、嫌らしく顔を歪めて呟いた。

『――アイオンの雨』

 瞬間、世界が白く染まった。





 満身創痍。それが今の九峨の状態だった。
 サングラスは当の昔に砕け散り、黒いスーツは血に塗れ、左腕は既に使い物にならない。
 対する吸血鬼とロキは、無傷で九峨たちを見下ろしている。

 たった一撃。魔王ロキの放ったたった一撃でライジュウとパピルザクは消し飛ばされ、チュルルックは辛うじて生き残ったが、肝心の回復役であるセンリが氷付けにされて身動き一つできない。
 何の冗談だと、笑う事すらできやしない。

「……この力、魔王とはいえ強すぎる。本体に限りなく近い分霊と言った所か。何故おまえのようなガキに、そんな上魔が使役できている」
「使役はできてねえんじゃねえか? こいつ俺の言う事なんざ聞かねえし」
『ハッ。当たり前だろ。俺は俺が愉しいと思ったことしかやらねえぜ?』

 吸血鬼とロキのやり取りを聞いて、九峨は理解した。
 本人の言う通り、ロキは吸血鬼の支配下に無い。自我を持っている以上、召喚には成功している。しかし吸血鬼の器をロキが上回っているのか、召喚しただけで制御下から離れてしまっているのだ。
 普通のデビルサマナーならば、こんないつ自分に牙を剥くとも知れない仲魔など使わない。だが吸血鬼は普通では無い故に、ロキを呼び出して好き放題させているのだろう。

「……」

 九峨は無言で懐から煙草を取り出したが、ライターがひしゃげて使い物にならなくなっているのを確認し放り捨てた。
 まったく打つ手が思い浮かばない。接近さえすれば、魔王だろうと殴り殺す自信があるが、ロキがそれを許してくれるはずが無い。
 逃げたとしてもロキの性格だ。間違いなく追いかけてきて、猫が鼠をいたぶるようにトドメをさしてくれるだろう。

『何だ? 諦めたのか? つまんねえな。もう殺すぜアヤメ』
「……好きにしろ」

 片目を歪めて言うロキに、吸血鬼もつまらなそうに視線を反らして答える。

『ま、来世があったら頑張れや――マハブフダイン』

 瞬間、九峨たちの周囲が凍土に包まれていく。
 ここまでか。九峨が諦めたその時、場に合わない少女の声が響き渡った。

『――マカラカーン!』
『なっにいぃ!?』

 突如現れた魔法壁が、九峨たちを覆うとしていた冷気を押し返した。
 血相を変えてその場から離れるロキ。そして間髪いれず、その場を巨大な氷の柱が支配した。

『あっぶねえな。人の邪魔をしちゃいけませんて習わなかったのかお嬢ちゃん』
『アンタこそ。人の嫌がることをしちゃいけませんて習わなかったの?』

 ロキの悪態に応えたのは、白いドレスを纏った少女――ピクシーだった。
 そのピクシーを守るように白銀の騎士クー・フーリンと、主であるアキラが立っている。

「大丈夫ですか九峨さん?」
「……深海か。無事とは言いがたい」

 サングラスを失い、どこか威圧感の減った九峨を見て、アキラは頷いた。

「深海。来てくれた所悪いが、戦力的に絶望的だ。逃げろ」
「そういうわけにも。クー・フーリンでは足りませんか?」
「……せめてあと一体は上魔が欲しいな」

 クー・フーリンはアキラが使役している事がおかしいくらいの、神話の時代の英雄だ。しかしそれでも、神にして魔王であるロキ相手では分が悪い。

「……上魔ではないですけど、それなりに強いのを呼びます」
「居るのか?」

 デビルサマナーになったばかりのアキラに、クー・フーリン並の仲魔がもう一体居る。
 その事を九峨は疑問に思ったが、その答えはすぐに出た。あまり嬉しくない方向で。

『――呼ばれて飛び出たぞアキラ!』

 アキラがGUMPを起動し、召喚陣の中から飛び出して来たのは、青い肌に赤い毛皮を纏った巨人――妖精トロールだった。
 確かにそれなりに強い。それなりに強いのだが、まったく頼りになりそうにないのは何故だろうか。

『ギャハハハハハッ!? と、トロールっておまえ! そんな頭空っぽの力馬鹿呼んでどうすんだよ!?』
『なんだとオマエ! オレの頭には夢が一杯詰め込んであるんだゾ!?』

 馬鹿笑いするロキ。それも仕方が無いだろう。
 トロールはロキの言う通り頭が弱く、知恵のある弱者に翻弄される事が多い。
 北欧神話にも登場し、トールにトロール狩りと称して狩られたりしていたはずだ。ロキからすれば脅威でもなんでも無い存在には違いない。

「また妖精か。どういう縁だ」
「……このままだとクー・フーリンの後輩になりそうな程の縁です」
「……おまえは本当に現代人か?」

 クー・フーリンの後輩。妖精の騎士になりそうだと聞いて、九峨は胡乱な目をアキラに向けた。
 薄々気付いてはいたが、この青年は根っからの一般人というわけでは無かったのだろう。むしろ自分などよりも、よっぽど深く異界に踏み込んでいるらしい。

『あー笑った笑った。でもやる気はでねえなあ……。うん。もう俺帰るわ。じゃあな!』
「ばっ!? 待てロキ!?」

 興が削がれたのか、突然戦線を離脱するロキ。それに九峨は眉をひそめたが、これまでのやりとりでロキが吸血鬼の制御下に無い事を知っていたため、あまり深くは気にしなかった。
 吸血鬼が焦っている事からしても、本当にロキはどこかへ行ってしまったのだろう。
 そう九峨は判断したが、吸血鬼がロキの勝手な行動に焦っているのは確かだが、その理由は九峨の予想とはまったく異なるものだった。

 ロキはこの街で起きている事件になど興味は無かった。
 ただ並の人間より少しばかり強い連中が集まっている。それだけで彼にとっては遊び場として十分であり、敵について詳しく知る必要性も感じていなかったのだ。

 だからロキは悪手を取った。
 離脱したふりをして、姿を隠し、嘲笑うように奇襲を行った。
 相手がこの街で最も奇襲が無意味な存在だと知らずに。

(まずは女!)

 狙うのは珍種の妖精。じわじわと嬲って、召喚者と騎士が屈辱に顔を歪めるのを眺めてやる。
 そんな事を考えながらロキはピクシーの背へと襲いかかり――

『――なっ!?』

 ――クー・フーリンのゲイボルグにその身を貫かれた。

「本当に……ガキみたいな魔王だな」

 アキラの言葉に、ロキはニヤリと笑って返す。
 この場に及んでも、ロキには焦りは無い。魔槍の貫かれたのは確かに失態だが、この程度で死ぬなら彼は魔王などと呼ばれていない。
 自分はまだまだ追い詰められてなどいない。そんな自負と慢心があったから、ロキはまたしても油断し最悪の状況に追い込まれる。

「……」

 槍を突き出したクー・フーリンの腕に沿うように、彼の背後に居たアキラの腕が伸びた。
 その手に握られた物を見て、ロキは笑った。そんな小さな銃で、一体何をするつもりだと。自分を殺したいのならば、メギドファイアでも持って来い。
 避けるまでも無い。そう判断したロキはアキラが引鉄を絞るのを何もせず見つめていた。

 結果。辺りにドカンと大砲でも撃ったような爆発音が木霊した。

『ガアァッ!?』

 その音量に比例するように、ロキの体を大きな衝撃が襲った。魔槍に刺さった体は衝撃と共に後方へと投げ出され、体勢を立て直す事もできず宙を舞う。

 それを追うように、アキラはクルリと一回転しながらクー・フーリンの前へと躍り出ると、右手を突き出してM686の照準を吹き飛ばされていくロキへと定める。

 一発。
 二発。
 三発。
 四発。
 五発。

 立て続けに引鉄が引かれるたびに、拳銃には不似合いな爆発音が響き渡り、ロキの体が宙を跳ね回る。

『ガハッ!?』

 ようやく空のダンスを終え、地面に叩きつけられるロキ。
 ダメージは甚大だ。一発だけならまだまだ余裕があったが、立て続けに六発。人畜無害な顔をしている癖に、情けも容赦も無い。
 だが彼は魔王ロキ。確かに深手を負ったが、数秒もあればすぐに動けるようになるだろう。

 そう確信し仰向けに転がったロキだったが、その眼中に認めたくないものを入れてしまった。

『オシャレにあの世いきだぞ!』
『よりによって手前かよ!?』

 いつの間にか顔を出していた月を背に、空から落ちてくるトロール。
 神話の時代から、ロキが馬鹿にし続けていた妖精が、彼を目がけて落下していた。

『――メガトンプレス!』
『ゴハアァッ!?』

 トロールの巨体にロキは押し潰された。
 口からは空気と共に血が溢れ、体はトマトみたいに潰れて地面に血溜まりを作った。

『……よ、よりによってトロールなんぞに……』
『あら? じゃあトドメは私がさしてあげる』

 無邪気な少女の声がして、ロキはゆっくりと顔を横に向ける。

『……』

 にっこりと笑う妖精の少女。数々の美女を見て来たロキだが、この少女ほど眩しい笑顔は見た事が無い。

『――ジオダイン!』

 あ、こいつ悪魔だ。
 満面の笑みで雷撃を放つピクシーを見て、そんな事を思いながらロキは現世から姿を消した。

◇◆◇◆

 悪魔全書

・妖精 トロール
 スカンジナビアに住む巨大な妖精。巨人と描写したが、アース神族と敵対していた巨人族とは別の存在。
 元々はもっと巨大だったらしいが、体が小さくなると共に力も弱くなったらしい。
 ちなみに真3ではロキの宝物の番人をしている。ロキの宝を盗み出した主人公を見つけ「オシャレにあの世行きだぞ」という名言を残した。

・魔王 ロキ
 言わずと知れた北欧神話におけるトリックスター。
 フェンリル。ヨルムンガンド。ヘルと言った怪物たちの父であり、オーディンの駆る八本足の馬スレイプニルも彼が生み落とした。
 アース神族と巨人族のハーフとして生まれ、自らも巨人族の女性を妻にする。
 オーディンと義兄弟の契りを交わし、トールと仲良く喧嘩しながらアース神族と共に暮らしていたが、とある巨人族の女と出会った事でロキの運命は大きく変わる。
 巨人族の女の死を期にアース神族と袂を別ち、神々の黄昏ラグナロクではアース神族に敵対した。
 ラグナロクの際にはヘイムダルと相打ち最期を迎える。
 ソウルハッカーズ仕様だと銃に強いのだが、気にしてはいけない。きっとこの作品では真シリーズ仕様だ。
 と思ったら真1の魔神ロキも銃に強かった。
 敵として出ない(敵は銃撃を使わない)のに何でそんな相性になってんだよもうどうにでもな~れ☆



[7405] 第三十話 吸血鬼
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:303fc4af
Date: 2013/01/03 15:17

「――んな馬鹿な!?」

 ロキが消えていくのを、吸血鬼は驚愕と共に見つめていた。

 デビルサマナーになって数ヶ月の素人に、魔王が打ち倒される。
 一体どんな悪夢だ。奇跡とご都合主義を大集合させたって、勇者が魔王を倒すまでには文庫本一冊以上の修行と冒険が必要だろうに。

 無論アキラがロキを一方的と言っていいほどあっさり倒せたのには理由がある。

 アキラが精神感応能力者であったこと。それ一つでアキラはロキを完封したと言っていい。
 圧倒的な強者に対して、弱者が勝利するにはどうすればいいか。
 かつてヒメはその一つの解として、「相手に攻撃をさせないこと」とアキラに教えた。
 麻痺させるなり眠らせるなり感電させるなり凍らせるなり、ともかく相手が攻撃できなければ、いつかこちらが勝利する。

 そして勝率を上げる条件として、決め手となる高い攻撃力を挙げた。
 今回の場合は。アキラの使った特殊な弾丸と、ピクシーのジオダイン。そしてトロールがそれだ。
 トロールは力馬鹿であるが、素早さは低く相手に攻撃が当たらなければ意味がない。
 しかしアキラは精神感応能力者。相手の行動を読み、追い詰め、トロールという力馬鹿を最大限に利用する下地を作ることができる。

 精神感応で機先を制し、一気に畳みかけた。

 それがアキラがロキに勝てた理由であり、もしも一度でも反撃を許せば形勢は逆転していただろう。

「よそ見していて良いのか?」
「!? てめえ!?」

 いつの間にか目前に迫っていた九峨に、吸血鬼は慌てて爪を振るった。

「遅い!」
「ガアァ!?」

 しかしそれはあっさりと避けられ、腕を潜りぬけるように走った九峨の拳が腹に突きたてられる。

「――ジオダ……」
「――マカラカーン!」
「クッソッ!」
「にがさねえ! ――マハラギオン!」
「チィ!」

 吸血鬼が電撃を放とうとしたところでピクシーが魔法障壁を張り、霧になろうとしたところでチュルルックが火炎で逃げ道を塞ぐ。

「……終わりだ」
「ッ! ……クソガアアアァツ!」

 退けない、動けない吸血鬼に向かって九峨が踏み込む。大きく引いた右手の拳は解かれ、抜き手の構えへと変わっている。

「ごっ!?」

 そして九峨の右手が、吸血鬼の胸を貫いた。





 街は不気味な静けさを保っていた。

 路地裏をワードッグが徘徊し、退魔士たちがそれらを狩る中、人々はそれでも日常を謳歌しているはずだった。
 だというのに、街灯の照らす堀の内へと続く道には、車はおろか人影すら見えない。

 そんな中、ヒメは愛車を走らせていた。
 軍用車と見紛う分厚く白い車体が、夜の闇を引き裂くように走る。

 人っ子一人居ないのは気になったが、先ほどアキラが事故で立ち往生していたとカズトから聞いていたため、それにかこつけて交通規制でもやったのだろうとヒメは判断していた。
 その判断は穴だらけであるし、何より今の状況にヒメは覚えがあった。
 だというのにそれを疑問に思わないまま、ヒメは堀の内へ続く道を突き進み、そして信号を無視して右折した。

「……!?」

 何かがおかしいことに気付き、ヒメは慌ててブレーキを踏んだ。
 静かな街に悲鳴のようなブレーキ音が木霊し、道路に黒い線を残しながらヒメの車は止まる。

「……ああ、そうか。人が居らん上に目的地に行こうと思っても行けん。“あの時と同じ”やんなあ……藤棚さんよ」
「ふふ。いつ気付くのかと思ったわ」

 ヒメの言葉に、応える声があった。
 いつからそこに居たのか、白装束の女が後部座席に座っていた。顔を白い布で隠しているが、その声はヒメには聞き覚えがある、死んだはずの女のそれであった。

「どうして生きとんかなぁ。あの死体が藤棚ランなんは、アキラくんも確認したんやけど」
「ふふ。だったらこの体は藤棚ランでは無いことになるわね。だけど私の中に藤棚ランが居るのは間違いないわ」
「……他人の体でも乗っ取ったん? アンタの能力ならありえそうで恐いわ!?」

 そう言うと同時、ヒメはアクセルを一気に踏み込んでいた。
 加速する車体、体にかかるGにヒメと藤棚の体は座席に押さえつけられ、そしてそのまま車はビルの壁面目がけて加速し続ける。

「……何してくれとん!? アンタも死ぬやろコレ!?」

 自分の意識とは関係なくアクセルを踏み込む足。目前に迫る壁にヒメは悲鳴じみた声で言う。

「私一人で貴女を殺せるなら安いものね。でも、きっと貴女は生き残るわ。だって貴女、私の催眠誘導を意志だけで破れるバケモノだもの」
「ああ、そうなん。……だったら一人で死にさらせええぇぇぇっ!」

 雄叫びをあげながら、ヒメは藤棚の支配を気合で振りほどき、ドアを開けると転がるように車から降りる。
 そして藤棚を乗せた車はそのままビルの壁面へと突き進み、激突し、ひしゃげ、轟音と共に爆発、炎上した。

「……ハリウッドか」

 愛車が敵と共に派手に爆散するのを、ヒメは呆然と眺めていた。
 しかし気は抜けない。死んだ藤棚がこうして現れたという事は、もう一度現れる可能性がある。

「本当に、呆れる精神力ね。仏門に入れば悟り開けるんじゃない貴女?」
「尼になる気は無いなあ」

 仏陀並の精神力と言われ、ヒメはただ呆れながら背後を振り向いた。

「……で、アンタも藤棚?」
「ええ。私も藤棚」

 ヒメの問いに、白装束の女がクスリと笑う。
 念のため確認したが、ひしゃげた車の後部座席には、血塗れになり炎にまかれる女の死体があった。
 仮に幻影だとしたら、そこまでするとは思えないし、する必要も無い。

「それで、どういうカラクリなんか教えてくれんかな。死体が本物なら、他人の精神を乗っ取る超能力でも持っとるとか?」
「あら、まだ気付かないの。最初にタタリクスが言ってたじゃない。――私達という群体の名前はファントム。裏の歴史にすら埋もれて置き去りにされた、二十年前の事件の亡霊よ――って」
「私達……? 群体って……まさか」





「……深海さんは周囲に敵は感知できないと言っていた。という事は、貴方は彼と同種の能力者という事になるのでしょうか」

 宮間の屋敷の中庭。灯篭と陣に囲まれた中で、ツバキは敵と対峙していた。

「そうね。でもきっと彼は私の存在を予想していたわよ。それを言わないなんて、本当に薄情だと思わない?」

 そう言ってクスクスと笑う女。白装束を纏った上に白い布で顔を隠しており、その表情は窺えない。

「言わなかったという事は、私で対処可能だと判断したが故でしょう。名ばかりの当主とは言え、賊一人を押さえられないのでは名すら廃る」
「あらら、前時代的ね。まだ若いのに、男も知らないでしょう貴女」
「大きな世話です」

 どこか声を固くして言うツバキに、白装束の女は布の下で笑う。

「それに、貴女一人で私を? 無理よ。貴女みたいな小娘じゃ……ね」
「なにを!?」

 女の言葉に疑問の声を漏らすのと同時に、ツバキは自らの両の手で己が首を締め上げていた。
 親指が喉へと食い込み、喘ぎ声すら漏らせず、ただツバキは口をパクパクと開いてのけぞる。

「ほら。“大人”なら、冷静に私の支配から逃れる事もあるんだけど、まだまだ未熟な貴女ではね」

 女の声に応える事すらできず、ツバキの顔から血の気が引き、膝が折れる。

「……ぁ……っ……」
「はい、おしまい。まったく、深海もこんな女に何を期待したのや……」
「ぁ……アアアアァァァァァッ!!」
「!?」

 断末魔のような絶叫を上げて、反っていたツバキの体が折れ曲がるようにたたまれる。

「が……ゲホッ……は……」

 そしてその反動か、ツバキの首から両手は外れていた。生々しい痕が残る喉を撫でながら、ゆっくりと息を整えている。

「……驚いた。あの女といい、貴女たち何か特別な訓練でも受けてるの?」
「当たり前……でしょう」

 言いながら、ツバキは立ち上がる。口の端から垂れた唾液をぬぐい、強烈な意志を籠めて女を睨め付ける。

「宮間の当主として、負わなければならないものがある。若輩だからと言って、許されるものを背負った覚えはありません」
「うわ、前時代的。だけど少し羨ましいわ。……背負うはずのものすら奪われた私からすればね」
「戯言を」

 狩衣の懐から札を取り出すツバキ。それに応じるように、女も白装束の腕をまくり、アームターミナルを露にする。

「――招来!」
「――DIGITAL DEVIL SUMMON!」





「……畜生。なんて様だよ俺は」

 仰向けに倒れて、吸血鬼は言った。
 その胸に心臓は無い。九峨に抉り取られ、闇のような穴が空いていた。

「何でだよ……何で俺がこうなるんだ? 俺とおまえのなにが違うってんだ深海!?」

 突然名を呼ばれ、アキラは驚いて吸血鬼を見た。
 アキラ自身に吸血鬼と因縁はあまりない。むしろ九峨との因縁の方が深いだろう。
 だというのに、吸血鬼はアキラの名を呼んだ。

「俺もおまえも同じだ。あのクソみたいなプログラムのせいで、クソみたいな悪魔どもと関ることになって、クソみたいな人生しか残ってなかった」

 泣くように、呪うように、吸血鬼は言う。

 確かにと、アキラは思った。
 もしも父に助けられず、ピクシーに出会わず、オベロンに救われなければ、幼少のアキラは悪魔と関り続け、ろくな人生を歩めなかっただろう。

 目の前の男は自分の影だ。
 悪魔召喚プログラムに人生を狂わされ、そして誰にも救われなかった、孤独な魂の行き着いた先。
 最後に出会った安らぎすらも、彼には更なる絶望の呼び水にしかならなかった。

「……おまえは、大好きな人の死に耐えられなかったんだな」
「読んでんじゃねえよ。……俺はあの時バケモノになった。なら深海。そのバケモノを狩り続けるおまえは何だ?」

 アヤメの問いに、アキラは考える。

「……俺は、守る事ができるなら、悪魔(バケモノ)になっても構わない」
「ハンッ……そういうこった。俺も、おまえも、座標が違うだけで同じだ。同じクソだ」

 吐き捨てるようにアヤメが言う。
 選んだ道は違っても、歩み始めた場所と、辿り着く場所は同じ。

「俺たちに……安息なんて……無い。でもよ……それでもまだ守りたいものがあるってんなら……それは……」

 アヤメの足が灰になっていく。侵食するように灰は広がり、体が崩れていく。
 追悼するように、アキラは目を閉じる。
 いつの間にか煙草に火をつけていた九峨も、大きく煙を吐くとアヤメに視線を向ける。

 悪魔召喚プログラムに関ったがために家族を失い、恋人を失い、鬼になった青年が消えていく。

 ――メキリと、何かが軋むような音がした。

「ハハッ!」
「誰だ!?」

 女の声がした。
 九峨は身構えて周囲を見渡し、クー・フーリンとトロールがアキラとピクシーを守るように立つ。
 しかしアキラはその声に聞き覚えがあった。そういえば先ほどからあの声を聞いていない。アヤメを茶化すように話していた、彼の中に潜む女の声を。

「ハハ……アハハハハハッ!」

 笑い声に呼応するように、アヤメの体が突然起き上がった。そしてメキリメキリと嫌な音をたてて、腹の辺りから裂けていく。

「ハハハハハハハッ!」

 女の笑い声は止まらない。アヤメの体が裂けた腹から捲り上がるように裏返る。

「ハハハハハハハッ!」

 その異様な光景に、誰も声を発する事ができなかった。
 アヤメの体は血飛沫を撒き散らしながら裏返り、そしていらないものを削ぎ落とすように周囲に肉片が飛び散る。

「やっと……やっと出られた」

 いつの間にか、アヤメの体は完全に裏返っていた。
 そして形を成したのは、一人の女。腰に届く銀髪を血に染め、ワインレッドのドレスを纏った妖艶な女。どこか見覚えのある金色の瞳が、爛々と光を放ちながらアキラを見つめていた。

「フフフッ。初めましてかしら。もっとも、坊やは私の存在に気付いていたみたいだけど」

 その言葉を聞いてアキラは確信した。
 この女はアヤメの中に居た女であり、彼を吸血鬼にした張本人であると。

「感謝するわ。檻を壊してくれて」

 そう言うと、女――カーミラは針のような歯を見せて笑った。

◇◆◇◆

 悪魔全書

・幽鬼 カーミラ
 シェリダン・レ・ファニュの同名の怪奇小説に登場する吸血鬼。
 物語の主人公ローラを初め、幾人かの少女を標的にする。しかし最後は墓を暴かれ、胸に杭を打たれ、首を切り落とされ、燃やされて灰となり川へと流された。
 かの有名なドラキュラよりも古い吸血鬼であり、おおまかな特徴は一致するが、太陽を恐れないなどの違いもある。
 ローラに対するスキンシップはセクハラの域であり、どう見てもレズビアン。吸血鬼が美女をターゲットにするのは伝統ではあるが、それはどうなのか。
 なお作中にてローラが吸血鬼化しているかのような描写があるが、カーミラの消滅によって彼女が人間に戻れたのかは語られていない。



[7405] 第三十一話 吸血姫
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:e9b77304
Date: 2013/01/26 15:27
「ほりゃあ!」

 十文字槍が呻りを上げ、ワードッグが三体まとめて切り裂かれる。
 それを見届けることなく、十文字槍を持った僧侶――小埜リショウはワードッグの群のど真ん中に踏み込み、槍を振り回して敵を蹴散らしていく。

「……どこの無双武将だ」

 その様子を、息子であるリカイは呆れながら見つめていた。
 両手に拳銃を握ってはいるが、リショウが敵中のど真ん中に居るため迂闊に撃てない。もっとも、あの親父なら銃弾程度槍で弾きそうだが。

「ほんに、小埜はいつ見ても豪快な戦い方やねぇ。リカイちゃんはやらんの?」
「あんな真似できるか……」

 不意に声が聞こえて振り返れば、巫女服をまとった老女――金凪ハヅキが居た。そしてその後ろから追従してくるのは孫の金凪ヤヨイ。しかしそのヤヨイに、リカイは胡乱な瞳を向ける。

「……何で頭に狸が乗ってんだ?」
「え……? まだ乗ってないの?」

 何がだよ。てか乗るのかよ。
 そんなつっこみは口にせず、リカイはハヅキへと視線を向ける。
 このヤヨイという少女は、口数が少ないので話が通じない事が多い。頑張って会話を成立させようとしても、リカイの気の短さとヤヨイの弱気っぷりが見事にマッチして、傍から見ると苛めているようにしか見えないのだ。
 そのためリカイはヤヨイとあまり長く話さないようにしている。

「お袖さんの眷属みたいやねえ。堀の内が敵に襲われとるってしらせてくれたんよ」
「お袖さん?」
「……八股榎大明神」

 相変わらず説明不足なヤヨイは置いておいて、とりあえずどっかの神様らしいとリカイは納得する。
 そこへリショウがワードッグの殲滅を終えて戻ってきたのだが、その姿を見てリショウは再び胡乱な目を向ける。

「……何で頭に狸が乗ってんだ?」
「お袖さんの眷族やな。ヤヨイちゃんにも乗っとるやろ」
「だから何でわざわざ頭に乗るんだよ!?」

 剃髪されたリショウの頭に必死にしがみついている狸。
 頭に乗らないと伝言ができないのか、それともやはり意味は無いのか。

「そろそろ犬面も打ち止めみたいやし、本丸に敵が来とるなら戻った方が良さそうですなぁ」
「結界が乗っ取られとるなら、小埜の出番やね。結界は坊主の専門でしょう」
「難しいですなあ。アレは二百年ものの結界やし、敵さんもよう乗っ取れたもんです」
「壊すだけならどうとでもなるだろ。早く行こうぜ」

 リカイがそう言って歩き出そうとしたが、何かが近付く気配を感じ取って足を止める。

「……囲まれてる」

 ヤヨイが呟くと、計ったように犬面たちが現れた。
 知性を感じさせない、ただ殺戮本能に支配された目が四人を凝視している。

「こっちも放っておけんしなあ。堀の内は赤猪さんに任せますか」
「また犬の相手かよ。勘弁してくれよ」

 リショウが槍を構え、理解が愚痴を漏らしながら銃口をワードッグたちへと向ける。
 深山長い夜は未だ明けそうに無かった。





「おまえは……何だ?」

 目の前の少女に、知れず九峨は疑問の声を漏らしていた。
 悪魔にしても異様。アッシャー界への定着に贄が必要だったとしても、人の体をそのまま己の体に作り変えるなど、無駄が多いし趣味も悪い。

「私はミラーカ。いえ、カーミラの方が貴方たちには通りがいいかしら」
「……吸血鬼か」

 敵を認めた九峨が構え、アキラたちも各々の武器をカーミラへと向ける。しかし一方のカーミラは、さもおかしそうに笑っている。

「私は貴方たちと戦うつもりはないのよ。私と貴方、戦う理由があって?」
「ふざけるなよ吸血鬼。おまえを野放しにする理由がどこにある」

 戦わないと言うカーミラに、九峨は戦いが不可避である事を告げる。
 実際にこれまで多くの少女を餌食にしてきた吸血鬼を、見逃す道理は存在しない。

「まあ恐い。だけど私は何も悪い事はしてないわ」
「人を殺した」
「だから? 人を殺す私が悪なら、人間だって人を殺すわ。それとも貴方は、悪魔を殺して平気なの?」

 その言葉が、アキラの心に楔を打った。

 まだ決意を固めていなかった頃、アキラは悪魔を殺す事に躊躇いを感じた。
 例え敵であっても、生物を殺す事に生理的な嫌悪を覚え、健全に育まれた倫理が悲鳴をあげた。

「ふふふ。フカミアキラ……だったかしら。貴方は優しいのね。私みたいな化物ですら理解して、許容して、受け入れて、そして傷付いてしまう」

 カーミラはアキラへ視線を向けると、その胸の内を見透かしたように笑った。

「この子も人を殺したわ。この子にとって大切な人。彼女の体を自分の心と一緒に切り裂いて、涙も流せず哭いていた。そんな彼を、貴方は悪だと罵るの?」
「……仕方が無い事だ」
「そう仕方ない。そう言って人はどうにもならない現実に、抗えない運命に蓋をして逃げるの」

 愉しそうにカーミラは言う。謳うように笑って言う。
 それを遮るように、九峨が踊りかかり、手刀を振るった。

「何!?」

 しかしカーミラは、手刀をすり抜けて影のように消え失せてしまう。

「生きるという事はそういう事なの。犠牲が無ければ人は生きられない。そして犠牲には血がつきものだわ」

 姿は無いのに声だけが響く。
 影と一体になったカーミラの姿は、この暗闇の中では消えているに等しい。
 誰もがカーミラを探し、視線を巡らせる。

「そこに善も悪も無い。みんな誰が作ったかも知れない掟に縛られて、人形みたいに踊ってる」

 だがアキラには見えていた。目で見えずとも、心の目でカーミラの姿を捉えていた。
 だから突然目の前に現れて、口付けのできそうな距離から顔を覗き込まれても、アキラは驚きもせずカーミラを見返していた。

「友と歩む喜びも、愛する人と共にある安らぎも……身を焦がす怒りも、心を引き裂く嘆きすらも、全て同じものなの。人々の望む秩序と、人々の欲する混沌と、その総和である争いによって世界は輪廻する。意地悪な神様がそう世界を作ったの」

 鈴のような声でカーミラはアキラに語りかける。
 クー・フーリンが槍を突きつけ、トロールがうなり声を上げ、ピクシーが睨ねつけているというのに、それすらも娯楽であるかのように笑っている。

「もしも私が二度と人を襲わないと誓ったら、貴方は私を見逃す?」
「……それが本当なら、俺は君を見逃す」
「アキラ!?」

 ピクシーの抗議を、アキラはそっと手をあげて制した。
 カーミラの言葉が真実である確証などない。恐らくは本心で無いとアキラは気付いている。
 しかしそれ以上に、カーミラは望んでいる。アキラという青年の内を知りたいと欲している。

「……貴方は優しい人。きっと貴方は救世主(メシア)になるわ」
「メシア?」
「そんなわけ無いでしょう。アキラは普通の人間よ!」

 疑問を漏らすアキラを遮って、ピクシーが否定する。

 この世界にメシアは居ない。
 世紀末は訪れず、メシアプロジェクトと呼ばれるはずだった計画も始まらなかった。
 だがそれでも――

「世界を守る事も、世界を変える事も、貴方にはできない」

 ――救われるものがあるとすれば。

「だけど貴方は許してくれるの。神を憎みながら、神に頭を垂れて懺悔する者たち。永遠の輪廻と矛盾螺旋の中で足掻く者たちすら、きっと貴方は赦してしまう」

 そんな事は無いと、アキラは思った。
 自分はミコトをあのような目にあわせた藤棚を許せなかった。少女たちを殺したアヤメを許せなかった。
 そんな自分から、どんな許しを得れば、彼らは救われるというのか。

「彼らを知って、貴方がどんな赦しを与えるのかは私にも分からない」

 そう言いながら、カーミラは再び影となって姿を眩ませる。

「この世界は滅びなかった。貴方は一時の猶予と、甘い理想を語ることを許された」

 声は遠ざかっていく。逃げるでもなく、ゆっくりとした速度でカーミラは去っていく。

「だから、また会いましょう。滅びるはずだった世界と一緒に貴方という人が生まれたのは、きっととても幸福なことだから」

 そうしてカーミラはその場から姿を消した。



[7405] 第三十二話 ファントム――群体
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:59110666
Date: 2013/12/29 21:42
「ハァ……ああ、胸糞悪い」

 深山城のお堀の近く、炎上する車を背に、ヒメは吐き捨てるように言った。
 その足元には喉を裂かれ、息絶えた白装束の女の体。誘導催眠により何度も殺しそこね、ようやく殺してしまった敵の姿があった。

「……で、アンタは何人殺せば死ぬん? ファントムさんとやら」

 既に死んでいる女に向かってヒメは問う。
 これで終わるはずが無い。この程度で素直に死んでくれるならば、この女はここに現れてはいない。
 そう確信し、ヒメは問うたのだが、返ってきたのは嫌になるほど聞いた女の声ではなかった。

「安心しなさいヒメくん。もう彼女はここには居ない。とりあえずは君の勝ちだ」
「……は?」

 聞き慣れた男の声に、ヒメは間の抜けた声をあげた。
 いつの間にか、まるで「彼女たち」と同じように、灰色の髪の男が――探偵にして情報屋である黒木が立っていた。

 知らずヒメは体を強張らせていた。
 いつもと変わらぬ笑みが、どうしてこれほど嫌らしく不気味に見えるのか。
 どうしてこの男が、自分たちの敵だと確信してしまったのか。

「黒木さん……何でアンタが一人でここに居るん? 自分は腰抜けやけん、危ないとしっとる橋は渡らん言うとったやん」

 黒木という男に戦闘能力は皆無に等しい。
 ただ異常を察知し、知るべき事を知り、求めるものを手に入れることに異常な才を発揮する男。それが黒木という男のはずだ。
 そんな男が、何故今悪魔が溢れている町の中を無防備に歩いているのか。

「そうだね。だけど今のところは危なくないから大丈夫だよ。だって『今この街に僕の敵は居ない』から」

 その言葉でヒメは理解した。
 この男は蝙蝠だ。自分たちの味方であり、敵の味方でもある。

「……なるほど。黒木さんにしては情報が早すぎたり、逆にあからさまな罠にかかったりと不自然やとは思っとったけど、スパイとは恐れ入ったわ」
「ありがとう。まあテレパスなんて情報戦の反則があったから、君が予想しているよりは楽な仕事だったよ。深海くんの覚醒がもっと早ければ、僕の存在にも気付いたんだろうけど、本当にギリギリの帰還だったね」
「何でや。葛葉の連絡員であるアンタが何で……」
「順序が逆だよ。僕は彼女たちのために葛葉に接触した。彼らは敵だと知らずに僕を受け入れたんだ」
「……深山の霊地を乗っ取るために?」
「いや、復讐のためだよ」

 ヒメの背に寒気が走った。ヒメを見つめたまま微笑む黒木。それを見てようやくヒメは理解した。
 あの笑みだ。先ほどから不気味で、恐くて仕方が無いのは。
 所謂目の笑ってない笑み。その瞳に宿るのは底知れぬ闇であり、そんな目をした人間が笑っている事が気味が悪くて仕方が無い。
 今の黒木を見れば誰もが思うだろう。この男は狂っていると。

「復讐って……宮間に?」
「いや、彼女たちの復讐の相手はたった一人。シンプルだろう」

 黒木はそう言うが、ヒメは納得いかなかった。
 一人に復讐するために、何故これほど大掛かりなことをする必要があったのか。
 あるいはこの地を荒らすことで、この地を守護する宮間へ復讐するのかと思ったが、それは黒木自身が否定した。
 ならば誰に? 何のために復讐をするというのか。

「僕たちの復讐の相手の名はスティーブン。十七年前に世界を救った、諸悪の根源だよ」





「……とりあえず当面は大丈夫かな」

 カーミラが去り、周囲に敵が居ない事を確認すると、アキラは懐から六発の弾丸を取り出し銃にこめなおす。

『良かったのアキラ? それ高かったんでしょ?』
「背に腹は変えられないだろ。金で命が買えるなら安いもんだし」

 暴威弾。そう名づけられた弾丸は、マスターに頼んで用意してもらった特殊な弾丸であり、今のアキラにとっての切り札だった。
 小型の大砲クラスの威力を持ち、にもかかわらず反動は普通の弾丸と変わらないという理不尽の塊。
 当然値は張ったし、早々使うつもりは無かったのだが、ロキという魔王相手に出し惜しみはできなかった。

「まあとにかくツバキさんのとこに戻って……ピクシー!」
『え!?』

 突然アキラに抱きかかえられピクシーは呆気にとられる。しかし刹那の後、ピクシーはその理由に気付く。
 ピクシーが居た場所に大きなクレーターが出来ていた。それをやったのはトロールであり、そのトロール自身も何が起こったのか分からない様子でうろたえている。

『あ、ち、違うぞアキラ! オイラがやったんじゃ……やったけど……やってないぞ!』
「……まさか」
『アキラ殿!』

 アキラが事態を把握した瞬間、今度はクー・フーリンが焦燥にかられた声をあげながら、ゲイボルグをアキラ目がけて突き出していた。
 アキラはピクシーを突き飛ばし刀を抜こうとしたが、相手はケルトの大英雄。そんな暇などあるはずが無く、咄嗟にN686を振りかぶり、銃底で弾いて何とかやり過ごす。

「クッ、リターン!」
『!? アキ……』

 操られている。そう確信したアキラはクー・フーリンから転がるように距離をとりつつ、GUMPを取り出し仲魔を帰還させる。
 運が良かった。トロール自身が意識していない攻撃に反応できた事も、銃底でクー・フーリンの槍を弾けた事も、全て偶然だった。
 何かが一つ上手くいかなければ、アキラはこの場に立っていなかっただろう。

「……」

 トロール。クー・フーリン。そしてピクシーが消え、その場が静寂に包まれる。
 しかしアキラは確信していた。この場にもう一人、とんでもなく気に食わない奴がいると。

「へぇ、良い判断ね。精神感応以外は並だと思ってたんだけど、反射神経と判断力も中々じゃない」
「……やっぱり来たか」

 アキラにしては珍しく、嫌悪の色を隠さない声だった。それを聞いた相手――白装束の女は、顔を覆う白い布の下でクスリと笑う。

「私が生きてるって知ってたんだ。さすが、疑り深いんだ」
「下らない演技はやめろ。藤棚なら確かに死んだ。似たような能力を持ってる俺が、おまえの正体に気付かないはずがないだろ」
「私の正体? おかしいんだ。『そんなものあるはずがない』じゃない」
「……なるほど。だから『ファントム』か」
「正解に辿り着いたみたいだけど、答え合わせはまた今度。仲魔を戻して安心してるみたいだけど、この場にはもう一人居るのを忘れてないかしら?」
「もちろん。覚えてるよ!」

 叫ぶように言いながら、アキラは突然顔面目がけて飛んできた拳を回避した。
 予想以上の速度に肝が冷える。精神感応で攻撃のタイミングは分かっていたというのに、避けるのがギリギリになるとはどういうことか。

「……やっぱりこうなるか」

 視線を向けた先に、ボクサーのように構える九峨が居た。アキラを睨めつけるその目には、明らかな敵意。

「……やはり生きていたか吸血鬼」
「……そういうやり方か」

 その言葉からして、九峨にはアキラが死んだアヤメに見えているのだろう。
 五感を騙すような能力相手に、説得や抗弁が役に立つはずが無い。いっそ見事なほどの同士討ちのシチュエーションに笑いすら漏れない。

「さあ、お楽しみはこれからよ」
「やってる事が小悪党にも程がある。ろくな死に方しないぞおまえ」

 愉しそうに言う女に、アキラは悪態をつきつつも刀を抜いた。




[7405] 第三十三話 デジタルデビルチルドレン
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:0628fb02
Date: 2013/12/30 00:50

「もう十七年も前になるかな。僕は彼女たちの一人と偶然接触してね。そこで彼女たちの存在を知った」
「十七年前?」
「パソコン……なんて略し方は当時は無かったね。インターネットも無くて、コンピューター通信と呼ばれるネットワークを一部の人間が使っていた時代だ。そのコンピューター通信を介してダウンロードしたあるプログラムが、彼女たちの運命を狂わせた」

 十七年前。そしてあるプログラムというキーワードに、ヒメはすぐにある存在に思い至る。

「……悪魔召喚プログラム」
「そう。DDS-NETに接続している人間に無差別にばら撒かれたそれは、彼女たちの下へもやってきた。そしてその結果。彼女、あるいは彼女たちの親類は悪魔を暴走させ、そして死んだ」

 黒木の言葉にヒメは顔をしかめた。
 スティーブンによって作られた悪魔召喚プログラム。それが悪用された例は聞いた事があったが、この場合は悪用されたよりも救いが無い。
 力として使われること無く、ただ命を奪っただけ。何かを成す事も、遺す事も無くただ消えた。

「そして彼女たちは僕に復讐の手段を求めた。だから僕は各地の悪魔召喚プログラムを含めた情報を集めるために葛葉と接触した」
「さっきから彼女たちって誰の事なん? ファントムってのが組織じゃ無くて藤棚含む女の集団やってことは察しがついたけど」
「正にそのファントムたちだよ。彼女たち、そして君たちが吸血鬼と呼んでいる惣河アヤメくん。彼らはね、悪魔召喚プログラムのせいで家族を失い、悪魔と共存せざるを得なかった子供たちなんだ」
「なんやて?」

 何の力も持たない子供が、悪魔と共存など出来るはずが無い。その関係はせいぜいが寄生だろう。
 アッシャー界に干渉するために、意志の弱い子供を苗床にする。そんな関係だ。

「悪魔召喚プログラムによって人生を歪められた子供たち――デジタルデビルチルドレンとでも呼ぼうか。そういう意味では深海くんも彼女たちのお仲間だね。彼の父親は悪魔召喚プログラムのせいで命を落とした。もっとも、その父親が命懸けで深海くんと悪魔の契約を切ったおかげで、彼は一般人として生きる事ができたようだが」
「……知っとって黙っとったんかい。ほんならアキラくんを自由にさせずに、事情を聞いとったもんを」
「もちろん。そうされると困るから黙ってたんだ」

 そう言って笑う黒木に、ヒメはもはや嫌悪感しか覚えなかった。

「で、黒木さんは何でそのデビチルとやらに協力しとん?」
「ふふ、情がわいたとでも言っておこうか。親を失った彼女たちを世話したのは僕だからね。言わば親心だよ」
「親やったら娘の非行を止めんかい!」

 叫びながらヒメは突貫する。
 ここまでやったのだ。腕の一本程度は覚悟してもらう。
 遠慮も配慮もなしに、ヒメは敵となった――敵だった男にツインランスを振りぬく。

「おっと。酷いなヒメくん。僕に戦いなんてできっこないって、君はよく知っているだろう?」

 しかしその一撃は、あっさりと黒木の体をすり抜けてしまった。

「――ッ!」

 余裕の笑みを浮かべる男に、ヒメは何度もツインランスを振るうが、まるで幻影を斬っているかのように手応えが感じられない。

「――ジオダイン!」

 そして苦肉の策に放った雷が、黒木の体を飲み込み辺りを閃光で支配する。

「……おいおいヒメくん。ずいぶんとらしくないじゃないか」

 しかしそれでも、黒木は平然とその場に立っていた。

「……」

 無言で、ヒメは目の前の男を睨みつける。
 幻影では無い。いくらなんでも、ヒメという術者の五感を完全に支配する幻影など作れないはずだ。
 目の前に黒木は確かに居る。だというのに、こちらの攻撃こそが幻影であるかのように意味を成さない。

「どうしたのかなヒメくん。様子見なんてらしくない」

 相変わらず胡散臭い笑みを浮かべながら、黒木は懐から何かを取り出す。

「……グロック18」
「おや、知ってるのかい。ああ、下手の横好きで君は銃には詳しかったね」
「うっさい。ってまさか……」

 続いて黒木が取り出したものを見て、ヒメは驚き、呆れたような顔をする。
 マガジン。弾倉。オートマチックの拳銃や小銃等に取り付ける、言ってしまえば弾を入れる箱だ。しかし黒木の取り出したマガジンは、異様に長く、明らかにグロックの銃底からはみ出していた。

「弾はたっぷり持ってきた。さあ、しばらくダンスの御相手を頼むよヒメくん」
「黒木さん。アンタはやってはいけない事をした。私はそういう拳銃のセオリー無視したゲテモノ銃が大ッ嫌いなんじゃあ!?」
「ゲテモノだから良いんじゃないか。分かってないねヒメくん」

 咆哮するヒメに、呆れたように首を振る黒木。
 それなりに長い付き合いの二人の戦いは、銃の趣味の違いというどうでもいい事をきっかけにして戦端が開かれた。





「ッ!?」
「あら、危ない」

 アキラの持つN686から放たれた弾丸を、藤棚は自転車が来て道の端に寄るみたいにあっさりと避けてみせる。

「ハアッ!」
「ッソ!?」

 そして銃弾を放ったばかりのアキラに向けて、九峨が鉄槌じみた一撃を振り下ろしてくる。それを予期していたアキラは間髪それを転がって避けるが、こめかみを掠めただけのその一撃で意識を持って行かれそうになった。
 知っていたつもりだったが、九峨の攻撃は一撃一撃が人間のそれを遥かに凌駕している。筋骨隆々とした男が樽みたいなハンマーを振り回している。そんな光景を幻視させる一撃だ。とても生身で放たれて良い攻撃では無い。

「当たれ!」

 受身を取り半身を持ち上げるや否や、アキラは拳銃を握った左手を藤棚へと伸ばし引鉄を引く。照準も合わせず、無茶な体勢で放たれた弾丸は、しかし吸い込まれるように藤棚へ向けて疾走する。

「むーり」

 だがそれも、そよ風ほどの脅威すら藤棚へ与えていなかった。

 アキラが藤棚の心を見る事ができないように、藤棚もアキラの心を読む事ができない。二人の異能は近しいが故に反発し相殺され、互いの間でだけその力を行使できないのだ。
 藤棚はアキラの攻撃を予知できない、しかし九峨の猛攻の中で放たれるそれは予想しやすく、避けるのは容易い。

 既に五回、アキラは藤棚へ銃撃を試みかわされている。一般的なリボルバー拳銃の装弾数は六発であり、残す一発を放てば後がないと藤棚は承知しているはずだ。
 九峨の攻撃を避けながらリロードをする。そんな芸当が可能なはずが無いのだから。

「さあ、後が無くなって来たわね」
「……」

 残り一発。藤棚はそう承知して笑っている。アキラは考える。最後の弾丸を確実に藤棚に叩き込むにはどうすればいいか。
 お互いに精神感応は封じられている。純粋な読みや駆引きでは、恐らくあちらの方が上手だろう。アキラはそれなりに知恵の回る人間だが、藤棚はさらに悪知恵の回る人間であり、さらに経験の差は埋めがたい。

「先ほどから何をやっている吸血鬼!?」
「グゥ!?」

 九峨が放った右ストレートを、アキラは予見し辛うじて避ける。
 藤棚の思考は見る事はできないが、幸いと言うべきか操られている状態だというのに九峨の行動は何とか見えている。
 アキラに勝機があるとすればその一点。九峨の行動を見切り、利用し、藤棚に予想外の一発を叩き込むしかない。

「ハァッ!」
「!」

 そしてその一瞬はすぐに来た。
 九峨が渾身の一撃を叩き込まんと身をよじる。
 来るのは右のハイキック。吸血鬼の体すら穿つ九峨の一撃。アキラがまともに受ければ、例え腕で防いだとしてもその腕ごと頭が持っていかれる。
 だがそれは大した問題では無い。アキラには見えている。九峨の攻撃の機は勿論その軌道すらも。
 問題は九峨の立ち居地。丁度アキラと藤棚の間に挟まるように九峨は立っている。
 ならば行ける。九峨が身を沈めた一瞬だけ、藤棚からアキラを視認する事は難しくなる。そして蹴りが放たれるその間際、九峨の腕は振り子のように下げられる。

 この位置ならば狙える。九峨の体によってアキラの行動は一時的に藤棚から見えなくなり、そしてその腕が振り下ろされる時、僅かにその覆いは外される。
 自分と藤棚の体。その射線が一瞬だけ開く刹那、アキラは九峨の蹴りに備えて体をよじらせながら、曲芸じみたうねりをくわえて藤棚を狙い撃つ。

 しかしそんな一瞬を、藤棚は読んでいたかのように笑った。

「ああ、深海。良い狙いだわ。……だけど」

 そっと前髪でも上げるみたいに、藤棚は白い布を持ち上げる。

「……なっ!?」

 そして露になった藤棚の素顔を見て、アキラは驚愕に目を見開いた。

「だけどその銃で、本当に私を撃てる? ……深海くん?」

 笑う。哂う。嗤う女。
 その女の顔は以前見た藤棚の顔では無く、見知らぬ女でもなく、ただここ最近見慣れた友人――名持シオンの顔だった。

◇◆◇◆
今更ながら作中で使われている銃の解説。

・シングルアクションアーミー
 ヒメがアキラに最初に渡した銃。ヒメは銃の扱いがわざとかと思われるほど下手だが、趣味でこれを愛銃として持ち歩いている。アキラにすぐに提供できたのはそのため。
 西部開拓時代に活躍した銃であり、保安官が愛用したことから「ピースメーカー」とも呼ばれる。
 シングルアクションの名の通り、引鉄を引いても撃鉄が起きないので、撃つたびに撃鉄を手動で起こす必要がある。西部劇などで、銃を撃つときに左手をそえているのは撃鉄を即座に起こすため。
 骨董品とも言える古い機構の銃だが未だに人気は根強く、様々なカスタム仕様のモデルが出回っている。
 ちなみにリボルバー拳銃は、オートマチック拳銃と比べ故障や弾づまりへの対処が容易という長所はあれど、弾のリロードに時間がかかるという大きな欠点がある。
 その欠点を特徴にしてしまった某リロードはレボリューションなお人は、作者的に素直にスゲーと思う。

・S&W M19
 アキラが7話から使用している銃。
 スミスアンドウェッソン社製のダブルアクションのリボルバー拳銃。初期生産時は「コンバットマグナム」という名前だったが、後にナンバー19へと製品名が改められた。
 ダブルアクションは前述したシングルアクションとは違い、引鉄を引くと自動的に撃鉄も起きるため、引鉄を引くだけで連射が可能。ただしその分引鉄が重い。
 マグナム弾を使用する強力な銃だが、大きさ重量ともに携行性に優れており、リボルバー拳銃の中でも傑作であるとの評価も多い。
 そのためか多くの刑事ドラマや映画、漫画、アニメ等に登場する。
 ちなみにルパン三世の銃がワルサーである事は有名だが、彼の相棒の次元の銃はこのM19だったりする。

・S&W M686(4インチモデル)
 アキラが23話から(略
 上記のM19を発展改良したステンレス製の拳銃。M19の欠点であった耐久性の向上を果たしており、弾も同じくマグナム弾を使用する。
 .357マグナム弾を使う銃としては、コルト社のコルトパイソンと双璧をなすと評価されており、結構ポピュラーな銃となっている……らしい。

・グロック18
 グロック17の発展(?)銃。拳銃でありながらフルオート機能を持ち、毎秒20発というアサルトライフルも真っ青な連射速度を誇る。
 当然制御が難しく、素直にマシンガンなりライフルなり使ったほうが良いんじゃないかと思われるが、特殊部隊の要請で作られた銃なので需要はあるのだろう。多分。
 装弾数は17発なため、通常マガジンだと一秒経たずに撃ちつくすという素敵仕様。
 いや、ホントに何で作ったのこの銃。



[7405] 第三十四話 復讐――やつあたり
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:0628fb02
Date: 2013/12/31 22:35

 居るはずの無い、居てはいけないはずの女の顔に、アキラは僅かに動揺した。
 名持シオン。かつてのクラスメイト。藤棚を初めとした女たちの攻撃から、唯一アキラを庇おうとした、気を許せる友人。
 幻術では無い。その類の力はアキラには効かない。目の前に居るのは、敵の正体は間違いなく己の友人であると知り、アキラは驚き、躊躇する。

 そんなアキラの姿を藤棚――ファントム――シオンは笑って見つめていた。
 ああ、その顔が見たかったのだと。歪んだ親愛を込めて笑った。

 シオンが敵であると知りアキラは驚くだろう。しかし躊躇うかどうかはシオンにとっても未知数だった。
 アキラは既に童貞では無い。己が手で、自らの意思をもって、愛する少女の首を落とした男だ。
 躊躇うかどうかは五分五分。だが躊躇っても、悩んでも、苦しんでも、確実に最後には引鉄を引くだろう。大義のために己を、友を、愛する人を捨てる。そんな覚悟ができる、できてしまうのが深海アキラという青年なのだから。

「……ッ」

 そしてシオンの予想通り、アキラは目を見開きながらも僅かな間を置いて引鉄を絞り込んだ。
 しかしそれは致命的な隙。予定よりも長く晒されたアキラの姿は、シオンに彼の狙いと発砲のタイミングを教えてしまう。

「アハハッ、残念ね深海くん」

 だからシオンは余裕を持って自らを殺すはずだった弾丸をかわした。
 六発目の弾を避けられたアキラは、刀を捨て右手を左手に握った拳銃へと伸ばす。リロードをするつもりかと、シオンは予想し笑った。
 アキラは忘れてしまったのか、それとも見えていないのか。九峨の蹴りは、アキラの首を刈る死神の鎌は、もうそこまで迫っている。
 リロードなど間に合うはずが無い。そんな事は後回しにして、さっさと回避行動を取るのが正解だった。

 ああ終わりかと、シオンは半ば落胆しながら溜息をついた。
 だから動けなかった。
 突如爆発音が鳴り響き、九峨の体が吹き飛ばされても、動く事ができなかったのだ。





「ハハッ、楽しいねヒメくん」
「楽しくないわ!? 素人が馬賊撃ちすんな!?」

 いい歳をした男が、笑顔で拳銃を水平掃射するのから逃れるため、ヒメはビル街の中を走り回っていた。
 グロック18。一見すれば普通のオートマチック拳銃にしか見えないそれには、連射機能という拳銃の定義を覆しかねない機構が備わっている。
 しかし形は拳銃。連射などすれば狙いは定まらないし、弾だって一秒足らずで撃ちつくしてしまう。短期決戦ならともかく、長期戦にはまったくもって向かない銃だ。
 そんな銃を、先ほどから黒木は笑いながら乱射している。

  腕がもつのかとか銃身が焼け付かないのかとか、つっこみどころは満載なのだが、一番のつっこみどころは別にあった。
 マガジンの弾を撃ちつくし銃撃が途絶える。しかしヒメはその隙を付いて近付こうとすらしない。
 何故なら黒木がポケットに手を入れると、当たり前のように弾丸が装填された新しいマガジンが出てくるからだ。

「アンタのポケットは四次元か!?」
「ハハ、何を言ってるんだいヒメくん。そんな非科学的なものが存在するわけがないじゃないか」

 悪魔よりはよっぽど科学的だ。そう思いながらも、ヒメは回りこんで来た黒木から逃げるようにビルの影から飛び出す。
 破裂音。コンクリートの削れる音が夜の街に響き渡る。

「……ハァ。ジリ貧やなぁ」

 道端に停めてあった大型トラックの後ろに逃げ込むと、ヒメは夜空を仰ぎながら溜息をついた。
 こちらの攻撃は通じず、あちらは弾を撃ち放題。
 どう考えてもおかしな状況だ。攻撃が通じないのも弾が無制限なのも、普通に考えればあり得ない。

「やっぱり藤棚……ファントムの催眠からは私でも逃げれんてことかな」

 あり得ないならば、実際には起こっていない出来事なのだろう。しかしもしそうならば、どこまでが幻影なのか。
 黒木は本当に敵だったのか。話した内容は、今までの記憶は。
 ここまで来ると、全てを疑ってかかりたくなってくる。本当に、嫌な能力を嫌な人間がもっているものだと、ヒメは内心で愚痴を漏らす。

「……そういえば黒木さん。少し聞きたい事があるんやけど」
「ん、何だいヒメくん」

 苦し紛れに話をふってみれば、意外にも黒木は銃撃を止めて乗って来た。
 これはいよいよ現実ではなくて幻影ではないかと、ヒメは疑いを濃くする。

「ファントムと吸血鬼は何でこの街を狙ったん? スティーブンに復讐するためにこの街を狙う意味が分からんし、ハッキリ言って傍迷惑なんやけど」
「んー……ん? もしかしてヒメくん。君たちは狙われていたのがこの街だけだと思って居たのかい?」
「……何やって?」

 純粋に疑問に思って聞いたらしい黒木に、ヒメは訝しく思いながらも聞き返す。

「君だって葛葉から聞いただろう。ワードッグを使う正体不明の集団が、各地で騒ぎを起こしているって」
「だから、それはファントムの仕業じゃないん?」
「……ああ、そういうことか。君は致命的な勘違いをしているね」

 朗らかに笑って言う黒木に、ヒメは何故か背筋がゾッとするのを感じた。
 勘違いしている。その意味にヒメはすぐに気付き、確かに致命的だと自覚し血の気が引いた。

「……黒木さん。ファントムと吸血鬼の仲間……デジタルデビルチルドレンは全部で何人居るん?」
「さて、百人はいってないはずだけどね。……ファントムを一人と数えた場合だけど」

 つまりデジタルデビルチルドレンというかつて子供だった異端者たちは、確実に百人以上は生き残っていて、しかも同一の目的の元に動いているという事。
 しかしこの街にはファントムと思われる女数人と吸血鬼しか襲撃に来ていない。ならば残りのデジタルデビルチルドレンは……。

「……日本各地の霊地に同時侵攻」
「その通り。まあ厳密には霊地なんて関係無し。みんな各々の地元に帰って好き勝手に暴れてるだけなんだがね」

 軽く言う黒木だが、それは日本各地の退魔機関や警察を初めとした治安維持機関には悪夢に等しい。
 一見すれば無謀。しかし彼らは悪魔と共に育ちながら生き残った、魔の申し子たちだ。その境遇からして召喚師としての適正があるのは確実。さらに吸血鬼やファントムのような異能や、それに匹敵する戦闘能力を有しているなら、一人が暴れまわっただけでも鎮圧には手間がかかる。
 この手の騒動の時に動くのは葛葉だが、彼らは少数精鋭。全国各地でデジタルデビルチルドレンが暴れているなら、対応は後手に回らざるを得ない。

「……で、何でそいつらは地元で暴れとん? スティーブンに復讐するなら、当人にすればいいやん」
「ふふ。そうだね。僕も最初はそう思っていたよ。だけどねヒメくん。この世界には『スティーブンなんて人間は存在しない』んだよ」
「……は?」

 黒木の発言の意味が分からず、ヒメは間の抜けた声を漏らす。それに笑いを返しながら、黒木は教師が生徒に話すみたいにゆっくりと説明を始めた。

「少なくとも、僕がどんなに調べても、スティーブンという科学者が存在した証拠を見つける事ができなかった。ターミナルシステムの開発者である事を考えれば、その情報が秘匿されているのも納得なんだけどね、それでも欠片も情報が手に入らないのは異常だ」
「……スティーブンなんて科学者は最初から居なかった?」
「いや、当時の関係者に話を聞いたが、スティーブンは確かに居た。だけど彼の情報はまったく手に入らない。……もしかしたら彼は人間では無かったのかもしれないね」

 ある種の確信があるように黒木は言った。しかし当時は(今も)オーバーテクノロジーであるターミナルシステムや、一部の人間にしか理解できない悪魔召喚プログラムという代物を生み出した科学者。人間で無いかもしれないというのは、どこか納得してしまう結論だ。

「それで、当人に復讐できないなら、関係者にやつあたりをしたくなるのが人の性だ」
「ぜんぜん関係ないとこにやつあたりがきとんやけど」
「ヒメくん。悪魔召喚プログラムをばら撒いたスティーブンの目的は何だい?」

 抗議には耳を貸さず、新たな問いを投げかけてくる黒木に、ヒメは眉をしかめながらも考える。

「……当時跋扈していた悪魔、そしてその大元のクーデター首謀者とアメリカ大使の排除」
「その通り。ゴトウ陸佐とトールマン大使。背後では政治家やらガイア教徒やらメシア教徒が暗躍していたみたいだが、彼らの動きが封じられたらそいつらも黙るしかない。そしてそんな二人を打ち倒したのがヒーロー。スティーブンが悪魔召喚プログラムと共に蒔いた希望は、彼という一人の英雄(ヒーロー)に集約された」

 政治家が暗躍していた。故に葛葉も動きを大きく制限されていた。
 そんな中で世界を救ったのが、ヒーローという一人の少年。

「スティーブンは英雄を生み出した。なら、英雄になれなかった人たちは何だったんだろうね」

 その問いに、ヒメは以前ファントムが言っていた言葉を思い出す。

 ――英雄の影である私たちの存在を知らしめよう。

「英雄になれなかった、英雄の生贄になった彼ら。平和の礎ですらなく、ただ無為に死んでいった彼ら。そんな彼らの復讐は、スティーブンが授けた力を使って、スティーブンの願いを否定する事によって果たされる」
「……つまり」

 デジタルデビルチルドレンの目的は。

「世界を滅ぼす。それが彼女たちの復讐(やつあたり)だ」




[7405] 第三十五話 紫苑――アスタータタリクス
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:0628fb02
Date: 2014/01/02 15:01

 静寂が辺りを包んでいた。
 その場に居た三人は誰もが力尽きたように倒れ伏し、死んだように身動き一つしない。
 そんな中で一番まともな姿をしていた青年――アキラはゆっくりと目を開けると、頭を振りながら立ち上がった。

「……かすっただけでこれか」

 九峨の蹴り。爆発の余波で軌道はそれたというのに、それでもアキラを昏倒させる威力を保っていた。直撃すれば首の骨が折れるどころか、サッカーボールみたいに頭だけ吹っ飛んでいたかもしれない。
 その事にぞっとしながら近くに倒れている九峨を見やるが、どうやら生きてはいるらしく胸が僅かに上下している。下手に近付いてまだ操られていたら危険だ。そのためアキラはそちらは放置して、残り一人が倒れている場所へと向かう。

「……名持」
「……」

 呼びかけに答える声は無かった。もしかしたら答える力も残っていないのかもしれない。
 名持シオン。彼女の体は、お腹の辺りを境に二つに分かれていた。辺りにはむせ返るような血の臭いが漂い、地面には何かが混じった血溜まりが広がっている。
 どう見ても、助かるような状態ではなかった。

「……どう……して」

 そんな有様だというのに、シオンは呟くように言った。
 それは何に対する疑問だったのか。アキラが自分を撃った理由か、それとも自分が負けた理由か。それを考えていたアキラだったが、不意に辺りを覆っていた不快な圧力が消えたことに気付く。

『どうして、深海くんは六発確かに撃ちつくしたはずなのに』

 そして聞こえてきたのは、シオンの心からの問いかけ。恐らくは自身の精神感応能力を封じたのだろう。だからアキラには、容易くシオンの心を見る事ができる。

「この銃はS&W N686+ ……ステンレスを使うことによって上がった耐久性を生かしてシリンダーの穴を一つ増やした、装弾数七発の拳銃だ」
『……なるほど。聞いてみれば自分の迂闊さに笑えてくるわ』

 以前ヒメに近代兵器を勉強しろと言いながら、N686にそんなバージョンがあるなんて知らなかった。
 いや、そもそもリボルバー式の拳銃には、装弾数六発以上のものは幾らでもある。つまらない先入観で勝負に負けるとは、油断していたとしか言いようが無い。

『私の正体にあんまり驚いてなかったね。気付いてたの?』
「……むしろ気付いて欲しくて隙を見せたんじゃなかったのか?」

 アキラの言葉に、シオンは目に不思議そうな色を宿す。それに呆れながら、アキラは口を開く。

「おまえは大病院の娘で、その大病院である深山総合病院は十七年前に廃墟になってる。関係者は全員死亡か行方不明。その中には偶然病院に来ていた名持シオンも含まれていた。……だったらおまえは何者だ?」
『……調べたの?』
「ああ。おまえら催眠誘導に頼りすぎて、物理的な証拠隠滅してなかっただろ。他の誰かなら怪しまないんだろうけど、俺には催眠誘導が効かないからな」

 アキラがそこまで言うと、シオンは口元をかすかに動かして笑った。

「それでも俺は確信が持てなかった。ファントム……おまえらは、精神を共有した存在。精神を共有する故に個を持たない集団。それで合ってるか?」
『ええ。だから藤棚が死んでも、彼女の意識は私たちの中に残っている。いえ、そもそも私と藤棚に違いは無い。どちらもファントムという群体の端末に過ぎない。違うのは肉体という器だけ』

 自嘲するようにシオンは言った。己の存在に大した価値など無いと、吐き捨てるように心の中で言い放つ。

「なら……何で十年前俺を」

 藤棚がアキラを排除しようとした事。それはファントムの総意……いや、そもそも彼女たちに個々の意見などと言うものは無いはずだ。
 にも拘らず、シオンはアキラを助けようとした。

『はは、何でだろうね。私……ただ君の事が……』
「……え?」

 その言葉はおかしなものだった。それはシオンに、他のファントムとは違う明確な意思が在ったという事に他ならない。
 今しがた個の意識など無いと認めたというのに、あっさりとそれを否定する。その矛盾を、シオンは語る。

『私は所詮ファントム(亡霊)。私という個はあの時死んで、自分を突き動かす明確な意思なんて存在しなかった』

 アキラの心に伝わる言葉は、泣くような、血を吐きながら絞り出しているような色だった。
 己という殻を失い、本来拒絶すべき他者と意識を共有し、そしていつしかそれに慣れ己自身を失う。
 それは幼い少女にとってどれほどの恐怖だったのだろうか。あるいは、恐れという感情すら抱く事もできず、虚ろな心を明け渡すしか無かったのだろうか。

『それでも、この想いだけは……手放しはしない』

 それでも尚、彼女――名持シオンは己を完全に捨てはしなかった。風に揺れる灯火のように微かな熱をやつらに、他の女たちに踏みにじられる事だけはしたくなかった。

「……!?」

 いつの間にそこに居たのか、一匹の魔獣が倒れたシオンの顔を覗き込むように頭を垂れていた。
 ケルベロス。冥府の番犬。邪龍エキドナの子である最高位の魔獣。

「……」

 それまで指先一つ動かさなかったシオンが、ゆっくりと右手を上げてケルベロスの顔を撫でる。するとケルベロスは、子犬みたいにか細く、切なげに鳴いた。
 その様子にシオンは満足したように微笑むと、己の血に塗れた口をゆっくりと開いた。
「ケルベロス……最期の命令よ。この時より……主を深海アキラへと変え……彼をあらゆる災厄から守り抜きなさい……」
「名持……何を?」
「ごめんなさい……。私が……もっと強ければ、亡霊なんてふりきって……貴方を傷つけたりしなかったのに……」

 そして出来れば、アキラの隣に立っていたかった。そんな思いをシオンは即座に頭からかき消した。
 そんな図々しい願いを彼に悟られてはいけない。抱く事も許されない。
 いくら言い訳を重ねようとも、彼の大切な人を死に追いやったのは己であり、裁かれるべきなのも己なのだから。
 しかし、それでも。

「都合が良いって……分かってる。だけど……」

 ゆっくりと伸ばされた手をアキラが掴む。その手は死人のそれとしか思えないほど冷たく、固かった。

「これだけは、信じて。私は、名持シオンは、貴方が……深海アキラという人が……大好きだった。だから――」

 ――貴方の幸せを祈らせてください。

「……名持?」

 言葉は最後まで紡がれず、微かに残っていた命の温もりが消えた。

『――』

 主の死を弔うように、ケルベロスが遠吠えをあげる。
 それをどこか遠い出来事のように思いながら、アキラはいつかと同じように、自分が殺してしまった女を無言で見つめていた。





「……ん? 何や?」

 不意に体を、街全体を覆っていた違和感のようなものが消えた。
 それと同時に、今までどこか曖昧だった黒木の気配がはっきりと感じ取れるようになる。

「……彼女が負けたか」
「彼女?」

 黒木の呟きにつられてそちらを見れば、そこにはどこか憂いをおびた顔があった。
 その手に銃は無い。やはり先ほどまでの事は幻影だったのかと、ヒメは納得する。

「……行きたまえヒメくん。もう僕には君を足止めする力は無い」
「……少しくらい説明が欲しかったんやけど」

 そう言ってみるが、急いでいるのは違いない。ヒメはスーツについた埃を払うと、黒木など最初から居なかったように、気にもせずに走り出した。

「……穴が空いたか。彼女たちにとっては蟻の穴だろうが、堤防が決壊するには十分な穴だ」

 残された黒木は一人漏らす。

「さあ、最期まで見届けよう。彼女たちが生きている限り、僕の娘は死ぬ事もできないのだから」

 そう言うと、何の力も持たないただの男は、悪魔の蠢く場所へと歩み始めた。




[7405] 第三十六話 遺志
Name: ガタガタ震えて立ち向かう◆7c56ea1a ID:67746773
Date: 2015/01/03 13:43
「あら、タタリクスったら、死んじゃったんだ」
「!?」

 どれほどそうしていたのか。物言わぬ骸となったシオンのそばで立ち尽くしていたアキラの耳に、不快な女の声が聞こえてくる。

「……ファントム」
「はい? ああ、感動の再会かしら……『深海くん』」

 馴れ馴れしく呼ばれ、アキラは彼にしては珍しく眉間に皺を寄せて嫌悪を露にした。
 その様子を見て、新たに現れた白装束の女はクスクスと笑う。

「不快だった? その子の真似をしてみたのだけど」
「ああ、最悪の気分だ。だけどそのおかげで幾つか分かった事がある」
「あら、何かしら?」

 アキラはファントムと話しながらも、己の戦力を確認する。

「一つ。おまえらは完全に個なんて存在しないのかと思っていたが、そうでもないらしい。おまえと名持はどう足掻いても別人だ」
「それは貴方の感傷……と言いたい所だけど当たりよ。私たちも肉体という檻に縛られている。幾ら精神を共有しても、完全な一個の存在として統合される事は無いわ」

 N686の弾は正真正銘撃ちつくした。迂闊な事に、刀は倒れた九峨のそばに転がったままだ。
 念のために持っていたSSAはあるが、装填されているのは通常弾だ。ファントム相手では、大した効果は望めないかもしれない。

「一つ。故におまえたちはその力を完全には共有できてない。だから俺に名持が譲渡したケルベロスの制御を奪い返せない」
「……否定してもバレバレね」

 忠実な僕のように、脇に控えるケルベロスを見ながら言う。しかしそのケルベロスも、催眠誘導で容易くアキラの敵になるだろう。
 故に話しながらアキラは歩みを進める。刀を拾い接近戦に持ち込む。戦闘になった場合、それ以外に対処法が無い。

「一つ。おまえたちと俺は絶対に相容れない」

 今更で、しかし重要な事実を告げる。

「あら? 何故かしら?」

 心底不思議そうに、ファントムは言った。
 ああそうだろう。不思議に違いない。彼女たちにとってアキラという存在は、最も近しいが故に憎らしい存在なのだから。
 気付くための材料は幾つかあった。記憶を封じられた状態ならまだしも、思い出したならば気付いてしかるべきだ。

「……あいつは――ダンダリオンは何処に居る?」

 問いには答えず、アキラは確信を持ってその名を――かつて己が契約していた悪魔の名を告げた。

「……ふふ……うふふふふふ……アハハハハハハッ!!」

 その意味を理解したのだろう。ファントムは一瞬黙り込むと、可笑しそうに、愉しくてたまらないとばかりに、狂ったように笑った。

「ハハ……アハハハハハ。認めるの? 認めちゃうの?『貴方は私と同じ』だって『貴方のせいで私が生まれた』って認めちゃうんだ!?」
「……」

 ファントムの言葉に、アキラは何も返せず沈黙した。
 深海アキラは救われた。父の手によって救われた。大多数の悪魔に魅入られた子供と違い、ただ一人救われた。
 ――救われなかった子供たちが居るとも知らずに。

「アハハハハハ!『貴方』が『私』なら良かったのに! 貴方がこちら側なら私たちは私たちだった? それとも私たちは私ですらなかった? アハハ、それは不幸? それとも不運? 私という存在の是非は何処!?」
「……」

 狂ったように、笑いながらファントムは言う。
 他人が聞けば意味不明なその言葉の羅列を、アキラは理解していた。

 ダンタリオン。ソロモン王の72柱の悪魔の内の一柱。
 幻影を見せ、術者に人の心を読み操る力を与え、自らもまた人心を操る力を持つ悪魔。
 アキラという少年と、サトリの末裔である深海と、あまりにも相性が良すぎた悪魔。

「私たちは所詮貴方の代用品。あの子に貴方が魅入られたように、あの子は貴方に魅入られた。貴方という魂が欲しくて、私たちという器で誤魔化した。私たちは貴方にすらなれなかった!」
「ぐっ!?」

 苛立ちを叩きつけるように、形にならない魔力の奔流がアキラに叩きつけられる。
 ケルベロスがアキラを庇い前に出たが、それでもその余波はアキラに少なくないダメージを与える。

「貴方があの子のものになれば良かった! 貴方が居るから私は私になれない! 貴方という存在が私たちを歪めた!」
「クッ!」

 言葉と共に、次々と叩きつけられる魔力。それをその身に受けながら、ケルベロスはアキラへ問うように視線を向ける。

 ――何故耐える? 何故戦わない? 何故敵を殺してしまわない?

 今のファントムは理性を失っている。ケルベロスの力をもってすれば、一瞬で勝負を決する事も可能だろう。
 だがアキラは動けなかった。動く事ができなかった。
 彼女の苛立ちは当然のものであり、その凶刃は正当な報復だった。

「……俺がダンダリオンと契約を続けていれば、おまえたちは生まれなかったかもな」
「そうよ! 貴方のせいよ! 貴方のおかげで私は!?」

 それは意味の無い『もしもの話』だ。
 もしもアキラがダンダリオンと契約を続けていたとすれば……アキラを気に入っていたダンダリオンの事だ、案外上手くやれていたのかもしれない。
 しかしそんなのは希望的観測だし、アキラが契約を続けていても、ダンダリオンはファントムを生み出したかもしれない。

 所詮は過去の話。確定した事実に『もしかしたら』といちゃもんをつけても、何も変わる事は無い。
 だけど、それでも、アキラはファントムという少女たちへの負い目を振りきる事ができなかった。 

「全部おまえのせいだ!」

 言葉と共に叩きつけられる魔力。それを予期して衝撃に備えるアキラ。
 しかし幾ら待っても、衝撃は訪れなかった。

「……まったく、うるさくて寝てられん」
「……九峨……さん?」

 ケルベロスと並ぶように、九峨が立っていた。両手を広げ、背後に居るアキラを庇うように。

「深海。おまえは悪くない。悪人というのはな、己の意思でもって悪事を働く連中だ。……ただの子供だったおまえは、ただの被害者だ」
「邪魔をするな!」
「!?」

 さらなる魔力の衝撃が九峨を襲い、血飛沫が舞い、彼のCOMPである懐中時計が砕けて落ちる。

「まだ……だ」
「九峨さん!?」

 それでも、空気を漏らしたような、掠れた声で九峨が言った。
 その身に無事な箇所など無い。至る所の骨が折れ、肉は裂け、血にぬれていない場所を探す方が難しいほどに血塗れだ。
 だというのに――

「生き延びろ」

 ――アキラを庇って九峨は立ち上がった。

「何故!? 何で俺を!?」
「俺は人殺しだ。それは変わらない。だから救わなければならない」

 それはどのような想いだろうか。
 悔い、しかし変えられず影を落とす過去。その過去を背負い、誰かを救うために足掻く姿は、強迫観念に突き動かされた罪人のようで。

「アハハ。貴方も醜い残骸ね。貴方が戦うのは償いのため?」
「償い……いや違う」

 しかし許しを請いたいわけでないと、九峨はファントムの言葉を否定した。

「ただ胸を張って生き、誇りを抱いて死にたいだけだ。後悔にまみれて、未練を残したくないだけだ」
「身勝手ね」
「そうだな。だがそれでも、救ったものは礼を言った。俺などに、俺のような人殺しに、笑顔を向けてくれたんだ」

 ただそれが嬉しかった。
 自分のような人間にも、まだできることがある。
 やり直せずとも救われるものがある。それがたまらなく嬉しくて、切なかった。

「……呆れた。闇に身を浸しながら、それでも人を信じているの? ……凄く目障り――ブフダイン!」

 吐き捨てるように言って、ファントムは最高位の氷結魔法を放つ。

「――アギダイン!」
「――ザンダイン!」

 しかしそれを、最大級の火炎魔法と衝撃魔法が相殺した。

「こいつらは……!?」

 ピクシーとクーフーリン、トロール。並び立つアキラの仲魔たち。だが今の火炎と衝撃波は彼らでは無い。
 九峨の仲間――チュルルックとセンリがそこに居た。その背後にはGUMPを構えたアキラの姿。そのGUMPから伸びるコードが、九峨の砕けた懐中時計に繋がっていた。

「契約の譲渡をする暇なんて無かったはず。まさか他人のCOMPの認証を突破して起動させたというの!?」
「そんな事できるわけ無いだろ。認証誤魔化して召喚データを吸い出しただけだ」

 ファントムの予想を否定するアキラだが、やってることの無茶っぷりでは大差無い。
 だがその無茶を、かつてやってのけた男が居た。

「父親と同じ……でも大学時代の深海アキラにそんな異才は……」

 平凡。
 それが深海アキラという青年を表すのに最も適した言葉だ。
 そう、言葉だった。

「……いえ『深海アキラは異常者』だ」

 父親はサトリの家系で、恐らくは母方も何かしらの異能の血をひいている。
 そんな存在が『平凡』であるはずがない。そうであるかのように偽装されていたのだ。悪魔の中でも有数の力を持つ妖精王オベロンによって。

「ピクシー。九峨さんの治療を……」
「いえ……既に九峨殿は……」

 アキラの声にピクシーが応える前に、センリが搾り出すように言った。

「チッ……九峨よう……何あっさり逝ってんだよ」

 チュルルックの言葉通り、九峨は既に死んでいた。
 地を足に着け、両手を広げたまま、何があっても守りきると誓うように。

「九峨さん……」

 また一人目の前で命を落とした。
 その事実に漏れそうになる声を飲み込み、アキラは顔を上げる。

 アキラは九峨と殆ど話したことなど無い。
 ただ師であるヒメにも信頼されていて、この深山でも指折りの実力者であることだけ知っていた。
 そんな実力者があっさりと逝ってしまった。
 自分などを守って。

「……頼みます。今だけでも、力を貸してください」

 それでも。だからこそ。
 アキラは九峨という男の死に様を継がねばならない。九峨という男の生と死が無駄では無かったと証明しなければならない。
 いや、そんな大層な理由など必要ない。
 この人に報いたい。ただアキラはそう思ったのだ。

「無論です。九峨殿の死、無駄にはしません!」
「へっ、ちょいとイケてねえ坊やだが仕方ねえ。暴れさせてくれるっつうなら、従ってやろうじゃねえか!」

 そのアキラの思いに応えるように、センリとチュルルックが気勢を上げる。
 そしてその瞬間、契約は正式なものとなる。

「っく! デジタルデビル――」
『――待て!』

 ファントムが悪魔召喚プログラムを起動しようとした刹那、重い声が響いた。

「――え?」
『もう十分だ。通せ、ファントム』

 それは老人の声のようであり、若い女の声であり、幼子の声のようでもあった。
 その声に命じられ、ファントムはフリーズしたように動かなくなってしまう。

「……この声は」
「……声だけで強いのが分かるぞ。まるでトールに追っかけられたときみたいな恐さだぞ」

 クー・フーリンが驚愕に目を見開き、トロールは怯えたように巨体を縮こまらせる。
 他の仲魔たちも反応は似たようなものだ。
 誰しもが声を聞いただけで理解した。

「――これが……魔王」
『その通り』

 ピクシーの呟きに返すように声が鳴り響き、ぼうと光が灯るように人型が浮かび上がる。

『久しぶりだな――アキラ』

 そして現れたのは、本を持った老人。
 いや、それは快活そうな青年であり、妖艶な女であり、無垢な子供のようでもあった。

「おまえ……は」

 目の前のそれは幻影でしかない。
 だというのに、その姿は生々しく存在し、アキラの心を侵食する。

『分かるだろう。それともこの姿の方が良いか?』

 そう言ってあらゆる男女の顔を浮かべる悪魔――ダンダリオンは姿を変える。
 金髪の少女。
 一時のことではあったが、アキラを導いた姿。
 アキラの深層意識に未だ濃く残る憧れと罪の象徴。

『久しいな――アキラ。瞬きの間にあの坊やが戦士に変わるか。これだから人間は面白い』

 そう言うと、少女の姿をしたダンダリオンはニヤリと笑った。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.20946788787842