ふと、目を覚ます。気だるい体を起こし惰性で洗面所に向かい、習性で顔を洗う。
俺は普段使っているスクラブ入りの洗顔料が見当たらないので、致し方なく石鹸で顔を洗った。
寝ぼけた頭で辺りをまさぐるが、自分の歯ブラシも無かったので新しく引き出しから探し出して使った。
随分手間がかかった。
そのあたりでようやく呆けた頭が醒めてきて、ふと違和感を感じる。体が軽いと言うか、小さいと言うべきか。
そもそも洗面所に映った自分の顔らしきものに、見覚えがまるで無かった。誰だ、これは。
今更だが、家の間取りから調度品、臭いに至るまで全てが違う。これは我が家ではない。
まじまじと鏡を見やる。
細っこい体と、幼い顔立ち。ぼさぼさの黒髪はかなり長く、散髪には長らく行っていない事が伺えた。
なにより色白で、あまり外出はしない性質の人間らしい。清潔で健康的とはとても言い難かった。
それとなんとも言いがたい事だが、鏡の向こうの彼には、首にくっきりと紅い線が走っていた。
まるで縄の跡目のようだと思った。そして実際、それは間違ってなかった。
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とあるデビルサマナーの事件簿
(女神転生シリーズ二次創作)
プロローグ 日常の中の放浪。
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それから十分ほどである。俺は混乱した頭をようやく立て直し、論理的な思考を取り戻すに至る。
そして結論。
俺は朝目が覚める、と別人になっていた自分を発見した。そういうことらしい。
哲学や思想の問題ではなく、純粋に肉体的に別人となってしまったのである。
そもそもがおかしかった。
俺はベッドで寝たはずなのに何故か目が覚めたときは床だったし、何故か首に謎の紐がかけてあったのだから。
「しかも、案の定だよ・・・・・。」
慌てふためき急いで目が覚めた部屋へと向かうと、そこにはぷらんぷらんと寂しげに揺れる、途中で切れた紐があった。
そしてそれは天井から伸びてる。その下には、目覚めと共に何気なく投げ捨てた紐の輪。
無意識に手が首を撫ぜる。くっきりと残った跡が指越しでさえわかった。
どう見ても首吊り自殺です。本当にどうもありがとうございました。
「えー。ってことは俺は、この自殺ボーイの体に憑依しちゃったと言う事でいいのかな?」
俺はそれを瞬時に理解した。と言うか理解してしまった。
大体、こういう現象と言うかシチュエーションに耐性があるのがオタクと言う人種である。
特にラノベやネット小説に熱を上げるタイプの人間はこれを熟知していると言ってもいいだろう。
それがある種の心理的防波堤になったと言うか、耐性として機能したのだと思う。
ま、つまりだ。
俺は首をつろうとして紐が切れて墜落しちゃった少年の体に、魂だけが乗り移った。そういう事のようだ。
元の少年がどうなったとか、俺は死んだ覚えが無いとか、そもそも何故こんなことになるのか?とか色々疑問符はつく。
が、とりあえずはこのように解釈しておけばまず間違い無さそうであった。
間違っていたとしても、大方この流れに違いはあるまい。
あったとして、それは全ての前提を覆す乱暴な物理トリックみたいなものだろう。
そんなものは、現実には考えるだけ無駄だ。なにせそれは自分にはまるで感知できない空気のようなものなのだから。
そんなわけで、俺はこの少年の身分証明書を部屋から漁る。
現実問題この体が誰のものであるのか、またこの体の名前や家族構成などは気になるところなのである。
そこそこに重要な事だった。
程なくして身分証明書が見つかる。学生書だ。
「えー、なになに・・・伊織葵(いおり・あおい)・・・・どっちも、苗字にも名前にもなりそうな名前だな」
憶えやすいと言えば、憶えやすい名前だった。
自分の元々の名前、高岡宗次郎とは似ても似つかないが。
「高校生か。ええと、携帯のカレンダーと照合して・・・1年生。ってか今2000年かよ。10年以上前じゃん。」
この携帯は正常に稼動しているし、家にかかっているカレンダーも同じ年を示していた。
この体の主は5月でカレンダーをめくるのを止めているようだが、携帯が誤作動という事は無さそうだ。
そして今日は7月23日。机の上にあったプリントによれば、終業式の日である。
とっさに時計を見る。
「遅刻じゃん・・・。」
まぁ、終業式如き何ほどのこともあるまい。そう俺は自分を納得させた。実際俺もその理屈で何度かサボっている。
直接学業に差し障りは無いし、夏休み前にあの糞長い校長の演説を聞くにもなれんし。
そもそも俺は大学卒業も間近で、そこそこの企業に内定も決まっていた勝ち組である。
何が悲しくてまたまた高校一年生からやり直さなきゃあいけないのか
七月の五月蝿いセミが、太陽の光に照らされて強烈なコントラストを描く部屋に染み渡った。
「えーっと、この状況・・・マジ?」
今更ながら、この非現実的な状況に似つかわしくない生々しい現実的な感触が、どうにも不気味だった。
遅れて不安と現実感が波のように引いては押し寄せてくる感覚。肝が冷える。
というか、そもそもである。差し当たり今は家には誰もいないらしいが、
俺は下手をするとこのまま一生をこの少年の体で過ごす羽目になりそうだった。
人間関係とか、家族関係とかどうするの?って話だ。いや、マジでどうしよう。
俺は家の中の状態から、凡そ考えうる事を予想する。
玄関の靴を見る限り、家族構成は四人。
パリッとした革靴やほったらかしのネクタイからして、会社勤めの父がいる。
残念ながら出しっぱなしの状況からして、都合よく長期出張とかそういう事は無さそうだ。
母はおそらく専業主婦だろう。今日はたまたま居ないが、働いては居なさそうだ。
最後の一人は、多分妹だ。部屋の片付き具合から察するに、そこそこ優秀そうである。
・・・誰も彼も、恐らく最低でも夕方には集合する。そこで、この俺はどうしたら良いと言うのか。
どうにも、頭が痛い。ぐいぐいとコメカミを揉み解す。
(・・・・まぁ、想像力を働かせれば、この葵とか言う奴は根暗で、引きこもりみたいな奴である事は、分かる。
それで多分もしかすると、イジメにでもあっていたことくらいは想像がつくな。
しかし家の壁や調度品に目立った破壊痕が無いという事は、内弁慶では無さそうだ。)
だんだん推論が汲みあがっていく。ま、しかし最もわかり易いメタファーが"自殺未遂"だ。
ここまでなら誰にでも思いつくだろう。ここからも一歩踏み込んだ推理が重要になってくるだろう。
が今現在の予想が正しければ、下を向いてだんまりを決め込んでいれば何とかならんでも無さそうだ。
「うーん多分、きっと、上手く行くといいなぁ・・・・。」
上手く行ってくれなければ困る。
俺はまだこの体・戸籍では生活基盤を持っていないのである。しかも高校生。
家を追い出されれば、さしもの日本とは言え碌な人生が待っていないだろう。
ならば、道は一つ。彼らに寄生するしかないのだ、しばらくは。
確かにこの体の持ち主の家族を騙すのは気が引けるのだが、そもそも自殺なんてするほうが悪いのである。
しかも未遂なのか完遂してしまったのかも判断がつかない。
ま。いつまでこの体に居る事になるかは分からないが、それまでは精々利用させてもらうとしよう。
・・・可能ならば、と頭に付くが。
「差し当たり、少しでも多くの情報を集めないといけないな・・・。」
演技をするにしても、この少年の人となりを可能な限り知らなければ話にならない。
とりあえず、学校にでも行くか。と俺はようやくそこで強張った足を動かした。
明日から夏休みだし、何か問題が起きてもしばらくは大丈夫だろう。おそらく。多分、きっと。
@@@@
────で、学校である。
2000年と言うと、パソコンの立ち上がりもまだまだ分単位のパソコンが多かった時代だ。
地図検索も遅いし精度は悪いし、中々苦労させられた。これがジェネレーションギャップと言うものか。
タイターさんはさぞ苦労したのだろうなと、益体も無い事を考える。それもこれも暑いからだ。
「奈良県立遠藤西高等学校ね・・・古っ。」
なんともやたら歴史や曰くのありそうな校舎だった。古ぼけていて、埃っぽい。
だが、この雰囲気・・・嫌いではない。建築物には古いものこそ趣があるのである。
立てられた当初は何の変哲も無い平凡な建物だったとしても、建物は古くなればそれだけで芸術的だ。
その上この校舎はデザインに凝った建築らしく、あちこちに特徴的な構造が見受けられる。
「うん、うん・・・これは良い。気に入った。」
不幸中の幸いだ。最悪この体で生きていく事になっても、この校舎の母校には愛着がもてそうだった。
その上、これまた幸いな事に校庭ではなく、体育館で終業式は行われているようだ。多少気が楽ではある。
この炎天下で校長も大変だろうが、生徒は密集隊形を取らされるのでさらに大変なのだ。
俺はとりあえずマイクのくぐもった声のする方へ足を向ける。
色濃く塗り潰された影。顎から滴り落ちる雫。
色あせたセメントと、古めかしい金属パイプの配管が張り巡らされた渡り廊下の下をくぐった。
じゃりじゃりと、太陽で温められたコンクリの床を上履きが擦る。
首に巻いたタオルが、汗を吸いきってもうぐしょぐしょだ。
首のあざを隠すために巻いてきたのだが、もって来てよかったと心底思った。
人影が、その造詣を目視可能な距離まで迫る。
すぐに、後ろの方に立っていた先生が気付き、小声で声をかけてきた。
何やら手招きしているようなので、少し小走りで向かう。
伊藤君、と呼ぶ声が辛うじて聞こえる。この至近距離でも発生する揺らめく陽炎の向こうに、年若い女教師が居た。
「伊織君!久しぶりね、1ヶ月ぶりくらいかしら。」
「ええ、お久しぶりです。ええと・・・・。」
「あら、忘れちゃった?高橋杏子よ。」
「すいません、どうにもね・・・。」
そもそも知らないのであるが、適当にぼかしていると勝手に解釈してくれる。
沈黙は金とはよく言ったものだった。
「ええ、ええ。わかってるわ。だけどね、学校に来れるようになっただけでも、凄い進歩なのよ。
もう夏休みだけど、新学期からまた来れるようになれればいいわ。よく頑張ったわね。
・・・・ああ、列はコッチよ、順番は憶えているかしら?」
先生はどうも、伊織・・・つまり俺の事を知っているようだ。
彼女の物言いでは、俺は相当な日数学校に行っていないらしい。
また、教職に付く人間がこういうときの対処マニュアルとして叩き込まれる黄金のテンプレートを繰り出しているが、
伊織クンを心配しているのは事実のようだ。
つまりは、この少年の苦手そうな教師だった。が、しかしこれで少しこの葵少年の事がわかった。
やはり、入学初っ端不登校気味で学校に来なくなったタイプのようである。
それだけに、この女史は大してこの少年の事を熟知していると言うわけでもないようだ。
つまり口べたのような、無口キャラを装って話しかけてみたが大体それでOKのようである。
俺は出席番号順か、身長順かすらわからないので正直に答えた。
「すいません、それも憶えてないです。」
「・・・まあそうだろうと思ったわ。ここよ。あ、列移動してあげて。」
高橋女史に誘導されて列に入ると、やはり当然と言うか見知った顔など居ない。
が、奇異の目で見るものは居ても嫌悪の眼差しで見るものが居ない。
この事から考えて、嫌われていると言うわけではないらしい。
イジメが無かったと考えるのは早計だが、あまりそういうのがありそうな雰囲気でも、無い。
(となると、勝手に気後れして不登校になったタイプか?・・・神経細そうな顔してるしなぁ。)
一人納得しかける。
少年に対しては失礼なのだが、葵少年は見たところ体型分類で言うなら精神病的な傾向を示しているからだ。
勝手に追い詰められて自爆。そういうこともありえそうだった。
あまり科学的な分類法とはいえないが、クレッチマーの考えたこの分類は意外と当たるのである。
そんな事を考えながら、ぽやっと周りを観察しながら突っ立っていると、
後ろの女子生徒からなにやら小声で話しかけられる。
木製の濃い色をした床が僅かにたわみ、キィと音を立てた。
それで、初っ端一番コレである。
「ね、ね。君、伊織君でしょ。ねぇ、なんで今まで休んでたの?何かあった?」
デリカシーの無い少女だと思った。そこで首だけ後ろに向けて見ると、何だか硬そうな雰囲気の黒髪ロングの少女が居た。
この高校の連中は全体的に顔面偏差値が高いが、中でも女で、これだけの器量良し。
ならばさぞ、ちやほやされてきた事だろう。
つまり、これまたこの伊織少年の苦手なタイプだった。かく言う俺も苦手と言うかなんと言うか。
「・・・一身上の都合で、少しね。」
大体予想される葵少年の受け答えはこんなものか、と思う。ぼそぼそと小声で呟く。
いや、正しくは葵少年がこう答えてもおかしくは無い受け答えだろう。
おそらく、話自体殆どしなかっただろうから。
「えー、何?事件とか??」
「・・・・さぁ?」
ド直球な女だ。しかし実際にあったかどうかはわからないのでぼかしておく。
「むー。ちゃんと答えてよ、そんなんだから友達出来ないんだよ。
君、いっつも一人で弁当食べててさ、寂しくなかった?
何事もまずはコミュニケーションから、だよ?ねぇ、何か理由とか悩みとかあったんなら教えてよ。
私でも力になれる事があったら協力するからさ。」
「・・・余計なお世話だよ。委員長か、アンタ。」
詮索好きは好まれない。ましてそれが痛くない腹なら尚更鬱陶しいらしい。
情報は集めないといけないが、情報源としてこの少女は不適格だと思った。
が、しばらくまじまじと此方を見た後少女は呟く。
「・・・・え?そうだよ?まさか、それも知らなかったの?」
呆れた、と言うように目を丸くする少女。
確かにクラスメイトなら知ってて当然だが、少年も多分、知らなかったろうなと思う。
しかしなるほど、ここまでこの少女との会話で俺はいつも一人で弁当を食べていたと言う事がわかった。
ここで一人で弁当と言うのは比喩表現だろう。それはつまり、彼女の目から見て大体常に個人行動だったと言うことだ。
そこで家で確認した教科書類や文房具、制服などには損傷は無かったと言う情報と会わせる。
・・・・何となくイジメの雰囲気ではないな、と思った。
また、この少女は他人に積極的に会話を行うタイプの人間である。
にもかかわらず、彼女はこの少年の事を良く知らなかったと言うことも判明した。
そこから、彼女のような人種でさえ近づき難い雰囲気をを出すような人間だったとも推測できる。
この一目みただけでお節介とわかる人間ですら、この少年の事をあまり知らない・・・となれば結構"硬い"奴だろう。
高校一年生でそんな奴となると、むしろ問題は家庭か?
「うん、知らん。あと、出来たら名前も教えてくれるかな。なんて呼べばいいのかわからない。」
「は?」
のっけから駄目な感じの質問。
委員長(暫定)は、目を丸くして少し考え込んだ。
「・・・あー、うん。段々わかってきた。君、そういう感じの人な訳ね。うーん、思ってたのと違うなぁ・・・。」
「簡単に見透かされるような、浅い底はしてないよ。で、名前。」
つい元の体のつもりで喋ってしまった。ハッとするが既に遅い。
今度こそ、呆然とした顔の委員長(暫定)は信じられないと言う表現を顔で行う。
うん、まぁその気持ちはわかる。わかるけど、仕方ないんだよ。俺は中の人が違うのだし。
驚いた表情から、委員長(暫定)はニタリと好戦的な表情に変わる。様子見は終わりらしい。
「・・・"大枝"よ。"大枝もとこ"。今度は憶えておいてね。伊織葵クン?」
すぐに、反撃してくる"もとこ"。高校生にしては中々の胆力だった。
意味不明なモノに対する対応としてはすこぶる正しい。少し感心する。
「ん、んん。まぁ、多分・・・・。」
と言っても、憶えろと言っても中々な。
今日は色々と憶える事が多そうだから、ふとした拍子にトコロテン式に抜け去っていってもおかしくは無い。
確約は出来かねた。
「ぜ っ た い よ ?」
「あー、ああ。わかったわかった・・・。」
ズイとせまる顔。これは中々の迫力である。
おお、怖い怖い。前言撤回、今回はコレで忘れる事は無いだろう。
ここまで特徴的なイベントなら、もうガッチリと記憶の関連付けが脳のほうで行われているはずだ。
「よろしい。あ、前向きなさい。校長先生がまだ喋ってらっしゃるわ。」
「・・・・・。」
それと新たな情報。結構、彼女は良い性格らしい。一応、言っている事は正論なので大人しく前を向く。
初遭遇の同級生が、濃かった。ただしかし、彼女のお陰で良いスタートが切れたのは確かだ。
ここから後半日の内に、どこまで情報を集め、自分のスタンスを確立できるかが勝負の分かれ目だろう。
彼女とは終業式が終わってからも、少し付き合ってみるのも悪くない。
兎にも角にも最初の難関は、家族に怪しまれない事だった。
まるで寄生獣だ、と内心面白く思う。未知のインベーダーと言う意味では正にそうだ。
ふと何処か頭のネジが外れた感触があったが、こんな事面白がりでもしないとやってられない。
俺は意外とタフな自分に驚いた。
こんな状況でも、意外と冷静にやっていけている自分を誉めてやりたい気分だった。