<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[5010] 相沢祐一放蕩記 (Kanon×リリカルなのは TRPG設定多重クロス)
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/02 00:32
 CAUTION!
この話はKANON、ナイトウィザード、ダブルクロス、とリリカルなのはAsのクロスオーバーした世界から、リリカルなのは(無印)への転生物です。主人公の祐一がほぼオリキャラ化しているので、そういうのが気に入らない方はスルーをしてください。なお、ナイトウィザードとダブルクロスは設定だけ借りてきています。アニメのキャラ、公式NPCが出ることはまず無いとお考え下さい。


 更新は遅くなると思いますが、どうか感想、ご意見がいただけたら幸いです。拙作ですが、なにとぞよろしくお願いします。
 

◆追記
 感想を投稿する際の注意事項には
・作品をより良くしようという厳しい意見は良いですが、「気に入らない」と思ったときはスルー
 という項目があります。どうか感想ではないコメントなどを書き込むのはやめてください。



*四月馬鹿:消去しました



[5010] 裏設定集
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2009/08/07 03:26
◆注:この設定集は本文について解説したものではありません。一部のキャラクターがどのようにして作者の脳内で誕生したものかを説明したものです。TRPGをやったことのない人には理解不能な用語が多数出てきます。が、理解できなくても本文を読む上で問題はありません。ここに記されるのはキャラクター作成の裏事情だと思ってください。




◆相沢祐一
 triptがGMを務めたナイトウィザード1st editionのキャンペーンで一話目のボスとして登場。当初の予定では一話目でプレイヤー達の力を確かめ、二話で説明、及び助言を行なうキャラクターであった。物理ダメージ半減、魔法ダメージ半減という全ての攻撃を半減させる能力を持ちさらに回復役として戦闘を長引かせ、ラウンドごとのペナルティにプレイヤーたちは苦戦する……予定、だった。しかし蓋を開けてみれば圧倒的な火力攻撃にオーバーキルされ、生死判定に失敗。そこで急遽代役として逆髪月を引っ張り出す羽目になった。しかし仮にもクラスメートに対してプレイヤー達がここまでするとは思わなかった。
 後に祐一が月の部下であることが決定(アドリブで口から飛び出た自分でも予想しなかった設定が追加されることがままある)。ナイトウィザード2nd editionで転生者として復活を遂げるも、火/風という白兵戦特化型のステータスでありながらヒーラーというスタイルクラスを選択した事で中途半端なキャラになってしまった。アタッカーやディフェンダーになっていたならその能力を駆使して大活躍できるキャラになっていただろうに……。
 現在はスクールメイズで地道にレベルを上げている。パーティー内でのポジションはいないよりはましといったところ。
 性格は「同性に対しては『人がいい』だが異性に対しては『絶対無敵』である」。女たらしキャラ?
 ダブルクロスのキャラクターではソラリス/サラマンダーのRC攻撃型。こちらはtriptがとあるサイトに投稿した外伝でオーヴァード化したことからダブルクロスのキャラクターシートに起こしました。使うエフェクトはダブルクロス2nd editionのものを使用します。最も、祐一の能力が活躍するのはsts以降になりますが。



◆逆髪月(さかがみ ゆえ)
 元はナイトウィザード1st editionnで私がプレイヤーを務めたキャラクター。属性は天/地。性格は「自分では『善人』のつもりだが、実は『陰険』である」。魔法による支援型。妹至上主義。(そしてGMとしての)ラスボス。本文では相沢を名乗っているが本当の苗字は逆髪。無論逆髪とは逆神、すなわち超至高神に逆らった神の一人である。1stの時代から月匣(げっこう)という自分が内部のルールを定められる特殊な結界を張る能力を持っている。
 2nd editionに移ってからは魔法型のくせにスタイルクラスをディフェンダーにしてしまった。おかげでこいつも能力的には中途半端。祐一とスタイルクラスを取り替えてリビルドしたい……。
 本来は一回のセッションで使い捨てられるキャラクターだった。が、ダブルクロスのセッションで月の妹をキャラクターとして出した時、話はおかしな方向にこじれることとなった。口から飛び出た超設定で月は世界を超えられる手段を持つこととなり、そのうえ十一人の複製体(クローン)を中核とした組織『アンダージェネシス』を創設してしまった。ナイトウィザードの生体工学と魔法、ダブルクロスのレネゲイドウイルスによって開花した異能を武器に、クローンや部下をアリアンロッドを初めとした様々な世界に派遣することとなる(つまりさまざまなTRPGに月と関わりがあるという設定を持ったキャラクターでロールプレイをした)。流石に風呂敷を広げすぎて纏めるためには五話くらいのキャンペーンを組む必要があり、現在頭痛の種になっている。
 ダブルクロスのキャラクターとしてはソラリス/ソラリスのピュアブリード。他の十一人のクローンも必ずソラリスシンドロームを持つのが共通点。本文で登場した相沢月はこのクローンの一体である。
 以下、あるプレイヤーからの月の評価。

 性格の歪んだ万能NPC、という表現がしっくり来るでしょうか(何)
 そのスペックは普通の人間からみたら天井知らずだけども、激しいSッ気のためあまり近寄れない。だから力を借りる時はしぶしぶお願いする……と、物事の重要性は把握してくれるので案外お願いを承諾してくれたり。付き合いが深くなれば彼女の持つ人間性や道徳観も理解できるのですが、そこに踏み込むまで大抵の人に敬遠される……イメージです。



 とりあえず今明かせる資料はこれだけです。以上、分かる人だけ分かればいい設定集、でしたー。



[5010] プロローグ
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:39
 闇に飲まれ、無と融けていく。
 そんな話を死にかけた事のある人間は言う。
 だが本来見えるべきは、光だ。
 実際の死とは、光に包まれるもの。
 それは、何度も死を経験した者にこそ出来る発言。
 繰り返し死に、新たな生を手に入れる。
 死ぬたびに記憶は記録と成り下がり、新たな自我が育っていく。
 永遠に転生を繰り返し『敵』と戦い続ける定めを持った“ソレ”は、ふと自己に疑問を抱いた。
 “ソレ”が死を迎えた時、“ソレ”の自我は必ず新たな生を祝福するかのような光に融け、消えていくはずだった。
 しかし今回は、むしろ光から遠のき、闇へと呑まれていく様な感覚を覚えていた。
 かくして“ソレ”は、自我を、記憶を、前世を保持したまま現世へと立ち戻る事となる。










 “ソレ”が目覚めた時、世界は緑色をしていた。
 目を開いても緑色の光しか見えず、体の自由が思うように利かない。
 口元には呼吸器らしきものが嵌められており、自発呼吸も出来るようになっている。
 手足を動かしてみるとひどく重く、絡みつく紐のようなものが引っかかって邪魔をする。
 “ソレ”はおそらく自分が培養ポッドのようなものの中に入っているのではないかと当たりをつけた。
 転生をしかけた筈なのに、こうして一切の記憶を失うことなく自分が自分で在り続けられている。
 だから“ソレ”は自分が救助されたのだろうと判断して、じっと外へ出られる時を待ち続けた。
 だが、いつまで立っても“ソレ”がそこから出される気配は無い。
 不思議に思う“ソレ”だったが、それでも待ち続けるより他になかった。
 そうして“ソレ”が自己について考えをめぐらす中、ふと己の異常に気付いた。
 “ソレ”がまず感じたのは喪失感。
 自己の中に絶えず在り続けたナニカが無い。
 魂の中に渦巻く膨大な『存在の力』。
 リンカーコアから溢れる強大な『魔力』。
 そして、後天的に手に入れた『異能』を試そうとして――“ソレ”は己から失われたものの正体に気がついた。
 あり得ないはずではない。
 “ソレ”がこんな事になった原因を鑑みるに、むしろその結果は当然のことと言える。
 だが、“ソレ”がかつて受けた説明と現実が矛盾していた。
 失われてしまったものが再び己の内に取り込まれるまで、“ソレ”は仮死状態のままでいるはずだった。
 だがこうして意識を取り戻し、自在とは言いがたいが肉体も僅かに動かせる。
 ここで“ソレ”は強い不安を自身に抱いた。
 “ソレ”は、本当に『ソレ』のままでいるのだろうか。
 自身を確かめる事が適わぬ故に、不安はますます強まっていく。
 意識を取り戻してからどれほどの時間が経ったのか。
 時間の感覚が麻痺し、不安の余り体をばたつかせるも何の反応も無い。
 何も出来ない。そのことが何よりも苦しい。
 喋ってみようとするものの、呼吸器の中で声にならない声が響くばかりだ。むしろ息苦しくなってしまい、慌てて呼吸を整える。
 異能を失った原因、『Crow』という薬剤。あれは一時的に昏倒するだけではなかったのか。
 そもそも“ソレ”は外傷を受けた覚えはない。なのに何故閉じ込められる必要があるのだろうか。
 何も出来ない苦しさに負け、出して欲しいと暴れ続ける。
 その時だった。偶然呼吸器がズレ、口元に水が入ってくる。
 呼吸器を直そうにも両手は紐みたいなもの――おそらくはチューブか何か――に引っかかり、ろくに動かすことも出来ない。
 こうなったら最早どうにかしてこの水に満たされた空間から出るより他はない。
 “ソレ”は、己の周りに魔力弾を形成した。
 その魔力はあらゆる式に収まらない特別製。
 いや、正確に言うならば爆発しか起こせない欠陥魔力。
 生成された魔力弾は“ソレ”の思ったとおりに爆発を引き起こし、ポッドを内側から吹き飛ばす。
 液体から解放され目を開いた“ソレ”だったが、眩しいばかりで何も見えない。
 何とか立ち上がろうとして、四肢に力が入らず水に滑って倒れてしまう。
 仕方なく“ソレ”は己の纏う結界から白い剣を召喚した。
 その剣を杖代わりに立ち上がろうとして、“ソレ”は再び滑って倒れこむ。
 バランスが取れない。
 体が運動になじんでいない。
 そんなことよりも“ソレ”が驚いたのが、剣に掛けた己の手の短さである。
 剣を杖にして立ち上がるにも、腕の長さが、背丈が、己の握る剣より短いのだ。
 これでは立てるはずも無い。
 五感のうち、鋭敏に感じるのは聴覚と嗅覚。
 視覚はまったくと言って役に立たない。
 せいぜい至近距離にある剣の輪郭が見える程度だ。
 逆に耳は辺り中から聞こえる人の声のようなものを捉え続けている。
 だが、耳に入るのがやっとでその内容までは判別がつかない。
 質問をしようと声を出そうとするが、口から漏れるのは言葉にならない音だけだ。
 しばらく剣を抱えて現状を把握しようとするうちに、一際騒ぎが大きくなった。
 何事かと確かめる前に、鞭のようなナニカが“ソレ”を打ち据える。
 剣による攻性魔力の弱体化反応を感じた“ソレ”は、受けたものを魔力攻撃と判断。
 急いで“ソレ”が身に纏う結界からキューブを取り出すと同時、一際強く打ち据えられた。
 あまりに強い痛みに悲鳴を上げそうになり、絶叫を飲み込んでただキューブの発動を急ぐ。
 だがその間にも、“ソレ”は幾度も幾度も強い魔力攻撃にさらされた。
 そして相手は容赦なく“ソレ”の持っていた白い剣を取り上げ、ソレの右胸に突き刺す。
 直後、“ソレ”を包むかの様に白い光が爆発し、その体をあらかじめ定められた場所へ転移させた。
 残されたのは培養槽の一つが破壊された研究室らしき部屋と、“ソレ”を散々いたぶった蹂躙者、そしてその取り巻きたちだった。







 ある日の夜、地球のある民家の庭に強い光が炸裂した。
 何事かと駆けつけた民家の主は、庭に出て驚くべきものを見た。
 そこにいたのは小さな裸の子供だった。
 体中に酷い火傷があり、右胸には薄らと発光する白い剣が突き刺さっている。
 それを見た民家の主は、さらに驚くべき事象を目撃する。
 体に刻まれた火傷が段々薄くなり、綺麗な白い肌へと変わっていく。
 まるでビデオの逆再生でも起きているかのようだ。
 さらに、剣の刺さっている右胸からはまったく出血が無い。
 やがて全ての傷痕が消えると同時、ひとりでに剣は子供の胸から抜け落ちた。
 普通ならここで警察かどこかに預けてお終いにされるのであろう。
 だが、その家の主は世間の裏側を知りすぎていた。
 この子供の事が公になれば、その先にあるのは人体実験か兵器利用か。
 近年、超能力者の量産、兵器転用をたくらんだ組織があったことも民家の主は知っていた。
 白い石でできた立方体を両手で抱えている子供と剣を、家の主は家の中へと抱きかかえて入った。
 そして“ソレ”――その子供は向き合う事になる。
 変貌してしまった自分と、自分の知らない過去の世界に。
 その成り行きを、動かない白い剣のみが見つめていた。



[5010] 第一話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:39
 深い深い澱みの底から、眠る意識が浮上する。
 目を覚ましてまず感じたのは、物が見えるという違和感。
 何もかもが眩くぼやけてしか見えなかった状態から言えば上等だろう、と無理矢理に受け入れる。
 腕がまだ短く、足も胴体から近い位置に先がある。
 鏡を見れば、子供のころに若返った自身を見ることになるのはもう間違いない。
 周りを見回すと和室の一室に布団を敷いて寝かされていたようだ。
 とりあえず転移は成功したのだと判断して、直後にその気配に気付いた。
 部屋の外に誰かがいる。



 子供が緊張に身を固める中、部屋の戸をあけて入って来たのは、子供にとって見覚えのある男性と女性だった。
 いや、面影があるといったほうが正しいかもしれない。
 なにせ知っているはずの顔よりその二人は若返って見えるのだ。
 どういう事態が起きているのか確認出来ないまま、その二人と相対する。
 すると男性の方が子供に近寄り、頭を撫で始める。

「君、名前を教えてくれるかい?」

 男性の優しい口調の言葉に、子供は一生懸命に己が名を伝えようとする。
 だがその口から漏れるのは「あ゛えあ~」という意味を成さぬ音ばかり。
 視覚は回復したが、声を出した事のない声帯では言葉を発せない。
 仕方なく子供は男性のなでている手を掴み、その大きな手のひらに手で文字を書く。

「ア?」

 手のひらに書かれたカタカナを読んでみる男性に、子供は大きく頷いた。
 そのまま男性の手のひらに文字を書き込んでいく。

「イ、ザ、ワ、ユ、ウ、イ、チ……あいざわゆういち。それが君の名前かい?」

 そう問われて子供――『相沢祐一』は大きく頷いた。

「君は、喋る事ができないのか?」

 今度は困ったように苦笑いを浮かべる。
 聞いた内容を理解し、筆談も出来るが喋れない。
 どうやら運動性言語障害を疑われているらしい。
 とはいえ今の祐一には弁解できる手段が無い。
 諦めて頷いて答える。
 そして立ち上がろうとして、ころりと後ろに転んだ。
 立って歩く、という行動は基本的に無意識に体のバランスをとるため、体の各部に力を入れているものだ。
 当然、生まれて初めて運動するような体が無意識による制御など行なえるはずもなく、祐一が持てる全力を出しても、這いずり回るのでやっとだった。
 そんな祐一の姿を見て肩の力を抜いた男性が、祐一を抱き上げ女性の方に歩いていく。

「はじめまして、ゆういち。俺は高町士郎」
「私は高町桃子よ。よろしくね」

 かわるがわる頭を撫でられる。
 そこで気がついた。
 桃子の腹が大きく出ている。
 そこで祐一はひどく嫌な予感を抱いた。



 結論からいえば、祐一の予感は大的中した。

「高町恭也だ。よろしく」
「おはよう。あたしは高町美由希だよ」

 そういって引き合わされた二人の兄妹は、小学生の姿であった。
 祐一は頭の中で現在何が起ったかを分析する。
 出た推論は一つ。
 祐一はなぜか前世の全てを保持したまま、この『平行世界』に転生した。
 母から祐一が聞いた限り、世界とは同じ世界の過去には関与できない仕組みになっている。
 もし過去に干渉できた場合、それは元の世界とは微妙に異なる平行世界への干渉に他ならない、らしい。
 ここは、まだ『高町なのは』が生まれていない世界だ。
 急いで元の世界へと帰ろうとする祐一だったが、片言でさえ話せない今、転移に必要なボイスコマンド式の魔道具は使用できない。
 このままこの世界に関わり続ければこの世界の未来に余計な変革を与えかねない。
 そこで祐一はふと自分の思考に疑問を抱いた。
 この世界の未来とはどういうことか。
 個人が与えられる影響など微々たる物ではないのか。
 そも、未来とは無数の可能性。
 その流れをある程度掴んでから元の世界に帰れば、自分達は未来の情報という大きなアドバンテージを手に入れられる。
 元の世界では闇の書事件より五年が経つ。
 それ以降に起きた大きな事件を記録して、元の世界に凱旋すれば。
 この世界を俯瞰し未来の情報と技術を持ち帰れば、祐一達は未来を的確に知り動く事ができるようになる。
 あるいは、そうすることまでが今回の任務の裏に隠された意図なのかもしれない。
 そう考えた祐一は方針を改めた。
 高町家、ひいては高町なのはと接触する事で時空管理局本局に所属する。
 目立つことなく一技官としてでも働いて、とにかく情報の収集に努める。
 それを基本に今後どう動いていくかを決めていった。

 何はともあれ朝食。
 まともに箸も持てない祐一は、スプーンとフォークで朝食に挑む。
 食事が洋食風なのが祐一には救いだった。

「ゆういち。今日は俺と一緒に過ごそうか」

 突然の士郎からの声かけ。
 喫茶店『翠屋』の事はどうするのだろう、などと思いつつ、素直に頷いておく。
 しかし高町夫妻は妙に夫婦仲が良かった。なのはが生まれるのが近いせいだろうか。
 毎朝これだと胸やけしないのだろうかと恭也達を見てみるが、こちらも兄妹仲がとてもよろしいご様子。
 色々桃子が気を使ってくれてはいたが、どうしようもない疎外感が祐一にはついて回るのだった。



 やがて朝食が終わり士郎が食器の類を片付けた後、祐一は士郎と訓練に励む事になった。
 内容は筆記と歩行練習。
 言葉が話せるようになるのは時間がかかるにせよ、昨日の様子から筆談は可能と踏んだのだろう。
 大きな紙を何枚かと鉛筆を受け取る。
 普通に鉛筆を持とうとして、鉛筆がつるりとすべった。
 何度試してみても鉛筆は宙を舞うばかり。
 仕方なく鉛筆をグーで握るようにした。
 とりあえず自分のフルネームを書いてみる。

『木目沢 ネ右一』

 書いた漢字はへたくそで非常に読みにくかった。

「ふむ。相沢 祐一、か」

 神妙な顔をする士郎。
 それもそうだろう。
 見た目が二歳から三歳にしか見えない子供が、漢字で己の名前を書けるのだ。
 士郎が疑念まじりの視線を向けてくる。。
 だが士郎は頭を振って祐一に真剣な目を向ける。

「なあ祐一。祐一のお父さんやお母さんはどうしたんだ?」

 その問いに対して祐一は少し考え、やがて紙に書く。

「父いない。母ずっとずっととおく……?」

 祐一の言葉にうめく士郎。さらに質問が重ねられる。

「じゃあ、祐一の面倒を見てくれていた人は?」

 その問いに再び紙に挑戦していく祐一。
 今度はすぐに書き上げられる。

「ひとりもいない……」

 無論、これほど年が低い子供が何の庇護も持たずに一人で育つはずがない。
 訝しげな視線を向けてくる士郎に祐一はただ黙り込む。
 だが仕方が無い。元いた所の情報など分かるはずもないのだから。

「なあ祐一。君はどうしてこの家の庭にいたんだ?」

 その問いに祐一は鉛筆と紙を置き、寝ていた布団のそばにあった白い石の立方体を士郎に渡す。
 士郎に立方体を持たせて祐一がなにやら弄くると、石の各部がルービックキューブのごとく動き出す。
 同時に士郎の足元に幾つもの円で構成された白い魔法陣が展開され、士郎は光と共に消え去った。
 さらに庭から一瞬強い光が発生する。
 一分後、士郎が庭から部屋に戻ってきた。

「分かった。仕組みは分からんが、とりあえずこれを使ってうちに辿り着いたのは分かった」

 理解してくれたことに安堵の笑みを浮かべる。だが士郎はひどく困ったような顔をしていた。
 常識を覆す異端の力を目の当たりにしたのだから、当然といえば当然だ。 

「なあ、祐一。君は一体何者なんだ?」

 その言葉に、再び紙と鉛筆を手に取る。
 すぐに、といっても約一分ほどかかったが、書き終えて士郎に見せる。

「まほうつかい?」

 祐一は、這って部屋の入り口近くに置かれた温かいお茶の入った湯のみに手を触れる。
 一分ほど立って、その湯のみを士郎へと転がす。
 湯のみの中のお茶は横にされてもその形を崩さぬまま、士郎の下へと辿り着いた。

「……凍ってる」

 湯のみを割ってしまうことなくお茶は凍り付いていた。
 ゆっくりと熱量を奪ったおかげで湯のみを割らずに中身だけ上手く凍らせたのだ。
 正確に言えばこの力は魔法の力ではなく、転生と同時に失ったはずの異能だ。力を使ってから、祐一はその事に疑問を抱く。
 だが、祐一が今しなければならないのは、現状を把握する事だ。そのため、事態をより複雑にさせる事に関しては意識から外しておく。

「祐一。君はこの後どうするつもりだい?」

 真剣な表情の士郎に祐一は筆記で返事する。

「わからない。……どこか当ても無いのかい?」

 士郎からの問いに大きく頷く。
 実際、祐一にはここ以外のあてなど無い。
 放り捨てられたらそれこそどうすればいいのか。
 まあ、よくて孤児院だろうと諦め始めたその時、士郎から意外な言葉が飛び出した。

「そうか。それなら今日からしばらくうちで暮らしてみるか?」
「??」

 士郎の言葉の意味を図りかね、祐一は首をかしげる。

「ここに来たのには何か訳があるんだろう? 違うのかい?」

 士郎の言葉に、祐一は首を横に振る。
 この家の人間は助けを求める人を受け入れる優しさと度量を持ちあわせている事を祐一は知っていた。
 だからこそ、元の世界では緊急時にお邪魔させてもらう約束をなのは経由でさせて貰い、今こうして頼っているのだ。
 だが、だからこそこうして当たり前のように差し伸べられる手を、計算ずくで握る事に祐一は罪悪感を抱く。
 しばらくの葛藤の末、祐一は紙に『おねがいします』と書き記す。
 こうして、祐一は高町家の居候として暮らす事となった。
 




「ところで祐一。この剣は一体なんなんだ?」

 そう言って部屋の隅から白い大剣を持ってくる士郎。
 それに祐一が手を触れると、白い大剣は燐光を残して、空中に溶ける様に消えてしまった。
 驚く士郎に、祐一は閉じた口の前で人差し指を一本立てる。

「ないしょ、ってことか?」

 困ったように笑う祐一に、士郎も苦笑で返す。
 自称『魔法使い』である祐一の為す突飛な事に、士郎は早くも順応を始めていた。
 その後祐一は歩く練習をしようとするが、足がもつれて布団の上に倒れこむ。
 そんな事を繰り返す祐一に、士郎は手を差し伸べた。
 士郎の手に掴まって一歩ずつ歩みだす。
 一歩一歩ゆっくりと歩いてみる。
 廊下を歩き、壁伝いに歩く。
 こけても近くに物があれば、きちんと立ち上がることも出来た。
 一歩ずつ、しかし確かに歩いていく。
 その事が祐一には、自分がこれからやろうとしている事に重なる様に思えた。


 歩く練習の後、今度は発声練習に移る。
 何度も繰り返し喋ろうとしても、口から響くのはわけのわからない音の羅列。
 とりあえず口を変えることであいうえおをゆっくりと喋れるようにはなれた。
 これで祐一はこの日、質問に対してイエスなら「あーい」、ノーなら「いーえ」と答えられるようになった。



 だが、その日の晩。
 風呂場で祐一は驚愕に身を凍らせていた。
 別に士郎と一緒に風呂に入るのが嫌なわけではない。
 だが、初めて自身の姿を鏡で見てショックを受けたのだ。
 金色の髪。
 赤い瞳。
 雪のように白い肌。
 以前の自分とは似ても似つかない姿に、祐一は頭が真っ白になる。
 体の特徴が元の体と違うのは、転生をした以上仕方の無いことだ。
 そう思った直後、祐一はその考えを否定する。
 鏡に映った祐一の姿は、三歳ほどの幼児だった。
 しかし、そもそも転生をした以上、0歳児として目覚めるのが道理だ。
 それから祐一は、眠りにつく直前まで自分の異常性について考え続けていた。






 それから一週間。
 当初祐一が思っていたよりも、発声、歩行練習は驚異的なスピードで進んでいった。
 運動も声も、生まれてから使われた事がなかったから使えなかっただけのことだ。
 たったの一週間で祐一は普通に歩く事ができるようになり、流暢とは決していえないが話すことが出来るようになっていく。
 また警察への届出も行なわれた。しかし捜索願などは無く身元確認は出来ず、本人と士郎の希望により祐一は高町家に引き取られることとなる。
 問題はただ一点。この先をどうするかということだ。
 祐一がそれが決めるのには、更にもう二週間という時間がかかった。



[5010] 第二話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:40

 祐一が高町家に来て三週間が経過し、その日の朝が来た。
 空は晴れ渡っているが今だ寒い季節の中、木枯らしの吹く音が響きわたる。
 祐一は朝食の席でこう切り出した。

「あの、話があります。夜、聞いて、もらえますか?」

 未だたどたどしい言葉遣いであったが、祐一はただ真っ直ぐに士郎の目を見る。
 その態度に士郎も真剣な表情になってくれた。

「分かった。夕御飯の後でいいか?」

 士郎の言葉に頷くと、祐一は頭を乱暴に撫でられた。
 祐一はそれに曖昧な笑みを浮かべる。
 高町家の面々は、士郎以外祐一の特殊性を詳しくは知らない。
 ただ見た目通りの子供ではない、くらいの認識があるのみだ。
 ここで祐一は、自分の知る事を全て話す覚悟を決めていた。

 いつも通り恭也と美由希は小学校に、士郎は祐一を桃子に任せ、ある講演会の警備の仕事に出て行った。
 祐一は家に残された身重の桃子を手伝い、掃除などをこなす。
 掃除をあらかた済ませると、昼食まで暇な時間が生まれる。
 桃子は育児書と経営に関する本を読んでおり、祐一はその日の晩に話す内容を頭の中でまとめていた。
 そして昼食。
 いつも思う。桃子の料理は絶品だ。
 祐一はようやく箸を使って食事ができるようになり、食事もフォークやスプーンで食べやすい洋食から、和食もたまに混じるようになっていた。

(まともに活動が出来るようになったら、料理を教えてもらおうかな)

 ふと、そんな事を考える。
 かつて学生だった頃は自炊をしていた身であるが、祐一と桃子の作る料理では雲泥の差があった。
 一応周りの皆からは美味しいと高評価を貰っていたが、それでもこの味には勝てはしない。
 これと対抗できるのは、叔母の秋子ぐらいなものだろう。
 対抗意識を燃やしながらも食べる事に一所懸命な祐一を見て、桃子は微笑みを浮かべていた。



 その日の午後、残った家事は洗濯物を取り入れたたむ事と、夕飯の準備だ。
 祐一に手伝えるのは取り込まれた服をたたむ事のみ。
 それを済ませた祐一は、寝室に行き戸を閉める。そして、虚空から黒い半球体を取り出した。
 半球体の名はゴスペル。
 ボイスコマンド式のあるシステムの端末ターミナルだ。
 祐一はそのゴスペルの機能の一つ、他のゴスペルとの通信機能を使用する。
 通信相手の名前はゆえ
 “前の”祐一のははおやだ。
 ゴスペルの上に浮かぶホログラムウインドウ。
 そこに映し出されたのは、緑の髪をした十七、八歳くらいに見える女性の顔だった。

「かあ、さん」
「……祐一、なの?」

 月の言葉に頷く祐一。
 それで月は納得したように頷く。

「あの薬剤で昏倒したあなたからは魂、プラーナ、月衣の反応が消えていた。だからあなたはもう転生してしまったのだと思っていたけど……本当にそうだったのね」

 落胆の表情を浮かべる月。しかし、それは間違っている。

「母さん、ちょっと違う。器は替わった、けどおれは、『相沢祐一』のまま」
「……え?」

 月が呆けたような声を上げた。
 その反応には理由がある。
 同じ地球という名を冠しながらも、この世界とは内情がまったく違う世界。
 ウィザードと呼ばれる異能者が世界の裏で活躍するファー・ジ・アース。
 そのウィザードと呼ばれる者たちのさらにごく一部、転生者と呼ばれる者達にはある特徴が存在する。
 転生者は確かにそれまでの記憶を引き継いで新生する。
 しかし、その人格は新たに生れ落ちた人間のものであり、受け継がれる記憶も記録を閲覧するような感覚で扱われる。
 つまり、普通に転生したのなら、前世の人格は喪われてしまうのだ。
 それが器は変われど『相沢祐一』の人格が生きていると知ったのだから、その驚きは当然だった。
 画面に映る瞳に涙を浮かべて笑みを浮かべる月を見て、祐一は本当に月に愛されていたのだと実感する。
 月が涙を浮かべる姿を、祐一はこの時初めて見た。

「それでどうするの? 今すぐこっちに帰って来る?」

 元々ゴスペルは平行世界干渉のための『Capelシステム』の端末だ。
 ゴスペルを使えば平行世界の移動が可能になる。
 正確に言えば、Capelの下か他のゴスペルを持つ仲間の下に転移することが出来る。
 だが、月の問いに祐一は横に首を振った。

「やりたいこと、できた」
「やりたいこと?」
「この世界を見届ける。管理局で、事件を記録して、情報を持って帰る。そうすれば、未来を知って、行動できる」

 平行世界は互いの可能性を補完しあい、合わせ鏡のように無限に連なっている。
 だが、その時間は同期して進んでいるわけではない。
 特に『Capelシステム』は時間移動を利用した平行世界干渉を行なっている。
 タイムパラドクスが生まれないよう、世界は過去に遡って干渉することを許さない。
 だが通信などによって互いに干渉した時間から、再び干渉しあうまで互いの過ごす時間の差はゴスペルの微調整で簡単に変えられる。
 例えば、今祐一から月に通信をしているが、この一ヵ月後に祐一が再び今の月に通信をしたとする。
 すると、月側からしてみれば、通信を終えたすぐ後に一ヵ月後の祐一から再び通信が届く、といったような事が可能となる。
 祐一はこれを利用して、この平行世界でどんな事件が起こりどのような技術が生まれるのか、それをつぶさに記録して情報という最強の武器を元の世界に持ち帰ろうとしているのだ。

「分かった。ただし、無理はしないこと。特に死んでしまえば、もうあなたは『相沢祐一』ではなくなってしまう。もし辛くなったらいつ帰ってきてもいいからね。あなたが昏睡状態になったせいで、一日千秋の思いであなたが起きるのを待っている子達がいるんだから」
「かあさん。戻ったら、元の体に、戻せるの?」

 その祐一の問いに月は強く頷いた。

「私も転生者だし、転生の秘儀を用いる事は可能よ。任せなさい」

 月の言葉に、祐一も頷き返す。これで、多少は安心して無茶が出来るようになる。

「そっち、帰るのは待って。情報、集めて帰るから」
「分かった。期待してるわよ?」

 そう言って笑う月。
 祐一はようやく母の役に立てるという事に大きな自負を持ち、それに頷く。

「じゃあ、また」
「ええ、またね」

 通信を終了し、祐一はゴスペルを白い剣のように消してしまう。
 その瞳には、それまで以上の熱意が浮かんでいた。






 そして夜。約束の時間。
 夕食の片付けが済んだ所で、祐一と士郎、桃子はダイニングにあるテーブルの席についていた。
 皆の視線が祐一に集中する中、祐一は口を開く。

「前世、知ってる?」
「……前世?」

 士郎が聞き返すと、祐一はコクリと頷いた。

「おれは、前世の記憶を持って生まれた、転生者っていう魔法使い」
「なあ祐一。じゃあ君は一度死んでいるのかい?」

 その士郎の問いに、祐一は首を横に振った。

「死んでない。だけど昏睡。多分、転生の誤作動。だって、『前の人格』が残ってる。おかしい」

 その言葉に、二人は不思議そうな顔をする。

「死ぬ前の記憶を持って生まれてくるなら、それが普通じゃないのか?」

 士郎の当然の問いに、祐一は苦笑いで返す。

「正しい転生は、前世の人格は残らない。ただ記憶が残るだけ。だけど、おれ、相沢祐一。消えてない」
「少し聞きたいんだが、いいか?」

 神妙な顔をして、士郎が祐一に問う。
 祐一が頷くのを見て、士郎は口を開いた。

「なんで祐一は昏睡状態だと分かったんだ?」

 その問いに祐一が一瞬固まる。そしてため息をつくと虚空に手を伸ばした。

「これ、使って、かあさんと連絡」

 そういう祐一の手には、虚空に浮かぶ波紋から滲み出すように黒い半球体が現れた。

「祐一君。今のどうやったの? 今のが魔法?」
「月衣(かぐや)。結界。物を入れる。出す」

 感嘆の声を上げる桃子に簡単に説明する。
 そこで祐一が口を開いた。

「士郎さん。桃子さん。どうか、おれ、ここに、居させて ください」

 きれぎれの言葉ではあったが、そこには強い意志が宿っている。
 祐一の真剣な表情に士郎が目を細める。

「帰る先は無いのか?」

 祐一は首を横に振って、言葉を発する。

「家、ある。だけど、やることが、ある。今から九年。事件の時まで、おれ、ここに置いて どうか、お願いします」

 頭を下げて頼み込む。その祐一に、静かに士郎が語りかける。

「ちょっと待ってくれ。こちらも訊ねたいことがある。いいか?」
「はい」

 首肯する祐一に、士郎は真っ直ぐ祐一と目を合わせた。

「まず、ここに来る前に何があったんだ?」

 その質問に祐一は目を覚ましてからのことを思い返す。
 目を覚ましたら緑色の液体の詰まった培養槽らしき物の中に閉じ込められていた事。
 いつまでたっても出してもらえない事に耐え切れず、培養槽を内側から破壊して自分で出た事。
 出てすぐのころは目がまったく見えなくて、いきなり魔法で攻撃されパニックになった事。
 必死に白い剣の能力を使い、魔法による攻撃に耐えていた事。
 そしてこの庭先に転移する直前、抱くように持っていた白い剣が奪われ体に突き刺された事。
 それらを祐一は感じたままに説明する。

「――で、気がついたら、しろーさん、ももこさん、おれ見てた」

 そこまで話して、祐一は長い息をはいた。
 その頭を、桃子さんがなでてくれる。

「そういえば、あの白い剣。あれは何なんだ?」

 そこに士郎が口を開く。祐一は何も無い虚空から燐光を纏った白い剣を取り出した。
 剣が完全に出るのにあわせて、剣に纏われた燐光が消える。

「その剣が刺さっている間、体中にあった火傷がみるみるうちに消えていった。あれは何なんだ?」
「これ、おれ、傷つかない。そういう素材。火傷は、分からない」

 その返答に不承不承頷く士郎。
 ちなみに祐一は火傷の件については心当たりはあったのだが、うかつに知らせるものではないと黙秘した。
 そして祐一は白い剣を袖をまくった腕に刺してみせる。

「確かに切り傷一つ無いな」
「これ、おれだけ 斬れない」

 言って剣を再び月衣に仕舞う祐一。
 

「なあ、祐一。なんでうちに逃げ込んだんだ?」
「えっと、元の世界、緊急避難、もしもの時用」

 燐光をまとって

「ねえ、祐一君。いいかしら」
「はい?」

 柔かい桃子の声に、おもわず力を抜く祐一。

「この子、男の子だった? 女の子だった?」
「女の子。芯が通った、折れない意志、優しさ、持った、強い子」
「そうなの。ありがとう」

 その言葉に笑顔を見せる桃子。
 その手は膨らんだお腹を優しくなでている。
 しばらくして桃子が立ち上がり、祐一に近寄って抱きしめてきた。

「祐一君。これからよろしくね」

 桃子からかけられた言葉。
 それが、自分がこの家に受け入れるという優しい言葉だと、祐一が理解するまで数秒を要した。

「え、あ、あれ……」

 抱きしめられ、温かい言葉をかけられて思わず涙をこぼす。
 体が幼いためか、ずいぶん感受性が強くなっているらしい。
 ただほろほろとこぼれる涙に戸惑う祐一を、桃子が優しく抱きしめ、士郎が頭をなでる。
 こうして祐一は高町家の一員として受け入れられた。



[5010] 第三話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:41
 祐一が高町家に保護されて二ヶ月が過ぎ、三月となった。
 暦の上では春だがまだ気候は寒々しく、桜が咲くのはまだずいぶん先だろう。
 祐一は今では立って走ることも出来るようになった。
 また、この二ヶ月で桃子の腹もすっかり大きくなり、簡単な雑務などは恭也や美由希、祐一が代わりにこなすようになっていた。
 士郎も何かとあれこれ気を揉んだりするのだが、それは士郎が初めて出産に立ち会うためであり、また桃子が初産であるためでもあった。
 高町家の家族構成は中々複雑なのである。
 今では、女の子が生まれるのがいつになるかと皆ビクビクしながらもそのときを心待ちにしていた。
 そんなある日の夕食の席で、祐一は改めて自分の事情を話す事になる。



「なあ、祐一。生まれ変わるというのはどういう感覚なんだ?」

 始まりは士郎のそんな質問だった。

「そうですね。普通ウィザードとして覚醒するまでは、皆ただの人間です。思い出す記憶も、思い出じゃなくて記録を見ているようなもので、目覚めたからといっていきなり人格が変わるするなんてことはまずないです」

 三歳児の外見に似合わぬ言動。
 最初こそ驚かれた祐一の言葉使いも、今では個性の一つとして皆順応していた。
 特に美由希などは算数の分からないところを祐一に尋ねたりもしている。
 年下であるが同時に年上という妙なポジションとして、祐一は恭也や美由希には認識されていた。

「ん? 普通って、祐一以外にもその『転生者』がいるのか?」

 士郎の問い。それに答えるべく、祐一は話す内容を頭の中でまとめる。

「ウィザードの中では割合としては少ないですけど、それなりにはいます。使命っていうのは、封印を守るとか色々ありますが、共通しているのは『侵魔』を倒すって事です」

 その答えに理解が及ばない高町家の面々。
 祐一はさらに言葉を重ねて理解を得ようとする。

「元々俺が生まれた世界では、魔法使い――ウィザードが、世界を滅ぼそうとする『侵魔』と戦う世界でした。俺も死んでは新たに生まれ変わって、再び『侵魔』との戦いを永遠に繰り返し続ける……はずだったんです」

 しかし祐一が思い返す幼少期は、技師として名を上げていく母とミッドチルダで過ごしたものだ。
 ウィザードも『侵魔』も、祐一が物心づいた頃には無縁の存在となっていた。

「転生を繰り返し、『侵魔』を狩る――それは同時に連中の呪いを繰り返し浴びていく事です。蓄積された穢れは、俺を『侵魔』と同じ性質を持つものへと歪めていきました」

 そうして生まれた祐一は、『侵魔』によって生み出された『落とし子』としてウィザードに認知され、祐一は赤子ながら味方であるはずのウィザードに命を狙われた。

「それをあの人が――母さんが助けてくれた。母さんは俺を連れてウィザードも『侵魔』も存在しない平行世界へと逃げて、ミッドチルダという次元世界で過ごしていたんです」

 祐一の最初の記憶にあるのは、保育施設に預けられた自分を毎夜迎えに来てくれる母の姿。
 宿命も、力も、何も知らずに過ごしていた時代の話。

「だけど、魔法文化のあるミッドチルダで、俺は特殊な魔力の持ち主でした。それでいじめられた俺を、母さんが魔法文化のない第九十七管理外世界――つまりこの地球へ連れて来てくたんです」

 地球の思い出。
 それはこの世界において未来の世界。
 知らないほうが上手くいくこともあるだろうと、祐一はそこで口をつぐむ。

「いろいろあって、俺は地球を出て管理局に入りました。そして、ある事件の中で転生のシステムが誤作動して、今の本当の名も分からない体に生まれ変わったんです」

 祐一の言葉を何度も反芻し、何とか理解をして頷く桃子と士郎。
 恭也と美由希は流石に話しについてこれず、目を回していた。

「でも、士郎さん驚きませんね。最初に事情を話したときも、こんな子供の話を信じてくれましたし」
「ん? ああ。HGSとか霊能者とか幽霊とか、そういう存在が実際にいるって事を知ってたからな。子供がつく嘘にしては堂に入っていたし」
「だって祐一君は真剣に話していたでしょう? だから私も信じる事にしたの」

 そう言って笑いかける二人。
 かつての世界では祐一とそれほど接点のなかった二人だったが、祐一はもうこの二人、いや高町家の人達のことをすっかり好きになっていた。
 しかし、忍者の国家認定試験がある第九十七管理外世界。
 そもそも諜報員に国家資格を授与して存在を明らかにしてどうするつもりなのだろうか。
 むしろ祐一の方がこの世界の方を信じ切れなかったりしている。
 と、そこで美由希が士郎に尋ねる。

「お、おとーさん。幽霊ってホントにいるの?」
「ああ、いるぞ。なんせ本物の霊能力者には警察から除霊の依頼が来るぐらいだからな」

 士郎の話を聞いた美由希は体を震わせ怯えた様相をみせる。
 とりあえず祐一は安心させてあげようと話しかける。

「美由希さん、大丈夫。ただの幽霊程度なら、俺が魔法でやっつけられるから」
「ほ、ホント?」

 美由希が聞き返すと、祐一は大きく頷いて見せた。
 尤も祐一に出来るのは幽霊の再殺であって、浄霊などはできないのたが。



 そんな話をして数日経った三月十四日。
 祐一はいつものように体力をつけるため庭で可能な限り走り回り、他の皆も思い思いの行動を取っていた。
 その夜の事だ。突然桃子が産気づいた。
 士郎は車で桃子を海鳴病院に連れて行き、桃子の傍らで励まし続けることになった。
 恭也達は大人がいない家で一晩を過ごす事になり、そして明け方に電話がかかってくる。

「はい。高町です」
『恭也! 産まれたぞ! 可愛い女の子だ!!』

 電話に出た恭也に、興奮しきった士郎がそう言った。
 初めてのお産であることと、明け方まで起きていた事によって精神が高揚状態、すなわちハイになっているのだろう。

『とと、そうだ。今日の朝ごはんはすまんがシリアルで我慢してくれ。台所の上の戸棚にあるから』
「わかった。かーさんは無事なのか?」
『大丈夫だ。今はお産の疲れで大分消耗しているが、すぐに元気になる』
「そうか、よかった……」
『俺は一旦昼には戻るから、学校から帰ったら皆で病院に行こうか』
「分かった。そう二人に伝えておくよ」

 そこで電話を切り、恭也は電話に駆けつけた美由希と祐一に向き直った。

「無事産まれたそうだ。女の子だ。父さんは昼に帰って来るから、皆でかーさんのところへ行く。祐一。父さんが帰るまでちゃんと留守番できるか?」
「大丈夫。まかせて」

 恭也の問いに、胸を張って答える祐一。
 その子供らしさに、恭也が軽く頬を緩ませた。

「じゃあ行ってくる」
「祐ちゃん。お留守番、頑張ってね」

 簡単な朝食を済ませ、挨拶をして学校へと向かう恭也と美由希。
 それを見送った祐一は、一人家の中に戻る。祐一は寝床である桃子の部屋で布団に寝っ転がり、月衣から一冊の本を取り出す。
 それはデバイス作成の基本参考書だった。
 祐一は管理局に入り様々な事件の概要を記録していくつもりだが、自らの戦闘能力を使って入局する気はさらさら無かった。
 もしも何か自分の体、命に害が及んだ時、そこで記録がストップしてしまうためだ。
 祐一が目指すのは本局技術部技官。
 それも平凡な技官として気楽に活動できる立場が好ましい。
 そんなことを考えていると、不意に祐一の周りに黒い光が溢れ出した。
 慌てて月衣からゴスペルを取り出すと、その上にホログラムウインドウが現れる。
 そこに映っていたのは、翠色の髪をストレートに長く伸ばした女性、相沢月だった。

「母さん? どうしたの?」
『祐一。少しの間、デバイスを貸して貰える?』
「ファイスを? いいけど、どうするの?」

 祐一の問いに、月が笑って答える。

『箒の追加オプションに、擬似人格システムIrisっていうのがあるんだけど、インテリジェントデバイス用に改造してみたの。それで、祐一のデバイスのAIに追加データとして搭載してみようかな、と思ったの』
「……今までのファイスと、中身を取り替えられるわけじゃないよな?」

 訝しげな目をする祐一に、月は首を振る。

『あくまで機能の拡張よ。日常会話とか、人の情緒の機微を察したりとか、そういうことが出来るようになるの。無論日本語での会話も可能になるわ』
「日本語で!? それってかなり大変だったんじゃないか?」

 ミッドチルダと日本。
 会話こそ通じるが書面でのミッドの公用語は英語に近い。その異なる思考形式を日本のものにするということは、日本語と英語の機械通訳がどれほどお粗末なものであるかを考えれば、理解できるだろう。
 さらに情緒の機微を察せるという事は、より人間に近い感情を持つということでもある。
 到底『普通』の技術者では不可能なレベルだ。

『そのあたりはアリサちゃんがやってくれたから大丈夫。さあ、転送用ポートを開くわよ』

 月がそう言うと、ゴスペルの上に闇が収束しゲートとなった。
 祐一は月衣から中心に七角形の青い結晶が付いた、黒いカード状のデバイスを取り出す。

「ファイス。母さんがお前に新しい機能を付加するってさ。頑張って来い」
『Yes master』

 祐一が己のデバイスをゲートに入れる。
 するとゲートは閉じ、リンクを切断されたゴスペルは沈黙した。
 祐一は再び参考書に目を落とす。
 それから約五分後、再びゴスペルが起動。
 その上に開かれたゲートから祐一のデバイスが現れた。

「早いな、もう終わったのか?」
『いいえ。Iris ver2.05 YSPの適用とそのための調整には二日と二十一時間十六分三十七秒かかりました』
「……ああ、時間のずれか」

 祐一の呟きにファイスはクリスタルを明滅させる。
 平行世界は互いが互いの可能性を補完しあう存在であるが、同じように時間が流れているわけではない。
 世界の始まりから終わりまでがそれぞれ一つの平行世界であり、他の世界からの介入は、一度介入した時点より前には介入できないものの、それより後ならば自在に時を選んで介入する事が可能なのだ。
 ただし、その手段さえあればの話であるが。
 つまり、月は祐一からファイスを受け取り、機能の拡張を終えてから、祐一がファイスを渡した五分後の世界にファイスを送りつけたのだ。

「ところでファイス。お前と日本語で喋れるのは嬉しいが……なんでその声なんだ?」
『この方がマスターは喜んで下さるかと思ったものですから。どうしましたマスター。いきなり頭を抱えて』

 預けるまで機械的な合成音声で応答してきたファイスが、祐一のよく知る女性の声で話しかけてきたのだ。
 機能拡張以外に月がどんな処置を施したのか、祐一は恐ろしくて考えるのをやめた。
 月のやることは大抵ぶっ飛んでいる。何が起ころうと不思議ではない。

『どう? ファイス、可愛くなったでしょう?』
「いや、ちょっと待て! なんでファイスの音声があゆの声なんだよ!?」

 いつの間にかゴスペルの上に開いていたホログラムウインドウに大声を上げる。
 あゆとは、祐一の幼馴染……と言えるかどうかは分からないが、祐一の人生に大きく影響を与えたかけがえの無い存在の女性である。

『うーん、他にもプリムラと舞ちゃん、アリサちゃんの声をサンプリングしてあるから、あなたが一番好きな娘の声に変換しておくといいと思うわ』
「…………ファイス。舞の声をベースに他の声と合成してオリジナルの音声を作成できるか?」
『可能です』
「頼む。今からやってくれ」
『承諾しました。……移行完了。これでよろしいでしょうか』
「うん。それがいい。ありがとう、ファイス」

 母を無視する祐一の要請に応え、祐一のデバイスは新たにオリジナルの声質を作り上げてみせた。
 その声は落ち着いた大人の女性、それこそ大和撫子を連想するように優雅なイメージを祐一は覚えた。

『……まあ、そうするのは予想の範疇よ。それで祐一、プリムラがあなたのところに行きたいって言っているのだけれど、どうする?』

 聞いてくる月に、融合騎にして祐一の妹であるプリムラがこの世界に来た場合の事を考えて、祐一は首を横に振る。

「頼む、止めといてくれ。俺は何の変哲もないモブキャラでこの一生を過ごすんだ。変に誰かに目をつけられたら困る」
『はいはい。フォローはしとくわ。ただ、あの子はあなたを自分の帰る場所だと思っているわ。例え一時でも、あなたがあの子の力を借りたい事ができたらちゃんと頼りなさいよ』
「……分かってるよ」

 不承不承頷く祐一に月が苦笑を洩らす。
 だが、これは祐一が自らに課した役目だ。
 プリムラと共にいることは出来ない。
 融合騎である年を取らないプリムラは、老いていく祐一の末を見届ける事になる。
 異なる時を共に生きる。
 それはきっと苦しい事なのだろうから。

『ならよし。確かにあなたが集めた情報如何では、私達はこの先ずいぶんと楽になる。だけど苦しいようなら遠慮せず私達のところに帰ってきなさい。あなたは私達の家族なんだから』
「うん。ありがとう」

 笑ってお礼をいう祐一の顔を見て、月は小さく笑う。
 幼い祐一を育てたのは月だ。
 今の祐一に、昔の祐一を重ねたのだろう。

『じゃあ、頑張って一生を送ってみなさい。あと、ファイスに何か不具合が出たら必ず連絡してね。これは約束よ』
「分かった。それじゃ、またね。母さん」
『ええ。またね、祐一』

 通信が切れ、ゴスペルを月衣に仕舞い直す。
 そして祐一はファイスと共にデバイスの参考書に向き合った。
 祐一と同じ言語で会話できる嬉しさからか、本の上に浮き上がって様々な解説をするファイス。
 自身がデバイスである為かその解説は丁寧で適切で、祐一はファイスとの会話を楽しみながら勉強を進めていった。
 しばらくして、ふとおかしな事に気付く。

「ファイス。お前はいつから自分で飛び回ったり出来る様になったんだ?」
『あ……』

 空中に浮いたまま固まるファイス。
 かつてのファイスには到底出来なかった行動だ。

「とりあえず、どういう仕様なのか教えてもらえるか?」
『……実は、私にはプリムラと同じくマイスター月のリンカーコアが移植されています』
「……へ?」

 リンカーコアは魔力を持つものが内包する、一種の臓器と言える。
 例えば闇の書の蒐集行為では魔力を奪われ魔導資質をコピーされるだけで、リンカーコアが蒐集対象から無くなるわけではない。
 だが移植となれば話は別だ。
 移植した分だけリンカーコアは失われる。
 完全に移植を行なえば、もちろん月の中からはリンカーコアは無くなってしまう。
 しかし月は臓器の欠損程度なら自己再生してしまう能力を持つ。
 月はこれを利用してリンカーコアの移植と再生を果たしたのだ。

「つまり……ファイスはユニゾンデバイスになったのか?」
『いいえ、違います。私はインテリジェントデバイスとして、マスターの考えを汲み取り補助する存在に過ぎません。私自身が魔力を持つことである程度の機能拡張を行なう事はできますが、それだけです。私は構造上マスター以外の人間には扱えない存在です。このように私自身の意志で魔法を扱う事も可能ですが、あくまで微々たる補助的なものに過ぎません。ただ、このリンカーコア付与、通称『リンカーズ』を通常のインテリジェントデバイスに組み込めば、魔導師ランクDの人間のランクをBに底上げする事ぐらいは可能です』

 やってることは凄いことではあるが、その成果はいまいちであった。
 それでも元の世界で魔導師ランクが空戦Cであった祐一には充分すぎる恩恵だと言える。


「ファイス。本当にそれだけか? 母さんはそんな目的でリンカーコアの移植なんて無茶なことはしない。お前、まだ何か隠しているだろ」

 そう、ただそれだけの事に激痛を伴うリンカーコアの切除なんて無茶を『あの』月がするはずが無い。
 そもそも戦闘能力の向上なら、デザインから一新した上で祐一の魔力をどうにか攻撃に用いる事ができるよう研究する方がより現実的である。
 祐一達ウィザードのリンカーコアは、通常のミッド人と比較して数十倍から数百倍もの魔力を生成する。だが、その魔力は複雑な魔導式に流し込むと爆発を引き起こす性質を持つ。
 そのリンカーコアを他者に移植すれば、暴発の原因であるウィザードの力の源――『プラーナ』の影響は僅かなものにはなるだろう。
 しかし、それでもバリアジャケットを生成することしか出来ないという事は、プリムラという融合騎の前例が証明している。
 しばらくの沈黙の後、ファイスが発言した。

『あの、マスター。マイスター月はそのことは使わざるを得ない状態になるまでは使うなとおっしゃっていました。知れば必ずマスターは激怒するから、と』
「安心してくれ。俺はお前には怒らん。ただ母さんに怒るだけだ」

 そう言った祐一の顔には、いっそ清々しいほどの悪意に満ちた笑みが浮かんでいた。

『……分かりました。私に付与された機能は人工知能の向上、ミッド言語と日本語の翻訳、浮遊移動を始めとする自立行動、マスターの上に上掛けする形でのバリアジャケットと同様の効果を持つフィールドの展開、そして義体の作成です』
「それか……」

 フィールドの展開と義体の作成。
 そこが月の狙いであると当たりをつける。

「ファイス。じゃあお前は人の姿をとることもできるのか?」
『そうなります。……人に擬態してみせましょうか?』
「分かった。頼む」

 祐一の言葉を受け、ファイスは空中に浮かび上がって黒の魔力光を放ち、心臓の位置に本体を置き人型を形成する。
 光が収まった時、祐一の目の前には青いワンピースを着た少女の姿があった。
 年は美由希と同じくらいだろうか。
 腰まである艶やかなストレートの黒髪と、茶色い目をしたファイスに祐一は日本人のお嬢様といった印象を受けた。

「なあ、ファイス。その姿の時はプリムラと一緒なのか?」
「いえ、この姿は外殻をバリアジャケットで作成し、フィールドエフェクトで表面を偽装しているだけです。彼女のように、食事などのおよそ生命体といえる行為は行なう事ができません」
「なるほど。それで擬態、か」
「はい。さらなる改良を行なえばやがてデバイス単体での戦闘行為をも取れるとの話でしたが、私はそれを拒否しました」
「それは、どうして……」

 それはつまり、プリムラのように制限は受けるものの特定条件下では優れた戦闘能力を発揮するという事ではないのか。
 そのように祐一が考えていると、その訳をファイスが微笑みながら答えた。

「私はマスター、あなたが飛ぶ補助を行い、あなたに使われるためだけに創造されました。あなたの望みが私の望み。あなたの願いをかなえる助けとなれるのならば、私は本望です。私は物としての誇りを持ち、あなたと共に永きを歩むもの。あなたと並び立つ者達の一員になるのではなく、あなたの一部として在れる事こそが私の幸福なのです」

 若干興奮気味に話すファイスに祐一も頬を赤く染める。
 人と物の価値観の差こそあるが、ファイスがそれほどまでに自分を無条件に肯定してくれる事、それが祐一には例えようも無く嬉しかった。
 それから数秒、あるいはもっと長い時間ファイスと祐一は無言で目を合わせていたが、不意に玄関の開く音が二人に聞こえた。

「ファイス! 擬態解除!」
「は、はいっ!」

 翠色の燐光を放ちカード状に戻るファイスを祐一はポケットにねじ込み、祐一はデバイスの参考書を月衣に突っ込んだ。
 そして玄関のほうに向かうと、コンビニの袋を持った士郎がそこにいた。

「ただいま、祐一」
「おかえりなさい」

 士郎は多少疲れた顔をしていたが、祐一に向かって笑いかけた後はいつもの顔つきに戻っていた。

「とりあえずお昼にしよう。コンビニ弁当ですまんが、我慢してくれ」

 そういわれた祐一は、首を振ってダイニングへと向かっていった。
 その後を追う士郎。いつもの桃子の料理に比べれば格段に味の劣るものであったが、こんなジャンク品もたまにはいいかとコンビニ弁当を食べる。

「それじゃあ、スマンが恭也が帰って来るまで俺は昼寝をさせてもらうよ。徹夜だったんでな」
「はーい。恭也さんが帰って来たら起こせばいいんですか?」
「ああ。頼む」

 そう言って桃子の部屋に向かう士郎を見送り、ポケットから黒いカードを取り出す祐一。

「これからもよろしくな、相棒」
『はい、マスター。存分に私をお使い下さい』

 改めて互いに挨拶をする祐一とファイス。
 だが、祐一がファイスを扱える体に成長するには、あと十数年の歳月が必要なのであった。



[5010] 第四話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:41
 三月十五日、午後。
 まず小学一年生である美由希が帰って来た。
 さらにその一時間後に小学四年生の恭也が帰ってきた時、祐一は士郎を起こした。
 士郎は入院中の桃子の着替えなどの荷物を手早くまとめ、他三人を連れて海鳴大学病院へと出発する。
 病院の中に入り産科の病室に行くと、ナースステーションにある面会の名簿に名前を書いて、桃子のいる病室へと入る。
 中では桃子がベッドで上半身を起こしており、隣にある新生児用のベッドに眠る赤ん坊を見ていた。

「あら。いらっしゃい、皆」
「かーさん、体は大丈夫なのか?」
「ええ。もうすっかり元気よ」

 桃子の出迎えに恭也が心配の声をかけるも、桃子は笑って答えた。
 もっとも、桃子は僅かながら気だるそうな様子をしている。お産の時の疲れがまだ残っているのだろう。

「おかーさん。この子があたし達の妹?」
「ええ、そうよ。名前は『なのは』。今朝、士郎さんと二人で決めたの」

 美由希の問いに笑って答える桃子。
 それを聞いて美由希は目を輝かせながら、眠っている赤ん坊――なのはを覗き込む。
 祐一もベッドに座らせてもらってなのはの顔を見つめた。
 やはり赤ん坊だけあって頭が大きく四頭身ぐらいの縮尺で、頭はうっすらと毛が生えている。
 体には新生児用の衣服が着せられており、目を瞑って寝息を立てている姿はとても愛らしいものだった。

「どうだ祐一。可愛いだろう」
「はい。とっても」

 自慢げに言う士郎に、祐一も率直に答える。
 この子が闇の書事件に関わる魔導師に成長する事を思い、祐一は感慨深くなのはの寝顔を見つめた。

「きっと、この子は綺麗になりますよ」
「……見た事があるのか?」

 士郎の問いに祐一はコクリと頷く。
 闇の書事件で初めてなのはのことを知った祐一。
 それ以降はたまに会ったり雑誌の記事でなのはの写真を見る程度の間柄でしかなかったが、将来可愛らしさと凛々しさがなのはに備わっていくのを祐一は知っていた。
 士郎の問いに頷いた祐一に士郎はぐりぐりと祐一の頭をなでる。
 そのとき、なのはの目が開き、急に泣き始めた。

「あらあら。どうしたのかしら」

 そっとなのはを桃子が抱き上げる。
 祐一がその頭を優しくなで、それと共に祐一は強い不快感を感じ取った。

「桃子さん。なのは、おしっこしたみたい」
「え……? あら、本当。祐一、よくわかったわね」

 言いながらなのはのオムツを替える桃子。
 それに祐一はなんでもなさそうに答える。

「赤ちゃんが泣く理由っていったら、お腹がすいた、お漏らしした、痛い、眠たいってところでしょう」
「ふえー。祐ちゃんよく知ってるね」
「というか、眠たい時にも泣くのか?」

 美由希は素直に感嘆し、恭也は質問をしてくる。

「大体はお乳飲んだら寝ちゃうんですけどね」

 そう言って祐一はなのはの手に触れる。
 すると、なのはは祐一の指をきゅっと握り締めてきた。
 赤ん坊特有の反射行動だ。
 だが、祐一はそこから赤ん坊の思いを感じ取った。

「桃子さん。なのは、お腹すいているみたい」
「あら、そうなの?」

 そう言って桃子はなのはを抱き上げると、服をめくり乳房を露出させ、胸をなのはの顔に当てる。するとなのははその乳首に吸い付いた。

「祐一、お前はそういうのが分かるのか?」

 恭也に聞かれ、祐一は首を縦に振る。

「気持ち悪いとか、お腹すいたとか、そういうのは分かるみたいです。なんとなく、ですけど」

 困惑しながら答える。
 少なくとも祐一は、以前までこのような能力を持ってはいなかった。
 便利だからいいものの、少し研究してみた方が良さそうではある
 そう祐一が考えている間にお腹がいっぱいになったのか、なのははくわえていた乳首を離す。
 桃子は抱いているなのはの背中をぽんぽんと軽く叩く。
 なのはがげっぷをしたのを確認してから、桃子はなのはを赤ん坊用のベッドへと寝かせた。
 しばらく手足をばたつかせたりしていたなのはだったが、やがて静かに眠ってしまう。

「ねえ、おかーさん。いつ家に帰ってくるの?」
「何もなければ、一週間で帰れるわ」

 美由希の問いに、笑顔で答える桃子。
 それからしばらく、いつものように談笑をしてその日は帰る事になる。
 士郎は仕事で日中に来る事はできなかったが、その分昼間には恭也と美由希、祐一が毎日病室を訪れた。
 なのはの体重が増えていることで母乳で育てる事に問題無しとなり、なのはへの授乳は桃子の母乳で行なう事が決まり、退院した。
 家では主になのはの面倒は桃子が見るが、赤ん坊への感受性が高い祐一が色々とアドバイスをする事になる。
 仕事に影響させてしまわないように、士郎は桃子の部屋から離れた別の部屋で寝ることを桃子に強制された。
 祐一は是非ともと桃子、なのはと同じ部屋で眠ることを桃子に認めさせ、なのはが夜泣きするたびに桃子と祐一が世話をするようになった。




 そしてある日、祐一は自分の新たな能力を分析していた。

(俺にわかるのはあくまでもマイナスの物だけ、みたいだな。他人からの精神干渉への敏感化? いや、むしろ積極的に他人の不快感を受け取ろうとしている?)

 かつての祐一が持っていなかった異能。
 祐一に変化が訪れるとしたら、おそらくはあの白い剣から『感染』した時だ。

(変異していたものが更なる変異を引き起こしたのか……?)

 普通の人間なら他人の痛みや苦しみを知ってしまうこの能力は、嫌な物だと感じてしまう事だろう。
 それでも祐一は、このマイナスの感情の共有を嫌いにはなれなかった。
 今も役に立ってはいるし、誰かの心の痛みを知ることは、その誰かの心を癒す事にも繋がる。
 そう考えた祐一はそれ以上の思索を放棄し、赤ちゃん用のベッドに眠っているなのはを眺めてみた。
 なのはが家に来てからというもの、祐一は誰よりもずっとなのはの傍にいた。
 無論日課の運動や筋トレはこなしているが、本を読み漁ったりテレビを見たりといった時間をなのはの傍にいる事に使うようになった。

 なにはともあれ、なのはは今紙おむつの上に新生児用の服を着せられ、立派に防寒着を着せられていた。
 両手を軽くまげて手は握り締められている。
 顔は横に向いていて、足も膝を曲げているがそれは股を開いたようになり、膝は床に着いていない。
 無垢な赤ん坊であるなのはを見て、祐一は記録とも言えるような実感の湧かない記憶を掘り起こした。

 かつて祐一が『相沢祐一』でなく、別の名、別の時代に生きていた頃の話だ。
 大切な女との子供を守り育てた事があった。
 時には女として生まれ、愛した男との子供を授かり、生み育てた記憶もある。
 いずれも自らの命よりも尊い、愛すべき次の代を継ぐ子だった。
 いずれこの子――なのはもまた誰かと愛し合い、次の時代を継ぐにふさわしい子を産むのだろう。
 そう考えると、祐一は『元の世界の高町なのは』を思い出して口元を吊り上げる。

(なのはが結婚する相手に対して、キューピッド役を引き受けてやるのも面白いかな。……信頼させてから男の方を裏切るってのも楽しそうだけど)

 祐一が割と外道な妄想をしていると、いつのまにか眠っていたなのはが目を開けていた。
 新生児の場合どうしても眠りは不規則になってしまう。
 脳の松果体というグズグズした器官が未発達のためだ。
 産後三ヶ月もすれば脳は充分に発達し、松果体から分泌されるメラトニンによって昼に起き夜に眠るという睡眠サイクルが完成されるのだが。
 そのような事が桃子の買ってきた育児書に書いてあったことを思い返していると、なのはがぐずりだしそうになっていた。

「おはよう、なのは。おにーちゃんだぞー?」

 祐一は優しく声をかけながら、なのはの顔を覗き込んだ。
 そのとき祐一が感じ取ったのは漠然とした感情。
 あえて言うなら孤独感と不安だろうか。
 祐一がなのはのをじっと見つめ続けていると、なのはも祐一の顔をじっと見つめてきた。
 声をよくかける事。
 育児書の内容を反芻しながら祐一は目前のなのはに声をかける。

「大丈夫だぞ、なのは。俺がいる。お母さんも、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、最近帰りが遅いけどお父さんもいる。だから、寂しくないよ、なのは」

 微笑みかける祐一に、なのははじっと祐一の顔を見つめ続ける。
 少なくとも嫌がる感情は祐一には伝わってこない。
 そのなのはに、祐一は優しく母から昔聞かされていた子守唄を歌って聞かせた。

「ねんねころりや~よぞらのつきよ いずこ~へゆく~~」

 穏やかな光が開け放された戸から入り、庭の陽気が部屋へと入ってくる。
 祐一はなのはに指を握らせながら、ゆっくりと子守歌を歌っっていく。

「しずかなうみへ~いだかれたまま わた~しはう~た~う~」

 祐一が歌い終わったとき、なのはもまた安らかにその瞳を閉じ眠っていた。
 そして祐一は肌寒い日が未だ続く中、珍しく快晴で温かい縁側へと足を進める。
 なのはの成長は順調。
 桃子は育児に家事にと忙しい中、自分の店を持つという目標を捨てることなく勉強している。

「……こんな穏やかな日が、ずっと続けばいいのにな」

 庭の陽気に包まれながら祐一はそっと呟いた。いずれ何かのきっかけで、なのはは魔導師として活動するようになる。
 そこには、何らかの事件が起こるのかもしれない。
 そうだとしたら、微力かもしれないがなのはの力になってやりたい。
 そう思い、雲一つ無い澄み切った蒼穹に願いを託す。





 しかし祐一の知っている未来の情報は闇の書事件の終結寸前からだ。
 それ以前に何が起きたのか、祐一はまるで知らない。
 それは五年後、士郎が爆弾テロによる重傷を負うという事件が高町家を震撼させる事も同様だった。



[5010] 番外編1
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:42
 これは、ある一人の赤ん坊の生まれてから一年を、暇つぶしに祐一が一ヶ月毎に書いてみた成長記録である。


 なのは 生後一ヶ月

 少しずつなのはの顔に表情らしきものが出て来た。
 機嫌がいいときにはこの写真のように微笑んだりするようになった。
 また、泣き出した時には桃子さんが声をかけると、泣き止むようにもなったように思える。
 母。それは自分を無条件で肯定してくれる存在であり、無償の愛を注いでくれる存在だ。
 段々桃子さんも慣れてきたのか、俺の通訳は必要なくなってきたようだ。
 頼られないというのは、桃子さんの母親としての成長であり、喜ばしい事だ。
 ただ、頼られなくなる、というのは少し寂しかった。

 写真(子供の落下防止のための柵の着いたベッドで、微笑んでいるなのはの姿が写っている)



 なのは 生後二ヶ月

 なのはがあやしてやると笑うようになり、「あーあー」とか「うーうー」とか声を出す事が多くなった。
 睡眠のリズムも多少変化し、夜に泣き声で起こされる事も少なくなった。
 あと桃子さんの声によく反応するようになり、泣き止むことも多くなった。
 俺の声には桃子さん以外では一番反応してくれた。
 特に俺の子守唄が気に入ったようで、そばで歌っていると笑ってくれるようになったのが嬉しかった。
 士郎さんも大変なのはが好きなようで、休日にはベビーカーになのはを載せて近所を探検したりする事も多くなってきた。
 ただ、まだ目はちゃんと見えていないようで、顔から少しはなれたところしか見えていないらしい。
 また、ベッドの上でばたばたと足を動かしたり、いつもギュッと握っている手のひらが少し開いていることもあった。
 本で読んだところ親指を手のひらに置くとしっかりと握り締めるらしい。
 置いてみた。
 握られた。
 放してくれない。
 子守唄を歌って気を引きながらそっと手を抜き取った。
 ……俺のことを産んでくれた母や父は、俺のことをどう思っていたのだろうか。
 俺は、こんなふうに心を暖める存在だっただろうか。
 もしかして、俺は母さんに連れ去られたが、その事でやはり悲しませただろうか。
 そう考える事が増えた。
 もし俺が呪われた魂の持ち主でなかったら、そう思ったけど考えることをそこで放棄した。
 Ifの世界に救いは無い。
 今はただ、この子の成長を見守ろう。

 写真(桃子に抱っこされて、笑っているなのはの姿が写真に写されている)


 なのは 生後三ヶ月

 手を左右対称にすることが多くなり、顔も真っ直ぐ向けるようになった。
 指をしゃぶる行為が頻繁になる。
 あやしてやるとよく笑うようになった。
 「あーあー」と喋った時、同じように返してやるといいらしいのであわせてやると非常に喜んでくれた。
 なのはがお気に入りの子守唄も桃子さんが歌うようになった。
 またなのはの首が据わり、眠りのサイクルも出来てきたようで夜鳴きする事が減り、ようやく士郎さんが桃子さんと同じ部屋で眠るようになれた。
 ただ、俺が士郎さんよりなのはに懐かれている事に士郎さんは少々しょぼくれていた。
 『高町なのは』に弟か妹がいたという話は聞いたことが無かったが、このままこの部屋にいるというのは少々まずい気がする。
 士郎さんに頼み込んで、空き部屋に移らせてもらった。
 もっとも、日中は桃子さんの部屋でなのはの面倒を見るのだが。
 上から吊るした音が鳴りながら回転するメリーゴーランドが設置され、ずいぶんお気に入りの様子だった。
 ほかにも、CDや歌など、聴覚を刺激するものに興味を抱くらしい。
 ゆっくりでいいから順調に育ってくれる事を祈るばかりである。

 写真(ベッドに寝かされ自分の上で回っているメリーゴーランドをじっと見つめているなのはが写されている)


 なのは 生後四ヶ月

 なのはが遂に両手を合わせることが出来るようになった。
 手に触れたものを何でも握ろうとするようになる。
 ガラガラを持たせてみると、振って音をさせて笑っていた。
 かと思いきやガラガラをなめたりしていた。
 桃子さんに聞くと、とりあえず抗菌仕様なので問題ないらしい。
 寝返りもうつようになり、桃子さんに抱っこされたりして喜んだ時には「きゃっきゃっ」と笑うようにもなった。
 目がある程度見えるようになったのか色々なものに興味を持つようで、片手をじっと眺めたり、ベッドの上に吊ってあるメリーゴーランドや人の顔を飽きずに眺め続けたりしている。
 ただ、一旦不機嫌になると酷く泣き出してしまう。
 が、俺が触るとしばらくして泣き止むようになった。
 電話やメリーゴーランド、歌などの音に熱心に聞き入る。
 童謡を二、三曲歌ってあげると、静かに聞き入ってくれる。
 桃子さんの部屋には古い型であるもののサラウンド機能の付いたCDラジカセが設置され、優しい印象のクラシックをかける様になった。
 なのはもその音楽にずいぶんと影響されているようで、これまでよりもずいぶん泣き方が穏やかになった。

 写真(桃子にあやされ、笑っているなのはが写されている)



 なのは 生後五ヶ月

 なのはにイナイイナイバアをしてやると、「キャッキャッ」と笑ってくれるようになった。
 少しずつ離乳食を食べるようになり、一人で移動こそ出来ないもののベッドにおいてあるガラガラを手を伸ばして掴み、遊ぶようになった。
 抱き上げると、ぺたぺたと顔をさわるようになり、一人になるとぐずりだして泣くようにもなった。
 目はそれほど見えているわけではないみたいだがその分耳はよくて、人の声のする方向に向くようになる。
 また手に取ったものを何でも口に入れようとするので、手の届く範囲内に飲み込むと危ないものを置かないよう気をつける事になった。
 母親である桃子さんと俺はどうやら顔を覚えられたようだが、平日なのはに接触する機会が夜にしかない士郎さんはまだ顔を覚えてもらえないようで少々そのことで凹んでいた。

 写真(抱き上げた美由希の髪をつかんで遊んでいるなのはと、半泣きになっている美由希が写っている)




 なのは 生後六ヶ月

 このごろは寝るときに寝返りをうつことが多くなり、これまでは横向きまでだったのが腹ばいになったりするよういなった。
 足の指を口に持っていきしゃぶったりする事を始めたが、桃子さん曰く赤ん坊がよくとる行為らしいので心配せずにおくことにする。
 何の支えもなく座ることが出来るようになり、また好奇心旺盛なようで周りの物に手を出して掴んでみたり、本のページの端をつかまれて破りとられたこともあった。
 桃子さんがイナイイナイバアをすると一生懸命に桃子さんを探し始め、顔を見せると途端に笑顔になった。
 その他にも色々なものに興味を示し、触ろうとするようになった。
 顔を向け合ったところ、伸ばしていた後ろ髪を引っ張られたり目に指を突き入れられたりした。
 これからは油断をしないように注意する事をここに誓う。

 写真(幼児服に涎掛け姿のなのはに、離乳食を桃子が食べさせている姿が写っている)





 なのは 生後七ヶ月

 なのはが人見知りをするようになった。
 秋の紅葉を見になのはをベビーカーに載せて公園に行った際、話しかけてきた老婦人になのはを抱き上げてもらったところ急に泣き出した。
 桃子さんが抱き上げると泣き止んだところから察するに、知らない人が怖かったらしい。
 また、ついになのはがはいはいを出来るようになった(まだ前には進まない)。
 喜ばしい事ではあるが、まだ物を口に入れるクセがあるのでこれまで以上の注意が必要になった。
 また、今まではしばらくするとコテンと倒れていたお座りが、きちんと転ばないように出来るようになった。
 連日何かを求めて声を出すのだが、不快感などのマイナス感情ではないため読み取るのは不可能だった。
 また、本に書いてある内容には、ダメ、とかいけません、などの禁止用語をわからせる必要があるとのことなので、これからは髪を掴んで引っ張るなどの行為をしたときには怒って見せる事にした。

 写真(仰向けになった恭也の上に、腹ばいになっているなのはの姿が写っている)





 なのは 生後八ヶ月

 はいはいをして、後ろに進んだり、回転するようになった。
 コップから水が飲めるようになったし、イナイイナイバアや物を落としては拾ってもらう事を繰り返しせがむようにもなった。
 また、イナイイナイバアやバイバイなど、人の真似をして喜ぶようになった。
 他にも、人が食べているものを欲しがったり、欲しい物をもらえなかったりすると怒るようにもなった。
 子供向け番組やコマーシャルをじっと見るようになり、声を出したりテレビに映っている人の真似をしようとしたりしていた。
 知的活動も促進し僅かながら自力で移動できるようにもなったが、だからこそ危険なことをしないよう十分注意しておく事にする。

 写真(士郎に抱き上げられたなのはと、その頬に自分の頬をくっつけて笑う士郎の姿が写っている)





 なのは 生後九ヶ月

 なのはがはいはい、というか四つばいでかなり自由に移動できるようになった。
 さらには何かに掴まって立つ事ができるようになり、お座りもきちんとできるようになった。
 その分、危険なものには触れさせないよう、また(のぼれてしまう可能性があるため)階段には近づけないよう注意する事になった。
 この頃の子供は小さいものを拾うという事に関心があるらしく、タバコや小さな有害なもの(押しピンなど)を口に入れることがあるらしい。
 故に、掃除などをより丁寧に行なう必要がありそうであった。
 「ぱーっ、うんぱっ」など、よく分からない声を出して遊んでいる姿はとてもほほえましいものである。

 写真(クリスマスツリーの傍らで、あぐらをかいた恭也の足の上に座っているなのはが写っている)






 なのは 生後十ヶ月

 なのはが掴まり立ちだけではなく、つたい歩きも出来るようになった。
 それだけでなく段々言葉を理解し始めたようで、ウマウマ、とか、イヤイヤ、とか、バイバイ、などといった言葉を喋るようになった。
 ママ、というとそれが桃子さんのことを指すのだと理解しているようで、ママどこ、と聞くと、桃子さんの方を見るようになり、また、ダメ! と強く言ったりすると、行動を止め顔色をうかがうようになった。
 また、酷くわがままになり、色々なものに興味を持ち、その行為を止めさせられると大泣きするようになった。
 本によると、自己主張が出てくる頃だそうで、重要な発達の一つの段階らしい。
 きちんとしつけとして危険な行為はしかって止めさせるよう勧められたので、とりあえず危ない事をするのを止める時に強く言う事にする。
 そうでない場合は、まあ一緒に付き添ってあげよう。
 のびのびと育って欲しいし。

 写真(桃子さんを始め高町家全員が赤い鳥居の前で写っている)






 なのは 生後十一ヶ月

 マンマ、ウマウマ、ママ、などの様々な言葉をなのはが使い出した。
 言葉の意味も理解を始めたようで、御飯をマンマと言ったり、バイバイと言われると手を振る動作をするようになった。
 他にも人の真似をやりたがり、何にでも好奇心いっぱいで近寄っていく。
 更には母乳を止め、スプーンで食事をするようになったことと、絵本を読みだしたのが成長と言えるだろう。
 もう乳児から幼児の段階に入ったと思う。
 あと、パパが士郎さんのことを指すのだとやっと理解したようで、士郎さんがとても喜んでいた。
 あと恭也さん。なのはが「オニーチャン」という言葉を恭也さんじゃなくて俺のこととして覚えてしまってごめんなさい。

 写真(節分。豆をまこうと四つばいで豆を握っているなのはが写っている)






 なのは 生後一年

 ついになのはが『あんよ』が出来るようになった。
 月初めは一人で立てるくらいだったが、誕生日の日には一人でよたよたと歩いていた。
 また、結構人のいうことを理解し始めているようで、桃子さんや俺の言う事を理解はしてくれている様子。
 だけどやっぱりその行動原理は快不快のようで、笑って無視することもしばしば。
 ぬいぐるみを振り回して遊んだり、俺や桃子さんと遊ぶ時にはきゃー、と嬌声を上げる。
 誕生日の特製ケーキにささった一本のろうそくの火を言われたとおりに吹き消す事が出来た。
 褒めてあげると喜び、喜声を上げるのだった。

 写真(特製ケーキにさされたろうそくの火を吹き消そうとしているなのはが写っている)




















「へー。なのはさんにもこんなちっちゃい時期があったんですね」
「なに言ってるのよこのバカ。いくらなのはさんが凄い人でもやっぱり普通に人間なんだから、赤ちゃんの時期だってあるに決まっているでしょ」

 青い髪の活発そうな少女――スバルを、オレンジ色の髪を頭の両側で結んだ真面目そうな少女――ティアナが叱りつける。

「でも祐一さんもこの頃小さかったんですよね」
「ああ。これを書き始めたのは三歳の頃だったな」
「「ええっ!?」」

 ピンクの髪の、小学生ぐらいの少女――キャロの質問に祐一が答える。するとそれを聞いたスバルとティアナが驚きの声を上げる。

「まあ、俺は真っ当な生まれじゃなかったんでな。色々頭の中に詰め込まれてたんだよ」
「え、それって……」

 祐一の言葉に、赤い髪をしたキャロと同じくらいの年頃の男の子――エリオが何か言いたそうにするが、そのまま顔を下げてしまう。
 ここにはいない少女から女性へと変わりつつある金髪の女の子――フェイトからエリオの抱える事情は聞いているので、苦笑いを浮かべてごまかす祐一。

「あれ? どうしたの? 皆、こんな廊下で」

 機動六課隊舎の廊下で小学生が使うような自由帖を眺めている五人に、通りがかったなのはが声をかける。

「あ、なのはさん。祐一さんが持ってきた荷物の中に、面白いものがあったって言って見せて貰っていたんです」
「へえ、どんなの……って、これ、わたしが赤ちゃんだった時の写真?」
「なのはさんの成長記録、だそうですよ」

 スバルの説明になのはがそのノートを手に取り、ティアナが説明を補足する。

「あ、なのは。それはなのはが一歳になった時にやめたから、それはそこで終わりだぞ」

 更に説明を付け足した祐一だったが、なのはが祐一のほうに向けた顔はどこか探るような目線だった。
 おもむろにノートに手を出そうとする祐一を、なのはがバインドで拘束する。

「あ、こ、コラッ! そのノートを返せ!」

 わめく祐一を無視して、なのはは次のページへとノートをめくった。
 瞬間、ティアナがエリオの目を両手で覆い、それ以外の者達の時が止まった。






 三月十五日 深夜

 ケーキのろうそくの火に興奮したのか、なのはがおねしょをした。

 写真(オムツを取り替える際に大股開きをして下半身を晒しているなのはが写っていた)



「お、お、お、おにーちゃんの――――」

 この時点で既に三発のアクセルシューターが祐一の人中、みぞおち、股間に突き刺さり――

「――ばかああああああああぁっ!!!」

 魔力付加されたアッパーが祐一のあごを捉え、祐一の体は中を舞い、顔面から床に落ちる。
 いわゆる車田落ちだ。

「うあ~~~~~~~ん!!」

 泣きながらノートを引っ掴み、自室へと走っていくなのは。
 こののち、祐一にはさらにかみなり様からのお仕置きが追加され、本気で半殺しにされた。
 翌日、事情を全て聞いた機動六課部隊長、八神はやては祐一の怪我を理由とする有給休暇の申請を即座に却下したという。



[5010] 第五話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:42
 なのはが生まれてからというもの、高町家の全てはなのはを中心に回っていたといっても過言ではない。


 なのはが一歳の時。なのはは早熟なようで、無邪気に公園で遊んだりする事もあれば、普通に会話できるようになるのも、走ったりするのも、平均とされている子供よりも早かった。
 桃子さんのしつけも良かったといえるだろう。
 危険な行為などにいきなり怒鳴りつけるのではなく、まずはなのはを止めて、それから抱きしめてゆっくりと諭すのだ。
 もちろん、すぐに理解してくれるわけではないが、繰り返し同じことを言い続ければ、やっていい事と悪い事の区別がゆっくりとではあるが分かるようになっていった。



 なのはが二歳の時。絵本や昔話を読んでやると喜び、やがて文字を覚えると自分でどんどん絵本や昔話を読むようになっていった。
 どうも外で目一杯遊ぶよりも、本を読みふける方が気に入ったらしかった。
 また、これまでの興味を持ったものに無遠慮に近付くことを控え、やってもいい? と確認を取るようになった。
 もっとも、いけないと言われても好奇心に負けて手を出そうとするのだったが。


 なのはが三歳の時。なのはは桃子だけでなく、祐一にも遊ぶようにねだるようになった。
 桃子は喫茶店についての勉強と家事に追われ、外に遊びに連れて行くのは祐一の役目になったのだ。
 また、恭也が中学校に進学し、小学生だった頃に比べると多少自由になる時間が減った。
 この頃のなのははやんちゃという訳ではなく、聞き分けのいい大人しい子だった。だが、好奇心は旺盛のようで、色々な質問をするようになる。
 祐一達もキリのない質問に苛立つことなく丁寧に答えていき、穏やかな日々がそこにはあった。
 年が変わる頃、遂に桃子は喫茶店“翠屋”を立ち上げた。パティシエールとしてのネームバリューと、安くて美味しい各種デザートが武器のお店のすべり出しは上々だった。
 ただ、桃子さんが家にいない事に寂しがってはいるが、文句を言わないなのはの事が妙に祐一の印象に残った。


 なのはが四歳の時。ついに祐一も小学校に通う事になり、なのはは祐一が学校から帰るまで一人でお留守番をする事になった。
 聖小は給食がないため、一年生は四時間目が終わると昼食後ホームルームをして帰宅となる。
 だが祐一は家庭の事情ということで四時間目終了と同時に家に帰らせてもらっていた。
 祐一が昼に家に帰ると、なのはは決まって祐一に引っ付いてきた。
 そこから祐一に流れ込むのは、寂しい、という感情。
 逆になのはは祐一と引っ付いた途端に笑顔になり、マイナスの感情が消えていく。
 それから二人はお昼を一緒に食べ、皆が帰るのを待つ。
 なのははお気に入りのデジカメを使って色々な写真を撮ったり、AV機器について強い興味を示したりした。
 またこの年、祐一はもう一人大切な存在に出会っていた。




「Good morning Yuichi. ――じゃなかった。おはよう、祐一」
「ああ。おはよう、アリサ」

 朝の小学校の教室。同じクラスになった帰国子女の、アリサ・ローウェルと祐一は挨拶を交わした。
 ウェーブがかった長いライトブラウンの髪と、翠色の目が印象的な女の子だ。

「ねえ祐一。今日もなのはちゃんに会いに行っていい?」
「ああ。もちろん大歓迎だ。家に誰もいなくてなのはもずいぶん寂しがってるからな」

 アリサのお願いに笑って了承する祐一。
 出会いは単に席が後ろと前だっただけだが、共に外国人な風貌を持つアリサと祐一は完全にクラスから浮いており、その両者が仲良くなるまでさほど時間はかからなかった。

「ところでさ。やっぱり祐一もハーフっぽいよね。顔立ちは日本人のものだけど、髪とか肌は色素薄いし。それともアルビノなのかな?」
「さあな。俺の方が知りたいんだが」

 そう言って笑う祐一に、アリサも笑う。
 祐一の出自に最初は配慮していたアリサだったが、祐一が気にしていないと知るや興味の赴くままに質問するようになった。

「やっぱりママの方が外人だったりするのかな。私はママが日本人だからこんな姿だし」

 確かに、アリサの鼻や顔立ちは確かに日本人とそう変わらないものだった。瞳は日本人には珍しい色を持っているものの髪の毛は薄目の茶髪であり、肌は白いもののきめ細やかさは日本人似といえる。外国人らしさは見た目からはあまり受けることのない容姿をしていた。

「さあ、どっちにしろ今更出てこられても困るだけなんだが」
「そうね。それよりその女顔を心配するべきだわ」

 元の世界では祐一は若干長めの茶髪(自毛)にやや中性よりの顔立ちだったが、今の祐一は桃子さんの趣味により金色の髪を肩口まで伸ばし、顔立ちもどちらかというと女の子よりだった。
 周囲の人間は面白半分で受け入れてくれるが、それはクラスの男子から敬遠される原因にもなっていた。

「……もうそれについては諦めたよ。女装させられて女子校に放り込まれたりしなきゃそれでいいさ」
「普通そんなことする親はいないわよ」

 アリサはそう言うが、少なくとも祐一の義母である月は極上の笑顔で祐一をラッピングして女子校に送り込むだろう。
 月は人格破綻者ではないが性格破綻者だ。
 面白い事にかける手間は半端でないどころか常識を超える。
 そんな月の事を思い返した祐一は更にげんなりした顔になる。
 そのとき、ホームルームが始まるチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。
 祐一はアリサの前の席に座り、そこで話はお流れとなる。









 ――大切な人に、お墓に花をささげてもらうこと。それがあたしの心残りだった――
 
 先生の言う事を聞き流しながら、祐一は前の世界で共にいたアリサの事を思い出す。
 廃ビルで幽霊として出会い、月特製のホムンクルスという器を得て第二の人生を歩みだした少女。
 今祐一の後ろの席に座っている彼女は、祐一の知るアリサとは同一人物でありながら別人だ。
 何も惚れているという訳ではないが、出来る事なら彼女の力になってやりたいと祐一は思う。
 彼女が早すぎる死を迎えることなく、穏やかな人生を送れるように。





 そして放課後。アリサと高町家へ向かう。
 休日には祐一がアリサのアパートへ行く事もあるが、平日は大抵高町家で二人は遊ぶ。
 一番年の近い祐一にとって、なのはの世話は最優先事項なのだ。
 テレビゲームやボードゲーム、トランプを使ったゲームなど、三人は様々なことをして遊んだ。
 なのはを連れ出して近所の公園で遊んだりもしたのだが、体力的な物はともかく頭を使う遊びは全てアリサの圧勝だった。

「それじゃあ、家まで護衛、よろしくね。My dear knight♪」
「へいへい。お任せ下さい、Little little princess」
「ばいばい、ありさおねーちゃん」

 遊んで終わった後、帰って行くアリサを送るのが祐一の決まりだった。
 なのはの見送りの後二人は外に出る。
 まだ恋だの愛だのには到底疎い二人ではあるが、強い親愛の情と絆で二人は結ばれていた。
 だが、祐一は知らなかった。
 いつも祐一がアリサの両親に会わないのは既に他界したからではなく、単に曜日祝日関係なく夜が更けるまで帰らなかっただけだということを。
 アリサが孤児であるということが念頭にあった祐一は、アリサの両親が亡くなる事をまるで考えなかったのだ。


 ――そして、その夜が訪れる。
 高町家の電話が鳴り、一番近くにいた祐一が受話器をとる。

「もしもし。高町で――」
「祐一っ!? 祐一! Mumと、Daddyが!!」

 アリサの必死に張りつめた頭に響く。その声が祐一に今までの考え違いと最悪の状況を知らしめた。

「っく、ひっく。どうしよう、あたし、あたし……!」
「落ち着けアリサ! すぐそっちに行くから!!」

 強く言い聞かせて、受話器を下ろす。
 そして祐一は玄関に向かって駆け出した。

「桃子さん! アリサの家に行ってきます!!」

 居間の方に叫んで、祐一は靴を履いて玄関から飛び出す。
 毎日のトレーニングに加え、異能を駆使した祐一は高校生もかくやという速さでアリサのアパートへと走っていく。
 アリサ宅のドアの呼び鈴を押すと弾かれたように扉が開き、中からパジャマ姿のアリサが祐一へと飛びついてきた。

「ゆういち、ゆういちぃ」

 祐一に抱きつき、涙を流し嗚咽するアリサ。
 次いで流れ込んできたのはどうしようもない程の不安。
 祐一が心の痛みを噛み締め、抱きとめた腕に力を入れて抱き寄せて頭をなで続けるうちに、だんだんとアリサの嗚咽は止んでいった。

「それで、一体どうしたんだ?」
「お父さんと、お母さんが、事故にあったって電話が掛かってきたの」

 その答えに祐一は確信を持つ。
 今日この時に、アリサは孤児になったのだ。

「とりあえず、電話を貸してくれ。士郎さんに連絡してどうするか決めよう」

 祐一はアリサが頷いたのを確認すると高町家に電話をかける。
 事情を士郎に話すと、このアパートの傍にあるコンビニで待ち合わせをする事になった。
 五月の末とはいえ、夜はまだ肌寒い。
 暖かな服に着替えしたアリサと、パジャマ姿の祐一は待ち合わせのコンビニの中に入り、駐車場を見て士郎を待ち続ける。
 二人はお互い何も喋らず、ただ手を繋いで待ち続けた。
 やがて祐一にとっては見慣れた車が外に見え、コンビニから出て行く二人を士郎が待ち受ける。
 連絡のあった搬送先の病院名をアリサから聞きだすと、士郎は二人を乗せてその病院へと向かった。

「Mum……、Daddy……」

 祐一の隣に座ったアリサは、そう小さく呟きながら体を震わせる。
 繋いだ手から流れてくるその不安が、どれ程のものか実際の感覚として祐一に思い知らせてくる。
 長くも短くも感じられた時間の後、遂に車は病院へとたどり着いた。
 士郎に先導され、病院の救急に向かう祐一とアリサ。
 だが――――

「二十一時五十八分。両名の死亡を確認しました」

 応対した医者から聞かされたのはその一言だった。
 後に聞いたところ、司法解剖の結果アリサの父は脳卒中、母は内臓破裂による失血死であったという。
 この言葉を聞かされたアリサから、祐一は何のマイナスの感情も受け取れなかった。
 まだ死というものを実感できなかったためであろう。完全に頭が真っ白になっているようだった。
 祐一はアリサの正面に向き直るとその体を抱きしめる。
 直後、崩れ落ちるようにアリサは意識を失った。
 その体を祐一が支え、そして士郎が抱き上げる。
 結局その夜は連絡先を高町家として伝えてアリサを高町家へと連れ帰り、祐一は同じ布団でアリサと寝る事になった。



 そして翌日、本人確認を行なうため家族または仕事先の同僚が呼ばれることとなったが、本人の強い希望によりアリサが病院に行く事になった。
 祐一も学校を仮病で休み、それに随伴する。
 病院で見た二人の死体は、何の感情も感じさせない無表情な人形を思わせた。
 それを見てアリサは哀しそうな表情を浮かべるものの、泣き出す事はなかった。
 だが通夜を行い、葬式にて高町家の人達と、同僚の人達と共に献花台に花を捧げて完全に棺が閉められた後、大声を上げてアリサは泣き叫んだ。
 
 結局、アリサには実感が無かっただけなのだ。
 両親の死を知らされて、火葬する今になってようやく実感してしまった。
 もう二度と両親とは会うことが出来ないという事を。
 二度とその声を聞くことは出来ず、その人が笑いかけてくれることも無い、永遠の別れ。
 今までは現実味の無かった両親の死が、ここに来てようやくそれがどういう意味なのか理解したのだ。
 祐一はそっと近付いて大声を上げて泣くアリサを抱きしめる。
 そして荒れ狂うほどの悲しみと絶望を祐一は感じ取った。
 身も心もはじけそうな感情の激流に、祐一は歯を食いしばって堪える。
 やがて泣き声が嗚咽に変わり、アリサは祐一と手を繋いだまま席へと戻った。
 火葬がすみ、墓地に新しい墓が用意され、そこにアリサの両親は納骨された。
 アリサは墓の前へ花を置くと、十字を切って黙祷を捧げた。
 そして、その日からアリサは高町家で暮らすことになった。



 アリサの両親の葬儀が終わってから、士郎はアリサの今後を見てくれる親族を捜し始めた。
 だが、父親は英国人で連絡先の類はアリサの家からは見つからず、母親の実家は一人娘だったアリサの母の両親も亡くなっており、親戚筋と呼べるようなものは見つからなかった。
 その話を聞かされた祐一は士郎に頭を下げて頼み込んだ。

「お願いです! アリサの保護責任者になって、ここにアリサを暮らさせてください! 必要な資金は俺が用意しますから!!」
「ちょっと待て祐一。まずは落ち着け。だいたいそんな金をお前は持っているのか?」
「前の世界で働いた金を、純金にでも替えて送ってもらいます。少なくとも、子供が成人するまでの養育費にはなりますから」

 頑なな祐一の視線に、士郎はため息をついて答える。

「安心しろ祐一。俺と桃子も彼女をここに引き取るつもりだ。充分に蓄えはある。それより、お前はあの子の傍にいてやってくれ。あの子が頼りにしてるのは、祐一、お前だけなんだから」

 その士郎の言葉に顔を輝かせる祐一。
 そんな祐一の頭を士郎は優しくなでる。
 そしてアリサは高町家に保護される形になり、両親の遺産と死亡事故の保険金はアリサが高校を出るまで凍結される事となった。
 最初は色々なところで遠慮を見せていたアリサであったが、祐一に色々注意されたり口車に乗せられたりしているうちにありのままの自分というものをさらけ出すようになる。
 こうして高町家に新たな家族が加わる事となったのだった。



[5010] 第六話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:43
 士郎達がアリサの保護責任者となってから約一年。
 なのはも五歳になる年の六月にそれは起きた。
 アルバート・クリステラ。
 英国の上院議員にして、士郎の友人。
 以前アルバートの護衛任務中に初めて士郎は桃子と出会ったという話を祐一達は酔った士郎から聞かされており、今回もアルバートの護衛としてロンドンに向かうということだった。

「じゃあ行って来る。皆も桃子を支えてやってくれよ?」
「ああ、分かった」
「はーい」
「あなたも怪我をしないよう気をつけてくださいね」

 玄関先で士郎の言葉に、恭也、美由希、桃子が声をかける。
 かなり早い時間なのでなのはは起きて来ていないが、祐一とその後ろに隠れるアリサはもじもじとしながら士郎に近付いていく。

「どうした? 二人とも」

 恭也の声に顔を上げたアリサが、士郎に大きめの青い四角の布を差し出す。
 それは大きくはあるものの、一般にお守りと呼ばれるものだった。
 ただし、神社名や凡字などの代わりに、士郎が今まで見たことのない文字が書かれていた。
 アリサが高町家に来て一ヶ月が経とうとする日、祐一はアリサに自分が魔法使いである事を告げ、魔法の存在とそれを学ぶ術を見せ付けた。
 両親を失い、頼りにするのは祐一だけというアリサの依存した状況を解決するためと、未知な物に興味を抱かせ両親を失ったショックから早く立ちなおらせたいという祐一の考えだった。
 その考えは祐一の予想以上に上手くいった。
 祐一の持っていたミッド式、近代ベルカ式魔導の本。
 そしてアリサは、祐一の元いた世界のアリサ・ローウェルが作ったミッド語の和訳辞典と自立思考を持つファイスを活用し、この一年の間に魔法の概念の理解と簡単な幾つかの魔導式を編み出すに至った。
 元々勉学には強い子だ。
 天才と称されるだけの事はあった。
 いや、アリサは子供の頃から勉強がある程度出来るだけの他称天才なのではなく、秀才と呼べる人間が時間をかけて一段一段上っていく階段を二段、三段飛ばしで鼻歌を歌いながら上って行けてしまう本物の天才だったのだ。
 そして魔力を僅かたりとも持たないアリサの代わりに、アリサ特製の改造トランプカードにファイスが魔力を込めたのがこのお守りだ。

「士郎さん。これ、アリサが作ったお守りです」
「お、そうなのか。ありがとうな、アリサ」

 士郎に頭をなでられ、顔を赤くしてうつむくアリサ。

「……無事に帰ってきてください」

 そう言ってアリサはお守りのネックレスのように長い紐を士郎の首にかける。
 剣士として相当な実力を持つ士郎が簡単にやられるとは祐一には思えなかったが、万が一ということがある。
 故に、微力ではあるが本当に効果のあるお守り作りに祐一も協力したのだ。
 そして出かけて行く士郎を見送り、それぞれが思い思いの行動を取る。
 桃子は朝食作りに。
 恭也と美由希は道場で練習に。
 そして祐一は、ダイニングで椅子に座ったアリサの長い髪を一房手にとっては、ゆっくりと髪を梳くことを繰り返していた。
 それが終わった頃、今度はなのはが起きて来た。

「おにーちゃん、おねーちゃん、お母さん、おはよー」

 とろんとした目のまま挨拶をするなのはに、それぞれが「おはよう」と返す。
 どうやら恭也が「お兄ちゃん」、祐一が「おにーちゃん」、美由希が「お姉ちゃん」、アリサが「おねーちゃん」、と呼び分けているらしい。
 朝食が始まるまでに時間があると見た祐一は、なのはの髪にも櫛を通すことにした。
 ご機嫌に鼻歌を歌いながら、椅子に座って髪を祐一に梳いてもらうなのは。
 そこに恭也たちが帰ってきて、シャワーを浴びてから朝食をとる。
 士郎がいないことを除けば、いつも通りの平和な一日の始まりだった。



 ――――だが、その日常は容易く失われる。





 士郎がイギリスに飛び立って三日目、夜の十二時に高町家に電話が鳴り響いた。
 その電話にでた桃子は大声を上げて何度も電話先に確認を取る。
 だが、相手の言葉が変わることはない。
 受話器を置いた桃子の傍に、祐一と恭也が来ていた。
 その二人に、桃子が極めて平静を保とうとして告げた。

「あの人が、爆弾テロにあって、重傷ですって……」

 祐一と恭也は、そのことを聞いて驚きに目を見張った。
 あの飄々としながらも強かな士郎が瀕死になってしまうなど、二人には想像できなかった。
 聞いたところ、護衛相手の娘を庇って大怪我を負ったらしい。
 その後、一番強いショックを受けていた桃子と一緒に祐一は眠り、早朝に掛かってきた電話で目を覚ました。
 電話を受けた桃子の説明によると、士郎はアルバート上院議員の娘を庇って怪我を負ったこと、重傷ではあるが命に別状はないということが分かった。
 やがて士郎は日本へ搬送され、包帯だらけの体と呼吸器を付けられた姿を高町家一同の前にさらす事になる。
 そして祐一は傷だらけの士郎の手を握り――体中を走る激痛と共に自らの異能の正体を知った。



 その日の晩。

「おにーちゃん!?」

 一緒にお風呂に入る際、祐一の背中と下着を見たなのはが悲鳴じみた大声を上げる。
 そのまま恭也と桃子がなのはに呼ばれ、祐一の姿を見て絶句する。
 黒く染まったシャツと、血が目立たないものの背中側に大量に付着した上着。
 そしてケロイド状に刻まれた祐一の肩甲骨の内側縁辺りの古傷のような跡。
 無論祐一に何があったのか問い詰める三人であったが、祐一は口を割らなかった。
 他人に知らせたくないという祐一の意志と、この怪我に対する心配はないという祐一の言葉を受け、しぶしぶそ三人はその言葉を受け入れた。




 だが、大変なのはこれからだった。
 喫茶店『翠屋』は始まったばかりで顧客も充分に多いとは言えず、恭也は学校が終わればすぐ翠屋の手伝いに向かい、美由希は士郎の見舞い、世話に付きっ切りだった。
 祐一、なのは、アリサの三人は定期的に士郎の下に見舞いには行くものの、基本的には家で時間を過ごす事が多かった。
 学校に祐一とアリサが行っている間一人ぼっちのなのはのために、祐一はある決断をする。
 祐一のデバイス、通称ファイスを人型に擬態させ、家族全員(士郎除く)に紹介したのだ。
 食事などおよそ人間の生命活動的なものを取れない、動く人形のごとき少女の姿をとるファイスは祐一の指示の下、なのはと共に祐一とアリサが帰るまでの留守番をする事になった。
 ファイスについては皆驚いてみせたものの、なのはが寂しい思いをしないようにとその存在を受け入れ留守を任せる事になった。
 それでもやはり寂しいのか祐一が帰るたびになのはは祐一に抱きつくようになり、祐一はその度になのはの心の叫びを受け止める事となった。
 寂しい。
 つらい。
 私をもっと見て欲しい。
 子供なら誰でも持つその純粋ゆえに強い思いを受け止め、祐一はなのはが笑っていられるようアリサ、ファイスと一緒に公園などに通うようになった。

 そしてこの忙しさの原因たる士郎の怪我を癒すべく、祐一は夜に家を抜け出し木の枝をウィザードの魔法で箒に変え、空を飛んで病院の士郎の部屋へと窓から侵入した。
 ウィザードの魔法を用いれば今すぐにでも士郎の怪我を完全に癒すことは出来た。だがそうすれば余りにも不自然な回復に注目を集めてしまうやもしれない。もしそうなり、祐一の、ウィザードの存在が公になるようなことがあってはいけない。
 故に己が異能を行使し、士郎の怪我を少しずつ回復させていった。
 美由希の看病と祐一の暗躍により、士郎の怪我はわずか半年経たない間に通院治療へ移行されることとなる。
 ただし、体が表面的に治ったところで、最早士郎に剣士として生きる事は許されなかった。
 神経系へのダメージによる筋肉の引きつり、ムチ打ち、反応の遅れ。
 それは完治することなく、数年ないし一生の間士郎が背負う事になった、親友の娘を守るために払った代償だ。
 その代償の重さを、祐一は誰よりも――あるいは士郎自身よりも痛感していた。
 最早剣士としての再起は不可能。
 ならばと士郎がとった道は、喫茶店『翠屋』のマスターを目指す道だった。
 今までの護衛などの仕事が出来なくなった代わりに、妻である桃子の力になれる道を選んだのだ。
 病院で士郎はリハビリを重ねながら、コーヒー、紅茶の専門的知識を幾つもの本から勉強していった。







 そして士郎の退院日前日、ファイスはなのはに一時の別れを告げた。

「なのは。寂しい時、苦しい時、つらい時。それを一人だけで抱え込まないようにしてくださいね。本当に大切な人からかけられる負担は、頼られているというとても嬉しい重みですから」

 本来、ファイスの居場所は祐一の下である。
 翌日から退院する士郎と日中を過ごす事になるなのはに、ファイスが付いている必要性は無くなる。
 祐一はあと十数年の間、ファイスの本分を発揮させてやる事は出来ない。
 加えて祐一自身の魔力は魔導師として使う事も出来ない。
 しかしファイスの中には祐一の母、月から移植されたリンカーコアがある。
 ファイス内のリンカーコアが受けているプラーナの影響は僅かでしかないため、その魔力を用いればバリアジャケットと同じフィールドの生成程度には問題ない。
 故に、ファイスは祐一に常に付き従うことを選んだ。
 そのファイスからの別れの言葉に、なのはは深く頷いた。

「おにーちゃんたちに、そうだんすればいいんだよね」
「ええ、そうです。あなたが周りの人達の力になり、また周りの人たちがあなたの力になる。それは、とても大切な事ですから」

 なのはの答えにファイスは嬉しそうに笑い、なのはの頭をなでる。
 そして士郎が帰ってくる日の夜。
 ファイスは皆の前で待機状態に戻ることを宣言し、燐光を残して青いクリスタルの嵌まったカードへと姿を変え、祐一と共に過ごす事になった。
 この頃から、祐一はなのはが抱く夢を聞くようになった。

 魔法の力。

 それが隠されるべきものである事を祐一達の態度から読み取り、なのはは決してそのことを他人に話すようなことはなかった。
 だが、いずれ自分も魔法を手に入れ、大切な誰かを守りたい。そう話すなのはの顔に、祐一は強い芯のようなものを感じた。
 祐一の思想の影響があったのかもしれないし、恭也や美由希の姿を見てそう思ったのかもしれない。
 片や魔法を使えずとも、大切な何かを守るために諦めなかった者。
 片や誇る事のできぬ剣を、大切な者を守るために極めんとする二人。
 方法こそ違えど己の進む先を見すえて日々邁進する兄妹達の姿を見て、なのはの中にも強い想いと目指すべき生き様が芽生えつつあった。



[5010] 第七話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:43
 士郎の負傷事件より更に一年。
 リハビリを終えた士郎は喫茶翠屋のマスターとして働くようになり、恭也も手伝いから解放された。
 こうして高町家にはかつての平穏が訪れ、小さい出来事を繰り返しながらも順風満帆な日常が始まることになった。

 まず祐一に襲い掛かった第一の事件は、恭也とその友人――赤星勇吾との試合であった。
 勇吾は恭也の数少ない、というより唯一の男友達であり、祐一の境遇もある程度恭也から聞かされていた。
 そして翠屋の手伝いから解放された今、恭也は時間を持て余していた。
 元から無趣味であった恭也だ。
 元々盆栽などに興味を持つなど枯れた雰囲気を持っていたが、その本分は剣士である。
 祐一が小3――九歳になろうとするこの年ならば、剣を交えてその実力を知っておきたい。
 そう恭也が思うのも無理はなかった。
 そこで中学時代からの親友である勇吾と、休みの士郎を連れて祐一に勝負を持ちかけたのだ。

 結局祐一は恭也の申し出を受けた。
 観戦者は美由希とアリサ、そしてなのは。
 美由希は後学のため、アリサは興味本位であることは想像がつく。
 だがなのはが観戦するというのは祐一には予想外だった。
 もとより争いごとを好まない子だ。
 まして防具を付けることなく、なんでもありの木刀を使った真剣勝負。
 反対を受けることも覚悟していた恭也と祐一は、なのはの答えに拍子抜けしてしまった。
 なのはは基本的に喧嘩は嫌いな子だ。
 だが、道場での手合わせ、そして場に満ちる静謐ながらも張り詰めた空気はむしろなのはにとって好ましいものだったらしい。
 なのはが心配していたのは、手合わせによって二人が怪我をしてしまわないかどうか、それだけだった。



 まずは勇吾との試合。
 剣道としての体裁を保つため士郎が始めの合図を取り、各種反則や判定を受け持つ事になった。
 開始の合図と共に、祐一はバックステップで勇吾との距離をとる。
 とはいえこれは剣道だ。
 四方形から外に出れば場外となり反則を取られてしまう。
 祐一は一気に距離を詰め打ち込んでくる赤星に、逃げも守りもせずむしろ思い切り踏み込んだ。
 いきなり内側に入り込まれて焦る勇吾に、祐一はその手に持った木刀を打ち込もうとして横へと転がり、何とか勇吾の間合いから離脱した。
 その祐一の反応にその場にいる全員が不思議そうな顔をしながらも、皆固唾を呑んで次の接触を見守る。
 ただ士郎だけが祐一の奇行を理解しているようだった。
 祐一は本来の得物のつもりで間合いをとっていたのだ。
 故に間合いが長い木刀に祐一は決めの一撃を放つ事ができないと悟り、仕切り直しに持ち込んだ。

 だが、ここで勇吾も戦法を変える。
 得意とする一気呵成の一撃を放つ事から始まる猛攻から、摺り足によって徐々に近づき必勝の一撃を加える戦法へ。
 それを感じ取った祐一も木刀を両手で構えながら、むしろ赤星のほうへ近付いていく。
 そして二人の間合いが重なった瞬間、同時に二人は斬撃を放つ。
 その剣は、まさに対照的といえる一撃だった。
 強い一撃によって祐一の剣を弾こうとする勇吾の剣。
 緩やかながらも確実に相手の剣筋の極僅か隣に合わせた祐一の剣。
 その激突は祐一の勝利に終わった。
 剣の腹を横方向に弾かれた勇吾の剣は、祐一が僅か半歩横に体を避けるだけで避けられてしまう。
 さらに、突きには突きを持って、横薙ぎには前回転からの切り上げで、一撃の重みを少なくした乱打は適切な距離と最低限の払いを以って対処されてしまう。
 そこで祐一は勇吾が距離を開こうとする一瞬にその差を詰め、首の横へ突きを放つ。

「そこまで!」

 士郎の掛け声に二人とも汗を流しながら剣を戻し、道場の中央で礼を交わす。
 そこで勇吾は負けた悔しさなどではなく、嬉しそうな笑みを浮かべて祐一に手を差し出した。
 祐一がその手に答えて握手をすると、勇吾は両手でその手を振り回す。

「凄いな祐一君。強いって恭也から聞いてたけど、まさかここまで強いなんて!」

 その言葉に祐一は苦い笑みを浮かべる。

「俺にできることなんて限られています。『呼吸』を読んで、ずらして、一撃を決める。俺は弱いですから、こういう戦い方しかできません」
「それでも君は勝ったんだ。胸を張っていればいい」

 その勇吾からの言葉に、祐一は小さく頬を緩める。

「よし。それじゃあ祐一は少し休憩をとれ。あと武器を変えたいなら変えてもいいぞ」

 士郎の言葉に祐一は観戦していた美由希達の所にいき、美由希には汗を拭くタオルを、なのはからスポーツドリンクを受け取った。

「すごいね祐ちゃん。あの勇吾さんから一本取るなんて」

 同じく首を縦に振るアリサとなのはに、祐一は首を横に振る。

「これはあくまで防具無しのやりとりだったから勝てたんだよ。まともな剣道の試合なら勇吾さんが勝ってる」

 それは祐一の本心だった。
 面によって視界は制限されるし、竹刀での勝負であれば先端部のみでしか有効打とされない上に行動もルールによってことごとく制限される。
 その区切りの中であれば、勇吾には恭也であろうとも敵わないだろう。
 否、もとより勝負というのであれば、直接戦うその前段階で既に戦いというものは始まっている。
 自分に有利なフィールド、ルール、武器、果てには毒や人質といった、全てにおける勝負をより勝利に持ち込める要素をどれだけ事前にそろえられるか。
 常に命懸けの戦闘を行っていた祐一には、そういう制限の無い戦いでこそ真価が問われる。
 何しろウィザードとして永きに渡り戦い続けた経験を継承するのが、転生者たる祐一だ。
 もっとも、お世辞にも攻撃能力に優れているとはいえない祐一は、常に庇ってもらいながら支援、回復を行なってきた完全に後衛型の存在だ。
 だがこの世界、いや以前の世界もそうであったが、主に管理局の人間が戦う相手は人間だ。
 そこで、祐一の近接対人戦で培った『呼吸』を読む能力が役に立つ。
 しかし祐一の体は未成熟。
 圧倒的な体格差を前に、同じく剣を扱う術を極めんとする恭也にどう対抗すればいいのか。
 休憩の間、祐一は頭の中でその計算を始めていた。





 そして道場の中央にて恭也と祐一が向かい合う。
 二人とも両手には小太刀サイズの木刀が二本ずつ持っている。
 今回は審判はいらないため、士郎もなのは達観客の一員だ。
 当然合図も何もなく、勝利条件も相手を戦闘不能にするかもしくは必死の一撃を寸止めすること。
 要は相手を殺せるだけの様子を描き出せれば勝ちということだ。
 そして互いが睨みあう中、祐一が声を出した。

「恭也さん。始めから全力で、殺す気で来て下さい。そうじゃないと互いに危険です」

 祐一の言葉に、更に祐一を強く睨みつける恭也。
 別に侮辱されていると憤ったわけではない。
 祐一から発された気迫に、その言葉が正しいのだと信じたのだ。

 そしてどちらからとも無く二人は動き出す。
 恭也は祐一へと真っ直ぐに向かい、祐一は今までの摺り足を止めて軽やかなステップで一定の距離を保ちながら恭也の周りを回るように動く。
 そして恭也が間を詰めようとするその一瞬に、祐一が刺突を繰り出した。
 体勢を崩しながらそれを防ぐ恭也に、更に追撃を行う祐一。
 それをしのがれると同時に祐一は後ろに跳び退り、恭也の反撃を空振りさせる。



 祐一が戦闘前に恭也にかけた言葉がここに来て効果を発していた。
 精神に余裕があり、手抜きをされれば読み取れる『呼吸』は浅くなる。
 『呼吸』とは一連の動作の流れだ。
 例えば銃でいうならば、照準を合わせ、引き金を引いて撃つ。
 それだけの動作の中に、銃弾を込め、呼吸を止め、構え、照準をあわせ、引き金を引く、これだけの流れ――『呼吸』がある。
 こういった至近距離での戦闘になれば、呼吸や筋肉の動きなどからタイミングを計ることは膨大な実戦を繰り返すことによって可能となる。
 相手と『呼吸』を合わせれば防御や回避は簡単になり、相手の『呼吸』と外した攻撃を行なえばそれは防ぎにくい物となる。
 だがその先――完全に『呼吸』を読みその合間を突く事ができたなら、その効果はとてつもなく高いものになるのだ。



 祐一は恭也の呼吸を数合で読み取り、一度距離を開けた後恭也の呼吸の隙を縫うようにゆったりと一歩を踏み出す。
 士郎達見学者からすれば、それは今までよりも緩やかな動作でしかない。
 だが恭也は反応すら出来なかった。
 『呼吸』を、意識の間隙を縫われた恭也は、予備動作を無くした祐一の木刀に反応できず、首筋に木刀を添えられる。

 これが、『無拍子』。
 対人戦における、祐一の切り札だ。 


「ありがとうございました!」

 祐一は恭也の首にあてた木刀を引き、頭を下げて礼をする。
 そしてその直後、祐一は前にぶっ倒れた。

「祐一っ!?」
「おにーちゃん!!」

 目の前で突然倒れられた恭也が動けずにいると、アリサとなのはが駆け寄ってくる。

「あー。心配ない心配ない。久々に頭フル回転させたから疲れただけ。少し休めばよくなるよ」

 当然ながら、相手の『呼吸』を読み取りながら自分の『呼吸』を完全に制御し、なおかつ『無拍子』まで使えば、初めて酷使させられる脳が悲鳴を上げるのも当然だった。
 実戦訓練を舞と繰り広げてきた前世の肉体ならともかく、今まで筋トレと走り込み、もしくは己の『遺産』を振るう練習しかしてこなかったのだ。
 当然初めての実戦に体がついてくるわけも無く、無理な運動を強要された祐一の肉体と脳は試合の緊張の糸が切れると同時に降参したのであった。

 これより後、対『無拍子』の戦闘訓練と祐一自身の耐久力を高めるため、恭也と美由希の訓練に祐一も駆り出されるようになったという。




[5010] 第八話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:44

 かつて祐一のいた並行世界。
 時空管理局本局・特別研究室内部・機密区画。

 そこでは、生命そのものに対するある種の冒涜ともいえる“人以外としてのあり方”の研究が行われている。

 人造人間――ホムンクルス。
 脳に欠陥を人為的に施された月特製のホムンクルスは、中に込められる魂によって脳を完全に形成する。
 空の生体ポッドが並ぶ中、二つのヒトガタが生体ポッドの中に浮かんでいた。
 月はそのうちの一つに手をあて、中に浮かぶ者を見つめる。
 それは魂の抜け落ちた抜け殻。
 そしてその胸の前には、輝く赤い結晶体があった。
 この場所で彼を殺害したなら、その魂は即座にこの元の体に宿り、再び元の明るい笑顔で挨拶をしてくれるだろう。
 しかし、それは彼が己に課した使命を全うした後の事だ。
 そして月はもう一つのポッドに目を向ける。
 幼い体。
 未だ完成せぬプラン。
 実験のためのモルモットとして選ばれた月は、淡々と今日もその改造実験に手を加えていた。
 装置に指示を打ち込み終わった月は、思索を重ねながら月は機密区画を見回す。
 そこには自身を捨て駒とする実験の成果が整いつつあった。
 酷く陰鬱な思考を振り払い、月は己の持つゴスペルの力を借りて、機密区画から転移する。
 目標地は祐一の前。
 残されたのは小さな幼女。
 遠くない日に完成される彼女の周りには、小さな結晶体が十二個浮遊していた。



 所変わって高町家軒先。
 管理局に属する者達の使う物とはまったく違う魔法陣が展開され、そこに出現した光の内部から月が現れた。
 恭也と一緒に緑茶を飲みながら、猫の様に丸くなったなのはに膝枕をしていた祐一は盛大にお茶を吹く。
 隣にいた恭也もゲホゲホとむせながら必死に横に顔を逸らした。
 無論、目の前に急に人が現れたからではない。
 現れた翠色の髪の女性の姿に問題があった。
 上は黒いブラ。
 下は黒いミニスカートからガーターが伸びている。
 その全身を覆う白く長い白衣が腹のところでボタンを留められた、扇情的な格好だった。

「あら、一目見るなりその反応は酷くない?」
「その前に自分の格好を見ろ!」

 祐一に言われて白衣を開き、自分の下着姿を見て月は言った。

「いつもどおりだけど?」
(ラスクさん…………!)

 特別研究室、通称特研の先輩だった男性の名前と顔を思い浮かべ、哀悼を捧げる祐一。
 もとより特研の男女比は1:4と圧倒的に女性が多く、男性陣はどこか変わっていて手が付けられない女性陣に遠慮する毎日だった。
 それが特研最後の切り札、『室長の息子』相沢祐一の存在によって月を始めとする女性陣の横行は止められてきたのだ。
 それが無くなり、慎みというものが失われたであろう女性陣に対する特研の男性陣の気苦労に、祐一は静かに冥福を祈る。

「とりあえず母さんはまともな服を着て。女性が人前に肌を晒すものじゃありません」
「これだってファッションじゃない。そんな気にする程のことじゃないでしょうに」

 言いながら月は白衣のボタンを留めていく。
 ブラの紐が透けて見えていたが、とりあえず祐一はそこで妥協することにした。

「おにーちゃん。この人は?」

 体を起こして質問してくるなのは。
 それに対し、祐一は気まずさを堪えて答える。

「俺の母さんだよ。ずっとずっと遠くに居たんだけどね」
「なあ祐一。この人下手したら高校生で通るんだが」

 恭也がそう言うのも無理はない。
 月の小柄な体に童顔であることも含めれば、充分にハイティーンで通ってしまう。
 その容姿から何らかのロストロギアを使って老化を止めているのではないかと一般技術部では噂になっている程だ。
 実際、彼女の容姿が変わらないのには理由がある。
 それは祐一の抱える異能とも関係していた。

「で、母さんがわざわざ俺の所へ来るなんてどういう用件なんだ?」
「ん? 息抜きのために祐一とデートしに来たの」

 祐一の問いにさらりと答える月。
 それに対して祐一が呆然とした次の瞬間、なのはから見えない角度で鳩尾へと突き刺さった月の拳に、祐一は意識を飛ばされた。

「さて、初めまして、恭也君になのはちゃん。私は相沢月」
「は、初め、まして……」
「えっと、初めまして。ユエさん」

 月の浮かべた無邪気そうな笑みに、恭也が何とか返事を返す。
 一方惨劇を目にしなかったなのはは、月にお辞儀して挨拶をした。

「あの、恭也君。この子の部屋に案内をお願いしてもいいかしら?」

 月の言葉に恭也は怯えの色を隠して頷く。
 祐一を肩に担ぎ上げた月は、恭也に案内されて二階の祐一の部屋に入る。

「ありがとう恭也君。少し祐一をおめかししたら一緒に散歩に行ってくるから、またそのときにね」
「はい、分かりました」

 そして、恭也は急いで祐一の部屋から出て行く。
 後に祐一が話を聞いたところ、決して勝てないという恐怖を恭也は感じ取っていたそうだ。
 そして数分後。冷えたお茶を持って祐一の部屋を訪れたなのはは、驚きのあまり息を止めた。
 黒いフリル付きの長袖のワンピースを着た祐一が、床に仰向けに倒れている。
 そして白衣を着た月が祐一の上に寝そべり、深くキスをしていた。
 顔をゆっくりと上げる月と祐一の唇の間に、つぅ……と唾の橋がかかる。

「あら、どうしたのなのはちゃん?」
「あああの、お茶を持ってきたんです、け、ど……」

 それ以上なのはは言葉を続けられずに固まる。
 その傍に月はそっと歩み寄り、なのはの頭を優しくなでた。

「ありがとうね、なのはちゃん。大丈夫よ。あなたは今のことを『覚えていられない』のだから」

 耳元で告げられた月の言葉を聞いた次の瞬間、なのはの動きが完全に止まる。
 そしてなのははお茶の入ったグラスのお盆を月に渡し、焦点の定まらない目でふらふらと部屋を去っていった。
 その姿を見送って、月は祐一の耳に何事かささやく。
 そこで祐一がうっすらと目を開き、呆然と今の状況を確認する。

「~~~~~~~~!?」

 驚きのあまり声を失った祐一から、月はそっと体を離した。

「か、か、か、母さん!?」
「動揺しないの。これにはちゃんとした意味があるんだから」
「ちゃんとした意味……?」

 月が真面目な態度で話し出す。
 それに対し、祐一は数度長く息を吐いて心を落ち着けようとした。

「レネゲイドウイルスの発症者が必ず伴う危険性、ジャーム化。それは自身に刻まれた衝動に敗北し理性を蝕まれ怪物と成り果てる現象。今、私はこのジャーム化を乗り越えるプランの被検体になっているの」
「それに詰まってここに息抜きに来たの?」

 その問いに月は顔の前で手を横に振る。
 怪訝そうな顔をする祐一に対し、月は悪戯そうに笑って見せた。

「その経過の中で、ジャーム化する以前にジャーム化した後の行動を抑制する方法が一つ確立化されているの。それを祐一に仕込んでいたというわけ」
「分かった。それは分かった。それでこの格好は?」

 今は六月。
 長いスカートの黒いワンピース(フリル付き)というのは、まあ珍しいといえば珍しいがそれ程悪目立ちはしないだろう。
 だがいくら女顔をしていても、祐一の性別はまぎれもなく男である。
 この姿で外出でもさせられて、顔馴染みに見られたら祐一の尊厳は崩壊する。

「あら、その格好にもちゃんと意味があるのよ」

 何処かから取り出された黒いリボンで祐一の金の髪を側頭部で纏める月。
 そして月は大きめの鏡を月衣より取り出して祐一の前に持って立つ。
 映しだされた己の姿に、祐一は既視感を覚えた。

 ツインテールにされた祐一は、おぼろげな記憶の中から一人の少女を思い出す。
 フェイト・テスタロッサ。
 祐一は『元の世界』の闇の書事件で、彼女と轡を並べて戦った覚えがある。

「祐一。『Capelシステム』の中核が何か、教えたことはあったわよね」
「……『ティアトロン』。時を映すプリズム。過去と未来への干渉を司るCapelの本質」
「その通り。よく覚えていたわね。じゃあプロジェクトFは?」

 その月の問いに首を横に振る祐一。

「私はあなたの持つゴスペルを介して、あなたという個体の発生に至るまで過去を閲覧したわ。そこで分かったのは強引に、または戯れのような探究心による遺伝子操作を受けて、あなた達が創られてきた事。その結果クローン元のオリジナルは女であったにもかかわらず、性染色体をXXからXYへと変更され男として生まれてきたのがあなた。結局どの個体も何らかの遺伝性疾患を抱え命を宿すことなく終わっていった、『Failed children』。あなたはその唯一の生存者なの」

 月の言葉に、祐一はこの世界で初めて意識を持った時の事を思い出す。
 記憶に残っているのは全身に走った痛みとヒステリックな女の声。

「母さん。俺がその研究所みたいな所から脱走した際の記録を見せてもらえるか?」
「? 別にいいけど」

 そう言って月はゴスペルを取り出しキーコードを呟く。
 深い闇に祐一の部屋は覆われ、その中に過去の映像が映し出された。
 幾つもの大きな培養槽が並べられた実験室。
 何人もの白衣を着た研究員がその部屋の中を闊歩している。
 その培養槽のうち一つが内側から爆発を起こした。
 中から転がりだした子供が、辺りを見回しながら言葉にならない奇声を上げる。
 慌ててどこかに通報する者もいれば、何が起きたのか分からないままとりあえず遠巻きに子供を見る者もいた。
 子供はどこからか白い大剣を取り出し、胸に抱くようにしてうごめき続ける。
 やがて長い黒髪の女性が現れると同時に、子供を取り巻いてささやいていた研究員たちにどよめきが走った。
 その女性は声を荒げて叫ぶ。

「どういう事! 聞いていないわ、こんな実験! 私のアリシアの遺伝子を勝手に弄繰り回して、もしこんな失敗作にアリシアの魂が宿ったらどうしてくれるの!」

 叫びと同時に押さえ切れなかった魔力が紫の電気となり女性の周囲を駆け巡る。
 そして激情のあまり女性は雷を子供にぶつけてきた。
 人間は微量の電流が体内を流れただけで死に至る。
 しかし、雷が命中する瞬間に雷は減衰し、その威力は子供の肌にミミズ腫れを起こすにとどまった。

「……紛い物ごときが逆らおうって言うの? いいわ、十分にいたぶってあげる……!」

 一発、二発、三発、次々と放たれる紫色の雷は、一度ごとに複数のミミズ腫れを子供の肌に刻み込む。
 子供は悲鳴すら上げず、必死になって両手に抱えた石を弄くっている。
 やがて業を煮やした女性は、自分の魔法を防いでいるのが子供の抱える剣だと見抜き、雷を止めて子供の下へと歩いていく。
 女性は剣を取り上げ、その子供の肺を貫くよう剣を地面と水平にして、子供の右胸に突き入れた。

「あ、はは、あはははははははは!」

 高笑いを上げる女性。
 その直後、子供は石から溢れた光の洪水に飲まれ、その場から消え去った。
 そして、場面が変わる。
 高町家の庭、謎の光に駆けつけて来た士郎の目の前で、その異常が発生した。
 子供の全身に刻まれたミミズ腫れの様な火傷痕。
 それが白い大剣の発する淡い光と共にと共に、見る見るうちに消えていく。
 やがて完全に祐一の火傷痕が消え去ると同時に、白い大剣は子供の胸から抜け落ちた。
 そこで映像が途切れ、祐一の部屋は通常の空間に戻る。

「そう、今のがあなたが『感染』した瞬間ね」
「やっぱり、そうなのか」

 生まれ変わる前、祐一が感染していた人に異能をもたらすウイルス。
 それは祐一のみならず、祐一の保持する剣達もまた感染している。
 白い大剣は己の主を救うべく、ウイルスを祐一に感染させて、その力で傷を癒させたのだ。

「まあ、後でレネゲイドウイルスに関しては詳しく説明するとして、今はフェイトちゃんの話よ」
「もしかして、フェイトちゃんもその――」
「同じオリジナルを使用した、遺伝子上はあなたの妹ということになるわね。あなたは全て廃棄されたはずの『Failed children』。あちらはさらに高い技術で生み出されたプロジェクトFの完成体だけど」

 祐一はその母の言葉に鏡を見つめて納得した。
 確かに、首から上だけで見るのならこれほど似ている存在もそうはいないだろう。
 そっか、と呟いて祐一は体から力を抜いた。

「さて、祐一。あなたの体細胞データを取らせてもらえる?」
「……何のために?」

 祐一と月が真剣な目を交し合う。月は白衣のポケットの中に手を入れ、何かを探しながら口を開いた。

「実験体、しかも遺伝子を散々弄繰り回されたあなたの体が、どんな異常を抱えているか分かったものでは無いわ。だからサンプルを持って帰って調べさせてもらおうと思うの」
「……結果が怖いけど、分かった」

 そう言って腕を突き出す祐一にマジックペンほどの円筒形の装置が祐一の腕に当てられる。
 そこから様々なデータが小さく浮かんだホログラフに表示されていく。
 やがてそこに Completed と文字が表示される。
 そしてその機械をポケットに仕舞い、月は明るく言い放った

「さて、それでは出かけましょうか」
「ちょっと待った母さん。俺まだワンピース来たまんまなんだが」

 祐一の抗議に月が首を横に振る。

「このまま海鳴臨海公園に移動。そしたらさっきの話の続き、今まで黙っていたレネゲイドウイルスの詳細について教えてあげる」

 その言葉に祐一は黙り込む。
 先ほどの月の言葉。
 生体実験を禁止する特研において、レネゲイドウイルスに関しての情報は月が占有していた。
 余計な探究心を刺激せぬよう、伏されていたウイルスの情報を教えて貰えるというのだ。
 それは祐一の興味を引くのに十分なカードだった。

「さあ、エスコートをお願いするわね、『告死の天使アズライール』」
「了解しました。『黒き月と星の王ブラックブラック』」

 手を差し伸べる月の前に、跪いてその手の甲にキスをする祐一。
 そして二人は笑い合い、グラスのお茶を一息に飲み干して高町家を後にした。



[5010] 第九話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:44

 海鳴臨海公園。
 時々犬と散歩したりカップルで海を眺めている人々を見ながら、祐一と月は木陰のベンチに座っていた。

「さて、じゃあレネゲイドウイルスについてだったわね。まず、あなたはどこまでレネゲイドウイルスについて知ってるの?」

 その月の言葉に、祐一は頭の中を整理をして答える。

「……感染した人間に異能をもたらす事。人間に強力な再生能力を植え付ける事。感染したものは必ず衝動を宿す事。ウイルスを使い過ぎれば衝動を抑えられなくなって、衝動を満たすためだけに生きる存在になってしまう事。母さん達特研のメンバーに与えられたのは古代種という老化を止めてしまう力を持っている事。これぐらいかな」
「ええ。それで基礎知識としては十分。ところが私がこの古代種のウイルスを手に入れた世界では、とても高度なレベルでレネゲイドの研究が進んでいるの。祐一、あなたの異能は?」

 問われて自分の異能に関して考えてみる。

「氷を精製して盾や氷柱を創って、防御や攻撃を出来る力。他人の精神や記憶に関与出来る力。それとこの世界に着いてから手に入れた――――――――」

 祐一の説明を聞き、頷く月。

「最後のはおそらくウイルスの変異によってもたらされた力ね。あなたの『遺産』に宿ったレネゲイドは『変異種』。それが人間に感染する経過でさらに変異したためだと思われるわ。それとね祐一。あなたたちは宿る異能は個人個人によってまったく違うものだと思っているかもしれないけれど、実はこのウイルスによって発現する能力は大まかに分けて十二に分類されるの」
「十二?」
「ええ。それぞれ説明していくわね。まずレネゲイドはその発現する能力――≪エフェクト≫によって十二の大別、シンドロームに分けられているわ。
 一つ、光を操り五感を強化するエンジェルハイロゥ。
 一つ、特殊な発電細胞を持ち、電気を支配し、機械までも支配するブラックドッグ。
 一つ、己の血液を弾丸や剣として操ったり、従者と呼ばれる擬似生物を生み出せるブラム=ストーカー。
 一つ、常人離れした筋力を誇り、体を獣や昆虫のようなものに変異させる肉体変化能力を持つキュマイラ。
 一つ、肉体の伸縮、歪曲など、自在に肉体を変化させるエグザイル。
 一つ、振動を操る力を持ち、力でなく速さに筋肉を特化させるハヌマーン。
 一つ、砂を支配し、触れた物質をまったく違う物質に錬成するモルフェウス。
 一つ、脳に特殊な神経ネットワークを形成し、超高速思考、並列思考を獲得するノイマン。
 一つ、自分の因子を周囲の空間に浸透させ、動物から大地、空間まで操るオルクス。
 一つ、熱量を支配し、熱や冷気を自在に操るサラマンダー。
 一つ、体内で様々な薬品を生成し、能力強化や他人の神経や精神に影響を与えるソラリス。
 一つ、魔眼と呼ばれる球体によって重力、時間を自在に操るバロール。
これらのうち一つから三つををレネゲイドの発症者は手に入れることになる。祐一だったらサラマンダー/ソラリスの能力者、ということになるわね」

 月の言葉に頭の中で必死に情報処理をする祐一。
 試しに異能――≪エフェクト≫を使ってみると、氷ではなく炎を手に生み出す事ができた。
 おそらく祐一の身体能力の高さもウィザードとしての物のみでなく、ソラリスのエフェクトによる強化もあったのだろう。

「ところで母さん。俺が昏倒してこうなってしまうのは、Capelで予測できなかったのか?」

 その言葉に月が顔を俯かせる。

「あの違法研究所襲撃の際、私はわざと祐一たちに正面突破をさせたわ。目的は研究所の制圧後、祐一があの薬剤、『CROW』を使わざるを得ない状況へ追い込むこと。『CROW』とは体内のレネゲイドウイルスを赤いレネゲイドクリスタルとして体外に出し、レネゲイドウイルスの暴走を防ぐ薬剤。実践において、暴走するレネゲイドをきちんと体外に放出させられるかどうかの検証こそが私の目的だった。Capelの演算ではあなたは特研に戻った後、赤いレネゲイドクリスタルを再びその身に取り込み、意識を取り戻すはずだった」
「だけど、あのCapelが未来予測を失敗した、と」

 祐一の言葉に静かに月は頷く。
 Capelとは未来や過去を映し出す“時”のプリズム、『ティアトロン』を中心にすえた演算機構。
 今でこそ平行世界間の移動に使われているが、その本来の運営目的は未来をより詳しく予測演算し、都合のいい未来を創り出すことだ。
 短期的な未来しか予測演算は出来ないが、それでも未来の可能性に手が加えられるCapelは特研の切り札だ。
 それがミスを犯したのだから、祐一の動揺は相当なものだった。

「結局Capelは『ティアトロン』のシステムの見直しから複数の平行世界との干渉まで観測、演算できるよう色々と調整中。ただ、この調整さえ終わればCapelの権能は大きく進化することになる。それこそ短期的な未来を観測した通りに確定できるほどにね」

 それは、未来の可能性をたった一つに確定してしまう事。
 そして、確定されたもの以外の未来を皆殺しにするという事でもあった。

「……それは人が扱っていい物なのか?」

 祐一の疑問も尤もだった。
 だれもが競争し己の望む未来を掴み取ろうと足掻く世界を、ただ機械をいじるだけで制してしまう。
 最早それは神の所業だ。
 人が容易く手を出してよいものではない。

「それでも未だ未完成の人間の手によって作られた物。到底神の頂に手が届くわけもなく、欠陥が生じるに決まっているわ。いつか必ず、その欠陥を証明してみせる」

 隣に座る月の表情に、空恐ろしい覚悟を祐一は感じた。
 すると、月はパン、と手を叩いてベンチから立ち上がった。

「さて、祐一。一緒にあの雪の街へ行きましょう」
「え?」

 燐光を纏って、白い立方体が月の手元に現れる。
 それがルービックキューブのように変形した次の瞬間、祐一の視界は白い輝きに覆いつくされた。







「ここは……」

 今は六月。雪も溶け消え木々も緑をまとっているが、そこは祐一にとって忘れる事のできない場所だった。
 森の中の広場。その中央にそびえる大樹が、祐一に思い出を想起させる。

「まだ事故は起きていない。まだ今なら間に合う。選びなさい、祐一。ここでこの樹を切るか、冬にあの子を救うのかを」

 感慨に耽る祐一にそう月が語りかける。
 かつてこの樹を『学校』と呼び、祐一は二人の少女とここで遊んでいた。
 今の祐一なら明確に思い出せる。
 あゆが樹の高いところの枝に腰掛け、突風に体勢を崩し落下したあの事故を。
 例え一度目の事件を防げたとしても、二度目、三度目が起きないとは限らない。

「切るよ。ここで切られるのも来年切られるのも一緒だろ」

 そう言って祐一は虚空から純白の大剣――セイヴ・ザ・メモリーを呼び出す。
 自在に姿を変える祐一の魔導器は槍のように細長くなり、鍔のつくところが三叉に別れ、中心と同じく細長い極薄の刃を作り上げる。
 そうして作られた長い柄は、光を刀身とした薄く巨大な剣を形作る。

「――――――!」

 一閃。
 ただの一振りで、祐一はその樹を斬り倒した。
 轟音と共に倒れる樹を目前にし、祐一は小さくため息をつく。

「まあ、これだけでかい切り株なら十分な遊び場になるよな」

 自分にそう言い聞かせ、祐一は高町家に帰るために方石を虚空より取り出す。
 同時にセイヴは再び大剣の姿を取り、月衣の内に仕舞われる。
 そして祐一と月は空間を跳んで高町邸の庭に戻るのであった。






「それじゃあ祐一、私はまた研究に戻るわ。また用事があれば何でも言ってきなさい」

 そう言って月は月衣の中からゴスペルを取り出し――思い出したように菓子折りやノートパソコンのようなもの、複数の分厚いミッド語で書かれた本、そして六つの剣十字と赤い七角形のクリスタルが付いたペンダントを取り出した。

「忘れてたけど、このゼリーの詰め合わせをあとで高町さんに渡しておいて。後の物はこの間アリサちゃんが頼んできた物よ。よろしくね」

 そして祐一が別れの挨拶をする間もなく黒い光に溶け消える月。
 仕方なく祐一は玄関に無造作にばらまかれた物を片付け始める。

「ゆう、いち……?」

 その呟きに祐一が家の中に向き直ると、そこにはアリサが立っていた。

「ああ、ちょうどよかった。母さんが来てさ、アリサにってこんだけ機材と本を持って来てくれたぞ」

 祐一の傍に来たアリサに、デバイス調整用であろうノートパソコンもどきやインテリジェントデバイス関連の専門参考書を見せる。
 すると、アリサは目を輝かせながら参考書を手に取った。

「すごいのね、祐一のお母さん。まさかこんな貴重な物まで見せてくれるなんて……」

 呆然と呟いたアリサは、二階の自室へ駆け上がっていった。

(そんなに貴重そうに見える物は無いと思うんだけど……)

 祐一がそう思うのも当然だ。
 特研の仲間が書いた本は、確かに他とは群を抜くレベルの物だ。
 だがその貴重性などアリサに分かるはずがない。
 ましてこのペンダント――おそらくは月の造ったデバイス――に対して、アリサは目もくれなかった。
 参考書を抱えたアリサは、急いで二階に上がってしまった。
 しかたなく祐一はペンダントを腕に通し、ノートパソコンもどきを両手で持ってアリサの元へ向かおうとする。
 すると階段を駆け下りる音が聞こえ、アリサがデジタルカメラを持って突進してきた。
 祐一が疑問を抱く前に、様々なアングルから祐一を激写するアリサ。
 そして祐一は己の着ているもの――黒いワンピース(フリル付き)の事を思い出し、羞恥に顔を赤く染めた。

「ちょっと待て! 貴重ってもしかして俺の事か!?」
「当然! せっかくの祐一の女装よ? あたしには記録を残す義務があるわ!」

 手に持った機械のせいで顔を隠せない祐一は、写真を撮られながらもアリサの部屋に逃亡し、手に持った機械とペンダントをデバイスの参考書の横に置いた。
 流石に上の階まではアリサも追っては来なかった。
 その事実に安心し、祐一は自室に戻って普通の男物に服を着替える。
 その一週間後、アリサの生徒手帳となのはの部屋の写真立てに女装した祐一の写真が飾られる事になったことを、祐一はその半年後まで知ることは無かったという。



[5010] 第十話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:44
 祐一達が小学四年生になった年、なのはもまた聖祥に入学した。
 この時点で既にアリサは通常のインテリジェンスデバイスのデータ作成に成功しており、さらに保有する七つのデバイスの中核たる赤いクリスタルには祐一のファイスからコピー、改良したIris ver2.5 ALCを宿していた。
 通常のインテリジェンスデバイスには思考、会話能力にリソースの多くを割かれるIrisシステムを使うデメリットが大きすぎる。
 だが魔力を持たない、また使えないアリサや祐一には、デバイスが自らに内蔵されたリンカーコアを用いて魔法を展開してくれる事は、何より大きいメリットだった。
 そんなこんなでデバイスや魔法にのめりこんでいく祐一とアリサを見て、なのはもまた魔法に対する思いを強め、少しずつ魔法の本質とその使い方を二人から教え込まれていく。
 試してみたところ、祐一の指導によってなのはは魔力誘導弾を二つ生成する事に成功した。
 さらにファイスの検査によれば、その内包魔力量は祐一には遠く及ばないものの、一般基準を遥かに上回る魔導師適正AAAという結果を叩き出した。
 その余りの潜在能力と危険性から、祐一達は人前で決して魔法を使わないようにということと、魔法を用いての攻撃を決して人に使ってはいけないということをなのはに約束させた。

 ただ、祐一とアリサがなのはにデバイスを持たせることはなかった。
 なのは以外の高町家全員が祐一が未来に等しい世界からやってきた来訪者である事を知っている。
 そして、なのはがいつか相応しいデバイス――レイジングハート――と出会うという祐一の知識から、なのはのデバイスに頼った訓練というのは行なわれない事になった。
 主になのはが適正を叩き出したのが、放射系、防御系、及び誘導制御弾だった。
 本来なら補助系やフィールド系の魔法の方を先に教えるべきなのだが、祐一はとてつもない魔力を内包しながらまったく魔法を使えない。
 またアリサは理論的には魔法を理解しプログラム化した魔法を自身のデバイスにインストールさせられる程になっていたが、理屈より感覚で覚えるなのはには指南役として不適格だった。
 結果としてなのはの魔法訓練は誘導弾制御訓練となり、その傍で祐一達はアリサのデバイス制御と実戦訓練に付き合うようになった。
 主に訓練は夜。
 恭也達が走り込みに行っている時間に行なわれた。











「それじゃあフィールド張るぞー」

 言いながら祐一が取り出したのは銀色の箱だった。ウィザード用の結界作成装置だ。
 元々祐一の魔力が爆発を引き起こすのは、魔導師たちの魔法を無理に使おうとするから起る。
 ゆえに、魔導ではなくウィザードの技術によって作られたそれは、祐一の魔力を使っても爆発しない。
 祐一がボタンを押すと同時、周りの風景が灰色に染まる。
 色を持つ存在は結界内にいる人間――祐一、アリサ、なのはの三人だけだった。

 なのはは二つの誘導弾を生成し、それを好き勝手に自分の周囲を舞わせて遊んでいる。
 それに対し、祐一が毎夜行なうのはアリサのデバイス調整という名目の戦闘訓練だ。

「ファイス。アンダージャケットとバリアヴェールを頼む」
『了解しました』

 そして祐一の魔力を使い構成されたのは、魔力の爆発が起きない程単純な式による三層式物理防御フィールド、アンダージャケット。
 祐一の体を覆う黒い上下の衣服の胸元には、青いラインで構成されたハートの先端部に十字の星が付いたマークが目立つ。
 更にその上から祐一を球形に包む黒い霧のようなフィールドが展開される。
 バリアジャケットは一種のフィールド魔法であるが、このフィールドはバリアヴェールと呼ばれる祐一独自の服としての体裁をとらないバリアジャケットだ。
 それにはファイスの内包魔力が使用され、その機能は月とアリサによる改変に次ぐ改変に複雑化している。
 もっともこのバリアヴェール、バリアジャケットと同じ様々なフィールド効果に加え、ファイスに組み込まれたリンカーコアの出力を大幅に使い強力なバリア効果を持っている。
 防御を得意とする祐一にとってまさに至高と言えるバリアなのだ。

「フルンティング。フルセットアップ」
『諾』

 そしてアリサの呼びかけに短く答えた赤いクリスタルは、アリサに鮮やかな赤いドレスのようなバリアジャケットを纏わせ、自身の姿を赤い金属の刀身にウィザードの魔導言語を刻まれた片刃の大剣となる。
 さらにフルンティングと共に空中に浮かぶ六本の十字剣型インテリジェントデバイス――フラガラッハはアリサが念じるままにひとりでに飛び交いビットの役割を果たすサポートデバイスだ。
 これらにはインテリジェントデバイスとして最低限の知能が与えられ、他のリソースは全て術式の補助にまわされている。
 これら六本の一つ一つにも月の強力なリンカーコアが搭載されている。
 しかし元がウィザードのリンカーコアであるため、魔導式がどうしても揺れてしまうのだ。
 故に、フラガラッハは己が魔法を安定して使うのに演算能力の全てを使うこととなる。
 そして、その六本を統率するフルンティングにはその刀身に刻まれた赤黒い未知の文字と、祐一の血によって鍛えられたフラガラッハを遥かに超える硬度、切り結んだ相手に“カース”を掛ける効果を与えられている。
 まさに毒汁によって鍛えられ、切った相手の血によって硬度と切れ味を増すという魔剣の名に相応しい代物といえよう。

 基本的に訓練内容は、アリサが攻め疲れるまでその攻撃を祐一が防ぎ続ける事に終始する。
 まずは祐一に剣先を向けながら円を描く六本の剣。
 それらは同じリンカーコアを持つが故にそれを共鳴させ、六倍どころではない強力な魔力砲を撃つ。
 祐一は虚空から呼び出した純白の剣の、攻性魔力の半減効果を持つ結界を広げてバリアヴェールと合わせ、その威力の三分の二を削りきった。

 だがこんなものは小手調べでしかない。
 六本の剣が祐一の周辺に飛来し、あるものは魔力刃で貫こうとし、あるものは祐一の背後から人間大ほどもある魔力弾を射出する。
 祐一がその相手をなんとかしのいでいる内に、アリサはフルンティングを一振りする。
 するとその赤い剣の軌跡が黒く大きな魔力刃となり、祐一を飲み込まんと大きな波として襲い掛かる。

「≪ファイアボール≫!」

 祐一の持つウィザードとしての魔法を使い、何とかその波を二分する事で祐一は事なきを得る。
 だがその次の瞬間、祐一がウィザードの魔法を使った隙を突いて祐一の周囲に五本のフラガラッハが突き刺さりペンタグラムを形成する。
 同時に残ったフラガラッハが祐一の上に刃を下に向けて浮かんでいた。
 その六本の剣は祐一を捕獲するよう円錐状の結界を構築し、祐一を閉じ込める。
 だが、祐一にとってそれは何の障害にもならないはずだった。
 管理局基準の魔法は、プラーナの影響を与えれば自然と式が暴発する。
 祐一はただプラーナを込めてやれば、どれほど強大なバインドやシールドであっても爆破する事ができるのだ。
 そして祐一はいつもバインドを喰らった時の様に障壁の壁面に触れ、プラーナを注ぎ込もうとして――異変を感じた。
 己の体内を駆け巡るプラーナの流れこそ異常がないものの、それを体外に放出しようとすると手ごたえがない。
 そして混乱する祐一の前に、剣を大きく振りかぶった赤の戦鬼が詰め寄っていた。

「どうする、祐一?」
「……降参だ」

 その答えにアリサは祐一を囲むクリスタルケージを解除した。
 アリサの顔には実に華やかな笑顔が浮かんでいる。
 久々に祐一に圧勝したのがとても嬉しかったのだろう。

「なあ、アリサ」
「なに? 祐一」

 アリサの顔には質問を待つ楽しそうな笑顔が浮かんでいた。

「最後のクリスタルケージに何を仕掛けたんだ? いつものように爆破できなかったが」
「それはね、祐一の足元にフラガラッハが描いた五行相克陣のせいよ」

 相克陣。
 祐一はその名をかつて聞いた事がある。
 ウィザードの中でも『仙人』と呼ばれる者達の使う能力だ。
 だが、それはこのような効果を現す物だっただろうか。
 そんなことを考える祐一に正解をアリサが告げた。

「月さんから貰った本から、ウィザードの魔力でも使えそうな魔導式を捜してみたのよ。そして完成したのがあの祐一の足元に描いたペンタグラム。祐一のプラーナは私の魔導式に流入する前に足元の相克陣に運ばれて、相克陣を動かす燃料にされていたというわけ」
「要は俺対策の切り札じゃないか」

 この世界に存在するウィザードは祐一のみ。
 これほど汎用性のない魔法というのも珍しかろう。
 何はともあれ、祐一はアリサに負けたのだ。
 しかも何もさせてもらえないまま一方的に。
 落ち込む祐一の傍になのはがやってきて祐一の頭をなで、なぐさめてくれた。

「ありがとな、なのは。俺ももっと精進するから」
「もう大丈夫? おにーちゃん」
「大丈夫に決まってるじゃない。今回はどちらも一撃も食らわずに終わったんだから」
「いや、アリサの最初の一撃は割ときつかったんだが」

 なのはとアリサのやりとりにぼそっと愚痴る祐一。
 結局この夜はこれで訓練終了となり、皆でシャワーを浴びてその日は終わった。




 そして次の日。
 祐一とアリサが帰宅すると、そこには沈んだ顔のなのはがいた。

 なのはから話を聞く限り、次のようなことが分かった。
 普段クラスメイトをからかって遊んでいるアリサ・バニングスという子が酷く内気な少女の大切な髪飾りを取り上げた事。
 それを諌めても聞かないバニングスという子になのはが手を上げて止めた事。
 そして二人は大喧嘩をして事の発端である少女、月村すずかという子の大声に喧嘩を止められた事。
 話を聞いて、どうしても不安な様子のなのはをアリサが抱きしめる。

「ねえ、なのは。自分が悪いことをしたと思ってる?」

 そのアリサの問いになのはは首を横に振った。そしてなのはは真っ直ぐにアリサの目を見る。

「悪いことはしてない。でも、もっと別の方法があったかもしれないって思う……」

 元気のない声のなのはを思い切りアリサは抱きしめ、その頭を撫でる。

「悪いことをしていないなら胸を張りなさい。それと、明日からその子達と少しずつ話をして、どんな子達なのかおねーちゃん達に教えてくれる?」
「う、うん」

 どもりながらも首を縦に振るなのは。
 それから、毎日なのははその二人のことを少しずつ祐一とアリサに教えてくれるようになった。
 すずかという子が引っ込み思案で内気だけれども、とても優しい性格であること。
 バニングスという子が普段はつんけんしていて周りに一歩引かれているけど、とても強い芯を持った子であるということ。
 実はすずかもバニングスも令嬢と呼ばれるような人間で、帰り道も安全のためすずかにはメイドさんが、バニングスには鮫島という人が運転する迎えの車が来ているということ。
 そしてその子達のことを話している時、なのはがとても楽しそうに話す様になった事を祐一達は知るようになった。

 そしてある日、なのはと青い髪と金髪の髪の女の子二人が校門前で祐一達を待ち構えていた。
 祐一とアリサは顔を見合わせ、互いに笑顔を作りなのは達三人の所へやっていく。

「ほら、この二人がうちのおにーちゃんとおねーちゃん」
「は、はじめまして! 月村すずかです!」
「えっと、アリサ・バニングスです」

 青い髪の子――すずかは酷く緊張して、金髪の子――バニングスは落ち着いて祐一達に挨拶をしてきた。

「初めまして、すずかにアリサ。あたしはアリサ・ローウェル。アリサと同じ名前ね」
「初めまして。月村さんにバニングスさん。俺は相沢祐一。祐一でいいよ」

 そう言いながら笑顔を浮かべる祐一とアリサ。
 子供ながらに芯が通った雰囲気を見せる二人に、この子達はなのはの力になってくれると確信した祐一は二人に握手を求める。
 同じく帰国子女であるアリサも、当然の挨拶として握手を交わした。

 その後、アリサとバニングスをどう呼び分けるか議論になり、なのははおねーちゃんとアリサちゃん、すずかはアリサさんとアリサちゃん、アリサ同士はファーストネームで呼び合うことに決まり、祐一もアリサとアリサちゃんと呼び分けることが決定した。

(それにしても、案外似てないものなんだな)

 アリサとバニングスを前に、祐一はそう思った。
 片やライトブラウンの髪をしたお姉さん然とした包容力を持つIQ200越えの天才児、アリサ・ローウェル。
 片や金髪のご令嬢、強気な面が表に出ているものの話してみればその内に秘める優しさを感じさせるアリサ・バニングス。
 声はもちろん似ていないうえ、容姿も少し似通ったものを持つもののそれは髪型だけだ。
 だが名前が同じだけかといわれれば祐一は首を横に振るだろう。
 二人に祐一は同じものを感じていた。
 その根底にある心の芯の強さ。
 だからなのだろうか、二人は互いに親しくなっていった。


 なのはとすずか、バニングス。
 この三人はよく互いの家を訪れるようになり、次第になのはは祐一達から兄離れ、姉離れをし始めた。
 その事は、祐一にとって少しの寂しさと大きな安堵感を抱かせる。
 なのはは家族の中でも特に祐一に懐いている。
 それを、祐一は自身が持つ異能ゆえであると思っていた。
 だがこうして辛い事に向かい合い自らの力で乗り越えていく姿を見せられ、自分の存在になのはを依存させているのではないかという疑問を払拭できた。

 そして、残る問題はもう一人の方だった。
 月に一度は必ず祐一の布団にもぐりこんでくるアリサ。
 祐一の胸元に頭を寄せて丸くなる彼女からは、毎度の事ながら強い不安と喪失感が祐一に流れ込んでくる。
 アリサは祐一の異能によって両親との死別と新しい家庭への順応をサポートされてきた。
 だが、だからこそ辛い時にアリサは祐一に頼るようになってしまっていた。
 そして今夜も悪夢でも見たのだろう、震えながらアリサは祐一の服をつまみじっとしていた。
 そのアリサの背中を祐一は優しくなでさすっていく。
 次第に力を抜き、静かに寝息を立て始めるアリサを確認し、いつかは独り立ちを促すようにしないといけないと心に決めて祐一は眠りに就く。
 願わくばこの娘の芯が、別離の際に折れてしまわぬように。
 それが祐一の杞憂であったと知るのは、ずいぶん先の話になる。



[5010] 第十一話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:45
 なのはとすずか、バニングスが親友となったその夏、すずかの家の好意によって高町家一同+アリサ・バニングス、すずか、すずかの姉である月村忍はプライベートビーチ付きの別荘にやって来ていた。
 その車の中で話を聞くと、なんでも忍が黒服の男達に誘拐されそうになっていたのを恭也に助けられてから恭也と忍は友人付き合いを始めたらしい。
 ちなみにここまでは士郎の運転するワンボックスカーと、月村家のメイドのノエル・K・エーアリヒカイトによる運転で来ている。
 ノエルとその妹であるファリン・K・エーアリヒカイトは別荘の掃除と夕食の準備(バーベキューの野菜切り等)をしている間、他の皆は海で遊ぶ事になった。
 往々にして女性の着替えは時間のかかるもの。
 高町家男児一同はパラソルやビニールマット、及び浮き輪やビーチボールの膨らませなどの作業を行なっていた。

「なあ、祐一。お前、それで本当に良かったのか?」
「はい?」

 恭也の言葉の意図がつかめずに不思議そうにする祐一。
 祐一があまりに普段から格好に無頓着なのは、その母親を見た事のある恭也にとってなんら不思議な事ではない。
 しかしデジカメで士郎が祐一を撮っていることに、祐一はかすかに既視感を覚えた。

「かーさんとアリサが勧めてきたその水着の事だ」

 恭也に言われて祐一は自分の格好を見直す。
 祐一ならトランクスタイプのが良く似合うからと言って渡された、インナーの上から半ズボンのようなトランクスを穿き、上半身にはタンクトップを付けている。

「只のトランクスタイプの水着でしょう?」
「いや、いいんだ祐一。いつの日か必ず真実を教えてやる。今はただ黙って偽りの幸福を感受しておけ」

 士郎も恭也も、割とこういう悪戯事に関してはなかなかの外道だった。
 祐一がこのとき着ていた水着が女物であった事を知るのは、祐一が中学に入って以降の事である。
 だがそれはまた別の話――――

「わー。お兄ちゃんかわいー」
「祐一、あたし以上に可愛くならないでよね」

 駆けつけ一番。
 祐一の姿を見たなのはとアリサがそうコメントをこぼし、その後から来た女性陣が祐一の姿を見て絶句する。
 
「祐ちゃんかわいー!」

 そう言って祐一を抱きしめてくる美由希。
 すずかとバニングスは桃子に言いくるめられている最中で、忍は記念に美由希に抱きかかえられた祐一をデジカメで撮っている。
 女性陣の底冷えするような獲物を見る視線と士郎と恭也の意地の悪そうな笑顔に、祐一は状況はとりあえずわけが分からないものの孤立無援である事だけは理解できた。

 そして日焼け止めを塗り終わった女性陣と祐一は、未だ新婚気分でイチャついている士郎と桃子を残し海へと突撃した。

(結婚してもああいうのはバカップルでいいのか? それとも別の呼び名があるのか?)

 そんな考え事をしている祐一の顔面に、突如海水がぶつかってきた。

「げほっ、えほっ、えっ」

 目とのどに染みる塩化ナトリウムの刺激に苦しんでいる祐一の首を、いつのまにか傍によって来たアリサにロックされる。

「余計な考え事してないで、今日は子供らしく全力で遊ぶ! いいわね!?」
「ごほっ、ごほっ……分かった、分かったからちょっと手を放してくれ!」

 祐一の首のロックが解除されると同時、アリサに手を引かれて祐一は波打ち際を走っていく。
 砂の城を作っているなのは達三人組に、城を波から守ることに一生懸命に堀と壕を作る恭也と忍。
 桃子は体中傷痕だらけの士郎に、丁寧な手つきで日焼け止めを塗りこんでいる。
 そんな中、祐一とアリサは海岸の端のほうに小さな洞穴を見つけた。

「祐一、どうする? 入ってみない?」

 聞きながらも目を輝かせるアリサに、何を言っても無駄だと判断した祐一は縦に首を振る。

「分かった。ただし俺が先導な。何があるかわからないから」
「はーい」

 そして二人は洞穴へと入っていく。
 明かりは祐一が熱量操作で生み出した赤い炎で代用する。
 さして深くない洞穴には、落ちたら簡単には登れそうにない割れ目があったが、それを越えた先には行き止まりと白い靄のようなモノがいた。

「幽霊……ちがうな、残滓か」
「残滓?」

 祐一の呟きにアリサが質問をする。

「環境……世界に刻まれた想いの投影。自我のようなものもなくただそこにあり続けるかつて生きていたモノの残滓。大抵は負の念から出来ているから有害なんだが――」

 説明を始める祐一に襲い掛かるかのようにやってくる靄。
 それに祐一は一歩踏み出し、その中核である擬似霊魂を掴みとる。
 そして、祐一はその擬似霊魂を飲み下した。
 中核を失った靄は、霧が晴れるかのように急速に散っていく。

「……不味い」
「当たり前でしょう! なんであんなヤバそうなもの食べちゃうのよ!?」

 激昂するアリサをどうどうとなだめる。
 あたしは馬か! と祐一はボディブローを叩き込まれた。

「ま、まあ俺の魂に侵蝕する呪いの話はしたよな」
「ええ。だから祐一は本来仲間になるはずだった人たちに殺されかけたんでしょう?」

 そのアリサの言葉に祐一は神妙な顔をして答える。

「ああ。だけどそれは俺の存在を侵魔に近づけるだけのもので、使い方次第ではこの呪いは役に立つ力にもなる。だからそのエネルギーとしてこういう残滓とか呪いだとかを喰って力をつけようとしているんだが……正直存在が薄すぎて大した栄養にならないんだよな」
「ならやめなさい。鱗とか角とか生えてきたらどうするのよ」

 呆れながらも祐一を心配するアリサに、祐一は苦笑を洩らす。

「そう心配しなくても大丈夫だ。あくまで影響を受けるのは魂と肉体の中だけ。外見や性格が変わるわけじゃない」

 そう言いながら祐一はアリサの頭をぽんぽんとたたく。
 ≪異形適応≫。
 闇に身を染め、肉体を闇の力で変異させ強引に障害を無視する、『落とし子』の特殊能力。
 祐一への呪いを利用した体内の異常への適合。
 回復させるのではなく肉体の変異による適応は、当然ながら長い目で見れば命を削る行為と同義である。
 しかしこの能力とレネゲイドによる内分泌制御、そのおかげで培養槽から出た祐一が『Failed children』の唯一の生き残りとなれたのもまた事実だ。
 何せ遺伝子に散々手を加えられたのだ。
 様々な酵素欠損によって、祐一は培養槽を出て長くは生きられない体だったと月から後に祐一は聞いていた。
 だが、いつか祐一はこの世界より消え去る。
 様々な事件やその詳細な情報を手に入れれば、Capelシステムによる予測演算によって本来いた世界の未来を思うがままに蹂躙できるからだ。
 祐一は今の人生を一度きりのかけがえのないものとしてではなく、情報収集のただの端末に過ぎないと自身で断じている。
 だからこそ、アリサは祐一に宣告する。

「祐一、忘れないで。この世界にもあなたのことを大切に思っている人がいるのを」
「いきなりどうした? アリサ」

 突然のアリサの言葉に驚く祐一。呆然とする祐一にアリサがなおも言葉を叩きつける。

「あたしがいる。なのはがいる。恭也さんや美由希さん。士郎さんに桃子さん。皆、あなたを家族として愛しているの。だから、いつか元の世界に帰るその日まで徹底的に自分の人生を生き抜いて楽しみなさい。分かった?」

 分からないようなら強制的に分からせてやるとでも言いたげなその雰囲気に、祐一はようやく悟る。
 自分はこの子に愛されていて、いろんな人に愛されている。
 だから祐一は元の世界で出会った皆だけではなく、この世界で自分を愛してくれている人達のこともまた考えていかなければならないのだ。
 だからこそこの世界をただの利用対象として見るのではなく、しっかりと一人の人間として根ざして生きていく。
 その覚悟をしなければならないのだと、祐一は自嘲しながら認めた。

(とりあえず、年とって死ぬ前にはあっちに帰らなきゃだけどな)

 祐一はアリサの頭をぐりぐりと強めになで、ありがとう、と小さく囁く。
 その祐一にようやく安心したのか、アリサがひまわりのような笑顔を見せる。

「さあ、とっとと帰りましょう。いなくなったって心配されてるかもしれないし」

 そういうアリサに手を引かれ、洞穴から出て行く祐一。

(まったく、どっちが年上なんだか)

 そう思って苦笑する祐一。
 二十歳になるまで生きた上で更にこうして第二の人生を歩んでいるのだ。
 それが高々十歳の女の子に教えてもらってばかりなのだから、情けない事この上ない。
 とりあえず、この人生をとことんまで生き抜いてみる。
 この日、祐一にはその覚悟が備わったのだった。

「アリサー! 祐ちゃーん! 皆で写真撮るよー!!」
「「はーい!」」

 美由希の掛け声に二人して声を上げ、砂浜を走っていく二人。
 その顔には清々しい笑顔があった。



 そうして遊んでいるうちに夕暮れ時になり、忍とすずかの親戚の持ち物だという別荘の庭で夕食のバーベキューをすることとなった。
 主に肉や野菜を並べるのはノエルで、ファリンはうっかりこけて地べたに食材をぶちまけてしまいそう、という忍の意見の元、代わりに士郎がノエルを手伝っていた。
 とりあえずファリンは飲み物を配ったりお酒を注いで回ったりする役という事で落ち着く。
 なのは達には恭也や美由希、忍といった年長組が焼けたものを渡し、なのは達三人は談笑しながら食事をする。
 祐一とアリサは主に桃子さん達年上組の話し相手になっていた。
 やがて宴も進み、酒に強い(様に見える)顔を若干赤くしたノエル・ファリン・忍に饒舌になっている士郎と桃子、興味本位で手を出した(あるいは士郎に飲まされた)恭也と美由希がダウンしている中、酒を飲んでいない小学生五人組が先に風呂に入るように勧められた。
 流石に大人組も酒を飲んで風呂に入ると卒倒する危険性があることぐらいの判別はついているようだ。
 かくして祐一とアリサ、なのはにバニングス、すずかの五人は別荘についている露天風呂でゆっくりとくつろぐ事になった。

「あ、祐一さん。その背中の傷どうしたんですか?」

 それは無遠慮な問いであった
 だが祐一の背中にある二筋のケロイドを初めて見る二人は当然聞きたくなる。
 それを代表してバニングスは祐一に訊いてきたのだ。

「ああ、俺には昔翼が生えていてな。寝違えが激しいものだし飛べるわけじゃないから邪魔で切っちゃったんだ」

 ひどく真剣な顔をして語る祐一。
 その頭を、後ろから桶でパカン、と軽快な音を立ててアリサが殴った。

「どうして恭也さんも祐一も真顔でさらりと嘘つくのよ」
「いや、半分は本当だぞ。ホントに」

 後頭部をさすりながら祐一は反論する。

「じゃあどの辺りが本当なのよ」
「寝違え~の辺りかな」

 今度は祐一のあごを掬い上げるように桶が振るわれた。
 その無駄のない動作は道場で恭也達の動きを見学し、祐一と剣の扱いや基礎鍛錬に明け暮れた成果である。もっとも今のところ祐一をボコるためにしか使用されていないが。
 さらに、アリサには武術にも才能が優れていたのか、今では無拍子の一歩手前まで技術を昇華させている。

「あの、結局本当はどうしたの? なのはちゃん」
「えっと、“せいこん”っていうらしいよ」

 祐一本人に聞いてもまともな答えが返ってこないことを悟ったのか、すずかがなのはに質問する。
 だが訊かれたなのはも良く知らないらしかった。
 士郎の入院時、なのはをお風呂に入れるのは祐一かアリサの役目だったが、その頃から祐一の背には傷があった。
 それ以前の祐一の事はなのはは覚えておらず、いつ傷が出来たのかなど知らないのだ。

「聖痕っていうのはね、何もしていないのに体に刻まれる傷のことをいうの。だから昔になにか事故や事件があったってわけじゃないわ」

 首をひねる三人にアリサがそう説明する。

「だいたい傷跡なら士郎さんの方が凄いだろ」
「まあ元は凄腕のボディガードだったわけだしね」

 そう言う祐一とアリサに三人娘が海で見た士郎を思い返す。

「お父さん、ホントに傷跡だらけだったもんね」
「あのパーカーの下を見たときはホントに驚いたわよ」
「うん。そういえば恭也さんも腕に傷跡があったよね」
「お兄ちゃんのは修行中に出来た傷跡だって聞いてるよ」

 そんなことを言い合う三人の入る露天風呂に、それぞれの長髪を洗い終わった祐一とアリサも入ってくる。

「はー。星がきれいだな」
「ほんとね。ここらには余計な光が無いから町にいるよりずっと澄んで見えるわ」

 髪の毛をタオルで頭の上にまとめ、露天風呂に浸かりながら夜空を見上げる祐一とアリサ。
 のんびりまったりと体を風呂枠にゆだねている二人は、長く連れ添った夫婦の様でもあった。
 そんな二人の様子を見て寂しくなったのか、なのはも二人に近付いていく。

「どうしたなのは。死兆星でも見えたか?」
「しちょーせい?」
「ほら、あの北斗七星の傍で小さく光っているあの星よ」

 アリサに釣られて夜空を眺めてみるも、そもそもなのはには北斗七星がまず分からないようだった。

「ほらなのは。おいでおいでー」

 アリサの言葉に従い、祐一とアリサの間に座るなのは。
 なのはの後を追いやってくるすずかとバニングス。
 五人は円を描くように湯に浸かり、雑談に興じた。
 やがてのぼせだしたバニングスを筆頭に皆湯から上がり、用意されていた浴衣を着る。
 それから年上の女性達が湯に浸かり、士郎と恭也が湯を浴びてから夏の夜の定番、花火大会と相成った。



 ひゅううううぅぅぅ……ドォン!

 士郎が打ち上げた花火は、花火大会で見るようなものほどではないにせよ立派でキレイなものだった。
 既に線香花火を残して全ての花火を使い尽くした祐一達は、噴出型、射出型の市販の打ち上げ花火を観賞している。

「じゃあ次は三尺玉打ち上げてみようかー」

 そう言う士郎の足元にはいつの間にやら小さな砲台のようなものといくつかの紙に包まれた玉が転がっている。
 おそらくは士郎の言う通り花火大会などで使われる本物の打ち上げ花火なのだろう。
 当然、資格も無しに扱えば犯罪である。
 いや、それ以前の問題で上手く使えなければここにいる皆が危ない。
 それでも嬉々として準備を始める士郎の手つきにはよどみがなく、普段から火薬の扱いにはなれているようだった。

(ねえ祐一。大丈夫なの? アレ)
(まあ大丈夫だろう。少なくともあの手つきからして熟練の領域に入ってる。それにこれだけ離れていれば爆発しても軽い火傷ですむだろ)

 ひっそりとなのは達に聞かれないよう小声で話す祐一とアリサ。
 そこに恭也が話に混ざってきた。

「そう心配するな。どういうわけだか知らんが父さんは危険物取り扱いその他各種の資格を持ってる。暴発の心配をするよりはあの子達の様に素直に楽しみに待っていろ」

 そう言う恭也の視線の先には、楽しみで目一杯はしゃいでいる小学一年組三人の姿がある。
 アリサにもあんな子供の時代があっただろうかと祐一は考えるが、上手く思い出せない。
 アリサとは初対面で皮肉の言い合いをして、そのうち互いに他の子とずれていることを認識し、やがては軽い暴力を振るわれながらも一緒に笑いあう仲となったのだ。
 そして今では兄妹のように暮らし、極稀に甘えられる関係となっている。
 素直な子供時代のアリサを見ることが叶わなかったことは、祐一にしてみれば残念な事だった。
 だが、今こうして結局打ち上げ花火に期待に目を輝かせているアリサを見れるだけでも僥倖というものだ。
 場合によっては、アリサは既に死亡していたかもしれないのだ。
 かつて、祐一が廃墟のビルで出会った彼女のように。
 頭を振って、祐一は元の世界にいるアリサのことを思考から追い出した。

 準備を終えた士郎は迷うことなく導火線に着火。
 そして素早く祐一達の所まで士郎が駆け寄ってくる。
 ドン! という破裂音のあと赤い炎を纏った玉が空高くに打ち出され、夜空に大輪の花を咲かせた。
 思わず歓声を上げる見学者達。
 それを幾度か繰り返し、やがて玉を全て打ち尽くして最後は線香花火で締める事となった。
 皆で集まって小さな花火の爆ぜる様を見届ける一同。
 やがて最後の火花を上げ終えた赤い玉がぽとりと落ちる。
 誰からともなくため息がおち、名残惜しみながらも皆片付けを開始した。

 それは一夏の夢。
 四季を繰り返しながらも変化を強要される時の流れ。
 ただ今日と良く似た明日を繰り返し、人は皆先へと進んでいく。
 こうして印象深い思い出を糧として。
 あの閉鎖された区画に軟禁され、時を移ろう事を忘れた祐一のかつての仲間たち。
 彼らが老いる事なき仮初めの永遠を手に入れた代償に、失ってしまったものはどれほど大きかったのだろうか。
 そんなことを漠然と思いながら、祐一は時を生きる意味を探って生きていこうと決意を固める。



 その日の夜、子供達五人は一部屋で寝かせつけられた。
 最初は皆思い思いに騒ぎ立てながら人生ゲームやUNO(国際ルール準拠)をやっていた。
 だが桃子さんの軽いお叱りの言葉を受け、十一時に電気を消して眠ることとなった。
 敷布団三枚を並べ、その真ん中に祐一が寝転がる。
 その両隣になのはとアリサが、更に外側にバニングスとすずかが横になる。

「ねんねころりや よぞらのつきよ いずこ~へゆく~~」

 両隣の子が抱きついてくるのに苦笑を浮かべ、祐一は人をリラックスさせるフェロモンを放ちながら同僚に教わった子守唄を歌いだす。

「ゆめにうかびし かげをながめて ひとり しずか~」

 祐一の放つ幻覚物質、≪錯覚の香り≫を浴び、とろんとした目になる一同に祐一は更に歌を重ねる。
 四分ほど歌い続けた祐一が周りを確認すると、皆それぞれ寝息を立てていた。
 祐一は浴衣から着替えて表に出ると、模造刀を打ち合わせている恭也と美由希に出会う。

「どうしたんですか? 恭也さんに美由希さん」

 祐一の言葉に恭也が苦笑いを浮かべて答えを返す。

「どうも毎日体を動かさないと上手く眠れなくてな。軽い手合わせをしているところだ」
「そういう祐ちゃんはどうしたの?」

 逆に聞き返してくる美由希に祐一もまた苦笑を浮かべる。

「いつもアリサやなのはと体力づくりしてましたからね。久々に全力で走ってこようかなって」

 普段は主にアリサと、時々なのはをつれて祐一は走り込みなどの体力づくりを行なっていた。
 ただ筋力は確かに強くなっているのだが、祐一の外見はまったく筋肉質には見えない。
 これはウィザードによく見られる現象だ。
 筋束が太くなるのではなく、密度を増して筋束そのものがより強く変質する。
 だがそれは筋肉という防御機構が発達しないという事でもあり、体に過度の負担をかける戦い方しか出来ない祐一には悩みの種となっている。
 もっとも多少の怪我や疲弊は、銃弾に脳を撃ち抜かれても生き返るレネゲイドの再生能力の前にたちどころに治ってしまうのだが。
 何はともあれ、祐一は砂浜を全力で走りたかった。
 人前で力をまともに振るえない祐一にとって、全力を出せる機会というのは限られている。
 今日のような人目に触れず運動できる機会は早々無い。
 ましてウィザードの根幹をなす存在の力――プラーナを使った人知を越える全力となればなおさらだ。

 そういうわけで早々に恭也達との話を切り上げ、祐一は浜辺を走り抜ける。
 体の中のプラーナの流れが心地よく、一歩ごとに大量の砂を背後に巻き上げながら祐一は疾走する。
 普段では実感できない自分の限界。
 それを見極めることに、祐一は歓喜していた。
 実戦を想定した上で自分はここまでの力を振るえる。
 その喜びに祐一は気付かない。
 ただの一般技師として管理局入りを目指す自分が、こうして戦いをこそ望んでいることを。
 祐一は笑い声を上げながら砂浜を疾走し、己が『遺産』を振るい、熱量操作能力によって海を凍らせる。
 この日の経験は、祐一の毎日の特訓に更に火をつけることとなった。
 ファイスによる祐一の魔力を使った全身へのギプス効果。
 全ての動作に物理的な負担をかけられる祐一は更なる力を付けていく。
 いずれその力を振るう相手を知らぬまま、祐一は日々自分を鍛え上げていくのだった。



[5010] 番外編2(上)
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2009/08/22 02:22
 夏休みも終わり九月の中旬。とある儀式が行なわれた。
 それに巻き込まれた(参加した)者達から意見を聞いてみる。

 高町士郎は言った。

「今まで生きてきて、アレ以上の恐怖を俺は知らない」

 高町なのはは言った。

「しばらくおにーちゃんが嫌いになりました」

 月村すずかは言った。

「世界にはあのようなモノもいるんですね」

 高町美由希は言った。

「やめてやめて! もう思い出させないで! また飛んで来たらどうするのアレが!」

 様々な人に強烈なトラウマと、間違った知識を植え付けたその儀式の感想を、祐一が総評してみた。

 結論。やりすぎだった。今は反省している。





 その儀式が行なわれる発端は、九月の第二週に突入した頃にまで遡る。
 それは九月になり、暦の上では秋といえ残暑の厳しい日々に疲れたアリサが、夕飯時にポロッとこぼした一言だった。

「それにしても、この日本の暑さはどうにかならないのかしら」
「そんなに暑いか?」

 祐一の聞き返した言葉に噛み付くようにアリサが吼えた。

「決まってるでしょう! 季節が変わったのになんで涼しくならないのよ。日本は気候に合わせて季節を改めるべきだわ!」

 幼いころをイギリスで過ごしたアリサには、どうしても日本の湿度の高い暑さというものが気に入らないらしかった。

「そうだな。じゃあ今度の休みに皆で納涼肝試しでもやってみるか?」

 そして、この士郎の発言が悲劇を決定付けた。

「キモダメシ?」
「おにーちゃん。なにそれ?」
「ああ。幽霊とかお化けとか、そういう怖い目に遭わせてどれだけ胆力があるかを試す日本の伝統儀式だよ。要はセルフのホラーハウス。体じゃなくて心を冷やそうってわけだ」

 肝試しを知らないアリサとなのはに祐一が説明をする。

「士郎さん、俺が脅かし役任せてもらっていいですか?」
「ん? ああ。それは構わんが、どうしたんだ?」

 祐一が質問すると、士郎が聞き返す。祐一の表情から何か含みを感じ取ったようだ。

「いえ、こういう脅かし役を非常にやりたがる悪戯好きを何人か知ってまして。だから脅かし役は、俺に全部任せて欲しいんですよ」
「わかった。じゃあ全部任せて良いんだな?」
「ええ、もちろん!」

 これが事態を止められたやも知れぬ最後の機会である事を知るものは、この時点ではいなかった。
 後は、哀れな生贄達が自ら処刑台に上がるのを待つだけだった。


 そして訪れる翠屋の定休日。
 それぞれ夕食を済ませて集まったのは午後八時。
 集合場所は街の北側にある森の林道の入り口。
 そこにいる面々は祐一を除く高町家一同にバニングス、すずか、忍、ノエル、ファリンの海水浴のメンバーだった。
 ただ一人、オカルト系に非常に弱い美由希だけが模造刀に鋼糸、飛針をフル装備してきていたが。
 そして奇妙な事に、ライト等の照明器具の一切の持ち込み禁止。
 これが祐一から突きつけられた絶対のルールだった。

 そして皆が集まった事を確認した祐一が、木の間の闇の中から浮かび上がるように現れる。
 その姿は何の変哲もない昼間に見たままの服装で、とても何かの仮装で驚かせるようには見えなかった。

「皆様。今夜は私の主催するこの儀式にご参加くださり、まことに嬉しく思います」

 そう言って祐一は気取った一礼をしてみせる。
 その顔に張り付いた笑顔は、しかし士郎や恭也からしてみればとてつもなく禍々しいものを必死に隠しているようにしか見えなかった。
 ここで二人は美由希のように武装してこなかった事を後悔する。
 そんな二人を見て更に口元を歪める祐一は、この肝試しのルールについて話し始めた。

「これからこの林道を抜けた先の白い旗が立っている広場まで辿り着く、ただそれだけです。ただ、行く順番と組み合わせはこちらで決めさせてもらいます」

 そう言ったところで祐一の体が突如青い炎に包まれる。

「まずは士郎さん。あなたが一番手です。一人でこの難関を突破して見せてください」

 そう言うと同時、祐一の姿は炎の揺らめきと共に消え去る。
 この時点でほぼ全員が、各々の持つ『肝試し』のイメージからかけ離れた儀式が始まった事を理解した。

「皆、行ってくる」

 まるで戦場に向かうかのように強い意志を顔にたたえ、士郎がゆっくりと林道へ歩みだす。
 その途端、ギャアギャアと大きなカラスが森の中へ入っていった。
 その姿を見たすずかが、自分と同じように驚愕を顔に浮かべる姉の忍に訊いた。

「お姉ちゃん。カラスって足が三本あったっけ……」
「私には赤い目が三つ見えたわ……」

 その会話に恭也の頬が引きつり、美由希は今にも倒れそうなほどに固まっていた。


 士郎が林道に入って僅か二、三分。
 月明かりも届かないほど暗い道を時々丸いものを蹴飛ばしながら、一歩一歩を慎重に歩いていた。
 星明かりすらない完全な闇に等しい中、辛うじて足に当たる藪の存在で林道を辿る士郎は、普段ではありえない緊張に身を浸していた。
 周囲に人の気配は一切感じられず、特に罠のようなものもこれまで一切なかった。
 これが真っ暗な密室であるのなら、敵の来る方向はドアの先でしかない分神経を張り詰めればそれですんだだろう。
 しかしこれは本物の『魔法使い』がその仲間達と組んだ闇のゲーム。
 人の気配がなくとも、人知を越えた仕掛けがいつ発動するとも分からない。
 だからこそ最大限の警戒をしていた士郎だったが、初めからこれでは最後まで気を張ってはいられない。
 そう思い、警戒レベルを士郎が僅かに落としたとき、その声が士郎の耳に聞こえた。

 に゛ゃあああああぁぁ……。

 遥か遠くから、あるいはすぐ傍から聞こえた猫の声。
 それは潰された喉で必死に鳴いているかのようだった。
 さらに士郎が歩を進める程足元の道はぼこぼこと柿の実のようなものが転がるようになり、時々それを踏み潰しながら士郎はただ前へと進んでいく。
 以前は幽霊やHGSの存在を知っていても、対応策がそれなりに存在することも知っていた士郎はそれらに特別脅威を持ってはいなかった。
 自分ではどうしようもなくとも、対応が出来る退魔師などのカウンター的な存在がいることを知っていたからだ。
 だが、祐一とその仲間の扱う力は未だ不明。
 未知ほど人を恐怖に追い込む存在はない。
 猫の声も、進むほどに数を増やしていった。
 その声は次第に前よりもむしろ後ろから追って来ているように士郎には感じ取れた。
 やがて士郎はいきなり壁にぶつかる。
 いや、士郎が注意深く闇の中で壁と思ったものを触っていくと、それは木製のドアのようであった。
 そのドアノブに手をかけると、急に辺りがうっすらと明るくなった。
 雲が晴れたのか、と士郎は思った。
 目の前のものはやはり木製のドアであり、その枠が林道の両脇の木まで続いてドアを通らないと向こう側に行けない仕組みになっている。

(ここからが本番という事か)

 そう士郎が思った瞬間、足元から件の猫の声がした。
 士郎が足元を見ると、そこには猫の頭があった。
 そう、頭部だけが。
 慌てて今まで来た道を見ると、幾十もの猫の頭が転がりながら士郎へと向かってくる。
 ここに至ってようやく、士郎は今まで自分が蹴りあるいは踏み潰してきた丸い物体の正体を知った。

 に゛ゃああああああああああ!

 士郎の周りを囲む十数の猫の頭部が、肺を失い切り裂かれた喉からありえない鳴き声をもらす。
 そのあまりのおぞましさに士郎は慌ててドアノブを捻り、向こう側へ飛び込むと同時にドアを渾身の力で閉める。
 そして士郎は更なる地獄を見た。
 闇の中に金色、琥珀色、緑色などさまざまな目が浮いていた。
 いや、それは浮いているのではなく周りの木の枝からぶら下がっているのだ。
 逆さまになった猫の千切れた首からは、黒い粘性の液体が木々の枝から下がる猫の頭を支えていた。
 木霊、という妖怪の話を士郎はぼんやりと思い出していた。
 その百にも届かんとする目が士郎に集中すると同時、士郎の正気は切れた。

「おああああああああああ!」

 振り子のように頭を揺らして噛み付いてこようとする猫の頭部。
 それを士郎は雄たけびを上げながら避け、払い、時には殴り飛ばしながら全速で林道を走り抜けた。
 士郎が白い旗の立つ広場に辿り着いた時、全ての猫の鳴き声が突然途切れ、士郎の吐く荒い息の音のみが場を支配する。
 旗下にあった大きな切り株に腰掛けて、士郎は今来た道を見つめるが、どれほど見つめてもそこに何かを見つけることは適わなかった。








 場所を移して林道の入り口。
 森の中から再び祐一が姿をあらわした。

「士郎さんは順調にクリア。次は桃子さんと美由希さんの二人です。気をつけてください」

 言うなり祐一は闇に飲まれ見えなくなる。
 祐一は順調といったが、聞こえてきた士郎の雄たけびからして何かとんでもない事が起きるのは間違いない。
 美由希のがたがたと震える手を優しく桃子が握る。
 そのまま桃子は美由希を抱きしめ、背中をさすって落ち着かせる。

「大丈夫よ、美由希。祐一君だもの。きっとそこまで酷い事はしないわ」

 その言葉に抱きしめられたまま美由希は首を振る。

「祐ちゃんはやるからには徹底的だよ。前に子供を襲おうとした不良を精神的に再起不能にしたってアリサちゃんが言ってたんだもん」
「あ、それホントです。あのもう殺してくれって懇願する姿は見るに耐えませんでした」

 美由希の言葉にアリサがそれを肯定する。
 だがわざわざ人間を選んでいる以上、その相手に合わせた脅かしをしてくるはずだ。
 それでも士郎が絶叫するレベルを祐一達は保持している。
 少し加減が狂えば、美由希など再起不能に陥りかねない。
 しかもわざわざ向こうから「気をつけて」なんて言われたのだ。
 まだ度胸もある桃子のほうならともかく、既にして恐慌状態に陥った美由希は確実にここでトラウマを植えつけられることだろう。
 桃子の腕を抱きしめてなんとか歩いていく美由希を見送った一同は、早くも美由紀に黙祷を捧げ始めた。







 それほど狭くはない林道。
 空からの月の輝きが薄らと桃子達の進むべき一本の獣道を照らす。
 平坦な何もない道を歩いていくうち、最初は風に鳴る木々の音や羽虫との接触に怯えていた美由希も段々と己を取り戻していく。
 ようやく美由希が桃子と手を繋ぐだけで歩けるようになった頃、獣道の大きな曲がり角に二人は直面した。
 その道の急な逸れ方に何か違和感を覚えながらも二人は道筋通りに進む。
 しかしやっぱりその道の先には何もなく、ただ獣道が続くばかり。

 ――このまま何も無いままなのかな?

 そんな希望的観測を思い浮かべる美由希。
 その直後、葉の風に擦れる音や虫の鳴き声がピタリと止んだ。

「……そこの人達」

 その後ろから突然かけられた声に、反射的に美由希は桃子の手を離し、戦闘体勢に移行しながら後ろを振り向いた。
 いつの間にか十メートルほど離れた美由希達の背後に小さな女の子が立っていた。
 おかっぱ頭の黒い髪。
 衣服は白いワンピース姿で、その肌もまた白磁器のような白さを誇っている。
 ただ、蒼い瞳がどこか虚ろな光を放っている。

「どこか道を間違えた? こっちの道はまだ準備が済んでないよ?」
「え?」

 その言葉に桃子が二つの疑問を浮かべる。
 一つは道を間違えようはずも無く、獣道は一本だった事。
 もう一つは、『こっちの道は』というまるで複数の道が存在しているかのような言い草だ。

「仕方ない。リンが相手をする」

 そう言って歩いてくる十歳くらいの女の子。
 何も気負わない足取りではあったが、その女の子の足取りに美由希は間合いを測りながら接近されている事を見抜いた。

「かーさん、逃げて。あたしが相手をするから」

 そう言って小太刀(模造刀)を構える美由希。
 しかし、美由希と女の子。二人が互いの間合いを接触させようとした時、それは起きた。
 コテンと、女の子の体が前に倒れたのだ。
 首の中途から上をそのまま宙に浮かせたまま。

 あまりの事態に、いざという時には美由希を体を張って庇おうとしていた桃子も、今にも切りかかろうとしていた美由希も、ただ口をパクパクと閉じたり開いたりするだけだ。

「失敗。こけちゃった」

 肺もないのに空中に浮いたまま喋る生首。
 見れば倒れた体の方は溶けて白い液状になり、赤い目のような斑点がその表面を流動していた。

「マあ、結果ハ同じ。いたダきまーす」

 言うなり生首が顔の中央からぱっくりと裂けた。
 その内部は地面に伏している体同様、白濁とした表面を赤い斑点が流動している。
 地面に蠢いていた体もまた分裂して似たような形状をとり、それぞれが浮かび上がって今にも二人に襲い掛からんとする。

「美由希! 逃げましょう!」
「う、うわああああああん!」

 美由希の手を取り走り出す桃子。泣きながらそれに美由希は追従する。
 その二人と等速度を保ちながら追い立てる縦に口を開いたナマモノども。
 しかし、普段運動をするわけでもなく、体力の無い桃子は段々と走る速度が落ちていく。
 少しずつ迫るナモマノの群れに二人が絶望を抱いたその瞬間、天から助けが舞い降りた。
 その助けは、黒かった。
 一メートルを越す巨大な体格。
 三本の足と三つの赤い目。
 カラスと酷似しながらも気高さを感じさせるその黒い怪鳥は、先頭を飛んでいたナマモノを体当たりで弾き飛ばす。
 そのまま怪物同士の戦いが、二人の背後で始まった。
 桃子と美由希は疲れと極度に追い詰められた精神状態から状況を掴めなかったが、それでも逃げ出すなら今をおいて他に無いという事だけは理解した。
 巨大なカラスもどきとナマモノが交戦する中、必死で逃げ続ける二人はやがて森の中にぽっかりと空いた広場にたどり着く。
 そこには先に森に向かった士郎が切り株に腰掛けていた。
 士郎の隣に白い旗が立っていることから察するにここがゴール地点であるらしかった。

「大丈夫だったか、二人とも」

 荒い息を吐く桃子と美由希に士郎が心配そうな声をかける。

「わたし、たちは、だいじょうぶ、だけど……」
「飛んで来るアレから、別の何かが、助けてくれたから……」

 士郎に身を寄せ、震えながら話す二人の言葉の内容に士郎は疑問を抱いた。

「待ってくれ。桃子達が見たのは猫の生首じゃなかったのか?」

 その士郎の言葉に首を振る二人。

「とーさん。あたしたちが見たのは女の子だったよ」
「あの子が言ってたみたいに、幾つかルートがあるみたいね」

 そうして三人は互いの身に起きた怪異の情報を交換する。
 そして安全地帯であるこの場所で他のメンバーが来るのを待つことにしたのだった。







 所変わって森の一角に設置されたコントロールルーム。
 完全に森林迷彩を施された四角いテントの中、祐一はその生涯を終えようとしていた。
 光で出来た輪に縛られ空中に浮いている祐一と、そんな祐一を見上げているおかっぱの女の子。。
 そのおかっぱの女の子が祐一にを問する。

「祐一。なんで私があんな気持ち悪い役になったの?」
「いや、リンのような可愛い子がああなるのが一番効果的かなと思ってってぐぎゃあああああぁぁ!?」

 祐一の体が強力なバインドで締め上げられる。
 その上から何発もの魔力弾が祐一の体に叩き込まれた。
 周りでその様を見ていた特研の有志も、一歩引いて祐一に黙祷を捧げる。
 小さな女の子――リンの静かな怒りとともに、その偽りの森林に祐一の悲鳴が響きわたったのであった。

「ところでグリモアが捉えたあのカラス。どうするんです? 室長」
「ああ、八咫烏(やたがらす)ね。人間を助けようとするぐらいだから悪い子じゃないわ。きっと」
「じゃあキモダメシが終わったら檻から出してあげましょうか」
「ええ。それがいいと思うわ」

 舞台裏にある、白い箱に浮かびあがる無数の赤い目。
 その中で八咫烏はその瞳達に観察されながら、白いナマモノで出来た檻に囚われていたのであった。



[5010] 番外編2(下)
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2009/08/15 05:50
 桃子や美由紀の代わりに祐一の断末魔が響きわたって数分。
 息をするのも苦しそうな様子で、祐一がやってきた。

「次は、恭也さんと忍さんです。死なないように逃げ切ってください」

 言い終わるとすぐに両脇をさすりながら祐一は森の中に帰って行く。
 その語られた内容を鑑みるに、最早一般的な肝試しの様態から逸脱してしまっているようにしか思えない。
 先程に聞こえた、主催者であるはずの祐一の絶叫が尚更不安を掻き立てる。
 既に忍の中では、恭也とのステキなデートになるはずだった思考から対霊用の戦闘思考に切り替わっていた。

「恭也。もし『ホンモノ』が出たら、私が相手をするから」
「分かった。だがまずいと思ったら必ず逃げるようにするんだぞ。いいな?」
「分かってる。これでも自分の限界は弁えているつもりよ」

 忍と恭也は物騒な会話をしながら森の奥に目を向ける。
 だが、特別な目を持つ忍にさえも、それはただの森であるようにしか視えなかった。

「じゃあ、行ってくるからな」
「私達は腕に自信があるから良いけど、あなた達は決して無茶はしないのよ」

 なのはの頭をなでる恭也と、すずかの頭をなでる忍はそう言って森の入り口へと向かっていく。

「お兄ちゃん! 頑張って!」
「お姉ちゃんも、何かあったらちゃんと逃げなきゃダメだよー!」

 なのはとすずかの送り出す声にただ手を振って答える二人。
 こうして肝試し第三組目が森に呑まれた。




 それは林道に入ってすぐの事だった。
 何かの気配を二人は感じていた。
 悪意でもなく好奇心のものでもなく、ただどこかからかかる僅かな重圧。
 観察されている。
 そう二人は感じ取った。

「ねえ恭也。おかしいとは思わない?」
「おかしい?」

 林道から森の奥を見つめていた忍の言葉に、恭也もまた森の中を見つめる。
 そして恭也も気付いた。その違和感に。
 林道を形づくる木々。しかしその木々の間からすぐ向こうに見えるはずの森の木々が見えない。
 木々の間から見えるのはただの闇だけ。
 林道がはっきりと見えるほど月は明るい。
 しかしその実照らされているのは林道だけで、それ以外は完全な闇に閉ざされている。
 ふと忍が月を見ようと顔を上に向け、恭也の腕を掴んで固まった。
 何事かと恭也も忍の目線を追い、上空にいたソレに気付いた。
 黒い卵。
 巨大なソレが恭也たちの上空を飛び、観察していたのだ。
 目も鼻もない黒い卵は、自身が気付かれたことを察すると巨大な口を表面に作り出し、白い歯を見せつけながらいやらしくニタリと笑う。
 それと同時、恭也達の周囲に変化が起こる。
 木々の間。完全な闇。その闇の表面に赤い瞳が開かれた。
 大きさは通常の人間のものから二メートルを越すものまであり、向きも大きさもでたらめなその無数の血走った赤い眼が恭也達をじっと観察していた。

「恭也。大丈夫、こいつらは妖とかそう言った類じゃない」
「只の映像って事か……?」

 道に沿ってスクリーンを張り、そこに映像を映し出す。
 祐一達なら簡単にやってしまえそうな話ではあるし、それなら木々の合間から何も見えなかった説明にもなる。
 だがそれではそもそも死なないように逃げ切れ、という忠告になるはずがない。
 
 とりあえず頭上の黒い卵と常に見つめ続けてくる瞳を無視し、先を急ぐ恭也達。
 獣道が右へと大きく折れ曲がっている地点を通り過ぎた時、ふと忍は微かに甘い香りを嗅いだ。
 それが、これから始まる逃走劇の始まりだった。



 大きな石が落ちたかのような轟音と共に、二人の後ろに何かが出現した。
 驚いて前に跳躍しながら振り返る二人。
 その目の前には直径三メートルを軽く超える巨大な眼球が転がっていた。
 その眼球は自身を覆う血管と太い神経を剥離させ、触手のように自身を支える手足として使い、恭也達を視界に含める。

「逃げるわよ!」
「分かった!」

 すぐさま常人を超える速度で走り出す二人を、巨大な眼球が血管の手足でガサガサガサッと追いかけだす。
 さらには林道から少し離れていたはずの無数の目がいつの間にか林道の木々の間まで前進し、木々の代わりにいつの間にか赤い目の壁によって道が作られていた。

 ――まずいな。逃げ切れん

 そう恭也が思考すると同時、碧い瞳を真紅に染めた忍が走るのを止めて振り返り、渾身の蹴りを巨大な眼球に叩き込んだ。
 それにどれほどの力が込められていたのか、その眼球は二メートルほど後方に蹴飛ばされ、何とか周囲に張った血管で体勢を立て直そうとする。

「凄いな。ここまで出来るのか月村」
「違うわよ。アイツ、図体の割りに軽すぎた。多分まだ何かあるわ」

 忍の言葉にゲタゲタゲタと頭上の黒い卵が笑い、同時に二人のほうに向き直った巨大な眼球が縦に真っ二つに割れた。
 その中から転がりだしたのは無数の拳大ほどの眼球。
 それらは神経を二つに分け骨組みに、血管をその合間に広げて蝙蝠のような翼を作り、飛び始めた。
 更にその小さな眼球も縦に割れ、その内には赤い舌と無数の乱杭歯が生えている。
 その様子を確認するや否や、恭也と忍は赤い眼でできた回廊を必死で走り始めた。
 一方、捕食準備を済ませた眼球達は二人の追撃を開始する。
 まるで計算されているかのように、二人との距離を少しずつ詰めていく眼球達。
 その歯からは金属が擦れるのに似た音が鳴らされており、追いつかれたが最後恭也達は全身を食い破られるであろう。
 そんな想像が二人を恐怖に追い込み、さらに周囲の二人を見つめる瞳達がみな嬉しそうに嘲笑っているのが二人の不安を倍増させる。
 いよいよ追いつかれるか。そんな恐怖に二人が飲まれかけたとき、前方で周囲を覆う無数の瞳の回廊が終わっているのに気がついた。
 そして二人が紅い回廊の切れ目に飛び込み広場に転がり込むと、森と広場の境目に触れた眼球達が次々と火花を放ち、動きを止められ、焼失する。
 見れば広場の中央にはやや大きめな切り株があり、そこには白い旗と先に出発した三人の姿があった。
 こうして恭也たちは、ようやくゴールに達する事ができたことを知ったのだった。










 そして、肝試し開始点。
 悲鳴も何も聞こえず、ただハラハラと新しい情報を待ち続ける六人。
 その前に、林道から祐一が歩いてきた。

「おにーちゃん!?」
「祐一!?」

 悲鳴染みた声を上げて祐一へと駆け寄るなのはとアリサ。
 それもそのはず。祐一は包帯で幾重にも顔の左半分と口元、首筋を巻かれ、眼の位置には黒い染みが出来ていたからだ。

「ちょっと失敗してな。正直ここまでになるとは思わんかった」

 そう言って心配するなと二人の頭をなでる祐一。

「あの、何が起きたのか説明してもらえますか?」

 そう言うのは月村家のハウスキーパー、ノエル。
 他の面々も、祐一のその状態に心配して近寄ってくる。
 それに祐一は明るい調子で答えた。

「ああ。ちょっとした失敗でこうなっちまったってわけだ」

 そう言って祐一が自分の頭をなでる。すると、祐一の頭がポロリと外れて地面に落ちた。

「ぴっ!?」

 小鳥のような悲鳴をバニングスが上げる。他にもファリンやなのはが恐怖に身をすくめている。
 その間にも祐一は地面を捜して自分の頭を拾い、頭に再び乗せるのだが、包帯が外れた今頭を固定できるはずも無く再び祐一の首は地面へと落ちる。

「なにやってんのよ、祐一」

 最初こそ驚いたものの、祐一の首が落ちてから冷静になっていたアリサが祐一の首根っこを掴んで引きずり出す。
 それは首から肩にかけての肌色のラバーでできた偽体だ。ラバーの下、服の中に亀のごとく引っ込められていた祐一の頭がようやく出てくる。

「あー、苦しかった。ネタとはいえこれは結構きついな」
「悪趣味にも程があるんじゃない?」

 肩を回しながら言う祐一にアリサが言う。騙された面々も恨みがましげに祐一を睨んでくる。
 だが祐一は涼しげにそれらを一蹴した。

「あのな、この中はこんなごっこ遊びとは訳が違うぞ。正直挑まずにリタイアするのもまた勇気だと言っておく」

 そう言って祐一は周りを取り囲む面々の顔を見る。

「最後は残ったこの六人で進んでもらう。子供向けの一番軽いコースとはいえ、構想三秒のまま手加減を加えていない恐怖のルートだ。リタイアするものは今のうちに言っておけ。ゴール地点まで先に連れて行ってやるから」

 その言葉に六人全員が顔を見合わせる。そして、まず口火をアリサが切った。

「あたしは行くわ」

 年長者らしく、また祐一への対抗心あってかはっきりと言い放つアリサ。

「わ、わたしも!」
「あたしも行くわ」
「わ、私もです……」

 アリサに続いて行く事を表明するなのは、バニングス、すずかの三人娘。

「私達も行かせていただきます。この中では、私達が保護者ですから」
「あぅ、やっぱり私も行くんですね。……こわいよぅ」

 ノエルが二人分の意思申請をし、泣き言をファリンがこぼす。

「……分かった。怪我をさせるような仕掛けはないが、慌てて怪我などしないようにな」

 そう言うと、祐一はふわりと浮き上がり森の片隅の方へとゆっくり飛んでいった。

「おにーちゃん、あんな簡単に魔法使えてうらやましいな……」
「本人が言うには、走るのより遅いんであんまり役に立たないらしいけれどね」

 なのはの呟きにアリサが注釈を入れる。
 実戦ではただの的になるためある程度以上の速度で飛行できなければならないらしい。

「それでもアリサさんだってデバイスを使えば魔法を使えるんでしょう?」
「それは違うわ。あたしはデバイスに命令を下して、デバイスが勝手に魔法を使うの。なのはのように生まれつき魔力を持ってる子は珍しいそうよ」

 バニングスの質問に答えるアリサ。
 一応高町家の全員となのはの親友である三人娘は祐一から『魔法とは何か』を教えてもらっている。
 そしてそのことは恭也から忍に、さらにそこからノエルとファリンにも伝わっているのでこの場で祐一の飛行に驚くものは誰もいなかった。

「今回問題なのは魔法あり特殊能力ありのホラーハウスにあたし達は挑むって事。祐一が考えを練らなかったってことはおぞましいモノが何の遠慮もなく出てくるって事だから、とにかく冷静に何事にも対応する事。不安さえ持たなければ、例え化け物が出てきたってどうにかできるのよ」

 そう周りの皆に語って聞かせ、同時にフルンティングを待機状態から大剣の姿に変えるアリサ。
 どうやら彼女の中では化け物が襲ってくる事はデフォルトであるらしかった。

「大丈夫です。もし脅威あるナニカが現れれば、私が守りますので」

 そう言って肘を曲げて力こぶを作るようなポーズで頼れる姿を見せようとするノエル。
 そのメイド服の裾をファリンが涙目で持っていた。
 こうしてアリサとノエルが先頭に立った六人パーティーが森へと入っていくのを、夜空に浮かぶ満月が見送っていた。
 獣道とはいえ地肌を見せる地面にところどころ雑草が生えているだけの道。光に照らされ明るい道を迷いなく進もうとするアリサとノエルの足を怖がりなファリンが引っ張り、結果ゆっくりと六人は歩いていた。

「……おかしいです」
「え?」

 突然そんな事を言い出すノエルにファリンが怯えきった声で聞き返す。

「月の光、星の光があるとはいえ、あまりにも道に影が無さ過ぎます。あの月の位置ではこの辺りは木陰になっているはずなのですが」
「多分魔法の類でしょうね。もしくは幻術の類かも」

 ノエルの言葉にアリサがそう答える。とりあえず納得して再び歩き出す一同。
 だがしばらく進んだところで再びノエルが止まる。おずおずとすずかがノエルに尋ねた。

「どうしたの、ノエルさん」
「いえ、どうやら幻術の類であるのは正解だったようです」

 真っ直ぐに続く獣道。その左側にある樹にノエルの手が触れようとして、そのまま樹の中に沈み込んだ。
 要は木々の幻影で幾つにも分かれる分岐点を隠しているのだ。

「こうして複数のルートを作り、人に合わせたルートへ誘導していたのでしょう」
「じゃあこの先には別のルートがあるってこと?」
「おそらくは」

 アリサの問いにノエルが頷く。しばらく考えてから、アリサが決断を下す。

「指示通りのルートを通りましょう。他のルートはもう仕掛けが使用済みで安全かもしれないけれど、もし仕掛けが残っていたらまずい事になる。一番安全と言った祐一を信じることにするわ」

 アリサの出した結論に一同は頷き、真っ直ぐに獣道を進む事にした。
 それから三十秒もしないうちに、祐一の仕掛けた罠が発動する。

「きゃっ!?」

 驚きの声を上げ後ずさりするアリサと、そのまま沈んでいくノエル。

「ちょ、ちょっと、ノエルさん!?」

 なのはの慌てる声に、しかし当の本人は冷静に対応する。

「どうやらこの道は幻覚のようで、私達は巨大なトランポリンのような物の縁にいるようです」

 言われて見れば、ノエルの足元は周りの地面と一緒に沈み込んでいた。

「とりあえず気をつけていれば大丈夫そうね」

 ノエルに続いてアリサもその柔かく沈む道へと歩を進める。
 続いて残る四人もおっかなびっくりその沈む地面へと歩いていった。
 歩いているうちに分かったのは、この沈み方は進めば進むほど深くなるという事。
 そしてバニングスが「まるで底なし沼に沈んで行ってるみたいね」と発言し、ファリンが涙目で持っていた裾を握り締めたことでスカートが後ろに浮き上がり、ノエルの下着が黒のレースであるという事であった。

 やがて中間地点を通り過ぎたのか、沈み方が僅かに浅くなったのをノエルが発見し皆に伝える。
 だが、この柔かい地面を楽しんでいた面々に遂に恐怖の瞬間が訪れる。
 突然、電燈でもついたかのように明るくなる道。
 その道々にはくぼみや盛り上がりが急に発生した。
 その盛り上がりと、大きな沈み込みはまるで鼻と口のようで、鼻とおぼわしき盛り上がりの端の横には目のようなくぼみがあった。
 やがてそれはラバーをかぶせた顔のような盛り上がりとなり、道のあちこちに浮かんでは沈む。

「ひきゃぁああああああああ!?」

 突如大声を上げるファリンの目の前には、大きな顔がラバーのような地面ごと浮き上がっていた。
 最早言語にならない絶叫を上げながら、ファリンはその顔を全力で蹴ろうとして、こけてその顔へと倒れこみ、顔をすり抜けた。
 顔の半ばから上半身を突き出すファリン。

「どうやらこの顔たちは立体映像のようです」

 ノエルの冷静な声が辺りに響く。
 地面には浮かび上がるラバーマスクのような人の顔と、手のようなものが何とか地面を突き破ろうと伸ばされている姿。
 しかしそれが実体を持っていないと知って、全員安堵のため息をつく。
 ただの映像と知れば、恐れる事などない。
 気力を取り戻したファリンもまた歩き始めた。

 所変わって黒い卵の上からその様子を見ている祐一とリン。
 ファリンが遂に四分の三の地点を超えた時、祐一は指を鳴らす。
 リンはため息を吐いて、その合図に従った。

「感じるぞ、煉獄の波動……! さあ、足掻いてみせろ――!」


 祐一の呟きと同時、ゴム状の地面が突然変化した。
 今まではまだ沈みながらも獣道の様相を保っていた地面が、突然紅一色に染まった。
 いや、それは単なる紅では無い。
 無数の赤い顔が、呪いと怨嗟を上げるように叫びながらその地面の『こちら側』から『向こう側』へ引きずり込もうと足掻いているのだ。
 今でこそ無音だが、きっと地面が裂けてしまえばそこからどれだけの呪詛が響くのか想像などできるはずもない。
 地面は大小様々な赤い顔が埋め尽くされ、しかも顔を踏むとやや固い感触が返ってくる。
 あまりの現象についにファリンがキレ、奇声を上げて走り出した。 
 他の全員も顔の感触を足裏に感じながら、涙目でただ前に走り始める。
 やがて煉獄の住人で埋め尽くされた回廊を抜け、ようやく元の獣道へとたどり着いた六人。
 ほぼ全員が疲弊した中、のろのろと歩き続けた六人は開けた場所に出る。
 ようやく、ゴールである広場に着いたのだ。
 全員が深い安堵のため息をつく中、近付いてくる姿があった。

「ご苦労様、皆」
「ゴールおめでとう。良く頑張ったね」

 広場入り口で残りの皆を待ち受けていた恭也と忍だ。
 その空中に浮いた二人の血濡れの生首にねぎらいの声をかけられた瞬間、なのは、バニングス、すずか、ファリンが卒倒した。
 同時に二人に掛けられた瞬間的な幻術が解け、いつも通りの二人の姿に戻る。
 何が起ったのか恭也たちには判らないまま、アリサ、ノエルと共に倒れた四人の介抱に取りかかるのであった。







 そして十分後。
 白い旗の下に集まった全員が、祐一と対峙していた。
 気絶していた者も既に気を取り戻し、祐一に迫る。

「とりあえず祐一。確かに肝は冷えたが冷やしすぎだ。もうちょっと控えめな事は出来なかったのか?」

 士郎の言葉に参加した全員が頷く。

「いえ、あのぐらいならまだましなほうですよ?」

 そして当たり前のような顔つきでそんなことをのたまう祐一。

「調子に乗りすぎなのよアンタは! もう少し年下への配慮を見せなさい!」

 そういうアリサの後ろには、もはや祐一自身にすら怯えを見せるなのはの姿があった。
 祐一もなのはに見られて怯える様は流石に堪えた様で、目に見えて祐一が落ち込んでいくのが他の皆にも伝わってきた。

「とりあえず、あんたが何をやったのか詳しく説明しなさい」

 強い口調で祐一に迫るアリサ。
 仕方なく首をすくめて祐一が説明する。

「ここにはいないけど、音響効果全般をラスクさんが、その他空を飛ばしたり転がったりする機械操作なんかをななさんが、他様々なことを俺の古巣、『特研』の暇人さん達が担当してくださいました。ちなみに総監督兼、不安を掻き立てる≪錯覚の香り≫散布担当が俺の役です」

 そう言う祐一の後ろに、茶髪の少年や三つ編みの少女、おかっぱ頭に着物のすわ座敷わらしかと思わせるような子供など、十人近い人間が並ぶ。

「構想三分、製作時間一週間。その成果の正体、とくとご覧あれ!」

 祐一がそう言って手に持ったいかにも自爆ボタンっぽいものを押すと、広場を覆う森そのものが変化を始めた。
 森の木々がまるで蜃気楼のように揺らめいて崩れて行く。
 道も、藪も、全てが揺らめいて消えていってしまった。
 残ったのはまばらに生える数本の木々と草のみ。

「そう。この森自体が昨日一晩掛けて作り出した我らが領域(レルム)! 本当の集合場所はゴールであったこの広場! 自分達が作り出した小世界だからこそ、こうして自在に好き勝手出来たという訳です」

 祐一の得意げな演説を聞いて理解できたものは少ない。
 今まで森だと思っていたものが全て偽物だったのだ。
 自分達が恐怖のどん底に陥れられた場所がこうして僅かな時間で消え去ったのを見れば、茫然自失となるのも無理な事ではない。
 後になのはは、この仕掛けを陸戦シュミレーターと同様の仕組みであったと知る。

 皆が意識を飛ばしている中、祐一は協力者達にお礼を言い握手をしていく。そして彼らは黒い輝きに包まれ姿を消していき、最後に祐一だけが残る事になった。

「祐一」
「はい!?」

 そして振り返る祐一の目前には、フルンティングを構えたアリサの姿。
 驚いた祐一が構える前にアリサが非殺傷設定の魔力刃で五連撃を加え、更にフラガラッハを連ねた魔力砲を至近で放ち、祐一を吹き飛ばした。
 この日以降、しばらく祐一は皆から針のむしろのような視線を浴びせられる日々を過ごすことになるのであった。



[5010] 第十二話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:45
 そこはどこかと聞かれると、初めからどこにもあるわけがない、非常識にも程がない場所だった。
 真っ白な空にはネガポジ反転した黒く、巨大な満月。
 さらには瞬きを放つ黒い小さな星が彩る世界。
 その暗い明かりに照らされて、その部屋はあった。
 巨大な部屋の中央には巨大なベッドが置かれ、祐一はその上に寝転んでいる。
 差し込んでくる黒い明かりに部屋は陰り、その明かりに照らされた祐一の目は闇に覆われ、女性の表情を読み取る事はできない。
 ただ声音から、きっと優しく微笑んでいるのだろうと推測する。
 巨大な部屋、巨大な窓、巨大なベッド。
 洋風の部屋ではあるが、このようなただ寝るためだけに特化した部屋など、よほどの金持ちの家であろうともそうは存在しまい。
 何せ無駄が多すぎる。
 そもそも、一人どころか十人は並んで寝られるベッドなど要るはずがない。
 しかも、この世界では光こそが闇だ。
 部屋を暗くするために作られた大きな窓も、ベッド以外に何も置かれていない部屋も、全ては今祐一をもてなすために女性が生み出した虚構の存在。
 ここは、女性の創り出した夢幻の中。
 祐一は女性に膝枕をされながら、その女性に報告する。

「俺はこの二年半でずいぶんと力が増してきた気がするよ」

 そう言う祐一の目の前に、虚空から白と黒の一対の大剣が浮かび上がる。
 白い大剣の銘はセイヴ・ザ・メモリー。
 黒い大剣の銘はロストメモリー。
 それぞれ攻性魔力の半減、運動力の半減と、魔法、物理攻撃の威力を半減させる力を持っている。

「筋力がついてきたおかげで、いまじゃあ二本とも使うことができるようになったしね」

 そう言いながら祐一は二本の剣に手を触れる。
 その瞬間、剣たちは形を溶かし、祐一の両腕を覆っていく。
 この剣達の持つ変形機能だ。
 そもそもこの二本の剣は、その本質において剣などではない。
 その剣の姿は一時的な姿であり、だからこそ祐一の意志通りに自在に姿を変える事が出来る。
 もっとも、祐一がその真の姿を解き放つ事など滅多にない。
 かつての祐一ならともかく、今の祐一ではリスクが高すぎるのだ。

「それでもアリサにはすぐに追いつかれたよ」

 そういいながら祐一は楽しそうに笑う。
 といっても、黒い明かりに照らされている祐一の顔が、女性に見えるかどうかは分からないが。

「毎週体力づくりに恭也さんたちとの稽古に付き合ってるせいだろうな。実戦訓練でも隙が少なくなったし、この間なんか決まったと思った『無拍子』まで外されたんだ」

 言いながら、祐一は嬉しそうに微笑む。
 『無拍子』とは、動作の流れ――『呼吸』の隙に付け込んで行動し、予備動作の無い一撃を加えて相手の不意をつく業だ。
 ほとんどの格闘技の奥義の一つであり、決められた相手は気付かぬうちに攻撃を喰らう羽目になる。
 これは相手の『呼吸』を読み取り、自分の『呼吸』をそれから意図的にずらす事によって成立する。
 それを防ぎきったという事は、アリサは祐一のずらした『呼吸』を見抜いたということになる。
 天は人に二物を与えたらしい。
 高いIQのみならず、運動面でも才能を発揮したのだ。
 ここまで出来れば、実戦でもその知性とそれが生み出した数々のカードが有効に生かすことが可能だろう。
 実例として、実戦訓練では祐一の思いも寄らぬ技を祐一の隙をついてぶつけてきた事もある。

「アリサちゃんが実戦面で強くなったことは分かったけど、技術面はどうなの?」

 その静かで暖かな言葉に祐一は目を瞑り、しばし回想して答えた。

「デバイス関連で言うならプロ顔負け。魔法の方もプログラムとしてどんどん習得、改良を繰り返してる。魔法以外でも色んな知識を吸収していってる。現場を二、三回体験すれば、すぐに使い物になるんじゃないかな」

 そう、と女性は小さく笑う。
 本当にたった十一の子供とは思えないほどの知識と技術力。
 これなら本人の希望さえあればすぐにでも管理局の技術部に入ることが出来るだろう。
 そうでなくてもアリサの実力は陸戦Cランクに相当する。
 そんな存在が管理外世界にいることに、管理局は難色を示す事は想像に難くない。

「俺は技術関係を、なのはは魔法についてアリサから教えてもらってるけど、正直レベルが違いすぎる。俺は本当に技術部に入れるのかな」

 実のところ、週に三回ほどの魔法修練のうち、大半が座学である。
 祐一は将来管理局の技術部を目指している分、そのための勉強がいる。
 祐一にとって魔法学はそれほど必要ではない。
 基礎概略と、自分が使うために魔力弾と誘導制御弾を覚えている程度で満足しているからだ。
 逆になのはは魔法とは何かという基礎と、簡単な魔法についてアリサからレクチャーを受けている。
 といっても理論派のアリサと感覚派のなのはでは相性が悪く、なのはが取得しているのは魔力弾と誘導制御弾、それに簡単な防御魔法だけだ。

「あなただって特研で培った技術は相当のものよ。一流にはなれないかもしれないけれど、ヒラで通すのなら問題無いはず。それと、なのはちゃんの魔法は進歩したの?」

 その女性の言葉に一つため息をついて答える。 

「あの子は凄いよ。虚仮の一念岩をも通すって言うけど、才能を持った子がそれをするんだからしょうがない。ディバインシューターをデバイスなしで四つ自在に操れる程になったんだ」

 それは八歳の子供としては破格の能力だ。
 それもしょうがないといえばしょうがない。
 なのはは祐一たちが実戦訓練をしている間、一人ただ黙々と誘導制御弾の練習をこなしていたのだ。
 空き缶を一度も地に落とさずに百回跳ね上げた時、どれほど誇らしげな顔をなのはがしていたか、祐一は今でも心の中に描き上げられる。

「この間渡した一般局員用の杖はどうしたの?」
「アリサが誘導制御弾と防御魔法用のサポートプログラム入れて、なのはの初実戦に使われたよ。八発のディバインシューターに全方面から滅多打ちにされた。幸いセイヴのおかげで威力が殺されてたから痛いの我慢して突っ込んだ俺の勝ちだったけど、放射系の魔法を覚えたら俺じゃあ敵わないんじゃないかな」

 アリサがなのはも一度デバイスを使ってみる? となのはに尋ねた結果、女性から調達した時空管理局のストレージデバイスを借り受けたのだ。
 結果として祐一は強行突破、アリサはフラガラッハの張ったバリアで防ぎつつ接近戦に持ち込み、共に勝利した。
 今はそのデバイスは祐一が預かっている。
 生半可な力では危険だという言い分と、なのはは相応しいデバイスと巡り会えるから、と言ってぐずるなのはを何とか説得したのだ。

「じゃあ、これは返しておくよ」

 そう言って祐一が差し出したのは、話に上ったデバイスだ。
 待機状態のため、白いカードの形をしている。

「分かった。受け取っておくわ」

 女性もそのカードを受け取り、直後虚空へと消してしまう。

「デバイスといえば、そろそろなのはちゃんがレイジングハートと出会う頃ね」
「そうなのか?」

 驚きの声を上げる祐一だったが、しかしすぐに納得する。
 かつての世界でなのはに出会ったのが既に十二月だったのだ。
 直後の対闇の書の意志との戦いで垣間見た直射型砲撃魔法は防がれたとはいえ相当な威力を秘めていた。
 さらに、祐一は覚えていないがシグナムの張った結界を破壊するために、結界破壊効果付きの強力な集束砲を使ったことがあるという。
 ならば、そのデバイスとの出会いももうあってもいいはずだ。
 少なくとも、デバイスを持ったばかりの素人があのシグナム達と互角に戦えるはずがない。

「ええ。なのはちゃんがレイジングハート、そして無二の親友フェイトちゃんと出会う事件が起こるの」

 フェイト。
 フェイト・テスタロッサ。
 なのはと同じく闇の書事件で出会い、数回会ったことのあるだけの少女。
 だが、『現在の』祐一にとっては、同じ遺伝子を基にするいわば兄妹の関係に当たる少女だ。
 気にならないわけがない。

「その事件の詳細は?」
「私も情報操作とか色々関わってるから彼女の身の上については知っているけど……駄目、教えないわ。あの事件はなのはちゃんとフェイトちゃんの絆が結ばれた出来事でもあるの。余人が関与するべきではないわ。祐一も出来ることは少ないと思うけど、できる限り補助として動くこと」

 その女性の言葉に祐一も黙り込む。
 先を知るものが無闇に手を出すべきではない、ということだ。
 祐一は口元に笑みを作り、諦めた声を出す。

「分かった。なのはを信じるよ」
「よろしい。代わりに闇の書事件に関しては協力をしてあげるから、好きに私達を使いなさい」
「……いいのか?」
「いいのよ。私もあなたのことを信じてる。だからこの身を委ねることにするわ」

 そう言って祐一の頭をゆっくりとなでる女性。
 祐一もそれで気恥ずかしくなったのか黙り込む。

「さて、今日はもうこれまでにしましょう。この事件が終わったら相談してきなさい。闇の書事件に関してのできる限り詳細なデータをあげるから、そこでゆっくりと話し合いましょう」
「分かった。今度もまた夢の世界で、なのか?」
「そうよ。現世とは時間の流れが違うこの場所でなら、ゆっくりと考えて対策を練れる。いい事尽くめじゃない」
「こんな真っ暗な世界じゃ相談のしようもないんじゃないか?」

 すねたように言う祐一に、女性は小さく笑って言った。

「その時は窓のカーテンを閉めれば済む事でしょう? そうすればこの部屋は光に溢れるわ」
「ああ、そうか」

 窓の脇には薄いカーテンがかかっている。
 これらを閉めれば、薄くなった黒い光によってちょうどいい明るさの部屋になるだろう。

「それじゃあね、祐一」
「またな。母さん」

 そういうと同時に祐一の意識は深い眠りへといざなわれていった。







 夢より覚めると、そこはいつもの祐一の部屋だった。
 まだ日が昇っていないのか、まだ部屋の中は暗い。
 夢使いである月との夢での邂逅の後は、決まって夜中に目を覚ます。
 時間を確かめようと時計を見るために体を起こそうとして、祐一は両腕が動かせない事に気づいた。
 両脇を見れば、アリサとなのはが祐一の両腕をつかんで眠っていた。

(二人とも寂しくなったのかな)

 小学三年生に上がる事となり、一人で眠れるよう部屋にベッドが置かれたなのは。
 対して、月に一度は祐一の部屋に来て一緒に眠るアリサ。
 おそらく二人で密約を交わして祐一の部屋に侵入してきたのだろう。
 何とか首だけを起こして時計を確認する。
 表示されていた時間は午前四時。
 ぽすん、と頭をまくらに落とし、もう一度眠ろうとする。
 その前に、アリサに意識を集中させる祐一。
 すると、アリサからは寂寥と恐怖の念が伝わってきた。
 おそらくは両親を失った記憶が未だアリサを苛んでいるのだろう、と祐一は考えた。
 安らかになれるよう、安心できるように≪錯覚の香り≫を放ちながら、祐一はアリサに声をかける。

「大丈夫。俺がいるよ。そばにいるから、そんなに悲しまないで」

 そうしてしばらくするとアリサから感じるマイナスの感情を感じ取れなくなった。
 おそらくはもう悪夢からは抜けられたのだろう。
 安心して今度は布団の反対側に寝ているなのはに祐一は目を向ける。
 なのはの寝顔は、とても安らかなものだった。

(この子が事件に巻き込まれるのか……)

 少なくとも、なのはが苦しむような事態を祐一は好んでいない。
 だが、それはきっとなのはにとって大切な経験なのだ。
 だから祐一は補助に徹する覚悟を決める。
 ただ、それでもできる限りなのはの力になってやりたいとも思う。
 なのはは、祐一の義妹なのだから。

「さて、どの程度歴史に影響を与えられるものかな」

 いつまでも心配してもしょうがない、と祐一は考えを切り替える。
 それより、未来を変えない方がいいという事は、ベストとはいえないまでもベターな結末を迎えたということだ。
 それを、無理矢理に崩したいとは思わない。
 ならばやはり、悩み、決断し、行動するのはやはり主役たるなのはの役割だろう。
 もとより祐一達は、レイジングハートを手に入れたなのはに能力面で大きく劣る。
 祐一達に出来ることなどちょっとしたサポートと助言くらいなものだろう。
 月が祐一たちの行動に制限を幾つも設けなかったのも、祐一たちの能力を考えた上でのようだった。

(でも、せめて血の繋がった妹との初対面くらいはしておきたいかな)

 とりあえず最初のうち、現場に顔を出せる限りは出しておこう、と祐一は考える。
 なのはが飛行をできるようになるまでは、隣で守ってやるくらいのことは許されるだろう。
 そう考え、祐一も眠りにつこうと目を閉じる。
 もうすぐ四月。
 始まりの幕は、今にも開かれようとしていた。



[5010] 第十三話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:46

 ――夜明け前、海鳴町、林道――

 年の頃未だ十歳に届かないほどの男の子が、通常日本では珍しいマントを羽織り、林の中を見つめている。
 息は荒く、腕に怪我を負っている少年の視線の先には、迫り来る獣の息遣い。
 藪を突き抜けて襲い来る毛むくじゃらの怪物に、少年は片手を突き出しその手の先に意識を集中する。
 するとその手の先に円形の魔法陣が展開され、やがてそれは小さく収束されていく。

「妙なる響き、光となれ。許されざるものを、封印の環に!」

 少年の基に飛び掛る二本の触覚を有した毛むくじゃらの怪物。
 だが、少年は臆すことなく詠唱を完了させる。

「ジュエルシード、封印!」

 そして、少年の手の前で魔法陣と怪物が衝突した。



 ――結果は、痛み分けに終わった。
 己のコアにダメージを負った怪物はその場から体液らしきものをこぼしつつ撤退する。
 対して少年も大きなダメージを負い、その場に倒れこんだ。

「にがし、ちゃった……。おいかけ、なく、ちゃ――」

 そう呟いた途端、完全に脱力し倒れてしまう少年。
 意識が途切れる前に、少年は声ならぬ声――意識で意識に語りかける魔法、念話で助けを呼んだ。

(だれか、僕の声を聞いて……。力を、貸して。魔法の、力を……!)

 念話を送り終えると、少年の体は緑の光に包まれる。
 光が消えた後、そこに少年の姿は無くなっていた。









 朝、目を覚ました祐一は頭を振り、机の上に置いてあった一枚のカードに質問する。

「ファイス。念話の反応があったか?」
『はい。救援を求める通信が一件。記録していますが、再生いたしましょうか?』
「いや、いい。それより場所の特定を――」

 祐一は話すのを中断し、部屋の入り口に目を向ける。
 その直後、部屋になのはが入って来た。

「おにーちゃん、おにーちゃんは変な夢見なかった?」
「森の中で、力を貸して、と助けを乞われる夢か?」

 祐一の言葉に頷くなのは。
 祐一はため息をついて机の上のカードをなのはに手渡す。

「ファイス。何か危ない事があったら、なのはのことを守ってやってくれ。それと放課後に念話の発信点までなのはの誘導を頼む」
「おにーちゃん?」
「気になるんだろう? 放課後になったら捜しに行くといい。もしもの時にはファイスが俺やアリサを呼ぶはずだ」

 いつも自分が主体となってきた祐一が、なのはに事件を託している。
 そのことに違和感を感じたらしいなのはだったが、祐一は今日は学校が遅いから、とごまかす。
 しかたなくなのはは祐一の相棒――ファイスを預かり、ポケットに仕舞った。

「何か分かった事があったら教えてくれ。俺だって気にならないわけじゃないんだ」

 そう言ってなのはの頭を軽く手の平でたたく。

「はーい」

 祐一の言う事に従うなのは。とりあえず覚えた違和感は流してくれたようだ。
 二人は階段を降りて台所に向かう。

「おはよう、士郎さん」
「お父さん、おはよー」
「おう、おはよう。祐一、なのは」

 ダイニングテーブルでは士郎がコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
 キッチンでは桃子が朝ごはんを作っている。

「おはよう、桃子さん」
「おはよー。お母さん」
「ええ、二人ともおはよう。アリサちゃんは?」
「多分まだ寝てる。昨日の晩遅くまで勉強をしていたようだから」

 桃子の問いに祐一が答える。
 ちなみにここでいう勉強とは小学校の勉強、では無い。
 高町家でアリサが勉強というと、基本的に魔法関連だ。
 アリサはよく夜更かしをして魔法関係の技術や魔法に対しての研究を続けている。

「じゃあ、俺がアリサを起こしてきます」
「お父さん。お兄ちゃんとお姉ちゃんは?」
「ああ、道場にいるんじゃないか」

 そして祐一はアリサの部屋に、なのははタオルを持って道場に向かった。
 祐一は二階のアリサの部屋でドアをノックする。
 返事が無いのを確認し、祐一はドアを開けて部屋に入り込んだ。

「アリサ、起きてるか?」

 祐一のかけた声に、静かな寝息が返ってくる。
 ベッドの布団のふくらみから覗き見えるライトブラウンな髪の毛と茶色いクマのぬいぐるみ。
 ピンクのカーテンに可愛らしい小物の数々。
 これだけなら普通の女の子の部屋だといえよう。
 だが、普通というには異彩を放つ物品があるのも確かだった。
 部屋の隅にある大きな本棚には祐一から調達した様々な魔法関係の専門書、それに時空管理局についての本が並んでいる。
 ほとんど全てミッドチルダの言語で書かれているため、傍目からみれば洋書がずらりと並んでいるようにも見える。
 さらに机の上には大きなボードとそれにつながれたポッド。
 ボードは少し分厚めのキーボードのような形状をしている。
 これはデバイスの調整、プログラミング用のコンピューターのようなものであり、起動すれば空中にディスプレイが表示されるようになっている。
 それに繋がれたポッドの中には六つの小さな剣十字が浮いていた。
 おそらくは昨晩、アリサのビットデバイス、フラガラッハの更なるプログラム改良を試みていたようだ。

「また無茶な術式組み込んでなきゃいいが……」

 基本的にアリサの実戦訓練の相手は祐一なので、アリサの組む魔法の餌食となるのは祐一なのである。
 出来ることならこれから起きる事件とやらに上手く活用して欲しいと思い、物憂げなため息をつく。

「ほら、アリサ。朝だぞー」
「ん、うぅ……」

 祐一に体を軽く揺すられ、体を軽く伸ばしてうっすらと目を開けるアリサ。
 未だ半分夢うつつのアリサに祐一が手を差し伸べる。
 祐一の手を掴んで、アリサは上体を起こした。

「おはよー、祐一」
「おはよう、アリサ。何か夢とか見たか?」
「ううん、何にも」
「そっか……」

 デバイスに組み込まれたリンカーコアを利用して、魔法をデバイス『に』使わせる。
 それがアリサの魔法の使い方だ。
 アリサ自身には魔法の資質は一切無い。
 だからこそ、アリサには助けを呼ぶ声が届かなかったのだろう。

「とりあえず着替えて下に降りよう。もうすぐ朝ごはんだぞ」
「ふあぁーい」

 手を上に伸ばし、あくびをしながら答えるアリサ。
 女の子がはしたない、と祐一がその頭を軽くはたく。
 そしてアリサが着替えを手に取ると同時、祐一はアリサの部屋を出た。



 一階のキッチンルーム。
 テーブルに並べられた朝食を前に、皆雑談に興じながら食事を進めていく。
 士郎は桃子と。
 恭也は美由希と。
 そしてなのははアリサや祐一とそれぞれ仲良く話をしている。

「にしても、毎朝すごいな。士郎さんと恭也さん」

 何が、とは言わない。
 言葉にせずとも、アリサとなのはは空気で察した。
 毎朝桃子の料理を褒め、二人で新婚夫婦を演出する士郎。
 美由希のリボンのずれを直してやっている恭也。
 特に恭也は忍という彼女がいるのに、こういうことを外でもやっていたらいろいろ誤解を受けそうではある。

「ところでおにーちゃん。あの夢、ホントなの?」
「俺としても初めての経験だからな。だが、ファイスが言うんだ、間違いないだろう」
「何の話?」

 一人夢を見なかったアリサが祐一に質問してくる。
 流石にこの中で蚊帳の外にされるのは嫌なようだ。

「夢の中で、念話で助けを求められたんだ。ファイスも受信していたようだから間違いない。放課後にフルンティングに聞いてみるといい」
「助けって、今すぐ行かなくて良いの?」

 当然といえば当然の問いに、祐一が首を縦に振る。

「今回の主役はなのはらしくてな。俺は手出し禁止くらってるんだ」
「にゃ!? わたし?」

 突然の祐一の発言に困惑するなのは。
 まあ、誰でもいきなり大事を自分に丸投げされれば困惑ぐらいするだろう。

「ああ、母さん直々のお達しだからな。それに俺たちに今すぐ駆けつけるだけの時間は無い。もうすぐ出発の時間だ」
「……分かった。そういう事情ならあたしも手は出さないわ」

 祐一の母と聞いて、アリサには大体の察しがついたらしい。
 祐一が夢で母親、月とコンタクトをとったのはアリサも聞いている。
 これから起こる事態が、祐一の世界でなのはが独力で乗り越えた事件であると察しをつけたのだ。
 ならばとアリサと祐一は食器を流しに片付け、学校に向かおうとする。

「それじゃあ行ってきます」
「なのは、いつでも頼ってきていいからね」
「う、うん……」

 皆に挨拶をして、祐一とアリサは家を出る。
 なのははバス通学をしているが、祐一とアリサは体力作りを兼ねて毎朝学校まで走っていく。
 流石に五年以上続けていればアリサとてもうお手の物で、うっすらと汗をかく程度で学校に到着できるようになっていた。
 家庭の事情ということで、祐一とアリサは二年生以降同じ教室にしてもらえるよう申し入れをしてある。
 いつものように教室に駆けこむ祐一たち。
 それぞれの席に荷物を置くと、祐一たちの恒例の行事が始まる。
 アリサの耳の上の髪を括る小さなゴムを外し、祐一はアリサの緩いウェーブのかかったライトブラウンの髪を一房手にする。
 一房、また一房とゆっくりブラシを当て、髪の乱れを直していく。
 これは朝が遅いアリサが、学校でのブラッシングを祐一にお願いした結果である。
 朝の余裕を無くす徒歩通学を主張した祐一には断ることが出来ず、これを了承。
 最初ははやし立てていた子供もいたが、あまりに自然に二人がこなすのでもはや朝の風物詩となっていた。
 髪を梳き終えて祐一はブラシを仕舞い、アリサの髪をゴムで括る。
 それからは、いつものように朝の会から始まる日常を二人は甘受した。



「え、じゃあ魔法で誰かがSOSを発信していたんですか?」

 昼休みの屋上。
 ベンチに座ってお弁当を食べるなのはたち三年生三人娘のうち、すずかがそう聞いてきた。

「ああ。まあ捜す当てはファイスやフルンティングのような知性を持ったデバイスだけ。送られてきたのは森のイメージだけだし、先に学校の終わるなのはにSOSのあった現場に行ってもらおうと思うんだ。現場まではファイスの案内でそばにまではいけると思うし」
「すぐに助けに行かなくていいんですか?」

 至極もっともなバニングスの質問に祐一は唸る。

「確かに普段なら学校をサボって助けに向かうところなんだが……今回は母さんに手出し無用と言われているからな。先に授業の終わるなのはに向かってもらうしかないんだ」
「先を知りすぎてるっていうのも大変ね」

 残念そうな声を上げる祐一に、揶揄する言葉をぶつけるアリサ。

「先って、どういう事? おにーちゃん」
「いわば運命、かな。とにかくなのはが探し当てるまでは大丈夫なはずだ。見つけたら俺達も呼んでくれ。多少怪我しているくらいならどうにか出来る」

 そう言いながらベンチの前に座ってサンドイッチをほおばる。
 その隣でお茶を飲みながら、アリサが助けを出す。

「祐一はね、隠し事をしてるの。まだ事情があって話せないけど、年末になったら全部教えてあげられる。それまでは祐一の言う事を信じてあげて」
「はぁい……」

 隠し事をされていると知り、少し悲しげな表情を浮かべるなのは。
 しかし祐一達も今回の件に付いてはまるで知らない。
 分かっている事は、この事件でなのはが己のデバイスと出会うこと。
 そしてフェイト・テスタロッサという友人ができることぐらいだ。
 祐一達が対策を練ろうとしている闇の書事件が終わるまで、祐一が未来の情報を握っている事は明かせない。
 少なくとも、月が介入を控えるよう言ってきたという事は、お節介を焼かずとも丸く収まるという事だ。
 ならば祐一の存在を抜きにしたとき、なのはがどう行動するかを考えてそれをなぞらせた方がいい。
 それが、休み時間の間に祐一とアリサ・ローウェルが相談して決まったことだ。

「あの、私達もなのはちゃんについていってもいいですか?」

 すずかの言葉に、祐一たちは顔を見合わせる。
 そしてアリサが三人の方に向かい、真剣な表情を見せる。

「いいわよ。ただし、何かあった場合はすぐに助けを呼ぶこと。いいわね」

 強く念押しされ、三人は一つ頷いて返した。

「それじゃあ放課後よろしくな、皆」
「「「はい!」」」

 元気よい返事に祐一もまた頷く。
 こうして放課後には小三の三人が探索に当たる事になった。





 そして放課後。
 祐一とアリサが携帯のメールをチェックすると、赤い宝石を抱いたフェレットらしき動物の写真と共に、槙原動物病院に連れて行きますとメッセージが添えてあった。

「祐一、どうする?」
「それは俺たちが決める事じゃない。基本的な判断はなのは任せでいいさ。それできっと上手くいく」
「確かに事前にそう決めていたけど、実際の場になると結構じれったいわね」
「何事もそんなもんだ。それに俺たちにできる事もたかが知れてる。なのはが塾から帰ったら話を聞いてみよう」

 頷き合った二人は携帯を仕舞って帰路につく。
 帰ってから二人がまず始めたのはそれぞれの武装のチェックだった。
 祐一の張った結界の中、祐一は白と黒の大剣を様々な形に変えて振り回す。
 アリサは柄に赤い宝石の嵌まった大剣、フルンティングの取り回しと、宙を舞うフラガラッハの制御練習を行なう。
 事件と言われた以上は、なにか大事が起きることには違いない。
 それに対応できるよう、二人は実戦への準備を始めたのだ。
 そしてその夜。
 祐一達の予想通り、事件は発生した。




[5010] 第十四話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:46

 その日の夕食時、キッチンルームのテーブルにて。

「そういうわけで、そのフェレットさんをしばらく家で預かるわけにはいかないかなーって」
「ふぅーむ、フェレットかあ」

 身を乗り出して頼み込むなのはに、士郎は目を腕を組んで考え込む。

「ところでなんだ? フェレットって」

 そしてその士郎の言葉に、キッチンにいた桃子以外の全員が脱力した。

「いたちの仲間だよ、父さん」
「大分前から、ペットとして人気の動物なんだよ」

 そう言って士郎に教える恭也と美由希。
 そこで祐一がポケットから携帯を取り出し、なのはから届いたメールを開く

「ああ、こういうのです」

 言って祐一の携帯の画面に映っている動物の姿を、テーブルに座っていた皆が覗き込む。

「あら、可愛い!」
「というか、なのは。このフェレット、本当にただの動物なのか?」

 キッチンから料理を持ってきた桃子も、その写真を見て喜んだ。
 それとは対照的に、冷静に恭也が聞いてくる。

「うーん。助けてって声がして、その声がした場所に行ったらこのフェレットさんがいたんだけど……」
「このフェレットに似た動物が、地球以外の世界から来た可能性は大きいと思うな」
「それにこの宝石って多分デバイスでしょう? だったらこの動物が昨日SOSを送ってきた本人に間違いはなさそうね」

 なのはの言葉に、祐一とアリサがそう言った。
 その上で祐一は確認を取るためにもっとも手早い手段を選んだ。

「なのは、ファイスを返してもらえるか?」
「う、うん」

 なのははポケットから黒いカードを取り出して、祐一の手に渡す。

「ファイス。念話の発信者はその動物で合っているのか?」
『至近距離から確認しましたので、ほぼ間違いないと思われます』
「そうか……だったら直接本人から詳しい話を聞いておいた方がいいと思うんですが、どうでしょう」

 ファイスに確認を取った祐一は、士郎と桃子に話を振る。
 だが、魔法関係には正直祐一とアリサ以外は素人だ。
 士郎は首を捻って『未来を知る』祐一に質問する。

「祐一は何があったのか知らないのかい?」
「俺は何も。母さんもなのはに任せておけば問題ないみたいなことを言ってました」

 士郎の問いに首を横に振って答える祐一。
 対して、昼と同じく驚きの声をなのはが上げる。

「にゃ!? だからどうしてわたしなの?」
「だから運命、だよ。このフェレットとなのはは出会うべくして出会ったの」
「フェレットさんとわたしが、運命?」

 アリサの静かな言葉に、余計混乱したなのはが目を回す。
 まあ運命などと言われても、祐一が未来をある程度知っていることを高町家で唯一知らないなのはには何の事だか見当もつかないだろう。

「とりあえず明日にでも一緒に動物病院に行って、実際に話を聞いてみようか」
「そうね。なのは、明日話を聞いてみて、内容次第では引き取った方がいいかも」
「魔法の動物か……保護するのはいいが、一体何から助けてと言っていたのかな」

 なのはに声をかけていた祐一とアリサが、士郎のその言葉に凍りつく。
 事ここに至って、そのフェレットが危険なものからの救いを乞うていた可能性に思い至ったらしい。
 未来を知って動くという事は、その未来に対して悪影響を及ぼすこともありうる。
 そう考えたアリサがあわてて祐一となのはの方に向く。

「祐一、なのは、フェレットからの声は聞こえる?」
「いや、聞こえないぞ」
「き、聞こえないよ?」

 アリサの問いに、祐一と目を白黒させたままのなのはが返事をする。
 声が聞こえない、ということはとりあえず二つの可能性が考えられる。
 まだ無事、もしくは事態がひっ迫していない可能性と、もう既に手遅れである可能性だ。

「よし。ご飯食べたらあたしと祐一で見に行ってみましょう」

 魔法の非常識さを祐一たちからある程度知らされている高町家の面々は、不安ながらも祐一とアリサを行かせることを許可した。
 だが――

「わ、私も行くっ!」
「なのは?」

 大きな声で言うなのはに、祐一が驚く。
 慌てた祐一は、落ち着かないままなのはをとめようと説得にかかる。

「あ、危ないかもしれないんだぞ!?」
「待ちなさいこのバカ」

 直後、祐一の頭にアリサからの拳骨が落ちた。
 そこから祐一にアリサの説教が始まった。

「なのはの意志を第一にって言ったのはあんたでしょ。なのはが付いて来るって言うのなら許可しなさい。あたしたちがいなくても、助けを呼ぶ声が聞こえたらきっとなのはは出て行っちゃうでしょう?」
「はい……」

 祐一がうなだれると、アリサは他の皆に向き直る。

「とりあえず、ご飯を食べたら事情を聞きに動物病院まで行ってきます。いいですか?」

 そう言うアリサの目には、確かな自信があった。
 魔法込みでは恭也達でさえ敵わない祐一がいることもあったのだろう、祐一が思っていたよりはあっさり士郎達の許可は取れた。




「もう暗いんだから、事故にあわないよう気をつけるのよ」
「「「はーい」」」

 桃子と士郎に見送られて、祐一たち三人は家を出た。
 夜道を歩きながら、祐一たちは雑談をして動物病院へ向かう。

「祐一。魔力反応か何か感じる?」
「いーや、さっぱり。殺気や敵意の類ならある程度は読み取れるけど、魔力反応なんかは感知するの苦手なんだ。なのはは?」
「ううん、なんにも。ていうか、わたしにも分かるのかな?」

 自信なさ気に聞いてくるなのは。
 それに唯一魔力感知が出来る祐一が答える。

「慣れれば魔力反応を感知することも出来るようになるさ。俺はあまり精度や範囲は広くないけど。あとは探知魔法で探すくらいか。まだなのはには使えなかったっけ」
「うん……。わたしにできるのは、ちょっとした攻撃魔法と防御魔法だけ、なんだけど」
「一芸特化してる代わりに出力はすごいじゃない。デバイス持ってたときは、『プロテクション』なんて本気で崩しに行かないといけなかったんだから」

 さらに落ち込むなのはの顔を、アリサが覗き込んで励ます。
 ストレージのデバイスを使ったことで、なのはは大きな進歩を見せた。
 デバイス無しでも、精度は格段に落ちるとはいえ誘導制御弾を六つ展開して見せたし、防御魔法も硬さを増した。
 なのはは理論ではなく感覚から学ぶ傾向がある。
 実践してみる事で効率的に覚えられるのだろう。
 理解しやすく解説してあげることも、実践して見せることも出来ないためアドバイスを与えてやれない祐一達では、魔法の先生として不適格だったということだ。

「まあ、アレがついになのはの前に現れたんだ。これからはなのはもぐんぐん伸びていくよ、きっと」
「アレ?」
「すぐに分かるわよ、なのは。大丈夫だから安心して行きましょう」

 もちろん祐一たちの言うアレとは、フェレットが持っていたデバイス――レイジングハートの事だ。
 祐一から前もって話を聞いていたアリサと違い、まったく状況をつかめぬまま病院へと先導するなのは。
 やがて槙原動物病院とかかれた建物に辿り着いた祐一たちは、窓から中を覗いて回る。

「なのは、あのケージか?」
「うん、そうだと思う……っておにーちゃん!? なんでロストメモリーなんて持ってるの!?」

 なのはに確認をとった祐一は、漆黒の大剣『ロストメモリー』を握り締めていた。
 その切っ先を窓ガラスに触れさせ、祐一が命を下す。

「≪風化≫」

 直後、剣に触れていた窓ガラスが全て砂状の物質に変換され、崩れ落ちる。
 残ったサッシから中へと侵入する祐一達。
 なのはを中央に、ケージの前に三人は立った。

「あの、起きてますか?」

 三人を代表してなのはが質問をする。
 その声に反応してもぞもぞと動き出すフェレット。

「あの、助けを呼んでいたのはあなたですよね」

 その言葉に身じろぎするフェレット。
 驚いていた様子だったが、やがてフェレットは人間の声でしゃべり始めた。

「そうです。魔法の資質のある人に力を貸してほしくて、念話で助けを呼んでいました」
「しゃべった!?」

 フェレットがしゃべることに改めて驚くなのは。
 動物がしゃべることに慣れている祐一と、魔法の事を知ってからあまり動じない性格に育ったアリサはその事実を静かに受け入れる。

「来てくれて、ありがとうございます。少しの間だけでいいんです。ボクの探し物に協力してください」
「捜し物?」
「ボクは、ある探し物のためにここでは無い世界から来ました。でも、僕一人の力では思いを遂げられないかもしれない。だから、迷惑だと思いますが、資質を持った人に協力して欲しくて」

 そこで一息入れて、なのはの目をしっかりと見てフェレットは言った。

「お礼はします。必ずします! 僕の持っている力を、君に使って欲しいんです」
「力というのは、そのデバイスの事?」

 アリサの質問に、今度はフェレットが驚く番だった。

「デバイスを知っているんですか? ここは管理外世界なのに……」
「まあ、あたしたちも魔導師もどきだからね。そのぐらいの知識はあるわ。なのは、ケージから出してあげて」
「う、うん」

 アリサの指示に従い、ケージが開けられ、外に出されるフェレット。

「じっとしてろ。――≪ヒール≫」

 祐一の手の平から白い光の粒が溢れ、フェレットを包んでいく。
 その光を浴びて、驚いたように自分の体を確認するフェレット。

「これは、治癒魔法?」
「本来こっちが俺の専門だったんだけどな」

 どこか哀愁を背負って治癒を続ける祐一。
 祐一の本来の役割は治療士だ。
 もっともウィザードの治癒魔法が使えるようになったのは、祐一が前世の記憶に目覚めた闇の書事件以来だったが。
 やがて光も消え、祐一は後ろに下がる。

「それで、探し物って一体なんなの?」
「それは――」

 なのはの問いにフェレットが答えようとした瞬間、窓の外を向いて祐一が叫ぶ。

「なんか来るぞ! 下がってろ!」

 疑問の声をはさむことなく、アリサとフェレットを抱えたなのはは祐一の後方に逃げ込む。
 黒い大剣を構えた祐一は、剣にプラーナを注ぎ込んで対物理結界を張った。
 直後、壁を粉砕して何かが外から部屋の中へと侵入してくる。
 同時に砕かれた壁の破片や粉塵が部屋中に飛散した。
 しかし、祐一の張った結界にそれらは尽く防がれてしまう。

「ファイス!」
『アンダージャケット、展開します』
「フルンティング、フルセットアップ!」
『諾』

 粉塵が立ちこめる中、祐一とアリサは己のデバイスを起動する。
 祐一は胸元にマークの描かれた黒い上下の服を纏い、アリサは赤いドレスを纏う。
 さらにアリサは赤い刀身の大剣を構え、アリサの周囲には六本の十字剣が浮かび上がる。
 やがて粉塵が晴れた先には、二本の触覚に毛むくじゃらの獣が敵意を持った目でこちらを見つめていた。

「くっ!」

 フェレットは足元に円形の魔法陣を展開する。
 同時にその場にいた者たちに耳鳴りのような音が聞こえ、場の雰囲気が変わる。

「また、この音……!」
「これは、結界!?」
「そうです。民間人を巻き込まないよう張らせて貰いました」

 そんな事を言っていると、獣がフェレットを目指して突撃してくる。
 部屋の床にひびを入れるほどの踏み込みから体当たりが放たれた。
 しかしそれは祐一の張った結界に勢いを削がれ、フラガラッハのうち三本によって張られた三角形の障壁に跳ね返された。

「部屋の外に出るぞ!」
「了解!」
「う、うん!」

 祐一をしんがりに、フェレットを抱きかかえたなのはとアリサが壁にあいた穴から外に出る。

「なのははソイツを連れて逃げろ! アレの相手は俺たちがする!」
「でも!」
「いいから行きなさい! 今のあなたじゃ危ないの!」

 祐一とアリサに言われ、なのはは走り出す。
 その後を追うかのように、さらに壁を破って突撃してきた獣を、フラガラッハから伸びた魔力刃が上から地面に縫い付ける。
 だが――

「こいつ、不定形生物か!」

 ――獣はなんら害を受けることなく、フラガラッハの魔力刃からすり抜ける様に抜け出した。
 前に進む事によって剣に切り裂かれた部分は、すぐに繋がってしまう。
 その様子は、獣が液状体であるように祐一には見えた。

「だったら、これでどうだ!」

 祐一の周囲に細長い氷の槍が生まれ、獣に向けて射出される。
 獣を囲い込むように突き刺さった氷は瞬時に膨れ上がり、獣を閉じ込める氷の塔となった。
 だが祐一はさらに険しい顔をする。
 獣の額の辺りから、強大な魔力が溢れ始めたからだ。
 同時に、獣を覆う氷にひびが生まれる。

「祐一!?」
「おオオオオオォッ!」

 雄たけびを上げ、黒い大剣を巨大な針のような、槍型に変形させる祐一。
 氷を破って突進してきた獣はその槍に突き刺される形となる。
 さらに――

「≪ファイアボール≫!」

 槍の先へ伝わった祐一の魔力が、獣の体内で火球を生成、爆発させる。
 獣の体の後ろ側が爆散し、獣の破片が壁や木に突き刺さった。

「祐一、やったの?」
「いや、見てみろ。全然堪えた様子が無いぞ」

 祐一たちの目の前には下半身を吹き飛ばされ、不定形となる獣。
 その体からは幾つもの触手らしいものが突き出し、離散した己の肉体の破片を集めている。

「どう見る、アリサ」
「多分コアみたいなものが存在するのよ。そっちに干渉しないと何をしても無駄ね」

 祐一の頭に浮かぶのは額から感じた強力な魔力反応。
 無理に破壊して誘爆させてしまえば、どれほどの被害が出るか分からない。
 このような場合に有効なのは、この魔導生命体らしきものの中枢たる物質に封印系の魔法をかけて弱体化させてしまうことだ。
 だが、祐一もアリサもそのような魔法は持っていなかった。

「しょうがない。結界を張って額のコア見たいなものを破壊するぞ」
「ああもう、もっとスマートに出来ないものかしらね」

 危険な戦いになる事を祐一たちが覚悟したその瞬間、少しはなれた場所で桃色の魔力が天へと放たれた。

「ちょっと、何あれ!」
「まさか、なのは?」

 その光に意識を裂いたのが祐一たちの失敗だった。
 祐一たちがその光に気をとられたその次の瞬間、体の修復を終えた獣が地面に大きなひびを入れて空に舞い上がる。

「しまった!」
「始めから狙いはあのフェレットだったのね!」

 自分たちの失態を嘆きつつ、祐一たちは光の上った場所へと急ぐ。
 だが、大きなジャンプを繰り返す獣の方が圧倒的に速い。
 しかし先に獣が辿り着いてしまう事にもかかわらず、祐一達の顔には笑みが浮かんでいた。



 祐一達が走り出して数分。
 光が立ち上っていた場所では、なのはと獣が戦っていた。
 いや、それを戦いと呼ぶのはおこがましい。
 それは、蹂躙と呼ぶべき所業だった。

「シュート!」

 なのはの掛け声に合わせ、四発の魔力弾が獣に襲い掛かり、その体を叩きのめす。
 さらになのはの周囲には未だ使われない八発の魔力弾が待機していた。
 さらになのはの服装が変化しており、聖小の制服を思わせる白い服を基調に、肩の部分は大きく膨れ、袖先には青い金属装甲が付けられていた。
 それが、なのはの生み出したバリアジャケットだった。
 腕、足、横腹に金属がついているのは、以前見た祐一のバリアジャケットの影響を受けているのだろう。
 一方、獣はコアにダメージを受けているわけではないので堪える様子は無い。
 だがその体を動かす暇も与えず叩き伏せ続ける魔力弾は、獣の目にはどう映っているだろうか。
 今ここに、畏怖すべき魔導師が誕生していた。

「フルンティング」
『剣弾射出』

 駆けつけたアリサの声に伴い、五本のフラガラッハが獣を囲うように突き刺さり、残りの一本が獣の上に剣先を下にして浮かぶ。
 五本の剣と宙に浮かぶ剣が五角錐の障壁――クリスタルケージを生成し、獣の動きを完全に封じ込めた。
 フラガラッハには一本ずつに、オーバーSランクの魔力を持つリンカーコアが搭載されている。
 それが共鳴しながら築いた障壁は、力技では決して打ち破れない強度を持つことになる。
 ケージの中で暴れる獣は、完全に捕獲されていた。

「おにーちゃん、おねーちゃん、無事だったの!?」
「俺たちは無事だ。そこのフェレット。こいつには攻撃が通じないみたいなんだが、何か解決策はあるのか?」
「あれは忌まわしい力の下に生まれた思念体。停止させるには、封印するしかありません」

 祐一の言葉に、フェレットがそう答える。

「俺達には封印系の魔法は使えない。なのはに出来るか?」
「わ、わたし?」

 祐一のフェレットに訊ねる言葉に、なのはが慌てた声を上げる。
 その問いに自信を持ってフェレットが答えた。

「出来ます。ですが、強い力を使う魔法には呪文が必要です。心を澄ませて。あなたの呪文が心に浮かんでくるはずです」

 フェレットの言葉に、なのはが目を閉じて集中する。
 それと同調するように、なのはが握り締めていた杖の先にある赤い球体がほのかに光り始める。
 なのはと同調しているのだ。
 やがて、なのはは静かに目を開き、呪文を詠唱する。

「リリカル、マジカル」
「封印すべきは忌まわしき器、ジュエルシード!」

 なのはの詠唱を補助するように、二本足で立ったフェレットが叫んだ。

「ジュエルシード、封印!」
『Sealimg mode set up』

 なのはの詠唱になのはの持つ杖が応え、その形を変形させる。
 杖の先端部と柄の接合部分がスライドし、そこから羽のようなエネルギーが放出された。

「アリサ、クリスタルケージ解除!」
「了解!」

 さらになのはの封印に合わせ、余計な障害となる六本の剣がアリサの下へと舞い戻った。
 その直後、なのはの杖から放たれた桃色のエネルギーの帯が獣を絡めとり、縛り上げる。

 ぐおおおおおぉおおぉ……。

 獣の叫びと同時、獣の額に<XXI>と数字が刻まれた。

『Stand by ready』

 準備完了との杖からの声に、なのはが終焉の言葉を紡ぐ。

「リリカル、マジカル。ジュエルシード、シリアル21。封印!」
『Sealing』

 さらに多くの光条が獣の体を貫く。
 獣は断末魔の叫びを上げ、その体は光となって消えていった。
 そして獣がいた場所、ひび割れた道路の中央に光る物体が現れる。

「あ……」
「これが、ジュエルシードです」

 なのはと共に光っている物体に近づきながら、フェレットが言った。

「レイジングハートで触れて」

 言われるままになのはが杖を突き出すと、杖の先にある赤い球体にその発光体――ジュエルシードが吸い込まれる。

『Receipt number XXI』

 そう杖がしゃべると同時に杖となのはのバリアジャケットが消え、なのはの服装は出かけた時の物に、杖は赤いビー玉のようなクリスタルへと変わる。

「えーと、終わったの、かな」
「はい。あなた達のおかげで」

 呆然とするなのはの言葉に、フェレットが答える。

「ありがとう……」

 そしてそれまで二本足で立っていたフェレットがぐらりと倒れ、同時に張られていた結界が消失する。

「ちょっと、だいじょうぶ!? ねえ!」

 なのはがフェレットを抱き上げるが、フェレットは意識を失ったままだ。

「なのは、いつまでもこんな場所にいるのはまずい。一旦この場から離れるぞ」
「え……」

 祐一に言われて辺りを見回したなのはの目に映ったのは、破砕された道路の姿。
 警察沙汰になれば、事情を説明するわけにもいかない。

「逃げるわよ、なのは」
「う、うんっ」

 アリサに言われ、三人ともその場から離れるべく駆け出すのだった。



[5010] 第十五話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:47

 先ほど戦闘した場所に程近い公園。
 池の前にあるベンチに祐一たちは座っていた。

「なのは、大丈夫か?」
「うん、平気、だと思う……」

 公園まで走ってきた事で息を切らせていたなのはに、祐一が声をかける。
 祐一やアリサからしてみたらそう大した距離ではないのだが、普段体を動かすのがあまり得意でないなのはにとっては、やはり苦しいものがあったのだろう。
 ようやく息が整ったなのはに、目を覚ましたフェレットが声をかける。

「すみません……」
「あ、起こしちゃった? ごめんね、乱暴で。怪我痛くない?」

 包帯で巻かれたフェレットの体を見て、なのはが心配して声をかける。
 だが――

「もう、平気です。そちらの方に治して頂きましたから」

 ――そう言って祐一の方を見るフェレット。
 祐一がそっと包帯を外す。
 その下には怪我の痕さえ見当たらなかった。

「じゃあ、さっき倒れたのは魔力切れ?」
「はい。そうなります」

 なのはを挟んで祐一と反対側に座るアリサの問いに、フェレットは頷いて答えた。

「結界の維持だけで精一杯か。魔力が枯渇しているのか?」
「いえ、一つジュエルシードを封印するだけでずいぶんと消耗してしまいまして。数日かければ元通りに回復すると思います」

 祐一の問いにそう答えるフェレット。
 もし先ほどのような強力な思念体を結界を張りつつ封印したのであれば、その消費魔力は相当なものになるだろう。
 祐一は納得がいったとばかりに頷く。
 そこでフェレットをじっと見つめていたなのはが口を開いた。

「ねえ、自己紹介していい?」
「あ、うん」

 フェレットの返事に、えへんと一つ咳払いをして居住まいを正すなのは。

「わたし、高町なのは。小学校三年生。家族とか、仲良しの友達は、なのはって呼ぶよ」
「あたしはアリサ・ローウェル。十一歳。アリサって呼び捨ててくれればいいわ」
「俺は相沢祐一。同じく十一歳。俺も祐一と呼び捨ててくれ」
「えっと、なのはさんに、アリサさんに、祐一さんですね」

 順々に名乗られ、確かめるように復唱するフェレット。

「だから、なのはって呼び捨てで呼んで」
「あ、うん。……なのは」
「うん!」

 笑顔を浮かべるなのはに照れた様子のフェレット。恥ずかしそうに顔を背けるが、すぐになのは達に向き直る。

「僕は、ユーノ・スクライア。スクライアが部族名だから、ユーノが名前です」
「ユーノ君か。可愛い名前だね」

 笑顔でそう返すなのはに、フェレット――ユーノはすまなそうにうなだれる。

「すみません。あなた方を、巻き込んでしまいました」
「俺やアリサは始めからある程度厄介ごとを想定して来てたからいいが、なのははどうだ?」
「えっと、たぶんわたしもへーき」
「そうか」

 なのはの言葉にその頭をぐりぐりとなでた祐一は、あらためてユーノに向き直る。

「と、いうわけで俺たちは全員平気だ。そう落ち込むな」
「そう言われましても……」

 祐一にそういわれても、まだ迷惑をかけたと落ち込み続けるユーノに今度はアリサが声をかける。

「とりあえず、ここで大体の話を聞かせてもらいましょうか。うちの人たちは魔法の存在を知ってるから、帰って質問攻めに合うのも大変だし」
「じゃあ俺は士郎さんたちに連絡を入れておくよ」

 そう言って席を立ち、少し離れて携帯を取り出す祐一。
 遅くなる事を伝えておくらしい。
 とりあえずアリサたちはユーノに向き直る。

「まずは、さっきの化け物――ジュエルシードについて話してもらいましょうか」







「まず、ジュエルシードは願いをかなえる魔法の石。だけど不安定で暴走しやすく、封印して回収する必要がある、と」
「それでユーノが発掘した二十一個のジュエルシードを、保管するために運んでいた調査団の時空間船が何らかの事故に遭って、ジュエルシードがこの近辺にばら撒かれた」
「あれ? それって別にユーノ君のせいじゃ無いんじゃない?」

 アリサ、祐一がユーノの話した内容をまとめ、責任を強く感じるユーノの姿勢になのはが疑問を呈する。

「だけど、アレを見つけてしまったのは僕だから。全部見つけて、あるべき場所に還さないと、ダメだから……」
「こらこら。正義感から行動するのはいいが、責任にも負い方があるんだ。危ないから回収するって言うのは分かるが、自分の責任ではないものを無理に背負うと苦しいだけだぞ」

 あくまで自分を責めるユーノに、祐一が釘をさす。
 当然ながら、その事故によって起こってしまった事態に対しての責任は調査団、あるいは事故が人為的なものであれば画策した人物こそが負うべきものだ。
 だがその他人の負うべき責任をわざわざ引き受けていては、身がいくらあっても持ちはしない。
 だからこそ、今こうして伏せってしまっているのだと祐一は断じた。 

「それにこの辺りにそんな危ないものが散っているんじゃ、あたしたちも動くしかないでしょう? 変な遠慮は要らないから、存分に甘えなさい」
「そうだよ。わたしにも協力させて? きっと力になって見せるから」
「そ、そんな。一週間、いえ、五日間ほど休ませてもらえればいいんです。そうすれば、力も元に戻るから……」

 アリサとなのはの言葉に、あくまでも自分一人でやり遂げようとするユーノ。
 あからさまに深くため息をつく祐一を、ユーノが注視する。
 その次の瞬間、ユーノの鼻先を祐一が軽く指ではじいた。

「痛っ!?」
「一人でやってどうする。ここにこれだけ戦力がいるんだ、頼ればいいだけの話だろう」

 祐一の意見は当然の事だ。
 責任がどこにあろうとも、実際に被害が起きるのはこの町なのだ。
 この町に住み、なおかつ対処能力がある者が出張るのは当然の成り行きである。
 だが、ユーノはやはり首を横に振る。

「だけど、さっきみたいに危険な事だってあるんですよ?」
「危険なら余計に手伝わないとダメでしょう? ユーノが一人でやって、失敗したら誰がこの町の人を守れるの?」

 アリサの言葉にぐっと詰まるユーノ。
 やはりユーノにも、一人だけで封印をして回るリスクは分かっているらしい。
 そこでなのはの顔が不意に明るくなる。
 どうやら名案が浮かんだらしい。

「そうだ。ユーノ君、わたしに魔法を教えてくれるかな? きっとユーノ君の力になって見せるよ」
「魔法って、祐一さんやアリサさんじゃだめなんですか?」

 なのはに頼まれ、祐一とアリサの顔を見るユーノ。
 その視線に耐えかねて、二人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。

「詳しい話は後でするけど、あたし達自身は普通の魔法は使えないの」
「なのはは理論じゃなくて感覚で魔法を使う子だから、ユーノのような魔法が使える人の指導が必要なんだ」

 アリサと祐一の言葉に、なのはの顔を見つめるユーノ。
 祐一もアリサも、管理局基準の魔法は本人ではなくデバイス自身が発動する仕様になっている。
 つまりは、祐一もアリサも自分で魔法を使った経験がないので真っ当なアドバイスなどしてやれないのだ。
 なのはもそこでアハハ、と苦笑いを浮かべる。

「ユーノ君、お礼をしてくれるってさっき言ってたよね?」
「う、うん」

 なのはの言葉に、多少不安そうな目をしてユーノが頷く。
 どうやらある程度お願いの予測が立っているらしい。

「じゃあユーノ君。わたしにレイジングハートを使った魔法を教えてくれないかな。それがお礼って言う事で」
「えっと、やっぱりその間、皆さんがジュエルシードを回収する手伝いをしてくださるという事でしょうか……」

 ユーノの言葉に、なのは達三人が揃って笑顔で頷いた。
 ユーノとしてもここで意地を張ってしまう訳にはいかない。
 ユーノが満足に動けるようになるまで、一週間はかかってしまうからだ。
 その間ユーノはなのはを頼り、なのはに魔法を教える事になるのは避けられない。
 まして相手は魔導についてある程度かじっているなのはである。
 先の戦闘で見せた圧倒的な誘導制御弾の数とコントロール、さらには巨大な魔力で思念体を強引に封印しながらもまったく疲れを見せない魔力量。
 どれもユーノには真似のできないもので、ジュエルシードを回収するならそれはとても魅力的な力といえた。
 迷いを見せるユーノに、祐一が言う。

「諦めろユーノ。どの道これはこの町に住む俺達の問題でもある。現地の魔導師と共同戦線を張ると思っておけばいいだろ?」

 その言葉に、ユーノも諦めて折れる。

「これからよろしくお願いします」
「うん。よろしくね、ユーノ君」

 若干うなだれ気味のユーノに、なのはが笑って声をかける。
 それを見た祐一は、アリサと顔を見合わせて互いに口元をほころばせる。

 ――これでなのははレイジングハートと無事めぐり会えた。あとはフェイト・テスタロッサだが……

 その日祐一の感知できる範囲に、他に異常らしい異常はなかった。
 おそらくは彼女と知り合うのは今日ではなかったのだろう。
 それがいつかというのは、祐一の母、月ぐらいでも知ってはいまい。
 とりあえず、今回はなのはの魔法の先生が確保できたというだけでも祐一にとっては大収穫である。
 ほんの少しのアドバイスのみで、ユーノはなのはに未修得の封印の魔法を使わせた。
 いくらなのはに魔法の資質があっても、それを発露させる切っ掛けが無ければどうしようもない。
 祐一達ではなのはに的確なアドバイスなど与えてやれないのだ。
 その事に少しばかり悔しい思いをしながら、祐一はこれからのことに思いをはせる。

「さて、もう家に帰ろうか。皆に今回の事件の説明をしなきゃいけないし」
「はわっ。もうこんな時間!?」
「祐一、帰る前にもう一度連絡を入れておいて」

 散々騒ぎながら、祐一達は帰路につく。
 気が重そうにしているユーノも、いずれ頼り頼られながら共に戦う事を納得してもらえるだろう。
 少なくとも、その時祐一はそう思っていた。
 もっとも、すぐに事態は祐一たちの手の届かないところへ行ってしまうのだが。
 それはまだ、祐一の知るところではなかった。



 そして、帰宅後。
 時刻は十時を回ったあたり。
 ユーノをテーブルに置いて、なのはと祐一、アリサが他の家族に説明をする。
 危険な事に関わることは当然いい顔をされなかった。
 しかし、事が魔法関連であること、なのはにしか封印処置ができないこと、そして放置すればこの町で重大な事件が起きかねないことを説明すると、皆はしぶしぶながら頷いてくれた。
 まず一番に理解を示してくれたのは恭也だった。
 正道ではない剣を学び守るために剣を振るう恭也だからこそ、なのはの意思に一番に賛同してくれたのだ。
 続いて美由希、桃子が認め、士郎もしぶしぶながら頷いた。
 こうして、晴れてなのはは家族公認の魔法少女としてジュエルシードの探索に赴くことになったのであった。





「それにしてもユーノ君、本当に可愛いわねー」
「わわ、お母さん、ユーノ君のびちゃってるよー!?」

 ただ、桃子の許可はユーノのペットとしての可愛らしさにほだされたためでは無いだろうかと、祐一は桃子に振り回されるユーノの姿を見て疑念を抱かずにはいられなかった。



[5010] 第十六話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:47

 動物病院での事件から日が明けて翌日。
 学校から帰った祐一達はユーノとなのはが家にいないことに疑念を抱き、祐一がなのはの携帯に電話をかけた。
 電話に出たなのはから事情を聞く限り、今度は神社でジュエルシードの発現があったという。
 可愛らしい子犬がジュエルシードに取り憑かれ、大きな犬の怪物と化していたらしい。
 ユーノの補足によると、なのはは襲ってくる犬にデバイス無しでの防御魔法で対処、犬の弱点である鼻に魔力弾をぶつけて狼狽させ、その隙にレイジングハートを起動、ジュエルシードを封印したという。
 その際にレイジングハートをパスワード無しに起動させたことから、なのはの資質がとてつもないということを事をユーノは実感したと語った。
 デバイス無しでもジュエルシードの暴走体を怯ませたのは、なのはの魔法戦闘センスの現れであろう。
 これで回収したジュエルシードはユーノが一人で回収したものと合わせて三つ。
 残るジュエルシードは十八個。
 被害も今回は女性が一人気絶しただけとあり、軽微といえた。
 そして、その日の晩――






「じゃあなのは。捕縛魔法の訓練、いってみようか」
「う、うん」

 ユーノの言葉を受け、レイジングハートを握り締めるなのは。
 これから毎晩になるであろうなのはの魔法訓練だ。
 一方で、なのはの緊張した様子に抗魔の剣、白剣セイヴ・ザ・メモリーの柄を握り締める祐一。
 今回の捕縛魔法の実践は、祐一がターゲット役をつとめるのだ。

「心の中に、イメージを描いて」
「う、うん」

 ユーノに言われるがまま目を閉じてイメージを膨らませるなのは。
 祐一達が教えてきた理論第一のやり方とはまるで異なる感覚のみの曖昧なやりとりに、被験者である祐一は目前に迫る脅威に不安を隠しきれなかった。

「そのイメージを手にした杖に、レイジングハートに渡して」
「うん。レイジングハート、お願い!」
『Stand by ready』

 ユーノの言葉から推測する限り、レイジングハートは強いイメージとそれを支える魔力によって、思った通りの魔法が発動するよう補助する杖のようだ。
 その能力は、舞やあゆの持つ願いをかなえる力、≪小さな奇跡≫を思わせる。
 あとはなのはの強いイメージが、完全で狂いのないことを祈るのみである。

「イメージに魔力を込めて、呪文と共に、杖の先から一気に発動」
「イメージを魔力に……リリカルマジカル、えっと、捕獲魔法、発動!」

 その次の瞬間、祐一周辺の空間に強力な魔力が収束。
 それが祐一を捕縛しようと襲い掛かった。
 特定の方向からではなく、周囲の空間から強制的に捕縛される祐一。
 その四肢にはピンク色の光の環が祐一を捕らえていた。
 だが――

「やった、成功!?」
「いや、してない!」

 なのはの声に、ユーノが否定の叫びを上げる。
 その次には捕縛されている祐一が叫びを上げた。

「ちょっと待て! なんか空間がギシギシいってるんだけど!?」
「ふぇ、ふぇえええええ!?」

 なのはの悲鳴が響く中、収束されたはずの魔力が拡散。
 いきなり暴走した強大な魔力は捕獲空間の前に立っていたなのはを二、三メートル吹き飛ばした。

「なのは! 大丈夫?」
「うぅ、びっくりした……」

 それまで事態を静観していたアリサが、吹き飛ばされたなのはに声をかける。
 なのはは展開していたバリアジャケットに守られて怪我らしい怪我はしていないようだった。
 ただ急激に膨張した魔力の衝撃に目を回しているだけのようである。

「祐一さん、大丈夫ですか?」
「ああ。魔力の爆発は外に向かっていったらしいな。中にいた俺は平気だった」
「そうですか、よかった」

 改めて安堵の息をつくユーノ。
 理論上は魔力集束系の捕獲魔法なので、集束の失敗による暴発であれば魔力は膨張し、外に向かって拡散する事はあらかじめ説明されていた。
 しかし、イメージ次第では魔法がどう変質するか、ユーノにも分かっていなかったらしい。
 そのことを察した祐一は今頃になって冷や汗を一筋流した。

「あの、なのはが魔法を始めたのは二年前からなんですよね」
「ああ、そうだが?」

 ユーノの言葉に、祐一が首を傾げる。
 ユーノの意図するところが分かっていないようだ。

「なのはは攻撃や防御魔法なんかの放出系は非常識なまでに優れていますが、他が雑すぎます。一体どういう教育をしてきたんですか?」
「魔力弾や誘導制御弾は俺が使えるから何とか感覚的に伝えて、フラガラッハの力を借りて学んだし、防御魔法はファイスに協力してもらって使うことで自分一人でも出来るようになっていった。要は感覚的に補佐できる人と適切な発動媒体がなのはには必要だったってことだな。他の事ができない俺たちじゃあそれが限界だった。まあ、レイジングハートとユーノがいれば今まで理論だけじゃ習得できなかった魔法も使えるようになるさ」

 ユーノ言葉に、祐一はそう言って返す。
 自分達だけではなのはに魔法を教えるには足りなかった。
 こうしてユーノという教師役と、優れた魔法発動媒体であるレイジングハートが揃った今になってようやくなのはは魔法を学べるのだと。

「なのはは元の魔力が大きい分、集束とか、圧縮とか、微妙なコントロールが苦手みたいですね」
「あのー、それってわたしが力任せで大雑把な性格ってこと?」
「い、いや、そうじゃないから!」

 ユーノの分析を聞いて落ち込むなのは。
 慌ててユーノは弁解しようとする。
 それを眺めて、祐一とアリサは笑いあった。

「ホント、どれだけ才能があっても教師役がダメじゃあ成長はしないってことね」
「単にまだなのはが幼すぎただけだと思うが。それでもユーノが教えるとなのははすぐに吸収していくな」

 今までは、いくら教えてもなのはは捕獲魔法を使うことは出来なかった。
 それがストレージデバイスに補助を受けながらでも、である。
 それが失敗したとはいえ発動まではこぎつけてみせた。
 これはなのはとレイジングハートの相性が極めてよい事と、それを補佐するユーノの的確さの証明のように祐一達の目には映った。

「今日は遅いし、このぐらいにしておこう」
「え、もう終わりなの?」

 残念そうな声を上げるなのは。
 だが祐一に見せられた腕時計の時間に、なのはは納得の声を洩らす。
 時刻は午後八時五十二分。
 風呂に入って、学校と塾の宿題をするとなるとすぐに十時になるだろう。
 当然ながらなのはは小学三年生。
 未だ八歳になったばかりの少女だ。
 十時にはベッドに入るよう厳しく言い渡されている。
 そうでなくとも高町家で遅くまでおきているのは深夜訓練をしている恭也と美由希か、デバイスの調整や魔導関連の書物を読み漁っているアリサくらいのものである。
 なのはも納得したところで、祐一は結界を解除する。
 ガラスが大きく割れるような音が響いた後、灰色だった世界に色が戻ってきた。

「じゃあユーノ君、一緒にお風呂入ろっか」
「なななななのは!? だ、だめだよ! 僕は祐一さんと入るから!」

 そしてなのはの誘いに慌てて断るユーノ。
 ユーノがおそらくは使い魔ではなく変身魔法を使っている人間であると察している祐一は、そこでにやりと口元を吊り上げた。

「いや、この後俺は忙しいんでな。なのはかアリサに入れてもらうぇがばら!?」

 そして祐一は最後までしゃべることが出来ず地に沈んだ。
 見ればアリサのフラガラッハが柄の部分を先にして祐一のみぞおちに突き刺さっている。

「なのは、ユーノは祐一に任せて久しぶりに一緒に入りましょう?」
「で、でもユーノ君とお兄ちゃんが……」

 見れば祐一の上にユーノが投げ捨てられており、さらに祐一たちを囲むように五本のフラガラッハが展開されていた。
 フラガラッハの刀身は触れれば切れる銘刀の類であり、本気であれば殺傷も簡単に出来てしまう恐るべき武器だ。
 今は魔力の刃が刀身から大きく伸ばされているが、触れれば切れることはなくとも切り刻まれる痛みだけは味わう事になる。
 そこには、どうあっても男になのはの裸体を拝ませる気は無いとの意思が見て取れた。
 そしてそれは、祐一が起きようとした瞬間オートで襲い掛かった。

「ぬおおおおおおっ!?」
「うわああああああ!?」

 先に祐一が喰らった分も合わせて、襲い掛かる六本の剣を必死で二本の大剣で斬り払う祐一と、その背に隠れるユーノ。
 魔力が未だ回復していないユーノには防御手段が無いのだ。
 祐一は双剣をフラガラッハにぶつけ、ユーノを抱えて空いた間隙をウィザードの切り札――プラーナによる脚力強化によって突破し、瞬時に玄関先のアリサ達に追いつく。

「悪かった! 謝るから許してくれ!」
「……ふん」

 祐一の必死の叫びにアリサが鼻を鳴らすと、フラガラッハは全て大人しくなり待機状態に変化する。
 それらがアリサの首もとのペンダントに収まるのを確認して、祐一は安堵の息をついた。
 たしかに祐一の持つ黒い大剣、ロストメモリーの能力によって速度は減衰するし、自動操作である分祐一にとって軌道を見切るのはたやすかった。
 また魔力刃による魔力ダメージは、祐一のような内臓の修復能力を持つものにとっては無効だ。
 いくら魔力を削られても、リンカーコアが修復され続ける限りすぐに回復してしまう。
 つまり、斬られてもただ痛いだけに被害はとどまってしまうということだ。
 これはアリサなりの手加減があったことを意味している。
 だからこそ誠心誠意謝れば、祐一もこうして許してもらう事が出来ていた。

「祐一。今後妙な事は考えないように」
「はい……」

 しっかりと祐一に念を押してから、アリサはなのはと風呂に向かう。
 それを見送って、祐一は口を開いた。

「なあユーノ。なのはと一緒にお風呂、入りたかったか?」
「そんなわけないでしょう! 女の子と一緒に入るなんて!」

 祐一の言葉に過剰反応するユーノ。
 それを見て祐一は想像を確信に変える。

「なあ、ユーノ。お前ってやっぱり人間なのか」
「当然です。ってそっか、ずっとこの姿のままだから……」
「俺とアリサ以外には獣として認識されているみたいだけどな。前にスクライアが部族名だって言ってたろ? それでお前が使い魔じゃなくて人間じゃないかって思ってたんだ」

 その祐一の言葉にユーノは申し訳なさそうにうなだれる。

「すいません……。この格好は体力と魔力の回復のために一時的に取っているので、無事回復したら皆さんにも本当の姿を見せます」
「そうか。早く良くなるといいな」
「はい」

 そこで祐一は、足元にいるユーノをひょいと持ち上げ、肩の上に乗せた。
 そのまま家の中に入り、居間のソファに腰掛ける。

「さて、二人が出たら、男同士で風呂に入ろうか」
「はい。……祐一さん?」
「ん、なんだ?」

 なんとなくカレンダーを眺めていた祐一。
 そこにユーノが声をかける。

「今眺めていたあれはなんですか?」
「ああ。カレンダーだよ。この世界の暦だ。今日がここで……」
「こっちの丸がついているのは?」
「ああ、皆でプールに行く日だな。学校が午前中で終わるんで、新しく出来た温水プールへ行こうって約束がしてあったんだ」

 そこでふと祐一はユーノの姿を眺める。
 その視線に悪寒を感じたのか、ユーノはブルリと身を震わせた。

「よし、ユーノも行こう」
「な、なんでですか!?」

 悲鳴に似た声を上げるユーノに、祐一は至極真面目な顔で答える。
 もっとも、アリサが見れば祐一に悪魔の角と尻尾が見えたことだろうが。

「なんでって、どうせ一人で居たところでジュエルシードを見つけても封印できないだろ?」
「う゛」

 祐一の言葉はユーノの心の深い部分をえぐったらしい。
 それに構わず祐一は先を続けた。

「まあ、人間の姿でレジャー施設を満喫する事はできないかもしれんが、せっかくの機会だ。そんな張り詰めた思考じゃあ上手くいくものも上手くいかん。行って少し息抜きして来い」
「祐一さん……」

 ユーノに語りかける祐一の顔は穏やかなもので、ユーノは祐一の気遣いに素直に感謝した。
 確かにユーノは一刻も早くジュエルシードを封印する事、そして回復した後は一人で回収をする事にこだわる節があった。
 祐一はそれを見越した上で、焦るなと、今は休めと告げたのだ。
 ユーノは祐一に感動のまなざしを向けていた。
 だが、そこで悪魔が笑みを深くする。

「ところでユーノ。この当日だが、なのはたちは学校から直接向かうことになっている。俺とアリサはバスを使って学校から向かうから、ユーノを連れて行くのは美由希さんになると思う。美由希さんと一緒に女子更衣室、堪能して来い」
「む、無理です無理です! なんでそんなことになるんですか!?」
「いや、それは仕方の無いことだろう? 士郎さんと桃子さんは喫茶店。恭也さんは監視員のバイトで先に行く。一度帰ってくるのは美由希さんだけなんだから」
「そんな……」

 しょぼくれて見せるユーノ。
 ただシャイなだけかとも思ったが、これまでの短絡的な行動や事態の大きさの割に自分独りで解決しようとする無鉄砲さを考慮して、祐一はユーノに対する認識を改めた。

「もしかしてユーノ、お前って俺より年下か?」
「あ、はい。大体なのはと同じくらいだと思います」

 ふむ、と祐一は頷いてユーノに言い放った。
 なるほど、二次性徴も来ていない子供が女性の裸を見たところで恥ずかしいだけなのだろう。
 そこで祐一はさらにユーノをいじりにかかった。

「なら何も問題はないだろう。十歳未満の子供ならどちらで着替えても許されるはずだ。まして獣の姿のお前なら不審に思われることもない。存分に堪能して来い」
「無理、無理ですから! 大体僕に何をさせたいんですかあなたは!」
「ん、覗き」

 ユーノが怒り半分恥ずかしさ半分で祐一に怒鳴りつけようとした時、祐一の頭が弾かれたようにブレ、ソファーに沈んだ。
 見れば防御フィールドでコーティングされた十字剣、フラガラッハが祐一の頭上をふわふわと浮いている。
 切れたり刺さったりしないように防御フィールドを纏ったフラガラッハが、見事祐一のこめかみを打ち抜いたのだった。
 慌ててユーノが周りを見ると、パジャマ姿のアリサがダイニングテーブルの横に立っている。
 怒り心頭の様子で、周りには威嚇としてか残り五本のフラガラッハが展開されていた。

「ユーノ」
「ひゃ、ひゃいっ!」

 あまりの迫力にユーノは舌を噛みながら返事をした。
 無表情のアリサはそれに構わず話を続ける。

「たとえ女子更衣室の中に入っても、着替え用の個室さえ覗かなければ大丈夫だから。いい? 更衣室をそのまま抜けてきなさい。そうすれば女性の裸を見ずにすむわよ」
「わ、分かりました!」

 フェレットにあるまじき二足直立姿勢で返事をするユーノと倒れ伏した祐一を見て、アリサが一つため息をつく。
 同時に部屋に充満していた緊迫感も抜けていった。

「じゃあユーノ。少しこれ借りていくから」

 そう言って気絶した祐一の両足を脇にはさみ、ずるずると引きずっていくアリサ。
 恐怖が抜けきらず動けないユーノは、ただただ祐一の冥福を祈るばかりであった。
 そして三分後、祐一の断末魔が高町家中に鳴り響いた。
 結局ユーノと祐一が風呂に入れたのは、この二時間後に祐一が復活してきてからだったという。





[5010] 第十七話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:47
+ そして数日が経ち、プールに向かう日。
 幸いにして天候は晴れ。
 室内の温水プールといえど、やはり遊びにいく日は晴れているほうが好ましい。
 ホームルームが終わり祐一が窓から校門を眺めると、なのは、すずか、バニングスの三人が出て行くのが見えた。
 三人が出て行くのを祐一が見送っていると、いつの間にか隣に来ていたアリサが声をかけてくる。

「祐一。あたしたちも行くわよ」
「了解。水泳用具は持ってきたか?」
「もちろん」

 言ってアリサはバッグを持った手を上げてみせる。
 先日買いに行った水着だろう。
 まだ夏の遠いこの時期では水着は割高な品物だ。
 しかし成長期を迎えたためか、アリサに去年の水着は合わなかったのだ。
 ちなみに祐一は新しい水着がどんなものか、未だに見せてもらってはいない。
 アリサ曰く、祐一に見せるのは恥ずかしい、らしい。
 アリサがそう言ったとき、桃子と美由希が笑みをこぼしていたのも印象的だった。

 ――どうせ今日見られることになるのに、何が恥ずかしいのだろう?

 そんな祐一の考えをよそに、アリサは祐一の手を引いて玄関まで急ぐ。
 靴を履き替えると、二人は近くのバス停まで即座に駆け出した。
 バス停に立ってバスを待つ間、二人は雑談に興じる。
 話題は昨日の事だった。

「で、祐一」
「なんだ? アリサ」

 アリサの祐一へ向ける視線は、どこか剣呑なものをはらんでいた。
 祐一にはその様子が、どことなく苛立っているように感じ取れた。

「どうして昨日、ユーノに覗きをするよう勧めていたの?」
「ユーノはシャイだからな。恥ずかしがらせてからかっていただけだ」
「ほんとに?」

 さらに不機嫌そうな目を祐一に向けるアリサに、祐一はため息をついた。
 そして、改めて昨日の事を弁解する。

「ユーノはなのはと同い年くらいらしい。子供が子供の裸を見たって大した問題じゃないだろう。それにユーノは真面目だからな。いや、からかいがいがあった」
「そう? 男の子って女の子の裸とか見たがるものじゃないの?」
「漫画の影響を受けすぎだ。中学生や高校生ならともかく、小学生がそこまで女性の体に興味を抱く事はそんなにない‥…と思う」

 そこでアリサの視線がやっと弱まる。
 ようやくアリサの怒りが収まってきた事に、再び祐一はため息をついた。

「祐一はどうなの? 中身は二十歳超えているでしょう?」
「残念だが覗いてまで見たいとは思わん。それに精神は肉体に引きずられるからな。ユーノと同じく興味は無いよ」
「そう……」

 祐一の答えに複雑そうな顔をするアリサ。
 とりあえず疑念自体は晴れたようで、祐一は安堵の息をつく。
 自分だけ責められているのもアレなので、祐一は話題転換をする。

「ところでアリサ。結局どんな水着を買ったんだ?」
「秘密。プールに着いたら分かるんだから、いいじゃない」

 頬を微妙に染めて、アリサが手を振ってみせる。
 どうやら自分で説明するのは恥ずかしいらしい。
 結局その後も祐一が何度も探りを入れるものの、答えが得られないままにバスが来たのだった。






 更衣室で着替えを済ませ、荷物をロッカーに預けた祐一はプールに出た。
 更衣室を出てすぐにあった案内板には、温水プールの他に飛び込みプール、波のあるプール、流れるプール、温泉、さらにはお立ち台まで書かれている。

「祐一、おまたせ」
「おう、早かったな」

 後ろからかけられたアリサの声に祐一は振り向き、目を見開いた。
 そこに立っていたのは、水着姿にデバイスを吊るしたペンダントをつけているアリサ。
 祐一が驚いているのはその水着だ。
 上はタンクトップ、下はパンツの上に短いズボンのようなものをはいた姿。
 それ単体なら別に驚くべき要素は何も無い。
 ただ、アリサの着ている水着は祐一の着ている水着と同じ型の物だったのだ。
 違いは祐一の水着はライトグリーン、アリサの水着は薄いピンクであることだろうか。
 ここで祐一はアリサが恥ずかしがっていたわけを理解する。
 要は、祐一とおそろいであることが恥ずかしかったのだ。

「ゆ、祐一……?」

 固まっている祐一に、不安そうにアリサが声をかける。

「あ、ああ。似合ってるぞ、アリサ」
「そ、そう。ありがと。……他の皆は?」
「先に来ているはずだ。まずは監視員をやってる恭也さんを捜そう」
「そうね、それが一番手っ取り早そうね」

 かくして先に来ているなのはたちと合流するべく歩き出す祐一とアリサ。
 程なくして、監視台に座っている恭也がすぐに見つかった。
 監視台の下に行き、恭也に話しかける。

「恭也さん、こんにちは」
「お、祐一にアリサか。お似合いだな、二人とも」

 祐一達のことに気付いた恭也が、その水着姿を褒める。
 もっとも、祐一に対しては褒めているのかからかっているのかは分からないが。

「ありがとうございます、恭也さん。他の皆は?」
「ああ、あっちだ」

 そう言って恭也が指差す先は、案内板で確認したお立ち台だった。
 よくよく見れば今壇上に上がったのはバニングスのように見えた。

「アリサちゃんが歌を歌うそうだ。二人とも、行ってきたらどうだ?」
「あ、はい。そうします」
「行きましょ、祐一」

 アリサに手を引かれ、監視台からお立ち台へと向かう祐一。
 お立ち台に近付くにつれ、バニングスの可愛らしい歌声が聞こえてきた。

「アリサも歌ってみるか?」
「流石に人前で歌うのは恥ずかしいわよ。それより皆は?」
「お立ち台のすぐ前だな。合流するか?」
「歌が終わってからにしましょう。聴く邪魔をするのも悪いし」

 アリサの指示に従い、少し離れて歌うバニングスを眺める二人。
 やがて歌が終わり、観客からは拍手が鳴った。
 お立ち台から降り、他の皆と合流するバニングス。
 祐一たち二人は、その皆と恭也のいる監視台の下で鉢合わせする事になった。

「あ、おにーちゃん、おねーちゃん、着いたんだ」
「おう。アリサちゃん、歌、上手だったぞ」
「見てたんですか? えっと、ありがとうございます。祐一さん」

 はにかんで答えるバニングス。
 その横で美由希とノエル、ファリンが祐一達の水着姿を論評する。

「やっぱりお似合いだねー、二人とも」
「はい。ただ、祐一さんは少々似合い過ぎてはいませんか?」
「教えてあげた方がいいのでしょうか……」

 三人の目は、祐一のつけるタンクトップに注がれていた。
 聞けば十人が十人、祐一のことを女の子だと判断するだろう。
 髪は男にしてはやや長めにきられている、女顔の祐一だ。
 短パンの水着を頼まれて、この水着を選んだ店員を責める事は誰にも出来ないだろう。
 そんなふうに年上組みが雑談に興じているうち、小三の三人はプールに入る前の準備運動を始める。
 その横で恭也が口を開く。

「美由希、祐一。ちょっと」
「ん?」
「はい?」

 声をかけられた二人が監視台に座る恭也を見上げる。

「夕べも少し話したが、泳いでる最中や荷物周り、気をつけるんだぞ」
「うん。大丈夫」
「気に留めておきます」
「どうかしたんですか?」

 恭也の言葉に美由希と祐一が頷く。
 その一方で、ノエルが何の事だか詳しい内容を聞いてきた。
 そこで祐一が、前日に恭也から聞いていたプールであった事件について話した。
 先日、着替えや水着を盗む変質者が出たこと。
 そしてその前にも、女子更衣室荒らしの男が捕まっていたこと。
 その説明をノエルとアリサ、ユーノが聞いていた。

「まあ、せっかく遊びに来たのに気にしすぎてもなんだ。若干気に留めておく程度で」
「はぁーい」
「了解」
「はい」

 恭也の言葉に美由希、祐一、ノエルがそう返事する。
 そして祐一とアリサ、ノエルたちは攣らないように、足回りの柔軟体操を始め、小三の三人に続いた。
 この時点では、祐一はこの情報をさほど気にしていなかった。
 だが、それが後で自らの身に災いとして降りかかるなどと誰が予想しよう。
 祐一はアリサと二人流れるプールで水流と戯れていた。



 アリサがノエルに泳ぎを教わり、水泳勝負で美由希に負けたすずかがお立ち台で歌う事になり、祐一達はなのは達の様子を見るため流れるプールから戻ってきた。
 お立ち台のそばにいたなのはの横には、さっきまでいたユーノの姿がなくなっている。
 その事実に漠然とした不安を覚えた祐一はなのはに訊いてみた。

「なのは、ユーノは?」
「えっと、さっきちょっと出歩いてくるって……」

 その言葉を聞いて、祐一はアリサと顔を見合わせる。

「あのユーノが単独行動を取るってことは……」
「警戒しておいた方が良さそうね」

 言ってアリサはペンダントのデバイスを握り締め、祐一も感覚を研ぎ澄ませる。
 しかし自らの魔力の大きさから魔力感知能力の低い祐一には、何も感じ取る事はできなかった。
 そしてすずかの歌が終わって皆がプールに戻った時、祐一となのはが高域の音を聞くような感覚に襲われた。
 ジュエルシードの発動だ。
 そしてなのははユーノと合流すべく走り出し、祐一はアリサにジュエルシードの事を伝えるべくプ-ルサイドを走り出した。
 祐一がアリサとすずか、バニングスのいるプールに駆けつけたとき、広域結界が発動し、プールから魔力を持たない一般人が消え失せた。

「え、あれ? 他のみんなは?」
「いきなりいなくなっちゃった!?」
「祐一、どういうこと!?」

 周りの異常にうろたえるすずかとバニングス、そしてアリサが祐一に詰問する。
 魔力を持たない三人が結界に取り残された事に疑問を抱きつつ、祐一は三人に手を伸ばして叫び返した。

「ジュエルシードの発動だ! 三人とも急いでプールから上がって!」

 祐一が叫ぶと同時、プール表面の水が大きく隆起し、そこから水の触手が次々と生えてくる。
 水の怪物に取り込まれる前に、何とか祐一は三人をプールサイドから引き上げた。
 そんな祐一たちの姿を水の怪物――水獣も捉えたらしく、数本の触手が勢いよく祐一たちに迫る。
 対して祐一は熱量干渉能力によって冷気の渦を作り出し、襲い掛かった触手に突き刺した。
 祐一に接近した途端凍りつく水の触手。
 対して水獣はさらに四本の触手を振り上げるものの、それらは祐一の後ろから放たれた黒い閃光に千切れ落ちる。
 アリサがデバイスを展開し、フラガラッハから放った黒い魔力砲だ。
 その間にも祐一からの氷の侵蝕は水獣本体に伝わり、水獣は水面まで凍りつき、プールに沈んだ。
 だが――

「おにーちゃん! おねーちゃん!」
「なのは? うわ!?」

 祐一がバリアジャケットを着込み近寄ってきたなのはに気をとられた瞬間、祐一は水中から飛び出した水の触手に体を絡めとられた。
 そしていつの間にか氷から水に戻った水獣が再びその巨体を水の上に現す。
 祐一の能力による凍結は魔力の一切関与しない物理現象だ。
 そして水から氷への変化とは、水分子の運動エネルギーの低下によって液体から固体へ位相が変化する事に他ならない。
 だが魔力の宿った水である水獣は、祐一からの干渉が無くなってすぐ自らの体を動かそうとした。
 魔力の失われていない水は、氷にされても自らの体を動かすという機能を失ったわけではなかったのだ。
 その結果運動エネルギーの上昇した水獣の体は再び液状化し、こうして油断した祐一を捕縛した。

「うわ、くそ、どこに手を入れてやがるコイツ! ちょ、変な触り方するなぁ……!」

 水獣に絡め取られた祐一は必死に自分のはいているショートパンツを押さえる。
 だがその隙に祐一のタンクトップはずるずると脱がされていった。

「ユーノ、アレはどういう事?」

 冷めた視線で祐一を眺めて言うアリサに、ユーノが恐る恐る口を開く。

「そ、想像なんですけど、あのジュエルシードを発現させた人間は、以前に捕まったっていう更衣室荒らしの人なんじゃないでしょうか。つまり、女の子の服を集めたいっていう願いだから……」
「ひぅっ!? ちょっと待て! じゃあコイツは俺を女の子と間違えて襲っているのか!?」

 ユーノの言葉に祐一は必死に下だけは脱がされまいと自分ごと周囲の水を凍らせながら叫ぶ。
 だが水獣の触手は凍らされても微妙に動き続けているらしく、祐一が身悶えしている間に脱げかけていたタンクトップは奪われてしまった。
 ユーノは祐一から視線を逸らし、なのはたちは苦笑いを浮かべる。

「まあ、『女の子の服』には違いないわね」
「祐一さん、いつあれが女物の水着だって気付くんでしょうか」

 小声でしゃべるバニングスとすずかの声が祐一に聞こえなかったのは、幸だったのか不幸だったのか。
 必死に水獣の猛攻に抗う祐一を見て、アリサがなのはに告げた。

「なのは。今のうちに祐一ごと封印しちゃいなさい」
「えええええ!? おねーちゃん、ダメだよそんなの!」

 あまりの事に驚きの声を上げるなのは。
 その返事に、アリサはフラガラッハの切っ先を水獣に向けたまま、自分の前方に環状に配置した。
 束ねられたフラガラッハの前方に、黒い魔力が共鳴して収束していく。

「イヴィルバスター、シュート」

 そして放たれた直射魔力砲が祐一もろとも水獣を貫いた。
 中心を撃ち抜かれた水獣から祐一の体がプールに落下する。

「え、ええっ!? おねーちゃん!?」
「今よなのは。祐一がもう一度捕まる前に封印しちゃって」
「え、えっと……うん!」

 祐一のことを案じつつも、なのははレイジングハートをシーリングモードに移行させる。

「リリカル、マジカル。封印すべきは忌まわしき器、ジュエルシード!」

 なのはの詠唱と共に、レイジングハートから桃色の光の光条が水獣を縛り上げていく。

「あれ? 番号が読めない。……と、とりあえず、封印!」
『Sealing』

 そして強力な魔力がレイジングハートから放たれ、水獣がただの水に還元されていく。
 だが、そこでプールの水面に浮いているのは大量の水着と下着だけ。
 ジュエルシードの姿がそこには無かった。

「なのは! ジュエルシードの反応が消えてない。分裂しているのかも!」
「ええっ!? そんな……」

 ユーノが叫び、なのはが驚きの声をあげたその次の瞬間、プールから祐一が浮き上がった。
 そのまま祐一は水面を凍らせてその上を滑り、なのはたちの場所にたどり着く。

「こんだけ痛い思いしてまだ本体が別にあるのかよ」
「あのまま水着を剥ぎ取られてしまうよりましでしょ?」
「それはそうだが……」

 ぶつくさ言う祐一をアリサがなだめる。
 その横で、ユーノは角を曲がった先のここからでは見えない場所に意識を集中させていた。

「あっちにジュエルシードの反応がある。急いで行こう!」
「うん!」

 なのはと一緒に駆け出すユーノ。
 だが、ユーノは足をもつれさせて倒れてしまう。

「ユーノ君!?」
「魔力の使いすぎだ。魔力を持たない人間を結界内に残してしまうようなミスをしたんだ。よっぽど疲弊してたんだろう」

 倒れたユーノを心配するなのはに、祐一が冷静に診断を下す。
 そのユーノの体を、なのはが抱き上げ自分の肩の上に乗せた。

「なの、は……?」
「いくよ、ユーノ君。今日から私の肩はユーノくんの指定席!」
「……うん!」

 あらためて走り出すなのはと祐一たち。
 興味本意か残されるのが心細いのか、すずかとバニングスも付いてきていた。
 そして曲がり角を曲がった先、そこには十数体もの水獣が跋扈していた。

「ひい、ふう、みい……十二体か」
「ユーノ、対応策は?」

 水獣の数を数える祐一と、対処法をユーノに尋ねるアリサ。
 数秒ほど考え込んで、ユーノは思いついた端から口にしていく。

「大型の魔力砲で強制停止、はまだなのはには無理だし、複数用のロックオン魔法、なんか用意してないし……よし、僕があいつらの動きを止めて、なんとか一つにまとめるから――」
「無理だ阿呆。今の自分の体調ぐらい分かっているだろう。アリサ、大型の魔力砲は?」

 ユーノの案を一言で切って捨て、祐一がアリサに意見を求める。
 だがアリサは難色を示した。

「出来なくは無いけど、どれだけ被害が出るか分からないわよ。ウィザードの魔力ってのは出力が大きくなればなるほど制御しにくくなるから、最悪私たちまで巻き込まれるかも」

 そのアリサの発言に一同が息を呑む。
 ただ一人、なのはだけが別の考えをめぐらせていた。

「動きを止めて、一つにまとめる……。それってこの間から練習してる魔法の応用だよね。やってみるよ!」

 言うや否や、レイジングハートを構え、集中を始めるなのは。
 溢れた桃色の魔力がなのはから細く立ち上る。

「イメージを、魔力にのせて……」

 レイジングハートに集中していく魔力に気付いた水獣の群れが、なのはに向かって突進を始めた。
 ユーノは周りを見回すが、そこにいるのはなのはを含め空を飛べない烏合の衆。
 今から退避をしようにも間に合わない。
 だが、そこでアリサがなのはの隣に一歩踏み出した。

「まあ、ここは私の出番かな」

 そう言うアリサの周囲に六本の十字剣、フラガラッハが展開される。
 そしてアリサは握り締めた大剣、フルンティングを真っ直ぐに水獣の群れに向けた。

「弾幕展開用意――開始!」
『諾』

 アリサの声にフルンティングが答えると同時に、フラガラッハから人間大もある巨大な魔力弾が次々と発射される。
 先頭にいた水獣はあっという間に体の各部を打ち抜かれ、小さくなってしまった。

「ありがと、おねーちゃん!」

 なのははお礼を言うと同時に魔力を空間に展開する。
 放出された魔力は空間に満ち、捕獲すべき対象――水獣たちのもとへと集束されていく。

「リリカル、マジカル。捕獲、そして固定の魔法――レストリクトロック!」

 そして完全に魔法が発動し、水獣たちはその体を固められ、一箇所に強制的に集められていく。
 その様を見ていたユーノが呆然と口を洩らす。

「包囲対象の完全固定……集束系の上位魔法!」

 やがて一箇所に集められた水獣は身じろぎも出来ぬままにその場に固定される。
 口も無い水獣たちから、大きな風のうねる音のような咆哮が上がった。

「リリカルマジカル、今度こそ……!」

 再び光条が一箇所にまとめられた水獣たちを取り巻き。コアであるジュエルシードを露出させる。

「ジュエルシード、シリアル17! 封印! 」
『Sealing』

 そしてレイジングハートの先から放射された強力な魔力がジュエルシードを貫いた。






 今度こそ、ジュエルシードの封印は成功した。
 集められていた服と水着が宙に浮き、各地に飛散していく。

「おお。俺の水着も戻ってきた」
「魔法が解けたから、元の持ち主の所に戻るんです」

 喜んで再びタンクトップを身につける祐一に、苦笑してユーノがそう答える。
 一方でなのはも嬉しそうにユーノに語りかけた。

「これでジュエルシードは四つ。あと十七個だね、ユーノ君」
「あ、うん……」

 曖昧な返事を返すユーノに、不思議そうな目で見るすずかとバニングス。
 一方で、またユーノが独りで背負おうとしてしまっているのだろうと予測をつけた祐一は、ユーノの頭を少し強めになでる。
 見渡せば、広域結界が解けかけているのか周囲が元に戻り始めている。

「ほら、アリサはデバイスを戻して。なのはもバリアジャケットを解除する」
「あ、そうね。フルンティング。モードリリース」
「えっと……できた!」

 アリサの持つフルンティングとその周囲を舞うフラガラッハはアリサのペンダントに戻り、なのはももとの水着姿に戻った。
 そして周囲に人の姿が溢れ、ようやく一同は現実の空間に戻った事を実感した。

「アリサちゃん、すずかちゃん、どうしたの?」

 うつむいたまま感情が読めない二人に、なのはが声をかける。
 やがてバニングスがブルブルと震えだし、なのはの肩をつかんだ。

「すごいすごい! 話は聞かせてもらってたけど、なのはってほんとに凄かったんだ!」

 今回のジュエルシード事件。なのははアリサとすずかに話だけは通していたようだが、実際に見てあらためてなのはの魔法に感動しているようだ。
 一方、すずかもおずおずとなのはに声をかける。

「なのはちゃん。私達も何かお手伝いできる事あるかな?」
「うーん。じゃあ、もしわたしが困った時には相談に乗ってくれるかな?」
「うん。いつでも待ってるよ」

 すずかは何か力になりたいと考えているようだが、残念ながらなのはには現状では特に困った事は無いようだった。
 その横でバニングスはアリサに詰め寄っていた。

「アリサさん。私も魔法を使えるようにはなれませんか?」
「待って。アリサは将来お父さんの会社を継ぐんでしょう? 下手に魔法の力を持つと将来管理局に所属して故郷に中々帰れなくなるわよ」
「え、じゃあなのはも?」
「まあ、魔法を捨てるか管理局に所属するか、二つに一つの選択を迫られることになるでしょうね」

 それを聞いてバニングスはうーんと唸る。
 結局アリサの使う魔力を持たない人用のデバイスは取り扱いが難しく、今からでは事件の解決までにデバイスに習熟するのは間に合わないだろうと説得されて、バニングスはしぶしぶながら諦めた。
 そこで祐一がなのはの頭をくしゃりとなでて、全員に話しかける。

「さて、事件も解決したし、せっかく遊びに来たんだ。続きといこうじゃないか」
「ちょっと、祐一。引っ張らない――」

 祐一に引っ張られたアリサは抗議も途中に流れるプールの階段に入っていった。
 そのまま二人は口論しながら水の流れに乗って遠ざかっていく。

「そうね。考えても仕方が無いし、遊びましょうか」
「うん、そうだね」
「今度はあっちのプールに入ってみよう」
「きゅう」

 そして残された三人+一匹も、再びリゾートを満喫すべくプールに突入して行く。
 結局この日は夕方まで全ての施設を遊び倒し、警備中に水獣の被害にあった恭也を後片付けの残業に残して皆意気揚々と帰路についたのであった。
 なお、この日の夜からなのはの特訓に集束系の魔法の訓練が加わり、そのデータはアリサのデバイスに反映されていく事になる。
 もっとも、そのアリサの成果が生かされるのは、しばらく先の話であった。 



[5010] 第十八話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:48
 土曜日の学校。
 授業が無く生徒がいない学校は、平日とは比べ物にならないほど静謐な場所となっていた。
 晴れた空。
 動く者のいない教室。
 無音の廊下。
 そしてベンチと花壇の並ぶ屋上。
 そこに、一つの影が差していた。
 屋上に現れたその人物は、花壇の中に埋もれるようにあった青い結晶を手に取る。
 結晶は鼓動のように魔力を増減させ、接触した人物の願いを受け取ろうとする。
 しかしそれはひどく不安定なもので、魔力の触れ幅を大きくし暴走を開始しようとしていた。
 だが――

 バチィッ!

 影の手に握られた青い結晶は、一瞬の放電の後に沈静化してしまう。
 安定状態に入った結晶は、今度こそ正しく所有者の願いを叶えるべく機能し始めた。
 屋上のフェンスの傍に落ち、刻限まで仮初めの休眠を装う結晶を後に影はふわりと空中に浮かび上がる。
 太陽を背に影となるその口元には薄い笑みが浮かんでいた。






 同時刻。祐一は大きく身を震わせた。

「おにーちゃん、どうしたの?」
「いや、妙な怖気がした」

 大丈夫? と心配するなのはに、大丈夫だよ、とその頭を撫でる祐一。
 ユーノを引きつれ、町を練り歩いていた祐一、アリサ、なのは。
 せっかくの授業の無い土曜日ということで、昼からジュエルシード探しに繰り出しているのだ。
 今の所、ジュエルシードの最大の被害は動物病院での一件だ。
 それ以降の被害は今は未然に防げている。
 しかし、現在の祐一達に打てる手は発動したジュエルシードを探知して対処するのみ。
 発動前の休眠期にあるジュエルシードを見つけることが出来ないのだ。
 それは必ず後手に回ってしまうという事に他ならず、今までの発動のケースを省みるに、最悪の場合死者が出てもおかしくは無い。

「ほんと、発動前にジュエルシードを確保できたらいいのにな」
「それは無理だってユーノも言っていたでしょう。休眠状態のジュエルシードは大して魔力を発しない。私の組んだサーチプログラムにも引っかからないもの」

 祐一のぼやきに赤いワンピースを着たアリサが答える。
 これまで魔力の感知能力はユーノ>なのは>祐一>アリサの順だった。
 しかしアリサが対ジュエルシード用の広域探査プログラムを組んだため、発動したジュエルシードに対してのみアリサは群を抜いて探知できるようになっていた。
 発動するまでジュエルシードの所在がつかめない以上、発動よりできる限り早く現場に急行できるようにとアリサが確保したジュエルシードを参考にプログラムを組んだのだ。

「あと手段があるとすれば、魔力干渉による強制発動ぐらいか」
「おにーちゃん。そういう危ないのは無し!」

 なのはに怒られ、スマンと謝る祐一。
 強制発動は確かに手っ取り早い手段ではあるが、どのような被害が出るか分からない。
 まして離れた場所で二つ以上発動してしまうといった危険性もある。
 結局のところ、封印が出来るなのはを中心に皆で町を散歩してみるより他にない。
 川沿いの道を歩き、公園を覗き、山沿いの道を歩く三人+一匹。
 町を見下ろせる高台に着いたところで、四人はベンチに座り水筒に入れていたアイスティーを飲んで一息ついた。

「今の所反応は無し、と」
『諾』
「全部が全部不安定になってるわけじゃなし、そうそう発動もしないんだろ」

 アリサがフルンティングに確認をして、祐一がそうぼやく。
 今までにジュエルシードが単体で発動していたのは、祐一達の知る限り槙原動物病院の思念体の一件のみ。
 後は偶然に見つけた動物か人間の思念に反応する形で発動していた。
 現状では、偶然何か、もしくは誰かが見つけるのを待つしかない。

「でも、もし見つけたのが人間だったとしたら大変なことになるかも・・・・・・」
「どうして? ユーノ君」

 呟くユーノに不思議そうな顔をするなのは。

「強い願いを持った人間が願いを込めて発動させた時、ジュエルシードは最も強い力を発揮するんだ」
「「!!」」

 その言葉に祐一とアリサは戦慄した。
 人間の抱く純粋な願いとは、必ずしも良いものばかりではない。
 例えば人間関係や環境の中で育まれる感情には、羨望や憎しみ。そして殺意すらある。
 誰しもが負の情念というものを抱きうるこの社会において、無造作に手にした人物が押さえつけて生きている『願い』をカタチにされたら、それこそ死者が一人や二人出るくらいではすまないかもしれない。
 二人は浮き足立つが、しかし自分たちに打てる手が無い事に考えが至り、再びベンチに腰掛ける。
 もはやできる事は大事にならないよう祈ることと、できる限り迅速に対処する他には無い。

「とりあえず一度なのはとユーノは家に帰れ。俺とアリサなら何か起きても時間稼ぎなら十分にできる。夜にももう一度出ることだし、それまで休んでおいた方がいい」

 そう言って祐一は腕時計を二人に見せる。
 そこに示されていた時刻は三時半。
 家に戻れば四時くらいにはなるだろう。
 祐一達が家を出たのが一時前だったのだ。
 もしこれから探索を続ければ、体力のある祐一やアリサはともかく、なのはは夜の探索時には疲弊しきっているだろう。

「そうね。なのはは休んだ方がいいわ。このままじゃあご飯の後には出られないでしょう?」
「う、うん。分かった」

 祐一だけでなくアリサにも諌められ、頷くなのは。

「祐一さん、僕は――」
「ユーノもだ。この間広域結界使って参ってたろ。夕方まで休憩しとけ」

 自分だけでも付いて行こうとするユーノに祐一が釘を指す。
 祐一の言葉にうなだれるユーノ。
 病み上がりのユーノに無理をさせるわけにはいかないし、ユーノにはなのはの傍についていて欲しいという祐一の判断だ。
 ユーノもそうだが、なのはにも時々ひどく危なっかしい側面がある。
 ユーノがなのはをサポートしていてくれれば、祐一達は安心できる。
 そしてユーノを肩にのせたなのはと別れ、祐一とアリサはさらに山沿いの道路を登っていく。

「祐一」
「ん?」

 ふと、隣を歩くアリサが祐一に声をかける。
 何の気なしに横を向いた祐一の目には、どこか緊張した様子のアリサの顔が映った。

「本当にこの事件は丸く収まるの?」
「母さんが言うにはそうなんだろうけど……俺も心配になってきた」

 祐一は本来ここにいなかったはずの人物だ。
 確かに祐一が何らかの行動をとったところでジュエルシードの発動といった事象には影響など与えられないだろう。
 だが祐一の傍には今回の事件の中心人物、高町なのはの存在がある。
 もし祐一の選択によってなのはがジュエルシードの発現への対処を遅らせてしまったら。
 それだけでも助からない人が出るかもしれない。
 もしそうなってしまったら。
 祐一はいい。これまでの積み重ねてきた転生の道のりの中では、自らの手で人を殺めた事もある。
 だが、なのははそうもいかない。
 必ず自分を強く責めてしまい、一生それを背負って生きていく事になるだろう。

「今晩にでも母さんに頼んで調査してもらうよ。異世界で近未来の観測が可能かどうかは分からないけど、俺の転生事故の一件から“ティアトロン”も大幅に改良されているらしいし、たぶんなんとかなると思う」

 祐一がCapelシステムの演算予測を裏切り転生事故を起こした事を契機に、Capelシステムとその中核である時を映すプリズム“ティアトロン”は大幅な進化を遂げている。
 世界は単一構造をしていない。
 無数の近しい平行世界がお互いの世界の可能性を補完しあって存在している。
 その辺りをティアトロンの機構に取り込むことで、Capelシステムによる予測演算も高精度で一年先程度まで行なえるようになった。
 さらに驚くべき機構がCapelシステムに備わりつつあるということだが――その辺りについては管理者の月は誰にもまだ洩らす気は無いようだ。
 そのことを告げると、アリサは難しい顔をした。

「完全な未来の観測、ねえ。正直な話実現して欲しくは無いものね」
「ん? なぜ?」

 祐一が疑問の声を上げると、アリサは歩きながら自説を語りだした。

「祐一はシュレディンガーの猫って知ってる?」
「ああ。確か量子論の話で、箱の中の猫が死んでいるかどうかは箱を開けて観測する事で初めて確定されるって話だろ」
「私も話のさわりくらいしか知らないけどね。でも、逆に観測されてしまった未来はどのような経路を通っても必ずその未来に行き着いてしまうんじゃないかしら」

 確かにティアトロンによって映し出された未来は、その未来を見た人物が取る行動による結果も含めた未来だ。
 その未来を見た時点で、その未来は回避不可能な事象に確定されてしまうといえるだろう。
 だが――

「いや、そうでもないんじゃないか?」

 ――祐一はあっさりとアリサの疑念を切り捨てた。

「どうしてよ。さらに精度が上がったっていうなら、今の時点でも未来を観測したら、危険な事が確定されてしまうかもしれないのに」
「どこまで精度が上がったって、所詮は人の作るものだ。元々人間が完璧じゃないのにその作ったものが完璧であるはずがない。1%でも可能性があるならそれに賭けてみればいい。もしかしたらまた未来が覆るかもしれないだろ」
「楽天的ね」
「そのぐらいでいいんだよ」

 そしてどちらからともなく笑い出す二人。
 そう、どの道諦める事を良しとする二人ではないのだ。
 例え悲惨な未来が観測されたところで二人は最後まで抗い続けることだろう。
 幾分顔色が明るくなったアリサの横顔に祐一は笑みを浮かべる。
 そして二人はバス停まで進んだところで、折り返し道を戻っていった。







 その夜。
 夕食後に食後の運動を兼ねてジュエルシード探しの散策に出た三人+一匹。
 すっかり暗くなった空を眺め、祐一は夜空の星を眺める。
 プール以来、夕方や夜に学業の妨げにならないレベルでこうして散策を続けているが、一向にジュエルシードの反応は無い。
 この夜もそうだと祐一は思っていたのだが――

「待って。ジュエルシードらしきものの反応があるみたい」

 突然仄かに光始めたペンダントの赤いクリスタルに、アリサがそう言った。
 アリサがクリスタルを手に取ると、その上に方向を示す三角のマークと距離らしき数字が現れた。

「結構遠いわね。こっちの方向でこの距離となると……学校かしら」
「にゃ!?」

 アリサの声になのはが驚きの声を上げる。
 今まで通っていた学校にそんな危険物が眠っていたなんて思ってもみなかったのだろう。

「ただ、反応が弱すぎるのよね。もしかして、まだ発動前なのかも」
「とりあえず急ぎましょう!」

 アリサは多少不思議そうな顔をするが、ユーノの声にはっと前を向く。
 とりあえず走っていくと着くまでになのはがばててしまうので、早歩きで方角と距離を確認しながら全員で移動する。

「もし本当に学校だったらどうする?」
「宿直の先生はいるだろうし、とりあえずユーノに広域結界張ってもらおうかな。ユーノ、いける?」
「あ、はい。大丈夫です」

 祐一の問いに、アリサがユーノに確認を取る。そして祐一はなのはに声をかける。

「なのは、本当にこのペースで大丈夫か?」
「うん。このくらいなら平気」

 そう言うなのはの息は少し上がっていた。祐一とアリサは無言で歩くペースを落とす。
 かくして学校の門の前に、三人と一匹は辿り着く。
 三角の印は学校の屋上を指しており、数字ももう程近い距離にあることを示していた。

「どう? 感じ取れる? ユーノ、なのは」
「……僅かに魔力の残滓を感じます。なのはは?」
「うーん。わたしには分からないかな」

 ユーノが感じ取れたという事で、とりあえず学校の中を調べてみる事に決定した。
 鍵のかかっていない学校の門を僅かに開き、なのはとユーノ、アリサが校庭に入る。
 そして祐一が門を潜り抜けた瞬間、高域の音と魔力の胎動が響きわたった。

「ジュエルシードが発動した!」

 ユーノの声に弾かれるように三人が駆け出した。
 一方ユーノは足元に緑色の円形魔法陣を展開する。

「広域結界、発動!」

 瞬間、空間が切り取られた。
 学校にいた宿直の教師もいなくなり、いまこの結界内に存在するのは祐一たちとジュエルシードの発動体のみ――のはずだった。
 だが、学校の校舎屋上には、二つの人物の影があった。
 そのうち一つが剣を構え、屋上から飛び降りる。

「ざっ――――」



 それに初めに気づいたのは祐一だった。
 校舎のそばを玄関に向かって走っていた祐一は、とっさになのはとアリサを突き飛ばす。
 同時に虚空から黒い大剣を抜き、上に向けて構えた。

「――――せいっ!!」

 屋上からの落下による重力加速も乗せた一撃。
 祐一は黒剣ロストメモリーの持つ対物理結界に加え、内分泌制御による一時的な筋力解放によってなんとかその攻撃を受け止めにかかる。
 しかしその程度でその一撃が受け止めきれるはずも無く、祐一は浅くではあるが袈裟懸けに体を切り裂かれた。

「~~~~っ!」

 痛みをこらえ、祐一は自分に攻撃を加えた人物を見る。
 赤い上下一体型の裾の短い制服。
 肩にかかった白いケープ。
 その手に構えられた細身の両刃の剣。
 腰までかかるストレートの艶やかな黒髪。
 無表情の整った顔立ち。
 それは、祐一のよく知っている少女だった。

「舞!?」

 祐一の幼馴染であり、祐一と同じく管理局の秘匿部門の非公式部隊に所属していた存在。そして、ウィザード。
 目の前にいるのは、祐一の知る舞の高校生だった時の姿だ。
 その彼女が、剣を構えじりじりと祐一との距離を詰めにかかる。

「祐一!!」

 アリサの悲鳴染みた声に反応し、祐一はとっさに魔力弾を四つ生成して舞に向かい射出する。
 しかし一足飛びで後方に引かれ、魔力弾は途中で自壊し小さな爆発を起こした。
 祐一の傷はすでにレネゲイドの持つ不死性――超常的な再生能力によって塞がっている。
 しかしすぐにアクションを起こす事はできず、祐一はその場に片膝をついた。
 そこに走り向かおうとする舞。
 だが祐一の背後からバリアジャケットに換装しレイジングハートを構えたなのはの十二発の誘導制御弾が舞に襲い掛かる。
 舞は前進を止めてその場にとどまり、襲い掛かる魔力弾を全て切り裂いた。

「アリサ! なのは! 絶対にアレを近付けるな! 遠距離から攻撃し続けろ!」

 祐一の叫びに従い、アリサはデバイスを展開して砲撃を次々と叩き込み、なのはも再び魔力弾を飛ばす。
 しかし舞は、フラガラッハから放たれた魔力砲を左右への常識外れな跳躍で回避し、その流れに乗せてなのはの誘導制御弾を切り裂いていく。
 いつしか舞は、強大な魔力を全身とその剣に纏っていた。

「ファイス! セットアップ!」
『アンダージャケット、展開します』

 直後、胸元に青いマークのついた黒いアンダージャケットが祐一の全身を覆い、頭には青いクリスタルのついたヘッドギアが装着される。

「やあっ!」
「ファイス!」
『バリアヴェール、展開』

 舞が剣を振り、その軌跡をなぞるかのように魔力で構成された飛ぶ斬撃が放たれる。
 そして祐一を黒い球状の霧が包み込んだ。
 祐一を包むバリアヴェールと舞の魔力刃が衝突する。
 敗れたのは魔力刃の方だった。
 砕け散る魔力の光に一瞬視界を奪われる祐一。
 そして次の瞬間、今にも飛び掛らんとする舞の姿が祐一の前方にあった。

 ――しまった!

 祐一が思うと同時、舞が一足飛びに祐一との距離を詰め、魔力を乗せた刃を振り下ろした。
 剣による結界と祐一を包むバリアヴェール、その二つが祐一を守る。
 だが強烈な圧力を舞の剣は発し、祐一は数メートルも吹き飛ばされた。
 そこで祐一が感じたのは強烈な違和感だった。

(おかしい。今の一撃を受けて俺が無事に済むはずが無い。あの偽者、ウィザードとしての能力までは再現できてないのか?)

 そう、舞は本来その魔力で斬撃を飛ばすほか、斥力で敵を吹き飛ばす戦法を取ってくる。
 この斥力というのが実に厄介で、風圧などで吹き飛ばされるのとはわけが違う。
 体表のみならず体の内部にまで働きかけてくるのだ。
 通常の生物なら即座に戦闘不能に追い込まれることすら少なくない。
 もし頭部に攻撃を受けたなら脳の血管が破れて脳溢血を起こす危険性もある。
 だからこそ祐一は舞に近付かないよう警告したのだが、この偽者が斥力を使えないというのなら話は別だった。
 
「アリサ!俺がこいつを足止めするからクリスタルケージで閉じ込めてくれ! なのははジュエルシードの封印の準備を!」
「お、おにーちゃん! ジュエルシードはどこ!?」
「なのは、あの人自体がジュエルシードに作り出された偽者だ!」
「にゃあ!?」

 祐一に聞き返すなのはにユーノが解説を加える。
 それを聞いてなのははジュエルシードが人型をとっている事に驚きの声を上げた。
 しかしすぐになのはは気を持ち直し、レイジングハートをシーリングモードに移行する。



 一方で、祐一は何度も舞の斬撃をバリアヴェールで防いでは吹き飛ばされていた。
 バリアヴェールはファイスに内蔵されたオーバーSランクのリンカーコアを使用した強力な防御フィールドだ。
 その強度はなのはのプロテクションなど比にならない。
 だが、攻撃を受けるたび吹き飛ばされているのでは足止めを行なえない。
 先ほどから舞は祐一ごと六本のフラガラッハに囲まれてはいる。
 しかし祐一を吹き飛ばすと、舞はすぐに追撃を仕掛けるため舞だけを囲う事ができないのだ。
 仕方なく祐一はアリサにもう一度指示を出す。

「アリサ! 俺ごとでいいから攻撃してくれ!」

 祐一の必死な形相にアリサは頷く。
 祐一に舞が斬りかかるその瞬間、六本のフラガラッハから直径十メートルはあろうかという砲撃が、様々な角度から叩き込まれた。
 体を構成する魔力が削られ動きが鈍る舞。
 同時に祐一はバリアヴェールを解除し、舞の胸に祐一の握る剣が深々と突き刺さった。

「凍てつけ!」

 そのまま祐一の異能が炸裂し、舞は氷の塔に閉じ込められる。
 直径三メートル、高さは六メートルに及ぶ氷の塔だ。
 その中に閉じ込められ胸から黒い剣を生やす舞は、氷を破ろうと魔力を高めていく。
 あと十数秒もあれば舞は氷を破って出て来るだろう。
 だが、それだけの時間があれば十分だった。

「なのは!」
『Stand by ready』
「リリカル、マジカル。封印すべきは忌まわしき器、ジュエルシード!」

 レイジングハートから放たれた幾本もの光条が、舞の体に絡み付いていく。
 その額にXXの刻印が浮かび上がり、氷の中で声にならない咆哮をあげる舞。

「ジュエルシード、シリアル20。封印!」
『Sealing』

 そして巨大な桜色の魔力がレイジングハートから放射された。
 圧倒的な魔力に氷の塔は砕け散り、舞の体は青い光となって消えていく。
 光の奔流が収まった後、残されていたのは黒い剣と小さな青い結晶だけだった。



「おにーちゃん、大丈夫!?」

 ジュエルシードをそのままに、祐一に走り寄ってくるなのは。
 慌てて祐一の胴体をぺたぺたと触るものの、切り裂かれた衣服の下には何の傷痕もなかった。

「あ、あれ? 確かにあの人に斬られたと思ったのに」
「祐一はある程度の怪我なら治っちゃうのよ」

 バリアジャケットである赤いドレスを消しながら、近付いてきたアリサがそう言った。
 ただし、祐一にいぶかしげな視線を向けていたが。

「祐一。ジュエルシードが擬態していたあの女の人、知ってるでしょ」
「そうなんですか? 祐一さん」

 アリサの言葉に、ユーノも祐一に訊いてくる。
 祐一は一つため息をついてそれに答えた。

「ああ。元の世界での仲間だよ。この世界の舞はまだ中学生のはずだから、あの高校生の姿のはずが無い。だから、あの頃の舞を知っている人間がジュエルシードを発動させた事になる。それは俺、もしくは――」


「私、かしらね」


 突如上から降ってきた声に、全員が反応する。
 見上げると、月を背に一人の女性が浮いていた。
 緑の長い髪を風になびかせ、地に降り立つ女性。
 着地の瞬間、長袖の黄色いワンピースの裾がふわりと浮いた。
 童顔気味なその女性は一見高校生のようにも見えるが、その実肉体年齢は二十歳で止まっており、実際の年齢はさらにその倍近いことを祐一は知っている。

「……母さん」
「なに? 祐一」

 手の平で握ってしまえるほどの小さな黒い立方体を手の中で玩びながら、祐一の母――月が答える。

「俺を舞の偽者と戦わせる事に何の意味があったんだ?」
「この世界でまだあなたは実戦を経験していないでしょう? 訓練をつけてあげようっていう親心よ」
「そうですか……」

 月の答えを聞いてため息をつく。
 一方でなのはとユーノが月の言葉に憤慨する。

「おにーちゃんのおかーさん! どうしてこんな酷いことするんですか!?」
「そうです! 一歩間違ってたら祐一さんが死んでたかもしれないんですよ!」

 なのはとユーノの声に、しかし月は優しく微笑んで返すのみ。
 そこに祐一が仲裁に入る。

「二人とも待て。あれでも大分手を抜いていてくれた方だ。今回のは単なる訓練だって」
「月さん。ここまでやる必要があったってことですか?」

 祐一が二人をなだめている間に、アリサが月に質問する。
 その言葉の意図を読み取った月は首を振って答えた。

「緊急性は特に無いわ。だけど、命懸けでないにしても戦う必要性はでてくる。今回はちょうどいい機会があったから便乗させてもらっただけ。私の目的は明日にあるの」
「明日、ですか?」
「そう、明日」

 そう言うと、月はアリサに向かって唇の前に人差し指を立てる。
 話す気の無い月の姿勢に、明日になれば分かる事だとアリサは無理矢理納得して引き下がった。

「さて。後回しになっちゃったけど、久しぶりね、祐一、なのはちゃん、アリサちゃん。それと初めまして、えっと……フェレット君?」
「あ、初めまして。ユーノです」

 ユーノの返事に気をよくしたのか、月はユーノの前にしゃがみこんで話しかける。

「そう。じゃあ初めまして、ユーノ君。私は相沢月」
「ユエさん、ですか。……ジュエルシードをこんな使い方するなんて、危ないです」
「あら、私が発動させていなければ、もっとひどい事態になっていたかもしれないわよ? 祐一に対象を絞っていた分被害は少なく済んでよかったと思うのだけど」
「う……」

 月の言葉に黙ってしまうユーノ。
 確かに平日に小学生が発動させていたら、その被害は相当なものになっていたかもしれない。
 もっとも、実際には発動前に月の手によって一度ジュエルシードは静化されていたのだが。

「祐一ならこの程度の戦いで参ったりしないから、二人とも安心しなさい」
「そうそう。昔はもっと強い相手に突貫していってたからな」

 月と祐一の言葉に、ようやく怒りをおさめるなのはとユーノ。
 月はなのはの後ろに回ってなのはを抱きしめ、ユーノに向かって口を開く。

「二人とも、祐一のために怒ってくれてありがとう」
「う゛」

 その言葉と、月の顔に浮かぶ微笑みに押し黙るユーノ。
 なのはもなんとか体を後ろに捻り、月と顔を合わせる。

「とりあえず迷惑かけた分は明日働いて返してあげる。祐一、アリサちゃん、明日は空いてる?」
「……俺は大丈夫だ」
「あたしも特に用事はありません」
「そう。じゃあ明日お昼の一時にお邪魔させてもらうわね」

 その言葉に祐一とアリサは頷く。
 そこでなのはが困った顔をする。

「あの、わたしもお話聞かせてもらっていいですか?」
「なのは。明日は三人でサッカーの応援に行くんじゃなかった?」
「あ……」

 アリサの言葉にしょぼくれるなのはの頭を月がくしゃりとなでる。
 そして月はなのはとユーノの顔を見て言った。

「悪いけど、明日の話は三人だけで話したいの。だから、席を外してくれると助かるかな」
「……はい。分かりました」

 月の言葉にユーノが頷く。
 月はその返事に頷くと、なのはを放して握っていた右手を開く。
 その手から幾何学模様の入った黒いキューブが数センチほど手の平から浮き上がる。
 同時に月の体も宙に舞い上がり、緑色の髪が月光に照らされ風に揺れる。

「母さん。最後に聞いていいか?」
「ん、なに?」

 ずっと自分からしゃべろうとしなかった祐一が、真剣な顔で月と視線を合わせる。
 そしてためらうように首を振り、祐一はそっぽを向く。

「なんでもない。また明日」

 その言葉に苦笑いを浮かべる月。
 そして月のデバイスらしきキューブが仄かに闇を放ち、月の足元に黒い円形の魔法陣が現れる。

「祐一。詳しい事はまたいつか教えてあげる。それまでは今気づいた事は秘密にしといてね」

 苦笑い、というより悲しそうな笑顔を浮かべ、魔法陣に降り立つ月。
 同時に魔法陣の発光が強くなる。

「それじゃあ、また明日」

 そう月が言うのと同時に、魔法陣と共に月の姿が掻き消えた。
 トランスポーター。ミッド式の転移魔法だ。
 月が去り、思い出したようになのははジュエルシードをレイジングハートに収め――その場にへたり込む。

「どうしたの? なのは」
「あはは。ちょっと、疲れちゃった」

 ユーノの心配する声に、力なく笑って返すなのは。
 そのそばに祐一が歩いてきて、後ろを振り向いてしゃがみこんだ。

「家までおんぶしてやるから。ほら、乗って」
「……うん。ありがと、おにーちゃん」

 レイジングハートを待機状態に変え、祐一の背中に負ぶさるなのは。
 その膝裏に腕を通し、祐一が立ち上がる。

「明日のためにも、今日は帰ったらゆっくり休もう」
「今日は実戦もあったことだし、体調を万全にしておきなさい」
「うん……」

 祐一とアリサの声にももはや夢うつつで答えるなのは。
 校門を出て歩いているうちに、ついになのはは寝息をたてだした。
 祐一は隣を歩くアリサと顔を見合わせ、互いに口元を緩める。
 夜道を歩く二人と一匹を、明るい月の光が照らしていた。



[5010] 第十九話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:48

 高町家リビング。
 テーブルを挟んで、両サイドのソファに向かい合う祐一、アリサと月の三人。
 それぞれの前には、アリサが入れた澄んだアイスティーのグラスが氷を浮かべて汗をかいている。
 桃子は喫茶店。
 士郎はなのはとユーノを連れて士郎がオーナー兼監督を務めるサッカーチーム、翠屋JFCの試合に出かけている。
 今この家にいるのは祐一達三人のみ。
 涼しげな顔をして手提げ袋をいじっている月に対し、祐一とアリサは警戒と緊張をあらわにしている。

「さて。二人とも、聞きたいことがあるでしょう? 遠慮なくどうぞ」

 余裕を見せ、楽しげに祐一たちの様子を眺める月。
 祐一はグラスに口をつけ、ようやく口を開く。

「あんた……いったい誰だ」

 月は笑顔でその言葉を受け、アリサは固唾を呑んで月の様子を注視する。
 月も一口グラスを口につけ、口を開いた。

「私は相沢月……だった存在よ。レネゲイドウイルスによる衝動の暴走――ジャーム化。その克服のための被検体となった結果、ここにいる私はウィザードとしての能力を失ったの」
「それが、昨日魔法を使えた理由ですか」

 月の言葉を聞き、アリサが確認を取る。
 素直に一つ頷く月。
 ウィザードは存在を司る力――プラーナをその身の内に高純度で秘めている。
 だが、このプラーナが混じった魔力は時空管理局の基準による魔法とは非常に相性が悪い。
 この魔力を魔法に使用すると魔導式が暴走し、大爆発などを起こしてしまう。
 だが月はウィザードでなくなったからこそ管理局基準の魔法が使えたのだといった。
 その説明を聞き、祐一は頭を振って吐くように言った。

「そんな馬鹿なこと、ありえない。俺たち転生者のプラーナは魂に内包される。それが無くなるだなんて――」
「無くなったわけではないわ。魂を別の容器に移し替えているだけ。転生の秘術を扱い、魂に干渉できる私なら不可能ではない事よ。祐一も私にウィザードの気配を感じ取れなかったからここにいる私を別人だと思ったわけでしょう」

 言葉をさえぎられ、押し黙る祐一。
 確かに月の言うとおりの事が可能だとしたら、祐一が月に抱いた違和感も、月が魔法を使えることにも説明はつく。
 そもそも前日ジュエルシードが擬態した高校時代の舞の姿は、『特研』の中でも月、祐一、そして幼馴染である月宮あゆと祐一の妹であるプリムラくらいしか知らない。
 ましてその正確な戦闘能力を知るのは祐一以外では月のみだ。

「本当に、母さん、なのか?」

 祐一が震える声でそう訊いた。
 その質問に穏やかな笑みを浮かべ、月は口を開く。

「正確に言うなら、魂を別の場所に移してしまっているからこれが私の本体というわけでは無いけれどね。でも精神の有り方は間違いなく相沢月以外の何者でもないわ」

 その答えを聞き、祐一とアリサから肩の力が抜ける。とりあえずこれで目の前にいる月が偽者である可能性は消えた。
 そこで今度はアリサが月に質問する。

「月さん。今回この世界に来た理由はなんですか? 今日、いったい何が起こるっていうんですか?」
「今日これから起こることは、私たちの世界の過去でも起こった事よ。私が今日来たのはそのアフターケアをするため」

 内容をはぐらかして答える月。どうやら、これから起きる事件自体を未然に防ぐ気はまるで無いようだった。
 アリサと祐一は互いに目を見合わせ、嘆息する。

「とりあえず死者が出ないことだけは約束してあげるわ。だからそう心配そうな顔をするのは止めなさい」

 そう言われてこの件についても祐一たちは追及を止めた。
 話す気が無い月に無理やり口を割らせるのは大変な重労働なのだ。
 少なくとももう数時間もすれば、嫌でも分かる事になるのだろう。
 諦観が表情からにじみ出ている二人に、月が慌ててフォローを入れる。

「あのね、ジュエルシードの発動を止めないのは、無理に止めようと持ち主から奪おうとしたらもっとひどい事態になる可能性があるからなの。死者は出ないし事件の被害は私が無かった事にしてあげる。それでいいでしょう?」
「無かったこと?」

 月の言葉に祐一が反応する。
 月は記憶操作による事後処理を得意とするウィザードだった。
 レネゲイドの力を借りて同じように記憶操作が出来るとしても、被害まで無かった事には出来なかったはずである。
 どう考えても月の発言は祐一には不可解だった。
 その点について疑問を覚えたのはアリサも同じだったようで、月をアリサが問い詰める。

「無かったことにするってどうするつもりなんですか。詳しく説明してください」
「私が被検体となったラボ。そこで物のついでに仕込まれた能力を使うのよ」

 そう言うなり月はワンピースの首元をおもいっきり下にずらしてみせる。
 その胸元には小さな結晶のようなものが一つ埋め込まれていた。

「偽レネゲイドクリスタルによる能力のコピー。どんな能力なのかは事件が終わったら教えてあげるわ」

 そう言って服を戻す月。
 そして手を胸の前でパン、と叩き、祐一たちの緊張をほぐすように月が語りかける。

「さて、なにか二人とも困っている事はない? 技術的な事なら助言くらいはしてあげられるわよ」

 その言葉にアリサは祐一の顔をうかがい、月におずおずと話しかけた。

「あの、集束砲のシークエンスに不備があるようで何度試してみても上手くいかないんですが……」
「集束砲、か。……いいわ。プログラムの組み方を教えてあげる。ウィザードのリンカーコアは扱いづらいからね。遊びを多少加えてやらないとダメなのよ」
「あ、じゃあ私の部屋でお願いします」

 話がまとまり、アリサの部屋に移動する三人。
 デバイスの調整装置の前に座った月は、解説を加えながらアリサのデバイスの魔法プログラムを次々と修正していく。
 その様子にアリサは目を輝かせ、食い入るように画面を覗き込む。
 一方祐一は、その後ろで魔法構築関係の参考書をぱらぱらと流し読みをしていた。






「ただいまー」

 ちょうど月がアリサの組んだ術式に手直しを加え終わった直後に、玄関の方からなのはの声が聞こえてきた。
 サッカーの試合が終わって帰ってきたらしい。
 祐一が二階の廊下に顔を出し、お帰りー、と返事をする。
 その後ろで時計を確認した月が二人に声をかけた。

「さて、そろそろ出ましょうか」
「……どこに行くんですか?」

 月の言葉に聞き返すアリサ。
 だが月はただ笑顔で返事をした。

「今回の事件の特等席、よ」






 結局月に連れ出され、街中のビルの間の路地裏に入る祐一たち三人。
 周りに誰もいないことを確認すると、月はその肩から提げたポーチから小さな黒い立方体を取り出す。
 回路状の金色の線が入っているキューブは、月の魔力を受けその周囲の明度が下がる。
 同時に月の足元から円形の黒い魔法陣が出現した。
 その上に月、祐一、アリサを乗せた黒い魔法陣は上昇を始め、十数秒後にはビルの屋上に到達する。
 そのまま魔法陣はビルの屋上に祐一たちを運ぶと、輝きを失い消え去った。

「始まりまで後五分。大体あの辺りが発動地点だから、よく見ていなさい」

 月のその言葉に祐一とアリサは屋上の手すりまで近寄り、月の指差した辺りを注視する。
 緊張のあまり言葉を失い、ただ発動を待つ祐一たち。
 そして強大な魔力の胎動を祐一が感じ取った瞬間、ソレは起きた。

「な……」
「そんな……」

 ソレはあっという間の出来事だった。
 月の示した辺りから巨大な樹が急速に成長する。
 さらに樹はあたり一面に根や枝を伸ばし、同じような巨大な樹が町の各地で大きく展開される。
 その根は大地や道路を砕き、道路の上に停めてあった車を横転させ、民家を傾かせてしまう。
 繁殖のために伸ばされた巨大な枝は、その下敷きになったビルやぶつかったマンションなどに大きな亀裂を入れた。
 これは何人死んでいてもおかしくは無い大惨事だ。
 例え月の言う通りに奇跡的に死者が出なかったとしても、確実に怪我人は出てしまう。
 それにこれだけの被害が出てしまえば、超常現象で片付くレベルを超えている。

「……母さん。本当にこれだけの被害を無かったことに出来るのか?」
「範囲に制限はあるけれど、被害が出ているのはこの町の都市部のみ。これが山間部まで広がっていたら難しいけど、このぐらいならどうにかなる。信頼してちょうだい」

 引き起こされたあまりの被害に顔を青くする祐一に、気楽そうな声で月は答えた。
 一方アリサは月に改良されたサーチプログラムでジュエルシードの詳細位置を探ろうとしているが、どの樹もジュエルシードの魔力構成体なので本命をはっきりと掴む事はできないようだ。
 結界が張られているわけでなく、これだけの巨大な樹による被害が出たなどとマスコミが騒がぬはずがない。
 月が自慢そうに語る能力も、市街地を超えて人の記憶までは干渉できないだろう。
 このような事態を楽観的に放置する月よりも、祐一は何も出来ない自分自身のふがいなさに腹を立てる。
 祐一に出来るのは直接的な近接戦闘行動だけ。
 月のように特殊な結界が張れるわけでもなく、目の前の大樹をどうにかする手段も持たない。
 祐一が強く握り締める手を、優しく包み込む小さな手があった。
 アリサの手だ。

「待ちましょう、祐一。あたしたちがいなくても、なのはならきっと解決してくれるから」

 だから、自分を責めるなと言いたいのか。
 祐一が見たアリサの顔には、どこか苦いものが混じっていた。
 アリサも自分の無力さを感じているのだ。
 それに気付いた祐一は握った手を開き、アリサの手を恐る恐る握る。
 
 そうしてからどれくらい経っただろうか。
 ジュエルシードの発動から、祐一には五分とも三十分ともつかない時間が過ぎたときのことだった。
 祐一たちのいるビルから三つ離れた高層マンションの屋上から、桜色の光が四方八方に跳ねながら飛んでいくのを祐一たちは見た。

「なのは……!」
「エリアサーチね」

 喜色ばんだ声を上げる祐一と、使われた魔法を冷静に分析する月。
 そして祐一が高層マンションの屋上に目を凝らすと、そこには杖を持った人影が見えた。
 その人影は杖を構え、祐一たちが最初に見ていたジュエルシード発動の場所に生えた樹に桃色の光を放つ。
 さらにその直後、強烈な桜色の閃光が中心となった樹を貫いた。

「遠距離魔法!?」
「あの子、もうそんなものまで習得したの!?」

 祐一とアリサが驚きの声を上げる。
 しかしその直後、視界が桜色の光に覆いつくされた。
 反射的に目を瞑ってしまう二人。
 そして目を開いた時、町にはびこっていた巨大な木々は全て消え去っていた。
 だが――まだ町中には大きな傷痕が残されている。
 逆さまになった車、傾いた民家、ヒビの入ったビル群、隆起し裂け目の出来た道路。
 復旧には長い時間がかかることだろう。

「二人とも。なのはちゃんの所に移動するわよ」

 背後からかけられた月の声に、祐一達は振り向いて頷いた。
 再び月の足元に黒いミッド式の魔法陣が展開され、三人を乗せて魔法陣が宙を浮く。
 そのまま魔法陣はなのはのいる高層マンションの屋上に移動した。
 そこには私服姿でうつむくなのはと、それをなぐさめているユーノの姿があった。

「おにーちゃん、おねーちゃん……」
「ユエさん……」

 祐一たちに気付いたなのはとユーノが力ない声で応じる。
 見る限り、この惨状を防げなかった事を気に病んでしまっているのだろう。
 祐一はなのはのそばに近寄り、そっとその頭に手を乗せる。

「おにーちゃん?」
「大丈夫だよ、なのは。なのははよくやった。俺たちはジュエルシードの暴走を見ていることしかできなかったんだから」

 祐一はなのはをなぐさめようと声をかける。
 しかしなのはは一歩後ろに下がり、強く頭を振った。

「わたし、気付いてたんだ。あの子がジュエルシードを持ってたの。でも、気のせいだって思っちゃった」

 そう言って沈み込むなのは。
 その体を、祐一が膝を折って正面から抱きしめる。

「完璧になんでもこなせる人間なんて誰もいないよ、なのは。この失敗が辛いなら、次の機会に生かせばいい。どうしても辛いなら、その半分は一緒に背負ってあげる。だから、そんなに悲しい顔をしないでくれ」

 なのはをなぐさめながら、祐一はなのはの強い感情を受け止めていた。
 それは、自責と罪悪感。
 自分のせいで大勢の人に迷惑をかけてしまったという意識が、なのは自身を追い込んでしまっている。
 そのあまりにも強い感情が、受け止める祐一の精神を削っていく。
 だが、それでも祐一はなのはに笑いかけ続けた。
 しばらくして、なのはは顔をあげて祐一の目を真っ直ぐに見る。

「おにーちゃん」
「なんだ? なのは」
「わたし、がんばる。自分なりの精一杯じゃなくて、本当の全力で。ユーノ君のお手伝いじゃない。わたしの意志で、ジュエルシードを集めるよ」
「……そうか」

 ただ落ち込んでいた目ではなく、決意を秘めた目をみせてなのはは宣言した。
 それを受けた祐一は、なのはの頭をくしゃりとなでて立ち上がる。

「月さん」
「分かってる。……なのはちゃん、その決意に免じて、今回の事件を無かったことにしてあげる」

 アリサの視線を受け、月は屋上の中心に立つ。
 そのまま月は目を瞑って集中し、両手を大きく広げ、宣言した。


「≪タイムアンドアゲイン≫」


 その宣言と共に、不可視の力が僅かな輝きを連れて海鳴の町を覆い尽くしていく。
 それがどんな効果を示すのか祐一たちには分からなかったが、目視できる範囲でもひび割れたり一部崩れたりしているビルが元通りの姿を取り戻していくのが見て取れた。
 それから十数秒経ち数回力を放出した後、月は集中を解いて目を開いた。
 その様子を見て、ユーノが月に一歩踏み出す。

「ユエさん。あなたはいったい何をしたんですか? 今回の事件を無かったことにするって?」

 月に向かって質問するユーノ。
 他の面々も月の答えに意識を集中する。

「物質変化能力と精神干渉能力の応用。今回の事件の痕跡を全て消し、元通りにした。そしてそれに付随して、今回の事件に関する記憶を一般人から消去したわ。これでこの事件の被害はゼロ。物理的にも記憶の中にも存在しないこの事件はこれで無かった事になるわ」

 あまりにも突拍子の無い説明に唖然とする一同。
 いち早く気を取り直した祐一は月に質問を重ねる。

「母さん。レネゲイドの力はそんなことまで可能なのか?」

 祐一の質問に、どこか憂いを含んだ笑みで月が答えた。

「私が可能にしたわけじゃないわ。レネゲイド発症者の中にそれを可能とする存在がいただけ。ワタシ達はある組織からこの能力を盗み出し、私に試験的に移植したの」

 そう言うと、月は手提げ袋から一冊の本と透明な液体の入った注射器が収められたケースを取り出し祐一に手渡した。

「母さん、これは?」
「ファー・ジ・アースの新しい魔導書と、『αTrance』を改良して作った薬剤よ。この薬剤を投与すれば、あなたはファイスの真価を発揮してあげる事ができる。ただしレネゲイドが活性化するからここぞという時以外は使わないこと」
「……分かった。ありがとう」

 礼を言い、それら二つを月衣の中に仕舞い込む祐一。
 そして月は黒いキューブを手の平に浮かべ、自身も空中に浮かび上がった。
 そのまま少し後ろに下がり、月は足元に魔法陣を展開する。

「今回はこれでさよなら。あなたたちがこの先の出来事を乗り越えていけることを祈っているわ」

 そう言うと同時、祐一たちが声をかける暇もなく月の姿は消え去った。
 屋上に取り残された三人と一匹。
 そしてユーノが祐一たちに質問の声をかけてくる。

「魔法じゃない、あの力……。レネゲイドって、いったいどういう力なんですか?」

 それを聞かれて祐一が困ったように笑う。
 そして説明しようとしたアリサの前に片手を出して制止し、祐一が口を開いた。

「俺と母さんの仲間が持つ特殊能力の事だよ。便利だけど、使いすぎると気が狂ってしまう危険な力。俺の場合は昨日見せた、舞を凍らせた力がそうだ」
「そう、なんですか」

 祐一の言葉に納得したように身を引くユーノ。
 そして祐一もアリサの前から手を退ける。
 そして祐一たちは改めて町の様子を眺めてみた。
 何事もなかったように立っているビル群。
 滞りなく動いている車の列。
 おそらくはこの町全部の被害が元通りに修復されている事だろう。
 祐一は一つ息をついて口を開いた。

「なのは。今度こそ守ろうな。俺たちの手で、この町を」
「……うん」

 そっとなのはと手を繋ぐ祐一。
 反対側の手をアリサが握り、ユーノがなのはの肩に上ってその頬をなめる。
 見下ろす町の風景を、色づき始めた太陽が照らしていた。



[5010] 第二十話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:49
 怪樹の騒動より数日。なのははこれまでより熱心に魔法練習に熱を入れるようになり、毎晩の結界内の訓練に加えて早朝にもユーノと魔法の訓練をするようになった。
 そしてこの夜、なのははついに魔導師として新たな一歩を踏み出そうとしていた。

「それじゃあ……いきますっ!」

 アリサとユーノが見守る中、白いバリアジャケットに身を包みレイジングハートを握るなのはの足元に桃色の魔法陣が展開される。
 そして流れ込む魔力とその中に込められたイメージを汲み取ったレイジングハートは、その想いを魔法という形で具現する。

『Flier Fin』

 レイジングハートの合成音声と共に、なのはの靴から桃色の光の羽が広がる。
 それと同時に地面から十センチほどなのはの体が浮き上がった。

「ここまでは昨日と同じね」
「なのは! 姿勢制御に気をつけて!」

 冷静になのはの状態を観察するアリサと注意を促すユーノ。
 なのははユーノに向かって一つ頷くと、そこから一気に上空に舞い上がった。
 そしてなのはは、高町家を中心に祐一が展開した半球状の結界の中を勢いをつけて旋回をする。

「減速と加速の姿勢制御。手伝って、レイジングハート」
『Yes, master』

 レイジングハートの答えになのはは小さく笑い、急減速をかけた後にアリサとユーノの上方に急加速して近づき、急停止してみせた。

「やった、出来た……!」

 初めて飛行の急制動訓練が成功したことに対し、嬉しそうに笑顔を浮かべるなのは。
 それを見てユーノが下からなのはに声をかける。

「おめでとう、なのは。その感覚を忘れないうちにしばらく飛び回ってみて」
「うん、分かった!」

 そして再び上空に舞い上がったなのはは、アリサ達から離れたところに一人立っている祐一に目をむける。祐一の足元には先日月からもらった魔導書が転がり、さらにその足元には青い円形の魔法陣が広がっていた。

「あれ、『青い』‥…?」

 不思議そうに呟き目をこすった後、なのははもう一度祐一の足元を見る。
 だが祐一の足元には確かに青い魔法陣が展開されていた。
 祐一の魔力光は赤のはずにもかかわらず。
 慌ててなのはは祐一のそばに舞い降りる。
 そこでなのはは気付いた。
 祐一の足元に描かれているのはなのはの使う魔法陣とはまるで異なるものだったのだ。
 なのはやユーノの魔法陣は二重円の間に文字が刻まれ、内側の円の中を正方形が二つ回転している。
 しかし祐一の足元にある魔法陣は円の中に小さな円と大きな三角形、さらにその三角形の中に逆三角形が描かれ、魔法陣のそこかしこに判別不能な文字列が並んでいた。

「あの、おにーちゃん?」

 目を瞑ったまま立ち尽くす祐一になのはが話しかけるが、祐一は魔法に集中しているようで返事をしない。
 困り果てるなのはのそばに、なのはの動きを見ていたアリサとユーノが近付いてきた。
 祐一の前に立つなのはに、アリサが声をかける。

「どうしたの、なのは」
「おねーちゃん。おにーちゃんの魔力の色って赤だったよね」
「ええ、そうだけど……ああ、なるほど」
「どういうことなんですか?」

 なのはの疑問に祐一の魔法陣を見て一人納得したアリサに、ユーノが質問する。
 その問いにアリサは得意気に胸を張って二人に解説を始めた。

「あれは管理局基準の魔法陣じゃない。ウィザードの魔法陣よ。存在の力、プラーナを利用して紡がれるウィザードの魔法は管理局の魔法と比べると貧弱だけど、祐一が唯一自在に使える魔法なの。今は何かの魔法儀式に集中しているみたいね」

 アリサの解説を聞きながら、回転する青い魔法陣を眺めるユーノとなのは。
 やがて魔法陣は地面から浮き上がりゆっくりと祐一の胸元まで上昇し、祐一の体の中へと収縮して消えていった。
 そして一つ大きな息をつき、祐一は目を開ける。
 目を開けた祐一の前には、興味深そうに祐一を見つめる三人の姿があった。

「あれ。どうした皆。なのはの飛行訓練は上手くいったのか?」
「はい、一通りは。祐一さんは何をしていたんですか?」

 祐一の問いにユーノが答える。
 そして返された質問に、祐一は悪戯めいた笑みを浮かべてなのはの方を向いた。

「新しい魔法技術を試してみたんだ。なのは、俺にディバインシューターを数発撃ち込んでみてくれ」
「え、ええー!?」

 突然の祐一の言葉に驚きの声を上げるなのは。
 しかしそれも当然だろう。普段の訓練とは違い、祐一は剣を持っていない。
 まともに攻撃が当たれば痛いだけではすまないだろう。
 だがなんら気負う様子無く祐一はなのはに頼み込む。

「大丈夫、今回のは防御用の魔法なんだ。いいから構わず撃ってみてくれ」
「う、うん……」

 結局折れたなのはは三つの光弾を周囲に生み出し、祐一へと勢いよく射出した。
 そしてその光弾が祐一に肉薄したその瞬間、祐一から強い魔力が湧き立つ。
 祐一から溢れ出た魔力は小さく透明な六角版となり十数枚祐一の周囲に展開され、それらが折り重なって祐一の盾となり、なのはの光弾を防ぎきった。
 その光景に唖然とする一同。
 一方で祐一は得意気に笑って見せた。

「祐一さん、今の魔法はいったいなんなんですか?」

 ユーノの質問に、祐一は足元の魔導書を取り上げながら解説を始める。

「新しいウィザードの魔法体系でな、装備魔法というんだ。体の中にプラーナの循環回路を作り出して魔法の詠唱を破棄し、即座に発動できる魔法。今のは常時展開式の防御魔装、≪ピンポイントシールド≫。体に常に軽い負荷がかかるけど、今のような弱い攻撃なら自動で防いでくれる便利な魔法だ」

 祐一の説明に驚きの表情を浮かべるなのはとユーノ。
 それに対してアリサはフラガラッハを一本浮かべ、祐一に剣先を向ける。

 キュン!

 そして黒い魔弾がフラガラッハの剣先から一発射出された。

「がっ!?」

 その魔弾は透明な六角版を全て叩き割り、祐一の額に突き刺さる。
 思わず痛みにうずくまる祐一。

「ふむ。このぐらい強い攻撃になると防ぎきれないわけね」
「……なあ、アリサ。言う事はそれだけか? それだけなのか?」

 一人納得するアリサに、額を真っ赤に腫らした祐一が恨みがましい声をあげる。
 
「あ、ごめん。でもある程度限界を把握しておいたほうがいいでしょう?」
「それはそうだが……頼むから心構え程度はさせてくれ。不意打ちは痛すぎる」

 その言葉に、ごめんごめんと祐一の額をなでるアリサ。
 膨れっ面をしていた祐一も自分の中で折り合いをつけたようで、普段の表情に戻る。
 祐一はアリサの手をどけると、なのはの方に向き直った。

「それじゃあなのは。空を飛ぶところを見せてもらってもいいか?」
「うん。ちゃんと見ててね、おにーちゃん」

 なのはは祐一に返事をすると、今度は魔法陣も使わずに足元に光の羽を顕現した。
 そのまま勢いよく上昇し、なのはは旋回を始める。
 しばらくなのはの様子を見ていたアリサはフルンティングと残り五本のフラガラッハを全て展開させた。
 その行動に疑問を持った祐一がいぶかしげにアリサに質問する。

「アリサ、何をする気だ?」
「ん? 私も飛んでみようかなって」
「は!? そんなプログラム出来たのか?」

 アリサの返事に驚きの声を上げる祐一。
 だがアリサは祐一の質問に首を横に振った。

「じゃあどうやって――」
「こうやって、よ!」

 祐一の質問を遮って、アリサが手に持った赤い大剣、フルンティングを振るう。
 同時にアリサの服が赤いドレスのようなバリアジャケットに換装され、アリサの前にフラガラッハが三本三角形に配置される。
 そしてフラガラッハを頂点に三角形のシールドが展開され、アリサはその上に飛び乗った。

「じゃ、行ってきまーす」

 唖然とする祐一とユーノを置き去りにして、アリサはなのはを追いかけて空に上って行った。
 二本の足で立ちつくすユーノに祐一が上を向いたまま声をかける。

「なあ、ユーノ。なのはに教えられるってことは、お前も空を飛べるんだよな」
「はい。高速機動は出来ませんが、魔力さえ戻れば……」
「そうか……」

 その言葉に一人空を飛べない祐一が顔をうつむかせ背中をすすけさせる。
 祐一も≪ウィッチィズサルブ≫という魔法を何かの物品にかければそれに乗って空を飛ぶことは出来るのだが、その速度は走る速度とそう大差は無い。
 高速機動戦になる事も少なくない魔導師との戦いにおいてはいい的になるだけだろう。
 祐一はため息をついて己のデバイスが使えるようになる日を気長に待つことにした。
 そして祐一は再び顔を上げ、上空で並走する二人の姿を眺め始める。

「なあ、ユーノ。アリサが四本のフラガラッハでクリスタルケージを作って飛行して、残りの二本をビットにして射撃してたらそれだけでも脅威じゃないか?」
「そうですね。アリサさんのデバイスの魔力はとんでもない高出力ですからケージを破壊するだけで苦労しますし、あの強力な魔力弾で弾幕を張れば余程の相手じゃないと近寄ることさえできませんね」

 そこで祐一とユーノは視線を交し合う。
 そしてどちらからとも無くため息をついた。

「女は強いな……」
「そうですね……」

 結局この日の訓練はなのはとアリサが心ゆくまで空を飛びまわって終わりとなった。






 そして週末。
 恭也が月村邸に彼女である忍に会いに行く際、なのはもすずかとバニングスと会うためユーノを連れて恭也についていった。
 せっかくの休日だが、特にやる事の無い祐一とアリサの二人はアリサの部屋で二人読書にいそしんでいた。
 アリサは管理局の資格に関する本を、祐一は先日の魔導書を熱心に読み進める。
 そんな時、アリサの首もとのクリスタル――フルンティングが軽い電子音を鳴らした。

「ジュエルシードの反応?」
『諾。然れど反応微弱』

 アリサの声に答えるフルンティング。
 以前アリサが組んだサーチプログラムにジュエルシードが引っかかったらしい。

「とりあえず行ってみよう」
「そうね。フルンティング、方角と距離出して」
『諾』

 とりあえず本を放り出した祐一たちはフルンティングの案内の下、町の中に繰り出した。
 あまりに家から距離があるため、反応のあった場所の近くまでバスで移動する二人。
 だがフルンティングによって指し示された道は、祐一達にとってひどく見覚えのある道だった。

「アリサ、この先って……」
「多分、祐一の考えている、通りよ」

 少し息が荒くなりかけているアリサに、祐一は走るスピードを落とす。
 程なくして祐一たちは長く伸びた白い壁に直面した。
 フルンティングの上に示された指標はこの壁の向こう側を指し示している。

「すずかちゃん家の庭か……」
「どうする? セキュリティもあるし玄関に回る?」
「……いや、このまま行こう」

 アリサの提案に首を振って答える祐一。

「どうして?」
「下手をしたらすずかちゃんやアリサちゃん、恭也さん達を巻き込みかねん。まだ発動はしていないんだろ?」
「なるほど。発動前に回収してしまうわけね」

 祐一の言葉にアリサは周囲を見渡して人がいないことを確認すると、フルンテイングに命じてフラガラッハを三本展開して足元に円形の黒い魔法陣を張った。
 二人は魔法陣に乗って壁の上をセンサーにかからぬよう通過し、庭の林へと侵入する。
 林の中で魔法陣から降りた二人は、フルンティングの案内の下草むらに落ちていた青い結晶を探し当てた。

「祐一。これ、今は安定状態にあるみたい」
「というと?」
「暴走時のような魔力の波長の乱れが無いのよ。すごく安定してる。今ならもしかしたらジュエルシードを正しく発動させる事ができるかも」

 そう言ってアリサはデバイスの付いたネックレスを握り締める。
 そこで祐一はアリサに聞いた。

「なあ、アリサ。お前はジュエルシードに叶えてもらいたい願い事があるのか?」
「無いって言ったら嘘になるわね。祐一、これにあたしのママとパパを生き返らせてってお願いしたら叶うと思う?」

 どこか諦観を含んだアリサの質問に、祐一は首を横に振って返した。

「まず無理だ。死者を蘇らせるには圧倒的にエナジーが足りない。こいつに出来るのは偽物を生み出すか幻影を見せる程度がせいぜいだ」
「そっか。……ねえ、祐一は何か叶えたい願いはあるの?」

 祐一の答えに顔を翳らせるアリサ。
 しかしアリサはその寂寥感を振り払うように明るい調子で祐一に質問した。

「そうだな。それを知ることが願い、かな」

 ひょい、とジュエルシードを摘み上げながら祐一は答える。
 その答えにアリサが首を捻る。

「昔から、それこそ生まれるずっと前から俺は願いを抱いていた。俺にも思い出せない原初の使命。こいつはそれを形にして教えてくれるだろうか……」

 言って苦笑する祐一。
 その祐一にアリサが笑って言った。

「いいじゃない。試してみたら?」
「おいおい。もし何かまた大事件に発展したらどうするつもりだ」
「大丈夫よ。何か私たちのせいで大事が起こるようなら月さんが警告してくれていたはずでしょう? それが無かったってことは多分暴走しても大丈夫なのよ、きっと」 

 気楽そうに言うアリサに、祐一もまた肩の力を抜いてジュエルシードをかざした。
 今まで暴走を繰り返してきたこの結晶も、今の祐一には綺麗な宝石に見えた。
 そして祐一は顔を引き締め、アリサの方に向き直る。

「俺はこれからジュエルシードを発動させる。アリサは何が起こってもいいように離れて待機しておいてくれ」
「はーい」

 アリサは祐一に言われたとおりに祐一から距離をとり、ネックレスを再び握り締める。

「フルンティング、フルセットアップ」
『諾』

 アリサの命令に応え、フルンティングが周囲を黒に染める。
 そして闇より現れたのは、赤い大剣。それを片手に持ち、これまた赤いドレスのようなバリアジャケットに身を包んだアリサ。
 その周囲には六本の十字剣、フラガラッハが浮遊している。
 その姿を確認した祐一は、ジュエルシードに願いを込めた。

「教えてくれジュエルシード。俺の願いとは何だ?」

 直後、ジュエルシードが眩い輝きを放つと共に強大な魔力を放出した。
 その膨大な力が己の中に流れ込むのを感じた祐一は、途端に目の前が真っ暗になった。
 そして脳裏にフラッシュバックする数々の記憶。
 それは相沢祐一としての生を受けるより前の、数々の人生の記録だった。
 そして記録をさかのぼる先に、祐一はその終点を見つけた。

(あれが……あれが俺の本当の願い!)

 そして祐一は意識の中で必死にその終点に追いすがり、ついにその場所へと手を伸ばした。



 ジュエルシードから放たれた光で白に視界が染め上げられる中、祐一がその光の中心で黒く染め上げられていくのをアリサは確かに見た。
 そして光が収まった時、変わり果てた祐一の姿を見てアリサは息を呑んだ。
 そこにいたのは、人に似た形をした黒き異形。
 祐一は、声の代わりに魔力の咆哮を高く高く放つのだった。




[5010] 第二十一話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:49

 ジュエルシードが発動する十分前。
 なのは、すずか、アリサはユーノを加え、庭先のテーブルにてお茶会をしていた。

「ユーノ君、ちょっと責任を感じすぎてるんじゃないかなあ」
「そうよ。それにジュエルシードがそんなに危ないものだったら警察――はないか。とにかくどっかの機関とかに連絡をすればいいだけの話じゃないの?」

 これまでの経緯を聞いたすずかとバニングスがユーノに意見する。
 それに対してユーノは頭を前足で擦りながらそれに答えた。

「祐一さんにも言われました。確かに僕一人でジュエルシードを回収しようというのは無謀だったと思います。でも今から他の世界に救援を求めに行くだけの魔力はまだ戻っていませんし、魔力が回復するまではなのはと祐一さんたちに協力をお願いするしかないんです」
「だ、大丈夫だよユーノ君! わたしも頑張ってジュエルシードを集めるから!」

 落ち込むユーノに対し、なのはが励ましの言葉をかける。
 それからしばらくはユーノがなのはの魔導師の才能を褒めちぎってバニングスを羨ましがらせたり、なのはがこの間飛べるようになったという話をしてすずかが目をきらめかせていたりとなのはの魔法について話が進んでいた。
 そんな時、不意にバニングスからこんな言葉が飛び出した。

「なのは。この事件が終わったら魔導師になるの? それともやっぱり翠屋二代目を目指す?」

 その言葉になのはは困ったように曖昧な笑みを浮かべて答える。

「うーん、どうしよう……。おにーちゃんもおねーちゃんも中学を卒業したら時空管理局の技術部に入りたいって言ってたし、私が翠屋を継がないとだめかなあ」
「ユーノ君。魔導師の仕事って危なくないの?」

 気持ちが揺れている様子のなのは。
 そこですずかはユーノに質問をしてみた。

「犯罪対策とかそういう武力を必要とする部署は確かに危険だけれど、それ以外にも優秀な魔導師は色んな部署で重宝されているよ。救助隊や魔導研究、僕のやっているような遺跡の発掘、今のなのはは戦闘に傾倒しているけど、もっと色々な魔法を覚えればどんなところでだって働けると思う」
「うーん。おにーちゃんもおねーちゃんも戦闘に関してはすごいけど技術部狙いだし、そっちの道もいいかも……」

 ユーノの言葉を聞いて、さらに心をぐらつかせるなのは。
 そこに、なのはとユーノにだけ聞こえる高域の音が襲い掛かる。

「ユーノ君!」
「ジュエルシードの発動だ! しかもかなり近い!」
「えええっ!?」

 突然席を立つなのはとテーブルから飛び降りるユーノの言動に驚きの声を上げるバニングス。
 しかしユーノが残る二人に大声を上げる。

「二人ともここでじっとしてて! ジュエルシードは本当に危険なんだ!」
「でも!」

 ユーノの言葉に頭では分かっていても感情面で納得できないバニングスがガタンと席を立つ。
 が、その手をすずかが握りしめた。

「すずか……?」
「ダメだよ、アリサちゃん。私たちじゃ邪魔になるだけ。プールの時に見たでしょ? なのはちゃんを信じてあげよう」
「……うん」

 すずかの説得にしぶしぶ頷くバニングス。
 そしてなのはとユーノに向けてバニングスは大声で発破をかけた。

「二人とも! さっさと終わらせて戻って来なさいよ!」
「うん!」

 なのはは大きな声で返し、ユーノに続いて走り去っていく。
 バニングスはそれを見送った後、椅子に座りなおし飲みかけの紅茶をあおる。
 その様子を見てすずかも困ったような笑みを浮かべる。

「私達もなにかして上げられればいいのにね」
「まったくよ。友達なのに、手を貸してあげられないなんて……」

 二人とも事情は先ほどまで聞いている上に一度二人はジュエルシード暴走の現場を見ている。
 それでもやはり二人にとってなのはは特別な友人なのだ。
 力になりたいのは当たり前。
 それでも二人はなのはとユーノを信じる事にして、この場で待つことにしたのだった。






 一方、なのはたちは月村家の庭の林の中を走っていた。
 その前方で一瞬眩い光が立ち上る。

「もう発動してる! 結界を張るよ!」

 そう言って先導していたユーノが立ち止まり、結界魔法の準備にかかる。
 ユーノの前に緑色の円形の魔法陣が大きく展開され、同時に周囲の景色から色が失われていった。

「これ、学校の時のと同じもの?」
「そう。魔法効果の生じている空間と、通常空間との時間進行をずらすの。僕が少しは、得意な魔法。さあ、急ごう!」
「うん!」

 ユーノに頷いて返したなのはは首から下がっている赤いクリスタル、レイジングハートを手に取る。
 そしてなのははレイジングハートを手の平の上に乗せ、声をかけた。

「レイジングハート、お願い!」
『Stand by ready. Set up』

 瞬時になのはの服が白いバリアジャケットに換装され、レイジングハートは杖の形へと変形する。
 杖となったレイジングハートを握りしめ、なのはは先ほど光った場所へと駆けて行く。
 そして、そこにいたのは全てのデバイスを完全展開し戦闘態勢に入っているアリサと、人の形に似た黒い異形だった。

「おねーちゃん!? どうしてここにいるの!?」
「なのは。…………あたしと祐一はジュエルシードの反応を追ってここに来たの」

 そのアリサの言葉に周囲を見渡すなのはとユーノ。
 だがどこにも祐一らしき人影はない。

「おねーちゃん、おにーちゃんは?」
「アレが――祐一よ」
「……え、ええー!?」

 アリサが赤い剣で指した先にいたのは黒い異形だった。
 その全身黒に染まった人影は大人ぐらいの背丈をしている。
 頭頂部は髪を逆立ててま固めたようなトゲトゲした形をしていて、顔は鼻も口もない黒い面のようになっており、眼部にはゴーグルのような白い枠の中から一つの赤い光が目のように動いている。
 体は胸の部分が尖って前に突き出した黒い鎧のようなものに身を包んでおり、それ以外の部分もゆったりとした黒いローブのようなもので覆われている。
 そして特筆すべきはその長い両腕。膝ぐらいまで伸びたその腕はローブから出た手が巨大化しており、人間の胴ぐらいなら握ってしまえるほどの大きさになっている。
 無論首もその腕も真っ黒で、それ以外の色は眼部の白いゴーグルとその内側の赤い光だけだ。

「もしかして、ジュエルシードの暴走?」

 そう質問してくるなのはにアリサは首を横に振る。

「ジュエルシードは正しく発動したわ。アレが祐一の望んだ姿。本人すら分からなかった願望の現れよ」
「あれが、ですか。というかアリサさん、故意にジュエルシードを発動させたんですか?」

 アリサの答えにユーノが責めるような目でアリサに追求する。
 だがアリサは全く悪びれずに返事をした。

「ジュエルシードは安定していたからね。正しく発動させられると踏んだあたし達は願いを叶えてみようと思ったの。自分の抱えている願いの正体が分からなかった祐一は、ジュエルシードを利用して自分の願いのカタチを求めたのね」

 言い終えるとアリサは再び祐一の方を向いて剣を構える。
 その横でなのはが異形――祐一に対して叫んだ。

「おにーちゃん! わたし、なのはだよ! 分かる!?」

 なのはの必死の呼びかけ。
 だが祐一はなのはの方に顔すら向けず、ただその場に立ち尽くしているだけだった。

「無駄よなのは。あたしも何度も声をかけたけど、反応しないの。多分今は『祐一』としての意識を持っていないのかも」
「じゃあどうすればいいの!?」

 祐一の変貌に混乱するなのは。
 そこでユーノがなのはに話しかける。

「とりあえず暴れる様子もなさそうだし、今のうちに封印しよう」
「そうね。あたしも賛成。もう祐一の願いは叶ったんだから、早く元に戻しましょう」

 ユーノの言葉にアリサも同調し、なのはにジュエルシードの封印を促す。
 なのはも頷いてそれに答え、レイジングハートをシーリングフォームへ移行させた。
 レイジングハートの先端部が杖の柄から前方にスライドし、スリットが現れる。
 そしてそのスリットから桃色の光が噴出し、光の羽が現れた。

「リリカル、マジカル。封印すべきは忌まわしき器、ジュエルシード!」

 なのはの詠唱と共に、光の羽は幾本もの光の光条となって祐一を縛り上げる。
 だが――祐一は突如その両腕を広げ、巻きついた光条を弾き飛ばした。

「そんな!?」
「くっ!」

 今までのジュエルシード暴走体には無い反応に驚きの声を上げるなのはと反射的にフラガラッハを前面に出し攻撃に備えるアリサ。
 だが祐一はただなのはたちの方を向くだけだった。
 そしてその顔の赤い光がなのはたちを捉える。

「聞かせなさい。あんたは誰?」

 強気な口調で問いただすアリサに対し、祐一がアリサにその眼部の光を向ける。
 そして祐一は魔力に意思を乗せるという念話に似た方式で語り始めた。

(我は……盾。主の盾)

 頭の中に直接響く声に、アリサは改めて祐一に問いただす。

「そう。あんたの名前は?」
(名など、ない。我は盾。主の盾)

 そう言い切った祐一はその巨大な両手を天に掲げた。
 それと同時に祐一から巨大な魔力が発せられる。

「待ちなさい! 何をするつもりなの! あんたの願いは何!?」

 そのアリサの言葉に顔を天に向けたまま、祐一は答えた。

(扉を開く……主の下に還る……)

 そうしている間にも祐一の魔力は膨れ上がり、祐一の手の間の空間から軋むような音が響き始めた。
 これ以上の会話を諦めたアリサはなのはに向かって呼びかける。

「なのは! 祐一を止めるわよ! あたしが攻撃している間に封印をお願い!」
「う、うん。分かった!」

 なのははアリサの言葉に答えるとすぐに足元に光の羽を生やして宙に浮かび、祐一から距離をとった。
 そしてアリサはフルンティングにその刃を覆う巨大な高密度魔力刃を生成させると共に、フラガラッハに魔力刃を生成させて祐一に斬りかからせた。

(!!)

 祐一も攻撃を察して掲げていた腕を下ろし、その巨大な黒い手でフラガラッハを弾き飛ばす。
 しかし弾かれても再び襲い来る六本の剣の前にそんな防御が通じるはずもなく、フラガラッハの魔力刃は祐一を刺し貫く――はずだった。

「――そんな」

 草むらに隠れていたユーノが呆然と呟く。
 フラガラッハの魔力刃は祐一の黒い表層を浅く傷つけるのが精一杯で、何度も斬撃、刺突を繰り返すものの表面に傷をつけることしか出来ない。
 しかも付いた傷はすぐにまた黒に覆われ、無くなってしまう。

「はああああっ!」

 だが祐一が周りを飛び交う剣に気を取られているうちにアリサは祐一に接近し、高密度の黒く長大な魔力刃でその胸元を斬りつけた。
 その一撃に鎧のような部分が今度こそ深く切り裂かれ、その内側から祐一の服が覗く。
 しかしそれも一瞬。あっという間にその傷跡は黒い闇で埋められ、無くなってしまう。
 そしてお返しといわんばかりに祐一はその腕を振るい、アリサを十数メートル弾き飛ばし、木へと叩きつけた。

「きゃあっ!?」

 幸い吹き飛ばされた際にオートプロテクションが発動し、黒い球状障壁に包まれたアリサに怪我は無かった。
 だが、そこに祐一が一跳びで距離を詰め、再び巨大な手を振るう。
 そしてその攻撃が命中する直前、アリサは手に持つ赤い大剣を突き出し円形のシールドを張った。
 黒い魔法陣が祐一の一撃を受け止める。
 そして動きの止まった祐一を四本のフラガラッハが囲い込み、祐一を三角錐のバリアの中に閉じ込めた。
 そこでユーノがアリサに向かって叫ぶ。

「アリサさん! 祐一さんは高密度に圧縮された魔力で全身を覆っています! 出鱈目な防御力と身体能力はそのせいです!」
「なるほど。これでもしあの二本の剣があったなら面倒なことになっていたわね」

 愚痴りながら獰猛ともいえる笑みを浮かべるアリサ。
 そしてその手に持つ赤い大剣の刀身に刻まれた黒い文字列が闇を纏い始める。

「≪カースドウェポン≫。あんた自身の手で刻んだ呪いの力、受けてみなさい!」

 やがて黒ではなく闇と呼称する方が似つかわしい魔力刃がフルンティングを覆いつくす。
 闇の魔力刃が完成すると、アリサは祐一を閉じ込めている魔力ケージを解くと同時に祐一を覆う黒い圧縮魔力の外殻を縦に切り裂いた。
 続いてそこに二本のフラガラッハが切り裂かれて出来た隙間に突き刺さり、至近距離から強大な魔力砲を放つ。
 外殻を壊されながら、吹き飛ばされていく祐一。
 しかし吹き飛ばされた祐一は即座に起き上がり、再び魔力を解き放ち異形の外殻を作り上げ始めた。
 そのあまりの回復の早さに飛翔したフラガラッハが斬りつける頃には祐一の外殻は完全に修復されてしまう。

「きりがないわね、これじゃ」

 言いながらアリサは六本のフラガラッハを束ね、祐一へと向ける。

「共鳴開始」

 アリサの言葉に反応し、フラガラッハに搭載された全く同じリンカーコアが共鳴を始め、巨大な魔力を練り上げていく。
 そのあまりにも巨大な魔力に、祐一も焦るようにとてつもない速さでアリサに向かって駆け出す。
 祐一の予想以上に速い接近。
 アリサは完全な魔力充填を諦め、射程を犠牲に至近砲撃にプランを切り替えた。
 そして祐一があと一歩でアリサに掴みかかる、その瞬間――

「てえっ!」
『死砲、発射』

 今にも襲い掛かろうとしていた祐一に、高密度の魔力砲が炸裂した。
 祐一本体へのダメージは防御魔装で辛うじて防がれていたが、全身を覆っていた黒い外殻はほぼ全てが吹き飛んだ。
 再びはるか遠くに吹き飛ばされる祐一。
 しかし再び外殻が形成される前にアリサが上空に向かって叫び声を上げた。
 
「なのは!」
「りょーかい!」

 上空で待機していたなのはがアリサの叫びに答え、レイジングハートを祐一へと向ける。
 レイジングハートの先端部は赤いクリスタルを囲むC型から音叉型へと変形している。
 砲撃魔法用のシューティングモードだ。
 その音叉の中央、赤いクリスタルの前に桃色の魔力が集中する。
 さらに杖の柄のスリットから光の羽が展開された。

「いくよ、レイジングハート!」
『Sealing』

 そして、先ほどのアリサの砲撃には劣るもののやはり強大な魔力砲が祐一に上空から突き刺さる。
 桃色の閃光が収まった後、倒れた祐一の胸元に青い結晶――ジュエルシードが浮かんでいた。

「やった……!」

 思わず歓喜の声を洩らすなのは。
 ジュエルシードの封印に成功したのだ。
 そして安心したなのはが祐一のそばに降り立とうとした、まさにその時だった。
 突如、横合いから金色の魔力弾がなのはに襲い掛かる。

「きゃあっ!?」

 悲鳴を上げて吹き飛ばされるなのは。
 反射的にアリサが光弾の飛んできた方向を見ると、木の枝の上に黒いマントを身に着けた少女がいた。
 年はなのはと同じくらい。
 マントの下は上半身は黒いレオタードのような姿で、腰からは白いミニスカートを纏っている。
 そして少女は高速で飛翔し、祐一の隣に降り立つ。
 そしてその手に持っていた斧状のデバイスをジュエルシードに向けた。
 そして斧の中心部にはまっている黄色い円形のクリスタルがジュエルシードを取り込んでしまう。

『Captured』

 合成音声を上げる少女のデバイス。
 しかし、その間に少女の周囲をフラガラッハが取り巻いていた。

「ずいぶん乱暴なことしてくれるわね。答えなさい。あなたは何者?」
「…………」

 アリサの問いかけに少女は押し黙ったまま周囲に目を配る。
 そしてそこに吹き飛ばされたなのはが宙に浮いて戻ってきた。
 プロテクションによって身を守ったのか、なのはに怪我をしている様子は無い。
 少女はなのはのレイジングハートを眺め、何事かぼそりと呟いた。

「聞かせて。どうしてこんな事をしてジュエルシードを集めようとするの?」

 なのはが問いかけるも、やはり少女は無言で返すのみ。
 そして少女はその斧状のデバイスを大きく振るう。
 と同時になのはとアリサの下に金色の魔力弾が飛来した。
 その攻撃自体はなのはとアリサは防御魔法によってたやすく防いでしまう。
 だが、少女の目的は自分から一瞬意識を逸らす事だった。

『Blitz action』

 その斧状のデバイスの音声と共に、少女の体がぶれた。
 その一瞬で少女はフラガラッハの包囲を抜け、一目散に空の彼方に逃げ去っていく。
 アリサは飛び去る少女に向けてフラガラッハを向け砲撃を放とうとし、それを中止した。
 そしてユーノは険しい顔で少女の飛び去っていった方角の空をじっと見つめているのだった。







 それから約十分後、祐一が目を覚ました。
 目を開けて祐一の目に飛び込んだのは、アリサ、なのは、ユーノに加え、バニングスとすずかの姿。
 そして祐一は周囲を見渡し、あちこちで木が真ん中から折れ地面が削られている惨状を目の当たりにした。
 祐一はまず立ち上がると、その場にいる一同に頭を下げた。

「すまん! 本当に迷惑かけた!」

 謝罪する祐一の前に、ユーノが来て口を開く。

「祐一さん。軽い気持ちでロストロギアに触れないで下さい。今回はこれだけの被害で済みましたが、もっと酷い災害が起きてもおかしくなかったんですよ」
「ああ。ほんと悪かった。とりあえずこの惨状をなんとかするよ」

 ユーノの言葉に祐一は再び謝罪して、なのはの方に向き直る。

「なのは。集めたジュエルシードを一つ貸してくれるか?」
「祐一さん! これで懲りたんじゃないんですか!?」

 祐一の発言に再び大声を上げるユーノ。
 だが祐一はまあまあとユーノをなだめて言う。

「今回の件でジュエルシードの使い方のコツが分かったんだ。この林の惨状を元通りにするくらいは簡単に出来る」
「……本当ですか?」
「ああ、大丈夫だ」

 妙に自信を持って言う祐一にユーノは迷うものの、仕方なく首をうなだれる。
 アリサのデバイスに組み込まれたリンカーコアはその一つ一つがなのはのそれを上回る出力を持つ。
 その砲撃の余波は、林を見るも無残な光景に仕立て上げていた。
 屋敷の方に攻撃が向かなかったのは不幸中の幸いだったが、確かにこれは修復しないと騒ぎになる恐れがある。
 そしてなのはとアリサがデバイスを祐一に構える中、祐一はジュエルシードを一つ手に持つ。
 もし失敗して暴走すれば即座にアリサとなのはから魔力攻撃が飛んで来る。
 だが祐一には絶対に失敗しない自信があった。

(扱う感覚自体はジュエルシードもイデアシードとよく似てる。後は力加減を間違わないようにセーブしてやればいい)

 祐一はそう思考しながらジュエルシードの力を僅かに解放する。
 イメージするのはアリサの砲撃によって破壊される前の林の様子。
 木々が再生するイメージを込め、祐一はジュエルシードに魔力干渉を行なった。

「きゃっ」
「な、なに?」

 祐一の足元から光が溢れ、それが林へと広がっていく。
 直線状に大きくえぐれた地面は元通りの草が生えた大地に変わり、へし折られた木々は元通りの姿を取り戻す。
 光が収まった後、林に戦闘の痕跡は全く残っていなかった。
 その光景にすずかとバニングスは興奮を隠せない様子ではしゃぎ始める。
 そして祐一はなのはにジュエルシードを差し出した。

「ありがとうな、なのは」
「うん。もうこんな無茶ししゃダメだよ、おにーちゃん」

 そう言って受け取ったジュエルシードをレイジングハートに格納するなのは。
 アリサもそこで安心してデバイスを全て待機状態に戻した。
 なのはもバリアジャケットを解除しレイジングハートを赤いクリスタルにして首からさげる。
 そして一同は場所を月村家の庭のテーブルに移すのだった。






 メイドのノエルとファリンに紅茶を淹れてもらい、一息つく祐一たち。
 そして改めて今回の事件について祐一が説明する。

「俺たちはサーチに引っかかったジュエルシードを探してここに辿り着いたんだ。こっそり敷地内に侵入したのは悪かった。だがアリサちゃん達を巻き込まないためには発動前にジュエルシードを手に入れた方が良いと急いでいたんだ」
「あの……うちの塀には防犯用のセンサーが取り付けられていたはずなんですが」

 祐一の言葉に疑問を呈するすずか。
 だがその問いにはアリサが答えた。

「あたしが足場を用意して空から塀を越えたのよ。誰だって空を飛んで侵入してくるなんて想定していないでしょう?」
「ああ、なるほど」

 納得がいったとばかりに笑顔を浮かべるすずか。
 その一方で、納得がいかなそうに髪をいじりながらバニングスが質問する。

「でも今回は暴走じゃなかったんですよね。どうして祐一さんがなのはたちと戦う事になったんですか?」
「……俺たちの発見したジュエルシードは休眠状態から覚醒してはいたものの、非常に安定した状態にあった。それこそ正しく願いをかなえることが出来るくらいにな。俺はそれを利用してジュエルシードに願いをかけた。内容は、『俺の願いを叶えること』」
「願いを叶える?」

 さらに質問を重ねるバニングスに、祐一は苦笑して返した。

「俺は自分の願いが分からなかったんだよ。だからジュエルシードの力を借りて自分の願いがなんなのか見極めようとした。結果として、俺の中に眠る原初の願いが引きずり出されたんだがな」
「それが、あの姿……?」

 祐一は自嘲するような笑みを浮かべ、なのはがそんな祐一に質問する。
 祐一はなのはにひとつ頷くと、席を立ち赤い魔力を放出し始めた。
 やがてその魔力は圧縮されて祐一を取り巻き、色は赤いものの林での戦闘時と同じ魔人へと祐一の姿を変貌させた。

「これが俺の願いの姿。実はこれじゃ未完成なんだが、これが俺の魂の原点と言っていい。俺の願い――いや、使命は一つ。俺を創った主の傍らにあり、主を守る盾となる事。それが俺の存在理由だってことがようやく解った」

 やはり自嘲するような口調の祐一。
 赤い魔人と化した祐一にバニングスとすずかは驚くが、やがておずおずとすずかが手を上げて質問する。

「あの、“創った”というのはどういうことでしょうか?」
「言葉通りだよ。俺が相沢祐一として生まれるずっと前、前世ってやつで俺は化け物として創られた。創った主に絶対の忠誠を誓い、その前面に立ち盾となるために、な」

 そういうと祐一は高密度に圧縮された魔力の外殻を解除する。
 解放された魔力が辺りに拡散し、突風が吹く。
 改めて席に着き紅茶を口にする祐一に、再びバニングスが質問した。

「でも、なんでなのはたちと戦う事になったんですか? 願ったとおりの姿になったのなら暴れる理由にはならないと思うんですけど」
「元の姿になったのは副作用みたいなもんだ。主を守る事こそが俺の願い。俺はジュエルシードの魔力を利用して空間を歪め、主のいる世界へのゲートを開こうとした。アリサたちはそれを止めるためにジュエルシードを封印しようとして、邪魔をされた俺はゲートを開く障害を排除するためにアリサに襲い掛かったんだ」

 そう言ってテーブルの上のクッキーを一つつまむ祐一。
 そして、これまで無言だったなのはが不安そうな声色で祐一に話しかける。

「おにーちゃん」
「ん?」
「おにーちゃんは、その“主”さんの所に行っちゃうの? もういなくなっちゃうの?」

 祐一がいなくなることに怯えるように体を震わせるなのは。
 またアリサもその言葉に身を固くする。
 それを見た祐一は少し過去の行いを反省した。
 なのはやアリサは無意識的に祐一に甘えてくる癖がある。
 それはただの家族に対する依存ではない。
 祐一が二人の心を支えようとした試みの副作用だ。
 
(もう少し俺に対して依存しないように対策を立てなきゃいけないかな)

 そんなことを考えた祐一は、努めて笑顔でなのはとアリサに話しかける。

「あの時の俺は昔に戻っていただけだ。今は主の所に戻る必要性はない。俺はどこにも行かない。だから、そんな不安そうな顔をしないでくれ」

 その言葉に息をつくなのはとアリサ。
 それが二人の最大の懸念だったようで、それからの二人の口調はやや明るくなっていた。
 ただ、ユーノはあの少女について考え込んでいるようで、それを察したなのはとアリサも少女の事をすずか達の前で口にする事はなかった。
 そして今回の事件についてあらかた話が終わったあと、会話は庭を歩く猫たちや、アリサのところで飼っている犬たち、恭也と忍の恋話など平和な話が続いていった。
 やがて太陽が色づき始めた頃、恭也と忍がなのはたちの所にやって来た。

「あれ、祐一にアリサも来てたの?」
「はい、お邪魔してます」

 忍の言葉に祐一が返事をし、アリサが一礼する。
 そして祐一が恭也に向かって声をかけた。 

「もう帰るんですか? 恭也さん」
「ああ。じきに日が暮れるからな。そろそろ出ないと帰るのが夜になる」

 確かにここは高町家とは少々離れている。
 バスを使うことを考えてもこれ以上長居をすれば日が沈んでしまうだろう。
 なのはたちは席を立ち、忍、すずかに見送られながら門まで出る。
 バニングスは携帯電話で家に連絡を取り、門の前で車を待つことになった。

「じゃあね、恭也」
「ああ。また学校でな、忍」

 恭也が忍と甘い雰囲気を作り上げている横で、すずか、バニングスもなのはたちと別れの挨拶を交わす。

「それじゃあまた月曜日にね、なのはちゃん」
「祐一さん、アリサさん。もう危ない事しちゃダメですよ」
「「はい」」
「ほんとだよ、おにーちゃん、おねーちゃん。わたし、もうおにーちゃんと戦うなんていやなんだからね」
「あ、はは……。分かった。気をつけるよ、なのは」

 バニングスにくぎを刺され、なのはの追撃を受けてぎこちなく笑う祐一。
 だが内心で祐一はなのはに頭を下げていた。

(ごめん、なのは。闇の書事件、もしかしたらお前達と戦う事になるかもしれない)

 そんな祐一の考えも知らぬまま、なのはは機嫌を直して祐一と手を繋ぐ。
 恭也とアリサに見守られながらバス停まで歩いていく二人。
 そして、ジュエルシードを持ち去っていった少女の話はこの日の夜まで持ち越されることになるのだった。




[5010] 第二十二話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:49

「ユーノと同じ世界の魔導師?」

 祐一がユーノに聞き返す。
 ここは祐一の部屋。
 集まっているのはユーノとパジャマ姿の祐一、アリサ、なのは。
 今日は戦闘が会った事から夜の訓練は中止されている。
 代わりに、すずか達に無用の心配をかけないよう黙っていたユーノ達が、改めて祐一にジュエルシードを持ち去った少女について説明をしているのだ。

「はい。あの術式、レイジングハートと同じインテリジェントデバイス、間違いなく管理世界のものです」
「で、俺が気を失っている間にその金髪の女の子が封印されたジュエルシードをかっさらっていった、と」

 祐一の言葉に頷いて答えるユーノ。
 祐一はあごに手を当てて考え込む。
 そして祐一は三人に質問を投げかけた。

「なあ、その女の子、もしかして俺に似ていなかったか?」
「祐一に?」

 その言葉に少女と直接対峙したアリサとなのはが考え込む。

「似てたといえば似てたかも。おにーちゃんと同じ金色の髪だったし」
「まあ祐一は相当女顔だから、似ているといえなくもないけど……」

 アリサの女顔発言に自覚はあるものの落ち込む祐一。
 哀愁漂わす祐一におずおずとユーノが質問する。

「あの、祐一さん。もしかして彼女に心当たりがあるんですか?」

 その言葉にアリサとなのはが視線を祐一に向ける。
 だが祐一は首を横に振った。

「直接会ってみないとなんとも言えん。今は想像の段階だ。だがもし俺の想像が当たっていたら……その子はかなりつらい過去を持っているかもしれない」

 祐一の脳裏に浮かぶのは、月に見せられた祐一の生まれた研究所。
 もしその少女がフェイト・テスタロッサであるならば、それは祐一と同じ遺伝子をオリジナルに持つクローン体ということだ。
 彼女はその事実を知っているのか、祐一は知らない。
 元々『相沢祐一』が生きていた世界では、祐一は海鳴に住んでおらず、フェイトとの親交は決して深くなかったからだ。

「まあ、向こうもジュエルシードを探している以上必ずどこかでぶつかるさ。その時に話を聞いてみよう」
「そうね。向こうの狙いがなんなのか知っておく必要はありそうだわ」
「あの子、もしかしてどうしても叶えたい願いがあるのかな」
「それでもやっぱり危険だよ。一つだけじゃなく幾つものジュエルシードを同時発動させたりなんかしたらとてつもない災害が起きるかもしれない」

 あーでもない、こーでもないと話し合った結果、未知の少女に関しては次にかち合った際に臨機応変に、ということで一応の決着を見た。
 そして午後九時になって、なのはとアリサは自分の部屋に帰っていく。
 ちなみにユーノはアリサの強い主張で祐一の部屋の机の上に小さなバスケットに布を敷いた寝床が用意されている。
 そして祐一は机の上にあるカード型のデバイスを手に取った。
 七角形の青いクリスタルを中心に納めた黒いカードに祐一は話しかける。

「ファイス」
『はい?』

 祐一に愛称を呼ばれ、鈴の鳴るような女性の声で返事をするファイス。
 それに対し祐一は口の端をつり上げた。

「お前、ジュエルシードの発動時に細工をしていただろ」
『……ばれましたか』
「まあな。プリムラとのユニゾンで圧縮された魔力がどれだけ強いか俺は知ってる。あんな簡単に切り裂かれるものじゃない」
『実はポケットの中からなんとか魔力干渉して魔力を拡散させるよう頑張ってみました。流石にジュエルシードの効力には及ばなかったものの、それでもある程度は密度を下げられました』
「え!? あれだけ固かったのに、まだあれより防御力を上げられるんですか!?」

 祐一とファイスの会話に驚きの声を上げるユーノ。
 それを聞いた祐一は得意気に語った。

「ああ。今回の件で俺は一人でも圧縮した魔力を纏えるようになったが、俺の妹のプリムラって子はその天才だ。全身に纏った超高密度圧縮魔力の鎧は大抵の攻撃を防ぎ切るし、おまけにとてつもない身体能力を付与してくれる。まあ俺程度の技術じゃあなのはの砲撃ぐらいで破られるだろうけどな」

 今回の事件後祐一が魔力で外殻を生成できたのは、それが術式によるものではなく単に魔力の操作技術に類するものだったからだ。
 ジュエルシード発動中の記憶からまねて作り出されたあの赤い外殻は、下手な防御術式を上回る防御力を持っている。
 それでもジュエルシード発動中と比べるとその魔力圧縮率は格段に落ちてはいたが。

「まあ防御力がいくら上がっても俺には肝心の攻撃手段がないんだがな」
『マスター。成長したら飛行も出来るようになります。それまでの我慢です』
「いや、体当たりと空中で剣の斬りつけができるようになるだけだろ。なのはたちにの領域には届かない」

 祐一に出来る魔力行使といえば、今回習得した魔力の圧縮運用の他には通常魔力弾と誘導制御弾(どちらもすぐに自壊する)だけである。
 ウィザードとしての祐一もあくまでその役割はヒーラー。
 その回復魔法に加えてレネゲイドの再生能力、そして防御魔装にファイスが使うバリアヴェールと祐一は継戦能力に優れてはいるが、一定以上の防御能力を持った相手に有効打を与える事は不可能と言ってもいい。

「さて、それはともかく本題だ」
『また何かたくらんでますね』

 ファイスの言葉に悪戯な笑いを顔に浮かべる祐一。
 そして楽しそうな口調で祐一は宣言した。

「今から例の女の子に会ってくる。力を借りるぞ」
「えええええ!?」

 祐一の言葉にひどく驚いてみせるユーノ。
 それはそうだろう。少女の顔も素性も知らない祐一がいきなり会ってくるなんて言うのだから。

「祐一さん、彼女の居場所を知っているんですか!?」
「いや、知らん」
「じゃあどうやって――」

 興奮して問いただしてくるユーノ。
 それに対して祐一は自らを取り巻く結界――月衣から青い結晶を取り出して見せた。

「それは……ジュエルシード? ナンバーが入っていないみたいですが」
「いや、違う。これはジュエルシードをモデルに俺達が作り上げた超純エネルギー結晶体、イデアシードだ。こいつを励起させてその女の子をおびき寄せる」

 そう言って祐一はイデアシードを月衣へと消して見せる。ユーノは不敵に笑う祐一に、訝しむような視線を向けた。
 
「さて。行くか、ファイス」
『いえ、今日は諦めた方がよさそうです』

 ファイスの言葉に、へ? と間抜けな声を上げる祐一。
 その直後、祐一の部屋の扉がノックされた。

「おにーちゃん、入っていい?」
「なのはか。いいぞ」

 部屋の戸がゆっくりと開く。
 そして部屋に入ってきたなのはは、枕を抱きかかえていた。

「あのね、おにーちゃん。今日、一緒に寝てもいい?」
「――ああ、いいよ。ファイス、明日の晩に計画変更だ」
『はい。私も今日は出力が低下しているのでありがたい申し出です』

 祐一とファイスのやりとりに首をかしげるなのは。
 そこでユーノが説明しようとするが、口元に人差し指を立てて祐一が口止めする。

「おにーちゃん。ファイスと内緒話?」
「似たようなもんだ。……もう寝るのか?」
「うん。眠るまで一緒にいて欲しい」

 そのなのはの言葉に祐一は足元のユーノをつかむと寝床に乗せ、明かりを暗くする。
 そして祐一の入ったベッドになのはが潜り込んできた。
 ベッドの中で二人は向かい合う形になる。
 なのはが祐一の手を握ると、そこから祐一に漠然とした不安が伝わってきた。
 それからしばらく無言のまま時間が過ぎ、しびれを切らせた祐一がなのはに話しかける。

「なのは。何か悩みがあるのか?」 
「……おにーちゃん。本当に、本当にどこにもいかない? 主さんのところに行ったりしない?」

(やっぱりそれか……)

 なのはの口から飛び出したのは、祐一がいなくなってしまわないかという不安。
 どうやら夜になって今日の事を思い返し、不安がぶり返してしまったらしい。
 そっとなのはの体を抱きしめる。
 同時に祐一へと流れ込む感情が強くなり、なのはのこわばった表情が僅かに緩んだ。

「昼間も言ったろ。俺はいなくなったりしないよ。別の世界に消えて行ったりしない」
「それでも……主さんが付いて来いって言ったらどうするの?」

 ――あの人が、か。

 その場面を想像してみる。
 今の自分は本当に大切に思われている、そう祐一は確信している。
 その上で有無を言わせず呼び出されるのであれば、それだけの大事が発生したということだ。
 もし、そうであれば――

「そうだな。多分、付いていくと思う」
「おにーちゃん……」

 その言葉に、祐一の服を握り締めて体を震わせるなのは。
 だが祐一はなのはの頭をなでながら語りかける。

「大丈夫。それでもまた、帰ってくるよ。ずっといなくなるわけじゃないから」
「ほんと!? ほんとにほんと!?」
「ああ。約束するよ」

 祐一の返事になのはの不安の感情の波が緩くなる。
 それに安心した祐一はなのはから少し身を離し、なのはの耳の上辺りを優しくなでつけた。

「それにしてもなのはは昔から俺に甘えてくるな」
「おにーちゃんと一緒にいるとね、寂しいとか、つらいとか、そういうのがすっと軽くなって、とても温かい気持ちになるの」
「そうか……」

 確かに祐一はなのはやアリサの心の痛みに感応してきた。
 だが、今になってそれはやりすぎだったのではないかと祐一は自問する。
 特別な事なんてしなくても、ただ傍にいる、それだけで彼女たちは強く育ってきたかもしれない。
 自分はなのはやアリサの成長を阻害しているのではないか。
 そんな不安が祐一の胸の中に満ちた。

「おにーちゃん、どうしたの?」

 祐一の表情からその不安を感じ取ったなのはが心配して声をかける。
 それに祐一は笑みを浮かべてごまかそうとした。
 だがその笑みはぎこちないもので、それを見たなのはからまた強い不安が祐一に流れ込む。

「おにーちゃん。わたし、甘えるの迷惑だった……?」

 その言葉に祐一は慌てて首を横に振る。
 そして今度こそ祐一は柔かい微笑みを浮かべてなのはに話しかけた。

「迷惑じゃないよ。なのはが甘えてくれるのは嬉しい。だけど、俺はいつでもなのはの傍にいられるわけじゃないから。だから、もしなのはが一人で頑張らなきゃいけなくなったらって考えて不安になっただけなんだ」

 その祐一の答えになのはは祐一の胸に頭をこすりつける。
 そしてしばらくの沈黙のあと、なのはは口を開いた。

「大丈夫だよ。わたし、頑張ってみせるから。心配しないで、おにーちゃん」
「そっか。……分かった。信じてるぞ」

 そう言って祐一はなのはの頭を抱え込んだ。
 実際、フェイト・テスタロッサが敵として出てきたのなら、もう祐一やアリサには手出しが出来なくなる。
 空中戦をされてしまえば祐一たちは置いていかれてしまうからだ。
 辛うじてアリサは飛行できるが、流石に高速機動戦に入られると追いかけるだけで手一杯になるだろう。
 まあ、そもそも祐一には出す手自体が無かったりするが。
 そういうわけで、これからはなのはが一人で頑張らないといけない場面が多くなる。
 そしてその先、闇の書事件が始まれば――

(――あるいは、俺と――)
「おにーちゃん?」
「ん、どうした? なのは」
「おにーちゃん、なにか楽しそうに笑ってたから」
「いや、将来が楽しみだと思ってな」

 そう言って含み笑いをする祐一。
 なのははそれに不思議そうな顔をするが、祐一は少し乱暴になのはの頭をなでてごまかした。

「それより、今日はすずかちゃんたちとどんな話しをしたんだ?」
「えっとね。すずかちゃんは捨てられてた猫さん達を飼ってるでしょ。その子達の一匹に里親が決まったんだって。それから――」

 この晩、二人はとたわいもない話を寝るまで続けた。
 すずかの家の猫の話。バニングスの家の犬の話。
 祐一の語る昔本当にあったという冒険譚。学校で祐一がアリサと体育で競り合った話。
 ユーノとジュエルシードに関わってから、ゆっくりと日常の話をしたのは久しぶりの事だった。
 やがて祐一の腕の中でなのはは小さな寝息をたてだした。
 祐一はそのほっぺたを軽くつまんで遊んでみたり、なのはの耳たぶをいじって遊んでみたりする。

(こんな小さな子が、あのシグナムやリインフォースと対等に戦っていくのか……)

 無論祐一がしなければならないのはそれらを実現させる事。
 そして祐一のおぼろげな記憶にもあった大事件、空のエースの撃墜。
 それらが確実に起こるお膳立てをしなければならない。
 この近似世界の未来を正しく観測するために。
 そう、祐一が本当に還るべき場所、『特研』のために。
 心が軋む音がした。
 定められた犠牲をせめて少なくしてやりたかった。
 そこで祐一は湧き上がった望みを無理矢理押さえつける。
 まずはこの事件を乗り越えてからだ。
 全てがそこから始まる。
 そのために、今はただなのはを信じて見守る事に専念することを祐一は心に誓った。
 ただ、この事件はなのはとフェイトの物語になる。
 その前に、祐一はフェイト――らしき少女に聞いておきたいことがあった。







 そして翌日の夜。
 アリサとユーノに少女をおびき出す事を話した祐一は、氷で作ったマスの様に一面だけ欠けた箱に魔法をかけ、その内側に乗り込んでふわふわと低速飛行していた。
 行き先は前日に一件やらかしたすずかの家の庭。
 少女の探知範囲がどこまでか分からない以上、一度探知された場所で再び探知にかかるのを待つのである。
 林の中でも比較的開けた場所に降り立った祐一は月衣からイデアシードを取り出した。
 同時にポケットから黒いカード――ファイスを取り出し、空にかざした。

『星が綺麗ですね』
「ああ。世界が変わっても、時代が変わっても、赤い月のない夜空は実に素晴らしい」

 祐一の過去を今のような知性を得る前からインテリジェントデバイスとして共にあり続けたファイスは、その祐一の言葉の意味を正しく理解していた。
 赤い月。それは『侵魔』が現れるときに空に浮かぶ裏界の月。
 赤い月が昇る度、祐一は世界を守るため戦い、敗れ、死んでいった。
 だからこそ、この赤い月の昇らぬ平穏な世界の夜空を祐一は好んでいる。
 祐一とファイスはそれぞれの想いを秘めて夜空を眺め、そして祐一が長い息を吐いた。

『……開始しますか?』
「頼む」

 その言葉を承認と解釈したファイスは祐一の服を黒いアンダージャケットに換装する。
 ファイス自身はヘッドギアとして祐一の頭部を多い、これより始める儀式の準備に心構えを始めた。
 やがてそれも終わったのか、ファイスは十数秒の沈黙のあと、祐一に話しかけた。

『準備完了。いつでもいけます』
「分かった。防御は任せる。暴走した時には被害が俺一人で済むよう周りへの被害は抑えてくれ」
『……分かりました』
「よし。じゃあ、いくぞ」
 
 その言葉とともに、祐一はウィザードの魔力を以ってイデアシードに干渉を始めた。
 注がれる力に反応し、共鳴するようにその青い結晶は光を明滅し始める。
 やがてそれは祐一の魔力の波に乗り、その結晶化したエネルギーの極僅かを解き放った。
 青白い光が空に突き刺さる。



 それから三分ほど経過した時だった。
 魔力の触れ幅を減衰させ、祐一はイデアシードの出力を最小限にしていた。
 いつまでも出力を上げておく必要はない。
 最初に派手にぶちかまして釣られてきたのを迎えればいい。

『マスター』
「来たか」

 ファイスの声に祐一はイデアシードを握り締め、強引に励起状態から休眠状態に移行させる。
 祐一の目の前にあるバイザーに映し出されたセンサーの示す方向を向けば、木の枝の上にアリサたちから聞いたとおりの少女が立っていた。
 祐一の記憶している少女の姿と変わらない。
 間違いなくこの少女はフェイト・テスタロッサだ。

「……ジュエルシードを渡して」

 抑揚ない口調で要求を叩きつけてくる少女。
 それに祐一は右手に持つ結晶をかざして言った。

「悪いがこれはジュエルシードじゃない。イデアシードっていうジュエルシードを模したオーバーテクノロジーの産物だ」

 その答えに少女は瞳を迷うように揺らすが、手に持った黒い斧状のデバイスを祐一に向けて言った。

「……その言葉が本当か、確かめる術がない。その結晶を渡して――」
「残念。無理だ」

 少女の言葉を遮って祐一が発言し、祐一はイデアシードを軽く宙に放った。
 イデアシードは放物線を描き、急にその姿が掻き消えてしまう。
 祐一の纏う結界、月衣に収納されたのだ。
 イデアシードの反応を探る少女に、祐一は頭のヘッドギアをはずしてその素顔を見せる。

「さて、初めましてだな、きょうだい」
「きょうだい……?」

 祐一の言葉にきょとんとする少女。
 その反応に祐一は一つ頷くと、もう一つ試しに言葉をぶつけてみることにした。

「なあ、プロジェクトFって知ってるか?」
「……知らない」

 祐一の言葉に抑揚ない声で答える少女。
 祐一は諦めて次の質問に移る。

「じゃあ質問を変えるぞ。お前はなぜジュエルシードを狙う。どうしても叶えたい願いでもあるのか? それとも母親にでも頼まれたか?」

 祐一の最後の言葉に体を揺らして動揺を表す少女。
 そこで祐一は月に見せられた研究室の様子を思い出す。
 長いウェーブのかかった黒髪の女性。
 紫の電気を操る魔導師。
 祐一を殺そうとしたあの女こそが、この少女を生み出した。
 そう祐一は推測していた。

「母親に伝えておけ。プロジェクトF、『Failed children』の生き残りがここにいる、と。雷で撃たれ、白い剣を突き刺された子供だ」

 全く意味の分からない言葉に少女は沈黙したままだった。
 だがやがて再び強く斧のデバイスを握り直し、その先端を祐一へと向ける。

「……もう話はおしまい。ジュエルシードを渡して」
「だから違うというのに。それにあの石はもう月衣の中だ。俺以外の誰にも取り出せん」
「カグヤ?」

 初めて聞く単語に疑問を上げる少女。
 しかし、とりあえず祐一を倒してからイデアシードを奪う事を決めたようで、祐一は少女から強い戦意を感じ取った。
 それに対して祐一は外していたヘッドギアを再び頭に装着する。

「バルディッシュ、フォトンランサー」
『Photon lancer full auto fire』
「ファイス」
『防ぎます』

 少女の杖の先から祐一に向かって金色の光弾が連続射出される。
 同時に祐一を黒い霧のようなものが球状に包み込む。
 そして、着弾。
 しかし少女の放った光弾は全てその霧の様な膜に全て弾かれてしまった。
 
「バルディッシュ」
『Scythe form setup』

 少女の斧の刃の部分が杖の先に移動し、そこから鎌状に金色の魔力刃が生成される。
 そして少女は木の上から祐一に飛行して接近し、魔力刃で祐一を覆う闇――バリアヴェールを斬りつける。
 結果はやはり失敗に終わった。
 少女の斬撃の前に祐一を取り巻く黒のフィールドは何の変化も見せない。
 直接干渉する事でその強度を読み取ったのだろう。少女は再び祐一から距離をとり、空中から祐一を見下ろした。

「……堅い」

 少女はそう言うと、今度は鎌を振りかぶり、大きく斜めに振り下ろした。

『Arc saber』

 鎌が大きく振られると共に、鎌の刃である魔力刃が祐一に飛翔した。
 祐一の防御膜に喰らい付き、削ろうとする金色の刃。
 しかし結局は何の効果を見せることなく魔力刃は消え去ってしまった。
 ファイスに搭載されたリンカーコアの性能が高すぎるのだ。
 加えてその出力はこのバリアヴェールに大半が割かれている
 少女は現段階ではこの防御を崩すのは困難と見なしたらしく、杖の形状を鎌から斧へと戻した。
 同時に足元に金色の魔法円を形成し、ぼそぼそと何事か呟き始める。
 おそらくは詠唱。
 祐一が防御に徹している事を見抜き、高威力の魔法攻撃に切り替えたのだ。
 だが、祐一もわざわざそれを受けてやるつもりなどない。
 いつのまにか祐一の手には白い石でできた立方体が乗せられていた。
 石はルービックキューブのように一部が回転し、各面の正方形の窪みにある回路のような紋様が光りだす。

「また会おう、きょうだい」

 そして少女の魔法が発動するよりも前に、祐一は白い光の奔流に包まれ、その姿を消した。








 白に埋め尽くされた祐一の視界が夜の暗がりを再び捉えた時、祐一は高町家の庭にいた。
 祐一はその手に持つ方石を月衣に仕舞い、玄関から家に入る。
 いつもより遅い風呂を浴びて自室に戻った祐一を待っていたのはユーノと無地の黄色いパジャマに身を包んだアリサだった。

「お帰りなさい、祐一」
「上手くいきましたか?」
「ああ、とりあえず会うことは出来た」

 聞いてくる二人にベッドに腰掛けながら返事をする祐一。
 それに対しアリサが質問をぶつける。

「それで、分かったことは?」
「とりあえずジュエルシードを集めているのはだれかさんの命令みたいだ。あの子が自分の望みをかなえるためじゃない」

 その報告に難しい顔をするアリサ。
 まあ、無理もないことだろう。
 むしろジュエルシードの運用目的が少女からは得られなくなった分、余計に警戒しなければいけないことは確実だ。
 残りのジュエルシードは十四。
 その全てをこちらが先に得る事は非常に困難だ。

「それで、他に分かったことはありますか?」

 ユーノの質問に祐一は横に首を振る。
 祐一はその手に青い結晶を出現させ、いじくり回しながら答えた。

「悪いがあまり話は聞けなかった。こっちが言うだけ言った後、こいつを奪おうとして襲ってきたからな」

 すぐに逃げさせてもらったが、と付け加える祐一。
 その言葉にアリサが難しい顔をしたまま言った。

「空を飛べる相手、か。なのはは空中戦は全く経験がない。あたしたちも空中戦が出来ない以上かなり不利な展開になるわね」
「アリサはフラガラッハで宙には浮けるけど……機動戦についていけないもんな。結局これから先はなのは頼りになる、か」
「僕にもっと魔力が戻っていたら、補助魔法で援護をしてあげられるんですが」

 そして三人揃ってため息をつく。
 防御しか能の無い祐一。機動力のないアリサ。魔力不足のユーノ。
 唯一少女に対応できるのは、飛行魔法を覚えたばかりのなのはだけだった。

「結局はなのはを信じるしかない。だろ?」
「そうね。あの子相手に私たちの出来る事はほとんどない。ユーノ、なのはの補助、頼むわよ」 
「は、はい。それにしてもあっさり諦めるんですね、二人とも」

 そのユーノの言葉に二人は視線を交わした。
 今まではなのはの手助けをできる範囲で行なってきたが、それはあくまでなのはの補助にすぎない。
 これから先、少女との戦闘に大きく関わるとなれば、それはもう未来を歪めてしまいかねない。
 自分達がいなくてもこの事件をなのはが乗り切ったことを知っている二人は、ここでこの事件への干渉を最低限にしようとしているのだ。
 それでも、なのはに手を貸してやりたいと思う心が確かにある。
 二人はそのジレンマに顔を歪めた。

「仕方がないんだ。俺たちには飛ぶ相手への対処も、なのはの空中戦の補助もできない。ここが、俺達の限界だ」

 半分自分に言い聞かせながらユーノに返答する祐一。
 結局地上でのジュエルシードへの対処は祐一達が、あの少女への対処とジュエルシードの封印はなのはに任せることになった。
 アリサは複雑そうな顔をして部屋に戻り、ユーノも祐一たちの反応を不審に思いながらそれでも聞いてくる事は無く、寝床に丸まった。
 そして部屋の電気を落とした祐一は、かつての世界の記憶を探る。
 なのはと笑い合い、隣に立つフェイト。
 その未来を作り出す邪魔をするわけにはいかない。
 そう考えながらも、祐一は何も出来ない自分に歯噛みした。
 そして祐一達が再び少女と相対するのは、その一週間後の事となる。



[5010] 第二十三話
Name: tript◆4735884d ID:660a4c8a
Date: 2010/04/26 21:50

 月村邸での事件より一週間後の連休。
 年中無休の翠屋もこういった機会には他の店員に店を任せて近場に旅行に出ることがある。
 今回は海鳴温泉で二泊三日の骨休め旅行。
 参加者は高町家一同にアリサ・バニングス、そして月村家の忍、すずか姉妹にメイドのノエルとファリンだ。
 車は二台。士郎と忍がそれぞれ運転している。
 祐一とアリサは、事前にジュエルシードのことは旅行中の間完全に忘れて、子供らしく遊ぶよう強くなのはとユーノに念押ししていた。
 車は山沿いの道を進み続け、やがて緑に囲まれた温泉旅館へとたどり着く。
 池の鯉や新緑の木々を眺めた後、子供達一同は大人より一足先に温泉に入る事になった。

「ねえ、おねーちゃん。どうしてもダメ?」

 女の子を代表してなのはがアリサに直訴する。だが、アリサは頑として首を縦に振らない。

「ダメ。ユーノも男湯の方がいいのよね?」
(は、はい。もちろんです)

 アリサの言葉にユーノも必死で祐一の肩に掴まりながら念話で答える。
 女性の裸を見るのが恥ずかしくてたまらないのだろう。ちなみに祐一は年齢制限に引っかかるので女湯には入れない。

「そう邪険にするなよ。ユーノはまだ子供なんだから、女湯に入ったって問題ないだろ」
(だ、だめですよ! 僕は祐一さんと入ります!)

 祐一の発言に必死になって自分は男湯に入るのだと強調するユーノ。
 結局ユーノ自身の意向により、ようやく女の子達はユーノと一緒にお風呂に入ることを諦めることとなった。
 女の子プラス忍と美由希が女湯に向かい、祐一とユーノは男湯へ向かう。

「なあ、ユーノ。明日こそ女湯に入ったらどうだ? アリサのフォローは俺がしてやるから」
「嫌ですよ。だって、恥ずかしいじゃないですか」
「恥ずかしい、ねえ」

 外見年齢と精神年齢が一致しない祐一としては美由希や忍の裸が見られるのは眼福と言ってもいいと思っているが、まだユーノは恥ずかしいらしい。そういえば祐一が子供だった頃も、従姉妹の名雪と一緒にお風呂に入るのが恥ずかしくなって断るようになった覚えがあった。

「じゃあ、明日も俺と一緒に入るか?」
「よろしくお願いします、祐一さん」

 脱衣所で服を脱ぎ、浴室にユーノを持って突入する。昼間から温泉に浸かろうとする者はいないのか、温泉は祐一とユーノの貸切だった。これでいつかのように露天風呂があれば最高なのだが、流石にそれを求めるのは贅沢というものだ。

「ユーノ。温泉って物は先に体を洗って汚れを落としてから湯に浸かるんだ。というわけで俺が体を洗い終えるまでこの中に入っていてくれ」

 そう言うと祐一は木桶に風呂の湯を汲み、そこにユーノを浸からせた。家ではかかり湯をして湯船に浸かるが、こういう公共の場では体をきれいにして入る必要がある。ちなみに家でもユーノは洗面器に張ったお湯に浸かっている。

「なあ、ユーノ」
「なんでしょう、祐一さん」

 髪をシャンプーで洗いながらユーノに声をかける祐一。手を止めることなく祐一は言葉を続けた。

「まだジュエルシードがばらまかれたのが自分のせいだって思っているのか?」
「……あれを発掘したのは僕なんです。だから、僕にも責任があるんです」

 沈んだ声でユーノが答える。祐一は無言でシャワーで頭の泡を洗い流し始めた。頭をすすぎ終わると、ユーノを桶ごと持ち上げて目線を合わせる。

「ゆ、祐一さん?」
「いいか、ユーノ。一人で責任を果たそうとするな。必要があれば他人の手を借りろ。迷惑とか考えるな。これは俺達の町の問題でもあるんだ」
「でも……」
「でもも何もない。これはお前の問題じゃない。お前も含めた俺達の問題なんだ。いい加減俺達のことを仲間だと認めてくれ」

 その言葉にユーノは祐一から視線を切って俯いてしまう。そして顔を上げたユーノの瞳は決意に燃えていた。

「分かりました。改めて言います。僕に力を貸してください。僕の、仲間として」
「オーケー。上出来だ」

 祐一は拳をにぎり、親指を上に立てる。これでようやくユーノも自責の念から少しは解放されるだろう。祐一はタオルを手に取ると自分の手桶のお湯に浸して絞り、石鹸を擦りつけ始めた。今度は体を洗うのだ。

「祐一さん」
「何だ? ユーノ」

 まずは両腕をタオルに擦りつけ始めた祐一にユーノが声をかける。お湯がぬるくなってきたのだろうか。

「祐一さん達の、いえ、祐一さんの目的はなんですか? 祐一さんには、ジュエルシード探しの他になにか別の狙いがあるような気がするんです」

 あまりにも真っ直ぐな問いに祐一は体を洗う手を一瞬止めてしまう。一つ息をつき、再び体を洗い始める。まあ、そのくらいなら話してもいいだろう。

「……ジュエルシードを封印して、海鳴の平穏を守りたいってのは本当だ。ただ、ジュエルシードを集めているあの女の子、その奥にいる存在に俺は用がある」
「用、ですか?」

 聞き返すユーノ。祐一は立ち上がると今度は腰より下を洗い始めた。

「なんてことはないよ。俺はただ自分の親を見てみたいだけだ」
「親、ですか?」
「……まあ、いずれ分かるさ」

 そう言って手桶のお湯で体を洗い流す。そして湯船からユーノを引っ張り上げた。

「それじゃあ洗うからな。じっとしてろよ」
「は、はい。よろしくお願いします」

 ユーノの体を石鹸を付けた手で擦っていく。毛がやや長いので洗うのにコツがいる。しばらくユーノの背中を泡立てて洗う。ユーノが石鹸で洗うのを拒んで暴れたりしないのには助かっていた。そしてつい狐のマコトのことを思い出す。あっちは風呂に入るのはよくてもペット用シャンプーで洗われるのは嫌うのだ。ユーノを洗いながら昔を懐かしんでいると、いつの間にかユーノが泡の固まりになっていた。

「ユーノ、目を瞑ってろ」

 手桶にお湯を蛇口から溜めて、少しずつお湯をかけて泡を流していく。中からは、目を必死で瞑っているユーノが現れる。

「よし。湯船に行こうか」

 ユーノを持ち上げて浴槽に入る。ユーノは浴槽のお湯を入れた手桶に入れて浴槽の縁に置いておいた。浴槽に肩まで浸かる。ぬるい。そう思った。レネゲイドによって変異した祐一の肉体は炎熱や氷結に耐性を持ち、温泉の熱すら遮断する。冷水も火傷するような湯も祐一にはぬるま湯と変わらない。

「ユーノ。気持ちいいか?」
「はい。祐一さんは、湯加減どうですか?」
「ちょっと、ぬるいかな」

 こうして一般人との差を見せ付けられると、少し羨ましくなる。戯れに体内の温度を調整して体を温めてみた。これで温泉に浸かっているのと同じ効果はあるだろう。

「俺はいつまででも浸かっていられるから、出たくなったら言ってくれ」
「あ、はい。分かりました」

 浴槽の中で体の筋肉をほぐしながら、一週間前のことを考える。フェイト・テスタロッサ。まだ互いに名乗ってすらいないが、遺伝子上とはいえ兄妹だ。仲良くできればいいのだが。

「祐一さん」
「ん、どうした?」
「僕が来るまでは祐一さん達が魔法を教えていたんですよね」
「ああ。そう、だけど」

 それがどうしたというのだろう。なのはに教えられたのは誘導制御弾とバリア魔法のみ。ユーノと出会いレイジングハートを手にするまでは、なのははせいぜいDランクの魔導師だっただろう。

「もっと早くにデバイスを与えてあげることは出来なかったんですか? 祐一さんやアリサさんが使っているインテリジェントデバイス。なのは用のデバイスを用意していれば、なのははもっと早く魔導師としての才能を目覚めさせていたと思います」

 痛いところを突かれた。祐一は一つ長い息を吐く。

「いつかはなのはに相応しいデバイスが現れる。それを俺は知らされていた。それがいつ、どこでなのかは知らなかったがな」
「知らされていた……?」

 怪訝そうに呟くユーノ。これ以上情報を与えるのはまずい。ユーノは確かに年下だが、頭は相当に切れる。

「誰にかってのは内緒だ。いつかは全部教えなきゃいけない時が来る。年末には全部話すから、それまでは待っていてくれ」
「……納得はいかないけれど、分かりました。必ず教えてくださいね」
「ああ。約束だ」

 約束。これも懐かしい。
 子供時代、祐一は初恋だった少女と約束を交わしたことがある。
 そのときには約束を破ってしまった。
 だから、約束という物を祐一は裏切る事は出来ない。

「祐一さん」
「今度はどうした? お湯を換えようか?」
「いえ、そろそろ出ませんか?」
「ん、分かった」

 体温を平常に戻すと、手桶からユーノを持ち上げてタオルをかけた肩に乗せる。
 相当茹だっているようで、若干タオルへの掴まり方が危なっかしい。
 とりあえず、手で支えてやりながら浴室を出た。
 更衣室で体を拭いて浴衣に着替える。
 ユーノは湯当たりしているようにふらふらしていた。

「おーい。ユーノ、こんなのどうだ?」

 体内のレネゲイドを活性化させ、手の平を冷たくする。
 両手の上でユーノはだらしなく体を伸ばしていた。

「すみません。ありがとうございます」
「こんなんでいいか? もう少し冷やすことも出来るけど」
「あ、いえ、これで充分です」

 ユーノは体の上下を変えながら祐一の手の上で涼んでいた。
 やがて平気になったのか、祐一の手の平から飛び下りる。

「祐一さん、不思議な能力を沢山持っていますよね」
「まあな。生まれつき備えていた力。後から手に入れた異能。時々嫌になることもあるが、何度も命を救ってくれた力だ。それなりに頼りにしてる。だけど俺はユーノの使う魔法の方がすごいと思ってるぞ。応用は利くし、威力なんか比べ物にもならんし」

 そう。管理局基準の魔法はその費用対効果においてウィザードの魔法やレネゲイドの能力を圧倒的に上回っている。
 同じだけの労力をかけた力がぶつかった場合、前者が圧倒的に打ち勝つのだ。
 大魔王ですらSランク魔導師の前ではただの雑魚に過ぎない。

「祐一さんだって負けていませんよ。魔法が使えなくても、あのアリサさんと互角に渡り合うじゃないですか」
「あれはアリサが飛べないからだ。空を飛ぶ相手に今の俺は無力なんだよ」

 祐一の体が成長すれば話は変わってくるが、現状では祐一に高機動で飛び回れる手段はない。例えばあのフェイト・テスタロッサと戦うならば、祐一はただ空から魔法を撃たれ続けることになるだろう。

「ま、例の金髪の女の子はなのはに任せることにしよう」
「大丈夫かな、なのは」
「信じろ。俺達はサポートしてやることしかできん」

 祐一の浴衣の上でユーノがため息をつく。
 気持ちは分からなくもない。
 空を自在に飛ぶ相手に祐一達は無力だ。防御は出来ても攻撃が出来ない。

「さて、そろそろ外に出ようか」

 長々と脱衣所で話し込んでしまった。
 今頃他の小さい子たちはもう湯から上がっているだろう。
 祐一は脱衣所から外の廊下に出る。
 脱いだ服を持って部屋に向かう途中で、浴衣姿のアリサが待ち受けていた。
 その顔は険しい。かなり不機嫌なようだ。

「祐一、ユーノ」
「どうした? アリサ」
(何かあったんですか?)

 アリサの声に祐一は直接、ユーノは念話で聞き返す。

「あの金髪の子の仲間にあったわ。オレンジ色の髪をした、額に赤い宝石をつけた大人の女性。念話で警告してきたから間違いないわ」
「で、そいつはなんて言ってきたんだ?」
「子供はお家で遊んでなさい、だって」

 オレンジ色の髪の女性。祐一に心当たりはなかった。アリサはフルンティングとフラガラッハをつけたペンダントを身に着けている。

「まさか、今からそいつをぶっ倒しに行こうなんて考えていないよな」

 アリサのあまりの機嫌の悪さにそう聞いてみた。
 頭に痛みが走る。グーで殴られた。
 アリサはフルンティングの上にジュエルシードの探知プログラムの画像を表示させてみせる。

「あたしはそんなに喧嘩っ早くない! あいつらが来てるってことは、この近くにジュエルシードがあるのよ。祐一は部屋に戻ってファイスを持って来て。ユーノはなのはを呼んできてちょうだい。準備できたらこの旅館の玄関前に集合。いいわね」
「わかった」
(分かりました!)

 祐一とユーノは子供達に割り振られた部屋に駆けて行く。
 勢いよくふすまを開けると、そこには浴衣を着たなのは、すずか、バニングスがいた。
 祐一は服を片付けると鞄からファイスを取り出す。
 ふと横を見ると、なのはがレイジングハートを身に着けているところだった。

「なのはちゃん。気をつけてね」
「なのは! 無茶するんじゃないわよ!」

 すずかとバニングスがそう言ってなのはを送り出す。後を追うように祐一も客室を飛び出した。
 旅館の外に出ると、アリサが胸元のフルンティングの操作をしているのが目に入る。

「あ、三人とも来たわね。じゃあ、散歩がてらジュエルシード探しと行きましょうか」 
「散歩がてら?」

 アリサの気楽な物言いに祐一が疑問を示す。アリサはフルンティングに示されたゲージのようなものを指差した。

「まだ魔力発揮値と魔力波の周波数は安定しているわ。あと三時間は発動の危険性はないと思う」
「分かった。案内を頼む」
「はーい」

 こうして祐一たちはアリサを先頭に渓流沿いの道を歩き始めた。
 森に囲まれた小道を緩やかな流れの川に沿って歩く。
 確かに祐一達は元々こういうことをするためにここに来たのだ。アリサの散歩がてらという気持ちがよく分かる。
 ふと川の向こうを見ると、士郎が桃子の肩を抱いている場面に遭遇した
 。向こうもこちらを見つけたようで、照れながら手を振ってくる。
 気まずい気分で手を振り返しながら、皆でそそくさと先を急いだ。





「近いわね。この先よ」

 しばらくのんびりと景色を楽しみながら歩いていたところに、アリサがそう言ってフルンティングの矢印を示した。
 矢印は川の方向を指している。
 ここは川から少し離れた小道で、川までは藪が道を阻んでいる。
 今、ユーノを覗いて全員が浴衣だ。無理にこの藪を突っ切って行くことはできない。

「ユーノ。確認してきてくれるか」

 祐一の言葉にユーノがなのはの肩から降りて藪の下を潜っていく。

(ありました! 向こうの川べりに引っかかっています)

 ユーノからの念話に三人が顔を見合わせる。そしてアリサが他の二人を制して藪の前に立った。

「封印はあたしがやってみる。二人は金髪の子達が来ないか見張ってて」
「おねーちゃん。封印できるの?」
「この間の件の反省を生かして封印プログラム作って搭載してみたのよ。その実験をさせて欲しいの」

 アリサが手をあわせてお願いをしてくる。結局根負けした二人はバリアジャケットを纏って周囲を警戒することにした。





 アリサは赤いドレスのようなバリアジャケットを纏い、片刃の赤い大剣、フルンティングを構えた。さらにアリサの周囲を六つの十字剣、フラガラッハが浮遊している。アリサはバリアジャケットに体の保護を任せて藪の中に分け入った。藪を抜けて川べりに出ると、ユーノが足元に近寄ってくる。

「アリサさん。あそこです」
「分かってるわ。フルンティングが教えてくれるもの」

 川の対岸、川べりの岩の隙間に藪に隠されるようにしてジュエルシードが引っかかっていた。
 アリサはフラガラッハのうち四本をジュエルシードに差し向ける。
 フラガラッハは黒い正四面体のバリアを張り、川の中央までジュエルシードを移動させた。

(これからどうするんですか?)
「こうするの、よっ!」
『封印機構、起動』

 ユーノの質問にアリサはフルンティングをジュエルシードに向けた。バリアを構成しているフラガラッハがジュエルシードにその切っ先をむけ、その先端に黒い魔力を集束させていく。

『封印』

 フラガラッハの声と同時、バリアの中が黒に染まった。
 暴走をしていないジュエルシードを封印するには大して魔力を使う必要は無い。
 しかもバリアが魔力を外部に洩らさず、封印をより効率的なものにする。
 やがてバリアの中が透けて見えるようになったとき、バリアの中にはジュエルシードがナンバーを表示させて落ちていた。

「ジュエルシード、シリアル17、封印っと」

 アリサの手元にジュエルシードをフラガラッハが運んでくる。これならジュエルシードの封印が他人に気付かれる恐れはない。





 藪が擦れる音が響く。アリサとユーノが戻って来たのだ。

「封印できたわよー」
「は?」
「え?」

 藪から洗われたアリサの言葉に、なのはと一緒に間抜けな声を上げる。
 封印の魔力を殆ど感じなかったのだから、それも無理はないだろう。

「本当に封印出来たのか?」
「うん。はい、これ」

 祐一の言葉に頷いてアリサがなのはに差し出したのは、確かに封印処理されたジュエルシードだった。
 なのははそれを何度も確認した後、レイジングハートに格納した。

「いったいどうやったんだ? ジュエルシードを封印するには大きな魔力が必要じゃなかったのか?」
「それは暴走している場合の話よ。それにあたしのフラガラッハには巨大な魔力を持つリンカーコアが収められてる。それを使って、あらかじめバリアで魔力が外に漏れないようにしてから封印したの」

 祐一の質問に得意気に胸を張ってアリサが答える。
 これで祐一にも何故魔力を感じなかったのに封印が出来たのかが分かった。

「じゃあ、次の作戦にいきましょうか」
「はい?」

 妙なことをアリサが言い出した。
 無論祐一は次の作戦なんて聞かされた憶えはない。祐一は怪訝そうな顔をアリサに向ける。

「なあ、アリサ。次の作戦ってなんなんだ?」

 そう質問をぶつけると、アリサは唇の端を吊り上げた。不敵と表現するのが相応しい笑みには強い自信が表れている。

「例の金髪の子たちよ。こっそり封印したから、まだジュエルシードがこの場所にあると思い込んでいるはず。そこで祐一がジュエルシードを活性化させてあの子たちをおびき出すの。で、事情を聴いた上で必要なら戦う。それでもってこの間のジュエルシードを取り返すの」
「……要は今日会った女の人を見返してやりたいだけだろ」
「なにか言った?」

 余計な発言をしたらとても恐い笑みを浮かべてこちらを向いてきた。
 しかし案自体は悪くない。
 祐一にとっては、もう一度フェイトと会えるというだけでこの案に乗る理由は充分だ。

「戦うなんてだめだよ。まずはお話をしないと――」
「話し合いで済むならそれで構わないわ。あの金髪の子はなのはに任せる。でも難しいわよ。相手が話に乗ってくれるかも判らないんだから」

 なのはの言葉にアリサがそう返事する。
 アリサも気付いているのだろう。フェイトの相手は本来この場にいなかった祐一やアリサではなく、なのはが務めなければならないことに。

(でも、相手は強いですよ。そんな危険な真似をわざわざする必要なんてありません)
「あるんだよ、必要が。あの子となのはが出会うことは必要なことなんだ。本来ここにはいなかった俺達が邪魔していいことじゃない」

 ユーノが念話で抗議するものの、祐一はそれを否定する。
 このままなのはとフェイトを会わせずに終わらせるわけにはいかない。
 二人には親友になってもらって、闇の書事件に向き合ってもらわなければならないのだから。

(出会いが、必要?)
「本来いなかったって、どういうこと? おにーちゃん」

 ユーノとなのはが祐一に質問する。
 だが、まだ先のことを説明するわけにはいかない。祐一は無言で首を横に振った。

「とにかく作戦は決行! 時間は夜の十一時、場所はこの先にあった橋の上!」

 アリサが大声で告げる。
 アリサと祐一が賛成した時点でこの作戦は決まったも同然だった。
 なのはとユーノがしぶしぶ頷く。

「この先に橋なんてあるのか?」
「さっきジュエルシードを取りに行った時見えたのよ。せっかくだから、このまま散歩を続けていきましょう?」

 祐一の質問にアリサが答えた。
 アリサの言葉に全員バリアジャケットを解除し、デバイスを待機モードに移行させる。
 再び道を歩き出すと、確かに橋があった。
 木でできた橋だが、幅がないわけではない。これなら充分に剣を振り回せる。
 橋の状態を確認した後、なのはの言葉に祐一達は慌てて宿に引き返すこととなった。
 宿で待っていたのは、心配をしてくれていたすずかとバニングスのもっと早く帰ってきなさいとのお説教だった。



[5010] 第二十四話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:50
 夜の十時半。祐一は弱っていた。
祐一やアリサ、なのは達子供五人は同じ一つの部屋に寝かされていたのだが、祐一の小細工に巻き込まれてアリサ、ユーノを含む全員が眠ってしまったのだ。
 ≪ワーディング≫。レネゲイドウイルスに感染した者が使用できるようになる、特殊な化学物質を周囲に拡散させる能力。
 範囲内の非ウイルス発症者を無力化するほか、領域内に非ウイルス発症者を寄せ付けなくする効果がある。
 そんなものを祐一が使ったのには理由がある。祐一、アリサ、そしてユーノを中心として魔法や冒険の話をしているうちに、皆興奮しておしゃべりを始めてしまったのだ。
 このままでは皆に内緒で抜け出せない。かといって金髪の女の子の話をするわけにもいかない。ただでさえ暴走したジュエルシードの件で心配をかけているというのに、さらにそれを奪い合う相手が現れたなど祐一には言えない。
 そこで祐一は≪ワーディング≫を使い、強制的にバニングスやすずかを昏倒させた。
 だが、祐一は忘れていた。
 魔導師に≪ワーディング≫が効かないのはバリアジャケットが≪ワーディング≫の化学物質を遮断していたからであり、浴衣姿のなのはやアリサ、そしてバニングスの手に握られていたユーノは今や一般人と変わらないことを。

「おーい。アリサ、起きろー」
「ん……」

 祐一はアリサを揺するが、起きる様子はない。普段から寝起きは悪いアリサだが、こうも深く眠られていると起こすのも一苦労だ。
 頬をたたき、体を揺すり、それでもアリサは起きようとしない。祐一はアリサを起こすのは諦めて、なのはを起こすことにした。

「なのは、なのは」
「うにゃ? ……おにーちゃん?」

 寝ぼけ眼ではあるが、一応なのはは目を覚ましてくれた。祐一が指した時計を見て計画のことを思い出したらしい。目をパッチリ開いて飛び起きた。

「なのは。ユーノを念話で起こしてくれるか?」
「うん。分かった」

 祐一の言葉に素直に従うなのは。なのはが視線をユーノに向けると、ユーノが体をもぞもぞと動かし始めた。
 やがてバニングスの手の中から抜け出すと、祐一たちの足元に駆け寄ってくる。

(すいません。いつの間にか眠っていました)

 生真面目に謝ってくるユーノ。
 その本気で申し訳なく思っている声に、祐一は罪悪感を覚えてしまう。

「気にするな。それよりこの寝坊助さんをどうするか考えよう」

 ごまかして未だ布団で静かな寝息を立てるアリサを指差す。
 今度はなのはに揺すって声をかけてみてもらった。やはり起きない。
 時計の数字はどんどん十一時に近付いて行く。

「仕方ない。今回はアリサ抜きで行こう」
「ええええむぐっ!?」

 祐一の言葉に驚きの声を上げようとするなのは。慌てて祐一はなのはの口を塞ぐ。
 そっとすずかとバニングスの様子を見ると、二人とも静かに眠っていた。

「なのは、静かに。他の子たちが起きたら大変だから」

 口元を押さえられたまま頷いて返事をするなのは。祐一はなのはを拘束から解放した。

(でもいいんですか? 今回の作戦はアリサさんが発案したものですし……)
「仕方がないんだ。今日中に作戦を決行しなければ相手はここにジュエルシードはもう無いと悟っていなくなってしまう可能性が高い。攻撃力に優れているアリサが抜けるのは痛いが、もし金髪の子と話をしたいならこのまま行くしかない」

 ユーノが念話で尋ねてくるが、祐一はアリサを置いていく決断を下した。
 なのはも祐一の言った『話をする』という言葉に釣られて弱々しく頷く。

「俺が全責任を持ってアリサに怒られるから、なのは達は気にするな。じゃあ、行くぞ」

 浴衣から普段着に着替えて旅館をこっそりと抜け出す祐一達。
 夜になると小道のそこかしこに闇がわだかまり、昼間とは違いそこはかとなく不気味な様相を呈している。
 幸い道は月の光で照らされているので小走りで走る分には問題ない。
 そして十一時過ぎ。祐一たちは橋までたどり着いた。
 祐一は懐から黒いカードを取り出し、なのはは首に下げていた赤いペンダントを取り出す。

「ファイス。セットアップ」
『了解です!』
「レイジングハート、お願い!」
『All right. Stand by ready. Set up』

 そして祐一となのはの服装が変わる。それぞれアンダージャケットとバリアジャケットを着込み、これで準備は整った。

「なのは。ジュエルシードを貸してくれ」

 言われたとおりなのははこの日回収したシリアル17のジュエルシードを祐一に渡した。ジュエルシードを手に取り、その魔力の波長と自分の魔力の波長を同期させていく。祐一の魔力に共鳴するようにジュエルシードは光を強め、やがて封印を破り天へと青い光を突き上げた。
 数秒ほどその状態を維持した祐一は、励起したジュエルシードを徐々に沈静化させていく。
 ジュエルシードはその輝きを失い、弱々しく光るだけの石になった。

「なのは、これの再封印を頼む。沈静化させてあるから少ない魔力で封印処理できるはずだ」
「うん、わかった。レイジングハート、いくよ」
『Sealing』

 レイジングハートの赤い宝玉から光の帯が伸び、ジュエルシードを包み込んでいく。すぐに桜色の光の帯は消え去り、ジュエルシードは再びレイジングハートの中に収められた。

「来るかな? あの子」
「いや、もう来た」
「え?」

 祐一の言葉に祐一の視線を追うなのは。そこには、橋の上空に静かにたたずむ影が二つあった。
 長い金髪を側頭部で二つに纏めている赤い眼の少女と、オレンジ色の髪をした青い瞳の女性。

「ここにあったジュエルシードは、あなたたちが?」

 金髪の少女――フェイトがそう尋ねてくる。

「そうだ――と言ったら?」
「渡して」

 祐一のからかうような声にフェイトは平淡な口調で要求を告げた。
 あまりにも感情のこもらないその声に思わず苦笑する。
 祐一はさらにからかおうと口を開きかけたが、なのはの肩から飛び下りたユーノが先に問いかけた。

「いったい誰に言われてジュエルシードを集めているんだ! 分かっているのか!? あれは、危険なものなんだ!」
「さあて、答えてやる義理なんかないね」

 ユーノが強い口調で問いただすも、オレンジ色の頭の女性が笑って流す。
 そしてその瞳が鋭いものとなり、口が獰猛とも言える笑みを形づくる。

「それよりあたし親切に言ってやったよね。おいたが過ぎるとガブッといくって」

 言うなり女性は橋の上に降り立つ。祐一が月衣から黒い剣を取り出すと同時、女性の姿が変貌する。
 長いオレンジ色の髪が全身を取り巻き、爪を大きく伸ばし、その手足から毛が生え、骨格が四足の獣に変貌する。
 そこに立っていたのは大人大ほどの大きさを持つ、額に赤い宝石を嵌めた狼だった。

「さあ、今あんたたちが封印したジュエルシードを渡しな。でないと……」
「でないと、どうする?」

 祐一は剣を構え、なのはたちの前に出る。同時に狼は前身を低くした。

「痛い目、見てもらうよ!」

 全身をばねにして跳びかかってくる狼。だが、祐一もタイミングを合わせて剣を水平に構え突きを放った。明らかに相打ち狙いの戦法だ。
 祐一は深手を負ったところで再生してしまう。だからこそ祐一に恐れはない。
 だが、祐一と狼が交差するその直前、緑色の障壁が狼を阻んだ。

「ちっ!」

 狼は舌打ちすると、後ろに大きく跳躍して距離をとった。
 同時にユーノの足元に展開されていた丸い魔法陣が消え、緑色の障壁も消え去る。

「あいつ、やっぱりあの子の使い魔だ!」
「使い魔?」

 ユーノの言葉になのはが聞き返す。ふと祐一は使い魔についてなのはに教えていない事を思い出す。

「死んだ動物に、人造魂魄を憑依させることで生み出す人工生命体だ」
「そうさ。あたしはこの子に造ってもらった。この子の魔力で生きる代わり、命と力の全てを賭けて守ってあげるんだ」

 祐一の言葉を狼自身が継ぐ。そして狼の後ろに金髪の少女が降り立った。

「なのは。この狼は俺とユーノで抑える。あの子のことは任せた」
「う、うん!」
「分かりました!」

 祐一の言葉に威勢よく返事を返すなのはとユーノ。しかし狼が喉を鳴らして跳びかかる姿勢を見せた。

「そんなこと、させるとでも思ってんの!?」
「待って、アルフ!」

 今にも跳びかかろうとする狼にフェイトが制止の言葉をかける。だが遅い。狼は祐一に向かって再度跳びかかり――

『させません』

 祐一の頭のヘッドギア、そこに嵌められた青いクリスタルが声を放つ。
 狼が祐一に飛び掛る前に祐一を黒い霧のようなフィールドが覆った。
 狼はそれに爪を立てようとするが、僅かたりとも黒い霧のような膜は揺らがない。
 さらに後ろのユーノの足元に緑色の魔法円が描かれる。

「チェーンバインド!」

 ユーノの叫びと同時、二本の光で出来た鎖が狼の胴体を取り巻いて持ち上げる。

「このくらいっ!」
「まだだ!」

 狼が叫ぶと同時に、鎖に亀裂が入り始める。
 だが、鎖が砕けるよりも早く、狼の足元を含む巨大な魔法円が形成された。

「移動魔法! まずっ!」

 そう狼が叫ぶと同時、ユーノ、祐一、そして狼が橋の上から消え失せた。







 視界を覆った光が消えた時、祐一は木々に囲まれた小さな広場にいた。

「ユーノ、ここは?」
「橋から、少し離れた、森の中です……」

 ユーノに聞くと、荒い息を交えた返事が返ってくる。
 どうやら強制的に橋から自分達と狼を転移させたらしい。
 祐一の前方で、狼が悔しそうに唸っている。

「やってくれたね、このチビ助!」

 どうやら相当怒っているようだ。
 ふと祐一はユーノの方を見る。ユーノはあえぐように息をしていた。未だ完全に回復していない体で魔法の行使をしすぎたのだろう。

「よし、よくやったユーノ。ここからは俺に任せて少し休んでいろ」
「はい。お任せします、祐一さん」

 ユーノは後ろに下がり、木の根にもたれかかるように倒れ込む。
 祐一は黒い剣――ロストメモリーに意志を伝える。
 剣の形をしていたロストメモリーは祐一の右腕を覆うガントレットへと形を変えた。

「もういいぞ、ファイス」
『分かりました。でも怪我はしないで下さいね』

 そして祐一を覆っていた黒い膜が消え去った。全身を覆う黒いアンダージャケットの、青い胸元の紋様が光る。
 祐一は右手を前に構えた。それを狼が鼻で笑う。

「あんた、そんなんであたしに敵うと思ってるの?」
「ああ。お前にはこれで充分だ」

 せせら笑うような狼の声に不敵な笑みを浮かべて返す。すると不機嫌になった狼が体勢を低くした。

「ほざくな、がきんちょっ!」

 狼が叫びながら跳びかかってくる。その巨躯から爪や牙に触れるだけでそれなりの傷を負うだろう。
 ここらが力の使い時だ。地上戦の白兵戦に限定するなら、祐一にとって獣の一匹をあしらうことなど容易な事だった。
 狼が祐一をその両手の爪で切り裂こうとする。だが、その爪は祐一の前を空振りした。
 目を見開く狼の顔面を交差法気味に殴り飛ばす。
 狼は後ろに大きく吹き飛ばされ、その口の端から血の混じった唾液を垂らした。

「ぐ……。幻術、魔法?」
「残念。≪陽炎≫……熱された空気による光の屈折で俺のいる場所をずらして見せただけだ。魔法じゃない」

 うめく狼の声を否定する。今のはレネゲイドの力によるものだ。
 魔導師のバリアを抜くような火力など祐一は持ち合わせていないが、肉体強化とこういった小細工を使えば充分あの狼に対応できる。

「じゃあ、これならどうだい!?」

 狼の足元にオレンジ色の魔法円が展開される。同時にそこからオレンジ色の光で出来た鎖が祐一に襲い掛かった。
 祐一は光の鎖に全身を絡めとられる。

「さあ、このまま引きちぎってやろうか?」

 段々鎖の締め付ける力が強くなる。このまま絡めとられているのはまずい。だから――

「そいつはごめんだ、なっ!」

 体に巻きつく光の鎖に思い切り魔力を注ぎこむ。プラーナの混じった魔力は鎖を構成する術式を暴走させ――爆発を引き起こす。
 土煙が晴れた後には、うずくまっている祐一の姿があった。

「そんな……あたしのバインドを無理矢理破壊した?」

 驚く狼。その隙に全身を襲う痛みを無視して強引に立ち上がり、殴りかかる。
 脳内温度を調節してレネゲイドのコントロールを完全なものとし、脳内麻薬によって運動能力を引き上げ、二十メートルの距離を一瞬で埋める。
 だがその黒い拳が狼を捉える寸前、オレンジ色のバリアが拳を阻んだ。
 祐一には力づくでバリアを破壊する術はない。
 心の中で嘆息する。痛みを覚悟して、左手で目の前のバリアに触れ魔力を流し込んだ。
 バリアは先ほどの鎖と同じく魔導式を暴走させられ、爆発した。
 祐一はその爆発に吹き飛ばされて地面を転がる。
 体を起こすと、狼も立ち上がるところだった。
 全面を覆うバリアが爆発したのだ。全方向から爆風にさらされたに違いない。

「……あんた、何をしたんだ」

 息を荒げて狼が尋ねてくる。今ので祐一が使えるタネは出し切ってしまった。後は会話で時間を稼ぐしかないだろう。

「基本的に魔法ってやつはその魔導式を無理矢理崩そうとしても強固に抵抗される。ところが、その魔法を強化する方向で魔力を流してやるとすんなり魔力を吸収してくれるのさ。だけど俺の魔力は厄介な性質を抱えている。魔導式を暴走させて爆発を引き起こす性質を持っているんだ。おかげで俺は魔法を使うことはできないが、こういうバリアなんかは簡単に破壊してしまえるんだよ」
「そんなの、ありかい……」

 祐一の言葉を聞いて歯噛みする狼。
 それも仕方がないだろう。祐一にはバリアやバインドが通用しない、ということなのだから。
 しかも先ほど強力な身体能力を見せ付けておいた。ダメージを負った今の狼は、身体能力のみでそれを避けなければならない重圧がかかっている。
 さらに、先ほど攻撃を一蹴されたばかりだ。狼から仕掛けてくる事はないだろう。
 双方共に動けない。その時だった。
 橋の方から強い光が発される。同時に祐一は強い魔力を感じた。おそらくは、砲撃魔法。

「フェイト!」

 突如狼が空中にジャンプする。狼はそのまま橋の方へ飛んで行ってしまった。

「ちっ!」

 今度はこちらが歯噛みする番だった。
 こちらにはあのように高速で空を駆ける術を持っていない。
 だが、一刻も早くなのはの元に行かなければならない。
 ただでさえフェイトは強力な魔導師だ。そこにその使い魔が加わるとなると、なのはに勝ち目はない。
 ふとユーノを見る。呼吸は整ってきたようだが、魔法を使うことはできないだろう。

「ユーノ、先に行く」
「わ、わかり、ました……」

 ぐったりとするユーノを尻目に祐一は魔力を練り上げる。
 祐一の足元に青い光で構成された魔法陣が浮かび上がる。
 使用する魔法は≪ウイッチィズ・サルブ≫。所持物品を箒に代える魔法だ。
 その魔法を祐一は着ている衣服にかける。ふわりと祐一の体が宙に浮かび上がった。

「耐えてくれよ、なのは……!」

 空を跳んでいく祐一。だが狼との距離はどんどん離されていく。
 そして先に狼の方が橋までたどり着いた。それにやや遅れて祐一が橋までたどり着いた時に目にしたものは――

「お、にい、ちゃん……」

 空中で首筋に鎌を突きつけられているなのはの姿だった。











 ユーノが祐一と狼を連れて橋の上から消え去った後、なのはは橋の欄干の上に立つ金髪の少女と対峙していた。

「拘束魔法に強制転移魔法、良い使い魔を持っている。あれはあの男の人の使い魔?」
「ユーノ君は使い魔ってやつじゃないよ。わたし達の大切な友達」

 友達。そう言ったとき、なのはは少女の赤い瞳が若干揺らいだ気がした。
 だが、その目はすぐに静けさを取り戻し、なのはを真っ直ぐに見据えてくる。

「で、どうするの?」
「話し合いで、なんとかできるってこと、ない?」

 なのははそう提案するが、返ってくるのは鋭利な視線のみ。

「私は、ロストロギアの欠片を、ジュエルシードを集めないといけない。そして、あなたも同じ目的なら、私たちはジュエルシードを賭けて戦う敵同士ってことになる」
「だから、そういうことを簡単に決め付けないために、話し合いって必要なんだと思う!」

 なのはが強い口調で少女の言葉に反論する。その言葉に金髪の子は揺れる瞳を閉じた。

「話し合うだけじゃ、言葉だけじゃきっと何も変わらない」

 それはまるで自身に言い聞かせているように、今までで一番感情のこもった声で少女は話す。
 そして――

「伝わらない!」

 少女は黒い斧の形をしたデバイスを構える。なのはは反射的に訓練の通りに対応した。
 少女は高速でなのはの後ろに回りこむ。なのははそれを追って振り向きながら、自身の周囲に八つの誘導制御弾を展開した。
 少女が斧を振るうよりも早く、誘導弾が少女を襲う。

『Defencer』

 とっさに展開された金色のバリア。それを誘導制御弾――ディバインシューターが叩き割って消滅させる。

「レイジングハート!」
『Flier Fin』

 なのはの声にレイジングハートが応える。
 なのはの足に一対ずつ桜色の光でできた羽が生え、なのはは空へと飛び上がった。
 さらになのはは杖に魔力を送る。

『Divine Shooter』

 さらになのはの周囲に十二個の光弾が生まれる。それを警戒した少女はなのはからやや離れた位置に浮き上がった。

「賭けて。あなたが今封印したジュエルシードを。勝った方が相手の持つジュエルシードを一つ差し出す」
「待って。お願い、話を――」 

 少女の頑なな姿勢になのはの声に力がこもる。前に祐一が言っていたことを思い出す。
 話し合うことは大切だけど、そのためには相手に自分を認めさせないといけない。

「――聞いて!」

 少女が斧型のデバイスを構えて突進してくるのを見て、なのはは十二の光弾をそれぞれうねらせながら少女に放つ。
 少女は上空に逃げるがそれを誘導弾は追尾していく。避けきれないと少女は悟ったのか、追尾する光弾に斧の先を向けた。

『Round Shield』

 円形の魔法陣が光弾を次々と遮断する。光弾はその光のシールドにぶつかっては砕けていった。
 動きを止めた少女に向かって、なのははレイジングハートの先端金属部分をC型から片方が短い音叉型へと変える。砲撃魔法用のシューティングモードだ。
 その先端に桃色の光がふくらみ、杖を二つの環状魔法陣が囲む。それを察した少女も斧を背後に構え、足元に魔法陣を展開させた。少女の左手に小さめの魔法陣が展開され、そこに金色の光が集中する。
 先に魔法が完成したのは、なのはの方だった。

「レイジングハート、お願い!」
『Divine Buster』

 杖先から放たれた桜色の閃光。それに対し、少女も左手の魔法陣に斧を叩きつけた。

『Thunder Smasher』

 雷撃を伴う金色の魔力砲が、なのはのディバインバスターとぶつかり合う。硬直は一瞬。なのはのディバインバスターが少女の魔力砲を打ち破り、天に桜色の光を閃かせた。

「レイジングハート」
「Yes master. Divine Shooter Set」

 油断無くなのはは自身の周りに十二の光弾を生成する。
 これが祐一やアリサであったならば、平気な顔をして目の前に現れた。
 ならば祐一が警戒するようにしていたあの少女も当然――

『Arc Saber』

 金色の三日月のような魔力の刃が上空から飛来した。なのははそれに四発の光弾をぶつけて破壊する。
 さらに刃の飛来した方向に残りの光弾を飛ばした。
 なのはは自慢できる事ではないが運動音痴だ。祐一やアリサの指導の下、人並みには運動はできるようになったがやはり接近されてしまうと弱い。
 上空の少女が再び円形のシールドを張った瞬間、なのはは魔力弾を散開させた。
 横や後ろに回りこんだ光弾がタイミングをずらして少女に襲い掛かる。
 少女は円形のシールドを消し、即座に開いた前方の空間に宙を駆けた。

『Scythe Slash』

 少女の持つ斧型のデバイスの斧の刃が杖と直角になるように九十度回転して、鎌の刃の様に金色の魔力刃が展開されている。
 光弾が少女に命中するよりも少女が切りかかる方が早い。
 即座になのははディバインシューターの制御を放棄する。

『Protection』

 なのはを球状のバリアが包み込んだ。そして少女の鎌の刃がなのはを包む魔力壁と衝突する。火花を散らしながら鎌の刃が少しずつバリアに食い込む。

「レイジングハート、お願い!」
「O.k. Output boost」

 バリアに更なる魔力が込められた。金色の刃が押し戻される。
 ここで距離を開けてしまえば、なのはは魔力弾の乱れ撃ちで少女を押さえ込める。
 だが――

「フェイトーー!」

 横から突進してきたオレンジ色の狼がなのはのバリアにその爪を立てた。
 ややあって、二人の攻撃にバリアにひびが入る。
 いや、ひびを入れられているのは狼の爪によってだ。バリアブレイク。バリアを構築する魔導式が破壊されていく。
 やがてバリアはガラスが砕けるような音を立てて破壊された。
 先程までバリアに食い込んでいた鎌の刃がぎりぎりでなのはの首筋に止められる。
 そこに狼の後を追って飛んで来た祐一が現れた。

「お、にい、ちゃん……」
「なのは……!」

 祐一の動きが止まる。今動けばなのはが危ない。
 その時、レイジングハートの赤いクリスタルが発光した。

『Put out』

 レイジングハートからジュエルシードが一つ放出される。それを手にした少女はなのはの首に突きつけていた刃を消した。

「レイジングハート、なにを……」
「きっと、主人想いのいい子なんだ」

 なのはの言葉に少女がそう声をかけた。
 少女はデバイスを鎌から斧の形に戻し、橋の向こう側に降り立つ。
 同時に狼も少女の横に降り立つと、オレンジ色の光と共に人間へと姿を変える。その片方の頬は、青黒く腫れていた。

「アルフ、その怪我は?」
「あのがきんちょにやられたのさ」

 少女の質問に答えながらオレンジの髪の女性――アルフというらしい――は頬を押さえながら祐一を睨みつけた。少女も祐一の方をじっと見つめる。
 そこへなのはが少女から少し離れたところへ降り立った。祐一もその隣に降り立つ。

「お願い。あなたの名前を聞かせて」
「フェイト。フェイト・テスタロッサ」






 上出来だ。そう祐一は思った。ジュエルシードを奪われたのはまずいといえばまずいが、その代わりにこうしてとりあえず話し合いのできる状態に持ち込めている。
 とりあえずフェイトに自分の名前を名乗らせた。そう安心していると、フェイトの視線はなのはでは無く祐一を向いていることに気付いた。
 アルフを傷つけたことを根に持っているのだろうか、と祐一は思ったのだが、

「教えて。『きょうだい』とはどういう意味? 私に兄がいた記憶はない」

 どうやら先週会った時に祐一が言った言葉を気にしていたらしい。
 だが、今の少女に言っていい事ではない。
 祐一の存在自体が本来はなかったものだ。その祐一がフェイトの秘密を語ってしまっては、これから先の未来にどれだけの影響が出るか分からない。

「俺だってお前と会うのはこれで二度目だ。その言葉の意味は――まあ、いつか判るさ。知らない方がいいかもしれないけど」

 フェイトの問いに言葉を濁す。
 ごまかした返答に、アルフが唸りながら睨みつけてくる。

「おい。たしかアルフって呼ばれてたよな」
「それがどうしたんだい。次に出会ったら今度こそ容赦しないよ」

 アルフが苛立った声で祐一の言葉に反応してくる。口端を吊り上げて祐一は言ってみた。

「そう睨むな。俺が言った『きょうだい』の意味なんて、知らない方がその子のためなんだ」

 その言葉にフェイトとアルフが怪訝そうな顔をする。
 そしてフェイトはマントを翻し背を向けた。アルフもそれに続こうとしながら祐一を睨みつける。

「待って、フェイトちゃん。わたしは――」
「もう、私達の前に現れないで。もし次があったら、止められないかもしれない」

 なのはの言葉を遮り警告の言葉を残して、フェイトは森の中へ飛翔して姿を消した。

「がきんちょ! 覚えてなよ!」

 そしてアルフは祐一を最後まで睨みつけながら、森の中へ飛び込んでいく。
 ややあって、森の向こうのほうから空に影が飛んでいったのが見えた。

「おにーちゃん。あの子のこと、何か知ってるの?」

 それを見届けた後で、なのはがそう聞いてきた。
 祐一が知っているのはフェイトが祐一と同じクローン母体を持つ遺伝子上の兄妹であるということと、フェイトが母親――製作者に言われてジュエルシードを集めていることくらいだ。
 これは今話していい内容ではないだろう。

「ああ。少しだけ、な。あまりいい話じゃないから、今は誰にも秘密」

 そう言って口元に人差し指を立てる。
 なのははやや不満げにしながらもこれ以上祐一に聞いてくることはなかった。
 とりあえずなのはの頭に手を乗せると、その頭を優しくなでる。

「ねえ、おにーちゃん。あの子は、フェイトちゃんはどうしてジュエルシードを集めるのかな?」
「今日は話はあまりできなかった――というか俺の存在が邪魔をしちゃったけど、ジュエルシードを追う限りあの子とはまたぶつかることになる。その時にきちんと名前を教えて、話を聞くといい」

 なのはの問いにそう答える。少なくとも事件が終わるまでにはなのはとフェイトの間に絆を作らなくてはならない。
 そして、そのために邪魔なのは――祐一と、アリサだ。
 なのはとフェイトの二人で話し合い、戦いができるようにする必要がある。
 あとでアリサに怒られるついでにそのあたりの話をしておこう。そう祐一は思った。










 そして翌朝。森の小道でアリサと祐一は歩いていた。

「怒らないのか? ジュエルシードを獲られたこと」
「仕方ないでしょう? なのはが無事だったことの方がよっぽど大事だし。それに元々は向こうが先に手に入れるはずの物だったかもしれないじゃない」

 アリサの言葉に祐一は納得する。祐一とアリサを抜きにして考えてみたら、先にジュエルシードの反応を見つけてこの地までやってきていたあの二人の方が見つけていた可能性は高い。

「それに寝こけていたあたしには何も言えないし。……どうしたの? 胸を押さえて」
「いや、なんでもない。あとスマン」
「は?」

 訳が分からないといった様子のアリサ。それに対し、祐一は苦笑いをする。
 無理矢理昏倒させた側としては非常に心苦しいというか、罪悪感に苛まれるのだが、真実を話したらアリサが怒り狂うのは目に見えているので黙っておいた。

「とりあえず、今後あたしたちはユーノを補助しながらアルフという狼の相手をして、なのはとそのフェイトっていう子をぶつける。その方針でいいのね?」
「ああ。少しずつずれが生じているようだけど、多分そこは問題ない、と思いたいな」
「祐一の目的は祐一が存在しなかった未来と同じ未来を再現して、その行く末を観察する。これでいいのよね」

 念押しをするようにアリサが質問する。祐一は大きく頷いてそれに答えた。

「とにかくこのジュエルシードにまつわる事件で、なのはとフェイトが最終的に友達になれればそれで良い。本当は友達になれるはずだった二人が、俺のせいでそうならなかったってのは避けたいからな」
「大丈夫じゃない? だって、なのはだもの。真っ直ぐにぶつかっていくあの子なら、きっと仲良くなれるわよ。ライバルのほうが近いかもしれないけど」

 空を見上げる。小鳥が森から飛び出した。川の流れる音が静かに響いている。
 なんとなく、もっと楽天的に構えていてもいい気がした。
 アリサの言うとおりなのはは真っ直ぐな子だ。きっと、あのフェイトという子にもその気持ちを真っ直ぐにぶつけていくだろう。

「そうだな。俺はなのはを信じきれていなかったのかもしれない」
「そうそう。祐一はもっとのんびり自分らしく当たっていけばいいのよ」

 二人して笑う。そして二人は旅館へと足を向けた。内緒話はここまで。あとは最初の目的である骨休めを存分にしよう。
 そして、温泉旅行二日めの朝が始まる。今度こそ何の邪魔も入らない休息の時間を子供達はのんびりと過ごすのであった。



[5010] 第二十五話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:50
 すずかの家の庭、そして旅行先で戦ったフェイトという女の子。
 どうしても彼女の事がなのはの頭から離れない。
 同じ目的を持つものだから、ぶつかり合うのも仕方がないのかもしれない。
 しかし、自分は彼女とどうしたいのか、なのはにはまだ分からなかった。

「なのは! なのはってば!」
「……え?」

 バニングスの大声になのはは意識を現実に戻す。
 ここは学校の屋上のベンチ。隣にはバニングスとすずか。隣のベンチに祐一とアリサが座っている。
 今は昼食の時間。なのははどうやらバニングスの話をまた聞き流していたらしい。

「もう。旅行の最中から何を言っても上の空じゃない……。魔法絡みの悩み事?」

 その言葉に思わずなのはは祐一達の方を向いてしまう。祐一とアリサはなのはに頷いてみせる。
 それをなのはは、話すべきだという意味だと解釈する。

「えっと、うん。そんなところ……」

 曖昧に頷いてみせる。するとバニングスに両頬を掴まれ横に伸ばされた。

「いい、なのは。あたし達じゃ直接は力になれないかもしれない。でも悩んだり迷ったりした時、一緒に悩むことぐらい出来るんだからね。あたし達は、友達でしょうが」

 バニングスが頬から手を離す。そこに今度はすずかがなのはの顔を覗き込む。

「なのはちゃんがどうしても秘密にしておきたいって言うなら、私達は聞かないよ。でも、待ってるからね。いつかなのはちゃんが話してくれるのを」

 なのはは悩む。話してしまえばきっと二人に心配をかけてしまう。しかし、それでもきっと二人はなのはが話してくれるのを待っている。
 なのはの頭が空転する。そこに影が差した。前を見ると、祐一とアリサが目の前に来ていた。

「なのは。なのはが悩んだり迷ったりした時、一人で抱え込んじゃうのはよく知ってる。あたしはなのはは一人でもきちんと答えを出せるって信じてるよ。それでも、たまには友達に悩みを相談してもいいんじゃないかな」

 アリサがなのはの目をじっと見てそう言った。さらに祐一がなのはの頭に手を乗せる。

「なのは。友達が悩んでいるのに力になれないってのも結構悔しいんだぞ。ちゃんと、自分の本当の気持ちを言ってみろ。話す事で気付く事もきっとあるから」

 祐一の手がなのはの頭から離れる。
 少しだけ、話してみよう。そう思えた。
 きっと、迷いを抱えたまま彼女に会っても、何も分からない。
 祐一達はベンチに戻ってこちらを見つめている。
 なのはは箸を置いて、大きく深呼吸した。

「あのね。ジュエルシードを捜している女の子と出会ったんだ。たぶん、わたしと同じくらいの子。それで、ジュエルシードを巡って……喧嘩したんだ」
「えっと、ライバル登場ってこと?」

 バニングスの言葉に小さく頷く。ライバル。そう呼ぶのが今は一番正しく彼女――フェイトとの関係を言い表せているかもしれない。

「それで、なのはちゃんはどうするの?」
「どんな危険があるかも分からないから、ジュエルシードは渡さないってユーノ君と決めたんだ。だから、同じ物を追い求める限りぶつかっちゃうのもしょうがないかもしれない。でも――」

 すずかの問いになのはは目を閉じる。本当は戦いたくなんてない。でも、どうしても戦わないといけないのなら、せめて――

「――せめて、あの子の事を知りたい。教えてもらったのは名前だけ。あの子がどうしてジュエルシードを探しているのか、どうしてあんな、寂しそうな目をしているのか、知りたいの」

 その言葉にバニングスとすずかが小さく笑う。どこか変な事でも言っただろうか、となのはは焦る。

「なによ。もう答えなんて出ているんじゃない」

 そう言ってバニングスが笑う。
 答えが出ている、その言葉になのはは疑問を抱く。
 答え。そうだ。確かになのはは自分で答えを口にした。

「そっか。わたし、あの子のことを知りたいんだ」
「それが分かったら、後はなのはなら大丈夫でしょ?」

 やはり笑顔で言うバニングス。
 祐一達も笑いながらこちらを眺めていた。
 では、具体的にどうすればいいのか。なのはの頭にはその方法が浮かばない。

「なのはちゃん。なのはちゃんはなのはちゃんらしくしていれば良いんだよ」

 すずかはそう言って微笑んでいる。
 しかし、自分らしく、とはどういうことだろうかと、更になのはは混乱する。
 見かねたバニングスがなのはの頭にチョップをする。

「いつもみたいに、まっすぐに正面からぶつかっていく。それでいいでしょ」

 その言葉にはっとする。
 確かに、前の時は自己紹介も出来なかった。
 まずは自分から名乗る。そして聞けばいいのだ。彼女の事を、正面から。

「ありがとう。アリサちゃん、すずかちゃん」

 そう言って笑っておく。これで次にフェイトと出会った時にどうするかは決まった。

「なのはちゃん、頑張ってね」
「うん!」

 すずかに満面の笑みで答える。後はただ真っ直ぐに全力でぶつかっていくだけだ。













「答えは出たみたいだな」
「そうみたいね」

 隣のベンチでアリサと小声で言葉を交わす祐一。どうやらなのはは、なのはなりの答えを出したようだ。

「あとは俺たちがなのはの邪魔にならないように、あの狼を押さえつけておくだけだな」
「なのはも高速移動魔法を覚えたし、地上のあたしたちはもう手は出せない。後はあたしたちは邪魔にならないようにしておくだけ、か」

 アリサがため息をつく。
 高速で飛翔された時、アリサはなのはを誤射してしまう可能性がある。
 その点、あの肉弾戦主体の狼なら幾らでも手玉に取れるだろう。相手が向かってくる限りは。
 お弁当のから揚げを口の中に放り込む。戦闘に関することはここで忘れる。今はただ、目の前の食事に集中することにした。
 お弁当にがっつく祐一にアリサが苦笑する。聖祥小学校のお昼休みはこうして平和に過ぎていった。



 そして、放課後。
 家に帰った祐一とアリサは、なのは、ユーノと共にジュエルシードの探索に街へと出かけることになった。
 街中を歩く三人。ユーノはなのはの肩の上に乗っている。

「そういえばおにーちゃん」
「ん、なんだ?」

 アリサの探査プログラムの表示を覗き込んでいると、なのはに声をかけられた。
 探査プログラムの方は、反応が微弱すぎて近くにあるということしか分からない。
 顔をアリサのペンダントから離し、なのはの方を向く。

「おにーちゃん。あの子によく似てるよね」
「そうか?」

 あの子――フェイトと似ているというのは確かなのだろう。同じ素体を使って生み出された命なのだから。
 遺伝子に改変を加えられたとはいえ、容姿が似通うのはむしろ当然のことだ。

「おにーちゃん、じっとしてて」

 ふとなのはが祐一の正面に立ち、その髪を掴む。肩まで伸ばされた髪は後頭部横で二つに纏められた。

「どう? ユーノ君。似てるよね」
(うん。確かに似てる)

 なのはの問いかけにユーノが念話で返事をする。

「ねえ。あたしはあの子のこと間近で見たことがないから分からないけど、本当に似てるの?」
「うん。目や髪の色だけじゃなくて、顔もそっくりだったよ」

 アリサの言葉になのはが答える。なのはは祐一の髪から手を離すと、祐一の目を真っ直ぐ見つめてきた。

「おにーちゃん。本当におにーちゃんはあの子のこと知らないの?」
「ああ、知らない。会ったのもこの間が初めてだ」

 その問いに祐一は即答する。
 祐一が知っていることといえば、フェイトの出自とジュエルシードを集める動機くらいなものだ。
 フェイトがどういう子なのか、祐一は本当に知らない。
 その後もなのはは祐一の方をちらちらとうかがってきた。
 この間の『きょうだい』発言について気になっているのかもしれない。
 話を流すため、祐一はアリサに声をかける。

「アリサ、フルンティングの反応は?」
「やっぱり特定は出来ないわ。この辺りにあるのは間違いないけれど」

 ペンダントの赤いクリスタル、フルンティングに表示されるのは魔力の反応値のみ。方向を表す矢印は表示されていない。

「この辺り一帯に薄く魔力が広がっているのね。すぐ傍まで行けば反応すると思うんだけど」
「じゃあしらみつぶしに回ってみるしかない、か」

 気の向くままに町を歩く。だが結局反応のある辺りを回ってみたものの、芳しい成果は得られなかった。
 フルンティングを覗きながら歩いている内に、すっかり日が暮れてしまった。

「今日はここまでだな」

 ビルに取り付けられたモニターに表示される七時五分の時間表記を見てそう言った。流石にこれ以上帰りが遅くなると、幾ら事情は話してあるとはいっても心配される。
 その時、なのはの肩に乗っていたユーノが口を開いた。

「僕が残ってもう少し探しておきます。なのはたちは先に帰っていて」
「ユーノ君。一人で平気?」
「平気。だから晩御飯とっといてね」

 なのはの心配そうな声にユーノは笑って答える。そしてユーノはなのはの肩から飛び下りた。

「何かあったらすぐに念話を使えよ」
「一人で解決しようとしちゃだめだからね」
「はい。分かりました」

 祐一とアリサの言葉に頷くユーノ。とりあえずこうして釘を刺しておけば一人で無茶な行動はしないだろう。
 そしてユーノと別れた祐一達は家に向かって駆け出す。異変はその途中で起きた。
 天が凄まじい勢いで黒雲に覆われていく。そして黒雲から雷鳴が響き、魔力の雷が幾筋も地面に落ちる。辺りが高密度の魔力で満たされたのだ。
 なのははこの魔力に気付いたようで急に足を止める。アリサはこの魔力を感じることが出来ないようで、立ち止まった祐一となのはに不思議そうな顔をしていた。

「アリサ。強力な魔力が雷として落ちてる」
「それって……!」
「ジュエルシードを強制発動させるつもりみたいだな」

 祐一の言葉に目を大きくするアリサ。三人は来た道を取って返す。その途中で、空間がずれる気配がした。

「おにーちゃん、これって――」
「ユーノの結界だな。これでデバイスを起動できるぞ」

 結界内は無人の空間だ。これなら人目につくこともなくバリアジャケットを装着できる。
 なのはとアリサはそれぞれペンダントに取り付けられたデバイスを掲げる。祐一もカード型のデバイスをポケットから取り出した。

「レイジングハート、お願い!」
『Stand by ready』
「フルンティング、フルセットアップ!」
『諾』
「ファイス、アンダージャケットを頼む」
『お任せください』

 それぞれの呼びかけに、それぞれのデバイスが応える。魔力光に包まれた後、そこにはバリアジャケットを身に纏ったなのは、アリサと、物理防御機能しかない黒い上下の服に身を包んだ祐一が立っていた。
 ユーノと合流すべく走り出す三人。だが、その途中で落ちた雷の後から青白い魔力光が立ち上った。

「ジュエルシード!」

 思わず足を止める。ジュエルシードは今の祐一たちから道を真っ直ぐいったところだ。距離はあるが、障害となる建物は何もない。

(皆、発動したジュエルシードが見える?)

 頭の中に声が響く。ユーノの念話だ。

(うん。すぐ近く!)
(あの子たちがすぐ近くにいるんだ。あの子たちより早く封印して!)
(わかった!)

 なのはが念話で返事をする。祐一とアリサは見ているだけしか出来ない。

「レイジングハート!」
『Sealing form, set up』

 なのはの持つ魔法杖、レイジングハートの先端部がスライドし、スリットを露出させる。さらにその先端部は片側が短い音叉型へと変形した。
 杖の先に桃色の魔力が集束し、スリットから桃色の光の羽が三枚展開される。そして杖の前に集まった魔力から細い魔力砲が放たれ、ジュエルシードに直撃する。封印の準備段階だ。

「ジュエルシード、シリアル19……封印!」

 そしてなのはの杖を後方二つ、前方二つの環状魔法陣が取り巻き、強力な魔力砲が放たれた。
 なのはが撃ち終わるのと同時にジュエルシードの光も消える。どうやら封印には成功したようだ。

『Device mode』 

 レイジングハートの言葉と共に光の羽が消え、杖のスリットが閉じられた。
 祐一はなのはの方を見る。その強い意志を湛えた瞳はジュエルシードではなく、きっとフェイト達に向けられているのだろう。

「急ごう。ジュエルシードを確保されたら逃げられる」

 そうなのはに声をかける。なのはは祐一とアリサを見て頷くと、ジュエルシードに向かって走り出した。
 その後を追う形で祐一とアリサが走る。
 宙に浮くジュエルシードの所にたどり着いた時、そこにはまだフェイト達の姿は無かった。そこで、後ろからユーノが走ってくる。

「やった……。なのは! 早く確保を!」

 なのはがその言葉に頷く。杖をジュエルシードに向けるなのは。だが――

「そうはさせるかい!」

 叫び声と共に、ビルの屋上からオレンジ色の狼――アルフが突撃してきた。
 とっさにユーノが半球状のバリアを張る。アルフはそれに弾かれるように横へ飛び退った。
 そしてユーノの張ったバリアが粉々に砕け散る。
 ジュエルシードの傍にあった電灯の上、そこにいつの間にかフェイトが立っていた。
 無言でこちらを見下ろすフェイト。そのフェイトに一歩なのはが踏み出す。

「こないだは、自己紹介できなかったけど……わたし、なのは。高町なのは。私立聖祥大学付属小学校三年生」

 なのはがフェイトに自分の名を告げる。だがフェイトはそれを無視するように杖を構えた。

『Scythe form, set up』

 フェイトの持つ斧の刃が杖の柄と直角になるよう移動し、金色の魔力による鎌の刃が作られた。そのままフェイトは後ろに飛び上がると、なのはに鎌を構えて飛翔する。

『Flier fin』

 なのはは足に光の羽を生やし、振り下ろされた鎌の刃を上空に舞い上がることによって回避する。

「レイジングハート!」
『Divine shooter full power』

 なのはの周囲に十二個の魔力弾が形成される。フェイトはそれを警戒したのか、なのはから距離を開けて空中へ舞い上がる。

「フェイト!」
「待った。お前の相手は俺達だ」

 なのは達二人のほうに飛び上がろうとしたアルフに祐一は声をかける。それに対し、アルフは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「ふん。満足に空を飛べないやつらに何が出来るっていうんだい」
「こんなこと、かしらね」

 アルフの台詞に不敵な笑みを浮かべたアリサが赤い片刃の剣の先を向ける。次の瞬間、アリサを囲む六本の十字剣、フラガラッハが宙を舞った。アルフと祐一たちを囲む四方に剣が突き刺さり、空中に二本のフラガラッハが固定される。それぞれの剣が魔力の壁面を作り出し、アルフは祐一達ともども三角テントのような形をしたバリアの中に閉じ込められた。

「ファイス。防御を頼む」
『はい。バリアヴェール、展開します』

 祐一の周りを黒い霧のような球状の膜が覆った。
 ファイスに搭載されたリンカーコアの強大な魔力をただこのためにつぎ込んだフィールド型防御魔法。
 その効果はバリアジャケットと同様のフィールドエフェクトの他、頑強な防御力場の展開だ。

「なのはの邪魔はさせない。助けに行きたいなら、まずは俺を倒してからにしろ」
「この、がきんちょが!」

 唸り声を上げて、アルフが突進してくる。
 そしてアルフが祐一を覆うバリアヴェールと触れる瞬間、アルフもオレンジ色の光を纏った。防御魔法だ。
 前回のカウンターを受けた教訓といったところだろう。
 だが、アルフの張ったバリアは祐一のバリアヴェールとしばらく拮抗した後、粉々に砕け散った。

「硬い……!」

 後ろに跳び退るアルフ。一方祐一はただそこに悠然と立つだけだ。

「がきんちょ。あんたこの前みたいな小細工は使わないのかい」
「ああ。奇策が通じるのは一回だけだ。今回俺は防御に徹することにするよ」

 その答えにアルフが歯噛みする。どうやらバリアヴェールが並の攻撃で崩せるものではないと悟ったようだ。
 祐一はただアルフとアリサ、ユーノとの間に立ち続ける。

「なら、こっちならどうだい!」

 アルフはそう叫ぶと、自分たちを閉じ込めているバリアに向かって飛びかかり、その爪を振り下ろした。しかしこのバリアは祐一のバリアヴェールより強固なもの。アルフの爪はバリアの表面に火花を立てるだけに終わった。

「諦めろ。あっちの戦いが終わるまで、俺たちはここで待機だ」
「ふん。ろくに攻撃できないくせに……!」

 それは事実だ。今の祐一に攻撃手段などない。このバリアヴェールを張った以上、中から外への干渉も出来なくなる。
 だが、祐一にとってはその方が都合がいい。無闇にアルフにダメージを与えることがどれほど後に影響を与えるか分からないからだ。
 その時上空から声が聞こえた。なのはの声だ。

「話し合うだけじゃ、言葉だけじゃ何も変わらないって言ってたけど、話さないと、言葉にしないと伝わらない事もきっとあるよ!」

 なのはとフェイトはそれぞれデバイスを構えて上空で向かい合っている。
 祐一達とアルフは一旦ぶつかり合うのをやめてその様子を見守る。

「ぶつかり合ったり、競い合うことになるのは、それは仕方ないかもしれないけど、だけど、何も分からないままぶつかり合うのは、わたし、嫌だ!」

 なのはの声が下にいる祐一たちのところまで大きく響く。
 フェイトはデバイスを構えたまま、じっとなのはの言葉を聞いている。

「わたしがジュエルシードを集めるのは、それがユーノ君の探し物だから。ジュエルシードを見つけたのはユーノ君で、ユーノ君がそれを元通りに集めなおさないといけないから。わたしは、そのお手伝いで、だけど、お手伝いをするようになったのは偶然だったけど、今は自分の意志でジュエルシードを集めてる。自分の暮らしている町や、自分の周りの人たちに危険が降りかかったら嫌だから」

 矢継ぎ早に言うと、なのはは一呼吸おいて真っ直ぐな目をフェイトに向ける。

「これが、わたしの理由!」

 なのはの言葉に目を伏せるフェイト。

「私は――」
「フェイト! 答えなくていい!」

 そしてフェイトの口が開かれようとしたその時、アルフが大声で叫んだ。

「優しくしてくれる人達のとこで、ぬくぬく甘ったれて暮らしてるようながきんちょになんか、何も教えなくていい!」 

 その言葉になのはが身を震わせる。だがその言葉は祐一にある確信を抱かせた。
 フェイトがあの女に優しくされていないとしたら、それはフェイトも祐一と同じくあのプロジェクトFとかいうクローン研究の失敗作として扱われているということだ。

「あたしたちの最優先事項は、ジュエルシードの捕獲だよ!」

 強い口調のアルフの言葉に、フェイトは再び鎌状のデバイスをなのはに構える。
 なのはもそれに応じてデバイスを構えた。
 だがフェイトはなのはに背を向け、下のジュエルシードへと向かっていった。

『Flash move』

 なのはも飛行魔法にさらに魔力を込める事で加速し、慌ててフェイトの後を追う。加速した二人のデバイスはジュエルシードを巻き込む形で交差する。
 二つのデバイスに挟まれ、ジュエルシードが暴発した。突発的に生じたエネルギーに二人のデバイスにひびが入っていく。
 そしてその直後、凄まじい衝撃が二人を襲った。

「きゃあああああーっ!」
「う……くうっ……!」

 二人はジュエルシードから吹き飛ばされ、ジュエルシードが発した膨大なエネルギーは天へと突き抜けていった。
 なのははジュエルシードに離れた位置に着地し、フェイトは空中に浮かんだまま己のデバイスを見る。
 コアクリスタルまでひびが入った斧状のデバイス。黄色いクリスタルが明滅するのを見て、フェイトは悲しげな顔をした。

「大丈夫? 戻って、バルディッシュ」
『Yes sir』

 ノイズ混じりの合成音声と共に、フェイトのデバイスは待機状態の黄色い三角形のクリスタルとなってフェイトの手袋の甲の台座に収まった。
 そしてフェイトは目の前に浮かぶジュエルシードを見る。
 再び魔力の波動を放つそのジュエルシードは、明らかに暴走状態にあった。
 それにフェイトは滑るように空中を飛び、ジュエルシードを両手で掴み取る。

「フェイト!」

 アルフが叫び声を上げる。強引にジュエルシードを沈静化させるつもりなのだろうが、明らかに危険だ。
 フェイトは膝を屈してジュエルシードを握り締め続ける。

「アリサ! 檻を解いてくれ!」
「わかった!」

 祐一達とアルフを閉じ込めていたバリアが消える。アルフが動くよりも早く、祐一はフェイトに向かって駆け出した。脳内麻薬の分泌と体内のプラーナの力によって人としての枠を超えた速度で祐一は走る。
 祐一がフェイトに駆け寄った時、フェイトの足元には円形の魔法陣が浮かび上がっていた。おそらくは封印の魔法だろう。
 祐一はフェイトの両手をそっと手で包んだ。

「力づくで押さえ込むな。魔力の波動を掴んで、徐々に振幅を弱めるんだ」

 そう言って祐一は自らの魔力とジュエルシードの魔力を同期させる。
 ジュエルシードを使う時と何も変わらない。その魔力の挙動を掴み、徐々にその出力を弱めていく。
 ジュエルシードの出力がある程度弱まったところで、足元の魔法陣が強く輝いた。
 同時にジュエルシードの魔力の胎動が強引にゼロに抑え込まれる。
 封印が成功したのだ。

「大丈夫か?」
「……平気」

 祐一の声にそう答えながら、フェイトはよろめきながら立ち上がった。
 そこに遅れてアルフが駆け寄ってくる。狼から人へと姿を変えたアルフは、寄りかかったフェイトを抱きかかえた。

「大丈夫かい、フェイト!?」
「大丈夫。……手伝って、もらったから」

 その言葉にアルフは祐一を見る。やがて視線を祐一から切ると、アルフはフェイトを抱きかかえて空へと舞い上がった。そのままビルの上を飛び跳ねていき、二人の姿は見えなくなる。
 それを見送った祐一は、なのはのところに駆け寄った。なのははレイジングハートを待機状態に戻す。しかしその赤い球形の宝石には、大きなひびが入っていた。

「レイジングハート……」

 待機状態のレイジングハートを見つめて呆然と呟くなのは。そこにアリサとユーノが駆けて来た。
 ユーノはなのはの肩に上ると、レイジングハートを見る。

「なのは。レイジングハートを貸して」
「うん」

 なのはが差し出したレイジングハートにユーノが触れる。明滅しているレイジングハートをユーノが何か操作した。

「自己修復機能をフル稼働させてみた。たぶんこれで大丈夫……なはず」
「家に戻って、あたしの部屋で破損状態をチェックしましょう」

 ユーノとアリサの言葉に頷いて答える。消耗したなのはを祐一が背負い、アリサはユーノを抱き上げて高町家へと走り出した。



[5010] 第二十六話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:51
 アリサが検査した結果、レイジングハートの破損は自動修復で一日もすれば全快することが分かった。
 安堵の息をつく祐一達だったが、一つの懸念事項も生まれた。

「ジュエルシードに迂闊に衝撃を与えるのは危険ね」
「なのはとあの子、二人の魔力がこもった一撃が加わることによってジュエルシードの力が暴発したんだな」

 アリサと祐一の言葉になのはとユーノが同時に頷く。

「なのは。今後、ジュエルシードに衝撃を与えないよう気をつけて」
「うん。……ごめんね、レイジングハート。守ってくれたんだよね」
『Don't worry』

 アリサがなのはに釘を刺し、なのはの言葉に明滅を繰り返すレイジングハートがそう返す。

「ありがとう、レイジングハート」

 レイジングハートにそう言い直すと、なのはは祐一の方を向いた。

「おにーちゃん。どうしたら、フェイトちゃんに認めてもらえるかな」

 それはアルフに言われたことを気にしての発言だったのだろう。祐一は少し考えると、なのはの頭の上に手をぽんと置いた。

「どうすればいいって具体的な方法はないな。ただ、今回見たいに真っ正面からぶつかっていけば良いと俺は思う」
「うん……」

 なのははどうするか迷っているようだ。いや、どうするか考えた上でそれを迷っているのかもしれない。
 ならば祐一がかけてやれる言葉などない。それはなのはが決断しなくてはならないのだから。
 祐一はなのはの頭から手を離す。そしてユーノを摘み上げると祐一は自分の肩にユーノを乗せた。

「それじゃあ、俺はユーノと部屋に戻るよ」
「あ、うん。お休みなさい、おにーちゃん、ユーノ君」
「お休み、祐一、ユーノ」
「お休み、なのは、アリサさん」

 祐一はユーノをつれてアリサの部屋から出ると、キッチンからユーノ用の食事――クッキーとミルクを持って部屋に上がった。
 ユーノがクッキーをかじっている様子を見て、祐一はふと一つ疑問を抱く。

「ユーノ。フェレットって肉食なんだが、そんなものばかりで大丈夫なのか?」
「栄養バランスは取れていますし、平気です。それにこの姿は変身魔法でとっているだけですから」
「そうだったな」

 納得する祐一。そこにユーノから声をかけられる。

「祐一さん。祐一さんは魔法が使えないそうですが、今日防御魔法を使っていましたよね?」

 その質問に祐一は机の上の黒いカードを手に取った。

「あれは俺じゃなくてファイスが使ったんだよ」
「ファイスが?」

 目を見開いて驚くユーノ。それに苦笑しながら祐一が説明する。

「ファイスは中にジュエルシードみたいな高純度魔力結晶体が内蔵された特殊なデバイスなんだ。あ、この事は他のやつには黙っておいてくれな」
「あ、はい。分かりました」

 祐一の言葉に素直に頷くユーノ。
 無論、嘘だ。本当は月のリンカーコアが内蔵されているからなのだが、この技術が広まるのは危険だ。
 通常のリンカーコアを移植したところで使い物にならないが、勘違いした輩がリンカーコアを狙いださないとも限らない。
 ファイスやフルンティングたちのリンカーコアはレネゲイドウイルスに感染しているからこそ、魔力を消費しても自動的に回復するのだ。
 そこでユーノがふと顔を上げる。

「あ。もしかしてアリサさんのデバイスも?」
「当たり。魔力光が一緒だろ? 全部同じ機構が組み込まれてる。そのおかげで魔導師適性のないアリサでもああやって魔法が使うことが出来るんだ。かなりクセが強い魔力で苦労しているみたいだけどな」

 これは本当だ。レネゲイド感染者である月はリンカーコアを摘出しても再生する。
 これを利用して祐一やアリサのデバイスにリンカーコアを内蔵させたのだ。
 だがリンカーコアに微量にプラーナが残ってしまったため、生成された魔力は扱いづらいものとなってしまっている。
 それをあそこまで使いこなしているのは、アリサの魔法構成能力の凄まじさ故である。

「他に何か聞きたいことはあるか?」

 祐一の言葉にユーノは俯いて考え込む。やがて質問が思いついたのかユーノは顔を上げた。

「あのバリアですが、ただのバリアじゃなかったですよね。何か特殊効果を付随させているんですか?」
『バリアヴェールは単なるバリアではなく、バリアジャケット同様の様々なエフェクトが組み込まれています。バリアジャケットが装着できないマスターをこれで保護するのが私の今の務めです』

 ユーノの質問にはファイスが答えた。その流暢な日本語を聞いて、ふとユーノは不思議そうな顔をする。

「そういえば、どうしてファイスはそんなに言語能力にリソースを割いているんですか? アリサさんのフルンティングはあんなに寡黙なのに」
「ファイスは他のデバイスと違って魔法を何種類も使うように出来ていないからな。基本的にリソースは有り余っているんだよ。フルンティングは魔導資質のないアリサの思考の読み取りにリソースを割いているから、言語機能にリソースをあまり割いていないんだ」
「そうだったんですか」

 祐一の言葉に納得して、ユーノは再びクッキーを食べ始める。
 祐一は机の上にファイスを置き、ベッドの上に横になった。

「さて、向こうはどうしているのやら」

 窓から夜空を見上げる。怪我こそしなかったものの、ジュエルシードの強制停止はかなりの魔力と体力をフェイトから奪っていただろう。
 流れに身を任せるしかないと理解していながら、祐一にはフェイトのことが頭から離れなかった。











 翌日。
 高次元空間に、岩で出来た要塞のような建造物があった。
 時の庭園。その中でアルフは必死に耳を塞いでいた。絶え間ないフェイトの悲鳴を聞かないように。
 そしてふとフェイトの悲鳴が途絶える。恐る恐るアルフが部屋の中を覗き込むと、斜め上から二本の光の鎖によって両手を縛られ宙吊りにされたフェイトと、黒髪の女性がいた。
 フェイトの服は幾箇所も裂けてボロボロになり、覗く肌には赤い線が走っている。
 女性は手に杖を持ち、血の気の引いた唇を開いてフェイトに語りかける。

「たったの三つ。これは、あまりにも酷いわ……」
「はい……。ごめんなさい、母さん」

 庭園の玉座から立ち上がった女性は、ゆっくりとフェイトのほうに歩んでいく。
 女性はフェイトの前に立つと、うな垂れるフェイトのあごに手をやり、無理矢理顔を上げさせた。

「いい、フェイト。あなたは私の娘。大魔導師、プレシア・テスタロッサの一人娘。不可能な事などあっては駄目。どんなことでも、成し遂げなければならない」
「はい……」
「こんなに待たせておいて、上がってきた成果がこれだけでは、母さんは笑顔であなたを迎えるわけにはいかないの。分かるわね、フェイト」
「はい、分かります」

 女性――プレシアの言葉に小さな声で答えるフェイト。不意にプレシアの持つ杖が鞭へと変わる。それを見てフェイトの顔に怯えが走る。

「ましてや、あんな偽物ですらないただの玩具ごときに邪魔をされたなんて、到底許して置ける事ではないわ」
「おもちゃ……?」

 怒りに震えるプレシアの耳に、フェイトの恐怖に震えた声が届く。

「そうよ。ふざけた実験の末に生み出された、ただの玩具。自分で名乗っていたのでしょう? 『Failed children』、と。その名の通りの失敗作。ああ、あんな存在するだけでも腹立たしい子供が今になって私の邪魔をするですって? まったく、度し難いにも程があるわ!」

 プレシアの語気が強まってくるにつれて、身をすくみあがらせるフェイト。だがその鞭はフェイトの予想に反して振り上げられることはなかった。
 フェイトを宙吊りにしていた光の鎖が消える。フェイトは床に落ち、そのまま崩れ落ちた。プレシアに握られた鞭は再び杖の形状に戻る。

「フェイト。邪魔をするのはその三人と一匹なのね?」
「……はい」
「なら潰してしまいなさい。どんな事をしても」

 その冷淡な言葉にフェイトは体を震わせる。だがプレシアは意に介するでもなく言葉を続けた。

「ジュエルシードは母さんの夢を叶えるためにどうしても必要なの。あの玩具がそれを邪魔するというのなら、あれは母さんの敵よ。殺したって構わないわ」

 フェイトは倒れたまま下を向いている。だがプレシアは構わず言葉を続けた。

「行って来てくれるわね。私の娘。可愛いフェイト」
「……はい。行って来ます、母さん」

 床に腕をつき答えるフェイト。だがその表情には苦渋の色が浮かんでいる。
 その顔を見るでもなく後ろを振り向いたプレシアは、振り返ることなくフェイトに声をかけた。

「しばらく眠るわ。次は必ず母さんを喜ばせて頂戴」
「はい……」

 その言葉を最後にプレシアは奥の部屋へと消えていった。
 フェイトが力なく立ち上がるのを見て、アルフは扉の影から飛び出しフェイトの元に駆けつけ、その体を支えた。

「フェイト、ごめんよ……! 大丈夫?」
「……なんでアルフが謝るの? 平気だよ、全然」

 アルフにぎこちない笑みを浮かべて答えるフェイト。
 だがその体に幾筋も刻まれた鞭の後があまりにも痛々しくアルフの目に映る。
 アルフが支えるフェイトの体にも、全然力が入っていない。

「こんなことになるって分かってたら、絶対に止めたのに。何であんたの母親は、こんな酷いこと……」
「酷いことじゃないよ。母さんは私のためを思って……」
「思ってるもんか、そんなこと! あんなのただの八つ当たりだ!」

 語気を強めるアルフにフェイトは弱々しく首を振る。

「違うよ。だって親子だもん。ジュエルシードは、きっと母さんにとってすごく大事なものなんだ。ずっと不幸で、悲しんできた母さんだから……。私、なんとかして喜ばせてあげたいの」
「だって、でもさ!」

 言い募るアルフの頬にそっとフェイトの手が触れる。

「アルフ、お願い。……ジュエルシードを手に入れて帰ってきたら、きっと母さんも笑ってくれる。昔みたいに優しい母さんに戻ってくれる」

 一途にプレシアに思いを寄せるフェイトに、何もいえなくなってしまうアルフ。
 フェイトは空中に魔力でマントを形成し、その背に纏う。

「だから、行こう。今度はきっと、失敗しないように」
「……分かった。でも、行く前に薬を塗っていこう? このままじゃ痕に残っちまうよ」
「うん、そうだね」

 アルフはフェイトを抱きかかえると、フェイトの鞭で打たれた傷の治療をするためフェイトの部屋へと向かって行った

 



 その頃、プレシアは怒りにその身を震わせていた。
 プレシアがフェイトに鞭を振るうのを止めたのは、決して気が変わったりからではない。
 怒りのあまり、あのまま続けていたらフェイトを殺しかねなかったからだ。

「あのくだらない実験で作られた玩具ごときが、復讐のつもり? ふざけた真似を……!」

 プレシアの握る杖先から僅かに紫色の放電が起こる。よほど腹に据えかねているのか、その魔力が僅かに漏れ、電気に変換されているのだ。

「確かにあの玩具には剣を突き刺したはず……。そんな死に損ないごときに邪魔を許すなんて、役に立たない子ね……!」

 苛立たしげに呟くプレシア。その手に持つ杖先の放電はますます強まっていく。

「フェイト……。これ以上私を失望させないで頂戴」

 呪詛にも似たその言葉は、誰に聞かれるでもなくただ虚空に消えていった。











 同日。5時53分。
 フルンティングに表示されたジュエルシードの在り処を指し示す矢印に従って海の方へ歩いていた祐一とアリサの前に路地から一人の子供が飛び出した。
 フェレットを肩に乗せた聖祥の小学生。なのはだ。

「あ、おにーちゃん、おねーちゃん」

 立ち止まり笑顔を祐一たちに向けるなのはの胸元には、ひびの消えた赤いクリスタルがあった。

「もうレイジングハートは直ったのか?」
『Condition green』

 祐一の問いに発光しながら合成音声で答えるレイジングハート。

「おにーちゃん達は?」
「俺たちは新しいジュエルシードの反応を追っているところだ。一緒に行こうか、なのは」
「うん!」

 なのはが差し出された祐一の手を握ってくる。祐一も軽くなのはの手を握り返した。
 二人で笑顔を交し合った後、手を繋いで歩き出す。
 そして十分ほど歩いた頃だろうか。アリサの先導の下、祐一たちは海鳴臨海公園にたどり着いた。

「どうやらこの公園の敷地内にあるみたいね」
「海の中じゃないだけましだけど……発動前に見つけ出すのは難しそうだな」

 発動間近のジュエルシードが傍にあることを祐一となのはは感じ取っていた。
 だが辺りに薄く広がったジュエルシードの魔力に細かい位置を感じ取ることが出来ない。
 フルンティングのサーチもこの魔力の中では機能しなかった。
 祐一達はフェイトが現れることを警戒して散開せずに三人と一匹で公園の中を歩き回り、ジュエルシードを探す。
 だが公園内には林や草むらになっている場所が多数あり、発動までに確保するのは出来なかった。祐一達の背後、公園の入口に近い林の中から青白い魔力光が天へと立ち上った。

「封時結界、間に合え!」

 なのはの肩から飛び降りたユーノが二本足で立ち、地面へ前足を向ける。
 その手の先の地面に緑色の円形魔法陣が現れる。
 同時に祐一は世界がずれたような感覚を覚えた。結界によってこの場所が通常の空間から切り離されたのだ。
 なのは、アリサと祐一はそれぞれのデバイスを起動させる。
 バリアジャケットやアンダースーツを纏い、ジュエルシードの発動した地点へと急ぐ。
 そこで祐一達の目の前に出現したのは、巨大化し、爪の付いた腕を生やし顔のような洞が出来た樹であった。
 なのはとアリサがそれぞれのデバイスを樹に向ける。その時だった。横合いから幾つもの魔力弾が飛来し、樹へと肉薄したところで空色の障壁に弾かれる。
 フェイトが近くにいる。なのはが背後に振り返ったとき、樹がアクションを起こした。
 地面が隆起し、巨大な根が三本しなりをきかせるように持ち上げられる。

「ユーノ君、逃げて!」

 なのはの声にユーノは草むらへと身を躍らせる。そして次の瞬間、持ち上げられた根が鞭のように振り落とされた。
 なのはは空へと飛翔してその攻撃を躱すが、祐一とアリサはその攻撃から逃げることは適わなかった。

「おにーちゃん! おねーちゃん!」

 土煙が晴れる。そこには六本のフラガラッハで張られた五角錐型のバリアの中にいる二人の無事な姿があった。
 そして再び持ち上げられた根を三日月状の回転する魔力刃が切り裂き、しかしその刃は再び展開された障壁の前に阻まれた。

 オオオオオオオオオオォーーーーーー!

 怒るように咆哮する巨大樹。その上方から桜色の閃光が障壁に突き刺さった。なのはの砲撃魔法だ。
 巨大樹は何とか障壁で持ちこたえてはいるものの、その圧力に地面にめり込んでしまう。
 さらに金色の閃光が巨大樹の横から突き刺さった。それはおそらく、フェイトの砲撃魔法。
 二つの強力な魔法を受けた障壁は数秒ほど持ちこたえたあと消失し、二色の閃光が巨大樹に突き刺さる。

 オォォオオオオオオオォーーーーーーーーン!

 断末魔のような雄たけびを上げて光に飲まれる巨大樹。
 そして光が消え去った後に残されたのは、何の変哲も無い普通の高さの木と宙に浮かぶジュエルシード。
 そして封印の魔法であろう光に視界が埋め尽くされる中、アリサはバリアを解いてこの後の戦闘に備えた。
 光が収まった後、空中に二人の少女が浮かんでいた。
 なのはと、フェイト。アルフの姿は見当たらない。祐一たちは黙って二人の様子をうかがう。

「ジュエルシードには、衝撃を与えたらいけないみたいだ」
「うん。夕べみたいなことになったら、私のレイジングハートもフェイトちゃんのバルディッシュも可哀想だもんね」

 なのはの言葉に虚を突かれた様な顔をするフェイト。だがバルディッシュを構えなおし、フェイトは顔を引き締める。

「でも……譲れないから」
「私は、フェイトちゃんと話をしたいだけなんだけど」

 なのはの持つ杖、レイジングハートがシーリングモードからデバイスモードに戻る。

「私が勝ったら、ただの甘ったれた子じゃないって分かってもらえたら、お話、聞いてくれる?」

 対するフェイトは無言のまま斧状のバルディッシュを振りかぶる。
 そして、二人は同時に加速した。
 それぞれのデバイスに魔力を込めて振りかぶり、ぶつかり合おうとするその瞬間だった。二人の間に青い光が溢れ、そこに一人の少年が現れる。
 黒を基調としたコート型のバリアジャケットをその身に纏う少年は、己の手に持つ杖でフェイトの斧を、もう片方の手でなのはの杖の柄を受け止めていた。
 その少年に、祐一は覚えがあった。

(ここで来るのか、クロノ)

 祐一は肩から力を抜く。もう自分が戦う必要がないことがわかったからだ。

「ここでの戦闘行動は危険すぎる!」

 少年の剣幕に押され、二人の少女から杖に込められた力が抜ける。

「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。詳しい事情を聞かせてもらおうか」
「時空管理局……」

 いつの間にか祐一たちの近くにやってきていたユーノが呆然と呟く。

「まずは二人とも武器を引くんだ」

 その言葉に二人の少女はそれぞれの杖を引き、少年と共に地上に降り立つ。

「このまま戦闘行為を続けるなら――」

 そこでクロノは言葉を切り、空中に手を向けて青い光で構築された円形の魔法陣を展開した。
 そして空中から飛来したオレンジ色の魔力弾がその魔法陣に弾かれる。
 魔力弾の飛来した空を見ると、狼の姿のアルフがさらに幾つもの魔力弾を形成していた。

「フェイト! 撤退するよ、離れて!」

 フェイトが空中に舞い上がるのと同時に、クロノの足元に三発の魔力弾が着弾し爆煙を撒き散らした。その隙にフェイトは空中のジュエルシードに手を伸ばす。
 しかし――

「くぅっ!」

 煙の中から複数の細い棒状の魔力弾がフェイトに襲い掛かり、伸ばされたその腕から血が流れる。
 その痛みを噛み殺しジュエルシードを掴んだフェイトは小さな笑みを浮かべるとそのまま落下していった。

「フェイト!」

 落花するフェイトの下にアルフが空を駆けて滑り込んだおかげでフェイトは地面と衝突することはなかった。
 だが、その二人に向けてクロノが杖を構える。
 クロノの杖の先に青い魔力が球状に集束するのを見て祐一は動こうとした。
 だが祐一が動くよりも先に、なのはがクロノの前に両腕を開いて立ちふさがる。

「駄目! 撃たないで!」
「!?」

 なのはの行動に思わず怯むクロノ。先程までぶつかり合おうとしていた者を庇うその行動に驚いたのだろうか。

「フェイト、逃げるよ!」

 そしてその隙にフェイトを背に乗せたアルフが空中を駆け逃走する。
 その姿が空の彼方に見えなくなったのを見てクロノは杖の先に集めた魔力を拡散させ、ゆっくりとなのはの前まで歩み寄ってきた。
 祐一とアリサはそれぞれのデバイスを待機状態に戻し、バリアジャケットを解除してユーノと共になのはの傍に駆け寄る。
 目の前に現れた祐一達に警戒するような鋭い目を向けるクロノ。双方一言も発さぬまま、視線による探り合いが始まる。
 その時だった。突然緑光のミッド式魔法陣が空中に現れ、その中に緑色の髪をした女性の映像が映し出される。
 クロノはなのはたちから視線を切ると、緑髪の女性へと向き直った。

「クロノ、お疲れ様」
「すみません。片方は逃がしてしまいました。あのロストロギアも……」
「うん。まあそのことは後で反省するとして、とりあえずはその子たちをアースラに案内して来てもらえるかしら? ちょっとお話を聞きたいの」
「了解です」

 魔法陣が収縮して消える。そしてクロノはなのはたちの方に再び向き直った。

「改めて自己紹介させてもらう。僕は時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ」
「えっと、高町なのはです」
「ユーノ・スクライアです」
「相沢祐一だ」
「アリサ・ローウェルよ」

 自己紹介は済ませたが、クロノの目からはやや警戒を感じる。
 祐一達は今回何もしていないからその能力まで知られているとは考えにくいが、それでも四対一だ。
 警戒をするなという方が無理だろう。

「先程艦長も言っていたが、とりあえず事情を聞きたい。僕についてきてもらえるか?」
「えっと……」

 なのはが困った顔で祐一を見る。判断に困っているのだろう。

「分かった。案内を頼む」

 祐一の返事にクロノは首を縦に振ると、杖を地面に向けた。
 青いミッド式の魔法陣が杖先の地面から広がり、眩い光を放つ。
 光が消えて瞼を開いた時、祐一の目に飛び込んできたのは光を放つ床と巨大な魔法陣が発光する部屋だった。
 その異様な光景に祐一達は戸惑うものの、クロノが歩き出すのを見て祐一達もその後を付いていく。
 祐一が横を見ると、なのはが不安そうに目を揺らしながら時々ユーノと視線を合わせていた。念話でもしているのだろう。
 そのとき、クロノが歩みを止めて振り向いた。

「いつまでもその格好は窮屈だろう。バリアジャケットとデバイスは解除して平気だよ」
「あ、そっか。そう、ですね。それじゃあ」

 なのはの服が聖祥の制服になり、握っていた杖も赤い球形のクリスタルに戻る。

「君も、元の姿に戻ってもいいんじゃないか?」
「そういえばそうですね。ずっとこの姿だから忘れてました」
「え……?」

 ユーノの言葉になのはが疑問の声を上げた。そしてユーノが緑色の光に包まれ、その光の中から淡い栗色の髪をした少年が立ち上がった。背の高さはなのはと同じくらい。
 祐一とアリサはこの事を予測していたためあまり驚くことはなかった。だが――

「あ、え、えあ、え、え、あえ、う、え……」

 なのはは人間へと姿を変えたユーノを見て硬直してしまった。そして十数秒後――

「ふえええーーーーーーーーっ!?」

 なのはの絶叫が、次元航行艦アースラの通路に響き渡った。



[5010] 第二十七話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:51
 初めてユーノの人間の姿を見るなのはと、最初に会った時は人間の姿だったと思い違いをしていたユーノ。
 二人の勘違いが解けた後、クロノに案内された部屋の中に入り、祐一は絶句した。
 恭也が趣味としているのと同じ盆栽――それも様々な樹形や仕立て方のものが八つ――が台の上に並べられ、部屋の中央には野点の準備が整い、挙句の果てに部屋の片隅には何の冗談かししおどしまで設置されていたのだ。
 そして正座をして座っている緑の長髪の女性――クロノの言葉から察するにこのアースラの艦長――が部屋に入ってきた一同を見てにっこりと微笑む。

「お疲れ様、皆さん。さ、席について下さい」

 おっとりとした口調の女性に促されるまま祐一達は女性とクロノの対面に座る。
 女性は手馴れた様子でお茶碗に緑色のお茶を注ぎ、羊羹としか思えないお茶菓子が乗った皿をその脇へ添えた。

「初めまして。次元航行艦アースラの艦長、リンディ・ハラオウンです」
「た、高町なのはです」
「ユーノ・スクライアです」
「相沢祐一です」
「アリサ・ローウェルです」

 お互いに頭を下げる。ミッドチルダでもこういった頭を下げる風習があっただろうか、と祐一は頭を捻った。
 地球の、それも日本からの入植者もいなかったわけではない。この部屋の様子を見る限り、よほどリンディは日本文化に造詣のある人物である事をうかがわせる。

「さて、詳しい話を聞かせてくれる?」
「はい……」

 四人を代表してユーノが説明を始めた。
 ジュエルシードを発掘したのがユーノであった事。
 ジュエルシードの搬送艦が事故に遭い海鳴の町に二十一個のジュエルシードがばら撒かれた事。
 そのことに責任を感じてジュエルシード回収のために単身地球にやってきた事。
 そしてなのは達と出会い、協力してジュエルシードの回収を始めた事。

「そう。そんなことがあったの」
「だが無謀過ぎる。あのロストロギア、ジュエルシードがどれほど危険なものか分かっているのなら尚更だ」
「はい……」

 穏やかな調子で話すリンディとは対照的に強い語気でユーノに注意するクロノ。ユーノは小さく返事をして目を伏せてしまう。

「おにーちゃん。ロストロギアって、あの……?」
「ああ、前に話したことがあったよな。高度な文明を持った世界が滅んだ後に残された、現行世界では再現不能な技術や魔法。そういうのを一纏めにしてロストロギアって呼んでるんだ」

 祐一の説明になのはが頷いて答える。だがそれを聞いていたリンディが困ったように眉を八の字にした。クロノに至っては警戒心をあらわにしている。

「祐一君、アリサさん。なぜ管理外世界にあなた達のような魔導師がいたのか、教えてもらえるかしら」

 穏やかな声でかけられた言葉だった。
 だが、祐一達にとってはこの質問はまさにこれから後を決めてしまう重い言葉だ。
 ここで答え間違うと、強制的に時空管理局の監視下に置かれてしまうことになる可能性もある。

「俺とアリサはある人からデバイスと魔法関連の本、そしてミッド語の辞書を貰って独学で魔法を学びました。なのはには魔法の概論を教えただけで、今の魔導師としての実力はユーノから教わった魔法とレイジングハートの協力によって築かれたものです」
「そう……。でも、管理外世界に魔法技術が流出するのは避けなければならないの。魔法という新たな力は新たな争いを引き起こす原因になってしまう。これは分かってもらえるかしら」
「大丈夫です。あの人は俺達以外の人間に魔法技術を漏洩させる事は無いです。俺達も魔法を広めるつもりはありません」
「そう……」

 信じてもらえたかどうかは分からないが、リンディは寄せていた眉を戻した。
 とりあえず保留にしてくれたのだろう。
 クロノが何か言いたそうにしていたが、そちらには視線を向けないでおく。
 とりあえずデバイスの接収という事態は回避できたようだった。
 リンディの寛容な性格に救われた。
 これが規律に厳しい人間であったなら、デバイスや魔導書等を全て取り上げられていたかもしれない。

「あなた達がジュエルシードを集めている理由は分かりました。では、あなた達と敵対していた探索者の事も知っている事があれば教えてもらえるかしら」

 その問いに隣のなのはを見る。するとちょうどこちらを見ていたなのはと目があった。

「なのは。俺が説明してもいいか?」
「……うん。お願い」

 リンディとクロノに向き直る。頭の中で簡潔に話す内容をまとめ、口を開く。

「あの金髪の女の子はフェイト・テスタロッサ。オレンジの狼はあの子の使い魔のアルフ。ジュエルシードを集めている理由は自分の願いを叶えるためではなく、誰かのためらしい」
「なぜそう言えるんだ?」

 クロノから厳しい質問が繰り出された。なのはは目を丸くしてこっちを見ている。
 そういえばなのはにはこの話を秘密にしていたのだった。

「一度あの子と一対一で向き合った事があります。その時にカマをかけてみたんです。誰かさんに頼まれたのか、と。そのときに動揺していたのを見て確信しました。あの子にジュエルシードを集めるよう命令した者がいるって」

 その言葉にリンディとクロノが顔を引きしめる。カコン、とししおどしの音が響いた。

「あなた達が探していたロストロギア、ジュエルシードは次元干渉型のエネルギー結晶体。いくつか集めて特定の方法で起動させれば空間内に次元震を引き起こし、最悪の場合次元断層すら巻き起こす危険物」
「君とあの黒衣の魔導師がぶつかった時に発生した振動と爆発。あれが次元震だよ。……たった一つのジュエルシードで、全威力の何万分の一の発動でもあれだけの影響があるんだ。複数個集まって発動した時の影響は計り知れない」

 リンディとクロノの説明に祐一は目を丸くする。
 あまりに見通しが甘かった。
 この事件、下手を打てばなのはとフェイトが友達になるならないのレベルで収まる話ではない。この先の展開によっては地球が滅びる可能性すらある。

「聞いたことがあります。旧暦の四六二年、次元断層が起こったときの事」
「ああ、あれは酷いものだった」
「隣接する平行世界が幾つも崩壊した、歴史に残る悲劇」

 ユーノの言葉にクロノとリンディが沈痛な面持ちで答える。

「繰り返しちゃいけないわ……」

 そう言うとリンディは抹茶に角砂糖を幾つも入れてスプーンでかき混ぜ、一口飲んでお椀を置いた。
 祐一もお茶菓子を三分の一ほど切り分けて口に運ぶ。見た目通りの羊羹だった。
 お茶を飲むとさっぱりした甘味が混じっている。
 どこまでも日本文化そのものだ。ミッドチルダでここまで日本文化に詳しい人物などそうはいないだろう。
 のんきにそんなことを祐一が考えていると、真剣な表情でこちらを見据えたリンディが口を開く。

「これより、ロストロギア、ジュエルシードの回収については、時空管理局が全権を持ちます」
「君達は、今回の事は忘れてそれぞれの世界に戻って元通りに暮らすといい」

 クロノがリンディの後に続いて話す。そしてその言葉に反応したのは、アリサだった。

「いきなり手を引けと言われて、はい分かりましたって言うと思う? これはあたし達の町の問題でもあるのよ?」
「次元干渉に関わる事件だ。民間人に介入してもらうレベルの話じゃない」

 にべもなくアリサの意見を切って捨てるクロノ。その言い草にアリサがクロノへ険しい顔を向ける。

「まあ、急に言われても気持ちの整理もつかないでしょう。今夜一晩、ゆっくり考えて、皆で話し合って、それから改めてお話をしましょう」
「送っていこう。元の場所でいいね」

 クロノが立ち上がる。残りの羊羹を口にし、抹茶を飲み干してから祐一も立ち上がった。
 そして最初にアースラに来た時の部屋――転送ポート。その部屋の巨大な魔法陣が発光する壁の前に立つ。
 クロノが杖を向け、青い魔法陣が展開される。
 突如溢れ出した光に目をつむり、目を開けた時には四人はもう臨海公園に戻っていた。
 海を前にして皆が黙り込む中、最初に口火を切ったのはユーノだった。

「ごめんね、なのは。この姿の事黙ってて。そんなつもりじゃなかったんだけど、秘密にしてたみたいになっちゃって。怒ってたり、しない?」
「あ、ううん。びっくりはしたけど、それだけだよ」
「その、ごめん。ありがとう」

 二人はお互いの顔を見て小さく笑う。

「そういえばユーノってなのはと同い年くらいなの?」
「あ、はい。多分……」

 アリサの問いに苦笑して答えるユーノ。
 生まれ育った世界が違うのだ。一年という基準も地球のそれとは違っているのかもしれない。

「とりあえず……」

 ユーのの体が緑光に包まれる。その体はあっという間に縮んでいき、再びフェレットの姿になった。
 ユーノはなのはの肩に駆け上り、いつもの定位置に収まる。

「こっちじゃこの姿でいる方が便利そうだから」
「うん、そうだね」

 そう言って笑い会う二人。一方祐一は一つ疑問を抱いていた。
 ユーノの体重のことだ。フェレットの状態のユーノは軽い。質量保存の法則はどうなっているのだろうか。
 数秒考えて祐一は思考を放棄した。
 そもそもそれを言うならユーノ以上に謎なのが祐一の母親、月の存在だ。
 彼女のレネゲイドによってもたらされた能力は肉体変化。任意に自分の体つきや顔、髪や肌の色まで自在に変化させるその能力は、例えば子供の姿になったりすると見た目とつり合った重さに体重を変化させてしまう。
 祐一はレネゲイドウイルスについても変身魔法の理論についても詳しくは知らない。
 ただ分かっているのは、難しく考えないでただ事実を受け入れるのが一番の方策である事だ。

「さ、帰って夕ご飯の後皆で話し合いましょう」
「ああ、そうだな」

 アリサの言葉に相槌を打つ。見れば夕日はすでに沈み、海だけが未だ茜色に染まっていた。





 夕食を食べて祐一の部屋に集まったなのはを除く三人。なのはは桃子の食器洗いの手伝いをしている。
 アリサと祐一は並んで座り、その対面にユーノが背筋を伸ばして座っている。

「ユーノ。俺とアリサはさっき二人で話し合った。この先どうするのかを」
「あたしと祐一はここで手を引かせてもらう。そう決まったわ」

 突然の言葉にユーノは目を丸くする。そして二人の顔を見て真剣なのだと悟り、ユーノは肩を落とした。

「別にジュエルシードの回収が嫌なわけじゃない。ただ、空を飛べない俺達はこの先フェイト達と戦う時足手まといになる。もう俺達が飛べないことはアルフに知られているからな。空から攻撃されたら俺達にはどうすることもできない」
「あたし達を狙ってきたら、きっとなのははあたしたちを守ろうとする。そうなれば今度はなのはが危険な目に遭う。だからあたし達はここでリタイアするの。なのはにも念話で伝えておいて。あたし達はなのはのことを信じて任せるんだって」

 ユーノは黙って頷くと、四足で立ち目を閉じた。なのはと念話で会話しているのだろう。
 祐一とアリサは音を立てないようにそっと部屋を出た。

「さて、これでようやく本来の歴史通りになのはとユーノだけでこの事件の解決に向かうことになる」
「本当にいいの? ジュエルシードの暴走体相手ならあたし達でも役に立てると思うけど」
「いいんだ。俺達がいることで歴史に変化を与えるわけにはいかない。リンディさんとクロノの言葉を聞いただろ? もし未来が変わってしまえば、最悪この地球が滅ぶかもしれない。なのはとユーノに任せればきっと歴史通りに事が運ぶはずだ。俺達の役目はここでお終い。俺達に出来るのは信じることだけだ」

 そして長いため息を吐く。祐一の胸の中には不安と安堵がごった返していた。
 これで祐一達がいない本来の歴史通りの状況を作り出せたことに対する安堵と、自分達がこれまで与えてきた影響がどう現れるかという不安だ。
 やがて階段を上る足音が聞こえてきた。なのはだ。
 なのはは祐一達を見ると、祐一に抱きついてきた。
 直後に祐一に流れ込む不安という感情。しかしその感情はそれほど強いものではない。
 これなら背を押してやれば、きっとなのはは自分の望む道を歩き出せる。

「なのは。憶えてるか?」
「え……?」
「この間一緒に寝た時、約束したこと」

 それは月村邸で祐一が暴走した日の夜の話。こうして傍にいられなくなる事を予想して交わした約束。

「憶えてる。わたし、頑張ってみる」

 なのはの不安が段々弱まっていく。そして祐一がアリサと目を合わせると、アリサはなのはの頭を撫でながら優しく語りかけた。

「なのは。桃子さんにきちんとお話した?」
「……うん」
「俺達はここから先には進めない。だけどなのはとユーノなら大丈夫だ。自分を信じろ。もし危ない時にはきっとクロノも助けてくれる」
「うん」
「なのは。きちんとお話しておいで。あのフェイトって子と話をしたいんでしょう?」
「……うん!」

 なのはは二、三度祐一の胸に顔をこすった後、その体を離した。

「行って来ます。おにーちゃん、おねーちゃん」
「ああ」
「行ってらっしゃい、なのは」

 自分の部屋へと向かうなのは。おそらくは持っていく荷物の準備だろう。
 アリサもなのはの部屋の中に入っていった。
 そして祐一が自分の部屋に戻ると待機状態のレイジングハートに話しかけているユーノの姿があった。

「何しているんだ? ユーノ」
「あ、祐一さん。アースラとの連絡を取っていたんです。今話し終えたところで、二つの条件を呑めば民間協力者として手伝わせてくれることになりました」
「条件?」
「身柄を時空管理局の預かりにすることと、命令には絶対に従うこと。この二つです」

 それは、条件としては破格だといえよう。
 その二つの条件は、組織として行動する中に組み込まれる以上必要となることだ。
 条件を最低限にしてくれる事にリンディの優しさが感じられる。

「それじゃあ僕はなのはにレイジングハートを渡してきますね」
「ああ。なのはの事、頼んだぞ」
「はい!」

 祐一が戸を開き、その隙間からレイジングハートを首から下げて飛び出て行くユーノ。

『マスター。別にマスター達が付いて行ってもよかったのではないですか?』

 祐一が戸を閉めた後、机の上に浮かんでいるファイスが疑問の声を上げる。

『私もフルンティングもマスターたちを守りきるだけの実力はあるはずです』
「ああ。俺達がいるなら、むしろ戦闘面では大きなプラスなるはずだ。俺とファイスの防御能力、アリサの雑だけど威力の大きい砲撃、これに加えてなのはの規格外な誘導操作弾があれば、まずフェイトには勝てるだろうな」
『なら、どうして?』

 ファイスの尤もな疑問に祐一は苦笑する。

「一つ目の理由は未来を大きく変えないため。俺達がこの先出張る事でこの地球が崩壊しましたなんて事になったら困るだろう? 二つ目の理由はなのはが一人でも戦えるようになる訓練のため。闇の書事件では俺はなのはと一緒には戦えないからな」
『……分かりました。それがマスターの望みであるならば』

 すねたような声を出してファイスはくるくると空中で回転を始めた。
 この世界に来て新しく追加されたデータによって感情の機微を理解し、すっかり人間くさくなった相棒に苦笑する。

「あと六年待ってくれ。そうしたらお前も全力を出せるようになるから」
『マスターは戦闘に出ることは無いでしょう? 私がマスターの全力を引き出せる日なんて来ないかもしれないじゃないですか』

 ファイスがいじけた。
 人間に近くなったとはいえ、ファイスはまぎれもなく道具だ。道具としての本分を貫き、望まれた最高の能力を発揮することに喜びを見出している。
 もっとも、これはファイスだけではなくインテリジェントデバイス全てにいえることだったが。
 その全力がこれからも長い間使われないのだ。ふてくされるのも仕方のない事だろう。
 その時なのはの部屋の扉が開かれる音がした。続いて階段を下りていく音がする。

「さて、お見送りに行きますか」

 回転するのをやめたファイスを手に取り、部屋を出て階段を下りる。玄関には桃子とアリサが出かけようとするなのはを見送ろうとしていた。
 二人の後ろに立ち、祐一もなのはに声をかける。

「なのは、行ってらっしゃい」
「うん。行って来ます!」
『レイジングハート、御武運を』
『Thanks』

 そしてなのははリュックを背負い、肩にユーノを乗せて家を出た。
 そして残された桃子が祐一とアリサの頭にぽんと手を置く。

「そんなに不安そうにしないの。言ったんでしょう? 信じてるって」

 ユーノから聞かされたのだろうか。桃子の顔には優しい微笑みが浮かんでいる。

「さ、お茶でも飲んでお父さんたちを待ちましょう」

 桃子に促されるままにリビングへ向かい、紅茶のカップに口をつける二人。
 一息ついてからアリサが話を切り出した。

「あの、桃子さんはなのはの事が心配ですか?」
「もちろん心配よ。だってお母さんだもの。でもね、なのははもう行くことを決めちゃってたから。私に出来るのはこうして信じてあげる事だけ。二人もなのはの事を信じているから付いて行かなかったんでしょう?」
「「もちろんです!」」

 アリサと声が被る。その様子に桃子が小さく笑う。

「あなた達が信じて、なのはが自分で決めた道だもの。応援してあげたいの」

 その笑顔にしばし見とれる。
 祐一もなのはとユーノのことを信じてはいたが、桃子は魔法について何も知らないにも関わらずなのはの事を心の底から信じている。
 祐一はふと月のことを思い出した。元の世界で、月も祐一の決意を尊重してくれていた。

(俺も、こういう親になりたいな)

 桃子の微笑みに祐一はそんな思いを抱く。そして自分の中にあった不安が消えていくのが分かった。
 なのはとユーノなら何の心配も要らない。そう心の底より思えた。
 そしてその日は訓練をやめ、早くに風呂に入って床に着いた。
 その翌朝。

「どうしたんですか? 士郎さん」

 階段を下りて来て祐一が目にしたのは、すっかりしょげている士郎だった。

「おはよう、祐一」
「あ、おはようございます桃子さん。あの、士郎さんはいったいどうしたんですか?」
「ああ。あの人はね、なのはが家を空けるのには納得してくれたんだけど、自分には相談してくれなかったって落ち込んでるの」

 笑いながら桃子が説明する。どうやら士郎は自分だけ蚊帳の外にされたのですねているらしい。

「店に出るまでにはきっと気を取り直すと思うから、今はそっとしといてあげて」
「はーい」

 その後はなのはが毎朝やっているようにコップや料理のお皿を運び、アリサを起こした後道場に恭也と美由希を呼びに行き、ダイニングに全員揃って朝食を取る。
 いつもはなのはが座る席は空いたままで、士郎や恭也達もいつものようにいちゃつく様子は無い。家族が一人欠けただけでこんなにも食卓が静かに感じるものだとは思いもしなかった。
 それでも美味しい物を食べていれば自然と笑顔はこぼれてくるもので、最初は口数が少なかった恭也なども食事が終わる頃には談笑するようになっていた。
 食器を片付けるのを手伝い、お弁当を受け取って学校へアリサと走る。いつもの風景を通り過ぎ、いつものように授業を受けて、ランチタイムに屋上にアリサと向かう。
 屋上で祐一達を待っていたのは、すずかとバニングスの二人だった。祐一とアリサは椅子の真ん中に座らされ、その両側に二人が座る。

「昨日、なのはちゃんから電話がありました。ジュエルシードを集めるために、フェイトちゃんとお話をするためにしばらく時空管理局って所に行くって言ってました」
「フェイトってあのジュエルシードを集めているライバルの子ですよね」

 すずかとバニングスに真剣な目を向けられる。アリサが諦めたようにため息をつく。

「そうよ。フェイト・テスタロッサ。ジュエルシードを探している凄腕の魔導師。……一応管理局の武装局員もいるし、大丈夫だとは思うんだけど」
「あの子、こうと決めたら絶対にやりぬくんです。だから、ユーノと一緒に始めたジュエルシードの回収も、きっと無事にやり抜いてみせます」
「力になれないことが残念、って顔をしてるね」
「当たり前ですっ! だって、親友なんですから」

 アリサの言葉に吼えたバニングス。その『らしい』元気のよさに思わず口元が緩む。

「でも、どうしてその女の子とお話したいんでしょう?」
「多分、友達になりたいんじゃないかな」
「友達、ですか?」

 すずかの問いに思わず言葉が口をついて出た。すずかに問い返されて、祐一はようやく自分が言った言葉の意味を理解する。
 友達。それは元の世界のなのはとフェイトの関係だ。
 今ならよく分かる。相手のことを知ろうとして、心を全力でぶつけて、そんな事を繰り返していれば、きっとあの二人の間に絆が生まれるだろう。

「大丈夫。悪い子じゃないよ。あの子にもジュエルシードを集めなきゃいけない理由があって、成り行きでぶつかっているだけだ。きっかけがあればきっとあの子とも友達になれる」
「そう、ですか……」

 すずかが小さく笑う。それを見てバニングスも苦笑する。結局この二人もなのはの事を信じているのだ。

「それじゃあ、なのはが帰ってきたらその女の子の事を紹介して貰おう」
「うん。そうだね」

 バニングスとすずかは互いの顔を見てくすくすと笑う。それを見た祐一の顔にもいつの間にか小さな笑みが浮かんでいた。
 ふとてアリサと視線が合う。アリサの口元も小さく緩んでいた。
 四人で談笑しながらお弁当を食べる。話のネタはもちろんなのは。
 そしてこれより十日の間、何事もない平和な時間が続いた。



[5010] 第二十八話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:52
 それはなのはとユーノが家を出て十日後のことだった。
 ホームルームが終わり、高町家に帰ろうとしていた矢先に祐一は巨大な魔力の高まりを感じ取った。

「アリサ!」
「分かってる!」

 見ればアリサもフルンティングに表示された矢印と数字を見て険しい顔をしていた。

「ただの暴走じゃない。感知された魔力が大きすぎるわ」
「まさか、次元震が起きる……?」

 二人は顔を見合わせると、教室を飛び出て靴箱へ急ぐ。
 学校を出た二人は臨海公園へと走っていった。海に近付くに連れ雨が降り始める。

「ファイス。雨を弾くフィールドを張ってくれ」
『了解しました』
「フルンティング、お願い」
『諾』

 祐一とアリサはかすかにしか見えない球状の黒い膜に覆われる。水溜りを避けながら臨海公園にたどり着いた二人はさらにその奥――沖を見て絶句した。水で出来た竜巻が何本も荒れ狂うように猛威を振るっている。

「ジュエルシードの同時発動? まさか、海に沈んでいたジュエルシードが連鎖的に暴走を始めたのか?」
「祐一、考えるのはアレをどうするかって事だけにして」
「いや、俺達には無理だ。流石にあんな中に飛び込んで無事で居られるわけないだろ」
「なのは達に任せるしかない……か」

 だが、祐一の目から見てもあの竜巻の持つエネルギーは異常すぎた。おそらくなのは一人ではこの竜巻を鎮めることは出来ない。
 しかしなのはには時空管理局がついている。なのはとクロノ、そして武装隊員が出張ればきっと大丈夫だろう。

「祐一、見てっ!」

 アリサの指差した先を見つめる。そこでは竜巻が緑色とオレンジ色の光の線にうねりを封じられていた。

「嘘だろ……? どうして竜巻を魔力で縛れるんだよ」
「多分、あの竜巻自体にジュエルシードの魔力が篭っているのよ。だからその魔力を縛って竜巻の動きを制限しているんだと思う」

 そしてしばらくして、眩い光が沖の海上に閃いた。
 竜巻が消え、真っ黒だった空に幾筋もの光が差す。
 あれだけ降っていた雨も小雨に代わり、止んでしまった。
 おそらく、原因である水の竜巻が消えたせいだろう。

「ファイス。フィールドを解除してくれ」
『了解です』
「フルンティング」
『諾』

 祐一達を覆っていた黒い膜が消える。詳細は分からなかったが解決はしたのだ。良しということにしておこう。

「じゃあ、帰るか」
「そうね。もうここに居てもしょうがないわ」

 高町家へとのんびり歩いていく。空に立ち込めていた暗雲は綺麗さっぱり無くなっていた。
 高町家になのはが帰還したのは、この翌日のことだった。



 なのはが帰宅したその日のリビング――

「ホントになのはさんは優秀ですし、私の息子にも見習わせたいくらいですのよ」
「あら、またまたそんなあ」
「うちの息子はどうも愛想が無くて――」

 リンディと桃子がそんな会話を繰り広げている横で祐一、アリサ、美由希、恭也の四人がなのはを囲んでいた。美由希と恭也がなのはに声をかける。

「なのは。怪我とかはしてない?」
「うん。大丈夫だよ」
「探し物は見つかったのか?」
「うん。私が十二個、フェイトちゃんが九つ。二十一個全部見つかったよ」
「それじゃあ、後は……」
「フェイトちゃんと決闘、になると思う……」

 そこで肩を落とすなのは。争いや人を傷つける事が嫌いな子だ。出来る事なら戦いなどしたくはないのだろう。

「あ、そうだ。おにーちゃん、わたし、ちゃんと言えたよ。フェイトちゃんに、友達になりたいんだって」
「そっか。よく頑張ったな」

 なのはの頭を優しく撫でる。うにゃー、と気の抜けた声を上げるなのは。
 歴史通り、もしくはそれに近い形で事が進んでいるようで安心する。
 これで後はフェイトとアルフとの決着を着け、あの女性――リンディから受けた説明によるとプレシア・テスタロッサという名前らしい――を逮捕すれば、それで事件は終わりだ。

「何にしても次が正念場ね」
「だな。頑張れ、なのは」

 アリサと祐一が交互になのはの頭を撫でる。なのははくすぐったそうな顔をした。

「なのは、明日明後日ぐらいはこっちに居られるんだよね」
「うん」
「アリサちゃんとすずかちゃんもなのはの様子を知りたがってたぞ。連絡はしたか?」
「さっきメールを送ったよ。詳しいことは明日アリサちゃんの家で説明することになったんだ」

 恭也と美由希の問いに答えるなのは。
 久しぶりに友達と会えることが嬉しいのだろう、その顔には笑みが浮かんでいる。
 リンディが帰った後、祐一はアリサとなのは、ユーノを連れて自分の部屋に戻った。対フェイト用の作戦会議だ。

「なのはの持ち味は、何といっても誘導操作弾と砲撃魔法だな」
「まずは誘導操作弾で牽制して近づけさせないようにして、拘束魔法をかけてから砲撃をぶつけるのが理想ね」
「うーん。フェイトちゃんすごく速いから、拘束魔法をかけるのは難しいと思うよ」
「じゃあ、それは相手が大技を使った隙に、かな。誘導操作弾だけでも十二個を一度に制御できるんだ。これだけでも充分な武器になるぞ」
「うん。確実に攻撃を当てていけばあの子の大技を封じることになると思うよ」

 四人で戦闘プランを立てていく。
 結局決まったのは、決して接近戦に持ち込ませない事と、中距離ではディバインシューターを使ってフェイトを追い立てる事であった。



 そして翌日。学校が終わった後、バニングス家に遊びに行ったなのはとユーノが持ち帰ったのは驚くべき情報だった。

「だからフェイトちゃんはお母さんに笑って欲しくて言われたとおりにジュエルシードを集めてて、でも数が足りないからってフェイトちゃんのお母さんはフェイトちゃんを鞭で叩いて、それで我慢が出来なくなったアルフさんがフェイトちゃんのお母さんにやめるように言いに行ったら殺されそうになって、アルフさんは今アリサちゃんの家で怪我を治してるの」

 なのはの説明を聞いて祐一は妙に納得した。
 あの女――プレシアがフェイトを虐待しているというのは考えてみれば充分に有りうる話だし、母親の愛情を求める子供のすることだと思えばフェイトが必死になってジュエルシードを集めていたのも当然だといえよう。

「でも時空管理局があの子を捕まえたらあの子が罪に問われるんじゃないか?」
「クロノ君の話だと、何も知らされずに親に命じられてした行動だから重い罪に問われることは無いって言ってたよ」

 その言葉に安堵する。それなら闇の書事件にフェイトが間に合わない事にはならないだろう。

「執務官がそういうのならそうなんでしょうね」
「執務官?」

 アリサの言葉になのはが疑問の声を上げる。

「管理局の執務官は法の執行の権利や担当事件の指揮権を持つことができるエリートなの。まさかなのは達と同い年くらいの子が執務官になれるなんて思ってもみなかったけど」
「あ、クロノは確か十四歳だったと思うぞ」
「……え?」

 ユーノが呆けたような声を上げる。ユーノも自分と同じくらいの年だと思っていたのだろう。

「ねえ、どうして祐一がクロノの年齢なんて知ってるの?」

 アリサが祐一に不審そうな視線を向ける。なのはもユーノもアリサに同調して頷いている。

「俺の記憶が確かなら、初めてクロノとであった時クロノは十四歳だったんだよ」

 その言葉になのはとユーノは頭に疑問符を浮かべるが、アリサだけはその言葉の意味を悟ったようだ。

「ま、なんにせよ十四歳で執務官ってのは史上最年少なんじゃない? 執務官になるための試験って相当合格率低いのよ」
「まあエリート街道まっしぐらであるのは間違いないな」
「ですね。……愛想は無いけど」

 ユーノの小さな呟きにピクリと耳を動かす祐一とアリサ。

「どうしたのユーノ。クロノのこと嫌いなの?」 
「あ、いえ、そうじゃないんですけど……。なんていうかクロノはこう、警戒しとかないといけない気がして……」

 アリサの問いにどもりながらユーノが答える。その言葉に祐一はにやりと口元を吊り上げた。

「ほう、さしずめクロノはライバルってところか?」
「ライバル、ですか?」

 ユーノが疑問の声を上げるが無視する。クロノとユーノのなのはを巡っての競い合い。想像するだけで面白いことになりそうだった。

「頑張れユーノ。応援はしてやる」

 ただし茶々は入れさせてもらうが、と祐一は心の中で呟く。
 それ以前の問題として、なのはに異性として認めてもらうことが必要だが。

「よし、今夜は久々にアリサと剣の訓練でもしようか」
「いいわよ。なのはとユーノも見学しておく?」
「あ、うん」
「はい」

 二人を連れてアリサと庭にある道場に向かう。
 祐一は短い木刀二本を、アリサは普通の木刀を一本持ち、道場の中央で向かい合う。
 アリサと剣を交えることは、相手の『呼吸』の読み合いになる。
 相手の動きの流れ――『呼吸』を読み取り、それを崩すように仕掛けるのが二人の戦い方だ。
 この『呼吸』を外した上でなお初動作の無い攻撃を繰り出すことによって、武技全般における極致、『無拍子』が完成する。
 動いたのは同時だった。アリサの繰り出す上からの斬撃を剣で逸らしながら反転し、逸らすために使った剣とは反対の剣で切りつける。しかしアリサも体を捻り祐一の剣を逸らされたはずの剣で強引に弾く。
 アリサは頭の回転だけではなく運動能力についても優れていた。
 祐一と剣を交える度にその身のこなしは洗練されていき、今ではマルチタスクを使って相手の行動を予測し、自分に有利になるよう戦闘自体の流れを掴むという業まで手に入れた。
 『呼吸』を読む業は祐一が幾つもの人生を送る中で培ったものだが、アリサはそれを祐一を観察する事で身につけてしまっている。
 祐一は、いつかはアリサに剣の腕でも追い越されてしまうと思っていた。
 才能。それを妬んでいる自分と喜んでいる自分がいる。
 剣を幾度も交差し、その度にアリサはより鋭い攻撃を繰り出してくる。
 このままでは負ける。そう思った祐一は反則技を使うことにした。レネゲイドの能力を使用し、脳の温度を調節して最高の思考速度をたたき出し、アリサの『呼吸』の隙間を縫うように自然な踏み出しで剣を滑らせる。

「……参りました」

 首の横に剣を突き出されたアリサが降参の声を上げる。
 だが参ったと言いたいのは祐一の方だった。
 初動作を無くし、呼吸の間隙を縫い、相手にいつ攻撃されたのか分からない一撃を繰り出す『無拍子』に、あろうことかアリサは防ごうと反応したのだ。
 これは祐一の無拍子が見切られ始めたことを意味している。

「いい勝負だったな」
「お父さん!?」

 いつの間にか道場の入り口には士郎が立っていた。後ろに立つ士郎に気付かなかったなのはが驚きの声を上げる。

「なのはのために試合を見せていたのか?」
「まあ、そんなとこです」

 士郎はなのはの前に立つと膝を曲げてなのはと目線を合わせる。

「いい顔をするようになった。これもフェイトっていう女の子のおかげかな」
「うん。きっと」

 なのはの頭に手を置く士郎。なのはも質問に答えて小さな笑みを浮かべる。

「明日、勝負をかけるのかい?」
「うん。わたしはフェイトちゃんを助けたいし、それに友達になりたいって言葉の返事を貰ってないから」
「そうか。なのはは強い子だから余りお父さんは心配してないけど、一人で解決できない問題が出来たら周りの皆を頼るといい。祐一も、アリサも、ユーノだっている。なのはは一人じゃないんだから」
「……うん!」

 笑い合うなのはと士郎。それを見て祐一も小さく微笑む。出切る限り力になってやりたい。そう思った。
 道場から家に戻り、アリサの後でユーノと風呂に入る。洗面に張られたお湯の中でパシャパシャと後ろ足を動かしているユーノに声をかける。

「なあ、ユーノ」
「なんですか? 祐一さん」
「なのはとフェイト、どっちが勝つと思う?」
「……正直、五分五分だと思います」

 ユーノの言葉にそうか、とだけ呟く。
 この勝負が本来どのように決着を向かえたのか祐一は知らない
 。だが祐一とアリサの存在は確実になのはに影響を与えている。
 その影響がプラスのものであったならなのはの方に戦局は傾くだろう。だがもしその影響がマイナスだったとしたら――

「あの、祐一さん」
「ん、どうした?」

 思考がユーノの声に遮られる。ユーノの方を見ると、ユーノは穏やかな声で話しだした。

「きっと、なのはは勝ちます」
「そこまで信じきれる根拠があるのか?」
「はい。なのははいつも問題に立ち向かう度に成長してきました。だから、僕はなのはの成長に懸けます」

 思わず苦笑する。
 たしかになのはは問題にぶつかる度に進歩し続けてきた。それは才能だけじゃなくて、なのはが諦めなかったためだ。
 特にフェイトとの戦闘に関しては、高速飛行魔法や空中での戦闘練習など、努力を積み上げてきているのも大きい。

「じゃあ、俺も懸けよう。絶対になのはは勝つ」
「はい!」

 ユーノに拳を差し出し、ユーノも片手を丸めて拳に当てる。決着は明日。きっと全てにケリがつく。



 そして翌日、早朝に祐一達は家を出た。
 向かう先は臨海公園。ユーノを肩に乗せたなのはの走る速度に合わせて祐一とアリサも走る。
 後ろのほうから何かが駆けて来る音が聞こえた。右を振り返ると、オレンジ色の狼――アルフが塀の上を走っていた。
 アルフは壁の上から飛び下り、なのはと並走する。
 なのはとアルフは無言で頷きあい、前を向いて走って行く。
 程なくして五人は海鳴臨海公園に辿り着いた。
 公園の奥、海を見渡せる手すりのついた岸でなのはは息を整える。

「ここなら、いいね? 出てきて、フェイトちゃん……!」

 波の音が聞こえる。風が木々にざわめきを起こす。
 不意に魔力の高まりを感じた。アリサ以外の全員が振り向く。電灯の上にデバイスから鎌状の魔力刃を出したフェイトが立っていた。

「フェイト……もうやめよう? あの女のいうこと、もう聞いちゃ駄目だよ。フェイト、このまんまじゃ不幸になるだけじゃないか。だからフェイト――」

 アルフがフェイトを説得しようとする。だがフェイトは目を伏せて小さく横に首を振った。

「だけど、それでも私は、あの人の娘だから」

 アルフの説得を拒絶したフェイトになのはが強い意志を乗せた目を向ける。
 なのはは桜色の光に包まれる。光が収まった時、なのははバリアジャケットに身を包みレイジングハートを手に持っていた。

「ただ捨てればいいってわけじゃないよね。逃げればいいってわけじゃ、もっとない。きっかけは、きっとジュエルシード。だから賭けよう。お互いが持ってる、全部のジュエルシードを!」
『Put out』

 なのはの周りを環状に十二個のジュエルシードが並ぶ。

『Put out』

 同じようにフェイトの周囲に九つのジュエルシードが並ぶ。

「それからだよ。全部、それから……!」

 なのはがレイジングハートを構える。フェイトも魔力刃の鎌をいつでも振るえる様握り直す。

「私達の全ては、まだ始まってもいない。だから、本当の自分を始めるために。……始めよう、最初で最後の本気の勝負!」

 レイジングハートとフェイトの持つ杖――バルディッシュに、ジュエルシードが格納される。それを合図代わりに二人は空に舞い上がった。
 互いに杖に魔力を込め、激しく魔力光を散らしながらぶつかり合う二人。その姿はだんだん沖の方へ向かって小さくなっていく。
 桜色の光弾と金色の光弾が舞う。魔力弾の撃ち合いは圧倒的になのはが優位だった。
 八つの光弾を次々と複雑な軌道を描かせて発射するなのはに、フェイトは鎌の魔力刃でそれを打ち払いながらそれでも避けきれないものをシールドで防いでいく。
 そして戦局がなのはに傾いてきた時、フェイトが動いた。
 魔力弾を受けるのを覚悟の上の突貫で強引になのはに接近しようとする。
 八つの魔力弾のうち四つを斬り払い二つを体を捻って躱し残りの二つが直撃し体勢を崩す。
 それでも無理矢理体を起こしたフェイトがなのはに斬り掛かろうとして――なのはの前に展開された円状の魔法陣に鎌の一撃を防がれた。
 そして躱したはずの魔力弾二発が弧を描いて戻ってくる。
 なのはがシールドを展開しながら遠隔操作しているのだ
 。後ろから迫る誘導操作弾をなのはへの攻撃をやめて円状の魔法陣で防ぐ。その隙になのはははるか上空に舞い上がっていた。

「あんた達。あの二人の様子、見える?」

 アリサが唐突に聞いてきた。

「見えるぞ」
「見えます」
「あたしも」
「そう。あたしはもうちょっと光ってるのしか見えなくなっちゃったんだけど、戦況はどう?」

 聞いてくるアリサに祐一が戦況を解説する。

「なのはの方が優勢だな。ディバインシューターだけであの子を追い詰めてる。あの子のほうは破れかぶれの突貫を繰り返しているだけ――じゃないな。まずい事になってる」
「どういう事?」

 祐一の解説を聞いていたアリサが尋ねてくる。沖の海上空にはなのはが動けなくなっている姿が見て取れた。

「拘束魔法を喰らったみたいだな。動けないままどうにかディバインシューターで牽制しているけど――あ、距離をとられた。……なんかすごい数の魔力球があの子の周りに生成されてるんだが」
「まずい、フェイトは本気だ!」

 強力な魔力がこれだけ離れていても感じられる。フェイトは大技を決めにきたようだ。

「なのは、今サポートを!」
(だめ!)

 頭に直接なのはの声が流し込まれてくる。念話だ。

(アルフさんもユーノ君も、おにーちゃんもおねーちゃんも手を出さないで! 全力全開の一騎討ちだから、あたしとフェイトちゃんの勝負だから!)
「でも、フェイトのそれはホントにまずいんだよ!?」
(平気!)

 そしてフェイトの周りに浮かぶ光点が大きくなっていく。そしてついにその瞬間がやって来た。フェイトの周囲の光点が激しく輝く。そしてなのはに向かって無数の光弾が放たれた。

「祐一、どうなってるの?」
「躱した……みたいだな。まさかあんな乱暴な事をするなんて」
「乱暴な事?」
「遠いからはっきりとは言えないんだが……。あの攻撃の寸前でディバインシューターを両手にぶつけてた様に見えた。たぶんバインドを破壊したんだろう」

 フェイトから放たれた光弾は横から上へと射角が上がっていった。おそらく今、なのはは上空に上っていったのだろう。

「……撃ち尽くした」

 フェイトからの攻撃がやむ。あれがフェイトの勝負をかけた攻撃だったのなら、その消耗も決して少なくはないはずだ。対するなのはは被害を最小限に抑えている。
 そして上空から桜色の閃光が放たれた。フェイトはどうやら避けられなかったようで、シールドで防いでいる。
 なのはの攻撃がやんでも、フェイトはその場を離れなかった。動く気力が無いのか、バインドでも喰らったのか。
 そして上空からとてつもなく太い砲撃がフェイトに叩き込まれた。
 祐一は思う。幾らなんでも、これはやりすぎではないだろうか。

「海に落ちた、みたいですね」
「フェイト!」
「ちょい待ち。なのはが助けに行った」

 海面からフェイトを胸に抱いたなのはが飛び出てくる。そしてなのははそのまま上空に浮いたまま留まった。
 意識を取り戻したのかフェイトはなのはの腕の中から出て自力で浮遊した。

「何やってるんだかもう俺にも見えないんだけど…‥」
「僕にも見えないです。アルフは?」
「見えるよ。フェイトがジュエルシードを出したみたい」

 ということはなのはの勝ちか。ホッと一息つく。そこでアルフが突然唸り声を上げた。

「どうした? アルフ」
「あの鬼婆だ……! フェイト、逃げて!」

 アルフが叫ぶ。晴れていた空に暗雲が出現し、そこから紫色の雷が落ちた。

「フェイト!!」

 アルフの悲痛な叫びが響く。雷に撃たれたフェイトをなのはが抱きとめてこちらに向かってきた。なのはが着地すると同時にアルフが人型になってフェイトを抱き上げる。

「フェイト……」

 フェイトのバリアジャケットはボロボロになり、フェイトの全身に火傷が刻まれている。
 バルディッシュに至ってはひびが入った待機モードで点滅を繰り返している。

「アルフ、そこに寝かせてくれ。簡単な治療をするから」

 祐一の言葉にアルフが近くにあったベンチにフェイトを横たえる。
 祐一はその傍に立ち手をかざした。
 空中に円の中に逆三角とさらにその中に正三角が描かれた青い魔法陣が浮かぶ。ウィザードの魔法だ。

「≪ヒール≫」

 その言霊をトリガーとして祐一の得意とする治癒魔法が発動した。
 魔法陣から白く暖かな光がフェイトに注ぎ込まれ、その肌の赤みが引いていく。
 そして魔法陣が収縮して消え去ると同時にフェイトが目を開いた。

「フェイト!」

 上半身を起こしたフェイトにアルフが抱きつく。
 そして安堵の息をつく祐一達の前にミッド式の魔法韻が出現した。
 魔法陣の中央には、リンディの顔が映されている。

「皆さん、ご苦労様。とりあえず、フェイトさんを連れてこちらに来て下さい」

 祐一はユーノに視線を送る。ユーノは手を地面に向け、魔法陣を展開した。
 眩い光に包まれ、一瞬の浮遊感の後に祐一の目に入ったのは、いつかクロノに連れて来られた部屋だ。
 祐一達の前に小さな魔法陣が展開され、そこにアホ毛の立ったブラウンの髪をショートボブにした女性の顔が映し出される。

「エイミィさん」
『皆。今手を離せないから、とりあえずブリッジに来てもらえるかな』
「はい。分かりました」

 なのはの返事を聞いたエイミィという女性は通信用魔法陣を閉じた。同時に祐一の隣で緑色の光が弾ける。そこには人間の姿に戻ったユーノがいた。

「えっと、わたしに付いて来て」

 なのはが先導してブリッジへの通路を歩く。祐一は一人静かに手を握り締めていた。

(さあ、ようやく親の面が見られる)

 祐一が待ちわびていた瞬間。しかし、それは同時に一人の少女の悲しい真実が明かされる瞬間でもあるのだった。



[5010] 第二十九話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:52

 スライドドアが開き、祐一達はブリッジに入る。
そこには幾つものスクリーンに映し出された巨大な岩の塊に大きなクリスタルが埋め込まれた謎の物体と、プレシアと思しき女性を取り囲む武装局員達、そして無色透明な液体の中に浮かぶ裸の幼い女の子の姿があった。
 女の子の入っているポッドの中には大きな気泡がポコリ、ポコリと下から上に上がっていき、長い金の髪が揺らめいている。

『ぐあああああっ!』
『うああああああっ!』

 雷の音と共に武装局員の悲鳴が上がる。目の前に立ち塞がる局員達をその強大な魔力でなぎ倒しながらプレシアがポッドの傍へと近付いていく。

『私のアリシアに、近寄らないで……!』
「アリ、シア……」

 震えるフェイトを、祐一が後ろから抱きしめる。
 同時に、祐一はとてつもない気だるさと胸をかきむしりたくなるような不安に襲われた。

「危ない、防いで!」

 リンディが局員達に指示を出す。だがプレシアの手からほとばしる紫の電撃が局員達を防御の上から吹き飛ばした。
 局員達の絶叫が上がり、やがてその声は小さくなり聴こえなくなる。

「いけない、局員達の送還を!」
『りょ、了解です!』

 通信用のスクリーンから返事が返ってからほどなくして倒れ伏した局員達の下に魔法陣が出現し、光を放つと共に局員達の姿が消えた。
 おそらくアースラ内に転送されたのだろう。

「アリシア……」

 フェイトが呟くのと同時に、祐一に伝わる不安がより一層強まった。
 感応するだけではなく、抱きしめる力を強める。この先にある絶望からこの少女を守るために。

『もう駄目ね。時間が無いわ。たった九個のロストロギアではアルハザードに辿り着けるかどうかは分からないけど』

 ポッドに顔を寄せて呟くプレシアの声が聴こえてくる。プレシアはこちらを見るように顔を半分後ろに向けて呟きを続けた。

『でも、もういいわ。終わりにする。この子を亡くしてからの暗鬱な時間を。もう、この子の身代わりの人形を、娘扱いするのも』

 フェイトの体が祐一の腕の中で震えた。不安だけではなく心が虚ろになってしまうような深い絶望が溢れ出す。
 震えてしまう腕に力を入れて、フェイトを抱きしめ続ける。

『聞いていて? あなたの事よ、フェイト。せっかくアリシアの記憶をあげたのに、そっくりなのは見た目だけ。役立たずでちっとも使えない、私のお人形』

 プレシアが冷めた目でこちらを見る。そこにエイミィからの通信がブリッジに響いた。

『最初の事故のときにね、プレシアは実の娘、アリシア・テスタロッサを亡くしているの。彼女が最後に行なっていた研究は、使い魔とは異なる、使い魔を超える人造生命の生成。そして、死者蘇生の秘術。フェイトって名前は、当時、彼女の研究に付けられた、開発コードなの』

 祐一は腕の中から伝わってくる足が今にも砕けそうな絶望に、声を震わせながら確認を取る。

「素体の記憶を持ったクローン。それがプロジェクトFの正体……?」
『……そういうことになる、ね』

 エイミィの答えにさらにフェイトから流れ込んでくる絶望が深くなった。
 だが、これしきで挫けているわけにはいかない。

「フェイト。あの女の子をよく見ておけ」
「え……?」
「あれが俺の、そしてお前の母親だ」

 確信した。あの液体に浸かっている幼女こそ祐一の素体元となった人物、祐一が一目見てみたいと思っていた存在だ。

『あら。出来損ないの失敗作もそこにいるのね。作り物の命同士傷でも舐めあっているのかしら』
「失敗作……?」

 プレシアの言葉にアリサ達がこちらを見つめてくる。それに祐一は無理矢理口元に笑みを作って平気そうに見せかけた。

「ああ。俺はプロジェクトFの実験段階で作られた、科学者どもに遺伝子を弄繰り回されて生まれた『Failed children』。フェイトと同じようにあの子供の遺伝子から作られた存在だ」
「私と、同じ……」

 フェイトから伝わってくる絶望感が少しだけ和らいだ。これならきっと真実を聞かされても壊れてしまう事は無いだろう。

『よく調べたわね。いえ、よく今まで生きながらえてきたものね。『Failed children』は遺伝子に問題を抱えていてそう長くは生きていられなかったはずだけど』
「あんたが剣をぶっ刺してくれたおかげでな、何とか使える体になったんだよ」

 ふん、とプレシアは鼻を鳴らす。そしてプレシアは強くこちらを睨み付けた。

『フェイト。やっぱりあなたはアリシアの偽物よ。せっかくあげたアリシアの記憶もあなたじゃ駄目だった。アリシアを蘇らせるまでの間に、私が慰みに使うだけのお人形。だからあなたはもう要らないわ。そこにいる失敗作と一緒に消えてしまいなさい!』

 プレシアの言葉に、フェイトから絶望と悲しみが溢れ出す。
 フェイトが耐え切れるよう、祐一は零れ落ちない様その絶望と悲しみを汲み取リ続けた。

『いいことを教えてあげるわ、フェイト。あなたを造り出してからずっとね、私はあなたが、大嫌いだったのよ!』

 プレシアの言葉に、フェイトがひびの入ったバルディッシュを握り締める。
 だが、もう大丈夫だ。
 フェイトは絶望を乗り切った。祐一に支えられながらではあるが、自らの力で立っている。
 後の事は、フェイト自身の意志で決めることだ。

『大変大変! ちょっと見てください! 屋敷内に魔力反応、多数!』

 スクリーンの映像には、水面から浮き上がるかのように、多数の機械兵が床から出現して来る様子が映し出されていた。

『私達の旅の、邪魔をされたくないのよ』

 プレシアの呟きがスクリーンから聞こえてくる。玉座を髣髴とさせる部屋に巨大な試験管のようなポッドに入ったアリシアの遺体とプレシアが映し出された。

『私達は旅立つの。忘れられた都、アルハザードへ!』

 九つのジュエルシードが出現し、回転をしながら徐々にその輪を広げていく。そしてジュエルシードが光を放った。
 同時にアースラが振動を始める。赤い光が点滅し、アラートが響き渡った。

「次元震です。中規模以上!」
「振動防御! ディストーションシールドを!」
「ジュエルシード九個発動! 次元震、さらに強くなります!」
「転送可能距離を維持したまま、影響を受けにくい地域に移動を!」

 寄せられる報告に矢継ぎ早に指示を出すリンディ。フェイトは抱きしめている祐一の手をそっと握った。

「……大丈夫か?」
「……平気、です」

 強がりだ。伝わってくる心の悲鳴からそれが祐一には分かった。
 フェイトの心は今にも張り裂けそうなくらいの痛みに晒されている。

「なのは。どこか休めるところに案内してくれ」

 フェイトの背中と膝裏に手を回して抱き上げる。フェイトは何の抵抗もせずなすがままになっていた。

「次元震、さらに強くなります! このままだと次元断層が!」

 背後から聞こえるそんな声を無視してなのは達と走り出す。
 危険を知らせる赤い光が点滅する通路をなのはの先導で走っていく。
 その途中で見知った顔と遭遇した。クロノだ。

「クロノ君、どこへ?」
「現地に向かう。元凶を叩かないと」

 なのはの問いに答えるクロノ。そしてなのははユーノと目を合わせて同時に頷いた。

「……わたしも行く!」
「僕も!」
「……分かった」

 クロノがなのはとユーノの同行を認めた。
 アリサは黙ったままだ。判っているのだろう。空を飛べない自分が付いて行っても、脱出の際に足手まといになることを。

「アルフ……」
「フェイト!?」

 弱弱しい声を上げるフェイトの顔をアルフが覗き込む。

「アルフも手伝ってあげて。私は平気だから」
「でも――」
「お願い、アルフ」

 フェイトが言い募ろうとしたアルフの頬に手を当てる。アルフはゆっくりと頷いて返した。

「……分かった。それじゃあ行ってくるね、フェイト」
「おにーちゃん、おねーちゃん。この先に医務室があるから、フェイトちゃんをそこに……」

 なのはの言葉に首を縦に振る。なのはの頭にアリサが手をぽんと置いた。

「なのは。絶対に無理はしないのよ」
「うん!」

 祐一達はなのはたちと別れて通路を走り出す。
 やがて医務室とかかれた部屋の前に辿り着いた。
 転送ポートから近くにあるのはきっとすぐに怪我人の治療をすることが出来るからだろう。
 医務室の寝台の上にフェイトを寝かせる。
 そこで祐一は気付いた。フェイトがじっとこちらを見つめてくることに。

「どうかしたか?」
「あの……前にきょうだいって言ってましたよね。あなたは、知っていたんですか?」
「……ああ。自分の生まれと一緒に教えてもらっていた。プロジェクトFの内容は今日初めて知ったけどな」

 フェイトの目から涙がこぼれ落ちた。アリサがそっとハンカチでその涙を拭う。

「おかしいですよね。あんなにはっきりと捨てられたのに、私はまだ母さんに縋り付いてる」
「いや、おかしい事は無いだろ」
「え……?」

 フェイトが目を見開く。
 祐一は苦笑して、フェイトの頭にそっと手を乗せた。

「アルフからはこう聞いたよ。フェイトはただ母さんに笑って欲しくて頑張っていたって。フェイトはずっとプレシアのことを想っていたんだ。その想いは簡単に無くなったりはしないんじゃないか?」
「そう、なのかな」

 フェイトの頭を若干乱暴に撫でる。今も涙をぽろぽろと流すフェイトににっと笑いかけてみた。

「なあ、フェイトはどうしたい?」
「私の、したいこと……」
「どんな事でもいい。望んだことをすればいい。人形じゃなくて、プレシアの望みじゃなくて、フェイト自身が願うことを」

 フェイトの視線が祐一から逸れる。その視線の先には、なのは達が機械兵と戦っている様子が映し出されていた。

「今も、私が母さんに笑って欲しいと言ったら、笑いますか?」
「いいや。笑うわけないだろ」

 フェイトが上半身を起こす。フェイトは右手を開いて、そこに握られていたひびだらけの三角形のクリスタルをそっと両手で抱く。

「捨てればいいってわけじゃない。逃げればいいってわけじゃ、もっとない」
「なのはの言ってた言葉だな」
「うん。私達の全てはまだ始まってもいない。そう言っていた」

 フェイトが右手を差し出す。次の瞬間、バルディッシュがひび割れた杖の形状を取る。

「私は、まだ始まってもいなかったのかな」

 その呟きに答えるように、バルディッシュが軋みを上げながら斧の形状を取り、ひび割れた丸いクリスタルを点滅させる。それを見て再びフェイトの目から涙がこぼれた。

「そうだよね。お前も、このまま終わるなんて嫌だよね」
『Yes sir』

 フェイトがバルディッシュの柄を両手で持ち、前に構える。

「上手くできるか分からないけど、一緒に頑張ろう」

 金色の魔力にバルディッシュが覆われていく。そしてその魔力が粉々に砕け散った下から、完全に修復されたバルディッシュがその姿を見せた。

『Recovery』

「私達の全ては、まだ始まってもいない」
「で、やりたいことは見つかったのか?」

 声をかけると、フェイトは小さく微笑んでこちらを見た。

「ほんとの自分を始めるために、今までの自分を終わらせてきます」

 フェイトの足元に金色のミッド式魔法陣が展開される。
 ボロボロだったバリアジャケットが金の光に包まれ、本来の姿を取り戻した。

「行ってらっしゃい」
「なのはにも言ったけど、無理は絶対にしちゃ駄目よ」
「はい。行ってきます、私のきょうだい」

 小さな笑みを浮かべてフェイトが杖をかざす。金の光が立ち上り、その光が消えた時フェイトの姿も消えていた。
 おそらく、あの石の塊の中に転移したのだ。

「ご苦労様、お兄ちゃん」

 楽しそうな笑みを浮かべてアリサが声をかけてくる。

「何の冗談だ?」
「え? だって祐一はあの子のお兄ちゃんでしょう?」
「まあ、遺伝子上はそうなんだけど……」

 頭をかいて自分のしたことを思い返す。フェイトの体を後ろから抱きしめて、抱き上げて医務室まで連れて来て、頭を撫でて、慰めて。
 シスコンだった。まぎれもなくシスコンだった。

「うわああああ!」

 恥ずかしさの余り両手で顔を覆う。おそらく今祐一が鏡を見たら、真っ赤になっている自分の顔が映るだろう。

「今更恥ずかしがってどうするのよ」
「いや、だって必要なことだったとはいえ、あれじゃ変態扱いされてもおかしくは……?」

 体から力が抜ける。ふらふらと酔っ払ったような千鳥足で寝台に向かい、倒れこむ。

「どうしたの? どこか苦しい?」
「いや、体はどこも悪くない、と思う。体じゃなくて、心がだるいというか……」

 要領を得ない祐一の言葉に疑問符を浮かべるアリサ。

「まあ少し休んでなさい。なのは達が帰るまであたし達は信じて待つしか出来ないんだし」

 背中を軽く叩かれる。スクリーンを見ると、フェイトが幾つもの機械兵を雷で破壊している姿が映し出されていた。

「心配はいりそうにないな」
「そうね。で、ちょっと聞きたいんだけど」

 真剣なアリサの顔を見て体を引く。アリサは真っ直ぐな瞳で祐一を見つめていた。

「必要だったから祐一はあの子を抱きしめてたの?」
「……ああ。それがどうかしたか?」
「じゃあ何であの時声が震えていたの? 祐一、あなたもしかして――」
「ストップ。そこから先は内緒だ。いつかきっと話すから。あと辛い時には遠慮せずに頼ってくれていいんだぞ。大切に思ってる相手なら負担をかけてくれる、頼ってくれることが嬉しいんだから」

 失敗した。そう祐一は思う。
 アリサは祐一の持つ特性に気が付いたのかもしれない。
 聡い子だ。ヒントを与えてしまったのは失敗だった。
 おそらくアリサは、祐一の秘密に一番近い位置にいるだろう。

「ねえ、祐一」
「なんだ? アリサ」
「あたし達が頼るだけじゃなくて、祐一もあたし達を頼りなさいよ。こっそり苦しい思いをして、頑張って、辛くないわけないじゃない……!」

 アリサは目の端に涙を浮かべていた。祐一は小さくため息をつく。
 どうやらもう完全に感づかれてるようだった。

「分かった。俺が困った時にはアリサ達に頼る。これでいいんだな」
「ええ。約束よ、祐一」
「はは……約束、か」

 祐一は約束を破れない。昔大切な約束を忘れていた事から、祐一には約束を破ることが重大な禁忌としてその心に刻まれている。
 しばらくして、自分の涙を拭ったアリサが一つの疑問をぶつけてくる。

「ところで祐一。アルハザードって何?」
「おとぎ話に出てくる、今は既に忘れ去られた禁断の秘術が眠る土地。プレシアはきっと死者を蘇生させる秘術を求めていたんじゃないかな。無駄なことだと思うけど」

 つまらなそうに祐一が言う。アリサは不思議そうな顔をして質問をしてきた。

「どうして無駄なの?」
「魂だ。死んでしばらくの間は魂と肉体のリンクは切れないし、その間に蘇生魔法を使えば生き返ることも出来る。だけど死んでから何年も立っているのなら、魂が輪廻の輪に還り新たな命として生まれてしまう。アリシアは……俺の親はもう手遅れなんだよ」

 娘を喪い狂気に身を委ねたプレシア。その行動は、余りに報われない。
 叶うことの無い望みを抱えてプレシアは旅立つのだろう。次元断層に呑まれた忘れられた都、アルハザードに。

「過去に戻ることは許されない。アリシアを生き返らせることも叶わない。せめてフェイトと会って別れくらいきっちりとしてくれればいいんだが……」

 スクリーンを見る。そこにはなのはとフェイトが別れるところが映っていた。
 なのははエレベーターに入り込み上層部へ向かう。フェイトはその反対、下層に向かっている。おそらくプレシアに会いに行くのだろう。
 段々スクリーンに映し出される光景にノイズが混じっていく。
 次元震の影響か、それともこの画面を映しているサーチャーになにか問題でも発生したのか。
 最早砂嵐のような画像とノイズだけになったスクリーンを閉じる。

「いつ頃帰ってくるかな」
「そんなに長くはかからないんじゃない?」

 寝台に体を預けて天井を見る。精神が疲弊している。少々無理をしすぎたようだ。一度眠った方がいいだろう。

「俺は寝る。皆が帰ってきたら起こしてくれ」
「はいはい。お疲れ様、祐一」

 体をきちんと寝台に載せて目をつむる。程無くして祐一の意識は闇に融けていった。










 祐一が起きた時、医務室はプレシアに敗れた局員でいっぱいになっていた。
 祐一の傍にいたアリサに事情を聞くと、プレシアは虚数空間にアリシアの遺体と共に落ち、なのはとフェイト達は無事に帰って来たという。
 見れば魔法で治療を施しているユーノとクロノの姿があった。

「どれ、じゃあ俺も手伝いますか」

 両腕を真上に掲げる。その手の先に青いウィザードの魔法陣が形成される。さらに祐一の背に透明な翼が現れた。
 その翼から無数の羽根が舞い上がり、魔法陣を通過して部屋中に散っていく。
 そして医務室にどよめきが走る。ユーノが急ぎ足でこちらに向かってきた。

「祐一さん。今のはいったい……」
「≪慈愛の羽根≫。治癒魔法の力を特殊な魔力で練り上げた羽根に付与して複数の治療を一度に行なう、俺のとっておきだ」

 ウィザードの魔法は基本的に威力において時空管理局が規定する魔法とは比べ物にならないほど弱い。
 だが治癒系統の魔法に限ってはウィザードのほうが優れている。
 ウィザードの魔法は深手を癒し、折れた骨を繋ぎ、特定条件下では死亡状態にある命すら蘇らせることができるのだ。

「ところで他の皆は?」
「なのはは部屋で休養中。フェイトとアルフはその……重要参考人として隔離されてます」

 祐一の言葉にユーノが言いづらそうに答える。そうか、と呟いて祐一は質問を重ねる。

「どうにかして会うことは出来ないか?」
「リンディさんに頼めば、なんとかしてくれると思います」

 その言葉を聞いて寝台から降りる。祐一はアリサを連れて周囲の注目から逃げるように医務室を出た。

「まずいな。今の魔法のことが知れたら強制的に魔法医にでもされるかも」
「大丈夫なんじゃない? 地球独自の異能ってことにでもしておけば。ほら、HGSとか」

 ブリッジに到着する。スライドドアが両脇に開かれ、リンディの後姿がすぐそこにあった。

「リンディさん」
「あら。祐一君にアリサさん」
「あの、フェイトと一度会わせてはもらえませんか?」

 祐一の頼みにリンディはあごに手を当てて考え込む、程無くして結論が出たのか笑顔をこちらに向けてきた。

「分かりました。ただ、祐一君に協力して欲しい事があるの。そちらを聞いてもらってからでいい?」
「……一体なんでしょう?」

 ジト目で見る。こういう取引みたいな真似はあまり好きではない。

「難しいことじゃないのよ。ほら、祐一君もフェイトちゃんと生まれは同じでしょう? だから遺伝子を調べてフェイトさんの血縁者として戸籍登録しておきたいの。今はまだフェイトさんにも戸籍は無いし、いつか彼女があなたを頼る時が来るかもしれないから」
「うーん。まあ、いいですよ」

 祐一に何ができるか分からないが、とりあえずそのぐらいなら問題ないように思えた。
 というか、将来時空管理局に入局することが目的の祐一としては願ったり叶ったりだ。

「ありがとう。じゃあ後で戸籍登録に必要な情報とサンプルデータを採らせてもらうわね。まずはフェイトさんの所に行きましょうか」

 そう言ってブリッジを出て行こうとするリンディに付いて行く。
 通路を歩くうち、網目の金属の戸で閉められた通路にやって来た。通路の両脇には独房と思しき部屋が並んでいる。
 リンディが手をかざすと網目状の戸がするすると上に上がっていく。通路の一番奥、左側の部屋にフェイトとアルフがいた。フェイトは白い上下の服に身を包み、その両手には枷が嵌められている。こちらに気付いた二人が祐一に視線を注いできた。

「旅立ったそうだな。……お別れは、出来たか?」
「はい。えっと……」

 困ったようにこちらを見るフェイト。そういえばまだ自己紹介をしていなかった。

「ああ。まだ名乗っていなかったな。俺は祐一。相沢祐一だ」
「あ、ちなみにあたしはアリサ・ローウェル。呼び方はアリサでいいわ」

 二人で笑顔を見せる。フェイトもそれに釣られて小さく笑みを浮かべる。

「祐一さん、アリサさん……」
「どうした? フェイト」
「いえ、あの……こうやって知らない人と話をするのは久しぶりなんです」

 それは、今まで他人と接してこなかったということか。
 フェイトの顔からは困惑と喜びがないまぜになったような表情が浮かぶ。

「……あの、祐一さんは私のお兄さんなんですよね」
「ん、ああ。そうなるな」

 もっとも、今更フェイトに兄貴面して接する資格は祐一にはない。
 フェイトを救ったのは、その心を開いたのは、なのはなのだから。

「今まで、どうやって生きてきたんですか?」
「殺されそうになったところをなのはの家に逃げ込んで、そのまま居つかせてもらった。それから管理局の技官になるためにアリサと魔導技術を勉強して、なのはに魔法の初歩の初歩だけ教えて今に至るってところだ」

 苦笑する。結局最後まで関わり続けてしまった。
 救いは祐一とアリサの戦闘能力がまだばれてはいないことだろうか。
 なのはとユーノには口止めはしておいたので大丈夫なはずだが、それでも祐一の胸には不安が生まれる。

「……どうして技官を目指したんですか?」

 その質問に祐一は眉をひそめる。
 プレシアを失ったフェイトは生きる支えを失ったようなものだ。
 だから、代わりとなる指針を求めているのだろう。
 
「別に技官じゃなくてもいいんだけどな。管理局本局に勤められて、戦闘のない部署ならどこでも構わないんだが。……とにかく俺は管理局から俺の望む情報を引き出したい。それが理由だ」
「そう、ですか」

 それまで壁から下げられた板の上に腰掛けていたフェイトが立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
 格子戸にフェイトが手のひらを当てる。その手に格子戸の上から手の平を重ねる。
 合わせられた手から心に染みるような不安と悲しみが流れ込んでくる。
 そしてフェイトは小さく微笑んだ。

「不思議です。なんだか胸が温かい……」

 フェイトは祐一と合わせた手をじっと見つめる。そこに確かな繋がりがあるように。

「また、来てくれますか?」
「ああ。地球に戻る日まで毎日来るよ」

 そっと合わせていた手をどちらからともなく離す。そしてフェイトと小さく笑みを交し合う。

「じゃあ、また明日」
「またね、祐一の妹ちゃん」
「こら、アリサ!」

 アリサは楽しそうに舌を出して一足先にリンディの下へ歩いていく。それを見て、祐一は小さくため息をついた。

「あの、祐一さん」
「ん? どうした? フェイト」
「……いえ、何でもありません」

 顔を僅かに染めて恥ずかしそうにするフェイト。
 だが、祐一にはフェイトの考えている事に、さっぱり見当がつかなかった。

「明日、待ってますね」
「おう。明日はなのはも連れて来るからな」
「はい」

 格子戸から離れる。ちらりと振り返った先に見えたのは穏やかな表情をしたフェイトの顔だった。
 網目の金属の戸が下りてきて独往への道が再び塞がれる。そしてリンディと向かい合った。

「あの、明日はなのはを連れて来ていいですか?」
「ええ、いいわよ」

 一秒で了承するリンディ。いささか拍子抜けをした祐一にリンディが言葉を続ける。

「ところで祐一君、さっき管理局に入りたいって言ってたわよね」
「はい。そうですけど?」
「良かったら私が口利きしてあげましょうか? 将来管理局に入るのなら魔導書とかを没収しなくて済みますし」

 それは魅力的な言葉だった。これ以上の好条件は早々無いだろう。

「じゃあ、義務教育が終わったらお願いします」
「あ、あたしもお願いしていいですか?」
「もちろん。でもちゃんと知識を身につけてないと採用試験に通りませんよ」

 無論それで構わない。紹介してもらうだけでも恩の字なのだ。アリサと二人首を縦に振る。
 そしてリンディとはそこで別れ、割り当てられた部屋に帰るべく歩き出した。
 ややあって、前方から三人の子供がやって来る。なのは、ユーノ、そしてクロノだ。

「よう、三人ともどうしたんだ?」
「誰かさんが局員の怪我を治してしまったので暇になったんだ」

 クロノの言葉に若干の棘がある。治癒魔法の情報を今まで隠してきたからだろうか。

「それでなのはの怪我も治してもらえないかなと思ったんです」
「お願いしていい? おにーちゃん」

 頷いて祐一は足に包帯を巻いたなのはに手をかざす。青い魔法陣が展開され、そこから溢れた光がなのはに吸い込まれていく。
 なのはがつま先を床にトントンとたたいて自分の足を確かめた。

「すごい。もう痛くない」
「まあ、こういうのが俺の本領だからな」

 少し得意になる祐一。
 クロノと出会ってからは何も出来なかった身だ。こうして少しでも役に立てることは祐一にとってもありがたい事だった。

「ところでクロノ。フェイトはこれからどうなるの?」

 アリサがクロノに質問する。その問いにクロノは眉をひそめる。

「事情があったとはいえ、彼女が次元干渉犯罪の片棒を担っていたのは紛れもない事実だ。数百年くらいの幽閉が普通なんだが――」
「そんな!」
「なんだが!」

 なのはの声を、クロノがさらに大きな声で諌めて説明を続ける。

「状況が特殊だし、彼女が自らの意思で次元犯罪に加担していなかったこともはっきりしている。後は、偉い人達にこの事実をどう理解させるかなんだけど、その辺にはちょっと自信がある。心配しなくていいよ」

 そのクロノの言葉になのはの顔が明るくなる。

「何も知らされずに、ただ母親の願いを叶える為に一生懸命なだけだった子を罪に問うほど、時空管理局は冷徹な集団じゃないから」

 小さく笑いながら自信たっぷりにクロノが言う。その言葉になのはは花が開くような笑みを浮かべた。

「クロノ君て、もしかしてすごく優しい?」
「なっ!?」

 なのはの言葉にクロノの顔が真っ赤になる。

「し、執務官として当然の発言だ! 私情は別に入ってない」

 そのクロノの慌てようになのはとアリサが笑い、ユーノは眉をぴくぴく痙攣させながら笑っている。

(もしかしてこの二人、既に恋のライバル?)

 祐一の口元が吊り上がる。とても面白そうなネタを発見してしまった。
 通路に子供達の笑い声が響く。ようやく訪れた平穏に、祐一は安堵の息をついた。
 歴史通りにいったのかは分からないが、それでもなのはとフェイトが仲良くなれればそれでいい。
 後にP・T事件と呼ばれるこの事件はこれで終わりとなる。
 後はただ、エピローグを待つのみだった。



[5010] 第三十話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:53
 翌日。祐一はアリサ、なのは、ユーノ、クロノを連れて護送室を訪れていた。
 クロノが手をかざすと網目の戸はするすると上がっていく。
 そしてなのはが一番奥の部屋に駆けていく。よほど会いたかったのだろう。苦笑してその後に祐一達は続いた。

「フェイトちゃん!」
「来て、くれたんだ」
「うん!」

 格子戸越しに向かい合うフェイトとなのは。二人は格子戸越しに手を合わせる。なのはの方は既に目が若干潤んでいた。

「クロノ。この格子戸も開けてもらえるか?」
「ああ。分かった」

 祐一の頼みにクロノが網目の戸と同じようにして格子戸を開ける。
護送室からフェイトを出すのはまずいので、代わりに祐一達が護送室の中に入る。

「来てくれてありがとう。返事をしておきたかったんだ」
「返事?」
「友達になりたいって君がいってくれたことへの返事。私に出来るなら、私でいいなら。だけど私、どうしていいか分からない。どうしたら友達になれるのか」

 不安そうに尋ねるフェイトに、なのははそっとフェイトの手を握る。

「簡単だよ」
「え?」

 フェイトが呆けたような声を上げる。それになのははにっこりと微笑んで言った。

「友達になるの、すごく簡単。名前を呼んで。君とかあなたとか、そういうのじゃなくて、ちゃんと相手の目を見て、はっきり名前を呼ぶの。わたし、高町なのは。なのはだよ」
「なの、は……」

 おっかなびっくりそっと名前を呼ぶフェイト。昨日祐一達の名前を呼ぶよりずっと緊張しているように見えた。名前を呼ばれたなのはは満面の笑みを浮かべて頷いている。

「なのは……」
「うん」
「なのは」
「うん!」

 なのはがフェイトの手をそっと握る。フェイトは目元に涙を浮かべて微笑んだ。

「なのは……」
「フェイトちゃん!」

 なのはがフェイトに抱きついた。フェイトもそっと目を瞑って抱きしめ返す。そして二人は感極まったのか静かに涙を流した。
 その時、祐一は後ろから肩をたたかれる。振り返るとアルフがいつの間にか祐一の背後にいた。

「あの子、なのはを連れてきてくれてありがとう。あんなに嬉しそうなフェイトは初めて見たよ」
「はは。俺は昨日の約束を守っただけだよ」
「それでも、さ。ありがとう」

 アルフに感謝されて気恥ずかしくなって頬をかく。そしてふとアルフと初めて会った時の事を思い出した。

「そういえばすまなかったな。最初に会った時、思いっきり殴り飛ばして」
「いいさ。あたしも怪我をさせるつもりで本気でかかっていったんだから。おあいこだよ」

 にっ、と二人で笑い合う。その間になのは達も泣き止んだようで、じっとこちらを見つめていた。

「あの、祐一さん」
「ん? どうした? フェイト」
「昨日リンディさんが来て、私の戸籍を作る事になったんです。それで、祐一さんが私の兄になってくれるって聞いて……」

 恥ずかしそうに俯くフェイト。それに対して祐一は思わず疑問の声を上げそうになり、すんでのところでその言葉を飲み込む。
 血縁者とは聞いてはいたが、まさか実の兄妹にされるとは思っていなかった。

「それで、あの……私を妹にしてもらえますか?」
「……分かった。こんな兄でよければよろしく頼む」

 フェイトと握手する。小さくて柔かい手だった。
 しかしこれでなのはとフェイトが妹になってしまうわけだが、果たしてどうなることか。
 今の祐一ではフェイトの面倒までは見られない。いや、見るわけにはいかない。小声でクロノに話しかける。

「なあ、クロノ。年末……あと百八十日くらいフェイトの面倒をお願いできるか?」

 その言葉にクロノが考え込む。可能かどうかを計算している、というよりフェイトの今後の処遇について考えているのだろう。

「無罪になる公算が高いとはいえ裁判にはそれなりの手間がかかる。裁判が終わるまでは彼女の身柄は管理局の預かりになるんだ。だからその後、しばらくの間母さん――艦長が後見人として引き取ることは可能だ。まあ、そこまで早く裁判が終わるかどうかは微妙だが」
「そっか。分かった、この後頼んで来るよ」
「だが、大丈夫なのか?」

 クロノが聞いてきたのは無論高町家のことだろう。既に二人も子供の面倒を見ているのだ。だが――

「なんとか高町家でフェイトを引き取れるよう頼み込んでみる。出来ることなら、フェイトはなのはと暮らさせてやりたい」

 部屋の空きはある。後はフェイトともども祐一達が家事に協力すればいい。養育費も祐一は用意できる。

「ただ、十二月までは俺達はフェイトを引き取ることは出来ない。そういう訳がある」

 祐一の記憶が確かであれば、高町家でフェイトが暮らしているというのは聞いたことが無かった。
 ということは、おそらく当時のフェイトは時空管理局、またはアースラで暮らしていた可能性が高い。
 それを無理に崩すような事をしては、闇の書事件にどれほど影響があるか分からなかった。
 だから、蒔いた種の様子を確認するまでまで、祐一はフェイトと一緒に暮らすことは出来ない。

「……わかった。だが管理外世界で暮らすとなると難しいぞ。最低でもデバイスを没収された上で魔力に制限をかけられる事になる」
「流石にその条件は無理だな……。どうにかフェイトをなのはと同じ学校に行かせてやりたいんだが、何か方法は無いか?」
「一応抜け道として管理局の要請に応える形で働くなら制限は免除できるはずだが……」

 そこまでクロノが話したところでフェイトがこちらに跳びついてきた。

「やります! やらせてください!」

 フェイトがクロノの両腕を掴んで頼み込む。顔が近すぎるせいかクロノが赤面した。クロノは年下の女の子が好みなのだろうか、などと祐一は推測する。

「学校と管理局の任務の両立となるとかなり大変だぞ」
「でも、そうすればなのはやお兄ちゃんと一緒にいられるんですよね」
「まず士郎さんと桃子さんを説得しなきゃいけないけどな」

 とはいえそれはさほど心配する必要は無いだろう。なのはの親友を簡単に放り出せる人達ではない。問題はフェイトが管理局の仕事と学校を両立できるかどうかだ。

「おにーちゃん。フェイトちゃんをうちで預かるの?」
「う……」

 なのはの期待がこもった視線が痛い。これで祐一は絶対に説得を成功させなければいけなくなった。

「頑張って下さい、祐一さん」
「おう、ありがとう」

 ユーノに慰められ、仕方が無いと腹をくくる。フェイト自信も乗り気のようだし上手くやれることを祈るばかりだ。

「ねえ、クロノ君。フェイトちゃんと連絡を取るにはどうしたらいいの?」
「うーん。……ビデオメールなんてのはどうだ? 地球の映像技術がどんなものかを調べる必要があるが、大抵のメディアには対応できると思う。姿と声を伝えられる分、ただの手紙よりはいいと思うんだが」

 クロノの返事になのはとフェイトが顔を見合わせて笑う。思えば妹が出来るのはこれで三人目だ。高町家に引き取られてから生まれたなのは、同じクローン母体を持つフェイト、そして月の手によって生み出された融合騎、プリムラ。ふともう一つの世界にいるプリムラのことを想う。ここに祐一が存在する限り向こうの世界の祐一が目覚める事は無い。きっと辛い思いをしているはずだ。

「まったく、駄目な兄貴だな、俺は」
「え……?」

 小さく呟いたつもりだったが、どうやらユーノにも聴こえていたようだ。人差し指を口の前に当て、黙っておくようにとジェスチャーする。
 そしてなのはとフェイトが地球の学校について話をする。アルフはフェイトが興味津津に話を聞いているのを涙を浮かべて見守り、ユーノはアリサやクロノに弄られている。特にクロノに使い魔扱いされるのが気に入らないらしく、憤慨して否定していた。
 やがてクロノが並んで座るなのはとフェイトの前に立つ。

「さあ、そろそろ時間だ。今日はもうこれでお終いにして、続きはまた明日話すといい」

 そして護送室の外に出され、再び格子戸が閉められる。

「また明日ね、フェイトちゃん」
「うん。また明日、なのは」

 なのはとフェイトが手を振って別れ、一同は通路に出る。クロノが網目の戸を閉めてしまう。
 一度アースラが本局に戻り、手続きを踏まなければフェイトの待遇はこのままだ。
 しかし、次元震の影響で、地球に転送可能な距離まで近づけるのは三日後となっている。本局への航路の復旧の見通しは立っていない。

「じゃあ、俺はリンディさんの所に行ってくるわ」
「頑張ってらっしゃい、お・に・い・ちゃ・ん」
「茶化さないでくれアリサ。クロノ、リンディさんは今どこに?」

 尋ねるとクロノは空中に四角いスクリーンを展開した。クロノがスクリーンを操作すると、地図上に紅点が灯った。

「応接室――君達が最初に来たときに案内した部屋だね。場所は分かるかい?」
「えーと……スマン、分からん」

 祐一の答えにクロノはため息をついた。祐一が方向音痴、というよりも似たような通路が並んでいるこの艦内は不慣れな者が適当に歩くと迷子になってしまうのだ。

「じゃあ、俺はクロノとリンディさんに会ってくるから」
「うん。また後で」

 なのは達と別れ、クロノと二人艦内を歩く。その途中でクロノが不意に口を開いた。

「一つ聞かせてくれないか?」
「……何を?」
「フェイトを母さんに預ける理由だ。何故裁判が終わって直ぐでは駄目なんだ?」

 黙り込んで頭の中を整理する。そしてバレても構わない事だけを打ち明ける。

「できる限り計画に歪みを持たせたくないから、かな。とにかく今年の十二月まではフェイトと一緒に暮らすとまずいんだ」
「計画?」

 クロノが不審そうな目でこちらを見る。祐一は感情を読み取られないよう笑みを作って見せた。

「そう、計画。どうしようもない悲劇に絶望して泣いているやつを泣き止ませてやりたいんだ」

 それ以上クロノは聞いては来なかった。気を使ってくれたのだろう。二人とも無言のまま応接室に辿り着く。

「失礼します、艦長」
「あら、クロノに祐一君。どうしたの?」

 スライドドアが開いた先、リンディは並べられた盆栽に水をあげていた。カコン、とししおどしの竹の音が部屋に響く。

「あの、お願いがあってきました」

 真面目な話だと悟ったのか、リンディが表情を真剣なものに切り替える。

「そう。どんなお願い?」
「裁判が終わった後、今年の十二月まで、フェイトを預かっていて欲しいんです」
「えっと、詳しい事情を聞かせてもらえるかしら」

 リンディの顔に穏やかな微笑みが浮かぶ。どうやら想定していたものよりは簡単な事だと認識されたようだ。

「俺にはどうしても助けてやりたいやつがいるんです。ただ、そのためには十二月までフェイトと一緒に暮らすことが出来ません。十二月までには必ずフェイトを迎え入れられるようにしてみせます。だから裁判が終わってからそれまでの間、リンディさんにフェイトを預かっていてもらいたいんです」
「詳しい事情は話せませんか?」
「はい……」

 本当のことは言えない。闇の書事件を解決するためには夜天の魔導書のページを全て埋めることが不可欠だ。この事を話してしまえばリンディは管理局の者としてははやてを見殺しにする選択肢を採ることになりうる。

「分かりました。裁判が終了した後、後見人として私がフェイトさんを引き取ります」
「あ、ありがとうございます!」

 頭を下げる。その祐一の頭にそっと手が乗せられた。顔を上げるとリンディが優しい笑みを浮かべている。

「ただし、問題が解決したら必ず詳しいことを教えてくださいね」
「はい。分かりました」

 闇の書事件が終わる頃には本当のことを教えてもいいだろう。
 相沢祐一の正体、平行世界の存在、そして祐一と月が蒔く種の事を。
 もう一度リンディにお礼を言って応接室を出る。胸をなでおろし安堵のため息をついた。

「祐一。自分の部屋への道は分かるか?」
「ああ。居住区画はあっちだろ?」
「正解だ。僕はブリッジに行くから君は自分の部屋に戻るといい」

 クロノと小さく手を振って別れる。言われた通りに自室に戻ると、そこにはアリサが待ち構えていた。

「お帰り、祐一」
「どうした? アリサ」

 周りを見る。ユーノもなのはもいない。どうやら内緒話のようだ。

「どうしてフェイトを直ぐに引き取らないの?」
「簡単な話だろ。俺がいなければフェイトが高町家に引き取られる事は無い。もし高町家に、いや海鳴にフェイトがいたら未来が大きく変わる事になりかねないんだ。だからもし俺がいなければフェイトの面倒を見てくれそうなのは誰かって考えて、リンディさんに任せることにしたんだ」
「で、それが十二月に起こる事件に関係している、と」

 アリサの言葉に無言で頷いて返す。アリサはベッドの上に座り足をぶらぶらと揺らした。

「ねえ、どんな事件が起こるのか聞いてもいい?」
「駄目。どこでどう事態が転ぶか分かったもんじゃないからな。被害は最小限に抑えるつもりだけど、下手に首を突っ込むとアリサもやられる可能性もあるんだ」
「あたしもって事は、なのはは?」

 無言を返事として返す。アリサはふん、と鼻を鳴らして後ろからベッドに倒れこんだ。

「なるほど。下手に未来を知るとその分気が重くなるのね」
「そう思うなら最初から聞くなよ」
「しょうがないじゃない。聞くまで分からなかったんだから。……それで、なのはは大丈夫なの?」

 心配そうに聞いてくるアリサ。だが祐一の脳裏に浮かぶのは、闇の書の事件後元気そうにしているなのはの姿だった。

「俺の知る限りでは無事なようだったな。まあアレの被害は一時的なものだそうだから、そんなに心配する必要は無いさ」
「そう……」

 ベッドに近寄り、アリサの横に転がる。横を向いてアリサと目を合わせた。

「なあ、アリサ」
「何?」
「もし俺がなのはやフェイト……時空管理局と敵対するとしたらどうする?」
「……祐一の抱えた事情次第、かな。それが妥当なものなら味方をするし、くだらない理由だったら――潰すわ」
「容赦は無いんだな」
「あんたを倒すには全力を出さないと駄目じゃない」

 違いない、と呟き祐一は小さく笑う。アリサもそれにつられるようにして笑った。

「で、本気で管理局とやりあうの?」
「いいや。フェイトもいるし、管理局と敵対しても勝算はないからな。種を蒔くだけだ」
「種?」
「ああ。事件の方向を決定付ける種をな」

 種とは呪いにも似た言葉。人を誑かす悪魔の甘言。
 情報という武器を手に事件の裏から流れを操るコンダクター。それが祐一達の立ち位置だ。

「よければあたしも手を貸すけど?」
「いや、むしろ徹底的になのはの味方をしてやってくれ。出来る限りこちらの動きを読まれたくない」

 祐一だけでなくアリサまで疑いを持たれたらそれこそ動きがとりにくくなる。
 せっかく今の所ファイスの本来の名前と力を隠し通しているのだ。
 もし祐一やアリサの力がばれたらほぼ確実に管理局の監視下に置かれてしまい、祐一も目的を達する事ができなくなる。
 その時、アリサがベッドから身を起こした。そのまま立ち上がり背筋を伸ばす。

「どこ行くんだ?」
「訓練場。なのはがユーノに魔法の応用を教えてもらっているの。あたしもちょっと訓練してこようかなって」
「迂闊に他の人の前でフルンティングやフラガラッハの力を見せるなよ。強すぎる力を見せられれば――」
「――その力は疎まれ管理されるか奪われるか。大丈夫。分かっているから。集束関係についてのプログラムを一通りチェックしてもらいたいだけよ」

 最近のユーノはなのはだけではなくアリサの先生にもなっている。
 魔力のクセが強いアリサのデバイスも幾つかの助言を実行する事で格段に性能がアップした。
 特に防御用の魔法は結界魔導師であるユーノの助言によりさらに抜きにくくなっている。

「じゃあ、行ってらっしゃい」
「ええ。祐一も迷った事があったら相談しなさいよ。なんでも一人で抱え込むのはあなたの悪い癖なんだから」

 アリサが部屋を出て行く。扉が閉まるのを見届けた祐一はベッドに横になった。眠気に教われてあくびが出る。

「ファイス」
『どうしましたか? マスター』
「もしかしたらお前の全力が使えるときがくるかもしれないぞ」
『本当ですか!?』

 ファイスが喜色の混じった声を上げる。
 この世界に来てから八年強。ファイスはアンダージャケットの生成とバリアヴェールによる保護をしただけで、形態もヘッドギアとそれについているバイザーのみ。
 役目といえば、バリアヴェールの展開かバイザーに情報を表示するだけだった。
 本来の姿は祐一の体が未成熟なために使用できない。ファイスにとっては待ちわびた瞬間だ。

「もしかしたら、だぞ。こちらの言うことを聞いてくれなかった場合の話だからな」
『はい。では頑張って交渉に失敗してください』

 ファイスが割と本気の声を出す。祐一は苦笑してファイスを嗜める。

「無理言うな。あいつらと完全に敵対したらそれこそ一大事だ。とにかく母さんの持っている情報を一通り頭に叩き込んだ上で交渉しに行く必要が――」
『マスター?』

 眠気が強くなり目を開けていられなくなる。体が弛緩し完全に寝る体勢に入った。

「少し寝るよ。お休み、ファイス」
『お休みなさい、マスター』

 意識が闇に落ちていく。ファイスの声が子守唄のように心地良い。そして祐一は、夢も見ないような深い眠りに就くのだった。



 三日、というのは長いようで短かった。護送室では祐一の目の前でなのはとフェイトが涙を浮かべながら別れの挨拶をしていた。

「フェイトちゃん!」
「大丈夫だよ、なのは。きっとまた会える。会いたくなったら、君の名前を呼ぶよ。なのは」
「うん……うん……!」

 フェイトに抱きつき涙を流すなのはを、フェイトが抱きしめ返し静かに涙をこぼす。
 やがて二人は目元を赤くして身を離した。
 祐一はフェイトの傍に近づいて声をかける。

「なあ、フェイト。率直に聞くけど、今でもプレシアは好きか?」
「……正直、よく分かりません。あんなにはっきり捨てられたのに、恨む気持ちもないんです。ただ、母さんは可哀想な人だったと思います。楽しかった思い出はアリシアの記憶で、私は酷い事をされてきたのに、母さんへの温かい想いが残っているんです」
「恨んでいないならいいさ。記憶は偽物でも、フェイトがずっとプレシアの事を好きだったのは確かなんだから」

 出来ればプレシアのことを憎まないでほしい。自分の存在を疎まないでほしい。そう祐一は思う。
 短い付き合いだが分かる。フェイトは本当に優しい子だ。

「フェイト、間違えるなよ。お前はもう誰かの偽物じゃない。たった一人の、替えがきかないフェイト・テスタロッサって言う一人の女の子なんだから」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん」

 それが慰めになったかは分からないが、少なくともフェイトはその言葉に笑ってくれた。

「それと、プレシアの事を今でも大切に想うのは間違ってなんかいないからな。プレシアがどうあれ、フェイトにとってプレシアはお母さんなんだろ」
「……はい」

 フェイトは祐一の胸に顔を埋めてくる。感じるのは悲しみと苦しみ。そこに憎しみの感情は一欠片も無かった。
 そっとフェイトを抱き寄せて頭を撫でる。少しずつその負の感情が和らいでいくのを感じた。
 フェイトと身を離し、他の皆と護送室の外に出る。なのはが格子戸を挟んでフェイトと何事か話していた。
 やがて頬を桜色に染めたなのはが出てくる。クロノが網目の戸を閉めている間になのはに聞いてみることにした。

「なのは。さっきフェイトと何を話していたんだ?」
「な、な、なんでもにゃいからっ! 気にしないで!」
 
 何かあったとしか思えなかった。慌ててをかんでるし。もしかしてなのは、フェイトのことが恋愛対象として好きなんじゃなかろうか、などと邪推する。そしてそれ以上深く考えるのはやめておくことにした。クロノとユーノが哀れだったから。

「さあ、君達の世界に送ろう。そっちの使い魔も連れて行くのか?」
「だから僕は人間だって言ってるだろ!」

 ふっ、と笑うクロノと肩を怒らせるユーノ。一方でなのはとアリサが話し合う。

「で、どうなの? なのは」
「まだユーノ君は故郷に帰れないみたいだし、うちで引き取る事になりました」

 クロノとユーノが口論している間に五人は転送ポートに辿り着く。
 そこで待っていたのはリンディとエイミィ。正面の壁にある巨大な魔法陣の下に立ち、エイミィがなにやら機械を操作すると足元に円形の魔法陣が浮かんだ。

「フェイトの処遇は決まり次第連絡する。大丈夫。決して悪いようにはしない」
「うん。ありがと、クロノ君」
「ユーノ君も帰りたくなったら連絡してね。ゲートを使わせてあげる」
「ありがとうございます、リンディさん」

 それぞれがお礼の言葉と別れの言葉を交わしていく。そして――

「皆、もうそろそろいいかな」
『はい!』

 エイミィの言葉に皆が一斉に返事した。クロノ達が手を振って見送ってくれる。こちらも手を振って返すと、全身が光に包まれる。
 一瞬の浮遊感の後、海鳴臨海公園に皆で立っていた。時計を見ると五時半過ぎを指している。水平線が朝焼けで明るくなっていた。

「じゃあ、帰ろっか。ユーノ君、おにーちゃん、おねーちゃん」

 なのはを先頭に公園の出口に向かう。ユーノは姿をフェレットに変えてなのはの肩にのぼった。
 高町家に帰ると、真っ先に美由希が玄関で出迎えてくれた。

「なのは、祐ちゃん、アリサ!」

 かわるがわるに抱きしめられる三人。そして朝食の席で今までのことをかいつまんで皆に話した。

「そっか。あの世界規模の地震の原因ってジュエルシードのせいだったんだ」

 へー、と美由希が言う。地球ではそんな一大事となっていたらしい。

「残ったジュエルシードはどうしてるんだ?」
「封印処理して時空管理局に預かってもらう事になったよ」

 恭也の問いに祐一が答える。これでもう祐一達がジュエルシードに関わる問題に直面することはないだろう。

「じゃあもう安心だね。お疲れ様。なのは、ユーノ」

 そう言ってひょい、と美由希がなのはの肩からユーノを摘み上げると、膝の上に乗せて腹を撫で始めた。気持ち良さそうにユーノは体を反らしている。
 そして時間が押してきたところでアリサと祐一は弁当を受け取り家を出て学校へと走っていく。こうして日常が戻ってきたことが嬉しかった。



 そしてさらに数日後――

「おにーちゃん! ユーノ君!」
「なのは。階段を駆け下りると危ないぞ」
「どうしたの? なのは」

 ピンクの携帯を握り締めてパジャマのまま降りてきたなのはにユーノが質問する。

「フェイトちゃんが本局に移動になるんだって。それで、その前にもう一度会わせてくれるんだって!」
「とりあえずすごく喜んでるのは分かった。俺はアリサを起こしてくるからなのははパジャマを着替えてきなさい」
「うにゃ! すぐに着替えてきます!」

 ばたばたと階段を上がっていくなのは。祐一もその後に続きアリサの部屋に入る。
 しばらくして片方の頬を赤く染めた祐一と、顔を真っ赤にしたアリサが部屋から出てきた。

「すまん。もう二度としないから機嫌を直してくれ」
「二度目があったら殺すから……」

 今にも人を殺してしまいそうな憎悪にまみれた視線が祐一に突き刺さる。祐一は頭をかいてなるべくアリサの顔を見ないように階段を下りていった。

「あ、おねーちゃん。今日は早く起きたね」
「ええ。まさかあんな破廉恥な起こし方をされるとは思わなかったけど」
「ハレンチ?」

 なのはが頭に疑問符を浮かべている間にアリサとの対角線上になのはを挟む。これならアリサから仕返しが飛んでくることは無いだろう。

「なのは、行こう!」
「あ、うん!」

 玄関に行き、靴を履いて外に出る。朝の冷たい空気が心地良い。
 場所はなのはが聞いているためなのはを先頭にして三人は走っていく。
 海沿いの道を走り、レンガ造りの橋にたどり着く。橋の中央にフェイト、アルフ、クロノの三人が立っていた。
 三人の傍まで走り寄る。なのはが息を整えているうちにアルフがユーノをなのはの肩から摘み上げ、自分の肩へと乗せた。

「あんまり時間は無いんだが、しばらく話すといい。僕たちは向こうにいるから」
「ありがとう、クロノ君」
「ありがとう、クロノ」

 そしてクロノ、アリサ、アルフが橋の先にあるベンチへと歩いていく。それに続こうとしてフェイトに服の袖を掴まれた。

「あの、お兄ちゃんにも話があるんだ。聞いていて欲しい」
「了解」

 足を止めてその場に留まる。なのはとフェイトが正面から向かい合った。

「昨日リンディさんと話したとき、裁判を有利に進めるため嘱託魔導師の資格を取ったらどうかって言われたんだ」
「しょくたく?」
「頼まれた時に仕事をする、臨時の局員みたいなもんだ」

 なのはに説明すると、フェイトが頷いて同意した。

「これならこの世界で暮らしていても制限を受けずに済むってリンディ提督が言ってたんだ」
「じゃあ、裁判が済んだらフェイトちゃんはこっちの世界で暮らすの?」
「ううん。しばらくはリンディ提督の下で観察保護処分になるだろうって。だけど年末にはこっちで暮らせるようになるみたい」

 嬉しそうに笑うなのはとフェイト。十二月。それが正念場だ。あの事件を出来る限り元の世界と近い結末に終わらせる事が必要だと祐一は改めて胸に誓いを刻む。それに未来がどうあれ、泣いていた彼女を泣き止ませない事には祐一の気がすまない。

「お兄ちゃん。そうなったら一緒に暮らしてくれますか?」
「いいよ。ただ、俺の呼び方はお兄ちゃんから変えてくれると嬉しい」

 完全に駄目だという事はないが、祐一の中でお兄ちゃんと呼ぶのは琥珀色の目をした少女――プリムラだということに決まっている。フェイトには悪いがその呼び方は勘弁してもらうしかない。

「お兄ちゃんじゃ嫌ですか?」
「嫌ってわけじゃないんだが、その呼び方は先約がいるんだ。だから別の呼び方で呼んでくれないか?」
「分かりました、じゃあ、兄さん、で」

 ありがとう、と返事をした。どちらかというとフェイトにはお兄ちゃんと呼ばれるより兄さんと呼ばれる方が似合っている気もする。

「おにーちゃん。先約って誰?」
「ああ。俺にはプリムラ・相沢っていう名前の妹がいるんだ。血は繋がっていないけど、大切な家族だった」

 その言葉になのはとフェイトが気まずそうな顔をする。失敗した。過去形で話したのがまずかった。どうやら見事に勘違いをしているみたいだ。

「言っとくけどプリムラは死んでないからな。今は遠くはなれた場所で暮らしているだけだ」
「そ、そうだったんだ」
「良かった……」

 二人が安堵の息をつく。まあ、死別に近い形ではあるのは事実だが。無論死んだのは祐一の方だ。

「フェイトちゃん。また、会えるよね」
「うん。必ず会いに来るよ。ここにはなのはと兄さんがいるから」
「そうしたらいっぱいお話しようね。アルフさんのこととか、魔法のこととか、おにーちゃんについてとか」
「うん、そうだね……」

 話の種は尽きることなく三人は笑顔を交し合う。だが、楽しい時間とはすぐに終わってしまうものだ。クロノが時間切れを告げてくる。

「フェイトちゃん!」

 なのはが髪を止めていたリボンを解く。そしてそのピンクのリボンをフェイトに差し出した。

「思い出に出来る物、こんなのしかないんだけど……」
「じゃあ、私も……」

 フェイトもまたその長い髪を括っている黒いリボンを解き、なのはに差し出す。

「なのは。なのはに困った事があったら、今度はきっと、なのはを私が助けるから」
「フェイト、ちゃん」

 フェイトの言葉に目元に涙を浮かべるなのは。そして二人は離れ、フェイトの隣にアルフとクロノが並ぶ。

「きっと、また」
「うん。きっと、また」

 クロノ達の足元に転送用の魔法陣が展開される。小さく手を振るフェイトになのはが手を大きく振る。祐一も小さく手を振っておいた。
 そして魔法陣から光が立ち上り、その光が消えた時三人の姿は無くなっていた。

「なのは。ちょっと貸して」

 アリサがなのはから黒いリボンを受け取り、なのはの髪を括っていく。程無くしてなのはの頭に黒いリボンが結ばれた。

「さて、帰ろっか」
「うん!」

 目尻に浮かんだ涙を拭くなのはの肩にユーノが乗る。そして三人は家へと走り出した。
 始まりを告げる笛の音は未だ遠い。これからしばらくは休養の時間。慌しくも楽しい日々が、始まる。



[5010] 第三十一話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:53
 フェイトとの別れから数日後、祐一は夢を見た。
 祐一の周りには何人もの女性と一人の男性がいた。
 黒髪のおかっぱの女の子、ライトブラウンの髪を三つ編みにした女性、金髪を大きな青いリボンでポニーテイルにしている女の子、黒く艶のある髪を無造作に伸ばし、動きやすい服装をしている女性、その女性によく似た八歳くらいの女の子、赤いカチューシャをつけた栗色の髪をした女の子、銀の髪と琥珀色の目をした女の子、翠の髪をして優しく微笑んでいる女性、そして茶色のやや長めの髪をした男性。

 ――リン、ミーナさん、ななさん、舞、舞華、あゆ、プリムラ、母さん、ラスクさん――。

 その人物達は『特研』の中でも特に祐一と仲が良かった者達だ。彼女達はとある共通点を抱えている。『特研』に閉じ込められているという点だ。
 オーバーテクノロジーは時に戦争の火種に油を注ぎ、時に人の欲望を加速させる。その危険性は遺失物――ロストロギアの存在が証明している。
 『特研』のメンバーは飛びぬけた魔導科学技術の才能を開花させ、その才能ゆえに現在の技術から大きく進歩したオーバーテクノロジーを生み出す危険性があるとされ、時空管理局本局の秘匿区画に閉じ込められた者達だ。舞や祐一は『特研』を外敵から守るという名目で秘密裏に入局しているのだが。
 そして場面が唐突に入れ替わる。それは祐一がこの世界に転生するきっかけとなった違法研究所の襲撃の際の場面だった。



 とある次元世界の軍部が秘密裏に行なっていた兵器開発、その秘匿された研究所の中を祐一は飛んでいた。全身に黒に灰色のマーブル模様の金属装甲を纏い、その金属装甲の各所に設置されたスラスターを噴かせ、向かってくる警備兵に体当たりをして吹き飛ばす。
 祐一の役割は先陣を切り相手の防衛ラインをズタズタにすること。攻撃能力に欠ける祐一は敵を倒すことは出来ないが、その機動力と防御力で敵陣を滅茶苦茶に引っ掻き回すことが出切る。そして祐一の後には敵を殲滅する強襲部隊が続き、敵を壊滅状態に追い込むのだ。これが祐一のコードネーム、『告死の天使アズライール』の所以。祐一が現れた後には必ず破滅が待っている。
 だが、今回は事情が違った。既にその兵器はプロトタイプが完成しており、祐一は通って来た通路の隔壁を下ろされ退路を絶たれた挙句、そのプロトタイプをけしかけられたのだ。
 無人製の機械兵器。分厚い円盤状のボディから突き出した四本の足で素早く歩いてくるその姿に、祐一は巨大な昆虫を連想した。敵は三体。それぞれそのボディに環状に取り付けられた半球状のクリスタルから魔力弾を射出、無数の魔力弾が祐一に殺到した。
 だが、祐一の両腕の装甲にセットされた剣がその攻撃の威力を半減する。祐一はその攻撃を受けながらも獰猛な笑みを浮かべて機械兵器の周りを飛び回った。
 高速で空中を駆ける祐一に照準を外され、機械兵器は魔力弾を発射できない。しかし祐一もこの装甲の厚そうな機械兵器に無難で有効な攻撃を持っていなかった。
 後続部隊が来るまで飛び回るというのも考えてはみたが、どうやらその時間は無さそうだった。学習したのか軌道を計算されたのか、再び祐一目掛けて魔力弾が斉射され始めたからだ。
 祐一の一瞬前にいた空間を魔力弾が通過する。最早余裕は無い。祐一は最終手段を使うことにした。
 祐一は両腕の装甲にセットされていた白黒一対の剣を前方に射出、その柄を両手に握り締める。剣の柄が祐一の手に融け、根を張り巡らせるように手から腕へと皮膚の下を幾筋もの線が這いずり上がった。
 全身の細胞が粟立つ様な感覚を覚えた祐一は、進路を変更して機械兵器の一体に襲い掛かる。
 右手の白い剣から光で形成された長大な刃が出現し、機械兵器を縦に一刀両断した。バリア機能を持たない機械兵器に、祐一は小さく安堵の息を洩らす。
 そして機械兵器が爆発する前に二つ目の機械兵器に接近。すれ違いざまに左手の黒い剣から巨大な黒球を射出した。黒球とぶつかった機械兵器は大きくへしゃげ、煙を上げて機能を停止する。
 そのときだった。通路の奥からさらに三体の機械兵器が現れる。最早なりふり構っていられる余裕は無かった。
 祐一は六体に分身し、それぞれが四つの黒球を放つ。
 合計二十四個の黒球に襲われた機械兵器は為す術も無くスクラップと化した。
 そこで祐一はとてつもなく熱い何かが脳髄を駆け巡る感覚に襲われた。レネゲイドウイルスの衝動だ。ウイルスの力を過剰使用したためその反動が来たのだ。
 デバイスを待機状態に戻す。祐一の体を覆っていた装甲が消える。
 そして二本の剣とカード状のデバイスを月衣の中に押し込むと、代わりに一本の注射器を取り出した。レネゲイドの衝動を抑えきれなくなった時に使うよう月に渡された薬だ。
 祐一は迷うことなくその注射器を左腕に突き立て、一気に押し込んだ。
 効果はすぐに現れた。全身を締め付けられるような圧迫感と痛みに襲われ、涎を口端から垂らして床を転げまわる。
 薬を打った左腕から赤い結晶が皮膚を突き破って出現し、それが床に落ちたのを見て祐一の視界は闇に閉ざされた。





 上半身を勢いよく起こす。見慣れた高町家の自室が目に入り、荒い息をつきながら祐一は安堵する。今の夢は祐一がこの世界に転生するきっかけとなった事件だ。
 『特研』の実動部隊である祐一達には秘密裏に行われている研究、及び違法な研究を行なう研究所を襲撃し、違法研究の存在を明るみに出すと同時に、倫理上の問題から『特研』では手に入らない実験データ、技術を回収する任務が下されることがある。
 そして祐一がレネゲイドの衝動に飲まれそうになった時に左腕に打ち込んだ薬剤こそが『Crow』。鴉と呼ばれるレネゲイドウイルス発症者のデータから作り上げられた、体内のレネゲイドウイルスをクリスタル状にして体外に放出する薬だ。
 もっとも、体内からレネゲイドが抜けてしまうと同時に昏倒してしまい、結晶化したレネゲイドを再び体内に戻すまで目覚める事は無いとも聞かされていたが。

「今頃になってあの頃の夢を見る、か」

 誰に聞かせるともなく呟く。窓を開けて夜空を眺める。何も遮るもののない星空を眺めてため息をついた。
 過去は決して変えられない。プレシア・テスタロッサの望みも、たとえアルハザードにたどり着いたところで叶う事は無い。
 ユーノを起こさないよう、静かに服を着替えて部屋を出る。もうすぐ梅雨の季節が来る。そして夏が過ぎ、秋にはヴォルケンリッターのリンカーコア蒐集が始まる。
 狙いは蒐集を始めるその前日。そこで祐一は種を蒔く事を月との話し合いで決めていた。



 そっと玄関を開けて、祐一は外に出る。空の月に手を伸ばし、掴み取るようにその手を握った。そしておもむろに歩き出す。翠屋の辺りまでのんびりと星空を見上げながら散歩をする。
 フェイトは今も閉じ込められたままなのだろうか。それとも事情聴取が終わって少しは自由になれているだろうか。
 そんなフェイトのことを心配している自分に気づいて自嘲する。
 月から今回の事件について聞いていれば、ティアトロンに映し出される未来を知っていたなら、フェイトはもっと傷つかずに済んでいたはずだ。なのに祐一はフェイトに兄と呼ばれている。そんな資格、有りはしないのに。
 ベストとはいえない結末。だが、フェイトは痛みに耐えて前に進み始めている。なのはとも友達になってくれた。
 だから、なのはやフェイトが苦しんだ分、せめて闇の書事件はベストといえる結末にしたい。祐一はそう思った。
 翠屋の前で折り返し、高町家に戻る。そして庭でメモリーズ――白と黒の双剣を月衣から取り出して構え、ただ無心にひたすら剣を振るい続ける。迷わないように。後悔して立ち止まらないように。



 そして、翌日。
 日曜日の今日は学校が無い。そのため祐一とアリサは朝食の後恭也と美由希の二人と剣を交えていた。
 祐一と恭也の木刀が交差し、互いに距離を離す。
 もう無拍子は恭也や美由希に通用しなくなっていた。後は体格差による一撃の重みが差をつける。何度も繰り返される剣戟の末、祐一の持つ木刀が宙を舞った。
 一方アリサは美由希とやや互角に打ち合ったが、早々に負けてしまった。今は美由希と剣の振るい方について色々と教えを受けている。

「恭也さん。途中でなんだか動きがひどく速くなりませんでしたか?」
「ああ。神速を使ったんだ」
「『神速』?」

(先制攻撃でPP5のあの技かな?)

 などとふざけた事を考えていると、恭也が簡単な説明をしてくれた。

「御神流奥義の歩法、神速。簡単に言うと色の無くなった世界の中で速く動く事が出来るんだ」
「なるほど、要は脳のクロックアップで知覚処理速度と筋力の限界値を上げているわけか」

 脳のクロックアップ。そんな事まで肉体訓練だけで出来るようになる辺り、御神流も業が深い。祐一ではまず届かない領域だ。アリサならマルチタスクの応用で似たような真似を出来るようになるかもしれないが。
 その後しばらく体を動かしてから母屋に戻る。その時、玄関に祐一のよく知る人物が立っていた。
 相沢月。祐一の母親だ。

「母さん?」
「あら、祐一。それに他の皆さんも。こんにちは。祐一の母の月です」
「祐ちゃんのお母さん?」

 若い! と驚く美由希。それに祐一は苦笑する。確かに月は見かけだけは若い。実年齢は外見年齢の二倍を超えているのだが。

「今日は高町士郎さん達に挨拶に来たのだけど、おられるかしら?」
「とーさんとかーさんなら今は翠屋に行ってます。帰るのは夕方になりますけど……」
「じゃあ夕方まで祐一を借りてもいいかしら?」

 特に祐一には用事は無い。それに月の用も気になった。

「じゃあ、シャワーを浴びてくるから十分だけ待っててくれ」

 家に入り汗塗れのシャツを脱ぎ捨て浴室に入りシャワーを浴びる。ストレートの金髪と赤い瞳が鏡に映る。こんなにも外見が変わってしまった自分を、果たして舞やあゆ達元の世界の仲間は相沢祐一だと受け入れてくれるだろうか。
 暗い想像を振り払ってシャワーを止め、濡れてしまった髪と体をタオルで拭く。タオルとシャツを洗濯機に放り込むと二階の自室に上がり、替えのシャツを着た。
 机の上の財布をポケットに入れ、携帯を首から下げてカード状のファイスを胸ポケットに収める。
 都合十分。祐一は玄関で待つ月に駆け寄った。

「さて、行きましょうか」
「母さん、どこに行くんだ?」
「私のアパート」

 どうやらこちらの世界での拠点を構えたらしい。恭也達に行ってきますと告げて月と二人駅の方角に歩いていく。
 辿り着いたのは駅に近いアパート。中に入ると割と広い。七畳くらいはある部屋が二つと十畳を超えるダイニングキッチンが一つ。風呂、トイレはセパレート。しかも家賃を聞いてみるとかなり安い
 。なんでも首吊り自殺をした入居者がいたらしく、その後も祟りがあるとかで次々に入居者が出て行った結果こんな破格の家賃となったのだとか。

「ちなみに祟りって本当なのか?」
「ええ。ほら、そこに居るでしょう?」

 月の指差した先を見る。そこには黒いのっぺりとした影がひっそりと立っていた。

「もう悪さはしないって洗の……約束してくれたから、気にしないで」
「むしろ母さんが何をしたのだか気になるんだけど……」

 追求したいのは山々だが、聞くとろくな事にならないのでやめておく。それよりも祐一は、一番奥の部屋に設置されている機材の山が気になった。

「母さん、これは?」
「色々と持ち込んでみたの。魔力センサー、『Capel』の設置型端末、闇の書の公判記録と当事者達から聞いた情報を収めたディスク、後はこの間のチェックの際に作ったデータクリスタルに他諸々」
「データクリスタル?」
「そうよ。レイのプログラムが入った、ね」

 月がニヤリと口元を吊り上げる。
 そして月の前に四角いスクリーンが開き、年表のようなものが表示される。

「一昨日の通信で言ったと思うけど、私達が動くのはヴォルケンリッターが動き出す前日の十月二十六日。そこで種を蒔くの」
「決行日は十月二十六日、と。相手は?」
「シグナムがいいんじゃない? ヴォルケンリッターの将だし、何よりもあなたは彼女の手の内をよく知っているでしょう?」

 思い返すのはかつて戦ったシグナムの一撃。シュツルムファルケン。今の祐一ならば、耐えられる自信があった。

「それと、あなたにもう一つ伝えておく事があるの」
「何?」
「それは――今ちょうど帰ってきたわね」

 月がそう言い終ると同時に玄関のドアが開く。入ってきたのは五歳くらいの女の子だった。
 月と同じ翡翠色をした髪に金の瞳をしている。
 その子はどこか懐かしく、また同時にひどく自分と似ているような印象を受けた。

「この子は?」
「名前はユーリ。私の造ったホムンクルスよ」
「……(ぺこり)」

 月の隣に立ってお辞儀をする女の子――ユーリ。
 ホムンクルスとはウィザードの技術によって造られる人造人間の一種だ。
 ホムンクルスもプラーナを持ち魔法も使えるという点でいえば他のウィザードと変わらない。
 ただし、ウィザードと同じということは魔導師にはまず敵わないということも意味している。
 魔力素に満ちたこの世界で、魔導を手にする者にとっては、ウィザードの魔法など取るに足らない物なのだ。

「ユーリは基本私と一緒に裏で行動するわ。とは言っても私達が動くのは三つ。一つは種を蒔くこと。一つは管理局の魔導師に包囲されたヴォルケンリッターの救出。そして最後の一つはあの仮面の男達の捕縛。とりあえずこれが今の私達の目標よ」
「分かった。あとは好きに動いていいんだな」
「ええ。とは言っても何も出来ないでしょう? 最低限空を飛べるようにならなくちゃ」

 肩を落とす。祐一は成長しないと空を飛べない。
 一度限りそれを可能とする手段もあるが、それは種を蒔く際に使ってしまう可能性がある。
 そっと小さな手が差し伸べられた。ユーリだ。その手を優しく握る。

「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」

 握手した手を離す。人造人間だからかそれとも生まれて日が浅いのか、感情の余りこもらない声だった。
 祐一がユーリをしばらく観察していると、虚空にユーリの肘から先が消えてしまった。月衣の中に手を突っ込んでいるのだ。
 そして取り出されたのは丸い揚げパン。包装のビニール袋を破ってユーリは揚げパンに噛り付く。直後に餡子の匂いがしてきた。どうやら食べているのはあんドーナツらしい。

「……(もぐもぐ)」
「あんドーナツ、好きなのか?」
「……(こくこく)」

 祐一の質問にあんドーナツから片時も目を離さずに頷いて答えるユーリ。
 どうやら個性は豊かなようだという事は分かった。もしかしたら感情を表現する事が苦手なのかもしれない。深い付き合いを続けていけば、きっとその感情の機微も読み取れるようになるだろう。舞がそうだったように。
 それからしばらくは公判の証言からいつどんな事件が起きたかを年表として確認し、対シグナム戦でどうやって相手を嵌めるかという事で議論をし、八年ぶりに祐一は月の手料理を頂く事になった。

「母さんはこの事件が終わったら『特研』に帰るのか?」
「いいえ。この世界でお仕事をしなきゃいけないからね」
「お仕事?」

 その問いに月は深く息をつく。そして月はウインドウを開いた。そこに載っているのは闇の書事件より後の年表が表示されていた。

「あなたが、『特研』が潰してきた組織や研究者達を放って置く訳にもいかないでしょう。あなたが『特研』に入ってからの二年間で潰してきた連中を私が同じように潰していく。そうしないと歴史が変わってしまうかもしれないからね」
「母さん一人でか?」
「そうよ。魔導師としての力を使えるようになった今、その程度の事なんて朝飯前よ」

 自分の実力を過信している――訳ではないのだろう。的確に自分の力を捉え、その上で可能だと言い切ったのだ。
 ウィザードが使いこなせなかったリンカーコアの力。それを完璧に制御した上にレネゲイドの不死性を併せ持つ月が敗れる場面など想像がつかなかった。



 そして月のデバイス講座を夕方まで受け続け、ユーリと別れて高町家に戻る。大きな鞄を下げた月と高町家の玄関をくぐろうとした時、ちょうど士郎が車で帰って来た。玄関で月は士郎、桃子と相対する。

「高町士郎さん、桃子さんですね」
「そうですが、何か?」

 口調こそ明るいものの、士郎の視線には警戒するような鋭さが見え隠れしていた。それに苦笑して月は持っていた鞄から菓子折りを取り出し、頭を下げた。

「初めまして。息子が大変お世話になっています。私は相沢月。祐一の母です」
「あらまあ! 初めまして。こちらこそ祐一君にはうちの子達が大変お世話になっていまして」
「とりあえず、どうぞ上がってください」

 士郎の案内でリビングに通される月。祐一の隣、桃子と対面に座り改めて月は頭を下げる。

「長い間祐一の面倒を見ていただいて、本当にありがとうございます」
「いえいえ。祐一君に助けられていることも多いんです。特になのはは祐一君によく懐いていますし」
「それでも子供を預かっていただきながら、今まで訪ねてこれなかったのですから。本当に申し訳ございません」

 謝る月を慰める桃子。そこに士郎がコーヒーを持ってきて月と桃子に差し出し、桃子の隣に座る。

「それで、今日はそのことを言いに?」 
「いえ。浅ましい事ですが今日はお願いがあって参りました」

 そういうと月は一つの写真を取り出した。そこに写っているのはフェイトの顔写真だ。

「これは……祐一君ですか?」
「いえ。この子はフェイト・テスタロッサという名前で、祐一の妹です」
「祐一の!?」

 士郎が驚きの声を上げて祐一の方を見る。祐一はドアの向こうから様子を窺っているなのはや恭也達の方をちらりと見てから頼みを切り出した。

「今回のジュエルシードを巡る事件でなのはの友人となった子です、親を亡くしたばかりで、出来ることならここで暮らさせてやりたいんです。お願いです。どうかフェイトをここで暮らさせてやってください!」

 祐一が頭を下げる。難しいかもしれないが、それでも引く訳にはいかない。祐一はどうしてもフェイトをなのはと一緒に暮らさせてやりたかった。

「祐一。顔を上げてくれ」

 士郎の声に頭を上げる。士郎は優しい微笑を浮かべていた。

「そのフェイトって子は、なのはが話していた子のことか?」
「そうです。色々とあってしばらくは時空管理局に預かられている身ですけど、いつかこの地球で暮らせるようになります。その時、フェイトをここに住ませてやりたいんです」
「そうか……」

 士郎と桃子は顔を向け合って頷く。

「分かった。引き受けよう」
「ほんと!? お父さん!」

 扉からなのはが飛び出て士郎に詰め寄る。その頭を士郎が撫でる。

「なのはの大切な友達なんだろう?」
「うん……うん……!」

 感極まったのか涙ぐむなのは。そのなのはをやさしく桃子が抱きしめる。

「それではこれを受け取って頂けますか?」

 そう言って月が鞄から取り出したのは十にも及ぶ台形のインゴットだった。

「そんな。こんな物受け取れません」
「いえ、無駄に金だけ貯まってきてしまいまして。いい加減死に金を生かしてやりたいんです。当座の養育費としてお使いください」
「でも、そんな……」
「それに、私としてはこんな重いものを持って帰りたくはないんです。どうぞ受け取ってくださいな」

 それからはしばらく押し問答が続いたが、結局月と祐一の望み通り桃子達はしぶしぶながらそれを受け取ることとなった。その代わり、祐一は望む事があったら決して遠慮をせずに言う事を約束させられたが。

「ではこれが私の電話番号とアパートの住所です。何か困った事があったら遠慮なく言って来て下さい」

 月が携帯電話の番号と住所が書かれたメモを士郎に渡す。そして月はミルクと角砂糖を一つ入れたコーヒーを飲み干した。
 玄関まで皆で月を送っていく。去り際に月は士郎たちに改めてお礼の言葉を述べた後、深々と頭を下げて玄関を出た。
 玄関の戸が閉まり、全員が大きく息をつく。どうやら皆緊張していたようだった。
 それから遅い夕食を食べて(下ごしらえは朝の内に済ませていた)アリサと庭で剣を打ち合う。
 その横ではユーノの指示の下、なのはがデバイスを用いずに魔力を集束させる訓練をしていた。
 そしてその日以降、祐一とアリサは放課後に月のアパートに時々立ち寄るようになり、魔法技術について学んでいくのだった。



[5010] 第三十二話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:53
 六月三日。海鳴のとある民家。
 その一室にベッドの傍の台に置かれたスタンドライトの明かりで本を読む一人の少女がいた。
 誕生日の前日である今日九歳になったばかりのこの少女、名を八神はやてという。
 家の中にはやて以外の人間はいない。親も無く、不自由な足を持ち、それでもはやては一人で生活を送る事が出来ていた。
 だが、はやての心は渇望していた。それを自覚する事はなかったが、それでも願いはあった。
 そしてその日、はやては望んでいたものを手に入れることとなる。
 時計が午前零時丁度を差した瞬間、はやての持つ本に影が出来た。スタンドライトの不調ではない。スタンドライトより強い光がはやての後ろから差しているのだ。
 背後を振り返ったはやての視界にあったのは鎖で開けなくされた一冊の本だった。
 その本は光を放ちながら宙に浮き上がり、部屋の中央で止まる。
 そして本の装丁にまるで血管が浮き上がっているかのような小さな盛り上がりが出来、脈打ち始める。さらに本を縛る鎖が千切れ飛び、本のページが次々とめくられていく。

『Ich befreie eine Versiegelung(封印を解除します)』

 そして驚いた事に、その本は喋り始めた。全てのページがめくられ閉じられた本は表紙にある十字型の金属を発光させる。

『Anfang(起動)』

 その声と同時にはやての胸元から小さな白い光――それが自らのリンカーコアなのだと後にはやては知る――が浮かび上がり本とはやてのあいだで止まる。
 そしてその小さな光から眩い光が放たれた。
 その光にはやては目を瞑って後退る。
 光が収まりはやてが恐る恐る目を開けると、そこには四つの人影が頭を垂れていた。
 
「闇の書の起動を確認しました」

 三角形を二つ重ねて六芒星にした黒い魔法陣を背に、目を瞑ったまま顔を下に向けたピンクの長い髪をポニーテールにした女性が告げる。

「我ら闇の書の蒐集を行い、主を守る、守護騎士にてございます」
「夜天の主の下に集いし雲」
「ヴォルケンリッター。何なりと命令を」

 そして先ほどの本を脇に抱えた金髪のボブカットの女性が、白髪に青い獣耳を生やした男が、茜色の髪を二つの三つ編みにして長く垂らした少女が言葉を続けた。
 頭を下げたまま少女の命令を待つ四人。だが一向に少女の口が開かれる様子は無い。
 茜色の髪をした少女が顔を上げて少女の様子を見る。

(ねえ、ちょっとちょっと)
(ヴィータちゃん、しっ)

 茜色の髪の少女の思念通話に金髪の髪の女性が同じく思念通話で応じる。

(でもさ)
(黙っていろ。主の前での無礼は許されん)

 なおも言葉を連ねる少女――ヴィータに、ピンク色の髪をした女性が強く命令する。

(無礼ってかさ、こいつ……気絶してるように見えんだけど)
「うそっ!?」

 少女の言葉に金髪の女性が思わず声を出して前を見る。ベッドの上に立ちヴィータが覗き込む少女は目を回したまま後ろに倒れこんだ。





 そして、その家の向かいにある家の屋根に一人の少女が立っていた。その顔にかけられている少女には不釣合いな黒いサングラスの裏側には、魔力測定値が表示されている。

「闇の書の起動を確認。ヴォルケンリッターが召喚された模様」
『そうか。とりあえずこれで闇の書の蒐集が始まるんだな』

 少女の耳に嵌められた小型イヤホンから高めの少年の声が発せられる。

「訂正を。ヴォルケンリッターが蒐集を開始するのは八神はやての病因に気付いた十月二十七日です」
『そうだったな。だが、何かの拍子で予定よりも蒐集が早まった場合はどうするんだ?』
「問題ありません。種を蒔くのが僅かに遅くなったところでそれほど大きな差は生じません。誤差の範囲内です」
『そう、か……』

 何か迷いを感じさせる少年の声。それを聞いてサングラスを外した少女が淡々とした声で告げる。

「確認は済みました。私はこれで撤退します。あなたも早く床に着くことを推奨します」
『ありがとう。お休み、ユーリ』

 通信が途切れる。携帯電話から伸びたイヤホンとマイクを外し、ウエストバッグに仕舞う。
 そしてその少女――ユーリは駅前のアパートへ戻るべく屋根から屋根に飛び移って行った。






「さて、それじゃあしばらくは母さんのプランどおりに動いていくか」

 携帯を置いた祐一は部屋の電気を消すとベッドに潜り込む。
 。ちなみにユーノは寝床に丸まった上にハンカチの布団をかぶせられ、≪ワーディング≫によって強制的に眠らされている。

『マスター。また悪巧みしていますね』
「ファイス。今回の発案者は母さんだぞ。俺がいつもいつも小細工しているとでも――」
『小細工をしないとユーノにも勝てない事を分かっていますか?』
「……分かってるよ。だけど俺は勝てないだけで負けもしないぞ」

 祐一が拗ねたように言う。それを聞いてファイスが小さく笑い声を出した。

「しばらくは監視を続けて、機会があれば接触する。それが今後の基本方針だとさ」
『マスターが監視するんですか?』
「いや、ユーリがその辺は上手く動いてくれるから心配するなって言われたよ」
『そうですか。……ところで彼女、幾つなんでしょうね』
「さあ。人造人間は外見年齢と実年齢が合わないからな。下手をすると生まれて一月も経っていないかも」

 しばらく無言になる祐一とファイス。ややあって祐一が口を開いた。

「なのはとフェイトは……本当の事を知ったら、俺の事を嫌うかな」
『あの子達に限ってそんな事は無いと思いますが。不安、ですか?』

 その言葉に祐一は自嘲の笑みを浮かべる。そして自分を責めるように言葉を紡いだ。

「いいや。だけど、むしろ嫌ってくれた方がありがたいんだ。俺は今まで歴史通りにするために行動してきた。本来なら俺次第で防げたかもしれない悲劇を見過ごしてきた。そんな罪深い俺が許されて良い訳がない」
『でも、マスターはこれまで何も知らされないまま行動してきました。今回の事件を途中で降りたのも、マスターとアリサの能力を鑑みるに妥当な判断だったと思います』
「でも、これから先は違う。俺達の知る歴史通りにさせるために、俺は動いていく。ヴォルケンリッターが罪に問われ、なのはが墜ち、そして今人体実験に明け暮れているやつらを俺達の世界で襲撃した日まで野放しにする事になる。これが罪でなくてなんだと言うんだ」
『マスター……』

 ファイスが机の上から浮き上がり祐一の傍に来る。黒い魔力光に包まれ、ファイスは人の形を取った。そして祐一の額に手を置く。

『ならば私も罪を負いましょう。私もマスターと同じく未来を知る者。そして助けられたかもしれない命を見捨てた者として、共に痛みを背負いましょう。この生を終えるその日まで』
「ファイス……」

 花が綻ぶような微笑みを浮かべるファイスに、祐一はしばし言葉を失う。
 だが、これで覚悟は決まった。共に罪を背負うのなら、相棒より先に倒れてしまう訳にはいかない。

「分かった。共に進もう、ファイス」
『ええ、我がマスター。奈落の果てまでもお供します』

 柔かい笑みを交し合う。祐一はそっと目を瞑った。やがて静かな寝息が部屋に満ちる。
 そんな祐一を見てファイスは静かに目を瞑ると、擬態を解除してカードの姿に戻り祐一の手の中に落ちた。



 それから二週間がたった。
 学校ではプールの授業が始まったが、残念な事にプール開きと時を同じくして海鳴も梅雨入りしてしまった。
 たまたま雨がやんでプールに入ることができ、ご機嫌だった祐一は高町家に着いてポストを覗く。
 そこにはダイレクトメールなどと一緒に海外郵便の封筒が二つ入っていた。

「どうしたの、祐一」

 一緒に帰っていたアリサが後ろから覗き込む。その封筒の片方には『フェイト・テスタロッサ』と記されていた。

「フェイトからのビデオメール、かな」
「塾から帰ったらなのはに教えてあげましょう」

 アリサと顔を見合わせてニッと笑う。これでフェイトの近況を知る事が出来ればなのはも喜ぶだろう。

「そっちの封筒は?」
「こっちは『クロノ・ハラオウン』。俺宛だな」
「何? 男同士での内緒話?」
「いや、そんな内容じゃあないと思うが……」

 とりあえずポストに入っていた郵便物をリビングの机の上に置き、自分の部屋に戻る。
 部屋で寝床に丸まっていたユーノにただいまと声をかけ、普段着に着替える。
 しばらくして半袖の桜色のワンピースを着たアリサが部屋に入ってきた。

「祐一。さっきの封筒の中身はなんだったの?」
「これ。魔法式のディスクだな。そういえばクロノには俺が魔法が使えないことを教えてなかった」
「あ。じゃあ僕が起動します」

 ユーノががディスクに魔力干渉する。ディスクの上に四角いスクリーンが開き、その中央にクロノの顔が映った。

『この映像は祐一とユーノに宛てたものだ。他の者には見せないように頼む。この次のトラックにメッセージを入れてあるから、それを再生して欲しい』
「アリサさん。どうします?」
「見るに決まってるじゃない。ユーノ、次のトラックを再生して」

 ユーノが緑色の魔力をディスクに注ぐ。一度スクリーンが閉じ、再び同じようなスクリーンが展開された。

『さて、これから話すのは時空管理局の本局に送られた脅迫状についてだ。僕達がプレシア・テスタロッサの時の庭園に踏み入った日にそれは送りつけられていた。プレシアがフェイトを虐待し、ジュエルシードの捜索を強制していたシーンを収めたディスクと、裁判官の一人の不正を暴いた映像と証拠となる書類、及びフェイト・テスタロッサを無罪にするよう要求する文面の手紙だ。その映像はまるでその場に居合わせたかのような物だった』

 祐一の脳裏に浮かぶのはティアトロンによって映し出された様々な過去の映像。アレならその場に居合わせなくとも過去にあった事実を記録できる。

『結局その裁判官は罷免され、ディスクはフェイトとアルフの証言を裏付ける証拠として扱われるようになった。さらには脅迫状に高官達の不正の証拠を掴んでいるとも書かれていたよ。それと、裁判官の不正の証拠は本局の各マスコミにも送りつけられていた。それが効いたのか、上は割とすんなりこちらの報告した事実を認めてくれた。これでフェイトが無罪となるのはほぼ間違いないだろう。だが問題になったのはその脅迫状の送り主だ。あの次元震により、僕達は本局への航路が潰された上しばらく通信すら繋がらなかった。ましてプレシアがフェイトを虐待する様子など記録できるわけがない。君達はこの脅迫状の送り主に心当たりはないか?』

 アリサの視線が突き刺さってきた。大きくため息をついて答える。

「多分、母さんの仕業だ」

 というか、月以外にそんな事が可能な人物はいないだろう。
 次元航行速度を無視したような空間転移を可能とする方石。平行世界を渡るゴスペル。過去と未来を映し出すティアトロン。そして『特研』内で生み出された幾つもの技術。それらを統べる月ならば可能な業だ。

『もし心当たりがあるなら教えて欲しい。このままでは君達が脅迫状の送り主として疑われる可能性もある。特にユーノにはこれからの裁判で証人になってもらう必要がある。余計なトラブルは避けたいんだ。返答はこのディスクに上書きして送ってきてくれ。以上だ』

 スクリーンが閉じる。ユーノが祐一を見つめてきた。

「クロノの話を聞く限り不可能な事のように思いますが……祐一さんのお母さんは本当にそんな事が可能なんですか?」
「ああ。あの人は過去を映し出せる魔道具を持っているからな。多分それを使ってプレシアの虐待とか裁判官の不正のシーンを記録したんだろう」

 そして過去の閲覧だけなら祐一の持つゴスペルにも可能だ。ゴスペルとは『Capelシステム』の端末であり、『Capelシステム』の中枢はティアトロンなのだから。

「どうします? 報告しますか?」
「ああ。一応伝えておく。話がこじれてきたらクロノが何とかしてくれるだろ。執務官だから法務関係は強いはずだし」

 ユーノがディスクに干渉すると録画用の枠だけがあるスクリーンが開いた。そこに祐一は脅迫状の容疑者として月の存在と過去を映す魔道具について説明をした。一通り話してスクリーンが閉じられてから、もう一度ため息をついた。

「でも、なんでわざわざ裁判官の不正を告発したのかしら。フェイトを無罪にするのが目的ならその裁判官を脅した方がいいんじゃない?」
「いや、多分本来の目的は裁判官を罷免にするって部分だったんだと思う」
「どういうことですか?」
「多分母さんはその時裁判官をどうにかして罷免していたんだよ。それをなぞるためにわざわざ脅迫状を公開して裁判官を追い込んだんだ」

 祐一の返答にユーノは首をかしげる。一方アリサにはそれで通じたようだ。

「まあ、やるなら既に後ろ暗いところがある連中には根回しを終えているだろうさ。それこそあの事件が終わるより前に」

 ディスクを手に取って言う。そこで祐一は一つ疑問を抱いた。

「これ、どうやって送り返すんだ?」
「ええっと……。あ、あった。祐一さん。こっちの返信用の封筒に入れて、この紙に書かれた座標に転送すればいいそうです」

 ユーノが封筒から返信用の封筒と座標らしき数字とアルファベットが並んだ紙を引っ張り出す。

「転送魔法はユーノしか使えないからな……。とりあえず、なのはのと一緒に送ってくれ」
「はい、分かりました」

 返信用の封筒にディスクを入れて封をする。それを机の上に置いて祐一はベッドの上に寝転がった。

「でも良かったですね。これでフェイトとアルフについては心配はなさそうですし」
「でも母さんのやることだからな……。余計な事までやってなきゃいいけど」

 ユーノの言葉に祐一はそう返す。
 月はかなりのトラブルメイカーだ。敵味方構わず損害を与えて行く彼女の歩んできた道にはその被害者たちの怨恨が渦巻いている。

「毎度思うけど月さんって何者なの?」
「うーん。ロールプレイングゲームのラスボスを倒した後に出てくる隠しボスかな。敵に回すと恐ろしいけど、味方にするのもためらう、みたいな? まあ、面白いからって理由で巨大ロボとか作り始める人だから、どんな思考回路をしているのか未だに分からないけど」

 そこまで話して祐一は机の方を向く。祐一の視線を感じてか、ファイスが浮かび上がった。

「母さんの事、ファイスはどう思う?」
『マイスターですか……。敵には容赦無いけれど、味方もうかうかしていたら流れ弾を受けてしまう、というところですか。信頼は出来るけど信用は出来ない。だけど人情家で一旦肩入れしたら最後まで裏切らない、アクの強い人物かと』
「あなた達の親でしょうに、酷い評価ね」
『事実ですから』

 にべもなく言いきられる月。事実ではあるのだが、流石に気の毒になってきた。

「まあ基本的にはウェットな人だから、本当に困って自分でどうにも出来なくなったら頼ってみるのも一つの手だ。後は交渉次第だな」
『手伝うついでにちゃっかり自分の得になるよう手を回していたりしますけど』

 ファイスのツッコミが鋭い。まあ概ね間違ってはいないのだが。

「自分では良い人のつもりなんだけど……計算高すぎるんだよなあ」

 結局月への酷評は恭也が大学から帰ってきたところでお開きとなった。



 そしてその夜。夕食を終えた高町家一同はリビングに集まっていた。
 皆の視線はテーブルの上に置かれた一枚のディスクに向けられている。
 なのはがディスクに触れて操作をすると、空中に四角いスクリーンが浮かび上がった。その枠の中に、金の髪をピンクのリボンでツインテールにした少女の顔が映し出される。

「わあ。やっぱり祐ちゃんと似てるー」
「本当に可愛い子ねー」

 一方、ビデオのフェイトは緊張した様子のまま固まっている。その時、この映像を撮っているであろうエイミィの声が入ってきた。

『フェイトちゃん。もう始まってるよー』
『も、もう!? えっと、えー、……久しぶり。なのは、兄さん、ユーノ、アリサさん。私は今、本局で最初の公判が終わったところです』

「公判?」
「フェイトは今回の事件の重要参考人なんです。判決はまず無罪になるでしょうけど」

 恭也の疑問にユーノが答える。そういえばフェイトの詳しい事情はまだ説明してなかった。

『練習通り話す事が出来たよ。クロノからは『よく頑張った』って褒めてもらっちゃった』

 僅かに頬を染めて嬉しそうに話すフェイト。クロノのことが気に入ってるのだろうか。
 もしそうなら、祐一は相沢月の息子として全力でくっつけるよう策謀を巡らせなければならない。

『まだ容疑者扱いで自由になる事は少ないけど、もう手錠は外してもらったし、クロノやリンディ提督の付き添いがあれば出歩く事も出来るようになりました。アルフは私よりは自由になってて、アースラの艦内任務を手伝ったりもしています』

 フェイトが話すたびに、なのはの顔が明るくなっている。いいことだ、そう思う。

『あと、どうしてか証拠として母さんの映像が出てきたんだけど、誰が撮っていたのか結局分かりませんでした。バルディッシュもアルフも違うって言うし、時の庭園には他に誰もいなかったはずなんだけど……。とにかく、そのおかげで今後の裁判ではかなり有利になったってクロノが言ってました』
「プレシアさんの映像……?」

 頭に疑問符を乗せたなのはの頭をそっと撫でる。

「おにーちゃん、知ってるの?」
「ああ。クロノから聞いた。なんかおせっかい焼きが出張ったみたいだな」

 虐待の映像なんてフェイトには辛い記憶だろうに、それでもフェイトは笑っている。
 身内の仕業である分、祐一の胸の中は申し訳なさでいっぱいになった。

『これから私はまたアースラに勾留される事になります。だけど、裁判が進むうちに段々自由になっていくそうです。あとは、えっと……そうだ。兄さんのデータの結果が出ました。兄さんと私が兄妹である事が証明されたと言っていましたけど、リンディ提督はひどく深刻な顔をしていました。兄さん、体の調子はおかしくはないですか? 母さんの言っていた遺伝子に問題があるという事でしょうか。無理はしないで下さいね』

 フェイトがやや沈んだ顔で言う。皆の視線が一斉にこちらに向いた。

「大丈夫ですよ。それについてはもう解決していますから」
「本当か? 祐一」
「ええ。母さんのお墨付きです」

 士郎の問いに笑顔で答える。実際に祐一は遺伝子の問題をレネゲイドウイルスに感染する事で解決している。
 問題はそのウイルスのことがばれる事だが、そちらは月から問題無しとの結論が下されている。多分大丈夫なのだろう。

『あと、母さんの事で色々分かった事があります。アリシアが亡くなった事故について、なぜヒュウドラの事故が起きたのか、あの人がどんな風に苦しんできたのか、少しずつ本当のことがわかってきました』

 そしてフェイトの話は続いていく。
 プレシアがヒュウドラ暴走の責任を押し付けられた事やその後地方に移動になってからの足取りについて。
 自分に魔法を教えてくれたリニスというプレシアの使い魔の話。
 そして、僅かながら思い出したアリシアの思い出。
 時に沈んだ顔で、時に明るい顔でフェイトは話を続けた。

『今回はこれで終わりにしておきます。えっと、なのははそっちの世界にあるディーブイディーっていうディスクに映像を記録して送ってくれればいいそうです。転送先の座標はクロノからの封筒に入っています。なのはや兄さん達と暮らせるようになる日が楽しみです』

 そう言ってフェイトは席を立つ。すると次にアルフがフェイトの居た場所に現れた。

『おうっす。元気かちびっ子共ー。あたしやフェイトは元気だよ。暇な時クロノが艦内を案内してくれるし、アースラの局員は皆良くしてくれるし。時々力仕事なんか手伝ったりしてるよ。フェイトも手錠が外されて、護送室からは一応出してもらえたし。扱いは軟禁って事で、部屋の扉はロックされてて中からは出られないようになってるけど。でも素行をよくしていればもっと自由に動き回れるようになるってクロノが言ってたね。後は、うーん……ま、いいや。返事、楽しみに待ってるよー』

 そこでビデオメールは終わりのようだった。スクリーンが閉じ、皆が安堵の息をつく。

「優しそうな子と元気なお姉さんだったな」
「どんな映像を送ろっか」
「家族と友達の紹介と、最近の様子で良いんじゃない?」
「じゃあ、今すぐ撮ってみようか」
「にゃ!? ちょっと待って! まだ心の準備が……!」
「まずいところは飛ばしてしまえばいいんだし、ほら気を楽にして――」

 愉快にわいわいやってる家族の自己紹介と、なのはからのメッセージを記録する。

「あとはアリサちゃんとすずかちゃんの二人を紹介すれば良いんじゃないか?」
「うん。アリサちゃん達にもこのディスクを見せてあげないと」

 バニングスもすずかも魔法のことは知っている。問題は無い、と思う。

「じゃあ、明日はこのディスクとデジタルビデオカメラを持っていくように」
「はーい」

 なのはがトートバッグにデジタルビデオカメラとディスクを入れる。

「そういえばそのうち証人喚問でユーノは向こうに行くんだよな」
「そうですが、何か?」
「いや、転送魔法使えるやつがいなくなったら、手紙を返す時どうしたら良いのか分からなくてな」
「じゃあ新しく魔法を組んでみるわ。ユーノ、手伝いよろしく」
「あ、はい。じゃあ部屋に行きましょうか」

 アリサとユーノが二階のアリサの部屋に向かっていく。自分も部屋に戻ろうとした時、なのはが袖を掴んできた。

「おにーちゃん。フェイトちゃんはいつ頃こっちに来れるかなあ」
「裁判が終わって十二月になる頃には自由になると思う。だから、それまで我慢しよう」

 言ってなのはの頭を撫でる。頭を撫でられたなのははうにゃーと鳴いた。

「さて、俺も上手く立ち回らないといけないな」
「おにーちゃん?」

 不思議そうに見上げてくるなのはを抱き上げた。うにゃ!? という悲鳴を無視して背中をさすってやりながらシグナムとの戦いに思いを馳せる。
 最初に会ったときは敵同士で、二度目にやりあった時は軽くあしらわれた。
 あゆを目覚めさせる際のごたごたでは一矢報いたが、あれは一回きりの大博打だ。
 しかもそれは事前に幾つもの布石を打って初めて成立する、不意打ちのような戦法だった。
 今の祐一では真っ当な勝負では敵わないのは間違いない。
 なのはを下ろす。そして一つの問いを投げかけた。

「なあ、なのは。俺が悪い事を始めたらどうする?」
「え?」

 突然の問いに戸惑うなのは。ややあって答えを返してくる。

「たぶん、お話すると思う」
「敵になっていてもか?」
「うん。だって何か訳があると思うんだ。だから戦う前にお話して、戦わなくてもいいならそうするよ」
「そっか」

 なのははいい子だ。そしてフェイトも。元の世界と同じなら、はやても家族思いのいい子なのだろう。彼女達を欺くのは抵抗があるが、ベストな結果を目指すためだ。そのためなら喜んで戦おう。
 なのはと別れ庭に面した縁側に行く。縁側から見る月には雲がかかっていた。しばらくして美由希が祐一の隣に腰掛ける。

「美由希さん……?」
「祐ちゃん。祐ちゃんは自分の中になんでも溜め込んじゃうけどさ、それって良くないよ。なのはも辛い事とか悩み事を抱え込んじゃうけど、でも最後には祐ちゃんやアリサちゃんを頼るよね。祐ちゃんも誰かに悩みを相談した方がいいよ。私で良ければ聞いてあげるし、アリサちゃんと一緒に考えるのもいいと思う。祐ちゃんを支えてくれる人はいっぱいいるんだから、少しは皆に頼っておいで」
「悩んでるの、丸分かりでしたか?」
「うん。なのはも心配してたよ」

 苦笑する。どうやら今日の自分はよほど弱っているらしい。

「分かりました。ちょっと聞いてもらえますか?」
「うん」

 頭の中で話すことを整理する。余りにはっきりしすぎた事をいえば自分の首を絞めることになる。言葉を選んで祐一は話し出した。

「俺にはどうしても助けたい人がいるんです。でもそのためには多くの人を傷つけなければいけない。しかも傷つけるのは俺じゃなくて別のやつなんです。俺はただそそのかすだけ。だから迷うんです。これが最小限の犠牲で済む道だと分かっていても」
「でも、祐ちゃんはその道を歩く事を決めちゃっているんでしょう?」
「はい……」

 俯く祐一の頭にぽんと手を乗せられた。顔を上げると美由希が柔らかな微笑みを浮かべている。

「どうしても傷つける事は避けられないの?」
「……はい」
「だったら、せめて迷わずに突き進もう。助けたい人のせいにしないで、助けたいと願う自分のために」
「……はい!」

 美由希に頭を撫でられる。そうだ。既にファイスと決めていたのだ。
 罪を、痛みを背負って生きていく、と。

「相談に乗ってくれてありがとうございます」
「ううん。このくらいのことならいつでも頼ってきていいよ。それでね、どうしてもお願いしたい事があるんだけど」
「なんでしょう?」
「古文で分からないところが幾つかあるんだけど、教えてもらえるかな」

 その美由希の言葉に苦笑する。分かりましたと答えて祐一は立ち上がった。
 時が満ちるまでは程遠く、今は安寧に身を委ねる。
 迷うことなく、決して正しいとはいえない道をただひたすらに走り抜ける。
 ただ己の望みを叶えるために。
 美由希の部屋に向かう途中、ふと見上げた空には月が雲の切れ間から覗いていた。
 空に向かって手を伸ばし、月を握り締めるように手を閉じる。
 そして誓いを胸に祐一は前へ歩き出す。
 それをただ、夜空の月だけが眺めていた。



[5010] 第三十三話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:54
 フェイトとクロノにビデオメールを送ってさらに三週間。祐一はとある剣道場を訪れていた。目的はシグナムとの接触。彼女が一週間前から非常勤の講師を始めたとユーリから連絡があったのだ。

「失礼します!」

 大きな声を出して道場に入る。皆何事かと入口に立つ祐一を見てきた。四十過ぎほどの講師らしき男性が祐一の傍に近寄ってきた

「入門希望者かい?」
「ええと、我流で腕を磨いてきたので、入門ではなく出稽古をお願いに来たのですが」
 
 その時、講師の後ろから初老の男性が歩いてきた。おそらくは道場主だろう。祐一は闘気を高めて威圧してみた。男性の目が細まる。

「小僧、名は?」
「相沢祐一です」

 こちらが威圧しているにも関わらず、男性はたじろぎもしなかった。かなりの修羅場をくぐってきたのだろう。その視線は祐一の奥底を見定めようと鷹の目のように鋭くなっている。

「師範。どうしましょうか?」
「受けてやろう。ただし、得物は竹刀。防具を着用の上で行なう事。これが条件だ」

 かなり不利な条件を付けられた。面をつけた状態では視界が狭まるし、竹刀で戦うとなれば先端部での攻撃で無いと有効打として認められない。だが、受けるよりほかはない。シグナムとの接点を作るのが今回の目的だ。例え負けようが何度も押しかければいいだけの話だ。

「よろしくお願いします」
「ああ。よろしく頼む」

 手を差し出し師範の大きな手と握手をする。それから予備の防具と竹刀を借りて装着する。臭いがきついのは仕方が無いと諦めるが、やはり左右の視界が狭い。これはかなりのハンデとなる。
 先程の男性が審判を務め、防具を着けた師範と向かい合う。立礼をし、開始線へ進み、竹刀を抜き合わせて蹲踞する。
 試合の開始前に既に戦いは始まっていた。気迫と気迫のぶつけ合い。祐一は即座に悟った。一瞬でも気を抜けば殺される、と。

「始め!」

 号令がかかると同時、祐一はその場から即座にバックステップをして距離を取った。
 そのまま斜めに右の枠線中央まで一足で跳び、さらにもう一足で師範の後ろを取る。
 だが、その祐一の動きを捉えていた師範は祐一が着地する時には既に背後に向き直っていた。
 正面から開始時より若干間を空けて睨み合う二人。
 祐一はそのまま師範の気配を感じる事に集中する。静から動に移るその瞬間。それに合わせて祐一は一歩強く踏み出した。
 攻撃に移る体重移動の一瞬の隙を突かれた師範はその打突を受けられない。快音とともに師範の面は祐一の竹刀に打ち据えられていた。
 審判の号令後二人は中央へ戻り、蹲踞と納刀を行なうと三歩下がり立礼をし、試合場内から出る。
 そして祐一は面を外し、観戦者の中からシグナムに視線を向ける。シグナムは師範の傍により何事か話すと、祐一の方に歩いてきた。

「もう一試合、出来るか?」
「勿論。あんたが相手をしてくれるのか?」

 挑発を込めた笑みを向ける。シグナムもまた祐一も表情を見て強気な笑みを返す。

「ああ。シグナムだ。よろしく頼む」
「相沢祐一だ。よろしく」

 握手を交わし、試合場の両端に立つ
 シグナムは髪を手ぬぐいで纏め面を被り、こちらを見る。研ぎ澄まされた剣気が祐一に突き刺さった。
 道場に入り、礼をして中央で竹刀を構えて向かい合う。こちらが本気だという事が伝わっているのだろう。一向にシグナムから発される剣気が衰える様子は無い。
 師範が審判として立ち、ここにいる者達は全員座って二人の試合を見届ける。場の空気が張り詰めていることが分かるのだろう。誰一人として口を開かない。

「始め!」

 師範の合図を皮切りにシグナムが一歩踏み込み、同時に祐一はバックステップを取っていた。
 シグナムとの距離が開き、同時に全身を視界に収める。
 祐一の後ろは場外だ。これ以上後ろに下がれない。
 となると、シグナムは距離を詰めてこようとするはずだ。
 シグナムが一歩踏み出すのとほぼ同時にこちらも前に出る。
 振り上げられた竹刀が下ろされるより祐一の放った突きが命中する方が早い。
 だがシグナムは体を捻って躱し、打ち下ろしを胴薙ぎに換えてきた。
 祐一はとっさに横へと飛び退る。
 どうにか躱す事が出来たが、足に力が入り過ぎて場外のラインを遥かに飛び越えてしまっていた。
 祐一の人並み外れた身体能力にどよめきが走る。
 だが師範は取り乱すこともなく場外の反則を取り、中央で二人を相対させた。
 再び開始の合図を師範が上げる。
 シグナムは一歩踏み出し竹刀を振り上げる。
 その動きに合わせて竹刀の先を上げた。
 面に打ち込んでくるその一撃に竹刀の先を合わせて受け止める。
 跳ね返る竹刀。
 隙が出来た。
 一気に面を打ちにいく。
 だがシグナムは力を抜くように体を沈み込ませその一撃を回避した。
 祐一はその勢いのままシグナムの横を通り過ぎ、反転して再びシグナムと向かい合う。
 お互いにすり足で間を縮めながら、必殺の一撃を放つべく神経を尖らせていく。
 そしてその瞬間は訪れた。互いに強い踏み込みをして相手の面を叩く。
 ほぼ同時に決まった一撃だったが、これは相討ちとなり有効打突とは認められない。
 即座に祐一は間を開く。
 まともに打ち合えば体格の劣る祐一が潰されるのは目に見えている。
 祐一に出来るのは呼吸を読み取り、その隙間に一撃を加えていくことだけだ。
 シグナムが繰り出す連撃を竹刀の先端で受ける。
 一合目。弾く。
 二合目。弾く。
 三合目。逸らす。
 四合目。受ける。
 そして五合目。横薙ぎの一撃に一歩踏み込み竹刀の先端を竹刀の鍔に中て、勢いを殺す。そしてそのままシグナムの面を狙い、首を捻って回避された。
 必殺の一撃を放った分、体勢を戻すのは難しかった。生じた隙に祐一の面に一撃が加えられる。

「一本。それまで!」

 負けた。技術面では勝る自信があったのだが、結果は敗北。だがどこか晴れ晴れとした気分だった。
 中央に立ち、蹲踞と納刀を行い、下がって礼をする。
 一旦場外に出てから面を外してシグナムの前に立つ。シグナムも面を外し、祐一と目を合わせた。

「随分殺気のこもった剣筋だったな」
「本気の手合わせっていうのはそういうものだろ。なあ、また今度手合わせしてくれるか?」

 シグナムは傍にいる師範の方を向く。師範は一つ頷いて口を開いた。

「小僧。いつでもまた来い。シグナムのいない時はワシが相手をしてやる」
「ありがとうございます!」

 深々と頭を下げる。そこに手が差し伸べられた。祐一も籠手を外し、その手――シグナムから伸ばされた手を握る。二度目の握手。だが、今回は共に相手を認めた笑みがその顔に浮かんでいた。
 そして防具と竹刀を返し、剣道場に一礼して外に出る。そして剣道場の屋根の上を見ると、そこには小さな人影があった。
 五歳ほどの女の子が屋根の上から祐一の目の前に飛び下りた。難なく着地して見せた翠色の髪の女の子――ユーリがおもむろに口を開く。

「第一次接触は成功した?」
「ああ。下準備とはいえこうして剣を交えるのは悪くないな。師範のおっさんもかなり腕が立つようだったし」

 口元を吊り上げて祐一は笑う。
 心躍る試合だった。そう祐一は感想を述べる。
 今度アリサと剣の練習をするとき、もう少し気合を入れてみようと祐一は考えた。

「では、私は八神はやての監視に移る。頑張って」
「ああ。ご苦労様、ユーリ」

 ユーリは屋根の上に跳び上がり、民家の屋根から屋根へ飛び跳ねて行って、すぐに見えなくなってしまった。

「さて、今日の試合は何点だった?」
『五十点、といったところでしょうか』
「はは、手厳しいな」

 胸ポケットに収めたファイスと会話しながら帰途に着く。ちなみに普段の恭也達との特訓が四十点、三十点と低い評価だったのだから、祐一としては五十点でも嬉しかった。

「やっぱり緊張感がないと本気になれないのかな」
『例えそうだとしても、全力を出しているとは思えません』
「そりゃあな。全力だなんて殺し合いの時ぐらいしか出ないだろ」

 魔導師相手だと剣なんて役に立たないけど、と小声でこぼす。それでも祐一が戦闘の心構えを確認するのにはいい練習だった。

「さて、帰ろう。寝る前になったらイメージトレーニングを手伝ってくれ」
『了解しました。マスター、一つ聞いていですか?』
「ん? なんだ?」
『もし種を蒔く時シグナムと戦う事になったらどうするつもりですか?』
「決まってる。俺達は負けない。それで充分だ」

 自信のこもった祐一の声にファイスは忍び笑いを洩らす。

『そうですね。私としては是非シグナムと戦いたいのですが』
「シグナムかレヴァンティンに恨みでも持ってるのか?」
『いえ。私も全力を出してみたい。ただそれだけです』

 そういえばこの八年余り、ファイスは全力を出すどころか本当の名前で呼ばれることすらなかった。
 道具としての本分を全うすることに幸せを見出しているファイスだからこそ、全力を振るえる場というものを切望していたに違いない。

「分かった。期待に応えられるよう頑張ってみるよ」
『だからって無茶をしては駄目ですよ』
「了承。まあ遊びの範囲内にしておくさ」

 あーだこーだとファイスと話しながら高町家に帰る。道行く人に不審な目で見られていたが、そんなことが気にならないほどにこの時の祐一は上機嫌だった。



 そしてその日の晩。祐一はなのは、ユーノと裏山にいた。
 四人の前には二重の円によって構成された魔法陣が浮かんでおり、その内側の円の中にはフェイトとアルフががアースラの局員に囲まれて宴会をしている様子が映し出されていた。

「フェイトちゃん、アルフさん。契約記念日、おめでとう」

 この日はフェイトとアルフが契約を結んだ記念の日。
 本来はビデオメールでのやりとりしか出来なかったが、今日は特別にリアルタイム――正確に言えば0.05秒遅れの通信で話が出来うようになっていた。

「おめでとう、フェイト、アルフ」
「僕からも。おめでとう、二人とも」
『なのはと兄さん!?』
『ユーノ!?』
「「「うん」」」

 返事が返って着たことにおろおろする二人。

『これってリアルタイム通信なんじゃ……』
『可愛い身内の特別な日だと、管理の注意力も散漫になるらしいわね』

 リンディのいたずらそうな声が聴こえてくる。フェイト達には黙っていたようだ。

『なのは……』
「うん。フェイトちゃん」

 二人が嬉しそうに笑い合う。それを見て祐一は思った。

(ユーノ、クロノ。お前達のライバルはもしかしたらフェイトかもしれないぞ)

 フェイトと話すなのはの顔は、興奮のためか僅かに頬を染めていた。
 しばらくしてなのはに手招きされる。今度はこちらに用があるみたいだ。

『あの……兄さんは、元気ですか?』
「ああ。前にも言ったと思うけど、遺伝子の異常による酵素欠損についてはもう解決した。普通に暮らす分には問題ないよ」
『そう、良かった……』

 安堵したようにフェイトが微笑む。こうして話をしていると、フェイトが優しい少女であることがよく分かる。
 こんな子を妹にしてしまって本当にいいんだろうか。そう祐一は躊躇した。

「あ、そうだ。俺の相棒の事を紹介していなかったな。ファイス」
『こんにちは。フェイト・テスタロッサ』
『こ、こんにちわ。……って、え? 普通に喋った……?』
『嘘だろ。インテリジェントデバイスでさえプログラム言語で喋ることしかできないのに……』
『あら。すごい物を持っているのね』
「ファイスはそれほど多くの魔法を使うようには出来ていないから。有り余ったリソースを思考、会話機能に充てているんだ」


 祐一の差し出したカードが流暢な言葉を喋る事にフェイト、クロノ、リンディがそれぞれの反応を返す。流石にオーバーテクノロジーの産物であるファイスの事を詳しく説明は出来ないので、今回は顔合わせだけだが。

『そっか。兄さんをよろしくね、ファイス』
『はい。マスターは私の全霊を懸けて守ってみせます』
『あー。確かにあのバリアは硬かったねえ』

 ファイスの防壁とガチでやりあった経験を持つアルフが言う。ファイスのバリアを突破するならよほど高密度に集束された魔力攻撃でないと無理だろう。

「とりあえず、俺達からのプレゼントは今度送るビデオメールに付けて送るから」
「でも、今日中にお祝いしておきたかったんだ。これは私とユーノ君からの贈り物。ユーノ君、準備はオッケー?」
「大丈夫。任せて、なのは」
「レイジングハート、いい?」
『Stand by ready』

 なのはがバリアジャケットに換装し、なのはの構えるレイジングハートからは光の羽が出る。

「いくよ、ユーノ君、レイジングハート」
「うん」
『All right』

 レイジングハートの前に大きな魔法陣が幾つも出現し、なのはが放出した魔力がその中心へと集束されていく。さらにユーノの結界が球状の魔力を包み込み、緑色の巨大な球体が幾つも生まれた。

「夜空に向けて、砲撃魔法、平和利用編! スターライトブレイカー、ファイアワークスバージョン!」
『Starlight breaker』
「ブレイク、シューート!」

 緑光の球体が次々に夜空に打ち上げられる。ある程度の高さでその球体は弾け、周囲に桜色と緑色の光の欠片が煌いた。その光は地に落ちることなく無数の輝きとなって夜空を染め上げる。

『すごい。なのは、夜空に光がきらきら光が散って、すごく綺麗だ』
『また無闇に巨大な魔力を……』
『綺麗。まさに光のアートね』
「にゃはは……。もう一回いくね。ユーノ君、大丈夫?」
「うん」
「「せーの!」」

 再び夜空を二色の煌きが染め上げていく。無数の光の欠片が舞い、再び儚くも美しい光が漆黒の空を彩った。

『二発目……!?』
『相変わらずなんつーバカ魔力……!』
『なのは、ユーノ、大丈夫?』

 フェイトが声をかけると、息を整えながらなのはは拳を握り親指を立てて見せた。

『なのは。ありがとう……ありがとね……!』
「うん。きっとすぐ、すぐに会えるからね。だから今は、普通にお別れ。またね、フェイトちゃん」
『うん。またね、なのは、兄さん、ユーノ』

 なのはと祐一は魔法陣に向かって手を振る。魔法陣は収縮して消えてしまった。そしてなのははその場にへたりこんでしまう。ユーノは仰向けに転がって息を整えていた。

「流石に、ちょっと疲れたね」
「うん……」
「レイジングハートも、お疲れ様」
『All right』

 荒い息をつくなのはとユーノ。それに苦笑して祐一が口を開く。

「流石に集束砲ブレイカー二発は疲れたろ。ユーノもよく制御できたな」
「今、使える、全部の、魔力で、ハァ、押さえ込み、ました、から」

 ユーノが途切れ途切れに、しかしどこか誇らしく言った。
 しかし祐一はその言葉に言いようもない不安を覚える。
 その理由は、少し考えただけで容易に判明した。

「まて、全部の魔力を使ったってことは、結界を張っていないのか?」
「……あ」

 ユーノの動きが止まる。なのはも目を丸くしていた。

「花火って、資格を持っていないと打ち上げられないんだよな……」
「えっと、それじゃあ……」
「うん……」

「「「逃げよう」」」

 なのはを背負い、ユーノを肩に乗せた祐一が山道を駆け下りる。遠くから聞こえるサイレンの音に、自分達のせいではありませんようにと願いながら、祐一は高町家への道をひた走った。
 愉快な日々、優しい日常を皆が送っていく。
 穏やかな日常はまだまだ続いていくのだった。



[5010] 第三十五話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:54
 海の日の前日、私立聖祥大学付属小学校は夏休みを迎えた。
 そして日中の気温が高いため、熱中症への対策として剣道場での稽古は朝の九時から始まるようになる。
 そんなある日、剣道場の門下生達に通達があった。二泊三日の山奥での合宿である。

「なあ、シグナムはどうするんだ?」
「私の一存では決められん。家族と相談して決めることにする」
「んー。シグナムが行かないんなら俺もパスしようかな。流石に毎日師範とやりあったら気力がもたんし」
「阿呆。それはシグナムと行っても同じだろう」
「あ、師範」

 祐一の背後から声がかかる。祐一が振り向いた先には師範が祐一を鋭い目で見ていた。

「まあ、ワシとしてもシグナムに来てもらえるならありがたい。今回の合宿で師範代どもを鍛えなおしてやりたいからな」

 ここの道場では師範と師範代の間に実力の差が大きく開いている。とはいえこれを埋めるのは並大抵の努力では適わない。師範やシグナム、祐一と彼らの間に開いているのは実戦経験の有無、すなわち殺し合いの経験の差なのだから。

「お前達に道場を継げと言うことも出来んしな」

 そうこぼす師範。まだまだ現役ではあるが、年が年だ。後継者問題で頭を悩ませているらしい。
 ちなみにシグナムや祐一はこの道場の剣筋を学んでいない――門下生ではないので、後継者の候補には含まれていない。

「まあ、水曜までに決めてきてくれ」
「分かりました」
「了解」

 そして師範は師範代を含む青年達の下に行ってしまう。
 シグナムも子供達の基礎練習に行ってしまった。仕方無く祐一は竹刀を持ち、正眼に構える。

「ファイス、頼む」
『了解です』

 懐に忍ばせたファイスからイメージが流れ込む。
 祐一の目の前に一人の青年が現れた。
 目元は長く伸びた前髪に隠され、その感情をうかがう事はできない。
 だが祐一は目の前の青年を見て獰猛な笑みを浮かべた。
 これは本来の祐一のイメージだ。
 その両手には白と黒の大剣が握られ、祐一の持つ竹刀はいつの間にやら重い日本刀に変わっていた。
 無論、これはファイスによって脳が見せられている幻だ。
 他の者から見たら祐一が何も無い空間を見て笑い、竹刀を握り締めているように見えるだろう。

「さあ、やろうか」
『ミッション、スタート』

 祐一が後ろに飛びのくと同時、黒い大剣が祐一の目の前を横に通り過ぎる。
 さらに続く連撃を祐一は日本刀で逸らし、躱し、凌ぎきった。
 そして今度は祐一が攻勢に移った。
 踏み込んでから日本刀で平突きを放つ。
 黒い剣の腹で止められた。
 そのまま祐一は体を沈み込ませ、片手を床について足払いを放つ。
 後ろに跳んで避けられた。
 なおも祐一は下から上に切り上げる。
 黒い大剣でそれを受け流され、流れるように突き出された白い大剣に祐一の喉が抉られた。

「が……!」

 そこでファイスからのイメージが消し去られた。
 喉を焼くような痛みがまだ残っているが、耐えられないほどではない。
 汗が頬を伝う。
 短時間ではあるが、命を懸けたやりとりだったのだ。極限まで集中すればこうなるのも当然だ。
 そして祐一の中には悔しさが残った。
 過去の自分とはいえいいようにやられていると言うのは気に喰わない。

「ファイス。もう一度、頼む」
『分かりました。幻とはいえ感覚のフィードバックまで行なっている以上、傷つけられれば痛いです。無理はしないで下さいね』
「ああ。もう一度だけだ」

 再び過去の相沢祐一が目の前に現れる。同時に祐一の得物が重くなった。
 そして、剣戟が始まる。
 子供達や門下生たちが好奇の視線で祐一を眺める。何もない空中に対して攻撃を仕掛け、防御し、剣を不可解な方向に捻じ曲げる姿はよほど滑稽な姿に映るのだろう。
 だが師範とシグナムだけが気付いていた。祐一が行っているのは極めて高度なイメージトレーニングなのだという事を。

「げほっ、げほっ……」

 そして再び祐一は負けた。竹刀を取り落とし、両手を床について咳き込む。
 しばらくして呼吸を整えた後、再び祐一は竹刀を持って立ち上がった。

「無理をするな、祐一」

 いつの間にかシグナムが子供達の指導からこちらに移って来ていた。それに苦々しく笑って返す。

「まだ全然届かないんだよな……。まあ、鍛えた年数が違うんだから無理はないけど」
「お前が何を目標にしているのかは知らんが、無理をしても目標から遠のくだけだぞ。基礎を固め、極める事が何事も一番の早道だ」
「分かった。ありがとう」

 道場の壁によってかけてあった自分のタオルで汗を拭く。スポーツウォーターを一口飲んで再びシグナムの元へ戻る。

「さて、一戦願えるか?」
「ああ。無駄に覇気を撒き散らさないよう気を付けろ」

 防具を着けてシグナムと向かい合い礼をする。
 覇気を撒き散らさないように、心を静める。
 少し反則だが、脳の温度のコントロールを行い脳が最も活動しやすい状態にする。
 心がとても静かになり、波紋一つさえ無い水面のようになる。
 自分の、そしてシグナムの一挙動がとてもゆったりしたものに感じられた。
 自分の『呼吸』が、そしてシグナムの『呼吸』が手に取るように分かる。
 ゆったりと、予備動作の無い一撃をシグナムの『呼吸』の隙間に挟み込む。
 緩やかな一撃は防ぐ事も適わずにシグナムの面へと吸い込まれた。

「……祐一。今のは何だ?」
「『無拍子』。俺の奥の手。一連の動作の流れ――『呼吸』を読み取って、出だしを捉えられない一撃を『呼吸』の隙間に叩き込む技だ。これが完全に決まれば相手はいつの間にやられたのかも理解できないっていう、武道全般の奥義だよ」
「確かに、今のは反応が遅れた。もう一度出来るか?」
「了解。まあ、頑張ってみるよ」

 結局その後五戦ほど行なったが、『無拍子』が決まったのは一度だけ。
 後は『呼吸』をずらされ、幾合か打ち合った末に叩きのめされた。

「はあ。強いな、シグナムは」
「当然だ。お前とは年季が違う」
「そりゃそうだ」

 面を外してにっと笑いかける。
 シグナムも面を外し、穏やかに微笑み返してきた。
 祐一はシグナムの手を借りて立ち上がる。
 稽古が始まって一時間。
 だというのに祐一もシグナムも消耗しきっていた。
 シグナムは子供達に指示を出した後、壁に寄りかかった。
 その横に祐一は座る。

「なあ、シグナム。修行に行けないかもしれないのは家族の事が気にかかるからか?」
「まあ、そんなところだ。離れて寂しい思いをさせたくはない」
「そっか。大事にしてるんだな」
「ああ。大切な家族だからな」

 床を見つめる。
 シグナムに本当のことを言ってしまいたい。祐一はそんな衝動に駆られた。
 そうすれば闇の書の蒐集はすぐにでも始まり、片が付くだろう。
 だが、そうも行かない。
 予定より遅く種を蒔く事になるのは構わないが、予定より早く気付かせてしまうと歴史に大幅なずれが生じる可能性がある。
 特に、決着は十二月に着けるのが望ましい。

「まったく、やっかいだ……」
「何か言ったか?」
「何でもない。さて、休憩終了っと」

 体を起こす。
 それと同時にぬるくなっていたスポーツウォーターから熱量を奪って冷やす。
 それに一口つけてから、祐一は竹刀を握り立ち上がった。

「それじゃあとりあえず素振りをしてくるわ」
「そうか。この国の夏は暑い。根を詰めすぎないよう気を付けろ」
「ああ。ありがとう」

 シグナムの気遣いに感謝を述べて道場の端に行き、素振りを始める。
 肉体的な疲労はかかるが、それでも師範やシグナムとの神経を磨り潰す真剣勝負に比べたら格段に気が楽だ。
 その日は最後に師範と手合わせをしてもらって終わりとなった。
 祐一はその足で月のアパートに向かい、アリサと合流して月からの講義を受ける。
 夏休みに入ってから、祐一の日々は鍛錬と将来を見据えての勉強に明け暮れていた。
 そして三日後の水曜日――

「師範。私も合宿に参加します」

 シグナムが挨拶をした後そう言った。

「そうか。祐一はどうする?」
「勿論行きます。そういえば山寺ってどんな所なんですか?」
「山の中の村でな、傍を水の澄んだ浅い川が流れている。午前の修練の後には遊んで構わんから水着を用意してくるといい」

 師範の言葉を聞いていた子供達が歓声を上げる。
 その一方で、青年組はシグナムにちらちらと視線を送っていた。
 祐一は思う。健全な男子の反応だ。祐一とてもう少し大きくなっていれば同じようにシグナムの水着姿を想像していただろう。

「シグナムも泳ぐのか?」
「非常勤とはいえ私は講師だぞ? 何かあったときのために備えておかねばならん」
「ああ、なるほど。小学生のお守りか」
「お前も小学生だったと記憶しているのだがな」

 その言葉に苦笑いする。
 祐一はどうしても小学生の子供と自分を同列に扱う事が出来ずにいた。
 まあ、その前に師範やシグナムとのやりとりを見ていた子供達からは恐いと避けられているのだが。

「さて、うちで講師をするからにはそれなりの実力を身に付けてもらわねばな」

 師範の言葉に講師陣の肩がビクッと震える。
 気楽なのはここに通っている門下生の青年達ばかりだった。





 そして週末の朝。
 合宿に参加する高校生以下の門下生たちと祐一、そして師範やシグナム達講師陣は貸切バスに乗って、県北の山の中にある村を訪れていた。
 村というのが正しい言い方なのかは分からないが、民家はあちこちにポツンとあるだけで、スーパーやコンビニなども無い。
 川幅二十メートル程度、川原を含めれば六十メートルほどの川に架かった橋の先にあった大きな日本家屋。
 それが今回の合宿所である寺だった。

「ようこそ皆さん。清遠寺へ」
「久しぶりだの、五十鈴いすず

 師範が家の中から出てきた老齢の女性に挨拶をする。
 背筋を張って微笑む女性は、白く長い髪を頭に丸めて柔和な顔で微笑んでいた。

「あら、阿須賀さん。お元気そうで何よりです。それと、こちらの方々は……」

 五十鈴と呼ばれた女性がこちらを見る。その目が祐一を見たとき、一瞬その目が細まる。

「とりあえず中へ入れてくれ。部屋はいつもの場所でいいか?」
「ええ。皆さん、どうぞ」

 師範と五十鈴に連れられて家の中に入る。年季の入った板床を歩いていくと、畳敷きの部屋に通された。

「こっちが女の部屋。あっちの二部屋が男の部屋だ」

 師範の言葉に従ってシグナムと女子組がその部屋に荷物を置き、祐一達は隣の部屋に荷物を置いた。
部屋を分けてはいるが、実質襖一枚で仕切られているだけだ。
 それでも、シグナムがいる以上不埒な事は出来まいが。

「確か、道場があるという話でしたが」
「道場はワシが案内する。道着に着替えておけ」

 シグナムの言葉に師範が命を下した。
 剣道着に身を包み、防具を着けて竹刀袋を持ち師範の後に付いて行く。
 そこには大きな板張りの部屋があり、床の間には掛け軸が掛けられ刀が置かれていた。
 まずは道場に一礼して入る。
 そして皆神棚の前に集められ並び、正座をする。
 師範が神棚に礼をし、他の者達もそれに倣って礼をした。
 さらに師範が皆の前に向き直り一礼する。

『よろしくお願いします!』

 皆声をそろえて礼をする。そして、修練が始まった。



 道場内を十周したあと、中学生以下の子供をシグナムなどの講師陣が指導した。
 高校生以上の者は他の講師の指導の下練習を開始する。
 祐一はというと、小学生に混じってただ素振りをするだけだった。
 物足りない思いもあるが、普段からシグナムや師範を占有しているので仕方がないと諦める事にする。
 シグナムが教えるのは型と基本的な体の動かし方だ。
 正しい姿勢で、正しい剣の振り方を教える。
 本人は他人に教えるのは柄じゃないと以前言っていたが、一番大事なことを丁寧に教えているように見える。
 掛かり稽古では、師範は気迫で相手を圧倒し、一撃を面に見舞っていく。
 ある程度の腕を持つ者は打ち合う事は出来るものの、始終圧されっぱなしであった。
 その後講師による指導が入り、それぞれの練習を始める。
 そして正午になる。
 門下生一同はそれぞれ水着に着替え、川原へと降りていった。
 師範や師範代は五十鈴と流しそうめんの準備をしている。
 祐一はというと、シグナムの横で川で水遊びをしている子供達を眺めていた。

「いいのか? 遊んでこなくて」
「いいんだ。清流の冷たさを楽しむって事も出来ないし、とりあえず水には浸かって来たし。シグナムこそいいのか? あの子達と遊ばなくて」

 つい先程もシグナムは女子達に川で遊ぼうと誘われていた。
 だがシグナムは監視の仕事があるからと断っていたのだ。

「もしもの時に対応できないのはまずいからな。いくら浅いとはいえ溺れる時には溺れる。用心するに越した事はない」
「……その割には気合の入った水着のように見えるけど?」

 シグナムの水着姿を眺める。
 赤いビキニの上下と花柄のパレオ。
 その豊かな胸を強調するかのような水着に、普段の高潔な彼女からは思えないほどの艶が感じられる。

「これはあるじは……いや、家族が薦めてくれたものだ。決して私が選んだものでは――」
「なら余計に楽しんで来た方がいいだろ? せっかく買った水着を使わないままで終わらせるのはもったいない」

 シグナムの手を取って川原の石の上を歩き出す。
 シグナムもため息をついて従ってくれた。
 川の中ほどで水を掛け合っていた女子がシグナムの周りに集まる。
 祐一は辺りに注意しながら川原に上がり、シグナムの代わりに監視を始めた。
 シグナムの周りで一緒に遊ぶ女子達。川を流れに逆らって歩いている男子達。そして水辺で遊ぶ小学生達。
 水辺で遊ぶ子供が何をしているのか見ると、川原の石をどけて小さな流れを作り、水だけが流れるよう石で流れの前後を塞いでいた。
 その即席の生けすにおたまじゃくしやめだかなどを入れて遊んでいる。
 川と言っても深いところで水深一メートル程度だ。足でも滑らせない限り大丈夫だろう。
 のんびりしていると師範代が呼びに来た。昼食の用意が出来たとの事だ。講師達に連れられて、全員水から上がった。





 流しそうめんの竹でできた流し台とつゆ入れに歓声をあげる子供達。それを見て年長者達も笑みを洩らす。
 長さに限りがあるので、高校生以上のものはテーブルに置かれたざるに積まれているそうめんを食べる事になる。祐一は初めての体験という事で流しそうめんに混ぜてもらった。
 流しそうめんが始まってからしばらくはそうめんが流れてこなかった。上流で背の高い中学生に取られてしまうからだ。
 そして上流の人間にそうめんが行き渡った後、祐一達小学生組の所にそうめんが流れてくる。祐一は年下の子達のことを考えてある程度スルーした。代わりに時折流されるさくらんぼは大人気なくかっさらっていたが。
 ある程度流しそうめんを堪能したところで満足する量を食べるべく、祐一は年長者の群れに入っていった。

「もういいのか?」
「ああ。楽しかったけど、思い切り食べられないからな」

 そうか、と言って斜めに切られた竹の器にそうめんを入れ、すするシグナム。その姿を見て祐一はふと疑問を抱いた。

「なあ、シグナムは日本食とか大丈夫なのか? 外国は香辛料や味付けの濃い料理が多くて和食は味が薄すぎるって聞いたけど」
「ああ、私は平気だ。家でも基本和食を食べているし、それなりに舌は繊細な方だからな」

 そう言って包丁で上を割られたウズラの卵と薬味を器に入れ、そうめんを入れてかき回すシグナム。心配は杞憂だったようだ。

「和食か……。うちは基本的に洋食だからなー。たまに食べたくなった時自分で作るけど、まだ自分の思うような味を出すのは難しいな」
「そうか。うちにも味付けに不器用なものが一人いるが……あれも少しずつ改善している。精進すればきっとお前も上手く出来るようになるだろう」
「おう。ありがとな」

 それを聞いて思い出すのは金髪の女性、シャマル。
 未来の時点でも時折微妙な味付けをするということがあると聞いていたから、今の時点での腕前は推して知るべしといったところか。
 昼食の後二時間ほど川で遊んだ後、それぞれの基礎鍛錬に入る。
 風通しも良く山の中腹にあるこの道場は、空気が街と比べるとずっと涼しく澄んでいる
 。一通り稽古を終えたところで夕食の準備を年長組が始める。
 この日の夕食はカレーライス。合宿の定番メニューだ。
 夕食の後、食休みを挟んで夕暮れの中道路を走っていく。祐一は年長組みに混じって最も長いコースを選んだ。

「師範。ホントにやるんですか? アレ」
「ああ。直に体験するのが一番だ。ところでお前の体力は持つのか?」
「走り込みは普段からやっていますし、本気だすとフルマラソンでもいけますよ」

 アレ、とは師範、シグナムによる講師陣へのシゴキである。
 皆の姿が見えないところで色々師範が教えていたようだが、今回は徹底的に『覚悟』を乗せた剣というものを体感させるのが目的なそうだ。

「まあ、無理をしてないならいい。分かっているとは思うが……」
「無理を溜め込みすぎて大怪我なんて事になったら大変ですからね」
「……そうか」

 息切れを起こしたりへばったりしながら付いて来る高校生以上の門下生達。どうやら話に夢中になって速度を上げすぎていたようだ。師範ともども速度を落とす。
 結局完走してへばる様子を見せなかったのは師範と祐一だけのようだ。
 屋敷に戻った一同には風呂が用意されていた。
 大風呂で十人単位で入れる浴槽らしい。
 この後汗をかくことになる講師陣と祐一を除いて、まずは女性陣、続いて男子陣が代わる代わる入ることになる。

「あら、こんばんはボク。えっと、お名前は?」
「相沢祐一です」
「私は五十鈴。祐一君、お風呂は?」
「師範達とこれから一戦やらかすんで、それから頂く事にします」
「そう。少しお話ししておきたい事があるのですが、お風呂を上がったら道場の方に来てもらえますか?」
「? ……まあ、かまいませんけど」

 五十鈴は柔和な表情で笑っている。急ぎでないならばそう大した事ではないだろう、と祐一は判断する。
 五十鈴と別れ、道場に急ぐ祐一。その祐一の背に五十鈴は厳しい視線を向けていた。
 そんな事は露知らず、道場に一礼して入ってまだ師範が来ていないことに祐一は安堵した。
 そして講師陣+祐一が道場で正座をして待つ中、師範が道場に一礼して入ってくる。そして神棚に向かって一礼して集まった六人を睨みつけた。

「これより修練を始める。それぞれワシ、シグナムの順に戦い己に足りぬものを見出せ。勝負は一本先取とする。いいか?」
『はい!』
「よし。では最初の者は前に出ろ」

 部屋の中央でテープで出来た正方形の中、祐一は師範と向き合っていた。
 心を熱く滾らせる。
 殺られるまえに殺る。
 どこまでも感覚を鋭敏にして、生き残るために全ての機能をそこに向ける。

「始めっ!」

 師範代の合図と共に祐一は踏み込んだ。
 数合ほど打ち合った後鍔迫り合いになり、祐一が体格に劣るものの押し始める。
 そして二人は同時に後ろに引き、再び打ち合いを始める。
 互いに相手の竹刀を弾き、逸らし、受け、一進一退の攻防を繰り返す。
 やがて祐一の竹刀が師範の籠手を打った。
 そして師範に代わってシグナムが祐一の前に立った。
 こちらも背筋を走るような鋭い剣気を放つ。
 祐一の背筋を遡ったのは熱い闘志。
 本当に何の制約も無くシグナムと戦えたら、それはさぞ楽しいものになるだろう。
 そんなことを考え、祐一は面の下で獰猛な笑みを浮かべながらシグナムに礼をした。



 やがて師範の講師陣へのシゴキが終わる。
 肉体的なものより精神的に参っているのだろう。皆一様にへたり込んでいる。
 剣に乗せる覚悟。それを会得しない限り気圧されるだけだ。
 果たして彼らがそれを会得するのはいつになるのか。出来れば師範が現役の間に会得して欲しいと祐一は願う。
 そして今日はこれでお開きとなる。
 先にシグナムが風呂に入り、後から男性陣が風呂に入る。
 祐一は手早く体と髪を洗うと、寝巻にタオルで頭を巻いた格好で道場に向かった。
 道場に一礼して一歩踏み出そうとした時、青白い稲光が祐一の視界を覆う。
 パチパチと静電気を全身に纏ったような感覚を祐一は覚えたが、すぐにそれは光と共に消えてしまった。

「私の結界に反応した……。しかもいとも容易く結界を破るとは、よほど強い力の持ち主のようですね、祐一君」
「五十鈴、さん?」

 顔をしかめて祐一を睨みつける五十鈴。その手には梓弓と幾本もの小さな矢が構えられていた。

「とりあえず、何でこんな事になっているんです? 俺が何かしましたか?」
「これから何をするつもりなのかを確かめに来たのです。あなた、人ではありませんね?」
「えっと……心当たりがありすぎてどの事を指しているのか分からないけど、確かにもう人間とは呼べないかもしれないですね」

 少しばかり魂に掛けられた呪いの一端を解き放つ。それに反応して五十鈴は後ろに後退る。

「その力――――それほどの不浄なる力を持っていて、どこが人だと言うのですか」
「これは、まあ、あれです。化生を殺すたびに掛けられた呪いが開花したというか。とにかく俺は普通の人間の子……じゃないな。プロジェクトFの失敗作だし。とりあえず、あなたの思っているような化生の類いではありません」
「それほどの邪気を放っていながら、それを信じろと?」
「どれほど穢れたとしても、俺が俺である事の本質までは歪ませはしません。それが忌むべき力であるにせよ、その力で守れる人がいるのなら俺は迷い無くこの力を使います」

 睨み合いが続く。結界なんて張れる位だ。あの短い矢も何かしらの細工がしてある可能性が高いだろう。

「どうしても俺が無害であると信じてはもらえませんか?」

 体から溢れる瘴気を押さえ、体の力を抜いて五十鈴と向かい合う。。

「ならば問いましょう。あなたのような禍々しい妖気を放つモノをどうして放置出来ると思うのです」

 矢の先がこちらに向けられ、祐一は嘆息した。
 幸い五十鈴は退魔士のようで魔導師ではない。あの厄介なバリアジャケットさえ無いならば無力化するのは簡単だ。
 祐一は非レネゲイド発症者を無力化する化学物質を全身から発した。半径十メートルほどの狭い範囲での≪ワーディング≫であったが、すぐに五十鈴は昏倒してしまう。
 五十鈴を背負い道場の外に出ると、運よく師範が向こうの廊下から通りがかってくれた。
 師範は五十鈴の装備を見て小さなため息をつくと、祐一の代わりに五十鈴を背負う。

「悪いな、祐一。こいつには俺の方からよく言っておく。それと一応聞いておきたいんだが、お前は――人間か?」
「元は人間でした。今は……きっと、違います」
「そう、か……」

 師範はそれだけ言うと五十鈴を背負って奥の方に行ってしまった。
 気を重くしながら部屋に戻ろうと歩き出すと、角を曲がったところでシグナムと鉢合わせした。

「シグナム?」
「あ、ああ。どうした?」

 僅かに挙動不審な様子を見せるシグナム。どうやら先程の話を聞かれていたようだ。
 聞かなかったフリをしてくれているのだから、ここはそれに甘えさせてもらおう。

「どうにも気が高ぶってしまってさ。道場で気を静めてたんだ。シグナムは?」
「似たようなものだ。家族の事を考えていた」
「……本当に家族を大事にしているんだな」
「ああ。このまま静かに皆と暮らしていければいい。私が望むのはそれだけだ」

 だが、それは叶わぬ望みだ。
 闇の書がはやてのリンカーコアを蝕み続ける限り、シグナム達は闇の書の蒐集をする事になってしまう。

「なあ、やっぱり家族の一人が遠くへ行ってしまうと寂しいか?」
「そうだな。寂しいかもしれんが……それがその者の意志なら送り出してやるべきだろう。背中を押してやるのも家族の務めだ」
「そう、か」

 『特研』の中で家族同然に過ごしていた人達の事を、シグナムと縁側に座って星空を見ながら思い出す。
 そしてシグナムと少しだけ家族のことについて話をした。
 最終的に家族自慢に発展してしまったが、幾つか得る物があった。
 シャマルやヴィータ、ザフィーラ、そしてはやての近況。今の所目立った異変はないらしい。
 ふと、祐一は強い眠気に襲われた。睡魔に抗うことなく、自分の体を横にいるシグナムに預けて目を閉じる。
 この位の事は許されるだろう、と内心で言い訳して、祐一は深い眠りに落ちていった。



 翌朝、祐一は五十鈴に謝られた。お互いに昨日のことは水に流す事で合意して合宿を楽しむ事にする。
 全力で鍛錬に臨み、適度に力を抜いて川で遊び、一日を過ごしていった。
 夜には気力の消耗から泥のように眠って、最後の朝に試合をした後川で遊んでから帰路に着く。
 家に帰って出迎えてくれたのはなのはだった。
 抱きついてきたなのはの体を抱きしめ持ち上げて回転する。
 夏休みはまだ終わらない。楽しい日々はまだ続いていく。その穏やかな日々を打ち砕く日はまだ、遠い。



[5010] 第三十四話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:54
 八神家の朝はこの家の主――八神はやてが六時半に目を覚ますことによって始まる。。
 隣で眠るヴィータの顔を見て、頭を撫でる。そしてはやては車椅子に座るとキッチンに向かっていく。
 キッチンの隣の部屋、ダイニングで眠っていた青い狼が顔を上げてはやてを見た。

「おはよう、ザフィーラ」

 はやての言葉に上げた顔を一度頷いて見せ、ザフィーラは丸くなる。
 この家でザフィーラの望まれた役柄は犬だ。もとより獣の姿を主体とする守護獣である彼はこの役柄に不満を覚えた事は無い。あえて不満を上げるなら、人型にならないために主であるはやての手伝いなどができない事か。
 まな板と包丁の音が響く。ザフィーラは耳をピクリと動かした。部屋にシャマルとシグナムが入ってくる。

「おはようございます、はやてちゃん」
「おはようございます、主はやて」
「おはよう。シャマル、シグナム」

 挨拶を交わし、シャマルははやての手伝い――物を取ったり洗い物をしたり――にキッチンに入り、シグナムは朝刊を取ってきて目を通す。そして再びザフィーラが耳を動かした。

(シグナム)
(またか)

 短い思念通話を交わした後、シグナムとザフィーラは玄関から出る。そして向かいの家の屋根の上を睨み付けた。
 そこには、僅か五歳ばかりの少女の姿があった。
 翠の髪と金の瞳をした少女は睨みつけている四つの瞳を見つめる。
 そして少女が目を閉じると同時に、唐突に屋根の上からその姿が消えた。
 視線を前に移すと、いつの間にか少女はシグナム達の前に立っていた。
 何の魔法的な痕跡も無い瞬間移動に最初は警戒していたものの、シグナム達は少女が害意も悪意も持っていないと悟った頃から気にしなくなった。

「また来たのか」
「うん」

 シグナムの問いに少女は頷いて答えた。無表情な顔からは感情を読み取ることが出来ない。

「一体何の目的で監視などしている」
「気になったからただ見ているだけ。変わったことが無いかチェックしてる」

 毎度の問答に、シグナムも少女の要領を得ない回答に怒りだすことはなくなっていた。

「我々は蒐集などしない。騎士の剣に懸けてそう誓った。監視だけにとどめるならばいいが、くれぐれも主はやてに気取られるな。要らぬ心配をかけたくはない」
「それは承知している。平穏な日々が続くのならそれに越した事はない」

 少女は最初に見つかった時、シグナム達に蒐集の意志があるかどうか尋ねて来た。
 そしてそれを否定すると、それから毎日のように向かいの家の屋根から八神家を眺めているようになったのだ。

「用事は済んだ。私は帰る」

 そして少女はまたもや一瞬にして姿を消してしまった。残されたシグナムとザフィーラが顔を見合わせる。

(どう見る)
(おそらく闇の書の蒐集を監視しているのだろう。だが、我々は蒐集など行わない。それが主はやてとの誓いだ)
(だがあちらに敵対する様子はない。それどころか無防備な姿を我々にさらけ出している。本当にただ見ているだけなのかもしれん)
(情報が足りん。結論付けるにはまだ早い。が、無闇に手を出せば主はやての身に危険が及ぶ可能性もある。放っておくしかないだろう。ヴィータとシャマルには私から伝えておく)
(心得た)

 思念通話による会話を終えた後、シグナムとザフィーラは家の中に帰っていく。
 それを網膜に映し出された映像で確認した後、少女は己の住処に帰るべく屋根の上を跳んでいくのだった。





 シグナムとシャマルがはやての作った食事をテーブルに並べる頃、ヴィータが眠たげな目を擦りながらやってくる。

(シャマル、ヴィータ) 
(なんだ、またかよ?)
(ああ)
(一週間に五日は来てますね)
(ぶっ潰して吐かせりゃいいだけじゃねーか)
(相手が一人だけとは限らん。それにあちらは主はやてのことを知っている。迂闊な真似はできん)
(じゃーどうすんだよ)
(今の所あちらに害意はない。放っておくしかないだろう)

 思念通話をしながらヴィータはカップに注がれた牛乳を飲み、シャマルとシグナムは配膳をしていた。

「じゃあ、いただきます」
「「「いただきます」」」

 手を合わせてそう言った後、一同は朝食に手をつける。
 朝食はご飯に味噌汁、焼いたサンマにかぼちゃの煮付け。
 箸の使い方がいまいち得意でないヴィータがサンマの身を解すのをはやてが手伝い、その様子をシャマルとシグナムが柔かい笑みを浮かべて眺めていた。
 そして食事の後片付けはシャマルとシグナムが請け負い、ヴィータははやてとじゃれ合う。
 その様子を見ながらザフィーラは頻繁に出没する謎の少女の事を考えていた。
 魔法ではない瞬間移動。
 家の外から内部を観察できる(と言動から推測した)能力。
 外見は幼い子供であるが、油断のならない相手である事は間違いない。
 闇の書の蒐集について関心を持っているようだが、特に妨害の意図も見られない。
 とにかく今判断を下すには情報が少なすぎた。

(シグナム)
(どうした? ザフィーラ)
(例の子供を探してみようと思う。散歩と称して連れ出してくれ)
(分かった)

 シグナムは洗った食器を片付けると、はやてとヴィータに声をかけた。

「主はやて。私はこれからザフィーラの散歩を兼ねて街を回ってきます。何かお入用のものはありますか?」
「うーん。お昼ごはんの材料は冷蔵庫にあるし、晩ごはんはまだ決めてへんし……。うん、特に要る物はないから、シグナムの思う通りに散歩してくるとええよ」
「はい。昼までには必ず戻ります」

 そう言ってシグナムはザフィーラを連れて外に出る。外に出る前に見た時計は八時半を指していた。十二時までに帰ることが出来るよう街を回らなければならない。

(ザフィーラ。匂いから追えるか?)
(至近距離で会ったからな。憶えている)

 瞬間移動で逃走する少女を匂いから追うことは難しいが、運良くその住処を見つけ出せればこちらからアクションを起こすことが出来る。
 例え見つからなかったとしても別に今日の内に見つけてしまう必要は無い。
 平穏な日々はこれからも続いていく。その内に当たりを引くことも出来るだろう。

(平和ボケしたな。その平穏な日々があの子供によって砕かれるやも知れぬのに)

 気合を入れなおす。
 子供を、そしてその後ろで糸を引くものを引きずり出し、その目的を吐かせる。
 平穏な日々を守るために戦う。
 それは他者の平穏を破壊し戦い続けてきた過去の自分とは真逆の道で、シグナムは小さく自嘲の笑みを浮かべた。
 まずは住宅街の辺りから調べ始める。念のため近くの幼稚園を回るようにしてみたが、こちらは空振りだった。
 飼い犬に散々吼えられながら道を歩いていく。
 向こうから歩いてくる人達もザフィーラの姿を見るなり道の端に寄って距離をとる。

「ひどい怯えられようだな」
(……)
「次からは首輪とリードを着けて出るか?」
(……その方がいいだろうな)

 うなだれるザフィーラ。しばらく歩いてみるが、ザフィーラが反応する様子はない。
 次に人通りが多い場所――駅前を訪れてみる。

(かすかだが匂いがある)
(追えるか?)
(やってみる) 

 しばらく駅前の大通りを歩いた後、ザフィーラが足を止めとある店の中を睨み付けた。

(見つけたか?)
(右から三番目のテーブルだ)

 ドーナツのチェーン店の中を見ると、そこには朝の少女と、翠の髪を長く伸ばした若い女性が座っていた。
 女性は飲み物のみ、少女は丸い揚げパンのようなものを五つほどテーブルに載せていた。
 そして、女性の方がいち早くシグナムとザフィーラの存在に気づいた。
 ガラス越しに軽く手を振ってくる。この女性も少女の仲間と見ていいだろう。
 しばらく少女が揚げパンを食べ終わるまで店の前で待ち続ける。
 店から出てきた女性は微笑みを浮かべ、少女は無表情のままシグナム達と相対した。

「こんにちは。ヴォルケンリッターの皆さん」
「……お前もこいつの仲間か」
「ええ。私の指示の下この子には異変がないかどうか監視を頼んでいます」

 悪びれもせず笑顔で告げる女性。シグナムの目が細まる。

「お前達は何者だ。目的は何だ」
「私達は――そうね、アゲインと名乗りましょうか。目的は再演。そして救済、といったところかしら」

 再演。一体何をさせようというのか。
 思いつくのは過去の蒐集を行なっていた日々。
 結末はどうなったのか記憶が曖昧で思い出すことは出来ない。
 だが――

「私達は闇の書の蒐集は行わない。それが主と交わした誓いだ。騎士の剣に懸けてこの誓いは守り通す」
「ええ、それで構わないわ。私達はただ見ているだけ。救済を望んだのは私でもこの子でもない。介入をするのは私達の役割ではないもの」
「ならばまだ他に仲間がいるという事か」
「ええ。私達にはあと一人仲間がいる。でもそれが誰かは内緒。その仲間があなた達に正体を明かす時、再演は始まる」

 少女同様、この女性の言う事も要領を得ない。シグナムの瞳に剣呑な光が宿る。

「詳しく聞かせてもらおう。お前達は何を知っている?」
「さあ。全てを知っているかもしれないし、何も知らないのかもしれない。それでも私達に出来ることは最善を尽くす事だけ。その時が来たなら、あなた達も全てを知ることになるでしょう」
「……そうやってはぐらかすのはいい加減にやめてもらおうか」
「残念。今は話せないの。ただ、その時が来たら教えてあげる。私達が知っている闇の書の全てを」

 どうやら話す気は毛頭無いらしい。シグナムは怒りを抑えるために深く息をつく。

「なら、せめて監視を外せ。いい加減鬱陶しい」
「……分かったわ。この子には言い聞かせておく。それでいいわね」
「ああ」

 じゃあ、お元気で。と言って少女の手を引き女性は立ち去ってしまう。そこでザフィーラがシグナムを見上げてきた。

(跡をつけるか?)
(やめておけ。深入りは危険だ)
(だが奴らは闇の書と主について知っている。放置するのか?)

 ザフィーラの言葉にシグナムの心が揺れる。
 女性達が管理局に知らせてしまえば即座にシグナム達ははやてを連れて逃亡しなければならない身になるだろう。
 だが、口封じのために剣を振るう事はできない。それははやてと交わした誓いを破る事になる。

(仕方が無い。どうやら我らが動かぬ限り奴らも手出しはしてこないようだ)
(……奴らを信じるのか)
(それしかない。だが戦闘可能な我ら三人の誰かが常に主の傍にいれば、何かが起きた時も対処は出来るだろう)

 思念通話で話し合うシグナムとザフィーラ。
 その間に女性と少女は駅の方へと歩き、雑踏の中に消えていった。

(差し当たって我らの内最も傍にいるのはお前だ、ザフィーラ。それとなく護衛を頼む)
(任された)

 ザフィーラを連れて八神家へと取って返す。
 疑念が無くなった訳ではない。
 闇の書を利用しようと企んでいるのなら、それが判った時に叩けばいい。
 シグナム達が蒐集を行わない限り、闇の書はただの本でしかない。故に闇の書を利用する事は誰にも出来ないのだから。



 八神家に戻った二人は、キッチンでそうめんを茹でているはやてにばれぬよう、はやての手伝い(主にそうめんを丸める作業)をしているシャマルとリビングにいたヴィータに、外で出会った二人の事を思念通話で説明した。

(分かった。はやてを一人にしないように気を付けとく)
(だけど、その人達はどうして私達の事を知っていたんでしょうか?)
(分からん。得体の知れない力を使う連中だ。もしかしたら我々が目覚める前に闇の書の位置を突き止めていたのかもしれん)
(だとしても、我々にできることはただ一つ。主はやてを守る事、それだけだ)

 四人はそれぞれ決意を胸の中に抱く。そして、急に動きを止めたシャマルにはやてが声をかけた。

「どしたん、シャマル? そんな真剣な顔して」
「あ、いいえ。何でもありません。何でも」

 慌てて水揚げしたそうめんを箸に丸めていく作業に戻るシャマル。それを見てはやては不思議そうにしながらもシャマルと同じようにそうめんを丸め始めた。








 その日の午後。学校から帰った祐一とアリサはそれぞれ剣道場と月のアパートへ向かう。もう祐一はシグナムからは五本に一本、師範からは五本に三本取れるようになっていた。
 そして剣道場についた祐一は師範に挨拶をしてからシグナムを探す。剣道着に身を包んだシグナムが小さい子供達に剣の振り方を指南しているのを見つけた。しばらくは相手をしてもらうのは無理だろう。

「師範。一本お願いします」
「わかった。その前に祐一、一つ聞きたい事がある」

 なんだろうと首を傾げる。ちなみに祐一が勝ち越すようになってから師範は祐一の事を名前で呼ぶようになった。認められた、ということなのだろう。

「お前、実戦を経験しているな?」

 断定的な口調で言う師範。最早確信しているのだろう。

「まあ、場数はそれなりに踏んでます」
「だろうな。剣に乗ってる覚悟が尋常じゃねえ。お前とまともに打ち合えるやつはそうはいねえよ」
「そう言う師範こそ並の剣気じゃないですよ」
「ワシは戦争を経験しているからな、当然だ。だがお前はまだ子供だろう。どこでそんな経験を積みゃあそんな目が出来るようになる」

 そう言って木刀を振り上げる師範。打ち下ろされ祐一の目前で停止した木刀の先を祐一は微動だにせず見つめていた。

「底の見えねえ濁った目をしやがって。お前、それでよく潰れずにいられるな」
「おせっかいな相棒と家族がいますから」

 ふん、と鼻を鳴らすと、師範は防具を着け始める。祐一も外していた面を被り、竹刀を手にした。
 場の空気が変わる、とはこういうことを指すのだろう。
 祐一と師範が向かい合い礼をした直後、騒がしかった道場がやや静かになった。
 稽古をしていた道場内の多くの人間の視線が二人へと注がれる。
 この道場に顔を出すようになって、祐一は実戦の勘というものを取り戻していった。
 際限なく神経が張りつめ、一瞬の隙が命取りになるこの瞬間、引き伸ばされたかのような時間の中を微動だにせず相手の『呼吸』に集中する。
 祐一が師範やシグナムに勝てるようになったのも、相手の『呼吸』を覚えた事が最大の理由だ。
 互いに相手を見つめていた二人が同時に動いた。同時に一歩踏み出した二人の竹刀が交錯し、互いに弾かれる。
 その勢いのまま祐一は回転し胴へと竹刀を振るい、師範の竹刀がそれを弾いて逸らす。
 竹刀が触れるたびに竹のはじける音が道場に響き、二人の立ち位置が目まぐるしく変わる。
 そして、祐一が師範の竹刀を大きく弾き、空いた胴に竹刀を叩き込んだ。
 二人は最初の立ち位置に戻り、下がって一礼し、元の場所に戻っていった。
 面を外し、タオルで汗を拭く。
 毎度毎度こうして寿命をすり減らすような戦いをしながら、師範はこの上なく楽しそうに笑っていた。
 それを見て、祐一は思わず笑みをこぼす。

「疲れたか」

 いつの間にか近付いていたシグナムに声をかけられた。
 スポーツウォーターを口に含んだ後、祐一は座り込む。

「当たり前だろ。師範もシグナムも剣に殺気でも込めてるんじゃないのか? 一試合するだけで精神すり減らすってのはどういうことだよ。真剣勝負の域を超えてるだろこれ」
「それをお前が言うか。お前の尋常じゃない気迫を感じているから私は決死の覚悟で挑んでいるんだ」
「ワシもだ。気を抜かせてくれんのはお前の方だ、祐一。気を抜けば殺される。そんな気をお前は発していたぞ」

 驚きに目を見張る。二人の顔は真剣そのものだった。
 つまり、祐一はそこまで昔に立ち戻っていたのだろうか。
 『相沢祐一』として生まれてくる前、世界の裏で殺し合いをしていた頃に。

「それでどうする。私ともう一本やる気力は残っているか?」
「ああ。無いなら無いで作り出すから遠慮は要らない。やろう」

 こういう時にはレネゲイドの力は便利だ。
 アドレナリンの放出によって気力が奥底から湧いてくる。
 面を被り竹刀を持って先程師範と稽古をした場所に行く。
 再び場内の視線が集まった。
 礼をして互いににじり寄る。
 そして同時に二人は動いた。





「ありがとうございましたー」

 礼をして道場を出る。
 今日は師範と二本、シグナムと三本打ち合った。
 師範とは一勝一敗、シグナムには全敗。
 相変わらずの化け物ぶりだったが、二人とも汗を滝のように流していた。
 精神的な疲弊はもしかしたらあの二人のほうが大きいのかもしれない。
 夜道を駆ける祐一の前に突然小さな影が現れた。
 翠色の髪に金の瞳。ユーリだ。
 祐一はユーリの前で立ち止まる。

「どうした? ユーリ」
「監視がバレた。これからはしばらく八神家には近づけない」
「それじゃ……!」
「作戦行動に支障は無い。私達は予定通り動けばいい」

 淡々と告げるユーリ。
 祐一はその言葉に安堵する。

「分かった。種を蒔く日にも変更は無いんだな?」
「ヴォルケンリッターは蒐集の際、後遺症の残る犠牲者を出す事はなかった。種を蒔くのは蒐集が開始された後でも問題は無い」
「でも、それは実力に大きな差がある場合だけだろ。なのはやフェイトのように強い力を持つ相手だったらどうなるんだ?」
「高町なのはとフェイト・テスタロッサがヴォルケンリッターと交戦するのは十二月二日。のーぷろぶれむ」

 そうか、と呟いて空を見上げる。夕焼け雲がゆっくりと流れていた。
 大きく息をついて、祐一は気持ちを切り替える。

「じゃあ、もう私は帰る」
「あ、一つだけ聞いておきたいことがあるんだが」
「……何?」

 胡乱な瞳でこちらを見るユーリ。
 少しばかり緊張しながら、祐一は口を開く。

「ユーリは母さんに造られたんだよな?」
「そう。私は『相沢月』の手によって創造された」
「なら、プリムラのようにユーリも俺の妹になるのか?」

 しばらく考え込むユーリ。
 そして少しばかり口元を緩めて祐一の目を覗いてきた。

「それはとても楽しそうだけど、私はあなたの妹にはなれない」
「楽しそう……?」

 ユーリがこぼした言葉に、祐一は疑問を抱く。
 感情を洩らす事は無いと思っていただけに、そのユーリの笑みと言葉が祐一の記憶に深く刻まれた。

「それじゃあ、今度こそ本当に帰る」
「ああ。またな、ユーリ」
「……またな、なの」

 ユーリの姿が唐突に消える。辺りを見回してもユーリの姿は無かった。
 魔法でも、ウィザードの能力でもない。
 ならば考えられるのはレネゲイドの能力。
 重力すら操作出来るのだ。瞬間移動くらいできてもおかしくは無い。
 空を見ると既に金星が輝いていた。祐一は慌てて高町家への道を急ぐ。

「ただいまー」
「あ、祐ちゃん。お帰りー」

 玄関先で美由希と出会う。丁度今帰って来たようで、制服を着ていた。

「今日は遅いんですね」
「定期試験が近いから、友達と一緒に翠屋で勉強してたんだ。祐ちゃんはまた道場か。どうだった?」
「師範とあの人の両方と稽古してきました。ほんと、少ししか動いていないはずなのにすごく疲れました」

 そう言って深い息をつく。今頃になって疲れが襲い掛かってきた。唐突な眠気によろめく。

「祐ちゃん、大丈夫?」
「平気、です。とりあえずシャワー浴びてきますね」

 キッチンで料理を作っている桃子に挨拶をし、部屋から服を持ってきて、洗面所に入り服を脱ぐ。
 そして浴室に入ってシャワーを浴びる。ユーノが部屋にいなかったのを見ると、なのはと一緒にいるのだろう。
 今日は塾も無い日だし、どこかで結界を張って魔法の訓練をしているのかもしれない。
 体を拭いて新しい服を着る。それから部屋に上がり、机の上のファイスを手に取った。

「ただいま、ファイス」
『……お帰りなさい、マスター』

 どこか拗ねたような声を上げるファイス。それを聞いて苦笑してしまう。

「そんなにシグナムに負けたのが気に入らないのか?」
『だって、マスターが本気で戦っているのにそれより強いだなんて……』

 思わずため息をつく。
 道場に行くとき必ずファイスを胸元に忍ばせてその都度家に帰ってから反省会をするのだが、シグナムとの勝率は全くと言っていいほど上がらない。
 別に恭也や美由希と手合わせをするときなどでも手を抜いているわけではないのだが、中ててしまえば怪我になる木刀と強く打ち込んでも防具に守られている上怪我をさせにくい竹刀では気の入り方が根本的に変わってしまう。
 剣道の方が相手に遠慮も加減も要らないのだ。殺す気で打ち込んでも何の問題も無い。無論、相手がシグナムや師範のような強い相手に限る話だが。

『でも、大丈夫なんですか? 場合によってはシグナムと戦うことになるんでしょう?』
「大丈夫だ。負ける戦いをするつもりはないし、魔法も特殊能力も何でもありの戦いなら俺達は負けない」
『……ですね。シュツルムファルケンさえ防いでしまえばこっちのものです』

 問題となるのがそのシグナムの最大の威力を誇る技、シュツルムファルケン。魔力を蓄積し着弾と同時に爆発する魔法の矢。
 だが今の祐一なら耐えられる。いや、避けてしまう事も不可能では無い。

「ま、とりあえず訓練だ。頼むぞ、ファイス」
『了解です』

 ベッドの上に寝転がり、胸の上にファイスを乗せる。
 目を瞑りファイスの創り出したイメージの中に潜る。
 祐一が目を開けると、頭は剣道の面を被った状態で、手には竹刀の重みがある。
 目の前に立つのはファイスによって再現されたシグナムだ。
 剣道着を来て防具を着け、こちらに竹刀を構えている。
 開始の合図は無い。
 張り詰めた空気の中、互いの機先を制するべく読み合いを始める。
 じり、と僅かに踏み込み一気に打ちかかる。
 その剣筋を逸らされた代わりに振り下ろされる剣を身を捻って躱し、下から上に突きを放つ。
 だが、それもシグナムの竹刀に叩き落された。
 祐一が後ろに下がるのに合わせて打ち込んでくるシグナムの竹刀に、こちらの竹刀を滑らせ剣筋を逸らす。
 直後、右肩に痛みを感じた。
 だが目だけは決してシグナムの竹刀の先から逸らさない。
 互いに一歩を強く踏み込みながら相手の面を狙っていく。
 勝敗はついた。祐一の負けだ。目を開くと見慣れた自分の部屋の天井が視界に映る。

「今回の評価は?」
『四十五点、といったところでしょうか』

 手厳しいファイスの採点に苦笑する。
 実戦さながらのシュミレーションは脳をひどく疲弊させる。
 全力を持ってしても、由市はイメージ上のシグナムに敵わない。
 毎日祐一達と行なってきたなのはの魔法訓練も、今はユーノとレイジングハートに全てを任せるようになった。
 レイジングハートがなのはの魔力に負荷をかけ、さらに学校での授業中などに授業を聞きながら並行して今の祐一のようなイメージファイトを行い、夕方にはユーノの結界内で砲撃魔法などの実射、夜間には高速機動の訓練を行なって、八時半には寝てしまう、という生活を繰り返している。
 祐一は人間の脳でそんな事が可能なのか疑問を抱いたが、アリサや月に言わせるとその程度のマルチタスクは普通であるらしい。
 どちらにせよ、なのはの訓練が尋常なものではなく、そしてなのはもそれを苦痛に感じていないという事は分かった。
 なのはに対抗するためという訳でもないのだが、祐一もこの話をヒントに夕食前にはシグナムとの仮想戦闘を行なうようになった。
 目標は剣道の稽古での勝率五割。決して無茶な目標ではない。この練習を始めてから祐一の勝率は三割に近付いてきている。
 ベッドに腰掛け、背筋を伸ばす。そのまま祐一が柔軟体操をしていると、ノックがして部屋のドアが開けられた。

「祐一、食事よ」
「分かった。すぐ行く」

 ベッドから立ち上がりアリサの傍に歩いていく。夕食後の時間はアリサとの訓練だ。
 空を飛ぶ事は出来ないままだが、魔力の扱いづらさから精度の低かった砲撃魔法の命中率上昇や集束砲撃魔法などのプログラミングによって、地味にアリサの戦闘能力は上がっていった。
 今のままなら、陸戦Cランクは堅いだろう。
 無論、技術面についても抜かりは無い。月の指導の下アリサは様々な知識を吸収していった。
 元々の素質もあり、今やアリサは一端の技官と張り合えるだけの技術を身に付けている。
 先日もアリサが作ったという小型魔力炉で動くゴーレムの起動実験に付き合ったばかりだ。
 皆それぞれの道を進んでいく。
 祐一は、その歩む先が希望で満ちていることを願うばかりだった。



[5010] 第三十六話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:55
 紺色の作務衣を着込み、祐一はリビングのソファーに腰掛けた。
 この日、聖祥小学校のグラウンドで盆祭りが開催される。
 なのはとアリサは色違いの無地に小さな花をあしらった浴衣を美由希に着せてもらっている。
 美由希は普段着で、ユーノはなのはの肩に乗る。恭也は忍との待ち合わせで先に行ってしまっていた。士郎と桃子は翠屋だ。
 祐一達は盆祭りのチラシを持って聖祥に向かう。
 学校に近付くにつれ、浴衣姿の人もちらほらと見かけるようになり、グラウンドの方角からは大きな音が聞こえてくる。
 正門まで辿り着くと、そこには二人の少女がたたずんでいた。バニングスとすずかだ。二人ともそれぞれ華やかな浴衣を着込んでいる。

「こんばんはー!」
「えっと、こんばんは」
「こんばんは。アリサちゃん、すずかちゃん」

 小三三人娘が揃い、正門をくぐる。
 グラウンドの中に入ると、とてつもなく大きな雑音が耳を塞いできた。
 グラウンドの中央に組まれた矢倉の上で太鼓を叩く音。無数の話し声。入口とは反対側に設置されたステージの上で演奏されるバンドの歌。
 とりあえず祐一達は入って右側にある本部のテントに出来ている行列に並んだ。祭りのチラシに付いてきた券でくじ引きができるのだ。
 結果は惨敗。なのは、バニングス、すずかはそれぞれ残念賞のジュースを一本貰ってきた。

「あーあ。せめて三等ぐらい当たればいいのに」
「アリサちゃん。三等賞はお米十キロだよ」
「うちは要らないかな。普段はパンだし」

 三人娘の呟きを聞いて、祐一はアリサと視線を合わせて小さく頬を緩める。
 それからチラシを見てどこが面白そうか話し合う。
 ステージはバンドや演歌などの予定がびっしり並んでいた。
 祭り自体の予定は八時半から盆踊り、八時五十分から打ち上げ花火となっている。

「とりあえず、一度ぐるりと時計回りに回って行こう」
「そうだね。お祭りが終わるまでは時間があるし」

 祐一の言葉に美由希が同意する。まだ空は金星が輝きだしたばかり。盆踊りまでに二週は出来るだろう。
 歩き出してすぐ、祐一はとあるものを見つけた。茜色の髪を二つの長い三つ編みにして垂らしている少女だ。車椅子の女の子と一緒にカキ氷の出店に並んでいる。そしてその車椅子を押しているのはシグナムだ。
 祐一はとりあえずそっとしておく事にした。下手に絡んで顔や名前をなのはやユーノに覚えられたらまずい事になる。

「誰か綿菓子いる人ー」
「あ、はーい!」

 祐一の言葉になのはが反応する。カキ氷の屋台から二つ先の夜店。なのはは一昔前の少女アニメの絵柄がプリントされた袋を選んだ。
 なのはは袋を開けるとバニングスやすずかと一緒に食べ始める。

「きゅ」

 なのはに綿菓子を分けて貰ったユーノが嬉しそうに鳴く。なのはと頷いている様子からして念話をしているのだろう。

「なのは、ユーノは何て言ってた?」
「甘くて美味しい、だって」
「今度はりんご飴なんてどうかな」

 しばらくユーノを弄りながら、なのは達が会話する。そして屋台の五分の一を見て回ったところで祐一達はふと不思議な物を見つけた。
 膨らまされた大きな円筒状のバルーンの中、弾力のあるバルーンのような物で出来た床の上を子供達が飛び跳ねていた。子供達が跳ねるのと同時に中にばらまかれている小さなゴムボールが跳ねている。
 入口に立っているおじさんに聞いてみると無料で遊ばせてくれるらしい。なのは達三人娘がユーノを連れて中に突撃していく。そのついでに美由希はお手洗いに行ってしまった。
 結果として、祐一とアリサだけがバルーンの前に取り残される。

「ねえ、祐一」
「なんだ?」

 真剣な表情でアリサがこちらを見つめてくる。

「フェイトの無罪はほぼ確定。プレシアのことを考えるとベストとは言い辛いけど、それでもベターな結果に終わったと思う。なのはもユーノに魔法を教わってどんどん上達していってる。でも、まだ先があるのよね?」
「……十二月だ。予定通りに事が進んだなら、そこで事件は起きる」
「そう。それで私達に出来る事はある?」
「無い。せめて高速で空を飛べたなら別だけど、それが出来ない俺達は格好の的だ。足手まといにしかならない」

 そっか、と呟いて空を見るアリサ。祐一も空に輝き始めた星々を見る。
 なのはが事件に巻き込まれるのは元の世界では十二月だったが、祐一が事件を引き起こす予定の日は十月の下旬だ。
 祐一が干渉してしまう以上、事件の結果はともかく経過が大きく変わる事も有り得る。

「また事件、か。詳細は教えてくれないのよね」
「ああ。知らないでいてくれ。どこで予測が狂うか分からなくなる」
「なのはも大変ね。事件に巻き込まれてばっかり」
「力は力を引き寄せるって聞いたことがある。これもあるいはなのはの背負った運命なのかもな」

 まあ、運命なんて力ずくでどうにかしてしまいそうだが、という祐一の呟きに、アリサがくすくすと笑う。

「そうね。なのはなら、きっと」
「どうしても足りないところだけ俺達が手伝ってやればいいさ」

 見れば東の空に満月が輝いていた。その月に向かって祐一は手を伸ばす。

「皆が苦しむ様を見て、自分だけは高みの見物。どちらにも手出しできないのが辛いとこだな」
「どちらにも?」

 アリサから鋭い視線が突き刺さる。
 それに対し、祐一は小さく息をついて見せた。

「相手側にも事情があるって事だ。フェイトの時みたいに」
「そう……」

 アリサが視線を切る。何事か考えているようだった。
 だが事態は変わらない。蒐集が開始されるまであと二ヶ月。
 予定通りいくのなら、祐一が闇の書事件を引き起こすファクターとなる。
 陰鬱な気分になっていた時、ふと作務衣の袂が引っ張られた。
 振り返るとそこには五歳くらいの女の子が立っている。
 女の子は、青いワンピースにバッタ怪人のお面をつけている。
 その髪はこの暗がりでは黒っぽくなっているが、それが翠色をしている事は容易に想像がついた。

「どうした? ユーリ」
「あ、ユーリ。お祭りは堪能して……るみたいね」

 お面を外したユーリの口元にはソースと青のりが付着し、その手にはりんご飴と焼きとうもろこしの入った袋と水風船が三つ提げられていた。

「何か二人で話し込んでいるみたいだから話を聞きに来た。それだけ」

 相変わらず淡々とした口調で喋るユーリ。
 その感情までは読み取れないが、時折はっきりとした感情を見せる事もある。
 その捉えどころの無い言動故に、祐一にとっては月以上に得体が知れない相手だった。

「十二月になのはが巻き込まれる事件について少し話していただけだ」
「余り詳しい事は教えてもらえなかったけどね」
「……この件は非常に繊細。僅かな事で未来は大きく変わる。不干渉でいてくれる事を願う」

 ユーリの言葉に祐一はため息をつく。言外に何も出来ることはないと言われた。分かってはいたが、実際に言われると流石にショックを受ける。

「あ、おにーちゃん、おねーちゃん」

 なのはの声に振り返る。なのは達がやや浴衣を着崩してバルーンから出てきたところだった。ちょうどそこに美由希も戻ってくる。

「あれ? さっきここに小さい子がいなかった?」

 美由希の声に祐一とアリサが振り返った先には、ユーリの姿が忽然と消えていた。
 この人混みだ。姿を隠すのも簡単だろう。

「知り合いの子が一人いまして、さっきお母さんに連れられていったところです。ところで美由希さん。なのは達の浴衣直してもらえますか?」
「あ、うん。分かった」

 美由希とアリサが三人娘の浴衣の乱れを直す。そして再び夜店を見て回り始めた。

「お。ヨーヨー釣りやっていっていいか?」
「あ。あたしもしたい」

 祐一とアリサがお金を払い釣り紙の付いた釣り針を受け取る。それをヨーヨーが浮いている水槽の中に入れ、ヨーヨーの口を縛る輪ゴムに引っ掛けて釣り上げる。
 釣果は祐一が三つ、アリサが二つ。それぞれ三人娘に一つずつ分け、ヨーヨーを手で遊びながら次の夜店を見て回っていく。
 ドネルケバブやたこ焼き、人形焼などの店を回り、小さな子供達が発光するリングや棒を振り回して遊んでいるのを眺める。
 祭りの雰囲気に祐一が酔う。皆で笑い合う事がとても楽しい。今だけは、苦悩も葛藤も忘れて心の底から楽しいと思えた。
 ふと横を見る。少し離れた位置にいたピンクの髪を後ろで束ねた女性――シグナムと視線が合った。

「アリサ、なのは。ちょっと剣道場の先生に挨拶してくる」

 言ってアリサと繋いでいた手を離し、シグナムの元に駆け寄る。シグナムは茜色の髪の少女と共に車椅子の少女の横を歩き、金髪の女性が車椅子を押していた。

「こんばんは、シグナム」
「ああ。こんばんは、祐一」
「ん? シグナムの知り合いの方?」

 訛りのある言葉遣いをする車椅子の少女が尋ねてくる。シグナムと祐一は同時に頷いた。

「剣道場でシグナムに稽古をつけてもらっているんだ。俺は相沢祐一。祐一でいいぞ」
「あ、そうなんですか。私は八神はやていいますー。よろしうな、祐一さん」
「シャマルと申します」
「……ヴィータだ」

 シャマルからは丁寧に、ヴィータからはやや警戒を含んだ声で名乗られる。よろしく、と声を掛けるとシャマルは微笑みで返し、ヴィータはそっぽを向いた。

「なるほど。これがシグナムの大切な家族か」
「シグナム、そないに言うとったん?」
「ああ。皆と静かに生きていきたいって言ってたぞ」

 その言葉にはやての顔が明るくなる。

「そっかー。シグナムもそう思っとってくれたんかー」
「はい。私もあなたとの生活を大切に思っていますから」

 シグナムがはやてに微笑みかけてそう言った。それに花の咲くような笑顔で返すはやて。
 毎度ながらに祐一は思う。何故自分の周りの女性は同性とばかり仲がいいのだろうか。
 なのはにフェイトにすずかにバニングス、そしてはやてを中心としたこの八神家一同。アリサも美由希も浮いた話一つ聞いたことが無い。
 彼女達から男子の話が上げられない事。祐一にはそれが心底不思議だった。

「あ、シグナム。今度シグナムが働いとる道場、見学してええか?」
「あまりお勧めは出来ないのですが……ご要望とあれば」
「無理はせんでええよ。出来たら、の話や」
「いえ、こちらは問題は無いのですが……。少し刺激が強いやもしれません」
「んー……大丈夫やと思うで。いつもシグナムが気合入れて素振りしてるの見てるから」

 にっこりと笑って見せるはやて。そしてついにシグナムが折れた。

「分かりました。明日の朝一緒に道場へ行きましょう」
「じゃあ、俺も皆の所に戻るよ。また明日な。シグナム、はやてちゃん」

 なぜかヴィータに軽く睨まれたまま追われる様にアリサ達の下に戻る。そこでは多少不機嫌そうな顔をしたアリサと苦笑するなのは達が待ち受けていた。

「祐一。あの人は誰?」
「ああ。俺の通ってる剣道場の講師の人。かなり腕が立つ人でな、毎度お世話になってるんで挨拶をしてきた。――で、アリサはなんで怒ってるんだ?」
「怒ってなんか無いわよ。ちょっと不安になっただけ」

 首を捻る。何を不安に思うのか、祐一にはさっぱり見当がつかない。
 とりあえずアリサに聞いてみる事にする。

「なにか心配されるような事をしたか? 俺」
「……あのまま何処かへいなくなっちゃいそうな気がしたのよ。ただでさえ祐一は最近変なんだから」
「変?」
「そうよ。自虐的になってみたりどこか遠くを見つめたりして。自覚が無かったの?」

 祐一にそんな自覚はなかった。だが思い返してみれば、祐一は自分の犯す罪の事や闇の書事件の事などを思い葛藤することが何回もあった……かもしれない。

「なのは。俺はそんなに変だったか?」
「うん。最近おにーちゃん何か悩んでることが多かったよ。今日は普通に笑ってるからもう大丈夫なのかなって思ってたんだけど……」
「そっか。心配かけてごめんな」

 なのはの頭の上にそっと手を乗せる。その時祐一の頭の中にユーノの声が響いてきた。

(祐一さん。僕でよかったら悩み事を相談してください。一緒に悩むことぐらいは出来ますから)
(ありがとう、ユーノ。だけどもうちょっとだけ頑張ってみるよ)

 なのはの肩に乗ったユーノの頭をくりくりと人差し指で撫でる。そしてアリサと向き合った。

「ごめんアリサ。もう少し悩むけど、きちんと自分と向き合ってみる。何も言わずにいなくなったりはしないから、安心してくれ」
「……分かった。でももし悩み続けるようならその時は詳しい事情を聞かせて。いい?」
「ああ。約束する」

 アリサと握手をする。その二人の頭を美由希が撫でてきた。くすぐったくてちょっと笑う。

「はい、仲直り。祐ちゃんも困った時は遠慮せずに言うって約束してたでしょ? あたし達じゃあまり役に立たないかもしれないけど……だからって一人で抱え込んでいい訳じゃないんだから」
「はい……」
 
 祐一は自分がこれほど心配をかけているとは思ってもいなかった。素直に反省して、話せる範囲で相談してみようと考える。この温かい家族に、不安の影を落とさないように。

「さて、次のお店行こう。あそこなんてどうかな。なんか大きなサイコロ振ってるよ」

 美由希に先導されその後を付いていく。祐一の右手になのはが、左手にアリサが手を繋いできた。二人の小さな笑顔を見て笑みを洩らし、祭りの喧騒に身を委ねる。今日くらいはこのまま笑っていよう。明日からまた痛みを背負っていけるように。





 そして、翌日。
 祐一が剣道場に入って目にしたのはシグナムに抱きかかえられたはやてと、その横に立つヴィータだった。
 まだ他の門下生が来るまで三十分近くある。どうやら朝のうちに一試合しようという考えのようだ。
 祐一は更衣室に入り、剣道着に着替え、防具を着ける。竹刀を準備して部屋を出た。
 神棚に礼をしてからシグナムの所に向かう。はやてとヴィータは壁際に座っており、シグナムは既に面をつけていた。

「やるぞ」
「応」

 髪を手ぬぐいでまとめ面を被り、シグナムと正対する。互いに礼をしたその瞬間、試合は始まっていた。
 どこまでも心を静かに穏やかにしたまま、思考をこれ以上無いくらいに加速させる。目の前には剣士が一人。その全身の動きを視界に納め、手足の一挙動、全ての『呼吸』を読み取りその隙にねじ込むように竹刀を振るう。
 相手の剣を逸らす。こちらの振り下ろしは弾かれた。
 そのまま籠手を狙ってきた一閃を弾き、それから何合も打ち合った後鍔迫り合いとなる。
 体格差はあるものの、力は互角か祐一の方が上だ。
 そして硬直して数秒後、お互い弾かれるように後ろに下がり、そして再び打ち合いを始めた。
 これまでにないくらい祐一の剣捌きは冴え渡っていた。
 それはシグナムが主の前で戦うことによって剣に乗せる覚悟が強いから。だからこそ祐一もつられるように自分の今までの限界を超えたのだ。
 もう幾合打ち合っただろうか。そんな事も判らなくなるほどの長い剣戟の後、大きく竹の弾ける音が響く。
 見れば、祐一の竹刀が中ほどでひび割れていた。

「負けました」

 祐一が頭を下げる。本来なら竹刀を交換して試合を続行するのだが、今回はここら辺が落としどころだ。これ以上続けると倒れるまで打ち合い続けかねない。……まあ、祐一が予備の竹刀を持っていないというのもあるのだが。

「ありがとうございました」

 シグナムが礼をする。それから面を外し、互いに微笑んだ。
 そしてシグナムと一緒にはやての下に近付いていく。はやては少し頬を染めて笑顔で二人を迎えた。

「シグナムも祐一さんもすごいなあ。私シグナムが戦うとこ初めて見たけど、あんなにかっこいいとは思わんかった」
「ありがとうございます」
「祐一さんもすごかったで。なんや、ものすごい気迫というか、それっぽいものが出とったよ」
「あ、ああ。ありがとう……でいいのか?」

 自分でも今回は精魂全てを剣に乗せていた様に祐一は思う。だが、とても心躍る試合だった。シグナムと目を合わせ、二人とも笑みを浮かべる。その様子を見てヴィータがため息をついた。

「やっぱりこいつもうちのリーダーと同じでバトルマニアかよ」
「……そういえばヴィータ、祭りの時から睨んできてたよな。なんでだ?」
「気安くあたしの名前呼ぶんじゃねー! ……おめーの事を前からシグナムから聞かされてたからだよ。とんでもねえ気迫を持った子供がいるってな。そんな危ないやつはやてに近づけられるわけねーだろ」
「あかんよヴィータ。まだろくに話もせんうちから人を悪者扱いしたらあかん」

 はやてにたしなめられヴィータがしゅんとする。そのヴィータに握手を求めて手を差し出す。

「相沢祐一だ。よろしく頼む」
「……昨日も名乗ってただろ」
「ああ。実は俺は十二時間以上前に名乗ったことは忘れてしまう特技を持っているんだ」
「迷惑な特技だな」

 シグナムからツッコミが入る。はやての前で突っかかることは出来ないと判断したのか、とりあえずヴィータはしぶしぶとではあるが握手をしてくれた。
 そして門下生がちらほらとやってきて、道場に一礼して入ってきた。

「シグナム。しばらくここで見ててええか?」
「はい。見学は許可されているので問題はないかと」

 観察していてふと祐一は思う。シグナムは今までにも微笑む事があったが、はやてに向けるそれは本当に優しい笑みだ。 慈しんでいるのだろう。己の主を、八神はやてという人間を。
 それから師範に新しい竹刀を渡されて高校生に混じり素振りをする。
 竹刀が手になじむまで型を繰り返す。
 シグナムの方を見ると小中学生の指導をしていた。はやてとヴィータは静かにその様子を眺めている。
 穏やかな日常を、ありふれた幸せを、それが仮初めだとしても大切にして欲しい。そう祐一は思う。
 それを打ち壊すのが自分である事を、心の内で自嘲して。



[5010] 第三十七話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:55
 ――高町家、夕食後のリビングにて――
 高町家の一同はテーブルの上に置かれたディスクを見つめている。
 ディスクの前に立ったユーノが操作すると、ディスクの上にスクリーンが投影された。
 スクリーンには金の髪をピンクのリボンでツインテールにした少女――フェイトの姿が映っている。

『こんにちは。なのは、兄さん、ユーノ、アリサさん。えっと、すずかやアリサも見ているのかな。今回私は試験に合格してAAAランク嘱託魔導師に認定されました。これからは嘱託局員として非常勤勤務をする事になります。これで行動制限が殆ど無くなって、局内をほぼ自由に回れるようになりました』

「フェイトちゃん……」
「よかったな、なのは」

 嬉しそうに笑う隣のなのはの頭を、祐一は優しく撫でる。
 そして、祐一も安心していた。フェイトがこれだけ笑っていられるという事が嬉しかった。

『クロノの話ではこれで裁判がかなり有利になるそうです。他にも色んな所が動いていて完全に無罪になる公算が高いってクロノが話していました。それで、身元引受人を兄さんにお願いできませんか? 我が侭だけれど、私は兄さんやなのはと一緒に暮らしたいです』

「祐一。裁判が終わったら彼女を引き取りたいっていうことは伝えてなかったのか?」
「あー……。まだ言ってませんでした。今回の返信で伝えておきます」

 裁判の判決は十二月になるそうなので、これならフェイトをすぐに引き取る事が出来る。リンディへのお願いは無駄になるが、それは一応の保険だ。問題は無いだろう。

『ところで、この間面白い物を見ました。ヴァリアブルブロックといって、通路が変形して別の通路と繋がるんです。噂ではこの本局の中心には侵入不可能な区画があって、そこにはロストロギアを超えるオーバーテクノロジーが封印されているそうです』
「……げ」
「どうしたの? 祐一」
「いや、どうも聞き覚えのある話だったんで驚いていただけだ」

 おそらく元の世界にある『特研』と同じような組織が存在するのだろう。
 アリサもあまり腕を振るいすぎるとそこに幽閉されてしまうかもしれない。

『それから本局のお店でリンディ提督とヨウカンというお菓子を買いました。なのはの国のお茶と一緒に頂くととても美味しかったです。私は抹茶には角砂糖を一つ入れるのですが、リンディ提督は六つくらい入れていました。なのは達はどれくらいお茶に砂糖を入れますか?』
「お茶に砂糖なんて入れるのか?」
「恭也。外国では日本茶に砂糖を入れるのは割と普通の事なんだぞ」
「へー。そうなんだー」

 士郎の説明に感嘆の声を上げる美由希。士郎は現役時代イギリスに行ったりしていたから外国に関して詳しいのかもしれない。

『えっと、それと本局の中には建物の中なのに森のようになっている区画があるんです。お母さんに連れられてきた小さな子達が元気よく笑っていました。もしかしたら、アリシアが生きていたら母さんとあんなふうに笑顔で遊んでいたのかもしれません。母さんはアリシアと一緒に旅立ったけど、アルハザードに辿り着いて幸せを手に入れて欲しいです』
「フェイトちゃん……」
「フェイトにとって、あんな親でもまだ大切な母親なのね」

 なのはとアリサが呟く。だが、プレシアの願いはは叶わぬ夢だと祐一は知っている。それでも、フェイトはまだプレシアに笑っていて欲しいと願っているのだろう。

『……あ、え、ええと、まだ母さんの事引きずってるわけじゃないんだよ。ただ、母さんは本当に辛い思いばかりしてきたって事が分かったから、笑っていて欲しいって思うんだ』

 そう言ってフェイトが微笑む。
 だがその硬い笑顔を見る限り、祐一にはまだプレシアの事を引きずっているようにしか思えなかった。

 それからフェイトの近況や面白かった事、驚いた事、魔法の事、アルフの事など沢山の話を聞いた
 。微笑んだり、恥ずかしがってみたり、しゅんとしてみたり、祐一が初めて会った頃からは考えられないほど表情が豊かになったように思う。
 そして映像が終了し、なのはがディスクをケースにしまう。

「今度送る分はすずかちゃん達と一緒に撮っておいで」
「うん……おにーちゃんはどうするの? フェイトちゃん、おにーちゃんの事を気にしてたよ?」
「そっか。じゃあ混ぜてもらおうか。アリサはどうする?」
「んー。顔だけ出しとく。やっぱりフェイトが一番会いたいのはなのはと祐一だからね」
「俺?」

 祐一は先程のビデオを思い出す。確かに、なのはの次に呼ばれていた回数が多いのが祐一だった。
 接触した期間はそれほど長くないはずだが、懐かれたのだろうか。

「しっかりしたところを見せて、甘えられるぐらいになりなさい。お・に・い・ちゃん」

 アリサが祐一のつむじの辺りをぐりぐりとしてくる。
 そう言っているアリサも以前は祐一に甘えてくることがあったのだが、フェイトとのやりとりで隠し事に感付かれたのか、もう布団にもぐりこんでくるような事はなくなった。
 アリサは今、自分で立ち上がり歩き出そうとしている。
 それは祐一にとって嬉しくもあり、少し寂しくもあった。

「お前こそ、無理はするなよ」
「??」

 祐一の言葉にアリサは首を傾げる。
 まあ、いきなりそこだけ言われても分かる訳がない。
 とりあえずなのはとは反対側の隣に座るアリサの頭に手の平を乗せてみる。
 そのまま髪を乱してしまわないように優しく頭を撫でた。

「そういえばおにーちゃん。剣道場の事はフェイトちゃんに話さないの?」
「ああ。あそこでの稽古はあんまり人に誇れるようなものじゃないからな」
「そんなこと言って、本当は『あの人』のことを内緒にしておきたいだけじゃないの? あたし達にも名前さえ教えてくれないし」

 アリサの言葉に一瞬動揺する。だが、今の段階でシグナムの事を知られる訳にはいかない。
 祐一はごまかすために乱暴にアリサの頭をなで、髪を乱す。アリサは髪を手で直しながらジト目で睨んできた。

「まあ話したくない理由は何となく見当がつくし、見逃してあげるわ。ただし、最後にはきっちり説明しなさい。いい?」
「分かった。ありがとう、アリサ」
「ちょっ、だからあたしの髪で遊ぶのはやめなさい!」

 再び頭を弄くろうとした手が叩き落される。
 そして逆にアリサが祐一の頭を無茶苦茶に撫で、髪を乱してきた。
 祐一もぐちゃぐちゃにされた髪を手櫛で直す。

「おにーちゃん、おねーちゃん。ケンカは駄目!」
「「はい……」」

 なのはに怒られ互いの髪に伸ばされていた手が引っ込められる。
 二人で小さく笑い合い、それからアリサが立ち上がるとなのはを後ろから抱きしめた。

「おねーちゃん……?」
「ねえ、なのは。今日は一緒にお風呂に入ろうか」
「うん、いいけど……」
「たまには女の子同士で秘密のお話をしましょう。あ、祐一は聞き耳立ててちゃだめよ」
「分かってる。部屋にいるから上がったら呼んでくれ。行こう、ユーノ」
「はい」

 ユーノを肩に乗せ自分の部屋に上がる。
 ユーノは机の上に降り、祐一はポケットからファイスを取り出してその横に置く。

「祐一さん」
「どうした? ユーノ」
「祐一さん、もしかして『あの人』って呼んでる人のことが好きなんですか?」
「……へ?」

 祐一がユーノの言葉を理解するまでに数秒固まる。そして硬直から抜け出すと同時に大声を上げて笑う。

「っはははは! ない、それはない! だって年の差ありまくりだろ! 年が十歳近く違うんだぞ?」
「なら、何でひた隠しにするんですか?」
「あー……。実はあの人は某国のスパイでな、他の人間にそのことをバラすと俺が殺されてしまうんだ」
『マスター。そんなバレバレな嘘をつかなくても』

 ファイスが呆れたような声を出した。気のせいかユーノがジト目で見つめてきているような気がする。

「まあ、なんというか……俺が一方的にライバル視しているってのがあの人と俺の正確な関係だと思う」
「ならどうして名前まで隠すんですか?」
「とりあえず、俺が勝ち越すまでは他の人間に紹介したくないんだ。男の意地ってやつかな」

 真っ赤な嘘だ。だがユーノはそこで引いてくれた。聡明なユーノのことだから祐一の嘘を見抜いている可能性もあるが。
 次のシグナムが道場に来る日は尾行に注意した方がいいかもしれない。

『ところでマスター。早く宿題を片付けた方がいいですよ』
「っと。そうだった。ありがとう、ファイス」

 学校の鞄を開け、宿題のプリントを取り出す。流石に小学校の問題は楽勝だ。アリサのような全教科全て百点のような真似は面倒だからしないが。
 終わったプリントと明日の教科書を鞄に入れ、しばらくファイス、ユーノの三人でなのはの事について話し合う。今ではなのははデバイスの補助無しでシールドの同時展開やディバインシューターの四発同時誘導制御まで出来るようになったという。なのはの高い出力でのシールドや、デバイス使用時のディバインシューター十六発などは近距離では脅威だ。そして敵を遠ざけた後は、高出力の砲撃魔法で止めを刺す。今や砲撃魔導師としてなのはは完成されつつあった。

「まあ、誘導制御弾の練習だけは小さな頃からやってきたからな。ユーノの結界やバインドと合わせれば大体の敵には対応できるだろう」
『マスターならどう攻めますか?』
「遠距離から砲撃魔法を無理矢理躱して硬直しているなのはに一気に接近。体当たりを仕掛けてバリアかシールドを張られたところで、それに魔力を流して爆発させる。後は吹き飛ばされたなのはを抱きしめて自爆、かな」
「出来るんですか? そんな事」

 疑いの感情がはっきりと言葉に出ているユーノ。苦笑して注釈を付け足す。

「ただし、俺が大人になっている事が条件だ。だけどその頃にはなのはは俺じゃ敵わないくらい強くなってると思うから、机上の空論でしかないんだが」
『ですね。魔法のバリエーションだけでなく使い方、タイミングの見極めなどが出来るようになれば、付け入る隙もことごとく潰されていくでしょう』
「あの、その前に祐一さんって高速機動出来ないんじゃ……」
「大人になれば出来るんだよ。変身魔法とか使えればいいんだけど、そんなもの使った日には全身大爆発を起こしそうだし」
『流石に肉片になってしまえば死は免れないでしょうね』

 自分で言った言葉の光景を想像して、祐一は身を震わせる。使用者の魔力を使って変身するロストロギアなど使った日には、祐一は汚い花火となって散ってしまうだろう。
 その時ドアがノックされた。祐一が返事を返すと、ドアを開けてアリサが入ってくる。

「祐一。お風呂空いたから早く入ってね」
「了解。行こうか、ユーノ」
「はい」

 ユーノを肩に乗せて下着とパジャマを持ち階段を下りる。風呂で自分とユーノの体を洗い、ユーノが充分に温まるまで湯に浸かった。
 士郎や恭也達は稽古に行っているのかいなかった。ので風呂が空いたことを桃子に伝えて自室に戻る。


 そこには獲物を待ち構えていた二人の肉食獣がいた。


 なぜか妙に気合の入った目で祐一のことを見つめているアリサとなのは。ユーノは小さくキュッと鳴くと、机に飛び移って寝床に丸まってしまった。
 この裏切り者、と祐一は目で語る。ユーノからはごめんなさいどうか許して、という視線が返ってきた。

「祐一。久しぶりに一緒に寝ましょう?」
「も、もうそろそろ男の子と一緒に寝るのはやめたほうがいいんじゃないか?」
「あら。もしかして一緒に寝ると変な事しちゃうの?」

 挑発的な視線を向けて口元を吊り上げるアリサ。
 だがここで否定してしまえば当然同衾させられるし、肯定すれば祐一の尊厳が死んでしまう。意地の悪い二択だった。

「な、なのは。俺と一緒に寝るなんて嫌じゃないか?」
「ううん。わたし、嫌じゃないよ」

 同性のフェイトには照れたり頬を染めたりするのに、祐一には照れることなく抱きついて見上げてくるなのは。
 なのはに好意を寄せているユーノやクロノ(推定)は、まず異性として意識してもらうまでが長そうだなー、などと思考をあさっての方向に飛ばしてみる。
 不意に、アリサに腕を引っ張られた。

「さ、祐一。一緒に寝ましょう」
「ちょ、ちょっと待て。俺はこれからシャープペンシルの芯でピラミッドを組んでギネスに挑戦するんだ。ということで二人とも今日は自分の部屋で――」
「いいから来なさい」
「いててててて! 痛い! 痛い!!」

 アリサに頬を思いっきりつねられ、なのはに押されるままベッドまで連れて行かれる。
 そして右側にアリサ、左側になのはが横になり、その中央に祐一が寝かされた。
 流石に三人並んで寝るのは狭いため、二人は祐一の方を向く様に体を横たえ、祐一の腕を枕にする。
 おかげでどっちを向いても二人と目があってしまう。

「さて、祐一。あたし達はどうしても聞いておきたいことがあるの」
「もしかして、『あの人』のことか?」
「分かってるじゃない」

 アリサの笑顔を深くする。アリサは笑っているはずなのに、祐一が感じているのは恐怖だった。

「祐一。『あの人』って女の人でしょう?」
「……なんでそう思うんだ?」
「だって祐一なら男の人が相手だと『あいつ』って言うんじゃない?」
「うぐぅ……」

 アリサの的確な予想に黙り込む。
 祐一に出来るのは机の上のユーノに視線で助けを求めるのみだった。
 無理ですごめんなさいという視線が返ってくる。

「おにーちゃん」
「えっと、何? なのは」

 今度はなのはの方を向く。なのはは不安げな表情を浮かべていた。

「もしかしておにーちゃんが言う『あの人』って、おにーちゃんの主さん?」

 そこで祐一はなのはが今日こうして問い詰めてくる理由を理解した。
 なのはは祐一がいなくなってしまうことを不安に思ったのだ。

「違うぞ。俺の主は『あの人』とは別人だ。俺はいなくなったりしないから安心しろ」
「……うん」

 なのはが嬉しそうに顔をほころばせ、それに笑い返してなのはの頭を撫でる。
 そして祐一はアリサの方に顔を向けた。

「ところでアリサ。それを聞くためにわざわざ一緒に寝に来たのか?」
「いいえ。一緒に寝るのを押し切ってしまえば後の質問にも簡単に答えてくれるってアドバイスを貰ったの」
「誰だ、そんなはた迷惑な事を言ったやつは」
「ファイス」
「ファイス、お前もか!」

 味方のはずだったファイスの手痛い裏切りに、思わずカエサルを真似た台詞が飛び出した。
 そしてふと疑問が浮かぶ。ファイスは全部知っているはずなのに何故祐一を裏切ったのか。

『マスター。少しは人の心を察してください』
「……何かまたヘマしたか? 俺」
『それはあなたの傍にいる人に聞くことを推奨します』

 祐一は視線をアリサと合わせる。アリサは少々拗ねたような顔をしていた。

「ねえ、祐一。あなた、『あの人』って言ってた人がそんなに好きなの?」
「待て。何故そんな質問になる?」
「だって、祐一は『あの人』の話題になるとすごく楽しそうに笑うんだもの……」

 祐一は長い息を吐くと天井を見上げた。

「ユーノにも言ったが、俺と『あの人』はそんな関係じゃない。俺がライバル視してるだけだ。俺が全力を出しても全然敵わない相手でさ。打ち合うのがすごく楽しいんだ」
「ふーん。要するに男の子の楽しみってこと?」
「まあ、そんなところ。もっと勝てるようになったら紹介するから、それまでは『あの人』については秘密にさせといてくれ」
「まあ、いいわ。どうせ十二月になったら分かるんでしょう?」
「そこまで分かっといてなんでこんな聞き方するかな!?」

 アリサの方を向いて聞く。そして祐一の視界に入ったアリサの顔は、少しむくれているようだった。

「だって、玩具ゆういちが取られちゃったような気がしたんだもの」
「なあ。今、何かおかしくなかったか?」

 なぜか祐一にはアリサの言葉が耳に聞こえた通りの意味に受け取れなかった。
 少しばかり身震いがするのは何故だろうか。

「気にしない気にしない。玩具あなたが傍にいてくれるとあたしも嬉しいの」

 家族に対する独占欲からの言葉だろうか。その割にはなんとなく悪意が込められているような気がするのだが。

「ねえ、祐一。『あの人』の事、言える範囲でいいから教えてちょうだい」
「あ。わたしも聞きたい」

 二人に聞かれ、嘆息する。相変わらずこの二人には甘いと心の中で自嘲して、何から話し出すか考え始める。




 二人が眠った後、祐一はそっとなのはの方の手に青い魔法陣を展開し、そこから溢れ出した治癒の光がなのはを包んでいく。
 なのはがこの日眠ったのは十時といつもより遅かったため、明日に疲れが響いてはいけないと思っての行為だった。
 なのはの顔が緩んでいるのを見て、効いている様だと安心する。
 そしてなのはとフェイトのことを考えた。
 どちらも今年で九歳の子供。
 だというのに闇の書事件という負担を強いてしまうことに、正直やりきれない気持ちがした。
 祐一は特になのは、フェイトに情が移っている。
 だが、どうしても祐一はリインフォースを、主を喰らい泣き続けている彼女を救いたかった。
 最善の結果を、最小限の犠牲で成し遂げる。救うためではなく、救いたいと願う自身のために祐一は罪を犯す。
 その日に見た夢で、彼女はいつか見せてくれた、花がほころぶような笑顔を浮かべていた。



[5010] 第三十八話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:56
 そこは閉ざされた場所だった。
 それは単なる空間的な問題ではない。
 マヨイガなどの類いである異界を異なる位相に創造し、本来の世界から独立してしまった小さな世界だった。
 そこには幾人もの人が閉じ込められている。
 その理由とはオーバーテクノロジーを生み出す可能性を持ったから、という理不尽なものだった。
 オーバーテクノロジーとは現在の技術水準から何世代も先を行く、ロストロギアに匹敵する技術の事だ。
 微妙なパワーバランスで成り立っている次元世界の平和を守るため、これらの技術を封印する収監所。俗に天才と呼ばれる研究者の中でさらに行き過ぎた鬼才を生涯閉じ込めるのが、この時空管理局本局技術部特別研究室、通称『特研』である。
 『特研』のメンバーはそういった境遇上管理局を恨んでいる――訳ではなく、どんな研究をしてもいい(ただし倫理上の問題があるものにはストップがかかる)この環境に喜ぶ変人が多かった。
 そして彼らの間での技術共有によってさらに彼ら個人では到達できなかった高みに彼らは至り、『特研』は今や開けることの出来ないパンドラボックスとして時空管理局上層部の頭痛の種になっている。
 この『特研』を位相斜行させ異界に堕とし、唯一『特研』の中と外を行き来する権限と能力を持つ者。
 その人物こそ相沢月。『特研』の室長だ。
 ここにはその技術の高さを評価された結果、ロストロギアの分析などの仕事が回って来ることがある。
 そして『特研』はロストロギアを解析する内にさらに技術力を高め、同時に仕事への適正な評価により『特研』の取り潰し――すなわち『特研』の人間の粛清を防いでいる。
 そして今、月の前でポッドの中に浮かんでいる女性も特研に深く関わった人物だ。
 受けているのはメディカルチェック。五年前に受けた損傷をチェックしている。

「チェック終了。足が下に着いたら出てきてね」

 宙に浮いていた女性の足が床につく。同時にポッドの正面が上に開いた。

「ねえ、今ちょっと時間ある? 祐一のことなんだけど」

 月の所まで歩いてきた女性がその言葉に反応した。月に差し出された椅子に座り、淹れられたインスタントの紅茶を口にする。

「祐一は今抜け殻になっている。そしてその魂は次元世界のどこにも存在しない」
「次元世界のどこにも……?」

 動揺を見せる女性。だが月は落ち着き払って言葉を続ける。

「地球を含む無数の次元世界。これを内包している世界を一つの世界とすると、それとは僅かばかり違う世界が存在する。これを平行世界と呼ぶの。この平行世界の中には無数の次元世界があり、そこにはやはり同じか微妙に異なる地球が存在する。こういった平行世界は互いの可能性を補完しながらやはり無限に存在するの。祐一の魂は、この世界とは別の平行世界の地球にあるわ。姿形は変わっちゃったけどね。……そして今その世界では、五年前のあの事件が起きようとしている」
「それは、まさか……」
「あなたの考えている通りよ。お願い。祐一の手伝いをしてもらいたいの」

 その言葉に頷いて答える女性。
 どこからも侵入不可能探知不能なこの小世界ではこういった密約や取引、違法施設から奪ってきたサンプルやデータなど様々なものが溢れている。全部月がやっている事であったが。
 これで盤上に駒は揃った。
 そして今、再演が始まる。















 十月二十六日。プロジェクトアゲイン始動の日。

「よう、シグナム」
「祐一?」

 太陽が山の向こうに隠れ、薄紫の空に金星が輝き始めた頃。
 だぼだぼのTシャツと明らかに丈が長すぎるズボンを身に着け、祐一は八神家の前に立っていた。

「お仕事お疲れさん」
「――何故お前がここにいる? 今日は道場に来なかったが……」
「ちと準備に手間取ってたんだ」

 口元に笑みを浮かべる。同時にシグナムが一歩足を後ろに下げた。

「……準備だと? 一体何の――」
「再演の、だ」

 その言葉にシグナムが息を呑む。そして次にその目に宿った意志は――敵意。

「お前も、やつらの仲間か」
「ああ。俺もアゲインの一人だ。改めてよろしく、烈火の将」

 気安い口調でかけた言葉だった。だが、シグナムの視線は更に厳しいものになる。 

「……何故お前がその名を知っている?」
「あいつがそう呼んでたからなんだが……まあ、それはいい。手早く用を済ませるぞ」

 シグナムがペンダント形態のデバイスを握り締める。祐一は思わず苦笑した。シグナムはここで戦うことの意味をまるで分かっていない。

「ここで戦えば管理局が駆けつけるぞ。春先に事件があったばかりだからな。……いいのか? はやてちゃんの平穏を掻き乱して」

 その言葉にシグナムが動きを止める。そして強くこちらを睨みつけてきた。

「……何が望みだ」
「簡単に言えば、取引だ」
「取引?」

 シグナムがいぶかしむような目をする。とりあえず内容を先に話してしまった方が早いだろう。

「取引ってのは双方が得をするようにするもんだ。こちらからは情報を、そちらには約束を。まずはこちらから情報を提供しよう。それを聞いた上で判断してくれ」




















「それで、全てか」
「ああ。これを守ってくれるのなら俺達は一切の邪魔をしない」

 シグナムに笑顔を向ける。だが返ってきたのは猜疑心に溢れる警戒の視線だった。

「お前は双方得をするのが取引だといったな」
「ああ」
「この約束でお前は何を得するんだ。何を企んでいる」

 祐一はそこで空を見る。空には明るい星が幾つか煌いていた。

「今言った方法以外にも道はある。はやてちゃんに全てを告げれば、はやてちゃんは蒐集を選ぶか蒐集せずに命を全て闇の書の呪いに喰われるかの二択を強制される。俺達はその場合、はやてちゃんは蒐集を選ばないと推測した。俺ははやてちゃんを助けた上で、さらに助けたいやつがいる。そいつを救うために、夜天の魔導書の頁が全て埋められている必要があるんだ」
「……どういうことだ」
「いるんだよ。主を喰って、転生を繰り返して、ずっと泣き続けてる――救いを待ち続けてるヒロインがな」
「――!」

 シグナムの顔が強張る。何のことを指しているのか想像がついたのだろう。

「俺は、はやてちゃんとあいつを救いたい。ただそれだけが望みだ」
「それを、信じろと? お前の出した情報に嘘がないとどうして言える……我らが約束を違えないとどうして言える!」
「俺は、お前達ヴォルケンリッターの事を信じる。だから、シグナム達も約束を守って欲しい」

 睨み合いがしばらく続く。
 祐一に出来ることはただ情報を渡して信じるだけだ。
 そしてシグナムもこの約束には異は唱えられない。なぜなら、そういう内容の約束を出したのだから。

「……信じられん」
「だけど、俺は信じる。シグナムの事を」

 しかめっ面をするシグナムに笑いかける。
 自分を信じて欲しい時にはまず相手を信じるところから始める。信頼関係を築く鉄則だ。

「頁を埋めれば主はやての命は助かる。だがそれでなお再び主を命の危険にさらそうというのか?」
「決断ははやてちゃんに任せる。俺達は手伝うだけだ」

 シグナムはその顔に苦渋の色を浮かべていた。迷っているのだろう、と祐一は当たりをつける。

「なあ、シグナム。ゲームをしないか?」
「ゲーム?」
「そう。俺の張る結界の中で戦って、俺を三十分以内に倒せたらシグナムの勝ち。好きに行動して構わない。俺を倒せなかったらシグナムの負け。さっきの約束を守ってもらう」

 詭弁だ。このゲームの勝敗に関わらず、シグナム達はこちらの求めた約束に縛られるだろう。
 これはただ、迷うシグナムに踏ん切りをつかせるためのものだ。

「……分かった。その勝負、受けて立つ」
「契約成立。じゃあ、結界を張るぞ」

 祐一が虚空から結界作成装置を取り出し起動させる。同時に世界から色が失われていき、この場は現行世界からずれた位相の異界となる。
 結界の範囲は半径四キロメートル。祐一は結界作成装置を月衣に仕舞い、代わりに注射器を取り出した。
 ビニールの袋を破り、針のキャップを取って左上腕に突き立てる。
 薬剤を注入すると、効果はすぐに現れた。自分の中のレネゲイドが活性化する。体は熱を持ち、心は強い衝動に揺さぶられる。
 そして変化が始まった。
 骨が折れるような音と筋肉が引き裂かれるような音が辺りに響き始める。
 祐一の体が痙攣を続ける。
 やがて大きすぎたTシャツと長すぎるズボンはいつの間にか丁度いい大きさになっていた。
 衣服が縮んだのではない。祐一が大きくなったのだ。
 急激に変わった目線の位置に戸惑いながら、眉にかかる前髪の毛を一本引き抜いてみる。
 その色は金ではなくブラウンになっていた。
 後頭部に手を当てると長かった髪が短くなっている。
 白磁のようだった肌も黄色人種の肌色と化す。
 祐一の頭の中にいつかの月の言葉がリフレインした。

『≪αTrance≫を改良して作ったその薬剤は、肉体を自在に変化させる能力を一時的に付与してくれる。効果時間は約二時間。誰かに化けてもいいし、大人の姿になることもできるわ。ただし、これを使うと体内のレネゲイドウイルスが活発化する。衝動に負けないよう気を付けなさい』

 前を見る。シグナムが驚きに目を見開いていた。

「祐一……なのか?」
「ああ。これが『相沢祐一』の本来の姿だ」

 ズボンのポケットから黒いカードを取り出す。シグナムも小さな剣の形をしたペンダントを右手に握り締め、その手を前に突き出す。

「行くぞ、レヴァンティン」

 紫の魔力に身を包んだシグナムの姿が鎧に似た服装に変わる。その右手にはいつの間にか片刃の剣が握られていた。それを見た祐一はカードを目の前に突き出す。

「喰らい爆ぜろ、サクリファイス・ブルーム!」

 そして、ファイスの本来の名を叫ぶ。
 祐一の体を赤の魔力光が取り巻き、いつものアンダージャケットの上に黒に灰色のマーブル模様の装甲が出現した。
 腕、足、肩、その他体の関節を動かすのに支障が無い仕様の全身鎧型の装甲で全身を覆われる
 。背中には可動式のスラスターが付き、さらに背中側の装甲には大きなスリットが二つ開いている。
 腕や足の背側の装甲にも小さなスラスターが付いていて、頭に装着されたヘッドギアには青いクリスタルとバイザーが装着され、祐一はまるで小型のロボットのような格好になった。
 さらに両腕の肘から手の甲に掛けての装甲にはスリットが開いており、そこに虚空から現れた白と黒の剣が変形しながら収まっていく。
 そして両手の甲に幅広の短剣が突き出した形になった。
 
「それが、お前の相棒か」
「ああ。これが機甲式鎧型デバイス、サクリファイスのフルドライブモードだ。ファイス、時間の計測を頼む」
『分かりました。一分後にカウントを開始します』

 青いクリスタルから発された声は、幾分キーが上がっていた。全力を出せる事が楽しくて仕方が無いのだろう。
 シグナムは剣を構え、祐一を真っ直ぐに見つめてきた。

「一つだけ言っておく。一対一なら、ベルカの騎士に負けはない」
「だけど、勝つのは俺達だ」

 双方共に獰猛な笑みを洩らす。この緊張感、命すら懸けた戦いに、知らず祐一は心を歓喜で震えさせていた。

『四、三、二、一、開始!』

 ゲームの始まりが告げられたその瞬間、祐一は空に舞っていた。
 祐一の体を覆うマーブル模様の装甲は、ウィザードが箒と呼ぶものと同質だ。
 魔力を通わせることで飛行が可能になる箒。
 しかも祐一の身に纏う鎧式の装甲は高速飛行を目的として作られており、その速度は並の空戦魔導師を凌駕する。
 それに加えて各所のスラスターからエネルギーを噴出し、直線の飛行ならフェイトでさえ追いつけない速度を叩きだすことが可能となる。
 このエネルギーの正体は祐一の魔力だ。
 爆発にしか使えない魔力をファイスに調整を任せて放出し、それを燃料にしてスラスターを噴かしているのだ。
 祐一を追ってシグナムもまた宙を舞う。だがその速度差は歴然としていた。

「祐一! 貴様、逃げるのか!」
「はっははは! 逃げ足の速さなら俺たちは負けない!」
『ああ……久方ぶりの全力飛行……!』

 祐一は半球状の結界を円を描くように回り、ファイスは己の全力を振るえることに恍惚とした声を上げる。
 振り返ると、シグナムの姿は既に見えなくなっていた。

「さて、こちらから攻撃してみるか?」
『いいんですか? きっと返り討ちですよ?』
「多少ダメージを喰らっても回復すればいいだけだし、それにこのままじゃあシグナムも納得しないだろ」

 祐一は旋回してシグナムを探す。
 幸い、すぐにシグナムは見つかった。祐一の軌跡から進路を予測し先回りをしようとしているようだ。

「ファイス!」
『バリアヴェール、展開します』

 祐一が黒い霧のような球状のバリアに包まれる。
 普段は高い防御力を誇るものの一切の攻撃が出来なくなるバリアヴェールだが、今回は違う。
 スラスターの推進力は無効化されるが、それでも高速での体当たりが可能だ。
 まともに喰らえば車にはねられたのと同程度の衝撃を与えられる。
 一方祐一の接近に気付いたシグナムは剣に炎を纏わせる。そして体当たりを仕掛ける祐一に真っ向から向かって来た。
 二人が交差する。見切りの勝負はシグナムに軍配が上がった。祐一の体当たりをギリギリで躱し、シグナムはすれ違いざまに炎を纏わせた剣で斬り付ける。
 バリアヴェールが切り裂かれ、祐一の交差させた両腕の装甲とレヴァンティンが擦れる甲高い音が響き渡った。
 しかしぶつかり合いに勝ったのは祐一の方だった。レヴァンティンの刀身に纏われていた炎は消えさり、装甲に弾かれる。
 祐一は再び距離をとるべくその場から離脱した。
 竜をも一刀両断する、魔力を乗せた剣技、紫電一閃。
 それに祐一が打ち勝てたのは両腕に納まっている二本の剣のおかげだ。
 白剣セイヴ・ザ・メモリーは攻性魔力を、黒剣ロストメモリーは物理運動量を半減させるフィールドを展開させる能力を持つ。つまり、祐一は魔力攻撃、物理攻撃の威力を半減できるのだ。
 ただし、高機動と防御力を徹底的に追及した結果、祐一には攻撃手段がまるで無かった。
 祐一が出来るのはバリアヴェールを纏っての体当たりの他、すれ違いざまに手の甲からでた短い刃で斬り付けるか至近距離での自爆、ウィザードの魔法による攻撃、レネゲイドの異能、そして高密度圧縮魔力を纏わせた腕による攻撃だ。
 そのどれもがCランクのシールド魔法で防ぐ事が可能な威力でしかない。
 一応Aランク相当の攻撃が出来る切り札があるが、これは一度使うと三ヶ月は使用不能になるため今は使えない。

「ファイス。もう一回行くぞ」
『いいんですか?』
「ああ。紫電一閃はカートリッジを使う。そう何度も使えないはずだ」

 旋回して再びバリアヴェールを纏いシグナムに突撃する。その時だった。
 魔力を乗せた連結刃が真っ直ぐ向かってきた。直撃すると同時にバリアヴェールがたわみ、空間が軋むような音がする。
 だが今回はバリアヴェールが破られる事も無く、祐一はそのままシグナムに突進する。
 シグナムが連結刃を戻すよりも、祐一が到達する方が早い。
 そして祐一がシグナムと衝突する、まさにその瞬間だった。

『Panzergeist』

 レヴァンティンの声と同時にシグナムが紫の魔力光に包まれる。
 シグナムはその空間から微動だにせず、体当たりしてきた祐一を弾き返した。

「あー……。やっぱりカートリッジ無しで弾かれるか」
『これは本当に勝ち目無いですね』
「とりあえず逃げよう。シュツルムファルケンさえ喰らわなければ俺達の勝ちだ」

 バイザーに表示されるシグナムの位置と魔力反応から一定の距離を保ちつつ結界内を飛び回る祐一。
 残り時間は十五分。いきなりの戦いにシグナムもカ-トリッジの予備をそう多くは持っていないだろう。
 シグナムの最大の威力と射程を持つシュツルムファルケンは多くのカートリッジを消費する。
 決して二発目は撃てないと祐一は読んでいた。

『魔力反応増大。ファルケンが来ます!』
「どうする。回避するか? それとも防御に専念するか?」
『回避を推奨します。アレと直接力比べをするのは分が悪過ぎます』
「了解!」

 祐一は進路をシグナムの方向に変え、一気に接近する。
 対するシグナムは三角のベルカ式魔法陣の上に立ち、弓矢の形状を取ったレヴァンティンをこちらに構えている。
 勝負は祐一の見切りによって決まる。番えられた矢が放たれるその瞬間を見切れば祐一の勝ちだ。
 二人の間が百メートルを切った時、シグナムは番えられたその矢を解放し――――それが着弾する前に祐一は爆発した。
 爆発の痛みをこらえながら、驚くシグナムを見て祐一は薄い笑みを浮かべる。
 祐一の魔力は魔導式と相容れず爆発を起こす。
 これを利用するため、祐一の装甲には左右と前後に一箇所ずつ、魔力を暴発させる爆破基盤が作られている。
 要は先に自爆によって自分の体を吹き飛ばし、シグナムの放った矢の軌道から逃れたのだ。
 後方で爆発の音が聞こえる。シグナムのシュツルムファルケンがどこかに着弾したのだろう。これでシグナムに余裕は無くなったはずだ。
 シグナムに全速で突撃する。接近したところですれ違うように手の甲にある刃を走らせた。
 だが、防がれる。こちらに盾の様に突き出された弓。それに付加された魔力のバリアで簡単に弾かれた。
 そのまま直進し距離をとる。自爆によって少々ダメージを負ったものの、ファルケンの直撃に比べれば微々たるものだ。

「≪ヒール≫」

 ウィザードの魔法陣を展開し、治癒の魔法を発動させる。痛みが引いていき、疲労感まで無くなっていった。
 これで互いに無傷。だがシグナムはカートリッジをほぼ使い切った筈だ。ならばシグナムに残された手段はバリアヴェールを切り裂いたあの紫電一閃ぐらいな物。それにのみ注意していればいい。
 だが、シグナムが動く気配が無い。バイザーで距離を確かめながら旋回してシグナムの反応を見る。その時、頭の中に声が響いた。

(祐一。私の負けだ)
(は?)

 バイザーに表示された残り時間を見る。まだ時間は十分以上残されていた。

(シュツルムファルケンを躱された時点で私のカートリッジの残弾数はゼロになった。今の私にはお前の鎧を抜くだけの攻撃は出来ん。これ以上は時間の無駄だ)
(……分かった。下に降りよう)

 八神家の前に二人は降り立つ。
 祐一が装甲を消し双剣を月衣に、デバイスをカード形の待機状態に戻すのを確認して、シグナムもその身に纏った騎士甲冑を解きレヴァンティンを待機状態に戻した。

「これで約束を守ってくれるな?」
「ああ、分かっている」

 シグナムの顔に穏やかな笑みが戻る。どうやら後押しは成功したようだ。
 ここで蒔いた種がどのような実をつけるのか、それはシグナム次第だろう。

「だが祐一。何故お前はここまでして救おうと思う? お前が得する事など無いだろう」
「泣いているやつがいたから泣き止ませてやりたくなった。人助けってのはそういうもんだろ」

 その言葉にシグナムが目を丸くする。
 それを見て、祐一は苦笑した。

「そんなに驚く事じゃないだろ。困ってるやつに手を差し伸べる、そんな事を当たり前に出来るやつがお前達の傍にはいるんだから」
「そう、か。確かにそうだ。……私はこれより主との誓いを破る。だが我が命に懸けて、お前との約束を守ろう」

 右手を差し出す。それに対してシグナムも右手を差し出し握手をした。そしてお互いに口元に笑みを浮かべる。
 そして握手を解いた後、祐一は最後の予定を実行する。

「シグナム、俺のリンカーコアを持っていけ」
「!? なにを言って……」
「使い物にはならないが魔力だけは多いんでな。結構なページが稼げると思う」
 
 真剣な目でシグナムの目を見つめる。シグナムは気を落ち着かせると硬い表情で応えた。

「いいんだな?」
「ああ。構わん」

 シグナムが祐一の胸に手を当てる。そして祐一の胸の中に手がもぐりこみ、赤い光を取り出した。その光は待機状態のレヴァンティンの中に取り込まれる。
 同時に祐一がその場に崩れ落ちた。そして世界に色が戻っていく。結界が祐一が倒れると同時に消滅したのだ。

「う……」
「馬鹿な……もう動けるのか?」

 うめき声を上げ、手をついて起き上がる祐一にシグナムが驚きの声を上げる。
 通常、リンカーコアを蒐集された人間はしばらくの間昏倒してしまう。
 それがすぐに意識を取り戻しているのだ。シグナムが驚くのも無理はない。

「……お前は本当に人間か?」
「そう聞かれると地味に傷つくんだが……まあ、もう人間じゃないかもしれないな」

 そう答えると、シグナムはペンダントの剣のアクセサリ――待機状態のレヴァンティンを不安そうな顔で見つめた。

「お前のリンカーコア、本当に大丈夫なんだろうな」
「大丈夫だ。だからそんな顔して見るな」

 お互いに口元を歪めて苦笑する。
 それから、祐一はシグナムが差し出してきた手を掴んで立ち上がった。

「さて、もう随分時間が経ったな」
「ああ。主に心配をかけてしまう」

 空を見上げると既に幾つも星が輝いていた。
 早く子供の姿に戻って帰らなくてはいけない、と祐一は急ぐ。

「じゃあ、困った事があったらここに連絡してくれ」
「これは……お前の連絡先か?」

 シグナムに渡したのは携帯電話の番号とメールアドレスを書いておいたメモ。
 これは計画外のことだが、このぐらいは許されるだろう。

「ああ。これでも治癒魔法には自信がある。疲れたときや怪我をしたときには遠慮せずに頼ってくれ」
「いいのか? 我らに協力している事が明らかになれば、管理局が――」
「管理外世界の人間が協力したところで逮捕なんて出来ない。安心して頼って来い」

 正確に言えば管理局は管理外世界の民間人に逮捕権を持っていないのだ。
 その民間人が次元犯罪を直接行なうなら話は別だが、ただ少しばかり協力したところでそれは罪に問うことはできない。
 そういう人間を逮捕するのは陸の仕事であり、当然ながら管理外世界である地球に管理局の地上支部は存在しないのだ。

「じゃあ、無理だけはするなよ。後、はやてちゃんの病状が悪化したら連絡をくれ。多少は軽減する事が出来るかもしれん」
「……ああ、頼りにさせて貰う」

 じゃあな、といって手を振りながら歩き出す。
 そのままさっさと逃げて路地裏に入り、祐一は体の奥底に眠る熱い力を制御する。
 骨が、肉が軋む音と共に体が本来の姿を取り戻していく。
 カーブミラーで姿を確かめると、いつもの金髪赤眼の子供に戻っている事が確認できた。

「さて、種は蒔いた。後は事態がどう転ぶかだな」

 一人呟く。祐一は踵を返し、ズボンの裾をめくってぶかぶかのTシャツを揺らしながら、高町家への帰途に着いた。






 同時刻、月のアパート。

「グングニールの完成率六十五パーセント……ディスポーサブルの方は作り直しね。もう少し頑丈でないと実用には耐えられない」

 呟きながら、宙に浮く幾つものスクリーンの一つを睨みつける月。その視線の先には、宇宙空間に環状の機械が浮かんでいる映像があった。

「さて。保険はかけた。協力は取り付けた。種は蒔いた。後は……人事尽くして天命を待つ、かな」

 月は薄く笑みを浮かべ、端末を操作した。大きなスクリーンが開かれる。
 そこには、剣十字をあしらった一冊の分厚い本のデータが表示されていた。



[5010] 第三十九話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:56
 十一月十日にユーノがP.T.事件の証人となるべくアースラに乗艦してからさらに十日。
 なのはの訓練についてはユーノの代わりに祐一が結界を担当する事になり、それに従って祐一とアリサの訓練も早朝に行われる事に決定。
 その結果アリサは早寝早起きの習慣を強制され、起こしに来た祐一に寝ぼけて噛み付く事もあった。
 祐一の結界は特に砲撃魔法の実射訓練や夜の高速機動訓練で驚異的な成果を見せる。
 前者は祐一の張る結界がスターライトブレイカー+ですら破れない為、後者は数キロメートルにまで結界を広げられる為だ。
 祐一の持つ結界作成装置によって生成される結界は月匣と等しく、コアとなる術者の撃破、もしくはウィザードの力のどちらかでないと破れない性質を持っている。
 また、祐一の張る結界は隠蔽能力が高いのか、派手に魔法を使っているにもかかわらずヴォルケンリッターが襲ってくることも無かった。 
 そしてクロノから祐一に宛てられたビデオメールではフェイトは保護観察(事実上の無罪)になる公算が高く、保護監察官にリンディが、身元引受人に祐一がそれぞれ内定しているという。
 裁判の終了は十一月の三十日。その夜にはこちらに着くという話だった。



「――で、経過は順調?」
「みたいだな。まあ母さんが根回しした以上は当然の結果だけど」
「いや、あたしが聞いてるのはフェイトの事じゃなくてあんたの事だけど」
「俺?」

 アリサの部屋。そのベッドに腰掛けた祐一は、隣に座るアリサの言葉に首を捻る。
 だが、心当たりは全く浮かんでこなかった。

「最近『あの人』の事をあまり聞かないし、あんたも剣道場に通う回数が減ってるじゃない。上手くいってないの?」
「いや、どうなんだろう。しばらくの間道場には顔を出せないって言ってたし、俺も『あの人』と接触するために道場に行ってたからな。無事でいてくれるといいんだが」

 約束に気を遣いすぎて蒐集に失敗、逮捕とかになったりしていないだろうか、などと考える。
 シグナム達がそう簡単に負けるとは思わないが、疲労が蓄積されれば隙も多くなる。

「何? 危ない橋でも渡らせてるの?」
「まあ、な。そそのかしたのは俺だ。これから起きる事件については俺は向こう側だと思ってくれていい」

 そう言って祐一は天井を見上げる。
 祐一の立場上、そして八神はやての病状の問題で出来るだけ素早く効率的に蒐集が進むのが望ましい。
 だが、その為にはなのはやフェイトが歴史通りに蒐集されるのを見過ごさなければならなかった。

「ついでに クロノやユーノも蒐集出来るといいんだが……それは難しいか」
「蒐集?」
「あ、すまん。聞き流してくれ」

 ぽすん、と座っていたベッドに背中から倒れ込む。
 天井を眺め、祐一は元の世界に想いをはせた。
 元の世界でも特に接する事の多かったシグナムとリインフォースとのやり取りを思い出す。
 月と舞がいたからこそあの時リインフォースを救うことが出来た。
 だが、今ならもっと簡単に救う方法がある。
 はやての病気も、リンカーコアへの侵蝕であるならばカバーが効く可能性が高い。
 後はただ、順調に蒐集が進むのを待つだけだ。
 ヴォルケンリッターが包囲された際に助けるというのも月に任せることになっている。
 仮面の男達の確保にも無理に祐一が出張る必要は無い。
 本当に、祐一に出来る事は無くなってしまった。

『マスター。気にせずにいきましょう。ケ・セラ・セラです』
「だがなあ。今のなのはだと下手したら『あの人』でも負けるんじゃなかろうか」
「半年前の時点でフェイトを圧倒してた上に、今は散々訓練をしてもっと強くなってるもんね。ねえ、ファイス。『あの人』となのはだとどっちが勝つと思う?」
『……六:四でしょうか。六が『あの人』で』

 ファイスの言葉に祐一は驚きの声を上げかける。
 ファイスの方がより詳しい分析をできるのは分かっていたが、まさかそこまでなのはの勝率が高いとは思わなかった。 祐一の頬を冷や汗が流れる。

「これは番狂わせが起きるかもな……」
「どうするの?」
「こっそり『あの人』達への支援をする」
「出来る?」
「切り札もあるし、タイミングさえ合わせれば何とかなる……と、いいな」

 天井の明かりに手を伸ばし、ぐっと手を握り締める。
 幼いなのはに魔法を教えたツケがここで回って来るとは思わなかった。
 三年前から始めた誘導制御弾のコントロールは、今やなのはの基本にして強大な武器となっている。

「ディバインシューター十六個同時制御とか、ホント洒落にならないわね」
「『あの人』なら魔力でバリア張って突っ込んで、近付いて斬るとかやりそうだけど」
「弾数減らしてその分威力を底上げされたら、簡単にやられちゃうんじゃない?」
「だよなー」

 四発ぐらいの大きめの魔力弾で四方から滅多打ちにされたら、あの全身を覆うバリアでは防ぎきれないのではないだろうか。そう考えると余計に不安になってくる。
 その時だった。アリサが祐一同様後ろに身を倒してくる。広がった髪から甘い匂いがした。
 既に時刻は夜の十一時。祐一は青の、アリサはピンクのパジャマを着込んでいる。色違いの同じ型のパジャマだ。

「やり過ぎないようにしてよ。祐一の攻撃は非殺傷設定出来ないんだから」
「了解。気を付ける」

 もっとも、祐一の攻撃程度ではオート設定されているプロテクションで弾かれてしまうだろう。だが、それでも一瞬の隙を作り出すことくらいは出来る。

「ねえ、祐一」
「ん? どうした?」
「予定通りに事が進んで、そうしたら祐一はどうするの?」
「んー。母さんに色々教わりながら中学までは学校に通って、それから先は管理局本局の技官になるってところかな」

 どうした、急に? と聞くと、なんでもない、と小さくアリサは微笑む。
 こうしている時にはアリサがとても可愛らしく思えるから不思議だ。普段は悪友というのがぴったりな関係なのだが、こういう時には仲のいい兄妹みたいになる。
 祐一はこうしたアリサの一面を見るたびに、まだアリサも子供であるという事を意識する。依存のレベルは下がったかもしれないが、それでもこうして時に無防備に甘えられる事があるのだ。
 それから二人でとりとめのない話をした。駅前のクレープが絶品だった事、ペットショップの店員が動物の言葉を理解できるという噂、月の下で祐一がどのように働いてきたのか、etc. etc.

「アリサ?」
「ん……」

 祐一が話している間に、いつの間にかアリサは寝入ってしまっていた。
 仕方無い、とぼやいて祐一はアリサを抱き上げる。
 アリサの体は軽く、そして柔らかかった。
 抱きかかえたその髪から漂うシャンプーの匂いがどこか甘いものに感じられる。
 その何となく安心できる香りに酔いしれながら、アリサをベッドに寝かしつけた。
 起こさないようにそっと部屋を出て、自分の部屋へと戻る。
 既になのはは眠り、アリサも寝入ってしまった。これからは祐一とファイス、全てを知る者同士が話し合う時間だ。

「なあ、ファイス。この先の予定はどうなってた?」 
『十二月二日の夜になのはとヴィータが交戦、更にそこへフェイト、アルフ、ユーノが参戦。ヴォルケンリッター側にもシグナム、ザフィーラが援軍として来ます』
「結果は?」
『なのはのリンカーコアが蒐集され、レイジングハートとバルディッシュが中破。その後この二機のデバイスはカートリッジシステムを搭載されるそうです』

 カートリッジシステム。
 圧縮した魔力を込めた弾丸を撃発し瞬間的に魔力を高める、強力ではあるが体にかかる負担も大きい危険なシステム。

「だけど、そこまで良いように行くと思うか?」
『ヴィータの戦闘データが無いため断言は出来ませんが、なのはが返り討ちにしてしまう可能性も充分にありえます』

 ため息をついて祐一はベッドに横になる。これは本気でヴォルケンリッターに助太刀する羽目になりそうだった。



 そして更に十日経った十一月三十日。高町家にはなのは、バニングス、すずかが集まっていた。
 レイジングハートを介してリアルタイム通信が行なわれているのだ。当然三人娘の背後には祐一とアリサが立っている。
 レイジングハートの上に展開されたスクリーンにはフェイトの姿が映っていた。

『えっと、ビデオメールで何度も会ってるけど……初めまして、アリサ、すずか』
「こうして直接話すのは初めてだから、初めましてでいいと思うよ。初めまして、フェイトちゃん」
「うん。初めまして、フェイト」

 すずかとバニングスがにこやかに返事をする。それにフェイトは照れたように頬を染める。

『裁判も終わって、私には保護観察三年という判決が下ったよ。保護監察官になってくれたリンディさんに挨拶をした後、もう制限は無いからという事でリアルタイム通信の許可をもらったんだ』
「身元引受人はどうなったの?」

 アリサが質問する。フェイトは不安そうな顔をして、おずおずと口を開いた。

『えっと、兄さんに決まったんだけど――ほんとに、いいの?』
「嫌だったか?」
『そんな事ない! だけど、私迷惑をかけちゃうかもって思うと、恐くて……』
「大丈夫だよ、フェイトちゃん。わたしも、お母さんやお父さん、おにーちゃん達もフェイトちゃんが来るのを待ってたんだから」

 なのはの言葉に嬉しそうな顔をするフェイト。二人とも僅かに頬を染めて見つめ合っている。
 祐一は静かにユーノとクロノへの黙祷を始めた。

『えっと、今は巡航中のアースラにいて、今晩には地球に着けると思う。ユーノと一緒になのはの家に行くね』
「うん。何時ごろに着くか分かる?」
『えっと、そっちの時間だと――』
『夜の八時くらいだね』
「あ、ユーノ君」
「「ユーノ(君)!?」」

 淡い栗色の髪をした少年がフェイトの後ろから声をかけてきた。そしてその少年がユーノである事にバニングスとすずかが驚きの声を上げる。

『あ。アリサとすずかには人間の姿を見せた事はなかったね。騙すつもりは無かったんだけど、言いそびれてて……ごめんなさい』
「別にいいわよ。なのはから話は聞いていたから」
「フェレットの姿の方が、こっちで暮らすのに都合が良かったからなんだよね」

 謝ってくるユーノに苦笑してすずかとバニングスが声をかける。

「八時ってことは夕飯は食べてから来るのか?」
『うん。そうなると思う』

 フェイトから確認をとった祐一は、アリサとアイコンタクトを交わす。

「じゃあ歓迎会は明日だな」
「楽しみに待ってなさい」
『え……?』

 不思議そうな顔をするフェイト。それを見てなのはが笑顔を浮かべる。

「裁判の勝訴のお祝いと、フェイトちゃんが新しく家族になるお祝いをするの。楽しみにしててね」

 しばらくフリーズするフェイト。そしてその言葉の意味を理解した途端、フェイトはぽろぽろと涙をこぼし始めた。

「フェイトちゃん!?」
『あ、はは。ありがとう、なのは。嬉しくなったら、つい涙が出ちゃうんだ』

 しばらく静かに泣いた後、目元を拭ってフェイトがこちらを向く。

『兄さん』
「どうした? フェイト」
『えっと、兄さんとアリサさんは、その……恋人同士なんですか?』

 その言葉にアリサと視線を合わせる。あからさまにため息を吐かれた。

「「ないない。それはない」」

 手をパタパタと顔の前で振りながら、アリサと声をそろえて否定する。

「ええっ!? 違うんですか?」
「てっきりあたしは付き合ってるんだとばかり思ってました」

 すずかとバニングスにまで誤解されていた事を知って祐一は肩を落とす。
 流石に十二歳の恋人が欲しいとは思わない精神年齢二十歳の祐一。
 アリサの子供っぽい独占欲は知っているが、それは恋愛感情とは違うものだと祐一は思っている。

「フェイト。どうしてそう思ったんだ?」
『えっと、ビデオメールで見た時すごく仲が良さそうに見えたから……』
「残念だったな。でもフェイトはそういう事に興味があるのか?」
『そういう事?』

 首を傾げるフェイト。その動作一つ一つが可愛らしく見える。これが兄馬鹿というものだろうか。

「恋愛に興味があるのかなって事。うちのなのははそういう事に興味が無いから」
「にゃ!? どうしてそこまで言い切るの!?」
「だってなのは、ユーノ以外の男の子と仲良くしてる姿は見ないし、今は魔法に夢中で色恋に気を向けていないだろ」
「う、うにゃー」

 へたれるなのはを後ろから抱きしめるアリサ。
 その一方、フェイトは恥ずかしげに頬を染めて口を開く。

『私は、その……エイミィに貸してもらった本に恋愛について書かれた物が多かったから。兄さんとアリサさんみたいに仲のいい人が恋人同士だって言うんだと思ってたんだ』
「……まあ、そういう乙女チックな話は、こっちに来てから女の子同士で楽しく話すといい」

 朴念仁だのなんだのと言われてきた祐一に恋の話など出来るわけもない。
 恋人という段階を飛び越えて求婚されたり、無理矢理唇を奪われた経験ならあるが。
 自分の人生を振り返って祐一は気分を落ち込ませる。
 二十年生きて真っ当な恋愛経験ゼロ。ただしアブノーマルな物は有り。
 ため息を吐いた祐一は、その視線を画面に映っているユーノに向けた。

『あの、祐一……さん?』
「じゃあユーノ。お前好きなやつがいるな?」

 その言葉を聞いてむせるように咳き込むユーノ。ややあってユーノは顔を真っ赤にしてこちらに強い眼光を向けてきた。

『い、いませんよ、そんな人!』
「あやしい」
「あやしいわね」

 バニングスとアリサが、面白い物を見つけた猫のような目でユーノを見つめる。

「あはは……」
「にゃはは……」

 すずかとなのはは哀れむような目でユーノを見ながら、視線でごめんねと告げていた。

「フェイト。とりあえず片思いの相手がいそうなユーノに恋愛というものがどんなものなのか聞いてみるといい」
『うん。ユーノ、後でお話聞かせてね』
『だから僕は好きな人なんて……祐一さん! どうしてこんな事するんですか!?』
「はっはっは。いつぞや見捨てられた恨みを晴らしているだけだ。お前も苦労して見やがれコンチクショウ」

 女性陣の好奇の視線がユーノに集中する。たじろいだユーノは画面外に逃げてしまった。

「なあ、なのは。ユーノの好きな人って誰だか見当がつくか?」
「うーん。……分かんない」
『……ユーノも大変だね』

 どうやらフェイトには見当がついたらしい。
 そして、なのはは相変わらずこういう方面には鈍感なようだった。

『えっと、兄さん。兄さんには、その……好きな人は、いるの?』
「……分からん。想いをぶつけられたことは何度かある。だけどそれに応える事は出来なかった。自分の気持ちが分からなかったから。恋とかそういうのを抜きにして、俺はあいつらの事が好きだった。でも、それがライクなのかラブなのかの線引きが出来なかったんだ」
「要するに優柔不断で誰か一人を選ぶ事ができなかったと」

 アリサから冷たい視線を向けられる。なのはやフェイトからも責めるような視線が突き刺さってきた。

「いや、本当にあいつらの事が好きならあいつら全員と結婚してるよ。重婚が可能な次元世界もあるし。単に俺の場合、自分の感情が分からなかったんだ。それが恋する方の好きなんだって言い切れなかった」
「ちなみに何人から告白されたの?」
「五人」
「……あんたに惚れた子達の気が知れないわ」

 アリサにため息を吐かれた。だが、これが事実なのだから仕方が無い。

『その人達は今どうしてるの?』
「遠い、ずっと遠い場所にいるよ。いずれ俺が還る場所、時と可能性の壁を越えた先に」
『……今は、会えないの?』
「ああ。多分今も心配かけてる。だけど、俺はやるべき事を見つけたから。だからそれが終わるまでは還らない」

 フェイトが小さく息をつく。どうやら要らぬ心配をかけたようだ。
 そこで祐一はふと時計を見た。午後四時。あと四時間でフェイトが到着する。

「そういえばアルフは?」
『ここにいるよ』

 画面の下からオレンジの毛並みをした小さな犬が現れた。額には赤い宝石が付いている。

「アルフさん!?」
『新形態、子犬フォーム! 可愛いだろー』
「うん。可愛い!」
「なんかあの子、どこかで見た気がするんだけど……」

 感激しているすずかと頭を捻るバニングス。なのはは小さくあはは……と声を洩らす。

『そうだ。なのは、祐一、アリサ。魔導師襲撃事件って知ってるかい?』
「え……?」

 アルフの言葉に目を丸くするなのは。

『無差別に魔導師が襲われているって噂を聞いたんだよ。襲われた人間はリンカーコアにダメージを受けて、しばらく魔法が使えなくなるんだってさ』
「えっと、気を付けます」
「あたしは関係ないかな。リンカーコア持ってないし」
「あ、悪い。言ってなかった。俺、もうリンカーコアあげちゃった」
『えええええっ!?』

 軽く放った言葉に、画面の向こう側とこちらにいる両方の人間の声がリビングに響く。

「あ、いや、その……必要だったし、俺の場合リンカーコアが弱ってもすぐに回復するからいいかなって」
「献血じゃないでしょ! ジュエルシードの時みたいに相手がとんでもない事企んでたらどうするの!」

 アリサに怒られる。同時に献血とは上手い例えだと感心した。
 もっとも、それを口にすればアリサからの肉体的制裁が待っているので黙っておいたが。

『どんな相手だったの?』
「あー……。内緒」

 フェイトの言葉に眉を寄せて答える。その時ユーノが画面外から戻ってきた。

『祐一さん。次元犯罪者に協力するとあなたまで逮捕されますよ?』
「無理だろ。管理局は次元犯罪は取り締まれるが、管理外世界の現地協力者を逮捕する権限なんて持って無い。事件の主犯格だとか、よっぽどの重罪なら別だけど」
『確かに現状の君を逮捕する権限はは無い。だが、もし捜査の妨害をするなら、その時点で僕は君を逮捕する』
『クロノ!?』

 画面の向こうでは、フェイトがいつの間にか後ろに立っていたクロノを振り返っている。
 聞かれていたのなら最後まで答えた方がいいだろう。

「捜査の妨害までする気は無い。ただ俺は黙秘権を行使するだけだ。魔導師襲撃事件の被害者には、リンカーコアのダメージ以外大した被害は無いはずだ。それよりは殺人事件の犯人でも追ってた方がよっぽどいいと思うんだがな」
『――だが、これからもそうとは限らない』

 画面からクロノの鋭い視線が飛んで来る。だが、祐一にはそれに屈するだけの理由も引け目も無かった。

「安心しろ。この事件は最小限の犠牲で終わる」
『まるで全てを知っているような言い草だな。何故そう言い切れる?』
「俺はあいつらを信じた。それだけで理由は充分だ」

 クロノと視線を交える。やがてクロノは肩から力を抜いた。

『そうまで言うからには何か起きたときには責任を取れるんだろうな』
「俺にできる範囲ならな。もし重傷を負ったやつがいたら後遺症が残らないよう治療してやるよ」

 祐一の本来の役割、治療士ヒーラー。治癒魔法については次元世界の誰にも負けないとの自負が祐一にはあった。

『確かに君の治癒魔法は強力だった。だがあの羽根はなんだったんだ? 君の持つ希少技能レアスキルか?』
「まあ、そんなところだ。ただ、あれは治癒魔法を複数の対象に同時に掛ける能力で、治癒力の強さとは関係ない。使っている治癒魔法も管理局基準の魔法とは違うしな」
『えっと、どう違うの?』

 フェイトがおずおずと質問してくる。祐一は手に青いウィザードの魔法陣を展開してみせた。

「これが俺達ウィザードが魔法と呼ぶ力。管理局基準の魔法と異なると言ったのは、これには魔力素が一切使われてないからだ」

 魔力素。それは世界に満ちた、魔力の源になる存在。これをリンカーコアによって体内に取り込む事で魔力は生成される。
 これが管理局の定める魔力の定義であり、これを用いて行なわれる術式が魔法の定義だ。
 余談だが、祐一は以前月がウィザードの世界には魔力素が存在しないとぼやいていたのを聞いたことがある。
 それはウィザードの世界では魔導師は無力化されることを意味している。
 だが、逆に魔王がこの世界に攻めてきたところで今のなのはやフェイトの敵ではない。
 圧倒的な威力の魔法によって消し飛ばされるだけだろう。

『管理外世界で生まれた魔法とは異なる異能、という解釈で間違いないか?』
「ん、まあそんなとこだな」

 クロノの言葉に頷いて答える。そしてふと見るとフェイトがこちらを見つめていた。

「どうした? フェイト」
『えっと、私も勉強したら兄さんみたいな力が使えるようになれる?』
「あー、無理だな。この世界にはプラーナが殆ど無いし、大体ウィザードになったら魔法が使えなくなるぞ。ウィザードのリンカーコアと管理局基準の魔法は壊滅的に相性が悪いんだ。バリアジャケットを生成しようとしたら爆死するぐらいに」
『や、やめておきます……』

 素直に引き下がるフェイト。
 ウィザードのいる世界の地球ならまだしも、この世界でウィザードの力を手に入れてもデメリットが大きいだけだ。賢明な判断だろう。

『じゃあ君は魔法を使えないのか?』
「一応デバイスがあれば物理保護機能だけのバリアジャケットは生成できる。後は飛ばす途中で自壊する魔力弾と誘導操作弾が生成できるけど、これは至近距離から相討ち狙いで放つぐらいにしか使いようが無いな」

 クロノの問いに正直に答える。今の祐一ではランク試験を受けたところで陸戦Dランクに届くかどうかも怪しい。

『あれ? 祐一ってあたしと戦った時バリア張ってたよね?』
「あー。あれはデバイスに搭載しているジェネレーターの魔力を使用しているんだ。俺の魔力は一切使ってない」

 アルフの質問に冷や汗をかく。これについては本当のことを話すわけにはいかない。
 とりあえず納得したのかアルフは引き下がってくれた。

『で、祐一。話を元に戻すが、君は魔導師連続襲撃事件についてどうしても話すつもりはないのか?』
「ああ。時が来るまでは話せない。あいつらが目的を達成したときには全て明かすさ。俺達の目的、呪いの終焉、そして、『相沢祐一』の正体を」

 夜天の魔導書が完成したとき全てを話す。そう祐一は決めていた。
 祐一達の目的、そして浅ましく罪深い願いを。

『色々気になる点はあるが、これだけは答えてくれ。犯人達の目的とはプレシア・テスタロッサのように危険なものなのか?』
「いいや。あいつらが求めているのは平穏な日常、ありふれた幸せだ。危険が全く無いとは言えないけど、方法を違えない限り問題は無い」

 クロノの問いに出来るだけ余裕のありそうな笑みを浮かべる。
 本当は一歩間違えれば地球が壊滅の危機に陥るのだが、そのあたりは黙っておいた。

『だが、犯罪である事に違いは無い』
「そうしなければ確実に一人の死者が出る。犯罪を犯すならば怪我人を量産する事になるが、死者を一人も出さないまま終わらせる事が出来る。俺は後者を支持した。それだけの話だ」

 クロノと睨み合う。立場的には犯罪を取り締まらざるを得ないが、クロノはかなりウェットな人間だ。
 蒐集を許容するとは思えないが、逮捕後の扱いくらいは考慮してくれるだろう。

『楽しく会話している邪魔をして悪かった。僕は失礼させてもらう』
「よかったわね、祐一。お咎め無しみたいよ」
「だな。ありがとう、クロノ」

 去っていくクロノに声をかける。クロノは背中を向けたまま手を振り、画面から消える。

「かっこよかったね。今のがこの間はなしてたクロノ君?」
『うん。強くて真っ直ぐで、厳しいけど優しい人だよ』

 すずかに聞かれてフェイトがクロノを褒めちぎっている。
 クロノと度々模擬戦をしているという話だし、もしかしたらこの二人、意外とお似合いのカップルになれるかもしれない。

「祐一。真面目な顔して妙な事考えているんじゃない?」
「いきなりだな。大体俺がいつ妙な考えを起こしたって言うんだ」
「十月の運動会、競馬を真似た実況をして怒られたのをもう忘れたの?」
「むう、やっぱり馬身差で実況したのが悪かったのかな」
「反省する点が違うでしょ!」

 アリサに頭をはたかれる。即興のコントに皆が笑みをこぼした。

『兄さん。なに考えてたの?』
「ああ。クロノはもてるんだろうなって」
「あんた、五人も告白受けといてまだ他人を羨むわけ?」
「違うぞアリサ。俺はただクロノの恋路を弄って楽しみたいだけだ」
『あ、それ面白そうですね』

 なぜかユーノが乗ってきた。突然味方が現れた事に祐一は目をぱちくりさせる。

「ユーノ、クロノのことが嫌いなのか?」
『嫌いってわけじゃありませんけど。僕の事時々使い魔扱いするんですよ、あいつ。だからこっちから弄り返してやりたいなーなんて思ったんです』

 使い魔。ユーノはフェレットもどきの姿でいることが多かったから仕方が無いかもしれないなー、などと祐一は心の中で呟く。

「ユーノ君、おにーちゃん。人の真っ直ぐな想いをおもちゃにしちゃ駄目」
「分かった。やめとく」
『なのはがそう言うなら……』

 相変わらずユーノはなのはに弱い。祐一もユーノのことを言えた義理ではないが。

「そうだ。フェイトちゃん、今日は一緒に寝よっ」
『い、いいの? なのは』
「うん。まだまだいっぱいお話したい事があるの」

 この通信はすずかとバニングスが帰途に着く六時ごろまで続いた。
 そして、運命の夜が始まる。



[5010] 第四十話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:56
 その日の夜、八時過ぎ。高町家のチャイムが鳴り響いた。
 パタパタとリビングから玄関に走っていくなのは。その後を祐一とアリサが追う。
 玄関を開けた先には、ボストンバッグを持ったフェイトと子犬の姿のアルフ、そして肩にユーノを乗せたリンディの姿があった。

「フェイトちゃん……!」
「久しぶり、なのは」

 なのはがフェイトに抱きつき、目元に涙を浮かべる。フェイトはバッグを落としてなのはの体を抱きしめ返す。そこで祐一達の背後から桃子が現れる。

「あら、リンディさん。お久しぶりです」
「お久しぶりです、桃子さん」

 にこやかに笑顔を交わすリンディと桃子。ユーノはリンディの肩から降りると、なのはの肩に収まった。

「お帰り、ユーノ君」
「ただいま、なのは」

 なのはとユーノが頬をすり寄せる。その間にフェイトはバッグを持ち上げた。

「さあ、とりあえず上がってくださいな」
「はい。お邪魔します」
「え、えと……お邪魔、します」

 リンディの後に続いて靴を脱いで上がろうとするフェイトを、祐一は押し留める。

「兄さん……?」
「フェイト。今日からフェイトもこの家の一員なんだ。だから上がる時はお邪魔します、じゃないぞ」
「えっと……ただいま?」
「よし!」

 フェイトに笑いかけ、祐一は親指を立てる。フェイトとなのはが顔を見合わせて笑った。
 そんな三人をアリサ、リンディ、そして桃子が微笑んで見守る。
 家に上がった二人をリビングに通す。そこには高町家の一同が揃っていた。

「フェイトちゃん。初めましてっていうのかな、こういう場合」
「あ、はい。初めまして、美由希さん」
「あたしも初めまして」
「え……ええー!?」

 アルフがしゃべった事に目を丸くする美由希。ユーノで見慣れているかと思っていたが、突然の事に対処できないようだ。

「あ、この姿じゃわかんないか」

 そしてアルフがオレンジの魔力光に包まれ人の姿を取る。

「え、もしかして、アルフ?」
「そーだよ。初めまして、美由希」
「あ、うん。初めまして……」

 ビデオメールで面識はあるものの、直接会うのは初めてなフェイトとアルフがそれぞれと挨拶を交わしていく。
 全員と握手をした後、士郎がコーヒーを入れて持ってきた。
 リンディはやはり大量に砂糖を入れた上でミルクを入れてかき混ぜる。
 祐一はそのままで、フェイトは角砂糖一個とミルクを入れてそれぞれ口をつけた。

「おいしい……」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」

 フェイトに士郎が微笑みかける。そしてそれからは大質問会が開かれる事になった。
 特になのはの話題になると、フェイトは頬を染めて聞いている様に祐一の目には映った。
 やはり、フェイトはなのはのことが――とそこまで考えて祐一は考えを却下する。
 元々フェイトはまともな対人関係を築く事ができない境遇にいた。
 当然恋愛という観念も遠い物だっただろう。
 フェイトは初めて自分と真っ直ぐ向き合ってくれたなのはを大切に思っているだけかもしれない。
 ユーノやクロノはともかくとして、フェイトに関しては邪推すべきではない、と祐一は自戒の念を抱く。
 祐一がそんなことを考えているうちに、質問は一旦終了した。
 後は、ここで暮らすうちにゆっくりとお互いのことを知っていけばいいだろう。

「フェイトちゃん、アルフさん。お部屋に案内するね」
「うん」
「おう!」

 なのはと一緒に階段を上っていくフェイトとアルフ。その様子を見て微笑みを浮かべるリンディを見る。

「あら。どうしたの? 祐一君」
「あの、フェイトの保護監察官になってくれたって聞きました。本当にありがとうございます」

 頭を下げる祐一。その祐一にリンディが優しい声をかける。

「頭を上げて、祐一君。私達もフェイトさんにはお世話になっていますから」
「そう、なんですか?」
「ええ。嘱託として幾つか仕事を手伝ってもらったの。本当に頼りになるのよ、フェイトさん。あとこれはフェイトさんにも伝えたけれど、保護監察官として私はフェイトさんに一切行動の制限はつけないから。半年も一緒にいたんだもの。フェイトさんがとてもいい子だってことは充分に理解しているつもりよ」
「本当に、ありがとうございます」

 そしてリンディと微笑を交わす。その時だった。

『マスター!』

 胸ポケットに入れていたファイスが大声を上げた。

「どうした!?」
『魔力反応! 結界来ます!』

 その次の瞬間、空間がずれる感覚に襲われた。そして祐一の視界から恭也や美由希、士郎、桃子、さらにはアリサの姿が消える。

「閉じ込められた……?」
『かなり広い範囲を結界が覆っています。これは――ベルカ式の術式です!』

 ファイスが結界を分析する。ベルカ式、その言葉にリンディが眉をひそめる。

「おにーちゃん、おねーちゃん!」
「リンディ提督! 兄さん!」

 階段をなのは、フェイト、アルフが駆け下りてくる。
 ユーノはなのはの肩から降りると人の姿に戻った。

「おにーちゃん、おねーちゃんは?」
「アリサは魔力を持っていないからな。結界に閉じ込められたのは俺達だけだ」
『魔力反応、こちらに高速で接近中!』

 ファイスの報告を聞いてリンディが立ち上がった。祐一は外に出ようとするリンディの手を取って止める。

「すみませんが、リンディさんは結界への対処をお願いします。なのは達は空を飛んでこの結界を張ったやつを迎え撃ってくれ」
「おにーちゃんは?」
「心当たりのありそうな人の所に行ってくる。ファイス!」
『アンダージャケット、展開します』

 祐一の服装が黒のアンダージャケットに変化する。同様になのは、フェイトもバリアジャケットに換装し、それぞれのデバイスを手に持った。
 一人リンディが不服そうに眉をひそめている。
 だが、リンディを戦場に向かわせるわけにはいかない。祐一はリンディに頭を下げる。

「お願いします、リンディさん」
「……分かりました。私は結界の破壊に向かいます」
「ありがとうございます」

 ごり押しが何とか効いてくれた。なのはとフェイトが不思議そうに顔を見合わせる。

「なのはさん、フェイトさん、気を付けて」
「「はい!」」

 玄関から出た二人が空へ飛翔していく。リンディも外に出ると真っ直ぐ上へと飛んでいった。
 祐一も後を追って門に駆け寄る。
 だが、門を出た先に、一つの人影がたたずんでいた。
 黒いコートを身に纏い、フードで顔を隠している見るからに怪しい人影。
 そしてその影は祐一にフードをめくって見せた。

「…………何で、お前がここに?」

 祐一の問いかけに答えることなくその黒に身を包んだ影は祐一の傍へと近づき、祐一を肩に担いだ。

「飛ぶぞ」

 女性の声だ。ひどく懐かしいその声は、紛れもなく遠い過去に聞いた彼女のものだった。
 祐一は力を抜いて女性に身を任せる。そして女性は宙に浮き上がると地面すれすれを滑るように飛んでいった。







 一方なのは達四人はビルの上で、魔力反応のあった方向から赤い光が近付いてくるのを待ち構えていた。
 突如、赤い光から小さな赤い光条が四人に向かって伸びてくる。

『Divine shooter』

 なのはが手を一振りすると、なのはの周囲に十二個の桜色の光弾が生まれる。そのうちの四つが、飛来した赤い光に包まれた鉄球を撃ち落す。
 そして赤い魔力光を放つ少女が先頭にいたなのはに向かってハンマーを振り下ろしてきた。

「テートリヒ・シュラーク!」

 その攻撃を、ユーノとアルフの二人が円形の魔法陣のシールドで防ぐ。二層からなるシールドに少女のハンマーが逆に弾かれた。

「あなたが、魔導師襲撃事件の犯人?」
「だったらどうしたっていうんだよ」
「民間人への魔法攻撃。軽犯罪では済まない罪だ」
「てめぇ、管理局の魔導師か?」

 荒い言葉遣いをする少女になのはとフェイトがデバイスを向ける。

『Scythe form』

 バルディッシュの斧の刃が回転して杖の柄と直角になり、金色の魔力で出来た刃が生成され鎌の姿になる。
 同時になのはの周りに光弾が四つ追加で生成された。

「時空管理局、嘱託魔導師。フェイト・テスタロッサ」
「えっと、民間協力者、高町なのはです」
「抵抗しなければ、弁護の機会が君にはある。同意するなら、武装を解除して」
「はっ、誰がするかよ」

 その言葉に少女はなのはとフェイトを強く睨みつけると、即座に背を向けてやって来た方向に飛んでいった。

「追いかけよう」
「うん!」

 フェイトとなのはが少女を追い、その二人を追う形でユーノとアルフが飛翔する。逃げ切れないと悟ったのか少女は反転して指の間に四つの鉄球を出現させる。その鉄球を空中に浮かべ、少女は手に持ったハンマーを鉄球に叩き付けた。
 螺旋を描きながら赤い光を纏い飛来する鉄球。だが――

「シュート!」

 再びなのはが引き連れていた十二の光弾のうち四つが発射され、鉄球を撃ち落す。
 さらになのはが少女に向かって杖を向けると、杖の先に残りの光弾が集まって大きな球体になる。

「アイゼン!」
『Panzerhindernis』

 少女の前方に魔力の障壁が展開される。そして――

「シュート!」

 砲撃として杖の先から桜色の閃光が奔った。それは少女の張った障壁にひびを入れる。
 さらにそこにアルフが飛翔した。

「バリア――ブレイクッ!」

 既にひびが入っていた障壁は、アルフの拳の一撃で粉々に砕け散る。
 そして金の光が宙を走った。

『Scythe slash』

 少女のハンマーとフェイトの鎌がぶつかり合った。少女は無理矢理フェイトを押しのけるとさらに上に逃げる。
 だが、ロングレンジはなのはがもっとも得意とする領域だ。
 レイジングハートの先の片方が短い音叉型――シューティングモードに変形し、レイジングハートを環状の魔法陣が三つ取り巻く。
 杖の先に桜色の魔力が集束され――

「ディバイン――」
『Buster』

 そして桜色の閃光が少女を捕らえる。少女は慌てて障壁を展開しようとしたようだったが間に合わない。
 光が収まり、レイジングハートの排気ダクトから圧縮された魔力の残滓が排出される。

「やった……?」
「いや、まだだ!」

 なのはの言葉をアルフが否定する。光が収まった先にいたのは、少女を庇う様にして立つ白髪の青い服を着た男だった。男の耳はアルフのように獣耳になっている。

「オオオオオッ!」
「きゃあっ!」
「フェイトちゃん!」
「フェイト!」

 さらにピンクの長い髪をした女剣士がフェイトの上から斬りかかり、フェイトはバルディッシュで防いだものの下へと吹き飛ばされた。

「ストラグルバインド!」
「こ、のおおおおっ!」

 ユーノの手から敵と思しき三人に緑の魔力で形成された鎖が襲い掛かり、さらにアルフは剣士に殴りかかる。

『Divine shooter』

 さらになのはの杖から十六発もの魔力弾が斉射される。纏わり付こうとする鎖と襲い来る誘導制御弾に、赤い少女は白髪の男の張った障壁に守られ、剣士は鎖を切り裂き魔力の込められたアルフの拳を障壁を纏わせた鞘で受け、そして様々な角度から襲い来る八発の誘導制御弾を全身に纏った紫の魔力の障壁で防ぎきった。
 だが、なのは達の攻撃は終わらない。
 十六発ずつ絶妙なコントロールで放たれるディバインシューター。隙あらば伸びてくる魔力の鎖。バリア破壊の効果付与された拳。下から飛来した回転する金色の魔力刃。
 四対三。特になのはのディバインシューターは全方位から襲い来るため一方向を守るシールドでは防ぐ事ができず、全身防御を強制される。
 しかもそれはアルフの拳によって砕かれ、剣士はフェイトと鍔迫り合いに持ち込まれた。

「シグナム!」
「大丈夫だ。だが――」

 喋る暇も与えない連撃を剣で弾く剣士。さらにそこに再び八発のディバインシューターが様々な角度から襲い来る。

「レヴァンティン!」
『Explosion』

 ガシュン、と空の薬莢が排出され、剣士の剣に強い魔力と炎が纏われた。剣士は八方からの魔力弾を受け、よろめく。が、そこで剣士は獰猛な笑みを浮かべ、倒れこむ勢いを利用して炎の剣を振り切った。

『Defensor』

 とっさにバルディッシュが魔力障壁を展開する。だがそれは容易く切り裂かれ、さらにその攻撃を受けたバルディッシュがひび割れる。その亀裂はデバイスコアにまで及んだ。

「フェイトちゃん!」

 再び地上に落ちていくフェイト。そしてその瞬間ディバインシューターの精度が落ちた。
 その隙に、赤い少女が白髪の男の後ろから魔力弾を躱して接近する。

『Explosion』

 ハンマーから電子音声がするや否や、ハンマーの片側にドリルが、反対側には噴射口が展開された。そして噴射口が火を噴き、回転しながらドリルをなのはに叩きつけてくる。

「ラケーテン、ハンマー!」
「レイジングハート!」
『Round shield』

 なのははその攻撃を円形の魔法陣で受けた。だがシールドは数秒の拮抗の後、ひびが入り粉々に砕け散る。
 そしてドリルとレイジングハートが衝突し、レイジングハートの先端部に亀裂が走っていく。

「アイゼン!」
『Explosion』

 さらに一回転し、なのはにハンマーを叩きつけようとする少女。
 だが、それが命中する前になのはのバリアジャケットの上着が破裂し、なのはの上体を反らせてその一撃は回避された。
 そこに緑色の鎖が少女に巻き付く。
 全身を鎖で巻かれた少女はもがいてはいるものの、逃れられる様子は無い。

「アアアアアッ!!」
「ぐっ!?」

 剣士がその鎖を放ったユーノに近寄ろうとして、横からのアルフの拳に殴り飛ばされる。
 先程のディバインシューターを受けたのが堪えていたのだろう。そのまま剣士は落下していく。

「シグナム!」

 赤い少女が悲鳴混じりの声で剣士の名を呼ぶ。そして白髪の男が落ちていく剣士を追い、何とか空中でその身を受け止めることに成功した。
 一人を拘束し、一人は意識不明、もう一人は剣士を抱きかかえているため攻撃は不可能。
 決着が付いた。そう誰もが思った瞬間だった。
 なのはの胸から手が突き出す。
 なのはは口をパクパクとあけ、呼吸をしようとする。
 その突き出された手の内には、桜色の光があった。
 その光が段々明度を落としていく。それと同時になのはが苦しげな声を洩らす。やがてその腕は引き抜かれ、なのはは意識を失い落下していった。

「なのは!」

 ユーノが叫び声を上げ、アルフが落下していくなのはとレイジングハートを受け止める。
 そして場が硬直した。

「降参するつもりはない?」
「誰が降参するかよ!」

 ユーノの言葉に激昂した少女は赤い魔力を放ち、ユーノの鎖を砕き散らす。
 ユーノは再び鎖を放ち、少女はそれを躱しながらユーノに接近していった。

(皆! 結界の一部を破壊します! 隙をうかがって結界内から脱出して!)

 リンディの念話がユーノ達に届く。ユーノはアルフと目配せすると、転送魔法を組み始める。

「まずはてめーだ!」

 赤い少女がユーノとの距離を詰めてくる。そしてハンマーを振り上げた手足がリング状のオレンジの魔力で縛られた。少女は憎々しげにアルフを睨みつける。
 少女は再び魔力を放ち、同時に少女の手足を縛るオレンジのリングにひびが入っていく。
 だが、それが砕けるよりも早く、空間が軋む大きな音が響いた。
 半球状をした広域結界。それが空間の歪みと共に捻られ開いていく。空間を歪めて結界にひずみを作ったのだ。
 そしてユーノとアルフが魔法陣を展開する。下に落とされていたフェイト、そしてなのはを抱くアルフとユーノが結界の外の海鳴市街上空に転送された。

「皆、無事か!?」

 上からリンディと共にやってきたクロノが声をかけてくる。そして意識を失っているなのはと、ひび割れたバルディッシュを手に持つフェイトの姿を見てクロノは血相を変えた。

「エイミィ! アースラに早く転送を!」
『わ、分かりました!』

 そしてユーノ達の姿がその場から消え失せる。結界は収縮して消滅し、三つの光がバラバラの方向に散っていった。







 アースラ艦内では、意識不明となったなのはの救急措置をするべく時空管理局本局へ向かっていた。医務室のベッドに寝かされているなのはの隣にフェイトとアルフ、ユーノが立っている。
 医務室の扉が開き、クロノが入ってきた。フェイトがそちらを向いて質問する。

「クロノ。あの人達が例の魔導師襲撃事件の犯人?」
「ああ。体は軽傷を負っただけだが、リンカーコアが異常に小さくなっている。一連の事件と同じだ。間違いないだろう」

 クロノの言葉にそう、と呟いてフェイトはなのはの顔を見つめる。そのフェイトをそっとアルフが抱きしめた。

「それで、何かつかめた事は?」
「エイミィが必死に転移するやつらを追跡したが、逃げられた。だがやつらの映像から、今回の事件が第一級捜索指定のロストロギア関連である事がわかった」

 ユーノの質問にクロノはやや硬い表情で答える。フェイトはクロノの目を真っ直ぐに見て、口を開く。

「どんなロストロギア……?」
「闇の書。破壊も封印も不可能な最悪な魔導書だ。詳しい事はなのはが起きてから話そう」

 フェイトの問いに静かな声で答えるクロノ。その手はきつく握り締められていた。





 時空管理局の医療区画。その一室でなのはは目を覚ました。

「なのは、目が覚めた?」
「フェイト、ちゃん……?」

 なのはの目に映ったのは、左手の手首に包帯を巻いたフェイトの姿。
 次いでなのはは自分の胸にぺたぺたと触り、小さく息をつく。

「フェイトちゃん。他の皆は?」
「大丈夫だよ。リンディ提督が結界を壊してくれて、皆で逃げ出したんだ。ユーノとアルフは怪我してないよ」
「そっか。よかった」

 安堵の息をつくなのは。そのなのはをフェイトが抱きしめてくる。

「フェイト、ちゃん?」
「ごめん、なのは。私、約束したのに。なのはを助けるって、言ったのに……」

 涙をほろほろと流すフェイトを優しく抱きしめ返すなのは。
 フェイトが目元に涙を浮かべたままなのはを見る。

「大丈夫だよ、フェイトちゃん。わたし一人じゃ、きっとあの赤い子一人にも敵わなかったと思う。フェイトちゃんやアルフさん、ユーノ君がいてくれたから、あそこまで頑張れたんだ」
「なのは……」

 そしてしばらくの間二人は抱きしめあっていた。
 やがてフェイトが思い出したように医師を呼ぶ。
 やってきた医師は簡単な問診をいくつかすると、なのはの胸にバーコードスキャナのような機械を当て、そこに表示された数値を見て笑って頷いた。

「さすが若いね。もうリンカーコアの回復が始まっている。ただ、しばらくは殆どの魔法が使えないから気をつけるんだよ」
「あ、はい。ありがとうございます」

 医師が部屋を出て行く。そこでなのははある質問を口にした。

「フェイトちゃん。バルディッシュとレイジングハートはどうなったの?」
「……今、ユーノがチェックしてくれてる。見に行く?」
「うん……」

 なのははベッドから降りて立つ――と同時によろめく。倒れそうになったなのはをフェイトが支えた。

「なのは、無理はしないで」
「にゃはは。大丈夫だよ。ちょっとくらっときただけだから」

 なのははフェイトから体を離して一人で立つと、患者用の服からたたまれていた普段着に着替え、フェイトに連れられてデバイスの調整室に向かう。
 扉が横にがスライドし、部屋の中に入る。そこには話をしているクロノとアルフ、そしてコンソールに向かって操作をしているユーノの姿があった。
 ユーノの前方、丸い台座の上にレイジングハートとバルディッシュがひびの入った待機形態で宙に浮いている。

「なのは、フェイト!」

 二人の顔を見たアルフが明るい声を上げる。ユーノも作業を中断してなのは達の方にやってきた。

「大丈夫? 体におかしいところはないかい?」
「あはは……。ちょっとだけ、体がだるいかも」

 笑顔を浮かべるなのはにユーノとアルフも小さく笑う。そしてフェイトは台座の上に浮くバルディッシュの方を向いた。

「ごめんね、バルディッシュ。私の力不足で……」
『Don't worry』

 フェイトの言葉に、ノイズ交じりの合成音声でバルディッシュが返事をする。
 その横で、クロノがユーノの操作するモニターを覗き込んだ。

「破損状況は?」
「正直、あんまりよくない。今は自動修復をかけてるけど、基礎構造の修復が済んだら一度再起動して部品交換とかしないと」

 それを聞いてなのははレイジングハートの方に向き直り、悲しそうな顔をした。

「そういえばさ。あいつらの魔法ってなんか変じゃなかった?」

 ふと思い出したようにアルフがクロノに質問する。

「あれは多分、ベルカ式だ」
「ベルカ式?」

 クロノの堪えにアルフが首を傾げる。そこにユーノの説明が入る。

「その昔、ミッド式と魔法勢力を二分した魔法体系だよ」
「遠距離や広範囲攻撃をある程度度外視して、対人戦闘に特化した魔法だ。優れた術者は騎士と呼ばれる」

 ユーノの説明をクロノが継ぐ。

「ところでクロノ。今回の魔導師襲撃事件はロストロギア、闇の書が関わっているっていってたよね」
「ああ。今のうちに説明しておこう。ロストロギア、闇の書の最大の特徴はそのエネルギー源にある。闇の書は、魔導師の魔力と魔導資質を奪うためにリンカーコアを喰うんだ」

 フェイトの問いかけにクロノが答える。そこでなのはは自分の胸に手を当てた。

「私のリンカーコアも、あの時……?」
「ああ。おそらく闇の書に蒐集されたんだ。闇の書はリンカーコアを喰うと蒐集した魔力や資質に応じてページが増えていく。そして、最終ページまで全てを埋める事で闇の書は完成する」

 そこまでクロノの話を聞いて、なのはがふと顔を上げる。

「もしかして、おにーちゃんの言っていたのって……!」
「おそらくこの事だろう。今回の魔導師襲撃事件は過去の闇の書の被害に比べるとその被害に大きな差がある。今回の事件において、死者や重傷者はただの一人として出ていない。こんな事はこれまでに一度も無かった。――ただ、闇の書が完成したとしても、ろくな事にはならない。それを祐一は分かっているのかいないのか……」

 クロノが深い息をつく。なのはとフェイトも顔を見合わせた。

「闇の書は第一級捜索指定ロストロギア。その情報を隠匿しているとなると、管理下世界なら罪に問われる可能性もある」
「クロノ君。おにーちゃんを捕まえるの?」
「いや、管理外世界の民間人を逮捕することは出来ない。彼が自分で言っていたようにね。ただ、闇の書のことまで突き止めたんだ。今まで隠していた情報の内いくらかは引き出せるかもしれない」

 クロノは険しい顔をして天井を見つめた。なのはとフェイトがそれに不安そうな顔をする。

「そういえば、おにーちゃんはどうなったの?」
「分からない。けれど、彼はもう蒐集が済んでいると言っていた。闇の書は同じ個体に二度の蒐集をすることは出来ない。少なくとも危ない目に遭っている事はないだろう」

 そのクロノの言葉になのはとフェイトが安堵の息をついた。だがクロノの顔から険しさはとれない。

「とりあえず、艦長の所へ行こう。今後の事について話し合う必要がある」

 それに一同は頷き、なのはとフェイトはそれぞれのデバイスを見つめた後部屋を後にした。
















 時を遡り、広域結界が破られた時。祐一は双眼鏡を使ってなのは達の戦いを見上げていた。

「かなり善戦したな。結果だけを見れば、歴史と差は生じなかったけど……なのは達がこれでデバイスをチューンナップしてきたら、シグナム達も流石に敵わないんじゃないか?」
「確かに、あれ以上の猛攻を繰り出されたら危険だな」

 祐一の言葉に黒いコートの女性が答える。そしてヴィータ、シャマル、シグナムを抱えたザフィーラの三人は空に散って逃げてしまった。

「集合の予定地に向かう。行くぞ」
「ああ」

 女性と祐一は並んで歩き出す。結界が破れ、町に人や車が戻ってきた。いや、正確に言うのであれば祐一達が結界の中から外に戻ってきたのだが。
 人目を避け裏路地を通り、かつての世界で集合に使っていたというビルの屋上へと辿り着く。そこでしばらく待っていると、赤い光と共に一人の少女が現れた。

「よう、ヴィータ」
「……なんでてめーがここにいやがる」
「シグナムから聞いてなかったか? 俺がシグナムと取引をした張本人だ」
「そうかよ。それとここでてめーが待ってるのはどういう関係がある。てめーは手を出さないんじゃなかったのか」

 ヴィータはハンマー型のデバイスを祐一に突きつける。そして黒コートの女性を睨み付けた。

「それにそっちのやつは何だ? 聞いた覚えがねえぞ」
「ああ、俺も今日初めて知った。お前らの、というよりは俺達アゲインへの協力者だ」
「へえ。で、なんでてめーらがここに来た。いや、どうやってここのことを知った?」
「場所が分かったのは内緒だ。ここに来たのは今日の大苦戦を見ていたから、だな」

 その言葉にヴィータは舌打ちする。そこで緑と白の輝きが溢れ、シグナムを腕に抱き上げているザフィーラとシャマルが姿を現した。

「来たか」
「誰です!? って、祐一君?」

 シャマルがこちらを見て目を丸くする。それに苦笑して手を振った。

「知り合いか?」
「シグナムが約束をした相手だとよ」

 ザフィーラの問いに剣呑な口調でヴィータが答える。その鋭い視線は祐一の後ろに立つ黒コートの女性に向けられていたが。

「とりあえず治療に来た。ちょっとじっとしていろ」

 祐一の手から青い線で描かれた魔法陣が展開される。そして祐一の背に半透明の翼が現れ、そこから小さな羽根が魔法陣を通過してヴィータ達四人に降り注ぐ。羽根は白く暖かな光を放ち、その中でシグナムが目を開いた。

「こ、こは……? あれからどうなった……?」
「いつもの集合場所よ、シグナム。それで、祐一君が来ているのだけど」
「何……?」

 シグナムはザフィーラの腕から降り、祐一と向かい合う。そしてその視線は黒コートの女性に向けられた。

「祐一。後ろにいるのは誰だ?」
「今日加わった新顔さん。俺と、はやてちゃんの味方だよ」
「そうか。それで何故お前達はここに……?」
「うちの妹達にやられていたのを見たからな。治癒魔法をかけてみたんだが、調子はどうだ?」

 その言葉にシグナムは簡単に全身を触診する。

「完全に治っているようだ。最後に受けた拳の痛みもない。……ところで、今日戦った相手はお前の妹だったのか?」
「白い服の子が義理の妹で、黒い服に金髪の子が実の妹だ」
「彼女達には夜天の魔導書の事を話してはいないのか?」
「ああ。管理局側の人間だからな。お前らの事は秘密にしてある」

 そして祐一は腕時計を突き出してシグナム達に見せる。

「とりあえず家に帰れ。はやてちゃんを待たせるな」
「分かった。治療してくれたこと、礼を言う。皆、戻るぞ」
「……ありがとよ」

 ぶっきらぼうに礼を言うヴィータに苦笑し、走り出す四人を見送る。それぞれ騎士甲冑を解除し、ザフィーラは青い狼となって町の光に消えていった。

「私はベースに戻る。お前はどうする?」
「なのは達がいなくなった事を説明しに家に帰るよ。正直アリサが怖いけど……」
「流石にそこまではフォローできない。自力でがんばってくれ」

 女性に地上まで降ろしてもらい、祐一はゆっくりと歩き出す。高町家の人々にどう説明するか苦悩しながら。
 腹を括って携帯を取り出し、士郎の携帯に電話をかける。コール音を聞きながら、祐一は深いため息をついた。
 空を見上げた祐一の視界に欠けた月が入る。紅くない月も、今夜の祐一の気分を明るくしてはくれなかった。



[5010] 第四十一話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:57
 翌日の朝、なのは達がクロノを連れて帰って来た。
 祐一を除く高町家一同がなのは達を出迎え、怪我の具合を知って安堵する。
 祐一はそれを少し離れた位置で見ながら、クロノの鋭い視線に苦笑して見せた。
 そして翠屋に向かう士郎、桃子を見送ってから、祐一の部屋で査問会が開かれる。
 張り詰めた空気の中、口火を切ったのはクロノだった。

「祐一。僕達は魔導師襲撃事件の正体が闇の書の蒐集であることを突き止めた。君は闇の書が完成したときの被害を考えた上で行動しているのか?」

 クロノが鋭い視線で祐一を射抜く。
 それに対し、祐一は挑発的な笑みを浮かべて自信があるように見せかける。

「承知の上だ。ただし、闇の書のルールには抜け道がある。被害は出させない」
「抜け道だと……? 君は何を知っているんだ」

 祐一はため息を一つつくとフェイトの包帯に巻かれた左手に手を当て、その手の中から淡い光を生み出した。
 光はフェイトの腕に吸い込まれるようにして消えていく。

「治療完了。もう包帯を外していいぞ」
「あ、ありがとう、兄さん」
「祐一。君には話す気が無いのか?」

 クロノの視線がさらに鋭くなる。かなり苛立っているようだった。
 前に会った時と比べると、かなり沸点が低くなっている。いたずらに焦らすのは止めた方がいいだろう。

「そうだな。どこまで話していいものやら……」
「闇の書の主と守護騎士達の居場所は知っているか?」

 いきなり本丸に切り込まれた。クロノの目を見て、嘘やごまかしは通じない事を悟る。
 祐一は諦めて事実だけを口に出す。

「知ってる。だけど言えない。あの本の全ての頁が埋まるまでは言う事が出来ない」
「なら次の質問だ。君は以前言っていたな。やらなければ確実に一人の死者が出る、と。それはどういう意味だ」

 むしろこれが本題だろう。先程よりもクロノの言葉に含まれる重圧が増している。だが――

「それは話してもいいけど、聞いたが最後今後の戦いに迷いを生むことになるぞ。いいのか?」

 なのはやフェイトの顔を見て言う。二人は顔を見合わせ、一拍おいてから頷き合うと、祐一に真っ直ぐな視線を向ける。

「おにーちゃん、聞かせて」
「本当の事を、教えて欲しい」

 もう一度ため息をつく。
 そして祐一はおもむろに口を開いた。闇の書の、呪いを。

「あの本は、一定期間蒐集をしないと主のリンカーコアを侵蝕し始める。蒐集を行い全ての頁を埋めなければ、あの本の持ち主は――死ぬ」
「……だから、守護騎士達は蒐集を?」
「ああ。もっとも、そそのかしたのは俺だがな。ちなみにあの本の主は蒐集の事は何も知らない。全て守護騎士達の判断だ」

 クロノの質問に頷いて答える。
 どうあっても闇の書の頁を全て埋めない限り、はやてを助けることは出来ない。
 それが、闇の書事件以降夜天の魔導書を月が解析した結果だ。

「じゃあ、もしわたし達が守護騎士の人達を逮捕したら――」
「本の主は死ぬことになるな」

 祐一の答えになのはの顔が青ざめる。その隣に座るフェイトもショックを受けているようだ。
 無理もない。自分達の行動が一つの命を奪う事になるのかもしれないのだから。

「だが、それはおかしくないか?」
「おかしい?」

 クロノが不思議そうな顔をする。何かおかしな事があっただろうか、と祐一も首を捻る。

「闇の書の守護騎士達は人間でも使い魔でもない、闇の書に合わせて作られた、主の命令を聞くだけのプログラムだったはずだ」
「いや。あいつらは永遠のように続く戦いの日々に苦しんできた。ずっと救いを求めてきた。そしでやっと巡り会えたんだ。あの優しい主に」

 しばらくの間クロノと視線をぶつけ合う。そこにおずおずとフェイトが声を出した。

「あの、使い魔でも人間でもない擬似生命っていうと、私、みたいな……?」
「違う。プロジェクトFは記憶転写型のクローン技術だからな。俺達はアリシアのクローン。ちょっと生まれ方は違ったけれど、紛れもない人間だ」
「え、えと、ごめんなさい」

 祐一の否定にしゅんとするフェイト。祐一はその頭にぽん、と手を置き、髪を梳く様になでる。
 そして、しばらくの間沈黙が続いた。、沈黙の後、祐一が最初に口を開く。

「クロノ。お前はどうする?」
「……どのような事情があれ、犯罪を犯していることに変わりはない。僕は管理局の執務官として、彼らを逮捕しなければならない。……なのは、フェイト。君達は巻き込まれただけの外部協力者だ。無理に今回の件に首を突っ込む必要は無い」

 クロノの言葉に思案するなのはとフェイト。
 無理もない。クロノとて苦い顔をしている。今すぐに決めろというのも酷な話だ。

「クロノ、答えはもう少し待ってやってくれ。無理に今すぐ決めなければならない事でもないだろ」
「分かった。アースラはしばらく使えない。だから、僕達はここの近所に捜査本部としてアパートを借りている。いつでも訪ねてくるといい」

 クロノに場所を聞くと、高町家から目と鼻の先にあるアパ-トだった。
 なのはとフェイトは有事の際には連絡をしてくることをクロノに約束させ、玄関までクロノを見送る。
 玄関の戸が閉められて、なのはとフェイトはため息をついた。

「どう、しようか……」
「あの人達も、必死なんだね……」

 呟き落ち込む二人。その二人の頭を祐一は少し乱暴に撫でる。
 こちらを顔を見上げてくる二人に、祐一はかける言葉を選択する。

「俺は、俺の願いのためにあいつらに協力した。なのは達も、ゆっくり考えて自分が最も望む道を選んでくれ」
「……兄さんの願いって、なんですか?」
「まだ、泣き続けているやつがいるんだ。そいつを笑わせる事。それが俺の願いだ」

 その言葉に二人は目を合わせる。そして、二人は同時に頷いた。 

「わたしは、あの人たちとお話したい。襲い掛かって無理矢理奪うんじゃなくて、もっと穏便な方法もあると思う」
「強い意志で自分を固めちゃうと、周りの言葉って中々入ってこないから。私も、そうだったしね」

 なのはの言葉に、フェイトが寂しげに呟く。
 その暗い表情は、まだあの事件の事を――自身とプレシアの事を引きずっている事をうかがわせる。

「フェイトちゃん……」
「でもね、なのは。言葉をかけるのは、想いを伝えるのは、絶対無駄じゃないよ。私も、なのはの言葉で何度も揺れたから」

 そう言ってフェイトは小さく笑みを浮かべる。なのはもそれを見て微笑んだ。

「言葉を伝えるのに戦って勝つことが必要なら、それなら迷わずに戦える気がするんだ。なのはが教えてくれたんだよ。そんな、強い心を」
「あ、ありがとう……」

 照れるなのは。フェイトがそれを見て小さく笑う。そして祐一は足元にいる小さな二人――いや、二匹を見た。

「ユーノ、アルフ。お前らはどうしたい?」
「あたしはフェイトの使い魔だから。フェイトの願いはあたしの願い。もちろん力になるよ」
「僕もなのはに賛成です。蒐集をやめることが出来ないとしても、その手段を選ぶ事は出来るはずですから」
「そうか。じゃあ早速クロノに伝えて来るといい。俺はアリサに説明をしてくるから」

 それぞれ首肯して、玄関の戸を開いて駆け出す四人。それを見送って、祐一は空を見上げる。

「さて。俺も覚悟を決めますかね」

 その呟きは誰に聞かれる事もなく、晴れ渡った空へと消えていった。










 そして祐一は家に取って返すと二階に上がり、アリサの部屋をノックする。

「来たわね」
「ああ」

 祐一が一人である事を確認して、アリサは部屋に祐一を入れる。そして祐一と並んでベッドに座った。

「昨日の約束は、この闇の書事件について知っていることを全部話す、でいいんだな?」
「ええ。洗いざらい吐きなさい」

 アリサがじっとこちらを見る。その顔に浮かぶ嗜虐的な笑みに祐一は身を震わせる。紛れもなく、アリサはSだ。

「さて、何から話そうか」
「そうね。まずは、祐一がやって来た世界で起こった闇の書事件について話してもらえる?」
「ああ。細かい日付までは覚えていないんだが……ファイスは覚えているか?」

 胸ポケットに入っているカード状のデバイス、ファイスに話しかける祐一。
 その問いに凛とした声が返ってくる。

『はい。時系列の表を作成しましょうか』
「お願い」

 祐一はファイスをポケットから出して手の平の上に乗せた。
 ファイスの七角形の青いクリスタルから光が発され、空中にスクリーンが投影される。

『十月二十七日、守護騎士達による蒐集開始。十二月二日、高町なのは蒐集の被害に遭う。この時の映像から魔導師襲撃事件は第一級捜索指定ロストロギア、闇の書関連の事件であることが判明。アースラスタッフが闇の書事件の捜査任務に就く。翌日、捜査本部を海鳴市に設置。一週間後――』
「ああ、途中経過はいいわ。最後だけ教えて」

 アリサの言葉に、スクリーンの時系列表が一気に下までスクロールされる。

『十二月二十四日、闇の書から暴走した防御プログラムを分離。暴走体を破壊しコアを宇宙空間へ転送、アースラに搭載されたアルカンシェルによってコアを消滅させる。この後、闇の書――正式名称『夜天の魔導書』は現地協力者である相沢祐一、川澄舞の二名の協力の下、八神はやてによる改変を受ける。その後の時空管理局本局技術部、特別研究室における調査において暴走、転生が二度と起きる事はないと結論付けられ、管制人格『リインフォース』ともども主たる八神はやての管理下に入る』
「まあ、本当はプログラム改変は主に母さんがやった事だから、俺は大した力になれないけどな」

 祐一に出来た事などそれ程多くない。夢の世界で、はやてが悪夢から抜け出す手伝いをした程度だ。
 プログラムの改変は、月による指導と舞の起こした小さな奇跡の結果に他ならない。
 そこで祐一は気付く。アリサが首をかしげていることに。 

「ねえ、何で月さんの名前を載せてないの?」
「相沢月は闇の書事件に関与していない。そういう事にしてある。だから改変された夜天の魔導書の調査、メンテナンスを母さんが任される事になったんだ」

 そしてスクリーンが消え、ファイスの発光も止まる。アリサは祐一の目をいたずらそうな目で見た。
 アリサ・バニングスの方は犬好きだが、こっちのアリサはまるで猫のようだ。

「で、祐一が助けたいのは誰なの?」
「管制人格プログラム、リインフォース。代々の主を望まぬ死に追いやり、はやてちゃんを飲み込んで涙を流していたあいつを、俺はどうにかして泣き止ませたかった。この世界を俺達の世界の歴史通りになぞらせるっていうのが俺の当初の目的だった。だけど、今は違う。俺はただ、はやてちゃんとリインフォースが一緒に笑ってる姿を見たかった。きっと、それがこの九年間俺が抱え続けていた願いなんだ」

 ふーん、とにやついた顔をするアリサ。その心を見透かしてくるような目と笑みに思わず焦ってしまう。

「べ、別にリインフォースに惚れているとかそんなんじゃないぞ。ただ俺はあいつが泣いているのを止めたいだけで……」
「でも、例の五人の中に入っているんじゃない?」
「うぐぅ……」

 言葉につまり、つい幼なじみの声真似をする。我ながらひどく下手だった。向こう側に還ったら見本をたっぷり見せてもらおう、と誓う。

「ま、まあこの世界のあいつにまで迫られたりしないとは思うけど」
「あら、やっぱり祐一の方が受けだったわけね。ヘタレだし」
「……ヘタレいうな」

 力なく文句を口にする。真実を突かれているせいか強く反論できない。
 そしてアリサの目がスッと細まる。真剣な話に入るようだ。

「で、今回も月さんの力を借りるの?」
「いや。今回はそんな危ない橋を渡る必要は無い。今の所一番の難点はどこで防御プログラムを分離するかだな。まあ安全のために無人世界でってのが無難なところだと思う」
「そこでアルカンシェルっていうのを使うの?」
「あー……。アルカンシェルって、なんだっけ?」

 アリサの質問に祐一も首を捻る。闇の書の防衛プログラムとなのは達が戦闘した時、祐一は既に気を失ってアースラに回収されていたため、どのような戦いがあったのか知らないのだ。二人はファイスに期待の視線を向ける。

『アルカンシェルとは、発動地点を中心に百数十キロの空間を歪曲させ、反応消滅を起こす魔導砲です』
「……余波で日本が滅ぶわね、それ」
「無人世界でも地表に撃つ訳にはいかなそうだな」

 頭を悩ませる二人。だが、なのは達が使った方法以上の代案は浮かんでこない。

「仕方が無い。そこはなのは達に頑張って貰おう」
「祐一、私は?」
「……まあ、攻撃力だけで言うならアリサが最強だしな。ファイス、バリアヴェールの形状を変更して足場にすることは出来るか?」
『もちろんできます。最後ぐらい私も役に立ちたいですし、ぜひ協力させてください』

 最後。そう、祐一とファイスが表舞台に関わるのは今回の事件で最後だ。
 これより後に祐一が関わる予定はもう無い。

「そういえば、なのは達が襲われた日が、さっきの時系列の日付と違っているみたいだけど?」
「ああ。俺が十月二十六日にシグナムに情報を流したからな。蒐集が一日早く始まって、その影響が出てるんだろう」
「ああ。バタフライ効果ってやつね」
「日付の違いくらいならいいけど、恐いのはなのは達がシグナム達に勝った場合だ。互角程度で終わればいいんだが……なのはに魔法を教えていた影響が強すぎた。下手をすると、ヴォルケンリッターが逮捕されてはやてちゃんが死ぬことになりかねない」

 ファイスを胸ポケットに仕舞う。そして祐一は腰掛けていたベッドから立ち上がった。

「とりあえず母さんとこれからについて話し合ってくるよ。アリサ、お前はどう行動する?」
「あたしは、最後の時以外は傍観するわ。守護騎士達が迅速安全に蒐集をしてくれるのなら私は蒐集には関わらない。祐一は?」
「捜査妨害をすると俺が捕まるからな。まあ、その辺は母さんに考えが有るみたいだから任せるよ」

 アリサの部屋から出る。そして一階に降りた時、玄関からなのは達が駆け込んで来た。

「どうした? 四人とも」
「兄さん、これ……!」

 フェイトが差し出してきたのは紙の箱。開けてみるとその中には聖祥の制服が入っていた。

「リンディ提督がこの国では義務教育があるからって、桃子さんと相談して手配してくれてたの」
「そうか。よかったな」

 そっとフェイトの髪を撫でる。くすぐったそうにフェイトが笑う。

「そうだ! アリサちゃんとすずかちゃんにも教えないと」

 そういうとなのははピンクの携帯を取り出してメールを送る。それを見ていたフェイトが不思議そうな顔をする。

「なのは。それ、何?」
「携帯電話。電話をかけてお話したり、文章を書いて送ったり出来るの」

 なのはがフェイトに画面を見せて説明する。それを見て祐一はふと思いついた。

「携帯、フェイトにも持たせたほうがいいな。今日の夜にでも桃子さんと買いに行こうか」
「え……? い、いいの?」
「ああ。迷惑かけないように、とか考えるな。多少の我が侭なら叶えてやるから」

 着信音と共にメールが届く。なのははそれを見て嬉しそうな顔をした。

「アリサちゃん、すずかちゃんと一緒にいて、今からうちに来るって!」
「ほ、ほんと!?」

 笑顔を浮かべる二人。祐一はその二人の頭に手の平をぽす、と乗せる。

「それじゃあ、俺はちょっと出かけてくる。何かあったら連絡をくれ」
「はーい」
「行ってらっしゃい」

 気をつけて、と手を振る小動物二人に手を振り返し、高町家を出る。
 駅前の通りにあるアパートまで辿り着くとチャイムを鳴らし、中に入る。そこでは一心不乱にプログラミングをしている月と、それを手伝っている艶のある黒髪を長く伸ばした女性がいた。

「祐一」
「おう。お前もここで暮らしてたのか」
「いや、私は駅前ビルのホテルに滞在している。今日は忙しいから料理を作ってくれと頼まれた」
「そうか。……ところで、綺麗な髪だな」
「ありがとう。こういうのも新鮮でいい」

 女性と微笑みを交し合う。そして視線を月へと向ける。月は機材の山に向かって幾つものホログラムウインドウを見ながら、ブレて見えるほどの速度で手を動かしていた。

「とりあえず、今度なのは達がシグナム達とかち合った際の対策を練りに来たんだが……」
「歴史通りなら中隊借りたクロノ君が強装結界張るから、今その対策魔法のバグ取り中!」

 見れば機材の中の円筒形の装置の上に、犬らしき動物の顔の形をした金属の籠手があった。

「あれは……?」
「試作型ディスポーサブルデバイス、だそうだ。一度限りだが結界機能の破壊が出来るらしい。使うためには莫大な魔力と詠唱が必要だそうだが」
「ディスポーサブル――使い捨てのデバイス、ね」

 黒髪の女性が教えてくれた。名前から察するに、おそらく費用対効果を全く無視したデバイスなのだろう。限定的な効果しかないだろうが、このような局地戦では脅威となるはずだ。

「ただ、復帰したなのはちゃんの能力がどのくらいかでこの先が大きく変わるでしょうね。二年以上の基礎固めがどれほど地力を上げているか……正直考えたくないわ」
「はやてちゃんの体はいつまで保つ?」
「そう長くはないはずだけど、倒れてしまうまでに蒐集を間に合わせるわ。大丈夫!」

 そしてプログラミング作業に没頭していく月。それを眺めていると、後ろから女性に抱きしめられた。

「無理はするな。お前の能力は聞いている。無理をすれば待っているのはお前自身の破滅だ」
「分かってる。この力のせいで、危うく心を失くす所だったからな」

 レネゲイドウイルスによって得た異能。大した攻撃能力を持たない祐一にも、Aランク以上の攻撃能力を発揮させる力。
 だが、それだけの力を振るえば祐一の理性は破壊され、衝動に突き動かせられるままに生きるジャームと化すだろう。
 たった一度の攻撃の代わりに凶悪な怪物に堕ちてしまう、禁忌の力。
 二度目の奇跡は起こらない。
 次にレネゲイドの力で攻撃すれば、それが相沢祐一という存在の終わりになる。

「頼む。その力は最後まで使わないでくれ」
「了解。全く、俺の周りはお節介なやつらが多いな」
「お前がお節介を焼くから周りが真似を始める。自業自得だな」

 互いに苦笑する。その時、月がばたりと後ろに倒れた。同時にウインドウが次々と閉じていく。

「バグチェック終了。予定より使用魔力が三パーセント増えたけど、問題ないわよね」
「ああ。その魔力にこのデバイスは耐え切れるのか?」
「亀裂ぐらいは入るだろうけど、爆散まではしない……はず……」

 そして倒れたまますぐに寝息を立て始める月。よほど根を詰めていたのだろう。祐一は押入れから毛布を取り出し月の体にかける。

「そういえば、ユーリは?」

 ふと、この家に住んでいる筈のユーリの事を聞く。黒髪の女性が指差した先には、毛布に包まって就寝中のユーリの姿があった。

「あー……。とりあえず、母さん達の事を頼む」
「了解した」

 じゃあまたな、と挨拶して祐一は月のアパートを去る。
 なのはの魔力はまだ戻らない。デバイスもまだ修理中だ。
 実戦においてクロノがフェイトより強いとはいえ、ヴォルケンリッターを二人以上相手にするのはきついだろう。
 ふと、考える。クロノが蒐集されたところで問題は無い。ただ頁の蒐集が早まるだけだ。それをを喜びこそすれ嘆く要素は無い。
 家に帰り、夕食の時フェイトとアルフの歓迎会が開催された。
 その後で携帯を購入するため桃子、なのは、フェイトと祐一はショップに向かう。
 迷った結果、フェイトが選んだのはなのはと色違いの機種だった。
 そして、翌日の朝――

「兄さん、アリサさん。もう行くんですか?」
「ああ。俺とアリサは走り込みを兼ねて学校まで徒歩で行くんだ。フェイトはなのはと一緒にバスで行くといい」
「分かりました。行ってらっしゃい」
「行ってきます」

 祐一とアリサは鞄を背に走り出す。
 この日からフェイトが祐一たちの日常に加わることとなった。
 仲睦まじくしているなのは、フェイト、バニングス、すずかの四人の姿を、祐一とアリサが見守る。
 フェイトは祐一が思っていたよりもずっと早く学校に溶け込んでいった。
 日本語の読み書きにまだ手間取るものの、そちらも驚異的な速さで習熟していった。
 それから数日。
 意気投合した美由希とエイミィがなのはとフェイトを連れてスーパー銭湯『海鳴スパ・ラクーア』に出かけたり、すずかやアリサの家をフェイトが訪れたりと、フェイトは少しずつ地球での暮らしに順応していった。
 そしてなのはとフェイトはユーノ、アルフと共に、メディカルチェックとデバイスの受け取りのため、次元港を経由し時空管理局本局へ向かう。
 その夜、二度目の交戦が始まった。



[5010] 第四十二話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:57
『マスター! 結界反応!』
「管理局か!? それともベルカ式!?」

 ファイスが突然上げた報告に反応して、祐一はベッドから飛び起きる。次いでファイスと携帯を引っ掴んだ。

『解析完了。ミッド式の強装結界です!』
「分かった!」

 とりあえず月へと電話をかける祐一。電話は三コール目で繋がった。

『祐一?』
「管理局の結界が張られたみたいだ。俺はどうすればいい?」

 祐一がまくし立てる。だが、返ってきたのは軽い口調の声だった。

『今回あなたが出ると捜査妨害に加担した事になっちゃうから、そうね……はやてちゃんの家を訪ねてみたら?』
「どうして?」
『守護騎士が帰った時のサポートをお願い。負傷しているかもしれないから。私達はもう出るわ、あなたは今夜の事件に関わらない様にする事。いいわね』
「……了解」

 携帯電話を閉じるとポケットに入れる。そして祐一は部屋から剣道具一式を肩に背負い、はやての家に向かうべく家を後にした。









 そして、結界内部。
 赤い少女と白髪の男を、十数人の武装局員が輪に並んで包囲していた。
 
「管理局か」
「でも、チャラいよこいつら。返り撃ちだ!」

 赤い少女がハンマーを構える。同時に武装局員達は散開して行った。

「え……?」
「上だ!」

 白髪の男の声に赤い少女が上を見る。そこに浮かべられていたのは無数の青い魔力剣。

「スティンガーブレイド・エクスキューションシフト!」

 クロノの声と同時に、剣が環状の魔法陣に包まれヴィータ達のほうに向く。

「ってえ!」

 そして加速射出された無数の剣は、赤い少女の前に躍り出た白髪の男の青みがかった紫色のバリアに遮られる。
 着弾した魔力剣は次々と炸裂していった。

「少しは、通ったか……?」

 息を荒げながら煙の中を見つめるクロノ。
 だが煙が晴れて現れたのは腕に三本の剣の破片を突き刺した白髪の男と、その後ろで無事に守られた赤い少女の姿だった。

「ザフィーラ!」
「気にするな。この程度でどうにかなるほど、やわじゃない……!」

 白髪の男が腕に力を込める。同時に突き刺さっていた魔力の刀身が砕け散った。

「上等!」

 赤い少女が強気の笑みでクロノを見る。二人が動く、その直前だった。
 近くのビルの屋上になのはとフェイトが、その向かいのビルにユーノとアルフが転送されて来る。

「なのは、フェイト……!」

 呟くクロノに二人は小さな笑みを向ける。

「あいつら……!」

 一方赤い少女は警戒の声を上げる。前回の痛み分けに終わった戦いを思い出したためだろう。

「レイジングハート」
「バルディッシュ」
「「セーット、アーップ!」」

 二人がそれぞれのデバイスをかかげ、デバイスを起動させる。
 ところが起動した途端、二つのデバイスは新しいシステムにチェックを掛け始めた。

「え、こ、これって……」
「今までと、違う……」

 螺旋を描く帯状の魔法陣の中、なのはとフェイトが呟く。その呟きにエイミィが通信で答えた。

『二人とも、落ち着いて聞いてね。レイジングハートも、バルディッシュも、新しいシステムを積んでるの』
「新しい、システム……?」

 なのはが疑問の声を上げる。それに対し、エイミィは誇らしげに告げる。

『その子達が望んだの。自分の意志で、自分の思いで。……呼んであげて、その子達の新しい名前を!』
『Condition, all green. Get set』
『Standby, ready』

 二つのデバイスが軌道準備を終えた。そしてなのは達はデバイスの新たな名を呼ぶ。

「レイジングハート・エクセリオン!」
「バルディッシュ・アサルト!」
『『Drive ignition』』

 二人の姿が魔力の輝きと共に変わっていく。同時にレイジングハートとバルディッシュが杖の形をとる。その先端部と柄の間には金属機構が追加されていた。

「あいつらのデバイス、あれって、まさか……!」

 赤い少女の目に警戒の色が宿る。それに対して、フェイトとなのはが口を開いた。

「私達は、あなた達と戦いに来たわけじゃない」
「闇の書を完成させる方法。戦って無理矢理奪うなんてやり方はやめて!」

 その言葉に、赤い少女は警戒を解かぬまま腕を組んで二人を見下ろしてくる。

「あのさあ、ベルカのことわざにこういうのがあんだよ。『和平の使者なら槍は持たない』」

 その言葉になのはとフェイトは顔を見合わせ、二人とも首を横に振った。赤い少女は挑発するように笑って告げる。

「話し合いをしよーってのに武器を持ってやってくるやつがいるか馬鹿って意味だよ、バーカ」
「い、いきなり有無を言わさず襲い掛かってきた子がそれを言う!?」
「それにそれはことわざではなく、小噺のオチだ」

 なのはがその言葉に突っ込み、さらに白髪の男も口をはさんでくる。それに赤い少女が眉を吊り上げた。

「うっせえ! いいんだよ、細かい事は」

 そう赤い少女が返したその時、結界の上部から紫色の光がほとばしり、なのは達の向かいのビルの上に落ちる。
 そこに立っていたのはピンクの髪をした剣士だった。

「あの時の、剣士……!」
「ユーノ君、クロノ君。手は出さないで。わたし、あの子と一対一だから!」

 その言葉に赤い少女が顔を険しくする。それだけなのはの能力を警戒しているのだろう。

「アルフ。私も、彼女と……」
「ああ。あたしもあのヤローにちょいと用がある」

 フェイトは剣士と、アルフは白髪の男と向き合う。そこから離れた高層マンション屋上で、ユーノとクロノは念話を交わしていた。

(ユーノ。それならちょうどいい。僕と君で手分けして、闇の書を持っているもう一人の仲間を探すんだ)
(主が持っている可能性は?)
(蒐集の事実を知らないのなら、この場にはいないだろう。だがあの連中は持っていない。蒐集をして来た以上、闇の書を持ち出しているはずだ。僕は結界の外を探す。君は中を)
(分かった)

 そしてユーノは下に、クロノは結界の外に飛んで行く。
 その一方で、なのはは赤い少女と、フェイトは剣士と向かい合った。

「ヴォルケンリッター鉄槌の騎士、ヴィータ。テメーの名は?」
「なのは。高町なのは!」
「高町なぬ、なぬ……ええい、呼びにくい!」
「逆切れ!?」

 目を丸くしたなのはと言葉を噛んだヴィータが対峙している横で、剣士とフェイトは睨み合っている。
 口を開いたのは、剣士の方からだった。

「私はヴォルケンリッターの将、シグナム。そして我が剣、レヴァンティン。お前の名は?」
「時空管理局嘱託魔導師、フェイト・テスタロッサ。この子はバルディッシュ・アサルト」

 お互い名乗りを上げ、両者共に笑みを浮かべる。
 その時、割り込むようにレイジングハートが声を上げた。

『Master, please call me “Cartridge Load” (『カートリッジロード』を命じてください )』
「うん。レイジングハート、カートリッジロード!」
『Load cartridge』

 マガジン状の弾倉から魔力が圧縮されている弾丸が充填され、撃発される。
 同時にレイジングハートの中に強力な魔力が宿った。

『Sir』
「うん。私も、だね。バルディッシュ、カートリッジロード」
『Load cartridge』

 デバイスの先端部と柄の間に取り付けられたリボルバー式の弾倉が回転し、カートリッジが撃発される。
 それと同時にバルディッシュも強い魔力を帯びる。
 カートリッジシステム。その慣らしを兼ねてなのはとフェイトは互いの相手へと向かっていった。
 ヴィータはなのはの放った、威力を底上げされた十六発の誘導制御弾――アクセルシューターに追い立てられ、シグナムがフェイトと近距離から中距離で攻撃を交し合い、一進一退の戦いを繰り広げる。一方、アルフと白髪の男は拳を構えたまま動かなかった。

「あたしの名はアルフ。あんたの名は?」
「ザフィーラだ」
「そう。……ザフィーラ、闇の書の蒐集は無理矢理襲い掛からないといけないもんなのか?」
「……どういう意味だ」

 アルフの意志を図りかねるように眉をひそめるザフィーラ。それにアルフは静かに告げる。

「それこそ管理局に泣き付いても良かったんじゃないかってことだよ。主の命を助けるためなら、局員に協力してもらえば襲い掛かって奪わなくても――」
(無理な話だ)

 アルフの言葉に、シグナムが思念通話で割り込みをかける。幾分自嘲を含んだその言葉に、アルフは怪訝そうな顔をした。

(我らと管理局との溝は深い。管理局と接触したなら、主は間違いなく夜天の書ごと封印措置を受けることになる)
「なんでだよ! 頁を全部埋めても暴走しない抜け道があるって話じゃないか!」
(……祐一から聞いたか。だが、それは一種の賭けだ。確実かどうか分からないものを理由に、管理局が蒐集を許してくれるとは思えん)

 どちらも決して間違いとは言えない主張。だからこそ、どちらの陣営も自分の意志を曲げる事はできなかった。

(なら、何故あなた達は蒐集をするんですか? 暴走したら、あなたたちの主は……)
(次善の策がある。そちらも分が悪い賭けではあるが、主だけでも助けることは出来る)

 割り込んできたフェイトにシグナムが答える。
 シグナムは連結刃状態のレヴァンティンをフェイトのバルディッシュに絡め、互いに一歩も譲らない攻防をしていた。
 その一方でなのははアクセルシューターを駆使し、ヴィータを中距離より先に踏み込ませないよう戦闘を進めている。
 それ以上離れれば砲撃が飛んでくることに気付いているのか、ヴィータは鉄球に魔力を付与してハンマーでなぎ払い、何とか近接戦に持ち込ませようとする。
 赤い魔力を帯びた鉄球は、放たれる度にアクセルシューターに砕かれ、なのはとヴィータは膠着状態に陥っていた。










 そして強装結界の外、クロノはビルの上に立ち結界を見つめていた緑の服の女性の後ろを取り、その後頭部に杖を突きつけていた。女性の手には一冊の書が握られている。

「捜索指定ロストロギアの所持、使用の疑いであなたを逮捕します。抵抗しなければ弁護の機会があなたにはある。同意するなら、武装の解除を」

 緑の女性が硬直し場の空気が張り詰める。
 だが、そこに闖入者が現れた。仮面をつけた青い髪に白い上着を纏った男がクロノの腹に蹴りを入れ、向かいのビルのフェンスに叩き付ける。

「あなたは……?」
「使え。闇の書の力を使って結界を破壊しろ」
「でも、あれは……!」

 緑の女性が何か話そうとした瞬間だった。下からビルの屋上に二人の黒いコートを纏った人物が現れる。二人とも黒いフードを深く被り、その顔を判別することは出来ない。

「何者だ!」

 叫ぶ仮面の男への返答は、黒コートの一人の魔法攻撃で行なわれた。
 仮面の男はとっさにカードを取り出しバリアを張る。が、黒コートの手の平から放たれた抜き撃ちの砲撃はバリアを数秒の拮抗の後に砕き散らした。
 その直後に、もう一人の黒コートが仮面の男の腹に一撃を見舞う。
 仮面の男はその場に悶絶して倒れ込んだ。

「あなた達は!?」

 突然の事の連続に目を白黒させながら緑の女性が言う。

「シャマル。私があの結界を破壊する。その隙に騎士達を撤退させろ」

 拳を放った黒コートの言葉に緑の女性は目を見開き――そして頷いた。

(皆。今からこの結界を破るから、そうしたら撤退を!)
(((応!)))

 そして黒コートの人物は犬のような装飾の金属製の籠手を嵌め、結界に向き直る。
 一方でもう一人の黒コートは仮面の男をビルの下に放り捨て、クロノと向き合った。 

「一体どうなっている。お前達は何者だ!」

 クロノの問いに答えることなく、黒コートは両手を広げて立ちはだかる。
 自らの身を犠牲にしても通さない。
 クロノにはそのように見えた。

「魔を祓いし狼の叫びよ。紅月の下、群れ集いて鳴り響け」

 銀色の籠手に魔力が充填されていく。その魔力の総量は、なのはの砲撃魔法を優に越えていた。

「我が眼前の魔を打ち砕け。蒼月の下、我が祈りは今轟きとなりて世界へと響き渡らん」

 そして込められた魔力に籠手に小さくひびが入る。
 だがこれも予定の内だ。
 崩壊するその直前まで魔力を充填し、崩壊と同時に解き放たれるその咆哮はあらゆる結界を打ち砕く。

「ハウリング・ウォルブスッ!」

 オン、と大気が鳴動した。
 次の瞬間、場を覆っていた結界がガラスのように粉々になって砕け散る。
 一方、その咆哮を放った狼の籠手には亀裂が縦横無尽に走っていた。
 結界の中から飛び出していく三筋の光。
 そして緑の女性が転移しようとしたその時、クロノと対峙していた黒コートが女性の手を掴む。

「私のリンカーコアを持っていきなさい」
「え……?」

 突然の申し出に戸惑う緑の女性。だが黒コートは自分の胸に女性の手を当てた。

「急いで。もう時間が無い」

 はっと上を見る緑の女性。そこには入れ替わりにもう一人の黒コートと対峙しているクロノの姿があった。
 緑の女性は覚悟を決めたのか顔を引き締め、黒コートの胸に腕を突き刺し、リンカーコアを取り出して書を開く。

「夜天の魔導書、奪って」
『Sammlung』

 リンカーコアから光が失われていく。女性は残りかすの様に小さな光になったリンカーコアを胸の中に戻す。
 倒れ込む黒コート。緑の女性が転移魔法で消えようとする刹那、もう一人の黒コートが白い球体を屋上の床に叩き付けた。
 ノイズのような音が辺りに響き渡る中、緑の女性は転移する。

「エイミィ!」
『ごめん、クロノ君! 今のでジャミングされた。追跡できない!』

 エイミィからの通信に奥歯を噛み締めるクロノ。
 ビルの下を見ると、そこには既に仮面の男の姿は無かった。
 クロノはコートを纏った二人に杖を向ける。

「捜査妨害の容疑であなた方を逮捕します。抵抗しないなら弁護の機会があなた達にはある。投稿するなら、武装の解除を」

 杖を向けられても黒コートの二人は動じる様子も無く、立ち上がった黒コートと立っている黒コートが手を触れ合わせた。
 立ち上がった方の黒コートが取り出した白い立方体がルービックキューブのように変形し、直後白い光の奔流が二人を包み込む。
 光が収まった時、屋上には誰の姿も無かった。

『今の、魔力反応が全然無かった。……魔法じゃない力で転移した? だめ、途切れてる。他の世界には飛んでいないみたいだけど……』
「エイミィ。今の三人について祐一に尋ねよう。何か知っているかもしれない」
『分かった。とりあえず今は帰投して』
「了解した。なのは達は捜査本部まで祐一を連れて来てくれ」
(はい!)
(分かりました)

 クロノの言葉になのはとフェイトが頷く。そして二人は高町家へと空を駆けた。





 その一方で、祐一は八神家にてはやてとすずかを相手に談笑していた。

「――でな、クレーン荒らしの異名をとった俺はゲーセンの親父に恐れられる事となってな。おかげでしばらくはクレーンのアームを弱くされて、苦戦の日々が始まった。そしてそこに現れたのが、クレーン久瀬と名乗る男だった」
「へー。ライバル登場やね」
「祐一さん、クレーンゲーム得意だったんだ」

 はやてが合いの手をいれ、すずかは素直に感心した。
 祐一はさらに得意になって、過去の仲間達との愉快な思い出話に熱を入れようとする。

「まあ、そう呼ばれるようになるまではこれまた苦難の日々が――」
「ごめんなさいはやてちゃん! 遅くなりました――――ってあれ? すずかちゃんに祐一君?」

 玄関が開くなりダイニングに飛び込んで来たシャマルが、テーブルに座っていた祐一とすずかの顔を見て目を丸くする。

「お帰り、シャマル。他の皆は?」
「ただいま戻りました。――む、祐一」
「ただいまはやて!」
「ウォフ」

 ヴォルケンリッターが私服の姿で帰ってくる。
 シグナムは祐一と顔を合わせ、ヴィータがはやてに抱きつきながら祐一とはやての間に身を割り込ませる。

「祐一、お前が何故ここに」
「いや、シグナムが剣道場から帰るのが遅くなりそうだからって言ってたから、はやてちゃんが寂しくないように寄ってみたんだ」

 シグナムの問いに笑って答えた。それに不審そうな顔をするシグナム。

(……それで、本当の目的は何だ)
(母さんの指示だ。お前らがダメージを負っていた場合のサポート役。多分、他意はないと思う)

 シグナムが思念通話を繋げてくる。祐一からは出来ないが、向こうからラインを繋げてくれるなら会話が出来る。

「そうや。祐一さん今日は鍋やって聞いたらお肉追加で買うてきてくれたんよ」
「まあ、ありがとうございます」

 シャマルが笑顔でお礼を言う。そして既に準備の整っている鍋のコンロにはやてが火を点ける。それからはやては冷蔵庫に向かい、切られた野菜を取り出してきた。

(今日シャマルが黒いコートに身を包んだ二人組に出会ったそうだ。それがお前の両親か?)
(片方は母さんで、もう片方は知り合いだな。どっちもはやてちゃんの味方だ。まかり間違ってもはやてちゃんの害になるような事はしない)

 シグナムが目を落とす。とりあえずシグナムには信用してもらえているようだ。剣道場に通い詰めたのも無駄ではなかった。

(あの……じゃあ仮面の男について知ってるいますか?)
(目的までは知らない。けど、あいつらは最終的にはやてちゃんの敵になる。警戒しておいた方がいい)
(あいつら? 複数いるのか?)
(二人組みだったと思う。かなりの使い手だ。拘束魔法を受けないように気をつけろ)

 シャマルとシグナムが目配せをする。はやての傍にいるヴィータも口数が少なくなった。何か会議でもやっているのだろう。
 そうこうしている内に鍋の出し汁が沸騰した。そこにはやてが野菜と肉を入れていく。

「そういやシグナム、あんまり祐一さんのこと話さへんようになったなあ」
「そうでしょうか」
「うん。前は道場に行く度に祐一さんのこと話してくれとったのに」
「いや、それは俺が口止めしといたんだ。恥ずかしいからやめてくれって」

 とっさに嘘をつく。シグナムは無言で頷いた。

「でもシグナム祐一さんの事をべた褒めしとったで。恥ずかしいことあらへんよ?」
「俺も男の子だからな。負け越してるのを話されるのは恥ずかしいんだよ」
「そーいうもんなん?」
「そーいうもんだ」

 そこではやての祐一を見る目が変化する。その猫のような目に祐一は覚えがあった。
 アリサがSっ気を出し始めた時と同じ目だ。

「祐一さん、もしかしてシグナムの事好きなん?」
「ん? そりゃ嫌いなわけないけど?」 
「んー……。祐一さん、それはマジボケ?」
「……意味がさっぱり分からないんだが」

 シグナムの方を見る。目を逸らされた。すずかはおかしそうにくすくすと笑っている。

「要するに、恋をする方の好きっていうことや」
「あー。ないない、それはない。年が違いすぎる」
「いや、恋に年の差は関係ないで。祐一さんはシグナムの事なんて思うとるん?」

 シグナムの事をどう思っているか。祐一は考えに考え――そして嘘偽り無く本音を口に出す事にした。

「小さい子達には面倒見のいいお姉さん。大きなお兄さんには剣の鬼。武人としてはあこがれてる。あとおっぱい魔人」
「表に出ろ祐一。我が剣の錆びにしてくれる」

 シグナムの目は本気だった。祐一はすぐに頭を下げて謝罪する。

「すいません最後のは冗談です。……というか気にしてたんだな、胸大きいの」
「祐一さん。触ってみたいんか?」
「是非に。……冗談だ判れキレるなごめんなさいもうふざけません」

 はやての質問にノリで答えたところ、シグナムが剣型のペンダントを取り出した。祐一は即座に詫びを入れる。シグナムは胸が大きいのがコンプレックスらしい。

「結局シグナムは祐一さんとどういう仲なん?」
「んー。知り合い以上ライバル未満?」
「一応友人のつもりで接してきたつもりです」
「なるほどなあ。じゃあ祐一さんが今一番気になっとる女の子は誰なん?」

 その答えに詰まってしまう。ここでふざけてはやてちゃんと言えば、レヴァンティンの錆びにされかねない。

「気になってるというか、助けてやりたいやつならいるかな」
「どんな子なん?」
「ずっと泣いていたやつでな。どうにかして笑わせてやりたいって思ってるんだ」

 虚空に視線を浮かせ、この世界のリインフォースの事を想う。
 もう悲しい涙を流させるつもりはない。
 そのための布石は、あと一つ。仮面の男達二人を拘束する事。これは月達なら簡単に出来るだろう。
 鍋を食べ終えてしばらくして、すずかは迎えの車に乗って帰っていった。
 祐一もシグナムに見送られて玄関に出る。

「なあ、蒐集はどこまで進んでいる?」
「少し待て。呼んでみる」

 シグナムが目を瞑る。そこへ家の中から闇の書が飛んできた。シグナムがページをめくっていく。

「五百五十八頁。残り百八頁だ」
「そうか……。分かっているとは思うが、蒐集が終わったら――」
「ああ。約束は守ろう」

 視線を交わしあい、シグナムと別れる。
 高町家への道を歩いている途中で携帯が鳴り始めた。通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。

「はい、もしもし」
「あ、兄さん。よかった、繋がった」
「どうした? 何かあったのか?」
「うん。大切な話があるから、クロノ達のアパートに来て欲しいの」

 おそらく、今日の戦闘についてのことだろう。頭の中で明かしてもいい情報と秘匿するべき情報を整理して、祐一は深く息をついた。

「分かった。すぐに戻る」

 返事をして通話を切る。そして夜道を駆け出した。
 白い息を吐きながら、少しばかり人間離れした速度で空気を切り裂きながら走る。
 祐一がクロノたちのアパートに着くまで五分とかからなかった。





「こんばんはー」
「ああ。来てくれたか」

 アパートのドアを開けた祐一をクロノが出迎える。
 靴を脱ぎ、差し出されたスリッパを履いて上がりこむ。

「話ってなんだ? 今回俺は何もしていない筈だけど」
「それについては中で説明する。上がってくれ」

 クロノに案内されて、なのは達のいるリビングに通された。部屋の電気が暗くなり、空中にスクリーンが表示される。
 そこに映し出されていたのは、黒いコートを纏った二人組み。そして仮面を被った青い髪の男の姿が映し出されていた。

「今回捜査の妨害をしてきた人物だ。知っているか?」
「……ああ。仮面の方の目的は闇の書の暴走を引き起こす事。ただしそれで何をしようとしているのかまでは分からない。あと、仮面の男は二人いる。一人だと思っていると隙を突かれるぞ」
「黒いコートの連中は?」
「こっちは俺の仲間だ。闇の書の呪いを解くことが目的。その過程で管理者権限を使用するために闇の書の完成に協力している」

 そこで画面が閉じられる。部屋の明るさが元に戻った。
 そこでクロノが祐一の方に真剣な顔を向けてくる。だが、その目には最初に祐一を問いただした時のような険が取れていた。

「教えてくれ。君は闇の書について何を知っている」
「……後、もう少し」
「え?」
「もう少しで蒐集は完了する。そこで全てが明らかにするつもりだ。だけど、それまでは話せない」

 クリスマスイヴまであと十数日。それまでには頁の蒐集も終わるだろう。全てを話すのはそれからでも問題ない。

「……仕方が無い。君が話さないと言うならこちらで勝手に調べさせてもらう。ユーノ、明日から頼みたい事がある」
「僕に?」
「本局の無限書庫で、闇の書の情報を探して欲しい」

 無限書庫。祐一達が知っている知識も、元を辿ればそこでユーノが調べた情報だ。
 だが、その程度の情報が今更出揃ったところでもう遅い。夜天の書の完成は間近なのだから。
 玄関で靴を履こうとして、祐一はふと口を開く。

「クロノ。夜天の魔導書について調べて見るといい」
「夜天の魔導書?」
「闇の書の、本当の名前だ」

 それだけを告げて外に出る。その後をなのはとフェイト、アルフがついてくる。

「おにーちゃん。闇の書の呪いを解くって本当?」
「ああ。そのためにこれまで計画を進めてきたんだ。あと少し――あと少しで全ての頁が埋まる」

 白い息を吐いて、祐一は答えを返す。その祐一の右手を、そっとなのはが握ってきた。

「闇の書――えっと、夜天の魔導書の危険性は?」

 今度は祐一の左にいたフェイトが質問してきた。だが、失敗した時の話などマイナスにしか働かない。
 だから、祐一は出来るだけ気楽そうに口を開いた。

「確かに危険性はあるけど、すぐには何も起きない。それにもしもの時のためのプランも用意してある。後は、仮面の男達をどうにかしてしまえば俺達の勝ちだ。それからは危険な橋を渡って呪いを解くか、今の主が死ぬまで現状維持をとるか……主の選択次第だな」

 だが、祐一ははやてが闇の書の呪いを解く道を選んでくれると信じている。
 リインフォースの存在を知れば、はやてはきっと助ける道を選ぶだろう。
 夜空を見上げる。冬の空は澄み渡って星々の光がはっきり見える。ようやくこの九年間の終わりが見えてきた。
 決意を胸に、祐一は高町家の門をくぐる。その姿を、屋根の上から小さな影が眺めていた。



[5010] 第四十三話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/26 21:57
 ユーノがクロノ達に連れられて本局の無限書庫に向かった日の午後。祐一はどこからか響く笛の音を聞いた。
 それは低く優しい調べ。
 その笛の音を聞くうちに祐一の意識は混濁していく。
 気がついた時には、既に祐一は机に頭を伏せてしまっていた。
 教師が黒板にチョークを擦る音が遠くなり、代わりに笛の音が段々大きくなっていく。
 そして祐一は意識を手放した。



 目を覚ました祐一がいたのは暗い場所だった。
 少し先にはには二つの人影が見える。
 はやてとリインフォース。
 はやては緑色の検査着の様な服を着ており、対するリインフォースは黒い上下のアンダーを着ている。
 二人はなにやら会話をしているようだ。
 二人をの会話を聴き取ろうと耳を澄ませてみると、はやての姿が光り始める。

「目を覚まし始めているようです。お別れですね」
「うん。もっと話したいことあるのに」
「私もです」

 光の中に輪郭が消えつつあるはやての頬に、リインフォースがそっと触れる。その手をはやては両手で包んだ。

「それに、名前もつけたらなあかん」
「え……?」
「闇の書は、あなたの本当の名前とちゃうし、夜天の魔導書って呼ぶんもなんや違うし。綺麗な瞳と髪によう似合う優しくて強い名前、私考えたらなあかんと思って」

 そう言ってはやてはリインフォースに笑いかける。その言葉にリインフォースは数秒固まっていたようだった。

「……ありがとう、ございます。お心だけ、何よりありがたく頂いておきます」
「ん。ほんなら、また会おな」
「お気をつけて。お体をお大事に」
「うん。あなたもな」
「騎士達をよろしくお願いします」

 そしてはやての姿は光に消え、リインフォースが暗い世界に一人だけ取り残される。

「わたしはまた、一人だな……」

 一筋の涙がリインフォースの涙を伝う。そして涙は次から次へと溢れ出る。

「これは、涙か。私はまだ泣けるのだな……」

 しばらくの間、声にならない嗚咽が暗い闇の中に響く。やがて涙をこぼしながらリインフォースは声を上げる。

「私は主を救うことも、騎士達を止めることも、何もできない。どこの誰でもいい。どんな手段でもいい。この絶望の輪廻を断ち切っては貰えないか。あの優しい主と、一途な騎士達だけでいい。救っては貰えないか。神でもいい。悪魔でもいい。どうか、あの子らを救ってくれ……」

 そのか細い声を聞いて、祐一は必死でリインフォースの方に進もうともがく。
 だが、体は宙に浮いているような感覚で進むことも出来ず、いくら呼びかけても声すら届かない。
 その時だった。

「あちらへ行くの?」
「え?」

 いつの間にか、祐一の横にユーリが浮いていた。彼女は再度祐一に問う。

「あちらへ行きたいの?」
「行けるのか?」

 祐一の問いに、ユーリは小さく頷いた。

「全ての夢は繋がっている。私はその境界を支配する事が出来る」
「なら……頼む。俺は、あいつを泣き止ませたい」

 ユーリに手を繋がれる。
 宙に浮いた祐一を引っ張ってユーリがリインフォースの元へと歩いていく。
 その途中で、祐一は透明な壁をすり抜けたような違和感を覚えた。
 リインフォース――いや、未だ名を持たぬ『彼女』はまだ顔を手で覆い、嗚咽をこぼしている。

「おい。聞こえるか?」
「……だれ、だ? どこに、いる?」

 祐一の声は聞こえるようだが、姿は見えていないらしい。
 ユーリが『彼女』の傍に祐一を引っ張って行き、もう片方の手で『彼女』に触れる。
 その途端、『彼女』の眼が祐一たちを捉えた。

「お前は、烈火の将の……」
「シグナムを通じて知ったのか?」
「ああ。騎士達は、私と繋がっている」

 嗚咽を止め、『彼女』は頷いて答える。だが、祐一にはなぜ『彼女』が泣いているのか分からなかった。 

「なあ。なら俺とシグナムが交わした約束についても知ってるだろ。あれじゃ駄目なのか?」
「感情が高ぶれば、書は暴走してしまう。今はよくても、いずれは……」
「なら、その次善策を使うのは?」
「成功するかは分からない。危険が大きすぎる」

 『彼女』は拳を握り締めて俯く。そこにユーリが声をかけた。

「少なくとも現状のプランで行けば、暴走の危険性はあっても八神はやての延命にはなると考える。どうか?」
「……ああ。確かに書からの侵蝕は止まる。主の足も徐々にだが治っていくだろう」

 ユーリの質問に首肯して答える『彼女』。そしてユーリが再び『彼女』に問う。

「第二プランについては、あなたが八神はやてと協力すれば必ず成功する。八神はやてにそれを教えて、彼女がそれを望むならどうか彼女に協力して欲しい」
「……了解した」

 涙を拭い、『彼女』は祐一とユーリを見る。そして『彼女』はユーリに話しかけた。

「お前の名は?」
「ユーリ。それが私の名前」
「そうか。私のことは……知っていて来てくれたのだな」

 そして祐一とユーリを交互に見る『彼女』。その顔には、僅かな微笑みが浮かんでいる。

「何故、お前達はこうまでしてくれるのだ?」

 『彼女』の問いに、ユーリは首を横に小さく振った。

「私は関係無い。全ては祐一が望んだ事」
「そうなのか? 相沢祐一」
「まあ、そうなるな。あと名前は祐一でいいぞ。一々フルネームで呼ぶのは面倒だろ」
「では祐一。お前は何故我が主を救おうとする?」

 そう訊かれて考えこむ。しっくり来る理由が見当たらない。だから、祐一は思いつくままに言葉を発することにした。

「多分、俺が助けたかったのはお前だよ」
「わた、し……?」
「そう。色々な計算もあるし、はやてちゃんを助けたいのも本当だ。けど、俺は泣いてるお前に笑って欲しかった。理由を挙げるとしたら、きっとただそれだけだ」

 きょとんとする『彼女』。そして『彼女』の瞳から涙が一滴零れた。

「ありがとう。祐一、ユーリ……」

 その言葉に祐一は頬をかく。正面から感謝の言葉を告げらるのは、ひどく照れくさかった。

「礼を言うのは全部上手くいった後にしてくれ。絶対になんとかしてやるから」

 顔を上げる『彼女』。祐一と『彼女』が小さく笑みを交し合ったその時、祐一の体が発光を始めた。

「もう限界みたい……」

 ユーリがぼそりと呟く。

「夢使いの力がか?」
「ううん。祐一を眠らせておくのが」
「は? どういう――」

 事だ、とは続けられなかった。
 祐一の頭を強い衝撃が襲う。
 同時に眩い光に包まれ、視界が白一色に染まる。
 そして祐一が目を開けた時には、不機嫌そうな目でこちらを見るアリサの姿があった。

「祐一、起きた?」
「起きた起きた。今何時だ?」
「もう五時限目が終わったところよ。全く、授業中ずっと先生に睨まれてたのよ?」

 笛の音による睡眠導入。祐一が思っていたよりかなり深くまで影響を与えられていたようだ。

「で、どうやって俺を起こしたんだ?」
「頭を持ち上げて、それから手を離して落としたの」
「ああ、それで頭が痛いのか」

 おでこの辺りをさすり、周囲を見回す。もう皆帰る準備が出来ていた。
 そして、担任の教師が入ってきてホームルームが始まり、祐一達は席に着いて連絡のプリント類を受け取った。
 日直の号令で挨拶をすると、後はもう放課後だ。
 グラウンドに遊びに行く者、クラブ活動に参加している者、塾に通う者、家に帰る者、皆様々に行動を始める。
 祐一達は高町家に一度帰り、アリサは自室でデバイスの調整をし、祐一は月の下で最終調整を行った。





 そして翌日、祐一は剣道場へと向かう。
 剣道場に一礼をして入ると、子供達の様子を監督しているシグナムの姿を見つけた。
 更衣室で着替えをしてから、シグナムの元に駆け寄る。

「今日は来たんだな、シグナム」
「祐一か。悪いが今日は――」
「相手はできない、だろ? そんな活力の無い体じゃ危険だからな」

 シグナムの背中に手を当てる。その合わせ目から白い光が漏れた。治癒魔法を使ったのだ。

「どうだ? 調子は」
「大分体が軽くなった。礼を言う。……ところで、今日家に来てもらえるか?」
「はやてちゃんの件か?」
「いや、ヴィータが相当消耗している。治癒してやって欲しい」

 頷いて返事をする。
 それから祐一は中学生の中に混じって竹刀の素振りを始めた。
 しかし、やはり祐一の双剣――メモリーズとは一体感が全く違う。
 竹刀では体の一部として扱う感覚が再現できない。
 それでも祐一は無心になって竹刀を振り続ける。
 目は真っ直ぐに、目的を違えない様に。肉体ではなく精神を研ぎ澄ませる。
 そして師範と数本し合い、シグナムと共に道場を出た。
 やがて八神家に着くと、家のリビングに通される。
 ヴィータが帰ってきたのは、それからしばらくしての事だった。

「ヴィータ!?」

 帰ってきたヴィータの姿に思わず声を上げる祐一。服装に綻びや傷は無いものの、その顔や手足には幾つも小さい傷が出来ていた。

「じっとしてろ……≪ヒール≫」

 祐一の前に青い魔法陣が描かれる。そこから溢れ出た白く清浄な光がヴィータの傷を消し去っていく。

「どうだ? 痛い所やだるい感じとかないか?」
「ない。……あんがとよ」

 ヴィータが腕を手で払う。ぱらぱらと砂が落ちた。

「あの砂漠のでっけえワームども、結構手こずった。頁は稼げるけど、カートリッジを随分消費しちまった」
「そうか。ならば次は私が行こう」
「油断すんなよ」
「分かっている」

 不敵な笑みを交わすヴィータとシグナム。二人の顔には気力が溢れている。
 魔力まで回復した訳ではないだろうが、それでも体力が回復すれば魔力の回復量も上がる。
 充分な睡眠をとれば一両日中に回復するだろう。

「ただいまー」
「ただいま戻りましたー」

 玄関からはやてとシャマルの声が響いた。ヴィータは焦って奥の方へ走っていく。

「お帰りなさい、主はやて」
「ども、お邪魔してます」
「あ、祐一さん。こんにちは」

 シャマル、はやてが祐一と頭を下げ合う。

「祐一さん、今日も剣道場の帰りですか?」
「ああ。ところではやてちゃんは……お買い物?」
「そや。図書館に行った帰りに買うてきてん」

 今日はオムライスやでー、と朗らかに笑うはやて。
 今もリンカーコアの侵蝕は進んでいるというのに、全く辛い様子を見せていない。

「忙しくなりそうだな。俺は帰ることにするよ」
「ああ、分かった。礼を言わせて貰う。今日は付き合ってくれてありがとう」
「気にせずいつでも電話して来い。こういうのが俺の本領だからな」

 はやてとシャマルに挨拶をして、祐一は八神家を出る。
 シグナムもヴィータも随分蒐集の疲労が溜まっていた。
 下手をすればあの中の誰かが掴まってしまう可能性もある。

「母さんとあいつ対管理局、とかはやめて欲しいんだけど……」

 場合によっては祐一も捜査妨害をしなければならない。
 犯罪を犯すことにためらいはないが、祐一に出来ることはそう無い。
 せいぜいエイミィを人質にとるくらいのものだろう。
 ぼやきながら帰路に着く。月の話によると作戦の決行は明後日。『Capel』が弾き出した演算結果だ。
 一度裏切られた祐一は『Capel』の事を信用しかねたが、三人はそれを元に行動を起こす気だ。付き合うしかない。



 そして、事態は予定通りに進んだ。
 月の部屋のモニターに表示されているのは、砂漠でシグナムと交戦しているフェイトの姿だ。
 別のモニターには、クラックを受けて通信も転送も出来なくなっているエイミィとなのはが慌てている姿であった。

「内部からのクラックに弱いのは相変わらず、か」
「俺達の世界でも問題になったよな、それ」

 月と祐一がなのは達を眺めながら言った。

「後十五秒後に転送を開始します」
「ユーリ。もう少し愛想を良くした方がいいぞ」
「「お前が言うな」」

 黒髪の女性の台詞に同時に突っ込みを入れる相沢親子。
 その間にもユーリのカウントが進んでいく。

「三、二、一、転送」

 祐一たちの立つ床に置かれたカーペットの四角い魔法陣が起動し、祐一達の姿からその場から消える。





 ざり、と細かい砂を踏みしめる感覚を覚え、祐一は目を開ける。
 視界に映ったのは、フェイトの背後から腕を貫きリンカーコアを取り出している仮面の男と、そしてそのリンカーコアをレヴァンティンに格納しているシグナムだった。

「――っ!」

 砂を巻き上げながら全力でフェイトの傍に走り寄る。
 こちらに気付いた仮面の男がフェイトから腕を引き抜きカードを指の間に挟む。
 だが、仮面の男の背後にユーリが突如出現した。ユーリは握っていた警棒で仮面の男の後頭部を殴りつける。
 警棒が男に触れた瞬間、小さく火花が散った。スタンバトンだ。高圧電流付きの一撃を見舞われ、仮面の男がよろめく。
 その隙に祐一はフェイトを抱き起こした。胸に怪我をしている様子はない。リンカーコアを奪われたショックで意識を失っているだけの様だ。
 フェイトを右手で抱いたまま、左手を仮面の男に向ける。仮面の男は宙に舞い、黒髪の女性の一撃を躱す。だが、その時には祐一の攻撃の準備が出来ていた。祐一の左手の両脇に虚空から突き出された双剣、その間に異界のゲートが開く。

「≪ワールドゲイト砲≫――ファイア!」

 ゲートから飛び出した黒いエネルギー弾が弧を描き仮面の男に向かって行く。
 仮面の男の手からカードが消え、同時に渦を巻くような青い障壁が出現し、祐一の撃った魔弾を防ぐ。
 しかし、魔弾は障壁に当たった瞬間霧散した。
 当然だ。ウィザードの中でも魔力の低い祐一が使う魔法など、この切り札である≪ワールドゲイト砲≫でもAランク相当の威力しか出せない。
 だが、目的は達した。
 祐一を囮にして男の背後に回った月が人間大もの大きさの黒い魔力弾を連射し、仮面の男は錐揉みしながら宙を跳ねる。
 これで、仮面の男の片方は潰した。
 問題は後の一人。姿を消して潜んでいるようだが、こちらにも切り札がいる。

「シグナム! 手伝ってくれ!」
「……何をすればいい」
「こいつを連れ去られないようにしといてくれ」

 倒れ伏した仮面の男を指す。シグナムは複雑そうな表情で仮面の男に歩み寄る。
 その瞬間だった。倒れた仮面の男の向こう側に突如としてユーリが出現し、何もない空中にスタンバトンを振り下ろす。
 鈍い音が響くと共に、虚空からもう一人の仮面の男が現れ、倒れた。

「この領域では私がルール……なの」

 黒髪の女性が二人の仮面の男を黒いリングバインドで幾重にも縛る。
 ついでに意識を取り戻そうとした仮面の男をユーリが再びスタンバトンで殴り昏倒させた。

「フェイトー!」

 空を滑るようにアルフが駆けつけてくる。それを見たシグナムは、三角形のベルカ式魔法陣を展開した。
 その魔法陣と共にシグナムの姿が消えていく。
 それを見届けた月達三人は手を繋ぎ、白い立方体を使い閃光と共に姿を消した。この場に祐一を残したまま。

「祐一。フェイトはどうしたんだい!?」
「リンカーコアを奪われたけど、命に別状はない。……やったのはこいつらだ」

 バインドに拘束されたまま、足元に転がる仮面の男達を指差す。
 そして祐一は深く、深く息を安堵の息をついた。
 これで、祐一達の出番は終わりだ。後は事態の推移を見守っていけばいい。

「これが前に言ってた仮面の男?」
「ああ。さて、償いは果たさないとな」

 フェイトの体を両手で抱きしめる。
 フェイトと自分の境界が薄れ、フェイトの欠損に深く、深く感応していく。
 しばらく経って祐一が目を開けると同時に、フェイトも薄らと目を開けた。

「……あれ? 兄さん? アルフ?」
「フェイト。足も怪我してるみたいだな。少しじっとしててくれ」

 青い魔法陣が祐一の手から展開され、魔法陣から零れた白い光がフェイトの体を癒していく。

「ありがとう、兄さん」

 小さく微笑むフェイトに頬を緩める。そこで祐一は、アルフがこちらの方を見て目を丸くしていたのに気がついた。

「祐一。あんた、一体何をしたんだ……?」
「アルフ?」

 不安そうな目で見てくるアルフ。その理由が分からない祐一は首を傾げる。

「その背中の血だよ! 何でいきなり出血してるのさ!」
「……ああ。単なる副作用だ。心配は要らない」

 意識が朦朧とする中、祐一は慌ててフェイトとアルフから背中を隠す。その時上から声が降って来た。

「フェイトちゃーん! おにーちゃーん!」

 それがなのはの声であることを理解して数秒後、祐一の意識がブラックアウトした。






「知らない天井だ……」

 目を覚まして視界に映ったのは金属製の天井。ふらつく体を起こしてみると、祐一は上半身裸族になっていた。
 とりあえず寝台から降りて部屋の様子を見てみる。どことなくこの部屋に祐一は見覚えがある気がした。

「ああ。アースラの医務室か」

 なのはとの戦闘の後に電撃を喰らい、さらに心にさえも深い傷を負ったフェイトを運び込んできたのがこの部屋だった。
 それから半年以上経っているが、特に内装に変わった点は見られない。

「ナースコールは……どれか分からんな。さあ、どうしよう……」

 流石に上半身裸で背中の傷跡を見せながら艦内をうろつく気にはなれない。
 しばらく寝台に座っていると、ドアが開いてなのはとアルフが入ってきた。

「おにーちゃん、起きてたの?」
「ついさっき起きたばかりだ。フェイトは?」
「別の部屋にいるよ。……ねえ、祐一。あんた一体何をしたんだい?」

 アルフの言葉に黙って首を横に振る。だが、今はまだ言う事は出来ない。

「あんた、背中にいっぱい出血してたんだよ?」
「あれは単なる副作用だ。問題ない」
「でも、おにーちゃん……」
「倒れたのもただの貧血。もう大丈夫だ」

 流石に今の段階で本当の事を知られてしまうわけにはいかない。
 のらりくらりと質問をやり過ごしているうちに医師が来た。
 そして祐一はなのは達を追い出した後医師に背中の傷跡を診察され、体の各部をバーコードスキャナのような機械で調べられた。



 検査終了後、祐一は一つの秘密を医師に打ち明けていた。

「先生。この事は誰にも話さないで下さい」
「……分かった。だが君は自分の体をもっと労わった方がいい。こんな事を続けていては、いつか死ぬぞ」

 互いに視線を真っ向からぶつけ合わせる医師と祐一。先に折れたのは祐一だった。

「分かりました。緊急事態以外では多用しません。これでいいですか?」
「ああ。くれぐれも注意するんだぞ」

 支給された白いシャツを着て、祐一は医師と一緒に外に出る。そこにはなのはとリンディが待ち受けていた。

「おにーちゃん、どうだった?」
「問題無し。ですよね、先生」
「はい。背中の傷跡も出血する様子はありません。大丈夫です」
「そう。よかった……」

 なのはとリンディが安堵の息をつく。

「あれ? アルフは?」
「別室のフェイトさんの所に行っています。なのはさん、祐一君、行ってらっしゃいな」
「はい! 行こう、おにーちゃん」

 なのはに手を引かれてなすがままに連れて行かれる祐一。
 ちらりと背後に目をやると、医師はリンディと何かしら話し込んでいた。
 おそらくリンディには秘密をばらされているのだろう。
 せめてそこから他に話が飛ばないよう、祐一は祈るのみだった。
 そして連れて来られたのはアースラの一室。
 目的の部屋の前まで行くと、丁度部屋の扉が開いてフェイトとアルフが出てくるところだった。

「フェイトちゃん!」
「なのは……!」

 二人が手を取り合って微笑むのを見て、祐一はアルフと目を合わせて苦笑する。

「フェイトちゃん、お医者さんはどう言ってた?」
「えっと、リンカーコアがダメージを受けてるけど、そんなに酷くはないみたい。兄さん達が来てくれたからかな」
「え……?」

 フェイトの言葉に首を傾げるなのは。

「えっと、フェイトちゃんのリンカーコアは全部奪われちゃった筈なんだけど……」
「でも、魔法は使えるよ。ほら」

 フェイトが手の平を合わせる。そして手の平の間隔を開けるとそこには金色のスフィアが生成されていた。

「ほんとだ。……おにーちゃん?」
「兄さん、何か知ってますね?」
「そういえば祐一、あの時償いを果たすって言ってなかった?」

 三人の視線に晒され祐一は冷や汗を垂らす。そして観念した祐一は、しぶしぶながら説明を始めた。

「想像通りだよ、俺はある能力でフェイトのリンカーコアをある程度回復させた」
「ある能力?」

 フェイトが不思議そうな顔をする。もっともそのような能力など、祐一も聞いたことはない。
 そして、この能力の本質はもっと別の所にある。

「能力については今は秘密だ。副作用で背中から血が出る事もあるし、多用は厳禁だと医者に言われたからな。今後は出来るだけ使わないよう気をつける」
「……分かった。兄さんがそう言うなら」

 しぶしぶながら引き下がるフェイト。そこでふと気になったことを祐一は聞いてみた。

「なあ、あの仮面の男達って結局何者だったんだ?」
「さあ。今はアースラで勾留しているみたいだけど、一言も喋らないらしいよ」
「クロノ君は心当たりがあるらしくて、一所懸命に調べて回ってるってエイミィさんが言ってたけど」

 アルフとなのはがそう答える。とりあえずではあるが、これで不確定要素である仮面の男については解決した。
 後は夜天の書の全ての頁を埋めて、暴走した防御プログラムを分離すれば『彼女』を救うことが出来る。
 そして、告解の時が来る。



[5010] 第四十四話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/27 22:53
 仮面の男たちが捕まった翌日の朝。八神家のそれぞれの場所で眠っていた守護騎士達は一斉に目を覚ました。
 侵入者がセキュリティに触れたのだ。
 シグナムとザフィーラ、ヴィータが玄関から飛び出し、その後にシャマルが続く。
 しかし八神家の庭に立っていたのは、翠の髪に金の瞳を持つ五歳ほどの幼女だった。

「久しく見ていないと思ったら、また来たのか」
「シグナム、知り合いか?」
「以前我々を監視していた、アゲインの一人だ」

 ヴィータの問いにシグナムが答える。それを聞いてヴィータの目が鋭く幼女を睨む。

「テメーの名は」
「ユーリ」
「目的は何だ? 監視はしないって、うちのリーダーと決めたんじゃなかったのか」
「今日は、監視が目的じゃない」

 ヴィータが強く睨みつけるのを全く意に介さず、問いに答え続けるユーリ。

「じゃあ今回は何の用だっていうんだよ」
「これ」

 ユーリが握っていた手を開く。そこには小さな漆黒の球体が浮いていた。

「リンカーコア……!」
「私の中から抜き取った物。これで夜天の魔導書の頁は全て埋まるはず」

 ユーリが差し出したリンカーコアを受け取るヴィータ。そこに闇の書を持ったシャマルが歩いてくる。

「夜天の魔導書、食べて」
『Sammlung』

 闇の書にリンカーコアが吸い取られ、頁が次々と埋まっていく。そして遂に最終頁が埋められた。

「時は来た。約束は憶えている?」
「ああ、違えはしない。我が命に懸けて」

 それを聞いてユーリは背を向けた。そして歩いて八神家の門を出ようとする。
 それをシグナムが呼び止める。

「ユーリ。何故お前はここまでする? お前達の望みは一体何だ?」
「アゲイン。その行動理念も、私が協力するのも理由は一つ。それを祐一が望んだから」
「祐一が?」

 シグナムの次の問いに答えることなく、ユーリの姿が一瞬で消えた。
 そして残されたのは、完成した闇の書。
 小さく息をつき、シグナムが口を開く。

「今日は主と共に過ごそう。もう寂しい思いをさせないように」

 その言葉に残りの三人も首肯する。その日の朝焼けがシグナムには眩しく見えた。








 同日、夜。夕食後の八神家にチャイムがなった。それまではやてと談笑していたシグナム達の笑顔が憂いをおびる。

「どないしたん? シグナム」
「迎えが来たようです。主はやて、付いて来ていただけますか?」
「迎え? すずかちゃんか?」
「いえ、祐一です。……大切な話があるのです」
「……うん。分かった」

 シグナムははやての体を抱き上げると、車椅子に乗せた。ヴィータ、シャマル、ザフィーラも立ち上がり、シグナムの後に続く。玄関を開けた先にいたのは、祐一となのは、フェイトの三人だった。

「ヴィータちゃん……」
「シグナム……」

 心苦しいような顔をするなのはとフェイト。それを見てシグナムは顔を横に振る。

「初めまして。シャマルです」
「初めまして。八神はやていいます」
「えっと、高町なのはです」
「フェイト・テスタロッサです」

 シャマル、はやてとなのは、フェイトがお互いに自己紹介する。

「さあ、これから案内する場所で全てを話す。付いて来てくれ」

 祐一を先頭に、駅前に続く大通りを歩いていく一同。その中で、はやてはなのはとフェイトに話しかけていた。

「えっと、なのはちゃんとフェイトちゃんやね。よろしゅう」
「もしかして、あなたがすずかちゃんのお友達のはやてちゃん?」
「そうや。なのはちゃん達の事、沢山すずかちゃんから聞いとるよ」

 なのは、フェイトと握手を交わしたはやては二人の顔をじっと見つめる。なのは達は困ったように視線を交し合った。

「どないしたん? なんや気になる事でもあるん?」
「えっと、はやてちゃんが夜天の魔導書の主なんだね」
「夜天の魔導書?」

 なのはの言葉に首を捻るはやて。その視線がシャマルの持つ古びた本に移される。

「闇の書の、本当の名前です」
「その全てを、この先でお教えします。私達の罪、そして約束の事を」

 シャマルとシグナムの言葉に、黙ってはやてが首肯する。
 やがて駅前通りのアパートの一室の前に辿り着いた祐一はドアに鍵を指し込み、それを右に二回、左に三回捻ってから扉を開ける。
 その中は、アパートの玄関とは思えぬ異界が広がっていた。
 無色透明なガラスのような床の下と天井、その先には宇宙空間のように星の輝きが溢れ、ドアから真っ直ぐに続く通路の壁は全て鏡張り。
 あまりの光景に現実感というものが一度に奪われ、祐一以外の全員が言葉を失う。

「ここは……一体何なんだ?」
「母さんが作り上げた、空間のずれた位相に創造された異空間。特殊な結界の内部だと思ってくれればいい」

 はやてを抱き上げて呆然と呟くシグナムに答え、祐一は先頭に立って通路を奥へと進む。
 通路の奥にあったのは広く丸い部屋。
 そこには既にリンディ、クロノ、エイミィ、ユーノ、ユーリの姿があった。

「よっ。ユーリ、ご苦労様」
「ご苦労様」

 ユーリと片手を上げて挨拶する。はやて達を連れて来るのが祐一の役割なら、リンディ達をここに連れてくるのがユーリの役割だった。
 祐一とユーリが手をの平を叩き合わせるのと同時にラジオのノイズのような音が響き、月と黒髪の女性、そしてアリサが現れた。

「皆さん初めまして、お久しぶり。祐一の母、相沢ゆえと申します」
「ユエ……さん? 兄さんのお母さんはアリシアなんじゃ……?」
「その辺は後で話すよ。すぐに分かるから」

 祐一はフェイトの頭を出来るだけ優しくなでる。遂にこの日が来たのだ。祐一の全てを話す時が。

「まずはこの映像を見てもらいましょうか」

 月がリモコンを操作すると空中にスクリーンが投影され、夕暮れ時の緋に染まった道で向かい合う祐一とシグナムが映し出される。

「十月二十六日、ヴォルケンリッターが蒐集を開始する日に起きた出来事の記録よ」
「蒐集って……シグナム、どういうことなん?」
「申し訳ありません、主はやて。我らは真実を知ったあの日より、夜天の魔導書の頁を全て埋めるため蒐集を行ってまいりました」

 その言葉にはやてが目を見開く。そして真っ直ぐな視線でシグナムを射抜き、はやては静かに口を開いた。

「……その真実ゆーのはどんなものやったん?」
「今から再生する映像を見れば分かる」

 ユーリがそう注釈を入れる。そして映像の中の祐一とシグナムが動き出す。





『取引ってのは双方が得をするようにするもんだ。こちらからは情報を、そちらには約束を。まずはこちらから情報を提供しよう。それを聞いた上で判断してくれ』
『いいだろう。聞かせてもらおうか、その情報とやらを』

 二人は真剣な表情で互いを見つめあう。そして祐一が口を開く。

『まずは夜天の魔導書についてだ』
『夜天の、魔導書?』

 シグナムが顔を僅かにしかめる。疑問、というよりは既視感を覚えているようだ。

『本当に忘れているみたいだな。闇の書の本当の名前だよ』
『…………確かにその響きには覚えがある。だが――――それが本当ならば、何故守護騎士である我々がその事実を忘れている?』

 シグナムが口にしたのは祐一に、というより自身に向けられた疑問。困惑の色が浮かぶシグナムの顔を見て、祐一はため息をついた。

『夜天の魔導書が闇の書なんて呼ばれるようになった理由。それは歴代の主の誰かが夜天の魔導書を管理者権限を使って改変したからだ』
『改変?』
『まだ気付いていないかもしれないが……はやてちゃんの足の麻痺は闇の書がリンカーコアを侵蝕しているせいだ』

 その言葉に目を見開くシグナム。だが、祐一は構わず話を進める。

『闇の書の性質。一定期間蒐集が行われない場合、闇の書は主のリンカーコアを侵蝕し始める。今のはやてちゃんがこの状態だ。このままでは遠くないうちにあの子は――死ぬ』
『……なら、我らが蒐集を行い主はやてを真の主とすれば――』
『それも駄目だ。闇の書の真の主になるため最終封印を解いた時、闇の書は主を取り込み暴走を初め、主の命が尽きるまであらゆるものを際限なく破壊する』
『…………だが、こうしてわざわざ話に来たということは、助ける方法があるのだな』

 確信を持って祐一を見るシグナム。それに祐一は小さな笑みを浮かべる。

『闇の書は頁を全て埋めるまではやてちゃんのリンカーコアを蝕み続ける。最終封印を解けば闇の書の暴走が始まる』
『……ならば闇の書の頁を全て埋め、最終封印さえ解かなければ』
『はやてちゃんに対する侵蝕は止まり、徐々にだが足の麻痺も治っていくはずだ。これが俺達の提示する第一プラン』

 その言葉にシグナムが怪訝な顔をした。祐一の笑みが深くなる。

『第一?』
『ああ。もしもの時の備えをしておくのは基本だろ? まず蒐集を終えた後はやてちゃんに夜天の魔導書についての全てを明かす。次に、最終封印が解かれた時に管理者権限を使用して、暴走の原因となっている防御プログラムを切り離す。そして外部から魔力攻撃を加えて、防御プログラムと夜天の書を物理的に切り離す。最後に、防御プログラムの暴走体を破壊する。これが第二プランだ』

 はやてとヴォルケンリッターを除く全員が祐一の方を向く。だが、画面の中のシグナムは更なる質問を重ねる。

『主はやては暴走に巻き込まれても意識を保っていられるのか?』
『その筈だ。管制人格と協力すれば、防御プログラムの切り離しは可能になる』
『だが、防御プログラムを破壊したとしてその後はどうする。闇――夜天の書は高い破損修復能力を持つ。また防御プログラムが再生されれば――』
『ちょっと待て。そう急ぐな。そうなった場合の備えはしてある』
『備え?』
『ああ。第二プランさえ成功すれば、夜天の書の管制人格さえも救うことが出来る』

 祐一の表情には自信があふれていた。それにシグナムは顔を険しくする。

『お前は言ったな、これは取引だと。お前達アゲインの要求する事は何だ?』
『一つ、絶対にはやてちゃんに闇の書の最終封印を解かせない事。二つ、人間相手の蒐集の際には決して相手に重傷を負わせない事。もし後遺症の残る怪我なんかを負わせたら、その責はお前らだけじゃなくはやてちゃんが背負ってしまうことを覚えとけ。三つ、蒐集が終わった暁にははやてちゃんに全てを明かし、時空管理局に自首する事』
『それで、全てか』
『ああ。これを守ってくれるのなら俺達は一切の邪魔をしない』

 そこでスクリーンが閉じる。そしてシグナムたち四人ははやての前に膝を折った。

「剣に懸けた誓いを破り、我らは主に気付かれぬよう蒐集を行っておりました。この罪、我ら一同いかような罰であろうとも受ける所存です」
「……ううん。シグナム達が蒐集をしたのは私を助けるためやろ。それやったら私も同罪や。皆が苦しんどるのに、頑張っとるのに気付いてあげられんかった。私は夜天の魔導書のマスターや。皆と一緒に罪をしょうていくよ」

 はやてはそう言って笑顔を見せる。ヴィータがはやてに抱きつき、はやてはそっとその頭をなでる。

「ユーノ。闇の書が暴走する可能性は?」
「分からない。調べたデータの範囲では、どれも書の完成の直後に起動して暴走に呑み込まれている物しかないから」

 クロノとユーノが話し合う。そこでリンディが口を開いた。

「祐一君。あなた達はどうやってこれだけの情報を入手したの?」
「初めから知っていました。俺は一度この闇の書事件を経験しているんです」
「経験していた?」

 リンディに問いただされ祐一は頷く。
 月がリモコンで操作すると再びスクリーンが表示され、前髪を長めに伸ばした茶髪の青年の姿が表示される。
 同時に簡単なプロフィールがその横に表示された。

「相沢祐一、二十歳……」
「違法研究施設襲撃時にレネゲイドが暴走。レネゲイドを赤いクリスタルとして体外に放出する薬剤『Crow』を使用し、以後昏睡状態となる……」
「俺はこことは似て非なる世界――平行世界に生きていた人間なんだ」

 なのはとフェイトが口に出してプロフィールを読み上げる。そして祐一がそれに答えた時、クロノから質問が飛んできた。

「祐一。平行世界とはなんだ?」
「この世界には多くの次元世界がある。これらの次元世界には全く同じ世界が存在する事はありえない。だが、無数の次元世界を内包した世界Aとは別に、世界Aとは僅かに違う世界Bが存在する。この似て非なる世界を平行世界と呼ぶんだ。平行世界は無数にあって、互いの世界の可能性を補完し合っている。その似て非なる世界から俺は魂だけが抜け出してきて、プロジェクトFの研究者にお遊びで作られた『Failed children』として新たに生を受けた。これが俺の正体だ」

 そこまで答えて息をつく。そこでリンディが質問をしてきた。

「祐一君。聞いているとあなたが未来のことを知っているように思えるのだけれど」
「はい。平行世界間の時間は同期していないんです。世界は過去に立ち戻ることを許さない。仮に世界Aと世界Bの時間を十二時としましょう。これまで二つの世界が一度も繋がっていない場合、世界Aから世界Bの八時に干渉する事ができます。この時点で世界Bから世界Aの十二時以前に干渉する事が出来なくなり、世界Aも世界Bの八時以前に干渉は出来なくなります。そして最初の接触で世界Aから世界Bに移動したとします。すると、それから世界Bに十八時まで滞在し、世界Aの十三時に移動する、ということが可能なんです」
「今の例えだと、この世界が世界B、祐一が二十歳まで生きた世界が世界Aに相当するわね。世界Aでは闇の書事件は解決しているけど、この世界Bではその真っ最中。かくして私達は以前の闇の書事件を踏まえた上で、この世界の闇の書事件に干渉したの」

 祐一の説明を月が引き継ぐ。集った者達の顔を見回すと、それぞれ頷きを返してきた。全員理解してくれたようだ。

「じゃあ、おにーちゃんが世界Aにいた時のお母さんが月さんなの?」
「ああ。そうだ」

 なのはの答えに首肯する。その横でフェイトが怯える様に弱々しい視線を祐一に向けてくる。

「……なら、兄さんにとって私は妹じゃないんですか?」
「いや、なんでそーなる。確かに元の世界にも妹はいるけど、こっちの世界で生きてきた俺も間違いなく相沢祐一なんだ。だからフェイトは俺の妹って事になるんだが……嫌か?」

 その言葉にフェイトは首を勢いよく横に振る。その頭を手の平でぽんぽんと優しくたたく。

「祐一。平行世界で闇の書事件を体験したと言ったな」
「ああ」
「なら、それをどうやって証明する?」

 クロノの言葉を受けて、黒髪の女性が前に出る。そして腰ほどまでもある長い髪が根元から毛先へ白銀に変わっていく。

「私の存在と、この夜天の書がその証明だ」
「管制人格……!」

 茶色の表紙に剣十字が取り付けられた書を見せる白銀の髪の女性――リインフォースを見てシグナムが声を上げる。

「夜天の魔導書が、二つ……」
「でも、間違いないです。あれも夜天の魔導書です……!」

 ヴィータとシャマルの言葉に、クロノが小さく息をつく。

「……分かった。認めよう。魂の存在に関しては分からないが、確かに君達は平行世界から来たんだろう。だが、なぜ元の世界に帰らなかった? この闇の書事件のためか?」 
「そう、なるな。最初は、この世界の未来を知る事で元の世界の未来を知って、的確に対処していくのが目的だった。でも、俺が本当に願っていたのは――」

 返事の言葉が詰まらせる。祐一は視線を宙空に向けて頬をかき、再びクロノと視線を交し合う。

「――シグナムやその仲間達、はやてちゃんや管制人格を助けてやりたい。これが俺の願いだ。きっとそのために、俺はこの九年間行動してきたんだと思う」

 クロノはその答えに引き下がる。それと入れ替わるように、シグナムに抱かれたはやてが祐一の前にやって来た。

「祐一さん」
「どうした? はやてちゃん」

 大きく息を吐いてから、はやてが視線を合わせてくる。はやての顔に浮かんでいたのは、困ったような笑みだった。

「私、祐一さんの事怒ってもええんか判らへん。この世界であの子達に蒐集をするよう言うたんは祐一さんやけど、祐一さんのいた世界でもあの子達は蒐集をしとったんやろ?」
「ああ。元の世界で俺はシグナムに蒐集された。それが、俺が闇の書事件に関わりを持ったきっかけだった」

 それは例え祐一達が何も行動を起こさなかった場合でも、シグナム達は蒐集を始めていた事を示している。はやて小さく静かに息をついた。

「せやったら、蒐集の被害を最小限にしようとしてくれた事にお礼言わなあかん。それに死にたくないって、皆とずっと過ごせるって喜んどる自分もおる。せやから、ありがとうございます、や」
「はは……。てっきりビンタの一発くらいもらうかと覚悟してたんだがな」

 祐一もまた苦笑を浮かべる。そこではやてを抱くシグナムと視線がぶつかった。

「それで祐一。これで夜天の魔導書に関してはもう安全なのか?」
「いや。管制人格にユーリの力を借りてアクセスしたんだが、はやてちゃんの感情の高ぶりによって封印が解ける可能性があるらしい」

 一つ大きな息をつく。そして祐一は再びはやてと顔を合わせた。

「だから、これから話す二つの方法をはやてちゃんに選んでもらいたい。一つはこのまま、悲しみや絶望に負けない強い心を持って、夜天の魔導書の封印を続けること。もう一つは封印を解き、夜天の魔導書の防衛プログラムを管理者権限で切り離して、暴走の危険性を根絶する事。どちらを選んでも危険が付きまとうけど……どうする?」」

 シグナムと共にはやてを見る。はやては考え込むように俯き、そして顔を上げて祐一と目を合わせてきた。

「封印を解いたら、その子を助けてあげられるんですか?」
「ああ。その時には管制人格も協力してくれるそうだ。ただし切り離された防衛プログラムっていうデカブツを消滅させないといけないんだがな」

 祐一の言葉を聞いて、はやてはこの場に集まった人物の顔を見回す。同時にシグナムが、はやてがこの場にいる全員と向き合えるよう移動した。同時に夜天の魔導書がシャマルの手から浮き上がり、はやて

「……わがままな話なんは分かっとります。でも、私はこの本の中の子を助けたいんです。そやから、どうか協力してください。どうか、お願いします……!」
「俺からもお願いします。防衛プログラムさえ何とかできたら、闇の書の呪いを解くことが出来るんです」

 はやてと祐一が頭を下げる。その二人の傍に近づいてくる足音が二つあった。

「えっと、わたしにも手伝わせてください」
「私も手伝います」
「……ありがとうな。なのはちゃん、フェイトちゃん」

 頭を上げたはやてが、なのはとフェイトの申し出に再び頭を下げる。

「あたしも手を貸すわ。元々そういう予定だったし」
「んー。フェイトがやるならあたしもやるよ。あたしはフェイトの使い魔だし」
「僕も協力します」

 次いでアリサ、アルフ、ユーノが名乗りを上げる。月達アゲインは当然参加は決定している。祐一が視線を向けると、月、ユーリ、リインフォースは頷きを返す。
 そして、皆の視線が管理局組――クロノ、リンディ、エイミィに集まった。

「……僕も手伝います。それで闇の書の被害を食い止められるのなら」
「時空管理局の一員、そして次元航行艦アースラの代表として、闇の書の呪いを解くために私達も協力します」

 クロノ、リンディが同意し、エイミィが首を縦に振る。気のせいか、祐一にはリンディがクロノを微笑ましげに見ている様に感じられた。

「母さん。準備はいつ頃出来る?」
「あと十日ってところね」

 月が新たにスクリーンを投影し、荒野の大地に建てられた四つの尖塔を映し出す。
 尖塔は内側に向けて傾いており、尖塔の根元では数十体の亀のような機械が無数のアームを伸ばし、その側面に金属壁を溶接していた。

「あれは……?」
「文化レベルゼロ、第二十四無人世界。あれはもしもの際に地表に向かってアルカンシェルを撃った時、その効果範囲を限定させるためのフィールド発生装置、『アイジス』。万が一の保険よ」
「アルカンシェルの効果範囲を限定って、そんなことが出来るんですか!?」

 月の言葉にエイミィが反応する。祐一も目を丸くした。そのようなものがあるなど祐一でさえ聞かされてはいなかったからだ。

「あれはウィザードの魔法を参考にした大規模空間歪曲場を作り出す装置。アルカンシェルの着弾後コンマ三秒後に起動して反応消滅場の拡大を阻害するの。ただし、作ったのはいいんだけど実際にアルカンシェルを撃ってテストするわけにはいかなかったから、確実な効果は保障できないけどね」

 それでも気休めにはなるだろう。大体祐一に出来るのはアリサの足場作りくらいなものだ。参加させてもらうだけでもありがたい。

「後十日となると……二十五日。クリスマスか」
「クリスマス?」
「昔の聖人の誕生日だ。日本ではその前日の夜にお祝いをするのが恒例になってるな。うちはクリスマスの夜にするけど」

 質問してくるフェイトに教える。クリスマスイブの翠屋は激戦地となるため、毎年高町家のお祝いは二十五日の夜になるのだ。

「よし。切り離された防御プログラムをやっつけて、それからクリスマスパーティだ」
「私らも二十五日にパーティしよか。新しい子を入れて」
「この人数だと……翠屋貸し切って皆でパーティした方が良さそうな気もするな。頼んでみようか」
「わ、いいんですか? 祐一さん」

 はやてが祐一の提案に乗ってきた。そこで祐一の袖が引っ張られる。横を向くと、そこに居たのはなのはだった。

「おにーちゃん、すずかちゃんやアリサちゃんも呼んでいい?」

 なのはも結構乗り気だ。黙っているフェイトは、まだクリスマスパーティーがどんなものか想像が追いついていないのだろう。

「あ、じゃあ私が会費は出すわ。普段お金使うことあんまりないから」
「え、いいんですか? 月さん」

 月の言葉にアリサが反応する。それに月は頷いて答える。

「いいのいいの。医者とかと一緒よ。給料はいいけど使う暇がないの。だからこの際豪勢にいっちゃいましょう!」

 月が胸を張って宣言する。確かに普段閉じ込められている(抜け道は幾つもあるが)月達『特研』のメンバーは給料だけは良い。その上使い道が限定されるために金が余るのも仕方が無い話だった。
 そして大部分の人間はクリスマスパーティーの話に興じ、リンディとクロノ、シャマル、月の四人が対防衛プログラムとの戦略を詰めていく。
 そしてそこに近寄った祐一の目にたまたまウインドウの一つが入った。それを見て即座に祐一は凍りつく。

「……母さん、本当にコレが闇の書の闇なのか?」
「ええ。おそらくはウィザードのリンカーコアを喰わせ過ぎたからでしょうね」

『Capel』の演算による未来を映し出しているスクリーンには、闇色の巨大な獣が映し出されていた。



[5010] 第四十五話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/05/18 21:21
 クリスマスイブを迎え、世間は大いに騒ぎ浮かれていた。喫茶翠屋も次から次へと舞い込む注文の嵐に全員必死で対応している。
 だが祐一達がクリスマスパーティーを迎えるのは明日一仕事終えてからだ。午後六時から月が翠屋を貸し切る事を桃子達に提案すると、それは快く承諾された。ただし費用については少々揉め、結局月が材料費を出す事で合意に至る。
 そして今、祐一は月と最後の詰めを行なっていた。『Capel』の弾き出した未来像を元に対策を練り、さらにそれが反映された未来像から対策を練る――という事を繰り返し、そして最終案を指揮者であるシャマル、クロノ、リンディに送りつける。

「結局グングニールまで使うことになるのね」
「いや、あそこまでの化け物だと仕方ないと思うけど……」

 ため息をつく月に祐一がぼやく。祐一がかつての世界で戦ったのは、闇の書の闇――を模した作りかけの防衛プログラムだ。その時でさえ無限の回復能力に為す術をなくしたというのに、実物の防衛プログラムはさらなる再生能力と装甲を獲得している。

「せめてアルカンシェルが撃てればよかったんだけどね。演算予測では歪曲場フィールドが破られて半径約八十キロメートルが消滅することになるもの。消滅した際に発生するエネルギーのことを考えると、とてもじゃないけど地表に撃たせられないわ」

 アルカンシェルの砲撃には、消滅した物質が熱量に変換されるという問題がある。対消滅を起こすようなものなのだから当然だが。物質の消滅の際、一定空間内に巨大な熱量が生まれれば当然ながら大爆発(巨大なプラズマの発生)が起きる。無人世界といえど生物がいないわけではない。使わずに済むならそれが一番なのだ。
 祐一は立ち上がると両手を上に伸ばして胸を反らす。ふと見るとユーリに月が何かを渡していた。

「ユーリ。何だそれ?」
「グングニールの管制端末」

 ユーリが差し出してきたのは黒地に幾何学模様の金の筋が入った小さな立方体だった。ユーリは無表情のままだが、少し誇らしげである――ような気がした。

「それで、作戦の決行はいつ?」
「明日の十時に海鳴臨海公園に集合。充分に英気を養っておきなさい」
「了解。じゃあ、また明日」

 月のアパートを出て祐一はため息をついた。毎度自分が非力であることは分かっているのだが、それでも今回は馬鹿げた威力のオンパレードだ。自分には無い攻撃能力を持つ者達に嫉妬してしまう。
 だが無いものねだりをしても仕方がない事も分かっている。祐一に出来るのはアリサの補助、それのみだ。切り札である≪ワールドゲイト砲≫もあと三ヶ月は使えない。祐一お得意の神風アタックもあの図体では通用しそうにない。しかめっ面をして手を強く握り締めながら高町家に帰る。
 リビングにはアリサが一人本を読んでいた。美由希も含め、大人組は翠屋で奮戦している。なのはとフェイトははやてと一緒にすずかの家でクリスマス会だ。必然的に家に残るのはアリサと祐一のみとなる。

「ただいま、アリサ」
「お帰りなさい、祐一。演算の結果はどうなったの?」

 隣に座ってきた祐一にアリサが問う。祐一は今日決まったことの概要を頭の中でまとめる。

「とりあえずグングニールの使用は確定。問題のアレについては俺達は母さんに守ってもらうことになる。全く、味方だと役に立たないのに敵になった途端厄介になるってどういう事かな」
「いいじゃない。先陣を切って相手の布陣を崩す。それが祐一の得意とする役割なんでしょ?」

 アリサが小さく笑う。言われる通りなのだが、基本的にそれは攻めの姿勢だ。今回のように高い攻撃力と防御力が要求される場面では足手まといにしかならない。アリサの足場作りをさせてもらえるだけでも僥倖というものだろう。

「他の皆は?」
「一応ザフィーラ、ユーノ、アルフが防御要員。で、クロノがバインド役。あとクロノが連れてくる助っ人二人の一人が近接防御、もう一人がバインドを担当してくれる。問題は闇の書の闇にアリサ達の全力砲撃を叩き込む瞬間だな。最低二基は残ることになるから、そいつをクロノと助っ人さんがバインドで無力化出来れば一段落。後は当初の予定通りにバリアを崩してグングニールを撃ち込んでしまえばほぼ勝ちだ」
「未来を完璧に演算するはずのシステムなのに、不確定事項が多いのね」

 そうぼやくアリサ。確かに『Capel』は未来を正確に演算する。だが――

「『Capel』が正確に演算できるのは、その結果を識る者が過程に関わらない場合のみだ。結果を識って動くなら、演算された未来が変動する事になる。もし自分達が関わりながら完全に未来を演算出来るなら、それはもう未来を操作、確定出来るって事だ」
「まさに神様の御業って訳ね。でも月さんの目指しているのはソコなんでしょ?」
「ああ。母さんはきっとそのシステムを完成させる。――全ての先が分かるなんてつまらない人生だろうけどな」

 それくらいのことは月も分かっているだろう。だが『特研』を守る立場にある月にとって、あらゆる過去と現在を覗き、そして未来を知る事が出来る『Capel』は決して手放せないものなのだ。

「まあ、未完成の物はおいといて、とりあえず最大限の実力を発揮できればその未来に辿り着く事が出来るのね?」
「ああ。それで間違いないはずだ」

 最も、それは口で言うほど易しい事ではない。ただ一つ下手を打つだけで未来は大きく変動する。特に今回のような個人の技能に頼ったやり方であればその影響も顕著に現れるだろう。

「そう。……そういえば明日のクリスマスパーティのプレゼントってもう決めた?」
「一応は。何か欲しいものがあるのか?」
「んー。甘味は桃子さんの試食で物足りてるし、アクセサリはフルンティングがあるし。……特に欲しい物はないわね。祐一は?」

 アリサに問い返される。祐一は自分の欲しい物を考えてみた。SEENAの新譜、草薙まゆこのコミックス、魔石……。前者二つはどちらかというと人に買って貰わなくてもいいものだし、魔石に至ってはウィザード世界の産物だ。願ったところで手に入らない。それに自分の本当に望んでいるものは、単なる物品ではない。それは――

「俺が欲しいものは、この戦いが終わったら手に入るよ」
「はやてちゃんと管制人格の未来、だったっけ?」

 無言で頷く。するとアリサは一つため息をついて、本を置いて立ち上がった。

「街へ行きましょ」
「どうした? 急に」
「せっかくだし、何かいいものがないか見に行きましょうよ。大丈夫。絶対に明日は上手くいくから」

 自信満々の笑みを浮かべるアリサに苦笑して立ち上がる。確かに祐一には自信というものが足りていなかったかもしれない。ここらで心に余裕というものを作っておいたほうがいいだろう。

「分かった。準備してくる」
「あ、あたしも」

 それぞれ自分の部屋に行き、外に出る準備を始める。防寒着を手に取り昔の自分を振り返って苦笑する。昔の祐一は寒がりだった。それが今となっては寒いと感じる事自体がなくなってしまっている。レネゲイドの侵蝕、侵魔達にかけられた呪い。それらは祐一を内部から人ならざるモノへと変貌させていく。だが、この力に頼る事で祐一は今まで生き延びられた。後は、一時の間だけ保ってくれればいい。二年後、なのはが墜ちる筈だったその日まで。
 携帯でなのはに出かけてくるとメールを送る。財布とファイス、携帯を持った後、祐一はアリサと街に出た。
 電気屋のテレビで映されている天気予報が、夜には雪が降ることを告げている。曇天の下、街は色とりどりのイルミネーションが輝き多くの人で賑わっていた。家族連れで歩いている大きな亀のぬいぐるみを抱いた少女、露天のシルバーアクセサリの指輪を買っているカップル、狐を抱いた巫女服の女性。――奇妙なものが一瞬視界に入ったが見なかったことにする。退魔士だったらまた面倒な事になるからだ。
 そして祐一達が辿り着いたのは一つのデパートだった。高級品から安価な小物まで様々なものが揃うこのデパートは、祐一達がプレゼント選びによく使っている場所だった。
 アリサと一緒に店を回っていく。今回は小物、アクセサリーを中心に見て回ってみた。お互いに相手の反応を見ながら色々な商品を手にとってみる。その最中で祐一は一つの商品に目を惹かれた。
 それはムーンストーンをあしらったシンプルな指輪だった。僅かばかりの曲線のデザインとその中央に嵌められた石。値段は子供が買うにはいささか高い物だったが、幸い祐一は月から軍資金を頂いていた。何よりこういうプレゼントはフィーリングが重要だ。アリサの元へ小走りに向かうとその指輪を差し出してみる。

「アリサ、これを嵌めてみてくれ」
「いいけど……」

 アリサは指輪を左手の中指に嵌める。丁度ぴったり、というよりも僅かにサイズが大きいようだが、勝手に外れたりはしないだろう。

「よし。アリサ、プレゼントはこれでいいか?」
「ええ、いいけど……かなり高いじゃない。これ」
「ああ。いいのいいの。値段だけ見たら他の人とそれほど変わらないから」

 四桁目の数字が違うだけだから、と心の中で呟く。祐一が今回プレゼントをするのは六人。アリサ、なのは、フェイト、シグナム、そしてリインフォース×2。どれも着飾らない者ばかりなので、アクセサリー関連のプレゼントは難しい。
 ふと見ると、アリサがジト目でこちらを見ている事に気がついた。

「ったく、どれだけ金持ってるのよ、あんたは」
「この平行世界の観測はかなり重要な任務だからって、冬のボーナスが出たんだ。体は子供だけど、中身は一応大人だからな」
「ああ、そういえばそうだったわね。すっかり忘れてたわ」

 その言葉に肩を落とす。体に引きずられて精神が幼くなっているのは自覚していたが、この頃はアリサに手のかかる子供扱いをされているように思う。
 とりあえずレジで指輪の清算をしてから、改めてアリサの左手に指輪を嵌める。

「……ありがとう、祐一」

 指輪を嵌めた左手を大切そうに右手で包み、柔らかな笑みを浮かべるアリサ。その笑顔を見て祐一も笑みをこぼす。贈ってよかったと心から思えた。

「さて。じゃあ私も気合入れていいもの探さないとね」
「あんまり無理するなよ。こういうのは気持ちが大事なんだから」

 一応言い含めておく。流石に普段の小遣いではこれと値段でつりあうようなものは買えないだろう。

「じゃあ私は上の階に行ってくるから、帰るときには携帯にかけて来てね」
「ああ。行ってらっしゃい」

 アリサと分かれて祐一は次の店を回る。なのは、フェイト、リインフォースへのプレゼントは完成している。アリサの分は今指輪をプレゼントしてしまったのでそれをシグナムの分に回す。そうなると残りは新たに名を受ける管制人格の分だ。
 単なるクリスマスプレゼント、というだけではなく、これには『彼女』の新生を祝う意味もある。それに相応しいものを選ぼうとして、祐一はその店に入った。
 時計屋。それこそ壁掛け時計から腕時計、置時計にアンティーク物まで様々な時計が並ぶ中、祐一は目当ての物を見つけた。鎖のついた懐中時計、それも手巻き式の物だ。アリサに贈った指輪ほどでないにしても、五桁を超えるそれらの中からシンプルな物を一つ選ぶ。
 それをプレゼント用という事で紙袋にラッピングしてもらい、店を出た。これでプレゼントの準備は完了だ。後は明日を乗り切れば全てが終わる。
 
「明日か……」

 上手くいく確立ははっきりいってそれなりでしかない。誰かが落とされる事もありうる。なにせ月が地球衛星軌道上で作り上げた、質量兵器であるグングニールまで使用しなければならない所まで追い込まれているのだから。問題はその前段階のバリアの破壊。当然隙の大きな技には、妨害のために砲撃を始めとした攻撃を加えてくることだろう。それを如何に防ぐかが勝負の分かれ目になる。
 アルカンシェルの使用についても意見が割れたが、結局アイジスは信用性に欠けるという事と祐一達の世界では出なかった被害を防ぐため、地表へのアルカンシェルの使用は最終手段ということに落ち着いた。
 その時だった。後ろから頭が軽くはたかれる。驚いて振り向くとそこにはアリサの姿があった。

「まったく、なに難しい顔してるのよ。明日はあたしたちが勝つの。これは絶対なんだから」
「そう、か。そうだな。そうだった」

 肩から力が抜ける。アリサの言うとおりだった。慎重になるのはいいが及び腰になってはいけない。やるからには絶対に勝つ。その程度の気概は持たなくては。

「そうだ。はい、祐一」
「え?」

 アリサから小さな紙袋を渡される。かなり軽い。アクセサリーの類いだろうか。

「開けてみていいか?」
「ええ。どうぞ」

 紙袋を空けて中身を取り出す。そこには中央に赤い石の嵌まった銀色の十字架のネックレスが入っていた。

「祐一もこういうアクセサリを着けてみたらと思ったのよ。バレッタとどっちがいいかすごく悩んだんだけど」
「いや、そこは迷うところじゃないと思うんだが」

 アリサは祐一が男だということを実は完全に忘却しているのではないだろうか。祐一はそう思ったが、流石に直接聞くのは躊躇われた。返ってきた言葉次第では祐一の涙腺が決壊する。

「ちょっとじっとしててね」

 ネックレスを手に取ると、アリサは祐一の首に腕を回して装着させる。

「うん。似合う似合う」
「ありがとう、アリサ」

 こうして形に残るプレゼントを贈り合うのはこの世界に生まれて初めてのことだ。小さなロザリオをそっと握る。

「さて、俺はもう買い物は済ませたけど、もう帰るか?」
「そうね。もうなのはも帰って来てる頃だろうし」

 二人でデパートの外に出る。曇っているためか既に大分暗くなっている。

「確か今晩は雪が降るんだったな」
「ホワイトクリスマスね。ロマンチックでいいわ」

 アリサが白い息を吐く。夕暮れ時のためか気温も下がっているようだ。

「ね、祐一。手を出して」
「ん?」

 言われるままに左手を差し出した。そこでアリサは右手でその手を握る。

「ん。温かい」
「まあ、そうなんだろうな」

 アリサは左手をコートのポケットに入れている。どうやら寒いらしい。軽くアリサの手を握り返す。柔かく小さな手だ。祐一は僅かにレネゲイドの力を解放した。同時にアリサと祐一を取り巻く気温がやや温かくなる。

「祐一。何かした?」
「ちょっとばかり気温を操作してみた。これぐらいは楽に出来るようになったみたいだ」

 その祐一の言葉にアリサは怪訝な顔をする。

「大丈夫なの? レネゲイドの力を使ったら理性を喪失する危険があるんじゃなかった?」
「このくらい全然力は使わないんだ。もっと広い範囲を操作するのも簡単に出来るし、反動も小さい」

 そう、と呟いてアリサは左手をコートから出した。だが繋いだ右手を離そうとはしない。そのまま手を繋いで二人は帰路に着いた。
 黒い雲に覆われた空を見上げながらゆっくりと道を歩く。たわい無い冗談を交わして、時折ふざけて腕を抱きしめられ、逆に祐一からアリサを抱き上げる。このクリスマスの賑わいに酔いながら祐一はふとアリサと自分の関係について考えてみた。親友、というのもちょっと違う。恋人、というのはもっと違う。姉弟、これは近いかもしれない。色々考えた結果、家族という答えに行き着いた。血の繋がりなど問題にならないくらい、互いを家族愛というもので結び付けている場所。それが高町家なのだ。
 家に入り、繋いでいた手を離して右手に持っていた紙袋を月衣の中に仕舞った。とてとてとて、と階段を下りる音がしてなのはとフェイトがやってくる。

「お帰り。おにーちゃん、おねーちゃん」
「お帰りなさい。兄さん、アリサさん」
「ただいま。なのは、フェイト。クリスマス会はどうだった?」

 聞いてみると、なのはとフェイトは顔を見合わせて笑みを浮かべる。

「はやてちゃんにヴィータちゃん達のお話をいっぱい聞かせてもらっちゃった。後は家族がいっぱいいる家はいいねってお話になって、皆で家族自慢――アリサちゃんとすずかちゃんは犬自慢と猫自慢だったけど、とにかくいっぱいおにーちゃん達のことを話してきたんだよ」
「それから桃子さんから連絡があって、今日は遅くまで店を開けるから夕食は翠屋へいらっしゃい、だって」
「そう。それなら余り混まない内に行きましょう。準備してらっしゃい」
 
 はーい、と言って二人は部屋に上がって行く。ややあって、子犬フォームのアルフを連れ、コートを着た二人がやって来た。

「アルフの分は『フレンズ』で買っていこうか」
「ふれんず?」

 聞きなれない店名にフェイトが聞き返してくる。

「翠屋のある商店街のペットショップ。好きなものを頼んでいいぞ」
「!! いいのかい?」
「明日のクリスマスパーティーじゃあ人型で参加するだろ? だったら今日は犬の姿でのごちそうを用意しようかなって思ってさ」

 そう言うとアルフの尻尾が勢いよく振られ始める。よほど楽しみなようだ。

「じゃあ、そっちに寄ってから翠屋に行こうか」
『はーい』

 揃った声が返ってくる。玄関に鍵を閉めて家を出た。
 ペットショップに辿り着くまで尻尾を振り続けているアルフに、祐一はフェイトと顔を合わせて笑い合う。
 一方なのははアリサの左手に嵌められた指輪に注目していた。

「おねーちゃん。その指輪、どうしたの?」
「祐一からのクリスマスプレゼント。ステキでしょ」
「えっと、じゃあ兄さんのネックレスはアリサさんが?」
「そうよ。あたしからのプレゼント」

 なのはとフェイトが物言いたげな目をしてこちらを見つめてくる。それに苦笑して祐一は言った。

「なのはとフェイトの分もプレゼントは用意してるから、夕食の後で渡すよ」

 その言葉になのはとフェイトの顔が明るくなる。こうして見ていると可愛らしい女の子にしか見えない。演算予測された未来で見た、暴虐な力を揮う姿が嘘のようだ。
 やがて商店街に着き、目的のペットショップを見つける。

「いらっしゃいませー」

 フレンズ店内に入ると、女性の店員が迎えてくれた。見たところ他に客はいない。

「ご入用のものはありますかー?」
「きゅうん」

 アルフの鳴き声を聞いて店員がしゃがみ込み、アルフと向かい合う。

「お前、ごちそうが欲しいのか」
「犬の言葉が分かるんですか?」

 思わず尋ねてしまう。うむ、と腕を組んで店員は頷いた。

「専門はにゃんこなんだけど、大抵の動物はいけるよ」
「すごいですね……。あ、じゃあこの子の希望するものを買ってあげたいんですが」
「ん。あたしに付いて来て」

 女性に案内された先にあったのは大型の冷蔵庫。その冷蔵庫から店員は紙の箱を取り出した。箱を開けるとその中には小さなホールケーキが入っていた。

「これがあたしのお勧め、犬用クリスマスケーキ。本当はうちのぺりドットの分だったんだけど、ぺりドットは今日買われていったからこれは余り。これなら三掛けで売ったげるよ」
「どうする、アルフ?」
「わふ!」

 フェイトの問いかけにアルフは元気よく返事をする。

「いいって」
「じゃあ、それでお願いします」
「はーい。ちょっと待ってて」

 店員はケーキを箱に入れるとリボンでラッピングしてくれた。お礼を述べて店を出る。それから翠屋に着くまでアルフは尻尾を振りながら歩いていた。よほどご機嫌なようだ。
 程無く翠屋に辿り着くと、店内は満席だった。ケーキやシュークリームを買いに来ているらしい人が四人程レジ前に並んでいる。

「あ、祐ちゃん達来たんだ」
「美由希さん」
「ごめん。今いっぱいだから少し待ってて――て、流石にアルフは連れて入れないよ。どうする?」

 忘れていた。こうなったら路地裏に入ってアルフに人の姿をとらせよう――と考えたところでアリサが祐一の手を引っ張る。

「表のテーブルで食べるから大丈夫です」
「……なあ、アリサ。寒くないのか?」
「こんな時こそ役に立ちなさい。エアコンとして」

 酷い言われようだった。だが確かに周囲の気温を快適なものにするぐらいなら、レネゲイドの力を少しばかり解放すれば簡単に出来る。
 店前に設けられているカフェテラスのテーブルに皆着いた。祐一は力を発動して周囲の温度を調整し、快適な温度に引き上げる。そこに美由希がメニューを持って来た。

「わ、温いね。これなら大丈夫かな。すぐにお冷と御絞り持ってくるから」

 そしてしばらくしてやって来た恭也に注文し、四人の注文が届いたところでアルフにケーキを差し出した。

「おいしい? アルフ」
「わうっ!」

 どうやらおいしいらしい。そしてフェイトはハウスクラブサンドを一つアルフに分けていた。祐一もクリームパスタをフォークに丸めてアルフに分ける。
 ややあって皆が食べ終えるのを確認し、祐一はテーブルの上に右手を差し出した。その手の中に月衣から僅かな燐光を伴って小さな菱形の黒い金属が現れる。

「なのは、フェイト、メリークリスマス」

 二人にそれぞれ一つずつその菱形の金属を渡す。なのはとフェイトはそれを裏返してみる。そこには二枚の葉をデザインした、氷のような無色透明の石が埋め込まれていた。

「氷晶石を使ったタリスマン。持っていると小さな幸運を運んでくれるよう魔法儀式を施した一品だ。学校の鞄の中にでも入れておくといい」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「兄さん、ありがとう」

 このタリスマンは原材料自体は安いのだが、儀式に使う機材の方が高くついてしまった。だが一通り機材を揃えたため、次から何かを付加エンチャントする時にはもう少し原材料の方に金をかけられるようになる。
 そして帰り道。必然的に話は明日の決戦についてのものになった。

「とにかくこっちはユーノとアルフで防御を固めて、アリサとフェイト、なのはが攻撃役。俺はアリサの足場兼防御役」
「三匹生き残ってたら私がザンバーで止めを刺して――」
「わたしはユーノ君に守ってもらってバリアの破壊」
「あたしはフェイトとなのはのフォローだね」
「飛ぶゴキブリのように厄介なやつらだが、素早いだけで攻撃力は低いからな。とにかくバリアで上手く弾く事が肝心だ」

 今頃クロノとユーノ、助っ人二人とやらも戦略を練っている最中だろう。だが、これだけ相手の詳細な情報を手に入れてこれだけの面子を揃えても、確実に勝てるわけではない。未来は未だ不確定だ。
 ふと空を見上げた。黒い雲が夜空を埋め尽くし、月や星の輝きを遮っている。一面を覆う雪を想像して首を振る。あゆの事が解決した今となっても祐一は雪と夕焼けの組み合わせは苦手だった。赤に染まっていく雪は嫌な思い出を掘り起こしてくる。
 だが過去を変えることは出来ない。いたみを背負って生きていく事しか出来ないのだ。
 そんな事を考えているうちに高町家に辿り着いた。玄関を開けて家に入る。風呂に湯を入れ、なのはとフェイトが一緒にお風呂に入りに行くのをリビングでアリサと見送る。

「アリサ、緊張は無いか?」
「あたし自身の心配はしていないけど、あの子達の方が心配ね。無茶はして欲しくはないけど……」

 カートリッジシステムは術者に負担がかかる。その上なのはの使うスターライトブレイカーのような大威力砲撃は体のみならずデバイスにかかる負担も大きい。
 それが分かっていながら祐一はなのは達を頼らざるをえない。彼女達に負担を強いるばかりで、祐一に出来ることは余りにも少なかった。
 祐一は壁にかけられたカレンダーを見る。十二月二十五日。運命の日が再び巡る。




[5010] 第四十六話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/05/27 15:47
 決戦前夜。目が冴えて眠れない祐一の耳に、ふと階段を上ってくる音が聞こえた。やがて祐一の部屋の扉が静かに開かれる。そこにいたのは腰まである金の髪をストレートに下ろした少女だった。

「フェイト……?」
「にい、さん……」

 ベッドで上半身を起こした祐一と、部屋の入口に立つフェイトの視線が交差する。祐一はベッドに腰掛けると、フェイトを手招きする。戸惑った様子を見せるフェイトだったが、おずおずと祐一の傍に近寄り祐一の隣に座る。

「不安か?」
「ううん。皆がいるから平気。なのはも、クロノも、シグナムやヴィータだっている。私達は、絶対に負けない」
「ああ。そうだな」

 その言葉に迷いはない。だが、それならフェイトは何をしに来たのだろう。不安以外に祐一の部屋にフェイトがくる理由は思い当たらない。

「兄さん、言ってたよね。この闇の書事件のためにこの世界に居たんだって。じゃあ、兄さんは事件が終わったら元の世界に帰るの?」
「還るのは、多分ずっとずっと先の話だ。一応この世界に留まって、未来の情報を持ち帰るのが任務だったからな」
「それでも、兄さんがいなくなるのは……私、嫌だ」

 フェイトの頭を髪を乱さないように優しく撫でる。だが、それでうやむやには出来なかった。フェイトが今にも泣きそうな目でこちらを見つめている。

「俺が還るのは何十年も先の話だ。それでも駄目か?」

 フェイトは黙って首肯する。思わずため息をついた。フェイトはなのはにばかり目が向いていると思っていたが、祐一に対してもある程度依存の傾向があるらしい。

「今日は一緒に寝るか?」
「……いいの?」

 おそるおそる聞いてくるフェイト。それを可愛らしいと思ってしまう祐一は果たして兄らしいといえるだろうか。とりあえず、ナルシストではないと心の中で弁解する。

「嫌なら別にいいんだけど、フェイトは今すごく不安そうだから」
「い、嫌じゃない。嫌じゃないよ」

 祐一はベッドの端に寝転び、その横にフェイトがもぐりこんでくる。祐一の腕を枕にして、フェイトは祐一と顔を突き合わせた。

「フェイトは髪を解いているとなんだか大人びて見えるな」
「そ、そう、かな」

 恥ずかしそうにはにかむフェイト。褒められた経験が少ないためか、フェイトは褒められると直ぐに頬を染めてしまうという特徴を持っていた。
 そっとフェイトの髪を手櫛で梳く。細くさらさらとした触り心地のいい金の髪を梳いていくと、気持ちよさそうにフェイトが目を瞑る。

「明日の決戦が終われば夜にはクリスマスパーティーだ。さっさと勝負を決めて、早く帰って来よう」
「うん……」

 しばらくフェイトの髪を梳き続ける。やがて小さな可愛らしい寝息が聞こえ始めた。祐一はそれを見て小さく笑みを浮かべて目を閉じた。
 この子達は自信と覚悟を持って明日の決戦に臨んでいる。躊躇う事も無く、怯む事も無く、屈することなど無く、真っ直ぐに。
 あれこれ悩んでいた自分が馬鹿だったように祐一は思えた。いつだって道は前にしかない。譲れぬ道ならば押し通って進むのみだ。
 やがてフェイトの寝息を子守唄に、祐一の意識は深遠の闇へと融けていった。









 そして、翌日九時半。雪の降り積もった海鳴臨海公園になのは、フェイト、アルフ、アリサ、祐一の五人と八神家一同が揃っていた。そこに映像を映すミッド式魔法陣――空間モニターが開き、クロノの顔が映し出される。

『もう全員揃っているようだな』
「母さん達がまだいないんだが」

 全員を代表して祐一がクロノに返事をする。その言葉にクロノがため息をつく。

『先程、艦内に彼女達三名がいるのを確認した。どうやったのかは知らないが、うちのセンサーをかいくぐって侵入したらしい。今ユーノが案内してブリーフィングルームに案内している最中だ』
「あー……。息子として謝っとく。すまない」
『……とりあえず、こちらに君達を転送する。そのまま動かないでくれ』

 モニターが閉じる。同時に祐一達の足元にミッド式の白い魔法陣が描かれた。魔法陣が白く発光し、視界が光に塗りつぶされる。そして軽い浮遊感の後、祐一達はアースラの転送ポートに立っていた。
 目前にはクロノが二人の女性を連れている。女性は双子なのか顔立ちがとてもよく似ていて、髪の色も同じローズグレーだった。特徴的なのは頭についているミミとスカートの尾骨の辺りから突き出ている尻尾。見る限りでは猫の使い魔のようだ。違いは片方が長い髪、もう片方が短い髪をしていることぐらいか。

「ようこそ、アースラへ。こちらの二人が協力者のリーゼアリアとリーゼロッテ。僕の師匠だ」
「初めまして。リーゼアリアです」
「で、あたしがリーゼロッテ。見て分かると思うけど、アリアとは双子だ。君らの事は聞いてるよ。祐一とフェイトは年の離れた双子みたいなもんだろ? んまあ、よろしく」
「よろしくお願いします」
「え、えと……、よ、よろしく」

 物静かなアリアと楽しそうな口調で明るく話すロッテ。祐一は平然と、フェイトはロッテの勢いにたじろいで返事をする。そこで祐一は気付いた。このリーゼ姉妹の足に巻かれたカードケース。その中に入っているのは仮面の男の使っていたカードだ。
 祐一ははやての車椅子を押して来たシグナムを見る。どうやらシグナムも気付いたらしい。頭の中にシグナムの声が届く。思念通話だ。

(祐一。この二人はあの時の――)
(ああ、間違いない。だけど捕まってる筈のこの二人をクロノが出してきたって事は、今回は信用していいと思う)
(……そうか)

 シグナムから視線を切り、リーゼロッテに絡まれているなのはとフェイトの様子を見る。押しが強いロッテに二人ともどう対処していいのか困惑している。そこでクロノが一つ大きな咳払いをした。

「とりあえずブリーフィングルームに行こう。今回の作戦についてすり合わせをしたい」
「そうですね。最終確認をしておきましょう」

 クロノの言葉にシャマルが賛同する。このまま転送ポートにいても埒が明かない。クロノを先頭としてブリーフィングルームに案内される。
 ブリーフィングルーム。その長い長方形の机にリンディ、クロノ、シャマル、月、なのは、フェイトが座り、リンディの対面に車椅子に乗ったはやてが向かい合う。それ以外の者はそれぞれの作戦指揮者の後ろに立って並んでいた。

「まず、昨日それぞれに送った短期未来予測演算の映像を見ていただいたと思います。その上でこれをなぞる形で戦闘を進めて行きたいと思うのですが、何か異論のある方はいますか?」
「僕には無い」
「同じくありません。これまでのシミュレーションを通じてこれが最高の形であると思います」

 月の言葉に首肯するクロノとシャマル。だがリンディが手を上げて発言をする。

「最初の討ち洩らしが三体の場合、かなりシビアな戦局が予想されます。何とかこれを緩和する事はできませんか?」
「ですが、これが限界です。三体の内二体をクロノ君とリーゼアリアさんが捕獲、フェイトちゃんは残りの一体をザンバーフォームで撃墜、リーゼロッテさん、アルフさん、ユーノ君、ザフィーラは私と同じくそれぞれの陣営に向かってきた『ビット』を防御。以前にも言った通り、『ビット』は弾いてもその勢いのまま別の目標に体当たりを挑んできます。皆さんは上手く誰もいない方向へ弾くよう気をつけてください」

 月の言葉を聞いて皆の顔に緊張が走る。無理もない。『ビット』の数が一体増えただけで勝率に大きな違いが出る。四体討ち洩らしがいれば即座に撤退してアルカンシェル発射が決定されるほどに『ビット』は厄介な存在だ。
 結局作戦はそのまま決行となり、それぞれの陣営で協議が始まる。なのはとフェイト、アルフはユーノと同じくクロノの指揮下に、祐一とアリサは月の指揮下に入る。

「祐一は『ビット』が来たらバリアヴェールの形状を変えて防ぎなさい。アリサちゃんは砲撃魔法をフェイトちゃんと同期させてバリア破壊。リインフォースは私を使って『ビット』の撃墜。バリアさえ全部破壊してしまえば私達の勝ちよ。オーケー?」

 その月の言葉にそれぞれが了解の言葉を返す。他の陣営も協議を終えたようだ。

「では、皆さんは転送ポートに向かってください。現場での全体指揮はクロノに任せます」

 リンディの指示に従いブリーフィングルームから出た祐一達は転送ポートに向かう。走りながらアリサと目を合わせて、強気な笑みを交し合った。転送ポートに辿り着くと、シグナムが車椅子からはやてを抱き上げる。
 転送ポートに立つと、スクリーンが開かれエイミィの姿が映し出された。

「第二十四無人世界への転送準備出来てるよ。準備はいい?」
「ああ。やってくれ、エイミィ」

 クロノの言葉に壁に描かれた大きな魔法陣が発光する。祐一たちは白い光に包まれ、一瞬の浮遊感の後どこまでも続く荒野に立っていた。

「さて、全員準備をしようか」

 クロノの言葉にそれぞれがデバイスを展開し、バリアジャケットを纏う。

「レイジングハート、バスターモード」
『Yes master』
「バルディッシュ。ザンバーフォーム、いけるね」
『Yes sir』

 レイジングハートは二つの排気口のついた片側が長く片側が短い音叉型に変形し、バルディッシュも二つカートリッジを使用して杖の先の金属部分が鍔と小さな刀身に変形し、魔力で出来た金色の刃が形成される。
 さらにフェイトは装甲を薄くし手足に金の羽根を生やした姿になる。ソニックフォーム。装甲を犠牲に、より速く動くことを念頭に置いた姿だ。
 そして空を飛べるものは皆宙へと舞い上がっていく。地上には祐一、アリサ、ユーリが残された。

「ファイス。バリアヴェール展開」
『分かりました』

 祐一達の足元に黒い円盤状のバリアが展開され、上へと昇って行く。地平線が見渡せるような高さに達した時、祐一とユーリは風に煽られながら立っていた。他の面々はバリアジャケットで風を防いでいるため平然としている。

「リインフォース、覚悟はいい?」
「ああ」

 リインフォースの胸に月が両腕を突き入れる。さらにそこからリインフォースに融ける様に、月の体が沈んでいく。融合システムの裏技、逆融合。これによって月はリインフォースに巨大な魔力を渡し、月自身はリインフォースの補助演算に徹する事になる。

 そのリインフォースの姿を眺めてはやては夜天の書を抱きしめる。そしてはやてを抱いたシグナムを中心にそれぞれは所定の位置についていく。

「主はやて。覚悟は決まりましたか?」
「うん。なんやろな、全然不安じゃないんよ。シグナム達がおるおかげかな」
「ありがとうございます。……では、始めましょう」

 シグナムの言葉にはやては夜天の書を掲げる。そして小さく呟いた。

「夜天の魔導書。封印解放や」
『Freilassung』

 直後はやての下に 白いベルカ式の回転する三角形の魔法陣が展開される。シグナムははやてをそこに下ろし手距離をとった。そして白い魔法陣の色が黒変し、魔力の奔流が立ち上る。その中ではやての体は子供のものから大人へと姿を変え、髪は腰ほどに伸び白銀色に、体は女性的な丸みを帯び、両足と右手には革ベルトが巻きつき右手と顔には赤いラインが走った。そこにいたのは最早はやてではない。夜天の書の管制人格だった。
 『彼女』は胸に手を当て、静かに目を瞑る。




「主。お目覚め下さい、我が主」
「あ……。こうして夢の中で会うんも久しぶりやね」

 静かな笑みを、『彼女』とはやては交し合う。暗い闇の中、何の光源が無くともお互いの姿ははっきりと見えた。

「さあ、始めましょう」
「そやな。表にいる皆をあまり待たせたらあかん」

 はやての足元に白いベルカ式の魔法陣が出現する。

「さあ、防衛プログラムのコントロール切り離しや」

 はやての足元で回転する白い魔法陣が輝く。そしてはやては『外』に向かって呼びかけた。

(防衛プログラム、本体からの切り離しに成功や! なのはちゃん、お願い!)
(うん、分かった!)

 しばらくの間、はやては表層に出ている自動防御プログラムを止め続ける。そして闇の中に強い衝撃が走り、闇が白い光に包まれていく。

「前にも言うたな。あなたに名前をあげるって」
「はい」

 小さな笑みを浮かべるはやてと、真っ直ぐな瞳をはやてに向ける『彼女』。

「夜天の主の名において、汝に新たなる名を贈る。強く支える者、幸運の追い風、祝福のエール――『リインフォース』」

 そして、世界が白い光に包まれた。そして世界に『彼女』――リインフォースの声が響く。

「新名称、リインフォースを認識。管理者権限の使用が可能になります」
「うん。行こか、リインフォース」

 そして、世界が完全に光に塗り潰される。



 なのはが動きを止めた『彼女』の姿である防衛プログラムに上空からの砲撃を浴びせた後、眼下の大地には闇色の巨大な半球が出現し、その上に小さな白い球体が浮いていた。白い球体は内から粉々に弾け、中から剣十字の杖を掲げたはやての姿が現れる。

「夜天の光よ、我が手に集え。祝福の風、リインフォース。セットアップ!」

 剣十字の杖から光が溢れる。はやての髪の色がクリーム色になり、瞳の色は青に、背には六枚の黒い羽が出現する。
 そしてはやては宙を舞い、ヴォルケンリッターの集う場所へと飛んでいった。一方で上空からなのはがクロノ達の下に降りてくる。

(さあ、始めようか)

 クロノの言葉が全員の頭に響く。祐一はヴォルケンリッターの方を見た。そこではヴィータがハンマーを構えて前に出ている。

「リインフォース、いけるな?」
「ああ。始めよう」

 足場となっているバリアヴェールの上を、リインフォースが黒い球体に向かって歩いていく。円盤の縁まで来てリインフォースは黒い球体に右手を掲げた。そして同時に夜天の魔導書の頁がめくられていく。

「来よ、白銀の風。天よりそそぐ矢羽となれ」

 ミッド式の魔法陣が中央に大型が一つ、その斜めに小型の魔法陣が四つリインフォースの手の先に展開される。
 そしてヴォルケンリッター勢の中で、はやてもまたベルカ式魔法陣を手の先に展開していた。

「遠き地にて、闇に沈め」

 はやての詠唱と共に黒い球体の上に闇色の魔力塊が収縮していく。
 先陣を切ったのはヴィータだった。

「轟天爆砕!」

 後ろに振りかぶったハンマーが巨大化する。そしてヴィータは一歩強く前に踏み込んだ。

「ギガント・シュラーク!」
 
 振り下ろされた巨大なハンマーは、はやての生み出した魔力塊を巻き込んで黒い半球に直撃する。
 そして黒い半球にひびが入ったと同時に、リインフォースとはやては叫んだ。

「フレースヴェルグ!」
「デアボリック・エミッション!」

 半球を砕きながら炸裂する黒色の砲撃と魔力爆発、中のモノが姿を現すよりも早く巨大な闇の球体がソレを飲み込み、さらにその中に黒い無数の砲撃が突き刺さる。次いで闇を吹き散らすほどの魔力が炸裂した。そして二つの広域攻撃の中から三つの闇の塊が飛び出す。

「ちっ……」

 余りの忌々しさに祐一は舌打ちする。闇の塊は人によく似た姿をしていた。特徴的なのは眼部がゴーグルのようになっている事と異常に大きな手を持つことか。
 これこそが『ビット』。祐一とユーリの蒐集によって生み出された闇の書の闇の防衛機構だ。
 本来闇の書の闇が自ら姿をあらわすまで待っていた場合、三十二体の『ビット』が出現するはずだった。それをこちらから攻撃を仕掛ける事で僅か三体に『ビット』の数を減らしたのだ。生き残ったその『ビット』でさえもかなり損耗している。
 クロノ達の方に向かった『ビット』は、突撃をかけた瞬間ユーノの張ったバリアに遮られた。そのバリアは衝撃を吸収し凹みながら『ビット』を受け止める。そこにクロノが槍のような、P.T.事件の時とは違う杖を突きつけ『ビット』をバインドする。

「ここまでは演算通りね」
「後は自爆に気をつけないとな」

 アリサの言葉に祐一が自分たちの周りを飛び交う『ビット』を睨みつけながらいった。
 残りの『ビット』は、学習したのか隙を窺うように祐一達とはやて達の周りを不規則な動きで飛び回ってくる。一方眼下では闇の書の闇が自らを形作ろうとしていた。闇が固まって出来たようなサソリに似たフォルムをしたソレ――闇の書の闇は腹の下から硬い装甲のような背びれを持った触手を突き出し、地面を突き破って出て来たワームの頭部にあるクリスタルに魔力を集束させていく。だが――

「来たれ、鋼の軛!」

 それを防ぐためにザフィーラが三角の魔法陣を展開した。地面から白い魔力の光が突き出し、触手に突き刺さっていく。
 そしてザフィーラが魔法を使って硬直している隙に、『ビット』がはやてに突撃をかけてきた。シグナムは剣を弓に変えた直後であり動けない。とっさにヴィータがはやての前に立ち塞がり、魔力を込めたハンマーの一撃を加える。しかしその一撃に吹き飛ばされはするものの、『ビット』は直ぐに体勢を立て直しまた飛び回り続ける。
 祐一達の周りを飛び回る『ビット』はさらに厄介だった。祐一とファイスが協力して、『ビット』が突撃してくる度に足元のバリアを変形し、四角い壁を出現させ弾いている。だが『ビット』は弾かれても直ぐにまた突撃をかけてくる。幾度目かの衝突の後、金色の光が祐一達の前を駆け抜け、『ビット』に雷の刃が突き立てられる。フェイトだ。

「はああああっ!」

 裂帛の気合とともに斬撃を放つフェイト。しかしその一撃もビットの破壊に至らず、ビットの表面に傷を負わせるに留まる。その傷もすぐさま復元され、再び『ビット』は祐一たちに突撃をかけ始めた。
 そして幾度もフェイトに斬りつけられた『ビット』が体勢を整えようとしたその瞬間、『ビット』を三重に囲う青紫の魔力のリングが出現し、一気に拘束した。だが祐一達の中には青い魔力を持つ者はいない。祐一はクロノかとも思ったが、クロノはユーノと共に自分達側の『ビット』に更なるバインドをかけて再び動けないようにしている真っ最中だった。
 そこで思い当たったのが、助っ人としてこの場にいるリーゼ達だ。祐一がそちらを見るとリーゼアリアがカードを消費して、さらにこちらの『ビット』にバインドを飛ばしてきた。六重のバインドに身動きすら取れない『ビット』。そしてクロノとアリサは魔力弾で『ビット』を吹き飛ばした。直後に『ビット』は魔力爆発を引き起こす。自爆だ。その身に秘めた魔力が大きい分、爆発の範囲も広い。祐一は二本の剣を構えてアリサの前に飛び出し盾になり、クロノとユーノは爆発に巻き込まれた。爆煙が広がる瞬間二人でバリアを張っている姿が見えたので、向こうもとりあえずは無事だろう。
 そしてシグナムの弓に番えられた矢が遂に放たれる。

「駆けよ、隼!」

 強大な魔力を宿した魔法の矢――シュツルムファルケンは闇の書の闇の纏うバリアに着弾し大爆発を引き起こした。
 演算通りに進んでいるなら最初のはやて、リインフォースの攻撃と今のシグナムの一撃で、魔力と物理複合四層式バリアの内二層が破壊されているはずだった。バリアの中で成長するように巨大化していくサソリのような闇の書の闇は最初より二周り以上膨れている。
 闇の書の闇が巨大化をしている理由、それは高密度圧縮魔力をその身に纏い続けているからだ。魔力操作技術であるこれを夜天の書は魔導資質として祐一から蒐集した。このまま魔力の鎧が膨張していけば、闇の書の闇本体にはダメージを与えられなくなる。
 解決法は可能な限り早くバリアをすべて破壊して、グングニールを撃ち込むことだ。グングニールが通用しない所まで鎧が成長してしまった場合、アルカンシェルの使用が余儀なくされる。
 祐一はアリサの方を見る。彼女はフラガラッハを直列に並べ、その一番前の剣先に魔力を集束していた。そして今、その力が放たれる。

(フェイトちゃん、アリサさん、今っ!)

 全員の頭に響くシャマルの声に、フェイトがカートリッジロードをするバルディッシュ・ザンバーを振り上げて応えた。それに呼応して『ビット』最後の一騎が突撃を仕掛けてくる。が、それはリインフォースの魔力を纏わせた拳で殴り飛ばされた。新たに地面を割って突き出してきた触手達もユーノとアルフが鎖状の拘束魔法を巻きつけ千切ってしまう。

「ラインドバスター、シュート!」
『連ね撃ち、発射』
「撃ち抜け、雷神!」
『Jet zamber』

 フェイトの長大な魔力刃とアリサの放った砲撃魔法がバリアを貫通、破壊する。これで残りのバリアは後一層。だが予定より戦闘が長引いている。闇の書の闇はさらに巨大になっていた。もはやかつて祐一が相対した闇の書の闇の三倍は大きいだろう。
 四発カートリッジロードしたバスターモードのレイジングハートの先に、アリサには及ばないもののバリアを貫くには充分な魔力が集束する。先程リインフォースの拳を受けて飛ばされていた『ビット』が今度はなのはに襲い掛かる。それにカードを使用してリーゼアリアが強力な魔力弾を発射し、勢いを鈍らせたところでリーゼロッテが『ビット』を手で貫く。貫通した手の中には黒いリンカーコアが握られていた。それをリーゼロッテが握りつぶすと同時に、最後の『ビット』は霧散する。

「ディバインバスター・フォースバースト!」

 そして、なのはの砲撃が放たれる。しばらくの間バリアは砲撃と拮抗を続けたが、やがてバリアは貫通されひび割れて砕け散った。そしてその砲撃は闇の書の闇にぶつかり、あっさりと撥ね散らされる。最早オーバーSランクの魔法でも闇の書の闇の装甲は貫くことは出来ないだろう。
 黒い円盤の上に立つユーリは、なのはがバリアを抜くと同時に小さな黒い立方体を握り締めていた。それに呼応して、衛星軌道上の機械が動き始める。それは巨大な金属の杭とそれを囲んでいる金属の輪。杭の先は地表へと向き、輪が杭に加速フィールドを形成、地表に向けてその杭――グングニールは射出された。
 天から大気摩擦で赤く発光しながら飛来したグングニールは、とてつもない轟音とともに闇の書の闇を大地に縫いとめる。グングニールは加速魔法と錐のようなフィールドの作成魔法に特化した、貫通に重点をおいた質量兵器だ。さらにグングニールの管制端末を持つユーリが小さく呟く。

「……自爆」

 次の瞬間、衛星軌道上の輪と地に突き刺さったグングニールが爆発した。グングニールは縦方向に強大なエネルギーを放ちながら自壊していく。高密度圧縮魔力の鎧によって身を固めていた闇の書の闇は、内側からの爆圧と自らの鎧の間に挟まれて潰される。維持する力が失われ、黒い魔力の鎧は霧散していった。

(クロノ君、今です!)
「了解だ、シャマル」

 そしてクロノは杖を構え、肉片の山になった闇の書の闇に向けた。

「悠久なる凍土、凍てつく棺の内にて永遠の眠りを与えよ」

 詠唱とともに大気の温度が異様に低くなっていくのを祐一は感じた。詠唱から察するに凍結系の魔法なのだろう。

「凍てつけ!」
『Eternal coffin』

 肉片になってしまっている闇の書の闇が一瞬にして凍りつく。さらに荒野の大地には一面霧が立ち込めていた。それだけ今の凍結魔法が強力だったという事だろう。
 そして凍っている一部から氷を突き破って巨大な金属色の獣の頭が突き出しす。その場所こそが防衛プログラムの本体コアがある場所だ。
 なのはが杖を構える。空には雷鳴が轟き始め、はやての足元にはミッド式の魔法陣が浮かび剣十字の杖先に魔力が集約されていく。
 なのはの周囲に放出された魔力が集束し、フェイトの構えるバルディッシュ・ザンバーの魔力刃に雷が落ち、はやての杖先から出現したベルカ式魔法陣の各頂点にエネルギーがチャージされる。
 そして、その瞬間が訪れた。

「スターライト――」
「プラズマザンバー――」
「ラグナロク――」

『ブレイカーーー!!』

 轟音とともに闇の書の闇に突き刺さる三つの砲撃魔法。それらは闇の書の闇を蒸発させていき、本体コアを露出させる。
 そしてシャマルの指輪の宝石から繋がっているラインが円を描き、その中を別の空間とつなげる魔法――旅の鏡によってシャマルは闇の書の闇の本体コアをロックした。

「長距離転送!」
「目標、軌道上!」

 さらにシャマルのロックした本体コアをユーノとアルフの転送魔法が包み込む。

『転送!』

 本体コアが巨大な環状魔法陣によって上空に転送される。そしてしばらくしてエイミィからの連絡が届いた。

『アルカンシェル命中。本体コア消滅を確認。現場の皆、お疲れ様! 状況、無事に終了しました!』

 その言葉に全員の肩から力が抜ける。三つに散っていた皆ははやて達のいる場所へ集まる。そこで互いに笑みを交し合い、なのは、フェイト、はやてはハイタッチをして笑い合う。

「お疲れ様。よくがんばったな。なのは、フェイト」

 祐一はなのはとフェイトの頭をポンポンと軽くたたく。二人は祐一の事をしばらく見上げた後、顔を見合わせてくすくすと笑い合った。
 そしてはやての方に祐一が向き直る。その時だった。はやての体がぐらりと傾く。慌てて祐一はその体を抱きとめた。

「……はやて? はやて、はやて!」

 ヴィータが意識を失っているはやての名を呼び続ける。クロノがアースラに連絡し、転送用の魔法陣が展開された。
 転送ポートをでて祐一は、腕の中のはやてとユニゾンアウトした『彼女』――この世界のリインフォースを医務室に連れて行く。
 ベッドに横たえられたはやてをシャマルと医師が診察した。結果は特に異常なし。大威力砲撃は体にひどい負担がかかるため、疲労による昏倒であると診断された。
 時間にして二十分足らずの戦闘だった。だが、皆の顔には疲労の色が見える。緊迫した局面で全力を振るったせいだろう。祐一は白い輝きを宿した羽根を放ち、医務室にいる全員に治癒魔法をかける。
 それからはやてが目覚めるまで、十分とかからなかった。



[5010] 第四十七話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/06/03 18:25
 八神はやてが目を覚まし、ヴィータがはやてに抱きつく。そしてはやての周りに集うヴォルケンリッターとリインフォースを眺めている祐一の背後に、慣れた気配が近づいてきた。
 視線を向けると、そこには想像通りの人物が立っている。

「母さん?」
「これ。要るでしょう?」

 月が懐からから取り出したのは青く透明なクリスタルだ。以前祐一は月に見せてもらった事がある。

「データクリスタル?」
「そう。今のうちに適用しておきなさい」

 それだけ言うと月はそっと離れていく。その傍に立つ祐一の世界から来たリインフォースは、いつの間にか髪を黒く染めていた。
 とりあえずそれは思考から外し、祐一ははやての傍に近寄って声をかける。

「はやてちゃん、ちょっといいか?」
「あ、祐一さん」
「どうした? 祐一」

 はやてとシグナムがそれぞれ声を上げる。こちらの世界のリインフォースをちらりと見ながら祐一は話を続けた。

「今のままだと、夜天の魔導書はまた新たに防衛プログラムを作り出してしまう。それで間違いないな? リインフォース」
「ああ。歪みは基礎構造にまで及んでいる。そして夜天の書のかつての姿も管制プログラムである私の中から消されている。もはや夜天の魔導書を直す事は出来ない」
「ああ。分かってる」

 祐一の言葉にシグナムとヴィータが祐一を見る。その視線には疑念と困惑、そして怒りが込められていた。

「どういうことだ、祐一」
「前に言ってたじゃんか! 第二プランさえ上手くいけば管制人格すら救えるって! あれは嘘だったのかよ!?」

 予想していた通りに非難の声がぶつけられる。ヴィータに詰め寄られ、祐一は苦笑しながら青いクリスタルを差し出した。

「俺達はかつて誰一人欠けさせないまま闇の書事件にケリをつけた。そして俺達の世界のリインフォースのデータから作られたのがこれだ」

 部屋中の視線が祐一の差し出したデータクリスタルに集まる。リインフォースが驚きに目を見張るのを見て祐一は口端を小さく吊り上げた。

「夜天の魔導書のデータがあったんですか?」

 シャマルの質問に首を横に振る。そんな物、あの事件から五年が過ぎても見つからなかった。祐一はデータクリスタルを差し出して話し出す。

「これの中身はウイルスプログラムだ。夜天の魔導書を破壊するためのな」
「……どういうことか、説明してもらえるか?」

 シグナムが静かに問う。噛み付いてくるかと思っていたヴィータは以外にも大人しくこちらが話すのを待っていた。気が付けば室内の全員が祐一の言葉に耳を澄ませている。祐一は静かに口を開いた。

「俺達の世界でも、夜天の魔導書を修復する手段はなかったんだ。そこでリインフォースは守護騎士達のプログラムを夜天の書から解放し、夜天の書と自身の破壊を申し出た」

 黒髪のリインフォース――黒リインの方に視線を向ける。祐一につられて室内の視線を向けられた黒リインは小さく頷いた。

「だけど、俺達はそんな結末は受け入れられなかった。それで必死になって考えた結果が、『歪められた基礎構造が暴走を生むなら、暴走すらできないほどに基盤を歪めてやればいい』という結論だ。結果としてその改変は上手くいった。数々の機能と引き換えに、夜天の書は防御プログラムと再生機能を完全に破壊されたんだ」

 思い返すのは、祐一と月、そして舞の三人で立ち向かった『闇の書の闇』。あの時の戦いが、今再び祝福の風を救う力となる。

「このデータクリスタルには夜天の書を俺達の世界と同じように破壊するウイルスプログラムが入っている。つまり――」
「そのウイルスプログラムを、私が管理者権限を使うて夜天の魔導書に実行すればいいんやね」

 はやての言葉に頷いて返す。それから銀髪のリインフォース――白リインと向き合った。

「このプログラムは暴走を二度と起こさなくする。だが、同時に夜天の魔導書とリインフォースの持つ機能を大きく損なう事になる。それでもいいか?」
「……ああ。どんな手段でもいい。この絶望の輪廻を断ち切ってくれるというのなら、私はこの身を捧げよう」

 しっかりと、覚悟を秘めた瞳でこちらを見返してくる白リイン。祐一は頷きを返して、はやてにデータクリスタルを渡す。そしてシャマルが夜天の書をはやてに渡した。

「あ、ちょっと待った。守護騎士プログラムにもどの程度影響が及ぶか分からないから、ウイルスを起動する前に守護騎士プログラムを解放しておいた方がいいぞ」
「ん、分かりました。皆もええか?」

 はやての言葉にヴォルケンリッターが一同に頷く。そしてはやてが夜天の書に手を乗せる。

「守護騎士プログラムを修復、及び夜天の魔導書本体から切り離しを実行」
『Reparieren und befreiung』

 夜天の書が音声を発すると同時、ヴォルケンリッター四人の足元にそれぞれの魔力光と同じ色の正三角の魔法陣が回転し、光に包まれる。そして光が収まると、そこには代わらぬ四人の姿があった。

「守護騎士プログラムの解放が正常に行なわれたのを確認しました。プログラムを走らせてください、我が主」
「うん、了解や。……夜天の魔導書、プログラムインストール」
『Ein Programm eingeben』

 データプログラムの中を幾何学模様に金の光が走る。同時に白リインが顔を歪めた。

「大丈夫か?」
「……ああ、もう収まった。今のは私の演算能力に障害が起こっただけのことだ。まだウイルスは走っているが、管制プログラムにはこれ以外の異常は無い」

 白リインに尋ねるとそのような答えが返ってきた。そして五分ほどたった時、データクリスタルの光が消える。

「我が主。これより魔導書の機能のシステムチェックを行ないます」

 白リインが一歩進み出て夜天の書に触れる。夜天の書の表紙にある剣十字が僅かに光を発した。

「本体の自動修復機能、守護騎士達の緊急リカバリーシステム、システム復旧に障害。及び私の演算能力にも障害が発生。以降、蒐集した術式の応用にかなり制限が加わる事となります。また転生機能が完全に破壊。そして防衛プログラムですが――完全に生成不能となりました。これで暴走が起きる心配はありません」

 白リインが微笑んで告げる。はやてとヴィータがお互いを抱きしめ笑い合い、それをシグナム達が穏やかな表情で見守る。祐一はそっとその場から離れた。

「クロノ。前にも言ったと思うが、ヴォルケンリッターについては自首という形で頼む」
「ああ。分かっている。……本当に闇の書が暴走する危険性は無いんだな?」
「その証明があそこに居るだろ。俺達の世界のリインフォースは五年経った今でも暴走なんてしてないぞ」

 祐一はクロノが闇の書と呼んでいる事に苦笑する。クロノとしては管理局の人間として夜天の魔導書を簡単に許すことは出来ないのかもしれない。
 そして宙に浮いて様子を窺っていたリーゼ姉妹が部屋から出て行き、はやての周りになのはとフェイトも寄っていく。
 騒然とする医務室の中、クロノはスクリーンを開いてリンディに報告を始めた。そして祐一の傍にはユーノがやって来る。

「祐一さん。祐一さんの世界ではどうやって基礎構造をさらに歪ませたんですか? 正直かなり深いところまで夜天の魔導書の構造を把握しておかないと不可能ですよね?」
「母さんと舞の特殊能力のおかげだな。母さんの力ではやてちゃんの夢の中に入り込んで、はやてちゃんが歪められた基盤の破壊を、舞が願いを叶える力でそのサポートを行なって、最低限の破損で済むように基盤の破壊が出来たんだ」
「夢への侵入に願いを叶える力……。希少技能レアスキル、ですか?」

 ユーノの質問にとりあえず頷いておく。どちらもウィザードの能力なのだが、わざわざ教える必要は無いだろう。
 耳を澄ますと、なのは達は夜のクリスマスパーティーの話で盛り上がっていたようだった。クロノも今日いきなりヴォルケンリッターを護送するなど無粋な真似はしないだろう。
 ふと白リインの様子を見てみると、白リインに黒リインが接触していた。何事か小さな声で黒リインが告げると、青いクリスタルを持った白リインが頷いている。そして離れていく黒リインに祐一は接触した。

「リイン。今渡していたデータクリスタルは何だ?」
「私がこの五年で作り上げて来た演算補助プログラムと夜天の魔導書の自動保護プログラム、いわば夜天の魔導書のアップデートパッチだ。あのデータを入力する事によって若干ではあるが演算機能の回復と、書が攻撃を受けた時に自動でバリアを張る保護機能が追加される」
「そんなもの作ってたのか……」

 驚きを通り越して呆れる。そしてこの先の未来については諦めた。どうせ、たったこれだけの数の人間に世界の大きな流れを変える事など出来はしない。とは思うものの、どこでどんな影響が生まれるか予測がつかないのが実情だ。祐一は大きくため息をついた。

「祐一。人の前でそうもあからさまにため息をつくな。若干傷つく」
「いや、すまん。ちょっと今色々諦めたんだ。世界は勝手に回る。ケ・セラ・セラってやつだ」
「??」

 祐一が言っていることの意味が分からないのか不思議そうにする黒リイン。その様子がおかしくて苦笑する。新たな名と生き方を得た白リインもいずれこうなるのだろうか。出来ることなら黒リインのような突飛な行動を取るようにはならないで欲しいと祐一は願う。
 
「ところで祐一。先程この世界の私が言ったことを憶えているか?」
「ん? なにを?」
「先程の私はこう言っていた。私はこの身を捧げよう、と」

 噴き出す。そしてむせた。げほっ、げほっと咳き込む。考えたくはない、考えたくはないことではあるが、万が一の可能性はある。黒リインだけでなく白リインと接する時にも油断をしないように気をつけておくべきだろう。
 そこまで考えて、ふと祐一は気が付いた。今は大半の者の視線がはやてに向いている。つまり、今の祐一は黒リインに取って格好の獲物に等しい。祐一は周りを素早く見回し、とっさに近くにいたアリサを手招く。

「どうかしたの? 祐一」
「頼む、傍にいてくれ。今はお前が頼りなんだ」

 その言葉にアリサの目がぎらりと輝く。どうやら人選を間違えたようだ。

「で、どうしたの? 祐一。内容次第では助けてあげるけど」

 嗜虐的な笑みを浮かべて、アリサが甘い猫撫で声で聞いてくる。危険だ。アリサは祐一で遊ぶ気満々だった。

(――貞操の危機と尊厳の死。どちらに転んでも俺は……!)

 祐一が顔を強張らせたまさにその時、アリサの視線が一瞬祐一から離れ、黒リインの方へ向けられた。その一瞬のチャンスに、祐一は人の隙間を縫うようにその場を離脱した。向かう先ははやて達の所。丁度夕方からのパーティーについての話をしているところだった。

「あ、おにーちゃん」
「兄さん」

 なのはとフェイトが声をかけてくる。この状況でならば白リインもアクションを起こしてくる事も――――あった。かつての世界、黒リインの時は衆目の前で辱められた記憶がある。祐一は半歩白リインから離れシグナムに寄った。

「祐一さん。翠屋へはどうやって行けばええん?」
「あー。すずかちゃんか俺が案内するよ。八神家と翠屋の両方を知ってるのは俺達二人だけだからな」

 はやてにそう答えながら祐一は考える。なのは、フェイトにだけプレゼントを贈っておいて、はやてだけ何も無しというのはあまりよろしくない。祐一はシグナムに贈る予定だった氷晶石で出来た二枚の葉のタリスマンを月衣から取り出しはやてに渡す。

「祐一さん、これは?」
「クリスマスプレゼント。氷晶石で出来た二枚の葉に魔法をかけて作ったタリスマン。持っていると小さな幸運を運んでくれるよう魔法儀式を施した一品だ」
「ホントにそんな効果があんのか? 大して魔力もこもってねえしよ。綺麗だけど」

 はやての持つタリスマンをしげしげと眺めるヴィータ。菱形のカードのようなそれは周りの金属部分に術式が込められており、氷晶石にはウィザードの魔力が封じられている。ただこれは魔力素から変換した魔力とは性質を異にする。ヴィータが分からないのもしょうがない。

「ありがとうございます、祐一さん」
「ん。身近な物のポケットにでも入れて持っておくといいよ。小さな幸運がはやてちゃんと共にありますように」

 そして、その場を離れようとするとはやてに呼び止められた。振り返ってみるとそこにははやての優しい笑顔が祐一に向けられている。

「祐一さん。ありがとう」
「ん、どういたしまして。そういうタリスマンやアミュレットの類いは手間はかかるけど作れるようになったから、もし作って欲しい物があるときには遠慮せず連絡をくれ」
「祐一さん。あの、私がいうたのはプレゼントのお礼だけやないです。私の命を助けてもろうた事、シグナム達の事を考えてくれていた事、リインフォースと夜天の魔導書を救ってくれた事。私の一生分のお礼を言わなあかんぐらいのことをしてもろうた。そやから、ありがとうございます、や」

 どうやらこの世界のはやては、祐一の世界のはやて以上に感謝の念を祐一に抱いているようだった。祐一は頬をかいて、はやての頭に手をぽんと置く。

「別に恩義なんて感じなくていい。ただ対等に接してくれるなら、俺はそれだけでいい」
「……分かりました。じゃあ――これからもよろしくお願いします」
「ん。よろしく、はやてちゃん」

 握手をする祐一とはやてを穏やかな目で見守るヴィータ。もう警戒をされなくなったのだろう。言動と裏腹に、真っ直ぐな意志と優れた直観力を併せ持つヴィータに信用されたということは大きな意味を持つ。この少女は柔軟な発想で時に誰より大人びた行動を取る。彼女に信用されたなら、他のヴォルケンリッターにも認めてもらいやすくなるだろう。

「ところで祐一さん。クリスマスプレゼントってなんですか?」

 その疑問の声を上げたのはシャマルだった。前に皆で集まった際にクリスマスについては教えられたようだが、プレゼントを贈る習慣については教えられなかったようだ。

「クリスマスの前日から当日にかけて、親しい人にプレゼントを贈る習慣があるんだ」
「あら。それじゃあ夕方のパーティーまでに用意しないといけませんね」
「せやな。特にリインフォースには服を買ってあげんとあかん」

 シャマルとはやてが楽しそうに話す。それを聞いて、祐一はもう一人へのプレゼントを思い出した。

「リインフォース」

 白リインに話しかける。こちらに白リインが向き直った。祐一は虚空に手を伸ばす。空間に波紋が生まれ、祐一の指先が消える。そして虚空から一つの紙袋を取り出した。

「これ、クリスマスと誕生日のプレゼントだ。夜天の魔導書としての新生、おめでとう」
「ありがとう……。開けてみて、いいか?」
「ああ」

 困惑しながらも嬉しそうな表情をする白リイン。紙袋のリボンを取って中を開き、中身を取り出す。

「これは……なんだ?」
「懐中時計やね。蓋を開けたら時計の文字盤が現れるはずや」

 白リインが金の蓋を開ける。そこには規則正しく時間を紡ぐ時計の針があった。

「これから新しい時を刻んでいくなら、その記念には時計を贈るのがいいと思ったんだ」
「――ありがとう、祐一」

 鎖のついた懐中時計をそっと優しく両手で包む白リイン。その口元に浮かぶ淡い笑みを見て安堵の息をつく。これで祐一の目標は達成された。後はのんびりひっそりと生きていけばいい。
 そこで祐一は思い出した。シグナムへのプレゼントが無い。手持ちには幾つかアクセサリはあるが、それらは大切な貰い物だ。人にあげてしまうのはどちらに対しても不義理になる。
 目的の人物を探す。はやて達から少し離れたところにその人物はたたずんでいた。

「クロノ。急ぎの用事が出来た。今すぐ海鳴へ帰してくれ」
「分かった。この世界は第九十七管理外世界と個人転送でも行き来できる位置にある。転送ポートを使えばすぐにでも帰れるだろう」
「オーケー。……母さん、後は任せた」

 再び後ろに忍び寄ってきていた月に声をかける。振り向いてみると、月はユーリがかつて使っていた物と同じデザインの警棒を持っていた。特研で作られたスタンバトン。祐一は即座にバックステップして月から間合いをとる。
 
「……母さん、何をしようとしていた?」
「大した事じゃないわ。あなたを気絶させてリインフォースにプレゼントしようとしてただけ」
「貞操が狙われてた!?」

 いつの間にか危険に晒されていた事に驚きの声を上げる。気付かなければ祐一は危うく黒リインの餌食になってしまうところだった。

「事情は分からないが……とにかく行こう。急ぐんだろう?」
「……あ、ああ。ありがとう、クロノ」

 クロノを連れて医務室を出て、祐一は転送ポートに案内される。
 転送ポートから海鳴臨海公園に転移してもらい、祐一は高町家に戻って財布をポケットに入れ、商店街に走る。
 シグナムはレヴァンティンをペンダントとして首にかけている。それに余り着飾らない人物だ。となるとアクセサリ関係は候補から外れる。
 何か記念になるものを、と探して祐一が辿り着いたのは、一軒のオルゴールショップだった。店内にあるオルゴールを一つ一つ試聴して回る。シリンダーオルゴールとディスクオルゴール、鳥の鳴き声を再現したシンギングバードに、外装もクリスタルタイプの物や木製のシックな物など様々な物がある。ディスクオルゴールはディスクを交換すれば様々な曲を楽しめるし、シリンダー式の物も二曲、三曲入っている物もあった。大きさも懐中時計に組み込まれているものやペンダントに収まっている小型の物、インテリアとして置いておくような大型の物まであった。
 その中でも祐一が惹かれたのは、とある木製のオルゴールだった。蓋をあけると優しいメロディーが流れ、蓋の裏には鏡が入っている作りになっている。曲名は『夏に向かって』。比較的新しいSEENAの曲だ。
 値段も他と比べると少しばかり高かったが、迷わず祐一はそれを購入する。プレゼント用のラッピングしてもらった後、その包みを持って店を出た。
 祐一はしばらく商店街をぶらついてから、高町家に帰る。
 昼食を作るのは祐一とアリサ。恭也は今日も翠屋で働いていた。美由希は家にいたのだが、高町家の鉄則として美由希をキッチンには立たせてはいけないと決められている。
 なのは、フェイト、そしてアルフを含む五人と一匹で昼食を摂り、祐一はパーティーの準備をするため月のアパートへと向かった。
 そして日が暮れ、夜が来る。



『メリークリスマース!』

 仕事明けの翠屋店員達と高町家、八神家、月村家一同+バニングス、そしてクロノと月達を加えたメンバーで始まったクリスマスパーティーは大いに盛り上がっていた。下拵えをした材料を持ち込んだ月が厨房でせっせと料理を作り、皿に盛り付けられた端から祐一がそれを運ぶ。昼のうちに多めに作っていた筈のシュークリームが早くも無くなりかけている為、桃子もスイーツ作りに忙しく、士郎もそれぞれの飲み物のオーダーに応えていた。
 その一方で忍お手製のカラオケマシンですずかとバニングスがデュエットし、最後のビンゴ大会用の賞品(箱詰めの上包装され中身は謎)がうず高く積まれ、ホールケーキとさまざまな料理が幾つものテーブルに並べられていた。
 ようやく一段落して客席に戻ってきた祐一と月。二人を出迎えたのは黒リインだった。ユーリはというと、八神家の者達と何事か話し込んでいる。

「二人とも、お疲れ様」

 黒リインは祐一達にアイスコーヒーを差し出してきた。お礼を言ってそれを受け取る。そこで祐一は思い出した。まだ黒リインにはプレゼントを贈っていない。

「そうだ、先にこれを渡しておくよ」

 祐一が差し出したのは小さな黒い菱形の金属にバラの花を模った氷晶石が埋め込まれた護符タリスマンだった。

「運勢を良くするタリスマン。前に贈ったものと似たような効果があるから、身近なものに付けておくといい」
「ありがたく貰っておく。代わりに私からも贈る物がある」

 そう言って黒リインが取り出したのは丸いクリスタルの付いたキーホルダーだった。クリスタルは小さな白光の明滅を繰り返している。

「第三十六管理外世界の特産品だ。仕事ついでに手に入れたものを加工した」
「ありがとう。大切にさせてもらうよ」

 祐一は携帯のストラップにそのキーホルダーを付ける。小さくではあるが、そのクリスタルが鈴の音に似た音を立てた。

「ところで祐一、この世界でシグナムに言い寄っているというのは本当か?」
「ゲフッ、ゴホッ、ゴホッ」

 黒リインの言葉に祐一はコーヒーを飲み込み損ねてむせる。しばらくして息を整えてから祐一は答えた。

「別に言い寄っていたわけじゃない。剣道で張り合おうとしていただけだ」
「そうか。だがこの世界の私が言うには、烈火の将はお前のことをいたく気に入っているという話だ。加えてこの世界の私もお前のことを気にしている素振りであったな」
「それを聞かせて俺にどうさせたいんだ」

 嫌な予感がする。というか嫌な予感しかしない。警戒する祐一の前に黒リインは左手を差し出す。

「だからお前の所有権を主張してきた」
「ぶっ!? げほっ、げほっ!」

 さらにむせた。黒リインが差し出した左手の薬指には指輪が嵌められていた。以前祐一が贈った幸運をもたらすリングだ。
 そして祐一の元になのはとフェイトが小走りでやって来る。

「おにーちゃん。リインフォースさんと結婚してるってホント!?」
「おい。誤解されたじゃないか」
「それなら誤解を真実に変えればいい。それで問題は解決するはずだ」

 リインフォースと口を笑みの形にして睨み合う。いつもの二人に月はため息をつくと料理を食べに行ってしまった。

「えっと、兄さんはまだ結婚はしていないんですか」
「……結婚の前に俺はまだ誰とも付き合ってもいないからな」
「えっと、じゃああの指輪は?」

 フェイトの言葉を否定した祐一になのはが尋ねる。祐一は何もつけていない左手を見せる。

「あれは運勢を良くする効果を持つ魔道具。ホワイトデーのお返しにいろんな人にあげた指輪の一つだ」

 その言葉に胸をなでおろすなのはとフェイト。二人とも祐一を連れて行かれるのを心配していたのだろう。二人はそれぞれ高町家と八神家の集まりに戻って行った。

「頼むからこういう冗談はやめてくれ。後で酷い目に会うのは俺なんだから」
「だが先ほどの二人にも随分と好かれていた様に見えたが」
「懐いてるだけだよ。依存してるんだ。まあ、俺の方が悪いんだが」

 そう。なのは、フェイト、アリサは祐一に対して依存の状態にある。その原因である祐一の異能に感付いているアリサはともかく、残り二人の依存を解くには荒療治が必要となるだろう。

「とりあえず何か食べようか。BLTサンドはどこだったかな」
「あそこだ」

 黒リインが指差したのはクロノとアルフ、そしてフェイトが座っている席だった。祐一もそこに座ってBLTホットサンドを手に取る。

「おや、相沢御夫妻か」
「むぐっ!」

 クロノの言葉に飲み込もうとしていたホットサンドが詰まる。慌ててフェイトの出してくれたコップの水で飲み下す。

「クロノ、何か俺に恨みでもあるのか?」
「いや、すまない。ただの冗談だ。フェイトから話を聞いた。だが実際のところ君達はどういう関係なんだ?」

 祐一に三人の視線が突き刺さる。どう説明するか迷って――結局いい案は浮かばなかった。ありのままを話す事にする。

「最初は一方的に気に入られて、それから段々仲良くなっていったってところかな」
「ああ。私は私を泣き止ませようとしてくれた祐一のことを強く想うようになった。今では祐一を他の者の手に渡さないよう舞達と協定を結んでいる」
「舞?」

 フェイトが聞きなれない名前に反応する。

「幼なじみだ。俺と同じウィザードで、剣の腕は俺より数段上だ」
「ほう。祐一よりも上、か。いつか剣を交えてみたいものだな」

 いつの間にかシグナムが後ろに立っていた。とりあえず祐一は手の中にあるホットサンドを食べてしまってから後ろに振り返った。

「残念だったな、シグナム。あいつらがこっちの世界に来る事はまず無いよ」
「そうか。では私の相手は当面お前にやってもらうとしよう」
「シグナム、どういう事ですか?」

 シグナムの言葉に眉をひそめるフェイト。思い返してみると、祐一はシグナムとの関係を話していなかった。

「私と祐一は剣道場で互いに剣を交し合った間柄だ。まあ、友人だと思ってくれればいい」
「……兄さん、どうして教えてくれなかったんですか?」
「シグナムを捕まえられる訳にはいかなかったからな。黙っていた事は謝る。すまん」

 謝ってフェイトの頭を撫でる。しかしフェイトは不満そうな顔をしたままだ。何がそんなに気に入らないのか、祐一にはさっぱり分からない。

「祐一。後日私達の処分が決まってからリインフォースが改めてお礼をしたいそうだ」
「リインフォースからのお礼、ね。嫌な予感しかしないんだが……。まあ、そのことはいい。シグナム、手を出してくれ」

 不思議そうな顔をしながらシグナムが手を出す。祐一は虚空からラッピングされている紙袋を取り出してシグナムに持たせた。

「これは……?」
「クリスマスプレゼント。普段からお世話になってた上に蒐集をけしかけたからな。感謝と謝罪を込めてってやつだ」
「開けていいか?」

 頷いて答える。シグナムが袋を開けると木の箱が中から取り出された。蓋を開けると、優しく清澄な曲が流れ始める。

「オルゴール?」
「ああ。気に入ってくれると嬉しい」

 しばらくの間オルゴールが鳴り続ける。曲が終わったところでシグナムはオルゴールの蓋を閉めた。

「いい曲だ。ありがたく頂かせてもらう」
「そうか。よかった」

 互いに表情を緩める。どことなくシグナムが優しい表情を浮かべているように感じられた。その時、後ろから手を回され、抱きしめられる。

「……渡しませんから」
「ふぇ、フェイト?」

 困惑する。座ったまま抱きしめられているために振り向けないが、フェイトがシグナムや黒リインに鋭い視線を向けていることは容易に想像がついた。祐一も大概シスコンだが、フェイトもそれなりにブラコンだったらしい。シグナムと黒リインがこちらを見て苦笑する。

「ああ。別に私は祐一を取ったりしない。それより、いつか改めて勝負をしてくれるか、テスタロッサ」
「絶対に、負けませんから」
「にゃ!? アルフさん。これってどういう状況ですか?」
「うーん。どっから説明したらいいんだろう……」

 好戦的な笑みを浮かべるシグナムと、祐一を抱きしめたままそれに応えるフェイト。そしてこの場にやって来たなのはが混乱し、アルフに説明を求めている。
 宴は佳境に向かい、その一角で混迷が生まれていた。とりあえず祐一は笑っておく。これから始まる新たな日々を祝って。
























 第二十四無人世界。巨大な穴を穿たれた焼け跡に、緑髪の小さな子供が立っていた。その周囲には砕かれた巨大な生物の残骸が散らばっている。
 子供は右手を前に伸ばす。同時に半球状の黒く巨大な結界が周囲を包み込んだ。

「喰らえ――――アイジス」

 子供が静かに呟くと同時に半球状の結界が収縮し、子供の手の先で一辺2メートル程度の黒い立方体の形をとる。
 子供が立方体に触れると、淡い燐光を残して立方体が虚空に消える。この時、子供の周囲の景色は一変していた。あちこちに散らばった巨大生物の肉片が、結界の収縮後には無くなっていたのだ。
 そして子供は、虚空から手の平に乗るサイズの白い立方体を取り出す。その立方体はルービックキューブのように変形し光を放つ。
 光が収まった時、そこにはただ焼け跡が広がっているだけだった。



[5010] 第四十八話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/06/11 20:21
 終わることなく続いていく日々。ただ温もりと共に目覚める毎日。
 始まりはいつだったのか。そんな事はもう忘れてしまっていた。
 分かっているのはただ一つ。確かにこの腕の中にはその温もりがあるということだけだった。







 朝日が顔に差し、祐一は目を覚ます。
 右を見る。祐一の右手を枕にして抱きついている幼女がいる。金の髪をした幼女は安らかに寝息を立てていた。
 左を見る。フェイトが体を起こして優しい顔でこちらを見守っていた。

「フェイト、おはよう」
「おはよう、兄さん」

 挨拶と笑顔を交し合う。そして祐一はもう一方の少女を見た。

「おーい。アリシア、起きてくれ」
「ん……」

 声をかけると、まるで嫌だと言うように抱きつく力を強める幼女――アリシア。祐一は仕方なく右手を揺り動かし、アリシアの目覚めを促した。

「ほら。アリシア、起きて」
「うにゅ……」

 謎の声を出してアリシアが目を開ける。祐一やフェイトと同じ赤い瞳だ。

「おはよう。祐一、フェイト」
「おはよう、アリシア」
「おはよう。……ところでアリシア。早めに頭をどけてもらえるか?」
「はーい」

 アリシアが体を起こす。血流を止めていたアリシアの頭がどけられて一気に血管が拡張し、右腕がひどく痺れだした。

「~~~~!」

 声に鳴らない悲鳴を上げる。祐一の百面相にフェイトとアリシアがクスクスと笑い声を洩らしていた。祐一は痺れを我慢しながら周囲を見る。祐一達の寝ているベッドは三人で寝ていてもまだ大きいもので、天井には星空を描いた半球状の形をしていた。縦に伸びた大きなガラスの窓が幾つも壁に並び、それぞれに白いカーテンが付いている。カーテンが開けっ放しなのは、それほど朝が寒くないため、朝日と共に自然に起きられるようにとの配慮だ。
 右腕の痺れが取れてきた頃、部屋の入口がノックされた。入ってきたのは薄茶色の髪をボブカットにして帽子を被った女性と、子犬の姿をしたアルフだった。

「あ、おはよう。リニス、アルフ」
「はい。おはようございますアリシア、祐一、フェイト」
「おはよー、皆」

 アリシアの挨拶に笑顔で答える女性――リニスとアルフ。リニスはプレシアの使い魔で、山猫の耳と尻尾を持つ女性だ。ただリニス自身はその耳と尻尾を恥ずかしく思っていて、帽子と服の中に普段は仕舞っている。そのためぱっと見では人間と区別が付かない。

「おはよう。リニス、アルフ」
「おはよう、二人とも」

 祐一とフェイトも朝の挨拶をし、ベッドから降りる。

「さあ、早く着替えて朝の食事にしましょう。プレシアが待っていますよ」
『はーい』

 三人で声を合わせて返事をし、顔を合わせて小さな笑い声を上げる。そしてそれぞれパジャマを脱いで着替え始めた。
 着替え終わった祐一はアリシアとフェイトの髪をヘアブラシで梳いてから側頭部で纏めてリボンで結ぶ。アリシアのリボンは青。フェイトのリボンはピンク。毎朝の作業を終えるとアリシアとフェイトが顔を合わせて微笑む。二人とも、本当に幸せそうに笑っていた。



 そして、食堂。部屋の中央にある長いテーブルに向かって黒髪の女性――プレシアが座っている。その姿を見てアリシアとフェイトが駆け寄っていく。

「母様、おはよう」
「おはようございます、母さん」
「おはよう。アリシア、フェイト」

 二人に優しく微笑みかけてプレシアは挨拶を返す。それを見て和みながら祐一もアルフと一緒にプレシアの元に近付いていく。

「おはよう、プレシア母さん」
「おはよー、プレシア」
「祐一、アルフ。おはよう」
「では、ちゃちゃっと食事の用意をしてしまいますね」

 プレシアは穏やかな笑みを浮かべて挨拶し、リニスは朝食を取りにキッチンへと向かって行く。
 そして並べられた食事をフォークとナイフで口に運ぶアリシアやフェイトを見て、リニスが嬉しそうに微笑む。
 そして談笑する子供たち三人に微笑みを向けていたプレシアが、給仕をしているリニスの方に顔を向けた。

「リニス、今日は会議が入っているから今日は遅くなるわ。夕食はこの子達と先に食べておいて」
「分かりました、プレシア」

 リニスが少し残念そうな顔をして答える。リニスも、プレシアも、アリシアも、そしてフェイトも、皆この平穏な生活を本当に大事にしている。
 郊外にある緑に覆われた時の庭園の周囲には民家が無く、子供達は一切の悪意を知らぬままにこの閉ざされた楽園で時を過ごす。
 今日もプレシアが転移魔法で研究所に向かった後、祐一はアリシアとフェイトに連れられて外の草原に出かけた。






「いい、祐一。私の方がお姉ちゃんなんだからね」

 そう言って胸を張るアリシア。リニスが以前話してくれた。祐一とフェイトは以前プレシアがいた研究所でアリシアの細胞を基に作られたクローンである事。そして二人をプレシアが引き取って自分の子供として育ててくれていた事。肉体は祐一やフェイトの方が大きいが、実年齢はアリシアのほうが大きいからアリシアが一番年上となっている事。
 そんな訳でお姉さんぶるアリシアなのだが、祐一にはそれが余計に子供らしく見えてしまう。祐一は思わずアリシアの頭をぽんぽんとたたき、ムキになったアリシアにポカポカと胸をたたかれる。そんな様子をフェイトは微笑みを浮かべて見守っていた。

「兄さん。お姉ちゃんをからかっちゃ駄目だよ」
「りょーかい。ごめんな、姉さん」
「わ、分かればいいんだよ。分かれば」

 そう言って祐一に跳びついてくるアリシア。祐一はその背と膝裏に手をやりアリシアを抱きかかえる。そして祐一の頬に柔かいものが当てられた。

「姉さん。ご機嫌だね」
「うん! だって、私はとても幸せだもの。祐一は?」
「俺はこの三人でいられる時間が一番好きだな。一番気を抜けるから」
「気を抜ける……?」

 祐一の言葉に首を傾げるフェイト。祐一とアリシアは顔を見合わせて苦笑する。
 そしてアリシアは祐一の腕の中から降りるとフェイトに抱きついた。

「いい、フェイト。私はフェイトのお姉ちゃんだからね。だから、フェイトが決めた事を私は受け入れる」
「俺もだ。フェイトの決めた事なら従うよ」

 祐一達の言葉にさらに混乱した様子のフェイト。祐一はそんなフェイトのおでこにそっと口付ける。

「に、兄さん!?」
「どうした? でこちゅーは嫌だったか?」
「ううん! 嫌じゃない、嫌じゃないけど……!」

 顔を真っ赤にしてわたわたとするフェイト。おそらくこれで先程の疑問も飛んでしまったことだろう。祐一としては不本意だが、アリシアが幸せそうに笑っているのだ。もう少しぐらいは付き合っても構わない。
 そんな祐一にアリシアが声を出さずに口を動かす。――『ありがとう』。そう言ったみたいだった。



 そして祐一は草原に寝転がり、フェイトとアリシアは木陰で本を読んでいた。空は青く晴れ渡っている。祐一はこの状況に既視感を抱いていた。フェイトとアリシアの二人と遊んだ記憶ではない。思い出そうとした端から崩れていくおぼろげな記憶の中で、祐一は二人の少女と遊んでいた……ような気がした。
 なんにせよ、既に真実の扉は開いてしまった。その上で、祐一はこうしてじっとしている。彼女の意思決定に祐一が関わる訳にはいかない。気が済むまで付き合う。そう決めた。
 春の陽気に祐一が夢現の境をさまよっていると、いつの間にか傍にアリシアとフェイトがやってきていた。アリシアは祐一の頭の傍に座ると、祐一の頭を太腿の上に乗せた。いわゆる膝枕だ。

「お姉ちゃん。ちゃんと後で交代してね」
「うん。でも先に私からね」
「俺の意志は無視ですか」

 フェイトとアリシアは笑いながら祐一の頭を交互に撫でてくる。祐一も逆らうだけ無駄であると学習しているので大人しくされるままになる。
 やがてアリシアからフェイトの太腿に頭を乗せ代え、フェイトの顔を見上げる。微笑んでくるフェイトの顔をしばし見つめた。フェイトは本当に幸せそうに笑っている。その事実が今は痛かった。
 そして三人で川の字になって空を見上げた。雲の形が何に似ているかを話し合い、今度プレシアの休みに皆で街に出かける事について話に花を咲かせる。
 そしてそのうち春の陽気に負けたのかアリシアが寝入ってしまう。祐一はその頭を自分の太腿の上に乗せた。するとフェイトがもう片方の太腿に頭を乗せてくる。二人の頭を両手で優しくなでながら、祐一は歌を口ずさんだ。

「しずかなうみへ~いだかれたまま わた~しはう~た~う~ よぞらのほしに~みまもられている ねがう~すがた~」

 しばらく歌を歌い続ける。歌い終わると、フェイトが小さく拍手をしてくれた。

「兄さん。歌上手だね」
「フェイトの方が上手だよ。リニスと一緒に歌ってたの、すごく綺麗だった」

 リニスは学校へ行かない三人の教師のような役割を任されていて、ミッドチルダの歴史やミッド語、計算などの勉強、加えて三人のうちで唯一魔法の使えるフェイトはリニスに魔法を教わっている。そんな中、時々リニスはビデオや音楽を使って情操教育を行なっていた。ちなみにフェイトとアリシアはほぼ同じくらい歌が上手くて、祐一が現在テスタロッサ家ランキング最下位。祐一はいつかコブシを効かせた歌を歌って見せるとリベンジに燃えている。

「そうだ。フェイトも歌を聞かせてくれないか?」
「えっと、この前練習した歌でいい?」
「ああ。頼む」

 恥ずかしそうにはにかむと、フェイトはそっと息を吸い込み、静かに歌い始めた。

「そっと~ こころ すます いとしいこのときに~」

 澄んだ歌声が静かに響く。真っ直ぐ静かに、だがはっきりと響き渡るその歌声はフェイトの本質を表しているような気がした。

「きせつのなか~で かわりゆくもの~ めぐるときのさな~かに~」

 やがてフェイトの歌が終わる。祐一はそっとフェイトのおでこのあたりを撫でた。

「ありがとう。フェイト、歌手でも目指してみるか?」 
「もう、兄さん。私は執務官になるって決めたんだから」

 フェイトの突然の発言に驚く。今で満足していると思ったが、まさか未来について意識を向けていたとは夢にも思わなかった。祐一は慎重に言葉を選んで声を発する。

「フェイト、執務か――」
「フェイトー! アリシアー! 祐一ー! 食事の時間だよー!」

 子犬フォームのアルフが叫びながら駆け寄ってくる。そのままアルフは身を起こしたフェイトの腕の中に飛び込んだ。祐一は心の中で嘆息する。

(――邪魔をされた、か)

 内心で舌打ちをするものの、今のフェイトはかなりいい感じだった。とりあえず現状は進展しつつあるという事が判っただけでも収穫だ。

「ほら、姉さん起きて。昼食の時間だよ」
「んう……」

 目を擦りながらアリシアが目を覚ます。と思ったら草原に座っている祐一の太腿の上に座って正面からアリシアは抱きついてきた。

「にゃ~、ごろごろ~」

 あまつさえ猫の形態模写をして祐一の胸に擦り寄ってくるアリシア。その頭を撫でてやってからアリシアの体を抱き上げながら立ち上がる。そしてアリシアを下ろしてフェイトの方を見てみると、なにか言いたげにこちらを見つめてくるフェイトと目があった。

「ふむ」

 フェイトに近寄るとそっとお姫様抱っこで抱き上げてみた。目を白黒させるフェイトは蚊の鳴くような声でその言葉を放つ。



「にゃ、にゃあ……」



 破壊力抜群だった。耳まで真っ赤にしたフェイトは顔を伏せてしまう。その様子すら可愛らしいと思う祐一は自分がもう末期なのではないかと思い、それは恋愛感情などでは断じてなく小さな子を可愛らしいと思うことは決しておかしくないと自己弁護を済ませる。ふと視線を感じてそちらを向くと、アリシアが含み笑いをしていた。心を見透かされたような気分になる。きっと今の祐一も顔が赤く染まっていることだろう。
 フェイトは祐一の腕の中から降りると時の庭園の方に走って行ってしまった。それを追ってアルフも走っていく。
 それを追おうとした祐一の手をそっとアリシアが握ってきた。

「姉さん?」
「ありがとうね、祐一。ずっと付き合ってもらっちゃって」

 その言葉に祐一はアリシアを抱き上げた。目を白黒させるアリシアに宣言する。

「辛いのはアリシアの方だろ。俺はただ待ってるだけで、辛くもなんともないんだから」
「私はいいよ。もう、これだけで充分」
「……そうか」

 そっとアリシアの頬に口付けする。アリシアは力いっぱいに祐一を抱きしめ返してきた。
 震えるアリシアの決断に胸が締め付けられるような思いさえする。だが、アリシア自身が選んだ道だ。祐一はただそれを見守ることしかできない。
 結末は近い。それを示すかのように空の彼方には暗雲が立ち込めつつあった。



 昼食を終えて祐一達はリニスの勉強の時間となった。
 この日行なわれたのはミッドチルダや次元世界の歴史、極めて高度な数学の問題(大校生レベル。祐一はついていくのがやっと)だった。
 三時間にも及ぶ勉強の後、お茶の時間となった。リニスが作った焼き菓子(マドレーヌっぽい)とハーブティによるお茶会で、アルフもリニスから焼き菓子を分けてもらっていた。
 穏やかな空気の中談笑する四人と一匹。その最中、とある話題が飛び出した。

「ねえ、兄さんは大きくなったら何になりたい?」
「俺は……管理局の技術部に行きたい、かな。リニスみたいにデバイスを作ったりするのはとても楽しそうだから」

 フェイトから飛び出た発言と祐一の答えにアリシアが若干身を堅くする。そしてアリシアは何でもない事のようにその言葉を口にした。

「じゃあ、フェイトは何になりたいの?」

 返答に詰まったようにしばしフェイトが固まる。だがしっかりと前を見据え、フェイトはその問いに答えた。

「私は、管理局の執務官になりたい。ロストロギアの力に惹かれて、悲しい事が連鎖していく。それを少しでも早く止められるように」
「そっか。フェイトはもう自分の道を歩き出していたんだね」

 フェイトの答えにアリシアが優しい微笑みを浮かべる。祐一も肩から力を抜いた。結論は出た。後は幕引きを待つだけだ。

「ねえ。フェイト、祐一。この後また三人で外に行こうか」
「あら、だったら雨に気をつけてくださいね。外はなんだか雨の匂いがします」

 アリシアの言葉にリニスが釘を刺す。リニスは素体が山猫だから湿気とかには敏感なのかもしれない。リニスの言葉にはーい、とアリシアが元気よく答える。祐一とフェイトがハーブティーを飲み干したのを確認して、アリシアは二人の手を取り外へと歩いていく。



 三人で朝一緒にいた木の下に行った。空は半分くらいグレイの雲に覆われている。いつ天が泣き出してもおかしくはない。
 だが、だからこそこの話は邪魔をされずに進められるはずだ。祐一とアリシアはフェイトを中央に据えて座る。
 話を切り出したのはアリシアだった。

「ねえ、フェイト。フェイトはどうして執務官になろうと思ったの?」
「え? だから、私は悲しい事を止めたくて――」
「違うよ、フェイト。どうしてフェイトは悲しい事を止めたいと思うようになったの?」

 その言葉に瞳を揺らすフェイト。その時、ポツリ、ポツリと雨が降り始めた。しかし木の葉に遮られ、木の根元にいる祐一たちには雨は届かない。フェイトは目をアリシアから背けるように雨が降る景色を見る。

「私、私は――」
「じゃあ、フェイト。フェイトはいつからそのピンクのリボンをするようになったの? いつもの黒いリボンはどうしたの?」

 その言葉にフェイトは愕然とする。フェイトの震える肩をアリシアが優しく抱きしめた。しばらくして、フェイトがポツリと呟く。

「ここは、この世界は……夢?」
「……うん。私はフェイトの中のアリシアの記憶の具現。母様も、リニスも、アルフも私達の記憶から作られた虚像。本物は私達三人だけ」

 その言葉にフェイトは祐一を見る。祐一は静かに頷いた。

「フェイト。あなたはどうしたい?」
「え……?」

 アりシアが真剣な表情でフェイトに問う。フェイトは何を問われているのかさっぱり分からないような呆けた表情を浮かべる。

「もう一度全てを忘れてこの世界で生きる? それともこの世界を壊して本当の世界に出て行く?」

 困惑した様子で狼狽するフェイト。そこでアリシアがフェイトの顔にそっと手を当てる。アリシアは優しく笑顔でささやいた。

「フェイト。この世界で暮らそう? この世界なら私はフェイトと一緒に生きていられる。母様も、リニスも、アルフもいる。ずっと、ここで永遠をすごそうよ」

 その言葉にフェイトは涙を一筋流す。そして静かに首を横に振った。

「私は……この世界にいることは出来ない」

 フェイトが絞り出すような声で告げる。それを祐一とアリシアが静かに聞き届ける。

「私の大切なものは現実にあるから。兄さんと、なのはと、はやてと、私には沢山の大切な人が出来た。ここは昔の私の望み。だから、私は想いをここに置いて行く」
「そっか。なら、仕方無いね」

 フェイトを正面から抱きしめるアリシア。フェイトは小さな嗚咽と共に涙を流す。

「ごめん……! ごめんね、アリシア……!」
「いいよ。だって私は、フェイトのお姉ちゃんだもの」

 雨音が激しくなる。祐一は黙って二人を見つめていた。
 祐一は気付いていた。この夢は彼女の願いだ。その終わりが来るこの時まで、祐一は何も知らない振りをしてこの優しい箱庭で過ごしてきた。彼女が終わりを受け入れるこの時まで、ずっと。

「ねえ、フェイト」
「なに? アリシア」

 体を離す二人。二人の目には涙が浮かんでいる。だが、アリシアは確かに笑っていた。

「もうあなたは私のミスコピーじゃない。あなたは自分の願いを持って、きちんと前に進んでいるの。フェイト・テスタロッサっていう、代えの利かない一人の人間として」
「ありがとう、アリシア……」

 涙ぐむフェイトを祐一が後ろから抱きしめる。それを見てアリシアが微笑んだ。

「祐一。長い間付き合ってくれてありがとうね」
「気にすんな。ここでの暮らしも俺はそれなりに気に入ってたよ」

 祐一はフェイトを抱きしめる力を若干強める。フェイトは後ろから回された祐一の手に触れて、アリシアに話しかけた。

「ねえ、アリシア。どうやったらこの夢は終わらせられるの?」
「簡単だよ。この世界は私の夢だから、私が願えばいつでも幕を降ろせるんだ」
「え……?」

 その言葉にあっけに取られるフェイト。そこに祐一が補足する。

「この世界は、フェイトの中にある『アリシアの記憶』が求めた夢なんだ。だけど、アリシアはフェイトの決定に従う事にした。フェイトがこの世界に留まるのなら、この虚像の楽園で永遠を過ごす事になっただろう。だけどフェイトがこの夢を捨てて未来に歩いていくのなら、それに従って夢を終わらせるつもりだったんだ」
「そんな、どうして!?」

 動転するフェイトの正面からしっかりと目を合わせて、アリシアはその問いに答える。

「私の夢にいつまでも縛りつけちゃう訳にはいかないよ。フェイトが前に進んでくれるなら私、嬉しいんだ。だって私はフェイトの一部で、フェイトのお姉ちゃんなんだから」

 涙を流しながら言い切るアリシア。空がさらに暗くなり、雷が鳴り始める。

「じゃあ、この夢を終わりにするね」
「……うん。お願い、アリシア」
「フェイト、祐一。……バイバイ」

 その瞬間雷鳴が轟き、世界が闇になった。ブレーカーを落としたように瞬間的に真っ暗になったのだ。
 そして一瞬の浮遊感の後、祐一はベッドに横たわっていた。視界に映るのは見慣れた自室の天井。そして祐一が状況を把握する前に祐一の右脇で何かが動いた。おそらくは、人。祐一は右を見る。フェイトが瞳を潤ませてそこにいた。

「兄さん……」
「泣いていいよ、フェイト。お別れは、辛いものだから」

 フェイトを抱き寄せてやる。フェイトはその顔を祐一に胸の中に埋め、静かに嗚咽を洩らす。やがてフェイトは大声で泣き出した。

「あの夢の世界で、アリシアは本物だった。フェイトの中に眠るアリシアの記憶が励起されて生まれたあの子は、アリシアそのものだったんだ」

 祐一の言葉に、顔をこすりつけるようにして頷くフェイト。それを眺めながら祐一は今回の夢の事を思い返していた。
 アリシアの夢の中で過ごすうち、いつしか祐一は世界が特別な夢である事を悟っていた。かつての世界で、祐一は夢使いに作られた夢の世界を幾度も経験してきたからだ。
 おそらくは月の仕業だろう。興味本位で手を出したフェイトの中にあったアリシアの夢を見つけてしまったといったところか。
 そしてアリシアは、あの世界が夢だと一番最初に気づいていた。その上で、フェイトがそれに気が付いて夢を否定するのを待っていたのだと思う。アリシアはフェイトの一部で、フェイトが今を大切にしているのが分かっていたから。
 そして、朝が来る。夢の中で無数に迎えた朝とは違う、本当の朝が。祐一は優しくフェイトの頭を撫でた。フェイトの中にアリシアは息づいている。夢を通じてフェイトと通わせた心がフェイトに影響を与えている。フェイトはきっと、未来を大切にして歩んでいけるだろう。そう確信して祐一は小さく微笑む。
 そして小さな嗚咽が続いた後、フェイトは祐一の顔を見上げて小さく笑って見せた。それを見て祐一は安堵の息をつく。もう、フェイトは大丈夫だ。きっと自分の望む自分になれる。そう思えた。
 クリスマスの翌日であるその日、フェイトは今までで一番の笑顔を見せてくれたのだった。



[5010] 第四十九話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/06/18 14:25

「君の母親とそちらの世界のリインフォースが逃げた。何か知らないか?」

 十二月二十六日の昼過ぎ。雲の合間から日が差し雪が融け始めた頃、高町家を訪ねてきたクロノは開口一番そう言った。

「逃げたって、あの二人が?」
「ああ。捜査妨害の容疑で護送する予定だったんだが、いつの間にか船内から消えていたんだ」

 そう言ってクロノは鋭い目を祐一に向けてくる。とりあえず祐一はクロノに家に上がるよう勧め、玄関からリビングに話の場を移した。

「あの二人の思惑は分からない。けど、連絡手段ならある」
「そうか。とりあえず事情は判っているつもりだ。話をさせてもらえるとありがたい」

 テーブルの上に虚空から取り出した黒い半球状の装置――ゴスペルを置く。クロノが驚きに目を見開いているが、今は無視する。

「ワス キ ガ パグレ ノーサッシュ」

 キーコードを音声入力すると、高域の音が鳴りゴスペルの上にホログラムウインドウが開かれる。真っ黒だったその画面が突如として色彩を放ち、画面には月の顔が映し出されていた。

『あら、祐一にクロノ君。どうしたの?』
「それはこちらの台詞です。事情が有ったとはいえ、あなた達のやったことは紛れもない捜査妨害だ。自首したヴォルケンリッターともども、管理局に出頭してもらいたい」

 厳しい顔をするクロノに月は小さく微笑む。

『私は構わないけど、リインフォースならいないわよ。もう元の世界に帰っちゃったから』
「……とりあえずあなただけでも構わない。ヴォルケンリッターの裁判で証人を務めて欲しいんだ」
『オーケー。ただし平行世界云々の事は内緒にしておいて頂戴』
「判ってます。それに話したところで余田話だと笑い飛ばされるだけですから」 

 そして二人は午後四時に臨海公園で合流する事で合意し、通信を終えた。祐一はキッチンに向かいカップにコーヒーを注いでいく。

「これでとりあえずの懸念材料は片が付いたな……」
「お疲れ様。コーヒー淹れたぞ。砂糖とミルクはいるか?」
「ミルクだけくれ」

 はいよー、と言ってポーションタイプのクリームとスプーンを一つずつ渡す。クロノがコーヒーを一口飲んで息をついたところで話を切り出した。

「それで、はやてちゃんやシグナム達はどうなるんだ?」
「八神はやてとリインフォースは何の罪状も無いからな。証人として喚問するだけだ。闇の書も暴走の危険性が無いか精査される事になるだろうが、なんとか八神はやての元に残せるようにしてみせる。ヴォルケンリッターも蒐集については情状酌量の余地は充分にあるし、蒐集の被害者も死者、重傷者は一人も出ていない。そう重い罪には問わせないよ」

 それを聞いて安堵する。きっと何とかできるという自負があるからクロノは言い切って見せたのだろう。祐一はそこでふと気になったことを聞いてみた。

「今はやて達はどうしてるんだ? まさかあの護送室に閉じ込められているのか?」
「いや、今はこの世界から離れるに当たって病院などに顔見せに行っている。今日の夕方にアースラは本局に向かって出発する事になる」

 となるとシグナムも師範の所に訪れているのだろうか。この先管理局の仕事に従事して罪を償っていくのだとしたら、剣道場で会うのもそうは出来ないかもしれない。

「クロノ。シグナム達は服役する事になるのか?」
「いや。自首してきたことと蒐集の事情から、管理局任務に従事して罪を償う事を条件に、保護観察処分という形で済ませられるだろう」

 フェイトの時といいクロノは実に頼りになる。コーヒーを飲み終えたクロノにもう一つ気になった事を尋ねてみた。

「クロノ。俺の処遇はどうなる? シグナムに蒐集をするようそそのかしたのは俺だぞ」
「今の君はあくまで管理外世界の住人だ。確かに犯罪教唆が行なわれたのは事実だが、その程度の罪状では管理外世界の人間を管理局の法で裁くことはできない」

 その言葉に祐一は安堵と落胆の息をつく。罪に問われなくてほっとする反面、事件を引き起こした自分がヴォルケンリッターだけに罪を着せる事に罪悪感が湧いてくる。

「そういえば他の人達はいないのか?」
「なのはとフェイト、アリサはなのはの友達の家に行ってる。他の皆はお仕事中だ」

 喫茶翠屋は年中無休。年末年始は士郎達は店に出るが、年始が終わった一月四日に高町家、バニングス家、月村家の三家族合同で旅行に出かける予定だ。

「ところでクロノ。フェイトが執務官を目指すという話は聞いてるか?」
「ああ。先月執務官について詳しい話を聞かれたよ」
「だったら頼む。時間に空きがある時でいい。フェイトにアドバイスをしてやってくれ」
「手が空いていればな。とりあえず、僕の使っていた教本を貸すぐらいはするよ」

 小さく笑みを浮かべるクロノ。祐一も口元を緩める。

「そういえば仮面の男達ってどうなるんだ?」

 ふと思い出したことを聞いてみる。クロノの顔が暗くなる。そこで思い出した。あの二人はクロノの師匠だと言っていたことを。

「その目的は別として、明らかな罪状はクラッキングと捜査妨害だけだからな。使い魔の主の希望退職という形になるそうだ」
「そうか……。すまん。気が回らなかった」

 謝罪をする。クロノはそれに小さく笑った。

「君が謝る事はない。彼らも闇の書の呪いに囚われていただけだ。それより君の母親の事だが、こちらはさすがに庇いきれない。君を通して傷害事件の犯罪教唆、そして捜査妨害。一人の少女の命を救うためとはいえ罪は罪だ。管理局の任務に従事しない場合は三ヶ月から半年の禁固刑になると思う」

 その言葉に祐一は固まる。あの月が三ヶ月もの間大人しく収監されていられる訳がない。かといって月がまともに協力する姿というのも考え辛い。どちらに転んでも迷惑をかけることになる。

「母さんは何か言っていたか?」
「彼女は昨日の時点では技術部への協力を申し出ていた。……どうした? そんなに顔をしかめて」
「いや、そんな後方勤務でも償いになるのか?」
「何も前線だけが償いになるわけじゃない。事務系の仕事に関してや研究者として優秀であるのなら、そちらで実力を発揮してもらった方がいい。重要なのは現在の意思と能力だ。それさえ大丈夫なら、管理局は過去にこだわらない」

 立派な事だとは思う。ただ、月がこちらの世界で『特研』を作り上げてしまわない事を祈るばかりだ。そうでなくとも月の保有する技術は何世代も先の物だ。管理局や次元世界に悪影響を与えなければいいが。
 そこまで考えて祐一は一つ大切な事を思い出した。

「なあ、ユーリはどうなるんだ? 共謀罪にでもなるのか?」
「あの子か。まだ幼い子が大人の言う事を聞いていただけだ。罪状にならないから立件は見送られるだろう。ただ、君の母親が言っていたことだが、あの子は独りでも生活できるというのは本当か?」
「あー。母さんがそう言ってたのならそうなんだろう」

 多分日常生活を送れるよう技能をインストールされているのだろう。人造人間であるユーリは通常の人間とは違い、ある程度の知識と技術を入力された上で生まれてくる。外見は幼いが、中身は既に一人前という事だ。

「まあ、時々アパートに様子を見に行くよ。気をつけてやらないと、三食全部あんドーナツという事になりかねないし」

 というか、祐一にはその姿しか思いつかない。ユーリを訪ねて行くときには食材を少し買い込んでいったほうが良さそうだった。
 そして祐一はゴスペルを虚空に消すように月衣の中に仕舞う。それを見てクロノは怪訝な顔をする。

「今の、物をどこからともなく出したり消したりしているのはなんなんだ? 君の持つ希少技能レアスキルなのか?」
「んー。希少技能レアスキルというよりもウィザードっていう異能者の特殊能力かな。俺達ウィザードは特殊な結界を身に纏っていて、ある程度物をその結界の中に仕舞って置けるんだ」
「ウィザード?」

 初めて聞くだろう単語に首を傾げるクロノ。その様子を見て苦笑してしまう。

「俺や母さんは平行世界からやって来た。だけど本来『Capel』システムだと、こんな近似平行世界への転移は出来ないんだよ。今回は俺の持つゴスペルをアンカーにして母さん達はやって来たけど、俺がこの世界に辿り着いたのは偶然だ。本来俺達は似ても似つかない世界への移動しか出来ない。ウィザードってのは、この地球とは大きく異なる地球に存在する異能者の総称だ」
「……つまり、君達は異世界の特殊能力者、というわけか」

 クロノの言葉に無言で頷く。そう、祐一達はウィザードと侵魔と呼ばれる者達が世界の命運をかけて戦う世界から逃げ出してきた。この、魔力素と無数の次元世界が存在する世界に。

「で、君は一体何が出来るんだ?」
「俺にできること、か。この結界――月衣かぐやの中の物の出し入れとか、ウィザードの魔法とか、だな。俺の使えるウィザードの攻撃魔法はDとかEランク級の威力しかないけど、治癒魔法は骨折だって治せるぐらいの力を持ってる。向き不向きってやつだ」
「なるほど。回復魔法はP.T.事件の際にも使っていたな。あれで殆どの武装局員の傷が完治した。確かに治癒能力はこちらの世界のほうが劣っているようだ」

 頷くクロノ。その一方で祐一はため息をつく。祐一はどれほど力を望んでも攻撃能力の低さを埋められない。切り札でさえAランク相当の威力しか出せないのだ。
 かつて大樹を切り倒した時のようにレネゲイドの力を使えば確かに別だ。だが、余裕の無い実戦でその力を振るったが最後、衝動に呑まれ理性を失い、祐一はただの怪物になってしまう。
 そして祐一が成長しても、空を飛べるようになるだけだ。手の内をあらかたさらけ出してしまった今、装備を整えたシグナムが相手なら次に相まみえた時にはきっと撃ち落とされてしまうだろう。

「どうした? そんな浮かない顔をして」
「いや、ちょっとコンプレックスを感じてたとこ。ウィザードのリンカーコアから生成される魔力は基本的に暴発するからな。おかげで俺が使える魔法は基本的に自爆のみだ」

 祐一がぼやく。それにクロノが不思議そうな顔をした。

「君の希望は本局の技術部だと聞いている。なら戦闘技能など要らないだろう」
「でもな、これでも兄なんだ。それが妹に守られる立場になってしまうのはちょっとな……」
「裏方として彼女達を支えられるようになればいいだけの話じゃないか」
「む……。そういう考え方もある、か」

 素直に感心する。なのは達のために技術屋をやる、それも男として燃える役どころだった。
 そんな事を考えていた時、クロノが少し顔を暗くする。

「そういえば。今思い出したが君の母は例の脅迫状の容疑者だったな」
「ああ。もしかしてそれも罪状に加えるのか?」

 その問いにクロノは首を振った。そして真剣な表情をして語り始める。

「正直、彼女を捕まえても管理局の得にはならない。彼女の握っている高官たちの不正が暴かれたところで、局の失態として多くの追及を受けるだけだ。下手をすれば管理世界同士の紛争が始まる可能性もある。災厄の詰まった匣なんて誰も開けたがりはしない」
「だったら尚更黙っておいてくれ。口封じに殺されかねん」
「分かってる。それに確証もない。あくまで疑いがある段階でしかないからな」

 そこまで言ってため息をつくクロノ。結局月はクロノにとって頭痛の種であるようだ。せめて技術部に入ったら穏便にやっていって欲しいと祐一は切に願う。
 
「さて、そろそろ話も終わりだ。僕は帰らせてもらうよ」
「ああ。シグナム達の事、よろしく頼む。後母さんに手を焼くようなら頼ってきてくれ。身内には甘い人だから何とかできると思う」

 クロノと握手を交わし、門の所まで見送る。別れの挨拶を交わして家に戻ると携帯が鳴り始めた。曲名は『リリカル・マジック』。月からの着信だ。祐一は通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。

「もしもし、母さん?」
『今アパートに戻ったわ。クロノ君は?』
「もう帰ったよ。あ……しまった」
『どうしたの?』

 つい忘れてしまっていた。せっかくクロノと二人きりだったのだ。聞いておけばよかったと後悔するが、覆水盆に返らず。今回のようなチャンスはきっとそうはないだろう。

「聞くのを忘れてたんだ。クロノに、なのはの事が好きなのかって」
『ほほう?』

 携帯から聞こえた声が野性味を帯びた事に、祐一は口の形を笑みに歪める。食いついた。

「前にもなのはを巡ってユーノと睨み合いをしていた事があったんだ」
『それはそれは。弄り甲斐がありそうね』

 不気味な笑いが携帯を通じて聞こえてくる。祐一も含み笑いを洩らした。

「ところで母さん。技術部に行くって本当?」
『ええ。ディスポーサブルデバイスで結界を破壊したのが効いたわね。喜んで迎え入れてくださるそうよ』

 ディスポーサブルデバイス。言葉通り使い捨ての、壊れる事まで計算に入れられたデバイス。費用対効果ガン無視の一度使ったら壊れてしまう、普通は考えつかない無駄だらけの作品。祐一は使い終わったディスポーサブルデバイスを見てみたが、全体に亀裂の入ったそれは最早修復不可能どころか少し外圧を加えるだけで崩れてしまいそうに見えた。

『大型カートリッジと併用すれば、魔力制御がある程度出来る人間になら使用可能になりそうね』
「……母さんなら、機械に使わせる事も可能じゃないか」

 自ら魔法を使うデバイス。ファイスがいい例だ。内蔵されたリンカーコアから生み出される強大な魔力をフィールド、バリア魔法に変換、調節する事が出来るAIは既に完成している。

『そうね。無人兵器の兵装にすると面白い事になるかも』
「頼むからやめてくれ。そんな危険なもの作ったら一発で幽閉されるぞ」

 そんな兵器が完成したら、兵器関連の技術が軒並み上がる事になる。
 どうにかディスポーサブルデバイスの開発は無期限停止してもらいたい。そんな祐一の考えを嗅ぎ取ったのか、明るい声で月は告げる。

『大丈夫。こっそり研究するだけにするから』
「研究資料が盗まれないようにしてくれよ」
『大丈夫よ。その辺のセキュリティも考えてあるから』

 あくまで気楽に月は言う。祐一は嘆息した。仮にもオーバーテクノロジーの最高管理者である身だ。月も自らの技術に責任を負うつもりなのは間違いない。もしその技術が漏洩したら月がどういう手段をとるのか、できれば考えたくなかった。

「母さん、大人しくしててくれよ。バレた時のリスクぐらい分かってるだろ」
『それでも追求をしていきたいのが研究者の性なんだけど……オーケー、危ない橋は渡らないようにしとく。でも違法研究所はきっちりシメておかないとね』

 祐一は襲撃される施設の人間に同情する。なにせ無尽蔵の魔力を持ち、致命傷を負っても再生する化け物に襲われるのだから。

『まずは以前と同様に、人体実験を行なってる所から潰していくわ。薬物実験に遺伝子操作研究、潰す所には事欠かないというのも面倒な話ね』
「だけど非殺傷設定って便利だよな。多少やりすぎたぐらいじゃ死なないから」
『そうね。無駄に手を血で汚すのもあれだし、今の私達は実験データを奪う必要性も無いし。とりあえずは記憶とデータの全消去で手を打ってあげましょう』
 
 記憶の全消去。以前海鳴で見せた記憶への干渉。もしそのような事が可能ならば、命を奪うことなく人生を終わらせてしまえる事になる。口封じのために命を奪われるのとどちらがマシと言えるのか、祐一には判断がつかなかった。

「ところで……ユーリのことはどうするんだ?」
『当面は心配要らないわ。三ヶ月ごとにメンテナンスをして稼動状態を確かめようとは考えているけれど、今までのテストでは全く問題は無かったからきっと大丈夫よ』
「いや、俺が心配してるのはユーリの生活の問題なんだが」

 はたして五歳児が一人で生活しているという状況はどう世間の目に映るのか。ひどく不安である。

『そうね。買い物も炊事洗濯その他諸々の家事は出来るようにはしてあるけど……今流行のネグレクトにされちゃうのは問題かな』
「いや、そんなの流行ってないから」

 ため息をつく。これがアメリカであったならとっくに有罪になっているだろう。だが月は声のトーンを落とすことなく、むしろ僅かに上げて続きを話す。

『一応あの子には大人モードを組み込んであるから、問題が起きたらそっちに切り替えるよう指示しておくわ』
「初耳なんだけど。なんだ、その大人モードって」
『そのままの意味よ。大人の姿に急成長するの。逆に小さな姿に戻れる子供モードへの移行機能も付いてるわ』

 頭が少し痛くなる。そんな機能使ってまで一人暮らしさせるよりは管理局に連れて行ったほうがいいだろうに。

「母さん。何でユーリをそっちに連れて行かないんだ?」
『向こうでどうなるか分からないからね。わざわざ弱点を連れて行く必要は無いでしょう』

 弱点と言い切る月。瞬間移動――おそらくはレネゲイドの能力――を駆使するユーリの戦闘能力もかなりのものであるように祐一には思えたが、それでも今の月にとっては邪魔者扱いらしい。

『ユーリはそっちで実験や研究に勤しんでもらう予定だから、もし困った事があったらユーリを通じて連絡をしてちょうだい』
「分かった。それと、時々様子を見に行くよ。きちんと生活できるかどうか不安だし」
『ありがとう。作業に夢中になってると寝食を忘れる事があるから、時々様子を見てくれると助かるわ』

 ユーリもどうやら研究者肌であるらしい。たまに、ではなく頻繁に様子を見に行った方がよさそうだ。

『じゃあ、体には気をつけて』
「ああ。母さんも、元気で」

 電話が切られる。祐一は自分の部屋に上がってベッドに横になった。
 見慣れた天井に手を伸ばす。何もない空間に伸ばされた手は、虚空から現れた白い大剣を握り締める。
 二年後に起きるはずの事件の事を思い出して、祐一は白い剣の刃先をじっと睨み続けていた。



[5010] 第五十話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/06/26 16:27
 十二月三十日。大晦日を目前に控え、祐一、アリサ、なのは、フェイトの四人はキッチンで四苦八苦していた。
 祐一達を翻弄するのはテーブルの上に置かれた本。
 今祐一達が成さねばならないのは、この日までに買い揃えた材料を調理してしまう事。
 広げられた本に書かれていたのは――おせち料理の調理法。
 年中無休の翠屋は年末年始も営業中。故に年末の年越しそば、年始のおせち料理とお雑煮は子供達の手に任せられるのだ。
 ちなみに美由希は戦力外通告を下されて翠屋の手伝いに回されている。

「なのは。黒豆綺麗に煮えたよ」
「うん、分かった。おにーちゃん、数の子のつけ出汁は?」
「そっちのボウルの中。アリサ。海老の背腸取ったぞ」
「了解。フェイト、この汁に火をかけて、煮立ったら海老を入れて四、五分炊いて」

 四人でてんやわんやしながらお節の準備を進めていく。既に昆布巻きや伊達巻き、筑前煮など数種類の品が完成し冷蔵庫に入れられている。
 今作っているのは煮立たせた後一晩以上おく事で味を馴染ませる物だ。後今日作ってしまう予定のものはなますと田作り。紅白かまぼこの薄切りや鯛やブリ、車海老などの焼き物などは大晦日である明日に作ることにしている。

「アリサさん。海老煮えました」
「ご苦労様、フェイト。鍋を下ろして冷ましておいて。祐一、田作り」
「おう」

 フライパンに田作りを入れ、適当に火が通るまで炒る。炒り終えたら田作りをキッチンペーパーの上に出し、荒熱を取る。フライパンにしょうゆ、みりん、砂糖を加えてとろみがついたところに炒めた田作りを絡め、バットに広げて冷ます。これで田作りは完成だ。フライパンに水を入れ、煮立たせてフライパンに付いた飴状になっている調味料を落とす。
 祐一が横を見るとアリサが大根と人参のなますを漬け込み汁から出しているところだった。
 出来たものをボウルや底の深い皿に入れて冷蔵庫に仕舞う。使った器具などを洗って今日の料理はお終いだ。

「さて、これで大体の料理は出来た……けど毎度ながら盛り付けが面倒ね」
「おねーちゃん、飾り付けなら任せてくれてもいいよ」
「……あたしもやるわ。なのは、指導をお願いね」

 アリサとなのはが笑い合う。そこでふと袖の先が引っ張られた。見ればフェイトが引っ張っていた。

「あの、兄さん。私は飾り方が分からないんだけど……」
「その辺はアリサとなのはが実際にやる時に教えてくれるよ。とりあえず四角い三段の容器の二段目が焼き物、三段目が煮物、それ以外が一段目だと考えておけばいい」

 とりあえずの知識を教えておく。祐一もおせち料理は基本水瀬家で頂くのが恒例だったので余り自信はないが、テーブルの上に広げられた本を見る限りは間違っていないはずだ。

「後は明日の年越しそばの準備だな」
「としこしそば……?」

 フェイトが初めて聞いたのであろう単語に頭を傾げる。

「そばって言うのは日本の麺料理でね、大晦日の夕食に食べるそばの事を年越しそばって言うの。縁起がいい食べ物とされてるけど、夜十二時を越して食べると縁起が悪いって聞いたことがあるわ」

 アリサの説明に頷くフェイト。この年末年始は高町家の食卓も純和風のものとなる。昔に桃子が作っていた頃は洋食風なおせちだったのだが、祐一とアリサがおせちを作るようになってから高町家のお正月はお雑煮と和風のおせちという組み合わせになったのだ。ちなみにお雑煮用の餅は二日前についており、鏡餅以外の餅は冷凍庫に保存されている。

「後は大掃除の続きね。祐一は二階の窓の外側をよろしく。私は換気扇洗うから、なのはとフェイトは一階のお掃除をよろしくね」

 アリサの言葉にはーい、と声を上げる三人。ふと祐一は思った。今本局にいるシグナム達はどうしているのだろうか、と。
 まあ、向こうにはクロノと月もいることだし大丈夫だろう、と思いながら絞った雑巾を持って祐一は屋根に身を乗り出した。








 同刻、時空管理局本局。月の裁判は異様な速度で結審された。二年間の管理局業務従事。それが月に科せられた観察保護処分の代償だ。
 その面接を終えて通路を歩いていた月はばったりとはやて達六人と出くわした。

「こんにちは、月さん」
「こんにちは、はやてちゃん。そっちの様子はどう?」
「相変わらずです。皆は面接の他に検査とかありますけど、このままだと皆で一緒に働けるようになりそうです」

 検査、というのはリインフォースやヴォルケンリッターのデータ的な問題と暴走の危険性の有無を判定する検査だ。夜天の魔導書は主以外のプログラム干渉を撥ね退けてしまうため検査は難航しているが、それでも管制プログラムであるリインフォースの検査を通じてとりあえず封印措置は免れる程度の解析は行なえたらしい。

「はやてちゃんとリインフォースは家に帰らなくていいの? 二人とも特に罪に問われているわけじゃないでしょう?」
「うーん。そやけど皆で償いをしてかなあかん思いまして、とりあえず今年はここで年越しです。月さんは?」
「私も行動制限は余り無いけど……とりあえず今は自粛中。あなた達のやったことも、私達がそそのかしたのが発端だしね」

 ばつの悪い顔で笑う。祐一が動くプランを立てたのも月だ。その意味では闇の書事件において悪人は誰かといえば、それは月以外の誰でもない。

「けど、どうして向こうのリインフォースと一緒に逃げなかったんですか? わざわざ捕まるために戻ってくるなんて……」

 シャマルの言葉に苦笑する。確かに向こう側の世界に戻れば捕まる事はないし、そうでなくとも地球の何処かに潜ってしまえば時効まで逃げ切ることも出来ただろう。だが――

「私にはやりたいことがあるから。それは今回の事件よりもずっと悪い事で、もしかしたらあなた達にすごい迷惑をかけるかもしれないけど、私に――私達にとっては必要な事だから。だからまあ、ここで捕まっておくのは償いの前払いというか、そんな感じなのよ」

 思った事をそのまま口にする。それに複雑そうな顔をするシグナム。

「いいのか? これから管理局の下で働こうとする者の前で犯行予告など」
「あー……いいのいいの。どうせあと二年や三年じゃ条件が整わないし。もしかしたらはやてちゃん達が大きくなった頃になるかもしれないしね」

 シグナムの言葉に、自分の望む条件がいつ整うかを考える。少なくともアリサが成長している事が最低条件となるだろう。そして祐一はそのときどちらにつくのか、それもまた重要だ。祐一が敵として厄介な存在であるという事は、誰よりも月がよく知っている。

「あ、でも年末特番の『爆食大王』見たかったなー。よし、ユーリに頼んで撮ってもらっとこう」
「ユーリ……あの子供は今は?」
「ああ、心配要らないわ。あの子は普通の人間とは違うから」

 シグナムの言葉にパタパタと手を振って答える。ユーリはホムンクルス。中身がどうあれその肉体は百年立っても子供のままだ。

「それよりあなた達はどうなの? もう業務従事の期間は決まった?」
「まだですけど、クロノ君の話やと私やリインフォースも一緒に働いた場合六年ぐらいで済むゆー話です」

 六年。罪状からしてみれば随分短い期間だ。クロノも相当頑張ったのだろう。

「それじゃあ私はアースラに戻るから、また夕食ご一緒しましょ?」
「はい!」

 はやてたちと手を振って別れる。そして月は廊下のガラスから局内の広場に目を向けた。正直な話、祐一達の世界とこの世界とは大きなズレが生じてしまっている。まずフェイトが高町家の一員になった事。それによってリンディが艦長職を続行する事。闇の書事件の被害者数の桁単位での減少。無論これだけの事で歴史の流れが狂う事など早々ありえない。だが、小さな小石でも大きな波紋を広げる事は十分にありうる。全く影響が出ないということはないだろう。どこまで未来の情報が元の世界と同じようであってくれるか、その確実性は著しく低くなっている。

「それでも、あなたがそれを望むなら――」

 そう、祐一がこの世界で出来た大切に思う人たちのためだというならば、月は未来の観測よりもそちらを優先する。月の望む条件が整ってしまうまでは。










 そして翌日、高町家。

『できたー!』

 三段のお重(大)に詰まった色とりどりのおせち料理。そばは乾麺があるのでそちらを直前に煮るようにする。
 となると、あと作らなければならないのは、鰹出汁を醤油とみりんで味付けしたかけつゆと、海老を始めとした天ぷらだ。
 つゆの味付けはなのはに任せ、祐一は無頭海老の殻を剥き背腸を取る。その横ではアリサがかき揚げ用のタマネギや人参を切っている。一方フェイトはなのはと共に、そばつゆを作るために出汁をとっている真っ最中だった。
 やがて材料が揃ったら衣を付けて熱した油の中に入れる。気泡が出なくなった揚げ物を油から上げて皿の上に乗せたキッチンペーパーに置く。このままだと湿気ってしまうが、食べる直前にオーブントースターで焼けばカラッとした食感が戻ってくる。
 ほどなくして天ぷらが出来上がる。かけつゆはとっくに出来上がっていた。調理器具と出来上がった天ぷらを片付けて本日の作業はほぼ終了。大掃除も午前中に片付けている。年を越す準備は万端だ。

「そういえばアリサ。八束神社のお参りはいつ行く?」
「深夜はなのは達には辛いでしょうし、あの神社の下は大晦日は特番の会場になっているから……まあ、明日の午前中が妥当なところね」

 この海鳴での特番というと――『爆食大王』だ。男女別、年齢ごとに全国から参加者が集められ、各地でそれぞれの決勝戦が行なわれる。ここ海鳴は二十代女子の部の決勝が行われると祐一は記憶していた。大晦日の夜に予選を、元旦の正午から決勝を行なう年末年始の特番だ。

「混みそうだな……」
「年が明けてすぐだと観客が大勢流れ込んできそうね。朝早く起きて、臨海公園で初日の出を見てからお参りに行きましょうか」
「それはいいが……起きれるか?」

 その言葉にアリサが顔を真っ赤にする。その反応に祐一は首を傾げた。。

「いつかのような起こし方したら、絶対に殺すから……!」
「分かってる。次は新技を試してみようかと思ってるところだ」
「し、ししし新技!? あれ以上の破廉恥な事を!?」

 アリサが思いっきり動揺する。別段破廉恥な技ではないのだが、面白いので黙っておく。

「兄さん」
「フェイト? どうした?」
「あの、初日の出ってなんですか?」

 首を傾げるフェイト。初詣の意味を昨日教えたばかりの日本初心者ではまだ分からなかったようだ。

「初日の出ってのは元旦の夜明けの事だ。一年で一番初めの夜明けを迎えるのは縁起がいいことにされてるが、それを抜きにしても結構壮観だぞ」
「臨海公園が人気スポットね。今年はこの人間暖房機がいるから、一緒に行きましょうか」
「はい!」

 気合充分に返事をするフェイト。そこになのはとフェイトの携帯にメールが届く。

「すずかちゃんからだ」
「えっと、D.R.Eの新春大会にお姉さんとノエルさんが出るって書いてあるんだけど……D.R.Eってなんだろう?」
「ダンスゲームの名前だったと思う。そういえば商店街のゲーセンにチラシがあったような気がするな」

 フェイトの疑問に答える。なのはのゲームの腕前は結構なものがあり、フェイトも経験は少ないものの反射神経が飛びぬけている。ガンシューティングなんかでコンビを組めば1位を取れるのではないだろうか。

「いろんな種類のゲームの大会があったと思うから、初詣が終わったら行ってみようか」
「あ、じゃあすずかちゃんに連絡しておくね」

 そう言って携帯でメールを打ち始めるなのは。落ち物系のゲームが得意なアリサもこころなし気合が入っているような様子だ。フェイトはゲームセンターに行ったことはないはずなので、一度あの熱狂的な雰囲気を味あわせてみるのも面白そうだ。

「そうだ。初日の出と初参り、すずかちゃんとアリサちゃんも誘ってみたらどうだ?」
「えっと、聞いてみる。初詣は一応九時から約束してたんだけど……」

 メールを打つなのはの指が加速する。相変わらず機械類に強い子だ。なのはがメールを送ってからほどなくメールが二つ送られてくる。

「二人とも大丈夫だって。えっと臨海公園に六時半に集合でいいかな?」
「……日の出は七時頃だし大丈夫、かな」

 なのはの言葉に携帯のウェブサイトで情報を集めるアリサ。そしてアリサのゴーサインでなのははメールを打ち始める。

「じゃあ士郎さんや恭也さん達には俺からメールしておくな」

 携帯を取り出し、メールを打ち始めた。ややあって返事が届く。どちらも承諾の答えだった。その旨を皆に伝える。

「あの、兄さん。兄さんのお母さん達は……?」
「母さんは管理局の本局、リインは元の世界。後はユーリだけど……一応誘ってみようか」

 来るかどうか怪しいが、とりあえず祐一は携帯を取り出しユーリの携帯にかけてみた。数回のコール音の後、電話が繋がる。

『こちらユーリ。状況の報告を、オーバー』
「いや、変な遊びしなくていいから。ところでユーリ。明日、一緒に初日の出と初詣に行かないか?」
『私はあなたとは違う。寒い外に朝早くから出歩く趣味はない。オーバー』

 ため息をつく。しかし生まれてからどれほど生きているのか判らないが、ユーリはまだまだ中身も子供のように思える。情操教育のためにもこういった経験を積ませてやる必要があるだろう。祐一はジョーカーを切る事にする。

「来るなら、初詣の後でマーメイドのあんドーナツを三個買ってや――」
『集合場所と日時を言え。オーバー』

 一瞬で食いついてきた。正直こんなに簡単に餌に釣られることの方が心配になる。月はユーリの教育に失敗しているのではなかろうか。

「明日の午前六時半、海鳴臨海公園の入口に集合だ」
『首を洗って待っていろ。オーバー』

 通話が切られる。とりあえずはこれでよしとしよう。しかしユーリの生活は大丈夫なのだろうか。先日様子を見に行った時には炊事その他の家事を普通に行なっていた形跡を確認したので大丈夫だと信じたいが、わき目も振らず一心に機械にプログラムの文字列を打ち込み続ける姿も見ていたので不安は拭いきれない。
 とりあえずユーリも参加する旨を伝えてこの場はお開きにする。祐一は部屋に戻ってベッドの上に寝転んだ。
 思い浮かぶのは八神家とアースラの面々。クロノやリンディはヴォルケンリッターや月、夜天の魔導書の件で忙しくしているものの経過自体は順調なようで、年明けにははやて達は一度地球に戻ることが出来るとクロノからのメールにあった。月はそのまま技術部に居つくらしい。出来ることなら笑顔で周囲を蹂躙して回るあの人型迷惑発生機が騒動を引き起こさないでくれる事を祈るばかりである。
 騒がしく、何よりも濃かった一年が終わる。後はただ歴史の流れに逆らわず漂っていけばいい。目を瞑ってこれからの日々に思いをはせる。なのはやフェイトはこれから先学業の傍ら管理局で働いていく事を決めているし、祐一はアリサ共々義務教育終了と同時に技術部へのリンディによる推薦が決まっている。場合によっては月に頼んで縁故入局させてもらう事も可能だろう。
 ベッドから身を起こす。机の上のハンカチを乗せた小さなバスケットを見て、ふとユーノの事を思い出した。今はアースラスタッフと一緒にいるユーノは、本局の無限書庫の司書に誘われているという。夜天の魔導書に関する資料集めで検索魔法、読書魔法を使いこなし、短期間で資料を纏め上げた手腕が高い評価を受けているのだとか。高町家を去っていくユーノをなのはや美由希がひどく寂しがっていた。だが、なのはとユーノは離れていても特別な絆で結ばれている気がする。もしあの二人がくっつく事になったら、心から祝福してやるべきだろう。

『考え事ですか?』

 凛と澄んだ女性の声がした。ファイスだ。

「……ちょっとな。あの危なっかしいなのはを支えてくれるとしたら、誰が適任かって考えてた」
『そんなの簡単じゃないですか』

 机に置かれていたファイスが浮き上がる。祐一はベッドに腰掛けて傍に寄って来るファイスを見つめた。

『マスターが支えてあげればいいだけの話でしょう?』
「そうはいかないって。ただでさえなのはは俺に依存気味なんだから。だから、二年後の事件を防げなかった時、俺じゃなくて別の誰かになのはの事を支えて欲しいんだが……。ユーノは確かになのはに近いけど甘いやつだし、アリサもフェイトもなのはには特に甘いし……だれか厳しい事を言いながら適度に支えてくれるやつがいればなー」

 嘆息する。クロノあたりなら適任かもしれないが、ちょっとなのはと距離が遠い。もちろん、なのは自身が自分の足で立ち上がろうとするならそれがベストの結果だ。だが、なのはとてまだ小さな女の子だ。それを求めるのは酷なものだろう。
 
 結局良さそうな案は思いつかなかった。祐一はそのままベッドに背中から倒れこむ。

「ファイス。しばらく寝るから五時半になったら起こしてくれ」
『はい。よい夢を』

 目を瞑ると眠気はすぐにやって来た。蕎麦を用意する時間までこのまま眠ってしまおう。まどろみの中、そんな思考もすぐに静寂に融け込んでしまう。
 その年最後に見た夢は、とても暖かな夢だった。



[5010] 第五十一話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/07/09 22:31

 高町家リビング。そこには今祐一を始めとする子供たち四人と子犬モードのアルフが一様にテレビを見つめていた。遠くから除夜の鐘が聞こえてくる。口火を切ったのは祐一だった。

「十」
「きゅう」

 アリサが後に続いた。そこからは時計回りにカウントダウンが連鎖していく。

「八」
「「七」」
「六」
「五」
「よん」
「さーん」
「二」
「一」

『あけましておめでとうございまーす』

 テレビの声と揃って新年の挨拶をする。テレビの向こうでは花火が上がっている。祐一がふとなのは達を見ると、いつも早めに床に就くなのはとフェイトは若干眠たそうな様子だった。

「なのは、フェイト。初日の出は六時に家を出るからそれまで眠っておいで」
「はーい。フェイトちゃん、一緒に寝よ?」
「うん。兄さん、アリサさん。お休みなさい」

 相変わらず仲良しな二人だ。その様子は見ている者を随分と微笑ましい気持ちにさせる。変わらずラブラブな二人の様子を見て祐一は安心した。
 そしてなのは、フェイト、アルフが出て行きリビングにアリサと二人きりになる。遠くから最後の鐘の音が響き渡った。

「アリサは寝なくていいのか?」
「今寝たら朝起きられるか分からないからね。このまま朝まで起きておくわ。祐一は?」
「一人で徹夜ってのも寂しそうだし、付き合うよ」

 キッチンに移動して濃い目のコーヒーを淹れる。それからダイニングのテーブルにアリサと向かい合って座った。高町家の大人達は明日も喫茶店で働くので早めに就寝している。アリサは何も加えずコーヒーに口をつけ、顔をしかめた。

「祐一、よくこんな苦いの飲めるわね」
「単に好みの問題だろ。代わりに俺は甘い物が苦手なんだが」
「その割にはよく桃子さんの新作の試食に参加してるようだけど?」
「あれは特別。桃子さんのスイーツは絶品だからな」

 ちなみに祐一の甘い物が苦手な背景には恭也の様な特別な理由など一切ない。単に何となく嫌なだけだ。桃子の作るスイーツは確かに甘いが、その甘さが後を引かないさっぱりとした味になっている。そのくどさのない甘さが祐一が桃子のスイーツを好いている理由の一つだ。

「それにしても……春先にはジュエルシード、年末には闇の書事件。まさかこれ以上事件は起こらないわよね?」
「ないない。世界が滅ぶかもしれない事件がもうこれ以上起こってたまるか」

 そもそもこれほど短期間のうちに、言葉通りに世界を揺るがす事件が立て続けに起こったことの方が異常すぎるのだ。後は地球にいる限り、魔法関連の事件に巻き込まれる事などほぼ無いだろう。
 アリサは砂糖二つとクリームをコーヒーに加えてかき混ぜ、口に含む。顔を少しだけしかめていたが、飲める味にはなってきたようだ。

「ところで祐一。なのはやフェイトはこれから先どうなるの?」
「二人とも資格や技能の取得で大分忙しくなると思う。フェイトは執務官を目指してるし、なのはは戦技教導官を勧められてる。それに加えて嘱託の仕事をこなすなら今までのようにはいかないだろ」

 アリサと同時にため息をつく。祐一達は完全になのは達に置いていかれる形となってしまった。

「とりあえずあたし達はデバイスマイスターの資格取得が当面の課題ね」
「だな。後は幾つかの技能取得の研修に行かせてもらえれば技術部に入る地盤固めは出来るだろ」

 なのは達と違って祐一達は魔法を使えない。魔導師としての技能が必須なわけではないが、やはり魔導師ランクがあるのとないのでは出来る研究の幅に違いが出てくる。

「俺は陸戦Dでいいからランクとっておこうかな」
「あたしは無理ね。自前の魔力を持っているわけじゃないし。月さんの研究チームに加えてもらえるならそれがベストね」

 祐一がアリサとともに目指すのは管理局の技術部入り。実際の所月が技術部に入った時点で祐一が管理局に入局する理由はなくなったのだが、ファイスや魔導技術を保持したままでいるためには結局管理外世界を出て管理世界で生活するか管理局に入局するしかない。祐一は当面アリサを支えるつもりで管理局への入局を決めた。

「月さんはこれからどうなるのかな」
「母さんは自分の事ならなんとでも出来る人だから、心配は要らないと思うけど……持ってる技術がロストロギアと遜色ないレベルだからな。もしバレたら色んな世界から狙われかねないってのが問題だ」

 おまけに月は生体工学、デバイス工学の他にもかなり危険な技術を保有している。ホムンクルスを始めとした人工生命に関するウィザードの魔術、錬金術の知識は相当なもので、腕や足の一本程度ならなくしてもオマケ付きで新しいものを取り付けてくれることだろう。
 だがその技術は兵器、兵士への流用が利き易い。保持しているだけで、管理世界の維持という名目で拘束されかねない物だ。

「まあ、母さんの事だから早々へまはしないと思うけど」
「そうね。でもどうせなら共同で色々作ってみたいわ。結構楽しそうだし」
「……出来れば俺もついていける様なレベルでお願いします」

 月とアリサの話には祐一がついていけないことが多々あった。その後にアリサに質問して分からない点は解消してきたが、天才というものはかなり飛躍する思考を持つものらしい。一足飛びにされた部分を理解するために祐一は多くの労力を費やしてきた。
 コーヒーを口にする。強い苦味と僅かな酸味が舌を刺激した。そのままコーヒーを飲み終えて、アリサに声をかける。

「なあ、アリサ。デバイスマイスターの資格試験の過去問見せてもらっていいか?」
「いいわよ。一緒に勉強する?」
「ぜひお願いします」

 コーヒーを入れなおして一階の電気を落とし、アリサの部屋に上がる。相変わらずの可愛らしい部屋だ。ベッドのぬいぐるみの数が増えている。よくよく見るとそれらは祐一がゲーセンのクレーンゲームで取ったぬいぐるみだった。

 アリサが本棚にあったミッドチルダ語で書かれた一冊の本を持ってベッドに腰掛ける。その横に座って本を一緒に覗き込んだ。
 今までにも何度か勉強していた本なので、必要な知識はあらかた頭に入っている。ここでやるのは再確認と僅かな記憶のずれの補正だ。
 ページをめくる音が静かな部屋に響く。時は静かに過ぎていく。しばらくしてアリサが体を寄せて体重をかけてきた。見ればアリサは目を瞑って寝息を立てている。アリサの体をベッドに横たえて布団と毛布をかけた後、祐一はコーヒーを飲み干して過去問とその回答を確認する作業に戻った。
 耳をつんざく様なアリサの叫び声が上がったのは、その日の午前五時半だった。



「はーっ。はーっ。はー……」
「すまん、悪かった。だからとりあえず警戒を解いてくれ」
「祐一、あんた何したの!?」

 こちらを睨みつけてベッドの端に身を寄せているアリサ。祐一は右手を開いて見せる。そこには小さな氷の粒があった。

「氷を精製して、それから雫を垂らしてみた。冷たい水がいきなり耳に入ったら寝ぼすけなアリサも目を覚ますんじゃないかなと思ってさ」
「ええ、ばっちりしっかり目は覚めたわよこんちくしょー!!」
「おぷぱっ!」

 鳩尾と右わき腹に一撃ずつ拳を突き入れるアリサ。祐一は余りの痛みの悶絶して転がる。その祐一を踏みつけてアリサは部屋のドアに向かった。

「なのは達はあたしが起こしてくるから、しばらくそこでそうしていなさい」

 そう言ってアリサが部屋から出て行く。ややあって何とか祐一は身を起こした。

「いつつつつ……。流石に、氷はやりすぎか……」

 とはいえアリサが普通の手段で起きるとは考えにくい。次のアリサの誕生日には目覚まし時計を贈るのもいいかもしれない。それも音声を録音できるタイプであれば完璧だ。
 わき腹を押さえながらアリサの部屋を出て自分の部屋に戻る。パジャマから着替え終わる頃には痛みはすっかり引いていた。
 胸ポケットにはファイスを入れ、首から携帯を下げ、ズボンのポケットに財布を入れて一階に降りる。そこには普段着に着替えた士郎と恭也がいた。

「あけましておめでとうございます。士郎さん、恭也さん」
「おめでとう。祐一」
「ああ。今年もよろしくな」

 年始の挨拶をする。そして士郎と恭也に代わる代わる頭を撫でられた。ぐしゃぐしゃになった頭を手櫛で直していると、着替えを済ませた桃子とフェイトがやって来る。

「あけましておめでとうございます」
「おめでとう。今年もよろしくね」
「はい!」

 桃子に元気よく返事をしてからフェイトの方に向き直る。フェイトは白地に黒をアクセントにした上着と黒いスカートを穿き、ピンクのリボンで髪をポニーテールにしている。

「お、可愛いな……」
「……!」

 思わず口をついて出た言葉にフェイトが顔を真っ赤に染める。いつもと違う髪型に大人びた雰囲気を纏ったフェイトへの感想だったのだが、うっかり声に出してしまった。

「おはよー。お。フェイトちゃんその髪形も似合うねー」
「あ、ありがとうございます。それと、あけましておめでとうございます」
「うん。あけましておめでとう。今年もよろしくね」
「はい」

 やって来た美由紀がまだ少し頬に朱の差したフェイトと挨拶を交わす。そこになのはとアリサがやって来た。なのはの服装はそれほど飾り気のないシックな長袖とスカート。いつも二つに纏められている髪は解かれていた。アリサは赤い長袖のワンピースに黒のカーディガンを羽織っていて、後ろ頭に大きめの黒いリボンをつけていた。

「あ、二人とも可愛い格好だな」
「にゃはは。ありがとう、おにーちゃん」
「今更そんなお世辞はいらないわよ」

 なのはは照れたように笑い、その後ろに立つアリサは鋭い目でこちらを睨んできた。

「すまん。今度からはちゃんと穏便に起こすから許してくれ」
「……絶対よ。今回やいつかみたいな起こし方をしたら、次こそ殺すから」

 アリサのつり上がっていた目が元に戻る。とりあえずは許してくれたようだ。
 外に出ると冷たい風が吹いていた。なのは達が寒そうにしているのを見て周囲の熱量を操作し空気を暖める。

「便利ね、これ。夏に涼しくする事も出来るの?」
「ああ。周囲の熱量操作だから温かくも涼しくも出来る」

 思えばレネゲイドの制御と能力の操作にも随分習熟してきた。かつての自分ではその能力と衝動に振り回されていたことだろう。
 後ろでは美由希が祐一の使っている気温変化の能力について説明してくれている。そして後ろから手が伸ばされ、フェイトはやや恥ずかしげな表情で左手を、なのはは笑顔で祐一の右手を握ってきた。後ろで桃子が微笑んでこちらを見ている。おそらく桃子の入れ知恵だ。

「さて、行こうか」

 祐一は二人に両手を握られたまま歩き出した。先頭を歩くのはアリサ。それに祐一達とアルフが続き、後ろを年長組が歩いている。
 目の前で揺れる黒いリボンを見ながら、祐一は陸から海に吹く風に温度を上げて対抗する。やがて六時半になる頃、臨海公園に辿り着いた。
 そして遠くで人影が動くのを確認した刹那、その人影は祐一達の目の前に立っていた。緑の髪と金の瞳をした幼女、ユーリだ。

「ユーリ。あけましておめでとう」
「あけおめー、ことよろー」
「こら。そんな風に略さない。失礼になるだろ」

 そこで改めてユーリの姿を見る。白いスカートと大きめの茶色のコート。頭には毛糸の赤い帽子に耳当て、首にはマフラー、手には革の手袋というかなりの重装備だ。

「あけましておめでとう。今年もよろしく」
「ああ。よろしく頼む」

 言い直したユーリと挨拶を交わす。そしてユーリの姿が消えた次の瞬間、祐一の両肩に重みがかかる。

「……肩車」

 上からぼそりと呟かれた言葉で、今自分の肩の上にユーリが乗っているのだと理解した。

「頼むからやる前にまず言ってくれ。不意にやられると倒れるだろ」
「大丈夫。あなたはそんな柔な鍛え方をしていない」

 思いがけない優しい口調でかけられた言葉に立ちつくす。その響きは、誰かのものにひどく似ていたように思う。
 その時不意に右手が引っ張られた。なのはだ。

「えっと……おにーちゃん、この子は? 確か闇の書事件で見た子だよね」
「えっと、この子は――」
「ユーリ。それが私の名前」

 なのはの言葉に答える前にユーリが自己紹介をした。

「ユーリちゃん?」
「呼び捨てでいい。私は月に造られたホムンクルス」
「ホムン……?」

 なのはが首を傾げる。ウィザードでもない者にホムンクルスが如何なる存在か理解しろというのは難しいだろう。

「要は魔法によって生まれた人工生命体だ」
「それって……?」

 フェイトが疑問の声を上げる。自分達とどう違うのか、といったところだろう。だがそれは誤りだ。祐一がそれを口にするより早く、ユーリが口を開いた。

「私とあなた達は大きく違っている。あなた達は記憶転写型のクローン。生まれ方が違うだけで人間である事に変わりはない。私は人を模して作り上げられた魂の匣。人の形をした人ならざるもの、それこそが私」

 人か、人でないか。それが違いだと話すユーリ。だがその口調からは人でない事に対するコンプレックスなどは感じなかった。特に自分を卑下している様子はないのでわざわざそのことに触れる必要はないだろう。
 そのまま公園入口で待つ事五分。黒塗りの車と銀の車が公園前にやってくる。その中からバニングスと月村家の御一行が現れた。なのはとフェイトはバニングスとすずかの元に駆けて行き、恭也も忍の所に歩いて行く。
 バニングスは赤の、すずかは青の着物を着ており、二人揃って髪をアップに纏めていた。ファリンはいつも通りのメイド姿だったが、忍とノエルはお揃いのグレーのスーツを着ている。
 そして全員新年の挨拶をした後で臨海公園の奥、海を一望できる場所にやって来た。海を眺めながら、それぞれ談笑する。祐一はユーリを肩車しながらアリサと海を眺めていた。

「祐一。初詣は八束神社?」
「ああ。その予定だけど……どうかしたか?」
「あそこには退魔士がいる。気をつけて」

 そのユーリの言葉で、五十鈴のとの一件を思い出す。また襲われるのは流石に勘弁して欲しい。

「祐一。そのネックレスを貸して」
「おう」

 胸元の十字架を持ち上げてユーリの手に渡す。その中央に嵌まった石に青い魔法陣が吸い込まれていく。石の中にプラーナの流れる経路パスが形成されていく。

「これをつけている間、あなたは魔の気配を遮断できるようになる。ただし、微量だけど魔力を使うから注意して」
「ありがとう、ユーリ」

 体を巡る魔力の流れを僅かに胸元の十字架に流し込む。次の瞬間、十字架から何らかの波動に身が包まれるような感触を祐一は覚えた。

「……あ」

 なのはが声を上げる。水平線の空が朱色に染まっていく。そして少しずつその明るさは増していき、遂に緋色の輝きが現れた。

「綺麗……」
「ほんとだ……」
「ぁ……」 

 それぞれが歓声を上げる。その中でユーリが小さく感嘆の声を落としたのを祐一は確かに聞いた。

「ユーリ、綺麗か?」
「……うん」

 ユーリが人と同じ物を見て同じ様に感動できる。その事実が祐一には嬉しかった。
 やがて日は段々高くなって行き、緋色の輝きも薄れてくる。
 桃子と士郎は商店街の翠屋へ向かい、恭也や美由希、祐一達は八束神社の階段の下までバニングスの車に乗せてもらい、全員で神社に上がっていった。神社の境内には多くの人が集まっており、甘酒や絵馬などを売っている巫女達がおおわらわの様相を示している。
 皆で賽銭を投げ入れ鐘を鳴らし、二礼二拍一礼をし、祈念する。
 祐一が願ったのはなのはとフェイトの無病息災。時に危険な仕事にも従事する彼女達がせめて何事があっても生きていて欲しいとの願いを込めてのものだった。

「皆が幸せでありますよーに」

 そう言ったのはなのはだった。綺麗で純粋な願い。いつか何かを取捨選択することを迫られても、なのはとフェイト、そしてはやてならどうにかしてしまうのかもしれない。
 一方ユーリは、

「あんドーナツが主食になりますように」

などとふざけた事をのたまっていた。
 そして祐一達は甘酒、破魔矢、絵馬などの販売所に向かう。そこには巫女をしている女性に混じって獣耳と尻尾を生やした女の子がいた。

「兄さん。あの子、アルフと同じ使い魔なのかな?」
「いや、あの子は狐の変化っていう、この世界独特の種族だよ」
「狐のへんげ?」

 フェイトがなのはを見る。だがなのはは首を横に振った。まあ知らないのは当然だろう。

「いわゆる妖狐ってやつだな。狐っていう獣が人に化けたのがあの子だ」

 その言葉を聞いていたアルフ(子犬)が狐の耳と尻尾を生やした少女に近付いていく。ちょうど熱いお茶を売っていた少女は耳と尻尾を逆立てアルフから後退りした――ところでお茶を手にこぼした様で悲鳴を上げて隣の巫女に抱きついた。

「どうしたの、久遠?」
「なみ……くおん、おちゃ、あつい」
「分かった。ちょっと待っててね」

 巫女が少女の手を両手で包み込む。しばらくして手を離すと、少女の手から赤みが引いていた。

「すいません。うちのアルフが驚かせてしまったんです」
「あ、いいえ。気にしないで下さい。久遠。こんなにちっちゃい子なのに恐かったの?」
「くおんのこと、おいしそうに、みてた」

 フェイトが謝りアルフも一鳴きして謝罪する。アルフの鳴き声を聞いて久遠と呼ばれた少女は落ち着きを取り戻したようでまたお茶や甘酒売りに戻っていった。

「あの、絵馬を二枚いただけますか?」
「はい。千円になります」

 隣で美由希が絵馬を買っていた。書く内容はおそらく去年と同じく無病息災と商売繁盛だろう。祐一は先ほどの巫女から七人分のお御籤を買った。子供達はそれぞれ自分のお御籤を引く。

「……」

 結果を見て呆然とする。そこにアリサが声をかけてきた。

「祐一。どうだった?」
「……アリサは?」
「中吉。まあほどほどでいいんじゃない?」

 そんな事をのたまうアリサに祐一は自分の引いたお御籤を見せる。

「大凶?」
「生まれて初めて引いた。今年はよっぽど運が悪いらしいな」

 苦笑いを浮かべて言う。そこにユーリがやって来た。

「私も悪い」

 ユーリが得意気に突き出してきたのは凶と書かれた籤だ。祐一はユーリの帽子の上から頭を強めに撫でる。そして境内の木の枝にユーリと一緒に籤を結びつけた。
 これから新しい一年が始まる。きっとそれは忙しくて、騒がしくて、それでも笑っていられる一年間だ。
 差し当たっては今日の午後から行なわれるゲームセンターの大会だ。忍とノエルがどこまでやれるのかを見届けさせてもらおう。
 そこまで考えて祐一は口を手で隠して大きなあくびをする。徹夜が後を引いている印だ。まずはお昼まで仮眠を取ろう。
 そう思っていたらユーリに強い力で引っ張られた。祐一を引きずるようにして階段を下りようとしたため、祐一は慌ててユーリを抱き上げて動きを止める。

「ちょっと待て。何でいきなり石段に人を引きずり落とそうとしてくるんだ」
「あんドーナツ、三つ」
「……おお」

 すっかり忘れていた。確かにそういう約束でユーリを呼んだのだ。

「分かった。ただお店が開くのは十時からだから、家でそれまで待とう」
「…‥(コクン)」

 無言で頷くユーリ。アリサやなのは達にその旨を伝え、アリサと一緒に一足先に家に帰ることになった。締まらない始まりとなったが、これはこれでらしくていい。
 ユーリを肩車して、アリサと並んで歩く。仲の良い兄妹みたいに周りからは見えるのかもしれない。
 こんなお祭り騒ぎの日が終わって、ちょっと変わった日常を送って、その中の些細な事に幸せを感じて。そんな日々が、これから続いていく。



 祐一はこのとき、日常という幸福を噛み締める事が出来ていた。




[5010] 第五十二話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/07/30 23:31
 高町家、月村家、バニングス家の三家族+エイミィの合同旅行から帰り、祐一はこの冬休みの事を思い返す。
 この二週間ほどの日々は祐一にとってひどく長かった。これまでの小細工の集大成である闇の書の闇戦と夜天の魔導書の防御プログラム基盤の破壊。その後の打ち上げを兼ねたクリスマス会。そして夢の中でフェイトやアリシアと過ごした長い日々。年末のおせち作りに大掃除に年初めの初日の出と初詣。そして二泊三日の旅行。これに宿題を加えると、この休みの間に今までに無いほどの濃度の濃い日々を過ごしてきた。
 だが、もうそれもお終いだ。もう小細工も要らない。後はただ時の流れるのを観測し、最後の役目を果たす時を待ち続けるのみ。
 もっとも、それはあくまで祐一にとっての事だ。これからなのはとフェイトは管理局に入局し、アリサは祐一と共に本局で各種技能研修と資格試験を受けることになっている。彼女達にとっては、むしろこれからが始まりなのだ。


 そんな冬休みが終わる夜のこと。食卓にはいつもより気合の入ったご馳走と、『Happy Birthday』の文字が入ったチョコが乗ったホールケーキが並んでいた。
 この日は祐一が高町家で拾われた日だ。今の祐一の誕生日は誰も知る者がいないので、暫定的に祐一が目覚めたこの日を誕生日にしている。
 部屋の電気を落とし、大型のケーキに並んだ十二のロウソクの火を吹き消す。同時にお祝いの声と拍手がダイニングに響いた。
 そして、ささやかなプレゼントを貰い、幸せというものを噛み締めていた祐一に士郎が小包を差し出してきた。送り主の名を見ると相沢月と書かれている。

「ちょうど玄関まで帰ってきたとき届いたんだ。多分お母さんからの誕生日プレゼントなんじゃないかな?」
「母さんが……」

 有りえない訳ではない。ただ、前の『相沢祐一』の誕生日を知っている月が、今の祐一の誕生日にプレゼントを贈ってくる事に違和感を覚えた。

「分かりました。後で開けてみます」

 小包を受け取る。お祝いには相応しくない物だろうが、それでも贈り物には間違いない。何か役に立つものが入っていたらラッキーだろう。
 そんなこんなで祐一の誕生日祝いも終わり、アリサと軽く汗を流す程度の剣の稽古をしてから、アリサの後でシャワーを浴びる。
 パジャマに着替えて自室に戻る。ドアを開けると部屋の中には赤いネグリジェを着たアリサがベッドの上に腰掛けていた。その手には月からの小包が乗せられている。

「ねえ、祐一。これの中身、見せてもらっていい?」
「ああ。いいけど、開けるのは俺がやるからな」

 アリサから小包を受け取り、包装紙を開いていく。中に入っていた紙の箱をおっかなびっくり開けると、そこにはネコミミのカチュ-シャがあった。
 祐一は細心の注意を払ってそのカチューシャを摘み上げる。思っていたより重かった。ネコミミがついている部分の裏を見ると、そこには金属のパーツが組み込まれている。

「……どう思う?」
「……祐一が考えているのと同じだと思うわ」

 そのネコミミカチュ-シャから視線を切り、アリサと顔を見合わせた。お互いの顔に浮かぶのは、邪悪という表現が相応しい笑み。

「どっちがいいと思う?」
「悩むわね。どちらに試してみても楽しい事になりそうだもの。普段は犬っぽいなのはもいいし、恥ずかしがり屋のフェイトに着けさせても可愛らしくなりそう」
「んー。よし、フェイトに着けさせてみよう」

 フェイトには狐の方が似合いそうな気もしたが、素直に甘えてくるフェイトというのもいい気がする。外した後のことを考えても、フェイトのことだから誠心誠意謝り倒せばきっと許してくれるだろう。
 箱の中をもう少し探ってみた。出てきたのは『Happy Birthday』と書かれたメッセージカードとネコミミカチューシャについての取扱説明書だった。

「これの起動にはウィザードの魔力が必須みたいだな」
「要するに祐一が相手に着けないと効果が無いのね」

 言いながらおずおずとネコミミカチューシャを自分で装着するアリサ。特に変化が起きる様子も無く、アリサはネコミミを外す。

「じゃあ、なのはとフェイトが戻るまで待ちましょうか」
「了解。しかし楽しそうだな」
「祐一だってそうじゃない」

 含み笑いを洩らすアリサ。つられて祐一も小さな笑い声を上げる。
 デバイスを使わずバリアジャケットのみで空を飛ぶ訓練をしている二人の携帯にメールを送る。それからしばらくして玄関の開く音がした。そして階段を上がってくる足音が聞こえ、部屋のドアがノックされる。

「おにーちゃん。入るよ」
「おう」

 ドアが開いてなのはとフェイトが入ってくる。祐一は二人を手招きするとネコミミを背後から取り出した。

「おにーちゃん。面白い物って、これ?」
「ああ。着けてみてくれるか?」

 ネコミミをなのはに手渡す。なのはがネコミミを装着し、アリサが携帯を向けると猫のポーズを取った。とてつもなく可愛いと祐一が思ってしまうのは兄バカの証拠だろうか。
 そしてなのははネコミミを取り外すとフェイトにそれを渡した。ネコミミを着けたフェイトが恥ずかしがりながらもポーズをとって「にゃう……」と鳴く。再びアリサの携帯がカメラのシャッター音を奏でる。そして祐一はフェイトがネコミミを外す前にその耳の部分を掴んだ。
 青白い電気のような光がネコミミの表面を走る。フェイトの体がびくりと跳ねた。フェイトの瞳がどこか胡乱なものとなり、祐一の顔を見上げてくる。そして十数秒後、フェイトは口を開いた。

にぅー・・・

 子猫のような声を上げてフェイトが祐一に飛びついてきた。そのままフェイトは満面の笑みを浮かべて祐一の胸元に頬をこすりつけてくる。

「ふぇ、フェイトちゃん……?」

 豹変したフェイトの姿を見て呆気に取られるなのは。祐一は子猫の真似をしているフェイトの頭にあるネコミミに触れた。その瞬間ネコミミが小さく動き、フェイトが目を瞑って祐一を抱きしめる。嫌がっている訳では無さそうなので、そのまま毛の生えたネコミミの内側を軽く引っかく。

「にゃうっ、に、にぃーっ」

 目を閉じたままぷるぷると体を震わせるネコミミフェイト。この引っかくたびにぴくぴく動くネコミミと感覚接合されているのだろう。フェイトは目をギュッと瞑って抱きついてくる力を強めてきた。気持ちいいのかくすぐったいのか。おそらく前者だろう。人間でも耳かきをしてもらうと気持ち良さを覚えるのだ。猫も普段自分では掻けない所を掻いてやると喜ぶのだと聞いた事がある。

「みゃうっ!」

 不意にフェイトが祐一のネコミミにかけられた手を頭を振って払った。そして祐一を勢いよく押し倒すと、フェイトは祐一の首に自分の首をこすりつけてくる。一種のマーキング行為だろうか。

「おねーちゃん、これって……?」
「はい、説明書」

 小包に同封されていた説明書をアリサがなのはに差し出した。それを視界の端で見ながら祐一はフェイトに首筋の匂いを嗅がれていた。同時にフェイトの首筋からなんとなく甘く心地よい匂いがする。
 前の世界の『相沢祐一』であったのなら年の近い女の子にこういうことをされれば多少は動揺しただろう。だが、今祐一に頬ずりしているのは紛れもなく妹のフェイトなのだ。遺伝子の近い相手だとむしろ親近感や安心感を抱いてしまうものだ、と祐一はいつだったかテレビで見た知識を思い出す。
 とりあえず仰向けのままフェイトを抱き締め返し、その頭をそっと梳くように撫でる。幸せそうにフェイトは猫の鳴き真似をする。

「にゃふ、にぅん……」

 首元に顔があるため祐一の方からフェイトの顔は見えない。だが、きっとその顔には笑みが浮かんでいる事だろう。

「なんだかフェイトちゃん、嬉しそう」
「そうね。普段もこれくらい甘えられたらいいのに」

 勝手な事を言う二人。とりあえず祐一はフェイトを抱えていた手を床につけて、上半身を力ずくで起こす。祐一に正面からフェイトが両手両足で抱きついている格好になった。めくれていたスカートを直してやると、フェイトの顔を首から離させる。フェイトはとろんとした顔をしていた。そのままフェイトは祐一の胸元におでこをこすりつけてくる。

「おにーちゃん。わたしも触っていい?」
「ああ。ほら、フェイト。なのはだぞ」

 フェイトの体を少し離して回転させる。そこでフェイトはなのはの姿を視界に収める。直後フェイトはなのはの方に倒れ込み、なのはの太腿の上に頭を乗せる。

「ふみぅー」
「わ、わ、フェイトちゃんスカートが……!」

 ころんと転がってネコミミをぴくぴくと動かすフェイト。転がった際にめくれかけたスカートをアリサが直す。

「ひゃっ! ちょ、ちょっとフェイトちゃん。くすぐったいよー」
「みゃうっ、みゅっ」

 フェイトは体を起こすとなのはの首に顔を埋めている。おそらくはなのはの首筋を舐めているのだろう。
 フェイトがなのはに甘えている間に、祐一はなのはの手元にあった取扱説明書を拾ってもう一度目に通す。

『聴覚増幅用デバイス、『ミミガー』についての取扱説明書
 本デバイスはウィザード専用デバイスである。
 ウィザードの魔力を持たないものには本デバイスが使用不可能である事に注意。
 本デバイスはウィザードが装備した際に新たな聴覚器として機能し、聴覚を自在に増幅、遮断出来る。
 これにより優れた聴覚能力とそれに付随する過音量の防止を実現したのが本デバイスである。
 また、本デバイスには特殊な呪いがかけられている。
 ウィザードではない者がこれを着用している際にウィザードの魔力を送り込む事によって呪いは発動する。
 その呪いとは、『装着者が自分を子猫だと思い込む』というものだ。
 この呪いが発動した時、装着者の精神はあらゆる抑制から解放され子猫として思うがままに遊びまわる事になる。
 この呪いはウィザードの手によって本デバイスが外されるか一定時間が経過する事によって解除される。
 なお、呪いの効果中は本デバイスをウィザード以外の者では外せない事に注意』

 祐一は思う。絶対に呪いの方を優先的に作ったな、と。
 何はともあれ普段から好感度マックスのなのはにけしかければ、フェイトはそちらに夢中になっていてくれるだろう。
 そう思い取扱説明書を置いてなのはとフェイトのほうを見ると、ちょうどフェイトがこちらに体を丸めて跳びかかろうとしていた所だった。

「みゃうっ!」
「げふっ!?」

 慌てて立ち上がると同時に腹に響く衝撃が走る。フェイトがなぜか祐一の方をなのはより優先して跳びついてきたのだ。祐一はそのまま二歩、三歩後退り、ベッドに座り込む。

「にぅ……」

 顔をしかめる祐一にフェイトが悲しそうな顔をする。そしてフェイトは祐一の頬に口を近付け、ちろちろと舐め始めた。
 少々くすぐったくもあるその感触に最初はびっくりしたものの、フェイトの両脇に手を入れ座りなおさせる。

「フェイト。もう大丈夫だから。ありがとう」
「にゃう」

 どうやら人間の言葉は通じるようで、嬉しそうに微笑むフェイト。祐一はフェイトをベッドの上に降ろすと自分の太腿の上に頭を乗せて背中を撫で始めた。

「みゅ……にゃふぅ……」

 気持ち良さそうな声を洩らすフェイト。とりあえずフェイトの無力化には成功した。なのはには情熱的なアタックであったのに対し祐一には静かに甘えている辺り、普段のフェイトの隠された感情がどんなものかを暗示しているように思う。なのはへの感情は余り考えたくない方面の感情とも取れるが、祐一に対しては傍にいて欲しい家族といったところだろう。ただ、兄としてはフェイトには素敵な旦那様を見つけて欲しいところではあるが。

「おにーちゃん。そろそろフェイトちゃんのネコミミ取って上げた方がいいんじゃないかな」
「そうだな。フェイト、ちょっと耳を引っ張るぞ」

 ネコミミカチューシャの根元を持ち、一気に引っ張り上げる。フェイトは何かを振り払うように頭をぷるぷると振り、そして体の力を抜いて再び祐一の太腿に自分の頭を乗せた。
 その頭を出来るだけ優しく撫でてやる。その時だった。

「ふみぃ……」

 子猫のようにフェイトが鳴いた。祐一はフェイトの両脇に腕を入れてフェイトの上半身を持ち上げ、片方の手を太腿の付け根に当てて自分の太腿の上に抱き上げた。

「フェイト。お前はもう猫じゃなくて人間だぞー」
「え……あ……?」

 フェイトの目が大きく見開かれる。そのままフェイトは自分を抱き上げている祐一を見て、そして苦笑いをしているなのはと如何にも楽しそうな笑みを浮かべているアリサの顔の方を向き、顔を俯かせた。耳まで真っ赤になっている所を見ると、よほど恥ずかしかったらしい。

「フェイト、大丈夫よ。とっても可愛かったから」

 アリサの言葉にフェイトは祐一の胸に顔を埋めて必死に顔を隠していた。とりあえず落ち着かせようと祐一はフェイトの背中を撫でる。

「フェイト、大丈夫だから。フェイトが甘えてきてくれて、俺はすごく嬉しかった」
「……」
「いつかの夢の時のように、遠慮せず甘えてきていいんだ。俺に出来ることは倒れないよう支えてやる事ぐらいなものだけど、一緒に痛みくらいは背負ってやれるから」

 祐一を抱きしめる腕の力が強まった。祐一もその華奢な体を抱きしめ返す。
 こうして抱き上げてみて分かる。フェイトもなのはもこんなに小さな体で頑張ってきた。そしてこれからも二人は――いや、はやてを含めた三人は決して安全とはいえない仕事をこなしていく。なのはの撃墜も起こるべくして起こった事件だといえるだろう。この世界ではそれが最悪の結果に繋がりかねない。……今から根回しをしておくべきか、と祐一は思い悩む。

「さ、二人とも冷めないうちにお風呂入っといで」

 フェイトがその言葉に祐一から身を離す。と、同時にこけて転がる。祐一は苦笑して手を差し出した。

「大丈夫。フェイトの匂い、嫌じゃなかったよ」

 今度こそ顔を真っ赤にしてフェイトは部屋を飛び出して行った。

「なあ。俺、まずい事言ったかな?」
「ナチュラルにセクハラ発言しない! このド変態!」

 アリサの拳が頬に命中した。涙目になって祐一は頬をさする。

「にゃはは……。とりあえず、フェイトちゃんのことは私に任せて」
「なのは、頼んだ……」

 なのはが部屋から出て行き、自分の部屋に戻る音がした。おそらくは寝巻を取りにいったのだろう。しばらくして階段を下りていく足音が聞こえる。

「ところで祐一。それをあなたが着けてみたら?」
「だな。機能チェック、やってみるか」

 ネコミミカチューシャを頭に着けてみる。突然耳に入る音がクリアになった。オマケに意識を集中させると色々な音が鮮明に捉えられる。その中でも特に強く意識したものがまるで目の前から聞こえるように感じられた。

「祐一、どうなの?」

 遠くの音を聞いているというのに、傍で話されている言葉がそのままの音量で聞こえる。祐一は先程の音を目を瞑って注意して聴いてみた。
 シャワーの音と水が揺れる音、そしてなのはとフェイトの話し声。

『フェイトちゃん。やっぱり恥ずかしい?』
『恥ずかしいよ。それも、兄さんにあんな事を……』

 ちゃぽん、と湯船のお湯の音が響く。不意にシャワー音が終わった。

『おにーちゃんはすごく嬉しそうな顔をしてたよ。フェイトちゃん、自分から甘える事なかったから嬉しかったんじゃないかな』

 体をタオルで擦る音が響く。なのはが体を洗っているのだろう。フェイトが浸かっているであろう湯船がまたちゃぽん、と音を立てた。

『でも、なのは。私、兄さんに抱きついて、すりすりして、匂いを嗅いで、頬をぺろぺろ舐めて……あぅ……』
『うーん。じゃあフェイトちゃん、おにーちゃんと明日真っ直ぐ顔を合わせられる?』
『……』

 ぱしゃりと浴槽の湯が音を立てる。だが明日顔を合わせられないのなら、なのはは一体どんな手を打ってくるのだろうか。
 その時不意に頭の上にあったネコミミカチューシャが取り上げられる。同時に風呂場の言葉も聞こえなくなり、クリアだった聴覚には様々な雑音が入ってくる。

「祐一。そこまで集中して何を聴いていたの?」
「あー。風呂場でのなのはとフェイトの話がちょうど耳に入ったから、聴いていたんだ」

 パカン、と頭をアリサにはたかれた。まあ、女の子同士のおしゃべりに聞き耳を立てるのはマナー違反だったかもしれない。

「祐一。プライバシーの侵害になるからいざという時以外にはこれは使わないように」
「了解」

 ネコミミカチューシャを月衣の中に仕舞う。とりあえず潜入工作となどの任務に非常に役に立つ道具である事には変わりない。単なる悪戯目的の品かと思いきや、かなりの機能性を持った便利な『耳』だった。

「いい、祐一。それを無断で使っているって分かったら、本気で潰すからね。プチって」

 鬼気迫るアリサに頷いて返事をする。誰だって自分の行動が盗聴されているというのは嫌なものだろう。アリサの気合の入れようから、バレたくない秘密があるのは確かなようだ。触れようとしてもお互いに損をするだけなのでやめておくが。

「それじゃあ祐一、お休みなさい」
「ああ。お休み、アリサ」

 アリサが部屋を出て自分の部屋に戻っていく。祐一は安堵のため息をついてそれを見送った。それからしばらくの間ベッドに腰掛けミニコンポでSEENAの歌を聴いていると、部屋のドアがノックされる。コンポの音量を小さくしてドアを開けると、そこには上目遣いに見つめてくる青いパジャマ姿のフェイトと、そのフェイトと手を繋いで小さく笑っているピンクのパジャマ姿ななのはの姿があった。

「どうした? 二人とも」
「大丈夫だよ、フェイトちゃん。ほら」

 なのはに声をかけられ、フェイトは真っ直ぐな瞳で祐一の顔を見る。その頬は紅潮していて、まるでりんごを思わせた。

「あのっ、に、兄さん……!」

 真剣な目でこちらを見るフェイト。先程のネコミミに関してだろうか。祐一はそっと背後の窓の位置を確かめる。バルディッシュを取り出したら窓を突き破って逃げるつもりだ。謝るのは逃げながらでも問題ない。
 だが、祐一の耳に入ってきたのは予想外の言葉だった。

「こ、今晩一緒に寝てください!」

 思考を逃走経路に当てていた祐一は一瞬何を言われたのか分からなかった。どういう流れでそんな事を切り出してきたのか、さっぱり想像がつかない。

「……さっきのネコミミのことで怒って来たんじゃないのか?」
「ち、違うよ。さっきのは、その――恥ずかしかった、だけで、怒ってる、わけじゃ、えっと……」

 フェイトは怒って来たという訳では無いと言う。祐一はなのはに視線を向けて説明してくれと促す。

「あのね、おにーちゃん。フェイトちゃんはすごく恥ずかしかったんだよ」
「えっと、そう、それでどうしたらいいかってなのはと話し合ったんだ。そうしたら家族なんだから普段からもっと甘えていればいいんだって教えてもらったの。だから、その……今日の事が恥ずかしくないくらいに、甘えたらいいって」
「オーケー。とりあえずは分かった」

 今日甘えた恥ずかしさを引きずらないように、自分からもっと甘えて恥ずかしさを克服しようという考えのようだ。確かに祐一はフェイトが寂しそうな顔をしている時に一緒に寝ようと誘うことはあったが、フェイトから一緒に寝て欲しいと言われたのはこれが初めてだ。その理由は説明を受けても理解できないものではあるが。

「じゃあ、一緒に寝ようか」
「あ、おにーちゃん。わたしも一緒に寝ていいかな?」
「おう。いいぞ」

 なのはの問いに頷いて答え、二人を部屋の中に招き入れる。祐一を真ん中にしてその両脇になのはとフェイトが真ん中を向く形でベッドに寝転がる。とりあえず二人の頭の下に両腕を入れて腕枕をすると、二人の髪から漂う甘いシャンプーの匂いが伝わってきた。

「そういえば、アルフは?」
「えっと、私の部屋でお休み中。流石に四人は一緒に寝られないから」

 祐一の質問に正直に答えるフェイト。とりあえずアルフのことはさておいて、祐一はなのはの方に視線を向ける。

「なのははどうしたんだ? 寂しいってわけじゃないんだろ?」
「えっと、三人で寝るのは楽しそうだから、かな?」

 疑問形で返された。なのはは祐一を挟んでフェイトと顔を合わせ、小さく微笑みかける。

「フェイト。無理して甘える必要はないからな」
「えっと、無理はしてないよ」

 その割には頬に赤みが差している。そのことを指摘するとフェイトは小さく微笑んだ。

「あのね、こうしてる事自体は嬉しいんだ。兄さんやなのはと一緒にいるってだけですごく安心できる。今は、お風呂に入る前のアレでちょっと恥ずかしいだけ」

 そう言ってフェイトは小さくにぅ、と子猫の鳴き真似をしてみせる。恥ずかしくも嬉しそうな笑みを浮かべるフェイト。激烈にその仕草は可愛らしかった。これでフェイトが妹ではなかったら祐一は簡単に篭絡されていたかもしれない。

「それでフェイト。何かリクエストはあるか?」
「リクエスト?」
「今日は甘えに来たんだろ? 何かお願い事を言ってみろ。俺に出来る事なら叶えてやるから」

 その言葉にフェイトは顔を俯かせて額を祐一の胸に当て、聞き取れないほど小さな声で何事か呟く。そしてフェイトは顔を上げて言った。

「子守唄をお願いしてもいい?」
「子守唄?」
「うん。夢の中でアリシアに歌ってあげていたあの歌を歌って欲しい」

 夢の中で、夢の主であるアリシアに捧げていた子守唄。それを祐一は小さく口ずさむ。

「ねんねころりや よぞらのつきよ いずこ~へゆく~~」

 聞いた人に心地良い夢をもたらすように、静かに、優しく歌う。いつかこの子守唄を歌ってくれた月のように。

「しずかなうみへ~いだかれたまま わた~しはう~た~う~」

 ゆったりと、遠くへ伸ばすように。優しく、自然に。祐一は歌い続ける。

「つきのひかりに しゅくふくをうけ われら~は ね~む~る~~」

 歌い終え、祐一は目を開く。フェイトの頬の赤みは随分引いていた。今の子守唄で恥ずかしさも少しは消えたようだ。

「おにーちゃん、前より歌が上手くなった?」
「家庭教師様が歌い方を指導してくれたからな」
「家庭教師?」

 不思議そうに首を傾げるなのはを見てフェイトと祐一は顔を見合わせて小さく笑う。二人だけの秘密。フェイトと祐一、そしてアリシアの三人が見た夢。それが確かにあった事実が嬉しかった。

「えっと、それじゃあ一つ質問してもいい?」
「ああ。俺に答えられる事なら答えるよ」

 フェイトの目がスッと細まり真剣なものになる。同時に祐一は嫌な予感を抱いた。こういう時の勘はまず外れた事が無い。

「兄さん。シグナムとはどういう関係ですか?」
「それってそんなに真面目になるような話題か? なあ、なの――なのは、何でそんなに目を輝かせてるんだ?」

 フェイトの全部吐くまで許しませんというオーラとなのはの興味津々な瞳に両側から挟まれる。ついでに今まで上半身だけだった拘束に加えて、祐一の足に左右から二本ずつ足が絡みついてきた。
 その後祐一とシグナムは剣道を通じて知り合った友人という関係で、他に隠している事は無い事を弁解するのに十分ほど費やした。その後も不機嫌気味なフェイトと不満そうななのはのおでこに口付けを落とし、謝る事で何とか二人の機嫌を回復させることが出来た。月が祐一の幼い頃によくしてくれた『でこちゅー』、その威力を改めて確認する。
 その夜三人が眠りに就いたのは、日付が変わる頃であった。



[5010] 第五十三話
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/08/27 22:34
 バレンタインデー。それは元々はカトリックの聖職者『聖ウァレンティヌス』が殉教した日である。
 彼は昔禁じられていた兵士の結婚を秘密裏に行なったため捕らえられて処刑されたが、後の世で彼は恋人達の守護聖人と見られるようになる。
 そして彼の亡くなった二月十四日は彼の名前の英語読み『バレンタイン』より、『バレンタインデー』と呼ばれるようになった。



 ところで一般に外国では、バレンタインデーに親しい人間同士がプレゼントやカードを贈り合う習慣がある。だが日本においては事情が違う。日本では、バレンタインデーには女性がチョコレートを恋人や親しい人間に贈り、またチョコを渡す事を愛の告白に利用する風習が成り立っている。
 そんなバレンタインデーの前日。夕食後のキッチンではアリサ、なのは、フェイトの三人の女の子が桃子から指導を受けながらチョコ作りに励んでいた。
 やがて作り終わったのかキッチンから子供達が出てくる。なのはとフェイトは廊下に出て行き、アリサはリビングでくつろいでいた祐一の隣に座る。
 
「ねえ祐一。告白して欲しい相手っている?」
「いないな、残念ながら」
「本当に? 本当は好きな人ぐらいいるんじゃないの? シグナム? それともリインフォース? もしかして美由希さん?」

 アリサの好奇の視線が突き刺さってくる。祐一は慌てて顔の前で右手を振って否定した。

「ないない、それはない。というかなんだその三択は?」
「だって、祐一が好きになりそうな年上の女性なんてそんなものでしょ」

 確かに、祐一が接している年上の女性などそんなものだ。だが――

「何で好きな相手が年上限定なんだ?」
「だって祐一は元の世界だと二十歳だったんでしょ?」

 なるほど、その意味でいえば、祐一にとってアリサもなのは達も皆かなり大人びた子供に過ぎない。必然、今の祐一の好みは年上の女性に限定されるだろう。

「でも、向こうから見たら俺は十二歳の子供だぞ? あの人達がそんなショタコンじゃないのは分かってるだろ」
「いや、あたしが聞いてるのは祐一『が』どう思っているのかなんだけど」

 やや呆れた視線を送ってくるアリサ。だが言っていることは正論だ。一応祐一も考えてみる事にした。
 美由希。彼女は家族だ。論外。
 シグナム。剣や戦闘に関しては意識し合っている部分はあると思うが、恋愛感情を抱いているかと問われれば、答えはノーだ。
 リインフォース。彼女に関してはもう一つの世界の彼女への想いが入り組んではっきりとは言えない。とりあえずこの世界の彼女に対しては祐一は恋愛感情ではないが特別な想いを抱いていると言えるだろう。なまじ黒リインという前例があるだけに、向こうがどのような想いをこちらに抱いているか分からない。

「とりあえず、そういう意味で好きな人はいないな」
「じゃあ、元いた世界には?」
「それは秘密ということで」

 その言葉にアリサがジト目で見てくる。が、屈するわけにはいかない。何もかも話したら、祐一の社会的信用はゼロになる。

「つまらないわね。弄りがいが無いじゃない」
「……そういうアリサは好きなやついるのか?」

 聞き返すとアリサは目を逸らした。今度はこちらがジト目でアリサを見つめてみる。まあ、結果など聞くまでもなく分かっていたのだが。

「……いないわよ。悪かったわね、こんな年になって初恋がまだなんて」
「いや、別にまだ気にする年じゃないし。惚れっぽいよりかはマシなんじゃないか?」

 とりあえず慰めてみる。小学一年生の時に出会ってからアリサが誰かを特別視している様子は無かった。
 祐一に対しても甘え、依存はしている部分はあったが、それは恋とは言い難い。
 その依存も祐一の異能に感付いた今では克服しようと一人で努力をしているようで、今では祐一のベッドに潜り込んでくる事はなくなっている。
 とりあえず、アリサからは『家族として』好かれていると思っていいだろう。
 そこで祐一は、ふとなのはやフェイトなら誰にプレゼントを贈るか考えてみた。
 なのはにはユーノやクロノがいるし、家族を含むなら恭也や祐一も対象になる。
 フェイトもなのはと似たり寄ったりといったところだろう。
 祐一としては、フェイトが彼女を深く理解した上でそっと支えてやれる男性と出会える事を祈るばかりだ。
 なのはにはユーノがいるから将来を心配する必要は無いが。ユーノの所にバレンタインデーのプレゼントを持って行くよう、なのはにそれとなく勧めた方がいいかもしれない。

「ところでさ、アリサは将来何になりたいんだ? 法務関連にメカニック系、魔力が必要ない資格ならキャリア試験も受けるんだろ?」

 上級キャリア試験。指揮官系統になるために必須の狭き門。いくらアリサが天才であるとしても、暇つぶしに取れる資格で無い事は明らかだ。
 かく言う祐一は既にA級デバイスマイスターの資格を取っている。これだけでも技術部への配属がかなり有利になる。
 祐一達はなのは達のように転送ポートへ自由に行き来できないので、管理局本局への移動は月の元へのゴスペルを利用した転移ゲートに頼る事になる(帰りは方石を使用して高町家の庭に転移)。
 かくして祐一とアリサは、ほぼ毎日学校が終わると管理局本局技術部で研修を受けている。土日は一日中技術部に入り浸るのも珍しくはない。資格を持っているとはいえ経験の少ない二人は基礎の下積みから始めなければならないのだ。
 もっとも、アリサは高い順応性を見せ、今では祐一を引き連れて嬉々として様々な方面に首を突っ込んでいる。艦船の大型魔力駆動炉から通信機材、デバイスに至るまで様々な部署がある技術部はアリサにとってまさに宝の山だったようだ。

「キャリア試験は月さんに勧められたから取るだけよ。ある程度の地位があれば自由に研究ができるようになるからって」

 かく言う祐一はA級デバイスマイスターの資格を取っている。これだけでも技術部への配属がかなり有利になった。
 祐一達はなのは達のように転送ポートへ自由に行ったり来たり出来ないので、管理局本局への移動は月の元へのゴスペルによる転移ゲートに頼る事になる(帰りは方石を使用して高町家の庭に転移)。
 かくして祐一とアリサは、毎日というわけではないが学校が終わると、管理局本局技術部で研修を受けている。土日は朝から晩まで技術部に入り浸るのも珍しくはない。資格を持っているとはいえ経験の少ない二人は基礎の下積みから始めることが大切なのだ。
 もっとも、アリサは高い順応性を見せ、今では祐一を引き連れて嬉々として様々な方面に首を突っ込んでいる。艦船の大型魔力駆動炉から通信機材、デバイスに至るまで様々な部署がある技術部はアリサにとってまさに宝の山だった。

「キャリア試験は月さんに勧められたから取るだけよ。ある程度の地位があれば自由に研究ができるようになるからって」
「まあ、ヒラでいるよりかは安全でいいとは思うが」

 祐一の言葉に首を傾げるアリサ。まあ、当然の反応かもしれないが。

「噂であっただろ? 突出した技術――オーバーテクノロジーの保有者に認定されたら、本局の秘匿ブロックに閉じ込められるって話」
「でも、あれはただの噂に過ぎないって月さんに言われたでしょう?」

 祐一はため息をつき、首を横に振る。そして真剣な顔でアリサの目をしっかりと見据えた。

「俺の元いた世界でオーバーテクノロジーの所有者を幽閉していた『特研』。それは母さんがウィザードと魔導師の技術を融合させてロストロギア級の作品を作り上げてしまったのが始まりなんだ」
「……つまりあたし達の研究の内容は当たり障りの無いものに抑えておくか、秘匿するかしないといけないのね」
「俺としては母さんとアリサが手を組んだ時に何が出来るのか不安でしょうがないんだがな」

 ユーリのようなホムンクルスを造ったり、クローニング技術の応用で失われた四肢などを作り出し移植するなど月は高い生体技術を持つ。それ以外にも月は義肢や義眼などの開発から、魔力炉、艦船設計、デバイス他様々な機材の製作まで『特研』で生み出される技術を全て自らに取り入れている。それらの知識とアリサの発想力がかみ合った時、何が生み出されるのか祐一にはさっぱり見当がつかない。ただ一つ言えるのは、この二人を野放しにするとこの世界にも『特研』が設立されてしまうという事だ。

「分かった。気をつけておくわ」
「是非そうしてくれ」

 そこまで話したところで脱衣所の戸が開く音が聞こえた。そしてなのはとフェイトの二人がパジャマ姿でやって来る。

「お先にお風呂いただきましたー」
「兄さんとアリサさんもどうぞ入ってください」
「よし。アリサ、先に入ってきてくれ」
「はーい」

 リビングに入ってきたなのは、フェイトと入れ替わりにアリサが廊下に出て行く。ややもせず脱衣所の戸が閉まる音がする。
 そしてなのはとフェイトの二人は、祐一の両脇に座ってきた。

「おにーちゃん。おねーちゃんと何の話をしてたの?」
「好きな人はいないのかって話と、本局の技術部の話かな」
「兄さん、好きな人がいるんですか?」

 興味津々と言った様子でこちらを見つめてくる二人。

「いないぞ。残念ながらな」

 とりあえず否定しておく。尤も、元の世界には告白されて返答保留中の相手がいたりするのだが、その辺りの事は祐一は口にはしなかった。説明するのが非常に面倒な事になるからだ。

「なのはとフェイトは誰かにあげたりしないのか? ほら、ユーノとかクロノとか」
「うーん。じゃあ明日無限書庫に差し入れに持っていこうかな」
「クロノはアースラに乗ってるから、会うのはちょっと難しいね」

 どうやらクロノとユーノは忘れ去られていたらしい。果たして彼らが異性として意識される日は来るのだろうか。
 まあ、小学生で強い恋心を持っている方が珍しいのかもしれないが、それでも一応その質問を祐一は口にした。

「なのはやフェイトは好きな男の子はいるのか?」
「えっと、わたしはいないかな。今は学校と管理局でのお仕事とかで精一杯だし」
「私もそんな相手いないよ」
「あー。俺もだ。俺の場合、自分の想いが今一はっきりしないっていう問題点があるんだがな」

 天井を見上げる。元の世界に帰ったら、もう逃げる事は出来ない。自分は誰と一緒にいたいのか、その答えを出すために与えられた時間は充分にあったのだから。
 ふと祐一は初恋の人を思い出した。マコト・サワタリ。かつての祐一が幼少期ミッドチルダで過ごしていた時、祐一に優しくしてくれた年上の女の子。恋と呼べるかどうかも怪しい、憧れを抱いていた人だった。
 そしてマコトという名前から、祐一は彼女の名前を貰って水瀬家で暮らしている狐のマコトを思い出す。いつまでも子狐の姿のマコト。もしかしたらマコトは仙狐、妖狐と呼ばれる化生の類いだったのかもしれない。
 
「おにーちゃん?」
「ん、おお。どうした?」

 ずっと上を向いて考え事をしていたのが心配されたのか、なのはが声をかけてくる。

「何か考え事?」
「ああ。昔地球に住んでいたころを思い出してたんだ」

 祐一はなのはの頭にポン、と手を置き優しく撫でる。
 髪を解いたなのはは桃子とよく似ていると祐一は思った。腰まである髪を下ろしたフェイトも大人っぽく見えて綺麗だが、なのはの場合もリボンを解くと活発なイメージから優しい、女性らしいイメージを想起させるようになる。将来、二人ともきっと美人に育つであろう事は間違いない。

「あの、兄さんのいた世界だと私はどうだった?」
「あー。あっちじゃ俺は海鳴に住んでいなかったからな。リインフォースやシグナム達とはそれなりに会ってたけど、フェイトとの接点は殆どなかったんだ」
「そう、なんだ……」

 その返事に意気消沈するフェイト。とりあえずフォローをしておこう。

「会った回数は少ないから人柄までは掴めなかったけど、とても綺麗で優しそうに見えたぞ。シグナムもフェイトのことを話す時には随分楽しそうだったし。大丈夫、フェイトはきっといいお母さんになれる」
「う、うん。ありがとう、兄さん」

 少し顔を赤くしてフェイトが返事をする。照れているのだろうか。相変わらず褒められるという事に慣れていない子だ。

「おにーちゃん、シグナムさんと仲良かったの?」
「仲が良いというか……因縁の相手って言い方が適切な気がするな。最初はリンカーコアを蒐集されて、次にやりあった時はなす術も無くやられて、最後には何とか一矢報いたけど基本的に地力が違いすぎる。この世界のシグナムとも剣道で何度も戦り合ったけど負け越してるしな。やっぱり凄いよ、シグナムは」

 なのはの問いに祐一は苦笑して答える。世界が変わってもシグナムとの因縁は解けてくれないらしい。

「でも、兄さんもシグナムの話をするの楽しそうだね」
「まあ、シグナムとの真剣勝負は心躍るものがあるからな。あの一瞬の油断も許されない張り詰めた空気ってのは格別だ」

 昔は模擬戦の相手をシグナムにお願いした事が幾度もあった。もっとも、祐一の攻撃力など皆無だ。よって訓練は如何に撃墜されずにいられるかというものになった。
 祐一の役割は前衛として敵の群れに飛び込みその戦線を崩す点にある。そのため祐一は出来る限り敵の注意を引きながら生き残る術を身につける必要があった。
 一対多数の戦いは無人兵器、もしくはシミュレーションでどうにかなる。その上で必要とされたのは、高ランク魔導師との戦闘訓練だ。
 増援が到着するまでの間、祐一の防御能力すら凌駕する攻撃能力を持つ者を相手に、如何に相手を消耗させた上で生き残る事が出来るか。その訓練を秘密裏に行うという点でシグナムは相手に最適だったのだ。
 シグナムとの戦績は五割を切っていたが、それもシグナムが祐一の能力を把握していたためだ。初見の相手なら、例えシグナムが相手でも負けはしないという事はこの世界で証明された。

「あの、兄さん。一つ聞いていい?」
「ああ。なんなりと」

 フェイトは真剣な眼差しをこちらに向けてくる。その真っ直ぐな瞳に思わず背筋を正す。

「兄さんは元の世界のシグナムの事が好きだったの?」
「は?」

 フェイトの言葉を理解するのに数秒かかった。その言葉が脳内で解凍されると同時、祐一は目の前で手を横に振る。

「ないない。俺はフェイトのようにライバル認定を受ける事も無かったからな。あくまで楽しい訓練相手ってところだ。人柄は好きだけど、恋人になりたいっていうのとは別だ」
「そうなの?」

 なのはの言葉に頷き返す。もし祐一がシグナムに恋をしていたら、もしくは誰かへの気持ちが特別なものであったなら、祐一はきっと寄せられた想いに答えを返せていただろう。
 その時、脱衣所の戸が開く音がした。次いで頭にタオルを巻いたアリサがリビングに入ってくる。

「祐一。お風呂空いたからさっさと入ってきなさい」
「了解。それじゃあ行ってくる」

 両脇の二人に言って席を立ち、廊下に出る。寝巻をと下着を取って脱衣所に入る。
 セミロングの髪と体を洗い、湯に浸かることなく浴室を出る。恒温の体は冬の冷気も湯の熱も遮断してしまうため、祐一は湯に浸かる意味が無いのだ。体を洗い流すシャワーだけで事足りてしまう。

「昔はあんなに寒がりだったのにな……」

 かつて暮らしていた北の町での冬を思い出して呟く。
 長い間昏睡状態が続いていた幼なじみが目を覚ますその時まで、祐一は寒いのが嫌いで雪が苦手だった一介のウィザードでしかなかった。それが今では人間の範疇から大きく外れてしまっている。
 祐一は頭を振って憂鬱な気分を振り払い、頭と体を拭いて寝巻に着替えて脱衣所から出た。リビングではアリサ達三人が談笑している。どうやら管理局の仕事について話しているようだ。
 不意に顔をこちら向けたアリサが祐一に手招きする。祐一はそれに従ってアリサの隣に座った。

「ねえ、祐一。あなたは管理局に入ったら何をしたい?」
「何をするも何も、管理局に入ったらそこで俺の目的は達成されるんだぞ? 俺は管理局に勤め続けて入ってくる事件の概要を記録し続ける。その記録を元の世界に持ち帰るのが俺の目的なんだから」

 その答えにアリサは呆れたようにため息をつく。そして祐一の鼻先に指を突きつけてきた。

「それは建前でしょう? あたしが聞きたいのは何で技術部を希望したのかっていうことよ。他のもっと楽な部署もあったのに」 
「……これでも『特研』のメンバーだからな。戦闘だけが仕事じゃない。この機会に色々経験を積んでおきたかったんだ。後は、母さんが技術部にいるのならその下で働くのも面白そうっていうのもある」
「なによ。立派な理由があるじゃない」

 手を引っ込めて満足そうに笑うアリサ。祐一の理由は彼女のお気に召したようだった。

「そう言うアリサこそ、いい加減どの分野に進むか決めたのか?」
「魔導技術関連はどれも楽しそうなんだけど、やっぱりデバイス関連に進むわ。月さんの下で色々教えてもらえるってのはかなり魅力的だし、片手間に幾つかメカニックマイスターの資格を取っておくのも良さそうだし」

 それからは話が異性の好みに飛び、なぜか祐一が事細かに尋問されたりして、後はそれぞれの部屋に戻ることになった。
 机の上のファイスにお休み、と声をかけてベッドに倒れこむ。ほどなくして祐一は静かに寝息を立て始めた。



 そして翌朝。朝食の後でフェイトが綺麗にラッピングされた袋を差し出してきた。

「あの、私達三人で作ったバレンタインチョコです。受け取ってもらえますか?」
「ああ。ありがとう」

 ピンクの可愛らしい絵柄がプリントされた袋の中には、こげ茶色をしたブラウニーが数枚入っていた。士郎と恭也がそれぞれなのはとアリサから祐一が貰った物と同じ物をプレゼントされている。さらに夜には桃子の特製ザッハトルテが用意されているという。甘い物の苦手な祐一は思った。今夜は特別に濃いコーヒーを士郎に淹れてもらおう、と。
 何はともあれ、今日も高町家は平穏だった。



[5010] 第五十四話
Name: tript◆4735884d ID:660a4c8a
Date: 2010/10/06 02:14



「ん……」

 祐一の腕の中で、フェイトが低い声を洩らす。
 フェイトは顔のみならず、全身をほんのり桜色に染めていた。元が白い肌である分余計にそれが目立っている。
 やがてフェイトは身じろぎをして、祐一の首元に頭を預けてきた。同時に至近距離から甘い香りが漂ってくる。

「さて、どうしようか……」

 フェイトを抱きしめながらため息をつく。
 今にして思えば、祐一が拒まなかったのが間違いの始まりだった。祐一がはっきり断ってさえいれば、フェイトも過ちを犯すことはなかっただろう。
 だが、犯してしまった過去を取り消すことは出来ない。今の祐一に出来ることは、二度と過ちを犯さないよう心に刻み、どうやってフェイトを守るか思考をめぐらせるくらいのものだ。

「にい……さん?」
「フェイト?」

 フェイトが体を起こし、反転してこちらに向き直る。夢見心地のぼんやりした赤い瞳が祐一の顔を捉え、ふにゃん、と微笑むフェイト。どうやら痛みを感じてはいないようだ。とりあえず水でも飲ませるべきだろうか、と立ち上がろうとするも、フェイトが強く抱きしめてきたため再び座り込む。

「……もう、一人ぼっちは、嫌……」

 目元に涙を浮かべ、じっと祐一の目を見つめてくるフェイト。悪い夢でもみていたかのようだ。

「兄さん、傍にいて……」

 フェイトが頬を染め、初めて聞く甘えた声でねだってくる。
 はっきり言って、非常に可愛らしい。妖艶には色々と未成熟過ぎて届かないが、それでも気だるげに祐一にしなだれかかるフェイトの顔は子供ながら独特の色香を発していた。もっとも、祐一は毎朝鏡で見ている顔に魅かれることはなかったが。
 フェイトの髪を手櫛で梳くと、気持ちよさげにフェイトが目を細める。

「大丈夫。いつだってフェイトは一人じゃない。例え遠く離れても、大切な人とは心が繋がってる。フェイトは今の自分に胸を張れるよう、頑張っていけばいいんだ」
「……うん」

 小さく返事をして、フェイトは体から力を抜いて身を祐一に委ねてくる。そっと手を触れると、フェイトの頬は赤いだけではなく、僅かに熱を持っていた。
 ふと、足元に影が差す。見れば、そこには栗色の髪を黒いリボンで横に纏めた少女の姿があった。

「なのは……」
「おにーちゃん、フェイトちゃん……」

 なのはの目に浮かぶ感情。そこに祐一を責める色は無かった。その視線にこもるのはむしろ憐憫であったかもしれない。なのはが眉を八の字に寄せて苦笑いを向けてくる。
 そして祐一はなのはから視線を切り、今まで目を背けていた方へ視線を向ける。そこには顔を真っ赤にした女性が笑っていた。
 額にリンディと同じ様な刻印を持つ、紫の髪の女性。時空管理局提督、レティ・ロウラン。彼女は今、黒い瓶とグラスを持ってシグナムと相対している。珍しい事に、シグナムは詰め寄られたじろいでいた。その傍でシャマルがリンディに介抱されている。
 
「さ~あ、シグナムも飲みなさ~い。ワイン美味しいわよ~、ワ・イ・ン」

 晴天の下、咲き誇る桜花に囲まれて、祐一はワインに酔ったフェイトを腕に抱いたままため息をつく。 
 そも、花見をするという時点でこうなる可能性に気付くべきだったのだ。この現状はなるべくしてなったと言えるだろう。
 自嘲して祐一は雲一つ無い空を見上げる。柔らかな陽光が、今は眩しく感じられた。
 深く、深く息をつく。腕の中からはフェイトの安らかな寝息が聞こえる。自分の頭に手を当てながら、祐一はこの花見の始まりを振り返った。














 四月の初め、なのは達の小学校が始業式を迎えて最初の土曜日。満開の桜が立ち並ぶ月村家の私有地に、大勢の人間が集っていた。
 なのは達小学生五人組に夜天の騎士達、アルフやユーノ、祐一やアリサはもちろん、士郎や美由希、バニングスの父親、すずかの母などの保護者に加え、リンディ、クロノ、エイミィ、レティ、他非番のアースラクルー達が参加し、その総人数は五十を優に超えている。

「それでは、今日の良き日に、かんぱーい!」
『かんぱーい!』

 リンディの音頭に合わせてコップを掲げる面々。祐一とアリサもジュースの入ったコップを掲げ、そして一気に飲み干す。
 祐一は風に舞い散る桜の花を眺めながら、これだけの騒がしさの中で花見をすることに妙な感慨を覚えた。
 昨年に行なった花見の際には、僅か十人ほどの人数だった。それが今やこれほどの大規模な宴会へと変貌を遂げている。この一年、たった一年の間に、それだけの変化が起きたということだ。。
 P.T.事件。闇の書事件。世界を滅ぼしかねないこの二つの事件を、ベストとは言えずともおおよそベターな結末に導く事が出来た。この光景は、その事件の間に生まれた絆の証と言ってもいいだろう。
 そして肩に入っていた力がいっぺんに抜けるような気がした。もう、相沢祐一という役者が必要になる舞台など無い。
 ほぅ、と息をつく。途端、アリサに肩を叩かれた。

「祐一、祝いの席でため息つかない」
「あ、ああ。すまん」
「全く、道場やめてからすっかり気が抜けちゃって……。もしかして、最近シグナムと会ってないから?」
「いや、全然違うから」

 手を横に振って否定する。だがアリサはジト目をこちらに向けてきた。

「シグナムじゃないなら……リインフォース?」
「それも違わ――ないのか? いや、違うような……と、とにかく、俺は気が楽になっただけだ」

 祐一の答えにアリサが首を捻る。その反応に思わず苦笑する。

「もう、全部終わった。九年も前からあの事件のために生きてきたんだ。もう休んだっていいだろ」
「ああ、そういうことね」

 どうやら通じたようだ。なのはとフェイトを友達にする、シグナムと接触して闇の書の蒐集を強要、もしもの時のために作り上げたグングニール、これらの様々な用意をして向かえた闇の書事件は、あっけなく終焉を迎えた。
 蒐集の被害者に死者はもちろん、重傷者すら一人も出させてはいない。
 誰一人欠けることなく終わらせることが出来たこの事件に関しては、殆どベストな結末と言っていいはずだ。

「もう、事件は起きないの?」
「地球では、だけどな。管理局に入るなら、別の次元世界の事件に首を突っ込む事になると思うけど。なんにせよ、もう俺達に出来ることなんて無い」

 コップにジュースを注ぎながら答える。祐一の知る限り、これより五年先まで地球で大きな事件など起こらない。なのはの撃墜事件も祐一が知っている事は月に教えてもらった日付のみ。しかも、撃墜事件自体が起きない可能性も決して小さくはない。
 
「地球では、ね。あ、祐一、あたしにも」
「はいはい」

 含みの入ったアリサの言葉をスルーしておく。なにか反応を返せば、アリサの疑念を肯定することになってしまうからだ。祐一は黙ってアリサのグラスにジュースを注ぐ。それを受け取ったアリサはそのコップを突き出してきた。

「それじゃ、祐一の努力と――」
「なのは達の未来に――」
『乾杯』

 チン、と硬い音が触れ合ったグラスから響く。その中身をあおって、アリサと笑みを交し合う。

「さて、あたしは士郎さんの様子を見てくるわ」
「おう。俺は適当に回ってくる」

 グラスを簡易テーブルの上に置いてアリサと別れる。祐一がまず足を向けたのは、一番賑やかな場所だ。
 近付くにつれてハウリング混じりの歌声が聞こえてくる。カラオケをやっているようだった。

「あ、祐一君」
「む」

 カラオケセットを囲む人の輪の中に近付くと、知り合いから声をかけられる。

「シグナム、シャマルさん。楽しんでますか?」
「ああ。お前も歌いに来たのか?」
「いや、俺は適当に回っているだけで……待て、『も』ってなんだ?」

 祐一の問いにシグナムはカラオケセットの方を指差す。そちらに目を向けると、マイクを持ったフェイトの姿があった。
 曲がかかり、フェイトが歌い始める。歌の名は『風に舞う花』。優しく澄んだ歌声を聴きながら、祐一は歌番組を見て口ずさんでいたフェイトの姿を思い出した。
 やがて歌が終わり、拍手と歓声が湧く。それを受けて、恥ずかしげにフェイトがこちらに駆けて来る。

「あ……兄さんも聞いてたの?」
「おう。歌、上手かったぞ」

 傍に寄って来たフェイトの頭をなでる。くすぐったそうにフェイトが笑う。

「テスタロッサちゃん、すごいのね。なんだかドキドキしちゃった」
「いい歌だだった。これからも時々聴かせてくれ」
「えっと……ご希望、でしたら……」

 シャマルとシグナムの称賛に恥ずかしげに答えるフェイト。祐一は一歩下がって辺りを見回す。すると、見覚えのあるアースラクルー二人の傍の簡易テーブルに料理が置いてあった。

「アレックスさん、ランディさん。このお肉ちょっと貰っていいですか?」
「うん。どうぞどうぞ」
「そこの狼に噛み付かれないよう注意してね」
「グルルルルゥッ!」

 人間形態のアルフが、鋭い目を向けながら唸り声を上げる。よほど肉が好きなようだ。本当に少しだけ分けてもらう。

「あ、美味しいですね」
「だろ?」
「祐一、あたしにもー」
「はいはい」

 ねだるアルフの口に料理を差し出す。それから二人に礼を言ってその場を離れた。
 祐一が次に向かったのは、スパイスの良い香りがする方向だ。匂いに惹かれて辿り着いた先には、鉄板で焼きそばを作るクロノと美由希の姿があった。
 シャマルと同様に奇妙な味付けをする美由希も、材料を切るだけなら大丈夫なようだ。

「はい、焼きそば六人前完成です」
「はーい」
 
 美由希が差し出した皿にクロノが焼きそばを盛り付ける。そこにダンボールを抱えたエイミィが駆け寄ってきた。

「あー、ごめんごめん。おまたせっ」
「エイミィ、お帰り」
「遅い! 何してたんだ」

 笑顔でエイミィを迎える美由希と叱りつけるクロノ。エイミィはダンボールをクロノ達の後ろにあったテーブルの上に置いてクロノに笑いかける。

「通信主任は色々挨拶も多いのだよ。あ、祐一君」
「こんにちは。クロノ、エイミィさん」
「君か。久しぶりだな」
「ああ。去年以来か?」  

 アースラに搭乗するフェイトや本局で顔を合わせるなのはから近況を聞く事はあったものの、祐一がクロノ、エイミィと直接顔を合わせるのは闇の書事件が終わって以来だった。フェイトから聞いた通り、クロノは背が若干伸びているようだ。

「あ、美由希ちゃん。交代しよ」
「いいの? ごめんね。じゃあ、皆の様子見たりなにかつまんだりしてくるね。すぐ戻ってくるから」

 美由希に代わってエイミィがクロノの隣に立つ。美由希は祐一が来た方に向かって歩いて行った。

「クロノ君。材料も持ってきたから、久しぶりにアレをやっか!」
「アレ? ああ、例の焼きそばか」
「例の?」

 エイミィとクロノの掛け合いに祐一は首を捻る。二人だけで通じ合ってるあたり、このコンビの熟練具合を匂わせている。
 エイミィは祐一の様子に苦笑して、説明を始めてくれた。

「士官学校の自炊の時に、よく作ってくれたメニューがあるの。結構人気もあったから、こっちの人達にもどうかなって」
「じゃあ、二人前お願いします」
「ああ。少し待ってくれ」

 わいのわいのとクロノとエイミィが掛け合いをしながら手早く具材を炒めていく。クロノが麺を投下し、エイミィのかけるスパイスと合わせ、具材と麺を絡めていった。
 そしてエイミィが瓶を取り出し蓋を開けた。それを見たクロノが急に取り乱す。

「ちょ、待て、まだそれは早くないか!?」
「料理は勢い! いっくよー、ファイアー!」

 ジュワッと音を立てながら油が激しく散り、鉄板の上で一瞬炎が踊った。クロノが慌てながら鉄板の上をかき混ぜる。

「よーし完成!」
「祐一、二人分だったな」
「おう。ありがとう」

 クロノから焼きそばを盛り付けた紙皿二枚と割り箸を受け取る。黄色い麺からスパイスの香ばしい匂いが漂った。見るからに美味しそうな出来だ。

「それじゃ、お先に花を見てきます」
「ああ。なのは達によろしく」
「はーい」

 クロノ達と別れ、適当にぶらつきながら辺りを見回す。ちょうど祐一の前方から知った顔が歩いてきた。

「ヴィータ、久しぶり」
「お、祐一。久しぶり……でもねーだろ。この前公園で会ったじゃねーか」
「俺の友達曰く、三日会わなかったら充分久しぶり、だそうだ」
「おめーの知り合いは奇特なやつが多過ぎなんだよ」

 赤い髪を三つ編みにした少女、ヴィータが呆れたようにため息をつく。だが、その声にはどこか柔らかい感情がこもっていた。祐一の頭に浮かぶのはなのはとフェイトの顔。ヴィータとの付き合いで言うならなのはの方だろう。 

「ところでヴィータ。今一人か?」
「ああ、そうだけど――シグナムかリインフォースを探してんのか?」
「いや、適当に知り合いを探してただけだ。これ食べるか? クロノ特製の焼きそばだ」
「おう。……ありがと」

 紙皿の片方をヴィータに渡し、近くの敷物の上に二人で座る。割り箸を割って焼きそばを口にする。

「おっ、結構うめーな」
「同感。クロノって何でもそつ無くこなすよな」

 焼きそばを食べ終え、敷物の上に仰向けに寝転がる。そよ風が吹き、桜が舞い散っていく。春の陽気に包まれて大きなあくびをし、祐一はかつての世界に想いをはせた。
 不意に未来の事件が頭をよぎる。ヴィータはまさに祐一が探していた逸材だった。ヴィータが焼きそばを食べ終えるのを見計らって声をかける。

「なあ、ヴィータ。もしなのはが倒れそうになったら、支えてやってもらえるか?」
「なんだよ、藪から捧に。そんなの、おめーかテスタロッサがやりゃいいじゃんか」
「多分、俺じゃ駄目だ。フェイトも身内にはかなり甘い。ユーノも優しくすることは出来るだろうけど、優しいだけじゃだめだ。もしもの時、厳しい事言ってでも前を向かせてくれる人が必要なんだ」

 ヴィータと視線が交差する。数秒の沈黙の後、折れたのはヴィータの方だった。

「わーった。ったく、損な役押し付けやがって」
「悪い」
「いいよ、もう。どうせまた裏でコソコソする積もりなんだろ」
「まあ、そんなとこだ」

 弁解の余地も無い。先を知った上で黙っているのは今までと同じなのだから。
 ヴィータはそっと立ち上がり、スカートを直す。逆光でヴィータの顔が見えなくなる。だが、辛うじて見えたその口元は小さく緩んでいた。

「あたしは騎士だ。あいつがヤバい時には守ってやるよ」
「……ありがとう」

 上半身を起こし、頭を下げる。それにヴィータが小さく息をついた次の瞬間、ヴィータの背後から声がかけられる。

「あ、ヴィータちゃん」
「むぐっ!?」

 渦中の人物――なのはの声だった。不意を突かれたヴィータがむせる。

「わ!? ヴィータちゃん、大丈夫!?」
「けほっ、けほっ……いきなり後ろから声をかけんな!」
「はぅ、ごめんなさい……」

 なのはがヴィータに頭を下げる。その横には、淡い栗色の髪をした少年――ユーノが立っていた。

「よ、ユーノ。久しぶりだな」
「お久しぶりです、祐一さん」

 ユーノもクロノ達と同様、闇の書事件以来の顔合わせだ。なのはの話によると、無限書庫の司書として日夜働き詰めらしい。
 フェイトの免罪に見られる通り、管理局は門戸が広い。だがそれは同時に管理局の人手不足、優秀な人材の欠乏を意味している。例え子供であろうと、優秀ならば能力に見合っただけの仕事を任されてしまうのだ。
 祐一に出来るのは、成長の妨げにならないよう充分な栄養の摂取と睡眠時間を取れるよう祈ることぐらいだ。

「そういえば、もうフェレットの姿にはならなくていいのか?」
「はい。魔力適合も大分進みましたから」

 祐一は立ち上がってヴィータの頭をなでる。が、ヴィータにその手をはたかれ、後ろに身を引かれた。

「許可なくなでんな。あたしをなでていいのは、はやてと、石田先生と、他数名だけなんだぞ」
「おう。了解」

 祐一は両手を上に上げて手を組み、簡単にストレッチをする。そして祐一はなのは達の方に顔を向けた。

「なあ、リンディさんどこにいるか知らないか? 挨拶しておきたいんだけど」
「確かあっちにいましたよ。レティ提督とお酒を飲んでました」
「ん、ありがとう」

 お礼を言って三人と別れ、ユーノの指差した方に歩いていく。ほどなくして敷物の上に座るリンディと紫の髪の女性がグラスに赤い液体――おそらくはワイン――を注いでいるところに遭遇した。近寄ってみると、二人の周りには空になったワインボトルが何本も立てられている。

「こんにちは、リンディさん」
「あら。お久しぶりです、祐一君」

 リンディに笑いかけられる。その隣に座る女性はグラスのワインを飲み干すと、祐一をじっと観察してきた。まるで値踏みをしているかのように。

「あなたがユウイチくん?」
「あ、はい。えっと、初めまして……ですよね?」
「ええ。初めまして、ユウイチくん。私はレティ・ロウラン。はやてちゃん達の上司よ」

 ほろ酔い加減のめがね美人、レティに微笑みかけられる。滲み出る大人の色香に、祐一は不覚にも胸がときめいた。

「うん。顔の造りは本当にフェイトちゃんにそっくりね」
「俺の事、フェイトから聞いていたんですか?」
「ええ。シグナムやリインフォースからもね。結構人気者よ、あなた」

 頭をかいて苦笑いを浮かべる。先の二つの事件における自分の立ち位置は卑怯であると祐一は自認している。自分の知る未来を再現するために、プレシアを始めとする幾人もの被害者を生み出した。誰もが納得するハッピーエンドではなく、誰かに痛みを強いた結末の上で。

「んー、複雑そうな顔してるわね。あなたも軽く一杯飲んでみる?」
「え?」

 断る間もなく、レティはグラスにワインを注いで差し出してくる。悩んだのは数秒。祐一はそっとグラスに口をつけた。

「ん、美味しいですね」

 芳醇な匂いに加え、酸味がききながらも全体としては甘目の上品な味わいがした。ワインを飲んだ経験など祐一にはなかったが、それでも質の良いワインである事は感じ取れる。グラスを干してレティに返す。そのグラスにレティはまたワインを注いだ。

「これ、どうしたんですか? 結構高めのワインみたいですけど」
「ワイン?」

 後ろから慣れ親しんだ声がする。振り返るとそこにはフェイトの姿があった。

「アリサちゃんのお父さんが持ってらっしゃった果実酒だそうよ」
「んー、病み付きになりそうな味よー。フェイトちゃんも一杯いかが?」

 リンディが説明をして、レティが先程のグラスをフェイトに差し出してくる。祐一が制止の声を上げる前に、フェイトはグラスを受け取ってしまった。

「フェイト、ストップ。まだお酒は早い」
「え……で、でも、兄さんは飲んでましたよね」
「そうそう。ユウイチくんだって、さっき美味しいって言ってたじゃない」

 迷っているのか、祐一の方をちらちら見ながらグラスの中の赤い液体を見つめるフェイト。一方、先程より頬と耳たぶを赤くしたレティが祐一をとがめてくる。

「レティ? もしかして……酔った?」
「酔ってるわよ。だって、さっきまでワイン飲んでたでしょう?」

 リンディが祐一の方を見て首を横に振る。どうやらレティはすっかり酒に呑まれたようだった。

「レティは昔から底無しだったんだけど……」
「ワインって結構アルコール度数高いんです。味の割りにお酒って感じがしないから、つい飲み過ぎちゃったんじゃないでしょうか」

 リンディと共にため息をついて、ふと隣のフェイトの方に顔を向ける。そこで祐一の視界に映ったのは、最後の一口を口に含むフェイトの姿だった。

「ふぅ……」
「あの、フェイトさん……大丈夫?」
「あ、はい。なんともないですよ、リンディ提督」

 レティにフェイトがグラスを返す。嬉々として次の一杯を注ぐレティを見て、祐一はフェイトとレティの間に身を割り込ませた。

「フェイト。子供はここまでだ。あまり酒を飲みすぎると、倒れちゃうからな」
「でも、ほんとに大丈夫ですよ?」
「今はな。アルコールってのは後から一気に来るものだから、今が大丈夫だからって油断すると大変な事になるぞ」

 フェイトの頭をぽんぽんとなでて注意する。フェイトは大人しく首肯してくれた。

「あのね、ユウイチくん。私だってまだ大丈夫よぅ。ね、もう一杯どう?」
「いえ、これ以上は教育上悪いんで遠慮しておきます。飲ませるならあっちの騎士達にして下さい」

 ちょうど近くを通りがかったシグナムとシャマルの方を示す。ふふふ……、と小さく笑いながらレティが立ち上がった。

「ヴォールケンリッター、ちょーっといらっしゃーい」

 ワインのボトルとグラスを持って、レティがシグナム達の所に歩いていく。それを見て祐一は安堵の息をついた。

「祐一君、いいの?」
「シグナム達には悪いと思いますが、今はフェイトの安全が優先です」

 レティに絡まれて困惑しているシャマルを見ながら言い切る。守護騎士プログラムであるシグナム達なら、多少アルコールが入ったところで問題ないだろう、と打算しての選択だった。
 そこでフェイトに上着の袖を引っ張られた。頬と耳に朱が差している。酔いが回ってきたらしい。どうやらフェイトはかなりアルコールに弱いようだ。

「フェイト、どこかおかしい所はあるか?」
「えっと、なんだか足元がふわふわしてるような……」

 その答えを聞いて、祐一はフェイトの手を握る。特に足元がおぼつかないわけではなさそうだった。ほろ酔い加減、といったところだろうか。握った手を引いて敷物の上に座り、こちらに背を向けたフェイトを足の間に座らせる。フェイトも特に抗わず、祐一に体を預けてくる。程無くフェイトは安らかな寝息を立て始めた。
 隣を見ると、リンディがこちらを見て微笑みかけてくる。

「あらあら、仲良しですね」
「まあ、兄妹ですから」

 リンディと笑顔を交わし合い――そしてレティの方を見る。リインフォースがはやての車椅子を押してその場から離脱しているところだった。シグナムとシャマルはレティを抑えようと宥めすかしている。

「あ、シャマルさんが押し切られた」
「ふぅ……ちょっと止めに行ってきますね」
「はい。がんばって下さい」

 リンディが立ち上がり、レティ達のほうに歩いていく。
 祐一も酔いが回ってきていたのか眠気に襲われる。そこからの記憶はぼやけて良くは思い出せなかった。














 走馬灯のように脳裏を走った、これまでの経緯に頭痛がした。祐一の隣に座ってきたなのはと共に、再びシグナム達の方を眺める。

「お、逃げたな」
「でも、アレックスさんとランディさんが……」

 二人の見つめる先には、アレックスとランディを身代わりにその場から撤退するシグナム達の姿があった。リンディを緩衝材になんとかレティのアルハラを躱すアレックス達。意地でもワインを口にしようとしないのは、一度押し切られると酔い潰されるまで飲まされるという事が判っているからだろう。

「ところでなのは。ユーノは?」
「ユーノ君なら、おねーちゃんと一緒だよ」
「アリサか……」

 探りを入れている、といった所だろうか。確かに同性で最も祐一と親しくしているのはユーノだ。それも無理からぬ事だろう。
 だが、もしアリサが祐一達の経験した未来を知ったところで意味など無い。祐一は、もう覚悟を決めてしまったのだから。

(――事件なんか起こさせない。俺は、なのはを助ける――)

 思えば闇の書の蒐集に関与した時点で気付いていたのだ。祐一には、大切に思う人達が傷付く事を容認出来ないことを。
 純粋に未来を知るためなら、最初から関わらなければよかった。始めから高町家を出て、月と二人でひっそりと本局に身を寄せればよかった。それをしなかったのは、祐一が前の世界で親しかった人達の苦難――闇の書事件――を、他の誰でもなく自分の手で解決したいと思ってしまったからだ。

「なのは」
「なに? おにーちゃん」

 屈託無くなのはが笑う。その頭にぽんと手を乗せた。頭をなでて髪を一房手に取ると、さらさらとした髪が指の隙間をすり抜けていく。

「なのはは、武装隊に入るんだよな」
「うん。そのつもり」

 先日なのはがその考えを伝えた際、高町家緊急家族会議が開かれ、なのはの強い意志を確かめたところで許可が下りる次第となった。
 武を生業としていた者、武を振るう意味を知る者、武によって命を救われた者――そんな家族に支えられ、今なのはは管理局への入局を目前としている。

「武装隊に入るって事は、今までより更に厳しい戦闘を強いられるかもしれない」
「だから、一人で無理をしてしまわないように、だよね?」

 なのはの答えに首肯する。闇の書事件より、事ある毎に何度も言い聞かせてきた言葉だ。
 なのはは小学一年の頃から魔導を培ってきた。その身に刻まれた魔導は、通常不可能と思えるような魔力運用、制御、集束、操作を可能としている。僅か九歳のなのはが、永遠とも思えるような戦いを経験してきたヴォルケンリッター達と対等に戦えるのも、こうして形作られた魔導師としてのセンスに裏打ちされての事だ。
 だが、それは決して良い事ばかりではない。高い出力、高度な誘導制御。それらを可能とした魔導のセンスは、限界を超えた力の制御――言い換えるなら、大幅な無理を体にきかせること――を可能にしてしまう。

「何かあったら頼みに来いよ。大抵の怪我なら治してやれるから」
「はーい」

 なのはが隣から祐一に寄りかかってくる。その背中に腕を回して支えてやると、なのははそっと身を預けてきた。
 そのままじっとしている内に、聞こえてくる寝息が二つに増える。祐一が敷物の上にゆっくり背を倒していくと、なのはは祐一の隣に、フェイトが祐一の上にうつ伏せで寝る形になった。
 風に舞う桜花を眺め、春の陽気に身を任せる。三つの寝息が重なるまで、さほど時間はかからなかった。


 



[5010] 第五十五話
Name: tript◆4735884d ID:b2f6d168
Date: 2010/12/07 23:02
 星一つ無い漆黒の空を見上げて、祐一は小さくため息をついた。
 視線を空から前に戻すと、そこにあったのは石畳の街路と中世の西欧を思わせる町並み。
 街灯は無いものの、道に面する家々の窓から光が漏れ、薄暗いながらも歩くことに差し支えはない。
 祐一は足を前に踏み出す。

 びちゃっ。びち、びちゃ。

 一歩踏み出す毎に、ゴム長靴に水を入れて歩いたような音がした。
 いや、『ような』という比喩は無用だろう。祐一の履いている靴は実際に濡れていて、一歩進む度に気味悪い感触を脳に伝えている。
 曲がり角の左の民家の窓から、光と共に住人らしき者の声が漏れてくる。祐一の左手に握られていた、黒く長い物がムチへと形状を変え、民家の窓に叩き付けられる。
 悲鳴は上がらなかった。それどころか、砕かれた窓ガラスの向こう側には、人影一つ存在していなかった。
 祐一は再びため息をつく。黒いムチを片刃の大剣へと形状を変化させ、三叉路を右に曲がった。。
 街路に人影は無い。にもかかわらず、右前方から声が聞こえてくる。内容を聞き取れないくらいの小声であったが、それが二人程度、それも女の声である事はなんとか聞き分けられた。
 その方向を注視して見る。やはりそこには誰もいない。
 祐一が歩いた範囲には、人のいた痕跡こそ見つかるものの、実際に確認できた人は誰一人として存在していなかった。
 どこまでも続く似たような町並み。いつまで経っても陽の光が差さない空。
 これまでに破壊した窓や玄関が見つからないことから、ゲームの無限ループのように同じ道を歩かされていないことは判る。
 だが、どれ程歩いてもこの町の果てに辿り着けないのも事実だった。

 びちゃ、びちゃっ。

 濡れた靴底を踏みしめる感触になんら構うことなく、祐一はただ前に歩き続ける。
 時間の感覚は無い。知覚できる範囲に変化が現れないのであれば、時間という概念は何の用も成さない。
 己の現状に、この時の祐一は何一つ疑念を抱かなかった。



















 花見をした翌月、なのは、フェイト、はやての三人は正式に管理局に入局した。
 さらに二ヵ月後。夏休みの始まりと同時に、なのはとフェイトはミッドチルダの陸士訓練校に入学し、三ヶ月の短期プログラムを終えて高町家へと帰還する。
 それからは、順調に日々が過ぎていく――その、はずだった。
 なのは達の入局から一年経ったある日、学校から帰った祐一達がリンディからの緊急連絡を受けるまでは。

「……それは、本当ですか?」
『はい。なのはさんは今、本局で治療中です。……応急処置をした医療班からの報告によると、かなりの重傷を負ったそうです』

 ファイスのクリスタルの上に映し出されたホログラムウインドウ。その向こう側からリンディに告げられた事実に、祐一は頭から血が引いていくような感覚を憶えた。
 なのはの撃墜。かつての世界でシグナムから教えられた、祐一のいた世界では次の冬に起こる筈だった事件。
 朝、学校に出かける時のなのはの様子は、至っていつも通りだった。
 あらゆる逆境を覆してみせる不屈のエース。そう呼ばれるなのはが、その天性の才能と地道な努力によって築き上げてきた魔導が敗れるなど、祐一は想像してさえいなかった。
 少し考えれば分かる事だったのだ。どれだけ強く言い聞かせたとしても、誰かを守るためになのはは平気で無理を押し通してしまう子だという事は。
 ぎり、と奥歯を噛み締める。右手を力いっぱいに固く握り締めた。その右手に、隣にいたアリサが手を重ねてくる。

「祐一」
「ああ」

 アリサが発したのはただ一言。それだけで、祐一は今何をするべきか教えられた。顎と手から力を抜き、真っ直ぐリンディに向き直る。

「リンディ提督。俺達は本局に向かいます」
『そう……。祐一君、あなたまで無理はしないでくださいね』
「……前向きに善処します」

 祐一はファイスに触れて通信を切る。次いで月衣から半球状の黒い装置――ゴスペルを取り出した。
 ゴスペルを介しての転移は、転移機能の中枢を担う『Capel』本体、もしくは他のゴスペル所持者の下へのみ可能となっている。祐一は月の持つゴスペルにアクセスした。十数秒後、ゴスペルの上にウインドウが開き、そこに畳んだ白衣を抱いた月の姿が表示される。

「母さん、なのはが!」
『聞いてる。処置は終わって、今はICUに入っているそうよ。向こうに着いたらゲートを開くから、それまで我慢して』

 ウインドウに映る月の横には窓があり、その向こう側の景色は流れていた。どうやら本局内の交通機関を使っているらしい。
 ウインドウを閉じ、アリサと顔を見合わせる。二人は一つ頷き合って階段を駆け上った。それぞれ自室で外出の準備を急いで整え、高町家の庭に出る。
 それから十分強の時間が経った。祐一の持つゴスペルの周囲が黒く明滅を始める。そして時空を繋げるゲートが開かれた。二人はゴスペルの発した光に包まれ、ゲートの中に吸い込まれる。
 光の中、視界が捻じ曲がるように歪む。祐一とアリサは触れ合った手を互いに握り締めた。
 光が消えた次の瞬間、足裏に硬い床の感触を覚える。
 視界に飛び込んできたのは待合室らしき部屋。その部屋に置かれていたイスに、管理局の制服を着た月が座っていた。椅子に座り背を壁に預け、手を太腿の上で組んでいる。
 さらにその隣には、赤毛を三つ編みにした少女――ヴィータが座っていた。その頭と腕に巻かれた包帯が痛々しく祐一の目に映る。

「母さん……」

 祐一が声をかける。月は胸に手を当て、浅く数回息をついてからこちらに向き直った。

「今、なのはちゃんはこの向こうよ。面会は五分間、入室出来るのは二人まで。多分、麻酔が効いているからまだ意識は戻らないと思うけど」
「そっか……」

 アリサと顔を見合わせて安堵の息をつく。面会が出来るなら、祐一が治癒魔法を使うことが出来る。医師の許可を貰う事が出来たなら、それで怪我は完治するだろう。ウィザードの魔法は折れた骨を繋ぎ合わせ、傷付けられた内臓を復元することも可能なのだ。
 そこで祐一はふとヴィータの方を見る。ヴィータは膝の上で手を握り締めたまま俯いていた。

「来てくれたんだな、ヴィータ」

 武装隊の制服に身を包んだヴィータに話しかける。だが、ヴィータは俯いたまま首を横に振った。

「違う。あたしはなのはと一緒に出てた。あたしが一番あいつの傍にいた。だから、あたしが一番に気付かなきゃいけなかったんだ……!」

 ヴィータが発した、自身への苛立ちと後悔に震える悲痛な声。それを聞いたアリサがヴィータの前に立った。アリサはヴィータの両肩にそっと手をかける。顔を上げたヴィータに、アリサは優しく微笑みかけた。

「何が起きたのか、教えてくれる?」

 柔らかい口調でアリサが問う。ヴィータは静かに頷いて、おもむろに口を開いた。

「今日、あたしはなのはの隊と合同で、ロストロギアを強奪した犯罪組織の巣穴に強制調査をかけた。別に強いやつが居た訳じゃねえ。すぐに相手は全滅した。……親玉一人を除いてな」
「そいつが、なのはを?」

 アリサの問いに首肯するヴィータ。そして、ヴィータは制服の裾を強く握り締める。

「そいつだって大した相手じゃなかった。奪ったロストロギアで魔力を跳ね上げていたけど、いきなり強い力を手に入れても扱いきれる訳がねえ。なのはが魔力弾で袋叩きにして、あたしが一発ぶち込んで、それで終わり――――その筈だったんだ」

 そこでヴィータは一つ息をつく。目の前に立つアリサと合わせていた視線をを下げ、険しい目つきをするヴィータ。隣に座っている月が慰めるようにその頭をなでるが、ヴィータはその手をいつものように払いのけはしなかった。
 
「あの野郎は最後にでっけえ魔力弾を幾つもぶっ放した。もちろんあたしは全部弾いたし、なのはも魔力弾を横からぶつけて弾き飛ばそうとした。だけどあの時、一瞬なのはがよろめいた。そのせいでなのはは魔力弾の誘導を失敗して、あの野郎の攻撃をもろに喰らっちまった」
「それで大怪我をしたのか?」

 祐一の質問に首を横に振るヴィータ。祐一は朝のなのはの事を思い出す。食事の時も、玄関で別れる時も、なのはに変わった様子はなかった。
 それに、レイジングハートの補助を受けた魔力弾がそう簡単に外れるとも思えない。何か理由があると考えた方が自然だろう。

「なのははシールドを張ってその攻撃はしのいだ。だけど、あの野郎はオーバーロードしたロストロギアをなのはに投げつけやがった。暴走したロストロギアの魔力が炸裂した時、なのはから離れていたあたしは吹き飛ばされるだけで済んだ。けど……」
「――教えてくれてありがとう、ヴィータ。大体事情は分かったわ」
 
 月が横からヴィータを抱きしめる。流石にこれは嫌だったのか、ヴィータは抵抗して月の体を押し戻す。 
 スカートを直しながら座り直した月は、身に纏う雰囲気を一変させた。口元にいつも浮かんでいた笑みが消え、目つきを鋭いものに変える。

「原因は二つ考えられる。一つはなのはちゃんが体調を崩していた場合。風邪とか貧血なんかの場合ね。これはもう、運が悪かったと諦める他無いわ。だけど、もう一つの場合が原因だったなら、今回の負傷は起こるべくして起きた物よ」
「……なんだよ。そのもう一つの場合って」
 
 ヴィータが力なく呟きを洩らす。月は小さく息をつき、ヴィータの頭に手を乗せてぽんぽんと軽くたたいた。

「そんなに自分を責めてしまうなら、あなたも気付いているんじゃない?」
「……」

 沈黙したまま俯くヴィータ。だが、それは明らかに無言の肯定だった。
 そしてアリサがヴィータから月の方へと向き直る。それに対して、月は僅かに視線を下げ、口を開く。
 
「なのはちゃんが重傷を負った事件。それは私達の世界でも起こったわ」

 突然の告白だった。ヴィータが顔を跳ね上げて月の顔を見る。アリサも目を丸くして驚いていた。
 なのはの撃墜。それがこの冬に起きると聞いていた祐一は歯を強く食いしばる。
 祐一がただ存在するだけで、周囲の人間は変化を強いられる。なのはが本来の時期より早く墜ちる事も、充分にありえたのだ。
 祐一はヴィータ同様手を握り締める。その様子を横目で一瞥し、月は中断した話を先へと進ませる。

「私達の世界では、その事件は今から半年後に起きた。未確認体の襲撃。本来のなのはちゃんなら何の問題なく下せた筈の相手だった。だけど、体に負担が溜まっていたなのはちゃんは撃墜され、飛ぶどころか立って歩く事さえ難しいほどの重傷を負ったの」
「体に負担……それが、もう一つの原因なんですか?」

 アリサが顔を険しくして問う。月は静かに首を縦に振り、右手の人差し指を立てた。その指先に、黒い魔力が集束する。それがピンポン玉ほどの大きさになったところで、月は集束した魔力を霧散させた。

「なのはちゃんの使う大威力砲撃、とりわけこういった集束砲撃魔法ブレイカーは体に強い負担を強いるわ。それがまだ未成熟な子供の体なら尚更ね。アクセルシューターにしてもそう。十六発の誘導制御弾全ての同時精密操作を行なえば、脳に負荷がかからない訳がない。……せめて、何が悪かったのかはっきりと言えるなら対策も練る事も出来た。だけど、結局私に出来たのは、祐一を通して注意を呼びかけるだけだった」

 月はヴィータ、アリサから視線を外し、ICUの扉を見る。
 その向こう側にいるという事は、なのはは未だ予断を許さない状態にあることを意味している。
 四人が沈黙する中、時間だけが過ぎていく。
 それぞれの息遣いが聞こえるほどの静寂は、ICUの扉が開かれる事によって破られた。









 消毒液で手の消毒を行い、マスクをつけた祐一はヴィータと共にICUに入室する。看護師に案内された部屋には、一台のベッドとその周りに配置された様々な機械、そしてその中央に横たわるなのはの姿があった。
 なのはは両腕と額、胴体を包帯で巻き、四肢に心電図の電極を取り付けられ、口に人工呼吸器から伸ばされたチューブが挿管されていた。辛うじて包帯の巻かれていない部分も、青黒く、もしくは赤黒く変色していた。
 入室前、ICUから出てきた医師による説明を思い出す。
 両腕の複雑骨折、頭部の裂傷、鼓膜破裂、肺挫傷、肋骨の単純骨折など数多くの怪我を負い、バリアジャケットで守られていたにも関わらず、なのはは身体のあちこちに裂傷や熱傷、内出血が生じているという。
 その他、語調や言外の雰囲気を含めて意訳してしまうなら、これ以上は手の施しようがなく、後はなのは自身の回復力次第である、ということになる。 
 祐一に医師を責める気持ちなどない。医師に出来ることなど、手術などの施術や投薬によって容体を安定させる程度の物だ。人の身で為し得る事などたかが知れている。
 そして、これより祐一が行うのは、この世界の魔導と在り方を根本から違えた外法に他ならない。
 祐一は両手を突き出し、目の前に青い円形の魔法陣を生み出した。
 同時になのはの体を三つの白い輪が取り囲む。輪はそれぞれウィザードの言語による帯状の文字列で、その三つの輪はなのはを中心に回転を始めた。輪によって描かれた球、輪と輪の隙間を埋めるように白い光が幾何学的な紋様を描き、球の内側は白いエネルギーがその輝きを強くしていく。
 祐一は限界までプラーナを解放し、術式に注ぎ込み続けた。白い光の球体は、温かで優しい輝きを静かに放っている。
 魔力、プラーナを全て解放し、今までの人生で最大の魔法が顕現される。

『――リヴァイブ――』

 言霊を告げることによって祐一の魔法は発動した。なのはの体を包み込んでいた光の球体が膨張し、次の瞬間中心へと収縮する。
 そして凝縮された光球がなのはの体の中に消えていく。祐一はそれを見届け終わると膝をつき、床に体を投げ出した。
 




 時空管理局本局。次元の海に浮かぶ要塞のように大きな被造物。その一角にある医療機関の病室で祐一は目を覚ました。
 ゆっくりと上半身を起こす。同時に、ベッドから少し離れてイスに座っていたフェイトとアリサが、祐一の傍に歩み寄った。

「えっと……おはよう?」
「兄さん……!」

 フェイトが祐一の横から抱きついてくる。祐一はその頭をそっとなでながら、アリサの方に視線を向ける。なぜか柔らかく微笑まれた。
 右側頭部に走る偏頭痛をこらえて辺りを見回す。そして祐一はなぜこのような場所にいるのか記憶を辿り――――思い出した。

「なあ、アリサ。なのははどうなった?」
「幾つか検査をした医者の話だと、身体はほぼ完治してるわ。まだ意識は戻っていないけど、今は一般病棟に移されてる。士郎さんと桃子さんが付いて行ってるから大丈夫よ」
「そっか……」

 あの治癒魔法は一応成功したらしい。祐一が倒れたのは、ただでさえ低いウィザードの魔力を限界まで使い切ったのが原因といったところだろう。一眠りしたおかげか魔力は少しだけ回復していた。
 視線を下げる。そっと自分の顔を見上げてくるフェイトと目があった。

「ごめん。心配かけた」
「……はい」

 フェイトの抱きついてくる力が強くなった。なのはが瀕死の重傷を負った上に祐一まで倒れたと聞かされては、フェイトが動転するのも仕方のない事だろう。

「で、何で祐一まで倒れたの?」
「治癒魔法に限界まで力を割いたから、そのせいだと思う」
「そう……とりあえずお疲れ様」

 アリサに頭をなでられる。どこかくすぐったい気持ちになり、祐一は口元を緩めた。戦いに秀でていない祐一の、唯一の取り得。それが認められたことが嬉しかった。
 フェイトが祐一から腕をほどく。その右手をフェイトは口元に当てた。

「ぁ……ふ」

 小さく口を開けあくびをするフェイト。次いで口元を見ていた祐一とアリサの視線に気が付き、フェイトは頬を淡く染める。
 
「フェイト。少し寝なさい」

 アリサがフェイトに声をかけ、フェイトは首を横に振った。
 祐一はアリサの言葉に疑問を持ち、それを察したアリサが腕時計を見せてくる。
 デジタル表示された現在の時刻は――AM3:07。

「まて。もしかして二人とも寝てないのか?」
「あたしは仮眠を取ったわ。だけどフェイトはずっとあなたに付きっきりだったの」

 祐一とアリサの視線を向けられ、フェイトは本当に小さく頷いた。祐一はベッドから降り、フェイトの隣に立つ。

「きゃっ」

 フェイトの頭を乱暴になでる。それからフェイトの脇に手を入れて体を持ち上げ、ベッドに無理矢理座らせた。

「俺はもう大丈夫だから、フェイトも少しは休んでくれ」
「私も大丈夫です……いたっ!?」

 口を尖らせるフェイト。祐一は中指を弾いてその額に当てた。

「なのはの怪我の理由は聞いてるか?」
「……無理をしすぎたせい、です」

 フェイトと無言で向かい合う。先に折れたのはフェイトの方だった。フェイトは自分からベッドに横たわり、布団を胸の辺りまでかける。

「えっと、お休みなさい」
「おう。お休み」

 フェイトの額の上辺りに手を乗せる。目を閉じたフェイトが静かな寝息を立て始めるまで、そう時間はかからなかった。
 祐一は後ろに振り返り、アリサと視線を重ねる。

「アリサは寝なくていいのか?」
「平気よ。別に徹夜は初めてじゃないし」

 アリサ達が使っていたイスに二人は並んで座る。そこで祐一はこの場にいない二人の事を思い出した。

「なあ。ヴィータと母さんはどうしたんだ?」
「ヴィータはシグナムに連れて帰ってもらったわ。検査の結果、なのはの怪我は全部治っていたの。だから説得はそんなに苦労しなかったわ。月さんの方は、士郎さん達を連れてきた後ふらっと消えちゃった」
「そうか……」

 月が隠れて何かやらかすのはいつものことだ。取り立てて騒ぐほどの物ではない。
 それよりも気になるのはなのは達の方だ。これだけの大怪我をして、桃子が何も言わない訳がない。ただ、士郎の方はなのはの覚悟次第で簡単に折れてしまうかもしれない。

「なのははこれからどうするのかな……」
「……なのはの事だから、諦めないんじゃない? 確かに無理を積み重ねた事は悪かったけど、それはこれから改めていけばいいし」

 中空を眺めて洩らしたぼやきにアリサが返事をする。なのはは強い。それは能力が秀でているという意味ではない。譲れない物を背に真っ直ぐ自分を貫いていく、その在り方こそがなのはの強さだ。

「アリサ。なのはが起きたらどうする」
「どうするも何もないわよ。おはようって挨拶して、それからしっかりお説教ね」
「厳しいおねーさんだな」
「あんたが甘すぎるのよ」

 二人で苦笑を交し合う。これで祐一の抱えてきた未来は全て清算される。後はただ、祐一は行きたい道を行けばいい。
 ――その、筈だった。




 その夜より数えて半月。なのはは一度も目を覚まさなかった。



[5010] 第五十六話
Name: tript◆4735884d ID:b2f6d168
Date: 2011/04/15 14:25
 変わらない町並み。変わらない漆黒の空。人々の息吹はそこかしこに溢れていて――――触れることは適わない。
 疑問に思うことはない。ただ全てを受け入れ、当然のように前に歩き続ける。
 石畳を歩く度に水音を立てる濡れた靴。
 頭から水をかぶったように全身を伝う雫。
 両手に握り、ぶら下げている白と黒の剣の先から、手から伝った雫が滴る。
 進むにつれて、道のそこかしこにわだかまる闇が濃くなっていく。

 ――――――。

 後ろから声をかけられたような気がして、祐一は振り向く。
 当然のように、振り返った先に人の姿はない。
 ふとそこで祐一の頭に疑問が浮かんだ。
 こうして後ろを振り向いたのは、初めての事ではあるまいか、と。
 それは、祐一が初めて胸に抱いた、ごく些細な疑問に過ぎない。
 だが、ここで祐一は『疑問を浮かべる』という当たり前の機能を蘇らせた。
 いつからこのような場所にいたのか――――不明。
 どうして前に歩み続けていたのか――――不明。
 ここはどこなのか――――不明。
 なぜ夜が明けないのか――――不明。
 一度疑念を抱き始めれば、疑問は無数に湧いてくる。
 街路に面した明かりを零す家の前で、祐一は足を止めた。
 次いで白と黒の剣を握る両手を振り上げる。
 握り締めた手を、その家の扉に叩き付けた。
 木製の扉はあっさりと破壊され、祐一にその内側をさらけ出す。
 人の気配を感じて、玄関を壊した事は幾度もあった。
 だが、それより先――――家の中に入り込むのは、これが初めてだ。
 祐一は明かりの付いている部屋に入り――直後、硬直する。 
 そこには食べかけの食事がテーブルの上に並び、テーブルの反対側にはベッドがあった。
 だが、祐一の視線は、壁に立てかけられていた縦長の鏡に釘付けにされていた。
 黒かった。
 頭を、顔を、首を、全身を、剣を、髪の先から靴の底まで、祐一は黒ずんだ血で濡らしていた。
 そこで初めて、祐一は明かりの下で自分の体を確認する。
 血に塗れた両手と、握られた剣の先から滴リ落ちる血の珠。
 上下の衣服はすっかり黒に染まり、触れた先からボロボロと乾いた黒い血が剥がれ落ちる。
 ずっと異音を立てていた靴は、踏みしめるたびに血を滲ませていた。
 そして、最後に祐一はもう一度鏡の中の自分を見て――自分が茶色がかった髪の青年の姿であることに気が付いた。

 ――――――。

 不意に、声が聞こえた。
 それがどのような言葉であったか聞き取れないものの、自分を呼んでいるのだと祐一は確信を抱く。
 玄関から出て、祐一は今まで歩いてきた方向に歩き出そうとする。
 祐一が一歩踏み出した瞬間、背後の闇が蠢いた。
 振り返ることなく祐一は走り始め、前方の暗がりから飛び出して来た影を斬り伏せる。
 そして、迷走が始まった。





















 なのはの負傷が一夜にて消え去った奇跡について、病院は関係者に戒厳令を敷いた。
 それは士郎を始めとする家族からの申し出であり、医療関係者達が持つ守秘義務の履行であり、そして事実を公表した際の被害を避けたい病院側の意向であった。
 なのはは昏睡状態に陥っており、脳障害の可能性が大きい。また、これ以上は手の施しようが無く、いつ意識を取り戻すかも不明。これがなのはの撃墜から五日目に、担当医から告げられた診断の要約である。
 それを受けた高町夫妻が、なのはを本局の医療機関から海鳴大学病院に移す事を希望したのは当然の流れであろう。少々手続きに時間がかかったものの、なのはの転院は速やかに行なわれた。



 それからさらに十日の時が過ぎる。だが、依然としてなのはの意識が戻る様子はない。
 恭也や美由希の他、祐一やアリサ、すずかやバニングスは、毎日放課後になのはの病室を訪れていた。管理局での業務がある日を除いて、フェイトやはやて、ヴィータも見舞いに訪れている。桃子と士郎も必ずどちらかが長めの休憩時間をとり、時間の許す限りなのはの傍に居た。
 誰もが無理をしている。日が経つにつれ肥大する無力感と不安に、少しずつ皆の心が疲弊していく。
 祐一はベッドに横たわり、窓から暗い空を見上げた。
 深く長い息をついた祐一は天井に右手を掲げ、指を開いていたその手を握り締める。
 十五日目の夜。それが祐一の決めたリミットだった。
 なのはを目覚めさせるための手段。奇跡の名を冠する力。
 その一つは小さな奇跡――願いを叶える力を、元の世界の人間に借りる事。だが、これではなのはが無理を重ねる事は止められない。
 もう一つの手段。それは祐一自身の力で奇跡を起こす事。リスクは高いが、少なくとも現状は変えられる。
 上手くいきさえすれば、なのはに反省を促すことも出来る方法だ。
 奇跡の代償。それがどれ程深刻なものになるか、恐怖が無いわけではない。
 だが、祐一に他の方法は浮かばなかった。
 ベッドから身を起こす。大きく伸びをしてから立ち上がり、机に向かう。ノートの頁を一枚千切って書置きを残しておく。
 部屋の電気を落として、祐一は極力音を立てないよう階段を下り、外に出た。




 祐一はレネゲイドの力を使い、近くの川の水を用いて分厚い氷の板を作り出す。次いで出来上がった氷盤に魔法をかけ、一時的にウィザードの箒と同じ能力を持たせる。氷盤は祐一を上に載せたまま空に浮き上がり、滑るように宙を駆けた。
 辿り着いたのは病院の屋上。氷盤から降りた祐一は屋上の出入り口に向かい――とっさに後方へ跳び退いた。
 次いで風切り音が鳴り、祐一のいた場所に小さな影が降り立つ。

「ユーリ……!」

 翠の髪、金の瞳の小さな子供。月によって生み出されたホムンクルス――ユーリ。
 何の感情も抱いていないような無表情でスタンバトンを握ったユーリは、真っ直ぐに祐一の目を見つめてくる。
 感情は読み取れなくとも、その視線だけでユーリが戦意を祐一に向けている事はすぐに分かった。そして、その目的も簡単に類推できる。
 ゆえに、祐一はユーリに話しかける。

「……俺にも奇跡を起こせるみたいだな」
「高町なのはの意識を呼び覚ます事は出来る。だからこそ、予測された結末を防ぐために私はここに来た。あなたが能力で背負う代償はほぼ等価。だから月は決定した。あなたを捕らえ、能力を永久封印する」

 半歩左足を後ろにずらし、祐一は虚空から白黒一対の大剣を取り出す。そして、ユーリに向かって半身になって構えた。

「じゃあ、どうするんだ? 舞やあゆに頼んで治してもらうのか?」
「その方法では、高町なのはは再び同じミスを犯す。二年の間、高町なのはの事は自然治癒に任せる。それが月の出した結論」
「却下だ。元々俺がいたせいでなのはは本来の歴史以上に傷付いた。だから、責任は俺が取る」

 それから無言の睨み合いが続く。ユーリが体から力を抜いた。スタンバトンを片手にぶら下げ、ユーリは構えを解く。だが、その眼光は僅かたりとも鈍ってはいなかった。

「退いてくれる……って訳じゃないみたいだな」
「提案。この場で戦い、勝利した方の意見を採用する」

 言い終わるや否や、ユーリの姿が瞬時に消える。待ちの姿勢でいた分、反応が遅れた。背後から振り下ろされたスタンバトンが祐一の後頭部を捉える。直後、祐一は前に倒れ込み――屋上の床に触れた瞬間祐一は横に転がる。
 体を跳ねさせる様に飛び起きた祐一は、即座に前に転がった。次いで祐一の頭があった場所をスタンバトンが振り抜かれる。
 立ち上がった二人は、再び得物を構えて睨み合いの姿勢に入る。

「……その剣は卑怯。電流まで半減された」
「どっちが卑怯だよ。その瞬間移動もレネゲイドの力か?」
「空間を支配するオルクスの能力、≪縮地≫。空間を繋いで移動出来る」

 それを聞いて、祐一は小さく舌打ちした。ユーリの言葉が本当なら、それは距離を支配できるということだ。間合いも襲ってくる方向も何もかもが支配される能力を前にしては、ファイスのバリアヴェールさえも無意味だろう。
 だから、祐一は完全に防御を固めることにした。祐一の体が赤い魔力に包まれ、その姿が変わっていく。高密度圧縮魔力の鎧を纏っているのだ。月村邸での事件との違いは、その巨大化した両手の甲に白黒の刃が突き出している事のみ。
 圧縮魔力の鎧は眼部と口元が開かれているため、環境の変化やガスなどに対する防御能力はないに等しい。だが、代わりに物理攻撃に対してはバリアジャケットを遥かに凌ぐ防御力を持つ。スタンバトンによる打撃と感電を防ぐにはこれで充分だった。
 だが、これでユーリの攻撃を無効化できたわけではない。むしろ、ここからが本番だった。
 ユーリはスタンバトンを手放す。落下したスタンバトンは床に落ちる直前に消え失せた。月衣に収納されたのだ。
 そして、ユーリは右手を祐一に向けて突き出す。同時に祐一は半身になって構え直した。

「……≪アームドシェル≫」

 呟きと共に、ユーリの右腕がほどけた。肘より先の腕が無数の細い糸となり、それらが寄り合わせられ、新たな腕を再構築する。ホムンクルスが造られた時から仕込まれている、肉体を戦闘用に変化させる機能だ。
 形成された腕は片刃の大きな剣になっていた。それがただの剣でない事は、その刀身に宿るウィザードの魔力が証明している。
 互いにレネゲイドウイルス感染者だ。多少傷付けた程度では終わらない。特にユーリはホムンクルスであるが故に見かけとはかけ離れて高い耐久力を持っている。ゆえに、二人の戦いは殺意をむき出しにした死闘となる。

 先に動いたのは祐一だった。ユーリに向かって強く一歩を踏み出し、次の瞬間にはユーリがいた空間を右手でなぎ払う。
 祐一は動きを止めることなく駆け抜け、斜めに横にと跳ね回る。その動きを追いきれなかったユーリの右腕は空振りし、屋上の床を鋭く深く切り裂いた。
 腕を武器化しながら連続して転移することは出来ないのか、それともレネゲイドの衝動を避けるためか、ユーリの≪縮地≫を使う回数は激減していた。
 祐一は圧縮魔力鎧によって底上げされた身体能力をフルに使ってユーリの刃を躱し、ユーリは祐一の隙を突くように巧妙な斬撃を繰り出す。
 ユーリの腕がかする度に祐一の鎧は切り裂かれ、蒸気の様に赤い魔力が噴出する。黒き剣の作用によって刃腕の速度が落ちているため、辛うじて鎧の中の祐一まで刃は届いていない。しかし、それも時間の問題だった。
 祐一は床を横に跳ね、ユーリから距離を取る。≪縮地≫の使用限界数が近いのか、ユーリはその場に留まった。

「俺の鎧に何をしたんだ?」 

 祐一が発したのは、返事など期待していない問いだった。だが、ユーリはその場から動かず口を開く。

「あなたが高密度圧縮した魔力は、通常の魔力と異なる性質を持つ。あなたの鎧は、魔力を結合させずに無理矢理体表に圧縮し続け、物質に近い形に加工した物。そのデータはもう揃っている。鎧の固有振動数と同じ周波数の高振動ブレードで、無効化した」

 息一つ乱していないユーリが淡々と述べる。だが、その返事の内容よりも、祐一はユーリの表情に目を奪われた。
 彼女は笑っていた。それも嘲笑の類ではない。ただの子供が得意気に話をしているような、誇らしげな笑みだった。
 唐突に固まった祐一を見て、ユーリが首を傾げる。祐一はそれに苦笑して、さらに魔力鎧を肥大させた。

「さて、そろそろ白黒つけようか」
「……はい」

 空気が張り詰める。一際強い風が屋上に吹きすさぶ。二人が動いたのはほぼ同時だった。
 ユーリが僅かに早く踏み込む。そのままユーリは祐一の胴に刃と化した腕を滑らせ――

「――っ!」

――触れ合う瞬間、祐一の魔力鎧が内側より膨張、爆散した。
 圧縮されていた魔力が祐一を中心に赤い霧と化して屋上を覆う。
 霧はすぐに消え去り、病院の屋上には二人が武器を構え合っていた。
 祐一が脇腹から血を流してユーリを睨みつける。一方ユーリは無傷のまま、左腕をも刃と変えて両腕を交差させる。
 そして、ユーリの姿が突如消え去った。即座に祐一は前方に飛び、真上から襲ってきたユーリの刃腕を躱す。
 着地したユーリは横薙ぎに腕を振るおうとして、再び姿を消した。
 祐一は振り返りながら両手の剣を構え――――間に合わずに背中を切り裂かれる。
 疼痛と共に傷が急速に塞がっていく。その感触に寒気を覚えながら、祐一はユーリの繰り出す両腕を必死に受け続ける。
 正攻法では勝てない。それを祐一が悟った瞬間、勝負は決まった。
 凶刃と化したユーリの右手が振るわれる。それを受けようとした祐一の白剣が引っ込み、腕を空振りしたユーリがたたらを踏む。
 黒と白の剣は剣という形を捨て、左右一対の柄の短いメイスとなる。さらに祐一が腕を振るうと同時、白いメイスは細く長い鞭の形態を取り、動きが止まっていたユーリに巻き付いた。
 次いでユーリを蹴り倒す。その喉下へと黒いメイスを二又の槍に変え、倒れ込んでいるユーリの首を挟むように床につきたてた。
 これが祐一の本来の戦い方だ。相沢祐一として生を受けて以来、魔導に魅せられ真っ直ぐに戦うことに慣れ過ぎていた。そのような些細な事にこだわっていた自分を恥じる。変幻自在の武器とそれを何とか扱える程度の腕前。輪廻を廻る中、生き延びるために使ってきたそれらの技能こそが“転生者”祐一の力だ。
 黒い槍は先端の形状を変化させ、締め付けない程度の首輪を作る。首より下も白い鞭によって縛られ、ユーリの両腕を封じていた。

「降参するか?」
「…………こーさん」

 ユーリはもがく事を止め、刃と化していた両腕を人間の腕に組み直す。それを確認して、祐一は黒い首輪を元の剣の形状に戻す。念のため、ユーリの体を縛っている白い鞭はそのままにしておいた。

「ついでだ。なのはが目を覚ましたら、俺の能力について教えてやってくれ」

 祐一の頼みに首肯するユーリ。だが今度はユーリから声をかけてくる。

「――――何か、伝言は?」

 ユーリが真っ直ぐ視線を向けてくる。いつもより自発的なユーリの発言に祐一は目を丸くし――そして口元に小さな笑みを浮かべた。

「そうだな…………適当に起きるから、無理のない笑顔でいるように、って伝えてくれ」
「ん、了承」

 ユーリが頷いたのを確認して、ユーリを縛っていた白い鞭も剣の形状に戻す。ユーリは後方に高く跳び上がり、落下防止用のフェンスを飛び越えて下に姿を消した。
 すでに戦闘によって出来た傷は跡形も無く消えている。切り裂かれた衣服についてはどうしようもない。祐一はため息を一つ零し、屋上の扉に向かった。
 扉の鍵穴に白い剣の先端を当てる。剣先が鍵穴に形状を合わせながら侵入し、祐一が剣を捻ると共にカチリと硬質な音が響いた。
 中に入る前に祐一は両手を開く。手放された二本の剣は床に着く前に、僅かな燐光と共に虚空に消えた。
 巡回の看護師に見つからぬよう非常階段を使い、なのはの病室へと足音を殺して静かに向かう。
 辿り着いた部屋の中には、心電図モニターや脳波モニターらしき機材を横に並べた一台のベッドがあった。
 その上に横たわる少女を見て、祐一は長い息をつく。
 自分がどうなってしまうのか、恐怖がないといえば嘘になる。
 だが、それ以上に祐一は安堵していた。
 これでようやく祐一は終わる事が出来る。これより先に祐一が果たさなければならない事象はない。
 だから、祐一は笑えた。なのはに笑いかける事が出来た。
 そっとなのはの胸に両手を添える。位置的には心臓の辺りだ。その手を接点に、祐一はなのはの抱えている異常に対して深く、深く共感する。
 手の平から放たれた極小の化学物質が、なのはの異常を修正するべく心臓から全身に回っていく。
 突如、祐一の視野が狭窄した。激しい頭痛と共に平衡感覚がぐちゃぐちゃになる。
 それでも、ここで止まることは出来ない。その意地だけで、崩れ落ちそうになる体と削られていく意識を繋ぎ止める。
 ほんの僅か、点のようになった視界の中で、なのはがそっと目を開いた。

 ――――――。

 なのはが口を動かす。だが、聴覚も働いていないのか、祐一の耳には何も聞こえてこない。
 膝が折れ、祐一はなのはのベッドに頭を預ける形で倒れ込む。
 視界は完全に闇に閉ざされ、体は全く動かない。
 それでも、祐一は残る力の全てを使って、なのはに向かって笑いかける。

「おはよう、なのは」

 自分がその言葉を正しく発音できたのか、それすらも分からないまま、祐一の意識は暗闇に閉ざされた。  



[5010] 第五十七話
Name: tript◆4735884d ID:b2f6d168
Date: 2011/06/11 22:11

 片方の眼球が飛び出した犬型の動物が暗がりから跳び出して来る。その体を二分するように胴体が裂け、その断面には乱杭歯が並んでいた。すれ違いざまに首を切り落とすと、頭を失った胴体がその場でぐるぐる回り始める。
 次に、頭が二つある、真っ青な肌の人間が跳びかかって来た。祐一は繰り出した黒い剣は槍に形状を変化させ、その肺腑を貫く。黒い槍は再び剣の形に戻り、頭二つの人間は吐血しながら倒れ込んだ。
 更に、人間大もの大きさの細長い軟体動物が宙から降ってくる。とっさに横に飛んで避けた。丸い吸盤に黒く細かい歯がYの字に並んでいる。ヒルだ。白い剣の先に火球を作り、その吸盤の中央の穴に放り込む。巨大なヒルは赤黒い血を撒き散らして爆散し、茶色の肉片が辺り中に飛び散った。

 その返り血で全身を濡らしながら、街路を背後の闇とは逆方向に走る。いつの間にか街路には血で出来た水溜まりがそこかしこに出来ており、背後の闇からは無数の赤い目が祐一を追っていた。

 ――――――。

 三叉路の右から声が聞こえた。まるで案内するかのように、その声は分かれ道に出会う度に響いてくる。
 声の様子はその時々で全く違っていた。それは誰かが優しくかけてくる声であり、誰かが泣きながらかけてきた声であり、ある時にはそれが叱咤するような声であった。
 一方、背後からは無数の苦痛と怨嗟が向かってくる。頭の芯まで響く呪詛は、祐一を飲み込まんと勢いを強めてきた。
 事ここに至って、ようやく事態を理解する。祐一を追いたてているモノの正体。それは転生を重ねる内に溜め込んだ、世界の敵――侵魔からの怨念と呪いだ。
 祐一が殺してきた侵魔達、その一体一体の呪詛など高が知れている。だが、長い転輪の果てに無数に積み重なった呪詛は、祐一の魂を侵し肉体を変異させる力を持った。
 祐一が進んでいたのは、侵魔に堕ちる道だ。あのままどこまでも進んでいたなら、身も心も魔に堕ちていただろう。
 現実ではない、しかし夢でもないこの世界は、魂の中の精神世界。なぜこのような所に閉じ込められたのか、今の祐一には思い出すことが出来ない。
 ただはっきりしているのは、この世界から脱出しなければならない、という思いだけだ。
 今まで終わりのない道を深淵に向かって歩き続けてきたのだ。当然、進んできた道を戻るだけで途方もない時間がかかる。この世界では肉体的な疲労が無いのが唯一の救いだ。
 だが、肉体より先に心が折れてしまえば、祐一の魂は完全に魔に堕ちる。それを避けるためには、追いすがる怨嗟を斬り払い、前に立ち塞がろうとする阿鼻叫喚を突破するしか道はない。
 左前方から、十数の頭部と一つの胴体で這いずり寄って来る巨大なミミズが現れる。それに対し祐一は、黒い剣を柄の長い戦斧に変形させて振り下ろした。





 果て無き道を走り続ける中、錆びた鉄のような臭いが辺り一面に立ち込める。いつの間にか街路は完全に血に覆われていた。
 血を跳ね上げながら街を走り続ける。どこまでも続く道。どこまでも追ってくる怨念。一切の疑問を抱かなかった往路に比べ、不安と焦燥が渦巻く復路は祐一の精神を磨耗させていく。
 一切の目印がない街路は、時間の経過を計る材料にはならない。時間という概念が失われたこの世界において、終わりが見えないという恐怖は祐一の心を少しずつ追い詰めていた。
 足を止めてはならない。前に進む意思を捨ててはならない。前に立ち塞がる人ならざるモノ達を斬り伏せながら進み続けるしか道はない。
 ゆえに、祐一の精神が鈍磨していくのは当然の流れだった。
 声を標に走り続ける。前方から来た敵を殺す。背後から追いすがる怨嗟から全力で逃げる。
 ただそれだけの行為を繰り返し、機械じみた心で体を動かし続けた。
 大きな目を覗かせる肉塊が四本の腕で走り寄って来た。無数の節に分かれた長い虫が体を起こして押しつぶそうと倒れてきた。腹を突き破った六本の虫の足で走り寄って来る猫がいた。闇が固まって出来た様な四足の獣が刃と化した三本の尾を叩き付けて来た。
 その全てを、祐一は殺した。返り血を浴び、さらなる怨嗟の断末魔を響かせ、ただひたすらに逃げ続けた。
 だが、終わらない狂宴は、祐一の全てを削り取っていく。
 諦めという名の終わりは、すぐ近くに迫っていた。





















「おにーちゃん……?」

 橙色のダウンライトが点いた部屋、白いベッドの上で高町なのはは上半身を起こした。
 なのはの腰の辺りに、祐一が前のめりに倒れ込んでいる。
 おはよう、と声をかけてきた祐一は、すぐさま目を閉じて眠ってしまった。
 そこで、ようやくなのはは違和感に気付く。
 全身に纏わり付く倦怠感。持ち上げた腕がひどく重たく感じられる。
 体は青いパジャマを着せられているものの、ごわごわした物が下腹部を覆っている。触れてみると、紙おむつを着けられているようだった。さらにその隙間から何かの管が通っている。
 顔に手を触れてみると、鼻に細いチューブが挿管されていた。
 見れば手足と頭からコードが延び、ベッドの横にある機械に繋がっている。機械の小さなモニターには、何かの波形が表示されている。
 なのはは現状を理解するため、自分の記憶を掘り起こした。



 管理世界の一つで起きた、ロストロギアの強奪事件。ヴィータや隊の仲間達と共に、なのはは強奪犯のアジトに攻め入った。
 なのは達は降伏勧告を行ない、抵抗を始めた強奪犯達を次々に捕らえていく。
 そして、ロストロギアを持っていた男となのは、ヴィータが交戦した。
 ロストロギアの力を借りて、男は必死になって魔力弾を放ち続ける。
 使う度にロストロギアは放出する魔力を上げ、追い詰められた男は最後に加減なしの魔力弾を放った。
 ヴィータはその魔力弾のほぼ全てを躱し、どうしても避けられない魔力弾をハンマーで砕き散らす。
 なのはもアクセルシューターで魔力弾を弾き飛ばそうとして――アクセルシューターの軌道計算がいつもより遅れてしまった。
 かろうじて、なのはのデバイス――レイジングハートの先端から展開されたシールドによって魔力弾は弾き散らされる。
 だが、次の瞬間、男の持っていたロストロギアが更なる魔力を発し始める。それが暴走である事は、誰の目から見ても明らかだった。
 男は今にも泣きそうに顔を歪めながら、暴走するロストロギアをなのはに向かって投げつけてくる。
 直後、白い光がなのはの目前で弾けた。


 それから先の記憶は無い。
 心電図モニターなどの機材や枕元のナースコールを見て、今いる場所が病室であるという事は理解する。
 だが、体のあちこちをさわってみたところ、怪我らしい怪我は存在していない。
 現状を把握しかねたなのはは、祐一の肩を揺する。
 そして気付いた。祐一の背が濡れている事に。
 手についた赤い液体が祐一の血であると理解して、慌てて枕元にあったナースコールを押した。
 インターホンを通して祐一の出血を知らせる。なのはが自分の名前を告げると、なぜか驚きの声を上げられた。
 駆けつけた看護師によって、祐一は衣服を脱がされ背中の傷痕を調べられる。その傍らで、なのはは医師から問診を受けていた。
 そしてなのはは知らされる。この病院で十日間、転院前の病院で五日間、合わせて半月も自分が昏睡状態にあった事を。



 その後、目を覚まさない祐一が刺激に反応をしないことを医師が確認した。直ちに祐一はストレッチャーに載せられ、部屋の外に運ばれていく。
 そしてなのはは頭部のMRI検査を受ける事になった。検査の機械からの重低音が響く中、ずっと自分の身に起きたことを考え続ける。
 フェイトのリンカーコアを回復させた祐一の能力。背中から血を流していた祐一。昏睡状態から意識を取り戻した自分。それらがなのはの中で一つに繋がる。

(偶然、じゃないよね……)

 そう考えた瞬間、なのはの背筋を寒気が走った。
 多用は厳禁だと医師に注意を受けた能力。副作用として起きる出血。そして、貧血による昏倒。
 それだけならどうという事はない様に思える。ただし、祐一がかつて話したそれらを全て正しいとすれば、の話だが。
 考えれば考えるほど、嫌な予感は膨れ上がっていく。気を落ち着かせるために、目を瞑って長い息をついた。
 それから数十分。ようやく検査から解放され、なのはは病室まで案内される。部屋に入ったなのはを待っていたのは、イスに座った桃子と士郎の姿だった。

「なのは!」
「うにゃっ!?」

 勢いよく立ち上がり、駆け寄ってきた桃子に強く抱きしめられる。突然の事に目を回すなのはに、桃子は膝を折ってなのはと真っ直ぐに目を合わせてくる。 
 桃子の目から涙が一筋伝い、その桃子の頭を士郎が優しくなでる。見れば士郎の顔にも安堵の色が浮かんでいた。
 嗚咽を洩らしながら抱きしめてくる桃子を抱き返す。そのなのはの頭にも士郎の大きな手が乗せられた。
 しばらくして桃子が泣き止み、そっとなのはを解放する。なのはは士郎との顔を見上げて目を合わせる。

「お父さん……」
「どうした?」

 やや心配そうになのはと向き合う士郎。聞きたいことは幾つもある。だが、なのはの口から出た言葉は一つだけだった。

「あの、おにーちゃんは……?」
「……まだ目を覚ましてないよ。今は検査の最中だ」
「それで、これが祐一君の机にあったの」

 桃子が差し出してきたのは、折りたたまれたノートの一頁。恐る恐るそれを広げると、たった十二文字の言葉が書かれていた。

――なのはを起こしに行きます――

 ただ散歩にでも行ってくるかのような気安い言葉。だというのに、なのはの胸を暗い想像が覆いつくす。

「知りたい?」
「!?」

 突然背後からかけられた声に、なのはは体をビクリと跳ねさせて背後を振り返る。そこには翠髪の小さな女の子――ユーリが無表情のまま立っていた。
 いつの間にかなのはの背後に立っていたユーリに士郎、桃子までもが目を丸くする。

「知りたいなら教える。この半月の間に何が起きたのか」

 その問いに、迷う事なく頷き返す。
 知りたいと思った。知らなければならないと思った。
 だから、なのははユーリと正面から向かい合う。
 それに対し、ユーリはこれまでの経緯を無表情のまま語り始めた。
 




 ユーリが話終えた時、なのはは呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。

「わたしのせいで、おにーちゃんが……?」

 思わずそう呟く。頭から血が引いたような感覚に襲われ、なのはは後ろにいた桃子に抱きしめられた。
 それに対し、ユーリは首を横に振って見せる。

「その表現は誤り。相沢祐一は自らのために代償を受けた。高町なのはが歴史より早く重い傷を負ってしまった、その贖罪のを果たすために」

 なのはの頭を、先程のユーリの話がよぎる。
 祐一の元いた世界で起きた、なのはが全治約半年の重傷を負った事件。
 確かにその部分だけを見れば、祐一が責任を感じるのも納得できる。
 しかし――

「わたし、ずっと言って貰ってた。一人で無理をしないようにって。だから、おにーちゃんの言う事を聞かなかったわたしの責任なの」

 その言葉を聞いて、ユーリは小さく息をついた。次いで、ユーリはなのはの頬に右手で触れる。 

「相沢祐一が望んだのは、あなたが再び無理を重ねない事のみ。相沢祐一の意志と覚悟を尊重するなら、あなたは自分を責めても自暴自棄になってもいけない」

 何てことのない言葉だった。普通ならば、この程度の言葉では内罰的な思考から抜け出す事など出来ない。まして普段のなのはであれば、自分を許す事など簡単に出来はしないだろう。
 だが、ユーリの言葉は『特別』だった。レネゲイドウイルスによってもたらされる異能の一つ、≪抗いがたき言葉≫。神経系に作用するフェロモンを放出し、同時に放たれた言葉を強制的に信じ込ませる能力。
 何の防御手段も持たずユーリの言葉を浴びせられ、なのははただ頷きを答えとして返す。それを確認して、ユーリはなのはから身を離した。
 そのままユーリは病室の扉に手をかけ、開こうとして――突如なのは達三人の方に振り返る。

「言い忘れ。相沢祐一からの伝言」

 ユーリから告げられた言葉に一同が身を硬くする。感情を読み取れないユーリの瞳は、その実なのは一人に向けられていた。

「『適当に起きるから、無理のない笑顔でいるように』。以上」

 ユーリが口調を真似て言ったその言葉に呆気にとられる。そしてその意味を咀嚼した時、なのはの顔に浮かんでいたのは苦笑だった。

「厳しいね、おにーちゃんは」
「ずるい、と言った方が適切。基本的に相沢祐一は卑怯」

 なのはに答えたユーリの顔は、先程と同じく無表情のまま。だというのに、なのはの目にはユーリが薄らと苦笑を浮かべているように見えた。
 そしてユーリは、今度こそ振り返ることなく病室を出て行く。しばらくの沈黙の後、なのはの頭に士郎の手が置かれた。

「なのは。少し寝て休もう」
「……大丈夫だよ、お父さん。わたしはずっとお寝坊してたみたいだから」

 小さく笑ってなのはは士郎の顔を見上げた。その様子を見た桃子がベッドの上に座り、手招きをしてくる。なのはは桃子に背中を預ける形で、桃子の足の間に座った。桃子はなのはの体を抱きしめ、そっと頭をなで始める。
 青衣に身を包んだ医師が病室に入ってきたのは、それから三十分もした頃だった。


 祐一が脊髄反射以外の反応を返さない事。CTスキャンによる脳の断面像や肝臓、その他の臓器、及び血圧、血液の簡易検査にも一切の異常が認められず、MRI検査でも異常と言えるような物は見つからなかった事。それらの検査結果から、現時点において祐一は原因不明の昏睡状態にある。それが現在HCUに入っている祐一についての説明だった。
 だが、なのは達はユーリから奇跡のシステムについて聞かされている。
 祐一の現状は自ら作り上げた、自業自縛に等しい。これ以上悪化する事はないが、意識を取り戻す方法も皆無だ。
 祐一の状態をあっさりと受け入れた三人に、説明をした医師の方がわずかに眉を寄せて病室を出て行く。それを見届けて、なのはは桃子の携帯を借りる。そして、高町家の全員にメールを打ち始めた。
 内容はなのはが目を覚ました事と、祐一が昏睡状態に陥った事、そして祐一の持つ能力の正体について。さらにフェイトにはすずか、バニングス、ユーノ、リンディへの転送を頼み、メールを送信した。




 その翌日。なのはの病室には幾人もの人が集まった。
 なのはに抱きついて涙を浮かべるフェイト。目尻の涙を拭き、笑顔をなのはに向けるすずかとバニングス。その様子を見て優しい笑みを浮かべる美由希と恭也。
 一足早く来ていたはやては、涙を堪えて強がって見せるヴィータの頭をなでた後、二人で祐一の病室へ行ってしまった。
 なのはの退院日は各検査の結果が出揃った時に決まる。だが、その日もそう遠くはない。
 なのははそっとフェイトと身を離す。そしてフェイトと改めて向き合った瞬間、不意にフェイトの顔に祐一の面影が重なって見えた。

「なのは……」
「……なに? フェイトちゃん」

 フェイトから声をかけられ、返事が遅れる。その様子に、フェイトは小さく微笑んだ。

「兄さんの事を考えてた?」
「……うん」

 相沢祐一。
 フェイトの実兄であり、なのはにとって兄同然の存在。
 なのはの意識を取り戻した祐一は、その代償として自分の意識を失った。
 その当人は、HCUで今も眠り続けている。

「なのは。あまり自分を責めちゃだめだよ」
「うん、分かってる……」

 フェイトの言葉に静かに頷くなのは。
 ユーリに釘を刺された通り、これ以上無理を重ねては祐一の意志を無にすることになる。
 だからこそ、ぎこちなくではあるが笑って見せる。
 いつか、自然な笑顔で祐一を迎えられるように。





 一方、祐一の眠る病室。
 様々な機材に囲まれたベッド。その上に横たわる祐一の顔を、アリサがそっと覗き込む。

「ヴィータのアイゼンで殴ったら起きるかしら」
「……流石にそれは死ぬんじゃねーか?」

 アリサの物騒な呟きに、その隣に立っていたヴィータが突っ込んだ。アリサは苦笑して祐一の鼻を中指で弾き、覗き込むために乗り出していた体を戻す。

「でもなのはちゃん、かなりしょげとったみたいやけど、大丈夫かなあ」
「大丈夫だよ、はやて。無理してたら殴って止めて、うじうじしてたら尻ぶっ叩いて、きちんとあたしが面倒見てやっから」

 心配するはやてにヴィータが抱きついてはげます。そのヴィータを見て、アリサが首を捻る。
 不自然なのだ。アリサにも、祐一に罪悪感を感じていない様に振舞っているのは分かる。だが、ヴィータはまるでこうなることを予期していた様に、現状を受け入れていた。
 今もはやてへの抱擁を解くと、ヴィータは祐一の頬を爪で突っついて遊んでいる。

「ヴィータ、あかんよ。寝とる人にそれは失礼や」
「うん。でもこいつは全部分かった上でこうなってんだから、同情なんてして欲しくねーだろ」

 はやての言葉に突っつくのをやめたヴィータが、祐一の顔を見て苦笑する。なのはが墜ちて以来曇りがちだったヴィータの顔に、今では微笑みすら浮かんでいた。

「ヴィータ。祐一と何かあったの?」

 アリサは半分確信を持ってヴィータに声をかけた。ヴィータは頭の後ろで腕を組んで宙空を眺め、口元を緩める。

「去年の花見の時にな。自分じゃ駄目だから、なのはが倒れそうになったら支えてくれって頼まれたんだよ」
「そう……その時から、この馬鹿はこうなるかもしれないって考えてたわけね」

 眉を小さく震えさせてアリサが笑う。怒りを無理矢理押さえ込んだその笑みを見てしまったヴィータは無意識に半歩後ろに実を移した。

「あの、アリサさん? えらい物騒な事考えてません?」

 はやての声にアリサは笑って振り返る。しかしその目は全く笑っていなかった。

「ちょっとこの馬鹿起こすにはどうしたらいいか考えてただけよ。神経信号は全部電気なわけだから……脳に電気流したら起きるかしら」
「……のーみそ焼き切るだけとちゃいます?」

 アリサの低い声で発された言葉に、今度ははやてが突っ込みを入れる。アリサは不満そうに小さく息をつくと、祐一の顔を見た。

「やってる本人はかっこつけて満足してるんだろうけどさ。結局祐一は、『なのはが目を覚まさないかもしれない』っていう恐怖に負けただけよね」
「だな。無理しないで笑え、なんてどの口で言ってんだか」

 アリサとヴィータは同時にため息をつく。その二人を見て、はやてが苦笑を洩らす。
 そして、ようやくアリサにもヴィータの事が理解出来た。
 ヴィータは祐一の心配をしていないわけではない。暗い想像を胸の中に閉じ込めて、気負っていないように見せているだけなのだ。
 これ以上、なのはを傷つけてしまわないために。
 それこそが、祐一の願いだと知っているから。

「あんたも無理しちゃだめよ」
「無理なんかしてねーです」

 頭に置かれたアリサの手を払いのけ、ヴィータが小声で抗議する。その様子を、祐一の枕元に置かれたファイスが静かに眺めていた。







[5010] 第五十八話
Name: tript◆4735884d ID:b2f6d168
Date: 2011/06/11 22:12
 星一つさえない漆黒の天の下、祐一は未だ走り続けていた。
 最後に残された唯一の手段。それは極限まで磨り減った心を守るため、全ての感受性を捨て去ってしまうという荒業だった。
 この精神世界において体に疲弊は存在せず、鈍りきってしまった心はこれ以上劣化することはない。
 しかし、心の原動力は感情だ。感情を全て失ってしまっては、前に進む意志すら喪ってしまう。
 だが、その冷え切った動力を再び燃え上がらせる物があった。

 ――――――。

 声がした。
 その声を耳にする度、錆び付いていた筈の感情が胎動する。

 ――――――。

 声がした。
 止まりかけていた足に、強く踏みしめる力が宿る。

 ――――――。

 声がした。
 失いたくない日常、その記憶の欠片を取り戻した。



 裂帛の咆哮を上げ、全力の一歩を踏み出す。
 その瞬間、祐一の胸に白い光が爆ぜた。





















 祐一が昏睡状態に陥ってから、一ヶ月が過ぎる。
 初めは毎日のように病室を訪れていた者達も、ようやく祐一のいない日常に慣れ始めた。
 高町家の誰かは必ず祐一の病室に訪れているが、それ以外の者達は時折見舞いに来る程度になっている。
 その中では、アリサは最も多く祐一の病室を訪れているだろう。
 アリサはベッドの傍に置かれた丸椅子に座り、静かに眠り続ける祐一に話しかける。

「祐一。今日は何から話そっか」

 あごに指を当てて考えるアリサ。その服装は聖祥女子中等部の制服だ。その足元には学校の鞄が置かれている。誰がどうみても、学校帰りのいでたちだった。

「そういえば、昨日ヴィータから電話が来たわ。またなのはがオーバーワークになりそうだったんだって。ようやくリハビリが終わったばかりなのにね。随分叱られたみたいよ」

 アリサはそっと苦笑する。祐一の様子に変化はない。それを気にするでもなく、軽い口調で話しかけ続ける。 

「フェイトもようやく落ち着いてきた。やっと一人で寝られるようになったの。ったく、フェイトもあたしも随分あんたの力に支えられてたのね。我ながら嫌になるわ」

 告げる文句に悪意はない。アリサは苦笑を浮かべたまま話し続ける。

「あ、それとね。一昨日に技術局で月さんと会ったの。祐一の生体データを見てたみたいだけど…………ねえ、人体実験されているわけじゃないよね」
『人体実験ではありませんが、私とマスターの脳波リンクに関して何か研究している様です』

 アリサの視線の先、祐一の枕元でファイスが返事をする。受け答えをすることの出来ない祐一に代わって、見舞い人が一人の場合はファイスが応対を務めているのだ。

「確かに祐一の脳は無傷の筈だけど……起こせるの?」
『無理です。マスターが自力で意識レベルを回復しなければ、無意味に負荷をかけるだけです』

 カード状の機械――ファイスの中央、七角形の青いクリスタルが明滅する。その答えに、アリサはそっと息を洩らした。
 僅かに抱いた希望と落胆。それを自覚して自らを恥じる。
 アリサは、祐一が目覚めるのを信じているように、祐一を信頼しているように見せかけねばならない。
 なのはの、そしてフェイトの前で、この程度の事で動揺するわけにはいかないのだ。

「じゃあ、あの人は何をやっているの? 楽しそうな事?」

 知的好奇心を刺激された――ように見せかけ、月の思惑を探る。その問いに数度クリスタルが瞬いた。

『面会に来た方々の言葉、それをマスターの聴覚野に叩き込んでいます』
「ああ、なるほど」

 アリサが病院に通い詰めるのも、理由は同じだ。
 話しかけた言葉が、届いているかどうかすら分からない。
 だが、声をかけ続けることにはきっと意味はある。僅かでもそれを認識できたなら、目覚めるための標ぐらいにはなるだろう。

(――早く起きないと、先に行くわよ)

 心の中で呟き、祐一の頬をつまんで伸ばす。そのアリサの頬には、小さな笑みが浮かべられていた。










 それから二ヵ月後。一向に回復の兆しが見えない祐一の傍に、二つの影があった。
 白銀の髪を長く伸ばした女性と、ピンクの長髪を頭の後ろで一つに纏めた女性。リインフォースとシグナムだ。
 リインフォースはそっと祐一の額に触れ、その指先が祐一の額に沈む。ややあって、そっとその手は引き抜かれた。

「どうだ?」

 シグナムがリインフォースに問いかける。それに対し、リインフォースは首を横に振った。

「相変わらずだ。融合をすれば脳の簡易検査くらいは出来るが、やはり壊れていない物を直すことは出来ない。夢を見せようにも、そもそも意識が夢を見ないほど深く沈んでいては無理な相談だ」
「そうか……」

 シグナムがそっと目を伏せる。リインフォースが言った通りであれば、もはや魔法技術ですら祐一の精神に干渉するのは不可能だ。 
 シグナムは中指と親指で輪を作り、その輪を祐一の頭に寄せて中指で祐一の額を弾く。もちろん、祐一が反応を示すことはない。

「まったく、寝坊するのもいい加減にしろ。お前がそんなだから、テスタロッサも無理をする」

 シグナムが目を覚まさない祐一に憎まれ口を叩くのもいつもの事だ。リインフォースもやや苦笑気味にそれを眺めている。

「今、主はやてとシャマルが教会と接触し、お前を起こすために役立ちそうな資料を集めている。ユーノも仕事の合間を縫って過去の症例を調べているそうだ」

 話しかけるシグナムに返事はない。モニターの脳波も一定の調子で起伏を生み出すのみだ。

「ヴィータもお前の妹達をよく支えてくれている。だが、誰もお前の代わりにはなれないんだ」

 静かに呟くリインフォース。やはり返ってくる言葉はない。ただ、枕元に置かれたファイスが、中央のクリスタルに光のラインを走らせる。

「リインフォースも気落ちしている。そろそろ目を覚ましてやったらどうだ?」
「将……」

 シグナムの言葉に、リインフォースの赤い瞳が非難の視線を送る。それを受け、シグナムは小さく苦笑を浮かべた。

「だが、事実だろう?」
「……何も、本人を前にして言うことはないだろうに」

 シグナムの言葉に、リインフォースが否定する事はなかった。そしてシグナムはリインフォースから目を逸らし、祐一の顔に視線を向ける。

「さて。祐一、そろそろ体を動かさないと相棒に見限られるぞ」
『見限りませんよ。失礼な』

 滑らかな女性の声がファイスのコアクリスタルから響く。
 次いでクリスタルから光が発され、その上に小さくワンピース姿の少女の像が浮かんだ。

「だが、お前を運用するためには優れた身体能力が要求されるだろう?」
『……そういう意味ならとっくに手遅れです。多分、年単位でのリハビリとトレーニングが必要ですから』

 シグナムの言葉にしょげかえるファイス。
 一週間体を動かさないだけで人間の筋力は著しく衰える。
 それを考えれば、三ヶ月もの間ベッドの上で横たわっていた祐一の体がどうなっているかなど自明の理だった。

「残念そうだな、将」
「まあな。これでは剣を交えるのも随分と先になりそうだ」

 顔を見合わせて苦笑を交わすリインフォースとシグナム。それに対してファイスが口を尖らせる。

『大丈夫です。マスターなら二年もあれば復調して見せます!』
「ああ。期待しないで待っていよう」

 ムキになるファイスと意地悪そうに口の端を上げるシグナムが睨み合い、リインフォースが二人を取り成しにかかる。
 突っかかってくるファイスをあしらいながら、シグナムは小さく息をついた。
 人も世界も変わっていく。痛みと成長を繰り返して。

(早く目覚めねば、テスタロッサ達に置いていかれるぞ)

 シグナムの視線の先で、自らの刻を止めた祐一は何一つ変わらぬまま眠り続けていた。










 それからさらに三ヶ月の月日が流れた。しかし、祐一の容体に変化はない。
 その祐一の顔を、丸イスに座って眺めている二人の少女の姿があった。
 金の髪と赤い瞳の少女――フェイト・テスタロッサと、栗毛の髪を黒のリボンで左右に結んだ少女――高町なのは。
 それぞれ祐一の実妹と義妹であり、アリサの次に訪問数の多い存在だ。二人とも聖祥初等部の制服に身を包んでいる。
 はやては正午に入った管理局からの要請に従い、今はヴィータ達と本局で仕事中。バニングスとすずかもそれぞれ習い事があるため不参加。よって、この日はなのはとフェイトの二人だけで祐一の見舞いに訪れていた。

「ねえ、おにーちゃん。わたしもフェイトちゃんも頑張ったよ。だから、もう大丈夫。おにーちゃんが無理しなくても、わたし達は自分の意志で立ち上がれる」

 祐一の長く伸びた髪を手に取ったなのはは、さらさらとその髪を手の平からこぼしていく。それを見てフェイトが苦笑した。

「フェイトちゃん、どうしたの?」
「ちょっと思い出していたんだ。アリシアの事。こうやって髪を伸ばしてると、兄さんもアリシアに段々似てきてる」

 フェイトが懐かしむようにそっと目を閉じる。そしてフェイトは祐一に視線を戻し、眉を八の字にしてかすかに微笑む。

「兄さん。報告するね。私、執務官試験に落ちました」

 フェイトがばつの悪そうに笑う。一方なのははその告白に笑っていいものか判断がつけられず、微妙な表情を浮かべていた。

「えっと、兄さんのせいじゃないよ。今回は私の実力が足りなかっただけ。だけど、次の試験には必ず受かって見せます」

 一切の迷い、不安を排してはっきり言い放つフェイト。確かな自信を宿した強い言葉に、なのはは眩しいものを見るようにフェイトの顔を見る。

「どうしたの? なのは」
「ちょっとね、思ったんだ。フェイトちゃんは強いなって」

 苦笑を浮かべるなのは。それに対し、フェイトが静かに微笑みかける。

「胸を張って、真っ直ぐに。なのはが教えてくれたんだよ。そんな強さを」
「わたし、が……?」

 フェイトの言葉に呆気に取られる。そんななのはを見て、フェイトが視線を祐一の顔に向けた。

「なのははいつも真っ直ぐに私にぶつかってきた。友達になりたいって言ってくれた。母さんに捨てられたあの時、兄さんは私の悲しみと絶望を和らげてくれた。だから、私も誰かを救えるようになりたい。そこまでいかなくても、兄さんのように誰かを支えてあげられるようになりたい。そう思えるようになったんだ」

 そこにはもう、寂しい思いを、辛い思いを抱えていたかつての面影はなかった。そこにいたのは、自分が一人でないことを知り、澄んだ意思と願いを抱いて懸命に生きようとする一人の少女だ。

「おにーちゃん。おにーちゃんの世界のわたしが墜ちた日まで、後一ヶ月。絶対無事に帰ってくるからね」

 膝上で手を握り締め、宣言する。そんななのはの手の上に、そっとフェイトの手が乗せられた。

「大丈夫だよ、兄さん。新しい魔法や基礎の反復。効率的な教導メニューの実践。未確認体の情報も月さんが教えてくれた。なのはとヴィータは負けないよ」

 二人は顔を見合わせて小さく笑みを浮かべる。そして、なのはは改めて祐一の顔を見た。
 リインフォースを救うために奔走し、その結果現れた歪みを祐一は一人で抱え込んだ。その顔に浮かぶのは、いつも通り変わる事のない寝顔。
 不意に、涙腺が緩んだ。なのはの頬を、一滴の雫が伝う。

「……なのは」

 イスから立ち上がったフェイトが、正面からなのはを抱きしめる。なのはもフェイトを強く抱きしめ返し、小さく嗚咽を洩らし始めた。
 しばらく経ってなのはの嗚咽が止まる。フェイトと体を離して、なのははフェイトに小さく微笑んだ。

「ありがと、フェイトちゃん」
「いいよ、なのは。辛い時は泣いていい」

 ぽん、と頭の上に手を乗せられた。そのままフェイトに頭をなでられ、なのはは猫のように目を細める。

「なのは……」
「フェイトちゃん?」

 その呟きを聞いてフェイトの顔を見上げる。その視線の先にあったのは、祐一の顔。

「兄さんも、こんな風に泣いたりするのかな……?」

 たったそれだけの発言に、なのはは固まった。なのはの記憶の限り、祐一は泣いている誰かを支えることはあった。だが、なのはは――いや、祐一と親しい者達は皆、祐一の甘える姿というものを見ていない。

「いつか、おにーちゃんが泣ける場所になりたいな」
「うん、そうだね。私もそう思うよ。兄さんが辛い時、苦しい時、何も出来なくても、ただ傍にいてあげたい」

 二人は笑った。無理のない、自然な笑顔を浮かべて。
 彼女達の芯は固まった。この日を境に、二人は飛躍的に自分を磨いていく。
 魔導のみならず、それを扱う心構え、運用する戦術、誰かを守る事の意義、貫くべき信念、貴ばれる慈愛。
 魔導師として、一個の人間として、二人は前に進み始める。

 二人が自然な笑顔を浮かべた時、脳波モニターの波形が一度大きく振れた。










 そして、祐一が眠りに就いて一年が過ぎた。
 祐一という歯車が欠けた日常は、もう軋みを上げる事なく廻っていく。
 祐一の周りにいた者達は、もう焦ることなくその目覚めを待ち続けていた。
 それは祐一への信頼であり、同時に自分には何も出来ないという諦めでもある。
 だが、諦める事が出来ないまま、足掻き続けていた者達がここにいた。


 祐一の病室。そのベッドの横に、なのはとフェイトが座っていた。
 だが、この日はいつものように祐一に話しかけるでもなく、二人の視線は病室の入口に向けられている。
 そして、病室の戸がノックされた。

「はーい」

 なのはが返事を返し、戸が横にスライドされる。そして室内に入ってきたのは、はやてとシャマル、そしてユーノの三人だった。

「二人共、遅れてごめん」
「いいよ、ユーノ君。このぐらい平気だよ」
「来てくれてありがとう、ユーノ」
 
 ユーノとなのは、フェイトが笑顔を向け合う。
 そしてユーノはベッドに横たわる祐一の方を向いた。

「祐一さん、お久しぶりです」

 返ってくる言葉はない。脳波モニターが、今も祐一の意識がないことを表している。
 だが、そんな日々もこれで終わりになる。そのために、ユーノ達はここにいる。

「はやて達が頑張って完成させてくれました。祐一さんを起こすためのプログラムを」
「私らだけやないよ。なのはちゃんやフェイトちゃん、ユーノ君が無限書庫で集めてくれた資料のおかげや」

 ユーノとはやてが苦笑を交し合う。そしてはやては、手に提げた鞄の中から青い立方体のクリスタルを取り出した。 

「それが……?」

 フェイトが上げた小さな声。それに対し、はやてが小さく頷く。

「リインフォースの解析と聖王教会の融合騎の資料、それと月さんの協力のおかげで出来た、思考能力のないディスポーサブルユニゾンデバイス――『Last Regret』や」

 クリスタルの中で白い光が明滅する。そして、はやてはクリスタルをシャマルに渡した。

「この子は脳の中に入り込んで、ほんの僅かな時間だけど脳を賦活するの。祐一君の脳細胞自体には何の問題もないから、それだけで祐一君の意識を数秒は回復出来る筈よ」
『その間に私が精神リンクを張って、マスターを叩き起こします』

 シャマルの説明をファイスが引き継ぐ。そしてファイス――黒い機械のカード――は空中にふわりと浮き上がり、祐一のこめかみにその角の一つを触れさせた。

『さあ、手早くやってしまいましょう』

 祐一の頭の横で回転しながら発言するファイス。この場にいる誰より強く、祐一の目覚めを待っていた存在が今、動く。

「シャマル、お願いな」
「はい、はやてちゃん」

 見るからに待ちきれない様子を見せるファイスに、はやてとシャマルが苦笑を洩らす。
 なのは、フェイトがベッドから離れて立ち、ベッドの傍にいるのはシャマルだけとなった。

「お願いね、クラールヴィント」

 シャマルの右手に嵌められた二つの金のリング。そこから魔力の紐で結ばれた青と緑の宝石がベッドを中心に輪を描いた。
 魔力の紐の輪の中に、仄かな緑光が満ちる。シャマルは祐一の顔の上にクリスタルをかざした。

「思い出して、祐一君。あなたはいつでも目を覚ませるの」

 立方体のクリスタルから、白い光の球体が祐一の額に落ちる。その光球は沈むように祐一の額の内側へ消えていった。
 同時に緑の魔力光が祐一を包み込む。幾つもの緑色の燐光が浮き上がり、祐一の体の中に吸収されていく。

「――――≪Wiederurladen≫」

 シャマルが命令を下す。脳の働きを一瞬の間止め、同時に脳に正確な自己認識を促す、Last Regretの単一機能が発動する。

『Access!』

 祐一の額に白い楔形文字のような刻印が浮かび上がる。それに遅れることコンマ一秒、ファイスから放たれた闇が祐一のこめかみに触れた。





















 炸裂した光が収まった時、祐一の胸元には黒いカード状の機械が浮かんでいた。
 その中央に嵌められた青いクリスタルが明滅する。

『マスター! 目を覚まし――ふぇっ!?』

 戸惑いはほんの一瞬。両手を剣でふさがれていた祐一は、ファイスを口にくわえてさらに前へと走り出し――――棘のような歯が並ぶ口を開いている巨大なナメクジの身体を、すれ違いざまに横に切り裂く。

『マスター、噛まないで! って、なんで血塗れなんですか!?』

 抗議の声を上げるファイス。祐一は何の感情も浮かべないまま、ファイスを噛む力を緩めた。
 ファイスは祐一の口から脱出し、宙に浮いたままその横を追従する。しかし祐一はファイスに脇目も振らなかった。
 右から飛んできた、逆Yの字に裂けた口の毛むくじゃらの球体を黒の剣で両断し、祐一はただただ前に走り続ける。

『マスター! 返事くらいしてください!』
「…………ファイス?」

 祐一が意外な物を見たように目を丸くする。ようやく――ちらりとではあったが――視線を向けられたファイスは、クリスタルを幾度も光らせた。

『マスター、ここはどこなんですか?』
「……知ら、ない」

 たどたどしく返事を返す祐一。一方ファイスは走る祐一の前に躍り出て、降ってきたバスケットボール大の赤い眼球を魔法障壁で弾き飛ばした。 
 眼球は体勢を崩したものの、すぐに浮き上がり――祐一の持った白い槍に貫かれる。
 大量の返り血を浴びながら、祐一は槍を振るって眼球を横に飛ばす。眼球は街路の端に落ちて、もう動き出す事はなかった。

『とりあえず、離脱しましょう! このままだと後ろのアレに追いつかれますよ!』

 祐一の背後から追って来る闇の群れ。獣、人型、鳥、その他様々な形を成しては崩れ、新たな形を成している。共通しているのは、その全てが鮮血よりなお鮮やかな紅の目をしていることぐらいだ。

「……りだつ?」
『そうです! 空に逃げましょう! このまま走っているだけじゃ逃げ切れません!』

 ファイスの言葉を、祐一はすぐに理解できなかった。空を飛ぶ。それは祐一が全く想像もしなかった事で、同時にその言葉には深い懐かしさを感じた。

「どう、やって……?」
『私を使えばいいでしょう! まだ寝ぼけているんですか!?』

 使う。ファイス。飛ぶ。ブルーム。黒。装甲。空。
 幾つもの単語が祐一の中で弾ける。そして、ようやくその名前を思い出した。
 サクリファイス・ブルーム。
 祐一の相棒。機甲式鎧型デバイス。そして、空を駆ける“箒”。
 長らく使っていなかった思考が、今になってようやく動き出した。

「喰らい……爆ぜろ」
『はい、マスター!』

 祐一は両手の剣を放り上げ、同時に赤の魔力が全身を覆う。そして次の瞬間には全身が装甲に覆われ、目を覆うバイザーには眼前の風景と様々なデータが表示された。
 次いで落ちてきた剣が祐一の両手の甲に変形しながら収まり、幅広の刃を形成する。

『マスター! 早くこんなところから脱出しましょう!』
「……」

 ファイスの言葉にただ首肯する。装甲に魔力を通した次の瞬間、祐一の体は宙に浮き上がった。
 スラスターを噴かせ、祐一は上に向かって加速する。そして、一旦空中で静止して見下ろした地には、全方位どこまでも街が広がっていた。
 数々の家から漏れる小さな明かりと、祐一の走ってきた方向から広がる蠢く闇。そのどちらにも果てはなく、ようやく今まで自らが置かれていた状況を理解する。

「奈落……」
『え?』

 祐一の呟きに反応するファイス。だが、祐一はそれ以上口を開こうとせず、再び上昇を始める。

『マスター。どこまで上がるんですか?』
「……いちばん、上」

 街の明かりが、蠢く闇が見えなくなり、それでも祐一はどこまでも上に向かい続ける。
 漆黒に塗り固められていた空が僅かずつ明るくなり、やがてどこまでも澄んだ鮮やかな青になった。
 そして上空に浮かんでいる円を描いている虹の中央を潜り抜け――――その瞬間、祐一の意識は白に塗り潰された。








[5010] オリジナル魔法設定集
Name: tript◆4735884d ID:14e9dd27
Date: 2010/04/21 02:19
 オリジナル魔法の解説。

・アンダージャケット(使用者:相沢祐一)
 三層式物理保護結界。黒い上下の衣服を纏う。胸の所に青いラインで描かれた、ハートの先を十字の星のようにしたマークがある。ファイスが祐一の魔力を使用して生成したバリアジャケットの出来損ない。バリアジャケットと異なる点は物理防御以外の効果を持っていないこと。これ以上何かエフェクトを加えると魔導式が暴走、爆発を起こすことになる。

・魔法破壊(使用者:相沢祐一)
 拘束魔法、及び防御魔法に祐一の『魔導式を暴走させる魔力』を流し込んで爆発させる。ただしこのためには魔法に触れている必要があり、爆発に巻き込まれることは避けられない諸刃の剣である。

・ファイアボール(使用者:相沢祐一)
 ウィザードの攻撃魔装。巨大な炎の塊が炸裂した地点にいる全てのものを焼き尽くす。管理局基準の魔法ランクに換算すると威力D、射程E。

・ピンポイントシールド(使用者:相沢祐一)
 ウィザードの防御魔装。物理、魔法両方に高い防御性能を発揮する小さく透明な六角板が複数枚連なって攻撃を防ぐ。常時展開されているため祐一には常に魔力的な負荷がかかっている。

・バリアヴェール(使用者:ファイス)
 バリアジャケットを装着できない祐一の代わりにファイスが発動する結界型バリアジャケット。黒い霧のような球形の結界で、バリアジャケットと同じ防御フィールドを生成し内部の人物を保護する。ファイスはこの効果に加えて有り余るその魔力とリソースを用いてプロテクション等と同じバリア効果も加えている。オーバーSランクのリンカーコアから生成されたそのバリアは並の攻撃では削ることすら敵わない。ただし、使用中は中から外への干渉が一切出来なくなる。


・魔力弾(使用者:フラガラッハ)
 攻性魔力を球状に圧縮し射出する。フラガラッハの魔力が強大なため一発が人間大の大きさとなる。圧縮率を高めて小さくし、威力を高めることもできる。ただしその場合は射出距離が大幅に縮まる。発射後の誘導操作は不可能。


・探知魔法(使用者:フルンティング)
 ジュエルシード探索用魔力探知プログラム。非戦闘時に余ったリソースを活用してジュエルシード特有の魔力を感知し、方向と距離を算出する。フルンティングの唯一戦闘用では無い魔法。


・イヴィルバスター(使用者フラガラッハ)
 直射型砲撃魔法。黒い閃光。アリサは六本のフラガラッハを共鳴させて威力を高めていたが、一本でも問題なく使用できる。威力はなのはのディバインバスターを軽く上回るが命中精度が粗いのが難。


・カースドウェポン(使用者:フルンティング)
 正確に言うならばウィザードの特殊能力に分類される。フルンティングに宿された呪詛の力を解き放ち、闇の魔力刃を生成して斬りつける。この刃と切り結んだ相手は呪詛の力により重圧がかけられ動作が鈍くなる。


・死砲(正式名称:デスブレイカー)(使用者:フルンティング)
 集束型砲撃魔法。六本のフラガラッハとリンカーコアを共鳴して魔力を高めたフルンティングが、フラガラッハとフルンティングの魔力を集束させて放つ砲撃。やっぱり色は黒い。威力だけを見るならスターライトブレイカー以上。ただし命中精度が粗い。


・ハウリング・ウォルブス (使用者:???)
 ランクSオーバーの魔力をディスポーサブルの単一機能を発揮させるよう変換、貯蓄し、ディスポータブルデバイスの破壊と同時に前方の結界魔法を粉砕する。能力特化させた上に使い捨ての費用対効果を無視した一品。物理干渉能力は持たない。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
1.9092800617218