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[37485] 【ネタ】Muv-Luv~The Nursery Tale of Love and Bravely~【タイトル決定】
Name: nov◆8a622b39 ID:bc79139e
Date: 2013/09/01 22:04
旧題「マブラヴのSSで自分が読みたいものを試しに具現化したもの」

この作品は、妄想大爆発(!)です。以下の項目を読んで平気そうなら、読んでみてくださるとうれしいです。

・スーパーTAKERUちゃんを超えた存在、スーパーTAKERUちゃんGOD!
・妄想テーマ曲は「Ash Like Snow」
・妄想OP曲は「キミの記憶」
・妄想ED曲は「tell me a nursery tale」
・一部オリキャラ
・ハーレム! ハーレム!
・ちゅうにびょう
・ご都合主義
・思いつき
・妄想乙
・ネタ
・ノリ
・勢い
・色々うろ覚え←致命的



驚くほど多くの方に読んでいただけたようなので、休みを利用して頑張りました。
仕事の関係と、今の住居にはネット環境がないので、次の更新まで暫く間があるかもしれませんが、どうかご容赦ください。

6/21
武ちゃん無双。マジでうちの武ちゃん強いです。わかりやすくいうと、
一般衛士→C級ヒーロー 主要な衛士→B級~A級ヒーロー オズ→S級ヒーロー 武ちゃん→サイタマ先生
くらい強いので、最強ものが嫌な方は避けたほうが良いかもしれません。
あと、当方の作品に出てくるOSやら戦術機やらは深く設定考えてないので「何かすごい機械」くらいの認識でOKです。
しかし、前回で冥夜出すの早かったかなぁ……マブラブ板に移す時がきたら、ちょっと修正しようかしら……。

7/15
タイトル変更しました。英語間違ってたら笑ってゆるしてくださいね←
今回はとても短いですが、とても難産だったのでどうか勘弁してください。
それからここで言うのもなんですが、2000年辺りの西日本の状況とか分かる作品や資料をご存知の方がいたら、どうか教えてください。ぐーぐる先生だけでは限界が……。

9/1
更新ペースが乱れてしまい、申し訳ありません。色々と立て込んでおりまして。
6話を加筆修正しました。
出張などがあってまた暫く更新出来なくなりそうだったので、とりあえず書き加えようと思っていたところだけ加えて生存報告がてら更新させていただきました。
次は10月末くらいに更新できるよう頑張りますので、ご勘弁を。
あと、トヨタの存在の有無はまあ、独自設定ということでひとつ。



[37485] 1/愛ゆえに
Name: nov◆8a622b39 ID:bc79139e
Date: 2013/05/04 12:17


「先生、俺、もっと強くなりたいんですよね」

「無人機が当たり前になった時代に何よ、いきなり。だいたい、もう十分人外って言えるくらい強いんだから、これ以上強くなっても大して変わらない気がするけどね」

「そうでもありませんよ。今回よりも、一人多くの人を助けられるかもしれません。
ひょっとしたら、その一人が別の一人を救えるかもしれない。もしかしたら、その別の一人がまた別の一人を助けて……」

「その連鎖が続くってわけ? お優しいわね。そうまでして人を救って、あんたに何のメリットがあるのよ」

「ひょっとしたら、今度こそあいつらは死ななくて済むかもしれません。俺じゃない誰かが、あいつらを守れるようになるかもしれません。
ひょっとしたら、それがきっかけで、その誰かと幸せになれるかもしれない」

「……」

「でもこれ以上強くなるには、上手く言えないんですけど、壁みたいなものを壊さないといけない気がするんですよね。限界を超える、と言えば良いんですかね」

「あんたは、それで良いの?」

「何がですか?」

「何度も何度も死ぬ思いをして、限界を超えて、そうまでして強くなって守った女が、他の誰かの横で笑っていても、良いというの?」

「はい」

「……っ! あんた、頭おかしいんじゃないの! どこまで人が良いのよ、あんたは!!」

「それは違いますよ、先生。俺だって、出来ればあいつらに傍にいてほしいと思います。でも、それは無理だ。俺は戦い続けないといけない。でないと、人類は滅んでしまう。
でもそんな俺の傍にいたら、あいつらは死んでしまう。今回のように、これまでのように、これからもそうであるかもしれないように」

「だからと言って……!」

「俺はね、先生。あいつらに幸せになってもらいたいんですよ。そのためにこれまで戦ってきたんです。そのためだけに戦い続けるんです。これから先も、ずっとずっと」









「……先生? ……泣いているんですか?」








[37485] 2/死の先を逝く者達
Name: nov◆8a622b39 ID:bc79139e
Date: 2013/08/01 23:22
1999年 日本 帝国大学 オルタネイティヴ4占有区画 香月夕呼の研究室


香月夕呼は、苛立っていた。
現在建設中の横浜基地へラボを移設する準備、それに伴って本格化するオルタネイティヴ4に必要な人員の選定・確保、帝国・国連加盟各国の要人との交渉、
明星作戦によって奪還した横浜ハイヴから日々届く最新のデータやサンプルの分析・解析、そして何より00ユニット完成へ向けた研究等々、やるべき事はまさに山積していた。
そんな、時間も人手も全く足りていないまさしく猫の手も借りたいこの時に、

「そう睨むな、香月博士。我々は貴女に害を成す存在ではありません。それは信じてくれないかしら、夕呼」
何故、こんな訳のわからない侵入者の相手などしなければならないのか、と。
唐突、としか言いようがなかった。警報も無ければ、研究室のドアが開いた音さえしなかった。夕呼が気付いた時には、既に彼女のデスクの前に階級章の無い国連の軍服を着た見知らぬ男女が立っていた。
奇妙な二人組みだった。女の方は、夕呼が状況を忘れて息を呑むほど美しい顔(かんばせ)と豊かな肢体を持った女だ。灰色の髪が妙に目を惹くだけでなく、形容し難い独特の雰囲気を纏っていた。
その上、声音や口調が常に変化しているのだから、異様極まりない。
だがそれ以上に、夕呼は男の方を注視していた。
男は顔立ちからして恐らく日本人、年齢は二十に届くまい。一目で鍛えられていると分かる体躯に、端正な顔立ちをしているが、女ほど突き抜けた容貌をしているわけではない。平凡、と言っても良いかもしれない。
だが、明らかに男は普通ではなかった。表情にも、瞳にも、一欠片の感情さえ宿っていない。
オルタネイティヴ3により生産されたESP能力者であるトリースタ・シェスチナ……社霞も人間味が薄かったが、零ではなかった。だが、この男は違う。全く人間らしさが感じられない。まるでマネキンのようだと、夕呼は思った。
そこまで考えたところで、男から視線を外し夕呼は女を見た。どう見ても男はお喋りには見えなかったし、交渉役は女の方であるのは明らかであったからだ。

「それで、用件は何かしら。私は忙しい身でね、なるべく手短に済ませてもらいたいのだけれど」
「そうそれ、それでございます。アタシ達のもくてきは、お忙しい香月博士のお手伝いをすることです」
「あらそう、それは嬉しいわね。それじゃあコーヒーでも淹れてもらおうかしら」
「問題ない。では淹れている間に、送っておいたファイルに目を通してもらおうかしら」
異常に愛想の良い笑顔のまま無愛想な口調で応じると、女は本当にコーヒーを淹れ始めた。しかし、そのちぐはぐな女に反応することが出来ないほどに、夕呼は驚愕していた。
何時の間にか、先ほどまで使用していたパソコンのモニターに、見知らぬファイルが表示されていたのである。

「……一体、どうやって」
「実は私、魔法使いなんですよ。得意の魔法で、ちょちょいのちょい、というわけさ」
「随分電子機器に詳しい魔法使いね」
「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかないそうで」
女と軽口を交わしながら夕呼は思考し、そのファイルを開くことに決めた。ウィルスの可能性も当然考えたが、研究データのバックアップは取ってあったし、
何より、こんな芸当が可能な時点で女がその気ならウィルスを仕込むことなど容易いだろうと判断したためであった。そうしてファイルを開いてすぐ、夕呼は硬直した。
いや、それは間違いだ。マウスを握る彼女の繊手だけは、微かに震えていた。
そこに、相変わらず愛想の良い笑顔を浮かべたまま、女がコーヒーを夕呼のデスクに置いた。ご丁寧に、ソーサー付きだ。

「気に入った?」
「アンタ、一体何者よ。こんなものを私に見せてどうしようって……そもそも、このデータは!」
「プレゼントですよ、香月博士。しかも、それはほんの手付。それ以上のものを、私と、ワタシの親分は提供するつもりです。勿論、無償でというわけにはいかんがな」
ちらり、と女の視線が部屋に入ってから無言のまま微動だにしていない男に向けられた後、再び夕呼に帰ってくる。

「……手伝いたいと言っておきながら、代価を要求するとはね。一体どれだけふっかけられるのかしら。そもそも、このデータがブラフの可能性だってある」
「疑念も当然。ですが、聞くだけならばタダだ、聞いて損はなかろう。しかも、あなたには一切デメリットがありません。それのみならず要求を呑んでくれればお前は今以上の権限、資金、人脈が手に入り、そして何よりも貴重な"時間"を浪費せずに済む」
「良いことづくめって訳ね。素晴らしい、聞くのが怖いくらいよ。でも、良いわ。言ってみなさい」
夕呼に促された女が口を開きかけた所で、研究室に来客を知らせるブザーの音が響いた。

『夕呼、今少し良いかしら?』
来客は、夕呼が最も頼りとしている人物である、神宮司まりもだった。
夕呼は、素早く奇天烈な二人の様子を窺ったが、少しも動揺した様子は見られなかった。それどころか、女は目線で、まりもの入室を促してくる始末だ。
しかし、まりもの来訪は夕呼にとって好機だった。女の奇妙な自信も、知ったことではなかった。

「どうぞ、神宮司軍曹」
このような状況でも、まりもならばどうとでもしてくれるという信頼が、夕呼の中にはあった。



『どうぞ、神宮司軍曹』
返事と同時に電子錠が解除された音を聞きながら、まりもはホルスターに収めた拳銃に手をかけた。
まりもと夕呼は、旧知の仲であった。故に、香月夕呼がどんな人物であるか誰よりも理解している自負があった。
そして彼女が知る限り、夕呼が自分を苗字で、更には階級付きで呼ぶようなことは天地が引っくり返ってもありえない。
殿下の前であるならば或いはありえるかもしれないが、そのようなアポイントメントは聞いていないし、そもそも来客が来た気配もなかった。

で、あるならば。

入室すると同時に、まりもは躊躇なく夕呼のデスクの前に立つ二人の人物に対し発砲した。即死はさせずに、しかし確実に行動不能にするために。
まりもの射撃は速度、正確さ共に申し分のないものであった。例え相手が訓練を受けた人間であったとしても、反応出来なかったであろうことは間違いない。
ただまりもにとって不運だったのは、

「言った筈だ。ボクは魔法使いだとね」
相手が普通ではなかったことだ。
まりもが女に放った弾丸は全て外されていた。女が躱したわけではなく、またまりもが狙いを外したわけではない。明らかに不自然な軌道を描き、銃弾が女の体を逸れていった。
しかしながら、目の前で起きたありえない事象に驚愕する余裕はまりもにはなかった。銃弾を自力で回避した男が、尋常ならざる速度でまりもに迫っていたからだ。
対処せねば、とどうにか反応し思考を加速させるが最早手遅れ。握っていた拳銃は何処かへ飛ばされ、気付けば両足を刈られていた。
あまりに速すぎる。スローに感じられる視界の中まりもは必死に男の姿を探すが、既に至近にいる筈の男の姿を見つけられない。
床に落下した衝撃で通常の思考速度に戻ったまりもの眼前で、硬い軍靴の踵がピタリと止められていた。
男が足をどけても、まりもは動かなかった。いや、動けなかった。男の硝子玉のような瞳から目を逸らせないまま、ただ荒くなった呼吸を繰り返すことしか出来なかった。



「どうです。うちの親分は凄いでしょう? まあ、今の攻防で注目していただきたいのは、どちらかと言えば親分より私の方なのでございますが」
真顔のまま気楽な調子で言葉を投げかけてくる女によって、漸く夕呼は自失から抜け出した。この状況で僅かな時間とはいえ惚けた自分の失態に、思わず唇を噛み締める夕呼。

「……分かっているわよ。さっき銃弾から身を守った術のことでしょう。何が魔法使いよ。電磁波か何かを使った装備でしょ、それ。思いっきり科学じゃないの」
電源の落ちたパソコンを一瞥した後、にやにやと笑っている女を睨む夕呼。女は夕呼があっさりと魔法の正体を看破したことに驚いた様子は見せず、愉快そうに笑みを深めるのみ。

「先ほどの言葉を繰り返しましょう。充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」
まさしく、女の言葉通りだった。夕呼は一目で女の手品のタネを見破ったが、だからこそどれほど高度な技術によるものか理解してしまった。
それ故に、思ってしまう。まるで魔法のようだと。

「我々の持つ技術の一端を見て、それが高度なものであると理解していただいたとした上で、ワタシ達の条件をお伝えしたいと思います。とは言ったものの、たったの二つ、それも条件とも言えないようなものですが」
夕呼のデスクに腰掛けると、指を一本ピンと立ててみせる女。

「まず一つ目」
「人類に黄金の時代を」
夕呼の予想に反し女の声を遮るように言葉を発したのは、男の方だった。宙に視線を彷徨わせながらの男の言葉は、小さくも大きくもなく、これといって特徴のない声音だった。
そしてその瞳にも、声にも、相変わらず感情は宿っていなかった。

「……というわけで、これは親分の条件なのよね。早い話、人類に完全無欠の勝利を、って訳。そんなの、今の全人類共通の目標だろう? 条件とさえ言えない代物だよね」
「確かに、そうね」
女の言うとおりだった。BETAを滅ぼし、地球に平和を取り戻すことは、全人類の悲願だ。夕呼自身も、人類を救済する聖母となるため、努力しているのだ。
奇妙なことに、夕呼は男の言葉を素直に受け取った。男の言葉を全く疑うことなく信じた。夕呼自身にも分からない心の奥底に宿る何かが、夕呼に語りかけてきたのだ。男の言葉を疑うことは"恥"であると。
となれば、気にかかるのはもう一つの条件。恐らくは、この奇天烈極まる女の望み……。
途端、夕呼の肌が粟立った。急激な女の雰囲気の変化を察知した時には、デスクに腰掛けていた女は、既に夕呼の眼前までその顔を寄せ、限界まで開かれた眼(まなこ)で夕呼を捕らえていた。

「そして、二つ目。これはアタシの条件だが……」
夕呼は、目を逸らせない。最早物理的な圧力さえ感じられるほどの女の強い眼差しに、完全に呑まれていた。

「親分の役に立て。親分に尽くせ。親分のために働け。親分の願いを叶えろ。親分を愛せ……! それだけが唯一、彼に!」
まるで数多の乙女達が泣き叫んでいるかのような、聞く者に憐憫の情さえ浮かばせるその女の声に宿る感情は、

「オズ」
平らかな男の声により、嘘のように消えていた。
「いや、失礼しました。アタシとしたことがついつい興奮してしまった。だがその様子なら、夕呼も我らの申し出を受けてくれるみたいですね。良かった。
これでボク達は一蓮托生、手と手を取り合う仲間というわけね。Au pas camarade!(友よ、さあ行こう!)ほらほら親分、神宮寺軍曹をお助けして」
デスクから軽やかに飛び降りると、くるくると回りながらまくし立てるように言葉を発し続ける女。女の動きに合わせて長い灰色の髪が宙を舞う。その灰色に遮られ、女が今どのような表情を浮かべているのか、夕呼からは窺えなかった。
前触れ無く、女がその動きをぴたりと止める。顔にシニカルな笑みを貼り付けて、芝居がかった動作で綺麗にお辞儀をしてみせた。

「名乗りが遅れたが、私はオズ。魔法(かがく)そのものの魔法使い。親分の子分をやっています」
オズと名乗った女の言葉が夕呼の耳に入り、その明晰な頭脳に届き一つの閃きが生まれた瞬間、夕呼は堪らず立ち上がった。
そんなことはありえない、という思いが第一にあった。だが、女の見せた技術、魔法(かがく)という言葉、そしてオズという名前。そこから導き出される、女の正体は。

「ビンゴ、当たりですよ夕呼。ワタシは博士の目的、その具現。生体反応0、生物的根拠0……だから00(オズ)。00ユニット、よりは人間らしい名前でしょ? それでね」
呆然としている夕呼を気にした風もなく、跳ねるような歩みで男の傍らに立ち、その体に絡みつくように抱きついた。



「この人は、飛ばされてきた子供、脳の無いカカシ、心の無いブリキのきこり、臆病なライオン、そして愛しく憐れな、私の親分。名前は――白銀武っていうんですよ」




[37485] 3/名誉と栄光のためでなく
Name: nov◆8a622b39 ID:bc79139e
Date: 2013/06/21 14:15
1999年 日本 国連軍横浜基地 メインホール

未だ建造途中の横浜基地の一角に建設された式典用のホールには、六十人ほどの衛士たちがずらりと並んでいた。
彼女達が所属する部隊は、普通の部隊ではなかった。VFA-01―――オルタネイティヴ計画第一戦術戦闘攻撃部隊と呼称される極めて機密度の高い部隊である。
とはいえ、現在のA-01はその大半が急遽補充された人員で構成された新設部隊に近しい存在なのだが。
そうした、自分が所属する部隊の新参者を複雑そうな顔で伊隅みちる大尉が眺めていると、不意に肩を叩かれた。

「どう思う、伊隅大尉」
みちるの肩を叩いた人物は、彼女の同期である碓氷大尉だった。碓氷も伊隅同様二十代半ばの未だ乙女と言える年齢であったが、今のA-01の中では古参の立場にある人物であった。

「……明星作戦前に、これだけの戦力がいてくれればな」
碓氷の問いに対する伊隅の答えは、偽りなき本心からの言葉であった。意識したわけではなかったが、みちるは彼女の部下である速瀬水月少尉と涼宮遙少尉の姿を見つけると、そっと目を伏せた。
今回A-01に行われた人員補充は、異例尽くめであった。補充人員の数は勿論であるが、それ以上に人員の質が高かった。何せ、各国軍、国連軍、帝国軍、果ては帝国斯衛軍のエース級までもが引き抜かれ、
補充人員としてこの度A-01に配属されているのだ。勿論新任の少尉も多数配属されているが、それとて伊隅の知る限りでは、才気溢れる選り抜きのルーキーばかりだ。
尤も、みちるにとってはそれほどの猛者たちが揃っていること以上に、彼女の二人の妹両方がこの場にいることの方が気になっていたのだが。

「確かに。このメンツであれば、あれほどの犠牲を出さずに済んだかもしれん。しかも聞いた話によると、今後はこれまで以上に優先的に最新の戦術機や装備を回してもらえるらしいからな。
下手をしなくとも、A-01は現時点において世界最強の部隊と言っても言い過ぎではあるまいよ。ただ気になるのはこの人類全体が逼迫している状況で、これだけの人員と装備を短期間でかき集められたという事実そのものだ。
幾ら香月博士が強大な権限を持っているとはいえ、こんな無茶な真似が出来るほどとは到底思えないのだが……」

「ハイヴの研究で、その無茶が許されるほどの成果を上げられたのかもしれないな。この横浜基地がこれほど急ピッチで建設されているのも、博士の強い要望を受けてのことらしいからな」
「明星作戦からまだ四ヶ月あまりしか経っていないのだぞ? 幾ら香月博士が天才とはいえ……信じられん」
「あの人は、空前絶後の存在だからな。私達のような凡人には推し量れないさ。新OSや新装備を見れば分かるだろう。あれはまさに天才の発想だ。OSと言えば、聞いたか? これから紹介される我らが連隊長殿はそのOS開発に欠かせぬ人材であったらしいが、本人は無名の衛士、しかもまだ二十にも満たぬ青年らしい。天才は一人ではない、ということだ。
しかも、役職も階級も香月博士が無茶を通したらしいからな。博士にそれほどのことをさせるのだ、相当な信任を得ているのだろう。若者だが、生半な人物ではないだろうな」
「連隊長は大佐だぞ。二十に満たぬ衛士ということは元は少尉か中尉、どれだけ高く見ても大尉だった筈。一体何階級特進なんだ? 香月博士がそこまで推すということは、相当優秀な人物なのだろうというお前の予想は私も同意見だが、しかし幾ら優秀とはいえ、二十に満たぬとは……」
「あんたたち、お喋りはそこまでだよ。気を付け!!」
碓氷の言葉の途中で、香月博士来場の知らせを受けたA-01第三大隊大隊長、フィカーツィア・ラトロワ中佐の号令により、みちると碓氷を始めとした第三大隊の衛士達が私語をやめ一斉に姿勢を正した。
同じく第二大隊も大隊長である鳳中佐の号令を受け、即座に気を付けの姿勢を取り香月博士の来場に備えた。
香月夕呼は、白衣のポケットに手を突っ込んだ状態で飄々とした足取りでホールにやってきた。ホールに漂うお堅い雰囲気に顔をしかめたものの、何も言わないまま歩みを進める。
その夕呼の後から、四人の人物が続いてやってきた。四人ともが国連軍の軍服に身を包んでおり、左腕にはA-01と刺繍された隊のエンブレムが縫い付けられていた。
壇上に上がった夕呼はマイクスタンドからマイクだけを取ると、片手をポケットに突っ込んだまま演壇の前に出て話し始めた。

「あー、そう真面目ぶった態度しなくていいから、適当に楽な姿勢になりなさい。私もてきとーにやらせてもらうから」
夕呼の発言に早速楽な姿勢をとり始めた国連軍や各国軍の衛士で構成される第三大隊に対し、斯衛軍や帝国軍の衛士で構成される第二大隊は僅かに戸惑いを見せた後、号令を受けた訳でもないのに全員が一斉に休めの姿勢を取った。
その様子を愉快そうに眺めた後、夕呼は一つ頷いた。

「今日から正式に、あんたたちはA-01所属の衛士になったわ。世界中から優秀な奴らをひっぱってきたごちゃ混ぜ部隊だから、軍規やら慣習やらの違いで戸惑うこともあるかもしれないけど、
私としては結果さえ出してくれれば大抵のことはあんたたちの好きにさせてやろうと思っているから、てきとーにやりなさい。
真面目な話も小難しい話も省くわ。面倒だからね。つまりもうあんたたちに対して言うことは無いんだけど、これだけじゃなんだから、あんたたちのお仲間を紹介するわ」
先の宣言どおりの気楽な夕呼の語り口には第二大隊のみならず流石の第三大隊の面々も戸惑った様子を見せていたが、夕呼は何ら気にした風もなく紹介を始めた。
最初の一人。軍人と言うには余りに小柄な少女は自身に衆目が集まっていることで酷く緊張しているらしく、酷くぎこちない動きで敬礼した。

「この子は社霞少尉。私の助手兼隊のマスコットよ。極度の人見知りだから、小動物を愛でるように優しく接するように」
「……よろしくお願いします」
恥ずかしそうにぴょこぴょこと髪飾りを動かす霞の様子に、あちらこちらから抑え切れなかったらしい黄色い声が飛ぶ。
周りの目を気にせず、ぶんぶんと霞に手を振ってしまっているイーニァ・シェスチナ少尉を、クリスカ・ビャーチェノワ少尉が慌てて制止すると、その様子を見ていた周囲で新たな笑いが生まれた。

「次に、神宮司まりも少佐。第三大隊所属ね。先日行った新装備やら何やらの説明を担当したから、知っているとは思うけど。
教導役でもあるから、あんたたちは世話になるでしょうよ。ご機嫌をとっておくことね。ああでも、酒は飲ませないように。
詳しい彼女の武勇伝は、まりもから教導を受けてた連中に聞きなさい」
「夕呼!」
夕呼の発言に堪らずまりもがツッコミを入れると、第三大隊を中心に笑いが生まれた。流石の神宮司少佐も香月博士の前ではたじたじだな、と宗像美冴少尉はまりもの昇進に驚きつつ喜びの笑みを浮かべていた。ちなみに夕呼はまりもの抗議を受けても変なことは

一言も口にしていません、と言わんばかりの澄まし顔のままだ。

「それからこいつは、オズ・アッシュライクスノー中佐。第一大隊所属。まりもと同じくあんたたちの教導役その2ね。まりもは今度来る訓練兵の教官も担当するから、暫くはこいつとの関わりの方が多いでしょうよ。あと、致命的に喋り方が変」
「これも個性だよ、香月博士」
夕呼の言葉を否定することなくにこやかな表情でそう言うと、オズは夕呼からマイクをやや強引に奪い取った。
あれは厄介な奴だ、と本能的に察したインドラ・サーダン・ミュン中尉は、精々目を付けられないようにしようと思った矢先に、目が合ったオズに色々な見方が出来る微笑を向けられ、思わず変な声を漏らしてしまった。

「今紹介されたオズ中佐です。名前長いから、オズの方で呼んでくれて構いません。
ワタシから、この場を借りて皆にお願いがある。この後紹介される私の親分、我らが連隊長殿は、重度のコミュ障で友達がいない。
ついでに言えば親分はこの街出身だから家族もいないし家も故郷もないってわけ。何にも持ってない親分だけど、唯一戦術機の腕は神懸ったものを持ってるから、是非頼りにして親しくしてやってほしいな。そして友達になってあげてね」
最初は場を和ますための軽口だと思って聞いていたA-01の面々であったが、オズの後半の言葉の内容と、そんなオズの語りを真顔のまま聞き流している男を見て皆が一様に黙り込んだ。
そんな反応を欠片も気にした様子を見せず、笑顔のままマイクを夕呼に返すオズ。夕呼はと言えば和やかな雰囲気が一気に消滅してしまったことにより口元に隠しきれない引き攣りが浮かんでいたが、一つ咳払いをすると、何事もなかったように語り始める。

「さて、最後はあんたたちが一番気になっているだろうこいつよ。A-01唯一の男性衛士にして、A-01連隊連隊長の、白銀武大佐。それじゃあ白銀、あんたがメインだから一つ名演説をしてちょうだい。私は引っ込むから、後は頼むわ」
マイクを武に渡すと、夕呼はさっさと舞台袖に下がってしまった。夕呼からマイクを受け取った武は、まりもとオズが場を空けた壇上の中心に立つと、微塵も表情を動かさないまま眼前に並ぶA-01の面々を見る。そのマネキンのような瞳には、やはり生気が感じられない。
そんな武に、衛士達は様々な視線を向けていた。唯一の男性に対する好奇心、大佐という異常に高すぎる階級への興味、何より、その非人間的なまでに感情の欠落した様子に対する疑念。
数多の感情の宿った視線に晒される武の耳に、オズの穏やかな声が届いた。

「昔みたいにやればオーケーですよ、親分。大丈夫、ボクが手伝ってあげるから」
武は目を閉じた。ほんの僅かな時間だけ隠されていた瞳は、再び開かれた時には、全くの別物になっていた。
ぞくり、と。その瞳を直視した者達の背を怖気にも似た何かが走った。燃え盛る炎のような激情が、武の瞳には宿っていた。

「A-01連隊連隊長を任せられることになった、白銀武だ」
いっそ穏やかと言ってよい調子で、武は語り始めた。静かな、それでいて激しい感情を感じさせる武の声に、A-01の衛士たちは皆無意識に背筋を伸ばした。

「この部隊を結成するに辺り、俺はお前達の戦術機操作記録を見せてもらっているが、率直に言って、見るに耐えない。あまりに非効率過ぎる。お前達には、想像力がない。また、その自覚もないようだ。
そんなことだから、我々の先達は悉くBETAに敗北したのだ。そんなことだから、成す術なく国土を奪われたのだ。そんなことだから、死の八分などという馬鹿げたものが存在するのだ」
飛び出した言葉は、刃物のように鋭利かつ容赦がなかった。だが罵りに等しいその言葉を受けても、誰一人反抗的な反応を見せなかった。それどころではなかった、と言うほうが正しいかもしれない。
豪胆で知られる米軍海兵隊出身のダリル・A・マクマナス中尉は、ともすれば震えだしてしまいそうになる体を必死に抑えながら、武から向けられる強い視線に耐えていた。
武の言葉は続く。武の舌が言葉を紡ぎだすに連れて、武から発せられる意思は強烈なものになっていった。

「お前達一人ひとりを育て上げるためにどれだけの時間と金が費やされているか分かっているのか? また、それに見合った成果を全ての衛士が平均的に出すことが出来ているか?
答えは否だ。僅か数分戦術機を動かしただけで何が出来る? 最低限の知識を叩き込んだだけの素人でも、恐らく数分なら機体を維持していられるだろう。
今のお前達のやり方では、結果は素人と変わらない。訓練により獲得した能力に比して成果があまりにも伴っていない。全てお前達が不甲斐ないからだ」
彼の言葉に宿る強すぎる感情は、殺意に近かった。勿論それは彼女達に対するものではない。白銀武がその全身全霊を持って憎悪する存在はBETAだけなのだから。
今彼から発せられている剣呑な空気は、彼がBETAに対し抱いているものがほんの少しだけ漏れ出てしまっているだけ。それでこれだけの圧力である。
百戦錬磨の衛士である鳳中佐は、斯衛の数々の武人達と比しても桁違いの武の気迫に圧倒されている事実を認めざるを得なかった。しかし、

「だからこの部隊では、戦術機の動かし方も分かっていないお前達に戦術機での戦い方を教える。自ら思考し、BETAどもを殺すためのより良い手段を考案できる人間にする。
俺は、兵の無駄使いは嫌いだ。また、そんなことが許されるほど、人類に余裕はない。人はもっと、効率的に死なねばならない。民衆に養われている軍人であるならば、尚更だ」
不思議なことに、衛士たちは皆武の厳しい言葉を聞きながら、自身の胸裏に何かが芽生え始めていることを自覚していた。怯んでいたはずの心は奮い立ち、誰も彼もが真っ向から武の視線を受け止めていた。
皆が気付いていた。武の言葉は叱責ではない。激励であると。ただ不器用で、真っ直ぐ過ぎるだけで。その真っ直ぐさが好ましい、と篁唯依中尉は思った。
武の不器用な言葉に、イルマ・テスレフ少尉は僅かに口元を緩めた。武を見る彼女の瞳は、どこか眩しいものを見ているかのようであった。

「お前達は、衛士となってから飢餓に襲われたことがあるか? 耐え難い寒さに身をさらしながら眠ったことがあるか? 病気や怪我を治療出来ぬまま苦しんだことがあるか?
俺は無い。一度も、ただの一度もだ。何故ならば、俺達は民衆に守られているからだ。BETAどもと戦うために、衛士は万全の状態でいなければならない。衛士を万全の状態にするために、民衆が汗を流し、日々耐え忍んでくれているからだ。
彼らは、俺達こそ正義の守り手、民衆を守る最後の一線と信じている。ならば、我々はその信頼に応えねばならない。それだけは、絶対に守らなければならない。俺はそう誓った。お前達もそうだろう」
その通りだ、と。知らずヘルガローゼ・ファルケンマイヤー少尉は深く頷いていた。彼女だけではない。イルフリーデ・フォイルナー少尉やルナテレジア・ヴィッツレーベン少尉、その他の欧州の衛士たちもその瞳に強い光を宿していた。
彼女達は、民衆を守ることこそ軍人の使命であると、それこそが騎士の誇り、高貴な者の義務であると、そう、信じていた。そしてそれは間違いではなかったと、彼女達は確信した。
彼女達の新たな指揮官である白銀武の姿が、彼が語る言葉が、彼女達の理想そのものであったからだ。

「だから、この部隊で学び強くなれ。強くなり、BETAどもを殺せ。故郷を取り戻すまで殺せ。全てのハイヴが消滅するまで殺せ。この星から奴らの姿が消えるまで、殺して殺して殺し尽くして、そして生き延びろ。死ぬことは許さん。
先程も言った。人類には、お前達のような若者をこんな所で死なせる余裕はない。好きな男と結ばれ、子を産み育てろ。一人ではダメだ。最低三人、三人の子を立派に育て上げて漸く、お前達は死ぬことを許される。間違っても俺に、お前達の死亡通知書など書かせてくれるな。
以上だ。諸君の奮励努力を期待する」
「気を付けぇぇ!!」
鳳中佐、ラトロワ中佐両名が声を張り上げる。一切の乱れなく姿勢を正した衛士達の顔には気力が漲っていた。

「連隊長に対し、敬礼!」
号令に合わせ、全員が揃って敬礼する。凛々しく力強いその姿は、同時に美しくさえあった。対する武の答礼も、見事と言う他ない完璧なものだった。たった一つの動作で、人は人を感動させることが出来るのだと衛士達は初めて知った。
泣くのは今日限り、強くなろうと速瀬水月少尉は決意した。過去を振り返らず、この足で歩んでいこう、と涼宮遙少尉は思った。
今日が始まりなのだとその場の全員が感じていた。新生A-01がではない、もっと大きな、そう……人類の反撃の始まりなのだと。





「いや~、さっきの大佐の演説凄かったよなぁ。話を聞いただけだってのに、アタシ感動しちまった!」
立食パーティーの最中そんなことを言い始めたのは、がつがつと料理を平らげながらのタリサ・マナンダル少尉だ。
「本当に。若すぎるくらいに若い大佐だと聞いていたから、少し心配だったのだけれど、杞憂だったわ」
「あと飯がうまい!」
「ふふふ、それも同意だわ」
タリサに相槌を打つのは、ステラ・ブルーメル少尉だ。彼女は上品に料理を口に運んでいたが、その皿に盛られた量はタリサに勝るとも劣らないものだった。
それもその筈、このパーティーで出されている料理は全て天然食材によるものだったのだ。香月夕呼博士が、各方面に無茶を言って手配したらしい。
しかも調理を担当している京塚曹長の腕前により、今後二度と味わえないかもしれないほど美味な料理に仕上がっているのであった。
二人の食事の手は止まらず、そして食事の合間の白銀武談義も止まらない。

「改良型戦術機とか新武装とかはともかく、新OSの話を聞いたときは大して気にしてなかったんだけどさ、あれ凄いよなぁ!
新OS搭載機の機動、まだ映像でしか見てないけどさ、本当に別次元だ。早くアタシも使ってみたい!」
「開発理念が常人離れしているわよね。間違いなく天才の発想。白銀大佐の案を元に香月博士が開発したらしいから、それを考えると大佐の階級も、あながち高すぎるというわけじゃないのかもね」
「こんな極東の基地に来た時はどうなることかと思ったけど、良い上官に出会えたみたいで嬉しいよ。ちょっと情緒不安定というか、変わり者っぽいとこもあるけど」
「天才っていう人種は、大なり小なり変わっているところがあるものよ」
遠慮のないタリサの物言いに、ステラは苦笑しながら一応のフォローを入れた。能面のような無表情に相応しい無感情な人物かと思えば、魂の熱を感じさせるような演説をしたりと、武の人物を量りかねているのはステラも同様であったからだ。
その後も、二人は白銀武大佐のことを語り合った。二人だけではない。会場の衛士達の会話の内容は皆、武のことばかりだ。
どれも武に対して好意的な意見ばかりであり、否定的な意見は一切なかった。いっそ、奇妙なくらいに、彼女達は武に強い好感を抱いていた。
そんな喧騒の会場の一角に、他とは違う雰囲気で武のことを語り合う一団がいた。

「武様、あのようにご立派になられて」
噛み締めるように呟くのは、斯衛の月詠真那中尉だ。それに頷く神代巽少尉、巴雪乃少尉、戎美凪少尉達も、感極まれりといった面持ちだ。

「私、驚きのあまりつい叫んでしまいそうでした」
「BETAの横浜侵攻以来行方不明となっていた武様が、まさかA-01に所属されていただなんて」
「殿下はご存知なのでしょうか?」
「いいや、恐らく殿下もご存知あるまい。ご存知であるならば、私に出向を命じられたときに仰られる筈だからな。
A-01そのものが極めて機密度の高い部隊であるし、あの様子からすると武様は香月博士の懐刀のようだ。博士には敵も多い。側近の情報などそうそう外に出さないだろう」
そう夕呼の立場を慮った発言をする真那であるが、恨めしげな響きが微かに宿っていたのも事実であった。

「嬉しそうだな、月詠中尉。あなたのそんな顔を見るのは初めてだ」
「これは、鳳中佐……お恥ずかしい所をお見せしました」
「気にすることはない。今は宴席であるし、何より殿下のご友人が無事であったと聞けば私とて嬉しい」
そこに、和泉中尉、篁唯依中尉や山城上総中尉、甲斐志摩子中尉などを引き連れた鳳中佐が合流する。慌てて表情を引き締める真那に鷹揚に頷くと、自身も笑みを見せた。

「しかしお話を聞き、手前は大変驚きました。合縁奇縁とはまさにこの事。しかも武殿のお父上があの本土防衛戦の英雄、白銀影行殿とは」
「私と、私の同期達が今こうしていられるのは影行殿のおかげです」
心底驚いた様子の和泉に同意しつつ、唯依は自分達の恩人である影行の姿を思い出す。高度な戦術機操作技術と、卓越した指揮能力を持つまさしく英雄だった。
彼の戦死は日本にとって痛恨の極みであったと唯依は思う。それはこの場の人間全員が共有する思いでもあった。

「あの方にご恩返し出来なかった分、白銀大佐にこの命捧げる覚悟です」
「全力を尽くします!」
決意を語る唯依達を頼もしげに見ていた鳳だったが、ふと思いついたように口を開いた。

「その主役たる白銀大佐はどうされたのだろう。オズ中佐の姿も見えないが」
「確かに。香月博士に聞いてみましょうか」
鳳達がそんなやり取りをしていると、突然歓声が聞こえてきた。声のしたほうを見れば、オズを伴った武が会場にやってきた所であった。


「連隊長! 質問があるのですが、よろしいですか」
「構わない」
「新OSを発案したのは連隊長だとお聞きしたのですが、本当でしょうか」
「その通りだ」
誰よりも早く武に向かって行ったのは、崔亦菲中尉だ。彼女と武を中心として、どんどん人が集まってくる中、武は静かに頷いた。興奮を隠し切れない様子で、崔は言葉を続ける。

「新OS搭載機の機動を見たとき、衝撃を受けました。まさか戦術機で、あのような動きが出来るとは」
「戦術機のスペックを考えればあの機動は出来て当然だ。そこに思い至らなかったとすれば、崔中尉。お前は戦術機への理解が足りなかったと言わざるを得ない」
「ははは、これまた手厳しい。ですがその分、この部隊で学び、連隊長の期待に沿えるよう努力します!」
「そうか」
淡々とした武の受け答え。奇妙と形容しても良い武の様子に話しかけるのを躊躇する者もいたが、それを上回る興味を抱く者たちが次々に動き始める。

「エレン・エイス少尉であります。連隊長。先程の演説、感動しました」
「世辞はいい。感じる所があったならば、努力しろ」
「連隊長、これまでの部隊経験を聞いても?」
「機密だ」
「ポジションはどこをされるのですか?」
「どこでも出来るが、一番適性があるのは突撃前衛だ」
「宗像少尉です。連隊長、オズ中佐とはどういったご関係で?」
「俺が上官、オズが部下だ」
「だ、断言するなよ、親分」
無表情のまま答える武に酷く情けない顔でオズが縋り付くが、それさえも全く気にせず相手にしない武。
どこまでも静かな武に対し、周囲はある意味素直とも言える武の反応に盛り上がりを見せる。

「ほら、あきらも折角だから白銀大佐に何か聞いてみたら」
「ボ、ボク? 確かに聞きたいことは色々あるけど、大佐は他の方の質問に答えるので忙しそうだし」
そんなやり取りをしているのは、伊隅まりか中尉と伊隅あきら少尉だ。オドオドとした態度のあきらに、姉であるまりかは悪戯っぽい笑みを向ける。

「そんなの気にしなくて良いよ。ただの雑談じゃない」
「でも、今お話されてるのは大尉の方だし……」
「ああもう、じれったいな……すいません、連隊長! 伊隅あきら少尉が連隊長に聞きたいことがあるようなのですが、よろしいですか」
「ちょ、まりかちゃん!?」
唐突な姉の行動に驚愕するあきらであったが、既にまりかの声を聞き届けた武が、あきらと向き合い完全に待ちの態勢に入っていた。
こうなっては最早観念するしかないあきらであるが、聞きたいことは幾つもあった筈なのに、咄嗟に出てこなくなってしまう。
結局、少しの間わたわたと手を振り慌て倒した後、あきらの口から出たのは、

「れ、連隊長は犬派ですか、猫派ですか」
というあきら自身さえも予期していないものだった。
数瞬、場は静寂に包まれたが、すぐにあちらこちらから忍び笑いがもれ始める。

(なんだ、それは)
羞恥のあまり真っ赤になり俯く妹の姿に、伊隅みちる大尉は思わず頭を抱えた。彼女の横では同期の碓氷大尉が、押し殺つつ大笑いするという器用な真似をしていた。

(失敗した。これは埋め合わせが大変かも……)
想像以上に残念な結果になったあきらを見て罪悪感を抱きつつ、まりかは武の言葉を待った。あきらと武の会話が終わり次第、フォローするつもりであったのだが。

「いぬはとねこはとは何だ?」
「えっ」
予想とは違った武の反応に戸惑うあきら。しかもあきらには、武の言っている意味が分からなかったのだから尚更だ。
周囲も不思議そうな顔で武を見ていたが、あきらから問いの答えが返ってこないと判断したらしい武は、傍らのオズに対し同じ質問をした。

「オズ、いぬはとねこはとは何だ?」
「はい、親分。犬派か猫派か、というのはですね、分かりやすく言い換えれば『犬と猫どちらが好きか』ということだな」
まるで子どもの疑問に答える母のように穏やかなオズの声。彼女は常備していた手帳にペンを走らせると、僅かな時間で上手な犬と猫のイラストを描いて見せる。
目の前で行われているやり取りについていけず、あきらもまりかも、周囲の衛士達も皆目を白黒させながら二人の会話を聞いていた。

「こちらが犬、こちらが猫よ。この犬と猫はペットとして人気が高い動物で、よく比較されるんだよ。そういえば、親分は見たことがなかったかもしれませんね。
もう暫くすれば、多分犬なら見ることが出来ますよ。警備のために軍用犬が配置される筈であるから」
「犬は警備が出来るのか?」
「警備だけじゃないけどね。救助犬や盲導犬に牧羊犬とか、色々な分野で活躍している動物だ」
「猫は?」
「ん~、猫に仕事をさせるっていうのは聞いたことがありません」
「なるほど、犬の方が役に立つのか……伊隅少尉」
「は、はい」
「俺は犬の方が好きだ。つまり、犬派だ。これで良いか?」
「えっと、その、はい……」
あきらはそう返事を返すだけで精一杯だった。最初は気付かなかったが、今の異様過ぎるやり取りが意味するものを理解した途端、何を言えば良いのか分からなくなってしまったのだ。
動揺が隠せていない衛士達の姿に、オズは苦笑した。

「ごめんなさいね。親分、別にふざけた訳じゃないのよ。親分は本当に、犬も猫も知らないのさ。正確に言えば、昔は知っていたのだと思うけどね。でも今の親分は、色々なことを忘れてしまっているんだ。大事なこともそうでないこともね」
「必要な知識はある。戦術機を問題なく動かせる。BETAと戦える。不便はない」
「そうだな、親分。親分にとっては、そうなのだろうな」
誰も彼もが言葉をなくして武を見ていた。二人のやり取りは然程大きな声ではなかったが、静まりかえってしまった場には酷く響いた。
そんな中、一人の衛士が意を決したように進み出た。風間祷子少尉だ。

「連隊長、連隊長のご趣味は何でしょうか。休日は、何をしていらっしゃいますか?」
「趣味は特にない。休日はトレーニングをしている」
淡々と応える武に怯まず、祷子は続ける。だが、それも長くは持たなかった。

「好きな音楽や、本はありますか?」
「特にないし、知らないな」
「好きな映画は?」
「すまない、映画は見たことがないんだ」
「好きな食べ物は?」
「携帯食料は手軽に必要なエネルギーを補給出来るから、気に入っている」
武の答えを聞くごとに、少しずつ祷子の声から力が失われていっていた。
気付けば彼女の視界は、滲んでいた。信じがたい事実に溢れてしまいそうになる何かを必死に堪えて、祷子は搾り出すように最後の問いを述べた。

「何か……楽しみにしていることはありますか?」
対する武の答えは、決定的だった。

「衛士に楽しみは必要ない。少なくとも、俺はそうだ」
それが、その答えが強がりでも建前でも何でもなく、本当に、心からの言葉だと感じ取れてしまったから。白銀武という人間が、骨の髄まで衛士なのだと理解してしまったから。
風間祷子は、溢れ出る涙を止めることが出来なかった。

「何故泣くんだ、風間少尉。オズ、彼女は何故泣いている?」
「それは……」
祷子の泣く理由が理解出来ない武の問いに答えようとしたオズは、口を噤んだ。
周囲の衛士達をかき分け武に歩み寄る人物の存在に気付いたためだ。その人物、月詠真那中尉は、青褪めた顔をしながら、縋る様な眼差しを武に向けていた。

「武様。お久しぶりでございます。真那でございます。私のことを、覚えておいでですか」
「覚えている。斯衛の月詠真那中尉だろう。部下のことは忘れない。だが、久しぶりとは何のことだ?」
「……武様……私が……お分かりにならないのですか」
返ってきたのは、彼女の望んでいた言葉ではなかった。それでも真那は続けて問うた。問わずにはいられなかった。たとえ、

「では、冥夜様のことは? 悠陽殿下のことは覚えておいでですか!? いいえ、覚えている筈です! あれほど、あれほど親しくされていたのですから!」
「すまない。知識はあるが、親しくした覚えはない」
たとえ返ってくる答えが、やはり望まぬものだと分かっていたとしても。

「たける……さま……本当に、覚えて……」
「月詠中尉は、いや、中尉達は親分と面識があるのか。だったら気の毒だけど、君が知ってる親分と今の親分を同一人物だと思わない方が良いよ」
呆然とする真那を慰めるような口調で、オズが残酷な事実を告げる。

「言ったでしょう? 親分はね、故郷も、家も、家族も、友人も、何もかも失っちゃったのさ。大事にしてた筈の『思い出』もね。
今親分の頭の中にあるのは、A-01のことと、戦術機のことと、BETAのことだけ。今はそれが、親分の全て。他のことは、親分には余計なことなんだ。
しかし、親分のことを悪く思わないでほしい。親分は、そうする必要があった。こうならないと、何も守れなかったんだ。
そして……親分はもう覚えていないが、こうなることで、親分は自分が大事にしていたものを必死に守って生きてきたのよ。今まで、ずっとずっと」

不思議なくらい心の奥深くまで届くオズの言葉を聞くうちに、真那が胸中で必死に堪えていた哀れみ、悲しみ、怒り、苦しみといった感情が混ざり合い、遂には堰を切ったように溢れ出た。
震える手で、真那は武の頬に触れた。武は拒まなかった。眉一つ動かさないまま、真那の視線を受け止めるだけ。それはオズの言うとおり、真那の知らない武の顔だ。
真那の知っている武は悪戯好きだが優しい、笑顔の似合う普通の少年だ。だが今の武は稚気が微塵も感じられず、肉体は鍛え上げられ、その言動は完全に軍人のそれだ。
本当に何もかもが変わってしまっていた。それこそ、悲しいくらいに。武本人にその自覚がないのが尚のこと哀れであった。
他者には決して弱さを見せない真那であるが、この時ばかりは違った。武の胸元に額を押し当て、武に無様な泣き顔を見られぬようにしながらも、嗚咽が漏れるのは防げなかった。
武は、縋り付いて来る真那を拒まなかった。それは真那の心情を慮ってのことではない。単に彼女に害意がないと判断したというだけ。
だから武には、何故真那や祷子の頬に熱い雫が流れているのか。何故、周囲の彼の部下の多くが啜り泣きを漏らしているのか理解出来なかった。
だが今の状況は衛士として良いものではない、と彼は考えた。だから、

「泣くな、月詠中尉。涙は弱さの証だ。お前が泣いているのを見れば、お前を信じる者達が不安になる。不安があれば、戦場で充分な力が発揮出来なくなる。
それはつまり、お前達の生存率が下がるということだ。俺はそれを認めるわけにはいかない。俺はお前達を死なせるわけにはいかないんだ。だから―――もう泣くな。お前達が死んでしまったら、俺は悲しい」
不器用な手つきで、自分の行為が正しいのか判断出来ぬまま。武はそっと真那を抱きしめながらそう言った。少しだけ、困ったように眉を寄せて。

それが今の彼に出来る、精一杯の感情表現だった。



[37485] 4/幸はここにあり
Name: nov◆8a622b39 ID:48f8e345
Date: 2013/09/01 21:57
2000年 日本 国連軍横浜基地 白銀武専用シミュレータルーム


人の感情には実に様々な色がある、と社霞が思うようになったのは香月夕呼に連れられて日本にやってきてからだが、この横浜基地に来てからその思いは強くなった。
横浜に来るまでの彼女の世界には、夕呼と、神宮司まりもだけしかいなかった。だが今では、沢山の人が霞の世界に住んでいた。
A-01……人類の天敵BETAと戦う衛士である彼女達は、しかし心優しい人達だった。彼女達は色々な感情を霞に見せてくれた。
霞が興味深く思うのは、同じ感情でも個人によってその色合いに差があると言うことだ。
例えば伊隅みちる大尉が霞に向ける感情の色と、みちるが伊隅まりか中尉と伊隅あきら少尉に向ける感情の色は似ているが、少し違う。
フィカーツィア・ラトロワ中佐は霞をよく気にかけてくれているが、
同じように彼女に優しくしてくれるまりもと比べると、その感情の色は暗い。まだ感情というものへの理解が乏しい霞には、その理由を知ることは出来ても、理解することは出来なかった。
ただ、横浜で数多くの人々と接し色々な感情に触れて、様々な人間性を学んできた霞は、彼女なりの考えを持つようになった。
ソ連にいた頃、霞の周りにいた人達は皆冷たかったということ、人に冷たくされると悲しいということ、人に優しくされると嬉しいということ。だから自分も、人に優しくなろうということ。
しかし、人に優しくなるにはどうすれば良いのか、霞にはまだよく分からない。
『かーすみちゃ~ん』
霞のいるシミュレータルームと隣接しているシミュレータルームにいるオズからの通信に、霞は考え事と作業の手を止めた。

『そろそろ昼食の時間だし、こちらの訓練ももう終わる。親分をブリーフィングルームに連れてきてくれるかしら? 一緒にお昼にしましょう』
「はい、オズさん」
『ではな』
通信が切れると同時に霞はコンソールを操作し、先程から霞がCPとしてサポートしていた人物、白銀武大佐を呼び出した。
表示された武は、五時間以上シミュレータを行った後とは思えぬほど平然としていた。バイタルデータにも何一つ異常は見られないので、本当に影響はないのだろう。

「オズさんが呼んでいます。一緒に、お昼ご飯を食べましょう」
『……分かった』
返事の前に僅かな間があったのは、訓練を続行すべきではないかという考えがあったからだと、霞には分かった。何故なら霞は、それを防ぐためのお目付け役であるからだ。
一度武は、シミュレータを壊してしまったことがあった。原因は、過度な負担を長時間掛け続けたためだった。その時の操作記録を見ると、なんと武は三十時間以上シミュレータを連続使用していた。しかも設定はハイヴ攻略戦という、衛士にとってもシミュレータにとっても最も過酷な任務だ。そんな使い方を想定されていなかったシミュレータが参ってしまったのも、ある意味仕方がなかったかもしれない。

「何故途中でやめさせなかったの」
という夕呼の問いに、
「ボクには親分をとめられない。親分の思いを知っているからだ」
とオズは答えた。それ以来、武の訓練には霞かイリーナ・ピアティフ中尉のどちらかが立ち会い、ストッパーとなるよう夕呼に命ぜられた。そして大抵、立ち会うのは霞であった。
シミュレータから、強化装備姿の武が姿を現す。強化装備は非常にタイトな作りで、体つきがはっきりと分かるのだが、初めて強化装備姿の武を見たときは誰もが驚いたものだ。
一目で分かるのだ。その肉体に宿る尋常ならざる力が。まるで力そのものが凝固したような肉体。そのあまりの見事さに、あの夕呼が感嘆の息を漏らしたほどだ。

「オズは隣か?」
「はい」
「そうか。それじゃあ、行こうか」
武は歩き出す。その歩く姿が綺麗だと、霞は思う。背筋が伸びていて落ち着きがあり、尚且つキレがある。霞には分からないが、達人の領域さえも超えていると斯衛出身の衛士達が言っていたから、相当なものなのだろう。
ただ霞は、武の強靭さがあまり好きではなかった。リーディングにより、武の内面をおぼろ気ながらも感じ取ることが出来たからかもしれない。
武の心には形容しがたい何か沢山の物が詰まっていて、それが固く縮こまっているようなのに、空虚で色がない。強い筈なのに弱々しい、と霞は思った。
そして、そんな武の内面を知った後に武の姿を見ると、武が周囲を拒絶しているように感じられるのだ。
本当は助けが必要なのに、誰の助けも要らないと。自分は独りでも大丈夫、支えなどなくとも立っていられると。そんな武の無言の声が聞こえるように思うのだ。
それはダメだと、霞は思う。だって独りきりでは、
「思い出は、作れません」
霞は武の傍まで駆け寄ると、そのまま武の手と自分の手を重ねて強く握り締めた。
武は歩みを止め、霞を見る。その顔には驚きや困惑などの表情は浮かんでいない。ただ心中に疑念は浮かんでいるのだろう。あまり動きのない瞳で、武は問うような視線を霞に向けていた。

「私は、白銀さんと手をつなぎたいです。だめでしょうか」
「いや、大丈夫だ」
「私は、白銀さんと手をつなぐのが好きです。白銀さんは、私と手をつなぐのは好きですか?」
「……すまない。よく分からない」
その顔はオズが見せてくれた、思い出の中の嘗ての武が見せていた数多の表情のどれとも違う。そのことが悲しいと霞は感じたが、だからこそ武の手を握る力を更に強くした。
そうすると、万が一にも霞の手を傷めてしまわないように武が力加減に注意していることが感じられて、霞は口元を綻ばせた。

『霞には、すまないことをしたと思う。親分はもう、霞と思い出を作ることが出来なくなってしまった。私が親分を、そんな風に変えてしまった』
オズの言葉を思い出す。その時オズの顔に浮かんでいた表情と、霞の手を握っていた震える手を、幾多の感情に揺れる心を思い出す。

『だからこそ、社。私はあなたに、親分と思い出を作って欲しいと思う。どうか、この馬鹿な女の願いを叶えて欲しい』
オズには余りにも多くの記憶と感情があり過ぎて、彼女がどういった人物であるのか霞にはよく分からなかった。
分かったことは二つだけ。彼女は武のために00ユニットになったのだということと、彼女は武のために一生懸命だということ。
その必死さに霞は胸打たれた。何より武を見ていると、オズの思いに強い共感を抱かざるを得ないのだ。しかし困ったことに、霞は思い出の作り方を知らない。

「今日はおはしを使って食べませんか、白銀さん」
「俺は箸が使えない」
「はい。だから、練習しましょう。私が教えます。そして、二人であ~んをしましょう」
だから霞は、自分ではない霞達の真似をすることにした。そして、嘗ての武が自分にしてくれたことを、武にしてあげようと思った。
思い出の中の自分達がやっていたのだから、それをすることで、きっと思い出を作ることが出来ると考えたのだ。何より、

「あ~んとは?」
「それも、私が教えます」
あ~んをするのは、霞にとって非常に魅力的に思えた。
何かが違うような気がしないでもなかったが、きっと大丈夫だと霞は思う。
霞の周りには今、沢山の優しい人達がいる。それはつまり、


「……カスミ、タケルと手をつないでる。ずるい。わたしもつなぐ!」
「ちょ、ちょっとイーニャ……!」
「タリサは良いの?」
「アタシをガキ扱いするんじゃねぇ!」
「しかし大将、相変わらず良い体してんな……抱き心地良さそうだ」
「ミュン中尉、今何か不埒なことを言わなかったか?」
「いえいえ、何も言ってませんよ斯衛中尉殿! ……ちっ、斯衛の奴らは冗談が通じないからまいるぜ」
「いや、あんた今本気だったでしょ、ミュン」
「さあ親分! 馬鹿どもは放っておいて食事に行くぞ!!」
武の周りにも、沢山の優しい人達がいるということなのだから。





「ヘルガって、意外に積極的よね。ちゃっかり連隊長の近くのポジション押さえてるし」
「これは、先程のシミュレータの詳しい評価を聞くためだ。他意は無い」
「評価……ええっと確か『反応が遅い。判断が遅い。操作が遅い。お前達には決定的に速さが足りない』だったかしら……はぁ」
「そう落ち込むんじゃないよリリア、連隊長の辛口はいつものことじゃないか」
武を取り囲んで騒ぐ衛士達を、フィカーツィア・ラトロワ中佐は少し離れた位置に陣取り眺めていた。既に食事は終えていたが、何となく離れがたいという思いがあったのだ。

「あんたも混ざりたいなら、行ってきたら?」
「ふふ、佐官が混じっていては、あいつらもやり難いでしょう。尤も、オズ中佐は別でしょうが」
正面の席に座った夕呼の言葉に苦笑するラトロワ。確かに、と夕呼は頷きながら、武の横で騒ぎの中心となっているオズの姿を見やった。

「しかし、博士がこちらで食事をされるとは珍しいですね」
「別に。単なる気晴らしよ。ここに来れば面白いものが見れるってオズの奴が言ってたし」
「確かに愉快かもしれません」
ラトロワは、霞とイーニャに交互にあ~んをされている武を見て思わず笑みがこぼれるのを自覚した。
ラトロワの笑みの理由は、武だけではなかったが。

「同じソ連人として、何か思うところがあるわけ?」
「……恐ろしいほど鋭い方ですね、博士は」
「見てれば分かるわよ。気付かれないようにしていたつもりなら、気が抜けてるんじゃないの」
「確かに、日本に来てから気が緩んでいる面があるのは否定出来ませんね」
霞とイーニャ、そしてクリスカを見ていたことを簡単に見抜かれたラトロワは、暫し思い悩んだ末、慎重に言葉を選びつつ口を開いた。

「シェスチナとビャ―チェノワの二人とは、それほど付き合いが長いと言う訳でもありませんが……あんなに年相応の表情を見せたあの娘達など、見たことがありません」
「そりゃ、周りにあれだけやかましい奴らがいれば、いつまでもだんまりじゃ居られないでしょ」
「かもしれませんが、この基地にきてからのあの娘達の馴染む早さは驚くほど早い。周りの衛士に引きずられて、という理由だけではないように思えます。
やはり、白銀大佐の存在が大きいのでしょう」
「あの無感情な男が?」
「不思議と人を惹きつける魅力を持っている方だと思いますよ、白銀大佐は。特にシェスチナはよく懐いている。ビャーチェノワも好ましく思っているようです。まあ、多少はシェスチナや社の影響もあるでしょうが」
「……オズが言うには、昔は女に囲まれてあたふたしているような奴だったらしいわよ、白銀は。とにかくモテて仕方なかったんだそうよ」
「少々信じがたいですが、あの光景を見ていると、分からないでもない話ですね。白銀大佐も、彼女達の影響を受けているのかもしれませんね」
どういう流れでそうなったのかさっぱり分からないが、武にあ~んをする真っ赤になったクリスカを眺めながら、ラトロワはまた笑みを浮かべていた。
こんなにも柔らかく笑う女だっただろうか、と。ラトロワの笑みを見つつ夕呼は何とはなしに考えた。もう少し、硬い女だったように思っていたのだが。

「我々をこの国に呼んでいただき、ありがとうございます、博士」
「何よ、いきなり。というか人員の選定をしたのはオズの奴なんだけど」
しかもオズは、勿論能力も考慮しただろうが、それ以上に女に囲まれて対処に困る武が見たい、という理由で女衛士ばかりを選んだのだ。少なくとも、言葉ではそう言っていた。
実際はそれだけではないだろう、と夕呼は思う。武を見るオズの顔には、とても穏やかな表情が浮かんでいたからだ。

「それでも、それが可能だったのは博士の権限があったからでしょう? 博士がいなければ、我々はここにはいなかった」
「あんたの部下の殆どは、下働きにしちゃってるけど」
「構いません。むしろ、その方が良い。子どもは戦術機の動かし方よりも、料理の仕方を学んでいる方がずっとそれらしい」
ラトロワは、厨房の奥で忙しそうに動き回っている子ども達を見ていた。そのラトロワを見て、それは母だけが出来る顔だろうな、と夕呼は思う。
夕呼には、これほど慈愛に満ちた眼差しを他者に向けることは出来そうになかった。

「祖国に対する愛国心は無論ありますが、こうして祖国を離れると、今の我が国がどれほど生き辛い国家となってしまっているかが分かります。
少なくとも今のソ連の空気は、子ども達には冷たすぎる」
「言葉には気を付けなさいよ。あんたの国は、色々と容赦無いんだから」
しかし、ラトロワの言葉は止まらなかった。声量こそ抑えられていたが、その声音には軍人ではなく、一人の人間としてのラトロワの感情が篭っていた。

「だからこそです。我々はもっと情け深くある必要があった……あの三人の娘を見てください。
本来子どもが当然持っているはずの親も、家族からの愛情も、思い出さえも知らずに、訳の分からない能力と、必要な知識だけを与えられ、大人に利用されるためだけに生み出された彼女達を。
……あの娘達は、ソ連の咎なのです。香月博士」
「でも、あの娘達のような能力を持つ存在が必要とされていたのも事実よ」
「だとしても、やり様があった。あのような子ども達に辛い事を押し付ける前に、我々大人がすべきことは幾らでもあった。私はそう思うのです、博士。
……今更私があの娘達にしてやれることは微々たるものでしょう。ならばせめて、今あの娘達が手にしかけている小さな幸せだけは守ってやりたい」
「そういうの、センチメンタリズムっていうのよ。でも、まあ」
思い出をなくした男と、思い出を持たない少女達。彼と彼女達が出会い、触れ合う中で新しい何かを手に入れる事が出来るというのなら。

「たまには悪くはないわ。そういうのも、ね」





2000年 日本 帝都東京 帝都城


白銀武生存の報せを聞いた瞬間、政威大将軍になって以来泣くことを禁じていた煌武院悠陽は泣き崩れた。込み上げる歓喜のためにである。
だが詳しい話を聞くうちに、歓喜による涙は悲嘆によるものに変わっていた。

「おぉ……おぉ……! なんと残酷な仕打ちでしょう! そのようなことが許されて良いのですか……!
神よ、武様が一体何をしたというのですか……武様はもう、持てるもの全てを失いました。
故郷を、家族を、友人を……だというのに……!」 
そうだ、この苦難の時代。悲しいことに、故郷を奪われた者は大勢いる。家族や友人を奪われた者も大勢いる。
しかしながら。

「思い出さえも、武様から奪ったというのですか……? 一人の人間に、これほど重い宿命を背負わせて良いものなのですか……?」
「殿下……」
はらはらと大粒の涙を流し続ける悠陽の嘆きを聞きながら、護衛の月詠真耶中尉は主の涙を止める術を持たぬ自身の不甲斐なさを悔やむと同時に、
自らもよく知り、好意的に思っていた青年を襲った悲劇に胸を痛めていた。
もう一人、悲しみに暮れる人物がいた。普段は凛々しく引き締められた顔をくしゃくしゃに歪め涙を流しながらも、
それでも何とか唇を固く結び嗚咽を漏らすことだけは堪えている少女。悠陽の双子の妹、御剣冥夜である。
冥夜とて、悲しみは悠陽と同じである。今も胸中で濁流の如き荒々しさで暴れている怒りと悲しみに身を任せ、
泣き叫んでしまいたいという思いは確かにあった。だがそれを、彼女は堪えた。
彼女は訓練兵として横浜基地に赴くことになっている。そこで鍛えられ一人前の衛士となれば、ある特別な部隊に配属されることになると冥夜は告げられていた。
何が特別なのかは、今の冥夜にとって重要なことではない。重要なのは、その部隊に武がいるということだ。
故郷を、家族を、友人を、思い出さえも失い、過酷すぎる運命に翻弄されながらなお折れず、BETAと戦うことを選んだ男。
強い男だ。誇りに思う。そして愛おしい。そんな男と共に戦う自分が、彼の万分の一にも及ばぬだろう悲しみを抑えきれず泣き叫んでいたのでは……彼に合わせる顔がない。

「……冥夜」
「……はい、姉上」
涙を流したまま、しかし先程までの悲しみは消え去り決意に満ちた表情で、悠陽が言う。

「武様をお願いします。私の分まで、武様の力となるのです」
強い方だ、と冥夜は姉である悠陽に強い敬意を抱いた。同じ部隊で共に戦える冥夜とは違い、政威大将軍としての立場がある悠陽には、
支援をすることは出来ても直接的に力になることは出来ない。さぞや口惜しかろうに、その無念さを表に一切出さないのだから。
だからこそ万感の思いを込めて、悠陽の言葉に答えた。




「お任せ下さい、姉上。タケルは必ず私が守ってみせます―――この命に代えても」



[37485] 5/Only is not Lonely
Name: nov◆8a622b39 ID:48f8e345
Date: 2013/07/15 21:05
2000年 日本 国連軍横浜基地 A-01専用シミュレータルーム

自らの意思に軽やかに応じてくれる不知火改の機動に、ブリギッテ・ベスターナッハ中尉は満足気に頷いた。
実際の機体はまだ横浜基地に届いていないため、シミュレータ上でしか不知火改には乗っていないが、文句無しに素晴らしい機体だとブリギッテは考えていた。
勿論彼女は、この快適な操作性が機体よりもOSの力による所が大きいこともしっかりと理解していた。そしてこのOSを開発したという一事だけで、ブリギッテが白銀武大佐を心から尊敬する理由としては充分だった。
『EX-AM』
武が考案した、従来のOSとは全く異なる新機軸の傑作OS。
「衛士の死傷率が十分の一以下になるかもしれない」とは、OSの性能を衛士達に説明していた際に神宮司まりも少佐が語った言葉だ。その言葉が大袈裟な物ではないと、ブリギッテを含むA-01の衛士達はすぐに知ることになった。
オルタネイティヴ4の研究成果の一つである高性能CPUが必要であるという条件こそあるが、そんなことは些事と言えるほどに圧倒的な基本性能に加え、
武考案の新たな戦術機の機動概念とオルタネイティヴ4によって明らかになったBETAの新情報をもとに盛り込まれた多くの新機能。
それは完璧と言って差し支えのない、従来のOSとは比較にならない実用性と完成度を誇るOSだった。
従来のOSとは何もかもが違うEX-AMに慣れるまで多少の時間はかかるが、慣れてしまえばそれまでの数倍以上の働きが出来るようになるのだ。
実際、訓練の一環としてシミュレータでこれまでの蓄積データで再現された「従来のOSを使用している自分が操る不知火改」に「EX-AM搭載の撃震」で挑むということをやったのだが、
皆が苦戦することなくあっさりと勝利するという結果に終わった。この結果に新任の衛士達は無邪気に喜んでいたが、ブリギッテのような実戦経験のある衛士たちはその戦歴が長ければ長いほどに、沈痛な面持ちを深くしていた。
それも仕方がないことなのかもしれない。EX-AMに実装されている新機能のうち、幾つかは衛士ならば一度は「こんな機能があれば……」と考えたことがある機能であったからだ。視線移動による複数ロックオンなどはブリギッテがまさに求めていた機能そのもので、初めて使用した時は柄にも無く思わず歓声を上げてしまったものだ。
そして、ふとした瞬間に考えてしまった。何故自分は、この機能を作り出すことができなかったのだろうか、と。考えるだけで、何故その実現に動かなかったのだろうか、と。実際に可能であったかどうかは関係ない。自らの力で、現状を改善しようとする努力を怠っていたという事実は、ブリギッテにとって罪悪以外の何物でもなかった。

(これでは、連隊長に不甲斐ないと言われるのも当然か……)
考えてしまう。たった一つでも良い。EX-AMに実装されている機能をもっと早く実現出来ていたならば、ほんの僅かでも今より戦況を良く出来ていたのではないか。
故郷を守ることが出来ていたのではないか。沢山の人々を――今はもういない、失ってしまった仲間達を――助けることが出来ていたのではないか。

「第三大隊各員、準備は良いか」
「……ブルー6、準備良し」
フィカーツィア・ラトロワ中佐からの通信に、ブリギッテの反応が僅かに遅れた。少し思考に浸り過ぎていたようだ、と数度頭を振る。
集中せねば、とブリギッテは戦域マップを意識して睨む。友軍を示す青いマーカーは二個大隊近い数が表示されているのに対し、敵軍を示す赤いマーカーはたった一つだけ。
戦場は市街地。弾薬・推進剤を無限に使用できるよう設定されているブリギッテ達に対して、敵は弾薬も推進剤も通常設定のままなので当然限りがある。しかも不知火改に搭乗するブリギッテ達とは違い、相手の機体は旧式の撃震なのだ。OSはEX-AMに換装済みとは言え、機体性能の差はあまりに大きい。
誰が見ても、ブリギッテ達が絶対的に有利な状況であるのが分かるだろう。だがブリギッテは油断などしていなかった。
何故ならその機体を操るのは、まさしく一騎当千のスーパーエース。後にも先にも彼以上の衛士は存在しないだろうと皆が口を揃える傑物なのだ。
世界最強の戦術機連隊A-01を率いる、史上最強の天才衛士。白銀武大佐。
それがブリギッテ達が戦う敵の名前だった。

『ストーム1、エンゲージ』
オープン回線を通じて無機質な声でそれだけを言うと、武は無造作にブリギッテ達との距離を詰めて来た。そして、戦いは始まった。
いや、それは戦いとは呼べなかったかもしれない。何故ならばそれは、一方的な蹂躙だったのだから。

「クソ! 何で一発も当たらない! バグか何かなんじゃ……っあ!?」
【神尾中尉、コックピットに直撃弾。KIAと判定】
「この距離で正確に当ててくるとは……」
「もっと距離を取れ! とにかく距離を取るんだ! 撃ちまくってボスの足を止めろ!!」
「やってるけど……すり抜けてくるんだからしょうがないでしょ! なによあのインチキくさい機動は!」
【リヴィエール少尉、コックピットに直撃弾。KIAと判定】
ブリギッテがマップに表示されているマーカーを確認すると、A-01の戦力は一個大隊にまで半減していた。その現状に、ブリギッテは驚く。

(まだ半分も残っているのか)
もっと減らされているとばかり思っていた。ブリギッテがそう思ってしまうほどに、武の強さは次元違いで、桁違いだった。
断っておくが、A-01は現時点で間違いなく世界最強の連隊である。彼女達だからこそ、半壊で済んでいるのだ。並みの部隊であれば既に消滅していることだろう。誰も、今のA-01の戦況を情けないと評することは出来ない。
それはそうだろう。絶対に攻撃を回避し、必中必殺の攻撃をしてくる相手に、一体誰が勝てると言うのだ。

「私が突貫して隙を!」
「斯衛のサムライ連中が簡単にのされちまったんだぜ? 後衛職のあたしらじゃ近づく前にやられるのがオチだ」
【大咲大尉、コックピットに直撃弾。KIAと判定】
「しかし、このままではジリ貧だ。どうにかしないとっ!?」
【新田少佐、コックピットに直撃弾。KIAと判定】
「新田少佐がやられた!? うわっ」
【山口少尉、コックピットに直撃弾。KIAと判定】
【李少尉、コックピットに直撃弾。KIAと判定】
加速度的に撃墜される機体が増えていく。二個大隊で挑んでようやく瞬殺を避けることが出来ていたのだ。半減した現在の戦力では武の攻勢を凌ぎ切れず、瞬く間にA-01の衛士達は落とされていく。
そんな周囲の雑音を全く気にせず、ブリギッテは精密射撃を繰り返す。ブリギッテの最高の射撃を、武の撃震はすり抜けるようにして回避した。現在進行形でブリギッテ以外の衛士達からも無数の射撃を受けているというのに、それら全てが当たりそうで当たらない。不気味、とさえ言える機動だ。まるで実体のない亡霊か何かを相手にしているようだ。
そして一度武が発砲すれば、それは予め決まっているかのような精度でこちらのコックピットを撃ち抜くのだ。

【風間少尉、コックピットに直撃弾。KIAと判定】
武の機動は美しい、とブリギッテはトリガーを引き続けながら感動していた。彼の動きに派手さはない。だが驚くほど滑らかで、そして圧倒的に速い。瞬きをすれば、見失ってしまうほどだ。
ブリギッテ達が一つの操作をしている間に、武は数え切れないほどの操作を同時にこなしているのだろう。でなければ、二個大隊に単機で挑むことなど出来はしない。以前武が言っていた通り、武の眼から見れば本当にブリギッテ達には速さが足りないのだ。恐らく彼の眼から見れば、ブリギッテ達は止まっているようにさえ見えるのではないだろうか。

【伊隅中尉、コックピットに直撃弾。KIAと判定】
「ぐっ……このぉぉぉぉぉぉ!!」
【マクマナス中尉、コックピットに直撃弾。KIAと判定】
ブリギッテが舌を巻くのは、武の視野の広さだ。先程あったことだが、武の射撃をクリスカ・ビャーチェノワ少尉とイーニャ・シェスチナ少尉の複座型不知火改が回避すると、彼女達が回避した射撃はエレン・エイス少尉のコックピットを撃ち抜いた。
その様を見ていたブリギッテには、エレンが自ら撃ち抜かれに行ったかのようにさえ見えた。その様を見て、ブリギッテは武が回避されることを前提とした射撃を行ったことを確信した。同時に、彼はA-01の衛士全てがどのように動くかを把握しているのだと悟った。

【フォイルナー少尉、コックピットに直撃弾。KIAと判定】
本当に見事な腕だ、とブリギッテは感嘆する。無駄弾が一発も無い。百発百中とはまさにこのことだろう。更に言えば、二個大隊の戦術機と交戦したにも関わらず武はまだ弾薬も推進剤もある程度余裕があるようだ。強さの次元が違いすぎる。

(どれほど修練すれば、こんな真似が出来るのだろう)
何千回何万回では到底足りないだろう。何億回、何兆回……? どれだけ繰り返せば、絶対に射撃を外さなくなるのだろうか。ブリギッテには想像することさえ出来ない。
途方も無い研鑽を超えた先の境地に、武はいる。しかも射撃だけではないのだ、近接格闘も高速三次元機動もそれらを可能とする身体能力も、それらの能力を活かす戦術的思考も高度な次元で持ち合わせている。
これまでにも、凄腕の衛士達の戦いを見てきた。その度に、あれ程強くなるにはどれだけの努力が必要なのか考えてきたブリギッテだが、全く見当が付かなかったことはなかった。
だが、武だけは別だ。どれだけ考えても、自分では武のようになれるとは思えないのだ。才能だけの問題ではなく、単純な努力の量の問題で。

「どれだけ戦い続ければ、これほど強くなれるのだ……?」
彼女の呟きに答えはなく、返ってきたのは、精確無比な武の射撃だった。

【ベスターナッハ中尉、コックピットに直撃弾。KIAと判定。第二大隊、第三大隊の全滅を確認。演習終了。白銀大佐の勝利です】





「手も足も出なかった……」
「お前だけじゃないんだ、気にするな速瀬」
「ですけど」
「連隊長も言っていただろう。我々は確実に、段違いに強くなっていると。まだまだこれからだ」
「……どれだけ強くなっても、連隊長に勝てる気がしないんですが」
「それは言わぬが花、という奴だ」
誤魔化すように言って、伊隅みちる大尉はドリンクのストローに口を付けた。ドリンクを美味そうに飲むみちるを見つつ、底知れない人だと速瀬水月少尉は思った。
みちるが飲んでいるドリンクは茶色のパッケージのせいで一見麦茶か何かのように見えるのだが、その中身は粗食に慣れている軍人達でさえ吐き気を催す劇物であることを身をもって知っているからだ。

「なんだ速瀬、お前もドリンクが欲しいのか? それなら……」
「ああそうだ、私連隊長に聞きたいことがあったんでした。それではまた後ほど」
やや早口に言うと、水月は軽く頭を下げて座っていた椅子から跳ねるように立ち上がり、身を翻した。
ただでさえ携帯食の薬品のような味に胃をやられているのに、あんな物を胃に流し込まれては堪ったものではない。午後からは持続走なのだから尚更だ。
みちるや風間祷子少尉と違い、水月の味覚は普通なのだ。

(そういえば、もし連隊長があのドリンクを飲んだらどんな顔をするんだろう)
みちるにああ言った手前もあり、武の座っているテーブルまで進んでいた水月はふとそんなことを考えた。
本当に人間なのかと度々疑ってしまうくらいに人間離れした強さを持つ武であるが、それでもやはり人間である。あのドリンクを飲めるとは思えないが、しかし、
あの武がドリンクを飲んで不味そうな顔をするというのも想像出来ないのも確かである。

(お願いしたら飲んでくれそうだけど……いや! もしそれで連隊長に何かあったら、人類の損失ははかり知れないわ。やめとこ)
水月はそう自分を納得させ、武の座るテーブルを見る。
珍しく、オズ中佐の姿が見えなかった。午前の訓練の時からそうだったのだが、ほぼ四六時中と言って良いくらい武に張り付いている彼女がいないというのは本当に珍しい。
その代わりというわけではないだろうが、武の傍らには水月の恩師である神宮司まりも少佐が座っていた。他にも例の一件以来武に影のように付き従うようになった月詠真那中尉を筆頭とする斯衛衆に、
イーニャ・シェスチナ少尉とクリスカ・ビャーチェノワ少尉、社霞少尉が武と同じ、若しくは武と話が出来るほど近いテーブルに座っていた。
よく見る面子である。特に真那とソ連出身の三人はオズの次に武に張り付いていると言っても良い。かと言って他の衛士達が武に近づかないのかというとそうではなく、
水月自身も含め、A-01の衛士達は皆代わる代わる積極的に武と接するように心掛けていた。誰が言い出した訳でもないのだが、出来る限り武を一人にしないようにしようと彼女達は思っていた。
武の強さは、異常だ。普通に生きていては、到底身に付けられるものではないだろう。それこそ、
仲間達の骸を踏みしめても屈せず己の弱さを殺し、傷つき倒れても這いずり進み血を啜ってでも生き残り、泣くことも忘れてBETAを滅ぼすためだけに生きる。
そういう生き方をしてこなければ、あれほど強い衛士にはなれないだろう。そういう生き方をしてきたから、あれほど哀れな人になったのだろう。

(そんな人を、放っておけるわけがないじゃない)
勝手な感傷だと分かってはいたが、武の傍には誰かがいてやらねばならないと、水月は思っていた。そしてそれは、A-01に所属する衛士皆が共有する思いでもあった。
それに、水月も武同様横浜が地元なのである。だからこそ、武の境遇に人一倍感ずるところがあるのだった。自分も程度は違えど、似たような経験をしているが故に。
そうこうしている内に、水月は武のテーブルの前まで辿りついていた。

「どうした、速瀬中尉」
先に声を掛けたのは、水月ではなく武の方であった。抑揚のない平坦な声。だが武の言葉に、水月は驚きを隠せなかった。
それは水月だけではなかったらしく、武の傍にいた者達も、イーニャを除いた全員が驚いているようだった。ちなみにイーニャは、皆が何故驚いているのか分からないらしく、可愛らしく小首を傾げている。

「あの……白銀大佐。速瀬は中尉ではなく、少尉です」
いち早く立ち直ったまりもが、おずおずとそう指摘した。その声音にもやはり、戸惑いの色が見える。
普通ならばただの言い間違いだと気にも留めない所なのであるが、間違えたのが武であるというだけで、充分驚くに値するのだ。
イーニャや霞にあ~んをされたり、それをネタにお調子者の衛士達にいじられたりしている武であるが、
こと軍務においては一切隙を見せない完璧な軍人であるのだ。立ち居振る舞いも、口から出る言葉も全てがそうだ。その武が、部下の階級を間違えるとは。

「すまない、少尉」
「いいえ、気にしてませんから」
武はすぐに謝罪した。勿論、こんなことで腹を立てる水月ではない。ただ、自分だけ間違えられたという事実を深く考えてしまい、ほんの少しだけショックを受けていたりはしたが。
そのショックを誤魔化すために、わざと茶化すような口調で水月は言う。

「でも、連隊長が言い間違いをするなんて珍しいですね。私、初めて聞きました」
「言い間違い、か」
「連隊長?」
おや、と水月は目を丸くした。いつも無感情無表情な武が不思議そうな、考え込むような素振りを見せたのだ。だがすぐに普段通りの武に戻ると、未だに目を丸くしたままの水月に目をやった。

「いや……そうだな。ただの言い間違いだ。それで、何か用か速瀬少尉」
「あ、そうでした。今日の訓練で、私達は連隊長にけちょんけちょんにやられたわけですが」
水月の言葉に、武の傍らにいた真那が苦いものを飲み込んだような顔をした。開始三分で撃墜されたことを思い出したのだろう。水月も一分程で撃墜された身なので、真那の気持ちは痛いほどよく分かる。
演習が終わるまでの間、武の見事な機動とそれに翻弄されるA-01を見ているだけしか出来なかった事が、どれほど口惜しかったことか。とは言え、今はその話はどうでも良いことだ。

「今日は単機だった訳ですけど、実戦では、誰とエレメントを組まれるのですか? やっぱりオズ中佐ですか?」
「いいや。オズは俺と共に複座に乗る予定だ。そして、俺はエレメントを組む予定はない。俺の動きに付いてこれない者と組むのは、あらゆる面で効率的ではないからな」
またはっきりと言うものだ、と水月は思わず呆れた。
別格中の別格である武を除けば、A-01で最強の衛士はオズだ。現在のA-01が彼女を打倒しようとすれば最低でも二個中隊の戦力が必要だろう。
A-01の全戦力を投入し、更にみっともないくらいのハンデを与えられて尚掠り傷一つ付けられない武よりはよほどマシな相手だが、それでもオズが圧倒的に強い衛士である事実は変わらない。
そしてそのオズと比べられれば、自分達は余りにも弱いと水月も思う。なんと情けない話であろうか。
それは周囲の衛士達も同じようで、目に見えて落ち込んでいるものがあちらこちらにいた。一方で真那など、噛み切らんばかりの強さで唇を噛み締め悔しさに身を震わしている衛士もいる。
水月も真那と同様だった。しかし水月は真那と違いそれを押し殺さない。負けん気の強さが、彼女の彼女たる所以である。尊敬する武の言葉であるとは言え、到底看過出来なかった。
端的に言えば、"ムカついた"。

「ってことは、私が連隊長の動きに合わせられるくらい強くなれば、連隊長と組める可能性もあるってことですよね」
気が付けば、噛み付くような勢いでそんな言葉が出ていた。

「なら見ててくださいよ。隊の誰よりも強くなって、すぐに昇進もして、連隊長の口から必ずこう言わせて見せます。『速瀬中尉、俺とエレメントを組んでくれ』ってね!」
上官である武に対して、威勢の良い啖呵を切る水月。武の言い間違いさえ含めた物言いは、中々に過激だ。
まりもは水月の無礼を注意しようとしたが、武に制されたため口出ししなかった。それに不謹慎ながら、明星作戦以降久しく見ることが出来なかった水月らしい様子を見ることが出来て、内心嬉しく思ってもいた。
まりもと同じ思いを抱いているのか、まりもの視界の隅で、涼宮遙少尉が慌てながらも嬉しそうな顔をしているのが見えた。
当の水月と言えば、

(またバッサリ切られるんだろうなぁ。ま、良いか。決意表明みたいなもんだし……)
言ってやったという思いと"やっちまった"という両極端の思いを内心に抱えつつ、悪いことは言っていないし、武は言葉遣いなどは気にしない人だから大丈夫だろう、と水月は開き直り胸を張って武の言葉を待った。
一方で、武は水月の言葉を冷静に思考していた。水月の才覚は並外れているから、或いは武を除けばA-01最強となれるかもしれない。同期に先んじて昇進もするだろう。
だがそれで彼女が自分とエレメントを組めるほどの腕になるかと言えば、それは否だ。例え水月が日々の訓練を怠らず強くなり続けたとしても、自分の足元にも及ぶまいという判断を下した。そして、それは事実であった。
彼女の努力や才能が不足しているからではない。今の武の実力に追いつくには、人の一生はあまりに短すぎる。単純に、時間が足りないのだ。

「そうだな―――」
しかしながら、事実を告げようとした武の舌が紡いだのは彼自身にとっても不可思議な事に、別の言葉だった。

「―――その可能性も零じゃない。期待している、少尉」
本日何度目になるか分からないが、水月は驚いた。
水月の気のせいかもしれないが。いや、まず間違いなく気のせいなのだろうが……武は変わらず無表情を保っているにもかかわらず、水月には何故か、武が喜んでいるように見えた。





もうダメだ、とヘルガローゼ・ファルケンマイヤー少尉はグラウンドに倒れこんだ。最後の気力を振り絞って芋虫のように這い、体を転がすと、未だ走り続ける仲間達の邪魔にならない場所までたどり着くと同時に精も根も尽き果てた。
吸っても吸っても吸い足りない空気。行儀の悪さなど一切気にせず、大口を開けて呼吸を繰り返すと、土ぼこりが喉に張り付き盛大に咳き込むはめになった。
「まあ、こんな所だろうな」
言いつつヘルガの体をひょいと持ち上げたのは、まりもだった。彼女は見た目にそぐわぬ腕力を発揮してヘルガを担ぎ上げると、近くの土手にヘルガの体を横たえた。
すぐに、霞がタオルと水の入ったペットボトルをヘルガに持ってきてくれた。掠れた声で何とか礼を言い、少しだけ水を口に含む。ふと顔を拭ったタオルを見ると、汗に溶けた土のせいで茶色く汚れてしまっていた。
思わず顔をしかめた後タオルから目線を周囲に移せば、その土手にはヘルガと同じように体を休めている衛士達がいた。その顔は皆一様に青白い。風に乗って僅かに刺激臭がした所を見ると、嘔吐した者もいるらしかった。

「ほ……とに……そこ……なし……ね」
「おなじ……にんげん……とは……おもえません……わ……」
息も絶え絶えなイルフリーデ・フォイルナー少尉とルナテレジア・ヴィッツレーベン少尉の言葉に全く同感だ、とヘルガは微塵も疲れを見せぬまま今もグラウンドを走り続けている武の姿を見た。普段は独自の訓練を行っているらしい武と訓練を共にするのは今日が初めてだが、武の強靭さには驚かされるばかりのヘルガであった。
武単機に総出で挑んで惨敗した後、A-01の面々は続けてBETAを相手取ったシミュレーションを武の指導を受けつつ数時間ぶっ続けで行い、遅い昼食を携帯食料で済ませると、少しの休息の後体力練成のための持続走を始めた。
ノルマは無い。ただ限界まで走り続けるよう指示を受けた。持続走でも引き続き、武が訓練に参加していた。戦術機で勝てなかった分、せめて体力ではと皆が奮起したが、結果はこの様である。
A-01の中でも、特に体力が秀でている者―――主に斯衛の者―――がまだ武に食らい付いて走り続けているが、その足取りは見るからに頼りなくリタイアするのも時間の問題と思われた。
そんな周囲の様子を一切気にせず、武は坦々と走り続けている。彼は持続走開始当初から誰よりも速く走り続けているにも関わらず、汗を流しているものの未だにその顔に疲労の色はない。
その武の姿を見て、ヘルガは自分が落ち込んでいるのを自覚した。意味の無いことだと分かっているのだが、どうしても武と自身を比べてしまう。

「変に悩みすぎるなよ、ファルケンマイヤー。お前達はそれなりによくやっている」
思い悩むヘルガに声をかけたのは、まりもだった。口調こそ厳しかったが、その言葉には優しさが宿っていた。しかし自分の内心を見透かされたようなその言葉を、ヘルガは素直に受け取れなかった。

「ですが、神宮司少佐。連隊長は、私とそう変わらぬ年頃です。それなのに、あんなにも強い」
「そうだな。だが、それだけだ。私は白銀大佐よりも年上で軍歴も長いが、では白銀大佐に勝てるかと言われると無理だ。彼と比べれば、私など赤子のようなものだろう……あの人はな、特別なんだよ」
「……天才だと仰りたいのですか」
「いいや、そうではない。確かに白銀大佐の才能は隔絶しているが、それはあの人の強さのほんの一端でしかない。あの人が強いのは……」
そこまで言いかけて、まりもは言葉を飲み込んだ。ほんの一瞬まりもが浮かべた哀切極まる感情にヘルガは気付いていたが、それを問うような真似はしなかった。彼女は分別を知る人間であったからだ。
そんなヘルガの思いに気付いたか定かではないが、まりもは気を取り直すように頭を振ると、ヘルガと、いつの間にかヘルガとまりもの話に聞き入っていたらしいイルフリーデとルナの二人に、意地の悪い笑みを向けた。

「これ以上は、実戦経験も無いひよっこには勿体ない話だ。思い悩む暇があったら、更に努力をするのだ。多少無理をしてでも、努力しろ。白銀大佐と同じように。
そうでもしなければ、白銀大佐に追いつくことは出来ないのだから」
それだけを言い残すと、まりもは力尽き倒れ伏した篁唯依中尉の回収へと向かった。部下の世話はまりもに一任しているのだろう、部下が倒れても気にすることなく走り続ける武。
戯れに、ヘルガは武の背に向けて手を伸ばしてみた。
武の背は遠く、伸ばした手はとても届かない。この武との距離は、そのまま武とヘルガの実力差そのものだ。それが、こんなにも悔しい。
ヘルガ自身、必死に努力してきたつもりだった。故郷のため、仲間のため、そして自身の誇りのため、辛い訓練を乗り越え心身共に鍛え上げてきたつもりだった。例え相手がベテランでも、決して引けを取らない実力を身に付けているという自負もあった。それは努力に裏付けされた自信だ。新任ながらA-01に選抜されたのは、その証左と言えよう。
だからこそ、今日見せ付けられた武の圧倒的な実力に対する衝撃も大きい。
武は地獄のような戦場を生き抜き、更にはEX-AMのような素晴らしいOSを作り上げてしまうような衛士だ、途方もなく強いのだろうとは思っていた。だが、これほどの差があるとは思わなかった。
ヘルガは武と対峙した瞬間を思い出す。得意の近接戦闘で、文字通り瞬殺されるとは思いもよらなかった。反応すら出来ないとは思いもしなかった。そして自分はこんなにも弱いのだ、と思い知らされた。

『努力しろ。白銀大佐と同じように』
先程のまりもの言葉が、ヘルガの耳に残っている。まりもは言っていた。才能だけが、武の強さではないと。

『親分は自分が大事にしていたものを必死に守って生きてきたのよ』
配属の日、オズは言っていた。武は強くなる必要があったと。
分かっている。武とて、最初から強かった筈がない。筆舌に尽くしがたいほどの努力をしてきた筈なのだ。それこそ、自分など足元に及ばぬほどの努力を。だが、それだけではあるまい。
まりもが浮かべていた沈痛な表情。オズが見せた憐憫の情。きっと武には何かがあるのだ。あれほど強くなれた、人であることを捨ててまで強くならねばならなかった理由が。
走り続ける武の姿を見つめる。彼の後ろでは、遂に限界に達した真那がよろめきながら地に膝を着いていた。ある程度体力の回復していた幾人かの衛士達に助け起こされ日陰へと連れて行かれる真那。
そして、広大なグラウンドを走り続けるのは、武ただ一人となった。揺らぐことなく走り続ける武の姿を、ヘルガだけでなくその場の衛士達全員が見つめていた。たった一人になっても走り続ける、強くなろうと努力し続ける武の孤独な背中を眺めていた。

(あの人はきっと、あんな風にしてこれまで生きてきたのだろうな)
それは、見る者にそんなことを思わせる姿だった。想像に過ぎないが、きっと間違いではあるまい。そんなこれまでの武の生き方を思うと、ヘルガは、堪らなくなった。
伸ばしていた手を顔の前まで持ってくると、ぎゅっと残った力をこめて拳を作る。疲労の余り碌に力が入らないその拳の、何と弱々しく非力なことか。

「だが、非力は無力ではない……!」
自身に言い聞かせるように叫ぶと、作った拳を地面に叩き付け、その勢いを利用してヘルガは上半身を起こした。信じられないほど重たい体に活を入れ、ふらつきながら立ち上がる。

「ヘルガ……? どうするつもりですの?」
「走る!」
「走るって……ふらふらじゃない」
「それでもだ! 私は強くならなければならない! あの人を独りで戦わせはしない! そのために、私は努力をしなければならないんだっ!!」
武以外に走るものがいなくなったグラウンドを、今まで以上の速度で独り走り続ける武。その武を睨みつけながら、ヘルガはルナとイルフリーデの言葉に怒鳴るようにして答える。
ヘルガは萎えてしまいそうになる体に気合を入れるため更にもう一度吼えると、その武の背中を追うようにして走り始めた。
それは通常の歩行速度と変わらぬほど遅かったが、確実に一歩一歩前に進んでいた。そのヘルガの姿を見てイルフリーデとルナは顔を見合わせると、競うようにして立ち上がりヘルガと同じように走り始めた。ヘルガと同様に、その歩みは決して速いものではなかったが、前に進んでいることだけは確かであった。
ヘルガに合わせたわけではないだろうが、ほぼ同時に、同じように動き出した者達がいた。

「努力をしなければならない、か。正論だ。私にも意地がある。及ばずともせめて、支えられるほどには……!」
頭から水を被り、ブリギッテはぶるぶると頭を振った。プラチナブロンドの毛先から散っていく水雫が、陽光を浴びてきらきらと光る。
その黄金の髪は、まるで獅子の鬣のようだ。ブリギッテはまさに獅子の如く勇ましい笑みを浮かべ、立ち上がった。

「私は、あの人のエレメントになるって決めたんだ! だから、誰にも負けてらんないのよ!!」
叫びつつ、転がるようにして駆け始めたのは、水月だ。しかし急激に動いたせいだろう、水月は足を縺れさせ転んでしまった。
だが水月は止まらない。即座に立ち上がり、土で汚れた顔を拭うこともせず必死に駆けた。その瞳には、突撃前衛に最も必要なもの―――不屈の闘志が宿っていた。
これで終わりではなかった。寧ろ、彼女達は単なる先駆けであったと言って良い。負けていられぬ、とでも言うように一人、また一人と一度は脱落したA-01の衛士達が死にそうな顔をしながらも立ち上がっていた。

「……ルーキーに負けてられるか。真夏の甲板マラソンに比べれば、このくらい」
口を濯いでいた水を吐き捨てると、ダリル・A・マクマナス中尉は走り出した。海兵隊の誇りが、彼女を支えていた。

「熊谷基地を思い出すね。川瀬ったら、ゾンビみたいな顔しながら走ってたっけ」
「それは君だよ、清水」
軽口を叩きながら、清水大尉と川瀬大尉も走り出した。走っているうちに訓練兵時代を思い出したのか、笑い声を上げながら。
走り始めた衛士達を眺めていた真那は、未だにふらつき力の入らぬ足を自ら殴打しながら無理やり立ち上がると、一歩を踏み出した。

「あんまり無理しない方が宜しいんじゃございませんか、斯衛中尉殿?」
「ぬかせ……私の居ぬ間に、武様に不埒なことをしようという魂胆だろうが……私の目の黒いうちはさせぬぞ、ミュン中尉」
インドラ・サーダン・ミュン中尉と真那はにやりとした笑みを交わしながら、お互いが相手よりも速く走ろうと意地の張り合いを始めた。
気付けば、A-01の衛士全員が武の後を追って走っていた。武は暫く気にせず走っていたが、明らかに限界を超えている筈なのに一向に諦める様子のない部下達を見て、遂にその足を止めた。これ以上自分が続けるのは、部下の体調面を考慮すれば良くないと判断したためだ。
振り向いた武の目前で、半ば意識を失いかけていたヘルガが躓き倒れこむ。だがヘルガが地面と無防備に激突することはなかった。武がヘルガを抱きとめたからだ。
それが合図であったかのように、ヘルガの後ろを這うように進んでいた衛士達が一斉にへたり込んだ。そこに、まりもが駆け寄ってくる。彼女の後からは、彼女が手配した衛生班も駆けつけていた。

「神宮司少佐」
まりもの姿を見つけたヘルガが、武に抱えられながら小さく声を上げた。呼ばれてまりもがヘルガを見れば、青白い顔に似合わぬ自信に満ち溢れた表情を、彼女はしていた。

「追いつきましたよ」
その一言に虚を突かれたまりもは思わず瞠目したが、すぐに微笑を浮かべて頷いて見せた。

「ええ、大したものだわ。ねえ、大佐」
「……ああ」
相変わらず無感情な声で、武は一言。

「よくやった」
それはきっと、特別な意味は何もない言葉だったのだろう。思ったことを口にしただけ、ただそれだけの言葉だ。
そのたった一言が、じんわりとした熱を持ってヘルガの心の奥底まで染み渡った。嬉しすぎて、危うく涙がこぼれそうになるほど。
温かい何かを胸中に感じながら、心地よささえ覚え始めた疲労感に誘われるまま、ヘルガは意識を手放した。
気を失った彼女は、幼子のような笑みを浮かべていた。





寒気を覚えるほどに生き物の気配のない薄暗い部屋の中、青白い光を放つシリンダーの前にオズは立っていた。
オズの視線の先には、空っぽのシリンダーがあるだけだ。ODLは満ちていたが、その中に脳と脊髄が浮いているということはない。
この部屋は既に、役割を終えていた。その死に絶えた部屋に、ドアの開閉に伴う空気音が響く。

「探したわよ。なにやってんのよ、こんなとこで」
「少々、考え事を」
「……ま、いいけど。まだ時間もあることだし」
入室してきた夕呼はうろんげな顔でオズをしばし見た後、動く様子を見せないオズの傍らに立った。
ODLの青白い光に照らされたオズの白皙の美貌を見て、やはりオズは人工物なのだと夕呼は思った。あまりに美しすぎて、不自然さを感じるのだ。
ふと、人間のような機械と機械のような人間は、どちらが人間らしいのだろうなどという益体のない考えが浮かんだが、すぐに夕呼はそのつまらない考えを打ち消した。

「まったく、あいつは本当に化け物ね。そうじゃなければ、御伽噺の勇者さまよ。
戦術機に乗ればA-01を全滅させるし、持続走でも全員ゾンビみたいな顔してるなか一人だけケロリとした顔してるし」
「それはそうだろうな。今の親分は、人間の域を超えている。人間よりも頑強で優れた身体能力を持つ私でも、親分には手も足も出ないのだ。ただの人間では、束になっても敵うまい」
「恐れ入るわね。あれだけ強くて、今更訓練する意味あるの?」
「無いとは言わないが、生半なことではこれ以上強くはなれないだろうな。親分の強さは既に完成しちゃってるから。他にするべきことがないから、親分は訓練をしているのさ。
だから部下に何か頼まれたり誘われたりしたら、親分は基本的には断らないのよ。アタシが部下達と仲良くしてくださいってお願いしたからってのもあるけど」
「……ずいぶん付き合いがいい奴だと思ったら、そういう訳。まったく、こっちはやることが多くて忙しいってのに」
愚痴る夕呼は、うんざりとした顔をしていた。オズが少しだけ、声を出して笑う。

「良いじゃない。やるべきことは数あれど、どうするべきかは全てわかっているのだし、何より行動すればするほど有益な結果を生み出せるんだから」
「それはそうだけど、今の状況って言ってみれば模範解答を見ながらそれをテストに書き写してるだけでしょ。うんざりもするわよ。
最小の労力で最大の効果をだせるわけだから、楽って言えば楽なのだけれど」
「贅沢な悩みだな。それにどちらかといえば、この世界は比較的面倒事が少ない部類なのよ? 政威大将軍は現時点でそれなりの力を持っているし、妙なお家騒動もない。
親分の父親が有能な指揮官だったおかげで、帝国の戦力もこれまでの世界の平均以上に残っている。難易度的にはイージーだね、この世界は。
ちなみにスーパーベリーイージーの世界だと、BETAがいない平和な地球で、皆で仲良く楽しく暮らすのよ」
「まるで楽園ね。想像もつかないけれど」
「でしょうね。親分ももう"忘れてしまっている"もの」
思わず、夕呼は振り向いた。驚愕と動揺に揺れる夕呼の瞳に映るオズの顔には、笑みが浮かんでいた。
だがその笑顔は、オズの内心を覆い隠すための単なる仮面であった。何故ならば、泣きたくなるほどの悲しみが突如夕呼の胸中に湧き上がってきていたのだ。
その悲しみの源泉がオズであることを、夕呼は知っていた。

「BETAを滅ぼすだけなら、あんた達だけでも事足りる。それでもA-01に拘るのは、そのためか」
「そう。私は、親分に少しでもあの頃の思い出を取り戻して欲しい。そのためにA-01を再編して親分と関わらせているし、あの娘をBETAの呪縛から解き放ちもした。
でも、なにも親分のためだけに彼女達を集めたわけではないのだぞ。個人的な意見だが、彼女達は親分のそばにいた方が幸せになれるのだ。そして彼女達の幸福は、親分の願いでもある。
昔、親分がこんなことを言ったことがある。彼女達を幸せにするために、戦い続けるのだと。ボクはそれを手伝うだけ。親分の戦いが終わる時までね」
「終わりはあるの」
「さあ? あるかもしれないし、ないかもしれない。随分長い間戦い続けているから、ボクとしてはそろそろ親分に休んでほしいのだけど、親分が戦うというのなら、それに従うだけだよ。これまでもそうしてきたし、これからもそうやって親分と一緒に歩んでいくのよ。ずっとずっと」
「……あんたって結構、尽くす女ね」
「もちろん。親分を、愛しているんだもの」
これ以上ないほどきっぱりと、オズは言い切った。その顔は晴れやかだ。
これほどまでに透き通った表情を浮かべられるようになる人間が、果たしてどれほどいるだろうか。夕呼が思わずそう考えてしまうくらい、オズは透徹としていて美しい顔をしていた。
瑞々しい唇を開き、オズが歌うように語り始める。情感溢れる声を紡ぐオズは、先ほどまでの不自然さが嘘のように消え去り、どこまでも人間らしい。

「親分の一番はアタシではないけれど、アタシが一番親分を知っているの。親分がどれだけ強くて、弱くて、臆病で、勇敢で、そしてやさしい人であるかを知っている。
親分は、平和な世界に暮らす普通の男の子だったわ。その普通の男の子が地獄のような世界で戦い、奪われ、絶望し、涙を流し、けれど涙を拭って、戦うことを選んだ。そして今も戦い続けている。自分のためじゃなく、自分を大事にしてくれた人たちのためにね。
だからこそ尊いの。親分は、人間が秘めた可能性と崇高さを信じさせてくれるから。だからこそ哀れなの。誰よりも人間らしくあったからこそ、親分は人間ではなくなってしまった。
だから―――だからこそ愛しいのよ。親分の生き方は、親分の愛し方そのもの。時間も世界も越えて一途に愛し続ける、いじらしい人……そんな人、愛さずにはいられないでしょう?」
それは愛の詩だった。果ての見えない暗闇の中を進み、オズが戦い続けることが出来るのは、その愛が彼女と共にあるからだ。
誰もが憧れ、美しいと思うその想いが、彼女の行く末を照らしているからだ。それがある限り、彼女はいつまでも戦い続けるに違いない。未来永劫、彼の傍らにあり続けるに違いない。
彼女はその全てを武のために捧げている。この世界の全てを武のために使っている。それを責めようとは夕呼は思わない。
武達が現れたその日、夕呼の願いは果たされた。ならば残りの生の全てを、武達のために使おうと彼女は決めていた。それがオズとの約束であるし、最善で最悪の選択をした武の勇気に報いたいという思いが、夕呼の胸裏に芽生えていた。
感情のままに動くなどナンセンスだと昔なら思ったかもしれないが、今はこれでいいと夕呼は思う。
何故ならば、人の想いで世界は変わるのだ。たった一つの想いを貫き、世界を変えてきた旅人がいるのだ。
ならば、世界を変えてみせると夕呼は誓った。この世界を覆う、絶望の闇を払って見せると決意した。
そして、いつか取り戻すのだ。穏やかな日常が続き、誰もが笑いあって暮らせていた世界を。
せめてこの世界にいる間だけでも、帰してやるのだ。普通の男の子でいられなくなってしまったあのいじらしい男を、陽だまりのようにあたたかな日々に。
彼の故郷である、あの楽園のような世界に。



「それじゃあそろそろ、起きてもらうとしましょうか。あいつの世界に欠かせない、あいつの大事な眠り姫に」



[37485] 6/噫無情
Name: nov◆8a622b39 ID:48f8e345
Date: 2013/09/01 22:06
2000年 日本 横浜 慰霊の広場

長い坂を越えた先、目的地であった広場に到着した途端視界に入ってきた鮮やかな赤色に、涼宮遙少尉は驚いた。自分以外に人がいるとは思っていなかったこともあるし、赤色の正体が所謂スポーツカーと呼ばれるタイプの車で、近頃の日本では滅多に見られない代物であった事も彼女の驚きを大きくしていた。
だがそれ以上に遙を驚かせたのは、そのスポーツカーの持ち主と思われる女性が遙の知り合いで、しかもこんな所で会うとは思ってもいなかった人物であったからだ。
遙の気配に気付いたのだろう。広場の中央に建立された碑の前に佇んでいた女性はゆっくりと振り向いた。彼女もやはり知り合いに会うとは思っていなかったらしく、遙の姿を認めると少し驚いたような表情を見せた。

「こんにちは、マクマナスさん」
「遙じゃないか。こんな所で会うとは奇遇だね。こんなところに何の用……って、決まってるか」
そう言って、ダリル・A・マクマナス中尉は笑った。男勝りな彼女が普段浮かべる不敵な笑みとは違い、彼女が浮かべている笑みはとても女性的な、穏やかな微笑だった。

「歩いてきたのか? 相棒の水月はどうしたんだい?」
「水月は……不知火改の実機が届いてからはそっちに夢中なんです」
「ほう。それはそれは、水月らしいな。そういえば、知ってるかい? ラトロワの姉御が青髪ポニテの訓練バカがいて困るって愚痴っててね、まあ、ファルケンマイヤーのお嬢さんのことなんだが、つい先日、寝食をシミュレータで済ませ始めた辺りでとうとう度が過ぎるとこってり絞られてたよ。
水月も青髪ポニテだろう? 髪繋がりというわけじゃないが、ファルケンマイヤーのお嬢さんみたいにならないよう注意しといてやったらどうだい?」
くすくすと可笑しそうに笑うダリルに、遙は曖昧な笑みを浮かべた。基地を出発する際、正座をさせられた水月が何やら伊隅大尉に説教を受けている姿を既に目撃していたからなのだが。
近づくまで気付かなかったが、横浜の地で犠牲になった人々を弔うための慰霊碑には、ダリルのものらしい白いカーネーションが一輪供えられていた。
遙は碑の前で跪くと、用意していた白菊のブーケをダリルのカーネーションの横に静かに置いた。ブーケと言ってもささやかなもので、一輪の白菊を丁寧に包装したものだ。

「しかし、お前は確か基地の桜を仲間の墓代わりにしていたと思ったんだが」
笑みを納めたダリルがポツリと呟いた。その視線は既に遙から外され、黒い石材を滑らかに加工されて作られた碑の表面から逸らされることがない。

「ええ、そうですね。ただ、私はこの街出身なので、この街の人たちにも時々会いたくなるんです」
「……なるほどね」
何時からか、横浜基地の兵士達の間で語られている話。基地の桜の木々には、武運拙く儚く散った衛士達の魂が宿っているという。遙も度々桜の前で祈る事があるが、街の人々の為に祈りたくなった時はこの慰霊碑までやってくることにしていた。
跪いたまま、碑を見上げる。遙の背丈よりも更に大きい正方形の慰霊碑の表面には、無数の人々の名前が刻まれている。BETAによる横浜侵攻の日に死亡したことが分かっている人々の名前だ。一つ一つの文字の大きさは小さいにも関わらず、巨大な石碑の表面は隙間無く人々の名前で埋まっている。
その中には遙の友人や、想い人の名前も含まれていた。部隊の機密性を考えれば、本来は除外されている筈なのだが。

(きっと、香月博士のおかげなんだろうな)
彼女に直接聞いたわけではないし、聞いたところで恐らく否定されるだろうが、遙は自分の予想が正しいことを確信していた。冷徹と称される香月夕呼という人物が、実は誰よりも情け深い人間であることを、遙は知っているからだ。
立場を考えれば難しくとも、故郷の地を守る為に戦い死んでいった部下達の魂に僅かなりとも報いてやりたい。彼女はそう思ったに違いない。そうして部下達の名を、人知れずこの慰霊碑に刻んだ。その行為には確かに、不器用な優しさが感じられた。
夕呼の優しさに対する感謝の念を抱きながらそっと目を閉じると、遙は手を合わせて祈り始めた。人々の魂に少しでも安らぎが訪れるように。そして、必ずやBETAに奪われた全てのものを取り戻してみせるという決意が届くように。

「……アメリカが、憎いかい」
遙が祈りを終えるのを待っていたのだろう。遙が合わせていた手を解くと同時に、ダリルの言葉が遙の耳に届いた。
それは静かな声だった。何の感情も感じられない平坦な声に聞こえたそれは、しかし押し殺しきれなかった強い感情を僅かに感じさせた。遙はそれに、気付かないふりをした。ダリルの誇りを傷つけたくなかったからだ。
遙は立ち上がると碑から目を離し、丘の上から見下ろせる嘗ての横浜の街並みを眺める。今にも雨が降り出しそうな曇り空の下に、生き物の気配も人の営みも、ここで紡がれていた思い出の欠片も感じられない冷たい灰色の街が、街の死骸が広がっていた。

「憎んだことが無いといえば、嘘になります」
遙は、ただ正直に自分の思いを口にした。日米安保条約の一方的な破棄、そして事前通告無しのG弾投下……これらの卑劣とも評することが出来るアメリカの行為を受け、アメリカに敵意を抱く日本人は多い。
この慰霊碑に名前を刻まれている遙の友人達も、G弾の投下に巻き込まれて死んだ。

「アメリカ人の方を、口汚く罵ったことも、あります」
その時の光景を、遙はよく覚えている。
泣きながら罵声を浴びせる遙に対し何も抗弁せず、アメリカ人の男性衛士は無言で頭を下げ続けるだけだった。
今思えば、気付けた筈だったのに。
あの男性が巻いていた包帯に、真新しい血が滲んでいたことを。あの男性を迎えに来た米国軍人のヘルメットには、MPの文字が記されていたことを。
もしかしたらあの男性は、撤退命令を無視して、最後の最後まで戦ってくれた恩人であったかもしれないことを、気付くことが出来た筈だったのに――

「けれど」
――だから、今では。そのことに気付くことが出来た今では。

「憎しみが消えたとは言いません。けれど、憎しみを小さくすることは出来たと思います。考えてみれば、当たり前なんですよね。憎しみという個人的感情を国家や人種に対して向けるのは無意味なことで、憎んで良いのはG弾投下を決めたほんの一部だけなんですから。
だってほとんどの人は、G弾の存在すら知らなかったんです。それどころかG弾という危険な兵器が使用されると分かっても、最後まで一緒に戦ってくれた人達もいた。命を懸けて、日本を守ろうとしてくれたアメリカ人の人達もいた。そんな人達にまで憎しみをぶつけるのは、間違っています。
こんな簡単なことに気付くのに、こんなに時間がかかるだなんて」
「いいや。お前は大したヤツだよ、遙。お前みたいなヤツがいてくれるだけで、あいつも救われるってもんさ」
遙は視線を街並みからダリルの方へと戻した。ダリルは遙を見ることなく、視線を慰霊碑から外さない。そこに至ってようやく、遙はダリルの視線の先に日本人のものではない、アルファベット表記の名前が刻まれていることに気付いた。

「……少しゆっくりし過ぎたね。雨も降ってきそうだし、そろそろ基地に戻る頃合か。遙も乗っていきなよ」
かける言葉に遙が迷っている間に、ダリルはさっさと身を翻すと愛車の方へと歩み始めた。慌ててその後を追いつつ、遙は空を見上げた。厚い鉛色の雲が空を覆っており、今この瞬間にも雨が降り出しそうな空模様だ。元々雨に備えて傘を持ってきてはいたが、濡れずに済むならそれに越したことはない。
ダリルの好意に素直に甘えて車に乗り込む。アメリカ人であるダリルの愛車であり、日本ではあまり見かけないスポーツカータイプの車ということでてっきりアメリカ製の車だと思っていたのだが、ハンドルが右についている所からするとどうやら日本車であるらしい。
エンジンをスタートさせると軽快な駆動音が鳴り響き、流れるようなダリルの操作に合わせて車は発進した。

「日本車だったんですね、この車」
遠ざかり小さくなっていく慰霊碑をガラス越しに見やった後、遙は視線を正面に戻した。

「トヨタスポーツ800、通称ヨタハチっていうんだよ。古い車だから知らないのも無理ないかもしれないが、良い車だよ。高い金払ってまで国から持ってきた私の愛車さ」
「日本車好きなんですか?」
「まあね。ウチの家族は皆日本のファンでね、この車も日本好きの親父から受け継いだのさ。実は弟もこの車を狙ってたみたいでね、私がもらうとなった時弟は地団駄踏んで悔しがったもんさ。家族の中でも一番日本好きだったからね、あいつは」
遙の言葉に笑いながらダリルが答える。その声が心なしか震えていた気がして、遙はそっとダリルの様子を横目に見てみたが、いつの間にか彼女はサングラスをかけていたため、その表情を窺い知ることは出来なかった。
その代わり、遙は一枚の写真を見つけた。家族写真なのだろう、無造作に貼り付けられた写真には今よりも若々しい顔立ちをしているダリルと、ダリルとの血の繋がりを感じさせる顔つきをした三人の男女が写っていた。
今ダリルの言葉に出てきたダリルの両親と弟だろう。未だ幼さの残る弟らしき人物を、ダリルがぬいぐるみにするように後ろからぎゅっと抱きしめていた。

「だから」
気付けば、灰色の空からとうとう雨粒が降り出していた。
遙の気のせいではなく、間違いなく湿り気を帯びた声でダリルは続ける。

「だから、あいつは命を懸けたんだろうよ」
ダリルの頬にサングラスでも隠しきれなかった雫が流れているのを見て、遙は礼儀正しく視線を外へと向けた。

「雨、降ってきましたね」
「そうだね。湿っぽいのは、苦手だよ」
「そうですね……私も苦手です。なんだか、悲しくなりますから」
それっきり、車内に会話は生まれず静かになった。聞こえてくるのは雨粒が窓を叩く音くらいのもので、その音は不思議と人を物思いに沈ませる。
瓦礫と化した街並みを走り抜ける車の中、遙は子どもの頃を思い出していた。BETAのことなど遠い世界の出来事のように思っていた、穏やかな幼き日々を。
不意に、視界を遊具の残骸らしいものが過ぎ去っていった。遊具があったということは、あの場所は公園だったのだろう。場所を考えれば、幼かった自分達が遊びにいっていた公園だったのかもしれない。
公園で無邪気に遊んでいた記憶が蘇り、酷く懐かしく切ない気持ちが生まれる。
あの頃公園で一緒に遊んでいた友人達は、今どうしているだろうか。どこかで無事に暮らしていると良いのだが。

(そういえば)
あの公園には、いつも一緒の男の子と女の子がいた。いつも笑顔で、見ているこっちが羨ましく思ってしまうくらい、仲の良い子ども達だった。
あの子達は、今も一緒にいるのだろうか。あの頃と同じように、笑いあえているのだろうか。そうであると良いなと、遙は思った。そうであって欲しいと、遙は願った。







2000年 日本 国連軍横浜基地 オルタネイティヴ4占有区画 なにもない部屋


見慣れない部屋で彼女は目覚めた。
意識はまだはっきりと覚醒しておらず、ぼんやりとした思考のまま身を起こすと手を額に当てて軽く頭を振る。

「……?」
体を起こし、己の手で自身の体に触れる。たったそれだけの何気ない動作。しかし何故か彼女はそれを、懐かしいと感じた。
自身が抱いた不可解な感覚に首を捻りつつ、周囲を見渡す。彼女が眠っていたベッド以外には大きな姿見が一つ置いてあるだけの、殺風景な部屋だ。ベッドから足を下ろし――彼女は靴下を履いたままだった――自分のものであるらしい靴を履くと、
彼女は立ち上がった。立ち上がったがすぐに、ベッドに尻餅をついてしまう。

「…………?」
また、あの感覚が彼女の中で湧き起こっていた。やはり首を傾げつつゆっくりと立ち上がると、今度は少しふらついたものの問題なく立つことが出来た。
少し意識して、一歩一歩踏みしめるようにして歩く。当然のように歩けた。勿論、それが当たり前なのだ。なんの障害も無い脚部があれば、人が歩くのは当たり前のことなのだ。
先程自分が感じた妙な感覚はなんだったのだろう、と彼女は不思議に思った。手足を失った経験などある筈が無いのに、何故自分は手足を動かせることに違和感など覚えたのか、と。
姿見の前まで歩き、自分の全身を見る。つま先から頭のてっぺんにある、特徴的なクセのある髪の先までを見つめる。見慣れた自分の姿だ。どこにも異常はない。手足も当然あるし、服も着慣れた制服だ。
こんなところで、奇妙な感覚に頭を悩ませていても仕方がない。それよりも早く、彼を起こしに行かないと。
彼を起こしに行かないと。彼を起こしに行かないと。彼を。彼を……彼……?
彼は、誰?

「っ!」
突然、強い頭痛が彼女を襲った。まるで脳に釘を思い切り打ち込まれたようだ。たまらず、数歩たたらを踏む。
その痛みは彼女が彼について考えるたびにどんどんと強くなっていったが、彼女は彼について考えるのをやめなかった。
だって、覚えている。自分にとって彼が、どれほど大切な人であるか。自分がどれほど、彼のことを好いているのか。
覚えているのだ。彼女の頭ではなく心が。叫んでいるのだ。彼を、忘れてはならないと。

「タ……」
ズキズキズキズキと彼女を苛む痛み。あまりに強すぎる痛みに、彼女の視界が白く染まる。

「……ケ……ル……」
それでも彼女は、辿り着いた。そして、

「タケル……ちゃん?」
その名前を、口にした。
瞬間、彼女の頭の中で爆発が起きた。そう錯覚してしまうほどの衝撃を伴って、数え切れないほど膨大な記憶があふれ出した。

「あ」
まだ彼女が幼い頃から、彼はいつも彼女の隣にいた。
いいや違う。彼はいつも、物事の中心にいた。彼女が、そんな彼の隣にいたのだ。

「あ、ああ……あ……」
彼女は、彼といつも一緒だった。どんな時も、彼女は彼のそばにいた。だから、当然。
彼がBETAに殺された時も、彼女はすぐそばにいた。
彼女の目の前で、彼は殺された。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
思い出した。全てを。BETAに陵辱される自分。破壊しつくされる自分。
自分が何をされたのか、彼女は奇妙なほど綺麗に、そして完璧に記憶を整理された状態で思い出した。
だが、そんなものはどうでもいい。問題は、問題なのは。
彼は彼女を庇ったがために、死んでしまったということだ。

「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて」
次々と彼の死に様が鮮明に浮かび上がる。
ハイヴの奥深くに攫われた後彼女を守ろうとして殺される彼、避難する途中で襲われた彼女を逃がそうとして殺される彼、怪我をした彼女を背負って逃げようとして殺される彼。
頭蓋を噛み砕かれ殺される彼。群がられて徐々に食い殺される彼。四肢を引き千切られ殺される彼。真っ二つに引き裂かれて殺される彼。
一人なら逃げられたかもしれないのにそうせず殺された彼。醜悪な化け物の姿に身を震わせながらも立ち向かい殺された彼。
彼女は思い出した。彼女は知った。BETAが存在する全ての世界で、彼は彼女を守ろうとして死んでいる。
言葉を変えれば。
彼女が大切に思っている、彼女の大好きな彼は、彼女のせいで死んでいる。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
それは彼女の罪ではないのかもしれない。そのことで、誰も彼女を責めないかもしれない。
だが、彼女は自分を責める。罵り、呪わずにはいられない。自分自身を許せない。決して許すことが出来ない。
誰も知らずとも、彼女だけは彼女の罪を知っているからだ。
彼に会いたい、その自分の望みを叶えるためだけに、平和な世界に暮らす彼をこの地獄に引きずり込んだことを知っている。
彼と結ばれたい、彼が他の誰かと結ばれるのを見たくない、そんな醜い私欲と嫉妬によって、その地獄を繰り返させたことを知っている。
なんて身勝手で、愚かな女だろう。なんと浅ましく、卑怯な女だろう。
彼女は自分自身を責め続ける。冷たい床にへたり込み両手で我が身を抱きしめながら、ぼろぼろと涙を流しながら彼女は謝罪の言葉を口にし続けている。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
彼女が謝り続けている間も、彼女の頭の中では彼の生涯が次々と絶え間なく再生されている。
彼が何の為に、何を考えながら戦い、何を想いながら死んでいったかが刻まれている。
彼がどのようにして、人間性を削ぎ落としていったのかが滔々と語られている。
彼が彼女を、彼女達のことを忘れていく姿をまざまざと突きつけられている。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
まるでその言葉しか知らないように、彼女は繰り返し謝り続けた。その姿は常軌を逸している。実際、彼女はこのままでは間を置かずして狂ってしまうだろう。
他ならぬ彼女自身がそうしているのだから、誰も彼女が狂うことをとめることは出来ない。彼女自身が自分を許せないのだから、誰も彼女の罪を許すことは出来ない。
けれど、もしも。もしも彼女をとめることが出来る人物がいるとすれば、彼女の罪を、包み込むことが出来る人物がいるとするならば、それはたった一人だけ。
幾千万の連なる世界で、彼女を救うことが出来るのは一人だけ。
そして彼は、彼女が涙を流している時には必ず、彼女のもとにやってくる。彼は――

「純夏」
――白銀武は、鑑純夏の涙を拭いにやってくる。

「タケルちゃん……?」
呆然としながら、純夏は自分を抱きしめる人物の名を呼んだ。武は更に、純夏を抱く力を強めた。

「そうだ。白銀武だ、純夏」
たったそれだけで、純夏から発せられていた狂気は消えた。のろのろとした動きで武を見上げる純夏。彼女の頬を絶え間なく流れていた涙の流れは、少しずつ細くなっていく。
武は、純夏の知る武とは違っていた。
彼女の知る武はこれほど逞しい体つきをしていなかったし、こんなにも平坦な喋り方をしていなかった。瞳はこんなに無機質ではなく子どもっぽい輝きがいつも宿っていたし、考えていることがすぐ顔に出たから、こんな硬い顔なんて、やろうとしても出来なかったに違いない。
今の武は、純夏が知る武とはあまりにも違いすぎた。
ああ、けれど。彼女の体を包む懐かしい匂いを、不器用な優しさを孕んだ声を、見た目がどれだけ変わろうと決して変わることのない、彼女に寄り添う武の心の温度を覚えている。
悠久の時を経てなお、彼は純夏の知る武のままでいてくれたのだ。彼女によって時の牢獄に囚われてしまったというのに、昔と変わらぬまま武は純夏を包んでくれている。
そう思うと、なんだか。胸の奥が、熱くなって。

「純夏……? どうしたんだ」
気づけば、純夏はまた泣き出してしまっていた。

「ごめん……! ごめんねタケルちゃん……! ごめんなさいごめんなさい……!」
「どうして謝る。お前は何も、謝らなければならないことはしていないだろう」
「ごめんね……ごめん……」
「純夏」
武は、泣き続ける純夏を抱きしめてやりながら、それ以外のことをしてやることが出来ずにいた。
純夏からは、最早狂気は感じない。ただただ純粋に何かを悲しんで泣いているのだ。武が何もせずとも、いずれ彼女は平静を取り戻すだろう。
だが、それは嫌だ、と武は思った。純夏が泣いているのをただ見ているだけというのは、上手く表現出来ないが、とにかく許容出来ないのだ。
しかし、今の武には何も出来ない。純夏の溢れる涙を拭ってやることは出来ても、とめてやることは出来ない。
純夏が大事な人だった、という知識はある。彼女を大事にしたいという想いもある。しかし逆を言えば、武にはそれだけしか残っていないのだ。
武は知らない。これまで武と純夏がどのようにして過ごしてきたのか。武が何故、純夏を大事に思うようになったのか。今の武はそれらを思い出すことが出来ない。
戦術機の動かし方は知っているが、純夏がどういう人物であるかは知らない。BETAを効率的に殺すことは出来るが、純夏が何故今泣いているのか、理解してやることは出来ない。
だから、今の武では、純夏の涙をとめることは出来ない。

「そうか」
昔の自分であれば、何故今お前が泣いているのか。きっと分かってやれただろうに。

「今の俺では、お前に何もしてやれないんだな」
武は強くなった。かつての彼とは、比較にならないほどに強くなった。代償として失ったものも多いが、そのことを悔いることはしない。
けれど、今は。今だけは。失くしてしまった自分を、惜しいと。強くなった自分を、不甲斐ないと。そう思わずにはいられなかった。

「……すまない、純夏」
それは、これまでの世界でも繰り返されてきた光景。
二人っきりの部屋で、彼らは互いを抱きしめあいながら。
ごめんなさい、と。泣きながら。すまない、と。変わらざるを得なかった自分を責めながら。
ずっとずっと、謝り続けていた。疲れ果て、涙が枯れるまで、ずっとずっと。
彼らはただ、謝り続けていた。
そうすることしか、出来なかった。



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