早朝は神社で剣を振り、昼は山海でのハンター生活。空いた時間は売り子でお金を稼ぎ、夜は夜で、恭也をフルボッコにしてやんよと胸に秘め、やっぱり剣を振る。
そんな生活もいつの間にか二ヶ月が過ぎた。
いやはや、目的を持って何かやっていると時間の流れがとても早く感じる。
さすがに二ヶ月も続けているといろいろ判ってくるものだ。なにぶん、恭也が言うには──
「ツバサ、お前は剣技を使うことはできない」
と言うことだった。唐突にこの台詞を言われた時は頭が疑問符ばかりになったものだ。
まるで判らんので説明を求めると、少し難しい顔をしながら話を始めた。
「大なり小なり技とは、弱いものが強い者に立ち向かうための術だ。だから、どんな技でも……俺や美由希の使う御神の技でさえ、ほとんどは弱者が使えるように作られている」
そこで一息切ると、言葉を選ぶかのように考えながら続ける。
「ツバサの運動能力、反射神経、単純な膂力。全て人を大きく超えるものだ。だから、お前には使える技という技が無い。もし技を使うとしたら……お前自身が作るしかないだろう」
確かに細かい事を考えるより、ただ速く斬りつけた方が性にもあっているが……そこまで化け物じみていただろうか? というか、自分で我が流派を立てるとか、どんな剣豪になれと? ありえん。
というか、さらっと人のこと人外扱いしている。失礼な話であった。
そんな不服な気分が表に出たのか、見て取ったらしい恭也は大きく溜め息を吐いた。
「……自覚がないようだな。お前が本気で木刀を振って頭に当たれば、頭蓋骨折で済まずに吹き飛ぶぞ?」
そんな怖い事を言い始める。いやいやまさか。
美由希の方を見ると、こくこくと頷いている。
がっくりうなだれる。危ないとは思ってたものの、そこまで危険物になっていたとは。
「ツバサくんは……適当なところがあるから」
「美由希ちゃんや……それフォロー違う」
しかし、そんな危ない剣の割に何度も何度も受け止めてられていたが……というか、今のところ当たった事自体がなかったり。
ふっと思ったので聞いてみると、殺気のこもっていない武器は捌くのに苦労しない、だとか……また殺気か!?
「私は、加減されてるから避けやすいかな?」
と、これは美由希の言。いや、防具も着けてない女の子に本気で木刀で殴りかかるとか気分的に無理である。こちらは別に当てられても構わないのだが……なぜだか判らないけど、この体は怪我の治りも異様に早いし、痣くらいなら1時間もあれば消えてしまう。
「しかし、そりゃ俺って相当怪しかったんじゃね?」
ふっと思ってそう言うと、二人ともコケていた。背後にズコーと擬音が幻視できてしまいそうだ。さすが御神の剣士、見事なコケかたである。
「今更、それを言うか……」
「あ、はは……ツバサくん……フォローのしようがないよ」
考えて見れば初っぱなから怪しまれていたっけ。
どうもふと忘れてしまう事がある。
また、本格的な夏に入り、ミンミンゼミが喧しく鳴き立てる頃、恭也がしばらく来れなくなるので美由希を頼むと言ってきた事があった。
聞いてみると何とも呆れるような理由で、夏休みを利用して武者修行に行ってくるらしい。まあ、それはこの剣術馬鹿のことだから理解はできる。
しかし、頼まれるのはやぶさかではないが、なんでまた唐突に? と聞くと、恭也は驚くほど複雑な表情を浮かべた。
「その……だな。実家が……ピンク空間なんだ」
小学生とは思えない疲れたげな溜め息と共に吐き出す。
「なのは……うちの末の娘が可愛い盛りの二歳でな。うん、それはいい……それはいいんだが、なのはを挟んでの二人が……甘くて……甘過ぎて……」
いつまで新婚気分で居るつもりなんだ、とつぶやきながら空を見上げた。
砂糖の海に飲まれて溺死しそうだ、なんて諦念した顔で言う。
俺は同情の念をこらえきれず恭也の肩を抱いた。
「よくやった……今までよくやった。お前は暫く武術の世界に浸りきって、自分を取り戻してこい、な。美由希ちゃんの事はしばらく任せられたよ」
「……すまん、頼む」
そんな三文芝居みたいなことをやってみたり。
ちなみに美由希からすると、さほどその家の空気は気にならないそうで、恭也がなぜ居心地悪そうなのか理解に苦しんでいるようだった。
夏休みと言えば、風物詩というものがある。
小学生なら割と高確率で苦しむことになる夏休みの宿題である。
恭也から渡されたトレーニングの管理帳にチェックを付けつつ、美由希と一緒に汗を流している日々のさなかだった。
「そんなわけで、自由研究が進まないの……助けて?」
「……その無理してる上目遣いをやめたら助けるよ」
やった、と小さくガッツポーズする美由希。上目使いでお願いとか誰に教わったと聞いたら「かーさん」と来たもんだ。高町家の母親は茶目っ気成分が多めらしい。
しかし自由研究か……昔を思い出してみるも、記憶が曖昧以前にもう覚えてない……そりゃ小学生の時の頃ってあんま覚えてないよな。
んー、とカップ麺が出来上がる時間ほど頭を悩ませ、とりあえず選択肢を出してみる。
「実験、社会見学、図画工作、自然観察、どれがいい?」
「ツバサくんの好きなので!」
がっくりと力が抜ける。昼食に入る店を探してるわけじゃないぞ。
美由希はこういう天然な所がたまにあるので時に困る。普段は同い年の子供からしたら大人っぽい部分も見えるのだが。
恭也もこれは毎年手伝わされているのだろうか? いや、奴のことだから、説教臭い事を言ってから参考になりそうな本でもさりげなく置いておきそうだな。
と言っても恭也の真似は難しいし、結局あーだこーだと言い交わしたあげく、自然観察。近くに海があることから、貝殻の調査なんていうとても無難なところに落ち着いてしまった。
「さあて、やってきました臨海公園」
そんなナレーション風に独り言を漏らした。
ここ海鳴の観光名所の一つでもある。
広い敷地が魅力の場所で、砂浜には夕方になるとバーベキューをする家族や若者が多く、隙間産業的に細かい要り用なものを売りさばき、日銭を稼いでいる身としては、稼ぎどころの一つだった。
海水浴客で賑わっているが、今回はそっちには向かわないで、海水浴禁止の区域に向かう。そちらは砂浜があるとはいえ、遠浅ではなくすぐに海が深くなっていて、遊泳は禁止されているのだった。
やることは単純で、海辺に落ちている貝殻を拾って図鑑で確認、標本として回収し、貝の名前と大まかにどこで拾ったかをメモに書き込んでいく。これなら一日で終わるし、ありきたりながら悪い評価は貰わないだろう。手分けして貝を拾い出すのだった。
……おおむね一時間も拾い集めた頃だろうか。それなりに色々な種類の貝殻を集めることができ。ひとまず合流することにした。
美由希が貝を集めている地点に着くと、一心不乱に図鑑を読む姿がある。
間近に立ってみても気付かない。一拍考えたのち、後ろに立っておもむろに自分の背中に手を回し、たたんでいる翼から羽根を一枚抜き、無防備な首筋にセット、カウントを始める。
(3,2,1……Go Ahead!!)
「……ぷ! ひっひひゃふひふはひゃあーっ!?」
なでりっとした瞬間、動けない! とでも言った感じにびくんと背が伸びる。間髪おかずもうひと撫ですれば、ぶるぶると震えながら意味不明の声が漏れた。
あまりの反応の良さにちょっとうっとりとしてしまいそうに……いかんいかん。
びっしりと立った鳥肌がその衝撃を示している。
美由希はぎぎぎと音が出そうなほどゆっくりこちらを向いて、俺を確認すると眉を八の字にし、今にも泣きだしそうな、それでいて抗議するような微妙な顔になった。
ごくりと唾を飲む。
「癖になってしまいそ……いや、美由希ちゃんの方は調子どうだ?」
「……何か聞こえたくもないような言葉が聞こえた気がするよ」
気のせいだと言って、じと目で見つめる美由希をよそに、開かれた図鑑を覗き込む。子供向けの貝類図鑑の巻き貝のページが開かれていた。
「あ、ねぇねぇ、この貝なんだと思う? 図鑑に出てなかったの」
と、美由希が図鑑をどかすとその下敷きになっていたのは直径20センチはあろうかという巨大な巻き貝の殻だった。というかこれはアレだ。生きた化石。
「オウムガイじゃん……」
「えええっ!」
どうやら美由希も知っていたようだ。貝殻だけだと想像つかなかったか……確か、イカとかタコに近いんじゃなかったか。そりゃ、図鑑によっちゃ載ってないよな。
たまに砂浜に漂着することはあるらしいが、まさか見つけてしまうとは、どんだけ運がいいというか何というか。
ひとまず、俺が回収してきた分も合わせ、それなりの数は揃ったし、オウムガイという目玉もある。自由研究としては十分だろうと言うことで、帰る事にした。帰り道に今時珍しい屋台のタイヤキ屋を発見すると美由希は目を輝かせ。
「あ、あれ、恭ちゃんが絶品って言ってたタイヤキ屋さんだ」
と、走り出す。いつもは控えめだが、こういうところもあるらしい。
早く早くと言うもので、苦笑しつつも追いつくために駆け寄った。
「今日は手伝ってもらっちゃったし、私がおごるね」
なんて……子供にお金を出させるのもどうかと思うが、こういうのは気持ちである。ありがたくおごってもらう事にした。しかし……店を覗き込むと種類豊富なこと、チーズ、カレー、ピザ、ジャーマンポテト、泰山麻婆、メシアンカレー……後半何か危険な香りがしないでもない。
頼んだが最後、後戻りできなくなるような……ゲームブックで言うならいきなり「あなたは壁に潰された」というページに飛ばされそうな選択肢、そんな気がしてならない。
「……いやいや、妄想だ」
疲れているのだろうか。頭を振っていると、美由希が首をかしげて待っているので、チーズ味を頼む。
美由希はつぶあんを頼んだ。家が洋菓子を扱う喫茶なのでこういう時はあんこの入ってるような、和菓子系のものを選ぶのがお決まりらしい。
ベンチに座ってもくもくと食べる。
しばし、まったりした時間を過ごして解散した。こんな何もない穏やかな日々というものも良いかもしれない。普段が普段、山で獣を追いかけたり、恭也とチャンバラをやったりなどと動いてばかりなのだ。それに生活費のためにいろいろな客に愛想を売ったりしていると目まぐるしく感じてしまい、こんなまったりした時間はとりわけ貴重に思えるようだった。
◇
暦は8月に入り、いよいよもって暑くなってきた。
実のところ涼しい格好がしたい。タンクトップ一枚と短パンでうろつきたい。
ただ、日差しが厳しいのだ。紫外線が激しく責め立てる。メラニン色素なんてものを知らないだろうこの身体にとって、夏でも長袖は必須だった。日焼け止めも無しにあまり太陽の直射を受けると水ぶくれすら出来てくる。本当に困ったものなのだ。そんな今の格好は、ぶかぶかの長袖シャツに、バザーで安く手に入れたジーンズ、髪は一回切ったのだがまた伸びてきて鬱陶しいのでスポーツキャップの中でまとめてしまっている。真夏でさえなければそれほど怪しまれるほどの格好でもないと思う。真夏でさえなければ。
そんな季節外れの格好をしたまま、クーラーのよく効いたデパートに入り、迷わずもう常連と化している書店コーナーへ。大窓の外には溶けるような日差しの中せわしなく人が行き交う。だが、この一枚の窓の内側は天国だ。立ち読みも可で、最近ではもっぱら日中の最も暑い時間帯はここで過ごしていた。
ひんやりとした空気が煮えてしまいそうな体を冷ましてくれる。
ほっと一息つきながら、面白い本はないかと書棚に目を走らせた。
「お、これは……」
一冊の本を見つける。シュールな猫漫画。ねこ○るだった。ちなみにこの世界ではまだ作者も元気に活動しているようで何よりだ。
ぱらぱらと読みふけり、おぼろげな記憶にあるよりも遙かに鮮烈なシュールさを感じてその鬼才に震撼した。
そんな猫漫画を読んでいたのが悪かったのか、視界の端、窓の外にふっと猫耳が映った。低い位置ではない。普通の人の頭のある位置に、だ。
「むぅ?」
瞬きを二度三度、やはり歩いている。
猫耳、猫尻尾つけた女の子が二人、初老の男性の後ろを従者よろしく歩いている。どんなプレイだろうか?
「むむぅ?」
似合っているせいかあまり変に思わなかったが、よく見ると服とか相当アレじゃないか? モノトーン調の服で、体のラインにぴったりしている。上は肩パッドが入っているようで、スーツっぽくもあるが、下は……マイクロミニ? 控えめに見ても何かのコスプレにしか見えないのだが、何だろうかアレ。少なくとも日本では流行っていない。
その3人、少し目を離すと風景に溶け込んで違和感が無い。その違和感の無さにかえってモヤモヤするものを覚えるのだが……
「ぬーむ……」
悩んだ時間はわずかだった。
見失ってしまうかもしれないし、どうも気になって仕方ない。後をつけてみる事にした。
この天国じみたデパートから離れるのはかなり後ろ髪を引かれる思いなのだが、好奇心の方が強かった。
幸い、気配を殺して隠れる事については、恭也のお墨付きさえ貰っている。このまま前を行く猫娘ズとおじさん、三人でその手のホテルにでも入るなら……まあ、そういう業種のサービスだったのだろうし。とりあえずあの感じた違和感が気のせいなのか確認したい。
つけて見ると違和感はなおさら大きくなってきた。ちょっとだけ、迂闊だったかと思ってしまう。
何しろ周囲の人間がまるで不思議に思っていない。
猫耳とか露出の高い服とか、あるいは前を行くいかにも紳士という感じのステッキ持った初老の男性とか。目立つ部分はかなりあるのだが、誰もそれが異様だとは感じていないようだった。
暑い盛りというのに、冷や汗が流れる。
真っ直ぐ歩いているだけなのに、歩いている人の姿が見る見る減ってきた。
ふっ、と三人は左に折れ、路地に入っていく。なんだか判らないが、いや判らないから怖いのか……もう興味本位の追跡はここで終わりにしよう。左は見ないように真っ直ぐ歩いて、通り過ぎようとした……したのだが。その瞬間身動きがとれなくなった。
「……なっ…く……!」
声が出たと思ったら次の瞬間には喉に何かが巻き付き、声が出なくなる。
周囲を見ても誰もこれが異常だとは気付いていない。何が……何が起きている……?
「ありゃ、可愛いストーカーさんだね」
「ロッテ、眠らせる程度でね」
りょーかい、というくだけた声と共に視界が暗くなり、急速に意識は遠のいていった。
◇
新しい情報というものは、かみ砕き、記憶が馴染むまでどこか浮つき、頼りない感じがする。
……時空管理局なんてものがあるらしい。
大仰な名前である。いや、実際やってることも大仰っぽいのだが。
実際のところどういう組織なのかは実感をもって判ったと言うわけではない。
ただ、今は確認のしようもないので、鵜呑みにするしかないと言うのが現状だ。
どんな現状かというと話は一時間ほど前に遡る。
──目が覚めたら腕がしびれている。単身赴任の旦那を抱える奥さんの酒に付き合いすぎてしまったようだ。ダブルベッドの上で奥さんが寝返りをうち、白いうなじが豊かな髪の間から覗き見えた。
なーんて、アダルトな展開はなかった。どのみち今の身体ではそんな事は夢のまた夢である。
清潔そうな、一見して普通のホテルの一室だった。飾り気のない部屋にはベッド三台と簡易化粧台が配置されている。その端のベッドに寝かせられていた。
身を起こして、あくびを一つ。しかしまた、なんでこんな場所で目を覚ますことに……
ああ、思い出した……
妙な違和感ぷんぷんの三人連れを追いかけたら、捕まえられたんだなこりゃ。自分を過信していたかもしれない。好奇心鳥を殺すとか、洒落にもならない。
ただ、捕まえられたと言うには警戒がザルというか、普通にベッドに寝かされてたんだが、これは危害を加える気はないよーって事なんだろうか? それとも自信? あるいは両方か。前触れもなく急に身動きも発声も抑えられる事を思い出すと、下手な動きはしないほうが良いのかもしれない。
「あ、起きた? 動転してるかもしれないけど、少し待っていてね、紅茶でも入れてくるから」
急にドアが開いて、ビクッとする。すぐに紅茶を入れてくるとかいって引っ込んだが、先程街で見た女性の片方だった。淡いブラウンの長髪を揺らしていたが、その頭にあったのはやはり猫耳だった。
とりあえず、急に何をされるというわけでもないようだ。素直に待つ。というかそれしかできないんだが。
しばらく待っていると、初老の男性と共にティーセットを持った女性が入ってきた。
男性が慣れた手つきで紅茶を入れ、サイドテーブルに置いてくれる。自分のカップにも注ぐと、一口味わい、目を細め一つ頷き、ことりとソーサーにカップを戻す。満足げに息を吐いた。
妙に美味そうに飲みやがる……!
そろそろと手を伸ばして出された紅茶を頂く。ふんわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。口に入れればなかなかの渋みを感じさせるが、不快な渋みではなく、苦さとは別のもの。コクと言ってもいいかもしれない。紅茶は詳しくないが、何とも美味い。やるなこの男。
「おかわりはいるかね?」
気がつけばカップが空だった。
してやったりという笑顔がシャクだが、斜めを睨みつつ、そっとカップを出す。
再び淹れてもらった紅茶は最初の一杯目より香りは弱くなったものの、逆に味はさらにコクを増している。この飲み方がお薦めだという事で、ミルクを足して頂いた。
うぅ、美味い。
妙にまったりしてしまった。まったりさせる味なのだ。
「何、そう構えられても困るのでね、そうだな……」
目の前の初老の男性は少し考える仕草をした後、一拍を置いて言った。
「目の前の人物がいったい誰なのか、今の君の状況、君を取りまくこの世界が何なのか。一つ一つ話していきたいのだが、構わないかね?」
「……いや、今の状況から話してほしいとこなんだけど」
それを説明するためにも必要なことでね、と前置きし、少し悪戯っぽい顔になるとこんな事を言った。
「実はね、私は魔法使いなのだよ」
これは……すごいな爺さんと返すべきなのか……? さすがに偶然だろうけど、こんな台詞を生で聞けるとは思わなかった。
恐らくこの場の誰にも判らないであろう、昔やった覚えのあるゲームのネタ。そんな事を思い返し勝手に戦慄していると、妙な表情にでもなっていたのか。
「うん? 信じにくいかな、ではこれでどうだろうか?」
指をぱちんと鳴らすとその指の上に魔法陣のような模様が空中に現れ、子供向けの人形劇が立体映像として動き始める。
これは……驚いた。というか……理解が及ばない。自分の顔が今すごく面白い事になっているのを感じる。
「幻術魔法のアレンジだが、なかなか面白いだろう?」
「……ぐむ」
またしてもしてやったりという笑顔をしてやがるので、何とも言えない気分になる。そう言えば先程の映像といい……ああ、忘れてた。子供にしか見られてないよな。あれか、このしてやったりという笑顔は微笑ましく思われてるとか、そんなたぐいの笑みなのか……
少しやさぐれそうになった。いやまあ、魔法とか正直理解の外だ。まとめて追いやっておく。考えても仕方がない。
ともあれ、そう!
「今の俺はどういう扱いなんだ?」
言葉を飾っても仕方ないので単刀直入に聞いてみた。
「ふむ……女の子が『俺』などと言うものではないよ?」
「は? え、いや……」
少し混乱した。女の子とか、いや確かに身体はそうだが。ってそうじゃない、見た目ではそんなのは判らないはずだ。きっと。少なくとも今朝、鏡で見た分には。
……ああ、そうだ。なんで気付かなかった。ストーキングしていた見た目からして不審な人物を確保すれば、ボディチェックくらいはするわけで、身体の事も……翼生えてる事とかもばればれ?
俺、終わった?
「そう慌てないでも、大丈夫。脱がしたのは私だから。背中のそれは……私はちょっと……本能刺激されちゃったけど」
男性の一歩後ろでにこにこと控えていた女性がニャーと笑った。鋭い犬歯が見える。よく見れば瞳孔が鋭くなってる。こっちはこっちで別ベクトルでまずい。食われる予感が消えない。猫と鳥なんて相性が悪すぎる。いや自分でも何考えてるんだか、誤魔化せるのか? というかこの反応割と普通なのか? 訳わからん。絶賛混乱中である。
「なに、慌てないでほら、砂糖でも入れて飲むと良い。落ち着くと思うよ」
そう言って砂糖を紅茶に一杯、二杯と入れ差し出してくれる。
落ち着けというのは正論なので、うん、頂く。脳裏には「まだ、あわてるような時間じゃない」と仰るツンツン頭のバスケマンが……
馬鹿な事を考えて、紅茶の甘さを感じるうちに頭が冷えたようだ。
どのみち、何を知られようとも今の状態はまな板の鯉である。せめてこちらはひたすら情報を聞き逃さないようにするしかない。
ただ、この態度からすると随分友好的なようだが……いや、警告も無しにいきなり拘束されたわけだし、楽観は禁止だろうか。
「ふむ、そうだね……落ち着いたところで名前でも聞かせて貰えるかな? 私はギル・グレアムという。君は知らないかもしれないが、イギリスという国の出身でね、先程見せたように少々魔法使いもやっているのだよ」
「……白井ツバサ、です」
と言うと少し目を見開かれた。適当につけた名前だってバレたか? 日本語判ってるみたいだし、そりゃばれるか。幸いそこはスルーしてくれるようで「じゃあ、今の君の状況だ」と、組んだ足の上に軽く手を乗せ言った。いちいちサマになる爺さんである。
「次元漂流者という言葉があるのだが……」
……そこからは、様々なことを一気に説明されたので整理するので正直一杯一杯だった。
判らないものを聞き返せば、どういうものかを的確に説明してくれたし案外この爺さんは教師などに向いているのかもしれない。
どうも、世界というのはやたらめったら多いらしく、それの行き来の技術を持っていて警察のようなことをしているのが、その時空管理局という組織らしい。
このグレアムという爺さんもそこの所属の魔法使いらしく、魔導師と呼ぶそうだ。スゴ腕らしい。後ろで猫娘がお父様は管理局でも有数のトップ魔導師なんですよとか自慢げにしていた。
ふと、そこまで情報開示していいのかと聞く。
頷いた。よろしいらしい。というか次元漂流者の保護規定というものがあって、ある程度の情報開示は構わないそうだ。
そう、俺はその次元漂流者というものに当たるらしい。
ただ……
「第130管理外世界?」
「こんな場所だよ。故郷ではないかね?」
空間に投影されたモニター、これも魔法らしいが。それに映ったのは少し緑がかった空を背景に映る石造りの町並みだった。手前には青い海が広がる。白い石造りの建物は地中海にこんな場所があると言われれば信じてしまうかもしれない。よく見ると建築様式も全く違うし、建物に書かれている文字だろうものは全く読めない文字だったが……だが本当に驚いたのはそこではない。
歩いている人を見れば、服装などはどこか西欧ファンタジー的を思わせるような服装だ。ローブといえばいいのだろうか。ゆったりした服装に身を包み、サンダルを履いている。それも驚きではあるものの……その背中にある翼が一番の驚きだった。
歩いている人歩いている人は全て。大小、色の違いはあるものの、翼を持っている。
それはあまりに馬鹿げた光景で……いや自分も人の事言えないというか、言えなさすぎるのだが。
「……大丈夫かな?」
「ああ、いや、違う。違うんだ。俺の世界じゃない。普通の世界なんだ。地球だったんだ。気付いたらこんな姿になってたんだ。訳わからないよ。何なんだよ。説明してくれよ。なんで羽根とか生えてるんだよ」
気付けばそんな事を垂れ流していた。我ながら平坦な声だった。涙も出てこない。ただ眼前に映っている翼の生えている連中の姿を何となく見ている。
悲しみでもない。喪失感でもない。ぽっかりあいた大穴にどうしたら良いのか、考えつきもしない感じ。茫然自失なんてのが相応しいのかもしれなかった。
ああ、そうか。根拠も意味もなく……あの場所、記憶も定かじゃないあの地球に……帰れる可能性があると縋っていたんだな。多分。
ちょっとでも考えれば……こいつらが次元漂流者だと判断した理由はこの翼だろうに。
俺は大きく息を吐いた。
グレアムの爺さんは俺が垂れ流した言葉を聞いて、少し驚いたようにした後、何かを考えるように腕を組み、目をつむり、また指先を一つ鳴らすと言った。
「少し、話してみる、良い」
「……なんで急にカタコトに? というか、発音がまるっきり違うぞさっきと」
また一つ指を鳴らす。
「ああ、翻訳魔法を切ったのだよ。しかし、難しい日本語をそれだけ流暢に話せるということは嘘ではないようだね」
そんな魔法使ってたのか、何でもありだな魔法。
さて、この場合どうすべきか、とか首をひねっている爺さんをさておき、冷めてしまった紅茶を口に運ぶ。あんな世界見せられて、動揺して、まるっと全部話してしまった。あ、元男だったってのは話してないか。しかしこんなに動揺する映像だったのだろうか。指先がまだ震えてる。落ち着け俺の右腕。
「君の事情は私にも正直、見当のつくものではない……だが、そうだな。やはり一度管理局の保護プログラムに従う形ではあるが、しっかりとした検査を受けた方が良いのではないかな」
そこでさらに少し首をかしげると。
「もちろん、日本出身のようだしこの土地に既に馴染めているのなら、無理強いすることではないが」
いや、どこの常識だよ。この10歳そこそこにしか見えず、周囲から完全に浮いた容姿持って土地に馴染めるってすごいぞ。
割と生活は何とかなってるが。
「……お父様、そろそろ約束の時間ですよ」
猫娘、アリアというらしい、が声をかけてきた。
「む? おお、そのようだ。すまないが不動産屋との約束があってね」
と腰を上げる。正直聞き足りないものもあったのだが……迂闊ながら、不満が顔に出てしまったのか、やれやれとでも言いたそうに苦笑すると、くしゃくしゃと頭を撫で回された。
「少々借りがある友人が居てね、せめて小さい娘さんの為に家の一つでもプレゼントしてやりたいのだよ。君のために時間をとってやれなくてすまないな」
ないがしろにしている訳ではないのだよ? とあくまで子供扱いである。内心でちょっと子供扱いにはいらっとしてるのだが、表面に出すとまた頭を撫で回されそうである。むう。
……しかし家の一軒とはまぁ正直。
「豪儀だな爺さん。リアル足長おじさんという奴か」
「……そうであったらどんなに良いだろうね」
何か言葉に違和感を覚えるも、見上げた時には先程と変わらない飄々とした顔だった。
考えがまとまったらこの電話番号に連絡したまえ、とメモを渡され、アリアさんに送られホテルを出た。送り狼ならぬ送り猫か。うん、実際この人は猫だったらしい。使い魔というもののようだが、どういう原理で人型になってるのかは知らない。きっと魔法というでたらめパワーだろう。
アリアさんには別れ際に声をかけられた。
「お父様はああ言っていたけど、あなたは保護された方がいいと思うの。結構精神状態不安定だったでしょ? 管理局の医療はいろいろこの世界より進んでるところもあるから、あてにできると思う」
連絡は三日以内に頂戴ね、それ以後は出立しちゃうから。と言い、油断していたら別れ際にまた頭をクシャクシャと撫でられた。そういえば帽子……ホテルに忘れたな。
アリアさんの姿が見えなくなると大きくため息をつく。
精神的に疲れた。
時間にしてみればわずか一時間ほどだったか……街角の時計を見て確認する。
頭を整理するためにひとまず家に戻ることにし、街を後にする。
暑い中に汗で濡れた髪の不快な感じだけがいつまでも後を引いていた。