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[40796] 【ネタ】超・女神転生SLIME(女神転生)【完結】
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/15 00:20
新米サマナーの朝は早い。

「良いかオスザル、貴様は一秒でも早く偉大なる我の霊格を取り戻さねばならんのだ」

ぐだぐだと偉そうな台詞をのたまう深緑色のヘドロを放置して、フライパンに生卵を落とす。
ついつい力が入りすぎたのか、落とした卵は卵黄が潰れてしまい、仕方なく目玉焼きの予定をぐしゃぐしゃと潰してスクランブルエッグへと変更する。

「いわゆる飯、デビルバスター、寝る、の三連コンボだ。風呂は週一で構わん。我は未だ嗅覚を失ったままだからな、気にする事は無いぞ。いやだが我が居城の清掃は毎日するように。よいな?」

そういえば冷蔵庫のウインナーが後二日で賞味期限切れであった事を思い出し、卵をかき混ぜていた菜箸の動きが止まる。しかし既に卵は熱々のフライパンの上にて半熟の様相を成し、今更ウインナーを焼き始めるのも嫌だなと眉を顰め、己の迷いを振り切る。

「む、そうだオスザル。我は本日パンの気分である。良きに計らえよ」

炊き上がりを知らせるためぴーぴー鳴いている小型の炊飯器に視線を向け、やはり朝は米だなとサマナーは一人満足気に頷いた。
先んじて火にかけておいた小鍋の中で味噌汁が沸騰している事実を確認すると、フライパンを炙る火元を消し、続いて味噌汁を熱湯に仕上げてしまったガスも止める。

「ほほう、出来たか。よしよし、では即刻その粗末な朝餉を我に献上せよ。ジャムは先日作った物があろう、我は知っているのだぞ。ささ、用意するのだ」

足元から発せられる雑音を意図的に意識から除外し、ちゃぶ台の前に座ると両手を合わせる。
いただきます。
聞き届ける人間は居なくとも、挨拶は大事だ。この新米サマナーはサマナーなどというヤクザな商売に手を出しているが根っこの部分はごく一般的な日本人であり、誰に叱られるわけでも無いというのに食前食後の挨拶を欠かさない男だった。

「おい」

スクランブルエッグ、味噌汁、白米。
侘しい食事である。食い合わせなど特に考えず、適当に用意しただけだとすぐに分かる。だが食事に手間をかけるほど時間が有り余っているわけでもない彼は、不味くなく、且つ腹が満たせればそれで良かった。

「我の朝餉」

スクランブルエッグと白米を口に放り込み、適当に噛み潰して味噌汁で飲み干す。お茶の用意を怠った事に今更気付くが、味噌汁があれば喉を潤せるから良いやと渇いた思考で熱々の味噌汁を胃に落とした。
ものの数分で空っぽの胃中を食物で軽く埋め立てると、立ち上がって食器の洗浄を始める。

「我の」

食器は今しがた使ったばかりなので洗えば汚れもすぐに落ちる。
水で食器用洗剤の泡を流して、後は自然乾燥に任せる。食器乾燥機なぞ男の一人暮らしには高い買い物なのでこれで良い。濡れた手をタオルで拭いて踵を返すと、脚がグリーンカラーの吐瀉物に当たりそうになったので緊急回避を行う。危うく足が汚れるところだったと息を吐いたところで、すすり泣く声が耳朶を打った。

「ごはん……」

視線を下げると、ゲロが泣いていた。
サマナーは不定形気味なヌメッとしたそいつの体表を流れる雫に目を留めると、悲しみからか眦を下げた。
――ああっ、また床が汚れる……っ!
彼の悲痛な本音に、緑のアレがついに噴火した。

「きさっ、貴様! この、この卑しいオスザルがっ! 偉大なる我になんたるっなんたる物言いかあッ!!」

深緑色の不定形生物、――悪魔『外道 スライム』が、緑や黄色の飛沫を飛ばしながら激昂した。

「そもそも我の朝餉はどうした! 何故貴様だけが食べるのだ! サマナー失格だぞ貴様! 貴様――!」

そして己の唯一の仲魔から叱られているサマナーは話が長くなりそうな気配を感じて服を脱ぎだす。今日は学校に行く予定なので遅刻しないように時計の確認も忘れない。
足元ではスライムが叫んでいるが、全て聞き流す。ただスライムの粘液で汚れた床の掃除を思うと憂鬱だった。

「聞いているのか貴様! コラー!」

マグネタイト勿体無いんだけどと考えながら、新米サマナーの朝が過ぎていく。





おぞましい光景だった。

普段ろくに話もしないクラスメイトから渡された地下ライブのチケット。酷く熱心に誘われてしまい、溜息を吐きつつ興味など欠片も無い催しに足を運んでみれば、そこは関わり難い祭りの只中で。
男女が淫らに絡み合い、妙に鼻につく臭い香りの充満する地下密室。
即座に踵を返そうと思いつつも、そこは年頃の男児。ついつい視線を男女のまぐわいに捕らえられてしまい、それ故に機を逸してしまった。

白い蛇が居る。

気が付けば、ステージ中央に夕焼けよりも紅い鬣を頂く、巨大な白蛇が存在した。
いつ現れたのか分からない。幾重にもとぐろを重ね、哄笑を上げる見事な化け物を中心に多数の男女が睦み合う。誰も異常を叫ばない、まるで現実味の無い、異界に紛れ込んだかのような錯覚さえ覚える。
吐き気がした。がくがくと震える両脚は前へと進み、他の男と抱き合っていた女性が一人、彼へと目を向ける。
いざ栄えよと白蛇が笑い、励まねばと己の喉から雑音が零れた。
手を伸ばせば、視線を合わせる女性もまたこちらへと白い指先を差し向ける。

手を取り合う直前に、黒い影が視界を斬った。
一切飾り気の無い黒尽くめ。黒髪黒瞳、男装の黒一色に白刃だけが煌いていた。
日本刀なぞ初めて見た。それを片腕で振るう、美しい少女を初めて見た。
まるで生まれて初めて女を知った純真な少年のように、ただただその少女だけを見つめていた。

『何者ぞ! 貴様ァ! 偉大なる我をいかなる神格と心得るかっ!!』

刀を握らぬ左手に小さく光る携帯端末を握り、首から提げた管のようなアクセサリが音も無く揺れる。
怒号を上げる巨大な蛇の怪物を前に、細く乙女の声が、広がった。

「――帝都守護役」

名前を聞かなければ。
彼女の名前を聞かなければ。

暗く濁り始める視界で、少女である事を思わせる長く美しい黒髪が味気無い人工灯の下で尚、男の目を惹き付ける。
黒髪の先を括る黒色のリボンに目を留めて、必死に保とうとした意識が閉じていく。

「葛葉ライドウ」

確かに聞いたような。もしかすると聞き取れなかったかのような。
曖昧な感覚を共にして、五感全てが泡のように消えていく。
彼女の名前を聞きたかった。
他意の無いただ純粋な欲求だけは消せないまま、ただの人間の意識が閉ざされた。

無論、これはただの夢だ。
彼がサマナーという肩書きを得る、およそ半日ほど前に起こった筈の現実。世界の裏側を守る者達によって綺麗に隠蔽された己の記憶を、それでも忘れたくないと願う無意識が掘り当てた、目が覚めればまた消えてしまう泡沫の夢想。

今ある世界が終わるまで残り一ヶ月。
忘れてしまった黒い少女への感情を眠らせたまま、一人の新米サマナーが愚者の産声を上げた。

それを知る者はまだ、誰も居ない。





メガテンねた。
本当はサバト経験から無意識の狭間でフィレモンと遭遇、自分の名前は言えないけどライドウの名前は言えた、からのペルソナものだったけど外道スライムが目に付いたのでサマナーねた。

続かないです。



[40796] 第二話 積極的に敵を増やしていくスタイル
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/14 01:21
――知ってるか? 最近ここらの異界に乳母車を押し歩く謎の凄腕デビルバスターがうろついているそうだ。

馬鹿らしい噂だと顔を歪めたガイアーズの男は、己の右足首に嵌められた足枷型COMPを操作してエネミーソナーを起動させる   。
ここは一定周期で悪魔の湧き出す、近場にある馴染みの異界の一つ。
正直に言えば、行きたくは無い。どれだけ努力しようとも悪魔を相手にするサマナーの死亡率は高い。しかし最低でも週に二、三度は異界に潜って今月の返済予定額を用意しなければ、ようやく中堅といった能力しか持たない彼は所属する教団の上司から暴力を伴う説教という名の罰を受ける破目に陥る。

己の境遇を思い返して溜息を吐く。
両親の残した借金を返す為に流れ流され、気が付けば世界の裏側。諸行無常を謳う『ガイア教団』所属の中堅悪魔使い、しがないデビルサマナーをやっている。
右足首のCOMP、奴隷の足枷にも見えるそれは、文字通りの意味で奴隷を縛る拘束具に他ならない。
借金を返済するまで彼という人間の所有権限はガイア教団に預けられ、今この瞬間も彼の生体情報はガイア教団支部へと送信され続けているのだ。彼が死ねば教団にはそれが知られるし、勝手に足枷を外しても同じ事。

「くそっ」

サマナーとしての年季も既に十年近い。だというのに未だ現状に不満を抱き続けている。だがそんな自分を変えられるとも思えない。彼にはそういった積極性、あるいは力こそ全てとさえ言われるガイア教団内で成り上がるための、熱持つ野心に乏しかった。
十年の時をかけても中堅止まりである事実とて、才能以上に彼の怠慢に原因がある。
自覚するべき浅ましき事実から目を逸らし、今日も彼は死にたくないと呟きながら魑魅魍魎の渦巻く異界へと足を踏み入れていた。

踏み入れて、出会った。

「おっほほほ、その調子で励めよオスザル。貴様の一歩は蛆虫のそれにも等しき卑小な一歩だが、偉大なる我に捧げられる価値ある一歩であるからな」

宙空に舞うマグネタイトの飛沫を浴びて、暗がりにて両目を輝かせるナニカが哂う。
酷くくぐもった声だ。まるで水面に下顎を浸して喋っているかのように汚らしく、だが最低限、音としての意味を拾える話し声。

そこに居たのは人間だった。
真っ黒なハンチング帽を目深に被り、加えてマフラーで口元が隠れているため顔が見えない。着ているハーフコートも褪せた黒色で、ところどころが擦り切れている。細身の男、だと思った。服装は男性用、それなりに身長もある。
恐らくは、という言葉が必要だが、恐らくは人間であろう彼の両手の先には、――何故か真っ黒な乳母車があった。

両手で拳銃を構えながら、ガイアーズの男は異界に入る前に耳にした馬鹿らしい噂を思い返す。
乳母車。謎の凄腕デビルバスター。
こいつがそうなのか。声に出さず呟くと、緊張から心臓が少しずつ回転速度を上げていく。

「むむ、こそこそと隠れ潜み、偉大なる我の威光を仰がんとする卑しい鼠が居るな」

仲魔の召喚を終える間もなく、存在を気取られた。
早過ぎる。気付かれる理由など思い付かず、息が止まる。異界に潜るデビルバスターならば自分とほとんど変わらぬ立場だから敵対の可能性は低いだろう、と胸中にて気を落ち着ける言い訳を並べ立て。

「獲物だぞオスザル」

黒い乳母車に寝かされた、不定形のナニカが言った。

「っは、え?」

予想外の言葉だった。
考えもしない、危機の訪れである。

悪魔を相手にするために異界に潜る、同業に敵意を向ける人間が居ないわけではないが、そんな事をしていればやがて周囲から排斥される。当然だ。割に合わない。だからやらないだろう。そう思ったのに。

帽子とマフラーで顔の窺えない男であろう誰かが、軽く、気安い相手とのキャッチボールよりも緩やかに何かを放り投げてきた。
武器か、陽動か、せめて派手な攻撃用の魔石の類だとは思いたくない。奥歯を強く噛み締め、ガイアーズの男は右足を地面に叩き付ける。

『SUMMON DEVIL』
「召喚(コール)! ジャックフロスト!」

足枷に指示を送るための一挙動と、音声認識。
自分にしては素早い行動だと鼻で大きく息を吐き出しながら、小さく自画自賛。サマナーとして活動し始めた最初期からの付き合いである妖精『ジャックフロスト』は戦闘経験だけなら己と並ぶ。同時召喚の出来ない奴隷用COMPによる、咄嗟の選択としては悪くない。

勿論、悪くない、だけだった。

『わたしミカちゃーん』

それは謎の人物が投げた物体X。
召喚したジャックフロストの目の前に、酷く不細工な人形が落ちてきた。
てるてる坊主寸前の適当な頭部とマジックで描かれた雑な 目鼻、色付きのビニール袋を破って巻いただけではないかと疑ってしまう粗末なドレス。極め付けに鼻声で自己紹介。

『わたしミカちゃ、……うえぇぇえ、もう嫌よぉお!』
「ヒーホー! ブッ細工な人形だホー! サマナーも見るホー!」
『どだっ、誰が不細工よぉ! 私はこれでも近所でも美人と評判のピク』

――奥義。

意味不明な人形と、突如始まった謎の口喧嘩。呆けてしまった男の耳朶を、低い声音が静かに叩いた。
ついつい気を抜いていた男の肩が驚きに跳ね上がり、握った拳銃を謎の人物へと向ける。何を呆けていたのか、中堅を名乗れるだけの経験を積んだサマナーが、不測の事態の一つや二つで敵対者から目を離すなどあってはならないというのに!

自責を呑みこみ真っ直ぐ構えられた銃口の先には、宙空を舞う真っ黒な乳母車があった。

「は?」
「貴様覚えておれよオスザル貴様この偉大なる我ギャー!!」
「ぎゃーっ!?」

己の胴体よりも大きな乳母車が重力と同盟を結びつつ圧し掛かってくる。何より恐ろしいのが、乳母車に乗せられていたらしき謎の生命体が両目を爛々と発光させながら顔面に飛び込んできた事だ。

ぬめっとした。
そしてどろっとしていた。
だけどちょっと良い匂いがする。

全身が痛い。何が起きたのか分からない。自分の視界を埋め尽くす生暖かい不定形の物体は悪魔なのか。何故乳母車が空を飛んできたのか。喋る人形の謎もある。このまま隙を晒していては不味いのに。
脳内を駆け巡る思考はきっと走馬灯だったのだろう。
鋭く、激しく、臓腑を貫くような気迫を感じた。

――ゴールデン・クラッシュ・改!

裂帛の気合と同時、股座に打ち込まれる渾身の右ストレートを余すこと無く味わいながら、ジャックフロストは無事だろうかと虚ろな視線を巡らせる。

「ヒーホー! ブッ細工な人形からピクシーが出てきたホー!」
「ああもう引っ張らないでよ! ちょっとスライムサマナー! 私もう行って良いわよね!? 勝手に食べちゃったチョコレート分は働いたでしょ、……ねえ、なんでそんな物騒な武器なんて構えて――」

殴打音と共に散り輝く二匹分のマグネタイトを視界に映し、男の意識が激痛のために閉ざされていく。
まったくもって、なにがなんだか分からない。
しかしもしも自分に次の機会があれば、噂といえど馬鹿にできないというこの貴重な経験を生かしたいと切に思う。

これはとあるガイアーズの男が病院で目覚める二日前、人も悪魔も見境無く襲って回る外道デビルバスターの噂が出回る、三日前の事。

世界が終わるまで、残り二十五日。
道理を弁えぬ愚者と外道の、止まる事のない暴走は既に始まっていた。





主人公は乳母車型COMP。登録されているのはスライムのみ。ピクシーは拾った(そして使い捨てた)。

続かないですよ。



[40796] 第三話 モーレツ!スライム帝国の野望
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/15 00:11
地下の一室で男が言った。

「お、お宅そろそろやばいよ、やばいよー」

おでん缶を箸でつついていたサマナーは、突然の警告に顔を上げる。
そこに居たのはガリガリにやせ細り、よれたシャツとズボンの上に真っ白な白衣を纏う、メガネをかけた中年男性。風采の上がらない見た目と挙動不審な吃音口調から、人付き合いにおいてもおよそ好印象を獲得出来そうに無い人間だった。

おでん缶から茹で卵を取り上げつつ、サマナーは首を傾げる。中年メガネの物言いが理解できなかったのだ。
デビルバスターに加えてマンハンターを繰り返す自身の最近の所業が人道的にも法律的にも『やばい』のは理解しているが、今更過ぎて改めて指摘される理由も思い付かない。
乳母車型COMPを弄り回すメガネに問い返せば、相変わらずの不審者口調で先の続きを口にする。

「げ、外道デビルバスターが人を襲って回ってるって噂が出てきてるんだよ、出てきてるんだよー」
「ふはっは、結構ではないか!」

メガネの物言いから、唐突に横槍を入れてくる汚い声音。
外道スライム。おでん缶をつつくサマナーにとって唯一の仲魔であり、彼の行う悪行全てにおける諸悪の根源であった。

「た、確かに最初の噂は頼まれた通りのを流したけど、この展開は予想外だよ、予想外だよー」
「貴様如き矮小に察せられぬのも無理は無い。だが偉大なる我の遠大なる野望には必要な一手よ」

全ては外道スライムの企みによるものだった。

『最近、異界に乳母車を押し歩く凄腕のデビルバスターが現れるそうだ』

そもそもの話、サマナーとして駆け出しに過ぎない彼が凄腕などと称される能力を持つわけが無く、仮にそんな力を持つ突然変異的な存在であったとしても、世界の裏側に関わり始めて一週間足らずの短期間で方々に噂が出回るほどの戦績を積み上げる伝手も無い。
噂が出回っていたのは、伝手を持つ人間に依頼し、金銭を支払い、そういった噂を流すよう依頼したからだ。

「が、ガイアは下っ端くらいしか被害にあってないけど、メシアは怒ってるよ、怒ってるよー」

メシア教団。
苦難の時代において人類全てを救う『救世主(メシア)』が現れるという教義を柱に大量の人と金を集めている集団だ。
その裏側には全知全能たる唯一神に仕える多数の天使達が居り、メシア教団所属のサマナーも数多い。
当然ながら、マンハンターの被害に遭った者達の中にはメシア教団所属の人間も居た。

諸行無常、弱肉強食を良しとする良くも悪くも自由なガイア教団は同教団所属の人間であろうと負け犬の敵討ちなどしない。それによって自身が明確な損害を被るならまだしも、新参のデビルバスターと下っ端ガイアーズ、雑魚同士が戯れる程度の事で本当に力有る者が腰を上げるなどまず無いだろう。

だがメシア教団は違う。
組織として規律を軸に纏まる事を当然としており、弱きを助けるのもまた教義の一部である彼らは、仲間の敵討ちに気炎を上げている。

「お、お宅の実力じゃあ複数相手に勝つのは無理だよ、無理だよー」

震えながらの忠告の最中でも、メガネの両手はCOMP弄りが止まらない。まったくもって勤勉な中年である。
今までは単独で動くサマナーを不意打ちや騙まし討ちによって薙ぎ倒し、メガネに用意してもらったCOMP用ハッキングアプリでマッカやマグネタイトを粗方強奪してきた。
犯罪である。だが効率は良かった。悪魔を相手にするよりも、異界に潜る以上は色々持っている事が前提である人間から奪う方が収入は多かった。倍増程度の上昇率ではなく、装備も道具も、マグネタイトもマッカも悪魔も取り放題の入れ食い状態なのだ。
だから仕方ないね。と呟くサマナーは、駆け出しとはいえ立派なダークサマナーの片鱗を見せている。

「偉大なる我の目論み通り、必要な釣り餌は用意できたと言う事だな」

ふんふん息を吐くスライムは得意気だ。
眉を顰めて聞いてみれば、びちびちと不定形な身体を跳ねさせ答える。

「目を付けられ始めたというのであれば、そろそろ組織への誘いが来よう」

最初に乳母車を押す凄腕が出る、などという頓痴気な噂を流す。笑い話程度では有ろうが、聞き慣れない馬鹿げた噂があるとして人の口端に上るだろう。語り口には物珍しさもある。きっと他愛の無い噂に見合わず沢山の人間の知るところとなった。
次いで犯罪行為を犯し、悪評を得る。馬鹿げてはいたが印象に残る噂のデビルバスターが実はこんな事を! 何も考えず軽く笑っていたところを、実は危険な奴なのかと意識を切り替えさせる。実際の被害者も続々と衆目に晒されて、ようやくスライムの目論んでいた段階に至る。

「名声――名を知られる事は当人の力を示す。遠からず色好き声が掛かろうよ」

最初期の噂が人為的にばら撒かれたものであると、目敏い者は気付くだろう。だがそういった者こそ、一連の噂の変遷と被害報告が売名行為の一端だと理解出来る。何せ死者が出ていない。怨恨の線は手早く消える。
被害者数は相応に積み上げた。相手の所属も頓着せず、回を重ねるごとに襲う相手の強さも増していた。
どうせ長生きできない業界だ。これだけ派手に仕出かす実力と胆力のある者を放っておく逃げ腰を晒すなぞ、悪魔の傍らで生きる有象無象に出来はすまい。

善悪問わず、『欲』を持たぬ者が悪魔に関わり、生き抜くことなど叶わないのだ。

「ふーはっは! 偉大なる我の深謀遠慮、崇めてしまっても構わんぞオスザルー!」

ちくわ美味ェ。
得意絶頂のスライムから微妙に視線を逸らしながら、サマナーはおでん缶を腹に収めていく。
食事中に目にしたいビジュアルではないのだ、この不定形のゲロ物体。

「そ、組織の後ろ盾は大事だけどどこに入るのさ。ふぁ、ファントムはやめた方が良いと思うよ、思うよー」
「入らんから問題無いぞ」

疑問を提示したメガネが口を開けたまま固まる。
さらりと言い返したスライムに、サマナーも疑問符を脳内で転がした。
先程までの説明は何だったのか。組織側からの誘い文句を引き出すために名を売ったのではなかったのか?

「偉大なる我と、仮にも我と契約した選ばれし優等サマナーたるオスザルが木っ端風情の下に就くだとう? 片腹痛いわーっ!」
「え、えええええー、ヘドロ君ってば脳みそ入ってるのかな、入ってるのかなー?」
「ふふん、偉大なる我に相応しきは至尊の座、それ一つよ。この国を、我を崇める一大宗教国家に仕立て上げてくれようぞ!」
「へ、ヘドロ君ってば神話ではしっかり負けてたような、負けてたようなー」
「昔の事は忘れた!! 今の我は誰にも負けぬぞ! 今度こそはッ! ……いや別に我負けた憶えなぞ欠片も無いがな!?」

はしゃいでいる一人と一匹を尻目に、おでん缶の残り汁を飲み干す。
スライムの物言いは理解した。被害を広げるだけ広げ、名を売れるだけ売って、勧誘が来ても蹴っ飛ばす。虫のいい話だ。屑の発想である。
ならば予想する組織からの勧誘が来た場合の対処は?

「諸共潰して、後の我が偉大なる国家構築のため、更なる売名行為の贄とするのだ!」
「さ、流石に実力が足りてないよ、足りてないよー」

取らぬ狸の皮算用。不可能臭い外道の目論見に、メガネが脂汗を垂れ流しながらガクガク震える。
スライムのサマナーである彼の実力は経歴から考えれば上等な部類だ。だが圧倒的に足りない。知識も、経験も、何よりも悪魔使いの強みである仲魔の数が足りていない。

格上のサマナーが現れれば負けるだろう。経験豊富なデビルバスターが現れれば負けるだろう。複数の敵が徒党を組めば負けるだろう。不意打ちや騙まし討ちで勝ってきたのは、それくらいしなければサマナー暦一週間の彼には勝利を得る道が残っていないからだ。襲う相手だって実はしっかりスライムが選んだ上で指示を出していた。
現実に戦闘と呼べる状況に突入すれば、まず負けて、死ぬ。それは疑いようのない明確な事実である。

「なに、内情はともかく、勝ったと思わせれば良いのだ。戦術の可否は関係無い。組織からの誘いを単独で振り払ったという結果一つがありさえすれば、後は有象無象の噂話で尾鰭背鰭が膨れ上がる」

そして名が売れさえすればこのスライムを信仰の対象とする宗教組織の発足、その第一歩が刻まれる。

さてそんなに上手くいくのだろうか。話が大き過ぎる上に旨過ぎるが故に根強い疑念もあったが、傍らに置いていたコートを羽織って目を閉じた。
黒い帽子と黒いマフラー、黒いコートの黒尽くめ。
趣味が良いとは言えないだろう。我ながらこの格好はどうなのかと彼自身 眉を顰めるところがある。
だがどこか惹かれるものがある。こだわりたいと願う自分が居る。
閉じた瞼の暗闇にさえ好意を感じ。叶う限り、『黒』という色に触れていたい。

自分が何に向けて手を伸ばしているのか。
分からないままだが止まりたくないと思っている。
スライムに従うのも、こうしてサマナーであり続ける事もそのための手段だ。
求める『何か』に手を伸ばし続けられるのならば。

――国を獲るのも、悪くない。

未だ雛鳥に過ぎない一人のダークサマナーは、深く小さな笑みを浮かべた。






ヒロインに出番の無いメガテンSS第三話。
現代ライドウが出張る事件ってどれくらいの規模からなのでしょうか。

そして今度こそ続かないのでキャラ紹介。

 主人公
DARK-NEUTRALのダークサマナー。
ライドウが好き過ぎて国家転覆を狙うヤンデレ。
犯罪行為に対する忌避感は一切無い。

 スライム
DARK-LAWの外道族悪魔。
自分を讃える国教を広めたい頭脳系ポンコツ。
タタリ生唾とか使う。

 メガネ
NEUTRAL-NEUTRALの邪教系悪魔技師。
ボッチなので構ってくれるなら誰にでも懐くボッチ。
乳母車型COMPの製作者。

 ライドウ
LIGHT-NEUTRALの現代最強。
一話以降の登場が絶望視されているヒロイン。
初恋の人は業斗童子。



[40796] 第四話 現代の信仰と発端
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/20 23:52
病院で目を覚ました。

集団昏睡事件の被害者。などと聞かされても何の事なのか理解できず、訳のわからないまま今日一日は病院で安静にするように、との指示に頷いた。
頷いて、当然のように抜け出した。

何故そんな事をしたのかは分からない。
ただ今すぐに動くべきだと、有る筈の無い己の霊感が囁いたのだ。
立ち入り禁止と書かれた黄色いテープが張り巡らされた先、地下へと伸びる階段を出来る限り静かに下りていく。おぼろげな記憶から引きずり出せば、此処こそが己の記憶の最後にある場所だ。その筈だ。

誰も居ない、静かな空間。
瓦礫の散らばる、壊れてしまった異様なステージ。
此処に何があるわけでもない。有る筈は無い。だが来なければいけなかった。誰かが、自分を呼んでいるのだ。
己の腹を右手で押さえると、あの時に吐き出せなかった熱が息をするように疼いた。

「ぉ、おおお……」

呻き声。
誰も居ない地下室。事件が起こったというのなら未だ検分に汗を流す職業人が居て当然の場所。自分一人しか居ない空虚な荒れ地に、水っぽい異音が鳴り響いた。

「我、我を、偉大なる我を我を偉大偉大偉大偉大ィィイイ……ッ!」

壊れているのか、狂っているのか。正気とはとてもいえない言葉に足を動かす。
ライブ用に設えたステージ中央。
丁度この地下室の中心点に、彼の掌よりも小さな泥がへばり付いていた。

「我、我を崇めろ、我を、畏れよ、我は偉大な偉大なるなる、なる我、が……」

地下室全体から塵のような灯火が宙を駆け、泥に向かって飛んでいく。だがその大部分が中途で立ち消え、ようやく辿り着いたごく一部を飲み込み、蠢く泥は僅かずつ体積を増していく。
それが無駄なのだと、腹の奥に渦巻く熱が語る。
踏み躙れば消えてしまいそうなほど小さな、泥の塊。緑黄色の奇妙なそれはまさか生きているのだろうか。生理的な嫌悪感と鼻腔を擽る僅かな異臭に唇を歪めて、次の行動を決めかねていた。

「我、を」

今にも消えそうな声が耳朶に入り込む。
泥の中ほどにある小さな切れ込みから漏れる声音に意識を傾けると。

「我を、捨てっ、ないでぐれ、民草よ……っ」

眼球の存在せぬ小さな洞(うろ)から、腐汁のような濁った雫が落ちた。

かつて『ミシャグジ様』という神が居た。
古くは縄文時代から石や樹木を依代として信仰され、病の治癒や子育て、五穀豊穣など種々様々なご利益を与えてくれる土着神である。信仰の発祥以降、他の神格との習合化によって信徒に齎される加護は数と種類を増していき、長い時の中で日の本の広い地域で信仰された為にこの神を指す呼び名は数多い。
名を良く知られ、祟り神としての側面故に畏れられ、だが同時に敬われる、力の有る神だった。
――力の有る、神だった。

「あっ、ア、あ、ああアあァあぁぁァァ」

子孫繁栄の加護から転じて、性交渉に伴う快楽を齎す事で、歪ながらも若者達からの信仰を、マグネタイトを得る筈だった。
だが失敗した。まだ僅か二度、三度しか行っていないというのに、護国の防人によって察知され、敢え無く散った。ここにある泥のような存在は既に神ではない。若者達に向けて撒き散らされた性交へと掻き立てる『魅了』の魔力、その残滓がこの場に現れた彼の腹に残っていた同質且つ未使用の魔力を呼び水として不完全な具象化を為しただけのモノ。
神ではない。国津神という己の属性を利用して、力衰えようとも日本国内という限定条件化だからこそ現世にて顕現し得たミシャグジ神は既に滅ぼされてしまった。消滅寸前の魔力の残滓が寄り集まっただけの泥の中にはミシャグジとしての神格も記憶も宿っていない。大本であるミシャグジの消滅から丸一日も放置すれば霧散していただろう、本当に無意味で無価値な残骸だ。

だからこそソレは強く願う。吐き出された力が寄り集まったものだからこそ、神を名乗れぬ泥の塊だからこそ、内側には想い一つしか持っていなかった。
かつて『ミシャグジ様』に捧げられた信仰と、畏れ。
離れ行く畏敬の念と、失われてしまった、民から捧げられる熱情という名のマグネタイト。
既に失くした遠い過去への羨望ぐらいしか、ソレの中には残されていなかった。

「民、よ。われを、われ、に」

溶けていく。

「だれ、かぁ……」

一掬いほどの小さな泥が、静かに啜り泣きながらゆっくりと宙に溶けていく。
信仰とは感情であり、感情とはすなわちマグネタイトだ。
霊体に依存する悪魔達は己の霊魂へと捧げられるマグネタイトが尽きれば、現世から引き剥がされて消えてしまう。
確かな霊格を持たぬ悪魔未満の存在ならば、魔界へ渡る事も出来ずに滅ぶだけ。
哀れなる神力の残り滓は、此処で己の意義も得られずに死んでいただろう。

拾い上げる誰かが、居なければ。





低級悪魔しか生息していない一つの異界にて、複数のメシアンとガイアーズが殺し合っていた。

「ムド!」
「ムド!」
「ムド!」
「くそっ、何故効かん!!」
「呪殺対策は『メシア教徒(メシアン)』の基礎だ、馬鹿め!」
「天使召喚、撃てっ!!」
「ハマ!」
「ハマ!」
「ハマ!」

サマナーによる集団戦闘において基本とも言える即死魔法の応酬。
――この場合、即死は怖いから対策を行うのは当然だ、と考えるのは間違っている。
死んだ経験の無い人間が「当たれば即死する魔法があるから対策を用意しよう」などと殊更に意識出来るわけが無い。組織立っての戦闘行動が当然であるメシアンだからこそ、相性次第で強者さえ敗れ得る『破魔』と『呪殺』への対策は必修課目として教導を受ける。
特に天使族の下級悪魔は呪殺への抵抗力が低い。サマナーと仲魔、双方の呪殺対策は必須だった。

対してガイアーズはと言えば。

「なんでムド使って死なねえんだよ! バグかッ!」
「くそっ! 破魔耐性のデビルソース買っときゃ良かったぜ!」
「俺の仲魔が全滅した! もう退くぞっ!」
「ふざけんな銃撃てっ、銃!」

烏合の衆としか言いようが無い有様を晒していた。
先達が後進に知識を授ける、という至極当然の事さえ行っていないのがガイア教団のスタンダードである。
強き者が生き、弱き者は死ぬ。それがガイアの広義的な謳い文句である。だが実態は「強い俺は好き勝手振舞っても良いけど、弱いお前らは餌な、餌(笑)」というクズ一直線の輩が大多数だ。悪魔に関する情報一つとってさえ、基本中の基本ですら他者に教える事はしない。どれほど些細な情報であろうと、それが他者の弱みに、ひいては己の強みに繋がる可能性があるのだから。
俺達、仲間だろ?などという清く正しい思想は、ガイアでは通じないのだ。

「――うるせえ」

騒いでいたガイアーズの面々が口を閉じる。
顔を青褪めて立ち尽くすガイアーズの最後方、頭髪を真っ赤に染め上げたパンツスーツの女が紙巻き煙草を奥歯で噛み潰しながらメシアン達を睨み付けていた。

「……こりゃあ、あの『悪食』野郎に嵌められたかねえ?」

左手でいかめしい拳銃型のCOMPを構えると、銃身部分が中央から左右に割れて、悪魔召喚器としての起動を開始する。
煙草を咥えたまま器用に舌打ちを繰り返すと、空いた右手から小さな機械音を鳴らし始めた。

『SUMMON DEVIL』
「ヴィィィイーーーーヴル! 狩りの時間だあッ!!」

右半身を竜へと変じさせた美しい女性悪魔が召喚され、パンツスーツの女傑もまた一歩前へと踏み出す。

「龍王族だと!?」
「陣形を乱すな! 火属性で攻めたてろっ!」
「耐性なんざ弄ってるに決まってんだろが。お行儀良過ぎだぜ、お坊っちゃんよォオ――ッ!!」

召喚された悪魔の能力値に動揺するメシアンと、対照的に強力な悪魔の登場で士気を上げるガイアーズ。
乱戦の様相を呈する異界内部にて、外道の目論む第一戦がいよいよもって開始された。

そして想定外の一戦もまた、同異界内、別の一角にて開始されようとしていた。

「返答を聞こうか、『悪食』」

冬季に突入しているこの国で、異界内部とはいえ裸の上半身に夏用のジャケットを羽織った偉丈夫が仁王立ちのまま口を開く。
視線の先に立つのは黒い乳母車を傍らに置いた、黒尽くめの人間。――世界の裏側に関わるごく一部の人間が『悪食』などという呼び名を用い始めた、最近噂のデビルバスター兼マンハンター。

「や、やばいよ、やばいよー……。や、やっぱりお外なんか出るんじゃなかったよ、なかったよー……」

――の変装をさせられているメガネの中年男であった。
常日頃から異界内部にて顔を晒さないよう心掛けていた彼に扮する事はそこまで難しくない。だがこうして一対一で強そうな相手と向かい合わねばならないメガネは、何故こうなってしまったのかと頭を悩ませ、頬を伝う脂汗が止まらない。

「し、しかもあれバットマン先輩だよ、勝てっこないよ、勝てっこないよー……!」

――で、でもせっかく友達が頼ってくれたのに、ここで応えないと男じゃないよ、男じゃないよー。

身体の震えを押し殺し、必死に俯いて顔を見られないように頑張るメガネ。
対して戦闘準備を行うわけでもなく、目線を隠すサングラス越しに黒尽くめに扮したメガネを睨み付ける、非情に寒そうな格好の偉丈夫。――ジョージ・バットマン。メガネの元・勤務先であるダークサマナー組織『ファントム・ソサエティ』所属の凄腕デビルバスターである。

「ファントムに加入するか、此処で死ぬか。選択の余地は残してある」

――存分に考えるといい。俺が許可出来るのはあと十秒だけだがな。

「か、考える時間が短いよ、短いよー……!?」

明確な強者を目前にしての絶体絶命の危機。
メガネは汗と鼻水を垂れ流しながら、一刻も早くこうなった原因である友人が助けに駆け付けてくれる事を祈る。

こうして、さして重要度の高くない一つの異界を舞台に、外道系スライムの企みを発端とした複数の戦場が生まれようとしていた。





スライムもヒロイン枠に入れて構わないのですが、別に成長しても外道スライムから美少女系土着神に変化するわけではないのですよ(震え声)。
第一話のミシャグジ様は真・女神転生2のビジュアル。【検閲】形の頭に毛の生えた白い蛇です。うろ憶えなので真・女神転生2に出ていた記憶が無いですが。

続きます、と言ったらエタりそうな恐怖と戦いつつ続かないです。


※2014/12/16投稿
※2014/12/20誤字修正



[40796] 第五話 このSSのタイトルを言ってみろ
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/17 00:07
地下の一室にてストロー越しの栄養ドリンクを啜りながら、外道スライムが口を開く。

「件の異界はこの国由来の低級悪魔が多い。日ノ本の神格を引きずり出すには相応しかろうよ」
「で、でもあんな低級の異界じゃ、魔界との経路が小さ過ぎるよ、小さ過ぎるよー」
「無理矢理広げれば良かろう、そのためのマグネタイトは度重なる略奪によって貯め込んである」

勧誘に出向いて来た相手と真っ当な戦いをするつもりは無い。
まずはガイア教団と接触を行い、「詳細な詰めは次回、とある異界にて行おう」と持ちかける。
この第一次接触を行う相手はよく選ぶ必要がある。即時のガイア教団入りを強く求めてくる輩ならば、そもそも顔を合わせるべきではない。話はしたい、だが詳しくは次回改めて。――という虫の良い要求を聞き入れてくれるだけの余裕を持った相手でなければ駄目だ。ガイアーズ相手では真っ当にこちらの話を聞いてくれる人員を探すなぞ高望みが過ぎるかもしれないが、その場合はアプローチの仕方から変えねばならない。

もしも上手くいったならば、それと同時にメシア教団へ「例のマンハンターがガイアと接触を持とうとしている」という情報を流す。これに関しては正規の情報ルートではいけない。血気に逸った下っ端メシアンが喰い付くように、頭の軽そうな雑魚ガイアーズを使って方々にて分かり易く吹聴させる。ガイアは脳味噌筋肉なので、きっと簡単に踊ってくれるだろう。間違いない。

「釣り上げるならば『正義感』という熱病に浮かされ易い小童共が良い。両陣営が派手にぶつかればそれで構わん。彼奴らの勝敗が決する暇を用意してやるつもりも無いさ」

同胞たるメシアンや多数の人々を襲って回る悪名高いマンハンターと、怨敵たるガイア教団。この二つが結び付こうとすれば、経験不足で考えの足りていない下っ端メシアンが必ず釣れる。
教会から力を授けられた経験浅い神の信徒が、己の胸に灯る正義の炎を余す事無くぶつけられる、格好の的を用意されて断罪の刃を向けずに済ませられようか。我慢の出来るお利巧さんばかりなら、世の中はもっと静かで発展性とは縁遠い形を保っていた。

一つの異界にメシアとガイアを詰め込めば、必ず争いが起こる。謀られたと悟った者がその場に混じっていても、この二陣営が向かい合った状況から戦闘を避ける手段などまず存在しない。
メシアン側の人員は、わざわざ経験の浅い者達を狙って引きずり込むのだから長時間の戦闘継続には実力もスタミナも足りていない。だがガイアーズの寄せ集め感も中々のものだ。組み合わせて短時間で良い具合に削り合ってくれたところを――。

「我が現身を構築する霊体を削り召喚の触媒とし、そこに潤沢なマグネタイトを注ぎ込む事で、鬼神『タケミナカタ』を召喚するのだ」

ミシャグジ様とタケミナカタ神は長き時の中で習合化された同一の神格だ。
無論その実態も魔界においては別個の存在なのだが、積み上げられた信仰と伝承から両者の繋がりはとても強い。必要量のマグネタイトさえ用意できれば、同一神格たる『縁』を辿って召喚する事は充分可能である。

COMPによって規格的に行われている悪魔召喚とは食い違う部分も多いが、そこはスライムとメガネの協力によって体裁を整える。
足りない部分はマグネタイトによる力押しだ。もとより低級悪魔しか通って来れない貧弱な魔界経路を、神族系の悪魔が通れる大きさまで拡張しなければいけないのだ。半ば以上力尽くで、勢いよく。強引にいけば出来るとスライムは考えた。

しかし霊体を削るとは言うが大丈夫なのか、とサマナーが口を出せばスライムは笑った。

「構わーん! 存分に血と汗と涙を流し、我が偉大なる王国の礎とするのだっ!」

ミシャグジ様には、タケミナカタに敗れ祭神としての地位を奪われた、という説話がある。
かつて己に土をつけた痴れ者を召喚し、顎で使う。外道スライムの内側には存在しない筈の心臓も、歓喜の念でドキワクだった。

「で、でもそんな大物じゃ従ってくれないんじゃないかな、ないかなー」
「召喚さえすれば後は直接メシアとガイアにぶつけてやって、それで用済みだ。さあ、タケミナカタの阿呆を使い捨ててやるぞー!」

悪魔が悪魔使いに従う条件として、主従関係に見合う実力が必要とされる。
当然だがスライムのサマナーはまだ弱く、神様に命令するなど不可能だ。だから召喚して、後は放置。殺し合いを誘発させた二陣営にぶつかれば、相応の被害と、上手く付け込むための大きな隙が出来るだろう。

近辺にて重要度の低い異界で作戦を実行するのも、タケミナカタを召喚し易い属性の異界である事と、予定外の強者が偶然戦場に迷い込む可能性を排除するため、というのが大きな理由だ。
多数のサマナーを襲撃してマグネタイトを強奪してきたのは、ミシャグジ様という前身を持つスライム自身を触媒としてタケミナカタを召喚する予定があったからこその所業。

今回の作戦、当然の事ながら誰一人生かして帰すつもりは無い。大多数の悪魔関係者達に「外道マンハンターがメシアとガイア両組織を敵に回して単独で勝利、生還した」と思わせる必要があるからだ。
どんな手品も種が割れては感動が薄れる。手練手管の一切を知られる事無く、成した実績だけは派手に喧伝しなければならない。二陣営を誘い込むためのちょっとした詐術や召喚した悪魔の暴走によって勝利したという舞台裏をひた隠し、「あいつは確かな力を持つ人物だ、敵対してはいけない」という有象無象からの『畏れ』を得るのだ。
内情を隠すのも、手の内を知られぬためであり、且つ正体の知れぬ不気味さに伴う恐怖を引き出す手段の一つ。

ここまで成し遂げて、ようやく最初の一歩を踏みしめられる。
まだまだ先はずっと長い。外道スライムは本当にこの国を手中に収めるつもりだった。

「一人二人の手練れは居ようが、所詮はサルよ。偉大なる我自ら、戦場の習いを教育してやらねばな。はーっはっはっはーっ!」

上機嫌なスライムを眺めつつ、サマナーは帽子で己の目元を隠した。
なんか凄く失敗しそうな気配がするんだけど……、とか考えながら。





そして召喚されたモノは、とても大きなスライムだった。

「……うむ、失敗だな」

達観した物言いだが、スライムの声音はちょっとだけ震えていた。
奥行き浅い異界の最奥部近辺にて特殊大容量COMPとスライムを用いての悪魔召喚を執り行い、呼び出したものは――外道『スライム』だった。

――お前がスライムだからかな、コレは。

「わ、我のせいじゃないし!」

荒縄で縛り上げられた一本角の巨大スライム。
大きさだけは異界の天井部に角が引っかかるほどの巨体だが、所詮は具象化を失敗した外道族だ。神格を有する悪魔なれば国土内において神を名乗るに相応しい力を持ち合わせた筈。しかし結果はスライムだ。悪魔社会の最底辺たるスライムでしかないのだ。

この召喚廃棄物をどう利用してやれば漁夫の利を得られるのか、我らがスライム先生には是非ともご教授願いたいものである。
この不完全タケミナカタ、スライム部分に混じって半端に人型の胴体らしき部分も見える辺りが、召喚失敗の悲哀を感じさせる。

「うむ。……うむ。きっと日が悪かったのだな、本日は居城に帰還するぞオスザル」

失敗は失敗。過去に拘泥していては前に進めない。スライムは辛い過去を背負うが故に前向きだった。
そしてサマナーの有する特殊大容量COMPには保険として異界に同行してもらっていたメガネからのメールが届いていた。

『タスケテ キケン』

うむ。……うむ。サマナーはスライムの真似をして したり顔で頷いた。
思うに今までが上手く行き過ぎていた。失敗などあって当然のもの、自分達は少しばかり調子に乗り過ぎていたのではなかろうか。

「オスザルの分際で中々良い事を言うではないか。真に偉大なる我とて、謙虚さを忘れては崇められるに足る威厳に陰りが出よう」

そうなのだ。四六時中 偉そうな相手に頭を下げ続けるなぞ、力無き民とて忍耐を要する。
時には胸襟を開く寛容さもまた、上に立つ者が備えて当然の資質ではないか。

「キッ、キッ、キキキキキキシィィイイイイイイインンンンンッッッ!!!」

だから目の前で荒ぶる巨大な外道族から逃げ出すのは、二人に勇気が足りないからではない。
猶予は無い。躊躇も無い。眼前にて激しく小刻みに振動している角付きスライムが少し体躯を伸ばせば、相手を見上げねば全容を見渡せない小さき人間種族とスライムごときを叩き潰すなど容易い事。戦おうなどと考えてはいけない。

メガネが頑張って改造した大容量のCOMPを放置し傍らのスライムを両腕で抱え上げると、己を表すトレードマークとなりつつある黒い帽子とマフラーをその場に放り捨てて一息に走り出す。
巨大スライムの移動速度がどれほどなのか、そもそもこいつは動けるのか。観察に時間をかけて判断材料を得るよりも、メシアとガイアの争う戦場まで一直線に走った方が余程生き残る可能性が拓けている。
大きいものは強い。真理である。

「オスザル、出来ればもそっと優しく運ばぬか。偉大なる我の柔肌があ痛っ、イタァイ! はがれるー!」

走りながらコートも脱ぎ捨てようと四苦八苦。せめて見た目をどこにでも居る駆け出しサマナー風に装う事が出来れば、自分達の正体を知られないままに乱戦状態を掻き回せるだろう。
黒いハーフコートにしつこくへばり付く粘っこいスライム肌に舌打ちしつつ、サマナーは後ろも見ずに走り続けた。





メガテンSSは特にサマナーを題材とする場合、主人公の行動による多勢力への影響や周囲からの風評まで考えないといけないので敷居が高い気がしますね。沢山考えるのは大変で、それぞれに説得力も必要ですし。難しい。
他者に影響を与えられないメガテン主人公だと世界観生かせてる気がしませんから尚更書き辛い気がします。

ライドウはきっと最終回には出番がある筈なので次も続かないです。



[40796] 第六話 ゲス顔の王子様
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/18 00:57
赤いルージュを引いた唇が紙巻煙草を咥えたまま、小さな舌打ちを二度鳴らす。

「詳しいお話はまた今度、だあ? 随分調子の良い事言うじゃねえかルーキーめ」

暗がりを睨み付けるのは赤色のパンツスーツを着て赤髪を纏め上げた一人の女性。そこに居るはずの相手に向けて、握り潰すかのような右拳の開閉運動を見せ付ける。図に乗るな、殺すぞ。全身で戦意と殺意を表現していた。
だが影の中に立つ黒尽くめの男は無感情に肩を竦めた。

米神がゴロゴロと蠢く。女として異性に見せてはいけない類の恐ろしい形相を浮かべる赤髪の女傑は、それでも大きく息を吐き出す事で己の精神を平常値へと引き下ろす。
彼女はガイア教団の古参――という事になっている人物だ。
別に経歴を偽証しているわけではない。荒くれ者の多いガイアでは死傷者も多く、人の出入りが激しい。だからこそ十年に満たない戦歴でさえ一組織における古参扱いを受けてしまうのだ。
ガイアは気に入っている。力を振るえば自由を得、力を磨けば更なる力を得られる。同教団内における私闘さえろくに禁止されていない放埓な集団。実力を持つが故の居心地の良さだが、数年過ごしたガイア教団は彼女にとっての家とも言える。

だからこそ、馬鹿ばかりの現状が気に喰わない。
弱者を踏み躙るのは良い。だが下ばかり見ている癖に自分は強いのだと謳うグズ共には殺意が湧く。
貪欲に力を求めるのも良い。だが強者に媚びて恵んでもらう事を常とする輩にはやはり殺意が湧く。

馬鹿め。馬鹿め。ああ本当に馬鹿ばかりだ。

ガイア教団に愛着が湧いてしまったからこそ、貧弱且つ軟弱な有象無象が気に喰わない。蹴散らした所で次から次へと新しく入ってくる雑魚共を一人一人相手にするのは疲れてきた。
彼女は古参と見なされている自分の立場を利用し、所属組織の在り様を変えてしまおうと思った。思ったが、――どう変えたいのか、どうやれば変えられるのかが全く分からなかった。所詮はガイアーズ、例に漏れず頭脳労働が苦手だった。

苦虫を噛み潰す思いで付き合いの長い仲魔に聴いてみれば、「出来る奴にやらせれば良いんじゃないの?」と来た。
なるほど。と彼女は頷く。分からないのなら分かる奴を連れてきてやらせれば良い。最終的にガイアで物を言うのは暴力だが、そこは自分が持っている。『自由と混沌(カオス)』の徒たる女傑は出来そうな気がしてきたので即座に動いた。

最近噂のマンハンター。ガイアのお偉い方が「人も悪魔も等しく糧とする『悪食』め」と口にした相手。
接触は偶然だが見つけるのは簡単だ。あんな目立つCOMP、見間違いようが無い。
相手はガイアからの勧誘に乗り気のようだが、詳細に関しては次の機会を設けて欲しいと言う。面倒臭い。何故、自分が求めているのに即断しないのだ。不満を覚えて力尽くで連れ帰る事も考えたが、人を動かす為には飴が必要だ。雑魚の意見を聞き入れる度量を示すためにも、ここは譲る事にしよう。

「……ふん、行く場所は分かった。逃げるなよ、殺すぞ」

最後に一睨みして、踵を返す。
結局最後まで暗がりから言葉を投げ掛けるばかりで顔一つ見せようともしない『悪食』。
普段から礼儀のなっていない阿呆ばかり相手にしていたから見逃したが、どうにも態度が気に喰わない。

「あの声もだ、なんか気に入らねえ」

きっとあいつは嫌な奴だ。ガイアに来たらしっかりと躾けてやらなければ。
機械仕込みの右手を振り回しながら、彼女はこれからの予定に思考を回した。





誰もが感じ取れるほど明確に、大きく、異界が揺れていた。
現世とは異なる位相、文字通りの異空間。低級悪魔しか存在しない、程度の低い異界に力尽くで引きずり込まれた霊体の重みによって、まるで地震のような揺れが異界全体を揺さぶっている。

「……今度は何やらかす気だ。相変わらず顔も見せねえであのクソはよおッ!」
「落ち着きなさいなサマナー」

赤毛の女傑がメシアンの頭部を右手で砕き散らしながら悪態を吐く。
言葉を投げ掛ける悪魔『ヴィーヴル』も天使を一体葬りながら、素早く周囲に視線を巡らす。
この異界内で何かが行われている。下手人は間違いなく自分達をこの状況へと誘い込んだマンハンター、『悪食』。
メシアンとの喰い合いなぞ奴の企みの内では前座に過ぎないという事か。舌打ちを三度ほど繰り返すと、女は生き残った敵手へと視線を向ける。
まずは目の前の邪魔者達を排除するべきだ。『悪食』が何を行おうと、万全の状態で迎え撃てばどうとでも出来る。ガイアーズとして生き残ってきた己の戦績への自負からそう断言する。

同じ戦場に立つガイアーズの下っ端共は既に二人しか残っていない。対するメシアンは残り五人。追加の仲魔さえ要らず自分とヴィーヴルで殺せる数だが、消耗を少しでも抑えたい。ならばやる事は決まっていた。

「おいグズ共、突っ込め」
「は?」

地霊『ノッカー』一匹だけを侍らせた男が一人。COMPを壊され刀剣を構えている少年が一人。
少しも役に立ちそうに無い。そもそも最初から戦力として期待していない。剣を構える小僧に至っては棒切れでも握っているかのような酷い構えだ、盾にだってならないだろう。
だから使い捨てる。ガイアーズとして当然の思考だ。

「あのメシアン共に向かって真っ直ぐ突っ込め。出来なきゃ死ね」

物分りの悪さにうんざりして吐き捨てると、ヴィーヴルが仕方無さそうに肩を竦める。その反応に少しばかり米神が疼いたが、仲魔の知ったかぶった振る舞いにもいい加減慣れている。この状況では腹を立てるのも面倒だ、と新しい煙草を咥えて見なかった振りをする。
言われたガイアーズは未だに何を命令されたのか分かっていない顔をしていた。

それが殊更気に喰わなかったから、女傑は機械音を鳴り響かせる右手を伸ばし、――少年の握っていた刀剣を粉々に握り潰した。

「へあっ?」

ガイアーズの少年の顔が呆けた。彼の中の常識では、金属で作られた刀剣が素手で、しかも掌で握り込むだけで壊れるなど有り得ないのだ。あってはいけないのだ。
握っていた手を開くと、剣の破片らしき残骸ではなく、まるで砂のように細かく粉砕された銀色の何かが地に落ちた。

「――次は、お前らの顔面な」

丁寧に、噛み砕くように言葉を投げ掛ければ、ガイアーズの二人はメシアンに向けて全速力で走り出した。
命令一つにも時間がかかる。これだからガイアは!と女傑は己の所属教団を罵倒する。

「仲間に対してなんという暴挙、これだからガイアは!」
「恥を知れケダモノ!」
「だったら助けてくれよおおおおおお!!」
「おかあちゃああああああーーーん!!」

向かってくるガイアーズに対して情け容赦の無い魔法攻撃を見合うメシアン達。
泣き叫ぶ二人はそれでも一縷の望みに賭けて、どうにか生き残る道を探そうと逃げ道を求めて前方へと全力疾走する。

「サマナー、僕COMPに戻ってるね?」

そしてこっそり拾ったCOMPを操作して自己送還を行うノッカー。

「生きてたら、また会おうよ!」

彼のサマナーは既にメシアン目指して遠く離れつつあったが、ノッカーは自分が大事だった。サマナーよりもずっとずっと大事だった。
その背中を、女性用の革靴が軽く蹴り飛ばす。

「お前も行けよ」
「……やっぱりィ?」

COMPを弄っている所を女傑に見つかり、ノッカーもサマナーに倣って震えながら走り出す。
一連の寸劇にヴィーヴルが笑い、女傑が睨みつける。
先行した二人と一匹が僅かでも隙を作れば良し。ヴィーヴルへと視線を向ければ、指示を汲み取り諸共薙ぎ払うための準備に入り――。

「ほう。『緋熊(ヒグマ)』か、久しぶりだな」

背後から現れた偉丈夫――ジョージ・バットマンの声掛けに顔を歪めた。

「ファントムのクソホモ野郎かよお……っ!」
「あら久しぶり。インキュバスは元気?」
「ああ、ケツを使い潰してしまったから代替わりさせたよ」
「あら悲惨。仲魔は大事にしないとね?」
「ははは。ベッドの上では紳士さ、俺は」

パンツスーツの女傑――『緋熊』と呼ばれた女はバットマンの物言いに吐き気を耐えて煙草を吐き出す。
対照的に、親しげな振る舞いで手を振るヴィーヴルとバットマンは本当に仲が良さそうだった。そして本当に仲が良いので、緋熊はこの二人のやり取りが死ぬほど嫌いだった。
彼らの会話内容が常に自分の許容範囲から大きく外れているのも大きな理由だが。

「戦場できったねえ話してんじゃねえぞ、このクソ共おッ!!」
「……お前、まだ独り身なのか」
「関係無えだろがどこから来たんだよその発想はよお!?」
「俺とインキュバス軍団の枕事情に嫉妬したわけじゃないのか?」
「クソが!!!!!」

話が通じない。発想が異次元から来ているかのようだ。緋熊は血を吐くような思いで会話を打ち切った。
口元を押さえて笑いを堪えるヴィーヴルの様子に大きな舌打ちを繰り返し、メシアン達へと視線を戻す。
走っていたガイアーズはノッカー共々全滅していた。当然の結果だった。まんまと機会を無駄にした事を理解した緋熊は、懐から取り出した紙巻煙草を七本ほど纏めて咥えて火を付ける。何の意味も無い行動だった。八つ当たりにもならぬ衝動的な浪費である。

メシアンが三人へと武器を向ける。天使もまた戦意を隠さない。

「……バットマン、お前も『悪食』、じゃねえな。マンハンターの件か?」
「『悪食』で構わん、その呼び名は聞いている。勧誘を行っていたのだが、異界の揺れに乗じて逃げられてな」
「ああ゛っ? お前の方に居たのか? じゃあこの揺れは別口か? んん?」

緋熊が右手を突き出す形で構えると、ヴィーヴルはその斜め後方で攻撃準備。
横に並んだバットマンはサングラス型COMPを左手で操作して仲魔の召喚を行う。

「これは何か来る、な」
『SUMMON DEVIL』
「返り討ちにすりゃいいだろが、全部、全部よお」

遠くから雄叫びが聞こえる。
まるで何か恐ろしいものから逃げ続ける無力な獲物が上げるような、悲痛な声が。

「急げオスザル。不味いぞオスザル。あれはガルダインだな、あの阿呆め狙いも付けず無差別に撃ち出すつもりだぞ。マグネタイトを用意したのは誰だと思って――む、戦場に辿り着いたな」

それは丁度少年期から青年期へと移り変わる、中途半端な年頃の少年だった。
両腕で外道スライムを抱き締め、不自然なくらいに多量の汗を流しながら、荒い息を整える間もなく走り続けたであろう必死な顔。衣服は薄汚れて、ここが天下の往来ならば哀れみさえ覚える、被害者の姿そのものだ。
恐怖からか俯きながら真っ直ぐ走り込んで来た少年は、勢い余って緋熊の眼前で転んでしまう。
乱れた呼吸のまま、それでも胸元に抱えるスライムだけは傷一つ付けまいと身体を丸めて地面を滑る様子は、力強さなど欠片も見えないが正しくサマナーたる者のあるべき姿。

「あー……、おい餓鬼。何があった。つーか誰だお前」

酷く面倒臭そうに少年を足で小突く緋熊。
はっと目が覚めたような表情で女傑を見上げた少年が目を見開いて一言、不意に零れたというかのような透き通った声で、だがはっきりと。

――結婚してください。

「………………は?」
「あらやだ見る目無いわねこの子よりにもよってうちのサマナーとか。……頭おかしいのかしら?」
「ああ、俺もそう思う」

ぽかんと目と口を開いて呼吸さえ止めた緋熊。そして傍らでは未だかつて無い驚嘆からか心よりの本音でもって契約者たるサマナーを罵倒してしまう龍王ヴィーヴル。したり顔で頷くバットマンは平常運転だ。

緋熊達の反応からおよそ五秒。
自分の発言内容を顧みたらしい少年が慌てて視線を周囲に泳がせた挙句、縮こまるように俯いて己の顔をスライムの背に埋める。
初心な少年が憧れのお姉さんに告白したが、それは不意に零れた本心であり今はまだあの人と並び立てる自信など無くこうして想いを告げる気なんて僕にはなかった筈なのに!と言外に語るような、見事な恥じらいの仕草。ドラマのワンシーンのようだった。

緋熊の咥えた七本の煙草がじりじりと焼けて煙を吐き出す。メシアン達もこの状況でどうすれば良いのか困っていた。隙を晒しているガイアーズを攻撃するべきなのだが、それでは自分達は空気を読めていないと言っているようなものだ。

「あー、あー……っ、その、だな? うん。いや、うん」
「あらやだサマナーってば照れてるわキモイ」
「生粋のガイアーズだからな。恋路とは縁遠くて当然だ」

少年へと視線を向けられず、言葉を濁す事しか出来ない緋熊。
罵倒の言葉を止められないヴィーヴルと、理解ある態度で頷くバットマン。

「キッ、キキキキキ、キシィイイイイイイイイイイイインンンンンンッッッッ!!!!」

停滞しつつあった空気を引き裂くのはタケミナカタの具象不完全体、大外道スライム。

「でけぇなっ!?」
「すらいむ?」
「スライムだな」

咄嗟に少年を庇う位置へ飛び出す緋熊。残りの二人は巨大すぎるスライムに眉を顰め、メシアン達はサイズ差のあり過ぎる敵の出現に腰が引けていた。
バットマンの傍らで先程召喚された悪魔がその身を起こす。
とても美しい肢体をもつ、輝く黄金の頭髪を背に流した男性悪魔。

「いけるな、『ナルキッソス』」
「ええ。……ですから今宵の夜伽はご容赦下さい、サマナー様」
「ははっ。大丈夫だ、褒美にたっぷりとくれてやる」
「……しにたい」

金色頭の頭頂部から伸びた花が萎れるようにへたり込んだ。
漏れ聞こえる会話に泥を呑んだような不快感を覚えながら、緋熊は膝を付いたままの少年へと声をかける。

「下がってろ、……邪魔だ」

言葉は荒いが、声音には小さな気遣いが見えた。
はい!と素直に頷く少年に、ああそうだよやっぱり素直なのが一番だよな何でガイアは聞き分けの無い奴ばっかりで……、と考え小さく頬を緩ませていると、隣でヴィーヴルが己が主をじっと見つめていた。
思わずたじろぐ。

「な、なんだよ」
「年下が良かったの、あなた?」
「違え。違えから。本当に違うからな。違うに決まってるだろ馬鹿か」

緊張感の無いやり取りと裏腹に、戦士達の肉体は迫る戦闘に備え始めていた。
壁や天井に体躯を擦り付けながら距離を詰めてくる巨大スライムが、全身を震わせて人間達に襲いかかる。

――そして彼ら全員の視界から外れた位置で、スライムを抱えた少年が凄く悪そうな笑顔を浮かべて状況を観察していた。





少々投稿が遅れましたが第六話です。
そして物語の着地点が見えないままのキャラ紹介。

 緋熊
NEUTRAL-CHAOSのガイアーズ。
脳味噌筋肉な全身赤色人間。
必殺技はソニックパンチ。

 ヴィーヴル
NEUTRAL-NEUTRALの龍王族。
サマナーに対してお姉さんぶる悪魔。
愛の形には理解がある。

 ジョージ・バットマン
DARK-NEUTRALのダークサマナー。
同性愛者だが男に厳しく女に優しい。
悪魔に人権は無いと公言している。



[40796] 第七話 戦闘準備
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/19 00:16
揺れる異界と、具象化に失敗した巨大な外道族悪魔。
それに相対するのはガイアーズの女とファントム・ソサエティの男、そして彼らの仲魔達。

異界へと仲間を率いて踏み込んだ若きメシアン達のリーダー格たる青年は、この場における己の行動を決めかねていた。
メシア教団にて共に研鑽を重ねてきた友人の一人が、教団から賜った天使を奪われて帰ってきた。下手人は最近噂になっているらしい人魔無差別の強奪犯。外道デビルバスターとも、卑劣なマンハンターとも呼ばれる存在。
その悪名高き新参の悪党がガイア教団と手を結ぶらしい。仲間の一人がそんな情報を持ち帰り、これ以上被害が広がるのを放っておくわけには行かないと皆で飛び出してきたというのに。

戦場の片隅で立ち尽くすだけの自分は、何をやっているのか。何をすれば、良いのか。

「おいホモ、さっきからお前の吹っ掛けるバステ全っ然付いてねえじゃねーかよッ!」
「私は違うんです。サマナー様が無理矢理」
「物理に強く、他の属性耐性も優秀だな。会話が出来るなら欲しくなる所だが」
「ねえこいつジオンガもザッパーも効かないんだけど。私じゃなくて別の奴呼んでくれない?」

ガイアーズとその仲間は、突如現れた巨大な悪魔と戦っている。
異界を揺るがす悪魔を討つ為に共闘するべきなのか? それとも今の内に背後から斬り付けてガイアの強者を討ち取る?
どちらも選べない。敵であるガイアーズと轡を並べるなど、考えられない。だが戦う者の背を切り捨てるのもメシアンとして許されない。だというのなら、ならば、……どうすれば良いのだ?

「ど、どうするんだよ」
「……退くか? 被害も大きい」
「教団に何て言い訳するんだよ」

意気揚々と悪党退治に出かけて、仲間達の半数が、死んだ。
自らの軽挙を後悔するべきか。教団に対してどのような申し開きをすれば良いのか。
現状からどう動けば良いのか決められないリーダーと、教団内における今後の自分の立場を心配する他のメシアン達。それ以前に、この異界から無事に脱出できるかも分からない。なにせ目標の一つであったマンハンターは未だその姿を見せていないのだ。

「――小童共。道に惑う哀れな貴様らを、この偉大なる我が導いてやろうぞ!」

自信溢るる声が掛かる。
メシアン五人が視線を向ければ、そこには一人の少年に抱きかかえられた外道スライムが濡れた体躯を照り輝かせながら己に存在しない胸を張っていた。

「……で、どうするんだよ」
「そもそもあの大きなスライム何だ? 新種?」
「もう帰ろうぜ、天使達も消耗し切ってるしこれ以上は戦えないって」
「だから教団に何て言うつもりだよ!」
「おい貴様ら。おい。我を無視するなぞオスザル以来の暴挙だぞ貴様ら。黙って話を聞かぬか穀潰し共。聞けい! いや聞かずとも聞かせてやろう!」

――教団側からの許可も得ずに独断専行を行った挙句、この体たらく! この場に居るメシアンに最早教団内における立身出世の目は無い。これから先も恐らく冷や飯食らいが関の山だ。
組織としての体裁を重視するメシア教団において、身勝手な行動は平時といえども容易く許されるものではない。『秩序(ロウ)』を行動の指針とする集団に属しておきながら、個人的感情にて逸った結果がこれでは、周囲からの白眼視も当然の結果というもの。
しかもそれが肩を並べる戦友達の犠牲を生み出す悲惨にして蒙昧な、手柄目当ての先走りであるなど――!

「……おい。俺達は教団の教えに従って、犯罪者を裁きに来たんだぞ」
「そうだ。確かに勝手な部分はあったがな、俺達は自分が間違ってたなんて思ってないぜ」
「偉そうに言うなよスライムの癖に」
「天使達だって止めなかったんだ、教団だって責められないさ。そうだろ?」

滔々と語るスライムが矢継ぎ早にメシアンの意思と行動をなじってみせれば、若い彼らの口から自己正当化のための言葉が吐き出された。
先程まで帰還した後に教団へ向ける言い訳を考えていた者も居たというのに、責めるような物言いをぶつけられれば幼い自負の心が反発する。勢い込んで言い返す彼らの瞳には険しさが宿り、じりじりとスライムへの距離を詰め始める。
このまま話を進めていけば、遠からず暴力で黙らせようとするだろう。彼らの精神性は秩序に殉ずるには未熟過ぎ、正義を名乗るには芯が脆過ぎた。でなければ不確かな情報に踊らされてこんな異界で死人が出るような戦闘行為に臨みはしなかったのだろうが。

抱き上げたスライムで口元を隠す少年は影で簡易COMPから短いメールを送信し、伏せた視線で周囲を窺う。
メシアンの内四人はスライム相手に文句を言うのに忙しい。一人だけ輪から外れてこちらに戸惑った視線を向けてはいるが、一人だけならどうにでもなる。
問題は――。

「やめなさい、信徒達よ」

生き残っていた二匹の天使族悪魔がようやく口を開いた。

「此処は未だ戦場です。まずは何より貴方達の身の安全を」

彼らメシアンを気遣う声音が、熱を持ち始めた場の空気を冷ましていく。
それが凄く邪魔だったので、少年は――『悪食』と呼ばれるダークサマナーは、彼らの背後を指差して心底怯えたような涙混じりの悲鳴を上げた。

――ま、マンハンターだぁああああああっ!!!!!!

指差した先にこそこそ潜んでいた黒尽くめのメガネ中年は突然のご指名に反応して、乳母車を放置したままその場から走り出す。
今まで口を噤んでいた少年の予想だにしない絶叫と加えて、隠れ潜んでいただろうマンハンターの出現。
驚いて動きの止まるメシアンと天使に対して考える間も与えずに、スライムがひっそりと独り言を漏らす。

「ふむ。手傷でも負っておるのか? 彼奴め、体幹が歪んで居るぞ」

常に猫背気味の不健康中年であるメガネ扮する偽マンハンターの走る姿勢が歪んでいるのは当然の話だが、誤解を誘うスライムの物言いを聞いたメシアン達の目は、遠のいていく黒尽くめに向かっていく。

いけるかもしれない。倒せるかもしれない。手傷を負っている相手一人、この人数で叩き伏せれば勝てるだろう。マンハンターを倒せば、自分達の失敗も覆い隠せる。だから――。

「行くぞ」

熱の篭った言葉が零れた。他三人のメシアンも言葉少なに頷いて走り出す。
天使達もまた、己の契約するサマナーの後に続く。続くしか無い。

「あっ、待、いや、でも。……う、うう!」

一人だけ残されたのはメシアンのリーダー。
自分が今どうすれば良いのか分からない。今回の討伐の発起人は彼だったが、普段は教団内で訓練を施される見習い信徒の一人でしかなかった。いつか栄えあるテンプルナイトになるのだと夢を見ても、逆境において人を率いるだけのカリスマも能力も持ち合わせていない未熟者。
彼の連れていた天使はガイアーズとの戦いの中で赤毛の女傑に殺されている。
共に悪人を討つのだと異界に足を踏み入れた仲間達は、半数は既に亡く、生き残りはマンハンターを追って自分から離れて消えていく。

「どうしたらいいんだ、どうしたら……!」

分からない。自分は正しい事をしていた筈だ。なのにこうして立ち尽くしているのは、何故なのだ。
心の内で誰かに助けて欲しいと願っても、今この場に居るのは巨大なスライムと戦う野蛮なガイアーズと、スライムを抱えたサマナーらしき少年一人。今まで日向で道を示してくれたメシアンの先達は何処にも居ない。

思い悩むメシアンの青年を一顧だにせず、『悪食』はメガネの置いていった乳母車型COMPに手を伸ばしていた。

「うーむ、やはりこのポジションが落ち着くな」

乳母車に寝かされたスライムが一息つき、サマナーである『悪食』は急ぎ取り戻した己のCOMPから必要な機能を呼び起こす。

――悪魔解析プログラム『デビルアナライズ』起動。対象はタケミナカタと、赤毛と、グラサンと、悪魔二匹。ついでにメシアン。

メガネが逃走する前に起動してくれていれば解析の手間も省けたのだが、期待するだけ無駄だったようだ。そういえば救援要請のメールが来ていたが、メガネはどうして無事だったのか。疑問に思いながら、アナライズ機能の解析時間を活用して乳母車の各所に備え付けられた道具類を回収する。
巨大スライムと戦うバットマンとヴィーヴルは少年の取った行動を視界に収めて、緋熊は気付かぬままスライムへ拳を振るった。叫び声まで上げてメシアンを遠くに追いやった『悪食』とて、彼らに気取られる危険性を知り得ていたが、どうせ丸腰では戦えない。彼らの戦意が己に向けられるよりも尚速く必要な情報を得、戦いの準備を整えるつもりだった。
真っ当に戦えば負ける。死ぬ。彼らは当初想定していたよりもよほど強い相手だ。釣り上げる魚を間違った気もしてくる。だが逃げようも無い。逃げてしまえばこの一週間で積み上げた物が塵も残せず瓦解する。

「逃げても構わんぞ」

予想外の言葉を投げるスライムと、視線を合わせた。
相変わらずの半端に溶けた粘体生物が、騒ぐ様子も見せずに言葉を紡ぐ。

「ここで一時退却しようとも我らの再起は充分可能だ。積み上げた物は朽ちてしまうが、新たに築けばそれで良い。終わりではない。まだまだ終わりようも無い道半ば、此度の敗北、我は貴様を責めはすまい」

鷹揚に頷き、スライムが優しげな言葉を並べ立てる。
全て聞き終えたサマナーの答えは短かった。

――逃げるのは癪だな。

本当はもっと言える言葉がある。
瞼の裏に浮かぶ黒い誰かの残影を追い続ける彼は、諦める事が酷く情けなくて、恥ずかしいものだと考えている。諦めれば追えなくなる。諦めれば遠のいてしまう。そういう焦燥さえ伴っている。
それに。自分もスライムも、退くのは嫌だろう? ならばこのまま、妥協など捨て突き進んでしまえば良いのだ。
短い言葉に篭められた種々の感情を、向かい合うスライムは正しく読み取った。

「ふふふふふふ、ふっははははは! 良いぞオスザル! それでこそ我が信徒! 我が眷属よ!」

半壊した地下ライブ会場にて、COMPも使役術の知識も持たない愚者と悪魔が交わした契約。
至極原始的で複雑な陣も必要としない、人魔の契約。
魂の契約。
霊的に確かな繋がりを持つ彼らは、凡百のサマナーとは違い、COMPを介さぬ強靭な『縁』で結ばれている。
互いの感情なぞ、とうに知り尽くしていた。その上で言葉を交わすのは、言霊染みた願掛けでもある。

『デビルアナライズ』によって解析されたデータを読み上げ、乳母車に収納されていた黒装束の予備を身に纏う。この格好で、この状況で。戦っている彼らに横から手を出せば、もう言い逃れは出来ない。
正体を隠して戦場に乱入したマンハンターか、そうでなくともその協力者だと名乗りを上げるも同然。

死んでいるメシアンやガイアーズのCOMPを拾い上げ、乳母車型COMPからハッキング。中身を吸い上げる。
乳母車という、COMPとしては無駄の過ぎるサイズに比例した多数の搭載プログラム群から簡易『悪魔合体』プログラムを立ち上げて弄り回す。材料は死んでCOMPに戻されていた、名も知らぬメシアン・ガイアーズの所有悪魔。
視線を投げれば巨大スライムは未だ奮闘していた。だがいつまで戦い続けられるのか、アナライズ済みのデータを見ても残存体力が読み取れていない。
高位の悪魔でさえ解析できる高い性能の代償として、解析に手間のかかるメガネ謹製『デビルアナライズ』プログラムは、それでも今から行う戦闘を思えば無くてはならない物だ。舌打ち一つを打って、思考を切り上げる。

「勝つぞ我が民、我が信徒、我が眷属よ」

是非も無い。
黒いマフラーで笑う口元を覆い隠し、COMPを操作。『悪魔召喚プログラム』にマグネタイトを流し込む。
頭の上に黒のハンチング帽を軽く乗せると、戦いの邪魔にしかなりそうに無い黒の乳母車を転がしながら二人で戦場に踏み出した。

『SUMMON DEVIL』

――まずは一手、頑張る人間達の背中を撃つ事から始めよう。





そろそろ次の展開に入れそうな第七話です。
しかしヒロインという言葉のなんと虚しい事でしょうか……。

続かないと思います。



[40796] 第八話 赤のくまさん
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/24 23:52
何時しか『緋熊』などと呼ばれるようになったその女は、生粋のガイアーズであった。

戦って、戦って。人も悪魔も沢山殺して名を上げて。
共に戦場を駆けた者達が異界や戦場で朽ちようと、彼女は生き延び、更なる力を手に入れた。
生粋のガイアーズである。
それは即ち『戦士』であるという事だ。
どんな状況でも。誰が相手であっても。己では決して勝ち得ぬ苦境にあろうとも。
――力でもって蹂躙し、敵わぬならば朽ち果てる、自由と混沌の徒だ。

見下ろす視線にはつい先程まであった女としての情が見えなかった。
羞恥も、好意も、戸惑いも無い。
己の間合いに足を踏み入れたと察した瞬間から、緋熊は目の前で苦鳴を上げる巨大スライムを完全に無視して、黒尽くめのサマナー『悪食』を殺しに掛かった。より正確に述べるなら、それが誰かなどどうでも良く、近付いて来たから殺す、という機械的且つ本能的な、条件反射による殺害衝動の表れでしかなかった。

豪拳を撃ち込み、殺した後にようやく相手が誰かを確認する。
全身を赤く染め上げた、荒ぶる猛獣。ただ殺すだけの女。――『緋熊』の名はそうして語られるようになったものだ。

乱入の一手目で『メギドストーン』の魔石を戦場のど真ん中目掛けて投げ込んだ『悪食』。
尋常の手段では防ぐ事の出来ない万能属性魔法『メギド』を封じた魔石が内部に封じられた魔力を解き放ち、貴色に燃え上がる炎が戦場に立つ者全てを飲み込もうと広がった。

回避できたのはヴィーヴルとバットマンのみ。
乳母車を漁る少年の姿を目に留めていたヴィーヴルは警戒を忘れず、だからこそ事前動作の必要な魔石の使用に先んじて反応した。敵味方問わず全てを思考の外に捨て置き、全力で距離を取って効果範囲から離脱する。
同じく他者の乱入に備えていたバットマンは仲魔のナルキッソスを盾に、自身へのダメージを最小に抑え込む。彼の代わりとしてナルキッソスが死んでしまったが、バットマンは欠片も気にせず治療用の『宝玉』を取り出した。
巨大スライムは体表を舐める炎に苦痛を覚えたのか甲高い叫び声を上げて、天井に頭を擦り付けながらその身を震わせる。
一方、緋熊は全身でメギドを浴びた。

戦場の位置関係を見て取り、炸裂するメギドの炎から距離を取ったヴィーヴルと、仲魔を即席の盾とするバットマンの二人では即座に助けに入れないと判断を下した『悪食』が、召喚した悪魔をけしかける。

標的は当然、魔石効果の直撃を受けた緋熊。
外部から隙を作り、単独となった相手の不意を打って、勝利する。
考えは間違っていない。自力に劣る者がそれでも勝ちを拾うには定石と言える手順。

一番の問題は、互いの実力差が開き過ぎていた事だ。

「ぁあ゛っ? ――なんだ、雑魚かよ」

女の悪態が戦場に響く。

一本角に赤い肌、筋骨隆々とした身長2メートルを超える悪魔。乳母車型COMPから召喚された妖鬼『オニ』は立ち消えようとする炎の中から襲い掛かった拳撃によって、首から上を引き千切られるように粉砕された。
人体よりも余程頑丈な悪魔の体躯を、その頭蓋骨を、物ともせずに一撃で。

「……オスザルよ、あの女はやめておけ」

震え声で忠告するスライムは、女傑から投げ掛けられた誰何を誤魔化すために口にした己がサマナーの求婚発言を鵜呑みにしていたのかもしれない。
緋熊の一撃で死を迎えた生まれたての妖鬼は、自分を盾にしたサマナーに恨み言を吐く事さえ出来ないままマグネタイトの霧となった。きっと何が起こったのか理解する暇も無く死んだだろう。

これはまずい。『悪食』もスライムも戦闘になれば敗北の確定する実力差を理解していたが、そもそも戦闘にさえならない圧倒的上位者など想像していなかった。あんなに大きく強そうな悪魔が文字通りの鎧袖一触。突然のプロポーズに戸惑っていた女の姿などどこにも見えず、状況判断を差し挟む暇も待たずに殺しを行う化け物が、彼らの眼前で呼吸をしている。

飾ること無く内心を明かせば、『悪食』はこの時点で恐慌状態に陥る寸前だった。
だが。だがここまできて退けはしない。進むしか無いのだ。歯を食い縛って、魔石を投げ込めるだけの距離を保っていた筈なのに何故か今この瞬間に目の前で拳を振りかぶっている、人を模った死絶の権化を打ち倒さなければいけない。

「カ――ッ!!」
『SUMMON DEVIL』

スライムが己とサマナーに渇を入れ、『悪食』がCOMPを操作し二度目の召喚を行う。
完全なる同時同瞬、緋熊の右腕が再度撓り、乳母車を粉砕していた。

「ぬううっ!」

――アプサラス、ドルミナー!

「え。どるみ、――ギボッ」

COMP破壊からの連続攻撃。直近で振り上げられた右拳に胸から上を消し飛ばされ、召喚した天女『アプサラス』が消滅する。
合体直後にサマナーと顔合わせさえしないままの召喚から、いきなりの戦闘命令。
上手くいくわけが無い。一拍の間を置いただけで魔法使用に踏み切った彼女はきっと優秀だった。

だがやはり相手が強い。何より速い。彼我の距離を一息で詰めた俊足もそうだが、緋熊はこちらが一手打つ間に二撃を見舞った。愛用のCOMPを物理的に打ち砕かれた事で、次の悪魔を用意するのは最早不可能。懐の簡易COMPを取り出す暇などあるわけが無く、仮に取り出せてもそちらには乳母車の無い緊急時に予備として使うための便利アプリばかりで悪魔が入っていない。

戦力の逐次投入は下策。誰が言ったか、正論が過ぎる。
性能で劣るのだから少しでも多くの手札を伏せて小出しにしながら戦おう、などと。戦術家気取りかと己を罵倒した。こうして結果が出た以上、己の選択が間違っていた事は明白。失敗のツケは自力で支払う必要がある。
だから後は、命を投げ出してでも勝ちを拾いに行け。

乳母車を破壊された事で宙を舞うスライムの影から、魔石を握り込んだ右手を差し出す。
女のような形の猛獣と目が合った。
何の感情も読み取れない、口を半開きにした無表情が怖気を誘う。

「てめえ、」

体重を掛けていた彼の右膝が、緋熊の伸ばした脚に容易く踏み折られた。
枯れ木を折るような音が聞こえて、現実に人間の身体からこんな音が鳴るのかと思考の片隅で驚いている。
最初に狙うのは魔石を握った右手だと思っていた。どういう判断基準か、片足という重要な部位をこれで封じられた事になる。連続で読み間違った自分への憤りなど湧く暇が無い。視界に映る女傑の姿を見る限り、メギドストーンの直撃でも戦闘行動に然程の支障が無い。つまり、こちらの魔石は使わせても問題無しと見ているのか。

「『悪食』、よくもまあ顔を出せたもんだな」

怒りを露わにする緋熊の背後で巨大スライムが魔法で風を起こし、ヴィーヴルが止めに入るのが見えた。

右膝を踏み砕かれたために移動は出来ない。だが元より互いの速度差が大きいために、無駄な選択肢を潰された事は損にならないだろうと拙い負け惜しみを脳裏に遊ばせる。
決定打を打ち込む手札は、ある。更に女の背後ではサングラスの男もヴィーヴル同様、巨大スライムに向かっていく。『悪食』に関しては緋熊に一任したのだろうと小さく安堵。これ以上敵が増えれば耐えている振りさえ出来ない。早く目の前の猛獣に次の一手を見舞わなければ――。

思考が高速化する錯覚を覚えても、迫り来る猛獣の爪はそれより速かった。

心臓を狙う右拳に、死を予感する。
咄嗟に目の前で飛び上がりサマナーの盾となったスライムが、体内から多量の血飛沫を撒き散らした。
外道スライムに備わっている属性相性、『物理耐性』。大きな口から拳が入り背後まで貫通した様子を見れば、耐性を突破して殺害し得るだけの能力差は歴然だ。
仲魔に庇われる事で、辛うじて『悪食』は死を免れた。だが。
スライムが死んだ。

――あ。

「ぬ、う、ぅううううううううううっ!!!!」

先走った愚者の思考を、外道の雄叫びが真っ向から引き裂く。
緋熊の右拳は間違いなくスライムを殺せた。だが消滅寸前で意地をもって『食い縛り』、スライムは己を構成するマグネタイトを現世に繋ぎ止めた。瀕死であっても、死んではいない。
――好機だ。
例えそれが経験不足からの思い違いでも、今の自分達に次があるとは思えない。

「たたり艶電ンンンン――!!」

紫電が走る。
体躯に緋熊の拳を通したままのスライム、その両目と口腔から大量の電撃が吐き出された。
体内に突き込んだ右腕を伝い、全身に蛇のような稲妻を纏わりつかせた緋熊は瞳の焦点を揺らし、虚ろに淀んだ両眼が――『悪食』を捉える。

引き抜かれた右拳が構えられ、真っ直ぐに撃ち出された。
魅了効果付与の雷、『たたり艶電』。敵の精神に直接打ち込まれるこの魔法が、完全に決まったとスライムは感じた。それは間違っていない。ただ目の前で今一度右の拳打を繰り出す女傑が、痛打に反応して無意識に肉体を動かし逆撃を見舞えてしまう類の、文字通り戦場で生きてきた生粋の戦士であっただけ。

咄嗟に伸びた『悪食』の左手が、捻りもフェイントも無く真っ直ぐ伸ばされた緋熊の拳を受け止める。
少年の腕が砕ける事も、一撃の重みで片足立ちの崩れた姿勢が揺らぐ事も無かった。
左掌に握られた小さな円鏡。
――物理攻撃を反射する魔道具『物反鏡』。
鏡面に接触した右拳から歪な機械音が漏れ聞こえた、刹那の後。
魔道具と接触する拳を起点に跳ね飛ばされるような勢いで、雌熊の身体が回転しながら宙空を舞った。

相手の攻撃は右手ばかりだった。左手はずっと拳銃型のCOMPを握って、足を使ったのも一度だけ。鏡で受け止めた際に聞いた不自然な機械音から、右手を機械的に改造しているのか、内部に何か仕込んでいるのだろう。執拗に右手を使う、彼女がこだわるだけの威力が有った。
他の攻撃手段を使ってきた際の被害など考えず、物反鏡で右の拳を受け止める。魔石も仲魔も通じないのなら、相手の豪力を跳ね返すぐらいしか通用する手札を用意出来なかったとも言えるが、出来ればもっと安全な方法が良かったと切に思う。
あの猛獣、右手でしか攻撃しないからといって馬鹿に出来ない戦闘能力であったし、最後の最後、構えた状態から直線的に打ち込まれた一撃が想定通り右手によるもので無ければ死んでいた。
受け止められたのは半分が偶然。もう半分は心構えをしていたから、だろうか。身体を張って庇ってくれたスライムのお陰だと言い切っても構わないかもしれない。

巨大スライムの大質量がマグネタイトに還っていく。恨めしげに向けられる視線はスライムとそのサマナーを捉えていた。だが消滅は止まらない。最低限の時間稼ぎを行ってくれた悪魔から目を逸らし、治療用の魔道具『宝玉』をスライムと自分に一つずつ押し当てた。

「驚いたな、緋熊が負けたぞ」
「あー……、ごめん、私サマナー見てくるわね。あれ、右腕もげてるんじゃないかな?」
「構わんさ。俺も俺で、仕事をしなければな」

人生最大の死闘の中で知らず止まっていた呼吸器系を、ゆっくりと再稼動させる。和やかな会話の発生源に目を向ければ、サングラスの男と悪魔の女が立っていた。短く話を終えた悪魔の女性はわざわざ『悪食』達を迂回するようにして、地に伏した雌熊の元へと向かう。
位置関係を見れば、このまま女性型悪魔を行かせると挟み撃ちの形になってしまう。
だからといって、相手をする余裕も無いが。

「さて、『悪食』」

耳慣れない呼び名に眉を顰める。

「交渉を始めようか」

圧し折られた右脚は宝玉の効果で動くようになった。痛みも無い。便利な世の中だと嘆息する。
スライムも胴体に開けられた穴を塞がれて万全の状態。
ではこの状態なら目の前のサングラスをかけた半裸の男に勝てるだろうか。
手持ちの道具は残っている。COMPは乳母車が壊れたので無いも同然。彼我の戦力差は先程の緋熊と同等だと考えると――もう死ぬしか無い。そう考えると逆に頭が冷えた。開き直ったとも言える。
交渉だと言った男が再度、口を開く。

それより早く、戦場に天使達が舞い降りた。

「――この異界に立つ者全てに対し、武装解除を求めます」

装飾の施された大剣を捧げもつ壮年の男性。苦痛に耐えるような表情が印象的な、白地に青色が差し込まれる衣装を着た――メシアン。
周りには多数の同胞を従え、更にその外周を天使達が守っている。

――詰んだな。

異界脱出用の魔法効果を発生させる魔石『トラエストストーン』は準備してあったが、この場に立つメシアンと天使達が魔石使用の隙を突かずに見逃してくれるだろうか。ここで賭けに出るのは少々分が悪い。

「ふむ。『悪食』、俺の話に乗るか?」

サングラスの男が得意気に問いを投げ掛けてくる。耳にするのは熊女と合わせて三度目になるが、『悪食』というのはまさか自分を指しているのか。と心底疑問に思いながら彼はハンチング帽を脱いで地面に放った。
大きく息を吸い、快活な声を場に響かせる。

――降伏しまーす!

「おいオスザル貴様それで良いのか、……えっ? 本当に降参するのか!?」

両手を挙げて地に膝を付き、思い付く限りの無抵抗感を全身で表現する。
慌てるスライムはともかく、眉を跳ね上げ驚きを露わにするサングラス男の反応にほくそ笑み、裏の業界に一騒動を巻き起こしたダークサマナー『悪食』は澄まし顔で瞼を下ろした。

そういえばメガネの奴どうなったのかな、という今更過ぎる懸念の晴れる日は、少し遠い。





勝てると思ったかね?の第八話です。
戦闘の説得力って難しいですよね。主人公のコマンド選択のミスっぷりと、気合で乗り越えたぜ!という描写が書けていれば良いのですが。要練習。

きっと続きません。

※2014/12/20投稿
※2014/12/20誤字・脱字の修正
※2014/12/24誤字修正



[40796] 第九話 メシアよいとこ一度はおいで
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/21 00:00
見習いメシアンの朝は早い。

教会の鐘の音に起こされた若者達は礼拝堂にて列を為し、居並ぶ美しい天使達に見守られながら、神父による聖典の朗読に耳を傾けて一日の始まりを迎えるのだ。

礼拝が終われば訓練場に集合、基礎体力作りのための持久走等を行う。
愛深き我らが主のために、メシアの降臨に備える為にと訓練教官は事あるごとにメシアンとしての自覚を促し、疲れた身体に染み渡るありがたい説教は訓練に励む見習い信徒の心を正しき教えで潤していく。

運動の汗を流せば、次は朝食の時間である。寮に併設されている食堂で各々食事を取る。食前食後の祈りは決まった時間に、席に付いた全員で揃って唱和しなければならないが、メシアンであれば当然の事、苦痛に感じる者は当然一人も居ない。

食事の後の小休憩。小とは言っても一時間の自由時間を与えられる。共に学ぶ仲間達と言葉を交わし、主によって齎される無尽の愛、メシアンとしてのあるべき理想を語らい、非情に満ち足りた時間を過ごせる事だろう。
休憩時間を終えれば昼の礼拝を行う。再び礼拝堂に並び、聖典の朗読を聴く前後には皆で祈りを捧げる。

礼拝が終わればまた訓練だ。体力の無い者も、有る者も、皆で戦闘訓練を行う。
基礎の基礎、剣の振り方以前に歩き方、走り方から学び、実際に打ち合う。怪我をした場合は治療訓練の一環として見習い同士で手当てを行うが、万が一のため、訓練の終わりには参加した全員が天使様のお力によって癒しの奇跡をその身に受ける義務がある。義務とは言うが、これを喜ぶメシアンは数多い。

そして夕食。日が落ち始めるまでずっと身体を動かしていた若者達はこぞって美味しい食事に手を伸ばすだろう。当然、食前食後の祈りは欠かさない。祈りを忘れるメシアンなぞ居るわけが無いのだが、主より賜った一日の糧を喜び、感謝の念を捧げる事は大切な事だ。人は常に祈りを忘れてはならない。基本であり、己が命を主に捧げるその日まで続く、生涯の倣いである。

夕食の後の小休止。またも一時間、与えられた憩いの機会を仲間達と過ごす。笑顔の絶えない談話室は、時折顔を見せる正規のメシアン達を交える事によって更なる喜びを与えてくれる。

そして夜の礼拝。就寝前に主を思う事で良き眠りを、良き目覚めを約束されるのだ。
礼拝が終われば就寝時間。見習いメシアンの専用寮棟では消灯時間が厳守される。また明日も主のために働こうと日々の誓いを新たに、清く正しい信徒の一日がこれにて終わる。

――ノイローゼになりそうだ……。

心労から生じる吐き気を耐えて、灯りの落ちた自室で一人の少年が弱々しく呟いた。
毎日毎日、祈って祈って祈って祈って、聖典の朗読とメシア教の定型説教を繰り返し聞かされる生活。
休憩時間でも周りのメシアン達は意味の分からない電波会話で神様を讃える言葉が絶えない。身体を苛める訓練時間が一番気楽で心が休まるのは、逆に健全なのかもしれない。当然だが、教官の言葉は殆ど聞き流している。

此処は洗脳施設だったのだろうか。最近祈りの言葉が脳味噌にこびり付いて取れないんだけど。頭を抱えて愚痴愚痴と繰り返す新たな見習いメシアンの少年は、たった三日間の信徒生活で既に気が滅入っていた。

「貴様の自業自得だろうが。まったく、偉大なる我とて一日中COMPに閉じ込められては暇でかなわぬ」

日中はずっと支給されたCOMPの中に入っていなければいけないスライムは酷く不満気だ。だが考えてみれば四六時中外に出ていた今までがおかしかったのではないか。消費するマグネタイト量を考えて、此処を出た後はもう少しCOMP住まいを長くして欲しいと少年は願う。

二人で愚痴を吐き合っていれば、首から提げている十字架型の支給COMPが勝手に起動して、新たな悪魔がその場に現れた。

『CALL ANGEL』
「既に規定の就寝時間を過ぎています。すぐに床に就いて下さい、咎人よ」

赤い鎧を身に纏い白翼を広げた天使族悪魔、天使『パワー』。
メシア教団から、見習いメシアンとしての生活に従事する『悪食』の監視役として押し付けられた、小言の五月蝿い説教悪魔だ。

「それと、――悪魔よ、未来ある信徒多きこの地にてその醜い姿を現すなと警告した筈だ」
「奴隷風情が、偉大なる我になんたる物言いか。我が霊格を取り戻した暁には貴様らの崇める神とて――」

室内の空気が歪む。
赤鎧の天使から吐き出される攻勢マグネタイトが、擬似的な異界とも呼べる重圧を室内に生み出していた。
右手に握る槍を掲げ、切っ先を向けはしなくとも攻撃の意思を露わにしてスライムを恫喝する。

「口を慎め、邪教の亡霊が。『アデプト』の温情によって生き長らえているだけの汚らしい貴様の妄言、寛大にして全知たる主が聞き流そうとも、私がそうであるとは思うなよ」

パワーに任されたのは監視役と、教導役だ。
道を誤った少年を正しき信徒として導く為に守護天使として降臨した。――というのがメシア教団側の言い分。マンハンター『悪食』が生まれる原因となり、今も傍に寄りそう外道族悪魔を排除したいと考えているのは当然の事だった。

実力差から言えば、パワーはいつでもスライムを殺せる。
それでも槍を向けさえしないのは、アデプトと呼ばれる教団側の重鎮がスライムの生存を条件付きとはいえ認めたからだ。アデプト当人の要請によって派遣されたパワーはCOMPを用いて結ばれた契約と、天使として課せられた役割でその行動を縛られている。

「……即時の就寝を、咎人よ」

重々しい再度の勧告には頷くしか無い。従わなければ小言が振ってくる、という程度ならまだ良いが、メシア教団が天使族以外の悪魔に対して寛容さを示すなど本来は有り得ない事だ。契約があるとはいえスライムに危害が加わらないと楽観出来るわけもない。

「むうううう!」

天使の態度に言い返したくて堪らないスライムが唸り、サマナーが仲魔の頭頂部を軽く叩いてCOMPを操作する。

――おやすみ。

「……うむ、よく眠るが良いぞオスザル」

スライムがCOMP内に送還され、パワーもまた勝手に戻っていく。この十字架型COMPを身に付けている限り、常に内部から天使が監視を行っている。それでも人目のある場所では姿を現さず、声を出す事も無いのは周囲への配慮か。果たしてメシア教団は『悪食』などといういかがわしい悪名を冠したサマナーがメシア教に改宗すると本気で思っているのだろうか?
メシアン専用の訓練施設から外に出る事は許されていない。無理に外を目指せばパワーも黙ってはいまい。

課せられた規則に従事していれば他の見習いメシアンと待遇も変わらず、想像していたよりずっと緩い生活に思うところもあるが、虜囚とはとても呼べない自由度で戦闘訓練や悪魔に関する知識を修める機会を得られるのは有り難い。
有り難いが、遠からず抜け出さなくてはならない。
こんな所で敬虔なメシアンになるつもりは全く無い。何故自分達がこのような待遇を受けているのか、教団の思惑なぞ欠片も察せられないままだが、どうにかして逃げ出さなければ、本当にスライムが殺される時が来るかもしれない。

閉じた瞼の裏で、相変わらずの黒色を見て息を吐いた。
近付いているのだろうか。もしかして遠退いてしまったのか。
あの状況で最大戦力を有するメシアン側に屈した事を後悔しているわけではないのだが、ここから巻き返すにはどう動くべきか。予想よりも好待遇の現状だが、それが逆に不気味に思えた。内情の見通せない相手と、一体どうやって戦えば良いのか。

焦燥を胸に抱えても、今は耐えるしかない。
力が足りない。手札が足りない。最低でも監視役である天使パワーを殺せる状況を作らなければ、教団からは抜け出せない。今は相手の思惑などより自分が何を出来るかが最重要。
生き延びたのだから、まだ道は続いている。そう信じて探し続けなければ。
明日も訓練に身を入れよう。変わらぬ方針を胸中で繰り返し、今日もまた一日が過ぎていく。





起床の鐘が鳴り、とあるメシアンの青年が寮室で目を覚ました。

視界に映るのは自分に割り当てられた一人部屋。
見習いメシアンとして訓練施設に入居して以来使い慣れた、味気ない内装。
備え付けの机の傍らに置かれた、仲間達の遺品。

「……起きたくないな」

憔悴した顔で呟いて、それでも身体は朝の礼拝に向かう準備を始める。
準備を進めながら、青年の視線は遺品を納めた箱から離れなかった。自分がリーダーとして率いて、それ故に異界で散った、かつての仲間達の私物。自分以外は死んだと聞かされた、その時の胸の痛みを忘れられない。

どうして自分はあんな事をしたのだろう。どうして自分は、生き残ってしまったのだろう。何故、彼らは死んでしまったのだろうか。
分からない。何に責任を求めるべきか。自責の念から施設での日々を鬱々と過ごしても全く気が晴れないまま、時間だけが過ぎて行こうとしている。それが、堪らなく苦しい。

手を伸ばせば、死んだ仲間の私物の内一つが目に入った。
薄いプラスチックケース、音楽CDのジャケットには女性アイドルの笑顔が印刷されていた。あいつらこんな物を持っていたのか、と所有者も特定出来ないまま死人達に対して今更ながらに新しい発見をしてしまう。視線を再度遺品用の箱に向ければ、同じアイドルに関連する物品がいくつも見て取れた。

『新時代の歌姫――MIKOTO』

ジャケットには満月を背景に薄く笑う、綺麗な顔の少女が映っている。
遺品を漁ってみれば、数ある品にはどれもこれも同じような笑顔。確かに容姿は整っているが、青年には変わらぬ笑顔の数々が少しばかり不気味に思えた。音楽CDであるのだからもしかすると凄く歌が上手いアイドルなのかもしれないが、わざわざ聞いてみようとも思えない。

二十歳の誕生日を間近に控えた青年からすれば、中学生くらいの幼い少女の歌を聴くためだけにこれ以上 故人の品を漁るのは、申し訳なさと同時に妙な気恥ずかしさを感じてしまう。
誰の趣味なんだろうか、と自身と大して変わらぬ年齢ばかりだった仲間達を思う。品数が多いから、もしかすると複数人物が同じアイドルに熱を上げていたのかもしれないが。そうなると自分だけが知らなかったのか、と身勝手な、自分だけが仲間外れにされていたかもしれないなんて被害妄想が湧き出てきて、更に気落ちする。

もうやめよう。考えても仕方ない。手に取っていた品をもう一度遺品達の中に差し戻すと、白に青色の縁取りを施された見習いメシアンの支給衣服を着込んで部屋を出た。

「あ」

丁度 隣室から顔を出したメシアンを見て、思わず声を漏らした。

黒髪の少年。
見間違いようが無い。あの日 異界で目にしたサマナー、赤髪のガイアーズを打ち倒したマンハンター。自分達が異界に向かった理由の片割れ、『悪食』と呼ばれていた人間だ。

おはようございます。と少年から向けられたいつも通りの挨拶に、言葉を濁して会釈を返す。
この施設内で顔を合わせるようになって数日、複雑な心境だった。
誰も殺していないマンハンター。己の過失のそもそもの元凶であったが、彼自身が青年の仲間を殺したわけではない。少なくとも、面と向かって責めたてる事が出来ないくらい、青年にとっては自己へ向かう鬱屈の方が深かった。

メシア教団の重鎮、『アデプト』の言葉が蘇る。

――彼はただ己の在るべき姿が見えていないだけなのです。
人は間違い、だが後に悔い改める事が出来る。きっと正しさに目を向ける日が訪れる。
だから彼を見ていて欲しい。自身が過ちを犯したと考えられる貴方だからこそ、頼みたいのです。

胸元を強く押さえて、叫びだしたくなる激情を抑え込む。
何故沢山の人を襲ったのかと問い詰めたい。自分の抱える後ろ暗い感情を目の前の少年に知らしめてやりたい。お前のような奴がメシアンになるなんてふざけるなと怒鳴りつけたい!
だがそれで何になるというのか。上役から与えられた役目を思い出す事で、青年はようやく平静を装える。揺らぎに揺らいだ己の正しさを掴み取れないまま、メシアンとして、上っ面の体裁だけを取り繕った。

かつてはひたむきに掲げられた自身の信仰は、もう戻って来ないかもしれない。
元々そんなものがあったのかさえ、今では心底疑わしいのに。

立ち尽くす青年を気にもせず先を行く少年の後を追って、不確かな足取りで礼拝堂へと歩き出す。
己の胸元で揺れる天使の宿らぬ十字架型COMPが、青年には酷く頼り無く感じた。





悪食編終了。メシア教団編開始。
どうやって世界を滅ぼすか考えつつ、第八話の投稿です。
平和な時代におけるメシアンの教団内生活事情が不明過ぎて困っていますが、とりあえずこんな感じでいきます。

 それから、遅ればせながら確認してみれば白蛇のミシャグジさまは確かに真・女神転生if...でした。ご指摘ありがとうございました。

そして続かないのです。



[40796] 第十話 カップ麺と苦労人
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/22 00:02
ずるずると音を立てながらカップ麺を啜っていると、黒猫が卓上の書類を前足で弾いた。

「高騰していた『トラフーリ』の魔石がここ数日で値下がりしているな。ファントムの広報による影響か」

ずるん。と麺を口中まで啜り上げると、跳ね飛んだスープの飛沫が黒猫を襲う。宙を駆ける一滴のラーメン汁に対し、首を傾げるだけで回避してしまった黒猫のスタイリッシュな挙動に新たな畏敬の念を抱きつつ、カップ麺の容器を片手に持つ少女も、ちゃぶ台に乗せられた書類の内容へ目を落とした。

猫が避けた代わりにスープの染みを増やした書類に書かれていたのは、つい最近起きた事件とその顛末。
それによる各組織への影響が、時系列に沿って記載されている。

『メシア教団によって討伐されたマンハンター『悪食』の起こした強奪事件、二十一件目の被害者に関する項目――』

ぐいっと勢いよく容器を傾けて、熱々のスープを喉に通す。
書類には既に終わってしまった事件に関する情報が詳細に並べられていた。
気にするべきは通り魔的犯行に及んだ新参デビルバスターの手口よりも強奪品の処分に使われた流通ルートと、事態の最終局面に携わりながらも人的被害を出すだけ出して良いとこ無しのまま終わったガイア教団の今後の動向くらいだろうか。

或いは、事態の収束と同時に多数の情報網へと『悪食』討伐完了の報を積極的に流して回った『ファントム・ソサエティ』の思惑こそが、一番重要かもしれない。

数年前に組織の上層陣が軒並み排除されたばかりで勢いを落としている筈のファントムは、今回の事件で何を得たのだろうか。
討伐したとされるメシア教団との繋がり? メシア・ガイア両教団の僅かな人的被害を発端とした、相対的な影響力の上昇? しかし今回の死傷者数など本当に微々たるものだ、勢力図を塗り替えるには数の変動が控えめ過ぎる。討伐したメシア教団ではなく、居合わせただけのファントムがわざわざ多方面へと情報を流した理由が分からない。そもそも今のあの組織は誰が動かしているのか?

考えてみたが、頼り無い憶測ばかりで全く分からない。ずるりずるりと麺を啜り、黒髪の少女は後の楽しみにと食べずに取っておいた薄切りのチャーシューを箸先でつついて遊ばせる。
カップ麺を食べて上昇した体温が、額から細かな汗を落とした。
汗の雫を指先で拾い上げると、もう一度スープを飲み込んでから、ちゃぶ台の上に座る黒猫へと視線を向ける。箸をカップ麺の器に残し、横に置いてある茶碗を掴んでひっくり返すと少量の白米がスープに沈み、少女は満足気に食事を再開した。
獣面を顰めながらその様子を見つめる黒猫の様子に気付いてはいたが、少女はラーメンにご飯を入れて食べるのが大好きだった。

「ライドウ、その食べ方はどうなのだ……?」

黙っていられなかったのか、黒猫は言葉を濁して苦言を呈した。
どうなのだ、と問われれば少女は胸を張って答える。おいしいです。些かの躊躇いも見えない仄かな笑顔、だが口端にくっ付いた米粒が凄く目立っていた。

ぺたん、と右前脚の肉球を額に押し当て、黒猫が溜息を吐く。
サマナーなどというヤクザな仕事を任せている側が言って良い事でもないのだろうが、終日黒尽くめで過ごす目の前の少女の先行きが心配だった。人目を気にして萎縮するようではいけないが、だからといって彼女は余りに飾らなさ過ぎる。
今代のライドウに果たして嫁の貰い手があるのだろうかと真剣に悩む黒猫は、少女の初恋が己であった過去など知る由も無いまま ちゃぶ台の上で丸まった。

「――ゴウト、ファントムの調査はどうしますか」

カップ麺を食べ終えた少女が口を開く。
ゴウトと呼ばれる喋る黒猫も、少女の質問に気を持ち直す。

「そちらはヤタガラスの調査員に任せる。我らは再度、ガイア側から件の『歌姫』を調査しよう」

経験の浅い少女に対して黒猫が今後の指示を行う。
叶うならばもう二、三年、この少女には葛葉の里にて研鑽を積んで欲しかった。だが数年前に起こったファントム・ソサエティとの決戦でヤタガラスも組織として疲弊し、前線に立つべき戦力も、後方にて情報を掻き集める人員も、全くもって足りていない。

将来性のある若者を前に立たせる時代ではないのだと言い張る力が己らには無く、葛葉宗家も何やら政府筋との間で揉め事が起きていると聞く。ここで持ち堪えねば、組織の衰退程度では済まなくなるだろう。

「……ライドウ、すまんな。苦労を掛ける」

らしくも無く、弱音のようなものを吐いた。
年を取ったかと髭をそよがせた黒猫を見つめる少女は、暫しの熟考の末にカタカタ小さく頷いた。

「大丈夫です、ゴウト」

黒く静かな眼差しが、黒猫の緑に輝く猫目と向き合う。

「誰にも、何にも、絶対に」

年若い少女である。見知らぬ誰かの幸福ではなく、己自身の幸せこそを追うべき若年の、未来ある若者だ。
幼き頃からの長き研鑽に裏付けられた頼もしさはある。その細身に秘められた実力も才能も、当世においては万夫不当、比類無き位階に至っていた。それはゴウトも認めている。

だが息衝く時代の流れを感じるのだ。
長く続いた平和を終わらせる大きな波を。どれほどの力を持ち合わせようと人一人では止めきれぬ何かの前兆を。――長き時代を生きたゴウトの経験が告げている。

「ライドウは負けません」

それを知ったとしても変わらぬ言葉を口にするだろう眩き少女の未来を僅かだけ憂いて、黒猫はただ真っ直ぐに彼女の視線を見つめ返した。





メシア教団施設内部に用意された自身の執務室にて、壮年の男が額を押さえた。

白と青の混じった布地に地位に見合った装飾を施された衣服を身に纏う、常に苦痛を耐えるような顰め面を浮かべた人物。『アデプト』と呼ばれる、一般的にはメシアンの最高位とされる地位に立つ、教団最高幹部の一人。
先の一件にて多数のメシアンを従え異界に踏み入り、マンハンター『悪食』を捕らえ、対外的には討伐したとされている男だ。

アデプト・ソーマ。

教団内での呼び名から勘違いされる事も多いのだが純日本人であり、ソーマというのも苗字が『相馬』であるからだ。呼び名と相俟って国籍を勘違いされる原因である色素の薄い茶髪と、張り付いた顰め面を隠すため平時においては伊達眼鏡を掛ける苦労人。世界の裏側に属する者達からはメシア教団随一の武断派であると見做されている。

「……ファントムめ」

そのような大人物が、人目の無い自室にて頭を抱えていた。

マンハンター『悪食』を本人の降伏によって穏当に捕縛し、帰還した矢先。ダークサマナー組織ファントム・ソサエティによって大々的な広報活動が行われていた。過去形であり、帰還した時には既にそれは終わっていた。
触れ回った内容を要約すれば「メシア教団が恐ろしい犯罪者を討伐した」という話だが、実態は捕縛であり、討伐などしていない。だが拡散速度が速過ぎた。多企業との繋がりを持つファントムは、世界の表裏に渡って様々な伝手を持つ。事態収束から僅か数時間の内に、メシア教団は恐い犯罪者を排除してくれた『良い人』扱いだ。

間違った噂なぞ撤回させてしまえば良い。だが手間が掛かる。金も掛かる。そしてせっかく得た評判を何故撤回させるのかと文句を言う者も教団内から出てくる。
かと言ってこのまま放置しておけば、『悪食』を殺さずにメシア教団へ招こうという己の思惑が裏目に出るだろう。頃合いを見てファントムが真実を明かせば、無責任に情報をばら撒いた側ではなく、噂を放置したメシア教団が悪者扱いされてしまう。事実を隠蔽して大衆への点数稼ぎをしたのだと罵られ、評判を落とし、そこを他組織に叩かれ散々な目に遭うのが予測出来た。
情報を制する者は優位を得る。今、ファントム・ソサエティはメシア教団に対して本当に僅かながらも優位を得ていた。

アデプトとて、ファントムの狙いは分かっている。
つまり、――「手間も金も評判も惜しければ敵対するな」だ。

メシア教団内部にも、今回の討伐誤報の撤回を嫌う者は必ず出てくる。それを非難すれば、では本当に『悪食』を殺してしまえと言い返されよう。それは、アデプトとしても非常に困る。
自分の求める未来像には『悪食』のような汚れ仕事を平然と行える、だが善性を有する若者が必要だ。

ガイア教団の『緋熊』に仲魔であるスライムが殺されようとした瞬間、彼の目に浮かんだ絶望を知っている。
情を持つ若者なのだ。自身の命が懸かった状況で他者の死に囚われるだけの弱さを持った彼を、アデプトはメシア教団を支える柱の一つとしたい。
綺麗事だけでは駄目だ。己が汚れる事を了解し、その上で正しさを実行できる人間をこそ欲している。

自身が暴力によって教団内での実績と信頼を築き、教団の掲げる秩序によって多数の罪無き人々を守ろうと決意したように。
信用し、信頼し、誇りを持って汚濁に足を踏み入れられる腹心が欲しい。
人々を守れるのならば何だって構わない。信徒を迎える死後の楽園などどうでも良い。神の愛も要らぬ。メシアンであろうと決めたのも、全ては彼らの奉ずる秩序を社会平和に役立てるためだった。

――俺はどうなっても構いません。だからどうか、俺の仲魔の安全をお願いします。

拘束されても不満を見せる事無く、場の最高権力者であるアデプトの前で地に頭を擦りつけた少年。
その裏側に情と道徳を絡めた汚い計算があったのも分かっている。自身の身の安全を投げ捨てた発言も、捕縛されている状況から更に殺害に移行する可能性は低いと見た、至極常識的な判断から口にしたものだ。

目頭を揉んで、細く、息を吐き出す。
見習い用の訓練施設に放り込んではみたが、あの場所でメシアンとしての誇りに目覚める見込みは全く無い。だが彼程度の実力からすれば有益な環境であり、彼もそう判断する筈だ。仲魔の身の安全も、こちらから渡されたCOMPに押し込む事で間接的に教団に握られたまま。間接的というのが重要だ、何が仕込まれているかも分からないCOMPに入れられて、だが変わらず己の隣に居る。時間を掛けるほどに彼の中の危機感は鈍磨していくだろう。
監視役の天使は生真面目過ぎるが、逆にそれが良い。人間とは違い、一定以上の位階にある天使は特に融通が利かない。環境の有用さから率先して状況に慣れようと動き、仲魔の安全への配慮は鈍り、監視役の目を恐れて自然と行動範囲は制限される。

籠の鳥とは正にこれ。状況は全て、アデプト・ソーマの掌の上だ。

「あとは、彼自身の動機だな……」

これが一番難しい。唯々諾々と従う駒ではいけない、自発的な意思でメシアンへの道を歩いて欲しいのだ。
そのためには執着するものが必要だ。
アデプトである男にとっての、『守る』という行為に対する強い執着。それに並ぶだけの動機を、彼に与えなければいけない。メシア教団に属しているからこそ得られる動機を――。

執務室に備え付けられた小型のテレビジョンを操作し、表示されたチャンネルを入れ替える。

「こちらにも、このような人を引き寄せるための『偶像』があれば良いのか?」

映し出された画面には、薄い笑みを浮かべる少女が映っていた。

メシア教団という宗教組織において人々を纏めるには純粋な人徳を用いなければならない。でなければかつて己が排除したメシアンの幹部連中のように、教団に属しながら邪教に手を染め、無辜の民を利用して欲を満たそうなどと考える痴れ者共が権力という玩具を手にしてしまう。
敵を討つためにしか使った事は無いが『暴力』という手段しか持ち得ない不器用な自分でさえ、真摯に取り組んだ結果、多数の人々の応援によってアデプトの地位を得られたのだ。今のメシア教団は組織の膿を可能な限り吐き出した状態にある。それを捨てて、人心の掌握のためとはいえ安易な手段に頼ろうなど、恥ずべき事だった。

「……いかんな」

疲れているのかもしれない。
常に疲れているアデプトが口にすると冗句にしか聞こえない弱音を口にして、壮年の顔に張り付いた苦痛の皺が更に増えた。

「ファントムもガイアも、このような少女を使って何を考えているのか」

組織立った大々的なプロデュース活動によって日本のみならず諸外国にまで名を知られ始めた一人の少女。
新たな時代を拓く美しき『歌姫』と呼ばれ持て囃されるアイドルの軽やかな歌と踊りから視線を外し、武断派と称されながらどこまでも保守的な姿勢を崩す事のない敬虔なメシアンは、益体の無い己の思索を打ち切った。

秩序の坩堝たるメシア教団の頂点にほど近い位置に立ちながら、奉ずる秩序を守護の手段としてのみ利用する、宗教組織にそぐわぬ強烈な変り種である彼は。大衆利益のために一人の若者を組織の暗部へと引きずり込もうと企むアデプトの男性は。どれほど手を汚そうと善性を捨てられぬ、善良たる人間は。――それでもその在り方は既存の『社会』という枠組みから脱する事が出来なかった。

此処に一人の力ある者が、本当に憂慮すべき事柄を認識出来ないまま、画面から消えていく少女の笑みを意識の内から切り捨ててしまう。

世界が終わるまで残り十九日。
異なる立場に立つ人々の誇りとは関わり無く、事態は緩やかに進行していた。





遂に現れたヒロイン! しかし次の登場は未定です。
もうライドウは(色々な意味で)駄目かもしれませんが、第十話です。
しかしこのSS今年中に終わらないかもしれません。

では次回、続きません。



[40796] 第十一話 必殺『正統派主人公』の術!
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/23 00:06
新たな顔ぶれを加えつつ、今日も見習いメシアンの訓練施設では少年少女の笑顔が耐えない。

つい数日前に施設へと入居してきたばかりである一人の少年もまた、日々、共に汗を流す仲間達と絆を紡ぐのに忙しかった。 
常に百人以上の見習い達が訓練に精を出すこの施設内で、全員とは行かなくとも多数の同輩と友誼を結び、その中心で笑っている。
誰に対しても物怖じする事無く、積極的に声を掛け。
厳しい訓練にも弱音を吐かず、教官達の受けも良い。

良く笑い、良く学び。積極的に環境に馴染もうという姿勢を絶やさぬ彼と接したメシアン達は、真摯な気持ちに触発され自らもまた一層訓練に身を入れると共に、自身へ良い影響を与えてくれた彼に声を掛ける者が増え始めた。
彼を中心とした輪が少しずつ広がっていき、強まる彼らの連帯感に引き摺られるように、訓練は熱を増していく。
施設内に、より良い循環が生まれ始めていた。

己を高める熱意に満ち溢れ、他者との交流を自ら求め、いつだって笑顔を忘れない。新しく入ってきた少年は周囲より身体能力が優れていたが完璧とは程遠く、最初の戦闘訓練では武器として手渡された木剣をうっかり対戦相手に投げ付け、生まれた隙を突いて握り拳で勝利を収めるという破天荒な一面もあった。
何のための木剣か。メシアンの基本である教会剣術を修める訓練なのだと訓練教官に叱られてしまい、仲の良い友人が増えた今ではその時の出来事を笑いの種にされて恥ずかしがる彼の姿が、周囲の人間に親しみ安さを感じさせてくれる。

傍から見ても順風満帆だった。
外から入った新しい風によって更に笑顔の増えた見習い達の姿に教官方もついつい頬が緩み、誰もが彼らの明るい未来に希望を感じていた。

「……あれを胡散臭いと思うのは俺だけなのか」

だがしかし、温かな訓練施設内の空気に馴染めぬ哀れなメシアンが此処に一人。
彼の少年の隣室に住まうメシアンの青年である。
アデプト・ソーマの計らいか、マンハンターなどと呼ばれていた過去や、あの少年が訓練施設に放り込まれる以前の情報は周囲に伏せられている。周囲の見習い達は善良である事を良しとするメシア教団の気風に加え、この訓練施設に入るに至った複雑な事情を抱える者も多い事から他者の過去を詮索せず、新たな入居者を歓迎しようと殊更に優しさを振舞う事が常だったので、誰も少年を疑わない。

青年から見ても、施設で目にするあの少年には後ろ暗い部分が見えない。むしろ模範的且つ将来性を感じさせる姿に、僅かな嫉妬さえ覚えた。
入居から僅か五日で二十人以上の友人に囲まれ、その中心で笑顔を浮かべる彼。メシアンとしての基礎知識の乏しい彼が、机に向かって僅か数分で困り顔を浮かべて見せる様子は嫌味の無い笑いを誘い、勉強が出来ないという分かり易い欠点も、周囲には彼の愛嬌ある一面として受け入れられている。
沢山の人を集め、中心に立ち、メシアンとしての先達たる教官達からも好意的に見られている新人。
誰も彼もに好かれるなど有り得ない。現に衆目を集める少年の存在を疎ましく思う者も幾人か見て取れた。だがそれは彼の作った友人達の輪の外側での事であり、メシア教団の謳う理想的なメシアン像が「善良なる人々の味方」である限り、他者への嫌悪をあからさまにしてぶつかり合う可能性も低かった。

輪の中で笑う少年を目にする度に、青年の中に渦巻く良くない感情が重さを増す。
青年には出来なかった事だ。声を張り上げ人を集め、だけどあの異界で自分以外の全てを犠牲にして何も得られなかった。そんな自分を棚上げして彼を恨んでも虚しいだけ。だが『悪食』を認められるかといえば、それも出来ない。

「……本当に、何者だよ、あいつ」

鬱屈を誤魔化すためだけの、小さな疑問。
どこにでも居るような一般人が、メシアンを志す者達の集うこの場所でああも簡単に周囲の支持を得られるわけが無い。きっとあの少年は、元々何か特別な事をしていたのだろう。
いや。――そうでなければ、自分が惨め過ぎる。

笑い声の響く訓練施設の一角。俯いたまま誰とも関われず、汗を流して訓練に励む事も無く。ただただ時間を無為に過ごす青年を一人置き去りにして、今日も陽が沈んで一日が終わる。
未だ己の挫折を乗り越えられぬ若き青年は、いつか立ち上がる日を夢見る事も出来ないまま、暗がりの中で溜息を吐いた。





天使が言った。

「貴方は何を望んでいるのですか、咎人よ」

問い掛けられた少年はメシア教の聖典から目を離すことも無く、まるでパワーの声が聞こえなかったかのように口を噤んでいる。
辛抱強い天使は、答えを返さない少年を責める事も無く、傍らに立ち続けた。
消灯時間の迫る頃に自室へと帰ってきた少年も、今は黙々と聖典の記述に目を滑らせている。これは何時もの日課であり、ここから灯りを落として以降、短い時間ながらスライムを召喚して愚痴を吐くのも毎日の事。

早朝の礼拝から夜の礼拝まで、施設のカリキュラムに従事する間はパワーが手放しで褒めてあげたくなるくらい熱心な訓練生。だが就寝するまでの僅かな時間は教団に対して悪態を吐く、優しさの欠けた不真面目な人間。

四六時中監視しているパワーから見て、少年の二面性は酷過ぎた。

施設の仲間達に向ける笑顔は嘘なのだろうか。あんなにも熱心に訓練に励む姿が演技なのか。毎日を楽しそうに過ごしている彼の姿を信じたくなってしまうのに、自室の暗がりでは仲魔に対してメシアンは電波だの、訓練教官は女子訓練生を見る目が怪しいだのと、酷い言葉ばかりを並べ立てる。
或いは、と考えてしまうのはパワーの願望だ。
――或いは、彼は本当に素直で頑張り屋の少年で、仲魔である外道スライムをこそ欺こうとしているのではないか?

そうであって欲しいとパワーは思う。でなければ施設内にて日々増え続ける若者達の笑顔が、余りにも悲しいではないか。
日中における少年の振る舞いを、笑顔を、その善性を信じたいと願う真っ直ぐな天使は、己の中の優しさに心を蝕まれながら、それでも少年に言葉を投げ掛ける。

「最近は剣の握り方も様になってきましたね。良い事です。そういえば貴方と仲の良い彼女は、なんと言う名前でしたか――」

声を、掛け続ける。
最近は言葉を返してくれるどころか、パワーの物言いに対する反応さえ乏しくなっているが、それでもアデプトが『悪食』の教導役として直接派遣するほど生真面目で優しい天使は、僅かな諦めも見せずに少年から身の回りへの賛意を聞き出そうと話しかける。
アデプト・ソーマが何を思って少年をメシア教団に引き込もうと望むのか、詳しい話は聞いていない。
だがアデプトとなった彼の、長年の献身を知っている。真に人々を想う彼が、この少年を望んだのだ。ならばメシアンを手助けするべく現世を訪れた自分も精一杯 力を尽くそう。心を篭めて語り掛ければ、きっと通じる。少年の、人の善性を信じよう。

そして遂に、ひたむきな熱意によって支えられた天使の言葉が、眉を顰める少年の顔を上げさせた。

「おおっ、――咎人よ! そういえば最近」

――パワー、静かにして下さい。

指で机上の聖典を軽く二度叩き、読書の邪魔であると言外に告げられる。
ようやく自分の言葉が届いたのだと喜んだパワーだが、成程、確かに目の前の彼は先程からずっと聖典に目を落としていた。天使の声が聞こえないくらい深く集中していたというのなら、これは相手の事情を汲み取る事無く騒ぎ続けた自分が悪いのだろう。天使は持って生まれた良識に乗っ取り、そう結論付ける。

「……も、申し訳ありません、咎人よ」

生真面目に頭を下げるパワーの謝罪に、呆れたような小さな溜息が返ってきた。
それくらい言わなくても分かれよKY、などという幻聴が聞こえたのは間違い無くパワーの被害妄想である。

天使だけど、胸が痛い。悲しげに視線を床に落とすパワーはこれ以上彼の邪魔をしてはいけないと強く己を律し、少年の胸元に輝くCOMPへと帰還した。

消えたパワーに対して一切の反応を示さず、少年の視線は聖典に記された文字を追う。
その内面は、未だ誰にも伺い知れないままだった。

ただしCOMP内のスライムだけは、契約の繋がりを辿って「うわぁ……」とか言いながら理解していた。してしまっていた。

夜が更ける。
世の大多数の知らぬ間に、とあるサマナーの悪巧みが着々と進行しつつあった。





周りに慕われる人物、というのは意外と表現し辛いものだと理解する第十一話を投稿します。
このSSの主人公は好きな人のために頑張る、とても真面目な好感の持てる人物ですけど(震え声)。

続かなかったりもします。



[40796] 第十二話 引いて駄目なら押してみる
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/24 23:59
メシア教団の施設内を、一組の男女が歩いていた。

「教団の敷地内は一種の聖域になっていて、天使様達は此処でなら外よりももっと大きな力を発揮出来るらしいわ」

揚々と語る少女の言葉に、少年が質問を返す。
――ならばメシア教団の敷地内における天使は無敵なのか。

当然、そんな事は無い。
各々の持ち合わせる力量を最大限発揮し、本来召喚や維持に消費するマグネタイトを霊的に整えられた土地から受け取る事でサマナーの負うべき負担を取り払ってはくれるが、聖域とやらの齎す利益はそれだけだ。
個々の天使に不相応な能力を与えるわけではない。肉体を破壊されても死亡しないという度を外れた不死性が具わる事も無い。実力は変わらず弱い天使も弱いまま、死ねばCOMPや召喚元に帰還して外的要因による復活を待たねばならない。
あくまで現世に降臨する際の負担、つまりマグネタイトの消耗を抑える。言葉にすれば地味な地形効果だった。

「……意地悪な言い方」

少年による矢継ぎ早の指摘に、少女が小さくむくれる。
メシアンとして、あんなに綺麗で優しい天使様達がどれだけ凄いものかを語りたかったというのに、少年の知りたかった事はもっと実利的な、少女からすれば酷くつまらない実態だった。

分かりやすく怒りの表情を見せる少女を目にして、少年は慌てたように言い訳を重ねる。
最後には平謝りになって俯いてしまう少年を前に、少女はまるで自分が悪い事をしているような錯覚を覚えた。別に彼を責めたかったわけでもないのに、これではせっかくの機会が台無しになってしまう。

「も、もういいから! ……ごめんね、私も悪かったよね」

謝って、謝り返して。居た堪れない空気がようやく和らいだ。
つい数日前にメシアンの訓練施設に入所した彼。自分と同い年で、いつでも一生懸命で、少しだけ間が抜けている。きっと先程の質問も、彼の頑張り屋なところが出過ぎてしまったのだ。ならばそれに対して勝手に気を悪くした自分が悪い。聖域だなどと、己の業績でもないのに自慢気に語った自分を、彼は嫌っていないだろうか。

乙女の心配とは裏腹に和らいだ空気の中で笑みを浮かべる少年の顔を見て、少女は大きく安堵した。
――ああ、きっと自分は彼が好きなのだ。
淡い想いである。出会って数日で人を好きになるなんて、なんと安い女であろう。そう自分を笑ってみても、こうして二人きりで過ごす時間がとても嬉しい。
いつもは沢山の人の中に居る彼を、独り占めしている。言葉にならない喜びが溢れる。

立派なメシアンを目指して訓練に励む見習い風情が、恋愛に現を抜かすのはきっと良くない事だろう。それでも気持ちを抑える事は難しい。叶うのなら、今のように楽しい時間を過ごしながら、いつか彼と一緒にテンプルナイトになれたら良い。
虫の良い話だ。そんなに人生は甘くない。けれど、それでも夢を見たいと思う。

一人思考に没頭していれば、傍らの彼はどこか遠くに視線を向けていた。
視線の先には眼鏡を掛けた壮年の男性。メシアンの正装に、立場を表す装飾を施された立ち姿。

「アデプト・ソーマ?」

メシア教団随一の武断派。天使『ソロネ』を従えた、組織における最高幹部の一人。
十代の頃からメシア教団に所属し、数多の敵を葬ってきたとされる教団最強の戦士。

少女にとっては風評だけでも恐ろしい。上級天使を守護者として傍に置くのではなく、「従わせる」という上下関係を含んだ言葉を用いるのはつまり、あの男は人間でありながら高位の天使よりも強いのだ。どれだけの血を流してそこまでの位階に到達したのか、想像出来ないし、したく無い。
素晴らしい人格者であると聞いている。教団で高い位置に在りながら無辜の民を虐げていた罪深き元メシアン達を単独で一人残らず討伐し、その結果、今この国のメシア教団はかつて無いほどに組織としての健全性を保っている。

少女達の所属する施設にしてもそうだ。未来ある信徒達のためにと、広い敷地と質の高い設備を用意されている。研鑽に適した環境を与えて貰い、本当に有り難い話だと思う。

だがやはり恐い。

少女にとっては、大人の男性が武力で偉業を成し遂げたなどと言われれば、どうしても血生臭くて凄惨な光景が脳裏に浮かんでしまうのだ。人格者だと言われても、恐い一面が無いという保証にはならない。ついつい腰が引けてしまう。
いけない事だ。尊敬すべき先達を素直に尊敬できない自分を、少女は内心で叱り付けた。

傍らの少年に目を向ければ、彼は未だにアデプトの横顔に視線を向けている。
男性の価値観から計れば、力で語る人間とは敬うに足る相手なのだろうか。浮かんだ思考に眉根を寄せる。自分と噛み合わない価値観を持って欲しくないという身勝手な感情から、少年の袖を掴んで注意を引いた。

「ね、そろそろ次に行こうか」

熱心な知りたがりである彼のために、教団施設の案内をする。そういう名分で作った二人きりの時間だ。まだまだ回れる場所は多く、共に居られる時間は残っていた。
笑顔で聞き入れてくれた彼の様子にほっとして、二人並んで歩を進める。
その歩き去る背を見つめるアデプトの視線に気付けたのは、少年と、その胸元のCOMPに納まる天使と悪魔。少女だけは欠片も気付かず、次の施設に関する説明文を脳内で捏ね回していた。

少女の中にあるのは淡い感情だった。
好きだと思っていても相手への具体的な配慮が欠けていて、叶えば良いと思いながら実際に口に出す事はない。

彼女が新たな転機を迎えたのは、翌日の話だ。

「――ならば君を私直属の『執行者(エグゼクター)』に任命する」

訓練施設内にて目にする筈の無いアデプト・ソーマと、その眼前に立つ少年。
盗み聞いた彼らの会話によって、一人の少女の未来もまた僅かながらに変えられていく事となるのだった。





結論として、天使『パワー』に勝つのは不可能だ。

己の実力と経験、悪魔使いとしての特権である仲魔の数。有する手札を一つ一つ並べて、もうこれしかないなと頷いたサマナーが出した答えは、全面降伏であった。
――だって勝てないし。
自室で逆立ちしながら変顔を繰り返す少年の奇行を見て、生真面目なパワーは混乱していた。

勝てないというか、そもそも組織と個人で戦いになると考えるゲーム脳がまず有り得ない。
訓練施設内では基礎体力や基礎知識、本来悪魔と戦う者達が必要とする多くのものを得られた。だがメシア教団で学んだという事はつまり、世のメシアン達は一人残らず、自分が現在進行形で学び取っている数々の知識と技量を既に持ち合わせているという事だ。
強くなれると喜んでいた自分が馬鹿みたいだった。いや、学び取ったもの達は有用であるのだから喜ぶのは問題無いが、それら全てが教団から抜け出すためのアドバンテージになり得ない事実を、サマナーは今更理解してしまった。
だから考えて、その末に結論を出す。

――パワー、お願いがあります。

「!?」

自発的に声を掛けてきた少年の姿に、赤鎧の天使が瞠目した。
すわ何かの前触れか。ふっ、ふっ、と不規則に呼吸が乱れ、目の前の虜囚へと返答を返すただ一挙動のためだけに、一人の天使が必死に動揺を抑え込もうと頑張っていた。

「な、何でしょうか、咎人よ!」

声が上擦ってしまった。
真面目すぎるパワーの欠点は、真面目である事だ。
メシア教団内において天使族悪魔は畏敬の対象である。メシアンからは恐れ多いと距離を取られる事はあれど、無価値なものを見るように扱われた記憶は全く無かった。有ったら大問題だ。

激しい二面性を見せる虜囚の少年。最近は自分の言葉に全く答えなくなった若き罪人。皆に笑顔を齎す先行き楽しみな見習いメシアン。邪教の古き悪魔と不可思議な絆を結ぶダークサマナー。

パワーにとって接した事の無い相手だ。接する必要の無かった相手だ。面と向かうその時には既に相手は敵であり、それを切り捨てるだけで全てが終わっていた。だから、敵対してはいけない、真摯に教え導かなくてはいけない一人の人間として、彼のような人物と関わるなど今までのパワーでは考えもしなかった。
初めての経験である。
天使にあるまじき事かもしれない。知らなかったから出来ないなどと、そんな弱音を吐けよう筈も無い。
それ故に今、パワーは己の経験の浅さに足を引っ張られながら、未知の事態と向き合う事になっていた。

混乱する天使の様子をつぶさに観察しながら、少年は口を開く。
こいつちょっとチョロ過ぎるんじゃないですかね、とか自分のやった事を棚に上げて。

さて次の日の事である。
訓練教官が「今日は特別な実習を行う」と言っていたが、少年は余裕で聞き流していた。
どうでもいい。いつも通り真面目だがちょっと抜けている真摯な紳士として振舞うが、彼にとっての本命はその後にしかない。
施設での訓練も今日で切り上げるつもりだ。上手くいくかは分からないが、多分上手くいくだろう。上手くいけば見習いとしての今の立場も消えてなくなる。よし、とりあえずやってみよう。その程度の軽い気持ちで場の流れを見守った。

訓練場に現れた赤鎧の天使の姿に、訓練生たちがどよめいた。

「天使『パワー』と申します、有望たる信徒達よ。本日はよろしくお願い致します」

昨夜パワーに頼んだ事は、単純だ。

――明日の訓練を手伝って欲しいのです。俺も皆も、パワーのような実力ある天使との実践訓練は、きっと後々のためになる筈です。だから、どうかお願いします。

冷たくしていた人間が、自分に優しくなった。今までの対応とのギャップから、きっと好印象を与えるだろう。――という浅はかな目論みから出た台詞ではない。
アデプトから監視役として遣わされた天使が、若きメシアン達のためとはいえ己の役目を放り投げるわけが無い。確かにパワーは監視対象である少年に頼ってもらえた椿事を喜び、訓練施設の見習い達のためになるだろうこの頼み事を聞き入れたいと思った。だがそれとこれとは別である。
だからこう囁くのだ。

――アデプトにお伺いして許可を頂けたなら、その時はお願いできますか?

これにパワーは頷いた。

困った時は上司にお伺いを立てる。社会人として、報告・連絡・相談は大事だ。ほうれんそうの心得だ。
許可は取れた、らしい。こうして目の前に立つ天使を見れば、結果を耳にする必要は無い。会話の後 十字架型COMPに帰還して以降今まで一切動きの無かったパワーがどうやって連絡を取ったのか、とても大きな疑問が残ってしまったが、今考えるべき事ではない。

見習いメシアンでは本来姿を見る事さえ叶わないだろう強力な天使。その登場に萎縮する者達が大半だったが、今日の特別訓練である集団でのパワーとの模擬戦闘、少年が率先して参加を希望すれば、引き摺られるようにして周囲からも声が上がる。
教団を脱出する助けにはならないが、此処で行う強者との戦闘経験、更に集団での戦闘経験は得難いものだ。死ぬ事など有り得ない環境、治療体制の整った訓練施設内。本命の相手をする前に、将来のためにも一汗かこうと一歩踏み出した。

結果は推して知るべし。
この日 訓練施設から一人の見習いメシアンが籍を外し、教団の重鎮アデプト・ソーマ麾下へと『虚心』と呼ばれる謎の男が新たにその名を連ねる事となる。





仕込むだけ仕込んでぶん投げる第十二話です。
一応真正面から逃げ出す案も考えていましたが、こちらの方が教団編っぽいのでこんな展開でいきます。

続かないのかもしれないです。


※2014/12/24投稿
※2014/12/24誤字・脱字の修正



[40796] 第十三話 うどんとそばの睨み合い
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/25 23:53
一人の少年は一人のメシアンとなり、やがて教団の最高幹部の座に就いた。

アデプト・ソーマは民衆の守護に血道を上げる善行狂いであり、理想に燃える偉大な宗教家ではない。
悪党の命を手ずから奪い、背信者を躊躇無く斬り捨て、社会に不利益を与えるもの達を力尽くで排除する。善人ではあるが、手を汚して事を為す必要性を理解していた。

一般人であった頃に悪魔に殺されかけ、すんでの所で生き延び、やがて異能者としての覚醒を迎えた。
最初に覚えた魔法が回復用の『ディア』であった事が、彼が人助けを志した切欠と言っても良い。
彼には大仰な大義名分などは無かった。異能者であり、悪魔と関わり、その過程で様々な人達と知り合い、その全てと死に別れてきただけ。沢山の人が死んでいく中で自分だけが生き残り、普通に暮らしている人達よりも多く知人や友人の死に触れ過ぎた結果、人の死というものに対して強い忌避感を抱くに至ったのだ。

だから、彼は人を守ろうと思い。だから、メシア教団の門戸を叩いた。

最初はただ、犠牲に対する怒りから。
やがて失う恐怖に繋がって。
次にまた、大きな怒りがやってきた。

かつてメシア教団には『ジエレーター』という階級が存在した。
教団の一部幹部によって行われた度重なる非道の研究成果。人体改造によって強力な異能を有するに至った者達。つくりもののメシアン。

『彼等は望んでその身を捧げた。主もきっとお喜びになるさ!』
『――ならば貴様らが身を捧げろッ!!!!!!』

献身は美徳だ。だが裏切りは許し難き悪徳だ。
身を切り刻まれ人の形を失った子供達が、本当にそんな自分を望んでいただろか。そうなる可能性を知らしめた上で、彼等は彼等をこんな暗闇に蹴落としたのだろうか。僅かな成功作を持て囃し、積み上げられた犠牲の山の眼前で何故彼等が笑っていたのか、アデプトとなった男には未だに理解できない。

その時も、理解できなかったから全て殺した。

狂おしいまでの激情を持て余し、彼に出来たのは関わる者全ての命を奪い、力尽くで研究を終わらせる事だけだった。
組織の健全性は高められた。教団の秘匿研究による犠牲も生まれなくなった。だがそれで何になる。どこに繋がるというのだ。殺した幹部達のおぞましい研究成果によって救われる筈だった者達を、研究の犠牲無くして現実に救えているのか? 救えていないのなら、彼等を止めた自分は正しいのか?

アデプトは今でも彼等の行いを正しいとは思えないし、再び同じ事が起これば暴力でもって止めるだろう。

「――だが綺麗事だけでも駄目なのだよ」

疲れ切った声で囁く男の顔は、やはり苦痛に塗れていた。
訓練施設の一角。少年とアデプトが顔を合わせて、酷くつまらない話に時間を費やしている。
笑って話せるものではない。未来ある若者に進んで話したい内容でもない。だが無駄に飾り立てた会話など、性根が不器用なアデプトには出来なかった。

監視役として派遣した天使『パワー』からの連絡に応え、アデプト・ソーマは少年からのメッセージを確かに受け取った。
パワーに訓練へ参加して欲しいという要請など、何の意味も無い。用件自体はきっと何でも良かったのだろう。ただ明らかに裏のある申し出をした、という事実をアデプト本人に知らせたかったのだ。派遣した天使を訓練に参加させたいなどという申し出、本来ならば了承する理由が無い。
この申し出には何かがある。俺はこれを使って何かをするぞ。――あれはそういうメッセージだ。

訓練に参加させるという名目によってパワーを一時監視役から外し、代わりとしてアデプトが出向いた。
有り得ない話だ。訓練に参加させるための天使を別個に用意してやっても良いし、パワーが離れる間の監視役を追加しても良い。そもそも少年からの申し出を断ってしまえば、何の問題も無い。
だがアデプトは彼のような人間を教団に迎え入れたいと思っていたし、彼は自分が教団に所属させられている不可思議な状況の原因を知りたいと思っていた。

彼を引き込みたいアデプトは誤魔化さず、教団の汚れ仕事を押し付けたいと言った。
現状を脱する手段を持たない少年は活路を見出すため、満面の笑みで引き受けた。

茶番である。

少年にはアデプトの言が真実かどうかが分からない。少なくとも論理的に納得出来る、段階を踏んだ分かり易い説明だった。だが自分が相手の立場ならば大して内面を知らない人間にそんな大事な仕事を任せないと思考して、まだ裏がある可能性を疑いながら、それでも現状よりも己の可能性を広げるために引き受ける。

アデプトとて、少年が自分に賛意を抱いて了解したなどと勘違いしない。腹の内では自分の話を疑い、メシア教団に属して人々の利益を守ろうなどと欠片も思っていないだろう本心を悟っている。だがこれは好機でもある。自分の傍に置く事で彼が自ら教団に所属する動機を作れれば良い、そんな願望から彼の目論見をわざと暴かず、生来の善良な人柄故の寛大さを偽り無く示した。

人の世は汚れている。誰だって悪い事を楽しんでいる。
アデプトはそれが嫌だった。彼はただ守る事さえ出来ていれば満足できる、どこか外れた人間だ。他の大多数がそれだけでは生きていけないと知っていて、なのに力を振り回すくらいしか出来ない己の至らなさを理解していた。

数年前に起こった、ファントム・ソサエティを発端とした騒乱の折。メシア教団もアデプトも、秩序に縛られるが故に動けず、一般市民への被害を食い止め切れなかった。
事態を察知したのも、解決するのも、国家守護組織『ヤタガラス』がほぼ全てを行った。
もしもメシア教団内部に、秩序に縛られず世の裏側を這い回る暗部集団を組織していれば。もしもそうだったなら、自分達にも何か出来たのでは無いか。所詮はもしもの話だ。正攻法で手を出せなかった過去の事件に対して、勝手に後悔しているだけとも言える。

だが結果としてファントムとヤタガラスは相討ち同然の結末を迎え、人材に多数の欠員を抱えた事でこの国の霊的守護には陰りが出ている。

ただ守れれば良い。それがアデプトの本心であり、国家守護を本義とするヤタガラスの弱体化は彼にとって受け入れ難い事実だ。秩序によって人々を守ってきたというのに、秩序に縛られたために手を出せず、食い止められたかもしれない被害を悲しんだ。
守るためには足りないものがある。秩序の下で正しく振舞うだけでは届かない現実を味わってしまった。

綺麗な人間は尊い、だが汚い部分もあって当然。清濁双方を治めて、ようやく人の世の平和が築かれるのだ。
自分だけでは足りない。だから望んで汚濁に身を浸す同胞を求めた。
秩序を奉じ、清廉潔白を良しとする生粋のメシアンには自身の欲する人材は望めない。理想に燃える善人だからこそ信徒としての道を歩むのだ。善行を為すために悪行に手を伸ばす歪な在り方なぞ、良きメシアンであるからこそ徹しきれない。

だから外から取り込む。だから『悪食』が欲しいのだ。今は己を欺き出し抜こうと考えている、未だ未熟なこの若者を、正しく在りながらも穢れを飲み干せる、メシア教団暗部の中枢としたい。
他の候補者など見つからなかった。教団に足を踏み入れて数十年、ようやく組織の暗がりを任せたいと思える相手を見つけたのだ。
力が足りない。手札が足りない。そこに限り、奇しくも彼等二人の想いは同じだった。

「――君を私直属の『執行者(エグゼクター)』に任命する」

――拝命致します、寛容なるアデプト。

示し合わせたように笑みを交わす二人は、お互いに相手を信用し切っていない。
上手く出し抜きたい。望む形に納めたい。噛み合うようで噛み合わぬ、己が願いのために相手を上回ろうと挑み合う契約が、此処に結ばれた。





外道スライムは不機嫌だった。

完全な自由が無理ならば、不自由ながらも今より広く。
言ってしまえば、それは妥協である。
そんな決断を下したサマナーが、スライムは凄く気に喰わない。

「我が眷属が、山神の家畜風情に従うなぞ……」

常よりも一層溶けたような不定形。グニャグニャになって消沈する外道を前に、サマナーも少しだけ困っていた。
およそ一週間の見習い生活、自身の立ち位置さえ分からない状況で気が滅入っていた。
至極一般的な人生を送ってきた少年が、唐突に神と救世主への信仰を常識として備えたメシアンの巣窟にて一週間生活。毎夜スライムに対して愚痴を吐き出していたのは監視役に対するパフォーマンスだけではない。本当に、精神的な負担が積み重なっていたのだ。

――このままでは不味い。けれど状況を変えるための手段が全く見つからない。

たった一週間。だが相手の掌中に囚われた一週間だった。
相手の意図が分からないままあの状況が続けば、やがて焦燥で心を削られ、判断力は鈍り、いつ己が安易な逃げに走ってしまうかという不安さえ増していく。元凶であるアデプトには何らかの狙いがあって、その上で自分を訓練施設に放り込んだのだろうと思いつつ、犯罪者を許せる慈悲に溢れた変人奇人である可能性も捨てきれない。

分からない。何も分からない。判断材料さえ手に入れられない。籠の鳥のままでは、いけないと思った。
分からないまま無為に思考を重ね、時間を浪費するより余程マシだ。変わらぬ意思を保てる今の内に、例え見当違いだろうと前へと足を進めねばならないと決断した。

彼にとっては、心が削られる事が最も堪える。

追い掛けている黒い誰かに対する執着が、薄れるかもしれない。
スライムとの約束を果たそうと望む己の意思が、崩れるかもしれない。

分かっている。
スライムだってサマナーの感情を知る事が出来るのだ、どういった理由から『エグゼクター』就任の要請を引き出したか、ちゃんと理解していた。

だがサマナーは己の信徒なのだ。
己のモノなのだ。

「……われの民なのだ」

外道スライムは拗ねていた。

悪魔としての知識だけで、記憶も神格も残っていない、神力の残り滓。現世に残留した力の塊が契約者との繋がりによって自我を得ただけのスライムが、生まれて初めて手に入れた財産が彼なのだ。
我が民、我が信徒、我が眷属。――容易く肯定されたその呼び掛けが、どれほどの歓喜を秘めていたか。理解出来る者なぞ、既に零落し名前さえ失った古き神々くらいのものだろう。

己のモノだ。己だけのモノだった。だが今はもう違うのだ。心の内では大丈夫だと知っていても、名目が他者に移った事実が酷く堪える。

ドロドロと転がる粘体生物が生暖かい溜息を吐き出した。

「ままならぬー、よのー、なんたらかんたらー」

遂には意味の分からない、下手糞な自作歌まで口ずさむ始末。「なんたらかんたら」などと歌って、ろくに歌詞さえ考えていない事が丸分かりである。
外道族は声が汚いので相当不愉快だったが、サマナーは耐えた。拝まれる地位に立つ事を喜び、崇められる事を尚喜ぶスライムが、契約者たる自身のメシアン就任を嫌がるのは分かっていたのだ。分かっていて実行したのだから、下手な歌を聴かされるくらいは我慢しなければ。

捕まったのも、下に就くのも、全ては自分の実力不足が原因だ。
異界で出会った赤毛の猛獣くらい強ければ訓練施設の壁を殴り壊しての野生的脱出劇も可能だっただろうに、己の非力さが恨めしい。
加えて「教団の暗部を担って欲しい」などと、あの痛そうな顔した中年親爺は何を考えているのか。

――俺は一般人だぞ!? 脳味噌入ってんのか、ボケェ!!
と言ってやりたかった。ツッコミどころがあり過ぎる。悪魔と出会ってようやく二週間目くらいの素人に過剰な期待を寄せるなと叱り付けたい。だが余りにも相手が当然の事実ですよねという顔で話すから、空気の読める彼はツッコミを入れられないまま話を終えた。

久しぶりの帰宅だというのに、疲れが取れない。
床にゴロリと寝転がって、スライムと一緒に天井を眺める。
タケミナカタ召喚の悪巧みを話していた頃は本当に出来ると思っていたのに。現実は上手くいかず、挙句の果てに宗教組織の暗部候補生と来た。社会の荒波とは恐ろしいものである。サマナーは己がいかに狭い世界で生きてきたのかを噛み締めた。

――というか、今更なのだが。

「おー? どうしたー、オスザル」

――お前がタケミナカタ召喚ミスったのがそもそもの原因じゃないか?

狭い自室に沈黙が流れる。
本当に今更の事だった。しかもその後で「我は貴様を責めはすまい」とか優しく、しかし上から目線を忘れずに言ってくれたが、原因を辿ってみればお前が言うなと言い返すべきだったのでは無いか。シリアスで切羽詰った空気に流されて答えを返したが、実はサマナーよりもスライムの方が責任の比重は大きかった気がしてくる。
召喚失敗が原因で、あの恐ろしい雌熊と正面切って殺し合う破目になったのだ。致死の一撃から庇って貰った手前大きな声で責めたくはなかったが、思い返してみると少しだけ腹が立った。

――おい神様、俺の神様よ。何か言う事はありませんかね。

「……わっ、我のせいじゃないしー!」

世界が終わるまで残り十六日。
成長する若きサマナーと相棒の戯れを余所に、時は確実に過ぎていく。





クリスマスにも休まず投稿する第十三話です。
このSSが多重クロスものだったなら洩矢的な女神にしても良かったのですが、仮にスライムがヒロインになっても多分御柱に纏わりつく姿が関の山かもしれません。
あと、マサカド公はちゃんと帝都守護してますので偶然の一致ですと返信しておきます(白目)。

続いたり続かなかったりです。


※2014/12/25投稿
※2014/12/25誤字修正



[40796] 第十四話 L-N-C
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/26 00:06
一週間とはなんと短い時間であろうか。

7日間。168時間。10,080分。604,800秒。
全能の主が今ある世界の基礎を創り上げた後に安息日を設けた期間。
とある少年が見習いメシアンの訓練施設に滞在した時間。
その隣室に居座っていた青年が、何も出来ずに過ごした日々。

メシアンの青年は考える。
何故自分には何も出来ないのか。
何故、あの犯罪者はたかだか一週間でこの施設を出られたのか。
自分は訓練期間に一年費やしてようやく守護天使を賜り、失って、今も尚見習いとしての立場に甘んじているのに。どうして、あの少年は容易く乗り越え、この施設から羽ばたいて行ったのか。

青年はアデプト・ソーマから言葉を賜った。
もう彼を見守る必要は無いのだと。だから君は自分のためにこそ時間を使って欲しいと。
自分の頼みを聞き入れてくれてありがとう、と。

何も出来ていないのに。本当に、偽り無く、青年には何もできていなかったというのに。
少年が消えると同時期にアデプトがわざわざ青年へ向けて言葉を送ったという事は、今回の状況変化は、少年の進退はアデプトの意志によって左右されたのだと予想出来る。
たった一週間の訓練しか受けていない人間を、メシア教団最高幹部が直々に召し上げたのだ。
改めてかつての犯罪行為を理由に罰せられたのだなどと楽観しない。施設で彼の性根が矯正され、居る必要が無くなったから一般生活に戻されたという可能性も有り得ない。

だってあの少年は優れた人間だった。

身体能力は多数の訓練生に優り、他者からの信頼と好意を瞬く間に得られるカリスマを備え、青年が無力を痛感した異界でガイアーズの猛獣相手に正面から打ち勝って、前科を有しながらアデプトの配慮によってメシアンとしての立場を与えられた人間だ。

きっと輝かしい未来が拓けている。
自分とは違う、優れた人間だから。特別な、力有る存在だから。

「ははっ、はっ」

もっと『力』があれば、自分にも出来るのだろうか。
彼のような力が、才能があれば。特別な存在になれば。
あの少年ではなく、自分こそが――。

「ははははは!」

笑う青年の内側に、最早 奉ずるべき『秩序』など存在しない。
力があれば良い。誰にも負けない、誰もが自分を慕うに足る、強く大きな力が欲しい。
考えに考え抜いたメシアンの青年が見出した答えは、混沌の領域に属するものだ。たった一人で捻り出した彼自身の答えは、所属する『秩序(LAW)』ではなく敵対すべき『混沌(CHAOS)』の求めるものだった。

数日の内に準備を終えて訓練施設を後にした一人の青年は、やがてガイア教団へ足を踏み入れる事となる。
そこに歓喜と栄光が待っているのだと、盲目的な願いを抱いて。

一人の少女もまた、考えていた。

訓練施設から姿を消した彼の少年を慕う彼女は、盗み聞きした会話から、少年がアデプト・ソーマ麾下に招かれた事を知っている。
凄い事だ。喜ぶべき事だ。自分が好きな彼は、教団最高幹部から直々に声が掛かる程の傑物だった。ああ鼻が高い、自分の見る目は確かだった。心の底から彼の栄達を寿ごう。諸手を挙げて祝うべき事なのだ。――だから、哀しさや寂しさを感じない自分は、決しておかしくなど無い。

施設の皆が驚き、戸惑い、羨み、僅かに妬んで。少年へと数々の祝いの言葉を送る中で、何も言えずに終わった少女。

――淡い想いだったのだ。
慕う相手が遠く、手の届かない場所に消えてしまっても、大きく取り乱してしまえないくらいに。これから時間をかけて育っていく筈の、幼い熱情だった。だから突然の別れに涙一つ流せずとも、何一つ異常な事は無い。
未熟過ぎた彼への思慕の、本当の意味での小ささに自覚が無く、動揺の薄い自己への猜疑を抱く彼女の現状もまた、よくある青春の一幕でしかなかった。

しかし。だが。それでも。自覚が無いというただそれだけで、少女が自己嫌悪の海に沈み込むには充分過ぎた。

彼の事が好きではなかったのかと己を疑い、祝ってあげる事も出来なかった薄情さに自分自身を嫌悪する。
鬱屈した感情の矛先を求めた結果、彼女が訓練により一層打ち込むようになったのは至極健全な、喜ぶべき結果だった。

アデプトと少年の会話を思い出す。
駆け付けた時には会話の大部分が話し終わっており、はっきり理解しているのは彼がアデプトの部下となった事だけだ。
彼女の知り得る限り、メシアンの階級に『エグゼクター』などというものは存在しない。ならば新たに設けられた、或いは設けられる予定の席。その地位に就くために必要なものは全く知らなかったが、メシアンとしての実力を積み上げれば道は拓ける筈だ。

前向きに、少女の持つ知識の中で最も堅実で、間違いようの無い可能性を選び取る。何らかの異能や特別な適正が必要な場合もあるが、それでもメシアンとしての実績を評価されないなど、教団内においては絶対に無い。
もう一度、彼と同じ立場に立とう。
そうすればきっと何かが変わる。何かを見つけられる筈だ。

とても小さく瑣末に過ぎる、挫折とも呼べない当たり前の現実を前にして。一人のメシアンが真っ直ぐに進む道を選択した。
遠ざかった背の君との再会は、彼女にとって暫しの後の事となる。





その頃サマナーはカラオケボックスで熱唱していた。

二人の若者の未来を揺るがし、或いは綺麗さっぱり台無しにした若きサマナーが、胸の内から湧き上がる思いの丈を曲に合わせて歌詞諸共、盛大にぶちまける。
サマナー兼メシアン兼現役学生である彼とて、歌を歌いたくなる時があって当然。誘った面々がちょっと戸惑うくらいの熱を篭めて、己が美声を張り上げた。

「久しぶりに学校来たと思ったら、……何があったんだよアイツに」
「知らない。興味無い、……わけでもないけどさ」
「きっと辛い事があったのよ」
「つーか歌上手くね? 驚きの才能だよコレは」

スライムと出会って以降、学校は欠席する事が多かった。
マンハンターを繰り返しながら、己の体調と相談しつつ登校日を捻出していたのだが、異界騒動のための準備からメシアン訓練施設への軟禁と、連続して外せぬ予定が出来てしまって暫く登校していなかった。

そして久しぶりに登校したサマナーは、己のキャラクターをすっかり忘れていた。

メシア教団の正式な信徒にして暗部候補生として名簿登録された衝撃か。訓練施設で周囲に慕われる頑張り屋の好青年を演じていた反動か。それ以前にも異界でガイアーズの雌熊相手に純情プロポーズを演出したり、命懸けの戦いに身を投じたりと中々に多忙であった。

――『俺』ってどんな奴だったっけ……。

一週間以上登校して来なかったクラスメイトが久しぶりに学校へと顔を出し、周囲の視線を惹き付ける明朗な挨拶を披露した直後、ふと思い出した様な仕草でぽつりと呟いた。
教卓の前で感情の抜け落ちた形相を晒す彼を、幾人かのクラスメイト達が温かく迎え入れる。冷めた心を暖めてくれる良いお話だ。この国の善性は、未来は、まだ朽ちていないのだと信じられる光景だった。

放課後に声を掛け、歌唱用の娯楽施設へと誘われた彼が一切遠慮する事なく絶唱するに至った経緯は、全て周囲の優しさによって築かれている。

クラスメイトにその意外な才能を知らしめながら、溜まりに溜まったストレスは残らず吐き出された。
吐き出し過ぎた反動で若干ダウナーになった彼は、ポテトを齧りながら他人の歌に合いの手を入れて、こっそり思う。

――こんな奴らクラスに居たかなあ。

元々あまり社交的では無かったサマナーは、クラスメイトの顔さえ半分くらいしか記憶していなかった。予想外の事態に戸惑う自分に優しくしてくれた彼等に対する感謝は当然あったが、所詮はダークサマナー、薄情さは変わらない。名称不明のクラスメイトに囲まれながら、「すっきりしたからもう帰りたい」とか考える恩知らずにはCOMP内の外道族も冷や汗を流すばかりである。

なのでスライムは己が眷属に啓示を授ける。

『オスザル、オスザルよ……。友垣は大事にせねばならぬ。何故ならばやがて築かれる我が偉大なる王国の民となる予定なのだから……』

契約を辿って囁かれた外道の声に、目論見としては結果の出る日が遠過ぎるだろう、と眉を顰めたサマナーはグラスを持ち上げ歪む口元を隠す。何故クラスメイトと遊びに来たのにスライム王国の国民増員に貢献しなければならないのか。
だが一日経ってようやくメシアン就任に不貞腐れていたスライムが立ち直ったのだ。友好的な態度で振舞えば何となく満足するだろう。

方針を決定したサマナーが歌う男子生徒を見て、首を傾げる。

――なんで女性アイドルの歌を歌っているんだろう?

「ああ、あいつ『MIKOTO』の大ファンだからな」

苦笑してサマナーの質問に答えるクラスメイト。
だが分からない。

――ごめん、『みこと』って誰かな。有名なの?

世に名を馳せるアイドルなぞ知らぬ。とすると硬派な物言いだが、サマナーのこれはただの無知である。
分かり易い困った表情でたどたどしく再度の質問を重ねたサマナーに対し、笑って快く答えるクラスメイトA。

曰く――。

今年の一月頃にデビューしたアイドルである。アイドル暦およそ一年。
歌も踊りもすごく上手い。特に歌が良い。いや踊りも良いぞ。
可愛い。
大々的なプロデュースによって、最近は海外でも売れているらしい。
年齢は中学生相当らしいが、公式のプロフィールには書かれていない。
可愛い。
今歌っている男子生徒はMIKOTOが大好きで、声域の違いから歌えもしないのにカラオケでは毎回歌っている。下手糞。引っ込め。アイドル好きとか顔に合っていないぞ。

質疑応答を耳にした他クラスメイトまで口を出してきた。彼等の言葉に逐一頷いて聞き上手を演じるサマナー。
――成程。つまり人気のあるアイドルだ、と言う事だ。何の捻りも無い真実だったので、サマナーは即座に興味を無くした。

そんなどうでもいいアイドル雑学よりも、連日多量のマグネタイトを得られる美味しい異界の情報が欲しい。アデプト・ソーマを再起不能に出来る程度の実力は、どれくらいの期間 異界潜りを続ければ手に入るのだろうか。そういった話題ならば興味津々のサマナーである。

メシア教団最大戦力などという化け物を直属の上司に戴く彼は、就職先の過酷な労働環境で胸が一杯だった。

「年末には、この街でMIKOTOが年越しライブをやるんだよ」

嬉しそうに差し出された携帯情報端末には、薄く笑う可憐な少女が映っている。

可愛い、のだろうか。魅力的、なのだろうか? サマナーの感性では半笑いの小娘にしか見えない画像を目にして思い、クラスメイト達には適当な褒め言葉で感想を誤魔化す。
容姿は整っている。歌は多分上手い。ダンスはよく分からない。この小さな画面に映る姿が、人々の関心を集める人気アイドルというものなのか。サマナーにはそれらの良さが今一つ理解出来ない。

そう、例えば自分なら。日本人らしい黒髪で、物静かな容姿に、あとは片手に日本刀でも握ってくれればそれで――。

そこまで考えて、サマナーは強く、激しく頭を振るった。
どこから日本刀が出てきたのか、自分で自分が分からない。そういう趣味が自分にあるとも思えない。ただでさえ最近は身の回りが物騒なのに、これ以上バイオレンスな生き物が増えるのは勘弁して欲しいと強く思う。

黒髪は良いんだけど。と肩を竦めて、座席に背を預ける。
曲調と合わない野太い歌声を披露するクラスメイトを見上げて、たまにはこういった骨休めも必要だろう、と誤魔化すように小さく笑う。

世界の終わりまで残り十五日。
迫る刻限に気付かぬ者達の中にあって、まるで平凡な少年のように彼は笑った。





あとがきに書く文章を思い付けない第十四話、投稿しました。
では続かないと言いつつキャラ紹介です。

 アデプト・ソーマ
LIGHT-LAWの魔法剣士タイプ。
ゲーム的に言うと多分レベル50くらい。
八話登場時の緋熊を一刀両断出来るくらい強い。

 青年
DARK-CHAOSな名無しの青年。
LAW、NEUTRAL、CHAOSの順に属性が変動したなんちゃってカオス。
別にカオスヒーローとかではない。

 少女
LIGHT-LAWのメシアン少女。
多少メシアン的な感性を持つだけの普通の人間。
別にロウヒーロー的なサムシングではない。



[40796] 第十五話 またスライムだよ!
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/27 00:31
ガイア教団施設最奥部にて、悪魔が笑う。

「あと、半月足らずか。よくも漕ぎ着けたものだな、ファントムめ」

液状化させたマグネタイトの浴槽に身を浸す、女性型悪魔。
青白いという表現を通り越して青一色に染まった人外の肉肌と、溶けた蝋にも似た白い長髪の女。液状マグネタイトに沈む艶かしい体躯の内、腹より下は具象化失敗の証である、吐き気のする緑がかった黴色に崩れていた。

半身をスライム化させた一匹の悪魔。
浴槽の縁に雄牛や犬、驢馬と女を侍らせた醜悪な化け物。
――ガイア教団の現盟主。悪魔でありながら、混沌を奉ずる人間組織のトップに立つ存在。

「……畑違いだ。俺ではなく担当部門に言え」

悪魔に向けて口を開いたのは、場に同席する一人の偉丈夫。
ファントム・ソサエティに所属する、ジョージ・バットマンという名のダークサマナー。

「この私の前に顔を出せるのか、担当とやらは?」

心底可笑しそうに歪んだ声音を漏らす女悪魔は、バットマンとは見知った仲だ。
ガイア教団とファントム・ソサエティの同盟関係。その連絡役として寄越された男の顔を見た当初は、崩れて中身の無くなった腹を捩らせ笑ったものだ。

『ははははは! コウモリめ、よりにもよってまさか貴様が来るとはな!』
『……不本意ながら、これも仕事だ』

思い出に笑みを深める悪魔を前にしたバットマンは、常と変わらぬ態度だった。
悪魔風情に気を使ってやるつもりはない。今回教団へ足を運んだのも、ただの定期連絡だ。
笑いの消えぬまま、悪魔が口を開く。

「私のくれてやった天津神はどうだった?」
「知っているだろう。使い潰した。『アレ』からは名残と呼べるだけのものも見えん」
「所詮は独自の信仰も集められぬ神話の端役か。私と似通った属性も、島国の胡乱な伝承のみではなあ」

心底つまらないといった風情で、既に消えた一柱の神を哂う。
ガイアの盟主を前にするバットマンは神への嘲弄に追従するでもなく、ただ立ち尽くした。
属する組織が同盟を結んでいるから。仕事として任されたから。此処に立つ理由はそれだけだ。目の前の出来損なった魔王の楽しみを助ける気は欠片も無く、だから中身の無い会話を切り上げるつもりで相手の名を呼んだ。

「『ヘカーテ』、話はそれだけか」

男の呼び掛けに悪魔がゆっくり口を開く。

「「「名を呼ばわる許しを与えた覚えは無いぞ、『カマソッソ』」」」

開かれた口。一つしか無いそこから、一斉に重なる三種の恫喝が漏れた。

浴槽の縁に侍る獣達と女も、主の憤激を受けて敵意の視線を晒す。
コウモリ風情が、と犬の顔が唾液を垂れ流す。驢馬もまた歯をむき出し、雄牛が後ろ足で床を蹴ると、残った女は赤土のような夜魔の両瞳でバットマンを睨み付けた。

不敬なる物言いに怒りを表す魔王とその眷属を前にしても、カマソッソと呼ばれた男は変わらぬ姿勢で視線を返す。
それは弱者が強者に対して見せるものではない。不完全な状態とはいえ、魔王を相手に見せてはならぬ、不遜にして傲慢なる振る舞いだ。本来ならば許してはならない男の態度に、魔王は辛うじて怒りを呑み込み、冷えた頭は相手の正気さえ疑った。
半身がスライムと化している己を見て侮った、などと考えない。目の前の男がヘカーテの恐ろしさを知らぬわけがないのだ。肉と霊魂に刻み込んだ長き苦しみを、忘れている筈は無い。

魔王『ヘカーテ』。
ギリシアを起源とする月と冥府と魔術の女神。
天と地と海、三相一体の神格であり、広く三つの支配領域を持つが故に神としての側面、有する権能は数多い。後に魔女や魔術師の崇める神とされ、邪教の謗りを受けつつも現代において尚、世界の裏側に関わる者達からは根強い信仰を得ていた。

ヘカーテは現代においてもその名を挙げられる真の神格だ。決して、たかがサマナー風情が軽く扱える相手ではない。
逆らえば死ぬ。逆らわずとも魔王の気紛れによって容易く摘み取られる。具象化に失敗した今でさえ、バットマンの殺害はいとも容易い事なのだ。

「……肉を得て狂ったか、凶鳥よ」
「でなければこの俺がガイアに足を踏み入れるなど有り得んだろう」

本来は『秩序』に属する悪魔、凶鳥『カマソッソ』。互いに所属する集団が異なるとはいえ、現状においてファントムとガイアは裏で共同歩調を取っている。
反発せず、争わず、などと。例え相手が己では太刀打ち出来ぬ圧倒的な格上であったとしても、属性に縛られる悪魔が本来的な敵対者たる『混沌』の怪物と手を取り合うなどまず有り得ない。

「貴様らの罪業が響いているんだろう。俺も、『アレ』も、最早 悪魔だなどと名乗れんさ」

――特に俺など、見事なまでの失敗作だからな。
笑いながら口にするバットマンには、悲壮感も怒りも無かった。今在る自己に納得している、ヘカーテの物言いに倣うなら、人としての肉体を得た事で狂って出来上がったのが『ジョージ・バットマン』だ。

魔王ヘカーテの実験。ガイア教団の研究成果、その失敗作品。
元の霊格を損なわぬよう丁重に、人としての肉を与えられ、生まれてきた元悪魔。
ジョージ・バットマンは人ではない。だが悪魔でもない。二種族を混ぜ合わせて作られた、『魔人』の出来損ないだ。

「現状に執着する理由は無い。だが貴様の創る新世界にも、殊更望むものなど無い」

全てどうでもいい。己が己のままであれば、滅ぼうが栄えようがバットマンには関係無い。
如何なる時代、如何なる世界であろうと、己の為したいように為すだけだ。魔王を前にしてのふてぶてしい笑みに、ヘカーテは不機嫌そうな顔で言う。

「つまらぬ」
「ははは、悪魔を楽しませる気など更々無いさ」

かつて悪魔であったバットマンが、悪魔という存在に気兼ねする事は無い。人間のための世界にあって、連中に公的な生存権利なぞ存在しないのだ。如何扱おうが構わない。彼自身の来歴から、悪魔という異界の生命を特別視する理由も無い。全て残らず、己の欲を満たすために利用するだけ。勝てない相手ならば放っておく。弱い相手からは奪い尽くす。
まさしくダークサマナーたるべき欲望を偽らぬ有様に、だが混沌を好むヘカーテは興醒めしたと言わんばかりだ。

その胸中は単純。――目の前のコウモリが噛み付いてくるなら、きっと面白いだろうに。

「ああ、まったく。……つまらぬな」

それはさっきも聞いた。口には出さずに胸中で呟くバットマンは、魔王の望む新しい世界を脳裏に思い描く。

其処は、きっとろくでもない世界だ。
どうしようもなく、ただ喰い合うだけで実りの無い、つまらない世界になるだろう。
出来るなら、目の前の化け物の目論見を挫いてしまいたい。だが力が無い。不完全とはいえ魔王を排するだけの力量を、この不出来な肉体では得られないと分かっているのだ。

――だが見ていろ。どうにか出し抜いてやる。
胸の内で決意を燃やすバットマンは、大切だなどとは言えないが、今在る世界が嫌いではなかった。
だから己の手で魔王を殺せずとも、その望みを叶えさせはしない。何より目の前の化け物がかつて己に与えた苦悩と苦痛を、未だ一度たりとて許してはいないのだ。

深く、深く、気取られぬよう静かに燃える敵意を秘めて、かつて悪魔だった人間が、己の欲望を理由として、世界を守るために闘っていた。





国を作るにのに必要なものとは何だろうか。

人か。金か。 国土か。
メシア教団本部施設に用意された自室で腕組みをするサマナーは、ベッドに腰掛け考えていた。
スライムは自分を讃える国を作りたいと言う。成程、元神様としてはかつての栄光よもう一度、と考えているのだろう。理解は出来る、納得も出来る。
だが、どうやって国など作れというのか。これが分からない。

「うむ。我が一の眷属たるオスザルが、裏の世界において英雄もかくやという活躍を重ね、世を席巻する破格の知名度を得れば何とかなろう」

人任せかよ。
頭の足りない目論見にツッコミを入れつつ、膝を抱える。そもそも神として在った頃の詳細な記憶など持ち合わせていないスライムである。知識と頭脳に期待するのは無理があった。記憶を保持していたとしても時代が違う。霊的な統治を施していたミシャグジ神に、物質的な繋がりによって纏まる現代国家の構築が出来るものだろうか。

――諦めたら?

考えるのが面倒くさくなってついついそんな事を口にすれば、スライムが壮絶な顔で固まった。
一拍。二拍。暫く待っても固まったままのスライムを前に、サマナーが口元を押さえて謝罪する。

――ごめん、冗談だ。

「我今ちょっと焦ったではないか貴様! オスザルの分際で貴様ーっ!?」

どうやら先程の発言が冗談で済まない程度には、スライムにとって自分の国というのは重要らしい。
叶えてやれるのならば叶えてやりたい。与えられた部屋の内装に視線を巡らせて、考え込む。

国の頂点に君臨するなら、名を売るのは大事だろう。そしてこの業界、どう言葉で誤魔化した所で力がものを言う世界だ。現にメシア教団でアデプトの地位に就く男は、同組織内において最強だと言われている。

つまり自分達には力が足りない。相変わらずの結論に落ち着いた。

さてメシアンの仲魔といえば、天使以外は認められていない。
教団の秩序とは唯一神に従う事であり、その配下である天使こそがメシアンを導いてくれるとか。天使を悪魔と呼べば凄い事になるのがメシア教団であり、それ以外の悪魔は文字通り、人々を誑かす悪徳の権化とされている。

――だが実際問題、天使しか連れていないサマナーなぞ雑魚である。つまりメシアンは雑魚だ!

「極論が過ぎるが、仲魔の多様性こそが悪魔使いの強みと言える。その上で言おう」

天使以外は駄目です。
部下からの陳情に、アデプトの返答は冷たかった。

「私はメシア教団の奉ずる、神の秩序を利用して人の世の平和を築きたいと考えている」

だから、アデプトは秩序から外れる事を好まない。
天使以外は邪悪な存在だ。ゴミクズだ。――多数のメシアンがその認識で纏まっているというのに、平和を守るために組織した暗部の人間が進んで和を乱すのは許されない。
あくまでも人民の平穏こそがアデプトの望み。汚れ仕事専門の職業人は必要だが、天使以外の仲魔は絶対的に必要なものではない。だから、サマナーは己の有する戦力を天使のみで編成しなければならない。

この場合、契約者たる外道スライムは例外である。
排除すればサマナーは離反する。

アデプトも、魂を繋がれた彼等の関係を軽く見ていない。天使ではない外道族、彼のスライムの生存を見逃しているだけでも、メシアンとしては法の境界線を越え過ぎていた。

「本来ならば私から、貴方に見合った天使を喚ぶべきなのでしょうが……」

外道族悪魔と友好的に振舞える天使など居るのだろうか。加えてスライムは己のための宗教国家を作るなどと口にする、唯一神とは異なる秩序の神格から生まれた悪魔だ。

秩序に忠実といえば聞こえは良いが、その実、頭が固く融通が利かない。方針と互いの属性が重なれば心強い味方となるが、少しでもズレてしまえば内憂へと転じる。それは天使もスライムも変わらない。
短期ならともかく、長期となるとサマナーには合わない仲魔だろう。アデプトは目の前の部下に聞こえる大きな溜息を吐いた。

「なのでパワーをつけます」

――またお前か。

「よろしくお願いします、新たなる信徒よ!」

いい笑顔だった。

結局サマナーは監視役の天使『パワー』から逃れられなかった。相も変わらずパワーに勝てる位階を目指して鍛錬を重ねるしかないのだ。

教団に組み込まれた状況から脱するのは、実は簡単だ。他の組織に身売りすれば良い。
メシア教団の組織力から個人の力で逃げ切る事は実質不可能。故に組織の庇護を求める。だが『悪食』の一件が収束した今、サマナーは自身の価値を他組織に示す手段を持っていない。価値を認めてもらえなければ、メシア教団から逃げ出した人間を迎え入れる奇特な集団も見つからない。

せめて教団内で実績を積み上げ、他の組織からも目を付けられる程の活躍を。――という案も実行不可能。
何故ならば彼は新設された教団暗部、唯一の構成員なのだ。
目立ってはいけない『暗部』所属のメシアンがどうやって余所に名を売るのか。フリーのサマナーであった当時を振り返り、己は何と自由な境遇に居たのだろうかと目頭を押さえた。

一応、現状を脱する現実的な手段が無くは無いのだが。
異界でまみえた熊や半裸を思い返し、サマナーは思考を放棄した。

「そういえば」

書類の積み重なった執務机に向かうアデプトがサマナーに目を向ける。
何か問題があっただろうか。首を傾げて見つめ返した。

「貴方の登録名、『虚心』とはどのような意味を込めたのか。少々気になりまして……」

メシア教団は宗教組織である。
サマナーは現役の学生である。

――宗教に傾倒してるなんて思われて、学校で苛められるのは嫌なんですッ!!

悪魔を知る者達にとってはともかく、一般人から見ればメシア教団は居もしない神と救世主を崇める、財源豊富な謎の巨大カルト集団だ。同級生がメシア教団の信徒であると知って、果たして周囲からは如何なる反応が返ってくるのか。想像するのも恐ろしい。必死に説明する少年に、アデプトは宗教人として若干の悲しみを覚えたものだ。

本音としてはいつでも教団から抜け出せるように正確な名を残さず、それと同時にスライムの信徒である自分の名前がメシアンの名簿に記載される事態を逃れたかったが故の出任せだった。アデプトとしても表に出せない暗部の人員、その本名を資料に記載するよう強要しない。

暗部らしく本名を想起させない短い呼び名を。そう言って書類に記されたサインは『虚心』。
名前の意味など文字通りのものでしかない。

――『虚心坦懐』。

微笑みに乗せて短く語る少年に、アデプトは殊更に白々しい笑顔で応えた。
虚心とは無心。坦懐とは、こだわり無く広い心を指す。
似通った四字熟語で説明するのなら、明鏡止水という言葉がある。

己は蟠りなど持たず、心の広い人間である。胸を張ってそう語る己の部下を前に、アデプトは深く頷いた。
嗚呼。やはりこのような清々しくも腹の黒い人間こそが、暗闇に踏み込むに相応しい。
彼がこのまま教団に居座る事を願い、アデプト・ソーマの額の皺が少しだけその数を減らしていた。





中々話の進まない第十五話です。
しかしこのSS、女神転生ネタなのに仲魔が増えない不具合が深刻ですね。

続かない気もするのです。


※2014/12/27投稿
※2014/12/27誤字修正



[40796] 第十六話 逆襲のくまさん
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/28 00:14
異界で、熊と、再会した。

サマナーたる者、とにもかくにも強くならねば何も出来ない。
面倒臭い性格の天使族悪魔だが、パワーの加入によって戦力は大幅に強化された。これもメシアンの役得と思い、天使を扱き使いながらの悪魔狩りへと出かけたのだ、――が。

「……そうか。お前、今はメシアに居るのか」

――は、はい。教団の方々には本当に良くして頂いて……。

遠出した異界で、サマナー御一行は何時ぞやの猛獣と再会してしまったのだ。

メシア教団所有地にはメシアンの訓練用に確保されている幾つかの異界がある。サマナーとて今はメシアン、本来ならばそこで悪魔と戦い経験を積むのが一番良い。
しかしサマナーは教団の暗部、『執行者(エグゼクター)』である。

エグゼクターの正装として渡された衣装は、顔全体を覆い隠すニコマークの刻まれた仮面と、申し訳程度のメシアンカラーに彩られた頭巾一枚。正直な気持ちを語るなら、この時のサマナーはアデプトの顔面を全力で殴り付けてしまいたかった。だが表沙汰に出来ない仕事を任せられた人間が、暗部の構成員が、自身の氏素性を気安く晒してはならない。名前を偽ったのだから顔も、と言われれば納得するしかない。
将来の可能性として、教団内で起こる問題を処理する事もあるだろう。ならば同じメシアン相手だろうとエグゼクターは顔を知られていてはいけない。
――だから、メシアン専用の異界でもエグゼクターの正装で活動しなければならないのだ。

段階を踏んだ説明に、サマナーは善良なメシアンを装って笑顔を返した。

――むしろ目立つだろう、それ。

一定以上の階級に至った正規のメシアンしか出入り不可能な訓練用の異界、そこを徘徊する怪しげな仮面に頭巾を被った変態。誰何されるどころか、不審者が侵入したとして多数のテンプルナイトが出動、力尽くで捕縛される未来が予測できた。
そんな説明に目を見開いたアデプトは、「では対外的な、仮の役職登録が済むまで待って下さい」と返した。本気で驚いた顔だったので、サマナーはアデプトの人物評価を改めたが、それは別の話だ。

周囲に所属を明かせぬ暗部の人間が堂々と教団の所有地を歩くのも、あれは一体誰なのかと周囲の疑念を呼ぶ。身元を教団に問い合わせても、アデプト麾下の機密部門故にエグゼクターでございと正直に教えるわけがない。だから表向きの、普通のメシアンとしての名簿を用意する。
最初からエグゼクターの物と一緒に用意しておけよとは思ったが、メシアン就任自体が昨日の今日の話だ、訓練用に色々と物が充実しているだろう件の異界へ行くのはまたの機会にしよう。そう納得して教団を後にした。

万全の状態でなければ戦えない、というのは非常に良くない。
訓練一つとっても過酷であって悪い事は無い。ただし死ななければ、だが。

何より、一日でも早く強くなりたい。現状でスライムに我慢を強いているのも知っている。だからこそサマナーは仲魔を連れて、入出許可など特に必要無い、どこにでもある異界の一つへと足を向けた。
何か不測の事態が起こってもパワーが居る。こいつは強いのだから大丈夫だろう。慢心ではなく、これから向かう異界に出現する悪魔の情報などを調べた上での結論だ。問題は無かった。

そう。問題など無かった筈なのだが、其処をまさかリハビリ目的の猛獣が闊歩しているとは、近い将来に教団暗部を担うと目された才気ある少年にも予想出来なかった。

「そこの天使もお前の仲魔か」

――はい。

「……そうか」

――は、はい。

気まずい。
異界にてガイアーズの女傑を見た瞬間、サマナーの胃腸は過大なストレスから軋みを上げ、かつて砕かれた右膝が幻痛を呼び起こして悲鳴を上げた。
顔を見た刹那、飛び出してくるだろう初撃によって殺されると咄嗟に思った。異界を進む際、パワーを先頭で歩かせた事は正に慧眼であったと自身の判断を褒め殺し、腰元からトラフーリの魔石を取り出す。

――哀れな天使はいつかのオニやアプサラス同様 即死するだろうが、せめて一拍の時間を稼げれば自分とスライムは逃走出来る!!
と、そんな事を考えていたというのに、いつまで経ってもパワーが死なない。

――おい、何で死なないんだよお前。

「え? ……えっ?!!」

天使の中身が凄惨に飛び散る光景を合図に魔石を使おうと思っていたのに、何故か、死なない。心底不思議だった。素直な疑問をパワーに投げ掛ければ、キチガイを見る目で聞き返される。
天使の身体越しに赤毛の猛獣を見遣れば、戸惑い気味にこちらへ軽く手を振られた。

一体全体、どうなっているのだろうか。

脳内を跳ね回る疑問を置いて、遠慮がちで余所余所しい会話が続けられる。
何故自分がこんな目に遭っているのか。サマナーは懐にスライムを抱え込んだまま、自問自答を重ね続けた。
少年の近況を尋ねる緋熊と、答えて相槌を打つだけのサマナー。会話の反応から現状を探るため、ガイアーズである彼女にメシアンである状況を知らせてみても、致死の拳撃が降って来ない。おかしい。あの時はもっとアグレッシブ且つバイオレンスな生き物だった。これではまるで。まるで――?

緋熊の背後、彼女の連れる仲魔が見えた。
粘土のように物理的に引き伸ばされた体躯の、薄っぺらな犬っぽい何か。
燃える小さな車輪に両足を乗せた、照り輝くロボっぽい人型の何か。
口元を押さえて肩を震わせる、以前にも異界で見た龍王『ヴィーヴル』。

笑いを堪えるヴィーヴルを見て、もう一度思考を回す。

こちらを窺うような、会話を交わす事そのものが目的であるかのような、遠慮がちで余所余所しい、特別な中身を持たない会話。他愛の無いお話。
メシアンであろうと、天使を連れていようと、大した反応を見せずに、チラチラとこちらに視線を向けてくる、熊。

これではまるで。
まるで、恋する乙女のようではないか。

――まじか。

思わず零れた言葉に、遂にヴィーヴルが噴き出した。
びくりと肩を跳ねさせた緋熊が笑う龍王を睨み付け、再度こちらを窺う。
仲魔の不審な笑いに、嫌な思いをさせてしまったのではないか、と。心配するような目を向けられた。
サマナーは何があったのか全く分からない、というように首を傾げて微笑んだ。ほっとする緋熊を見て、背筋が凍る。

この状況から見るに。
かつての求婚発言を、真に受けられてしまったようだ。

そしてヴィーヴルの楽しげな様子と、以前異界で戦った際、自分に対して徹底的に敵視した上で『悪食』呼ばわりした緋熊の言動行動を顧みれば――この女、目の前の少年と自分を打ち倒したマンハンターが同一人物だと分かっていない上に、仲魔からも知らされていない。
ちらりと視線を向ければ、したり顔の龍王が笑った。以心伝心。己の推測が全く間違っていないのだと、悪魔の笑みが語っているではないか!
サマナーの閉じたお口の中では、激情に震えた奥歯がカチカチ音を鳴らしている。

果たして痴情の縺れと言っても良いものか。それよりもこの状況をどうするべきか、どうすれば全てが無かった事になるのか、未だ年若い少年には活路を全く見出せない。

ヴィーヴルの思惑も分からないままだ。己の主をからかっているだけなのか、こちらが顔を真っ青にして右往左往するのが楽しいのか。少年が『悪食』であると龍王が口にすれば、恐らく、緋熊はこちらに襲い掛かる。そうならない可能性もあるが、楽観は出来ない。雌熊の乙女心なぞ現役男子学生に悟れる類のものではないのだ。

本来ならばこの状況を利用するための策を巡らせるべきだ。
だがヴィーヴルはまず間違いなくこちらの正体を知っている。たった一言二言で状況を一変させる手札があちらには有り、ここから戦闘に移行すれば、今 目の前で乙女面を晒す猛獣に殺される可能性がとても高い。とても、とても高い。

感情の一切を見せず殺しに掛かる緋熊の姿を憶えている。
あの頃と比べて、パワーが仲魔になった以上の明確な戦力強化を行えていないサマナーは、再度の死闘を制する自信を持ち合わせていなかった。
相手の様子など窺わずに逃げておけば良かった……、と反省しても状況は変えられない。
緊張のせいか胃が痛い。怪我など無いのに右膝も痛い。
懐に抱えたスライムのぶよぶよした感触に意識を逸らしながら、サマナーは当たり障りのない会話で場を濁す事に終始した。

その様子を観察するヴィーヴルはご満悦だった。

異界にて『悪食』がメシアンに降伏したのは知っていたが、あの状況からまさかメシアンへ転向していたとは。
――この少年には悪運がある。
連れている仲魔もスライムはともかく、パワーは中々良い悪魔だ。秩序に従う いけ好かない天使だが、悪魔としての位階は降臨する土地や国によってはヴィーヴルよりも格上だ。契約者である緋熊によって悪魔合体を繰り返されているからこそ戦っても恐らく負けない、しかし問題は元マンハンターにそんな力ある天使をつけたという事実。

警戒されているから監視するのか。期待しているから護衛するのか。少なくとも、生かした上で異界を闊歩する自由を与えている事から、罪人の生殺与奪を決定できる程度の上位にある存在が、彼という個人に目をかけている。
面白い。
もしもあの異界で緋熊が負けていなければ、そんな人間がガイア教団に来たのだ。

龍王は可笑しげな笑みの奥に隠して、冷静な人物評価を行っていた。

その腹の内はそこまで複雑なものでもない。
――最近、ガイアの上層部がキナ臭い。
ファントムとの繋がりに関してもそうだ。何故わざわざ、あんな負け犬に手を差し伸ばす。

数年前にヤタガラスと殺し合い、派手に敗れ散ったファントムの残骸。かつて組織を率いた上層陣は一人残らず命を落とし、現在の総責任者が誰かも分かっていない。知られない程度の小物か、或いはその逆か。
組織の蜜月というにはガイア側から流れる資金と資材が大き過ぎ、教団上層部が失墜したダークサマナー組織に屈しているなどと気の逸った怒声を上げるガイアーズも相応の数が見て取れ、だが目立った動きは裏で全て潰されている。

怪しいなどという段階はとうに過ぎている。両組織の上層部は、確実に何かを行っている最中にある。
連絡役としてここ二、三年 定期的に教団へと顔を見せているバットマンが、『悪食』を勧誘しようとした事もそうだ。
上が軒並み死んだとはいえ、方々への伝手を有するファントム・ソサエティが人材に困窮するなど有り得ない。その気になれば表裏問わず、遠く国外からさえも目ぼしい人材を引っ張って来れる組織の人間が。ジョージ・バットマンが、何故新参のデビルバスターを勧誘に出向いたのか。
人が欲しくとも、ファントム所属ならばわざわざ足を動かす必要など無いのだ。

それでもやると言うのなら、それはバットマンの独断。

ヴィーヴルとしてはキナ臭くなってきたガイア教団を抜ける事も考えている。己のサマナーである緋熊は、宥めすかして頭を下げれば動かせるだろう。内情を詳しく説明してしまえば「逃げるなど言語道断」と拳を振り上げる可能性もあるが、内側からより外から殴る方が戦い甲斐もあると説得すれば良い。間違いなく、緋熊はそれで納得する。

バットマンが単独で動く。あの怪しげな同性愛者が、組織の力を借りずに個人で人手を集めるのだ。絶対に胡散臭い事情が隠されている。ヴィーヴルは厄介事に首を突っ込むのは嫌いではないが、自身が他者の目論みに翻弄されるのだけは我慢出来ない。
流れに呑み込まれる前に、教団から外に出なければ。
そのための糸口を、能力と悪運に恵まれた『悪食』の少年から引き出したい。

猛獣臭い己の主が彼を口説き落とせるなどと、そんな哀れな妄想は抱いていない。だが、あの緋熊が執着すれば、逃げられる相手など この世に居ないのだ。こうして見事喰い付かせれば、後はなるようになる。少なくとも、現状で既にヴィーヴルの求める最低限度は満たせると決まったようなもの。
予測を確実とするためにも彼には、年上のお姉さんにうっかりプロポーズした純情な少年のままで居てもらおう。
まさか面と向かって殺し合った相手の顔もろくに見ていなかったとは、自身のサマナーの戦闘狂いには呆れるしかない。だが今回は好都合。全くもって似合わないが、彼女にはそのまま恋する乙女でいてもらう。

出会った時から変わらない、闘争に愛された獣の娘。

「――絶対に死なせないわ」

小さな呟きに肯定の意を返すのは、同じく緋熊の仲魔である神獣『マカミ』と幻魔『ナタタイシ』。彼等全員、主を守ろうという意思だけは違えない。

残る問題は、彼の少年が今はメシア教団の所属であり、己の主である緋熊は骨の髄まで生粋のガイアーズだという事だ。
繋がりを作るのは良いが、さてどうやってこの荒っぽい雌熊を『秩序』の側へと引き摺り込もうか。

龍王ヴィーヴルは主と少年の拙いやり取りに薄っすらと微笑み、酷く楽しげに思考を巡らせるのだった。





こんな筈じゃなかった!と頭を抱える第十六話です。
このSSを書いていて、ひょっとするとこれがハーレム系SSというものなのか、と首を傾げています。現在のヒロインはほぼスライムと熊ですが。

続かないのではないでしょうか。



[40796] 第十七話 虚心
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2014/12/29 00:05
エグゼクターの朝は早い。

早朝の鐘が鳴る前に起床し、メシアン用の訓練場にて早朝訓練。教育熱心なパワーに一対一で手解きを受ける少年を見て、仲魔であるスライムが臍を曲げる。一汗流した後に拗ねたスライムを適当に宥めると、丁度 起床の鐘が鳴る時刻だ。
メシア教団施設に設けられた食堂で朝食を摂り、自分で食事を用意しなくて良い現環境に小さな喜びを覚えながらお腹を膨らませ、平日の場合は学校へと足を向ける。

学校生活は順調と言えた。
先の一件以来、クラスメイトとの会話も増えている。それなりに相手の顔と名前を憶え始めており、一般的な男子学生の一日が過ぎた放課後、パワーに急かされて教団への帰路に就く。
暗部といえど未だ正式に発足した部門ではないためそういった仕事も無い。メシアンとしての基礎教育、特に教団の掲げる『秩序』に関して徹底的に教え込もうと頑張るパワーの熱意に辟易とした思いを抑えきれず、スライムを盾に少しでも長い休息を得ようと知恵を絞るサマナーの姿があった。

日によってはアデプトの執務室にて過ごす。当たり前だが素人同然の彼に、幹部がやるべき仕事の手伝いなどはさせない。彼を放置して黙々と執務に励むアデプト。メシアンとはどうあるべきかを背中で語る上司を見て、早く教団を抜け出したいと決意を新たにする時である。
アデプト・ソーマは比喩ではなく現実として、教会一の働き者である。滅私の人と言っても良い。
端的に言うのなら、筋金入りの頑張り屋だった。

そんな『できる上司』が己を削って朝から晩まで只管に仕事に励み続ける姿を見て、平凡な一般人であったサマナーが本当にメシアンとしての使命に目覚めると考えているのなら、少しばかり人の善性を信じ過ぎではなかろうか。
自分がそのままそっくり同じ事をやれば、死ぬ。アデプトでなければ絶対に過労死している仕事量。――上司の日々の仕事振りを見守るサマナーは、教団内の労働事情を見直すべきだと至極真面目に検討したが、それが生かされる日が来るかは不明である。

休日に教団の実施したボランティアに足を運ばされる日もあった。
公共施設、敷地内のゴミ拾いや悪魔関係の巡回警備、福祉に関する施設慰問と他の細々とした行事まで。徹頭徹尾、現在のメシア教団は『社会への貢献』をこそ活動目的としている。今の立場で目を通せる限りの資料を手にとって見れば、これらの活動はアデプト・ソーマの幹部就任以降に始められたものが数多い。

己の上司は善人である。最早疑いようも無い事だ。

傍から見ても人として、メシアンとしての瑕疵が見えない。或いは目に見える振る舞いの一切が欲を持つ人間らしからぬ善行一辺倒である事こそ、かのアデプトの欠点かもしれなかった。

きっと。
――きっと、自分がスライムや他の何がしかを切欠としてこちらの世界に関わっていなければ、この善良な男の下で己の一生を使い潰すという選択肢も有り得たのだろう。
不覚ながらそう考えてしまう程度には、今の上司であるアデプトは『いい人』で、尊敬出来る大人だった。

だがそうはならないと分かっている。
自分はもう歩く道を決めている。いくつもの仮定を考えたところで、答えは変わらない。
遠からずアデプトを裏切る日が来る。サマナーは自分の方針を変える気が全く無かった。

内から湧き上がる煩悶を一人で解消しながらメシアンとして過ごす、ある日の事。

以前にも共に遊びに出掛けたクラスメイトに誘われて、サマナーは一軒のCDショップへ足を運んでいた。
カラオケボックスで下手糞な歌を披露した、アイドル好きの男子生徒。彼の誘いで出向いたのだから、その後の展開も予想が出来た。

「このデビューシングルは本当に良いぞ。きっとお前もMIKOTOの良さが分かる!」

面倒臭くなるくらいのハイテンションでサマナーを勧誘する彼に、悪気は無いのだろう。
だが、うざい。自分の好きな物を他人に勧めるのは良いが、強引過ぎれば相手が引くという事を、誰か目の前の男子に教えなかったのだろうか? 物を知らないファン未満の優しいクラスメイトを演じるサマナーは、腹の内で空気の読めない彼を罵倒した。

アイドルなど興味が無い。死ね!

そうはっきりと言えれば良いのだが、やり方はともかく自分と仲良くしようと努めるクラスメイトを無下には出来ない。サマナーとてその程度の善性は持ち合わせているのだ。しかし、だからこそ面倒臭い。

「このCDショップ、数年前に出来たばかりだけど不思議と客も少ないし、何よりMIKOTO関連の品揃えが非常に良い! 見ろよ、MIKOTOの専用コーナーと関連グッズ各種まできっちり揃えてるんだぜ!」

至極どうでも良い情報を得て、教えてくれてありがとう!などと柔らかい笑みを浮かべる演技派な自分を、そろそろ誰かが褒めてくれないだろうか。と軽く現実逃避。
新たに知り合ったクラスメイトと友好的に接するにしても、もう少し強気なキャラで行くべきだった。ここ最近 対人関係で後悔ばかりしているサマナーは、また新たな悔いを積み重ねるのだった。

「ごめっ、ちょっとトイレ行って来る!」

言うだけ言って、唐突にばたばたと走り出すクラスメイトを尻目に、勧められたCDを眺める。
近くに商品見本を試聴可能なスペースが用意されていたので良い機会かと手を伸ばした。興味自体は無かったが、あそこまで熱心に勧められれば多少は手を動かす気にもなる。音楽を楽しんで損をする事も無かろうと試聴機のヘッドホンを耳に寄せる、と――。

『オスザル』

胸元に下げられた十字架型COMP。相変わらず閉じ込められていたスライムが、契約を辿って声を投げた。

陳列棚の並べられた店内、延びた通路の先にある扉。
関係者以外立ち入り禁止、と書かれた札の下げられた先。商品の搬入用か、店員の休憩用か、少なくとも客が立ち入らないだろう場所。その奥から活性するマグネタイトの香りが漂っていた。

『この店は数年前に出来たと言っていたな。念が溜まりに溜まる古物件で無ければ、あの奥に悪魔か、或いは悪魔使いが居るな』

不思議と客の少ないショップ内。
気を逸らす五月蝿い人間が消えた途端に気付いた、マグネタイトの気配。

先程からずっと、或いは自分が来る以前からこうだったのなら、この店舗自体がそういう関係の店、なのだろうか? 自分が問題物件に誘い込まれたなどという自意識過剰な妄想は、可能性を僅かだけ残して切り捨てる。名も顔も知られていない只の学生、只のメシアン、わざわざ欲しがる奴も居ない。
手を伸ばさないほうが良い。足を向けない方が良い。
関われば関わるほど、死んでいない現状を不思議に思える、恐ろしい世界だ。此処もまた、自分如きの力量では容易く敗れる化け物が居るかもしれない。居ると仮定して行動するべきだ。

――だけど、逃げるだけで何が出来る。

これは蛮勇だ。自覚がある。
それでも未知に対して挑みかかる気概を失っては、今後二度と戦えなくなってしまう。
恐ろしいからと逃げ続ければ、向かえる道先は次々と数を減らしていく。
失敗したら死ぬかもしれない。だが逃げ続ければ望みに手を伸ばせない。

『構わぬ。行くが良いオスザル。貴様には偉大なる我がついておるぞー!』

相変わらず、無駄な自信に溢れたスライムである。異界で熊に胴体を貫かれた過去を忘れているのでは無いだろうか。

『その外道の助力はともかくとして、信徒である貴方を――』

パワーも何か言っていたが、聞き流して扉へ向かう。
何か問題が起きたなら、全て教団のせいにすれば良い。虫の良い思考、本当に叶うかも分からない些細な保険を慰めに、未熟な男の意地を張り通したいサマナーが仲魔と共に異常の発生源を目指す。

日々の鍛錬の成果だろうか。それとも常に近く在る悪魔の存在に霊体が刺激され、新しい感覚が目覚めたのか。一定量を超えたマグネタイトを、五感とは異なる何かが感じ取っていた。

――嗚呼、霊感よりも異能が欲しい。

見習いメシアンの訓練施設には魔法を使う訓練生も居たが、何故サマナーは未だ一つも魔法を使えないのか。異能者という存在は割と多いらしいのに、まさか未だに使える気配の無い自分は才能が無いのか、と実は結構気にしていた。

目撃者が居ない事を確認した上で扉を開け、照明が設置されている明るい通路を歩く。
明るい、なのに薄暗く感じるのは心理的な理由からか。緊張している自分を自覚して、衣服越しに胸元の十字架を擽った。もしも異変があれば、パワーが勝手に出てきて盾になってくれるだろう。信頼とは違う認識を新たに、更に前へ。

背負ったバッグから、こっそりエグゼクターの正装である仮面を取り出す。何故持っているのか、といえばそれはエグゼクターだからである。いつ何時であろうとも、責任の所在を『ニコマークの怪人』に押し付けられるこの仮面を、サマナーは常備していた。
使った事は無い。出来るなら、数日前に再開した緋熊の前でこそ仮面を被るべきだった。今更な話だ。日に十通以上、各一時間は執筆に時を費やして送信されてくる熊からの短文メール。毎回忘れず返信するサマナーの心的疲労は凄まじい。

溜息を吐いてそれでも前へ進む。マグネタイトは未だに匂う。進めば進むほど強くなる香りの先、曲がり角で不意打ちを受けないよう、離れた壁に沿って歩いていく。

曲がり角の先に立っていたのは、薄く笑う少女が一人。

「――こんにちは」

――こんにちは。

綺麗な少女だった。
薄く笑う顔に、どこかで見たなと記憶を刺激される。
肩に届かない程度、淡色のショートカット。細身の全身は幼い起伏がそこかしこに見て取れて、彼女を花に例えるなら蕾だろう。咲けば綺麗だ鮮やかだ、と誉めそやす俗人達が容易く想像出来る。

職人の手によって刻み込まれたかのような、動きの無い薄い微笑み。
ふわふわと泡のように軽い、甘く蕩けたような声。

「どちら様ですか?」

少女からの誰何に、仮面で顔を隠したサマナーは沈黙で返す。

すごく不気味なシチュエーションだ。
可憐な少女である。マグネタイトの香りが立ち込める道の半ば、曲がり角で出くわす状況はホラー染みている。全てが人工的な作り物めいて、余りにも出来過ぎた状況。やっぱり今回も厄介事だと今更溜息も出てこない。
僅かな間を設けて、彼女への返答は決めていた通りに返す。

――『虚心』。

「きょしん、」

鸚鵡返しの声は、少しだけ硬かった、気がする。
COMPからパワーが出てこない。目の前の少女はまず間違いなく裏側の存在だ。だが敵意など全く見えない。サマナーとて彼女の醸し出す独特な雰囲気に戸惑いがあるが、出来ればさっさと自己召喚を行って欲しい。気の利かない天使を胸中で罵倒した。
せめてパワーという名の肉盾があれば、状況を自分の都合に合わせて――。

「あなたもですか?」

――。

無垢な問い掛けに対する反応が遅れた。
サマナーへと向けられた視線。彼女の顔は、ずっと浮かべていた笑顔が消えている。
笑わない少女の問い掛けの、そこに秘められた意味を汲み取れない。
何も言えないまま、否定も肯定も返せない。思考に生まれた空白に縛られ、身動き出来ないまま見つめ返した。

見覚えのある顔。
先程まで浮かべていた固定された笑み。
どこかで見た、少女の姿。
つい数分前まで五月蝿いくらいに聞かされた、アイドルの話。

喉に石が詰まったように苦しい。時の人に出会えた喜びや緊張とは違う、何か見逃してはいけない災厄を前にしているような、耳元で囁く悪魔使いの霊感が、此処で彼女と向き合ったままではいけないと叫びを上げている。
糊で張り付いたように固くなった上下の唇をゆっくりと引き剥がし、ようやく確信した相手の正体を問い質す。

――お前の、名前は?

こいつは『MIKOTO』だ。

「わたしは、『ツクヨミ』です」

――そうか。よろしく。

返答が予測と違った事そのものはどうでもいい。
アイドルの名前に興味があったわけではないし、彼女の芸名や本名をこの場で聞き出して何を得られるとも思わない。ただ、今聞いた彼女の名前を忘れてはいけないと思った。何故かは分からないが、確実に、重要なものだと感じるのだ。

霊感などという怪しげなものにここまで信を置くなんて、先月辺りの一般人であった自分からは考えられない。

変わらずじっとこちらを見つめる少女に仮面越しの視線を返して、僅かに足を後ろへ下げた。
そろそろ帰ろう。此処でこの少女と会った、ただそれだけで良い。これ以上 謎のマグネタイトについて調べる強い意思を、サマナーは残していなかった。

「どうぞ」

唐突な呼び掛けと共に両手を差し出される。
少女の手の中にあったのは、細長い長方形の紙が一枚。
MIKOTOと書かれたそれは、ライブのチケットだった。何処かで見たような気のする見慣れない紙切れに目を留めて、もう一度ツクヨミと名乗った少女に視線を向けた。

「どうぞ」

再度の言葉にようやく察する。
つまり「どうぞお受け取り下さい」、という意味だ。こいつは言葉が足りない。

――ありがとう。

受け取りはしたが、どうせ行かないだろうな、とチケットに記載された日付を見て思う。年末の12月31日。大晦日。これは年越しライブという奴だろう。しかしその日はきっとメシア教団の仕事で動けない。
せっかく貰ったというのにこれを使う機会は来ないだろう。罪悪感など無く、そう思った。

少女がもう一度口を開く。

「――『それ』、出来れば来ないで下さい」

――じゃあ寄越すなよ。

咄嗟に言い返せば、不思議そうに見つめ返される。まるでこちらが間違っているかのような反応だ。失礼過ぎる。
来るなと言うのなら、何のために渡したのか。先程はツクヨミと名乗った癖に、こんなチケットを渡すのならやっぱりお前はMIKOTOじゃないか、といった罵倒も浮かんできた。浮かんだだけで口にしないサマナーは、目の前の少女の人間性が全く掴めない。

『あなたもですか?』

人間性が、見えてこない。
まるで無垢な、子供のような所作。

笑顔を消した少女の姿は、執拗に疑っても敵意が湧いてこない、敵には為り得ない『何か』を相手にしているかのようだった。

チケットを懐に仕舞って踵を返す。
これ以上此処に居たいとは思わない。これ以上少女と話していれば、場に滞留するマグネタイトの発生源やその元凶となる誰かが顔を見せるかもしれない。これ以上の未知の危険は、本当に対処し切れなくなるだろう。

――じゃあな、『ツクヨミ』さん。

「さようなら、『虚心』さん」

通路から店内に戻るまで、誰とも出会わなかった。
色々な曲が混ざり合って鳴り響くCDショップの片隅で、まるで白昼夢を見たような心地で十字架に触れる。

『オスザル、『アレ』は。あの小娘は……』

――変な奴だったな。

スライムの呼び掛けに一言だけ返して、会話を切り上げる。
いつの間にか姿を消していたサマナーを見つけて呼び掛けて来るクラスメイトに歩み寄り、胸中に蟠った疑念と関心を忘れないよう、もう一度だけ口を開いた。

――変な奴だったな……。

それだけではないという事は、十分理解していたが。
今は一先ず、それだけで済ませようとそう思った。
すぐにそれだけでは済まなくなると、心のどこかで理解しながら。





見えたぞ。エンディングが!!の第十七話です。
上の文にあまり深い意味はありませんが、本当にライドウが出ない不具合。もうアイドルがメインヒロインで良いかもしれないと血迷う部分もあります。
あとパワーは男ですよと返信をしておきます。ヒロイン枠に入ると困ります(白目)。

続かないという説もあります。



[40796] 第十八話 悩める少女達
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/03 23:44
薄れている残留マグネタイトの香りを嗅いで、黒猫が鼻筋に皺を寄せた。

「……また、逃げられているな」

苦々しい声で呟くゴウトの傍ら、刀を振るって雫を落とすライドウが立つ。

周囲には、女の身体の腰から下を芋虫に変じさせたおぞましい妖虫『オキクムシ』が無数に倒れ伏し、やがて絶命した順に次々とマグネタイトへ還っていく。
ライドウの目の前にも金属質の人型悪魔が立ち尽くしていたが、それもまた全ての妖虫が消えた後に消滅した。最後まで名前の分からぬ正体不明の存在だったが、ライドウとの一騎打ち、勝てる要素は一つも無かった。

「お疲れ様でした。戻って下さい、――『フロストファイブ』」
「「「「「ヒー! ホー!」」」」」

それぞれ色違いのジャックフロスト五体一組。声を揃えて勝鬨を上げると、ライドウが左手に持つ携帯用小型COMPに帰還する。
属性耐性が優秀過ぎる彼等の戦闘結果に満足すると、前を歩く黒猫、ゴウトの後に続いた。

そこは何も置かれていない倉庫の一角。
あるのは広々とした空間だけで、天井に備え付けられた照明が無機質な色で床や壁を照らしていた。

「見事に何も無いな」

倉庫内の床をよく観察すれば、大きな何かの置かれた痕跡を見て取れる。一つや二つではない、だが今は目に映る機材が一つも見当たらなかった。
大型の機材、またはそれに類する何かが複数。此処に設置されていただろう全てを、ライドウ一行がこの場に辿り着く僅かな時間で運び出せたとは思えない。手段があるとすれば、どこぞで開発された容易に機材の運搬を行える魔術か道具、そんな所だろうとゴウトは当たりを付けた。

もっとも空振りに終わった現状を見れば、そんな推察に大した意味が無いと分かってはいたが。

「物が無い。居る筈の『歌姫』も居ない。……また、届かなかったか」
「落ち込まないで下さいゴウト。ライドウも、もっと頑張ります」

ライドウの慰めに軽く尻尾を振り、踵を返す。

ファントム・ソサエティとその関連企業が出資する事で建設された多数の商業・娯楽施設。
丁度、ファントムがヤタガラスに敗北した一年程後から新規に経営を始めた店舗群。ここ数年の内に少しずつ、他組織に怪しまれない程度のペースで増えていく内の、市内で新規出店していた一軒のゲームセンター。その倉庫内にファントムの構成員が出入りしているという情報を手に、足を踏み入れたのだが。

結果は空振り。正確には、また何も掴めずに終わった、だ。こういった失敗は今回が初めてではない。
ライドウ一行の行く手を阻まんと現れた悪魔の群れを駆逐する、本当に短い時間で逃げられてしまった。
今度こそは。そう思っていただけに少々落胆が大きい。

「此処は多数ある内の一つ。まだ手はあります、ゴウト」
「ああ、そうとも。諦めるわけにはいかん」

悪魔関係者に対する隠れ蓑か、国中に乱立するファントム関連の一般施設群。いくつあるかも分からないそれらの内奥、一般の人目に触れない区画で行われている何らかの計画の一端。――この国由来の悪魔の召喚儀式。

つい二日前にも鬼女『ヨモツシコメ』を倒し、それ以前にも何件も。繰り返すがファントムの用意した商業・娯楽施設群は国中に点在しているのだ。隠れ蓑と本当の一般用施設、総計すれば余りにも数が多過ぎるせいで、ここ一、二年程はヤタガラスの戦闘員全てが日本中で戦っている。
何のための儀式かさえ判然としないままだが、それでも放置するわけにはいかない。
計画とやらの詳細も不明。今度こそはと思っても、今回含めて全てが空振り。

現状は完全に後手に回っている。明らかに、相手が先手を取り過ぎていた。

一体いつから事の準備を始めていたのか。ファントムが一度事実上の崩壊を迎える以前からだとすればそれは、数年前にヤタガラスが受けた被害全てが奴らの企む異変の収束に役立てなかったという事にもなる。
もしもあの時の敗北さえもがあちらの思惑に沿って『演出』されたものだったのなら。
老若男女を問わず、犠牲になった者達に顔向けが出来ない。

小さく歯噛みする黒猫を余所に、少女ライドウもまた考えていた。

ファントムとガイアの秘密同盟。彼等によって行われている何らかの計画。その要たる『歌姫』という存在。
怪しい。胡散臭い。意味不明。ライドウ自身、もう数ヶ月の間 嗅ぎ回っているのに、得られたものは断片的な単語だけで計画の内情が見えて来ない。これは少々おかしい。どんな機密もやがては漏れるもの。情報を完全に隠匿出来るという事は、漏れる以前に知っている者が少な過ぎるのではないか。誰もがそう考えてはいるのだが、こうして端緒を掴める寸前までは行く事が出来る。だが掴めない。化かされているような気分にもなる。

まさか泳がされているのか。
わざと情報を流して、喰い付くこちらを観察し、確かな成果を掴めない焦燥感で動きを鈍らせる?
わざと情報を流して、それが実は偽情報で、何かがあったと見える先程の倉庫も実際はそれらしい細工をしていただけ?
わざと情報を、わざと――どうやって?

ヤタガラスの情報部は優秀だ。数年前、今代ライドウが襲名する以前に起きたファントム騒動で人数を減らし、だからこそ数の補填と質の維持に努めている。情報部は間違いなく優秀だ。なのにそこから渡される情報がファントム・ガイア同盟の望む、こちらを躍らせる為の見せ札として機能するのだろうか。

するのなら、そんな事が有り得るのなら。
もしも出来るのだとしたら、それは――。

「ヤタガラスが、敵に回っている……?」

根拠も何も無い、戦闘以外の経験が不足している未熟なライドウが偶然に弾き出した推察だ。間違っている可能性は高い。
だがもしも、相手の居場所を察知した上で何の手応えも得られない不気味な戦果の連続が、誰かにそう望まれて作られたのならば。ヤタガラスから渡される『情報』という、自分達の行動の根本要因からして徹底的に仕組まれたものだとすれば、ライドウ達が何も成せず、召喚された悪魔の討伐以外成功していない現状にも説明がつかないだろうか。

ゴウトもライドウも共に祖国を守るヤタガラスとその構成員全てを仲間と思い、彼等を疑うなど欠片も想像していなかった。だからこそ、本来この思考は盲点となり得る。もしもライドウの推察が当たっていれば、今までの全てに納得出来る。出来てしまう。

否定したい。間違っていて欲しい。そう思って口を開く。

「ゴウト、ライドウは怖い事に気が付きました」
「むっ、どうした?」

これから自身が口にする言葉の一切が、ゴウトによって否定されれば良い。
そう思いつつも、ライドウの右手は緊張したまま、握った刀を鞘に納める事さえ出来なかった。





不意に少女から聞かされた言葉に、彼女の髪を整えていた女性が動きを止める。

「え?」

日常生活において少女の世話をする役目を押し付けられたサマナー兼 芸能マネージャー、鏡という苗字の女は呆けたように口を開く。開いたまま、まともな返しなど出来なかった。
芳しくない反応を検知して、少女はもう一度同じ言葉を繰り返す。

「チケット、あげちゃいました」
「あげちゃったの、……そう。……そう」

自身の物言いに色の無い声で相槌を打ち返す鏡に対して、常の笑顔を浮かべた少女は何の反応も返さない。

いつもそうだ。少女『ツクヨミ』は、初めて出会った時から鏡に対して興味を示した事がない。なにくれと世話を焼いてあげても、まるで出来の良い人形のように、賛意も反意も見せる事無く、流されているだけ。
そういう風に出来ている。
そんなツクヨミに対して乏しい善意を振り絞り、まるで姉のように接してみたが、やはり少女は変わらない。自分は等身大の人形遊びでもやっているのか、と仄暗い想いを抱いても、任されたマネージャーとしての仕事から逃げる事は出来ず、接している内に次々と湧いてくる身勝手な哀れみから再度少女に構ってしまう。いつもその繰り返しだ。

所属組織ファントム・ソサエティの意向によってアイドル活動を行っているツクヨミ――『MIKOTO』のライブチケット。人気絶頂と言っても差し支えない彼女の晴れ舞台、たかがチケット一枚と軽く扱えない高額で取引されているその紙切れを以前、鏡から彼女に渡していた。

『お友達にでもあげなさい』

口にしたその時さえ思ったものだが、我ながらなんと酷い台詞だろう。
生まれた時からファントムの駒で在り続けた彼女が個人として関われる相手なぞ、組織に属する者達に限られる。何を考えているのか、ファントムからはアイドルとしての価値を貶めないように、と万全の警護と恵まれた私生活を許されているが、出生以降、真っ当な対人関係を築いた事の無い彼女に本当の意味で私生活などあるわけがない。

友人を欲しいと望む当たり前の情動さえ、――『造魔』であるツクヨミには存在しないのに。

「ど、どんな子なの?」

彼女に対して優しく接する行為の全てが、鏡のつまらない自慰行為だった。
善意を施す事で何らかの利益を得られるわけでもないのに、それでもやらずにはいられない、己が弱さの発露に過ぎない。
右足に嵌められた足枷型COMPを苦々しく思う。
所詮は組織に縛られた奴隷の分際で、感情を持たない人工生命を相手に姉妹ごっこ。まったくもって笑えない。ツクヨミは自分の事なぞ己の所有権を持つファントムの一員としか思っていないだろうと分かっているのに。分かっているというのに。

「……ニコニコしていました」

両目を表す二つの黒点と、下弦の曲線。
チケットを渡した相手。彼の顔を隠す仮面に描かれたニコマークを思い返し、ツクヨミは目にしたままの印象を語る。

「そ、そうなの……?」

造魔は素直だ。
ツクヨミは与えられた言葉に従順だ。
心を持たぬ『虚心』の性質。所有者の命令に従うだけの、逆らう理由を持てない人造悪魔。

友達に渡せ、と言われればそうするだろう。つまりは、ツクヨミの認識の中で、チケットを渡した相手は『お友達』のカテゴリに属するだけの理由がある筈。
聞きたい。だが聞きたくない。矛盾した気持ちに頭を悩ませたが、結局は会話を続けてしまった。

「どういう出会いだったのかなー、って?」
「普通です」

普通とは何だ。

鏡は頭痛を堪えて考える。造魔である少女にとっての普通とは何か。
ファントムの研究部で製造された造魔『ツクヨミ』。必要な知識を与えられ、鏡というマネージャーと各種必要なスタッフを取り揃えた上でのアイドル活動。必要最低限の指示や命令以外に会話と呼べるものなど、鏡から一方的に行われる不器用な対話だけ。

ああ、普通とは一体何なのだろう。どういう形をしていただろうか。
自分の中の認識が崩れていく不安を覚えて、鏡は何と言えば良いのか分からなくなってしまった。

悶える専属マネージャーを放置して、ツクヨミは目の前の大きな化粧鏡を見つめる。

生まれた時、――製造された時から変わらない自身の姿。
生後僅か二年程度の、人間と形状違わぬ『完全造魔』。ファントム・ソサエティとガイア教団が同盟を結んで推進する計画の要。

ファントム関連企業からの出資によって出店しているCDショップ、その隠された裏側に通じる一本道で出会った相手を思い出す。
『虚心』。
無心の意。心の無い事。完全造魔たるツクヨミと同じ――?

薄く笑う、表情が消えた。

「……本当に、来ないと良いのですが」

お友達にあげなさい、と言われても。
ツクヨミは困ってしまう。

告げられた単語一つだけど、自分と共通点を持った、初対面の正体不明。変なお面を被って顔を隠す、可笑しな格好の、いわゆる不審人物。
そんな相手はきっと、お友達とは呼べない。だけど、手持ちの小さなポーチに仕舞っておかれたチケットを渡すのならば、きっと目の前の人が良い。ツクヨミはそう思って差し出した。

言葉で二度促せば、ようやく受け取ってもらえた。
でも来て欲しくない。
――『其処』はきっと、世界を終わらせる場所だから。

「きょしんさん」

自分はきっと、生まれて初めて他人に、『人間』に興味を持ったのだ。
あの可笑しな人間を切欠として、造魔ツクヨミは初めて情動らしき何かを芽生えさせた。
大きく描かれたニコマークが良かったのかもしれない。そんな他愛の無い思考さえ生まれてくる。

もしも次に会えたなら、あのお面の下を見てみよう。
叶わない未来だと知っていたが、それでも良い。

生まれて初めて抱いた小さな願い事を、人と寸分違わぬ形をした一人の悪魔が諦めた。
その表情がいつもの作り物とは違う不器用な笑顔を浮かべていた事に、気付いた者は誰も居ない。

世界が終わるまで残り七日。
残り僅かの平穏な日常。聖者降誕を祝う 目出度きこの日に、作られた命が作らぬ笑みを頬に刻む。
抱いた願いが叶う日を思い描く事も無く、一人の少女が笑っていた。





もう少し虚心っぽくしておくべきだったかと頭を悩ませる第十八話です。
カップ麺にご飯を入れるライドウ。主人公にはじめてをあげるアイドル。どこで差がついたのでしょうか。
とりあえずヒロイン関連は難しく考えずに書いていこうと吹っ切りました。

続く気がするのですか。


※2014/12/30投稿
※2015/01/03脱字修正



[40796] 第十九話 めりくりの日
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/07 23:53
聖堂内にはクリスマスを祝う歌が響いていた。

メシア教団主宰の降誕祭。
一般にも開かれた大聖堂、集った信徒達は数多い。
宗教とは縁遠いこの国で、聖夜のミサが満席状態とは、教団が多くの人々に受け入れられている証明だろう。
沢山のキャンドルに照らされた聖堂内は、美しく神秘的な光景。聖堂の片隅でミサの進行を見守るサマナーも、こんな行事は面倒臭いだけだ、とは言い切れない心持ちだった。

『ぬおおおっ、これが我を讃える祭事であれば……っ、いや、いっそ此処で偉大なる我が降臨すれば』

――ああ、間違いなく大惨事だな。

COMP内で愚痴を吐き出すスライムを押し留め、聖堂内を一通り見渡す。
老若男女問わずとはいうものの、席を埋める信徒は老人の方が些か多い。教団による地域貢献の成果か、まさか教団の祭事にこんなにも多くの人間が集るとは思ってもみなかった。
ミサの進行に沿って聖典の朗読を行うアデプト・ソーマも、いつもより額の皺が少ない。
人助けをしていなければ呼吸が止まると言わんばかりの仕事中毒があんなにも安らいだ顔を見せるとは、成程、今日のこの日は聖夜と呼ぶに相応しいと言えた。

ミサのために用意されたメシアンの正装、その懐に指を当てる。
軽い紙片の感触を得て、あのツクヨミと名乗った少女もクリスマスはアイドルとしての仕事に精を出しているのだろうか、と相手の予定も知らずに考えた。

天津神『ツクヨミ』。
国産みの父神『イザナギ』が黄泉国から帰還した後に、身に纏う穢れを祓う禊を行う際、父神の右目から生まれたとされている。――夜を統べる、月の神格。
天に君臨する神の一柱と言えば偉大な存在に聞こえるが、ツクヨミは独自の神話と呼べるものは持たず、精々が豊穣神を殺害した際にその神の死骸からあらゆる食物の起源が生まれ出た、という程度。それさえも記述によっては他の神格に配役を取って代わられる場合もあり、そもそもが機嫌を損ねて友好的な神を殺したという話だ。どう取り繕っても物語の端役に過ぎない。
ツクヨミである必要さえ無い食物起源神話の一幕。これが一番有名かもしれないが、到底 月の神格が活躍する話とは言えなかった。

ならば他に何があるかといえば、――特に無いのである。
月の満ち欠けを死と復活になぞらえて不死信仰に繋げる話があっても、直接的にツクヨミという名の神格が出張る物語とはならない。
ならば彼の神はどういう神格なのか。
何が出来るのか。
何を望むのか。
関わる一切が神話においても語られる事はなく、ただ古き時代より多くの人々に愛され信仰される美しき天体としての『月』、その象徴たる神格として名を知られるのみ。
男神として扱われるのが一般的だが、実は性別さえ不明だった。

そんな不憫な神様と、彼女は関係があるのだろうか。

偶然の一致だというのなら、それで話はお終いだ。只の人間にしか見えない彼女とは、濃密な活性マグネタイトの立ち込める通路で出会わなければ、きっと言葉を交わそうとも思わなかっただろう。
不思議な雰囲気の少女だった。表情が消えてからは一層、サマナーの意識を惹き付けた。
今までに出会った事の無いタイプと言える。こんなにも彼女が気になるのは、何故なのか。

目の前の祭事とは関係の無い事で頭を悩ませるサマナーを見て、スライムが言った。

『オスザルよ、貴様 少々あの小娘に拘り過ぎではないか。よっ、よもやまた一目惚れとは言わぬよな!?』

――いや、あれで抜き身の日本刀でも持っていたらやばかっただろうけど。

そこまでされれば、流石に惚れていたかもしれない。
一人で考え込む余り、スライムへの返答も適当になるサマナー。さらりと聞かされた謎の性癖に硬直するスライムは、言葉にならない驚きで最早何を言えば良いのか分からなくなってしまった。

『……オスザルよ。その、だな? あまり気の多い男は良くないと思うのだよ我は、うん』

未だに緋熊へのプロポーズを真実だと誤解している外道を放置したまま、ミサの進行は順調だった。
準備に駆り出された身としては、このまま最後まで問題無く終えてほしい。
だが実はこの後に、悪魔関係者であるメシアン総出で天使を交えたミサが執り行われるのだが、サマナーとしてはそちらだけはどうにかサボりたいと考えている。しかし今は席を外しているパワーが凄く楽しみにしていたので、きっと叶わぬ願いだろう。

きよしこの夜。
一年の終わり。サマナーとなった以降は酷く慌しい日々の連続ではあったが、悪くない。

本日の行事が全て終わったら、スライムにケーキとワインでも振舞ってやろう。
珍しく仲魔を気遣う気持ちで、とあるサマナーのクリスマスが過ぎていくのだった。





その頃メガネは相変わらず引き篭もっていた。

月の初めに異界で別れて以降、全く音沙汰の無かった自身の友人、スライムサマナー。
ようやく彼の無事を知れたと思えば、知らせてくれた相手はガイア教団所属の凶獣『緋熊』。はてさて彼は一体どうやってこの熊と仲良くなったのか、メガネを掛けた中年男は己が友人のコミュニケーション能力に驚嘆するばかりだ。

今はメシア教団に所属しているため直接の連絡は取れない、と友人からの手紙には書かれていた。
それでも無事を知れて良かった。友達が彼しか居ないメガネは心底から安堵して、手紙を渡してくれた緋熊に礼を言う。

そしたら殴られた。
彼女曰く、「なんかムカつく」だそうだ。実に理不尽である。

常に猫背でぷるぷる震えて、どもり気味の口調に顔色の悪い痩せっぽち。自分が人に好かれない人間であるとは理解していたが、まさか罵倒より先に拳が飛んでくるとは。インテリ系のメガネとしては生まれて初めての経験だったが、生きていくのに決して必要の無い経験だった。
しかし自分一人しか居なかったメガネ宅に、友人とその仲魔であるヘドロ生物以来の来客だ。唐突に殴られるという理不尽な体験は捨て置いて、メガネは彼女を歓迎し、自宅へ招く。

そしたら殴られた。
彼女曰く、「塒に連れ込んで何するつもりだ!?」だそうだ。自意識過剰である。

常に猫背でぷるぷる震えて、どもり気味の口調に顔色の悪い痩せっぽち。自分が人に好かれない人間であるとは理解していたが、冬眠に失敗した空腹状態の熊が擬人化したような女を自宅に連れ込んで猥褻行為に走る倒錯趣味と思われたのは初めてだった。異性と縁の無いメガネとしては生まれて初めての経験だったが、余りにも新鮮過ぎて二度と無いだろう経験だった。

ここで緋熊のCOMPからヴィーヴルが登場。

話が進まないから自分が仕切る、と笑いながらメガネの自宅に上がり込む龍王族を見て、メガネはむしろ自分が身の危険を感じるべきなのではないか、と思ったが、また殴られそうだったので口を閉じる。
客に出せるものなど、常備している おでん缶やカップ麺くらいしかないメガネ宅。友人が買い置きしていた缶コーヒーをテーブルにコトコト並べれば、緋熊は遠慮せずに二本飲んだ。仕方無いのでもう一本取り出してヴィーヴルの前に置く。

彼女らからの話を聞く内に、頭の出来だけは他者に優るメガネはしっかりと事情を把握した。
要約すれば、――メシア教団に捕まりながらも教団内で一定の身分を得た友人が、目の前の雌熊を口説き落とすという快挙を成し遂げてしまい、熊というか熊の仲魔であるヴィーヴルはガイア教団から離脱するための地歩固めの最中だ、という事か。

二人がメガネに会いに来たのもその一環。悪魔使いとして、信頼できる邪教の専門家との縁は絶対に必要なものだ。
たった一人の友人からの紹介であるならば無下には出来ない。ガイアーズに対する隔意を持ち合わせないメガネは、快く彼女らを受け入れた。

「じゃあしばらく此処で厄介になるから」
「さ、流石にそこまで一気に来るのは予想外だよ、予想外だよー……」

笑顔でこれからの予定を告げたヴィーヴルに、メガネは戦慄した。
目の前の悪魔は笑いながら周囲を振り回す傍迷惑なタイプだ。そして緋熊と呼ばれるガイアーズの女もまた、評判から考えれば周辺一帯に被害をばら撒き、その上で自分だけは生き残る死神タイプである。
精密機械等、前提知識を持たない素人が触れては困る物の多い自宅に泊めるのは、正直に言えば御遠慮願いたい。
今更断っても無駄だと、分かってはいたのだが。

ちなみに男の家に泊まると聞いた緋熊が怒鳴り散らして反対したが、ヴィーヴルに丸め込まれていた。
何故にこんな猛獣を口説いたのか。友人の守備範囲の広さに脂汗を流しながら、メガネは緋熊が寝泊りする部屋の用意に取り掛かるのだった。

日は過ぎてクリスマス。

聖夜だというのに外出の予定など一切無いメガネと、酒を浴びるように呑む緋熊と、その仲魔達を合わせた五人は揃ってケーキを食べていた。

「サマナー、彼をデートに誘えなくて残念だったわね?」
「べっつに、そういうつもりじゃなかったしー……」
「大丈夫ー、僕達がついてるよーサマナー」

くだを巻く熊と、彼女を慰める仲魔達を眺めて、メガネは一人ケーキを啄ばみながら新しいCOMPを弄っていた。
共に祝う相手は少々バイオレンスだが、ここ数年は全く無かった年間行事における団欒に、メガネも少しだけ心が弾んでいる。

数年前のファントム騒動。
ファントム・ソサエティとヤタガラスの共食いに紛れて、メガネは組織を離脱した。
正規の離職手続きなど行っていないし、その程度の余裕も当時のファントムには無かった。だからこそ抜け出す事が出来て、今も組織から追われる事なく細々と暮らせている。

ファントム上層陣が何を企み、護国組織であるヤタガラスがどうやってそれを食い止めたのか。
メガネは全てでなくとも一通りの事情を知っていたが、それらは既に終わった事だ。

当時ファントムに所属していた研究部の一職員。能力相応の待遇は受けていたが、両組織間の戦争染みた殺し合いを見た後でも組織への貢献を惜しまぬ、などと言えるだけの忠誠心は持ち合わせていない。メガネは優秀な技術者だが、ファントムの組織規模を考えれば代わりの利かない人材という程でもなかったのだから、組織内の混乱を放置してまで引き止める者も居なかった。

ヤタガラス陣営の天津神『ツクヨミ』と、ファントム・ソサエティ有する魔王『ヘカーテ』。

主力悪魔同士の衝突によってファントム本社ビルの上半分が煙の如く消し飛んだ瞬間、メガネは己が全霊をもって現職を辞す決意をしたのだ。
邪教に手を染めた事を後悔はしない。今更になって修めた知識と技術を捨てるつもりも無い。
だがあれは無理だ。あのような戦いは、自分が手を出せる領域には無い。

ダークサマナーの巣窟であるファントムに隔意は無かったが、忠誠心とて欠片も無い。組織と共に潰える覚悟など、持っていないし持てる気もしない。共倒れした両組織には今後も関わりたくないと思っていたが、さて。あの偉そうな外道スライムの物言いから考えれば、メガネの友人はいつかきっとあのような大騒動に飛び込む事になるだろう。
その時 自分が逃げずに手を差し伸べられるのか。メガネは少しだけ自信が無かった。

設定の終了したCOMPを作業机の上に置く。
『アームターミナル』と呼ばれる、携帯性を向上させた片腕に取り付けるCOMPだ。
メガネ謹製の乳母車型COMPを非常に気に入っていた友人とスライムだが、やはり乳母車などという斬新な形状は不都合が多い。大型サイズに比例して他のCOMPの数十倍の機能拡張を実現させた万能性には大きな魅力があるが、技術者の端くれとしてはやはり多機能と携帯性を両立させた良品を手渡したかった。

本当は、年下の友人へのクリスマスプレゼントに、などと考えてはいたのだが。

「へ、ヘドロ君のマークでも入れておいてあげようかな、あげようかなー」

要らぬ気遣いを発揮して、額に浮かんだ汗を拭う。
空調が利き過ぎて少し暑い。室内に視線を巡らせれば、緋熊一行は揃ってワインの一気飲みに興じていた。

正直、緋熊が来た時はどうなる事かと思ったのだが。
意外と世の中なんとかなるものかもしれない。そう楽観的に考えて、メガネもまた手元のグラスを飲み干した。





気が付けば全編通すとそこそこの分量に達しつつある当SS、第十九話の投稿です。
そして忘れていたメガネの登場。このペースでいくと最終回が微妙に遠いです。

続くのかどうかわからないです。


※2014/12/31投稿
※2015/01/07誤字修正



[40796] 第二十話 ライドウは変身するたびにパワーが増します
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/01 23:55
計画の進行は順調だった。

余りにも順調過ぎたが故に、首魁である魔王『ヘカーテ』が「トラブル無しでは面白くない」と面を歪める程、目論む全てが計画通りに進んでいた。

ファントム・ソサエティから各種関連企業を動かし時の政府へと経済面からの干渉を行い、積み上げた多額の金銭をもって腐るような緩やかさでヤタガラスの活動を徐々に麻痺させる。
国内に用意した無数の一般施設群の裏側、其処で召喚させた日本由来の悪魔達はヤタガラスや他組織に対する良い目眩ましとなり、それと同時に現代日本を妖や神格が闊歩して当然の霊的土壌へと作り変えていく。
召喚悪魔に紛れ込ませた多数の国津神が滅ぼされる事で、神話における『天津神への国譲り』を擬似再現する段階も過ぎ去った。

古巣であるファントム・ソサエティはヘカーテの意のまま、ガイア教団は上に立つ人間を軒並み食い尽くして後は有象無象がへりくだるのみ。メシア教団などトップが現状維持にしか目の行かぬ凡骨であれば、軽い脅しで事足りた。

あとは最も重要な、造魔『ツクヨミ』を依り代とした神事を執り行えば、魔王の望む計画の一切が完了する。

ファントム・ガイア同盟が吐き出した総資産は今後の組織的な経済活動を絶望視させる額となったが、ヘカーテは人間共の有り難がる現世の金になど興味が無い。関連企業のほぼ十割が破産同然の状態に陥ろうと、所詮はやがて滅ぶ世界の出来事、気にする必要は無いと笑うだけだ。

「もう少しだ、『ツクヨミ』。貴様に砕かれた我が霊体、その献身をもって癒して貰おうぞ」

数年前に起きたファントムとヤタガラスの決戦、その最終局面において敗れたのはヘカーテだった。

戦いの傷痕によって弱り果てた魔王は、それでも高位悪魔の意地をもって生き延びた。契約者を失い、半身を腐らせ、欠乏したマグネタイトを生存のために食い潰し、ガイア教団に流れ着いてようやく命を繋ぐ。魂を焼く怨念は数年の時を経て、ようやく果たされた。

己を打ち倒した忌々しい天津神。
勝利し、生き延び、現世に居残り続けた彼の神格を捻じ伏せた際の喜びは、筆舌に尽くしがたい。
ヘカーテの罠に嵌まった己の契約者を助ける為に隷属を良しとした善良ささえも、怨敵を蹂躙する悦楽をいや増す材料に過ぎなかった。
果ては造魔の製造素材として使い潰され、生まれ出たモノとてヘカーテの欠けた霊体を取り戻すための駒の一つだ。

「――嗚呼! もはやこの腐った半身には愛おしささえ感じるぞ、ツクヨミ!」

力を取り戻すだけならば、適当な悪魔との合体を繰り返せば済む。
だがそれでは充足感が足りない。怨敵であるツクヨミを用いた計画によって取り戻すからこそ、好い!

名を呼び語りかける相手が目の前に居ない事など、どうでも良かった。ヘカーテが憎み、恨み、遂には捻じ曲がった熱い執着心さえ抱く月神は、既にこの地上のどこにも存在しないのだ。既に居ないからこそ、情愛にも似た熱意がある。消えた者への蔑みと哀れみは、ヘカーテの中の圧倒的な征服感を掻き立てた。

魔王がその身を浸す液状化マグネタイトの浴槽も、もう間もなく必要ではなくなる。
傍らに侍る獣と女が、主の歓喜の念を受けて笑みを浮かべた。

あとは復活後の戦だ。

護国組織たるヤタガラスを機能停止させたとはいえ、当然ながら所属する全ての人員が動きを止めたわけではない。
個人で動く者達は居るだろうし、知識と経験を備えた彼等が手を取り合えば烏合の衆とは呼べない力となる。

更には国の首都を守る鬼神、六欲界第一天における四天王。
皇居に居座る帝都の守護神、破壊神とも称される首塚の猛将。

国に残された最後の要たるソレ等が居れば、きっと楽しい事になるだろう。
怨敵の成れの果てを用いて己の霊格を取り戻し、訪れる狂乱の最中にあって尚この国を守ろうと奮戦する強大なる敵手も控えている。

計画の進行は順調だった。
今在る世界を諸共砕き、混沌の時代を制して君臨する。魔王ヘカーテはそれが出来るだけの準備を重ねてきたのだ。今更止められる者など居るわけがない。

笑う悪魔と、追従する眷属達。
計画の成就は目前だった。





途方に暮れていた少女と黒猫の前で、男が笑った。

「――手を組まないか、『葛葉ライドウ』」

素肌の上に夏物のジャケットを羽織る、サングラスを掛けた偉丈夫。
ファントム・ソサエティに所属するダークサマナー、ジョージ・バットマン。

「組織としてのヤタガラスが押さえられた以上、お前も手が足りんだろう?」

少し前に、葛葉宗家が政府筋と揉めている、という話があった。
先日の一件で、ヤタガラスからライドウへと齎される情報の信頼性が揺らいでいた。
そして今、ファントムからの大規模な経済的干渉によってヤタガラスがその機能を停止している現状を、確信してしまった。

物質的・金銭的な充足こそを第一目的とした現代の物質社会において、上限を問わぬ額の金銭を積み上げれば、出来ない事などまず存在しない。
国の霊的守護を担うヤタガラスとその関連組織一切の動きを縛る為に、ファントムは関連企業を通じて政府筋からあらゆる圧力を掛け、ヤタガラスを活動不能にさせるという目的の半ば以上を成し遂げた。

結果としてヤタガラスは動けない。この国は今、霊的な観点から見れば瀕死の状態に陥っている。
国が滅びるほどの『何か』が起ころうとも、それを止めるための行動全てを封じられている。
帝都を守る四天王や守護神も、日本全土には手を伸ばせないのだ。このままではどうなるか、想像するだけでライドウの肩が震えた。

一体どれだけの金が動いたのか。
ファントムと繋がる企業連合、その全てが経済的な困窮状態に陥るような金額が動いたのではなかろうか。古くから続く護国組織の全活動を停止させてしまうなど、此度の所業、ある意味では国一つを買い上げたに等しい。
それはなんと馬鹿げた話だろうか。

ファントム・ソサエティはこの国を滅ぼす気かと口にすれば、与太話だと笑う事の出来ない絶望的な窮地。

「……ライドウ達だけでは、お国を助けられません」

泣き出しそうな顔で俯く少女に、黒猫が擦り寄る。
お前の責任ではないと言うのは簡単だ。だが慰めの言葉だけで動かせるほど、容易い状況ではない。
このままでは日本という国が滅ぶ。ファントムとガイアの企み如何によっては、という予測段階さえとうに過ぎて、最早何をやっても滅ぼせる寸前に来ているのだ。

苦境にあるライドウ一行。其処へ図ったように現れるファントムのダークサマナー。

さて目の前の男は敵か味方か。瀕死ではあっても寸前で生き残っている現状を、崩すわけにはいかないというのに、持ち掛けられたのは明らかに裏のある交渉だ。しかしこの場で協力か拒絶か、どちらにせよ選ばなければ前へは進めない。
男がファントムからの刺客だとしても、ようやく眼前に捉えた相手を放置するわけにはいかないのだ。

「……ゴウト、申し訳ありません」
「構わん、お前の良いようにしろ」
「はい。ありがとう、ございます」

瞼を下ろし、両目を見開く。
小さく言葉を交わして答えを出して。ライドウが一歩、前へと踏み出す。

「ふむ、決まったか――」

鞘に納められたままの日本刀『赤口葛葉』が一閃された。
言葉の途中で反応さえ許されなかったバットマンが地面に叩き伏せられ、目元を隠していたサングラス型COMPが砕け散る。

10メートル程の距離、手練れであれば一息で詰められる間合いだ。気が付けば地面に倒れ伏していたバットマンは、先の一撃に遅れて全身を蝕み尽くした激痛によって呼吸さえ止まり、次いで首元に添えられた抜き身の刃を察知する事でようやく事態を認識した。

「こッ、交、渉ハ……ッ!?」

息が出来ぬままで吐き出した ぶつ切りの声に、見下ろす黒瞳が緩やかに燃えていた。

「ライドウは脅迫には屈しません。まずは九度 殺し、九度 黄泉帰し、気が向きましたらば其の都度 情報の御提供を願います」

――貴方が素直になられるその時まで、不肖この葛葉ライドウが御付き合い致します故。

閃く銀光さえも見えぬ、刹那の連斬。
バットマンの鍛えられた体躯を瞬時に解体し切り、血に濡れる事も無い美しい白刃を翻したライドウが左手でCOMPを操作する。

『SUMMON DEVIL』
「『ピクシー』、サマリカームをお願いします」
「う、うんー、良いけどさ……。なんかさ、ライドウさ、超キレてなーい?」
「全然全く一欠けらたりとてキレてなどいません。ライドウは我慢強い子だとゴウトも言っていました」
「そ、そーねー……。はーい、『サマリカーム』だよーバラ肉さーん」

蘇生魔法の輝きの中から、完全に修復されたバットマンの肉体が現れた。
嘆きの川から現世へと強制復帰させられた哀れな虜囚が口を開くより二拍ほど早く、――再度の斬撃が彼の大柄な体躯を舐め尽くす。

「――げぁっ、」
「あと、八度。……です」

淡々と殺害と蘇生を繰り返す少女の姿に、「思うままに行え」という許可を与えた黒猫が行儀良くお座りした体勢で小さく呟いた。

「これもまた成長、という事で良いのだろうか……?」

良くは無い気がする。凄く、良くない気がしてまう。
だが色々と大切なものを吹っ切ってしまったらしい当代ライドウの雄姿に、背を押した形となるゴウトは何も言えないまま、大人しく状況を見守る事しか出来なくなってしまうのであった。





あけましておめでとうございます、第二十話です。
第二話以降の投稿も我ながら予想外でしたが、まさかこのSSの完結が年を跨ぐとは想像していませんでした。
そして少しですがやっと強そうな描写が出来たライドウ。これだけやってもお国のためなのでLIGHT属性です。本当です。

今年も続かないですよ。


※2015/01/01投稿
※2015/01/01脱字修正



[40796] 第二十一話 尊き月の夜を見て
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/02 00:01
緋熊の振った拳が、悪魔の肉体を引き千切る。

「うぉっ、うぉれは、沈んでいるのかぁあぁぁ――!?」

悪魔の断末魔さえ聞き慣れた、もはや何度目かも分からぬ異界巡り。
自分より圧倒的に強い緋熊とその仲魔達を頼りに、今日も今日とてサマナーの強化訓練が行われていた。

「エグゼクターよ、私とて貴方のお役に立てると思うのです。女性にばかり任せておらず、我らも前に立ちましょう!」

張り切るパワーはサマナーの護衛役だ。
殺害された悪魔が撒き散らすマグネタイトを全身に浴びる事で、先月まで一般人であったサマナーも着実に強くなっている。

だが全く足りない。

現状では相変わらず前衛に立つ緋熊との実力差が明確で、仲魔であるパワーとの差も中々縮まらない。こんな事ではメシア教団を抜け出せる実力などいつ手に入る事か。手始めとしてパワーを殺す為の強さを求めているという真実を知らない天使が張り切る声を聞き流し、頑張る熊を労いに向かう。

――やっぱり、緋熊さんって凄く強いんですね!

今日の気分は憧れの先輩へと興奮交じりに声を掛ける健気な後輩君(推定中学生)である。

「あ、ああっ、まあこれくらいはな!」

にこやかに話しかければ、熊が照れた。
仮にも女性の端くれとして、異性へのアピール方法が悪魔に対する殺害性能の顕示というのは如何なものか。そんな内心を押し殺し、役に立っているのは確かなのだからとサマナーは感謝と労いのために飲み物を差し出した。当然だが毒物入りではない、普通のスポーツ飲料だ。

照れ照れと頬を染めながら豪快な一気飲みを披露する熊を見て、男の前なのだからもう少し振る舞いに気を遣えよとナタタイシが頭を抱えた。果たして本当に異性を意識しているのか、疑わしくなるような男らしい態度である。
熊だから仕方ないよね、と全てを受け入れる姿勢のサマナーは、意外と緋熊との相性が良いのかもしれない。

「討伐の調子は良いのだがなあ。まだまだ我が霊格を取り戻すには足りておらぬ」

小型のソリに乗せて引き摺られているスライムが呟いた。
元々が信仰を失いつつあった神格とはいえ、この国由来の国津神。将来的に神として完成したスライムが有する霊格は、今この場に居る誰よりも上位に在る。
その為に必要なマグネタイトなど、たかだか一月そこらで収集し切れるわけもない。腐っても鯛、零落しても神だ。神そのものではなく神力の残り滓であるからこそ、スライムが神を名乗るに足る御姿と神格を手にするには、本来以上のマグネタイト量が必要だった。

要するに、もっと頑張りましょう、という事だ。

「やはりあの乳母車が良いなあ。プラスチックのソリではなあ」

サマナーが色々考えている傍らでも、渦中のスライムはこんな調子である。
緊張の糸が切れているというべきか。安全の確保された戦闘、身を脅かすものの存在しない境遇。サマナーがメシアンとなった当初は思う所もあり消沈していたのだが、慣れてしまえばこのざまだ。
己が唯一の信徒が飛躍を諦めていない事を知っている。今は力を蓄えるため、地道な努力を必要とする段階だ。だから多少は仕方が無いのだろうが。

――お前も少しは働けよ。

ソリに乗せられ、サマナーに引き摺られ。
スライムは何もしていない。

戦っているのは男に良い所を見せたい熊とその仲魔。パワーはサマナーの護衛。サマナーは戦闘の観察を行うが、実力差があり過ぎるせいであまり勉強にならない。それでも何もしていないのはスライムだけだ。

「ふふん、良いのか? 偉大なる我が戦線に立てば、『たたり生唾』とか使ってしまうぞ!」

それは脅しのつもりなのだろうか。
使ったからどうなるというのか。名前の響きからして臭そうな上に汚そうなスキルだが、スライムが胸を張る理由が不明過ぎた。
ふにゃふにゃとソリの上で揺れる不定形生物から視線を逸らし、異界探索へと意識を戻す。

気が抜けてしまう理由はサマナーにも理解出来る。
当初 不安に思っていたほど、メシア教団は危険な場所ではなかった。あんなにも考え抜いてようやく訓練施設から出られたというのに、今が平穏過ぎて、勝手に追い詰められていた自分が恥ずかしくなってくる。
目指すものさえ忘れなければ、このまま時間をかけて力を付けて、事を為すのはそれからでも決して遅くはないのだ。

だが懸念もある。
ヴィーヴルから聞かされたガイア教団とファントム・ソサエティの同盟、彼等が企む謎の計画。
確かにキナ臭い話だ。しかしメシア教団の一構成員でしか無いサマナーに何が出来るのか。
現実に何かが起こっても、あの苦労人のアデプトが勝手にどうにかしてくれるのではないか? そんな楽観さえ浮かんでしまう。
良くない傾向だ。誰かに期待し思考を放棄して、そんな事でどうするのだ。

――でも、力が足りない。

結局はそこに行き着く。
間違いなく、掛けた時間の分だけ強くなっているのに、自身の得たものがどれだけ小さな力か、身近な人間や悪魔を見るだけで分かってしまう。開花した霊体由来の超感覚が、漠然としながらも理解させる。
このまま何年も、或いは何十年も費やしたとて、国を築くどころか今ある多種の組織を打ち倒す事も出来はしない。

ならばどうすれば良いのか。
若きサマナーは、なんとなくだが、己がどうすれば良いかを分かっていた。

日々が過ぎていく。
どれだけ緩やかに感じたとしても、降誕祭から後は流れるように時が過ぎ去った。

大晦日にも、メシア教団は礼拝堂を開放していた。

人気取りだとか、信徒を集めるだとか、お金の問題とか。そういった邪な考えは無い。
ただ毎年の事として、新しい朝を共に迎えようと同胞達に呼びかける、それだけの温かな集まりだった。

祭事の合間を縫って、礼拝堂の外へと出る。
見上げた空は、――新月。

一年最後の夜に月が見えないというのは、吉凶どちらに分類されるのだろう。どうでも良い疑問に頭を悩ませるサマナーは自身の吐く白い息に視線を絡め取られながら、いつも懐に仕舞ってある一枚のチケットに指を寄せた。

――やっぱり行けなかったな。

『貴様という奴は、やはり妙に気にしておるよなあ……。怪しい、怪しいぞっ、このオスザルめ!』

何を勘繰っているのか、スライムはこの話題になると いやに食いつきが良い。
ただ気になってしまうだけだ。あんな変な奴は初めて見たから、だから興味が湧いてくる。笑顔の消えたあの顔に、なんでもいいから分かり易い表情を浮かべさせてやりたいというような――。

ああ、まるで好いた女子に構ってもらいたがる子供のようだ。

自分で思い浮かべたその表現に、不意に笑いが込み上げてきた。
まさかそんな事があるものか、と。引き攣るような笑い声を抑えきれず、口元を手で押さえてようやく静かになる。

出来れば来るな、と言われたが。
チケットを貰った以上は、行けなかった事を謝まらなければいけない。次の機会があれば、そうしようと思った。

「あ、あの!」

緊張感に満ちた声に振り向けば、一人の少女が立っていた。
礼拝堂では今も年越しの祭事を執り行っているだろうに。こやつサボリ魔か、と己を棚に上げて悪態を飲み込む。

「その、ひっ、久しぶりだねっ?」

――そうだね。

誰だろう、こいつ。
どこかで見た事があった、だろうか。
多分そうなのだが、サマナーには目の前の少女が誰か分からなかった。

「私ね、貴方が居なくなってから頑張って、最近ようやく教団から天使様を賜ったの!」

心底嬉しそうに、弾むような声音で少女が語る。
未だに目の前の人間が誰かを思い出せないサマナーだったが、彼女の表情には憶えがある。
緋熊と同じである。
つまり、目の前の名称不明な少女もまた、自分に恋慕の情を――。

――やばい、吐きそう。

『それは流石に酷いと思うぞ我はーっ!?』

だが仕方が無い。連日 送られてくる緋熊発の短文メールに、猛獣の機嫌を損ねないよう脳味噌をフル回転させて返信する日々。相手のメール内容が短いのは失敗しないように、こちらの機嫌を損ねないようにと熊なりに考えた結果だろう。だが毎回毎回一時間おきにメールを送られるのは本当に勘弁して欲しい。

異界での共闘にしてもそうだ。
確かに安全に楽をして経験を積めるのは有り難い。だがかつて殺し合った際の獣の眼光を知っている身としては、微妙にしおらしい態度でこちらを窺う熊など、むしろ恐ろしさを感じる。

恋する乙女なぞ、外道スライムの信徒である年若きサマナーにはまだちょっと早いのだ。
奥歯がカチカチと音を鳴らし始める。目の前の少女が何をしたわけでもないのだが、しばらく色恋沙汰は遠慮したいのがサマナーの本音だ。出来るだけ早く彼女との会話を終わらせて、手早く礼拝堂に帰還しよう。

会話の段取りを脳内で組み立てるサマナーの上空、月の無い暗闇が五色に輝いた。
咄嗟に仰げば、新月の空に艶やかに輝く真球が存在した。

「満月……?」

――違う。

少女がぼんやりとした声で呟くが、即座にサマナーが否定した。

水面の如く揺らめくあの色彩は、活性マグネタイトの輝きだ。
それは月と見紛う大規模の球形、――マグネタイトの凝縮体。

『不味いぞオスザル!! あれはマグネタイトを用いて生み出された擬似的な満月だ! だがそれよりも――』

教団敷地の外側、市外方面から無数の遠吠えが聞こえた。
霊地であるメシア教団の敷地内に居るからこそ分からなかったが、満月モドキによって照らされた下界の空気が、強く霊感を刺激する。

『……街が、異界化しているな。あの月を構成する高純度のマグネタイトによるものだ』

言いつつも、見上げた輝きの強さから、高純度などという言葉では済まないと考える。
あれは目に見える巨大な月として具象化するほどの、大量の物質化マグネタイト。マグネタイトの結晶塊と言って良い。きっと人の手が届くのなら触れてしまえる、新月の夜に生み出された新たな『月』。

――『ツクヨミ』?

名前を呼んだところでどうにもならない。
何も出来ないし分からなかった、だから放置した問題だ。真実、サマナーが脳裏に思い描く彼女が原因で生み出されたモノだとして、ならばどうしろと言うのだ。
再び、遠吠えのような何かが耳朶を叩く。

『あの叫び、間違いなく悪魔のものだ。空に浮かぶ月が放射するマグネタイトによって現世を異界と化し、異界に開かれた経路より有象無象の悪魔共が溢れてきているのだろう』

つまりこのまま放置すれば、人々の行き交う街中に悪魔が解き放たれる事となる。いや、既にそうなっているのか。
異界化した街中に、街の人間が存在しないなど。そんな楽観が通じるわけがない。きっと、間違いなく、一般人を巻き込んだ現世の一切が異界内部に呑み込まれている。

一大事どころの騒ぎではない。世にある悪魔犯罪の中でも飛び切りの、類似する案件さえ見つからないだろう歴史的な大規模テロ。何を目的とすればこんな馬鹿げた儀式を実行しようと考えられるのか、想像も出来ない。それでも考えるなら、この状況そのものが目的か。

現世を悪魔の溢れる地獄に落とす。
そういった、意義無き悪意の元に行われたというのなら、納得出来なくもない。

十字架型COMPを握り、得られた情報を脳内で纏め上げる。
結論を述べるなら、とにかく不味い。今すぐアデプトの元へ報告に走り、あとは全部押し付けよう。

『RECEIVED ANGEL』

決断した直後、操作してもいないCOMPが受信を告げる。

――何だっ?

マグネタイトの輝きと共に、サマナーの眼前に燃える車輪の天使が現れた。

天使『ソロネ』。

直接 目にするのは初めてだったが、アデプト・ソーマが従えるとされる高位の天使族悪魔。
それがアデプトから渡された自分のCOMPから現れたという事は、やはりこの十字架型COMPにはサマナーに秘匿されたアデプトとの直通回線が設けられているだろう。以前から疑っていた可能性が実証され、次いで目の前に現れた天使への疑念が膨れ上がる。

アデプト側からの操作によって自分のCOMPに悪魔を召喚させる。それが可能なのは構わない。
だが何故、今自分の前にソロネを召喚する――?

『SUMMON DEVIL』
「ふぅむ。出番か、オスザル!」

混乱は晴れない。だがもしもの可能性を考えて、スライムを召喚。
パワーでは駄目だ。出て来ようとはしているが、教団所属の天使をこの場に召喚するのは万が一を考えて控えるべきだろう。
ソロネ相手では戦力差から戦闘にさえならないと分かってはいるが、それでも、理由など全く分からないが、もしもこの天使が自分を殺すつもりで出て来たのなら、先の敗北が確定していようと、己の頼れる仲魔はスライムだけだ。

当然、それは見当違いの覚悟だった。
すぐに知る事となるが、ソロネが現れたのはサマナーを殺すためではない。

「アデプト・ソーマが身罷られた」

――ア?

「以後はエグゼクター『虚心』の指示に従えと、我が契約者からの用命を遂行するなり」

不快感さえ感じるほど平坦な声音で語るソロネに対し、告げられたサマナーは何を言われたのかが理解できない。

アデプト・ソーマが、みまかられた。

目の前の天使は何を言っているのだろうか。
一体どういう意味合いの言葉を口にしたのか、本当に分かって言っているのか。

――いま、何て言ったんだ?

聞き返す少年に告げられる言葉は、一言一句変わらなかった。

「アデプト・ソーマが身罷られた。以後はエグゼクター『虚心』の指示に従えと、我が契約者からの用命を遂行するなり」

愚者と外道の出会いから一ヶ月。
新しき時代を告げるその日、古き世界の崩壊が始まった。





メシア教団編終了。女神転生編開始。
ようやく崩壊に至る情報が出揃ったので世界を滅ぼす第二十一話です。
女神転生編だけど転生出来るかは不明です。
そしてライドウは女子ですヒロインです、と強調します(震え声)。

続かなくもないです。



[40796] 第二十二話 秩序と混沌
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/03 00:00
その日、輝きの絶えた空に新しき月が産み落とされた。

ファントム・ソサエティによってアイドル『MIKOTO』のための儀式場として建造され、大晦日の夜に多数の観衆を納め切った巨大なライブ会場。計画の最終段階、『月産みの儀』を執り行う神事場としての機能を十全に果たした其処には、ステージ上で笑みを浮かべて月を仰ぐ造魔一匹を残し、意識のある人間は誰一人として存在しなかった。

「それでは最終曲、――『Hello New World(新世界)』」

倒れ伏す無数の観客。空へと立ち昇る濃霧の如き夥しい光輝の群れ。己のファンとして駆け付けてくれた人々が強制的にマグネタイトを搾り取られる光景を前に、神事の中心たる少女は変わらぬ薄い笑みで、変わらずアイドルとしての演技を行う。

誰が何人死のうとMIKOTOの微笑みが消える事はなく、年越しライブの決められた行程をパンフレットの記載通りに続行する。
会場中に曲が鳴り響いても、彼女の名を呼ぶファンは一人も残っていないというのに。

それでも歌う。
今日この時のためだけに生まれてきた造魔『ツクヨミ』が、己の存在意義を全うする。

倒れ伏す人間達を哀れむ感情など彼女には無い。生命力そのものとも言えるマグネタイトを絞り尽くされた生命体がどうなるかを知っていても、彼女はそれを厭わない。魔王が目論む計画の道具として消費されても、恐怖知らぬ造魔が総身を震えさせる事は無い。

歌い始める直前に、少女の視線が客席全てをなぞり上げた。
笑う仮面の誰かが視界に映らぬ事を確認し、見知らぬ仮面の下の素顔がこの場に居ても分からぬ自身を自覚して。

「――ああ、良かった」

仮面が見えないから、あの人は来ていない。

そんな確証など欠片も無い思考だけで満足し切った歌姫が、己が虚心のままに新時代の訪れを歌い上げた。

素体となった天津神ツクヨミ、その月神としての属性を用いた『月産みの儀』。
世界中に顔と名前を知らしめて、広く世に知られる彼女は多くの信仰を集めた。
そのためにこそ生みだされ、そうなるように金銭をばら撒き、なるべくして象徴化する。
信仰とは感情であり、感情とはすなわちマグネタイトだ。
かつて生み出されたものは『月夜見 尊(つくよみ みこと)』という名の完全造魔。名は体を表し、アイドルとしての『MIKOTO』の名は敬い崇める『尊』の字を当てられて、多くの人々の口端にのぼる。

どこかの誰かが『尊(MIKOTO)』と呼ぶ度に小さな信仰が生まれ、篭められた感情は器として用意された造魔の肉体へと収束する。己が誰の名を呼んだかも知らぬまま、だが口にする誰もが彼女の信徒と数えられる。
名を知られる事は力となる。有名であるというそれだけで多くの信仰を表し、なにより事実として天津神の神格を取り込んで生まれたこの一匹の造魔は、その存在の始まりから既に神としての資格を有しているのだ。

ファントムの世界的な広報活動によって広く認められ、日本中に召喚された国津神が滅ぼされる事によって主権の移譲――『国譲り』の儀を受け、擬似的なものだったが国を支配する神への階梯を上り詰めた。

彼女は最も新しき神格。
人と魔王の手によって作られた偶像。
日ノ本の国を支配する、天津神の歪なる後継。

ファンという名の信徒達から捧げられた熱狂的なマグネタイトは、素体となった月神の権能を用いて偽りの月を産み出した。

リアルタイムで世界中に放映された、ライブ中継の映像。
神事場で歌う彼女を目にした地球上全ての人間が、かのアイドルに抱いた感情を起点にマグネタイトを略奪される。強制的に神への供物を捧げさせられた者達がどうなるかなど、絵図を描いた魔王は全く気にしない。中心たる少女もまた、そんな感情は知らなかった。

「好いぞ、好いぞ好いぞツクヨミよ! さあ、『ソレ』を寄越せ! この月の神たる『ヘカーテ』に!! 月の神たる貴様が捧げよッッッ!!!!!」

ツクヨミとヘカーテ。月を支配するという一点に限り、国も由来も異なる二柱は同一の神格と言えた。
ファントムの活動によって全世界に周知させた偶像を用いてマグネタイトを収集、月神ツクヨミの権能を用いて偽りの月を産み出す。
そして月として物質化した芳醇なマグネタイト塊を、月神ヘカーテの権能を用いて操作した。

異界が生まれる。月の光が届く全ての地平に。霊的土壌を整えられた日本はほぼ一瞬で、やがてはその他の国土へも徐々に徐々に異界が広がっていくだろう。全てを飲み干すまで止まりはしない。一度月を生み出せば、後は喚び出される無数の悪魔の餌となった人間達から無尽蔵のマグネタイトが手に入るのだ。

液状化マグネタイトの浴槽から、瑞々しい女の肉体が這い上がった。

「はは、ははっはっは! 好いぞツクヨミ! 貴様の献身、確かに我が身に届いた!!!」

四肢は当然生え揃い、腐り果てていたスライム状の下半身の面影は最早欠片も残されていない。
よく日に焼けた身の丈2メートルを優に超える女の身体と、首から上に異形を戴く――三つ首の魔王。

犬の顔がある。
馬の顔がある。
中央に、獅子の顔があった。

三つの顔を持つ悪魔が笑っていた。

「「「クハハハハハハハハハッ!!!!!」」」

新月の空に、姿を隠した本物に成り代わって君臨する偽りの月。そこから供給されるマグネタイトによって力尽くで霊体を補填した魔王ヘカーテの、完全なる復活。
足元に侍る驢馬、雄牛、犬、女。己が肉体を変じさせていた、魔王の眷属たる夜魔『エンプーサ』もまた、本来の姿を現す。女の顔に鱗の生えた四つ脚。笑う眷族達を見下ろすヘカーテもまた笑った。

「さあ、開幕の戦だ眷属達よ、今だ見ぬ戦士達よ! この目に映るモノことごとく、殺し尽くして平らげようぞ!!」

満月の魔力に満たされた月神の力は正しく神の領域にある。魔王の雄叫びに揺さぶられたガイア教団施設の内壁が大きな亀裂を刻み、振るわれた豪腕によって脆い飴細工の如くに砕け散る。

進む先に見える生者は全て、所属に関わらず魔王の贄だ。
手始めに自らへと群がるガイアーズの血肉を喰らいながら、魔王『ヘカーテ』が進軍を開始した。





大天使が涙を流す。

「おお主よ、今 御許へと一つの魂が送られます。どうか寛大なる慈悲をもって、安らかなる憩いを与えたまえ……」

天上に月が君臨したその時、アデプト・ソーマは礼拝堂で年越しの祭事を見守っていた。
地上を覆い尽くす濃密なマグネタイト。状況を察知したと同時に彼はその場のメシアン達にテンプルナイトの総動員を指示し、自身の執務室へと駆け出した。
何が起こったのか、目に見える以上の事は分からない。
だがアデプトは己が信念に従い、メシア教団と磨き上げた武力によって全ての民衆を守らねばと決意した。

だから、まずは武器を。
礼拝堂に持ち込むには余りにも無粋であると、執務室に置いたままである大剣を手にするために走る。

その眼前にて、教団霊地の気脈が鳴動、マグネタイトを収束させた。
悪魔の召喚。それもこの土地の在り方と感じられる気配から考えて、間違いなく高位の天使。

「優しき人、慈悲深き主の信徒アデプト・ソーマよ」

透き通った水のような肌、金色の頭髪。
白翼を広げた剣持つもの、――大天使『ウリエル』

「貴方のこれまでの働き、我らが主もきっとお喜びになるでしょう」

誰が喚び出したわけでもなく、神意の体現たる四大天使、その一角が降臨した。

信徒として行動するなら、膝を付き歓喜の涙を流すべきだ。だがアデプトには目の前の存在が善意によって降臨したとは到底思えない。
――何故、自分の前に現れたのか。
新月の空にマグネタイトで構成された偽りの月が輝くその時に、何故 不安に駆られているだろう力無き信徒達の元ではなく、一人執務室へと走る戦士アデプトの目の前に現れるのか。

神の炎ウリエル。神への冒涜を厳しく罰し、不敬者を火で炙り、神の法に反する罪人を地獄へ送り拷問にかける、懺悔の天使。

「ええ、真に良き働きでした。これより先は、――私が、信徒達を導きましょう」

要約すれば、「邪魔だから死ね」、だ。

アデプト・ソーマは自身が純粋な神の信徒ではないと知っている。
神の法よりも人々の安全と幸福を願い、教団も、秩序も、そのために利用する道具に過ぎない。

天使達は神に仕え、神の意に沿う事こそを至上の幸福としている。
人々の意思や欲望よりも神の望みを優先し、神の秩序に殉じる者を褒め称え、それ以外は滅ぼすのみ。

目の前の大天使は、間違いなくアデプトの本性を知っている。

神など知った事か、人の役に立たなければ死ね。教団の奉ずる秩序なぞ民草の幸福のために利用するものであり、もっと有用な何かが見つかれば打ち捨てて交換するだけだ。――それが彼の生き方であり、偽らざる本心。天使達に認められる事はないだろう、正しきメシアンとは到底呼べない、余りにも独善的なアデプトの『秩序(LAW)』。

等しく『秩序』に属する者でありながら、神こそ全てであるウリエルと、人こそ全てであるアデプトは、絶対に相容れる事の無い敵対者だった。

「安堵なさい、我らが主は寛容です。貴方のこれまでの働きを認め、きっと温かく迎え入れて下さる事でしょう――」
「――ソロネっ!!!」

目前へと迫っていたアデプトの執務室。その扉が周囲の壁ごと吹き飛び、燃える車輪の天使が装飾の施された大剣型COMPを抱いて空を駆ける。

「愚かな。抵抗するつもりですか、このウリエルに対し」

メシア教団敷地内は唯一神配下の天使達にとって特級の大霊地だ。
聖域と称しても過言ではない清らかな霊地は、天使を召喚・維持するための調整を入念に施されており、この地に降臨したウリエルは間違いなく現世における最高性能を実現し、肉体を維持するための消費マグネタイトも全て霊地が賄ってくれている。

アデプトは強いが、大天使の位階には届かない。
天使ソロネは強いが、高位の天使が、高位の大天使に優る筈が無い。

召喚可能時間などという制限を取り払われ、全力を発揮出来る大天使と戦おうなど、自殺と同じだ。
あらゆる要素を加味した上で断言する。

アデプトは絶対にウリエルに勝てない。

「私は此処で死ぬ」

アデプトとソロネが並んで立ち向かえば、大天使との戦闘の余波は信徒達の集う礼拝堂まで確実に届くだろう。
だから彼は、目前に迫る結末を受け入れるしかない。

「故に、以後はエグゼクター『虚心』の指示に従え、以上だ」
『SENDING ANGEL』
「御意」
『――TO SUCCESSOR』

消えていくソロネを見送る事なく、大剣型COMPを操作してその全機能を凍結する。
部下である少年に手渡した十字架型COMPは、監視と連絡のためにアデプトの大剣と繋がっている。直通の特別回線であり、接続権限は当然アデプトの側にある。規定の手順を踏まえた上でこちらから回線を封鎖してしまえば、アデプトの大剣を操作して『虚心』のCOMPを遠隔操作する事は出来なくなり、あちらからの干渉も不可能だ。

握った大剣を床に放り、念の為に万能魔法『メギドラ』を灯して機械部分を炙り溶かす。
これで良い。大天使がわざわざアデプトのCOMPを用いて人間一人を追い立てるか否かは不明だが、回線の切断と物理的な破損の双方を伴えば充分だろう。万が一の事態さえも防げたのなら、最早思い残す事は無い。

その場に胡坐をかき、抵抗に備えるウリエルを見上げた。

「……懸命な判断です」

死を回避するつもりなど無い。限りある命に執着する人間としては余りにも潔いアデプトの振る舞いに、ウリエルは訝しげな表情を隠しきれず、それでも実行の意思に迷いなく、手に握る剣を突きつけた。

アデプトとて、このような最期は想定外だった。
もっと出来る事がある筈なのに、ここで死ぬ以上の選択肢をアデプトには見出せない。
だが、偽りの月に支配され異界と化したこの世界、それでも自分は信徒達を守らなければならないのだ。

メシア教団内部で大天使と殺し合うなど、決してしてはならない。
そうなれば信徒達は道に惑う。この考えは自惚れとなるかもしれないが、アデプトとウリエルの二大派閥に分かたれた内部抗争にまで発展する恐れがあった。
だから、逆らってはならない。例え目の前の大天使が、人間全てを神への供物としか考えない秩序の狗に過ぎなくとも。視野を狭めて無意味な犠牲を生み出すなど、アデプトには絶対に受け入れられない。自分が此処で死ぬ事によって大天使が教団の実権を握ろうと、この選択を皆が未来に繋げてくれるものと信じて、振り下ろされた刃を受け入れる。

未練がある。後悔がある。
もっと皆の笑顔を見たかった。もっと人々の幸福を広めたかった。もっと世に貢献出来る筈だった。
エグゼクターとして教団に迎え入れた少年にも、何もしてやれていない。彼が教団や人々を愛するに足るメシアンとしての誇りも意義も何もかも、自分は教えてやれないままだ。教団の先行きを任せたいと思った汚くも弱弱しいあの若者に、高位天使ソロネを与えるという重責まで押し付けてしまった。
ああ未練ばかりだ。胸中には後悔ばかりだ。もっと沢山守れる筈だったのに、目に見える苦難の道から自分だけが逸早く逃げ出してしまう事になる。それが酷く申し訳なく、恥ずかしい。

「――すまない」

秩序を軽んじた自分と違い、大天使の讃える神に従う道も良い。真っ先に脱落する老骨の事など忘れてしまって構わない。
ただ、平和だった時代で自分と共に笑ってくれた彼等彼女等が、進む道の先で、僅かでも笑顔を浮かべていて欲しいと心より願う。

短い言葉を最後に、撒き散らされた血飛沫が教団施設の床を染め上げた。

足元に転がる真新しい死骸を自らの魔法によって焼き滅ぼし、残されたウリエルは天を仰ぐ。
最早壊れた世界は元通りになど戻らない。混沌に染まり行く新たな時代、絶対なる神の秩序を敷く事で人類を纏め上げなければ。

「いと小さき信徒アデプトよ、後は全て私に任せると良い」

教団を覆う空がまばらに輝き、ウリエルによって召喚された天使達が地上へと降り立つ。
自分以外の四大天使は降臨できない。現世にて許される限界値、その全能力を開放したウリエルが此処に立っているだけでも望外なのだ。後はより低位の天使達と、アデプトが育ててきたメシアンを使うしかない。
不足はあるが、必ずや成し遂げよう。

「おお、いと高き所に住まう栄光に満ちた父なる神よ、どうか我が奮戦を至尊の御座より見守り下さい!!」

恍惚とした笑みを浮かべ、神に尽くす機会を得られた歓喜に涙を流すウリエル。
大天使の所業により最高幹部たるアデプトを失いながら、魔王の復活に遅れる事 数分、秩序の僕たるメシア教団が活動を開始した。





大天使様は汚れ役もこなせる有能な方々です、という第二十二話です。
精神が生粋のメシアン足り得ないアデプトを殺害したのも、その後釜に座るのも、全て天使の価値観における善意ですよ(断言)。

続くかもわからないです。



[40796] 第二十三話 迷う人、迷わない人
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/04 00:00
青年が一人、誰も居ない路地裏を走っていた。

「うっ、うぅううう、うううううううう……っ!!」

かつて見習いとしてメシア教団に所属し、後に大きな力を欲してガイア教団へと鞍替えした、一人の青年。

「畜生っ、ちくしょう、ちくしょう! 何でだよ!」

きっと望むような未来が訪れると思っていた。

メシアンを辞めて門戸を叩いた先、ガイア教団は力を信奉する集団だと聞いていた。だが実際に目にしたのはチンピラとしか言いようの無い、自身とさして変わらぬ実力の有象無象ばかり。礼儀も常識も持たない社会不適合者達が管を巻いて、気紛れに力無き一般人を虐げる場所だった。
メシア教団を出たとはいえ元の性根が善良である青年はいつしか彼等と衝突するようになり、互いに勝ち負けを繰り返し、やがては集団に迎合出来ない爪弾き者扱いを受けて孤立した。
助けた筈の弱者からも、所詮はチンピラ連中と変わらぬガイアーズにしか見えない。感謝の言葉など送られる事は無く、気が付けばまたもや一人きり。

どうしてこうなった。何故上手くいかない。
他人に原因を求めたところで現状は変わらない。メシアンにもガイアーズにも為り切れなかった半端者が一人、居場所を失って、暗がりで蹲るだけだ。

そして偽りの月が昇った。

ガイア教団施設内でガイアーズを食料として喰い散らかす魔王を見た。
数多の悲鳴が総身を叩き、助けを求める声には応じられず、暗がりで一人震えているだけで全てが終わった。
三つ首の魔王は、己の前に立たない青年には視線も寄越さない。贄にもなれぬ無価値な存在を気に留める事無く、眷属たるエンプーサ達を引き連れて姿を消した。

自分は何をやっているのだろうか。
何も出来ていない、という当たり前の事実を認識するまで、どれだけ震えていただろうか。

最早ガイア教団に在るのは粗雑に喰い散らかされたガイアーズの死骸と瓦礫ばかり。自失寸前の精神で、それでも血と肉の臭いが充満する場所から逃れたくて、死体に躓きながら外へと向かう。

だが教団の外も、大して変わらなかった。
目に付く建築物は魔王の振るう力の余波で砕けている。其処彼処に真新しい遺体が転がって、野外だというのに血の臭いが鼻腔に侵入してくる。

「あっ、ああああああ、あああああああ」

どうしてこうなったのだ。何故上手くいかないのだ。
どうして、自分はこんな目に遭っている。

青年は必死になって逃げ出した。何から逃げようというのか、行き先も決められずに全身を振り回した。
途中出くわした悪魔達に対し、仲魔を召喚したが即座に喰い殺される。仲魔が喰われている間に逃げ出した判断速度だけは、無意識のものではあるが卓越したものだった。あの時 咄嗟に逃げなければ、青年も仲魔と共に喰われていただろう。

逃げて、逃げて。もはや青年のCOMP内は空っぽで、次に襲われれば囮になってくれる仲魔も居ない。
ガイア教団に所属しても、力など手に入らなかった。だがメシア教団に居続けても、一体何が出来ただろうか。結局、自分のような凡俗には何も出来ないのではないか。ぐちゃぐちゃになった頭の中には、自身への否定しか生まれない。

路地裏で息を潜めて、たった一人震え続ける。

「だれか、たすけてくれ……っ」

かつて夢があった頃が懐かしい。
訓練施設で仲間達と共に学んでいたあの頃は、いつか栄えあるテンプルナイトになるのだと遠い未来に希望を持っていた。ただ、格好良いから。憧れたから。それだけで良かったのだ。たったそれだけで、必要なものは全て教団が用意してくれていた。

自分は一体 何を勘違いしていたのか。
あの頃だって、自分自身の力で手に入れたものなど、何もなかったというのに。

「だれか、だれか……」
「――だれ、か」

全身が強く震えた。
対象も定まらず助けを求める青年の声に、別の誰かの声が重なった。
がちがちと五月蝿く音を鳴らす奥歯。下顎を両手で押さえつけてようやく音が小さくなり、路地裏から周囲へと視線を巡らせる。

そこに居たのは一人の女性だ。
青年よりは年上だろう女性が一人、歩く事も出来ないのか、両手で這って進みながら か細い声音で助けを求めている。
酷く無防備だ。今にも悪魔に襲われそうで、きっと手を指し伸ばせば自分も巻き込んで諸共死んでしまうだろう、明らかな厄種。

「うっ、う、うう、ううううう……っ」

どれだけ一人で呻いても、助けを求める女性の声が聞こえてくる。手を伸ばしても絶対に無駄だと分かるのに、耳朶に入り込む声のせいで涙が溢れて止まらない。

「おれ、はっ、テンプル、ナイトに……っ!」

青年はテンプルナイトになりたかった。

格好良かったからだ。皆が認める存在だからだ。もう二十歳も近いというのに、テレビのヒーローに目を輝かせる子供のように憧れていた。
青年には無理だったけれど。自分には才能なんか無いのだと、何の変哲もない一人の少年の存在があっさりと現実を突きつけてきて、挙句の果てにはこんな所で助けを求める誰かを眺めて一人で震えているだけだというのに。
それでも、かつて目にしたテンプルナイトは、本当に格好良かったのだ。

「俺は――ッ!」

弱い自分には、あの女性を助ける力など無いのに。こんな所で頑張っても、誰も褒めてはくれないのに。

「俺はっ、テンプルナイトになりたいんだよお!!」

今更過ぎる言葉だった。教団を飛び出し、ガイアーズに身を落とし、何処に行っても何も出来ず、今だって仲魔の一匹も居ないまま震えていた癖に。
実力が、才能が無いからと、他人の栄達を羨んで卑屈になって諦めて。だけど本当に欲しかったものはこんなにも単純な、子供みたいな夢一つだ。

溢れた涙を拭いもせずに、何も持たない青年が路地裏から駆け出した。

「おい! 大丈夫かっ!」

抱き起こした身体が、衣服越しでも分かってしまうほど冷たい。
力の全く篭っていない女性の腕や胴体に、ぞっとするような不安を抱いた。

「おい! 俺の声が聞こえるか!?」
「……あ、」

病人にもはっきりと聞こえるように、大声で呼び掛ける。
顔を上げた女性が、青年の襟首を掴んだ。

「私、知らなかったの……」
「待て、大丈夫だ。すぐに人の居る場所に、……メシア教団が近い、か?」

飛び出した手前 顔を出し辛い、なんて言える状況ではない。空に上った奇妙な月も、ガイア教団を暴れまわった恐ろしい化け物達の事も、今すぐメシア教団に報告しなければならない。
教団ならばこの女性もきっと助けられる。少なくとも、それだけは確信していた。

「知らなかったの、私、ごめん、なさいっ」
「落ち着いてくれ。此処には、誰もあんたを責める奴なんか居ないさ!」
「『ツクヨミ』、どうして、こんな――っ!」

衰弱しているらしい彼女に出来るだけ優しく呼び掛けようと気を使うこの青年は知らない事だが。

女性の名は鏡と言った。

アイドル『MIKOTO』のマネージャー。ファントム・ソサエティ所属の、足枷型COMPを嵌められた奴隷サマナーの一人。
当然だがアイドル稼業を円滑に進めるために配された人員である鏡に、今宵行われる『月産みの儀』など知らされていなかった。立場も能力も、所詮は下っ端と切って捨てられる程度のものしかないのだ。

人並みの善意と人並みの薄情さを兼ね備えた平凡な人間が、事が全て終わった後に一連の真実を直視すれば、弱い心が耐えられるわけもない。
例え自身が何をしたと言うわけではなくとも。
神事の中心であるツクヨミに最も近い立場にあった自分に対し、見当違いの罪悪感を抱いて錯乱するのも無理はなかった。

「わたっ、私、何も知らなくて! でも、でもきっと止められた筈なのに!」

知っていても止められはしなかった。そう言ってくれる誰かは何処にも居ない。
此処に居るのは造魔『ツクヨミ』に秘められた真実に耐えられなかった只の人間と、見も知らぬ赤の他人を助けようと勇気を振り絞った一人の青年。――そして、彼等を喰い殺そうと近付いてきた悪魔だけだ。

「う、うううおおお! クッソォオ!!」

女性を不恰好に抱き上げて、青年が走り出す。
走る身体の其処彼処が震えて、人一人を抱えている事もあり走行速度は歩いているのと大して変わらない。その様子を笑った悪魔が、大きく口を開けて炎を溜め込んだ。

「だれ、か」

このままでは死ぬ。助けられない。
自分と腕の中の女性がどうなるか。結末など分かりきっている。
それでも諦めたくはない。今更の事だが、もう何をどうやっても決して為れはしないだろうけれど、それでも青年は、メシア教団のテンプルナイトになりたいのだ。

格好良くて、誰もが褒め称えてくれて。自分のようにどうしようもない愚図な人間が、この期に及んでもまだ夢見てしまうような、――そんな輝かしい聖堂騎士に、なりたいのだ。今でも、変わらず。或いは、より強く。

「誰か、誰でもいいからっ、だれか」

思い浮かんだのは一人の少年だ。
青年など及びもつかない、能力と才能に満ち溢れた、誰も彼もに認められた彼ならば。
自分が彼の半分でも何かを出来る人間ならば、自分はともかく腕の中で死に瀕した現状も知らず泣いて謝り続ける女性を守る事も、きっと出来たのだ。それが酷く悲しく、青年には絶対に耐えられない、何よりも恥ずべき事に思えた。

「助けてくれっ、お願いだ! 誰か、――この人を助けてくれえええッ!!!!」

爆音が周囲一帯を飲み込んだ。

「――アンタ、今のちょっとばかし格好良いじゃないのさ」

背後に迫っていた悪魔も、路地裏周辺の建築物も。
一切合財が、直線的な破壊痕に飲み込まれて消えていた。

「こりゃあ、アタシも年甲斐もなく滾っちまうねえ!」

呆ける青年が膝を付いた。何が起こったのか分からない。
目の前に立つ悪魔は、彼の想像するナニモノとも違っていたから。

「で、どうよ お若いの。その気があるなら、――乗ってかなイ?」

立てた親指で自身の背を指差す、悪魔。
ローラースケートを両脚に履いた、元気一杯の和服の老婆。

怪異『100キロババア』。

「……お、お願いします」

明らかに乗り物ではない。そう言い返してしまいたかった。
だが四つん這い同然の低位置まで腰を曲げて笑う老婆を模る悪魔の示す好意を無下にも出来ず、込み上げる恐怖と罅の入りつつある敬老精神に震えながら、青年はどうにか言葉を返す。

にっこり笑って人間二人を背に乗せた100キロババアは、その名に違わぬ高速で路上に滑り出した。
天の助けとも言える幸運に恵まれ、しかしどこか納得出来ない思いを抱える青年は、こうして戦場へと足を踏み入れる事となる。





狂乱の街中を、黒装束の少女が駆ける。

「――『ピクシー』、ラスタ」
「はーい、『ラスタキャンディ』三積みだよー」
「――『フロストファイブ』、上下の仕切りを」
「今!」
「必殺の!」
「『アトミックブフーラ』!」
「だ!」
「ホー!」
「――『センリ』、上の掃除をお願いします」
「結局『ネコマタ』になり損ねたねえ……」

街の中空、一瞬で生み出された巨大な氷壁が、ビル同士の隙間を埋め尽くす。
氷精達の魔法によって天地の狭間に分厚い氷の仕切りが設けられ、空飛ぶ悪魔が地上の人間達との間に出来た邪魔な障害物に取り付き始める。

邪魔だ、壊せ。殺し尽くせ。叫びながら牙をむき出す悪魔達の前に、一切の前兆無く、天女『センリ』が降り立った。

「さあさあ恥知らずの侵略者共、取って置きの『西撃破』だよ……っ?」

両手を振り上げたセンリから放たれた、宙を駆ける怒涛の衝撃魔法が悪魔の群れを薙ぎ払う。
千切り飛ぶように消滅していく悪魔達を見送って、センリが地上へ、召喚者たるライドウの元へと帰還する。

少女が従えるのは五色の氷精。小さな妖精。そして氷の天井から地上に舞い戻った山猫の妖怪。

周辺の空を舞う悪魔達は全て散らしたが、地上にもまだ悪魔が居る。なにより国内全土を取り込んだであろう巨大異界、どれだけ奮闘しても根本的な事態の解決無くして戦果を誇るなど出来はしない。

「ば、ばけものぉ……っ」

当然だが街中にも多数の一般人が居た。
既に悪魔に襲われ命を失った者達も多く居る中、ライドウの召喚した仲魔達を恐れる反応も納得出来る。フロストファイブはヒーホーと笑い、ピクシーはベロベロバーと軽く脅かし、ライドウは職務を果たすために悪魔の接近を防ぐ『封魔の鈴』を付近に仕掛ける。ゴウトは周囲の警戒だ。

しかし悲鳴を上げた男に一歩、流し目を送りながらセンリが近付く。

「こういうオンナは……好みじゃないかい」
「ひぃんっ!」
「……傷つくねえ」

くいっ、くいっ、と腰を左右に揺らすセンリを見て、男の怯えようが悪化した。

山猫の妖怪である天女センリは、人間の美的感覚で図れば到底美しいと言える容姿ではない。異性からの芳しくない反応に女のプライドを刺激され、腰をゆるりと回転させながら徐々に男へと迫る姿は正に悪魔的。

「やめてあげなさい、センリ。……セクハラです」
「そういう問題でもないぞ、ライドウ!」

刀の鞘でセンリの被った傘帽子をこつこつ叩くライドウと、呆れ果てて前足で頭を押さえるゴウト。

こんな事をしている場合ではないだろうに、気楽なものだ、と彼等に同行するバットマンは空を仰いだ。
空には偽りの月が輝き、地上は夕暮れ時よりも尚 明るい。
放射される高純度のマグネタイト光に、悪魔としての自身を失ったと思っていたバットマンも、若干ながら高揚する自分を認識した。人の肉体を得たバットマンでこれならば、低級悪魔など即座に狂気に陥り、目に付いた人間へと手当たり次第に喰い付くだろう。中級以上でも、悪魔によっては望んで狂いたくなる禍々しさ。

ライドウの仲魔達が全く影響を受けているように見えないのは仲魔達自身の高い実力と、高位の悪魔使いと契約しているためか。

「……まあ、協力者が強くて悪い事は無いさ」

手持ちの情報を絞り尽くすまで散々 人を輪切りにしてくれた小娘相手に思うところはあるが、彼我の実力差も、バットマンの個人的な事情も、葛葉ライドウに歯向かう事を良しとしない。ならば精々頑張ってヘカーテの邪魔をしてもらいたいものだ。
魔王に真っ向からぶつかっても勝利出来るかもしれない人材など、バットマン自身、見つけられるとは思っていなかった。

傍から見ているだけでも、ライドウの持つ力は人間の領域を大きく超えている。
こんな化け物染みた人間が戦事と掛け離れた現代社会に存在するなぞ、育て上げた葛葉やヤタガラスは頭がおかしいとしか思えない。一体何と戦わせるつもりでここまで鍛えたのだろうか、バットマンは日本と言う国に住まう人間達の防衛意識が恐ろしく思える。

「コウモリ、次に行きますよ。さっさと付いて来て下さい」
「ああ、分かったから、……俺にその剣を突き付けないでくれ、頼むぞ」
「根性の無い人ですね、コウモリの癖に」

すっかりライドウの握る日本刀が苦手になった魔人モドキは、無意識に震えだす身体を押さえ付けて足を動かす。そしてバットマンへの態度がぞんざいなライドウは、半裸の男を全く信用していない。

ライドウ一行が目指すのはファントム・ソサエティの拠点でも、ガイア教団の本拠施設でもない。既に『月』が出ている状況、月の神としての能力を用いて復活を果たしただろうヘカーテは間違いなく歯応えのある敵を求めて動き出している。ならば考えられる中で最も遭遇する可能性の高い場所は、――メシア教団本部。
敵を求める魔王が、間違いなく強者が居るであろうメシア教団を放置するわけが無い。あそこなら、教団最強と呼ばれるアデプト・ソーマが居る。すぐに決着が付くほど容易い相手ではなく、双方がぶつかり合えば遠距離からでもすぐにそれと分かるだろう。一戦交えるにはこれ以上無い目印だ。

仮にヘカーテの存在がバットマンの吐いた嘘でも、この状況下で武断派でありながら穏健派でもあるアデプトと情報を共有する事は無駄にはならない。どちらにせよ、方針は既に決定していた。

「ライドウ、また悪魔の群れだ、先程より多いぞ」
「分かりました。――ピクシー、マイザーを」
「はーい、じゃあ纏めて『ランダマイザ』ねー」

ピクシーの放つ弱体化魔法が悪魔の群れに届く直前、タイミングを合わせたライドウが地を蹴った。

「人間か! なんだか随分と美味そ――」

地上、空中、建築物の外壁と屋根、所構わず無数の残像を生み出しながら高速疾走する黒い影が視界を過ぎる度に、悪魔の肉体が複数同時に両断され、輝き散らすマグネタイトへ還っていく。
鬼の顔を持つ蜘蛛型の地霊、虎の体躯を持つ真っ黒な顔の妖獣、顔面に穴の開いた大柄の妖鬼。
どれも一撃で肉体を活動不可能な形状に解体された上で、生死の有無に関わらず、更なる追撃が頭部と心臓部を直線で結び、真ん中から左右に斬り離す。
一匹たりとも、反応出来た悪魔は居ない。

「弱体化が必要だったのか、あれは……」
「ライドウってば、蹂躙大好きな子だからねー」

けらけら笑うピクシーだが、月が昇って以降の魔法の連続使用による消耗など全く感じさせない。
音も無く黒猫の隣に着地したライドウの姿に、今あいつ空飛んでなかったか、とバットマンの常識が揺らいでいく。

「ゴウト、次は――どうかしましたか、コウモリ」

こちらも息を乱さず疲労など欠片も見えない、悪魔よりも非常識な人間が胡乱な瞳で自分を見ている。
首を傾げる少女に手を横に振って誤魔化すと、バットマンは沈黙に徹した。これ以上考えても、何も得はない。
ゴウトと何やら話しながら乱れた黒髪の先端を結ぶ黒いリボンを解いたライドウは、それとは別の同色のリボンをもう一つ取り出し、改めて髪を縛ると、COMPを操作して教団本部への進行を再開した。

何故 同じ色のリボンを改めて結び直したのか。何らかの呪的行為かと眉を顰めるバットマンを見てピクシーが笑う。

「ふふー、ライドウも女の子だからねー」

唐突な発言の、意味が分からなかった。その不理解を悟られても、所詮はコウモリか、と肩を竦められただけで終わるのだろうが。
妖精の物言いに道理を期待しても仕方が無い。思考を放棄したバットマンは、少なくとも戦力不足の心配だけは無いな、とそれだけを慰めに、人類最強の少女の後に続いて足を動かした。





ライドウの女子力強化月間。しかし傍から見れば黒リボンの同品交換とか意味不明、な第二十三話です。
ここで書かないと以後出番の無さそうな人物設定ですが、同色のリボンを一日三回交換するお洒落ライドウ、ピクシー以外誰も気付かないという圧倒的女子力。
実は隣室の青年は適当な場面でどうでもいい感じに死ぬ予定でしたが、当SSはメシア教団推しな気がしたのでこうなりました。

続く予感がしないですか。



[40796] 第二十四話 楽してズルしていただきかしら!
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/05 00:01
震える天使が弱音を吐いた。

「何かのっ、何かの間違いです! 大いなる神の傍らに侍るべき大天使が、あの心優しきアデプトを討ち取るなど……!」

俯き膝を付くパワーには何も言わず、サマナーは胸元の十字架を強く握り締めた。
天使ソロネの使役権移譲。何らかの重大な理由があったとしても、今のサマナーに預けるには、その力はあまりにも大き過ぎる。
裏側に何か特別な思惑があるのだと、アデプトの訃報さえもその一環として聞かされた偽りなのだと、そう思い込もうとしても、自分に預ける手札としてソロネは強過ぎた。召喚状態を維持するための燃費も悪く、与えるにしても もっと良い悪魔が居るだろうと文句を言って当然の大霊格。

明らかな判断ミス。

そうしなければならない理由があったのだと、納得しなければいけない。
本当に、あのアデプト・ソーマが死んだのだと、認めなければならない。

「……オスザルよ、不味い状況だぞ」

低い声音で告げるスライムに、声も無く頷きだけを返した。
大天使ウリエルがメシア教団の最高幹部を殺害し、教団内部での実権を握ろうとしている。時間経過から考えても、遠からずウリエルの従える人魔混合の大軍勢が完成するだろう。

四大天使。
それは数多居る天使族悪魔の内でも、最上位に位置する存在。

神の威光を笠に着るまでも無く、メシアンであるならば大天使を疑わないし、疑えない。ウリエルが命じれば、きっとメシア教団は従ってしまう。
アデプトを殺した事実をどう誤魔化すのか。事実を正直に教えた上で、それでもメシアンが従うか否かは分からない。サマナーは生粋のメシアンではないのだ、こんな特異な状況下で教団の信徒がどう考えるものかを、詳細に予測出来るわけが無い。

だが事実一つを取り上げれば善行とは到底呼べない己が所業を彼の大天使が明かすかどうかを考えれば、恐らく伏せたまま事を進める筈。

「奴ら天使族は山神の従順な奴隷だ。有象無象の悪魔共が群れを成すこの月世界を信者獲得の最好機と見て、そのための足掛かりとして教団を牛耳りたいのだろう」

つまり大天使にとってメシア教団は、勢力拡大のための道具扱いか。
偽りの月に照らされる極大規模の異常事態も、唯一神配下の悪魔から見れば千載一遇、入れ食い状態の上質な狩場に過ぎない。
大天使の意のままに動く大量のメシアンは、新たな信徒という名の獲物を狩りいれる為の有用な駒。有るか無いかで随分と掛かる手間が違う。

――だからアデプトは邪魔だった、と。

「奴隷めはまずは守りに入るだろうな。修練を積んだ教団の実行戦力を温存し、その間に敷地の外では程好い犠牲と、程好い混乱が溢れかえる。絶望の淵にあって救いを示せば、さぞや信仰厚い敬虔な信徒が数多く得られよう」

なるほど、秩序に従わぬ全ての犠牲を許容する、合理的な考えだ。それが大天使の基本思考であるのなら、きっとサマナーと気が合うだろう。

――潰してやる。

我知らず、濁った声音で言葉を吐いた。
大天使の思い通りになど、させて堪るものか。

どうやって為すか、なんて決まっていない。情報が全く足りないまま、アデプトの死を告げられたサマナーは手持ちの簡易COMPで緋熊と連絡を取って、どうにかメガネの家まで辿り着いたばかり。外の状況だって、緋熊に探らせている最中だ。
相も変わらず足りないものばかり。新しい手札であるソロネは強力だが使い所が難しく、パワーはそれなりの性能だが雲霞の如き悪魔の群れに立ち向かえるわけではない。外道スライムは未熟なサマナーに相応しい能力しか持ち合わせない雑魚性能だ。

「ちょ、ちょっとお宅、あんまり動かないでね、動かないでねー」

サマナーの左腕に新しいCOMPを装着しているメガネが注意を促す。

緋熊に迎えに来てもらった上で、安全地帯である此処までは帰って来れた。メシア教団内部が今どうなっているのかについては、共にアデプトの訃報を聞いたメシアンの少女に渡した簡易COMPからのメールを受け取るまで分からない。
自分に好意を抱いているらしいあの少女には、些細なものでも構わないから教団内の情報を送ってくれるように頼んである。彼女が役に立つかは不明だが、情報が全く無いよりはマシだ。

サマナーが教団に居残るわけにはいかない。
教団内にはウリエルが居て、サマナーの傍には殺されたアデプトの仲魔、天使ソロネが居る。これではウリエルに対する潜在的な敵性存在だと喧伝しているようなものだ。ソロネも今はCOMP内に押し込めているが、大天使が天使の気配を察知出来ないなどと楽観出来るわけもない。

「で、出来たよー、おかしくないかな、おかしくないかなー?」

作業の終わったらしいメガネから、己の左腕を取り返す。
手甲型のCOMP。
邪魔にならない小型のヘッドマウントディスプレイ、上腕部にはCOMPバッテリー、そして最も重要なハンドヘルドコンピューター。――『アームターミナル』と呼ばれる悪魔召喚機。

「う、乳母車型で使わなかった便利アプリは殆ど取り除いて、『エネミーサーチ』オプション各種と『ギボアイズ』の他にはリカバー系に容量使ってるからねー。あ、あとマグネタイトは充填してあるから、丸一日ならソロネ出しっ放しも大丈夫だよ。多分ね、多分ねー」

違和感を感じるほど重くはない。だが付け心地を感じないほど軽すぎるわけでもない。
腕を振り回してみても邪魔になる事はなく。成程、これは良い物を貰ったようだ。

――ありがとう、助かるよ。

「え、えへへー、友達だからね、だからねー」

感謝の言葉に照れながら踊り出す中年男の痴態。赤の他人が見れば不快感に顔を顰める光景だった。

メガネの喜びようを放置してアームターミナルを操作。中身を確認してみれば大量のマグネタイトが蓄えられており、それでもソロネを維持するだけならともかく、全力での戦闘行為をずっと続けられるわけではないのだろう。自分にはソロネ以外にも仲魔が居る。無尽蔵に得られるわけではないマグネタイトを、考え無しに使い切るわけには行かない。

「うーむ、我はあの乳母車が良かったのだがなあ……」

しげしげと新しいCOMPを観察するスライムを放って、部屋の隅でぶつぶつと実の無い独り言を重ねるパワーへ声を掛けた。

「……エグゼクター、教団に戻りましょう。きっと何かの間違いなのです。私はメシアンを助けなければ、大天使がまさかそんな、私は、私はっ」

支離滅裂としか言いようの無い言葉の羅列。
アデプトからサマナーへと与えられた天使『パワー』。きっと彼にとってはアデプトこそが契約者であり、サマナーは己が導かねばならない目下の相手だったのだ。ならば本来の主を失ったと聞かされて、パワーが弱りに弱ってしまうのも理解出来る。

訓練施設に居た頃からそうだったが、パワーは正しさを口にしながらも内面が脆い。かつてはサマナーの激しい二面性によって簡単に心を揺さぶられ、今は大天使の威光とアデプトの死によって、己の行動の指針さえも定まらない。

――パワー。

「わたしは、エグゼクター、わたしはどうすれば……?」

弱りきった天使も、遂には格下である人間に頼る始末。しかしこの状態とて、そこまで深刻なものではない。
神様でも信じてろ、と言ってやればきっとすぐに立ち直る。

天使族悪魔なぞ、所詮は唯一神を絶対とする『秩序』に沿って生きるだけの奴隷だ。何を疑い何に迷おうと、LAW属性悪魔としての基本に立ち返ってしまえば、先の行動の是非はともかく、精神的な安定を得る事は簡単だろう。パワーが信じるべきは唯一絶対たる神であり、アデプトでもウリエルでもない。

だから『其処』を摩り替える。

――『俺』を信じろ。

真っ直ぐに天使を見つめ返し、欠片の迷いも見せずに言い切った。

――今がどれだけ不利な状況でも。絶対に、どうにかしてやる。

どん、と握り拳で胸板を叩く。

エグゼクター『虚心』は、多くの人々を助けてきた慈悲深き信徒アデプト・ソーマ麾下の優秀なメシアンだ。
かつて多くの罪を犯しながらも敬虔なるアデプトによって見出され、遂には直接召し上げられて十字架を賜った人間。この危機的状況下で高位天使『ソロネ』を預けられるほどの、まさしくアデプトの後継者と呼ぶべき、混沌に堕ちた月世界において尚 希望に満ち溢れた若者だった。

「えぐぜくたー……っ!」

感極まったパワーが落涙する。
少年の差し伸ばした手を天使が弱弱しく握り、より強く、少年の側から握り返された。

「――詐欺の手法だコレェ!」
「こ、恐いよお宅ー、純真な天使を騙くらかして従順な駒をゲットだよ、ゲットだよー!」

道に惑った精神的弱者であるなら、悪魔が相手でもカモにしてみせる。
信じるべきものを見失ったパワーに対し、自分こそが正しき道の標であると大きな声で嘯けば、こうしてあっさりと転んでしまう。パワーが容易い相手であるからこその結果だが、躊躇い無く善人の皮を被って踊れるサマナーの人間性にも大きな問題があった。

雄々しい笑みで天使の伸ばした手を掴んだサマナーを眺めるスライムとメガネは、犯罪現場を目撃してしまった善良な一般人の心持ちだった。

さて、無事パワーを懐柔出来た所で、これからの準備を始めよう。

メガネ所有の頑丈な工具を一つ振り上げて、内部データを移し終えて空っぽになった十字架型COMPに振り下ろした。
何度も、何度も。どれだけ罅が増えて破片が多く飛び散ろうとも、完全に壊れたと確信できるまで執拗に振り下ろす。
放っておけば、何時利用されるか分からない。アデプトのCOMPとの専用回線を設けられている十字架を使い続ける気は全く無く、性能に優るアームターミナルがあれば使用可能である必要も無い。

十字架の破壊は、パワーに対する確認でも有る。

――これで、俺はメシアンじゃない。

最高幹部から直接賜った十字架型COMPを壊しただけで、教団から除名されるわけがない。これは今のウリエル率いるメシア教団と袂を分かつという意思表示だ。
アデプトの弔い合戦だなどと言うつもりはない。だが十字架の破壊を制止する事無く見守らせる事で、己が間違いなくサマナーの指揮下に就いたのだとパワーに実感させる。壊し終われば最早 逃げられない。祈りの象徴たる十字架の破壊という、教団への背信行為を己の意思で見逃した事実は、優しくも心弱い天使一匹を縛るには充分過ぎた。

――今後ともよろしく、天使『パワー』?

「……はい、サマナー。このパワー、貴方と共にどこまでも征きましょう!」

なんと美しい光景であろうか!
優しく微笑む少年の、あの愛に満ちた笑顔を見よ! ――腹の底では卑しくも豪快なガッツポーズを決めているに違いない!

「お゛あ゛ーっ、帰ったぞー」

残業続きでようやく帰宅できた中年サラリーマンのような様相で、外の探索に出ていた緋熊一行が帰還した。
その後ろには、一人の青年と女性が引き摺られている。

「――あっ、お、お前!」

――どちら様ですか?

「えっ、……えっ!? いや、俺だよ!? 俺!!」

緋熊の連れ込んだ青年。全く似合わない野生的な皮のジャケットを来た彼がサマナーを指差し、しかし声を掛けられた少年は、青年が誰だか分からなかった。演技ではなく、本当に分からなかった。
古くも懐かしい俺俺詐欺を試みた青年を胡散臭げに眺めていると、連れて来た緋熊も青年を睨みだす。

「ふむ! オスザル、彼奴はあれだな、いつかの異界で見掛けたメシアンだな」

――へー。

スライムが助け舟を出せば、そういえば何人か居たな、とサマナーも頷く。
見習いメシアンの訓練施設で隣室に住んで居た同輩でもあったのだが、そちらに関しては直接の関わりが無かった為に、スライムの記憶に残っていなかった。そしてサマナーはどちらも憶えていなかった。

混沌とした異界において生き延びた果てでのこの仕打ち、粗末な扱いに号泣寸前の表情を浮かべた青年を放置して、緋熊を労う。釣った魚にやる餌を欠かさないサマナーは、正にヒモ男の鑑と言える。

その後、紆余曲折はあったが青年と女性――鏡という名の芸能マネージャーの話を一通り聞き終えた一同。

造魔として製造されたアイドル『MIKOTO』が産み出した偽りの月。
ガイア教団施設の奥部から現れた三つ首の悪魔とその眷属。齎された教団内における人的被害。

月が昇って以降の全情報を得られたとは言えない。だが現状における必要最低限は押さえた。
この状況で自分がどうするべきか、何が出来るのか。サマナーは既に決めていた。

「……オスザルよ」

情報提供終了の後、真っ先に声を上げたスライムを見つめる。
サマナーにとっては神であり、仲魔であり、相棒であり、諸悪の根源。
自分のための国を作りたいとのたまう、実力不足の欲しがり屋。

「教団に現れたウリエルは土地柄故その能力に一切の瑕疵が無く、月を背にした魔王『ヘカーテ』はほぼ無敵の存在だ」

三つ首の魔王、ヘカーテ。
数年前までファントム・ソサエティに所属していたらしいメガネが大層驚いて話してくれたが、例外なく強大な力を持つ魔王族の一角として数えられる悪魔であり、現代でも広くその名を知られる高位の神格。
ウリエルだけでも戦いにさえならない絶望的状況であったというのに更に魔王が追加されては、勝てると考えるのは極まった狂人くらいのものだろう。

「翻って、こちらは精々半人前と一流止まり。――勝てるか?」

――お前は俺の神様だろう?

勝てるか、ではなく。勝て、と言うべきだ。

唯一神に仕える四大天使の一角。神格を有する現役の神にして魔王。
強いという言葉では不足に感じる程の強者揃い。きっと全力を振り絞れば街の一つや二つ、単独で滅ぼせる類の化け物だ。彼等と比べれば自分もスライムも、戦いの余波に巻き込まれて塵に還るエキストラが似合いだろう。
教団の霊地効果によって全性能を時間制限無しに発揮出来る大天使も、偽りの満月から満ち溢れるほどの恩恵を受けた魔王も。自分達如きが戦って良い相手ではない。勝ち負けを論じる位階には無い。

力が足りない。手札が足りない。
――ならば勝利する必要も無い。

敵手全てが敗北の憂き目に遭えば、結果として生き残った者に勝者の栄光が転がり込む。
だから戦わない。戦ってなどやらない。殺し合う化け物共を嘲笑い、這い蹲る強者を見下ろしてやれば良いのだ。
力が無いのなら競う必要は無い。手札が無ければ、他者の手持ちをもって相殺させる。

「――我が民、我が信徒、我が眷属よ」

メシアもガイアも魔王も天使も、自分とスライム以外の陣営は全て残らず共倒れしてもらおう。
皆が傷付き倒れる中で、最後まで無傷で生き残っていれば、たったそれだけで自分達の勝利だ。
強ければ勝てる、強ければ生き残れるなどと。ケダモノ同然の単純思考で踏ん反り返る化け物共の上前を跳ねてやろうではないか。

なんとも人間らしく、卑劣な発想。可能か否かも分からぬ大博打の連続となるだろう。
だが。

「偉大なる我に勝利を献じよ!!」

――是非も無い。

一匹残らず、潰してやる。
砕けた十字架に指を這わせて、腹の底で唸りを上げる己が激情のままにサマナーが嗤った。

手持ちの情報を話し終えた青年と女性は呆けたまま。
これからのために役立ちそうな道具を机上に集めるメガネは冷や汗を流し。
好いた少年を見守っていた緋熊は何故か顔を赤く染め上げて。

本来ならば秤の上にさえ乗らぬ圧倒的弱者が、月下の戦場を支配する為に立ち上がった。





逆に考えるんだ。弱いから勝てないなら、「戦わなくても良いんだ」と考えるんだ。という第二十四話です。
この先の展開がそんなに上手くいくのかどうか、まだ続きを書いてないので分かりませんが。
あとネタバレにもならないだろうから書きますが、主人公はレベル20もないです。ないです(断言)。12くらいです。

続く筈もないのですか。



[40796] 第二十五話 少女と獣の恋
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/11 23:40
生まれて初めて目にする大天使を前に、少女は言いようのない吐き気を覚えていた。

「街の者達を助けたいと願う貴方方の想いはとても尊い、きっと主もお認めになる事でしょう。ですがっ、感情に任せた行動によって貴方方が傷を負えば、教団を信じて礼拝堂に篭城する信徒達を守れなくなってしまう!」

――今は耐え忍ぶ時。どうか、ご理解下さい。
拳を握り、噛み締めるように言葉を重ねて説得する大天使ウリエル。
一般市民を助ける為に、今すぐ悪魔の溢れる街へと向かうべきだ。そう声を上げた勇気あるテンプルナイトに対し、先を見据えた広い視野で行動しろと、優しく、だが決然と言い放つその姿。

輝くような後光が見える。
大天使から放たれる、破魔の属性に等しい聖性に満ちたマグネタイトの放射光。教団の中庭に集結したメシアン達の目には、神々しくも美しい『神の炎』ウリエルの覇気が眩く映っている。

高位の悪魔であれば例外なく持ち合わせる、多量のマグネタイトによる擬似的な精神干渉。

肉体という器に納まりきらない膨大なエネルギーは、目にする者達全ての霊体を揺さぶり、その善悪も、影響の大小も問わず、生物の魂魄へ直接的な影響を与える。
教団によって厳しく鍛え上げられたとはいえ、所詮は人の枠内に納まる位階。神の傍らに昇る事を許された大天使の抑制される事無き力の放射を受ければ、現役のテンプルナイトといえど耐えられるものではない。
そして、ウリエルの発言も別に間違ってはいないのだ。この異常事態に対応するためにも戦力を一箇所に集め、元々霊地として整えられていた教団敷地内を陣地として守りを固めるのは、長期的視野に立てば正しい選択であった。

新年を迎えるために教団へと足を運んだ敬虔な信徒達は守れる。教団が纏まり、体勢を整える事でこの先の混乱を乗り切る事も出来るだろう。
結果として街中に居る人間達を守る事も出来ずに死なせてしまうが、短絡的な行動で、本来守れたであろう者達を見捨てるわけにはいかない。――もっとも、街中の犠牲に関してウリエルが意識させないような言い回しを口にしている事に気付いた者は居なかったが。

この場に居るメシアンは例外なく悪魔の存在を知り、最低限、教団から天使を賜る程の実力を認められた者達だ。
『虚心』の少年から簡易COMPを預けられたメシアンの少女も当然、そこに居た。

アデプト・ソーマが身罷られた、と。
天使ソロネはそう言っていた。

だがこうしてメシアン達の前に現れたウリエルは、美しく慈悲深い大天使の姿を見せている。
アデプトに関しては「彼は一足先に旅立った」などと言って、大天使を相手にそれ以上追及出来る我の強いメシアンは居なかったが、その言葉はつまり、そういう事なのだろうか?

少女とて、ソロネに詰め寄る少年の傍らに居たのだ。
誰がアデプトを殺したのか。それを聞いていないわけがない。

震える下顎が上手く噛み合わず、口中でかちかちと歯の打ち合う音が聞こえる。
胸元に忍ばせた小さな簡易COMPを両手で握り締める。この場において自分一人だけが抱えている秘密が、酷く重い。目の前で輝きを放つ大天使が皆の慕うアデプトを殺したなど、一体誰が信じるというのか。
何故、彼はそれを信じられたのか。
ソロネに対して最低限必要な情報だけを問い詰めて、教団の外へと駆け出した少年。
あの迷いの無い行動を見てしまえば、目の前で正論を語る天使を信じられなくなってしまう。

――お願いだっ、君にしか、頼めないんだ!

そう言って強く抱き締めてくれた少年のぬくもりが、酷く遠い。
手渡された簡易COMP。本当は色々な事を話したかったけれど、出来るだけ短く、現状をメールで送ってある。いつ自分の行いが見つかってしまうかと怯えながら、それでも好きな少年の頼み事を叶えたいと考えて。

「あっ」

小さく声が漏れた。
好きな少年、と素直に思えた事が、少女にとっては驚きだった。
少し前までは、彼が本当に好きだったのかどうか、自分で自分を疑っていたというのに。こんな理解不能な状況で、天使さえ疑って、縮こまって震えながら、それでも好きな相手が頼んだ事だから頑張れるのだと。そう思える自分を見つけた。

懐のCOMPを握り締める。それだけで頑張れる気がした。
これからどうなるのか分からない上に、メシアンとして全面的に信じるべき大天使を疑ったまま、自分達が何をさせられるのか今でも不安だけど。

「……わたし、がんばるから」

少女が決意を新たに、小さく呟いた。

そして中庭に集合したメシアン全員の耳に届く、大音量の軍艦マーチ。

『あー、テステステス。偉大なる我の美声が聞こえるかー、貴様らーっ!!』

拡声器を通して大きく広がり周囲に響く、汚らしい声が聞こえる。
まるで不健康な中年男性が口の半分を水面に浸した上で無理矢理 声を張り上げたような、そんな水っぽい低音声だった。

『えーっと、山神の【検閲】! 欧州では【検閲】! 大規模【検閲】! ――ぉおおい! 俺これでもちょっと前までメシアンだったんだけどおっ!?』

続いて、酷く頼りない男性の声が、酷い単語を羅列する。

少女には半分以上理解できない言葉ばかりだったが、視界の端でウリエルの顔が凄まじい形相へと変貌していた。
怒りに震える大天使が何か言う暇も待たずに上空へと舞い上がり、声の発生源らしき方角へ向けて飛び立つ。

突然の状況に目を回す者が殆どだったが、正規のテンプルナイト達が逸早く大天使の後を追って走る。
自分は如何するべきか。迷いながら、それでも少女は急な状況の変化を逸早く少年に伝えようと簡易COMPを取り出した、が。

――始めまして、大天使ウリエルっ。私はアデプト・ソーマ麾下の、アデプトっ! ソーマァっ!! 麾下のォオ!!! エグゼクターァア! 『虚心』とっ! 申しまあああああっっっす!!!!!

大袈裟に大袈裟を重ね抜いたような、自己顕示以外の一切に興味を持たぬと言わんばかりの酷く楽しげで大きな声音。
少女が今まで一度も聞いた事が無いような、桁外れのやる気に満ち溢れた誰かの自己紹介が、周辺一帯の生きている人魔全ての耳朶を打った。





ここ数年 本名で呼ばれた憶えのない『緋熊』という女は、二十数年の人生で初めて恋をしていた。

始めは想定外の驚きから、きっと戸惑っていただけだろう。
初対面で、年下の少年からプロポーズ。
殺す以外に何も出来ない、人型の殺傷機械。同じガイアーズからさえそう評される猛獣が、色恋沙汰に縁を持つわけがない。――悪魔など知らなかった幼い頃より、彼女は異性に好意を向けられた事など無かったのだから尚更だ。

特に目に付く問題も無く、しかし恵まれてもいない、平凡な出生。
学生時代。生まれて初めて悪魔と出会い、そのまま化け物の餌となるしかない絶望的な状況で、緋熊は逆に相手を殺し返した。

命の対価は右腕一本。

只の人間が、己の命を狙う悪魔相手に勝利するには、些細な犠牲だ。そう笑う少女を受け入れてくれたのは周囲に居た人間ではなく、後に仲魔となった龍王のみ。
現代社会と適合し得ないその感性は、悪魔には好かれるが、人間からは好かれない。しかし緋熊はどうしようもなく『そういう』女だった。

面と向かって好意を告げられれば嬉しい。何を言っても素直に応える年下の少年という存在に、女盛りでは良からぬ感情も抱こう。緋熊という名の女傑は、生まれ付き殺す事に長けており、殺す事を楽しめる戦場の獣であるが、人としての情や欲を持たぬ機械でもないのだ。
ヴィーヴルにからかわれつつ。知らぬ間に、企み有っての後押しさえ受けて。
血染めの猛獣らしからぬ振る舞いで、少年の好意を得ようなどと空回りつつも頑張ってはみたが、その内実、自覚無き真実を述べるなら。こんなものは恋を知らぬ乙女が、恋を与えてくれた好機に舞い上がっていただけの事。

要するに、彼女は恋され恋をするという状況に酔っていたのだ。

最後までそのまま時が過ぎたなら、きっと遠からず初恋の熱も冷めていた。
幸か不幸か。それを論ずる機会は遠き未来まで待たねばならないが――。

――結婚してください。

――是非も無い。一匹残らず、潰してやる。

気弱で、素直で、今までは猛獣扱いが関の山であった女としての自分を慕ってくれる、年下の可愛い少年。
想像もしなかった荒々しい笑みを浮かべ、圧倒的強者たる魔王と大天使を残らず平らげると口にした、一人の男。

緋熊は殺しに長けた生粋の戦士であり、どう取り繕った所で、血で血を洗う戦場こそが彼女本来の居場所だ。
人も、悪魔も、そこが戦場であれば彼女は見境無く殺してきた。
弱肉強食を体現する、ガイアーズの古参。戦いこそが緋熊の生き様。――力でもって蹂躙し、敵わぬならば朽ち果てる、自由と混沌の徒だ。

勝機など有る筈の無い戦場へと笑って踏み出せる益荒男が居れば。その男が緋熊には縁の無かった筈の恋を教えた相手であれば。弱弱しくも優しい少年だと好意を抱いていた彼が、自身の血塗れた獣性さえ笑って受け入れられるだろう、狂った大器の持ち主であったなら――。

不覚にも再度 抱いてしまったこの恋情に、一体 何の偽りがあろうか。

「――ッごおおおおおおおっがあああああああああっッッ!!!!」

緋色の凶獣が雄叫びを上げる。
強く、もっと強く。誰よりも何よりも大きな声で。遠い何処かで勝利の一手を打ち出さんと奮戦する愛しい男に届けとばかりに激しく吼え猛った。
咆哮と共に全身へと行き渡った魔力が『チャージ』され、次なる一撃への大きな後押しとなる。

必殺の右拳が一直線に振るわれ。
轟音が、空気の壁さえ破壊した。

「ゥ『金剛』ォオ――ッ!!!」

向かう先には雲霞の如き悪魔の群れ。単体においては緋熊に勝利し得ない弱兵揃いであっても、数を集め群れをなせば容易く殺し得るだろう総力値。真っ向勝負では分が悪いと判断すべき明確な戦力差。しかし微塵の躊躇も見せぬ獣の一撃が、凡夫の道理を打ち砕く。

「――『発破』ァアアアアアッ!!!!!!」

熱風さえ伴った只の拳撃をもって無数の悪魔を吹き飛ばす。
悪魔の群れが構成する天然の城塞に、人間の拳一つで穴を穿った。

「あ、あくまだあぁあ……っ」

見当違いな震え声が耳朶を叩けば、相手が誰か、属性相性は噛み合うか、彼我の戦力差は如何ほどか、判断する間も待たずに再度振るわれた拳が、怯える悪魔を新たに一匹葬った。

「うちのサマナーが絶好調過ぎる……っと、『鬼神楽』ァ!!」
「うん、私もあれは予想外だわ。はーい、『ベノンザッパー』よーっ!」
「サマナーが嬉しそうで何よりだよー、僕はー。あっ、『テトラカーン』で良ーい?」

群れの合間に穿たれた間隙を、緋熊の仲魔達が更に広げていく。
乱戦に縺れ込ませた上で、戦域を拡大していく。血生臭い戦いの匂いに惹かれ、更に周辺地域からも多くの悪魔達が現れる。

「ちょっ、ちょっと待って! あなたサマナーでしょ! 悪魔を殺して、平気なの!?」
「――実は人間殺しても全ッ然平気だったぜええええッ!?」
「ひぃいいいいいいっ!! もういや何なのこいつぅうううう!! ――メボっ」

攻撃は全て機械仕掛けの右腕と仲魔に任せ、左手に握る拳銃型COMPを操作する。
起動アプリは『エネミーサーチ』。知りたい情報は唯一つ、――魔王ヘカーテの所在だ。
継戦可能時間を無視した後先を考えない全力戦闘も、長期的に見れば勝ち目の無いと分かる寡兵による奮戦も、全ては『混沌』に属する高位悪魔を飛び寄せるための誘いに過ぎない。

これで目当ての相手が『秩序』に属する悪魔ならば、この戦場を無視する可能性もある。だが『混沌』に属し、更にその中でも上位に位置する魔王族が、派手に殺し合う緋熊一行と悪魔共を見逃す筈が無い。
魔王としての誇りがある。『混沌』の陣営に属するに足る欲がある。こんなにも楽しい殺し合いを、強大なる力をもって魔界に君臨する魔王ヘカーテが無視する事など有り得ない。

そう。有り得ない。
だからこうして現れるのは当然の事で、まさしく自分達の目論み通り。

「――随分と、楽しげだなあ、貴様ら」
「だったらテメエも混ざっていかねえか、魔王様よおお……っ?」

手近な悪魔の頭部を齧り潰し、血とマグネタイトの滴る歯列を剥き出しにした三つ首の魔王が笑った。
多量の悪魔の血液と揮発するマグネタイトを総身に纏わせながら、腕一本で戦場を踏破する緋色の獣が笑い返す。

ようやく釣れた。

緋熊とてヘカーテと戦えば勝ち目など無いと分かっている。此処が己一人の戦場であれば、仲魔を地獄への道連れに、かつて無い強者の手で殺されてやっても良いだろう。だがそれではせっかく惚れ直した愛しい男の望みが叶わない。
緋熊達に任された仕事は、目の前の魔王を大天使の元まで確実に引きずり出す事。

「じゃあ、さっそくだが一戦願うぜ、ヘカーテちゃあん?」
「ははははは! 我に挑むか、面白い。ならば精々楽しませてみせろよ、人間めがっ!!」

引き絞った右腕が甲高い駆動音を鳴らし、魔王へ向けて撃ち出される。
偽りの満月を背にした魔王は、それを笑いながら迎え撃った。

そうして命懸けの魔王釣りが始まった。





ゲームみたいなナチュラルに胡散臭い天使の描写が難しすぎる、第二十五話です。
そして熊も少しだけパワーアップしました。きっと愛の力です。きっと。

続いてくれるのですか。

※2015/01/06投稿
※2015/01/11誤字修正



[40796] 第二十六話 天使よりも貴い人
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/07 00:01
メシア教団施設 正門前には何処から盗難してきたのか、一台の選挙カーが停車していた。

「貴方がアデプトの部下であるというのならば、先の神に対する侮辱、如何なる弁明をもって罪を雪ぐおつもりですか」

眉間に僅かな皺を寄せたまま一見理性的な言葉を並べ立てるウリエルであるが、叶うなら今すぐに目の前の怪人を斬り捨ててしまいたかった。
大天使の耳に届く位置での、唯一神に対する盛大な罵倒。
自殺同然としか言いようが無い。咎人に対する審判を生来の役目とする懺悔の天使ウリエル。もっとも罪穢れに対する忌避と嫌悪の強い大天使だ。視界に映ると同時に殺されても言い訳のしようが無い。

街宣車の屋根に上って仁王立ちする一人の人間。アデプト麾下の執行者(エグゼクター)、『虚心』と名乗った笑う仮面の怪人の傍らに、天使ソロネの気配を感じる。
アデプトを殺害する直前、確かに「『虚心』の指示に従え」という言葉と共に何処かへと送られて行ったソロネ。
ならば目の前の人間がその『虚心』であり、アデプトの遺志を継ぐ者。護衛に高位天使が居ようとも殺害は可能だ。だがそれは、――『正しく』ない。

天使とは善良なる存在なのだ。
アデプトの命を奪ったのは、神の秩序に沿わぬ俗人が、この混沌とした世界において更なる罪科を重ねないためのウリエルの温情である。この月世界で新たに背負う筈だった数多の穢れを最小限に抑えられた彼は、きっと正しき信徒として、主の御許で無上の幸福を得られるだろう。
市街地への救援を制止したのは、神に従う愛すべき信徒達が無用に傷付かぬためである。神に従わぬ有象無象は『秩序』の下においては民ではなく、人の範疇にも入っていない。散っていく生命の嘆きに悲しみを覚えても、神の意思を体現する大天使がつまらぬ感情に囚われて進むべき道を間違うわけにはいかない。

大天使ウリエルは、己の正しさを確信している。
罪には裁きを。踏まえるべき手順を無視して命を奪うなど、『秩序』に従う大天使に出来よう筈が無かった。

――偉大なる主に対する不敬を働いたのは、私ではありません! 正しき天使ウリエルよ、どうかっ、どうか私の言葉をお聞き入れ下さい!!

仮面で隠された彼の表情が笑っていると考えるのは、穿ち過ぎであろうか。
大袈裟な身振り手振りで語りかける人間を、殺す事は酷く簡単なのだ。本当に、どれだけ可能性を論じたとしても、目の前の痴れ者にはウリエルに殺される以外の道が無い。

自分が言ったわけではないから大丈夫。そんな言い訳は通用しない。当たり前の理屈だ。だというのに、こうしてウリエルの前に姿を晒す『虚心』は何を考えているのか。まさか本気で自分が罰せられるわけがないと、己の言葉に揺るぎ無き確信があるのか?

「ならば罪人を此処へ。貴方の処遇はその後に――」

――清廉なる天使ウリエルよ! 勇ましき聖堂騎士テンプルナイトよ! どうか、市街にて助けを求める人々をお救い下さいっ!!!

ウリエルの発言を遮って、唐突な話題転換を行う『虚心』。大天使の眉間に力が入る。
いや、先の発言からすればこれこそが聞き入れて欲しい言葉とやらか。だがそれは不味い。今ウリエルが聞き入れるわけには行かない申し出だ。まだ犠牲が足りていない。巨大異界に迷い込んだ悪魔達が一頻り腹を満たし、月に狂ったその凶暴性を多少なりとも治めてからの出陣でなければ、悪戯に教団勢力の被害を増すだけなのだ。

そう冷静に思考する大天使の背後には、遅れて駆けつけたテンプルナイト達が立っている。

続々と急ごしらえの演説会場へと集まりつつあるメシアンを視界に収め、ニコマークの眩しい仮面が偽りの月光を反射させた。
まるで仮面に隠された真の感情を曝け出すかのように。

「エグゼクター! 貴方の物言いには一定の正当性を認めます、ですがそれは――」

――私の、私の妹も! 悪魔達の手に掛かって!!!

泣き濡れた声で仮面を手で押さえる『虚心』。俯き前方へと乗り出した姿勢は今にも車の屋根から転げ落ちてしまいそうだ。だが絶叫する彼はそんな自身を顧みる事無く、更に更にと言葉を重ねていく。

――大丈夫だ、って。きっと教団の人達が助けてくれるって! そう言っていたのに! 私はっ、俺はあッ!!

がつん、と音をたてて街宣車の屋根に据え付けられたスピーカーを殴り付ける。
殴った拳の皮が不自然なほど綺麗に裂けて、月明かりの下でさえ鮮やかな赤色を魅せ付けた。だがやはりその程度で『虚心』の嘆きは止まらない。こんなもので妹の受けた痛みに釣り合うわけが無いと、我が身を襲う痛苦に目を向ける事なく、大天使の背後に立ち尽くすテンプルナイト達へと訴えかける!

――お願いだっ、助けてくれよっ! もうっ、アイツは居ないけど! でもっ、でもさ! 待ってる奴らが居るんだ! アンタ達なら助けられる人達が、沢山居るんだよぉ!! お願いだあ!!!!

止まらない熱情に押されて、半ば呂律さえ回らなくなって。
響き渡った悲痛な叫びに顔を青褪めさせるメシアン達に対し、仮面の男が全霊をもって訴えかける。

きっと、あの笑顔を刻まれた仮面は彼の最後の砦なのだ。
涙に濡れて、悲劇に絶望して。それでも生きている限り前へ進まければならない。犠牲になった家族への執着を捨てられないまま、まだ間に合わせる事の出来るどこかの誰かのために。メシア教団へ助けを求めて駆け出すための、全身を縛る悲しみを封じ込める、悲壮な決意の秘められた硬い城砦なのだ。

ここまで来ればウリエルにも理解出来た。
目の前の恥知らずは、情に訴えかけてメシアン達を動かそうとしている。
社会守護を最善と謳うアデプトの後継。成程、ならば目論みそのものは理解し易い。今も苦しむ民間人の救助こそが彼の望みだ。だが今メシアンを動かすわけにはいかない。大した能力を持たない者達でさえ、この月世界では貴重な手駒なのだ。万全に万全を重ねても損耗は避けられない状況、救助活動によって結果的に得られる利益を考えても頷ける筈が無い。

「ええ、貴方の悲しみはよく分かりました。ですがこの絶望の淵にあって尚 最後まで教団を信じ続けた貴方の家族は、きっと主の御許へと迎えられた事でしょう」

嘆く必要は無い。そう、嘆く理由など何も無いのだ。
敬虔な信徒であったのならば、死した後にこそ幸福が約束されている。どれほどの苦痛に泣き叫んでも、その先にあるものは間違いなく痛みと嘆きを帳消しにしてしまうほどの暖かな楽園。
目の前の『虚心』もまた正しく神の信徒であるならば、死した後に愛する妹との再会が果たされる。

しかしまあ当然ながら、仮面の怪人には妹など居ないわけだが。

――じゃあ、見捨てるっていうのか! 街の人達をっ!?

「そうではありません。ですが全能足り得ない未熟なる私達にはきっと――」

――アデプトなら、きっと真っ先に駆けつけてくれたッッ!!!

自身が殺害した人間の名を聞いて、ウリエルの顔が僅かに歪んだ。
大天使の表情の変化になど一切反応せず、目もくれず。叫ぶ『虚心』は言葉を止める事なく、更に大きく、声を張り上げる。

――そうだろう!? なあ、あんた達はどうしてこんな所に居るんだよ! 街には沢山の悪魔が居て、沢山の人達が助けを必要としているのに!!

あんた達、というのはウリエルではない。
その背後に立つ者達。アデプトの方針によって訓練設備を整えられ、血と汗を流してまで自身を鍛え、この場に居る者に限れば例外なくその能力を認められて天使を賜ったメシアンばかり。

力有る者達だ。それが必要だから研鑽を重ねた者達が居て、その強さ故にテンプルナイトの称号を与えられた者達が居る。
全ては人々を助けるために。
赤の他人にその手を差し伸ばすためだけに。

「……黙りなさい。貴方は彼等の想いなど何も知らずに」

――言ってみろ!! お前達は何で『其処』に居るッ!!!

言葉を叩きつけられたメシアンは皆が皆、一人の例外も無く聞き入っていた。
各人、教団に足を踏み入れた理由は違っている。心の底から、他者を助ける善行に心を奪われているわけではないだろう。だが『それ』を無価値だと断じる人間など、今のメシア教団にはきっと存在しなかった。

何故ならば、アデプト・ソーマがそう望んだからだ。

ただただ人を助ける為に奮戦し、苦痛に耐える表情が顔に張り付いてしまうほど働き通して、教団の内外において信徒か否かを区別する事無く手を差し伸べ続けた一人のメシアンを知っている者達なのだ。
どれほどの善人であろうと、全ての人間から認められる者など存在しない。
だが、自身の生涯を人の世のために捧げ切ったアデプトを否定出来る者が、こんなにも健全な形を保つ宗教組織に属していられるわけがない。

――あのオッサンならっ! 真っ先に走り出すだろうが! 「外は危ないから引き篭もってろ」なんて、言うわけ無いだろうが、あのお人好しがさあッッッ!!!!!

その通りだ。
この場に限り、どこまでも『虚心』の言葉は正しかった。

「テンプルナイト、第一、部隊……っ」

大天使の背後に立つ者達の中から、小さな声が漏れ聞こえる。
『虚心』の叫びの途中からは俯いて拳を握り締める事しか出来なかったテンプルナイトが顔を上げ、決然とした表情で地に足を叩き付けた。叙勲後に教団から厳しく教え込まれた、正規テンプルナイトの、騎士の剣礼。

「テンプルナイト、第一部隊! ――号令ェ!!」
「テンプルナイト、第二部隊っ、――号令!!」
「テンプルナイト、第三部隊!」

何か異様なものを目にしてしまった。そう言いたげな表情で、大天使ウリエルがゆっくりとメシアン達を振り返る。
大きく手を振って彼等を制止しようとしたが、そんなものでは最早誰一人として止まらない。

「『メイガス』第一部隊! 訓練通りにっ、指定のテンプルナイト部隊へ順次合流せよ!」
「部隊未配属のメシアンは、中庭に整列! 運び込まれてくる負傷者の治療準備だっ! 待機しろ!!」

呆けたままの大天使を放置して、その場に揃った全てのメシアンが行動を開始する。
街宣車の上で仁王立ちの『虚心』は乱れた呼吸を整え、走り回る彼等を見下ろしながら仮面の下で笑っていた。

「ばかな、なにをしている。違う、なぜこのような人間の言葉に従う。……なぜ私に指示を仰がないっ」

――簡単な事だ、大天使。

この場の誰も知らない事ではあるが。
ウリエルの断罪の剣を受けたアデプト・ソーマは、自身と大天使を旗頭とした二大派閥による内部抗争を防ぐ為に、自ら進んでその命を捨てた。

だが霊的存在に依存せずとも人生を謳歌できる今の時代において、本当に神や天使に対する根強い信仰心が芽生えるものだろうか?
敬虔な信徒であろうと、本当に心の底から天に座す主のために己の生命を捧げられるのだろうか?
大天使の威光とは、個人としての幸福を捨てて社会に貢献し続けた一人の男の、苦痛に塗れた生涯よりも尚 価値の有るものだろうか?

――みんな、神様よりもアデプト・ソーマが好きなんだよ。

この『虚心』が、上述の全てを否定しよう。

人類全てが追い詰められつつある極限状況下において、自身の意思で、見知らぬ誰かを助ける為に声を挙げられる多数の勇気あるメシアンが此処に居る。
神でも天使でもなく、人間が人間のために力を振り絞ろうと動いている。

彼等全て、遡ればたった一人の男が育て上げたもの。
何十年と時間を掛けて、必死になって築き上げてきたもの達だった。

今この場に居なくとも、彼等の背を押すものは最高幹部たるアデプトの存在だ。決して調子良く寸劇を演じた『虚心』ではない。ましてや誰も救わぬ神や大天使の威光などでは有り得ない。
メシア教団は苦難の世に現れるという救世主を信仰の柱とする怪しげな巨大カルト集団だが、そこに所属するとある男の献身を知らぬ者など、この街にどれほどの数が存在するだろうか。
数時間前まで確かに存在していた平和な時代。平穏の世に必要無き救世主を信じない者は数多く、しかしメシア教団最高幹部の為した数々の社会貢献を讃える者もまた同等以上の数に上る。

本当は、アデプトにさえその気があれば。ほんの少しの野心と欲がありさえすれば。
大天使を敵に回して多くの流血を強いられようと、メシアン全てが望んで彼に付いて来ただろうに。

それが出来ないくらいに不器用で向こう見ずな人間だったからこそ、沢山の人々が彼を慕っていたのだと、『虚心』を名乗る少年とて分かってはいたが。それでも。
この世界からたった一人が居なくなってしまっただけで、どうしてこんなにも、胸が苦しいのだろうか。

――おら。テメエの手駒、残らず剥ぎ取ってやったぞ、クソ天使。

「きさ、きさまっ、きさまキサマ貴様……、このっ背信者があッ! 貴様ァアアア゛――ッ!!!!?」

一連の事態の元凶に見えていても、『虚心』は特別な事など何もやっていない。事を起こす為に必要な仕込みは、その気など欠片も無かったアデプトが、何十年も掛けて既に終えていた。

ただ突き付けてやれば良い。
彼等メシアンの上に立つ者が誰か。自らが従うべき男は、どんな人間だったのか。
ただ当たり前の事実を。この異常事態に関わらずいつも通り、誤魔化す事無く真っ直ぐに教えてやればそれで良かったのだ。

この国におけるメシア教団は世間一般の認識とは全く違う至極健全な宗教組織であり、そこに属する人間は例え表面上どう見えていても、例え『混沌』の側に落ちても人助けに走ってしまう者が居るくらい、きっと一人残らず『いい人』揃いなのだ。そういう風に、育ったのだ。――育てた親が、そうだったから。

だから負けてなどやらない。
盤上に並ぶ敵が最高位に位置する化け物揃いであろうと、勝ちを譲ってやる気など欠片も無い。
仮面で素顔を隠して『虚心』と名乗るこの少年も、アデプトの死に何も感じていないわけではないのだ。
ましてや相手は殺しの下手人。
戦えば負けると知っていても、一撃くらいは見舞ってやりたいと思うのは、何もおかしな事ではない。

――出番だぞ『ソロネ』、来いっ!!

『SUMMON DEVIL』
「御意!!」

満を持しての天使召喚。
巨大な車輪に灯した炎が強く燃え上がる。双方の位階を比べれば、天使が大天使に勝つ事は不可能だ。だがこうして対峙させないわけにもいかなかった。案の一つとして想定していた、アデプトの仲魔を利用したメシアンの思考誘導などというつまらない仕事ではなく、仇敵との戦いというこの一大事に限っては、ソロネの想いを尊重してやりたい。

「我が怒り、我が主アデプトの無念。――その魂に焼き付けてくれようぞ、ウリエルゥ!!!」

平然と主替えに従った彼の天使が、本来の主を殺されて、怒りを抱かぬわけが無い。
きっと、ずっと耐えていたのだ。それがアデプトの望みだったからこそ。その望みに沿って、無用な争いを起こさないために。

「たかが能天使一匹、そして低俗なる罪人風情が。このウリエルに立ち向かえると、本気で思っているのか……?」

怒りを隠さぬ大天使を前にすれば、傍らにソロネを従えていても身体が震えてくる。
だが歪む表情は仮面が隠し、身体が震えていようとやる事は変わらない。

経過は順調。

大音量で注意を引き付け、唯一神への罵倒で大天使とメシアンを引き摺り出す第一段階。
大天使に従い踊らされようとしているメシアンが場に揃った時点で、お涙頂戴の嘘八百で良心を揺さぶり、精神的な安定を欠いたと判断した所で本命。――信徒達にとって最も大きな、アデプトの存在を突き付ける第二段階。

ウリエルの威光に目を晦まされていても間違い無く効果があると知っていた。
何故ならば人助けは間違いなく正しい行いであり、神の掲げる『秩序』の範疇から欠片もずれていないのだ。天使の洗脳光線で頭が緩くなっていようと、アデプトの長年の献身を知り、メシアンとしての正義を信じる限り、絶対に彼等を動かせる。エグゼクター『虚心』は、教団で過ごした己の経験故に確信していた。間違いなくそうなると信じていた。

ここに至るまで自分達は一切攻撃を受けず、大事な手駒であるメシアン達にウリエルが手を出す事も無かった。
だが今更、激昂するウリエルが、望んで自分から離れた彼等を気遣うだろうか。大天使の良心と自制心を信用出来ないのならば、メシアンを巻き込まないよう こちらが気を使う必要がある。

勝利条件達成の難易度が止まる事無く上昇していくが、そんなものはいつもの事だ。
目の前で怒りに震える卑しい悪魔の目論見を、一つ残らず潰してやろうではないか。

――弔い合戦なんて言わない、だが死ね。

「その魂に纏わり付く汚濁の如き罪穢れ、今此処で、このウリエルが雪いでやろう」

激昂する両陣営がぶつかり合う。
月世界における第二戦。絶対に勝てない戦いが、また一つ始まった。





ポゲラルゴォ~!!な第二十六話です。
暗躍しない天使だから胡散臭くないのか、と目から鱗が落ちました。しかし天使が暗躍とか、胡散臭い……。普通に考えると天使の所業ではないですよね、暗躍。

続くなどと思ったですか。



[40796] 第二十七話 話し合い(悪巧み)と、話し合い(物理)
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/08 00:04
作戦と呼ぶほど上等なものは、実は用意出来ていなかった。

ウリエルに吠え面をかかせる。
危なそうなヘカーテを排除する。
異界化の原因であろう偽りの月をどうにかする。

やるべき事は主にこの三つ。
ではどうやって事を成すかと問われれば、どうにかするとしか言えない。
故に、各人 膝を突き合わせて頭を捻るのだった。

「山神の奴隷共はどうあっても『秩序』に縛られる。天使だ神聖だと謳ったところで、その本質は他の有象無象と変わらぬ」
「へ、ヘカーテは戦い大好きで正に『混沌』って感じの悪魔だったし、敵対するなら誰にでも喜んで噛み付くんじゃないかな、ないかなー」
「私はお前の命令なら何でもやるぞ! ……何でもっ! してやるからなっ!」

悪魔に関する知識に長けているだろうスライムからは天使族悪魔に関する情報を。
かつてファントム・ソサエティの研究員であったメガネからは、同じくファントムに居たらしい魔王ヘカーテの情報を。
そして何故かいつも以上に様子のおかしい緋熊は、赤らんだ顔でしきりにこちらを窺っている。何を命じて欲しいのか、絶対に聞き返すまいとサマナーは己の心に強く刻んだ。

多種多様な悪魔達の中でも最高位に位置するであろうウリエルとヘカーテ。サマナーは自分達では到底勝ち目の無いこの両者をぶつけ合う事で、漁夫の利を得ようと考えた。というかそれ以外に倒せる可能性を見出せない類の化け物なのだ。どうあっても、どれだけ難しくとも、絶対にコイツらを衝突させなければいけない。

大天使の号令によって教団敷地内にて集合している多数のメシアン、彼等もまたサマナーにとっては有用な駒だ。彼等を動かし、市街地にて一般人を襲う悪魔達の討伐を行う。
善良な心根から生まれた提案ではない。悪魔に襲われ、殺されていく有象無象の人間達からは恐怖と絶望の感情マグネタイトが放出される。一つ一つは少量だが、数が合わされば恐ろしい。それが月に狂う悪魔達を調子付かせ、今ある混乱は更に強く深く広がっていき、放置しておけばその負のサイクルには際限が無くなっていく。
悪魔の群れは排除しなければならない。メシアンによる救助活動が根本的な事態の解決に繋がらなくとも、悪魔による被害が事態を悪化させこそすれ、好転させる事は絶対にないのだから。

ウリエルからメシアンの指揮権を剥奪する。それが必要だからであり、嫌がらせとしてきっと大きな効果が見込める筈だからだ。
言葉によって挑発し、誘導によって信徒を奪い、結果をもって激昂させ、大天使ウリエルの好戦的な側面を表出させてやれば御し易かろう。
ヘカーテとぶつける前提であれば、怒りのままに暴れ狂うウリエルの前まで『混沌』の魔王を引きずり出せばそのまま戦闘へと突入する、筈。ただし魔王との遭遇までの間、間違いなく大天使の怒りの矛先となるサマナー自身が危うくはあるが。

――そこはソロネに頼ろう。

「承知仕った」

霊体をデータ変換されてCOMP内に収められている悪魔であれば、万が一の事態が起こったとしても、再度召喚して蘇生処置を行えばそれで済む。蘇生用の魔道具『地返しの玉』も用意万端、ソロネには張り切って玉砕してもらおうではないか。

「……オスザルよ、もそっと物言いに気を遣ってやる気は無いのかなあ、とか我は思ったりしちゃうのだが」

スライムが恐る恐る口を挟んできたが、何か不味かっただろうか。
アデプトの仇討ちに燃えるソロネの本懐を遂げさせようと考え、例え敗れたとしても後顧の憂いは無いのだからと、彼を安心させるための言葉を並べたのに。

まあ間違いなくソロネではウリエルに勝てないし、無残な死に様を晒すだろうが、そこは問題ではない。
ソロネが勝てるのなら魔王なぞ必要無い。勝てないからこそ、こんな面倒な手順を踏むのだ。必要性故に共に戦う仲魔の精神的なケアを怠らないサマナーだが、最重視しているのは戦場における勝利。ソロネの件はこれで終わらせ、次の段階へと話を進める。

大天使の目の前まで、魔王ヘカーテを釣り上げる。
これは緋熊達に任せよう。今この場に集う面々の中で実力と経験を最も備えているのは緋熊一行だというのは、疑いようのない事実。悪魔の群れに突貫して、暴れるだけ暴れた後には誘き寄せた魔王と戦いつつ、教団までの撤退戦。

普通に考えれば無理だろう。

「ああっ、私に任せておけ!!」

普通に引き受けた熊を見て、相変わらず野性に生きているなとサマナーは頷いた。

「件の魔王は月の神格。贋作とはいえマグネタイトの凝縮塊たる満月を背負えば、恐らく殆ど全ての属性が通らぬだろうな」

端的に言葉にしてみると、『全門反射』だ。
卑怯過ぎるだろうと呻いたところで、状況が好転する事は無い。

「こ、攻撃が通るなら全然マシだよ、全然マシだよー。す、数年前は万能属性だって効かなかったんだからさ、だからさー」

震えるメガネが言う所によると、ヤタガラスの用意した天津神『ツクヨミ』が月神の権能を用いて天空の月に干渉し、同じく月神たるヘカーテと月の支配権を相互に奪い合いながら一晩中殺し合ったそうだ。
高位悪魔って凄い、と驚いて済む話ではない。空に浮かぶ衛星一つを取り合いながら相手の喉笛を狙うなど、まさしく神々の闘争と呼ぶに相応しい常識外れ。

「われだってできるし、われだって色々できるしー……」

拗ねるスライムはどうでも良い。つまり月下の魔王を殺すには、魔王に絶対の護りを与える原因を取り除く必要があるという事だ。

新月の空に月を浮かべたのは誰か。
造魔『ツクヨミ』だ。
では、どのように創り出したかも分からぬあの贋物を空から取り除くにはどうすれば良いのか。
空に浮かぶ偽りの月を打ち砕けば、月を構成するマグネタイトが広範囲へと物理的にばら撒かれて大惨事だろう。時間経過によってやがては全て霧散していくかもしれないが、目に見えて触れる事も可能だろうあのマグネタイトの凝縮塊、どれほどの量が集まって出来たモノか測定さえ不可能だとメガネが太鼓判を押している。破壊は不味い。

ではどうすれば良いのか。

「あ、あの……っ」

鏡という名の女性がおずおずと手を挙げた。
全員の視線が彼女に向けば、びくりと肩を跳ねさせて青年の影に隠れようとする。

「つ、ツクヨミは造魔で、その、虚心なので……、言葉でどうにか出来るとは……」

言葉では動かす事が出来ない。
殺すのならば別だろうが。
――言外に、それを防ぎたいのだろう態度だった。

鏡は『MIKOTO』の専属マネージャーであり、しかし面倒を見ていた相手にはとんと顧みてもらえた記憶が無い。
だがだからといって、見知った少女が命を奪われる事態を無感動に受け入れられるかといえば不可能だ。
凡人である鏡は凡人なりに優しい女性だ。報われた事は無いが、それでもいつも通りの無駄骨に落ち込んでから暫く時が経てばまた安っぽい親切心を発揮してしまう程度には考えが浅く、同時に誰もが持って当たり前の良心を備えていた。

ツクヨミが死ぬのは、嫌だと思う。

しかしそれを直接口にするのは、この場に集う人達が恐い。じゃあ代案を出せと言われれば、頭の良いわけではない鏡には何も出来ないのだ。自覚がある、鏡は何も知らない人間なのだ。月世界の構築によって、更に強くそれを自覚したばかりだ。
だから鏡は、結果としてもごもごと吐き出すべき言葉を濁してしまい、その煮え切らぬ態度に煩わしさを感じた熊は憤りに顔を歪めていく。

――いや、殺す気は無いけど。

サマナーがあっさりと方針を口にすれば、悩みに悩んだ挙句 結局 口を噤んでしまった鏡が呆けた。

サマナーは年若い少年である。
ツクヨミよりは年上だろうが、大して変わらないだろうと鏡は見ている。
だというのに、そんな彼が何故この場で最も偉そうなのか。口だけは偉そうに振舞うスライムよりも全然立場が上に見える。そして今更だがどうして外道スライムが此処に居るのか。誰かが合体事故でも起こしたのか、驚きの発言に意識を囚われた鏡は悪魔使いとして当然の疑問を抱いたのだが、残念ながらこの場においてスライムの存在を疑問視する者なぞ鏡以外には居なかった。

予想外の事態に混乱する鏡の目の前に、一枚の紙片が突き付けられる。

――誘われたからには、行かないと。

ひらりひらりと一枚のチケットを指先で揺らして、サマナーが笑った。
今更出向いたところで、年越しイベントの一番大事な部分は間違いなく終わっているのだが。自分で渡したくせに来るななどと失礼な事を言ったのだ、多少の遅刻は許されるべきだ。

目の前に現れたソレに目を奪われた鏡の両目が何かに気付いたかのようにゆっくりと見開かれていく。
まさかそんな、都合の良い事があるわけがない。そう自分を誤魔化しても、脳裏に浮かんだ可能性を否定しきれない。

確かに、と思うのだ。
確かに、この一種異様な少年であれば、あのツクヨミの『お友達』になれてもおかしくないのではないか。

今 鏡の目の前で揺れる一枚のライブチケットが、自分がツクヨミに渡し、ツクヨミが彼に渡した物だとしても。或いはそんな巡り合わせも有り得るのかもしれない。
アイドルが世界を滅ぼす月を産み出したなどという群を抜いた異常事態だ、それくらいの偶然は、きっと有っても良いのだろう。

「あの、ツクヨミを、助けてくれるの……ですか?」

きっと言われるがままに行っただろう造魔の少女。助けて欲しいなどと考える情動も持ち合わせない、一連の事態における最大の加害者にして最小の被害者。

サマナーは楽しげに笑ってその口を開いた。

――俺のアームターミナルにはまだ空きがあるからなあ……っ!

造魔とは肉体を持った悪魔の一種であり、当然ながら、悪魔使いは彼等を従える事が出来る。

――ははははははははっ! ウリエル君のついでだが、ヘカーテちゃんにも存分に踊ってもらおうじゃないかあ!!!

狂気的な哄笑を場に響かせる少年を前にして、鏡は悪魔に魂を売ってしまった無垢な罪人の心持ちで震えるしかなかった。

――あ、メガネ。お前にも頼みたい事があるんだ。

そしてついでのように頼み事をされたメガネは今現在、頑張って街中を走り回っていた。

「え、えーと、一郎は5番の機械をあのお店のカウンターに置いて来てねお願いね、出来るだけ早くね、早くねー」

がっちょんがっちょん快音を立てる金属質の歪な人型。メガネの従える造魔『一郎』が、命令に従って動き出す。

荷台にこれでもかとばかりに様々な機器を積み込んだ、一台の軽トラック。
引き篭もりの癖に普通自動車免許を所持しているメガネは、街の其処彼処に悪魔を誘き寄せる術式をデータ化したアプリ『エネミーコイコイ』をインストールされた小型の機械を設置して回っていた。

市街地の地図を軽トラック型COMPの大型ディスプレイに表示させて、設置済みの座標を確認する。
市街地内に多数設置した『エネミーコイコイ』で溢れ返る悪魔の群れを分散・集中させて一般人への被害を抑える。人の集まりが多い箇所へは、逆に悪魔を遠ざける術式アプリ『エネミーララバイ』を設置。悪魔の分布状況によっては、軽トラック型COMPからの遠隔操作で複数機器の起動と停止を切り替えて一般人に被害が出ないように誘導する。

「あ、相変わらず人使いが荒いよ、荒いよー」

護衛として造魔『二郎』『三郎』も傍に居るが、メガネの弱音に反応してくれる人間は居ない。
元来 人には好かれないメガネが傍に置くには、感情を持たない造魔こそが適切だったが、最近は沢山の知り合いが周囲に居たのだ。今の状況には寂しさを感じてしまう。

あの少年と出会ってから、自分の周囲は一変したと言っても良い。
ファントム時代からずっと親しい人間など居なかったというのに。その点に関して、メガネはサマナーに深く感謝していた。

「で、でも実際辛いよこれは、本当にさ、本当にさー」

他に役目のある者達はほぼ全員、危険度の高い戦闘区域に関わらざるを得ない。自分に割り振られた役割が比較的安全なものだと分かってはいたが、それとて絶対に安全かといえば全くもってそうではないのだ。
今も襲ってきた悪魔数匹に対し、物言わぬままの二郎が迎撃に出ている。
友人に頼られた事は嬉しい。応えたい。だが危険なのは嫌だ。他に比べるとまだマシな部類の危険ではあるが、辛い。

「ふぁ、ファントムよりはマシだけどさ、マシだけどさー……!」
「ほう、お前もファントムの人間なのか。それは奇遇だ、都合の良い偶然だな」
「ん、んんー……っ?」

振り向けば、色取り取りのジャックフロストに取り押さえられた二郎三郎と、猫のようであり悪魔のようでもある人型の天女『センリ』に抱えられた一郎が居た。
そして何よりも、メガネのすぐ目の前にはよく見知った男、ファントム所属のダークサマナーであるジョージ・バットマンが立っている。

「コウモリ。胡散臭い黒幕風の演技はやめて、代わって下さい」
「っぐ! そ、その剣を俺に向けないでくれ、ライドウっ!」

唐突に殴られて視界から消えていくバットマンに代わり、新たに現れたのは黒い少女。
どこか友人である少年を思い起こす全身黒尽くめに、基本的に異性と縁のないメガネが予期せぬ親近感を感じていると、――眉間に日本刀の切っ先が突き付けられていた。

「ライドウはよく話を聞く子だとゴウトも言っていました。その上でお聞きしますが、――貴方の有している情報を今此処で残らず余さず一切全て、このライドウにお教え願えませんか」

見下ろす視線が、何かとても恐ろしいものを感じさせる。
ゆっくりと両手を上げたメガネがぼろぼろと涙を流す様を見ても、向けられた刃は一切ぶれる事が無い。

「と、友達は裏切れないよ、裏切れないんだよーぉ……っ」

恐怖に泣き出しながらも己の生命を諦めた、友情溢れる中年男の末期の言葉。

これにはライドウも困った。先立って微塵斬りの刑に処した半裸男とは全く異なる反応である。悪魔関係者など大抵メンタルの強い人間か、常軌を逸した者ばかり。まさか刃物を突き付けた途端に泣き出すヘタレが居るとは全く予想していなかった。
この業界、力で押し通す事が最も手早く、外れが無い。比類無き力をもって己の価値観を押し通す、新たな道に目覚めたばかりの野生児ライドウは、こうして再度の転機に出会うのだった

そしてあからさまな苛め現場に、事態を見守っていた仲魔達も遂に堪えかねて口を出す。

「ら、ライドウさー、私もさー、これは流石にやり過ぎじゃないかなー、って」
「ゴウトが怒るんじゃないかねぇ……」
「えっ。……らっ、ライドウが悪いのですかっ?」
「……悪くないと思っていたのか、お前」

仲魔達から向けられる控えめな叱責にうろたえるライドウと、本気で己の刀剣外交が正しいと思っていたらしい帝都守護役の態度に大量の冷や汗を流すバットマン。

迫り来る死の恐怖に対し一人静かに泣きじゃくる中年男と、周囲からの指摘にオロオロと視線をさ迷わせながらも刀の切っ先を逸らす事の無い少女。周辺の警戒を終えて合流したゴウトがライドウを叱り付けるまで、その状況が好転する事は一切無かった。

こうして。
紆余曲折を差し挟みながら、どこか致命的に間違った正義の味方が、ようやく戦場へと辿り着く。





未だに主人公と会わないどころか、いたいけな中年メガネを泣かせるヒロインが居るらしい第二十七話です。
(ヒロインの)代わりは居るので大丈夫です。本当はもっとキャラが突っ走っていたのですが、これでもこっそりと描写が大人しくなったライドウなのです。

続いたりする未来があるのですか。



[40796] 第二十八話 大天使と僕
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/09 23:57
その頃サマナーは当然のように死の淵に立っていた。

――うおおおおおお! 助けてソロネェエッ!!

「承知」

全身を包む込む、吐き気を催すほどの緊張感。かつて異界で緋熊と殺し合った際にも感じた、迫り来る死の気配。

ウリエルへの多大なる隔意を脇に置いて、正直に述べよう。――死にそう。

大天使の位階は遥か遠く、怒りに呑まれたウリエルの雷光はアデプトと共に数々の戦場を駆けてきたソロネをたかだか二、三発で殺しかねない。余波に触れただけでも即死が確定しているサマナーは戦闘開始からずっと、後衛にてアイテムを用いた援護と嫌がらせを行いつつ、ウリエルからの攻撃全てをソロネに庇ってもらう事でようやく死なずに済んでいるという体たらく。

消耗を一切考えずに全力で殺しに掛かるウリエルの強大な力は、メシア教団の霊地から受けるバックアップによる所が大きい。
元々強い大天使が、全力を維持したままの長期戦さえ可能としている。そして今現在、教団敷地と外との境界線を越えない立ち位置から魔法攻撃を行うウリエルは、怒りに身を任せながらも自身の絶対的な優位性を保つ霊地の加護を忘れていない。そんなものが無くとも勝てるというのに、決して正門よりも前へ出て来ない。
はらわたは煮えくり返っているだろうが、頭の中に一欠けらの冷静さが残っており、己の利を維持するという最後の一線を越えてはいなかった。

サマナーとしては、相手が動かないというのならこのまま逃げたい所だが――。

教団から離れる気配の無いウリエルを見る。顔に浮かんだ憤怒の相は消えていないが、思考する事を捨ててはいない筈。ならば此処から後ろへ退いてはいけない。此処でサマナーとソロネが退けば、ウリエルの背後に居るだろうメシアン達がどうなるか分からない。
霊地の価値を身をもって知るウリエルには、霊地から外に出ないという縛りがある。それは間違っていないが、こちらも相手の攻撃が届かないほど遠方に退けばメシアンを人質に取られてしまう。いや、既に状況は人質に取られているのと変わらないのだ。

だからこれ以上は離れられない。ならば近付けばどうなるかと考えれば、きっと今よりも厳しくなる。
大天使ウリエルは魔法攻撃よりも、物理攻撃にこそ長けているのだ。
遠距離からの魔法滅多打ちは恐ろしいが、まだソロネの能力に頼った専守防衛によって戦況を維持できる。しかし近付いてしまえば魔法よりも強力な近接物理スキルによってソロネが討たれる可能性が高まるだろう。ソロネが落ちればサマナーはあっさり死亡する。今でさえ相手の攻撃への反応が遅れ気味なのだ、矛先がソロネからサマナーに向けば、絶対に死ぬ。

――足元見やがって、だから顔が青いんだよ、お前は!

「……今すぐこちらへ来い、汚い罪人が。我が白刃をもってその首を叩き落としてやろう!!」

天使への敬いなど欠片も見せぬ軽い罵倒で相手の反応を窺えば、しっかりと怒鳴り返された。ここに至るまでの一連の行動で、もはやサマナーが何を言おうと、何をしようとも腹を立てる状態に陥っている。問題は、相手をどれだけ怒らせたところでこちらに利する事が無い厳しい戦況にある。
どれだけサマナーに対する殺意を漲らせても、ウリエルが霊地から外に出る事は無い。
相手の魔法攻撃が届かないほど距離を取ってしまえば、大天使から事実上離反しているメシアンがどんな目に遭うか分からない。きっと碌な事にならないだろうが。

そしてどれだけ冷静さを欠いていた所で、このまま持久戦を続行すればこちらが負ける。今でも敗北寸前なのだ、最初から最後まで二人分のダメージを一身に背負い続けるソロネへの回復措置が間に合わなくなれば、自身の勝利を確信したウリエルは一時的に霊地から離れてでもサマナーを殺しに来る。そうなれば全部終わりだ。抗えよう筈も無い。
これ以上の時間稼ぎなど不可能。ソロネが倒される前に、拮抗し切れないこの戦況を変えなければならない――。

「『神の雷光』」

『電撃反射』以外の属性耐性を『貫通』する、広範囲への大威力電撃属性魔法。

――耐えろ、ソロネ!!

仲魔を放置して、自分自身に対して魔法反射効果の魔道具『魔反鏡』を使用する。
大抵の魔法ならばソロネが矢面に立つ事でサマナーへの被害を完全に庇い切れる。だが広範囲に広がる電撃魔法は無理だった。範囲が広過ぎる上に複雑に動いて襲い掛かる電撃を、どうやってソロネ一人で受け止めろと言うのか。
僅かでも電撃に触れればサマナーは死ぬ。だからソロネを放って自分を守るしか無い。

「そら、追撃だぞ罪人ッ!」

笑うウリエルから、再度の雷光が放たれる。
更にもう一枚の魔反鏡を翳し、再びの反射。跳ね返された電撃が発生源へ舞い戻ろうと、『電撃反射』の属性耐性を有するウリエルにとっては気にする事ではない。

地は砕け、場に荒れ狂う電撃によってソロネが焼かれ、ようやく暴れ回る電撃が消えた。

「あと、幾つあるのだ? 回復も、反射も、道具頼りの貴様では後どれほど持ち堪えられる!?」

厭らしく笑う大天使は、もはや急いでサマナーを殺したりはしない。
このまま時間をかけて魔道具の消費を強いれば、遠からず自分が勝つと分かっている。

怒りの表情が消え、嗜虐的な笑みが浮かび始める。実力差は戦闘開始時から明白だったが、目の前に立つ罪人と天使は既にウリエルにとっての敵ではなく獲物となっている。大天使の勝利が確定した状況で、それでもサマナーはメシアン達がウリエルに害される可能性を考えれば逃げ出す事が出来ない。
斬り殺すか。焼き尽くすか。さてどうやって嬲り殺すか。
罪人に相応しい、己の罪を自覚出来るような無惨さが良い。ウリエルはもはや勝利した後の事しか考えず、笑みを浮かべた顔とは裏腹に、淡々と哀れな獲物を追い詰めるための手順を進めていく。

既に趨勢は決していた。
そう考えて当然の状況で、そうならないために手を尽くすのがサマナーだ。

――あっ、そろそろ塾の時間だあ!

アームターミナルが着信を告げる。
目を向ける事もなく準備完了を知らされたサマナーは、酷く場違いな歓声を上げてウリエルの注意を引き付けた。

「はっ?」

それとほぼ同時。――ウリエルに齎されていた霊地からの加護が消え失せた。

先程まで潤沢に供給されていたマグネタイトが、大天使の元へと送られてこない。
思いがけぬ状況に驚愕ウリエルが咄嗟に周囲を見渡した。
何が起こったのか。状況を把握しようと霊的な視覚を開き、ようやく悟る。

メシア教団本部、正門。
教団敷地内のごく一部だけが、霊地との接続を切断されていた。

「……なっ、何を、っまさか貴様が霊地を!?」

さて、サマナーには三体の仲魔が居る。

天使ソロネ。
天使パワー。
外道スライム。

この場に居るソロネ以外の二体が何処に行ったのか。
そしてそもそもの話、ウリエルがこの場に駆け付ける切欠となった唯一神への罵倒。大天使が最初に腹を立てた口汚くも罪深き罪人は、果たして今、何処に居るのだろうか。

「はーっはっはっはー! 偉大なる我の偉大なる知識ー! 霊地の一角のみを切り離すくらいわけないぞーっ!」
「お許し下さい、アデプトよ。貴方の設けた教団の護り、我がサマナーのために崩させて頂きました……」
「これって犯罪だよな……、俺って本当にこいつらと一緒に居て大丈夫かな……っ」

正門前の騒ぎに乗じて敷地内を駆けずり回ったパワー達は、相応の時間を掛けて教団の霊地に手を加えていた。

土着神たるミシャグジ様の搾り滓、外道スライム。
教団に長く居付き、最高幹部アデプトに仕えた天使パワー。
雑用係の青年。
そして最高幹部アデプト・ソーマの、最も信頼する仲魔。――天使『ソロネ』。

メシア教団本部の敷地は広大だ。長年の調整によって一種の聖域と化したその支配領域は、万が一の事態、陣地としての護りを考えれば余りにも広過ぎる。
事を行なったアデプトとて、今回のような大規模異変は想定していなかっただろう。だが危急の際に教団内の非戦闘員や避難のために受け入れた信徒達を守ることを考えれば、防衛に不向きな広大な敷地は、戦闘可能なメシアン達へ大きな負担を強いてしまう。
そういった事態に備えて、霊地の基点と、逃げ延びてきた非戦闘員を匿う防衛設備の整った巨大礼拝堂を残し、敷地内を一区画ごとに大本の聖域から切り離す、非常用の備えがあった。

陣地面積が狭くなれば必要な人手も少なく済む。防衛のための人員は広範囲に散開すること無く、狭く厚く、固い守りが築かれよう。
広くて困るのなら、狭くすれば良い。単純な考えだ。

長年アデプトに仕えていた天使ソロネがその仕組みを知り、利用する事が出来るのも当然の事。
教団の用意した聖域を、人々に不利益を齎す大天使のために使うなどあってはならない。ならば奴から取り上げてしまえ。

始めからそういう予定だったのだ。霊地の操作に必要な準備さえ揃えておけば、ソロネがその現場に居なくとも問題無い。

――畳み掛けろ、ソロネっ!

「喰らうが良い大天使っ、『プロミネンス』!!」

霊地からの加護が消えて動揺したウリエルへ向ける、渾身の一撃。
複数回に渡って爆ぜる火炎魔法が大天使の全身を呑み込み、――燃え盛る炎の奥から無傷のウリエルが一歩を踏み出した。

「そのような炎が効くものか、蒙昧がアッ!!」

大天使ウリエルの有する属性耐性『火炎無効』。
如何なる大威力の魔法も、火炎属性であるならば効果は無い。
そして当然、そんな事は折込済みだった。

「ウリエルウウウウ――ッ!!!」
「馬鹿め、分かっていて接近戦を避けていたのだろう?」

炎によって閉ざされていた視界、その隙を使って距離を詰めたソロネの突貫。
右手の剣を翻したウリエルが愚かな天使を切り捨てようと笑い、――しかしその一撃が弾かれた。

「――っ! 『テトラカーン』だと?!」

サマナー側の手持ちに対・魔法攻撃用の魔反鏡があるのなら、対・物理攻撃用の物反鏡もあるのは当然だ。一撃当たれば死亡確定の戦闘で、双方揃えず大天使に挑もうなど、自覚ある格下がやるわけが無い。

プロミネンスによって視界を閉ざした数秒の間隙、ウリエルへの突撃に備えてソロネに施された『物理反射』効果。
予期せず跳ね返された一撃の重みがウリエルに痛打を見舞い、更に燃える車輪ごとぶつかって来るソロネに、流石の大天使もその体勢を崩される。
だが足りない。

「この程度でェっ、勝てると思っているのかァア!!?」

――勿論、思っていないさ?

多少の手傷は与えただろう。だが実力差は歴然だと何度も繰り返し確認している。

冷静さを奪った状態からの開戦、アイテムを湯水のように消費しつつ相手が煩わしく感じるくらい徹底的に防御姿勢を保ち、戦闘の要にしてサマナーの盾であるソロネにダメージが蓄積したらその都度 回復、戦闘時間が延びるほどウリエルは冷静さを取り戻していくだろう、持久戦の様相を呈し始めて以降はサマナー側の戦術の要であるアイテムの存在をよくよく理解させ、いつ備蓄が切れるものかとウリエルが舌なめずりし始めてようやく、第一段階の終了。

ここまでの行程で霊地操作に要するだろう時間を稼げていれば、上等だ。

教団敷地内に侵入させていたスライム一行が霊地からの支援を奪い取り、唐突な加護の剥奪に驚くウリエル、その隙を突いて大威力の火炎魔法、「畳み掛けろ」という言葉まで添えて必殺の一撃と見せかけたソレで視界を閉ざし、火炎耐性によって無傷だからと嘲笑いながら反撃に出ようとした所をソロネによる奇襲、近接戦闘に長けているウリエルは当然のように対応する、得意分野故に咄嗟に出るだろう物理属性攻撃による迎撃を事前に使用した物反鏡の効果で跳ね返し、更に駄目押しの全身体当たり。

――などと。
高々この程度で大天使ウリエルに勝てるなんて、そんな馬鹿な事を思うわけが無いだろうッ!

――こんな程度の低い戦術で挑むとは、俺もまだまだ甘いな……。

己が未熟を自覚するサマナーは我が身を恥じ入るばかり。袋詰めにした万能属性『メギドラストーン』1ダース入りを振りかぶると、攻撃反射と体当たりの二連続攻撃によって地面に押し倒されているウリエル目掛けて全力投擲。
大天使を地面に押さえつけたソロネは、メギドラ袋が当たる直前にアームターミナルを操作、即時の強制送還。

紫炎に燃える十二連続爆撃が正門とその周辺を破壊した。

万能属性攻撃を防ぐほどの特殊な耐性を、ウリエルは有していない。そんな度を越した理不尽が有り得たとしても、『万能耐性』獲得が精々だろうと予測している。無効と反射と吸収、厄介な三種の耐性を持ち合わせていなければ、この一撃は間違いなく効果が見込める。
だがこれで倒せたなどと考えてはいない。油断はしない。自分が弱いと知っているから、あの空の月を落とすまで、サマナーは絶対に安心出来ない。

アデプトと共に戦い続け、鍛え上げられた天使ソロネだからこそ、防御に徹する事で辛うじて生き延びた。出来るならばサマナーが戦場に立つなどという足手纏い同然の自殺行為はやりたくなかったのだが、ウリエルに扇動されたメシアンの思考誘導は同じくメシアンであったサマナーがやらなければならない。戦闘中、何度死ぬかと思っただろうか。戦闘中にウリエルを上手く踊らせるための情けない言動がいくつかあったが、その内の半分が本音だった。

『SUMMON DEVIL』

――ソロネ、ウリエルの警戒を頼む。

「御意」

ソロネの再召喚。相手に一撃見舞った程度で油断していれば、あっさり死ぬのが現実だ。
アームターミナルを操作して、霊地操作の補助に向かわせた青年へとメールを送る。
続いてパワーとスライムの遠隔送還。再度の召喚はしない。大天使を相手にすれば、実力の足りない仲魔を揃えても要らぬ的を増やす結果にしかならないからだ。

スライム達をアームターミナルに送還する事で、結果として青年が一人教団施設内に取り残されるが、此処が古巣だと言っていたからきっと大丈夫だろう。教団内でやるべき事もメールで指示しておいた、此処でウリエルと対峙するよりも安全だから、きっと喜んで働いてくれると思う。
メギドラストーンの連鎖爆発によって物の見事な大惨事となったメシア教団の正門前は、市街地への救助に向かったメシアン達が利用するには多大なる問題があった。あの青年には頑張ってメシアン達に対する進路誘導を行なってもらわなければ。

「……ころしてやる」

天使にあるまじき言葉が耳朶を打つ。
たったこれだけで腹を立てるとは、最近の神の使いは心が狭いとサマナーは思った。
なので親切心から忠告してあげよう。

――もっと心を広く持とうよっ、ウリエル君っ!

「っクァッァアアアアアアアアアア!!!!!!」

健気で献身的な野球部マネージャーのようなノリで握り拳と共に愛のある説得を行なったというのに、残念ながら彼の心には届かなかった。真に遺憾であると大きく溜息を吐いたが、それが更にウリエルの神経を逆撫でする。

ここまでやれば大天使の冷静さも品切れだろう。――ほくそ笑むサマナーはソロネの影に隠れたまま、すぐさま再開されるだろう更に苛烈となる戦闘に備えて懐を漁った。

そこに空から落ちてくる赤いナニカ。

地面に叩きつけられたそれは酷く赤かった。
赤い衣服と、赤い頭髪と、血で赤く濡れた赤い熊。――辛うじて生きているらしい緋熊が地面に転がった。

「――そら、望み通り釣られてやったぞ、人間よ。さあ、さあさあさあっ、次の一手は何があるッ!?」

自分は随分と熱中していたようだ。此処に至るまで全く接近に気付かなかった魔王ヘカーテの笑い声に、サマナーは己の緊張と視野狭窄を今頃悟る事となった。

「つ゛……、っつれたぞぉ」

地面に倒れたまま全く動けない緋熊の、血液混じりの小さな達成報告。
果たしてこの状況は目論み通りに魔王が釣れたと喜んでも良いものか。三つ首の魔王ヘカーテ、そのあらゆる意味で混沌とした威容を目にしたサマナーは、前後から向けられる高位悪魔の威圧感にちょっとだけお腹が痛くなった。

――ええ、ありがとうございました、緋熊さん。

地に垂れたまま動かないボロボロの右腕。拾い上げたその手の甲に小さな口付けを落とすと、熊の耳元に優しく囁く。
仲魔が一体も生き残っておらず、瀕死寸前の状態に陥って、それでも己の役目を果たしてくれたのだ。今回ばかりは素直に褒めてやろう。手の甲へのキスは熊へのサービスである。

「お゛っ、ぉー。……あ、あとでも゛う一回それ口に」

――さて、退くぞソロネ。

熊が何か言っていたが、無視。
ようやく魔王と大天使の対峙が叶った。あとは手早く両者をぶつけて次の場所に向かわなければ。

「『虚心』ンンンッッ! 貴様、よもやその混沌の魔王と――ッ!!」

いい具合に勘違いをする大天使。

「んんー? ……っ、はははは! ああそうだ、よく分からんがそういう事で良いぞ! さあ、唯一神の奴隷よ家畜よ愚かな傀儡よっ! このヘカーテが気に喰わぬなら今すぐにでも殺し合おうか!!」

好戦的に、それこそ戦えるのならばどうでも良いとばかりに受けて立つ魔王。

メガネから聞いてはいたが、こいつは想像以上に頭がおかしい。戦えれば何でも良い。殺し合えるのならどうでも良い。ここまでの道中でろくに手傷を負っていないらしいヘカーテは、余裕の笑みを浮かべてウリエルに喧嘩を売った。
すごく不気味だ。状況の推移はこちらの目論見通りだが、あの余裕は己の無敵性にそれ程の自信があるからだろうか、それとも殺し合いに臨めさえすれば死のうが殺そうがどうでも良いという狂った価値観か。あれが極まった『混沌(CHAOS)』なのか、と理解不能なケダモノに対する思索を打ち切り、サマナーは腰元から拠点帰還用の魔法が封じられている『トラポート』の魔石を取り出した。

ウリエルがこちらに向かって来る。その顔は、もはや霊地内から攻撃しようなどと考えていない。手ずから殺してやると表情が語っていた。
ヘカーテが笑いながら両手を掲げる。冷たく輝く氷結魔法の先触れが、標的など定めずに解き放たれようとしていた。

前門の大天使、後門の魔王。
だが魔石を用いた離脱行為が間違いなく成功するだろう間合いだ。問題ない。
ないのだが。

――なんか、釈然としないな。

『欲を掻くなよオスザル。此処で退くのは貴様が決めた事だろうが』

自分自身が無傷のまま、戦場から離脱出来る。実に上等な退き際だ。
だがどうにも、自分の目論見が上手くいく事態に納得がいかない。まだ見逃している要素があるのではないかと、手にした戦果に疑いの目を向けてしまうのだ。
小さな勝ちならともかく、納得出来る大きな勝利を得た経験が不足しているからだろうか。

大天使と魔王を前に悠々と逃げ出すなど、本当に自分如きが成し得ても良いのか。どこかに落とし穴があるのではないか。酷く悩ましいが、――そこまで執拗に考えていては、もはや被害妄想の域となる。
考えても仕方が無いのだ。上手くいったのならそれで良い。傍らで演技ではない死んだ振りを披露する緋熊を掴んだまま もう片方の手に握った魔石を発動させ、最後に一度だけウリエルに向けて笑顔を向ける。

――じゃっ、お疲れ様でした、天使様っ!!

発動する転移魔法。
炸裂する氷結魔法。
絶叫する大天使。

開き切った口腔から血と唾を盛大に撒き散らすウリエルがこの場から姿を消した汚らしい小僧の行方を考える暇も無く、居残った大天使に向けて腕を振りかぶったヘカーテ、――の頭上。

「はーい、これで『ラスタキャンディ』三積みだよーっ」

振りかぶられた魔王の片腕。その更に上空から、白刃を携える黒い影が濁り無き殺意と共に己が最強の一撃を見舞った。

「っがあああああああああッッッ!!!!!」

一息に切断され、宙を舞うヘカーテの右腕。
魔王の生き血が空に赤い軌跡を描き、地に舞い降りた少女の黒尽くめを僅かに染めた。

「――ライドウ見参、です」

自身の違和感が本当は『何』を察知してのものだったのか。既にこの場から姿を消した少年が真実に気付く事など永遠に無く。
僅かな擦れ違いを起こした上で、此処に月世界における最強の三竦みが完成する。

天上の月は未だ翳る兆しなど一切無く、新月の夜空に君臨している。
新世界における第一夜が明けるまでには、まだ少しだけ時が必要だった。





素直にオレTUEEEものを書くべきだったかと戦闘描写に頭を悩ませる第二十八話です。
レベル12でウリエルやヘカーテに挑ませるのは流石に無理があった気がするのですが、このままなら今月中には完結すると思うので頑張ります。

続かぬ世界線にいるのですか。


※2015/01/09投稿
※2015/01/09描写差込「傍らで演技ではない死」以降一文・「自身の違和感が本当」以降一行



[40796] 第二十九話 月下美人
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/10 00:00
復調した熊と鏡と道を急げば、サングラスの半裸が其処に居た。

「緋熊か、暫くぶりだな。それとそっちの奴は、まさか――」

ライドウ一行に捕らわれたメガネは一切口を割らなかった。
護国組織ヤタガラス所属であるという葛葉ライドウ。悪魔関係者にとってある種の鬼門とされるその名と、傍らに付き添う黒猫ゴウト――『業斗童子』。此処まで揃えば疑う余地は無い。無いのだが、友人である少年の作戦が開始された後に更なる追加要因とくれば、此処は指示通りに動くだけのメガネに判断出来る範疇には無い。

作戦開始以降の経過時間から考えて、既に大天使と戦闘中であろうサマナーに連絡を取ろうにも、命の賭かった状況では着信一つが致命的な邪魔モノとなるかもしれない。
情報を提供後のライドウ達の行動が、友人の邪魔になるかならないか。
そもそも自分が判断したとして、その結果は損益どちらに傾くものか。

考えた結果、メガネは黙秘する事を選択した。

自分では情報提供の可否が判断できない。その確認のためだけに戦いの最中にある友人の邪魔は出来ない。だから口を閉じて震え続けた。
この時のメガネの行動の是非を問えば、それは正しくもあり、間違ってもいるだろう。

ライドウ一行は魔法による精神干渉を用いた尋問も視野に入れつつ今後の予定を決めかねていたが、結局は軽トラック型COMPのディスプレイに表示されたマップより得た情報等から判断して、当初の予定であるメシア教団への急行を優先した。
メガネの見張りに、ゴウトとバットマンを残したまま。

「お、お宅ー、ごめんよ、ごめんよー。ま、まだ機器の設置半分も終わってないよ、終わってないよー……」

小型の機械に『エネミーコイコイ』及び『エネミーララバイ』という悪魔への誘引・放逐効果アプリをインストールし、それら二種の複合作用によって市街地の悪魔達を生き残っている一般人から引き離す。それがメガネの役割だったのだが、御覧の有様である。

「成程な。緋熊の指示、ではないな確実に。では、やはりそちらの小僧か?」
「おいクソホモ、お前今なんで私じゃないって判断した?」
「……言わなければ分からないのか!?」
「ぶっ殺すぞオラアアア!!」

どうでも良い寸劇は放置。そしてサングラス男の反応からすれば、サマナーがかつての『悪食』であると理解しているようだ。未だに気付かない熊とは違って目端の効く男だ。もっとも、あの異界でアデプトに降伏して帽子を脱いだ際に顔を見られていたからこそではあるが。
ここで場を引っ掻き回されても困る。『悪食』関連の話は、叶うなら未来永劫 緋熊から引き離しておきたいのだ。

そして早く話を進めたいのはサマナーだけではない。
傍らで起こった口喧嘩を遮り、ゴウトと名乗った一匹の黒猫が前へ出る。

「――それで、お前達は一体何を望んで此処に居る」

『ファントム・ソサエティ』という組織はかねてより造魔の研究を行なっていた。

召喚・維持に要するコストを必要としない、人造の悪魔。
契約者に決して逆らう事のない、従順な奴隷。
悪魔使いが欲する性能を実現可能な、成長の多様性。

それらは造魔という概念が生まれたばかりであった当時においては、余りに都合の良過ぎる考えだと一笑に付されてしまうようなものだった。現にどれほど研究を重ねても確かな実績を上げられず、実現可能だとは思えない、まさに夢物語。

転機が訪れたのは、魔王『ヘカーテ』の召喚からだ。

魔術の神であるヘカーテの登場によって、造魔研究は大いに発展した。
まずは悪魔とそれ以外の存在を融合させる技術を確立させるため、ガイア教団から人と悪魔を合体させる非合法研究の成果『悪魔人間』の資料を買い取り、それによるデータの収集を行った。
ファントムの研究部による実践にあたって多数の犠牲が出たが問題は無い。しかし悪魔人間では造魔製造の足掛かり程度にはなっても、人間の魂を用いる悪魔人間は造魔と根本的に異なるという結論が出る。未知の技術を生み出すには失敗も付き物と、出来上がった悪魔人間達は全て失敗作の判を押して処分の運びとなった。
その中から有用性を示して生き延びた者も僅かに出たが、大した問題ではない。

小さな成功と大きな失敗を重ね続け、ようやく一定の成果が出る。――後に造魔製造に不可欠となる造魔素『ドリー・カドモン』の開発であった。
しかし、そこに至った段階でファントムの造魔研究は頓挫する。

ファントム・ソサエティの壊滅である。

組織の最上層、集団の舵取りを行うもっとも重要な立場の人間が、ヤタガラスとの戦いによって全滅した。
その際、混乱に乗じて組織を抜け出した研究員の内 一人が造魔製造に必要なドリー・カドモンをこっそり三つほど失敬して姿を消したが、本社ビルと共に瓦礫に沈んだ研究部跡地から失われた全機材の確認など、十全に行なわれるわけがない。状況からして盗難者の摘発は不可能だったし、これも大した問題ではない。

中層から下の人員はほぼ丸ごと生き残ったが、彼等では組織としての形骸を保つ事は出来ても、社会の裏側に大きく手を広げたダークサマナー組織たるファントム・ソサエティの活動を継続させるには不足が過ぎた。
だが元よりこの組織が何を目的としているのか、全てを知る者なぞ上層陣しか居なかったのだ。ファントムに多数のダークサマナーが集う事は変わらず、しかし割と常識の範疇に収まった営利組織として存続する運びとなる。
もっともその一年後、ヘカーテの生存発覚によって、そんな平和な日々は即座に消え失せたのだが。

平穏という名のぬるま湯に慣れてしまったファントムの組織人達が、かつての上層陣と共にあった強大な魔王に抗えようか。
力が足らず、意思も届かぬ。
結果としてファントム・ソサエティは魔王ヘカーテの意のままに従う組織へと成り下がり、ヘカーテが多数の眷族を用いて支配したガイア教団との同盟を結ぶ事になったのだが、――今此処で重要なのはそこではない。

ヘカーテは全盛期の能力を取り戻す為に、造魔研究を更に進めた。
どうやって己が霊体を癒すか。忌々しい護国組織や他の組織に気取られず、傷付いて半ば腐った身体では戦えないため暗躍に徹し、何よりも魔王の歪んだ愉悦を満たすには、どうすれば良いのか。

その望みを叶える為に、後に一人の世界的アイドルが誕生した。
人と寸分変わらぬ外見、しかし確実に人とは異なる組成によって組み上げられた、人類型造魔。

今、自身のためだけに建造されたライブ会場の中心で月を見上げる一人の少女が居る。
ヘカーテのために生まれ、ヘカーテの望みに沿って動かされ、ヘカーテの復活を成した事で己の存在意義を失った、一匹の悪魔。

完全造魔『ツクヨミ』。

周辺に倒れ伏す死骸の群れに視線を向ける事さえせず、己の産み出した偽りの月に向けて歌を歌う。
美しい歌声に耳を澄ませてくれる者は誰も居なかったが、何も持っていない造魔にはそれくらいしか出来る事が無かった。アイドルとして活動するように教育され、言われるがままに行なってきたルーチンワーク。文字通りの意味で新時代を切り拓くため、神事の巫女たる歌姫『MIKOTO』を演じる事こそ彼女の日常。歌を歌う事はその造魔にとって、呼吸や食事と同列のものだ。
いつも通りの薄い笑みを浮かべて、いつも通りにアイドルとして歌い上げる。

もはや彼女を縛る契約は無い。久方ぶりの闘争に酔うヘカーテは彼女個人には目もくれず、名目上 所属しているファントム・ソサエティはこの突然の異常事態の中で組織として機能不全を起こしていた。
だから今の彼女には誰も居ない。自分で産み出した新月の月以外には誰も目を向けてくれはしない。
それを寂しく思う感情は持たず、此処から先の未来に不安を感じる理由も無い。

彼女は真っ白な存在だった。
ファントム・ソサエティという組織が所有する、しかしその実態は闘争に飢えた魔王の命令どおりに振舞う虚ろな偶像。かつて天津神であった頃の名残りなぞ力以外には残っておらず、産みの親とも言えるヘカーテとは一度たりとて顔を合わせる事無く、神事の祭具としか見られていない。
彼女の存在を知るファントムの人間は魔王の勘気に触れる事を恐れて声も掛けず、何も知らないが故に傍に居られたマネージャーの鏡がちょくちょく構ってはいたが、ツクヨミ自身はそれら全てに関心が無かった。
きっとヘカーテが命じ、組織からそれを伝えられたのなら。「死ね」と言う命令にすら惑わず従っただろう、無垢な人形。

ああ、ならば拾ってやろうではないか。

遊び終わって捨て置かれた人形が落ちているのなら、拾い上げて埃を払って、名前を書いた後に可愛がってあげよう。
感情を持たない真っ白で無垢な赤子が居るのなら、拾って抱き上げ引き取って、名前を付けて育ててあげようじゃないか。

生きた人間など誰も居ない、造魔一匹が歌う広々としたステージの上に。
人一人分の、小さな拍手が鳴り響いた。

――初めて聞いたけど、けっこう上手いな、お前。

顔を隠す黄色の仮面に描かれた、シンプルなニコマーク。
左腕に手甲型のCOMPを取り付けた一人の少年。

「……虚心さん?」

――こんばんは、ツクヨミさん。遅刻しちゃったけど、まだこのチケットは有効かい?

ひらひらと揺れる一枚のライブチケットを右手に持って、この場にそぐわぬ仮面の怪人が笑っていた。

「来ちゃったんですか」

――来ちゃったんだよ。相変わらず失礼な奴だな、お前。

ぽつりと言葉を落とす造魔からは、先程まで浮かべていた笑みが消えている。
それが演技ではない彼女本来の表情であり、或いは目の前に立つ怪人に心を開いている証明かもしれない。

造魔には感情など無いけれど。永遠に感情が芽生えぬわけでもない。
人を模ったツクヨミとは異なるが、造魔三体を従えるメガネの中年男が言っていた。――もしも己が精神の形『虚心』を露わにしたのなら、その無感情な振る舞いこそが幼い造魔の親愛表現なのかもしれない、と。
自分は意外と懐かれているのかもしれない。そうなった理由など、『虚心』という単語一つしか思い浮かばないのだが。

感情を持たない、生まれて二年目らしい目の前の少女は、生後二年目の赤子と同じだ。
ほんの少しでも執着する何かを自分に感じているのなら、多分どうにかなるのでは無いかとそう思う。

仲魔として、ではあるが。生まれて初めて女の子を口説くというシチュエーションに、サマナーは実は少しだけ緊張していた。
熊は当然 別枠である。メシアンの少女に関しては、どう判断するべきなのか。

小さな溜息を吐いて、視線を巡らせた。

広い広い会場内は、何処を見渡そうとも死屍累々。
この場に生きている人間は他に居ないようだ。そしてこの状況でも振る舞いに違和感を感じさせないツクヨミは、成程、確かに虚心。同情や哀れみ、恐怖の情を持ち合わせていないのだろう。
それが後々、どういった状況を引き起こすのかを考えれば頭が痛いが。

――男女の恋愛に興味はあるか?

「アイドルですから」

成程、ファントムのアイドル教育はしっかりしているようだ。アイドルに恋愛は御法度、もっともな話である。
ふるふると頭を左右に小さく振り回す少女を見て、話題選択を間違ったかと奥歯を噛み締めた。

正直に言えば、どうやって仲魔に勧誘するかを全く考えていなかった。スライムは状況に流されて、パワーは弱みにつけ込んで、ソロネはアデプトの遺言故に。なんとも仲魔に恵まれない悪魔使いが居たものだ。戦力的にはソロネ一匹で充分だが、今度から悪魔会話にも精を出そうと決意する。

感情など見えない無表情でニコマークを見上げる少女を前に、少し挙動不審なサマナーはまるで告白寸前の男子学生の如き有様だった。
客観的に現状を顧みてみれば、サマナー自身、なんだかそんな気がしてくるから不思議である。

『オスザル、オスザルよ……』

そして唐突に脳内に響き渡ったスライムの神託。

『貴様やはりその小娘に』

しかし役に立たないようなので聞き流す。時間が無いのだ。教団の正門前で殺し合うウリエル達の戦闘の余波がいつメシアンを襲うか気が気でない。ウリエルがこちらの想定以上に霊地に執着した事と、メガネが必要最低限度を大きく下回る成果しか残さなかったせいで本当に危ないのだ。
一秒でも早くツクヨミの協力を取り付け、偽りの月を取り除かなければ。
ではそのためにはどうすれば良いのか。

「虚心さん」

気が付けば、音も無く歩み寄ったツクヨミが両手を伸ばしている。
すわ攻撃かと腰元の魔道具を漁ったが、以前と同じく、少女からは敵意らしきものなど欠片も見えない。
どちらにせよ、歩み寄らなければ状況が動かない。されるがままに放っておけば、そっと仮面が取り外された。

むき出しの頬に冬の外気が直に触れた。
こんなに冷えていたのか、と吐き出す息の白さでようやく自覚する。吹き抜けとなった天井部、真っ直ぐに差し込んだマグネタイトの輝きが自分と少女を照らしていた。
何がしたいのか。じっと見つめる少女が口を開く。

「顔、普通なんですね」

――お前は俺を何だと思っているんだ。

別段、他者に胸を張って誇るような容姿ではないと思っているが。少女が言っているのはもっと大雑把な話だ。
目が二つに鼻一つ、耳が二つに口も一つ。まったくもって普通の人間である。だから普通。それを言ってしまえば、完全造魔であるツクヨミ自身も『普通』と言う括りに納まってしまうのだが。

「仮面の下も、笑ってるんですね」

己が心中など明かす事無く、仮面を持ったまま、なんでもない事のように口にした。
そう言った少女とて小さく、不器用に微笑んでいる。だがサマナーはそれを指摘しようとは思わなかった。

実のところ、初めて会った時だって、仮面に隠れた少年の顔はずっと笑っていたのだが。

それを口にするのは少々憚りがあったので、少女の片手がゆっくりと自身の顔をなぞり上げるのを無視したまま、彼は口を噤む事にした。
だって『それ』を言ったら、本当に自分がこの少女を好いているみたいに聞こえてしまう。

――実は今、この世界がピンチなんだ。

「ピンチなんですか?」

原因は心底不思議そうに首を傾げる少女自身にもあったのだが、それ自体はどうでもいい。

――助けてくれないか、『俺』を。

かつての己曰くの『変な奴』が相手だからこそ、色々と頭を悩ませてはみたが、そもそもの話。
悪魔を相手に、難しい駆け引きなど必要なのだろうか。
少女を相手に、嘘偽りを用いた悪巧みが無ければ対話も出来ないのか。

するりと身体の外へ滑り出した言葉は単純で、望みを口にするだけの素直なもの。

「はい。――虚心さんは、『お友達』ですから」

此処で「そんなものになった憶えは無い」などと空気の読めない発言をしてしまいたい不埒な衝動を覚えたのだが、我慢強いサマナーは我慢強い男の子でもあったので、浮かんできた言葉の全てを飲み込んだ。

手を伸ばして、少女が手にしたままの仮面をその小さな顔に押し付けると、浮かんだままの笑みを隠す事もなく更に笑って言葉を掛けた。

――それじゃ、今後ともよろしく、ツクヨミ。

「はい。こんごともよろしく?」

丸いニコマークに可愛らしい顔を隠されてしまった少女が首を傾げる姿は、酷く間が抜けている。
少年にはそれが凄く可笑しくて、この時ばかりは切迫した状況を忘れたまま、大きな笑い声を上げてしまった。





アイドル加入、しかし周囲は死体だらけという第二十九話です。
前話の感想で緋熊を置いてけぼりにしたと考える方が居られて驚きつつも、そういう描写を一文追加しておきました。
みんな主人公を何だと思っているのですか(白目)。

続く力がほしいのですか。



[40796] 第三十話 堕ちて昇るもの
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/11 23:44
葛葉ライドウは最強である。

当代の『ライドウ』を襲名した少女は、平たく言えば無能だった。
魔法の一つも使えない只の人間。頭の出来が群を抜いているなどという事もなく、もっとも肝心な悪魔使いとしての才にしても時代の流れか、召喚と契約を一緒くたに担ってくれる最新式のCOMP頼り。日ノ本の悪魔召喚師に代々伝わる悪魔召喚器『封魔管』など一つしか扱えない体たらく。その管の中とて今現在は空っぽだ。

従える仲魔達も懐の深い天女と、今が楽しければそれで良いという気楽で陽気な妖精共が居るくらいで、貫禄という意味では全くもって振るわない。仲魔達 個々の能力に関してだけは随一といえるが、『秩序』と『混沌』の両属性を同時使役するなどという、悪魔使いとして埒を外れた器の広さも当然持ち合わせていなかった。

ならば何故そんな彼女がライドウ足りえたのか。
人手不足、などという寂しい理由ではない。

強いからだ。

「ピクシー、『雷電剣』を」
「もーっ、そういうの苦手だって知ってるでしょー! 合体、『雷電剣』ー!!」

大天使が盛大に撒き散らした極大の電撃魔法。
偽りの月に照らされた夜の街並みを更に強く輝かせる、唯一神の名を冠したウリエルの最強魔法。

それをライドウは一刀の下に断ち斬った。

電撃属性魔法に対し、ピクシーの助力によって同属性を付与された愛刀『赤口葛葉』。極短時間ではあるが魔法に対する直接干渉を可能とした稲妻纏う白刃を存分に振るって、小型のビルディング一つ程度ならば飲み込めるだろう規模の『神の雷光』を己が剣腕一つで斬り殺す。
魔法の余波など些細なもの。斬り捨てた後には僅かな静電気が宙空に散るばかりだ。

「ば、かな、……馬鹿なああああああ゛あ゛っ!!!!」

血を吐くような絶叫が大天使の喉奥から絞り出された。
上述の通り、この世全ての上に立つ『神』の名を冠する魔法だ。自身の有する魔法の内でも最強の一撃だ。だというのに何故、人間一人が金属刀を振り回すだけで無効化されているのだ。こんな事は馬鹿げているッ!!

魔法とは本来そのような防ぎ方が出来るものではない。
だがライドウは斬る。
何故ならば、その方が早いからだ。

魔法を使うよりも斬った方が早い。仲魔を喚ぶよりも先に斬った方が早い。考える暇を設けるよりも、剣で斬った方が早い。
刀を握る。ただそれだけで当代ライドウはこの世界の誰よりも早く、何よりも強かった。
至極単純な帝都守護役としての適正。他を隔絶する強さ。たったそれだけで『ライドウ』を継いでしまったのが彼女だった。

「ライドウにはメシア教団と敵対する気など無いのですが……」

ウリエルの攻撃とその後の反応に渋るライドウ。

大天使と魔王の立つ戦場に乱入した際、メシア教団本部に攻め込んでいるらしい魔王が居たので、とりあえず斬った。教団幹部アデプト・ソーマへの取次ぎを願う足掛かりとして、まずは三つ首の悪魔から倒してしまおう。秩序の天使には受け入れがたいかもしれないが、後々の心象を考えて、この場限りでも良いからと共闘を申し出ておこう。

ライドウはそう考えたのだが、何故かウリエルが攻撃してきた。
向けられた攻撃魔法を己が斬撃で残らず打ち消し、改めて話をしようとしても何やら心を乱している大天使は聞き入れようともせずに再度の攻撃を見舞ってくる。

既に何度やり過ごしただろうか。教団と敵対するわけにはいかないライドウは大天使に対して攻撃出来ないというのに、あちらはやりたい放題だ。やりたい放題の結果、ライドウには未だ傷一つ無いのだが。

「ははっはっはははははっはは! 本当に人間か、貴様っ!」

笑いながら戦場へと立ち戻ったヘカーテ。先程奪った筈の右腕は健在だった。

空に昇る偽りの月から供給させた、大量の高純度マグネタイト。ヘカーテの月の護りを突破された事は大層驚いたが、四肢が幾つかもげた程度ならば、満月を背負う魔王にとって致命傷には成り得ない。
只の人間が今宵のヘカーテに傷を付けた。非常に面白い。だが既にそのカラクリは理解した。魔術の神たるヘカーテには、少女の振るう刀を包む何らかの加護が見て取れる。先の一撃はそれ故の手傷。

「まだこの国にそれほどの力を持つ神格が居残っていたか。いや、或いは件の四天王か、帝都守護を担う怨霊か?」

どちらでも良い。一方的な蹂躙ではなく、敵手と競い合った上での勝利こそが至上。
この混沌とした月世界も、大天使と目の前の人間を敵に回した命懸けの闘争も、魔王ヘカーテにとっては最高の娯楽だ。数年間の隠居生活から開放されて早々にこのような愉しみに出会えるとは、なんとも運の良い事だ。最高だ。是非とも目の前の二者を手ずから殺してやらねばなるまい。

絶対の防護を破られようと、未だ魔王ヘカーテは己が勝利を確信していた。

完全回復したヘカーテを前に、ライドウはバットマンから奪取した情報を脳内にて繰り返す。
基本的に全属性に対する完全な『反射』耐性を有し、こちらは特別な処置を施した愛刀以外での攻撃が通らず、傷を負わせても勝手に治る。

「とんだクソゲーです。ライドウは断固 抗議します」

事前情報を元にヘカーテの戦闘性能を推測し、その日から今日まで、どうにか月神の護りを突破する方法を捜し求めて日本全国津々浦々。結局は帝都を守護する四天王と猛将に頭を下げて、精一杯頼み込んだ上で実力を示して加護を得た。
相も変わらず手間が掛かる上に最後は力に訴えなければ助力を渋る。ライドウはあの面倒臭い守護神達が大嫌いだった。3分経過後のカップ焼きそばの蓋にくっ付いた野菜類と同じくらい嫌いだった。今までにも彼等に用事がある度に戦って、毎回異なる条件を設けた上で打ち倒せと無茶を言われ、今回で通算何度目の勝利を重ねた事か。仲魔共々、帝都の思い出といえば四天王の館か皇居の一部しか記憶に残っていない有様である。

ライドウの振るう刀『赤口葛葉』に与えられた加護、それは簡単に言えば攻性結界だ。

偽りの月の齎す『護り』の加護を打ち破るため、国家守護を担う彼等から与えられた『祓い』の加護。刀を用いた攻撃が接触した一瞬のみ、ヘカーテが纏う属性耐性を無効化する、守護神達による特別製の自動効果スキル『物理ガードキル』。
敵の護りが邪魔だというなら取り祓ってしまえば良いのだ。護りが消えれば、あとはライドウが斬って終わる。

終わる、と思っていたのだが――。
まさか月神などというマイナー神格がここまで厄介なものだとは、ライドウはまったく想像していなかった。

「――『絶対零度』!」

ヘカーテの放つ氷結魔法によって周囲一帯がことごとく生命宿さぬ銀氷に呑み込まれ、呼吸さえままならぬ極寒の世界が現れる。
それをライドウは力尽くで打ち砕く。
今度の魔法は先程の電撃とは違う、氷結属性。召喚したフロストファイブとの合体技『銀氷真剣』を刃でなく左手に握った黒鞘に纏わせ、縦横無尽に斬撃を見舞う必殺の『利剣乱舞』によってアスファルトや周囲の建築物ごと粉々にした。

だが、これでは勝てない。このままでは繰り返すだけだ。
月を構成するマグネタイトは質量にして如何ほどのモノか。あれを全て消費し尽くすまで目の前の魔王を一方的に攻撃し続けるなど、体力自慢のライドウとても流石に息が続かぬだろう。
この場に居ない天女センリが戦場周辺に構築している結界も、月光を遮るほどの効果が無い。力ある悪魔に異界を形成させて月から隔離するという当初の予定も、国ごと異界化させるという力技の前には実現不可能。この巨大異界の内部に新たな異界を設けても、より大きな異界に潰されて消滅するだけだ。

手詰まりかもしれない。悩むライドウには休まず敵を斬り続ける以外に出来る事が思い付かなかった。

翻ってヘカーテも少々悩んでいた。
目の前の少女は、間違いなく今の自分よりも強い。どれほど鍛えれば神格を有する魔王以上の位階に至るというのか、そのために必要な修練の質も量も、狂人呼ばわりされるほど積み上げ、それでも到底足りない筈だ。本当に人間かと心底から疑っている。
ヘカーテに有効な攻撃手段が刀一振りに限定されているという事実も、魔王の優位性足り得ない。ライドウ本人は異能の一つも使わず、必要な魔法の類は全て仲魔頼り。魔王の力を個人の武力でもって上回る豪傑が、刀を用いた攻撃と迎撃のみに集中していればそれで良いのだ。なんとも恐ろしく、しかしそれを乗り越えた際の喜びの大きさを想像すれば、ヘカーテは笑いが止まらない。

どちらにしろ、このままでは千日手。

ライドウ陣営が徐々に積み重ねる疲労が、戦闘不可能域にまで届くのが先か。
ヘカーテに万能の護りと力の供給を齎す月が、マグネタイトを削られて消滅するのが先か。
順当に考えればエネルギー総量の差でヘカーテが勝つだろう。だがそう単純に決まってしまわぬのが戦場だ。

「もっとだっ! もっともっと、このヘカーテに喰らい付いて来いィッッ!!!!」
「むう、ライドウはお月様が嫌いになりそうです……っ」

そして一人放置されたウリエルが、呆然と両者の戦いを見守っていた。

何故こんな事になっているのだろうか。誉れ高き大天使ウリエル、厳格なる懺悔の天使。この地を救うために降臨した輝かしき天の遣いが、どうしてこんな、誰の目にも留まらぬ戦場の片隅で一人孤独に座り込んでいるのだろうか?
こんな筈ではなかったのだ。自分ならば、きっと偉大なる主のためになる事が出来たというのに。

アデプトを殺した事は間違っていない。ソロネを見逃した事が悪かったのだろうか。離反したメシアン達をもっと厳しく縛り付けておくべきだったのか。――あの汚らわしい罪人をすぐさま殺さなかった事が間違いだったのか。

三つ首の魔王も帝都の守護役も、どちらも目の前の相手を打ち倒さんとする決闘に没頭している。まるでウリエルなぞその後でどうとでも出来ると言っているかのようだ。
しかし事実として、霊地から引き離されたウリエルはあの二人のどちらにも勝てない。霊地に引き篭もって力の供給を受けた所で、無敵性はヘカーテが上で、実力はライドウが上だった。
本当に、目を向ける価値さえない雑魚なのだ。
それくらいは理解出来る。理解出来てしまうからこそ、狂おしい。

何故、自分が。何故、膝を突いている。何故、視線さえも向けられない。何故、褒め称えられる事が無いのだ。何故、主は傷付いたこの身に愛を注いでは下さらない。

「おっ、お、お、お、ォ、オ、オオォオオオォオォオォオオ……ッッッ!」

大天使ウリエルには『堕天』の記録があるとされる。

かつて天使に対する信仰が高まり過ぎた時代。触れることあたわぬ遥か遠き全能の主よりも、人に近しく美しく、なによりも形として分かり易い、翼持つ人間の形を持った天使こそを信仰した人々が数多く居たのだ。
信ずるべきは神であり、天使ではない。しかし人々の熱狂は止まらない。――ならば天使共を崇めるに足りぬ穢れの地平に突き落としてしまえば良い。

結果としてウリエルは堕天使となった。
ミカエル、ガブリエル、ラファエルの三大天使こそが清らかなるモノ。ウリエルは他の天使同様、信仰には値しない、誤り堕ちてしまう程度の存在だ、と。
そんなものは信仰の多寡に気を配った俗人共のつまらぬ都合によるものだ。しかしこれによって大天使ウリエルという存在に大きな傷と汚点が刻まれたのは確かな事実。

つまるところ、大天使『ウリエル』は、人の信ずる限りにおいて、堕天使と成り得る悪魔なのだ。

「オオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」

人のような肉が捩れて異形へと変じ、透き通る青色の肌は金属質の青銀色に染まっていく。
麗しい尊顔はもはや顔とも呼べぬ白く硬質化した大きな仮面へと成り果てて、ゆっくりと体を滑り落ちて腰の辺りで大盾のように固定された。
全身が機械のように、金属のように照り輝いている。
身体の其処彼処から伸びた爪のような、牙のような禍々しい突起物が蠢き踊る。

「我は、大天使ウリエル。――主のために主のために主のために我はっ我こそガ、だ!!!」

気が付けば天使の象徴たる翼など欠片も残っていなかった。何処をどう判別すれば天使と呼べるのか、もはやナニモノかも判然とせぬ一匹の悪魔へと変身したウリエルが、ゆっくりと立ち上がる。

その時、月が翳った。

「偉大なる我の、偉大なる降臨を祝うが良いぞ、――愛しい眷属よ」

艶やかに輝く偽りの月に、何か大きく長いモノが巻き付いていく。
白い肉を晒し、紅い鬣を揺らし、ゆっくりと月を飲み込む悪魔が空に居た。

「――私の月が」

空を見上げて呆然と呟くヘカーテを余所に、上空より、異形へと変じたウリエル目掛けて一本の大木ほどの太い『御柱』が打ち落とされた。

「ぐぅ、ウオオオオオオオ! 貴様っ、貴様ア! 誉れある神の炎に対して不敬なる罪業ォオオオぐぎがぐがッ!!」
「うむ。我は寛大であるからな、眷属たるオスザルが望む故に、まずは貴様から討ち滅ぼしてやろうぞウリエルよ。……貴様ウリエルで良いのよな? うん? イメチェン?」

月と、月を構成するマグネタイトを飲み干した大蛇が、注連縄の巻かれた御柱に絡み付きながらその姿を変えていく。
人間のような両手両足を有し、紅から黒に色を変えた鬣を戴く首から上と、細く伸びた尾にのみ、蛇であった頃の名残を残す、半人半蛇の白い悪魔。

邪神『ミシャグジさま』と呼ばれる悪魔が現れた。

「ふあーっはっはっはっは!! 滾るぞー! すっごく漲ってくるぞー! 良くやったオスザルーっ! 褒めてくれるわっぬははははは!!」

上機嫌な高笑いを上げるミシャグジ神の降臨。
偽りの月が消え、徐々に崩壊していく巨大異界。

最終決戦が開始される。





執筆中のテンションでうっかり堕天してしまった第三十話です。
4の大天使ではウリエルが一番好きな外見なのですが、このような扱いに不快感を覚えられる方々には平に謝罪致します。
それと、造魔ツクヨミのレベルは普通にミシャグジ様より上です。

続くかどうかなどわからないのです。


※2015/01/11投稿
※2015/01/11描写差込「『祓い』の加護。」以降一行



[40796] 第三十一話 真・邪神転生SLIME
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/12 00:00
魔王ヘカーテが偽りの月の消滅を見て抱いた感情は『憤怒』だった。

ソレは己のモノだ。
ソレはツクヨミのモノだ。
ソレは己がツクヨミから捧げられた供物なのだ。

かつて魔王を打ち破った怨敵たる天津神。恨み骨髄。策をもって罠に嵌め、造魔と成して利用する。成程、その末路は苦い敗北の記憶を雪ぐには充分だろう。だからこそ、己の復讐の集大成たる偽りの月が奪われれば腹も立つ。

或いは、ヘカーテも心の奥底でソレを――ツクヨミによって再び『月』を奪われる事を望んではいたのだろう。

かつてのように、月の支配権を奪い合いながら殺し合い、過去を踏襲した一対一の決闘の果てに今度こそ己が打ち倒す。それこそが過去 自身が飲まされた苦汁を突き返すに足る、栄えある勝利なのではないか。
造魔『ツクヨミ』を殊更に契約で縛り尽くして隷属させなかった此度の不手際は、もしかするとヘカーテのそういった欲によって設けられた、生じて当然の隙だったのかもしれない。

故に、あったかもしれない もしもの可能性を奪った彼の邪神が憎い。

造魔となったツクヨミにかつての記憶は残っていない。かつてと今を比べれば、あの人形では戦う力も遥かに劣っていよう。魔王ヘカーテが望む決闘なぞ既に不可能なのだと、自身 理解してはいた。そもそも戦う機会を失ったのは、天津神を犠牲にする事で霊格を取り戻そうとヘカーテ自身が選んだからだ。

だが耐えられぬ。
だが許せぬ。
だが殺す。

この魔王から奪ったのだ。報いを受けさせねば我慢がならぬ。

それは弱者が吐けば下らぬ駄々だと切り捨てられる類のものだ。だが強者たる魔王の傲慢であれば、どのような手段を用いてでも、絶対に押し通されねばならなかった。
そうでなければ、『混沌』の領域に属するヘカーテは己が王であるなどと誇れなくなる。
事は己が存在の、悪魔としての根本にさえ関わる。故に吼える。故に殺す。
何があっても、勝利しなければならない。それが魔王であり、神であるのだから。

「「「ミ、シャ、グ、ジィイイィイイイイイEEEEEEEHHHHHAAAAAA!!!!」」」

もはや天を支配する何物も存在せぬ新月の夜空に向けて、三つ首の全てが汲めども尽きぬ怒号を飛ばす。

名指しで呼ばれたミシャグジ神が首を傾げる。角度にして135度ほどグルリと滑り良く傾げられた異形の首は、見る者全てに生理的な嫌悪感を植え付けたが、元スライムである神格にとってそれは然程重要ではない。
この獅子なのか犬なのか馬なのか分からぬ節操無い可笑しな悪魔は、自分に対して一体何を怒っているのか。

「うーむ。偉大なる我の威光に目が眩んだのかのー?」

特に興味も持てなかったので、普通に無視してウリエルへと目を向けた。
堕天使ウリエルは複雑な思考など捨てていた。

「『虚心』、『虚心』っ、『虚心』ッ! ぁアノ汚らしイ糞ゴミめがァアアァアアアアア……ッ!!!」

もはや目の前に立つモノ全てを断罪し、己が力と神の雷をもって焼き滅ぼす。それだけで良い。
全て殺し尽くせば、次はあの痴れ者を。散々ウリエルを虚仮にしてくれた忌々しい人間『虚心』の番だ。
奴だけは絶対に己の手で殺す。何があろうとあの人間だけは殺さねばならない。だからまずは、空から降ってきた醜い悪魔を滅ぼそう。次は自身を放って殺し合いに興じていた下らぬ魔王と人間を。決意と共に獣のような絶叫で戦意を示した。

そしてライドウは困っていた。

「怪獣大決戦なのです……。ライドウだけ凄く場違いなのです……」

偽りの月が消え失せた事で絶対的な護りを失った魔王。元の面影など欠片も残さぬ異形の堕天使。空から降ってきた謎の御柱オプション卑猥生物。
異形と異形、加えて更に、また異形。高位悪魔の三巨頭。一箇所に集う事自体が一つの奇跡に等しい戦場が此処に生まれていた。

それでも尚この場において二段も三段も飛び抜けた戦闘力を持つ黒尽くめの少女は、目の前の状況が全く理解できていなかった。

どうしてウリエルが自分を攻撃したのか。どうしてウリエルが変な青い生き物に変身したのか。どうして月が消えたのか。どうしてヘカーテが目の前に居る自分ではなく、あの白い悪魔を睨んでいるのか。

ライドウにはさっぱり分からなかったので、とりあえず襲ってきた相手から斬り殺す事にした。
相手が誰だろうと、正当防衛ならばゴウトもきっと怒らない。知識と経験の乏しい少女なりの指針に従い、いつも通りに刀を構えた。

そして市街地中に響き渡る『ウイリアム・テル序曲』。――運動会で流れる定番のあの曲である。

――さーあ始まりました、世界の命運を決める世紀の第っ! 一っ! 戦っ!! 実況はワタクシことメシア教団の方角から来ました『虚心』とっ、解説には近場からお越し頂きましたミス・『100キロババア』です!

「回転寿司は嫌いじゃあ! ……ところでこれ、何を喋ればいいんじゃろ?」

酷く楽しげで、馬鹿げていて。大規模異変の影響下に在る何者の事情をも一切合切 気遣わぬ、身勝手で打算に満ち溢れた少年の声が、ライドウ達の立つ戦場に限らず、市街全域へと余す事無く届けられた。
――或いは遠く、世界へさえも。

戦場を映し出す撮影機材を構えた造魔三兄弟『一郎』『二郎』『三郎』の存在に気付かずに、それでも人知を超えた四強の殺し合いが止まる事は無い。





サマナーには夜空に浮かぶ満月を見て以降、ずっと考えていた事があった。

――あれだけあれば充分じゃないかな。

スライムの霊格を満たすための燃料として、あの物質化したマグネタイト塊は必要充分な量を有しているのではないか。アレを手に入れられたなら、スライムの悲願も叶うのではないか。

だからこそ儀式の要たるツクヨミが欲しかった。

偽りの月を取り除く事は魔王ヘカーテを排除するにあたって必要な工程であり、ならばその方法として破壊や制御ではなく、マグネタイトの吸収消費を選んだとしても何ら不都合などありはしない。

「不可能ではない、のか? ううむ、いけるやもしれんな。『月産みの儀』とやらの基点、あの月を産んだ母である小娘が同意すれば可能であろう、多分」

――じゃあやろうぜ。

「軽いな貴様!? やるの我なんだけどっ! 確証は無いぞ!?」

――いけるいける。おれはお前をしんじているぜー。

「棒読みか貴様ーっ! 本当にやるのか!? 爆発とかしないのか!?」

ずっと霊格を取り戻したいと言っていた。
今を逃せば、次の好機が何時訪れるかも分からない。ふざけた会話ではあったが、ここまでのお膳立てをされたなら、スライムとてやらないなどと言えるわけがない。

サマナーの膝ほどまでの身長しか無いスライムが、月を見上げた。
あれを吸収するだけで、神としての霊格を取り戻せる。正確には、芳醇なマグネタイトによって本来持ち得ない神としての霊体を構築・補填する事で、本体であるミシャグジ神と同格の位階に昇り詰め、結果的にミシャグジ神としての神格を獲得するのだ。力に物を言わせて成り上がる、と考えれば間違いではない。

神力の残り滓でしかなかった自分が、本物の神様になるのだ。

「オスザルよ、なんだか感動の欠片も無い結末だなあ」

気の抜けたような声で、贅沢な事を言うスライムである。確かに劇的なものなど何も無い、棚から落ちてきたようなマグネタイトだが。

――お前を讃える国が欲しいんだろ。好きになってくれる民が欲しいんだろう?

だったら迷う事は無い。
此処が全ての結末だなどと、その程度で終わっては結局 何も成し得ないままで、今とまったく変わらない。

そう言って笑うサマナーを見上げるスライムは、本当は『霊格などどうだって良い』のだ。

目の前に、自分を神と呼ぶ民が居る。
この腐った泥のような肉を当たり前のように抱き上げてくれた眷族が居る。

自我など無かった。力も無かった。悪魔となったのも偶然である。ソレはただの残滓、残骸だった。
一柱どころか一匹と称する事さえ出来ない一掬いの泥が孤独に啜り泣いていた。消滅した本体から取り残されたに過ぎない、自分のものではない心に焼き付いた過去の風景に寂寥感と絶望を抱いて、そのまま消える事だけは理解していた。
偶然出会っただけの人間が手を伸ばしても、何の得にもならなかったのに。
与えられるものなど何も無いと、スライムだって知っていたのに。

――『誰か』じゃなくて、『俺』でも良いのか?

そっと崩さぬように触れてくれた彼の指先を、今でもずっと憶えている。
決して忘れる事は無いと知っている。

半日ほど前、その場においてミシャグジ神が撒き散らした、若者達を性交に掻き立てる『魅了』の魔力。使われなかったソレを宿しただけの只の被害者、只の人間が、消える寸前であった汚泥に触れた。

そこから生まれたのだ。
自我も、想いも、欲も、未来も、今のこの身に内在される何もかも、全てが。
この人間に愛されるに足る神になれと、生まれ落ちた自分自身に命じたのだ。

「我が民、我が信徒、我が眷属よ」

――なんだ、神様よ。

「我が、われのっ、……わがモノよ」

――だから何だよ?

力など、神格など、どうでも良いのだと言ってしまえば。
きっと怒って蹴り飛ばすくらいはするのだろうが、きっとそれだけで済ませてしまう少年だ。

外道スライムは醜く、邪神ミシャグジはもっと醜い。人間が触れたいと思う類のモノではない。崇敬以上に過大なる畏れを掻き立てるそのおぞましい形状もまた、神としての一つの在り方だから。
それでも彼の態度は微塵も変わらないのだろうけれど、今よりも大きくなってしまえばきっと今まで通りに抱き上げてはもらえなくなるのだろう。
それを考えれば寂しくて堪らないが。向けられる笑顔の眩しさに、スライムはようやく心を決めた。

「オスザルよ、偉大なる我に対するその献身、大儀である」

――偉っそうな奴だなあ。

笑い混じりに軽く二回、蕩けた頭を指先で叩かれ、それで話の全てが終わった。

――ツクヨミ、出来るのか、お前?

「はい。あなたがそうしたいのなら、できます」

今更だが、造魔の少女には月の操作が可能なのだろうか。
じっとしたまま大人しく一人と一匹のやり取りを眺めていた少女に声を掛けて、頷く姿にサマナーもまた頷き返す。

偽りの月がスライムに向けて揺らめく月光を真っ直ぐに落とすと、注ぎ込まれた力の熱量に溶かされて、不定形の悪魔が徐々にその姿を変えていく。
伸び上がるように白く。渦を巻くように広がって。
記憶には残っていないのに、それは何処かで見た姿だとサマナーが目を細める。

月が、目視で判るほどにその形を縮めていく。
伸びて、伸びて、どこまでも先へと伸び上がる白い蛇の悪魔が、空を昇って月まで届いた。
輝く球体を飲み干す姿に、蛇となった悪魔とその契約者が、共に僅かな達成感を覚え。

かくして戦場に邪神が降臨した。

――じゃあ、俺は俺でやるべき事をやろうかな。

「なにをするんですか?」

聞かれたからには答えねばなるまい。
預けた仮面を懐に抱き締めたままで首を傾げるツクヨミに対し、凄く悪い顔で笑って返す。

――国を作るんだよ、そういう約束だからな。

此処に愚者と外道の関係が終わり、新たに神と眷属の関係が築かれる。

ならば敬虔なる信徒としてやるべき事など一つしか無い。
信仰とは感情であり、感情とは即ちマグネタイトだ。
月を飲み干したからには力もマグネタイトも有り余っているのだろうが、それとて無限ではなく、永遠とは成り得ない。だから己のやるべき事は力に満ちた今だからこそ出来る、新たな信仰の獲得だ。此処で未来へ繋げられるだけのモノを築き上げねば、結局はまた元の木阿弥だ。

一月前まで一般人だったサマナーには適切なやり方など分からないから不恰好な自己流となるが、元スライムの邪神とて目立つのが嫌いなわけではあるまい。

――この会場にある放送機材とかってどう使うんだろ。いや、あの選挙カーとかでも良いのか?

必要なのは名を知られる事。
声と映像を遠く広く数多く、届けられるだけ届けてしまえば、後は野となれ山となれ。
既に悪魔の存在が広く知れ渡ってしまったのだ。今の世界で秘匿など考えても仕方が無い。

会場までの道案内だけでツクヨミとの会話には一切入れなかった鏡にも手伝ってもらおう。緋熊も頼めば快く働きそうだ。
そこら中から集められるだけの信仰をそそぎ込み、神への供物としてやろう。

――さあ、お祭りだ。

庶人が楽しめるものとなるかは全く分からないが、少なくとも自分は楽しい。
笑うサマナーの後にツクヨミが続き、最後の馬鹿騒ぎが始まった。





一ヶ月分書いても終わらないとは思わなかった、第三十一話です。
これでスライム個別ルートだと最後の呼び掛けが「わがモノ」ではなく「我が伴侶」になったんだろうなあ、とか妄想したりしました。見た目アレですけど。
それと、前話のライドウの刀の加護に関して、『物理ガードキル』的な説明を一文追加しました。それだけですが、描写が足りない気がしたので。

続く妄想をしていますか。



[40796] 第三十二話 世界を滅ぼす男
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/13 00:17
響き渡る実況解説、市街地の街頭テレビに映し出される戦闘風景。

諸々の手伝いを申し出て、結果として全世界同時中継を実現させたバットマンは溜息を吐いた。
正直に言って、此処まで派手な事を仕出かす馬鹿には会った事が無い。

アイドル『MIKOTO』の年越しライブ。
会場に駆け付けた万単位のファンは残らず死に絶え、しかし画面越しに目を向けていた人間達は辛うじて生きている。
視聴者が死んでいたとしても、リアルタイムで放映されている画面、記録に残される映像だ。使用機材をほぼ全て流用しているこの放送は、きっと今宵一晩では終わらない波紋を投げ掛けるだろう。それこそ悪魔関係者に限らぬ、人類全てに対し。

それが何を意味するのかを、あの小僧は考えているのだろうか?

「俺としては、ヘカーテの吠え面を拝めれば上々だがな」

テレビ放送、インターネット配信、果てはCOMPを通した悪魔関係者御用達の情報網。通ずる限り、あらゆる経路を用いて世界中へと余さず広まる、人魔 交えた頂上決戦。

此度の一件によって、人類は悪魔の存在を知った。
惑星全土に広がらんとする月世界が齎したマグネタイト汚染によって、悪魔はこの世界に存在しても良いモノとなった。
そして今、よりにもよって魔王と大天使に邪神という、常人が目にすれば毒にしかならないような高位の霊的存在を望んで衆目に晒している。
化け物共の人知を逸した殺し合いは単なる情報としてだけではなく、目にする全ての人間の霊体を強烈に揺さぶるだろう。

最初に世界を滅ぼそうと考えたのが魔王ヘカーテであるのなら。
現実に世界を滅ぼしたのはあの少年だ。

もはや誰も、何者も、数時間前までは確かにあった筈の、当たり前の常識の中で生きていく事は叶わない。この世に悪魔は実在し、輝く天使が堕天して、現世に本物の神が降臨する。――そしてそれら全てを討ち取る最強の人間が其処に居た。
誰も彼もが知らずには居られない。一人残らず変えられていく。
その影響はどこまでも広がっていくだろう。やがては相互に干渉し合い、納まるべき新しい世界の形が出来上がるまで止まらない。人にあらずとも、悪魔にあらずとも、誰一人として旧世界に立ち戻る事は叶わない。あらゆる全てが一人の少年の望みに沿って踊らされるのだ。

死体ばかりのライブ会場で、風に吹かれて転がってきたパンフレットを拾い上げる。
本来ならば多数の人々が持て囃し歓声を上げただろうアイドルライブ。その最終演目の曲名を目でなぞった。

「……本当に皮肉が利いている」

この曲名を考えた奴は誰だったか。ファントムの別部門による管轄であったため、外回りの多いバットマンには分からない。
新時代を切り開く歌姫などと謳われていた造魔に歌わせるべく作られた、旧時代の最終曲。
まさか世界の終わりがこんな形になるとは、誰も思っていなかったのだろうが。

「『Hello New World(新世界)』か。――本当に来たぞ、新しい時代が」

だからといってバットマンにとっては何一つ変わらない。
確かに今までの世界に愛着はあったが、その在り様が変わるのならば、ただ其処で生きるだけ。
ジョージ・バットマンは変わらない。
肉体を得て既に狂った身だ。精々長生きできるように、これからも頑張っていくとしよう。

「お前はどうする、――『悪食』、『虚心』」

或いはその名も もう古いのか。
世界を壊した人間に相応しい呼び名とは果たして何だろう。

そんなどうでも良い思考を遊ばせて、バットマンは今夜の一件が終わった後にどうするべきかを考える。
出来れば自分を高く買ってくれる所に転がり込みたいものだ。ファントム・ソサエティとガイア教団、どちらも勘弁願いたいものだが、ヘカーテが居なくなればマシになるものかもしれない。
画面越しの愉しい殺し合いを眺めて、ゆっくりと考えよう。
何処へ行くとも無く足を動かすバットマンは、手に持つパンフレットを放り出すと空を見上げた。

新月の空には、何も浮かばない。
下界を見守る輝きなど一つも見当たらず、ただただ空虚に広がるばかりだった。

考える。
ひょっとすると、『彼』はああいうのが好きなのだろうか。

「うーん……」

映像は無いが声は はっきりと聞こえてくる。メシア教団の中庭、メシアンの少女は仲魔である天使『エンジェル』と共に治療活動に従事しながら思い耽っていた。
思い返せば訓練施設でも人目を惹くような少年だったが、もしかするとあれは目立つような所作を心がけていた結果なのだろうか。それとも生来そういった派手な振る舞いが板に付いているが故に、自分に合った騒々しいやり方で危急の事態に対応しているのか。

ここは彼の在り方に理解を示してあげるべきだろうか。
それとも、もう少し落ち着くように諭してあげなければいけないのか?
果たしてどちらが彼好みの女性像であるのか。どうにも判らなかった少女は、己の仲魔に訊ねてみた。

「ねえエンジェル、男の子って亭主関白とカカア天下、本当はどちらの方が嬉しいのかしら」
「……彼の好みはきっと、負傷者の治療を頑張る心優しいメシアンなのではないでしょうか」

美しい天使が疲れたような声音で返し、メシアンの少女は仲魔の求めに応じて再び回復魔法『ディア』による治療に立ち返りながら、しかし一つだけ気になっている事があった。

「200キロジジイなら知ってるんだけどなあ……?」

解説役として紹介された怪異『100キロババア』。
実家近辺で耳にした怪談を思い出し、似たような話はどこにでもあるのだな、と感心する。

その頃、元メシアンの青年もその放送を耳にしていた。

「なんであのお婆さんが解説してんの!?」

凄くどうでも良い事に凄く驚いて、しかし所詮それだけの話である。この場で彼について語る事は特に無い。

もはや何度目かも分からぬが、ミシャグジ様という神格について語ろう。

ミシャグジ。ミサグチ。シャクジン。シャグジ。
御社宮司。御左口。石神。赤口。

多様性に富み過ぎた彼の神格の呼び名は、数にして100を優に超える。
石木に降りる精霊、自然神であったミシャグジ様の多面的に広がった名と力が寄り集まり、やがては多くの信仰を集める一柱の神格となった。
自然とは古くより人々の身近にあって、あらゆる恩恵と災禍を与え続けてきたモノ達だ。命短き人間とは異なる、永遠とも思える長き時の中を絶えず存続してきた大いなる生命の坩堝。

豊穣の神として民草に恵みを与える反面、荒ぶる神として多くの命を奪っていく。時は過ぎ、やがて利益を求める者達からは崇められ、傷付けられたくないという畏れから奉られた存在。

「――なんか恐いヤクザ屋さんみだいじゃのー」

――身も蓋もないっ! しかしその考えはもっともだぁ!!

あまり人気取りになっていないだろう、少年と怪異による軽々しい言葉の応酬。
だがそれで良い。
多くの人々に知られてさえいれば、それで充分なのだ。無知と無関心こそが最も恐ろしく、何より無益だ。こうして由来と恩恵と いざ敵に回した際の脅威を知らしめれば、遠からずサマナーの望む結果が寄って来る。

悪魔はもはやこの世に在って当然のもの、人類にとっての恐れるべき隣人だ。
怯えずには居られまい。頼らずには居られまい。縋らずには居られまい。嫌わずに、畏れずに、彼等に目を向けずして生きて行こうなぞ決して叶わぬ ゆめまぼろしだ。

恐怖と不安の蔓延した世界で真っ先に人々の目を惹き付けるものとは、世に広く知られた力ある存在だ。
事此処に至って、これ見よがしな人気取りなどというものは必要無い。そんなものは邪魔でさえある。
あのおぞましい邪神に目を向けずに、名を知らずに、生きていける者が居てたまるか。
生理的な嫌悪感を掻き立てる異形ではあるが、天使と魔王を相手に暴れ回るアレは、正に自然の驚異そのものだ。その姿を目にした有象無象が何も思わずに済ませられるほど、生易しい生き物では決してない。

強大な力を振るい、しかし恐ろしいだけではなく恩恵を与えるもの。ミシャグジという名の神の存在を少し調べれば、この情報化社会においてどういうものかは容易く知れよう。既に目にした暴威の上で、傅く者達に利益を振舞う神でもあると、僅かながらも興味を持った人間自身の手で神に関する知識を漁り得てしまえば。

本当に、手を伸ばさずに居られるだろうか?

この、悪魔の跋扈する新たな世界で。人が人のみで生きていこうなど、そんな甘い考えが通るわけが無いというのに。

――それではミシャグジ様に関する薀蓄を披露した後でございますが、続いて戦場に立つ他の面々も御紹介しましょう!

「長かったのう、神様談義」

飾らない本音でぼやく怪異の存在は、新たな信徒を欲するサマナーにとって非常に有益だ。
殊更ミシャグジ様を持ち上げる事がなく、『秩序』にも『混沌』にも傾かない『中立(NEUTRAL)』から、忌憚の無い曖昧な主義主張と個人の好悪に基づき、こちらの供した話題をばっさりと切り捨てる。
それが良い。何よりも良い。きっと視聴者の同意を得られる、何物にも縛られぬ自由な言葉だ。

混乱に乗じての洗脳染みた誘導では後が続かない。扇動するのは楽だが、それを長らく維持する事は非常に大変なのだ。僅かながらに視聴者の頭を冷やす怪異の意見を差し挟み、各々が自覚出来る程度には冷静に考える余地を残したその上で、迫り来る混沌の時代の中で縋る対象にミシャグジ神を選ばせなければならない。

そういう意味でも、真っ先に名を売った者こそが勝つ。
この状況下では自分の行うこの放送こそが一番乗りであると、サマナーは確信していた。

――それでは、まずはウリエル選手ー! ……なんか姿変わってないかなアイツ、イメチェン?

「ほほーう、大天使じゃのう。メジャーじゃけど、……アレ、堕天使じゃね?」

暫しの沈黙が場を満たす。
ほんの数分見ない内に、あの大天使に何があったのだろうか。サマナーは必死に考えたが、全く検討も付かなかった。

――よし、次っ! 頭が三つもある食いしん坊、ヘカーテ選手です!

「流したかー……。まあアレは仕方無いじゃろーけどさ」

大天使がたった数分で堕天使になっているなんて、誰が予想できるのか。
だから仕方ないよね、と自己弁護を行うサマナーは、責任の大半が己にあるとは考えていない。

――ヘカーテってさ、あれ、食道とかどんな風になってるんだろ。

「すっごくどうでも良い事に目を付けたの、実況殿」

しかし頭が三つあるのである。不思議に思う者はきっと他にも居る筈だ。そういった疑問にお答えするのも、エンターテイナーの義務ではないか。別にエンターテイナーではないサマナーはそう考えた。
喉の辺りで合流しているのかもしれない。適当に考えて、今度は真面目に紹介をする。

ヘカーテは魔術の神であり、月の神であり、冥府の神でもある。
天と地と海の支配権を有する名高き豊穣神。異形の三つ首はそれぞれに『過去・現在・未来』『新月・半月・満月』などの三相一種で表される様々な概念を表す、ヘカーテ神の偉大さの象徴だ。

「なんか色々持ち過ぎじゃないかねえ?」

しかし全て並べればこんなものではない。ヘカーテは真に力ある神格。
正直に言えば、ミシャグジ神より凄い。

「おっ、オスザルぅうう! なんかこの魔王どんどん強くなっとるんだけどもーっ!!」

――現場のミシャグジ様っ、そんなものは錯覚ですよ多分!!

無論、錯覚ではない。
霊体に依存する悪魔は、人の思念を真正直に受け取ってしまう。
現に今も、ヘカーテだけではなくミシャグジ神にさえ様々な感情が、信仰が、捧げられている。

『きもい』
『きもい』
『きもい』
『太い』

それがどんなものでも良い。大衆から一心に向けられる感情がマグネタイト燃料として霊体の器を満たし、悪魔の力となるのだ。
それは月を奪われ激昂するヘカーテとて同じ事。

「う、ぐ、おおおおおおおおオオオオっ!!!!」
「ぬおおおおおうっ! たっ、『たたり生唾』ぁ!!」

御柱を間に挟んで殴り合う最中、蛇頭から吐き出される白濁とした粘着液が宙を舞う。
祟り神であるミシャグジ神の攻撃、触れれば如何なる呪いが我が身を襲うか分からない。故に回避したヘカーテの背後から、しかし空中で方向転換した白い唾液が吐き出された勢いを落とす事無く襲い掛かった。

祟りとは呪いだ。呪いとは本来、距離や位置関係には囚われない。
『たたり生唾』は狙い定めた相手に当たる。それは既にそう呪っているからだ。物理的な回避手段など意味が無い、呪いに抗するには呪われた事実を否定する以外には方法が無い。祓い浄め、或いは呪い返し、呪いの力そのものを消さねば被弾は免れない。

「ふっほはははははふは! どーうだ堅実なる我が絶対攻撃は! 魔王なにするものぞーっ!!」
「貴っ様、この汚らしい月食いの蛇めがっ、今すぐにでも冥府の獄に繋いでくれるッ!!」

魔王ヘカーテと邪神ミシャグジを比べれば、どうあっても前者の力が上回る。
本来ならば、結果など決まりきっていた。それを覆すのは偽りの月の消滅だ。

月と同一視されるヘカーテ神を相手に、月を飲み干した神が挑む。これによって一時的に神格同士の属性相性が生じ、空の月が呑み込まれる瞬間を目にした人間が数多く居た事もそれを後押ししている。
その神格は空の月を、つまりは月を象徴とするヘカーテを飲み込む神である、と。――つい先程 生まれたばかりのこのミシャグジ神は、その誕生の由来から、『月神殺し』の権能を有しているも同然なのだ。
本来のミシャグジ神にそんな逸話が存在しない事など関係が無い。人々の信仰によって神として完成する過程にある生まれたての邪神は、今まさに己だけの神話を紡いでいる最中にあった。

加えて、月を飲み干した事で体内に取り込んだマグネタイト量も関係している。
潤沢なマグネタイトを消費する事で多少の手傷はすぐさま治癒し、翻って月を失ったヘカーテは無敵の護りも自然治癒能力も失っていた。
本来の性能差を埋めて喰らい付けるほどの脅威が、魔王の眼前に迫っている。

――そしてエントリー・ナンバー4! えーっと、誰だっけ? 半裸が名前言ってたような……。

手元のCOMPに映し出された戦闘映像。
その中に移る一際小さな黒影を目にして、サマナーは笑顔で口を滑らせた。

――ああ。なんだ、ただの美少女か。

長く美しい黒髪と、日ノ本の民である事を表す真珠色の玉の肌。
夜闇にて激しい火花を散らす、片手に握られた一振りの日本刀。
飾り気の無い黒尽くめ。しかし異形犇めく死戦場の渦中において一切 己を飾らず人として極まった武技を存分に振るうその少女を美しいと称せずして、何に対して美を語るのか。

――エントリー・ナンバー4、美少女です。もう一度繰り返します、美少女です!

己に許された十数年の短き生涯。その中でもかつて無かった穏やかな心持ちで言の葉を紡ぐ。
邪念など一切無い透き通った声音で語る少年の声音に触発され、リアルタイムで戦場を見守る世界中の有象無象から送られてくる数多の思念達もちょっとだけ横道に逸れた。

『美少女』
『美少女』
『美少女』
『MIKOTOのが可愛いし』
『あれライドウじゃね?』

それを受けて、戦場にて戦うライドウ。
映像は観えずとも、実況の声は届いている。

「びっ、びしょおじょ……っ!?」

実況からの唐突な賛美に頬を染めて、ついうっかりウリエルの腰を両断してしまっていた。

「――ォオ゛ン゛?」

しかし迂闊。
実況解説を行うサマナーと100キロババアの背後、愛しい男の護衛と周辺への警戒のために至近にて待機していた緋熊から、年頃の女性が口にしてはいけない類の異音が漏れた。
かつての恐怖を思い起こして びくりと震えたサマナーの傍らでこっそりとその袖を握るツクヨミは、特に何を考える事も無く、じっと少年の顔を見上げていた。
無論、教団にて治療行為に精を出すメシアンの少女も咄嗟にその手を止めてエンジェルに注意されている。

――いや待ってくれ二人とも。今のは、そう。つい、口が滑ったんだよ!

「滑ったか。……つまり嘘や冗談の類じゃねえのか、へえー」
「きょしんさん……」

歯軋りをして笑いかける熊の威嚇行動。
無表情で見上げたまま、曖昧な声で名を呼び掛けるアイドル。

『修羅場だ』
『修羅場か』
『修羅場だな』
『唐突な修羅場に草不可避』
『今MIKOTOの声が』

嗚呼、まったくもって彼等は何をやっているのか。
呆れるソロネはメシア教団の救助活動に手を貸しながら、夜空へ向けて小さく溜息を吐いた。

街頭の大画面に映される戦場は、もう間もなく終わりを迎えるだろう。
本当の勝者など既に決まりきったようなこの状況で、それでも自分は自分に出来る事をしなければ。
出来れば己の手で大天使に止めを刺したかったが、そんな感傷はアデプトに仕えた自分が救助作業を手伝わぬ理由には到底足りない。それに、必要の無いものにも思えるのだ。

年若い少年の姦計に嵌り、その結果 堕天したウリエルに対し恨みを抱いたままに僅かな哀れみさえ覚えて、四つ巴の戦場をそっと見上げた。
果たして『虚心』はこれからどうするつもりなのか。
出来るなら教団にてアデプトの跡目を継いで欲しい。しかしまず間違いなく、その想いは叶わないだろう。
破天荒な少年の暴走を止める事も出来なかった己を恥じて、天使はまた一人傷付いた人間を救い上げる。

空は暗く、眩く照らす月光の絶えた地上もまた仄暗い。
決着は近く、しかし真の夜明けは未だ遥か先にあった。





最終決戦で戦場に立たずに修羅場をくぐる主人公が居るらしい、第三十二話です。
皆さんスライム大好きですね。いや本当にどうしてこうなったのでしょうか(白目)。

続かぬ地平にゆくのですか。


※2015/01/13投稿
※2015/01/13一部改定「――ああ。なんだ、ただの女神か。」を「――ああ。なんだ、ただの美少女か。」に修正



[40796] 第三十三話 終幕
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/14 00:01
趨勢は既に決していた。

堕天使となったウリエルは、ライドウの手によって上下に分割されて地を這って。
月の加護を失ったヘカーテは、相性不利なミシャグジ神との泥仕合で疲弊している。
絶好調のミシャグジ様は、如何に優位に立とうと魔王よりも格下故に手傷を負って。
やっと身体が温まってきたライドウが、仲魔達を従えて周囲の地形ごと三者を斬り捨てた。

――そこまでえっ! 勝者、美少女!!!

「かんかんかーん」
「人間が勝ったぞ、こりゃどういう事じゃ……!」
「おう。……おう」

魔王、堕天使、邪神。戦場に立つ内葛葉ライドウを除く三者全てが倒れ伏し、遂に死闘の決着が付く。

その両手で女性二人の手をそれぞれ握り、勝者の名を高らかに叫ぶのは、実況役であるサマナー。女の敵であった。
事前に用意し損ねた終戦ゴングの代わりとして、片手を握られたままのツクヨミがマイクに向かって擬音を唱える。
100キロババアは己が考えていたものとは全く違う、予想外の結末に我が目を疑った。
手を握られて以降、素直に頷くだけの機械と化した緋熊は、かくかくと上下に首を振るだけだ。

未だに実況からは美少女呼ばわりされている事実に照れるライドウも、決着が付いた事を第三者によって告げられて、振り回していた刀を鞘に納める。
其処にすかさず「お疲れ様でした」のプラカードをそれぞれ掲げた造魔三兄弟の内『二郎』『三郎』が現れ、勝者であるライドウにふかふかのタオルを差し出した挙句に恭しく拝み始めた。

「いっ、いえ、ライドウは御仕事をしただけでして……」

勝利者とはいえ、何故自分はこんなに手厚く扱われているのだろうか。

困惑するライドウの背後、過剰演出された場の雰囲気に翻弄されて造魔に労われるがままの帝都守護役の隙を突いて、泡を吹くミシャグジ様がアームターミナルへと強制送還されていく。

無論、その程度の浅い はかりごとを見逃す葛葉ライドウではない。研ぎ澄まされ過ぎたその直感で視線を巡らせ、事態を察知する。

「っ――『疾風斬』!」

咄嗟に振るわれた白刃を、二郎三郎がその身を盾に防ぎ、――当然の事として両断された。

状況から察するに、邪神から意識を逸らす狙いがあったからこそ近寄って来たのだろう造魔二体を斬り捨てて、しかし背後に庇われたミシャグジ様は僅かにライドウの斬撃を受けながらも遠方への送還が止まらない。送還開始からの経過時間はこの時点で未だ一秒以下、一撃では終わらずそのままの勢いで手首を翻し、再度の一閃が邪神の絡み付いた御柱を断ち切ったが、そこが限界。

巨大な斬撃痕のみが残された瓦礫の積み重なる地面を見て、完全に逃げられた事を自覚したライドウがCOMPを操作、戦場の周辺区域に放っていたセンリを再召喚する。

「センリ、追えますか?」
「――構わん。ライドウ、アレは捨て置け」

聞き慣れた声に目を向ける。
歩み寄ってくる黒猫の姿に、ライドウはようやく肩の力を抜いた。

「ゴウト、どういう事でしょうか。ライドウには状況が今一つ理解できません」

場を賑わすだけ賑わして、邪教の信徒を獲得する、というのがミシャグジ神とその契約者たる少年の望みだった。その行いの結果は看過できぬほど大きな影響をこの世の全てに刻み込んだが、此処でかの邪神を討ったとしても何を取り戻せるわけでもない。そしてあの『虚心』と名乗る少年も、進んで人々を害する類の悪党ではなかった。
だがしかし、今回のように常道を無視した大変非常識 且つ規格外な手管を容易く実行してしまえる、油断出来ない相手だ。更にアデプト・ソーマの仲魔として有名な高位天使ソロネを従えており、メシア教団との繋がりも不明瞭。下手に敵対して後に響く禍根を残すより、泳がせている間にこちらはこちらで組織としてのヤタガラスを立て直し、体勢を整える事が最も堅実、重要事である。

しかしライドウの疑問への答えはゴウトではなく、熱の冷めつつある戦場へと一人忍び寄って来た男が返した。

「アレはもうどうしようもない。放って置け、とそういう事だ」

事の詳細を一切明かさない、諦観混じりの結論一つ。
戦闘の結果として真っ当に歩くのも苦労する荒れ果てた地面の上を、危なげなく歩くジョージ・バットマンがそこに居た。
言葉の意味を理解出来ずに眉を顰めるライドウには一切構わず、半裸の偉丈夫が歩み寄ったのは倒れ伏すヘカーテの傍ら。

「いいザマだな、ヘカーテ」
「……ふん。わざわざ死骸を漁りに来たのか、カマソッソ」

如何に悪態を吐こうとも、息を荒げる魔王に戦えるだけの余力は残されていない。
鼻から上を潰された獅子の顔の、開かれたまま硬直した口腔内部にバットマンが魔石を一つ放り込み、更に腰元から無骨な大型拳銃を取り出した。
それを視界に入れたヘカーテも、己の結末を既に悟ってはいたが抵抗しない。

負けたのだ、己は。

魔王ヘカーテはただ強過ぎるだけの人間に敗れ、遠からず潰えるだろうその命を、目の前の失敗作に奪われる。それが結末。負け犬の分際で、死を嫌って無様に喚きたてようなどと考えはしない。『混沌』に生きる悪魔が戦いの末に敗北すれば、残された道は死に他ならぬ。幕を引く相手が己を打ち倒した当人で無い事も、然程重要ではなかった。
敗者には死が与えられる。それが望まぬ形であろうとも、受け入れるのが魔王の矜持。上っ面を取り繕うだけの詰まらぬ格好付けだと断じられようと、ヘカーテはもはや現世に未練が無かった。
こんな事なら天津神に敗れた時に大人しく死んでおけば良かったなどと、腑抜けた思考は欠片も浮かんでは来なかったが。

月によって復活し、月によって敗北した。
月の神格が、自身で作らせた月に進退を左右されて死を迎えるなど、もはや笑うしかない醜態だ。

「ツクヨミめ、消えた後まで――」

最後まで言わせる事無く、バットマンが引き金を引き、炸裂した魔法と銃撃によって止めを刺された魔王が死んだ。

「……呆気ない終わりだな、ヘカーテ」

欠片も達成感が湧いてこない。それでも望んだ結果を得られた事に、出来損ないの魔人モドキが少しだけ笑みを浮かべる。
その直後に黒鞘で殴り倒されて、ジョージ・バットマンは気絶した。

「何を勝手な事をしているのですか、このコウモリめ!」
「聞こえていないようだぞ、ライドウ」

ライドウとしても、此度の異変の黒幕たるヘカーテを滅ぼす事に異論は無い。
だが後からやってきて成果だけを奪い取り、身勝手な納得と共にへらへら笑って自己完結したバットマンの事が、ライドウは非常に気に食わなかった。ただ純粋に、倒れ伏す半裸の男が嫌いだったので、殴り倒した後はフロストファイブに任せて放置する。雪ダルマを形成する芯として組み込まれ凍らされていくバットマンを見て満足気に頷き、僅かな鬱憤を晴らした。

これで場に残るのは、ライドウ一行を除けば堕天したウリエルのみ。

「きょ、しん、きょ……しんんんんんンンン」

既に肉体を構築するマグネタイトさえも足りなくなり、半ば以上スライムと化しているウリエル。
口にする言葉も『虚心』の一言。それさえ真っ当に呼ぶ事が出来ず、哀れな末路と言う他無い。

「……アデプト・ソーマは亡くなったそうだ。手を下したのは、大天使『ウリエル』」

ライブ会場への道中にて『虚心』とソロネから得た情報を口にするゴウト。知らされた事実に僅かな驚きを差し挟みつつも頷いて、ふと思い立ったライドウは己の首元に下げている封魔管に指をかけた。

もはや誰にも見向きもされず、果ては外道族にまで堕ちた大天使。
戦場において彼に直接 手を下したのはライドウだ。同情などは一切無いが、このまま消えるに任せるのも無責任かと、浮かび上がった一つの案を胸中にて捏ね回す。
悩みに悩んで足元の黒猫に視線を向ければ、ゴウトは視線を逸らして尻尾を振った。

好きにしろ、という事だ。

悪魔を法で完全に縛る事は出来ず、罪を犯せば人に出来るのは利をもって従えるか、力でもって滅ぼすのみ。此処で拾い上げる事によってウリエルがこの先どうなるかは、悪魔使いである葛葉ライドウの裁量次第。メシア教団への配慮は当然必要だが、あちらが罪人として、或いは天使としてウリエルの身柄を求めるのならば、ライドウも真摯に対応するだけだ。

「仲良くしましょう。――ライドウでは嫌だと言うのなら、そうなった時に、また考えます」

空っぽの封魔管の中身を満たし、封じられたウリエルに向けて呟く。別にどうしたいかという明確な展望があるわけではないのだが。
スライムから別の悪魔になれたなら、何故こうなったのかという理由くらいは聞いてあげよう。
そんな事を考えて、ライドウは外道『ウリエル』を納めた管を小さく指先で弾いた。

――さてはて皆様、此度の御視聴まことにありがとうございました。沢山の事がありましたが、ミシャグジ様は不滅です! ちょっと死に掛けてるけど、多分大丈ーぅ夫っ!!

一連の催事の締めに入る実況役。
街中に響き渡るほどの大音量で人魔の戦いを実況し、あんなにはっきりと自分を美少女呼ばわりしたりと、すごく不思議で謎の人物である。一体どんな人なのかと、ライドウはほんの少しだけ気になった。

この放送が何を求めて行われたものだったのか、今のライドウは全く理解していなかったが、後日になって嫌というほど理解する事になる。
最高位の悪魔を三体同時に敵に回して尚 無傷で勝利する超人を、新しい世界がどのように捉えるのか。
本当に嫌という程、理解する事になる。

しかしそれは未来の話。
ようやく一仕事終えたライドウは、ゴウトと仲魔達を伴って一先ずメシア教団へと足を向けた。
悪者を倒せばソレで終わり、などという簡単な仕事ではないのだ。新米ながらに帝都守護役として、今日も明日もライドウは走り回る必要があった。
大きな雪ダルマと化したバットマンを仲魔達に引き摺らせながら、夜闇の中に姿を消した。

残ったものは瓦礫のみ。
市街地の一角に、久方ぶりの静寂が戻るのだった。





その頃、ミシャグジ様は死に瀕して震えていた。

「ぉ、オスザルよっ、我あんなの聞いてないぞっ。あの人間ちょっと強過ぎぃ……っ!」

――大丈夫だ、俺も聞いてない。わーお、お揃いだねっ。

「それで済むと思っておるのかコラ貴様、貴様ーっ!?」

血塗れの上に片腕が斬り落とされていたりする、割と消滅寸前の、邪神ミシャグジ様。
喜び勇んで戦場に参じたというのに、結果は他の二体同様の惨敗である。信徒の働きによって神格を得て はしゃいでいただけに、実は凄く落ち込んでいた。
戦いを目にした者達に己の名は売れただろう。しかし人間に負けるような神様に、進んで従いたいと思う信徒が居ようか。確かに登場のインパクトはあったが、これでは出落ちと笑われても仕方が無い。

すべてはライドウが強過ぎたために起きた悲劇。過ぎた力は悲しみしか生まないのである。

敗北を確信して咄嗟にミシャグジ様を回収したが、あの戦いの結末はサマナーの目論見とは掛け離れたものだった。
化け物三体を圧倒しての、謎の美少女の一人勝ち。魔王と元大天使に、偽りの月を呑み込み劇的なパワーアップを遂げた邪神を喰い合わせて、何故そこで人間が勝つと予測出来るのか。
実況では気楽な口調で場を纏めてはみたが、あの戦場を利用せしめんとした少年の内面はズタズタだった。

平気な態度を取り繕っているのはミシャグジ様のためだ。大声で騒いではいても、神格を得た上で真正面から戦って敗北したのだ。本心から落ち込んでいるのだろう相棒を、せめて自分が「これくらいは想定の範囲内だ」と笑ってやらなければならない。それで劇的な変化が訪れるわけでもないが、こうして無事生き延びたのだから次の機会はきっとある。どうにか再起を図るための気力を維持しつつ、今回は負けを受け入れよう。

後々の挽回も不可能では無いが、信仰の確保はほぼ完全に失敗した。ならば現状に拘泥せず、一刻も早くこの場を退き、また新たな悪巧みに勤しまねば。

しかし今 思い返してもあの美少女は本当に強かった。人間、やれば出来るものらしい。
サマナーは自分があれくらい強くなった光景を想像して、すぐに破棄した。

――うん、無理。

「お、お宅ー、夜逃げの準備できたからさっさと行こうよ、行こうよー」

パワーと共に必要な荷物を纏めていたメガネが声を掛ける。
今宵は随分と派手にやってしまった。自身の名と身元を伏せての行動ではあったが、分かる人間には分かるだろうし、組織によって周囲を探られては面倒な事になるだろう。だからこのまま逃げる。
メシア教団には戻らない。家や学校も捨てていこう。

「良いのか、オスザル。……新たな友垣も出来たではないか」

気遣うミシャグジ様には悪いが、正直どうでもいい。本当にどうでもいいと感じていた。

混乱した今の状況だからこそ、何処にでも行けるし、姿を晦ませるのも簡単だ。
メガネに緋熊やツクヨミと、ついでに鏡も付いてくるらしい。
鏡はツクヨミのオマケ扱い。ツクヨミに至っては盛大に事を起こしてしまったからこそ、一人で放って置くわけにもいかない。仲魔になったのだから、このまま連れて行ってしまおう。緋熊は仲魔共々、サマナーから離れる気が無さそうだし、熊が恐いからと言って逃げようにも実力差ゆえに逃げられず、戦力として計上出来るのだからともう諦めた。
メガネは技術的に便利過ぎるので、居てもらわなければこちらが困る。

――なんかお前、溶けてきてないか?

「まっ、マグネタイトが足りぬう!」

サマナーの言葉通り、手傷を負い過ぎて自動回復効果が間に合っていないらしいミシャグジ様の身体が、少しずつ崩れてきていた。
このまま放っておけば、またスライムになるのではないか。
売名行為に程好く失敗した自身の責任かと溜息を吐いて、サマナーは ぐったりとした蛇頭を指先で軽く弾いて叩く。

――まあ、その。……いいんじゃないか?

恐る恐る見上げてくる邪神から視線を逸らして、アームターミナルに手を伸ばした。
天使ソロネは仲魔としての契約だけをそのままに、教団へと帰還させよう。
きっとアデプトの居なくなったメシア教団は大騒ぎになる。世界の混乱が新しい日常を営める程度まで治まるにはどれほどの時間を要するのか分からないが、新たに悪魔という要素を組み込まれながらも最低限の社会秩序を求めるならば、教団の安定は必要な事だ。高位天使の存在は、その一助と成り得るだろう。

必要ならば契約を辿ってソロネ側から連絡が入る。そうでなければ契約を切っても良い。
燃費が悪いとはいえせっかくの戦力。しかし無理に引き摺って行こうとも思わない。ソロネの望むようにしてやろう。
それが『虚心』からアデプトに対する、最後の義理立てだ。

――お前がスライムになってもさ、また一緒に頑張って行けば、それで良いじゃないか。

サマナーの言葉に、肉体の崩壊が加速していく。
見上げてくるミシャグジ様に軽く笑い掛けてやれば、白く濡れた邪神の肌がどろりと歪に溶け出した。

「……良いのか?」

――良いのさ。

見慣れた緑色の不定形をそっと抱き上げて、これから先の未来に同乗する面々へと足を向ける。
少年の歩調は凄く軽快で、悩みなど欠片も無いと言外に語り掛けるかのようだった。
だから腕の中のスライムも、いつも通りの調子で声を掛ける。

「うむ。オスザルよ、今後も偉大なる我によく仕えるが良いぞーっ!」

偉そうなスライムの頭をぺたぺた叩いて、笑うサマナーが小さく応えた。

――ああ、今後ともよろしく。

こうして、照らすもののない新時代の夜空の下、彼等の物語は一先ずの終わりを迎える事となる。

愚者と外道の出会いから一ヶ月。
終わった世界の片隅で、いつも通りの、しかし全く新しい朝が訪れようとしていた。
それはきっと世界中の人々の元へ等しく訪れるものであり。
此処に居る少年と悪魔にとってだけは、より良いものであるのだろう。





また勝てなかったよ、の第三十三話です。
盛り上がる展開が無いですが、本当にライドウ無双しかないので今話はこんな感じになりました。
今回も締めはスライム。色々と燃え尽きたのでここで終わっても良いのですが、多分エピローグがあります。

続かないと言ったのです。



[40796] 第三十四話 日々是好日
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/15 23:54
ガイア教団盟主の朝は早い。

「おはようございます、めーしゅさん」

盟主の自室、和式布団の中で一人の少年が目を覚ませば、傍らに正座してじっと彼の寝顔を見つめ続けていたらしいツクヨミに、起床直後の朝の挨拶をされて起き上がる。
目を開くと同時におはようございます、だ。ひょっとすると自分はコイツに監視されているのではないかと疑心暗鬼に陥ってしまう盟主たる少年だったが、勿論そんな事は無い。未だ幼い情動しか持ち合わせぬ造魔ツクヨミが懐いた相手に付いて回る、まるで獣の幼子が一列に並んで親の後を歩くようなその行為、特に理由あってのものではなかった。

布団から抜け出して部屋の壁際に置いてあるベビーベッドを覗き込めば、そこには盟主とツクヨミの間に生まれた可愛い我が子が――などという事は当然無く、いつも通りの外道スライムが高鼾を掻いていた。

なので放置。
後ろを振り向けば、布団を畳み終えたツクヨミが盟主の着替えを手に持って、己が手伝うその時を今か今かと待ち構えていた。
溜息を吐いた盟主が自室から一時 少女を追い出し、一人で服を着替えてから連れ立って食堂に向かう。

「朝の必須イベントよ。とヴィーヴルが言っていました」

虚心が埋まり切らぬ幼い造魔を相手に不必要 且つ意味不明な知識を与えた下手人の名を聞いて、盟主の顔が渋面を作る。
彼が『悪食』であった過去を知りつつも、それを主に話さず口を噤む性悪悪魔。未だ己の弱みを握ったままである龍王ヴィーヴルが、盟主は凄く苦手であった。
元を辿れば龍王と契約している熊女の暴虐が恐いからこその苦手意識だが、いい加減 この歪な上下関係を清算するべきかと頭を悩ませる。

しかしその方法が思い付かないまま食堂に到着。元芸能マネージャーの鏡が作った朝食を口にして、やはり朝はご飯であると したり顔で頷いた。盟主が御飯派であるため、当ガイア教団施設では基本的に朝は白米が並ぶが、ヴィーヴルはパン派なのだ。やはり自身と奴は相容れぬ、と緑茶で喉を潤しながら眉根を寄せる。

「緋熊さんは今朝も遅いのね……」

熊は基本的に昼まで寝ている。

生活リズムがバラバラな、ガイア教団首脳陣。彼等の崩れがちな生活習慣を気遣う鏡ではあるが、彼女の声が聞き届けられる事は滅多に無い。
ガイア教団ヒエラルキー最下位、鏡。立場が弱い事を当人が気にしていると知っていたので、鏡の言葉を一番良く聞いてあげるのも盟主である。部下のメンタルケアは上司の仕事、優しくしておけば何時か役に立つかもしれないという下心があった。

ちなみに鏡が料理当番である理由は、他の面々の家事能力が芳しくないから、という消去法だ。
盟主は元学生、年若いの男の適当な家事。
スライムは手が無いので不可。
パワーは天使であり、天使が不必要な家事などするわけも無い。
メガネは生きていければ何でも良い駄目人間。
ツクヨミは家事に縁が無かったので当然無理。
熊は熊、常識だろう。

実は緋熊の仲魔である幻魔ナタタイシが一番の家事上手である事実が発覚したのは、鏡が家事仕事を任されて一週間後、これこそが皆から託された自分自身の仕事なのだと奮起し始めてすぐの事だった。
マグネタイトが勿体無いから自分には無理だ、と辞退したナタタイシだが、首脳陣の居住区画である教団施設の最奥部は霊地を兼ねており、最低限度の実体化維持ならば問題無い。自身の存在価値を周囲に延々と問い掛けて回るほどに落ち込んでいた鏡を気遣っての言葉だった。

つまり鏡は特に仲が良いわけでもない悪魔にわざわざ気を遣われたのだ。色々と哀れな女である。

そういう事があったので、盟主は出来る限り鏡を気遣っている。地獄に仏、普段 恵まれないからこそ殊更に優しさを与えてくれる相手に対して気を許す。着々と部下の心を掌握しつつある盟主、しかしその二心あっての慈悲深さ故に、後々 鏡という女を発端とした新たな修羅場が展開されるのだが、そんな未来を此処に居る盟主はまだ知らない。今も二人のやり取りをじっと見つめているツクヨミが後々に何を仕出かすのか、今はまだ、不安に思う者など誰も居なかった。

ご馳走様、と声を掛ければ、鏡が笑顔で食器を回収する。

「ふふっ、盟主様はいつも綺麗に食べてくれますね!」

ああ、自分は今 人の役に立てている。居ても居なくても変わらない、不要な人間ではないのだ!
そう深く実感する鏡だが、その満足感すら盟主の掌の上、意図して与えられたものだった。
当人が満足していればそれで良いのかもしれないが、なんとも幸の薄い女である。

「お、おはよー、お宅もう食べちゃった、食べちゃったー?」

よたよたと曲がった姿勢で食堂に姿を現すメガネの中年男性。
日々を不健康に生きるガイア教団所属の悪魔技師は、今日も徹夜明けの顔で若干遅い朝食を口にする。

徹夜の原因、今現在メガネに作らせている物は教団施設内に設置する予定の巨大COMPだ。
進捗を聞きながら、食後の茶菓子に舌鼓を打つ。

世界が、そして人類が悪魔の存在を知って早数ヶ月。
混乱 冷めやらぬまま、しかし否応無しに新しい時代が築かれつつあった。

メシア教団はアデプト・ソーマの存在を欠いたために不安定な内情のまま、所属するメシアン達の善意によってどうにか組織として成り立っているような状態だ。
強烈なリーダーシップを発揮する上位者が居らず、皆を纏め上げられるほどの人徳を有する傑物も居ない。如何にアデプトの存在が大きかった事か、乱れた世情の最中にあるからこそ身に沁みる。
教団に居残ったソロネからは盟主に向けて一度だけ「教団に来てくれないか」と連絡が来たが、それに対する返答など決まっていた。
仮にガイア教の盟主が古巣であるメシア教団へと舞い戻るなら、それはメシア教団を私物化する外道に手を染める時だろう。

盟主は他者を意のままに翻弄する事に罪悪感を抱かぬ少年だが、あのアデプトが育てたメシア教団を使い潰そうなどと考える人間ではない。ソロネとて彼が己の求めに応じてくれるとは考えていなかった。それでも、もしも彼が教団に居れば、と苦悩した末の弱音に過ぎない。

高位天使ソロネが率い、人であるメシアン達が支える。

力無き一般人から多くの支持を受けながら、今日もメシア教団は人々の味方であり続けている。
例えそれがいつ崩れてもおかしくない砂上の楼閣であろうと、彼等は諦める事だけは出来ないのだ。

「や、やっぱり霊地から受け取るマグネタイトの循環機能が難しいんだよ、難しいんだよー」

メガネに作らせている巨大COMPは、メシア教団の霊地の物真似だ。
霊地を兼ねたガイア教団施設最奥部だけでも良い、仲魔達の召喚と維持に無駄なマグネタイトを使わずに済むようにしたい。今日明日に外部から攻め込まれる事は無いだろうし、場合によっては所詮 仮宿と開き直って当施設を捨てて逃げ出す事も視野に入れてはいるが、メシア教団霊地に引き篭もった大天使ウリエルの厄介さを思い返せば、そういった設備が心強いものであるのも確かだ。
用意が無駄に終わった場合は、適当に謝ればメガネも許すだろう。実はその程度の軽い考えで頼んでいた。

お茶で茶菓子の甘味を口中から追い出しながら、盟主は懐から小型COMPを取り出した。

流石に常日頃からアームターミナルを装着しているわけにもいかない。携帯用に小型のものをメガネに用意してもらったのだ。COMPを操作して着信済みのメールに目を通す。
目に付いたのはメシア教団に所属する、とある少女からのものだ。
異変の際に僅かながらの情報を得るために預けた簡易COMPを、彼女は今でも持っている。

別にアドレスを変更しても良いし、着信を拒否しても良い。下っ端メシアンとの伝手を保持した所で大した利益は見込めない。こうして連絡を取り合うのは盟主の気紛れだ。
教団内での日常、そこで起こったちょっとした事件。他愛の無い話であり、所々に差し挟まれる盟主の近況を窺う言葉は意図的に無視して、当たり障りの無い返信をしたためて送信する。こちらへの好意を含んだ文面は、一応は目を通すが見なかった事にした。

好意を示してくる相手を邪険に扱うつもりは無い。しかし気持ちに応えるか否かは自分で決めたい。これを盟主の我が儘と取るか、優柔不断と取るかは人それぞれだろう。
世の中 何が役に立つかなどその時にならねば分からないのだ。釣った魚は出来るだけ放さず骨まで食べる。盟主の地位を得てもダークサマナーとしての在りかたの変わらない少年であった。

しかし盟主のこの価値観が後のメシア教団との抗争に発展する遠因となるのは、未だ年若い彼には見通せぬ未来の話である。そう、彼は彼女の想いの深さを見誤っていたのだ。

要するに、只の修羅場である。

「おおっ、サマナー、おはようございます!」

快活な声で朝の挨拶をする天使パワー。朝の訓練を終えた彼は今日も無駄に爽やかだった。

あの日、夜逃げを敢行したサマナー御一行はガイア教団の乗っ取りを画策した。
大天使ウリエルとアデプト・ソーマの訃報など、ゴウトやバットマンに情報を提供した見返り。魔王ヘカーテの企みとその過去の所業に関する大まかな情報を得ていたサマナーは、潜伏先の候補にファントム・ソサエティとガイア教団の二つを挙げた。

ミシャグジ神の信仰を確保して国を作るにしても、他の何かを行うにしても、組織力というものは非常に有用である。
組織を一から興すより、既に在るものを奪う方が早いし楽だ。丁度ヘカーテも死んでしまった事だから、頭の無くなった組織のどちらかを手に入れよう。

その結果として、ガイア教団盟主の座に納まったサマナー。

ファントムは異変を起こすに当たって日本政府、引いては護国組織ヤタガラスの動きを抑えるために有るだけ全ての資金を吐き出した。残金が全くのゼロでは無いだろうが、もしかすると不要な借金まで作っているかも知れない不良債権の恐れがある。
組織の有する表裏問わない多数企業との伝手は欲しくて堪らないが、真っ当な組織体制が整っているのならば乗っ取りも容易くは無い。潜伏先の確保に時間を掛けたくないサマナーは、ファントムを従える案を却下した。

それにツクヨミの件もある。
ファントムとその関連企業の出資によって売り出した一人のアイドルが、かつて在った世界を一変させたのだ。下手にツクヨミの古巣であるファントムに属した事でどのようなトラブルが寄って来るか、予測するまでも無い厄介事が透けて見えた。だからファントムは不可。サマナーには彼女を放り出す気など欠片も無いのだ。

翻ってガイア教団は古参と見なされている緋熊の存在ゆえに相応の伝手があり、邪魔を嫌ったヘカーテによって強者が軒並み排除されており与し易い。
緋熊の名を使って組織に入り込み、後は力を示せば一定の地位は得られるだろう。

そう考えた結果、割と簡単に盟主という組織の頂点に君臨してしまった。サマナー自身もびっくりの成果である。

勿論、元々は『秩序』に拠らぬ多数の宗派が寄り集まって形成された有象無象の集まりであり、誰であろうとガイアーズを名乗ればそれだけでガイア教団所属と見なされるのが正しき『混沌』の在り様。盟主を名乗っていても、所属する人員全ての忠誠心を得ているわけではない。ガイア教団は一つの施設に納め切れるような形ある集団ではなく、世界中にそれらしき者達が溢れている。
今はまだ名目だけの盟主。事実として教団の頂点に君臨してはいても、現実に従えている人数はまだようやく三桁に届く程度だ。

今の世界、悪魔の存在を知り、その超常性に憧れる者とて当然居る。
かつて在った社会の枠から はみ出した落伍者も大勢居る。
悪魔溢れる世界、偶然 闇の中に足を踏み入れてしまう者もまた。

ガイア教団はその受け皿。底の浅い憧憬から踏み出す者も、堕ちずには居られなかった者も、等しく受け入れる。
受け入れて、その教育はパワーにやらせていた。

何故『混沌』の巣窟で『秩序』の天使が清く正しく頑張っているのか。何故ガイアーズである自分達が天使様を相手に御行儀の良い訓練生生活を送らねばならないのか。
そこに疑問を抱く者も居たのだが、力尽くで黙らせた。
ガイア教団では力が全て。組織においては盟主がルール。――そして『秩序』に属する天使さえ従える際限無き自由は、正に『混沌』の在るべき姿そのものだ。

居残った者も、新たに加入する者達も、ガイアーズ全てを己が優秀な私兵としなければ、この先の時代で覇権を握る事は不可能だ。盟主は一切の手心を加えなかった。
世間一般では世界を滅ぼした大罪人扱いであるツクヨミの名声さえ利用して、着々とガイア教団の勢力拡大とガイアーズ教育が行われている。

世間一般では大罪人。しかし元々は世界中にその名を知られた可憐なる美少女アイドル。
会場に訪れた観客全てを殺し尽くし、画面越しに目にしただけの人間達から強制的にマグネタイトを吸い上げた彼女は、世界の極一部ではカルト染みた根強い人気を獲得していた。

ただの見目麗しい偶像ではない。美しい歌と踊りをもって魅せるだけのアイドルではない。遠く距離を隔ててさえ多くの人々から命を吸い上げ、旧き世界を終わらせて、今もまた世界の裏側で薄笑う美しく幼い一柱の女神。その妖しさと恐ろしさに惹かれない者も居るだろう、しかし惹かれぬ者ばかりでもない。
かつてとは違った形で世界中から信仰を集めつつあるツクヨミもまた、真実 神の一員なのだ。

ちなみにライドウも似たような事になっていた。

魔王と元大天使と邪神、そのことごとくを力でもって捻じ伏せた化け物。日ノ本の国の帝都守護役。謎の実況役『虚心』のお墨付きによって無理矢理 世界的に認められてしまった謎の美少女。
世界各国では魔王や神を殺せる存在として『葛葉ライドウ脅威論』や『日ノ本の最終国防兵器』だなどと言われているが、裏ではこっそりと『雷堂ファンクラブ』や『葛葉ライドウを崇める会』などの各種団体が生まれ落ち、当代ライドウを象徴とした鉄の結束を広げつつある。

ちなみに両方とも盟主が発足させた。

ヤタガラスは名が売れ過ぎたライドウの存在感を利用して組織としての建て直しを図っているらしいが、つい最近ファントム・ソサエティがその中に組み込まれたらしい。
盟主達は知らないが、ライドウに捕らわれたジョージ・バットマンが原因である。
ライドウの下で馬車馬のように働かせられているバットマンを用いてファントムとの繋がりを設け、資金難に陥った組織に対して国の後ろ盾があるヤタガラスが金銭の補填を行い、多企業との伝手を護国組織が取り込む。現政府は急速に勢いを増していくヤタガラスに押され気味であり、このままでは主従が逆転するかもしれない、と懸念されてはいたが、それはまた別の話だ。
発足させたファンクラブもライドウ宗教も、数年後には相応の規模に膨れ上がる。

それほどまでにあの戦場におけるライドウの存在感は圧倒的で、何よりも強過ぎた。

当のライドウが今どのような状況に陥っているのか、盟主としては少々 気になるところではあったが考えても仕方が無い。今は日々増え続けるライドウ関連グッズの収集だけで満足し、いつか役に立つだろうガイア教団外部の手足を育てていこうと考えている。

食堂を出て廊下を歩いていると、神獣マカミがふよふよと浮いていた。
主である緋熊が寝ているので、暇を持て余して霊地内を徘徊しているらしい。宙に浮かぶマカミを指先でつついて遊ぶツクヨミを眺めながら、あの熊は相変わらずだな、と肩を竦める。

当初の緋熊が抱いていた望み通りに、かつて『悪食』であった少年が、今は盟主としてガイア教団に所属している。

ガイア教団という組織は変わっていくだろう。それに反発する者も居るだろうが、そういった輩は緋熊一行やパワーの働きによって排除、或いは再教育している。ツクヨミのアイドル性を利用しての取り込みも重ねていけば、遠からず今現在 教団に所属している人員は掌握出来る。
問題は、そこから更に規模を拡大する際の事だ。

日本全国を越えて世界中に広く散らばっているガイアーズ全てを纏め上げようなどと、そこまで極端な事を考えてはいない。むしろ下手に一極化すればそれ相応の問題が出てくるものだ。かといって、たかだか百人単位の組織では小規模にも程がある。

目的はスライムを中心とした宗教組織の構築なのだが、実は盟主とてあのドロドロが実際に何を考えているかくらいは既に知っていた。
以前は「国を獲る」などと考えてはいたのだが。まさかスライムがあそこまで現状に満足していたとは知らなかったのだ。
自分が無理強いをしたなどと考えたりはしない。結果的に当人が選んだのだ、そこまで自分本位な判断はしない。
ならば今は何を目的としているのか。

――スライムのままで象徴化するとか、無理かなあ……。

ずばり、スライム教である。
外道族を崇める人間の大集団。想像するだけで冷や汗が流れる。しかしこの常識的には有り得ないだろう突飛な構想は、ちょっとだけ面白そうに思えた。

マカミと遊びながら盟主の顔を眺めるツクヨミに笑い掛けて、自室へと足を向ける。

あの日、スライムには「一緒に頑張って行けば良い」とそう言ったが。
頑張る、とは何と曖昧な言葉だろう。
目指すものさえ不明瞭だというのに、それでも皆と一緒に前へ進んでいこうと考えられる。少年は楽観的な自分が余り好きでは無いのだが、不安感も湧いてこない。良くない傾向なのだろうが、仕方が無いと笑ってしまう。

「オスザル貴様ー! 貴様っ、もう朝餉の時間が終わっとるでないかー!? 我の朝餉はどうしたのだ貴様ー!?」

自室の襖を開ける前から、ようやく目を覚ましたらしいスライムの怒声が聞こえてくる。
四方に仕切りを設けたベビーベッドに寝かされたスライムは、実は自分一匹では床に下りる事が出来ない。以前 試みた際にはベッドの柵に引っ掛かって泣いていた事があった。柵を越えても畳の上に落下するので、以降は盟主が抱え上げて運ぶ事が暗黙の了解だった。

外道の怒声で目を覚まし、のっそりと起き出してきた緋熊に朝の挨拶をして、寝起き姿を見られた事実に顔を赤らめ走り出す猛獣を見送って。
今日もスライムや熊を宥めて、いつも通りの一日を始めよう。

まったくもって騒がしいが、これが現ガイア教団盟主の日常。
後に世界中で修羅場と騒乱と宗教戦争を盛大に巻き起こす少年の、最も大人しかった時代の御話である。





くぅ疲!(挨拶)
長くなり過ぎましたがこれでエピローグです。
今話を第一部完としてそのまま第二部に繋げられますが、これ以上書き続けるのは流石に大変なのでここで終わります。
多分続いた場合のラスボスはライドウなんじゃないですかね(白目)。

ここまでお読みくださった方、感想を下さった方々、本当にありがとうございました。
読む方の脳内補正を必要としない文章を意識していたら、描写がくどくなった気もしますが、お陰で矛盾などは無いはずです。恐らく。

以下、キャラ紹介。

 主人公
元々の設定は巻き込まれ系主人公で、スライムに振り回される役どころだったのが「国を獲るのも悪くない(ニヤリ」とか言ったり、緋熊戦で覚醒してこうなりました。
他者に配慮せず好き放題の知略系。実は今までで一番書いてて楽しかった主人公。ウリエル相手の寸劇とか特に。
好みのタイプは「世界を揺るがす女性」。
ツクヨミは月を作って世界を滅ぼし、ライドウは初対面で神殺し。
第一話の記憶は処置を受けて忘れたまま、レベルが低いので思い出せません。
名前は考えていません。

 スライム
元の構想では魔王マーラか魔王ヘカーテの筈が、第一話を書く際にミシャグジ様に。理由は憶えていません。
具象化失敗した結果のスライムではなく、邪神のMPが具象化成功してスライムになった悪魔。
男女問わず発情させる魅了の魔力が前身なので、女性化も可能。――という逃げ道を用意していたのですが結局スライム。
偉そうな口調は作ったもので、慌てたり追い詰められた時の崩れた口調が素。という設定があった。

 ライドウ
主人公とは逆方向に極まった最強系チート悪魔召喚師。熊の完全上位互換。
キャラ紹介にヒロインと書いたがために、盛大な墓穴を掘った気がするキャラ。
封魔管には『ルシファフロスト』が入っている予定だったのですが、CHAOSであるヘカーテとの話がこじれそうなので没に。
ライドウという名前ならどんなにチートでも許される気がしたために強くなり過ぎましたが、後悔はありません。
専用ルートはきっとダウンロード・コンテンツ扱いなのでしょう(白目)。

 ツクヨミ
完全造魔。ノリと勢いでキャラ設定を組み上げ、初登場時からずっと世界崩壊の下手人として書いていました。
主人公に対する恋慕は、まだ感情が育っていないので無い。
しかし主人公が女性と関わる度にじっと顔を見つめる癖がある。
スライムと悪魔合体する予定もあったけれど没に。

 緋熊
典型的なガイアーズ。悪食編のストーリーを進めるためのキャラであり、敗北後はそのまま消える予定だった。
右腕をメガネが改造したりの話もあったけれど没に。
熊。

 メシアンの少女
訓練施設で主人公が他者からどのように見えるかという、青年と同じような立場のキャラ。
再登場の予定は無かったので不遇でも仕方が無い。
きっと後々メシア教団のお偉いさんになってほのぼのとした戦争を起こすのではないでしょうか。原因は修羅場で。
LAWルートなら多分メインヒロイン。そして主人公を庇って死ぬ。

 メガネ
便利要員。
出会いのシーンを書く暇が無かったのですが、どうせ大した事無いのでいいかな、と諦められる類のキャラ。
実は結構強い。

 鏡
主人公とツクヨミの出会いを演出するキャラ。
主人公以下のレベルで、多分ピクシーくらいしか仲魔が居ない人。
不遇。

 青年
今気が付いたけれどエピローグに書いてないかもしれません。
他者から見た主人公の描写をするためのキャラ。何故悪堕ちしたかといえばその場のノリです。
きっと異変後に100キロババアと契約してる。

 アデプト
有能、且つ人格者。しかしそのせいでウリエルに殺されたキャラ。
人間第一の正義の味方的サムシング。
徹頭徹尾、本当に善人。このキャラが居たせいで綺麗なメシア教団が生まれました。
ウリエルに殺害される事だけは割と早い内から決まってました。
LAWルートでも死ぬ。そして主人公が生粋のメシアンに。


ここまで書いて気が付きましたが、キャラ紹介って呼んで面白いのでしょうか。
とりあえず、もう日付が変わっているのでここまで。紹介文書いてないキャラも居る気がしますが、時間があれば追加します。多分。

続かない詐欺もここで終わりです。


※2015/01/15投稿
※2015/01/15誤字修正



[40796] 【おまけ】絶・女神転生RAIDOU
Name: EN◆3fdefd77 ID:46c7c60b
Date: 2015/01/16 00:02
謎の美少女『ライドウ』は記憶喪失である。

謎の化け物に襲われていた少年を颯爽と助けた少女ライドウは、化け物にとどめを刺した直後、うっかり足元に転がっていた空き瓶を踏ん付けて、転んで頭を打って記憶喪失となった。
まるで古い漫画である。

「申し訳ありません……、ライドウは自分の名前さえ分からないのです……」

己が一人称で既にその名を名乗っている少女の本名は、未だ不明のままらしい。
まったくもって名称不明などではないのだが、初めて出会った夜の勇ましくも美しい少女の姿と今現在のポンコツっぷりを比較する事で、その大きなギャップに心をときめかせる一人の少年が、彼女の名前を指摘する事はない。

だって可愛いから。

少年はライドウに恋をしていた。どうしようもなく女を見る目が無いとしか言いようがないが、一目惚れだった。
夜闇にとけ込む黒尽くめと、その細い右手に握られた一振りの日本刀。
雲間から差し込む僅かな月光を跳ね返す美しき刃が化け物を両断したその瞬間、少年は生まれて初めて恋をした。

だから記憶を失って途方に暮れている美少女を無理矢理 自宅に連れ込んだ。――というわけでは無い。

少年の生涯は僅か十数年、その間に、あのような化け物は初めて見た。
ライドウは正義の味方なのかもしれない。あの化け物は悪い奴なのかもしれない。そんな子供の思い描くような世界設定が、有り得ないとは笑えぬ現状。
頭を強く打った記憶喪失の少女を近所の病院に連れて行くとして、その病院が悪の組織の関連施設ではないと、果たして本心から言い切れるだろうか。警察組織が彼女の敵では無いと断言出来るのか。

少年は言い切れなかった。化け物の存在など笑える冗談の類に過ぎない筈であり、化け物を滅ぼす美少女が日本刀片手に世界の平和を守っているなどという妄想は俗人の脳味噌の中から出てこない。その筈だったが、現状を振り返れば神妙に口を噤むしかない有様だ。
誰もが嗤うだろうその妄想は、単なる妄想では終わらなかったのだ。ならば、世に隠れた悪の秘密結社などというものも存在するのかもしれない。そんな危険な場所に彼女を連れて行く事など絶対に出来ない。

分からないのならば近付かない。不安ならば確実な安全策を取る。

それは弱腰となじられても仕方のない選択だ。しかし馬鹿にされようと蔑まれようと、少年は己の好いた少女の身の安全に関して、一切の妥協を許さなかった。

その結果が二人の同居である。

言い訳が許されるのなら、その結論を下す際、少年の中に下心は欠片も無かった。
結果的に好きな女の子と同居するなどというミラクルが実現してしまったが、その事実に気付いた少年はとりあえずガッツポーズをした。ガッツポーズした場面をライドウに目撃されたので少々気まずかったが、不可抗力だと自分を誤魔化す事で少年は精神の安定を取り戻した。

「これがアイドルというものですか。……成程、ライドウも少々憧れます」

過去を思い返して溜息を吐く少年を余所に、ライドウはテレビに映るアイドルに夢中だった。
なんだか世界を滅ぼしそうな匂いのする美しい少女が、薄い笑みを浮かべながら恋の歌を歌っている。
理由などは一切不明だが、アイドルの歌を聞いた少年の脇腹がシクシクと痛む。原因不明の腹痛に眉を顰めたが、放っておけば痛みも消えるだろうと気にする事なく放置した。

歌って踊れるあのアイドルの名前は何だっただろうか。欠片も興味が無かったために全く記憶に無かった少年だが、ライドウがあんなに興味を持っているのならば頑張って調べてみようと決意する。

テレビ相手にぱたぱた拍手をしているライドウの身元は、今のところ一切不明のままだ。
身元を証明する物など彼女は何も持っていない。現代日本に似つかわしくない立派な日本刀の鍔模様も、妙に目を惹くものではあるが何を表すのかが分からない。どこぞの家の家紋なのかと調べてはみたが、結局は空振りに終わってしまった。
無駄に頑丈な黒一色の装束にも、財布一つ入っていない。

ひょっとすると彼女と出会ったあの場所に、何か身元を証明する物を落としているのかもしれない。今更気付いたその可能性に、少年は己の不明を恥じて頭を掻いた。流石に常日頃から刀一本で走り回っているわけでもないだろう。遅すぎるかもしれないが、どうにか時間を作って足を運ぼうと決意する。

そうやってライドウのために頭を悩ませる少年を、記憶喪失の少女とて気付いていないわけではない。

しかしこのライドウ、現状に不満など全く無いのだ。
記憶をなくしてしまい、きっとかつての自身の知り合いは困っている事だろう。しかしこの振って湧いた休暇、のびのびと羽を伸ばす事は本当に悪い事なのだろうか。
憶えていないから判らない。憶えていたのならばかつての自分は怒るかもしれない。

「しかしライドウはお腹一杯 食べられるのならば何も不安などありません!」

きっと記憶喪失のまま見知らぬ異性と同じ部屋で暮らす事に色々と悩みもあるだろう。そう考えて日頃から少女を気遣っている少年に対して、別の意味で不安になるような事を言ってのける。
自分の名前さえ分からないと言いつつ一人称でライドウライドウ連呼して。過去を憶えていない事や先行きの見えない現状に不安を抱いているだろうと思えば食事事情が最優先。

何だろうか、この何とも言えないが凄く不安を掻き立ててくれる生き物は。このままでは彼女は、いつか悪い奴に騙されてしまうのではないか。純朴と言う言葉では誤魔化し切れないライドウのポンコツっぷりに、少年は逆にやる気を出した。

――俺が護ってやらないと!

まさしく、恋は盲目と言う他無い。

未だにどうする事が正解なのか、先行き不透明で頭を抱えている。それでも二人は割と平和に平凡に、何処にでもいる少年少女の当たり前の日常を過ごしていた。

――そういえば、クラスメイトからライブのチケットを貰ったんだよ。

「ほほう。その話題、ライドウは興味津々です」

それがあっさりと崩れる日が間近に迫ってきてはいたが、割と何とかなる事だけは既に確定していた。
これは一人の平凡な恋する少年と、記憶を失っていても普通に神様くらいなら殺せてしまう非凡なる少女の物語。

後に惑星全てを牛耳る、偉大なるライドウ帝国。
その建国記の最序章。この世全ての人間が、来るべき未来を知らない頃の話である。





というわけで、ライドウがヒロインになれる世界線を探すオマケ話でした。
名前が思い出せないと言いつつ自分をライドウと呼ぶポンコツ、というシーンだけが思い付いたので。
結論として、他のヒロイン候補が誰も居ない独走状態ならばライドウがヒロインを名乗れるのではないでしょうか(遠い目)。
しかしその後のヒロインレースで猛追するツクヨミ、まで妄想しましたが。
このルートだとスライムはゴウトが拾ってくれるかもしれません。多分。

おわり。


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