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[33886] 【ゼロ魔×封神演義】雪風と風の旅人
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2018/06/17 01:43
【2016/09/04】
大変お待たせ致しました、ようやく最新話をお届けすることができます。一時期健康的に少し危険な状況に陥りましたが、幸いなことに元気を取り戻すことができました。というわけで、雪風と風の旅人、再開致します。



【重要】2016/09/04【一部改訂】

※はじめに※

・これは『にじファン』様にて連載していた同名作品の加筆修正版です。Arcadia様で連載されている一般的な小説に倣い、文字数その他を調整致しておりますので『にじファン』様に掲載されていたものとは本文の内容・構成ともに異なります。

・web小説投稿サイト『ハーメルン』様でマルチ投稿をしております。書式や誤字など一部調整しておりますが、内容はほぼ変わりません。


・本作品は「ゼロの使い魔」「烈風の騎士姫」と藤崎竜版「封神演義」のクロスオーバーです。双方ともに原作のみを基準としており、他メディアの設定は使用しておりません。(書き下ろし番外編なども「原作」に含まれます)

・「ゼロの使い魔」側は原作開始直後からのスタートですが「封神演義」側からは原作終了後の主人公が召喚されるという内容のため「封神演義」の重大なネタバレが随所に存在します。同作品に興味をお持ちで、これから目を通される予定の方は、くれぐれもご注意ください。

・本作品は「ゼロの使い魔」の原作通りにストーリーが進行しません。いくつかのイベント発生時期をシャッフルしております。

・また、基本的に「ゼロの使い魔」の世界と「封神演義」のキャラクター達が出逢うことにより、世界にどんな影響があるか。所謂「バタフライ効果」をいかにして見せるかということを念頭に置いて執筆致しておりますため、徐々にストーリーが「ゼロの使い魔」原作の展開から離れていきますので、予めご了承ください。

・本作品は「サイ・ナミカタのテキスト倉庫」というブログにて一部をプレ公開しております。


【2014/06/12追記】
・作品上に魔法や世界に関するオリジナルな分析の類が頻繁に登場しますが、それに対する感想ではない、別の事象に対する推理・考察・ストーリーの展開予想・アイディア提案などの書き込みは、何卒おやめくださいますよう、お願い申し上げます。

 それらが当方のネタ帳とかぶっていた場合、最悪更新停止もありえますので、どうかご理解いただければ幸いです。


 以上です。それでは、皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。

                           ――サイ・ナミカタ


※以下、移転後の改定履歴※


2012/07/08a
 ・ご指摘頂いた「はじめに」「プロローグ」1~5話までの誤字修正
 ・3話の授業風景にコモンマジックに関するやりとりを追加
2012/07/08b
 ・8話タイトルに13話と書かれていた間違いを修正
 ・4話誤字を修正
2012/07/09
 ・ご指摘いただいた7~11話、3話の誤字脱字修正
 ・3話ガンダールヴに関する記述を修正
2012/07/14
 ・13話、15話、17話の誤字脱字修正
2012/07/15
 ・ご指摘いただいた12~17話までの誤字脱字修正
 ・会話文行頭の空白を全削除
2012/07/16
 ・7話のキュルケのお願いを「国の話」ではなく「魔法の話」に変更
 ・18話、太公望らしからぬ旺盛なサービス精神を抑える修正
  (具体的には、キュルケから依頼を受けて行う形に変更)
 ・太公望が才人の待遇改善に熱心な理由を会話文で追加
2012/08/02
 ・19話~23話までの誤字脱字修正
 ・19話、武成王に関するやりとりを一部加筆
2012/08/07
 ・ご指摘いただいた18話、24話、25話の矛盾点を修正
2012/08/12
 ・感想欄にてご指摘いただいた誤字脱字、及び語句の修正
2012/08/14
 ・32話の誤字脱字修正
2012/08/19
 ・1話の名前表記修正、37話の誤字脱字修正
2012/08/20
 ・39、40話の誤字脱字修正
2012/08/21
 ・ご指摘をいただいたゼロ戦の機体スペックを修正
2012/08/23
 ・2話誤字脱字修正
2012/08/25
 ・41話「三大軍師」のくだりをカット、別の質問に差し替え
2012/08/27
 ・42話誤字脱字修正
2012/09/01
 ・42話の女狐に関する才人と太公望の台詞を一部調整
 ・44話の誤字脱字修正
2012/09/08
 ・46話に仙桃に関する記述を追加
2012/09/11
 ・47話の誤字脱字、その他感想欄でいただいた内容の修正
2012/09/15
 ・↑の話数記載ミスを修正
2012/09/16
 ・48話の誤字脱字修正
2012/09/19
 ・50、51話の誤字脱字修正
2012/09/22
 ・51話の感想欄でご指摘いただいた地割れ関係の修正
 ・52話の誤字脱字修正
2012/09/26
 ・ご指摘いただいた53話の誤字脱字修正
2012/09/30
 ・ご指摘いただいた各所の誤字脱字、誤用の修正
2012/10/6
 ・54話までのご指摘いただいた各所の誤字脱字、誤用の修正
2012/10/08
 ・56話までのご指摘いただいた各所の誤字脱字、誤用の修正
2012/10/12
 ・57話までのご指摘いただいた各所の誤字脱字、誤用の修正
2012/10/19
 ・ご指摘いただいた各所及び、56~61話までの誤字脱字修正
2012/10/25
 ・62話、ご指摘いただいた各所の修正
2012/10/28
 ・感想欄にてご指摘いただいた各所の修正
2012/11/04
 ・感想欄にてご指摘いただいた表現に関する修正
2013/01/26
 ・68話の最後を微妙に修正
2013/02/20
 ・感想欄にてご指摘いただいた誤用を修正
2013/03/03
 ・76話の感想欄にてご指摘いただいた箇所を修正
2013/03/04
 ・75話の連続投稿分を削除、76、77話の誤字修正
2013/03/17
 ・77話の誤字修正
 ・感想欄にてご指摘いただいた79話の誤字修正
2013/03/23
 ・79話の誤字修正
2013/03/24
 ・感想欄にてご指摘頂いた14話、66話の修正
 ・80話の脱字修正
2013/04/20
 ・感想欄にてご指摘頂いた39話、40話、82話の誤字修正
2013/05/05
 ・感想欄にてご指摘いただいた83、84話の誤字脱字修正
2013/05/19
 ・感想欄にてご指摘いただいた6話の脱字修正、85話微調整
2013/06/13
 ・感想欄にてご指摘いただいた箇所他の誤字脱字修正
2013/07/07
 ・85話、88話の誤字修正
2013/07/08
 ・89話の誤字脱字修正、及び微調整
2013/09/01
 ・90話の誤字脱字修正、
 ・秘伝書云々の箇所が過去話と矛盾するため加筆修正
2013/09/22
 ・89話、90話の誤字修正
2013/09/22
 ・91話、感想欄にてご指摘いただいた箇所他の誤字脱字修正
2013/09/23
 ・91話の誤字脱字修正
2014/03/08
 ・感想欄にてご指摘いただいた箇所の誤字、誤用修正(多数)
2014/03/08_2
 ・92話の文章重複箇所修正
2014/05/11
 ・91話の誤字脱字修正
2014/05/15
 ・93話、ご指摘いただいた箇所の修正、誤字脱字修正
2014/06/12
 ・93話の誤字修正
2014/06/18
 ・94話の誤字、脱字修正
2014/06/29
 ・掲示板でご指摘いただいた箇所の修正、2・3話の一部を修正
2014/11/24
 ・95話の誤字、脱字修正
2015/07/20
 ・96話の誤字、脱字修正
2016/09/25
・97話の誤字、脱字修正
2016/10/01
・98話の誤字、脱字修正
2016/11/23
・99話の誤字・脱字修正
2017/01/08
 ・99話の章タイトル修正、100話加筆修正
2017/01/08a
 ・101話の誤字・脱字修正
2017/02/16
 ・103話の誤字・脱字修正
2017/03/06
 ・104話の誤字・脱字修正
2017/03/28
 ・感想欄でご指摘いただいた105話の誤用修正
2017/05/22
 ・107話の誤字・脱字修正
2018/06/17
 ・封神演義外伝の設定開示に伴い、85話の時間移動設定関連を修正



[33886] 【召喚事故、発生】~プロローグ~ 風の旅人、雪風と出会う事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2013/06/13 02:00
 ――少女は、絶望していた。

 春の使い魔召喚の儀。それは神聖にして絶対のもの。生涯の『パートナー』たりえる存在を呼び出し、それが持つ性質を見て、進むべき専門課程を決定する――いわば今後の進路を左右する大切な場で真の名前を用いなかった、その報いがコレなのか。この世界の『始祖』は、どこまでわたしに試練を与えれば気が済むのだろう。


 ――彼は、困惑していた。目に映る……今の自分を取り巻く環境に。

 抜けるような青い空と、広く豊かな草原。それはいい。周囲にいるまだ子供といってもよい年齢の人間たちと、見たこともない妖(あやかし)ども。そして己の目の前に立つ、氷のような瞳の内に深く暗い絶望の色を宿す青い髪の少女についても、まあ後で考えればいいだろう。だが……。

「何故に、わしだけがここにおるのかのう……」

 ……しかし、その疑問に答えてくれる者はなく。

「おいおい、雪風のタバサが平民を呼び出したぞ!」

「まさか、召喚に失敗したのか?」

「彼女はトライアングルだよ? ありえないだろ。ゼロのルイズならともかく」

「ちょっと! わたしならってどういう意味よ!!」

 自身以上に困惑した声が響くのみであった。が、ほんの少しだけ状況を判断するに足る発言があったのは確かである。

 まずひとつ。彼らに『雪風のタバサ』と呼ばれている者が、自分をこの地へ連れてきたのであろうということ。

 ふたつ。その際に、何らかの手違いがあり――何故か、自分『だけ』がここへ引き寄せられてしまったのであろうということ。

 そして最後に。目の前にいる、小柄で痩せた少女こそが『雪風のタバサ』。つまり、自分をこのような状態にした本人であろうということ。

 だが、推測のみで判断すべきことではない。まずは、この異常事態を生み出した原因と思われる者に確認を取るべきだろう。そう判断し、彼は口を開いた。


 ――男性は、狼狽していた。

 毎年春……フェオの月に行われる<使い魔召喚の儀>。それは、このトリステイン国立魔法学院において、2年生へと進級するために必要な試験にして、神聖な儀式である。男性――この儀式における、監督責任者『炎蛇』のコルベールの記憶においても、また、過去の歴史を鑑みてもありえない『事故』を目の前に、彼は激しく混乱してしまった。

 この事故を起こした少女は、非常に優秀な生徒である。そんな彼女が、まさか取り扱いの簡単な汎用魔法のひとつである<サモン・サーヴァント>を失敗することなどありえない。いや、実際失敗ではないのだろう、なにせ『呼ばれた者』が目の前にいるのだから。

 では、いったい何をして彼をここまで困惑させているのか。それは<召喚>された者が人間だということだ。<サモン・サーヴァント>は、使い魔をこの世界の何処かから呼び出す魔法。しかし、人間が呼び出された例など過去にない。

 それだけならばまだいい……いや、よくはないのだが。タバサの前にいる少年――年の頃は、おそらく15~6といったところであろう彼の服装は、あきらかに自国の民が身に着けるようなものではなかった。純白の布を頭に巻き、橙色の――国内では見たこともない造形の胴衣を着ており、さらには濃紺のローブ、ともマントとも言えるような、これまた不可思議な造りの外套を身に纏っている。

 周囲にいる生徒達は呼び出された少年をひと目見ただけで『平民』と断じてしまったようだが、それは彼が『杖』を手に持っていない、ただそれだけの理由だろう。だが、コルベールの目から見るに、少なくともただの平民ではないように思えたのだ。もしも呼ばれたかの少年が異国の貴族であったなら、最悪国際問題に発展しかねない。

 それに。今のところ、かの少年に敵意――周囲の者たちに対し、何らかの抵抗をしようといった雰囲気はない。しかし、状況の推移によってはどうなるかわからない。だから、コルベールは事態に介入すべく動いた。


 ――少年は、少女に問うた。

「雪風のタバサ……と、申したか? わしをこの地へ呼び出したのは、おぬしで間違いないかの?」

 少女は少年の声を聞き、コクリ……と、小さく頭を縦に振った。

 頭痛がする。おそらくは、自分だけが強制的に引っ張り出されたせいだろう。頭を振りながら、少年はさらに質問を続けた。

「なるほど。で、いかなる理由でわしを……」

 ――が、その言葉は最後まで紡がれることなく、他の声に遮られた。

「お話中のところ申し訳ありません……私はジャン・コルベール。二つ名は『炎蛇』。このトリステイン魔法学院で教師を務めている者です。ミスタ、えー、大変失礼ですが、お名前を伺ってよろしいでしょうか?」

 真っ黒な長衣に木の棒を持った、年齢の割に頭髪のやや寂しげな男が声をかけてきた。おそらく、この場の責任者的存在なのであろう。少年は、そう判断し――改めて『観察』を始めた。

 この人物は、周りにいる子供達と異なり、柔らかな空気を醸し出してはいるものの……それ以外の全て――たとえば移動のための動作ひとつとっても全く隙がない上に、さらに周囲の者たちに一切それを悟らせていない。この者に、武術の心得があるのは間違いなさそうだ。それも、ほぼ確実に実戦の経験がある。

 今のところ、彼らに敵意はないようだが……『半身』から引き剥がされ、見知らぬ土地へ連れてこられた今、自分にどれほどのことが可能なのか判断がつかない。ならば、こちらから攻撃を仕掛けたりするのは愚の骨頂であろう。まずは、情報を集めることから始めなければならぬ。瞬きするほどの間で、そこまで検討を行うに至った少年は、大人しく問いかけに答えることにした。

 名前……か。いくつかの名を持つ自分だが、今この状態で名乗るのならば、これが最も適切であろう。


「わしの名は『太公望』呂望(たいこうぼう・りょぼう)。太公望と呼ぶがよい」



[33886] 【歴史の分岐点】第1話 雪風、使い魔を得るの事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/09/30 14:52
 ――建国から数千年という長い歴史と伝統を誇る王国、トリステイン。

 保有する国土はさほど広いとはいえないものの、王都トリスタニアやその周囲は四季折々の花や噴水などによって美しく彩られ、国内にある世界最大の湖が観光名所となっているなど、風光明媚な『水の王国』として名高い国家である。

 そのトリステイン王国にある、名門貴族の子女たちが数多く集う学舎。それが、ここトリステイン国立魔法学院だ。かの学院では、毎年春になると、必ずある儀式が執り行われる。それが<春の使い魔召喚の儀>である。この儀式によって、学生たちは己の『パートナー』となる<使い魔>を呼び出し、契約する。

 ここで<召喚>されるのは、一般的に犬や猫、鳥などといった動物が多く、召喚者によってはバグベアー、バジリスクといった魔獣を呼び、特に素質のある者が儀式を行った場合、グリフォンやドラゴン、サラマンダーなどといった幻獣が現れることもある。

 つまり。呼び出した<使い魔>の種類を見、召喚者の資質を計るという目的でもって、この儀式は長年継続されてきたのだが……この日。思わぬ『事故』が発生した。

 本来ならば、ありえない事態――なんと『人間』を召喚した者が出てしまったのだ。しかも、その事故を起こしたのは……学院内でも特に優秀な生徒として、それなりに名の知られた少女だ。二重にありえない事態に、周囲は騒然となった。事故を起こしてしまった本人も、呆然とその場に立ち尽くしている。

 と――その場を収拾すべく動いた者がいた。この儀式の現場監督責任者にして、学院に勤める教師『炎蛇』のコルベールだ。彼は、周囲の生徒たちに静かにするよう声をかけると、ごくごく丁寧な口調で『呼び出されてしまった』少年に声をかけた。問いかけられた相手も特に慌てた様子はなく、素直に自分の名前を告げた。そんな相手の態度を見て安心したのであろうコルベールは、言葉を続けた。

「ええと、ミスタ・ジェイコブでしたかな?」

「タ・イ・コ・ウ・ボ・ウ、だ」

「わかりました。では、ミスタ・タイコーボー。早速ですが、質問をさせてもらってもかまわないでしょうか?」

「別にかまわぬぞ。答えられるかどうかはわからぬがのう」

 まるで、今日の天気について答えるような気軽さでもって、コルベールの問いかけに頷いたのは『タイコーボー』という、このあたりでは聞き慣れない……というよりも、まず存在しないであろう名を持つ少年だ。周囲の喧噪など、どこふく風といった様子で、悠然とその場に立っている。

 ここに至って、ようやく……瞳に絶望の色を浮かべていた少女タバサは、現在の状況を把握し――改めて自分が呼び出した相手を観察する余裕ができた。

 ――まずは、相手をよく見なければいけない。タバサは即座にそう判断した。

 自分が召喚した――おそらく自分と同じ、あるいは1つか2つ程度年上であろう少年。彼は、このハルケギニアではとても珍しい黒髪で、異国のものとおぼしき衣服――一見してわかる程度に高級な布地で作られたものを身につけている。また、突然見知らぬ地へ呼ばれたにも関わらず、まったく動揺した様子がない。

 それどころか、ふてぶてしいとも言える態度で大人のコルベールに相対している。その様子から察するに、それなりに場数を踏んでいる可能性がある。もしも、彼が状況を見抜けないただの馬鹿者だとしても『普通の人間』でないことだけは確かだろう。

 タバサは、よりにもよって人間を召喚してしまったという衝撃など既に忘れてしまったかのように、相手を見極めるべく観察を続けている。しかし、現場監督者のコルベールはというと、そんな彼女の様子には全く気付かず、件の少年へ問いかけた。

「それではお伺いします。あなたはどちらの国の貴族でいらっしゃるのでしょうか?」

 コルベールの質問に、周囲がざわつく。もっとも、それに対する答えは……彼らをして、やや斜め上を行くものであったが。

「う~む……今のわしには、その質問全てに答えることはできぬ」

「ええと、それは一体どうしてでしょうか?」

 その場でズッコけそうになるのを必死にこらえたコルベールは、さらに問うた。

「そうだのう……まず、わしは周という名の国からこの地へ呼び寄せられた」

「シュウ、ですか? 失礼ですが、聞いたことがありません」

 首をかしげるコルベールに、我が意を得たとばかりに答える太公望。

「まあ、そうであろうな。こう見えてもわしは、自国を含めた世界各地を旅をして回った経験がある。だが、ここは確かトリステイン……と、申したか? かような地名は、初めて耳にしたものなのだ」

 再び周囲が騒がしくなる。トリステインを知らないなんて、とか、どこの田舎者? とか、シュウ、なにそれ? などという心ないものがほとんどであったが、それらの反応もこの少年――太公望にとっては折り込み済みのものであるようだ。

「どうやら、まわりにいる者たちも『周』を知らぬようだ。つまり、わしは……お互いに、その存在すら知らないほどに遠方からやってきたことになる、と。ここまではよいかのう?」

「ええ、ですが……」

「国が違えば文化も異なるものだ。すなわち、わしの持つ常識がおぬしたちの持つそれと同じ可能性は非常に低い」

「ま、まあその通りですね」

「つまりだ、おぬしの言う『貴族』とやらの定義が、わしの国では全く別のものを指すのかもしれぬということだ。よって、今のままではおぬしの質問全てに正しく答えることができぬ、と……まあ、こういうわけなのだよ」

 このやりとりを聞いたタバサは、太公望という少年に対してさらなる興味を持った。

 彼は、コルベールの「どこの国の貴族なのか」という、自分の所属する国とメイジであるのかをいっぺんに聞き出そうとする質問を逆手に取って、必要な情報を集めるために己のペースに巻き込もうとしているのだと判断したからだ。そして、そんな彼女の推測を裏付けるかのように問答は続いてゆく。

「そこでだ、質問に質問を返す形になってしまうが、まずは答えてほしい。先程、そこにおる娘にも問おうとしたことなのだが……さて、いかなる理由でわしはここへ呼び寄せられたのかのう?」
 
 ――まずいことになった。コルベールは、既に内心の焦りを表に出さないようにすることだけで精一杯であった。

 異国の装いをした少年を呼び出してしまったことで、すわ国際問題勃発か!? と慌てて場の調停を行おうとしたものの。生徒たちとほぼ同年代(と、思われる)若い太公望に対して、正直油断していたことは否めない。ゆえに深く考えずに発言してしまったが、その言葉の隙を突かれ、会話の主導権を握られてしまった。

 彼が本当に、お互いに存在も知らないほどの遠方から来たのか、また貴族……メイジであるのか。ハッキリ言って、それはもはやどうでもいい。問題は、現時点でこの少年が何者であるのか、全く判断がつかないことである。もしも、彼が異国における貴族だったとしよう。その彼に、

「使い魔にするために、あなたを呼び出しました」

 などと答えたらどうなるか。質問をしなおす? 問題外だ。

 こっそり<魔法探知(ディテクト・マジック)>を使う? 既に会話を始めてしまっているこの現状ではありえない選択だ。もしも相手の身分が高かった場合、大変な失礼にあたるからだ。コルベールは焦った。だが……焦りは、思考を鈍くする。

 この失策を取り返すためには時間が欲しい。そう考えたコルベールは、問題を先送りすることを選んだ。目の前の生徒と上司には申し訳ないが、事は既に自分の手にあまる。

「そ、そうですね……と。実は、今ここに集まっている彼らは……この学院の生徒たちなのですが……今後の人生に関わる、非常に大切な儀式を行っている最中でして、はい。私には、その監督をする義務があります。ですので……ミス・タバサ」

 と、側に立つタバサに声をかけた。そして懐から1枚の羊皮紙を取り出し、素早く何かを書き付け手渡す。

「彼を学院長室へ案内してください。そのメモを秘書のミス・ロングビルへ渡せば、優先的に通してもらえるでしょう。あっと、急ぎの用件ですので<フライ>を使ってくださいね」

「わかりました」

 タバサは、じっと彼の目を見て頷き返した。せめてもの抵抗に、どうやら自分の教え子は気付いてくれたようだと、コルベールは内心でほっとしていた。これで、もしも彼が魔法を使うことができなければ、話はずいぶんと楽になる。

「ついてきて」

 タバサは太公望にそう告げると、ふわりと宙に浮いた。

 口をあんぐりと開けて、太公望はその様子を見つめた。

 と、飛んだ? 宙に浮いた?

 予想はしていたが、やはりここに集まる者達は、ただの人間ではない。改めて周りを見ると、みな棒状の何かを持っている。今飛んでいった少女も、長い杖を持っていた。もしや、アレは宝貝(ぱおぺえ)の一種なのだろうか? ここは、自分の知らない場所に存在する仙人の修行場なのであろうか?

 そんなことを考えているうちに、徐々にタバサの姿が小さくなってゆく。太公望は焦った。せっかく主導権を握りつつあるというのに、このままでは置いて行かれかねない。しかし、今の姿で……かわいがっていた霊獣に乗ることなく飛ぶことができるのだろうか。

 太公望はふと不安を覚え、懐をさぐった。彼が愛用している宝貝『打神鞭(だしんべん)』は……そこにあった。念のため取り出してみるも、これといって問題はないように見える。何故か周囲の空気が変わったように感じるが、それはまた後で考えるとして。体内に巡る<力>も……自分本来の状態に比べて大幅に落ちてしまってはいるようだが、空を飛ぶ程度ならば問題なくできそうだ。そう判断した彼は、利き手に『打神鞭』を握りしめたまま、小さく呟いた。

「はてさて……鬼が出るか蛇が出るか。楽しみだのう」

 ニヤリと笑みを浮かべた彼は、すぐさまふわりと浮き上がり――既に豆粒ほどの大きさになってしまったタバサを追って空を征く。

 ――その場に残されたコルベールの、正直寂しいと言って差し支えない頭髪が数十本単位ではらはらと抜け落ちたのは……太公望と名乗った少年の飛翔によって巻き起こった<風>のせいだけではないということを、念のため付け足しておく。

 『雪風』のタバサは驚いていた。その驚きの対象は、自身の執り行った<使い魔召喚の儀>で人間を呼び出してしまったことではない。師と仰ぐ人物の、思わぬ失態について……でもない。彼女をして最も驚かせたもの、それは。先に飛び立ち、既にそれなりの距離を稼いでいた自分に追いついてきただけでなく、

「う~む、これはまた異国情緒あふれる風景だのう」

 などと軽口を叩きながら、田舎から出てきた観光客よろしくきょろきょろと周囲を観察している彼が見せた『余裕』。それこそが彼女を驚かせた最大のポイントだ。

 空を飛ぶ魔法<フライ>は、それを扱うメイジの力量によって、飛翔速度を大きく変える。この魔法学院内で、タバサに『空』で追いつける者はほとんどいない。少なくとも彼は、それなりの腕を持った<風>の使い手であることは間違いなさそうだ。

 タバサは、自分が呼び出した少年に対する評価をまた1段階上げた。


○●○●○●○●

 ――ちょうどそのころ。トリステイン魔法学院の学院長を務めるオスマン氏は、長く白い口髭と髪を揺らし、本塔の最上階にある学院長室で、背もたれつきの高価な椅子に腰掛けながら、ゆっくりと水ギセルの煙を燻らせていた。

 今、この部屋には「健康のために喫煙はおやめください」などと言う無粋な人物はいない。喫煙は身体に良くない。そんなこと、とうの昔に自覚している。だからこそ求めたくなるのか……などとぼんやり考えながら過ごすこの時間は、彼にとって至福の刻。

 オスマン氏の顔に刻まれた数多くの皺は、彼が過ごした歴史の証だ。齢100歳とも、300を越えているとも言われているが、本当の年齢は誰も知らない。本人も、とうに忘れてしまっているに違いない。

 そんな彼の元へ、彼の秘書ミス・ロングビルが難題を持ち込んできた。いや、正確に言うと、彼女はメッセンジャーの役割を果たしただけに過ぎないのであるが。

「オールド・オスマン。これをご覧下さい」

 オスマン氏は、彼女から手渡された羊皮紙を一瞥すると、つ……と眉を寄せてため息をつき、水ギセルを仕舞いながら答えた。

「ここへ案内しなさい、ミス・タバサとその……異国のメイジとやらを」

 学院長室の中へ案内された太公望とタバサのふたりは、椅子を勧められると、太公望がこの地へ呼び寄せられてしまった『原因』とやらについて聞くことになった。

「なるほどのう。つまりわしは、この娘御が起こした事故によって、この地へ呼び出されてしまった……と。そういうことかの?」

 ここまで約1時間程、太公望は先方の事情とやらの説明を受けていた。

 曰く、この国では<魔法>という技術を使う『人間』が『貴族』と呼ばれること。

 曰く、ここは貴族の子弟たちが魔法を学ぶための場所であること。

 曰く、そんな彼らに最も適した魔法を探すために行われる儀式があること。

 曰く、その儀式は「使い魔を喚び、その性質を見て決める」ものであるということ。

 そして、今自分がここにいるのは、その『儀式』とやらのせいであることを。

「わしも、それなりに長くこの職に就いておるが……<サモン・サーヴァント>によって人間が召喚されるなどという事故は初めてのことでの。一学生の起こした不手際ということで、事を大きくしないでくれると助かるのじゃが」

 心の底から申し訳なさそうな顔をしつつ語るオスマン氏と、固い表情を崩さないタバサの顔を交互に見やりつつ太公望は考えた。正直なところ、召喚されたことに関して言えばどうでもいい。むしろ、感謝さえしていると言っても過言ではない。何故なら、彼は心の底から休息を欲していたからだ。

 太公望と名乗ったこの少年――実は、本名を伏羲(ふっき)という。

 彼は、見た目はただの少年のようだが、実際には違う。現在の肉体を得てから、なんと100年近く生きている、人間を超えた存在たる<仙人>なのだ。

 伏羲は、本当に疲れていた。何故なら、彼はこれまで生きてきた永き時の流れの中で『世界の命運』という、たったひとりで背負うには、あまりにも重過ぎる責任をその両肩に乗せ、見守り、待ち望み、仲間を集め……戦い続けてきたからだ。

 だから、彼は全てが終わり、見守ってきた世界に平和が訪れた後――あらゆる束縛を捨て去り、人々の前からその姿を消した。

 ……いちばん面倒な戦後処理を他人に押しつけたんだろう、とか、元来持っていた重度のサボリぐせが再発したんだろう、とかいう諸説はさておくとして。

 とにかく、ここに至るまでの数ヶ月間――己を慕う者や、さらに仕事をさせようと自分を追い掛け続ける、大勢の部下たちの厳しい捜索の目を逃れつつ、野を渡る風のごとく気ままな旅を続けていたところなのだ。そんな時に、誰も知らない土地へ呼び寄せられたというのは、伏羲にとって、その場で飛び跳ねたいほどに喜ばしい出来事であった。

 自分の『心』を構成するうちの半分である『太公望』の部分のみが、この地へ引き寄せられるという事態が、いったい何故発生したのか。その原因は、未だ不明ではあるものの――伏羲は、既に確信していた。ここが『空間』を越えた『異界』であることを。

 かつての仲間達、あるいは周の地へ残してきてしまった残りの『半身』が、ほぼ間違いなく自分を連れ戻しにこの地へやって来るだろうが、それまでの数ヶ月間……いや、もしかすると数年はのんびりぐうたらできるのではないか。伏羲は、そう考えた。

 伏羲――現在『半身』である太公望へ、姿だけではなく持っていた<力>までもが戻されてしまった彼は、改めて現在の状況を整理した。

 ここまでの情報から判断するに、タバサという少女は本来<使い魔>……自分に隷属する存在を呼び出そうとしたものの……何の手違いか、伏羲から太公望の部分『だけ』を切り離し、この場所まで連れて来てしまったらしい。そして、使い魔を呼ぶことができなかった場合、今後の生活に不都合が生じるというのだ。

 つまり、彼女の命運は彼の手中にあるといっても過言ではないだろう。

 ならば、やるべきことは決まっている。

 そう……今ある手札を利用して、この地における己の立場を確立するべし!

 追っ手の気配に神経を尖らせることなく、悠々自適の毎日を送れるであろう土地へ招いてくれたことには感謝するが、それはそれ、これはこれである。別に誰かに頼らずとも、この世界でひとり生きていく自信はある。しかし、せっかく用意された『ぐうたら生活』のチャンスをふいにするほど、この男『太公望』は生真面目ではない。

 なにせ、この男は……とある自給自足の村で、食料を盗んで捕らえられた際に――大勢の村人たちに囲まれ、彼らを纏める長から「労働か処刑か好きなほうを選べ」と迫られるという、ある意味極限の状況下においてもなお、

「働くぐらいなら食わぬ!」

 と、突っぱねた程に生粋の怠け者なのである(結局働くはめにはなったが)。

 とはいえ、まだ顔に幼さを残すような少女に対して、意地の悪い駆け引きを行うほど彼の性根は腐っていない。よって、目の前にいる老人――師であり、かつての上司と似た雰囲気を持つ者に、その矛先が向くこととなる。

 ――かくして、トリステインを代表する偉大なメイジ・オスマンと、仙人界No.1の腹黒と謳われた軍師・太公望の仁義なき戦いは幕を開けた。


○●○●○●○●

 ――ここは決戦場(コロセウム)だと、タバサは思った。

 魔法はもちろんのこと、剣同士がぶつかる音も聞こえないけれど、目の前で繰り広げられるこれは、間違いなく『戦い』と呼べるものだろう。風の刃ではなく、言葉をぶつけ合う戦場。競い合うは、トリステインのみならず、他国にまでその名が知られた偉大なるメイジ、オールド・オスマン。その彼に一歩も引かず火花を散らしているのは――わたしが呼び出した『使い魔候補』。タバサは、その激戦を固唾を飲んで見守っていた。

「話し合い」が始まる前に、太公望は彼女に向かってこう言った。

「事故の責任は、おぬしにはない」

 ……と。

 わざとやった訳ではない。とはいえ、彼を故郷から無理矢理見知らぬ場所へと誘拐同然に連れ去ったのはタバサである。にも関わらず太公望は、それを責めるどころか、にっこりと笑ってこう続けたのだ。

「使い魔とやらに、なってやらんこともないぞ」

 タバサは耳を疑った。いくらなんでも人が良すぎるだろうと。

 そんな彼の言葉を聞いて、満面の笑みを浮かべたオスマン氏が、それでは早速契約の儀式を……と、言いかけたその時。タバサは見た。太公望と名乗った少年の瞳の色が、瞬く間に黒く変わるのを。

「では……さっそく条件を詰めるとするかのう。そうだな、まずはここに足止めされることに対する補償その他について、学院側がどの程度支払う用意があるのか、そこから始めるとしようか」

 その言葉を起点に発生した『交渉劇』は、オスマン学院長・太公望のどちらも相当な食わせ者であることを実証した。太公望が『学院に対して求める待遇』についての詳細を提示するやいなや、学院長は「あくまでこれは生徒が起こした事故であり、そのような条件を学院側が飲むいわれはない」と返した。

 すると太公望は、事故の責任の所在について「生徒は、教師の監督のもと召喚の儀式を執り行ったのであり、故にその場で起きたことに対する責任は監督者、ひいてはこの学院の長たる者にある」と、追求した。責任問題に関して圧倒的な不利を悟った学院長は、それに対して一歩譲ると、学院にいる間の食事、及び寝床の提供を申し出た――補償金の大幅減額と引き替えに……。

 両者の戦いはそれから小一時間ほど続き、最終的に、双方がある一定の条件――

 ・書類上は<使い魔>とするが、お互いを尊重し貴族とほぼ同等の権限を与える
 ・タバサが卒業するまでの間、学院が太公望の衣・食・住の面倒を見る
 ・同期間、学院は太公望に対して、所定の給与を支払うこととする
 ・太公望は<使い魔>として常にタバサの側にあることとする
 ・太公望は、事故ならびにこの場での交渉について口外しない

 ……を、飲むところで決着した。

「ふむ。結局のところ、この交渉はだな……学院が、生徒をどれほど大切に思っておるのか、それに尽きる。わしは、そのように考えておるのだがのう?」

「カァーッ! ミスタ・タイコーボー。君は、まだこのわしから引きだそうとするか。まったくその若さで抜け目のない……将来が恐ろしいわい」

「かかかか、オスマン殿こそようやりおるわ……ここまで条件を剥ぎ取られたなぞ、わしの記憶の中でもそうはないぞ」

 微妙な盤外戦を繰り広げる両者を尻目に、いつのまにか席へ戻っていたミス・ロングビルが書面の作成を行っている。おそらく、ここまでに交わされた契約内容をまとめているのだろうが、心なしか少々顔色が悪いようだ。

 それにしても……と、タバサは考えた。人間を召喚したこともそうだけれど、使い魔が学院に対して待遇の交渉をするなんて、前代未聞の出来事なのではないだろうか。交渉のテーブルへついた手腕といい、あの高速<フライ>といい……まさしく彼は、規格外の使い魔だ。最初のうちこそ絶望しかけていたけれど、わたしは思わぬ当たりを引いたのかもしれない……と。

 その後、書面を交わし<コントラクト・サーヴァント>の儀式を終えたタバサと太公望が部屋から退出した途端。オスマン氏は、全身の力が抜けてしまったかのようにソファーへ沈み込んだ。

 ――オスマン氏は、全身に冷や汗をかいていた。

 先程の一戦は、かつて宮廷に住まう魑魅魍魎どもとやりあっていた、今は遠い昔の出来事を彼の脳裏にまざまざと蘇らせていた。どう高く見積もっても20歳には届かないであろう少年の交渉術は、まるで老獪な政治家そのものであったからだ。

 と……彼の秘書、ミス・ロングビルが心配そうな顔をして彼の側へと近づいてきた。

「オールド・オスマン? その……大丈夫ですの?」

 オスマン氏は、くわっと目を見開いた。ミス・ロングビルがいつになく優しい! と。そして彼は、そっと手を伸ばした……彼女のお尻に。だが、僅かに触れるか否かといったあたりで見事阻止されたばかりか、おもいっきり手の甲をつねられてしまった。

「あいたたた……。まったく! 老い先短い老人の、お茶目なスキンシップなのに」

 などとぶつくさ言い続けるオスマン氏を睨み付けながら、ロングビルは言った。

「まったく、ちょっと甘い顔をするとこれなんですから! ……それにしても、さきほどの件は、いくらなんでも譲りすぎではありませんの?」

 彼女の言葉に、オスマン氏は小さく笑った。

「本当にそう思うかね? ミス・ロングビル。わしとしては、なかなかうまくいったものだと自負しておるのだが?」

 オスマン氏は学院長室で水ギセルを燻らせながら、さりげなく見ていたのだ――離れた場所の光景を映し出す効果を持つ魔法具『遠見の鏡』を使い、学院の中庭で執り行われていた<使い魔召喚の儀>を。

 そこに突如現れたイレギュラー。異常事態に全く動じぬ度胸。異国の技であろう系統魔法に近いようでいて、ごく一部が微妙に異なる未知の魔法の使い手にして、今すぐ宮廷で通用するほどに洗練された交渉術の持ち主。

 それほどの人材を、たったあれだけの条件で手元に囲うことができたのだ。彼としては、まさに僥倖といって差し支えない。

「それに……」

 契約の書面に、オスマン氏がどうしても紛れ込ませたかったのはたったの一文だけ。それ以外は、ただの目くらましに過ぎない

 『使い魔として、常にタバサの側にあること』

 ミス・タバサはただの学生ではない。あの若造、これから間違いなく苦労の連続になるじゃろうて……そう心の内で嗤う老爺の姿は、まさに狸そのものであった。


○●○●○●○●

 太公望――地球に残る歴史においては、古代中国・周の軍師にして政治家。

 その実体は、人間たちの住む世界の遙か上空に存在する<仙界・崑崙山>教主・元始天尊より、殷の王を影から操り国を乱す、邪悪な仙人たちを打倒せんと立てられた壮大な作戦――『封神計画』の実行責任者として下界に遣わされた<仙人>である。

 周囲の期待に応え、周軍の軍師として殷(いん)を滅ぼし、仲間の仙人達を率いて『封神計画』の影に巧妙に隠された真の目的『歴史の道標』打倒を果たした最大の功労者は今――ひとりの少女の使い魔になっていた。

「ごめんなさい」

 トリステイン魔法学院は、本塔とその周囲を囲む壁、それらと一体化した5つの塔からなる。自室がある寮塔5階へと向かう道すがら、タバサは自分の使い魔となってしまった少年――太公望へ謝罪していた。

「む、何のことだ?」

 学院長とあれほどのやりとりができるのだから、そのくらいわかっているだろうに。わざわざ聞き返すなんて、実は結構意地悪なひとなのかもしれない……そんな思いを欠片も外へ出さず、タバサは再び言葉を紡ぐ。

「あなたを召喚してしまった」

「さっきも言ったが、おぬしに責任はない。これはあくまで事故なのだ。そもそも、自分の意志でわしを呼び寄せたわけではなかろう?」

「でも」

 それでも、変わらない事実がある。

「あなたを、故郷から無理矢理引き離してしまった」

「そのことなら気にすることはない。そもそも――」

 そこまで言った太公望は、先程までの饒舌ぶりが嘘のように、ほんの一瞬口ごもった後――タバサにとって、完全に予想外となる言葉を返してきた。

「呼んでもらえて、逆に喜んでいるくらいなのだ」

 思わず絶句してしまったタバサだが、なんとか思考を立て直す。

 励ましの言葉……ではないだろう。

 単なる強がり……でもなさそうだ。

 喜ぶ? 彼の言葉が本当なら、異国へ拉致されたことを歓迎するような何かがあるということだろうか。そこまで考えるに至って、まさか、悪事を働いて追われるような事をしていたのではあるまいか……という不安がよぎる。そんな彼女の胸の内を見透かしたかのように、太公望は続けた。

「ここ何年ものあいだ、ずっと働きづめでのう。いい加減疲れておったので、暇をもらってのんびり旅をしておったところなのだよ。そこへ、なんと! 見たことも、聞いたことすらない国から招待を受けたと、まあそういうわけなのだ。ハッキリ言って、こんなに嬉しいことはないわ」

 タバサは、それを聞いて呆然とした。

「学院長には」

「建前上、というやつだよ。それに」

 ニヤリと笑った太公望は、人差し指をピッ、と立ててのたまった。

「もらえるモノは、もらっといたほうが良いであろう?」

 ……と。

 タバサは思った。このひとは、とんでもない曲者なのではないだろうか。使い魔として契約したのはいいが、果たしてわたしに使いこなせるのだろうかと。いや、この程度の人材を御せぬようなら、秘めた目的を果たすことなど到底できないに違いない。もしや、これはわたしの信仰心の低さ故に与えられた『始祖』ブリミルによる試練なのでは……。

 俯き、押し黙ってしまったタバサを見て……太公望は、彼としては珍しく焦りを覚えていた。学院長室でのやりとりを彼女に見せたのは、失敗だったのではなかろうか、と。

 先程の言葉は本心だ。実際、彼女に対して含むところなど全くない。だが、あの応酬を側で聞かせてしまったせいで、罪の意識を持たせてしまったのではないか。ならば、なんとかその重さを取り除かねばなるまい。何かよい方法はないものか――そう考えた。

 ――この男。腹黒そうに見えて、実は根の部分は非常にお人好しなのである。

「そうだのう……そんなに気になるのなら、頼みがあるのだが」

 その一言を聞いて顔を上げたタバサを見て、内心「食いついた!」と安心する太公望。釣り師の面目躍如である。もちろん、それを顔に出したりはしない。

「わしは、喚ばれてから説明を受けたこと以外、ここについて何もわからぬ。だが、これから生活をしていくにあたって、知らぬと不便なことが多いと思うのだ……ここまではよいか?」

 頷くタバサ。

「よって、おぬしにそういった細かいことを教えてもらいたいのだ。それを引き受けてくれるのなら、おぬしとわしとの間に貸し借りはナシ。それでどうだろうか?」

「わかった。貸し借り無し」

「では、契約成立だのう」

 そう言って太公望が差し出した片手を、タバサは両手でしっかりと握り返した。二度と手離さない、と言わんばかりに強く、しっかりと。



[33886]    第2話 軍師、新たなる伝説と邂逅す
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2014/06/30 22:50
 ――太公望がタバサの部屋で、新たに訪れた世界『ハルケギニア』の成り立ちについて詳しい説明を受けはじめた頃。未だ続いていた<使い魔召喚の儀>において、再び現場監督兼責任者たるコルベールの頭皮を直撃するような事態が発生していた。

 桃色がかったブロンドの髪の少女が、自分の前へ現れた黒髪の少年に問いかける。

「あんた誰?」

「誰って……俺は、平賀才人」

 なんと、またしても人間が召喚されてしまったのである。

「おいおい、『ゼロ』のルイズまで人間を呼び出したぞ!」

「う、うるさいわね! ちょっと間違っただけよ!」

「間違いって、ルイズはいつもそうじゃん」

 さきほどの件もある、下手な対応はできない。そう考えたコルベールは、新たに召喚された人物を詳しく観察する。

「な、なんなんだよ、ここは! コスプレ会場? おい、まさか新手の新興宗教か何かの集まりじゃないだろうな!?」

 おそらく、突然行われた<召喚>に戸惑っているのだろう。意味不明なことを口走りながら、周囲をきょろきょろと見回しているが……正直、これが普通の反応だとコルベールは思った。さっきの子供は、あくまでも例外だと。

「ひょっとして、映画かなにかの撮影か? カメラはどこだ! あっちか!?」

 ひたすらわめき続ける少年の服装を、コルベールは詳しく分析する。

 彼が羽織っているのは、青い……フードつきの胴衣だろうか。それにスラックスを履いている。タイコーボーと名乗った少年と比べるとだいぶ地味なものを身につけているが、これまたトリステインではまず見ないであろう造りの服だ。使われている布地自体も、今まで見たこともないような光沢を放っている。

 さらにコルベールは、召喚されてきた者の顔形にも注目した。黒い髪と瞳、それとやや黄色がかった肌の色といった特徴が、微妙に先の子供とかぶる。もしかすると彼も『シュウ』という国から来たメイジなのかもしれない。コルベールは相手に気取らぬよう、こっそりと<探知>を唱えた。魔法の反応は――なし。つまり、この少年は『平民』だ。

 コルベールは、心底ほっとした。これで脅威レベルは大幅に下がったといって差し支えないだろう。だが、念のためだ。この少年に対してあまり無体な扱いをしないよう、しっかりと注意をしておいたほうがいいかもしれない……そう判断した彼は、儀式を執り行った女子生徒に対し、必要と思われる指示を与えた。


 ――平賀才人(ひらがさいと)17才、高校2年生。

 蒼き星『地球』の平和な国家・日本に生まれた、ごくごく普通の男子高校生である。運動神経は、並程度。彼女イナイ歴、年齢と同じ17年。

 担任教師の彼に対する評価は、

「ああ、平賀くんですか。成績は学年内では中の中といったところです。負けず嫌いで好奇心が強いところは評価できるけれど、ちょっとヌケてるところがありますね」

 母親の口癖はというと、

「もっと勉強しなさい。あんた、どっかヌケてんだから」

 そんな少しばかりヌケているが、どこにでもいるような少年の運命はこの日――日本の首都である東京・秋葉原の街にあるパソコンショップで修理が済んだばかりのノートパソコンを受け取り、都内にある自宅へと帰る途中……奇妙な物体と遭遇してしまったことで一変した。

「なんだこりゃ? 電光掲示板……じゃ、ないよなあ」

 縦2メートル、横幅は1メートルぐらいのぴかぴか光る楕円形の物体が、彼のすぐ側に突然現れたのだ。おまけにどうなっているのか理屈は全くわからないが、それは宙に浮かんでいるようであった。

「鏡みたいにも見えるけど、厚みは全然ないな。蜃気楼ってわけでもなさそうだし、どうなってんだこれ? ただの自然現象にしちゃおかしいよな」

 才人の好奇心が激しく疼いた。彼は、この物体が一体何なのか知りたくなった。そして、その『鏡』のような物体をまじまじと見つめ――とりあえず実験を開始した。

 まずは、足元に落ちていた小石を投げつけてみた。すると、驚くべきことに鏡の中へと消えてしまった。裏側にも落ちていない。何個放ってみても結果は同じであった。

「ほほう。なかなか面白いじゃねえか」

 続いて、道ばたに落ちていた棒きれで突っついてみたのだが――何も起こらなかった。少なくとも棒の先が折れたり、傷ついたりといったようなことはなかった。石を投げたときと同じで、裏側に先端が突き出してもいない。

「うは、おもしれえ!」

 そこで分析をやめていればよかったのだが……よりにもよって、才人はこの物体に自分が触れたらどうなるのか。それを試してみたくなってしまった。

「棒はなんともなかったんだから、俺が触っても危険はないってことだよな!」

 最初はやめようかとも思った。しかし、すぐにそれは「ちょっとだけなら」に変わった。さらに「触れてみよう」から「くぐってみよう」に変化した。非常に短絡的かつ、いけない性格である。そして、ついに彼は大胆にも『鏡』の中へ上半身を突っ込んだ。

 ――その結果。才人少年は鏡の中にあった『道』に引きずり込まれ、まるで全身に電気を流されたような激しいショックに襲われた。

「うう、俺、なんてアホなことを……」

 という後悔に苛まれつつも、そのまま気絶してしまう。

 気が付いた時には、見知らぬ異世界ハルケギニアに<召喚>されており。その混乱から立ち直れないうちに――問答無用で――地球では、お伽噺の中にしか存在しないはずの魔法使いにして大貴族の三女『ゼロのルイズ』ことルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの<使い魔>にされてしまった。

 『好奇心は猫をも殺す』とはよくいうが、才人はその典型的な例といえるだろう。

 ――この物語本来の『道』を辿っていれば……才人少年は、その最初の1ページ目からして相当な苦難に見舞われるはずであったのだが、しかし。偶然先に召喚されていた人物のおかげで、間接的なものであったにせよ、綴られるべきであった『歴史』より、ほんのちょっとだけ他者からの扱いが良くなったことを、念のためここに記す。


○●○●○●○●

 ――同日。時刻は、既に夜となっていた。

 太公望は、タバサから「この世界における一般的な常識について」説明を受けつつ窓の外を見た。そして断定した。やはり、ここは地球ではない。決定的な証拠がある。空に浮かんだあの巨大な月だ。

 百歩譲って、そう見える土地があったのだとしても。ふたつあるのはどう考えてもおかしい。ふと、月の側に浮いていた宇宙船『スターシップ蓬莱島』の存在が頭をよぎったが、亜空間バリアに守られているアレがあんな風に見えるはずがないのだ……それに。

「メイジ、か」

 この世界における<メイジ>と呼ばれる存在。当初は自分たち<道士>や<仙人>と同じようなものだと考えていた太公望は、それが全くの思い違いであると知らされた。

 ――仙人とは「生命としての道を究めんとする者」。

 『仙人骨』という100万人に1人の確率で生まれる特殊な骨格を持った者が、空間を隔てた異界である<仙人界>の者からのスカウトを受け、長い修行を積むことで『生命の道』を極め、不老不死となったのが<道士>だ。

 ……ちなみに。この<道士>が師に実力を認められて独立し、その後弟子をとることで初めて<仙人>と呼ばれるようになるのだが、本作においては以後この両者を<仙人>と表記するので予めご了承戴きたい。

 『生命の道』を極めると、歳をとるのが極端に遅くなる――よって、若いうちに『秘法』を極めることができた者ならば、たとえ100年経過しても若者の姿のまま生き続けることになる。太公望はその典型的な例だ。しかも、彼らは寿命で死ぬことがない。

 逆に言えば、病気や自殺・他殺その他の理由で命を失うことはある。つまり、不死の身体『不死身』ではないのだ。そういう意味ではごく一般的な生命体と何ら変わらない。

 とはいえ、病に斃れたり他者に害されて肉体を滅ぼされたとしても『魂魄(こんぱく)』さえ残れば、意識を保った上で活動することができる。熟達した者ならば、その状態から新たな肉体を得ることすら可能なのだ。

 そんな彼ら<仙人>は『宝貝(ぱおぺえ)』と呼ばれる特殊な道具を用いて、周囲の気象を操るなど、強力な事象を発生させる強大な<力>を持つ。また、これはごく一部の者に限られるが<仙術>と呼ばれる特殊な技能によって空を飛んだり、他者の傷を癒したり、水を酒に変えるなどの摩訶不思議な現象を引き起こせる者たちも存在する。

 ――メイジとは「魔法を使う者」。

 『魔法語(ルーン)』と呼ばれる特定のキーワードを口にすることで、それに対応した事象を発生させることができる。ただし、メイジの血を引かぬ者は、どんなに努力しても魔法を使うことはできない。このあたりは仙人に近いものがあるといえるだろう。

 ただし、魔法を使うためには、特殊な契約を結んだ『杖』を用いる必要がある。つまり、杖を持たぬメイジは普通の人間となんら変わらぬ存在ということだ。

 <力>を持たぬ者から見ると、まるで奇跡だとしか思えないような事象を引き起こすことができるという点において、一見似通っているようにも思える両者なのだが……その在りかたが大きく異なる。

 仙人は基本的に人間を超越した存在であり、その<力>ゆえに<人間界>に与える影響を畏れ、積極的に世界へ干渉することは――ごく一部の例外を除き、ほとんど無いといっても過言ではない。

 いっぽうメイジは、その多くは王族、あるいは貴族として各国の支配階級となり『平民』と呼ばれる<力持たぬ民>たちの上に君臨しているらしい。

 なるほど、自分の持つ宝貝は彼らの持つ杖のように見えなくもない。懐から『打神鞭』を取り出したあのとき、周囲の空気が変わったのはそういった事情があったからなのかと、太公望は納得した。それにしても――。

「皮肉なことだのう」

「何?」

 太公望のつぶやきを耳に留めたタバサは問う。

「いやなに、こっちのことだ」

 思わずため息をつきながら、太公望はタバサに先を促す。

 この世界における価値観についてどうこう言えるほど、太公望は自惚れてなどいない。しかし、よりにもよって『強大な力をもって、民衆を支配する邪悪な仙人』を打倒すべく戦ってきた自分が、その『敵』とほぼ同じ立場の者であると認識されてしまったというのは――正直なところ複雑な気分だった。

 『所変われば品変わる』と言うしのう……と、なんとか自分の気持ちに折り合いをつけようと太公望が苦戦していたところへ、コン、コンッと規則的に扉を叩く音がした。来訪者はミス・ロングビルと、大きな荷物を持った学院の使用人だった。

「お二人にはしばらくご不便をおかけしてしまいますが……」

「別にいい」

「部屋の主がこう言うのだ、わしもかまわぬぞ」

 ミス・ロングビルたちが持ち込んだのは、敷物と毛布であった。曰く、突然のことで部屋に空きがなく、寝具の用意もままならなかった。寝具については早急に手配するが、部屋については申し訳ないが、しばらくタバサの部屋で寝泊まりしてほしい、と。

 しきりに恐縮しながら部屋を去る彼女たちを見送った後、扉を閉めようとしたタバサは、太公望によってそれを阻まれる。

「さて夜も更けた。今日はここまでにして、寝るとしようかの」

「それなら何故」

 タバサは問うた。いったいどうして、扉を開けっ放しにしているのか?

「おぬし、その服のまま眠るわけではなかろう? 着替えが終わるまで外におるから、済んだら声をかけてくれ」

 そう言って振り向きもせず廊下へ出た太公望は、後ろ手で扉を閉めた。

「……意外に紳士?」

 思わず漏れたタバサのつぶやきは、幸いにも彼の耳へは届かなかった。


○●○●○●○●

 ――いっぽう女子寮2階のある一室では、激しい言い争いが繰り広げられていた。

「あんた、一体なんなのよ!」

 桃色がかったブロンドの髪を振り乱しながら少女――ルイズが叫べば。

「それはこっちのセリフだ! いい加減真面目に説明しやがれ!!」

 黒髪の少年――平賀才人が、負けじと言い返す。

「わたしは大真面目よ! まったく……トリステインを知らないだなんて、我ながらとんでもない田舎者を呼び出しちゃったものね」

「東京は田舎なんかじゃねえよ」

「トウ・キョウ? そんな地名、聞いたこともないわ。やっぱり辺境じゃない」

「そりゃお前の基準だろ! 世界が自分中心に回ってると思うんじゃねえぞ」

 ルイズはむっとした。使い魔のくせに生意気な。ここは、主人として相応しい教育をしてやらねばなるまい。そう考え、得意の蹴りをお見舞いしてやろうと構たのだが……それからすぐに大切なことを思い出し、硬直した。

 ――いいですか? 彼は平民とはいえ人間です。それも、先程召喚された少年と何らかの関わりがある可能性があります。普通の使い魔ではないということを念頭に置いて、貴族として相応しい振る舞いをするのですぞ。

 そうだ、先程コルベール先生からそう釘を刺されていたではないか。

 確かに生意気だし無礼ではあるが、暴れたりするわけでもないのに手を挙げるだなんて、とんでもない。行儀の悪いバカ犬を躾けるわけではないのだから。

 貴族(メイジ)と平民は、狼と犬ほど違う種だとよく言われるが、それでも人間には違いない。頭に血が上っていたとはいえ、危うく公爵家令嬢として相応しくない真似をするところだった……。

 外の空気でも吸って、少し気分を落ち着けたほうがいい。そう思ったルイズはカーテンを引き、窓を開けた。いつのまにか夜になっている。

 と……先程まで興奮していた少年が、ぽかんとした表情で空を見上げている。

 彼の瞳には、紅と蒼の双月が映っている。ルイズにとってはなんてことのない、見慣れた光景だったのだが――。

「ねえ、なにあれ」

 目の前の少年には、どうやらそうでもなかったらしく。

「月だけど……まさか、初めて見たなんてふざけたこと言わないわよね」

「月……だよな。なんでふたつあんの?」

「月がふたつあるのは当たり前でしょ」

 やっぱりこいつ、どこかおかしいんじゃないかしら。などとブツブツと呟く少女の声は少年――才人には届いていなかった。

 立ち上がって窓から手を伸ばしてみたが、スクリーンのようなものにぶつかる気配はなかった。辺りを見回してみても、仕掛けのようなものは欠片も見当たらない。

 ひとが空を飛ぶのも、魔法も、見たこともない生き物がそこら辺を彷徨いているのも何かのトリックかと思った。しかし、あの月を見てしまったら、もう認めるしかない。

「俺は夢を見てるんだな、うん」

 それから才人は、ルイズに向かって言った。

「頼みがある」

「あによ」

「殴ってくれ」

「は? な、何? あ、あんた、そそ、そういう趣味があったりするわけ?」

「ちげーよ! いいからさっさと殴ってくれ。思いっきりだぞ」

「ど、どうなっても知らないわよ?」

 スコーンという小気味よい音が室内に響き渡り、才人はその場で気絶した。

 ――それから1時間ほどして。

「夢じゃなかった」

 むっくりと起き上がりながら出た才人の声に、呆れたような呟きが重なった。

「何がしたかったのよ、あんた」

 夢じゃない。これは紛れもない現実なのだ。かなりファンタジー入ってるけど。

 才人は己の好奇心を激しく恨んだ。あんなもの、くぐらなければよかった。もう夜も遅い時間のはずだ。父さんも母さんも、俺が帰ってこないから心配してるだろうな……。

 それに――と、才人は内心唸った。彼の元へ大切なメールが届いているかもしれない。

 ……実は、半月ほど前。才人は出会い系サイトに登録し、彼女募集の書き込みをした。それからすぐにパソコンが壊れてしまったせいで、まだメールをチェックできていない。もしもあの『鏡』に出くわさなかったら、今頃液晶ディスプレイを介して可愛い女の子とオハナシが出来ていたかも……いや、まだ諦めるのは早い!

 今にも泣きそうな声で、才人はすぐ側にいた少女――ルイズに哀願した。

「家に帰して」

「無理」

「なんで? 連れてこれたんだから、元の世界に戻せるだろ?」

「あんたは! わたしの使い魔として! 契約を済ませたの! 神聖な儀式だから! もう動かせないの!!」

「ふざけんな!」

「わたしだって、やり直せるならやり直したいわ! ほんと、なんであんたみたいなのが使い魔なのよ……だいたい、元の世界って何? 意味がわからないわ」

 そこまで言われて、ようやく才人は気がついた。こいつ、俺を異世界から呼び出したっていう認識がないんだ――と。

 彼は、早速その考えを改めてやることにした。

「俺は、この世界の人間じゃない。地球という星から呼び出されました」

「は?」

「俺がいた世界の月はひとつです。魔法使いなんてどこにもいません」

「どこにあるのよ、そんな世界!」

「俺がいたところがそうだって言ってるんだよ!」

「信じられないわ、そんなの」

 はぁ~っと溜め息をつく才人。これではいくら話しても平行線だ。ならば……と、持っていたノートパソコンを取り出し、電源を入れる。

「ほれ、これが証拠だ。こんなもん、この世界にゃないだろ」

 テロレロレーン。というお馴染みのOS起動音が室内に響き渡る。

「オルゴールでしょ? そんなのどこにでもあるわ」

「違うっつうの。いいから黙って見てろ」

「平民のくせに、貴族に対する口の利き方が……」

 ルイズがそこまで言ったところで、ノートパソコンの液晶画面にデスクトップが浮かび上がる。普段は好きなアニメの壁紙が設定されているのだが、修理に出す前に夜の海と満月という、ごくごく普通の風景写真に差し替えていたのが功を奏した。

「何これ。どんな魔法で動いてるの?」

「そんなの使ってねえよ。これは機械だ」

「魔法もなしに、こんなことやれるわけないでしょ! 馬鹿にしてんの!?」

「俺の世界ではできるんだよ。ほれ、この写真見てみろ。月がひとつだろうが」

「シャシン……? あ! もしかして絵画なのかしら? ものすごく腕のいい画家がいるのね。でも、だからどうだっていうの? たまたま月をひとつしか書かなかっただけでしょ。何の証拠にもならないわ」

 だめだ、話が通じない。大昔に鉄砲持って種子島に来た外人さんもこんな気持ちだったんだろうなあ。そんなことを頭の片隅で考えながら、才人は妥協案を出すことにした。

「俺が使い魔ってのを動かせないのはわかった。わかりたくもないけど我慢する。地球について知らないのも理解した。だから、家に帰して」

「無理よ」

「なんで? 一旦家に帰ってからなら使い魔やってやるって言ってんだよ、俺は!」

 すると、ルイズは困り果てたような顔で告げた。

「あんたの家と、ここを繋ぐ魔法なんてないもの」

「はああああ!? だったら、どうやって俺はこの世界に来たんだよ!」

「知らないわ! <サモン・サーヴァント>は、あくまで使い魔を自分のところへ呼び出すための魔法であって、元の場所へ送り返す機能なんて、最初からついてないもん」

「勝手に呼び出しておいて、そりゃねぇだろ!」

「そもそも<サモン・サーヴァント>は、動物や幻獣を呼び出すための魔法なの。フクロウとか、グリフォンなんかをね。人間が召喚されるなんて話、聞いたことないわ!」

 もっとも、その常識はあんたが来る少し前に打ち砕かれたばかりなんだけど。と、ルイズは頭の中で続ける。

「もしかしてお前、魔法失敗したんか?」

 それを聞いたルイズは、頭から湯気を噴き出しそうな勢いで怒鳴った。

「ちち、違うわ! ちゃんと呪文は成功したし、げ、ゲートだって開いたんだから!」

 その興奮ぶりにやや気圧されながらも、才人は負けじと怒鳴り返した。

「なら、どうして俺はここにいるんだよ!」

「そ、そうよ! ゲートの近くに何か動物がいたでしょ? きっと、その子がわたしの本当の使い魔で……あんたがうっかり門をくぐっただけなんじゃない?」

「いいえ、俺の周りには何もいませんでした。つか、あんなのうっかりはくぐらねえよ。いろいろ調べて危なくなさそうだから触ってみたら、この有様だけどな!」

 それを聞いたルイズはう~ッと唸り声を上げた。こいつ、ほんと怒ってばっかりだな。笑えばもっと可愛いと思うのに、色々と残念なやつだ。などと失礼なことを考えていたそのときだ、才人の脳内に電撃の如き閃きが到来したのは。

「そうだ! もう一度その召喚の魔法をかけてみてくれ」

「なんで?」

「門を開く魔法なんだから、それをくぐれば元の場所に戻れるかもしれないだろ」

「無理」

「なんでもかんでも無理無理無理って! やってみなきゃわからねえだろうが!!」

「そんなこと言われても、今は唱えることすらできないわ」

「どうして?」

「<サモン・サーヴァント>はね、呼び出した使い魔が死ぬまで発動しなくなるの」

「マジすか」

「で、どうする? 試しに死んでみる?」

「いや、やめとく……」

 才人は項垂れた。その拍子に、左手に刻まれたものが目に入る。文字、だろうか。

「そのルーンは『わたしの使い魔です』っていう印のようなものよ」

「さいですか……」

 ルイズは腰掛けていた椅子から立ち上がると、腕を組み、胸を反らした。

 やっぱり可愛いな。と、才人はこんな状況にも拘わらずそんな感想を抱いた。

 背はそれほど高くない。154、5センチくらいだろうか。桃色がかったブロンドの髪は目を引くし、鳶色のくりくりとした瞳は、まるで猫のようによく動く。胸部のサイズが少々……いや、かなり寂しいというか平坦に近くはあるのだが、出会った場所や状況が違えば、飛び上がって喜ぶレベルの美少女だ。

 だけど、ここは東京じゃない。それどころか、地球ですらない。どうやって帰ればいいのかすらわからない――。

 改めて自分の現状を思い知らされた才人はぺたんと床に尻餅をつき、項垂れた。不本意だが、しばらくは目の前にいる女の子の言うことを聞くしかなさそうだ。

「はあ、仕方ねえ。とりあえず、お前の使い魔とやらをやってやる」

「なあに、その態度! 『何なりとお申し付けくださいませ、ご主人さま』でしょ」

「くそ、調子こきやがって……」

「あんたの食事と寝床、誰が用意すると思ってんの?」

「へいへい、わかりましたよご主人さま。けどさー、俺、何すりゃいいの?」

 以前才人がテレビで見た魔法使いが出てくる海外ドラマに、カラスやフクロウなどの使い魔がいたのを思い出した。遠くへ手紙を運んだり、主人の手伝いをする――ありていに言えば、小間使いのような存在だった記憶がある。

「まずはそこから説明しなきゃいけないのね。いいこと、使い魔は……」

 ルイズの説明によると、主人と使い魔は視覚や感覚の共有ができるらしい……が。何も見えないし、感じなかった。

 また、魔法に使う秘薬を探してくる役目もあるようだが、異世界出身で右も左もわからない状態の才人にそんな真似ができるはずもなく。

「ええと、それから……」

「まだあんのかよ」

「黙って聞きなさい! 落ち着きがないわね」

「へいへい」

 コルベール先生にはああ言われたけど、やっぱりある程度の躾けは必要なんじゃないかしら……蹴りを入れる以外の方法で。そんな風に思いながら、ルイズは続けた。

「主人の盾になって、その身を守ることなんだけど……無理そうね、あんた弱そうだし。カラスにだって負けそうだわ」

「カラスなめんな。あいつら頭いいし、集団で来るから結構強えんだぞ」

「つまり勝てないのね?」

「う……」

「感覚共有はダメ、秘薬探しも無理、カラスより弱い。いいとこなんにもないじゃない」

「ほっとけ」

 はあっと大げさに溜め息をついたルイズは、結論を出した。

「仕方ないわね、あんたにもできそうな仕事をあげるわ」

「何させるつもりだよ」

「掃除、洗濯、それと雑用」

「ざけんな!」

「何? あんた、他にできることがあるの?」

 アクションゲームは得意だけど、それが異世界で何の役に立つというのか。武術の心得なんてあるわけないし、運動神経も並程度。才人はしぶしぶといった表情で答えた。

「……雑用でいい」

「わかればいいの。これからは使い魔として、わたしに誠心誠意尽くしなさい」

 言い終えたと同時に、ルイズは大きなあくびをした。

「今日はいろいろありすぎて、なんだか疲れちゃった」

「俺もだ」

「夜も更けてきたし、そろそろ寝るわ」

 ベッドのある方向へ歩き出したルイズに、才人は聞いた。

「なあ、俺はどこで寝ればいいんだ?」

「床。絨毯のところを使っていいわ。光栄に思いなさいよね」

 そう告げて、ルイズは才人に向かって毛布を放り投げる。

「おい、俺は犬や猫じゃねえんだぞ」

「だって、ベッドはひとつしかないし」

 それなら一緒に……なんて、才人は言い出せなかった。初対面の美少女相手にそんなことが言えるくらいなら、そもそも出会い系サイトなんて利用しない。なので、彼は精一杯の反抗――ふてくされたような声を上げた。

「用意くらいしとけよ!」

「だから! 人間が召喚されるなんてこと自体が想定外なんだってば!」

 怒鳴りながら、ルイズはブラウスのボタンを外し始める。それを見た才人は慌てた。

「お、おま、なな、なにしてんだよ!」

「寝るから着替えるのよ……って、ああ!」

 ふふん、やっと男の前で服を脱ぐことの危険性に気付いたか。才人はそう考えたのだが……何故かルイズは両手を広げて突っ立っている。

「あの、何してんすか」

「着替えさせて」

 同じ年頃、それも超がつく美少女の生着替え。しかも、脱がせるのは俺。

 何このシチュエーション。思わず鼻血を吹きそうになった才人であったが、どうにかそれを押さえ込んだ。

「いや、でも、それって……あの、ええと、ま、まずくない?」

「何が?」

「何がって……お前、男に見られて平気なの?」

「使い魔に見られたって、別に何ともないわ。だいたい、屋敷にいたころはいつも使用人に着替えさせてたんだし。それと同じよ」

 ああ、なるほど。俺は男扱いされてないってことか。つか、使用人に服着せてもらうとかどんだけお嬢さまなんだコイツ。

 ――嬉しいけど腹の立つ初仕事を終え、ご主人さまが寝息を立て始めた後。才人は毛布を被りながら思考に耽っていた。

 どうにか地球へ戻る手がかりを得るその日まで、この世界で生きてゆくために……今は我慢するしかない。逃げ出そうかとも思ったが、そんな真似をしたところでどうなる。ルイズの反応から察するに、異世界云々の話をしたところで誰も信じないだろう。

 そもそも、生きていくことすら覚束ない。俺はサバイバルに長けた傭兵じゃないし、冒険を求める探検家でもない。どこにでもいる、ごくごく普通の高校生なんだから。

「今の俺は、素直にあいつの使い魔やらなきゃ生き残れないっつうことか」

 やたらと威張るしクソ生意気だけど、可愛いのが唯一の救いかな。そうだ、出会い系サイトであいつと知り合った。そんで、あいつの家がある外国にホームステイしに来たと思えばいい。思う。思え。思い込むんだ、俺。

「あいつの手伝いをして、メシをもらう。できれば給料も。それを元手にあちこち調べる。そんで、地球へ帰るための方法を見つけるんだ」

 ――どこにでもいる、ごくごく平凡な高校生。

 才人自身はそう思い込んでいたが、とんでもない。異世界召喚などというありえない事態に巻き込まれたにも関わらず、この適応力。単に周囲に流されやすい、諦めが早いとも言えるだろうが……少なくとも普通の人間ならばこうはいかない。

 太公望とはまた違った意味で、彼も充分『規格外』なのであった。


○●○●○●○●


 ――明けて翌朝。

 太公望が目覚めて最初に見たものは、知らない部屋だった。わしはまだ夢の中にいるのだろうか?

 寝起きでぼんやりした顔のまま、周囲を見回す。ああ、そうだ<召喚>されたのだったな……と、前日の出来事を思い出した。

「くぁ……」

 太公望は、床の中で伸びをしてから起き上がった。部屋の主であるタバサは、まだ寝台の上で寝息を立てている。改めて観察すると、ずいぶんと幼く感じた。昨日は終始緊張していたようだが、今こうして見る寝顔は年相応のそれに思える。

 夜明けまで、まだ余裕がある。だいぶ早起きをしてしまったようだが、周囲の様子を確認するには丁度いい。少女を起こさないよう、太公望はそっと窓を開け外へ飛び出した。

 ……ちなみに、タバサの部屋は高い塔の5階にある。

 タバサの部屋から出た太公望は、まずは付近の地形を確認するべく、学院の遙か上空へと舞い上がった。

 出てきた塔から見て、右手に大きな石造りの塔が建っている。昨日案内された学院長室があるのがあそこだろうと当たりをつけた。その塔を中心に、五角形の外壁と、その頂点を結ぶように中央の塔より背の低い塔が位置していた。子供たちの学舎と聞いていたが、城といっても差し支えない、立派な佇まいである。

「さて。まだ時間はあるようだし、街の場所も確認しておきたいところだが」

 ここがメイジたちの修行場であるのなら、街は別の場所にあるはずなのだが……学院の周囲にそれらしきものはなく。おそらく一般の人間たちが住む場所から相当離れているのだろうと太公望は推測した。

 ならば、さらに高度を上げるか――そう思ったとき、眼下に通行人を見つけた。


 ――平賀才人は、道に迷っていた。

 朝。目が覚めて、昨日のアレ――突然、異世界の美少女魔法使いに<召喚>されたことが夢などではなく現実なのだと改めて思い知らされたばかりであったのだが、しかし。持ち前の好奇心が後悔に勝ってしまった。なんとも本当に懲りない男である。

 すぐ側にあるベッドの上で、今もぐーすか寝ているご主人さまを起こしたら、色々とうるさいことになる。そう判断した才人は、足音を忍ばせ、こっそりと外へ出た。

 そして、才人はさっそく学院の周囲を散策しはじめた。目の前に広がる未知の光景に、きらきらと瞳を輝かせながら。

「すっげえな! 中世ヨーロッパのお城みたいじゃないか!!」

 石で出来たアーチ型の大門に、同じく重厚な石造りの階段。規則正しく植えられている立木たち。もはや完全に観光旅行気分で、才人は異世界の探検を続ける。

 だが、そんなふうに調子に乗って長時間あちらこらちと歩き回っているうちに、元いた部屋がどこにあるのか、さっぱりわからなくなってしまった。

 才人は焦った。朝7時になったら起こすよう、前の晩に厳命されている。寮塔を出た時点
では5時を少し過ぎた程度だったのだが……あれからかなり時間が経っている。

 使い魔の仕事をこなしながら、地球へ帰るための方法を探す。そう決めたはずなのに、決まった時間に主人を起こす程度のごく簡単なことすらできないと思われてしまったら……どうなるかわからない。最悪、ここから追い出されるんじゃなかろうか。

 ……そうなったが最後、ほぼ間違いなくのたれ死に一直線だ。

 才人が本気で困り果てていたそのときだった。後方から救いの声が聞こえてきたのは。

「そこのおぬし。ちと尋ねたいことがあるのだが、かまわんかの?」

 ――俺より年下か、同じくらいの年齢に見えるのに……妙にジジくさい喋り方をするヤツだなあ。平賀才人の太公望に対する第一印象は、そんなものであった。

「ん、何?」

「ここから一番近い街へはどう行けばよいのか、教えてはもらえぬかのう?」

 才人にそんなことがわかるわけがない。彼は昨日、いきなりこの世界に連れてこられたばかりだったし、そもそも現時点で自分が迷子になっているような状況なのだ。だから、才人は正直にそう答えることにした。

「悪い、俺もまだここに来たばっかでさ。それよか、寮塔ってどこにあるんだか知らないか? ここってすっげぇ広いだろ、迷っちまって」

「なぬ? それなら、ここから正反対にある……あの塔だ」

 先端に宝玉のついた教鞭のような杖の先で示された場所を見て――才人は驚愕した。

「うっ、めちゃくちゃ距離あるじゃねえか。こんなに遠くまで来てたのかよ!」

 才人はガックリと肩を落とした。

「ああくそ、またやっちまった! このままじゃ、俺……どうなるかわかんねえぞ」

 才人は落ち込んだ。ぺしゃんこになった。マリアナ海溝の底より深いところまで引きずり下ろされたクラゲもかくや、というレベルまで。

「こんなところで迷ってて……間に合わない……絶対やばいって……」

 顔を真っ青にして、ブツブツと呟いている。そんな才人を海溝の底からすくい上げ、もとい釣り上げたのは、質問に答えてくれた少年だった。

「まあ、今日のところはこのあたりにしておくか。おぬし、ずいぶんと急いでおるようだのう。どれ、わしが一緒に連れて行ってやろう」

「は? 連れて行く!?」

「おぬし、高いところは大丈夫か?」

 え? どゆこと!? 才人は、完全に混乱してしまった。

「ああ、大丈夫だけど」

 なに真面目に答えてんの? 俺。今、それどころじゃないだろ。混乱を続ける才人の内心を知ってか知らずか、太公望はその場でくるりと背を向けると――彼にこう告げた。

「そうか、ならば肩に掴まれ」

 ……そして才人は、再び奇跡を『体感』することとなる。

「ファンタジーすげえ!!」

 才人は思わず叫んでいた。

 魔法使いの背に乗って見た朝日は、彼がテレビで見たことのある環境番組のワンシーンよりも、ずっと綺麗だった。すげえよ、これでこそ魔法の世界だよ! これから、まだまだ見たことのないモノを見ることができるんだろうか。才人の胸は、見知らぬ異世界への期待と好奇心によって、激しく躍った。

 今、目の前に広がるこの景色をもっと楽しんでいたい。だが、そんな才人の気持ちとは裏腹に、ゆっくりと地面が近づいてくる。そうだ、忘れちゃいけない。急いで部屋へ戻らなきゃいけないんだ。才人はそれを残念に思いながらも、こんな凄い体験をさせてくれた親切な魔法使いに、心の中で感謝した。

「それ、着いたぞ。わしはここで失礼する。ではの」

 寮塔の前へ舞い降りた後、立ち尽くしている才人に声をかけた魔法使いは、再びふわりと浮き上がる。それを見て、才人は慌てた。いやいやいや、ボケッとしてる場合じゃない、コイツに言わなきゃいけないことがあるだろうと。

「あ、ありがとう、助かったよ! 俺、平賀才人っていうんだ。お前は?」

 満面の笑顔で礼を告げた才人に、恩人は何でもなさそうな顔で答えた。

「礼などいらぬ、これも何かの縁だ。わしの名は『太公望』呂望。この学院にいれば、そのうちまた会うこともあるだろう」

 そう言い残して、タイコーボーリョボーと名乗った少年は飛び去っていった。

 その背中を見送りながら、才人は思った。なんだよ、魔法使いって、ひとの話を全然聞かないようなヤツばっかりだと思ってたけど、中にはいいやつもいるじゃないか。しゃべり方は、なんだかうちのじいちゃんみたいだったけど――。

「って、感慨にふけってる場合じゃねえ!」

 慌てて塔の階段を駆け上がっていく才人。その後、思わぬ邂逅を果たした『伝説』たちが再会を果たすのは――本人たちが考えるよりも、ずっと早かった。




[33886]    第3話 軍師、異界の修行を見るの事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2014/07/01 00:53
 ――事ここに至って、太公望は己のうかつさを呪った。

 トリステイン魔法学院の食堂は、学院の中央に位置する本塔の内部にあった。食堂の中には、100人はゆうに座れるであろう長いテーブルが3つ、並んでいる。タバサたち2年生のテーブルは、真ん中だった。

 貴族と同等の扱いをする、という契約を学院側と交わしていた太公望は、当然のことながらタバサとともに、この食堂で食事をとることを許されている。もちろん、その内容も貴族のそれとまったく同じだ。

 大きな鳥のローストが、鱒の包み焼きが、威圧するように太公望の前に並んでいる。

「このわしとしたことが……なんという……」

 ――あまりの事態に、太公望は息を飲んだ。

「偉大なる『始祖』ブリミルと女王陛下よ。今朝もささやかな糧を我に与えたもうたことを感謝致します」

 祈りの唱和を終え、料理を口にしようとしたタバサは、隣にいる太公望が固まったように動かないことに気がついた。ほんの少しの間を置いて、太公望がボソリと呟く。

「のう、タバサ。わし、肝心なことを伝え忘れとった」

「それは何?」

「わしは……なまぐさが食えんのだ」

 タバサは驚いた。太公望曰く、彼はなまぐさ――つまり肉や魚の類は一切食べられないのだそうだ。これまで住んでいた地域では、たとえ初めて訪れる店であろうとも、彼の服装を見ればすぐにそれに相応しい食事を出してもらえたのだという。

 そう言ってしょんぼりと頭を垂れる太公望の姿は、見た目の年齢相応なもので。昨日とはまるで別人のようだ。こんな顔もするのか……などという『雪風』の二つ名にそぐわぬ感想を胸に抱きつつ、タバサは質問する。

「あなたが食べられるものは?」

「野菜と果物、卵や牛乳なら問題ない。それと、なまぐさを使わぬ菓子の類かのう」

「わかった。お昼からはそのように厨房へ伝える」

「すまぬ、感謝する」

 パン! と両手を叩くように合わせ、礼を述べる太公望。

 国が変われば習慣も変わる。この国へ呼ばれた時に、太公望自身が言ったことだ。にも関わらず、食事のことを伝え忘れるとは……正直とんだ失態である。

「せっかく出してくれたものを残すというのは、実に忍びないことなのだが……」

 そう言って料理を脇へよけ、フルーツをつまむ太公望にタバサは申し出る。

「わたしが食べる」

「ぬな!? かなりの量だぞ」

「大丈夫、問題ない」

 その後タバサは、唖然とする太公望を尻目に、フルーツとトレードしたふたり分の朝食をあっさりと完食した。

 ――そんなやりとりをしていたふたりから少し離れた席では、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが、誰にも聞き取れないほどの小声で、ぶつぶつと恨み言を呟き続けていた。現在の彼女は、不機嫌の極みにあった。

「いったいどういうことよ。そりゃあドラゴンとか、グリフォンとか、そんな使い魔が来てくれれば嬉しかったけど。このさい、小鳥とかネズミでもいいって思ってたけど……」

 フォークを握る手に力が籠もる。

「そそ、それなのに、よりにもよってただの平民が来ちゃうって、いくらなんでもあんまりだわ。お、おまけに、あいつのせいで怨敵ツェルプストーから完全にバカにされるし! なな、なんでわたしが、ここ、こんな侮辱を受けなきゃいけないのよ!」

 ルイズは悔しかった。呼び出した使い魔は生意気で、貴族に対する礼のなんたるかすらわからぬ田舎者だった。それだけではない。他の世界から来ただのなんだのと、訳のわからないことを言う。他の使い魔が備えているような<力>も持っていないようだ。

 雑用くらいならやれると思ったが、それすら満足にこなせない。今朝のことだ。なんと洗面器に水が張られていなかった。朝起きた主人が顔を洗うのに水が必要なことくらい、普通は教えられなくてもわかるだろうに。

 着替えも、髪を梳かすのも下手。結局鏡を見ながら自分で全部直すはめになり、危うく朝食に遅れるところだった。

 そこまではまだ我慢できる。できるのだが――彼女、いや。彼女の実家にとって、仇敵とも呼べる存在である隣国ゲルマニアの貴族、ツェルプストーの娘に色目を使ったことだけはどうにも許し難い。

 ……才人は単に挨拶を交わしただけだったのだが、ルイズはそれすら気にくわない。

 何せ彼女の実家とツェルプストー家は代々争い続けてきた家柄で、しかもヴァリエール家側は相手に何度も愛するひとを奪われたという過去を持つ。たとえそれが使い魔といえど、おめおめと取られるわけにはいかないのだ。

「どうしてなのよ。同じ人間が来るなら、せめて……」

 自分の向かい斜め奥の席に座るふたりにチラリと視線を向けながら、ルイズは呟いた。

「あの子みたいに、異国のメイジだったなら――何かが掴めたかもしれないのに」

 ……いっぽうそのころ。

 そんなご主人さまの胸中など知る由もない使い魔――平賀才人はというと。

 <使い魔召喚の儀>を監督していた教師の計らいにより、本来の歴史とは異なる場所と物――アルヴィーズの食堂の床に置かれた貧相な食事ではなく、厨房の片隅にある平民たちの休憩所で、まかないをもらっていた。


○●○●○●○●

 ――メイジは、人間・妖怪を問わず、多くの弟子を取るのか。

 もしも昨夜、召喚主からこの『修行場』についての説明を受けていなかったら……教室に入った直後、太公望はそのような感想を持ったかもしれない。それほど室内は多種多様な生き物たちであふれていた。タバサと太公望が中に入っていくと、燃えるような赤く豊かな髪をもった娘が、中央付近の席から笑顔で手招きをしている。

「おはよう、タバサ。それと、ミスタ……?」

「『太公望』呂望と申す。太公望と呼んでくれ。失礼だが、おぬしの名を教えてはもらえぬだろうか? わしの記憶違いでなければ、初対面だと思うのだが?」

 にっこりと……いや、妖艶に、と言い直したほうがいいだろう……一般的な男なら、誰でもあっさりと魅了されてしまいそうな微笑みを浮かべながら、少女は口を開いた。

「まあ、遠国の出身らしい変わったお名前ですのね。あたしはキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。あなたを召喚したタバサの親友よ。二つ名は『微熱』。キュルケでよろしいわ」

 キュルケはちらりとタバサのほうを見て言った。

「タバサ、なかなか素敵な殿方を召喚したものね」

「駄目」

「もう、わかってるわよ。取ったりなんかしないから」

 なにやら不穏な台詞が飛び出したような気がしなくもないが、言葉を交わす2人の姿は、その身長差も手伝って、親友というよりも、まるで仲のいい姉妹のようだ。そして誘われるように席へ掛けた太公望(ちなみに並び順は向かって左からキュルケ、タバサ、太公望である)は、改めて室内を観察する。

 巨大な目玉が浮いている。その他にも、不気味な模様のトカゲやフクロウ……あそこにいるのはコウモリだ。なるほど、これらが本来<使い魔>とされるべき者たちか。

 主人の目や耳となり、時には盾となってその身を守る『パートナー』。それが、この世界において<使い魔>と呼ばれるモノの定義だと聞いていた太公望は嘆息した。確かに、あれらの存在と比べたら、自分はとんだ例外で、珍しいのだろう。その証拠に、室内のあちこちから無遠慮な、それでいて好奇に満ちた視線を感じる。

 ……と、ふいに己への注目が後方へと逸れ、代わりにくすくすと小さな笑い声が聞こえてくる。なんとなしに気になった太公望が後方を振り向くと、ちょうど桃色の髪をした少女と黒髪の少年が連れ立って入ってくるところであった。


 ――なんか、大学の講義室みたいだな。才人は、段差のある床に横長の机が並んでいる光景を見て、そう思った。教室の最奥に黒板と教壇があるのが、いかにもそれらしい。

 才人とルイズが中に入っていくと、先に教室へ来ていた生徒たちが一斉に振り向いた。単に注目を集めただけではない。何やら馬鹿にされているような空気を感じる。その証拠に、自分たちを指差してくすくすと笑っている者までいる始末だ。

 なんだかいやな感じだな。と、才人が実に居心地の悪い思いをしていると……教室の片隅に見覚えのある顔を発見した。あそこにいるのは、今朝親切にしてくれた、あの魔法使いじゃないか。才人は、思わず叫び声を上げてしまった。

「あっ! お前、このクラスだったのかよ!」

「平賀才人ではないか! また会うたの」

 魔法使いのほうもすぐに才人の姿に気がついたようで、笑顔で手招きをしている。才人はそれがなんだか嬉しくて、急いで彼の側へ駆け寄っていった。

「才人でいいよ。今朝はありがとな」

「困ったときはお互い様だ、まあ座るがよい」

 才人は、横にあった椅子を引き寄せた太公望に、自分の隣に座るよう勧められる。もちろん、喜んでそこへ腰掛けた才人。そしてそのまま、ほとんどなし崩し的に異文化交流が始まるかと思いきや……それは、耳をつんざくような大声によって遮られた。

「つ、つ、使い魔が、ご、ご主人さま放っといて何やってんのよ――!!!!!」

 すわ物語が開始してから初の直接戦闘開始かと思われたが、しかし。紫色のローブに身を包み、とんがり帽子をかぶった、やさしげな中年の女性――この授業を担当する教師が入ってきたおかげで悲劇は回避された。ひょっとすると喜劇の間違いかもしれないが。

 不幸な事故を未然に防いだ功労者である彼女は、己の功績に気付くことなく教室を見回すと、実に満足そうに微笑んで、こう言った。

「皆さん。春の使い魔召喚の儀は大成功のようですね。このシュヴルーズ、毎年こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 さらに、シュヴルーズと名乗った教師は続ける。

「ミス・タバサとミス・ヴァリエールは、実に変わった使い魔を召喚したものですね。特にミス・タバサは、遠く『ロバ・アル・カリイエ』のメイジを呼び出したとか。学院長から話は伺っていますよ」

 おおっ、という声が教室中から上がる。

 ――そう。太公望の立ち位置の調整に苦慮した学院長は、教職員たちに、

「彼は『聖地』を越えた、ハルケギニアの遙か東にあるといわれる諸国『ロバ・アル・カリイエ』のひとつからやってきたメイジである」

 ……という虚偽の説明を行うことで、太公望が貴族とほぼ同等の待遇を受けることを納得させていたのである。もちろんこれは、タバサと太公望にも前もって通達されている。当然のことだが、口裏を合わせる必要があるからだ。

 だが、そんな生徒たちの驚きようが日本出身の才人にわかるわけもなく。

「ロバ……なんとかって、何?」

 彼はルイズ――不承不承ながら彼らの隣席についていた主人に小声で訊ねた。

「あんた、本当に常識を知らないのね。ここからずーっと東の『聖地』や、砂漠地帯……サハラを超えた先にある国々のことよ」

 ルイズは、呆れた声で呟き返した。これも当然のことながら、己の使い魔が自分たちの常識の埒外にある『異世界』から現れたことなど全く知らない――正確に言うと信じていなかった彼女は、その後うんざりしたように教壇へと視線を戻した。

 そんな彼女の態度を見て、せっかく可愛い顔してんのに一言余計なんだよなあ。色々ともったいねえなあと才人は思った。だが、彼の思考はすぐさま別の対象に向けられた。

「そうだったのか。場所は全然違ってるけど、えっと、タイ……なんだっけ? あいつも俺と同じで、めちゃくちゃ遠い場所から召喚されてここに来てたんだ! だから他の連中と違って、俺のことを普通に扱ってくれるのかもしれないな」

 才人はそのように受け取った。彼は知らないことだが、その考えはほぼ正しい。

「そうだ、そうだよ。向こうは確かに魔法使いかもしれないけど、俺とおんなじ使い魔なんだ。それなら、この世界で初めての友達になれるかも! 結構いいヤツみたいだし。もしかすると、魔法の使い方を教えてもらえたりなんかしちゃったりして!!」

 ……だがしかし。そんな才人の大幅期待込みな前向き思考は、突如沸きあがった笑い声によって虚しく掻き消されてしまった。

「ハハッ、やっぱりそうだったんだな『ゼロ』のルイズ! まともに魔法ができないからって、その辺歩いてた平民連れてきたんだろ!」

「違うわ! わたし、きちんと召喚できたもの。こいつが来ちゃっただけよ!!」

 オイ、こいつが来ちゃったってどういうことよ。才人が文句を言おうとした直後、別の生徒が嘲り声でそれを遮った。

「嘘だ! 『雪風』のタバサが異国のメイジを呼び出したのが、その証拠だぜ!!」

 めちゃくちゃな理屈である。当然のことながらルイズは反論した。

「そんなの、証拠になんかならないわ!」

 立ち上がって訴えるルイズを、1人の男子生徒が指さして笑った。

「嘘つくな! どうせ<サモン・サーヴァント>も失敗したんだろう!? 『ゼロ』のお前に、まともに召喚できるわけないもんな」

 周りの笑い声が大きくなる。

「ミセス・シュヴルーズ! 侮辱されました! あの『かぜっぴき』が、わたしを侮辱しましたわ!!」

「かぜっぴきだと!? 俺の二つ名は『風上』だ!」

 『かぜっぴき』と呼ばれた小太りの生徒が立ち上がり、ルイズを睨み付ける。ため息をついたシュヴルーズが、手に持った小振りな杖を振ると、立っていたふたりは、まるで糸の切れた操り人形のように、ストンと席に腰を落とした。

「ふたりとも、みっともない口論はおやめなさい。いいですか、級友を『ゼロ』だの『かぜっぴき』だの言ってはいけません。わかりましたか?」

 ルイズはしょんぼりとうなだれていたが、一緒に叱られた生徒はさらに抵抗を示す。

「ミセス・シュヴルーズ。僕の『かぜっぴき』はただの中傷ですが、彼女……ルイズの『ゼロ』は事実です」

 シュヴルーズは厳しい顔をして、杖を一振りする。と……どこから現れたものか、小うるさい生徒の口に、ぴたっと赤土の粘土がが押しつけられる。

「あなたは、その格好で授業を受けなさい」

 教室内は先程までの喧噪が嘘であるかのように、しんと静まり返った。

 シュヴルーズは重々しくこほんと咳をすると、再び杖を振った。すると、教壇の上に石ころがいくつか現れる。

「それでは、授業をはじめますよ。私の二つ名は『赤土』。赤土のシュヴルーズです。土系統の魔法を、これから1年間皆さんに講義します。魔法の四大系統はご存じですね? ミス・ヴァリエール」

「は、はい。<土><水><火><風>の4つです」

 ルイズの答えに、シュヴルーズは満足げに頷いた。

「現在は失われた系統である<虚無>を合わせると、全部で5つの系統があることは、皆さんも知っての通りです。その中でも<土>は、特に重要な位置を占めていると、私は考えます。何故なら、土系統の魔法は万物の組成を司る魔法であるからです。土系統の魔法がなければ建造物の作製に手間取り、必要な金属も手に入らず、農作物の収穫量も今よりずっと減ることになるでしょう。このように、土系統の魔法は皆さんの生活と、密接に関係しているのです」

 太公望は、ふむと唸った。なるほど、この世界では地球とは異なり『奇跡の技』が一般の民の間で、生活の一部として完全に定着しているのか。で、あればメイジたちが支配階級として君臨している理由も、ある程度はわかろうというものだ。

 いっぽう才人は昨日ルイズと交わした会話のズレについて、なんとなくだが理解した。科学の代わりに魔法が発展している世界なのか、と。

 そういえば。夕べ、寝る前にルイズが部屋のランプを指を鳴らすことで消していた。たぶん、あれも魔法のアイテムなんだろう。

「あんなのがたくさんあるなら、そりゃあパソコンなんて理解されないよなあ……」

「なんか言った?」

「いいえ、別に」

「授業中なんだから静かにしてなさい」

「へいへい」

 やりとりの間も、教壇に立った『赤土』先生の説明は続いている。

「今日は、みなさんに土系統魔法の基礎である<錬金>の呪文を学んでもらいます。1年生のときにできるようになったひともいるでしょうが、基本は魔法を学ぶ上で大切なことですので、もう一度おさらいすることにします」

 シュヴルーズはそう言うと、手にしていた杖の先を石ころへ向け、詠唱を開始した。

「イル・アース・デル」

 ルーンの完成と共に、石ころは光り出し――金色の輝きを放つ金属に変わった。

 キュルケが、身を乗り出して叫んだ。

「ゴゴ、ゴールドですか? ミセス・シュヴルーズ!」

「いいえ、これは真鍮ですよ。金を錬成できるのは、残念ながら『スクウェア』クラスのメイジだけです。私は、ただの『トライアングル』ですから」

 シュヴルーズの言葉の中に疑問を感じた才人は、隣の席で熱心にメモを取っていたルイズの肩を、指でつついた。

「なあ、ルイズ」

「静かにして。さっきも言ったけど、今は授業中よ」

 そっけない返事をよこしたルイズだが、しかし。持ち前の好奇心に支配された才人は、その程度の制止では抑えきれない。そもそも彼がここで止まるような性格ならば、この場に居ることはなかっただろう。

「あの赤土先生が言った『スクウェア』とか『トライアングル』って、なんだ?」

 ルイズはため息をつくと、小声で使い魔の質問に答えた。

「系統を足せる数のことよ。それでメイジのランクが決まるの」

「足して、どうすんだよ」

 これは、昨日の説明でタバサから聞いていない内容だ。それに気付いた太公望の耳が、ふたりの会話に向けられた。

「たとえばね、水の魔法に風を重ねると氷になるわ。他には土で油を錬成して、そこに火を合わせると、大きな炎を起こせるとか。土に土を足して、1枚のときよりもずっと頑丈な壁を作るとか」

「ふむふむ」

「ふたつの系統を足せるのが『ライン』メイジ。シュヴルーズ先生みたいに3つ足せるのが『トライアングル』メイジ。ひとつしか足せないメイジは『ドット』っていうの」

 やはり、メイジの魔法と仙人の奇跡とは似て異なるもののようだ。ふたりのやりとりからそのことを理解した太公望は、この魔法の授業とやらに可能な限り顔を出すことに決めた。新しい住処にまつわる情報を得ることは、のんびり快適な生活を送る上で、とても大切なことだからだ。

 ……そんな太公望の決心などつゆ知らず、才人たち主従の問答は続いていた。

「なるほどな、てことは4つ足せるのが『スクウェア』ってことか」

「そういうこと」

 ここまで聞いたところで、さらなる疑問が才人の頭に浮かび上がってきた。

「ん? 『ドット』はひとつしか足せない、ってことはさ。もしかして、足さなくてもいい魔法もあるのか?」

「あら、あんた常識は知らないけど馬鹿ってわけじゃないのね。そうよ、汎用魔法(コモン・マジック)は系統を足さずに使えるわ。あんたを呼び出した<サモン・サーヴァント>もそのひとつよ」

 マジで一言多いよなあこいつ。などと、内心で辟易しながら才人は続けた。

「ところで、ルイズはいくつ足せるんだ?」

 それまで饒舌だったルイズが、いきなり黙り込んでしまった。ところが、そんなふうに喋り続けていたのがまずかったのだろう。教壇に立っていたシュヴルーズに見咎められてしまった。

「ミス・ヴァリエール! 授業中の私語は慎みなさい」

「申し訳ありません……」

 シュヴルーズは教壇の上にある石ころと、ルイズを交互に見遣って言った。

「そうね。おしゃべりをする暇があるのだから、あなたにやってもらいましょうか」

「え? わたしがですか?」

「そうです。ここにある石ころを使って<錬金>してごらんなさい」

 だが、ルイズは立ち上がらない。困惑したかのように俯いたままだ。

「どうしたんだ? 先生のご指名だろ。行ってこいよ」

 才人が促すも、ルイズはその場から動こうとはしなかった。

 キュルケが、困ったような声で言った。

「あの、先生。ヴァリエールを教えるのは、今日が初めてでしたわよね?」

「そうですが……それが、どうかしましたか?」

「危険です」

 キュルケは断言した。教室内のほとんど全員が、彼女に同意して頷いた。

「は? 危険? <錬金>の魔法の、いったいどこが危険だというのですか」

 そう言うと、シュヴルーズはルイズに微笑みかけた。

「さあ、ミス・ヴァリエール。怖がらずにやってごらんなさい。私は他の先生方から、あなたが大変な努力家だと伺っています。だから、きっと大丈夫。失敗を畏れていたら、何もできませんよ」

「ヴァリエール。お願いだからやめて」

 キュルケや周辺にいた生徒たちが真っ青になってルイズを止めたのだが、ルイズはキッと顔を引き締めると、立ち上がって教壇の前までつかつかと歩いていった。

「わたし、やります」

 シュヴルーズは、にっこりと笑いながらルイズへ助言を与えた。

「ミス・ヴァリエール。いいですか? <錬金>したいと願う金属を、強く心に思い浮かべながら呪文を唱えるのです」

 こくりと可愛らしく頷いたルイズは、手に持った杖を振り上げた。と……それを見たタバサが席を立ち、すたすたと出口のほうへ歩き出した。

「どこへ行くのだ?」

「危険。あなたもここから離れたほうがいい」

 そう言われて太公望が周囲を伺うと、自分と才人を除く全員が机の下に潜り込むなどして何らかの防御態勢を取っている。どうやら、あのルイズという少女が魔法を使うことにより、教室全体に被害を及ぼすような問題が発生するらしい。

 策を弄してやめさせることも可能だろうが、百聞は一見にしかず。ここはあえて様子を伺うほうが得策であろう。

 そう考えた太公望は才人に注意を促すと、他の生徒たちと同じように机を盾にしてしゃがみ込み、教壇に注目した。才人も素直に忠告に従い、机の下から頭を半分だけ出してルイズの挙動を見守っている。

 彼らの視線の先で、ルイズは短くルーンを唱えると……杖を振り下ろした。

 ――その瞬間。机ごと、石ころは大爆発を起こした。

 直近で爆風をまともに受けてしまったルイズとシュブルーズは黒板に叩き付けられ、大きな音に驚いた使い魔たちが暴れ出した。教室内が阿鼻叫喚の大騒ぎとなる。キュルケが机の下から飛び出し、ルイズを指差しながら批難した。

「だからあたしは言ったのよ! ヴァリエールにはやらせるなって!!」

 シュヴルーズは床に倒れたまま動かない。時折痙攣しているところから判断するに、幸いなことに気絶しているだけらしい。
 
 それから少しの間を置いて、すぐ隣に転がっていたルイズがむくりと立ち上がったのだが……その姿は見るも無惨な状態だった。全身が煤で汚れ、服に至ってはあちこち破けて下着まで見えている。

 ところが彼女は、そんな自分の惨状など何処吹く風と言った調子で、こうのたまった。

「ちょ、ちょっと失敗したみたいね」

 これだけの騒ぎを引き起こしておいて、この態度。なかなか胆の座った娘だ。太公望は、ルイズのことを内心でそう評した。だが、教室内にいたほとんどの生徒たちは違った。立ち上がった少女に向けて、嵐のような批難を浴びせかける。

「ちょっとじゃないだろ! 『ゼロ』のルイズ!」

「魔法の成功確率、いつだってほとんど『ゼロ』じゃないの!」

「なあ。もう頼むから、あいつだけ別の場所で授業してくれよ……」

「まったくだ。どんな呪文も爆発しちまうんだから、危ないったらないよ!」

 こうして、太公望と才人にとって初めての魔法授業は、大波乱の中で幕を閉じた。


 ――それとほぼ時を同じくして、本塔最上階にある学院長室では。

「ここ、これを見てください! オールド・オスマン!!」

 『炎蛇』のコルベールが、唾を飛ばしながら上司に向かって直談判を行っていた。

 彼は、後に呼び出された少年――才人のことが、ずっと気にかかっていた。あのときは安易に契約の儀式をさせてしまったが、果たして彼は、本当にただの平民なのだろうかと。長いこと教師を務めているが、人間を使い魔にするなど聞いたことがない。それに、契約のときに念のためメモしておいた、少年の左手甲に刻まれた使い魔のルーンは、彼の記憶にないものだった。

 太公望とのやりとりで思わぬ失敗をした結果、普段よりも慎重になっていたという経緯もある。だが、最終的には魔法学院に奉職して20年という教師としての経験と勘が、コルベールに行動を起こさせた。

 学院本塔の中にある図書館で、まずは基本的なルーンに関する書物を調べてみたのだが、どこにもあてはまるものがなかった。そこで、コルベールは教師のみが閲覧を許される『フェニアのライブラリー』で、古い文献をあさりはじめた。

 ――結果。才人の左手に刻み込まれたルーンが、かつて『始祖』ブリミル――この世界ハルケギニアに魔法をもたらしたとされる人物が使役していたという、伝説の使い魔のそれと完全に同一であることが判明したのだ。

 コルベールは大慌てで問題の書物を抱えると、司書に「どうしても学院長にお見せする必要があるから」と、特別に持ち出しの許可を得て、その足で学院長室に駆け込んだ。

 で、今に至る……というわけである。

 当初は、コルベールの剣幕に目を白黒させていたオスマン学院長だったが、彼が提示したスケッチと資料を見るやいなや、秘書であるミス・ロングビルに部屋から出るよう促した。そして、彼女の退出を確認したオスマン氏は、重々しく口を開いた。

「なるほど。その少年に刻まれたのは<ガンダールヴ>のルーンだと」

「はい! 『始祖』ブリミルが用いた伝説の使い魔です。その姿や形についての詳しい記述は残されておりませんでしたが、呪文の詠唱中は無力になる主人を守ることに特化した存在だと、その本には書かれていました。なんでも、1000を越える軍勢を寄せ付けぬほどの強さを誇り、並のメイジ程度では全く歯が立たなかったとか!」

 両手を振り上げ、興奮しながら語るコルベールに、オスマン氏からまるで冷や水のような声が浴びせかけられた。

「で、ミスタ・コルベール。その少年を<ガンダールヴ>にしたのは誰なんじゃ?」

「ミス・ヴァリエールです。しかし……」

「ああ、例のラ・ヴァリエール公爵家の娘か。彼女は確か……」

「ええ。正直なところ、優秀という言葉とはほど遠いメイジです。なにせ、どんな呪文を唱えても爆発させてしまうのですから。私から言わせてもらえば、どうしたらあのような失敗が起こせるのか、逆に教えてもらいたいくらいです。図書館で、それらしい事例がないかどうか、色々と調べてはみたのですが……」

「発見できなかったと?」

「はい。残念ながら『フェニアのライブラリー』にも見当たりませんでした」

 オスマン氏は、しばし無言で長い顎髭をいじっていたが……やおら口を開くと、コルベールに向かってこう言った。

「ミスタ・コルベール、この件はわしが預かる。他言は無用じゃ」

 反論しようとしたコルベールであったが、できなかった。何故なら、普段は昼行灯などと称されるオスマン氏の瞳に、これまで見たこともない光が宿っていたからだ。




[33886]    第4話 動き出す歴史
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2014/07/01 00:54
 ――波乱に満ちあふれた授業の後。タバサとキュルケのふたりと共に、食堂へと向かう道すがら、太公望は思わずぼやいた。

「まったく……びっくりしたわ」

「だからわたしは危険だと言った」

「いや……」

 驚いたのはそこではない……と、言いかけた太公望は、なんとかそれを飲み込むことに成功した。実際、彼が本気で驚いた対象は、タバサに指摘されたものについてではない。
 
 この世界に在る魔法という技術に驚愕した。なにもない空中から、粘土を――どこかから転送したのではなく――創り出したこと。そして、それを正確なコントロールで目標へ命中させたその事実に。

 その後目にした、石ころを他の金属に物質変換する<錬金>や、ルイズという名の少女が起こした爆発事故について、全く驚かなかったといえば嘘になる。だが、錬金のほうはともかく爆発のほうについては、以前身近に似たような事象を起こせる仲間が複数いたので特に目新しいものではなかったというだけのことだ。

 しかし、あれらも使いようによっては――。

 そこまで考えたところで、太公望はふと我に返った。そして肩を落とし、思わず大きくため息をつく。最初に反応したのはタバサだった。

「どうしたの?」

 首をくいっとかしげて見上げる彼女に、太公望は苦笑しつつ答える。

「いや、今のわしには、やはり休息が必要だとつくづく実感してのう」

 長い間、その小さな身体には重すぎて、潰れてしまいかねないような責任を背負って戦い続けてきた後遺症だろうか。太公望の思考は、ついつい『そちらの方向』へ行ってしまう。もう、戦は終わったのだ。魔法の観察をするのは、あくまでこの世界を『理解』するためであって『利用』するためではないのだから――。

 思わず黄昏れてしまった太公望の肩を、キュルケがポンと叩いた。

「そりゃあ、昨日の今日でこれじゃ、疲れて当然よね。昼食にはデザートが出るわ。甘いものを食べれば、少しは落ち着けるんじゃない?」

「なぬ、甘いモノとな!? わしは甘味が大好物なのだ!」

 さらにタバサが、聞き逃すには重大すぎる忠告をする。

「好きなものは早い者勝ち」

「なんと! それを早く言うのだ!!」

 あわてて駆け出そうとした太公望が、何かの圧力を受けたかのように押し戻される。タバサの<風>の魔法が、彼を引き留めたのだ。

「廊下を走るのは禁止」

「おっほっほ! 大丈夫よ、デザートは逃げたりしないから。あなたって、意外とお子ちゃまなのね」

「ふふん、わしは自分に正直なだけなのだ」

 そう言いつつも、改めて魔法の<力>を体験した太公望は、その後は無理な暴走をすることなく、まだ見ぬ甘味を目指して歩き出したのであった。


○●○●○●○●

「笑いなさいよ」

 命じられたまま、黙々と汚れた教室内を掃除を続ける才人へ、ルイズは言った。

 ――魔法の成功確率ゼロ。だから『ゼロ』のルイズ。クラスメートには、いつもその不名誉な二つ名で呼ばれ、笑われてきた。

 土系統の初歩<錬金>。石ころを望む金属へ変える呪文。1年生でもできる、簡単な魔法。でも、やっぱりうまくいかなかった。石は派手に爆発し、教室はめちゃくちゃになってしまった。罰として、魔法を使わずに片付けること――先生が口に出したその言葉が、ルイズの胸をチクリと刺した。

「わかったでしょ、これがわたしの二つ名『ゼロ』の由来。どんな魔法を使っても、あんなふうに爆発するの」

 才人は答えない。ルイズは、机を拭く手を止めて続けた。

「笑っちゃうわよね、魔法を使わず片付けなさい、ですって。そりゃそうよ、今よりもっと酷くなるの、わかりきってるもの」

 才人は、作業を続けている。

「ちゃんと勉強してるし、たくさん練習したわ。でも、爆発しちゃうの!」

 ルイズは、未だ沈黙を守っている才人の前までやって来ると、彼の使っていた箒を奪って、叫ぶように言い放った。

「どうせあんたもバカにしてるんでしょ。貴族のくせに、できそこないだって。魔法の使えない、落ちこぼれだって!」

 だが。そんなルイズに対して、才人の返した言葉はこうだった。

「本当にお前が魔法の才能ゼロだったら、俺は今ここにいねーだろ」

「……は?」

「サモン……なんだっけ? お前がその魔法を成功させちまったから、俺はこうして使い魔やってるんだって言ってるんですけど? これで理解できたか!? あーあ、昨日の夕飯はな、ほんとならハンバーグだったんだぞ。ちくしょう……」

「あんた、何言って……」

 あっけに取られたルイズの眼を見て、才人は続けた。

「少なくとも、1回は成功してんだろ。だから『ゼロ』じゃなくて『イチ』のルイズだ。結果はお気に召さなかったようですけどねえ、お嬢さま」

 そういって、手を出す。

「箒、返せよ。早く終わらせないと、昼飯に間に合わないだろ」

 ――もしも。もしも、ルイズがコルベールの忠告を守らず、才人に対し使い魔の躾けと称して人間以下の扱いをしていたとしたら。きっと、こんな問答にはならなかったはずだ。

 負けん気の強い才人は、ようやく生意気なご主人さまの弱点を見つけたとばかりに攻撃しまくっていただろう――本来の『歴史』の如く。

 そうならなかったのは、この主従にとって幸運だったことは言うまでもない――。


○●○●○●○●

 ――それから1時間ほど後、アルヴィーズの食堂内では。

「……確かに、なまぐさが使われていない料理ばかりではあるが」

 出された『昼食』を見て、太公望はまたしても言うべきことをしっかりと告げていなかったことに気付かされた。やはり自分は疲れているのだろうと、思わずため息を漏らす。

「どうしたの?」

 様子を見ていたタバサが、首をかしげた。

「いや、食事の内容については文句なしなのだが。さすがに、これだけの品数と量は食べきれぬよ」

 籠いっぱいに入れられた、焼きたてでほかほかの白パンと、きのこと根菜がたっぷりのシチューに、春野菜のソテーと香草のサラダ。さらに色とりどりの果物類が、処狭しと並べられている。太公望は、こぶし大の白パンをひとつとシチュー、りんご1個を手元に引き寄せた。

「わしは燃費がいいのでな、これだけで充分だ。何度も手間を取らせて済まぬが、次からは全体の量を減らすよう、厨房に頼んでもらえるだろうか」

 タバサはコクリと頷くと、残された食品群に視線を這わせる。

「……食べるか?」

 再び頷いたタバサの前へ、料理を押しやる太公望。それらが、小柄な少女の腹の中へぽんぽんとおさまってゆくのを見ていた太公望は「メイジは仙人と比べて、燃費が悪いのだろうか」などと益体もないことを考えていた。

 と、そこへ学院の使用人たちが連れ立ってデザートを配りに現れた。それは、肩まで届く黒い髪を布製の髪飾りでまとめた純朴な印象の少女と、才人少年だった。

「どこにもいないと思ったら、お前、こっちでメシ食ってたのかよ」

「なんだ才人。どうしておぬしがデザートの配膳をしておるのだ?」

「ああ。厨房のひとに良くしてもらったからさ、そのお礼だ」

「そうか、それは感心なことだのう。ところで、その端にある菓子はなんだ?」

 太公望の質問に答えたのは、隣にいた少女だった。

「桃のタルトですわ。焼いたタルト生地に、クリームと桃を載せたものです。こちらになさいますか?」

 太公望は、ぶんぶんと首を縦に振った。彼は果物や甘いモノに目がないのだ。特に桃は大好物なのである。

 デザートを置いてふたりが立ち去った後。太公望は早速それを口に運んだ。

「ふむ、桃の下に使われている、この……モグ、さらさらと口の中で溶けてゆく甘い餡がクリームというものか。生地の部分はさくさくしておって、ムグ……丼村屋のあんまんとは、また違った味わいで、これはなかなか……」

 太公望は至極ご満悦であった。周の地にも菓子はあったが、このようなものは食べたことがない。これを口にすることができただけでも、わざわざ異世界へ来た価値があった。彼は、そこまで思った。

「行儀が悪い」

 ポロポロと生地をこぼしながら食べ続ける太公望を注意しつつ、タバサはせっせと彼の世話を焼いていた。

 朝食の時といい、今の姿といい、自分の隣にいる彼は、まるで子供のように無邪気で。とてもではないが、昨日、コルベール先生や学院長を相手に心理戦を繰り広げていた人物と同一だとは思えない。ひょっとしてわたしは、人間を召喚してしまったという負い目から、目に映った全てを過剰評価してしまっていたのではないだろうか……?

 タバサがそんな疑いを持ちかけた瞬間、横からにゅっと手が伸びてくる。

「タバサ。食べないならわしがもらってやるぞ」

「あまり量は食べられないはずでは?」

「デザートは別腹なのだ!」

 まるで兄妹みたいだわ……必死に自分の皿を守るタバサと、それを食い入るように見つめる太公望の様子を、キュルケは苦笑しつつ眺めていた。

 ……そんな平和? な情景が破られたのは、それからわずか数分後のことだった。


○●○●○●○●

 ――黒髪のメイド・シエスタは、心の底から恐怖していた。

 彼女の眼前で、信じられない光景が繰り広げられていた。なんと、自分と同じ平民の男の子が、貴族を相手に喧嘩をふっかけたのだ。その原因を作ったのは、シエスタだった。彼女を助けるために、彼は自分の身を犠牲にしようとしている。

「サイトさん、なんで……ど、どうしてこんなことに……」

 何故こんな事態が発生したのか。時は、少し前まで遡る。

 召喚の魔法で突然呼び出され、貴族の使い魔にされてしまったのだという少年に対し、学院側から食事の用意をするよう厨房へ指示が来たのが今朝のことだった。

 ただし、毎食の内容については使用人たちが食べているものと同じで構わないとのことだったので、厨房で働く者たちのために作られている、まかないが出されることになった。その給仕を任されたのが、彼女――貴族たちの世話をするため、学院付きのメイドとして雇われた平民の少女、シエスタである。

 シエスタは、才人に同情していた。気まぐれな貴族の犠牲者に。家族から引き離され、見知らぬ土地へ連れてこられた恐怖は計り知れぬほど大きいに違いない。少しでも不安を和らげるためにも、できるだけ親切にしてあげよう。元来面倒見の良い性格である彼女は、そんなふうに考えていた。そして、甲斐甲斐しく彼の世話を焼いた。

 才人は、そんなシエスタの優しい態度に心底感激した。才人は、突然のアクシデントに動じることが少なく、割となんでも受け入れられるタイプだ。いきなり魔法の世界に放り込まれた彼が、翌朝にはもう好奇心剥き出しで朝の散歩を開始してしまうあたりにも、その性格の一端が伺えよう。

 とはいえ、さすがの彼も、見知らぬ異世界での生活に全く不安がなかったと言えば嘘になる。だから、その悩みを取り除いてくれたシエスタに、笑顔で申し出た。

「何か、俺にできることはないかな? 手伝わせてくれよ」

「いえ、そんな。私は、ただ給仕をしただけですから」

 ふたりのやりとりを聞いていた料理長が、豪快な笑い声を上げた。

「飯の恩を労働で返そうだなんて、若いのになかなかしっかりした小僧じゃないか! 気に入ったぜ。おいシエスタ、せっかくの申し出だ。手伝ってもらいな」

「はいッ。では、デザートを配るのを手伝ってくださいな」

 にっこりと微笑んだシエスタに、才人は大きく頷き返した。

 大きな銀のトレイに、色とりどりのデザートが並んでいる。それを持ってシエスタの後についていくというのが才人に与えられた仕事だった。シエスタは、貴族たちがそれぞれ指定したデザートをトングで丁寧に掴み、配ってゆく。

 ところが。配膳中に、シエスタが他の生徒よりも少し派手なシャツを着た貴族のポケットから小さなガラス壜(びん)が落ちるところを目撃した。これが大騒動の始まりだった。

「貴族さま。失礼ですが、こちらを落とされましたよ」

 落ちた壜を手に取り、貴族へ差し出したシエスタ。だが「それは自分の物ではない」と突っぱねられてしまった。

 シエスタは確かに目の前の貴族がガラス壜を落とした瞬間を見た。しかし、本人が否定している以上、ただの平民である自分が、これ以上出過ぎた真似をするわけにはいかない。そこで、彼女は折衷案を出すことにした。

「左様でございますか、大変失礼致しました。では、こちらは落とし物ということで職員室へお届けして参ります」

 そう言って場を立ち去ろうとしたシエスタだったのだが。

「その香水壜! もしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」

「確かに! その鮮やかな紫色は、彼女にしか出せない色だし」

「なるほどな、ギーシュ。お前、いまモンモランシーとつきあってるんだな!」

 周囲にいた貴族の少年たちが、大声で騒ぎはじめてしまった。

 ギーシュと呼ばれた少年が焦ったような声で何かを言いかけた、そのとき。彼らの後ろの席についていた茶色のマントを羽織った生徒が立ち上がり、ギーシュの席に向かってしずしずと近付いてきた。栗色の髪にくりくりとした瞳の、可愛らしい少女だった。

 少女は、ぽろぽろと涙を零しながらギーシュに詰め寄った。

「ギーシュさま。やはり、ミス・モンモランシーと!」

「いや、彼らの誤解だよ! ケティ。ぼくの気持ちは……」

 ケティと呼ばれた少女は、ギーシュの言葉が終わらないうちに大きく腕を振りかぶると、思いっきり彼の頬を叩いた。パーンという小気味良い音が、食堂内に響き渡る。

「なら、どうしてその香水があなたのポケットから出てきたのですか? それこそが何よりの証拠ですわ! さようなら!!」

 ギーシュの災難(?)は、そこで終わらなかった。金色の見事な巻き髪の少女が、つかつかと彼の元へ歩み寄ってきた。その貌に、激しい怒りの色を貼り付けて。

「あなた。やっぱり、あの一年生に手を出していたのね?」

 ギーシュは首を振り、冷や汗を流しながら言った。

「そ、それは誤解だよ、モンモランシー。彼女とは、ラ・ロシェールの森まで遠乗りをしただけのことで……」

 モンモランシーは、テーブルの上に置かれていたワイングラスを手に取り、中身をギーシュの顔面にぶちまけると「嘘つき!」と大声で怒鳴りつけ、去っていった。

 とんでもないところに居合わせてしまった。そう察したシエスタは、小声で才人に声をかけると、そろりそろりとその場から立ち去ろうとした。だが、そんな彼女をギーシュが呼び止めた。

「待ちたまえ」

 ビクリとシエスタの全身が震える。

「はは、はい。何でしょうか」

 ギーシュは椅子の上で身体をくるりと回転させると、さっと足を組んだ。妙に気取った仕草である。それからシエスタを指差し、詰問した。

「きみが軽率に香水壜を拾い上げたおかげで、ふたりのレディが傷ついた。この罪を、どう贖うつもりかね」

 シエスタは震え上がった。貴族を本気で怒らせてしまったら、大変なことになる。

「も、申し訳ございませんでしたッ! 私のせいで、とんだことに……」

 ひたすら頭を下げ、謝罪の言葉を紡ぎ出すシエスタを見て、ギーシュは少し溜飲が下がったのだろう。しっしっと手を振り、追い払うような仕草をしてみせた。

「わかればいいんだ。もういい、行きたまえ」

 どうにか無事に済んだ……シエスタが内心でほっとひと息ついた、その時だ。

「何ふざけたこと言ってんだ。シエスタは悪いことなんかしてない!」

 横あいから、才人が割り込んできたのだ。

 ――平賀才人は、イラついていた。

 半ば自業自得とはいえ、なんの説明もなくいきなり使い魔にされたことにも。

 高慢ちきで生意気なご主人さまとやらが、一切自分の話を聞かないことに対しても。

 だが、それ以上に今朝、教室で見せつけられた、彼の感覚をして「やな感じ」とされたあのやりとりに憤っていたのである。

 大勢で、たったひとりの少女を笑いものにしていた。ああいう雰囲気は才人のいた世界でもよくある――だが、不快なものであった。

 食事の世話をしてくれた心優しいシエスタのお陰で、だいぶ気分が晴れた。ところが、自分に親切にしてくれた彼女が、派手なフリルつきのシャツを着て、ご丁寧にも口に薔薇の花まで咥えている気障ったらしい男によって、理不尽にも責められている。

「なんなんだよ、この世界は。魔法が使えるってだけで、そんなに偉いのか!?」

 ……気がついたら、口が出ていた。

 ギーシュが睨みつけてきた。才人は負けじと睨み返す。

「ふん、これだから平民は。いいかい給仕君、このメイドが香水壜を拾ったとき、ぼくは知らないフリをしたんだ。それを察して、話を合わせる機転を持ち合わせなかった彼女に罪がないとでも?」

「アホか。そもそもお前が二股なんぞするからこうなったんだろうが」

 周囲にいた貴族たちがどっと笑う。

「そいつの言う通りだギーシュ! お前が悪い!!」

 ギーシュの顔に、さっと赤みが差す。

「ふん……そうか、思い出したぞ! きみは確か、あの『ゼロ』のルイズが呼び出した平民だったな」

 心底バカにしたような口調で、ギーシュは続ける。

「しょせんは、あの『ゼロ』に呼ばれたんだ。そんなきみに、貴族の高尚なやりとりを理解しろというのは無理なんだろうね」

「ふざけんな、なんでそこでルイズの名前が出てくんだよ」

「使い魔を見れば、主人の程度がわかる――メイジにとっては常識だよ。『ゼロの使い魔』くん」

 才人は激しい怒りを覚えた。この世界に連れてこられてから、一番ムカついた。そうまで言われて黙っていられるほど、彼は大人しくなかった。

「なんだとこのキザ野郎」

 ギーシュの目がすっと細められた。

「ぼくの聞き間違いかな? キザ野郎と聞こえたような気がしたのだが」

「へっ、耳が悪いのか? だったら何度でも言ってやるよ、この勘違いキザ野郎。薔薇なんか咥えやがって、棘で怪我しないといいな。あ、言うだけ無駄か。馬鹿みたいだし」

「どうやら、きみは貴族に対する接し方を知らないようだな……ふッ、よかろう。このぼくがみずから、礼儀というものを教えてやろうじゃないか」

 ギーシュは立ち上がり、才人を睨め付けた。才人も腕まくりしてこれに応える。

「おう、やんのか? おもしれえ」

 ――そんな一触即発だった場面に飛び込んできたのは、桃色の髪をした少女だった。


○●○●○●○●

「あいつ、笑わなかった」

 ルイズはぽつりと呟いた。雑用もろくにできないし、口の利き方もなってない。でも、少なくともわたしを馬鹿にしたりはしなかった。魔法が使えない、このわたしを――。

「ロクに言うことを聞かない使い魔だけど、少し……そう、ちょっとだけ、待遇面について考えてあげてもいいかしら。でも、それでつけあがらせちゃいけないから、ほんのちょっぴりだけ……」

 などと考えていたところへ、突然その声が飛び込んできた。

「ふッ、よかろう。このぼくがみずから、礼儀というものを教えてやろうじゃないか」

 見れば、自分の使い魔――ついさっきまで、今後の処遇について考えていたあいつとグラモン家のギーシュが睨み合っている。なんでこう面倒ばかり起こすのか。既に出来上がっていた人垣を掻き分けて、ルイズは急いで彼らの元へと向かった。

「ちょっと待ちなさいよギーシュ! あんた、わたしの使い魔をどうするつもり!?」

「なに、簡単なことだよ。きみの躾けがなっていないようだから、ちょっと教育してやろうと思ってね」

「どういうことよ!?」

 と、改めて状況の説明を受けたルイズの顔は蒼白になった。この使い魔……非常識にも程がある。

「謝りなさい」

「なんで?」

「怪我したくないでしょ? 今すぐギーシュに頭を下げなさい」

「ふざけんな! なんで俺が謝らなきゃならないんだよ! どう考えても、悪いのはあいつのほうじゃねえか!!」

 言い争いを続ける主従を遮ったのは、他でもないギーシュであった。

「おや、なんだね? ルイズ。そんなにその平民のことが心配なのかい? まあそうだろうね。『ゼロ』のきみが、たった一度だけ起こせた奇跡の象徴なんだから」

 ルイズの顔が強張る。

「なあ、ご主人さまよ。これでも俺に謝れって言うのか?」

 低い声で確認してきた才人を押し退け、彼女はまっすぐと杖を――ギーシュに向けた。

「ギーシュ・ド・グラモン。ヴァリエール家の名において、あなたに決闘を申し込むわ」

 アルヴィーズの食堂は、一瞬静寂に包まれ――その後、一気に沸き立った。騒然とした空気の中、当事者の中で最も早く立ち直ったのは、ギーシュである。

「な、何を言っているんだい? ぼくは、その使い魔くんに用が……」

「使い魔の不始末は、主人が責任を負うべきよ」

 にべもなく切り捨てるルイズ。

「決闘は、校則で禁止されていて……」

「なら、試合ってことにしてあげてもいいわ。それとも……怖いの?」

 そこまで言われては、もう引き下がれない。

「……ッ。いいだろう『ゼロ』のルイズ! ついでだ、その生意気な使い魔も連れてくるがいい。場所はヴェストリの広場だ。まとめて相手になってやる!」

 くるりと身を翻し、その場から立ち去るギーシュ。

 ――こうして世界の『歴史』は、本来のそれから少し逸れた形で――動き出した。




[33886]    第5話 軍師、零と伝説に策を授けるの事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/09/30 14:55
「ゼロのあの子が、勝てるわけないじゃない。まったく、これだから……」

 ――ヴァリエール家は、うちに色々『取られる』のよね。彼女は、後半を胸の中でだけ呟き、代わりに大きなため息をついた。

 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。

 トリステインの隣国・帝政ゲルマニアからの留学生。彼女の実家であるツェルプストー家は、ルイズの実家ヴァリエール領と国境を挟んだ隣にあり、トリステイン・ゲルマニア両国の戦争でたびたび杖を交えた間柄である。また、その他諸々に絡み合う事情によって、お互いを『仇敵』と見なしているのだ。

 本来ならば「ライバル」といって差し支えない間柄。しかし、優れた『トライアングル』メイジである彼女と『ゼロ』のルイズでは、あまりにも差がありすぎた。それがキュルケには面白くない。常にルイズをイラつかせるような言動は、

「ヴァリエールには、ライバルであって欲しい」

 というキュルケの願望から出た、彼女なりの発破のかけかたなのである。

 だが……今回のこれには、さすがの彼女も呆れざるを得なかった。まともに魔法を使うことのできないルイズが『ドット』の中では比較的優秀であるギーシュに喧嘩を売った。無謀にも程がある――。

 ごくごく小さなそのキュルケの呟きを、本来であれば、誰にも聞かれるはずのなかったそれを――しっかりと耳にしていた者がいた。それは、彼女のすぐ側にいた太公望である。

 ちなみにタバサにも聞こえていたのだが、彼女はデザート皿の防衛を現在の最優先事項としていたため、華麗にスルーしていた……それはともかく。

「あのやたら派手な服装の小僧……たしかギーシュ、といったか? それほどの使い手なのかのう?」

「『ドット』にしてはそれなり、といったところかしら。でも、正直ルイズには荷が重すぎる相手ね」

 一緒に才人も指名されているのだが、彼は戦力として数えられていなかった。

「ほうほう……あの娘御を相手にしてもか。それはなかなかの実力者だな。で、具体的には、どんな魔法の使い手なのかのう?」

 ――今、この男なんて言った? あたしの聞き間違い……!? 太公望の言を反芻していたキュルケに代わり、自陣のデザートを消費しつくしたタバサが答える。

「人間大のゴーレムを<錬金>で創り、自在に操ることができる」

「ゴーレム……魔法の人形といったところか? 強さと、錬成の速度は?」

「大きさは、並の人間より少し上程度。動きはさほど速くはないけれど、青銅製だから、素で殴られればただでは済まない。1体作成するには数秒程度。同時に7体まで使役可能」

 なるほど。と、頷く太公望。

「一般的に、勝利とされる条件は?」

「相手を気絶させるか、降参させる。あるいは持っている『杖』を落とせば勝ち」

 それを聞いた途端、両腕を組んでうんうんと唸り始めた太公望を見て、キュルケは思った。やっぱりさっきのは聞き間違いよね――と。だがしかし。

「すまん。正直、わしにはあの娘が負ける要素が見あたらんのだが……しかも、単独ではなく才人もついておるのだぞ? ひょっとして、相手に怪我を負わせたら失格、などという決まりでもあるのか?」

 何を言っているのだ、この男は。ゼロのルイズと平民の使い魔が、ギーシュに怪我を負わせる? そんな馬鹿なこと、あるわけないじゃない……キュルケは思わず、タバサと視線を交わした。

 しかし、そんな彼女の思いとは裏腹に、太公望はまるで不思議なものを見るような目でキュルケとルイズたちの双方を交互に見遣った後、ニヤリと……まるで、とびっきりの悪戯を考えついた幼子のように、嗤った。

 立ち上がった太公望は、懐から打神鞭を取り出すと、つい、と一振りする。

 そして――食堂を、一陣の<風>が吹き抜けた。


○●○●○●○●

 ギーシュとの試合(という名の決闘)が決まった直後から行われている、ルイズと才人の話し合いは、ひたすら平行線を辿っていた。事件の当事者であるメイドのシエスタが、怯えきって厨房へと逃げ帰り、大半の生徒が広場へと移動した、その後も――。

「あのね、平民は絶対に貴族には勝てないの。何度言えばわかるの!?」

 そう、ルイズが窘めれば。

「へっ、何が貴族だっての。あんなヒョロいヤツに負けるかっての!」

 と、才人が勇ましくやり返す。

「いいから、あんたは大人しく部屋に戻ってなさい!」

 主人が命令しても。

「冗談じゃねえ! 女の子だけに任せて逃げられるか!!」

 使い魔は従わない。

 だが、そんな彼らを突如襲ったものがあった。それは、糸のように絡みつく<風>。

 局地的に起きた風がルイズと才人を包み込むと、天井付近へと舞い上げる。突然のことに、悲鳴を上げる間もなかった彼らは、次の瞬間、椅子に座らされていた――既に空席となっていた、太公望の向かい側に。

「ふたりとも、頭は冷えたかのう?」

「んなっ、あああんた、なななにを」

 太公望の一言で、ようやく自分の身に何が起きたかを理解したルイズは、必死に抗議をしようとした。したのだが、あらゆる感情がごちゃまぜになっている今、うまく言葉が出てこない。いっぽう、同様の目に遭わされた才人のほうはというと、こちらは状況がわからず、ただポカンとしているのみ。

「才人、おぬしはたいそうな果報者よのう。そこな娘御は、死地へ向かおうとしているおぬしを、身体を張って守ろうとしておるのだから」

 いきなり何を言い出すんだこいつは! 真っ赤になって立ち上がったルイズよりも、彼女の使い魔である才人のほうが、より早く反応した。

「どういう意味だよ!」

 机にバン! と、勢いよく両手を叩きつけて立ち上がった才人だったが、太公望はまったく動じていない。それどころか、そのまま淡々と言葉を紡ぎ続ける。

「今朝の授業で、あのシュヴルーズとかいう名の教師が、何もない空間から粘土を取り出して、小五月蠅い小僧の口に詰め込んでおったが……もしも、だ。あれが目に張り付いたとしたら、どうなる?」

「……目が、見えなくなるね」

 才人は、自分の口から出た言葉にハッとした。そうだ、ここは地球じゃない。ファンタジーの世界だったんだ。

「念のために確認するが、おぬしは目が見えなくとも戦えるほどの達人だったりするのかのう?」

「…………武術の経験は皆無です、はい」

 ここに至って、才人はようやく気がついた。あのギーシュとかいうキザな貴族がメイジ――つまり、昨日から立て続けに見せつけられていた、一連の奇跡を起こしうる存在だということに。そんな相手に何も考えず、闇雲に喧嘩を売ってしまった結果、ルイズのことを巻き込んでしまった自分のうかつさに。

 そして才人は、完全に黙り込んでしまった。

 ――こいつ、いったい何なの? ルイズは目を白黒させた。

 わたしがどんなに言い聞かせようとしても聞く耳持たなかった使い魔を、たったこれだけで黙らせちゃうなんて。そういえば、教室でも何か仲良さそうに喋っていたわよね……もしかして、昔からの知り合い同士だったりするのかしら……?

 朝の探検中に偶然出会っただけだという事実をルイズは知らない。当然そんな彼女の内部の葛藤を知るよしもない太公望は、今度はルイズのほうを向いて、こう聞いた。

「さて、ルイズといったな。おぬしは、勝ちたいか?」

「当たり前じゃない!」

 ムキになって言い返すルイズであったが。しかし。

「聞くところによると、おぬしはまともに魔法を使うことができない、というではないか。それでいったい、どうやって戦うつもりだったのだ?」

「そ、それは……」

 思わず下を向き、言葉に詰まるルイズ。太公望は、そんな彼女の様子を確認した後、今度は黙りこくっている才人に言を向けた。

「才人よ、悔しいか」

「当然だ」

 俯いたまま、だが、ぎりぎりと拳を握りしめている才人。そんな彼らを満足げな笑みを浮かべて見つめていた太公望は、ゆっくりと口を開いた。

 ――後に、キュルケは語る。あれは、世に云う悪魔の微笑みそのものであった、と。

「ならば――おぬしらふたりで、奴に勝つための策を授けてやってもよい」

 ガバッと身を起こすルイズと才人。見事なまでに同時に、だ。

「どんな策よ!?」「どんな策だ!?」

 台詞までほぼ一緒だ。この主従、息ぴったりである。

「その前に、取引といこう。ルイズよ……明日の昼食後に出されるであろうおぬしのデザートを、わしに寄越すと約束するのだ。さすれば! このわし自ら考えた、華麗なる作戦を授けてやろう!!」

 今度は、ふたり一緒にテーブルへ突っ伏して頭を打ち付けた。実にいいコンビだ。先にそのダメージから立ち直った才人が、思わずツッコミを入れる。

「条件付きかよ!」

 叫ぶ才人に、当然だろう? といった風情でぬけぬけと返す太公望。

「勝てる見込みのないおぬしらに、勝利を授けようというのだぞ? それを、たった1個のデザートと引き替えに提供してしまう、わし。逆にサービスしすぎだと思わぬか?」

「でも、その作戦で勝てなかったら」

 そんな太公望の発言に、今度はルイズが噛みつこうとするが。

「もともと、負けて当然の勝負だったのだぞ。わしの策が当たれば儲けもの、外したところで敗北する事実は変わりあるまい?」

 ――ばっさりと斬り捨てられる。

「うぐっ」

「まあ、聞くか否かはおぬしらの自由だし、わしは別にどっちでもかまわんのだがの~。ほれほれ、早く決めぬと、ギーシュとやらに逃げたと勘違いされてしまうぞ」

 ニョホホホ、と、神経に障る笑い声を上げる太公望をジロリと睨んだルイズ。

 うさんくさいけど……でも、コイツはあの『雪風』が呼び出したロバ・アル・カリイエのメイジ。そうよ、エルフともやりあってるって噂のある『東』のメイジの言うことだもの、本当にいいアイディアがあるのかもしれないし……けど、でも……。

 彼女は、内心の葛藤をそれはもう必死の思いで心の片隅へと追い遣ると、喉の奥から、かろうじて声を絞り出すことに成功した。

「いい、いいわ。ああ、明日お昼のでで、デザートくらい、あげるわよ。ききき、聞かせてもらおうじゃない、そそその、ささ作戦とやらを」

 ルイズ。葛藤に負けず、本当によく頑張りました。

「ニョホホホ……取引成立だのう。まいどあり~」

 ――あたしの親友が呼び出したのは、間違いなく悪魔だ。

 キュルケは大いに後悔した。勝てるわけがない――なんてこと、口に出して言うべきではなかった、と。いいようにコントロールされてしまった仇敵に、いくばくかの哀惜の念を感じながら。


○●○●○●○●

「『青銅』のギーシュが決闘するぞ! 相手は『ゼロ』のルイズと、その使い魔だ!!」

 ――ギーシュ・ド・グラモンは今、困惑していた。

 魔法学院の西にある中庭「ヴェストリの広場」。日中でもあまり陽が差さず薄暗いそこは今、娯楽に飢えた貴族たちの群れで溢れかえっている。

 つい、その場の勢いで決闘を受けてしまったが、対戦相手は『ゼロ』のルイズである。もしも、これが使い魔相手の戦いならば、自慢の『ワルキューレ』を差し向けることに躊躇いはない。だがしかし、相手は無力――魔法を失敗ばかりしている、落ちこぼれの女の子なのである。

 自分は女性を楽しませる薔薇――普段からそう公言して憚らない彼にとって、レディに対して直接的な暴力をふるうなどという選択肢はない。だいたい、発端になったメイドの件にしても、ちょっと怖がらせてやれ、その程度の認識しかなかったのだ。それが、あれよあれよの間に事態が跳ねて転がって絡まってしまった結果――彼はここに立っていた。

 突如、広場にドッと歓声が沸き上がる。ルイズと例の使い魔だ。どうやら逃げずにやって来たらしい。緊張しているのだろう、やや俯き加減に歩いてくるルイズ。そして、そんな彼女を守るように歩み寄ってくるのは、あの生意気な平民。その手には、何も持たされてはいない。素手だ。ふむ、使い魔は主人の盾となる――か。

 そうだ、なにもルイズを相手にする必要はないじゃないか。あいつだ、あの礼儀を知らない使い魔の平民を、ルイズの前で少々いたぶってやろう。そうすれば、彼女は怖がって降参してくるに違いない。我ながら素晴らしい名案だ。ギーシュはひとりほくそ笑んでいた。

 そして両者は広場の中央へと歩み寄り、互いの間を20歩ほど――距離にして、約15メイル程の位置で、向かい合った。

「諸君! 決闘だ!!」

 ギーシュが薔薇の杖を天に掲げると、周囲からワッと歓声が沸き上がる。そしてそのままピッとルイズたちに突きつけた。と、その動きを見て警戒をあらわにした才人が、庇うようにルイズの前に立つ。

「ルイズ、なかなか忠誠心あふれる使い魔じゃないか。『しつけ』はなっていないようだったがね」

 周囲から嘲り笑いが巻き起こる。だが、ルイズは俯き、無言のまま。しかしよく見ると、彼女の身体は小刻みに震えていた。

「おやおや、怖くなったのかい? でも、ここまで盛り上がってしまった以上、今更中止することなんてできないよ」

 うんうん、と同意する観衆たち。だが、ルイズはなにも答えない。

「さて……それでは、始めるとしようか!」

 ――ギーシュが開始を告げた、その直後。

 大きな爆音が連続で鳴り響き、広場の中心から土埃が大量に舞い上がった。

「うわっ……なんだこりゃ」

「やっぱり『ゼロ』だ。決闘でも失敗するなんて!」

「なんだよ……土煙のせいで、何も見えないじゃないか!」

 口々に文句を言う観客たち。だが、彼らはまもなく――その目で信じられないものを見ることとなる。

 土煙が晴れた広場の中央。そこには――うつ伏せになって倒れるギーシュと、その彼の上に馬乗りになっている平民――ルイズの使い魔がいた。その手には、なんとギーシュの薔薇の杖が握られていた。

 そして才人は、大声で宣言する。

「やったな、ルイズ! これで、俺たちの勝ちだ!!」

 一瞬の間。その後、大歓声が上がった。


○●○●○●○●

 ――時は、ほんの少しだけ遡る。

「あんた、ふざけてんの!?」

「わしは、いたって真面目な提案をしておるつもりだが?」

 ――策を授ける。

 タバサは面食らっていた――太公望が、食後のデザートと引き替えにルイズへと差し出した『策』に。ちなみに彼女は、作戦の漏洩防止のため<サイレント>で周囲の音を遮断するという申し入れをしたことによって、この場への同席を許されていた。側にいたキュルケは、ルイズによって追い出されてしまっていたが……それはさておき。

「地面を<錬金>しろって、どういうことよ!」

「地面『を』ではない。地面『に』『錬金の魔法』をかける、の間違いだ」

「同じじゃないの!」

「いや、全然違うだろ……」

 納得のいかないルイズとは異なり、才人は太公望の意図に気がついたようだ。魔法に対する先入観がないがゆえに、理解が早かったのだろう。

「あの威力だもんなあ。でもさ、そうすっと、あのキザ男ただじゃすまないんじゃないか? 大丈夫かなあ……」

 余裕が出てきたのだろう、本気で対戦相手の心配をし始める才人。そんな彼に好ましげな視線を向けた太公望は、新たに生まれた不安の種を消す仕事に取りかかる。

「その点については大丈夫、心配しなくともよい。せいぜいかすり傷程度で済むように仕向ける。そのためには才人、おぬしの協力が必要不可欠なのだ」

「任せとけ、もともと俺たちのケンカだしな」

 力強く頷く才人。

 太公望が彼らに提示した作戦とは。

  1.ルイズが地面に<錬金>の魔法をかけ、土煙を撒き上げ目くらましとする
  2.その隙に才人がギーシュの後方へ回り込んで、杖を奪う

 と、いう至ってシンプルなものであった。

「それって、わたしの魔法が失敗することを前提にしてるんじゃないのよ!」

 才人はその作戦にあっさりと同意したのだが……ルイズは誇り高き貴族、それも公爵家のご令嬢である。そう簡単に割り切れるものではない。可愛らしい頬をプーッと膨らませて抗議する。だが、太公望にそのような愛らしさによる攻撃は全く通用しない。真顔のままあっさりと切り返された。

「ならば、言い方を変えよう。土煙を作り出すのだから、立派な<錬金>では?」

 ルイズの動きが、ピタリと止まった。

「それってただのへりく……うっ」

 思わず才人が漏らしそうになった余計な一言は、太公望のひと睨みによって阻止される。幸いにも、当のルイズはそんな彼らのやりとりに気付くことなく、下を向いて、

「土煙を作る<錬金>……そうよ。失敗じゃない、新たな可能性なのよ……」

 などと呟き続けていたので、支障はなかったが。

「では、詳細を詰めていくとしようかのう。ルイズ」

「えっ、な、何よ」

「必勝を期すために、おぬしの口から、できる限りギーシュについて教えてもらいたいのだ。敵の<魔法>だけではなく、性格についても頼む」

 ルイズは、太公望の目をしっかりと見据え――頷いた。

「そうね。これは、わたしたちの決闘なんだから、当然だわ!」

 こうして、彼らは次々と作戦の詳細を詰めていった。

 相対するまでの立ち振る舞い――才人が彼女の斜め前に立つように歩き、その姿をわざとギーシュ見せつけることで、相手の思考を才人を攻撃する方向に誘導する。そう、ギーシュの性格上、ルイズを先に狙ってくることはまずありえない。それを逆手に取ろうというのだ。

 『ワルキューレ』の有効範囲のことはもちろんのこと、決闘の場の地形の利用法から、立ち位置の詳細確認、ギーシュの目をくらますために効果的で、かつ才人の進路妨害にならない<錬金>の発動場所、などなど……わずか数分の間に次々と出てくる太公望の提案に、当事者たちはもちろんのこと、タバサも感心していた。正直、これに対する報酬がデザート1個というのは、本人のいう通り、安すぎたのではなかろうか……と。

 しかし、タバサには不安があった。瞳の奥がわずかに陰る……すると、そんなごくわずかに生じた彼女の変化――纏う空気に気付いた太公望が、話を振る。

「どうした、タバサ。何か言いたいことがあるのか?」

 小さく頷いたタバサを見て、ルイズは驚いた。いつも読書に没頭していて、積極的に他者と交わろうとしない、静かで無口な子……それが彼女が持っていた、タバサの印象だった。そんな同級生が、自分には全く関係のない決闘について、何を言おうというのか。

「効果的な作戦だというのは認める。問題はそれで倒されたギーシュと、周囲の反応。負けを納得しない可能性がある」

 ルイズはハッとした。その指摘はもっともだ。もし自分がギーシュの立場だったら、絶対に納得しないだろう。やりなおしを要求するかもしれない。

 だが、今ルイズの目の前にいる東方の男は。これまでにない大きな笑みを浮かべ、タバサの頭へぽん、と手を乗せて言った。タバサの目が、驚きで見開いている。

「よい指摘だ。さすがはこのわしを呼び出せただけのことはあるのう、タバサ」

 そして自信満々といった態度で、先を続ける。

「もちろん、それについても検討済みだ」

「それはどんな?」

「いったいどうやって!?」

 思わず同時に身を乗り出すタバサとルイズ。太公望、爆釣り状態である。

「ふっふっふっ……それはな……」


○●○●○●○●

「やったな、ルイズ! これで、俺たちの勝ちだ!!」

「あんたもよくやったわ、サイト!」

 薔薇の杖を握りしめたまま、ルイズの元へ駆け寄った才人へ、満面の笑顔で労いの言葉をかけるルイズ。なんだこいつ、こんな顔もできるんじゃねえかよ。普段もこうならいいのにな。思わず見とれてしまった才人に、ルイズは一転、不審げな眼差しを向ける。

「……なによ?」

 そんな彼女に、頭を掻きながら才人は答える。

「あっ、いや、お前、初めて名前で呼んでくれたから」

「え、そ、そうだったかしら?」

 初めて成功した魔法。わたしが召喚した、使い魔の少年。

 思えば、昨日からろくに話を聞こうともせず、一方的な命令しかしていなかった。それなのに、こいつはわたしを「ゼロじゃない」と言ってくれた。わたしへの侮辱に、本気で怒ってくれた。そして――わたしを勝たせるために、頑張ってくれた。名前すら、まともに呼んでいなかったというのに。

 で、でも、ま、まあこいつはわたしの使い魔なんだから当然よね。でも、そうね、もうちょっと、そう、少しだけ、話を聞いてあげるのは、しゅ、主人として当たり前のことだわ。忠誠には、報いるところがなきゃ、いけないもの。

 などと、主従の距離が微妙に縮まろうとしていた時。

「ふ……ふざけるなあああああ!!!!!!」

 彼らの背後から、声がした。さっきまで地面を舐めていたギーシュである。

「こんなものが決闘だと? 勝利だと!? 認められるわけがないだろう!!」

 開始の合図と共に起きた轟音の正体は、ルイズの失敗魔法。ギーシュはそれによって引き起こされた土埃を思いっきり吸い込んでむせてしまい、まともにルーンを唱えることができなかった。
 
 おまけに視界まで遮られていてどうしようもなかったところへ、後方から突然の衝撃。気がついたら、自分は地面とキスをしていて……さらに貴族の象徴たる『杖』を奪われていた。これで納得しろというのは彼のプライドが許さなかった。

 すると、それまで騒いでいた観衆達が徐々にギーシュの味方につきはじめる。それはそうだろう、せっかくの暇つぶしが、たったの一瞬で終わってしまったのだから。

「ギーシュの言う通りだ、これは決闘じゃない!」

 そして、当然ともいうべき流れが場を支配し――彼らは叫んだ。

「再戦だ!!!!!」

 しかし――自分たち以外の周り全てを敵にしてしまったルイズと才人は、まったく動じていなかった。興奮し、顔をどす黒く染めているギーシュとはまるで対照的な表情をしていたルイズは、彼に対してこう返したのである。

 ――それは、太公望が『切り札』として授けた……文字通り魔法の言葉。

「再戦? 別にいいけど……次は、あんたの足元を<錬金>するわよ」

 広場の空気は――ギーシュが創り出す青銅の戦乙女のように、冷えて固まった。

 『爆発で教室がめちゃくちゃだ! もうあいつに魔法を使わせるな』

 場に集っていた観客達は、そんな風にルイズのことを非難していた、自分たちの言動を思い返す。そう……彼女の『失敗』は、周囲に甚大な被害を及ぼすのだ。それが、もしも足元――ゼロ距離で発動したら。

 『どんな魔法でも爆発するんだな、さすがはゼロのルイズ』

 どんな魔法でも――簡単で、詠唱の短い呪文すら、彼女の手にかかれば凶器に変わる。今更ながら思い知ったのだ、彼女の持つ『危うさ』を。そして、思考は巡り出す。

「次は……ってことはさ。さっきのルイズは、ギーシュが巻き込まれて怪我しないように、離れた位置で<爆発>させたってことだよな」

「そういや、使い魔にも武器を持たせてなかったもんな」

 ギーシュは、激しいショックを受けていた。ルイズの持つ<力>についてではない。才人による攻撃――才人は、ご丁寧にも背後からケンカキックをお見舞いしていた――によって受けた、軽いダメージに対してでもない。

 彼に最も衝撃を与えたもの、それは……ルイズの心の在り方。傷つけることしか考えていなかった自分に対して、なんと彼女は寛大なことか。

 全てを悟ったギーシュは、つかつかとルイズと才人の元へと歩み寄る。そして、周囲を見回し、広場中に届くような大音声で、こう宣言した。

「この勝負――ルイズと、その使い魔の勝ちだ!」

 そして、改めてルイズ達に向き直る。

「先程の言葉を撤回しよう。きみは『ゼロ』なんかじゃない、貴族として相応しい人物だ。そして、心からお詫びする。本当に済まなかった、ルイズ」

 そう言って、頭を下げた。

「ま、まあいいわ。こっちにも不手際があったことだし」

 少し照れながらも謝罪を受け入れたルイズ。そして次に、ギーシュは先程まで馬鹿にしていた少年――才人へと視線を移した。

「使い魔くん、きみにも詫びよう。済まないことをした」

「使い魔って言うな。俺には平賀才人って名前があるんだ。それと、詫びならシエスタに言ってくれ。……っと、これ返さないとな」

 才人は、握っていた薔薇の杖をギーシュに返す。

 ――こうしてこの決闘は、ギーシュの謝罪によって幕を閉じた。その脚本が太公望によって書かれたものだと知る者は、ほんの少数である。


 ……いっぽうそのころ、学院長室では。

「確かめられなかったのう……」

「確かめられませんでしたね……」

 才人の左手に刻まれた『ルーン』の詳細を確かめるべく、あえて決闘騒ぎを止めることなく、じっと広場での戦いの様子を見守っていたオスマン氏とコルベールが、ふたり揃って『遠見の鏡』の前で頭を抱えていた。


○●○●○●○●

「ホントに勝っちゃうなんて……」

 ヴェストリの広場で、他の観客達に混じってこの決闘を見守っていたキュルケは、目の前で見た光景が信じられなかった。夢ではないかとさえ思った。だが、耳に届く歓声も、熱気によって肌を打つ風も、間違いなく現実のものであった。

 『ゼロ』だと思い込んでいた仇敵の、思わぬ『実力』を目にした彼女の心に火が灯る。そうだ。それでこそヴァリエール、我がツェルプストー家のライバルに相応しい姿――!

 キュルケの内でぷすぷすと燻り続けていた火が、今まさに炎となり、熱く燃えさかろうとしていた。

 ――さて、そんな広場の様子を、学院の上空から見ていた者たちがいた。太公望とタバサのふたりである。

「おおむね予想通りの結果だのう。まあ、才人の奴が跳び蹴りをかましてくれた時は少々焦ったが」

「グラモン家は、軍人を多く輩出している名門。最低限の受け身はできて当然」

 そうなのか、おかげで助かった。と、悪びれもせず言ってのける太公望。

「これが、あなたの策」

 ルイズの『失敗』を効果的に利用することで『決闘』での勝利を得る。

 さらに、絶妙なタイミングで例の一言を放たせることで『負傷者を出さないよう工夫していた』と周囲が想像するように仕向け、これまでとは一転、ルイズへの評価を大幅に上昇させる。

 また、相対的に敗北したギーシュの評判も下げないよう工夫されている。誰も傷つくことなく、決闘後に禍根を残さないという意味でも絶妙な1手であった。

「でも、どうして」

 もっと近くで観戦しなかったのか。タバサは、そう口に出そうとして止めた。よく考えれば、当然の帰結であった。

 太公望が策を授けようとした時、まだ数人の生徒が食堂内に残っていた。作戦会議中は<サイレント>によって遮音されていたが、それでも彼が何か助言をしたという事実を知る人間がいたことは確かだ。もし自分たちがあの広場にいたら、それを口実にされ――せっかく作り出した<風>が、不穏な空気へと変わってしまう可能性がある。

 そんなタバサの考えを読んだ上で肯定し、さらに補足するが如く太公望は語る。

「あいつら、大声でわしらふたりの名前を連呼しながら近寄ってきて、おかげで勝った、ありがとう! なんて騒ぎ出しかねんからのう」

 そんなことになったら、間違いなく面倒がこっちにまで及ぶ――脳内にその光景がありありと浮かんでいるのであろう、心底嫌そうに顔を歪めている太公望を見て、タバサは思った。朝の授業風景と、食堂でのわずかなやりとりを見ただけで、よくここまで見通せたものだ……と。

 タバサのそんな思いをよそに、太公望はさらに先を続ける。

「と、いうわけでだ。午後の授業とやらに、わしが出るのはまずいであろう」

 確かに……と、頷くタバサ。

「わたしが出席するのも危険」

 だが、正直なところ、彼女のそれはただの言い訳に過ぎない。次の授業は元々タバサが受ける必要のないものであったから。なにより、今は他にやるべきことがある。それは、タバサにとっての『最大の目的』を達成するために、どうしても必要なこと。

「ならば、することは決まったな」

「昨日の続き。図書館なら、より詳細な資料が揃っている」

 本塔の方向を指で指し示すタバサに、満足げに頷く太公望。

「よろしく頼む」

 ――使い魔と主人は視覚の共有ができる。

 彼の『先を見通す目』。おそらく、まだその片鱗しか示していない。でも、いつか彼の目に映る全てが『視える』ようになったら、きっとわたしの世界は広がるだろう。

 図書館のある本塔へ向けて飛び去った彼らの後には、生まれたばかりの<風>が舞い踊っていた――。



[33886] 【つかの間の平和】第6話 軍師の平和な学院生活
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2014/03/08 00:00
 広場での決闘騒ぎに一応の決着が着いたあと、タバサと太公望のふたりは、揃って本塔にある図書館を訪れていた。ハルケギニアで生活するにあたって、必要な知識を身につける。そのためには、まず文字を覚えなければならない――。

 太公望がこの国の文字が読めない事に気がついたのは、昨夜、タバサの部屋でハルケギニアの書物を見せてもらった時だった。そこには、彼がこれまで見たこともない線状の何かが列をなしていたのだ。そこで、今日からタバサに文字を教えてもらうことになっていたのだが――その課程で、タバサと太公望はおかしなことに気がついた。

 最初に違和感を覚えたのはタバサだった。太公望の習得力が、異様なまでに速いのだ。教材に使用したのが子供向けの本とはいえ、1時間もたたぬうちに1冊全ての意味を読み取れるようになるなど、もはや異常といっても過言ではない。

 いっぽうの太公望も、現状に戸惑いを感じていた。1文字ずつ読み方を教わっている時には、発音だけ――それも「アー」「ベー」「セー」といった、これまでに全く聞いたことのないようなものが聞こえていたのにもかかわらず、それが『単語』という形になった途端『序章』『勇者』『姫』と、いったように、自分に理解できる言葉となって、頭に染み込んでくるのだ。

 それを伝えると、タバサはしばし考え――口を開いた。

「犬や猫を使い魔にすると、人間の言葉を喋ったりできるようになる」

「それと似たような現象が、わしに起きていると?」

「あくまで仮説。そもそも、あなたとわたしは同じ言葉を話しているのに、使用されている文字が全く異なるという事実が不可解」

 タバサの発言を受けた太公望の脳裏に、ふいに閃くものがあった。同じ言葉を話しているのに、使う文字が違う――?

「ひょっとすると……だが。わしらは、同じ言語を用いて会話をしているわけではないのかもしれぬ」

「どういうこと?」

 太公望は、口にした仮説を証明すべく確認を始める。

「確かめてみよう。そうだのう……『覆水盆に返らず』と、書いてみてはくれぬか」

 言われるまま、ペンを取って手元の羊皮紙にサラサラと記すタバサ。書き終わったメモを受け取った太公望は、それを一瞥して言った。

「『一度行ってしまったことは、二度と取り返しがつかない』と、書いてある。これは、わしが言ったことと、一字一句間違いないかのう?」

 タバサは首を左右に振った。普段表情の乏しいその顔に、僅かながら驚きの色が混じっている。

「違う。私は『皿の上のミルクをこぼしてしまった』と書いた。でも、これは取り返しのつかないことをしてしまった、という慣用表現。だから、その意味自体は同じこと」

 羊皮紙に記された文章を睨みながら、太公望は言う。

「わしがタバサに書いてくれと頼んだ言葉も『器に入った水をこぼしたら元には戻らない』すなわち、取り返しがつかないことの例えだ。意味は同じ、だが」

 理解を示すタバサ。

「お互いに、口から出した言葉が異なっている、つまり」

 彼女の言葉に頷き、太公望は断言する。

「わしらは互いに異なる言語を使っているが、なんらかの方法で会話が成立している。召喚された時点で既に言葉が通じておったことから考えるに<サモン・サーヴァント>に、そういった機能がついておるのだろう。文字の習得速度や、書かれた内容によって受け取る側の認識に何らかの齟齬が生じることについては、また別の検証が必要になるが」

 タバサは驚愕した。ハルケギニアにおいて、それぞれの地方訛りのようなものはあっても、言語そのものが異なることはないのだ。何故なら『ガリア語』と呼ばれる共通語(コモン・ワード)が存在するからである。

 トリステインでも、タバサの出身国ガリアでも、人類の宿敵とされるエルフでさえも共通語を使って会話を行う。もっとも、エルフには種族固有の言語も存在しているらしいのだが、あくまでそれは噂でしかない。

 にも関わらず、自分が呼び出した存在は、サハラも含めたハルケギニア全体とは全く異なる『別の言語』で会話しているのだという。そして、それが事実だということは、今の実験結果が証明していた。

 タバサは思った。召喚された当日、彼は「お互いに存在すら知らないほど遠い国から喚ばれてきた」と言っていた。いったいどれほど遠くの地からやって来たのだろう――?

 見知らぬ異国へと、想像の翼をはためかせ飛び立ちそうになっているタバサをよそに、太公望はとある懸念――しかも割と深刻な――を抱いていた。魔法の影響を受けて、会話が成立している。逆に言うなれば、その効果が消えてしまった場合、この世界での意思疎通が非常に難しくなるのではないか、と。

 <サモン・サーヴァント>および<コントラクト・サーヴァント>は、召喚者あるいは被召喚者の死によって無効化――契約が切れる仕組みになっていると、契約する前に学院長から説明を受けている。が、太公望は、それ以外の方法で『魔法の効果を打ち消してしまう可能性があるもの』を持っていた。

 ――それは、彼の持つ最大の切り札。スーパー宝貝『太極図(たいきょくず)』。

 これは、展開した領域内において、宝貝の使用を完全に封じ、さらには宝貝によって引き起こされた全ての事象を鎮め、無効化し、癒やしの<力>へと転換。敵味方、生物・物質を問わず全てを回復させるという、究極のアンチ宝貝なのである。

 かつて、敵対する仙人が宝貝を使って発生させた1万貫の土石流を瞬時に鎮め、その全てを、砂粒1つに至るまで『元通りの位置に回復』してしまったことを例に取っても、効果の程は伺えよう。

 ハルケギニアの魔法に対して『太極図』が有効か否か、近いうちに色々と試そうと考えていた太公望だったが、これではうかつに使用するわけにはいかない――少なくとも、この世界の言語を自分のものとするまでは。比較的早い段階で、それに気がつけただけでもよしとするべきか。

 ぐうたら生きるのも、楽じゃないのう――。

 もうひとりの使い魔が聞いたらマジ泣きしそうなことを考えながら、太公望は生活基盤をしっかりと固めるべく、タバサに講義の続きを促すのであった。


 ――その夜。

 時間を忘れて書をめくっていたタバサと太公望は、閉館時間を過ぎてもそこから動かないふたりに業を煮やした司書の女性によって、外へつまみ出されていた。そこに至って、彼らは初めて夜になっていることに気付いたというのだから、その熱中度がいかほどのものであったのかは推して知るべし、である。

 既に食堂は閉まっていたので、軽めの食事を厨房に頼んだふたりは、タバサの部屋へと――塔外壁の窓から――戻ろうとした……のだが。無人のはずの部屋の奥から、なにやら声が聞こえてくる。

「まさか、泥棒か?」

「わからない、でも用心に越したことはない」

 外壁を背にして張り付くような体勢をとった彼らは、気取られぬようこっそりと中の様子を伺う。そこにいたのは……興奮気味に何事かをまくし立てる桃色の髪の少女と、それをあしらうように笑う赤髪の娘と、その間に挟まれ、天国と地獄を同時に味わっている黒髪の少年であった。

 ――キュルケ曰く。

 昼に聞けなかった『策』の内容を確認しに来たが、扉に鍵がかかっていた。ノックをしても無反応。タバサは<サイレント>をかけた状態で本を読んでいることが多いので、確かめるために解錠の呪文<アンロック>を唱え、部屋の中へ入ったところで、通りがかったルイズ――タバサ達に何かを言いに来たらしい――に、見咎められたのだという。

「勝手に他人の部屋の鍵を開けるなんて!」

 と、説明中にも関わらずいきり立つルイズを

「あら、こんなのいつものことだし、タバサは気にしてないわ」

 暖簾に腕押し、柳に風で受け流すキュルケ。

「<アンロック>は重大な校則違反なのよ? わかってんの!?」

「あなたの<アンロック>が『あン、爆発!』だから禁止なのはわかるんだけど」

「けけ、ケンカを売ってるのかしら、つつ、ツェルプストー?」

 こんな調子で、部屋主が戻ってきても収まらない少女たちだったが、とうとう付き合いきれなくなった太公望とタバサのダブル<風>攻撃――太公望が天井付近まで舞い上げ、タバサが空気の縄で縛り付けるというものによって押さえ込まれ、静かになった。

 そして、どうにか事の顛末――発端から決闘の推移に至るまでを語り、ついでに策の内容について、念入りに口止めをし終えた頃には、夜もだいぶ遅い時間になってしまっていた。

 部屋へ戻るという彼らを見送り、寝支度を始めようとしたタバサは小さくため息をついた。召喚の儀式からまだ2日しか経っていないのに、なんだかもう1ヶ月ほど過ごした気分だ。これからも、こんな嵐のような日々が続くのだろうか――。

 それが果たして良いことなのかどうか、まだ彼女にはわからなかった――。


○●○●○●○●

 太公望がハルケギニアへと召喚されてから数日が経った。最初の2日間こそ怒濤のような騒ぎの中にあったものの、その後はおおむね平穏であった。そんな彼の使い魔? 生活を紹介しよう。

 朝、日が昇る前に目を覚ます。同居人を起こさぬようにそっと外へ出て、本塔の屋上へ移動し、そこで1時間ほど『瞑想』を行う。

 その後、部屋へ戻ってタバサを起こす。彼女が身支度を整えている間は外――もちろん窓ではなく廊下で大人しく待機。出てきた彼女と共に、朝食を摂りにアルヴィーズの食堂へ向かう。

 テーブルマナーのなんたるかすらわかっていない太公望の食事姿は、控えめに見ても良いとはいえないものだが、すぐ隣の席につき、まるで手のかかる子供に指導をするように世話を焼くタバサの姿と相まって、ほのぼのとした空気を醸し出す。

 朝食の後は、タバサと共に授業を受ける。夢のぐうたら生活を実現するためには、この世界の魔法、そして『言語』について詳しく知っておく必要があり、その手段として魔法の授業は最適なのだ。ある意味、この場にいる生徒たちの誰よりも真剣に、教師の言葉と黒板に書かれる文字に集中し、タバサから譲り受けたメモ帳へ、それらの内容を書き付けている。

 将来の怠惰のためには今の努力を惜しまない――太公望とは、そういう男であった。


 昼食後の1時間は、ひとりで学院の敷地内をうろつく。そして、時折出会う学院の使用人たちや、使い魔の仕事――ルイズの部屋や廊下を掃除したり、彼女の衣類の洗濯をさせられている才人に出くわしては交流を深めている。

 ある時、こんな事があった。

 貴族さまに洗濯するよう命じられていた絹のハンカチが、風に飛ばされてどこかへいってしまった。このままでは手打ちにされてしまう……と、嘆くメイドがいた。シエスタである。偶然その場にいた才人が一緒に探して回ったが見つからず、途方に暮れていたところへ太公望が現れた。才人が事情を話すと、太公望は一言、

「薪(まき)を1本もって来たら、なんとかしてやろう」

 と、告げる。

 なんで薪!? という疑問はあったものの、以前の経験から「コイツの言うことなのだから、何か意味があるのだろう」と考えた才人は、大急ぎで裏庭の薪置き場へ向かうと、そこから1本の薪を頂戴し、太公望に手渡した……のだが。

 ――太公望の起こしたアクションは、才人の想像の斜め上を行った。

「見ておれ、才人よ! この薪を使った『炎占い』で失せ物の行方を占ってやろう!」

 『杖』を取り出して、薪の先をがんがん叩き始めた。しかも、まき~まき~教え給え~とか、軽くイった目をしてブツブツ呟いている太公望を見た才人は、そのまま回れ右してハンカチ探索に戻ろうとしたのだが……『占い』という言葉の響きにすっかり魅せられてしまったシエスタによって引き留められる。

 ……と、それまで変化のなかった薪の先端が、勢いよく燃え始める。揺らめく炎を見つめながら、ムゥ……と唸った太公望は、才人とシエスタに『結果』を告げた。

「よいか、これから急いで厨房へ行き、コップに1杯の飲み水を手に入れよ。そして、それを持って炎の名を持つ塔の側にある建物の前へ行け! そこにひとりの男が立っておる。そやつにコップの水を渡せば、失せ物が見つかるであろう」

 そんなバカな……と、思いっきり疑いの目を向ける才人だったが、藁にもすがる思いで『託宣』に聞き入っていたシエスタの手前、それを無碍にするわけにもいかず。言われた通りに厨房で水を手に入れ、炎の塔の側にあるという建物へと向かった。

 ――そこにいたのは、コルベールであった。

 何かを探しているのか、周囲をきょろきょろと見回している。と、彼は才人とシエスタの姿を見て何かを目に留めたのか、ふたりの方へ近づいてきた。

「おお、きみたち。ちょうど誰かに飲み物を持ってきてもらおうとしていたところなんだよ。良かったら、その水を譲ってもらっても構わないかね?」

 才人が言われるままにコップを差し出すと、コルベールはひと息で中身を飲み干した。そして懐から一枚の布を取り出し、額の汗を拭う。

「いやあ、おかげで人心地ついたよ。ありがとう」

 笑顔で礼を言い、コップを返そうとしたコルベールは、ふたりの視線が手元の布きれに集まっていることに気がついた。

「……どうかしたのかね?」

「き、貴族様、そ、そ、そのハンカチは」

 シエスタが、震える声でコルベールに問う。

「おっと、いけない! さっき偶然拾ったものなのに、ついうっかりと……もしかして、これはきみの物だったのかね?」


 ――それからが大変だった。

 占いが当たった! と、おおはしゃぎのシエスタと、なんでもありかよファンタジー! と、頭を抱える才人。

 そんな彼らから事情を聞いて『炎を使った占い』にいたく興味をそそられたコルベールに、根掘り葉掘り聞かれそうになったり。

 貴族のせいで困っていたシエスタを助けてくれた! などと、厨房で働く料理人たちに才人共々大歓迎されたり。

 噂を聞きつけた多くの女性達――平民、貴族を問わず――に、自分のことも是非占って欲しいと押し掛けられたり。

 『イワシ』なる魚があれば、より精度の高い占いが可能だなどと太公望が言い出したせいで、厨房に大勢の人間が殺到したり。

 ――最終的に、学院長から「学院内での占いは禁止」という触れが出されるまで続いたこの一連の騒動によって、太公望はちょっとした有名人になってしまったが、その対価として、

 『身分を問わず人当たりのよいメイジ』『東方の秘術を知る異国人』

 などというそれなりの評価を得られたことは、今後の学院生活を送る上でプラスになることは間違いないだろう。と、まあこんなふうに着々と『自分の居場所作り』に精を出すのがこの時間帯だ。

 その後は、再びタバサと合流して午後の授業に出たり、本塔にある図書館に籠もってハルケギニアの歴史や地理などを学ぶ。本の虫であるタバサの解説は、簡潔にして要を得たもので非常にわかりやすい。

 タバサとしても、理解の早い生徒である太公望にモノを教えるのは思いのほか楽しくやり甲斐があるし、自分自身の復習にも繋がるので、勢い熱心になる。その結果、大幅に閉館時間をオーバーして、ふたり揃って司書の手で外へつまみ出される……というのが既に日課となりつつあった。

 ――と、こんな調子で日々を過ごす太公望。今のところは、まだ平和を満喫していた。

○●○●○●○●

 ――そして、召喚から数日後。フェオの月、ティワズの週、虚無の曜日。

 その日、タバサと太公望のふたりは、友人たちと共に乗合馬車に揺られながら、トリステインの王都トリスタニアへ向かっていた。

 タバサは、独りで居ることを好む少女だ。彼女にとっての他人とは、自分の世界に対する無粋な闖入者であり、騒音でしかない。数少ない例外に属する人間であっても、余程の場合でない限り鬱陶しく感じる存在に過ぎなかった……はずなのだが。

 そんな彼女が、虚無の曜日にクラスメイトやその使い魔達に囲まれて、共に乗合馬車で街へ向かっているのには――ちょっとした事情があった。

「街へ服を仕立てに行きたい」

 ことの発端は、前日の昼に太公望が発した言葉であった。

 太公望は替えの服を1枚も持っていない。これまで、胴衣については男性教諭から着古したローブを借りて凌いできたが、上に羽織っている着衣の汚れが目立ってきた。

 『道士服』と呼ばれるらしいそれは、太公望曰く

「ハルケギニアのメイジが羽織るマントのようなもの」

 ……だ、そうだ。

 タバサは思い出した。そういえば、彼の国では服装によって出される食事が変わると言っていた。つまり、身分を証明するために必要な衣服なのだろう。そう考えた。

 太公望の生活に必要なものは学院の経費で落とせるし、タバサとしても、太公望に不自由な思いをさせるつもりはなかったので、翌日――学院が休日となる虚無の曜日に、トリスタニアの街を案内すると約束し、ひとまず話は済んだ。

 ……と、思っていたら。太公望は、いつの間にか彼と仲良くなっていたらしい才人――ルイズが使い魔にした少年に、そのことを伝えたらしく。そこから、どういう経緯を経てなのか各所へと話が飛んだ結果、

 曰く「使い魔に身を守るための武器と服を買い与える慈悲深い主人」ルイズと。

 曰く「優しい主人を持って幸せだとうそぶく従者」才人に。

 曰く「春の新作が気になるから一緒に行きたい」キュルケがついてきて。

 現在の――控えめに言っても騒々しい状況が成立した。

 トリスタニアの街まで、まだ1時間以上かかる――ふっとため息をついたタバサは、同行者たちと益体もない話を続けている己の使い魔を、少し恨めしげな目で見遣った後……持ってきた本に視線を落とし、ページをめくり始めた。


○●○●○●○●

「さて、残るは才人の武器……か」

 仕立て屋での採寸を終えた太公望たちの一行は、それ以外の買い物の成果を両手に抱えて――荷物を持たされているのは太公望と才人のふたりだけだが――トリスタニアの街中を歩いていた。行きに乗ってきた馬車は、街の外で待たせてある。あちこちで買い物をするため、馬車では進めない、狭い路地を通る必要があったから。

 太公望は、物珍しそうに辺りを見回していた。白い石造りの街は、これまで見たことのない風情であったし、道端には様々な露天商が店を開いていたからだ。と、そんな彼と同じく好奇心を剥き出しにしていた才人が、ルイズに耳を引っ張られる。

「ほら、よそ見しない! このチクトンネ街は、スリが多いんだから」

 ルイズ曰く、このあたりは割と物騒な地域らしい。こういう所は、どこの国でも同じなんだのう……などと感慨に耽っていた太公望に、ひとりの男の肩がぶつかった――その瞬間。男はその場へ崩れ落ちるように、どう、と倒れた。

 ――突然のことに、通行人たちから悲鳴が巻き起こる。

「人が倒れた! 急病人だ!!」

「誰か衛兵…… いや、水メイジを呼べ!!」

 広がる喧噪の中、真っ先に動いたのはタバサだ。小声で仲間たちに指示を出す。

「この場から離れたほうが無難、ただし、慌てず普通の速度で歩いて」

 病人を見捨てるのか! と、問うルイズと才人を、

「今のわたしたちにできることは何もない」

 と、ただの一言で黙らせて。

 そのままタバサを先頭にして路地を抜けて大通りに出た一行は、平民向けだがなかなかに小洒落た感じの料理店へと入る。

 平民の店なんて……と、ぶつぶつ文句を言うルイズを無視し、テーブルごとに衝立で仕切られたそこの一番奥にある席を確保したタバサは、手慣れた調子でウェイターに全員分の飲み物を注文した後、まっすぐに自分の使い魔――太公望を見据え、問い詰めた。

「あなた、何をしたの」

 全員の視線が、太公望に集中する。

「何もしてはおらぬよ、わしは……な」

「それは嘘。あのスリが倒れる直前、あなたの懐に手を入れたのを見た」

 タバサの言葉に、あの男スリだったの!? とか、どういうこと!? だの騒ぎ出したルイズ・才人・キュルケの3人に黙るよう、口の前で指を1本立てるジェスチャーをして見せた太公望は、ふぅとため息をつくと、やれやれというように首を左右に振る。

「わしの『ご主人さま』は思いのほか目敏いのう。少々見くびっていたようだ」

「ごまかさないで」

 彼女の二つ名『雪風』に相応しい、冷たい空気が場を支配する。降参だというように、太公望は軽く両手を挙げて答えた。

「わしは本当に何もしてはおらぬよ。やったのは……これだ」

 太公望は、懐から『打神鞭』を取り出してタバサ達に見せる。

「この『杖』には、盗難防止用に『わし以外の者が持つと生命力を吸い取る』呪いがかけられておってのう。あやつは、わしの懐を探ろうとして、うっかりこの杖に触れてしまった。ただそれだけのことなのだ」

 ――今度は、別の意味で場が凍り付いた。

「なにそのヤバい杖」

 さすがの才人も真っ青だ。

「神聖な杖に、そんな処置を施すなんて……」

 と、逆に憤りを覚えるルイズ。

「……その呪いとやらがどの程度のものなのか、教えて頂けて?」

 キュルケが震える声で問えば。

「触れたくらいならばその場で気絶。持ち続ければ干涸らびて死ぬ程度、かの」

 悪びれもせず、からからと笑いながら太公望が答える。一同、声も出ない。

 そんな硬直した空気を打ち破ったのはタバサだった。文字通り、持っていた己の杖を太公望の脳天めがけて叩き付ける。

 ごぃん。と、実にいい音が辺りに響き渡り……太公望は、その場に崩れ落ちた。

「そんな大切なこと、どうして今まで黙ってたの……」

 真冬に吹き荒ぶ寒風もかくやといった冷たい声で、ぽつりとタバサは呟いた。

 無口な子。本の虫。他人を寄せ付けようとしない。完全に伸びてしまった太公望を尻目に、同行者の3名がそれぞれ己の『タバサ個人評価ノート』の片隅に「怒らせると怖い」と書き加えたのは、ある意味必然といえよう。


 ――太公望が目を覚ましたのは、帰りの馬車の中であった。

 道中、打撃を受けた箇所をさすりつつ、状況を確認する太公望へ

「<レビテーション>で馬車まで運ぶのは、結構大変だったのよ」

 と、ちょっと怖い笑みを浮かべながら話すキュルケや、

「結局こんなさびた剣しか手に入らないなんて……」

 と、悔しがるルイズに

「あーるぴーじーだと、こういう剣が最強っていうお約束があるんだよ」

 などと、意味のわからない話をして慰めて(?)いる才人。そんな彼らの騒ぎをよそに、タバサは手持ちの本を開いていた。しかし、行きの時のそれとは異なり、彼女は自分だけの世界に没頭してはいなかった。

 あの瞬間――杖を振り上げた直後。ほんのわずかだが、太公望の身体が反応したように思えた。だからこそ、タバサは躊躇わずに杖を振り下ろしたのだが――結果、彼はそのまま攻撃を受け、倒れてしまった。

 ふと、店で彼が呟いた言葉を思い出す。

 ――わしの『ご主人さま』は思いのほか目敏いのう。少々見くびっていたようだ

 まさか――避けもせずに攻撃を受けたのは、彼の演技? だとしても、わざわざそんなことをする理由がさっぱりわからない。タバサは心底混乱していた。自分の<使い魔>の実像が、全く掴めないことに。

 もっとも、それはある意味当然である。彼女は太公望が身体を張ってまで『究極のサボり』を開発すべく日々努力を続けていることなど、知る由もないのだから――。



[33886]    第7話 伝説、嵐を巻き起こすの事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/09/30 14:57
 ――平賀才人は今、得意の絶頂にあった。

 彼は宿命という名の導き手により、最高の相棒との邂逅を果たしていた。伝説の左手を担う者。その名も『デルフリンガー』。

 先日の虚無の曜日。主人のルイズに手(と耳)を引かれて立ち入った、小さな武器屋。昼もなお薄暗いその店の奥、乱雑に積み上げられた棚の横に、それはひっそりと『立て掛けられていた』。

 <インテリジェンス・ソード>。意思を持つ魔剣にして、しゃべる能力を持った薄手の長剣。表面にはうっすらと錆が浮いていたが、才人は一切気にしなかった。吸い付けられるようにその剣へと手が伸び、両手で柄を握ったその瞬間……左手のルーンが輝き、身体がまるで羽根のように軽くなるのを感じたのだ。

「おでれーた。てめ、『使い手』か。見損なってた。よしお前……俺を買え」

 ……まるで、テレビゲームのイベントシーンみたいじゃないか。才人は、すっかりその剣に魅入られてしまった。眉をひそめて「もっといい剣を買ってあげるわよ」というルイズに、是非これをと拝み倒し、遂に自分のものにすることが出来た。

 最初こそ「こんな錆びた剣なんて……」と不満を露わにしていたルイズだったが「ありがとう、本当にありがとう」と、まるでボールをもらった子犬のようにキラキラと目を輝かせ、何度も何度も礼を言う使い魔の態度が、迂闊にもちょっと可愛く思えてしまい。ついには、持ち歩くときは鞘に収めておくことを条件に、その剣を持つことを許した。


○●○●○●○●

 以下、才人が相棒と出逢ってから地球時間に換算して1週間の軌跡である。

 ――1日目。

 せっかくだから剣の使い方を覚えたい、そうデルフリンガーに告げると、新たな相棒はいたく喜んだ。そして、とりあえず振ってみろと言われたので、近くの空き地へと向かい、鞘から抜いた。これまで剣など手にしたこともなかったのに、まるで身体の延長みたいにしっくりと馴染んでいる。不思議だ。

「これがお前の<力>なのか? デルフリンガー」

「いいや違う。それが『使い手』たる証なんだよ、相棒」

 俺の左手に刻まれたルーンとやらが、特別な力を持っているらしい。おでれーた。


 ――2日目。

 筋肉痛で動けなかった。昨日は調子に乗って振り回しすぎた。いやマジ痛いんですけど。デルフ――名前が長いので、こう呼ぶことにした――は、いっしょに身体も鍛えないとな、と、笑っていた。ピンク髪の小悪魔が、面白がって何度も足をつっついてきた。やめて。


 ――3日目。

 筋肉痛はもう治ったみたいだ。「数日遅れで来るようになったら年だ」って前に父さんが言っていた気がする。使い魔の仕事が終わった後、外でデルフを振っていたら、ギーシュ――このあいだ決闘をしたキザ野郎が声をかけてきた。

「きみは剣士だったのか……もしやメイジ殺しだったのかい? やはり、あの時は本気ではなかったのだね」

 次の瞬間、気取った仕草で例の薔薇の杖を振ったギーシュの真横に、いきなり金属製の像が出現した。

「どうだい、対戦相手がいたほうが稽古にも身が入るだろう? 良かったら、ぼくが『ワルキューレ』でお相手しよう。もちろん、お互いに怪我をさせないという条件でね」

 あれ? ひょっとして、こいつ意外といい奴だったのか? ……それにしても。

「これが例の『ワルキューレ』か! 結構かっこいいじゃん」

「そうだろう、そうだろう!? まさに戦乙女の名に相応しい姿だと思わんかね」

 青銅で出来た甲冑姿の乙女像かよ……うわあ、ルイズが止めてくれなかったら、これと真正面からやりあう羽目になってたんかい……殴られたらすげえ痛そうじゃん。最悪、骨が砕けてもおかしくないわ。だけど、こんなのに斬りかかったら、デルフの奴折れちゃうんじゃないのか?

 ……心配はいらなかった。まるで、溶けたバターにナイフを入れたみたいに真っぷたつにできた。本気のきみと戦わなくて良かったと言うギーシュに、それはお互い様だと返してあの時のことを謝ったら、握手を求められた。異世界で、また友達ができた。


 ――4日目。

 きみは本当に強いなあ。

 俺が、7体の『ワルキューレ』を文字通り瞬殺してみせた後、ギーシュは言った。いやいや、確かに速攻倒せたけどさ、お前、俺が怪我しないように手加減してくれてるじゃん。そう言ったら、

「謙遜は美徳だが、過ぎた謙虚は嫌味にしかならないよ」

 なんて諭された。

「ひょっとして、俺ってすごいの?」

「うん、実際たいしたものだよ」

 部屋に戻ってからルイズに聞いてびっくりした。なんでもギーシュは軍人の家の出で、しかも『ドット』ランクのメイジとしてはかなり強い部類に入るんだそうだ。実は俺ってすごい? ちょっと自信持っちゃっていいのかな? かな!?


 ――5日目。

 ルイズに、俺とギーシュの模擬戦を見せた。デルフとふたりがかりで説明しても、ちっとも信じてくれなかったからだ。バラバラになった『ワルキューレ』を見て、ようやく納得してくれた。

「なんで剣士だってこと、黙ってたのよ!」

「いや、デルフに教えてもらうまで俺も知らなかったんだよ!」

 左手に刻まれたコレのせいらしい。そう言ってルーンを見せると、ルイズは「ルーンにそんな効果があるなんて話は今まで聞いたことがない」という。

「なら、これはルイズがくれた<力>なんだな」

 そう言って笑ったら、突然ご主人さまが動かなくなった……なんでだ。


 ――6日目。

「まことにもって悔しいけれど、『ドット』のぼくじゃもう相手にならないなあ」

 ギーシュが頭を掻きむしりながら言う。うーん、ここまで付き合ってくれたギーシュには悪いけど、確かにちょっと物足りなくなってきたのは事実なんだよなあ。いや、ギーシュ君も結構頑張っているんデスヨ? 『ワルキューレ』の動きとか錬成とか、最初の頃よりだいぶ速くなってきてるしネ。まあ、俺がさらに強くなってしまっただけなんですけどネ。

「とはいえ、ぼく以外の貴族と戦うのはまずいだろう」

「え、なんでだ?」

「下手に勝ったりしたら、おかしな逆恨みをされるかもしれないからさ。実際に、そういう例が過去に何度もあったらしいしね」

 ギーシュが、真顔で忠告してくれた。なるほどな、そういやこの学院にいる連中って『魔法が使えぬ者は人にあらず』ってな態度取ってるしな。ルイズも、そのせいで周りからバカにされてたみたいだし。ひとりくらいなら何とかなるかもしれないけど、さすがに集団でかかってこられたら、いくら俺でもきついよな。

 ……と、いうわけで。タバサと部屋で本を読んでいたタイコーボーに声をかけてみた。

「模擬戦やらないか」

「なんでわしが、そんな面倒なことに付き合わねばならんのだ」

 ――消去法です、とはさすがの俺でも言えなかった。

 ルイズに剣を向けるなんて、いろんな意味で論外。とはいえ、他に知り合いのメイジの心当たりはというと、タイコーボーとタバサ、それとこのあいだ一緒に買い物に行ったキュルケっていうおっぱいいっぱい! な女の子だけ。

 ギーシュが言うには、タバサとキュルケは『トライアングル』メイジで、学院内でもトップクラスの使い手なんだとか。そういや、あの赤土先生も同じランクだって言ってたよな。教師と同じってことは、相当すごいってことだろう。

 ……それを抜きにしても、女の子とチャンバラなんてやりたくない。タイコーボーの強さはよくわかんねーけど、使うのはたぶん<風>の魔法で、ギーシュとは正反対の系統?(属性と系統って何がどう違うんだかよくわからん)らしいから結構興味あるし。

 まあ、あの小さなタバサの一撃で気絶しちゃったくらいだから、あんまり期待はできないけどな。ガリ勉タイプっぽいし。それにほら、俺とデルフのコンビってスゴイし!

 しっかし、マジで嫌そうな顔してるなあコイツ。授業中もクソ真面目に勉強してるしなあ……って、読書に戻りやがったし。こりゃダメかな……出直すか。と、思ったら。別の方向から援護射撃が来たー!

「タイコーボー、彼と勝負してあげて」

 タバサナイス支援! もっとやれ!!

「嫌だ。わしにとって、この本を読み終えるほうが遙かに大切なのだ」

 うわ、即お断りかよ。本から顔を上げすらしなかったぞコイツ。

「明日のお昼に桃のタルトを追加で注文してもいい。費用はわたしが負担する」

 ……野郎、ページめくる手ェ止めやがった。

「……もうひと声」

 えっ、デザートがトリガー!?

「2個プラス」

「さて、それじゃルールを決めようか才人」

 安ッ! 俺との勝負の値段、激安ッ!!

 こうして、俺とタイコーボーは戦うことになったわけだ。んで、これから試合のルール決めるんだけど……うん、わかってますヨ。油断は禁物ですよネ。このあいだの件もあるし、おかしな条件つけられないようにしないとな!

 ――このように、才人は<力>を手にしてからわずか数日で、完全に舞い上がってしまっていた。どうやら彼は、相当調子に乗りやすい性格であったらしい。

○●○●○●○●


 ――メイジの怖さは、既にわかっていると思っていたのだけれど。

「模擬戦やらないか」

 その日の夜。突然ルイズの使い魔がギーシュと共に部屋へ押し掛けて来て、太公望にそう持ちかけた時。タバサは一瞬、彼の正気を疑った。突然何を言い出すのか……と。

 言われた本人も、顔をしかめている。当然だろう。口では面倒だ、などと言ってはいるが、そもそも太公望は、己のメイジとしての<力>を誇示するような人間ではない。既に10日程一緒に暮らしているにも関わらず、未だ太公望の実像を掴みきれていないタバサだったが、そのくらいのことは理解していた。

 タバサは、不快げに眉をひそめた。しかし、才人はそれに気付いてすらいない。とはいえ、それはごくごくわずかな形の変化であり、かつタバサと相当に親しい者にしかわからない程度の感情の揺らぎであったので、ある意味仕方のないことではあるのだが。

 と、そんなタバサの耳元へギーシュが囁きかけてきた。

「なあミス・タバサ。きみからも、彼に頼んでみてはくれんかね」

「結果のわかりきった勝負をさせるほど、わたしは愚かではない」

 呟き返す。しかし、ギーシュが放った次の言葉が、タバサの心を微かに動かした。

「ぼくでは、もう太刀打ちできないんだよ」

 なんでも、ここ数日のあいだにギーシュと才人のふたりは仲良くなり、互いに遺恨の発生しないレベルでの模擬戦を繰り返しているのだという。だが、それ以上にタバサが驚かされたのは、全力で繰り出した『ワルキューレ』を、剣1本でなんなく切り裂いてしまうという荒唐無稽な話が、あのルイズにすら公認された事実であるということだった。

 確かあの時――例の決闘騒ぎで、太公望ががルイズ達に『策』を授けた時、彼は「武術の心得が一切ない」と言っていたはずだ。あの状況で嘘をつく理由はない。だとすると、あれから彼に何らかの変化が起きたということになる。

 そういえば。先日トリスタニアの街へ赴いた際に、錆びた剣を手に入れていた。もしかすると、あれは特別な魔法がかけられた<マジック・ウェポン>なのかもしれない。そう、持ち主の動きを補佐するような……。

 これは、降って沸いた好機だとタバサは思った。もちろん、太公望という人物の実力を見極めるための。

「タイコーボー、彼と勝負してあげて」

 その後の返答は、タバサが予想した通りのものだった。

「嫌だ。わしにとって、この本を読み終えるほうが遙かに大切なのだ」

 即座に断られたが、タバサは知っていた。彼に頼み事をするための魔法の言葉を。

「明日の昼に桃のタルトを追加で注文してもいい。費用はわたしが負担する」

 タバサの予想通り、太公望は食いついてきた。少し痛い出費だが、彼の実力を測るために必要なのだから、ここで惜しんではいけない。けれど、できれば1個プラスで抑えて欲しかったというのが彼女の本音だった。何故なら、タバサが自由にできるお金には、限りがある。料理を追加注文した場合、相応の料金を支払う必要があるのだ。

 今月購入する予定だった本を、何冊か諦める必要がありそうだ。タバサは、現在の財布の中身を思い出し、肩を落とした。

 ――それからすぐに、太公望から試合に関する条件が提示された。

「制限時間10分、先にまいったと言わせたほうが勝ち。これでどうだ?」

 才人は、困ってしまった。彼は、あくまでギーシュ以外の魔法使いと戦ってみたかっただけであって、相手に怪我をさせるつもりは毛頭なかったのだ。

「なあ、本当にそんなんでいいのか? あー、なんだ、その……相手に怪我をさせちゃいけない、とか、そういう条件はつけなくても?」

 そんな才人の心遣いに対して、太公望はこう答えた。

「なんだ才人。自分から勝負を申し込んでおいて、いまさら臆病風に吹かれたのか」

 ……と。

 それを聞いたギーシュは、真っ青になった。知らないこととはいえ、彼はなんて無謀な真似をするんだ! と。なにせ、才人の素早さは尋常ではない。トリステイン国軍元帥の地位にある父親から手放しで褒められた『ワルキューレ』の7体同時攻撃でも、捉えることすら叶わないほどなのだから。

 言われた才人のほうはというと、笑顔のまま顔を引きつらせている。それはそうだろう、せっかくの気配りを無にするような真似をされたら、たとえ才人でなくとも良い気持ちはしないはずだ。

 ギーシュは心の中で『始祖』ブリミルに祈った。彼の主人に勝負の仲介を頼んだぼくがこんなことを願うのもなんなのですが、どうか彼が大怪我をしませんように――と。


○●○●○●○●

 ――巨大な紅い月と、それに寄り添うように浮かぶ小さな蒼い月が、本塔脇の中庭を薄く照らしている。そこへやって来たのは、これから『模擬戦』を行う太公望と才人、彼らの主人であるタバサとルイズ、そして面白そうだからとついてきた、ギーシュとキュルケの計6名であった。

 模擬戦なんかやめなさい。そう必死に止めるルイズの言葉を、才人は聞こうとしなかった。いや、聞いてはいたのだが、言い返したのだ。

「雑用以外にも、使い魔としてできることがあった。その<力>を磨きたいんだ」

 ……と。

 そんなことを言われてしまっては、主人として止めることはできない。確かに自分の使い魔は強かった。メイジには絶対敵わないはずの平民が、全力を出したギーシュ相手に圧勝してみせたのだから。

 しかし、今度の相手は全く実力のわからない――あの東方から来たという、正体不明のメイジ・タイコーボー。彼は、ルイズにとって一種の恩人だった。何故ならあの決闘騒ぎ以降、周囲から自分を馬鹿にする声が消えたから。翌日、大好物のクックベリーパイを渡さなければならなかった時は、正直殺意が芽生えかけたのだが、それでも彼に感謝していることだけは間違いない。お互いに、大怪我をするような事態にだけはなって欲しくない……それがルイズの偽らざる気持ちであった。もうクックベリーパイについての恨みはない。たぶん。

「それじゃ、ルールを確認するわよ」

 10メイルほどの距離を開け対峙した太公望と才人の中央で、キュルケが声を上げる。中立の立場にいるということで、彼女がこの模擬戦の審判を買って出たのだ。それ以外の3名は、遠巻きに彼らを見守っている。

「まず3カウントして、そのあとはじめの合図をするわ。それと同時に試合開始。ふたりとも、それでいいかしら?」

「うむ」

「ああ」

「10分以内に相手を降参させたら勝ち、ルールはこれでよろしくて?」

 頷く両者。ふたりから了解を得たと判断したキュルケは、試合に巻き込まれないよう、他の者たちのいる場所まで後退する。

「それじゃ、3……2……1…… はじめっ!」

 キュルケが言うや否や、才人は背にしたデルフリンガーを抜いて駆け出した。左手に刻まれたルーン文字が光り輝く。先手必勝! あっという間に、太公望まであと数歩という距離まで間合いを詰める――だが、その瞬間。彼の前に、土煙が巻き起こった。

「あの時と同じかよ!」

 才人は憤った。太公望は土煙で目隠しをして、自分の死角から攻撃してくる……瞬時にそう判断した。今の才人には、頼もしい味方『デルフリンガー』がいる。そんな手を食うものか! とばかりに剣風で周囲の土埃を吹き飛ばした彼は、油断なく身構えた……だが、攻撃が来る気配はない。いや、それどころか太公望の姿そのものを見失ってしまった。

「どこだ、どこにいる!?」

 必死に周囲を探る才人。その後、すぐに視界全てが晴れた。にもかかわらず、太公望はどこにもいない。

「ふっふっふ……」

 その時だ。何処かから、太公望の声が聞こえてきたのは。

「あ、相棒……上だッ!!」

 デルフリンガーの声で天を振り仰ぐと、そこには――ふたつの月を背に、服をバサバサとはためかせ、10メイルほどの高さに浮かんでいる対戦相手の姿があった。

「た、タイコーボー!」

 すぐさまデルフを構え、彼の遙か上方にいる太公望の攻撃に備える……が、いっこうにそれらしき動きはない。空の上の太公望は腕を組み――月の光を背に受けているせいでその表情は読み取れないが、間違いなく――笑っていた。

「おい、どういうつもりだよッ!」

 と、声を荒げる才人に、太公望は高らかに笑いながら返す。

「ふはははははッ、どうだ才人よ! この高さまでは攻撃できまい!!」

 ――観客が一斉に……それは見事なまでにズッコけた。つられてコケなかった才人は、ハッキリ言って相当努力したといえよう。

「キュルケよ! あと何分だ?」

 いきなり太公望から声をかけられたキュルケが、戸惑いながらも答える。

「えっと、残り……8分ね」

「なんだ、まだ結構あるのう……それならば」

 と……試合中であるはずの太公望は「よっこらしょ」というかけ声と共に、その場で肘をついて――空中なので、正確にはつけてはいないのだが――横に寝そべってしまった。見るからにだらだらしている……。

「ある意味ものすごく器用」

「いや……感心している場合なのかね? これは」

 素直に感想を述べるタバサに、ツッコむギーシュ。他の者達は呆れて声も出ない。この状況から、最も素早く立ち直ったのは才人だった。

「おい! 何やってんだよッ!!」

「見てわからぬか?」

「わかんねーから聞いてんだよッ!」

「ふむ。しょうがないから教えてやろう……だらだらしておるのだ」

「ふざけんなッ!!」

 剣を振り回し、いきり立つ才人。だが空を舞う太公望は全く動じない。それどころか、暢気に大あくびをしている始末。

「試合なんだぞっ! 攻撃しなきゃダメだろッ!!」

「なんでそんな面倒な真似をする必要があるのだ」

「攻めなきゃ勝てないからに決まってるじゃないか!」

 当たり前じゃないか、お前は何を言っているんだ。そう責める才人と、ようやく立ち直ってそれに同意する観客たち。しかし、そんな彼らに太公望はこともなげに言い放つ。

「別に、勝つ必要なんてないであろう?」

 才人の目が点になった。は? ナンデスト!?

「な、何言ってんだお前……」

「だから、わしがおぬしを倒す必要などないと言っておる」

「いや、そういう意味じゃなくてだな! ほら、お前タバサが出した条件飲んで、この試合受けたわけだろ!? いいのか、おい? ちゃんとやらないと、デザートもらえなくなっちゃうぞ!?」

 可哀想なくらいにわたわたしながら言う才人へ、

「わしが引き受けたのは、あくまで『おぬしの相手をする』ことであって、勝敗の結果や試合内容については何ら条件に含まれておらんのだ。だから、こうして攻撃の届かない場所で、時間がくるまでだらだらしておれば! それだけで!! 桃のタルトはいただきなのだ!!!」

 太公望からの、妙に力が籠もりつつ……それでいて無情な宣告が発せられる。

 ――やられた……全身を凄まじいまでの脱力感に襲われながら、タバサは思った。最初から、太公望は才人と戦うつもりなどなかったのだ。

「なんでもあり」という一見厳しいルールが実は隠れ蓑で、10分という時間制限を設けたことに意味があったのだと悟った。そう、試合というには長すぎず、短くもない制約をつけることによって、最小限の労力で引き分けに持ち込むための策――。

「そういうわけで、わしのほうからはこれ以上何もしない。才人よ、おぬしは別に遠慮する必要はないぞ。まあ、できるならとっくにやっておるだろうが」

 からからと笑い声を上げる太公望へ、思わずデルフを投げつけそうになった才人だったが、かろうじて踏みとどまった。太公望はああ言ったものの、剣を手放した瞬間、自分はただの高校生に戻ってしまうのだ。それに、太公望が本当に攻撃してこないという保証もない。

「なあデルフ。お前、天にかざしたら稲妻が落とせるとかそういう機能はないのか?」

 相棒に一縷の望みを託すも。

「……6000年生きてきて、長いこと剣をやっているが、たぶんない、と、思う」

 返ってきた結果は無惨だった。

「なんだよ! ひょっとして喋るだけかよ!?」

「何言ってやがるんだ相棒! そ、それだけのはずがねえじゃねえか!!」

「お、なんだ!? もしかして、すごい隠し機能でもあるのか?」

「あ……え……うん、あったと思うんだが……忘れた」

「使えねええええええええええ!!!!!!」

「ひでえええええええええええ!!!!!!」

 ――こうして、時は無情にも過ぎていき……結局、両者引き分けで試合は終了した。


「う~む、なんと言ったらいいのか……」

 正直コメントに困る試合だった……と、ギーシュは振り返る。うんうんと頷くキュルケに、頭を抱えるタバサ。あれが使い魔だなんて、タバサも大変ね……と、人ごとのように呟くルイズ。と、そこへ、剣を鞘へ収めた後も未だ納得のいかない表情の才人と、してやったりという顔をした太公望が戻ってきた。

「張り切ってた割に、随分とみっともない戦いだったわね」

 ルイズの口撃に、才人は何ら反論できなかった。ここ数日でつけたはずの自信に、大きくヒビを入れられた。

「でも……ふたりとも無事でよかったわ」

 その言葉に、才人が反応した。

「べべ、べつに、ああ、あんたの心配してたわけじゃ、なな、ないんだからね!」

 などという色々な意味で貴重な台詞は、しかし彼の耳には届かなかった。

 ――ふたりとも無事でよかった。

 才人は震えた。そうだ、俺が背負っているのは、他者を傷つけるための武器なんだ。昨日までは、相手が『ワルキューレ』……生命を持たない人形だったから、そんなあたりまえで、大切なことに気付けなかった。それを、いくら挑発されて苛立っていたとはいえ、一瞬でも投げつけようと考えた自分が怖くなった。

 もしも、アイツが空を飛ばずに、あの場に残っていたら――?

 そして、デルフを振り抜いていたら――?

 異世界に来て心細かった俺の、はじめてできた友達を――この手で斬ってしまったかもしれない。

 全身の力が抜けた。そのままがっくりと崩れ落ち、膝をつく才人。いったいどうしたのよ、と、慌てて近寄ってきたルイズに何も答えることができない。と、そんな彼の肩に誰かがぽん、と手を乗せた――太公望だった。その顔は笑っていたが、さっきまでのそれとは違って見えた。

「その様子ならば大丈夫そうだのう……ま、振り回されんように気をつけろ」

 ――引き分けなんかじゃなかった。

 それまで得意の絶頂にあった平賀才人は、こうして地上へと戻ってきた。


○●○●○●○●

「終わった後だから言うがな、才人にもちゃんと逆転の目はあったのだぞ」

 模擬戦を終え、寮塔へと向かう道すがら――太公望は突然そんなことを言い出した。

 そんなことはありえない――それは、才人を含め、そこにいた全員の意見が一致するところだ。才人は魔法が使えない。持っている武器も<インテリジェンス・ソード>とはいえ、あくまで剣に過ぎない。空高く舞う太公望に対しては無力だ。

「まさか、剣を投げつければよかった……なんて言わないわよね?」

 ルイズが問うた声に、ビクリと才人が身を震わせる。

「いや、それはない」

 なら、いったいどうやって!? 解答を求める5人に、太公望はフフンと鼻で笑って「よ~く考えてみるのだ」と言うと、さらに言葉を続ける。

「そもそもだな、才人がそのような真似をする人物であったなら、わしはあんなルール設定をしたりはせぬよ」

「ふうん……あんた、ずいぶんサイトのこと信用してるのね」

 どこか悔しそうな、それでいて僅かに自分の使い魔に対する誇らしさが込められたルイズの一言に、太公望はこともなげに返答した。

「信用ではない。信頼だよ、ルイズ」

 才人のことは、おぬしのほうが良くわかっているのではないか? そう言った彼の表情は、先程とはまるで別人のように真面目。でもどこかに優しさを感じるものであった。

 ……と、そんな太公望の言葉を聞いて、ルイズはあることを思い出した。これまで色々なことがあって、確認するのをすっかり忘れていたのだ。

「あんたたち、やっぱり召喚前からの知り合いだったのね!」

「は?」

「なぬ?」

 思ってもみなかったその問いかけに、目を白黒させる才人と太公望。

「いまさらとぼける必要なんてないわ。だいたい、その髪の色! 黒い髪なんて、このあたりじゃすっごく珍しいんだから。おまけに肌の色とか、顔の造りだって似てるじゃないのよ」

 タバサは、はっとした。ルイズの言う通りだ、どうして今まで気がつかなかったのだろう。メイジと平民。瞳の色や着ているものこそ異なっているが、同じ服を着せて横に並ばせたら、兄弟――サイトが兄で、彼より頭半分ほど小さいタイコーボーが弟だと言っても通用するのではなかろうか。

「いや、召喚された次の日の朝に、たまたま声かけられただけなんだけど」

「嘘よ! それだけで、あんなに仲良さそうに話しかけるわけないじゃない!!」

「ああ、それは……」

 才人は説明した――学院内を歩いているうちに、道に迷って困っていたところを、偶然通りかかった太公望に助けてもらったのだ、と。

 背中に乗せてもらったら、コイツものすげえ速さでビューンって飛んで、あっという間に目的地まで運んでくれてさ、そんで、お礼言わなきゃって思って慌てて名乗って……そんな風にひたすらあの日の感動を語る才人の言葉は、残念ながら最後まで綴ることはできなかった。

「なあサイト。ミスタ・タイコーボーの背中に乗って飛んだというのは本当かね?」

 そう問うたギーシュの声は、いつものそれと違い若干固くなっていたのだが……それに気がつくほど才人は鋭敏な感覚の持ち主ではなかった。

「え、こんなことで嘘ついたって仕方がないだろ」

 あはは……と笑った才人だったが、ここに至ってようやく気がついた。周囲の空気がなんだかおかしいことに。そんな彼を見て、ルイズがはあっとため息をつく。

「あんたは魔法をよく知らないから、仕方ないんだけど……」

 呆然としたルイズの後を継いだのはギーシュ。

「自分以外の『荷物』を抱えたまま<フライ>を維持するのは、ランクの低いメイジにとってはかなり難しいことなんだ。その上、高速飛行まで可能とは……」

 ギーシュの説明を、タバサが補足する。

「超高等技術。一緒に飛ぶだけならともかく、高速飛行なんてわたしにはできない」

 その場にいるメイジ達の視線が一斉に太公望へと向けられる。そして最後に、キュルケがとどめの一撃を繰り出した。

「つまり、ミスタ・タイコーボーは最低でも『トライアングル』。いいえ、最高位の『スクウェア』クラスのメイジと判断したほうが妥当ってところかしらね」

 場が静寂に包まれる。誰かが、ごくりと唾を飲み込む音がした。

「ええっと、この無知なわたくしめに教えていただけませんでしょうか、お嬢様」

 突然、使い魔モードに入る才人。

「なにを聞きたいのかしら」

 寛大なご主人さまが教えてあげるわ! と、言わんばかりにぺったらな胸を思い切り反らしたルイズを見て、頭の片隅で「せめてもう少しボリュームがあれば、こいつの見た目、俺の好み超ド級ストライクだったのにナ……」などと大変失礼なことを考えていた才人だったが、さすがにこの状況でそれを口に出すほど空気読めない子ではなかった。代わりに、先程挙げた質問を続ける。

「その『スクウェア』って、具体的にどのくらいスゴイんでしょうか」

「わたしのお母さまが、同じ風の『スクウェア』だけど……そうね、おもいっきり手加減して起こした竜巻で、このあいだ乗ったような馬車を空まで吹き飛ばす程度かしら?」

 ルイズの母親は、トリステインのみならず、このハルケギニア世界ですら『伝説』と称される域に達したメイジである。ハッキリ言って『一般的なスクウェアメイジ』への比較対象としては(能力的な意味で)全く相応しくないのだが、そんなことは才人にはわからない。

 「待ってクダサイ。俺、安全牌のつもりがまさかの大型地雷踏んでたんですカ!?」

 先刻の精神的敗北ですっかり参っていた才人は、さらなる事実を突きつけられ、あぐあぐと声にならない呻きを漏らした後……その場へ崩れ落ちた。

 ――この状況は、太公望にとって完全に想定外だった。

 まさか、自分の『飛行能力』がそこまで高く評価されるとは。初日に、タバサの<フライ>を見ていたせいで、ここではごく当たり前のことだと思い込んでいたのが太公望最大の敗因であった。こうなっては仕方がない、なんとか事態を沈静化せねばならぬ……彼は、己の脳細胞をフル回転させ、善後策を講じる。そして、1秒にも満たないわずかな時間で、今後の立ち位置を決定した。

「ばれてしまっては仕方がないのう。いかにも、わしは高位の<風使い>だ」

 スクウェアメイジ、とは言わない。あくまで自分は仙人なのだ。

「タバサは、うすうす感づいておったのではないかの?」

 小さく頷くタバサ。

「あなたの纏う<風>は異質。『ドット』や『ライン』ではありえない程に」

「ならば、何故わしがそれを黙っていたのかは……言わずとも理解できるであろう? ただでさえ、わしはここでは異邦人、目立つ存在だ。そんな者が強い<力>を持っているとわかったら、どうなる? 結果は容易に想像がつくであろう?」

 言葉を止め、そこにいる全員に思考を促す。太公望は――多少の騒ぎを起こすことはあったが、基本的に穏やかな存在だった。いつも真面目に授業を受け、図書館へ籠もり、部屋へ戻っても書をめくっていた。今日の模擬戦にしても、嫌々ながら受けたにすぎない。結局のところ、彼はこの地で静かに暮らすことを願っているのだ……と。

「そういうわけで、わしの<力>については他言無用に願いたい」

 頭を下げる。まあ、そういうことなら……と、素直に受け入れるギーシュ。だが。

「条件がある」

「わたしも同じく」

「タダで、っていうのは虫が良すぎるわよね」

 タバサ、ルイズ、キュルケの3人は納得しなかった。目を輝かせながら太公望へとにじり寄ってゆく。ようやくこの曲者をイジるチャンスが来たのだ、逃す手はないということだろう。

「ま、まあそう簡単にはいかぬと思っておったが……わしにどうしろと?」

 額に汗を流しながら後ずさる太公望に、

「試合を受けてもらいたい」と迫るタバサ。

「東方のメイジとしての視点から、自分の魔法を見て欲しい」と願うルイズ。

それを聞いて「東方の魔法について、色々と教えてもらいたいわ」と頼むキュルケ。

 彼女たちから一斉攻撃を受けた太公望は、必死の抵抗を見せるも遂には折れ――試合はお互いに怪我をさせない程度のものに留める、ルイズの魔法を見たり、自国の魔法について話をするのは、ここにいるメンバー以外の誰にも見られない場所で行う――という条件を付けることで、それを飲んだ。

 ちなみに「ついで」ということでギーシュと、ようやく立ち直った才人も仲間として迎えることを併せて承諾した。

「ところで、例の答えを教えてもらえるかしら?」

「なに、簡単なことだ。さっきのおぬしたちのように、集団で挑んでくればよかったのだよ」

 ルイズが最初の質問――どうすれば才人に逆転の目があったのかに言及すると。太公望は、まるでなんでもないことであるかのように解答した。

 『制限時間10分、先にまいったと言わせたほうが勝ち』

 そう、このルールには『ひとりで戦わなければいけない』などという縛りはなかったのだから、あの場で観戦している者達に手助けを乞えば良かったのだ、と。

「もっとも、そんなことになったら……わしは制限時間いっぱい逃げることに全力を尽くしていたがのう」

 と、笑う太公望に、一同はなんともいえない視線を投げることしかできなかった。


 ――まあ、このへんが落としどころかのう。

 それぞれの部屋に戻った後。寝床の中で、太公望は独りごちた。思わぬところから自身の持つ『能力』に興味を持たれてしまったが、そろそろ授業以外の場で実践的な魔法を見たいと思っていたところだし、ちょっとした試合をする程度なら問題ない。それに、彼女たちの出す要求を最後まで渋ったことで、面倒ごとを嫌うという印象を強化できた。おまけに望んでいた条件を付けられたのだから、これでよしとしよう……。

 ひとり納得し、眠りについた太公望の遙か頭上では、まだふたつの月が輝いていた――。



[33886] 【始まりの終わり】第8話 土くれ、学舎にて強襲す
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/09/30 14:58
 ――明けて翌朝。

 太公望が目を覚ますと、真上から己の顔をのぞき込んでいたタバサと目が合った。

「やっと起きた」

「……いつもと変わらぬ時間のはずだが」

 太公望はよっこらせ、というかけ声と共に身体を起こし、上半身を伸ばした。そしてようやくタバサのほうに視線を向けると、既に着替えを終えていたらしい彼女は、膝を揃えて畳み、彼の枕元に座っていた――『杖』を持って。

 そういえば。昨日の夜、彼女と試合することを承諾していた。まさか、これから一戦やりたいなどと言い出すのではあるまいな。太公望は、内心冷や汗をかいた。

 彼はふと、崑崙にいた仲間のひとりである宝貝人間を思い出す。自分より強い者を見ると、見境なく挑みかかるバトルマニア。タバサは彼のようなタイプではないと思うのだが……いや、そういえばめったに感情を表さないことといい、言葉少なであることといい、微妙に特徴がかぶるというか……。

 高位の<風使い>などと言ってしまったのは失敗だったかのう……と、思わず頭を抱えそうになった太公望を思考の谷間から引き戻したのは、彼の寝間着の袖を掴み、くいくいっと引くタバサ。

「早く着替えて」

「いったい、何をそんなに急いでおるのだ?」

 内心、頼むから早く戦いたいとか言わないでくれ……と願っていた太公望だったが、その祈りはどうやらこの世界の『始祖』に届いていたようだ。

「もうすぐ、日が昇る」

 すっ、と窓を指差したタバサがぽつりと言い、太公望の目をじっと見つめる。

「空」

 ああ、そういうことか。太公望は理解した。

「わしの背中に乗って、日の出が見たいと?」

 こくこくと首を小さく前後に揺らすタバサ。こんな、玩具箱を目の前にした幼子のような態度で頼まれてしまっては、さすがの彼も断れない。苦笑いをして頷く。

「すぐ支度する。待っておれ」

 ――それから数分後。ふたりは窓の外へ飛び出した。


○●○●○●○●

 ――それは、まさに幻想的な光景だった。高度3000メイル。地平線の向こうから顔を出す太陽は、神々しいまでの輝きを放っていた。遙か下界に望む魔法学院は、まるで玩具の城のようにこじんまりとして見える。

 頬に当たる風が心地よい。風竜もかくやという速度で飛び続けているにも関わらず、向かい風の影響がその程度にしか感じられないのは、彼が周囲に張っているシールドのおかげだろう。

 タバサは、本気で驚いていた。まさか<フライ>でこれほどの速度が出せるとは、思ってもみなかったのだ。そして考えた。自分という『荷物』を乗せてなお、この速さを維持できるということは、ひとりで飛んだら……たとえ風竜の全力をもってしても、彼に追いつくことは敵わないのではないだろうかと。

 この<力>を借りることができたら――そこまで考えて、彼女は思い直した。確かに彼はわたしの使い魔だ。しかし『事故』で無理矢理言葉すら違う異郷へと連れてこられた無関係の人間でもある。こうして側にいてもらえるだけでもよしとしなければいけないのだ。

 それに……彼は争いを好まない。だからこそ、これまで自分の力量をひた隠しにしてきたのだろう。にも関わらず、手合わせを了承してくれた。スクウェアクラス、しかも異国のメイジと杖を交えることができるなど、得難い機会。そして、彼はほぼ間違いなく実戦を経験している。そんな相手と戦い、語り合うだけで、いったいどれほどのものが得られるか――それ以上を求めるのは、いくらなんでも贅沢というものだ。思わず、太公望の肩を掴んでいた手に力が込もる。

「どうした、もしや寒くなってきたかのう?」

 返ってきた反応は、暖かかった。

「大丈夫、なんでもない」

 タバサは思った。これで充分。こんな風に空を飛べただけで――。

 その後10分ほど空中遊覧を楽しんだふたりは、ゆっくりと寮塔5階にある自室へと舞い戻った……のだが。

 またもや<アンロック>で部屋に突入していたキュルケ・ルイズ・才人の3人――キュルケと才人はタバサ同様、空への誘惑に抗えず待ちかまえていたらしい。ルイズは別の用件があったようだが――に見咎められてしまい。太公望はさんざん理屈を突きつけられた挙げ句、何度も空と地上を往復させられる羽目になり。

 ――全員が満足するまで飛ばされ続けた太公望は、その後夜まで起き上がれなかった。


○●○●○●○●

 ――太公望が召喚されてから2回目の虚無の曜日、その夜。

 トリステイン魔法学院の本塔。その外壁に、漆黒のローブを纏った人物が『垂直に』立っていた。壁に靴底をつけ、悠然と佇むその姿には、ある種の風格すら漂っている。

「情報じゃ、物理攻撃が弱点らしいけど……こんなにぶ厚かったら、ちょっとやそっとの魔法じゃどうしようもないねえ」

 その不審者は、足の裏から伝わってくる感触で塔外壁の状態を調べていたのだった。

「確かに<固定化>の魔法以外はかけられていないようだけど……」

 新たに<錬金>を重ね掛けすることによって、それを無効化しようとしたのだが、一切掛からなかった。

 おそらく『スクウェア』クラスのメイジが、この壁に<固定化>を施したのであろう。それよりもワンランク落ちる『トライアングル』たる自分には、到底手が出せない。壁の上に立つ人物は、そう判断した。

「とてつもない試練を乗り越えて、やっとここまで来たってのに……ッ!」

 小声でそう呟きながら、ぎりっと歯噛みする。

「かといって『破壊の杖』を諦めるわけにゃあいかないね……」

 その場で腕を組み、深く悩み始めたこの人物こそ……今宵の主賓である。ただし、頭に『招かれざる』という注釈がつくのだが。


 ――いっぽうそのころ。タバサの部屋では騒動が持ち上がっていた。

「この状態のわしにモノを頼もうなどとは……おぬしは鬼か」

 寝床の中から上半身だけを起こした太公望がぼやく。部屋の主であるタバサも、珍しくその瞳にはっきりとした怒りの色をたたえている。

「そ、それは、や、やりすぎちゃったとは思ってるんだけど」

「思ってるだけかい!」

 ガーッ! と、大口開けて威嚇する太公望の姿にさすがに焦ったのであろう、才人は、主人のマントの裾を掴むと、軽く引っ張った。

「ごめん、やっぱ無理だよな。ほら、帰るぞルイズ」

 今回騒ぎを持ち込んだのは、ルイズと才人の主従であった。せっかくの虚無の曜日、太公望の気が変わらないうちに、東方の技(?)で自分の魔法について調査してもらいたい……。

 そう考えたルイズは、彼と仲の良い才人を連れて、朝早くにタバサの部屋を訪れたのだが。キュルケと才人たちの悪ふざけに乗っかってしまった上に、空を舞う楽しさにうっかり我を忘れた結果……肝心な用件を伝える前に、太公望は倒れてしまったのである。

「まあ、おぬしの事情はわかった。約束だからのう、わしなりに調べてやってもよい」

「ホント!?」

 ぱっとルイズの顔が輝く。

「だが、さすがに今日のところは無理だ。回復し次第見てやるから、しばし待て」

「そ、そうよね。あ、えっと……ごめんなさい」

 素直に詫びるルイズの姿に驚いた才人とタバサが目を丸くする。そんな彼らを見て、さすがの太公望も怒る気が失せたらしい。やれやれ、と疲れたように口を開く。

「だが、過度な期待は禁物だぞ。これまで誰にも失敗の原因がわからなかったおぬしの魔法について、わしが正しく答えられるとは限らぬのだからな。むしろ、解明出来なくて当たり前。そのくらいの覚悟はしておいて欲しい」

 その言葉に、ビクリと身体を震わせるルイズ。しかし、気丈にも声を絞り出す。

「……ええ。王立アカデミーの研究室にいる姉さまにもわからなかったんですもの。覚悟はできているわ」

 その答えに満足したのか、太公望はしっかりと頷いた。

「ならば……」

 ドゴォォォオオ……ン。

 だがしかし、その言葉は外から聞こえてきた突然の轟音によってかき消される。いち早く異変に反応し、窓の側へと駆け寄ったタバサは見た。

 ――本塔のすぐ側。月明かりの下に、巨人が顕現しているのを。


○●○●○●○●

 突然の轟音と、部屋にまで響く衝撃に驚いたタバサは、急いで外を見た。そして確認した。本塔脇の中庭に、巨大なゴーレムが立っているのを。あれは、まさか……。

「土くれ」

「何だ、それは」

「最近、この国を中心に暴れ回っている盗賊。あなたはそこにいて」

 未だ起き上がれない太公望へそう告げると、タバサは杖を持って、窓から勢いよく空へ飛び出した。だが、そのとき部屋から飛び出したのは――窓ではなく廊下の扉からだったが――タバサだけではなかった。ルイズは『土くれ』という名前にいち早く反応していた。

 彼女は、その名を聞いたことがあった。強力な土魔法を用いて、頑丈な建造物や金庫の壁をただの土塊に変え、奥に納められた魔法の宝物を盗み出すという、神出鬼没の大怪盗――それが『土くれ』のフーケだ。とある貴族の屋敷に伝わる家宝のティアラを盗んだとか、王立銀行を白昼堂々襲撃したといった噂話が、まことしやかに流されている。

 ただし、どんなに金を持っていても、平民の元へは決して押し入ることなく、あえて貴族の財宝だけを狙うことから、一部の平民たちからは『義賊』などと持て囃されていた。それがまた、貴族たちにとって癪の種となっている。

「『土くれ』がここに来たってことは……!」

 魔法学院本塔にある宝物庫狙いに決まっている。なら、自分がするべきことはひとつしか考えられない。ルイズは、中庭へ向かって駆け出した。そんな彼女を、才人は慌てて呼び止めた。

「おい、どこ行くんだよ。まさか……」

「そのまさかよ」

「あんなデカいの、お前ひとりでどうするっていうんだ!」

 慌てて制止しようとする才人を振り払う。

「貴族は、そのためにいるのよ!」

 彼女のどこまでもまっすぐなその姿勢は、才人にはとても眩しく見えた。ルイズの手助けがしたい――彼はこのとき初めて、心の底からそう思った。

「使い魔は、主人の盾になるんだろ。デルフ取ってくるから、出口で合流しようぜ」

 そして、すぐさま相棒を背負って玄関へ駆けつけた才人と、同じく外の轟音に気がついて駆けつけてきたキュルケを加えた3人組は、互いに憎まれ口を叩きつつも、ばたばたと事件現場へ向かって急行した。

 ――結論から言えば、彼らの行為は無駄にはならなかった。ただ残念なことに、怪盗捕縛という結果ではなく、より事態を複雑にしてしまったという意味において……だが。


「くそッ、ここで諦めてたまるもんかい!」」

 『土くれ』の2つ名で呼ばれ、トリステイン国内はおろか、隣国までその名を轟かせる大怪盗フーケは、珍しく焦っていた。

 ウルの月――フレイヤの週、虚無の曜日。

 この日、学院長のオスマン氏が所用でトリスタニアの街へ出向く。学院最高責任者にして、いちばんの使い手である彼が、1日中不在となる――その情報を元に、決行の日を定めたはずだったのだが……想定以上に、目標のガードが堅かった。

 得意の<錬金>は、やはりこの宝物庫を護る壁には通用しない。しかし、この場でぐずぐずしていたら、人目に付く危険性がある。こうなれば最後の手段とばかりに、フーケは人型のゴーレムを生成した。全長30メイル、土製とはいえ城攻めすら可能な『土くれ』自慢の巨大ゴーレムだ。

 そのゴーレムの拳で、目的の場所――宝物庫の外壁を殴る。殴る。殴る。だが、ビクともしない。拳の部分を鉄に変えて、さらに衝撃を与え続けてみた。が、ヒビひとつ入れることができない。

「ちッ。逃走後のことを考えると、これ以上<精神力>を使うのは危険だ。悔しいけど、引くしかないのか……?」

 その時、思わぬ事態が発生した。突如、ゴーレムの脇――1メイルほどの位置が大爆発し、そこに亀裂が入ったのだ。しかも、ご丁寧に周囲の<固定化>まで解除されている。即座にそれに気付いたフーケは、ニヤリと嗤った。

「誰だか知らないが、ご協力感謝するよ」

 このチャンスを見逃す手はない。生じた亀裂めがけてゴーレムの拳を振り下ろす。バカッという音と共に、人ひとりが通り抜けられるほどの穴が開いた。フーケはゴーレムの腕を伝い、宝物庫内部へと進入した。中にはたくさんのお宝――<マジック・アイテム>が納められていたが、今回の目標はただひとつ。さまざまな杖が立て掛けられた一角。その中に、どうやっても杖には見えない品がある。フーケは、それを手に取ると、急いでゴーレムの肩に飛び乗った。

 去り際に、杖――今回持ち出したブツではなく、愛用のものをさっと一振りすると、宝物庫の内壁に文字が刻まれた。

 『破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』

 そして、フーケは闇夜の中へと消えていった――。

「あれは、どういうこと?」

 窓から飛び出した後、ゴーレムからの死角となる建物脇の植え込みに身を隠しつつ、密やかに件の巨大ゴーレムへ接近しつつあったタバサは、突然の事態に眉をひそめた。

 それまで、巨大ゴーレムの攻撃にびくともしなかった本塔外壁。そこにルイズの失敗魔法が――ゴーレムの肩に乗っていた人物に当てようとして外したのだと思われるそれが直撃した瞬間。あれだけの強度を誇っていた壁に、大きな亀裂が走ったのだ。ついに攻撃に耐えられなくなったのか? それにしては――。

 いや、検証している場合ではない。今自分が行うべきは、早急にゴーレムを使役しているメイジ――おそらくは、あの肩に乗っている黒いローブを纏った人物。それを確保することだ。タバサは即座に思考を切り替え、行動に移った。

 だがしかし、その作戦は失敗に終わってしまった。何故なら、それから間もなくして目標物――巨大ゴーレムが突如音を立てて崩れ落ち、それと共に舞い散った大量の砂煙が、彼女の視覚を完全に遮ってしまったからだ。

 視界が晴れると、そこには堆く積み上がった土――元はゴーレムであっただろうそれが小さな山を形成しており、黒いローブを着たメイジの姿は、跡形もなく消え去っていた。


○●○●○●○●

 ――翌朝。トリステイン魔法学院は、喧噪に包まれていた。

 魔法学院内で厳重に保管されていた秘宝『破壊の杖』が、昨今噂でもちきりの怪盗『土くれ』のフーケによって盗まれてしまったからである。しかも、巨大なゴーレムを用い、その腕力でもって保管場所の壁を破壊するという、大胆不敵な方法によって。

 事件現場となった宝物庫には、学院中の教員たちが集まっていたが――事態は昨夜から何ひとつとして動いていなかった。何故なら……。

「衛兵は何をしておったのだ! やはり平民など当てにならん」

「それより、当直の貴族は誰だったのだね!?」

 と……彼らはこんなふうに、ずっと責任のなすりつけあいに汲々としていたからだ。

 ――わたしたちは、何のためにこの場へ駆り出されたのだろう。

 タバサは冷めきった目で周囲を観察していた。なにせ、昨夜の事件を目撃した者のひとりとして招集を受けたにもかかわらず、未だに事情聴取すら行われていないのだから。

 同じく呼び出された面々はと見ると、キュルケは欠伸をかみ殺した表情で側の壁に寄りかかっていて。才人は物珍しそうに辺りを見回しており。ルイズは俯いて、小さく肩を震わせていた。こんなことなら、彼を部屋に残してきたほうが良かったかもしれない。自分の横に腕を後ろ手に組んで立つ、未だ顔色の優れぬ太公望に、タバサは心の中で詫びた。

 それから約10分ほどして――その日の当直であったにも関わらず、部屋で眠ってしまっていたミセス・シュヴルーズが槍玉に挙げられたちょうどその時、押っ取り刀でトリスタニアの街から戻ってきたオスマン氏が現れた。唾を飛ばしながらシュヴルーズを責める貴族たちを一瞥した後、彼はこう述べた。

「この中で、まともに当直をしたことのある教師は、いったい何人おるのかな?」

 コルベールが軽く片手を挙げた以外、誰も反応しない。それどころか、顔を伏せて目立たぬようにする者までいる始末。唯一応えたコルベールが、逆に驚いている。

「さて、これが現実じゃ。責任を追及するというのなら、コルベール君を除く全員……もちろんわしも含めて、ということになる」

 宝物庫の中に、重い沈黙がのし掛かる。

「皆、この魔法学院が賊に襲われるなどとは思ってもおらなんだ。なにせ、国内で王宮の次に多くのメイジが集っておる施設じゃからのう。しかし、その認識が間違いだったということは、これが証明しておる」

 オスマン氏は、宝物庫の壁に開けられた穴に目をやった後、再び視線を室内に戻す。

「で、犯行の現場を見ていた者達がいると聞いてきたのだが?」

「この3人です」

 オスマン氏の質問に、コルベールが前へ進み出て応える。自分の後ろに控えていたタバサ・ルイズ・キュルケの3人を指差した。才人と太公望も側にいたが、才人は使い魔なので数に入っておらず、そもそも太公望はただの付き添いなので、目撃者ではない。

「ほほう……君たちかね」

 オスマン氏は、興味深そうに才人と太公望を見つめた。才人はどうして自分がじろじろ見られているのかわからず、しかしどうやら相手が偉い人物だということは理解していたので、姿勢を正して畏まった。太公望はというと、一瞬ピクリと眉を動かしただけで、特に何もしなかった。

 その後、ようやく事情説明に入る。代表として前へ進み出たルイズから、襲撃当時の状況について詳しい説明を受けたオスマン氏は、深々とため息をついた。

「後を追おうにも、手がかりなしという訳か」

 立派な白髭を撫でつけながら何事かを考えていた彼は、ふとこの場にいるべき人物の姿が見えないことに気がついた。

「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」

 本来、オスマンの補佐をしてしかるべき彼の秘書、ミス・ロングビルがいないのだ。その場にいた教師たちに行方を尋ねるも、要領を得ない答えが返ってくるのみ。一体彼女は何をしているのか……。

 と、まさに『噂をすれば影が差す』という諺を実証するようなタイミングで、問題の秘書ミス・ロングビルが姿を現した。

「申し訳ありません、今朝から調査しておりましたの」

 彼女曰く。朝起きたら学院中が針でつついたような騒ぎになっていた。何事かと駆けつけてみれば、本塔に明らかな異変があり。もしやと思い宝物庫へ急ぐと、壁に書かれたフーケのサインを見つけた。これは国中を騒がす大盗賊の仕業かとおののきながらも、自分にできる仕事――事件の調査を開始したのだという。

「仕事が早いのう、ミス。で……結果は?」

「はい。フーケの居所がわかりました」

 室内中から、おおっという感嘆の声が漏れる。

「どこからそれを調べ上げたんじゃね? ミス・ロングビル」

「はい、近隣の農民たちから聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒づくめのローブの男を見たそうです。おそらくですが、そのローブを着た男がフーケで、廃屋は彼の隠れ家なのではないかと判断しました。ですので、こうして急ぎお知らせをと」

 それまで後ろに控えていたルイズが叫んだ。

「黒ずくめのローブ!? それはフーケです、間違いありません!!」

 オスマン氏は、目に鋭い光を宿し、ロングビルに尋ねた。

「そこは、近いのかね?」

「はい、徒歩で半日。馬で4時間といったところでしょうか」

 それを聞いた教師たちが、口々に叫び出す。王室に報告して、兵を差し向けてもらうべきだと。しかし、オスマン氏の考えは違っていた。彼はため息をついて首を振ると、教員たちを一喝した。年齢にそぐわぬ大音声であった。

「馬鹿もの! 己の身にかかる火の粉を払えぬようで、なにが貴族じゃ! 魔法学院の宝が盗まれたのだから、これは魔法学院の問題じゃ。当然我ら自身の手で解決する!!」

 ミス・ロングビルは微笑んだ。まるで、この答えを待っていたかのように。


○●○●○●○●

 ――ルイズには、現在の状況が不思議でならなかった。

 ここに勢揃いしている教員たちは、全員が『トライアングル』以上の優秀なメイジだ。入学式のとき、そのように説明を受けた。つまり、落ちこぼれで、いつも魔法を失敗してばかりいる自分などよりも、ずっと優れた『貴族』であるはずなのだ。

 にも関わらず、学院長がフーケ討伐隊の有志を募っているというのに、誰も杖を掲げ、我こそはと名乗り出ようとしない。それが、ルイズには全く理解できなかった。何故なら彼女は、幼い頃からずっと、

「貴族は民の模範たるべき存在であり、決して敵に後ろを見せてはならない」

 そのように親から教わり、育てられてきたからだ。

 気がつくと、ルイズは――自分の顔の前に、すいと杖を掲げていた。

「ミス・ヴァリエール! あなたは生徒じゃないですか。ここは教師に任せて……」

 ミセス・シュヴルーズが驚いて彼女を思いとどまらせようとしたものの。

「誰も掲げないじゃないですか」

 ルイズの反論を受け、黙り込んでしまった。そんなやり取りがあってもなお、誰も杖どころか声ひとつ上げない。

 どうして? わからない。昏い感情が渦のようになって、ルイズの心の中でぐるぐると廻っていた。いいわ、それなら……わたしひとりでも。そう言葉を紡ごうとした途端、1本の杖が掲げられた。

「ふん、ヴァリエールには負けられませんわ」

 キュルケだった。

 ツェルプストー家の女。ヴァリエール家にとっては、数百年以上も前から国境を挟んで睨み合ってきた、憎き仇敵……そのはずだ。そんな彼女につられたように、もう1本、杖が掲げられた。今度はタバサだ。

「心配」

 ルイズはふと思い当たった。そういえば、最近はよく彼女たちと行動を共にしてきた気がする。ついさっきまで、どす黒い感情が渦巻いていたルイズの心の内に、ほんのりと暖かい何かが灯った。

「ありがとう……」

 ルイズの口から、自然と礼の言葉が紡ぎ出された。

 そんな彼女たちの様子を見ていたオスマン学院長の表情が緩んだ。オールド・オスマンは小さく笑って、少女たちに向かって言った。

「そうか、それでは君たちに頼むとしよう」

 ――わたしは、この期待に応えたい。そのためには、なんだってしてみせる。ルイズは心の中でひとり静かに誓いを立てた。

「そんな! わたくしは反対ですわ! 生徒たちを、そんな危険に晒すだなんて」

 生徒たちだけで盗賊討伐へ赴く。この異常事態に声を上げたのは、ミセス・シュヴルーズただひとりだった。もっとも、その彼女も自分が行くかと問われた末、体調不良を理由に辞退したのだが。

 オスマン氏がちらりとタバサに視線を向けた。

「ミス・タバサは若くして『シュヴァリエ』の称号を持つ騎士だと聞いておる」

 タバサは、返事もせずにぼけっと突っ立っている。教師たちは驚いたように彼女を見つめた。親友であるキュルケも、初めて知ったというような顔をしている。

「シュバなんとかって、何?」

 小声で聞いてきた才人の問いに、これまた小さくルイズが答える。

「王室から与えられる爵位のことよ。爵位としては最下級の称号だけど、国から認められるような業績を挙げないと手に入らない……実力の証拠」

「そしてその使い魔は……東の彼方、ロバ・アル・カリイエから召喚されたメイジにして<風>と<火>の使い手だという報告を受けておる」

 場がどよめく。

「……火?」

 ポツリと……しかし咎めるような口調で呟いたタバサに。

「薪占いの件、まだ根に持っとるんかいあの狸ジジイ! ああ、ちなみに触媒使ってやっと火花を起こすのがせいぜいであるので、そっちには期待しないで欲しい」

 表情を全く動かさず、囁くように答える太公望。ちなみに、これは彼がハルケギニアに来てから自分の能力について述べたものの中において、珍しく本当のことだ。かつて火属性の宝貝を手に入れた際もうまく使いこなすことができず、武器の扱いに長ける仲間に譲ってしまったほどである――閑話休題。

 次に、オスマン氏はキュルケを紹介した。

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を多く輩出した家の出で、彼女自身も火の『トライアングル』と聞いておるが?」

 キュルケは得意げに、髪を掻き上げた。

「そして、ミス・ヴァリエールは、その……数々の優秀なメイジを輩出した公爵家の息女で、あー、なんだ。将来有望なメイジと期待しておる」

 すると、オスマン氏の言にかぶせるように、コルベールが口を挟む。

「しかも、その使い魔は伝説のガンダー……うぐ」

 オスマン氏は、なにやら慌てた様子でコルベールの口を塞いだ後、集まった教師たちを見回して尋ねた。

「彼らに勝てる者がいるというのなら、前に出たまえ」

 ――出て行った者は、誰ひとりとして居なかった。

「まあ、そうですよネ。メイジ優遇社会ですもんネ……」

 ついに自分が紹介される! と、胸を張っていた才人は、あっさりと流されてしまったことに肩を落とす。オスマン氏は5人に向き直ると、朗々と告げた。

「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」

 ルイズとタバサとキュルケの3人は、真顔になって直立し、唱和した。

「杖にかけて!」



[33886]    第9話 軍師、座して機を待つの事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/07/15 21:07
「では、改めて情報を整理するぞ」

 学生(+α)によるフーケ討伐隊が結成されてから間もなくして。宝物庫内に集められていた教員たちは、それぞれの職務へと戻り……関係者のみがその場に残って作戦会議を開いていた。

 会議参加者はタバサ、ルイズ、才人、キュルケの4人と、議長役の太公望。彼らに協力を申し出たミス・ロングビルの計6名である。

「ねえ。なんでミスタ・タイコーボーが仕切ってる訳?」

 形の良い眉をへの字に曲げて不満を口にするルイズに、タバサが応えた。

「わたしが頼んだ。最適の人選」

「そ、そうかもしれないけど……」

 使い魔召喚の儀から既に2週間。これまでの経緯もあり、ルイズは太公望――タバサの使い魔の作戦立案能力に疑いを持っているわけではない。だが、これは魔法学院の、ひいてはトリステインの問題なのだ。つまり、トリステインの貴族が責任をもって取り仕切るべき。そう主張したのだが。

「俺はタイコーボーがいいと思う」

「あたしも」

「わたくしは協力者ですので」

 うぐぐ……と、言葉に詰まるルイズ。他の全員が納得しているのに、これでは自分だけが聞き分けのない子供みたいじゃないか。そう考え、なんとか心に折り合いをつけた。

「わ、わかったわ。べ、べつにあんたが気に入らないって訳じゃないのよ」

 渋々了解したルイズに、うむ、と頷く太公望。

「任されたからには、きっちりと仕切ってやるわ。さて……ミス・ロングビル、でよかったかのう? もういちど、おぬしが得てきた情報について確認させてもらう」

「はい、何でもお聞きください」

「情報提供者は、近隣に住む農民。黒いローブをまとった賊とおぼしき男が、近くの森の奥に建っている廃屋に入っていくところを見た。場所は、ここから馬で4時間ほどの深い森の中。これで間違いないかのう?」

「ええ、間違いありません」

 ロングビルの返答を聞き、なるほど……と、目を閉じてしばし考え込む太公望。

「で、その場所は、学院側から見てどの方向にあるのだ? また、廃屋近辺の地形――たとえば、足元が岩場であるとか、廃屋は全部で何軒あるのか、どれほどの規模なのか、その廃屋が何で造られた建物であるのか、周囲の場は開けておるのか、そういった類の情報について、何か聞いてはおらぬかのう?」

 この太公望の発言に、慌てたように答えるロングビル。

「えっ!? あ、そ、そ、それでしたら学院から西の方角にあるようです。廃屋は木こりが使っていたという小屋で、一軒。それなりに深い森の中の、少し開けた場所に建てられていて……地面は、ええと、ごくありきたりな土だったはずです。申し訳ありません、さすがにこれ以上のことはわかりませんでした」

 彼女の答えに、ほうっと声を上げた太公望。その顔には笑みが溢れていた。

「謙遜する必要はない! こんな短時間で、そこまで聞き出してくるとは……随分と仕事のできる御仁だのう。あの狸ジジイの秘書なんぞにしておくには、正直惜しい人材だ」

 そんな太公望の言葉に、うんうんと頷いて賛同する一同。全員に褒められて悪い気はしないのであろう、ロングビルは恥ずかしそうに微笑んでいる。

「おぬしのおかげで、いくつかのことがわかった。まず、敵は複数犯。また、その廃屋にいる可能性はほぼゼロ。さらに、盗まれた品は既に他の場所へ運ばれているであろう」

「えーっ!!!」

 驚く一同。ミス・ロングビルの笑顔は引きつっていた。

「あ、あの、どうしてそう思われたのか、教えていただけますか?」

「人目を忍ぶ盗賊が、わざわざ黒いローブを着て移動していた、これがひとつ。本気で逃げるつもりなら、そんなあからさまに怪しい服なぞ脱いでおる。見つけてもらいたいから、そんな真似をしておるのだと判断した」

「その男が囮」

 タバサがポツリと補足する。

「そういうことだよ。おまけに、深い森の中の一軒家、だと? そんな不便な立地、しかも近隣の住民に出入りする姿を見られるような場所を、隠れ家なんぞにするわけがないわ! これがふたつ目の理由といったところだ。目立つ囮を立てて、本命は今頃ゆうゆうと別の場所へ向かっておるのだ。さすがは諸国に名を轟かす怪盗といったところかのう」

 一挙に畳み掛けた太公望の説明に、言葉を失う討伐隊メンバー。せっかくフーケの足取りが掴めたと思ったら、それが目くらましだと断言されてしまったのだ。その反応は当然だろう。

「あっ、あの、すみません、実はその付近でゴーレムを見たという情報も」

 突然、思い出したように情報を追加したロングビルであったが、太公望はあっさりとその言を斬り捨てる。

「なるほど、ますます囮確定だ。と、いうわけでその廃屋には向かうだけ無駄であろう。残念な結果になってしまったが、この上はすみやかに王室なり国の役人なりに被害を報告すべきだとわしは考える」

「む、無駄とは思えません! 囮だとしても何か手がかりが残っているかも」

「そうよ! そんなの、行ってみなきゃわからないじゃない!!」

 会議参加者を見回しながら意見を述べた太公望に強く反論したのは、ミス・ロングビルと、ルイズのふたりだった。

「わしは、無駄足になるだけだと思うのだが……」

 腕を身体の前で組み、渋い顔をする太公望に声をかけたのはタバサ。

「なら、あなたは行かなくてもかまわない」

「た、タバサ!?」

「どちらにせよ、いまだに体調が万全ではないあなたを連れて行く気はなかった。学院長へはわたしから謝罪する」

「うぬぬぬ……そこまで言うなら止めはせぬが……」

 ううむと唸りながら答える太公望。と、何かを思い出したかのように彼はぽん、と手を打った。

「そういえば……破壊の杖を、実際に見たことがある者はおるか?」

 タバサ、ルイズ、キュルケ、ロングビルの4人が手を挙げる。

「ふむ……この4名が知っておれば大丈夫だろうが、才人にも覚えておいてもらおう。まさか例の廃屋に隠されていたりはしないと思うが、念のためだ。誰か、簡単なものでかまわぬから絵図を描いてはもらえぬかのう?」

 その言葉に応えたロングビルによって描かれたそれは、どう見ても杖だとは思えなかった。長い円筒形のそれについた複数のパーツ。才人は、これと非常によく似たものに覚えがあった。しかし、まさか『アレ』がこの魔法世界にあるとは思えない。

「ほう、上手いものだのう……で、これの大きさは?」

「確か長さは7~80サント、太さは7~8サントくらいだったと思います」

「なるほど。特徴的な見た目であるし、これなら間違えることもないであろう。しかし……これは、本当に『杖』なのかのう?」

 首をひねる太公望に、

「杖……なのではないでしょうか? わたくしも詳しくはわかりませんが」

 うん、きっと気のせいだ。そう結論付けた才人は、さらに続く説明を、ぼんやりと聞いていた。


 ――それから10分後。

「わたしたちは、学院長に報告してくる。あなたたちは門で待っていてほしい」

「では、わたくしは馬車を用意して参ります」

 学院長室へ向かうタバサと太公望、厩舎へと急ぐロングビルを見送ったルイズ・才人・キュルケの3人組は、揃って学院の門へと歩を進めていた。

「あ~あ、こんなことになるんなら、昨日あんな悪ノリしなきゃよかったわ」

「だよなあ。タイコーボーが来られないって、戦力的にも痛いよな」

 結局、件の廃屋へ向かうメンバーに太公望は同行しないことになった。当初は不満を持っていた一部のメンバーも、会議終了後、その場にへたり込むように膝をついてしまった彼の姿を見てしまっては、文句など言えようはずがなかった。

「なに言ってんのよ! そもそも、あいつに頼っちゃいけないのよ。これはわたしたちの問題なんだから!」

「話を逸らすんじゃないわよ。あなただって楽しんでいたくせに」

「うぐ……あんたこそ、文句言うなら来なきゃよかったじゃないのよ!」

 その後、校門へ到着してもなお続く彼女たちの口論は、才人が仲裁に入っても終わらず、タバサとミス・ロングビルが合流するまで繰り広げられたのであった。


○●○●○●○●

「あの小屋ね」

 鬱蒼と茂る森の中に、ぽつんと開けた空き地。その中央に、一軒の廃屋が建っていた。ロングビルの情報通りである。5人は、小屋の中から見えない位置に身を潜めたまま、タバサの指揮に従って互いの役割を確認する。

 現地に着いたら何をするかについて、彼らは馬車での道中に相談済みだった。もしもの時のために、まずは偵察兼囮を放つ。そして、フーケがいた場合は外へおびき出し、姿を見せたところへ魔法で一斉攻撃をかける。

 ちなみに、名誉ある斥候として指名されたのは才人だった。彼は当然のごとく不満を表明したが、タバサから全員の中で最も素早く、接近戦になった場合の剣の腕を買っているからだと説明されると、表情を引き締めて頷いた。だが、その口端はほんの少しだけ上がっていた。

 中に誰もいなかった場合は、実戦経験を持つタバサと、フーケと同じ<土>のメイジであるロングビルが外で周囲を警戒。残りは屋内に手がかりが残されていないかどうか調査を行う。何か発見したら、すぐさま知らせる――以上が、タバサが中心となって提案し、決定した作戦内容である。

「あの……わたくしは、周囲の様子を偵察してこようと思うんですが」

「却下。この状況で、戦力を分散させるのは全員の危険に繋がる」

 ミス・ロングビルの提案に、即座に反論するタバサ。

「で、でも、もしフーケが遠くからあのゴーレムを出してきたら」

「これはその為の配置。あれだけの質量を生成するには時間がかかる。サイトのスピードなら単独でゴーレムの攻撃範囲から離脱可能。他のメンバーも、指揮官の側にいれば、慌てず即座に対応できる」

「いつまでもゴチャゴチャ言ってても始まらないぜ。んじゃ、行ってくる」

 才人は鞘からデルフリンガーを抜いた。左手のルーンが光り出す。

「おおっ、ついに実戦か!」

 才人は、歓喜の声を上げたデルフを黙らせると、すっと一足飛びに小屋の側へ近づき、おそるおそる窓の中をのぞき込んだ。ひと部屋しかないその中には、埃のかぶったテーブルと椅子が見えたが、人の気配はないし、隠れられるような場所も見あたらない。

 しかし、相手は国内でも名の通った怪盗である。特殊な方法で姿を消しているのかも。そう考えた才人は、頭の上で腕を交差させた。これまた馬車の中で決めていた「誰もいない」のサインである。

 手はず通り全員が小屋へ近づいてゆく。タバサが杖を振ると、小屋の扉が音もなく開いた。どうやら罠はなさそうだ。

「では、中の調査を。ミス・ロングビルとわたしはここで周囲を警戒」

 頷いたルイズとキュルケ、そして才人の3人が小屋の中へ姿を消す。ロングビルは、そんな彼らの姿を落ち着かない様子で見守っていた。

「……何もないわね」

「やっぱり無駄足だったじゃないのよ。んもう、服が埃っぽくなっちゃったわ」

 勇んで中へ突入し、部屋の隅々まで調査した結果わかったのは――手がかりと呼べるようなものは、何ひとつとして残されてはいないということだけだった。

「タイコーボーの言うとおり、囮だったんだな。ま、それがわかっただけでも良かったんじゃないか? さっさと外に出て、待ってるふたりに教えてやろうぜ」

 中には何もなかった。それを聞いたミス・ロングビルの反応は劇的であった。さあっと顔から血の気が引いたかと思うと、慌てて室内へ飛び込んでいく。

 小屋の中を見渡した彼女は、ばたばたと部屋を駆け回り、何かを探している。そんな姿を見た討伐隊のメンバーは唖然とした。

「あ、あの、ミス? フーケに騙されたのが悔しいのは理解できるんですけど……ご覧の通り、ここには何も残されていませんわよ」

「キュルケの言うとおり。速やかに撤収して学院長に報告するべき」

 ――その後なんとか錯乱気味のロングビルを落ち着かせた彼らは、学院への帰路についた。馬車の中で、下を向きひたすら何事かを呟いている彼女に、ルイズ達はせっかくの調査が徒労に終わったのが悔しいのね……と、心から同情の視線を送っていた。


○●○●○●○●

「ううむ、やはり空振りであったか。残念じゃ」

 事の次第を報告するため、討伐隊のメンバーが学院室へ赴くと、そこにいたのはオスマン氏と太公望のふたりであった。気難しげに髭をなでつける学院長とは対照的に、太公望は椅子にゆったりと腰を下ろし、ゆうゆうと茶を飲んでいる。

「まことにもって無念ではあるが、事ここに至った以上、本日執り行われる予定だったフリッグの舞踏会は中止。その上で王室に被害の報告をするしかあるまい」

 深いため息と共に声を絞り出したオスマンは、ちらりとミス・ロングビルへと視線を向けると、気遣わしげに声をかけた。

「ミス・ロングビル。朝早くからの捜索、本当にご苦労じゃった。あとはわしが引き受ける。君は、部屋へ戻って休むがいい」

 事実相当参っていたのだろう、ロングビルは返事もそこそこに部屋を後にする。彼女の退出と、遠ざかっていく足音を確認すると、オールド・オスマンは重々しく口を開く。

「さて。戻ってきたばかりで疲れているところを悪いが、諸君らにはもう一働きしてもらいたい。実のところ……ここからが本番なのじゃ」

 驚きをあらわにした面々へそう告げた彼の瞳には、愉快げな光が宿っていた――。


 ――部屋に戻ったミス・ロングビルは、未だ混乱の極みにあった。

「なんで!? どうして……わからないわ。あそこに『あれ』が置かれていたのは、間違いないはずなのに」

 疲れて思考が鈍っているんだ。そう判断した彼女は、上着を脱ぎ、ベッドへと身を投げ出した。目を閉じて、再びあの時の状況を思い出す。あれだけの大きさの『物』だ、小屋の内部にはもちろん、先に入っていった彼らが持って隠せるような場所も道具もなかったはず。内部……先に……意識がブラックアウトしそうになるのを必死にこらえながら思考を巡らせる。

 ――確認しに行かなければならない。

 彼女はベッドから起き上がると、重い身体を引きずるようにして部屋を後にした。

「どこ行くんですか? ロングビルさん」

 厩舎へ向かう近道――人通りのない裏庭を突っ切るように早足で歩いていたミス・ロングビルは、ふいに前へ出て来て道を遮った少年に、声をかけられた。才人であった。

「あなたは、さっきご一緒したミス・ヴァリエールの……」

「はい、使い魔やってる平賀才人です。顔色悪いですよ、部屋に戻って休んでたほうがいいんじゃないっすか?」

「大丈夫です。わたくしには、確認しなければいけないことが……」

「それって、ひょっとするとアレのことっすかね?」

 片手の親指でくいっと後方を指し示す才人。そこには……見覚えのあるモノ――『破壊の杖』が納められていた頑丈なケースを抱えた、彼の主人・ルイズの姿があった。

「な、な、なんで、それが、こ、こ、ここに」

「ああ。なんでも、ゴーレムが崩した瓦礫の下に埋まってたらしいっすよ」

「へっ?」

 才人の答えに、気の抜けたような声を出したロングビル。

「さっき庭師のひとが見つけて、俺のところへ持ってきてくれたんです。で、これからご主人さまと一緒に学院長のところへ届けに行こうかと」

「そんなバカなっ! 私は確かに持ち出して……」

 ロングビルは、そこまで口に出してから、ようやく自分がとんでもない失態を犯したことに気がついた。

「あ、あ、あなたが、ふ、ふ、フーケ……」

 ケースをぎゅっと抱き締めたルイズの身体は、小刻みに震えている。このわたしとしたことが、疲れでとんだドジ踏んじまった! ミス・ロングビル、もとい『土くれ』のフーケは、なんとかこの場を逃れる方法を模索し始める。相手は平民と、ケースで両手が塞がれているメイジ。正体は割れてしまったが、まだなんとかなる――そう判断したフーケは、素早く懐から杖を抜いた。しかし、ルーンが紡がれようとしたその瞬間。彼女の口に、ぴたっと粘土が収まった。

 そんなフーケの姿を見届けたルイズは、足元へそっとケースを置くと、杖を取り出し天にかざす。すると。

「見ました」

「聞きましたぞ」

「これは確定だの」

「まさか彼女が……」

 複数の声と共に、突如メイジたちの群れが裏庭に出現する。オスマン氏を筆頭とした、学院の教師たちであった。タバサにキュルケ、太公望もいる。どうやら、この『合図』があるまで姿を隠していたらしい。その全員が、フーケに杖を向けていた。

「やりましたわ! 生徒を相手に磨き続けた技が、ここへ来て生きるなんて」

 見事フーケを封じた『赤土』シュヴルーズが、歓喜のあまり涙を浮かべている。

「華麗なダンスを披露してくれたの、ミス・ロングビル。いや『土くれのフーケ』よ。どうじゃ、まだ踊り足りないかね?」

 オスマン氏の痛烈な皮肉に、その場へがっくりと崩れ落ちたフーケ。その姿を見た教師たちの間から、大歓声が上がった。


○●○●○●○●

「実はここからが本番なのじゃ」

 そう言って笑ったオスマンが、椅子の影から『破壊の杖』が納められたケースを取り出したとき、討伐隊のメンバーは驚きのあまり声を上げることもできなかった。

 ――何故これがここにあるのか。

 話は、タバサと太公望が学院長室へ向かった時まで遡る。

「よく話を合わせてくれたの。おかげで怪しまれずに別行動ができる」

 討伐隊が結成された直後。タバサは太公望からふたつの依頼を受けていた。それは、この場で作戦会議を開き、太公望をその司会役に指名することと、太公望が腕を組んだら、それを合図に彼をチームから外すよう提言すること。

 昨夜のうちにタバサから聞いていた内容と、現在までに掴んだ情報を密かに検討していた太公望は、内部の者の犯行、あるいは手引きをした者がいると判断していた。そこへ飛び込んできたミス・ロングビルの『調査報告』。

 その発言に疑念を覚えた太公望は、討伐隊への協力を持ちかけてきた彼女に疑いを持たれぬよう――議長による情報整理という形で証言集めを開始する。そして、ほとんど時間がなかったにも関わらず(馬で4時間かかる場所に、朝出立して昼前に戻ってきている時点で既におかしいのだ)、まるで自分で見てきたかのように現場のことを語るロングビルを、フーケ本人もしくは仲間であると断定した。

 しかし。ただの囮やかく乱にしてはその場所に拘りすぎる。もしや、本当にその廃屋に『破壊の杖』が隠されているのか? だとすると、何故わざわざ学院の者をおびき寄せるような真似をするのだろうと、太公望は首を捻った。

「杖……なのではないでしょうか? わたくしも詳しくはわかりませんが」

 この言葉、声色には嘘が感じられない。ここへ至って、太公望はようやく理解した。おそらく、フーケたちは『破壊の杖』に関する詳細な情報を欲しているのだ。盗品を高値で売り払うために、それは絶対に必要なことであるから。絵を描かせて『破壊の杖』の見た目がどんなものであるのかもわかった。そして、許可を得た上で、試してみようと考えた。彼にとって、まったく面倒なことではあったのだが。

 学院長室へ到着した後、太公望はすぐさまオスマン氏とタバサにこれらの見解を伝えた。驚きに目を見開いたふたりに、自分の『策』を披露し――それは実行に移された。

「で、その結果がソレってわけですか」

 なんのことはない。太公望が先回りして現場へ赴き、そこにあった『破壊の杖』を回収してきただけのことだ。現時点での最有力容疑者であるロングビルに、監視役としてタバサを張り付かせて。そのために、彼はわざわざ体力が尽きているような真似をしてのけていたのだ。

「あたしたち、囮の囮をさせられてたってわけね」

「ぼやくでない、おかげで貴重な時間をかせぐことができたんだからの」

 太公望が『破壊の杖』を持って帰還した後――タバサたち一行が戻ってくるまでの間に、学院長は教師たちに事情を説明し、全員でフーケ、あるいはその仲間と思われるロングビルを取り囲むべく指示を出していた。どんな手練れのメイジでも、この人数に囲まれては何もできないだろう。そして、もしこれが国中の貴族に煮え湯を飲ませ続けてきたフーケ捕縛に繋がれば、それはとてつもない名誉となるに違いない――オスマン氏の言葉に、教師たちは奮い立った。

「そこでじゃ、捕縛の総仕上げという名誉に与るのは――」

 ちらりと太公望と視線を合わせるオスマン。頷いた彼を見て、言葉を続ける。

「ミス・ヴァリエール。もっとも早く『杖』を掲げた君にこそ相応しいと思うのじゃが……どうじゃ、この老いぼれの願い、聞き届けてくれるかの?」

 ――勇んでその役割を引き受けたルイズは、それが『破壊の杖のケースを持って、才人の後ろに立っていること』だと聞いたときはさすがに耳を疑ったし、断ろうかとまで考えた。しかし、それが相手の油断を誘う策だと聞いたことと。

「ど、ど、どこに行くのかしら? ふ、ふ、フーケさん」

「噛んだ」

「見事に顔がひきつっておるな」

「フーケとか言っちゃダメだろ」

「やっぱり、ヴァリエールにこういう演技は無理よね」

「う、うるさいわねっ!」

 今から演技指導をするにはあまりにも時間がないということで、それは使い魔――最初に指名されていた才人の役目にするということで、ようやく納得した。ちなみに、才人の演技は一発目からして太公望から太鼓判を押されるほど、自然な出来ばえであった。


○●○●○●○●

「諸君らの尽力により、見事『土くれのフーケ』を捕縛し、『破壊の杖』を取り戻すことに成功した。学院の名誉は守られ、盗賊は牢獄へと送られる。一件落着じゃ」

 フーケが縄を打たれて、学院の衛兵たちに引っ立てられていった後。裏庭では、オスマン氏による演説が行われていた。誇らしげに胸を反らす教師たち。中でも、当直をサボり、フーケに盗難を許したという大失態を見せたにも関わらず、名誉挽回の機会を与えられたミセス・シュヴルーズは、感激のあまり失神してしまう有様であった。

「ここにいる教員皆の手柄について、王室へ報告することを約束しよう。また、ささやかではあるが、わしのポケットマネーからボーナスを支給する」

 裏庭に、再び歓喜の声が沸き上がる。

「そして、フーケ討伐に最も貢献した者たちを紹介する」

 オスマン氏に手招きされ、タバサ、ルイズ、キュルケ、才人、太公望の5人が前へと進み出る。彼らは拍手によって迎えられた。

「中でも、特に危険な役目を買って出てくれたミス・ヴァリエールについては、王室へ『シュヴァリエ』の爵位を、既に『シュヴァリエ』を持っておるミス・タバサと、彼女たちに協力したミス・ツェルプストーについては精霊勲章の授与を申請することによって、この功に報いたいと思う」

 3人の顔がぱっと輝いた。

「なおミスタ・タイコーボーはロバ・アル・カリイエのメイジ、サイト君については貴族ではないため勲章の授与はできないが、わしから金一封を与えるということで、労わせてもらう」

 再び、彼らを拍手が包み込む。5人は、礼――ルイズ、タバサ、キュルケの3名は、貴族の名に恥じぬ優雅なお辞儀で、才人は学校で習った45度ほど腰を曲げる最敬礼で、太公望は、包拳の礼でそれに応えた。

 そんな彼らを笑顔で見つめていたオスマン氏は、ぽんぽんと手を打つ。

「さてと、今夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。見事『破壊の杖』も取り戻せたことだし、予定通り執り行う。以上、解散じゃ!」

 再び大きな歓声が上がり、その場に集まった者達は散り散りになってゆく。最後まで残ったのは、オールド・オスマンと『破壊の杖』を抱えたコルベール、そして討伐隊に加わった者達だけであった。静かになった裏庭に、切実な声が響く。

「あ、あの、金一封とかいりません。かわりに、聞きたいことがあるんです……その、破壊の杖がどこから来たのか、それと……これについて」

 左手のルーンを見せながらオスマン氏に願い出たのは才人。ルイズが驚いたような表情で見つめている。

「わしは金一封の中身がどれほどのものなのか、具体的に話し合いたいのだが」

 続いたのは太公望。タバサの瞳が、好奇心で溢れている。オスマン氏は、思わず大きなため息をついた。両方とも、相当な難題であると。

「ここではなんじゃし、ふたりとも学院長室へ来たまえ。コルベール君も、すまんが『破壊の杖』を持ってついて来て欲しい。ミス・ヴァリエールと、ミス・タバサにも関わりのあることじゃが、君たちはどうするね?」

「行きます」

「聞きたい」

 即答したふたりへ、頷き返すオスマン。

「あたしは、舞踏会の準備がありますので、お先に失礼しますわ」

 そう言ってキュルケは、踵を返した。こっそりタバサに向けてウィンクをして。あとで話せ、ということだろう。

 ――オスマン氏の長い長い1日は、まだまだ終わりそうもない。



[33886]    第10話 伝説と零、己の一端を知るの事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/09/30 14:59
「それでは、話を聞こうか」

 学院長室へ案内された太公望・タバサ・ルイズ・才人の4人は、来客用のソファーに腰掛け、学院長と向き合っていた。オスマン氏の後方には、コルベールが控えている。

「才人。すまんが、まずはわしに話をさせてはくれぬかのう」

 俺のほうが最初に申し込んだのに。と、一瞬躊躇った才人だったが、コイツがわざわざ確認を取ってきたってことは、何か理由があるんだろう――そう思い直し、頷く。

「……すまんのう」

 太公望は、才人へ頷き返すと、まっすぐと学院長を見据えて会話を始めた。

「さて、それでは『金一封』とやらについて具体的に聞かせてもらおう。今回わしが行った仕事は――情報収集、犯人の割り出し、『破壊の杖』回収……他にも、まだまだたくさんあるわけだが。中途半端な金額で納得するとは思うなよ?」

 ――才人は思った。なんか……映画の名場面集を見てるみたいだ。それも、極道モノとかマフィアの交渉シーンをダイジェストで並べたやつ。

 あーあ、ルイズは横で固まってるし。あのなんだっけ、コルベット……とかいう先生、顔が真っ青だし。タバサは……あれ、目がキラキラしてるな。もしかして好きなのか、こういうイベント。

 才人は、すぐ側で繰り広げられる『交渉』を、まるで劇場へ赴いた観客になったような気分で、ぼんやりと眺めていた――。

 太公望の先制攻撃で始まった『交渉』は、時折学院長が攻勢に出るものの、そのほとんどが太公望側の優勢で進んだ。この話し合いの過程で、太公望がフーケ捕縛作戦全体の立案――なんと学院の教師たちを説得するための演説草案作成までこなしていた事実が判明し、この場に立ち会った者たちは驚愕した。

 ついには1ドニエ(銅貨1枚)単位での攻防が始まるに至って、太公望はこれ以上攻めるのは無駄と判断したのか、折衷案を提示してきた。

「まあ、わしも鬼ではない。金銭以外での交渉もやぶさかではないぞ」

 その白々しい物言いに、学院長を含む全員が「鬼以外のなんなんだ!」と心の中でツッコんでいたのだが、当の本人は涼しい顔だ。

「ふむ……君はわしに、いったい何を望んでいるのだね?」

「『フェニアのライブラリー』の閲覧許可を。なお、これはわしとタバサの両方へ出してもらいたい」

 この提案に驚いたのはコルベールだ。

「なっ……あそこは、教員以外立ち入り禁止、学院秘蔵の書物庫ですぞ」

 しかし、そんなコルベールを抑えて学院長は鷹揚に頷いた。

「……まあ、ええじゃろ。ただし、その許可と引き替えに金一封は無しじゃぞ」

「よっぽど教員へのボーナスで懐が寂しくなったようだのう。わしとしては、もうひと声欲しいところなのだが……まあ、無い袖は振れぬというからな。仕方あるまい」

 不承不承といった風情で納得した太公望の姿を見た全員が、コイツやっぱり鬼、いや悪魔なんじゃないだろうか……と、内心評価を修正していた。

 机の引き出しから2枚の羊皮紙を取り出したオスマン氏は、ペンでさらさらと何事かを書いて、太公望とタバサに手渡す。

「それを、図書館の入り口にいる司書に見せるがええ。そうすれば『フェニアのライブラリー』に立ち入って、収められている資料の閲覧ができるようになる。ただし、あそこの書物は持ち出し禁止じゃからな」

 許可証を受け取り、頷くふたり。タバサの目が歓喜できらきらと輝いている。勲章申請の時よりも遙かに嬉しそうだ。それだけこの許可証が欲しかったのだろう、太公望の手を両手でガッチリと握り締めている。一方の太公望も、そんな彼女の様子を見て満足げに笑み崩れていた。

「と、いうわけでだ。このあとサイト君たちとの話があるのでな、君らふたりは部屋へ戻って、舞踏会の支度をしたまえ」

 そう促す学院長に応え、席を立つタバサ。だが、太公望はその場から動こうとしない。彼は相変わらず笑っていたが……その笑みの質が、先程までのそれとは変わっていることに、タバサは気がついた。

「その話には興味があるのでな。同席させてもらいたい」

「さすがにそれは許可できん。これは……」

 と、そこまで口にしてやっと学院長は気がついた。苦虫を10匹くらいまとめて噛み潰したような顔をして太公望を睨み付ける。

「ふふん、才人の左手に刻まれたのは、相当特殊なルーンらしいのう。だが、それも『フェニアのライブラリー』に行けばわかってしまう内容……どうだ? わしの推測は間違っておるか?」

 ――ここで聞けずとも、自力で調べる。太公望は、そう主張しているのだ。

 なるほど、この流れに持って行きたかったからこそ、最初に話をさせろと主張したわけか。つまり、金銭交渉は囮。本命はライブラリーの閲覧許可証とルーンに関する情報だったって訳だ……うん、こいつ悪魔だ。決定。太公望に対する全員の評価が確定した瞬間であった。

「わかった、ミス・タバサも同席したまえ。まったく……君がトリステイン貴族の子弟なら、学院卒業後に次代の宰相候補として王宮で修行を積ませるよう、マザリーニ枢機卿宛てに推薦状を書いとるところなんじゃが」

 そう言って深いため息をついた学院長は、普段よりもさらに老けて見えた。


○●○●○●○●

「ガンダールヴ?」

 その名前に覚えがあったルイズは、首をかしげた。以前、自分の魔法について調べていた時、何かの本で見た覚えがある名前だったのだが……思い出せない。

「そう、あらゆる『武器』を使いこなす能力を持つ<伝説の使い魔>の証じゃ」

 伝説……これが? 才人は、あらためて自分の左手に刻まれたルーンを見た。

「だから『武器』を持つと身体が軽くなったり、使い方が頭の中に流れ込んでくるのかな……デルフも、そんなようなこと言ってましたし」

「デルフ、とは?」

 問う学院長に、才人は後ろに立て掛けていた剣を見せ、鞘から少しだけ引き抜いた。

「話は聞かせてもらったぜ! 俺っちがご紹介に与ったデルフリンガーさまだ。<ガンダールヴ>ね。そうそう、確かそんな名前だったな」

「なんと! <インテリジェンス・ソード>ですか」

 身を乗り出して興奮するコルベールを制して、オスマン氏は話を続ける。

「武器の情報に、身体の強化……やはり間違いないか。デルフリンガー君といったな。他に、君が知っていることはあるかね?」

「う~ん……あるはずなんだが、6000年以上生きてるもんでな、記憶がどうにもあいまいなんだよ。すまねえな」

 そうか、それは残念だ……と呟く学院長。

「でも、何で俺がそんな<伝説の使い魔>に?」

 そう尋ねた才人に、学院長は肩を落とし、さっぱりわからんと答える。すると、それを聞いた太公望が何かに気付いたのか、腕を組んで考え込んでいる。

「タイコーボー、何か知ってるのか!?」

「いや、いくらなんでもそこまではわからぬ。少々気になることはあったが、こっちの話での。でだ、ルーンについてはだいたいわかったことだし、『破壊の杖』についても聞いておいたほうがよいのではないか?」

 そう促されたことで、今度は『破壊の杖』の由来について、学院長が滔々と語り出す。曰く、今から30年ほど前。他国をひとりで旅行していた際に、突如飛来したワイバーンに襲われ危機に陥ったこと。

 そこに現れた人物が、持っていた2本の『破壊の杖』のうち1本で、ワイバーンを吹き飛ばした後にばったりと倒れ、気を失ったこと。

 彼は深手を負っており、看病の甲斐なく息を引き取ってしまったこと。そして、彼が使った1本を彼の墓に埋め、残されたもう1本を彼の形見として持ち帰り、学院の宝物庫へ厳重に保管していたこと――。

「彼は、死の間際までうわごとのように呟いておった。『ここはどこだ。元の世界に帰りたい』とな……」

 なんとか助けたかったのじゃが……と、オスマンは遠くを見るような目で語った。当時を思い出しているのだろう。と、そんな彼の感慨を打ち壊したのは、才人の言葉だった。

「そのひと……きっと、俺のいた世界から来たんです」

 オスマンの目が光った。

「君は、彼の故郷を知っているのかね?」

「そこまではわかりませんけど……あの『破壊の杖』は<マジック・アイテム>なんかじゃなくて、俺がいた世界の『武器』なんです。さっきケースを貸してもらったとき確かめたから、間違いありません。あれの本当の名前は『M72対戦車用ロケットランチャー』。フーケのゴーレムを一撃で吹き飛ばす程の威力があります」

 その場にいた者達が、驚きに目を見張る。そして才人は語り始めた――自分が、ここではない別の世界から<召喚>されてきたこと。そこには月が1つしかなく、魔法が存在していないこと――。

 異なる世界――本当にそんなものがあるのか?

 目の前にいる老人と教師は、そう言いたげな表情をしている。才人は内心で苦笑した。まあ、ルイズだって未だに信じてくれないし、この世界の人間にとってはそれが普通の反応だよな。だいたい、俺が地球にいた頃に、もし『自分は異世界から来た魔法使いだ』って名乗る奴が出てきたら……やっぱりそう感じただろうし。

 と、才人が半分諦めたように周囲を伺うと……ひとりだけ、あきらかにおかしな反応をしている人物がいた。太公望だ。腕を組み、目を閉じてなにやらぶつぶつと呟いている。

「なあ、タイコーボー……もしかして、お前は信じてくれるのか!?」

「ああ、信じる……というか、まさか『異界人』だったとは……いや、ひょっとすると『異星人』か? おぬしと初めて会ったときから、どうも他の人間と毛色が違うと感じておったのだが、いやはや……」

 信じてくれた! おれの、この世界に来て初めての友達が!! 才人は感激した。だが、あまりの嬉しさに我を忘れてしまったせいで、彼は太公望がうっかり漏らした爆弾発言を聞き逃してしまっていた。

 ――ひょっとすると『異星人』か?

「何か知っているの?」

 この部屋に入ってきてから初めて口を開いたタバサへ、太公望はぼりぼりと頭を掻き毟りながら答えた。

「異世界云々については、これから検証せねばならぬだろうが、ひとつ確実に言えるのは――ルイズが、とてつもない可能性を秘めたメイジだということだ」


○●○●○●○●

 このわたしが、とてつもない可能性を秘めたメイジ――?

 ありえない。でも、ロバ・アル・カリイエから来たメイジが。調査をお願いしたひとが。学院長が、トリステイン貴族だったら王宮に推薦するとまで言った人物がそう言っている。ルイズは、その一言に縋った。

「おねがい、教えて。わたしの魔法がどうして失敗するのか。先生たちも、お父さまやお母さまにも、王立アカデミーで研究している姉さまにすらわからなかったの。どんなに勉強しても、毎日ぼろぼろになるまで練習してもできなかったのよ。おねがい……!」

 最後はもう言葉にならない。気がついた時、ルイズはほろほろと涙を零していた。

「こっ、これ、泣くでない!」

 一方、ルイズの様子を見た太公望は、いつもの人を喰ったようなそれから一転、まるで別人のように慌てふためいた。ぐずり続けるルイズをあやし、困ったように空中へ視線を這わせる。ついには、助けを求めるように学院長に目を向ける。オスマン氏はしばし迷っていたようだが――ついには、頷いた。

 そしてオスマンが口を開こうとしたその時。彼の代わりに、別の人物が声をかけてきた。それは、この場に同席していた教師『炎蛇』のコルベールであった。

「私も、是非きみの見解が聞きたい。己の無力を告白することになりますが、私たち教師がどんなに調べても、ミス・ヴァリエールが失敗する理由がわからなかったのです。彼女はこんなにも追い詰められていたというのに」

 そう言って、頭を垂れる。しん……と静まった室内に、唯一ルイズのぐずる声だけが響いていた。

 ――数分後。ルイズがようやく落ち着いたのを見計らって、太公望は説明を始めるべく動き出した。彼はその手始めとして、椅子から立ち上がって頭に巻いていた布を取ると、捻って縄状にした後、テーブルの上に乗せた。

「さて、ここに1本の縄がある。これを使って簡単に説明する」

 一同を見回すと、皆真剣にテーブルに注目していた。

「その前に<サモン・サーヴァント>について確認したい。オスマン殿、この魔法は、ハルケギニアのどこかにいる生物の前に『入口』を作り、自分の前へと呼び出す『出口』を開く魔法……この認識で間違っておらんかのう?」

「うむ。開かれる場所や、選ばれる対象がどうやって決まるのかについては不明だが、己に最も相応しい使い魔との間に一方通行の『門』を創り出す」

 うむ、と頷いた太公望は、テーブルに置いた縄を指差す。

「この縄の両端、これを『門』。そして縄の長さを『距離』と考えて欲しい」

 そう言うと、彼は縄を持ち上げてその両端を掴み、ぴたりと繋ぎ合わせた。

「『門の接続』とは、こういうことなのだ。中間の『距離』をねじ曲げ、空間同士を繋ぎ合わせる……タバサよ」

 自分の主人に声をかけた太公望は、持っていた縄をテーブルへ戻した。

「今わしがやってみせたように、この縄の端と端をくっつけてみてくれ。ただし、手ではなく魔法を使って、だぞ。よいか、ぴったりと合わせるのだ」

 頷いたタバサは、得意の<ウインド>を使って接続を試みる。だが、なかなかうまくいかない。ようやく太公望から合格の声がかかった時、彼女は肩で息をしていた。

「このように『接続』にはたいへんな<力>と、先端同士……つまり、向こう側とこちら側の空間をしっかりと認識する『感覚』を必要とする。コモンとされておる<サモン・サーヴァント>だが、実は無意識にこのようなとんでもないことをしているのだ。ここまでは理解してもらえたであろうか?」

「これは……まるで考えてもみなかった理屈じゃが……納得できる」

「ええ、アカデミーで研究していてもおかしくない内容ですぞ」

 研究者としての血が騒いできたのだろう、オスマンとコルベールが興奮したようにまくしたてる。しかし、ひとり納得していない人物がいた。ルイズである。

「でも、これとあたしの魔法に、何の関係があるの?」

「そう急くでない。これからちゃんと説明する」

 そう言うと、太公望はどっかと椅子に腰掛けてひと息ついた後、再び持論の展開を開始した。

「さて。『空間』をねじ曲げるのが大変な作業であると理解してもらえた、そう判断して話を進める。普通のメイジはあくまでハルケギニアの中でしか『接続』することができない。ところがルイズは……」

 一端言葉を句切り、ルイズにまっすぐ視線を向けた太公望は、結論する。

「空に浮かぶ月よりも遠い『異世界』と自分を結ぶ縄の両端を、寸分の狂いなく繋いでみせた。そんな娘が無能だと? 絶対にありえん。もしもルイズがわしらの国に生まれておったら、間違いなく幹部候補生としてスカウトが飛んで来るわ。『空間ゲート接続』というのはそれだけ難しく、強い<力>を必要とする高度な技術なのだよ」

 静まりかえる室内。と、コルベールが手を挙げた。

「ミス・ヴァリエールが素晴らしい可能性を秘めている、ということはわかりました。しかし、何故魔法を失敗するか、それについてわからないことには……」

 コルベールの疑問はもっともだ。ルイズとしても、自分がどんなに優れた力を持っていると言われても、失敗の原因が判明しなければ意味がないのだ。

「ここからは、あくまでわしの仮説に過ぎないのだが……今度はコルベール殿にお訊ねしたい。普通のメイジが魔法を失敗した時にも<爆発>するのかのう?」

「いえ、ありえません。何も起きないのが普通なのです」

「うむ。わしらの間でも、基本はそうなのだ。しかし、とある失敗をした時に<爆発>を伴うことがある」

「そ、それって……」

 震える声を抑えきれず、ルイズは尋ねる。そんな彼女を見た太公望は、真剣な表情で続きを話しはじめた。

「大きすぎる<力>を制御できずに暴走させてしまったとき、行き場を失った<力>が暴れ回り、結果<爆発>することがある。これは、炎を伴う場合も、袋の中に限界を越えるまで物を入れ続けると、あちこち破れて中身が飛び出してしまうように……火を一切伴わない<破裂>となることもある」

 ――と、そこまで太公望が述べたところで、これまで話の中に入れず少し退屈そうにしていた才人が大声を上げる。

「そうだよ! ルイズの<爆発>ってさ、燃えてないじゃん!!」

「えっ?」

 一斉に才人に振り返る一同。

「なんかおかしいって思ってたんだ。やっとわかった。教室で爆発させたとき、色々吹っ飛ばされたり、煤で真っ黒になってただろ? けど、ルイズもあの赤土先生も火傷してなかったし、火事だって起きなかった!」

 ルイズをはじめとしたメイジたちが、あっと声を上げた。言われてみればその通り、これまで何度も彼女は失敗してきたが、火災が発生したことなどなかった。せいぜい、爆風で机が吹き飛んだり、周囲が煤けたりする程度だった。

「ギーシュと決闘したときだって、ルイズはあんなに土煙があがるほど爆発させてたのに、俺、ちっとも熱くなかった。なあ、これってルイズの<爆発>が特別だっていう証明にならないか?」

 全員が、息を飲む。思わぬ場所から援護をもらった太公望が破顔する。

「よく覚えていてくれた、才人よ。確かにそれは証明のひとつになる。ルイズよ、おぬしが魔法を失敗していた理由。それは……巨大すぎる<力>が、魔法という器に収まりきれずに溢れ出し、破裂してしまっていた。その可能性が高い。つまり<力>のコントロールを覚えれば……」

 その言葉を引き継いだのは、コルベールだった。

「彼女は『スクウェア』……いや、それを凌駕する可能性を秘めている、と」

 室内は一瞬の静寂の後……大きな歓声に包まれた。

 ――ルイズは、泣いていた。だが、今流している涙は、これまで幾度となく溢れさせていたものとは異なり、暖かいものだった。

 自分の肩を無遠慮にバンバンと叩きながら「だから言ったろ! お前はゼロなんかじゃないって」と、笑いかけてくる使い魔。無礼だなんて思わない。不思議なことに、この痛みすら心地よく感じていた。

 最初は、初めて成功した魔法でただの平民を呼び出してしまった、と、やり場のない怒りに囚われていた。でも、そんな彼が、実は伝説と呼ばれる使い魔で。しかも、その存在そのものが、誰にもわからなかった失敗の、原因判明の為に役立ってくれたのだ。

 『メイジの実力を測るには、その使い魔を見よ』

 この言葉は、真実だったのだ。

 太公望の言うとおり、本当にそれが失敗の理由なのかはわからない。だが、ルイズにとって一筋の光明となったのは間違いない。

 ――タバサは、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 そう、ルイズと同様……彼女も、ハルケギニアの『外』にゲートを開き、太公望というまさに『規格外』の使い魔を召喚しているのだ。つまり、研鑽次第では今よりもずっと強くなれるということを、己の使い魔が証明してくれた。そんな彼は。

「まあ、乗りかかった船だ。<力>のコントロール方法についてはわしがある程度見てやろう。そのためにはルイズ、あとでおぬしの魔法をよく見せてもらう必要がある。かまわぬか?」

「も、もちろんよ! こっちからお願いするわ」

 自分と同様、厳しい顔をして誰も寄せ付けなかった少女を、笑わせていた。


○●○●○●○●

「さて、だいぶ時間がかかってしまったが、今からでもまだ遅くない。舞踏会の支度に戻るがええ。君たちは主役なのじゃから……と、すまんがミスタ・タイコーボーは少し残ってくれ。フーケの件について尋ねたいことがある」

「……まだ何かあるんかい。まあよい、手早く頼むぞ」

 タバサ、ルイズ、才人、そして先程の講義によって研究熱に文字通り火が付いてしまったコルベールの4人が学院長室を後にすると、オスマン氏と太公望のふたりは椅子に座り向かい合った。

「……で、人払いをしてまで話したいこととはなんだ? まあ、だいたいの想像はついておるが」

 対面に座る太公望の言葉に、オスマンは舌を巻いた。これは下手に騙して不信を買うより、正確な情報を与えたほうが今後のためだろう。そう判断し、話し始める。

「君のことだ、おそらくわしが黙っていても結論にたどり着いてしまうじゃろう。まったく……<ミョズニトニルン>にならなかったのが不思議なくらいじゃわい」

「それは一体なんのことだ?」

「<ガンダールヴ>と同じ、伝説の使い魔の1柱じゃ。『神の頭脳』『神の本』とも呼ばれ、<ガンダールヴ>を含むその他3体の使い魔と共に『始祖』ブリミルによって使役されていた存在じゃ」

「ルイズは『始祖』と呼ばれる存在が使役した使い魔を呼び出した。つまり、始祖と同様の<力>を持ちうる可能性を秘めている……と?」

「その通りじゃ。さっき君の話を聞いて、確信した。彼女の系統は失われしペンタゴンの一角<虚無>じゃろう」

「<虚無>か……土・水・火・風の4大系統に属さぬ、既に失われて久しい『伝説』の系統、だったな?」

「そうじゃ。失敗の理由も、それで説明がつく。合わない系統に、大きすぎる<力>。当然の流れじゃな……もしも君に刻まれたルーンが伝説の使い魔のそれであったならば、この仮説は崩れておったのだが」

「わしの左足の裏に刻まれとるアレは、それらに該当しないということかの?」

「うむ。君の<アンサズ>は『知恵』を象徴する古代ルーン文字だ。それに、そもそも始祖の使い魔のルーンは、現れる場所が決まっておるようだからの。左手、右手、頭……最後のひとつは不明じゃが、さすがに足の裏ということはあるまいて」

 なるほど……と、太公望はテーブルに両肘を付いてぼやく。

「これは、絶対に他言無用の案件だのう……タバサは勿論、本人たちにも言えぬわ」

「話が早くて助かる。もしこんな話が王宮にでも漏れたら大変じゃ。暇を持て余した宮廷雀どもが、戦がしたいと鳴き出しかねんわ」

「ま、わしとて戦乱なぞご免被りたいからの。しかし、異世界に、そこからやってきた使い魔、そして武器か……そのあたりも含めて、例の件を詰めておいたほうがよさそうだのう」

「うむ。かかるであろう予算は組んである。だが、ほどほどに頼むぞ?」

「しかし、やはりおぬしは狸ジジイよのう」

「君にそう評価してもらえるのは光栄だ、と返しておこうかの。ホッホッホ」

 ――お互いを認め合った曲者達は、その後舞踏会が始まる直前になるまで、夜空に浮かぶ赤い月も真っ青になるような談話を続けた――。



[33886]    第11話 黒幕達、地下と地上にて暗躍す
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/07/15 21:09
 トリステイン魔法学院のホールで、フリッグの舞踏会が例年よりも盛大に執り行われていた頃。学院地下にある倉庫の中で、両手を後ろ手に縛られ……さらには<錬金>で作成した頑丈な拘束具によって壁へと繋がれていた怪盗『土くれ』のフーケは、虚ろな瞳で床を眺めていた。

 明日にも、国の衛士隊に引き渡されるとのことだったが……これまで散々貴族たちの感情を逆撫でするような真似をしてきたのだ、おそらく自分は縛り首。良くてチェルノボーグの監獄で、一生を終える羽目になるだろう。

 部屋からの脱出も考えたが、すぐに諦めた。彼女を拘束しているのは、学院最高のメイジたるオールド・オスマンが自ら作成した特別製。そもそも魔法で脱出しようにも、杖を取り上げられていてはどうにもならない。

「わたしも、いよいよ年貢の納め時ってやつなのかしらね……」

 ふと、脳裏にとある光景が浮かんだ。だが、自分がこうなってしまった以上、もう二度と叶わぬ願いであろう――。

 と、フーケが閉じこめられている地下室に続く階段のほうから、コツ、コツ……という小さな足音が聞こえてくる。見張りのはずはない。何故なら、この地下倉庫へ続く道は、1本しかない。地上で番をしていれば事足りるのだ。王国衛士隊の連中でもないだろう。彼らがやってきたのなら、もっと物々しい音がするはずだ。一体何者だろうとフーケは訝しんだ。やがて、足音は倉庫唯一の出口である木戸の前で止まった。格子がついているわけではないので、相手の姿はわからない。

「起きているか? 『土くれ』」

 フーケは鼻を鳴らした。

「あら、まさかダンスのお誘いかしら?」

「ま、似たようなものだ」

 ガチャリという鍵を外す音がして間もなく、静かに扉が開いた。が、それはすぐに閉じられる。再び闇に閉ざされた倉庫の中に、何者かが立っていた。刺客――ではないだろう。殺る気があるのなら、既に自分は息をしていないはずだ。

「話がある」

「話? だったらせめて明かりくらいつけてくださいな。何も見えない闇の中で、見知らぬ殿方に口説かれるだなんて、ぞっとしませんわ」

 憎まれ口を叩いたフーケだったが、相手はそれを了承と取ったらしい。闇に包まれていた室内に、申し訳程度に小さな光源が現れた。フーケは、わずかな灯火に照らされたその顔に、見覚えがあった。

「あまり機嫌が良くないようだのう……ま、この有様では当然だが」

 ――そこに立っていたのは、タバサの使い魔・太公望であった。

「ハハッ、物好きな子ね。惨めな怪盗と、最後の会話を楽しみたいってところかしら? おあいにくさま、そんなものに付き合うつもりはありませんことよ。大人しく舞踏会の会場に戻りなさいな。見張りが戻ってきたら面倒なことになるわ」

 フーケのそんな減らず口を軽く受け止めた太公望は、お返しというにはあまりにも大きすぎる爆弾発言を、あっさりと投下する。

「見張りの連中なら、眠り薬入りの酒をしこたま飲んでいびきをかいておるよ。それに、二十歳をいくつも超えぬような小娘に、子供呼ばわりされる筋合いはないわ」

 その言葉に、フーケはわずかに反応した。

「なるほど……見かけ通りの年齢じゃないってわけね」

 そう言って、見事に騙されていたわと自嘲気味に笑う。

「面倒もあるが、便利な側面もある。今置かれているような状況では特にな」

 ニヤッと口の両端を上げた太公望を見て、フーケはいたく好奇心を刺激された。今回の事件であれほどの冴えを見せた男が、見張りを眠らせてまで、ただの身の上話をしにきたわけがない。

「取引をしよう。おぬし、逃げ出したいであろう?」

「あら! 思ったより魅力的なお誘いじゃないの。でも、タダじゃあないわよね?」

 以前、学院長の秘書・ロングビルとして、太公望がオスマン氏相手に繰り広げた『取引』場面を見ている彼女は、いきなりそんな申し出に飛びつくほど愚かではない。だが、そんなフーケの態度を見て、太公望は陰のある笑みを浮かべた。そして満足げに頷くと、要求を口にする。

「逃亡を手助けする見返りに、おぬしの<力>を借りたい」

「わたしの<力>ねえ……メイジとして、という意味以上のもの、かしら」

 相手の出方を伺うように、フーケは言った。

「そういうことだ。もっとも、盗賊稼業については廃業してもらうことになるが。もちろん、それ相応の保障はさせてもらうつもりだ。さて、これ以上は取引が成立するまで話すことはできぬが……どうする? この申し出を受ける気はあるか? まあ、悪事を反省して大人しく縛り首になりたい、というのであれば無理強いはせぬがのう」

 その言葉を最後に口を閉ざした太公望を見つめながら、フーケは考えた。目の前の男が出してきた提案は悪くない。この場で応じるだけなら問題はないだろう。保障とやらがどの程度か確認し、気に入らなければそのままオサラバすればいいだけのことだ。

「いいわ。受けてやろうじゃないの、その申し出。それで、わたしは具体的に何をすればいいのかしら?」

「その前に、盗みを止める見返りについて話しておこう。おぬしがこの学院で秘書を務めていた際に受け取っていた給料の2倍を、毎月だ。たとえ頼む仕事がなくとも、1年間支払う用意がある。また、今回の逃走が成功した暁には、前金として1ヶ月分渡すことを約束しよう」

 フーケは、思わず目を見張った。正直破格の条件である。だが、うまい話には必ず裏がある。ここは慎重に対応しなければならないだろう。少し考えて、フーケは口を開いた。

「ずいぶんと太っ腹じゃない。でも、それだけ出すってことは、相応に厳しい仕事ってことよね。内容を教えてもらえないことには動けないわ」

「それは、今の段階では話せぬ。もしもおぬしを逃がすのに失敗した場合のリスクが高すぎるからのう。ま、安心せい。命がけでやれなどという無体なことは言わぬ」

 彼の言うことは尤もだ。この場で明かすには色々と不都合があるのだろう。だが……そのおかげで、まだ交渉の余地がある。フーケはふっと笑みを浮かべた。

「ふうん。でもさ……あんたがこんな交渉を持ちかけてフーケを逃がそうとしました、って話が、うっかり外へ漏れ出さないっていう保障はないと思わない?」

 わずかな隙に噛みついたフーケを、太公望はあっさりといなした。

「ふふん、おぬしがそれをバラしたところでどうということはない。いたいけな少年と、国を騒がせた盗賊。果たして世間はどちらの話を信用するかのう? フーケ。いや……『マチルダ』よ」

 フーケの顔面は蒼白になった。斬り返されただけではなく、まさに急所に突き入れられた一撃だった。マチルダ・オブ・サウスゴータ。それは、かつて捨てることを強制された……彼女の本当の名前。この男、一体どこまで手が長いのだ? これでは迂闊なことなどできやしない――。

「さて、改めて自分の立場を理解してもらえたと思う。逃亡成功後、わし宛に連絡先を明記した伝書フクロウを飛ばすのだ。以後、それでやり取りをする。ああ、支払いは宝石でも構わぬか? フクロウに持たせるには、金貨ではかさばりすぎるのでな」

「よおっくわかったわよ! でも、換金に手間がかかるから、少し割り増ししてちょうだい。それと、天然物以外を送りつけてきたら即契約破棄と見なすわよ」

「よかろう、そのくらいの交渉は問題なく受け付ける。では、これで契約完了ということでよいかのう?」

「ええ、いいわ。選択の余地はなさそうだし」

「そう構えるでない。では、早速だが逃走方法について打ち合わせをしようか」

 ――太公望が話す『逃走計画』を聞いていたフーケは、笑いを堪えるのが大変だった。なるほど、この方法は悪くない。何より自分好みだ。失敗する可能性がないわけではないが、成功すれば、気に入らない貴族どもに一泡ふかせることができる。

 それに、1年間という制限つきとはいえ、安定した収入が見込めるというのは何より魅力的だ。学院で秘書をしながら盗賊稼業を続けていた頃よりも、この男の下にいたほうが充実した生活が送れるだろう。ならば……。

「あなたの言うとおり、この国では顔が割れてるし、しばらく外で大人しくしておくよ。しかし、なんだね……ぷぷっ……本当に、ワルだねえ」

 場所と現状のせいで大きな声は間違っても出せない。必死に笑いを堪えるフーケに。

「ニョホホホ……褒め言葉と受け取っておこう」

 同じく小声で笑い返す太公望。

「ああ、そうそう。忠誠の証として、いいことを教えてあげるわ。あのセクハラジジイ、ミス・タバサとあなたとの契約料が安くあがった、って浮かれてたわよ」

「ほう、それはいい話を聞いた。初回の手付けに情報料を上乗せしよう。ククク、あの狸め……このわしを甘く見た報いを受けてもらわねばのう。ところで、仕事の頑張り次第では1年といわず契約延長もありえるので、考えておいてはくれぬかのう?」

「新しい上司は気前が良くて、本当に嬉しいわ。こうなったら、なんとしてもうまく逃げ出さないといけないわね」

 ――地下倉庫で主従を誓ったふたりは、声を上げずに嗤った。


○●○●○●○●

 ――さて。地下倉庫で、まっとうとは到底言い難い『取引』が行われてから約10分後。太公望は、再び学院長室を訪れていた。

「とりあえず、あんなもんでよかろう? 念のため確認しておくが、救出作戦については、わしは手を貸さんからな?」

「わかっとるわい、もともと自分の撒いた種じゃ。今護送を担当しておる衛士ども相手なら、わしひとりでも充分お釣りが来るからの」

 水キセルを燻らせながら、オスマン氏は呟いた。そう……今回の真の黒幕にして依頼人。それは、この部屋の主であるオールド・オスマンその人であった。

 彼は、学院長室から自身の使い魔――ハツカネズミの『目』と『耳』を通して、地下倉庫で行われたフーケと太公望のやりとりを最初から確認していた。ちなみに、眠り薬を混入したワインを見張りの衛士たちへ差し入れたのもオスマン氏の仕業である。

「彼女へ渡す報酬についても、想定内に抑えてくれて感謝する。もちろんこちらで全額負担するから、情報は共有ということで頼むぞい」

「ああ、もともとそういう約束であったからのう。自分の懐を痛めずに欲しい情報が集められるというのは、こちらとしても願ったり叶ったりだからな」

 ふっふっふ……と、互いに目を合わせ、嗤い合うオスマンと太公望。

「それにしても、まるでラスボスのような風格じゃったの」

「こんないたいけな少年をつかまえてラスボスはなかろう」

「本当にいたいけな子供は、自分をいたいけなどとは言わんわい。ところでその姿……ひょっとして<フェイス・チェンジ>か?」

「素だよ。始祖ブリミルとやらに誓ってもかまわぬ。童顔なのは認めるがの」

「その見た目でマチルダより年上とか、反則にも程があるじゃろ……」

「それはともかく、この話を持ちかけられたときはさすがのわしも呆れたぞ」

 ――オスマンが太公望へ持ちかけた話とは。

 曰く、街の居酒屋で尻を触った給仕の娘に、なんとなくだが見覚えがあった。それが気にかかったオスマン氏は、しばらくその店へ通いつつ彼女を観察し、やがて昔付き合いのあった貴族の――既に断絶していた家の娘だと確信した。

 その後、ロングビルという偽名を使っていた彼女――マチルダの事情を知っており、その身の上に深く同情していたオスマン氏は、自分の秘書として採用し、これまで身近に置いていたのだが……結果として、学院に大変な危難を呼び込んでしまった。

 とはいえ、このまま縛り首にされるのを黙って見ているというのも寝覚めが悪い。なんとか彼女を救い出し、かつ更正させる良い方法はないだろうかと考えた。そこで、最悪の場合、自分だけが泥を被る覚悟で太公望へ話を持ちかけたところ。腕の良い斥候役を欲していた太公望から、情報収集役として裏から雇うという折衷案を提示され――学院に迷惑がかからない形でそれを実行するための案をふたりで出し合った結果――現在に至る。

「知り合いの娘だからといって、秘書の身辺確認を怠るとか、ありえぬわ。ひとを害するような真似をしておらんかったから、今回は特別に乗ってやったが……」

 心底疲れたといった風情で、肩を落とす太公望。

「いや~、まさかあんなお転婆しとるとは、思いもよらなんだわ。ねえ? 男なら誰だってあんなあちこちプリンちゃんに育っておったら、そりゃ惑わされるよ。なあ?」

 至極真面目な顔でそう尋ねるオスマンに。

「おぬし、いっぺん死んだほうがよいのではないか?」

 太公望は、呆れ声でボソッと呟き返した。

 若いくせに枯れたジジイみたいな反応しおって……と、オスマンは軽く咳払いする。

「舞踏会は既に始まってしまったが、今からでも遅くはない」

 オスマンの念押しに、頷く太公望。

「ちゃんと出席するから安心せい。わしとて、いらぬ憶測を生みたくはないからのう」

○●○●○●○●

 アルヴィーズの食堂の上にある大ホール――フリッグの舞踏会場は、学院関係者による怪盗フーケ捕縛の報に沸き、例年になく大きな盛り上がりを見せていた。

 才人は、ルイズから買い与えられていた礼服を着て、会場脇のバルコニーの枠にもたれかかり、歓談や食事に夢中になる貴族たちを、外から眺めていた。

「ふふん、馬子にも衣装ってやつじゃねえか」

「うるせえな。こんな服着るの、初めてなんだよ」

 従兄弟の結婚式には、制服で出たし――と、バルコニーの枠に立て掛けたデルフリンガーの憎まれ口に、そっくり同じような口調で答えた才人は、先程メイドのシエスタが運んできてくれた肉料理を口に運び、それをワインで流し込む。

 ホールの中では、キュルケが男達に囲まれて笑っている。彼女のまとう深紅のドレスと赤い髪が相まって、まるで中心で燃える炎のようだ。

 黒いパーティドレスに身を包んだタバサは、一生懸命にテーブルの上の料理と格闘している。その隣にある席の前は、山ほど積まれたデザートが――パイにタルト、色とりどりの果物も処狭しと並んでいるが、そこに着くべき主はまだ到着していないようだ。

「どうした才人、中に入らぬのか?」

 と、その主――太公望が現れた。彼はいつものそれとは違い、才人同様に礼服に身を包んでいたのだが――傍目で見ても着慣れていないのがわかるくらい、着崩れしていた。

「うわっ、似合わねえ!」

 自分のことを差し置いて、思わず笑ってしまった才人に、

「仕方なかろう。このような服を着るのは初めてなのだ」

 と、窮屈そうに答える太公望。横にいるデルフリンガーもカタカタと笑っている。

「なんか、場違いな気がしてさ。お前こそ、タバサほっといていいのかよ? あのテーブル見てみろよ。デザートしこたまキープして待ってるみたいだぜ」

「なんと!? さすがはタバサ、気が利くのう。だがしかし、わしにはこれからやらねばならぬことがあるので、菓子を楽しむのはその後だ」

「やらねばならぬこと? 何だ、それ」

 そんな才人の問いを遮るように、呼び出しの衛士がルイズの到着を告げる。

「ラ・ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおな~り~!」

 あいつずいぶんと遅かったな、女って身支度に時間かかるから大変だよな――などと考えつつ声のしたほうを振り向いた才人は、思わず息を飲んだ。

 あれがルイズか。白く淡い光沢を放つパーティドレスに身を包み、髪を上品な造りの髪留めで上にまとめた彼女の姿は、いつも以上に輝いていて――眩しかった。

 ルイズは、さかんにダンスを申し込んでくる男子生徒たちに断りを入れながら、ゆっくりとバルコニーに佇むふたりと1本の側へ近寄ってくる。

「あんたたち、こんなところで何やってるのよ」

「いや、別に」

 才人は、ぷいと顔を横に逸らした。酒が入っていてよかった。これなら、顔の赤さを彼女に気取られずに済むだろう。そこへ、太公望から声がかかる。

「せっかくの雰囲気を壊してしまって悪いのだが、3人に大切な話がある。そう長くは時間をとらせぬから、少しかまわぬか?」

「3人ねェ……ケケケ、それは俺っちも含んでってことだよな?」

 機嫌が良さそうにカタカタと鍔を鳴らすデルフリンガーに、太公望は頷く。

「ええ、かまわないわ」

「俺も、ここでメシ食ってただけだし」

 残るふたりの了承を得た太公望は、周囲を伺い――他に誰もいないことを確認すると、早速話を始める。

「さっきの件だ。才人が<伝説の使い魔>だという話、誰にもしてはおらぬだろうな」

「もちろんしてないわよ――だいたい、今まで身支度してたんだから」

 そう答えるルイズと、同じくずっとここで飲み食いしてたし、そんな話は出しようがなかったと言う才人の返事に、大きくふうっと息を吐く太公望。その表情は、心底ほっとしているようだった。

「それは良かった。ならば、これから何があっても絶対に他言無用だぞ。当然、誰に対しても、だからな? 才人よ、今後は普段からそのルーンを隠しておくのだ。そうだのう――片手だけでは目立つ。両手の邪魔にならない、手袋のようなものが望ましいのだが」

「え、なんで?」

 今まで普通に出していたのに。そう問い返す才人の疑問に答えたのはルイズだ。

「あ、そっか……伝説っていうくらいだもん、すっごく珍しいってことよね」

「何か悪いの?」

 それに答えたルイズの顔は、傍目から見ても明らかな程、血の気が引いていた。

「えっとね、この国にはアカデミーっていう研究機関があるんだけど……そこでは、しょっちゅう色々な実験をしてるの。もし、伝説なんていわれる使い魔だってわかったら、あんた連れて行かれて、解剖されちゃうかもしれないわ」

「なにそのヤバイ機関。人体実験までやってるのかよ」

 思わず左手を隠し、周囲を用心深そうに伺う才人に苦笑する太公望。

「ん、まあ解剖云々はともかく、目立つとまずいというのは理解できたかのう?」

 素直に頷くふたりと、カチンと鍔を鳴らすデルフ。理解したという表明だろう。ルイズは内心、もうちょっとで自慢するところだったわ――などと冷や汗をかいていた。

 いっぽうの太公望はというと、ルイズの話を聞いて、彼女とは全く別の意味で冷や汗を滲ませていた。この国に、人体実験を行うような機関があるとは初耳だ。これは、絶対に自分が仙人であることを悟られてはならない。何故なら、もしも人類の夢である『不老不死』を実現していることが知られてしまったらどうなるか。ほぼ間違いなく逃亡生活に逆戻りだ。その上で、万が一にも捕らえられてしまったら……考えたくもない。

 そんな内心をおくびにも出さず、太公望は言葉を続ける。

「タバサにも、こちらから堅く口止めをしておく。あとは……そうそう、ルイズの魔法を見る件についてだが」

 この言葉に、ピクリと反応するルイズ。

「正確におぬしの<力>を測るため、次の虚無の曜日まで、体調をしっかりと整えておいてもらいたいのだ。魔法も授業以外では絶対に使わぬこと。練習も禁止だからな」

「……わかったわ」

「それと才人、おぬしギーシュと仲が良かったな。できれば『ドット』メイジとの比較を行いたいので、彼に協力を依頼してもらいたいのだが?」

「ああ、そのくらいならお安いご用だ。明日聞いてみるよ」

「なら一緒に頼みに行くわ。だって、わたしが協力してもらうんだから」

 ふたりの解答に満足した太公望が、にっこりと笑って言った。

「そうだな、それがよかろう。ああ、これで最後なのだが、才人よ。できれば、手のひらに収まるような、それでいて、メイジから見て『武器』に見えないものを手に入れ、携帯しておくがよい」

 その台詞に、デルフリンガーが激しく騒ぎ出す。

「なんだよ! 俺っちじゃ不満だってのかい!?」

「騒ぐでない、おぬしがいけないという話ではないのだ。屋外なら問題ないが、狭い場所で長い剣を振り回すわけにはいくまい? それに、ルーンの力を使う際に、いちいち剣を抜いていたら、いらぬ警戒をされてしまうからのう」

「ああ、言われてみればそうかもしれねえな。メイジから見て、そうは見えない隠し武器ねえ……うん、それなら相棒は自然に<力>を使えて、しかも慣れることができるってことだな。お前さん、よく考えるねえ」

 感心したように呟くデルフリンガーに、才人も同意する。

「話はこれで終わりだ。ではの」

「あ……ちょっと待って」

 軽く手を振って、その場を去ろうとした太公望を、ルイズが引き留める。

「何だ? どこかわからないところがあったかのう?」

「ううん、そうじゃなくって……その……今日はありがとう」

 コクリと首を前に傾けた太公望は、その言葉を背に離れていった。もっとも、

「行くぞ! 待っておれ、わしの甘味!!」

 などと叫んで自席へ駆け出したせいで、せっかくの雰囲気その他諸々が台無しになっていたのだが――。

「ったく……アイツって……」

「本当、子供なんだか大人なのか、よくわからなくなるわ」

「まあ、天才となんとかは紙一重っていうからな」

 ――違いねェ。最後を締めたデルフリンガーの言葉に、一同は笑い声を上げる。と……ふいに、ルイズの顔に影が差した。

「サイト……その、ごめんね」

 突然の言葉に、才人は慌てた。こんなしおらしい態度のご主人さまもいいなあ、などとちょっとは考えたが、口には出さなかった。

「な、なにがだよ。俺をこんなとこまで召喚したことか? それとも平民平民って散々見下してきたことか? 他には……心当たりがありすぎて、すぐには思い出し切れないんですが?」

 照れ隠しに、才人は思わず憎まれ口を叩いてしまう。

「ちょ……あの、そりゃね、主人としての威厳ってものが……ああ、もう、ちがーう! あんた……本当は、帰りたいんじゃないの?」

「まあ、そりゃな。いきなり連れてこられて使い魔になれとか、滅茶苦茶だろう。家に帰りたいし、父さんや母さんに会いたい」

 当然よね……才人の言葉に、ルイズは俯いた。今まで考えてもみなかったことだが、彼にだって、故郷があり――家族がいるはずなのだ。それなのに、魔法で一方的に彼らを引き裂いてしまった挙げ句、今もこうして自分に付き合わせている。

「でもさ、帰る方法が見えてきたから、今はそんなに焦ってない」

 笑顔でそう言った才人に、マイナス思考に陥りかけていたルイズは思わず顔を上げた。

「タイコーボーが言ってただろ。お前は、異世界にいた俺とお前の間に『門』を作れたんだ、って」

「待って! 前にも言ったかもしれないけど、ハルケギニアには、召喚したものを送り返す魔法はないのよ!?」

「あいつのところにはあるんじゃないのか?」

 その言葉にはっとするルイズ。そうだ、タイコーボーは言っていたではないか。『空間ゲート接続』というのは非常に難しい技術なのだ――と。それはつまり、彼の国にはそういう魔法が存在しているということになる。

「わたし、ロバ・アル・カリイエなら即幹部候補になれるって言われたわよね」

 笑みを隠しきれない顔で呟くルイズに、才人は頷き返した。

「すげえよな。あいつがあそこまで言うんだから、お前、本当にそっちの才能あるんだよ。だから、いつかお前がそれを覚えたら」

「帰っちゃう……のよね」

「ああ。んで、お前に日本の凄さを見せつけてやる」

「は?」

「いや、だからさ。お前と一緒なら、行ったり来たりできるようになるだろ? そりゃ最初呼ばれたときはムカついたけどさ。まだまだこの世界を見てみたいっていうのは、俺のホントの気持ちだ」

「あんた……」

「それなら、使い魔やめずにいつでも帰れるし、こっちにも来られるじゃないか。だから、お前のこと、手伝うよ。俺は魔法なんて使えないけどさ。部屋の片付けくらいならやれるしな」

「使い魔をやめずに? いっしょになら、行ったり来たりできる?」

 その言葉を反芻し続けているルイズをよそに、才人の独演会は続く。

「なあなあ、ロバ……なんとかにも行ってみたくないか? きっと、こことは違う魔法がいっぱいあるぜ!? よし決まり! みんなで一緒に旅行しようぜ。案内はタイコーボーにしてもらってさ。俺と、ルイズと、タバサに、ギーシュ、キュルケも誘って。きっと楽しいだろうなあ」

 ――みんなと一緒に旅をする。

 今まで、そんなこと考えてもみなかった。この使い魔を召喚してから、自分の周りが劇的に変わった気がする。本当に、そんな魔法が出来るようになるのか、わたしにはわからない。でも、少なくとも目の前にひとり――それを信じてくれているひとがいる。

 ルイズはドレスの裾を両手で恭しく摘み上げると、膝を曲げて才人に一礼した。

「わたくしと一曲踊ってくれませんこと? ジェントルマン」

「俺、ダンスなんかしたことねえよ」

「わたしに合わせるだけでいいのよ」

 そう言って自分を見上げるルイズの顔は、激しく可愛くて、綺麗で、清楚であった。才人はふらふらとルイズの手を取り……ふたりは並んでホールへと向かった――。

 そんな彼らの様子をバルコニーで見守っていたデルフリンガーは、こそっと呟いた。

「おでれーた。主人にダンスを申し込まれる使い魔なんて、初めて見たぜ」


○●○●○●○●

 ――その翌日。

 学院から引き渡されたフーケを引っ立てていった衛士隊の一行は、トリスタニアの街でフーケに対し<魔法探知>を含む簡単な取り調べを行った後、護送用の馬車で、一路チェルノボーグの監獄へと向かった。

 ところが、道中で突如天から落ちてきた大量の<水>によって、護送の一団はまるごと押し流され……必死に馬車の元へ向かったときには既に遅く。黒いローブにフードで顔を隠した謎の人物によって、フーケは拘束から逃れており。必死の追走も空しく、彼らはまるで煙のように姿を消した――。

 その後、この逃亡事件は……。

 学院側から、怪盗フーケが複数犯であるという報告を受けていたにも関わらず、奪還に対して警戒を怠っていたこと、今回の持ち回りを担当していた衛士長が、本来出すべき警護の兵数を小銭惜しさにケチっていたこと……ついでに収賄疑惑まで発覚し、最後には自らがチェルノボーグへ送られるという事態に至り、結果――その後フーケがぷっつりと消息を絶ったこともあり――フーケが逃亡したという事実と共に、関係者一同に厳しく箝口令が敷かれ――いつしか闇へと消えた。



[33886] 【風の分岐】第12話 雪風は霧中を征き、軍師は炎を視る
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/07/15 21:09
 ――物語は、怪盗フーケ捕縛当日の夜、20時頃まで遡る。

 この夜、トリステイン魔法学院の本塔2階ホールでは、貴族の学舎に相応しい優雅な宴が開かれていた。女神の名を冠したその会は『フリッグの舞踏会』と呼ばれている。

 フリッグの舞踏会は、毎年春、ウルの月のフレイヤの週・ユルの曜日――地球の暦に準えるならば、5月の第1週・火曜日に執り行われる、伝統ある祭典だ。教師と生徒、そして家格の枠を越え、お互いに親睦を深めることを目的としている。

 この舞踏会で一緒にダンスを踊ったカップルは、将来結ばれるという伝説があるため、男子生徒たちは必死の思いでお目当ての女性に声をかけ、女子生徒たちは女子生徒たちで、意中の男子生徒、あるいは男性教員の挙動をこっそりと伺っていた。

 男子生徒と女子生徒、それぞれの若さ溢れる甘酸っぱい駆け引きや、教員同士の歓談。舞踏会会場のいたるところで行われている、そんなやりとりとは無縁の者たちがいた。タバサと太公望のふたりである。

「この苺はよう熟れておるのう。ほれタバサ、おぬしもひとつどうだ?」

「……とろけるように甘い」

 彼らは、舞踏会場の片隅で、ひたすらテーブルに乗せられた料理と格闘していた。かたやサラダと肉料理、もう片方は果物と菓子のみと、内容が非常に偏ってはいたが。

「ねえ、あなたたちは踊らないの?」

 燃える炎のように赤い髪に、魅惑的な肢体を深紅のドレスで包んだキュルケが、彼らの側へ歩み寄ってきた――彼女に魅了された、複数の男子生徒を引き連れて。ふたりは、そんなキュルケに対してぐるっと首だけを向けると、自分たちのテーブルの上を指差し……すぐさま料理に向き直った。

「んもう、ふたりとも! 今日の主役は、フーケ捕縛に大活躍したあたしたちなのよ? 楽しまないでどうするの」

 呆れた様子のキュルケに、ふたりは食器を手にしたまま答える。

「存分に楽しんでおるが?」

「同じく……ん、奥のテーブルに新しい焼き菓子到着を確認。今夜初登場」

「報告ご苦労。謝礼として、おぬしのぶんも確保してくる!」

「期待している」

 空いた皿を手に「よっしゃー!」と気合いを入れた太公望が、件のテーブルへ向かって駆けてゆく。そんな彼の後ろ姿を、タバサは視線を料理にロックしたまま、片手を上げ軽く振ることによって見送った。

「まったく、揃ってこれなんだから! ほら、向こうを見てごらんなさいな」

 そう言って、キュルケは会場の一角を指し示す。その細い指先の向こうには、桃色の髪の少女と黒髪の少年が、互いに頬を染めて踊っている。踊り慣れていないのであろう、黒髪の少年は傍目にもわかるほど不器用で下手くそなステップを踏んでいたが、桃色の髪の少女は文句ひとつ言うことなく、少年の動きに合わせて器用に身体を動かしていた。

「ほら、見てごらんさいな。あの堅物のヴァリエールまで踊っているのよ?」

 入学して以後開かれた数々の舞踏会。タバサは、いつもひとりでぽつんと会場の片隅にあるテーブルにつき、黙々と料理を口に運んでいるだけだった。それもそのはず、彼女は男子生徒たちの眼中に無いに等しい存在だったからだ。

 短く切り揃えられた蒼い髪と、透き通るように白く滑らかな肌、宝石のように輝く碧眼によって彩られた顔は、よくよく見ればかなりの美人であったのだが、しかし。142サントしかない身長は、15歳という年齢にしては小さすぎたし、すとんとした幼子のような肢体には、恋やダンスのパートナーとしての面白みが感じられない。

 しかも、彼女はほとんど喋らない。話しかけても無反応であることのほうが多い。これでは、ダンスの誘いをかけようにも二の足を踏むであろう。そこで無視されたりしたら、貴族として大恥をかくことになるからだ。そんなわけで、進んでタバサに声をかけるような酔狂な男子生徒は、これまでひとりもいなかった。

 でも、今日はそうではない。少なくとも、側に誰かが――ヴァリエールと同じ、使い魔ではあるけれど、男の子がいるのは間違いない。ようやく一歩前進できたのかしらね……そんなことを考えながら、キュルケはタバサの肩に腕を回すと言った。

「しょうがないわね。それじゃ、連れがいるから……またね」

 キュルケはタバサの頬に軽くキスをすると、大勢の取り巻き達と共に、人混みの中へと消えていった。そこへ、入れ替わるように太公望が戻って来た。両の手に、菓子で山盛りになった皿を抱えて。

「ありがとう」

「何を言う、これは情報への正当な対価なのだ。わしも食べたかったしのう」

 からからと笑いながら、取り皿に『戦利品』を振り分ける太公望へ、タバサがポツリと言葉を返す。

「その件だけじゃない。許可証」

 ああ、そのことか――と、今更気がついたような太公望に、タバサは目を向ける。ちなみに、このような時ですら、彼らの手は止まることなくテーブル上に山と積まれた料理へと攻撃を続けていたりする。

「図書館で書物を探しておる時に、ごく稀にだが、おぬしの視線がとある場所を捉えていた」

 タバサの手が止まった。

「そこに何があるのか気になってのう。司書に聞いたら、教員以外立ち入り禁止とされている書物庫があるというではないか。しかも数千年前の貴重な本まで、当時のまま残っておるとか」

「それだけで」

「きっかけはそれだが、わし自身も古い書物に興味があったのでな。せっかくだから、一緒に申請したというわけなのだ。ふたりとも入れれば、面倒もなかろう?」

 『フェニアのライブラリー』。タバサは、とある目的のために、ずっとそこへ立ち入りたいと願っていた。だが、それを告げたことはないし、思わせぶりなことをしたつもりもない。しかし、自覚のないまま視線を彷徨わせていたようだ。

 ――彼の目は、いったいどこまでを見据えているのだろう。

 ふと、タバサの頭の中でばらばらになっていたパズルのピースが組み合わさる。そうだ、これこそが彼の持つ真価ではないか。国中を混乱させた怪盗の正体を、わずかな時間で突き止め、捕縛した眼力――神眼といっても過言ではないそれは、学院はもちろんのこと、王立アカデミーの研究員ですら突き止められなかったルイズの魔法をも見出そうとしている。風竜よりも早く飛べる? そんなものは、この<力>に比べたらなんでもない。

 食事の手を止め、俯いてしまったタバサを見て、

「どうしたのだ? 食べ過ぎで腹でも痛めたのか?」

 などとまるで見当違いの心配をする太公望。そんな彼の声を聞いて、タバサは思った。もしかすると、このひとなら――。

「聞きたいことがある」

 顔を上げ、真っ直ぐに太公望を見つめるタバサ。突如向けられた真剣な眼差しに、彼女と同様に手を止め、見返すことで太公望は応える。

「わしに答えられるものであれば」

「身内に病人がいる……わたしは、その病を治す方法を探している。あなたには、治療の知識はある? 知っていたら教えてほしい。特に、心の病に関することを」

 彼女の、心からの願い。だが――この時、運命はタバサに味方しなかった。寂しげな……それでいて悲しそうな色を湛えている太公望の目を見て、彼が次に何を言うのか、タバサにはわかってしまった。

「すまぬ、わしに医術の心得はない。それに、心の病は……わしらの国の者にも、治すことができないものなのだ」

「……そう」

 掴みどころのない性格の彼だが、こういう時に嘘を言う人物には見えない。その彼ができないと断言するのなら、本当に不可能なんだろう。落胆していないといったら嘘になる。けれど、自分だけではどうしても立ち入ることが叶わなかった『フェニアのライブラリー』へと導いてくれた。それで充分だ。その『道』を進み、探せばいい――。

 タバサが決意を新たにした、そのとき。バサバサッという羽音と共に、ホールの窓から1羽のフクロウが飛び込んできた。灰色のフクロウは、舞踏会の喧噪の中、迷うことなくまっすぐとタバサの元へと向かい――その肩へと留まった。

 タバサの表情が、硬くなった。フクロウの足に括り付けられた書簡を手にすると、さっと目を通す。そこには、短くこう書かれていた。

 『出頭せよ』

 ――と。

 タバサの目に、強い光が宿る。先程までのそれと違う、様々な感情がないまぜになった、複雑な――それでいて暗い輝きが。タバサはすっと立ち上がると、まっすぐに誰もいないバルコニーのほうへと歩き出す。このまま闇にまぎれ、外の厩舎へ。そう考えた彼女の腕を、後ろから掴んだ者がいた。それは、彼女の隣に座っていた太公望であった。華奢なタバサの腕をぐいっと掴み、その身体ごと自分のそばへと引き寄せた彼は、周囲を伺いながら口元を手で隠し、小さな声で彼女の耳元へと囁く。

「祖国から、仕事に関する呼び出しを受けた――そうだな?」

 何故――!? タバサは言葉もない。

 わたしは『任務』のことなど、これまで一言たりとも彼に話してはいない。タバサの戸惑いを察したのだろう、何でもないことのように太公望は言葉を続ける。

「『シュヴァリエ』とやらは、実績の証だそうだのう。タバサよ、おぬしはあきらかに多くの実戦経験を積んでおる。周りには隠しておったようだが、わしには普段の何気ない身のこなしや言動から、それがわかっておった。そうでなければ、間違ってもこんな小さな娘を、盗賊の監視役につけるような真似などせんわ」

 タバサは以前、彼に「少々見くびっていたようだ」と言われたことを思い出した。そうだ、彼はとっくの昔に見破っていたのだ。わたしが『騎士』であることなど。

「そこまでわかっているなら……放して。すぐに行かなければならない」

 強引に腕を振り払おうとしたタバサだったが、思いのほか強く握られていて、それもできない。睨み付けても、いつもの飄々とした態度でかわされてしまう。

「別に、そこまで急いで来いと書かれてはいなかったであろう?」

「でも」

 確かに、受け取った書簡には『出頭せよ』と書かれているだけだ。しかし、できる限り早く行かなければならない。もしも彼らの機嫌を損ねてしまったら、大変なことになる。タバサはもがいた。

「ずいぶんと焦っているようだが、焦りはろくな結果を生まぬ。まさかとは思うが、この学院に、おぬしを監視している間諜がいて、それを確信しておるのか? 少なくとも、わしがここへ呼ばれた日から、それらしき者を見た覚えはないのだが?」

「いない。わたしも、当然調査している。学院側も、身分の不確かな者を雇ったりはしない」

「……不確かなのが、今おぬしの腕を掴んでいるわけだが。まあそれはよいとして」

 ふいに、太公望の目つきが変わる。タバサは、彼のそんな表情に見覚えがあった。これは……交渉のときや、何か悪戯を思いついたときの――!

 ――まずい。タバサがそれに気付いた時は、既に手遅れだった。

「これ! タバサ、タバサよ! いくらなんでも飲み過ぎだ! すまん誰か、ちと手を貸してくれ!!」

 まさしく大音声と言うに相応しい声が、ホール全体に響き渡る。その声に、なんだなんだと太公望とタバサの周りに人だかりができる。そんな中、彼らのすぐ側まで寄ってきた者達がいた。キュルケと、その取り巻き達だ。

「あら、ミスタ。こんなところで痴話喧嘩かしら?」

「違うわ! タバサのやつが悪酔いしてな、バルコニーから飛び降りると言って暴れるのだ! 頼むから、止めるのを手伝ってくれ」

「嘘、わたしは酔ってない」

 そう言ってもがくタバサを、キュルケが抱き締める。

「ふふッ、酔っぱらいはね、自分が酔ってるって気がつかないの。ほら、今日はもうお部屋に戻って休みなさいな……スティックス、お願い」

 キュルケの側にいた男子生徒のひとりが、さっと杖を取り出してルーンを唱える。あの詠唱は<眠りの雲(スリープ・クラウド)>――そう悟った瞬間、タバサは夢の世界へ落ちていった。


○●○●○●○●

 ――タバサは、薄く靄がかかった視界の中を、杖も持たず、たったひとりで歩いていた。彼女の周囲には、深い霧と、遠くまで続く1本の道以外には……何もない。昔読んだ本に書いてあった、死後の世界ヴァルハラへと続く道のよう――そんな感想を抱きながら、足元だけを頼りに、タバサはまっすぐ先へと進んでゆく。

 彼女の前を、誰かが歩いている。しかし、視界が悪くその後姿をはっきりと見ることはできない。もっともタバサは、先を行く者に声をかけるつもりなどなかったのだが。

 ……と、歩み続けるタバサの耳に、小さな声が飛び込んできた。それはどこかで聞き覚えがあるような、それでいて懐かしいような……。

「…………ロット……シャルロット」

 前を向いていたタバサの足が、止まった。

「……誰?」

 わたしの――小さな人形と引き替えに置いてきた、その名を呼ぶのは。

 タバサは、その場に立ち止まって周囲を見回す。と、道の外側――先程まで深い霧に包まれていた一部が晴れ――その先にあった大岩の上に、ひとりの人物が座っていた。

「おじい……さま!?」

 そんなはずはない。御祖父様はとうの昔に亡くなったはず――。

 思わぬ人物の姿に狼狽した彼女のもとへ、再び懐かしい声が響く。

「シャルロット……」

 特徴的な青い髪。40歳を過ぎてなお青年のような瑞々しさを面影に残す男が、先程タバサが祖父と呼んだ老人の側に、静かに佇んでいた。

「父さま!!」

 大声で叫んだタバサは、彼らのもとへ駆け出そうとした。だが、道を外れたその途端、足を踏み外す。彼女がこれまで歩いていた道は、細い崖道だったのだ。咄嗟に<フライ>のルーンを詠唱しようとしたが、杖を持っていないことを思い出し、歯噛みした。あれは、わたしを惑わすための罠――。

 崖下に広がる闇へとタバサが飲み込まれていこうとした、その時。彼女の腕を、崖の上からがっしりと掴み取った手があった。

「どうやら、間に合ったようだのう」

 ――タバサの手を取ったのは、彼女の使い魔・太公望だった。


○●○●○●○●

「……夢?」

 気がつくと、そこは自室のベッドの上だった。身につけているのは、いつもの寝間着だ。タバサはゆっくりと身体を起こし、頭を左右に軽く振った後、ここに至るまでの経緯を思い起こす。そうだ、確か舞踏会の最中に、伝書フクロウが出頭命令を運んできて。それで、厩舎へ向かおうとしたところを太公望に捕まって、それで――。

 慌ててベッドから飛び起きたタバサは、窓の外に目を向けた。もう日が昇っている。おそらく、一晩中眠ってしまっていたのだろう。

 ……と、扉をノックする音が室内に響いた。

「タバサ、もう起きとるか?」

 太公望の声だ。タバサは一瞬、急いで着替えを済ませて外へ飛び出そうと思ったが、やめた。彼のことだ、すぐに状況を理解して追いついてくるだろう、無駄なことをしても体力を消耗するだけ。そう判断したからだ。

「今起きた。着替えるから、少し待って」

「わかった。なるたけ早く頼む……と、できれば厚めの上着を用意しておくのだ」

 厚めの上着? もしや、今日は冷え込むのだろうか――状況の割には、自分でも驚くほどに落ち着いていたタバサは、急いでベッドから飛び出して服を身につけると、言われた通りのものを用意し、扉を開けた。

「終わった」

「そうか。では、部屋の中で話をするとしようかのう」

 そう言って中に入ってきた太公望は、少し大きめの背負い袋を手にしていた。

「厨房で、弁当を作ってもらってきた。おぬしの準備ができたなら、出かけるぞ」

 タバサには、ちと物足りない量かもしれんがのう。と、からから笑って袋を持ち上げて見せた太公望に、タバサは唖然として言った。

「出かける……?」

「急ぎの仕事があるのだろう? 馬で行くより早い移動手段があるではないか」

 タバサは驚愕した。まさか彼は、わたしを自分の背中に乗せて、一緒に行くつもりなのだろうか。だめ。わたしは、あなたをこの『道』へ巻き込むつもりなんかない。強い口調で、彼女は否定の言葉を吐いた。

「これはわたしに課せられた任務。あなたには関係ない」

「その任務の邪魔をして、一晩休ませるという判断をしたのはこのわしなのだ。その責任を取る必要がある。それにだ……」

 太公望は、懐からくるくると丸められた1枚の羊皮紙を取り出すと、ぴらっと広げる。タバサは、その書面に見覚えがあった。

「初日に交わした契約書類だ。ほれ、ここにこうある――『太公望は、使い魔として常にタバサの側にあることとする』……とな」

「でも」

「デモもストもないわ。一度結んだ、しかも双方充分納得の上で取り決めた契約を理由もなく一方的に破棄しては、他人から信用を得られるわけがない。学院側も、おぬしも、これまできちんと約束を守っている。わしのほうから破るわけにはいかぬ」

 まったく、これを見越してこの一文を紛れ込ませおったな、あの狸ジジイめ……などと内心でブツブツとオスマン氏への黒い呪詛を吐く太公望だったが、それはタバサの耳には届かない。

「これ以上の話は、空の上でするとしよう。ああ、この袋はおぬしが背負ってくれ。では行くぞ、タバサ」

 弁当袋をタバサへ手渡した太公望は、彼女の返事を待たずに窓の外へ飛び出した。そんな彼の後ろ姿を見たタバサは……わずかな逡巡の後、彼を追って窓から飛び降りた。


○●○●○●○●

 ――なるほど、厚手の上着を用意しろと言っていたのはこのためか。

 タバサを背に乗せて空を飛ぶ太公望は、人を乗せて高速飛行する姿をあまり他人に見せたくないという理由から、高度5000メイルを維持しつつ一路ガリアの王都・リュティスへと向かっている。確かにこの高さを飛ぶ生き物は、ハルケギニアには存在しない。ましてや、普通の人間が<フライ>でこの高みへ到達すること自体、絶対に不可能だろう。

 前回背中に乗せてもらった時よりも遙かに強い向かい風が、タバサの頬と髪を嬲る。上着なしでは、この風と突き刺すような寒さには耐えられなかっただろう。太公望曰く、シールドの強さを調節することで消耗を抑え、そのぶん飛行できる距離を稼いでいるのだそうだが……それはつまり。やり方を変えれば、さらに上の世界を見ることが可能だということだ。

 それにしても、本当に速い。おかげで、途中で休憩を挟んでも、成体の風竜にすら劣らぬ速さでリュティスまで到着できそうだ。彼の背中に強くしがみつくようにしていたタバサが、太公望にそう告げると、意外な返事が戻ってきた。

「いや。今回は馬で街へ出て風竜に乗り継ぐよりも、ちと速い程度に抑えよう」

「なぜ」

「例の間諜の件だ。本当に学院近辺にいないのかどうかを確認しておきたい」

 タバサは、その一言だけで理解した。昨日のわたしの言動を見た彼は、わたしが実際に行動を見張られている可能性がある――そういう立ち位置にいるのだと推測した上で、不安要素をできるだけ摘み取ってくれようとしているのだ、と。

 もしも魔法学院だけでなく、タバサや太公望にすら正体を見破れないほどに優秀なスパイがついていたのなら、とっくに太公望の<力>は露見し、最悪自分と彼の身柄を確保すべく、関係者が動いているだろう。しかし、絶対にいないという保障もないので、引き続き警戒は必要だ。現時点で『敵』の手の者がいないと確認できたとしても、出頭命令が出てからあまりにも速く到着した場合、タバサがいずこからか支援者を得たのではと怪しまれてしまう可能性もある。

 ……と、ここまで考えたタバサは、太公望を『目的』に巻き込みたくない一心で、これまで任務に関する一切の情報を漏らさないよう注意を払っていたが、事ここに至ってしまった以上、情報の秘匿は逆に彼の行動を阻害しかねない――そう結論した。既に関わらせてしまった以上、せめて状況の説明をする必要がある、と。もちろん、全てを話すわけにはいかないが……。

「あなたに、話しておきたいことがある」

 ――そして、タバサは語り始めた。自分が、ガリアの国王とその一族にとって、疎ましい存在であること。そのため、時折こうして呼びつけられ、表に出せない、それでいて命を落とす危険性のある『任務』を請け負わされていることを。

「なるほどのう……ちなみに、逃げることは考えておらんのか?」

「母さまを人質に取られている。もしわたしが逃げたら」

「どうなるかは自明の理、か……」

 国王が、部下に忠誠を誓わせるために人質を取る。よくある話だ。逆に、己の忠義を証明するため、自ら進んで身内を差し出す者がいるほどである。

 太公望は、出会った時から現在に至るまでのタバサの言動を思い返した。魔法学院にいる他の子供たちのそれとは一線を画す立ち振る舞いに、勘の良さ。そして、初めて出会った時に見た、絶望の色を宿す瞳と――昨夜初めて知った、彼女の心の奥底に隠されている、激しく燃えるような……それでいて、暗い炎の存在を。

 太公望は、その<炎>がどういうものか、よく知っていた。あれは、かつて自分が宿していたそれと、同じものだ。そして悟った。タバサは、他者を寄せ付けぬ氷の仮面をつけてこそいるが、心根の優しい娘だ。おそらく、わしを巻き込まぬよう気を遣って、余計なことを言わないのだろうと。

 『<サモン・サーヴァント>は、己に最も相応しいパートナーを選び召喚する』

 なるほど。相応しいかどうかはさておいて、自分と似通った運命を辿ろうとしている娘によって、わしは呼び寄せられたのか。この世界の『始祖』は、どうやらわしにやらせたい仕事があるらしい。

 ――夢のぐうたら生活は、結局実現せずに終わるのかのう……。

 心の内で盛大なため息をつきつつ、太公望は自分が今後どう動くべきなのかについて、タバサの話に耳を傾けながら、思考を巡らせるのであった――。



[33886]    第13話 軍師、北花壇の主と相対す
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/09/30 15:03
 ――ハルケギニア最大の国家・ガリアの王都リュティスは、隣国トリステインの国境から1000リーグほど離れた内陸部にある、人口30万人を越える大都市だ。

 街のそこかしこに、魔法で動く人形の兵士『ガーゴイル』が配置されている。このような都市は、他に例がない。警邏任務を可能とするほどに高い知能を持つ『ガーゴイル』を造るだけの魔法技術は、他の国には無いものだ。つまりガリア王国は、このハルケギニア世界において、最も魔法文明が発達した国ということになる。

 王都の東端に位置する、巨大で壮麗な宮殿『ヴェルサルテイル』は、ガリア王家の人々が住まう城だ。その中央にそびえ建つ、蒼色の大理石で組まれた『グラン・トロワ』と呼ばれる建物では、当代の国王ジョゼフ一世が、政治の杖を振るっている。

 そして、その政治的中枢から少し離れた場所に建つ、薄桃色の大理石で組まれた小宮殿『プチ・トロワ』の謁見室で、ひとりの少女がふて腐れたような顔をして、上座の椅子に腰掛けていた。少女は苛つきを露わにした口調で、ぽつりと呟く。

「あの『人形娘』は、まだ来ないのかしら」

 歳のころは17~8歳といったところだろうか。細い目に、瑠璃色の瞳が鋭く光っている。陶磁器のように白く滑らかな肌と、艶めかしいふっくらとした唇が印象的な娘であった。しかし、彼女を最も引き立たせているのは、その蒼く輝く髪であろう。丁寧に梳かれ、最高級の絹糸の如くそよいでいた。その一部である前髪が、ミスリル銀をふんだんに使用した豪奢な冠によって持ち上げられ、小さな額が覗いている。

 ――娘の名は、イザベラ・ド・ガリア。この王国の王女であった。

 イザベラは、豪華絢爛たる装飾が施された椅子にだらしなく腰掛け、なんとも気怠げな様子で、近くの小机の上に置かれていたベルを鳴らす。すると、三人組の侍女が早足で謁見室に駆け込んできた。

「お呼びでございますか、姫殿下」

「退屈よ。何か面白いことをしなさい」

 侍女たちは震え上がった。周囲にいた侍従たちが首をすぼめる。この王女が『退屈』と口にした時は、大抵ロクなことにならないからだ。

「で、では、将棋(チェス)のお相手でもいたしましょうか?」

「将棋なんて、もう飽き飽きしたわ」

「ならば、サイコロ遊びなどは……」

「そんなもの、王女がやる遊びではないわ」

「それでしたら、外で狩りなどはいかがでございましょう? 昨日、ピエルフォンの森に鹿を放ったと、犬狩頭のサン・シモンさまよりご報告が……」

 それを聞いたイザベラは、バンッと派手に椅子の肘掛けを叩いて立ち上がると、外での狩りを提案した侍女の顔を睨め付けた。

「馬鹿か、お前は! どうしてわたしがこの部屋で退屈な思いをしているのか、全くわかっていないんだね!!」

 ひいっ、と小さく悲鳴を上げて、侍女たちは後ずさった。

「まったく、父上は自分の娘が可愛くないのかしら。わたしだって、王家のお役に立ちたいのに。わたしはね、あの『人形娘』なんかと違って本当に有能なのよ! だから、官職に就きたいと願ったのに――こんな地味な仕事を寄越すだなんて、あんまりだわ!!」

 謁見室に居合わせた者たちは、びくびくとしながら互いに顔を見合わせる。イザベラはそんな侍従たちの様子を見て、さらなる苛立ちを募らせた。

 ヴェルサルテイル宮殿には、季節の花が咲き乱れる無数の花壇が存在する。由緒あるガリア王国の近衛騎士団は『東薔薇花壇警護騎士団』『西百合花壇警護騎士団』といったように、それらの花壇にちなんで命名されているのだが、陽が差さない宮殿の北側には花壇がないため、その名に『北』が入る騎士団は存在していない……表向きは。

 ――北花壇警護騎士団。

 それは、ガリア国内や国外で起こる様々な面倒ごとを『裏』で処理するための組織。一応は騎士団であるため、多くの『騎士(シュヴァリエ)』を抱えている。しかし、その組織としての在りようがゆえに、所属している者たちは互いに顔も名も知らない。もし仮に仕事を共にすることがあっても、番号名で呼び合う――名誉とは全く無縁の、闇の騎士団。イザベラは、その団長任務を父王から任されているのである。それがイザベラには気に入らないのだ。

「で? あの娘は、まだ来ないのかい!?」

「その、も、もう間もなくかと思われますが……」

「そうかい。じゃあ、退屈しのぎに賭けでもしようか」

 いいことを思いついたと言わんばかりに笑みを浮かべたイザベラは、先程鹿狩りの提案をした侍女の元へ歩み寄ると、手にした杖で彼女の頬をすうっと撫でた。件の侍女は、その瞬間、まるで氷の彫像にでもされたかのように蒼白となり、固まった。

「あと10分以内に『人形娘』が来たら、お前の勝ち。来なかったら、わたしの勝ち。どうだい、わかりやすくていいルールだろう?」

 吹雪のように冷たい声を浴びた侍女は、恐怖のあまり、ガタガタと震え出した。イザベラは、そんなふうに怯える侍女の表情こそが最高のご馳走だと言わんばかりの風情で、ぴたぴたと杖の側面で侍女の頬を嬲りながら、言葉を続ける。

「もしもわたしが負けたら、そうね、お前を貴族にしてやろうじゃないか。なぁに、爵位のひとつやふたつ、どうとでもなるわ。ただし、お前が負けたときには……」

 侍女の震えが激しくなった。それを見たイザベラは、にたりと嗤って言った。

「その首をもらうよ」

 侍女が白目を剥いて卒倒した直後。呼び出しの衛士がイザベラの元へ駆け寄り、件の従姉妹姫到着を告げた。報せを受けたイザベラが、つまらなさそうにふんと鼻を鳴らす。だが、その報告には彼女にとって気になる情報が混じっていた。なんでも、使い魔が一緒についてきており、どうあっても主人の側から離れようとしないのだという。

「ふふん。なんだい、あのガーゴイル娘。自分の使い魔を大人しくさせておくこともできないっていうのかい……」

「も、申し訳ございません、なんとか引き離して参ります」

 怯え声でそう言った衛士の姿を見て、イザベラは興味をそそられた。

「まあ、いいわ。その使い魔とやらも一緒に連れてきなさい」

「で、ですが……」

「このわたしが、いいと言っているんだ。わたしの命令が聞けないのかい?」

 震えながら外へ出て行った侍従の後ろ姿を見て、イザベラは満足げな笑みを浮かべた。普段『人形』と呼んで差し支えない程、感情を顕わにしない従姉妹姫が――使い魔に振り回される姿を見るのは、さぞ面白いに違いない……と。


○●○●○●○●

「おほ! おほ! おっほっほ!」

 イザベラは、気の触れたような笑い声を上げた。周囲にはべる侍従たちは、みな戸惑いを隠そうともしていない。なんとなく面白そうだと感じてはいたが、まさかここまでの傑作とは予想だにしていなかった。

「あんたが! 溢れる才能を鼻にかけて、余裕気取ってた北花壇騎士7号さまが! <サモン・サーヴァント>に失敗しただって!?」

 しかも。従姉妹が語ることを信じるならば、そのせいで『召喚事故』を起こし、よりにもよって異国――東方のメイジを誘拐同然に連れて来てしまったのだとか。

「で、そんなあんたの尻ぬぐいをするために、トリステインの魔法学院が責任を取って、その子を対外的に使い魔として雇った、と……あーっはっはっは、まったく、みっともないったら! ほら、お前たちも笑ってやりなさい!!」

 イザベラの命令で、侍従たちは仕方なしに笑みを浮かべた。しばらく、イザベラたちは従姉妹姫――タバサをだしに、笑い続ける。

 しばし笑ったイザベラは、ふいに問題の<使い魔>に言を向ける。

「おっほっほ、この娘が本当に迷惑をかけたわね。それにしても、どうしてここまでついてきたのかしら。まさかとは思うけれど、登城することを聞かされていなかったの?」

 王女から言葉をかけられた使い魔――太公望は、満面の笑みで答えた。

「いちおう、外で待っていろとは言われたんですがのう。街の中はいつでも見られる。しかし、わたくしのような者がこんな立派な城の中へ入る機会など、これを逃したらもう絶対に来ないと思いましてな! 逃げるご主人さまを追いかけて、無理矢理くっついて来たと。まあ、そういうわけでして」

 そう言った太公望は、物珍しげに周囲をきょろきょろと見回している。

「いや実際、長らく旅をしておりましたが、こんなに立派な建物は、初めて見ました。しかもまさか、こんな大国の王女さまにお目通りが叶うとは! そう聞いておれば、さすがに遠慮しましたものを」

 頭を掻きながら恐縮する異国風の装束を身につけた少年へ、イザベラは鷹揚に頷いた。

「おほほほほ、東方ロバ・アル・カリイエにも、この宮殿に並び立てるような城はないというのね。それにしてもシャルロット。あんた、この子にわたしと会うことを伏せていたの? まったく使えない娘だわ。事故を起こすのも道理ね」

「シャルロット……とは?」

 首をかしげ、心底不思議そうな顔をしている太公望を見て、イザベラはまた笑った。

「あはははっ、お前、本当に何も聞かされていないのね。光栄に思いなさい、このわたし自ら教えてあげるから。いいこと? お前を攫ったそこの小娘の名前はね、シャルロット・エレーヌ・オルレアン。この国の、王族よ」

「んな!? なっ……なっ……わ、わたくしはそのようなおかたに」

「そんなにあわてなくていいのよ? だって、それはもう過去の話。その娘は、もう王族なんかじゃないんだから。家を取り潰された、ただの没落貴族に過ぎないわ。ねえ、シャルロット? なんとか言ったらどう!?」

 ニヤニヤと笑って問いかけるイザベラに、タバサは答えない。だが……いつもなら真っ直ぐ見返してくるはずの視線が、今日は下を向いたままだ。イザベラには、それがこのうえもなく愉快だった。

「ねえ、シャルロット。本当なら、すぐにでもこのわたしに『事故』を報告すべきだったと思わない? けど……寛大なわたしは、許してあげるわ。だって、言えないわよね、こんなこと。あの天才、王弟シャルルの娘が――まさか<コモン・マジック>を失敗しただなんて……ねえ?」

 静まりかえったプチ・トロワの謁見室に、イザベラの高笑いだけが響き渡る。彼女は思った。こんなに楽しい気分になったのは、いつ以来だろうか。もっと、この愉悦を味わい続けたい。どうすれば、それが叶うのかと知恵を絞った。

 そしてイザベラは名案を思いついた。この奇妙な異国のメイジ――王侯貴族に対する礼どころか、王宮を訪れる際の常識すら知らない無知な流浪者の扱いを、人形娘よりも高くしてやればいいではないか――と。


○●○●○●○●

「あの反応、見たであろう? 学院近辺に、あの姫の間諜がいない事は確定したな」

 風竜の背に乗って『任務』へと向かう道すがら、太公望とタバサは先程までのやりとりについて、確認を取り合っていた。

 上機嫌のイザベラは、現地まで着いていくといって再びタバサを困らせた(ように見せかけていた)太公望のために、なんとわざわざ自分の名を使ってまで風竜を用意したのだ。わたしは、お前を誘拐した娘と違って、寛大な王族だから――と。

 もちろん、その風竜に<盗聴>や<遠見>の類の魔法が仕掛けられていないかどうかについては、タバサの<魔法探知>によって確認済みだ。

「あなたは、本当に大胆なことをする」

 正直、心臓に悪かった。そう話すタバサに、太公望は人の悪い笑みを浮かべる。

「現時点で見せてもよい手札を切った、それだけのことだ」

 共に宮殿へ行き、イザベラ王女に謁見する。王都リュティスへの空路でそう言った太公望を、当然ながらタバサは止めた。しかし、いくつかの理由を聞かされたタバサは、結局――渋々ながらも、同行を許可したのだ。

 太公望はまず、タバサから普段の謁見の様子――特に、王女イザベラとその周辺にいる侍従たちの言動を、出来る限り詳しく聞き出した。

 そして、イザベラの能力と性格――少なくとも、王から国の裏仕事を任されるだけの器量があること、にも関わらず子供のように周囲を振り回し、タバサに対して血の繋がった従姉妹とは思えないほど辛く当たること、その他諸々の情報から、周囲の者達の忠誠心がおしなべて低いであろうことを推測した。

 それらをふまえた上で、疎ましい従姉妹が、本来隷属すべき使い魔を御することができないと知ったら……イザベラは、どういった行動を取るか。ほぼ間違いなく、謁見の間へ連れてこいと命令するだろう――そう、タバサに語り。

 さらに。タバサが<サモン・サーヴァント>に失敗して『事故』を起こしたこと。その責任を取るという形で学院側が異国のメイジである太公望に頭を下げ、相応の対価を支払っていることを話すよう指示をした。

「学院長との取引については、口外しないという契約があったはず」

 最後はそう言って反対したタバサに対して、

「それはあくまでわしが、だ。おぬしがバラす分には問題ない」

 ケケケ……と、意地の悪い笑みで反論した太公望は――実際嘘ではないので――そのまま堂々とくっついて行ったわけだが……結果は、ご覧の通りである。

「召喚事故を起こしたなどという珍しい話は、黙っていてもいずれ噂となって伝わる可能性がある。ならば、その前にこちらから開示してしまったほうがよい」

「下手に隠すと、余計な探りを入れられると?」

「その通りだ。ならば、いらぬ憶測を生む前に、ある程度手札を晒したほうが後々の為になる。最初につけられた強い印象は、なかなか変えられぬものだからのう。ただ、そのせいで、おぬしには不愉快な思いをさせると思うが……」

「慣れているから問題ない。わたしのほうこそ、あなたを巻き込んでしまった」

 頭を下げるタバサに、太公望は笑いかけた。

「命に関わるような危険はない。失敗してもせいぜい謁見室に入れない、その程度だ。そもそも『裏』を取り仕切れるほどの娘が、他国の国営施設が雇った者に対して危害を加えたらどうなるかぐらい、判断できぬはずがないのだ」

 しかも雇用契約書まで交わしてあるのだ、下手に太公望へ手出しをしようものなら、国際問題に発展するのは間違いない。タバサ自身も、そういう意味においてはイザベラを信頼していた。もしも『北花壇警護騎士団』の団長である彼女が、本当に『無能』で『愚か者』であってくれたなら、タバサはここまで苦労していなかっただろうから。

「だが、この件をきっかけに、おぬしを支援しようとする者が減るかもしれぬ」

「かまわない。逆にこれがいい踏み絵になる」

 確かに大きな『失敗』ではあるが、たった一度の間違いで、それまで担ぎ上げようとしていた御輿を簡単に下ろす。そのような者たちを信頼することなどできない。わたしを傀儡にして、自分の利益を得ることだけしか考えない……あるいは『魔法』の腕でしかわたしを見ていない輩をふるい落とす、いい機会になる。タバサはそう答えた。

「でも、勘違いしないで欲しい……タイコーボー。わたしは、あなたの存在を失敗だとは思っていない」

「当たり前だ。もしおぬしがそんな輩なら、とっくの昔に逃げ出しておるわ」

 笑いながらそう答える太公望を見ながら、タバサはふと『プチ・トロワ』でのやりとりを思い出した。従姉妹姫のイザベラが、自分の父親に敵対する――つまり、反ジョゼフ派貴族の旗頭となりえるわたしを疎ましく思うのは理解できる。でも、何故あそこまで挑発するのか。最初は、わたしの堪忍袋の緒が切れて反乱を起こすのを期待している、そう考えていた。だが……。

 そんな疑問を太公望に向けると、彼はイザベラをしてこう評した。

「あの娘は、他人に自分の存在価値を認めてもらいたくてたまらない……孤独な子供といったところかのう」

 ある意味、タバサの友人ルイズに似ておったな……内心でそう呟く太公望。

 それを聞いたタバサの顔が、強張った。孤独な子供。豪奢な王宮で、大勢の家臣に傅かれ、それでもなお孤独だというのか。そんなの、理不尽ではないか。わたしに比べたら、彼女はずっと恵まれている。

「理解できない」

 そう答えたタバサに、

「あくまでわしの印象だからな? そもそも、ひとの心とは複雑なものだ。簡単に理解しあうことができるなら、争いなど、そうは起こらぬはずだしのう」

 そう言って小さく笑う太公望の声は、どこか寂しげだった。


○●○●○●○●

 ――それから数時間後。

 風竜の背に跨ったタバサと太公望のふたりは、ガリアの王都リュティスから300リーグほど南に離れた空を飛んでいた。

 現在彼らが向かっているのは、ガリア南部の山中にある『アンブラン』という名の村である。今回イザベラ王女から命じられた任務は、その村を襲うコボルドの群れを殲滅することであった。

「で、コボルドとは何者なのだ?」

 そう問うてきた太公望に、タバサは所持していた生物辞典を開きながら答える。

「犬のような頭を持つ、亜人の一種。腕力と知能はそれほど高くない。単体なら平民の戦士でも何とかなる相手。ただし、基本的に30匹以上の群れで行動することが多く、注意が必要」

 ふむふむ……と、相づちをうつ太公望。

「戦場であればともかく、それ以外の場所で無益な殺生を行うのは、人外問わず我らの間では御法度なのだが……そのコボルドとやらは、話し合いの通じる相手ではないのかのう?」

 眉根を寄せて唸る太公望に、タバサは説明を続ける。

「コボルドの戦士は凶暴で、人語は解さない。稀にいる神官が言葉を操る場合もあるけれど、彼らには人間を生け贄にして、その肝を自分たちの神に捧げる習慣がある。コボルドが人里に降りてきて、街や村を襲うのはそのため」

「うげッ! もしや人を攫って生け贄にするだけではなく、食う習慣もあるのか?」

 思わず表情を歪めた太公望に、コクリと小さく頷くタバサ。

「彼らはなんでも食べる。だから討伐しなければならない。現にこれまで、いくつもの街や村が、放置していたコボルドによって滅ぼされている」

「なるほど、そういう事情ならばやむを得んのう……」

 そう呟き、ため息を吐く太公望。

「見えてきた。あの村」

 タバサの言葉に、太公望は風竜の飛び行く先に目を向けた。そこは、四方を山で囲まれた、まさに陸の孤島と呼んで差し支えない場所であった。高い岩山を越える必要があるため、最寄りの街まで徒歩で最低数日はかかるであろう。風竜の背から、眼下に映る光景を眺めた太公望は、そのように判断した。

 アンブランの村は、そんな人里離れた場所にあったが、そうは思えないほどに栄えていた。タバサは風竜を巧みに操作すると、村の中央にある大きな広場に降り立った。

「おや、竜だよ。風竜だ!」

 タバサと太公望が竜から降りると、大勢の村人たちが、人なつっこい笑顔を浮かべながら彼らの周りに集まってきた。どうやら、外からの来客が非常に珍しいらしく、興味深そうにふたりに視線を投げかけてくる。

「この村にお客が来るなんて、珍しい!」

「マントを着けておられるよ。貴族さまだ」

 朗らかに笑いかけてくる村人たちを見て、太公望は戸惑いも露わに呟いた。

「妖魔に襲われているという割には、なんとものんびりした雰囲気だのう」

 太公望の所見通り、コボルドに襲われているという割には、村に悲壮感や殺伐とした雰囲気はない。それどころか、ごくごく普通の日常を送っているようにすら見える。そんな村人たちに、タバサも、そして太公望も奇妙な違和感を覚えた。どこがどうおかしいという訳ではない。集まった村人たちは、老いも若きも、男も女も、ガリアのどこの村にでもいるような、素朴なひとたちである。だが、何かが『感覚』の隅に引っかかるのだ。

 ここ数日の強行軍で、疲れているのだろうか。タバサは、そう自分に言い聞かせた。太公望も、頭を掻きながら周囲を見回している。

 ……と、人の輪の中から幼い少女がちょこちょこと出てきて、太公望を見上げた。

「お兄ちゃん、面白い格好! 頭にある白いのは、お耳?」

 太公望は、いつも通り頭に白い長布をぐるぐる巻きにしている。細長い結び目を、ぴん! と、まるで兎の耳のように立てているので、少女の目にはそう見えたのであろう。

「む? 触ってみるかの?」

「いいの? やったあ!」

 しゃがんで、少女に目線を会わせた太公望がそう言うと、少女は喜んで駆け寄ってきて、長布の結び目を掴んだ。

「こ、これ引っ張るでない! タバサ、何でおぬしまで掴んでおるのだ!!」

「一度触ってみたかった」

 そんな彼らの様子を見て、集った村人たちは一斉に笑い声をあげる。だが……ひとりの男から発せられた怒声が、平和な雰囲気に水を差した。

「こりゃああああ~あッ! 貴様らああああ、なぁにをしとるかああぁ~ッ!!」

 怒声の主は、長槍をかつぎ、時代がかった甲冑に身を包んだひとりの老爺であった。深雪のように白い髪と長い髭、そして顔中に刻まれた皺が、相当な高齢であることを伺わせる。古びた甲冑は、いかにも重たそうだが、それでも老爺はしっかりとした足取りでタバサたちふたりに近寄ると、長槍の先を突き付けた。

「怪しいやつめ! 名を名乗れい!!」

 村人のひとりが呆れたような声で、老爺を窘めた。

「ユルバンさん。この方々は、おそらくお城からいらした騎士さまですよ」

 ユルバンと呼ばれた老戦士は、くわっと目を見開いてタバサと太公望を見つめた。

「ふむ、なるほど。よくよく見れば、おふたかたともマントを身に着けておられるな。だが、たとえ貴族さまといえども、このわしの許可なくしてアンブランへ立ち入ることは許されませぬ!」

 側にいた少女に、大人たちのところへ戻るように言い聞かせた太公望は、その足で油断なく槍を構える老戦士に近寄り、名乗りを上げた。

「突然の空からの来訪、大変失礼した。こちらは、ガリアの花壇騎士タバサさま。わたくしは、その従者を務める太公望と申す者」

 紹介されたタバサは、老爺の目を見て小さく頷く。ちなみに、太公望が従者を名乗っているのは、任務の際にはそのように振る舞うことを、前もってタバサと打ち合わせていたからである。思いのほか丁寧な名乗りに少し警戒を解いたのか、老戦士の表情が緩んだ。しかし、長槍はそのまま油断なく構え続けていた。

「これはこれは、貴族のお嬢様に従者殿、無礼を許されよ。わしはユルバンと申す者。畏れ多くもこの地の領主、ロドバルド男爵夫人よりこの長槍を賜り、アンブランの治安を預かっておる」

 そう言うと、ユルバン老人は改めて長槍を構え直す。

「であるからして、わしの言葉は男爵夫人の言葉であると心得えられよ。さて、それではおふたかたが当村へおいでになった理由を述べていただきたい」

 その口上に、特に慌てることなく太公望は応じた。

「我らは、依頼を受けてコボルド退治に参ったのだが……ユルバン殿は、男爵夫人よりその件について、何か聞き及んではおられぬのだろうか?」

 それを聞いたユルバンの顔が、突如真っ赤に染まり、激しく歪んだ。

「うぬぬぬぬぬ、なんたることか! あれほど、わしひとりで充分だと申し上げたのに……ええい! 男爵夫人は、まだこのわしが信用ならぬとおっしゃるのか!!」

 ユルバンは長槍をひょいと担ぐと肩をいからせ、のっしのっしと早足で歩き出した。彼の行く先に男爵夫人の屋敷があるのだろうと判断したタバサは、無言で彼の後ろを追った。それを目にした太公望は、まずは近くにいた村人たちに、事情の説明を頼んだ。

「あの御仁は、いったいどういうおかたなのだ?」

 ユルバンに聞こえぬよう、小声でそっと尋ねる太公望に、

「あの爺さんは、この村を守っている兵士でね……昔は相当な使い手だったらしいんだが、今はご覧の通りってわけでさ」

 これまた小さく返事をする村人。

「ふむ。年齢に似合わず、足取りはしっかりとしておるようだが?」

「いやあ、それでもあの歳だからねえ。ひとりでコボルド退治に行くって息巻いていたんだが、年寄りの冷や水もいいところさね。あなたがたが来てくれて、本当によかった。あと3日も遅かったら、あの爺さん、痺れをきらして飛び出していっただろうからね」

 笑いながらそう答えた村人たちの声音には、ユルバンを馬鹿にしたような色はない。頑固な老人だが、住人たちに愛される存在なのであろう……そう判断した太公望は、村人たちに礼を言うと、先行したふたりの後を追って駆け出した。


○●○●○●○●

 ロドバルド男爵夫人の屋敷は、立派な門構えの貴族屋敷だった。季節の花が咲く生垣でぐるりと周りを囲まれ、小さいながらも隅々まで手入れが行き届いている。ユルバンのあとに続いて、タバサと太公望が外門をくぐると、この家の執事と思しき小太りの中年男性が駆けつけてきた。

「ユルバンさん、どうしたね?」

 ユルバンは、興奮して叩き付けるような声で言った。

「奥様はおられるか!?」

 その剣幕に、執事はたじたじとなる。後ずさりしながらユルバンの問いに答えた。

「い、今は、書斎のほうにおられるかと……」

 ユルバンは執事のほうを見向きもせずに、ずんずんとひとり奥へと進んでいく。その後、彼についてきていたタバサと太公望のふたりに気付いた執事は、突然の来訪者たちに困惑していたが――太公望が用件を告げると、執事は一瞬驚いた顔をしたが、すぐににっこりと笑みを浮かべた。

「これはこれは、お城からいらした騎士さまでしたか。遠いところを、わざわざありがとうございます。奥様がお待ちでございますので、こちらへどうぞ」

 タバサと太公望が執事に案内されて書斎へ到着すると、部屋の奥からユルバンの怒鳴り声が聞こえてきた。

「奥様、あれはいったいどういうことですか! 奥様のお言いつけ通り、コボルド退治を延期してみれば! 王都から、あのような年端もいかぬ子供を呼びつけるとは……」

「だ、だって、ユルバン。いくらなんでも、あなたひとりだけでは……」

 書斎の奥に、困り果てたような顔をした、銀髪の老婦人がいる。おそらく、あれがロドバルド男爵夫人なのだろう。

「このわたくしめは50年以上、たったひとりでロドバルド男爵家、ひいてはこのアンブランを守り続けてきた戦士ですぞ! コボルドごときに後れをとるなど、あろうはずがございませぬ!!」

「そういうことではないのです。わたしは、ただ……」

「では、いったいどういうおつもりなのか、このわたくしに納得のゆく説明を……」

 そんなところへタバサと太公望が入っていったものだから、ユルバンはさらに興奮し、大声を上げた。

「おお、これはこれは騎士さまがた! 今お聞きになられた通りです。おふたかたの手を煩わせるほどのことではありませぬ。早速、王都へお戻り願いたい」

「これ、ユルバン。失礼ですよ。せっかく遠方からいらして下さったというのに」

「いくら貴族とはいえ、ふたりともまだ小さな子供ではありませぬか! 見たところ、実戦経験もなさそうだ」

 不快げに「ふん!」と鼻を鳴らしたユルバンを再び窘めると、ロドバルド男爵夫人は、笑顔でタバサたちふたりのほうへと近付いてきた。

「まあまあ、ようこそアンブランへ。あなたがたが、王都からいらしてくださった花壇騎士殿ね?」

 タバサは小さく頷くと、短く名乗った。

「ガリア花壇騎士(シュヴァリエ・ド・パルテル)タバサ」

「わたくしは、従者の太公望と申します」

 子供になど構っていられない、とばかりに部屋を出て行こうとしたユルバン老人の背に向けて、ロドバルド男爵夫人が声をかけた。

「ユルバン。わかっているとは思いますが、この騎士殿たちがいらしている間は、村の外へ出ることはまかりなりません。あなたには、この村を守るという大切な役目があるのですから」

 ユルバンの顔色が変わった。

「つまり、それは……このわたくしめを、討伐隊から外すということですかな?」

 ロドバルド男爵夫人は、老戦士の言葉に重々しく頷いた。

「承服致しかねます! そのようなこと、認めるわけには参りませぬ!!」

 激しく頭を振る老爺に、ロドバルド男爵夫人は苦しそうな声で告げた。

「これは命令です」

「なんと……!」

 ユルバンは絶句し、それから悔しそうに何度も何度も首を横に振ると、ぶるぶると全身を震わせながら男爵夫人の部屋から出て行った。

「いやはや……ずいぶんと元気な御仁ですのう」

 あっけにとられた顔で太公望が呟くと、ロドバルド男爵夫人はふたりのほうへ向き直り、深々と頭を下げた。

「彼の無礼を、どうか許してくださいね。決して悪いひとではないの。ただ、責任感が強すぎるといいますか……」

 タバサと太公望は、了承の印に頷いた。

 ――それからロドバルド男爵夫人は、タバサたちに討伐依頼の説明をした。

 コボルドの群れが、村から徒歩で1時間ほど離れた所にある廃坑に住み着いたのは、今から1ヶ月ほど前のこと。幸い村はまだ襲われてはいないが、偵察隊と思しき者たちが、様子を探りに来るようになった。コボルドは、知性が低い割に用心深い。こちらの防御態勢の隙を見極めた上で、襲いかかってくるつもりであろう――と。

「群れの規模は?」

「廃坑の大きさからして、おそらく30……多くて40程度でしょう。おふたりだけで大丈夫でしょうか?」

 タバサは頷いた。太公望も、少しの間を置いて同様にする。

「ところで騎士殿。先程のユルバンの件で、お願いがあるのです。彼のことですから、おそらく『自分も連れて行け』と、あなたがたに申し入れてくるはずです。そのときは、どうかきっぱりと断っていただけないでしょうか」

 タバサと太公望の瞳を交互に見遣りながら、ロドバルド男爵夫人は続ける。

「あの通り、ユルバンはもうかなりの歳です。昔ならばいざしらず、亜人相手の実戦には、とても耐えられないでしょう。彼は、何十年もわたしたち一族のために尽くしてくれました。今や、夫も子供もいないわたしにとって、家族も同然なのです」

 ロドバルド男爵夫人の言葉は、慈愛に満ちていた。あの老戦士を危険な目にあわせたくない、そう願ったから、わざわざ花壇騎士に依頼したのだろう。そう考え、頷こうとしたタバサを押しとどめたのは、太公望だった。

「いや、一緒に連れて行ったほうがよいでしょう」

 驚いて自分を見つめるタバサと男爵夫人の顔を交互に見た後、太公望は続ける。

「ああいった御仁は、下手に押さえつけようとすると反発する。男爵夫人、失礼ですが、長年彼を側に置いていたあなた様にお伺いしたい。もしも我らが断ったとしたら……彼はどういった行動に出ると思われますかな?」

「そ、それは……いえ、まさか!」

 自分が導き出した答えに畏れおののくように、男爵夫人は身体を震わせる。

「さよう。ほぼ間違いなくひとりでコボルドの巣へ突入を敢行し……その先は、言わずともおわかりのようですな」

「でも」

 それでも反対しようとするタバサに、太公望は小さく笑って答える。

「わしらは風竜に乗って来ているのだ。耐えられないと思ったら、最悪竜の背にでも縛り付けておけばよい。男爵婦人も、どうかご安心めされよ。彼には、傷ひとつ負わせは致しませぬ」

 太公望の言葉を聞いても、未だ躊躇っていたロドバルド男爵夫人であったが……最後にはゆっくりと頷き、そして頭を下げた。

「わかりました。ユルバンのこと、くれぐれもよろしくお願い致します。食事と寝室の用意をさせますので、今日はこちらにお泊まりになられてください」

 会見後、タバサと太公望は食堂に案内された。そこには、ほかほかと湯気を立てる料理が処狭しと並べられていた。山盛りのきのこをバターで炒めたものと、山菜のサラダに、鹿肉のステーキ。タバサと太公望は、さっそくステーキときのこのバターソテーをトレードすると、フォークを手に取り、目の前の料理と格闘し始めた。

 だが、ひと口肉を口に含んだタバサは、思わず眉をひそめた。味つけが薄いのである。特に塩気が足りない。おそらく、老齢で独り身のロドバルド男爵夫人にあわせた薄味なのであろうと、タバサは判断した。

 ふと、隣の太公望はと見れば――なんの問題もないように、ぱくぱくときのこのソテーをたいらげている。単純に、わたしの好みの問題なんだろうか? とにかく味に文句をつけるのは失礼なので、タバサは首をかしげながら、ひとり黙々と料理を口へ運んだ。



[33886]    第14話 老戦士に幕は降り
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2013/03/24 19:47
 ――ずいぶんと味つけの薄い料理が並べられた晩餐会が済んだ後。

 太公望は、従者用としてあてがわれた部屋には向かわず、まっすぐにタバサの部屋――彼女は、騎士ということで立派な客間兼寝室に通されていた――へ出向いていた。当然、明日の作戦会議を開くためである。

 タバサとふたり、コボルドの習性その他について改めて復習をしていたその時、ふいにコツコツと、扉をノックする音が聞こえてきた。

「誰?」

 タバサが問うと、しわがれた声が響いた。

「わしです」

 ユルバンの声だった。タバサが頷いたのを見た太公望が、扉を開けると――そこには、平服に着替えた老戦士が立っていた。

 自分を部屋へ招き入れた者が、訪問相手であった騎士の少女ではなく、その従者だったことに少し驚いたような顔をしたユルバンだったが、奥にタバサの姿があることを確認すると、神妙な顔をして彼女の側へと歩み寄ってゆく。そして、無言のまま自分を見つめているタバサの前に、片膝をついた。

「お頼み申す! どうか! どうかわしも明日の討伐に連れて行ってくだされ!!」

「そのつもりだった」

「そこを曲げてお願い申し上げ……………え?」

 一瞬自分の耳を疑ったユルバンだったが、タバサが再度放った、

「あなたを連れて行くと言っている」

 と、いう言葉に、聞き間違いではなかったのだと改めて喜んだ。

「ま、まことでございますか! ありがたい、深くお礼申し上げる!!」

 時代がかった仕草で、ぺこぺことお辞儀をするユルバン老人に、タバサはポツリと事実を告げた。

「感謝する相手が間違っている。わたしは反対だった。あなたを連れて行くのは、彼がそう進言したから」

「お嬢さま! 年長者に対する礼を欠くなど、貴族にあるまじき振る舞いですぞ」

 そう言って、扉の側から近寄ってきた年若い――お嬢さまと呼んだ相手と、せいぜい2つか3つ程度しか違わないであろう従者をまじまじと見つめながら、ユルバンは思った。この若者が、わしを連れて行ったほうがよいと進言してくれたとは、一体どういうことであろうかと。

「何度も申しておりますでしょうが! ユルバン殿は、長きにわたってこの村を守り続けてきた、歴戦の戦士と男爵夫人より伺っております。なればこそ、周辺の地形にも詳しいはず。間違いなく討伐の助けになってくださると。それに、よくご覧くだされ! ご老体とは思えぬ引き締まった肉体! これぞ日々の鍛錬を欠かしておらぬ証拠ですぞ!」

「わたしは、あなたを討伐任務の大先輩として信頼している。だから、あなたがそこまで言って同行を求めるユルバンを信用することにする」

「ですからその言い方は……と、失礼したユルバン殿。そういうわけで、是非とも貴殿の力をお借りしたい。実はこちらからお願いに出向くつもりでおりましたが、わざわざお越しいただけるとは。感謝いたす」

 呆然としていたユルバンを尻目に寸劇を繰り広げていたひとり……太公望が、ぺこりと頭を下げる。ユルバンも、つられて礼を返す。

「ユルバン殿。ご覧の通り、お嬢さまはまだお若い。当然のことながら、妖魔討伐の経験も少ないので、今回は普段討伐任務を請け負う家臣団の中から、比較的年の近いわたくしが守役として供につけられましてのう」

 村の大事にこのような編成でもって挑むなど、失礼なこととは承知の上ですが……と、心底申し訳なさそうな表情で、ユルバンに語る太公望。

「なに。わたくしはこう見えても領内ではそれなりに知られた<風>の使い手。領内の盗賊退治や妖魔討伐で小隊指揮の経験も積んでおります。若輩者ゆえにご不安かと思われますが、そのへんのちゃらちゃらした貴族共に後れをとったりはしませぬぞ」

 ユルバンは仰天した。まさかこの若さで小隊指揮(小隊=30~50人程度の兵員を有する部隊)の経験者とは。話半分だとしても……自分の身体を観察し、毎日鍛錬を積んでいると見て取った眼力から、それなりの実力を持った戦士であるのは間違いない。

「ロドバルド男爵夫人には、既に随伴の許可をいただいております。アンブランの守りの要であるユルバン殿が村を離れることを、いたく心配しておられましたが……なに、我ら全員でかかれば、コボルド討伐などあっという間に終わります。さすれば、すぐにでも奥様の不安を取り除いてさしあげることができましょうぞ!」

 なんと、男爵夫人の了解まで取り付けておるとは! 実に手回しがよいではないか。ユルバンは内心で驚いた。そして……これまで、いくら男爵夫人に申し出てもコボルド退治の許可をもらえなかった理由についても納得した。

 奥様は、村の守人たる自分が、持ち場を離れてしまうことに不安を覚えられていたのだと。自分の腕について疑われていたわけではないのだ、奥様は、戦士としての自分を信頼してくださっていたからこそ、村にいてもらいたかったのだと。

 ――かつて、期待を裏切ってしまったこのわしを……奥様は、それでもなお信じてくだすっていたのだ。

 ユルバンは、感激したと同時に、この若者がいたく気に入った。いち貴族の従者とはいえ、メイジであるにも関わらず、平民の自分を全く卑下していない。それどころか、年配の戦士としての経験に期待してくれている。だから――太公望が差し出した手を、迷わず握った。

「いや、こちらこそ改めて宜しくお願い申し上げる。して……これから作戦会議というところですかな?」

「その通り。この周辺の地図と……可能であれば、コボルド共の巣になった廃坑の絵図面などがあるとありがたいのですが」

 それを聞いたユルバンは、我が意を得たといわんばかりにドン、と胸を叩いた。

「お任せくだされ。このあたりの山、そしてあの廃坑については、何度も調査しておりますれば。すぐに持って参りますからな!」

 勇んで部屋を出て行ったユルバンの後ろ姿を見送ったタバサは、ポツリと零す。

「……本当に口が上手い」

「ふふん、あれだけ言っておけば、単独討伐に出たりなどしないであろう」

  同じく小声で返した太公望。彼はしたり顔で、それに――と、続ける。

「かの御仁が任務の助けになるのも、間違いのない事実だ。しかし……タバサの演技もなかなかのものであったぞ?」

「だんだんあなたの影響を受けてきた気がする」

「存分に誇ってよいぞ」

「遠慮したい。ところで、小隊指揮の経験があるというのは真実?」

「師団を率いたこともあるぞ」

「……本当に?」

「さあどうかのう……ニョホホホホホ」

 ――その後、一抱えほどもある絵図面と地図を持って客間へ戻ってきたユルバン老人が真っ先に見たものは……椅子に腰掛け、茶請けにと出された菓子をポリポリと無心に囓り続けている少女と、その横に立て掛けられた長い杖。そのすぐ隣で、何故か頭を押さえてうずくまっている若者の姿であった。


○●○●○●○●

「なるほど、山の中腹にある木枠で囲まれた穴が出入り口。換気口兼避難用の細い洞穴が、やや斜め上方向に向かって1箇所伸びている……と。内部は人工の坑道と、一部鍾乳洞。先の2箇所以外には外に出るための道はない、か」

 ロドバルド男爵夫人宅の客間では、ユルバンが持ち込んだ絵図面を元に、コボルド討伐のための作戦会議が開かれていた。

「入口はそれなりに広いですが、洞穴のほうは、ひと1人が通るのがせいぜいといったところでござる。見張りは入り口のほうには常に置かれておりますが、洞穴のほうは出入りに使われること自体がめったにありませぬから、まず何もおりませぬ」

 老戦士の言葉に頷く太公望。身分はタバサのほうが上だが、今回は小隊指揮経験者の彼が取り纏めと実際の指揮を行うということで、全員の意見が一致している。

「ならば、いることを前提に考えておいたほうがよいでしょうな。さて……この地形を見てどう思われますかな、お嬢さま?」

「火で燻す」

「と、申しますと?」

 一言で黙ってしまったタバサを、ユルバンが促す。

「まず風竜で上空から<遠見>。洞穴近辺に見張りがいないかどうか確かめた後、いなければ入り口に戻ってそこの見張りを倒す。その後、入り口で火を焚いて煙で燻せば、コボルドは洞穴側に逃げる」

「ふむ、なるほど」

 納得したユルバンの横で、絵図面を睨んでいた太公望が付け加える。

「火で燻すという案は悪くない……が、敵が両方に分散する可能性がありますのう。ユルバン殿、入り口付近は、確か森になっていましたな? そこの木を20本ほど切り倒して、その一部で入り口を塞いだ上で燃やしてもよろしいですか? 延焼はしっかり防ぎますゆえ」

 さらっととんでもないことを口走った太公望に、ふたりの視線が集中する。

「……何か問題が?」

「廃坑だから塞ぐのも、山火事さえ起こらなければ燃やすのも構いませぬが」

「そこまでやったら<精神力>がもたない」

「ああ、そう言われてみればその通りですのう」

 気の抜けたようなその答えに、思わずズッコケたタバサとユルバン。だが、真の衝撃はこれからだった。

「タバサ……お嬢さま、わたくしが木を切り倒して入り口を塞ぎますゆえ、そのあと上に積もった木の葉を<錬金>で油に変えてもらえますかのう? それなら、あとの仕事はわたくしひとりでもやれますので」

 ……いや問題はそこじゃない。タバサとユルバンは突っ込んだ。

「……あなたは以前<火>の魔法は扱えないと言った」

「いや、単に火をつけるだけなら油の上に松明でも投げればよかろう?」

 まずはタバサが固まった。

「枯れ木ではなく、生木ではまともに燃えませぬぞ? よしんば火がうまくついても、山風に煽られて火事になる恐れがあるのではないかと」

「風を操って、うまく燃えるよう調節する。もちろん風向きも同様に」

 続いてユルバンも硬直した。

「あなたには、それができるの?」

 確認するタバサに。

「できぬなら、間違ってもそんな提案せんわ!」

 叩き付けるように断言した太公望。そして会議の場は静寂に包まれた。

 ――約1分後。ふたりが再起動したのを見計らって、太公望が言葉を出す。

「とはいえ、さすがのわたくしでもそこまでが限界。つまり、洞穴側から脱出してくるコボルドを成敗するのは、おふたりに担当してもらうことになります」

 その言葉を聞いて、タバサとユルバンのふたりはようやく立ち直った。そして、穴から出てくるコボルドをタバサが物陰から<ウィンディ・アイシクル>で攻撃。ユルバンは基本タバサの身辺警護。討ち漏らした敵を槍で倒す……という役割分担を決めたところで作戦は纏まった。


○●○●○●○●

 ――翌日、昼過ぎ。

 風竜に跨って村を出発した3人は、当初の予定通り上空から洞穴側の偵察を行い、その出口近辺にコボルドがいないことを確認すると、中腹の入り口に注目した。

「では打ち合わせ通り、わたくしが木を切り倒して入り口を塞いだら、お嬢様は<フライ>で降りてきて木の葉を油に<錬金>。その後風竜に戻る。ユルバンどのは上空で待機。お嬢様が合流したら、ふたりは洞穴の前へ移動……以上よろしいか?」

「了解」

「承知した」

 ふたりの返事を確認した太公望は、視線を廃坑入り口へ向ける。

「見張りは2体……か。ではひとつ、わしの実力をお見せしよう」

 ニヤリと笑った太公望は、そう言って懐に手を入れた。

「この『打神鞭』も活躍を望んでおる!!」

 そして左手に『打神鞭』を、右手にまだ火のついていない松明を持った太公望は、くわわっ! と目を見開き、高らかに名乗りを上げる。

「わき上がれ天! 轟けマグマ!! 炎の男爵太公望まいる!!!」

 わーっはっはっはっは……と、トチ狂ったような笑い声を上げながら、地上へと降りていった太公望を見送ったタバサとユルバンは、もしかして彼は壊れてしまったのか――? などという感想を抱いていたのだが……次の瞬間。彼らの眼下に、巨大な竜巻が出現した。

「疾――――――ッ!!!」

 『打神鞭』を繰り、入口前の木立を吹き飛ばす規模の竜巻を作り出した太公望は、そのまま空中で風を操作しつつ、舞い上げた木を廃坑前に積み上げてゆく。

 ……ちなみに、見張りのコボルド2体は、最初の竜巻で空の星となった。

 そして風が止んだ後――廃坑前の森は『広場』になっており。入り口の前には、綺麗に倒木が積み上がっていた。

「……やりすぎ」

 風が収まった直後<フライ>で広場へと舞い降りてきたタバサは、同じく広場に立っていた太公望へ一言そう告げると、手早く<錬金>で油を作り出してゆく。それを見ていた太公望は、急いで松明に火を灯す。

「よし、あとはわしに任せておぬしは反対側を頼む」

「本当に、大丈夫?」

 あなたは<火>を扱うのが苦手だと言っていたのに。そう尋ねるタバサに、太公望は顔中に自信ありげな笑みを浮かべて答える。

「確かに、わしは<火>メイジのような真似はできぬ。だがのう……できないのなら、無理をせず、他のやりかたで補えばよいのだ!」

 危ないから離れろ。そうタバサへ警告した太公望は、自らも空中へ舞い上がり、積木の山から距離を置く。

「行けっ、ファイヤ――――!!!!!!」

 かけ声と共に、松明を放り投げた太公望が『打神鞭』を振るう。すると、放物線を描いて飛んでいった松明の火が突如大きくなり――先端から巻き起こった風が、炎を纏う。まさしく炎の竜巻と呼んで差し支えないそれは、積木に向けてまっすぐに向かっていき……そこへ燃え移った途端、爆炎となって激しく燃え盛った。

「あれだけの炎が上がっておるのに、火も、煙もまるで生きておるように廃坑へ吸い込まれて……こちらへも、外側へも流れて来ない。いやはや『炎の男爵』を名乗られるだけのことはありますのう。騎士殿が信頼するのも道理ですわい」

 <フライ>で戻ってきたタバサへ向けて、ユルバンは呆然と呟いた。あれでは、廃坑の中のコボルドどもは、もしやすると全て蒸し焼きになっているのではあるまいか、と。

 そんな老戦士ユルバンの呟きを背に、洞穴へ向けて風竜を駆るタバサは、杖をギリギリと固く握り締め……決意を新たにしていた。

 ――この任務が無事終わったら、太公望から聞くべきことが山ほどある――

 ……と。


○●○●○●○●

 ――洞穴側での仕事は、驚くほど簡単な『作業』だった。

 煙で燻され、熱にやられ、ただひたすらに新鮮な空気を求めて外へ出てくるコボルドたちを、タバサは<氷の矢>で淡々と屠っていく。ごくごく稀に、一撃では仕留めきれなかったこともあったが、それらは全て、ユルバンの槍の錆となった。

 そんな単純作業が30分ほど続いた頃――洞穴の奥から、くぐもった……それでいて、恨みがましい声が聞こえてきた。

「ゴフ……おの……れ……ゴホッ……おのれ……」

 まさか、中に人間がいたというのか。そんなはずはない、ここへ来る前に、村人たちに欠員がないかどうか、旅人などの往来があったかどうかをしっかりと確認してきている。タバサとユルバンは、思わず顔を見合わせ、洞穴の奥から出てくる者に注目した。

 それは、奇妙ななりをしたコボルドだった。獣の骨でできた仮面を被り、鳥の羽を集めて造ったのであろう髪飾りをつけ、どす黒い――おそらく、獣か何かの血で染めたのであろう、不気味なローブを身に纏っていた。

「コボルド・シャーマン!?」

 タバサは、思わず息を飲んだ。

 コボルド・シャーマン。それは、人間やエルフとは異なる独自の『神』を崇める、コボルド族の神官。人語を解し、強力な先住の魔法――人間が使う系統魔法とは異なり、場の精霊と契約することで行使可能となる奇跡を操る存在。彼らは、高い知能を持ち、コボルド族の頂点に立つ者。おそらくは、この廃坑に住み着いた群れを率いる長であろう。

「メイジめ……ゴホッ……けちな魔法を操る毛無しザルめ……よくも我が悲願を……20年かけて、再びこの地を訪れた……それを……」

 ――その一言に、ユルバンが反応した。

「20年前……じゃと!? まさか……!!」

「あの時も、忌々しい<土>メイジに……『宝』を奪おうとした我らの試みを阻まれた。許さぬぞ、許さぬぞ、人間め……!!」

 コボルド・シャーマンが杖を振り上げた、その時。裂帛の如き気迫を込めた叫びと共に、突き出されたユルバン老人の槍が――一撃で神官の急所を貫いた。

 それが、この地を混沌に陥れようとしていたコボルドの群れの、最期であった。

「20年前――わしは、失態を犯したのです」

 風竜の背に乗り、村へと戻る道すがら、ユルバンは告白した。

「アンブランの村を、コボルドの群れが襲ったあのとき――わしは、村の門番を務めておったにもかかわらず、それを止めることができませなんだ」

 かつて、コボルドの群れがアンブランの村を襲った。そのとき、ユルバンは門を守る者として、ひとり群れの前に立ちはだかったのだが――多勢に無勢。棍棒の一撃で打ち倒され、結局村への進入を許してしまった。

 強力な<土>の使い手であるロドバルド男爵夫人の活躍により、幸いにして被害はなかったが――村の警護を預かる番人として、それがずっと心の傷となっていたのだ、と。

「しかし、おふたかたのおかげで、わしは名誉を挽回できました。あの一件で魔法を使えなくなってしまったロドバルド男爵夫人に、これでようやく恩を返すことができ申した」

 満足げな、それでいて物寂しげなユルバンの言葉に、タバサは疑問を持った。

「魔法が使えなくなった?」

「左様でございます。熾烈を極めたコボルドとの戦いの最中、男爵夫人は手傷を負われ……結果、神の御技である魔法を失われたのです」

 タバサは首を捻った。怪我を負ったことが原因で魔法が使えなくなったなどという話は、これまで聞いたことがない。思わず太公望のほうを見遣ると、彼も眉根を寄せ、何かを考え込んでいるようだった。しかし、そんな彼女の疑問が解決する間もなく、風竜はアンブランへと到着し――彼らは、首を長くして帰還を待っていたロドバルド男爵夫人の歓待を受けることとなった。

「ああ、ユルバン。よくぞ無事戻ってきてくれました」

「男爵夫人、ご心配をおかけ申した。コボルドどもの群れは、長も含め殲滅致しました。これからは、再びアンブランの警護を務めさせて頂きたく存じまする」

 膝をつき、臣下の礼をとるユルバンに、ロドバルド男爵夫人は優しく微笑んだ。

「ええ。あなたの忠義、本当に嬉しく思います。あなたは、この村の……いいえ、わたしにとっていちばんの『宝』なのです。これからも、アンブラン……そしてわたしと共に在ってくださいね」

 ロドバルド男爵夫人の目は、慈愛に溢れていた。彼女は、心からユルバン老人を大切に思っているのだろう。だが……タバサは、そんな男爵夫人に対して、どこか違和感を覚えた。この村へ到着した際にも感じた、わずかなそれと同じものを。

「ささやかではありますが、宴の用意を致しております。騎士殿、そして従者殿。どうぞ討伐の疲れを癒やしていってくださいませ」

 そう言って深々と頭を下げるロドバルド男爵婦人。なんだろう……わたしは、彼女のどこに疑問を感じているのか。タバサは、未だ答えを出すことができぬまま、宴の場へと案内されていった――。


○●○●○●○●

 ――宴は、村の居酒屋一軒をまるごと貸し切って行われた。

 あちこちで、村人たちが輪を作り、笑い声をあげている。その中には、ユルバン老人の姿もあった。

「そして、わしの槍の一撃が、にっくきコボルド族の長を貫いたのだ!」

「やったじゃないか、ユルバンさん」

「やっぱり、あんたは村いちばんの戦士だ。これからも、アンブランを頼むよ」

 善良そうな人々に囲まれた老戦士は、本当に幸せそうであった。どのようにしてコボルドに立ち向かったのか、その一挙一動を、身振り手振りを交えつつ、顔いっぱいに満面の笑みを浮かべて語り続けている。そんなユルバンの元へ、酒杯を持った太公望が近づいてゆく。

「実際ユルバン殿の活躍は、誠に見事なものでしたぞ。槍もそうですが、村や周辺の山全体を知り尽くしたあなたが居たればこそ、この討伐作戦はうまくいったのです」

「いやいや、従者殿の魔法も素晴らしかったですぞ。その若さで部隊を率いているというのも納得の妙技でござった。わしは……貴君にも、騎士のお嬢さまにも、感謝してもしきれない恩を受け申した」

 そう言って立ち上がり、頭を下げようとしたユルバンを、太公望は押し止めた。

「お気になさることはない、これが我らの務め。ユルバン殿が村を守ることと、何ら変わらぬことをしたまでのこと」

 笑顔でユルバンに酒杯を勧める太公望。しかし――タバサには、その笑みがほんの少しだけ強張っているように感じた。

 タバサは、改めて周囲を見回してみる。なんだろう、この胸のざわつきは。店の中には、どこもおかしな点はない。ガリアのどこにでもある村の、なんでもない居酒屋。その中で、酒を飲み、料理をつまんで笑い合う人々……。

 男爵夫人宅の晩餐と同様、味付けの薄いつまみを食べる手を止め、タバサは考え込んでいた。すると、そこへ件のユルバンが近づいてくる。太公望は、先程の輪の中で談笑を続けているようだ。

「騎士さま、このたびは誠にありがとうございました。改めてお礼申し上げる」

「いい。これは任務」

「ふふ、従者殿と同じことを仰るのですな。それにしても……」

 ふと、ユルバンは太公望のほうへと視線を向ける。

「あのような従者殿を持たれて、お嬢さまはお幸せですな」

 それは――何かを言いかけて、タバサは口を噤んだ。確かにわたしは、幸運なのかもしれない。彼――太公望は、どうにも掴み所のない性格をしてはいるが、根は優しく、非常に有能であることは間違いない。

「お気づきになられましたかな? あの従者殿は今回の作戦を練っている最中、ずっと騎士様を……主人というよりは、まるで……そう、血の繋がった実の妹を気遣うが如く振る舞っておられたのを」

 いや、わしが言うまでもなくおわかりでしょうな――そういって笑うユルバンの言葉に、タバサは内心の驚きを隠すことができなかった。ふと、日頃の太公望を思い出す。なにかをしようとするときに、さりげなく差し出される手。新しい本を手渡したとき、優しく笑いかけてくれる、その仕草。

 今回の任務にしても、本来であれば太公望が着いてくる必要などなかったのだ。にもかかわらず、危険を顧みず自ら王宮へ乗り込み、観察し、タバサを補佐してくれている。もしも自分に兄がいたら、彼のように助けてくれたのだろうか――。

 黙り込んでしまったタバサの側に、村人たちが寄ってくる。どうやらユルバンを迎えにやって来たようだ。

 新たな輪の中に加わったユルバンは終始笑顔であった。その人の輪の内には、男爵夫人も混じっていた。貴族であるにも関わらず、身分にこだわらない性格なのだろう彼女は、そんなユルバンを見て優しい笑みを浮かべていた。

 そんな男爵夫人に、ユルバンは晴れ渡った秋の空の如き笑顔で語りかける。

「人生の最後に、ようやく罪滅ぼしができ申した。はて困りましたな、これでもう本当に何もすることがありませぬぞ」

「何を言うのです。あなたには、この村を守るという使命があるではありませんか」

「そうでしたな。私は幸せ者にございます」

 ――その言葉を最後に、酔ったのであろうユルバン老人は、椅子に深く腰掛けたまま、こっくりこっくりと舟をこぎ始めると、ゆっくりと瞼を閉じ……だがその眼は、二度と開くことはなく。彼が愛した多くの村人たちに囲まれた中で、まるで眠るようにその人生に幕を降ろした。


○●○●○●○●

「彼は、幸せでした。ご覧になられたでしょう? あの最後の笑顔を」

 ――わしが、討伐任務などに連れ出さなければ。翌朝、しめやかに執り行われた葬儀の列中。その顔を苦悩に歪め、深く詫びた太公望へ、ロドバルド男爵夫人は慈愛に満ちた笑顔で答えた。

「この20年間、ユルバンのあのような顔を、私はついぞ見たことがありませんでした。わたしではどうしても為し得なかったことを、あなたがたはしてくれたのです」

 すると、その言葉がまるで合図であったかのように……村人たちが、男爵夫人の周りへと静かに集まってくる。そして、彼らの瞳が――一斉に太公望と、タバサを見つめた。その目に浮かぶ表情を見て、タバサは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

 ――彼らの顔には、男爵婦人と全く同じ笑顔が浮かんでいたのだ。

「20年前のことです。このアンブランの村は、コボルドの群れに襲われました。そして……全滅したのです。ロドバルド男爵夫人と、ユルバンのふたりを除いて」

 それからロドバルド男爵夫人は語り始めた。この村に隠されていた真実を。

「かつて村がコボルドに襲われたとき、門番を務めていたユルバンが棍棒による一撃を受けて昏倒してしまったその隙に、村はコボルドの群れによって蹂躙され、村人たちは、ひとり残らず皆殺しにされてしまったのです……」

 ロドバルド男爵夫人の魔法によって、なんとか群れを追い払うことに成功したものの――彼女もまた、そのときの戦いがもとで、深く傷ついてしまった。

「気絶していたことが幸いし、ユルバンは一命を取り留めました。ですが男爵夫人は、大変なことに気がついたのです。目が覚めた後に、ユルバンが村の惨状を知ったら。そして、唯一の生き残りである男爵夫人までもが死んでしまったら、彼はいったいどうするでしょう。責任感の強い彼のこと、おそらく自ら死を選ぶのではないか……と」

 ロドバルド男爵夫人は、俯いた。

「そう考えた男爵夫人は、傷をおして魔法をかけたのです。この村に伝わる秘宝『アンブランの星』と呼ばれた、土の<力>の結晶を用いて。身内のいない彼女にとって、ユルバンはただの家臣などではなく、家族も同然でしたから」

 そして……と『彼女』は続ける。

「ロドバルド男爵夫人は、優秀な<土>メイジでした。彼女は、その命が尽きるまで、ただひたすらに人形を作り続けたのです。ある程度の自由意志を持ち、半永久的に動き続ける魔法人形『ガーゴイル』を――」

 そこまで言い終えると、男爵夫人は村人たちに視線を向けた。

「そうです。わたしも含め、この村の者は――すべて『ガーゴイル』なのです」

 タバサと太公望は、改めて周囲を見渡した。そこは、どこにでもある、ありふれたガリアの山村。だが……それは見た目だけだったのだ。タバサは、ようやく理解した。今まで感じていた違和感の正体を。

 脅威に晒されているにも関わらず、日常と変わらぬほがらかな様子の村人たち。怪我で魔法を使えなくなった男爵夫人。そして奇妙に薄い味付けの料理。そう、全ての食事は、ユルバンを基準に作られていたのだ。『ガーゴイル』に食料は必要ないから――。

 風竜の背に乗り、タバサと太公望は空へと舞い上がった。眼下に広がるのは、自分たちがコボルドの脅威から救った村。そこには、思い思いに闊歩する村人たちの姿が見えた。

 別れ際、男爵夫人の姿を模した『ガーゴイル』は、感謝の言葉と共に、

「是非、何かのお役に立ててください」

 と、2体の魔法人形をタバサたち主従に手渡した。血を吸わせることで、その姿を完璧に写し取ることのできる、村人たちを造ったそれと同じものを。

「わたしたちは、見た目は少しずつ老いていき……やがて土に還ります。それまで、ユルバンの墓であるこの村を守り、共に在り続けます。だから、このことは決して口外しないでください。どうか、お願いします」

 そう言って、深々を頭を下げた男爵夫人の人形に、タバサと太公望は、秘密を守ることを固く約束した。

 ――遠ざかる村を見つめながら、タバサはぽつりと呟いた。

「わたしには、わからない。ユルバンが、本当に幸せだったのかどうか」

 ユルバンのためにだけに存在した村。その全てが見せかけだけの偽物。そう独白した声に、太公望が小さく答えた。

「わしにも……わからぬ。だが……あの男爵夫人と村人たちの魂魄(こんぱく)は、確かにあの場所に存在していた。それだけは……間違いない」

「魂魄……?」

「生きとし生ける者、全てには『魂』が宿っておる。あそこにあったのは、人形だった。だが、そこに宿る魂だけは……本物であったよ」

 ――ガーゴイルにも、魂が宿るというのか。物言わぬ、ただの人形にも?

 タバサと太公望の頬を、風が嬲る。その風のぶんだけ、アンブランの村が遠ざかる。ひとりの老戦士を守るためだけに造られた『箱庭』が遠ざかってゆく。ふたりは、押し黙ったまま……王都リュティスへと向け風竜を駆った。



[33886] 【導なき道より来たる者】第15話 閉じられた輪、その中で
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/09/30 15:05
 ――ユルの月、フレイヤの週、オセルの曜日。

 その日の夜。プチ・トロワの謁見室で、従姉妹から任務完了の報告を受けたイザベラは、まっすぐに自分の部屋へと戻っていた。

 彼女の頭の中には、とある思いが渦巻いていた。従姉妹のシャルロットが<サモン・サーヴァント>に失敗した。それについては、調査の上改めて父上に報告しよう。だが、その前にすべきことがある。

「あの娘ができなかった<サモン・サーヴァント>で、わたしが素晴らしい使い魔を呼ぶことができたなら、召使いや、宮廷貴族たちも……それに父上だって、わたしのことを認めてくださるに違いないわ。別に、ネズミやフクロウのような、普通の使い魔でも構わないんだ。少なくとも『失敗』にはならないんだから」

 イザベラには、致命的なまでに魔法の才能がなかった。おそらく『無能王』と称されるジョゼフ一世――魔法を一切使うことができないために、侮蔑を込めてそう呼ばれる父親の血を色濃く受け継いでいるのであろう彼女は『ドット』レベルの魔法を日に数回唱えるのがせいぜいであった。

 にもかかわらず、イザベラと血を分けた従姉妹シャルロットは。今、自分の配下として仕えさせているあの娘は。溢れんばかりの魔法の才能を持ち、幼くして『シュヴァリエ』の爵位を得るほどの存在であった。このハルケギニア社会において、魔法の才能は人望と比例する。それは、このガリア王国も例外ではない。

 イザベラは本来、謁見室で垣間見せたような粗野な娘などではなく、知性溢れる少女だ。その証拠に、この広い宮殿の中にいる貴族たちだけでなく、側近くに仕える侍従たちまでもが――自分よりも、魔法の才能に優れる従姉妹姫こそがガリアの王女に相応しい、そう考えていることを熟知していた。彼女には、それが悔しくてたまらない。だからこそ、あんな馬鹿な真似をして、鬱憤を晴らしているのだ。それが、自分の評価をさらに下げることを承知の上で。しかし、どうにもやめることができない。

 それだけに、イザベラは<使い魔>を欲した。唯一、自分が憎い従姉妹に勝てるかもしれない存在を。だが、イザベラはそれを人前でやるほど無謀ではなかった。万が一、自分が失敗するところを誰かに見られたら――それが己の立場に致命傷を与えかねないと、充分わかっていたから。

 だから、たったひとりで自分の部屋に籠もり、周囲を入念に探って誰もいないことを確かめると……愛用の杖を取り出した。そして、ゆっくりと力在る言葉を紡ぎ出す。

「我が名はイザベラ・ド・ガリア。5つの<力>を司るペンタゴン。我の運命(さだめ)に従いし<使い魔>を召喚せよ」

 呪文は完成した。魔法が成功したのならば、そこには白く光る円鏡のような召喚ゲートが開くはずであった。しかし――彼女の前に現れたのは、まるで空間を切り取ったような『四角い窓』。

「……よぉやく、繋がった」

 窓の奥から、声がした。と、同時に細長く……青い手がイザベラに向かって伸びる。悲鳴を上げる間もなくその腕に掴まれるイザベラ。

 ……そして。イザベラ・ド・ガリアは、ハルケギニアから消えた。


○●○●○●○●

 ――時は、1ヶ月ほど前まで遡る。

 ハルケギニアの暦で語るならば、フェオの月、フレイヤの週、ユルの曜日。そう、トリステイン魔法学院において<使い魔召喚の儀式>が執り行われた、あの日。

 ハルケギニアとは異なる世界、蒼き星、地球――そこに在る国『周』。大陸全土を巻き込んだ大戦が集結し、徐々に平和を取り戻しつつあったその国の外れにある荒野を、ひとりの若者が大陸を渡る風のように、ただ……歩いていた。

 青年の名は、伏羲(ふっき)。

 彼には、かつて強大な『敵』がいた。滅びた『自分の世界』を再現すべく、星の歴史を影から操り……思い通りの世界に進化しなければその全てを破壊。また同じ『歴史』を1から作り直すという作業を、数億年もの間――まるで子供の砂山遊びの如く繰り返してきた存在。それが『歴史の道標』だった。

 その圧倒的存在にして最大の『敵』である『歴史の道標』を、星の始まりから監視し……そして打倒せんと、数千年に渡って秘密裏に進められてきた壮大なプロジェクト『封神計画』の立案者にして実行指揮者であった彼、伏羲は、戦いに勝利した後……人々の前から姿を消した。

 ――いちばん面倒な戦後処理を全部押しつけて逃げたとか言ってはいけない。

 ……と、まあそんなわけで彼はあちこち気ままにブラブラしていたわけだが。

「御主人んーッ! どこッスかー!!」

「お師匠さまーっ!」

 当然のことながら、そんな彼を捜し出そうとする者達がいるわけで。

 本人からすれば、ちゃんと自分がいなくても世界が廻るように後進を育ててきたのだから、もう一線から退いてぐうたらしていてもいいはず。そう言いたいところだろう。しかし、伏羲はだからといってそうホイホイと取り替えがきくような人材などではないのだ。

 ――何故なら、彼は地球の『始祖』。星の生命を、誕生の時から見守ってきた『最初の人』のひとりなのだから。

 追われるから、逃げる。そんな日々を過ごしていた時『事故』は起きた。

 トコトコと草原を歩いていた時にふと気がついた、追っ手の存在。追跡をかわすため、いつものように『空間ゲート』を開いて『自分の空間』に入り込もうとしたその時……空間同士の接続ポイントに、ごくごくわずかな――ヨクト単位レベルのズレが生じた。

 それは、本当にわずかな……優れた『空間使い』であった伏羲にすら気付かないような『揺らぎ』。だから、ゲートをくぐった時点では、彼は異常に気付けなかった。

 ――最初に違和感を覚えたのは、彼の内にある魂魄を構成するうちの半分。

 伏羲の魂魄は、複数に分裂するという特異性を持つ。これは、彼と『歴史の道標』と呼ばれた存在にしかなかった<能力>にして、最大の特性だ。分裂させた魂魄のどれかがわずかにでも残っていれば、たとえ他の魂魄が消滅したとしても復活できるという、味方にすれば心強く、敵に回すと非常にやっかいな<力>である。

 伏羲はこの『封神計画』を実行するにあたり、自分の『始祖』としての<肉体>と<力>と<記憶>を無くすという多大なリスクを背負いながらも、あえてその魂魄を2つに割り、全く異なるふたりの人間――後に仙人となる者として生まれ変わることで、地上世界に降り立った。

 ――そのひとりは『太公望』。

 伏羲の心の『光』を司り、何も知らず『封神計画』の『表』の実行者となる。

 ――もうひとりは『王天君(おうてんくん)』。

 こちらは伏羲の心の『闇』を司り、太公望と同様……当初は何も知らされぬまま、後に事情の一端を理解し、世界の『裏』から『封神計画』の遂行を手伝うこととなる。

 後に、彼らの魂魄は再びひとつに戻り、それと同時に伏羲としての<記憶>と<力>を取り戻すのであるが……今回の『異変』に気がついたのは、その『闇』の部分。優れた『空間使い』として成長していた、王天君の記憶であった。

 ――オレが創った『自分の部屋』に、妙なノイズが発生している。

 おそらくは、王天君に伏羲としての<力>が戻った状態でなければ気がつかなかったほどの、ほんのわずかな歪み。だが、それを修正しようとした――その時だった。

(……は……タバサ)

 何処からから聞こえてきたその声と共に、突如歪みが大きくなった。

(……召喚せよ)

 そして『部屋』の中に、光り輝く円鏡型の『ゲート』が現れた。そう……亜空間の中に、全く別種の『道』が、突然割り込んできたのだ。『空間をねじ曲げるほどの強大な力』同士が、計算もなく強引に交差したのだから、ただですむわけがない。

 当然その影響で、大きく揺らぐ『部屋』。空間震と呼んで差し支えないであろうその振動により、伏羲の身体がぐらついた。そして、そのせいで『円鏡のゲート』に左手が触れてしまい……猛烈な勢いで、全身を引きずり込まれそうになった。

 ――このままでは、飲み込まれる!

 瞬時にそう判断した伏羲は、必死で謎の『ゲート』を解除すべく空間宝貝を展開しようとした――だが。もがけばもがくほど、引き寄せる<力>は強まっていき――そして、引く<力>と戻そうとする<力>が強大だったがゆえに――彼の身体は、文字通り引き裂かれた。その『魂魄』と共に。

 円鏡状のゲートが消えた後。空間震の影響で発生した、どこでもあり、どこでもない場所。ひとつの輪のように閉じられた球体状の亜空間。その中に――元は伏羲であった者のひとり、王天君は取り残され……その『半身』である太公望は、いずこかへと消えていた。

 ――連れ去られた太公望がどうなったのかについては、この物語の冒頭より語られているので、そちらを改めて見ていただくとして……ここから先は、ひとり取り残された王天君が、これまで何をしていたのかについて、語らせてもらうこととする。


○●○●○●○●

「ったく……なんだってんだよ、今のはよぉ」

 そう言って立ち上がった王天君は、すぐに己の身体に起きた異変を察知する。

「オイ、フザケんじゃねぇぞ。なんでオレだけがココにいんだよ。あいつぁ……太公望はドコ行った!?」

 急いで座標確認用のモニター宝貝を展開する。だが、その表示がおかしい。太公望の行き先はもちろんのこと、自分の現在位置すら把握することができない。最初に開いた『ゲート』への接続ポイントすら見失っている。

 ギリッと唇を噛み、王天君は吐き捨てた。

「故障……ってワケじゃあねぇよな、こいつは」

 おそらく、さっきの「割り込み」が原因だろう。王天君は、周囲の空間を『感覚』で捉える。すると……まるで、複雑に絡み合った糸のように、亜空間同士が混在し、彼自身がその糸と糸の間――そう、閉ざされた輪の中にいることを『理解』した。

「閉じこめられた……だとぉ!?」

 ふと、かつて自分が『人質』として敵地へと送られた挙げ句、凶暴な妖怪たちから保護するという名目で、封印籠の中に監禁されていた時のことを思い出す。忌々しい記憶。あそこでの経験が、自分の心を壊し――今に繋がっていることを。

 いや、待て……王天君は冷静に考え直す。

「あの時とは状況が違う。今のオレになら、時間はかかるだろうが、この空間を紐解いて、外へ出るだけの<力>がある」

 助けなど期待できない。何せ、王天君は<仙人界>の中でも最高の『空間使い』なのだ。唯一、彼の能力をコピーすることができる天才がいるにはいるのだが、その彼をもってしてもオリジナルの王天君を捉えることは叶わなかったのだから。その王天君を閉じこめるほどの『空間』に、救助が来ようはずもない。

 『半身』である太公望のほうはというと、空間を把握する能力はあっても、開け閉めするような<力>は持っていない。それに。

「太公望にゃ間違っても期待できねぇ。あいつぁとりあえずぐうたらできる環境作って、調べるにしてもそれからだ。いや、オレのほうから勝手に迎えにくるだろう……なぁんて考えて、放置しやがる可能性のほうが高ぇんじゃねぇか?」

 ――『半身』だけあって、相方の性格をよく掴んでいる王天君であった。

「ったくよぉ……面倒なコトになりやがったぜ」

 イライラと爪を噛みつつ、モニターで周囲の空間座標を計算。そして、そもそもの原因となった、割り込みの追跡(トレース)を開始する。解明のヒントとなるのは、あの時聞こえてきた『声』だろう。

 それからわずか数日後。王天君は、問題の『道』を発見したのだが、しかし。

「一方通行のゲートだとぉ!?」

 そう。ようやく見つけた手がかりは、片側の閉じられた特殊空間ゲートだったのだ。苛立ちのあまり、王天君は被っていた帽子を乱暴に手に取ると、バンッと床――亜空間とはいえ、いちおう<底>は存在するのだ――へと叩き付ける。しかし、文句は言えない。何せ、彼自身もそういった『一方通行の空間』を武器のひとつとして扱う者であったから。

「クソッ。こうなったら、この空間座標の近辺だけ集中的に監視して……『窓』が開いたら、こっちで無理矢理繋げるしかねぇか」

 彼は辛抱強く、その時を待った。そして――それから数週間後。ようやく例の『声が作り出す道』に近しいものを捕捉したのである。

 『我が名はイザベラ・ド・ガリア。5つの<力>を司るペンタゴン。我の運命(さだめ)に従いし<使い魔>を召喚せよ』

 王天君は、いずこかへ繋がろうとしていたその『道』に干渉し、ねじ曲げ……その上で、自分のいる亜空間へと、綿密な操作でもって接続した――再びあのような『事故』が発生しないように。

 道同士を繋いだ際に、何やら身体に『入り込んでくる』ような違和感を覚えたが、今すぐどうこうなるような問題ではなさそうなので、とりあえずは後回しにする。

「……よぉやく、繋がった」

 彼が繋いだ『窓』の外。そこは、豪奢といって差し支えない部屋だった。そして、目の前には、青い髪の――いいトコのお嬢さん風な娘が立っている。

 この女は太公望を連れ去った犯人ではないだろう。だが、この『道』について詳しく聞き出す必要がある。それに……調査なしで見知らぬ場所へと自ら出向くのは、彼の性格に合わない。騒がれるのも面倒だ。ならば――!

 繋げた『道』を起点に、新たな『自分の部屋』を瞬時に作り出した王天君は、これまで閉じこめられていた亜空間の位置だけ記録した後『部屋』へ移動する。そして『窓』から腕を伸ばし、少女の腕を掴み取ると――強引に、部屋へと『ご招待』した。

 ……そして、時は現在へと繋がる。

○●○●○●○●


 ――イザベラは、暗がりの中で目を覚ました。

 カッチ……コッチ……と、何処かから規則的に刻まれる、不思議な音が聞こえてくる。いったいなんの音だろう? そう思って身体を起こそうとした、その時。イザベラは、自分が見たことのないビロードの長椅子に、その身を横たえていることに気付く。

「ここは、わたしの部屋じゃない。なら、いったいどこ!?」

 自分の状況を把握する間もなく、何処か……おそらく、今イザベラが横たわっている長椅子の正面方向から、声がした。

「お目覚めかい? 眠り姫さんよぉ」

 このわたしにそんな口をきくだなんて、無礼な! いったい何者だ。急いで起き上がり、そう叫ぼうとしたイザベラだったが、己の視界に飛び込んできた相手の姿を見て、絶句した。

 古ぼけた……しかし、脚部や天板側面に施された彫刻といい、使われている材質といい、まさしく高級といって差し支えないテーブルの向かい側に、今自分が座っている長椅子と同じようなものが置かれている。声の主は、そこに腰掛けていた。

 不気味なまでに青白い肌。全身をぴったりと張り付くように覆う、黒い服。身体のあちこちに、銀製と思われる装飾品を身につけた――少年といってもいい年齢に見える男。しかし、イザベラが真っ先に注目したのは、それらではなかった。

 彼女の瞳に映っていたのは、正面にいる少年の――細く、長い耳。

「え……エル……フ……」

 ――エルフ。それは、ハルケギニアの歴史において、長きに渡り人間の『宿敵』とされてきた存在。強力な先住の魔法を操り、戦士としても非常に優秀。メイジが彼らを倒すには、10倍以上の人数差が必要とされるほどの、絶対的強者。ハルケギニアに住まう人間にとっては、まさに『恐怖の象徴』といって差し支えない存在である。

 イザベラは、そこでようやく思い出した。自分の身に何が起きたのかを。

 従姉妹に対抗し、人知れずこっそりと唱えた<サモン・サーヴァント>。だが、それは失敗し……突如現れた『窓』の奥から伸びてきた腕に掴まれた挙げ句、その奥に引きずり込まれてしまったのだ。

 あの手だ。おそらく、自分は……召喚に失敗したばかりか、エルフを呼び出そうとしてしまったのだ。だが、逆にこうして囚われてしまった。イザベラは、そう判断した。

「オメーに、聞きてぇコトがあんだけどよぉ?」

 そう問うた『エルフ』の声は、イザベラの耳には届いていなかった。

「な……なんで……どうして……」

 両腕で身体を抱え込むようにして、ガタガタと震えるイザベラ。その瞳からは、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。わたしは<サモン・サーヴァント>で『呼ぶ』ことすらできないのか。それどころか、逆にエルフに捕らえられるなど……王族として、いや、メイジとしてあってはならないことであろう。

「泣くんじゃねぇよ! 話があるって言ってんだろぉ!?」

 忌々しげにそう告げる少年に、イザベラは答えられない。ただただ、震え、涙を零すばかりであった。

「どうしたもんかねぇ……これは」

 王天君は、ぎっと親指の爪を噛んだ。

「ったく、太公望……あのイイコちゃんなら、こんな小娘ひとりくらい簡単に落ち着かせられるんだがなぁ。ったく、イライラさせられるぜ」

 舌打ちした王天君の耳に、目の前の少女の呟き……いや、小さな声ではあったが、まさしく魂の叫びといってもいいだろうそれが飛び込んできたのは、歴史の必然だったのだろうか。

「わたしばっかり……どうして……こんな目にあうの。なんで、あの子だけが……わたしが代わりに……あの子ばっかり……こんなの、酷すぎるわよォ……」

 彼――王天君にも覚えがあった、それは。『闇』に棲む者にとって眩しすぎる者。『光』という存在に対する羨望……そして、強い嫉妬の念。

 ……なるほどねぇ。オレが、この小娘のところへ比較的簡単に『接続』できたのは、それなりの理由があったってことかよ。

 引っ張り込まれたあのアホについては、後でいいか。この『世界』にいるのは間違いねぇ。何故なら、オレの魂がそう言っているからだ。とりあえずは……今、目の前にいるコイツで遊んでみよう。結構楽しめるかもしれねぇ。

 ――こうして。裏を司る蒼き姫と『始祖』の心の闇を写した鏡は、運命の出会いを果たした。



[33886]    第16話 軍師、異界の始祖に誓う事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/07/15 21:13
「わしは夕飯食って風呂入ったらすぐに寝るぞ」

「同じく」

 ハルケギニアの常識では考えられないほどの強行軍で、トリステイン魔法学院へと戻ってきたタバサと太公望のふたりは、一旦部屋に戻って上着だけを替えると、その足でアルヴィーズの食堂へと向かった。

 『約束』を守るためとはいえ、さすがに無理をしすぎた。今日のところはもう何も考えず、ゆっくりしたい……そんな思いでいっぱいだった太公望の期待を最初に裏切ったのは、食堂の入り口に立った瞬間に飛んできた、少女の金切り声だった。

「あ、あ、あんた、い、い、今までどこ行ってたのよーっ!!」

 ――それは、約束の相手。ルイズによる魂の叫び声。

「まあ落ち着け、ルイズ」

「お、お、落ち着けるわけ、な、な、ないでしょう!?」

 わたしがどれだけ気をもんでいたか――そう口にしようとしたルイズを制し、太公望は喉の奥から心底疲れ切った声を絞り出す。

「例の件であろう? ちゃんと覚えておったから、こうして急いで帰ってきたのだ。約束は守る、だから今日のところは静かに休ませてはくれんかのう」

 そう言われてよくよく太公望の姿を見たルイズは、彼が羽織っているローブと一体化したようなマント以外が微妙に薄汚れており、さらにその顔には深い疲れの色が刻まれていることに気がついた。そして、それは傍らに立つタバサにも当てはまっている。

 タバサに関係することで、何か急な用事でもあったのか。にも関わらず、ちゃんと約束を覚えていてくれた。そんな相手に、これ以上何かを言うのは、貴族の子女としてあるまじき態度だろう。

 一言謝罪の言葉を述べたルイズは、その後――周囲の注目を集めてしまったことにようやく気がつくと、顔を真っ赤にしたまま着席する。

 その後、早々に席についたタバサの元には、キュルケが近寄ってきた。

「あなた、その格好はどうしたのよ? ずいぶん疲れてるみたいだから、今日のところは何も聞かないけど……たくさん食べて、早くお休みなさいな」

 そう言って、自分の料理の一部――タバサの大好物であるハシバミ草のサラダと、鳥のあぶり焼きを、青髪の少女の前へと押しやる。

「ありがとう」

「いいのよ。そのかわり、落ち着いたらいろいろ聞かせてもらうから」

 そう言ってウィンクしたキュルケの心遣いに、タバサは心から感謝した。

 ――そして夕食が済み。食堂から出ようとしたふたり……正確には、太公望に声をかけてきた者がいた。コルベールであった。

「ミスタ・タイコーボー。お疲れのところ大変に申し訳ない! ですが、取り急ぎお話をしなければならないことがありまして……その、学院長を交えて」

「それは何名で、かのう?」

 太公望はまずコルベールを見、次いでタバサに目をやった後……再び視線を目の前に立つ男に戻す。

「ミス・タバサには申し訳ないのですが、3人で」

「……わかった。タバサ、先に戻っていてくれ。もしやすると遅くなるやもしれぬから、そのときは窓だけ開けておいてくれればよい」

 コクリと頷いたタバサは、側にいたキュルケと共に寮塔へ続く廊下へと歩き出す。その後ろ姿を見送った太公望は、ふっとため息をつくと、コルベールに向き直った。

「では、参りますかのう。学院長室へ」

 くだらない用事だったら、ただじゃおかんぞあの狸ジジイ。と、いう内心の声を必死で抑えながら。

 ――その後、学院長室で聞いた話は……確かに急いで耳にいれておくべき内容だった。ただし、善悪に関係するようなものではなく、明日の『約束』に関連した、非常に有益な情報だったからだ。

 一時間ほどそれらについて学院長たちと話し合った太公望は、ようやく念願の入浴を果たすべく、まずはタバサの部屋に戻ろうとした。だが、今度は扉の前で才人が待ちかまえていた。

「さっき帰ってきたって聞いてさ! なあなあ、例の武器の件だけど……」

 興奮してまくし立てる才人をとりあえず落ち着かせると、さっき食堂でルイズにしたのとほぼ同様の説明を行い、休み明けの昼に改めて聞かせてもらうから今日はもう……と、自室へ帰らせた。

 それから30分後。これでようやく休める――そう呟きながら、軽い入浴を済ませて部屋に戻ってきた途端、窓から飛び込んできた茶色い羽根の伝書フクロウ――おそらくフーケが寄越したものであろうそれを見た太公望は、この世界に来てはじめて、本気でハルケギニアの『始祖』とやらを呪い、そして誓った。

 もしも顔を合わせることがあったなら……『打神鞭』の最大出力でもって、次元の彼方へ吹き飛ばしてくれるわ――と。


○●○●○●○●

 ――明けた翌日、虚無の曜日。

 学院から馬で15分ほどの距離にある、周囲を背の高い木立に囲まれた平原。その中央に、彼らは集っていた。

 この場にいるのは、太公望をはじめとしたタバサ、ルイズ、才人、ギーシュ、キュルケという、例の模擬戦騒ぎの一件で、ルイズの『約束』を知る者たち。そして、コルベールと学院長のオスマン氏。

 オスマン氏が<錬金>で作った簡素な教壇風の台座を前に、太公望とオスマン学院長、そしてコルベールが立ち――その向かい側、1メイルほど距離をあけた位置に、これまた魔法によって作られたベンチが並んでいる。そこに生徒たちが座る姿は、端から見ても、特別な課外授業といって差し支えないものであった。

 教壇から『生徒』たちを見渡した太公望は、教鞭のように『打神鞭』を――もしも先端に『太極図』がついていなければ、まさに教鞭そのものな形をしているのだが――振るいながら、説明を開始した。

「さて、ここに集まった者たちは、わしがこれからルイズが魔法を<爆発>させてしまう件について、独自の技術的観点から調査を行うことを知っておる。それを前提として話を進めていくわけだが、その前に……」

 太公望は、横に立つコルベールに弁を向ける。

「昨夜、こちらのコルベール殿から、大変に興味深い話を伺ったのだ。これは、ルイズの魔法だけでなく、それ以外の者たちにとっても非常に有益、かつ画期的なものであったため、学院長殿の立ち会いの下、特別に公開してもらいたいと思い、同席を依頼した」

 そう言って演壇を降りた太公望。学院長がわざわざ立ち会うようなレベルの話を、他の生徒を差し置いて優先的に聞ける。期待に胸を膨らませるメイジ達の前に、コルベールが立った。

「ミス・ヴァリエールとミス・タバサ、そしてサイト君については、すでに聞いている内容となってしまいますが、まずはそこから話をしないと、何故この発見に繋がったのかがわかりませんので、簡単にですが説明させてもらいますぞ」

 と、前置きしたコルベールは、以前太公望が行ったように<サモン・サーヴァント>が、いかにとんでもない魔法であるのかについて説明した――もちろん、異世界云々の話は除いて、だが。

 汎用(コモン)とされている魔法が、実は『無意識に空間を接続する』という、とてつもない<精神力容量>と、広大な空間を把握するための『感覚』を必要とする技術であったこと。その話を聞いたコルベールが、日頃簡単に扱っている<コモン・マジック>というものについて改めて着目したこと。そして――。

「私は、ついにその記述を見つけたのです。3000年前の魔法書から。そして知ったのです。なんと当時、コモン・マジックは……<念力>と<サモン・サーヴァント><コントラクト・サーヴァント>の3つしか存在しなかったことを!!」

 ――一瞬の間を置いた後。

「ええええええぇぇぇぇええええええ―――っ!!!」

 平原に、驚愕の大合唱が響き渡った。

「ど、どういうことなんですかっ」

「<光源(ライト)>とか、後からできた魔法なんですか!?」

「昔は手で<施錠(ロック)>していたんですの!? ヴァリエールみたいに」

「一言余計なのよあんたはっ!」

 はいはいはい! と、手を挙げながら、指される前に我先にと質問する――一部例外はあったものの――生徒達を前に、してやったりといわんばかりの笑みを浮かべたコルベール。太公望とオスマンも実に満足げである。

「皆さんの疑問は当然だと思いますぞ。私も、そう考えました。そこで、次は今現在コモンとされている魔法が、かつて存在したのかどうかを確認するため、改めてその魔法書を紐解いてみたのです」

 ゴホン。と、咳払いをしてコルベールは先を続ける。

「結論から言うと、今あるコモン・マジックは、全て<系統魔法>の初歩の初歩の初歩として扱われていました。たとえば<光源>。これは<火>の系統魔法のページに記されており……<ロック><アンロック>は<土>に属する魔法というように」

 驚きのあまり声も出ない生徒を尻目に、コルベールの演説は続く。

 曰く『流れ』を探知・分析する<魔法探知(ディテクト・マジック)>は<水>に属すること。

 曰く<固定化>の魔法と同様、土系統の『スクウェア』メイジが強固に施した<ロック>を<アンロック>で解除するのが、別系統のメイジにとっては非常に難しいことを例に挙げ、また、さらに古い魔法書でも同様の扱いがなされていたことから、これはほぼ間違いのない事実。歴史的な大発見である……と。なお、

「<風>の初歩の初歩の初歩とされる魔法は存在しないのですか?」

 と、いうタバサの質問には、

「<ウインド>がそれに相当するらしい……のですが、書物によってはそれが<レビテーション>だったり<魔法の矢>であったりと実に曖昧でして。残念ながら、確定までには至りませんでした」

 と、答えた。

「と、いうことでしてな。昨日、これをミスタ・タイコーボーにお話ししたところ、ミス・ヴァリエールが練習する魔法を、まずはコモンの基礎である<念力>に絞るべき、という意見で一致しました。また、この発表は学院長立ち会いのもとで行うべきとのことで、今日このような機会を持たせていただいたわけです」

 発表内容を締め、演壇から降りたコルベールに、集まった生徒達は惜しみない拍手を送る。照れたように頭を掻くコルベールに、オスマン氏が笑みを浮かべながら右手を差し出した。その意味に気がついたコルベールは、嬉しさを隠しきれないように、その手を強く握り返した。

 場が落ち着いたところで、再び太公望が教壇の前に立つ。

「では、基本的な方針が決まったところで、いよいよ実験に入りたいと思う。一旦全員こちらへ来てくれぬか? ……オスマン殿」

 全員が立ち上がって教壇の側へ近づいてきたのを確認すると、太公望はオスマン氏へ向き直って頷く。すると、先程まであったベンチが全て消え去った。

「オスマン殿に立ち会いをお願いしているのは、実はもうひとつ理由があるのだ。これからわしがしようとしていることは、ハルケギニアでは『異端』すれすれである可能性があると聞いてしまってのう」

 『異端』という言葉を聞いて、タバサと才人を除く全員がビクリと身体を震わせた。

 ハルケギニアに住む人間たちの間では、かつてこの世界に魔法をもたらしたとされる『始祖』ブリミルが『唯一神』として広く崇められ、人々の信仰を集めている。女神や巨神などの伝承も存在するが、それらはお伽噺として語り継がれているに過ぎない。

 実質無宗教に近い日本で育った才人にはいまいち理解できないことなのであるが、この『ブリミル教』と呼ばれる一神教の世界ハルケギニアにおいて、その教えから外れる行為、つまり『異端』認定されるのは、重大な『罪』であると考えられているのだ。

 それに関しては、一神教の概念どころか神話そのものからやって来た太公望にとっても同様なのであるが、ハルケギニアの歴史を学ぶ過程で、

「そういう考え方があるのか」

 というレベルで理解していた彼は、魔法とは必ず『杖』と『魔法語』を組み合わせて用いるものであり、それ以外は『異端』とされ、最悪の場合、迫害されることを知り得た結果、何らかの<力>を行使する際には必ず『打神鞭』を取り出していたし、また、魔法らしく見せかけるためわざわざルーンを覚えることまでしてのけている。

 タバサについては、幼い頃から過酷な運命を強いられ続けてきたせいで、ブリミル教に対する信仰心が非常に薄く、神の存在自体についても否定的だ。もっとも、聡い彼女はそれを表立って表明するようなことはないが。

「そういうわけで、学院長の『異端ではない』という承認があれば、理屈をつけて通せる。うっかり口を滑らせた者については……」

 ――どうなるかわかるよな? そう言いたげな顔で全員を見る太公望。

「有用性については、学院長としてこのわしが保障する。わしらは昨日のうちに実際に見せてもらっているのじゃが、これを利用すれば、君たちのメイジとしてのランクアップがほぼ間違いなく望める。それだけの価値があるものと判断した」

 最初の言葉で及び腰になりかけていた者も、そうでない者も――オスマンの言葉を聞いて表情を変えた。メイジとしてランクアップできる……つまり『ドット』なら『ライン』に、『トライアングル』なら『スクウェア』への近道が示されるということだ。

「才人よ、さっきから自分には関係ないといったような顔をしておるが、これはおぬしにとっても役に立つことだからな。しっかり見て、覚えておくのだ」

「え、俺は魔法使えないのに……って、もしかして!」

 期待に顔を輝かせた才人であったが、

「残念ながらおぬしが『魔法を使える』ようになるわけではない。その逆で『使えない』からこそ、見て知っておく必要があるのだよ」

 その言葉で、奈落へ叩き落とされかけた。だが、それでも見て知っておけとは、いったいどういうことだろう? 持ち前の好奇心のおかげで、才人はすぐに復活を果たす。

「それでは、始めるとしようかのう」

 そう言って太公望は、懐からコインが詰まった革袋を取り出す。その中から1枚の銅貨をつまみ取ると、台座の中央に置いた。

「それ、わしの銅貨なんじゃからな。あんまり消費せんでくれよ」

 哀願するオスマンに。

「ダァホ。学院長ともあろうものがケチくさいこと抜かすでないわ! それに、その言葉はわしではなくルイズに言ってくれ」

 やっぱり失敗前提にされてるー! ウガー!! と、興奮するルイズをなだめつつ、太公望は全員に台座から数メイル横へ移動するように指示すると、自分はそこから見て90度――台座を時計の中心と見立て、その針の位置でいう6時の位置にルイズたち、3時の場所に太公望が行ったと考えていただきたい――の場所へ移動すると、半跏趺坐(はんかふざ)の形で地面に座り込む。

 そして『打神鞭』を構えたまま、声を出す。

「ギーシュ。まずはおぬしから始めるぞ。実験については聞いておるな?」

「ああ、聞いているよ。だから今週はできるだけ<精神力>を温存しておいたのさ」

「気が利くのう! 実に助かる。よいか、これは必ずおぬしの役に立つものとなる。よって、しっかりと『感覚』を掴むのだぞ!」

 ギーシュの細やかな気遣いに、こやつは思わぬ拾いものだったかのう? と、内心の評価を上げた太公望は、全員に聞こえるように注意点を述べる。

「さて……今からわしが行う『あること』によって、おぬしたち全員が一時的に、これまで『見えなかった』ものが『視える』ようになる。だが、これはわし自身も相当な集中力を必要とする<技術>なので、静かに見守ってもらいたい。うっかり声を出しそうな者は、前もって手なりなんなりで口を塞いでおいてほしい。特に、才人に背負われた剣」

「へへ……わかったぜ」

 カチカチと鍔を鳴らすデルフリンガー。そして全員がそれぞれ納得したと見て取ると、太公望は精神を集中する。

 と……太公望を中心に、ぴん――と、空気が張り詰める。そして『それ』は、輪のように広がっていった。

「ではギーシュよ……一歩前へ出るのだ」

 言われた通り、ギーシュは黙って台座の方向へ一歩進んだ。

「わしが『始め』と言ったら<念力>で、台座の上の銅貨を1メイルほど上まで持ち上げるのだ。キーワードは自由だ。ただし、できるだけゆっくりと唱えてもらいたい」

 黙ったまま頷くギーシュを見て、同じように頷き返した太公望。そして。

「始め!」

 その言葉と共に、ギーシュは<念力>をできるだけゆっくりと紡ぎ始める。すると……彼の周囲に、うっすらと光の靄(もや)のようなものが立ち上がる。それを驚きの目で見守る観客たち。

 その靄は薔薇の『杖』の先に集まり、まるで一本の糸のようにすっ……と、銅貨目指して伸びてゆく。そしてそれは魔法の完成と同時に銅貨に到達すると、その周囲をまるで繭(まゆ)のように包み込んだ。

 ふわりと宙に浮かぶ銅貨。だが――傍目には、それはまるで『杖』の先から出た一本の<糸>によって、支えられているようであった。

「よし。そのまま、今度は50サントほどゆっくりと下へ降ろしてみてくれぬか」

 言われた通りにギーシュは<念力>を続ける。と、<糸>が繋がったそのままに、銅貨がゆるゆると降りてゆく。上下の動きを何度か繰り返した後、太公望はギーシュに銅貨を台座へ戻し、魔法を止めるように伝える。

 ギーシュが<念力>を使い終えると同時に<糸>は霧散するように消えた。

「うむ、では次に……」

 太公望がさらなる指示を出そうとした、だがその前に。

「ちょっと、何なの今の!」

「なにかがぼくの身体から伸びて」

「おおー、魔法ってあんなふうに<力>が出てるんだ」

「おでれーた!」

「あたしも! あたしにもやらせて!!」

「わたしも興味ある」

「だーっ! だから黙ってろと言うとっただろうがっ!!」

 ――大声を上げながら駆け寄ってきた彼らの為に、作業は中断を余儀なくされた。

「ようは、おぬしらの<力>を『感覚』で捉えることができるような<フィールド>を周囲に作り出していたのだ。目に見えるように思えたであろうが、実際にはそうではなく『感覚』がそのように受け止めておっただけのこと」

 また張り直さなければならん、まったく面倒な……そう、グチグチと文句を垂れながら太公望は説明する。どういう理屈でああなるんだ、との問いには、これは自分たちの国の特殊技術の結晶で、それらを基礎から全て学ばねば実現できない。そもそもすぐに教えて理解できるような内容では絶対にない! と答えていた。

「まあよい。タバサとキュルケについても、ルイズと比較するために同じことを試してみよう。ただし、今度同じことをやらかしおったら、わしは帰るからな」

「お願いだから、それだけはやめて!」

 珍しく半泣きで懇願するルイズに、タバサと才人、そしてイジリ大好きなキュルケも、名指しで注意されていたにも関わらずうっかり声を出してしまったデルフリンガーもさすがに悪いと思ったのだろう、きちんと謝罪する。

 ……そして、実験は再開された。

 キュルケ、タバサの順に行われたその結果。キュルケについては、ギーシュの3倍ほど厚い靄が身体の周囲に立ちのぼり、杖の先から出たのは<糸>ではなく『荒縄』と形容すべきものであった。

 タバサについては、キュルケよりもさらに大きい――ギーシュの5倍程度の量の靄と、<糸>ではなく『紐』……ちょうどギーシュとキュルケの中間程度の太さのそれが確認された。

 今度は自らフィールドを解いた太公望が、全員に向けて解説を始める。

「この結果わかったのは」

「あたしの実力がスゴイってことよね」

 得意げに髪を掻き上げたキュルケであったが。

「この中で、ギーシュが最も巧みに<力>を扱えているということだ」

 太公望の言葉に、彼女はええーっ! と、不満の声を上げた。

「どうしてなの? どう見てもあたしがいちばん力強かったじゃないの!」

 キュルケの意見に異を唱えたのは、オスマン氏であった。

「皆全く同じことをしているのに、君の<力>がいちばん強かった。つまり、それだけ<精神力>の使い方に無駄があるということじゃ。これで間違いないかの?」

 オスマンの言葉に、太公望が頷く。

「そういうことだ。キュルケよ、おぬしより上の<精神力量>があると思われるタバサの<糸>が細かったことから考えても、それは一目瞭然。つまりだ、<力>のコントロールという意味において、3人のうち最もセンスがあるのは、現時点ではギーシュということになる」

 自分よりも圧倒的に<力>が上であると思っていたふたりよりもセンスがある。そう言われたギーシュは、まさに天にも昇る心地であった。逆にキュルケはがっくりと肩を落とす。そんな彼らに、太公望は苦笑しつつ声をかける。

「もともとギーシュは、ゴーレムの複数操作などというとんでもない技能を持っておったからのう。これについては別の機会に説明するが……キュルケ、それにタバサ。逆に考えるのだ。コントロールさえ身につければ、今よりもさらに手数が増やせるということなのだから、落ち込む必要などないのだと」

 ――言われてみればその通り。異端すれすれと言われたこれは、確かにランクアップへの近道だ。それを悟ったキュルケとタバサは、思わずぎゅっと拳を握り締めた。

「さて、それではいよいよ本番……ルイズ、おぬしの<力>を見せてみるのだ」

 頷くルイズ。だが、その手が僅かに震えているのを見て取った太公望は、彼女にまず深呼吸をさせて落ち着かせる。

「緊張するな……と、言われても、正直まあ難しいであろう。よいか、ルイズ。いつも通りにやればよいのだ。失敗してはいけない、などと余計なことは考えるな。ただ、思ったままに魔法を使うのだ。いつもと同じようにやる、それだけを心がけるのだぞ」

 そして、ふたりはそれぞれの位置についた。

「では……始め!」

 そして、ルイズは<精神力>を集中しはじめた……のだが。

 ――でかい。太公望の顔が引きつった。正直、内心の動揺を隠すだけで精一杯であった。これは……崑崙の幹部クラス――いや、最高幹部『崑崙12仙』並だと……!?

 ルイズから立ち上った『それ』は……例えるならば1本の大樹。先程試した3人のそれとは比べようもないほどに強大なもの。昨日見たコルベール、そしてオスマンですら比較にならないレベルの<力>。

 太公望は、内心で頭を抱えてしまった。前に見たときは、そこまで注意を払っていなかったとはいえ……これほどの<力>を感知しきれなかったとは、我ながら寝ぼけていたのではあるまいかと。

 あえて言い訳をするならば、そもそもの<力>の根幹が<精神力>と<生命力>で異なっていたためだという理由がつけられるかもしれないが、それにしても――。

 いっぽう太公望以外の面々はというと、こちらは驚愕のあまり声が出ない状況であった。だが……オスマンとコルベール、そしてタバサの3人は、そんな中あることに気がついた。もちろん太公望も。

 ――ルイズの杖から<糸>が出ていない。その代わり、銅貨のある位置に<光の玉>と形容すべきモノが出現している。

 その光は、魔法が紡がれるたびに大きくなってゆき――そして、終了間際、いっきに収縮を始めた。太公望の顔色が変わる。

「そ、総員待避―――ッ!!!!!!!」

 一斉に逃げ出す関係者。そして。

 ドッゴオォォォォォォォォォオ……ン。

 轟音とともに、銅貨であったものは砕け散った――。



[33886]    第17話 巡る糸と、廻る光
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/07/15 21:13
「なあおい、ご主人さまよ! なんだよあれ。デカすぎとかってレベルじゃねェぞ!? あれじゃ、爆発すんの当たり前だろ!!」

「う、うるさいわねっ! わたしだって知らなかったのよっ!!」

 爆発の余波が収まった後。例の<力>を見てぎゃんぎゃん騒ぐ主従をよそに、教師陣は素直な感想と、結論をまとめていた。

「ミスタ・タイコーボーの仰る通り、ミス・ヴァリエールは<力>が強すぎたがために、あのような<失敗>を起こしていたのですな」

「う~む……正直あそこまでの大きさとは」

 タバサやキュルケ、そしてギーシュも、あまりのことに呆然としていた。だが……そんな中、太公望だけが、ひとりで頭……もとい、膝を抱えて座り込んでいた。左手の人差し指で地面になにやら文字を書き、小声でブツブツと呟きながら。

「素の状態で『12仙』クラス……正直ありえんわ。しかも空間ピンポイント……あれで無能扱い!? ならわしの立場って……」

 どんよりと黒い空気を纏っている彼の姿は、傍目に見ているだけでも正直怖い。だが、そんな太公望の様子に気がつかない……と、いうよりも。まさしく『場の空気が読めない』者が、そばに寄ってきた。

 ――この<フィールド>を作り出した張本人、ルイズである。

「ね、ねえミスタ・タイコーボー。それで、コントロールについてなんだけど」

 ピタリ……と、太公望の手が止まる。そして、ギギギ……と、ルイズに向き直ると、眉根を寄せ、口の端を歪ませながら、ケッ……と吐き捨てた。

「知らぬ。おぬしはもういっそ<爆発>だけ極めとけばいいのと違うか?」

 そして。フン、と鼻を鳴らすと……その場でごろりと横になってしまった。

「え、ちょ、ど、どうしたのよっ」

「わしは知らぬ。知らーぬ」

 ――それから。理由はよくわからないが、完全にへそを曲げてしまったらしい太公望の機嫌を直す『作業』に全員でもって取りかかり、それが終了するまで……約30分ほどの時間を要した――。


「わしとしては正直不本意極まりないのだが、結論を言わせてもらう」

 太公望は、顔を激しく歪めながら、先程の現象について語り始めた。

「ルイズが魔法に失敗していた理由は、やはり<力>そのものが大きすぎたせいだ。例えて言うならば、コップへ水を入れるために、バケツの中身をそのままひっくり返しておったのだよ。そんなことをすればどうなるか……わかるであろう?」

 オスマンの手によって再生された台座の上へ、再び銅貨を1枚乗せながら、不承不承といった風情で太公望は語る。

「あふれて、こぼれ出しちゃう。そういうことよね」

 キュルケの答えに、うむ。と頷く太公望。

 ……ちなみに、現在ルイズの口には太公望の頭に巻かれていた布――何故か最近やたらと出番の多いそれ――で、封印が施されている。これ以上空気読めない発言されたら面倒だ。そう考えたキュルケの発案によるものだ。

 当初、本人は猛烈に抗議しようとした……のだが。いつものそれとは違う、とてつもない迫力を伴った太公望のひと睨みによって、大人しく受け入れていた。

「おまけに、本人が自覚していない、とんでもない特性を秘めておる」

「それは<糸>のこと?」

 そのタバサの質問に、よく見ていたな。そう答えた太公望は、スタスタとルイズの前へと歩み寄る。

「よいか? わしが、いいと言うまで絶対に口を開くな。わかったか? それが守れなかった場合、わしはすぐさま部屋に戻って寝るからな。本気だぞ」

 ドスの利いた声に、コクコクコクコクと頷くルイズ。

「では一旦、その封印を解く。その布を持ったまま、先程の位置へ立つのだ」

 言われた通り、ルイズは布を持ったまま位置につく。

「この銅貨がちゃんと見えているか? 見えるなら首を縦に振れ」

 ルイズが頷くのを確認した太公望は、台座から離れて他の全員が集まっている場所まで移動すると、新たな指示を出す。

「よし。ではその布を縛って、自分の目を隠せ。そののち、わしの『始め』の合図が聞こえたら銅貨に向けて<念力>を唱えるのだ」

 ――何故そんなことを。うっかり、そう口に出しそうになったルイズであったが、太公望から立ち上っている――彼女にもようやく見えた――どす黒い何かに気圧され、大人しく目隠しをする。

 ……と、ここで。太公望が全員のほうに向き直ると、自分の口の前へ指を1本立てて見せた。黙っていろということだろう。全員が首を縦に振るのを確認した太公望は『打神鞭』を一振りする。すると、台座からふわりと浮かび上がった銅貨が、ルイズの後方約20メイルほど先まで飛んでゆき、静かに地面に置かれた。

「始め!」

 太公望の合図と共に、ルイズが<念力>の魔法を紡ぎ出す。そしてそれが完成した――その瞬間。彼女の後方、20メイルほどに位置していた銅貨が爆発した。

 思わぬ方向からの爆音に声を上げそうになったルイズだったが、必死にそれを抑える。見ていた観客たちも同様であった。そして。

「全員、口を開いていいぞ。ルイズもな」

 そう太公望が告げた直後。

「ええええええぇぇぇぇええええええ―――っ!!!」

 平原に、再び驚愕の大合唱が響き渡った。


○●○●○●○●

「あの<糸>は、いわば<力>を誘導するための『道』なのだ」

 なんとか少し落ち着いたのだろう。ようやく通常運転を再開した太公望は、再び持論を披露し始める。

「普通のメイジは、あの<糸>によって対象の位置まで<力>を運び、そして効果を発動させる。ところが、ルイズの場合はその『誘導するための道』を必要としていない。直接『発動したい場所』に<力>を展開することができるのだよ」

「それのどこがすごいの?」

 ルイズの言葉に――本人はあくまで無邪気に、そして素直な感想を口に出したに過ぎないのであるが――太公望の口端がピクッと動いた。こめかみがひくついている。

 いやいやいや、これとんでもないから。そう答えた者たち――オスマン氏、コルベール、タバサ、そして才人の取りなしで、なんとか微妙になりかかった空気が元に戻った。

「まったく、これだから天才というやつは……!」

 ギリギリと『打神鞭』を握り締めた太公望は、今度は才人に言を向ける。

「……のう才人よ。おぬしはご主人サマと違ってちゃんと気がついたようだが……仮にだぞ、もしもおぬしが、ルイズと戦うことになったとする。もちろんデルフリンガーは持っている状態でだ」

 ――その時、おぬしはどうやって挑む? その太公望の問いに。

「物陰からこっそり近づいて、後ろから斬りかかる」

 と、答えた。

「それは、何故だ?」

「見られたら死ぬ」

「どどどどういう意味よ、この、犬―――ッ!!!」

 主人を視線で殺すバケモノ扱いするなんて! そう叫んだと同時に、ルイズの見事なまでに美しい軌跡を描いた回転蹴りが、才人の顔面を捉える。なおその際に、当然発生する事象によってめくれあがった物体の奥がチラリと見えた。

 それに対して。

「昨日おろしたばっかりのアレだネ」という感慨を持った直後、意識が暗闇の淵へと引きずり込まれていった者が1名。

 快哉を叫ぶのを必死に堪え、心の中だけで「白かった! 白かったであります!!」と打ち震えた者が1名。

「お子ちゃまね」と、鼻で笑った者が1名。

 思わぬ役得に目尻が下がった者が1名に、俯きつつゴホンと咳払いをした者が1名、何の感慨も持たなかった者が3名。

 ――どれが誰であるのかは、あえて記さずにおいておくこととする。


○●○●○●○●

 ――才人再起動後。

「どうやら、本当にわかっておらぬようだのう」

 左手に『打神鞭』を持ち、それで右手のひらをポンポンと叩きながら、太公望はルイズに視線を向ける。そして、空き地の中央付近を指すと、そこへ移動するように促す。

 指定された位置にルイズが立ったのを確認した太公望は、彼女に対して『杖』を向ける。どよめく観客たちを静かにさせると、言葉を紡いだ。

「それならば仕方がない。身体でもってわからせてやる。なに、痛い目にあわせたりはせぬから、その点については安心するがよい」

「あら、ミスタ。その発言はちょっとどうかと」

「よしキュルケおぬしもルイズの隣へ行け」

「ええーっ!」

 余計なことを言うから――そういいたげな他メンバーの視線を背に受けながら、キュルケはがっくりと肩を落とし、ルイズの隣へと向かう。

「さて。これからわしが、あのふたりへ向けて<風の槌(エア・ハンマー)>を唱える」

「ちょ」

「待って」

「怪我などさせぬと言っておるだろうが! 今度は<力>の流れが見えるように、わしの周囲を調整する。全員黙って見ているのだぞ。そうそう、ルイズとキュルケは、もちろん安全のために身構えておいてよいからな」

 その言葉に、即刻防御態勢をとるふたり。

「まずは、一般的なメイジと同様、<糸>による誘導形式で放つ」

 そう言って太公望は、まっすぐルイズたちに『打神鞭』を構えると<風の槌>のルーンを紡ぎはじめる――当然これは「ふり」である――と、彼の周囲に、例の薄い靄――抑えに抑えてタバサとほぼ同等のそれが、ゆらりと立ちのぼる。

 ……と、<糸>がぴーっと彼女たちの数メイル手前までまっすぐ伸びてゆく。そして一定距離まで伸びた糸が拡散し、雪崩のように周囲の空気を押し出すと、風の槌となってふたりに襲いかかる。当然太公望は手加減をしているので、少し後ろへ押しやられた程度で済んだが。

「今度は、ルイズのように『空間座標指定』で<力>を解放する」

 今度も、先程同様まっすぐルイズたちに『杖』を向け<風の槌>の詠唱を開始した太公望の姿を見ていた観客たちは、すぐに大きな違いに気がついた。

 薄い靄が現れたところまでは一緒……だが<糸>が出ていない。代わりに、ルイズとキュルケの『真横』数メイルの位置に、光点が発生し……詠唱終了と同時に拡散。突如発生した<風>が、前方以外は完全に無防備となっていた彼女たちふたりを、真横から吹き飛ばした。

「こういうことだ、わかったか」

 宙をくるくると廻ったルイズとキュルケを、浮かせたまま手前まで引き寄せ、ゆっくりと着地させた後――太公望は訊ねた。

「普通のメイジは『杖』の向いている方向にしか魔法を放てない」

「それは<糸>で<力>を流してあげる必要があるから、よね」

「けれど、ルイズにとっては杖の向きなんか関係ないんだ」

「そう。さらに一度『それに<力>を送りたい』と認識したモノの中心に、自動で<力>を発生させることが可能」

「しかも! それが途中でどこか別の場所へ行ってしまったとしても……ですぞ」

 口々に、ルイズの<力>について語るメイジたちへ、才人が補足する。

「オールレンジ対応、どこから来るか全く予測できない。しかも、使った本人がその気になったら自動追尾が付いてくる<爆発>だぞ? シャレにならんだろこれ。だから俺は言ったんだよ『見られたら死ぬ』って」

 と、いう才人の締めの言葉に、うわあ……と、改めてその脅威に気がついた面々と、ようやく自分がどれほど普通ではない<力>を持っているのかを認識しはじめたルイズ。

「修行なしで『空間把握』だけでなく『座標指定』に『自動誘導』までやってのけるだと!? わしが、この太公望が……それができるようになるまで、どれだけ苦労したか。ルイズ、おぬしには理解できぬであろう?」

 肩をわななかせ、きつく握り締めた両手の拳をぷるぷると震わせながら、太公望のある意味魂の叫びといってもいいそれがルイズに向けて炸裂している。彼の黒い情念を真正面から受けたルイズは、訳もわからず後じさる。

「冗談でも誇張でもなく血を吐き、何度も何度も死にかけて、ようやく手に入れた<力>が持って生まれたものとか……うぬぬぬぬ……これだからわしは『天才』が嫌いなのだ!! わかったかルイズ、だからわしはああ言ったのだ。他の魔法なんぞ知らぬ、もういっそ<爆発>を極めろ、と!!!」

「そんなの嫌ああぁぁぁあッ!! わたしは、わたしは普通のメイジになりたいのよおおおおおッ!!!!」

 ――魂の奥底から生まれたふたりの絶叫が、平原に響き渡った――


○●○●○●○●

 ……それからいったん食事休憩を挟んだ、1時間後。

「う~む、当初は例の<フィールド>を展開しながら見て教えるつもりだったのだが、あれほどの『感覚』持ちならば……そうだ! もっといい方法があった」

 ぽん! と手を叩いた太公望は、再度台座の上へ銅貨を1枚置くと、ルイズに『杖』を持ったままベンチへ腰掛けるよう促す。

 ……ちなみに、彼のご機嫌が直ったのは、ルイズが自身のデザートにと用意させていたクッキーを全てお供えしたからである。

 そして太公望はルイズの後ろ側に立つと、両手を彼女の肩へと乗せる。思わずビクッと身体を震わせてしまったルイズに、落ち着くように指示をすると、周囲、そして目の前に座る少女に対して、これから行うことについての説明を開始する。

「これは、本来わしらが行う修行方法のひとつなのだ。体内を<循環>する<力>の流れを教えるために、これからわしがルイズに対してそれを試してみようと思う」

 ほうっ、という感心の声を上げたその他の――ルイズの横・数メイル離れた位置に集まった観客たちは一様に興味を示す。

「ただし、これは通常のメイジには合わない可能性が高い。あくまでルイズが特殊であることを前提に行うものであるため、申し訳ないが同じことを試したいという者がいても、その点については一切期待しないでもらいたい」

 そして全員へ静かにするよう告げた太公望は、今度はルイズに対してこう言った。

「これから、わしは『あること』をする。これは、内容を言ってしまったら効果が薄れてしまうため、あえて伏せさせてもらうぞ。よいか、まずは目を閉じて……そしてゆっくりと肺の中いっぱいに息を吸い込み、その倍の時間をかけて吐き出す。これを3回繰り返すのだ」

 言われた通り、深呼吸を行うルイズ。

「では、いつも通りの呼吸に戻し……自分の『中』に意識を集中するのだ。わかっていると思うが、わしが良いと言うまで声を出してはいかんぞ」

 その直後――傍目から見ているものには、何をしているのかさっぱりわからなかったが――ルイズには、自分の肩……太公望が手を置いているあたりから、何かが……例えるならば、細い細い『糸』のようなものが流れ込んでくるのがわかった。

 それは、まるで血液のようにルイズの体内を循環し、やがて下腹部のほうへと集まると、1個の『珠』となり、その後――ちょうど背骨に沿うような形で、ぐるぐると移動し始めた。例えるならば、そう……まるで、螺旋を描くように。

「ルイズよ、何か感じぬかのう?」

「えっと……何か『糸』みたいなものが肩から流れ込んできて、そのあと……1つになって、背中でぐるぐる廻っているみたい」

「よし、やはり掴めたな! では次の段階にゆくぞ。まだ目は閉じたままでおれよ」

 これは、なんだろう。ルイズは、不思議な『感覚』に囚われていた。さっきまで背中で廻っていた『珠』が、再び複数本の『糸』になり――全身を満たしてゆく。

 と、身体がふうっと温かくなったと思うと『糸』は再び1箇所へと集い、また『珠』となる。そして『珠』は右手に持った『杖』に向けて移動してゆくと……その先で、ふいに消えた。

「今度はどうかのう?」

「何か『珠』みたいなものが杖のところまで来たけど、消えちゃったわ」

 その答えを聞いた太公望は、満面の笑みを浮かべると、ルイズに告げた。

「今の『感覚』を覚えておるな?」

「ええ」

「では、それを忘れないうちに<念力>を使う。よいか、おぬしの内に流れる<力>を、あの『糸』と『珠』のように巡らせることを想像するのだ。そして魔法を紡ぎ終えるまでに同じように廻し、巡らせ、集め……『珠』を『杖の先』に移動させ終えたと同時に、唱え終えるのだ。くどいようだが、イメージが大切だからな」

 さあ、やってみるのだ。そう促されたルイズは、立ち上がって『杖』を構え、銅貨へと向ける。イメージ……そう、イメージするのよ……と、呟きながら。

 ――そして周囲が見守る中。ルイズは<念力>を唱え始める。

 ルイズの中を、不思議なリズムが巡っていた。いつしか神経は研ぎ澄まされ、周囲の音は一切耳に入ってこなくなっていた。自分の身体の中で、何かが生まれ、廻っていく感じ。そしてそれを『杖』へと送り込み――魔法を完成させる。

 その瞬間――銅貨は凄まじい勢いで空を目指して飛んでゆき……何処かへ消えた。

「うーむ、ま~だ<力>が入りすぎだのう」

 という暢気な太公望の声をきっかけに、静まりかえっていた観衆が沸き立った。

「ちょっと、何よ今の!!」

「すごい威力」

「飛んだ! 飛んだよ!!」

「銅貨の急上昇を確認したであります!!」

「わしの銅貨は星になったのじゃ……」

「おでれーた!」

 そんな中、固まっていたルイズの側に駆け寄ってきたのはコルベールであった。

「ミス・ヴァリエール! 見ましたか!? 爆発しませんでしたぞ!!」

 その言葉に。自分が何をやったのか、やりとげたのか。それをようやく理解したルイズは――ぽつりと一言呟いた。

「成……功……!?」

「その通りです! 確かに<力>加減は強すぎましたが、きみは間違いなく<念力>で銅貨を浮かせることに成功したのだよ!!」

「わ、わ、わた、わたし……」

 全員が、わっとルイズの周りへ集まってくる。ルイズは、台座の上を見る。銅貨はない。でも、台座はどこも壊れていない。ふと太公望を見ると……彼は、にっこりと笑って、頷いた。

「やったぁああああ――っ!!」

 ルイズの喜びに溢れた声と大きな拍手が、平原に響き渡った。


○●○●○●○●

「ふむ、ほぼ掴みかけてきたようだの」

 その後、30枚ほどオスマン氏の銅貨が行方不明となったのちに――ルイズは、台座の上の銅貨を、ある程度自由に上げ下げできる程度までには<念力>を扱えるようになっていた。

「ね、ね、次はいよいよ系統魔法よね!?」

 期待に胸を膨らませたルイズであったが、太公望の言葉はそれを裏切った。

「いや。おぬしには、まず徹底的にこの<念力>を極めてもらう」

 どうしてよ!? そう詰め寄る彼女を制したのは、オスマン氏であった。

「ミス・ヴァリエール。彼の言うとおりじゃ。嬉しい気持ちはよくわかる。だが、君はあくまでスタートラインに立てたに過ぎない。よって、基礎から学びなおす必要がある」

 その言葉に頷いた太公望は、さらに補足を行う。

「この<念力>という魔法は、純粋な<力>のみで行われるものだ。他の者たちよりも圧倒的に<力>で勝るおぬしがこれを極めることによって、新たな『道』が切り開かれるであろう」

「新たな『道』?」

「そうだ。ルイズを含む、メイジの皆に確認したい。この<念力>は、普段はどのように使う魔法であるのか」

 その太公望の問いに、次々と解答が寄せられた。曰く「窓の開け閉め」「箪笥の引き出しを開く」「棚を横にズラす」等々……主に、日常に即した答えが全てであった。

「と、いう身近な使い方をされている魔法だが、さて……他に、これを使ってできることはないのかのう?」

 その問いに、首をかしげるメイジたち。おぬしら頭固いの~、さっき見たばかりであろう? と、やや呆れ声で言う太公望の言葉によって、気がついた者がひとり。コルベールである。

「<レビテーション>と同様の効果が見込める。そうですな!?」

 あ……と、声をあげる彼らに、追撃をかける太公望。

「そう、銅貨を浮かせることができるのだから、そのまま動かせば……ほれ<レビテーション>の完成だ。<力>の使い方が違うだけで同じことができる。だが……まだだぞ? もう一歩踏み込んでみるのだ。『モノ』に拘る必要はないのだよ」

 才人はふと思いついた。<念力>かあ。そういや、マンガとかでよく……。

「あーっ、わかった!!!」

 そして、才人は声を上げた。答えてみよ。そう言った太公望へ、才人は、ある意味ハルケギニアの常識では考えられない解答を出した。

「自分に<念力>かけて、空を飛べる!!」

 いやいやそれは無理だから……そう言おうとした彼らが見たモノは。

「その通り……正解だ」

 満面の笑みでもって答えると、自ら『杖』を振り<念力>と唱えた太公望が、ふわり……と、宙へと浮いた、その姿であった。

「わしがこれまで『空を飛ぶ』ために使ってきたもの。それは<念力>なのだ。<フライ>などでは断じて、ない!!」

 ――実際のところは、ちょっとだけ違うのだが。そこは黙っておく太公望。

「確かに、普通のメイジにとって、これは難しい、いや、できないことなのであろう。だが、ある意味<力>と『空間把握』そして『座標指定』能力に特化しているルイズにとってはどうかな?」

 そう言ってさらに高く浮き上がった彼は、お得意の<高速フライ>を全員に見せつける。わっはっはっは……と、笑い声を上げながら通常の<フライ>では到底実現できない速度で飛び回る太公望に、あぜんとした視線を向ける観客たち。

 そしてルイズの前へと舞い降りると『打神鞭』を彼女の前に突き出した。

「どうだルイズ。おぬしには、わしと同じことができる可能性がある。前に、わしの背に乗ったとき、どう思った?」

「風竜より……はや……い……」

「どうだ? <念力>はつまらない魔法だと思うか?」

 一瞬だけぽけっとした顔を見せたルイズであったが……すぐさま、ぶんぶんと首を横に振る。

「<念力>は、全ての基本……いわばコモンの初歩の初歩の初歩だ。まずは、銅貨を自在に宙で操れるようになるまで練習するのだ。よいか、わしの見ていないところで、間違っても空を飛ぼうなどとは考えるなよ? まだ爆発の可能性がゼロではないおぬしが、うっかりコントロールに失敗したらどうなるか……わかるであろう?」

 コクコクと、今度は首を縦に振るルイズ。その顔は、抑えようにも抑えきれない歓喜に満ちあふれている。

「これが、わしがおぬしに示す最初の『道』だ。そして――その行き着いた先に『空間制御』が存在する。例えて言うならば<サモン・サーヴァント>の上位だ。自分の前に『入り口』を作り、自分の行きたいと考えた場所に『出口』を作る。その間に存在する『空間』を曲げ『扉』同士を繋げられるようになる。どうだ、考えただけでわくわくしてこんか?」

 おぬしの持つ、その強大な<力>と『空間把握』『座標指定』『感覚』をもってすれば、必ずやそれは実現できるであろう。そう断言した太公望の言葉に、ルイズは強く頷いた。

「それとだ。才人とよく話し『念力でやれそうなこと』の案を出し合うのだ。才人は、さっきのようにハルケギニアの常識からかけ離れた考えかたができる。そういう意味では、案外わしよりも面白い<念力>の使い方が浮かんでくるやもしれぬ」

 おぬしもそれで構わぬか? そう問うた太公望に対し、才人はというと。

「ああ、もちろん。見て知っておけっていう意味がやっとわかったよ。俺は、メイジのことを知らない。魔法がどんな仕組みで動いているのかを知るってことは、つまり」

 例の仮定――ルイズと戦うとしたら、どうする? といったそれのような、たとえばメイジと敵対しなければいけないような事態が、実際に発生した時に非常に役立つ。そして、協力を誓っていたルイズの『練習』。その、役に立てる。そういうことだろ? そう聞いた才人に、太公望は笑みでもって応えた。

「そういうわけだ、頑張ろうぜご主人さま!」

 手を差し出した才人。その手を見つめながらルイズは思った。

 ――<念力>……これが、わたしにとっての『入り口』なんだ。

 ……そして、彼女は才人の手を取り……歩きはじめるべき道を決めた。



[33886]    第18話 偶然と事故、その先で生まれし風
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/08/07 22:08
「さて」

 場の雰囲気が落ち着いたところで、太公望が再び演壇へと戻る。

「ルイズの今後について、ある程度の見通しが立ったということで、今日はこのあたりで場を締めたいと思うのだが……」

 そう告げた太公望に、待ったをかけた者がいた。

「あの、ミスタ。まだ日も高いことですし、せっかくですから、例の『約束』を、ここで果たしてはもらえませんこと?」

 妖艶な笑みを浮かべながらそう言い放ったのは、キュルケであった。片眉をつり上げ、口を開こうとした太公望を手で制止しながら、彼女は続けた。

「本当なら、あの時のメンバー限定という約束だったんだけど。あたし、ロバ・アル・カリイエは、ハルケギニアよりもずっと魔法文明が発達してるんだって、実家に出入りしている商人から聞いたことがあってね。どうしても東方のメイジから、直接話を聞いてみたかったのよ。それに、こういうお話は、学院長先生やコルベール先生も興味がおありになるでしょうし」

「そ、それは是非とも聞かせていただきたい!」

 鼻息荒く立ち上がったコルベール。

「エルフの住まうサハラに遮られておるせいで、ロバ・アル・カリイエの情報がほとんど入ってこないのは確かじゃ。それに、わしも君の故郷に伝わる魔法には興味がある」

 太公望が東方出身でないことを知っている、オスマン氏までもが賛意を示す。

「もちろん、本来の『約束』を違えることになった罰は、きちんと受けるわよ。そうね……明日から1週間分のデザートを、あなたに譲るわ。これでどうかしら?」

 それまで苦い顔をしていた太公望の表情が、微妙に緩んだ。それを見た全員が思った。彼に何か頼み事をするときには、甘味を与えるのがいちばんなのだ――と。

「うぬぬぬぬ、そこまで言うなら仕方がない。その代わり、全員。ここでの話は、外へは絶対に漏らさないこと。これを守れるか? それと、今のような条件の後付けは、二度と受け付けぬからな!」

「守る! 守りますぞ!!」

 真っ先に声を上げたのは、またしてもコルベールであった。どうやら彼は、異国の魔法技術について、大いに関心があるらしい。さらに、その場にいた全員が顔を輝かせながら頷くのを見るに至って、太公望は完全に折れた。キュルケの作戦勝ちである。ちなみに、後日オスマン氏とコルベールから、彼女へ特別に単位が授けられたのだが……それはまた、別のお話。

「まあ、よかろう。ただし、門外不出の技術については、当然のことながら答えられぬので、それだけは前もって言っておく。では、聞きたいのか、それとも教わりたいのかで、一旦優先順位をつけさせてもらうぞ。わしに『聞きたい』者は手を挙げよ」

 ここで手を挙げたのは、ルイズと才人であった。

「よしルイズ。わしに聞きたいこととはなんだ?」

 指名されたルイズは、どうしてもこれが聞いておきたかったらしい。まっすぐ太公望の目を見て質問した。

「えっとね、よくミスタが話している『空間ゲート移動』についてなんだけど……あそこまで詳しいってことは、ひょっとして……あなたもできるんじゃない?」

「そうそう、それだよ!」

 才人も全く同じことを質問したかったようで、しきりにルイズに同意している。

 と、これを聞いた太公望は、少し渋い顔をして答えた。

「それなのだがな……今は、できないのだ」

「今は、ってことはさ。前はできたってことだよな?」

 才人の言葉に頷いた太公望は、ちらりとタバサのほうへ視線を向けると、頭を掻きながら少し考え、その後――おもむろに口を開いた。

「タバサよ。あれはあくまで偶然の『事故』だったのだし、わし自身はなんとも思っておらぬ。いやむしろ悪かったとすら考えておるので、おぬしには決して気に病まないでもらいたいのだが……」

 そのように前置きされたことで、才人以外のメンバー全員が、太公望が何を言おうとしているのかに気がついた。そう……あの日、彼が召喚されたときのことだ。

「あ、それは私も興味がありますぞ」

「わしもじゃ。<サモン・サーヴァント>で呼ばれる側、しかもメイジとしての見識が聞けるなど、まず起こりえない事態じゃからの」

 そう言って盛り上がる教師陣。だがしかし。続く太公望の言葉は、彼らにとって完全に予想外のものであった。

「それなのだがな……わしはおそらく才人とは違い『呼ばれた』わけではない。あくまで『事故に巻き込まれた』だけなのだよ」

「どういうこと?」

 普段めったに変わらないタバサの表情が、変化した。それを見た太公望は、だからおぬしが気に病む内容ではないのだ……と、慌てて言葉を続ける。

「前に、わしが休暇をもらって旅をしていた、という話をしたと思うのだが」

「召喚初日。覚えている」

 タバサ以外は、うわそれ初耳! という顔で話に聞き入っている。

「あの日な、たまたま旅先から『ゲート』を開き『自分の部屋』を作って、その中へ移動したのだ」

「……部屋を作る?」

「ああ、これは『空間制御』の中級でな。どこでもない空間……別の『次元』。専門的な言い方をすると『亜空間』と呼ばれる場所。便宜上『自分の部屋』などと例えることが多いのだが」

 何と説明すればよいか。そうだのう……と、右手人差し指でポリポリと頬をかきながら、太公望は答える。

「<サモン・サーヴァント>で『入り口』だけ作る。その後、出口側を作る代わりに『扉』の奥にある『空間』を歪めて好きな形にするのだ。だいたいは球形であったり、立方体だったりするわけだが……その『空間』は、外からは決して見えない。その中はまさに『自分専用に作り出した小さな異世界』となるわけだ」

 そんなことができるのか! と、驚愕するメイジたちと、いきなり話が魔法よりもSFっぽくなってきたせいで、持ち前の好奇心がむくむくとふくれあがってきた才人。

「これは『空間ゲート』の接続に比べて少ない<力>で行うことのできる技術であるから、将来的にはルイズもやれるようになると思うぞ。『部屋』を自分の側に作り出して、どこにいても物を出し入れ可能な倉庫にするなど、いろいろと使いようがあってすごく便利なのだ」

 ほえ~っとした顔で聞いているルイズに、さらに太公望は告げる。

「ちなみに『自分の部屋』は、余程大きな<力>を持った者でない限り、作った本人にしか干渉できないものなので、泥棒対策、または<サイレント>以上に機密性の高い空間を確保できるという意味では、最高の環境なのだよ」

 面白そう! そう顔を輝かせるルイズを微笑ましく思いながら、太公望はやや脇に逸れてしまった話を元に戻すべく先を続けた。

「……でだ。その部屋にはいった途端、いきなり『光の道』が割り込んできた」

 本来、とてつもない<力>でもって曲げている空間に、そんな『割り込み』が生じたら大変なことになる。そのせいで激しい衝撃を受けた太公望は、自分の身体を支えきれずに倒れ込みそうになった。その時に『光の道』に触れてしまい……気がついたら、ここハルケギニアに召喚されていた、というのである。

「本来であれば、あの『道』は別の場所へ繋がるはずだったのであろう。あのような割り込みは、普通ならばまずありえぬことなのだよ。何が原因で発生したのかは不明だが、本当に偶然、それこそ涅槃寂静――0.000000000000000000000001%程の確率なのだ」

 まさしく天文学的数値である。彼らの感覚から言えば、正直ゼロだといっても過言ではないだろう。

「でだ……どうもその衝撃の影響で、亜空間を『掴む』ことができなくなってしまったようでのう。まあ、この症状自体は前にも経験しとるから、早くて数ヶ月……遅くとも数年以内には治ると思うのだが」

 頭を掻きながら言う太公望。王天君のことについては、話がややこしくなるのでここではあえて口に出さない。実は今まで忘れていたとは別の意味で言えない。

「そういう意味では、わしが逆にタバサの<召喚>の邪魔をしてしまった可能性も否定できぬのだ。今まで黙っていてすまなかった」

 そう言って頭を下げた太公望に。

「謝らないで。むしろ歓迎する」

「ミスタほどのメイジを呼べたなんて、邪魔どころか素晴らしいことなのではないかとぼくは思うよ」

「そんな確率で起きた事故のおかげで、わたしは魔法が使えるようになったのね。まさしく『始祖』ブリミルのお導きだわ!」

「いやまったくですぞ」

「呼ぶ側としては、ある意味羨ましい事故だわ」

「畏るべき話じゃの」

 と、答えて大騒ぎするメイジたち。ちなみに、上記はそれぞれタバサ・ギーシュ・ルイズ・コルベール・キュルケ・オスマンの言葉である。

 そんな中、ぽつりと発言したのは才人だった。俺の時とはだいぶ違うな……という前置きをした上で、太公望の発言に補足する。

「なるほどな、地震が起こったみたいなもんか。『道』同士がぶつかって、歪んで……それが元通りになろうとして跳ね返る。んで、当然反動があるわけだから、その衝撃でめちゃくちゃ大きく揺れる。そんな状況じゃ、魔法使って逃げる余裕なんてねーよな」

 この発言に、太公望は本気で驚いた。眉をひそめ、まじまじと才人の顔を見つめている。一方、その他のメンバーにとっては何のことだかわからないので、一様にぽかんとした顔を並べている。

「才人よ……おぬし、いったい何者だ?」

「何者って……ただの高校生」

「高校生とは?」

「えっと……ここの学院みたいに、俺たちと同じ年頃のやつが通う、色々なことを勉強するための場所でさ。俺の国では、ほとんどの人間がそこに行くんだ」

 その答えに、口をあんぐりと開ける太公望。しばしフリーズしていたようだが、ややあって再起動を果たす。それも当然だ、さきほど才人が語った内容は<仙人界>では幹部候補生以上の者にしか開示されない機密情報であるからだ。

「なんでもないことのように言うがな、今おぬしが話したことは、わしらの間でもごく一部の者にしか知られていない高度な学問『自然科学』に属するものだ。それが、国民のほとんどに知られているとは……もしや、相当に国力のある国なのではないか?」

「うーん……確かに、科学技術は全世界でもトップレベルっていうけど……俺はただの学生だから、詳しくはわかんねーぞ」

「確かおぬしの国には魔法が存在しないのだと言っていたな? ちなみに、人口はどのくらいで、現在はどの程度の科学レベルに到達しておるのだ? たとえば……まさかとは思うが『宇宙』へ出られる、などというような?」

「え、ああ。人口は確か1億ちょっと……くらい? 宇宙だったら、同盟国が月までなら有人飛行で行けるようになってるけど」

「なん……だと……!?」

 人口1億越えだと? おまけに宇宙まで進出! 魔法や宝貝なしで!?

 太公望は驚愕した。人口の多さも大変なものだが、なんという技術力と叡智を備えた国なのであろうかと。しかも、それらの知識を惜しげもなく民に与えているという。そうか、だからあの『破壊の杖』のような『武器』が生まれるのか。

「のう学院長。ちと提案……というか進言したいことがあるのだが。無料で」

「なんとなく言いたいことはわかったが、念のため頼む」

 これまでになく真剣な表情を浮かべた太公望を見て、学院長以外の者は何のことやらさっぱりわからず、ぽかんとして彼らの様子を伺っている。

「あのな、人口1億越えだぞ? しかも、ワイバーンを一撃で吹き飛ばす『武器』を生産できる国家だぞ? おまけに魔法なしで、空の月まで行ける船を造り出す天才が集まる同盟国がついておるのだぞ!? おぬしらメイジは、魔法が使えないからと才人を馬鹿にしておるようだが、それほどの国の民が、突然誘拐されたとしたら……王は、どうすると思う?」

 ――本当にわからないのか? 静かに告げた太公望の声に、小さく震え始めた者たちがいた。だが、まだ理解していない者もいたため、彼はさらに続ける。

「最悪の場合だが。王は、自分の国に対する侮辱と受け取るだろう。そして、全力で探し始めるだろう……才人の行方を。まだ『空間ゲート』の技術は無いようだが、案外すぐに開発されるかもしれぬ」

 もしもそうなれば……全軍をもってこのハルケギニアに侵攻を開始するかもしれない。その圧倒的な破壊力を持つ『武器』を手に。太公望は、そう締めた。

 そこまで聞いた全員が震撼した。才人としては「いや……日本だしいくらなんでもそんなことはしないと思うんだけどなあ。せいぜい遺憾の意が発射されるだけで」なんて暢気に構えていたわけだが。

「と、いうわけで早急に才人の待遇改善を行うことを進言する……とはいえ、他の貴族に知られたら色々と面倒なのは理解できるので……」

 腕を組んで考え込む太公望。と、何やら思いついたようにパン、と両手を叩く。

「そうだ、たとえばだな……ルイズの役に立ったから、これからは貴族と同じ食事をとる栄誉を与える。とかなんとか言って、そういうところから周辺を慣らしてゆくというのはどうであろう?」

 パチン、と指を鳴らしてオスマン氏がそれに応える。

「それいただきじゃ。明日からサイト君はアルヴィーズの食堂で食事をとってよい。もちろん、その食費は今後学院側で出そう。入場については、許可証を作成する。ミス・ヴァリエール。そしてサイト君。すまんが、まずはそれでかまわんかね?」

「い、い、い、異存、あ、あ、ありませんわ」

「本当ですか! やったあ!! まかないも美味いけど、やっぱみんなと一緒に食事したかったんだよなあ」

 カタカタと震えながら答えるルイズ。今まで興味はあったものの、まさかそこまでとんでもない国だとは考えてもみなかった彼女にとって、太公望の『進言』はまさに晴天の霹靂だったのだ。もう、間違ってもパンツ洗わせたりなんかできない。

 ただし、彼女はちゃんと才人を故郷から連れ去ってしまったことを自覚しており、帰すために努力しようとしていたことは間違いないので、あまり責めてはいけない。だいたい、わざと彼の前に『鏡』を出現させたわけではないのだから……まあ、わざとじゃないなら何をしてもいいというわけではないので、そこをはき違えてはいけないわけだが。

 いっぽうの才人は、ただ無邪気に待遇改善を嬉しがっていた。良くも悪くも現代っ子、平和な国・日本出身の高校生である。

「とはいうものの、それだけではちと教員たちを説得する材料としては弱いのう。今すぐでなくとも構わんので、何か良い知恵があったら助けてもらえんじゃろうか。もちろん、相応の礼はする」

 そのオスマン氏の申し出に、太公望は苦い顔をして答えた。

「いや、これに関しては無料でよい。国家の安全は、何物にも代え難い重要事項だからのう。わしが欲しいのは平穏であって、戦争など万が一にも起きて欲しくないのだ」

「そうか。そう言ってもらえると、こちらとしても有り難い」

 ふたりのやりとりを聞いていた才人は、ずいぶんと大げさだなあ……などと思いつつも、自分の待遇改善に繋がることらしいので、黙っていた。と、そんな才人がふと気がついて、太公望に尋ねる。

「……って、ちょっと待て。俺もお前に聞きたいことがあるんだが?」

「何だ? 話せる内容ならば構わぬが」

「お前の国には魔法があるんだよな? で、それが技術って扱いになってる。なのに『自然科学』とか『宇宙』って単語が出てくるってのはどういうことだよ? まさか」

 自分の閃きに驚愕しながら、才人は訊ねる。

「わしらの間では、ありとあらゆる事象を科学的に分析し、理解することで、より効率的に、少ない<力>で効果を発揮できるよう研究を行っているのだ」

 『打神鞭』を振るいながら、太公望は熱弁した。

「風は何故吹くのか。雷によって空が光った後、遅れて雷鳴が聞こえてくるのはどうしてなのか。河原にある石のほとんどが丸い理由とは。火の温度と共に色が変わる意味とは。雨が降るメカニズムはどうなっているのか。そういったものを学び、理解した上で、それらの知識を元に<力>を行使する。これが、ハルケギニアのメイジと大きく異なる点であろう」

 ――ロバ・アル・カリイエは、ハルケギニア諸国に比べて技術や魔法が発展している。そう話には聞いていたが、予想以上に進んでいるらしいと驚愕する生徒たちと学院長。コルベールに至っては、興奮のあまり身体中が小刻みに震えている。彼は学問が大好きで、中でも新しい技術開発の話に目がないのだ。

 だが、才人が聞きたかったポイントはそこではなかった。

「もしかして、だぞ? もしかしちゃったりして、さ。その<魔法>と<科学>が合わさって、ひょっとして『宇宙船』があったりとか、しちゃうのかな? かな?」

 いやまさか、でも……と、期待に胸を膨らませた才人に。太公望は満面の笑みでもって答えた。天空を指し示しながら。

「あるぞ。そもそも、わしらの現在の本拠地は、地上より遙か空の上にある宇宙空間――星の海を征く船。人工的に作られた、生物が住むに足る環境。月の後ろ側。惑星と次元の狭間を隔てて浮かぶそれ。『スターシップ蓬莱』だ」

「行きてェ――! ロバ・アル・カリイエ超行ってみてェ――!!」

 大騒ぎする才人と、私もですぞ! と、激しく同意しているコルベール。ふたりは手を取り合い、興奮しながらぶんぶんと振っている。

 そんなふたりに、わしはむしろ才人の国のほうに興味があるんだが……という太公望。大気圏突入とか『亜空間ゲート』なしで実現しているとするならば、もしや、わしが知らない、突入方法に関する独自の技術があるのかもしれない。それならば是非とも見てみたいのだが……と。

 だが、そんなふうに盛り上がる3人をよそに、ポツリと呟いたのはキュルケであった。

「そういうわけだったのね……あたしと同じか、1つか2つは年下のミスタ・タイコーボーが、先生たち並かそれ以上にすごいメイジになれるはずだわ。そんな環境で勉強していれば、当然よね」

 でも、やっぱり悔しいわ……そう呟いたキュルケの言葉にオスマンが反応する。

「あー、ミス・ツェルプストー。騙されちゃいかん。彼はあんな見た目だがの、君より10歳ほど年上じゃからな?」

「何さらっとバラしとんじゃこの狸ジジイ!!」

 ――いっときの間を置いて。

「ええええええぇぇぇぇええええええ―――っ!!!」

 平原に、本日最大級の叫声が響き渡った。


○●○●○●○●

 衝撃の――太公望の年齢がキュルケより10歳ほど年上という事実(?)発覚直後。

「あたしより10歳ほど上ってことは……最低でも27? あれで?」

「え、え、エレオノール姉さまと、お、お、同い年……」

「さすがに倍近く離れているとは予想の範囲外だった」

「ロリババアは有りだけどショタジジイとか誰得だよ!!」

「きみが何を言っているのか理解できないが、とにかく驚いているのはわかった」

 大騒ぎする生徒達と固まっているコルベールの隣で、口元を隠して笑いをこらえているオスマンを睨み付けた太公望は、あとで覚えておれよ……と、心の内で思いながらも場を鎮めるべく発言を再開する。

「放っといてくれ、わしの年齢のことは! 悪かったのうこんな見た目で! さんざん言われてもう慣れておるわ、将としての威厳がないと!!」

 本当の年齢はそんなもんではないのだが、さすがにそれを言うと色々とまずい事態に陥りそうなので、太公望は現在27歳という設定で通すことにした。

 ――もしかすると、彼のあの口調は、無理矢理威厳を出そうとしてやっていることなのだろうか。そういえば『男爵』だと名乗りを上げていたし、彼なりに苦労していたのかもしれない……。

 ふとそんなことを考えたタバサであったが、実際は正真正銘ジジイな年齢なのでこんな喋り方になっている、ただそれだけのことである。あと、彼女は身分について変な誤解をしている。まあ、これはノリだけで名乗りを上げた太公望の、自業自得なのであるが。

 そんな中、ギーシュがすっと手を挙げた。

「ミスタ・タイコーボー。ひとついいだろうか。ぼくは今……さりげなく問題発言があったと思うのだよ」

「なんだギーシュ、言ってみろ」

 太公望からそう促されたギーシュであったが、彼の表情は見事なまでに強張っていた。

「将軍としての威厳がないと言っていたようだけれど、ひょっとして……あなたは、それなりに位の高い軍人なのではないのですか?」

 あ、しまった。太公望が気がついたときは、もう手遅れであった。

「そう。しかも彼は、師団を率いるほどの指揮官」

 おのれタバサ、ここであのときの仕返しをするか! なんという効果的な……と、頭を抱えた太公望。そして、そんなタバサの言葉に固まったのは、ギーシュ、才人、コルベール、オスマン氏。ルイズとキュルケにはわかっていなかった。

 まあ、大貴族とはいえ女の子。軍の組織について、階級はともかく編成についてまで詳しく知っておけというほうが無理な話であろう。

「師団って?」

「簡単にいうと、1~2万程度の軍勢のことだね。それを率いることができるのは、トリステインでいうと最低でも少将、あるいは中将の地位にある将官だけなのさ」

 ギーシュの説明に、さらに補足したのはコルベール。

「軍隊の階級は、厳密には国によって異なるのですが……おおまかにいうと上から元帥、大将、中将、少将、准将、大佐、中佐……というように続いていくのです。つまり、ミスタ・タイコーボーは、国元において軍で上から3番目に高い地位に就いていた、と。こういうことになりますぞ」

「あの観察眼、作戦立案能力、そして指揮の腕に交渉術。むしろ納得したわい……その若さで中将か。やはり君にはトリステイン貴族として生まれて欲しかった」

 そう言ってため息をついたオスマン氏。その隣にいたコルベールは固まっていた。

 ――まさか、彼が軍人……しかも高級将校とは。使い魔召喚の儀で、突然遠方から呼び出された上に、周囲を見知らぬ者たちに囲まれていたにも関わらず、落ち着き払っていたのも……あの会話交渉の巧みさも当然だ。

 それにしてもだ。あれほど進んだ知識と技術を持つロバ・アル・カリイエ内の一国、その軍の中将位にある人物を、もしも――ろくに話しもせず、使い魔にしてしまっていたら……国際問題どころか、最悪トリステインは大軍をもって攻め滅ぼされていたかもしれない。コルベールは、背筋に冷たいものが流れるのを自覚した。

 いっぽうのタバサはというと、内心の驚きを隠せないでいた。小隊のほうはまだしも、師団を率いた云々については、太公望なりの冗談だと思っていた。軽い仕返しのつもりで放った言葉が、まさか真実を言い当てていたとは、それこそ考えてもみなかったことなのだ。

 ちなみにガリアの花壇騎士は、王軍に配属された場合、少佐と同等の権限を持つ。つまり大隊(200~600人程度の軍勢)を率いる権限を持つ、高級将校として扱われるのだ。それでも中将位には到底及ばない。タバサは、なんだか心臓のあたりがちくちく痛くなってきた。

 ……実は、太公望は中将どころか大元帥に相当する地位にあり、かつ身分的には周のナンバー2。さらには本来次代の<教主>、あるいは、人類が知る歴史通りの道を歩んでいたのであれば『斉(せい)』の大公となるべき存在だったわけだが、そこまではわからないふたりであった。むしろそれは、幸せなことだったのかもしれない。

 そんな硬直した場の中、がっくりとうなだれながら太公望は告げる。

「うぬぬぬぬ……身から出た錆というか、色々面倒だから黙っておるつもりだったのだが、そこまでばれてしまった以上は仕方がない。だが、これからも今まで通りに扱ってもらいたい。口外するのもやめて欲しい。まあ、誰も信じないとは思うが念のため、な。だいたいわしは堅苦しいのが嫌いなのだ。よって、変に敬語なんぞ使わないでくれ、頼む」

 パンッと両手を合わせ、頭を下げる太公望。才人とギーシュから飛んだ「よりにもよって、国の軍隊をあずかってる中将閣下が、祖国ほったらかしてハルケギニアに滞在していて大丈夫なのか?」という質問に対しては。

「ちょうど一段落ついたところでのう、休みついでに軍を退役しておるのだ。戦はもうこりごりなのでな……将来的に招集がかかる可能性はなくもないであろうが、しばらくの間は問題ない」

 と、答えた。物は言い様である。

「さて……なんだかぐだぐだになってしまったが、いい加減話を戻すぞ。とりあえず、ルイズと才人の質問は終わりかの? あとの3人は……そうだのう、申し訳ないがご主人様からということで、タバサ。わしに何を聞きたいのだ?」

「魔法の『複数同時詠唱』について知りたい」

「なぬ? 『複数同時詠唱』……とは? いったいなんのことだ!?」

 何を言っているのかわからない。ぽかんとした顔をしている太公望に、タバサは苛立ちを覚えた。あれだけ見せておいて、とぼけるつもりなのか、と。ならば、情報公開をするまでだ……言える範囲で。

「昨日まで、わたしたちは知人に頼まれて、妖魔征伐に出かけていた」

 その発言に、ほうっと感心の声を上げる面々と、片眉をつり上げる太公望。

「敵は先住魔法の使い手を含む妖魔、総勢45。手勢は、わたし、タイコーボーのメイジふたりに、平民の『騎士』がひとり。彼我戦力差は数だけで言えば15倍。それを、彼の指揮のもと一切の消耗なく完封、殲滅した」

 彼女はコボルド……とは言っていない。逆に先住魔法の使い手がいた、との情報を出すことで、相手の勢力を、知らない者に対して意識的に高く感じさせているわけだ。思いっきり太公望の影響を受け始めている。

 ただし、そこに嘘はない――もっとも先住魔法の使い手たるコボルド・シャーマンは、太公望の策によって、それを一切行使できない状態に追い込まれていたわけだが。そして当然、この話を聞いた太公望を除く全員が驚きの声を上げた。

 その際に……と、タバサは続ける。

「タイコーボーは、圧倒的な<力>を発揮した。そこでわたしが目にしたのは――彼が<フライ>を維持したまま<風の盾(エア・シールド)>を周囲に展開し、さらに<カッター・トルネード>で森をなぎ払い、加えて<ウインド>で倒した木を積み上げていく姿。しかも<遍在>を使うことなくこれらを全て同時に行っている。つまり彼は……一度に複数の魔法をコントロール可能な、常識では考えられない超技巧者」

 ――メイジたちは思った。それが本当ならば、彼はまるでハルケギニアの歴史上最強と謳われた伝説の風メイジ『烈風』カリンそのものではないか、と。

 『烈風カリン』とは、30年ほど前にトリステインを中心に活躍した、伝説的な騎士のことだ。カリンの活躍については、噂話のみならず書物にも記され、歌劇にさえなったほどの人気を博し、メイジであれば知らぬ者がない程の有名人だ。ある時期を境に、文字通り風のように消えてしまったが……その名声は、未だ衰えていない。

 そんな『烈風』カリンの逸話の中に、こうある。

「風に乗り、宙を舞いながら真空の刃を放ち、敵対する者全てを翻弄した」

 ……と。

 普通のメイジは、一度にひとつしか魔法を使うことができない。才能があり、かつ血を吐くような訓練を経てもなお、ふたつの魔法を発動させるのが限界とされている。だからこそ、複数の風魔法を同時に操るカリンは『史上最強』になれたのだ。

 タバサは普段物静かな少女だが、平気で嘘を言うようなタイプの人間ではない。と、いうことは……全員が太公望のほうを、畏怖の目で見つめた。

「ちょっと待て。常識では考えられないと言うが、おぬしらも普通にやっておることではないか。何かおかしいことなのか!?」

 珍しく慌てた風情でそう訊ねてきた太公望へ。

「そんなことやれるわけないわよ! いったいどこのバケモノよ!!」

 そうツッコんだキュルケ。しかし太公望は、ある人物を指差してこう言った。

「たとえば、そこにおるギーシュだが。7体ものゴーレムを使役し、同時に扱っておる。わしの<力>とギーシュのそれは、全く同じ理屈で動いておるものなのだぞ?」

 それに……と、太公望は続ける。

「たしか、タバサは<氷の矢(ウィンディ・アイシクル)>を得意としておったな?」

 確認されたタバサが、頷いた。

「何本同時に飛ばせる?」

「3本。杖の側に待機しておき、任意のタイミングで放つことも可能」

 はあ~っ、と、太公望はため息をついた。

「そうか、そのあたりも無意識にやっとるのか……」

 そして彼は、がっくりと肩を落として話を始めた。

「あのな、その<氷の矢>は、そもそも『空中の水蒸気を集める』『それを風で冷やし凍結させる』『任意の位置に浮かせる』『発射まで任意の場所で待機』『自由意志で発射をコントロール』という、同時に5つの事象を発生させている魔法なのだ。つまり、それをちゃんと『認識』することによって……さらに複雑な動き、およびコントロールが可能となるであろう」

「それとあなたの『同時展開』は」

 タバサの言葉を遮って、太公望は続けた。

「実はまったく同じことなのだよ。わしは基本<念力>で飛んでいると話したが、本当のところ、さっきタバサが言った行為は……全て<ウインド>を利用して、おぬしの魔法と同じように、同時に発生させていただけに過ぎないのだ」

「なん……だと……!?」

  <ウインド>単体でそれだけの威力を出していたこともそうだが、まさか『空中での待機』『盾の展開』『真空の混じった竜巻の発生』『木の積み上げ』これが、ひとつの魔法で、しかも同時に実現できるというのか。この発言に、才人以外の全員が驚いた。

「これが、事象を科学的に理解し、利用する最大の利点だのう。どのように<力>を作用させれば、自分が思うような事象を起こせるか、無意識にではなく、完全に計算して行動することができる」

 つまり……と、太公望は結論する。

「ある意味において、ギーシュもまた『天才』なのだ。同時に7つの<錬金>を、個別に操作しておるのだから」

 そう言って、ギーシュの前に立つと。彼に『打神鞭』を突き付ける。

「つまり、訓練を積むことによって、たとえば<錬金>で……『盾を持つワルキューレで自分を守り』『地面の一部を油に変え、相手の足をすくい』『武器を持ったワルキューレで、倒れた敵を攻撃する』と、いったようなことが可能となる。どうだ、自分の持つ潜在能力の素晴らしさに気がついたか? ギーシュよ」

 ――それは、まさに『ひとり軍隊』。自分はその『司令官』だ。言われてみて、ギーシュは初めて気がついた。己の持つ可能性に。そしてそれは訓練によってできるようになるということを教えられた。さらに……軍学を身につけることで、彼が例に挙げたこと以外にも、色々とやれるようになるのではないか、と。

「ただし……この『同時展開』は、意識的に複数の思考を行う『技術』を必要とする。これは、いちおう訓練によって身につけることができるものではあるが、基本的には『生まれつき』備わった機能なのだ」

 そう言うと、太公望はコンコン、と、自分の頭を叩く。

「ここ……脳みその構造に関係することなのだ。ちなみにこれは男よりも、女にその『才能』が備わっていることが多い。ふむ、そうだな……タバサよ」

「わたしに何か?」

「うむ。たとえばだ、おぬしはワインを飲み銘柄について思いを馳せつつ、本を読みその内容をしっかりと頭に叩き込みながら、わしと言葉を交わし、話している内容をきちんと理解できるであろう?」

「もちろん」

 ……と。ここで複数名から驚きと賛同の声が上がった。

「いや、そんなの無理だろ普通」

「ぼくは、複数の女性の声を全て聞き分けて理解できるよ。もちろん薔薇の香りを楽しみながら、ね」

「わたしも、本を読みながら話くらい簡単にできるわ」

「彼氏たちみんなと話をしながら、次の日の予定を考えたりできるのと同じことよね」

 この反応に、太公望はニヤリとした笑みで応える。

「そう……実はこれこそが『同時展開』に必要な能力『複数思考』なのだ。よって、向いていないものがこれを習得しようとした場合、集中力が乱され、逆にメイジとしてのランクが落ちてしまうことになるから、取り扱いにはくれぐれも注意が必要だ」

 太公望は、そう言うと、周囲の子供達を見回しながら言葉を続ける。

「今の反応と、これまでわしの見たところでは……ギーシュとタバサにこの才能が備わっておる。ルイズにもある才能だが、今はまだせっかくの<力>を拡散させる結果となるので、わしがやっていいと認めるまで絶対に試してはならぬぞ」

 そして、今度はキュルケの前に立つ。

「キュルケにもできなくはないことだが、おぬしの場合はむしろ1本に絞り、一発の威力を増大させる方向の才能が高そうだ。これはこれで希有な能力なので、あえて『複数展開』はきっぱりと諦め、そちらを伸ばすことを勧める」

 ――そう語る太公望は、まさに『新たな道へ導く者』そのものであった。

「のう、ミスタ・タイコーボー」

「学院で教鞭をとれというのは却下だ」

 オスマン氏が言おうとしたことを即座に斬り捨てた太公望に、コルベールが疑問を呈した。ある意味、それは彼にとって必然とも言える問いかけ。

「どうしてだね? きみの言動を見る限り、教師としての『道』が最も適していると、私は思うのだよ。その――軍人よりも」

 そんな彼の問いに。

「面倒だからに決まっておろうが!」

 ある意味、最も彼らしい解答を出す太公望。

「ええええええ」

「面倒とかひでえ」

「ないわ、その答えはないわ」

 非難囂々の生徒たち。そんな彼らを見て、太公望は頭を押さえながら言う。

「よいか、ひとに何かを教えるという行為は……ある意味、その者の人生に『道』を指し示すことなのだ。そして、それが本当に正しいものであるのか、それは本人の歩む、その先に至るまでわからない」

 だから……と、彼は先を続ける。

「よって、わしはこれまで志願者がいても、誰ひとりとして弟子を取ることはなかった。わしの国では、弟子を取らない者は真の意味での一人前、大人として認められない。にも関わらず……だ。弟子を取るということ、それはすなわち、その者の『人生』に責任を持つことに繋がるからだ。どうだ、実に面倒極まりないであろう?」

 ――お師匠さま! と、自分を呼ぶ者がいたが、太公望は彼を正式に『弟子』にはしていない。『認めていない』わけではなく、あくまで側付きの者……というよりも、年の離れた弟のような存在として可愛がっていたのだ。

「今回、ここで色々と教えたのは、あくまで例外中の例外。ハッキリ言うが、全員見ているだけで、こっちの心臓に悪いからだ! 特に、相手の実力を一切測ることなく正面突撃仕掛けるような奴! 当然自覚はあると信じたいがな!!」

 ガーッ! と、大口開けて威嚇する太公望の声に、才人が俯いた。思いっきり覚えがあるからだ――そう、以前仕掛けた、太公望との模擬戦についてだ。

 才人は、さっきのタバサの話を聞いて、内心冷や汗をかいていた。まさか太公望が、そこまでとんでもない<魔法使い>だとは思ってもみなかったのだ。

 それに、ここまでのやりとりが真実だとするならば――既に退役済みとはいえ、軍隊を指揮していた中将閣下。この世界の軍人がどの程度の実力を持っているのか才人にはわからないが、どちらにせよ普通の高校生が挑みかかるなど、ハッキリ言って話にならない。

「と……いうわけだ。よって、わしが教えるのはあくまでここにいるメンバーのみ。そういう約束であったし、そもそも、例の<フィールド>は異端すれすれなのだから、そう簡単に表へ出せるものではないことくらい、理解できるであろう?」

 ったく、我ながら本当に面倒なことを引き受けたものだ。そうぼやく太公望を見て、コルベールは思った。きみはやはり、教師になるべきだよ――と。

「さて。とりあえず全員の基本方針はよいとしてだ。キュルケ、ギーシュ。おぬしらのしようとしていた質問は、今までの解答によって満足できるものか?」

「ぼくは大満足さ!」

「あたしも。ああいう話が聞きたかったから」

「オスマン殿と、コルベール殿は?」

「正直に言えば聞きたいことはまだたくさんあるが、さすがにこれ以上話し続けるのは、体力的な意味で辛かろう?」

「そ、そうですね。ただ、もしもまた機会がありましたら、色々と伺いたいです」

 そうか。ふたりの声に頷いた太公望は、場を締めるべく声を上げた。

「では……まだ時間がある。このあとだな、全員でもってトリスタニアの街へ出て、ぱーっとやるなんてどうだ? そうだのう……ルイズの魔法、初成功祝いに」

 それはいい! と、盛り上がるメンバー。そして、その言葉にぱあああああっと顔を輝かせるルイズ。そうだ、わたしは今日、はじめて<召喚>以外の魔法を成功させたのだ!

 ……そして、街のなかなかシャレたレストランで大いに盛り上がった一行。ちなみに、これらの費用はオスマン氏が全てもつこととなった――もちろん、太公望の策によって。

 ――その夜。ルイズは、家族に宛てて手紙を書いた。

 はじめて、魔法が成功したこと。そして、それに至る経緯を……他人に話しても構わないと言われている範囲内で。

 友達が、遙か東方、ロバ・アル・カリイエのメイジを招いてくれたこと。

 自分と全く同じ失敗をしていたひとが、そのメイジの知人の中にいたこと。

 その知人は『才能』がありすぎて、普通の魔法の枠に収まらず<爆発>を起こしてしまっていたこと――そして。自分が、それと同じ原因で失敗を繰り返しているのではないかと言って、色々と見てくれたこと。

 結果は、そのメイジの言うとおりだったということ。きみは、いつか『スクウェア』どころか、それを凌駕する可能性すら秘めている――一緒に調べてくれていた先生たちも、そう言ってくれたこと。

 今はまだ、物を浮かせることしかできないが……その東方のメイジ曰く、いつかわたしは、ハルケギニアの誰よりも速く空を飛ぶことが叶うであろう、そう話してくれたこと。そしてその彼自身が、学院の誰よりも速く空を飛ぶことができる、素晴らしい風のメイジであるのだ、と。

 最後に。今日、自分の魔法が初めて成功した――それを祝う会を、先生たちと友達みんなが開いてくれたこと。とても嬉しくて、楽しくて、涙が出たことをしたため……伝書フクロウの足にくくりつけると、空へ向けて放つ。

 ――この一通の手紙が、後の歴史にとてつもない嵐を巻き起こす結果となるのだが、それはまだ、ルイズにはわからなかった――



[33886] 【交わりし道が生んだ奇跡】第19話 伝説、新たな名を授かるの事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/08/12 20:13
 ――刻は数日だけ前に戻る。

 平賀才人は、太公望から貰ったアドバイスについて、延々と考え込んでいた。

「メイジにとってはそう見えない、武器、かあ……」

 ちなみに現在、ルイズに買ってもらった皮の手袋をして過ごしている。そう、ふたりは太公望のアドバイスをちゃんと守って<ガンダールヴ>のルーンを隠すようになっていたのだ。

 そこで、例の武器の件なのだが。最初はお約束とも言うべきか『隠しナイフ』あるいは『手裏剣』を持つことを思いついた才人であったのだが、しかし。

「それ……武器に見えちゃうんじゃないの?」

 と、いうルイズのコメントにより却下。手裏剣については武器には見えづらいが、投げられたら危なそうだという想像くらいはつく、という返答で才人はこのふたつを候補から外した。

 次に、刃物から離れることにした。そこで出てきたのが『メリケンサック』。確かに武器には見えない。名案に思えたこれにも問題があった。

「指輪っぽいわね。でも、手袋の上からそれをつけたら手が痛くなりそうだわ」

 絵図面を見せたところ、ご主人さまは可愛らしく首をかしげながらそう言った。

「うーん、悪くないアイディアだと思ったんだけどなあ。そうか、手袋をしたまま持つってことも考えないといけないんだよなァ……いや、ちょっと待て。手袋?」

 ぼんやりと、才人の中にイメージが浮かんでくる。

「そうだよ……『武器』って限定して考えすぎたからいけないんじゃないか? いや、あれこそは漢(おとこ)の武器だよなあ!!」

 そこで登場したのが『ボクシンググローブ』。拳は男の武器である……という才人らしい考え方から出た発想。確かにこれは、ハルケギニアのメイジからすれば、到底武器だとは思えないだろう。しかし、スケッチを見たルイズの反応はというと。

「普段からそんなのつけて歩いてたら、馬鹿だと思われるわよ」

 ……ごもっともである。リングの上以外でつけて歩くようなシロモノではない。

「結構難しいもんだなあ、こういうこと考えるのって」

 はぁっとため息をつき、自分の手を見る。皮の手袋を――と、その時だった。彼にまさしく『天啓』と呼ぶべき閃きが舞い降りたのは。

「オッケエェェェエ! これだあああああああッ!!」

 さっそくルイズに意見を求めたところ。

「確かに、それなら『武器』には見えないし、手袋としても言い訳できるわ」

「だろ? フッフッフ……まさか、ファンタジー世界でコレを使って戦うことになるなんてな……」

 ある意味アクションゲーム、格ゲー好きな俺にとってはたまらないぜ。そう言いながら彼が書いた絵図面――それは『指ぬきグローブ』。日本流に言うなれば、アキバファッションのひとつであり、テレビゲームやマンガなどによく登場する、ストリートで戦う格闘家たちが愛用していたアレである。

 ――そして現在。虚無の曜日の翌日、昼。太公望に早速図面を見せたところ。

「なるほどのう、拳闘用の『武器』か。わしにもこの発想はなかったわ」

「やった! タイコーボー閣下がそう言うなら問題ないな!!」

「その呼び方やめんかい。今まで通りに接してくれと言ったであろう?」

「わざとだハハハ」

「こやつめハハハ」

 ――拳骨で才人が悶絶しておりますので、しばらくお待ち下さい――

「でさ、これ作ろうと思ったんだけど。<錬金>頼むにも、ギーシュには言えないだろ? かといって、他に俺から頼めそうなひとがいなくてさ」

「ああ、そういうことならわしから学院長に聞いてみよう」

 ――で。その結果<ガンダールヴ>のことを知っていて、かつ隠したほうがいいであろうという事情を理解し、またそういった技術開発に熱心なコルベールが改めて紹介され……そしてこの出会いが。後に、世界に様々な『発明品』をもたらすきっかけとなる。

○●○●○●○●

「なるほど、それで私のところへ来たと」

 魔法学院の一画・火の塔の側に建てられた『研究室』の室内で、コルベールは雑多な資料やら実験器具で埋め尽くされたテーブルの上を片付けつつ、才人と太公望のふたりへ椅子を勧めながら言った。

「はい、コルベール先生なら、そういったことに詳しいって聞きましたので」

 才人は、部屋の中を見回した。いかにも『研究者』『技術屋』の部屋といったような雰囲気だ。あちこちに散らばる羊皮紙は、何かの設計図なのだろう。いろいろな記号やイメージ図のようなものが書き込まれている。天井からは、船と思しき模型が吊り下げられていた。

 着座し、早速例の絵図面を見せたところ、コルベールは興味を示した。

「これが『武器』かね……しかし、このままだと拳を痛めますぞ」

「それなんですけど、本当は、拳の周りに衝撃をやわらげるようなものがついているのが普通で……たしか、こんな感じで」

 サラサラと絵を描き加えた才人。それを見てふんふん……と頷くコルベール。

「しかしあれだのう、この『武器』はどういう場面で使われるのだ?」

 殺傷力は剣や槍などに比べて低いであろう? そう質問した太公望に対しては。

「ああ、これは元々スポーツ用なんだ」

「そうか、なるほどのう」

「すぽぉつ?」

 納得した太公望と、よくわかっていないコルベール。後者に対して説明するべく、指ぬきグローブを使うわけではないが、拳で戦う格闘技の中でも特にわかりやすいと思われるそれについて語りはじめた才人。

「はい。えっと、俺の国……というか、世界に『ボクシング』っていう競技があって、そこで使われるものなんですけど……ここでいう『決闘』みたいにあくまで試合形式で、あとで遺恨が残らないようにちゃんとルールを決めて、拳だけで戦うんです」

 才人は、自分の知識を総動員して彼らに説明した。ボクシングについて。

 それは『リング』という、倒れても大怪我を負わないように設計された、闘技場のような舞台で行われること。公平さを保つために、体重別でランクを分け、身体の大きなものが有利になるような状況にはしないこと。複数名の審判を置き、どちらかが激しいダメージを負った場合、即座に試合を終了すること。

 また、どちらがより上手に戦ったかを点数にして評価し、勝敗を決めること。さらに、身体への影響を考え、時間制限を設けた上で、さらにすぐそばに医師が待機していること……などなど。

「と、まあこんな感じです。俺たちの国では60年以上戦争が起きていないから、こういう『試合』を見て鬱憤を晴らしたり、娯楽の一種として楽しまれているんですよ」

「ふむう、平和な国だのう。わしとしては羨ましい限りだ」

「まったくです。ですが、だからこそこういう発想が出てくるんでしょうな」

 才人のスケッチを見たコルベールが、ため息をつく。

「それで、できそうですか?」

「大丈夫、半日もあればできると思いますぞ。ただ、実際に使ってみてもらって、使い心地や強度を確認したほうがいいでしょう。ですから、まずは試作品を1つだけ作成することにします」

 にっこり笑って答えたコルベールへ、ありがとうございます! と、これまた笑顔で礼をした才人。

「ああ、その試作品ができたら、わしも呼んではくれぬか? 実物を見てみたい」

「もちろんですぞ。全員でいろいろ意見を出し合ったほうがいいですからな」

 そんな感じでワイワイと盛り上がる3人。と、そんな中で才人が思い出したように話題を切り替えた。

「ところでさ、例のルイズの<念力>について、いくつか思いついたんだけど」

「む、それはどういったものだ?」

 早速興味を示す太公望と、コルベール。

「それなんだけど、箒(ほうき)に乗って空を飛ぶことってできないか?」

「……は?」

「いや、だからさ。『自分に念力』をかけるんじゃなくて『モノに念力』をかけて、その上に乗るんだよ。そうすれば、失敗して爆発させちまった時の危険性も下がるんじゃないか?」

 この才人の発言に、ふたりは文字通り固まった。コルベールはあんぐりと口を開け、太公望は頭を抱えてしまっている。

「いや、その発想はなかったわ。わしもまだまだ頭が固いのう」

「まったく……サイト君はまさしく『宝物』ですぞ」

「ところで、何故箒なのだ?」

「おとぎ話の中のことなんだけどさ。魔女っていったら箒がお約束なんだ!」

 でも、それだと乗っていて尻が痛くならぬか? ですなあ……だったら、いっそ椅子を浮かせてそこに座るとか。 ああ、そのほうが確かに楽だな! そんな感じでどんどんと話が膨らんでいき、そして。

「でさ、それに慣れたら、大勢を乗せて運べるようになると思うんだけど」

「確かに、それはいけそうだのう」

「んで、考えたんだけど……『空飛ぶ絨毯』とかどうだろう?」

「ふむ……着眼点は悪くないと思いますぞ。ただ、柔らかいものですから<念力>で全体を支えるのが難しい上に、乗っている人間の姿勢も安定しないと私は考えます」

「あ、そっか。でも、板とかじゃ座り心地悪そうだなあ。ソファーとか」

「……椅子から離れて考えませんか」

「わしはどうせなら、ごろりと横になれるようなモノのほうがいいのう」

「それだあああああああああ!!」

 ……で。そのままだと持ち運びが不便だ。いや、それなら折りたたみ式にすれば……折りたたむとは? ああ、それはこんな感じにすれば……と、いったような流れで、設計図が書き上がっていき……ついにそのアイディアは固まった。

 ――名付けて『空飛ぶベッド』(折りたたみ式、バラして持ち運び可能)。

 これが実際に使用されるようになるまで、まだしばらくの時がかかるのだが――このとき出た『折りたたむ』という発想が、後にコルベールの発明に大きな影響を与えることとなる。

 なお、結局ルイズの自力初飛行は椅子ではなく箒に乗って行われることとなったのだが、これについては、

「箒だ! これはロマンなんだ、絶対に譲れねェ!!」

 と、いう才人の強固な願いにより実現されたものである。


○●○●○●○●

 ――さて、場所は変わって学院長室。

 そこに居合わせたのは、オスマン学院長、コルベール、ルイズ、才人、そしてタバサと太公望の6名である。デルフリンガーも持ち込まれているので、正確には7名だが。

 椅子に座り、周囲を見渡した太公望は、こう切り出した。

「実は、才人の待遇についてあれから色々と考えたのだが……彼を『武成王』殿の血縁者ということにしたいと思う」

「ブセイオー、とは?」

 オスマン氏の質問に、太公望が答える。

「武によって成る王と書いて、武成王(ぶせいおう)という。名は黄飛虎(こうひこ)。彼は、わしにとって大恩ある人物でのう……わしらのような<力>は行使できなかったが、その代わり、とんでもない武芸の達人でな。王家の武術指南役を務め、全軍の訓練総指揮者でもある。あらゆる『武器』を使いこなし、その武勇において右に出る者はなかった」

 ほう……と、関心を持つ者たちに、太公望は説明を続ける。

「ふふふ……魔法が使えないからといって、侮ってはいかんぞ。かの人物はな、正真正銘、戦いの『天才』だったのだ。その太刀筋で大岩を両断し、鉄棍棒で城壁を叩き割り、単騎で敵軍のど真ん中に突進して、さんざんかき回した挙げ句に無傷で帰ってくるとかザラでな。術者が<力>を使う前に側まで駆け寄り、拳でもってぶっ飛ばしたり……とにかく、とんでもない御仁なのだ」

「それは……まさに伝説の<ガンダールヴ>そのものですな……」

 あんぐりと口を開けて呟いたコルベール。そして、唖然とする一同。才人などは、内心で「三国志の呂布(りょふ)みたいだ」などという感想を持っていたのだが、まさかその武成王が、呂布と同じ大陸で活躍した武将だなどとは思いも寄らなかった。

「そういえば、彼の愛刀も、デルフリンガーと同じくしゃべる剣であったな」

「なにっ! 俺っち以外にもそんな奴がいたのか!!」

 興奮するデルフリンガーに、うむ、と頷く太公望。

「飛刀といってな、名前の通り飛ぶ能力を持つ剣でのう。敵に投げつけても自力で飛んで帰ってきてくれる便利な剣なのだ。ただ……うっかり固いモノを切ったりすると『刃こぼれするからやめてくれ!』などと大騒ぎして五月蠅い上に、剣のくせして臆病で戦うのを嫌がるので、評判はいまいちであったが」

 ああ、たしかにそれはちょっとイヤだ。俺の相棒がデルフで良かった……と、おかしなところで才人の評価が上がったデルフリンガーであった。

「でだ。彼の息子たちは、皆そろって武芸に秀でておっての。その血縁者――妾腹の子で、母親と共にわしのあずかり知らぬ遠国へ行っていた、ということにすれば、彼がわしと同じ東方の出身者ということにしてもおかしくない。最近になって偶然才人の太刀筋を見て、ふと思い立ったわしが詳しく話を聞いてみた結果、彼の境遇を知ったと。これでどうだ?」

「でも、そのひとの身分はどうなの?」

 ルイズの問いに、太公望は答えた。

「それについては問題ない。そもそも『武成王』とは、我が国において全軍を統括する役職のことで、黄家自体が国で有数の大貴族なのだ。ちなみにだが、武芸者だけでなく、術者も大勢輩出しておる。実際、武成王殿の息子のひとりは優秀な<ブレイド>使いだ」

 黄飛虎の息子は、魔法剣(ブレイド)ではなく『莫邪の宝剣(ばくやのほうけん)』という、<生命力>を刃に変える宝貝を使う道士なのだが、そこまでは言わない太公望。

 だが、それを聞いたルイズの目がまん丸になった。他のメイジたちの反応も、彼女とほぼ同じようなものだった。

「ええッ! コウ家って、メイジの家柄なのに魔法じゃなくて武器を使うの!?」

 興奮して叫んだルイズをなだめながら、コルベールが言った。

「向き不向きを、幼いうちに見極める目があるということだろう。戦場に限って言えば、腕の良い<メイジ殺し>のほうが『ドット』や『ライン』程度のメイジと比べて、数段有利に戦えますからな。もちろん、両方できるのならば、それに越したことはありませんが」

「なるほど、理解できる」

 そう言って、才人のほうをちらりと見るタバサ。実際、才人の剣技は『ドット』メイジであるギーシュの攻撃をものともしない。状況や使い手次第で、武器が魔法を上回ることがある。過去の任務で幾度となくそれを目にしてきたタバサは、即座に納得した。

「正直わたしには理解できないけど、それなら問題なさそうね。ハルケギニア風にそのひとの名前を直すと『ヒコ・ド・ブセイオー・ド・ラ・コウ』になるのかしら? そうなると、サイトの場合……」

 ルイズの提案を、太公望が慌てて押し止めた。

「いやいや、長い上にややこしいので、名前の後ろに『武成王』または『黄』だけつけるほうがわかりやすかろう。なにより才人本人だけでなく、全員が混乱してしまう」

「俺は『ブセイオー』のほうがいいかな。覚えやすいし、そっちのほうが名前の響きがカッコイイしな!」

「ならば、それで決まりだのう。ちなみにだが、武成王殿は個人の武勇だけではなく、軍を率いることにかけても超一流、さらに気さくな性格で、兵や民たちに慕われた人格者でな。わしも、かの人物には本当にお世話になったのだ。妾腹とはいえ、その息子に無体な真似をするなど許し難い。わしがそう主張したとなれば、反発も少ないであろう」

 オスマン氏は頷いた。ただの平民を貴族同様に扱えなどと言われて納得する者は、まずいない。だが、相応の理由があれば説得のしようがあるのだ。たとえ、それが作り話を元にしたものであっても。

「才人よ。そういうわけで、今の話をしっかりと覚えておいてくれ。おぬしは武成王・黄飛虎の血を引く者だ、という設定だとな。幸いわしと同じくこの国では珍しい黒髪で、肌の色も同じだから説得力は充分だ。国の名は……おぬしの出身国を、そのまま言えば問題なかろう。自分たちの住む土地を『ロバ・アル・カリイエ』とは呼ばないから、今までわからなかったのだ、とな」

「ああ、わかった」

「他の者たちもよいか?」

 全員が了承の意を示すのを見た太公望は、満足げに頷くと言った。

「では、これより以後才人を『武成王』の妾腹の息子として扱う。この件について、もう少し話を詰めておくことにしよう」

 ――こうして、太公望はトンデモな……それでいて説得力のある捏造話を練り始めた。

 父の記憶はおぼろげにしか残っておらず、幼少の頃ほんの少しだけ教わった剣技だけを頼りに、あとは自己流で腕を磨いてきたという設定にすることで、それを素早さだけはとんでもないものの、剣技自体はさほど成熟していない理由付けとし。

 父の話は母から聞いていたが、ずっと海を隔てた遠国で過ごしていたため、太公望から話を聞くまで、そこまでの大人物だとは全く知らなかった――と、いったような、お涙頂戴要素まで交えつつ、徹底的に才人へ叩き込んだ。

「と、まあこんな感じで話を合わせていくとするかのう。よって、ルイズも今後は才人を使い魔ではなく護衛として扱って欲しい。都合の悪いときは、わしに話を振ってくれてもよいからな」

 それを聞いて、頷くルイズ。

「そうね。昨日の件もあるし、サイトがすごい剣士だっていうのは真実だし。貴族として、嘘をつくのは嫌だけど……でも、わたしが助けられたのは本当のことだし。だから、今度はわたしが礼を尽くす番よね。貴族の子女として」

 その言葉に、ぱあああっと顔を綻ばせた才人。もともとルイズはとんでもない美少女だ。しかも、彼にとっては好み超ド級ストライクな――まあ、一部箇所を除き――女の子だ。その彼女に、そんなことを言われて嬉しくないわけがない。

「とはいえ、才人もあまり調子に乗るでないぞ。ここの魔法信仰と平民蔑視は、かなり根深いものだからのう。それと、いきなり態度を変えるのはおかしなことであるから、基本は今までのままでよいからな」

「ああ、そうだな。何か聞かれたときだけ答えるくらいにしておくよ」

「以上だ。ほかの皆も、これでよいか?」

「ひとつ大切なことが抜けてるわ」

「む、なんだルイズ」

 問われたルイズは太公望ではなく、ぐっと才人の目を見て言った。

「サイト。あんた、仮にも大貴族の名前を借り受けることになるんだから、これからはそれ相応の努力をしなきゃいけないってこと、わかってる?」

「え、どゆこと?」

「あんたがおかしな真似をしたら、コウ将軍の名誉に関わるのよ。もちろん、ミスタ・タイコーボーにも迷惑がかかるわ。だから、妾腹とはいえ貴族の血を引く者として恥ずかしくないように、これからは言動にも気をつけなさい」

 露骨に顔をしかめて、才人はぼやいた。

「なんつーか、めんどくさそうだな。貴族って」

「文句言わないの! そのぶん待遇が良くなるんだから」

「んー、まあ、そうだな。ところで、ひとつだけ納得いかないことがあるんだけど」

「なによ? 貴族についてわからないことがあるなら……」

「いや、貴族云々じゃなくてさ。その……ブセイオー将軍の話を聞けば聞くほど、どうしてそのひとが<ガンダールヴ>に選ばれなかったのかと思ってさ。俺よりも、そのひとのほうがずっと『らしい』じゃん」

 やや自虐的とも取れる才人の疑問に答えたのは、ルイズでも太公望でもなく、オスマン氏であった。

「そんなふうに自分を卑下するものではないぞい。そもそも<サモン・サーヴァント>は、召喚者と相性の良い使い魔を選び出す魔法じゃ。どんなに立派で強い<力>を持っていたとしても、互いに波長が合わなければ良き『パートナー』たりえんからのう」

「そういうものなんですか?」

「うむ。じゃから、そのことで悩んだり、くよくよしたりするだけ損だということだ。きみは、間違いなくミス・ヴァリエールに『選ばれた』のじゃ。わかってくれたかの?」

「はい! ありがとうございます」

 笑顔で礼を言う才人に、頷き返すオスマン氏。だが、太公望は武成王・黄飛虎が選ばれなかった最大の理由を知っていた。もちろん、才人では不満だとか悪いという話ではない。

 ――武成王・黄飛虎が<サモン・サーヴァント>に選ばれなかった最大の理由、それは。彼が戦場に斃れ、既にこの世の者ではなくなっているからだ――。


○●○●○●○●

 ――寮塔のルイズの部屋へ帰る道すがら、才人は頭を掻きながら言った。

「タイコーボー、か。う~ん……」

「どうかしたの?」

 訝しげに問うてきたルイズに、才人は正直に答える。

「あ、いや。さっきの話聞いてて、思い出したことがあってさ」

「思い出したこと?」

「ああ、昔の話なんだけど。俺んとこの隣の国……中国っていうんだけどさ。そこに、あいつと名前の響きが似てるっつーか、ここで言う二つ名かな? 『太公望(タイコウボウ)』って呼ばれてた、偉いひとがいたんだよ」

「ふうん、確かに似てるわね。で、どんなひとなの?」

「斉(せい)ってとこの大公で、王さまの相談役だよ。政治だけじゃなくて軍事にも通じてて、今でも『軍学の始祖』とか『軍神』なんて呼ばれてる。二つ名の由来からして『太公に望まれし賢者』って言葉だしな」

 才人は、こう見えて結構軍事方面に詳しい。所謂『ミリオタ』というやつである。例の『破壊の杖』にしても<ガンダールヴ>のルーンの恩恵を受けずに、正式名称をぽんと出せたくらいであるからして、その知識は意外と幅広いのであった。

 才人の説明を受けたルイズの額に、じんわりと汗がにじんだ。

「ね、ねえ。昔って、どど、どのくらい?」

「どのくらいって……確か、3000年以上前の話だよ」

 ルイズは、ほっと胸をなで下ろした。

「……びっくりしたわ。万が一、そのひと本人だったりしたらどうなることかと」

「いや、そんなん絶対ありえねーから。だいたい、タイコーボーはロバ・アル・カリイエとかいうとこから来た魔法使いなんだぜ。いま俺が話したのは、あくまで俺がいた世界でのことだからな?」

「そ、それもそうね。どう考えても別人よね。驚いて損したわ」

 ……事実は小説より奇なり、である。


 ――才人が、偶然とはいえ自分の正体に迫りかけていたことなどつゆ知らず。部屋へ戻り、書をめくっていた太公望は、ふと思い出したように声を出した。

「タバサよ。前におぬしと約束しとった模擬戦の件なのだが」

 同じく本を読んでいたタバサは、視線を文字から太公望へと向けた。

「わたしとの約束も、覚えていてくれた」

「ふむ、忘れていたほうが良かったか?」

 ぷるぷると小さく首を横に振るタバサ。それを見て、太公望は苦笑しながら告げた。

「それならばよい。お互い、あと数日もあれば完全に疲れが取れるであろう? とはいえ、ちと準備もあるので……それが終わり次第、そうさのう。来週末、あるいはそれ以降になってしまうが、約束通り一戦やってみてもよいと考えておるのだが、どうする?」

 平穏を望む彼のほうから試合の申し込みをしてくれる機会など、そうそうあるものではない。しかも、太公望はあきらかに自分以上の実力者にして、戦場を駆け抜けた本物の軍人だ。当然のことながら、タバサは奮い立った。

「是非お願いしたい」

「よし、決まりだな。ただし……これは絶対に1対1で、かつ誰にも見られない場所で行いたいと思うのだが、構わぬか?」

「それは、何故?」

「この国に来てから、まだわしがおぬしに見せていないものがある。だがこれは、おそらく『異端』とされてもおかしくないほどに特殊な、国元でもわしだけが扱える、わしだけの魔法なのだ」

 『異端』。あの<フィールド>以外にも何かあるとは思っていたが、さらに隠し技があるというのか。それなら、誰にも見せたくないというのは理解できる。タバサは、承諾の印に頷いた。

「これを使うということは、ある意味わしの『全力』にして『本気』だ。タバサよ……覚悟はよいか?」

 ――そう告げた太公望の目に宿る光は、とても真剣なものであった。



[33886]    第20話 最高 対 最強
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/09/30 15:06
 ――怪盗改め、情報斥候となった『土くれ』のフーケはご機嫌であった。

 トリステインからの逃亡成功後、彼女は隣国である帝政ゲルマニアの首府・ヴィンドボナへその身を隠していた。

 そして、新たな上司となった太公望との約束通り、伝書フクロウで居場所を知らせてからわずか数日後。すぐに返事が返ってきたのである。

「カット済みの石に、原石が半々か。しかも、売り払うには安過ぎず高過ぎずで取引しやすいようなものが選ばれてる上に、傷がつかないようにちゃんと梱包されてるなんてね」

 上司から寄越されてきた伝書フクロウの足には、例の『報酬』として約束されていた宝石――なんと、当初の予定であった1ヶ月分の前渡しどころか、その3倍の額に相当する品が同梱されていたのである。

『約束の1月分、および例の情報料だ。それと、打ち合わせの際に、肝心の逃亡先での一時的な滞在費について、詳細を話し合っておくのを忘れてしまっていた、すまない。よって、今回併せて同封させてもらうこととする』

 そう記された手紙を見て、フーケはにんまりした。これは、予想以上の『当たり』を引いたのではなかろうか、と。

『また、今回カット済みの品と原石を半々で送ったが、もしもどちらか片方がよい、あるいは希望の石や貴金属、装飾品などがあるということであれば、その都度教えて欲しい。可能な限り対応する』

「まったく! あのセクハラジジイなんかより、よっぽど気が利いてるじゃないか、あの坊や。おっと、確かわたしより年上なのよね……あれで。さて、それで肝心の仕事内容は……って! あはははッ、なるほどね。これは、わたしの<力>を欲しがるはずだわ」

 そこに書かれていた仕事内容とは――。

『<マジック・アイテム>に関する情報、およびその詳細調査報告』

『近隣諸国の最新の噂話、および可能であれば政治関連の情報調査報告』

 で、あった。確かに<マジック・アイテム>を専門に頂戴していた元怪盗フーケにとってぴったりの仕事であり、彼女以上に有能な者はそうは居ないだろう。後者についても、今後情報入手のために世界各地を移動することを考えれば、さほど難しくはなさそうだ。

「ふむふむ。アイテムのほうは、これまで前調べをしてあった情報についてでも、最近のものであればいいのね。それなら、すぐにいくつかリストアップできるわ」

 そう呟いたフーケは、かつて入手していたアイテムの情報について書き連ねる。

「それにしても、最後のコレはまた変わった注文だね」

『なお<マジック・アイテム>について、特に以下のような特徴を持つものの情報を強く求める。これらについては、入手難易度は一切問わない。たとえば王宮の金庫に仕舞われているようなものでも構わない。情報だけでも寄せられたし』

 その特徴とは。

『破壊の杖と同様<マジック・アイテム>とされているにも関わらず、使用方法が一切不明であるもの』

『触れると呪われる、あるいは気絶、干涸らびて死亡する等の噂、或いはそういった特徴を持つ<マジック・アイテム>または、それに類するとされているもの』

 ……で、あった。

「なんだい、えらく物騒なものをご所望だねえ。でもまあ、わたしが使うわけじゃないし、あくまで情報を送ればいいだけなんだから、構わないか」

 そういえば、いくつかそんな魔法具があったっけ。そう思い返しながら、彼女は呟いた。特にその中で――彼女の印象に残っていたそれ。フーケ……いや、マチルダにとって、仇と呼んでもいい相手が持っていた『音が鳴らないオルゴール』。

「しっかり<魔法探知>に反応するのに、おかしな<マジック・アイテム>だったわよね、あれは。<固定化>もかかってるんだから、壊れているわけじゃないだろうし。他にも何かあったっけ? ああ、そういえば! あれと似たようなものが、三王家とロマリアの教皇に代々伝わっているんだったわ。ついでにそれも書いておこうかしらね」

 ――この彼女の思いつきが、後の歴史へ大きな影響を与えることとなる。

「さて、他には何か書かれてないのかしら」

 と、改めて手紙を読み続ける。

『とりあえず、今回は以上だ。なお、この手紙の内容が他者へ漏れることがないよう、開封してから30分で、自動的に爆発する』

 その文章を見た途端、フーケは「ヒイイイッ!」と、情けない悲鳴を上げて、机の下に潜り込んだ。何故なら、ちょうど間もなく開封してから30分が経過するからだ。

 だが――待てど暮らせどその時は訪れない。と、おそらく最後の1枚であろう手紙が、ひらりと彼女の前へ舞い落ちてきた。

『……と、いうような便利機能は搭載されていないので、内容を暗記したら、即座に燃やして処分して欲しい――望』

 その一文を見た彼女は、両手をプルプルと震わせ……大声で叫んだ。

「やっぱりガキだよ、アイツはッ!」


○●○●○●○●

 ――さて。その頃フーケにガキ認定された者はというと。

「……ヘッキシッ!!」

「おや、風邪ですか? でしたら無理はなさらないほうがいいですぞ」

「いや、そういう訳では……誰か、わしの噂でもしておるのかのう」

 コルベールの研究室で、才人と共に例の『試作品』を見せてもらっていた。注文の品を受け取った才人は、早速手にはめてみる。

 すると……身体中が軽くなり、その『武器』の使い方が才人の頭の中へ流れ込んできた。拳の使い方のみならず、足技まで網羅したそれは――まさに『格闘ゲーム』の操作説明書が脳内にインプットされていくような、なんとも不思議な感覚であった。

「ちゃんと『武器』として認識できてるみたいです! 使い方もバッチリ」

「おお、それはよかったのう!」

「はめ心地はどうかね?」

「ちょっとキツめかな……とは思いますけど、皮だから馴染めば大丈夫です」

「それでは、さっそく試してみますか」

 ……で。開発関係者3名と、それを知った見学者数名――ルイズ、タバサ、ギーシュの3名+デルフリンガー。キュルケは先約があるとかで今回は参加していなかった――が、人通りのない中庭へと移動する。

 なお、この時ルイズは練習を兼ねて、柄の部分に柔らかい布を巻き付けた箒に乗り――跨るのではなく横に腰掛ける形で、ぷかぷかと宙に浮いていた。そう、既に太公望から『物体を浮かせて飛ぶ』のはやっても構わないという許可が出るまでに彼女の<念力>の腕は上達していたのだ。それにしてもルイズ、すごいバランス感覚である。

 そして中庭中央まで移動すると、全員の見ている前で、早速シャドーを開始した才人。正拳突き、回し蹴り、両手を交互に動かしたコンビネーション……などなど、それはかなりのスピードで展開され、見学者たちを驚かせた。

「いやはや……これはたいしたものですぞ」

「すごいな。サイトは、剣だけでなく素手での格闘もここまでやれるのだね」

 そう呟いたギーシュは、彼の動きにすっかり魅入られていた。

 一通り試して、身体が温まった才人は、全員の元へ戻ってきた。彼らは、それを盛大な拍手で出迎える。才人は、照れくさそうに頭を掻いて笑っていた。

「すごいじゃないのサイト!」

「わたしでも見切れなかった」

 そう褒め称える見学者たちに、満面の笑みでもって応える才人。相変わらず調子に乗りやすい男である。まあ、気持ちはわからなくもないが。

「うーん、できれば組み手とかもやりたいとこなんだけどな……さすがに『ワルキューレ』殴ったら痛そうだしなあ」

 そんな彼のリクエストに応えたのは、なんと太公望であった。コキコキと全身を鳴らしながら才人の元へ近づいてゆく。

「よし、ならばわしが相手をしてやろう」

「おい待てや中将閣下。お前、魔法使いじゃねーか!」

「魔法が使えぬ相手に『打神鞭』は使わぬ」

「じゃあ、どうするっていうんだよ!」

 才人の問いに、太公望は握り込んだ左手をぐっと突き出し、腰だめに構えて見せた。

「武器ナシでやるのだ」

「……面白ぇじゃねえか!」

 そしてふたりは広場の中央へと移動すると、向き合って礼をした。

「ミスタ・タイコーボーは大丈夫なのかしら」

「彼はああ見えて元軍人ですからな。おそらく勝算があるのでしょう」

 共に見学者の輪に加わっていたタバサも、太公望を心配するひとりであった。たしかに彼は軍人だが……杖なしで、あの動きをする相手にどう立ち向かうというのだろう。

「さあ! ラウンドワンだ!!」

 ――そして、ふたりの戦いは始まった。

「そんじゃ……行くぜッ!!」

 かけ声と共に、いっきに距離を詰めた才人は、太公望に向けて殴りかかる。だが、やや大振りにすぎたその拳は、あっさりと躱され、地面へと叩き付けられると――驚いたことに、彼の拳はそのまま土をえぐり、舞い上げる。

「なんなのだ、そのパワーは! とんでもないのう」

 思わずひるんだ太公望の隙を、才人は見逃さなかった。ザッと太公望の懐へ入り込むと、素早く蹴りを叩き込む……が、これは「どひゃー!」というちょっと間の抜けた声とともに、綺麗に躱されてしまう。

「くそ、結構動きが速いな」

「わしは、逃げ足には定評があるのだ」

「威張って言うことじゃねェだろ!!」

 軽口をたたきあいながらも、彼らの戦闘は続く。と……だんだん太公望の動きに慣れてきたのか、才人の動きに無駄がなくなってきた。つぎつぎと繰り出される攻撃を紙一重で躱しながら、太公望は反撃のチャンスを伺う。

「ふ、ふたりとも凄いな……」

「正直、ここまでとは思わなかった」

「いやはや、まったくですぞ」

「わ、わたし、どうやって戦ってるのかよく見えないわ……速すぎて」

 集まった観客たちは、驚きの目で彼らの動きを必死に追っている。そんな中、ついに反撃のきっかけを掴んだ太公望は、身体をサッと沈めると、下段回し蹴りで、才人を転ばせることに成功した。そしてそのまま拳による追撃に入るも、あっさりと避けられた上に、即足技によって反撃される。なんとかギリギリでそれを躱した太公望は、いったん距離を取ると、額の汗をぬぐう。

「だまされた! 才人のくせに強いではないかっ!!」

「聞き捨てならねェ台詞だぞコラ」

「仕方ない……こうなったら、これを使うしかあるまいのう」

 と、太公望は懐に手を入れると、一本の瓶を取り出した。

「ワイン……ですな」

「ワイン……よね」

 観客たちの呟きをよそに、そんなデカイ物、懐のどこに入っていたんだ。そうツッコみたくなるのを必死にこらえた才人は、太公望に向かって訊ねる。

「おい、なんだそりゃ」

「かかかかか! 厨房から、アルビオンの古いのをパクってきたのだ」

「マルトーさんにチクんぞヲイ」

 と、太公望はワインの瓶口を手刀でスパーンと叩き切ると、ゴクゴクといっきに飲み干してしまった。

「ウィ~、ヒック……」

 しゃっくりを上げた太公望。それはもう、見事な酔っぱらいの完成である。

「おい、どういうつもりだよ!」

 そう問うた才人へ、足元をふらつかせながら太公望は答える。

「酔えば酔うほど強くなる~。師匠直伝の『泥酔拳』で勝負~」

「テメェ、ふざけんな!」

 そう叫んで飛びかかっていった才人をぬらりと躱した太公望は、ちょこんと片足を前に出して、才人をあっさり前へと転ばせる。そして空中へ飛び上がると、彼の背中へ落下による力を加えた強烈な肘撃ちを炸裂させた。

「ぐはッ……!」

 思わず昼に食べたものを戻しそうになった才人は、なんとか立ち上がろうとしたものの、そこへさらに太公望の蹴りが飛び、2メイルほど吹っ飛ばされる。悶絶する才人をよそに、太公望は余裕の表情でその場に横になってしまった。

「き……きったねえ……! 急に強くなりやがって……ドーピングじゃねェのか」

 よろめきながら立ち上がり、抗議した才人へ太公望は答える。

「泥酔拳は立派な技。おぬしが弱いのでは~?」

「こっ……このヤロー!!」

 そして。必死の攻撃をはじめるも、ぬらりくらりとトリッキーな動きで躱されまくった才人はだんだんと体力を削られていき……ついには、大振りの右正拳付きにカウンターを合わせられ、その場で気絶してしまった――。

「いやぁ強ぇな兄ちゃん。さすがは元軍人だ」

 木の根元に立て掛けられたデルフリンガーは、感心した声で褒め称えた。

「本当よね。あなたはメイジなのに」

 そう言ったルイズへ、太公望は答えた。

「戦場で『杖がなくなりました、もう戦えないので命だけは勘弁してください』が通用するわけなかろう? 当然、体術も鍛えておるのだ」

 彼の言う通りです。そう頷いたコルベールへ、ほえ~っとした顔をするルイズ。タバサも、何か思うところがあったのだろう。考え込むように下を向いていた。ちなみに、才人はそのタバサの<治癒(ヒーリング)>によって、既に回復している。

「ところでデルフリンガーよ。おぬし、確か才人に剣を教えておるのだったな」

「まあな。伊達にこの6000年の間、いろいろな剣士に使われてきたわけじゃねェからな。基本的な動きから応用まで、強かった奴らの剣技はだいたい覚えてるぜ」

 それは素晴らしい。そう褒めた太公望は、次に才人に向かって言った。

「と、いうわけで剣についてはデルフリンガーから教えてもらうとして……素手の組み手については、ある程度わしが相手になってやれると思うが、どうだ?」

「やる。つーか、絶対お前の顔面に一撃入れるまで諦めねェ」

「ニョホホホホホ。さーて、いつになったら実現するのかの~」

「チクショー! マジムカツクーッ!!」

 こうして、平和な一日は過ぎ去っていった……。


○●○●○●○●

 時は流れ――才人が新たな『武器』を手に入れてから、2週間が経った。

 この間、彼の周囲には劇的な変化があった。まず、自分への待遇がこれまでの使い魔扱いから一転、ルイズの『護衛役』として認識されるようになったこと。

 その理由として、まず例の『才人は武成王の妾腹の息子』云々の話について、オスマン学院長から教師達に対し、その旨の通達が行われたからである。

 当然のことながら、最初はほとんどの者達から反発の声が上がった。だからどうした、所詮は他国。しかも遠い東方の平民だろう……と。

 そこで、オスマンが次の段階――もしも彼、サイト君を侮辱するならば、そのブセイオー将軍の祖国であり、ミスタ・タイコーボーの出身国にしてロバ・アル・カリイエ最大の国家・シュウを侮辱したと見なされ、最悪の場合戦争になる可能性があると話した。これで、教師たちは遠い東方とはいえ国際問題を懸念し、了承した。

 ……さすがに教職に就いている者に、それ以上言う必要はなかったのだった。

 生徒の見本たるべき教師が、才人を無体に扱わない。これは大きい。

 また、召喚者であるルイズ――トリステインでも特に有名な大貴族の娘が、あえてクラスメイト達の前で、これまでとは一転、才人に対しての扱いを変えたという事実もまた、周囲の子供たちに衝撃を与えた。

 あのプライドの高いルイズが、あそこまで態度を変えるとは……実はこいつ、ただの平民じゃないのではないか? と。

 それに続いて。既に生徒たちのほとんどと仲良くなっていた太公望が、才人の『父』である(と、いう設定の)武成王の武勇伝や、自国……つまりは東方のメイジについて、これまた捏造設定を交えつつ面白おかしく語り――それの受けが思いのほか良かったことで、才人が『東方最強の<メイジ殺し>の息子』という認識が少しずつ染み渡っていったこと。

 ――そして。その認識が広範囲にまで至った頃。タイミングを見計らったように、太公望がギーシュへと『協力』を依頼した。

 快くその申し出を受けた彼の『ワルキューレ』7体を瞬殺してのけた才人の剣技と、おまけに太公望との組み手までも見せられた生徒及び学院関係者たちの内心に、この少年……メイジでこそないが、実はとんでもない存在なのではないか、という意識が生まれ。さらに、それによって、相対的に同じ平民たちの間での評判も上がった。特に、厨房の責任者であり料理長のマルトーなど、

「あの若さで、貴族どもとまともに戦えるほどの武芸の『達人』なのに、ちっとも偉ぶらない。隠し子ってことで今まで大変だったみたいだが……そのせいなのかね。苦労は人を成長させるっていうからな」

 などと、周囲に話してまわっていたほどだ。

 ついには、才人本人が持っていた最大の資質――性格が人なつっこく明るい。また、ある意味誰に対しても公平に接するため、いつのまにか周りに人の輪を作ること――のおかげで、彼は、最初からこの学院にいたのではないのかというまでに周りにとけ込むことに成功したのであった。


 ――そんな彼を召喚したご主人さまはといえば。こちらも大きな変化があった。

 二つ名が『ゼロ』から『箒星(ほうきぼし)』に変わったのである。

『箒に腰掛ける』という、他のメイジ達と比べると特殊な形ではあったが、はじめて自力で空が飛べるようになったルイズは、それを心から喜んだ。

 そして、宙を飛び回ることでさらに『空間把握』の能力が上がるであろう、という太公望の言葉と、自分自身の「もっと自由に空を飛べるようになりたい」という願望から、彼女は放課後になると、練習のためずっと箒で空を飛ぶようになっていた。

 当然、そんなことをしていれば人目につく。当初は奇異の目で見られていたのだが、しかし。そんな彼女の姿を目撃した一部の者――おもに男子生徒が、その可憐な姿に、文字通り心臓(ハート)を鷲掴みにされてしまったのだ。

 本来、平民が使う『箒』という粗末な道具。そこに、貴族の娘――それも、学院内でもとびきりの美少女が、可愛らしくちょこんと腰掛けてぷかぷかと宙に浮かぶ姿は、そのアンバランスさが故に、多くの男たちの心を捕らえた。才人の祖国風に言うならば、所謂『ギャップ萌え』というやつである。

 で。あるときギーシュが、そのルイズに対して……よりにもよって教室の中で、

「きみが空を舞う姿は、まるで流れ星のようだよ」

 ……などと、実に格好良く例えてしまったからさあ大変。

 彼とよりを戻した(と、周囲から噂されている)モンモランシーという名の少女が「また他の女に目移りして!」などと騒ぎ出すわ。

 ギーシュの言葉に心から同意した男子生徒がそれを取りなすわ。

 言われたルイズ本人が――気性の激しい彼女にしては珍しく、顔を赤くしてうつむきながらもじもじする姿を見たその他男子生徒が床を転げ回って悶絶するわの大騒ぎに発展。

 そんな中、周囲にとけ込みつつあった才人が

「流れ星っていうより、どっちかというと『彗星』って感じだな」

 などと発言し。

「スイセイって何?」

 と、いうルイズの質問に対して、

「流れ星の中にも、キラキラ光る、綺麗で長い大きなしっぽがあるやつがあるだろ? それを、俺たちのところでは『彗星』って呼ぶんだ」

 と、答えたところへ「確かにそれっぽい」という同意の声があがり。調子に乗った才人がさらに、

「だろう? それに、ルイズの髪ってさ、桃色だよな。俺たちの間では、赤い彗星は他のより3倍速いって相場が決まってるんだ。近い色の髪色のルイズに『彗星』の二つ名はピッタリだと思うぜ」

 ……などとまたハルケギニアの人間には全く意味のわからないことを言って、辺りを騒然とさせたところへ、さらに割り込んできた太公望が、

「わしのところでは『彗星』のことを『箒星』とも呼ぶぞ」

 と、口を挟んだ結果。

「それだあああああ!!」

 と、いう男子全員の意見一致をみることとなった。

 ただ、ここまでなら二つ名が変わるほどのことではなかっただろう。だがしかし……そこでまた、才人が余計なことを付け加える。

「また俺の国の話で悪いんだけどさ、彗星……タイコーボーと俺の父さんがいた国だと、箒星だっけ? それはさ、何十年も、ずっと空の上にある世界を旅してるって言われてるんだ。で、一度消えても何年かするとまた帰ってくる。その星に向かって一緒に将来を誓い合った恋人同士は、幸せになれるっていう伝説があるんだぜ」

 などという、いろいろと間違った解釈がまぜこぜとなった話を出したせいで、今度はそういうロマンティックな会話に弱いルイズをはじめとした女子生徒達から「それ素敵!」といった声が出て。遂には、ルイズの真似をして<念力>で箒を浮かせ、空を飛ぼうとする者達が現れた。

 しかし、これはもともとルイズの『才能』が可能とした技術であり、他の者にはせいぜい浮かんだ箒に座るのが精一杯であった。故に、いつしかルイズには『箒星』の二つ名が冠されることとなったのだ。

 ……わしのところでは、箒星は不吉の前兆なんだが。とは、空気の読める太公望には口が裂けても言えなかった。


 ――彼らふたり以外にも、変化は訪れていた。

 まずはタバサ。彼女は、太公望と同じ時間に起床し、彼と共に本塔の屋上で『瞑想』を行うようになっていた。

 澄んだ空気の中、正しい形で『感覚』を研ぎ澄ますための訓練。これまでは『狩人』の『感覚』に頼っていた彼女であったが、そこへさらに、周囲に満ちる<力>の流れを掴むための方法を付け加えようというわけだ。

 これらを併せることで、最終的にはルイズや太公望が行っている『空間座標指定』による魔法の発動を行えるようになることが、彼女にとって現時点での最大の目標。実際、これができるようになれば、ある意味『スクウェア』へ昇格する以上の価値がある。

 キュルケは<力>のコントロールを。ギーシュは『太公望著・兵の動かし方基本編』なるマニュアルを渡されてそれを読み、学んでいた。

 双方共に『基礎の基礎』であったが、特に<力>のコントロールについては、これまでハルケギニアにはなかった概念であったため、キュルケにとって非常に価値あるものとなり。少しずつではあったが、1日に放てる魔法の最大数が増えつつあった。

 そしてギーシュ。彼は軍学の基礎について、王国元帥たる父の薫陶を得てはいたものの、それはあくまでメイジ専用。平民の兵の動かし方については、ほとんど無知に等しかった。そこへ『ワルキューレ』を運用する上で参考になる、しかも――ギーシュ本人は知らなかったわけだが――地球の歴史において、後世の軍学に多大なる影響を与えた人物直筆のマニュアルという、コレクターからしたらまさに垂涎もののアイテムを授けられ、さらにそれを読んだことで、まさしく雷鳴に打たれたかの如き衝撃を受けた彼は、なんと才人に一撃を入れられるほどにまで成長していた。

 全員が、少しずつ、それぞれの『道』を歩んでいる。

 ――以下、そんな日常の一コマである。


○●○●○●○●

 その日。魔法学院の教師であり、優秀な<風>の使い手にして『疾風』の二つ名を持つ『スクウェア』メイジのミスタ・ギトーが、教壇の前に立ち、授業を行っていた。彼は、自分の系統である<風>に、誇りを持っていた。だが、それが強すぎるがゆえに、あまり生徒たちからの評判がよくない教師であった。

「最強の系統が何であるか知っているかね? ミス・ツェルプストー」

「虚無じゃないんですか?」

 その答えを聞いたギトーは、鼻で笑った。

「伝説の話ではなく、現実的な答えを聞いているんだ」

 その言い方にカチンときたキュルケは当然反論をしようとした。だが、その前にギトーは別の人物を指名したのだ。

「では、ミスタ・タイコーボー。君はどうかね? もちろん、東方から来たメイジの視点からでよろしい、是非その答えを聞いてみたい」

 ギトーは当然、太公望が<風使い>であることを知っている。例のフーケ事件の際に、学院長のオスマン氏からそう紹介を受けているからだ。

 ったくこの先生は……言いたいこと丸わかりだよ。教室の空気がそんな色に染まりかけたその時、太公望は口を開いた。

「そうですのう……ここは<風>と答えるべきなのでしょうな」

 ギトーは、実に満足げな笑みを浮かべる。さすがは同じ風のメイジ。よくわかっている。東方でもその考えは変わらないのだな……と。

「さて……その上で、何故<風>が最強であるのか。それについて、話をさせていただいてかまわぬでしょうか? あくまで、持論ですが」

「もちろんだ。東方のメイジから話を聞ける機会はそうそうはないからな」

 真剣な表情になったギトーに対し、それでは失礼して……と、一言断りを入れると、太公望は改めて語り始める。

「まずは、結論から先に言わせてもらいますと。風の系統は……『最強』にして『最弱』である。わたくしはこのように考えます」

 最強にして、最弱? 突然何を言い出すんだ。ギトーは目を剥いた。生徒たちも、いつもとは全く違う展開に、これからどうなるのかを期待した。

「風は、時には己を守る盾となり、時には敵を打ち払う矛となります。しかし……他の系統に比べ、その万能さが故に使い手を選ぶのです」

 『使い手を選ぶ』という言葉に思うところがあったのか、ギトーは表情を改めた。

「ふむ……続けたまえ」

「例えば。自分を狙う敵に囲まれたとします。このとき盾と矛、いったいどちらを出せばよいのか。風系統は、そのどちらも出せる……ゆえに、状況を的確に判断し、より良い選択を行うことを常に迫られる。そこに迷いは許されない」

 これが<風使い>に付きまとう最大の問題です。そう語る太公望。

「もちろん、全てを吹き飛ばすだけの強大な<力>があるメイジであれば、攻撃一辺倒でも構わないのかもしれません。しかし、残念ながら全ての風メイジが、そう……『スクウェア』といった高みに到達できるわけではありません」

「その通りだ」

 私も、ここに至るまでは苦労したからな。そう言って遠い目をするギトー。

「よって、そこに至るまでの間は、常に最良の選択を迫られ続ける。当然、その選択に必要なものは……ギトー先生でしたら、もちろんおわかりですな?」

 と、ここでギトーへ言を向ける太公望。そして、それに対して勿論だ……と答え、持論を展開しはじめるギトー。

「君が最初に言った状況に対する的確な判断力と、どのように<力>を使うべきであるのかを常に考え、正しく実行するための知恵と技術、そして応用力だ」

 その言葉を聞いて、満足そうに頷く太公望。

「さすが先生、まさに仰る通りです。よって……それらを持たぬ者は<風>を使いこなすことができず、判断に迷い……自滅する。つまり『最弱』となるわけです」

 ある意味、やるべきことがほぼ決まっている他の系統に比べ、多くのことができるがために取捨選択の即断力が必要となる。よって、正しく運用する上での難易度が圧倒的に高い。ゆえに風系統は使い手を選ぶ――そう言った太公望はさらに語り続けた。

「我が国では、古来より風は『叡智の象徴』とされています。風は、知恵を運び、ひとを導くものである……と。そういった意味では『教師』という『道』を選択したギトー先生は、まさにその体現者ということになりますな」

 ピクリ……と、ギトーの口端が上がる。思わず笑みを浮かべそうになったのを、必死でこらえているといった表情だ。それを見た太公望は、まとめにかかった。

「そう……風系統とはまさしく『知恵ある者』の象徴!」

 バンッ! と、机を叩いて力説する太公望に、隣の席に座っているタバサが同意するように、コクコクと頷いている。ギトーの両手がプルプルと震えている。その他、風系統に属する生徒たちも皆一様に胸を張っている。

「万物の事象を学び、そしてそれを元に知恵を出すことによって! 他系統に比べ圧倒的な汎用性を誇るが故に!! たとえ元の<力>が弱くとも使い手次第でいくらでも『最強』に近付くことができる素晴らしき系統! それが<風>ッ!!」

 腕を高く挙げ、周囲を見回した太公望は、最終結論を叩き出した。

「つまりッ……風系統、最ッ高!!」

 そう大声で叫んだ太公望。そしてそれにつられるように、教室内の風系統メイジたちが、次々と雄叫びを上げはじめた。

「風、最高!」「風こそ最高!!」「風は最高」「風!」「か~ぜ!!」

 もはや大合唱となって教室中を包み込んだそれは、教師であるギトーまで巻き込んだシュプレヒコールとなった。『最強』ではなく『最高』という話に見事なまでにすり替わっているのだが、場の雰囲気に飲まれ誰も気がついていない。

 そもそも、系統の強さは地形やその他状況によって常に変わるので、どれが『最強』であるのかを語ること自体がおかしいのだ。『最高』ならばあくまで好みの問題とでも言い換えられるので問題ないと判断し、無理矢理そういった空気を作った太公望であった。

 ……もっとも。メイジではなく、かつミリタリー好きの才人だけは、途中で太公望が行った論説のすり替えと聴衆のコントロールに気付き「閣下また煽りまくって遊んでるし」などと、ひとり呆れ果てていたわけだが。

 だがしかし。当然の流れで――それに反対する者たちが現れる。もちろん、他系統に属するメイジたちである。

「でも<風>って、あたしたち<火>に比べて地味よね」

 ピタリ。文字通り、場の空気が止まった。

「地味……だと……!?」

 ゆらり……と、太公望を始めとする<風系統>に属する者達の身体から、黒い何かが立ち上り始める。だがしかし。この流れは止まらない。

「そうよ! <火>には<風>にない華やかさがあって最高だわ!!」

「<土>はあらゆるものを生み出す。これこそ最高の<力>だ!」

「<水>には、全てを包み込む寛容さがあるわ。<水>こそが最高よ!!」

 こうなってしまっては、もう収集がつかない。そして、各系統ごとに固まっての大論戦が始まる。と、いってもあくまで子供の口喧嘩レベルで。

「よろしい、ならば<風>が最高たる所以を証明してみせよう」

「地味? このわしに地味と言ったな!?」

「オホホホホホ、情熱の<火>。火傷じゃすみませんことよ」

「ぼくの『ワルキューレ』の本気をみせてあげるよ」

「<水>って結構面白いことができるのよね……フフ」

 ……で。ならばチーム戦で勝負をつけようではないかという話になり、まだ系統がいまいち定まっていない人物の取り合いが始まった。

「ルイズはわしが育てた。よって<風>チームへ来るのだ」

「歓迎する」

「あら。<爆発>だから<火>が相応しいのではなくて?」

「いやいや、あの見事な<土煙>の<錬金>があるのだから<土>だよ」

「『箒星』のルイズ。その二つ名はもともとは『彗星(すいせい)』から来ているわ。つまり、彼女は<水>こそが最適なのよ」

「いや最後強引すぎだから!!」

 思わず無関係な才人がツッコミを入れるほど、場はもうぐだぐだだった。

 ……それにしても太公望、ギトーとタバサという学院内の<風>メイジ2強に加え、さらに自分という極悪な風使いが所属しているにも関わらず、とどめとばかりにルイズをチームへ勧誘するあたり、本当に容赦がない。

 さて。そんなぐだぐだかつとんでもない大騒ぎをしていれば、当然の如く他のクラスにとっては大迷惑以外の何者でもないわけで。

 この、あまりのやかましさにとうとう堪忍袋の緒がブチ切れた、隣のクラスを受け持っていた『赤土』シュヴルーズが乱入。全方位に向けて粘土弾を解き放つという暴挙の末――ようやく教室内は静まり返り。その後には。

「なあ、実はあの赤土先生が『最強』じゃね?」

 と、いう才人の感想の呟きと共に、ギトーの授業時間は終わりを告げた。

 ――なお、この事件がきっかけで、生徒間におけるギトーの評価が「実は、結構ノリのいい先生?」というものに書き換わった結果、授業を受ける者たちの空気がやや穏やかなものとなり。それに気をよくしたギトーの態度もまた、少しずつ柔らかくなっていくという、お互いにとって良い意味での『風の循環』が発生することとなった事実をここに記す。



[33886]    第21話 雪風、軍師へと挑むの事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/09/30 15:07
「何故、ハルケギニアのメイジは予備の<力>を蓄えておかないのだ?」

 これは、数日前に『瞑想』を始める準備の最中に、太公望がポロリと零した言葉である。それを聞いたタバサは、最初は彼が何を言っているのか、理解できなかった。

「予備……とは?」

「いや、そのままの意味なのだが。普通に『パワースポット』とかあるではないか。どうして利用しない?」

 太公望曰く。世界の各地には『霊穴(パワースポット)』と呼ばれる<力>の溜まり場が存在し、そこで『瞑想』を行うことにより、自身の根源たる<力>の回復を、普通に眠るよりも圧倒的に早く行うことができるのだという。

 さらに、そこにある<力>を取り込み、自分が持つ本来の<力の器>の中とは別に、予備として体内で循環させておくことで、より大きな事象を発生させることができるのだ、と。

「そもそも、わしがずっとこの塔の上で『瞑想』をしておるのは、ここがその『パワースポット』に相当するからなのだ。おそらくだが、魔法学院を建てようとした人物が、この地が<力>の溜まり場であることに気付いていて、その上でこのような設計をしたのであろう」

 ――魔法学院の5つの塔と、その周囲に張り巡らされた外壁が、大地から効率よく<力>を吸い出す形――五芒星に見立てられたそれに沿って建てられており、中央塔に集められた<力>が結集しているのだ――と。

「そういえば、このあいだガリアへ行ったときに、上空を通り過ぎた湖……たしか、ラグドリアン湖といったか? あそこからも強い<力>を感じたのう」

 今度、暇なときにでも、あそこで釣りをしながら<力>を蓄えるというのも悪くない……そんなことを言いながら『瞑想』の準備に入った太公望。だが、彼の隣で、タバサは驚きのあまり打ち震えていた。

 <力>を使わずに溜めておくだけならばまだしも、蓄えたり、あまつさえ予備を持つなどという考えは、そもそも現在のハルケギニアには存在していない。<精神力>の最大量は、本人の資質と、メイジとしてのランクアップ時に増加するものだと考えられているからだ。だが、彼にはそれができるのだという。さらにこの魔法学院が、そのことを前提に設計されていたという事実に驚いていたのだ。

 それはつまり……過去、ハルケギニアにもそういった技術が存在していたが、何らかの理由で失われてしまったということだ。当然のことながら、タバサはこの話に飛びついた。

「教えてほしい。<力>の蓄え方と、予備の循環のさせかたについて」

「な、なんだ、まさか本当に知らんかったのか!? 別にかまわぬが……」

 そう言うと、ちらりと下のほう――食堂の方向に目を向ける太公望。

「本日の日替わりデザートを進呈する」

「よしわかったこのわしに全て任せろ」

 ――こうして。遙かなる昔に失われた技術は、その価値にも関わらず、実に安い値段でハルケギニアの地へ復活することとなった。


○●○●○●○●

 ――それから数日後。ついにタバサの念願である、太公望との対戦が叶うことになった。太公望が「ようやく準備が整った、3日後に模擬戦をやるぞ」そう通達してきたからだ。

 だが、その日が近付くにつれ、タバサの胸に不安が押し寄せてきた。今のわたしが、まともに彼と戦った場合、そもそも勝ち目があるのだろうか?

 ――わしの本気だ。覚悟はいいか?

「タイコーボーは、あの時……確かにわたしにそう言った」

 しかも、これまで見せてこなかった『切り札』を、わたし限定で開示するつもりらしい。あの用心深い彼が『異端』とまで言うからには、相当変わったものであると覚悟しておかなければいけない。

 それを考えると、タバサはより心配になってきた。そもそも彼女は頑なに<力>を追い求めてこそいるが、別に戦い自体が好きだというわけではない。あくまで、自分の実力を上げたいがために、太公望との模擬戦を求めただけなのだから。

「こんなとき、彼……タイコーボーなら、どうするだろう」

 ふと、そんな思いがタバサの内に浮かんだ。そこで彼女は、彼のように、考えることから始めることにした。

 戦いにおける基本――それは、彼我の戦力差をしっかりと認識すること。

 タバサは、まず徹底的に自己分析を始めた。手持ちの魔法についてだけでなく、太公望から教わった『力のプール方法』によって、これまでの<精神力容量>に加え、予備によって増強されているため、通常よりも手数が増やせることを念頭に置きつつ。

 ……そして、彼女は次の段階へ移行した。敵――つまり、対戦相手である太公望の能力について、思い出せる限りを手元の羊皮紙に書き出した。

 ・鋭い敵観察能力、及び解析能力を持つ
 ・元軍人、師団指揮の経験有り(単独戦闘も可能)
 ・風の『スクウェア』
 ・触媒があれば<火>も『トライアングル』レベルで使用可能
 ・魔法を、ハルケギニアの常識とはかけはなれた形で使用する
 ・<念力>使用で、風竜以上の速度で飛行可能
 ・同時に4つまでの魔法を展開可能(さらに多い可能性有)
 ・正面以外の方向から『空間座標指定』による攻撃が可能
 ・『瞑想』によって<力>をさらに蓄えている可能性大
 ・近接格闘技の達人(何故か飲酒によって強化される)
 ・非常に高い回避能力を持つ(トリッキーな動きで翻弄)
 ・出身地特有の<フィールド>で相手の<力>の流れを感知可能
 ・現在に至るまで本気を出していない。つまり全能力上昇の可能性大
 ・本気時に使用する『切り札』が存在する(能力不明)

「……これで才能がない? シュウのメイジは、みんな化け物……?」

 タバサは本気で頭を抱えてしまった。正直、まともに彼と戦った場合――現時点で集めうる情報だけでも勝てる気がしない。

 まず最初に、飛ばれた時点でアウト。間違いなく空から魔法を撃たれる。しかも『複数同時展開』と『空間座標指定』持ちのため、こちらの攻撃が届かない場所から呪文が飛んでくるだろう。

 次に、接近されたらアウト。ほぼ確実に、あの格闘術で『杖』を奪われ終了。

 さらに、距離を取られてもアウト。これは空中戦とほぼ同義。

 おまけに、本人の回避能力がとてつもなく高いため、先手を取れても避けられた上に、反撃を受ける可能性大。

 仮に、不意打ちをしようとしてもまずアウト。ほぼ間違いなく接近を察知された挙げ句、反撃を受ける。下手をすると『空間座標指定』でこっちが先に不意打ちをかけられる。

 最後に、正面からの力押しもアウト。そもそもメイジとしてのランクが違う。そんな真似をすれば、逆に押し切られて終わってしまうだろう。

「タイコーボーなら、たとえエルフと正面から戦っても、普通に完封しそうな予感がするのはわたしだけ……?」

 タバサは改めて戦慄した。自分の<使い魔>たる彼の能力に。しかも、戦いが基本的に嫌いであるため、本気を出していないのだというから怖ろしい。ハッキリ言って、この世界において、彼に対抗できるメイジがいるとしたら――それは、伝説の『烈風』カリンそのひとくらいではなかろうか……と。

「こういう圧倒的強者を相手に戦うとき、彼ならどうする?」

 タバサは、さらに考えた。と――ここであることに気がついた。太公望の基本。あのコボルド相手にすら、彼はそれを持ちかけようとしたではないか!


○●○●○●○●

「よしよし、よく気がついたな。まずは第一段階合格だのう」

 部屋へ戻ったあと、タバサは早速太公望へ『交渉』の申し入れをした。それに対する彼の返答がこれであった。

「あきらかに格上であるわしに対して、真正面から挑みかかろうとする時点で間違いだからのう、その選択は正しい。で、どういった話がしたいのだ?」

「ハンデ戦を申し込みたい」

 そう頭を下げたタバサへ。

「内容は? そして、それに対する対価はなんだ?」

 太公望は、静かに答えた。どうやらハンデの内容と対価によっては受け入れてくれるらしい。それならば、まずは彼が持ち、かつハルケギニアのメイジにとっては驚異的なあれを封印してもらおう。対価については、デザートでいいのだろうか? いや……ちょっとここは彼を見習って、出方をうかがってみよう。タバサは、じっと太公望の目を見て言った。

「『複数同時展開』の封印。対価は……第一段階合格の、わたしへのご褒美」

 それを聞いた太公望は、目を見開いた後――大声で笑った。

「かかかか、面白い! わしは、そういうやりとりが好みなのだ。受け入れよう。第二段階合格だな。で、他にはもうないのかのう? ああ、わかっているとは思うが、同じ手はもう通じぬぞ」

 タバサは、ほっと胸を撫で下ろした。下手にあそこでデザートを材料に出すよりも、こういうやりとりのほうが彼の性格的に喜ぶのではないか。そう考えた末の発言に、うまく乗ってくれた。それならば、次にすべきことは……。

「『空間座標指定』による魔法展開を封印。対価は……明日のデザートを1個追加」

「よし、受け入れようではないか」

 これで、だいぶ楽になった。さすがにこれ以上は受け入れてくれないだろう。それでは、次に改めてルールの確認を。そうタバサが考え、行動に移ろうとしたそのとき。太公望が、ふいに口を開いた。

「では……今度は、こちらから交渉を申し込みたいのだが」

「内容と、対価による」

「うむ。試合開始前の条件として、お互いの距離を200メイル以上あけること。なお、これに対する対価は……あとふたつだけ、わしに備わっていると思える<能力>のうち、いずれかを封印して構わぬ」

 この内容に、正直タバサは驚いた。距離を開けるだけであと2つ封じていいのか――ここは飲むべき? いや、よく考えよう。ここで重要なのは数じゃない。あの彼がわざわざ指定してきたということは、つまり距離を重視しているのだ。それならば……。

「条件付きなら受け入れる」

「ほう、それはどのような?」

「距離を100メイルにしてほしい。ただし、封印する能力はひとつで構わない」

 それを聞いた太公望は、顎に手をやり……少し考え込んでいた。やはり、距離がポイントだったのだろうとタバサは思った。

「ん……まあ、よかろう。では、封印したいと思う<能力>を提示するのだ」

 太公望は、腕を組んで考え込んでいる。思った以上に距離が重要だったらしい。最初の『2つ』という数に乗らなくて正解だった。最後のひとつ……ハッキリ言って、断られる可能性大。でも、やってみる価値はある。そしてタバサは、踏み込んだ。

「あなたの<風魔法>を封印してほしい」

 この申し入れに、太公望は破顔した。そして笑いながらこう答えた。

「そりゃまあ、そうくるのが当然だろうな。あきらかに、わしが持つ最大の<能力>だからのう。よかろう、受け入れようではないか。これで交渉は終了だ。では、改めてルール確認に入ろうか」

 タバサは驚いた。まさか受け入れられるとは思わなかったのだ。しかも、あきらかに彼の中では想定していた内容らしい。でも……これで、本来彼が苦手とする属性にして、限定条件つきの<火>の『トライアングル』として戦わせるに等しい条件まで落とすことができた。これならば、最も怖いのは彼に接近されることだけだ。それさえ気をつければ、何とか戦いに持ち込めるだろう。彼女は、そう判断した。

 ――そして、彼らはルールの設定を行った。

 ・1対1で戦う
 ・互いの地形に不利が生じないよう、見通しのよい平原で行う
 ・制限時間はなし
 ・相手を降参、あるいは気絶させたら勝利とする
 ・開始時、お互いの距離を100メイル開ける
 ・交渉によって決めた封印を破った場合は太公望が即座に敗北となる
 ・お互いに、位置についたらいつ仕掛けてもよい

 ――設定の結果。以上が、今回のハンデ戦条件となった。

 交渉終了後。部屋を出て行ったタバサを見て、太公望はニヤリと笑った。
 
「ふぅむ……年齢の割にはなかなかやると言いたいところだが、正直まだ甘いのう。今回の『交渉』における最終段階合格は、残念ながら出すことはできぬな」


○●○●○●○●

 ――そしてハンデ戦当日の夜。

 誰にも見られていないことを確認したふたりは、前もって探しておいた場所――開けた平原であり、かつ近くに民家などがない場所へと移動した。

 その途中で、タバサにはひとつ気になったことがあった。

「タイコーボー。それは何?」

 太公望の腰に、重そうな布袋が4つ――それぞれに赤・青・黄・緑の可愛らしいリボンがあしらわれたものが括り付けられていたからだ。

「ああ、所謂『錘(おもり)』だ。別に、これを使って戦ったりするわけではない。おぬしが気になるなら、中を見せても構わぬぞ」

「興味ある。見せてほしい」

「中身を取り出してもよいが、ちゃんと元入っていた袋へ戻すのだぞ」

「わかった」

 タバサが早速中身を取り出すと、そこには『煉瓦(れんが)』が入れられていた。全ての袋に、それぞれ1個ずつ入っている。

「<魔法探知>を試しても?」

「もちろんかまわぬぞ、試合前に確認するのは当然だからのう」

 本人の了承を得て、タバサは早速<魔法探知>を唱えた。ふたつの煉瓦には何の反応もなし。残りの2個に<固定化>がかけられている他は、本当に何の変哲もない煉瓦であった。念のため、腰の布袋についても調査したが、こちらもただの袋であった。

 なんのために、わざわざ『錘』などくくりつけてあるのだろう……そう訊ねたタバサであったが、さすがにそこまでの情報は開示してもらえなかった。つまり、何らかの理由があって、太公望はそれを持ち込んでいるのだ。

 それにしても。あんなものを4つもくくりつけていたら、近接格闘をする上でも、全体のスピードも相当落ちてしまうはず。もしかして、さらにハンデを背負ってくれようとしているのだろうか。思考の淵へ沈み込もうとしていたタバサへ、太公望が声をかけた。

「それでは、そろそろ始めるかのう。お互い位置につこうではないか」

 ――こうして、ふたりの試合は始まった。

 太公望は、精神を集中し……『打神鞭』を構える。そして、その先に取り付けられた宝玉――彼最大の切り札・スーパー宝貝『太極図(たいきょくず)』に<力>を集める。

 フイィィィイイ……ン。という静かな音と共に『太極図』が起動した。それから、サァァァ……ッと、文字――当然、ハルケギニアのそれではありえないものが列をなし、螺旋を描き、宙へ向けて、流れるように書き記されていく。

「太極図よ! 支配を解き放て!!」

 太公望の号令と共に、並んでいた文字列が太公望を中心に、渦巻き状になって地面へ染み渡る。それからすぐに、彼だけの魔法にして<フィールド>は完成した。その効果範囲は、約50メイル。

「ククク……相手との距離が100メイルもあれば、さすがにこの程度の範囲展開は余裕だの。さてタバサ……どうくるつもりかのう」

 一方のタバサはというと。太公望が、宙に向けて何かしているのはわかったが、周囲が暗い上、距離があったために詳細まではわからなかった。輝く光のようなものが彼の周囲に消えていったところまでは見えていたのだが……しかし。

 このまま仕掛けるのは危険だろう。少し様子を見たほうがよさそうだ。そう考えたタバサであったが……その『何か』以降、太公望は左手に持った杖を天に向けて掲げたまま、その場から全く動かない。

「おそらく、あれが彼の<フィールド>。あそこに何かがある」

 それならば。そこから彼を出してしまえばいい。タバサは<風の槌>のルーンを紡ぐ。そして、太公望へ向けて打ち下ろした……だが。それは、彼に届くどころか、はるか手前で消えてしまった。

「どういうこと!?」

 太公望は、相変わらずその場から動いていない。当然のことながら『風の流れ』も変わってなどいない。

「それなら……ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ!」

 再び遠距離から、今度は得意の<氷の矢>を打ち出した……しかし。こちらは空中で、まるで砂の山が崩れるように、さらさらとかき消えた。太公望のほうはというと、相変わらずその場から移動してはいないが……左手の杖をまるで指揮棒のように軽く振りながら、何かを口ずさんでいる。まるで、唄うように。

 タバサは、慎重に近付いて行った。そして、地面をよく見て気がついた。そこに何かが描かれていることに。ひょっとすると、これが彼の言っていた切り札にして<フィールド>なのか。

 ――絶対にこれを踏んではいけない。彼女のこれまでの『経験』と、それらによって磨かれた『直感』がそう語っていた。よって、タバサは距離を取ったまま魔法を打ち続けた。しかし、それらはやはり、これまでのものと同様、全て<フィールド>に入った途端かき消えてしまった。

「まさか……ありえない」

 もしや……これは『遠距離からの攻撃を届かせないための場』なのか。それならば納得がいく。確かにハルケギニアでは『異端』とされる可能性がある。そして、彼があそこまで体術を鍛えている理由も。何故なら、彼と戦うためにはこの不思議な<フィールド>を踏まずに側へ近寄り、近接攻撃を仕掛ける以外にないからだ。

 『自分のペースに巻き込む』

 そうだ、召喚初日から、一貫して彼が見せ続けてきたスタイル。まさしく、この<フィールド>は、それを体現したものなのだろう。タバサは、ぎゅっと杖を握り締めた。わたしはお世辞にも近接攻撃が得意だとは言えない。しかし、ここまで来てそんなことは言っていられない。それなら――。

「イル・フル・デラ・ソル・ウィンデ……」

 タバサは<フライ>のルーンを紡ぎ出した。空を飛び、太公望の側まで近づき<風の剣(ブレイド)>で仕掛けるために。

 そして彼女は、1メイルほどの高さに浮き上がり、高速で太公望へ向かって飛びかかろうとした……しかし。<フィールド>の範囲へ入った瞬間。全身が、まるで鉛のように重くなって墜落。全身を激しく地面へと叩き付けられた。

 ――そして、そのままタバサは意識を失い、気絶してしまった……。


○●○●○●○●

「タバサ、大丈夫か?」

 ふいに目が覚めた時。タバサは、自分の目の前に太公望の顔があることに驚いた。そして、彼が自分の身体を抱き起こしていたことに。

「試合は」

「おぬしの気絶により、わしの勝ちだ。どうだった? わしの『本気』は」

「……よくわからなかった」

 カッカッカ……と、笑い声を上げながら太公望は言った。

「そうであろうな。初見であれを見切れる者はまずおらんからのう。まあ、それはともかく……部屋に戻って、反省会をしようかの」

「反省会?」

「うむ。今日行った試合の内容について、話し合いをするのだ! そして、何が良くて、どこがいけなかったのかをしっかりと確認する。そのための模擬戦であろう?」

 確かに……と、タバサは頷いた。今まで行ってきた『任務』では、たとえやろうと思ってもこういったことはできなかった。太公望が召喚される前は常にひとりで戦い続けてきたし、前回一緒に着手した『任務』では、状況が状況だっただけに、そういった話し合いが持ちづらい雰囲気だったからだ。

 そういう意味でも、試合を行った価値がある。タバサは、了承し……身を起こそうとして、ふいに気がついた。あれほど激しく地面に叩き付けられたというのに、どこにも怪我がないどころか、痛みすら感じていないことに。立ち上がり、自分の身体を改めて確認してみる。全く異常はない。むしろ……なさすぎるといってもいいくらいに。

「ああ、心配することはないぞ。おぬしの傷は、わしが全部癒しておいたからのう」

 どこも痛んだりはしていないであろう? そういって笑う太公望に、タバサは問うた。彼女は本気で驚いていたのだ。

「あなたは……<治癒>も使えたの?」

「<火>以上に、怖ろしく厳しい限定条件つきだが使えるぞ。そういえば、これも見せたことがなかったのう」

 そう言って、再び笑う太公望の顔を見ながら、タバサは思った。

 まさか、彼が<水>まで扱えるとは思わなかった。しかも、これほど完璧な<治癒>を行った後にも拘わらず、彼には全く消耗している様子がない。水メイジとして相当の実力がなければ、こうはいかないだろう。なるほど、ハンデとして<風>を封じられても、なんとも思わないわけだ。

 ……しかし、これで才能がないとか……タバサはなんだか泣きたくなってきた。そして、思いを馳せた。その彼をして『才能がない』と言わしめるほどの実力者たちが集まるシュウとは、いったいどんな場所で、どれほど酷い戦禍に見舞われていたのだろうか――と。

 押し黙ってしまったタバサに、太公望が声を掛けた。

「ところで、そろそろ部屋へ戻らぬか? ちと冷え込んできたことだし、厨房へ寄って温かい茶と、何か菓子でも用意してもらおう」

 ――タバサは頷いた。そしてふたりは、自室へ戻るべく空へと舞い上がった。


○●○●○●○●

「準備の仕方が間違っていた」

「ふむ。それはどういう意味でだ? タバサ」

「あなたの実力を完全に把握していなかったにも関わらず、調査が足りなかった」

 ニッと笑った太公望は、ポンポンと軽くタバサの頭を叩いた。

「その通りだ。まあ、そもそもわしはわざと自分を『見誤らせる』ように行動しておるから、奥まで見抜くのは難しいだろうがな」

 ニョホホホ……と、笑って言う太公望。現在、タバサの部屋では『反省会』が開かれている真っ最中である。

「まあ『交渉』を考えついたところまでは正解だったのだが……残念ながら、話の持っていきかたが、ちと悪かったのう」

 厨房からもらってきた紅茶とお菓子を楽しみつつ、太公望は答えた。

「話の持っていきかた、とは?」

「うむ、さっきタバサが自分でも言っておったであろう? わしに関する調査が足りなかった……と。そう感じていたのならば、何故聞かない?」

「えっ?」

「タバサは、いままでわしを見てきた結果から、自ら『ハンデ戦』を申し込む必要があるくらいに差があることに気がついていたわけだ。さらに、未だわしが『さっぱり効果がわからない切り札』を持っていると明言していた。ここまではよいな?」

 コクリ、とタバサは頷く。それを見て、一口茶を啜ると太公望は先を続ける。

「ならば! そこでいきなりハンデ戦を申し込むのではなく……わしが持つ<能力>について『今まで見せてもらっているもの以外についての情報を、ある程度開示してくれ』と切り出すべきだったのだよ」

 タバサは唖然とした。まさか、そういう方向からの指摘を受けるとは思わなかったのだ。いや、そもそも……。

「聞いたら、教えてくれたの?」

 そのタバサの問いに、太公望はニヤリと笑って頷いた。

「交渉の内容次第ではな。もちろん、対価や話の持っていきかたによって、開示される情報の量は大きく変化したわけだが。もしもおぬしがそういう交渉に来たら、ある程度教えるつもりでおった。これはあくまで『模擬戦』なのだからな」

 そう語る太公望を前に、タバサは頭を抱えてしまった。正直、敵対する相手が情報を教えてくれるなど想像の埒外であったからだ。まあ、普通はそうだろう。タバサの反応が正常なのだ。

「わしの『切り札』を体験してみて、どう思った?」

「驚いた」

「それ以外には?」

「……怒らないでほしい。正直、怖かった」

 俯いて呟いたタバサに、うむ……と呟き返した太公望は、こう言った。

「相手のことを知らないということが、いかに怖ろしいか。今回のことで改めて理解できたのではないか?」

 頷くタバサ。過去の『任務』においても、そういった経験を積んできたから。

「逆に言えば、自分のことを出来うる限り悟らせないということ……そして周囲、また現状をしっかりと把握しておくことで、そのぶんだけ恐怖を抑えることができ――さらには敵から自分の身を守る効果を高めることができるのだ!」

「自分をよく知り、敵についてできるだけ情報を得る……それが大切」

「敵だけではないぞ。周りの地形、状況、その他にもよりたくさんの情報を持ち、かつ自分の手札を隠す巧みさ、それを活かせる力量を持つ者こそが、最後には勝利する。たとえ、お互いの実力に差があっても、だ。ちなみにこれは、別に戦いに限ったことではない。取引交渉などでも同様だ」

 まあ、交渉も一種の戦いではあるがな……そう言った太公望は、さらに語る。

「そうだのう、例えば今回の場合であれば、手持ちの情報だけでなく、他人――特に、わしと直接戦闘経験のある才人から話を聞くだけでもだいぶ違ったであろう」

 その指摘に、タバサは衝撃を受けた。確かにそうだ。今回は、つい自分の持つ情報だけで判断してしまっていた……太公望について、いちばんよく知っているのはわたしだからという思いが、心のどこかにあったからかもしれない。

「ああ、ちなみに例の切り札の件だが。あれについては申し訳ないが、これ以上の情報を開示するわけにはいかんので、以後聞かれても絶対に答えないから、それだけは覚えておいて欲しい」

「異端の可能性があるからという以上に……それを隠すことによって、あなたが勝利する確率を上げる、そういうこと?」

 タバサの問いに、太公望は破顔した。

「そうだ。こればかりは、たとえ身内といえど教えられない。それほどのものなのだ。もっとも、そうでなければ『切り札』とは言えぬであろう?」

「理解できる」

「よし。では、もう1点。最後の取引で、わしに提示した『封印してほしい能力』についてだ」

 わたしが駄目元で封印を依頼した<風魔法>。それがいけなかったのだろうか。タバサは頭をかしげた。

「もっとよく、わしの『言葉』について考えるべきだったのう。わしは『わしに備わっていると思える能力』と言った。もしもわしが同じ交渉を持ちかけられたら……さて、どう切り返したと思う? ちょっと考えてみるのだ」

 タバサは首をかしげた。タイコーボーなら、なんと言う? それを考えろ……? タイコーボーの能力……彼なら……いや、まさか、さすがにそれはないだろう。でも……!

「魔法そのものを封じてほしい。そう持ちかけていた、と?」

「その通りだ。もしもその申し入れがあった場合、わしは限定条件をつけることで受け入れる用意があった」

 タバサはある意味、ここまでで一番の衝撃を受けた。まさか、そんな交渉まで想定していたのか、彼は……と。

「ちなみに、その条件とは?」

「『切り札』のみ使用してもいいなら、他の魔法は一切使わないというものだ」

 ……確かに、あの<フィールド>と格闘術があれば、並大抵の者では勝てないだろう。あれはまさしく『切り札』だ。タバサは、がっくりと肩を落としてしまった。

「まあ、そんなわけで。今回については最終段階合格は与えられなかった」

 惜しかったのう。そう言って笑う太公望。だが、タバサは彼が発した言葉の意味に気がついていた。

「今回? つまり、また試合を受けてもいいということ?」

「よし、ちゃんと今の言葉に気がついたな! 会話に神経を研ぎ澄まし、その『咄嗟の言葉の意味に気付く力』をさらに磨くのだ。やはりおぬしには、その才能がある」

 満足げにうんうんと頷いた太公望は、彼女にご褒美を与えることにした。

「以後『切り札』なしで挑戦を受けよう。もちろん、事前交渉もそれに含まれる。まあ、1ヶ月にせいぜい1~2度程度にはしてもらいたいところだがのう。あと、今月はもう終わりということで頼む」

「了解した」

「では、今夜はこのあたりで休むとしようか」

 その言葉で『反省会』はお開きになったのだが――タバサは、試合の内容についてはともかくとして、非常にためになるやりとりだったと満足してベッドに入り――そして、すぐ寝息を立てはじめた。


○●○●○●○●

 ――タバサが眠ったことを確認した後。太公望は寝床から抜け出した。

 そして取り出した。例の『赤・青・黄・緑』のリボンがあしらわれた、ちょっと可愛らしい『布袋』と、その中に入れられていた『煉瓦』を。

「ふむ……なるほど、やはりこういう結果になったか。赤は……うん、元通りの形に戻っておるな。青は……ふむふむ。黄色は……」

 ……そう。太公望はハルケギニアの魔法に対する『太極図』の効果の詳細を確かめる為に『平民の手によって作られた煉瓦・2つ』『錬金で作られた煉瓦・2つ』を用意し、さらにそれぞれ傷をつけてみたりと、色々実験していたのである。

 彼が必要としていた準備とは、これら袋と煉瓦を揃えることだったのだ。ちなみに、その過程で既に顔なじみとなっているメイドのシエスタに、

「これこれこういったものを用意してもらいたいのだ。材料については、当然こちらで交通費他の全費用を負担するので、申し訳ないが購入してきてもらえないだろうか。量があるので、数名一緒に連れて行き、手伝ってもらってくれ。そうだのう……手伝いは3人もおれば足りるであろう。人選はシエスタに頼んでもよいか?」

 と、依頼した。シエスタは、それに笑顔で答えた。

「わかりました。無料で街へ行けるなんて、他の子も喜びますし」

「ちなみにこの袋についてだが、絶対に魔法のかかっていない材料で、全て手作りしてほしい。当然、別途報酬を支払うことによって礼をさせてもらう」

 そう申し入れた太公望に、慌てたのはシエスタのほうであった。

「え、そんな、そこまでしていただかなくても……」

「何を言う。普段とは別の仕事をしてもらうのだ。礼をするのは当然であろう?」

 と……太公望は、ポンと手を叩いてさらに続けた。

「わしとしたことが、肝心なことを言い忘れておった。この仕事や報酬については、他の者たちには絶対秘密にしておいてもらいたいのだ。つまり、口の堅い者を選んで連れて行ってもらいたい。頼んだぞ」

 シエスタは喜んでそれを受け――同僚のメイド3名を伴い、トリスタニアの街へ出かけ、言われた通りの仕事をして太公望を喜ばせた。

 ――なお、手伝いをしてくれた者たちに申し入れた報酬の内容はというと。

 『金貨5枚』『トリスタニアの街で流行っている店の最高級デザート』

 であった。はっきり言って破格の報酬である。どのくらいの価値があるのかというと、金貨(エキュー)120枚で、町で暮らす平民ひとりあたりの1年間の生活費がまかなえる――と、言えばおわかりになるであろうか。

 さらに、貴族御用達の店のデザートつき。普段の彼女たちには到底口にすることなどできないものである。当然のことながら、喜んで飛びついた女性たちであった。むしろ、また何か仕事を頼んではもらえないかと期待している節すらあった。

 ちなみに、報酬のデザートを購入する際に、ついでに自分とご主人さまの分まで確保してきた太公望であった。そう――既に言うまでもないことだが、彼は、甘味に対してとてもこだわりがあるのだ。

「やれやれ……系統魔法については、今まで見てきた内容からして、まず間違いなく無効化できるとは思っておったが『癒やしへの転換』もちゃんとやれて一安心だ。地球にいたころとほぼ同じ使い方ができそうで良かったわ。機会があれば、先住魔法でも試してみたいところだが、近くに使い手がおらんのが問題だのう……」

 ――まあ、結論を述べるならば。この男、ご主人さまとの模擬戦にかこつけて『太極図』の試し撃ちをしていたわけである。仙人界No.1の腹黒と謳われていたのは伊達ではない。たとえ女子供が相手でも、割と容赦のない太公望であった。

 だが、しかし。ひとつだけ彼にも解けない謎が残った。

「ここまでの結果を見るに<サモン・サーヴァント>の意思疎通能力と<コントラクト・サーヴァント>のルーンは消えとってもおかしくないはずなのだが……両方とも普通に残ったままなのは何故なのだろうか。これはもう少し検証が必要かのう」

 このふたつが消えなかった理由。それは――魔法でも科学でも解き明かせないもの。これについては、追々物語の中で語らせていただきたいと思う。



[33886] 【宮中孤軍】第22話 鏡の国の姫君と掛け違いし者たち
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/08/02 23:25
 ――タバサと太公望による『ハンデ戦』が終わってから、約1週間後。物語の舞台は、ガリアの王都リュティス、その東の郊外に林立する宮殿群ヴェルサルテイルの一画『プチ・トロワ』へと移る。

 薄桃色の大理石で組まれたその宮殿の一室で、ガリア王国の王女イザベラ・ド・ガリアが昼餐を摂っていた。

「この酒に料理……なんてまずいんだい。もう飽き飽きしてしまったよ」

 イザベラは、そう言って形の良い眉根を寄せた後、脇の小テーブルに置かれていた豪奢な羽根扇子を手に取ると、口元を隠すように広げた。

「そうだねえ……どれにしようか」

 側に控えた侍女や召使いたちが、小さく怯えた。もしや、またしても虫の居所が悪いのであろうか、と。

 そう、この王女。機嫌が悪い時に見せる態度が、本当にロクでもないのである。と……そのイザベラが、周囲に控えるものたちを見回し始め、何度か小さく頷くような仕草をした後、指差した。

「そこのお前と、そっちのお前。こっちへ来るんだ」

 イザベラによって『ご指名』を受けた侍女ふたりは、真っ青になった。周囲の者達は、哀れな犠牲者に対して同情の視線を送っている。

「まず、そこの前。奥にある果物籠と、焼き菓子全部。それを、わたしの部屋へ運びなさい。そっちのお前は、厨房からしぼりたてのフルーツジュースを冷やして、ピッチャーで持ってくるんだ。グラスの数は……4つだ。一国の王女たる者、同じモノを何度も使い回すなんて真似はしたくないからね」

 そう言うと、イザベラは席を立った。指名された者も、それ以外の者達もほっとした。どんな難題を持ちかけられるのかと戦々恐々としていたのだから、それも当然である。

 ……と、部屋の外へ出ようとしていたイザベラが、再び口を開いた。

「そうそう、残った昼餐の料理は、お前たちがたいらげな。いいかい、残したりしたら承知しないよ! なにせ、国中から集められた腕利きのコックたちが作った料理なんだ。本来なら、わたしたち王族しか口にできないものなんだからね。わかったかい?」

 そして、今度こそイザベラは部屋の外へと出て行った。

「いやはや……どんな難題が持ちかけられるかと、冷や冷やしたよ」

「まったくだ。こんなすごい料理を残さず食べろ、なんて話なら大歓迎だ」

 テーブルの上に並べられた昼餐は、それはそれは豪華で……しかも、今ここにいる人数では食べきれないほどの量があった。

「だったら、そこに立ってる衛兵さんも呼んで、みんなで食べないか」

「それはいい考えだ」

 ――そして、召使いたちは思わぬ役得に預かったと心から喜んだ。


「あっはっは! まったく意地汚い連中だねえ」

 イザベラは、グラスに注いだフルーツジュースを片手に、昼餐会場を眺めていた――自分の部屋であって、そうではない場所から。そこへ、奥のほうから声がかかった。

「なぁイザベラよぉ。ちとこっち来て見てみろよ。面白ぇコトになってんぜ」

「え、本当? どれどれ……」

 イザベラは、声のしたほうへ向かうと……その先にある『窓』を覗き込む。

「おほ! おほ! おっほっほ!!」

「な? 傑作だろ!?」

「なによ、あれ! あはははっ!! 積んだ皿を手で滑らせて全部割っただけじゃなくて……おまけに隣の棚にぶつかって……くくっ……中で食器が雪崩起こして……」

 イザベラを呼んだ者――青白い顔に、長い耳を持った少年は、器に盛られた焼き菓子を手で掴めるだけ掴み取り、口へ放り込むと……それをバリボリと噛み砕きながら言った。

「その前はもっとすごかったんだぜぇ!? あのガキ、厨房のど真ん中ですっころんで、器の中身全部ぶちまけやがってよぉ。しかも、そいつがまた見事に料理長の顔面にクリーンヒットしやがってな……ククククッ」

「うそー! もうっ、最初からそっちを見ていればよかったわ!!」

「って。またやりやがったぜ、あいつ! 見てて本当に飽きねぇなぁオイ!!」

「あっはっは……あはははっ!!」


○●○●○●○●

 ――時は、半月ほど前まで遡る。

「そう怖がらなくていいんだぜ……オレは、お前の味方だ」

 突如引きずり込まれた部屋の中で、イザベラは目の前の『エルフ』にそう告げられた。はじめは、何を言われているのかわからなかった。

「あの『窓』を開けてオレを呼んだのは、オメーだろう? オレぁこんな姿だからよ、怖がって騒がれちゃ面倒だと思ってな、こっちへご招待させていただいたと。まぁそぉいうわけだ」

 イザベラは、戸惑いの表情を浮かべた。『窓』? ひょっとして、このエルフは……わたしの<サモン・サーヴァント>のことを言っているの?

「でだ。ちぃと話を聞かせてくれねぇか? 教えて欲しいことがあってな。もちろん、タダでなんて言わねぇ。オメーさえよければ、オレの<力>を貸してやってもいい」

 イザベラは、だんだん落ち着きを取り戻してきた。もともと王族としての教育を受け、さらに『裏』仕事を一手に任される程の実力を持つ彼女である。状況判断は早かった。

 このエルフは、少なくともわたしを今すぐどうこうするつもりはないようだ。それに――わたしさえよかったら<力>を貸してくれるとまで言っている。あの、強大な<力>を持つといわれるエルフが……だ。

 イザベラは、改めてソファーの中央へ腰掛けると、姿勢を正し、目の前の少年に向き直った上で、自ら名乗った。

「わたしは、ガリア王国の王女。イザベラ・ド・ガリア。あなたを呼んだ者よ。よろしければ、お名前を教えていただけるかしら?」

「へぇ……本物の『お姫さま(プリンセス)』だったわけか。オレの名前は王天君。まぁよろしくたのむぜ。ククク、だいぶ落ち着いたみてぇだな。話……させてもらって、かまわねぇか?」

 イザベラは、頷いた。

 そうして、ふたりはお互いに語り合った。イザベラは<使い魔>を召喚するため、それ専用の『ゲート』を開くための呪文を唱えたこと。

 王天君は、突如現れた『窓』によって攫われた、自分の『弟』――『半身』というとややこしいのと、王奕(おうえき)がベースである自分のほうが当然年上なので、太公望を『弟』ということにした――を探していることを告げた。

「あいつが、この世界のどこかにいるのは間違いねぇ。でだ、オメーに<力>を貸す見返りに、情報と食料を提供してもらえねぇか? ああ、寝床は要らねぇ。こんなふうに、自分で用意できるからな」

「それで、あなたが貸してくれる<力>とは、どんなものなのかしら?」

 イザベラは、王天君の<力>を見た。そして驚愕した。それは、部屋中に現れた数十枚を越える『鏡』。いや、正確に言うと『自分の姿が映らない窓』だろう。その中には――王宮のそこかしこで繰り広げられている光景が映し出されていたのだ。

「これが、オレの<力>だ。この部屋は、誰にも見えねぇ。だが、こっちからはこうやって、好きな場所を、好きな時に『窓』から覗くことができる。しかも、相手の声は全部筒抜けだ。どぉだい? オメーが気に入ってくれたんならいいんだがな」

 『使い魔は、自分の目となり、そして耳となる』

 これは、素晴らしい『目』にして『耳』ではないか。イザベラは、すぐさま彼の価値に気がついた。その上で、取引することにした。自分が呼び出した、このとてつもない<力>を持つ者――王天君を相手に。

 その後すぐに、ふたりは交渉を開始した。食料の提供については全く問題ない。その見返りとして、イザベラは職務中以外の時間に、王天君の部屋からいろいろな場所を見せてもらうことを条件とした。

「オレは、絶対にこの『部屋』から出ねぇ。理由は……」

「その姿が目立つから、よね?」

「そうだ。あぁ、できれば口元と耳が隠れるような扇子を用意しておきな」

「それは何故かしら?」

「オレが気付いたことがあったら、オメーの耳元に小さな『窓』開けて教えてやれる」

「そんなことまでできるなんて……あなたって最高よ、オーテンクン!」

「イザベラよぉ。オメーもなかなか見所があるぜ。どうだ? オレ達は……」

「ええ、いいパートナーになれそうね。よろしく頼むわ」

 こうして、彼らは手を取り合い『パートナー』となった。ただし、お互いを尊重するという意味合いで<コントラクト・サーヴァント>は行わないこととした。

「もしも、どっかのバカが『姫様にも使い魔が必要でしょうな』とか言い出しやがったら、オレが『楕円の窓』開けて、そっからフクロウでも飛ばしてやるよ」

「あら、それはいい考えね! その時はお願いするわ。ところで、あなたの好物って何かしら? この国でいちばん腕のいいコックに作らせて運ばせるわ」

 こうして、似た者同士……結構すぐに打ち解けたふたりであった。

 ……で、時は現在へと戻る。

 『窓』の中を見てひとしきり爆笑した後、イザベラは、以前から疑問に思っていたことを王天君に聞いてみることにした。

「ねえ、オーテンクン。思ったんだけど……あなたの<力>で、もっと遠い場所を見ることはできないのかしら?」

 そう。現在『窓』の中に映るのは、このプチ・トロワの中だけなのである。

「できなくもねぇが……まだ『網』を広げてる最中でよぉ」

「『網』って何かしら?」

 イザベラの質問に、爪を噛みながら王天君は答える。

「ああ、蜘蛛の網……っつってもお姫様にはわかんねぇか……この『窓』を開くには、そのための準備が必要でな。今、少しずつそれを作ってんだ。もうちっとでこの建物だけじゃなくて、あの青い城の中も見えるようになるから楽しみにしてな」

「そうだったの……準備が必要だったなら、当然ね。楽しみにしてるわ」

 ……と、その時だった。とある『窓』から、おかしな声が聞こえてきたのは。

「ん、なんだ?」

「あれって、侍女のひとりと……花壇騎士の男、よね」

 『窓』の先に映し出された光景は、所謂『身分の差に屈しない愛』と称した、男と女のラブゲーム。誰もいない部屋の暗がり。ひっしと抱き合うふたり。その先には寝台が――。

「ここで、更に先の展開を見続けることもできるけど……これ以上セクシーな場面を実況したら、ここの年齢制限的にヤバくなくて? オーテンクン」

「ダメ」

「はあ……やっぱりそうよねぇ……つらいわぁ~」

「って、オイ。オメーの部屋に誰か向かって来てんぞ?」

「あらやだ、父上の伝令係だわ。何か指令書でも持ってきたのかしら? それじゃあ、わたしは仕事に戻るわね」

 そう言って、イザベラは『王天君の部屋』から外へ出て行った。

「王族ってなぁどこでも大変だねぇ。ま、オレは今のうちに『網』広げておくか」

 こうして、ふたりはなすべき仕事に取りかかった。


○●○●○●○●

 ――いっぽうそのころ。トリステイン魔法学院のとある一室では。

 金色の巻き毛と、青い瞳を自慢としている少女――モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシが、自室でとある魔法のポーションを調合していた。やせぎすで小柄なその身を椅子にあずけ、無我夢中で壷の中の薬をかき回している。

 現在彼女が調合しているのは、ただのポーションではない。それは、禁断の秘薬。国の法律で、作成と使用を禁じられている『ご禁制の薬』だ。

「まったく、あいつが悪いのよ! な~にが『君が空を舞う姿は、まるで流れ星のようだ』よ! あれだけわたしに愛してるだの、永遠の奉仕者だの言ってたくせに。そうよ、あいつが浮気性じゃなかったら、こんなものを作る必要なんてなかったのに!!」

 香木をすり潰して作った粉薬や竜硫黄、マンドラゴラなどを掻き混ぜた中に、肝心要の秘薬――調合した『香水』を他の女生徒たちに売ることで、こつこつ貯めたお金で購入したそれを、こぼさぬよう細心の注意をはらって、少しずつ壷の中へとたらしていった。

「……ついに、完成したわ」

 モンモランシーは、できあがったポーションを、慎重に手持ちの香水瓶の中へと注いでいく。そしてそれは、余すことなく瓶の中へ収まった。この薬を作るために、彼女は貯金のほどんどを使い果たしてしまった。その額、なんと700エキュー。平民ひとりが、数年間遊んで暮らせるほどの金額だ。

「さて、と。あとは、これをどうやって使うか、よね……」

 モンモランシーがこの薬を作ったのには、理由があった。万が一所持していることがバレたら、国から厳しい罰が科せられると知りつつも、どうにも我慢がならない悩みごとがあったのだ。

 ……モンモランシーの悩み。それは、彼氏の度重なる浮気であった。

 彼氏の名は、ギーシュ・ド・グラモン。ふたりが付き合っていることは、ほぼ公然の秘密状態なのであるが、彼女はギーシュとよりを戻し、交際を再開していることを頑ななまでに認めようとはしなかった――それは何故か。本人のプライドもあるのだが、それ以上に問題なのがギーシュの浮気性だった。彼氏に浮気をされるなど、トリステイン女貴族としての沽券に関わるのである。

 可愛い女の子が近くにいたら、ついつい目をやってしまうのが男の性だから、ある程度は仕方がないとはいえ――時と場合、状況によってそこはグッと耐えねばならないのである。ところがギーシュは、そのあたりがまったくもってわかっていなかった。

 なんと、ふたりっきりで陽当たりの良いベンチに腰掛け、愛の言葉を囁いてもらう。そんな時でさえ、ギーシュときたら目の前を通り過ぎた女性へ視線を移した上に、なんと声までかけてしまうのだ。しかも……。

「あいつ……最近、やたらルイズと一緒にいるのよね」

 現在進行形で交際しているはずの自分よりも、クラスメイトのルイズと過ごしている時間のほうが長いのだ。

 ……あえてここでギーシュの擁護をするならば、彼はルイズと過ごしているのではなく、その使い魔にして護衛である才人と、訓練のために一緒にいる。ただ単に、それだけの話なのであるが……。

「なにが流れ星よ! なにが箒星よ! あの浮気者~ッ!!」

 恋する乙女は盲目とはよく言ったものではある……が。この場合、モンモランシーは同情されてしかるべきであろう。ハッキリ言って、9割方ギーシュが悪い。残り1割はモンモランシーの、トリステインの女貴族特有のプライドの高さから来る『お互いの距離を縮めたいのに、プライドが邪魔をして、つい邪険にしてしまう』性格のせいであろうが。

 モンモランシーは、ここ1週間ほどギーシュの行動を観察した上で考え出した作戦に満足していた。これなら自然に、かつ、さりげなく目的のブツを口にさせることができるだろう……と。

 ――彼女は、作戦を実行すべく行動を始めた。『それ』を手にして。


○●○●○●○●

 ――放課後・トリステイン魔法学院の中庭にて。

 ここ半月ほど、彼ら――太公望、タバサ、ルイズ、才人、キュルケ、ギーシュの6名は、この場所に集ってそれぞれの訓練を行っていた。

 才人は、おもにギーシュと剣の訓練、その後太公望との組み手を。

 タバサは、それを見て『空間の感覚』を磨くべく神経を研ぎ澄ませ。

 ルイズは、箒よりも重いもの――現在は、ふたりがけのベンチを浮かせ。

 キュルケは、最低限の<精神力>でもって、以前と同威力の魔法を撃つ。

 そして、それらが一段落、あるいは休憩している者は、側に置かれたベンチ――ルイズが浮かせているものとはまた別の――に腰掛け、他の者の様子を見ていた。

「ギーシュが休憩に入ったら、さりげなくこのワインを持って行けば……うふふ、我ながら完璧な作戦だわ」

 ――激しい運動をした後で、喉が渇いているであろうギーシュに、例のポーション入りワインを手渡す。これがモンモランシーの考えた『作戦』であった。

 現在ベンチに腰掛けているのは、タバサとミスタ・タイコーボーのふたりだ。いつもなら、ギーシュが戻ってくるのと入れ替わりにタイコーボーは訓練に入る。狙うのは、そのタイミングだ。モンモランシーは、虎視眈々と機会をうかがっていた。

「いよっしゃあ! これで俺の勝ちだ」

「くうっ! もう一撃入りそうだったんだがね……次こそは!!」

 そんなことを言いながら、ギーシュが戻ってくる。今だ! モンモランシーは、グラスを傾けたりしないよう、細心の注意を払いながらベンチへと近付いていった。ところが……ここで、彼女にも。そして当人にも想像だにしていなかった事態が発生する。

「ふむ。だいぶ動きが速くなったのう、才人よ」

「へっへっへー、だろう? お前の顔面に一撃入れるまでもうすぐだ!」

「ワハハハハ、バカめ! そううまくゆくものか!!」

 ……と、太公望は答えたものの。ここ数日の才人の伸びは実際凄まじいものがある。「こやつ、本当に武成王の血を引いているんじゃなかろうか」などと、捏造かました太公望ですら疑いはじめたほどのレベルで成長している。

 未だ顔面どころか、クリーンヒットすら受けていないが、さすがにそろそろお灸を据えてやらないと、また調子に乗り出すかもしれない。最初から泥酔拳で行きたいところだが、今日は酒を持って来ることが出来なかった――厨房の警戒レベルが上昇したからだ――はて、どうしたものか。

 と、そこへ。ひとりの少女が近付いてきた。手にワイングラスを持って。

「おぬし、それはワインではないか!? 悪いがちょっともらうぞ」

 そう言って、太公望は少女――モンモランシーの手にあったグラスを素早く横取りすると、中身を一気に飲み干してしまった。

「ああーッ!!」

 思わぬ事態に悲鳴を上げたのはモンモランシーだ。しかし、まずい。このままここにいたら……『アレ』を飲んだ彼に、自分の顔を見られてしまう! 少女は、慌ててその場から逃げ出した。

「いったいどうしたというのだ? いきなりで驚かせてしまったかのう」

 ぽかんとした様子で、モンモランシーが走り去る姿を見送った太公望。

「どうしたの?」

 そこへ声をかけてきたのは、先程まで隣に腰掛けていたタバサであった。

「ああ、それがの……ッ!?」

 タバサと目を合わせた瞬間。太公望はその場で硬直してしまった。身体から力が抜け、手に持っていたワイングラスを取り落とす。そしてグラスは、そのまま地面へ落ち――パリーン……と、乾いたような音を立てて割れた。

「ううッ、こ、これ……は……」

 太公望は、その薬効に覚えがあった。強引に精神を塗り替えられるような感覚、そして鼻孔に漂ってくる蠱惑的な香りと痺れ……これは、まさしくかの女狐が得意とした<魅惑(テンプテーション)>の術そのものだった。

「ま、まさか、さっきの娘が持っていたものは――!」

 突如地面へと蹲り、頭を激しく振り始めた太公望の様子に、周囲の者たちはただならぬものを感じて駆け寄ってきた。

「おい、大丈夫か!?」

「タイコーボー!」

「何があったんだね」

「ちょっと、しっかりしなさいよ!」

「いったい、どうしたっていうのよ」

 太公望は、必死に<魅惑の術>に抵抗しようともがいた。だが、体内に取り入れるという形でかけられてしまったせいか、いつもであれば耐えられる術に、うまく対応できない。このままではまずい。せめて、タバサに……彼女なら、もしこのまま自分が倒れたとしても、うまく対処してくれるであろう。そう望みをかけて、口を開いた。

「何か薬……おそらく、魅惑系……精神を……書き換え……さっきの娘……」

 ――そこまでなんとか言い残した後、太公望の意識は闇へと落ちた。


○●○●○●○●

「惚れ薬ぃ!?」

「ば、馬鹿! 大声出さないでよ……禁断の薬なんだから」

 ベンチに太公望を寝かせ、キュルケに介抱を頼んだタバサとそれ以外のメンバーは、太公望が言い残した言葉『さっきの娘』という一言を手がかりに、即座にモンモランシーを追い掛け、身柄を確保。現場へと連行した。

 そして、洗いざらい事情を吐かせた。取り調べを担当したのはタバサである。その身に纏う、荒れ狂う吹雪のような雰囲気に飲まれたモンモランシーは、あっさり全てを語った。

 ギーシュの浮気性に悩んでいたこと。そして、高額の秘薬を手に入れ調合し、ご禁制の『惚れ薬』を調合したこと。それを飲ませれば、彼の浮気が一時的にでも治るかもしれないと考えたこと。しかし、ふとした事故で、それを太公望が口にしてしまったことを――。

 ギーシュは感動していた。まさか、彼女がそこまで自分を想っていてくれたとは、これまで思ってもみなかったのだ。

「モンモランシー、そんなにまでぼくのことを……」

「ふんっ、別にあなたじゃなくても構わないのよ! 暇つぶしに付き合っていただけ。ただ、浮気されるのが嫌なだけなんだから!!」

 その台詞に呆れたのは才人とキュルケであった。

「暇つぶしの付き合いに、メチャクチャ高い、しかもご禁制の薬使うんだ?」

「これだからトリステイン貴族は……プライドだけ高くって、自分に自信のない女って、困ったものよね。そうは思わなくて?」

 しかし。そんな彼らのやりとりとは裏腹に、タバサの纏う冷気はどんどんと強まっていった。実は彼女、あるトラウマを抱えているのである。そういう意味で、今回の事件はまさしく『地雷』そのものであったのだ。

「それで?」

 聞く者全てが凍えるような声で、タバサは呟いた。

「それで、って……?」

「彼が飲まされた薬には、具体的にどんな効果があるのか詳しく述べよ」

 モンモランシーは、心の底から震え上がった。こんなタバサの姿は、これまで全く見たことがなかったから。

「の、飲んだあと、いちばん最初に目を合わせたひとに強く魅了される効果があるわ。それ以外は、一切目に入らないほどに」

「……最初にミスタと目を合わせたのは誰だね?」

「おそらくわたし。それから彼は倒れ込んだ」

 そう呟いたタバサの声に、才人は青くなってしまった。

「ヲイ、それマズくねーか。あいつロリコンになっちまうぞ」

「ロリコンって何かしら?」

 才人の言葉が聞き慣れない言葉だったため、質問したキュルケ。

「ロリータ・コンプレックスの略。小さな女の子しか愛せない男のこと」

 うわぁ……と、周囲の空気がなんともいえないものに変化する。しかし、唯一事情を知らないモンモランシーがぽかんとした顔をしていた。

「え? でもミス・タバサと彼って、1つか2つしか違わないでしょう?」

 このモンモランシーの言葉を聞いた彼らは、互いに目を見合わせ……そして、頷き合った。事情が事情だ、この際仕方がないだろう。

「彼は、見た目通りの年齢ではない」

「子供みたいな顔してるだろ……あれで27歳なんだぜ……」

 馬鹿ねえ、人を担ぐのもたいがいにしなさいよ。そう言って軽く笑ったモンモランシーは、周囲の様子に気がついた。皆、一様に黙り込んでいる。

「冗談……よね?」

「冗談だったらどれだけ良かったか」

「嘘よおぉぉぉおおおおお!!!!」

 ……と、そんなモンモランシーの大声で気がついたのか、太公望がベンチの上で身じろぎすると、ゆっくりと上半身を起こした。

「なぜだ……? どうしてわしは、こんなところで寝ておったのだ」

 うげ、起きちゃったよ……そんな空気が辺りを支配する。だが。

「どうした? みんな揃って。わしの顔に何かついておるのか? しかし、いつのまに寝ておったのだろう……最近の疲れが溜まっておったのだろうか」

 そんな彼の様子は、普段と全く変わりがないように見える。

「もしかして、効いてない?」

「そんな馬鹿な! わたしは調合に失敗なんてしてないわ!!」

 試しにタバサが近付いてみても。

「うーむ。今日は早めに休んだほうがよさそうだ。かまわぬか?」

 などと聞いてくる始末。どこからどう見ても、普段と変わらぬ太公望だ。

「もしかすると、ミスタのことだから<抵抗>に成功したんじゃないかしら」

 安心したわ……と続けたルイズの言葉に、全員が心から同意した。だが……その穏やかな空気は、太公望が発した次の台詞によって粉々に打ち砕かれることとなる。

「そろそろ日も陰ってくるであろう。さあタバサ、兄と一緒に部屋へ戻るのだ」

 ――ん? 今、タイコーボーさん何て言いましたカ? 全員が石になった。

「タイコーボー、今、何て言ったの?」

 タバサは、震える声でそう訊ねた。

「む? どうしたのだタバサ。いつもは兄さまと呼んでくれるではないか。それはともかく、部屋へ戻ろう。おぬしが風邪でもひいたら困る」

 ……全員、石から青銅に変化した。そんな空気を察することなく、どうしたのだ、皆も早く戻ったほうがいいと思うぞ。などと言葉を続ける太公望。

「あきらかに惚れ薬が効いているみたいね……方向性がおかしいけど」

 キュルケの言葉に、相変わらず嘘よー! と、絶叫するモンモランシー。と……そこへまた才人が余計な一言を付け加えた。

「まさか、タイコーボーってシスコンだったのか!?」

 唖然とした才人。これまた聞き慣れない言葉に、今度はギーシュが反応した。

「シスコンとは何だね?」

「シスター・コンプレックスの略。妹とか姉のことを溺愛する奴のこと」

 そんな発言をよそに、タバサへ向かって「安心してよいぞ、全てこの兄に任せるのだ!」などと言い続けている太公望を見た一同は、こう思った。

「……シスコン?」

「シスコン……」

「シスコン!!」

 だがしかし。タバサだけが、その流れに乗っていなかった。

 ――今、わたしの目の前にいるタイコーボーは。いつもの彼ではなくなってしまった。よりにもよって……『薬』のせいで。

 タバサの心は凍り付いた。その後……激しい怒りに囚われた。それは、ここ数年の間、ついぞ感じたことのないほどに大きなものだった。この瞬間、モンモランシーが踏み抜いたものは『地雷』から『大型地雷』……いや『核地雷』へと変化した。

「早く彼を元通りにして」

 静かに。だが、内に激しい怒りを込めてモンモランシーへ通告する。

「い、いいじゃない別に。優しいお兄さんができたと思えば……ひっ」

 タバサの纏う空気が変化した。彼女は無表情のまま<ルーン>を紡ぎ始める。

「か、解除薬を作るには、とっても高価な秘薬が必要で……」

 顔を引きつらせながら後ずさるモンモランシー。だが、そのときタバサの呪文が完成した。彼女の得意な<氷の矢>。これまで3本まで同時に撃つことができていた魔法。しかし今、タバサの周囲に漂っているのは――その数、なんと20本。

 ……そう。タバサはこの怒りで『スクウェア』へのランクアップを果たしたのだ。

 そんなタバサを見たモンモランシーの全身に、嫌な汗が流れ始める。彼女はじりじりと後ずさりしながら叫んだ。

「で、でも、それを買うだけのお金がないのよ! 本当よ!!」

「いくら必要なの」

「ご、500エキュー……」

 その言葉に、いまいち金銭感覚のない才人以外の者たちは戦慄した。

「大金じゃないか……ぼくらの小遣いじゃ、とても足りないよ」

「たしかに、ぽんと出せるような金額じゃないけど……なんとかしないと、あなたタバサの『アレ』で穴だらけにされるわよ?」

「だ、だからね、効果が切れるのを待てば……」

「それはいつ?」

 <氷の矢>を待機させたまま、タバサは問うた。

「個人差があるから……だいたい1ヶ月か……1年ぐらい」

「長すぎだろオイ! なんとかしろよモンモン!!」

「誰がモンモンよ!!」

 ――結局。この場にいる全員から借金をして必要な材料を購入し『解除薬』を作る。そうタバサと約束することによって、どうにか『穴だらけ』にならずに済んだモンモランシーは、涙した。どうしてこんなことになったのだろう……と。

 最終的に、彼女に「全部あんたのせいよ!」という叫びと共に、頬を張られたギーシュであったが、これはある意味自業自得であろう。


○●○●○●○●

 ――いっぽう、そのころ『王天君の部屋』では。

「なんだ、その紙っ切れはよぉ」

「ああ、お父様から寄越された指令書よ。なんでも領内にあるラグドリアン湖っていう湖の近辺で、精霊が悪さをしているみたいだから、それを鎮めてこられるような部下を出して対処しろ、ですって。ふふん……これはあの『人形娘』にピッタリな『任務』だわ」

 ほくそ笑むイザベラに、王天君は訊ねた。

「なんだぁ、その人形娘ってぇのは?」

「ああ、まだ言ってなかったわね。あたしの従姉妹なんだけど……今は部下として使ってやっているの。人形みたいに表情がない娘でね、ちょっと魔法が上手いからって、それを鼻にかけて、しかも周りにちやほやされていい気になってたのよ。だけどね……」

 ププッ……と吹き出したイザベラへ、怪訝な表情を浮かべた王天君。

「<サモン・サーヴァント>に失敗して、なんと人間を呼び出しちゃったのよ。それも……異国のメイジをね。あれはおかしかったわ。いつもひとを見下してたくせに、いい気味!」

 そう言って笑うイザベラに、王天君は静かに語りかけた。

「なあ……イザベラ。その人形娘とやらが呼び出した『人間』について、オレに詳しく教えてくれねぇか」

 ――こうして。歴史の『道』は、再び交差するべく動き出した。



[33886]    第23話 女王たるべき者への目覚め
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/08/12 20:16
 ――太公望が『惚れ薬』を飲んでしまってから、2日が過ぎた。

 解除薬を作るべく、モンモランシーとその手伝いとして連れ出されたギーシュは、秘薬の材料を求めてトリスタニアの街を駆けめぐっていた。それ以外のメンバーはというと、今の太公望から目を離すのは危険だということで、魔法学院に残っていた。

 ……そして、その太公望はというと。

 タバサのことを『妹』だと思い込んでいるような行動をとる以外は、とりたてて問題を起こしたりするようなことはなかったのだが……2日目の放課後。ほぼいつものメンバー――太公望、タバサ、キュルケ、ルイズ、才人が集まって、中庭に置かれたテーブルにつき、午後のお茶を楽しんでいた時に、それは起きた。途中までは、単なる世間話をしていただけだったのたが……その際に、

「タイコーボーの国の話を聞いてみたい」

 と、いう流れになり。そこで、キュルケがタバサに頼み事をしてみたのだ。

「ねえ、タバサ。もちろん彼が話せる範囲でいいから、何か聞いてみてよ」

 ……と。

 タバサは困った。今彼女が何かを頼めば、きっと太公望は嘘をつくことなく何でも教えてくれるだろう。しかし『惚れ薬』の効果を利用して何かを聞き出すような真似は、絶対にしたくないというのが彼女の本音だった。

 とはいえ、親友の頼みを邪険にするわけにもいかないし、正直なところ、太公望の国に対して全く興味がないと言ったら嘘になる。それならば……話しても全く問題がないような、当たり障りのない内容を聞いてみればいいだろう。そう判断したタバサは、その『願い』を口にした。

「タ……兄さま。お願いがある」

「なんだ? タバサの頼みなら、わしはなんでも聞いてやるぞ」

 この言葉、実は初日の時点で太公望の口から出続けているものなのである。『惚れ薬』が、国の法律で作成及び所持を禁止されるわけだ。ある意味、飲ませた者を完全に『操り人形』にしてしまうのだから。よって、その怖ろしさに早々に気付いていた彼らは、絶対に太公望が明かしたくないであろう内容に踏み込むような真似はしていなかった。

「兄さまは、ここへ来る前に旅をしていたと聞いた。その時の話をして」

 タバサの願いに、周囲も賛同した。

「あら、それはいいわね! あたしも是非お願いしたいわ」

「俺も! それならタイコーボーも話せるだろ?」

「わたしも、東方の話を聞いてみたいわ!」

 彼らの声に、笑顔を見せた太公望は、それならもちろん構わないぞ――と、前置きをした上で、当時の話をし始めた。

「そうだのう、あちこち見てまわったのう。知り合いの両親に挨拶回りをしたり、果樹園に潜り込んでみたり、暇を持て余した最強の<雷>の使い手から、いきなり一騎打ちを申し込まれそうになったり……」

 思い出すように語る彼の話に、身を乗り出す一同。

「ああ、そうそう。王宮も見に行ったな、そういえば」

「へえ、いいわね」

「いやあ、愉快であったぞ。久しぶりに国王や補佐官たちの顔を見にいったのだがな、滅茶苦茶忙しそうだったので、連中の執務室の隣に敷物をしいて自分専用コーナーを作ってな、その中で思いっきりごろごろだらだらしてやったのだ。見せつけるようにのう。ついでに、食い物まで要求してやったわ」

 そう言って、ワハハハハハ……と、大笑いする太公望の台詞に、全員が固まった。

「いや、ちょっと待て」

「なんだ才人」

「王さまの側でだらだらって……怒られるとかそういうレベルじゃねーだろ?」

 なあ? と、全員に賛同を求めるように視線を動かす才人。激しく何度も首を縦に振る一同。だがしかし……太公望の口から飛び出したものは、まさしくそんな彼らをあざ笑うような内容であった。

「馬鹿を言うでない! あやつがこのわしを怒ったりなどできるものか!!」

 ニヤニヤと笑いながら、太公望は続ける。

「そもそも、あやつが即位する以前から、わしはさんざん面倒を見てやっていたのだ。あの男は、昔っからとんでもない女好きでな! 王位を継ぐ前は、しょっちゅう城を抜け出しては、そこらじゅうの娘を見境なくナンパしまくりおって……いやはや、わしをはじめとした王宮にいた者たちは、さんざんに手を焼かされたのだ」

 遠い目をして、空を見上げる太公望。他の者たちは、声を出すこともできない。

「そのうち怒るのもアホらしくなったのでな、一緒に街へ出かけるようになったのだ。で、屋台をひやかしてみたり、賭けレースに興じたり、民たちと一緒に居酒屋巡りをしたり……そこへ武成王殿が、息子たちを引き連れてやってくるのがお約束になっていたほどなのだ。もちろん、混ぜろと言ってな。そうしてみんな一緒に、飲めや唄えの大騒ぎをしていたのだよ」

「ず、ずいぶんフランクなかたでしたのね、お国の王は」

 ようやく声を絞り出すことに成功したキュルケに、太公望は「ああ、うちは堅苦しいのが嫌いな連中が集まっていたのだ」と、答えた後、再び語り始めた。

「で、宴もたけなわというあたりになると、ようやくわしらが城からいなくなったことに気付いた宰相殿がすっ飛んできてな。特大のハリセンで酔ったわしら全員をはり倒して、城まで引きずり戻す……と。これが、ある意味王都の名物行事になっておったのだ」

 もしやすると、あの宰相殿こそが国内最強であったのかもしれぬのう。いやはや実に懐かしい……そんな風にあきらかにヤバイ昔話を語る太公望に、待ったをかけたのはタバサであった。

「に、兄さま、もういい。ありがとう、楽しかった」

「そうか、それならばよかった」

 にっこりと笑った太公望は、それきり話をやめると、ふいにタバサのティーカップが空であることに気がついた。

「む、茶がないではないか。どれ、このわし自ら厨房へ取りに行ってこよう」

 そう言って席を立った太公望の後ろ姿を見送った残りのメンバーは、あまりのことに呆然とした。

「いい、いまの話……ほ、本当なのかしら」

「タバサが聞いたことだから、たぶん本当なんだろうナ」

 カタカタと震えるルイズと、その横で固まっている才人。確か、元は将官だったという話は聞いていたが――よりにもよって、自国の王とそこまで親しい仲だとは、想像だにしていなかったのだ。と、いうかそれが普通だ。

「ねえ、タバサ。今更なのかもしれないけれど」

 口を開いたキュルケの顔は、真っ青だった。

「彼、実はものすごく身分の高い方なんじゃないかしら? まさかとは思うけど、ロバ・アル・カリイエの国王の身内で、それも王弟殿下なんてことは……それなら、あの若さで中将ってことも、大きな宝玉つきの杖を持っていることも、さっきの話にも納得できるんだけど……」

 ……ありえる。タバサは思った。彼が王族ならば、あの驚くべき教養の高さも、聴衆をコントロールする話術の巧みさについても、これまでの行動も……全て理解できる。そんな人物が、若くして中将という高い位に就いていたというのは、ある意味当然のことなのだ。何故なら王族は、戦時下において自軍を統率する立場に置かれるからだ。

 タバサは、なんだか目眩がしてきた。

「な、なあ、みんな。治るまで、閣下に話聞くのやめようぜ」

「心から賛同する」

「そうしたほうがいいと思うわ。話を振ったあたしがいうのもなんだけど」

「わたしも賛成……なんだか怖くなってきたわ」

 ――そこらじゅうに散らばった、しかも目に見える『地雷』をわざわざ踏み抜きたくない。今聞いた話は、他の人間には絶対内緒にしておこう……そう呟いた彼らは、以後静かになった。太公望がティーセットを持って戻ってきた後も、それは変わらなかった。

 しかし。そんな彼らの気持ちをあざ笑うかのように、事件は起きた。

 それは――空からやって来た、一羽の伝書フクロウ。タバサのもとへ舞い降りたその足には、以前と同様、書簡がくくりつけられていた。タバサの顔が、瞬時にこわばる。そして、書簡の中身を見た途端……凍り付いた。

「しばらく留守にする。兄さま、わたしと一緒に来て」

「うむ、わかった」

 立ち上がり、部屋へと戻ろうとした彼らふたりだったが、ふいにタバサは後ろを振り向くと、キュルケたちにこう頼んだ。

「モンモランシーたちが戻ってきたら、急いで『解除薬』を作るよう、見張っていてほしい。わたしたちは、どうしても行かなければいけない用事ができた」

「そ、それはかまわないけど……」

 太公望を連れて行っても大丈夫なのか? そう言いたげな彼らへタバサは答える。

「彼が指名されている。どうしても連れて行かなければならない」

 そして、タバサと太公望は急いで部屋へ向かい、準備を始めた。学院から少し離れた場所に、迎えの風竜が到着するという時間まで……あと少ししかない。改めて『指令書』を見たタバサは、それを手でグシャッと強く握りつぶした。

 そこに書かれていた命令、それは。

 『出頭せよ。その際、件の<使い魔>を同行させること』


○●○●○●○●

 ――ガリア王国の王都郊外にある、壮麗なヴェルサルテイル宮殿。その一画に建つ小宮殿プチ・トロワの謁見室で、イザベラは従姉妹がやって来るのを待ちわびていた。より正確に言うならば、従姉妹が<使い魔>とした男の到着を。

 ……時は、少しだけ遡る。

「ひょっとすると……そいつが、オレが探し求めていた相手かもしれねぇ」

 『王天君の部屋』の中で、部屋の主がそう言ったとき……最初は、彼が何を言っているのか、イザベラにはわからなかった。だが。

「オメー、そいつの顔……見てるんだろ?」

「え、ええ、もちろん。それが――――ッ!?」

 イザベラが全てを言い終える前に、王天君はそれまで被っていた帽子を脱いで見せた。それがゆえに……イザベラは、先を続けることができなかったのだ。

 長い耳に、青白い肌。だが……彼の顔をよくよく見てみると。それ以外の部分は、従姉妹が連れていたあの使い魔と、瓜二つ――まさしく合わせ鏡のようであったから。イザベラはそもそも王族だ。よって、他人と接することが多く、また、大勢の人間の顔を覚える必要がある。だからこそ、しっかりとその特徴を記憶していたのだ。

「ま、ま、まさか、あ、あの子って……」

「やっぱりそうか。そうだよ、そいつこそがオレの『弟』なのさ」

 イザベラは、驚愕した。あの……まるで害のなさそうな、それでいて礼儀しらずな田舎者と馬鹿にしていた子供が、自分の『パートナー』が話していた『弟』だとは。だとすると、彼は……。

「気がついたみてぇだな。そう、あいつはオレと同じだ。『人間』じゃねぇんだよ。ま、見た目はあの通りだから、だぁれも気付いてねぇようだがな」

「まさか、先住魔法で姿を変えているというの?」

「いや、素の状態があれなんだよ。だから、いつもあいつが『表』にして『光』。外に出て、前面に立って仕事をする。そして、オレが『裏』にして『闇』。あいつの影に徹して、背後から手伝う。長ぇことそうやってきたんだ」

 そう言って、深いため息をついた王天君を見たイザベラは思った。どうして彼と、こんな短期間で打ち解けることができたのか……ようやく理解できた。彼はわたしと同じく、いつも『表舞台』を支える『裏の世界』にいたからなのだ。

 ――まばゆく輝く『光』を羨む『闇』として。

「一時は、なんであいつばかりがイイ思いをするんだ、そう思って恨んだこともあったよ。だがなぁ、今じゃあもう和解して、それなりにうまくやってたんだ。にも関わらずよぉ、どっかの人形姫とやらが、いきなりあいつを……オレから引き剥がしやがったんだ」

 ギリッと爪を噛み、怒りを顕わにする王天君。

「もっとも、あいつのことだから『ご主人さま』にも正体隠してすっとぼけていやがるんだろうがな。ともかく、犯人はわかった……だが、念のため確認だけはしておきてぇな。これからその女を呼ぶんだろ? その時、一緒にあいつを連れてくるように命令してくんねぇか?」

「ええ、わかったわ。わたしとしても警戒しないといけないし」

 そのイザベラの言葉を聞いて、王天君は高笑いした。

「ああ、オメーに危害を加えるとか、そういう警戒をする必要はねぇぜ。あいつはマジでイイコちゃんでな、戦争ごっこが大嫌いときてる。特に、人間同士の戦いになんか絶対干渉しやしねぇよ。それだけは保障しといてやるぜ」

 ――ただし、裏ではいったい何考えてるのかわからねぇけどな。そう、王天君は心の中で付け加える。

「それにしても……まさか『失敗』じゃなかっただなんて」

「通常は人間が呼び出されるなんて、ありえねぇ……ってぇ意味か?」

「ええ。だからこそ『失敗』とか『事故』だって思い込んでいたのよ。念のため、トリステインに潜り込んでいる間諜に、気取られない程度に噂を集めさせていたんだけど……その情報によると、魔法学院側も『事故』扱いしていたのは間違いないわ」

「……ってことはだ。やっぱりあいつ、正体隠してやがんな」

「じゃあ、彼もあなたと同じエルフで……見た目通りの年齢じゃないのね」

「オレたちはエルフとやらじゃねぇよ。ただ、見た目通りの年齢じゃないってぇのは正解だ。少なくとも、あいつは100年近く生きてるぜ」

「う、嘘おッ!!」

 あたしと同じかそれ以下にしか見えなかったのに! そう言って慌てるイザベラの姿を見ながら、王天君は笑って告げた。

「オメーのことだからわかってるたぁ思うが、念のため言っとくぜ。こっちが気づいてるってことを、向こうに悟らせんなよ?」

「ありがと。忠告、しっかりと受け止めておくわ」

「ククッ……それでいい。やっぱオメー見所あるぜ」

「あら。あなたこそ、とっても素敵よ? オーテンクン」

 そう言って笑い合ったふたりは、従姉妹姫に送る指令書の文面を検討し始めた。


○●○●○●○●

 ――そして現在。謁見の間にて、イザベラは従姉妹姫到着の報を受け取った。

 そして見た。問題の男を。やはり似ている……イザベラは、驚きの表情を表へ出さぬよう気を引き締めた上で、そっと例の羽根扇子を広げた。

「どう? 間違いない?」

「ああ。だが、なんだか様子がおかしい。探ってみてくれ」

 イザベラは、改めて王天君の『弟』を見た。確かに、前回見たときのそれとは違っている。あんなに落ち着きのない態度を見せていた彼が、今はただ……静かに従姉妹姫の後ろへ、まるで付き従うように控えている。

「あら、どうしたんだい使い魔さん。今日はずいぶんと静かだね」

 だが。彼は全く反応を見せない。じっと静かに、そこへ立っている。

「どうしたの? もしかして、ご主人さまに遠慮しているのかい?」

 そう言っても、彼は全く答えようとしない。

「なぁ、前もああだったのか?」

「まさか。めちゃくちゃ五月蠅かったわよ」

 小声で確かめてきた王天君へ、これまた小さな呟きで返すイザベラ。その返事を受け、王天君は改めて己の『半身』――太公望を確認した。たしかに奴だ、それは間違いない……だが。その顔を、いや、正確には目を見て王天君は心の底から驚いた。何故なら、太公望の瞳に宿っていた『光』が――完全に消えていたからだ。

「おい。もしかして、ここには人間の心を操るような魔法があるのか?」

「あるわ。禁呪扱いになってるけど」

「ありえねぇ……あいつ、精神系の攻撃にはめっぽう強ぇんだぞ!? それなのに、あきらかに操られて、完全に正気を失ってやがる。そこをちぃとつっついてみな。『人形姫』さまに」

 王天君の言葉を聞いたイザベラは驚いた。だが、それを外へ出さぬよう必死に抑えると、他人に見えないよう王天君に頷き、今度はタバサへと言を向ける。

「あら? 彼……ずいぶん大人しくなったじゃないのさ。どうやって『しつけ』をしたんだい? 是非今後の参考のために聞かせておくれよ、シャルロット。まさかとは思うけど……<制約(ギアス)>でも使ったのかい?」

 その言葉に、ビクリと震えるタバサ。彼女は、ここにきてようやく悟った。この城に立ち入る前に、太公望へ頼んだ『お願い』が完全に裏目に出てしまった――と。

「兄さま、お願いがある」

「なんだ? 何でも聞いてやるぞ」

「お城の中にいる間は、何があっても絶対に静かにしていて欲しい。たとえ、わたしが何をされても。お願い」

「……わかった。タバサがそういうのなら、そうする。ただし、命に関わるような危険があった場合は、その限りではないからな」

「その時はお願い」

「わかった、全てこの兄にまかせておくのだ」

 ……そして。太公望はタバサの言うとおりに静かにしている。イザベラから質問を受けても、何一つ答えない。今から『お願い』を変えたところで、もう遅いだろう。

「おやおや……まさか、本当にやっちまったのかい?」

 騒然とする室内。側に控えていた召使いたちが、驚いているのだ。それも当然だろう、なにしろ<制約>は禁呪である。国の法律で、使用を固く禁じられているほどなのだ。そんな従姉妹の様子を見て、イザベラは再び小声で王天君に語りかける。

「どうやら当たりっぽいわ」

「マジかよ……あいつを操ってるだとぉ!? クソッ……許さねぇぞあのガキ」

 怒りを含んだ声で呟いた王天君は、すぐさまイザベラに何やら耳打ちをする。それを聞いて思わずニヤついたイザベラは、彼が告げた言葉を、そのままタバサへと投げつけた。もちろん……憎らしいまでに満面の笑みを浮かべて。

「ふうん……『人形姫』らしい振る舞いだねぇ。『おともだち』が欲しくなったから、いうことを聞くように『感情』を奪ったってことかい」

「違う。<制約>なんかじゃない。これは事故で……」

「へえ、また『事故』。よく続くもんだねえ」

 ――そのイザベラの発言に、タバサは思わず反応してしまった。

「わたしが飲ませたんじゃない。今、元に戻すよう手配している」

「飲ませた!? まさか……よりにもよって『魔法薬』を!?」

 再び謁見の間がざわめいた。これも当然である。<制約>と同様に、心を操る類の薬品類は、その使用を法律で制限されている。しかも、シャルロット姫――タバサには深い事情があり、万が一にも『魔法薬』など使うはずがない。それは、宮廷貴族の多くが知っている。であるからして、実際にこれは事故なのだろう。だが……。

 騒然とした室内の中で、タバサはひとり小さな身体を震わせていた。いつもは全く感情を見せなかった少女の瞳から……ぽろぽろと涙が流れ落ちる。

 そんな従姉妹の姿を見たイザベラの脳裏に、ふと閃くものがあった。先程提示された、王天君の言葉に繋がるものを。そして、実に嫌味ったらしい声で、それを解き放った。

「なるほどねえ。感情のない『ガーゴイル姫』は、呼び出した使い魔から『心』を奪い取って、自分のものにした……そういうわけかい。『パートナー』として、実に素晴らしい対応じゃないか、ねえ? お前たちもそう思うだろ!?」

 そう言って謁見の間を見渡すと、高笑いするイザベラ。

「ククッ……いい追撃じゃねぇか。オメーやっぱセンスあるぜ」

「お褒めにあずかり恐縮ですわ、ジェントルマン」

 小声でやりとりする王天君とイザベラ。このふたりが組むのは実に危険である。ある意味、それを象徴した場面であった。

 そして、涙を流す従姉妹姫の姿を思う存分堪能したイザベラは……タバサたちに『任務』を言い渡した。

 『ラグドリアン湖の水位が上がったと、平民たちから訴えが届いている。この件について湖周辺を調査の上、水位が元に戻るよう働きかけよ。戻らない場合は<水の精霊>との戦闘を行い、これを鎮めること』

 ――その後。「いい仕事した!」と、実に満足げな笑みを浮かべて自分の部屋へ戻ったイザベラに、王天君が『自分の部屋』から呼びかけた。

「おい、オレぁこれからあいつらを追い掛ける。オメーもついてくるか?」

「えっ、そんなこともできるの!?」

「ああ、あいつが側にいるからな。どうする?」

「もちろん! こっちからお願いするわ」

 ――こうして。『部屋』から新たな『道』を展開した王天君は、イザベラを伴い、太公望たちの後を追うこととなる。事態は突然、まるで傾斜の厳しい坂道を転げ落ちるように、急展開を遂げていった。



[33886]    第24話 六芒星の風の顕現、そして伝説へ
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/08/12 20:17
「おのれーッ、なんなのだ、あの意地悪娘は!!」

 新たに受けた任務、その舞台となるラグドリアン湖へと向かう道中。跨った風竜の上で――太公望は怒り狂っていた。彼は、先程まで王宮の謁見室で繰り広げられていた光景に、心の底から憤っていたのである。

「もしもタバサに『静かにしていて欲しい』と頼まれておらなんだら、あの小憎たらしい姫を、わしの<風>の最大出力でもって、城ごと次元の狭間まで吹き飛ばしてやったというのに!」

 ぐぬぬぬぬ……と、両手を固く握りしめ、悔しげに何度も何度も唸り声を上げる太公望を見て、タバサは思った。あのような結果になってしまったが、やはり静かにしておいてもらって正解だったのかもしれない……と。

 ――いっぽう、彼らを追いつつ『窓』を眺めていたイザベラと王天君はというと。

「ね、ねえ。人間に危害は加えないんじゃなかったかしら?」

 少し青ざめた顔で、そう訊ねたイザベラに。

「まぁ、そうなんだけどよぉ。今は操られて、おかしくなっちまってるからなぁ。オレだって、あいつがあんなに怒るところなんて、久しぶりに見たんだぜ」

 と、返した王天君だったが……実のところ、彼は内心驚いていた。普段は飄々としている太公望が、あそこまで怒りの感情を露わにするなど、めったに無いことだったのだ――自分がちょっかいをかけた時を除けば。

「城ごと吹き飛ばすとか言ってるけど、まさか……冗談よね?」

 怯え顔のイザベラを見て、王天君は意地の悪い笑みを浮かべた。

「あいつが本気で暴れたら、城どころか、リュティス全体が1時間以内に、跡形もなく消し飛ぶぜぇ? そのくらいの<力>の持ち主なんだ」

「そ、そんな! 嘘でしょ!?」

「嘘なもんか。実際、あいつがちょろっと起こした竜巻で、森がまるごと吹っ飛んだこともあるくれぇだぜ? まぁ、そういうわけでだ。普通の状態なら絶対そんなこたぁやらねぇだろうが、今は別だ。落ち着くまでは、あんまり突っつかないほうがいいぜ」

「わ、わかったわ……」

「ま、ある意味珍しいものが見られるし、それはそれで面白ぇかもしれねぇけどな」

 そう言って暗い笑みを浮かべた王天君を見て、イザベラは凍り付いた。彼は、自分のことをエルフではないと言っていたが、もしかすると……竜族の中に『韻竜』と呼ばれる上位種がいるように、エルフの中でも特に強力な亜種なのかもしれない。イザベラは、内心で密かに誓った。

 ――あの男の前で、シャルロットを虐めるのはほどほどにしておこう、と。

「見えてきた」

 『窓』の外から聞こえてきたタバサの声で、ふたりは眼下を眺めた。その先には――ハルケギニアでも名高い名勝にして、最大の湖『ラグドリアン湖』が広がっていた。

 器用に手綱を操り、湖岸から少し離れた場所に風竜を着陸させたタバサは、早速湖の中を調査すべく、杖を掴んだ。空気の球を作り、その中に入って湖底を歩こうというのだ。

「む、タバサよ。おぬし、何をするつもりだ?」

「湖の中を見に行く」

「わしも行くぞ」

「わたしひとりで大丈夫。兄さまはここで待っていて」

「だめだ! 妹をひとりで行かせるなど、兄のすることではない!!」

 普通の状態ならばともかく、薬の影響で明らかにおかしくなっている彼を湖底へ連れて行ったりしたら、何が起こるかわからない。そう考えたタバサは、仕方なく『お願い』をすることにした。

「兄さま、お願いだからここで待っていて。大丈夫、本当に危険はない。わたしはただ、湖に入って中の様子を見てくるだけだから」

「うぬぬぬぬ、そうか。おぬしがそこまで言うなら仕方がない。ならばわしは、ここで釣りをしながら待っているぞ」

 太公望は渋々ながらそう言うと、懐から針と糸を取り出した。

「それが……釣り針?」

 タバサが疑問に思うのも、無理はない。なにせ、その針は『まっすぐ』で、鉤の部分がない。どう見ても釣り針ではなく、ただの縫い針なのである。

「うむ。これはな、わしの親友からの贈り物なのだ。釣り好きなわしへくれた、とても大切な……思い出の品なのだよ」

「でも、その針では魚が釣れない」

「ああ、そのことか」

 太公望は『打神鞭』の先に、釣り糸をぐるぐると括り付けながら、タバサに説明を始めた。

「わしは、魚を食べない。それなのに、普通の釣り針を使って魚を釣ってしまったら……傷をつけてしまうであろう? だから、このまっすぐな針を水に垂らしておるだけなのだよ。まあ、これも一種の『瞑想』だのう」

 タバサは思った。ああ……このひとは、本当に優しい、争いごとが嫌いなひとなのだ。魚を傷つけることすら躊躇い、それを知る友人が、あのような針を贈るほどに。そんな人物が、将官として兵を率いるなど……いったいどれほどの苦痛だったのだろうかと。そして、知りたくなった。どうしてそんな心優しい彼が、あえて軍などに所属したのかを。

 その過程で、自分が呼び出した使い魔が、実は遠い異国の王族かもしれないという説を思い出してしまったタバサは、いったんそれを頭の外へ追い遣ることにした。まずは目の前の任務に集中しなければならない。気を散らしては命に関わると、己の心に言い聞かせて。

 ――そこから空間を隔てた『部屋』の中では。

「……な? ああいうやつなんだよ、あいつは」

「本当にイイコちゃんなのね……」

 『窓』を介して、彼らは見守った。タバサが『湖』の中へと入っていく姿を。


○●○●○●○●

 ――タバサたちがラグドリアン湖へ到着した、その日。魔法学院では、モンモランシーと居残り組たちの間で、ひと悶着が起きていた。

「解除薬が、作れないですってぇ――!?」

「仕方がないじゃない! 材料の秘薬が、どこへ行っても売り切れだったんだもん」

 キュルケとモンモランシーが、大声で怒鳴り合っている。なんでも『惚れ薬』を解除する薬を作るために絶対に必要な秘薬である『水の精霊の涙』が、全ての店で完売。しかも、入手は絶望的なのだという。思い余って闇市場まで足を運んでみたものの、そちらも空振りに終わったのだとか。

「そもそも『水の精霊の涙』はね、水の精霊から直接譲り受ける必要があるんだけど……お店のひとが言うには、ここ最近彼らと全然連絡が取れないんですって」

「そのせいで、秘薬が入荷されないってことらしいよ」

 ギーシュが横から口を挟んだが、今は誰も彼の言葉を聞いてなどいなかった。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! それじゃあ、ま、まさか……ミスタ・タイコーボーは、最悪1年近くあのままだっていうの!?」

 ルイズは真っ青になった。例の『もしかすると彼は東方の王弟殿下かもしれない』説を聞いていた彼女にとって、それは恐怖以外の何物でもない。それがなくとも、自分の恩人が『魔法薬』のせいでおかしくなってしまったことに、耐えられなかった。

 キュルケが、腕組みをしながらモンモランシーに訊ねた。

「その水の精霊は、普段はどこにいるのかしら? 連絡が取れないなら、こっちから会いにいけばいいんじゃないの?」

「ええーッ、そんなあ。授業はどーすんのよ」

「授業なんて、後でも受けられるでしょ!? 今は、解除薬を作るほうが大切よ!」

「これ以上授業をサボるなんて、わたし嫌よ。だいたい、水の精霊は滅多に人前に姿を現さないし、万が一彼らを怒らせたりしたら、それこそ大変なことになるわ」

 才人は、ぶつくさと文句を言うモンモランシーをジロリと睨んだ。

「なあ、モンモン。これが国のエラーイひとに知られたら、どうなるだろうな? 他の国の人間に、ご禁制の薬を飲ませたとか。間違いでしたじゃ済まねぇぞ?」

 それを聞いたモンモランシーの顔から、すっと血の気が引いた。とどめとばかりに才人は静かにモンモランシーの側へ近寄ると、彼女の肩をポンと叩いた。

「臭いメシ食うか? モンモン。それとも、俺たちと一緒に精霊探しに行くか?」

 モンモランシーは、才人が暗に匂わせた言葉の意味を悟り、震え上がった。彼女が国の法律を破り、禁断の魔法薬を作ったのは間違いない事実なのだ。もしもこれが学院側に漏れたら、ただでは済まない。ここで下手を打てば、退学コースまっしぐらだ。

「わ、わかったわよ! 行けばいいんでしょ、行けば!」

「なに、このぼくが付いていけば怖いものなどないよ。モンモランシー」

 気障な仕草でそんな台詞を吐きながら、ギーシュは彼女の肩を抱こうとしたのだが。

「そんなの、気休めにもならないわ。あなた弱っちいし」

 あっさりと振り払われた。

「ところで、水の精霊ってどこに行けば会えるんだ?」

「トリステインとガリアの国境付近にある、ラグドリアン湖よ」

 一同は、顔を見合わせると――頷き合った。


○●○●○●○●

 ――その翌日。

 才人たち一行は、まだ日が高いうちにラグドリアン湖に辿り着いていた。秘薬を手に入れるのは、できる限り早いほうが良いと判断した彼らは、朝、ニワトリが鳴く時刻よりも前に学院を出てきたのだった。

「ここがラグドリアン湖か! いやあ、実に美しい場所じゃないかね」

 丘の上から見たラグドリアン湖は、どこまでも青く透き通り、眩しかった。湖面は陽の光を受け、きらきらと光り輝いている。ひとりだけ旅行気分のギーシュが、岸辺へ向かって駆け出した。そんな彼を、一同は苦笑しながら見守っている。

「さすがは名勝と謳われたラグドリアン湖ね。そうだわ、次はみんな揃ってピクニックでもしに来ましょうよ。モンモランシー、もちろんあなたも含めて、ね?」

 そう言って、モンモランシーにウィンクしたキュルケは、彼女へそっと囁いた。

「まあ、今回のこれは事故だから。あなたも、あんな彼氏を持って大変よねえ」

 そう言ってキュルケが視線を向けた先では、ギーシュが湖面の水をバシャバシャとかき混ぜて、大騒ぎをしていた。

「か、彼氏なんかじゃ……!」

「そうやって意地張るから、彼が嫌われてると勘違いして他に目移りするのよ」

「う……あなたが言うと、説得力があるわね……」

「ふふん、でしょう? だから、もう少し態度を改めてみたらどうかしら」

 学院内でも特に恋愛上手で有名なキュルケの言葉には、重みがあった。少なくとも「もうちょっとだけ。そうよ、あと少しだけでいいから、自分の気持ちに素直になってみようかしら」そんなふうに、プライドが高いことで有名なトリステイン女貴族のモンモランシーが、本気で考え始めた程度には。

「ねえ、早く水の精霊にお願いしてみましょうよ」

 ルイズの呼びかけに、はっと現状を思い出したモンモランシーは、顔を上げた。

「そうね。それじゃあ、みんなちょっと下がっていてくれるかしら」

 そう言うと、モンモランシーは波打ち際に近付いて片手を水に浸し、目を瞑った。そして、小さく眉を寄せながら呟いた。

「困ったわね。水の精霊は、なんだか怒っているみたいだわ」

「そんなこと、どうしてわかるの?」

「この湖に住まう水の精霊と、トリステイン王家は旧い盟約で結ばれているのよ。そして、水の精霊たちと交渉する役割を請け負っていたのが、わたしの実家モンモランシ家なの。わたしにも、当然その<力>は受け継がれているわ」

 湖面から手を引き上げたモンモランシーに、才人が疑問を呈した。

「請け負っていた……って、なんで過去形なんだよ」

「それがね。何年か前に、国がこのあたりの干拓事業をやることになったんだけど……そのときに、父上が水の精霊を怒らせちゃったの。当然、事業は失敗。王政府の面目も丸潰れ。それで、交渉役を降ろされたってワケ。水の精霊相手に『濡れるから近寄るな』なんて言ったら、機嫌を悪くするに決まってるじゃないのよ! まったく、父上ったら……」

「ま、まあ、お前んちの事情はわかったよ」

「なるほど。だから、ここに来るのを嫌がっていたのね」

「そうよ。ホントにもう、我が父親ながらバカな真似をしてくれたもんだわ」

 がっくりと肩を落とすモンモランシーに、思わず同情の視線を送る一同。確かに、そんな事情があれば湖に近付くのは嫌だろう。しかし、気の毒だが今はそのようなことを言っている場合ではない。先程までとは一転、才人はやや遠慮がちに訊ねた。

「んで、今でも交渉はできるのか?」

「やれるだけのことはやってみるわ」

 モンモランシーは腰に下げていた小袋から何かを取り出した。それは、鮮やかな黄色に黒い斑点が散った、小さなカエルであった。カエルは、モンモランシーの手のひらに乗り、大人しく彼女の瞳を見上げ続けている。

 カエルが苦手なルイズが、小さく悲鳴を上げて才人に縋り付いた。そんなルイズの様子を見て「カエルを怖がるとか、こいつ意外と可愛いとこあるじゃねえか」などと思いながらも、実物を間近で見た才人は呻いた。

「なんつーか、不気味な色したカエルだな。こりゃルイズじゃなくても怖がるわ」

「不気味だなんて、失礼ね! ロビンは、わたしの大切な使い魔なんだから!!」

 モンモランシーは、ポーチの中から針を一本取り出すと、それで自分の指先を突いた。ぷくりと赤い血が盛り上がる。流れ落ちた血を一滴、カエル――ロビンの背に垂らした。そして、くりくりとしたな瞳で己を見上げている使い魔へ、言い含めるように告げた。

「いいこと? ロビン。これで、相手はわたしが誰なのかわかるわ。覚えてくれていたら、だけどね。湖の中から旧き水の精霊を探し出して、盟約の持ち主のひとりが話をしたいと告げてきてちょうだい。わかった?」

 ロビンは了承の印に、モンモランシーの手の上でケロケロと鳴いた。そして、ぴょんと大きく跳ねると、湖の中へ消えていった。

「これで、あの子がうまく水の精霊を見つけてきてくれればいいんだけど……」

 杖を取り出し、<治癒>の魔法で指の傷を塞ぎながらそう呟いたモンモランシーに、才人が訊ねた。

「なあ。水の精霊が来てくれたら、どうすればいいんだ?」

「どう、って?」

「いや、精霊の涙っていうくらいなんだから、泣いてもらわなきゃいけないのかなって。俺、悲しい話のレパートリーなら、いくつか持ってるぞ」

 突然そんなことを言い出した才人に、モンモランシーは呆れ顔で言った。

「泣かせる必要なんかないわ。『水の精霊の涙』っていうのは通称で、涙そのものじゃないんだから」

「じゃあ、なんなんだい?」

 ギーシュの問いに、モンモランシーは得意げに答えた。

「水の精霊はね、わたしたち人間よりもずっと、ずーっと長く生きている存在なの。『始祖』ブリミルがハルケギニアに降臨する以前から、この地に存在していたらしいわ。その身体はまるで水のように自在に形を変え、陽の光を浴びると七色に輝いて、とっても綺麗なんだから。そんな彼らの身体の一部が『水の精霊の涙』と呼ばれているものよ」

 そこまでモンモランシーが言ったところで、狙い澄ましたかのように湖面の一部が光を放ち始めた。どうやら、目的の水の精霊が現れてくれたようだ。湖からロビンが上がってきて、ぴょんぴょんと跳ねながらモンモランシーのところまでやってくる。モンモランシーは、そんな己の使い魔を愛おしそうに手で包み込むと、そっと撫でた。

「ありがとう、ロビン。よく見つけ出してきてくれたわね」

 モンモランシーは腰に下げた小袋にロビンを入れると、すっくと立ち上がり、両手を大きく広げて水の精霊に語りかけた。

「わたしはモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。水の使い手にして、旧き盟約の一員よ。カエルにつけた血に覚えはおありかしら? ございましたら、わたしたちにわかる言葉とやりかたで返事をくださいな」

 モンモランシーの言葉が終わると共に、水面から何かが現れた。才人たちは、それを驚きの目で眺めている。

 現れた何かは、最初は只の水の塊だった。だが、それはぐにゃぐにゃと蠢きながら姿を変え――やがて、モンモランシーとそっくり同じ形になった。そして、まるでクリスタルガラスで作られた彫像のように、きらきらと煌めきながら、水面を滑るようにして一同が待つ湖岸へ近付いてくると、静かに声を紡ぎ出した。

「覚えている、単なる者よ。お前の身体に流れる液体を、我は覚えている。お前と最後に会ってから、月が52回交差した」

「覚えていてくれて、よかった。実は、今日はお願いがあるの。どうか、あなたの身体の一部をわけてはもらえないかしら?」

 モンモランシーの姿を模した水の精霊は、にっこりと笑った。それを見て、ほっとした一同だったが、しかし。精霊の口(?)から飛び出してきた答えは真逆のものだった。

「断る」

 そこにいる全員で頭を下げたが、水の精霊は静かな光を湛えたまま、何も答えない。

 ……と、そこで才人が前へ一歩進み出て、土下座した。

「頼む。この通りだから! 俺の大切な友達を救うために、どうしても『水の精霊の涙』が必要なんだ。お願いだ、俺にできることなら何でもするから!!」

 すると、水の精霊はふるふると身体を震わせて、何度も姿形を変えた。しばらくの間そうしていた後で、再びモンモランシーの姿に戻ると、才人に告げた。

「ふむ……お前は<ガンダールヴ>だな? よかろう。ならば、こちらの出す条件と引き替えに、我が身体の一部をわけてやってもよい」

「うわ、マジかよ! ありがとう!!」

 水の精霊に声をかけられるなんて、こいつ何者なのよ! ガン……なんとかって名前は知らないけど。そんなモンモランシーの驚愕をよそに、才人は飛び跳ねて喜んでいる。

「ガンダールヴよ。お前はなんでもすると申したな?」

「はい、言いましたッ! いったい俺は、何をすればいいんですか?」

「我の領域を侵す、お前たちの同胞を退治してみせよ」

 一同は、思わず顔を見合わせた。

「同胞? 退治?」

「左様。昨夜から、我が領域に侵入を試みようとする者たちがいる。奴らを退治せよ。さすれば、望み通り我が身体の一部を、そなたに分け与えよう」

 水の精霊が言うには、その侵入者はこの先にある森のほうから、夜になると魔法を使って水の中へ侵入してくるらしい。今のところはまだ戦いを仕掛けてくるようなことはないが、今後どうなるかわからない。それだけに、できるだけ早急に排除したいというのが水の精霊からの依頼だった。

「それなら、待ち伏せして捕まえよう。相手の目的がわからないことには、依頼を解決したことにならないからね。最悪、途中で敵の数が増えるかもしれないし」

 ギーシュの提案に、才人が頷いた。

「オッケー、それで行こう。ところで、モンモンは攻撃魔法使えんのか?」

「えッ? 無理よ、無理無理! わたし、ケンカなんてしたことないわ!」

 ぶんぶんと首を横に振るモンモランシーを、ギーシュが庇った。

「水系統のメイジは、攻撃にはあまり向いていないんだよ。そもそも、レディを戦いの場に出すべきではないと思うんだが」

「そんなこと言ったら、俺だって実戦経験なんかねーよ。でもまあ、嫌がってる女の子を無理矢理ドンパチに付き合わせるのもなんだし、モンモンは下がってていいよ」

 そこへ、燃えるような赤毛を掻き上げながら、キュルケが割り込んできた。

「あら、あたしは参加するわよ。こう見えても、ツェルプストー領にいる頃に妖魔退治は経験してるし」

「マジかよ! じゃあ、参加するのは俺とギーシュ、キュルケに、ルイズの4人だな。モンモンは敵に見つからないように、影に隠れててくれ」

「わ、わかったわ。ところで、いい加減モンモンって呼ぶのやめてちょうだい」

「なあサイト。ルイズも、モンモランシーと一緒に下がっていてもらったほうがいいのではないかね?」

「……こいつが、大人しく後ろに隠れてると思うか?」

「済まない。ぼくが間違っていたよ」

「ちょっと! 聞こえてるわよ、あんたたち!!」

 真っ赤になって叫ぶルイズに、才人が冷静にツッコんだ。

「じゃあ、お前も隠れてるか?」

「冗談じゃないわ! わたしは貴族よ。貴族は、戦いから逃げたりなんかしないの!」

「ほれみろ。やっぱり出てくるんじゃねーか」

「何か言った?」

「いいえ、別にぃ~」

「だったらいいのよ」

 ……と、まあそんな緊張感があるのかないのかわからないやりとりの後。彼らは夜に控えた戦いへ向けて英気を養うべく、食事と休息をとることにした。

 ここ最近毎日のように行ってきた訓練は、彼らに自信と慢心の両方を植え付けていた。だが、実戦経験が圧倒的に不足していた彼らは、それに気付いていなかった――。


○●○●○●○●

 ――そして、その日の夜。

「ねえ、あれじゃないの?」

 森の奥から現れた、ふたつの人影。相手の姿はよく見えないが、おそらくあれが水の精霊が言っていた侵入者であろう。参加者全員が顔を見合わせ、頷いた。

「よし、ここはまず様子を見て……」

 そう呟き、全員に指示を出そうとしたギーシュであったが、彼の案にキュルケが真っ向から反対した。彼女は、実に不満げな声を漏らす。

「なにを言ってるの。いいこと、あっちには気付かれてないのよ!? だから、ここは先制攻撃をかけるべきよ……ウル・カーノ・イス・イーサ・ウィンデ!!」

 全員が制止する間もなく、キュルケは火と風のラインスペル<フレイム・ボール>を完成させ、怪しい人影に向けて解き放った。火系統に<風>を1枚足したこの魔法には、目標をある程度追尾する機能がついている。完全なる不意打ち、おまけにこのタイミング。外すことなど、まずありえない。

「あ~あ。これであの怪しい奴ら、終わったネ」

 そこにいた皆が、才人と同じ思いを共有していた……だが。あろうことかキュルケが放った火の球は、相手に当たって燃え上がるどころか、空中で停止してしまったのだ。

「そんな、う、嘘でしょ……」

 不測の事態に、キュルケはただ呆然と呟くことしかできなかった。おまけに、彼女が放ったはずの火の玉は、なんと宙に浮いたまま、みるみるうちに巨大化していく。そして、その大きな炎の塊は、囂々と音を立てて周囲の空気を食い荒らしながら、一行を飲み込まんと襲いかかってきた。まるで、何か別種の<力>によって、弾き返されたかのように。

 それを見たルイズの顔は、真っ青になった。呪文を跳ね返すだなんて、ありえない。いや、中には<魔法の矢>のように、鏡に反射する性質を持つ呪文もある。でも、ここには鏡なんて無いし、バウンドするのはあくまで一部の魔法に限ってのことだ。ただし……ルイズは、とある者たちがそういう魔法を使うと、両親から教えられていた。

「ま、まさかあれ、エルフの<反射(カウンター)>!?」

 ルイズの叫び声で、その場にいたメイジたち全員が硬直してしまった。

「え、エルフが、なんで水の精霊と……」

「そんなこと言われたって、あたしにわかるわけないわ!」

 そんなやりとりをしている間にも、巨大な火の球は情け容赦なく迫り来ていた。にも関わらず、まさしく蛇に睨まれたカエル状態に陥ってしまった少年少女たちは、足がすくんでしまい――そこから動くことができなかった。エルフは彼らハルケギニアの民にとって、天敵も同然なのだ。それも無理はない。

 いや、その中でたったひとりだけ行動できた者がいた。それは、異世界人であるために、エルフの怖ろしさを知らない才人だった。しかし彼は、これまでの人生――ごくごく普通の高校生として生きていた頃には感じたことのない、激しい恐怖を覚え……震えていた。

 彼が怖いと感じていたもの、それは。押し寄せる巨大な火の球などではなかった。才人が心から畏れていたのは――このままでは、側にいる大切な友人たちが失われてしまうという、迫り来る現実だった。

 才人の内にあった恐怖は、次第に怒りへと変わっていった。先程まで感じていた畏れに比例するように強く、まさに激情と呼んでいい程に強烈な感情が、才人の全身を支配した。と……指ぬきグローブの中へ巧妙に隠されていた<ガンダールヴ>のルーンが、眩い光を放ち始めた。握った拳に<力>が宿る。

「嫌だッ! こんなところで……みんなを死なせてたまるかよォ!!」

 魂の底から捻り出された声に、彼の相棒デルフリンガーが反応した。

「お、思い出した! 相棒、俺っちを抜け! そんで、あの火球を切り裂くんだ!!」

 それは、反射的な行動であった。才人は、勢いよく背負っていたデルフリンガーを鞘から抜き放つと、飛んでくる巨大な火の球へ向けて走り出した――普通の人間には到底不可能な、まさに神速とも言うべきスピードで。そして、勢いよく振り下ろした刀身は、突如猛烈な光を放つと――なんと火球を全て、その身に吸い込んでしまったではないか!

 一同は――才人も含め、あっけにとられていた。何が起きたのかわからない、そんな顔をしていた彼らの耳元へ、まるで長雨の後で、久しぶりに陽を浴びた喜びを隠しきれずに、はしゃいでまわる子供のような声が聞こえてきた。

「いやあ……嬉しいねえ! この姿に戻れたのは。懐かしいねえ、思い出したよ。そうだ、俺っちは<ガンダールヴ>の左手にして『盾』たる者、デルフリンガー。6000年前のあのときも、あいつに握られてブリミルのやつを守ってたんだ。ちゃちな魔法なんか、全部吸い取ってやるぜ」

 嬉しげに叫んだデルフリンガーは、眩く白い輝きを放ち――神々しいまでの姿を衆目に晒していた。その刀身からは全ての錆が消え失せ、まさに今磨き上げられたばかりの鏡であるかのように、驚いた才人の顔を、刃の表面に映し出していた。

 ……いつもの才人なら、ここで「レベルアップイベント来たー!」などと大騒ぎしていたことだろう。だが、今はそれどころではなかった。彼は全身をぷるぷると震わせ、己の相棒をしっかりと握り締めながら、大声で怒鳴りつけた。

「そういうことは早く言え――!!」

 一斉にズッコけるメイジ一同。そして相棒にツッコまれたデルフリンガーはというと、

「俺っちも、今まで忘れてたんだ。すまねぇな」

 などと、とぼけた声で答え……場に安心感が漂い始めた。しかし、そんな和やかな空気があっさりと掻き消されたのは、それから間もなくのことであった。


○●○●○●○●

 ――刻は、デルフリンガーが真の姿を現した、ほんの少し前まで遡る。

 タバサと太公望のふたりは、昨日の場所から少し離れた湖岸へと移動していた。昨夜の調査では何も掴めなかったため、再び水中へ潜る必要があったからだ。

 そんな彼らの元へ、突然、何の前触れもなく巨大な火球が襲いかかってきた。とっさに<風の盾>の詠唱を開始したタバサだったが、到底間に合いそうになかった。

 だめ、かわしきれない! タバサは思わず顔を伏せた。しかし――最後の瞬間は、いつまでたっても訪れなかった。そろそろと顔を見上げたタバサの視線、その先にあったものは。彼女を庇うように立ちながら『杖』正面に突き付けるようにして、目の前の火球を止め……まるで捏ねまわすように、練り上げている太公望の姿であった。

 さらに、その巨大化した炎を撃ち返したのを見るに至ったタバサは、驚きのあまり立ち尽くした。こんなことは、メイジの常識ではありえないことだ。だが、本に書かれたエルフの得意技<反射>ともまた違っている。前に見た、遠距離攻撃を防ぐ<フィールド>でもない。彼にはいったい、どれだけの隠し技があるというのだろう。

 すると突然、彼女を庇うように立っていた太公望の周囲から、静かな……それでいて、浴びた者を心の奥底から凍り付かせるような気配がゆらり、と立ち昇った。彼は『杖』を左手で握り締め、ふるふると身体を震わせている。

「おのれ……わしの大切なタバサに、よりにもよって火を向けるとは……!!」

 タバサは、はっとして太公望の顔を見た。そして、震えた。今までに見たことのない、彼の貌(かお)。そこに浮かぶ激しい憎悪の色に、彼女は恐怖してしまった。

「あのときとは違う。わしはもう、無力な子供などではない。タバサよ……もう二度と、おぬしを……何も出来ずに、妹を死なせたりするものか!!」

 わたしを……妹を死なせない? もう、二度と……? まさか、彼は――!

「『打神鞭』・最大出力!!」

 太公望の怒りに満ちた叫び声と共に、彼とタバサを中心にして――巨大という言葉では生やさしい程の、大竜巻が出現した。

「な、な、なによ、あれ……」

 『部屋』の中からタバサたちを観察していたイザベラは、震え上がった。『スクウェア』などというレベルを超越した、天空へ届かんばかりにそびえ立つ巨大な竜巻が、一瞬にして周囲の森を消し飛ばした場面を見てしまったのだ、それも当然だろう。その一方で、彼女の隣に陣取っていた王天君は、爪を噛んでタバサを睨み付けていた。

「やっぱりそうか。あのガキ、よりにもよって太公望を、自分のことを妹だと思い込ませて操ってやがる……最悪じゃねぇか。あれじゃ、怒り狂うのも当然だぜ」

 そう呟いた声に、イザベラが反応した。

「どういうことかしら?」

「妹が……いや、家族が隣国の奴らの手で皆殺しにされてんだよ」

 あのガキ……治す用意をしていると言っていたが、もしも太公望が元に戻らなかったら、ただじゃあ済まさねぇぞ。そう言って凄む王天君の姿は、まさしく『死神』そのものであった――。

 そして、その巨大竜巻の顕現を見た才人たちのほうはというと――。

「な、な、な、ななななんだアレは」

「あの規模……『スクウェア』どころじゃない」

「じゃ、じゃあ、ま、まさか<ヘクサゴン・スペル>!?」

「三王家に伝わる、伝説の魔法……この目で見る日が来るなんて」

 あまりのことに、メイジたちは完全に腰が抜けてしまって動けない。魔法で逃げることすら思いつかない。そんな彼らを叱咤したのは、魔法が使えない才人であった。

「馬鹿野郎、早く逃げろ! 俺があれを食い止めている間に!!」

 そう言って、才人はデルフリンガーを片手に竜巻目掛けて駆け出した。その後ろ姿を見たルイズの心は――完全に凍り付いた。彼が行ってしまう。わたしたちを助けるために、たったひとりで、あの……巨大な暴風の渦中へ。

 ルイズは絶叫した。嫌よ! わたしの使い魔、ううん違う……わたしの『護衛』、わたしの『道』、わたしの、大切な……!!

「いや――ッ! 行かないで、サイト―――ッ!!」

 そんなルイズの叫び声……いや、魂が上げた悲鳴に気がついたのは、タバサだった。『音』に敏感な風メイジならではの聴覚が、ここで幸いした。暴風の中心にいたのが彼女でなければ、声を捉えることすら不可能だっただろう。

 このままでは、太公望が彼らを死なせてしまう。それに気付いたタバサは、急いでルーンを紡ぎ出した。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ!」

 背後から、突如薄緑色の<眠りの雲>に覆われた太公望は、そのまますぐ意識を失い――それと同時に、彼の周囲に顕現していた巨大な竜巻は、そこにあったことがまるで嘘だったかのようにふい……と、かき消えた。



[33886]    第25話 放置による代償、その果てに
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/10/06 15:34
「待って欲しい、こちらにはもう攻撃の意志はない」

 大竜巻が消えたあとも、油断なくデルフリンガーを構えていた才人の耳に、どこかで聞いた覚えのある声が飛び込んできた。

「あれ? この声って、まさか――?」

 声と共に現れたのは、自分がよく知る少女―――タバサであった。

「ラグドリアン湖の水位があがった件について、調査してたァ!?」

 現在の時刻は、深夜2時頃であろうか。湖面にはふたつの月が映し出され、幻想的な雰囲気を醸し出していた。湖のほとりに作った簡易キャンプ――申し訳程度につくられた焚き火と、地面に敷くために持ってきていた布製のシートの上に座り、タバサの説明を聞いた『解除薬作成チーム』メンバーの背中には、いやな汗が流れていた。

 まさか、水の精霊が『侵入者』と呼んでいた相手が顔見知り、しかも友人たちだとは思ってもみなかったのだ。ちなみに現在<眠りの雲>によって眠らされた太公望は、彼らのすぐそばに、その身を横たえられている。

「みんな……本当にごめんなさい。あたしが先走ったばっかりに、一歩間違えたら大変なことになるところだったわ」

 そう言って全員に頭を下げたキュルケの全身は、未だ小刻みに震えていた。

「まあ、ぼくもちゃんと止めることができなかったからね。きみだけのせいじゃないよ」

「今回はなんとかなったことだし、次からは注意すればいいんじゃないか? 散々やらかしてる俺が言っても、あんまし説得力ないかもしれないけどさ」

 そんなギーシュと才人の言葉に、みんなで気をつけよう……と、頷く一同。

「ところで、あなたたちは……もしかして『水の精霊の涙』を?」

 そのタバサの問いに答えたのは、モンモランシーだ。

「ええ。『惚れ薬』の解除薬を作ろうとしてトリスタニア中を探し回ったんだけど、全部売り切れだったから、水の精霊に直接お願いをしにきたところだったの」

 そして、お互いに改めてここまでの経緯と――もちろん、タバサは任務云々の話は出さずに――情報の交換を開始した。


 ――そこから遠くでもあり、間近でもある『王天君の部屋』の中では。

「ハ……ハハハッ……こいつぁ傑作だぜぇ!!」

「も、もう駄目……わたし……涙が……くっ……」

 ガリアの王女イザベラと、そのパートナーたる王天君が、しっかりとその場面を見ていたわけなのだが――。

「惚れ薬を誤飲しただぁ!? 馬鹿かよあいつは! 意地汚ぇ真似すっからだ」

 長椅子に座り、のけぞりながら高笑いする王天君。いっぽうのイザベラはというと。

「あの禁断の……<魅惑>の秘薬で、妹……恋人じゃなくて妹認定……おほ……おほほほほほほっ! 駄目、やっぱりわたし、もう……笑いで涙が……溢れて止まらないっ! あの子たちってば、ふたり揃って本当に面白すぎるわぁ~!!」

 豪奢な絨毯の上を、文字通りゴロゴロと転げ回って大笑いしていた。

 それから10分ほどが経過して、ようやく笑いの発作から解放されたふたりは、改めて見知った情報に関する整理を開始する。

「解除薬があれば、彼は間違いなく元に戻るわ。その点は安心していいわよ」

「そいつぁよかった。おかげで死体をひとつ増やす手間が減った」

「冗談にしても笑えないから、それだけは勘弁してもらえないかしら……さすがに、今あの子が『任務』以外で死んだりしたら、ガリア国内で間違いなく内戦が勃発するわ」

「ふん、それはそれで面白ぇんじゃねぇか?」

 ……などと言って、しばしイザベラをからかっていた王天君は『窓』の外で静かに寝息を立てている己の『半身』を改めて見た。そして断定した。この連中の話から察するに、あの野郎、やっぱりオレのこと、衣食住に釣られた挙げ句、完全に放置してやがったな……と。

「ふぅん……そぉいぅコトならなぁ、こっちにも考えがあるぜぇ、太公望ちゃんよぉ」

 王天君は、すぐ隣で「うーん、モンモランシ家が没落せずに、まだ湖の管理を任されていた時期だったら、これをネタに色々できたと思うんだけど……」などと物騒なことをブツブツと呟いているイザベラに向かって、声をかけた。

「あいつがきっちり治るってわかったことだし、そんじゃぁ城へ戻ろうや」

 これに驚いたのはイザベラだ。

「えっ? あなたの弟が元に戻ったら、一緒に故郷へ帰るつもりじゃなかったの?」

 寂しそうだった顔から一転、喜びの表情を浮かべたイザベラを見た王天君は、ニヤリと笑ってこう答えた。

「最初はそのつもりだったんだがよぉ……ちぃと気が変わった。もうしばらくお前んとこでやっかいになっててもいいか?」

「本当!? もちろんよ! ずっと側にいてもらいたいくらいだわ!!」

「へぇ……このオレを受け入れる度量があるたぁ……やっぱりオメーは」

「いいえ、あなたこそ」

「わかってるぜ」

「素晴らしいわ」

 こうして、王天君とイザベラは『空間』を渡り、リュティスへの帰路についた。

 ――亜空間の中へひとりで放置され続けていたことに対して、王天君は自分自身が想像していたよりも、遙かにイラッときていたのだった。


○●○●○●○●

 ――そして焚き火の側では。

 タバサたち『調査チーム』と『解除薬作成チーム』は、たき火を囲み、夜を徹して語り合っていた。そこで、太公望に関する非常に大切な協約を結んだ。その内容とは。

「彼の『妹』に関する事情には、絶対に触れないこと」

 これであった。当初はタバサに理由を尋ねようとしたギーシュとモンモランシーであったが、それを他のメンバーが必死の形相で食い止めた。

「他人が知られたくないと思うことに、無理に踏み込もうとするのはよくない」

 ――と。ここ数回の失敗で、さすがにその行為が、たとえ太公望以外の者に対してでも大変失礼かつ、それがとんでもない『地雷』たりえることを思い知っていたからだ。

「確かに。他人の事情を根掘り葉掘り聞くのは、貴族としてどうかと思うね」

「で、でしょう? や、やっぱり、そそ、そういうのは、その、よくないわ」

 心なしか声が震えているルイズの姿を見ながら、才人は口を開いた。

「あと、さっきの魔法についても、聞かないほうがいいんじゃないかな。言いたくないから隠してるんだろうし」

 その言葉に、全員が頷いた。モンモランシー自身は、これまで特に太公望と仲が良かったというわけではないが、今回の件で迷惑をかけてしまったという自覚から、それについても了解した。

 そんな彼らを見て、才人は思った。色々あったけど、こいつらと会えて本当によかった……と。そして、静かな寝息を立てている友人に視線を向けた。

「俺……こいつには、ここへ来てから世話になってばっかりだ。もっと強くなってからならともかく、今の俺の実力だと借りを返す機会がないもんな」

「何か言った? サイト」

「いや、別に何も」


 ――それから数時間後。太公望を除く全員が眠れぬまま明けた、翌朝。

 「兄さまは夢を見ていただけ」というタバサの説明をあっさりと受け入れた太公望は、普段と全く変わりない様子で、才人たちがここにいる目的を聞いていた。

「なるほど、特別な薬をつくるためにその『水の精霊の涙』とやらが必要なのだな。その条件として『侵入者』を止めろ、こう言われたと。ならば交渉の余地があるな」

「わたしもタイコーボーに同意する。その際に、水の精霊が水位を上げている理由を知ることができれば、こちらとしても助かる」

 確かにその通りだな、と、一同は頷く。

「ふむ……タバサよ。おぬしなら、交渉役として誰を選ぶ?」

 その太公望の振りに、タバサは即座に返答した。

「まず、モンモランシー。精霊に声をかけてもらうために必要。続いて、サイト。もともと最初の交渉を実現できたのは、彼のおかげ。そのサイトの補佐役として、兄さまについてもらいたい」

 指名された3人はその場で頷き、交渉役となることを了解した。そして、全員で交渉のための案を出し合い……それは始まった。

 モンモランシーは湖岸に立つと、昨日と同じように湖へ使い魔のロビンを放った。すると、朝靄の中――水面の一部が再びぐにゃぐにゃとうねり、固まり、そして水の精霊が姿を現した。

「呼び出しに答えてくださって感謝します、水の精霊よ。それでは改めて、昨日あなたから依頼された内容について、お答えする者たちを紹介します」

 そう精霊に語りかけたモンモランシーは、一歩右横へ移動する。その後、ガラス製の瓶を持ち、彼女の後方に控えていた才人と、太公望のふたりが前へと進み出た。

「俺のことを、覚えていてくれましたか? 水の精霊よ」

 その声に、水の精霊が答える。

「覚えている……ガンダールヴよ。して、結果は?」

「ありがとう、水の精霊。それについて、彼が説明するので聞いてほしい」

 そして才人は、モンモランシーとは逆。左側へ一歩移動すると、太公望に前へ出てくるよう促した。

「わしは、今回の報告をさせていただく太公望と申す者。以後お見知りおきを」

 すると、彼の言葉を聞いた水の精霊が輝きを増した。

「話を聞こう『生命の道を極めし者』よ。そなたならば信用できる」

 この呼びかけに、太公望は一瞬ピクリと片眉を上げた。こやつ、わしが何者であるのかわかっておるようだ――もしやとは思っていたが、やはり精霊とは『星の意志を宿す者』か。これは、しっかりと話を進めねばなるまい、と。

 いっぽう、側に控えていた者たちは皆一様に不思議そうな顔をしていた。普通、水の精霊は自分たち人間を全て『単なる者』と呼ぶ。だが、才人のことは<ガンダールヴ>と、そして今、交渉のテーブルへついている太公望のことを『生命の道を極めし者』と称した。

 ふたりを除く者たちは思った。やはり、彼らはただの人間ではないのだ――と。

「ありがたい。では、まず依頼のあった侵入者の件についてだ。彼らは、この湖の水位が上がってしまった原因を調査するために現れた」

 太公望は、身振り手振りを交えつつ、精霊と会話を続けている。

「そして、可能であれば水位を下げたいと願っている。よって、水の精霊殿が何故水位を上げているのか、その理由を教えてはもらえないだろうか。それがわからぬ限り、彼らは今後、幾度となく現れるであろう……最悪の場合、数が増えるかもしれぬ」

 その言葉に、水の精霊が反応した。

「『生命の道を極めし者』よ。我が水位を上げ続けている理由を教えることで、そなたは何をしようというのだ?」

「うむ。内容によっては、わしらが水の精霊側に対して協力することで、彼ら侵入者を完全に排除できるやもしれぬ。よって、詳しい事情をお教え願いたい」

 その言葉を受けた水の精霊は、再びぐにゃぐにゃと形を変え、蠢いている。もしかすると、みんなで話し合ってたりするのかも? などと才人が考えていると。再度モンモランシーの姿をとった水の精霊は、言葉を発した。

「<ガンダールヴ>と『生命の道を極めし者』が共に在るならば、我らが動くよりもよい結果が出るだろう。我らはお前たちを信用し、話すこととする」

 ぐねぐねと身体を蠢かせながら、水の精霊は語り始めた。

「月が30回ほど交差する前の晩のことだ。お前たちの同胞が、我らが暮らす水底の都から、我らが守る<水>の秘宝を盗み出したのだ。なればこそ、我らは己の領域を広げている。水が浸食し、大地の全てを覆い尽くせば、我が身体が秘宝に届くだろう」

「つ、つまり、その秘宝を探し出すために、水かさを増やしていると」

「その通りだ」

「そりゃまた、ずいぶんと気の長い話だなあ」

 思わず呆れ声を出した才人に、水の精霊は諭すような口調で言った。

「<ガンダールヴ>よ、我とお前たちとの間では、時に対する概念が違うのだ。我らは全にして個。個にして全。過去も未来も、時も空間も、我にとっては同じものだ。いずれの時間にも、我は存在するゆえにな。しかし……」

 そう言うと、水の精霊は太公望のほうを向いた。

「このまま領域を広げ続けることで、再び侵入者が現れるというのならば……それを阻止せねばならぬ。『生命の道を極めし者』よ。そなたは我らに協力できると申し出た。よって、我は依頼する。期限は一切問わぬ。今すぐ水位を下げ、我が身体の一部を授ける代わりに、我らが秘宝を取り戻してきて欲しい」

「期限を問わず、とは……」

「それは助かる」

 そんなふうに呟く周囲の者たちの声を聞きながら、太公望は内心で呪詛の言葉を紡いでいた。おのれ、精霊どもめ。わしが何者かわかった上で期限なしという設定をつけおったな! つまり絶対取り返してこいという意味か!

 ……とはいえ、これを飲まねば『薬』のほうはともかくタバサが困る。う~む、こればかりは面倒などとは間違っても言えぬのう……。

 ――惚れ薬の影響で、太公望の行動原理の全てがタバサを優先していた。国が、法律でこの薬を規制するのも当然である。

「ふむ……そういうことであれば、何か手がかりがほしいところではある。水の精霊殿は、盗人について何か記憶していることはないだろうか。また、秘宝とやらがどんなものであるのかを教えて欲しい。どんなに細かいことでも、一切漏らさずにだ」

「奪われたのは『アンドバリ』の指輪。我が永き時と共に過ごしてきた秘宝」

 それを聞いて、モンモランシーの顔色が変わった。

「水系統の、伝説の<マジック・アイテム>じゃないの! 確か、死者に偽りの命を与えるという指輪よね?」

「その通りだ、単なる者よ。お前たちがこの地に現れたときには、既に我と共に在った。『死』は我らにはない概念ゆえ、しかと理解できぬが……死を免れぬお前たちには魅力的に映るのやもしれぬな。しかしながら『アンドバリ』の指輪がもたらすは、偽りの生命。真実の<力>ではないのだ」

「そんなシロモノを、いったい誰が盗んだんだ?」

「風の<力>を用いて我の住処に現れたのは、数個体。その中に『クロムウェル』と呼ばれていた者がいた」

「アルビオン風の名前ね」

 ルイズが呟くと、キュルケが同意するように頷いた。

「アルビオンは『風の王国』なんて呼ばれているくらいだし、精霊の住処に潜入できるほどの<風>の使い手が大勢いても、おかしくないわ」

「ところで、その『指輪』には、他に隠された効果などはないのか? あれば、今後の用心のために教えてもらいたいのだが」

 太公望の問いに、水の精霊が答えた。

「指輪に偽りの命を与えられた者は、指輪の使用者に従うようになる。また、指輪が解放せし<力>に触れた水を飲んだ者の精神を、思うがままに操る魔法が込められている」

 それを聞いた一同の反応はというと。

「ずいぶんとまた、えぐいシロモノだのう」

「死者を操るなんて、趣味が悪いわね……」

「死人だけじゃなくて、生きている人間が水を飲んでもダメなのね。まさか、ワインとかにも効果があるのかしら」

「それ、やべーだろオイ。ただのゾンビじゃないってだけでも厄介なのに」

 と、いったようなものだった。ある意味想定内のリアクションである。

「なるほど、詳細は了解した。では、取引終了ということでよいだろうか?」

 太公望の問いかけに対して、返ってきたのは『虹色に輝く水の塊』であった。それは、才人が持っていたガラス瓶の中を目掛けて飛んでゆき、きれいに収まった。おそらく、これが『水の精霊の涙』であろう。

 そして、ごぼごぼと水音を立てて水の精霊が姿を消そうとしたその時、突如タバサがそれに待ったをかけた。

「待って。あなたに聞きたいことがある」

 その場にいた全員が驚いて、彼女を見つめた。普段から滅多に感情を表さないタバサの声に、必死ともいうべき色が滲んでいたからだ。

「水の精霊。あなたは『誓約』の精霊とも呼ばれている。その理由が知りたい」

「『単なる者』よ。おそらくは、我の存在自体がそう呼ばれる理由かと思う。我に決まった姿形はない。しかし、我はお前たちが目まぐるしく世代を入れ替える間も、ずっと変わらぬ形で、この湖と共に在り続けてきた。それゆえに、お前たちは我に変わらぬ何かを祈りたくなるのだろうな」

 その言葉を最後に、今度こそ水の精霊は湖の中へと姿を消した。

 タバサは、精霊の言葉を噛み締めるかのように目を閉じると、膝を折り、手を合わせた。ただ一心に……何かを祈っていた。秘めた誓いを、改めて確認するか如く。そんな彼女の肩に、太公望がぽんと手を置いた。

 周囲の者たちが、なにやら「誓いなさい」だのなんだの騒いでいたようだが、それはタバサの耳には届かなかった。その熱心な祈りによる強い『願い』が、思わぬ形で届くのは――彼女が想像していたよりも、遙かに早かった。


○●○●○●○●

「ふう、これで完成! しっかし、やたらと苦労したわね――!!」

 トリステイン魔法学院の一室。モンモランシーの部屋の中で、見守っていた一同から歓声が上がった。そう……ようやく『解除薬』の調合が終わったのだ。

 モンモランシーは、額の汗をぬぐうと、どっかと椅子に腰掛けて、大きく息を吐いた。かなりの重労働だったのであろう。そして、部屋の隅に置かれたテーブルの上には、彼女の苦労の結晶ともいうべき薬瓶が乗せられていた。

「これは、そのまま飲ませればいいの?」

「ええ」

 タバサは早速その薬瓶を手に取ると、太公望の元へ持ってゆく。だが、あきらかに苦そうな香りがするそれを、彼へ近づけた途端。太公望は顔をしかめ、ふいっと後ろを向いてしまった。

「兄さま、これを飲んで」

「やだ!」

 ……即答である。しかも『タバサのお願い』すら無効化している。

「わしは苦い薬はいやなのだ。甘いシロップか糖衣でなければ飲まぬ!」

 その場にいた全員が、あきれ果てたように呟いた。

「ガキかよ……」

「27歳にもなって……」

「情けない」

「大人なのに」

 彼らは、顔を見合わせると……頷いた。そして、後ろから一斉に太公望へ飛びかかると、ジタバタともがく彼を押さえ込んで強引に口を開け、薬瓶を傾けた。

「飲まんかい、われ―――ッ!!!」

 そこへ、ドバドバと注ぎ込まれる『解除薬』。

「―――――――――ッ!!!」

 無理矢理飲まされた解除薬の苦さに、むせかえったような声を出しつつ、苦いのはこれだからいやなのだ――!! などと叫びながらゴロゴロと床を転げ回る太公望。だが、突然その動きがピタリと止まった。

「効いた……かな?」

「た、たぶん」

 やがてむくりと起き上がった彼は、周囲をきょろきょろと見回して、言った。

「ここは……どこなのかのう? 確か、中庭でワインを飲んで、それから急に頭が痛くなったところまでは記憶にあるのだが。わしは、いったい何をしていたのだ?」

 そんなことを言いながら、太公望は首をひねり、うんうんと唸っている。

「も、もしかして『薬』が効いていたときの記憶がないのか?」

「まあ、確かに覚えてたらアレはキツイだろうなあ……忘れていて良かったよ」

「でも、余計なこと言うの禁止な」

 こっそりと集い、そう囁きあっているのは太公望を除く関係者一同だ。

 と……太公望の元へ、おそるおそるといった様子でタバサが近付いていった。

「タイコーボー、もう大丈夫なの?」

「どうしたのだ? タバサ。頭痛のことなら、心配ないぞ」

「わたしのこと……どう見える?」

「どう、とは? いつも通りのタバサだ。特に変わったところは見受けられんが……あ、いや……ちと髪が乱れておるようだな。念のため、自分の目できちんと鏡を見て確かめるがよい。あ、わしは鏡など持ち歩いてはおらんぞ。どっかの美形と違って」

 などと言いながら笑う太公望。だが、その笑みは、突如困惑の表情に取って変わった。何故なら、彼の目の前にいたタバサの瞳から、ぽろりと一筋の涙が零れたからだ。

「今ここにいるのは、元通りのあなたなのね」

 小さく掠れた声でそう呟いたタバサは、太公望の胸に飛び込むと、大きな声を上げて泣きはじめた。それも……魂の奥底から迸るような、それでいて聞く者全てを困惑させるほどに、切実な声で。

「どうしたのだ、タバサ!? いったい何があったのだ! 誰でもいいから状況を説明してくれ、頼む!!」

 部屋の中には、慌てた声で叫ぶ太公望と、タバサの泣き声だけが響いていた――。


○●○●○●○●

「なるほどのう、よくわかった」

 『解除薬』を飲んでから、約3時間後。泣いていたタバサをようやく落ち着かせ、その上で改めてここまでの事情を聞かされた太公望は、頭を抱えていた。

 今回、説明役にまわったのはキュルケである。太公望がタバサをなだめている間、それ以外のメンバーたちは、彼の記憶が飛んでいるもっともらしい言い訳を検討した。その上で、モンモランシーが『惚れ薬』を作った経緯を説明し、謝罪をするということでまとまっていた。

 ……ちなみに、その言い訳とは。

「今まで3日間、太公望は意識を失っていた。さっきは、ようやく解除のための薬ができあがったため、モンモランシーの部屋へ運び込んでいたのだ」

 ――と、こういうものであった。その上で、

「惚れ薬が効かなかった理由は、自分たちにはよくわからない」

 と、説明することで信憑性を増そうというのが、彼らなりの作戦だ。

 なお、この『言い訳』については前もってタバサへ説明しようとしたものの、彼女が太公望から離れようとしなかったため、実現しなかった――それはさておき。

「おぬしたちには、大変な心配と迷惑をかけてしまった。それについてはこのあと改めて謝罪したい。だが、その前に……」

 そう言うと、太公望は立ち上がり……『惚れ薬』の作成者であるモンモランシーの前に立った。そして、なんと深々と頭を下げたのである。

「わしの軽率な行動のせいで、モンモランシー殿には大変な損失を与えてしまった。それに関しての弁済はこのあときちんとさせていただくとして、その前にまず謝罪したい。どうか許して欲しい」

 この行動に、部屋にいた全員が驚いた。

「え、あ、あの、ミスタ? わたしがあなたに『薬』を飲ませて」

 頭を下げたまま、自分の前から動こうとしない太公望に対し、モンモランシーはどう対応していいのかわからなかった。

「本人の了解も得ず、勝手に奪って飲むという行動をしたのはこのわしであって、それによって意識を失ったのは完全に自業自得なのだ。しかも、700エキューもする『薬』をだいなしにしてしまった」

 心底申し訳なさそうな声で「本当にすまなかった」と謝罪する太公望へ、モンモランシーは「とにかく頭を上げてくれ」そう告げるしかなかった。

「わたしは『惚れ薬』を作ったという罪があるから」

「いや、それとこれとは話が別。謝罪を受け入れてもらえるだろうか?」

「わ、わかったわ。だから顔を上げてちょうだいミスタ・タイコーボー! あ、あと、わたしのことはモンモランシーと呼んでくれないかしら。それと、普段どおりに喋ってちょうだい。お願いよ!」

 その言葉に、心底ほっとしたような表情で顔を上げた太公望。

「おぬしの寛大さに感謝する。では、遠慮無く……モンモランシーよ、『解除薬』を作るのには全部でいくらかかったのだ? 交通費込みで」

 言われて、急いで自分の財布の中身を確認するモンモランシー。

「ええっと……精霊の涙を取りにいったぶんの馬車代も含めると……うん、全部で150エキューかしら」

「了解した。では、それについては話が終わり次第、すぐに全額返金する。しかし『惚れ薬』の代金700エキューを即金というのはさすがに無理だ。よって、分割にするか……あるいは、別の対価を支払うことによって弁済とさせてもらいたいのだが」

「え、ちょ、ちょっと待って!」

 慌てて太公望を遮るモンモランシー。周囲にいたルイズ、才人、ギーシュ、キュルケも、あまりのことに呆然としている。タバサも、びっくりした顔で太公望を見つめていた。彼らには、被害者である彼がここまでする理由が全く理解できなかったからだ。

「む、やはり不足であったか」

「いや、そうじゃなくて! どうしてそこまであなたがする必要が?」

 モンモランシーのその言葉を聞いて、太公望は不思議そうな顔をして彼女を見つめた。その表情は、まるで心底意味がわからないと言わんばかりだ。

「何を言うのだ。してしまったことに対する謝罪をするのは当然であろう?」

 ……と、こう返すのみであった。

 モンモランシーのほうはというと、わざわざ弁償してもらえるならそれに越したことはないし、それに対価というのも気になる。そう思い直し、改めて質問することにした。

「そ、そこまで言ってもらえるなら、わたしとしても悪い気はしないわ。ところで……別の対価って、いったい何なの?」

「それなのだがな……おぬし、わしらが毎日放課後集まって、何かをしていることを知っていたであろう?」

「ええ、もちろん。内容はわからなかったけど」

 彼女の言葉を聞いた後、にっこりと笑って太公望はこう告げた。

「実はな、おぬしをその『仲間』として迎え入れる用意があるのだが」

 は? それが対価!? 思ったよりつまらないわ……モンモランシーがそう口に出そうとする直前。その場にいた全員が大声を上げた。

「モンモランシー! きみも是非仲間に加わるべきだよ」

「700エキューなんて、あれに比べたら安いものだわ!」

「わたしも、現金よりこちら側に加わることを勧める」

「こっちに来たほうが将来的に絶対得だぜ、モンモン!」

「お金に換えられることじゃないわよ、これ! あなたすごくラッキーよ!?」

 太公望を除くその場にいた全員が、一斉にモンモランシーの側へ近寄ってくる。しかも、口々に『仲間になること』を奨めながら。モンモランシーは、あまりのことに目を白黒させて言った。

「ど、どういうことなのかしら?」

 その言葉に、ふむ……と、考え込んだ太公望は、生徒たちに声をかけた。

「ルイズよ。おぬしは『仲間』になって、どうなった?」

 ――その声に、笑顔で答えるルイズ。

「誰にもわからなかった<爆発>の謎が解けて、空が飛べるようになったわ!」

「……えっ!?」

「才人よ、おぬしはどうだ?」

 ――右腕に力こぶしを作り……ニカッと笑って答える才人。

「素手での格闘技の腕が上がった! 今ではワルキューレ7体とも戦えるぜ」

「ええっ!?」

「キュルケよ。おぬしは?」

 ――キュルケは、オホホホホ……と、声を上げて笑ったのちにこう答えた。

「魔法を放てる数が、以前の1.5倍になりましてよ」

「ええええっ!?」

「ギーシュ。おぬしはどうだったかの?」

 ――薔薇を咥えて、優雅にお辞儀しながらギーシュは答えた。

「ワルキューレ操作の幅がとても広がったよ。しかも『ライン』が見えている」

「ちょ、ちょっと待って」

「最後に……タバサ。おぬしの成果は?」

 ――タバサはくいっと眼鏡を直すと、こう呟いた。

「『スクウェア』にランクアップ。さらに独自に教わった技術で<精神力>の最大容量が1.5倍にまで膨らんだ上に、回復速度が最大5倍まで上昇。しかもわずか1日の訓練で身についた」

「ちょっ」

「ねえタバサ何それ!?」

「ぼくはまだ聞いていないよミスタ!」

 自分たちにもそれを教えて欲しい! そう言って詰め寄る生徒たちを、まあまあ……と、抑えている太公望。

「待って、ちょっと待ってよ! どういうことなのよ、みんな! この短期間で、そこまで<力>が上昇するなんて、常識ではありえないわ!!」

 そう叫んだモンモランシーに、全員が満面の笑みを向けた。

「わしはな、独自の技術で、その人物が持つ『素質』を見抜くことができるのだ。それに合わせた訓練を行った結果が――今の彼らだ」

 その言葉に、全員が首を何度も縦に振る。じつにいい笑顔で。

 モンモランシーは驚愕した。そんな馬鹿な……ううん、ちょっと待って。そういえばミスタ・タイコーボーは東方ロバ・アル・カリイエのメイジ。たしか、東方では魔法技術がハルケギニアと比べて、ものすごく進んでるって噂を聞いたことがある。まさか、それを放課後に教えてもらっていたから、みんな――!

「ひょっとして、わたしにも、その方法を、教えてもらえる……とか?」

 ――もしもそうならば、たしかに700エキューなんて安いものだ。

「その通りだ。これは、学院長公認の課外授業的なものでな。ただし、決して他の人間にわしが教えている内容を漏らさないという絶対条件付きだが。ちなみにこの機会を逃した場合、余程のことがない限り参加の許可は下りないと考えてもらいたい」

 こっちにおいでよ! 誘うように手招きのジェスチャーをする他の者たち。それを見て、ようやくモンモランシーは悟った。これに参加していたから、ギーシュはいつも放課後あそこにいたのだ。ルイズと二股をかけていたわけではなかったのだと。

 と、そこへ太公望からさらなる追撃が飛んできた。

「ちなみに、今ならもれなく特典がつく」

「えっ! まだなにかつけてくれるの!?」

 あまりのことに驚きすぎたモンモランシーは、口を開けたままで固まった。それは、周囲の者たちも同様だった。なんだ特典って!? などと、ざわついている。

 ――ちなみに才人だけは「テレビの通販かよ!」などと思っていたのだが。

「そもそもだな……この『事件』が発生した理由は、ギーシュの浮気性が原因なのであろう? モンモランシーよ」

「そ、その通りよ」

「この特典をつけるにあたって、念のため確認しておきたいのだが……もしもギーシュが一切浮気をしなくなったら、おぬしは本気で彼とつきあうつもりがあるのか?」

「ぼくは浮気なんか」

「おぬしはちと黙っておれ」

 ギーシュの発言はモンモランシーの耳、いや脳まで届いていなかった。何故なら、

 『ギーシュが本当に浮気をしない男になったとしたら』

 それをシミュレートすることだけで、彼女の頭の中はいっぱいだったからだ。

「そうね、彼……なんだかんだで結構優しいし、気が利くわ。頭の出来も、調子にさえ乗っていなければ、そう悪くない。顔については文句なし。ちょっとエッチなところはあるけれど、男の子だったら誰だってそうだと思うし。おまけに家柄は名門の軍閥貴族。う~ん、わたしだけに尽くしてくれる、そんなギーシュ……」

 すうっ……と、モンモランシーの顔が朱に染まる。

「どうやら答えは出ておるようだのう。そこで提案なのだが……まずは、お試しで数ヶ月ほど付き合ってみるのだ。その上で、もしもギーシュがまた浮気をしたらだな」

「彼が、浮気をしたら?」

 モンモランシーの問いに、悪魔のような微笑みでもって答える太公望。

「3回だ」

「……3回? 何が?」

「このわしに、やつが浮気をしたと言うのだ。そうすれば、わしの<風>でもって、その場でギーシュを天まで吹き飛ばしてくれるわ……3回までな。ちなみにわしの<風>に関する実力だが……タバサよ」

「彼は風の『スクウェア』メイジ」

 言われなくとも、彼の実力はラグドリアン湖畔で見ている。モンモランシーは、彼らへ天使の微笑みでもって応じた。

「とてもいい特典ね」

「そうであろう? もし3回わしの<風>を食らっても浮気癖が治らないようなら、キッパリと別れてやればいいのだ。そのための『お試し期間』というわけなのだよ」

「そうね、ミスタの言う通りだわ」

 頬を染め、両手で軽くそこを抑えながら、実に可憐な笑顔で受け答えを続けているモンモランシーの態度に、ギーシュが慌てた。

「ちょ……ちょっと待ってくれたまえ、ミスタ・タイコーボー」

 冷や汗をかきながら抗議しようとしたギーシュに対し、太公望はぐりん! と、首を回し、顔だけを向けて凄んだ。

「おぬしが浮気をしなければいいだけのことであろう?」

「その通りよ」

「まったくだわ」

「タイコーボーの言はもっとも」

「お前また二股する気なのかよ、懲りねェなあ」

 ――結局。次の『虚無の曜日』から、モンモランシーは『仲間』に加わることをもって『惚れ薬』の弁済とする旨を承諾し……ギーシュは、彼女との関係を公にすることとなった。とんでもない枷つきで。


○●○●○●○●

 ――そして、その夜。

 夕食を取りながら、近くで食事をするいつものメンバーの顔をちらちらと眺めつつ、太公望は考え込んでいた。あやつらには、とんだ借りができてしまったのう……と。

 そう、実は太公望は、全てを覚えていたのである。『惚れ薬』を飲んだ後に起こしてしまった、自分の行動を。ハッキリ言って、失態などというレベルの問題ではない。

 今……どこか遠く、誰もいない空間に自分だけが居たとしたならば、その場で頭をかかえつつ、転げ回って叫び出したい心境であった。

「このわしがシスコンとか! あきらかに問題となる言葉を、さらっと口にしてしまうとか! しかもタバサに不安を抱かれるような発言をした挙げ句に『打神鞭』最大出力かますとか、いちばんありえんわ! このわしへの信頼が、威厳が壊れてゆく――ッ!!」

 ……と。

 だが、彼らはそれを黙っていてくれた。そして、自分を気遣ってくれた。だから、太公望はあえて彼らの『策』に乗ったのだ――あきらかな穴があることを承知の上で。

「あいつら……わしが他人に事情聴取をするとか、誰かから、なんだかこの3日間は様子がおかしかったね、とか言われる可能性について考えつかんかったんかい……そもそもだな、3日も倒れていたのなら、誰かが見舞いに飛んでくることだってありえるのだぞ!? 穴だらけではないか!!」

 ――『事情説明』直後に彼が頭を抱えていたのは、実はこれが原因だったのである。

「しかし……ある意味あの娘、モンモランシーをこちら側へ引き込めたのは成功であった。わしが対抗しきれないほどの『薬』を作れる『調合師』など、そうはおらぬ。将来は、秘薬による<治癒>のエキスパートとして役に立ってくれるであろう」

 ……そう、実はあの謝罪。弁済と見せかけた、太公望のスカウトだったのである。相変わらず転んでもタダでは起きない男であった。

 ちなみに、ギーシュに対する『枷』は、原因を根本から絶つ……と、いうよりも。今回の件に関する、太公望なりの仕返しである。彼はもう浮気などできないであろう。

 こうして、この『惚れ薬』を巡る一連の事件は幕を閉じた――はずだった。



[33886] 【過去視による弁済法】第26話 雪風、始まりの夢を見るの事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/08/04 00:44
 ――その夜。思いも寄らぬところから、タバサにとっての<運命>は訪れた。

 モンモランシーへの支払いを終え、部屋へと戻った後……太公望は思わずぼやいた。その一言が、タバサにとって、とてつもない意味を持っていたことも知らずに。

「まったく……自業自得とはいえ、150エキューとはとんだ出費だ。もしもわし以外がアレを飲んだとしたら、最長でも2日以内で治してやれたものを」

 あれだけあれば、新作デザートがいくつも買えたのにのう……その、ため息混じりの言葉を、まさに運命と呼んで差し支えない呟きを、タバサの耳は聞き逃さなかった。

「どういうこと?」

「む。どういうこと、とは?」

 タバサの顔色は、劇的に変わっていた。必死の形相で太公望へ詰め寄っていく。

「あなたは、今『惚れ薬』の症状を2日以内で治してやれたと言った」

「ああ、そのことか。実はな……」

 そして、太公望は語り始めた。国元に、ハルケギニアでいうところの<先住魔法>の使い手にして凶悪な妖魔が多数存在していたこと。

 それらの中に<魅了>の術を含む『人為的に精神を塗り替える』ものがいくつもあったことから、彼の国では、それに対抗するための技術が発達しているのだということを語って聞かせた。

 ……とはいえ、それらの術を<解除>するには、北欧の隠れ里に住まう霊獣一族の特殊能力を利用するか、太公望が持つ『太極図』を使う以外には、術中に落ちぬよう、本人が気合いで<抵抗>するしかなかったわけだが、そこまでは言わない太公望であった。わざわざ説明する必要がないと考えたからだ――この時点では。

 しかし、太公望からこの話を聞いたタバサの瞳には、狂おしいまでの光が宿っていた。タバサは声を震わせながら、己のパートナーを問い質す。

「でも、あなたはあのとき……フリッグの舞踏会があったあの日、わたしがした質問に、心の病は治せない――そう答えた」

 ああ、そういえばそんなことがあったな……と、思い出しながら太公望は告げた。

「そうだ、自然にかかってしまった『心の病』は治せない」

「つまり、それ以外なら……?」

「うむ。今回のような『魔法薬』や<マジック・アイテム>。または魔法の類によって、人為的に歪みを発生させられているような症状であれば、わしが診断して<解呪>することが可能だ」

 太公望は、縋るような目をした少女の目を見ながら、先を続ける。

「もちろん、現れている症状によって診断にかかる時間や、解く方法は変わるが。ちなみに、わしに『惚れ薬』の効果が正しく現れなかったのは、おそらく無意識に<解呪>を試みたせいで、それが薬効に割り込んだからであろう。そういう<抵抗>のための訓練も、国元では行われておるからのう」

 そう告げた太公望へ、タバサはしがみついた。そして、小さく震えながら訊ねた。

「あなたなら、どのくらいの時間で……どれくらいの確率で治せるの?」

 その真剣な問いに、太公望はこちらも誠実な態度でもって応えた。

「時間については、症状によって異なるが――早ければその場で数秒以内に。長期の場合は約1年程かかる。治せる確率に関しては……ほぼ100%だ」

 ――それから10分後。太公望はタバサをその背に乗せて、魔法学院から飛び立った。彼女に架せられた重い<運命>と戦うために。


○●○●○●○●

 ――タバサと太公望が心の病に関する問答をしていた、ちょうどそのころ。

 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。人呼んで『微熱』のキュルケ。帝政ゲルマニアでも有数の富豪として知られる大貴族の娘にして、恋多き女として学院内でも有名な彼女が、珍しくたったひとりで空の月を眺めていた。

 実際、これは異常事態と言って差し支えない。いつもならば、彼女が付き合っている彼氏たちが、毎時間のように部屋を訪れている。そして、彼らがダブル、あるいはトリプルブッキングによる騒ぎを起こすことなど、日常茶飯事なのであるからして。

 冠せられた『微熱』の二つ名は、そんな彼女を的確に表す象徴のようなものなのだ。

 しかし今日に限って言えば、間違ってもそういった騒動は起こり得なかった。何故ならキュルケは、全ての予定をキャンセルした上で、自室の窓枠にもたれかかり、酒杯をあおっていたからだ。そんな彼女の足元では、使い魔であるサラマンダーの『フレイム』が、主人に寄り添うようにして、伏せの姿勢を取っている。

 キュルケの心は、今――ぷすぷすと燻り続けていた。そのことを思い、ふっとため息をついたその時だ。彼女の瞳に、太公望とタバサのふたりが遠い空へと舞い上がっていく姿が映り込んだのは。

「はあ。元気になったから、ふたりで夜空のデート……ってところかしら」

 そしてキュルケは、足元に控えるフレイムの頭をそっと撫でた。フレイムは、ウルルルル……と声を上げ、気持ちよさそうに目を細めている。

「あたしね、あなたのことが気に入らないわけじゃないのよ。むしろ、当たりを引いたと思って、喜んでいるくらいなの。火竜山脈のサラマンダーを使い魔にできた生徒なんて、ここ数年いなかったって、先生からも褒められたくらいだし」

 キュルケが呼び出したサラマンダーと呼ばれる幻獣は、この世界において所謂『ブランドもの』に相当する、レアかつ強力な存在なのである。間違いなく『当たり』と言っていいだろう……例年ならば。

「ええ、もちろんわかってるわ、あなたが悪いんじゃないのよ。でもね……」

 そう言って、キュルケは再び空に輝く双月を見上げた。

「あのふたりの<使い魔>さんは、大当たりどころじゃないのよぉぉお!!」

 ……そう。キュルケの心の内では、今、とあるふたりの人物に対する想いで、小さな『葛藤』という名の炎が燻り続けていたのだ。

 ――ひとりは彼女の仇敵。ルイズの使い魔『サイト・ヒリーガル・ド・ブセイオー』。

 最初はただの平民と侮っていたが、実は東方ロバ・アル・カリイエの由緒正しき大貴族にして、<東方最強のメイジ殺し>と謳われた武将の息子だった。

 平民の血が濃いせいか、魔法は一切使えないが――彼の、まさに神速ともいうべき剣の腕は『ドット』では最強レベルといっても過言ではないギーシュの『ワルキューレ』総攻撃を持ってしても対抗できない。しかも、剣がなくても足で蹴り倒してしまうほどの強さを誇る。並のメイジでは、彼に勝つことなどできはしないであろう。

 そして昨夜。サイトは巨大な炎に飲み込まれそうになっていた自分たちを救うために、たったひとりで剣を振るった。そこで判明した事実。彼の持つ剣は、なんと『始祖』ブリミルを護りし『光の盾』。『魔法吸収能力』を持つ、紛う事なき国宝級の<インテリジェンス・ソード>だったのだ。

 突如顕現した『ヘクサゴン』級の大竜巻にまで、光り輝く剣一本で立ち向かわんとしたその姿と勇気は、まさしくお伽噺に登場する『伝説の勇者』イーヴァルディそのもの。人間の営みに無関心であるはずの、水の精霊にすらその名が届いていたほどだ。

 にも関わらず、普段はいたってふつうの男の子。誰にでも公平に接し、お調子者だが明るく、強さをひけらかすことなく、心根も優しい。あの気難しいルイズですら笑わせてしまった……まさに太陽のような輝きを放っている存在だ。

 サイト本人は全く気付いていないようだが、キュルケは知っていた。学院内で働く平民の女の子たちから、彼に向けて熱い視線が注がれているのを。あの強さと性格だ、それも無理はない。これが平民と貴族の身分差が厳しいトリステインではなく、キュルケの出身国ゲルマニアだったなら、貴族の娘からも注目を浴びること間違いなしだろう。

 ――もうひとりは彼女の親友。タバサの使い魔『タイコーボー・リョボー』。

 はじめは、ただのお子ちゃまだと思っていた。だが、その実態は。サイトと同様ロバ・アル・カリイエ出身のメイジにして元軍人。しかも、中将という高い地位に就いていた将軍様だったのだ。年齢も、自分より10歳年上の27。もしかすると、もっと上かもしれない。

 深い知識を持ち、その目に映るもの全てを解析する能力は、まさしく『率いる者』。あの『ゼロ』だったルイズの才能を見抜き、たった1週間で空を飛べるまでに成長させた。キュルケ自身も、彼の薫陶によりどんどん腕が上がっているのを実感している。

 そんな彼が『薬』の効果で語った真実。国王ですら、自分を叱ることなどできはしない――つまりはそういう血筋、あるいは身分であるということだ。本来穏やかな性格であるため、戦いの毎日に疲れ、ついには全てを捨てて旅をしていたらしい。

 とはいえ、メイジとしての腕は超一流。昨夜顕現した、天を貫かんばかりにそびえ立つ大竜巻は『スクウェア』などという枠には到底収まらない。話に聞く『ヘクサゴン』級の偉容を誇っていた。もしかすると彼は、世界中にその名を轟かす伝説の風メイジ『烈風』カリンとも互角に戦えるのではないだろうか。

 どうにも掴み所のない性格で、かつ「面倒くさい」が口癖の、ただの怠け者のようにも見える。しかし、今日のモンモランシーに対する対応。ただ事実のみを追求し、己の過ちを認める姿は、立派な大人の男性だった。まさしく上に立つ者として相応しい。にも関わらず、過去の身分を笠に着て偉ぶったりしないところも好感度が高い。あえて難点を挙げるなら、シスコン疑惑があるところぐらいか。

 ――サイトを太陽と称するならば、タイコーボーは、ひとの隣で静かに輝く月だ。

 キュルケは、残っていたワインをひと息で飲み干すと、さらにテーブルの上に置かれていたボトルから、グラスへなみなみと赤い液体を注ぎ入れた。

「サイトは、クラスの子たちと変わらないか、それ以下の恋愛スキルしか持ってない初心(ウブ)な男の子。はあ……『伝説の勇者候補』を自分色に染められる、なんて考えたら、あたし……」

 新たに注いだワインも、これまた一気に口へ流し込んだキュルケは、深いため息と共に声を吐き出した。

「ミスタ・タイコーボーは、子供みたいな見た目の中に、包容力のある男を感じさせる、あのギャップが魅力よね。彼となら、大人の恋愛や駆け引きを楽しめそう、なんだけど……」

 キュルケは、腰をかがめてフレイムの首周りをぎゅっと抱き締めながら呟いた。

「彼はタバサの『パートナー』だから論外として。サイトなのよね……問題は。フォン・ツェルプストー家の者としては、仇敵ヴァリエール家の『相手』を奪うのが流儀のはず、なんだけど……なんだけど!」

 突然、キュルケは立ち上がって声を上げた……隣に聞こえるので控えめに。

「どうしてヴァリエールの『いちばん』になっちゃったのよおおお! あたしはね、どんなことがあっても、そのひとの『いちばん』は取らない主義なのよ!!」

 ……そして、彼女はテーブルの上に突っ伏して、ぼそりと呟いた。

「神の剣を持つ勇者さまと、身分を捨てた流浪の王子さまが、自分の目の前にいるのがわかっているのに手が出せないこの葛藤! 『微熱』の名が泣くけど、この心は届かない……ああ、このあたしの運命の『パートナー』は、いったいどこにいるのよ……ッ」

 ――実は、結構近くに『運命のパートナー』がいたりするのだが、彼女がそれに気がつくのは、もうしばらく先の話。

 ……と、このように彼女の中にある『誤解』が、現在進行形でとんでもない方向へ走り続けていることを知らせる意味で、その葛藤をここに記載しておこう。ただし、本人はこれらの内容について、一切他者へ口外するつもりはないということも、併せて記す。


○●○●○●○●

 ――キュルケが、ワインのあおりすぎでテーブルで寝息を立て始めた頃。

 ガリアとトリステインの国境から、馬車で10分ほどの場所に建つ、旧い立派な屋敷の門を、タバサと太公望は通り抜けていた。

 その門に刻まれた紋章――交差した2本の杖に、古代文字で『さらに先へ』と記された銘は、まごうことなきガリア王家の紋章である。だが、その上には大きな×印が刻まれていた。『不名誉印』と呼ばれるそれは、王族でありながらその権利を剥奪されたという意味を持つ。

 ふたりが玄関の前へ到着すると、屋敷の中からひとりの従順そうな老僕が現れ、恭しく頭を下げた。

「シャルロットお嬢さま、お帰りなさいませ。失礼ですが……そちらの方は?」

「事情を知っている」

 タバサのごく小さな呟きに、老僕はピクリと身体を震わせると、すぐさまふたりを屋敷内へと案内した。そして彼は、改めて太公望へ深い礼をした。

「このオルレアン大公家の執事を務めさせていただいております、ペルスランと申します。どうぞ、よろしくお見知りおき下さい」

「わしは太公望と申す者だ、よろしく頼む」

「彼を客間へ案内して。わたしは、まず母さまの様子を見てくる」

「承知いたしました、では……こちらへ」

 隅々まで手入れの行き届いた邸内を抜け、客間まで案内された太公望は、ペルスランが「何か軽いものをお持ち致します」という言葉を残して立ち去った後――慎重に周囲を伺い、感覚を研ぎ澄ませた。

「ふむ、このあたりに間諜の類はいないようだな」

 屋敷へ入る前にも念のために偵察を行ったが、どこかから見張られているような気配はなかった。太公望は、ほっと息を吐いた。

 そうこうしているうちに、ペルスランが茶と菓子を持って戻ってきた。出された菓子をつまみながら、太公望は人の良さそうな老僕に訊ねた。

「こちらのお屋敷は、ずいぶんと歴史あるものと思われるが、おぬし以外の人間は……今はひとりしかいないようだな。幸いなことに、魔法で見張られているということもなさそうだのう」

「失礼ですが、どこまでご存じでいらっしゃいますか?」

「タバサ……シャルロット姫殿下が、病気の身内を人質に取られ、王家の為に命がけで汚れ仕事をさせられている。また、その人質の病が『魔法薬』によって引き起こされたものである。患者がこの家にいる。ここまでは承知している」

 そこまで一気に話した太公望は、改めて自己紹介をする。

「ペルスラン殿については、既にシャルロット姫殿下より伺っている。偵察により間諜がいないことが判明したため、改めて自己紹介させていただく。わしの名は、太公望呂望。使い魔召喚の儀で、東方ロバ・アル・カリイエより殿下によって呼び出された使い魔だ」

「なんと……!」

 ペルスランは、驚いた。使い魔召喚の儀で人間が呼び出されるなど、これまで聞いたことがない。しかもロバ・アル・カリイエからというのは、想像の埒外にある。だが、次に続いた太公望の言葉で、老僕は『始祖』の導きを感じることとなる。

「わしは『魔法薬』によって『心』を壊された者を、ほぼ確実に治すことができるのだ。もしやすると、殿下の強い願いが、わしをこの地へ呼び寄せたのかもしれぬ」

「そ、そ、それでは……ま、まさか……」

 震える声で訊ねる老僕に、太公望は笑顔で答えた。

「左様……わざわざこんな夜分に参ったのは、王家の者に気取られることなく、奥さまの診察を行うためだ」

 老僕は、その場に崩れ落ちた。彼の両目からは、滝のような涙がしたたり落ちている。

「あなたさまは、お嬢さまをこの牢獄から解き放ちにいらして下さったのですね。まさしく『始祖』ブリミルのお導きに違いありませぬ」

 溢れ出る涙を拭こうともせず、そのままに。ペルスランは事情を語り始めた。


○●○●○●○●

 その頃タバサは、広い屋敷の廊下突き当たり、右最奥の部屋の前に立っていた。扉をノックしても、中から返事はない。この部屋の主がタバサの呼びかけに答えなくなってから、既に3年ほどの月日が流れていた。そのとき、タバサはまだ12歳だった。

 タバサは扉を開けると、部屋の中へ入っていった。そこは、椅子とテーブル、そしてベッド以外何もない、殺風景な部屋だった。ラグドリアン湖を望める広い庭に面しているのが、唯一の慰めだ。

 部屋の主は、すぐさま『侵入者』に気が付いた。そこにいたのは、痩身の女性だった。フェルト生地で作られた小さな人形を両手でしかと抱き締め、タバサを睨み付けている。元は美しかったのであろう顔は酷くやつれ、実年齢よりもはるかに老けて見えた。

「あなたはだれ?」

 女性の問いに、タバサが答えた。

「わたしです、母さま。只今戻りました」

 痩身の女性は、タバサの母親だった。しかし、彼女の口から出た言葉は、娘の帰省を喜ぶ母のものではなかった。夫人は顔中に怒りの色を浮かべ、わなわなと全身を震わせながら叫んだ。

「お前、また王家が寄越した回し者ね! これまでに、何度も申したではありませんか。シャルロットが王位を狙っているなど、言いがかりも甚だしいと。宮廷の醜い権力争いなんて、もううんざり。わたくしたちは、ただ静かに暮らしたいだけなのです。どうして、そっとしておいてくれないのですか!?」

 タバサの母親は、自分の娘の顔がわからないのだった。彼女は、その腕に抱いた人形を自分の後ろへ隠すように置くと、悄然と立つタバサへ向けて、テーブルの上に置かれていたワイングラスを投げつけた。

「お前たちなどに、シャルロットは渡しません。ええ、絶対に渡しませんとも! わかったら、下がりなさい!」

 ワイングラスはタバサの肩に当たり、絨毯敷きの床へ転がり落ちた。タバサの母親は、フェルト地の人形を愛おしそうに抱え込むと、ベッドへ寝かせ、頭を撫でた。その人形はひどく汚れが目立ち、身体のあちこちが擦り切れてぼろぼろだった。永い間、夫人がその人形を手放さなかった証拠だ。

「おお、おお、わたくしの可愛いシャルロット。心配はいりませんよ、あなたはこのわたくしが、必ず守ってみせますからね」

 ――そう。タバサの母親は、既にぼろきれのようになった人形を、自分の愛娘シャルロット――タバサだと思い込んでいるのだ。そんな母の姿を見ながら、タバサは悲しげな笑みを浮かべた。これは感情を表に出すことのない『雪風』が、母の前でだけ見せる顔だ。

「母さま、いま少しだけお待ち下さい。今宵、あなたの病を治せるひとを連れて参りました。あなたが元に戻った、その後で……父さまの命と、あなたの心を奪った憎き者どもの首を取りに行きます。そして、この部屋に並べてご覧にいれましょう。どうかその日まで、あなたがくれた『人形』が、仇の目を欺き続けられるよう――祈っていて下さい」

 父の仇を討ち、わたしたち母娘の無念を晴らす。それが、水の精霊に立てた誓いです――そう心の内で母に告げたタバサは、静かに部屋の扉を閉めた。


○●○●○●○●

「派閥争いの犠牲者……か」

 ため息のように吐き出された太公望の言葉に、ペルスランは頷いた。

「はい。かつて、ガリア王家にはふたりの兄弟がおられました。ひとりはご長男のジョゼフさま。現在のガリア国王でございます。もうひとりは、シャルロットお嬢さまのお父上であらせられる、ご次男のオルレアン大公シャルルさまです」

 ペルスランは語る。本来であれば、長男であるジョゼフが王位を継ぐのが当然であったのだが、しかし。彼はお世辞にも王の器とは言えない人物であった。何故なら、三王家の長であるガリアの王族に生まれながら、魔法を一切使うことができないのだ。

「そうか、それでガリアの王は『無能王』などと呼ばれているのだな」

「左様でございます。外国……しかも東方のおかたには、何故国王の地位にある者に、そのような二つ名が冠されたのかは、おわかりになりにくかったでしょう。自国の王が魔法を使えぬなど、国の恥。わざわざそれを余所で吹聴する者はおりませぬゆえ」

「確かにその通り……失礼、話を続けていただけるだろうか」

「承知いたしました、それでは……」

 『無能』と呼ばれた兄ジョゼフとは異なり、シャルル王子には怖ろしいほどの魔法の才があった。物心ついてすぐに空を飛び、7歳で炎を支配し、10歳になる頃には銀の錬金に成功した上に、12歳で遂に水の根本を理解した。彼は、なんと成人する前に『始祖』ブリミル以来初めて、四大系統魔法全ての頂点を極めてしまったのだ。

「オルレアン大公はその才能に驕らず、誰にでも分け隔て無くお優しいおかたでした。ですが、そんな大公殿下の才と人望こそが、ガリア王家にとっての不幸でございました」

「大公殿下を擁して、王座につけようとする者たちが現れたのだな?」

「仰る通りです。魔法の才に溢れる大公殿下こそが、次代の王として相応しいとする動きが宮廷で持ち上がるいっぽうで、既に皇太子として定められたジョゼフさまが王位を継ぐのが伝統であり、国法だとする一派が対立した結果……大公殿下は暗殺されました。ジョゼフ派が催した狩猟の会の最中に、毒矢で胸を射貫かれたのです。しかし、大公家を襲った悲劇は、それだけに留まりませんでした」

 流れ落ちる涙を拭くことなく、老僕は先を続ける。

「ジョゼフ王と、王を擁する一派は、争いの禍根を断とうと考えたのでしょう。奥さまとお嬢さまを宮殿へ呼びつけ、酒肴を振る舞いました。その宴席でシャルロットお嬢さまに手渡されたワイングラスの中に、毒が盛られていたのです。それに気付かれた奥さまは、ジョゼフ王へ必死の思いで命乞いをなさったのです。自分がこれを飲むかわりに、娘の命だけは助けてほしい……と」

 魔法の毒という言葉に小さく眉を吊り上げた太公望は、そのまま黙って老僕の言葉に耳を傾けていた。

「その毒は、心を狂わせる水魔法の毒でございました。以来、奥さまはお心を病まれ――ご自身の命を賭してまで守ろうとした愛娘の顔すらわからなくなってしまわれたのです。そして、目の前で母を狂わされたお嬢さまは……言葉と表情を失いました。快活であられた頃のお姿が、まるで夢か幻であったかのように」

 ペルスランは口惜しそうに顔を歪め、先を続けた。

「にも関わらず! ジョゼフ王は、ご両親を奪われたばかりのお嬢さまを、大勢の騎士が命を落とした怖ろしい魔獣討伐に従事させたのです! あれは、事実上の処刑宣告でした。しかしお嬢さまはその苦難を乗り越え、ご自身を守られたのです。王家は、そんなお嬢さまを持て余したのでしょう。王族の地位と名を奪って『シュヴァリエ』の爵位のみを与え、厄介払いも同然に外国へ留学させたのです。その上で、奥さまをこの屋敷に幽閉することで、お嬢さまの行動を縛り付けました」

 老僕の悔しさに満ちた告白に、太公望は無言のまま聞き入っていた。

「奥さまを人質にとった王家は、宮廷で表にできない汚れ仕事が持ち上がると『任務』と称してお嬢さまを呼びつけ、牛馬のようにこき使うのです! これが、血を分けた姪に対する仕打ちでしょうか!? 残酷にも程があります。私には、せめて奥さまのご病状がこれ以上悪化しないよう、お世話をして差し上げる以外、何もできませぬ。我が身の不甲斐なさを嘆くことしか叶いませぬ……」

 全てを語り終えたペルスランは「どうか奥さまとお嬢さまをよろしくお願い致します」そう告げて頭を下げると、冷めた茶を淹れ直すために客間を出て行った。

「なるほど……そういうことであったのか……」

 太公望は、ひとり残された部屋の中、思考の淵へと沈み込んでいた。タバサが『薬』を飲まされた自分を見て怒り狂い、治ったとわかった時に流した大粒の涙の理由。普段から、表情のない人形のように振る舞う理由。本来は心優しい娘であるにも関わらず『雪風』などと呼ばれるほどに冷たい空気を纏う理由。彼には、それらがよく理解できた。できてしまった。

「絶対に、タバサの母を治してみせる。たとえいかなる手段を使おうとも」


○●○●○●○●

 ――それから、30分ほどして。

 部屋の外から『患者』の様子を一通り観察した太公望は、タバサに「今は<力>を温存しておきたい」と告げて、母親へ<眠りの雲>をかけてもらい、詳しく状態を確認した。その後、不安げに見守っている少女と老僕のふたりを伴い、客間へと戻った。

「結論から言おう。わしの手で、ほぼ間違いなく治せる」

 その答えを聞いたふたりは、身体を小刻みに震わせ、静かに涙を流した。その様子を見た太公望は静かに頷くと、彼らが泣き止むのを待った。そして彼らが落ち着きを取り戻したところで、改めて説明に入る。

「そこでだ。『ほぼ』ではなく『確実』にするため、おふたりの<力>を借りたい」

「どうすればいい」

「私にできることなら、なんなりと」

 ふたりの答えに頷いた太公望は、再び説明を開始する。

「失礼ながら、いつも通りに呼ばせてもらう。タバサよ、ひとつだけ確認したいのだが。おぬしは、自分に対してだけ<眠りの雲>の魔法をかけることができるか? たとえば、身体を寝かせた状態で」

 その質問に、ちょっと考えたタバサは「可能である」と答えた。

「うむ、それならば確実だのう。では、つぎにペルスラン殿にお願いしたい」

「はい、私は何をすれば?」

「奥さまの隣に、敷物かクッションのようなものでかまわないので、ふたりが横たわれるだけの場所を用意してきていただけるだろうか……できれば早急に」

「承知いたしました」

 ペルスランは頷くと、足早に客間から出て行った。自分への質問と、今のペルスランへの指示から、おそらく『眠り』に関する何かをしようとしているのだろう。ただ、その意図がわからない。そう考えたタバサは、太公望へ質問することにした。

「いったい、なにをするの?」

「見にいくのだ」

「それは……なにを?」

「おぬしの母上が見ている『夢』を、だ」


○●○●○●○●

 ――ペルスランが準備が整ったことを伝えに客間へ戻ってきた後、太公望はふたりを伴い、再びタバサの母親が眠る部屋を訪れた。

「タバサよ。母上は、あとどのくらい眠り続けるかわかるか?」

「最短でも3時間、長ければ5時間ほど」

 タバサの声に、うむ。と頷いた太公望は、ふたりに向き直って説明を開始した。

「まず最初に言っておく。タバサは時折見ていたからわかるであろうが……今回、ここでわしがしようとしていることは、ハルケギニアではほぼ間違いなく『異端』とされる内容だ。よって、他者には絶対に漏らさないで欲しい」

 タバサと老僕は、互いに目を見合わせると、すぐに太公望へ強く頷いた。

「それでは、タバサよ……母上に近いほうへ身体を横たえるのだ。右手側に、忘れず『杖』を持ってゆくのだぞ」

 タバサは、言われた通りに並べられたクッションの上へ身体を横たえた。そして、その隣――タバサの左側へ、太公望が移動する。

「これから、わしの技でもって、奥さまの『夢』の中へタバサを誘う。もちろん、このわしも同行する」

 この発言に、タバサもペルスランも驚いた。そんなことができるのか――と。

「つまり、わしらはふたりとも完全に無防備となってしまう。そこでペルスラン殿」

「はい」

「1時間だ。タバサが眠りに入ってから1時間経過したら、わしらを即座に起こしてもらいたい。また、もしも誰かがこの家にやってくるようなことがあれば、経過時間に関わらず教えていただきたい。同時に、部屋の見張りをお願いしたいのだが」

 その言葉に、ペルスランは礼をもって応えた。

「ではタバサよ。わしが合図をしたら、自分に<眠りの雲>をかけ、眠りにつくのだ。よいか?」

「わかった」

 タバサの返事を聞いた太公望は、左手に『打神鞭』を持って彼女の横へ座り込むと、自分も身体を横たえた。そして、右手でタバサの左手を軽く握り締める。

 と――タバサは、太公望の手から何か暖かいものが自分の中へ流れ込んでくるのを感じ取った。これは、いったいなんだろう……?

「タバサよ、それに逆らってはだめだ。よいか、流れに身をゆだねるのだ」

 小さく頷いたタバサ。そして、太公望は彼女に<眠りの雲>をかけるよう命じて、自分も目を閉じた。

 ――その後、ペルスランは見た。ふたりの身体から、何か薄く光る珠のようなものが浮かび上がったかと思うと、奥で眠る『患者』の中へ吸い込まれて、消えたのを。


○●○●○●○●

 ――ここはどこだろう。

 タバサが気がつくと、そこは暗闇の中であった。部屋の様子どころか、どちらが上で、下なのか、それすらもわからないほどの闇。手にした杖の先に<光源(ライト)>で明かりをつけようとしたその時。どこからか、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「明かりを灯す必要はない」

 この声は……? タバサは周囲を見回したが、何も見えない。気配も感じられない。

「すまぬ、わしとしても正直これは想定外であったのだ。よって『いい部屋』に案内できなかった。迎えにゆくから、少し待っていてくれ」

 すると。タバサの前に、突如光り輝く長方形の『鏡』、いや『窓』のようなものが現れた。そして、その強い光を放つ『窓』の中から、ズル……と、衣擦れの音を響かせながら、誰かが出てくる。

 <サモン・サーヴァント>の『鏡』だろうか? いや違う。これは、もしかして……タイコーボーが話していた『空間ゲート』の出口では……!?

 タバサは『空間ゲート』の中から現れた人物を見た。『窓』から差す光が強すぎて、その顔はよく見えない。漆黒のマントを羽織り、フードを被ったその人物は――。

「た……タイコーボー!?」

「――誰のことだ、それは?」

 その言葉と共に、闇に包まれていた空間に、ボウ……と、淡い光が現れた。それから彼は、高らかに名乗りをあげた。

「我が名は伏羲(ふっき)! 『始まりの人』がひとりである!!」

 ……10秒ほどの間を置いて。男はバッ! とフードを取り去った。

「な~んてのう! ニョホホホホ……」

 タバサは、黙って杖を振り上げると、太公望の頭をポカポカ殴り始めた。彼女の身長より遙かに大きい、節くれ立ったその杖は、それ単体が立派な凶器である。

「や、やめんか! 悪かった! 『夢』の中でも痛いものは痛いのだ!!」

 その言葉に、タバサはハッとした。そうか、ここは『夢』の中なのだ、と。

「その姿は……!?」

「説明はあとあと。とりあえず、このしみったれた場所を出ようや!」

 その言葉と共に、太公望の『杖』の先に、ぴっと小さな光が灯った。すると、太公望はその光で、空中に大きな円を描き始めた……そして。

「じぇい!!」

 と、いう叫び声と共に、その円を蹴飛ばして中を打ち割った挙げ句、穴を開けてしまった。足が通り抜けるという予想をしていたタバサは仰天してしまった。いや、いくら『夢』の中とはいえ、これはないだろう……と。

「ほれ、こっちへ来るのだ!」

 穴の側で、太公望が手招きをしている。と、彼はすいと穴へ飛び込んでしまった。

「ではお先に!」

 あっけにとられていたタバサだったが、その穴がじょじょに小さくなっていくのを見た彼女は、慌てて彼の後を追い、その中へと飛び込んでいった――。



[33886]    第27話 雪風、幻夢の中に探すの事
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/08/12 20:18
 ――そこは、不思議な『部屋』だった。

 白くつややかな――それでいて、大理石ではない、これまで目にしたこともないような素材で作られた壁。同じもので造られた床の中心には、透明のガラス板が張られている。その中で魚影らしきものが動くのが見えた。これは、もしや水槽だろうか。

 部屋の奥には、大きな天窓がついている。タバサは、伏羲の後を追う際にちらっと、その窓の中を見た。そこには……なんと何処までも続く、星の海が広がっていた――。

「さあ、こっちへ来るのだ」

 タバサはハッとした。いけない、思わず星の輝きに見とれてしまっていた。今は、母さまを助け出すことを第一に考えなければならないのに。窓から目を逸らした彼女は、急いで伏羲の元へ駆けていった。

 ……案内された奥の部屋は、もっと不思議だった。

 丸い光の玉が、いくつもふよふよと室内を漂っている。魔法のランプの一種らしく、部屋全体を、まるで昼間のように明るく照らし出している。部屋の隅にはベッドと、机……何かの道具だろうか、見たこともないような品々が、棚の上に所狭しと並んでいる。

 伏羲は、机の側にあったこれも不思議な形の一人がけ用のソファーに腰掛けると、タバサを手招きした。

「質問したいことがたくさんあるだろうが、今は時間がない。まずは、ここにいるうちに、タバサのお母上の『魂魄』がどこに囚われているか当たりを付けねばならぬ」

 いやはや、この姿で調査できて助かった。『夢』に入る前のわしだったら、最悪当たりづけだけで終わってしまう可能性があったからのう。などと呟きながら、伏羲は机の上を片付けている。

 ――この姿。いま、彼はそう言った。

 いつも先の割れた外套の内側に着ている橙色(だいだいいろ)の胴衣と、それと同じ色の手袋。だが、それ以外は全て黒を基調とした服装をしている。頭にいつもの白布も巻かれていない。代わりに、左頬を守るような形の、金属製の装飾品を身につけている。

 幾重にも折り重ねられた肩当てに、皮のような、そうでないような不思議な素材で作られた胸当て。そして、何かの文様のような細かい意匠が施されたフードがついた、足元まで届く、黒く長いマント。それは中心から先が3つに割れている。そのマントは、肩当てのところに、金や銀とは明らかに違う、それでいて高級感の溢れた鈍い光沢を放つ金属でできた、複数のボタンによって留められていた。

 そのマントも含め、胸当てを除く全てが――まるで、最高級の絹のように上品な光沢を放つ、不思議な布地で作られている――。

 そんなタバサの探るような視線が気になったのだろう、伏羲は苦笑して答えた。

「ああ、これはな……軍にいた頃の服装なのだ。おそらく、当時の記憶が強いため『夢』に入り込んだときにこうなってしまったのだろう。おかげで『空間操作』が使える。これは正直嬉しい誤算だ」

 ……と、さっきまでは何もなかった床の上に、落ち着いた色のソファーが現れた。

「さあ、タバサよ。それに座るのだ」

 言われた通りにソファーへ腰掛けてすぐに、タバサは気がついた。さっき、彼は『今は空間操作が使える』と言った。ひょっとして――。

「タイコーボー、ここは……!」

「そうだ。これが『自分の部屋』というものだよ。前に話した、わしらの本拠地である星の海を征く船、その船室のひとつをイメージしてわしが作り出した『小さな異世界』。『夢』の中でもそれは可能なのだ」

 ……いや、『夢』の中だからこそできたのか。伏羲はそう独りごちた。

 伏羲は、隣の一人掛けソファーに腰掛けたタバサと話しながら、机の上に、薄緑色をした、幾つものガラスとは異なる透明の板――なにやら文字が書かれているが、ハルケギニアのそれではない。付随して複雑な図形の類が描き出されているものを、何枚も空中に並べている。

「よし、タバサよ。それではこれからお母上の『魂魄(こんぱく)』……すなわち『心を構成する魂』が『薬』による影響で、夢の中のどこに囚われているのかを探し始める」

 その言葉で、タバサの顔がより引き締まったものとなった。

 すると、タバサの目の前に4枚の『鏡』――いや、姿が映らない『窓』が現れた。不思議なことに、その中には様々な場所の様子が映し出されている。

「左から……1、2、3、4。これらの『窓』に、このあと色々な場所が映し出される。そのなかで、タバサと母上にとって思い出深い場所。あるいは、例の『薬』を飲まされたであろう舞台の景色が映ったら、その番号を言ってくれ」

 伏羲は、そうタバサへと説明しながら、自分の右手にある薄いガラスのような板――タバサには何だかわからないが、実は記録操作用のパネルを片手でいじっている。

「その景色の近くに、お母上が閉じこめられている可能性が高い。ちなみに、お母上自身を見つけた場合にも、同じく番号を教えて欲しい。映っている窓がひとつもなかったら、次、と言ってくれれば映し先を変えるからの」

「わかった」

 コクリと頷いたタバサへ、優しい笑顔で答える伏羲。

「では、始めるぞ。ふたりでお母上を捜すのだ」

 ――こうして『調査』は始まった。


○●○●○●○●

 ――調査は約40分に及び、その末に伏羲は、タバサの母の『魂魄』らしきものの居場所を、ほぼ特定することに成功した。「らしきもの」としているのは、病み衰えた現在の姿ではなく、若く瑞々しい姿をしているからだ。

 彼女は、とある扉の前――何故か、蔦のようなもので固く封印が施されているそれに、扉ごと全身を縛り付けられていたのだ。おそらくあの『植物の枷』が彼女の『心』を縛り付けているモノなのだろう。そして、その扉の奥に、彼女を狂わせている『原因』があるのだろうと当たりをつけた。

「あれが、タバサのお母上で間違いないか? もしもそうならば、何かおぬしの身体に不思議な感覚が現れるはずなのだが」

「身体を包み込まれるような感じならある」

「それだ! よし……間違いないな。この2つほど手前の部屋の『座標』を記録しておけば、次に来たときに危険なく入り込めるであろう」

 その言葉に、タバサがえっ!? というような顔をした。

「今日は、治せないの……?」

「うむ、おぬしも承知の通り『心』は複雑なものだ。よって、その在処を特定したのちに、丁寧に処置を行う必要がある。そうでなければ本当に壊れてしまう危険性があるからのう。診断の結果は悪いものではないので、外に出てから改めて説明しよう」

 その言葉に、タバサは深々と頭を下げた。

「お願いします」

「なんなのだ、いきなり改まって。調子が狂うから、いつも通りで頼む」

 慌てたような口調でそう告げた彼の姿がなんだかおかしくて、タバサはつい笑みを浮かべてしまった。そして気付いた。こんな笑みを浮かべたのは、いつ以来だろうか。

「さて、それではわしは、今後の治療のためにいろいろとしなければならない作業があるので、おぬしは部屋の中を見学してきてよいぞ」

「あなたの作業を見ていてもかまわない?」

「見ておっても、おぬしには何が何だかさっぱりわからんと思うぞ?」

「それでもかまわない」

「ならば、おぬしの好きなようにしてくれてかまわぬ」

 ――それから10分ほど経過して。行うべき作業を終えたふたりは、突如『夢』の世界から引き戻された。そう、指定していた『目覚め』の時間が訪れたのだ。

 起き上がったふたりを見て、ペルスランは涙を流していた。

「おかえりなさいませ、お嬢さま。そしてタイコーボーさま。お疲れでしょう、すぐに軽い食事と飲み物をご用意致します」

 老僕はそう言って、ふたりを客間に通した後、急いで屋敷の奥へと戻っていった。

 そして、さらに10分後。太公望は『診察』のより詳しい結果を、ふたりに話していた――ペルスランの手によってカットされた林檎を咀嚼しながら。ちなみに、当然ながら伏羲の姿ではなく、現在は太公望のそれに戻っている。

「それで治療にかかる時間だが、おそらく最長で2週間。ただし、まる1日を全て治療に費やすことができれば、ほぼ1日で終えられると思う。基本は3日程度と考えておいてもらいたい」

 タバサとペルスランは頷いた。

「とはいえ、ここは敵地。つまり……」

 太公望の言葉を継いだのは、タバサであった。

「この屋敷で、長時間の治療を行うのは危険。あの無防備な姿を晒すのはだめ」

「その通りだ。よって、おふたかた共に、安全な場所へ移動していただいてから、治療を行うのが最善だと思われる」

 その言葉に慌てたのはペルスランだ。

「お待ち下さい! 私どもがこの屋敷を出るのは、無理でございます。時折見回りの兵がやって来ますし、なにより我らがここからいなくなってしまったら、王家への叛意ありと見なされ、お嬢さまはもちろん、シャルル派の生き残りが粛正されてしまう可能性が」

 そんな彼を頼もしそうな表情で見遣った太公望は、まあまあ……と、両手でペルスランを落ち着かせると、説明を続けた。

「それについては問題ない。おふたかたが『逃げた』と思われぬとっておきの『策』がありますゆえ。それについては、逃亡当日になってから改めてご説明しますが、その他の関係者に迷惑をかけるようなことはありませんのでご安心を」

「承知いたしました。で、迎えはいつごろに……?」

「早くて2週間。遅くともひと月以内には参ります。もしもそれ以上かかる場合は、必ず前もって、ふたりで報せに来ます。今回のように、夜半過ぎに」

「伝書フクロウは気取られる可能性があるので出せない、ということですな」

「その通りです。では、本日はこれで……」

 ――話を終えた太公望とタバサのふたりは、老僕ペルスランにに見送られながら、夜が明ける前にオルレアン公邸をあとにした。


○●○●○●○●

 ――魔法学院へと戻る道すがら、太公望とタバサのふたりは『逃亡作戦』について、詳細を煮詰めていた。

「逃亡先だが……できればゲルマニアが望ましいのだが」

「キュルケに土地勘がある、から?」

「それもあるが、実はわしの手のものをヴィンドボナへ放ってあるのだ」

 その言葉にタバサは仰天した。今日は、いったい何度……彼に驚かされただろう。

「時折、わしの元へ伝書フクロウが飛んできていたことを?」

「知っていた。でも訊ねるべきではないと判断した」

「その判断はありがたい」

 そう言って、太公望は先を続けた。

「あれはな、わしがスカウトした情報斥候からの調査報告書なのだよ。非常に有能でな、おかげで色々と助かっておるのだ」

 いつのまにそんなことをしていたのだ、このひとは……タバサは頭を抱えた。まさか、自分の『パートナー』が、個人的にスパイを雇っていたなどとは思いもよらなかった。

「でだ。その者に、逃亡の際の案内協力と輸送用の風竜の手配をしてもらう。外国の人間だから、ガリア経由で足がつくこともない。避難先については、できれば誰の手も借りたくはないのだが、キュルケならば信頼できる。彼女はなんだかんだで口も堅いし、気が利く娘だからのう」

「それには全面的に同意する。では、キュルケに場所の確保、あるいは推薦を依頼するということで」

「うむ。次に、ひとがいなくなってしまう、おぬしの屋敷についてだが」

「あなたが何をしようとしているのか、だいたい理解している」

「そうか……この件については、ユルバン殿と男爵夫人に感謝せねばならぬな」

 太公望の言葉に、タバサはその背の上で頷いた。かつて、彼女たちと共に戦った老戦士――いや『老騎士』ユルバン。その彼を守るために造られた『箱庭』を立ち去る時、彼らはロドバルド男爵夫人の魂を宿したガーゴイルから、2つの人形を手渡されていた。

 その人形は――血を吸わせることで、その人物の姿形を写し取るだけでなく、性格や記憶までコピーした上に、意志を持った個人として完全自立行動まで可能。かつ、年を追うごとに老化までするという、魔法研究の進んだガリアの王都でも絶対に手に入らないほどに優秀、かつレアな<マジック・アイテム>だ。

 おまけに<土石>と呼ばれる先住の<力>の結晶を元に作られたために<魔法探知>にすら反応しない。メイジを写し取った場合はその限りではないが、むしろそのせいで、入れ替わりに気付くのは至難の業であろう。

「あの人形を、ふたりの身代わりにする」

「そうだ。あれを使えば、しばらくの間――最低でも数年間は、時間稼ぎが可能であろう。何せ、このわしですら直に触れて、そこに宿る魂魄の儚さを感じ取り、ようやく人間ではないと気付けたほどのシロモノなのだ。そう簡単には見破られまい」

「あれと似た『スキルニル』という魔法人形があるけれど、スキルニルは老化なんてしないし、思い通りに動かすためには、所有者がしっかりと指示を与える必要がある。スキルニル自身が、全てを判断して行動することはできない」

「つまり、その『人形』と疑われる心配も少ないということだな」

「そう」

「あとは、逃亡後の生活資金かのう」

 この意見に、タバサは小さく眉根を寄せた。現在彼女が自由にできるお金は、毎月送金されてくる『シュヴァリエ』の年金だけだ。その額、500エキュー。平民の4人家族が1年生活できるだけの金額だ。今はそこから自分の学費や母たちの生活資金をやりくりしているのだが、それは土地屋敷があるからこそできることであって、それらを手放した後のことを考えると、頭が痛くなる。

「でも、だからと言って屋敷から何か持ち出したりしたら、怪しまれる」

「まあ、それに関してはちょっとわしに当てがある。そのかわり、タバサだけではなく、例の『仲間』たちに協力を依頼する必要があるが」

「当てとは……いったい何?」

「ふっふっふ……懸賞金つきの討伐依頼受領を兼ねた『宝探し』だ」


○●○●○●○●

 ――キュルケは、夜明け前ふいに目を覚ました。

「う……テーブルで寝ちゃってたなんて……か、身体が痛い……」

 とりあえず立ち上がって、伸びを……そう考えたキュルケが、偶然窓の外へ目をやると。なんと太公望の背に乗って、タバサが共に舞い降りてきたではないか。

「あらあら……とうとうあのふたり、外で一晩過ごしちゃった!? これは……!」

 是非ともふたりに突撃しないと。キュルケはにんまりとして、急いで身支度を調えると、上の階にあるタバサの部屋へと急いだ。

 キュルケが足音を忍ばせて、タバサたちの部屋の扉に耳をつけ、外から様子を伺うと……中から「今日は授業を休む」だの「いや、仮眠だけ取って出席せねば怪しまれる」などという、実に想像力をかき立てられる台詞が飛び交っている。

「やっぱり、タバサってば大人になっちゃったのね」

 ここで突撃しないでいつするのだ。燃える恋愛を至上とするツェルプストー家の者としては、どうしてもやらずにはいられない。いや、やらねばなるまい。

 そして、キュルケはいつものように(校則違反の)<アンロック>を唱え、勢いよくタバサの部屋の扉を開いた……すると。

「いいところへ来たキュルケ!」

「あなたに頼みがある」

 ふたりの思わぬリアクションに、固まることしかできないキュルケであった。

 ――そして、タバサは改めてキュルケに事情を語った。もちろん、彼女を信頼した上で、全てを話し、頭を下げた。どうか母と忠実な老僕が一時的に過ごすための、安全な場所の確保をお願いできないか――と。

 全てを聞いたキュルケは、泣いていた。しかも<サイレント>がかかっているにも関わらず、声をあげずに。内容が内容だけに、間違っても聞かれてはいけない。そんな思いに駆られているのだろう。

 キュルケは静かにタバサの元へ歩み寄ると、親友を優しく抱き締めた。

「大丈夫、あたしに任せて。うちの実家なら、いくつも別荘があるわ。そこのひとつを貸し出してもらえるよう、お父様にお願いしてみるから」

「ありがとう……」

 タバサとキュルケのふたりは、声もなく泣いた。そして、そんなふたりを見守っていた太公望は、彼女たちが落ち着くのを待って、その後改めて話を切り出した。

「お父上への報せだが、念のため直接にではなく、中継点を通して送りたい。よって、のちほど手紙を書いて、わしに預けてもらえないだろうか。ちなみに預かっていただきたい人数はふたりだ」

「わかったわ。急いで連絡用の手紙を用意してくる」

 そう言って部屋へ駆け戻っていったキュルケを見送ったふたりは呟いた。

「タバサよ、素晴らしい友を持ったな」

「……うん」

 ――実は、キュルケが覗き兼冷やかし目当てに部屋を訪れたなどとは、全くもって気付いていない太公望とタバサであった。


○●○●○●○●

「畑仕事ォ!?」

 その日の夕方。新たに仲間に加わったモンモランシーを含めたいつものメンバーは、中庭に集まっていた。そこで、太公望が「そろそろ初歩の応用授業に入りたいと思う」と切り出した際に、その内容を聞いた全員から返ってきた言葉がコレである。

「うむ。と、いっても別に野菜を作れというわけではない。実は、本来次の『虚無の曜日』から参加してもらうはずだったモンモランシーを呼んだのも、それが理由なのだ」

 一斉にモンモランシーを見る一同。だが、見られた本人も、いったい何故自分が呼び出されたのかわかっていなかった。

「それは、どういうことかしら? ミスタ」

「うむ。実はな、魔法の応用訓練を兼ねて『薬草畑』を作ってみたらどうかと思いついてのう」

「薬草畑!?」

「そうだ。そこでな、傷薬などによく使い、かつ育ちがよい植物について、モンモランシーならば詳しいと思ってのう。それを教えてもらいたかったのだ。もちろん、対価はきちんと用意してある」

 『対価』という言葉にピクンと反応したモンモランシー。実際、先日太公望が提示してきた別件の『対価』は、非常に魅力的かつ良いものだった。彼がわざわざもちかけてきたことなのだ、悪いものではないだろう……と。

「しかし、ミスタ・タイコーボー。なぜ『畑』なんだね?」

 ギーシュの、ある意味当然とも言える質問に、太公望は笑顔で答えた。

「うむ。それについては『畑』の作り方の説明を行う際に詳しく話そうと思う。そうすれば、どうしてそういう選択になったのかが理解できると思う」

 ……そして、太公望は説明を開始した。

「ここから5リーグほど離れた場所に、水場が近く、かつ割と開けた場所があるのだ。そこは魔法学院が管理している土地なのだが、これまで特に使われていなかった。そこで、オスマン殿に『対価』を申し出ることで、わしら一同だけが利用できるよう許可を貰ったのだ」

 わざわざ学院長に許可まで取ってあるのか。生徒たちは、思わず顔を見合わせた。

「でな、まずは才人とギーシュ」

「ん、何だ?」

「何だろうか?」

「お前たちはな、そこを耕すのだ。才人は『鍬(くわ)』を使え。ギーシュはあえて『ワルキューレ』を操作し、同じく『鍬』を持たせて耕すのだ」

 ええーっ! と、いかにも嫌そうな顔で返事をするふたり。まあ、そうだろう。今まで毎日戦闘訓練をしてきたというのに、いきなり畑仕事をやれと言われて喜ぶ男の子がいるならば、今すぐその顔を見てみたい。

「気持ちはわからんでもない。だがな。鍬で耕すのは、武器を振り下ろす訓練にも繋がる。つまり、ただ素振りをするよりも『お得』なのだよ」

「ああ、なるほどな。軍事訓練と食料……っと、この場合は薬草か。それの確保を同時にやろうってことを言いたいんだな? 屯田兵みたいなもんか」

 太公望の指示に対して才人がそう答えると、いままで無関心そうだった周囲の者たちの目に、興味の色が現れてきた。

「その通りだ。そして、ルイズはその畑に薬草の種をまいて、そののち水をやるのが主な仕事だ」

「<念力>で桶に水をくんで、って意味かしら。もちろん種まきも」

 ルイズの答えに、満足そうに頷いた太公望。

「よしよし、よくわかっておるな。たしかに貴族らしい仕事とはいえんかもしれぬな。だが、みんなの役に立つ上に、しかも魔法の練習になると思えば苦にならぬであろう?」

 その言葉に、コクリと頷くルイズ。

「そしてタバサとキュルケは、畑に生えた雑草を<念力>でむしるのだ。これは、いかに効率よく魔法を使うかの訓練を兼ねている。また、小さな石などをどけて、植えたものの成長を妨げるものを排除するのだ。特に細かい<力>調整が必要のため、今後間違いなく役に立つであろう」

「ちょっと面倒そうだけど、訓練なら」

「……やってみる」

「ああ、そうそう。草むしりは才人とギーシュも手伝うのだぞ。そのころには、もう耕す仕事も終わっているはずだからのう。才人はもちろん手で、ギーシュは『ワルキューレ』でもって行うのだ。才人のほうは、体力の増強に役立つであろう。ギーシュは、もちろんより細かな『操作』の練習だ」

 了解した、という顔で頷く才人とギーシュ。

「うむ。それで、最後にモンモランシーなのだが……おぬしには、この畑全体の監督を行ってもらいたいのだ」

「監督、っていうのは何をするのかしら?」

「畑に植えるのに相応しい薬草の採択、そして、育て方……たとえば正しい世話のしかたや、植える場所の選定など、これらを図書館で調べた上で、全員に指示を行う仕事だ。作業の分担振り分けもな。これは、おぬしの『調合』の知識を深める上で、将来必ず役に立つであろう」

 その上で……と、太公望は続ける。

「畑で作った薬草を使って、傷薬を調合してもらいたいのだ。そして、それがわしを含む全員にそれぞれ10個ずつ行き渡ったら……」

「行き渡ったら?」

「残りの薬は、全て売り払っておぬしの小遣いにするのだ。ちなみに、買い取りは学院側が適正価格で行ってくれるので、特に商売を行う必要はない。これがオスマン殿に提示済みで、かつおぬしに提案する『対価』だ」

 ええーっ!! と、全員が大声を上げた。

「ちょっと待って! モンモランシーだけ、なんでそんな」

「ひとりだけお小遣いって、凄い不公平感があるんだけど」

「傷薬は確かにありがたい。わたしは歓迎する」

「あー、俺も薬があると助かるな」

「ぼくも、訓練で使えるなら身体が鍛えられるし、いいと思うよ」

 当然のごとく一部から沸き上がった不満の声を、まあまあ……となだめることによって静めた太公望は、改めてこれに関する説明を追加しはじめる。

「不満はもっともであろう。だがな……わしが何故『傷薬』を指定しているのか、それを聞いたらちょっと意見が変わると思うぞ?」

「どういうことだよ?」

 才人の言葉に、太公望がニヤリと笑ってこう答えた。

「ククク……もうすぐ夏休みだ。この機会に『胸躍る冒険』をしたくないか?」

 『胸躍る冒険』。その言葉に、ピクリと反応したのは才人とギーシュ。

「しかも……困っている領民を助け、彼らに感謝されてしまうようなものを」

 これにピククッ! と反応したのはルイズ。

「さらにだ……喜ばれた上に、多額の懸賞金までもらえてしまう」

 懸賞金という言葉に大きく目を見開いたのはキュルケ、モンモランシー、そして訳ありのタバサの3人だった。

「おまけに! そこには、このわしが自ら厳選した情報によって! 複数の<マジック・アイテム>が確実に眠っていることが明らかとなっている!!」

 ……全員が静まり返った。

「領民を苦しめる妖魔……と、いっても今回はみな初陣なので、さほど強くないものを選んであるが……それらを『訓練の成果』をもって倒し、さらに<マジック・アイテム>を手に入れ、懸賞金までいただいた上に、ひとびとから感謝の言葉を受ける。どうだ? わくわくしてこんか!? これが、畑完成後のわしからの褒美だ!!」

 ――少しの間をあけて。生徒たちの間から、大歓声が上がった。

「ちなみにだ……わしは、そこに安置された、とある<マジック・アイテム>のみ入手できれば、その他についての分け前は必要ない。懸賞金もな。ああ、ちなみにその懸賞金は総額5000エキューだ。そこから諸経費を差し引いたものを、わしを除いた参加者全員で山分けだ!」

 この太公望の言葉に、再び歓声が上がる。

「ご、ごご、5000エキュー!? 王都の中に、ちょっとしたお屋敷が持てる金額じゃないのよ!」

「げ、マジかよそれ!」

「そんな大金がもらえるのかい!?」

「山分けでも、それだけあれば新作の服が、あれも、これも……」

「わたしも、新しい秘薬が買えるわ……」

「それは助かる」

 口々に、冒険終了後の展望を語り合う子供たち。

「そうそう、わしの<術>をつかうことによって、まいた種をすぐに芽吹かせることが可能だ。よって、選んだ薬草によっては、夏休み前に全て収穫できるであろう」

「東方の魔法って、そんなことまでできるの!?」

「もちろん内緒だからな!?」

 太公望はそう言い置いて、さらに言葉を続ける。

「でだ。薬草の収穫後は畑が空くわけだが。そのあとは監督のモンモランシーが好きなものを植えてよい。そして、収穫したものを使って調合したものを売るなりなんなりして、その成果を全員に分配する。うまくやれば、安定した収入源となるであろう」

 訓練になる上に、みんなが得をする。もう、誰も文句を言う者はいなかった。

「なお、この畑の運営については、わしは一切口を出さない。当然ながら出た利益もわけてもらわなくて構わない。よって、最初に指定したやりかた以外で、もっと効率のよい運営法や、植えるものに関する選定を、全員で知恵を出し合って考えるのだ。これが『応用訓練』と言った理由である」

 ……と。ここで、才人が手を挙げた。

「質問があるんだけど。そこって、結構広いのか? 畑は何面くらい作れる?」

 その質問に、ふむ……と、手を顎にやって考え込む太公望。

「そうだな。一般的サイズの畑ならば3面……いや4面いけるかもしれぬのう」

 その答えに、才人は満面の笑みを浮かべた。

「だったら、薬草だけじゃなくて他にもいろいろできるんじゃないか?」

「ああ、それもそうね」

「途中で畑を休ませることもできるし」

 この才人の言葉に、ビクンと反応したのは太公望。その他のメンバーの中で、ああなるほど……という反応をしているのはルイズ、タバサ、モンモランシー。ギーシュとキュルケのふたりはぽかんとしていた。

「休ませる、ってどういうことなのかしら?」

 キュルケの質問に、サイトが反応した。

「ああ。え……っと、なんていったらいいかな……」

 頭を掻きながら、考えをまとめる才人。少し間を置いて……いい例えがみつかったのか、身振り手振りで話しはじめる。

「土の中には、魔法で例えると『作物を育てる魔力』みたいなものがあるんだ」

「ふんふん……」

「でな、その<魔力>のおかげで、野菜とか畑の作物は育つんだよ。けど、同じ場所でずっと芋とか作り続けてると、だんだんその<魔力>がなくなっていくんだ」

 その説明に、補足を入れたのがタバサだ。

「わたしたちの<精神力>回復と同じで、たまに休ませてあげないといけない」

 そこへ、さらに説明をくわえたのがルイズとモンモランシーだ。

「タバサの言うとおりよ。そうじゃないと、土地がどんどん疲れていって、しまいにはなんにも生えない場所になってしまうわ」

「だから、サイトは全部で4面の畑を作って、そのうち3つに薬草を植えて、1つは何も植えずに交代で休ませたほうがいい、って言っているのよ」

 ほぅ……と、感心するキュルケとギーシュ。さすがは本の虫タバサ、座学トップのルイズ、薬調合の名人モンモランシー。ただ、何故か太公望はひとり眉根を寄せていた。そんな中、どうにもその説明に納得のいっていない人物がいた。キュルケである。

「でも……それなら森とかの木や草は、どうして枯れないの?」

 彼女の質問はもっともである。ここで、タバサ、ルイズ、モンモランシーが脱落した。だが……才人はそれに関する解答もちゃんと持っていた。

「森とかには<育てるための魔力>を回復する仕組みがあるんだ」

 ……と、ここで太公望が口を挟んだ。

「それはひょっとして『食物連鎖』のことを言っておるのかの?」

「さすが閣下! そういや『自然科学』勉強してたって言ってたもんな」

「閣下って何かしら?」

 意味がわからない、という顔をしているモンモランシーはとりあえず無視し、ギロリと才人を睨み付けた太公望。さすがの才人も、その表情を見て口元が引きつった。ついクセで……と、片手で拝むようなポーズで謝罪する。

「まったく……ああ、すまん。モンモランシーにはとりあえずあとでちゃんと説明するから、才人はこのまま先を続けてくれ」

 俺より閣下が説明したほうがいいんじゃないかな……と、思いつつも才人はできるだけかみ砕いて『食物連鎖』についての解説を行った。日本においては小学生の理科で習う、動物が草を食べ、落としたフンによって植物が育つ。互いに喰い、喰われる関係で繋がっているというアレである。

「ロバ・アル・カリイエって、本当にいろんな研究が進んでるのね……」

 才人の説明と、それを明らかに知っていたとみられる太公望の反応を見たその他全員が感心している。特にモンモランシーは、授業初参加だけあって驚きもひとしおだ。

「とりあえず<育てる魔力>についてはそれはいいよな。ところで……」

 説明を終えた才人は、今度はモンモランシーに言を向けた。

「モンモンって二つ名が確か『香水』だよな? ひとつの畑は、花畑にするとかどうだ? 香草もありだな! んで、それで香水作って学院の女の子たちに売るんだ。わざわざ材料買いに行かなくても済むぜ」

「すっごくいいわそれ! 採用!!」

「でさ。厨房から、いつも捨てられてるだけの残飯をタダで引き取ってきて<錬金>で肥料に変えてから畑にまけば、金かかんない上に、植えたものの育ちもよくなると思うんだけど……畑休ませる期間も大幅に減らせるし。どう思う?」

「素晴らしいわ! うまく調整してあげれば、収穫も早まるでしょうし」

「……まてまてまてまて」

 盛り上がりまくるふたりを制止したのは、太公望であった。

「のう才人よ……おぬしは何故農業や自然科学に関して、そこまで詳しいのだ? まさかそれも高校とやらで習うのか!?」

「いや、食物連鎖は母さんに教わったんだけど……子供の頃に」

 ついにはフリーズしてしまった太公望。母親から、子供のころに食物連鎖を教わっただと……!? いったいどういう家庭に育ったのだ、こやつは!

 ――日本のどこにでもいる、単なるちょっと教育熱心なお母さん。本当にそれだけの話なのだが、さすがにそんなことまでは太公望にはわからない。それから、しばらくの後。ようやく硬直から解けた太公望は、改めて質問を再開した。

「才人よ、まさかとは思うのだが。おぬしの母上は、実は国でも著名な植物……あるいは農業関係の学者だったりするのか?」

「いや、ごく一般的な母親だと……って、いや、普通じゃないかも。いきなり『頭が良くなる機械』なんておかしなモノ持ってきて『お前はヌケてんだから、これで頭を良くしてあげる!』とかなんとか言って、電撃流されたことあるし」

 この発言で、太公望はついに頭を抱え……がっくりと膝をついてしまった。なんだなんだと騒ぎ出す生徒たちと「俺、なんかおかしなこと言ったか?」という顔でぽかんとしている才人。

 太公望は、混乱の極みにあった。いったいなんなのだこやつの国……いや、母親は! 頭がよくなる機械に、電撃だと!? もしや、わしの腕にいつのまにかマジックハンドなんぞを仕込みおったイロモノ3人衆の如きマッドな学者だとでもいうのか? そうか、ようやくわかった。それならば、才人のあの奇抜な閃きも『血筋』と『教育』ゆえのものだと納得できる……!

 ……太公望の個人評価を、おかしな方向に軌道修正されてしまった才人であった。

 ちなみに、この『頭がよくなる機械』は、彼の母親が怪しげな通販で購入したシロモノである。『電撃』に関しては、その装置がショートした為に起こった現象だ。ある意味『この親にしてこの子あり』を実証した例のひとつともいえよう。

 ――その後。

「せっかくだから、マンドラゴラ(地面から引き抜くときに、魂が凍り付くような絶叫をあげる魔法植物。その声を聞いた者は絶命する。故に収穫が難しく超高価)とか育てたいわ!」などど物騒なことを言い出したモンモランシーと、それを必死の形相で止めようとするギーシュ。

 逆に賛成側に周り「収穫時に畑へ<消音(サイレント)>をかけて、外から<念力>を使えば、呪いの叫びを聞かずに済むのでは?」などといったアイディアを出したタバサに「その発想はなかったわ」と、目をキラキラさせて賛同するキュルケとルイズ。

「毎日新鮮な桃が食べたいから、是非果樹園を……」などと横から口を出し「桃ができるまで何年かかると思ってんだよ!」「口を挟まないって約束よね!?」と、全員から猛反撃を食らい、精神的な意味でボッコボコにされた太公望。

 そんな感じで太公望を除く全員が知恵を出し合い続けた結果、しまいには揃って図書館へ移動して、調べ物を始めるほどの盛り上がりを見せることとなり……そして。最終的に、とんでもなくカオスな『畑』完成予定図ができあがったのは、既に日がとっぷりと暮れた頃であった――。

「わし……ひょっとして、とんでもない提案をしてしまったのではなかろうか」

 ……珍しく、とてつもない敗北感で胸がいっぱいになった太公望であった。

 なお、この図書館での話し合いの最中に、才人がハルケギニアの文字が読めないことが判明し、主人であるルイズが自ら、彼に文字を教えることとなった。

 ――太公望と彼の周辺は、少しずつ焦臭さを増してはきたものの、まだ平和であった。



[33886] 【継がれし血脈の絆】第28話 風と炎の前夜祭
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/08/12 20:19
 ――ルイズが、才人にハルケギニアの文字を教え始めた、ちょうどそのころ。

 帝政ゲルマニアと国境を接するヴァリエール公爵領、その屋敷のダイニングルームで、かの地の領主と妻が食後の茶を楽しみながら、今後の予定について語り合っていた。

「もうまもなく、魔法学院が夏期休暇に入ります。あなた、例の件について、こちら側の用意は調いました。そろそろ使いを出したほうが良いと考えているのですけれど、そちらの準備はいかがかしら?」

 『あなた』と呼ばれた初老の貴族――白くなりはじめたブロンドの髪と、品の良い片眼鏡(モノクル)をかけ、立派な口髭をたくわえた人物。ピエール・ド・ラ・ヴァリエール公爵、つまりルイズの父親は、目の前に座る妻に向かって頷いた。

「今月末……確かダエグの曜日を最後に、魔法学院は休みに入るのだったな。今のうちに使者を――それも、絶対相手に失礼にあたらない者へ、用意した手紙と伝言を託そうと考えているのだが、お前はどう思うね? カリーヌ」

 夫からそう問われたカリーヌ夫人――娘のルイズそっくりのピンクブロンドをアップにまとめた中年女性は満足げに目を細め、夫に頷き返した。

「問題ありません。ルイズには、事前に伝書フクロウを送っておきますわ」

「そうか。では、よろしく頼む」


 ――刻は、この公爵夫妻の会話から1ヶ月ほど前の早朝まで遡る。

 トリステイン王国の中でも随一の歴史と格式を誇る、ラ・ヴァリエール公爵家の書斎。その奥から、部屋の主たる者の渋みがかったバリトンが響き渡った。

「カリーヌ! カリーヌよ!!」

「まあ、いったいなにごとですか。公爵ともあろうお方が、そのような大声を出すなどとは。わたくしに何か用があるのなら、使用人を呼べばよいではありませんか」

 カリーヌ夫人は、その鋭い目に炯々(けいけい)とした光を湛え、公爵――己の夫へ抗議した……だが。彼の顔に浮かんだ、抑えようにも抑えきれないといった笑みを見た瞬間、それ以上口を挟むことができなくなってしまった。

「ルイズだ。ルイズからな、今しがた手紙が届いたのだよ!」

「確かに、あの子から手紙が届くなど、実に半年ぶりではありますけれど。そこまで大げさに騒ぐほどのことなのですか?」

 子は、いつしか親元から離れてゆくもの。便りがないのは、娘にもその自覚が芽生えてきた証拠なのだと、カリーヌ夫人はむしろ喜んでいたくらいなのだ。

 ラ・ヴァリエール公爵は、妻に件の手紙を差し出した。

「まあ、そう言わずに読んでみるがいい。カリーヌ!」

 夫に勧められるがままに、差し出された手紙へ目を通すカリーヌ。読み進めてゆくうちに、瞳に宿した光が徐々に柔らかいものへと変化していった。それを見たラ・ヴァリエール公爵は妻の手を取り、自分の胸元へと引き寄せると……その身体を強く抱き締めた。

「かつて『烈風』と呼ばれた君の血を、最も濃く受け継いでいたのはあの子だったのだ! いや、まさか……才能がありすぎて、普通のやりかたでは魔法が使えなかったなどとは思いもよらなかったぞ。しかも、目覚めたのは風系統。素晴らしい報せではないか! なあ、カリーヌ。わしの愛しいカリン!」

 夫の熱い抱擁に身をゆだねていたカリーヌ、別名カリン――彼女は、かつて伝説とまで謳われた、トリステイン、いやハルケギニア最強の<風>の使い手にして『烈風』『鋼鉄の規律』の二つ名を持つ人物である。

 ――現在から、およそ30年ほど前のこと。事故で危うく命を落としかけたところを、偶然通りかかった騎士に救われたカリーヌは、女の身でありながら騎士になることを夢見た。しかし彼女の憧れであった近衛魔法衛士隊は、昔も今も、女人禁制とされていた。そのため男の服に身を包み、名をカリンと偽り、見習い騎士として隊に潜り込んだのだ。

 魔法の才に溢れていたカリンは、それからすぐに頭角を現し、トリスタニア中央の広場で、大勢の観衆が見守る中。なんと、当時の国王『英雄王』フィリップ三世が自ら『騎士(シュヴァリエ)』に任じたほどの働きを見せるに至った。

 騎士となって以後のカリンの活躍ぶりは、書物となり、詩の題材にされ、歌劇として演じられるほどの人気を誇り、現在も世界各地で親しまれている。

 だが、彼女は――今、自分を掻き抱いている、愛する夫との結婚を機に魔法衛士隊を引退。最後まで正体を公にすることなく、現在に至る。その事情を知る者は、家族と当時の友人たち、そして今も王宮に残る、わずかな者のみとなっていた。

「それにしても。わざわざ東方ロバ・アル・カリイエから、ルイズのために優秀な風メイジを招いてくださるとは……あの子は、本当に良い友達を持ちましたね」

 カリーヌ夫人は、少し震えた声で夫の抱擁に応えた。その目には、うっすらと光るものが浮かび上がっている。

「まったくだ。あの子は……ルイズは、本当に幸せ者だ。そして、わが娘を系統に目覚めさせてくださったというメイジ殿や魔法学院の先生方に、我々はどのようにして報いればよいのだろうか」

 やや名残惜しそうに、ゆっくりと愛する妻の身体から離れながら、ラ・ヴァリエール公爵は唸った。今すぐにでも使者をやり、屋敷で歓待したいところだが、相手にも都合というものがある。そのようなことをしては、かえって失礼にあたるというものだ。

「そうですわね、あなた。来月、魔法学院は夏期休暇に入ります。その際に……わが娘の成功を、わざわざ宴を開いてまで祝ってくださったという皆様、そして東方の風メイジ殿と友人――いえ、我が家の恩人たるお二方を、揃って我が家へお招きし、歓待する……というのはいかがかしら?」

 妻から出された提案に破顔した公爵は、再び彼女を抱き締めた。

「素晴らしいよ、カリーヌ。では、そのように手配をしよう。だが、その前に」

「ええ、あなた。わたくしも賛成です」

 頷いて、カリーヌ夫人は答えた。そんな彼女を心から愛おしそうな目で見つめたラ・ヴァリエール公爵は、同じく頷き、ベルを鳴らして執事長を呼び出した。そして、すぐさま現れた老齢の男に申し渡す。

「今宵は、家族で盛大な祝いの宴を催す。もちろん、このわしも参加する。ワイン蔵の奥に寝かせてある、最高級のタルブ16年ものをそこで1本開けたい。急いで準備に取りかかってくれ」

 タルブの16年もの。トリステイン王国いちばんのワイン産地タルブの最高級品。それは、愛娘ルイズが生まれた年に買い求めた3本のうちの1本だ。残る2本のうち1本は、娘が嫁ぐ際に嫁入り道具のひとつとして持たせ、もう1本は、その結婚式の夜に、夫婦揃って飲もうと決めていた。

「かしこまりました、旦那さま」

 恭しく一礼した執事長は、落ち着いた足取りで廊下へと姿を消した。

「早速、ルイズに宛てて返事を書かねばならん。今日の執務は全て後回しとする」

「まあ、あなたったら! 『鋼鉄の規律』としては、そのような無法を許すわけには参りませんことよ」

「ふふふ、厳しいな! わしのカリンは」

「あなたこそ、娘に甘すぎですわ」

 ふたりはひとしきり笑った後、愛しい娘に宛てた手紙を書くための時間を捻出すべく、全力でもってその日の仕事に取りかかった。

 その翌日――ルイズの元へ、父と母、そしてふたりの姉たちから祝福の言葉と共に、夏休みになったらお世話になった皆様を連れて帰省するように、との旨がしたためられた手紙が届いた。

 だがしかし。伝書フクロウが飛んできた時間帯が、夜遅くであった――それが、ルイズにとっての不幸の始まりであった。

「今からみんなのところに行くのは、いくらなんでも失礼よね」

 だから、みんなに報せるのは明日以降でいいだろう。そう考えた彼女は、そのまま仲間たちに伝えるのを、すっかり忘れていた。何故なら、折悪く翌朝に「今日からモノを浮かせ、その上に乗って空を飛んでもよい」という許しを得て、初めて自力で空を飛べるようになった喜びのあまり――両親から受けた指示が、忘却の彼方へと消えていたからだ。


○●○●○●○●

 ――それから、1ヶ月後の現在。

 一台の豪奢な馬車が、ゴトゴトと音を立て、整備の甘い山道を一路トリステイン魔法学院へと向けて移動していた。その車体に刻まれたるは、ヴァリエール公爵家の紋章。

 馬車に揺られていたのは、美しく輝くブロンドの髪に、見る者全てに知的な印象を与える眼鏡をかけた若い女性であった。彼女の名は、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。ルイズの長姉にあたる人物である。

「魔法学院まで、あと2日……と、いったところかしら。まったく、研究が大詰めで忙しいわたくしを、わざわざトリスタニアから呼び寄せたと思ったら、学院への使者に立て、とは。いくらなんでも、こちらの都合を考えていないにも程があるわ!」

 トリステイン貴族としての格式を重んじるというのならば、当然の如く手元に相応の支度ができるだけの用意がしてあったのだ。よって、手紙と馬車だけ寄越してくれればいい。にも関わらず、ラ・ヴァリエール公爵がわざわざ彼女を屋敷まで呼び戻したのには理由がある。エレオノールは、当然の如くそれを察していた。

「本当にもう、お父さまったら。わたくしの顔が見たいのなら、素直にそう仰ってくだされば、きちんと時間を作りますのに。いつまでたっても娘離れができないんだから!」

 ほんの少し顔を赤らめ、ぷりぷりと美しい頬を膨らませて不平を漏らすその姿は、髪と瞳の色を除けば、まさに妹のルイズに生き写しである。彼女たちは、まぎれもなく同じ血を分けた姉妹だった。

「それにしても、東方のメイジだなんて。そんな、どこの馬の骨かもわからないような相手に、わざわざ大貴族の娘たるこのわたくしを使者に立てるなど……!」

 ぎゅっと握った拳を、膝元に乗せて、エレオノールは口惜しげに呟いた。

「もちろん、おちびを系統に目覚めさせてくれたことについては感謝しているわ。だからといって、ここまでする必要があるのかしら」

 ……ここで、念のため彼女の擁護をしておこう。現在、エレオノールはまさに不幸のどん底にいたといっても過言ではなかった。もしも普段の――不運の深淵に沈み込んでいないときの彼女であれば、可愛い妹の恩人たる相手に対し、ここまで露骨な嫌悪感を抱くようなことは、間違ってもなかったであろう。

 実際、ルイズが初めて魔法を成功させたという報せを受け取ったとき、エレオノールは我がことのように喜んだ。そして、そのきっかけとなった東方のメイジに、心からの感謝と――ほんの少しだけ、嫉妬を覚えていたほどなのだ。

 伝統あるトリステイン王立アカデミーの主席研究員たる自分にすら原因のわからなかったおちび――彼女はふたりいる妹のうち、下のルイズをこう呼んでいる――の『失敗』の原因を、ほんの少し見ただけで解き明かし、さらには風系統に目覚めさせたという人物。機会があれば、一度ゆっくりと語り合ってみたいとすら考えていた。

 ……ところが、そんな時だった。彼女の身辺に、大きな異変が巻き起こったのは。

「もう限界」

 そのひとことだけを告げ、婚約者のバーガンディ伯爵が、自分との関係を白紙に戻すなどと言い出し――理由もわからぬまま、エレオノールは婚約を破棄されてしまったのだ。

 よって、エレオノールの機嫌は現在……最悪の最悪の最悪。最悪の底を突き破って、なお突き進むほどに悪化し続けていたのだ。

『今現在、不幸をその背に負う者は、言動にくれぐれも気をつけよ。なんとなれば、それはさらなる不運をその肩に乗せる理由となりえるからだ』

 誰が残したのかもわからぬその言葉。これは、まさしく彼女に対する警告たりえる言葉であろう。だが、やはり不運であった彼女に、それは届かなかった――。


○●○●○●○●

 ――同日午後。

 魔法学院のとある教室では、その教壇に『炎蛇』のコルベールが上がっていた。彼は学問を心から愛していた。そして、生徒たちに授業を行うのが大好きだった。何故なら、そこは自分の愛する学問と、研究成果を披露できる晴れ舞台でもあったから。

 今日の彼は、教室に現れた途端、授業開始の挨拶もそこそこに満面の笑みを浮かべ――教壇の上に、おかしな機材を乗せた。

「それはなんですか? ミスタ・コルベール」

 生徒のひとりが質問した。

 それも当然である。そこに置かれた物体は、謎に満ちあふれていたからだ。金属製のパイプやクランク、そして車輪が複雑に組み合わされ、おかしな箱までくっついている。

「えー、誰かこの私に<火系統>の特徴を開帳してはくれないかね?」

 教師の言葉に応じ『微熱』の二つ名を持つキュルケが、立ち上がりすらせず、どことなく気怠げな口調でこう答えた。

「情熱と破壊。それこそが<火>の本領ですわ」

「そうとも!」

 『炎蛇』の二つ名を持つコルベール自身も、優秀な火系統のメイジである。にっこりと笑って、その答えを受け入れた。

「だがしかし……情熱はともかく、火が司るものが破壊だけでは寂しい。私はそう考えます。火は……」

 と、そこまで言葉を紡いだコルベールは、ふとキュルケのすぐ側――正確には常に彼女の隣に座っている、タバサの横の席に着いている太公望に視線を移した。

 以前、同僚にして後輩である『疾風』のギトーが、コルベールに面白いことを話してくれた。あの少年――いや、既に27歳。青年と呼ぶべき彼が、風系統をして『知恵ある者の象徴』と断じたのだ――と。

 コルベールは、太公望の見識の深さをよく知っていた。だから訊ねたくなった。そんな彼は<火系統>に対して、どのような意見を持っているのだろうか。

「ふむ。そうですね、ミスタ・タイコーボー。きみは本来風系統のメイジだが、火系統についても非常に優秀な『使い手』であると、学院長から伺っています。きみが常日頃から思い浮かべる<火>についての見解を、是非聞かせてもらいたい」

 そのコルベールの言葉に、教室中がざわついた。指名を受けた太公望はというと「あのクソ狸めが、まだ占いの件引きずっとったんかい……」などと、内心で強烈なまでの呪詛を込めた恨み言を放っていた。

 ハッキリ言おう。引きずっていたのはコルベールであって、オスマン氏は悪くない……この場において、という意味では……だが。

「ミスタ・タイコーボー! 君は<火>も扱えたのかい!?」

 教室の各所から、驚いたように質問が飛んできた。そして太公望が、ふう……と、ため息をつき「言われるほどのものではないがのう」と答えると、室内はさらに湧いた。タバサのすぐ隣では、何故かキュルケがぎりぎりとハンカチーフを噛み締めている。

 期待にきらきらと顔を輝かせているコルベールを見て、太公望は思わず肩を落とした。これは、断ろうとするだけ無駄だろう。太公望の脳裏には、かつて行動を共にした同僚の顔が浮かび上がっていた。彼は、一度好奇心に取り憑かれたが最後、絶対に探求を止めようとはしなかった。どう考えても、その同僚とコルベールは似たタイプの研究者だ。

 こうなっては致し方ない――太公望はふうと息を吐くと、コルベールに確認した。

「コルベール先生、少し長くなっても――?」

「もちろん構いません。是非、きみの意見が聞きたい」

「わかりました。それでは――」

 生徒たちは色めき立った。例の『風最高』事件で放った彼の発言は、実に面白かった。もっとも、彼らにとって本当に楽しかったのはその後の展開だったのだが、それゆえに教室の注目が一斉に太公望に集まった。あのおかしな物体も気になるが、まずはコイツの話を聞いてみよう――と。

 注目を集めしまった太公望のほうはというと、顎に手を当て、なにやら考え込んだような様子を見せたあと、ぽつりと言った。

「わしは、こう思うのだ。人類で初めて火で肉を焼き、さらにそれを食べた人物は――『神』として崇められてしかるべき存在なのではないだろうか、と」

「何言ってんだ、こいつ……」

「なんか、また変なこと言い始めたよ!」

 生徒たちの心は、その瞬間ひとつとなった。だが、コルベールだけは目を輝かせて太公望の発言に聞き入っている。

「そもそもだ、火の側にいけば暖かい。そして、触れたら痛い目を見る。ここまではわかるのだよ……だが、どうしてそんなモノの中に、彼は――もしかすると彼女かもしれぬが、貴重な食料である肉を入れようと考えたのだろう?」

 太公望は語る。

「まだ魔法はおろか、狩りのための道具すらろくなものがなかった時代――肉を取るために、人間はどれだけ苦労したのであろう。今の我々からしたら、想像を絶する困難だったに違いない。にも関わらず、どうしてそのような考えに至ったのであろうか?」

「狩りの途中で、寒くなって焚き火にあたってたら、偶然そこに肉が転げ落ちたとか……案外そういうオチかもしれないぞ?」

 そう呟いた才人の声に「かもしれぬな」と、答えた太公望は、さらに続けた。

「だが……何故それを食べようとしたのか。まあ、単にもったいないと思った結果、口にしてみた。そうしたら思いのほか美味かった。それだけなのかもしれぬがのう」

 そう言って、周囲を見回した太公望は、自分の意見を押し出した。

「でもな。彼らは――その発見を、自分たちだけで独占しなかった。結果『火に肉を入れて食べると美味い』『焼いて食べれば腹を壊さない』『そうすれば死ににくくなる』事実が、世界中に広まった。この功績で、どれほどの数の人間が救われただろう? この偉大なる発見は、確実に人類の『世界』を変えたのだ。これを見つけた者を『神』と呼ばずして、なんとする」

 コルベールは、歓喜に震えていた。彼が聞きたかったのは、まさしくこういうことであったのだ。常日頃から『破壊だけに火を用いるのは寂しい』そう考えていたから。

「そして火は、人類にさらなる繁栄をもたらした。水を汲んだ器を火にくべ、湯をわかす者が現れた。森の木を切る代わりに火を用いて焼くことで、切り倒すよりもずっと簡単に、そこを人間が住まう場所である平地に変え――結果、その土地で産み育てられる子供の数が増えた。そうして人間は、さらに増えていった」

 身振り手振りを交えながら、持論を展開していく太公望。風のときとは違って、なんだかちょっと哲学的だよな……などと思いながら、才人はその言葉に耳を傾けていた。

「もちろん、火は破壊をも司る。戦で使われれば、それは簡単に人間を焼き殺す、怖ろしい武器となる。しかし、これまで語った通り、火は『使い手』次第で、人間を大きく繁栄させることも可能な……文字通り、世界を変える<力>なのだよ」

 ――世界を変える<力>。それはなんと素晴らしく、怖ろしいものであるか。

「以前、わしが風系統をして『知恵ある者の象徴』と例えたことを覚えている者もいると思う。今回は、同じように火系統がいかなる者の象徴であるのか、わしなりの意見を述べさせていただきたいのですが、コルベール先生……よろしいでしょうか?」

 コルベールは、大きく頷いた……何度も、何度も。それを見た太公望は、結論した。

「火系統のメイジとは『自ら道を切り開く者』。使い方次第で、周りを暖かな光で満たすことも、破壊の権化として君臨することも可能。よって使い道を、自分自身で常に選び、己の判断のみで『道』を切り開いていかねばならない。その大きな<力>がゆえに、振り回されたが最後――それは、破滅の『道』へしか繋がらないからだ」

 誰かがごくりとつばを飲み込んだ音が、やけに大きく室内に響き渡った。

「ゆえに火系統の者は、心せねばならぬ。その<力>は、自分のみならず周りをも巻き込む。幸せな旅路にも、絶望の底へも、一緒に……だ。以上が、わしの個人的な<火>に対する見解である。長々と失礼した」

 パチ、パチ……と、拍手の音が聞こえた。コルベールであった。そして、それを契機に教室の各所から同意するかの如く拍手がわき起こった。観客たちに深々と一礼した太公望は、すとんと席に着いた。

 ――少しの間を置いて、場が落ち着きを取り戻した頃。コルベールは授業を再開した。

「いやはや……あのような話を聞いたあとに、これを出していいのか正直迷いましたが、まだまだ時間がありますので、改めて公開しましょう」

 そうだ。さっきの話にも興味があったけど、今はあのおかしな物がなんなのか、そっちのほうが気になる。いっきに生徒たちの感心が、教壇の上へと移動した。

「コルベール先生、それはいったいなんですかの?」

 質問を投げてきたのは、先程の話の主、太公望だった。彼は、これを見たらなんと言ってくれるだろう。コルベールは、なんだかそれがとても楽しみになった。

「うふ、うふ、うふふ。よくぞ聞いてくれました! これは、私が発明した……油と火の魔法を使って、動力を得る装置なのですぞ」

 そのコルベールの言葉に、大きく目を見開いた太公望。なんだかそれに見覚えがあるような気がして、壇上に注目した才人。

 そして、彼らは見た。その『装置』を。コルベールが何の知識もなく、誰の助けも得ず、自力で考え出した『奇跡の象徴』を。

 コルベールは、足で何度もふいごを踏んだ。すると、ふいごによって気化した油が、円筒状の筒の中へと放り込まれた。筒の横に開いた小さな穴に、慎重な手つきで杖を差し込み、呪文を唱える。それは、火系統の初歩<発火>の魔法だった。その小さな火は、断続的な発火音を生み出し、そして気化した油へ燃え移ると、爆発音に変わった。

「どうですか? この円筒の中では、なんと気化した油が爆発する<力>で、上下にピストンが動き続けているのですぞ!」

 そうこうしているうちに、円筒の上に取り付けられていたクランクが動き出し、車輪を回し始めた。回転した車輪が小箱のフタを開くと、その中からヘビの人形がぴょこぴょこと連続で顔を出した。

「ピストンが上下する<力>が動力として車輪に伝わり、このように回転させる! するとほら! 愉快なヘビくんが、ぴょこぴょこと顔を出してご挨拶! ほら! ご挨拶!」

 興奮したようにまくし立てるコルベールとは対照的に、生徒たちの感心は冷めていった。今や熱心にその様子を見守っているのは、才人と太公望のふたりだけだ。

 生徒のひとりが、がっかりしたような声で感想を述べた。

「それが、いったいどうしたんですか? 動かすだけなら、全部魔法でやればいいじゃないですか。そんな妙な装置なんて、必要ありません」

 他の生徒たちも、その通りだと言わんばかりに頷き合った。コルベールは、自慢の発明品が全く評価なかったことに落胆し、がっくりと肩を落とした。しかし彼は、持ち前の打たれ強さでなんとか立ち直ると、こほんとひとつ咳をして、説明を始めた。

「諸君、よく考えてみなさい! 今は、まだヘビの人形が顔を出すだけだし、点火を魔法に頼っていますが、例えば火打ち石などを利用して、断続的に着火できる方法が確立されれば、いろいろなモノに応用できます。たとえば、この装置を荷車に乗せて車輪を回させれば、馬がいなくても荷車は動く! どうです、素晴らしい発明だとは思いませんか!?」

 コルベールは、生徒たちへ熱心にこの発明品の利点を説明したが、彼の情熱は全く伝わらない。だが、そんな中。食い入るようにコルベールが生み出した『奇跡』に注目している者たちがいた。

「や、やはり……!」

「あ、もしかしてタイコーボーも気がついた、よな?」

 ふたりは顔を見合わせ、頷き合う。それから大声で叫んだ。

「内燃機関だ!」

「エンジンだ!」

 ふたりはドタドタと足音を響かせながら、教壇前まで駆け寄った。

「ゼロからこれを生み出されたのですか!? コルベール殿!!」

「すっげえ! コルベール先生は、やっぱり天才だよ!!」

「才人の言う通りだ! この発想力、そして応用力……正真正銘の天才だ!」

 取り残された生徒たちは、興奮してまくし立てるふたりを、ただぽかんと眺めていた。いまいちよくわからないが、技術開発が進んでいると噂される東方出身の彼らが、あそこまで褒めているんだから、ひょっとしてアレはスゴイものなのかもしれない……と。

 コルベールは感動していた。遠い世界から来たふたり。ひとりは、柔軟な発想で魔法の常識を覆す使い方を提案してくる少年。もうひとりは、先程『持論の行き着く先』とも言うべき論説を聞かせてくれた、若くして中将の地位にまで上り詰めたほどの実力者。

 そんなふたりが、目を輝かせて自分の発明を見てくれている。しかも、こんなに興奮しながら褒め称えてくれるだなんて。コルベールは、なんだか胸の奥底に暖かな火が灯った……そんな気がした。だが、事態はそれに留まらなかったのである。

「なんと素晴らしい……コルベール殿。さっきわしが言った言葉を覚えておられますか? 火は世界を変える<力>だと」

「え、ええ、もちろんですぞ」

 戸惑うように口を開いたコルベールに、追撃をかけたのは才人だった。

「先生! この発明は……本当に世界を変える<力>だ! しかも、人類を繁栄させるものなんですよ! 俺がいた世界じゃ、実際にそれと似た機械を使って、さっき先生が話してた通りのことをやってるんです」

「なんと……!」

「今は授業中ゆえ、のちほどお時間があるときに、改めて先生のお話を伺いたい」

「俺も俺も! 絶対ですよ!?」

 ふたりはそう言い置いて、共に自席へ戻っていった。彼らの後ろ姿をぼんやりと見送ったコルベールの頭の中では、先程彼らが放った言葉が、繰り返し再生され続けていた。

『これは、世界を変える<力>だ』

『人類を繁栄させるものなんですよ!』

「この罪深き私の<火>が、世界を変え、人類を繁栄させる――?」

 そののち、コルベールはどうやって授業を終え、いつのまに自室まで戻ったのか、一切覚えていなかった――。


○●○●○●○●

 ――その晩。キュルケは、今夜もひとりで飲んだくれていた。

「はあ、アンニュイな気分だわ……トリステインの国立魔法学院で、アンニュイな学院生活。略して国立アンニュイ学院! なーんてね……うふふふふふ」

 もうだめだ。完全に出来上がってしまっている。

「炎を使った占いの噂は聞いてたけど、まさか学院長が認めるほどの『使い手』だとは思わなかったわ……本当に、どうしてあたしの<召喚>で彼が来てくれなかったのよぉ~。そしたら、こんなに悩まなくて済んだのにぃ~!」

 キュルケはワインボトルを傾けると、グラスに赤い液体をどばどばと注ぎ込んだ。

「まさか、現在進行形で困ってる親友の『パートナー』に、粉かけるわけにもいかないしぃ~、う~、も~!」

 ぐったりとテーブルに身体を預けながら、キュルケは酒杯をあおる。すると……隣の部屋から、何やら妙な声が聞こえてきた。

 (馬鹿……力入れすぎだろ。それじゃ入らないって)

 キュルケの酔いが、この瞬間一気に冷めた。この声は……もうひとりの<大当たりの使い魔>。サイトのものだ!!

 (ち、ちがうわ……もう少し……そう……上に)

 そして、次に聞こえてきたのはルイズの声だ。これはまさか……!

 (おい、声が大きいぞ。隣に聞こえちまうぜ)

 (そ、そんなこと……言われたって……)

 これは……間違いない。今度こそ『アレ』だ。葛藤のあまりブレイク寸前なあたしの心臓(ハート)を癒やすため、彼らには生け贄になってもらおう。

 キュルケは急いで部屋の外へ飛び出し、すぐ隣――ルイズの部屋の扉に向けて(毎度おなじみ校則違反の)<アンロック>を唱えると『現場』へ勢いよく飛び込んでいった。

 ……すると、そこには。

「もうちょっとでうまくいきそうな気がするんだけど……」

「やっぱり、イメージが難しいのかなあ」

 などと言いながら、床一面に広がった紙――なにやら図形のようなものが書き込まれたそれを見ながら、うんうんと唸っているルイズと才人のふたりがいた。

 ふたりは、同時に扉のほうへ振り返った。

「ちょっと、ツェルプストー! <アンロック>は校則違反だって……」

「いや、だからお前の声がでかすぎだったんだって!」

「う……ご、ごめんなさい。ちょ、ちょっと騒ぎすぎちゃった、かも」

 そして、揃ってぴょこっと頭を下げたふたりを見て、キュルケの心は文字通り砕け散った。あの子たちといい、こっちの連中といい……!

「あ、あんたたちなんか……」

 ぷるぷると震えながら、キュルケは叫んだ。

「爆発しちゃえばいいのよ!!」

 走り去っていったキュルケを呆然と見送ったふたりは、ぽつりと呟いた。

「やっぱ、夜は騒いじゃだめだよな、ウン」

「そ、そうね……」

 ――国境を起点に発生した嵐は、まだここまでは届いていなかった。



[33886]    第29話 勇者と魔王の誕生祭
Name: サイ・ナミカタ◆e661ea84 ID:d8504b8d
Date: 2012/08/12 20:20
 ――刻は、ふたたび数日前まで遡る。

 その日。ラグドリアン湖から帰還し、太公望が元に戻った後。自室へ戻ったルイズは、激しい自己嫌悪に陥っていた。

 あのとき、自分が考え無しに「エルフ」などと口走らなければ、状況はあそこまで悪化しなかっただろう。タバサが途中で気付いてくれたから良かったようなものの、最悪の場合――自分たちは今頃、死後の世界ヴァルハラへ旅立っていたかもしれない。

 そんな彼女の様子を不審に思った才人が、声をかけた。

「どした? 元気ねーな」

 普段のルイズなら、ついつい憎まれ口のひとつも叩いてしまっていたかもしれない。だが、本気で落ち込んでいた彼女から飛び出た言葉は、珍しく素直なものだった。

「ラグドリアン湖でのことよ。わたしが余計なことを言ったせいで、みんなが……」

「は? 何か言ったっけ?」

「魔法が跳ね返ってきたのを見て、エルフの<反射>だって……」

 才人は思い出した。そういえば、エルフがどうのと聞いたような覚えがある。だが、どうしてルイズがそんなことでうじうじと悩んでいるのかが、彼にはわからなかった。

「そういや、この世界にはエルフがいるんだったな。俺たちの世界じゃ、ファンタジーの代名詞みたいなもんだけど。それが、どうかしたのか?」

 ルイズは、唖然として自分のパートナーの顔を見つめた。

「あ、あんた、エルフが怖くないの!?」

「そんなこと言われたって、俺、エルフなんか見たことねーし。だいたい俺たちのところじゃ、エルフは森の中で暮らしてて、大人しいイメージだしな。ここじゃ違うのか?」

「なによそれ、全然違うわよ! エルフはね、わたしたちブリミル教徒の『聖地』を奪った敵なの! 強力な先住魔法を使う、悪の手先なんだから! それに、住んでる場所も森じゃなくて砂漠よ」

「ふうん。で、エルフって強いの?」

「強いなんてもんじゃないわ。ご先祖さまたちが『聖地』を取り返そうとして、何度も何度も大がかりな遠征軍を編成したんだけど……ほとんど返り討ちにされてるもの」

「ほとんど、ってことはさ。エルフ相手に勝ったこともあるんだろ? だったら、同じ戦法で攻めればいいじゃねーか」

「無理よ」

「なんで?」

「遠征軍が初めてエルフ相手に勝利を収めたときはね、たまたま敵の守りが薄かったの。それに、勝ったとはいえ、半分以上の兵を失ったらしいわ」

「それ、どのくらいの戦力差で?」

「7000対500よ……記録ではね。お父さまが言うには、本当はもっと差があったらしいわ」

「なんだそりゃ!? 滅茶苦茶じゃねーか!」

「どう、わかった? エルフと戦うためにはね、最低でも10倍の人数を用意しなきゃいけないの。そんな大人数、簡単に動かせるわけないでしょ」

 才人はようやく納得した。そこまでの実力差があるのなら、ルイズたちハルケギニア人がエルフを怖がるのも無理はない。

「そうか! それでみんな、ビビって身体が固まっちまったんだな。でも、もう過ぎたことだろ? 全員無事だったんだし、今更悩むことなんかないじゃんか」

 ルイズは形の良い眉根を寄せると、はあっとため息をついた。

「随分と気楽に言ってくれるわね……あんただって、巻き込まれたのよ? あんな大きな竜巻に剣1本で突撃する羽目になったのだって、結局はわたしのせいじゃないの」

 ルイズの発言で、ようやく才人も自覚した。そうだ、あの時は頭に血が上っていて気付かなかったが、巨大な竜巻、いやハリケーン相手に剣1本で立ち向かうなど、自分でもどうかしていたとしか思えない。地球にいた頃に何度も見た、テレビの衝撃映像で家屋がバラバラに壊されるシーンを思い出した才人は、身震いした。

「そうだよなあ。あんな攻撃、普通に考えたらどうしようもねえよなあ」

 才人はそう言った後で、慌てて壁に立て掛けてあったデルフリンガーに向けて、言い訳じみたフォローを入れる。

「あ、いや、別にデルフが頼りにならないって意味じゃねーぞ?」

 そんな才人へ、彼の相棒は寛大にもこう返した。

「まぁな。さすがにあれだけの規模の竜巻を吸い込むのは、俺っちでも厳しいかもな」

「無理とは言わないんだな」

「試したことがないことを、無理とは言い切れないやね。ただ……」

「ただ、何だよ?」

「さすがに広い範囲で、しかも大人数から何発も魔法を撃ってこられたりしたら、いくら俺っちが優秀な『盾』でも、お前さんたちを守りきれない。それだけは覚えておけよ」

「ま、そうだよな。いや、実際デルフの『魔法吸収能力』はたいしたもんだと思うぞ? だけど、それとこれとは……って、ん? 『盾』? 広範囲を守る!? それに<反射>か。うん! これ、もしかすると……!」

 突然、天井を見上げてぶつぶつと呟き始めた才人に、ルイズは恐る恐る声を掛けた。

「な、なによ、どうかしたの?」

「ルイズ、悪い。紙とペンもらえないか?」

「別にいいけど……ちょっと待ってて」

 才人は、手渡された紙とペンを使い、早速そのアイディアを紙に書き込んでゆく。あまり上手とはいえない絵ではあったが、イメージをするための助けにはなるだろう。

「うし、できた! なあルイズ。これ、見てくれないか?」

「なんなのよ、いったい……」

 そして才人は説明を始めた。自分が描いたモノが、いったい何であるのか。どういった目的で使われるのかを。

「と、いうわけなんだけど……お前、どう思う? 『これ』が実現できたら、凄い武器になると思わないか?」

「確かに、もしもわたしに『これ』ができたら……あんなことにはならなかったわ」

 少なくとも、自分のパートナーの身を危険に晒すような真似はしなかっただろう。それに、万が一タバサが気付いてくれなかったとしても、全員助かったかもしれない。

 デルフリンガーの<力>は、確かに凄かった。でも、あの剣1本で立ち向かえる相手など、限られているということを思い知った。だから、ルイズは決意した。

「わかったわ。やってみる!」

「よし! 決まりだな。じゃあ、俺はもっといろいろな絵を描いてみるよ。そのほうが、ルイズにもイメージしやすいだろうしな」

「お願いするわ! えーっと……忠実なるわたしの使い魔よ」

「かしこまりました、お嬢さま。このわたくしめにお任せあれ」

 ルイズの『命令』にあわせて、ちょっと気取ったポーズでもって返礼する才人。ふたりは顔を見合わせ、ひとしきり笑いあうと……出来うる限りの紙とペンを入手するために、部屋中を奔走した。

 ――それから4日後の現在。

 途中でキュルケに(たぶん夜に騒ぎすぎたせいで)乱入されたりしながらも、ようやく『それ』は形になった。

「いってーっ! やっぱコレを手で殴っちゃダメだな」

「ちょっとサイト! 大丈夫!?」

 右手をひらひらと、まるで水滴を払うかのようにブンブンと動かした才人は「大丈夫、問題ない」と、答え……改めて成果を報告する。

「な、なんとか。『ワルキューレ』よりずっと固いんじゃないか? コレ」

 ふたりは、ここ数日かけて行っていた実験結果に、おおむね満足していた。

「なら、コレの強度は問題ないわね。将来的にはもっと固くできると思うわ。ところで、どうしてこんな形にしたの? わたしは『こう』したほうが、もっと簡単に作れたと思うんだけど」

 ルイズは、自分の『イメージ』を才人に伝えるべく、新しい紙とペンを取ると、そこにさらさらと1つの図形を書き込んだ。

「ああ、実はそれなんだがな……」

「う、な、なるほど」

「だろ?」

「ええ。わたしひとりで練習しなくてよかったわ……」

「危ねーなオイ! やるなら、せめて俺かタイコーボーがいる時だけにしとけよ!?」

「そ、そうするわ……」

 ――こんなふうに、ふたりで毎日練習の成果を確認しあった結果。ついに『それ』は完成した。そして彼らは、自分たちの努力の結晶を『体験』してもらうために、必要な準備に取りかかった。


○●○●○●○●

 ――6月第4週・イングの曜日。

 太公望は、いつものように訓練場所としてほぼ定着していた中庭へと向かうべく、部屋で準備を整えていた。すると、扉をコン、コンッと誰かがノックする音がした。

「む、シエスタではないか。何かわしに用があるのかの?」

 扉の外に立っていたのは、メイドのシエスタだった。太公望と才人、そしてこのシエスタは、全員見事なまでにつややかな黒い髪の持ち主である。以前、ルイズが「この国で黒髪はすっごく珍しい」などと言っていたが……1箇所に3人も揃っていると、正直あまり説得力がない。

「はいっ! 実は、ミス・ヴァリエールから伝言を言付かりまして。『新作のデザートをホールでいただいたから、今日は皆さんとお茶をご一緒しませんか? 中庭の、いつもの場所でお待ちしています』……とのことです」

 新作のデザートと聞いた太公望の表情が、キリリッ! と、引き締まった。

「了解した、伝言感謝する……と、これはお礼だ」

 そう言って、しきりに恐縮するシエスタへ銀貨を1枚握らせると、太公望はいつもの如く内側から扉に鍵を閉め、窓を開け放って外へ飛び立った。

 その後まもなくして。地面に降り立った太公望は、そのまま中庭へと移動を開始した。と、その視線の先に、綺麗な装飾が施されたテーブルと椅子――おそらくは、ギーシュの<錬金>で作られたものが並べられており、そこでルイズ、才人、タバサ、キュルケ、ギーシュの5人が談笑していた。

 ……ちなみに、モンモランシーは図書館に籠もるから、と言って、今日は誘いには乗らず、ひとり資料探しに奔走していた。と、それはさておき。

 そんな彼らのいる場所を見た太公望をして、最も注目させたのは――テーブルの上に、これ見よがしに置かれた『大きなデザート』であった。季節の果物によって所狭しと飾り付けられたそれには、彼の大好物である桃もあしらわれていた。文字通り、食い入るように菓子を見つめていた太公望へ、才人が声をかけた。

「おーい閣下! 早く来いよ。さっきからルイズの目が怪しいんだよ……先に食べはじめていいわよね!? とか言っててさ」

「ちょ、ちょっと! わたしはそんなこと……」

「まあ、確かにきみの視線はデザートにしか向いていなかったね」

「ギーシュまで!」

「間違いなく、あの目は危険領域に突入しようとしていた」

「そうよね~。まだまだ色気より食い気だものね、『箒星』のルイズは」

 その場にいた全員から一斉攻撃を受けたルイズは、ぷんぷんと頬を膨らませて怒っている。そんな彼らの様子を見た太公望は、両手をぷるぷると震わせて叫んだ。

「新作のデザートを、ルイズひとりで食べるだと!? そのような真似は、このわしが許さぬ! 全ての甘味はわしのものだ――ッ!!」

 大声を出し、テーブルへ向けて突撃してゆく太公望。そう……くどいようだが、彼は甘味に対してとてもこだわりがあるのだ。

 ――そして、テーブルまであと2メイルという位置まで迫った、そのとき。

 べっちーん! と、いう、実にいい音を立てて、太公望は『見えない何か』に正面衝突し……わずかな時間それに張り付いた後、ずるりずるりと滑り落ちた。

「うはははははっ! 成功! 大成功ッ!!」

「なるほど、これが囮作戦なのだね」

「完璧な誘導だった」

「どうかしら、わたしの『壁』は」

「そ……そうね、なかなか、面白……プッ……あはははははッ!」

 地面に倒れ伏した太公望を指差し、げらげらと笑う生徒たち。そう――彼女たちの前には『目に見えない壁』が展開されていたのだ。

 いつつつ……と、呟きながら、思いっきり強打してしまった顔を押さえ、立ち上がった太公望は、自分が衝突した『何か』を、指でコンコンと叩いてみた。

「これは……まさか『A.T.フィールド(Absolute Terror FIELD)』!? いや『防御壁(バリアー)』か!」

 ――今回、才人が思いついたもの。それは、透明な障壁にして<力>の盾。つまるところ『バリアー』であった。

 才人的には、当初『A.T.フィールド』をイメージしていたのだが、魔法の性質がよくわからない今の段階で『絶対領域』を展開するのは絶対に危険だと判断、より簡単に構築できそうな『エネルギー障壁』のイメージ図を描き、ルイズに手渡していたのだ。日常的に秋葉原へ出入りしている、オタク気質な彼らしい発想である。

「うぬぬぬぬ……」

 太公望は、思わず呻いた。これは、間違いなく才人とルイズの仕業だ。アイディアを出したのが才人で、実行者がルイズに違いない。あの娘、いつの間にここまで<力>の使い方を覚えたのだ! まったくもって、これだから『天才』というやつは……!

 『太極図』を使えば、解除は容易であろう。だが、さすがにそんな真似をするほど強力な障壁だとは思えない。そう判断した太公望は、懐から『打神鞭』を取り出すと、ルーンを唱える『ふり』をする。

「デル・ウィンデ!」

 だがしかし。かなり手加減していたとはいえ、太公望が放った<風の刃>こと『打風刃(だふうば)』は、あっさりとその壁に弾き飛ばされてしまった。

「な、ななな……なんだと……!?」

 思わぬ事態に、呆然としている太公望。そんな彼の姿を見て、才人以下『仕掛け人』たちは、相変わらず爆笑し続けている。

「うぬぬぬぬぬ……」

「閣下! 降参したほうがいいぜ! このバリアーは、デルフじゃなきゃ切れないぞ」

 そう、才人が笑顔で降参を促すと。

「あたしの<フレイム・ボール>にもビクともしませんわよ」

「ぼくの『ワルキューレ』7体総攻撃でも突破できなかった」

「わたしの<氷の矢>でも傷ひとつ付けられない、おそるべき立方体の壁」

 全員が、突撃結果を報告し……改めて太公望へ警告する。「はやくしないと、俺たちだけでデザート食べちゃうぞ~!?」などという言葉を投げかけながら。

 ――だが、彼らの言葉を聞いた太公望は。突如くるりと後ろを向くと、俯き、ふるふると肩を震わせ始めた。

「あれ? ひょっとして、やりすぎちゃった……カナ?」

 彼の姿を見て、思わずそう呟いた才人。しかし次の瞬間――太公望は、ゆっくりと振り返った。全身に黒い気配を身に纏い、その顔に邪悪な笑みを張り付かせて。そして一歩前へ進み出ると、両手を大きく広げ……こう宣告した。

「クックック……この悪ガキ共が、遊ばせておけばいい気になりおって。だが、それももう終わりだ。己の無力さを、その身でもって思い知るがよいわ……!」

 太公望が、手にした『打神鞭』を軽く振った、その直後。ルイズを除く全員が<風の縄>で