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[34418] 【習作】 カタコンベから愛をこめて (オリジナル/ファンタジー/屍食姫)
Name: 賽子 青◆e46ef2e6 ID:e3b5ec25
Date: 2012/10/01 23:54
 初のオリジナルなのでイマイチ勝手がわからないのですが、ちみちみ書いていこうと思います。
 楽しんでいただけると幸いです。

 あ、屍食鬼ものなので、グロ注意、です。


2012.8.13
第5話『タバナクル』アップしました
また、1~4話にも手を入れています。




[34418] 01 / 赤い水底
Name: 賽子 青◆e46ef2e6 ID:e3b5ec25
Date: 2012/10/01 23:47

 01 / 赤い水底




「ア゙……」

 ソレ、は真っ赤に染まった水底で目を覚ました。
 膨大な量の水を湛えるくせに、ソレが在る地底湖の水はひどく熱い。
 真っ赤に染まった水と、底に溜まった茶色い汚泥。

 目覚めたそれは、まず口の中にあった肉を租借する。
 柔らかい。
 肉であるということは感じるのに、顎の骨にはほとんど抵抗がなかった。
 ズルズルと啜るようにして周囲の肉を飲み下していくと、だんだんと感覚が戻ってくる。

 平行して少しずつ取り戻し始めた筋肉で、ソレは動き始めた。
 首を回して周囲の肉を食い尽くし、動くようになったまだ骨の覗く腕を動かして、熱い肉と血の海を掻き分ける。
 まだ眼球は戻らない。
 真っ暗で真っ赤に灼けた世界の中で、指先の感触だけを頼りにとにかく肉を喰らい続けた。




 ばちゅりと音が弾ける。



 
 猛烈なまでの力が戻ったばかりの脊髄を奔り抜けた。
 何か、とんでもないものを飲み込んだと感じる。 
 感触は腐りかけた肉であるのに、煉獄を飲み込んだかのような熱が再生する肉を焼く。


 熱い、熱い、熱い、しかし手が止まらない。


 猛烈な渇きに急き立てられ、ソレは我武者羅に手を動かして周囲のものを口へと運ぶ。
 熱とともに、恐ろしいほどの力の奔流が身体を満たす。
 時折誤って肉ではなく骨をつかみ、半分以上がへし折られた歯と当って衝撃が骨を削るが知ったことではない。
 とにかくひたすらにこの熱い肉を喰らいたかった。

 すると隙間だらけだった骨の間には少しずつ肉が戻り始め、ガランドウだった肋骨の中には白い肺が輪郭を取り戻す。
 腹の筋膜が戻るとともに、空っぽだったその中に白い管がうねり始め、垂れ下がる袋の内側に強い酸の体液が染み出して泉を作る。
 まず穴のなくなった肉の管を通って酸の中へ肉を落とすと、肉は酸と混ざり合ってドロドロとうねる白い管へと流れ込む。


「――――――――――!!」


 赤い水の中で身体が跳ねる。
 数年ぶり、いや数十年ぶりの食事である。
 骨へと張り付き、いまだ皮膚を持たないむき出しの筋肉が躍動し、体中に張り巡らされた血管から異物を弾き飛ばす。
 変わりに充填されるのはソレの自前の命の雫。
 そこにうねる腸が中を流れる溶けた肉から養分を捕らえ、血中へと流し込む。



 気持ちいい



 本能が、満たされた。
 身体のすべての部分が歓喜し、それぞれが自分勝手に喜びを表現する。
 身体の中の無数の蟲が、皮を食い破って外に出たがるかのように、ソレは身体のいたるところを隆起させて赤い水をかき回す。
 ようやく張り始めた皮膚を引き裂き、命の雫が零れようと知ったことではない。

 嬉しいのだ。
 本能が満たされた。
 それが心底嬉しいのだ。

 痙攣する身体をするままに任せて、とにかく両手でつかんだ物を次々と口に運び、噛んで、飲み下す。
 肉も骨も、赤い泉の水ももはや関係がない。
 とにかく、とにかく、とにかく食べ続けた。
 食べられる事が、動けることが嬉しくて仕方がなかった。

 身体を筆舌に尽くしがたいほどに嬲られ、喰われ、誇りを砕かれて生きたままこの地底湖に続く水脈に落とされた。
 運悪く死ぬことが出来ず、投げ捨てられた死体が集まる地底湖の畔へと流れ着く。
 動こうにも、骨を砕かれ四肢の腱を切られた身体では這いずることしか出来ない。

 それでも必死に、生きようとした。
 打ち上げられた死体は、口に入れた瞬間に食べられないと解った。
 すぐそばのネズミは、動いた瞬間に逃げ去った。
 かとおもえば、集団で襲い掛かってくる。
 全身を齧られ、何とか水中に逃れた時、自分はもう人間ではないのだと悟った。

 光の届かない地の底で、身体だけは冷えていく。
 魔術を使って延命を図るが、僅かな魔力はすぐに尽きた。

 空腹だった。

 最後には本能しか残らず、朦朧とする意識の中で、不意に見つけた新鮮な死体。
 湖の中央に浮かぶソレを見つけ、最後の力をつかって辿り着き、その首筋に喰らいつく。
 そこで、彼女の意識は途切れている。
 生涯最後の食べものを果たして自分は食べられたのか?
 解らない。

 そこまで考えてふと、彼女は自分が思考していることに気がついた。
 眼球が再生し、身体にも皮膚が戻っている。
 赤く染まった視界越しではあるが、白い肌と、水にたゆたう自慢の黒髪も確認した。
 確か死喰鬼の群れに囲まれ、引きちぎられる前に切り落とした筈だが、髪は彼女の記憶にある長さを残していた。
 そういえば断たれた腱も、折られた歯も元に戻っている。


「う……」 
 

 そう思った瞬間、息苦しさが胸を突く。
 いつからいたのか解らないくらい長い間水中にいたのだから、命にかかわるようなことが無いだろうが、苦痛に身を浸し続けるような趣味は無い。
 身体はともかく、本能が『水の中では息ができない』と認識したのだろう。
 闇の中にあり、赤と肉で満たされた視界は、視野がゼロに限りなく近くただ重力だけを頼りに上を目指す。

 魔力で流れを制御し、真っ赤な水と赤黒い汚泥を掻き分けた先。
 黒が強くなった水面の中に、篝火のように灯る赤い島を見つけた彼女は、ひとまずあそこまで上がろうと手を動かす。
 記憶にある自分よりも遥かに力強く水をかく自分の腕に違和感を感じながらも、彼女はさしたる苦労も無くその島へとあがる。

「熱っ!」

 水から出て、塞がれた視界の中で島をつかんだ彼女は、掌に感じた熱と鋭い痛みに思わず声を上げる。
 足を動かして身体を浮かし、無事な左手で赤い水をぬぐうと、生理的な涙が瞳を拭い彼女は視界を取り戻す。
 するとまず視界に入ったのは、真っ黒く焼け焦げた掌よりも大きな鱗だった。
 未だブスブスと煙を上げる鋭いそれら。

 こんな巨大な鱗を持つ生物が一瞬頭をよぎった。そんな馬鹿なと思いながら、とにかく上陸できるところを探す。
 しばらく泳いだところで、彼女は思い違いに気づいた。
 この生物の死骸は島に打ち上げられたものではなく、この生物自体が島のように巨大で、水に浮かんでいるのだ。


「まさか……」


 彼女の脳裏に、先ほど思考の隅に追いやったとある生物が浮かぶ。
 この世界に於ける最強種。天空より大地を統べる焔の王。

 鱗が剥ぎ取られた部分をつかみ、強引に身体を生物の上へと引き上げる。
 水に浮かんだ不安定な足場を獣のように4つ足で登り、足元に気を配りながら少し高くなっている場所を目指す。
 すでに篝火の正体は知れた。
 その正体が、さらに彼女の疑念を確信へと変えた。

 燃えていたのは、生物の肉体。火種は、生物の血液。
 空気に触れて燃え上がる液体の炎。
 それを宿す生物は――――――――――――――――――――――



「あ、あははははハハハハハハハハハーーーーー!」



 小高い場所から、その全身を見た彼女は狂ったように笑う。
 自分は、いったい何というものを食らったのだとひたすらに笑った。  

 熱いはずだ。一口ごとに力が漲る筈だ。
 一度死んだ人間だって、現世へと引き戻すに違いない。
 なにせこいつは死神すら食い殺す、最も神に近い暴虐の化身なのだから。



「レッド・ドラゴン」



 彼女の眼前には、全身の鱗と翼膜を奪われ、己の竜血で全身を焼いた首なしのドラゴンが池に浮いていた。
 彼女は湖の中へと零れた、ドラゴンの血肉を喰らったのだ。









 / / / / / / / / /







「ハハハ―――――、ハァ、ハァ、……さぁ」

 息が切れるほど笑い続け、ひと息ついた彼女は次に何をすべきかを考える。
 と、そのとき、何かが動く気配を感じた。
 ひとつ、ふたつ、みっつ……
 意識を集中させて探れば探るほど、その数を増やす気配は、自分の下。すなわち湖の中から伝わってくる。

「うん。むしろ竜の血の恩恵を受けたのが私だけだと考えるのは傲慢ね」 

 湖からドラゴンの屍の上に上がってこようとするそれらを明確に意識し、彼女は静かに息を吸い、吐く。
 濃密な血のにおいが鼻の奥を満たし、思考が痺れる。
 四肢の力を抜いて、だらりと両腕を下げた前傾姿勢をとった瞬間。
 湖底からの尖兵が彼女の前に姿を現す。


「  ッ!」


 敵視認と同時に、彼女は駆け出す。
 皮の上に僅かに残る鱗に気をつけながら加速し、跳躍。
 緩慢に腱を振ろうとするそれの首筋に強烈な跳び蹴りを見舞うと、そのまま押し倒すようにして顔面を踏み潰す。
 敵の腐った肉と骨は、彼女の体重すら支えられずにスイカのように潰れて散らばる。
 

「速い。身体強化をかけているわけでもないのに」


 一方、崩れた死体の上で彼女は自分の膝を屈伸させながら、多少の驚きを覚えていた。
 ドロドロと粘液状になった湖の底からここまで上がってこれたことで、自分の身体能力が以前よりも向上しているという自覚はあったが、これは予想以上。
 咄嗟に素手ではなく足裏を相手に叩きつけた判断は正しかったと自画自賛する。
 見たところ身体の強度そのものは変わっていないようだし、ガンドレットも無しに相手を殴れば確実に骨折していただろう。
 いまもまだ、ビリビリとした痺れが蹴った足に残っている。

「けど、もう肉弾戦の必要なんてない」

 尖兵に続いて、さらに10体ほどの人影が現れる。
 どれも一様に腐った肉の身体をもち、鈍重な動きで彼女に迫ってくる。
 俗に『ゾンビ』と呼ばれる最下級のアンデットたちだった。
 それらの一部は、湖底に沈んでいた岩や木の棒、動物の脛骨などで武装している。

 だが彼女には微塵の不安も無い。
 なぜなら彼女の右手には、それらよりも強力な、彼女の最も得意とする武器が握られているからだ。
 久々の感触が、彼女の右手にある。

「ふふ、最初の彼?は兵士か何かだったのかな。
 死んでなお己の武器を手放さないなんて凄いわ。ご褒美に、貴方の相棒は私が擦り切れるまで使ってあげる」

 彼女の右手に握られているのは、最初のゾンビが持っていたロングソードだった。
 元々が頑丈な剣であり、さらに質のよい鋼鉄を使っていたのだろうこの剣は、表面こそ錆びで覆われていたが、その芯はいまだ健在で使用するのに支障はない。
 切れ味は無いに等しいが、そもそもこの手の剣に切れ味は求めていないので問題は無い。

「ふっ!」

 鎧袖一触。相手は彼女の間合いに入った瞬間に、その武器ごと両断されて湖へと叩き返された。
 そのまま姿勢を低くし、ゾンビの間を走り抜ける。
 一足につき、一撃。
 全ての歩みを踏み込みとして、次々と迫る敵を次々と切り伏せ、腐った肉が宙を舞う。
 一糸纏わぬ裸身をさらしながら、ただの一筋の傷み許さない完璧ないくさ運びで全てのゾンビを切り伏せた彼女は、もう動くものがいなくなった竜の屍の上満足げに息を吐く。

「ん~、まずまず。でも……」

 ふと、同時に右足に強い違和感を感じて視線を送る。
 調子に乗りすぎてどこか痛めたかと思い、軽く足を上げた瞬間、鋭い痛みが身体を突き抜ける。


「~~~~~~~~~~~~ッッ!! あ、あれ、うそ……」


 痛みとともに骨を伝って聞こえた、ブチッ、という音。
 太ももの筋肉を支える筋が断ち切れ、足の肉が皮膚の中でボトリと落ちた。
 それを切欠として身体の複数の場所で同じような音が聞こえ、皮膚が裂けて血が噴出した。

「あちゃあ、やっぱり調子に乗りすぎたんだね」

 保護魔術なしで過剰な身体強化をかけた時になるという症状に似ているなぁ、と身体中に奔る激痛に蹲りながら考える。
 普通はこれで再起不能。それどころか、生命の危機である。

「うん、良くも悪くも、こんな身体になってしまったわけか」

 だが、彼女は特に悲観するわけでもなく、剣を手繰り寄せると近くのゾンビの服を剥いで刃に巻きつける。

「せぇ~の!」

 そして少し振りかぶって勢いをつけ、刃を足元の竜の屍につきたてる。
 切れ味などほぼ皆無となった錆びた刃に苦戦しながら、ザクザクとノコギリのように動かして肉を切り取る。
 程なくして不恰好な直方体に切り取られた竜の肉を両手で持ち、ガブリと噛み付く。

 即座に広がるのは、濃密な鉄の香りと、馬鹿になった鼻でも感じる腐臭。
 次いで迫る炎のような熱さを楽しみながら、薄暗いカタコンベの底で、彼女は竜の屍肉を胃に収めていった。



 



[34418] 02 / 城砦都市サブトレイ
Name: 賽子 青◆e46ef2e6 ID:e3b5ec25
Date: 2012/10/01 23:47


 02 / 城砦都市サブトレイ




「ん、太陽の光は平気、と」

 心ゆくまでドラゴンの肉を貪ったあと、彼女は自分の身体について調べ始めた。
 不思議と、ヒトでは無い者へと成り果てたことへの忌避感はなかった。
 一度死んで、アンデットとして蘇ったというのに、それについて一切心が動かない。
 そういうものかと思う程度である。

 時間はすでに朝を過ぎて昼前となっていた。
 分厚い雲が空を覆っていた昨夜は解らなかったが、どうやらドーム状になった空間の天頂部分には大穴が開いていたらしい。
 巨大なドラゴンの死体をどうやってここまで運んだのかと思ったが、どうやらこの穴から放り込んだようだ。
 彼女がまだ人間だったころにはこんな大穴は開いていなかったから、彼女が死んだ後に天井が崩落したのだろう。

「上の森は聖域だったはずだけど―――」

 自然に崩落した、ということはまずありえない。
 このカタコンベの最奥にある湖の真上にあたる森は、彼女の国によって聖域に指定され、防人たちが絶えず手入れを行っていたはずだ。
 崩落を引き起こすような超重量のものを運ぶことなど許されるわけがない。
 ましてそんな森にあいた穴に死体をすてるなど、言語道断な行為である。

「………まぁ、確認すればわかる話か」

 彼女は予想が当っていることをほぼ確信していたが、はっきりと確認するまでは信じないと視線を空間の東の端へと向けた。
 差し込む光から逃れるように闇が広がっている。
 天頂に開いた穴とは別の、この泉を訪れる者のために掘られた洞窟への入り口だった。
 この道を通れば、夕方には街の外れに出るだろう。
 
 さて、と一言つぶやいて、彼女は食べずにとっておいたドラゴンの肉塊を岸に向かって投げ、自身も泳いで岸へと上がる。
 手には先ほどの剣と松明を持ち、足にはドラゴンの皮膚を裂いた時に得た皮を巻きつけている。 
 なんの加工もしていない皮だが、地上に出るまでくらいはもつだろう。
 二、三度ほど地面を強く踏みしめ、問題がないことを確認して彼女は歩き出した。

 ほどなくして 黄色く黄ばんだぼろぼろのシャツとズボンをみつけ、最低限の衣服を身に着ける。
 膝や脇が破れているが、贅沢はいえないだろう。
 同じく拾った、よく乾いた木の棒にそれに何のものか解らない脂肪を巻きつけると、先ほどの肉塊から血を吸い取って吹き付け点火する。
 即席の松明だが、十分に使用するのに十分。
 赤々と燃えるそれを左手に。右手には剣とドラゴンの肉塊を手に、彼女は地上に向かって歩き出した。

 洞窟の道は曲がりくねってはいるが、基本的に一本道である。
 地下水脈を拡張して作られた道のため、複雑に曲がりくねって足元は濡れている。
 管理が適正に行われていれば、足元の水溜りはほとんど出来ないはずだが、ところどころでは浅い流れが確認できた。
 見れば排水のための溝が詰まっている。手入れはされていないようだ。

「どうやら、ここはもう使われていないようね」
 
 全体の1/4ほど歩いたところで彼女はそう結論付けた。
 そのまましばらく歩くと、一本道から横に逸れる道が現れ始める。
 道の先は人が20人ほど入れる小部屋になっていて、部屋の中には百以上の白骨が眠っている。

 彼女の国ができる前から使われ続けた集団墓地、カタコンベだった。
 個別の墓を持つ習慣のなかったこの地方では、死者はこの洞窟に葬るのが慣わしとなっていて、正確に数えたものはいないが、少なくとも五千人以上の人間がここで安寧の中にいるはずである。

「何か使えるものが無いか……探すこと自体が死者への冒涜ね」

 松明を掲げ、白い骨の群れを一瞥すると、彼女は再び歩き始めた。






 / / / / / / / / / /





「ああ、これは間違いなく使われていないね」

 洞窟の出口まで辿り着いて、彼女は納得したとうなずく。
 光が差し込む出口は分厚い草のカーテンに覆われていた。
 岩などで物理的に塞がれているわけではないが、人の出入りが無いことは明白だった。

 自分が過ごした文化が変わってしまったことに一抹の寂しさを感じながら、彼女はその草を錆びた剣で切り裂き、外へ出る。
 外は、何てことの無い林の中。
 腐葉土の感触を足の裏に感じて、彼女はひとつ大きく深呼吸をする。
 木々の間から見え隠れする巨大な建造物は、都市ひとつを丸ごと囲んだ城壁。
 彼女が生前、人生の大部分の時間を過ごした城塞都市『サブトレイ』である。

 この林とサブトレイの距離はほぼ無いといっていい。
 昼を示す太陽が傾くよりも早く、彼女は街の入り口まで辿り着く、が、どうやらここからは入れないらしいことが解った。
 門から少し離れた場所に粗末なテントが無数に張ってあるのが見えたからだ。

 入り口では2人の兵士が睨みを利かせており、さらにその奥では出入りするものと管理しているだろう兵士の姿もうっすらと見える。
 元々、城壁に囲まれていることで拡張性に欠ける都市だ。
 誰も彼も受け入れていてはすぐに人口がパンクする。
 結果、出来上がったのがあの粗末なテントの群れというわけだ。

 しかも門に巨大なレリーフとして刻み込まれた紋章は、かつて仕えた『空を舞う不死鳥』の旗ではなく、怨敵である帝国の『獲物を狙う獅子』
 やはりあの時、彼女の国は敗れていたらしい。
 サブトレイは、王都リュオンを護る最後の砦。
 このサブトレイとその周辺地域を失えば、孤立したリュオンには陥落の道しか残ってはいない。

 貴族の存在意義を忘れ、自己の利益のみを追求する貴族たち。
 母国は、滅びるべくして滅びたのかもしれない。
 帝国との緒戦で大敗し、王を護るはずの3人の公爵のうち2人までが裏切ったとき、王国の運命は決まった。

 そんな状態だったから、王国自体にはさほど未練は無い。
 自分の生国が無くなったことへの寂寥の思いがあるだけだ。
 ただ、片田舎の地方貴族に過ぎなかった父を取り立て、師団長になるまで重用しれくれた当時の国王には申し訳なく思う。

 恐らく王は、この国を改革しようとしていたのだろう。
 若く、才覚のあるものをその地位に囚われず登用していった。
 それが返って既存勢力の反感を買い、公爵家の裏切りへと繋がっていったのは皮肉でしかない。

 最後の戦への出立の際、国ではなく民を頼むと言って父を送り出した王。
 もし民がそれを望むならば、この身体に宿る業火を帝国に叩きつけてやる。
 それが護れなかった王の恩義に報いる術だろう。

 かつての国王を、父親を除いて唯一自らの意思で膝をついた主を想い、静かに瞑目する。
 数秒の黙祷の後、主の変わってしまったサブトレイへと近づいたとき、その城門の上で翻る2つの旗が目に入った。
 ひとつは城門に在るものと同じ帝国旗。そしてもうひとつは――――

 瞬間、彼女の時間が止まった。

 刹那送れて、彼女の視界が真っ赤に染まる。
 脳裏にあの時の光景が、死してなお忘れぬ、生涯最後の、最大の屈辱がフラッシュバックする。
 禁呪によって痛みと恐怖を麻痺させられ、己の欲望と衝動を剥き出しにした敵兵の姿。
 自分に群がるように襲ってくるそれらは、同胞の死に一切頓着することなく、それどころかライバルが減ったと歯をむき出しにした口で嗤いながら進んでくる。
 遂にいつも共にあった部下たちは残らず殺され、私は両手両足の剣を切られ鎧と服を剥ぎ取られた。
 そして戦場の真ん中で、周囲を全て敵に囲まれた中で、またの間にあるいきり立つソレで私の純潔を貫いた男。
 その男の胸にあった紋章は――――――


「――――――アハッ、アハハハハハハ!
 なにかしらね、これが帝国の奴らがいう『神の思し召し』って奴なのかしら、だったら、ちょっとは信じてあげてもいいわ!!
 アハハハハハハハハハハハハハハハーーーーーーーーーッッ!!!」


 もうひとつの紋章は、剣を噛む虎の旗。
 忘れもしない、かつてこの身の純潔を奪い誇りを踏みにじった男がその胸を飾っていた紋章だ。
 死の闇に堕ちてなお、魂に刻み付けられた呪いのカタチだ。
 そうか、あの男が、あの男の一族が、いま私たちの街を治めているのか。

「アハハ、幸運だ、これはかつてないほどの幸運だよ。
 そっか、すぐそばにいるんだね。殺す、必ず殺す。貴様を殺して、やっと私は復活できる。
 そのためにも、まずは敵の懐に入らないと」

 クツクツと込み上げる真っ黒い嗤いに身を震わせながら、彼女は街の城門を見つめる。
 門を抜けるために必要なのは、身分と金。 
 生前ならば、どちらも十分に彼女は持っていた。国では子爵の地位を持つれっきとした貴族だったのだ。
 だが今の自分の状況はと考え、彼女はため息を吐く。

 服はボロボロで染みだらけ、靴も無く皮を巻いただけ。
 なぜか右手には錆び付いた剣を持ち、肉塊の入った袋を担いでいる。
 地下水につかって洗い流したとはいえ、染み付いた腐臭も消しきれていない。 
 これでは貧民どころか、アンデットと間違われそうな風体である。
 まぁ、正にその通りなのだが。
 おまけに一文無し。少々泣けてくるような状況だった。

「難攻不落のサブトレイ。
 ねずみ一匹、忍ぶ隙なし、か。いや、待てよ……」

 幼少のころから聞いていた、このサブトレイを歌った詩を思いだす。
 実際にも、敵国との圧倒的な兵力差と、内部の裏切りで陥落するまで、このサブトレイは10倍以上の兵力差でも落とすことは適わない堅牢な要塞都市だった。
 だが、と詩をつぶやいた彼女は思い出す。
 自分が雪崩れ込んできた敵兵に弄ばれたのは、城塞都市の中央に位置するサブトレイ城の一角だった。
 ならば自分は、どうやってあの街からカタコンベまで流されたのか。

「地下水脈か。試してみる価値はあるかな」

 生前、彼女が落とされた地下水脈以外にも、このサブトレイの地下には何本もの地下水脈が走っている。
 北の山から流れ出し、一部があの湖へと注ぐその水は、この都市に住む人々にとって無くてはならないものだった。
 何本かは人一人が余裕で通れるほどの大きさがあり、かつての防衛戦の際には、この水脈を塞き止めてできた通路を通って敵の背後を突いた事もあるらしい。
 普段は水が幅いっぱいに流れ、ここを突破して城内に入るには少なくとも2000歩以上、流れに逆らいながら無呼吸で進まなくてはならない。
 水系の魔術を得意とする魔術師でも、そこまでの術式を組むことは不可能だろう。

 水棲の魔物であればともかく、人間や陸棲の魔物では水中を進行できない。
 その水棲の魔物も、わざわざ山ほど人間のいる町に忍び込んだりはしない。せいぜい稀に迷い込む個体がいるくらいだろう。
 だから恐らくそこを通れば、 場内まで到達できる可能性は高い。
 物は試しだと彼女は来た道を戻り、地下の川に身体を浸す。

「むぅ、冷たいね」

 再び松明を片手に洞窟内を調べ、時折襲ってくる魔物を切り伏せながら探すと、運よく腰まで浸かるほど大きな水脈を発見した。
 残りの肉塊を全て胃に収め、地下水に入ってみて思った以上に冷たく流れのある水に顔をしかめる。
 だがまさかそれで止めるわけにもいかないので、息を止めて水に頭まで浸かった。

「―――――」

 そのまま待つこと暫く。
 ゆっくりとで200を数えたあたりから、本能が水から出ろと警告してくるが、それを精神で押さえ込んでさらに200を数えると、警告は鳴るのを止めた。
 もう一度顔を上げるとまた苦しくなりそうだったので、そのまま進むことにする。
 一緒に水に沈めた剣を手に取り、流れに逆らって進み始めた。





 / / / / / / / / / /





「……遠い」

 進み始めてもう大分経つ。外はすっかり暗くなっているだろう。
 サブトレイの方が高い位置にあるので方向としては常に流れに逆らっていけばいいのだが、進んでいくと枝分かれしていたり、洞窟が狭まっていて進めず戻ったりとしているうちに時間が過ぎていった。
 過ぎていく時間に、徐々に焦りが出てくる。
 
 この身体は呼吸する必要がないため、息苦しさはないが、代わりに生きている人間よりもはるかに崩壊が早い。
 高い筋力も、エンチャントがかかっているというよりは、筋力を常に限界以上の力で使えているという状態らしい。
 常に“狂化”の呪詛がかかっている状態といえば解りやすいだろうか。

 水に逆らいながら進んでいる現在は常にリミット以上に筋肉を使っている状態なので、遠からず崩壊は訪れる。
 現在は先ほど食べた竜の肉によって崩壊を押しとどめている状態だが、全身に奔る刺すような痛みも徐々に無視できる限界を超え始めているし、恐らく朝までは保たないだろう。
 あと一度、この道の先が塞がっていたら、一度戻ったほうがいいかもしれない。

「と、決断した途端に出口が見えるというのが世の常かな。出口だ」

 目を限界まで酷使して光を集める視界の中に、洞窟の上方向から差し込む光が見える。
 近づいてみると、どうやら鉄格子がかけてあるようだが、この程度ならば何とかなる。
 身体をうまく回して鉄格子の下に蹲り、足は洞窟の底、背中と首を鉄格子に押し付ける。
 そのまま一旦、力を抜き

「ふっ!!」

 全身の力を縦方向に一気に解放する。
 精神的な枷の無い攻撃を受け、鉄格子の留め金が弾けとんだ。
 首尾よく一発で破壊できた事で苛立っていた気分を好転させながら、彼女は久々の空気を肺一杯に吸い込んで、吐く。

「はぁ、」

 息苦しさは無いが、長時間暗く冷たい水の中にいることは少なくないストレスだった。
 それから開放され、酷使した筋肉をほぐす様に深呼吸を繰り返した後、剣を手に水からあがる。
 ここは―――どうやら市街区のどこかのようだ。
 人に水は不可欠なので、この街では最もよい水脈から順に城、貴族区、富裕区と場所を占めていった。
 彼女が這って進めるくらい大きな水脈を利用できているということは、それなりに裕福な区画だろう。

「ッ、何者だ! どうやってそこから出てきた!?」

 身体の感覚を確かめるように軽く動いていると、鋭い男の声が響いた。
 視線を向けると、明かりを持った男が近づいてくる。どうやら鉄格子を壊すところからの一部始終を見られていたらしい。
 ふむ、と一息をついて、彼女は男を観察する。

 20代くらいの若い男は、戸惑いと驚愕の混じった顔をこちらに向けている。
 確かに鉄格子のはまった水路から人が出てくれば仕方が無いだろう。
 しかも出てきたのが長い黒髪をもつ少女であればなお更だ。3流詩人の語る怪談話も真っ青である。

 男の手に持つ明かりに照らされたことで、その服装が見えた。
 紺の丈夫そうな服を着て、腰からは剣を下げていた。
 身に纏うプレートメイルの胸に獅子の紋章を付けていることから、帝国の警邏隊だろうか。

 「私? アシュレイ・リグレット・エルダーと申します。はじめまして、兵士様、ってね」

 男に、彼女―――アシュレイはひどく嬉しそうに名前を告げる。
 戸惑い、間抜けな顔で生返事をした男は、ふと、その名が示す人物を脳内に描き、は?、と声を上げた。
 その名前は聞いたことがある。
 確か帝国がをこの街を攻めたときに、最後まで抵抗した姫騎士の名前では――――――――――

「あ゙……」

 喉に熱を感じて、男の思考はそこで途切れる。
 首に強い違和感。息が出来ない。
 何故だと視線を下げると、なぜか喉から錆びた剣が生えていた。

「そしてさようなら。
 ありがとう、ちょうど肉が欲しかったところなのよ」

 警邏隊所属とはいえ、男も軍の育成課程を修了した正規兵である。
 その彼の喉を、アシュレイの歩幅で5歩以上の距離がある遠い間合いから反応すら許さずに貫いたのは、彼女の最も得意とする片手突きだった。
 一切の予備動作無く、最短距離で敵の急所を狙う必殺の一撃。
 本来はもっと細く鋭いレイピアなどで行うものだが、枷の外れた彼女の筋力ならば、錆びたロングソードでも十分な効果を発揮する。

 アシュレイは物言わぬ屍となって膝から崩れ落ちた男を嬉しそうに見下ろすと、自分のシャツを脱いで死体の首に巻きつけて止血する。
 そのまま手際よくそれを担ぎ上げると、先ほどの声を聞きつけた別の警邏兵が来る前にその場から走り去った。
 後には、男の首筋から流れ出た大量の血液だけが残された。




 / / / / / / / / / /

 うん、二話目にてようやく主人公の名前が出せた(^ ^;)



[34418] 03 / 水蜘蛛の巣
Name: 賽子 青◆e46ef2e6 ID:e3b5ec25
Date: 2012/10/01 23:48
03 / 水蜘蛛の巣


 夜の闇を走る。

 彼女の生きた時代から、この街にはひしめく様に家が建っていた。
 もし新しい家を建てたいならば、今あるものを壊して建てるしかない。
 またどうせ建てるなら、少しでも広くしたいのが人の性。
 よって多少の位置のずれこそあれ、家々の配置は彼女の脳内の地図と一致した。
 帝国への逆撃のために、夢でも路地を彷徨うほどに覚えこんだそれを彼女が忘れるはずも無く、誰の目にも触れないように薄暗い路地を選んで走ったにも関わらず、彼女はただの一度も速度を緩めることなく目的の場所へ

「あれは……」

 ふと、見上げた先にかつて月の神を祭っていた神殿が見えた。
 空に輝く二つの月―――合い争う蒼月と黄月を共に祭る神殿は、このサブトレイの自慢でもある。 たしかあの神殿は帝国との戦争が始まったばかりのころに、完成したはず。
 完成したばかりだったそれらは、彼女が死んでいる間にも時間を積み上げ、特に周辺の付属施設には老朽化が目立つ。
 ざっとだが、50年程度の年月が経っているように彼女は感じた。

「ふふっ、やっぱり幸運だ。この程度の時間しか経ってないなら、あの男はきっと生きている」

 男の屍を抱え、脚を止めないままアシュレイはまた嗤う。
 あの男は、私を貫いたときまだ20代前半だったはず。
 平民と違い貴族は長生きだから、大病を患っていない限り生きているだろう。
 奴の子孫でも憂さ晴らしくらいにはなるだろうが、やはり復讐の刃はあの男に突き刺さねば。

「けどあの神殿、やけに明るかったわね。まぁいいけど」

 夜の神を祭る神殿に相応しく、彼女の記憶にある限りでは年に数度の祭事以外では、あの神殿はそう喧騒に包まれることは無かったはずだ。
 だが彼女の眼には、夜の闇の中に赤々と浮かび上がる神殿の姿が見えた。
 やはり文化を蹂躙する帝国らしく、あの神殿もかつての役割を奪われたのだろう。
 そんなことを考えながら、彼女は目的の場所に着いたことを確認して、跳んだ。
 

「ふっ――――」

 一秒に満たない時間の浮遊と、着地。
 足首、脹脛、膝、腿、腰、背中、肩。
 全身のバネを柔らかく連動させて人間2人分の衝撃を殺しきり、アシュレイはふうと息を吐き、死体を下ろす。

 そこは、上にある路地から大きく落ち込んだ下水道の一角だった。
 このサブトレイでくみ上げられた地下水は、人々の生活に使用されたあと、この下水道を通って外へと流れ出す仕組みになっている。

 下水道の下流域は町中から水が集まるために広大な空間が設けられており、スラムにすら住めない貧民たちが暮らす最下層の貧民窟となっていた。
 一方、いまアシュレイがいるのは下水道の上流に当る場所だった。
 この当りは地面の傾斜がきつく、落ち込みも深いために、住んでいる者はいない。
 ましてこの上に広がるのは裕福な市民である。
 わざわざ臭い匂いが漂う下水を覗き込む者すら少ないに違いない。

 そんな街の死角に飛び込み、彼女が振り向くと、そこには屈めば十分に入ることができる地下への入り口が口を開けている。
 上流域にいくつもある、下水道同士を繋ぐ横溝だった。
 一段高い場所にあるこの横溝は家々の下を貫くように奔っており、地下水脈が増水した際にその水を逃がす役割を果たしていた。

 彼女の父から数えて5代前の領主が莫大な予算を投じて整備したこの横溝は、それまで大水のたびに水に襲われていた街を救った偉大なる設備であり、同時に地下に在る巨大な迷宮だった。
 街の主が変わり数十年が経過した今、この地下の蜘蛛の巣の全容を知る人間はひとりもいない。

「ふふっ、変わってないね」

 この、アシュレイというアンデット以外には。
 摘み食いと男のもっていた大ぶりなナイフで腕を切り落として、腕の中の血を啜り、肉を齧りながら指先に感じる目印の感触を頼りに暗闇を進む。
 死体の腕を持ち、表面をぬらす様に流れる水の上をずるずると引きずってばらく進むと、少し広い空間に出た。
 足元の水もなく、壁に燭台まで付けられたここは、地下道を作る際に資材を置くために作られた中継点だった。
 戦争の際には市街戦を展開する部隊の隠れ家としても活用されたこの中継点の位置を、部隊長だった彼女も当然知っている。

「『影を照らす灯し火を此処に……』」

 言い忘れていたが、先ほど止血するために男の首にシャツを巻いたため、彼女は上半身に何も来ていなかった。
 しかし彼女はそれに頓着することなく、今度はズボンを破いて木屑の代わりにすると、魔術を使って火を灯す。
 ごく初歩の、種火を灯すための魔術。今の彼女でも、市民が生活で使うような魔術であれば行使できる。
 しばらく服を燃やしていると、おなじく据え置きされた蝋が役割を思いだしたのか、やんわりとした光で地下の空間を照らし始めた。

「さてと、」

 明かりが確保された事でひと心地ついたアシュレイは、本格的に男の解体にかかった。
 まずは既に切り落としていた腕を食べきり、軟骨を噛み砕く。
 切り落とした腕を縛り付けていた紐を解き、血が溢れる傷口に口をつけて溢れる血液で喉を鳴らす。

 アシュレイにとって、この『血を啜る』という行為が最も大切だった。
 この魔物が存在する世界で、肉体的に脆弱な人間が繁栄できた理由のひとつに『魔法』がある。
 自身の魔力を使って自然界に干渉し、さまざまな現象を誘発する技術である。
 
 その魔力は人間の体内に存在する特別な筋肉、心筋の拍動によって作り出され、血液を介して全身に送られる。
 血液は魔力の運び手であり、同時に貯蔵庫でもある。
 なぜなら魔力は純粋な『動』のエネルギーの結晶なので、その場に留まるということが出来ない。常に動いていないと他の動いているものに向かって霧散してしまうからだ。
 だから常に動いている血液にのって全身を巡り、必要な場所で必要なだけ使われ、残りはまた戻ってくるというわけだ。

「……ん、次」

 そうしている間にもアシュレイの食事は続き、死体の血を飲めるだけ飲んだ彼女は、いよいよといった表情で彼女は男の身体を正中線に沿って縦に切り裂く。
 この世界でも『口から入ったものは身体の中を通って糞になって出る』ということは解っている。
 よって彼女はその管を傷つけないよう身長に肋骨を切り、中身が漏れない様に胃の上あたりを服の切れ端で縛ると、邪魔だとばかりに細長い腸と一緒に外に放り出した。
 後にはそれなり以上に空間の出来た腹の中と、血で汚れた肺。そして生物の魔力源たる心臓がある。

 もちろんアシュレイは迷わず心臓を手に取り、指ほどもある太い血管を手早く切って取り出すと、待ち切れないとばかりに齧り付いた。
 心臓独特の弾力の強い歯応えと、弾ける様な新鮮な魔力が口内を満たした。
 だが彼女はそれを堪能することなく、手早く心臓を咀嚼すると、ゴクリと喉を鳴らして嚥下する。
 己にかけた魔術を一旦解除した彼女は、自分の左胸に手を置いてその時を待った。

 しばらくの静寂。 精神を集中し、どんな変化も見逃さないように神経を研ぎ澄ます。
 10、50、100、、、
 500を数えた時、アシュレイは実験が失敗したことを知った。

「ん~、ダメか。しょうがない、しばらくは魔術なしだね。血流を維持するだけで手一杯だ」

 ドン、と胸を叩き、魔術を使って血流を戻すと、アシュレイは男の身体を貪り始める。
 便の詰まった管は避けて、まずは濃密な血の味がする肝臓。次いで奇妙な食感の肺。胸骨の間についた肉を剥ぎ取り、うっかり傷つけた膀胱の匂いに顔を顰めながら、 試しに眼球を口に放り込んでみるが、さして旨くも無かったので部屋の隅に吐き出す。
 頭頂部を割り砕いて開き、腐肉のように柔らかい脳髄にナイフを入れて食べやすく切り、リズムよく口に運ぶ。
 最後に空っぽになった頭蓋骨に血液を溜めて飲み干すと、彼女はそのまま後ろに倒れこんだ。

 いくらヒトではないものと成り、人外の消化吸収を身に着けた彼女でも男ひとりを一気に食べきるのは無理だった。
 右腕と胴体、頭を食べ終わったところで、今日はここまでにしようと手を休め、硬い石の床に身を横たえると、身体に入った肉と血が猛烈な勢いで消費され、再生される肉体が皮膚の下で蠢く。
 熱病に魘されたときのような熱を全身に感じながら、彼女は瞼を閉じ黙考する。 

 この身体には柔らかいベッドも調理をするための火も必要ない。
 地下に蔓延する煙による呼吸困難も、水没による窒息の心配も無かった。
 現在身を横たえている、このサブトレイの地下に張り巡らされた下水道網を上手く使えば、人間を襲うのは容易い。
 この地下道に篭り、定期的にヒトを襲えば、恐らくかなり長い期間存在を保っていられるだろう。

「けど、それじゃああの男には届かない」

 呟き、瞼を開ける。
 城門に翻る、己の憎悪全てを叩きつけても足りない男の紋章。
 やはりたった数十年で目覚めることが出来たのは幸運だ。
 今ならばまだ、手が届く。
 あの男だけは、ただ殺すだけでは駄目だ。私を辱め、嬲り、誇りはおろか人の尊厳すらも砕いたあの男には、必ずこの手でこの世で最も惨たらしい『人の創る地獄』を味合わせてやる。

 その為には、地位が必要だ。
 今のままではかつてと同じように、物量によって圧殺されるだけ。
 雑兵5人なら何の問題も無く、10人でも余裕を持って対処できる。
 しかし20人を超えると少々苦しく、100人を超えればひとりで全てを殺しつくすのは難しい。 
 だからあの男をこの手で地獄を与えるには、あの男に近づけるだけの、あの男が近づいてくるだけの、地位と金が必要だ。
 
「うん、方針は決まったわね。私は再び、ヒトとして生きる。
 その為にはまず、手っ取り早く金を稼ぐ方法を考えないと」

 ヒトの社会で、ヒトとして生きるならば、まず必要なのは金である。
 これはカタコンベの地下にいたネズミを食べた時に知ったのだが、質を無視すれば、この身体を維持するために必要な肉は別に人間のものでなくとも良いらしい。
 とはいえ、最も効率がいいのは身体それなりに大きく、魔力密度が高い人間を喰らうことなのは間違いない。
 それを補うには、人一倍食べなければいけない訳で、それだけの食料を調達するには、それなりの金が必要なのだった。

「まぁ、街に出てみれば何かあるかな?」

 彼女の中に、帝国に兵士として志願するという選択肢は無い。
 それ以外で、彼女が身に着けている特殊技能―――武力によって地位を得る方法を明日は探すことになる。

「無難なのは傭兵だけど、ねぇ」

 戦うこと自体は問題ない。
 だがそれ以外の時間、自分の身体を散々に嬲った男たちと同種の男に囲まれて平常でいられるか? たぶん無理だろう。
 ままならないな、と思いながら、今度は眠るために瞼を閉じた。

 数十年の時間を経て、こちら側に戻ってきて初めての、眠りの闇へと堕ちていく中で、確認するように左胸に置かれた右手。
 心臓の真上に置かれたはずのその掌には、何の振動も感じることは無かった。





 / / / / / / / /




 翌朝。
 昨夜の男の残りの部分を食べつくした彼女は、消化管や毛髪など食べる気にならない部分を血塗れになったシャツに包んで横溝の奥のほうに捨ててきた。
 あとはネズミなどが何とかするだろう。
 たとえ見つかったとしても、いぶかしむ程度でいちいち調べたりはすまい。
 なにせ在るのは何のものか解らない内臓と毛だけで、あるべき腕や足は既に食べつくしてしまったのだから。
 ちなみに骨は細かく砕いて半分くらいは食べ、残りは内臓と混ぜて投げ捨てた。

「ん~~、やっぱり外は気持ちがいいね」

 元来た横道を戻り、下水道を伝ってそれほど裕福ではない者たちがすむ地区まで辿り着いた彼女は、下水からあがって大きく伸びをした。
 現在彼女は、昨日の兵士から奪った服をそのまま着用している。
 インナーのシャツと、何かの植物を使って染められた丈夫な上着は、どちらも彼の私物だったらしく帝国兵を示す紋章はない。茶色く染められた丈夫なズボンや靴も同様である。
 どれもアシュレイの体格にはまるで合っていないが、ある程度は工夫次第で何とかなるし、この当りようのうに貧しい場所では、多少サイズが合っていないことを気にするものもいないだろう。

 一方で鎧や剣は紋章入りだったので置いてきた。
 現段階で憲兵に目をつけられるのは面倒だし、彼が失踪しているのはもう伝わっているだろうという判断からだ。
 ただ、彼が持っていた切れ味のよさそうなナイフだけは拝借して腰のベルトに刺してある。
 これには帝国の紋章も無く、また他の装備に比べてやけに上等なものだったので、捨てるのは惜しかったのだ。
 もちろん元の持ち主が解るような特徴的な装飾はすでに削り落としている。 

「さて、どうしようかな」

 アンデットらしくもなく日差しと空気を堪能したアシュレイは、気の向くままに歩き出す。
 月日を経て変わったもの、変わらないものを脳内に上げながら、懐かしい街の風景を眺めていると、少々広めに作られた十字路に出た。
 そこには何やら人だかりが出来ている。

 時刻は既に昼前だが、飛び交う怒号や歓声は、どうやら飲食店などに群がっている風ではない。
 興味をそそられて人混みの隙間から覗いてみると、ロープで正方形に区切られた場所の中で2人の若者が模擬剣と盾をもって殴り合っていた。
 模擬剣は通常の歯引きの剣ではなく、鉄の板を柔らかい木で挟み込んだ訓練用のものらしい。

「なにこれ?」

「うん? なんだお嬢ちゃん。“剣闘”を見るのは初めてかい?」

 思わず出た呟きを拾われたアシュレイが、驚いた表情で顔を上げると、そこには黒髪を短く刈り込んだ男がこちらを見下ろしていた。
 女性としては背の高いアシュレイよりも、頭ひとつ分以上背の高いその男は、黒に近い茶色の瞳で興味深そうに彼女を見ている。
 年齢は20代後半くらいに見え、よく日焼けした肌の下には無駄なく鍛えられた筋肉が見て取れた。相当に出来る男だなとアシュレイは警戒を強める。

「おいおい、ぶっそうだな。別に君をどうこうする気はないさ。
 ただ、この街で“剣闘”を知らないのを不思議に思っただけだよ。服装から見るに、どっかの街から流れてきたクチかい?」

「……まぁ、そんなのとこね」

 警戒を強めた、と言っても具体的に何らかの動きを見せたわけではない。
 ただ何が起こっても即応できるように集中力を高めただけなのだが、それによって僅かにもれた緊迫感を男は正確に読み取ったらしい。

「ところで貴方は誰?」

「ああ、俺はガンドルフ。剣闘士の指導官をやっている。お嬢ちゃんは?」

「私はアシュレイ。今は手っ取り早くお金を稼ぐ方法を探しているところよ。
 ところで、指導官? 戦士ではないの?」

 アシュレイの見た限りでは、この男の肉体には僅かな緩みも無い。
 明日戦えといわれれば、明日戦えるだけの身体を持つくせに、この男は自分を戦士ではなく指導官と名乗った。それが解せない。
 そのことを彼女が問うと、ガンドルフは肩を竦めた。

「いや、どうやら干されたみたいでね、ちっとも死合のハナシが来ないんだよ。
 まぁもう剣奴でもないし、まあいいかと思ってね――――おっ、終わったな。
 どうだい嬢ちゃん。
 アンタも腕に覚えがあるなら、次の次くらいに中に入ってみるかい? 」

「中? ああ、この“剣闘”ってのに参加しろってこと?」 

 アシュレイがロープの正方形を見ると、先ほどまで行われていた試合が終わり、次の若者が中に入るところだった。
 やはり2人とも、鉄の板に木材を取り付けた模擬剣と盾を装備している。

「おう、ちょっと前に俺の弟子が闘ったんだが相手が弱すぎてな、全く実戦練習にならなかった。それでもう一戦と思ったんだが、相手がいないんだよ」

 ガンドルフの提案にふぅん、と生返事を返して、アシュレイはロープの中を見た。年齢は生前の自分たちよりもさらに低い、13~15歳くらいだろう。
 盾で必死に相手の剣を裁きながら反撃しあっているようだが、彼女から見れはひどく雑だ。

「ねぇ、ところで“剣闘”ってこんなにレベルが低いの?」

 まず足腰の鍛え方がなってない。
 筋力はついていてもその使い方が未熟だから剣筋も鈍いし、動きの工夫も見られない。
 なにより2人とも、剣を使うことに固執しすぎている。

「まさか。これは言うなれば予行演習さ。
 いきなり客の前に出してガチガチに緊張されちゃあ興醒めだからな。こういうトコで何回か経験をつませてからタバナクル(闘技場)に連れて行くんだ」

「なるほど、“剣闘”ってのは、純粋に強さを競う競技会ではなくて、見世物なのね。
 で、ここに入るのはまだ戦場を知らない新兵ってわけか」

 ふむ、と腕を組んで納得するアシュレイを見て、ガンドルフは自分の勘が間違っていないことを確信する。
 隙のない身のこなしと、自由奔放そうに見えて真意を悟らせない底なしの瞳。
 16~18歳の、まだ発展途上の身体とは到底つりあわない鬼の気配を纏う彼女を、ガンドルフは戦場でいくつもの修羅場を潜ったいわいる『少年兵』であると推測した。

 北の蛮族の中には、騎士の油断を誘うためにあえて子供を戦場に出す。
 それは大抵、他所の国の捕虜の子供で、物心ついたころから戦うことだけを教え込まれた彼らは、
無邪気であるが故に残忍で、死を恐れず、かつ高い技量を有する。
 しかもたとえ退けたとしても、子供の死に顔は殺したものの精神に棘となって突き刺さり、残り続ける。まさに戦場の悪夢そのものだ。

 ガンドルフはアシュレイをそこから抜け出してきた人間だろうとあたりをつけて、自分の弟子に経験を摘ませるつもりでこういう誘いを出したのだった。

「だからさ、みんなこんな街の隅っこで必要以上の試合をして、怪我なんかしたく無いわけだ。
 そこでアンタの出番だ。
 俺の弟子に勝ったら食い物を好きなだけ奢ってやるが、どうだ?」

「乗った。もちろん剣は貸してくれるんでしょう?」

「オウ、そうこなくっちゃな」

 アシュレイは昼ごはんのあてが出来たと、ガンドルフは弟子にいい経験をさせてやれそうだと互いに笑顔でそれぞれの準備に取り掛かった。







[34418] 04 / 剣闘士
Name: 賽子 青◆e46ef2e6 ID:e3b5ec25
Date: 2012/10/01 23:49

04 / 剣闘士




「落ち着いて捌け! 強打がある相手ではないぞ!!」

 アシュレイという少女と弟子のアーディルの試合が始まってまもなく、ガンドルフは自分の見立てが間違っていたことを思い知らされた。
 確かに弟子の為にはなっている。むしろこれ以上ないほどの経験を積んでいるだろう。
 間違っていたのは、彼女に対する自分の見立てだった。

 彼女は、その年齢にしてはありえないくらい卓越している。
 特に最初の蹴りは圧巻だった。
 開始直後、絶対に手を抜くなと念を押して送り出したアーディルの速攻をことごとくいなし、返しの上段からの斬撃を盾で受けさせ、アーディルに反撃の横薙ぎを出させる。
 アシュレイは右の脇腹めがけて放たれた剣の根元を叩いて落とし、すかさず奥足を真っ直ぐ突き出して靴の爪先をアーディルの下腹部に突き刺した。

 もちろんアーディルは皮鎧を着ているし、アシュレイの靴も皮製の柔らかいものなので衝撃はほとんど通らないが、これが実戦ならば―――――
 足を保護するために丈夫な皮を硬く締め込んだブーツや鉄のサバトンであったならば、たとえ下腹部を鎧で固めていたとしても衝撃は金的を貫いただろう。
 
 相手の動きをコントロールする技量と柔軟性。
 正攻法の動きの中で時折見せるトリッキーな動きは、相当の修羅場を潜ってきたことが分かる。 
 こちらの意図を汲んで決めの一撃を避けてくれているが、アーディルとの実力差は明らかだ。

「……うむ、そうだな」

 背中を向けているアーディルの肩越しに投げかけられた「こんなものかしら」という視線の言葉に是と頷く。
 彼からの返事を受けて、アシュレイが動いた。
 蹴り足から手首まで続く連動を一息かからず行い、剣先を最短距離でアーディルの首筋へと奔らせる。

 電光石火の突き。
 だがアーディルもだんだんと彼女の速度に慣れてきたのか、意識の全てを防りにまわすことで何とかそれを受け止め、代償として盾を持つ手を痺れさせた。
 手に伝わる感触からそれ直感したアシュレイはさらに攻めを加速し、たった一歩の踏み込みで一足一刀の間合いから相手の左手側に回りこむと、自分の盾で相手の盾の縁を抑えて動きを制限し、
右足をすばやく滑らせてアーディルの左の踵を蹴飛ばした。

 構造上、最も弱い方向へと加えられた力に虚を疲れたアーディルが対応出来るはずも無く、体を入れ替えようとする勢いのまま盛大に転倒する。
 背中を地面で強打し、混乱の中でとにかく急所を守ろうと身体を丸めた彼をあざ笑うかのように、アシュレイの剣は彼の両方の足首を同時に打って、試合を終わらせた。







 / / / / / / / / / /







「うん、お代わりをちょうだい」

 試合の後、アシュレイはさあ奢れとガンドルフの背中を蹴飛ばして街の飲食店まで連行した。
 最初はガンドルフも負けたアーディルのことを心配していたが、放心したような表情でノソノソと立ち上がる彼を見て、そのどこにも深刻な怪我を負っていない事を認めると、一言二言言葉をかけて他の者たちとともに修練場に返した。

 そして現在、約束どおりアシュレイに飯を奢っているわけだが、その身体に似合わぬ食べっぷりに心底呆れているところだった。
 もともと質より量の店だ。一皿に持ってある量は、並みの店の倍はある。
 なのに入るや否や、メニューにあるもの全部もってこいと叫んだ少女は、テーブル上にこれでもかと並んだ食べ物を片っ端から貪り、今お代わりを要望した。
 それをガンドルフは鳥の足を齧りながら呆れた顔で見ている。

「お前、どれだけ食べたら気がすむんだ?」

「ん? 満足するまでよ」

「そうか、愚問だったよ」

 はぁ、とため息をつき、財布に手を落とす。
 この間の報奨金は、自分を買い戻してもまだ十分なお釣りが戻ったが、この財布の中身は今日の支払いで消し飛ぶなと、彼は予想外の出費に溜息をつく。
 そうしてしばらく、彼女の注文した料理を適当につまみながら彼女の腹が満足するのをまって、本題を切り出す。

 彼女の剣の腕はいやというほど思い知った。
 これほどの剣の腕を持っていて、さらに『手っ取り早く稼げる』仕事といえばひとつしかない。

「なぁアシュレイ。お前、剣闘士になる気は無いか?」

「剣闘士ってさっきの?」

 食べて食べて遂に満足したのか、果汁を絞ったジュースを飲みながらアシュレイは首をかしげた。
 そのままふむ、と考えるような仕草を見せると、コップを置いてずいと身を乗り出す。

「それは、私に見世物になれということ?」

「そうだな」

「ふぅん、面白い事を言うのね」

 瞬間、アシュレイの右手が翻った。
 彼女の手に握られた木製のフォークがガンドルフの喉仏めがけて振るわれるが、彼はそれを掴むと同時に握り潰す。
 リン―――――と幻聴すら聞こえそうな緊迫感が出現し、ただならぬ雰囲気を感じ取った周囲のテーブルから音が消えた。

「最後まで聞けよ、アシュレイ。
 お前は『手っ取り早く稼ぎたい』といったよな。だったら、この街で一番の仕事は剣闘士だ。
 必要なものは剣の腕。賭けた命の見返りは、栄光と莫大な賞金。
 最下級の試合でも、30日は食っていける金が手に入る。どうだ、アンタにはぴったりの舞台だろう?」

「……まぁ、確かにそうね。
 少々腑に落ちないところもあるけど、貴方の目に嘘はなさそうだし、生活するためには金が必要なのも確かだわ。
 で、私が剣闘士になるにはどうすればいいの?」

 冷然と、アシュレイは唇の端を吊り上げた。
 背筋がゾクリとするほどの貌。この表情は何度か見たことがある。
 人の死などなんとも思わない修羅の貌だ。
 ガンドルフは自分がとんでもない化け物を剣闘の世界に連れ込んだのではないかという予感に襲われる。
 膨大な基礎反復練習の賜物である、基本に忠実で隙の無い剣術。
 地獄と見紛う戦場でのみ身につく、鉄火場の機微。この少女はいったい何者だ?

「あと、そのフォークはあげるわ」

 そんなガンドルフの葛藤など無視して、アシュレイは最後に注文した果実に手を伸ばす。
 近隣て採れたリンゴを皮のまま齧ると、酸味と甘みが口内を満たす。
 瑞々しい香りを口いっぱいに感じて幸せに包まれる彼女の顔は、もう年相応の少女のものだった。

 その顔を見て、ガンドルフはとりあえず疑問を先送りにすることを決めた。
 目の前の少女がどこかの国の貴族でも、はたまた北の蛮族が鍛え上げたバケモノでも知ったことかと開き直る。

 剣闘士たちは皆、金を得るために、命を掛け金としてタバナクル(闘技場)に立つ事を選んだ。
 だからたとえ死んでも自己責任というやつだろう。
 自分は先日剣奴から開放されたばかりの一般市民で、街の秩序を守る兵士でも、神とやらの教えを説く神父でもないのだ。

「良し、なら善は急げだ。食べ終わったならついてきな」
 そうして、ガンドルフは会計を済ませてずいぶんと軽くなった財布を懐にしまって歩き出す。
 隣を歩くアシュレイをつれて向かったのは、自分が所属する剣闘士団の修練状だ。






 / / / / / / / / /






「―――――で、こいつがアーディルを子ども扱いしたって娘か?」

「貴方がここの団長? はじめまして、アシュレイよ」

「ふむ……」

 ガンドルフが所属するクインス剣闘師団の団長は、予想と違うアシュレイという少女の容姿に少々面食らった。
 若手では一番の有望株のアーディルを圧倒したというから、全身を筋肉で固めた大女を想像していたのだが、出てきたのは戦いよりもダンスが似合いそうな少女だ。

 身長も女性にしては高いが四肢は細く、肌は透き通るように白い。
 たわみ無く背中を流れる黒曜石のように輝く黒髪。
 少女の儚さと女の色香を絶妙な割合で同居させる唇と、綺麗に通った鼻梁は、その肌と同じ白いドレスも、その髪と同じ黒いドレスもさぞ映えるだろう。

 女性特有の丸みはまだまだ発展途上だが、これほどの美しさならば、たとえ流民でも身請けしたい貴族や豪商はいくらでもいるだろうに、彼女は剣闘士の道を歩むという。

「私じゃあ不満かしら?」

「 ッ!」

 だが団長のその考えは、彼女と視線を合わせた瞬間に吹き飛んだ。
 色はこの国ではさして珍しくないブラウンで、猫のように丸く大きなそれは愛らしさを感じる。
 だがその奥に宿る光は、団長をしても中々見たことが無い鬼の瞳。
 この光をもつ女となれば、お目にかかったことは皆無だった。

「……よし、じゃあ入団テストといこう。ガンドルフ、相手は誰がいい?」

「そうだな、エイキースとかどうだ?」

「アイツかぁ。
 また確かに適任では在りそうだが、大丈夫なのか?」

 名前の上がったエイキースの普段の素行を思い浮かべて、団長は渋い顔をガンドルフに向ける。
 しかし彼は何の問題も無いと答え、むしろ彼が一番適任だろうと言い切ると、団長はしょうがねぇなと言いながらそのエイキースを呼びに言った。

「ねぇ、入団テストって、さっきアーディルとか言うのを相手にしただけじゃあ足りなかったってこと?」

「まさか。けどそれを見てない奴も多いからな。
 五月蠅いのは早めに潰しといた方がいい。せいぜい派手に勝てよ」

 そう言われて、この修練場の内情を知らない彼女は、そんなもんかと頷いた。



 半刻後。
 ガンドルフに連れられて武器庫から適当な皮の防具と歯引きの剣を見繕ったアシュレイは、どこで聞きつけたのか、剣闘師団に属する剣闘士たちが集まる修練場の中央に立つ。

 武器はあの時地下で拾った剣と同じくらいの片手剣を選んだ。
 両腕は薄いガンドレットを填め、両足は丈夫な皮の具足で固める。
 兜は被らず、1つだけ持つことが許される補助武器はに盾ではなく短剣を選び、鞘と共に腰にぶら下げるこの姿こそ、帝国を苦しめた姫将軍アシュレイの完全装備だった。

「それで、相手は貴方かしら?」

 対するは、縦にも横にも彼女よりふた回り以上も大きい巨漢だった。
 纏う鎧も、その体躯に見合った重厚なもので、ガンドレットとサバトンで手足を覆い、鋼鉄の兜を被る姿は、いかにも力自慢の闘士といった井出達である。
 唯一胴体の守りが薄いのは、それがルールだからだろう。

 なぜなら民衆が見たいのは敗者の血であり、渾身の力で剣を叩きつけても割れないような分厚い金属の鎧は許されていないのである。
 そして男が手に持つのは、叩き潰すことを目的とした戦槌。申し訳程度に、ヘッド部分に皮が巻いてあるが、まともに受ければそんなものは関係なく骨を砕かれるだろう。

「なんでぇ、この小娘は。
 おい団長! こんなんの為に俺を呼びやがったのか!?」

 遅れて修練場にやってきたエイキースは、兜の前面を上にあげ、さっそく団長に食って掛かった。
 完全にアシュレイを舐めている。
 見た目どおりかと、彼女は怒りを通り越して呆れていた。

「そうだ、詳しいことはガンドルフに聞いてくれ」

「紛れも無くその通りだ。
 気をつけろよ、そんななりでも、アーディルを完璧に叩き伏せられるような猛者だぜ」

「ケッ、一度もタバナクルに立った事もねぇような餓鬼を甚振っても自慢にもならねぇよ。
 おい嬢ちゃん。
 勝った奴が負けた奴を好きにしていいのがここのルールだからよ、犯されたくなきゃさっさと消えな。
 それとも、俺に抱いてもらいたくて指名したのか?」

 そう言ってエイキースはゲラゲラと笑った。
 一方のアシュレイは、彼の言葉を聴いたとたん、表情を消して伏いてしまう。
 心なしか、肩も震えている。

「……ほう、なかなかそそる仕草も出来るんなねぇか。
 よし、さっきのはやっぱり止めだ。こんな茶番はさっさと終らせて、寝床でゆっくりと愉しもうぜ」

 アシュレイの震える肩を見て、自分に怯えていると見て取った、エイキースは下卑た顔で尚もゲラゲラと笑う。
 彼の頭は、もう彼女をどう倒すかではなく、どう犯すかを考えていた。
 まずはあの色気の無い鎧を剥ぎ取って、髪を掴んで後ろからか。いやいや、それでは絶望にそまった顔が見れない。やはりまずは前からだ。上に乗っけて踊らせてやるのも悪くない。

 ニヤニヤと、欲望に塗れた視線でアシュレイを観察するエイキースと、その視線をただ身に受けて震えるアシュレイ。
 蛇ににらまれた蛙という言葉があるが、それ以上に誰の眼にも、これから行われる試合の結果は明らかに思えた。


「―――――合図を」


 そのアシュレイが、小さく掠れるような声で開始の言葉を求めた。
 不味いな、というのがガンドルフと、先ほど彼女の目を見た団長の共通意識だった。
 エイキースはアシュレイを小娘だと思って完全に侮っている。

 こんな男でも、団長からすれば長く共にやってきた同胞である。
 気を抜くなと助言してやりたいが、それはルールに反するだろう。せめてもの気遣いとして準備はよいかと重ねて尋ねたが、彼は欲に染まった顔で準備よしと答えるのみだった。

 犯すときに手間の無いように、腹を叩いて一撃で終らせてやるとエイキースが戦鎚を構えた。
 一方のアシュレイは、目を伏せたまま、剣もだらりと下げたままその時を待つ。

「ではこれより、そこの娘、アシュレイの入団試験を行う。
 この修練場の取り決めどおり、敗者は、命以外であるならば、勝者の望むものを与えること。よろしいか?」

「もちろんだ」

 団長の宣言に、自分の勝利を疑わないエイキースは意気揚々と答え、

「……ええ、かまわないわ」

 アシュレイは低い、凍りつくような声を返す。
 その声にガンドルフと団長以外の者たちも一様に違和感を覚えたが、欲望に支配されたエイキースだけはそれと無関係だった。
 目の前の女の味を想像し、舌なめずりをしつつ、その時を待つ。
 ちらりと視線の端に見えた、ニヤニヤと嗤うガンドルフの顔が、わずかに引っかかった。


「始め!!」


「おおおおおおおぉぉぉーーー!」

 合図と共に、エイキースは距離を詰めた。
 粗暴に過ぎる彼だがエイキースはすでにタバナクルで50戦以上を行い、その半数以上の相手を撲殺してきた強豪である。
 剣闘師団内においてこの横柄は態度が許されるのも、相応の実力が合ってこそだ。

 地面に野太い脚を叩き付け、裂帛の気合とともに放たれるのは、戦鎚の真骨頂である振り降ろしではなく、横から小さく円を描くような薙ぎ払いだった。
 獲物の重さを利用し、小さく素早い攻撃で相手をよろめかせ、無防備になったところを仕留めるのが彼の最も得意とする攻撃の組み立てである。が、

「失せろ」

 エイキースの視線の中で、アシュレイがいきなり大きくなったかと思えば、なぜか凄まじい衝撃が兜の側面から頭を貫く。
 一瞬で目の前が真っ白になる。何が起こっているのかわからない。
 ぐらぐらとゆれる視界の中で、何とか倒れまいと踏ん張ったところで、今度は背中に槍を突き立てられたような激痛が奔り、彼の思考を痛覚だけが満たした。

「あ~あ、そいつを小娘と侮るからだよ」

 エイキースのやられ様をみて、ガンドルフは溜息を吐いた。
 試合開始とともに仕掛けたエイキースの横薙ぎを、アシュレイは前に跳躍することで躱すと共に、剣先で彼の兜を鋭く薙ぎ払い、さらに着地と共にエイキースの脇腹の後ろあたりを長手持ちの剣で思い切り薙ぎ払ったのだ。

「アンタは私の禁忌に触れた。楽に死ねると思うなよ、下種」

 激怒に震えるアシュレイの頭から、既に手加減などという言葉は吹き飛んでいる。
 両足を踏ん張り、頭と腹の激痛を必死に堪えるエイキースの首に軽く一撃を入れればそれで試合を終らせれられる。
 だが彼女はそれを良しとせず、彼女は更なる痛みを与えるためにその顔面を剣の腹で引っ叩く。
 噴き出す鼻血を汚い物を見る眼で避け、エイキースの右膝の側面を狙って硬い爪先を突き刺す。
 さらに倒れるのは赦さないと顎を跳ね上げ、万が一を考えて手首を打って戦鎚を取り落とさせた。

 武器を奪われ、視界を奪われ、痛みと目の前の悪魔が発する殺意が全身をくまなく覆う。
 とにかく丸くなって、致命傷となる急所だけは必死に守る彼を嘲笑うように、アシュレイは防御の隙間に剣を通して着実に体力を削っていく。

「アハハハハハハハハ、さっきの元気はどこにいったの!?
 ほら、ここが開いているわよ!!」
 
「ぐえぇぇ……」

 アシュレイが背中から引き抜いた短剣で喉を打たれ、思わず腕を上げたところで、左の脇腹に歯引きの刃がめり込んだ。
 人体にとって最も重要な臓器のひとつである肝臓を強打され、痺れるような痛みがエイキースの胴体を透って背中まで突き抜けた。

「あっ、しまったね」

 その反応にアシュレイは舌を打つ。
 怒りと興奮で我を忘れていたようで、ガードが開いたのが見えた瞬間に思わず全力で剣を振りぬいてしまった。
 これまでの嬲るような全身への攻撃から打って変わって、人体急所への痛激を受けて、遂にエイキースの意識が悲鳴と共に断ち切れた。

 気を失ったことでエイキースの巨体が傾き、頭から地面へと墜落する。
 彼女はそれを興味を失ったように一瞥すると、相命を奪ったことを示す為にエイキースの首を軽く打って、剣を天へと突き上げた。

 シンと静まり返る修練場。
 誰もが彼女の発する怒気と狂気に気負られた。



[34418] 05 / タバナクル
Name: 賽子 青◆e46ef2e6 ID:e3b5ec25
Date: 2012/10/01 23:37
 05 / タバナクル


 四角い石造りの神殿跡地。
 かつて祭壇が置かれた場所には貴賓室が設けられ、その直下に戦いの始まりを知らせる巨大な鐘が設置された。
 鐘の向かいには賭けのオッズが張り出された掲示板があり、かつて神官たちがあつまり神事を執り行った四方の雛段には、興奮と欲望に瞳をギラつかせる俗人たちが歓声と罵声を上げながら中央の四角く区切られた落ち込み舞台に視線を集中させていた。

「オォッ!!」

「フッ!」

 男の剣が地面を叩く。
 両手で持ってはじめて真価を発揮する大剣をアシュレイは紙一重で避け、擦れ違い様に剣先で相手の顔を狙うが、刹那早く顔の前に出された男の篭手によって阻まれた。
 鎧ではなく補助武装として扱われる分厚いガンドレットは、彼女の握る細身の剣程度では到底切り裂けるはずが無い。

 アシュレイは今、剣闘士としての緒戦を迎えていた。
 相手は、この間叩きのめし、出場不可能となったエイキースが相手をするはずだった戦士。
 剣士としての才の他に魔術の才を有するこの男は、自身に身体強化の魔術を施すことで、子供の背丈ほどもある大剣を片手剣ように自在に振り舞わす猛者だった。

「この、ちょこまかと!」

 位置を入れ替え、再度の衝突。
 アシュレイは相手の突きを躱し、剣の横腹を肘で突いていなすと同時に右手の細剣を男の眼球めがけて奔らせるが、彼はそれをヘッドスリップで回避する。
 その一挙一投足に観客たちは沸きあがった。

 当初、男とエイキースという強力自慢同士の対戦を期待していただけに、軽鎧とサーコートを着て現れたアシュレイに観客たちは盛大に罵声を浴びせた。
 薄い金属の兜と篭手、丈夫な皮製の鎧を纏う彼女はお世辞にも強者の体格ではなく、また遠目からでもハッキリと女であるという容姿をしていたからだ。
 しかしその声は、第一合目に観客の誰の目にも止まらない速度で放たれた一閃によって相手の兜が吹き飛んだときに歓声に変わった。

 以来、アシュレイは荒れ狂う男の剣を掻い潜りながら的確に剣を奔らせ、男はそれを篭手で受けつつもひたすらに攻め続けた。
 男の剣の腕そのものは少々拙いが、それを補ってあまりある筋肉のバネと、それをさらに高める補助魔術が生み出すスイングスピードはまさに一撃必殺だった。
 恐らく一発でも避け損ねれば、彼女の身体は簡単に切り裂かれるだろう。
 彼の剣の放つプレッシャーに当てられたのか、アシュレイの顔にも余裕がない。
 と、

「あっ!」

 不意に、何度目かの攻防の際に大剣が穿った地面のくぼみにアシュレイの爪先が引っかかった。
 今まさに真横に飛び退こうとしていたアシュレイは突然の重心移動に対応しきれず姿勢を崩す。
 そこに大剣の横薙ぎが襲い掛かり、剣と前腕まで覆う鉄板入りの皮手袋を駆使して何とか受け止めるが、彼女は盛大に吹き飛ばされる。
 落ち込み舞台の角から中央まで飛ばされた彼女に少し遅れて、叩き折られた剣が地面に刺さった。
 だがなおも油断無く、男は地面に片膝を付き、半分以下の長さになった細剣を構えるアシュレイを睨みつける。

「女でありながら、いまだ足掻こうとする様は見事だが、惜しかったな。
 あの飛び方ならばどこかを痛めたはず。
 お前は剣奴ではないのだから、素直に負けを認めるならば、命までは無くさずにすむぞ」

 男の最後通牒に、アシュレイは視線で答えた。
 彼女は今の衝撃でフェイスガードの壊れた兜を外して眼前に放り投げ、顕になった強烈な殺意を浮かべた瞳で男を睨んでいる。
 時間を与えられたにも関わらず、彼女は立ち上がらずにじっと期を伺っている。
 彼女の眼を見て、ならば仕方が無いと首を振った男は、大剣を地面と平行に構えて距離を測る。

 十中八九、相手は足を痛めている。
 ならば最適なのは、自分の最も得意とする逆胴からの連携であると判断し、裂帛の気合いとともに大きく踏み込み剣を振った。

 膝を突くアシュレイの肩の辺りを狙って横に振るわれる剣。
 仰け反っても届く大剣による薙ぎ払い避ける手立てはひとつしかない。
 とにかく低くと地面に両手を付いて一閃を回避した彼女に襲い掛かるのは、円を描いて返された必殺の切り落とし。
 逆胴を振り切った勢いを殺さずに両肩を軸にして円を描き、打ち落としへと繋ぐこの十字斬りは、速度、威力ともに申し分のない彼の必殺の連携であった。

「はっ!」

 だがそれを、アシュレイは読みきった。
 彼女は足を痛めてもいないのに膝を突くことで薙ぎ払いを誘う。
 ここまでの攻防で男の力量を完全に掴んでいた彼女は、このように動けない姿を演出すれば相手は必ず、最も得意とするであろう薙ぎ払いを選択すると判断したのだ。

「残念、あと一歩足りない」

 あとはそれを地面に伏せることで回避し、同時に最後まで隠し通した、ひとつだけ赦される補助武器である短剣を引き抜いて両手両足のバネを全て使って飛び掛る。
 停止から最高への爆発的な加速。
 右手で地面を叩き、両脚を躍動させた段階で、右手の剣は既に捨てた。
 かわりに左腕が最短距離で腰に挿した短剣を掴み、引き絞った弓が跳ねるように縮んでいた彼女の身体が伸び、腕が鋭い弧を描いた。

「「おおおおおおおぉぉぉーーーーー!!!」」

 どっ、と、観衆が沸いた。
 男が剣を切り返し、上段から袈裟に斬り下ろした瞬間に、血飛沫が待ったためだ。
 誰の目にも致命傷と分かる赤が飛び散り、地面に倒れ付すアシュレイの身体を濡らしていく。
  彼女の巧みな回避を賞賛しつつも、どこかで物足りなさを感じていた観客たちは、遂に訪れた狂気に酔いしれ、興奮して上気した顔と目をギラつかせて男を湛える。
 だが男はそれに応えない。いや、応えられない。
 
「な!? 嘘だろう……」

 それは誰の声だったのか。
 剣を振り下ろした姿勢のまま固まっていた男の身体がゆっくりと崩れ落ち、変わりに地面にうつ伏せで倒れていたアシュレイの身体が起き上がる。
 彼女は全身を真っ赤に染めながらも、一切の淀みの無い動きでその右腕を天へと突き上げた。

 アシュレイはあの瞬間、持ち前の加速力で横薙ぎと袈裟斬りの間に割り込むと、逆手で抜いた勢いをそのまま斬撃へと繋げた。
 しなやかに伸びる彼女の左腕は男の首筋をすべり、よく研ぎ上げられた短剣の刃がそこに鮮やかな傷跡を刻む。
 僅かに遅れて飛び込んだ彼女の身体を男の腕が打ち、バランスを崩した彼女は、バックリと開いた傷口から噴出する血液を浴びながら、地面へと倒れこんだというわけである。


「し、勝者、アシュレイ!!」


 しばし唖然としていた審判員がようやく事態を把握し、引きつった声でアシュレイの勝利を告げる。
 その声で腕を下ろした彼女は滴るほどに血を浴びたサーコートを脱ぎ、男の下から兜を拾い上げてそこに被せる。
 顎紐に手をかけてぶら下げられるそれは、サーコートに染みこんだ血のせいかやけに重そうに見えた。

「お疲れさん」

「ガンドルフ、貴方の言ったとおりね」

 タバナクルの端まで戻ったアシュレイは、最後にもう一度拳を突き上げ、歓声に応えた。
 小柄な女戦士の、思いがけぬ逆転劇に観客は熱狂し、口々に彼女の名を叫ぶ。
 初試合に際し、彼女はガンドルフにある策を授けられていた。
 それはこのタバナクルで100戦以上の殺し合いを経験したガンドルフが『最も手っ取り早く稼げる』と言い切る戦い方。
 劣勢を演じ、その後に逆転。かつ一撃で出来るだけ派手に殺せ、というもの。
 
 彼女の力量であれば、今日の相手を圧倒できるのは彼にも変わっていたが、それでは意味が無い。
 なぜなら観客が見たいのは結局のところ剣技ではなく暴力であり、味わいたいのは感嘆ではなく興奮なのだ。
 誰かの命が奪われる瞬間を、誰かの命が地面を染め上げるのを、全く関係の無い安全な場所から見物したいのである。

「お疲れさん。今日の勝ちでお前は自分の価値を証明した。
 客受けも上々だからな、次はもっとデカイ賞金の付く死合が組まれるだろうぜ。
 まぁその分、相手も強くなるんだけどな」

「望むところよ、誰が相手でも負けないから。なんなら貴方でもいいのよ?」

「テメェ、いま遠まわしに俺を殺すって言わなかったか?」

「気のせいでしょう?」

 死合の余韻に浸りながら、アシュレイとガンドルフは冗談とも本気とも取れない会話を交し合う。
 まだ逢ってそう時間が経っていない2人だが、その様子からは長年の親友のような雰囲気が感じ取れた。

「そういえば、死合はこの後も続くんでしょう?」

「ああ、こっからまた3試合『拳闘』を挟んで、それからまた2死合。
 今日のメインは確か、あの猫娘だったか」

「『拳闘』って、アレかしら? 拳だけで闘うヤツ。それなら私の国にもあったわ」

 両方の拳で殴りあう、という闘い方は、それこそ人類発祥からあっただろう。
 それを兵士の訓練カリキュラムとして採用している国は多く、木剣による訓練とともに兵士の錬度を測る指標として彼女のいた王国でも行われていた。
 最もそれは、技術云々よりも、どっちのほうがタフか、という体力測定的な意味が強かったが。

「いや、ここでいう『拳闘』はちょっと違うな。
 拳だけじゃなくて、蹴りや投げ、関節……要は何も持たずに立って闘うなら何でも有りさ。
 例えば――――」

 そう言ってガンドルフは、アシュレイに向けて左、右と拳を突き出した。
 もちろん寸止めされたワン・ツーの右拳を彼女の空いている左手でとめた瞬間、彼女の側頭部のすぐ横で何かが止まる。
 それは右拳を突き出した直後にハネ上げられた、ガンドルフの脚先だった。


「昔、こういう妙な技を使うヤツが『拳闘』の舞台に上がって頂点まで上り詰めた。
 その男は今では武神とまで呼ばるようになっているよ。
 そいつの影響で、ウチの『拳闘』は他の国とはちょっと違うものになったらしい」

 そう言って、ガンドルフは振り上げた脚を下ろした。
 脚で弧を描くように頭の高さを薙ぎ払う上段蹴り、俗にいうハイキックは、アシュレイが生きた時代には存在しない武技だ。
 アシュレイも腕よりもはるかに力強く、またブーツやサバトンで固めた脚で頭部を蹴ることの有用性に感心している。

「ふぅん、何だか面白そうね。
 貴方はこの帝国式の『拳闘』に出たことはあるの?」

「ああ、何度か出場したことがある。
 『剣闘』は命の取り合いだから、生き残るためには何でも学んだよ」

「ん、そっか。
 ならちょっと観戦してみることにしようかしら。とりあえず着替えてくるわ」

 言って、アシュレイは血塗れの服を取り代えるために闘技場の奥にある洗い場へと向かった。





 / / / / /





 壁にかけられた松明に照らされた石造りの地下室。
 元は神殿の神官が身体を清めるための施設だった洗い場の壁には、朽ちかけてはいるが見事な細工が施されている。

 「『汝は堅牢なる鎖と成りて、鍵となる文言を除く全てを拒絶せよ……』」

 控え室に寄って着替えを回収したアシュレイは、その脇にある階段を下って洗い場に入った。  
 そして彼女はまず、扉に閂をかけさらに他者の侵入を拒む魔術をかけた。
 元々は水浴びという最も無防備になる時間を安全に過ごすため、洗い場はひとりで使ってよい決まりになっているが、彼女はさらに念には念を入れる。
 それは相手の仲間からの仇討ちを警戒する為ではなく、これから行う行為を誰にも見られないようにする為だ。

「ふふっ、」

 魔術をかけ終わると、アシュレイは待ちきれないといった表情でそばに置いた荷物を見る。
 血塗れのサーコートと、その下の兜。
 彼女はゆっくりとした動きで兜を手繰り寄せ、洗い場に備え付けられた桶にサーコートを移すと、その下には兜に並々と溜められた血液が姿を現す。
 
 先ほどの死合で彼女が、あえて大出血を起こす首の血管を切り裂いた理由がコレだ。
 アシュレイは血塗れの姿となって観客の興奮を煽る目的以上に、相手の血液を手に入れるための殺し方を選択していた。
 彼女は男の喉を切り裂くと、素早く魔術を行使して血を集め、兜の中に注いでいたのだ。

「いただきます」

 剣と魔術を併用する剣闘士の身体から溢れたまだ暖かい血潮は、処女の血にこそ劣るものの極上の逸品である。
 アシュレイは兜をまるで盃のように両手で捧げ持つと、ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らしてそれを飲み下す。
 胃を満たす量の血を飲みきると、血に満ちた精気と魔力が彼女の身体の隅々まで行き渡り、彼女の血液を魔力で満たした。
 心臓という魔力炉が動かず、魔力を留めるために血流すら魔術で維持する彼女にとって、他者から奪う魔力は生命線だ。
 身体の劣化は食事で補えても、死体の身体に魂を留めるための魔力はどこかから調達しなければいけない。

「ん、次は、」

 続いてアシュレイは服を統べて脱ぎ、特に血液を吸った服を選んで先ほどサーコートを入れた桶に放り込む。
 そのままくしゃくしゃと左手でかき混ぜ、左手で絞るように強く握ると、桶のそこに薄い血液の膜が出来た。

「こんなもんかな?
 『無形を律し流れを司る小さき者よ、今ひと時の間を我が右手と共にあれ……』」

 そこに手を翳し、魔術の詠唱を行うと、右手の掌が淡く発行する。
 唱えたのは、流体制御の術。
 ヒト種であるならば例外なく扱うことの出来る『魔術』の中で、先の種火の術とともに生活に密着した術式のひとつ。
 飲み水の確保や炊事、洗濯には欠かせない魔術である。

 特にアシュレイは、この水の街で生まれ、その身に宿す水属性との相性から、この流体制御の魔術を最も得意としていた。
 死体を生きているかのように偽装するために、心臓に変わって血流を生み出しているのもこの魔術の応用である。

「『我は制御対象を【血】と定める――――来い』」

 彼女は淡く光る掌で桶の中に納まっている服に付いた血に触ると、まるでその血を 引 き 抜 く ように腕を上げた。
 するとどうだろう。
 血液の粘度は一切変わっていないのに、まるで掌の傷から血が流れ落ちる様子を逆回しにしたように、血液が垂直に引っ張り上げられる。

 アシュレイはそのま縄を手繰るように右手を数回上下させると、たちまちのうちに服にからずべての血液が引き抜かれ、彼女の頭と同じくらいのボール上になって右手に乗った。
 それをそのままにして今度は左手で服を桶から放り出すと、そこに血のボールを放り込み、魔術が解けて全うな液体に戻ったそれを一気に飲み下した。

「ごちそうさま。あとはフツーに洗濯をして戻ろうか」

 呟き、アシュレイは部屋の角にある水で満たされた石枡を見た。
 地下水の豊富なサブトレイらしく、地下に作られた洗い場には簡単な水道が設けられていた。
 給水口から人一人が十分に入れるような石枡に注がれ、溢れた水は石枡の四方に掘られた排水溝からそとへと流れ出す仕組みになっている。

 彼女は先ほどの桶で水を汲み、地下水の冷たさに身を震わせながら頭から数度かぶり、全身の汗と血を洗い落とすと、服と鎧をその石枡に全て放り込んだ。
 洗濯には灰汁を利用してもいいが、準備するのも面倒だし、先ほど魔力を補給したばかりなので負担の少ない魔術を使って手早く洗っていく。
 最後に汚れを落とした短剣と鎧の手入れを行い、錆びないように処置をほどこして袋に詰めると、彼女自身も服を着て扉の魔術を解除した。

「ん~……」

 ふと、アシュレイ視線が室内の一点で止まる。
 この洗い場は、彼女がまだ人間だったころは、神事の際に俗世と神前を隔てる最初の部屋だった。
 現在は石を積んで封鎖しているようだが、この部屋から清めた身体で俗世の何事とも関わらない為に特別な地下通路を通って祭壇――――現在の貴賓室まで向かう道が存在する。
 アシュレイも成人の儀式の際に、一度通っているので間違いない。
 その道を使えば、誰にも知られること無くあの男の背後を突くことが出来るのだが……

「ふん、殺すだけじゃあね。そんなのつまらないわ」

 その考えを振り払い、彼女は洗い場を出た。
 そうだ、ただ殺すだけでは到底足りない。
 地獄を、己が考える最大の絶望を与えなければ駄目だ。
 胸に灯る煉獄を宥めながら、今はとにかく、牙を研ぐことにしよう。。。


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