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[39311] 【ネタ】僕は修羅場が少ない
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/01/23 22:21


 僕は友達がいない。

「どうする? モック寄ってく?」
「行く行くー。あ、藤宮さんはどう?」

 放課後。カバンに教科書を詰めながら帰宅の準備をしていると、クラスメートに誘いを受けた。答えは決まっている。

「ごめんなさい。今日は用事があって……」

 僕は控えめな笑みを浮かべ、いつもの、行きたいけれど、事情があって行けない風を装って答えた。
 すると、彼女たちは「だよねー」と苦笑する。いつものことだ。

「なにやってんの。藤宮さんが買い食いなんてするわけないじゃない」
「たまには来てくれるかもしれないでしょー?」
「無理だって。凄いとこのお嬢様なのよ、藤宮さん」
「佇まいとかしゅっとしててかっこいいよね。愛想も良いし」
「同じお嬢様でも、柏崎さんとは大違いよねー」
「だね」

 女の子にありがちな毒の強い世間話で大笑して、教室をあとにするのを見届ける。
 藤宮陽香(ふじみやようか)――聖クロニカ学園二年三組の女子生徒。
 背中にかかる程度に伸びた清楚な黒髪、華奢で自己主張の少ない体つき、色白で薄幸そうな顔立ち。
 控えめで、我を出さず、クラスの輪からは外れて、それでいて誰の反感も買わない、存在感を失わない女の子。
 それが一年間で僕が築き上げた人物像だった。
 同学年、同クラスに柏崎星奈さんという比較対象がいたから、この立場でいるのは容易かった。
 金髪の華美な容姿、女性が羨望して止まない男性を虜にする艶美な肢体、あらゆる物事を完璧にこなす頭脳、運動神経。それを鼻にかけた高慢な態度と男子を奴隷にする気性の華やかな彼女が嫌われ役を買ってくれたおかげで、僕は愛想が良く、病弱なお嬢様という地位を維持することができたんだ。
くわえて、僕の家は地元の名家で、ある程度の知名度もあった。

 今では誰もが僕を、腫れ物のように扱ってくれる。花を手折ることのないように。
 男子にとっては触れれば崩れ落ちてしまいそうな高嶺の花、女子にとってはステレオタイプの深窓の令嬢。
 スカートだって膝丈、休み時間は誰かと大口開けて談笑したりしないで読書に耽る、放課後はバイオリンの稽古があるからまっすぐ帰るの。
 体育も柏崎さんが派手に活躍する傍ら木陰で見学。憩いの場は図書室。静かでクーラーも効いてて気持ち良い。
 ……いっつも、ひとりぼっち。

「……つまんないな」

 廊下を歩きながら、ぽつりと呟いた。
 本当は、もっと自己主張したい。本当は、運動だってできる。本当は、友達と馬鹿騒ぎしたい。
 なまじお嬢様で突き通せる容姿とスペックを持ち合わせて、周りにそう見られる心地よさに酔っていたから、こうなってしまった。
 周りの目が気になって、名前も知らない誰かが求める藤宮陽香を演じ続けたからこうなった。
 話しかけてくれるクラスメートだって、本当は来て欲しいなんて思ってない。「柏崎さんはあんなだけど、藤宮さんはこうだよ。流石だね」、と言いたいだけ。僕が彼女たちの求めるお嬢様像だから。
 嫌いな柏崎さんを扱き下ろす材料のひとつとして見ていないんだ。
 僕と彼女たちの関係性は、見えない皮膜で断絶している。
 僕に好意的に接してくれる男子もいたけど、僕はそんな関係を求めていない。普通の友達になって欲しい。でも、男と女だから邪な感情が向こうにはある。

 そして誰も、僕が友達を作ることを求めていない。
 ずっと孤高で、孤独な存在でいて欲しいと願っているんだ。
 自業自得で自意識過剰かもしれないけれど……僕は、それがとても嫌だった。
 我にかえる。俯いた顔を上げた。憂いを帯びた顔を引き締める。
 何を落ち込んでいる、藤宮陽香! そうやってすぐにネガティブになるのがお前の一番の欠点だ。
 周囲の評価を変えたいのに、なぜ自分から変わろうとしない。情けないぞ!
 気合をいれた僕は、廊下に張り巡らされた勧誘ポスターを眺めた。
 二年生からの入部なんて厄介者扱いされるだろうが、それを恐れていたら友達なんて一生作れない。
 競争のない文化部なら受け入れてもらえるかもしれないし、人の少ない部活なら喜ばれる筈だ。
 昨日読んだ雑誌によると、最近の学校の青春物語は部活を作ることから始まるらしいし!
 ざっと目を通し、めぼしい部活の勧誘文に目を通す。ありふれたものばかりのポスター群の中に、ひときわ異彩を放つポスターがあった。

「……隣人部?」

 聞き慣れない部活動に眉根を寄せた僕は、だが、その紹介文を読んだ瞬間、天啓を受けた信者の如き衝撃に打ち震えたのだった。



『ともだち募集』

 それが、あの小学生が作成したみたいな不出来なポスターに隠されたメッセージだった。
 一般人は目も向けない雑な作りに巧妙に隠された心の叫びを僕は聞いた。
 居てもたってもいられなくなった僕は、その足で談話室4に向かった。礼拝堂のマリア像がこれほど神々しく見えた日が他にあっただろうか。
 この先に、僕と同じ悩みを抱えた同士がいる。同士……何て甘美な響きなんだろう。
 友達を得ようと志を同じくする者が集まれば、すぐに友達ができる。
 僕はこれから始まる輝かしい毎日に思いを馳せて、部室のある廊下に足を踏み出し、

「リア充は死ね!」

 部室を訪れていた先客がたたき出される光景が見えた。
 鮮やかな金髪――あれは柏崎さんだ。涙目でぷるぷると震えている。
 今、とても理不尽な台詞が聞こえたんだけど、気のせいかな。
 柏崎さんが駆け出し、擦れ違う。不安がこみ上げてきた。なに? 恵まれてる人は死ななくちゃいけないの?
キリスト教の博愛精神はどこにいったの?
 湧き上がる疑問と不安を飲み込んで、僕は恐る恐るドアをノックした。

「しつこいぞ! ――と、貴様は……」

 出てきたのは、長い黒髪と凛とした瞳が印象的な美少女だった。
 彼女は僕を見ると、仏頂面を露骨にしかめた。

「あの――」
「豆腐の角に頭から突っ込んで窒息死しろ!」

 けたたましい音をたててドアが締まる。酷いことを言われた。
 どれだけ大きな豆腐を用意すればいいんだ。

「ま、待ってください! 開けて、開けてください! せめて話だけでも!」
「黙れ! 私は貴様のような絵に描いたようにお嬢様然とした女が大嫌いだッ! 存在そのものが不快だ! 反吐が出る!
 早く病室に篭って窓から見える木の葉の残り枚数でも数えていろ、この似非華族がッ!」
「まだ春ですよ!? 初対面なのにひどすぎませんか!? 僕がなにかしました!?」
「貴様と先ほどの肉塊、リア王は私の学内三大怨敵だ! 三秒くれてやる。それまでに私から半径二キロ以上離れろ! でなければ、あらゆる手段を使って社会的に抹殺してやるからなッ!」
「無理ですよう! 何でそんな理不尽なこと言われなきゃいけないんですか!」
「なあ、話くらい聞いてやってもいいんじゃないか?」

 ドア越しに響く、落ち着いた男性の声。少女は激昂して話ができそうにないが、彼は耳を傾けるくらいはしてくれそうだ。
 僕は一縷の望みを託し、声高に叫んだ。

「お願いします、入れてください! ポスター見ました! あれに隠されたメッセージも!」
「僕も友達が欲しいんです!」「あたしも友達が欲しいのよ!」

 ……どこからか発せられた魂の叫びが重なって、静寂の帳が下りた。
 冷静になると、自分から友達がいないとカミングアウトする羞恥的な告白だ。
 でも、後悔はしていない。偽りのない本心だったから。
 虚飾ない言葉に応えるように、扉が開く。

「入れ」

 歓迎の言葉は、舌打ちと射殺さんばかりの視線がセットだった。



「あら、アンタは同じクラスの……誰だっけ?」
「藤宮陽香です、柏崎星奈さん」
「あぁ、そうそう。そういえばそんな名前だったわ」
「馴れ合っているんじゃないぞ、凸凹コンビめ」

 椅子に座った三日月さんが苛立ちを隠しもせず、足を組み直す。
 何が凸凹かって、僕と柏崎さんの胸だ。

「はん、アンタもたいして変わらないみたいだけど?」
「黙れ、皮下脂肪の塊が。適度で均整のとれた体つきと言え」
「はいはい。女の嫉妬って醜いわよねー。素直に羨ましいって言えばいいのに」
「……グレイトフル・デッドで今すぐその無駄乳をしわくちゃに変えてやろうか」
「やめろ」

 金髪と黒髪が中途半端に混ざった目つきの悪い羽瀬川くんが止める。
 服装も制服を着崩して、学校でも恐れられている彼だが、意外なことに常識人だった。
 可哀想なことに、啀み合う二人の間に入らざるを得なくなった羽瀬川くんは頭痛を堪えるように眉間に皺を寄せて話を進める。

「えと、柏崎だっけ? 友達が欲しいって言ってたけど」
「お前はいつも男に囲まれているだろうが」
「わかってないわね。あんなのただの下僕よ。あたしが欲しいのは体育で『二人組を作れ』って言われた時に気兼ねなくペアを組める可愛い同性の友達。
『え? 柏崎さんは男と組みなよ。いつも靴舐めさせたりしてるじゃないwww女王様気取りとかちょー受けるんですけどwww』とか言わない性格の良いコ。
 ……もうクラスの余り物や先生とペア組まされるのはイヤ」

 陰鬱な告白に重苦しくなる部室の空気。みんな似たような経験があるらしい。
 僕はそこまで言われたことはないが、誰もペア組んでくれない辛い思い出は数え切れないほどある。
 あぁ、やめて。もうひとりぼっちはやだよう。

「……まぁ、なんだ。柏崎の悩みは、もう解決されたも同然じゃないか?
 藤宮は同じクラスで、目的が同じなんだろう? 二人が友達になれば利害が一致するし、柏崎もぼっちにならなくて済む」
「あ、そういえば……」

 柏崎さんが期待を込めた眼差しで僕を見つめた。碧い瞳の透き通った煌めきが眩しくて直視できない。
 対面の三日月さんは濁った目を眇めた。どうしてこの人は僕らを敵視するんだろう。

「……そもそも何で貴様が来た。周りにちやほやされて毎日が日曜日気分だろう、名家のお嬢様は」
「そうよね。アンタは女の子からも人気あるじゃない。何が不満なのよ」

 敵意満々な三日月さんと純粋な疑問と嫉妬をぶつけてくる柏崎さん。
 僕は肩を縮めた。羽瀬川くんは外見が怖いけど、この人たちは中身が怖い。

「あの……贅沢な悩みかもしれないけれど、僕、あの人たちとは話が合わなくて」

 怒鳴られることを覚悟で告白すると、意外にも全員が同意してくれた。

「確かにな。リア充どもの突飛な思考にはついていけん」
「まぁ、純粋培養のお嬢様には世間のノリは辛いかもしれないが」
「わかってるわね。あいつらは馬鹿だから合わせる必要なんてないわよ。周りがあたしたちに合わせるものなんだから」

 同意を得られたことで嬉しくなり、立ち上がって続けた。顔が綻ぶ。やっぱりだ!
この人たちは僕の悩みをわかってくれる!

「だから、男の人と友達になりたいんです!」
「死ね、糞ビッチがッ!」
「っはぁぁあっ!? なに考えてんのアンタ! バッカじゃないの!?」
「なんで!?」

 分かり合えなかった。返って来たのは同意ではなく罵声だった。
 三日月さんは腕を組み、家畜を見るような凄惨な目つきで僕を睨んだ。

「本性が出たな。前々からコイツは気に食わなかったのだ。病弱、名家の令嬢、成績優秀、性格も良いと絵に描いたような属性で男に媚びを売ってる様がな。
 貴様からは清純派AV女優と同じ臭いがする」
「酷い……僕は淫猥なんかじゃ――」
「それだ。なんだ『僕』って。女で僕が許されるのは二次元だけだ。おおかた全て計算して男心をくすぐる仕草、言動を演じているのだろう。クラスにひとりはいるな。清楚系ビッチ。サラサラな黒髪と白い肌で遊んでないアピールして、裏では男を食いまくってる女。正に貴様のことではないか」
「お、男漁りなんてしてません! 僕は純粋に、」
「黙れ、耳に精子がかかる!」

 理不尽に罵倒される。何だよ……いいじゃんか、僕が僕を僕って言って何が悪いんだよう。

「アンタ正気? 男ってみんなあたしの奴隷になるくらいしか価値ないわよ?
 見なさい、このヤンキー。今にもあたしの靴を舐めたくて仕方ないって顔してるじゃない。男友達なんかやめときなさいよ。アンタ可愛いからパックリ食べられちゃうわよ」
「そんな顔してねえだろ!」
「ひいっ! な、なによ。怖くなんかないんだからね……!」

 強面の羽瀬川くんに怒鳴られ、涙目になって虚勢をはる柏崎さん。
 その様子にショックを受けたのか、羽瀬川くんは、悲壮に顔を歪めてから一度咳払いをした。

「す、スマン。あのな、藤宮。俺からも訊きたいんだが、何で男なんだ? 別に友達なら女でも良くないか?」

 語調から、極力怖がらせないよう、優しい声音で話そうとしているのが伝わってきた。
 やっぱり噂で聞いたような悪い人ではないようだ。
 僕は答えようとして――答えに窮して、口を噤んだ。

「それは……」
「ほらな、言えない。本心は男とヤリたくて仕方ないんだろう。このビッチめ!」
「夜空!」
「な、なんだ。やけにコイツの肩を持つな……」

 鬼の首を取ったように口撃してくる三日月さんと庇ってくれる羽瀬川くん。
 険悪なムードの中、隣に座っていた柏崎さんが二の腕をつついてきた。

「ねえねえ。男なんか止めてあたしと友達にならない? 同じクラスだし、お互い高貴な身分同士だもん。一緒にあの頭のめでたい馬鹿共を見返してやりましょうよ」
「ごめんなさい。僕、女の子は友達に見られないんだ」
「何でよ!?」

 両肩をガッと力強く掴まれた。涙でうるんだ瞳に責められる。距離が近い。

「し、信じらんない! このあたしが友達になってやってもいいって言ってるのに!」
「ぼ、僕じゃなくても三日月さんがいるじゃないですか」
「ハァ!? こんなキツネこっちから願い下げよ! こんな見るからに性格悪そうなヤツと友達になるわけないでしょ!」
「清々しいほどのブーメランだな。投げた言葉が貴様の頭に突き刺さっているぞ、牛女」

 再び睨み合う二人。あの、ここって隣人部ですよね?
 隣人と善き関係を築くのが活動目的ですよね?
 何で隣人に助走つけてぶん殴るレベルで啀み合ってるの?

「あー……藤宮。お前はこんな部に入っていいのか? 俺が言うのもアレだが、なんか場違いな気が……」
「……入ります。僕だって友達が欲しいんです。変わりたいんです。だから、羽瀬川くん」
「ん?」
「小鷹、って呼んでもいいかな。僕のことも陽香って呼んでいいから」
「お、おう……わかった、陽香」
「……ビッチめ」

 顔を赤らめ、目を背ける小鷹。
余談だが、三日月さんの僕の呼称は『ビッチ』で固定された。違うのに……





[39311] 僕はぬくもりが少ない
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/01/23 22:24
「ね、ねえ。ちょっと付き合いなさいよ」

 僕と柏崎さんが隣人部に入部した次の日。三日月さんがゲームでリア充を目指す旨を宣言して、ゲームを用意するように言われた放課後。
 帰ろうとしたら、柏崎さんに呼び止められた。

「何にですか?」
「あのキツネが言ってたゲームよ。あたし、まだ持ってないから。あんたも持ってないでしょ? 一緒に買いにいかない?」
「そうですけど……柏崎さんはわざわざ買いに行かなくても、クラスの男子から借りればいいじゃないですか?」

 いつも奴隷扱いしてコキ使ってるし、そうするんだろうと思ってた。
 僕がそう言うと、柏崎さんは心外だとばかりに声を張り上げた。

「はあ!? 嫌よ、下僕の手垢に塗れた携帯機なんて。何であたしがそんな汚いの使わなくちゃならないわけ?」
「いつもそうしてるじゃないですか」
「それは、そうだけど……。と、とにかくもうしないの!」
「はあ」

 大股で歩く柏崎さんを見送ると、反転して来て腕を掴まれた。

「なにぼーっとしてんの! あんたも来るのよ!」
「えー」

 ズルズルと引きずられる。
 抵抗もできない。ゲームなんて生まれてこのかたプレイしたこともないから、何を揃えればいいかもわからないから、柏崎さんと一緒に買った方が間違わずに済むのかな?
 足並みを揃えて彼女に並ぶ。

「フフ、その気になったのね。それでいいのよ、それで」

 したり顔の柏崎さんを見て、僕は歩調をゆるめた。
 並ぶと、胸が自然と比較されて惨めな思いになったからだ。





 プレイングステイツポータブルとモン狩りを求めて、大型の家電量販店を訪れた。
 モン狩りとやらはすぐにカゴに入れたのだが、PSPの色やデザインで柏崎さんが時間を取っていた。

「うーん……これとか、あたしに相応しいカラーリングね。でも、少し男っぽいかしら。アンタはどう思う?」
「プレイできれば、どうでもいいと思うんですけど」
「ハァ!? 見栄えもこだわるのが普通でしょうがッ!」

 散々に吟味しておいて、まだ悩むのか。本音を言えば、早く帰りたかった。
 柏崎さんのような華やかな美貌の女子高生が、大衆が利用する大型店で騒いでいれば目立たないわけがない。
 既に白のカラーリングのPSPを購入し終えていた僕は肩身の狭い思いをしていた。
 ごめんなさい店員さん。お金は落とすから怒らないで。

「フンフーン。ゲームって初めて買ったわ。帰ったらプレイしてみようかしら」
「そうですか」

 結局、一時間も付き合わされた。小躍りしてビニール袋に包まれた商品を抱きしめる柏崎さん。
 僕もゲームを買ったのは初めてだが、そこまで楽しいものなのか疑問だ。
 夕日の山吹色に柏崎さんの金髪が燃えていた。帰り道も途中までは同じらしい。
 もしかして、部活の帰路は柏崎さんと帰らなくてはならないのだろうか。それは嫌だなぁ。

「……じ、実はね。同年代の女の子と買い物したの、今日が初めてだったの。案外、悪くなかったわ」
「そうですか」

 僕も初めてだった。疲れた、というのが率直な感想だ。書店で本を立ち読みするのは疲れないのに……
 人に付き合わされる、振り回されるのは疲れるんだ。憶えておこう。
 淡々と返事をする愛想のなさが癪に障ったのか、柏崎さんは唇を尖らせた。

「なによ、アンタは楽しくなかったって言うわけ?」
「想像していたものとは違いました」

 もっと和気藹々と語らい合いながらショッピングを満喫できるものと思っていた。
 終わってみれば、終始柏崎さんに振り回されただけ。つまらなかったと言えば嘘になる。
 柏崎さんの瞳に動揺が走った。

「ぅ……な、なんでよ。なんでそういうこと言うのよ。アンタもクラスの馬鹿女みたく、あたしのこと嫌いなの?」
「むしろ逆で、僕が嫌われてると思ってました」
「え?」

 僕は苦い思い出を掘り起こした。
 あれは二年生になったばかりの体育でのことだ。二人組を組まされ、クラス替え早々から女王様ぶりを発揮した柏崎さんは、案の定ハブられた。
 僕も組んでくれる人がいなかったので、勇気を出して声をかけてみた。
 
『あの、柏崎さんがよかったら、僕と組んでくれませんか?』

 そうしたら――

『ッハア!? 同情してんの!? どうせアンタも内心あたしのこと馬鹿にしてんでしょ! 誰も組んでくれる人のいない柏崎さんカワイソーwwwとか思ってるんでしょ!?
 いいわよ。アンタたちと組むくらいなら先生と組むから! 泣いてるように見えるかもしれないけど、これはあくびしただけだからッ! 調子に乗ってんじゃないわよ愚民のくせに!』

 その後、僕は体調不良を理由に木陰で休んだ。
 他の女子が慰めてくれたが、二言目に出たのは柏崎さんの陰口だった。
 柏崎さんから見たら、僕も彼女のいじめに加担しているように見えたのかもしれない。
 だから嫌われていると思っていたのだけれど。

「あたし、そんなこと言ったっけ?」

 きょとんとして呟く柏崎さんを見るに、そもそも存在を認識されていなかったようだ。
 いちおう顔は憶えられていたようだけど。
 柏崎さんは胸の前で指を絡め、もじもじとして上目遣いに僕と目を合わせた。

「あの……そう言ったことは謝るから、これからは仲良くして欲しいんだけど」
「僕は別に気にしてませんから、構いませんよ」
「ホント!?」

 不安げな瞳から一転して瞳が輝き出す。表情が豊かな人だと思った。

「じゃあ、その……陽香って呼んでいい? あのヤンキーだけ名前ってなんか腹が立つし」
「いいですよ」

 喜色に染まる柏崎さんの顔。花が綻んだようだった。その勢いに任せて、柏崎さんが僕の両手を握った。

「じゃあじゃあ、ついでに、あたしと友達に――」
「すいません。無理です」
「なんでよ!」

 デジャヴに悩まされながら、涙目になって詰め寄る柏崎さんを宥めた。
 ひょっとして、少し距離が縮まるたびに、このやりとりを繰り広げなければいけないのかな……





 週明けの部活はリア充になったときに備えてのモン狩りの集団プレイ体験だ。
 胸を踊らせていた柏崎さんは、ほぼ三日間徹夜でやり込むという気合の入った予習を済ませていた。
 僕は基本操作を頭に叩き込んだ程度。小鷹もそのくらい、言い出しっぺの三日月さんは結構やりこんでいるようだった。
 そして始まったマルチモードは、柏崎さんの開幕太刀唐竹割りで不穏な空気になり、三日月さんの不意打ちボウガン三連射で凄惨な様相を呈した。
 それから二人で醜い殺し合いを始めたので、僕と小鷹の二人で初心者同士、手探りで探索を始めた。

「小鷹、このイャンチョットってモンスター、全然倒せないね」
「先生って呼ばれてるらしい。これを倒せるようになってようやく半人前だって」
「もっと吹き荒ぶ血のエフェクト激しくしなさいよ! このクソギツネにもっと無様な死に様を演出してやりたいのにぃぃいい!」
「この牛が死後に腐り落ちる様をもっと見たい! もっとだ! もっと愉快な姿を晒せクソ以下の駄肉がぁぁあああ!」
「……」
「……」

 二人がハイレベルな同士討ちを繰り広げている間に、僕と小鷹は、かなりの時間をかけてボスを倒した。

「やった! やったよ小鷹!」
「あ、ああ。アイテムが落ちたけど、どうする?」
「小鷹が拾っていいよ。僕はそこまで活躍してないから」
「そうか? ならありがたく――」

 小鷹の手をとって、達成感の余韻に浸っていたら、小鷹が何か恐ろしいものを見たような形相になった。
 振り向くと、黒と金の悪魔が仁王立ちしてた。

「何をイチャついている、このクソビッチがッ! 目を離せばすぐに男に尻尾を振る女狐め!」
「わからないところはあたしに訊けって言ったのに、なんでこんなヤンキーに頼ってんのよ!」
「ええっ!?」

 僕らを放っておいて殺し合いを始めたのは二人の方で、柏崎さんに至っては尋ねても「いま集中してるから話しかけるないで!」って怒鳴ってきたのに……
 特訓大会は『ゲームはひとりでするもの』という結論が出て無駄に終わった。
 ゲームがコミュニケーションツールって言い出したのは誰だったかな。

 翌日。モンスターを討伐する爽快感と苦労の末に素材を手に入れる達成感が忘れられなくなった僕は、学校にPSPを持ち込んでプレイしていた。
 休み時間等の僅かな時間も惜しんでゲームに没頭する。同じ作業をひたすら繰り返す惰性の強いゲームだが、その分、レアアイテムをゲットした喜びは、名著を読み終えたあとの余韻よりも強かった。
 黙々と熱中していると、その様子が珍しかったのか、隣の男子生徒が話しかけてきた。

「な、なあ。藤宮もモン狩りするのか?」
「え? ……は、はい。最近、人気のゲームだと耳にしたので」

 慮外の声に声が上ずったが、なんとか取り繕って返事をした。
 恥ずかしそうに、遠慮がちに言うのも忘れない。隣席の彼は身を乗り出した。

「へえ。意外だな。どれくらいやりこんでるの?」
「それが、全く。ゲーム自体、プレイしたことがないので……」
「そうなんだ。ならオレが教えてやるよ。オレもかなりハマっててさ」
「なになに? 藤宮さんもモン狩りやんの?」

 それを皮切りに、クラスの男子が周りを取り囲みだした。
 表には出さないが、いい気分ではなかった。彼らの中に純粋に僕と友人として接したいと思ってくれている人はどれくらいいるのだろう。
 好意的に話しかけてくれるのも、僕の容姿が偶々、他の女の子よりも好みだったからじゃないの?
 僕が困惑していると、大股で柏崎さんが歩いてきて、犬をあしらうようにシッシッと手を払った。

「なにしてんのよ、邪魔。むさ苦しいから散りなさい」
「せ、星奈様!」

 女王様の登場に一斉に平伏し出す男子たち。異様な光景に頬が引きつった。彼らは……なんだっけ。SMクラブにでも通っているの?
 クラスの女生徒も、また始まったと辟易したようにため息をついた。
 周囲の反応も知らずか、柏崎さんはモーゼの海割みたいに道を開ける男子の間を闊歩して僕の席まで来た。

「陽香、モン狩りならあたしに訊きなさいって言ったでしょ? フフン、大船に乗ったつもりでいなさい。何でも教えてあげるから」

 親しげに話しかける柏崎さんがクラスにどよめいた。
 当然だよね。僕と柏崎さんって、色んな意味で対極な存在だったから。
 得意げに微笑む柏崎さん。もしかして、これが狙いだったのかな。
 柏崎さんは嬉しそうに教えてくれたけど、僕は怪訝な女子の視線に居た堪れなくなって、その日でモン狩りをやめて読書に戻した。
 三日月さんは正しかった。ゲームはひとりでするものだよ。





「おい、ビッチ。なんだ、このコーヒーメーカーは」
「実家で使ってないものがあったので、持って来たんです。三日月さん、いつもコーヒー飲んでるから。豆も余っていたのを拝借してきました」
「これ数十万はする全自動のやつじゃないのか? よく持ってこれたな」

 休日に運んできた銀色の光沢が眩しいそれに、二人が目を丸くした。
 高級ブランドの一品で僕の胴体くらいの大きさがある。
 父が趣味で買ったものだが、みんな緑茶派なので使用する機会がなく、埃を被ってしまうのも何なので持って来たのだ。
 柏崎さんがティーセットを持って来て以来、三日月さんが(勝手に)コーヒーを飲むようになったので、それならと活躍の場を設けてやることにした。

「ふむ……これはどう使うんだ?」
「水と豆をいれるだけで後は自動でやってくれるんですよ。少し時間はかかりますけど……」

 使い方の見本を見せた。抽出されたコーヒーの芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
 不純物のない澄んだ色合いに目を丸くした三日月さんは、口をつけると、感嘆したのか、しばし瞑目した。

「……ビッチ。お前も酒に入れた目薬くらいはいい仕事をするな」

 それって、最近のは全然効果ないんじゃ……

「俺も飲んでいいか?」
「どうぞどうぞ」

 小鷹も気になったのか、注いだコーヒーを啜った。ほう、と吐息を漏らす。

「なんて言うか……インスタントコーヒーって、やっぱり安物なんだな」
「うむ。高級豆で淹れたものは、文字通り物が違うな。本場の本格的に淹れたものがどれほど美味いのか興味が湧いた。ただの色水と思っていたが、なるほど奥が深いな」

 カップを片手に優雅なひと時に酔いしれる二人に、少し嬉しくなる。役に立つ、人に喜ばれるのは気持ち良い。

「それに引き換え……」

 僕が人知れず浮かれている横で、三日月さんは家畜を見るような目で、家庭用ゲーム機の前で慌ただしくしている柏崎さんを一瞥した。

「もうひとりの自称お嬢様は何をしているのだろうな。先程から不快な肉塊が揺れて目障りで仕方がないのだが」
「その部活で役に立つもの持ってきてあげたんでしょうが! ほら、今からするわよ!
 ……ていうか、そのティーセットあたしのでしょ!」

 柏崎さんがセットしていたのは、『ときめいてメモリーデイズ』という、パッケージにカラフルな髪色をした美少女が描かれている美少女ゲームだった。
 先日、僕たちがプレイしていたモン狩りとは意匠が違うらしく、異性と仲良くなるゲームだとか。
 女の子と仲良くなって何が楽しいんだろう。女の子って口を開けば二言目には他人の陰口ばかりがマシンガンみたいに出てくるのに。
 僕は全くやる気がなかったのだが、開始してすぐに出てきた主人公『柏崎せもぽぬめ』の親友、『マサル』に衝撃を受けた。

「馬鹿な……既に親友がいる、だと……!?」

 小鷹も同様で、強面が強張って凄まじい迫力に満ちていた。
 中学時代からの親友なんて……僕には名前も憶えてられる人すらいなかったのに。

「あの、この人は攻略できないんですか?」

 僕が画面を指さすと、三日月さんは大仰に嘆息した。釣り目がさらにつり上がる。
 呆れと蔑みが多分に含まれた声音で語り出した。

「いいか、ビッチ。よく聞け。これは、女の子と仲良くなるゲームだ。美少女ゲームだ。こういったゲームにおいて男性キャラクターは脇役で存在価値はない。
 男の娘と呼ばれる美少女に男性器をつけただけのキャラクターは稀に攻略対象となるが、このチャラ男に唆られる男などいないだろう。需要がないのだ。
 お前の質問は、料理番組で『オリーブオイルを使わない料理ありませんか?』とお便りを送るようなものだ。要するにスレ違いだ。帰れ」
「三分で作る料理番組にオリーブオイルそんなに使います?」

 そもそも一般家庭で作る料理にオリーブオイルって使う機会そんなにないと思うのだけれど。
 僕はゲームを実際にプレイする柏崎さんに視線を送った。懇願する。

「柏崎さん、お願いがあるんですが……この人を攻略してくれませんか?」
「ハァ!? ふざけんじゃないわよ、何であたしが男なんか、」
「お願いします……」
「し、仕方ないわね」
「おい」

 あっさりと承諾してくれた柏崎さんに、三日月さんがドスのきいた声で言った。

「雌豚が、何を丸め込まれているのだ。これは美少女ゲームだ。私たちが同性と仲良くなる参考にするために持ってきたのに、ビッチが男を攻略する手助けをしてどうする?
 見ろ。コイツの顔を。柏崎さんはちょろいな、とか思われているぞ」
「陽香がそんなこと考えるわけないじゃない!」
「夜空、俺からも頼む。親友……それがどういう存在か気になって仕方がない。リア充は親友とどんなことをしているのか。親友がいるくせにリア充じゃないとか抜かす奴がどういう生活を送っているのかがな」
「小鷹……」

 小鷹にも頼まれ、三日月さんも折れた。舌打ちし、椅子に座ると、前髪を弄りながらぶっきらぼうに言う。

「まぁ、チャラ男と言えども、親友ができてからの参考にはなるかもしれないな」
「ありがとうございます、三日月さん」
「ふん」

 不満そうに鼻を鳴らす三日月さんだが、どうやら小鷹には弱いことはわかった。
 ヒロインの女の子とのイベントを進めると、放課後になって選択肢が出てきた。

『さて、これからどうしようか』
1.藤林さんと帰ろうかな
2.そういえば可憐ちゃんに誘われてたんだっけ
3.マサルが呼んでる、行かなきゃ

「何でこの主人公は使命感に駆られでもしたような言動をしてんの?」
「親友に呼ばれたら、気になる女の子の誘いもシカトして向かわなければならないのか」
「女の子でもよくあるじゃないですか。彼氏ができたら友達に素っ気なくなった、付き合いが悪くなったって言われるの。友達付き合いも大事なんですよ」
「身はひとつしかないんだから、両立は不可能だよな」

 さらに進めると、選択肢の関係で仲が深まっているヒロインが出てきた。
 そのヒロインとの仲についてマサルに尋ねられる。主人公がはぐらかしても、マサルは執拗に問いただしてきた。

『い、いいじゃないか、僕が誰を好きでも。そんなに気になるなんて……もしかしてマサルは僕のことが好きなのか?』
『そうだ、俺はお前が好きだ!』
『!?』

「どんな超展開だ!?」
「なによコイツ、気持ち悪い!」
「そんなに想ってくれる親友なんて、この世にいるのかよ」
「……」

 僕は嫌な思い出がよみがえって吐き気が込みあげてきたのだが、

『なーんてな。友達としてってことだよ』
『び、ビックリさせるなよ』

 男臭い笑みで冗談を言うマサルに胸を撫で下ろした。そうだよね、男同士なんてありえないよね。
 自分を鍛え、女の子とは程々に距離をおいて学校生活を過ごすせもぽぬめ。
 隣の席の藤林さんと談笑を繰り広げ、時折図書館で見かける長田さんを記憶の片隅に留め、自分を慕う後輩の可憐ちゃんとはあくまで可愛い後輩としての接し方を続けた。
 そしてマサルとアホなことを繰り広げながら過ごす、充実した青春。男女ともに友人に恵まれた学校生活は、非常に意義のあるものだった。
 そして修学旅行の日。せもぽぬめの隣には、当たり前のようにマサルがいた。

『結局、彼女はできなかったけど、マサルがいるから毎日が楽しいよ。持つべき者は親友だよな。これからも僕と友達でいてくれるか?』
『水臭いこと言うなよ。俺もな、お前と一生友達でいれたらいいな、って思ってるぜ』
『マサル……』

 そして二人は固い握手を交わして終了した。

「ぐすっ」
「良い、話だったな……」
「うん……マサルくんは、本当に……本当に良い人です……」

 鼻を啜る三日月さん、瞳に涙を浮かべる小鷹、涙が止まらない僕と、感動のフィナーレに絶賛の嵐だった。
 僕もこんな学校生活が送ってみたいな……
 三人で如何にマサルが親友として優れていたかを述べているが、ゲームをプレイしていた柏崎さんだけは釈然としない面持ちで呟いた。

「確かによかったけどー。あたしとしてはこの、長田有希子の方が攻略したかったなー。可愛いし」

 一人だけ違う感想を口にする柏崎さんを、三日月さんはドン引きして見つめた。

「牛女……まさかとは思っていたが貴様……れ、レズビアンなのか?」
「ハァ!?」

 後退る。三日月さんは身を庇うように自分を抱きしめた。

「おかしいと思っていたのだ。あれだけ男に囲まれていながら満足せず、女を欲するなど。そういうことだったのか……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! どういうカスみたいな思考回路してたらそんな答えになるのよ!」
「あのエンドを見て感動しないなんて、心の底から女を求めているとしか……」
「陽香まで!? な、なんなのよ、もうっ!」

 友達が欲しいという願いに邪な感情が含まれていたのかと邪推する。
 小鷹もどう反応していいか判らず、後ろ髪を掻いて無言だった。
 居た堪れなくなった柏崎さんは、瞳に涙を浮かべながら小刻みに震えたかと思うと、

「お、女の子の友達が欲しいのに何が悪いのよ! うわーん! 死ねクソギツネ! 陽香のぺたんこナス! あーん!」

 談話室のドアを開けっ放しにして逃げ出した。ぺたんこナス……

「追わなくていいのか?」
「放っとけ。三歩歩いてたから忘れるだろう」

 時間も時間だったので、これで解散となった。
 僕は心地良い余韻に夢心地になりながら家に帰った。マサルくん、良い人だったな。
 僕もあんな友達が欲しいな。





 翌日、柏崎さんが別のゲームを持ってきた。
 『コロスデイズ』とかいう物騒な名前のゲームだった。
 一抹の不安に駆られながらもゲームを開始すると、ゲームのバグでどうやってもヒロインを男友達に寝取られて終わるという欠陥だらけのゲームだった。

「ふざけんな!」
「ユーザーを嘗めているのか、この制作会社は!」

 三日月さんと柏崎さんは問答無用でディスクを叩き割った。
 ……正直、僕も少しトラウマになった。





[39311] 僕は何かが少ない
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/01/23 22:24

「ストーカーにつきまとわれているかもしれない」

 小鷹が神妙な顔でそう言った際の僕らの反応は三者三様だった。

「あひゃひゃひゃひゃひゃ! なに言っちゃってるのこのヤンキー! 髪の毛染色しすぎて頭のなかまでくるくるパーに染まっちゃったのっ? ストーカーの動機って痴情のもつれが殆どなのよ? もしくは、あたしや陽香みたいな超絶美少女じゃないと現れるわけないでしょ。アンタはそんなに容姿がいいですかー? 一回でも女の子に言い寄られたことありますかー? むしろ怖がられて避けられてばかりじゃないですかバァァァァァァカッ!」
「小鷹、このブレンドでも飲んで落ち着いたらどうだ? お前は疲れているんだ。もう休んでもいい頃だぞ」
「心配だね。悪質なストーカーじゃないといいけど。エスカレートすると身の危険もあるし」
「お前だけだよ、親身になって心配してくれるのは!」

 悲愴な様相の小鷹が、力強く僕の手を握った。というか、他の人の反応がおかしいと思うのだけれど。
 正面から見つめ合う形になった僕らを、三日月さんと柏崎さんの双眸が睨む。

「気安く女の子の手ェ握ってんじゃないわよ! 今なら痴漢で99%冤罪だけど有罪に仕立てあげることだってできるんだからね!」
「チッ、ビッチは空気を読まないから困る。脊髄反射で男に媚びるように脳味噌に刷り込まれているらしいな。貴様に比べれば、水銀温度計の方が気温を計れるだけ友達に欲しい逸材だぞ」

 三日月さんが僕を、柏崎さんが小鷹を引き剥がした。言動が酷いにも程がある。
 温度計以下扱いでは物足りないのか、腕組みをして眉間にシワを寄せた三日月さんは続けた。

「いいか、小鷹。ストーカーとはこのような女がいるから生まれるのだ。その気もないくせに好意があるような思わせぶりな言動で男を惑わし、男が勘違いするから悲劇が生まれる。
 小鷹のような非リアなど女の子から話しかけられただけで舞い上がり、『あれ? コイツ俺のこと好きじゃね?』と浮かれてしまうだろう。
 私はストーカーが一概に悪いとは思わない。むしろ諸悪の根源は、ビッチのような悪女であり、異性に媚びへつらう尻が軽い女が撲滅すれば、痴漢冤罪等の犯罪も減り、男女共同参画社会の形成も上手くいくと考えていのだが、そこのところはどう思う?
 今まさにストーカーになろうとしていた小鷹」
「いや、今ストーカー被害に合ってるの俺だし、全然関係ねえだろ」

 どこまで僕を扱き下ろしたいんだろう。別に僕は小鷹が好きというわけではないのに。
 否定する小鷹を、今度は柏崎さんが罵倒した。

「つーか、アンタが女の子からストーカーされるような色男には見えないんだけど。このあたしにすら女の子のストーカーがいないのに、ヘタレ残念系ヤンキーのアンタにストーカーが憑くわけないじゃない」
「腐肉に纏わりつくのはハエだけだからな」
「あァ!?」

 私怨と願望だけで会話しているので全く進展しない。
 頭を抱えた小鷹が言う。

「たしかにストーカーは言いすぎたかもしれない。でもな、困ってるのは本当なんだよ。
 お前らも黙ってれば美少女なんだし、そういう被害にあった経験とかないのか? どうやって対処したとか参考にしたいし」

 小鷹も小鷹でひとこと多かった。

「馬鹿か。そもそも、もつれるまで人間関係が進展した覚えがない」
「さっきも言った通り、女の子はストーカーしてくれないし、男はみんなあたしの下僕だもん。あるわけないじゃん」

 なぜか三日月さんは胸を張り柏崎さんは悔しそうに唇を噛んだ。美少女にだったらストーカーして欲しいのかな。
 三人の視線が僕に集まった。僕はしずしずと手を挙げた。

「じ、実は一回だけ……」
「ハァァアアッ!?」
「陽香は……されてそうだな。いや、変な意味ではねえけど」
「フハハハ! やはりな! ビッチはビッチということだ」

 こうなるって判ってたから言いたくなかったんだけどなぁ。柏崎さんが険しい顔で詰め寄ってくる。

「いつ!? 誰にされたの!?」
「もう終わったことですけど、中学のときに同級生の男子に付き纏われてました」
「それはどうやって対応したんだ?」
「学校に相談して、それでも収まらなかったので警察に連絡しました。未成年だからそこまで重い処罰は下されませんでしたが」
「……ちなみに原因は?」
「……僕を彼女だと思い込んでいたようで。僕としては、少し親しい同級生のひとりに過ぎなかったんですが……」

 なぜか納得したような顔をする小鷹と鼻で笑う三日月さん、そして怒りに震える柏崎さん。
 いや、僕にとっては一大事件だったのですけど。

「大丈夫だから! これからはあたしが陽香を守るから!」
「要りません」
「なんでよ!?」
「さて、ビッチが本当にビッチだったと判ったところで本題に戻そうか。小鷹の妄言をどうするかだが」
「だから、妄想じゃねえって言ってるだろ! いるかもしれないじゃねえか! 俺を影から想ってくれている女の子がよ!」

 二人のシラけた眼差しが小鷹を射抜いた。それは流石にない……と、思う。

「なんだよ……いいじゃないか! 少しくらい期待しても!」
「どうする? あたしとしてはどうでもいいんだけど」
「放置しても問題ないと思うがな」
「でも、万が一のことがあっては困りますし、真偽を確かめるくらいはしてみませんか?」

 喚く小鷹を蚊帳の外に置いて、三人で顔を見合わせた。二人とも興味なし。僕としては可哀想かなって感じるくらいだが、解決しないといつまでも愚痴りそうだし。

「聞けよ! 聞いてくれよ! 俺が当事者なのに女子同士で結託して話を終わらそうとするのやめろよ!」
「小鷹、視線を感じるのはいつ、どこで?」
「ん? ……授業中以外で学校にいるときはずっとかな」

 僕は顎に手を添えて思慮した。まぁ、範囲が校舎内だけなら簡単かな。

「では明日、僕たちで小鷹を遠巻きに監視しましょう。もしかしたら、小鷹の言うストーカーが小鷹の後ろを付き纏っているかもしれません。誤解の可能性もありますし、その可能性の方が高いですけど、捕まえて、もし間違っていたら素直にごめんなさいしましょう」

 僕の提案に二人も渋々と頷いた。

「陽香がやるならあたしもやるわ。男がストーキングしてたら危ないし」
「誤認逮捕でも私は謝らないがな。発案者に責任を被せる」
「ありがたいけどさ……陽香。お前、内心ではありえないって思ってないか?」
「そんなことないよ」

 思ってました。ごめんなさい小鷹。だって、緊張した小鷹って不良がメンチ切ってるようにしか見えないんだもん。





『状況を開始する。コードネームNIGHT、中庭からの視認範囲では異常なし。どうぞ』
『こちらコードネームセナ、正門付近でも異常なし。どうぞ』
『コードネームヨーカ、別校舎内でも異常なし』

 翌日の放課後に、僕らは無線機と双眼鏡、ついでに牛乳とアンパンを用意して小鷹を遠巻きに見張っていた。
 小鷹にも無線機を渡して、校舎を適当に歩きまわるよう支持している。今日もトイレで視線を感じたとか、やれ昼食時も見られていたとか騒いでいたので厳重に監視するようにした。
 今のところは何もなく、小鷹が歩きまわるだけですれ違う生徒が皆、怯えて小走りに去ってゆく姿ばかりが目に付く。
 やっぱり勘違いかな? 僕はアンパンをかじった。三日月さんが「見張りと言えばアンパンと牛乳が必須だろう」と強調するので僕が買って来たのだ。
 どうも、彼女はミーハーな印象が否めない。

『……何もないわね』

 退屈そうな柏崎さんの無線越しの無機質な声が響く。同様の思いは僕にもあった。
 小鷹が歩きまわっているだけの姿なんて見て何が面白いんだ。

『良い暇つぶしになると思ったが、逆に暇を持て余すことになるとはな。はむ……しかし、このアンパンは妙に美味いな』
『近場のホテルで売ってるパンを買って来たんです。最近は販売してるところもあるんですよ』
『うむ。コーヒーといいパンといい、貴様はビッチの割に部に貢献しているな。これでビッチが改善されれば文句はない。何処ぞの肉も人の役に立とうとする気概があれば救いがあるのだが』
『ハァ!? 陽香にたかってる黒蝿がなに偉そうなこと言ってんのよ! 陽香もこんなヤツの機嫌窺わなくていいのよ。むしろあたしの機嫌を窺いなさい』

 この二人も、口を開くたびに口論に発展するのもどうしたものか。
 二人ともスルーできないんだよな。まぁ、スルースキルって、人に陰口叩かれる側が耐え忍ぶために身につけたものだから、ずっと一人だったり、頂点に居続けた人にはなくて当然なんだけれど。

「……?」

 二人の口喧嘩をBGMに監視していると、ちょうど柏崎さんが論破されて鼻声になった当たりで対象に動きがあった。
 小鷹が振り返ったので、僕も双眼鏡を小鷹の後方に向けた。すると、角に隠れている小柄な男子生徒を見つけた。挙動不審な様子からして、どう見ても怪しかった。
 本当にいたんだ……

『こちらヨーカ。ストーカーを発見しました。至急、現場に向かいます』
『ウッソォ!? 本当にいたの!?』
『実在するとはな……』

 道具をしまい、駆け出す。廊下を走ってはいけないが、バレなければ問題ない。
 小鷹たちの背後から回りこんで、目視できてからは慎重に忍び寄る。
 こそこそと小鷹の様子を窺う人物の肩を、優しく叩いた。すると男子生徒はビクッと全身を強ばらせ、ゆっくりと振り返る。
 儚い顔立ちの美少女だった。疑問に思い、視線を下ろすと、やっぱり男子制服を着ている。
 あれ?

「これはもしや、年貢のおさめどきというやつなのでしょうか」
「えと……小鷹をストーキングしてました、よね……?」

 尋ねると、彼女……彼? は、厳かに頷いた。彼はかっこいいと思っているのかもしれないが、ひどく可憐だった。そんな仕草だった。

「では、いたしかたありませぬ。武士としておとこらしくつみをみとめ、自刃いたしましょう」
「は?」

 そう言うとカッターを取り出して腹に突き立てようとしたので、慌てて止めた。

「わああああああ! な、何しようとしてるんですか!」
「はずかしめをうけるくらいなら、いさぎよくしにます。なぜとめるのですか」
「これくらいで死んじゃダメ! 小鷹をストーキングしたくらいで死んじゃダメだってば!」
「何があったんだ?」

 騒ぐ僕らを小鷹が見つけて、彼を止めてくれるまで揉め合っていた。
 何だこの子……色々と掴めない子だな。




 楠幸村と名乗った男子生徒は、小鷹の一匹狼なところに惹かれ、小鷹のように男らしくなりたいから行動を観察していたのだという。
 男らしい……?
 小鷹以外の全員が本気で首を傾げたが、どうも言動を見る限り、幸村くんはズレている。
 それを利用した三日月さんの口車に乗せられ、幸村くんはこの隣人部に入部させられた挙句、小鷹の舎弟になってしまった。
 いいのか……本人が喜んでるからいいのかな。
 はじめは女の子の容姿に戸惑ったが、僕は男子と聞いた幸村くんに挨拶した。

「さっきは疑ったりしてゴメンね? 僕は二年の藤宮陽香。同じ部の仲間として、これからは仲良くしてくれたら嬉しいな」
「いえ、あにきに迷惑をかけていたわたくしがわるいのです。陽香のあねきがあやまるひつようはありません」

 ち、調子が狂うなぁ。
 僕が話しかけているのを見ていた三日月さんは、口角をつりあげ、嘲りを多分に含んだ語調で言った。

「男と見れば尻尾を振らずにはいれんのか、このビッチは。見たか、小鷹。今の男に媚びた笑顔を。卑しい雌の顔だったな。
 手のひらを胸の前で合わせて計算されたような角度で小首を傾げたぞ。あれが訓練されたビッチだ。絶妙に男心をくすぐる術を心得ている」
「新入りに対する態度は陽香が正しいと思うけどな」

 幸村くんへの部員の態度は、小鷹が困惑、三日月さんが前述の通りお笑い要因として、柏崎さんに至っては全く興味が無いから、僕以外は歓迎していない。
 そういえば、僕と柏崎さんが入ったときもそうだっけ。
 三日月さんは僕に親でも殺されたのだろうか。そのくらいの罵倒っぷりにある意味関心していると、柏崎さんの不穏な気配に気づいた。
 頬杖をついて、不機嫌そうに唸っている。

「なんか、陽香って男と女で態度違いすぎるわよね。クラスだと誰にでも素っ気ないくせに、ここだと明らかに差があるっていうか」
「だって、柏崎さんは女の子じゃないですか」
「……なによ。あ、あたしにだって優しくしてくれてもいいじゃない……」

 そう言って、不満そうに顔を逸らした。どう答えればいいかわからない。
 女の子との接し方は難しい。親しくなっても、楽しげに話していても、僕が席を立っていなくなった途端に僕の悪口を言い合って笑っている。
 僕以外でも同じだ。いつも、そこにいない誰かの陰口を叩いて、その人の秘密を口にして、馬鹿にしている。
 どこまで信用していいかわからない。女性の間に友情なんてあるのかな。
 だから、男の人の方が気楽なんだ。
 その日、僕と柏崎さんは目を合わせることもなく、部活が終わっても一緒に帰らなかった。

 余談だが、翌日から小鷹が後輩をパシリにしたとの噂が流れた。
 イメージって大事だと思った。



 何だか、今日は柏崎さんの様子がおかしかった。
 いや、僕の基準で言えばいつもおかしいのだけれど、部室に向かう足取りも軽く、鼻歌交じりだ。
 小脇にパソコンバッグまで抱えている。どうした、と訊くのもあとが怖く、反応に困っていた。
 できれば部室に小鷹たちがいてくれればよかったのだが、誰もいない。
 テーブルに陣取った柏崎さんは、可愛らしいデザインのノートパソコンを立ち上げると、ヘッドフォンをつけて何やらゲームのようなものを始めた。
 ――顔が尋常じゃなくニヤけている。女性がしていい顔じゃない。
 恐ろしくなった僕は、小鷹たちのコーヒーを用意するのを中止して尋ねてみることにした。

「あの……なにしてるんですか?」
「ひゃわぁ!? び、びっくりさせないでよ」

 肩をつつくと、相当にゲームに集中していたらしく、椅子から転げ落ちそうなほどに驚いた。
 画面を見た。綺麗なグラフィックで描かれた女の子の恥じらっている姿が広がっていた。

「何です、これ」
「よく聞いてくれたわ! これはね、今流行のアダルトゲームよ!」
「それって、この間の『ときメモ』となにか違うんですか?」

 僕が話題を振ると、柏崎さんは瞳を輝かせて声高に語り出した。

「これはね、美少女にしか見えない男の子が女子校に無理やり入学させられて、慣れない環境に悪戦苦闘しながらも女の子と仲良くなってゆくゲームなの!
 見て、これが主人公よ!」

 CGのラゴをクリックすると、どう見ても美少女にしか見えない少年が、美少女とエッチなことをしている卑猥な画像がたくさん出てきた。

「――って、これ十八禁ゲームじゃないですか!」

 柏崎さんはまだ十六歳のはずなのに、どうしてこんなものを持っているんだ。
 咎める意味合いもあったのだが、柏崎さんは逆に開き直った。

「た、たしかにあたしは買ってはいけない年齢だけど、世の中には中高生でもエロゲをプレイしてる人はたくさんいるのよ?
 某作品なんか修正パッチが百万もダウンロードされてるくらい隠れ、違法ユーザーがいるし、公にしないだけでみんなやってるのよ。
 それに、何もエロゲって言っても、ただ女の子とエッチなことをしてるだけじゃないわ。作品ごとにテーマとライターの信念が込められてて、泣けるし燃えるし萌えるし、下手な映画やゲームより感情移入できるの。
 人によっては人生や文学に例えることもあるわ。そのくらいクオリティが高くて感動できるのよ!」

 矢継ぎ早に捲し立てられて、反駁できなかった。勢いに押されたのもあるが、色々ときわどい。
 まぁ、その小説を読んでもいないのに中身を批判する気はない。だが、これだけは言わせてもらおう。

「どれだけ出来が良くても、十八歳未満がエッチなゲームをするのはいけないと思います」
「……そ、それは認めるわ。うん、いけなかった。でも、あたしも知らなかったのよ。面白いって聞いたから、持ってる男子に貸してって頼んだの。
 強制はしなかったんだけど、是非貰ってくださいって言うから。ホントよ?」

 後ろ暗いのか、柏崎さんは言い訳を続ける。犯罪さえしなければ問題ないと僕も思うけれどね。
 そうか、クラスの男子もやってるのか。……というか、僕の勘違いでなければ、この主人公――

「……僕の勘違いでなければ、なんだかこの主人公、僕に似ていませんか?」
「でしょ!? あたしもそう思ってたの!」

 ガシッと両肩を掴まれ、熱弁された。思い違いではなかったらしい。
 黒髪、ペッタンコなプロポーション、卑屈な言動と僕にそっくりだ。

「このコは凄いのよ! 主人公なのに人気投票で全ヒロインを差し置いて圧倒的人気で一位に輝いて、男なのに女の子より可愛くて何でも出来て、それでいて弱気になったりと護ってあげたくなる人間臭さもあるの。
 見てよ! このメイド服姿とか他のヒロインがじゃがいもにしか見えないし、ナース服とか他のヒロイン超越しちゃってるわよね!
 陽香もそう思うでしょう!?」

 ――怖い。もしかしてこの人、僕を二次元のキャラクターと同一視してないか。

「おっす、なにやってんだ」
「これは何の馬鹿騒ぎだ」

 二年生の二人も入室して早々に、柏崎さんの騒がしさに眉をひそめた。
 そしてアダルトゲームを学校でやっていたことを知り、ドン引きした。
 三日月さんに至っては侮蔑を隠さず(いつものことだけれど)、アダルトゲームを崇拝する柏崎さんを睥睨した。

「貴様、マリア様が見ている神聖な部室でこのような破廉恥なゲームを堂々とプレイするとは、どういう了見だ。淫乱が服を着て歩く公然猥褻物が」
「ハァ!? 性悪が全身から滲み出ているアンタに言われたくないわよ! それに破廉恥なんかじゃないわ!
 この子たちの恋が実ってようやく結ばれた瞬間が描かれたCGが卑猥に見えるのは、アンタの心が穢れてるからからじゃないの!?」
「……つーか、これ。どう見ても百合物にしか見えないんだが」

 直視できないのか、それでも画面の交わりあうキャラクターを見て小鷹が呟いた。
 僕を見ないで欲しい。

「肉がレズビアンだとか今はどうでもいい。エロゲを公衆の面前でプレイしたことが悪いのだ。貴様、見回りの教師にこれをプレイしているところを見られたらどうするつもりだった?
 下手すればこの部の存続も危ぶまれていたのだぞ」
「それは……悪かったわよ。これから気をつければいいんでしょ」
「これからは、だと?」

 不貞腐れる柏崎さんに三日月さんの顔が般若の如く歪んだ。柏崎さんが涙目になる。
 僕を見た。庇えない。三日月さんは正論しか言ってないし。

「これだからエロゲユーザーは……この肉のような常識が欠落した連中ばかりだから割れが増長するのだ。ネットが情報の主流となり、メディアでもオタク文化が取り上げるようになったから、やれ社会現象だ、景気を良くしてると勘違いする。
 エロゲにしたって如何に出来が良かろうと、価値観が異なる者や、それに抵抗感も持つものもいるのに平気で薦め、貸し借りまでして広めるものではないことになぜ気づかないのだ。
 貴様のそれは独善的で前後不覚な善意の押し付けだ。それで部の皆に迷惑をかけようとしていたのだ。くわえて、学生に卑猥な画像を見せて、私たちの健全な精神に悪影響を及ぼそうとした。完全に貴様に非がある。なにか反証があるなら言ってみろ」
「う……うぅ……」

 何も言い返せない柏崎さんがポロポロと泣きだした。
 ……三日月さんが健全な精神をしているのかは同意しかねたが。

「な、なによ! アンタが読んでる小説だって誰それとエッチしましたってのを小難しく書いてるだけじゃない! 過去に女の子が輪姦されてる小説書いたヤツがあたしたちのこと否定するんじゃないわよバカァー!」

 言い負かされた柏崎さんは、いつものように捨て台詞を吐いて帰っていった。
 誰のことを言っているのだろう。それより、つけっぱなしのノートパソコンは放置しないで欲しかった。

「ふっ、正義は勝つ」
「僕らって日陰者ですけどね」

 勝ち誇る三日月さんに補足した。まぁ、小説を読むことが恥ずかしいと思われていた時代もあったらしいし、時代が変われば認められるんじゃないかな。
 そう心のなかで独りごちると、僕と三日月さんはコーヒーの薫りに満ちた部屋の中で本を広げた。
 読書ってどこでもできて、ひとりでいる理由にもなるから便利だよね。
 ねえ、そうは思わない? さっきからノートパソコンの画面をチラチラ見てる小鷹。





[39311] 僕はタイトルとかどうでもいいや
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/01/23 22:25

「よーうか! あたしとペア組みましょう」

 体育のソフトボールの授業中、今日の天気のように晴れやかな表情で柏崎さんが声をかけてきた。
 男子の目を釘付けにする、体操服を明瞭に押し上げる豊かな胸元が弾んでいる。
 男子からは歓喜の声が、女子からは今にも舌打ちが聞こえてきそうな嫌悪感を隠さない空気が広がった。
 最近は柏崎さんがクラスでも積極的に話しかけてくるようになった。
 自惚れでなければ、僕との仲を周囲に見せつけるようにしているとも取れる。
 事実、以前はあれだけ話しかけてきた女子は誰も声をかけなくなった。柏崎さんを貶す材料に過ぎなかったのだから当然だ。
 柏崎さんに何一つ敵わない劣等感を僕で晴らしていた彼女たちには、今は僕すら敵に映っているのだろう。
 だから女の子は嫌なんだ。

「いいですよ」

 断る理由もないので首肯すると、柏崎さんは美貌を綻ばせた。今までは誰も組んでくれなかったから、嬉しくて仕方ないみたい。
 二人一組で開脚前屈のストレッチをして、柏崎さんに背中を押してもらう。
 周囲から視線を感じるが、柏崎さんが近くにいる以上は割り切るしかない。

「陽香って体やわらかいわよね。180度開脚できそう」
「寝る前にストレッチすると良く眠れるんで、日課になってるんです。そのおかげだと思います」
「ふーん。あたしもしてみようかしら」

 押せば押すほど地面に沈む僕が面白くなったのか、柏崎さんはイタズラに体重をかけた。

「えいっ、えいっ」
「あのー……」
「クン、クン」
「――ッ」

 うなじに顔を埋め、鼻を鳴らす柏崎さんに全身に怖気が走った。

「な、なにするんですか!」
「え……あ、つい」
「つい、じゃないです! やめてください!」

 先日の一件――二次元のキャラクターを僕と混同したり、女の子と恋愛関係になるゲームが大好きだったりと、レズビアン疑惑が浮上していた柏崎さんの奇行に危機感が募る。
 振りほどくと、手を合わせてゴメンゴメン、と軽く謝罪してきた。たぶん反省してない。
 まさか本当に同性愛者……? 仮にそうだとしたら、僕にとっては死活問題だ。
 立ち上がり、土を払う。学校に常備されてるグラブをつけて柏崎さんとキャッチボールを始めた。
 他の運動部でない女子はボールを怖がってキャッチできなかったり、そもそも投げられなかったりするのに、柏崎さんは平然と熟してみせる。
 投げるボールの速度も洗練された動作も、ソフトボール部の女子と比較しても何ら遜色ない。
 本当に万能なんだな。

「なによ。陽香も病弱なイメージあったのに運動できるじゃない」
「仮病を使ってましたから」
「あはは、みたいね。話してみたら外見の印象と全然違うんだもん」

 体を動かすのは気持ち良い。少なくとも、木陰で皆が楽しそうに遊んでいるのをひっそりと見つめるよりは、ずっと。
 興が乗ってきたのか、柏崎さんはダイナミックに振りかぶった。

「これ一度やってみたかったのよ。ウィンドミル投法!」
「ちょ――!」

 遠心力を利用して放たれた一球は、僕の手前でホップした。ライズボール!?
 反射的にグラブを出すと、奇跡的にボールが収まっていた。腕を限界まで挙げた姿勢のまま硬直する。危なかった……

「すごいすごい! よく捕れたわ、陽香」
「せめて事前に何を投げるか言ってくださいよ」

 見様見真似で経験者顔負けの投球をする柏崎さんの運動神経にも驚愕だが。
 ピョンピョンと飛び跳ねて全身で喜びを表現する彼女は、僕に近寄ると不遜にうそぶいた。

「やっぱり、あたしたちってお似合いだと思わない? 家柄も容姿も頭脳も運動神経も完璧。あたしたちが手を組めば学校の女子どころか、クソ夜空もアイドルだって目じゃないわ。まぁ、あたしが一番で陽香は二番だけどね」
「性格が、どっちも底辺だと思うんですけれど」
「なにか言った?」
「いえ」

 そういえば、僕って学業成績は全部柏崎さんに負けてたっけ。特に勉強しているようには見えないのに。
 あらゆる天禀に恵まれているんだろうな。羨ましい。
 その後、ルールすら把握しておらず、一塁に送球することも知らない子を含めての試合は、明らかな故意死球を柏崎さんが場外に打ち返す、僕とのバッテリーで一塁も踏ませないパーフェクトピッチングで幕を下ろした。
 小さな子がやたら敵愾心を燃やして勝負を挑んでいたが、全打席三球三振だった。
 その日は柏崎さんの高笑いが収まることはなかった。




「今日は気分がいいわ。見た? あいつらの顔。悔しくて仕方ないって顔してたわよ。ざまあみろよね」

 高揚している様子の柏崎さんが今にもスキップし出しそうな足取りでついてくる。
 化学の先生に資料室にある教材を持ってきて欲しいと頼まれ、特別教室棟に向かおうとすると、なぜか柏崎さんまで「あたしも行くわ」と言い出した。
 善意を無碍に断るわけにいかず、手伝ってくれるならいいかと了承したら、前回の体育がよほど痛快だったようで、可憐な口から汚い罵声が止まらなかった。
 柏崎さんは僕の顔を脇から見上げた。僕の方が背は高い。喜悦に富んだ表情。それが少し恥じらいを見せる。

「陽香。こういう小さいことでも何でもいいから、あたしを頼りなさいよ。ほら、あたしって何でもできる全知全能の神みたいな存在だから、頼られると嬉しいの。まあ可愛い子限定だけどね」
「じゃあ、誰にも持ち上げられない石を作って、それを持ち上げてみてください」
「お安いごよ……って、矛盾してるじゃないの!」

 結局、全知全能なんてありえないオチ。そもそも柏崎さんはクラスの女の子と仲良くなれないし。
 そうこうしている間に資料室についてしまった。ドアノブに手をかける。

「そこは資料室じゃないわよ」

 柏崎さんに言われて、目を上げる。表札には理科室とあった。首を傾げた。

「ここって去年は資料室でしたよね?」
「そうだけど、今年から改装して理科室にしたのよ」

 ……? 高校にもなって理科室? なんで?
 僕は気になってドアノブを回し、室内を覗き込んだ。
 瞬間、爆発した。

「ひゃあああああ!?」
「ちょ、なになになに!?」
「それはこちらの台詞ですよ」

 朦々と立ち込める黒煙の中から、煤だらけの頬と白衣、下には女制服を着たメガネの少女が出てきた。
 メガネで判りづらいが整った顔立ちは怒りに染まっていた。

「ご、ごめんなさい。火災とかは――」
「あ、それは大丈夫です。損害も試験官が破損してビーカーが煤けただけなので。換気すれば問題ないです。はあ……酸素と安易に化合して小規模の爆発を起こすから、酸素濃度を薄めて締め切った部屋で実験をしていたのに台無しですよ、もう」

 どうやって呼吸していたんだ、この子。疑問はいくつも浮かび上がったが、僕に非があったのでとにかく平謝りする。
 
「パパの言う通り、なかなか変わったコみたいね」

 柏崎さんは、メガネの娘を見て意味深に頷いた。

「知ってるんですか?」
「パパが三顧の礼をしてまで入学させた生徒だからね。ここもこの子のために用意したのよ。
 志熊理科って言ったら、その筋では有名な天才発明家でね。授業には出なくていい特待生扱いでウチに入ってもらったの」
「へえー」
「いやー。他人に褒められると照れますね。理科、ちょっと濡れちゃいました」

 ……感心した直後に突飛な言葉が志熊理科の口から発せられて、僕は硬直した。
 いま何て言ったこの子。

「そういうあなたは、理科が学校に招待されて学祭にきた時、大暴れしていたおっぱいさんですね。体育祭で古今無双を体現して、文化祭でも一番目立ってましたから、よく憶えています」
「あら、見学に来てたの? フフン、まあしょうがないわよね。あたしみたいな完璧超人が他の凡人と比べて目立っちゃうのは」

 豊かな胸を張る柏崎さんに頬が引きつった。あったなー、そんなこと。

「はい。明らかにやる気がない生徒の中、ひとりだけ全力でやって空気を盛り下げてました。おっぱいをバインバインに揺らしてむくつけき野郎どもの股ぐらだけをいきり立たせて、女子には大顰蹙を買い、翌日の文化祭でも微妙な演技で一人舞台。それでもパンチラやホルスタイン顔負けのボインで猿そのものの男子だけは悦ばせる超絶ファインプレーをかましていたので克明に憶えていますよ」
「え……」

 自覚がなかったのか、悄然とする柏崎さんは縋るように僕を見た。
 否定して欲しかったのだろうが、僕もやる気がなかったのに駆り出された騎馬戦で文字通り狩られたので何も言えない。
 羊の群れの中にブチ切れたアフリカゾウを入れたらどうなるかを実現したかのような蹂躙っぷりだった。
 志熊理科は次に僕を見た。

「そこの幸薄そうな方は、最近になって生徒の評価が180度変わった人ですね? おっぱいさんといますし」
「どう変わったの?」
「学校で一番の不良と仲良くなって、おっぱいさんとも親しそうになったって通りがかる生徒の皆さんが噂していたので。
 清楚なお嬢様だと思っていたのに幻滅したって口々に言ってました」

 何で僕のはリアルな陰口なんだ……
 まぁ、こんなものだよね、周囲の評価って。僕みたいな目立たないヤツは、何をやったって気に食わないんだろう。
 原因は小鷹と柏崎さんのようだが、表面上の付き合いに過ぎなかった人の評価なんてどうでもいいか。

「ハン、所詮は群れるしか能のない雌犬共の戯言だから気にする必要はないわよ。この世にはあたしと仲良くしてくれる可愛い子と、それ以外の雌犬しかいないんだから」
「男がいますよ」

 僕が訂正すると、柏崎さんは不満げに唇を尖らせた。拗ねた。

「ところで、先輩方はどうしてここに?」
「あ、そうだ」

 この子のインパクトが強すぎて、すっかり忘れてた。

「教材を取りに来てたんだ。もう時間だから急がないと。迷惑かけてごめんなさい。弁償が必要なら言ってね」
「あれ、基本的にウチの備品だから問題ないと思うけど」

 小走りになりながら、化学室に向かう。背中に彼女の視線がこびりついている気がした。



 放課後になり、僕らがいつものように特に意味もない部活動を行っていると、志熊理科が部室を訪れた。
 弁償を請求されるのかと思ったが、部活動の見学に来たのだと言う。

「うわ、なんですここ。こちらのヤンキーさんのハーレムですか?」
「よもや我々の崇高な活動目的を推し量れる者が、このビッチと肉以外に現れるとはな……」
「……例に漏れず、この子も変人な匂いがしないか?」

 コソコソと耳打ちする小鷹と三日月さん。え、僕って変人カテゴリーなの!?

「あ、どーぞどーぞ。理科のことは気になさらず、いつものように過ごしていてください」

 一通り自己紹介を済ませると、そう促され、はじめは観察されることに抵抗はあったようだが、みんな好き好きに活動を始めた。
 僕と三日月さんは読書に勤しみ、小鷹はテーブルで宿題を広げ、三日月さんに騙されてメイド服を着た幸村くんは小鷹の傍らを離れない。
 こう見ると女の子にしか見えなくて、なんだかなぁ。
 柏崎さんは、いつものように大型テレビで全年齢版の美少女ゲームをする……のかと思ったが、ソファに座る僕の横に腰を沈め、読んでいる小説を覗き込んだ。

「なに読んでるの?」
「……三島由紀夫の『仮面の告白』です」
「それって面白いの?」
「文章が唯美的で、些か装飾過多な印象を受けますが、美しいです。著者の自伝的な作品でもありますね」
「ふーん」

 興味なさそうだが、肩を寄せてきた。多少気になったが、もう慣れた。
 ページを捲る。僕のペースで読んでいても文句は言われなかったので、どうも文章を追っているわけではなさそうだ。
 では何を? 疑問に思った僕が本から意識を離すと、首筋を生暖かい吐息が這った。

「すぅー、はぁー。すぅー、はぁー。すぅー、はぁー」
「ひいいいいっ」

 飛び退く。悪寒が全身を駆け巡った。荒々しい鼻息が耳を突く。なんで昂奮してるの、このひと!

「な、なななななな」
「あん、何で離れるのよ」
「離れるに決まってるじゃないですか!」

 なぜか憮然とする柏崎さんに怒鳴る。三日月さんも呆れたように言った。

「見られると興奮するのか、この駄肉は。アスカバンにでも隔離しなければ際限なく犠牲者を増やすな」
「人を病原菌みたいに言うんじゃないわよ!」

 似たようなものです。

「あにき、お茶をどうぞ」
「ん? あぁ、スマン」

 甲斐甲斐しく世話を焼く幸村くんの姿は、正しくメイドそのもので複雑だった。執事服とか着てくれないかな。似合うと思うのに。
 じっと眺めているだけだった志熊理科が、その二人を見て口を開いた。

「幸村さんは小鷹先輩の彼女さんなんですか? メイド服なんか着させてますけど」
「いや、違うぞ。そもそも幸村は男だ」
「え……」

 愕然とし、幸村くんを凝視する。気持ちはよくわかる。どう見ても女の子だよね。

「ほ、本当に、男なんですか?」
「はい。わたくしはしょうしんしょうめいの男児です」

 首肯する幸村くんに、志熊理科はショックを受けたように俯いた。ぷるぷると震えだす。
 可憐な男の存在に衝撃を受けたのかと思いきや、

「なんてことでしょう……地上に残された最後の楽園が、こんな身近にあったなんて……!
見落としていた……っ! 理科、不覚……っ! 一生の、不覚……っ!」
「は?」

 小鷹が怪訝に眉をひそめた。僕も、皆も首を傾げた、次の瞬間だった。

「あっちこっちで薔薇や百合の花が咲き誇っているじゃないですかココーーーーーっ! あっちでGL、こっちでBL!
 なんですかココ、パンピ立ち入り禁止の禁断の聖地ですかぁ! ムッハァァァァ! あ、鼻血が……」

 やっぱり変人だった。もしかしたら、全員の心が一致した初めての瞬間だったかもしれない。
 志熊理科は鼻にティッシュを詰めると、やおら真顔になって言った。

「理科、人生で始めて哺乳類って素晴らしいなって思いました。理科も入部します」
「え……あ、うむ」

 全然締まらないキメ顔で宣言されて、三日月さんも戸惑っていた。
 またしても端正な美貌を崩壊させて、志熊理科は小躍りした。

「いや、でもこんなカップリングが成立している場所では、理科も相方を見つけないと立ち位置を確立できませんね。
 ――というわけで、夜空先輩。理科と余り物同士でキマシタワー建ててみませんか?」
「キマシ……? って、なんだ貴様は! いきなり抱きつくな!」
「あン! 夜空先輩ってSっ気強いんですね。でも大丈夫ですッ! 理科は受けも攻めもSもMもタチやネコもリバにもこだわらない質です!」
「ひいっ」

 三日月さんが本気で引いていた。タジタジの三日月さんとか始めて見たかも。

「カップリング……」

 柏崎さんが僕を見て呟いた。僕は嫌です。



「ねっ、お願い陽香。あたしに水泳教えて!」
「嫌です」
「う~~~っ」

 即、断ると恨みがましく睨まれた。放課後に二人きりの帰り道、夕暮れにカラスが小馬鹿にするように鳴いていた。
 そもそも動機が不純すぎる。夏美(二次元の女の子)がいつ現れてもいいよう金槌を克服したいって。

「僕じゃなくても、他の隣人部の人に頼めばいいじゃないですか。クラスの男子とか喜んで教えてくれると思いますけど」
「何であんな気持ち悪い連中とプール行かなきゃいけないのよ。小鷹も幸村も男だし、夜空とか理科に頼んだら一生それをネタに笑われるじゃない。ね、お願い。陽香しかいないの」

 懇願され、逡巡する。たしかに男と行き、水着姿を晒すのは躊躇われるだろうし、人を罵倒することに定評のある三日月さんと空気の読めない変人理科ちゃんにバレたら、ずっとからかわれる。
 でも……

「僕、あまり肌を見せるのが好きじゃなくて……」
「だ、大丈夫よ! 行くのは潰れかけの竜宮ランドだもん! この時期は人もいないから! だから……ねっ?」

 繰り返しお願いされ、僕も折れた。可哀想だし、僕にも予定はなかった。

「わかりました……」

 頷く僕を見た柏崎さんの顔は、童心にかえったみたいに邪気がなくて幼い少女のようだった。
 色々用意して行かなきゃなぁ……





「陽香って恥ずかしがり屋なのね。コソコソ着替えなくてもいいのに」

 派手な花柄のビキニの柏崎さんが、着替え終わった僕を上から下まで眺めてから言った。
 ナルシストな彼女らしく露出が激しく、健康的な色香の匂い立つ水着と肢体。デザインは蝶の花飾りに合わせたのだろうか。
 僕は無地の青いホルターワンピース付きのタンキニを着ている。できるだけ体型が出ないものを選んだ。
 女性としては非の打ち所のない垂涎なスタイルをした柏崎さんと並ぶと、余計に目立つからだ。

「陽香だって、胸はないけど……ほら、スラッとしてモデルみたいじゃない。クラスの雌犬と比べたら雲泥の差よ?
 まぁ、あたしには及ばないけどね」
「柏崎さんと比べられたら、誰も敵いませんよ……」

 手放しで褒めると、満更でもないのか顔を赤らめた。照れを誤魔化すようにプールに入る。

「良かったわね、空いてて」
「ですね」

 竜宮ランドには閑古鳥が鳴いていた。広大な敷地に絢爛な施設には、ざっと見渡しても疎らで、僕らが浸かっている25mのプールは貸切状態だった。
 季節外れと言っても、全天候型施設でこれは酷い。

「やっぱり採算が取れないみたいですね。ここに人を誘致しようと色々と市で計画たてたのに、他がどれも頓挫して。母が見限ったのもわかります」
「そういえば、陽香のママってウチのOGらしいわね。パパが言ってたわ」

 柏崎さんの父というと、理事長か。母も顔見知りだった筈だ。

「どんな人なの? ウチのパパが名前出した途端に珍しく取り乱してブチ切れてたけど」
「……簡潔に言えば、悪魔みたいな人です。父は婿養子なんですが、未だに頭が上がりません」
「へえ、ウチのママみたいね。ちなみにあたしは容姿も性格もママ似よ。陽香は?」
「顔は母に似ましたが、性格は父に影響されてると思います」
「ふーん。良かったわね、お互いにママに似て」

 快活に笑う柏崎さんだったが、僕は笑えなかった。
 肝心の水泳は、開始して三分でクロールができるようになってしまい、コツを掴んだという柏崎さんに各種泳ぎ方を見せたら、あっという間にクロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライをマスターし、速さでも追い抜かれてやるせない気持ちになった。
 何というか、スポーツって才能なんだなと、思い知らされた。僕、半年水泳教室に通ってようやくできるようになったのになぁ。



「なんか良いわね、こういうの」

 休憩スペースで体を休めていると、不意に柏崎さんがしみじみと呟いた。

「女の子と休日に遊びに出かけて遊ぶって、ちょっと憧れてて……まぁ、それが二次元の女の子みたいにあたしを慕ってくれる子なら最高だったんだけど、陽香も何だかんだあたしのお願い聞いてくれるし、可愛いし……うん、文句ないわ。文句ない」
「女の子って嫉妬が凄いですからね。柏崎さんなんか学年の全女子から妬まれてると言っても過言じゃないですし」
「ホンットうざったいわよね、あの雌犬共。まぁ、あたしに釣り合う女の子なんて陽香くらいしかいないし、別にいいわ。クソ夜空も良い線いってるけど性格最悪だし、理科はBLとか言っててわけわかんない。うん、やっぱり陽香が一番よ」

 柏崎さんがブツブツ言ってるのを流しながら、僕は中学の頃を思い出した。
 今の柏崎さんよりも嫌われていたと自身を持って言える。
 突出して綺麗なコや優秀なコは、それで中身も伴う、もしくは取り繕える能力があれば同性の憧れの存在になれる。
 高校に入ってからの僕はそれを実践して、誰も近づけないお嬢様を装った。
 柏崎さんが侵入してきたおかげでハリボテも取れて、今やすっかり嫌われ者ポジションに戻ったけれど。

「三日月さんと言えば、僕、あだ名をつけられたの始めてでした」
「陽香も? あたしも。『肉』とかすっごい腹立つけど、不覚にも少しだけ感動しちゃったわ。あ、少しだけよ?」

 陰口ではビッチと何回も呼ばれてたけれど、あそこまで容赦なく面と向かって言われると、嫌な気分にならなかった。
 むしろ清々しい感じさえした。言われてみると、僕の行動はビッチと呼ばれても仕方ない。
 女生徒なのに男子の友達が欲しいなんてのたまっているのだから。

「あれぇ~? なになに? 暇してんの、お二人さん」
「うぉ! 両方めっちゃかわいいじゃん!」
「俺らと遊ばね? 色々おごってあげるよ?」

 女子の二人組だから目を付けられたのか、コテコテのナンパ目的の軽薄な男が三人、僕たちを取り囲んだ。
 めんどくさい……

「すいません。間に合っているので」
「いいじゃん。彼氏とかいるわけじゃないんでしょ?」

 馴れ馴れしく肩を組まれた。鼻がヒクつく。嫌悪感に鳥肌がたった。
 適当にあしらおうとしたら、それより先に柏崎さんが激昂して声を張り上げた。

「ちょっと! なに陽香に気安く触ってんのよ! 便所に集るハエ以下の汚物が触ったら感染して陽香が死んじゃうでしょうがッ!」
「あァ?」
「えらく威勢の嬢ちゃんだな」

 女だけと見て余裕があるのか、哄笑するナンパ師にますます柏崎さんがキレた。

「なに息吐いてんのよ生ゴミ以下のくっさい臭いが充満して鼻が痛いのよ! つーかなに? あんたらにナンパされて女がついてくると思ってんの? いるわけないでしょ。顔も性格も笑い方も体臭まで底辺のキモ野郎のくせに! 一人で自家発電して女の子に迷惑かけないよう引きこもってなさいよ糞ども!」
「……っの、アマ……!」
「まあまあ、でもこっちの大人しそうなコは嫌がってないみたいだけどー?」

 僕に肩を回した男が、手を下におろして僕の胸を掴んだ。

「――」
「この――」
「あれ? おふっ!?」

 柏崎さんがなにか言う前に、僕は体を捻り、思いっきり男の股間を蹴り上げた。

「テメエ――おぐっ!?」
「はうっ!?」

 立て続けに正確に股間を蹴り上げ、沈黙させる。肩を震える。頭が真っ白だった。

「お……おぉ……」

 呼吸が荒い。唖然としている柏崎さんの手を取って、そのままロッカーまで引き返した。



 ロッカールームについてからも、動悸は静まらなかった。昔のトラウマがよみがえって身体の震えが止まらない。足に残った感触が気持ち悪い。
 ロッカーを背に荒い息を吐く僕を、あたふたとしていた柏崎さんが声をかけてきた。

「だ、大丈夫? どうしたの、陽香?」
「しばらくすれば……収まると思います。ちょっと、昔のことを思い出して……」

 何とかそう答えると、徐ろに柏崎さんが僕を抱き締めた。豊満な胸元が密着し、首筋に顔を埋められる。

「ちょ、かしわざき、さ」
「ごめんね……怖い思いさせちゃって……ごめんね、陽香……」

 耳元で慰めるように囁き、さらに回した腕に力を込めてくる。

「ダメですって……! ほんと、こんなの何でもないですから……!」
「嘘。だって陽香、こんなに震えてる……」

 それは確かだが、今はトラウマの恐怖よりも予想される展開に憔悴していた。
 お互いに水着という露出の激しい姿で抱き合う。男とは違う柔らかな感触と心地よさに眩暈がした。
 そして――

「あ……」
「……? なにこれ? お腹に固いのが……」

 終わった……僕は全身から力が抜けて、本当に抜け殻みたいになった。

「え? えぇえ? 陽香、これって……え? えぇぇえええぇぇえええっ!?」

 柏崎さんの悲鳴も遠い。秘密がバレた。初めてバレて、そして終わった。
 僕が――男だということと、僕の、人を騙し通してきた人生が。







「……」
「……」

 しばらく時間が経過して、僕らは無言でロッカーのベンチに腰掛けていた。
 人ひとり分のスペースを開けて、隣り合っている。着替えは済ませた。ガーゼを緩衝材にした所為で水を含み緩んだ前張りとかパッドとか、偽装するのに使用したものも全部これで用済みだ。
 ガラガラなのが幸いだった。取り乱していた柏崎さんも、落ち着く時間が取れた。僕ら以外の無人の更衣室の痛々しい静寂は辛いが、バレたのが柏崎さんだけで良かった。
 いや、良くはない、ひとりにバレても終わりなんだ。やはり軽率だった。なんで来てしまったんだ……

「ねえ……」
「はい」
「本当に、男の子……なの?」
「……はい」

 未だに半信半疑な様子の柏崎さんが、恐々と尋ねてきた。そう、誰にも疑問を持たれなかったのが不思議だが、僕は男だ。
 正真正銘の。

「ホントに? こんなに華奢で、肌も真っ白で、髪もサラサラで、可愛いのに……声だって」
「体型は生まれつきで、成長期にはコルセットで矯正してました。肌が白いのは外に出ないからで、髪は高価な洗剤を使って手入れを欠かさないから、声は……喉仏も出るには出てるんですが、わかりにくいですね。多少、自分で変えてますけど、地声でもこんな感じです」
「あ、それだと声変わり前の男の子みたい」

 要するに、声も殆ど変わらなかった。体毛が薄いのかムダ毛も全くと言っていいほど生えない。
 だから誰も疑問に思わなかった。

「幸村みたいね」
「あっちは男子として生きてますけど、僕は女子と偽ってますから。ぶっちゃけ変質者ですよ」
「……体育のときとか、着替え中に見かけなかったけど、そういうことだったのね」

 流石に罪悪感が湧いて、着替えはトイレで済ませるようにしていた。女子トイレに入るのは抵抗がなかった。ずっと女の子で通して生きてきたから。

「僕がなんで女装してるか、聞きます? 面白いか保証はできませんが」
「ぅ……ち、ちょっと興味あるかも」

 もう全部諦めて、どうでも良くなったから、僕の半生を誰かに語りたくなった。
 バレたのが柏崎さんなのは適任だと思う。過去に立ち返り、僕は自嘲してから口を開いた。



「小学校四年生くらいまでですかね。僕は自分の性別がわかりませんでした」
「なんで?」
「家族は元々、女の子が欲しかったそうなんです。一人っ子だった僕は、甘やかされて、常識知らずに育てられました。性別の概念もよくわからなくて、ずっと女装させられている自覚もありませんでした。
 性差が出てくる年頃になってようやく、自分が周りの女の子違うことに気づいたんです」

 最近は性別で出席番号を分けることをしなくなったから、僕は同級生にも疑問をもたれなかった。
 外見でも誰も疑問を持たなかったから、僕は世間的に女の子になっていた。

「それで両親に相談したら、笑い話なことに僕のことを性同一性障害だと思ってたらしいです。だから学校にも性同一性障害だと話が通っていて、先生方も納得して協力してくれていたらしいんですよ」

 中学の時には、本当に性同一性障害の女生徒がいて、その子は男子制服を着て登校することが許されていた。
 その子はカラダが女の子でココロは男、そして傍目にも女の子。僕はカラダが男でココロも男、でも外見は女の子だった。
 本当にややこしかった。それで差が出た。

「要するに、取り返しがつかなくなってたんですよね。今さら本当は男でしたなんて明かしたら、異性に興味が出始める年頃ですよ。犯罪者扱いされるじゃないですか。
 だから、ずっと女の子の振りを貫くしかなかったんです」

 幸いなのか、不幸なのか。成長期を経ても男性らしくならない僕は、そのまま中学に入学した。
 ここからはけっこう離れた中学だった。

「中学の頃は……黒歴史というか、嫌な思い出しかないです。女の子として生きていても、僕は男の子じゃないですか。だから、同性の友達が欲しかったんです。
 女の子には目も暮れずに、男の子とばかり遊んでました。そしたら、案の定、女の子には盛大に嫌われました。今の柏崎さんなんか比じゃないくらい憎まれてましたよ。
 ある女の子が片想いしている男の子に告白されたことがあるんですが、何もしてないのに泥棒猫扱いされたり、机を隠されたり、教科書を破かれたり……まぁ、色々されました」

 そんな経験から、女の子は嫌いになった。男の視点で女の子の色んな嫌な部分ばかり見てきたからだと思う。

「男の子とは仲が良かったと思います。いま思うと、下心しかなかったんでしょうけれど、僕が友達だと思ってる人はいました。
 それで、家に誘われて、喜んでついていったら、その……」
「え、まさか……」
「その、まさかで……」

 柏崎さんが狼狽、というより怒り始めた。僕は慌てて言った。

「もちろん未遂ですよ? バレませんでした。ほら、押し倒されたときって、男の子の足が広がって、その下に女の子の両足がくるじゃないですか。咄嗟に蹴り上げて逃げました。……さっきは、そのトラウマがよみがえって取り乱しましたけど」
「いや、押し倒されたことないから知らないけど……」

 いま思うと、ほんとバカみたいな話だ。
 僕にとっては同性の友達だけれど、向こうにとっては女の子なんだ。
 そんなことにも気づけなかった。

「高校に入ってからは、それを反省して、完璧なお嬢様を演じました。上手い具合にみんな騙されてくれて、僕はいじめられることもなくなりました。
 でも、やっぱり寂しくて、退屈で……それで、隣人部のポスターを見て、今に至ります」

 振り返ってみると、案外短かった。たった十六年しか生きていないのだから、当たり前か。
 でも、その苦労も水の泡だ。これからは女装しなくてもいい。ただ、偽りで積み上げてきたものが崩れるだけ。
 話を聞いた柏崎さんは、どこか釈然としなさそうだった。

「それで、何で友達に選んだのが小鷹なわけ? 襲われたことあって、トラウマにもなってるのに、よりにも寄って、何であんな外見のヤツなの?
 そりゃ、他の男とは少し違うかもしれないけど」

拗ねてるように言う。僕は遠い声で返した。

「女の子とは、友達になりたくなかったんです。嫌なところばっかり見てきたから。
 それにトラウマもできましたけど、それでも男の子と仲良くしていた時間は楽しかったんです。気兼ねなく、素の自分で居られて……
 それに、小鷹って、幸村くんもですけど他の男子と違って、僕にガツガツしないじゃないですか。たぶん、姉か妹がいるから、女の子に慣れてるんだと思うんです」
「ふーん……」

 納得したのか、したくないのか。判断に困る表情と声音だった。
 小鷹は、柏崎さんや三日月さんのような美少女に囲まれても、平素と変わらないでいられる性格だったから、僕も友達になれるんじゃないかな、と……そう思ったんだ。
 でも、もう終わったことだ。悔やんでも意味がない。

「柏崎さん、今まで騙しててすみませんでした。下心は、誓ってなかったですが……友達になれなくて申し訳ないです。
 僕は学校を辞めるので、別れの挨拶できなかった三日月さんたちにも謝っておいてください」
「え、ま、待ってよ! なんで辞めるのよ!」
「いえ、だって、もうバレたし……」

 一人にでもバレれば、連鎖的に発覚する。柏崎さんだって、女装して女生徒に成り済ましている変質者を庇おうなんて思わないだろう。
 そう思っていたのだけれど――

「あたしが黙っていればいいだけでしょ!? 辞める必要ないじゃない!」
「でも……」

 予想外の制止の声に、戸惑う。けれど、もう覚悟していたので撤回するのも躊躇われた。
 が――

「辞めないでよ……陽香がいなくなったら、あたし、またクラスでひとりになっちゃうじゃない……せっかく、二人組が組めるようになったのに……」

 放り出した右手に、柏崎さんの手が重ねられた。最近の、本当に楽しそうだった柏崎さんの姿が思い起こされる。
 不遜で、傲慢で、我が儘で、能力が突出しすぎているから誰もついてこれなくて、寂しそうだった彼女が、僕といるときは笑ってた。

「お願いだから、辞めないでよ……」

 繰り返した。重ねられた手にこもる力が強くなる。気丈で素直じゃない彼女の、弱々しい本音だった。

「……女装してる気持ち悪い男ですけど、いいんですか?」
「残ってくれるの?」
「柏崎さんがいいなら」

 曇っていた顔が、一転して綻んだ。途端にいつもの柏崎さんに戻る。

「じゃあじゃあ、これからはあたしのこと星奈って名前で呼びなさいよ」
「えー……」
「なによ。女装の秘密をあたしも背負ってあげるんだから、それくらい良いでしょ。あと、敬語もやめなさいよ。男と話すときの素の陽香になりなさい。これはその最低条件よ」

 お願いしたのはそっちなのに……
 揚げ足が口を衝きそうになったが、隣人部が頭の隅を過ぎって、咄嗟に飲み込んだ。
 息を吸って、声に出す。

「せ、星奈さん」
「星奈」
「……星奈」
「フフ、これで対等ね」

 柏崎さんの方が重いと、また揚げ足を取りそうになったが、先日のことが脳裏に飛来した。

『陽香。こういう小さいことでも何でもいいから、あたしを頼りなさいよ。ほら、あたしって何でもできる全知全能の神みたいな存在だから、頼られると嬉しいの。まあ可愛い子限定だけどね』

 まさか、と笑いそうになった。目敏くそれを見逃さなかった柏崎さんが半目で僕を睨んだ。

「なに笑ってんのよ。……もしかして、あ、あたしの裸を思い出してたんじゃないでしょうね」
「違います」

 誓って、見てない。押し付けられたことはあったが。

「な、なんだ。それならいいのよ……」

 人を信じやすいのか、柏崎さんはあっさり信じた。また、静室に戻る。今度の静謐は、辛くなかった。



 僕らは手を繋いだ。
 無人の廃れた更衣室で。性別も、外見も、目的もバラバラな二人が。

 これは、愉快な青春ラブストーリーなどでは決してない。
 女装し、性別を偽って過ごす変質者が、それでも同性の友達が欲しくて藻掻く醜い青春挽歌だ。
 その始まりがようやく終わって、僕の青春が終わる足音が聞こえてくる。
 そんな物語だ。でも今は少しだけ――この静けさに浸らせて欲しい。
 本当の僕を知る共犯者が、生まれて初めてできた記念日だから。






[39311] 僕は自業自得で友達がいない
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/01/23 22:26

「最近、部内の風紀が乱れているな……」

 カーテンを閉め切り、灯りを消した部室で僕と星奈、理科ちゃんは正座させられていた。
 ひとつだけ開いた窓から差し込む光と風を受け、窓の外を見つめた三日月さんが、遠い声で呟く。
 語る背中には哀愁が漂っていたが、非常に演技臭い。
 膝や踝と言った骨の出っ張りが硬い床に当たって痛い。星奈なんかは歯軋りしながら半泣きだった。
 どうしてこんなことになったんだろう。僕は性別がバレてからの日々を振り返った。





「……」
「……なに?」

 男であることが発覚してから始めての登校日のことだった。部室に向かって並んで歩く僕と星奈の間には、物理的な距離感があった。
 朝から値踏みするように目を凝らす星奈に我慢できず、質問すると、ひとりでウンウンと何度も頷いた。

「やっぱり女の子にしか見えないわね。うん、これなら学校でも男って意識しなくて済みそう」
「それは助かるけど、前みたいにベタベタしないでね? 一応、男と女なんだから」
「わかってるわよ」

 敬語も取れて、心的な距離感は近くなった。クラスでの関係も継続中。
 孤立しているふたりで壁を作って周囲を隔てている。すっかり中学の時と同じ嫌われ者ポジションに落ち着き、女子がますます嫌いになった。
 女子は女子でも、隣人部の三日月さんと星奈は面と向かって言うだけ、僕には気が楽だ。
 理科ちゃんは悪口も言わないが、言動が変態のそれなので女の子にカテゴライズしていいのか……僕の知る女の子とは違う生き物みたいだ。
 いや、二次元に傾倒する星奈も似たようなものなのだが……生産的ではない妄想で鼻血を吹くのはもう、女性としてどうなの?



「幸村くん。メイド服なんてやめて執事服とか着てみない? きっと似合うと思うんだ」

 今日もメイド服を纏い、女装して小鷹に尽くす美少女にしか見えない幸村くんに僕は言った。
 女装する辛さは僕が一番よくわかる。幸村くんが常識に疎いからと騙し続けているのは気が引けた。
 男らしくなりたい幸村くんには、もっと格好良い服装をして欲しい。メイド服も似合うけれど、執事服だって似合うはずなのだ。

「しつじふく……とは、なんでしょうか?」
「人に仕える職種の男バージョンの服装だよ。雇い主に尽くす姿勢や洗練された所作が凛としていて格好良いんだ。顔立ちが綺麗な幸村くんなら似合うと思うの」

 しかし直後、僕は襟首を掴まれて星奈に引っ張られた。耳元で叱るように強く、だが幸村くんには聞こえない小声で囁かれる。

「アンタね、なに考えてんのよ。そういうことばっかりしてるからクソ夜空にビッチって言われるんでしょうが!」
「貴様は空気が読めないのかビッチ。隣人部は貴様が理想の男を求める出会いの場ではない。友達作りに励む部活だ。
 ボーカルだけが女性のバンドと一緒だ。ひとりグループ内で男漁りするビッチがいると、男同士で敵対し空中分解してしまう。
 そんなに男と盛りたければ出会い系に『処女です! やっぱり処女ってめんどくさいですか……?』とか、『寂しくて仕方ないんです。即アポ希望です』書き込んでこい。馬鹿な男が入れ食いで釣れるぞ」

 顔をしかめた三日月さんも憎々しげに囁いてきた。何でそんなこと知ってるの?

「理科は賛成です! 執事ッ! いいですね! 泣く子も黙るヤンキーな見た目から想像もつかない程にヘタレな小鷹先輩には言葉攻めが得意な鬼畜執事が合うと一目見た瞬間から思ってました!」
「誰がヤンキーだ誰が!」

 ビシっと挙手して声高に叫ぶ理科ちゃんに小鷹が怒鳴り返した。ツッコむべきはそこじゃないと思う。

「陽香先輩、なかなか良い着眼点をしていますねっ! もしやそっちの素質があるではないですか!?」
「そ、素質って?」

 息を荒げた理科ちゃんに迫られた。少し身を引いて尋ねると、理科ちゃんは大きく両手を広げて叫んだ。

「何ってもちろん、ボーイズラブですよッ!」
「ないよ」

 間断なく否定するが、理科ちゃんはなおも力説する。

「それは嘘です! 女の子はみんなホモが好きですし、男の子だってみんな潜在的にはホモなんです!
 つまり人類、皆ホモ! これは真理なんです!」
「お前と一緒にするな変態が!」
「何であたしがホモなんて好きにならなくちゃいけないのよ!」

 ホモ扱いされた三日月さんと星奈も怒った。小鷹と幸村くんは「昼下がりのブレイクタイムって良い物だな」、「そうですね、あにき」とか呟いて他人の振りをしていた。
 僕もそっちに行きたい。

「星奈先輩、レズビアンだって同性愛者ですから広義的にはホモですよ。まぁ、こっちは蔑称で男限定の言葉として浸透していますが。
 だいだい、ホモはホモ・サピエンスのことでもありますから、人類=ホモは間違ってません。
 男だろうが女だろうが、人間はホモ! あなたも私もホモ!
 それに理科は、夜空先輩の方が陽香先輩よりも腐る余地があると見てますよォォォッ!」
「――ッ! 黙れ!」
「ぷぎゃっ! ま、まだ布教が……はァん!?」

 顔を真っ赤に染めた三日月さんがハエたたきで理科ちゃんの顔を叩き、事態は収拾した。
 思えば、これが始まりだったのかもしれない。



 翌日。僕が部室のソファで本を読んでいると、星奈が僕の肩に頭を乗せるように本を覗きこんだ。
 彼女は僕が男だと発覚してからも以前と同じように接してくる。どうも、僕が男だと言うことを忘れてると思われる節がある。
 もう一度、はっきりと言った方が良いのだろうか。彼女には感謝しているけれど、距離を保つことは大事だ。
 女装していても異性だってことを明確にしておかなくてはいけない。

「なに読んでるの?」
「ナボコフの『ロリータ』だよ」

 星奈の問いに、手首を返して表紙を見せた。世界的な名著なのだが、タイトルから誤解したのか、星奈は美貌をげんなりさせた。

「陽香、もしかしてロリコンなの?」
「違うよ! アメリカの古典文学作品の傑作! 確かにテーマは幼い少女との性愛だけど、卑猥なシーンは殆どないし、冒頭なんて誰でも聞いたことがあるくらい有名だよ! 星奈には薦めないけれど!」
「薦めないんだ」

 僕らのやり取りを眺めていた小鷹が、目をぱちくりさせた。鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔をしている。

「どうしたの、小鷹?」
「あ、いや……陽香が星奈を呼び捨てにしてたから驚いただけだ。敬語も……」
「もう小鷹だけじゃないわよ」

 星奈は豊かな胸をさらに張って、得意げに鼻を鳴らした。言及するなら、僕は三日月さん以外には敬語は使ってない。
 年下には普通に接している。さらに言うなら同年代、年上の女性以外には普通に接しているし。
 小鷹は僕の読んでいる本に目を遣ると、天井を見上げて呟いた。

「『ロリータ』か……俺の妹も、歳相応に大きくなってくれたらいいんだがな」
「あ、小鷹ってやっぱり妹いたんだ」

 予想が当たっていたことが嬉しくなって、思わず顔が綻ぶ。小鷹はまた僕と目を合わせた。

「やっぱりって、俺って妹がいるように見えるのか?」
「うん。女の子に慣れてるよね」

 こんな美少女しかいない空間でも平然としていられるんだもん。
 小鷹は釈然としないのか、満更でもないのか判然としない面持ちで頬を掻く。
 僕らのやり取りを見ていた星奈が、堪え切れないとばかりに吹き出した。

「どうしたの?」
「くふっ……いえ、小鷹の妹を想像したら笑えてきて」

 失礼にも程があった。口元を両手で抑えて、顔を真っ赤にして笑いを堪えている。
 小鷹も憮然として言い返した。

「俺が言うのもなんだが、かなり可愛いと思うぞ」
「ぎゃはははははは! 真顔で冗談言わないでよ! アンタの妹なんてどうせプリン頭で時代遅れのスケバンみたいな外見したヤンキー女でしょ! 兄の欲目って怖いわねえ~」
「小鷹先輩、遺伝って言葉知ってますか?」
「あにきの妹なら、きっと、せいきまつでも覇者になれるいつざいでしょう」
「小鷹、夢と言うのはいいものだな。その中では、誰もが理想を思い描くことができる。実現できないそれを、人は妄想と言うがな」
「お前らな……」

 誰も信じていなかった。小鷹はこめかみを引き攣らせ、縋るように僕を見た。

「ぼ、僕は、可愛いと思うよ」

 チッ、と三日月さんが舌打ちした。星奈が長い溜息を吐いた。小鷹がウンウンとしきりに頷いた。
 ここは、実際は男子三人、女子三人でバランスが取れているけれど、実質的には小鷹ひとりしか男子がいないから、上手くカバーしてあげないと。
 僕が肩を落とすと、僕の髪がふわりと浮いた。その髪が風もないのに後ろに靡く。
 振り返ると――星奈の鼻の穴に髪が吸い込まれてゆく、にわかには信じ難い光景が広がっていた。

「なにしてるの!?」
「あ、つい」
「だから、つい、じゃないよ!」

 これで何回目になるのか。何かにつけて星奈は僕の体臭を嗅ぐ。女の子の匂いを嗅ぐ。
 この間はこっそり三日月さんの匂いも、バレないように嗅いでいた。すれ違いざまに鼻をぐずらせて。
 三日月さんは苛立ちを紛らわすように足を鳴らした。

「陽香先輩! 理科が布教用の同人誌もってきたんで読んでくれませんか!?」
「同人誌?」

 はい、と快活に頷いて、僕に薄い雑誌を手渡した。どうやら漫画みたいだ。

「同人誌ってアレよね。有志が趣味で書いてる二次創作の」
「はい、そうです。質はピンキリですが、中にはプロも混じってたりして、これが侮れないんですよ」

 へえ、と感心して一冊を手にとった。表紙には、美少年と美少年が睨み合う構図の絵が描かれている。

「理科はオヴァとガムダンがイチオシなんですけど、それは流石についていけないと思うので、割りとソフトなのをチョイスしてみました」
「ふーん」

 同性愛と聞いて忌諱していたけど、ソフトなら友情ぐらいしか描写してないんじゃないかな。
 そう思ってページをめくった。

『お前のここもスケスケだぜ』
『これが俺のハーレム、後部王国だ』

「ブフォッ!?」

 いきなり全裸の美少年の扉絵、次ページで全裸の美少年たちが組んず解れつな絵が飛び込んできて、僕は吹き出した。

「どうですか!? 後部様が俺様を発揮して毎日をSundayにして美少年と怠惰な日々を送る同人誌は!?
 理科的にはネタに走りすぎていてイマイチなんですけど、絵が綺麗でプレイも見応えが――」
「こんなものッ! あっちゃいけないんだッ!」
「ああああああーーーーーッ! 大王子様の休日が! 陽香先輩、やめてください! テーブルに叩きつけないで!」

 我を忘れてテーブルにバンバンしていたのを、理科ちゃんに羽交い絞めにされて止められた。
 そうか、これ理科ちゃんの私物だった……

「ご、ごめん」
「まあ、他に保存用と布教用と観賞用があるので良いですが」

 そんなにあるんだ……

「と、とにかく、僕はこういうの興味ないから!」
「残念です。星奈先輩はどうですか? 興味湧きません?」
「湧くわけないでしょ!」
「ですよね~」

 理科ちゃんが半笑いで生暖かい目を向けてきた。何でそんな目で見るの?
 僕らのやり取りを黙って聞いていた三日月さんは、ぷるぷると怒りを堪えるように震えている。

「貴様らは……隣人部の活動を何だと思っているのだ!?」

 怒鳴られた僕と星奈、理科ちゃんはきょとんと目を合わせた。理科ちゃんが言う。

「なにって、友達作りするために適当に駄弁る場所じゃないんですか?」
「違う! リア充を目指し、日向を歩けるようになるべく日々精進する場だ! それなのにお前たちと来たら……
 クソビッチ、淫乱レズビアン、変態宣教師と、毎日毎日淫猥な物事を垂れ流すだけ……これはどういう了見だ!? お前たちはここを変態たちの社交場にしたいのか、ええ!?」
「ハア!? だーれが淫乱よ。つーかアンタだってエッチな内容が書かれた小説読んでるじゃない!」
「理科は同志を求めているだけです! 友達とは趣味や意気の合うもの! だから理科が自らの趣味をあからさまにすることに違法性はありません!」
「僕もビッチじゃないです」
「ぐっ……」

 三人に同時に反論されて、流石の三日月さんもたじろいだ。いつもは強気な三日月さんも、三人を相手に口では勝てないらしい。
 敗北を悟った三日月さんは、ジリジリと後ずさった。

「おのれ……覚えていろよ貴様ら……!」

 そのまま部屋を飛び出してゆく。捨て台詞が恐ろしかった。

「フフーン、気分がいいわ。あの夜空が涙目敗走よ? あたしの時代が来たわね」

 星奈は勝ち誇り、髪を掻きあげた。金色の流麗な髪が踊る。何だか嫌な予感がするな。

「んん……理科、罵られたら我慢できなくなってきたんで、部屋でオナニーしてきますね」

 内股気味の理科ちゃんも退室する。もうやだ、どうなってるのこの部活。





 そして、冒頭に戻る。翌日、隣人部に顔を出した僕ら三人は、三日月さんのハエたたきで出鼻を挫かれ、為す術もなく正座させられた。
 真っ暗な部屋の中で、硬い床の上。足が痛かった。でも動くとハエたたきが飛んでくる。
 既に三回叩かれている星奈は涙目だった。

「ここ、談話室4は聖堂内にある。マリア様のお膝元だ。そのような神聖な場所でエロゲをしたり、男に色目を使ったり、男の同性愛を薦めるなど許されたことではない。
 そうですね、マリア先生」

 マリア? 僕らが小首を傾げると、灯りがつき、部屋の全容があらわになった。
 僕らの前に、椅子に座ってふんぞり返る銀髪の幼女シスターがいた。

「うむ。コイツラ全員うんこだな。うんこ! 魔女裁判にかけて火あぶりだ!」
「はい、その通りです」

 恭しく礼をする三日月さんに当惑する。どういうこと?

「ちょっとクソ夜空! なによこの茶番は!」
「気安く卑しい口を開くな雌豚が!」
「イタッ!」

 ペシンと鼻面を叩かれ、うー、と星奈が唸る。不遜に胸を張り、教師にみたいにハエたたきをポンポンと手のひらで叩きながら三日月さんが言った。

「まぁ、仕方ないから答えてやろう。この御方は、我々隣人部の顧問であらせられるマリア先生だ。頭が高いんじゃないか、お前たち。ん?」
「控えおろー!」

 嬉々としてはしゃぐマリア先生(10)。いいんだ、雇うんだ。

「キッタナイわね……人数で勝てないからって自分は先生連れてくるなんて」
「なんか言ったか、駄肉。えー、先生。キリスト教では同性愛は禁止されてましたよね?」
「うむ! キリスト教では生殖に結びつかない性行為は全て悪徳だ!」
「よって、肉。お前は処刑」
「なんでよ!」

 理不尽すぎる……三日月さんは、次に理科ちゃんを標的に定めた。

「次、志熊理科」
「理科は同性愛者ではありません! 異性や機械の同性愛を愛しているだけです!」
「黙れ! ……貴様は腐女子、だったか。その布教を隣人部内で行なっていたな」
「はあ……それがなにか」

 胡乱げに言う理科ちゃん。三日月さんは、カッと目を見開き、

「聖クロニカ学園はキリスト教を学教と定めている。他宗教のプロパガンダは禁止だッ!」
「ええっ?」
「そうですね、マリア先生」
「そうだ! 異教徒のうんこは死ね! 弾圧しろ!」
「よって変態。お前も処刑」

 酷すぎる……魔女裁判並の問答無用振りだ。
 最後に僕に目が向く。

「ビッチ。お前は言わなくてもわかるな?」
「僕、ビッチじゃないんですけど」
「発言は許可していない! 貴様は清廉潔白で貞淑であることが尊ばれるキリスト教観念に反する行為を隣人部内で繰り返した。
 一夫一妻を推奨するキリスト教の学園で二人の男子生徒に日常的に色目を使ったな。よって処刑だ」

 処刑の内容はわからないが、良くない罰が課されそうなので反逆することにした。

「あのー、僕はキリスト教徒ではないのですが」
「あたしもよ」
「というか、夜空先輩だって無宗教じゃ」
「誰が口を開いていいと言った魔女共がッ!」

 また星奈が叩かれた。今度はあまり痛くなさそうだった。「ん……」と声を出しただけだ。

「理科、私も昨日、例の腐女子とやらについて調べた。そしたら、カップリングや受け攻めで同志の中でも争い合っていたぞ。
 そんな危険な火種を隣人部内に持ち込むなど、部長として許可できん。お前は火炙りだ」
「内輪揉めはキリスト教の十八番じゃないですか」
「いったいいくつの教派に分かれてんのよ。魔女狩りだって大半は無実で、キリスト教に恭順しない連中を弾圧してただけでしょ!」
「隣人部なのに博愛の精神を尊重しないのはおかしいです。部長の三日月さんからは、隣人愛の精神が欠如しているように感じます」
「む……」

 怒涛の反逆に三日月さんも気圧された。冷静に考えれば、星奈と僕は学年の主席、次席だし、理科ちゃんも天才少女だ。
 このまま押しきれるかと思ったが、今度は三日月さんも踏み止まった。

「黙れ下僕ども! 私が教典だ! 神は信じる者しか救わないし、異教徒など十字軍遠征で血の海に沈めてやる!」
「だからアンタ無宗教でしょうが」

 僕らが信じているのは八百万の神様だけで、信じるのは授業中にお腹が痛くなったときくらいしかないよね。

「ああ言えばこう言う現代っ子共め……!」
「なあなあ夜空。お腹空いたぞ。ポテチくれ。こうしてるだけで良いって言ったじゃないか」

 歯噛みする三日月さんの袖を引き、ポテチをねだるマリア先生に僕たち三人はげんなりとした。
 三日月さんも、証拠を掴まされた犯人みたいに顔に後悔が帯びた。

「三日月さん、まさか……」
「アンタ、お菓子で子どもを釣ったの?」
「それはさすがの理科もドン引きです」
「ええい! なぜ今、このタイミングで言い出すのだ、この馬鹿餓鬼はッ!」
「ば、馬鹿って言ったな! お前らなんかIQがワタシの半分にも及ばないカス共のくせに!」

 そして始まる仲間割れ。出るわ出るわ、三日月さんが部を立ち上げるために幼女を脅迫して恭順させた酷い話。
 物をあげる素振りを見せ油断して近づいたところに裏拳食らわしたとか、キリスト教の外典を捏造して騙したとか、これ以上殴られたくなければ顧問になれと脅したとか……
 ちょっと外道にも程があるのではないだろうか。

「なんてひどいことを……」
「ち、違う! あれは悪気があったわけじゃ……!」
「ウソだ! コイツはワタシを何度もぶった! 泣いても言うこと聞くまでぶったのだ!うんこ夜空! うんこうんこうんこ! くたばれバーカ!」
「あァ!?」
「ヒイッ!」

 本気で怯えて僕らの影に隠れるマリア先生。見かねた小鷹も口を挟んできた。

「まあ、お前らもそこまでにしとけ。同じ部活のメンバーで啀み合う必要もないだろ」
「理科は喧嘩も青春って感じがして楽しいですけどね」
「ヤンキーが良い事言っとるげ! キャハハハハハハ、似合わないぞ! うんこのくせに発言だけは一丁前だー」
「あにき、この幼女のしまつはいかがしますか?」
「ヒイッ!?」

 ……始めは可哀想だと思ったけれど、マリア先生の自業自得な気もしてきた。
 気づいたのだけれど、やっぱり僕らが友達いないのって、結局は自業自得なんだよね。

「小鷹」
「ん?」
「ズボンの裾、直さない?」
「……え? これ、格好良くないか?」

 うん、自業自得だ。





[39311] 僕は点数が少ない
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/01/23 22:27


 中間試験が行われた。そして今日は順位発表の日だった。
一階の掲示板に全員の順位と点数が発表される、ある意味公開処刑の場に僕は訪れていた。
生徒のプライバシーとか、最近は色々と言われている中でもこの風習を続けているのは、一重に生徒に恥ずかしい思いをしたくないなら努力しろと発破をかけているからだろう。
結果は分かりきっていたが、一応、確認する。見上げると、一番上に星奈の名前があった。
 一位、柏崎星奈。二位、藤宮陽香。この並びを確認して、小さく息を零す。
去年からずっとこの順位を続けている。初めのうちは悔しくて発奮したが、どうにも勝てない。何回やっても微差で敗北するので、今となっては諦めた。
どうあがいても敵わない人はいる。身長が160cmに満たない人がNBAプレイヤーになれないのと同じように、短距離で黒人選手に白色人種、黄色人種が敵わないように、届かないものは確かにある。
綺麗事は嫌いだ。男の僕がちょっと努力すれば、女性の星奈と運動で張り合えてしまうのと同じことだ。運動能力の性差は埋めようがない。けれど、他の全てで僕は星奈に負けている。
劣等感はあるが、今は悔しくないのはなぜだろう。星奈があまりに飛び抜けているからか、いっそ清々しい気分だ。
 僕がらしくない晴れやかな気分に浸っている横で、女生徒が唸っていた。少しうるさい。
 僕がちらりと視線を向けると、彼女も瞳だけを動かして僕を見た。目が合う。すると、彼女が目を見開き、ワナワナと震えた。指さされる。

「あ、ああああああ……っ!」
「? なんですか?」
「ふ、藤宮陽香ッ!」
「はい」

 名前を叫ばれ、返事をした。小動物みたいな女の子だった。ウルフっぽい髪型で襟足は長い。小柄で犬歯が伸びていて、大きなどんぐり目が印象的で、挙動そのものは愛らしかった。
 誰だっけ?

「はいじゃないです! ムググ……何ですか、その余裕たっぷりな態度は。自分が勝者だからって、下の者を見下しているんですね!」
「はい?」
「だから、はいじゃないです!」

 難癖をつけられて、語尾のイントネーションが上がった。またしても怒鳴られる。全身で怒りを表現された。
 授業が終わったばかりの放課後に廊下で絡まれれば、注目も浴びる。ざわつきを感じながらも、仕方なく応じた。

「ごめんなさい。僕、あなたに何かしましたか?」
「何か!? 当たり前じゃないですか! いつもいつもされて……は、いませんでした」

 シュンと肩を落とした。何なんだ。相手にするのも億劫になってきたのだが、不意に顔を上げた彼女は掲示板を指さした。

「で、ですが、屈辱は味わわされています! 見てください、この順位を!」
「いつも通りじゃないですか」

 星奈が一位で僕が二位。入学してから変わらない序列だ。僕が素っ気なく言うと、彼女は地団駄を踏んだ。

「いつも通りなのが問題なのです! 何回やっても、どれだけ勉強しても、柏崎星奈とあなたがワンツーフィニッシュじゃないですか!」
「それがなにかしました?」
「下を! 下を見てください!」

 ブンブンと腕を振り、なおも掲示板を示す彼女につられ、三度掲示板に目を遣る。六位に三日月さんの名前があった。

「あ、三日月さんも頭良いんだ」
「誰ですか!? 違います! 自分が言っているのはひとつ下です!」
「……遊佐葵?」
「はい!」
「誰?」
「ええっ!?」

 愕然と口を開けたまま、固まった。声が大きい。再起動した彼女は僕に詰め寄ってきた。

「自分です! 遊佐葵! 二年三組、出席番号三十三番! 生徒会所属で学年三位の!」
「そうなんですか。三づくしですね」
「はい、遺憾ながら……いや、だから違います! 本当に自分を憶えてないのですか!?」

 難詰され、ちょっと困った。小さいけれど、それでも女の子だ。苦手意識が強い。
 恐る恐る頷くと、遊佐さんは余程ショックだったのか、涙目になって声を荒げた。

「ひとつ前の席で配布物があるときは必ず顔を見合わせるではないですか!」
「前の席なんですか?」

 反射的に驚くと、ますます遊佐さんの顔が悲壮に歪んだ。僕は失言を悔いたが、遅かった。

「し、四月に部活に誘ったのに! テストのたびにあなたたちに負けて万年三位に甘んじてるのに! 体育のときも学祭のときも柏崎星奈に負けないように張り合って……負けましたけれど、一生懸命肉薄したのに! 先日だってソフトボールであなたたちのバッテリーに誰もが三振する中、一人だけタイミングだけは合わせることができたのに! というより、何度もクラスでお話してるのに!
 ま、全く憶えられてないなんて……!」
「え? えーと……ごめんなさい」
「謝らないでください! 余計惨めになるじゃないですか!」

 どうしよう。どう対処していいか分からない。基本的に女子は目立つ星奈以外は、大雑把にその他と区分していたから、顔も名前も記憶にないのだ。
 半泣きで声を張り上げる遊佐さんと僕の組み合わせを、物珍しそうに野次馬が見物している。騒ぎになるのは困る。控えめな立場を演じてきたのに、台無しだ。
 そこに、人ごみを掻き分けて、二学年の頂点が鬱陶しそうに顔をしかめながらやってきた。

「邪魔ったらないわね、このゴミ共は。何してるのよ、陽香。さっさと部活に行きましょう」
「星奈……」
「か、柏崎星奈……!」

 奇しくも学年トップ3が出揃い、星奈に敵意を剥き出しにする遊佐さんに、僕は事態が収集のつかなくなったことを悟った。
 威嚇する小動物みたいな遊佐さんを、星奈は怪訝に一瞥した。

「誰コイツ?」
「はうっ!?」

 会心の一撃が炸裂した。胸を撃たれたようにふらつく遊佐さんだが、すんでの所で堪えた。気丈に立ち向かう。

「ゆ、遊佐葵です! 同じクラスの!」
「そうなの? 芥子粒ほども興味ないから全然憶えてなかったわ」
「あぅあぅあああ……!」

 無常にも容赦ない星奈の言葉が突き刺さってゆく。煽りでも何でもなく、事実なのだろう。
 言動からして、遊佐さんは一方的に僕らにライバル意識を懐いてたようだが、まさか歯牙どころか存在すら認識されていないとは思っていなかった筈だ。
 打ち拉がれる遊佐さんは、口を戦慄かせて、地獄の底から絞り出すような低い声を出した。

「ウグググ……こんな屈辱は生まれて初めてです。容姿だけならまだしも、勉強も運動も家柄も、果てにはその両者が友達同士で自分をコケにして、藤宮陽香に至ってはかっこいいカレシまでいるなんて……!」
「え? 友達に見える、あたしたち?」

 僕に寄り添い、肩に手を置いて、高揚した面持ちで言う。やはり僕が男だということは失念しているらしい。
 ――いや、その後に何かとんでもないこと言ってたような。

「はい……クラスの男子も綺麗所が仲良くしていて嬉しいと言ってました」
「あ……デヘヘヘェ。そっかあ、友達に見えちゃうかぁ」
「すいません、カレシって誰のですか?」

 頬に手を当ててトリップする星奈は置いておいて、スルーしてはならない言葉が出た。僕に彼氏? 何の冗談だ?

「藤宮陽香に決まっているではないですか。カレシいない歴=年齢の自分にわざわざ言い直させるなんて、何て酷いことを」
「僕、彼氏なんていませんよ」
「恍ける気ですね? あんなにかっこいいカレシがいて平然と嘘をつけるなんて、大した面の皮です」

 やさぐれているのか、埒があかない。

「その彼氏って誰のことですか?」

僕は語調を強めて言った。遊佐さんは斜め上を見て、

「コダワリのある金髪にズボンの裾を上げてオシャレをしている、眼力のあるカッコイイ男子生徒です! 自分のカレシを他人に評価させるなんて、どれだけ自信があるんですかっ!」

 確信した。小鷹だ。横の星奈がドン引きしていた。

「あれのどこがオシャレなのよ……眼力は、言い方を変えればそうね。でも、カッコイイ……?」
「顔立ちは整ってる方だと思うよ」
「良く見ればね。……てか、何で陽香が小鷹の彼女になってるのよ!」

 怒鳴られ、仕方なく思考を巡らせた。思い当たる理由は、けっこうあった。

「幸村くんの時に小鷹をストーキングしたり、ちょくちょく二人の教室に遊びに行っていたからかな」
「なにやってるのよバカ! 良い? 小鷹と絡むだけで悪評が立つんだから、公の場でアイツと話すのは止しなさい。これ以上、陽香が有象無象のオモチャにされるのは我慢できないの」
「星奈だってみんなに色々言われてるじゃない」
「あたしはいいのよ。塵になに言われても気にしないから。問題は陽香よ。アンタは繊細なんだから……ゴミクズの分際で陽香を傷つけるようなことがあったらタダじゃおかないわ」

 僕も、別に気にしないのだけれど。反駁しようとしたが、星奈の声と表情から真摯に僕を心配してくれているのが伝わってきて、口を閉ざした。
 ほんの少し、嬉しかった。女の子にこんなことを言われたのは初めてだったから。

「じ、自分は蚊帳の外ですか?」

 小さな手を握りしめて歯軋りしながら、遊佐さんが言った。僕は、場を弁えていないが、この状況に感動していた。
 もしかして、これは内輪ネタというものなのかな? これも初めての体験だ。
 僕が胸にじんわりと沁みる感動に浸っていると、星奈が興味無さげに遊佐さんを一瞥した。

「アンタ、まだ居たの?」
「本当に忘れていたんですか!? ヌグググ……! 何て鬼畜外道! 見てなさい、期末考査では自分が一位になってみせますから!」
「一位ねえ……」

 星奈が順位表を見上げた。星奈が897点、僕が891点、遊佐さんは851点だった。四十点以上の差がある。
 視線を遊佐さんに戻した星奈は、

「――ハッ」
「鼻で笑われた!?」

 見てるこちらが引くくらい冷酷な態度で挑戦状を一笑に伏した。普通、青春物語だと、こういう時は、「受けて立つぜ!」とか熱い遣り取りがあるはずなんだけど。
 相手にすらされていない遊佐さんは半泣きで喚き散らした。
 二人は忘れているが、ここは廊下だ。現在も部活に向かう生徒や帰宅部の人たちで溢れかえっている。
 そんな場所で女の子三人が騒げば、注目を集めるのは当然なわけで、

「どうしたどうした? 賑やかじゃないか。青春してるな、お前たち!」
「日向さん!?」

 またしても人混みを掻き分けて現れた闖入者に、僕たちはさらに混然としてきた。どうやら遊佐さんの知り合いらしい。

「誰よ?」
「何で知らないんですか!? ウチの学校の生徒会長ですよ!」

 星奈が僕の気持ちも代弁してくれた。あ、そうだったんだ。ということは上級生か。
 星奈の失礼な言動にも気にすることなく、生徒会長は端正な顔立ちを歪ませて豪快に笑った。

「くはは! 下級生に顔も憶えられていないとは、まだまだ私も未熟だな! 
 生徒会長の日高日向だ。葵が迷惑をかけて済まない。コイツがなかなか生徒会室に来ないから探しに来たんだが、道行く生徒に同級生と喧嘩していると聞いてな。
 すっ飛んできたんだ」
「あ! す、すいません日向さん……でも、本音は業務をサボりたかっただけでしょう?」
「生徒が揉め事を起こしたら解決するのも生徒会長の仕事だ! さぁ、不平不満があるなら私に言え! 全身全霊で解決してやるぞ!」

 豪胆な人、というのが第一印象。よく通る澄んだ声は心地よく耳に響き、活力に満ちた大きな黒曜石めいた瞳は、真っ直ぐな心根をひけらかすようだった。
 言うまでもなく苦手なタイプで、基本的に人に疎まれる僕と星奈は、生徒会長で人望も厚く、加えて熱血な彼女に腰が引け気味だった。

「そんなのないわよ。あっちが先に喧嘩売って来たんだし」
「む、そうか。うちの者が失礼した。済まなかったな」
「わわ、日向さんが謝る必要は……!」
「身内の粗相は私の責任だ。筋は通さなければならない」

 遊佐さんに代わって謝罪する生徒会長に星奈が引いていた。
 これは一見、生徒会長が格好良く見えるが、やってることは下の者の責任を明確にして晒し者にしているに過ぎない。
 結果的に自覚を促し、成長に繋がるなら良いが、裏目に出て潰れてしまう可能性もある。まあ、正しいなんて誰にも判らないのだから、批判もできない。結果論になる。
 遊佐さんは反省したのか、俯いた。よくよく考えたら、彼女が悪いのかも不透明なのだが。

「き、気にしてないから、謝らなくてもいいってば」
「そうか! なら、これで仲直りだな!」

 一転して笑顔になり、生徒会長は僕らと遊佐さんを見比べた。星奈が口元を引くつかせて水を差す。

「直るような仲じゃないわ。お互い面識すらなかったもの」
「去年から何回も話してますよ!?」

 あの星奈が押し負けるってよっぽどだな。悪意を持たずにグイグイと懐に入ってくる人が初めてだったからもしれない。
 生徒会長は、ほうほうと顎に手を当て、関心が深そうに視線を行き来させた。

「ならば、今から友達になればいいんじゃないか。うん、そうだな。それがいい!」
「なに言ってるんですか、日向さん」
「生憎だけど間に合ってるわ」
「僕も遠慮しておきます」

 三人同時に拒否すると、生徒会長は顔を曇らせた。ため息混じりに遊佐さんの肩を叩く。

「だ、そうだ。残念だったな、葵」
「勝手に言い出しておいて、自分が振られたみたいな感じにしないでください!」

 ギャーギャー吠える遊佐さんとそれをあやす生徒会長を眺めていた僕たちは、コントについて行けずに立ち尽くしていた。
 そろそろ部活行かないと。星奈に進言しようと思ったら、生徒会長が僕らをジロジロと値踏みするように見つめてきた。
 星奈が憮然となる。

「なによ」

 年上でも敬語を使う気は一切ないらしい。懐の大きな生徒会長は気に留めることもなく、得心してポンと手を叩いた。

「あぁ、何か見覚えがあると思ったら、お前たちが葵の言っていた凄い奴らか。葵が一回も勝てないと生徒会で嘆いていたぞ」
「わあああああ! 何で言うんですかーっ!」

 愚痴っていたのか。如何にも女の子らしい。女の子は秘密が大好きだけど、秘密を守ることはできない。
 生徒会長の周りをピョンピョン跳ねる遊佐さんが、恒星の周りを廻る惑星みたいで滑稽だった。
 喚く遊佐さんに動じることなく、生徒会長は口を開いた。

「聞けば文武両道、何をやらせても一位、二位になるそうじゃないか。優秀な生徒は大好きだぞ、私は」
「ふっ、当然でしょう。凡俗とは格が違うのよ」

 ドヤ、と腕を組んで胸を張る。豊かな胸元が強調され、男子の雄叫びが耳を突いた。
 生徒会長がフム、と相槌を打つ。

「なら、その優秀さをうちで活かしてみないか?」

 え? と、三人が口を揃えた。初めて意見が一致した瞬間だったかもしれない。
 真っ先に立ち直ったのは生徒会長の奇行に日頃から付き合わされている遊佐さんだった。

「こ、この二人を生徒会にって――」
「嫌か? 能力のある者は相応の役職でそれを活かすべき、とは葵の考えだったろう」
「それは、どうですけど」
「あたしは嫌よ。もう部活には入ってるし、何より面倒臭い」

 にべもなく星奈が断った。きっぱりとし過ぎて、取り付く島もない。生徒会長も期待はしていなかったのか、あっさり「そうか」とだけ頷いた。僕と目が合う。

「そっちの大人しい子はどうだ? キミなど、ウチの火輪と気が合いそうなんだが」
「僕は……ええと、遠慮しておきます」

 面倒だという思いもあったが、それ以上に僕が入ることで悪評が立つ懸念が先に立った。
 迷惑をかけるのも忍びなかったので頭を下げて丁重に断っておく。流石に星奈のように振る舞える度胸は僕にはなかった。
 生徒会長が眉尻を下げる。

「全滅か。葵、私も振られてしまったよ。同性でこれなら男性に告白して振られたら、もっと辛いんだろうな」
「公衆の面前で振られたのに自分を巻き込まないでください」

 額に手をあて、嘆く素振りを見せる生徒会長にどことなく辛辣な遊佐さん。いつもこんな感じらしい。
 やれやれと肩を竦めた彼女は、再び毅然とした面持ちで僕らに向き直った。

「ま、興味が湧いたらでいい。生徒会室に来てくれ。人手が少なくて困っているからな、いつでも大歓迎だ。皆も騒がせて済まなかったな」

 破顔してギャラリーに声をかけ、遊佐さんを伴って去ってゆく。強烈で嵐みたいな人だった。
 ギャラリーが疎らになってからも、何となく立ち尽くしていた僕らだったが、唐突に星奈が低い声で呟いた。

「なんかムカつくわ……」

 それは、優れている故の同族嫌悪なのか、日陰者としての妬みなのか。僕としては久しぶりに浴びた陽の光に眩暈を起こした気分だった。
 眩しくて、あんなところにいたら蒸発して死んでしまう。暗くてジメジメしている陰影が、やはり僕には似合っているようだ。

「いやー、青春してるねえ、君たち」

 げんなりとしている僕らの所に、また誰かがやってきた。コーラの缶片手に尻を掻きながら悠々と歩いてくるのは、担任のケイト先生だ。似ていると思ったが、どうやらマリア先生の姉らしい。
 下品なところまで似なくてもいいのに。

「見てたんですか?」
「うん。いいんでない? わたしは好きだよ、今みたいなやりとり。喧嘩も生徒会も、青春してるって雰囲気ビンビンじゃん」

 最初から見ていたらしい。止めてくれとも思ったが、シスターのくせに怠惰な空気が漂うこの先生に言っても無駄な気がした。
 この人、中身は不良中年だし。

「藤宮ちゃんは普段から色々と抑圧してる感じあったからねえ。何かに打ち込んだりして発散するのは良い事だよ。人間、溜め込むのは疲労とストレスだけだからね。
 最近、溜まってんじゃないのかい、ん?」
「生徒のお尻触りながら言うセリフじゃないですよ」

 自分の尻を掻いていた手で今度は僕の尻を揉む。やっぱり親父だった。星奈が無言でその手を叩いた。
 悪びれもせず、ケイト先生はコーラに口をつけた。

「おっと、失礼。まぁ減るもんじゃないし、いいじゃない」
「自尊心が減るらしいです」
「初体験は済ませたの?」
「それ以上言うとクビにするわよ」

 セクハラ発言が止まらないケイト先生に星奈が睨みを効かせた。流石に理事長行きは堪えたのか、ケイト先生も自重したようだ。
 あのコーラ、アルコールが入ってたりしないよね?

「あはは、怒られる前に退散しようかな」

 ケラケラと笑って背を向ける。直後、ボフッと女性が人前でしてはならない音が尻から出た。ガスと共に。

「おぉっと。屁が出た。ジェットエンジンってね」

 恥じらいなどあるはずもない。途中で盛大にゲップまでして、高笑いの残響を轟かせながらケイト先生が去っていった。

「本当にクビにしようかしら……」

 間近で放屁を浴びせられた星奈が碧眼を眇めながら呟いた。
 この学校の美人は、みんなどこかおかしい。





[39311] 僕は具材が少ない
Name: コモド◆82fdf01d ID:e59c9e81
Date: 2014/01/23 23:46
「タコパをしましょう」

 いつもどおりの益体のない部活の最中に、理科ちゃんが切り出した。

「タコパ?」
「なにそれ。タコのパフェのこと?」

 僕が聞き返し、星奈が略称の名前を推測した。僕もまったく同じことを思い浮かべた。
 三日月さんが本から目を離し、顎に手をあてて言った。

「聞いたことがあるな。タコパ、たこ焼きパーティーの略で、友達の家に集まって自家製たこ焼きを食べて騒ぐホームパーティーだ。
 ブログにDQNどもが写真を上げていたから、よく憶えている」
「たこ焼きか! 自慢じゃないが、俺はたこ焼きにはうるさいぞ。なにせ本場大阪で舌を肥やしたからな。
 学校帰りによく買い食いしたなぁ、ひとりで」

 小鷹も声高にたこ焼き通をアピールした。ついでに自虐も。

「小鷹先輩の似非関西人アピールは置いといて、夜空先輩の言うように、友達同士で集まってワイワイやるのに向いてると思いませんか?
 たこ焼きなら作るのも簡単ですし、みんなで具材を持参して色んな味も楽しめて一石二鳥ですよ」
「待て! たこ焼きが簡単だと? ふざけるな! お前みたいな味を舐めてる関東人がいるから、素人が作るチェーン店なんかが繁盛するんだ。あれはたこ焼きじゃなくてたこ揚げだろうがッ!」
「ふむ、どっかの関西人気取りがうるさいが、リア充どもの予習には適しているかもしれんな。今度、やってみるか」
「え? たこ焼きが食べられるのか!? はい! ワタシたこ焼き食べたいです!」
「なんか貧乏臭いけど、ちょっと楽しそう。ふーふーして食べるのよね」
「聞けよ! お前ら広島風お好み焼きとか言う口だろ? 関西のは混ぜ焼きなんだよ!
 広島のこそ本物のお好み焼きなんだよ! 福岡だって豚骨ばっか食ってると思ってんだろ! うどんだっつーの! だいたい豚骨は作ると臭いんだよ! 小鳩が好物だから偶に作るけど、処理が大変なんだよ!」
「あ、あにきがあらぶって……」

 大好きなものを貶された小鷹がヒートアップし、幸村くんに止められていた。
 それを僕以外の三人が冷ややかな目で見る。

「今度は広島県民、福岡県民アピールし始めたぞ」
「理科に言わせれば、どっちもソースかけた粉物としか思えないのですが」
「どうせ一年も定住してなかったくせに、なに地元民気取ってんのよ」

 女性陣の辛辣な言葉が小鷹に刺さってゆく。小鷹には厳しいよね、みんな。
 冷淡に突き放された小鷹は、よろよろと後ずさった。

「な、なんだよお前ら……ずるいぞ、いつもいつも女子で結託しやがって!」

 いちおう幸村くんと僕も男なのだが、小鷹的には幸村くんも含めて女の子なのかもしれない。
 外見が小鷹以外は女の子だからねえ。小鷹が駆け出す。

「憶えてろよお前ら! 俺が当日は本物のたこ焼きを見せてやるからな! あまりの美味さに舌を巻いても知らねえからな!」

 捨て台詞が小物臭いのが、不良っぽい外見も相まって妙に似合っていた。
 小鷹って凝り性な一面もあるから、こうなった時はめんどくさい。

「とりあえず、各々好みの具材を持って集合だ。器材は……」
「あ、それは理科が用意するので心配しなくて結構です」
「パーティーかぁ。楽しみね。ドレス何着てこうかしら」

 星奈が変な勘違いをしていたが、僕も楽しみだった。
 ちょっと奮発してみよう。



「と、言うわけで、タコパ決行の日がやってきたわけだが……」

 部長の三日月さんがテーブルに雑然と並べられた具材を見渡す。

「誰だ、赤ワインなんて持ってきたのは……」
「あ、僕です」

 挙手すると、ズイと身を乗り出した三日月さんに睨まれた。

「なぜアルコールなんて持ってきた、クソビッチ。貴様はここを何だと思っている? 学校だぞ、未成年だぞ?
 そんなに未成年を酔わせて乱交でもしたいのか? ん?」
「ちょ、調味酒ですよ! それに以前、僕が食べた美味しいたこ焼きには、赤ワインを使っているところがありました!」
「……これヴィンテージワインじゃないか?」

 手にとって、小鷹が古めかしい標号を凝視する。なぜか頭にねじりハチマキを巻いていた。

「このメーカーの1984は不作だから大した酒じゃないわよ。つーか、夜空の発想がそこらのエロオヤジと同レベルなのがウケるんだけど。
 エロ小説の読みすぎで頭が常時桃色なんじゃないの?」
「霜が降り過ぎて廃棄された駄肉は黙ってろ」
「はぁ? エキノコックスに感染されてるクソギツネこそ隔離して処分するべきでしょうが!」

 例のごとく、罵倒し合う二人に僕と理科ちゃんが呆れ顔になる。実は喧嘩するふりしてイチャついてるだけじゃないか疑りたくなる頻度で発生するので、もう慣れてしまったが、割と本気で仲が悪そうだ。
 その二人を止めるのはだいたい小鷹なのだが、その当人は一人黙々とたこ焼きの生地作りをしていた。
 ねじりハチマキと難しそうな顔の相乗効果で形相がその筋の人みたいになっている。

「ブツブツ……薄力粉とベーキングパウダーの比率は……」
「小鷹先輩、たこ焼きの粉使うので一から作らなくても大丈夫ですよ」
「市販の味で本物のたこ焼きが作れるかッ!」

 カッと吼える。あまりの声量に罵り合っていた二人も閉口してしまった。
 幸村くんだけが首肯する。

「あくまでほんものにこだわるその姿勢……心服いたしました。あにきこそまことのしょくにんです」
「……ねぇ、これってホームパーティーじゃないの? 場違いな暑苦しいのがいるんだけど」

 星奈が小声で僕に耳打ちする。小鷹は今も周りに耳を貸さず、額に汗して生地作りに没頭していた。
 確かに想像していたのと違う。みんなでたこ焼きを転がしながらワイワイやるものじゃないのか。
 小鷹から発せられる重圧に押し黙る僕ら。その重苦しい部室のドアが唐突に開き、一斉に視線が闖入者に集まる。

「くっくっくっ。ここが我が半身の囚われている監獄か……」
「何ですか、この子」
「やだ、何この子。痛々しくて可愛い……!」

 目元でピースサインをし、挨拶がわりに良くわからない言葉を発した金髪の小柄な少女が室内を見回す。
 星奈同様に浮世離れした美少女だった。人形のようと形容する他ない端麗な容姿に妙ちくりんなゴスロリも似合っている。
 少女は、不乱に生地を混ぜる小鷹の姿を見つけると、気取った顔を綻ばせた。

「あんちゃん!」
「ん? 小鳩! お前、どうしてここに……」
「くっくっくっ。我が半身が技術の粋を凝らした贄を披露するとあって駆けつけてきたのだ」
「ああ、たこ焼き作るって言ったから我慢できずに来ちゃったのか」
「ちゃ、ちゃうもん!」

 図星をつかれたのか、素で否定する。ああ、やっぱりキャラを作ってたのか。
 というより、この反応……

「小鷹、その子はなんだ?」
「俺の妹の小鳩だよ。ほら、前に話した」
「え……」

 幸村くん以外の全員が絶句した。信じられない、と表情に胸のうちが如実に出ている。
 可愛いって言ってたの、肉親の欲目とかじゃなかったんだ。

「い、妹!? こんな可愛い子がアンタの妹!?」
「そうだよ」
「い、遺伝子レベルから造りが違いますよ!? 小鷹先輩と同じ胤でどうしてこうも違いがっ!?」
「お前ら好き勝手言いすぎだろ!」

 美女と野獣っていうか、妖精と不良だもの。カラコンを入れているのだと思われる赤と青のオッドアイは彫りが深くパッチリとしていて、けれど兄の小鷹は三白眼甚だしい黒い日本人の顔立ち。
 メンデル先生、これって遺伝の法則に則ってますか? 遺伝の妙を感じざるを得ない。
 僕らが小鷹の妹に釘付けになっていると、目を輝かせてたこ焼きを待っていたマリア先生が両手を威嚇するように掲げて吠えた。

「コラーッ! お前ら、ワタシはたいへんお腹が減っているんだぞ! 早くたこ焼きを作れ馬鹿共!」
「あ、悪い」

 小鷹がすぐさま作業を再開する。ガス式のたこ焼き器は理科ちゃんがこの日の為に自作したらしく、一度に五十個も焼けるらしい。
 円型だからみんなでつつくのにも便利だ。小鷹のたこ焼きにかける熱意は並々ならぬものがあり、たこ焼きの熱気以外にも小鷹の背後からオーラが立ち上っているように見える。
 兄が作業に集中して忘れられた妹の小鳩ちゃんは、さっそく星奈と理科ちゃんに包囲されていた。

「やだ……見れば見るほど『真紅の精霊遣い』のアイリスそっくり……!」
「ちょ、ちょっとで良いので遺伝子の一部をお持ち帰りさせて頂けませんかね、げへへ……先っちょ、先っちょだけでいいから!」
「ひっ! あ、あんちゃん!」

 歪んだお姉さんに囲まれた小鳩ちゃんが小鷹に助けを求めるが、小鷹はたこ焼きに精を出していて気に留めていない。
 妹よりたこ焼きなのか……
 可哀想になった僕は、暴走気味の二人と小鳩ちゃんの間に割って入った。

「ふ、二人とも、小学生を怯えさせたらダメでしょ?」
「大淫婦バビロンめ……虚言を持って我を陥れようとは、何と浅はかな……」
「へ?」

 低い声で紡がれた罵りは、誰に向かってのものか、しばらく検討がつかなかった。
 振り向いたら、僕が睨まれていた。え、僕?

「大淫婦バビロンって、もしかして僕のこと?」
「そうじゃ……じゃなくて、そうだ。忌まわしい娼婦め。今宵は我が半身を誑かす淫乱な女を成敗すべく、我が直々に足を運んだのだ」
「ブフゥーーーっ!」

 三日月さんがコーヒーを吹き出して、腹を抱えて大笑した。

「だ、大淫婦バビロン……アハハハハハ! い、良い――ビッチにふさわしいアダ名だな。あははは!」
「半身って小鷹先輩のことですか? そこはかとなくエッチな響きですね」
「エッチちゃうわ!」
「やーん。その素になると出てくる方言もかーわいい!」
「なあなあ! もう具を入れてもいいのか!?」
「ああ、たくさん入れろ」
「わーい!」

 収拾がつかなくなってきた部内でなおもマイペースな小鷹、マリア先生、幸村くんが羨ましい。
 碧眼を輝かせながら具材を放り込むマリア先生から目を離し、小休止でこちらを振り向く小鷹が呆れた眼差しで言う。

「まったくお前らは……たこ焼きを前にはしゃぐのはわかるが、もう少し落ち着きをだな」
「じゃあ、理科たちが焼いてもいいんですか?」
「ふざけんな! 素人に任せられるか! 俺は一人で焼くぞ!」
「なら勝手に焼いててくださいよ」

 理科ちゃんが肩を竦める。横では星奈が小鳩ちゃんを追い詰めていて、三日月さんが笑い転げ、幸村くんは澄ました態度で佇んでいた。
 小鷹はたこ焼きを無心に転がしていて、マリア先生はそれを眺めて瞳を輝かせている。僕は、初対面の小学生にすらビッチと罵られることにショックを受けて放心していた。
 そんなにビッチに見える?

「よし、できた!」

 額の汗を拭って、小鷹が声高に叫んだ。プレートにはこんがりときつね色の焼き色がついたたこ焼きが整然と並んでいる。
 たこ焼き通を自称するだけあって見栄えは綺麗だった。皆が感心して、「おぉ~」と唸る。

「ふむ、言うだけあって上手いな」
「口だけじゃなかったんですね、小鷹先輩」
「ははっ、大阪には一家に一台たこ焼き器があるからな。これくらい当然だ」

 真偽が疑わしいことを言って、得意げに胸を張る。年少の小鳩ちゃんとマリア先生の瞳がこれ以上ないくらい輝いて宝石みたいだった。
 マリア先生に至ってはよだれを垂らしている。

「わー、美味そうだなー。これ食べていいのか?」
「たくさんあるし、どんどん食べていいぞ」
「わーい!」
「あ、ウチが先じゃボケ!」

 マリア先生が身を乗り出して箸でたこ焼きをつまみ、口に運ぶ。出来立てだから熱かったらしく、ほくほくと熱気を口で冷ましていた。

「あつ、あつ! ……ん~! 外はカリカリで中はトロトロだ」
「そうだろそうだろ。これが本場のたこ焼きだぞ」

 うんうんと頷く小鷹。鼻が伸びている。

「ん? これ何が入っているのだ? やわらか――ぐはあッ!」

 噛みながら首を傾げたマリア先生が、突如、たこ焼きを吐き出した。鼻から鼻水と生地が飛び出て、白目を剥いている。

「ま、マリア!?」
「ちょ、なになになに!?」

 ビクン、ビクンと痙攣するマリア先生に狼狽する。その中で冷静だった理科ちゃんが顔を寄せ、マリア先生が吐き出した物を確かめた。

「わさびですね。大量に入ってます」
「え?」

 見れば生地の肌色に混じって緑色が混じっているのが確認できた。嫌な予感がして、テーブルに散乱する具材を確かめると、半分以上使われているわさびのチューブがあった。
 他にも、どう見てもたこ焼きに合わない食材が使用された形跡がある。

「もしかして、この中に変なのがたくさん入ってるんじゃないの?」

 星奈が言うと、全員の視線が小鷹に向いた。

「小鷹先輩、焼く前に何が入ってるか確かめましたか?」
「いや……マリアが入れたの見て、すぐに回したから……」
「肝心のタコが全然使われてないぞ……」

 空気が重くなる。え、これを食べるの?
 全員の視線が再び、咎めるように小鷹に向けられた。

「し、知らなかったんだ! 俺は悪くない!」
「あんちゃん……」
「やめろ……小鳩、そんな目で俺を見るな!」
「小鷹を責めるのは置いておいて、まずこの兵器をどうするかだ」

 顎に手を添えて、難しい表情で三日月さんが呟いた。星奈がかぶりを振って叫ぶ。

「あたしは嫌よ! 何が入ってるかわからないものなんて食べるわけないじゃない!」
「逃げるのか?」
「はぁ?」
「この程度で臆すとは……やはり世間知らずのお嬢様は軟弱だな。日頃から徹底的に衛生管理された食べ物でなければ食べられないのか。
 貴様はアレだろ、林間学校でみんなで作ったカレーを『灰が入ってるから嫌』とか言って顰蹙買ってたタイプだろう。
 皆、肉は食べないそうだから私たちだけで食べよう。あ、肉は帰っていいぞ」
「そ、そんなこと言ってないわよ! 食べる、食べればいいんでしょ!」
「星奈……」

 簡単に乗せられて、この危険極まりないたこ焼きを食べることになった星奈にため息が漏れる。
 どれだけちょろいの……この場合は仲間はずれにされるのが嫌だったのだろうけど。

「理科はちょっとワクワクしますね。ロシアンルーレットみたいで」
「テレビの企画で似たようなのやってたな、そういえば」
「食べ物を粗末にしたら苦情が来ますからね。まぁ、スタッフが美味しく頂きましたとでも言えば問題ないですが」

 何故か理科ちゃんは乗り気で、心なしか小鷹も前向きだった。本当に食べる気なのか……
 小鳩ちゃんは失神しているマリア先生と原因のたこ焼きとを交互に視線を行き来させ、人形を抱きしめながらオロオロとし出す。

「あ、あんちゃん……」
「あー……せっかく来てもらって悪いが小鳩、別に無理して食べる必要はないぞ。こうなっちまったらパーティどころじゃないし」

 パーティーどころか罰ゲームだものね。しかし、小鳩ちゃんは逡巡してから、椅子に座った。

「く……クックックッ。我が半身が残るのであれば、主人たる我が去るわけにはいくまい」
「わー、麗しき兄妹愛ですね。ね、陽香先輩」

 理科ちゃんに逃げ場を防がれて、僕は縋るように幸村くんを見た。

「武士は食わねど高楊枝といいます。真の漢たるもの、食にこだわらずに誇りをたべていきているのです」

 すっと席につく幸村くんに僕も覚悟を決めた。肩をがくっと落として。



 失神したマリア先生が無事なのを確認して、ソファに寝かせ、罰ゲーム――いや、タコパが開催された。
 テーブルに円卓形式で座り、中央に置かれたたこ焼きに目線が集中する。
 残るたこ焼きは四十九個、人数は僕、小鷹、星奈、三日月さん、理科ちゃん、幸村くん、小鳩ちゃんの計七人。
 単純計算でひとり七個食べればいい。厳正な方法(じゃんけん)の結果、順番は僕→三日月さん→小鳩ちゃん→小鷹→理科ちゃん→幸村くん→星奈に決まった。
 トップか……僕は具材の跡を一瞥した。何とか食べられそうなものを当てなければ……
 目を凝らし、具材がたこ焼きからはみ出ていないか見遣るが、大玉のたこ焼きを小鷹は物の見事に仕上げてくれたため、外見から中身を判断するのは不可能なようだ。

「さっさとしろ。あとがつかえる」
「はい」

 三日月さんに急かされて、一番手前にあるたこ焼きを小皿に移した。

「一度箸をつけたものは必ず食べる、それは厳密化しよう」
「ソースをつけるのはダメですか?」
「それは構わんだろう」
「クソ、ソースも作ってくればよかったな……それにたこ焼きは爪楊枝だろうが……」

 また小鷹がぶつぶつ言っていたが、無視してソースを多めにかけた。これで外れだったときのダメージが薄れるのを期待して。
 掴んだ箸が震えるが、深呼吸をして口を開けた。

「いきます!」

 一口で口に入れ、勢いに任せて噛んだ。すると、もちもちとした感触が口内に広がり、歯にくっつく。

「あ……美味しい。餅です」
『チッ』

 三日月さんと小鳩ちゃんが舌打ちした。安堵と意外な美味しさにあまりショックは受けなかった。
 熱さに口元を抑えながら、ホクホクと咀嚼する。

「餅か。まぁ定番だよな」
「当たりですか……薄幸そうなのに運がいいですね」

 何となく理科ちゃんが僕に懐いているイメージがわかった。

「次は私か……」

 三日月さんがたこ焼き器に視線を巡らした。時間をかけて吟味する三日月さんに星奈がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて煽る。

「なによ、ビビってんのチキン夜空。まー、あんたはコソコソ狡賢い策を練るタイプだから度胸はないわよね」
「黙れ、淫乱に皮を被せた腐肉が。ふん、こんなもの、適当に取ればいいんだ」

 そう言って、むんずと掴み、何もかけずに口に運んでしまった。三日月さんも三日月さんで挑発に弱すぎないか。
 注目が集まる中、三日月さんは数回噛んで、不敵な笑みを浮かべた。

「ウィンナーだな。美味かった」
「チッ」

 星奈が頬杖をついて舌打ちした。やだ、何でこんなに険悪なのこの部活。
 その後、小鳩ちゃん、小鷹、理科ちゃんと無難な品が続き、実はたいしたことないんじゃないか、というムードになっていた。
 長寛な空気の中で余裕綽々な星奈がたこ焼きを取る。

「ふふん。何よ、拍子抜けしちゃったわ。マリアもそこまで常識ないわけじゃないのよ。怖がって損したわ」
「いいからさっさと食え」
「うっさいわね。言われなくても食べるわよ」

 罵り合う二人に挟まれた僕の肩身が狭い。ずっと罵倒しあっているんだよね、この二人。飽きないのかな。
 息を吹きかけて冷ましてから、星奈が味わうように噛む。

「んー? なにかしらこゲボッ!?」
「うわ、汚な!」

 唐突に全部吐き出した星奈に皆が席を立って避難した。星奈は噎せながら吐いたものを凝視して、

「イ、 イカ……イカの塩辛……!」
「だ、だいじょうぶ?」

 涙目で口を抑える星奈の背をさすり、水を差し出す。それを勢い良く飲む星奈を見届けて、吐いたものの後始末をする。さすがに精神的にきつい。

「イカ臭いな、近寄るな肉。私の半径ニキロ以内で息をするな」
「うっっっさい!」
「えと、どうする星奈。やめる?」

 僕もやめたい。が、こう言われるとムキになるのが星奈であり三日月さんである。

「やめるわけないでしょ! クソ夜空にも同じ目を合わせないと気が済まないわ! 続行よ!」
「往生際の悪い肉だ」

 いつの間にか勝ち負けを競うものになってないか。僕が小鷹に目を遣ると、諦観めいた表情で静かに首を振った。
 やるしかないようだ。

「……」

 恐る恐るたこ焼きを掴み、口に運ぶ。濃厚な乳製品の味――チーズだ。

「チーズでした」
「チッ……ビッチだから白くてミルクっぽいものばかり当たるんだな」

 もう何をしても難癖をつけて罵倒される。思うんだが、実は三日月さんが一番耳年増なのではないだろうか。
その三日月さんが眉を顰めながらたこ焼きを食べて――

「……なんだ?」
「外れたの!?」
「いや、何というか、味がしない。やけに歯ごたえがあって、匂いも強いな」
「もしかして、トリュフじゃないですか?」
「トリュフ!?」

 声を荒げる三日月さんに白トリュフの缶詰を見せた。開封された跡があるから、たぶんそうだ。
 じっくりと味わってから嚥下した三日月さんは、微妙な顔で呟いた。

「……あまり良い物ではないな」
「そりゃそうよ。トリュフの匂いって雄豚のフェロモンの匂いだもん」
「ならお前は見つけるのが得意そうだな、肉」
「どういう意味よ!」

啀み合う二人は置いといて、次の小鳩ちゃんにバトンが回る。よくわからない決めポーズでたこ焼きをつまみ、口元に運んだ。

「くっくっく。我の第六感が外れることはない」
「そういうフラグをたてると……」

 理科ちゃんが言った瞬間だった。一噛みした小鳩ちゃんが口を開けて小皿に吐き出した。

「小鳩!?」
「あ、ああぁぁ、ああぁあんちゃああああああああああああああん!」

 顔を真っ赤にし、大量に汗を掻いて涙目になりながら小鷹に縋り付いて暴れだした。
 僕らが小皿を見ると、全部真っ赤だった。臭気だけで目がしみる。

「タバスコですね」
「えげつないな、あのガキ……」

 未だに目を覚まさないマリア先生の入れたものの恐怖が部室に満ちる。無邪気って怖い。

「大丈夫か、小鳩」
「……っ」

水をコクコクと飲む小鳩ちゃんは、口が痛くて話せないのか、ぶんぶんとかぶりを振った。
あの様子じゃもう食べられないだろう。小鳩ちゃんがリタイヤした。

「……」

 初めての脱落者が出たことで、一気に空気が引き締まった。もうみんな和気藹々と騒ぐことが最初の目的だったことを忘れて、如何にして自分が外れを引かないかだけを考えている。
 小鳩ちゃんはソファに座ってグスグスと泣いていた。僕もそっちに行きたい。
 次の小鷹はじゃがいも、理科ちゃんはキムチと無難なものが続き、幸村くんの番となった。
 表情を変えずに淡々とたこ焼きを食す姿は、とても様になっている。靭やかな背筋や佇まいは凛々しいのに、どうしてメイド服なんて着ているんだろう。もったいないな。
 黙々と口を動かし、飲み込んだのを見て、当たりだったことを悟る。

「何だったんだ、幸村」

 小鷹が尋ねるが、反応がない。怪訝に思った僕らが幸村くんの顔を覗き込むと――目が死んでいた。

「幸村……お前……」
「あ、あにきのつくったものを無碍にするなど、できません……」
「もういい……! 休め……休め幸村……!」
「あにき……」

 震える手で箸を伸ばそうとする幸村くんの肩を抑え、小鷹が制した。またひとり散った……理科ちゃんからは鼻血が散った。
 星奈の顔が青褪める。まだ二巡目も終わってないのに、部員の三人がダウンしている。しかも星奈は一巡目で外れを引いている。未知の味や食感がトラウマになっていてもおかしくない。

「早くしろ」
「わかってるわよ!」

 殺伐としてきた緊迫感に呑まれる星奈を三日月さんが煽る。
 もう誰もこれを余興だとか遊びだなんて思っていなかった。
 半ば強制される活動の中で意地を張って度胸を示し、豪胆さと運を見せつける場だ。
 僕らは今、ロシアン・ルーレットに臨む人々の心境になっている。その覚悟は推して知るべしだ。
 だから、その闖入者にそんな態度を取ったのも必然だった。

「こらーっ! 何をしてるんですか、あなたたちは!」
「は?」
「誰だ、この空気を読まない小動物は」
「不愉快だけど同感だわ。誰か知らないけど消えなさいよ」
「はぁぁ!? こ、この間話したばかりじゃないですか!」

 けたたましい音を立てて入室してきたのは、遊佐さんだった。二人に邪険に扱われて、ショックを受けて呆然としている。
 彼女を知らない小鷹たちも、「誰だコイツ」と疑惑の眼差しを向けていた。孤立無援の敵地の中でも遊佐さんは気丈に声を張った。

「い、いえ、この際、柏崎星奈はどうでもいいです。問題はこの部活動です! なんですか、ここは。毎日ダラダラと遊び倒してるだけじゃないですか!」
「遊んでいるだと……!?」

 殺気立った瞳で三日月さんが睥睨した。文字通り捕食者みたいに遊佐さんが小さく悲鳴を上げたが、健気にもまた立ち向かった。

「そ、そうです! 生産性のない日々を部活動の名を語って部室で過ごしているだけじゃないですか! 本を読んだり、ゲームをしたり、今日に至ってはタコパなんてして!
 この隣人部は部活動として相応しくありません! 生徒会役員として、私はこの部活を許せません!」

 どうやら、先日の一件で僕と星奈は相当に恨みを買ったようだ。自分で撒いた種なので僕が解決しようとしたが、明らかにイライラしている三日月さんが遊佐さんに噛み付いた。

「そうか、貴様は私たちが遊んでいるだけだと言いたいんだな」
「そうです。なんですか、お酒まであるじゃないですか。飲酒までしていたとしたら部活動だけの問題ではありませんよ」
「それは調理酒だ。赤ワイン使う料理なんて腐るほどあるだろう。それとも、貴様の貧困な知識と発想ではその用途も思いつけなかったのか?」
「なぁ……っ!」

 僕のミスだったのだが、僕と星奈の発言を流用して誤魔化した。開封してないからいくらでも言い訳はきいたのだが、もう言葉の攻撃性が高くていつもの罵倒になっている。
 目に見えて口喧嘩では三日月さんの方に分があったのだが、それでも遊佐さんは引き下がらなかった。
 それが僕らの琴線に触れた。

「で、ですが、あなたたちが目的もなくパーティをして楽しんでいたのは事実ではないですか!」
「パーティ……?」
「楽しむ……?」

 ドスの効いた低い声が、女性のしていい顔じゃない二人の口から出た。見れば、小鷹と理科ちゃんの目も据わっていた。
 三日月さんが顎をしゃくって空いた椅子をさす。

「なら貴様も混ざれ」
「え?」
「遊びだと言うのなら貴様も混ざってみろ。それで最後まで泣き言を言わずに通せたなら、私たちも遊びだと認めてやる」
「な、何を言ってるんですか。こんなに美味しそうなたこ焼きを……」
「ほら、ここ座って食べなさいよ」

 星奈がうそぶく遊佐さんを幸村くんの席に座らせた。予想外の闖入者が加入したため、星奈の前の遊佐さんからのスタートになる。
 用意された小皿と箸を持ち、心なしか浮き足立った様子で遊佐さんが言う。

「本当に頂いていいんですか?」
「さっさと食え」
「では遠慮無く。いただきま――フグググ!?」

 一口目から吐きそうになっていた。慌てて口を抑えて、吐き出すのを堪えている。
 顔を蒼白にし、無理やり嚥下させると水を呷った。よほど気持ち悪かったのか、全身を水浴びした犬みたいに震わせた。

「な、なんですかこれは!? な、ナマコ……? ナマコが……!」
「次だ」
「ええっ?」

 リアクションを待たずに星奈に順番が移る。無視された遊佐さんが何やら喚いていたが、星奈が間髪入れずに箸を伸ばした。

「ホアッ!? ~~~~っ! っシャア!」

 奇声を上げ、テーブルをダンダン叩きながらも飲み込んで男らしくガッツポーズを取る。
 淑女とか令嬢だとか、そんな面影のない星奈に遊佐さんが唖然としていたが、僕も空気に流されてたこ焼きを口に運んだ。

「コプフォ!」
「わあああ! だだ大丈夫ですか!?」

 狼狽して心配する遊佐さんに目も暮れず、一心不乱に噛んで飲む。これは……梅干し?
 酸味に驚いて吐いてしまったけど、飲み込めない程ではない。ゴクリと喉を鳴らして水をコップに入った飲み干す。

「次は、三日月さんですよ……」
「お前に言われなくてもわかっている」

 その三日月さんの具は、缶詰の秋刀魚の蒲焼だった。

「食えないわけではないが……不快な気分が溜まっていくな」

 三日月さんの言うように、決して食べられないわけではないが、絶妙に美味しくないものが増えてきて、胸が悪くなる。
 雰囲気が悪いのも、半分はそれが原因だろう。

「お、おぉおぉぉ! んっぷこはあああ! 食ったぞぉ!」
「理科は……理科はこの程度では負けませんよぉぉぉ!」

 段々と暑苦しいノリで遮二無二口に詰めては吐き気を堪えて飲み込み始めるようになった。
 もう奇人としか思えない形相で食べる小鷹と理科ちゃんに遊佐さんが怯えていた。

「み、皆さんおかしいです! どうして美味しくないものを無理して食べたりするんですか!? これはタコパなのに……」
「だから、初めから遊びじゃないと言ってるだろ!」
「ひいっ!」

 くわっと目を見開いて訴える三日月さんに遊佐さんが涙目になった。
 隣の星奈が遊佐さんを眇める。

「次はアンタの番よ……食べなさいよ」
「え、え……!?」
「食べろよ……」
「もちろん、食べますよね……遊びですもんね……?」
「あ、あ……ふ、藤宮さん!」

 救いを求めるように僕に哀願の視線を向ける遊佐さんに、僕は屈託なく笑った。

「遊佐さん、食べよう」

 その顔は、崖から飛び降りろと言われた人って、こんな顔してたんだろうな、と思わせるくらい悲愴だった。





 その後、残りを全部食べ終えてから、二周目を始めると三日月さんが宣言し、全員が悪乗りして変なものを入れまくり、それをひたすら順々に食べるチキンレースと化し――
 最終的に三日月さんと星奈が盛大に胃の中をぶちまけて、タコパは終了した。
 余談だが、無理やり参加させられた遊佐さんは、終わってから泣きながら帰っていった。
 全てが終わってから、そういえば何で来たんだろうと僕らは首を傾げた。
 二人の吐いた吐瀉物を片付けながら……


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