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[33428] 【チラ裏から移転】タツミーをヒロインにしてみるテスト【オリ主】
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2018/03/23 03:15
※ ハーメルンにて、『rikkaのメモ帳』内にて投稿しております。
 また、改訂版の『とある記憶喪失者の活動記録』をよろしくお願いいたします。



※ 途中ID、トリップが変わっていますが本人でございます。ご了承ください。






 彼女は考える。人間はいつだって、出会った人を判別する時はまずはその人の外見で判断する様に出来ている……と。

 服装一つとっても、色合いは自分にとって好ましいものか。その場所に適したものか。それが顔や体つき、更には肌の色や持っているカバンや時計等で大体の印象を決めつけてしまう。

 だが、それは果たして正しいのだろうか? 確かに身だしなみ等は大事かもしれないが、人の身体的特徴を勝手な偏見で見てしまうのは許されざることだ。そのような悪習に、人は一丸となって立ち向かっていくべきである。いや、いかねばならないのだ。


つまり――


「学生証まで見せたのに、鼻で笑って私を大学生だと決めつけたあの受付の女性には、どれだけ時間が掛かろうとも断固抗議をするべきだと私は思うんだ」

「いや待てとりあえず落ちつけ。男の俺を引きずりかけてる今の勢いで行ったら店員さんマジ泣きするからな!?」






『Phase.0 篠崎葵』






 褐色の肌を持つ長身の女性――龍宮真名をなだめながら、篠崎葵は深いため息をついた。

 時間は放課後、二人が来ているのは麻帆良学園内でも有名なスポーツショップだった。二人が所属しているバイアスロン部にて、ちょうど二人ともスキーウェアが買い替え時だったので、高校生以下なら学割が効き、その割引率が同じ系列の店の中でもっとも高いと噂の店に立ち寄ったのだが……

「すまないな葵先輩。代金はこれでいいかい?」

「ん、え~と……。うん、ちょうどだな。まま、これでちゃんと割引で買えたし? そろそろ機嫌を直してくれ龍宮」

 結局二人で色々話し合った結果、葵が一度まとめて購入するという形を取ったのだ。龍宮としては自分が中学生だということをなんとしても納得させたかったらしく、断固抗議するという龍宮を篠崎がなんとか説得してこのような形に落ち着いた。

「さて、とりあえず道具もちゃんと揃ったし、この後はまた部活か……」

「おやおや、乗り気ではないようだね? そうか、また追いかけられて欲しいのかい?」

「いや、もう勘弁してください。てかなんで追いかけてきたんだよ! 結構本気で怖かったんですけど、主に風を斬りながら飛来してくる500円玉とか弾丸とかが!!」

「ハハハ。いやなに、芹沢部長と以前、大会前に逃げる部活生を捕まえたら食事をおごってくれるという話をしていてね」

―― ……あのイケメン部長、ちゃっかりやることはやってるんだなぁ。

 と、取りとめのないことを考えながら、なんとなくやるせない気分になる葵。
 とりあえず龍宮をジト目で睨んでみながら、

「確かに大会前はあれだけどさ。佐々木副部長の鬼のしごきには耐えられん。そもそも俺が部活に顔出した理由は龍宮も知っているだろう?」

「あぁ、もちろんさ。……記憶を取り戻す手掛かりにならないか? だろう?」

 篠崎葵は、半年前の夏休みに家族旅行で京都に行っていたのだが、その帰り道にて居眠り運転をしていたトラックと正面衝突。
 葵は幸い、軽い怪我で済んだのだが両親は二人とも帰らぬ人となった。
 そして、葵もまた頭を強くぶつけたのか、病院で目が覚めた時には自分の名前すら分からない状態だった。

 その後、3週間の検査入院という妙に長い検査入院を終え、新学期に麻帆良学園に――自分が通っている高校に帰ってきた葵にとって、目に入る全てが初めてのものだった。今まで親しかったという友人も、自分に優しくしてくれる先生も、まったく覚えがない。

 なにより、彼らは一様に自分にどこか『以前までの自分』を求める所があった。それがたまらなく嫌になった葵は人を避けるようになり、クラスでも孤立して……気が付いたら一人だった。

 その後寂しさも手伝ってか、断片でもいいから記憶を取り戻そうと、(あるいは自分を知らない知り合いを作ろうと)葵が、外部参加者として所属していた麻帆良大学の『バイアスロン部』に顔を出してみた。

 そこで待っていたのは、自分がその部活内ではあまりパッとしなかったという事実と龍宮真名という奇妙な友人。そして――




―― 鬼教官と恐れられる副部長の地獄の特訓だった。




「あれ絶対おかしいよね? 皆スキートラック5周の所が病院帰りの俺だけ『俺がいいと言うまで走り続けてろ! 休むことも笑うことも泣くことも許さん!!』ってどこの軍曹だよ。しかもホントに休憩ないんだけどあの人。筋トレから何から何まで」

 文字通り、副部長の特訓は地獄だった。それはもう、ベッドの上で3週間ゴロゴロしていた人間には明らかにキツすぎる特訓だった。

「そりゃ、確かに俺も部活を軽く考えていたのは悪いさ。しかしここ最近試験勉強やら、掛け持ちしていたらしい部活の整理とかで、ほぼ無休だった所に、一日位は休みが欲しいと思っていた所なのに……まさか追いかけられるとは思わなんだ……」

「あー、佐々木副部長は帰って来てからの先輩に目をかけてたらしいよ? 動きが日に日に良くなってるって。うん、芹沢部長も認めていたよ。もちろん私もだ」
「……ほう」
 
 なんだかんだで、葵も、そういう風に期待をかけられていると聞くのは、悪い気はしなかった。
 退院してから人と繋がりがなくなってというもの、この男、褒められるという行為に非常に弱かった。
 頑張って葵も不機嫌を装っているが、少しニヤけているのがバレバレである。部活に関しても今日はもう少し真面目にやろうかという考えが浮かんで――

「特に副部長は、私から逃げ切ったあの逃走劇を見ていたらしくてね。なんでもそろそろ特訓を3倍ほど密度上げるかって言って……そうそう、私も先輩の監督をするように言われている――。あれ、葵先輩? 急に走り出してどうしたんだい?」




 ―― 即座に投げ捨てた。




「ふざけんなあの鬼教官、俺を殺す気か! 龍宮、悪いが今日は俺部活を休むぞ―― うおっ! もう真後ろに張りつかれてる!?」

 葵が後ろを振り向いた時には、既に龍宮が追いかけて来ていた。




 すっごくいい笑顔で。



 それはもうすっっっごくいい笑顔で。



 ついでに言うなら、両手にエアガンらしきものを握り締めている。





―― ちくしょう、やっぱり逃がしてくれないか!!


 葵はとっさに辺りを見回して、逃走経路を探す。が、ちょうど葵達がいた場所は開けた地形で逃げる所は見当たらない。彼女を撒けそうな路地裏に入れる場所はここから少し離れている。


問題:逃げ道がとても遠い上に、すでに真後ろには怖い後輩が追いかけてきています。どうすれば?


結論:全速力で逃げ切るしかありません。


「ハハハ。そうか先輩、今度も私の目の前から逃げ切れると考えていたのか。うん、この間はまさか逃げ切れられるとは思っていなくてね。正直あの時は本当に……それは本当に悔しかったんだ。そんな私に雪辱の機会を与えてくれるとは――」




――先輩は本当に……優しいね?




 『優しいね?』という言葉を聞いた瞬間、葵は体中の毛が逆立つのを感じた。

「イヤイヤ、そんな気持ち一切ないから! 今の俺に優しさなんてバファリンの欠片程すらないから!! むしろ今優しさが必要なのはお前の方だと思うよ!? ほら俺こんなに疲れてるよ?!」

 必死に弁明(?)をしながら全力で逃走する葵。だが、龍宮にそれが聞こえた様子はなく、


「なら、その優しさにお答えして……少し本気でいかせてもらう!!」

「龍宮、この……! お前、俺のこと嫌いだろうっ??!!!」




 ―― まぁ、聞こえていたとしても意味などなかっただろうが……







 バイアスロン部でも有名な、驚異的な身体能力と射撃能力を併せ持つ、常に頬笑みを絶やさないクールビューティ『龍宮真名』と、その龍宮と数ヶ月前からよくよく一緒に行動しており、時には彼女と漫才じみた会話を繰り広げている、一部には彼女の『相方』として認識されている男、篠崎葵。

 この『麻帆良』という、色々な意味で特殊な場所でそこそこに目立つ男女がいきなり飛び道具アリの本格的な逃走劇を始めると、一体どういうことになるのか。




 答えは簡単『お祭り騒ぎ』である。





―― うおおおおおぉぉぉぉぉっ!!!

 いきなり熱を上げ出し、観客と化した生徒達を片っぱしから殴り倒していこうか等と物騒な事を、割と本気で考えながら葵は街中を駆けていく。



―― あの女の子が男を捕まえるのにファミレスの割引券5枚賭けた!

―― 俺は男の方にJoJo苑のサービスチケット10枚だ!!

―― 龍宮先輩頑張ってください! 私応援してます!! 男は豆腐の角に頭からダイブして死ねっ!!

―― 美女に追いかけられる男なんて死んでしまえばいいんだぁぁぁぁっ!!!



「てめぇら人が必死に逃げてんのを勝手に賭けのネタにしてんじゃねえ! それとそこの二人は後でぶっとばすからな!? 顔覚えたからな!!?」

 トトカルチョを始めだした集団に向かって罵声を上げ、ついでに自分を呪ってきた女生徒と男の顔を頭に刻み込みながら、葵はシミュレートした逃走経路に沿って全力で駆け抜ける。


「ハハ、先輩? 私が珍しく少し本気を出して追いかけているというのに、そんな簡単に他人に目移りするなんて……。妬いてしまうじゃないか」

「やかましいわっ!!!」








 記憶を失くし、自分が自分であるという自身も失い、友人達からも離れていった少年――篠崎 葵。

 未だに自らの存在に負い目を感じている少年だが、少なくとも今はこの退屈しない……もとい、退屈出来ない、少々過激な日常に幸せを感じて――


「よっし! 路地裏まであと少し、あそこに入り込めば――」

―― タンッ!  タンッ!  タタンッ!!

「うぉ、ちょ、待って龍宮これ洒落になってない! 牽制だとしても洒落になってないから!!」

「さすがだね先輩。まさか全て紙一重で避けるとは……っ!」

「当てる気満々だった!?」

「当ってもいいんだよ、先輩? なに、ただちょっと死ぬほど痛いだけだ」

「いいわけあるかぁぁっ?!」





―― 幸せを感じていると信じたい。








≪コメント≫(6/12 20:40)
 初めて投稿した作品ですが、嬉しいコメントからありがたい指摘まで頂いて、本当に感謝しています!
 初めてこのように物語を書くにあたって、頭の中の妄想を文章にするという行為が非常に難しく、皆様からの指摘に……答えられるようには努力したいと思います。

 改めて、コメントをしてくれた皆さん、本当にありがとうございます!



[33428] Phase.1
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/09/05 22:45
(私とした事がこんな事になってしまうなんて……。麻帆良最強頭脳の名が泣くネ)

 お団子頭と三つ編みのツインテールが特徴的な少女――超鈴音は、暗闇の中に一人ポツリとただずんでいた。

 何が悪かったのだろうか。
 自分が『計画』を思いつき、実行したからだろうか?
 自分はあのまま、あの世界で生きていくべきだったのだろうか? 
 
 と、今さら考えても意味のない事を繰り返し考えていた。

(とにかく、なんとかして、『ここ』から出る方法を考えないといけないネ。でないと……)

 もしこのまま、自分が『ここ』に居続けたらどうなるのか。どうなってしまうのか。
 あまり考えたくない未来を避けるために、超鈴音は思考を続ける。




 それしか、今の彼女に出来ることはないのだから……。





『Phase.1 エンカウント』





 図らずも発生した『第二回 篠崎葵の自由をかけた逃走劇』は、今度は龍宮に軍配があがった。
 一度は龍宮を撒いた葵だったが、寮の自宅へと向かうルートを読まれて待ち伏せを受け、その後、再び狭い路地裏での逃走劇が繰り広げられる。
 結局、より路地裏を把握していた龍宮に追いつめられ、どこからか取りだした手錠を後ろ手にかけられ、そのまま部活へ連行されてしまった。
 


 その後、龍宮から副部長へ『篠崎葵が部活前に逃亡した』と報告されたことにより、本来ならば普段の3倍の特訓だったところをまさかの5倍にされ、絶望する葵の姿があったとかなかったとか。

 今はすでに特訓も終えて夜も回り、葵は特訓の監督と言うことで残っていた部長、副部長と龍宮の4人で片づけを終えて部室練にある休憩室で休んでいた。

「おのれ龍宮……おのれぇ……鬼教官め……」

「大丈夫かい葵先輩? 傍から見ても分かるくらいにボロボロに疲れているが」

「くそ……今度があったら逃げ切ってやる……」

 備え付きのベンチに寄りかかって『ぐでー』という擬音さえ見えそうな程に疲弊している葵に、龍宮は苦笑しながらドリンクを差し入れていた。

「ハッハッハ! なんだかんだでちゃんと特訓についてきてるじゃねーか! 篠崎、体力さえ戻ったら、後は龍宮に技術を叩きこんでもらえ。そうしたら直にレギュラーだ! どういう訳か、お前、運動神経はかなり良くなっているみたいだからな!!」

 葵の正面のベンチに腰掛けて笑いながらペットボトルを傾けているのは、バイアスロン部が誇る鬼教官。副部長の佐々木直人だ。
 そしてその横で苦笑を浮かべているのがバイアスロン部部長の芹沢である。

「篠崎君は、本当に見違えるように成長していってるからね。本当にすぐにレギュラーになれると思うよ」

「その前にこの特訓で死にそうなんですが……。佐々木副部長と龍宮の二人のしごきがどれだけきついか……っ! 鞭だけではなくて、たまには飴も欲しいんです部長!」
 
 葵がそれはもう必死といった顔で訴えるのに対して、芹沢は苦笑いをして『あぁ、まぁ、がんばってくれ』とだけ言って、曖昧に言葉を濁す。

(ま、前から思ってたけど……俺ひょっとして嫌われてんのかな?)

 芹沢は、以前からどこか葵に対して余所余所しい所があった。

(まぁ、龍宮の事に関してなんだろうけど……)

 正直葵は、芹沢部長が自分の友人である龍宮真名に好意を持っている事に薄々感づいていた。
 感づいてはいるのだが、それに対してどう動けばいいのかが分からなかった。
 遠まわしに、これから部長とどう接していけばいいか芹沢部長と仲が良い副部長に聞いてみると。



『あー、うん。まぁ……頑張れ?』



――欠片も頼りにならなかった。

 龍宮にも遠まわしに聞いてみようかとも考えた葵だが、なんとなく止めておいた。
 めんどくさい事になりそうな気配を感じたからである。

 結局参考になる意見は聞けなかった。そのために葵は、芹沢との距離を今も測り損ねていた。
 もういっその事、芹沢本人に、自分は龍宮との間に含むものは何もありません。むしろ頑張ってください。
 とでも言おうかとも思ったのだが、どうもしっくりこないためにこれも却下。

 
―― どうしっくり来ないのかは、葵本人ですら、よく分かっていなかったが……。


 結局、今日も余り深入りは出来なかったため、葵はその後龍宮が振ってきた話題 ―― 先月に赴任してきた龍宮のクラス担任の子供先生や、またはクラスメートが起こしたドタバタ劇等について、面白おかしく聞いたり話したり、ツッコミを入れたりしていた。
 そうこうしている内に、だいぶ夜も更け、解散することになった。

「さて、もう夜も遅いし……。龍宮君、よかったら送っていくよ」

 こういう台詞を、嫌味を感じさせずにスッと出せる辺り、芹沢と言う男は紳士である。

「ありがとうございます芹沢部長。それじゃあ、先に外に出ていますね?」


―― まじで部長、頑張ってるんだな……。しかし龍宮狙いとは……。

 勇気があるなぁ……。と、葵はぼんやりと考える。
 一方、芹沢はどこか嬉しそうにソワソワしている。
 そして佐々木副部長は、葵と芹沢を交互にみて、とても深いため息をついたのだった。


 軽くこちらに手を振り、休憩室から出ていく龍宮を眺めながら、このままここにいても気まずいだけだと、考えた葵は立ち上がった。

「やれやれ、それでは俺もそろそろ帰ります。明日が休日とはいえ、あんまり遅くなってもあれですし」

 明日は部活も何もないし、特に学校の課題が出ているわけでもない。
 一日中寮の部屋でダラダラとしよう。と、しょうもない決意を葵が心の中でしていると、

「おう篠崎、お前には明日も一応軽く流す程度の練習を用意してるからな。龍宮に迎えに行かせるぞー」

 副部長からの『待った』が入った。

「いや。いやいや。いやいやいやちょっと待ってください佐々木副部長。人間には休息というものが必要不可欠だと俺は思うんですよ。というわけで――」

「あぁ、まぁ……疲れているんなら来なくても構わんぞ?」

「え、まじですか!?」

 鬼教官から出た思わぬ言葉に、葵は少し驚き、

「その代わり龍宮が全力でお前を見つけ出して引っ張ってくる」

「ちょ」

 一瞬でも甘い考えを持った自分自身を全力でぶん殴りたい気持ちになった。

「ちなみに、俺はお前が逃げ切る方に学食ランチの割引チケット5枚賭けている。いいか、絶対に逃げ切れよ? ちなみにあそこで上機嫌になってる馬鹿は龍宮に賭けてるらしいからな。いいな、繰り返すが絶対に逃げ切れよ?」

「何勝手に人を賭けごとのダシにしてるんですか!? というかそれって明日も追いかけられる事が確定してるじゃないですか!!!」

「お前には期待しているぞ。開始時刻は明日の朝9時からだ。お前の勝利条件はそこから2時間逃げ回ること。スタート地点は好きにしていいらしいぞ。龍宮も張り切ってたからな」

「もうそれ副部長としての言葉じゃないですよね!? どっちかっていうとトトカルチョ運営委員会的な何かの会長になってますよね!? そして賭けの対象にされてる俺は何も知らされてないんですけど!!?」

 まさかとは思うが、今日の賭けを煽ったのはこの男なんじゃないだろうか、と邪推してしまう葵。


 ―― あぁ、明日は、普通に部活に顔を出そうしたら、龍宮じゃなくて副部長に襲撃されそうだなぁ。それか特訓5倍とか……


 『期待しているからな? 本当に期待しているからな? なんせ皆龍宮に賭けて、お前は大穴なんだ!!』などという戯言をのたまいながらすごい力で肩を掴んで揺さぶってくる副部長に対して、葵は軽蔑に近い眼差しを向けながら、頭の中で明日いかにして逃走するかを頭の中でシュミレートしていた。




―― ていうか、これもう素直に部活に出て特訓受けた方が疲れ少ないんじゃないかな……。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







「あー、畜生。マジで疲れた」
 
 葵は、あの後、副部長に対して『ええ』とか『はい』とか適当に返事をしてあしらった後、自分の寮へと帰りながら、これから先の事について考えていた。
 未だ欠片も戻る気配のない『篠崎葵』の記憶について――仮に戻らないままだとして、これから先どのようにして生きるのか。
 自分を引き取ると言ってくる親戚連中にどう対応すればいいのか、『篠崎葵』やその両親のお金にはあんまり手をつけたくないので、そろそろバイトもするべきかな……とか。
 他にも掛け持ちをしていたらしい部活をどうするか、ついでに、クラスメイトと距離を縮めたいような縮めたくないようなこの微妙な気持ちをどうすればいいのだろう? あと副部長死ね等――
 結構どうでもいいようなものから深刻なものまで、悩みの種だけは大量にある葵だった。


「記憶は消えているのに、しがらみだけは未だに残っているとはこれいかに……ってね」


 なんとなく一人でつぶやいて、それから無性に恥ずかしくなって、辺りに誰かいないかキョロキョロしだす。恥ずかしいというより微妙に情けない姿だった。
 自分の恥ずかしさをごまかすためか、葵はなんとなく今日買ったスキーウェアが入っていた紙袋の中身を探ってみる。
 別に何も入っていないだろうと思っていたのだが指先に何かが当る感触を感じて、中を覗き込むと、そこには見覚えのある一本のリボンがあった。

「これ、龍宮がいつも着けてるリボン? あれ、なんで入ってんだ?」
 
 部活の際、龍宮はいつも両サイドをくくってあるリボンを外して、一本で自分の長い黒髪を後ろで束ねてもう一本を外していた。
 そういえば龍宮が休憩室を出ていった時も髪を束ねたままだったと、葵は先ほどの事を思い出した。



―― どこで入り込んだのやら……。


 葵は明日になって返そうかと一瞬思ったのだが、よく考えたら明日はその龍宮から全力で追われるという有り難くないイベントがある事を思い出した。

―― 鬼教官の言い方からして、明日はどうも問答無用っぽいんだよなぁ。かなりの人数が賭けに参加してるっぽいし。ちくしょう、佐々木(副部長)の野郎、禿げろ!!

 葵は、頭の中で副部長に対していつか仕返しをしてやるという決意を固めながら、とりあえずこのリボンを女子寮まで持って行って管理人に預けておこうという結論に達する。
 ただ、その際に葵が気をつけておきたいことは――


「ここからだと……桜通りを回っていけば部長と龍宮には出くわさないか?」


 ただでさえ芹沢部長とは微妙な距離になっているのに、ここで恋路を邪魔しようものならますますややこしい事になるだろうと考えた葵は、早速桜通りへと足を進めた。







―― 少し、龍宮とは距離を置いた方がいいのかなぁ……







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 空を見上げると、それは綺麗な満月が空に輝いていた。
 ここ最近、というより退院して麻帆良に来てから、ゆっくりと空を見上げた事など一度しかなかったかもしれない。
 と、葵はふと思った。その一度の時こそが、
 



―― そういや、龍宮と初めて会った時も、月の綺麗な夜だったっけ




 葵が初めて龍宮真名と出会ったのは、バイアスロン部に入るもっと前……麻帆良へと戻って来た二日後だった。
 周りにいた人間の腫れ物に触るような態度にどうしてもなじめず、『篠崎葵』を知っている人間を避けるようになった日でもあった。

(あの日は確か、……あぁそうだ。どういう訳か人が怪我して倒れてて、その傍に龍宮がいて……無茶苦茶ビビってたら、いきなりアイツに名前呼ばれて……ん?)


 龍宮との出会いがどのようなものだったか思い出そうとした葵だったが、その思考を中断せざるを得なくなった。


 なぜなら――




(おいおい……あの時の焼き直しかよ?)

 


 葵の目の前に、顔を真っ青にした女生徒が倒れていたからだ。
 それは、先ほどまで頭の中で思い出していた、かつて龍宮と出会った時と同じような光景だった。
 あの時と違うのは、倒れている人間が血まみれではない事。
 そして、その隣にいるのはいつも笑顔でこちらをからかってくる彼女ではなく――



「ほう、一応人払いは掛けていたはずだったのだが……。まさか人が、それも男が迷い込んでくるとはな……」




 今日の綺麗な満月にも劣らない、美しい金色の髪をなびかせて





「こんな美しい月夜だ。美しい蝶にまぎれて、蛾が迷い込む事もあるだろうが……」







「運が悪かったな。迷い込んだ哀れな蛾よ。残念ながらお前が迷い込んだここは――」







―― 私の狩り場なのだよ







 美しい少女が一人、全てを威圧するかのような雰囲気を纏い立っていた。









≪コメント≫
 前からほとんどいじってなくて、あれですが……。前回の冒頭部をこっちに持ってきました。
確かに、最初に持ってくる話にしては、題名とは合っていませんでしたね(汗) ご指摘、ありがとうございました!

 プロットの通りに進めてはいるのですが、書き進めていくたびに一部を変えたくなって仕方ないw
 こんな作者ですが、これからもよろしくお願いします!



[33428] Phase.2
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/09/06 22:26
 

 休憩室での雑談の後、芹沢と龍宮は女子中等部の寮から少し離れた所で、少し雑談を交わしていた。
 今回、葵を捕まえた報酬として、以前に言われていた食事の約束をして、どこに食べに行くか。等と言う話をしていた。


――ハズだったのだが。


「『まさか2-Aきってのクールビューティ、龍宮真名に彼氏が!!?』 オッケー、見出しはこれで行こう!!」

「朝倉、彼はバイアスロン部の部長だと……」

「あ、あはは……。龍宮君の友人は随分と個性的だね……?」

 運悪く、二人とも麻帆良学園が誇るパパラッチ―― 朝倉和美に捕まってしまっていた。
龍宮も油断していたわけではないのだが、たまにこの朝倉という少女は龍宮ですら察知できない隠行術を披露することがある。
 級友の持っている無駄なスキルの高さにか、あるいはその行動力の高さにか、龍宮は自分でもよくわからない何かに呆れて静かにため息をついた。

「あれ? そういえば龍宮いつもの相方はどうしたの? いつもは一緒に帰ってきてるじゃん。今日こそとっ捕まえてインタビューしようと思ってたのに……あの人逃げ足すごいからなぁ」

「ん? ……あぁ、葵先輩の事か。さっきまでは一緒に部活にいたんだけどね。って朝倉、葵先輩にまで何か聞こうとしてたのかい?」

「んっふっふー♪」


 ふと、龍宮は嫌な予感がしたので聞いてみるが、朝倉は笑うだけで答えてくれない。


―― よくは分からないが、葵先輩もご愁傷さまだな。


 心の中で葵に対して十字を切る龍宮。


(そういえば……)

 ふと、龍宮は自分の未だに後ろで束ねたままの髪に手を伸ばす。

(リボン、もう一本がどこかにいってしまったが……どこに行ったんだろうか?)







『Phase.2「ようこそ」』





(地雷を踏んだ。って気がついた時の人間って、きっと今の俺の心境に近いものがあるんだろうな)

 またどえらいタイミングでどえらいものに出くわしてしまった。と、葵はその場で頭を抱えてしまいたい気持ちになった。

(状況がまったくもってサッパリ理解できないが……狩り場って言ったな? あの女子生徒が倒れているのは、あの子がやったのか?)

 少女の足元に倒れている生徒。
 たしかあれは……聖ウルスラ女子高の制服だったはずだ。と、葵は自分の記憶から倒れている女生徒を自分と大体同じ年だと判断する。

どう見ても10歳程にしか見えない少女に、高校生が倒される。

普通ならば一笑に付す話だが、葵は目の前の少女から本気になった龍宮と同じ、いや比べることすらできないであろう龍宮以上の圧倒的な『ナニカ』の雰囲気を感じ取っていた。

 すなわちこの少女、見た目など関係なく『最大級の危険』に値する。
 そう葵は直感的に確信していた。

 そして本能が、今すぐ踵を返して逃げろと叫んでいる。
 だが、葵の目には真っ青な顔で倒れている少女が映っている。映ってしまっている。

 その時点で、篠崎葵はこのまま逃げるという選択肢を除外せざるを得なくなった。



 内心冷や汗をダラダラ流しながら、それが表に出ないように必死に抑え込んで、






―― 篠崎 葵は、毅然として少女に立ち向かった。








「狩り場とはまた物騒だね。なるほど、その女の子が蝶で自分が迷い込んだ蛾だと言うなら……さしずめ貴女は、網を張って獲物が引っかかるのを待っていた蜘蛛と言ったところかな?」

 無理やり平常心であろうとしているせいか、どこか芝居臭い口調になっているのを自覚つつも、葵は会話をしながら少女の観察を始める。
 それと同時に頭の中で逃走経路、対処法をシミュレートしていく。
 既に、持っていた荷物は邪魔になると判断して、全て地面に下ろしている。

「貴女には、この状況を含めて色々と聞きたいことはあるんだけど……。まずは足元に倒れている女の子を病院まで連れて行きたいんだ。そこを通してもらえるかな、可愛い蜘蛛さん?」

 相対している少女は、最初は退屈そうな顔だったが、葵が軽く挑発すると、『ほぅ……』と呟き、今までとは違う、どこか凄味のある笑顔を彼に向けてくる。
 それと同時に襲ってくる、まるで周りの気温が数度一気に下がったような感覚に、葵は押しつぶされそうになりながらそれでも思考を止めなかった。


―― とにかくこのままじゃマズい。倒れている女の子は確保したいけど、場合によっては悪いけど後回しにさせてもらおう。


―― 仮にあの娘が倒れている女の子を襲ったとした場合、少なくとも女の子とはいえ、身長差が結構ある相手を倒してるんだ。喧嘩慣れしていると考えてよし。


―― なら、真正面から突っ込んで確保するのは……ほぼ間違いなく愚策。背中を見せれば恐らくその時点でアウト。あの妙なコートっぽい服、中に何か仕込んでいるっぽいし……。


―― 誰かに助けを求める? この時間に広域指導員や警備員がこの周辺にいるか? 多分、いない。この時間ならほとんどは町の方を見まわってるはずだ。それに、大声で人を呼んでも、指導員一人二人が来た所で意味がない。多分この娘は、そんなんで済む相手じゃない。


―― 一般生徒が来てしまったら状況は無駄に悪化するだけ。高畑先生みたいなトンデモ人間を呼ぶことが一番ベストだけど、そんな手段があるならとっくに使ってる。



――つまり、うかつな行動はそのまま詰みに直結する……。



 思った以上に状況が詰んでいる。
 そう判断した葵は逃げ道を探すのではなくて、逃げるには何が足りないかに思考を移していく。


「それなりに殺気を出してはいるつもりなのだが……。現に、この女は今よりも弱い殺気を当てただけで、血を吸ってもいないのに倒れたぞ? だというのに、貴様はこれに耐えるか。クックック、面白いじゃないか、坊や」


―― 正直、足の震えを隠すので精一杯なんだよ……!!。


「あはは! この年で坊や呼ばわりされるというのは思った以上に傷つくな。それよりも聞き捨てならない言葉があった気がするのは気のせいかな? 血を吸うって聞こえたんだけど?」

 内心で泣き叫びながらそれをおくびにも出さず、葵がそう返すと、


「あぁ、そうさ。なんせ私は『吸血鬼』だからな」


 と、少女はなんでもない事のようにそう言った。


「……なるほど、自分が飛び込んだのは蜘蛛の巣じゃなくて、蝙蝠が待ち構える洞窟だった訳か」


 どこかおどけたような口調で、笑みさえ浮かべて相手に合わせて会話を続けている葵だったが、すでに頭の中は既にパニックに陥っていた。


―― 吸血鬼だと?! なにふざけた事ぬかしてるんだこの幼女は!! いくら麻帆良がトンデモ学園都市だからって、トンデモだったらなんでもかんでも許されると思うなよ!! ……あぁ、でも麻帆良だったら『トンデモ生物作っちゃいました』なんてことが……うわぁ、在り得る。


 口には出さずに一通り愚痴って、葵は感情を出来るだけ抑えようとする。


「それなら、尚更その子を病院に連れていく必要が出てきたね。大きい蚊に刺されていないか、調べてもらう必要が出てきたよ。よかったら貴女も一緒にどうだい? 輸血パックくらいならそこにもあるんじゃないかな? あぁ……失礼。貴女くらいの背の女の子ならトマトジュースの方がお似合いかな。どう思う?」
 
 内心ある意味でキレそうになっていた葵は、自然と口調にも皮肉めいたものが交じっていく。

最も、葵もただ感情的になっていただけではなく、これで目の前の自称吸血鬼になんらかのアクションを起こさせて様子を見ようという考えも入っていたのだが……。

 そんな葵を嘲笑うように、少女が『クックック』と小さく笑うと、

「貴様は面白いな。中々気に入ったよ。だから、一つ貴様に忠告をくれてやる。敵の目の前で策を考えている時はな、表情よりも目線に注意するべきだ」


「先ほどから必死に逃走経路か……あるいは私の隙を探っているようだが、目線がそんなに動いていたら多少鋭い者ならば何をしようとしているのか大体分かるぞ? 考えていることすら……だ。ほら、目が泳いだな。クク、どうした? もう心が折れそうか?」




――こいつ、……やりづらい。

 少女が指摘した通り、葵の心はすでに折れる一歩手前だった。今この場から逃走するのに必要不可欠なものは強いて言うなら場所だった。
 本当に、偶然この場に来てしまった形なので仕方ないと言えば仕方ないが、葵は何も準備をしていない。
 さらに部活でかなりバテ気味だったということもあり、いつもの龍宮からの逃走のように脚力には期待できない。
 追いかけてくる相手を妨害する道具もない。更に相手は、よくわからないが、とてつもなく恐ろしいということだけは理解できている。
 正直、彼女に会った瞬間逃げ出さなかった自分を自分で褒めてやりたいくらいだと思っていた。
 状況は中々に絶望的。
 そんな葵が状況をひっくり返すには、障害物や目くらましになるようなものが一切ないこの桜通りは余りに不利すぎた。だから、葵が考えた作戦は単純に――

「こちらを挑発して引きつけた上で、近くの建物に侵入。そして追って来た私をかく乱した隙にタイミングを見計らって、この女を確保して人通りの多い所に逃げ込む。確保が難しいと判断した場合はそのまま一人で逃走し、広域指導員を集めてもらい急行する――と言った所か? あぁ、なるほど。私を観察していたのは、その際に私の特徴を的確に伝えるためか」

「…………」


 逃走に必要な場所がないのならば、その場所にどうにか移動させてしまおう。それが葵の考えた作戦だった。
 不確定要素が多い博打に近い作戦だったため、葵も成功する確率は極めて低いとは思っていたが、それでもこうして言い当てられると内心動揺が走る。


(だめだ)


 動揺で崩れそうになる笑みを必死に保ちながら、葵は臆病風に吹かれる自分の思考を叱咤する。


(動揺を顔に出すな。根拠のない勘だけど、恐らく顔に出た瞬間、この自称吸血鬼は向こうから仕掛けてくる。絶対に顔に出すな。第一の案が使えなくなったら、次を用意すればいい。まだ負けてない。もう少し時間を稼げ。思考を働かせろ!)


 笑顔と共に殺気をより強く発してくる少女に対し、葵もまた顔に笑みを深める。


「いやいや、まいったね。それで? 今こうして言い当てられたせいでこっちには打つ手が無くなった訳だけど……。これは自分も血を吸われるって事でいいのかな? 普通、吸血鬼っていうのは女性の……それも処女の血しか吸わないものだと思ってたんだけどね」

「打つ手がないだと? フン、白々しい。先ほどと違って目線に注意をしているようだが、諦めていないのはバレバレだぞ」

「そこは黙って合わせてくれてもいいんじゃないのかな? 正直、バレてるってのは百も承知で言ってるんだからさ」



―― 付け入る隙があるとしたら『これ』か。



 初対面の葵にも分かるくらい、目の前の自称吸血鬼は、なぜか機嫌がいい。
 一方的な考えかもしれないが、葵にはこの少女が自分を待っているように感じていた。
 例えるならば、テレビゲームのスイッチを入れてコントローラーを握り締めたまま、何もボタンを押さずに始まったオープニングやムービーをワクワクしながら見ている子供のような感じだ。
 楽しくなるであろうゲームを前に、少しずつ情報を取り入れ、すぐに来るであろう『本番』に期待を膨らませている……。
 目の前の少女からはそんな印象を受けた。つまり――

(俺が下手な行動を起こした瞬間、あの凄まじい笑顔が今度は虫けらを見るような顔に変わって叩きのめされるということか)

 女生徒を見捨てるという行為は恐らく下手な行動に入ると推測する。
 少女が、こちらの出方を待っているが、それでも女生徒の傍から離れる様子がないという事は、そういう事なのだろう。


 それってもう詰む手前じゃないか。と葵は結構本気で泣きそうになっていた。


「なるほど、思わず天を仰ぎたくなるっていうのはこういう事なのか。まぁ、それでも足掻かせてはもらうんだけどさ」

 葵は、ゆっくりと全身から力を抜いていく。


「ほう、ようやく策は決まったようだな?」


 少女は、葵が動きを見せると見てその手に懐から取り出した試験管を握る。
 葵はそれがとりあえずヤバイものだと判断するが、あえてそれを無視して身体から力を抜き―


「まぁ、策と言っても、真っ先に自分で否定した愚策なんだけど……ねぇっ!!!」


 言葉を言い切るのと同時に両足に渾身の力を込めて地面を蹴り、倒れている女生徒に向かって走りだす。

「ハッ! なるほど確かに愚策だなっ!!」

 一方少女も、愚策とは口では言っているが恐らくは葵の動きを察していたのだろう、葵が地面を蹴るのとほぼ同時に、手に持ってた試験管を彼に向って投げつける。

―― そう、予測されているということが大事なんだっ!!

「魔法の射手(サギタ・マギカ)戒めの風の一矢(アエール・カプトゥーラエ)!!」

 少女がそう叫ぶと同時に試験管が割れ、中から常識では突然発生などしえない突風が葵に向かって吹く。
 その瞬間、一瞬地面に這いつくばるように葵は態勢を低くして、即座に再び地面を蹴り、微妙に進行方向を調整しながらそれまでの速度よりさらに早く倒れている女生徒へと駆け付ける。


「っ……緩急を付けた? わざと狙いを付けさせたのか!」


 不可視の突風がかすったのか、葵の来ていた上着の一部が吹き飛ぶが、それでも足は止めず、そのまま少女の横をすり抜けるように女生徒を抱えて通り過ぎる。
 少女の事は無視。下手に手を出して、掴まれでもしたらその時点で終わりだ。


(くっそ! なんだこりゃあ!!?)


 あの少女が自分のアクションを待っているという前提が合っているのならなら、恐らく真正面からだったら即座にこちらの動きに反応してくれるはず。
 そう考えて、葵は愚策をあえて選んだのだったが、まさかこんなものが来るとは思っていなかった。


(龍宮の500円玉と銃弾の嵐で慣れてなかったら、足を止めてしまっていたな……)


 今日の買い物からの帰り道に鼻先をかすった500円玉を思い出しながら、明日龍宮との追いかけっこがどうなろうとも、練習が終わったら餡蜜でも奢ってやろうと葵は決意する。


ともあれ女生徒は確保した。あとはこのまま真っ直ぐに――




―― ……し……く……ロッ!!




「―――!!?」


 通り過ぎようとするのと同時に、葵の中の何かが警鐘を鳴らす。
 葵は反射的に女生徒を抱きかかえるようにして地面を転がる。
 それと同時に、



―― ヒゥンッ!!!



自分の頭が――正確にはおそらく首があったであろう位置を、何かが風を斬って通り過ぎるのが感じられた。
 葵は、ゴロゴロと地面を転がりながら身体のバネを使ってすぐに態勢を立て直し、即座に駆けようとする。
 が、立ちあがった瞬間に少女と眼が合い、一瞬身体が竦んでしまった。



(――っ! しまった、今のは致命的すぎる!!)



 いまから駆けだしても、すぐに追いつかれるのは確実だ。いや、そもそも……

「はぁ……はぁ……。どうやら、最近の蝙蝠はとんでもない風を起こせるらしいな。何か飛び道具を仕掛けてくる可能性はあると思ってたけど、その発想はなかった。いやマジで驚いた」


 もはや緊張どころでは無くなったのか徐々に口調が戻り始める葵に対し、少女は楽しそうに


――本当に、心の底から楽しそうに嗤う。


「ハハハハハハハッ!! 驚いた? 驚いただと!? 驚いたのはこっちだ! 不慣れな風とはいえ、魔法の矢(サギタマギカ)を紙一重で避け、挙句には追撃に使った糸を見事に避けて見せるとはなぁ!!」

「悪いけど蝙蝠の言葉は分かんないんだよ、日本語喋ってくれ。糸はともかくとしてサギタマギカってなんだよ。……ってそうか、さっきのアレは糸だったのか」

 先ほど聞こえた音を思い出し、葵はわずかに体を震えさせる。
 その葵の様子を見て、少女は軽く首をかしげる。


「やはり正真正銘の一般生徒か。まさかとは思っていたが……いや、しかし魔力はほとんどない様だし……」


 葵には後半の言葉はよく聞こえなかったが、少なくとも今この少女にこちらをいきなり襲う気配がないのを感じ、更に時間を稼ぐために口を開く。

「はっ! 見て分からなかったのか? どっからどう見ても普通の一般人だろうが。そういうそっちは恐ろしく常人離れしてるじゃないか。麻帆良っつートンデモ空間の中でもとびっきりだろうが蝙蝠娘」

「ほう、それが貴様の素か。ふむ、先ほどまでの役者じみた喋りの方が私の好みなのだがな……」


 本当に残念そうにそう呟き――それでも楽しそうに笑い続ける少女を視界にいれたまま、葵は次の一手を考える。考えるが――


(情報が足りなさすぎる……)


―― 糸はどうやって操った? あの風は? 風は不得意と言っていた。なら他には何がある? その威力は? 射程距離は? 身体能力は? 自分はこの女生徒を抱えたまま走りきれるのか?





―― この女は一体なんなんだ?



「……いくつか、聞きたいことがある」

 まずは、知らなければならない。と葵は考えた。
 まず、あの訳のわからない攻撃も含めて目の前の存在について把握しなければ、この状況はどう足掻いてもひっくり返せないだろうと。

「あぁ、いいだろう。今の私は機嫌がいいからな。特別に無料で答えてやろう」

 普段は代金いるのかよ! と内心突っ込む葵。

「さっきの風はなんだ? あれがいわゆる科学の産物だとしたら、俺は明日からもう少し真面目な学生になるぞ」

 どうやら、この質問は少女からしても聞いてほしかった事のようだ。少女は、ニィっと口の端を吊り上げると、

「ハッハッハ! 確かに、攻撃の正体を知らなければ策は練れないからな。この追いつめられた状況でも平然とした顔で嘯き、足掻き続けるその存在の在り方。なるほど、貴様は弱者の中でもとびきりしぶとい弱者のようだっ!!」

 少女は、舞台の上にいるかのように芝居じみた動作で軽く後ろへとステップし、ちょうどそこにあった台のようなものにゆっくりと腰をかけて足を組む。
 身体こそ小さいが、そうする様は下手な子役や女優よりも似合ってて、威厳・威圧感……そういったものが体中から滲み出ていた。


 少女は、まるで珍しいからくり細工でも愛でるような目でしばらく葵を見つめ、そしてようやく口を開いた。


「そうだな。礼儀には反するが質問に答える前に二つ聞いておきたいことがある。そう……まずは名前を聞かせてもらおうか。役者君?」

「………名前、か」


 名前を告げる。それは葵にとって、色々な意味があるものだ。

 
名前を告げることで関係者がこの少女に襲われないか。あるいは目を付けられないか。

 
正直、その可能性はあまりないだろうとは考えている。わざわざ周りの人間に目を付けるくらいなら、ここで葵を捕まえた方が早いからだ。


 葵がためらった最大の理由は、もっと個人的なことだった。即ち―


――自分が篠崎 葵を名乗ってよいのだろうか? 


 この一点に尽きる。


 これまで、龍宮や副部長、芹沢部長といった、今つながりがある人間にも、かつてつながりを持っていた人間にも、葵は自分から名乗ったことは一度もなかった。

 皆の中で、すでに自分は『篠崎 葵』だったからだ。今までクラスでも目立たず、部活の中でもパッとしない、そんな人間『だった』として知られていたからだ。

 果たして、かつての『篠崎 葵』ではなくなった自分に、その名前を名乗る資格はあるのだろうか?



「どうした、まさか名前がない訳ではあるまい?」

 少女は、葵がためらった事に眉を寄せるが、機嫌を害した訳ではなかった。むしろ、ためらった理由に少し興味を持っているようだった。

「たまに、俺がこの名前を名乗っていいのか不安になる時があってね」

「ほう。それは……興味深いな」



 少女は、葵の言葉に本当に興味深そうに呟く。



しばらくの沈黙の後、葵は静かに口を開く。



「考えてみたら、自分の口から、誰かに名乗るっていうのが初めてでな」


 どこか寂しそうに


 それを自分から口にするのを恐れているかのように




 それでも、葵はそれを口にする。





「俺の名前は、篠崎。篠崎 葵だ」






 彼は、自らの意思で初めて名を名乗り、自分が何者であるかを少女に示した。





「そうか……。ならば篠崎葵。一瞬とはいえ、この私にその存在を魅せつけた『役者』よ」


 少女は、ゆっくりと葵へ右手をかざす。


「お前に二つの選択肢を与えてやろう。よく考えて答えるがいい」


 ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「このまま私にその女と一緒に血を差し出し、ここで起こった事の記憶を消去し、命だけを得て平穏に生きるか」



「血も記憶も渡さず、真実を知り……それでもこの私に抵抗してみせるか」



「さぁ、どうする? 前者は平穏、後者はその平穏への逃げ道を自ら断つことになるぞ?」


 葵は、少女の言葉を頭の中で吟味し、反芻させ……一つの答えに行きつく。




 そしてその答えを心の中で大きく叫ぶ。





―― こいつ、選ばせる気がねぇ!!




 少々違うが、想像していた事とそれほどずれていない事を聞かれ葵は思考を続ける。
 ここで、この少女にまだ遊び心があったならまだよかった。

 だが、葵は少女の眼を見てすでに彼女に遊ぶつもりなど一切ない事を確信する。
 自分の答えによっては、即座に襲いかかってくる。


(記憶喪失者に、記憶を差し出せって言うのもまた随分と滑稽に聞こえるよな。まぁ、正直、女の子抱えてる時点で答えは決まってるんだけどさ)


 この状態で意識を失ったままの女の子ごと自分を差し出して、命だけは助けてくれ、と言う事は、葵には出来なかった。
 ましてや相手は正体不明、目的不明。

 なにより、葵にとって記憶を失うという事は到底看過出来るものではなかった。


「最初から、答えが分かってるくせに勿体ぶるのは止めろよ、蝙蝠娘」

「ほう。なら……?」

「答えは後者だ。悪いが最後まで足掻かせてもらう。さっきお前が言った通り、弱いけどしぶといんだよ」

 そう答えると、少女は満足に笑う。



「いいだろう、篠崎葵。お前に真実を教えてやる」


 そして少女は、かざした右手をひねり、まるで葵に手を差し出すようにする。その姿は、まるで葵を導こうかとしているようにも見える。


「まずは、名乗らせてもらおう。私はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。600年の時を生きる、600万ドルの賞金首。『闇の福音』とも呼ばれた『真祖の吸血鬼』だ」






「篠崎葵。先ほどのお前の質問。その答えも兼ねて、言わせてもらおう」













―― 歓迎しよう。ようこそ、魔法の世界へ









≪コメント≫
いやもう難しい。文章書くって本当に難しい。
昔何気なく読んでた本って偉大だったんだとつくづく思いました。


皆さんのご指摘・ご感想、お待ちしております!



[33428] Phase.3
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/09/06 23:11

「さて……そろそろ僕も帰るよ。龍宮君は、また明日。朝倉君もまた機会があったらゆっくり喋ろうね?」

「できれば喋るだけでなく、取材もお願いしたいですけど? 芹沢先輩」

「ハハ、僕には余り話題がないからね。部活に関しての取材だったらいつでもどうぞ」
 
 麻帆良のパパラッチこと朝倉に捕まってしまい、芹沢と龍宮は取材に半ば強制的に協力させられ、様々な質問に答え、そのままの流れで女子寮前でダベっていた。
 しかし、さすがにいつまでも喋っているわけにはいかず、今度こそ本当に解散することになった。
 
 芹沢はいささか名残惜しそうだった。
 ここ最近は、龍宮が葵といることが多く中々話す機会がなかったためか、龍宮とそれなりに長く話せたのがよっぽど嬉しかったようだ。

「えぇ、それでは芹沢部長もお気を付けて」

「ありがとう、龍宮君。それじゃあ、おやすみ」

 そういって芹沢は振り返り、男子寮への帰路につこうとしたのだったが――その道の先からは、見覚えのある人物が、歩いてこっちに向かっていた。

 ボロボロになった制服を纏って、更には体中に擦り傷を作っている。
 そしてその両手には、少し顔色の悪い女生徒を抱きかかえていた。


「ありゃ、芹沢部長に龍宮……ついでにパパラッチ朝倉か。また取材とか言って捕まえてたのか?」


 ボロボロの見た目に反してその男――篠崎 葵は、気軽に三人に声をかけた。

「篠崎君!? その怪我は……いや、その女の子は一体!!?」

 芹沢が驚いて声を上げると建物の中に消えかかっていた龍宮と朝倉もこっちに気づき、そして驚きの声を上げる。

「葵先輩? 一体、何が……っ!?」

「ちょっと篠崎先輩……その子、大丈夫なの!? 襲ったんじゃないでしょうね!!?」

「あー、うん。多分大丈夫と思う。そこの所で倒れてたんだけど、特に何かされた訳でもないみたいだし。念のために保健の先生を呼んでくれ。それと管理人も、この人がどこの部屋なのかは知らないしね。あとパパラッチ朝倉、お前は後で頭鷲掴みの刑に処す。おい、写真撮るな!!」

 まるで大したことのないように葵は軽く笑って見せると同時に、抱えている女生徒のために簡単に指示を出す。真っ先に反応したのは芹沢だった。

「わかった。僕が保健の先生を呼んでくるよ!」

 そういうと、芹沢はすぐに保健医を呼びに飛び出していった。
 一方で朝倉も、急いで女子寮に入って管理人室へと向かう。
 残されたのは、女生徒を抱きかかえている葵と、その葵をジッと見つめる龍宮だった。

「葵先輩、何があったんだい?」

 そう尋ねてくる龍宮の声はいつもの視座かな笑いを含んだ物ではなく、どこか冷たい物を感じさせた。


――そして、少し震えていたように聞こえたのは、葵の気のせいだろうか。


「んにゃ、俺もよくわからん。俺の荷物の中に、お前のリボンが入っていてな。届けようと思ってこっちに向かってたら、たまたま倒れていたのを見つけてな」

「その擦り傷は? それに制服も派手にやられているようだが?」

 虚偽は一切許さないと訴えているような龍宮の鋭い視線に、葵はいつもと変わらない様子で答える。

「俺にもわからんよ……。この子の傍に駆け寄ろうとしたら何かに吹き飛ばされた」

「…………」

 鋭い眼差しで服の破けている辺りを睨むようにしている龍宮だが、背後から近づいてくる人の気配を感じたのか少し雰囲気が和らいだ。
 朝倉が管理人を連れてきているのに気がついたのだろう。葵も自分の後ろから、恐らくは芹沢と保健医であろう気配を感じる。


 未だに自分の目を真正面から見つめてくる龍宮を見返しながら、葵は軽くため息をつく。




―― あぁ、さっきまでのよく回った口はどこにいったんだろう……



 そして内心で自分の口の余りの下手さを呪いながら、これから来るであろう保険医や寮の管理人にどう説明しようか悩んでいた。










『Phase.3 明日』








 自室でベッドに転がりながら、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは先ほどの事を思い出していた。

(篠崎 葵……。久しく見なかった、力を持たないが勇ある人間か……)


 エヴァンジェリンは、退屈をしていた。
 力を取り戻すために必要な事とはいえ、こんな誇りも何もない襲撃を続けなければならないことに。
 

―― あの坊やの血を吸うためとはいえ……。


 ある魔法使いにかけられた、自分を退屈な学園へと縛り続ける忌々しい呪い。
 それから逃れるために思考錯誤していたエヴァンジェリンは、ある日自分に呪いをかけた男の息子がこの学園に来るという事を知った。


―― あの男の息子ならば、身に宿している魔力も膨大なはず。


 膨大な魔力を持った魔法使いから血を奪うのはひと手間必要だしリスクもそれなりにあるが、その血を吸うことで魔力を一気に取り戻せば恐らくはこの呪いも力づくで解ける。

 そう考えたエヴァンジェリンは、それから半年間吸血行為が可能となる満月にこうして一定以上の魔力を持ち、かつ魔法生徒ではない人間のみが通れる結界符を作成、設置しそこを通りかかった人間から血液を頂いていた。

 来たるべきその日に、少しでも成功率を上げるためにだ。

 今日も同じだった。
 ただ彼女を恐れるだけの、あるいは何も気づけない様なか弱い人間から貧血程度で済む吸血行為を行い、そして証拠を消してただ去るだけ。
 

 そう、今日もそうなるはずだった。だが――






―― そこを通してもらえるかな、可愛い蜘蛛さん?




 あの男が、篠崎葵が現れた。

 彼が自分の姿を見た瞬間に、その身を恐怖で引きつらせていたのをエヴァンジェリンは見逃さなかった。

 決して自分では敵わない相手だと理解していたはずだ。


(それでも、魔力はおろか、気すら扱えない『ただの男』は逃げださなかった)


 力を持たないただの人間が、役者じみた言動で自らの弱さを覆い隠し、笑みという仮面を被り、拙いながらも頭を捻って策を練り、ほんの僅かな勇気を持って恐怖に震える己を叱咤し、たった一人毅然と自分に立ち向かってきた。

 それは、『真祖の吸血鬼』として600年近くという長きにわたって恐れられてきたエヴァンジェリンにはひどく新鮮なものだった。

 本来ならば追いつめたあの時に、問答無用で襲いかかり血を頂いてから記憶を消し、証拠を隠滅できた。

 そうするべきであったし、しなければならなかった。

 だが、それはエヴァンジェリンにとって、ひどくもったいない事のように思えたのだ。

 そのため、自分にもリスクがある事を知りながら彼に再会の約束を取り付け、捕らえた獲物である女生徒諸共その場で解放したのだ。

(あの男は……興味深い)

 一定クラスの魔力を持たねば、人払いが作動するように彼女が作ってあった結界なのに、なぜあの男は入ってこれたのか。
 身体能力はそこそこ高い方だとしても、糸を使った攻撃への彼の反応の仕方はどこかおかしかった。
 そしてなによりエヴァンジェリンの興味を引くのは……


「あの男、なぜ学園の教師共に監視されているんだ?」


 エヴァンジェリンが手に取って見ているのは、自らの捕縛魔法によって吹き飛んだ少年の制服の右腕の部分だった。その裏地には、


―― 複雑な魔法陣のようなものが刺しゅうで描かれていた。


「今、どこにいるかを正確に知るための監視魔法陣か。加えて、軽い魔法への防壁効果も付与されている……。『戒めの風矢』が上手く発動せずに、単純な衝撃波になったのはこれのせいか。一部がほどけたせいで、既にその機能は果たしていないようだが。ふむ……」

 エヴァンジェリンはしばらく顎に手をやり何事を考えると、指を『パチンッ』と鳴らした。
 すると、部屋のドアを開けて一人の女性が入ってくる。

「お呼びでしょうか、マスター」

 その表情にも声にも感情というものが見えない従者に対し、エヴァンジェリンは用件だけを告げる。


「大至急、『篠崎葵』という男について調べ上げろ。制服からして、高校生のはずだ。恐らく、学園はこの男に対して何か隠している事があるはずだ」


 わざわざこんな分かりにくい所に、隠すように魔法陣を着けているのだ。しかもそれが西洋術式となれば、ほぼ確実にこの学園の教師が関わっているに違いない。
 そう推測したエヴァは、彼について学園経由で探りを入れる事を決める。

「かしこまりました。マスター」

 無駄口を叩かずに、了承して即座に部屋から出ていく己の従者の姿に満足したエヴァンジェリンは、持っていた布切れをサイドボードに置いて、その隣に置いてあったワインをグラスに注ぎ美味しそうに一口飲む。


「こんなにも明日が待ち遠しいのは久しぶりだよ。篠崎 葵」


 薄く笑いながら、彼女は約束の明日へと思いを馳せる。
 そして、パッと見特徴らしい特徴のない黒髪の少年が、不敵な笑みを浮かべて自分の目の前に立ちはだかる姿を思い出しながら、もう一口グラスに口を付ける。


「魔法の存在を知らない、平凡な一般人の男になぜ監視が付くのか。まぁ、それほど厳しい監視ではない様子から見ると、既に決着が付いている何かをやらかしたのか。あるいは巻き込まれたのか……」


 おそらく、本人には知らされていない。あるいは消されたのであろう『何か』に想像を巡らせながら、吸血鬼の少女は嗤う。


「約束は、明日の夜か。クックック、さて、どうアイツをもてなしてやろうか?」




―― なぁ、役者君?
 






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 龍宮真名は、自室で装備の点検をしながら『今』の篠崎 葵と初めて会った日の事を思い出していた。

 この学園内では、知る人間は少ないが、龍宮真名はかなり名の知れた傭兵である。
 彼女は、学園で起こる緊急時の対処要員としてこの学園に雇われている身だった。
 この麻帆良学園には、とある事情から魔物や妖怪等を引きつけやすいという特徴があり、それらに対処するための警備員として阿呆教師がいるのだが、彼らだけでは手に負えない時というのがある。
 そして、そういった事態が発生した時に学園側が出す依頼を受けて、事態に対処するのが龍宮の日常であった。

 その日も、大挙してやってきた魔物へ迎撃作戦への参加を依頼されていた。
 いつものように襲ってきた魔物の群れを倒しながら、救援要請を発した味方の援護に駆け付けた龍宮は、傷だらけで倒れている魔法教師を発見したのだった。

 傷は深くはなさそうだったがかなりの出血をしていた彼に手当を施そうとしたが、同時に救援要請がいくつも入った。
 この教師を放っておくわけにはいかないが、治療している時間もない。
 そんな状況で偶然龍宮の目の前に現れたのが、篠崎葵だった。


「……いや、何事だよこれ」

(……っ、なぜ一般人がここに? あの顔は、確かバイアスロン部の――?)


 驚いている龍宮と、同じく驚いている葵。最初に冷静になったのは、やはり龍宮だった。
 静かに手に持っている銃を目立たないように隠すと、


「篠崎先輩ですよねっ!?」


 記憶から引っ張り出した彼の名前を叫ぶ。すると、その男――篠崎 葵は少し遅れて反応した。


「……っ! 怪我人だね? すぐに救急車を呼んだ方がいいのか?」


 思った以上に落ち着いている葵に、この場を任せられると判断した龍宮は、


「実は、他にもまだ助けを必要としてる人がいるんです。私はそちらに行きますから、この人の止血をお願いできますか!? 医者はすでに呼んでいます!!」


 正確には、医者ではなく治癒魔道士であり、それも今から呼ぶのだが……


「わかった! ……ここらへんは安全だって考えていいんだね?」

「!! え、えぇ、そう考えていただいて構いません。お願いします!!」


 龍宮は、ある意味で先ほど以上に驚きながらも、走ってその場を後にした。
 
 先ほどの男の質問は、ある程度状況を――この辺りが危険地帯であるという事を把握しないと出てこない言葉だった。
 だが、男は一般人にも関わらず今自分がいる状況が普通ではないと速やかに判断し、龍宮の指示に何一つ言わずに従った。

 これが普通の一般人だったら、混乱して無駄に質問を重ねて無駄に時間を浪費してしまう。
 血まみれで倒れている人間がいるなら尚更だ。
 加えて、隠しはしたものの、恐らく手に持っていた銃は見られている。
 100人の一般人がいれば100人が、尋常ではない状況だと感じ、錯乱しただろう。
 正直、龍宮も一言二言くらい彼が状況を知ろうと質問をするか、あるいは遅れて混乱を始める彼をなだめる必要があるのではないかと思っていたのだが……。


(篠崎 葵先輩……。記憶を失くしてから人が変わったと聞いていたが、どうにも変わった人だ)


 結局、この後龍宮達は無事に魔物を一掃し、傷ついていた魔法教師も無事に搬送されていて、一緒にいた男子生徒も無事という情報を聞いて、龍宮はようやく安心できた。

 それから龍宮真名と篠崎葵は、しばらくの間接点がないために顔を合わせることが無くなるが、篠崎葵がバイアスロン部に復帰してからは、自然と二人でいることが多くなった。

 あの状況について何も聞こうとしない葵の態度に龍宮は非常に好感を持てたし、葵もまた彼女が以前までの『篠崎葵』を求めてこない事が大変嬉しかった。

 だからだろうか、二人は意外にも馬が合い、更に数ヶ月経つ頃にはバイアスロン部でも、それなりに彼女と仲が良い友人達から見ても篠崎葵という存在は、龍宮真名の『相方』として見られるようになっていた。





 ふと銃を磨く手を止め、龍宮は部屋の窓から空を眺める。あの日、彼と出会った時と同じ綺麗な月夜を眺めながら、常に頬笑みを浮かべている龍宮には珍しく眉にしわを寄せている。


(あの葵先輩が、私に隠し事を……?)


 結局、あの後すぐに到着した保健医により、倒れていた女生徒は、軽い疲労だったのだろうという診断が出された。
 そして葵には「運んで来てくれてありがとう」という保健医の一言だけで済んでしまったのだ。
 後を追って、本人に詳しく追及しようと思ったが『明日の逃走に備えて色々準備があるんだ』と言って、すたこらさっさと逃げていってしまった。


(先輩の右腕からは、確かに魔力反応がした。恐らく風系の魔法を撃ちこまれたのだろうが……)


 龍宮は自身の特異な能力として、その左目に魔眼というものを宿している。
 普段は普通の眼となんら変わらないのだが、魔眼を使用した状態になると普段は見えない幽体や魔力などが見えるようになる。
 葵を詰問した時にも、これを用いて彼の体を見たのだが――


(頭部に魔力反応は見られなかったから、記憶をいじられた訳ではなさそうだ。なら、どうして襲われた事を黙っておくんだ?)


 魔法を使う何者かに襲われたのはほぼ間違いない。
 あの擦り傷は、恐らく追撃をかわす際に付いたものだろう。
 自分に何も言わなかったのは、魔法という常識から外れた物を見て信じてもらえるわけがないと考えたのか。
 あるいは、魔法を教えたことで襲撃者の眼がこちらに向きかねないと思ったのか。


 何にせよ――


「私が非常事態に関われる人間と言うことは知っているんだろう? 初めて会った時にすでにさ……。もう少し私を頼って欲しいのだけれど……」


 ふぅ、とため息をつく龍宮。
 なんとかして葵本人の口から事情を聞きだしたい。
 だが、今日の様子だと葵が口を開くつもりがない事は分かる。
 どうすれば、葵は話してくれるか、龍宮は考えを巡らす。

「……そうだ」

(よし、これでいこう。明日の追走戦で、なんとしても葵先輩を捕まえるとしよう。そして――)



――捕まえた勝者の命令として、全て聞き出し自分を関わらせよう。



 そこまで考えて少し笑みを浮かべる龍宮。



(さて、明日、葵先輩はどういうルートを考えているのか……)

 方針を決めた龍宮は、明日篠崎葵をなんとしてでも捕まえるために、頭の中で作戦を決めていく。


「ふふ、明日が待ち遠しいな」


 そう呟く龍宮の顔は、先ほどまでの不機嫌な顔ではなく、いつもの静かな頬笑みだった。







≪コメント≫
 いまさらですがPhase.2に致命的な矛盾を発見、修正しておきました。
 名乗る前にエヴァンジェリンの名前を知っていることになっていましたね(汗)

 それでわ、また次回お会いしましょう。感想、ご指摘、お待ちしております。^



[33428] Phase.4
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/09/06 23:06


 今日は土曜日。学生にとっては待ちに待った二連休の始まり――





――の、はずだった。


「どうしてこうなった? あぁ、昨日龍宮と全力で追いかけっこをしたのがそもそもの間違いだったのか?」


 時刻は午前7時を廻った所。
 本来ならば、今頃は昨日の疲れを癒すために未だ惰眠をむさぼっているはずの葵がいるのは、麻帆良学園の中でも最も深い森として知られる場所だった。








『Phase.4 片鱗』








「ゲーム開始まであと2時間か。畜生、龍宮の奴昨日の事で怒ってんのか? そっちが怒ってんならこっちは泣きたいっつーのに……」

 そもそも、こんなに早く葵が動いているのには理由がある。
 昨晩は、放課後には龍宮に追いかけられ、そして部活に連行されてシゴかれて、さらにその後には『真祖の吸血鬼』というよくわからないがとにかくヤバい相手との精神をガリガリ削るような『話し合い』をしたおかげで、葵は体力も精神力も使い果たしていた。
 この時点で葵は『正直、明日の逃走劇はもう捕まってもいいからとにかく寝よう』という気持ちだったのだ。
 それほどに疲弊していた彼を突き動かしたのは――



――ダンッ!!!



 いざ葵が寝ようとした時、彼の枕に開けていた窓の外から風を斬る音と共に突き刺さった一本の矢だった。


「ちょ………っ!!?」


 葵は驚いた。それはもう驚いた。正直、先ほどの吸血鬼が気分が変わって自分の血を吸いに来たのかと、手元に置いてあったカッターを掴んで窓の外を注視する。
 しかし、待っても待っても何も来ない。
 おかしいと思って葵が、自分の愛用の枕に突き刺さってる矢を、――いや、よくよく見てみると、よく出来ているが矢じりの先に粘着物のような物がついている偽物の矢だった。
 偽物とわかり、それでも警戒を緩めず矢を手にとって調べると、何か紙が結ばれているのがわかった。
 葵は、窓に注意を払いながらその紙を広げてみる。どうやらメモ帳の1ページを破ったもののようだ。
 そこに書かれている文字は見覚えのある筆跡――龍宮の字だった。
 連絡手段にまさかの矢文がチョイスされたあたり、碌な内容ではないんだろうなと葵は辺りを付ける。



 そしてそれは正しかった。







―― 『明日は全力で逃げる事。もし、手を抜いたり、あっさり捕まるようなら――』






――そこから先は、ちょうど破れていて読めなかった。




 正直、軽くホラーである。



「…………」



 思わず、実は裏側に続きが書いてあるんじゃないかと紙を何度も裏返すが、書かれている文字はそれだけであった。


「こえーよ!!! え、なに、捕まったら俺どうなっちゃうの!? 死ぬの!!? 殺されんの??!! 俺そんなにお前に悪い事したっけ!!?」


 実際の所、葵が彼自身の身に危険が迫っている可能性があるというのに、自分に隠し事をした事が気に入らなかった龍宮が、葵に対する軽い嫌がらせとして、わざと書いた内容の部分――つまり『なんでも一つ言うことを聞いてもらう』と書かれたあった部分を破り捨てたのだが、その効果はてきめんだった。

 葵は、それから何も言わずに辺りを警戒しながら窓を閉めて、ついでにカーテンも閉めた。そしてマットをベッドの上から床に下ろし、なるだけ壁に張り付いて布団に包まる。


 ようは無茶苦茶ビビってた。



―― 俺の平穏ってどこにいったんだろう?



 内心で涙を流しながら、葵は明日意地でも逃げ切ることを決意する。


 そして、話は冒頭に戻る。
 既に葵は2時間前からここにいた。
 完全に逃げ切るために、山を舞台にしてある種の砦にしようと考えたのだ。
 逃走路や龍宮の侵入経路などをシミュレートし、2時間という制限時間も考慮して頭の中で計画を立てながら、それに沿って罠を仕掛けていく。
 
 こうして龍宮に対抗するための策を練りながらも、頭の中を占めるのは、今日の夜の事。
 ――『真祖の吸血鬼』エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルとの会談についてだった。
 結局、昨晩はあの後、『魔法』と言う物が実在するという事を教えられただけだった。魔法も含めて、エヴァンジェリンの存在について更に情報を得ようとしたら、彼女は『明日の夜に私の家に招待しよう。なに、使いの者は寄こしてやるから着いてこい。きちんと持て成してやろう』とだけ言い、そのまま空を飛んでどこかへと行ってしまった。
 葵と女生徒を、置き去りにしてだ。

(ちくしょう、勝手に用件だけ押しつけやがって……。まぁ、見逃してもらってるって事もあるから強くは言えんが)

 軽く毒づきながら、葵は罠を仕掛けていく。
 最も、龍宮が引っかかることはないだろうと思っている。
 罠はあくまで時間稼ぎ、及び逃走時の相手への軽い妨害用。
 本当に勝負となるのは、如何に自分が的確なルートを選んで走り続けられるかだろう。
 昨日のように、逃走ルートを読まれて待ち伏せを喰らいましたでは洒落にならない。
 いや、今回は本当に。

(俺が昨日の件で隠している事があるって気がついてるんだろうな。まぁ、嘘にしては随分とアレだったけどさ。そうじゃなきゃアイツを怒らせた理由なんざ思いつかない。……あ、ひょっとして昨日、芹沢部長といい雰囲気だったのか?)

 最近はそういう素振りを全く見せないが、自分が部活に参加しだした頃は微妙に芹沢部長と龍宮の距離が近かったことを葵は思い出して、なんとなくため息をつく。


「めんどくさい事になりそうだよな。いや、いろんな意味でさ」


 なんにせよ、今日は逃げ切れなければならない。
 龍宮との追いかけっこの後には、吸血鬼との個人面談がある。
 昨日に引き続き、今日もまた濃い一日になりそうだと、葵は今日何度目かのため息をつく。
 ふと、時計を見ると既に15分前になっていた。
 いよいよかと覚悟を決めながらも最後の調整をしようと、ふと後ろを振り返る。――


「…………おい」

「なんだ、篠崎葵?」

「なんでお前がここにいるんだ。もう日は昇ってるんだぞ吸血鬼」


 昨日相対した少女が――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルがそこにいた。


「ふん、私の言葉を忘れたのか。言っただろう? 『真祖の吸血鬼』だと」


 何を今さらとでも言いたげに胸を張るエヴァに対して、葵はこめかみを引きつらせながら、


「魔法使い達と一緒にするんじゃねーよ。そっちの世界の常識は一切知らないっつの。そもそも『真祖の吸血鬼』が何かを聞こうとした途端に、てめぇ一方的に用件だけ押しつけて真っ直ぐ帰ったじゃねーか」

「帰っておらん。他の女を襲いに行っていた」

「そんな情報どうでもいいわ!!」


 地団太を踏みながらの葵の抗議に対して、エヴァンジェリンは『それこそそんなことはどうでもいい』とばっさり切り捨て話を続ける。


「聞いたぞ。貴様、あの龍宮真名とこれから闘うそうだな?」

「なんでそんな物騒な方向に話がいくんだよ。2時間逃げ切るだけだ……ん? 龍宮を知っているのか?」


 ふと気になって尋ねると、彼女はまるで昨夜のような笑みを浮かべ、


「あぁ、よく知っているともさ。なにせ、あいつは『有名』だからな」


 と、何か含む物がありますと言いたげな口調で返してきた。
 どういうことか葵が尋ねようとすると、エヴァンジェリンはどこか遠くの方を見てにんまりと笑う。


「ほう、そろそろ始まるようだな。あぁ、そうだ。私はお前の勝利に行きつけの店の割引チケットを20枚賭けているんだ。万が一にでも無様に負けてみろ……わかっているな?」


 そういうとエヴァンジェリンは、自分の指を二本立て、それを鍵爪のようにした後に、――恐らくは自分の牙に見立てているのであろうそれを、自分の首元にトンっと立てて見せる。

 それが意味するのは、つまり……そういう事であった。


「なんでお前も龍宮も、ただの部活参加を賭けた追いかけっこに死亡フラグを突き刺していくんだ!? てかお前も賭けたのかよ!!」

「クックック。それでは、私はそろそろ行くぞ。篠崎葵、私を楽しませろよ?」


 昨日と同じように言いたいことだけを言うと、エヴァンジェリンは高笑いをしながらそのままどこかへと歩いて去って行った。


(あの野郎、ちゃっかり罠の位置全部見切ってやがる……)


 エヴァがすいすいと罠のない位置に足を置いて行くのを見て、ドッと疲れが出る葵だった。
 とりあえず傍に生えている木に体を預けて、時計を見る。


(開始まで後5秒……4,……3,……2,……1……0)


 カウントが0になって、葵はその場に座り込む。
 さて、龍宮はどこから侵入してくるか――





―― バキンッ!!!





(――ん?)


 妙な音がした事に葵が異変を感じると同時に、葵の目の前に木の幹が落ちてくる。


(……はい?)


 音がした方――つまり上に顔を向けると、木の幹が何かに当り吹き飛ばされていた。
 
―― 先ほどまで、だいたい自分の頭があった位置の幹が
 
 ふと、先ほどエヴァンジェリンが見ていた方向を思い出してそちらに目をやる。
 そこにあるのは、それほど高いとはいえない山があるだけだ。
 そう思った葵だが、その山の一部で、何かがキラッと光ったのが目に入った瞬間、反射的にそこから飛びのいた。


―― ダン! ダン! ダン!


 それと同時に、葵が座っていたあたりの土が弾け、木の幹や根が吹き飛ぶ。


「ちょ、ちょっと待ておいこら……っ」

 
 思わず悪態をつく葵だがすぐにそれどころではないと思い当り、一気に森の中を走り抜ける。その後ろを追ってくるかのように、枝が、樹皮が、葉が恐ろしい勢いで吹き飛んでいく。


―― ダンッ!

―― ダンッ! ダンッ!

―― ダンダンダンダンダンダンダンダンダンッ!!!!!


「あの野郎、追いかけっこで全然追いかけてきてねぇ!!!」

 背後から迫りくる銃弾。
 訂正、たまに冗談抜きで当りそうになる銃弾をギリギリの所で回避しながら、葵は心の底から声を出す。


「龍宮のぉ……馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!」


 なんだかやるせない気持ちになりながら、葵は森の中を駆け抜けていく。
 頬に雫のような物が見えるのは……気のせいだろうか。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





 龍宮真名は狙撃用ライフルのスコープを通して、疲れたように木にもたれかかって、開始時刻を待っているのであろう葵を見ながらつい先ほどの出来ごとを思い返していた。


(どうして『彼女』が葵先輩に接触を?)


 葵の事だから、恐らくは単純に街中を逃げ回ろうとはせずどこか彼にとって有利になる場所から始まると龍宮は予測していた。
 そこで彼女は、当てはまるポイントにいくつか当てを付け、開始前に下見を行っていたら偶然葵を発見したのだ。
 すぐに戻って、装備を整えた龍宮は、少し離れた所から、監視を続けていた。

 恐らくは、逃走補助のためと思われる数々の罠――仕掛け網や粘着物のついた釣り天井等を森の中に仕掛けていく葵の姿をスコープ越しに見ながら、龍宮はほくそ笑んだ。
 昨晩の伝言を守って、どうやら彼は本気で逃げ切るつもりのようだと。

 そのまま監視を続け、狙撃ポイントや突入経路を決めていたら、ふと葵が罠を設置している所から少し離れた所に、見知った顔があるのに気がついた。
 自分のクラスメートでもあり、また魔法使いならば誰もがその名を知っている存在『真祖の吸血鬼』―― エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
 今でこそこの学園に呪いで縛りつけられているが、間違いなく世界最強の魔法使いの一人である。

 気になってそのままスコープ越しに覗いていると、エヴァンジェリンは脚を進めて彼の後ろに立った。
 彼もその存在に気が付き、振り向いて何事か話している。
 さすがにこの距離では会話は聞きとれないが、妙に親しく話している気がする。
 はて、あの二人に接点などあっただろうか?

 ふと龍宮の脳裏を掠めたのは、昨夜の葵の体に残っていた魔力反応。
 『闇の福音』は氷と闇属性が得意だと聞いているが、風魔法も使えない訳ではない。
 そして昨日は、ある程度は力を取り戻せる満月。
 妙に親しげなのが引っかかるが、ひょっとして昨晩葵先輩を襲ったのは――

 そう考えた瞬間、龍宮は無意識のうちにサイトスコープの中心をエヴァンジェリンに合わせていた。
 恐らくそれに気がついたのであろう。エヴァンジェリンがスコープ越しに、笑みを浮かべながらこちらを見ている。
 まるで、撃てるものなら撃ってみろとでも言わんばかりの態度だ。
 このまま引き金を引こうかとも思ったが、仮に直撃したとしても何の意味もないと龍宮は思い直す。
 そうしている内に、エヴァンジェリンも葵との話を終えたのか高笑いしながら去っていく。
 自然とエヴァンジェリンの後をスコープで追っていくと彼女は突然振り返り、スコープ越しに龍宮を見て何か口を動かしそして森の中へと消えて行った。

 龍宮は、彼女の口の動きから何を言っていたのかを当てはめていく。

 彼女の放った言葉は――


(セ・イ・ゼ・イ・ガ・ン・バ・レ……? ほう……)


 あからさまな自分への挑発だった。
 龍宮はこめかみの辺りが引きつっていくのを感じる。
 ついでに言うなら、胸の中で正体不明のドス黒い何かが暴れまわっている事もだ。


(なるほどなるほど、よくは分からないが葵先輩には聞くことがたくさん出来てしまったな。いやいや、本当にあなたという人は……飽きさせてくれないなぁ……っ)


 自然と銃を構える手に、ついでに引き金に添えてある指にも力が入る。
 ゲームの開始まで、残り5秒。再びサイトスコープに葵を捕らえる。
 どこから私が侵入してくるのかと、木にもたれながら思考を巡らせているのであろうその顔を見た瞬間に即座に引き金を引いて、その横顔をぶっ飛ばしたくなる龍宮だが、そこをなんとか堪え、カウントしていく。


(3秒前……2……1……)


 そして0になった瞬間、龍宮のしていた腕時計がアラームを発する。
 それと同時に、龍宮は引き金を引く。だが、その瞬間葵はその場に座り込んでしまう。
 それまで、葵の頭があった所の樹皮が吹き飛び葵がそれに気がつく、


「くっ……悪運が強い辺りは、さすが先輩か!」


 褒めてるんだか貶しているのだか分からない言葉を吐き捨てながら、即座に狙いを定め直して3発打ち込む。
 だが、葵は見事な反応速度でそれを回避し、そのまま森の奥へと駆けていく。
 もっとも、足場が悪いのに加えて無理な体勢で駆けだそうとしたからだろうか。スタートダッシュが街中での時に比べて僅かだが遅い。
 逃がさないとばかりに次々に狙いを定めて打ち込む龍宮だが、一度奥に入り込まれてしまっては、木々が邪魔をして思うように当らない。
これが普通の平地や、もしくは街中だったらそれでも当てる方法はある。
 牽制による移動方向への誘導や、あるいは兆弾による攻撃。だが、この地形ではそれが思うように出来ない。
 気がついたら、葵は森の奥へと姿を消していった。


「最初の狙撃で全てを決めるつもりだったが……」


 最初の狙撃は、葵本人の悪運によって外れてしまった。しかし、それでも、その後の3発は確実に決まっていたはずなのだ。


『昨日までの篠崎葵の動き』ならば……。


 少なくとも、体力や筋力は昨日の追走劇の時と変わりはない。むしろ、筋肉痛にでも苛まれているのか一部の動きは鈍い方だ。だが、


(それをカバーするほどに、全体の体の動かし方が昨日よりも僅かに上手くなっている?)


 僅かに向上した瞬発力に、少しでもそれに答えるために体の動きの無駄を減らし、身体のバネを上手く使って高低差のある地形を駆け抜けていく。

 ほんの僅かな事だとしても、たった1日で向上できるようなものではない。
 それに気がついた龍宮は、知らず知らずのうちに、唇を少し噛みしめる。
先ほどまで頭の中に、僅かとはいえ確かにあった『慢心』など吹き飛んでいた。

「貴方相手に、一瞬とはいえ勝負が決まらないうちに勝ったなどと思うなんて……。それで初めての追走戦の時に先輩には逃げられているというのに。ハハ……私もまだまだ未熟だったという訳か」




―― もう決して油断はしない。直接この手で貴方を捕まえるまで全力を尽くさせてもらおう。



 静かにそう決意した龍宮は、銃を構えて森の中へと足を向けた。






≪コメント≫
第三回 篠崎葵の自由を懸けた逃亡劇の回

いつも皆さんの感想には励まされています^^ これからも『タツミーをヒロインにしてみるテスト』
をよろしくお願いいたします!!



[33428] Phase.5
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/06/21 00:06


(そろそろ、いつ遭遇してもいい頃か……)

 狙撃による攻撃が無くなり、少し時間が立った。恐らく、龍宮も、狙撃による攻撃がもはや意味をなさないと判断したのだろうと、葵は考える。それはつまり、本人が直接、追ってくるということだ。さすがに近距離戦になれば、自分の勝ち目がかなり減ることを葵は分かっているために、少しでも時間を稼ぐために、こうして移動を続けているのだが……。

 残り時間は1時間20分。葵は、龍宮は既に森の中に入っていると見ていた。
 更に言うなら、恐らく、そろそろ自分の痕跡を見つけて追ってきているはずだと考えている。


「はぁ……、まぁ、負けたら龍宮に何されるかわからん上に、あのクソ怖い女に血を吸われる事が確定するし……」

勝つしかないよなぁ。と、葵は呟き、更に森の奥へと移動していく。





『Phase.5 異常成長』




 生い茂った森の中を、龍宮は、罠、あるいは葵の痕跡に警戒しながら歩いている。

(よくもまぁ、これだけの罠を……偶然とはいえ、監視しておいて良かった)

 落とし穴や鳴り子といった簡単なトラップから、釣り天井のような複雑なものまで、森の中は、様々なトラップがそこらかしこに、しかも龍宮の目から見ても、見事にカモフラージュされて仕掛けられていた。
 葵の恐ろしい所は、これだけの罠を設置しながら、自分が引っかかるとは欠片も考えてなく、今も警戒に警戒を重ねているであろう事だと、龍宮は思う。
 二度に渡る葵との追走戦の際、龍宮は、葵の粘り強さと、とっさの機転により、一度は逃げられ、昨日こそ捕まえることは出来たが、それでも危なく逃げられる所がいくつかあった。

(なるほど。そう考えると、確かに先輩は普通ではないが……)

 だが、と龍宮は続ける。先ほど垣間見たあの成長速度は、普通ではない等というレベルではなく、異常の一言に尽きると。これが、元々の『篠崎 葵』が素晴らしい運動神経の持ち主だというのなら分かる。体に染みついた動かし方が、徐々に今の葵の動かし方に影響を及ぼしたのだと考えられるからだ。まぁ、それでも1日で効果が出るかは不明だが、まだ可能性として考えられた。
 しかし、『篠崎 葵』は、以前はパッとしない部活生だった。良くも悪くも普通の生徒。特に目立つこともなく、特別な所など何もない普通の少年だった。それが、記憶を失ったというあの事故以降、彼は変わっていった。
 龍宮は部活での『彼』しか知らないが、少なくとも、今のように存在感がある存在ではなかった事は確かである。
今の彼は……それこそ以前の『篠崎 葵』を知る人間からしたら別人だろう。芹沢部長や佐々木副部長が一目置くほどに急成長している運動神経に、龍宮だからこそ分かることだが、ライフルの使い方も日々向上していた。ただし、それはバイアスロンというスポーツのそれではなく、まるで実戦で扱っているような……。

(ただ単に、私の取り扱いを見て覚えたのかと思っていたが……)

 そこまで考えた龍宮は、その思考を一旦端の方へと追いやる。

「……やっと追い付いたか」

 龍宮が見つけたのは、付いたばかりと思われる足跡だった。足の大きさ、そして深さから推測される体重、全てが、龍宮が知る篠崎葵と合致する。

「さぁ、ここからが本番だ」


 口の端を吊り上げ、さぞ嬉しそうに、龍宮は、そう呟いた。




*****************

(あれから結構な時間たったが……思った以上に時間を稼げているな)

 葵としては、龍宮との遭遇はなんとしてでも回避したい出来事であった。例え回避が不可能だとしても、出来るだけ時間を稼いで、追い掛けられる時間を短くしたかった。
 そのため、出来るだけ足跡が残らない所を選んで歩き、可能な限り痕跡を消して来たのだが……

(さすがにそろそろ限界か? さすがに深い森というだけあって、ぬかるんでる場所も多かったし……)

 とりあえず息を整えるために、葵は、近くの少し大きい岩に軽く腰を掛ける。
 そして、残り時間を調べるために、時計を見る。

(さて、残り1時間。本当に……本当に欲を言えば、あとせめて30分は見つかりたくないんだが……無理だろうなぁ)

 そもそも葵が、あまり土地勘のないこの森を、2時間に及ぶ逃走の選択したのは、自分で、昨日一日の疲労が取れていないと判断したためだった。もし昨日、エヴァンジェリンとの邂逅がなければ、今頃はもっとマシなコンディションだったのだろうが、今はどちらかと言えば不調に入る状態だった。
 そのため、こうして森の中で罠を使い、少しでも逃走時間を短くする作戦にしたのだ。
 もっとも、その作戦の第一歩が、まさかの狙撃によって崩されていたが、

(疲れを減らすためにこういう作戦取ったってのに、初手から走りまわされたのはちと痛かったな)

 葵は、龍宮の射撃の腕がかなりの……もとい、とんでもない凄腕である事は知っていたが、それはあくまで部活で使うライフルと、追い掛けてくる時に使う拳銃タイプのエアガンの腕前でしかなかった。そのため、長距離の狙撃を行ってくるのは、それこそ、まさかの想定外だったのだ。

 軽くため息をつきながら、葵は立ち上がり、自分なりの地図を書いたメモ帳を、持ち歩いている小さなリュックから取り出す。

(さてさて、仕掛けた罠も含めて、この近くで、待ちの姿勢に良さげな場所は……)

 少しの間、メモ帳片手に色々考え、メモ帳をリュックにしまって再び何やら考え出す。

(うーん、何か大事なことを忘れている気がするんだけどなぁ)

葵は先ほどから、何かを見落としている事に気がついてはいたのだが、肝心のそれが何かに中々行きつかない。だが、このまま、ここで待っていても仕方ないと思い、そしてようやく、彼は移動を開始した。




*************




 葵がたどり着いたのは、樹木の量が少し少なく、ある程度ならば見通しが効く平地だった。

 この辺りが、葵が一番罠を仕掛けた場所であった。単純に張り巡らせているだけの糸や鳴り子等も、相当な量を用意しているから、いつでも警戒態勢に入れる……ハズなのだが……。

(なんだろう、やっぱり、ものすっごい大事な事を見落としてる気がする)

 自分がたまにポカをやる時の、独特の気持ち悪さが、葵の頭の中に渦巻いていた。
 ひょっとして後を付けられていないか? と、周囲の気配を探り、辺りを見回すが、それらしい感じはしない。まぁ、龍宮が本気で隠れていたとしたらどうしようもないのだが……


(……ん?)


 そういえば、先ほどまで逃げるために走り廻っていたために、すっかり思考の外だったが、葵は、先ほどの龍宮の狙撃を思い出していた。

(時間開始と共に攻撃をしてきたって事は……あの時点ですでに準備万全の状態でこっちを見つけたって事だよな)

 もし、龍宮が時間開始から探しまわっていたなら、狙撃はもっと遅くなったはずだ。そもそも、このゲームも、場所はどこでスタートしても構わないと言っていたが……

(最初から、尾行することが前提だった? いや、龍宮の正確からして、それはないか……。どこかで偶然気がつかれてそのまま尾行されたか、あるいは、俺が選ぶ場所が分かってた?)

 少しづつ、辺りを歩き回りながら、葵は考えをまとめていく。

(そもそも、狙撃自体は恐らく偶然に偶然が重なっただけだろう。俺がたまたま、森の外側のチェックをしていたからであって、あれがさっきまでいたような森の奥だったらどうしようもない)

(つまり、あそこは狙撃ポイントというより、監視拠点として機能していたということか)

(ってことは、奥の方はともかくとして、罠を仕掛けている所のいくつかを見られていたのは間違いない。それはいつから?)

 ふと、葵は辺りをもう一度見まわし、今ここから見える地形を全て確認する。その中には、先ほど龍宮が狙撃してきたのであろう地点も見える。

(ていうか、俺、ここも含めた、逃走の起点になるって想定していた場所の確認は念入りにやっていたわけで……。当然、確認も数回してるよね? つまり、何度も確認してる場所って、傍から見たら大事な所になるってわけで……。しかもここってある程度見通しが――)




「あ、なんか今すっごい嫌な予感が――」




 葵の近くの樹木から、何かが飛び立つような、大きな音がする。

 とっさに音がした方、頭上を見た葵の目に映ったのは、



―― こちらに飛びかかってくる、迷彩服姿の龍宮真名の姿だった。


***********

(やはりここだったか!)

 それなりに葉が生い茂っていて、隠れるのにちょうどいい樹の中に龍宮は姿を隠しながら、こちらの方に歩いてきている葵の姿を確認した。
 葵の行動を監視し始めていてから、彼が何度も確認していたのは全部で三か所、どこも樹木で覆われていて、どのような罠を仕掛けているのかは分からなかったが、その場所だけはしっかり把握していた。そして、彼を追跡している時に見つけた足跡から、大体の方向を把握し、その近くで、さっきの三か所のポイントの中で最も近い地点はどこかを瞬時に弾き出す。
そして、そのポイントに仕掛けてあった罠をいくつか、致命的に邪魔だと思ったものは、分からないように解除しておき、この場に網を張っていたのだ。

(半ば賭けだったが、当っていてよかった)

 普通に足跡や痕跡を伝って追走しようかとも思った龍宮だったが、いくつかそれを繰り返している内に、それ自体が罠への誘導だったり、ダミーだったりしたのだ。つくづく、あの先輩には妙な才能があると、龍宮は静かに息を吐く。おそらく、龍宮が監視していたということには気が付いていなかったのだろう。
これで監視されていたことに気がつかれていたら、恐らく間にあっても、残り10分程まで逃げ回られた事だろう。

(少し複雑だが……。貴方の逃走における才能は称賛に値するよ、葵先輩。だけど……)


 葵は、未だにこちらに気がついた様子は、辺りを見回しており、その後に何か深く考え込みながらこっちに向かって歩いている。


(ここで捕まえさせてもらう!)


 葵が真下に来るまでに、後5歩……3歩……。

 そこで、彼は急に立ち止り。


「あ、なんか今すっごい嫌な予感が――」


―― ここにきて気付かれたか!!

 そこで一気に龍宮は、樹上から飛び降りる。その音に気がついたのか、葵もこちらを見上げている。一瞬ポカンとする葵だったが、即座に反応し、バックステップで、組み伏せようとしていた龍宮の腕からギリギリで逃れる。

「あぁ、やっぱりぃっ!!」

 そう叫びながら、そのまま数回、後ろに跳んで距離を取る葵。むろん、こちらを向いたままである。ここで即座に後ろを向いて逃げようとしていれば、龍宮はそのまま飛びかかって、後ろから押し倒したのだが、葵は下手に動かず、龍宮の動きに警戒を払っている。

(まさかとは思っていたが……これに反応するか!!)

 龍宮は内心、葵の成長速度に舌を巻いていた。あの咄嗟の刹那に動けるなど、既にこの先輩は、一般人の中ではあるが、普通の枠を超えつつある―― いや、もう超えているかもしれないと。
 即座に拳銃を抜き、葵に付きつける。

―― 葵は、動じなかった。

「まさか、真上からの奇襲に対応されるなんて……。どうしたんだい、先輩。昨日までの先輩とはまるで別人じゃないか」
「ダブルの意味で、命が掛かってるからだボケェ! てか、あの矢文は何だ! お前は俺をどうするつもりだ!!」

 一瞬、何の事だか分からない龍宮だが、すぐに思い当った。というより、思い出した、

「あぁ、そういえば忘れていたよ」
「てめ――!」
「なに、大したことじゃないんだ」

 何か叫ぼうとする葵を制し、龍宮は口を開く。

「私が先輩を捕まえたら、先輩に『なんでも』言うことを一つ聞いてもらおうと思ってね」
 
 龍宮が、微笑みながら「なんでも」の所を強調してそう言うと、葵は顔を引きつらせて抗議する。

「てめ、そんなん一つとか言っておきながら、その一つで『一生奴隷』っつったらアウトじゃねーか!!」
「……あぁ、その手があったか」

 思わず手をパンッと叩きたくなった龍宮。それを見て葵は、顔に絶望の色を乗せて、

「俺の馬鹿ぁ! なんでそんな余計なヒントあげちまうんだ!!」

 と、叫び出す。こういった状況でなければ、文字通り頭を抱えていたかもしれない。
 こうして見ると、いつもと変わらない葵に、龍宮は思わず苦笑を零す。

「まぁまぁ、葵先輩。勝負はフェアということで、先輩が逃げ切れたら、私だって何か一つ言うこと聞いてあげるよ? フフ、先ほど貴方が言ったように、私を先輩の奴隷にでもしてみるかい?」
「龍宮、てめっ! 俺をなんだと思ってるんだっ!!!?」
「ハッハハハ!」

 口では馬鹿な事を言い合っているが、龍宮は非常に緊張していた。万が一逃げ切られてしまった時に、目の前の男が、何を要求してくるか分からないから――ではなく。

(……目を逸らさない)

 この状況で諦めていないのは分かる。何か策を練っているのだろう事も。だが、それが読めない。
 今までのの葵だったら、その目線等でなんとなく狙いは推測できた。もっとも、たまに、龍宮の予測の斜め上を行くのが『篠崎葵』という男なのだが……。

(『男子三日会わざれば活目して見よ』という言葉はあるが……毎日顔を合わせているのに、たった一晩で、いきなり変わられた時はどうしたらいいんだい?)

 龍宮自身、誰に尋ねているのか分からない事を、内心でボヤきながら、少しずつ葵との距離を詰めていく。葵も会話を続けながら、ジリジリと後ろに後退していく。
 このまま距離を縮めていけば、いずれは龍宮が勝つ。それは葵にも分かっているはずだ。なにせ、あと5歩も歩けば、この男は樹木に阻まれ、後退できなくなるのだから。
 そして、目の前の男は、それを見逃すような人間ではないことを、龍宮はよく理解していた。
 
(さて、どう動く?)

 更に一歩、もう一歩、少しずつ追いつめる。残り二歩分、一歩……そして、葵の足が樹木に当る。

 その瞬間、龍宮は両手に持った拳銃の内、片方を迷わずに発砲する。体の中心より右寄りを撃ち、もう片方は、回避した際に即座に狙いを付けるために残しておいた。が――


―― 葵は、身体を僅かに反らしながら、一足飛びで真っ直ぐに、龍宮の方に向かってきた。

「なにっ!!?」

 咄嗟に距離を取ろうとした龍宮だが、どうにか思いとどまって、即座にもう片方の拳銃の照準を合わせようとするが、同時にその手に、自分のではない人の体温を感じた。葵が静かに手を伸ばし、そっとその手に触れて、拳銃の向きを逸らしたのだ。
 葵は、龍宮の手を押すようにして、そのまま龍宮の横を駆け抜けようとする。
 龍宮も、負けじと上半身を捻り、回し蹴りを放つが、急に脱力したかのように態勢を低くする葵の髪の毛を、掠っただけだった。

「あっぶね、掠ったか!」
「くっ……!」

 龍宮は、回し蹴りを放ち、一回転してから、身体をやわらかく使って、身体を伸ばすように葵に片手を伸ばし、そのまま組み伏せようとする。
 だが、葵は、態勢を低くした状態で足に力を入れ、最初の一歩で大きく距離をとり、2歩3歩と、ジグザグに距離を取っていき、その後に全力で走りだす。その速度は、中々に早いものである。
 即座にその後を追っていく龍宮だが、その頭の中は『驚愕』の二文字で埋められていた。

(最初のあの動きは――)

 多少雑な感じはしたが、それは、龍宮のクラスメートの一人が、以前、龍宮に見せてくれた物と非常に酷似していた。

(活歩……)

 別名、縮地法とも言う、短距離間を滑るように移動する、中国拳法における歩法術の一つである。
 
(葵先輩は、部活をいくつか掛け持ちしていたが、中国武術研究会のような格闘技系の部活には入っていないし、そもそも退院以降、バイアスロン以外にはほとんど行っていないはず。習っているという話も聞いていない)




―― ならば、あの人はどうやってアレを覚えた……?




**********



 一方、追い掛けられている葵も、自分の動きに驚いていた。自分でもあんな事が出来るとは思っていなかったのだ。

(最初は、後ろに仕掛けておいた罠を使おうと思ってたんだけど……まさかまさかの解除されてて使えない状態だったからな)

 恐らく、事前にバレていたのだろう。待ち伏せされていたことからも、それは間違いない。何かポカをやらかしているという自分の予感が正しかった事は立証されたが、もっと早く気付いてほしかったと、葵は自分で自分に対して、内心ため息を吐く。
 文字通り袋のねずみになりかけた状態で、葵が考えたのは、昨晩エヴァと対峙した時の動きの焼き直しだった。相手が動きを起こす一瞬の硬直を狙って、相手の脇をすり抜けていく作戦である。あの時と違って、確保しなければならない対象もいないため、頭の中で何度かシミュレートして、タイミングを測る。そして、いざ行こうとした時に――

(あの感覚、どう説明すりゃいいんだ……。体が勝手に、――違う。『体ごと、頭に動きが書き込まれた』?)

 いざ、一歩目を踏み出そうとしたその時に、突然、葵の頭のどこかに、その動きが『書き込まれた』。足の置き場所から、そこからの動かし方や流れといったものが、フッと頭に流れ、葵は、その通りに行動したのだ。
 その後は、半ば無我夢中だった。龍宮の狙いを付けてる方の手に、こちらの手を添えて、そこからひたすらに走り抜けた。ちなみに、回し蹴りを交わした際の動きは、思わぬ動きに、一瞬、自分自身付いていけず、咄嗟に足から力を抜いてしまった結果だったりする。
 龍宮が評価したように、この男、悪運の強さも尋常ではなかった。

(とりあえず、わかんない事は放っておこう)

 とりあえずは、現状を確認しようと、葵は走りながらも辺りを確認する。

(さっきの事も含めて、ここらへんの罠は、どうもほとんどが解除されてるみたいだし……)

 状況は相も変わらず最悪。正直、葵の自業自得な所が大きいのがまた微妙に情けない。

(残り時間を確認したい所だけど、今そんな余裕ないし……)

 背後からは、今も牽制として弾が飛んで来ているし、足音からして、徐々に距離を詰められている感じだ。

(感じからして、多分5分……いや、3分で追いつかれる。だったら!)

 近くに、何かないか辺りを探し、『ソレ』を見つけた葵はそちらに方向転換する。その際に、視界の端に龍宮の姿を確認する。
 葵は、そのままその地点の近くまで走り、一気に後ろを振り向く。
 既に龍宮はこちらを向けて銃を構えて、こちらと一定の距離を保ちながらジリジリと迫ってくる。



「ここで、決着をつけるしかないか……」

2時間に渡る、葵にとっては文字通り、命が掛かっている鬼ごっこ。

それが、この場でようやく、決着がつく。




≪コメント≫
 本来ならば、ここで追いかけっこは終わらせたかったのですが、思った以上に長引いたので、一度区切らせていただきます。
 皆様、いつも感想、ご指摘ありがとうございます。これからも『タツミーをヒロインに~』をよろしくお願いいたします!!

p.s. 書いていて思ったのですが、『!』や『?』を、自分は半角で使用しているのですが、ネット上の場合でしたら、全角のほうがいいんでしょうか? もしよろしければ、ご意見をどうか感想板にお願いいたします!



[33428] Phase.6
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/06/24 18:30
 静寂が漂う森の中、葵と龍宮の二人はついに対峙する。

「ようやく覚悟を決めてくれたのかい? 葵先輩」

 そう言って、龍宮は手にしている銃を、葵に向けて照準を合わせる。

「前々から思ってたけど、やっぱ銃って怖いわ。いやマジで」

 そう軽口をたたきながら、龍宮から目を離さない葵。龍宮も、迂闊に動けば逃げられると感じているのか、様子をうかがいながら、静かに距離を詰めようとしている。

 かつての逃走劇では一度も感じなかった、緊張感に、葵は押しつぶされそうだった。

(これ、エヴァンジェリンと睨みあった時並みにきっついなぁ……)







『Phase.6 覚醒』







 軽口を叩く葵に対して、龍宮は、その目をしっかりと見つめ返しながら、口を開く。

「さっきから、直撃コースの銃弾を交わし続けている先輩がそんなこと言ってもね」
「いやいや、障害物が多いコースを選んで走り回ってるだけだよ。それに、何回お前の銃撃を喰らってると思ってるんだ。昨日の時点で風斬る音で反応するようになってきたんだぞ」

 ちなみに本当である。先ほどの狙撃の際も、風斬り音に加えて、先に当った葉や枝の音を頼りに勘で交わし続けていたのだ。昨日までは反応するだけで、なんだかんだで当っていたが、今日はどういう訳かその反応に体が追いついてこれたのだ。
 龍宮も、その言葉に嘘がないと分かったのか、呆れたような顔になる。

「先輩、貴方は本当に、最近少しずつ人間を止めてきていないか?」
「え、なにそれこわい。俺、どっからどう見ても普通の一般人だろ?」
「…………」
「龍宮。お願いだからその可哀そうな物を見る目は止めてくれ。マジで心が折れそうになる」
「……先輩、今度一緒に、どこかに遠出しようか。その……麻帆良の外ならどこでもいいよ?」
「え、なにその心を抉る優しさ。俺って麻帆良に染まってきてんの?」

 龍宮の思わぬ提案と思いやりに、結構本気で落ち込みだす葵。さすがに此処にきて、龍宮から目を逸らすことはしないが、今すぐに部屋に戻り、布団に包まって小一時間、自分の存在について考え直したい気分になっていた。

「まぁ、それはさておき……。さて、このままいつものように会話を続けているのもいいんだが、私としても先輩には聞きたいことが山の用にあってね。降参してくれないかい? 話は副部長との特訓の後でじっくりさせてもらうからね」
「あー、やっぱり?」

 やはり昨日のことだったか。と、葵は内心呟く。

(つまり、龍宮の言う『一つ言うことを聞け』というのは……)

 大体の内容を察しながら、葵は龍宮との会話を続ける。

「むしろ、あんな嘘でどうやって騙されろって言うんだい?」
「朝倉はともかく、芹沢部長は納得してたぞ?」
「……すまない。ここは麻帆良だからね」
「麻帆良すげーな。何が起こっても、大体はその一言で解決していくぞ」

 雑談を続けながら、葵は、後ろの樹木から垂れている、ツタに偽装したロープを後ろ手でソッと掴む。

「それで、先輩どうする? 今ここで降参してくれるなら、質問する際に私も少し優しくなれるかもよ?」
「確定じゃないのかよ。なんで疑問符つけた」

 未だに龍宮はアクションを見せない。彼女も下手に動くべきじゃないと思っているのか。とにかく、葵にとっては、最後のチャンスだった。

「てゆーか、お前、俺を捕まえるのに、気合い入りすぎだろ。狙撃までしてきやがってコノヤロウ」
 
 いつも通りに、不自然さを出さないように龍宮に文句を付けながら、


―― 葵はそのロープを引っ張った。





 葵がロープを引っ張るのと同時に、ちょうど龍宮の真上からバキバキっと、小枝が折れていく音がする。

「やはり、何か仕掛けてあったか!」
 
 即座に龍宮は、その場を飛びのく。それと同時に、龍宮がいた所の少し前らへんに、石を大量に詰めた大きなずた袋が落ちてくる。

(これが狙いだった? いや、違う……っ!)

 すぐに龍宮は、葵がいた所に狙いを定めるが、その姿は既に消えていた。だが、気配は同じ所から感じていた。

「そうか、上か!」

 龍宮が上を見上げると、そこには、ツタに偽装したロープに捕まって、木の上まで登っていた葵の姿が合った。そのロープは、途中で、樹に突き刺してある鉄棒のような物に引っかかっており、そのまま伝うと、先ほど落ちてきたずた袋につながっている。

「あの石が詰まったツタ袋は、あくまで重石だったのか!!」

 龍宮は、即座に持っていた拳銃で、葵を狙い発砲するが、それを避けた葵は、枝の上にしゃがんで、何かをいじくっている。そして、再び立ち上がったかと思うと、両手に、今度は違うロープを持っている。そのロープは少し離れた、もっと高い樹へと続いている。
 思わず、龍宮は不敵な笑みを浮かべ、真っ直ぐに拳銃で葵を狙う。

「先輩っ!! 本当に貴方は逃げるのが上手だな!!」
「最高の褒め言葉だよ、龍宮ぁ!」

 葵は、そう叫ぶと同時に乗っかっていた枝を蹴り、ターザンよろしくロープを使って遠くの方へと飛ぼうとしている。だが――

「確かに、貴方にこういったおもちゃで直撃させるのは至難の業かもしれないが……」

 龍宮は、狙いをロープに定める。

「狙う場所なんていくらでもあるんだよ、先輩!!」

 そう言うのと同時に、龍宮は引き金を3回引き、ロープを弾き飛ばす。恐らく、葵も気にしていたところなのだろう、ロープは3重に巻かれていたが、それでも龍宮の射撃には耐えられなかった。
 『ブチンッ!』という音と共に、ロープと一緒に葵は、地面へと墜ちて行く。葵も、薄々予測はしていたのか、「ぬっふぇ!」と、奇妙な声を上げて少し慌てながらも、地面を転がって落下の衝撃を殺して、即座に立ちあがる。

(もう時間がない。捕らえるならここだ!)

 葵が使った『活歩』のそれを上回る、気を用いた移動法、『瞬動術』を使い、一気に距離を詰めようとする龍宮。瞬動術のために気を練り、足に纏わせ、技に『入った』――瞬間、離れた所にいる葵と、眼が合った気がした。

(――まずいっ!)

 仮に活歩を使えるような人間でも、かなりの上級者――それこそ達人クラスの人間でなければ、自分の瞬動術には対抗できない。葵には絶対に反応できない。龍宮には、その自信があったが、彼女の直感は、まったく逆の事を告げていた。だが、既に龍宮は、技に入ってしまっている。

(このまま、押し切るしかない!)

 瞬動術により、龍宮の視界に入る全てが一瞬で過ぎ去っていき、一瞬で葵の目の前に到着する。この時点で、すでに龍宮は、拳銃を葵に突き付けている。が、到着した途端に、右足に鈍い痛みが走った。

「なんだかよく分からんが、警戒しといて正解みたいだったな!」

 そう叫ぶ葵は、足を無造作に突き出していた。その足がちょうど右足に当ってしまったのだ。瞬動術による加速を、そのままカウンターに利用され、思わず態勢を崩す龍宮。それを狙っていたかのように、葵は、背筋のバネを使って飛び上がり、龍宮の間合いに踏み込む。


瞬間、学生の龍宮ではなく、傭兵としての龍宮の本能が働いた。

 恐らくは、龍宮の腕を掴んで、引きずり倒そうとしているのだろう葵に対して、龍宮は、彼が伸ばしてきた腕の間接を取ろうとする。
 咄嗟に、葵も負けじと、腕を横に振りはらう様にし、上半身を捻って回し蹴りを入れようとする。龍宮は、それをしゃがんで避け、蹴りで足元を払おうとするが、今度は、葵が回し蹴りの態勢を戻しながら、バックステップで、龍宮の蹴りの範囲から逃れる。
 即座に、葵が着地した瞬間に、狙いを定めて拳銃を撃とうとするが、その時、左手に違和感を感じて、思わず龍宮は動きを止めてしまう。

(この人は――っ!!?)

 龍宮は、信じられない思いで、目の前に立つ葵を見ていた。
 既に葵は、再び態勢を立て直し、こちらを静かに見据えている。その右手には、

(私の拳銃……いつの間に!?)

 葵の右手には、龍宮が先ほどまで左手に握っていた拳銃が掴まれていた。

(さっきの回し蹴りの時に? だけど、私に気がつかせずに盗るなんて……)

 もはや、成長している等というレベルではない。この短期間で、篠崎葵は、違う何かに変質しようとしているのではないかと、龍宮は疑ってしまう。
 念のためにと、龍宮は魔眼を発動させて、葵を、その細部に至るまで『覗いて』見るが、おかしな所は何もない。ならば一体、篠崎葵という存在はなんなのだろう? と、様々な可能性を考えながら、魔眼を解除する――その瞬間、




―― 龍宮の魔眼に、『それ』は一瞬だけ写った。




「……っ!!?」

 咄嗟に、葵から更に距離を取る龍宮。それに対し、葵は可笑しなものを見たという顔で首をかしげて、『おろ? どうした?』などと気楽に問いかけてくる。

「葵先輩……あなたは……」
「ん?」

(このお気楽さ。心当たりなどは、当然ないのだろうが……)

 龍宮は、再び魔眼を作動して、念入りに葵を覗くが、反応は一切ない。だが、先ほど龍宮は確かに、何かの影を見たのだ。全体的に陰っていて、よく見えはしなかったが、







―― 葵に重なるようにして、悲しげな顔で俯いている女の姿を、確かに見たのだ。






******************


(なんだろう、無茶苦茶警戒されてる? まぁ、拳銃を抜き盗ったのがアレだったんだろうけど……)

 葵と龍宮の間にはそこそこに距離がある。もっとも、すぐに後ろを振り向いて逃げ切れるような距離ではないが。

(さて、どうしたものか)

 正直、葵が拳銃を抜き盗ったのは、『盗れる』と、頭のどこかでそう判断した瞬間に、半ば反射的に盗ってしまっただけのものだった。確かに、龍宮の武器を一つ減らしたが、それだけであった。葵は、部活動にて、ライフルは使った事はあるが、拳銃を使った事はさすがになかった。こちらからしたら使えない荷物が増えただけである。使おうと思っても、精々、牽制がいいところだろう。

「ねね、龍宮さんや。冗談抜きで見逃してくんない? 俺もうすっごい疲れたんだが」
「…………」
「おろ、えらい警戒しだしたな。いや、こちらとしては構わないんだが」
「…………」
「……あの、たつみー?」
「…………」
「もしもーし?」

 せめて向こうからアクションを仕掛けて来てくれれば、と思い、葵はエヴァの時よろしく、挑発をしてみるが、どういう訳か龍宮はそれ以上に葵を警戒し、一切の動きを見せなかった。


 それから時間にして20秒ほど経っただろうか。それまで沈黙して、ひたすらじっと葵を観察していた龍宮が、ようやくいつもの笑顔を顔に戻らせる。

(今は考えるのはよそう。とにかく、この人さえ捕まえれば……)

そう考えた龍宮は、身体の力を抜きながら、姿勢を正す。

「葵先輩、私が貴方と初めて会った時の事を覚えているかい?」

 唐突に、龍宮が問いかけてくる。

「あぁ、そりゃ、軽くサスペンスドラマの冒頭みたいな感じだったからな。普通に見たら、犯人はどう見てもお前だったぞ」
「フッフフ、いや、違いない。そう考えると、あの時あの場に来たのが先輩で本当によかったよ」

 そう言って、軽く笑いながら、龍宮は普通に一歩、葵に向けて踏み出してくる。

「あれからまだ半年も経っていないが……。先輩と、まさかこんなに深い付き合いになるとは、あの時は想像もしていなかったよ」
「だろうな。俺だって考えていなかったさ。部活に顔を出してみた時に、お前を見つけた時には、なんだかんだでビビったからね」
「それは私もさ」

 さらに一歩、こちらに踏み込んでくる。

「あれから先輩とは色々あったね。芹沢部長や佐々木先輩と一緒に、もう秋だって言うのに海に行って寒い思いをしたり、山に登ったり。冬休みの合宿の際には、夜にこっそり賭けポーカーをやったりしたね」
「ほとんどお前の一人勝ちだったけどな。副部長も可哀そうに」
「フフ……。先輩は、地味に勝たず負けずだったからね」

 そして、龍宮はゆっくり、拳銃を再度、葵に向ける。

「葵先輩、今まで貴方と一緒にいろんな事をしてきて、その度に、貴方の突飛な発想や行動力には驚かされてきたけど……今日のは、その中でもとびっきりだよ。『さっき』の事もそうだし。それに、中国拳法なんていったいどこで習ったんだい?」
「? 何の話だ?」
「……やはり、知らないか。でも、貴方は確かに拳法の動きを『再現』してみせた。先ほどの事も含めて、貴方には謎が多すぎるよ。だから、せめて一つくらいは謎を解決させてくれないかい?」

 龍宮は、いつもの笑みを浮かべたまま、静かに告げる。

「先輩、昨晩『闇の福音』に会ったね?」

 (……おぉう。その名前が出てくるって事は、コイツ、エヴァンジェリンが言ってた魔法関係者の一人か)

 内心、新たな事実に驚きながら、葵はそれを表情に出さず、会話を続ける。

「誰だよ、その厨2病くさい名前の奴は? 多分、俺にもそういう時代があったんだろうが、幸い記憶喪失でな。頭抱えて転がりたくなるような思い出は一切ないぞ」

 内心、昨晩の役者じみた喋り方を思い出して、頭を抱えて転がりたくなる葵。先ほどの龍宮の心を抉るような優しさも合わせると、違う意味で心が折れそうだった。

「おや、とぼけるのかい? つい先ほど、貴方と一緒にいたじゃないか」
「悪いが、名前も知らない女の子でね。よくわからない事を一方的に言われた後に、いきなりどっかに行っちゃって、俺にもよく分からないんだよ。なんだ、あの子、可哀そうな子だったのか」

 本人が聞いたら、問答無用で魔法を撃ち込んだ挙句に、高笑いをしながら嬲り、吸血行為に至るであろう暴言を堂々と口にしながら、それらしくとぼけてみせるが、龍宮には通用しないようであった。龍宮は、ヤレヤレとでも言いたげに肩をすくめ、

「らしい嘘をつくのは、貴方の十八番だな。やれやれ、やっぱり無理矢理聞き出すしかないのかな」

 そういうと同時に、龍宮は、葵がまばたきをした刹那に、一気に葵との距離を詰める。

「――っっ………のぉ!!」

 いきなり目の前に現れ、拳銃を突きつける龍宮に対し、咄嗟に上半身を捻る葵だが、龍宮はそのまま、葵の足を払いあげる。

「ここまでだよ、葵先輩!」
「ちぃっ!!」

 さすがに、態勢を大きく崩されれば、葵にはどうしようもなく、そのまま後ろに倒れてしまう。即座に龍宮は、葵の上に左片膝を乗せて、拳銃を突きつける。

「さぁ、先輩。これで降参するしか――なに!?」

 葵は、とっさに持っていた拳銃を龍宮めがけて投げつけた。一瞬ひるんだ隙に、龍宮がこちらに向けて構えている拳銃の引き金の隙間に指を差し込み、引けなくすると同時に、もう片方の手を拳銃に添えて、狙いをずらす。
 次の瞬間、葵は、引き金の隙間から指を引き抜いて、拳銃を構えている手をつかみ、全力で引っ張る。そして、ほんの僅かに龍宮の体が浮いた瞬間に、全力で体を動かして、ある程度の自由を確保し、両足で地面についたままの右足を挟み込んで、バランスを倒させた後に、寝転がって立場を逆転させた。

「くぁ……っ!!」

 さすがに男の体重は少し重かったのか、呻き声を漏らす龍宮。その間に、葵は、両足の膝を龍宮の両手にそれぞれ乗せて動きを封じ、龍宮が取り落とした拳銃を手にし、口を開く


「自分でもなんでこうなったか、よくわからん事がいくつかあるけど……」


そして、それを龍宮へと付きつけ、宣言する。






「すまん、龍宮。今回は俺の勝ちだわ」




 ちょうど、龍宮の腕時計が、2時間経過のアラームを響かせた所だった。









≪コメント≫
しゅ、修正案やここが悪いというご意見、ご指摘を心からお待ちしておりますorz

感想をくださった皆様には本当に感謝しています。それではまた次回、お会いしましょう^^ノシ



[33428] Phase.7
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/06/28 22:19
 時刻は夜の8時前。龍宮との追いかけっこに勝利した葵は、とりあえずのご機嫌取りと、昨日の追いかけっこのおかげで、エヴァンジェリンに対処できたお礼も兼ねて、龍宮に餡蜜を奢った。
 その際に、龍宮に魔法使いに襲われたということはハッキリとバレたが、それが誰なのかはボカしておいた。
 葵としては、いくら龍宮が魔法に関わっている、しかも闘えそうな人物だとしても、後輩の、それも大切な友人である彼女を、うかつに関わらせたくなかった。
 後日、改めて相談すると龍宮には伝え、それからは寮の自室で休んでいた。いくつかの考察を重ねながら――

(今日の俺は……なんか変だった?)

 有利な場所で逃げ回る。これが葵が追いかけられる時の基本戦術だった。事実、今日の追いかけっこも罠を仕掛けて、有利な場所で待ち伏せていた。まぁ、初手からなんだか調子が狂いっぱなしではあったが……。
 基本姿勢が『逃げ』であるため、これまでの葵は、直感で警戒することはあっても、直感で『行動』すること等、決してなかった行動だったし、葵本人もそれが違和感となって残っている。
 なによりも、決して敵わないと分かっているはずの龍宮真名に、自分は一体何をした?

(ろくに勝算を考えずに、直感だけで前に出て、そのまま格闘戦? 俺が? ありえんありえん……って笑い飛ばしたい所だけど)

 それを葵は、やってしまった。自分でも理解していない動きを行い、運や偶然の要素が強かったとはいえ、最後には龍宮に競り勝った。

(……勝ったと思った直後に、まさかグーでぶん殴られるとは思わなかったけど。……やっぱり、女の子押し倒した上に、馬乗りになったのはまずかったか? 死ぬほど謝って餡蜜ご馳走したら、少しは機嫌よくなったみたいだけど……)

 ズキリと、未だに痛むコメカミに手を当てながら、更に葵は考えを続ける。

(ともかく、あの時の龍宮は何か変だった。いや、俺が奇妙奇天烈な行動始めたから警戒するのは分かるが、改めて距離を取るほどだったか?)

 分からないことが多すぎる。と葵は、グラスにジュースを注いで、一気に飲み干す。

(謎のいくつかを解きに、これから虎穴に入るっていうのに、関係ない所で意味不明な事が増えやがって、畜生)

 ふと、時計を見ると、ちょうど午後7時50分を指していた。その時、誰かが葵の部屋のドアを4回ノックする。そして、ドアの向こうから、聞いたことのない女性の声がした――

『失礼いたします。篠崎葵様ですね? マスター、『エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル』の使いで参りました、絡繰茶々丸と申します』


―― その時が来た。





『Phase.7 会談、開戦、開幕』





「よく来たな、篠崎葵。歓迎しよう」

 絡繰茶々丸と名乗る女性に案内されて、たどり着いたのは、ログハウス調の、中々にセンスのいい家だった。促されるままに家の中に入ると、そこには、今朝がた会ったばかりの吸血鬼が、ソファに踏ん反り返っていた。

「まずはよくやったと褒めておこうか。見ていたぞ、あの龍宮真名相手に、まさか格闘戦を挑んで一本取るとはな。まぁ、アイツも、今までのお前の動きやイメージが頭にこびりついて、咄嗟に判断できなかったせいもあるだろうがな?」
「偶然だと言いたいところだが……それ以上に、自分でもあの時、何が起こっていたのか分かっていないんだ。それを必要以上に褒められるとくすぐったいだけだよ、エヴァンジェリン。てか、覗いてやがったのかよ」

 まさか、称賛の言葉を掛けられるとは思っていなかった葵は、一瞬どう反応していいか分からず、咄嗟に本音を出してしまう。それに対して、エヴァンジェリンは分かっていると言いたげに笑い、

「あぁ、確かに今朝のお前は異常だったよ。余りに異常過ぎて、昨晩はまさか手を抜いたのではないかと、一瞬お前をくびり殺したくなった程だ」

 何気ない挨拶の中にサラッと殺気を混ぜるエヴァンジェリンに、昨夜のやり取りを思い出しながら、葵は平然と答える。――しっかりと、いざという時に逃げれるように、軸足にわずかに力を入れて、だが

「さすがにそんな命知らずじゃねーよ。まぁ、それはさておき、そろそろ本題に入ろう、エヴァンジェリン。聞きたいことが色々あるしな?」
「ほう、昨晩お前を襲った私だ。偽りを告げるかも知れんぞ?」

 そう言いながら、意地が悪そうな笑顔を浮かべるエヴァ。だが、葵は淡々と、

「そんなことはしないと、信用しているから尋ねている。龍宮に聞いてもよかったが、アイツがどれくらい魔法に関わっているかが分からなかったからな」

 それに、なんでも答えてくれると言ったろう? と、答える。それで対し、エヴァンジェリンは、軽く嘆息し、

「やはり、お前は変わっているな。いいだろう、本題に入るとしよう。茶々丸、軽い食事と飲み物を持ってこい。篠崎葵、そこのテーブルにつけ」

 口早にそう言うと、エヴァンジェリンはソファから立ち上がり、テーブルへと付く。

 そして、ようやく、吸血鬼との会談が始まった。



***************



「さて、篠崎葵。改めて、ようこそ魔法の世界へ。先日までは、ただの一般人だったかもしれんが、お前は今、こうして吸血鬼の住まう屋敷と分かっていて、臆せずに足を踏み入れた。お前は、もはや立派に『こちら側』の住人だ。歓迎しよう」

 軽い料理が盛られた皿を乗せたテーブルを挟んで、二人は席に着いている。中身の入ったワイングラスを軽く掲げて、彼女は嬉しそうに、

「乾杯」

 と、微笑みながら口にした。そんな彼女に対して、葵も軽くグラスを掲げる。

「乾杯」
「フッフッフ。勝手に尋ねてくる奴は多々あれど、誰かを招いたのは久しぶりだよ、篠崎葵」

 そう言って、グラスを傾ける彼女に対し、葵はさっそく言葉を切り出す。

「フルネームは堅苦しい上に呼びにくいだろ? 葵で構わないよ。しかし、なるほど。前々からこの学校はどこか異常だと思っていたが……。この町には結構な数の魔法使いがいるようだな」

 勝手に来る人間が多々いるという言葉から、推測を建てる葵に対して、エヴァンジェリンは、口の両端を吊り上げる。

「ふむ、気がついたか。いいぞ、ただ言葉を重ねるだけではなく、言葉の裏を読み取ろうとする人間は好感が持てる。あぁ、私の事もエヴァで構わん」

 そうだな……。と呟きながら何かを考えているエヴァは、葵に対して言葉をかける。

「お前の言うとおり、この学園には魔法使いや、その関係者が数多くいる。お前の友人でもある龍宮真名もそうだ」
「あぁ、知っている。その事実を切り出したうえで、俺に昨晩誰に襲われたのかを散々聞いてきてな」
「ほぅ、ならアイツにはもうバレていると見ていいか。それはそれで面白くなりそうだ」

 クックック、と静かに、闘争心から出てくる笑い声を漏らすエヴァ。少しの間、そうしてると、

「まぁ、いい。さて、まずは私の事から語ろうか……。少し、長い話になる。お前も思う所があるかもしれんが、とりあえずは、何も問わずに聞いてくれ」


 それから、エヴァは語り出した。自分が、『真祖の吸血鬼』という、吸血鬼としての弱点のいくつか――例えば、日光や流水等を克服した、不死の存在である事。600年に渡り『悪の魔法使い』として君臨していたが、15年前に、サウザンドマスター、『千の呪文の男』と呼ばれる魔法使いによって、魔法使いが運営しているこの学園に、登校地獄というふざけた呪いで封印されたということ。
 特に、自分が封印された時については、なにやら思うことが多々あったのか、殺気とも怒気ともつかない、異様な気配が全身から滲み出ていた。



「まぁ、これが私という存在だ。分かったか?」
「なるほど……なるほどなるほど」

 一通りの話を聞いて、葵は、とりあえずエヴァがなぜこの麻帆良学園という場所にいるかは理解した。だが、

「それがなぜ、人を襲うことを始めた? いくらなんでも唐突すぎるだろう?」

 と、葵が疑問を口にすると、エヴァは面白くなさそうに、フンっと軽く鼻を鳴らすと、

「私をここに閉じ込めた魔法使い、サウザンドマスターの息子が、この麻帆良に来ていてな。そして、そのガキは、予想通り膨大な魔力を身に宿している」

 軽く、料理をつまみ、一息ついてからエヴァは言葉を続ける。

「未熟とはいえ、膨大な魔力を持つ魔法使いを襲って、血を吸うにはリスクが高すぎる。そのために、少しでも魔力を戻しておく必要があるんだ。私は、吸血鬼だからな、血を吸うことで魔力を回復できる。とはいえ、呪いのせいか微々たるものでな……半年ほど吸い続けているが、あまり回復しておらん」
「そりゃまた難儀だな」

 葵がどうでもよさそうにボヤくと、エヴァは軽くため息をつく。

「てか、今理解したぞ。一人位見逃した所で本当に微々たるものだったからって理由もあったのか、俺たちを逃がしたのは」
「加えて、葵。お前からは凡人のそれよりも、遥かに魔力が低いのを感じ取ったからな」
「はっはは、なるほど、魔法に関しての俺の才能は落第レベルか」
「見てて哀しくなるほどにな」

 特に気にした様子を見せない葵に対し、エヴァはバッサリと言い切る。

「さて、ここからようやく本題だ。葵、今のお前を取り巻く状況について、ある程度教えてやろう」

 そういって、エヴァが取りだしたのは、一枚の布だった。葵にとっても見覚えのあるそれは、

「制服の破片? あぁ、あの時吹っ飛んだ所か。そういや無くなってたが、わざわざ拾って帰ってたのか?」
「ふん、気になることがあったからな。ほら、これを見てみろ」

 エヴァが制服の破片を裏返して、裏地の部分を葵に見せる。そこには、表の部分にはなかった、幾何学的な模様が刺繍されていた。

「これは……魔法陣っぽいけど?」
「その通りだ。簡単な追跡魔法と、外部からの魔法効力を軽減する魔法陣だ。一部がズタボロになったために、効果は既に消えているが……。クックック、さて、どうしてお前にこんなものが付けられていたのか、お前はどう思う?」
「『私には全て全て分かっているけどね』みたいな笑顔でこっち向くの止めてくれんか? 効果がないとは分かっていても、なんかぶん殴りたくなってくる」
「ほう、なんならさっそく、昨晩の仕切り直しと行くか?」
「こちらが指定するハンデを背負ってくれるっていうなら」
「ハッハッハッハッハ!!」

 エヴァは一しきり笑うと、ワイングラスに口を付けて、クッと一口、二口ほど飲み、

「やはり、最初から戦闘になる可能性も考慮していたか。まぁ、安心しろ、今はお前と戦うつもりはないさ」
「なるほど。『今は』……ね」

 やっぱり、いずれ戦うことは確定事項になっているのかと、内心ため息をつきながら、葵は、自分の制服の切れ端を摘み上げ、

「追跡魔法って事は……。常に、俺がどこにいるか、調べられていたって事だよな?」
「その通りだ。私には詳しくは分からんが、『はいてく』という物の中には、地図上でどこにいるかを指し示す物があるのだろう? それと同じようなものだと考えればいい」

 エヴァの補足説明に、葵は、GPSのようなものを埋め込まれていたのかと納得する。そして、それが意味することは――

「ん? おかしいな……」
「どうした?」
「なんで魔法側の人間は、俺に対して何もアクションをしてこない? 少なくとも追跡の魔法陣があったって事は、桜通りで急に反応が無くなった事を知っているはずだろう? 早ければ、それこそ昨晩の内に行動があってもおかしくなかったはずだ」

 そこまで話した後に、さらにある事に気がついた葵は質問を重ねる。

「それと……、エヴァ、お前に対して学園側は何か言ってきたか?」

 その追跡魔法陣が、どれほどの精度かは分からないが、少なくとも、昨日自分が桜通りまで行った事は間違いなく知られているだろう。そして、そこで反応が消えたのだとしたら、魔法側の人員が桜通りへと向かったはずだ。そこを調べられたら、ひょっとしたらエヴァにたどり着くのではないか? と、葵は考えたのだ。

「ふむ、なるほどそこに目を付けたか。いや、私には何も通達も警告も来ていない」

 エヴァは、顎に手をやり、何かを考えると、

「これは推測だが……、学園側はひょっとしたら、既に私が動いている事を知っているのかもしれん」
「? それなら、なぜ人員を動かさない? こういっちゃなんだが、動かさない理由なんてないだろう」
「一応私も、今作れる程度の物ではあるが、一定レベルを超える人間が入ってこれない様に結界を張ってはいたのだよ。もっとも、所詮は模造品のようなものだ。気がつかれていたとしても、つい最近の事だとは思うが……」
「すでにその結界とやらに対処出来ていて、分かっているうえで、魔法側が、あえて見逃している?」
「あるいは、気がついて、本来ならば即座に動く所に、イレギュラーが発生した……とかな」

 そこまで言ったエヴァは、ニヤニヤと笑いながら、こちらの目を覗きこんでいる。

「そこでまた、なんで俺が魔法使い達に警戒されているかって話に戻ってくる訳か。というか教えろよ。一番肝心な所を隠しやがって」
「ハッハッハ。まぁ待て、私もただお前の困る顔を見たくて黙っているわけじゃないぞ? まぁ、そういう気持ちがあるのも否定はせんがな」
「そこは否定してほしかったんだが……」

 そこで、エヴァは再び真面目な顔になり、葵を見据えなおす。

「まぁ、それはいい。大事なのは、お前が自らの意思で魔法の世界へと足を踏み入れ、自分の足で真実にたどり着くことだ。なにせ、私にもよく分からないことがあるのだからな。まずは自覚しろ、篠崎葵。貴様の存在は、まさしく『未知』という言葉が当てはまる存在なのだと」

 そう、エヴァは皮肉を込めた口調で語る。

「未知? 俺がか?」
「あぁ、未知の存在という意味では、お前は間違いなく、この学園において最大の存在だよ。今朝がた見せたあの成長率もそうだが……。脅威になるかどうかはともかく、警戒に値すると、学園側は認識しているはずだ。そんな男が、史上最悪の吸血鬼と遭遇し、しかもほぼ無傷と言っていい体で、帰って来た。血も吸われずにだ」
「おいこらちょっと待て」

 それが意味することに、葵は気が付き、苦々しい口調と目線をエヴァに向ける

「つまりあれか。最初からなんかの理由で、ある程度警戒されていた俺は、お前と出会ったのがトドメで、危険人物リストの上位に書き直されたとそういうことか!!?」
「まぁ、そういうことだな。先ほど言った通り、私には何の警告も来ていないが……」

 一旦区切った後、これまでになくドS全開な笑顔でエヴァは続ける。

「お前に関して、何人かの教師や魔法生徒が情報を集め直していたぞ」
「ちょ、おま」
 
 選択肢がなかったとはいえ、それなりに覚悟をして『魔法』という世界に足を踏み入れた葵だったが、まさかそのスタート時点で、自分が世話になっている学園そのものが敵に回りかねない状況になっているとは、さすがに想定の遥か外だった。

「さぁ、どうする葵? 貴様には、もはや逃げ場などないぞ?」
「偶然から生まれた現状を、さも自分が作り出したかのように言ってんじゃねぇ!!」

 思わず頭を抱えてしまう葵を尻目に見ながら、エヴァはさらに言いつのる。

「恐らく、今日の時点ではお前を泳がせる意味も兼ねて、監視、観察だけにしようと考えていたのだろうが……」

 そこから先は、エヴァに言われなくても、葵は理解できた。その観察されている状況の中、堂々と吸血鬼の家に乗り込んだ馬鹿がここにいるという事実が。

「絶望しか見えん」
「クックック。安心しろ、ある程度は手を打ってやろう。なに、学園側にも、話の通じる奴はいるしな」

 笑いながら、グラスに手を伸ばすエヴァに、怨みがましい視線を送りながら、葵は今の状況をまとめ直す。

(なんでかは知らんが、俺は魔法使いからしたら監視対象になるくらい警戒されている。コイツにあった事以外、心当たりがまったくない以上、記憶が戻らない限り、考えても無駄な訳で……。そんな状況で真祖の吸血鬼と対峙して、とくに何かをされた気配もなく抜け出してる事とか。更には、その吸血鬼から家に招待されてる事実とか……。わっはぁ、これまじでヤバいかも)

 事態が既に、自分自身の事にも関わらず、自分に出来ることが、現時点ではほとんどない事を悟った葵は、とりあえずは手立てがあるらしいエヴァに放り投げることにした。

「手を打ってくれるというなら、そこはエヴァを信じよう。ただし、無料で、という訳にはいかないんだろ? 昨日の時点で、質問に答えてくれるとは言ってくれたが、行動を起こすとは言っていなかったんだからな」
「クックック。分かっているじゃないか」

 そういうとエヴァンジェリンは、指を鳴らして茶々丸を呼び寄せた。即座にドアから姿を現した茶々丸の手には、布で綺麗に包まれた何かを、丁寧に持っていた。

「葵、貴様にはこれをくれてやろう。以前、私が使おうと思って作ったものだ」

 エヴァは、茶々丸の手からそれを受け取ると、そのまま、それを葵に手渡してきた。
 受け取った葵が、包みを開くと、

「これ……扇子? 鉄扇ってやつか。それにしちゃ、少し小振りだけど……」
「この学園に封じられてから、暇つぶしに作ったものだ。作ったのはいいが、結局使わずじまいだったからな。ちょうどいい、貴様にくれてやる。『三流役者』のお前にはピッタリの武器だろう?」

 エヴァが渡した鉄扇は、普通の扇子とほとんど変わらないサイズの物で、誰もが目を奪われずにはいられないほどの、美しい『純白』の扇子だった。

「そして、篠崎葵。それは私からお前への課題である」

 エヴァは、茶々丸を隣に立たせると、身を乗り出してこちらの目を、覗きこむようにして見てくる。

「魔法の世界は、弱肉強食の世界。お前に通したいものがあるというなら、それを成すだけの力を示して見せろ。言っている事は分かるな?」

 その目の中には、狂気とも喜びが交じり合った、――まさしく狂喜と呼べる感情が色濃く見える。

「私が、元の力を完全に取り戻したその時に、私はお前の記憶を奪う。どれだけ勇があろうと、力の無い者に守れるもの等、何もないからだ」

 エヴァが語る言葉は、葵にも納得できた。それこそ、昨晩の時点で、葵は、既に記憶を消されてしまっていても文句が言えなかったからだ。

「力を身につけろ、篠崎葵。それが私から課す、お前への課題だ。力を手にし、この忌々しい呪いを解こうとする、私を止めて見せろ」
「また随分とどえらい課題を……」
「クックッ。嫌というならば、今この場で記憶を弄ってやってもいいぞ?」
「完全に台詞が悪役のそれだぞ」
「あぁ、なんせ『悪の魔法使い』だからな」

 不敵な笑みを見せるエヴァの言葉に、全てとは言わないが、本気の部分を感じ取った葵には、昨晩と同じく、既に選択肢等なかった。

「あぁ、分かったよエヴァ。その課題受けさせてもらう。俺は俺が持ちうる全てを尽くして、お前を止めさせてもらう」

 葵は、エヴァが自分の事をたまに『役者』と呼ぶことから、それらしく、顔を隠すように、エヴァから与えられた扇子をバッと開いて見せる。それが、どうにもエヴァにはツボだったらしく、上機嫌に笑いだした。

「フ、フハハハハ! いいだろう、いいだろう!! いつか戦うその日まで、雑事は私が抑え込んでやろう。貴様は、力を身につけることに専念するがいい。個人で身につける方法を探ろうが、誰かに教えを乞うかは自由だ。篠崎葵、やはりお前は悪くない!」

 エヴァは、茶々丸が注ぎ直したグラス二つを両手に持ち、片方をこちらに渡してくる。

「そんなに時間は掛けん。来月辺りに私は行動を起こすつもりだ。その時に、私を失望させない程度には強くなれ。ただの凡人ならば不可能な時間だが、私は貴様ならやらかしてくれると期待している」

 葵も、グラスを受け取り、宣誓する。

「随分と過剰な期待な気もしなくはないけど……」
「ふん、今朝のあの異常成長をみていなければ、時間をくれてやってもよかったがな。お前に時間を与えるのは、甘やかし以外の何物にもならんと判断したまでだ」
「そう? ならば、昨晩宣言した通りに、足掻かせてもらうよ。俺の記憶を、誰かの好きにされるっていうのはゾッとしない」

 例え、力が及ばなくても、足掻き続け、記憶を守る事を。

 エヴァと葵は、それ以上語らず、静かにグラスは互いに向けて軽く掲げて、中身を一気に飲み干した。

 それは、純粋な約束であり、宣戦布告でもあった。

 誇りを重んじる『真祖の吸血鬼』エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと、記憶にこだわる『役者』篠崎葵の対決は、この日、この場所から始まった。

 かくして、舞台に役者が全員揃い、劇の一幕は開いていく。



≪コメント≫
とりあえずエヴァ編突入しました。
本編中で、現在の所は3月始めという設定です。原作では、ちょうどネギ君が正式な教師になるために課題を出されるちょっと前くらいのつもりです。

皆さんの、感想・ご指摘には本当に助けられています。自分の無知から来るミスなどの場合は
死ぬほど恥ずかしかったですがww これからも『タツミーをヒロインに~』をよろしくお願いします!



[33428] Phase.8
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/06/25 22:15

 互いに宣戦布告を突きつけ合ったエヴァと葵は、その後しばし談笑し、夕食を終えてから別れた。
 葵が帰った後、エヴァは、従者の茶々丸に後片付けを指示し、自分は再びテーブルに着く。そして、しばらくしてから、玄関先に向かって、

「そろそろ入ってきたらどうだ? さっきから隠れていたのは分かっているぞ?」

 と、嘲笑うように声をかける。それと同時に、ドアがギィィっと開いて、女性が入ってきた。

「来ると思っていたぞ、龍宮真名。もっとも、まさかこそこそと会話を隠れ聞いているとは思わなかったがな」

 入ってきた女性――龍宮真名は、エヴァを鋭い目で睨みながら、彼女に銃を向ける。その目は、隠しようのない怒りで染まっていた。






『Phase.8 慟哭』






「どういう冗談だ、エヴァンジェリン? 彼は、確かに異常な所は見られるが、それでも一般人だ」

エヴァに拳銃を突きつけたまま、彼女は静かに、しかし怒りを含んだ声で彼女に告げる。

「ほう、それはつまり、無理矢理あの男を捕らえて記憶を奪って、何事もなかったことにしろという事か?」
「…………」
「おや、これは驚いた。あの男に一番近いお前が、咄嗟に答えられないとはな。いや、近いからか?」

 エヴァは、嘲笑に近い笑顔で、龍宮と相対する。

「それが、あの男にとって、決して触れてはならない事だと分かっていてもか? 葵が、記憶というものがどのような形であれ、失う訳にはいかないものだと考えていると、お前が一番理解しているはずだ」
「だったら……!」

 龍宮の目には、確かな怒りが浮かんでいる。葵や、彼女の友人がこの場にいたなら、信じられないと思うほどに激昂していた。

「なぜ、戦う様に仕向けた!? そんな事をしなくても――」
「その質問に答える前に、逆に問おう」

 龍宮の言葉を遮るように、エヴァは冷静な口調で尋ねる。

「なぜ、お前はこの事を学園側に話さなかった? なぜ、わざわざここに乗り込んできた?」
「……っ」

 咄嗟にその問いに答えられず、龍宮は思わず歯を食いしばる。

「くっくっく。お前もどうやら、学園の全部が全部信用出来るとは考えていないようだな?」

 エヴァは、先ほどまで葵に見せていた、彼の制服の切れ端を龍宮に投げてよこす。魔法側に携わる傭兵として、様々な知識を要している龍宮は、すぐにそれが何か理解し、怪訝な顔でエヴァを見返す。

「……追跡魔法陣? しかし、どうして?」

 困惑する龍宮に、エヴァは笑みを深めながら、どこからか取りだした3,4枚の書類――茶々丸に調べさせた、篠崎葵の調査書を龍宮に渡す。龍宮は、それをひったくるかのように取り、目を走らせ――




―― 今にも書類を破り捨てそうになるほどに怒気を発し、憤怒の形相で、何度も書類を読み返しだした。





 その様子に、エヴァは軽くため息をつく。そして、茶々丸に、もう一度飲み物を用意させて、龍宮を席に着かせる。

「別に葵が何かしたわけではない。むしろ、あいつは完全な被害者だ。だからこそ、馬鹿共はあいつを警戒する。何かあるのではないかと、気付いているのではないかと、冷や冷やしながら、遠目に見ている」

 ワインを注がれたグラスを軽く煽り、エヴァは再び言葉を続ける。

「じじぃの奴も、下の動きを全て把握できているわけではない。だから『そのような』件が起こった。まぁ、じじぃの自業自得だが……。今回、じじぃやタカミチが動きを見せないのは、あるいは私があの男を保護下に置くかもしれんと、様子を見ているのかもな」

 龍宮は、書類を叩きつけるかのようにテーブルに置き、エヴァを睨みつける。
 エヴァは、それを飄々と流しながら、

「一度暴走した馬鹿どもを、じじいは厳罰を与えただけでまだ手元に置いているが、そいつらが馬鹿な考えの元に、また暴走する可能性は高い。お前と同室の桜咲刹那の所にも、いらんちょっかいが行ったんじゃないのか? 大方、近衛木乃香をダシにして……だ」

 と、龍宮に探りを入れるような目で聞いてみる。それに龍宮は、外見は一切変えずに、それでも苦々しげな口調で、

「あぁ、その通りだ。おかげで、こっちの言うことも聞かずに、葵先輩の事を調べまわっているよ。よくわかったな」
「ふん、お前が学園長室ではなく、ここに真っ直ぐ来て外から様子をうかがっていた時点で、馬鹿の中の大馬鹿が余計な事をしたんだろうと予測は着くさ。おまけにそんなに怒り狂ってるようだと、尚更な」

 エヴァは、静かに立ち上がると、グラスを一つ取って、龍宮にすすめながら、先を続ける。

「遅かれ早かれ、アイツは巻き込まれる。決して逃げられん。確かに、全ては偶然だった。偶然、『利用』され両親を失い、偶然不可解な記憶の失くし方をして、目を付けられ、そして昨晩、偶然私に出会い、己の在り方を示した。加えていうならば、アイツの中にある『異常』もある意味で偶然だ。偶然、そこにあった。私にも、あの『異常成長』はよく分からんがな」

 龍宮がグラスを受け取ったのを見て、エヴァは言う。

「私はな、龍宮。あの男が、こちらの世界に足を踏み入れたのは必然だったと思っている。あぁ、私の大嫌いな、『運命』という言葉に置き換えてもいいだろう。それほどまでにアイツを取り巻く環境は奇特なものだ」
「いずれやってくるのならば、向かっていけと言うのか?」

 どこか皮肉気に言う龍宮に対して、エヴァは真面目な顔で返す。

「それをアイツが選んだというだけだ。本来、アイツにはまだ多くの選択肢がある。例えば、逃げるという選択肢もその一つに入る」
「記憶を人質に、その選択肢を捨てさせた貴方が言うのか……っ?」

 再び、エヴァに対しての怒気を強めながら、龍宮はそれを問う。
 篠崎葵という人物にとって、『記憶』というものがかけがえのないものだという事を重々、龍宮は承知していた。だからこそ、そこを突いて、彼が打ちえた逃げの一手を封じたエヴァに対して、どうしようもない怒りを感じる。

「確かに、記憶を消さずとも打つ手はあるだろう。あるいは、騙すことになるが、葵に何も告げずに、魔法に関わったという記憶を、魔法教師共の目の前で消して見せれば、少しは治まるかもしれん。だが、それでどうなる? 葵を無駄に危険視している奴らは、どのような手段を取ろうと、いずれ間違いなくあいつに手を出そうとするぞ? 疑心暗鬼に駆られた奴らほど、面倒くさいものはない」

 エヴァは、テーブルの上に置かれた書類を手に取り、それを暖炉の中に放り込んで、言葉を続ける。

「あの男なら、気が付いているはずだ。記憶を死守するというあいつの判断が、くだらない感傷でしかないことに。生きるということを念頭に置くのならば、記憶を――大事な何かを捨てて、それでも平穏を求めるという手段があった。そして、それは決して恥などではない。それもまた一つの決断だからだ」

 一度、エヴァは言葉を切り、龍宮の目を見つめて続ける。

「だが、それでもあの男は、記憶を選んだ。犬にでも食わせてしまえばいい、ある種のプライドに拘り、記憶を持ち続ける事をだ。これが、ただ失うことが怖くて選んだ道であるならば嘲笑に値するが……。篠崎葵は、どこかで、それがくだらないものであると理解したうえで、その道を選んだ。それが出来る人間がどれだけいると思う?」
「……だから、学園で彼を危険視している連中を抑えているうちに、彼を戦いに導いて、力を付けさせると? 貴方にしては優しいじゃないか『闇の福音』?」

 エヴァは、普段から聞きなれているし、自らも名乗り慣れているであろう『闇の福音』という言葉に反応し、少し目を俯かせる。

「? どうした?」
「……いや、なんでもない。それこそ、先ほど話したような、ただの感傷だ」

 もう一度、龍宮の方を向くエヴァには、過去を振り返るような、懐かしさを思わせる感情が見え隠れしていた。

「『たまに、自分がこの名前を名乗っていいのか不安になる事がある』。そう、篠崎葵は言っていた」
「…………」

 エヴァの独り言に近い呟きに、龍宮はハッとしたような、そして何かを思い出したような顔になる。

「お前も、この言葉に思う所があるようだな? 『龍宮』真名」

 『龍宮』の部分を強調しながら、エヴァは、龍宮の目を覗きこむ。それに対して、龍宮は咄嗟に目を逸らしてしまう。
 それを見て、エヴァは普段あまり見せない静かな笑みを浮かべ、


「……ふむ、傭兵として生きてきたお前が、仮にも一般人『だった』篠崎葵と、なぜあんなにも馬が合っていたのか、ようやく理解できた」





―― 似た者同士だよ。お前たちは……。




*****************

 会談を終えて、葵が自室に戻った時には、時刻は10時を廻った所だった。
 自室のベッドに腰を掛けて、葵はエヴァから受け取った純白の鉄扇を『バッ』と開いて見せる。やはり、扱いなれないのか、開くのに少し手間取ってしまう。

「エヴァの奴、勝手に人を『役者』扱いしやがって……。てか、せめてもうちょっと分かりやすい武器を選んでくれればいいのに……」

 ふと、葵は、龍宮が日頃使っているエアガンを思い出した。加えて、今日の追いかけっこで堅い木の幹を吹き飛ばした狙撃銃なども、扱えれば強力な武器になるだろう。

(もっとも、『使いこなせれば』っていう大前提がつくんだけどさ?)

 ふと立ちあがって、部屋の中央まで移動し、それらしく鉄扇を持って、舞の真似ごとをして見せる。5分程舞って、少し満足げな表情を浮かべる葵だが、すぐに気がついた事がある。

「武器として渡されてんのに、踊ってどうするんだ……」

 すでに八方ふさがりとなりつつある思考に、頭を抱えながら、これからの一カ月の過ごし方を考える。

(基礎体力は必須だよな。とりあえずは、癪だが副部長の特訓は真面目に受けよう。ほんっっっっとうに癪だが……っ!!!)

 ここまで強調する所に、相性がいいのか悪いのかよく分からない佐々木と葵の複雑な人間関係が見てとれる。
 備え付けの冷蔵庫から、コーラを取りだして、グラスに注ごうとして、しばし迷った後に、それを牛乳と取り替えてから注いで、一口飲む。

「エヴァが直々に渡したってことは、それなりに強力なんだろうが……。アイツが作った武器なんだよな?」

 吸血鬼が造った一品にしては、似合わない様な気がする純白のソレを眺めながら、葵は再び思考に入る。

(普通に振ってもだめなのか? このままだとただの鉄扇、そりゃ殴れば痛いだろうが……。ありそうなことと言えば、魔法を纏わせるとか? いや、そもそも俺に魔法の才能が哀しい程ないって断言したのはアイツだ。つまり、俺に期待しているのは魔法じゃない)

 何か、見落としている事がある。そう感じた葵は、ここ最近の流れを思い出していた。何か、自分に出来る事を見落としているはずだと。
龍宮との最初の追いかけっこ、部活での特訓、朝倉和美からの逃走から第二回逃走劇、そしてエヴァとの相対、そして今日の龍宮との追いかけっこ――




―― 中国拳法なんていったいどこで習ったんだい?






―― 貴方は、確かに拳法の動きを『再現』してみせた。





「……あ」
 
 すっかり忘れていた、追いかけっこの中での龍宮とのやり取りが、葵の脳裏をよぎった。

「そうだ、そういえばアイツ、中国拳法って言ってたな」

ふと、パソコンの電源を入れて、ネットにつないで拳法について調べてみる。
自分の中でも、特に違和感があった『あの動き』に近い記述がないか、いろんなワードで検索をかけていく。

検索。違う。検索。違う。検索。違う。検索。違う。検索――

「あった!」

 葵が開いたページには、あの時葵が行った動きそのもの――『活歩』と呼ばれる拳法の歩法が記されてあった。そのページの上の方には、派手なカラーで装飾された『太極拳』の文字が見える。
 そのページを、何度も葵は読み返して、

「…………いや、本当になんで俺こんなの出来たのさ」

 思わず間の抜けた声を上げた葵は、カバンからノートを取りだして、パラパラとめくりだす。このノートは、葵が病院にいた頃から付けているノートで、自分について分からない事や、初めて聞いた事を書き綴っているものである。葵はそのページをめくって『参加部活一覧』の付箋を貼ってあるページを見る。

「中国武術研究会に太極拳愛好会、毛並みこそ違うけど八極拳やら心意六合拳の愛好会……関係ありそうな部活は多々あれど、そのどれにも以前の俺は参加してないよね?」

 首をひねりながら、葵はノートを閉じて、床に座り込んで、グラスに残っている牛乳を一気に煽る。

(明日、顔を出してみるか。記憶もそうだけど、今の俺には、力が必要だ)

 再び鉄扇を持って、手で弄びながら、ふと葵は思う。

(龍宮にも相談するって約束しているしなぁ。深く踏み込んで来ずに協力してくれればいいんだけど……。いざとなれば今日勝ちとった、なんでも一つ言うことを――って奴を使ってもいいし)

 そして葵は、思考をエヴァとの会話で得た情報に戻していく。

(呪いを解くためかぁ。たぶん全部本当の事言ってんだろうけど、なんか引っかかってんだよなぁ。主に学園側の動きがさ?)

 エヴァが言っていた、篠崎葵を警戒している一派がいるというのが事実だと、つい先ほど、葵は思い知らされていた。
 エヴァの家からの帰り道に、よくよく注意していると、誰かが自分の後をつけて来ている人間がいるのに気がついた。こっそり、携帯をいじる振りをして、カメラのズーム機能を使って覗き見たら、なにやら剣道部がよく持ち歩いている、竹刀袋をもっと長くしたものを担いでいる少女が、物陰に隠れていたのだ。明らかにこちらを注視して。

(あれ、龍宮と同じ制服だったよな? てことは女子中等部内の魔法生徒か? エヴァが押さえてくれるとは言ったが、全部が全部上手くいく訳じゃないだろうし……。本当に面倒になってきたな畜生)

 どれだけの人間が動いているのか、葵には想像もつかなかった。そもそも、魔法側の教師と生徒、合わせてどれだけいるかも分からなかったし、魔法使い側の常識が一般のそれとはかなり違うであろうことまで考えると、どう手を打っていいかが分からない。少なくとも、これからこちらに近づいてくる人間には警戒が必要だということくらいだろうか。

(とりあえず、例の子供先生の事もついでに調べてみるか。確か龍宮の担任だったよな? 龍宮みたいな人間がいるクラスに偶然、すごい魔法使いの息子さんが担任になるとは考えづらい。多分、似たような人間が何人か紛れ込んでいるはずだ。龍宮に協力してもらって、そこ経由で調べて行けば、こちらを危険視している人間も分かるか?)
 
 いくらなんでも、いきなり襲ってくるような人間が学園側にいない事を信じたいが、昨晩はエヴァに襲われているという事実もある。力を身につける方法と同時に、身を守る方法も考えなければならないことに、葵は深いため息をついた。
 
「とりあえずは、龍宮に明日の何時に会うか、メールで聞いておくか」

 携帯を開き、龍宮へのメールの文面を考えながら、とりあえず風呂に入る前に、筋トレしておこうと、小さい所から始めようとする葵だった。



****************



―― 馬鹿ナ!!

 その情報を知った時、少女――超鈴音は混乱の中に叩きこまれた。

―― 彼が『闇の福音』と戦うだと!? なんでそうなるネ!!?

 それは決してありえないことだった。本来辿るべき道筋に、まったく想定外のイレギュラーが現れるなど、ありえない。あってはいけない。さらに情報を解析していき、目にしたものは、更に超を混乱に陥れる。

―― この学生、まさか桜咲刹那カ!? 彼女も彼を警戒しているのカ? なぜ! どうしてこうなったネ!?

 未だ、暗闇の中身動きが取れない少女は、違う歴史へと歩みかけてるそれを、ただ指を咥えて見ているしかない。何もできない。
 どうしてこうなったか、思考を重ねるが、どう考えても原因は一つ―― 一人しかいない。


――篠崎 葵……カ……


 それは、本来ならば、名を知られることすらないはずの存在。にも関わらず、今の状況の中心にいて、なおかつ動きを見せている男の名前だった。
 
 そして、超鈴音にとっては、決して忘れてはならない名前でもあった。




―― ……これも、一つの罰なのかネ、篠崎サン。






 その暗闇の中で、超鈴音は慟哭する。自分がしてしまった事に。取り返しのつかない事態を引き起こしてしまったことに。







―― 貴方という存在を『殺した』私へノ………







≪コメント≫
 原作読み返したら、エヴァが過去暴露したのって、結構後だったんですねorz
皆さん、ご指摘ありがとうございます。これから少し、改訂してまいります。

 これからも、感想、ご指摘等ございましたら、ビシビシお願いいたします。
 それでわまた次回 ^^ノ



[33428] Phase.9
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/07/11 00:35
 葵から届いた『明日会いたいというメール』に、『明日の昼食時に、食事を取りながら話す』という内容で送り返しながら、龍宮は、葵からの相談内容について考えていた。

(大方、『闇の福音』と戦う力を身につけるための訓練についてだろうが……)

 ふと、いつもなら同室にいるはずのルームメイトの事を思って、龍宮は軽くため息をつく。

「確かに、『その』可能性がないとは言い切れないが……」

 エヴァとの話し合いが終わった後、龍宮は学園長室へと向かい、遠まわしに篠崎葵についての情報を聞いてみた所、あっさりするほど簡単に答えてくれた。過剰警戒している教師たちはともかくとして、学園長たちまでが、一応監視を付けていた理由。
それは、疑問に思う所はあれど、『彼が巻き込まれた場所』を考えれば、確かにないとも言えなかった。

「あの人が、関西に操られているかもしれない……か……」

 ある意味で麻帆良――関東魔法協会と険悪な関係となっている組織、関西呪術協会。ルームメイトである桜咲刹那という少女は、その関西呪術協会の長の一人娘―近衛木乃香の護衛として、この麻帆良に来ていた。もっとも龍宮から見て、おそらく護衛というのが建前で、それを命じた人間―― 恐らくは長だろうが。実際は近衛木乃香の友人として傍にいてほしかっただけだろうと推測していた。
 だが、刹那本人は、その任務をそのまま真剣に受け止めて、近衛木乃香の安全のために、龍宮と一緒に、麻帆良の警護を行うこともしばしばあった。

「学園長や高畑先生達、学園長派の人間も近衛木乃香には注意を払っている上に、葵先輩への検査も念入りにやって太鼓判は押してあるのだから、そこまで神経質になる必要はないだろうに」

 大方、学園長と対立している一派にそそのかされたのであろうルームメイトを、どうやって説得しようか考えながら、龍宮は、もう一つの難題―― 葵の強化特訓計画について、考えを深めていく。

「まったく、エヴァンジェリンも厄介事を押しつけてくれる。まぁ、依頼というなら引き受けるがね」

 部活や追いかけっこの時の葵の動き、癖を思い出しながら、頭の中で龍宮は、どういった形を目指すのが、葵に最もぴったり当てはまるのかを考え、

「ふむ……。彼女達に協力を頼んでみるか」

 そう呟くと、龍宮は、自分の机の上に置いてある写真立てに手を伸ばす。そこに収められているのは、芹沢、佐々木のコンビに加えて、自分と葵の4人で秋だというのに海に行ったときに、タイマーを使って、皆で撮った写真だった。机の前のコルクボードには、その他にも、合宿の時や、普段の部活で皆と撮った写真がピンで止められている。
 どの写真にも、大体は芹沢部長が笑っていて、佐々木副部長が葵を弄っていて、葵がそれ対して反論、あるいは反撃を試みている。そして、その中に、龍宮は違和感なく交じっていて、楽しそうに笑っている。

「これからどう動くかは分からないが……」

 写真立ての中で、佐々木に引っ張られて真ん中に―― 自分と芹沢の横に寄せられている葵を見て、龍宮は少し苦笑を浮かべる。


「出来る事ならば……いつか、また皆と一緒に……」






『Phase.9 出席番号12番及び20番』






「で、龍宮。俺に会わせたい人間がいるって話だけど?」

 龍宮との追いかけっこや、エヴァとの会談が終わった翌日の日曜日。龍宮と約束した正午前に、葵は食堂棟前に来ていた。すでに龍宮は到着しており、とりあえずどこかの店に入ろうかと葵が提案すると、どうやら他にも呼んでいる人間がいるらしいので、ここで待つことに。
 
―― 話の内容によっては、ある程度『魔法』関係の言葉を必要とするかも知れないため、あんまり他人を介したくはないのだが。

 そう言った葵の懸念が、顔に出ていたのだろう。龍宮は、彼の顔を覗くと、合点がいったという顔で、

「? ……あぁ、安心してくれ。正直な話、大体の所、葵先輩の要件は察しているよ。要は力を付けたい。そういうことだと思うんだけど?」
 
 なんという事のないといった様子で、あっさりと告げる龍宮に対して、葵は少し驚いて龍宮をみる。龍宮はいつも通りの笑みを浮かべて、

「やれやれ、確かに私は葵先輩とそれほど長い付き合いではないけど、決して浅い付き合いではないと思っているんだけどね?」
「……いや、すまん。察してくれてありがたい」
 
 葵としては、例えば龍宮が一緒に戦おうとか言ってくるのではないかということを心配していた。だが、今のやりとりで、龍宮は『力を付ける事』だけに焦点を当ててきた。もちろん、後々関与してくる可能性もあると、葵は考えたのだが、どうにも今の龍宮からはそういった気配を感じさせない。
いつもの、からかいながら葵と接している龍宮真名、そのものだった。

「ん? なら、そいつらもお前達側の人間なのか?」
「いや、そういう訳ではないんだが……。こう、どう説明したらいいのか……」

 しばらく、どう説明しようか迷ってような素振りを見せる龍宮だが、これだと思う言葉が出たらしく、満面の笑顔を浮かべる。

「ただの一般人だよ。麻帆良で上位に入る程度だが――」
「すみません、帰ってもいいですか?」

 咄嗟に踵を返して、龍宮の答えを聞かずに帰ろうとする葵の肩を、龍宮は、それはいい笑顔で『ガシッ』と、掴む。

「ハッハハ。先輩どうしたんだい、いつぞやの時のようにいきなり帰ろうとしたりして? あぁ、ちなみに二人とも可愛い女の子だよ。私が保障しよう」
「俺が保障してほしいのは、俺の体の安全だっ! 確かに訓練するつもりではあるが、凡人の中の凡人には、いきなりハードルが高すぎると思います!!!」

 万力のような力で締め付ける龍宮に対して葵がそう言い返すと、龍宮は、追いかけっこの際に見せたあの憐れむような顔で、葵を覗きこむようにして見る。

「先輩。やはり、貴方は一度麻帆良を出て外を見た方がいい」
「また言われた!? そんなに俺おかしいの!? 一般人じゃん!!? トンデモ人間と一緒にするんじゃねぇ!!」
「うん。先輩、鏡はあっちにあるよ?」

 先日、エヴァに言われた『麻帆良でもトップクラスの未知の存在』という言葉が葵の脳裏をよぎり、やはり、今すぐにでも帰りたい気分で一杯になった。

「まぁ、安心してくれ葵先輩。先ほどいった可愛いという言葉に加えて、間違いなく貴方にとって最高の訓練教官になる事は保障しよう。ちなみに、私も協力させてもらうつもりだ」

 笑顔でそう言い切る龍宮に、さすがに葵は何も言えず、了承の意を込めて、軽く頷く。

「フフ。そうか、信じてくれるか。なら大丈夫かな? ちょうどゲストも到着したようだ」

 そういうのと同時に、龍宮はちょうど葵の後ろ側に向けて手を振る。それに釣られて、葵も同じ方向を向く。
 そこには、龍宮と同じくらいの身長の、細い目を持つ女性と、それに比べるとかなり身長の低い、チャイナドレスを着た少女が、龍宮に向けて手を振っていた。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「なるほど、龍宮のクラスメートだったのか。あぁ、道理で……」
「道理で……なんだい、先輩?」
「すみません、私の失言でしたので、どうかその銃を下ろしてくれないでしょうか?」
「ハッハッハ! なるほどなるほど、真名や和美殿の話に時々出てくる『先輩』とは貴方の事でござるか。ふむ、確かに面白そうなお方ではあるな」
「真名が急にワタシの力を貸してくれなんて言うから何事かと思ったケド、様はアナタを鍛えればいいアルネ!?」

 龍宮が呼び寄せたという二人のクラスメート。身長が高く、糸目の変な口調の『長瀬楓』と、対象的に身長が低い、いかにも中華娘という雰囲気を出している『古菲(クーフェイ)』と合流した後、4人で食事でも取りながら話そうということになり、食堂棟の中華レストランに足を運んでいた。

「しかし、葵殿は見た所、普通の御仁でござる。確かにそこそこは鍛えているようではあるが、一か月という短い期間で、はたして戦える程に鍛えられるのか、少々不安でござるな」
 
 つい先ほど来た肉まんを頬張っている古菲の代わりに、長瀬が話を進めている。長瀬は、葵の腕や、胸の辺りを見ながら、不安を口にした。それに対して、龍宮は、何食わぬ顔で、

「少なくとも、才能に関しては安心してくれ。なにせ、三回彼と追いかけっこをして、一回は捕まえる事が出来たが、一回は逃げ切られ、一回は文字通り負けてしまった。どうだい、面白いだろう?」
「おいちょっと待て、確かに間違ってはいないが、最後のなんて特に偶然と運と訳のわからん事態のせいで――」

 龍宮の言葉に、思わず、『それは過大評価だ』と口を挟む葵だが、その言葉を聞いた長瀬は、少し乗り気になったようだった。

「ほう、真名程の者から……。なるほど、それは確かに――」
「――面白そうアル!! いざ尋常に勝負アル!!」
「すみませんがそこのバトルジャンキー共、俺の言葉にも耳を傾けてくれませんか?」

 ついでに古菲も乗り気になったようである。いつの間にか、肉まんを平らげていた古菲が、テーブルをバンッと叩き、葵の方へと身を乗り出している。
 訓練する前に勝負を挑まれ、内心どうしてこうなる? と頭を抱えている葵だが、さすがにこのままただ駄弁っている訳にはいかないと考え、葵は会話を切り出す。

「えっと、古菲さんと長瀬さんだっけ? 最初に言っておくけど、自分には、まだ戦うだけの力はないし、正直、龍宮が買ってくれている才能も、自分ではよく分からない」

 出来るだけ本音で、現状を伝える葵。勘ではあるが、目の前の少女達には、下手な説得よりも、こっちの方が伝わると葵は感じた。

「ただ、一ヶ月後の勝負にだけは、負けるわけにはいかないんだ。どうにか力を貸してもらえないかな?」

 葵の言葉に、古菲はどうやらやる気が出たようだが、長瀬はそれを片手で制し、葵に、

「ふむ、事情はわかったでござるよ。しかし、葵殿は高校生で、拙者達は中学生。年の下のものに教わるというのは、思っている以上に心にくるものがあるでござるよ? 何より、葵殿が拙者達を信頼できるか――」
「信頼できる」

 長瀬の言葉を遮るようにして、葵は断言する。それに長瀬は、その細い目に鋭さを混じらせる。

「ほう、随分とあっさり言う……。根拠を聞かせてもらってもいいでござるか?」

 虚言を弄せば承知はしないと、言外に匂わせながら、長瀬は葵を見る。僅かに殺気だったそれを感じながら、葵は。長瀬の問いに答える。

「ここに来る前に、これから会う二人が、自分にとって、最高の教官になるだろうって、龍宮が保障した」

 さすがに三日連続で殺気を当てられているせいか、それほど動揺はせずに答える葵に、長瀬は少し、殺気を緩める。ちなみに古菲と龍宮は、先ほどからずっと静観を続けている。……訂正、古菲は、どこか観察する様な目で葵を一挙一動に目を通し、龍宮は――

「そりゃ、初対面の人間を信じるなんて無理だけどさ。少なくとも、一番信頼してる人間から、最高の言葉と共に紹介されたんだ。なら、俺はそれを信じるさ……って冷たぁぁぁぁぁっ!!!? ちょ、お前何してんの!? 俺今変な事言ったっけ??!!」

 葵の服の襟を引っ張って、自分が飲み干したお冷の氷を、彼の背中に流し込んでいた。それに対して抗議の声を上げる葵だったが、龍宮は何食わぬ顔で平然と、

「いや、すまない。自分でもよく分からないんだが、こうしなければいけないと私の本能が」
「そんな本能投げ捨ててしまえっ??!!」

 少なくとも、今は真面目に会話をするべき空気だと思っていた葵にとって、龍宮の行動はかなり意外な伏兵であった。それはもう、そんな事をしてくれた馬鹿に、全力で仕返しをしたくなるほどに――

「いいか、龍宮。世の中には因果応報あるいは、目には目を、歯には歯を、氷には氷っていう絶対のルールがあんだよ。分かったか? 分かったな? よぅし、分かったら俺の手を掴んでいるのを離して大人しく制裁を受けやがれ!!?」
「先輩が、先にその手につかんでいる氷を離してくれたら、私も離そうかと思うんだが、どうだろう?」
「てっめぇ……っ! どうだろう? じゃねーよ、一人だけ攻撃してきて反撃は許さないとかどんだけ我儘さんだ!!?」

 必死に形相で、左手で龍宮の肩を、右手に氷を掴んだまま迫ろうとする葵を、龍宮は涼しい顔で、両方の手首を掴んで葵の動きを阻止している。互いに全力を出しているのか、互いの手がプルプルと震えている。

「ハハハ。まぁまぁ、先輩落ちついて。ほら、二人も呆れてるじゃないか」
「呆れさせたのはお前だぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」

 葵がちらっと二人の方を見ると、古菲は面白そうにこちらを見ており、長瀬にいたっては必死に笑いを堪えていた。

「いやはや、この様な真名を見るのは初めてでござるな」

 確かに面白そうでござる。とつぶやく長瀬は、葵に軽く頭を下げる。

「拙者、まだ葵殿の事をよくは知らないでござる。が、先ほど放った殺気に、身じろぎひとつせずに受け流した事から、それなりに修羅場をくぐっているという事は拙者にも分かるでござるよ。先の非礼、どうか許してほしいでござる」
「いや、その、過大評価されている気がするんですけど……。自分、厄介事に出くわしたのってそれこそ一回二回程度で……」
「いやいや、回数など問題ではなく、修羅場を切り抜け、その中で物にした事があるということが重要でござるよ」

 龍宮との掴み合いを継続しながら、長瀬の言葉に、葵は軽く否定いしょうとするが、長瀬は首を横に振って、それを聞き入れてくれなかった。どうやら、葵の思っている以上に、長瀬は、なぜかは分からないが、葵を評価したようだった。

「加えて、真名も葵殿を大変信頼している様子。葵殿も真名に対して心を許しているように感じるでござる……。級友と、その級友が信頼する御仁の頼みとあれば断るのは無礼でござるな。あい、わかった。この件、拙者引きうけるでござるよ」
「ワタシも引き受けるアル! アオイ先輩、身のこなしも悪くないから鍛え甲斐がありそうアル!」

 古菲もまた、葵を教えるに足ると判断したのか、葵の特訓教官になることを快諾してくれた。
 その後は、普通の雑談も交えながら、これからの特訓計画について、細部を詰めて行った。時間が取れない3学期中は、全力で基礎体力、及び基本的な体の動かし方を伸ばすことに集中し、春休みに入った時に、山に籠って、集中的に実践的な訓練を行う。という形に落ち着いた。

「とりあえず、来週の期末試験が終わるまでは、出来るだけ自力でやるしかないか」
「そうでござるな。拙者達も、担任のネギ坊主に補習などで世話になっているでござるからなぁ」
「このままだと、またワタシ達のせいで、最下位アルヨ」

 こいつら、そんなに成績やばいのか? と、話を聞きながら内心疑問に思う葵。ソッと龍宮を覗き見るが、いつものようにニコニコしている。が、ほんの少し、引きつっているような気がしなくもない。

(あぁ、こりゃどうやらマジみたいだな……。まぁ、勉強する気はあるみたいだし、子供先生も補習をキッチリやってくれるみたいだし大丈夫かな? 最初の基礎訓練は、龍宮が見てくれるって言っているし……)

 正直、自分の記憶が賭かっているとはいえ、後々の事を考えると、葵も試験に手を抜くわけにはいかなかった。
 期末試験が終わってから、春休み終了まででおよそ半月、その後、いつエヴァが動きだすかは分からないが、そこまで遅くはならないだろう。つまり、普通に時間がない。
 龍宮から、自分がどういう動きが得意か、どのようにして逃げられたか、あるいは負けたのかを聞き出している二人、時たま補足のための口出しをしながら葵は、賽が投げられた事を実感し、覚悟を決める。


(とりあえずは……)



 右手に、こっそり氷を握って、葵は『彼女』の隙を窺う。



(受けた借りは返させてもらおうか。龍宮ぁ……!!)





 葵が、隙を見て、龍宮の背中を氷を流し込もうとするまで、あと3分。






 葵が、龍宮に、グーで顎をぶん殴られるまでの時間も、あと3分。








≪コメント≫
これから出かけるために、感想返しと前話の修正は帰ってから行います。


皆さんから、かなりのご指摘、、ご感想が来ていて、正直かなり舞いあがっていますrikkaですw
ようやく話を、原作ともリンクさせられるようになってきました。今回出てきた二人に加えて、早く刹那やネギ先生も動かしたい。けど、もうちょい先になりそうだorz

これからも、『タツミーをヒロインに~』をよろしくお願いいたします!!!



[33428] Phase.10
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/08/26 11:19
 古菲や長瀬といった麻帆良でも有数の武道派の人間に、葵が協力を得てから一週間。
 その間訓練については部活動が試験休みのために、龍宮がバイトしている『龍宮神社』にて泊まり込みながら、龍宮の指導・監視の下彼は基礎トレに励んでいる。

 授業が終わり放課後になる度に、高校の玄関先まで龍宮が迎えに来ているので葵と龍宮の仲が噂になり、朝倉が細目に情報収集に来たりしたのだがそれはさておき……。
 試験中だったこともあり、彼が龍宮と神社に向かって最初にすることは訓練ではなく試験勉強だった。
 自身の試験勉強もしながら、時折龍宮の分からない所を教えたり一緒に考えたりしながら、夕方まで過ごし、そこから軽くランニングして汗を流す。

 その後龍宮神社の人達と一緒に食事を取り、そこからが本格的な修行の時間となる。
 その内容は、着替えた龍宮と共に真っ暗な森の中を走り廻る。ただそれだけである。
 それだけのことなのだが、実際やってみると内容はかなりきついものだった。視界は最悪で足元も見えないため、油断するとすぐにこけそうになる。どれだけ泥だらけになっても足を止めることを許されず、気を抜いたと龍宮が判断した瞬間容赦ない銃弾が飛んでくる。こけてから起き上がるのに手間取っても一発。

 龍宮は、戦闘中に可能な限り態勢を崩さないようにするのと、同時に自分がどのような態勢だとバランスを崩しやすいかという不利な点を理解し身体に覚え込ませるのが目的だと彼に説明していた。
 とにかく、常に態勢を変えながら激しい動きを行うことになる戦闘ではこれが出来ていないと、すぐに追いつめられるし、スタミナも持たない。
 その改善のため、葵はひたすらに走り続けていた。





『Phase.10 相棒』






「よし、今日はここまでにしよう。明日は試験もある事だし」

 いつもよりも少し早い時間帯で、龍宮が切り上げを宣言する。
 龍宮は足元にしか泥が付いていないが、葵は全身泥だらけである。葵は息こそ切らしているものの、やはりいつもより早く切りあがったためか、今までに比べて息はハッキリしている。
 ちなみに時刻は11時少し過ぎた頃。今までは、それこそ深夜を超えてでも走り回っていた。

「ふぅ……。そうか、明日は試験か。これで居眠りなんかして赤点取ったら死んでも死にきれん」
「大げさだな先輩は。そもそも先輩は勉強できるじゃないか」

 手ごろな大きさの岩に寄りかかる葵の横で、彼にタオルを渡しながら、龍宮は軽く笑って見せる。

「いやいや、社会とか古文とかが大の苦手でして……。考えるのは好きなんだけど覚えるのが苦手なんだよ」

 龍宮からタオルを受け取り、体中の汗を拭いながらうんざりしたような口調で葵は言う。
 彼からしてみたら、勉強が出来ることと勉強が好きであることはイコールで結ばれるものではなかった。
 駄々をこねる子供のように僅かに口を尖らせて見せる葵に、龍宮は思わず苦笑を浮かべてしまう。
 だが、ふと真顔に戻って

「先輩、貴方は自分の体についてどう思う?」

 と尋ねる。葵はそれに怪訝な顔で返す。

「……と、いうと?」
「今私達がやってることは基礎の中の基礎だ。一見簡単なことだけれど、そう簡単に身に付くものではない。正直、私としては『闇の福音』と戦うまでに全力で戦闘して7、8分持てば上々という程に鍛える。そういう考えをしていた」

 言外に、勝つ見込みなどほとんどないと告げる龍宮。だが、

「だけど……先週の追いかけっこの時も思ったが、先輩は時折妙な成長を見せる」
「……活歩……だっけか」

 インターネットで調べた情報を思い出し、その名前をふと呟く彼に、龍宮は頷いて見せる。

「調べたんだね?」
「お前が、あの時に俺が中国拳法を再現して見せたって言ってたからな。それから調べてみたけど……」
「特に何か思い出すことはなかった……と」

 龍宮は、やはり彼には何かがあると考えていた。確かに彼は少々『特殊』な事情があるが、それは彼自身の異能を示すものではない。
 寧ろ、彼はどれだけ調べても普通の人間だった。どれだけ探った所で、拳法の事もそうであるし、追いかけっこの時に見せたトラップに関する才能も、以前の彼では間違いなくあり得ないことだ。

「なるほど、確かにこれだけ抜き出すと危険人物だ……」

「? いきなりお前は何を言ってるんだ?」
「いや、なんでもないさ」

 ふと脳裏に、この一週間冷静さをかなぐり捨てて彼をつけまわしているルームメイトの事を思い浮かべて苦笑する龍宮。

「すまない。話を戻すよ。私が気にしているのは先輩のその異常な体質だ」

 一度浮かべた苦笑を引っ込めて、再び会話を切り出す。

「こう……私もどう言えば分からないだが……。先輩のそれは成長なんて呼べるものではないんだ。今だって、ダメージなどの要素を抜きにすれば、恐らく全力の戦闘に10分は耐えられるだろう。こんな急激な変化に、成長なんて言葉は不適切だ。強いて言うなら――」


 彼女は、一度言葉を切り、頭の中で最適な単語を見つけ出す。


「葵先輩。貴方の体は、まるでその状況に『最適化』しているようだ」
「……まるでコンピューターだな」

 龍宮の言葉から、自分の体がとんでもなく異常なのだということを察したのだろうか、葵は真面目な顔になる。
 それを見て、龍宮は自分の考えを吐きだす。

「元々、先輩の成長は早かった。以前にも言ったと思うけど、部活での先輩の成長は芹沢部長に佐々木副部長も多いに認めていた。私も、大した成長速度だとは思っていたけど、それはまだ常識の範囲内だった」

 内心で「常識ギリギリだけどね」と付け足す龍宮。

「先輩、貴方はトラップに関する知識はあるかい? 所謂サバイバルゲーム等への参加。あるいは所属などは……」
「ないな」
「では中国拳法も?」
「あぁ。自分でも一通り調べて、古さん経由でそれに近い部活や愛好会を外部も合わせて廻ってみたけど、俺に見覚えのある人間はいなかった」

 ため息をついて葵は岩に体を完全に預け、夜空を仰ぎみる。龍宮は、その目に未知への恐怖を読み取った。

「そうだな、いや。エヴァに言われた時から気が付いていたんだけどね」
「? 彼女は貴方になんて?」

 龍宮の疑問に、彼は一度目を閉じて、

「自分が『未知の存在』であることを自覚しろ。そう言われた」

 その言葉に、彼女は何も言えなかった。なぜなら、それは紛れもない事実だからだ。
 こうして実際に彼と会い、話し、自身の持つ魔眼で彼の事を確かめたからある程度の信用を置いて、同時にその人柄を信頼している龍宮だが、逆に言えば魔眼でも正体の掴めない何かを彼が有している事は変わりないのだ。
 郊外の山での追いかけっこの際に見た女の影を思い出し、龍宮は葵の顔を魔眼で覗いてみる。
 やはり、何も見えない。疲れた彼の顔があるだけだ。
 覗きこんだ彼女に、葵は軽く笑いながら、話しかける。

「怖いな、龍宮。俺は自分の事が何にも分からない」
「…………」

 ポツリポツリと、葵は言葉を零す

「病院で目が覚めた時、俺は名前を呼ばれているのが自分だと分からなかった。医者に教えられても実感がなかった。納得するのに丸一日掛かった」

 龍宮は、静かに彼の言葉に耳を傾ける。思い返せば、彼が、病院で目が覚めてからの事を話すのはこれが初めてだった。これまで、彼は記憶喪失という事実を話のネタにすることはあっても、こうして真面目に吐露するのは、今までに一度もなかった。

「どうにか納得して、次の日には両親が死んでる事が伝えられた。やっぱり何も思い出せなくて、写真を見せてもらったけど……。俺にはただの男と女にしか見えなかった。そこからはあんまり覚えていない。気が付いたら検査を受けていて、ベッドに寝て飯食って……んでそれを繰り返してたら、いつの間にか麻帆良に来ていた」
「……後は私の知る通りかい?」

 ただ聞いているだけに耐えられず、口を挟んでしまった龍宮に、葵は苦笑いで応える。

「そう、お前の知っての通り。色々、前の自分と俺のギャップに嫌気が指して夜の散歩に出かけてたら、火サスもびっくりな事態に巻き込まれて」
「その二日後には、その容疑者候補の女と部活で出会った訳か」

 クックック。と笑う彼女に釣られてか、葵の顔にも少し笑顔が戻る。

「龍宮。俺はどんな形でも、記憶を奪われるのがやっぱり怖いよ」
「……彼女に勝てると思っているのかい?」
「……例えどれだけ戦力に差が合っても勝率は0にならない。……ごめん、訂正する。100%敗北するわけじゃない。そこに賭ける」
「それでも100に近いと思うけど?」
「エヴァに……『闇の福音』に名前を名乗った時に、足掻き続けるって言ってしまったしねぇ」

 苦笑しながら頭を掻き毟る葵の顔には、先ほどまであった悲壮感は、すでに見られなくなった。

「エヴァは、いわゆる理解不能の悪人ではないと思っている。正直、記憶を消されたとしても悪い方向には動かないだろうって。や、消されるのは全力でごめんなんだけどさ?」
「……随分と彼女を信じているんだね?」
「というよりも……。勘なんだけどね、今回の一件――俺に関する事で、恐らく彼女にもデカイ利があるんだと思う。なんとなくだけど、彼女と話していてそう感じた」

 本当に確証が持てないのだろう。少し自信無さげにそう答える葵に、龍宮は問いかける。

「例え負けても、自分に悪いようにはならないと思っていたのかい? 彼女が、自分を襲おうとしたエヴァンジェリンが信じられると?」
「うん……甘いね。甘い考えだよね?」

 葵は、岩から体を離して、軽く伸びをする。

「ごめん。本当は信じてなんかいないかもしれない。きっとそうだと、悪いことにはならないと――どうにかなるって考えていないと、俺はきっと戦えない。正直、どうして初めて会った時も、会談の時も、あんなにペラペラと立ちまわれたのか、未だによく分からない」

 情けない、と自嘲しながらも、彼の顔に卑屈なものは感じられない。

「なぁ、龍宮。これからよろしく頼む。多分、今のままだと、それこそ確実に負ける。自分自身に逃げ道を用意している今のままなら、勝てるチャンスが合ったとしても、怖気づいて恐らく手が出せない。手が伸ばせない。だから――」

 だから……後に、どういった言葉を続けようとしたのか、龍宮は彼が求めている物がなんなのか、おぼろげに推察する。
 勇気が欲しいのだ。ほんの僅かだが、前に一歩踏み出す勇気を、ある種の自信といっていい物を、自分には足りていないと彼は思っている。そして、その勇気を、彼一人では捻りだせないものだと、彼は考えているのだろうと。

(欠片も勇気がないような人間が、エヴァンジェリンを相手に真正面から戦おうなどと言えるはずないのに……)

 確かに、まやかしとも取れる逃げ道を用意して、彼は事態に臨んでいる。だが、今まで一般人だった彼からすれば、それは困難に立ち向かうために、どうしても必要なものだったのかもしれない。そう龍宮は思った。
だが今、彼は、自分にそのまやかしを、逃げ道を――甘えを殺してくれと頼んでいる。それは、彼が一般人であることを捨てる覚悟をしたと取れる。それを頼まれた龍宮には、葵が全力で自分を信じ、背中を預けてくれたように感じられた。

(相変わらず、妙な所でこだわる人だ)

 内心で呟く龍宮だが、その顔には、いつもより柔らかい笑みが浮かんでいた。

「先輩、少し痛いよ?」

 龍宮の言葉に、歯を食いしばって頷く葵。それを見て、自分の推測が間違っていなかった事を確信した龍宮は、強めに力を込めて、葵の頬を殴り飛ばす。龍宮の拳に、鈍い痛みがじわりと広がる。

「……っ……と……!」

 それなりに力を入れたせいか、軽くふらつく葵。

「フフ。目は覚めたかい、先輩? この程度の痛み、これから先は可愛いものだよ?」
 龍宮が、茶化したように言うと、葵もまた、殴られた頬をさすりながら、

「いったたた……。まさか、撃たれるより殴られた方が痛いとはね」

 と、笑って返す。

「おや、弾もお望みかい?」
「勘弁してくれ、龍宮。これに加えて、弾まで喜んで受け止められるほどマゾじゃない」

 笑いながら、龍宮は、もう一度葵の顔を覗きこむ。殴った頬が、少し腫れているのが見える。

「先輩、先に言っておこう。一人で、自分の逃げ道を断ち続けるのは、絶対に不可能な事だ」
「…………」
「負けたら記憶を失う。負けたら死ぬ。そんな状況でも、場合によっては、記憶を失うことに、死ぬ事に道を見出すことだってある。人は、いつだって弱い」
「だけど、弱いままでは勝てない」

 葵も、自分の現状に思う所があるのか、真面目に答える。それに龍宮は首を横に振り、

「一人では強くなれない。なら、誰かが後ろから支えればいい」

 彼女は、自分が常に首から下げている、勾玉の形をしたロケットを、手の中で握り締めながら、自分の答えを告げる。

「先輩、半年にもならない付き合いとはいえ、貴方は私にとって、既にかけがえのない友人だ。そして今、普通である事を捨てたのならば、私と貴方は戦友になった。なら、私は行動によって貴方の戦友である事を示そう」

 葵がエヴァに足掻き続ける事を宣誓したように、龍宮は戦友を支える事を宣誓する。

「忘れないでくれ、先輩。今から貴方が立ち向かう事は、一人ではなく、私達で立ち向かう事だ。貴方がふらついたなら、横から支えよう。前に進めなくなったのなら、手を引いて共に歩こう。泣きたいときには、後ろから抱きしめよう。貴方を守るなんて、大それた事は言えないが、背中くらいは守って見せる。そうだろう、先ぱ――いや、戦友?」

 龍宮は、彼を戦友と呼んで締めくくった。自分でもらしくないと思ったのか、少し照れくさそうである。

「……うん。その、なんだ……」

 葵も、龍宮がそこまで言ってくれるとは思っていなかったのか、手持ちぶたさとなった手で頭を軽く掻いて

「よろしく頼むよ。相棒」

 そっと右手を差し出す。龍宮は、それを握って、もう一度微笑む。

(あるいは、彼ならば『負けない』かもしれない……)

 明日から始まるであろう訓練に、龍宮はほんの少しだけ心を浮き立たせる。中国拳法を再現して見せた彼が、それの使い手と忍者に訓練を付けてもらえば一体どのように化けるのか。楽しみで仕方がなかった。




(問題は……)

 龍宮は、そっと視線を彼の後ろの方にやる。そこには、隠れているつもりなのだろうが結構バレバレなルームメイトの姿があった。それはいい。彼女が見張りにつく事は正直、彼女の想定の範囲内だった。問題はそのルームメイト――桜咲刹那から更に離れた所にいる、自分達三人を観察している人間である。龍宮が見た限りでは、それに桜咲が気が付いている様子はない。

(学園側……反理事長派の魔法使いか……。『闇の福音』の予測通り、見張りに来たか)

 彼女は、こっそり魔眼を使用して相手側の顔を確認する。その顔は、確か傭兵である自分にいい顔をせず、自分を戦力として使うことに反対していた教師だ。

(傭兵の自分。神鳴流剣士の刹那。そして不確定要素の葵先輩……まとめて監視に来たか)

 どうにも厄介な事になって来たと、龍宮は、目の前で帰り支度を始めている葵に気付かれないように溜息をつく。

(刹那も、近衛木乃香が絡むと冷静になれない所があるからな……。いや、今回はそれだけじゃなくてそうせざるを得ない様な情報を掴まされたんだろうけど)

 龍宮からみて今の桜咲刹那は、人や場合によっては一般人でも気が付くのではないかという位、微妙に隠れきれていなかった。見えているとかいう問題ではなく、気勢・雰囲気といったものに焦りが感じられるのだ。
 桜咲から感じる視線を意図的に無視して龍宮は葵に帰りを促し、自分も荷物をまとめながら更に思考を続ける。

(学園長から、葵先輩と私の外泊許可をもらえてよかった。寮に残っていたら、尚更厄介な事になっていたかもしれん)

 最も、そのために近頃彼女は、朝倉や部活の人間から色々と根掘り葉掘り聞かれるのだが、

「さて……先輩、そろそろ戻ろうか」
「あいよ」

 とりあえず、今は考えても仕方ないか。と、龍宮は思考を明日の試験と――それからの事に移す。

「先輩、明日からは今日の5倍はきついよ。頑張ってくれるかい?」
「何を今さら。お前が必要な事だと考えてるなら、信じるさ」
「そうかい?」
「そうだよ」

 結局、いつものやり取りに戻り、二人は帰路に入る。帰ったら、龍宮神社で風呂に入って、最後に軽く明日の勉強をして、その後眠る。




―― 4月まで、あと3週間。






≪コメント≫
感想の返信はおろか、この場を借りて皆さんに感謝の言葉を述べることすら忘れていました。
皆さん、大変申し訳ございません。

さて、次回からは、長瀬と古の二人も加えた訓練です。……今回の訓練の理由づけとか超適当にそれらしく語っただけですので、真似しないようにw

書いてて思ったのですが、ネギまキャラって、一部を覗いて書くのがとても難しいですね。
古とか長瀬とか、当初から予定していた登場キャラなのに、いざ書くとなると口調が……orz

いつも読んでくださる皆さん、感想、ご指摘を書き込んでくださる皆さんに多大な感謝をささげたいと思います。

皆様、いつも本当にありがとうございます! これからも『タツミーをヒロインに~』をよろしくお願いします!



[33428] Phase.11
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/09/13 00:52


 学年末試験から、三日経った。
 すでに試験の結果は返されており、葵も龍宮もそれぞれが思う「まぁまぁ」の成績を取る事ができた。
 葵は後から知ったのだが、その間に古菲と長瀬楓が行方不明になっていたという事があったりもしたのだが……。
 とにかく、龍宮が計画した通りに篠崎葵を強化するための特訓メンバーがここに完全に揃った。







『Phase.11 修行開始』





 今葵達4人がいるのは龍宮神社の敷地内。祭りの時などは人で賑わう場所も、平時では人は少ない。
 その中で葵は今、中国拳法の使い手、古菲から拳法の基礎トレーニングのやり方を教わっていた。


「フムフム。本当にアオイ先輩は覚えるのが早いアル。真名との特訓で、更に動きが良くなってるヨ」

「実感はあまりないんだけどね。でも、ありがとう、古さん」


 葵が古に教わっているのは武道の型の一つである。
 正確には、古菲が教える型を葵が真似て何度か動かして見せ、それを観察している龍宮や長瀬が思いついた事、感じた事を古菲と話し合い、本来の型をアレンジしていた。
 古菲自身様々な中国拳法に手を出しているためか、型にこだわるという物は見せなかった。
 むしろ、葵の体の動かし方を見て、下手に中国拳法の形にピッタリ当てはめるよりも拳法の動きも含めた上でそこに様々な経験を積み重ねて、本人がよりよいと感じた動きや技術を取捨選択する方がいいと考えていた。
 それは龍宮が考えていた事に近く、今行っている特訓は古菲が教える中国拳法による歩法や踏み込み。
 長瀬が主に教えるのは、近距離での武器――鉄扇の扱い方。
 龍宮は主に訓練の分析を主としているが、自分が訓練に加わる時は長瀬と共に武器の扱いや投擲術の訓練、気配を消したり、逆に察したりする隠遁術。
 そして、凡人が『戦闘者』へと至るために必要不可欠な『気』を使いこなす訓練を行っていた。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





「いやはや、真名から話には聞いていたが……。葵殿は面白い成長の仕方をするでござるなぁ」

 長瀬は、目の前で古菲と共に体を動かしている葵を見て面白そうに呟く。
 それに龍宮は軽く頷いて見せるが、そこにあるのはいつもの笑みではなく、葵の一挙一動を見逃さないようにと観察する者の顔だった。
 文字通り、全てを見逃さないために『魔眼』も既に使用している。


「しかし、葵先輩は面白いというか……トリッキーな成長の仕方をするね。中国拳法を使った事があったから相性がいいかと思って、技をいくつかやらせてみたが、ほとんどがお粗末だ」

「ふむ、確かに。しかし歩法に関しては大した物でござるよ。何度か古と模擬戦をやった時に、一本入れる事こそ敵わなんだが、間合いにおける駆け引きに関しては驚くほど優れていたでござるよ」


 関心したような声でそう言う長瀬の言葉に、龍宮は三度に渡る彼との追いかけっこの時の事を、そしてエヴァが話していた彼が彼女を前にして取った行動を思い出していた。
 そのどちらでも確かに彼は純粋な脚力、そして瞬発力において優れている所を見せたが――


「確かに、あの人は脚に関してはかなりのものだからね。部活動でもそれは見せていた。でも……」

「? 何か引っかかる事でもあるでござるか?」


 奥歯に物が挟まったかの様な龍宮に、長瀬は視線を葵と古菲から外さずに、龍宮に問いかける。


「なんというか……らしくないとでもいうのかな。今までに見てきたあの人の動きと、何か重ならないんだよ」

「それこそ、葵殿と行った訓練の成果が出ているということでは?」


 怪訝そうな声になる長瀬に、龍宮は思った事をそのまま口に出す。


「楓、今の葵先輩の動きは確かに綺麗になってきている。訓練の成果が出ているから動きが変わったというのも間違いじゃないだろう。だけど、通してみるとやはり違和感がある。先ほどお前が褒めた古との模擬戦も……。そう、先輩らしくないと感じたんだ」


 龍宮は、今の葵の動きに違和感を覚えるのと同時に、かつて何度か彼と行動を共にした時や逃走劇の時の葵から感じた、背筋が冷やすような感覚を感じなくなっていることに気が付いた。
 ところどころの動きは確かに怖い。例の最適化もそうだが、覚えたばかりの動きを平然と使ってくる辺りに、あの山の中での追走劇で『活歩』を使われた時の感覚が蘇る。
 だがそれは所詮一度きりの事だ。一度受けてしまえば、後はどうとでも対応できる。
 山の時も、彼の得体のしれない所に恐怖心こそ抱いたものの、いつもの彼のようではなかった。
 今の彼と、それまでの彼のどこに差があるのか。龍宮は彼の動きを注視しながら、それをずっと考えている。


「なるほど。それは確かに以前から葵殿を知っている真名でなければ分からない事でござるな。しかし、お主がそこまで言うとなればその違和感、真剣に考えねばならんでござるよ」

「すまない、楓。とりあえず今の型の流しが終わったら、休憩も兼ねて4人で話し合おう」


 このままでは、どうにも行き詰った感がある。
 そう考えた龍宮は、一度頭と目を休めて、考え直す時間が必要だと判断した。
 その龍宮を、長瀬は面白いものを見たという顔で覗きこむ。


「……なんだ。私は同性に興味はないぞ」

「いやいや、真名がそのような真剣な顔をしているのが珍しくてつい……。許してほしいでござるよ」


 そう言いながらも、長瀬は随分と楽しそうに龍宮を見ている。
 それがどうにも、龍宮を少しイラつかせる。


「日頃、私はそんなに不真面目な女に見えるか?」

「真名はいつも真面目でござるよ。だが、常に皆との間に一線を引いているでござろう?」

「…………」


 龍宮は否定しなかった。出来なかった。なぜならば、それはまぎれもなく事実だからだ。級友にルームメイト、芹沢や佐々木といった部活の面々にも、どこかで線を引く所があった。
 それは龍宮の傭兵としての生き方であり、そしてなにより――


(私の中に流れる『血』がそうさせる……のか……?)


 自分の出生についての事が頭をよぎり、思わず龍宮は首を振る。
 それと同時に、篠崎葵という存在について考えてしまう。
 確かに、彼に対してある種の親近感に近い友情を感じてはいるが、ひょっとしたら自分は彼にも一線を引いているのではないかと思考が交錯する。
 その間に、長瀬は更に言葉を続ける。


「その真名が、あの御仁には長年連れ添った友人のように、真剣に接しておる。それがどうにも、拙者の目には新鮮に映るでござるよ。まるで真名に相棒が出来たようでな……」


 長瀬がポロリと口にした『相棒』という言葉に、龍宮はつい先日葵に言った言葉を思い出していた。
 あの時の事を思い出すと、三日経った今でも一つの感情が胸の中をはいずりまわるのだ。
 それはとても大きな感情で、これまで彼女が感じた事のないものである。すなわち――


















―― いっその事、誰か、あの時の私を殺してくれ……








 人、それを羞恥心と言う。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「何してんだアイツら?」


 一通り型の調整を終えた葵と古は、敷いてあったシートに座って身体を休めていた。
 本来ならばこの後、4人揃って軽く話し合いをするハズだったのだが……。
 訓練を見ているハズの龍宮は、なぜか今までに見た事がない勢いで落ち込んでおり、それを長瀬は笑いながら見ている。


「よく分からないけど大丈夫アル……多分」

「二人を、信頼してるんだか信頼してないんだかよく分からん言葉だな」


 葵はため息をつきながら残り少ないペットボトルの中身を飲み干して、先ほどまでの自分の動きを頭の中で確かめる。


「やっぱり、拳法のように自分の拳で相手に攻撃するっていうのがどうも苦手だな」


 訓練を始めたばかりの時は普通の中国拳法の型を行ってみたのだが、一部を除いてそのほとんどがどうにも葵には合わなかった。
 唯一しっくりきた……というより、古や長瀬、龍宮に褒められたのはいわゆる歩法等といった、足の使い方だった。
 そのため今では八極拳の踏み込み、太極拳の歩法等を主体として、足腰を鍛える事を最優先としている。


「センパイは武器を使った方が似合ってるアルヨ。鉄扇の使い方もたった二日でかなり上達してるアル」

「問題は、その鉄扇の間合いがまた微妙に狭いってことなんだけどね……」

「それこそ、センパイの足の出番アル! センパイの踏み込みは大したモノアルヨ!!」


 古菲は、葵という男の鍛える事に対して見せる姿勢を大いに気に入っていた。
 試験が終わってから葵と会った時、すでに彼の体は全身痣だらけで青くなっていた。
 試験期間の途中から、古菲は訳合って図書館島の地下に籠りっきりになっていたのだが、それでもたった数日である。
 その数日で、これほどボロボロになるまで自分を苛め抜くなど普通の人間には出来ない事だ。
 それを、龍宮が訓練の監視についていたとはいえ何食わぬ顔でこなしている男だ。
 ミーハーな部分があるとはいえ武術を極め、強者足らんとしている古菲にとっては、篠崎葵と言う存在は実に面白く、そして好感を覚える人間だった。


「その鉄扇、どうしても使わなきゃいけないアルカ? センパイなら、他にも向いている物があると思うアル。真名や楓が教えた投げる技とか……」


 だからこそ、更に強くなれる可能性があるのに、頑なに自らの武器に鉄扇を選び続けている事が気になっていた。


「あぁ、いや……。色々考えたんだけどね。多分、これが一番自分に似合っているんだろうなぁって思ってさ」


 古菲は葵から、どうして、誰と戦う事になっているのか聞いたことはなかった。
 聞いてもはぐらかされるからだ。
 ただ、その話をした時はいつも、肌身離さず持っている鉄扇を手で弄んでいる事に彼女は気が付いていた。
 今も、遠くを見つめる目で葵は鉄扇を弄んでいる。


「それに、一応これが戦いの約束だからかな? この鉄扇を受け取る事で足掻く事を誓ったんだから、その場でコイツを振るわないのは失礼かなぁ……なんて思ったんだけど」


 少し照れくさそうに笑いながら純白の鉄扇を開いて見せる葵だが、その顔に少し恐怖が浮かんでいるのを古は見逃さなかった。
 見逃さなかったが、古はそれに気が付かないふりをした。
 例えどれだけ恐怖していようが、怯えていようが――それでも戦うと決めている人間にそれを指摘するのは、無礼だと感じたからだ。


「なら、ソレを使って、出来る事をするしかないアルナ?」


 古菲が笑顔でそう言うと、葵も釣られて軽く笑う。
 ちょうど向こうの二人も何やらよくは分からないが一区切りついたらしく、こちらに歩いてくるのが古菲の目に入っていた。






 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「なるほど……今のやり方は俺らしくない、か」

 その後、なぜか葵の方から目を逸らす龍宮の態度に難儀しながらもなんとか4人での話し合いまで持っていく事が出来た。
 そこで龍宮の口から出たのは、根本的な戦い方を見直した方がいいのではないかと言うことだった。


「でも、センパイの動き自体は、このままでイイと思うアルヨ?」

「いや、動きのことではなく戦い方の方針であって――」

「? どう違うかよく分からないアル」

「えぇと、つまりだな」


 龍宮は、自分の言いたい事を一生懸命古菲に説明している。
 一方で葵は、自分のスタンスに何か違いはあったのだろうかとここ最近の訓練を思い返してみる。
 しかし、思い浮かぶものがあまりない。


「なぁ、龍宮。俺のやり方に違和感があるって思ったのはいつ頃だ?」


 とにかく、情報が足りない。
 しかも、葵が自分で自覚出来ていない自身のこととなれば、彼を傍から見ている龍宮達に頼るしかなかった。


「そうだね……。山の時の……それこそ、先輩が私と対峙した時かな?」

「あぁ、そりゃ確かに俺らしくなかったけど……」


 葵からしても、確かにあの時の自分は自分らしくなかったと思う。
 しかし、そこから自分は何か変わっただろうか? あるいは、その時に既に変わってしまって、そのまま気付かずにここまで来てしまったのだろうか?


「ふむ……。少しいいでござるか?」


 葵が思考を進めていると、そこで長瀬が、軽く手を上げながら言葉を発した。


「楓、何か思いついたのかい?」


 龍宮が尋ねると、長瀬は少し首をひねりながら、


「いや、というよりも一つ気にかかった事があったでござるが……。葵殿は、何度か真名と追いかけっこをしていたと聞いているでござる」

「うん。といってもたった3回だけどね?」

「いやいや、少なくとも3回真名とある意味において戦っているという事が大事でござるよ。それで、真名」

「うん?」

「葵殿と行ったのは追いかけっこでござるな? 普段、葵殿はどのようにして逃げているでござるか?」


 長瀬の質問に、龍宮はしばし、手を顎に当てて考える。


「そうだね……。大体はこちらが先輩を見失いやすいような細い地形……路地裏みたいな所か、あるいは極端に人の多い所でこちらをかく乱するか……そうでなかったら、この間の時みたいに罠を使って有利な地形を自分で準備する事が多いね」


 龍宮の説明に、葵も頷いて肯定する。
 エヴァとの遭遇戦の時もそうだが、そういった時に地形を気にする事が非常に多かった。


「なるほど、なんとなくだが分かったかもしれぬでござるよ」


 一人納得したように、しきりに頷いて見せると、楓は葵の方を向いて


「葵殿は、恐らく身体を動かすことに引っ張られているのでござるよ」

「? ……と、いうと?」


 言葉の意味がいまいち分からなかった葵が、キョトンとした顔で長瀬に尋ねる。


「恐らく葵殿は、どちらかというと、策を用いて相手を倒すのではなく、策を用いてあくまで勝利条件を達成させる事を常に考える、いわば策士型の御仁なのでござるよ」

「しかし、ここ最近……真名が言うにはその山での追いかけっこの時でござるか? その時から葵殿は、頭のどこかで、己の身体で敵を倒しうるという事を選択肢に置いてしまった。それが、今の葵殿から今まで策を用いる時に常に考えていた『逃げなきゃいけない』という、ある種の危機感を失くしてしまっているのでござるよ」

「恐らく以前までの葵殿だったら、策が破られた時点で即座に次の策に考えを移していたのでは? それを、恐らくはある程度自分の力で戦う術を手に入れた事で、思考を止めてしまっている……。それが真名がいった葵殿らしくない、ということと思うでござるよ?」


 葵は、長瀬の推理にここ最近の自分が取った行動や思考に当てはめてみる。
 すると確かに、訓練を始めてから今までよりも思考に頭を割いていない気がした。
 訓練のために数回行った模擬選の時にも、常に体を動かすことに気を取られていて思考を止めていた……気がする。


「どうやら、図星のようでござるな?」

「なるほど、そういうことだったか……」


 長瀬と龍宮は納得いったという顔で葵を見る。古菲は首をかしげている。
 楓は、葵の痣だらけの身体を見ながら、彼に言葉をかける。


「確かに、葵殿の成長には目を見張るものがあるでござるよ。それでも、例え葵殿がどれだけ強くなろうとも、それを超える強さを持つ相手など、それこそ無尽蔵に出てくるでござる。相手に勝つと決めた時に大事な事は、相手を見る事。相手を無理に超えようとせず、相手に勝てる所を一つでも見つければいい。後はためらわず、そこに飛び込むだけでござるよ」


 葵は、長瀬が言う言葉を何度か頭の中で反復させてみせる。


「今は、葵殿が相手に勝ちうる『何か』を高めるために、様々な事を行っているでござる。けれども、拳法や武器の扱いなど、所詮は手札の一枚一枚にすぎない。それさえ忘れなければ、葵殿はきっと、誰が相手でも負けないでござるよ」


 そう長瀬は締めくくった。葵は感心したような顔でしきりに頷いている。


「違和感の正体は分かったが……」


 説明を聞き終わった龍宮は、恐らくはそれを葵にどうやって克服させるのかを必死に考えている。
 いまいち理解できなかったのか長瀬に質問している古菲は、彼女から「今まで通りで構わない」と言われて納得している。


「なるほどな……しかし、それはまた難しいな。こういっちゃなんだが、身体を動かしながら同時に思考とか出来る気がしないな。事前にある程度考えてから戦うって場合でも、不測の事態が起きた際に、即座にそれを修正できる自信がない」


 一方、納得はしたものの、葵は自分がまず到達しなければならないハードルが更に上がった事に軽く眩暈を覚えていた。


「ふむ……。拙者の場合は、戦闘中に思考が出来るまでひたすら訓練を繰り返して慣れるしかなかったでござるから……。真名、何か妙案は?」


 鋭い洞察をみせた長瀬だったが、訓練方法まではさすがに手が回らず、龍宮に問いかけた。


「一応あるにはあるが……訓練の効率が大幅に下がるかもしれないぞ?」

「具体的にどういうのさ?」


 さすがに聞いてみないと判断が付かないと、葵が聞いてみると、


「口で言うのは簡単なんだけどね……。訓練中に、自分の動きを真上からみてどうなっているのかを常に考えるんだ。そうだな……動きながら、幽体離脱して自分を見ているもう一人の自分をイメージする感じかな?」

「…………」


 葵は、自分が目の前にいる三人の内の一人と、龍宮が言ったように真上から見ている自分を想像しながら戦っている様子を想像してみた。




「……死にかかっている自分しか想像できん」

「でござるな」

「そうアルナ」

「そうだな……」




 異口同音に、葵の呟きに頷く三人だった。だが――




「え……? ちょ、おいお前らちょっと待て。いや待ってください。確かにその訓練は有効ではあるだろうし、時間がないのも分かっているんだがなんでお前ら3人揃ってこっちに向かって構えているのかそこら辺を説明してくださると少しは救われる気がするとわたくし篠崎葵は思う訳でしてそもそもまずは一人ずつから始めるのが最も効果的な訓練だと存じ上げ――」

「安心してくれたまえ、葵先輩。例え今からもう一人の自分を想像する事が出来なくても、これを乗り切れば、どんな死地にいてもきっと心に余裕が持てると私は思うんだ」

「今まさにここが死地だよっ!!!!」

「ほう、真名も同じ考えに至ったでござるか」

「皆考える事は同じアル」

「おい待て脳筋ども!!!???」


 葵の脳内の警戒レーダーが、これまでにない――下手をしたらエヴァンジェリンと対峙した時以上の警報を鳴らしており、息もつかせず一息に訓練の一時停止、及び再考を訴える葵だったが、今この場にいる3人は、良くも悪くも骨の髄まで武道派だった。







「ねぇ、待って三人とも……せめて、せめてハンデくらい付けてくれたって罰は当たらなアッ―――――――――――!!!!!!!!!!!」








◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







「ふん、あの男が龍宮に協力を求める事までは予想していたが、まさかそれにバカレンジャーの二人まで加わるとはな……」

 篠崎葵達の訓練の様子を観察し、録画を取っていた茶々丸から報告を受けると同時に、受け取った葵の訓練風景をテレビに映したのを見ながら『真祖の吸血鬼』――エヴァンジェリンは、相も変わらない底意地の悪い笑みを浮かべていた。


「マスター、すでに『反学園長派』の教師が、篠崎様に監視を付けているようですが……」

「ふん、あの男だけじゃなく、傭兵である龍宮や、コソコソと付けまわしている桜咲刹那も監視対象に入っているだろうさ。やつらは元々、現2-A クラスの人間を警戒しているからな。そこに奴らにとっての汚点と言っていい葵が介入しつつあるんだ。それはそれは気になって仕方がないだろうからな」


 エヴァは、テレビに映し出されている葵の訓練風景を酒の肴にしながら、茶々丸の言葉に答える。


「私が事前にじじぃに奴らの締め付けを強くするように言っておいたんだよ。おかげで私の家の廻りも有象無象が飛び回るようになったが……。クックック、それも後少し、後少しの辛抱だ」


 楽しそうに嗤うエヴァに、茶々丸はふと疑問に思った事を尋ねる。


「マスター、その有象無象が、篠崎様に手を出すことはないのでしょうか?」

「フッハッハ! それはないさ。『桜通りの吸血鬼』にすら気が付いていない奴らが、突然そんな事をしでかせば、それこそじじぃが奴らの派閥を取り押さえる口実になる。そもそも、奴らは何か行動を起こそうにも、虎穴に入る勇気を持ち合わせておらん」


 映像の中では、葵が泥まみれになりながら必死に山の中を駆け回っていた。その後ろからは、龍宮が銃を構えて後を追っている。


「それにしても……。龍宮真名、本当に葵に入れ込んでいる様じゃないか。似た者同士というのもあるが、よくもまぁここまで……」

「この半年のお二人の記録も調べましたが、二人で行動する事は非常に多いようです。朝倉さんも、彼らには大変興味を持っているようです」

「ふん、傷のなめ合いの様なものだ。だからこそ、あの女は無意識のうちに、アイツの前でだけ『龍宮真名』の仮面を外しているのだろうが……」


 映像が映り代わり、今度は龍宮だけでなく古菲や長瀬楓が訓練に参加し、それぞれ個別に葵と軽く戦ってみている様子が流れる。


「……私も、うかうかしていられんな。群がる有象無象共の処理に一区切りつけたら――2-Aのメンバーに狙いを定めるぞ。そろそろ、あの坊やへの遅ればせながらの歓迎用意も整えなくてはな」


 エヴァは、葵がボロボロの身体をなんとないような顔をしながらも更に苛め抜く様子を見て、彼が確実に自分と戦う事に、本当の意味で覚悟を決めた事を確信する。
 そして同時に歓喜の感情が身体を駆け巡る。そうだ、そうでなくては、私が直々にこちら側の世界に招き入れた甲斐がないと――



「さぁ、篠崎葵。一瞬とはいえ、この私を魅せ付けた『役者』よ。共にこの麻帆良という舞台で踊ろうじゃないか!」








≪コメント≫
エヴァを書くときに、なぜか脳内再生が某c.c.さんになってしまうため今回少し修正。
まぁ、どっちも不老不死ですけど……

感想やご指摘を書き込んでくださる皆さんには、本当に感謝です。おかげでまだまだ書く元気が湧いてきます。
次回で、春休みの話を書いたら、ようやく話にもっと波を持たせることができると思います。
作者の腕が足りないせいで、どうにも単調になりがちですが、どうか皆さん、これからもよろしくお願いいたします!



[33428] Phase.12
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/07/16 17:42
―― 自分は一体、何をしているのだろうか……



 ある教師から、自分が守護すべき少女――近衛木乃香を狙っている、関西呪術協会強硬派の息がかかっている可能性のある人間がいる。そう聞かされた神鳴流剣士―― 桜咲刹那は、その日からずっとその男―― 篠崎葵を見張っていた。どうやらルームメイトの龍宮真名は、それこそ彼に対して多大な信頼を置いているようで、彼を尾行・監視すると言った時には軽く口論にもなったが、それでも刹那は自分を止められなかった。
 自分でも、冷静さを欠いているとは感じている。だが、もしここで動かなかったら、自分は近衛木乃香を守るという役割を放棄したようなものだ。少なくとも彼女には、その様に感じられた。

 だがそれから数日、彼を監視していくうちに刹那は、自分のしている事が本当に守る事につながるのか分からなくなってしまった。事情は知らないが、ひたすらに己を鍛えようとしている彼と、それを厳しく監視しながら導いている龍宮の姿を見ていると、どうしても彼が危険人物には思えなくなってきた。むしろ、たまに意見を言う事はあっても、自分より年下の龍宮や、途中から加わった古や長瀬の言葉を素直に聞き入れ、更に自分の体を苛め抜く姿は、神鳴流剣術を覚えようと必死だった頃の自分を思い出させ、親近感すら覚えていた。
 刹那に彼の事を教えた教師は、彼が高度な洗脳を受けている可能性があると言っていたが、どうやっても戻らない記憶喪失だという一点以外は、彼からそれを匂わす雰囲気は一切見つからない。
 自分の記憶がない事に、苦悩しながらもそれを表に出そうとせず、苦悩しているただの少年の姿しか見えなかった。
 
(ひょっとしたら自分は……ただ単に、お嬢様の傍から離れる理由が欲しかっただけではないのか?)

 昔、大切な幼馴染『だった』近衛木乃香と約束した、守るという言葉。でも、刹那はそれを守れなかった事を悔いている。

 守りたい。友達としてまた傍にいたい。でも守れない。また守れない。距離を置かなきゃ。離れなきゃ。でも傍にいないと守れない。だけど――


 ただ純粋に、大切な人を守りたいと願い続けた少女が、ずっと繰り返してきた終わりのない思考は、少しずつ……確実に……彼女の心を蝕んでいた。







『Phase.12 準備完了』




 修了式も無事に終え、春休みへと入った学生生活。葵と龍宮は、私用があるためにという理由で、バイアスロン部に春休みの間の休暇を申し出ていた。
 これまでの、日常生活を兼ねながらの訓練ではなく、自由に一日を使えるようになったからには、これまで以上に効率よく時間を使うべきだという龍宮の意見により、葵達4人は、かつて龍宮との逃走劇にも使ったあの山に籠っていた。
 
「やはり、いつもと違う環境で訓練すると効率が上がるな。大した成長だ……」
「そうアルナ。今日のご飯は豪勢アルヨ」

 既に、春休みに入ってから一週間と三日ほど経過している。その間、葵に課している事は、山の走り込みに、長時間に渡る鉄扇を使った演武に型の練習、それが終わればまた山を一周走り込ませ、その後は3人の内の誰か一人と戦うという事を繰り返していた。食料調達の際には、場合によっては獣を狩らせたりなどしていた。
 そして今、龍宮と古の目の前には、長瀬の援護があったとはいえ、少々大きめの熊を倒してみせた葵の姿があった。さすがに疲れているのか少々息が荒いが、身体のバランスは全く揺らいでおらず、走り込みの成果がここに出ていた。

「お見事でござる。投擲術に鉄扇を用いた打撃術、加えて一部とはいえ自らの拳を用いた打撃も大幅に上達したでござるな。拙者も驚いたでござるよ」
「俺は、いきなり熊叩き起して『戦って来い』とか言い出したお前らにびっくりしたよ!」
「はっはっは。今の葵殿ならば、必ずや出来ると思ったからでござるよ。それにこういう機会でもなければ、文字通りの意味で命を掛けた戦いというのは実感できんでござる」
「ぐ……っ」

 葵が狩りを始めた当初は、やはり傷つける事をためらってしまい、中々上手くいかなかった。そもそも、龍宮達が狩りをさせる理由も、そこらの意識改革のためだった。いざという時に、攻撃をためらう様では戦う以前の問題だと考えたからだ。
 結果、投擲術の訓練も兼ねて鳥や魚を、長瀬が貸したクナイを使って仕留められるようになり、少々素早い、小型の野生動物も軽く狩れるようになった。
 葵は、殺すことに慣れていく自分に少し違和感を覚えたようだが、戦場育ちの龍宮からすれば、寧ろ慣れていくのが早い葵の柔軟性は、好ましいものだった。
 そして今、命をかけた戦いに、恐怖を表に出さずに相手に飛び込んでいく葵の姿に、龍宮は準備が整いつつある事を実感していた。

「はぁ……まぁいいさ。とりあえず血抜きするぞ。今日はどうする?」
「そうでござるなぁ。真名、何か夕餉に希望は?」

 今日の食事はどうするのか、楓が真名に尋ねると、真名は何やら少し考え

「ふむ……今日は少し肌寒くなりそうだ。鍋でどうだろう、先輩?」
「ん。二人もそれでいいか?」
「問題ないでござるよ。ならば拙者と真名で、山菜でも取ってくるか」
「ワタシもいいアルヨ! 捌くの手伝うアル!」

 龍宮の提案に、二人も肯定したのを見ながら、葵はナイフを構えて、自分の手で殺した熊へと足を進めた。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 あれからしばらく経って、龍宮と長瀬は、それぞれが持って行ったカゴに山菜を詰めて戻ってきた。葵と古が、既に準備を整えていた事もあって、そのまま鍋を囲んで食事をしながらの報告会となった。

「さて、とりあえず今日までで、葵先輩の下地は完璧に揃ったと見ていいかな?」
 
 龍宮の言葉に、古が頷きながら肯定する。

「少なくとも、今のセンパイと戦うのは楽しいアルヨ。春休み前に比べたら段違いアル」
「そうでござるな。ここまで来たら、後は反復して身体を馴染ませていくしかないと思うでござるよ。問題は、相手が指定した時が一体いつなのか」

 長瀬もまた、肯定の言葉を返すが、そこには少し不安が交じっていた。

「四月には動き出す。そう言ってはいたが……実際にいつ頃になるのかは……」
「私もそこは聞いていないな。一応、この春休み中に1%でも勝ち目が出るように鍛え上げたつもりだが……」

 葵と龍宮は、二人して首をひねる。葵の予想では、正直そろそろ何らかの通達があると思っていたし、龍宮もまた、彼女の性格からして、宣戦布告は必ずあるものだと考えていた。

「分からない事を考えていても仕方がないアルヨ。それよりは一回でも多くセンパイは経験を積んだ方がいいアル」
「……まぁ、その通りなんだがね」

 葵が気にしているのは、あのエヴァンジェリンが、4月目前にしてこちらにコンタクトを取らないのが気になっていた。準備が出来たらいつでも襲って来いと言う意味かとも思ったが、それにしては最後に会った会談の時の別れ方は呆気なさすぎる。そのつもりならば、恐らく彼女から告げていたはずだと。

(なんらかの理由でまだ動けない? 血が足りないとかか? いやいや、それくらいの逆算でエヴァが間違いを犯すはずがない。となると他の要因……子供先生か、あるいは他の要因が?)

「……話は変わるが、そっちの担任の子供先生って最近どんな感じなんだい? 図書館島の地下に閉じ込められた時の話までは聞いたけど?」
「どう……と言われても……いつもと変わらないでござるな」

 少し何かを思い出すように頭を捻る長瀬だが、やはりこれといって思いつくことはなかったのか、そう答える。

「へぇ、変わりはないか。最近、金髪の……えぇと10歳くらいの女の子が訪ねてきたりしなかったかい? 身長は多分……これくらいかな?」

 身振り手振りで、エヴァンジェリンの様子を表す葵に、3人は揃って首を傾げる。


「それって……エヴァのことアルカ?」
「そう、エヴァの…………なんとな?」


 あっさりと出てきた言葉に、一瞬思考がフリーズする葵。その様子に、長瀬も不自然なものを見る目で、

「多分でござるが、葵殿が言っている少女と言うのは、エヴァンジェリン殿の事では?」
「……えぇと……。その、エヴァンジェリンっていう娘は……」
「ワタシ達のクラスメートアル!」

 ギ……ギ……ギ……。という擬音が聞こえてきそうな、ゆっくりとした動作で龍宮を見る葵。
 龍宮は、顎に手を当てて何やら一生懸命考えて、というより思い返して、




―― こっそり静かに、パンッと顔の前で手を合わせて、頭を軽く下げた。




(このヤロ……いっっちばん大事な事を伝えるの忘れてやがったな!!)

 思わずジト目で龍宮を睨みそうになるが、今の会話を怪訝に思われたらまずい。咄嗟に、葵は場をごまかすために口を開く

「クラスメートって言うんなら、違う人だね。イギリスの方から、ネギ先生を探しに来たっていう人がいてさ?」

 頭の中に入っている、子供先生のデータをひっくり返しながら、その場でカバーストーリーをでっち上げる。

「前に女子中等部の場所を教えてあったんだけど、会えたかどうか気になってね。いや、気にしなくていいよ」
「……なるほど、そういう事でござったか」

 なにやら納得してくれた……のかは分からないが、引きさがってくれた長瀬達を見て、密かに安堵する葵。それと同時に、頭の中に疑問が浮かび上がってくる。

(あからさまに敵対しそうな因縁のある吸血鬼がいるクラスに、なぜ子供先生を担任として放り込んだ?)

 まだまだ、自分の知らない何かがある事を、葵ははっきりと感じた。
 だが、それについて考える前に、葵にはやらねばならない事があった。

「よし、飯も終わったし、長瀬と古は風呂の用意してもらってていいか? 俺はちょっと腹ごなしの運動に模擬戦をやろうと思うんだが……なぁ、龍宮?」

 人の記憶が掛かっている一大事に、素で大ポカをやらかしてくれた女への制裁という仕事が残っていた。

「ハ、ハハ……ちょっと待ってくれないか先輩――」
「む、そうでござるな。あいわかった、準備は拙者と古でしておくでござるよ」
「しっかり動いて汗を流すといいアル」

 龍宮が弁明しようとしている内に、長瀬と古は風呂の準備に行ってしまう。残されたのは、少し引きつった笑みを浮かべている龍宮と、目が据わった葵だけだった。

「待ってくれ先輩。決してふざけていた訳じゃなくてだな」
「いやいや、大丈夫。分かっているから。信じてるから」
「欠片も私を信じていない目だよ。鏡を見てきたらどうかな?」
「ハッハッハ」

 これまでにも、何度か模擬戦を行ってきた二人だが、龍宮がそこはかとなく及び腰になったのは、これが初めてである。
 最も、今回は龍宮が自分の非を強く感じており、強気に出れないという事も多々あるのだが……。



「さて、龍宮。俺は命に代えてでも、今のお前に一発くれてやらにゃならん。わかるな? わかったな? よし、覚悟しろやぁぁぁぁ――――っ!!!」
「ちょっと…ま、先輩!?」

 かくして、特訓を初めて以来、何度も戦ってきた二人の渾身にして最大の戦いが幕を開けた。
 この戦い、実に一時間近くに渡る激戦の末、結局は龍宮が勝ったが、それでも無傷では済まなかった。彼女は先に風呂に入っていた二人に、何があったのか問われた際に、ポツリとこう答えた。

「先輩を相手にして、敗北を覚悟したのは、初めてだった」

 なお、この話を聞いた古菲と長瀬が、後に葵がボロボロになるまで模擬戦を強要するのは、完全に余談である。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「そうか、龍宮君が彼に訓練を……」
 
 麻帆良本校女子中等部の一室 ―― 学園長室では、一人の老人が、メガネをかけた長身の男からの報告に耳を傾けている。

「どうやら、彼女が彼をこちら側に呼び込んだようです。詳細は分かりませんが、彼女は彼と戦う事を決めているようでして……」
「ふむ……あのエヴァンジェリンが珍しく儂に取引など持ちかけるから、なにかあるとは思っていたが……そこまで彼に固執する理由は一体―― いや、恐らくは好奇心か」

 老人―― この麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門は、深いため息をつくやいなや手元に置いてある書類を開く。その書類の表紙には『特別調査資料(帯出禁止) 麻帆良国際大学付属高等学校1-C 出席番号18番 篠崎 葵』と書かれていた。

「……僕には、分かりません。彼をこちら側に引きこむ必要などないでしょう? 彼は既にこちら側の事情に巻き込まれて、かけがえのないものを失くしています。それをどうして彼女は……エヴァは――!」
「巻き込まれて、なおかつ失っているからこそ、彼には立ち向かう必要があると思ったのかもしれん。なんにせよ、もはや事態は動き出しておるよ、タカミチ君」

 その言葉に、先ほどまでどこか感情めいていた若い男――タカミチ=T=高畑は、冷静さを取り戻す。
 手に持っていた手帳をパラパラとめくり、自分が調べ上げた事、部下や同僚が調べて、確認を取った事項を報告していく。

「一部の教師が、既に篠崎君に対して監視を……同時に2-Aの一部生徒にも張りついているようです。その、特に……」
「分かっておる。木乃香は、儂にとっても急所でもある。手は打ってあるとはいえ、監視はかなり厳しいものになっておるじゃろうて」

 学園長は、机に置いてある少女の写真――自分の孫娘の写真に目をやる。写真の中の彼女は、和服に身を包んで微笑んでいる。彼にとっては、それこそ文字通り宝物に等しいものだ。

「お見合いだのなんだのにかこつけて、少しでもあの子を手元に置いておきたいのじゃが……。返ってこのかには嫌われておるようじゃのう」
「その必要はもうすぐ無くなりますよ、学園長。この一件には、エヴァもかなり精力的に動いているようです」
「ふむ……。彼女の周りをうろつく者まで現れておるらしいからのう。馬鹿者どもめ、封印されておるからといって、彼女が我々の手に負える存在になった訳ではあるまいに」

 学園長は軽く笑うと、写真の中で、木乃香の横に一緒に写っている少女の方に目をやる。

「しかし、一つだけ上手く出し抜かれてしまったのぅ。刹那君を木乃香から切り離すとは……」
「篠崎君に張り付いているようですね。これで、彼らからしたら厄介な生徒は全て一塊りに集められてしまった。一応、刀子先生が、密かに木乃香君の護衛についていますが……」

 それを聞いた学園長は、どこか不機嫌な声になりながらボヤく。

「婿殿も、このような肝心な問題をなぜ放っておいたのか。刹那君が木乃香に対して負い目を感じているのは一目瞭然。向こうにいる間に、多少強引にでも、それを正してやるべきじゃった」

 木乃香の父であり、義理の息子でもある男の顔を思い浮かべながら、近右衛門は何度目になるか分からないため息をつく。

「タカミチ君。刹那君の説得と、木乃香との橋渡しを頼んでもいいかのう? 今は大丈夫とはいえ、このままではいざという時に刹那君が動けなくなる可能性がある。既に、利用されているような状況じゃからの」

 学園長の依頼に、タカミチは頷きはするが、その顔には不安といら立ちが隠せない。

「僕に出来るでしょうか。彼女は少々意固地な所がありますし……」
「ネギ君を挟んでもいい。とにかく、あの二人のすれ違いは、けして放置できる問題ではない。いずれは関西の一角を担う二人じゃ」
「わかりました。最善を尽くします。……篠崎君の方はどうしますか?」
「今は放っておいて構わん」

 学園長は、篠崎葵の書類の上に、3枚の写真を――龍宮真名、長瀬楓、古菲の顔写真を重ねる。彼らにとっては、敵対している可能性もある教師達よりは、よっぽど信頼できる人間だった。

「龍宮真名という強力なガードが着いている上に、くの一の楓君と、表側とはいえ侮れん菲君が彼と共にいる。加えて、寮から出て行動を共にしているのが幸いしたわい。もし、篠崎君が未だに寮住まいであったら、一人でいる所を襲われていたかもしれん」

 タカミチは、学園長の疲れたような、安堵したような声に肯定を返す。
 今、彼の頭の中にあるのは、学園内で起こっている無駄な争いを、如何に一般人を巻き込まずに解決するか。この一つだけだった――

(さて……エヴァに篠崎君、それに反学園長派閥に僕達……一体これからどうなることやら……)





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





「本当にすまなかった先輩。てっきり既に伝えていたとばかり思っていたんだ」
 
 全員入浴を済ませ、古と長瀬は既にテントの中で眠りについていた。龍宮と葵は、テント前のたき火の前で、学園に戻ってからの話をしている。

「町に戻った時に昼飯一回奢れ。それで勘弁してやる」
「ふぅ……。分かったよ、先輩。それで許してもらえるなら安いものだ」
「とにかく確認するが、エヴァンジェリンはお前のクラスメートで、つまりは例の子供先生はアイツの担任って事でいいんだな?」

 葵の確認の言葉に龍宮は頷く。それを見た葵は、今までの情報と照らし合わせ、おかしい所がないか確認していく。

「学園側がエヴァとネギ先生……じゃない、スプリングフィールドの間に因縁がない事を知らないなんてありえない。つまり、エヴァの存在は学園公認ってことか」
「あぁ、実際、彼女は学園結界ともリンクしている。そのため、学園への侵入者に対しては学園長と同じくらい察知が早いんだ」

 そこまで聞いて、葵は再び考えを巡らす。エヴァとの会談の時から、彼女が学園との間に太いパイプがあることは匂わせていたが、ネギ先生――英雄の息子に担任を受け持たせる程とは思っていなかった。恐らくは、この学園の主流派に属しているとみて間違いないだろう。
 その主流派に属している――ある意味で保護下に置かれている彼女が、主流派にとって大事なゲストである英雄の息子を襲う。その事実が、どうにも葵の中で引っかかっていた。

(エヴァの話からすると、学園側は、エヴァの行動をあの時点ではまだ知らなかったはずだ。少なくともその時までは、学園側からは一定の信頼を受けていたってことになる。力を取り戻せる可能性が出てきたから、裏切ってでもチャンスを物にしようってことか?)

 それは、なんというか彼女らしくない。と、葵は考える。

(エヴァが、万が一失敗した時のサブプランを用意していないはずがない。気まぐれな所はあるが、少なくともアイツは常に自分に利が出るように動くはずだ。そのエヴァが最強の吸血鬼とはいえ、呪いを破ってすぐに学園と敵対なんて道を考えるか? 力があるからこそ、無駄な争いは避けるはずだ。それでも動きを見せているということは、つまり……血を吸って、呪いを解く事は学園にとっても既定路線? あるいは、血を吸っても呪いが解けないと確信している?)

「駄目だ。考える事が多すぎて思考があちこちに飛んでしまう」

 目の前で揺れる炎を見つめながら、ため息をつく葵に、龍宮が声をかける。

「今考えているのは、エヴァンジェリンと学園の関係かい?」
「あぁ、龍宮は何か知らないか?」

 僅かに期待を込めて、葵が尋ねるが、龍宮は首を横に振り、

「残念だけど、私の立場は学園所属ではなく、依頼を受けてここにいる外部の傭兵だからね。詳しい話は聞いていないんだ」
「そうか……。普段のエヴァの様子とかは分かるか?」
「普段か……。そうだね、四葉五月とはそこそこに交友があるかな? ほら、先月末だが、私が連れて行った中華料理の店があっただろう? あそこの料理人だよ」
「あぁ、あの肉まんがやけに美味かった」

 龍宮の説明に、以前彼女に紹介された店を思い出した。あれから色々あって、結局一度も行けていないが、機会があったらまた行こうと思える店だった。

「しかし料理人か……。食い意地とかで友人選ぶタイプでは訳ないし。純粋に人柄かな? 街に戻ったら一度訪ねてみるか。他には?」
「他には……あぁ。仕事の報告に、何度か学園長室に寄った事があるんだが、その時に彼女が学園長と囲碁や将棋を指している所を見た事があるな」

 その情報に、葵は、エヴァがやはり学園の主流派に属している事を確信する。

「将棋の腕前は? クセは?」
「残念ながらそこまでは……。あぁ、そうか、貴方は一応将棋が打てるんだったか」
「今でこそ行ってないが、元の篠崎葵は掛け持ちで囲碁・将棋クラブにも所属していたからね」

 葵は、懐に差していた鉄扇を抜き放ち、バッと開いて見せる。その時に起こった風で、たき火が大きく揺らめいた。

「しかし、将棋が打てると知ってれば、前の会談の時に一局指しておけばよかったな」
「? ……あぁ、なるほど。思考をある程度読むためかい?」
「うん、最もアイツの場合、平然と思考を切り替えてきそうだからどこまで役に立つかは分からないけど……」

 むしろ、こちらの手の内を晒すだけになるかもなぁ……。とぼやきながら、葵は手の平で、器用に鉄扇をクルクル回して見せる。最近、彼は考えを深める際に、鉄扇を手で玩ぶのが癖になっていた。鉄扇を持ち直し、それで軽く扇ぎながら、葵は思考を更に深い所へとダイブさせる。

(エヴァが学園の主流派に属していることは間違いない。学園のトップと気軽に遊んでいる事から、恐らくそれなりに発言力もある。それは、エヴァがこの学園にいる際には大きなメリットになっているはずだ。呪いを解くにしても、それを安々と手放すか? 賞金が取り下げられているとはいえ、学園との間に波風を立てればまた賞金が戻るのだって容易い筈。いくらエヴァでも、一々厄介事を引き連れるのはごめんこうむる筈だ)

(アイツ曰く、呪いを解くには、掛けた本人が解くか、魔力で無理矢理ぶち破るしかない……少なくともエヴァはそう考えている。それを信じるなら、ネギ先生の血を吸うしか今は方法がないということになる。もし、学園がエヴァの呪いを解く事を容認していたんなら、それはネギ先生が襲われる事も容認している事になる。そこまでするメリットがあるか?)

(てか、それならネギ先生に協力させればいい。子供だから大量にとはいかないだろうが、何回かに分けていけば確保できるだろう。ネギ先生の血だけでは解けない? あるいは、学園側は、やはりエヴァを縛りつけたままにしておきたいのか? あー、だめだ、どうしても推測ばかりが立っちまう)

 煮詰まった頭を冷やすために、鉄扇を扇いで風を起こす。同時に軽い筋トレにもなるから、葵はこうして扇いでいる時間は結構好きだった。
 そうしている内に、ふと思いついたことがあって、小声で龍宮に尋ねる。

「龍宮、今俺達を付けている奴らがいないか分かるか?」
「!? あ、あぁ、3人程こちらを覗きこんでいるのがいるよ。よく分かったね?」
「いや、前に一人、お前と同じ制服の女子に尾行されてたのに気がついちまったからな。多分、今も付いてるんだろうなっていうのは予測していた」

 葵がそういうと、龍宮は頭を抱えて「あのバカ……どこまで冷静さを失っているんだ」と小さく呟いた。葵には、その呟きは耳に入らなかったが、同じ制服だった事から、知り合いなのだろうと推察する。

「まぁ、いいや。とにかく、尾行している奴らの顔は分かるか? 多分一人は、あの女の子だと思うけど……」
「……先輩の言うとおり、一人は私達の制服を来ている少女だ。そして残りは、恐らく彼女の事も一緒に監視しているのだろう。一人は覚えがある気配だ。傭兵と言う存在が学校に入っているのが嫌いだという男でね。私を毛嫌いしている奴だ。もう一人は覚えがない。恐らくそれほど重要なポジションにはいないんだろう」

 この時、龍宮は魔眼を発動させて覗き見るが、その一人には本当に見覚えがなかった。

「なるほど。傭兵を呼び込んだ学園に、その傭兵を毛嫌いする教師か……。学園は一枚岩じゃない。そゆことか」

 葵は、鉄扇をパタンと閉めると、再び龍宮に向き合った。

「一応明後日には山を降りる。そういう予定だったな?」
「あぁ、学校の準備もあるしね。先輩は、後は自分で伸ばしていくしかないさ。正直な話ね? この春休みで、基礎は可能な限り仕上げた。後は楓が言っていたように、反復させて身体に染み込ませるしかない」

 龍宮は静かに立ちあがって、その長い髪を軽く掻き上げる。

「もうすぐ4月だ。どういう形になるかは分からないが……決戦だな」
「そうなるな。やれやれ……どうにか勝ちを拾うためにも、学園に戻ったら情報収集だな」

 葵も静かに立ち上がり、たき火の始末に入る。
 約束の4月は、もう目前に迫っていた。








≪コメント≫
 
大変お待たせいたしました。Phase.12です。
最近になって、自分がきちんと物語を書けているのか不安に思う時があります。

元々、書きたい話を形にしていくのが楽しかったのですが、最近ではただ更新のためだけにワードを開いており、当初あった良作にしていこうという気持ちが薄れてしまったような気がしています。

これからは、心機一転、初心に戻って、物語を書いていくつもりで頑張りたいと思います。

少々厳しくとも、ここが足りない。ここをこうした方がいいなどの御意見、ご指摘がございましたら、是非是非よろしくお願いいたします。

 それでは、また次回。これからも皆さん、よろしくお願いいたします。



[33428] Phase.13
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/07/14 10:22
 4月に入ってからあっという間に一週間が過ぎ、気が付いたら新学期が始まっていた。龍宮達は中学三年生に、葵は高校二年生へと進級して、日常を過ごしている。
 始業式に参加した後、時間が空いた葵は、とりあえず龍宮を迎えに本校女子中等部へと足を運んでいた。
 広い麻帆良学園の奥にある本校女子中等部は、数ある中等部の中では最も広い敷地を有しており、その自由な校風から、おそらく学園の中で最も活気がある学校の一つである。
 やはり女子校の中に男が入るのは気まずかったのか、――ついでに言えば、今日が身体測定の日だったということもある―― 少し中に入るのを躊躇っていた葵だが、ちょうど彼に声をかける人間がいた。

「あの……ここは女子中等部なんですが、何か御用ですか?」

 横から聞こえてきた警戒心を含んだ幼い声に「ん?」と思い、葵が声のしてきた方を向くと、そこには10歳くらいの、何やら背中に杖のような物を背負ってスーツを着こんでいる赤毛の少年が、首をかしげながら立っていた。






『Phase.13 始動』




「そうですか、龍宮さんとは一緒の部活で……そういえば、朝倉さんが龍宮さんには面白い相方がいるって言ってましたっけ。あれ、篠崎さんの事だったんですね?」

 子供先生―ネギ=スプリングフィールドに声をかけられた葵は彼に、龍宮を待っている旨を伝えた。するとネギは、自分の受け持っている生徒の話と言う事もあって、その話題に食い付いてきた。今では年相応の少年の笑顔を向けて、葵との会話を楽しんでいる。

(話には聞いていたけど、こうして目の前にするとやっぱり違和感が強いな。スーツが似合っているっていうのだけがある意味で救いか……)

 一方葵は、実際にネギ=スプリングフィールドと会ってみて、やはり『子供先生』が実在しているのだという事を再確認させられていた。正直、ここが麻帆良だという事を差し置いても、『労働基準法仕事しろ!』と叫びたい気持ちになっていた。

「朝倉の野郎、色々言いふらしてやがるな……。あっと、ネギ先生は龍宮とはあまり話した事が?」
「そうなんですよ。クラス内では静かな人ですし、中々話す機会もなくて……」

 確かに、ペラペラと喋りまくる龍宮というのは想像しにくい。だが同時に、そこまで寡黙な龍宮と言うのも、葵には想像出来なかった。
 葵から見た彼女は、なんだかんだで悪巧みにも付き合ってくれるノリの良い友人というイメージが強かった。

「いやいや、ネギ先生。龍宮はあれで結構話せる女ですよ? まぁ、もう少し大人しくなってくれたらもっと良いんですけど……」
「え、そうなんですか? 静かで大人しい人だと思ってたんですけど……」

 心の底からそう思っていたのだろう、ネギは何度かパチクリと瞬きをして、意外そうな顔を見せる。

「いやいや、今度機会があったら自分と龍宮の追いかけっこを見ておくといいですよ。アイツ全力で俺を捕まえにじゃなくて、全力で仕留めに来てますから」
「しとめ――?!!」
「以前に聞いた話だと、先生の2-A……今は3-Aか。そこの武道派四天王の一人に入ってるって聞いてますけど? ほら、古菲さんとか長瀬さんとかの」
「えぇっ!? あの人達と同じなんですか!?」
「えぇ、まぁ……。あ、でも一応――」
「あ、篠崎さん後ろ――」

 少々怯えさせてしまったネギに悪い気がして、『基本的には良い奴なんですよ』とフォローを続けるつもりだった葵の耳に入って来たのは、目の前のネギ先生が発した怯え声と、

「おや先輩。いい年して、先生とはいえ10歳の子供に一体何を吹き込んでいるのかな?」

 この場においては、死刑宣告にも等しい聞きなれた女の声だった。
 額に汗をにじませながら葵が振り向くと、そこには笑顔を張りつけている鬼がいた。

「あうあうあう……」

 傍目に見るといつも通りの龍宮なのだが、今の彼女から感じる圧迫感は凄まじいものがあった。ネギは、いつの間にか葵の後ろに隠れている。
 なんとなく、ネギの頭に手を置きながら葵は弁明を開始しようとする。

「まぁ待て、龍宮落ちついてくれ。とりあえず最後まで人の話を聞いてみる気はないか?」
「はっはっは。そういえば最近は弾ばっかりで、先輩も五百円玉が恋しくなってもおかしくなかったね。いやいや、気が利かない後輩ですまないね?」

 が、どうやら今の彼女は聞く耳は持っていないようだった。すでに彼女は、右手に隠すようにして500円玉を弄っている。
 
「まぁ、冗談はさておき――」

 そういって500円玉を一度袖に戻す龍宮だが、付き合いの深い葵からすれば、冗談で済ます気がないのは丸分かりであった。
 後で処刑される事を半ば覚悟しながら、葵はとりあえず真面目な話になりそうな事を雰囲気から察し、ネギの頭から手をどける。
 龍宮は、葵に意味ありげに目配せをしてから話を始める。

「先生、まき絵の様子はどうだった?」
「え、あ、はい。ただの……はい、ただの貧血だったそうです」
「? 具合の悪い生徒でも出たのか?」

 なにせ女子だ。身体測定の結果が気になって、食事を抜いてくる子もいるだろう。怪訝そうなネギの態度が少し気にはなったものの、そう考えた葵だったが、

「あぁ、すまない先輩。説明が抜けていたね。まき絵っていうのは私のクラスメートでね。どうやら、昨夜から『桜通り』で倒れていたらしい」
「……桜通りで?」

 葵にとっては、馴染みがあるどころの場所ではない。エヴァと初めて出会い、そして襲われた場所そのものである。そこで女子生徒が襲われたという事は――

(やはり動いているのか、エヴァの奴。昨晩動いたって事は、やっぱりまだ準備が整っていないのか……?)

 とりあえず、彼女と戦うのはもう少し先になりそうだという事を確信した葵は、この期にネギと親交を深めておくことに決める。ここでネギと接触したことにより、恐らく学園側は自分に対して警戒を強めるだろう。となると、エヴァとの戦いの前に学園側が自分に対して行動を起こす場合を考えなくてはならないと葵は考えた。その時に打てる手を増やさなければならないと……。それには、学園側の大事なゲストである彼と友好関係を持って置いて損はないだろう、と。
エヴァとの戦いにおいてもそうだ。彼女の狙いは、葵の目の前にいるこの少年の血。どこかで必ず、この少年とは関わることになる。利用させてもらうか、あるいは共闘する形になるだろう。やはり、ネギとの友好関係は必須だと葵は判断する
頭の中で打算を走らせ、それに対する自分への嫌悪感に折り合いをつけながら、彼はネギに気軽に話しかける。

「大変ですね、ネギ先生。特に女子だと、見かけを気にして食事を抜いたり減らしたりする子が多いですからね」
「え? あ、はい、そうですね!」

 何やら難しい顔で考え事をしていたネギだったが、葵が話しかけると少々戸惑い、その後すぐに、年相応の笑顔をニコッと浮かべて返事をしてきた。


―― この時点で葵は、良く分からない心の何かがへし折れそうになっていた。


(笑顔が……まぶしい……っ!)

 つい先ほどまで、目の前で笑顔を浮かべる少年の利用法やら、あるいは戦力・陽動としてどれくらい使えるかを考えていた葵は、その笑顔の前にたじたじになってしまった。

「じ、自分にはそういった知識がないので詳しい事は分かりませんが、保健医に一人知り合いがいるのでよかったら紹介しましょうか? 貧血についてでなくても、その保健医の方も女性ですから、女生徒についてなにか困った事があったら相談できると思いますけど?」

 気が付いたら、ネギに対して今自分が言えそうな事・役に立てそうな事が、口からペラペラと出ていた。

「本当ですか! 是非よろしくお願いします。僕もたまに、どう生徒と接していいか分からない時があるんです!!」

 一瞬、一気にまくしたててしまって警戒させたかと思った葵だったが、ネギはこちらが打算で近づいている等と微塵も思っていない様子であっさり葵の提案に乗って来た。
 どうやら、生徒の一人である龍宮の友人であるという事も手伝ってか、当初は感じていた葵に対しての警戒心は完全にどこかへ行ってしまったようだ。

「……………」
「どうしたんだい先輩? 今にも首を吊りそうな顔をして……ロープなら購買部で売っているよ?」
「た、龍宮さん何言ってるんですか!!? 篠崎さんもしっかりしてください。なんで頭抱えてうずくまってるんですか!!?」


(俺……子供って苦手かもしんない……)

 篠崎葵は、その日初めて自分の最大の弱点に気がついた。
 この男、褒められることもそうだったが、純粋な好意にもとことん弱かった。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





 その後、ネギは用事があると言って葵達と別れた。龍宮は葵と二人っきりになった瞬間、先ほど袖に戻した500円玉を即座に嵐のごとく葵に叩きこみ、先ほどの制裁を完了させた。
 葵が回復するまでにしばしの時がかかったが、その後の葵の謝罪と弁明により和解した二人は近くのベンチに腰を下ろし、先ほどの件について話し合うことになった。

「やはりエヴァンジェリンは動いているみたいだね、先輩」
「多分、休みの間にもそこそこの数を襲ってるんだろう。まじでそろそろ来るか?」

 葵は、これまでの間に可能な限りエヴァンジェリンの情報を集めていたが、決定打となり得る情報は未だに手に入れていなかった。それが葵の中で焦りとなっている。先ほど頭の中で考えていたネギとの共闘というのも、その焦りから出た苦し紛れの案だった。確実性からはほど遠い、悪あがきのようなものだ。

「龍宮、学園側の動きは?」
「彼女に関してはまだなんとも……。あぁ、しかしここ最近は主流派―― 学園長派の先生達が会議を開いているようだよ?」
「ん? 学園長派だけなのか?」
「無論、全体での集まりが主にはなっているけど、数回彼らだけで集まっているね。多分全体の集まりの方は、大停電の日についての事だと思うけど……学園長派の動きはよく分からないな」

 大停電とは、年に2回行われる学園全体のメンテナンスのために行われるもので、その日の20:00~24:00までの間は、サブ電源を置いてある重要施設以外の全てがその機能を停止する事になる。
 龍宮の話によれば、学園を守護する結界も電力を使っているとのこと。サブ電源があるとはいえ所詮はサブ。その出力は僅かとはいえ低下し、そのために麻帆良防衛に、普段よりも多くの人員が割かれるということだが――

「いつもなら、この時期には既に私の方にも話が来ているはずなんだが……どういうわけか、今回はその依頼がなくてね」
「んー。魔法生徒、あるいは教師の数が増えたとか?」
「いや、そんな話は聞いていない。学園長のツテで、外部から人間を雇うんじゃないかって噂が流れている」
「……その噂は、誰から?」
「ある魔法生徒二人組でね。一応、情報源としては信頼できるんだが……」
「だが? ……あぁ、なるほど。二人とも主流派って事か?」

 葵の推理に、龍宮は首を縦に振って答える。

(ふむ、龍宮を動かさないのか、それとも動かせないのか……)

 葵が真っ先に考えついたのは、学園が龍宮を自分の護衛として残しているという可能性だった。実際、自分が尾行されているという事は龍宮の魔眼のお墨付きであるし、長瀬や古菲も薄々気づいていた。仮にも生徒を守るのが仕事の教師のトップである学園長が、それを放置するはずはない。
 だが、たった一人の学生のために大勢を危険にさらす可能性を選ぶとは思えない。龍宮はただの傭兵ではなく『凄腕』の傭兵、十分主力として数えられる戦力のはずだ。
 仮に先ほどの理由があったとしても、それ以外にもう一個何かないと理由としては弱い筈だ。

(主流派だけで集まっているってのも気になるな。そして、そのタイミングで外部の人間を呼び寄せる? それは味方だけでは学園を守る戦力には成りえないって言っているような……ん?)


 そこまで考えて、葵の中に一つの仮説が生まれた。


英雄の息子をあえて危機に陥るかもしれないような状況を作った意図。それが、派閥争いを激化させるための餌だとしたら? そしてその英雄の息子を危機に追いやる人間が学園長派と――学園長と繋がっている。さらに、人手不足を宣言するかのような噂に一派閥での集まりを隠していない。

 頭の中で自分になりに答えを出し、まとめあげた葵は……




――その顔に凄絶な笑みを浮かべた。




「龍宮」
「ん? どうしたんだい、ものすごく悪い顔になっているよ?」
「そうか? まぁ、いいや。今お前に一つ……ひょっとしたら後で更にもう一つ仕事を頼みたいんだが、報酬の方ってのはどれくらい用意すればいい?」

 仕事を頼みたい。そう言った葵に、龍宮は面白い玩具を見つけたというような笑みを浮かべる。
 彼女は、勿体ぶるように顎に手を当てて考える素振りを見せ、

「ふむ、仕事の内容にもよるがそうだな……今なら初回という事で、特別に必要経費に加えて食堂棟の餡蜜一杯というのはどうだい? 良心的だろう?」
「なるほど、確かに……。OK、それで頼むよ」
「あぁ、これで契約成立だね。それで先輩。まず最初の仕事は?」
「なに、最初はただ付いてきてくれるだけでいいさ。それだけで十分」

 そう言うと葵はベンチから立ち上がり、静かに上を――麻帆良本校の校舎を見上げる。



「今晩、虎児を得るために虎穴に入る。力を貸してくれ」





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





 エヴァンジェリンはその日の夜、少し疲れた体をとある校舎の屋上で冷やしながら、上機嫌と不機嫌が半々交じった様な複雑な感情を持て余していた。
 彼女は、ここ最近裏での色々とした工作に昼夜を問わず動いていたせいで、肝心の魔力回復が少々遅れ気味になっていた。その遅れを取り戻すためにも、二夜連続で桜通りを通ろうとする魔力の豊富な女子生徒を襲う事を彼女は計画したのだ。
 彼女が待ち伏せていた所を通りかかったのは、同じクラスの女子生徒――宮崎のどかという、図書委員会に所属する大人しい女子生徒だった。いずれネギには、こちらの行動に気付いてもらわないと悪いために、あえて二夜連続でクラスメイトを襲っていたのだが……。

 結論から言えば、ネギ=スプリングフィールドが気付くのはとても早かった。宮崎のどかの襲撃に成功し、気を失っている彼女から血を吸おうとしていた矢先にエヴァは彼に妨害された。
自分を捕まえるつもりで放ったのであろうネギの『魔法の矢(サギタ・マギカ)』を、軽く払いのけてやるつもりだったがレジストしきれず、自分が負傷してしまった。
 まさか自分の血を見る事になるとは、彼女自身思ってみなかった。10歳にして恐ろしい程の魔力を実感したし、凄まじい才能も感じる。十分に評価できる逸材だったことが、彼女の気分を高揚させる。
だが、未だ自分を倒すほどではないという事も同時に確信できた。

 事実その後、彼は従者である茶々丸にいいようにしてやられ、エヴァンジェリンはその血を僅かとはいえ飲む事が出来た。その直後に、なぜかその場に来たクラスメート――神楽坂明日菜という女子生徒に、やはりなぜか魔法障壁を破られて蹴り倒されたというオチこそつくが……。

(やはり、膨大な魔力を秘めているだけはある……。ほんの少量で魔力も随分と回復した、が――)

 どうしても、彼女には不安に思う事があった。すなわち、『ネギ=スプリングフィールドの血だけで呪いが本当に解けるのか?』ということだ。

(息子というからには、他人の血が混じっているのは当然だが……。一体誰の血が混じった? どうにもナギの感じがせん)

 血から強い魔力は感じるのだが、それからスプリングフィールドの血筋というものを――この身を縛る呪いと、その感覚が近くなくてはならないはずのそれをほとんど感じなかった。
 仮に解けるとしても、これでは先ほど脅しに使った『干からびるまで啜ってやる』という言葉を、恐らくは本当に実行しなければならないだろう。

(あるいは、血を飲むのではなく保存してそれを解析するか? いずれにせよ、計画はやはりじじぃの言う方に変更か……。くそっ! あのじじぃめ、薄々分かっていたな!!?)

 内心歯噛みしながら、これからの計画の方に考えを移す。今の彼女にとって、己の身を縛る呪いの事はもはや二の次、三の次だった。
 今考えるべきは、自らが進めていたもう一つの計画。そして――

「――篠崎葵」

 ネギ=スプリングフィールドとは別に、自分が戦う様に仕向けた一人の男。恐らくは今も、自分を相手に戦うために己を鍛えるか、あるいは策を練っているであろう男を思い浮かべた。
 次は何を見せてくれるのか。今何をしているのか。どれほど強くなったのか。果たして自分を止める事が―― 打ち破る事が出来るのか。

 呪いが解けないかもしれないという不安でささくれ立った彼女の心を静めたのは、篠崎葵という男へ好奇心だった。
 間違いなく自分はおろか、魔法生徒の大半には及ばない――本人もそれを理解しているはずなのに、自分と戦う事を決めた男。彼と戦うであろうその日の事を考えると、自然と笑みが浮かんでくる。そして――

「お前という男は……桜通りで初めて会った時と言い、狙い澄ましたかのような時に現れるな――葵」
「おっと、お邪魔だったかな? てか、なんで下着だけなんだよ服着ろ」

 エヴァの後ろ――その校舎の屋上の入り口には、ちょうど彼女が思い浮かべていた男が静かに立っていた。

「ふん、坊やに少々してやられたのさ。それに、少々思う事があってな……こうしてここで身体を休めている。なんだ、ここで決着を付ける気か?」
「はっは、今はまだその時じゃないよ。待ちくたびれてるっていうのは確かにあったけどね」

 葵は何事もないようにエヴァが腰掛けている所まで歩き、同じように腰を降ろした。

「しかし、ネギ先生とやりあったのか。あの子は強かった?」
「ふん、才能も魔力も確かに一級品だが……。私には及ばんな」
「10歳児に勝った事を自信満々に言うなよ600歳児」
「貴様、くびり殺すぞっ?!」
「あっはっは!」

 彼女は軽い殺意を葵に対して向けたが、彼はそれを軽く受け流した。その後も何か言いたそうに葵を睨むエヴァだったが、途中で疲れたように溜息を一つ付くと、再び彼女は視線を夜景に向ける。

「ったく、どうも調子が狂うな……。たった一か月でよくもまぁここまで変わったものだ」
「変わったか?」
「少なくとも、私の殺意を軽く受け流すなど一月前に貴様には出来なかっただろうさ。耐えるだけで精一杯だった」
「それでも、今のはかなり軽い方だったろ? 桜通りの時の方が怖かったさ」

 実の所、桜通りの時よりも重い殺意を放っていたのだが、どうやら葵はそれには気がつかなかったようだ。よほど桜通りの印象が強かったのだろうか。

「……強くなったな、篠崎葵。だが、まだまだ私にはどう背伸びをしても届かんぞ?」
「ならば、どうにかして届かせるのが俺だよ。で、肝心の魔力は回復したのか?」
「……あぁ、随分と回復した。最も、呪いをかけられる前には遠く及ばんがな」

 葵は、エヴァの言葉に「なるほど」とうなずくと、いつの間にか抜いていた鉄扇を手元で置いて、独り言を紡ぐかのように口を開いた。

「ついさっき、とある人達の会議を『たまたま』聞いてしまったんだがな?」

 彼はエヴァの方を見ずに、『たまたま』を強調して言葉を紡ぐ。

「この学校の結界には、どうやら通常の結界とは違う物が一緒に組み込まれているらしくてな、そのおかげで管理が無茶苦茶大変らしい」

 エヴァは、急に語りだした葵に眉を顰めるが、その話題に感じるものがあったのか黙って聞いている。

「さて、その結界だけどな。元々は高位魔族の結界内での行動を制限する物らしいんだが、15年前に大改修を行ったらしいって話なんだけど――どう思う?」
「……貴様」

 ここで初めて、葵はエヴァの方を向いた。その顔には、まるで悪戯が成功して喜んでいる少年のような笑顔が浮かんでいた。
 15年前というのは、エヴァがこの学園に来たちょうどその時だった。その時に結界に改修が行われたのだとしたら、それはどう考えても彼女に対応するためとしか思えなかった。
 
「なぜ、それを私に教えた? その話が本当だとしたら、お前はますます勝ちから遠ざかるのだぞ?」
「さぁ、どうかな? 単純に全力で戦いと思っているだけかもしれないし、策を張り巡らせているかもしれない。ひょっとしたら、何も考えていないかもしれない。エヴァはどれだと思う?」

 さぁ、正解にたどり着いて見せろと言わんばかりにおどけて見せる葵に見て、エヴァは確信する。
 何が狙いかは分からない。だが、恐らく目の前の男がもたらした情報は本当の事なのだと。

そして篠崎葵は自分に――この『闇の福音』に勝つつもりなのだと、




「ク……。クック……クッハッハッハ! いいだろう、いいだろう! まさかこちらから突きつけたはずの挑戦を改めて突きつけられるとは思わなかったが……貴様のその挑戦! 宣戦布告! 確かに受け取ったぞ!!」

 エヴァは軽く魔力を込めて一気に飛び上がり、近場のフェンスの上に降り立ち彼を見下ろす。
 そのエヴァに対して葵は、戦う誓いを――純白の鉄扇を広げ、掲げて見せる。

「戦う日は、一週間後の大停電。お前はそう言いたいのだな?」

 もし、結界が自分の魔力を抑えているとなると、それを破るには全体的に警備が甘くなる大停電の時以外にない。先ほどの情報は、同時に決戦の日時を指し示しているとエヴァは推測した。それに葵は頷いて答える。

「ついでに言うなら、俺以外にゲストが来るかもしれんよ?」
「ほう? お前が巻き込む人間……まさか、ネギ=スプリングフィールドか? クックック、むしろ望むところだと言わせてもらおう。あの坊やの血と、貴様の記憶! 全て頂かせてもらうとしよう!!」

 
 実の所、今の彼女にネギへの興味はあっても、血に対する興味は大分薄れているのだが、葵はそれを知らない。彼女は、葵への挑発のために、まだ血を狙っているかのような素振りを見せる。

 そのままエヴァは静かに浮かび上がり、踵を返す。
「言っておくが、私には茶々丸と言う従者がいるぞ? なんならさっきから隠れて私を狙っている奴にも協力を頼むといい! 例え貴様がネギ=スプリングフィールドと共に戦うとしても、私の……私たちの有利は揺らがんぞ!!」

 そう叫び終えると同時に、彼女は空を飛んで夜の闇の中に消えていった。
 葵はそれを見送り、彼女の姿が見えなくなったのを確認してから静かにため息をつく。

「まったく、『先ほどの件』といい今の事といい……貴方の依頼は中々に怖いな」

 それと同時に、物陰から銃を構えていた龍宮が姿を現す。

「まさか、さっきの今で闇の福音に相対するなんて……先輩も肝が太いね」
「今じゃないと意味がなかったからさ。最も、既にネギ先生が襲われて血を吸われていたっていうのが予想外だったけど」

 もう少し早く動けばよかったかな? と呟きながら、葵は手元の鉄扇を閉じて腰に差し、再びその場に座り込む。龍宮もその横に座り込み。

「一週間後か……長いようで短いね」
「とりあえず、エヴァとの戦いについては打てる手は全て打った。――あ、でもまだネギ先生ともう一回接触しなきゃいけないな。龍宮、適当なタイミング見つけたら携帯で呼び出してくれ。そうだな……戦う日の前日でいい」
「前日? もっと早くなくて大丈夫かい?」
「前日でいい。長く考えられると、こちらの予想外の行動をとられる可能性がある」

 葵がそう言うと、龍宮は複雑な表情で何事かを考え始める。葵は、それが予想の範囲内だったのだろう。申し訳なさそうな顔で、彼女に謝る。

「すまない龍宮。結局、俺は子供を利用することになった」

 葵は、彼女と行動を共にしている内に、彼女が子供をとても大事にしていると言う事を理解していた。

「いや……。それに今回は、結果としてネギ先生の安全を確保するための行動でもある。納得できない所があるというのは否定しないが、理解できない程じゃない。こちらこそすまない、先輩。先輩がどういう思いでこの策を取ったかは理解しているつもりだったんだが……」

 龍宮は、軽く彼に頭を下げた後に、頭の中から何かを追いだすように軽く首を振る。長く綺麗な黒髪が軽く左右に揺れ、それが治まるころには既にいつもの笑みだった。

「さて、神社に戻ろうか。明日からはまた訓練だ。古や楓も、先輩と戦いたがっている」
「それは構わんが、3人同時はもう勘弁してくれ。あ、最悪エヴァと茶々丸さんを同時に相手して戦う場面が出るかもしれんから、やっぱやってもいいぞ。むしろお願いします」
「……先輩、本気で人間を止める気かい?」




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 そして日は瞬く間に流れ、一週間が経過した。


2003年 4月15日   ――待ちに待った決戦の幕が開く。









≪コメント≫

 な、難産な上にスランプ気味というか……当初の予定でしたらこの話、春休み最後の日に当る、近衛木乃香と一緒に逃走しているネギ先生と葵が遭遇するという話だったのですが、エヴァ編までが長くなる上に、木乃香が思った以上に書くのが難しいキャラだったために書き直しをしました。期間がだいぶ空いてしまい、皆さん大変申し訳ございませんでした。
 木乃香は喋り方も含めてもう一度コミックスで復習しておかないといけないキャラですねorz

 また、この回から独自解釈が増えていきます。どうか御注意の程を……
 てか、エヴァってなんだかんだでかなりネギの血を吸ってましたよね? いくら魔力を消費したとはいえ、その気になればすぐに呪い解けたんじゃなかろうかと思うのは作者だけでしょうか?


 皆さん、誤字の報告から提案、ご指摘まで本当にありがとうございます。
 これからもございましたら、厳しいお言葉であろうと真摯に受け止め、より良作に近づくために努力したいと思います。
それでは、まだ次回もよろしくお願いいたします!!



[33428] Phase.14
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/08/26 20:18
「龍宮君から話を聞いた時には、もしやと思ったが……まさか君が自ら来るとはのぅ」

 近衛近右衛門はその日、自分の生徒でもある傭兵――龍宮から自分と話し合いの場を設けたいと言っている人間がいる事は聞いていた。だが、それが何者かについては聞かされていなかった。

「お忙しい中、こちらとの会談に応じてくださってありがとうございます近衛理事長。既に知っているでしょうが、自己紹介を……麻帆良国際大学付属高等学校に所属しています、二年生の篠崎葵と申します」

 今、葵達がいるのは学園長室。この場にいるのは葵と、その後ろに控えている龍宮。そして机についている学園長、その両隣りには学園の警備の事で呼んでいた高畑先生と、近衛木乃香との事で呼び出していた桜咲刹那の姿があった。
 桜咲の姿を見た瞬間、なぜ自分を尾行していた彼女がここにいるのか疑問に思い眉をひそめた葵だが、既に賽が振られたのだと考え直し、第一手として自分の名前を名乗る。
 学園長と高畑は、始めこそ驚いていたものの今では落ち着きを取り戻していた。一方桜咲は、何かあれば即座に斬るという無言の圧力を彼に向けて放っていた。
 今回、いざという時の護衛に加えて、こちら側の存在感を増すために同行してもらった龍宮は、いつでも銃を抜けるよう警戒しながら、視線で殺気だっている刹那を制している。

「うむ。ならばこちらも……。知っておるだろうが、麻帆良学園理事長の近衛近右衛門じゃ。そして高畑君に、そちらの龍宮君のクラスメートでもある桜咲刹那君」
「『あの時』以来だね。久しぶり、篠崎君」
「……初めまして」

 葵からしてみたら目の前の少女は初めましてではない訳だが、それをほじくり返すとまた時間が掛かるので捨て置く事にした。

「お二人とも、ご紹介ありがとうございます。さて、このまま友好を深めたい所ですが、本題に入らせてもらってもよろしいでしょうか?」
「あぁ構わんとも。こうして自分の生徒から面と向かって何かを頼まれるというのは久しぶりでな。言ってごらんなさい」
「では……。自分は一週間後の夜、『真祖の吸血鬼』エヴァンジェリン――エヴァと決闘の約束があります。恐らく、もう既に御存じだとは思いますが?」

 ここで、桜咲が軽く反応を見せた事に葵は気がついた。

(? 知らされてなかった……? 学園長派の中でも軽い立場なのか?)

 軽く葵も戸惑ってしまう。もう一度よく彼女を見てみるが、やはりあの時自分を尾行していた少女だ。反学園長派らしき人間に、自分や龍宮といっしょくたに監視されているらしいので、学園長派である事は間違いないと葵は思っていた。
 唯一、彼の推理が外れていたのは、彼女が学園長の命令によって尾行していたのではなく、反学園長派の人間に唆されて行っていたと言う事なのだが。

「ほう、どうして儂らがその事を知っておると思ったんじゃ?」

 学園長の切り出しがなければ、そのまま思考の海に入っていただろう葵は、内心慌てながらも、何食わぬ顔で学園長に言葉を返した。

「ここにきて、ごまかしは止めましょう。時間の無駄ですよ、学園長。彼女を……エヴァをネギ先生のクラスに置いている事から、ある程度のつながりがある事は一目瞭然です。それに、貴方もそれを隠すつもりはないでしょう? わざわざ出席簿に相談役である事を書き込んでいた位だ。」
「……そうか、そういえば今日君はネギ君と話しこんでおったの」
「やはり監視していましたか。見張り役は彼女ですか?」

 葵が視線で桜咲を示すと、彼女は無表情のまま――だが、どこか戸惑いを見せて学園長の方を向く。
 学園長は、軽く桜咲の方に向かって手を軽く振り、

「女子校のエリアの近くに、なぜか男子生徒がいたんじゃ。気になって報告をするものじゃろう?」
「……なるほど、確かにそうですね。自分も不用心でした」

 この話はここで終わり。学園長が言外に込めた意味を受けて、葵もこの話題はここで打ち切ることにした。

「話を戻しましょう。自分は大停電の夜、エヴァンジェリンと戦う。これは決定事項です。賭け金は自分の記憶。私は決して負けられません」
「ほう、儂らにエヴァを止めろと言うのかね?」
「いえ、それは愚策の中の愚策。彼女から受けているある種の信頼を穢し、問答無用で記憶を奪われるでしょう。一度戦いを受けると宣言した以上、それは出来ません」

 もっとも、策は練りますがね。と薄く笑う葵に、学園長は少し興味を引かれたのか軽く身を乗り出す。

「あのエヴァを嵌めるというのかね? ほほう、ではお願い事というのはその手助けかね?」
「はい。少々大変なお願いですが……。エヴァンジェリンに関する学園側が持つ情報の提供、及び仕掛けの手助け。それが自分の望む事です」

 それを聞くと、学園長はふむふむと頷き、口を開こうとする。だが、

「お待ちください」

 それを遮ったのは、桜咲刹那だった。彼女は、その鋭い目で葵を睨みつけ、

「篠崎先輩。若輩の身で失礼ですが、いくらなんでも調子が過ぎると思います。一方的な学園への要求など失礼では? せめて何か対価を提示すべきだと私は思います」

 と、その目と同じような鋭い口調で言い切った。
 葵からしてみれば、自分が対価を最初から用意していましたと言うよりも、向こうが先に請求してきたから用意した。そういう流れの方が、後々更に対価を求められる可能性が少なくなる上に、こちらが提示する札が一枚減るので、むしろ望む所だったのだが……。


「「はぁ……」」

 どうやら、学園長達は薄々葵の狙いは分かっていたらしく、それをいきなり桜咲が突いてしまった事に、二人揃ってため息をついている。

「え……え? あの、私なにか粗相を? よよ、良く分かりませんけど……申し訳ございません!!」

 桜咲は分かっていない様子で、少し肩の力が抜けてしまった学園長と高畑の二人に、自分が何か失敗したのかと思って慌てて謝罪を始めている。

「いやいや、刹那君は悪くないよ。無駄に腹の探り合いを始めた僕たちが悪かった」

 高畑は、苦笑いをしながら刹那のフォローに入る。

「高畑先生。それだと自分も悪いという事になるのですが?」
「ふぉっふぉっふぉ。初めから対価を用意しておるじゃろうに、こちらが更に上を要求してくるかもしれんと無駄に裏を読みすぎて出し渋った君が悪くないと?」

 学園長は、さも愉快そうに笑っている。その態度と言葉に、葵は自分の対価の内容まではともかく、おおよその所は見当が付けられている事を悟った。
 葵がこっそり後ろを振り返ると、味方のはずの龍宮も苦笑している。

(ちくしょう。独り相撲だった訳か……。くそっ、警戒しすぎた!)

「……例えどのような状況でも備えは必要だと思うのですが? 学園長」

 悪あがき――はたから見たら拗ねてるようにも見える台詞を吐きながら、葵は状況を仕切り直す。

「ふぉっふぉっふぉ。さて、刹那君のおかげで場もほぐれた。聞かせてもらおう篠崎君。君は我々に何を与えてくれるのかね? さすがに全てに頷ける訳ではないが、キチンとした交渉の場に乗ろうではないか」

 学園長は、変わらぬ笑顔のまま、今この場において葵と自分が対等の立場としてここに立っていると言う事を告げてくる。
 葵は、色々遠回りにはなったものの、対等な交渉の場に着くという第一段階をクリアした事に、内心安堵のため息を漏らす。

「わかりました。こちらの手札は二つ。一つは、学園長。貴方に敵対・反発している者たちの排除への協力。今現在、非協力的、あるいは敵対しつつある派閥を潰すのに人……あるいは場を整えるのに時間が足りなかったのでは? でなければ、停電による結界の弱体化及びそれに伴う警備の強化が必要になるまで彼らを放置している理由はないでしょう。どうして手が出せなかったかは分かりませんが……」

 葵は一度言葉を区切り、その間に頭の中を整理しておく。

「恐らくエヴァと共謀して既に策を練っている事でしょう? それに対する全面的な協力。それが自分の一枚目の札です」
「ふむ……確かに、君の言うとおり我々には協力者が必要だ。しかし、現状でも対応するための準備は進めてきておる。そこにほんの一か月そこら訓練をした程度の君が加わっても、儂らに旨みはそれほどないと思うんじゃが?」

「……言うほど、貴方達は楽な立ち位置ではないはずです。なにせ『闇の福音と英雄の息子を同時に餌として使おうとしている』程です。加えて実際に行動を起こした際に、どんなイレギュラーが起こったとしても不思議ではありません」

「そこに、エヴァ以外にある程度の事情を知っていている人間を、保険として送り込む事に旨みがないと? 更に言えば、自分は既にネギ先生と接触しています。そして自分にはネギ先生との共通の敵(エヴァンジェリン)がいる。これから同じ目的を持っているものとして彼に再度接触し、貴方達の望むように彼を誘導する事も可能です」

「一度話してみた所、彼はよほどの事情がない限り、一人で背負いたがる傾向があるように見られます。外部から誘導するのにも一苦労するでしょう。その『よほどの事情』がある自分が、彼の傍にいるのが旨みではないと?」

 葵の言葉に、学園長は何かを考え込むように長くのびた自分の髭を撫でている。
 高畑は静かに笑みを浮かべているだけだが、内心葵を見定めていた。
 
「なるほど、確かにネギ君は一人で背負い込みやすい性格じゃ。だが言ったはずじゃ、『現状でも対応できる準備は出来ておる』とな。旨みがある事は理解した。だがその旨みが、十全に足るかどうかはまた別の話じゃ。……という建前を置いて本音を言わせてもらうとな」




 学園長は一息吐くと、重々しい口調で葵を非難するような口調で――




「さっさと札を全部切らんかい、刹那ちゃんが目を白黒させてるばかりで話に付いて来れてないじゃろが」




 一方、桜咲は話に付いていけてなかった。





「……これは、その……失礼しました」
「4人共揃ってこっちを見ないでください……っ!!」

 学園長が真面目な口調のままそう言うと、桜咲はそこはかとなく顔を紅く染めながら俯く。
 あえてツッコミを入れるならば、高畑は桜咲の方を見ておらず、気まずそうに窓の外を向いて苦笑しているので、桜咲にある意味暖かい目線を向けているのは学園長に龍宮、葵の3人だけである。
 交渉のための緊張感がまるで紙やすりで削られていくかの如く薄れていくのを感じながら、葵は一度咳払いをして気持ちを取り戻す。


「話を戻しましょう。とりあえず、一応旨みがある事は理解していただけたと思います。ですから、ここで自分が提示するのは、この騒動が終わった後についてです」
「ほう? ……狩り残しの雑草についてかね?」
「それもありますが……一番大事なのは、これからここで育っていく樹木達の方でしょう? そして、その中心になる……あるいは助けになるであろう人物として彼を欲している。これが自分の2枚目の札」








「『英雄の息子』ネギ=スプリングフィールドを、確実に貴方の手元に置いておける計画……とりあえずは耳に入れてもらえないでしょうか?」









『Phase14. 開幕』









 時刻は21時を少し廻ったくらいだろうか。既に街中から明かりは消えて闇に包まれている。それはつまり、既に戦いが始まっている事を示していた。
 自分が操る4人の僕を相手に善戦しているネギを眺めながら、エヴァンジェリンは退屈そうな顔を浮かべていた。
 確かに、強い。先日彼を襲った時にも同じ感想を抱いた。だがネギは、あの時よりも恐るべき速度で学習・成長していっている。それはいい、だが――

「どこに隠れた……篠崎葵」

 もう一人のメインゲスト――篠崎葵の姿が見えない。茶々丸に学園側の結界を『はっきんぐ』とやらで解き放ち、魔力を取り戻してすぐに彼の気配を、魔力の痕跡を探したがどこにも見当たらない。

「隠遁術か? 学園からは出ていないと思うが……よくもまぁ、短期間で色々と覚えたものだ」

 恐らくは時間稼ぎ……あるいは策を仕掛けている途中なのか……。
 未だに姿を見せない男の事を考えながら、とりあえずは辺りを警戒しながら目の前の少年に集中し直す。
 

――早く来い、篠崎葵。私を退屈させてくれるなよ……?




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




ネギ=スプリングフィールドにとって、その男子生徒は大変な変わり者だった。
初めて会った時、女子校の近くで立ちすくんでいるものだから何事だろうと思って話しかけてみた。すると、彼は自分が受け持っている生徒の友人だったということが判明した。
 ネギからしてみたら少しとっつきづらい生徒――龍宮真名が、少なくとも彼に対しては軽く冗談を言い合って会話をしていた。……少し怖かったが。
 それから彼とはしばらく面識はなく、報道部に属している生徒の噂話でチラチラと話を聞く程度だった。
 彼が変わり者だと認識出来たのは、つい先日の事だった。あのどこか飄々とした感じのある年上の男子生徒は、なんともない顔で自分に力を貸してほしいと頼んできた。その時は、エヴァンジェリンを相手に戦う事で頭が一杯だったので後々話を聞こうと返そうとした所、彼は予想外の言葉を口にしたのだ。

『お願いしますネギ先生。真祖の吸血鬼と戦うために力を貸して欲しいんです』

 まさか、自分以外に彼女と戦おうとしている人がいるとネギは思っていなかった。
 その想定外の人物が、自分に『共に戦おう』と言ってくれている。
 ネギに協力してくれると言ってくれる人間はいたが、その娘は自分の生徒であり、さらにいえば巻き込んでしまった人間だ。そこに現れた、エヴァンジェリンと戦わなければいけないという人間。ネギはしばらく彼と話し、パートナーであるオコジョのカモとも相談したうえで彼と共闘する事を決めた。
 それは、無関係ではない人間なら巻き込んでも……という逃避に近い考えだったと、ネギは自分で気が付いていた。それでもネギは、対等な協力者が現れた事実が嬉しかった。
 共に困難に立ち向かってくれる人がいるなら、自分が……自分「も」最善を尽くさなければ申し訳ない。


(だから、あの人の仕掛けが終わるまで時間を……っ! )


「あっはははは! 一緒に遊ぼうよネギくぅぅん!!」
「しっかりして下さい、まき絵さん! て、うわ危な――!?」


 今、ネギが相手をしているのは自分のクラスの生徒である4人の少女達。いずれもエヴァンジェリンによって眷属と化している。そのため身体能力が馬鹿みたいに上がっており、普通では考えられない動きで建物の壁を走り、屋上から屋上へと飛び移りながらボールを投げてきたり蹴り飛ばそうとしたりと、様々な手段でネギに襲いかかってきている。
ちょうど今は、新体操部に所属している女生徒が人間では不可能な跳躍をした後に、杖に跨って空を飛んでいたネギをキックで蹴り落とそうとした所だ。
今まで純粋な魔法使いとしての訓練しか受けていないネギにとって、操られている生徒達は実に厄介な相手となっている。

「こ……っのぉ……!」

 この後に控えているエヴァンジェリンとの戦いのためにも、用意した魔法薬等の装備は可能な限り温存しておかねばならない。本来なら自分自身で魔法を唱えればいいかもしれないが、今のネギは『既にかなりの魔力を消耗している』のだ。

(今僕が持っている装備で、広範囲の敵をまとめて相手に出来るものは……これだっ!)

 即座に決断したネギは、懐から魔法薬の入ったフラスコを放り投げると同時に簡易詠唱を始める。

「風花 武装解除(フランス・エクサルマティオー)!!」

 ネギが詠唱を終えるのと同時に数百個もの風船が同時に破裂したような音が響き渡り、溢れ出た風が少女達の持つ武器――バスケットボールやリボンなどを吹き飛ばし、同時に動きを封じる。
 その隙にネギは、完全に彼女たちを無傷で封じるための呪文の詠唱に移る。

「続けて……大気よ 水よ 白霧となれ(アーエール・エト・アクタ・ファクタ・ネブラ) 彼の者等に 一時の安息を((フィク・ソンヌム・ブレウェム) 眠りの霧(ネブラ・ヒュプノーテエイカ)!!」

 触れた物を深い眠りへと落とす霧を発生させて、自分に向かってきていた少女達をまとめてその中に包み込む。
 ちょうどその時、葵から渡されたトランシーバーが二回一定間隔で懐のポケットの中からノイズを発した。共闘する事が決定し、互いに話し合って作戦を決めた時に出来た相図だ。一回ならば作戦延期、逃走に専念する事。三回ならば作戦に重大な欠陥が発生。即座に合流して態勢を立て直す事。二回鳴った時は




――作戦準備完了。



(遅いですよ、篠崎さん!)

 用意したマジックアイテムを温存しなければならないと思いつつ、それを使わずにひたすら逃げ切り続けた自分を褒めると同時に、ピタリ時間通りなのだがもっと早く準備を終わらせて欲しかったと、内心葵に文句をぶつけるネギ。
 早速、用意された場所に向かおうとするのだが、そのネギに背後から空を駈けて迫る姿があった。

「アッハハハ! 思ったよりもやってくれるじゃないか、坊や!! なら、こいつはかわせるかな!?」
「エヴァンジェリンさん!? こんなタイミングで……っ!」
「魔法の射手(サギタ・マギカ)連弾・氷の17矢(セリエス・グラキアーリス)!!」

 以前のような魔法薬ではなく、純粋な彼女の魔力によって放たれた魔法はかつてネギが受けたそれとは比べ物にならない威力だった。
 とっさに手にした魔法銃で迎撃、全弾撃ち落としはしたものの弾切れになってしまった。

(急がなきゃ……急いであの場所まで……っ!)

 後ろからは、エヴァンジェリンが高笑いしながら真っ直ぐネギの後を追ってきている。
 大前提であるエヴァンジェリンのおびき出しが成功している事に、思わずネギは顔を緩めそうになりながらも、なんとか必死な表情に戻して杖を操作して一気に空を駆ける。




―― 停電復旧まで、あと72分21秒。









[33428] Phase.15
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/09/16 13:42
(どれだけ才能はあっても、所詮は10歳の子供ということか……)

 目の前で自分に首根っこを押さえられて苦しそうにもがくネギの顔を見ながら、エヴァは内心ため息をつく。
 
 ネギが取った作戦は二つ。
一つは自分が危機に陥った時に確実に逃げられるように、学園結界の端に位置する大橋にエヴァをおびき出して、不利になったら橋の向こう側――学園結界の外側に逃げだすというもの。
そしてもう一つは、事前に張っておいた魔法による捕縛のトラップである。

 一瞬焦りはしたものの、かつてネギの父親に同じような手でやられている彼女がその可能性を考慮していないわけがなかった。

 従者――茶々丸の補助を得てあっさりと罠を解除したエヴァは、不用意に近づいて来ていたネギの首根っこを押さえつけて地面にねじ伏せた。

「ぐ……あっ……!」
「はっはっ! どうした坊や、もう終わりか!?」

 押さえつけられているネギは、身の丈より長い杖を振るって魔法を放とうとするがそれもエヴァに見切られ、逆に杖を奪われてしまう。

 奪った杖を一瞥するエヴァはそれを憎々しげに睨みつけると、それをネギの手の届かない所に放り投げる。

「どうした坊や。魔力がある程度戻ったとはいえ、私の力はまだ完全には戻っていないぞ? ほら、その小さな体で私を払いのけて杖を手に取って見せろ」

 押さえつけたネギの耳元でそう囁くエヴァだが、彼女はネギがこの状態から抜け出す事が不可能な事は分かっていた。伊達に600年も生きてきたわけではないのだ。

(とりあえず坊やの実力は分かった。従者さえいればまた違う結果になったかも知れんが……。さてどうやって事態に収拾をつけるか)

 てっきり疲弊した所を葵が突いてくると思ったのだが、彼が姿を現す気配は未だにない。

「……あの男……篠崎葵はどこに行った?」

 協力して事に当っているのか、それとも葵が上手い事ネギを利用しているのかを確かめるためにエヴァは彼の顔を無理矢理こちらに向けさせて尋ねる。
ネギは悔しそうな顔でエヴァの方を見るが、その先に何かを見つけ――





――圧倒的に不利なはずの彼は、隠そうとして隠しきれない笑顔を顔に浮かべた。




「――っ!?」

 とっさにエヴァはネギから飛びのく。が、それから一拍遅れて機械が作動する時のような音が辺りを包みこむ。
 それと同時にエヴァにとってつい数時間前までずっと感じていた体の重さが蘇って来た。

「これは……ばかな、学園結界だと!?」

 目の前でゆっくりと起き上がったネギに対して『魔法の矢』を撃ち込もうとするエヴァだがその手から、その体からは魔力が上手く放出されない。出来ない。
 今まで同様、自身の魔力が上手く練れなくなっていた。




「は……はは……はっはっはっはっは!! そうか、これがお前の策か!!」




 つい先日まで自分と真正面から戦う事をそれほど想定していなかったネギには、この仕掛けはまず不可能。
 ましてや『学園長やタカミチにこの事を喋ったら、周囲の人間が危険になる』という脅し文句を真に受けていたネギに、学園側との交渉など決してできない。




 ならば残るのは――たった一人しかいなかった。





「待ちかねたぞ! 篠崎……篠崎葵!!」


 振り向いたエヴァの視線の先には、ここでは珍しくないブレザーを羽織り、純白の鉄扇を閉じたまま構えている葵の姿があった。







『Phase.15 イレギュラーなコンビ』






「茶々丸!!」

 ようやく姿を現した葵に対して、エヴァは即座に自分の従者を差し向ける。
 従者――茶々丸もそれに反応して葵に殴りかかるが、それを葵は当然のように開いた鉄扇で受け止める。
 ガツッ! と鈍い音が響き渡り、葵と茶々丸は自分の武器に、拳に力を込めて競り合うがそれが無意味であると悟ると互いに距離を取った。
 それをエヴァは「ほう……」と面白そうに見て、ゆっくりと彼に向って近づく

「茶々丸の一撃を難なく止めたか。どうやら本当に一か月で戦えるだけの準備はしてきたようだな、葵」
「……そういう約束だったからな。そうだろう、エヴァ?」

 鉄扇を手元でくるりと回して、そのままそれを広げる葵。それに対してエヴァは不敵な笑みを浮かべてみせる。

「まさかジジィどもを味方につけるとは思ってなかったよ。一体どんな対価を払った? 聞かせてくれないか『役者君』?」
「さぁ? これが終わったら学園長に聞いてみるといいさ」

 口で軽い言い合いをしていると、エヴァの背後で立ちあがって態勢を立て直したネギが呪文を唱えて杖を取り戻し、油断なくエヴァと茶々丸に向けて構えている。
 ちょうど葵とネギの二人で、エヴァと従者の茶々丸を挟み込む形である。

 それを尻目に見ながらエヴァは内心、一週間前になぜ葵が自分に学園結界の事を教えたのかその理由について考えていた。

 恐らくあの時点で、この学園結界の『模造品』の作成に目途が立っていたのだ。そこであえて学園結界についての情報を教えてそれについて調べさせるように仕向ける。
 結果、それを調べるためにこちらの吸血行為はストップし、今こうして普段よりも少し力が落ちている状態で戦う羽目になっている。加えて己の口で魔法を唱えて戦うつもりだったから、いつも携帯している魔法薬も今回は持ってきていない。
 つまり、エヴァが想定していた以上のハンディキャップを背負って戦うことになったのだ。


「くっくっく。そうだな、後でじっくり聞かせてもらうとしようか……。その口から! 貴様の記憶を消しさるその前にっ!!」


 だが、それで圧倒的に彼女が不利になったかといえばそうではない。むしろ、これだけ力を抑えられてもまだ『真祖の吸血鬼』を抑え込むには足りない。まったく足りない。


 彼女は葵を睨みつけたまま後ろに軽く跳躍し、後ろから魔法薬を使って魔法を放とうとしていたネギの首を掴んで持ち上げる。


「が……ぁ……っ」

「この程度のハンデで私が怯むとでも? 確かに、少しでもリスクを減らすために力を取り戻そうと吸血行為を行ってはいたが……そもそもの地力が違うということが分かるか? そして見えるか? お前達と私の間にある、600年の経験という壁の厚さがっ!!」

「――っち! ネギ先生!」


 ネギを解放させるために、エヴァに向かって攻撃を仕掛けようとした葵だが、エヴァはそのままネギを葵に向かって投げつけその後を追う様に走り出す。
 茶々丸も主人の後を追って来ているのが、投げ飛ばされたネギ越しに葵には見えた。

「く……のっ!」
 
 咄嗟にネギを抱き止めるのと同時に、エヴァの攻撃を警戒する葵。まず彼の目に入ったのは、こちらに向けて魔法を撃つかのように手を突き出しているエヴァの姿だった。
 今の彼女に、魔法薬なしでは魔法は使えないはずである。
 それを見て思考を走らせた葵の脳裏をよぎったのは、一度彼女を相手に立ち廻った時に見た不可視の攻撃。つまりは――

「ネギ先生すみません!!」

 大声で、抱えている子供先生に謝りながら彼を自分の斜め後ろに放り出し、自分も横に跳躍する。
 それと同時に、見えない何かが空を斬る音がいままで葵がいた場所に、そして今立っている所の周囲で――そこらかしこで鳴り響く。

(やっぱり糸か! ちくしょう、これも置いてきてくれればよかったのに!!)


 以前葵が立ち廻った時には、エヴァは糸を一本だけしか使っていなかった。そのため葵も、精々同時に使えるのは2、3本くらいまでだと予想していたのだが……

 いや、問題は操れる本数ではなかった。


「どうした葵。周囲に気を配るばかりでは私の従者には勝てんぞ」

「ここまで器用に操れるのかよ! くそが!!」


 余裕の表情を浮かべて挑発しながらも、葵の前から、後ろから、右から、左から、頭上から、足元から……ありとあらゆる場所から攻撃してくるエヴァに対し、思わず悪態をつく葵。
 直感と短いながらの特訓での経験を持ってようやく回避しきった葵の眼前には、再びこちらに向けて攻撃を放とうとしている茶々丸の姿があった。


「申し訳ありません篠崎様。マスターの命により、少々本気でいかせていただきます」


 静かだがはっきりと通る声でそう告げる茶々丸。すでに戦闘態勢の入った状態で葵の懐に飛び込んでくる。
 彼女の流れるような拳や脚技を葵は回避し、開いた鉄扇で受け流し、そして機を見て反撃を繰り出す。
 だがそのどれもが決定打とはならない。
 ロボットにしては、あるいはロボットだからこそか……。茶々丸は驚異的なバランス感覚と的確な見切りで、態勢を崩させようとする葵の目論みを全て外している。



(さすがはエヴァの従者だよホントに! だけど――)



「魔法の矢(サギタマギカ)戒めの風矢(アエール・カプトゥーラエ)!!」
 

 葵が放り出したネギは、装備等が無事であることを確認するとすぐに気を引き締め直し、魔法薬を使って茶々丸に向かって捕縛属性の魔法の矢を放つ。
 やはりそれを回避する茶々丸だが、確実に攻撃の手が緩みだした。そして葵の目はそれを見逃さない。
 押され気味だった葵と茶々丸達の戦いが、ネギの援護により拮抗し始める。

 
「ネギ先生、魔力はまだ大丈夫ですか!?」

「問題ありません。行きます!!」



 彼らの戦いは始まったばかりだった。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 エヴァンジェリンは、わずかに使える魔力を糸に込めて操って二人の行動を阻害し、時に茶々丸の隙を見て投げつけられた投擲用のナイフや魔法を回避しながら茶々丸の後ろから観察していた。

(ふむ、坊やが妙に魔法薬やら魔法銃といった装備を気にしているのが引っかかっていたが……。なるほど、この紛い物の結界は坊やの魔力で構成されているのか)

 葵がギリギリまで姿を見せなかった事まで考えると、ネギは最初から魔力を最低限戦闘に耐えうる分だけ残し、その大半を魔法薬の中に圧縮しておいたのだろうとエヴァは推測した。
 それを結界の構造・構成を理解していたのであろう葵に渡して、自分は準備が整うまでの時間稼ぎの役目を……といった所だと。

(ジジィめ。葵を保険に使ったか……いや、葵が自分を使わせたのか)


 口に出さずに学園長への呪詛を唱えたエヴァは、再び眼前の『戦場』に目を戻す。


(まぁいい。なんにせよ、いかに膨大な魔力を持っていようが所詮は人のソレ。この紛い物も坊やの魔力量からして……30分といった所か。そこからさらに坊やが魔力を温存したとしてもって20分)

 考えながらもエヴァは、念のために持ってきていた糸に己の魔力を込め、葵の首を狙い操る。が、葵は鉄扇で受け止め絡ませることでそれを回避し、その勢いで詠唱中のネギに跳びかかろうとしていた茶々丸を食い止める。

 結界さえなければ、純粋な魔力のみの糸と人形遣いの技でもっと自分好みの展開に事を運ぶこともできたのに……と、内心歯噛みするエヴァンジェリン。
 
「結界の魔力が切れた瞬間がお前達の敗北。それなりに策を練り、拮抗状態を作り出せた事には称賛を贈るが……決定打には欠けているこの状況。さぁ、どうする葵?」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






(結界作動時のエヴァの力は、魔法抜きでもかなりの格上。勝てるかどうかは微妙な所と見ていたけど……それでも見積もりが甘かった! 600年の経験値がどうしようもないくらいに厚い!!)

 麻帆良学園都市のメンテナンスは夜の八時から深夜零時までの4時間に渡って行われる。その四時間が大停電というわけだ。その間だけがエヴァが本気で戦える時間帯な訳だが、かといってその4時間の間ずっと逃げ切る、あるいは戦い続けるのは不可能だ。
 そのために葵は、ほんの数十分の間でも勝ちうる機会を作りそこに全力を注ぎこむという作戦を取ったのだが――


(従者さえ……絡繰さんの行動さえ封じられればこちらにも勝機が出来るんだけど……っ!)


 葵の最大の誤算は、エヴァが魔法を使用できなくなった時の戦闘力がどれほどのものか把握……もとい、理解をしていなかったという事だ。

 葵の中では、魔法使いにとっての最大の武器となる魔法を完全に取りあげれば、その戦闘力は大幅に落ちるはず。そこに付け込むはずだったのだが、エヴァンジェリンが従者並み――否、それ以上の技の持ち主だとは思っていなかった。


「篠崎さん。エヴァンジェリンさんの攻撃は一体なんなんですか!?」

「糸ですよ、ネギ先生。糸に気か魔力のどちらか――多分魔力でしょうが……それを通して操っているんです。ありえない機動で飛んできますから自分に任せて、先生はとにかく従者を狙ってください!」


 詠唱を中断して大声で質問してくるネギに、少しイラつきながらも答える葵。その後ネギに詠唱を促す。が、先ほどまでよりも精度を欠いている様に葵は感じた。
 何かを気を取られて集中できていないようだ。
 一瞬声をかけようかと葵は思ったが、そうしている内にも今度は茶々丸とエヴァが同時に攻撃を仕掛けてくる。


「ふははは! どうした篠崎葵? 貴様の策はネタ切れか!?」

「……少しばかり有利だからと調子に乗って――!」


 どうにかギリギリの所で茶々丸の拳を鉄扇で受け止め、エヴァの糸は気を纏わせた左腕に絡ませた上で掴み取る。


「状況が圧倒的に有利不利なんじゃなくて、拮抗してるっていう事がどういうことか教えてやるよ――なぁっ!!」

 エヴァの糸を掴んだまま体を捻り、茶々丸からの攻撃を交わしながら彼女を中心に円を描くように体を動かす葵。結果――

「――! 体の動作が……?」

 茶々丸の体にエヴァの糸がそのまま絡みつき、彼女の動きを阻害する。

「はぁぁぁっ!!」

 動きが止まった一瞬の間に歩法を使い茶々丸との間合いを詰め、手元の鉄扇を一閃させる。

「馬鹿が。それで糸を攻略したつもりか?」

 だが、結局その鉄扇は茶々丸に当る事はなかった。エヴァが不愉快そうに顔をしかめながら彼女に絡みついている糸に通してあった魔力を解き、同時にもう一本の糸でその糸を切断する。結果茶々丸はあっさりと体の自由を取り戻し、回避行動に移る。


(だけどそれでいい。俺の狙いは最初から――)


 葵の目に映るのは、茶々丸が回避行動に移ったおかげで遮るものが無くなり、しっかりとその姿を見ることが出来る少女と



――彼女に向かって一直線に駆けだしている少年の姿。



「俺の狙いは最初からお前なんだよ――ってネギせんせぇぇぇぇっ!!?」


 訓練とはまた違う圧倒的な強者との戦いで精神的に張り詰めていた葵だが、共に戦っていた人間の思わぬ行動に思わず精神状態が素のそれに戻ってしまい、茫然とネギの行動を眺めてしまった。

 葵の上げた声に振り向く事もなく、ネギ=スプリングフィールドは真っ直ぐに葵が狙っていた目標に――エヴァンジェリンに向かって真っ直ぐに走っていく。


「うわあぁぁぁぁぁぁっ!!」

「ふん。今度は坊やか」


 叫び声を上げながらエヴァに跳びかかるネギに対して、エヴァは軽く手元を動かす。
 その直後に、先ほどまでうるさい程にそこらかしこで鳴っていた物と同じ音がネギの目の前から鳴り響く。
 エヴァは必死の形相で向かってくるネギを退屈そうな顔で眺めながら、

「ほら。これでおしまいだ」

 エヴァはそう言って、ハエを手で追い払うような仕草でネギに向けて糸を繰り出す。
 その仕草にどこに糸が飛んでくるのか予測を着けたのか、ネギはそのまま真っ直ぐ『ちょうど糸が待ち構えている場所』目掛けて跳躍した。




――『は?』




 ネギの援護に入ろうとしていた葵も、それを待ち構えていたエヴァも同時に口をポカンと開けて、思わずネギの奇行をそのまま見てしまう。
 
 ネギは、そのまま飛び込んで魔力を纏わせた杖を糸があるであろうに向かって振るい、葵がやった様に糸を絡め取った。そのまま気合いを入れるためか、そのまま叫びながら更に杖に魔力を込めるネギ。その狙いは――


「――っ! そうか、糸の魔力に干渉をっ!」


 ネギの魔力が杖から糸へと伝わり、それを彼はわざと暴発させてエヴァンジェリンの魔力とぶつけあった。
 結果――互いの魔力が相殺し、杖に絡みついていた糸ごと互いの魔力が弾け飛んだ。
 
 ズシャアッ! と、魔力の相殺の威力に吹き飛ばされて転がりながら地面に叩きつけられたネギだが、目の前で糸が散り散りになって舞い散るのを見るやいなやガッツポーズを取って「やった!!」と喜んでいる。



――よくもまぁあんな無茶に踏み切れたものだ……。



 そう呆れながら、葵はネギの傍に駆け寄る。 
 向こうでは、ネギと同じように吹き飛ばされたエヴァを守るように茶々丸が立ち塞がっている。
 もっとも、エヴァの方はあっさりと立ちあがっている所から見て、さしたるダメージを受けていない様だった。
 唯一のダメージがあるとすれば、糸を操っていたのだろう右手の指から少し血が滴り落ちている事くらいだ。
 ともあれ、相手はこれで武器を失った。そう判断した葵は再び彼女たちに向き合い、鉄扇を構える。――前に、


「えへへ。これでもう糸は使えませんよエヴァンジェリンさん! ……あれ? 篠崎さん、なんで頭を撫でてるんですか?」

 葵は微笑みながら、杖を構えて自慢げにエヴァ達に向かい合っているネギの頭にそっと手を乗せると









――そのまま頭を握りつぶすように鷲掴みにした。





「葵さん、なんで指にすっごい力入れてるんですかぁたたたたたたたたたぁっ!!!??」

「ネギ先生、これが終わったら後で説教です。い・い・で・す・ね?」



―― 事前に相談なしに心臓に悪い事しないでください。いやマジで。何かあったら龍宮に殺されるんですよ俺……っ!?



 半ば理不尽などうしようもない事で内心冷や汗をダラダラと流しながら、葵は満面の笑顔のままネギの頭のミシミシィッと責め続ける。
 葵の言葉にカクカクと首――というか頭を縦に振って肯定の意を示すネギに葵は満足しながら、次の一手を考える。



 特に、向こうで不気味な笑みを浮かべている少女の顔を見れば、そうせざるを得ない。





―― ヤバイ、完全にスイッチが入っちゃったみたいだ……。




 今までのどこか遊び心のあったのとは違う圧倒的な威圧に気圧されるのが理解できた。なんとかそれに耐えながら、葵は自分達の持ち札とその切り時を計算し……鉄扇越しにエヴァンジェリン達を睨みつける。

 その時、葵の目に橋の向こうからこちらに向かって文字通り『爆走』してくる少女の姿が見えた。



『こらー!! 待ちなさーい!!!』



 見覚えのあるオコジョを肩に乗せて、特徴的なツインテールを左右に揺らしながらこちらに向かってくる少女。



―― 『神楽坂明日菜』もまた、こうして舞台に上がるのだった。






≪コメント≫
 投稿が大変遅れて申し訳ございませんでした。
 中々満足のいくような流れが作れず思考錯誤を重ねていましたorz

 前回の交渉に関してですが、自分でも陳腐だとは思ったのですが後々の展開のためにどうしても必要だと思い、ああいった流れにしました。
 不満に思わせてしまった方、不愉快な気分にさせてしまった方には大変申し訳ございませんでした。どうかご了承のほどをお願いいたします。

 これから皆さんを納得させられる話になるかどうかはまだ分かりませんが、少しでも御期待に添えるように頑張っていきたいです。

 これからのこの作品を、どうかよろしくお願いいたします。


≪2012/08/26≫



[33428] Phase.16
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/09/29 23:57
 篠崎葵は心底驚き、困惑していた。

 いよいよクライマックスかと思っていたその時に、いきなり女子生徒が飛び込んできた事。ついでにその肩には、ネギと共に今回の策を練ったオコジョがなぜか乗っている事。

 本気になりつつあったエヴァンジェリンが、飛び込み参加のただの女子生徒に従者もろとも蹴り飛ばされ、地面を削るようにズザザーッと飛ばされていった事に。

 そしてその勢いで少女がこちらに走ってきて『大の男が子供に何してんのよー!!』と叫びながら、回避する間もない見事なとび膝蹴りをアゴに決め、結果エヴァンジェリンと同じように自分が地面に這いつくばっている事に。

 ネギの頭を鷲掴みにしていたことから、恐らくは敵(エヴァ)側の人間だと思われたのか、ただの暴力高校生と思われたのか……。
 どちらもそれほど変わりはないのだが、せめて前者である事を葵は心の底から祈っていた。


(おぉ……まだ世界が揺れてやがる……)


 真祖の吸血鬼よりも先に、女子生徒――制服からして恐らく龍宮と同じ学校の中等部の生徒――からダメージをもらうとは……。
 そこはかとなく情けない気持ちになりながらも、揺れる視界と顎の痛みを我慢してどうにか立ちあがる葵。
 エヴァもまた同時に立ちあがったが、蹴り飛ばされたときに打ったのだろうか片手で鼻を押さえていた。
 よっぽど痛かったのだろう、軽く涙目になっている。

「くっ……おい葵! あいつらはどこに消えた!?」

 加えて、あの少女はネギを引っ掴んだままどこかへと消えてしまっていた。
 身を隠しただけなのか、あるいは逃走したのか……。
 
(とりあえず動揺を見せるのはまずいな。全て俺の計算通りだフハハハー! ってハッタリ決めたい所だけど蹴り飛ばされる所見られてる……よね?)

 頭の中でこの状況をどう捌こうかと悩む葵だったが、悩む暇もない程にあっさりと事態は動き出した。
 近くの鉄柱の物陰から、まばゆい光が溢れだしたからだ。

「ほう、そこかっ!!」

 光を放った場所にネギと少女がいると判断したのだろう、そちらに向かおうとするエヴァを牽制するために、葵は袖に隠していた数個のビー玉を取り出し、気を流し込んでから投げつけた。
 無論、その程度の牽制などまるでなかったかのように手ではじき飛ばすエヴァだったが、それでもやはり足並みは少し乱れてしまう。
 その僅かな間の間に光は治まっていき、そして――

「お待たせしましたエヴァさん!!」

 鉄柱の影から、少年と少女が堂々とその姿を現した。







『Phase.16 Who is she?』







「エヴァちゃん!!」
「くっくっく。よくもやってくれたな神楽坂明日菜。そして坊や、お兄ちゃんだけではなくお姉ちゃんまでが手を貸してくれるぞ? よかったなぁ……えぇ?」

 ネギが少女――神楽坂明日菜というらしい――と共に現れて、場は再び硬直した。
 彼女もまたネギの生徒で龍宮やエヴァのクラスメートだということを知り、なんとなく葵はその場で頭を抱えたくなった。

(古といい長瀬といい……3-Aっていうのはそういう人間の寄せ集めなのかね?)

 なんとなくそんな事を考えながら、再び葵は鉄扇を構える。
 龍宮との訓練でそれなりに持久力はつけていた葵だが、『闇の福音』という裏で一流の中の一流の敵とその従者を相手に、ネギ=スプリングフィールドの壁として戦い続けてきたのだ。その消耗度は、龍宮や葵が予想していた物よりもさらに上だった。
 まだ10分にも満たない戦闘で、すでに体力は限界に近付いていた。

「ほう……どうやら優しいお兄ちゃんの方は既に限界ギリギリのようだな? どうする葵。なんなら休んでいても構わんぞ?」

 やはりそれを見逃すエヴァではなかった。
 葵も、エヴァへのハッタリやネギを不安にさせまいと思って笑みを浮かべて外面だけでは取り繕っていたのだが、エヴァの観察眼によってあっさりと暴かれてしまった。
 ネギが心配そうに葵を見上げ、明日菜もその目に後味の悪そうな光を浮かべて彼を見ている。先ほど蹴り飛ばした事を悔いているのだろうか。
 内心で深いため息をつきながら、先ほどの様にネギの頭に手を乗せる。今度は指に力を入れず、本当に軽く手を乗せただけだ。
 

(事情を知っててギリギリまで放置したり、囮として利用したりしてる分際で『優しいお兄ちゃん』はないと思うんだけど……)


 軽くネギの頭を撫でながら、エヴァの発言の内容に葵は苦笑を浮かべてしまう。


(俺が『優しいお兄ちゃん』だっていうんなら、弟にこんな顔させるのはマズいよなぁ……)

 

そしてなにより、自分よりも年下の二人からそんな視線を受けて、簡単に弱音を吐いて彼らに戦いの主軸を任せる程……篠崎葵という男は図太く出来ていなかった。




「おや、これが『貴女』には疲れているように見えるのかい? 闇の福音」



 だから、篠崎葵は再び――自分の意思で『役者』となった。



ネギ達から見て盾として、矛として十分に――十分すぎるほどに役に立てる強者であると見せるために。

 エヴァンジェリンに、ネギでも明日菜でもなく――自分こそが最大の敵であると魅せるために。
 
休息を求めて痛みという名の信号を送ってくる肉体を意志――というより意地やら見栄といったものの力でねじ伏せ、ネギの頭から手を離すと同時に二人より一歩前に踏み出し、舞う様にゆっくりと純白の鉄扇を広げて、静かに微笑んで見せる。
 


 明日菜はまるで別人のような雰囲気を出した葵を唖然と見つめ、ネギはその姿を見てホッと一息ついた後に気を引き締め直し、エヴァと茶々丸に向かって杖を構える。



 そして対するエヴァは――ネギ達には分からない程度に静かな笑みを浮かべていた。

 やはり目の前に立つ男は『こちら』の方が自分の好みに合っているという事実のおかしさ。

 自分が今この中にいる人間の中で一番の弱者でありながら――そして恐らくそれを自覚しながらも強者を演じようとしている目の前の『三流役者』の馬鹿らしさ。

 強者を演じる理由が、恐らくはネギ達への負担や不安を少しでも減らすためだろうという事に――いわば、ある意味で強者らしい彼の行動へのある種の敬意。
 
 なにより、その三文芝居に乗ってやろうという気持ちになっている自分への呆れ。
 
 それらがエヴァの中で混ざり合って、苦笑じみた笑みが顔に出そうになっていた。


「なるほど……。本気を出す。そういうことだな、葵?」

 切ってない札はあるけど基本さっきからずっと本気だったよ!! と頭を抱えながら叫びたい葵だが、エヴァがこちらの芝居に乗ってきてくれたという事を理解していた。
 一方、ネギは「本気を出す」という言葉から葵がまだまだ力を隠していたと思い込んだらしく、尊敬に目を輝かせて葵を見ている。
 とても良心に響く視線だったが、今は都合がいいと思い込むことにして葵はネギに後ろ手でこっそり、二人で従者を狙えと指示を出す。
 葵は振り向かなかったが、自分の後ろでネギが頷くのが分かった。
 そして葵は、更に一歩エヴァに向かって足を進める。

「あの夜と同じだね。貴女が誰かを襲おうとしていて、そしてその前には俺がいる」
「フッ……そうだな。違いがあるとすれば、襲う対象が倒れているか反撃してくるかの違いといった所か」

 すでにエヴァの目にはネギと明日菜は映っていなかった。
今この時、エヴァは葵を真祖の吸血鬼に相対する『敵』だと認めた。

「さぁ、いくぞ役者!」

 既に武器を失ったエヴァが取れる手段は一つ。己の肉体による格闘戦だけだ。
 それは誰の目にも明らかな事。葵も当然そう来るだろうと推測していた。
 自身の警戒レベルを最大に引き上げ、エヴァンジェリンから一瞬たりとも目を離していなかった。

 だが、エヴァが戦闘の開始を宣言した瞬間。


――既に彼女は葵の目の前にいた。

「は?」

 余りにも唐突に眼の前に現れた少女に対して、葵は目を丸くして驚くしかできなかった。
 いや、反射的に鉄扇を彼女の首めがけて走らせていたが、エヴァは不敵な笑みを浮かべたまま鉄扇を握る手に、そっと自分の手を重ねた。

――重ねただけとしか見えなかった次の瞬間、葵の体を宙へと放り出されていた。

「!!?」

 一拍遅れて自分が投げ飛ばされた事に気がついた葵は、身体を捻ってバランスを取り戻して地面に着地しようとした。
 が、その着地しようとしたそこには既にエヴァが待ち構えていた。
 着地しようとしていた足に、彼女は自分の足首を絡めると思った次の瞬間には先ほどと同じように何をされたかも分からないまま、葵は地面に激しく叩きつけられていた。
 葵の口から、肺に溜まっていた空気が一気に溢れる。
 
(なんだこれ!? 糸もないのに……お前魔法使いだろうが!)

 悪態をつきながら思考を巡らせ、咄嗟に葵が思いついたいくつかの反撃方法。その中で即座に行動に移せそうなものを選択する。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 

「どれだけ粋がっても、所詮は付け焼刃か!」


 葵が思考に集中している間に、エヴァは葵の首を掴み持ち上げる。身長差がかなりあるので足は地に着いているのだが、身体に力が入らない葵はされるがままとなっている。


「ほらどうした。ここでお前が倒れれば私は坊や達の方に向かうぞ? ん?」


 そう言いながらエヴァは葵の意識を一撃で狩るべく、足を一歩引いて力を込め――

 気が付いたら空を仰ぎ見ていた。


「――なにっ!?」


 足を引いて構えを取ろうとした時に、足に何かが引っかかってバランスを崩したのだ。
 倒れながら、咄嗟にエヴァは葵から視線を外して自分の足元を見る。停電で明かりが全て消えているため分かりづらいが、月明かりに照らされてようやく足元に絡みつくそれが見えた。


(糸……!? なぜ……そうか先ほどの!)

 
 エヴァの脳裏に浮かんだのは、神楽坂明日菜が現れる直前までのやりとり。
こちらが放った糸を葵が掴み取って自分の武器として使用した時の事だ。
あの時咄嗟にエヴァは掴まれていた糸の魔力を解いて切断したのだが、恐らくその時に切断した糸を回収していたのだろうと当たりをつける。


(偶然……いや、私が糸を切断する事まで計算に入れていたのか!)


 不味いとエヴァが判断した時には、葵はもう一度体に力を込め、その身体と鉄扇にありったけの気を巡らせて向かってきていた。

「っおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」

 葵が渾身の力を込めて振るった鉄扇は、隙だらけの上に魔力による防御も間に合わなかったエヴァの脇腹にめり込み、そのまま彼女を吹き飛ばした。


「か……っは……!」

 
 喉の――腹の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じながら、エヴァは衝撃を逃がすために咄嗟に捻った体を更に動かして態勢を立て直す。
 どうにか地面に着地した時には肺に血が入ったのか咽込み、口から少し血を吐きだした。


(久々だ……ここまでダメージを受けるのは……本当に……)


 結界に封じられているとはいえ僅かに生きている再生能力のおかげで、かなりゆっくりだが痛みが引いていく事をエヴァは不快に感じた。
今更ではあるが、やはり自分の体が人間ではなくなっている事を思い出させるから。
なにより、自分がここまで追い込まれたという事実――この闘いの記録があっさりと消えていくようだったから。
 ふと自分が戦闘中だという事を忘れている事に気が付き、自分に一撃喰らわせたというのに追撃して来ない葵を不審に感じてエヴァは目線を彼の方に向ける。
 そして彼女は理解した。追撃を仕掛けてこなかった訳を。


(そうか……。そういえばそうだった。貴様は気も魔力も常人以下だったな……)


 追撃を仕掛けてこないのではなく、仕掛けられない。
どうにか笑顔を保っているが、その姿はどう見ても限界を超えていた。
 葵は息を切らしながら、エヴァに向かって鉄扇を構えて――そこから動く事が出来なかった。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




(まぁ……さっきから既にバテバテだったってばれてたし、気がつかれても仕方ないのかな)


 エヴァと葵は互いに睨みあいながら、ただその場に立っている。
 エヴァの後ろでは茶々丸とネギ達の戦いも激しさを増し、そろそろ決着がつきそうだった。
 葵から見る限りでは、ネギと神楽坂明日菜の方が有利に見える。
 葵にとって嬉しい誤算だったのは、今ネギと肩を並べて戦っている少女が葵の想像以上に戦える事だった。
 その状況を好機と思う一方で、一か月訓練した自分以上にそれらしく戦えている少女に内心嫉妬したり、ネギ同様年下の――しかも一般生徒と思われる女の子を戦わせている自分が情けなかったり、ついでにその勢いで目の前の吸血鬼もう一度蹴り飛ばしてくれと思ったり等、頭の中で様々な感情がごちゃまぜになって混乱気味になっていた。


(いかんいかん、冷静にならんと……)


 今現在切れる切り札はない。糸を使った牽制と攻撃で相手にそれなりのダメージが入ったのはよかったが、結界内でも吸血鬼の不死性――再生能力がこんなにも高いとは思っていなかったのだ。
 最低でも相手の行動が鈍る程度のダメージを与えられていれば十分と考えていた葵だが、エヴァの身体能力はそれを超えていた。
 結界で能力がかなり落ちているはずなのにも関わらずだ。

(もう、出来る事は一つしかないか。正直、一番取りたくなかったけど……今切れる札なんてないし……)


 葵に思いつく策で残されたのは一つだけ。ただただエヴァを引きつけ、時間を稼ぐ事である。
 もはや体力も気も限界を超えている葵は、個人でエヴァに勝利する事を諦めた。
 元々の作戦が失敗して、神楽坂明日菜というイレギュラーが発生してどうにか現状維持できているのだ。葵からすれば大敗もいい所である。
 せめてこの戦いの大まかな絵を描いた人間として、巻き込んだネギと明日菜の勝利だけは確約しなければならない。
 幸い、このままいけばエヴァはネギと明日菜を相手に二対一で戦うことになる。仮契約までした上に、自分よりもよっぽど戦い方が様になっている彼女なら、ネギも安心――は出来ないかもしれないが、詠唱には十分な時間は稼げるはずだ。
 正直な話を言えばネギ達にとって裏では勝利がすでに確定されている戦いだが、それでも万が一の場合がある。
 エヴァにとっても納得できる敗北を用意してやりたいし、ここでネギ達に有利な場を作っておけば、彼女も事態を収拾させやすいだろう。

 そこまで考えた葵は、少しでも体を軽くするために羽織っていたブレザーをその場に脱ぎ捨て、もう一度鉄扇を構える。

 もはや、葵にはそれしかできる事がなかった。
 構えるのを待っていたのだろう。葵が構えた瞬間にエヴァが飛びかかって来た。

 そこからは、やはりエヴァにとって一方的な展開になる。
 葵が鉄扇を振るえばそれを逆手にとって一撃を食らわし、こちらの攻撃を避けようとすればその動作の隙を狙ってコンクリートの上に倒し、転がせる。
 葵も執念に近い気合いで何度かエヴァに打撃を入れるが、もはやエヴァが魔力で防御膜を張っていなくともほとんどダメージは入らない程の微弱な威力だった。

「どうした葵! さきほどの啖呵はただの飾りか!?」

 そう叫びながら、エヴァは葵の胸目掛けて掌底を叩きつけようとし、それを葵が鉄扇で受け流す。そして、空いた手でエヴァの首を突こうとするがその腕を取られ、またも宙へと投げ飛ばされる。

 葵は気を流し込んだ隠し持っていた手持ちのビー玉を全て投げつける事で牽制し今度は足元こそ掬われなかったが、一気に踏み込んできたエヴァの掌底をほぼ完全な形で受けてしまった。
 一瞬呼吸が止まり、視界が定まらなくなる。


 何も見えなくなる瞬間、うっすらと再びネギ達の戦いが見えた。
 神楽坂明日菜が茶々丸の攻撃を驚異的な動体視力と運動神経を持って受け止め、その隙にネギが呪文を詠唱している。
 その光景に、葵は奇妙な感覚を覚える。


(デジャ……ブ? 前に……似たような物を見た記憶が……)


(そうだ、ネギ――と明日菜サンがエヴァと茶々丸相手に……)




(自分はそれを……どこかの部屋で……誰かと一緒にモニター越しに――)





――見ていた……?




――なんで?



――しらない……。




――でも俺は……ワタシは……ワタシ……?




――違う……俺は俺。ワタシって……誰……だ……?





 薄れ行く意識の中で思い出せなかった『ナニカ』が噛みあっていく。
 自分の失った記憶……ではない。それとは違う物だと勘が伝えていた。
 そして、これが自分の根幹にかかわる事だと『ナニカ』が言っている。




――スマナイ……シノザキサン……。




 薄れゆく意識の中で、どこかで聞いた事があるような女の声が聞こえたような気がした――。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





(こんなものなのか……? この程度で終わるような男なのか、お前は?)


 自分の掌底を受けて崩れ落ちた男を見下ろしながら、エヴァは失望のため息を吐く。
 もっと足掻く姿を見ていたかった。
もう少し時間を置いて、鍛え抜いたコイツと戦ってみたかった。


 なにより、もっとこの男の戦う姿を見ていたかった……と。


 魔法の発動体も兼ねて自作した武器は数あれど、その中でなぜエヴァは鉄扇という扱いづらい武器を素人の葵に渡したのか。
 理由は単純なものだった。

この男には必ず似合うとエヴァが直感したからだ。
 
180センチあるかないかくらいの長身に、なんらかの運動で鍛えていたのだろうしなやかな身のこなし。初めて出会ったときに見せた粘り強さ――。
 気も魔力も貧弱な男だった。どれだけ鍛錬を積んでも、恐らくは二流止まりだろうとエヴァは理解している。


 それでも……それでも。この男が戦う姿は恐らく美しいのだろうと思ったのだ。



 それこそ、舞を舞う様に――



 ――だが、今その男は……篠崎葵はなすすべなく倒れている。



「あれだけ大口を叩いて、あれだけ格好つけて……これなのか? いや――」


 エヴァの後ろでは従者がネギ達と戦っている。恐らく従者は負けるだろうと彼女は感じていた。
そういう意味では、この男――篠崎葵の思惑通りに事は運んでいる。
自分がわざと芝居に乗っかった所があるとはいえ、よくぞここまでという気持ちもある。

 しかし、それよりも大きな孤独感に似た何かが彼女の胸を占めているのも確かだった。


「そう……だな。よくやったよ。お前は……。この私と対等に戦うために全力を尽くしたんだ」

 
 後ろから声が聞こえてくる。従者の謝罪の声と、ネギ達の勝利の歓声だ。
 そろそろ、この茶番の幕を下ろさなくてはならない。

 

(まぁ、そこそこには楽しめたよ。葵)



 エヴァはゆっくりと振り返る。ネギ達と戦うために。ネギ達に破れるために。




――振り返ろうとしていた。それが目に入るまでは。


(ん?)


 それはほんの僅かな違和感だった。
 振り返ろうとした時に、視界に入っていた葵の体が動いたような気がしたのだ。
 まだ立ち上がるのか……立ち上がってくれるのかと、懇願に近い想いでエヴァは葵を一瞥して――



――その目は驚愕へと変わる。



――なぜなら、倒れている葵の傍らに跪いている、今まで存在しなかった女の姿があったからだ。


「な……ぁ……?」


 あまりに突然の展開に、エヴァは口をパクパクして茫然としてしまう。
 目の前に確かにいるはずの女から、その存在――気配というものが一切感じられないからだ。
 さらによく見ると、その女の体は半分透けていた。本来ならその女の体によって見えないはずの向こう側がうっすらと見える。
 俯いている上に妙な影がかかっていて顔は良く分からないが、エヴァはそれが恐らく自分のクラスメート達と同じくらいの年齢だと辺りを付ける。
 その女が、うつ伏せに倒れている葵の背中に両手を当てて――いや、両手を葵の背中に『差し込んで』いた。

 
「なんだ……貴様は……」


 女が手首まで葵の体に入ると、少女の姿は周囲に溶け込むかのようにだんだんと薄くなっていく。
 それと同時に、葵の中に僅かに残っていた気が再び彼の身体の中を巡りだすのが感じられた。
 量が増えた訳ではない。見ていて哀れになるほど虚弱な、残りカスと言っていい程の気だ。
 だが、その気を最小限に、効率的に身体を巡らせればそれは立派な武器となり鎧となる。
 今、エヴァの目の前ではそれが行われている。

 ダメージの大きい胸部を気が駈け巡り、その後体力を回復させるために全身にうっすらと気が廻り出す。

 どう見ても篠崎葵は気を失ったままだ。彼に気を操作できるような状況ではない。
 そもそも、これほど完璧な――計算しつくされたような気の操作が、いくら奇妙な成長をするとはいえたった一カ月の修練で出来る筈がない。不可能だ。
 ならば、それを行っているのは――誰だ……?

 そこまで考えていると、女の姿が完全に掻き消える。
 
 そして、彼はゆっくりと――


―― 篠崎葵はゆっくりと、もう一度立ちあがった。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





(なんだ……変な夢を見ていた気が……)


 妙にすっきりした――とまではいかないが、ボロボロにされていた先ほどに比べて少し身体が軽くなったように感じる。


(あれか、もう気を使い果たして肉体的にも精神的にもハイになってんのかね……終わった時にネギ先生が急いで俺を医者に連れて行ってくれる事を祈るか……)


 葵の目の前には、先ほどまで自分をボコボコにしたにも関わらず、自分を警戒しているエヴァの姿があった。


(これもデジャブ……いや、違う。これあの時と同じだ)


 いつでも飛びかかれる態勢を保ちながら、なぜか必要以上に警戒してかかってこないその姿に、葵は山での逃走劇で見ることになった龍宮の姿を思い出した。


「すまない。役者が観客を放り出して眠ってしまっていたようだね。これじゃあ三流と言われても仕方ないかな」

 理由はどうあれ、身体が少し軽くなってことで心に余裕が出てきた葵はエヴァへの挑発を始める。
 エヴァの後方で、勝利を収めたネギと明日菜が息を切らせながらこちらに向かってきており、3対1の形になった事も余裕が出てきた理由に入っていた。
 ちなみに茶々丸は捕縛魔法で橋の隅に転がされている。


「篠崎葵……」


 エヴァは後方にも注意を払いながら、ゆっくりと葵との距離を詰めてくる。
 まるで観察対象の虫か動物を、驚かさないように近づく学者のように。

「篠崎葵。貴様には感謝するぞ。この退屈な15年が吹き飛ぶ程に……お前は興味深い!」

「おや、自分の舞は気に入っていただけましたか? お客様」

「……そうだな。あぁ、お前の舞も悪くない。だが何よりも――お前と言う存在そのものに興味を覚えたよ。お前という未知の存在。どれだけみっともなくとも、折り合いを付けて難題に立ち向かう姿。お前の役者としての在り方……には合格点をやれんな。強者を演じるならもっと傲慢になってみせろ。強者とはそういうものだ」
 
「これでも謙虚な人間であることが売りだからね。慣れない事を演じるのは難しいんだよ」

「なら、さらに演技を磨く事だな。この『闇の福音』が認めよう。お前の演技はいずれ誇れる才になる。おっと……正確にはハッタリと言うべきか?」

「はは……ハッタリときたか。なら、ハッタリが得意な三流役者として、貴女には皮肉の才能がある事を認めるよ」

「フン。600年も生きていれば口喧嘩にも強くなるさ」

 いつぞやの桜通りを再現するかのように、互いに軽口をたたき合いながらも目を逸らさない。
 もっともエヴァは、ネギの魔力がほとんど切れかかっているという事に気付きよ、主に警戒を葵と神楽坂の方に割いている。


(ネギ先生も結構ギリギリか。こっちから見る限りだと一応まだ魔法薬は残ってるみたいだけど……。神楽坂さんはまだまだ余裕があるけど契約執行は多用出来ない……となると)

 ある程度回復しているとはいえ、それでもかなりの疲労がかかっている葵は、思考に霞がかかった様な状態で……それでもフルで頭を働かせていた。

(仕方ない。一か八かの賭けだけど……)

「さて、向こうの劇も終わったようだね。……なら、こちらも決着をつけようエヴァンジェリン」

「はっはっは! 少しでも余力が残っている内に決着を付けたいか? あぁ、結界の制限時間もそろそろか」

「そこまで推測されているのか。ならどうする? このまま睨みあうかい?」


 相変わらずの軽口を叩きながらこちらの弱点を指摘してくるエヴァに対して、葵は堂々とその弱点を認めた上で挑発を行う。
 ここで待たれたら、勝敗がどうなるにせよ葵の策が本当に破れた事になるからだ。
 なんとしても、ここでエヴァと決着を――せめて後に続く様なダメージを残さなければならない。
 まだ余裕があるように見せかけながら、ほんの少しだけ相手のプライドをくすぐる。
 今の葵に要求されているのはそういう技能だった。

「くっくっく。良いだろう。決着をつけようじゃないか。お前には聞きたい事……いや、調べたい事が山ほど出来たからな。今ここでお前の鼻っ柱をへし折っておいた方が後々楽そうだ。あぁ、坊や達もかかってくるか?」

 エヴァは後ろに立つネギと神楽坂に尋ねる。
 即座に「やってやろうじゃない」と言い放つ程やる気に満ち溢れている神楽坂を、ネギは片手で制し、「邪魔になりますから」と言って一歩下がった。
 それでも葵に全てを任せるわけではないという意思表示と、万が一には襲いかかるという覚悟を見せるためか、杖を構えて見せる。
 
 (サンキュー。ネギ先生)

 口には出さずにネギに感謝する葵。

 一斉にかかれば火力・戦力は増すが、そういった訓練をしていない自分達が実際に行うとなると動きが読まれやすくなる。
 なにより、今のネギに全力を出させたら後が続かなくなる。
 最悪、ネギが最後に立っていれば葵の負けにはなっても葵『達』の勝ちにはなるのだ。

 葵の内心に気がついたのか、彼女は不敵な笑みを浮かべるのと同時に、静かに身構えた。
 心の中で、この茶番に全力で付き合ってくれているエヴァにも感謝の言葉を紡ぎながら、葵もまた鉄扇を構える。


 ほんの二秒程、互いを真っ直ぐに見据えてから、最初に動いたのはエヴァだった。
 「フッ」と一息吐くのと共に、先ほどと寸分違わぬ速さで葵の目の前に躍り出る。
 先ほど一度その速さを見ていた葵は、エヴァが一息吐いた瞬間に、あえて一歩前に踏み出ていた。
 後ろに下がった所で次の行動に上手く続けられない程度の考えで動いたのだが、それが事態をいい方に転がした。葵の顎を狙ったエヴァの初撃が微妙にずれ、葵の頬に傷を作っただけで済んだ。
 すかさず葵は鉄扇を、同じくエヴァの顎を狙って振るう。もうこれが最後のチャンスだと理解している。
 切れる札は全て切った。『葵個人で切れる札』は全てだ。
 
 顎を狙い一閃させた鉄扇を避けられ、葵は即座に鉄扇を翻しもう一撃加えようとする。
 そして鉄扇を翻すのと同時に、葵はネギに目で何かを促す。

「無駄だ! その程度の気ではもはや私にかすり傷すら与えられんぞ!」

「そうだね。俺の気ではもうどうしようもないなぁ!」

 二撃目は鉄扇そのものを弾かれ、今度はエヴァがもう一度葵に攻撃をするがそれを葵は自然に受け流す。

「……っ! 貴様、やはり身体に戦い方を染み込ませたな!? この十数分の間に!」

「何の事だか……! それが出来たら初めからやっている!」

 エヴァは叫びながら更に跳躍し顎に一撃を入れる。だが、葵はそれに耐えると活歩を用いてエヴァにほぼ密着するくらいに間合いを詰める。
 既に何の役にも立たない気はここで解除する。

 そして――それまで使えなかった切り札を切る。



 ネギ=スプリングフィールドが――



「契約執行5秒間! ミニストラ・ネギィ『篠崎葵』!!」

「なにっ!?」


 ネギが声高に呪文を唱えるのと同時にネギの魔力が葵へと流し込まれ、その身体能力は葵が気を纏っていた時よりも遥かに高い身体の向上を見せる。
 元々発動体としても作成されていた鉄扇にもその魔力は伝わり、葵と同じくネギの魔力光に包まれる。

「エヴァンジェリン――っ!!」

 叫ぶと同時に、真っ直ぐ前に突き出した鉄扇がエヴァの胴体にめり込む。
 篠崎葵が用意した最後の札。それが今、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルに喰らいついた。

「っくぁ……葵ぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 無論、それで大人しくやられるようなエヴァンジェリンではなかった。
 想像以上のダメージを受け、顔が苦痛に歪みながらも手刀で葵の胸の辺りを斬り裂こうとする。
 
それと同じく、葵の左手には袖から転がり出た物が――なけなしの気を込めた500円玉が親指の爪の上に乗っていた。
 もはや塵ほども残っていなかったために解除した気だが、契約執行が『5秒しか使えない』のでもう一度気を纏う。ただし、防御には一切廻さず、500円玉に全てだ。
 修行の間に、龍宮真名から教えられ何度も爪が割れ、剥げ、それを回復札で無理矢理直して尚特訓を繰り返した技。

 今の葵が唯一自信を持って技であると言えるモノでもあった。

 互いの視線が交差する。


 敗北するのは貴様だと。


 勝利を手にするのは俺達だと。


 そして、瞬きよりも短い一瞬の間に勝負は決する。


 葵の放った500円玉が親指に弾き出され、エヴァの顎を撃ち抜く。


 エヴァの振るった右手の鋭利な爪が、葵の体を斬り裂く。


 それらはまったく同時に行われ、互いにダメージを残した。


 エヴァは脳を思い切り揺らされ、思わずひざまずくがその場に踏みとどまり、


 鮮血を撒き散らしながらも、後ろに数歩たたらを踏む程度で済んだ葵は……






「……届かな……かったか……」



 


――そのまま膝から崩れ落ちた。






(ごめんなさいネギ先生。後、頼みます……)





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「届かなかった……だと……? 一体、どの口が言うんだ……」

 目の前で崩れ落ちた男を見降ろしながら、エヴァはとぎれとぎれにそうぼやく。
 後ろでは、ネギと神楽坂が戦闘態勢に入ったのだろう。先ほどまでよりも強い気配――闘気が漂ってくる。

(ボロボロになりながらも闘い抜いたこの男の姿が、純粋な坊や達の闘う意思を強固なものにしたか……)

 未だ揺れる視界に吐き気を覚えながら、エヴァは倒れ伏している葵に背を向けてネギと神楽坂に向き合う。鉄扇で受けた一撃によって肋骨のいくつかがイカれ、そのうちの一本を恐らく折れて肺に達している。咽込む度に血が口から吐き出る。呼吸も上手くいかない。
 致命傷ではないが、今の再生能力では回復にも時間がかかる重傷――もし自分がただの吸血鬼だったら負けていたかもしれない。そう思うほどのダメージだった。

 そして、向き合う二人の目には迷いはなく、真祖の吸血鬼を目の前にしているというのに一歩たりとも引く気配がない。
 特にエヴァの目を引いたのはネギだった。
 彼女からすれば隙だらけだし、この身体でも驚異とはまったく感じない。
 だが、その体から沸き上がる不屈の闘志とでも言おうか。闘う覚悟よりももっと上の覚悟。勝つ覚悟というものがはっきりと見てとれた。
 その迷いのない目を見て、エヴァは確信する。

 ネギ=スプリングフィールドは間違いなく英雄の息子だと。


(あぁ……私は負ける。……いや、負けたのか……)


 自分の遊び心が、神楽坂明日菜の介入が、そして謎の『女』というイレギュラーが、ネギ=スプリングフィールドの短期間での成長が……。

 なにより、篠崎葵の策と粘りが自分の敗北を呼び込んだと、『真祖の吸血鬼』は理解した。


(退屈な茶番になるはずだったというのに……)


 今のエヴァに、退屈を感じている暇などなかった。
 予想を超える一手を打たれて力を封じられ、一騎打ちの末にただの吸血鬼ならば死んでいてもおかしくない程のダメージを受け、そして今不退転の覚悟を胸にした英雄の息子が――英雄の卵が自分に向かい合っている。


(後にしこりを残すような敗北になると思っていたが……)


 悪くない。エヴァは素直にそう思った。この戦いは――この敗北は悪くない、と。


 だからエヴァは口には出さずに、自分の後ろで倒れている男への言葉を紡ぐ。




――感謝する。と




[33428] Chapter 1 epilogue and next prologue
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/10/08 21:27
「ん……ぉう……?」

 身体が揺れている感覚と少し窮屈な感触に、篠崎葵は意識を取り戻した。
 ちょうど膝の裏と肩の辺りを細くて暖かい何かで支えられており、片方の腕の辺りには何やら柔らかい感触がある。

(誰かに運ばれている?)

 ゆっくりと葵が目を開くと、目の前にあったのは――

「おや先輩。お目覚めかい?」

 良く見知った後輩の顔だった。

「……おはようと言えばいいのかありがとうといえばいいのか……とりあえず降ろせ龍宮」

「ほう。可愛い後輩に抱かれているのが気に食わないと……」

「そもそもなんでこの態勢なんだよ。せめて丸太みたいに担がれてた方がまだ救いがあったわ!! っ……ぁいたたたぁ……」

 今の葵の態勢を一言で説明するなら『お姫様抱っこ』である。
 大の男が、自分よりも少し背が高く力もあるとはいえ、年下の女の子にそのような運び方をされているとなれば葵でなくとも顔を赤面させて恥ずかしがるだろう。

「ん、やはり身体が痛むのか。それはますます降ろす訳にはいかないな」

「おいそのニヤニヤやめろすっごい腹立つ。ってかマジで降ろしてくれ、胸に腕が当ってんぞ」

「私は気にしないが?」

「当ってる事には気付いてたんですねコンチクショウ!!」


 うがー! と喚きながら身体に痛みが来ない範囲でジタバタ暴れる葵を見て、龍宮は軽くため息つきながらゆっくりと彼を降ろす。


「冗談はさておき身体は大丈夫かい? 私が橋にたどり着いた時にはかなりボロボロだったけど……一応手持ちの回復札を使ったんだが効きが悪くてね」

「ん、一応歩ける位には回復してるみたいだし問題ない」

 少し身体の調子を確かめるように数歩足をわざと高く上げて行進の様に歩いてみて、少なくとも重大な異常はない事を確認した葵は龍宮の隣を歩きながら、彼女に状況の説明を求めた。
 

葵が闘っている間龍宮がどこにいたのかというと、葵が用意した結界の核となった魔法陣の維持を受け持っていたのだ。
万が一の伏兵や、結界そのものの排除を狙われた時の防衛役も兼ねた結界管理を任されていたのだが、ネギの魔力を内包した魔法薬もほとんど尽きて、これ以上防衛・管理の意味はないとした彼女は橋へと向かい、彼のエヴァの戦いの最後を目の当たりにしたのだ。
橋へとたどり着いたのは、ちょうど葵がネギからの契約執行を受けて、最後の勝負に出た所。
契約執行が切れた葵は、倒れてそのまま気を失い。その後すぐにネギ達とエヴァの戦いとなった。



その結果は――相撃ち。


結界を維持していた魔力が切れるギリギリの所で明日菜が特攻してエヴァの動きを封じ、そこにネギが『雷の暴風』を撃ち込んだ。
葵との戦闘でかなり疲弊している所に強力な魔法を撃ち込まれてエヴァも気を失ったのだが、同時にネギも魔力を完全に使い果たして気絶。
さすがにエヴァは少し間を置いただけで意識を取り戻したが、彼女はその場にいた明日菜とすでに葵の傍へと駆け寄っていた龍宮の前で素直に敗北を認め、茶々丸と共に帰路についたらしい。
 気を失ったネギは神楽坂明日菜に背負われて帰ったのだが、帰るまでに神楽坂は龍宮を質問攻めにして、それを誤魔化すのが彼女にとってある意味でもっとも疲れる出来事となった。


「エヴァンジェリンからの言伝だよ。『後日、もう一度家に来い』それと……『感謝する』と」

「エヴァが……ねぇ……」

 それが一体何に対する感謝なのか葵には理解できなかったが、少なくとも自分が行った事は好意的に見られたらしいという事を理解し、安堵の息を吐く葵。
 とはいえ、結果は葵の負け。負けを認めたらしいがそれが、それが葵達なのかネギになのかで話は変わってくる。
エヴァが好意的に評価しているらしいからどう事態が動くか分からないが、まだ安心しきるには早いと葵は思った。

「それにしても驚いたよ先輩。最後の方しか見ることができなかったけども、よくもまぁエヴァンジェリンをあそこまで追いつめられたものだ」

「追いつめた? かなり余裕があったように見えたけど……」

「我慢していたのさ。最後の攻防――特に顎への一撃はかなり効いていたよ。それ以外の打撃も契約執行までしたのだから当然威力が…………ん? 契約?」

 そこまで口にして、ふと龍宮は気がついた。
 篠崎葵は一体いつネギ=スプリングフィールドと仮契約をしたのだ?
 少なくとも、昨日か今日かの二択だ。自分は彼に仮契約の事を言っていなかったので、教えたとなるとネギかその使い魔だろう。
そうなると、ネギとエヴァンジェリンの件で接触したのが昨日だから、当然それ以降の話になる。
 その間に、仮契約に必要な物品の準備が出来るものだろうか?
 いや手っ取り早い方法も確かにある。むしろそれが一番ポピュラーではあるのだが……。
 普通、男同士で仮契約を行う時はその手段は用いない。
少し準備や物が必要になるが、よっぽどの事がない限りその手段を用いようとする人はあまりいないだろう。
 なぜなら、その一番手っ取り早い手段とは――





――口づけなのだから。





「葵先輩、少し聞きたい事があるんだが――あれ? 先輩?」


ネギとの契約について尋ねようとして、自分の右隣を歩いている葵に声をかけようと隣に目をやるが、その姿が見えない。
 おかしいと思いそのまま龍宮は後ろを振り返り――全てを察した。

「……あ~。葵先輩?」

「……どうした龍宮」

「言いたい事は多々あるがとりあえず……。電信柱に100回頭を打ちつけた所で願いは叶わないし過去も変えられないんだよ? 先輩」

 振り向いた龍宮の目に入ったのは、血涙を流しながら電信柱に頭を打ちつけ続ける変人の姿だった。
 その変人は乾いた声で虚ろに笑いながら、

「笑えよ。笑って蔑めよ龍宮。……俺、なんとしても勝たなきゃと思ってハイになっててさ? 具体的に何言ったかは覚えていないんだけど、あのカモ助と二人がかりでどうにかこうにか言いくるめて……」

「先輩……」

 エヴァンジェリンとの決戦を前に、少しでも力を付けようと――付けなければならないと思ったのか。何はともあれ……やってしまったんだろう。
 龍宮は、なぜか熱くなってきた目頭を押さえて夜空を仰いだ。

「おまけに勝つためにやったのに、カードには不備が出て契約執行は5秒までしかできないとかおかしくないか!? もう泣きそうだったんだけど!!?」

 何の言いわけをしているんだとツッコミたくなる龍宮だが、ここでそれを口にすれば目の前で血涙を流しながら電信柱に縋りついている男の心は根元からへし折れるだろう。
 ひょっとしたら、どれだけボロボロになっても最後まで粘っていたのは、ここまでやってあっさり負けるわけにはいくかという気持ちがあったからかもしれない。
 
 先ほどまであったある種の尊敬の念が全て洗い流されていくのを感じる。

「って、不備? 契約執行が5秒だけ? カードを見せてくれないか先輩。――いや、『うん』じゃなくて……今先輩がカードを見せつけているのは私じゃなくて猫なんだが……」

 深い精神的ダメージを負って崩れ落ちながら、ボーッと葵の方を見ている黒猫に仮契約カードを突きつけている葵の肩に、慰めるように手を軽く乗せながら彼の手から仮契約カードを抜き取る龍宮。
てっきり契約の失敗時に出るスカカードかと思っていたが、そのカードを見た龍宮は眉に皺を寄せる。

「これは……一体……?」

 そこにあるのは、間違いなく成功した契約カードだった。
 子供の落書きのようにヘロヘロとした線で表わされているスカカードではない。
ならば一体何が不備なのか?
 
 塗りつぶされているのだ。

 本来契約カードには様々な情報が書かれている。従者の名前はもちろん、従者を表す称号、色調、徳性などがだ。

 無論、葵のカードにもそれらしき事は書かれているのだが、そのほとんどがマジックで塗りつぶされたかのようになっていた。


 名前以外の全ての情報と――彼の胸から上の姿が。


 思わずカードと、うなだれている彼を何度も見比べてしまう龍宮。
 もしこの時、龍宮がもっとカードを観察すれば彼女は気がついたのかもしれない。
 唯一カードにハッキリと描かれている彼の胸から下の姿。その足の後ろに――




――彼と重なるように誰かの足が描かれている事に





『Chapter 1 epilogue and next prologue』





 エヴァンジェリンとの戦いが終わった次の日の放課後。葵は事の報告を行うために、龍宮と共に学園長室へと足を運んでいた。

「昨晩はお疲れ様と言っておこうかの。龍宮君とカモミール君の手助けがあったとはいえ、よくもまぁあの結界を再現出来たもんじゃ」

「あくまで高位種族の力を奪う所だけでしたからね。もっとも外見を似せただけなので魔力効率はデタラメなものになって、ネギ先生にはかなり無茶をさせてしまいましたが……」

「だが、彼は君を信頼のおける人間と判断したようじゃ。のう?」

「はは……」

 授業が終わり、女子中等部の校門の所で待ち合わせていた龍宮の元に向かうとそこにはネギがいたのだ。
 ネギは葵を見つけると、その前まで走って来て、葵の苦手なあのキラキラと尊敬の溢れた目で「昨晩はありがとうございました! これからもよろしくお願いします!!」と大きな声でお礼を言ってきたのだ。
 よろしくお願いしますとは……多分従者となった事に関してだろうか? 葵にはよく分からなった。

 なにはともあれ、それがきっかけでいつものように朝倉の質問攻めにあったり3-Aのクラス委員長に何者なのか問い詰められたりと大変だったのだ。
龍宮の助けがなかったら、葵は今も学園長室にたどり着けていなかっただろう。

「うむ、ネギ君との関係はいい傾向じゃの。加えて君がエヴァと共に奴らの目を引いてくれたおかげでこちらも動きやすかったわ」

「恐縮です」

「うむ。……さて、篠崎君。今回わざわざ君に来てもらったのには報告以外にも理由がある。本来ならば儂が君の元に赴くべきだったのじゃが……」

 それまで笑顔だった学園長派、顔を引き締めると改めて葵に向き合う。
 学園長が直々に出向く必要があるというのならば、それはかなりの大事だろうと気を引き締める葵。

「君がこうして魔法世界に足を踏み入れた以上、君は知る必要がある」

「? 何を……ですか?」

「……君が記憶を失い、両親を失った原因についてじゃよ」




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 事の発端は、3年前から始まった魔法世界での政変だった。
 麻帆良学園都市は一応自治組織として存在しているが、所属としては魔法世界の一国家『メセンブリーナ連合』の所属となっている。
 連合はそれまでこちらの世界――『旧世界』との交流を絶とうとする孤立主義が台頭していたのだが、3年前から徐々に方針の変化が起きていた。
 旧世界に存在するいくつかの魔法結社への過剰な干渉、場合によっては武力による衝突など、旧世界への影響力を事更に強めようとしていた。
 
「今では麻帆良も完全に支配下に置こうとしているようじゃ。向こう側から用意された魔法教師は儂を追い落とそうとしておるからのう」

「なるほど。敵対しているとはそういうことでしたか……。しかし、それがどうして俺の事故に?」

「……今、上が裏で妙に干渉したがっておる組織があるんじゃよ。この日本に。君が家族と旅行に出かけた京都に」

――関西呪術協会。かつて一度関東魔術協会を含めた西洋魔術師勢と衝突した事がある組織であり、その事が原因で未だに関東側を敵視している強硬派が根強い組織である。

「証拠は結局見つからんかったが……。恐らく、上は――上の中に紛れている何者かは、先に関西から手を出させて事を大きくしたうえで干渉しようとしたのじゃろうて」

「この麻帆良に送り込まれた教師の一人――事が終わった直後に行方不明になったがの。そ奴がやらかしてくれたんじゃよ。関西と関東の諍いを深めようとしての――」

 全てはほんの偶然だった。
関西との諍いを深めるためのきっかけが欲しかったと思われる魔法使い。
近年の連合の動きを知っているために、警戒を深めていた関西強硬派。
ちょうどその時に、京都へ旅行に出かけた麻帆良に住む家族。

教師は麻帆良から関西へと向かう一般人の中で何度か魔法に関わりかけた事があった『篠崎家』を選び、彼らが一般人ではなく麻帆良の工作員だというそれらしい証拠を偽造し、偽情報を関西にリークした。
関西の長は、それが罠だと薄々感づいており、あくまで調査だけに留めようとしたのだが、彼も組織を完全に束ねていた訳ではなかった。

「結果、先走った関西の強硬派により君達の乗っていた車が襲撃され……君は家族と記憶を失った。婿殿の働きもあるが、抗争にまで発展しなかった事は奇跡じゃった……」

 事態に気がついた学園長は、事を起こしたと思われる教師を拘束しようとしたが、彼は神隠しにでもあったかのように消えてしまった。
彼の近辺から彼が動いた証拠をつかもうとしたのだが、それも一切見つからなかった。
 
その後、関西の人間が一般人を傷つけた事を理由に関西への武力制裁を声高に唱える一派を学園長はどうにか抑え込み、関西側も先走った連中を拘束、処罰した上で正式に麻帆良に謝罪した。

だがそれで話がまとまる筈もなかった。

関東は容疑者をわざと逃がして問題をうやむやにしようとしているという話が関西に広まり、元々あった西洋魔術組織への不信感も手伝い、強硬派が勢いを盛り返してきていた。
関東でもまた、関西が容疑者を関東に引き渡さないのは実際に関西が襲撃を指示していた事を隠すためではないかという話が広まり、穏健派である学園長の排斥活動が静かに広がっている。
 
 行方不明となった教師の本意がどこにあったかは今となっては分からないが、その目的の一つであっただろう関東と関西の対立は、決定的なものになりつつあった。

 一方、保護された篠崎葵が記憶を失っていた事も問題となった。
 関西・関東の両陣営が、せめてその記憶を取り戻そうと様々な術式を試してみたが、そのどれもが成功せず、彼の記憶はまるで掻き消えたかのように無くなっていた。
 これは本来あり得ないことだった。少なくとも魔法によるプロテクトが無い限りは、記憶の恢復など治癒を専門とする魔道士からすれば簡単な事であるはずだった。
 にも関わらず、篠崎葵の記憶は何をやっても回復しなかった。
 念のためにプロテクトが掛けられていないかの調査も行われたが、結果は白。
 不可解な謎を残したまま、篠崎葵は一般人として偽りの情報を与えたまま麻帆良に帰還することとなった。

 その話を聞いた関東側の教師の間に、関西が彼の意識を『洗濯』しこちら側への工作員としたのではないかという噂が立つようになる。
 疑わしきは捕らえよと主張する教師勢を抑えるために、葵の制服や持ち物に細工し行動を監視せざるを得なくなった。葵が何かをするのではなくて、先走るものが出ないように。

 そして現在、篠崎家の犠牲は双方に責任があったものとして、両陣営に均衡状態を保っている。

 そこまで語り終えた学園長は、立ち上がると同時に深く頭を下げた。

「すまなかった、篠崎君。君が家族と記憶を失った原因は、組織をまとめ上げられなかった儂にある。加えて君たち家族の犠牲を政治に利用した事。本来ならばすぐにでも君に謝罪をせねばならなかった事。どれだけ謝罪しても事足りん」


 葵は、頭を下げ続ける学園長を見つめながら、どう言葉を出せばいいのか迷っていた。
 確かに記憶を失くした事については思うことは多々ある。涙を流した事だってあった。
 だが、それ以外についてはどうかと聞かれると首をかしげてしまう。自分が、事故にあった『篠崎葵』とは別人だと感じているからなのか、家族について謝られてもピンとこない。また謝罪の件も、魔法が秘匿されるものなのだから仕方ないと考えてしまう。
 そもそも、事故によって家族を失った自分の生活を見てくれているのは学園なのだ。

「顔を上げてください学園長。自分にそんな事をされる価値はありません」

 咄嗟に葵は言葉を切り出した。頭の中でまだ何を言うか決めていなかったのだが、言わずにはいられなかった。

「きっと、その謝罪を受け入れるかどうかの判断が出来るのは自分じゃない『篠崎葵』なんです。自分に言えることなんて何もないし、謝罪を受け取る権利もありません」

 葵は自分の正直な気持ちを吐露する。

「あくまで今の『篠崎葵』から言える事があるとすれば……。最善を尽くしてください。自分には魔法世界のことなんて分からないし、正直今の情報を鵜呑みにもしていません」

 学園長側が虚言を弄している可能性だってある。学園長の人柄を信じる信じないではなく、そういう可能性もあると自分が考えている事をあえて強調する葵。

「ですが、少なくとも学園長が最善を尽くそうとしていた事はなんとなく理解できます。なら、それを継続して下さい。自分のように巻き込まれる生徒を出さないように……それしか自分には言えません」

 まるで他人事のようなんですけどね。と、苦笑しながらそう締めくくる葵。
 葵の言葉に、学園長は頭を上げて「約束しよう」と深く頷く。そして、もう奴らの好きにはさせん。とも――

 恐らくは、これから学園長は反学園長派――連合から送られてきた教師の締め付けに入るのだろう。
 葵にはどういった手段か思いつかないが、この老獪な教師ならばそれを可能とするだろう。

「とりあえずエヴァが自分の戦いをどう評価してくれたかですが……もし、魔法の事を覚えたまま明日を迎えられたのなら……またよろしくお願いします。学園長」




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 学園長――近衛近右衛門は、篠崎葵と龍宮真名の二人が立ち去って行くのを見届けると深いため息をついた。

「エヴァがどう判断するか……か。もう彼女は答えを出しておるんじゃがのう……」

 早朝に、ダメージを回復しきったエヴァからすでに連絡が来ていた。
 普段エヴァ自身から連絡をしてくることがないために、少々驚きながらも電話を取ると彼女は上機嫌を隠しきれない声で、

『じじぃか。いいか、葵には放課後私の家に来るように伝えてあるんだ。くれぐれもくだらん事で時間を潰させるんじゃないぞ』

 とだけ告げるとすぐさま電話を切ってしまった。
 
 結局本題であった彼の魔法関係の記憶を残すかどうかについては何も言わなかった。
本来ならば、彼女が篠崎葵はこの世界に入るには適さないと判断すればこの場で記憶を消す予定――学園長としては、一応本人の意思を通すつもり――だったのだが、何も言及しなかったという事は……そういうことなのだろう。

(闇の福音と英雄の息子の双方と繋がりを持ち、関西・関東それぞれの強硬派の被害者となった少年。こちらの味方になってくれるのならば色々と使えるんじゃが……)

 謝罪したばかりだというのに、すでに頭の中で様々な彼の使い方を模索している自分に嫌気がさしながら、湯呑みの中の茶を一啜りして一息つく。

 これからの政治問題の事もあるし、近々行われる関西との会合の件。そして篠崎葵がネギ=スプリングフィールドを自分の手元に残すための計画として発案した案件。

 考えなければならない事は山ほどあるが、何よりも懸念すべき事があった。
 今後の事も考えて篠崎葵に伝えるべきか非常に悩んだが、学園長は今はまだ彼には伏せておく事を選択した。

 学園長は机の中から、一枚のところどころ焦げている書類――連合から送られてきたある教師が隠し持っていた書類―― その内容を吟味し、再びため息をついた。


『最重要事項

 先日報告された『闇の福音』との接触をもった一般人『篠崎葵』について、可能な限りの情報を集め、提出せよ。また、優先事項として――』


 一部が燃やされていて読めなくなっていたが、書類には向こう側の言語でそう書かれていた。
 なぜ連合がここまで篠崎葵に食い付くのかはわからない。
 だが、彼が注目されていることは間違いなかった。

「厄介事になってきたのぅ……」




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 学園長との話し合いも終わり、今度はエヴァンジェリンの家へと足を向ける葵と龍宮。

「しかし、この日本の中で地味に冷戦状態か……。龍宮、お前は俺の事故の事とか聞いてたのか?」

「まさか! 知ってたら裏に関わった時点で貴方に伝えている」

 龍宮はやや大げさに肩を竦めて、言葉を続ける。

「麻帆良が今非常に危うい立場だと言うことは聞いていたが、それに先輩が巻き込まれていたなんて知らなかったよ。……まぁ正直、京都で事故にあったと聞いた時から何かあったのだろうとは思っていたが……」

「なるほど……」

 先ほど学園長は、関西と協力体制を築く用意はあると言っていたが簡単に事は運ばないだろうと葵は考えていた。
 なにしろきっかけとなった事故から、まだ一年も経過していないのだ。恐らくは協力態勢を組むために互いの組織をまとめ上げ中。……あるいは落とし所の模索中といったところだろうと葵は推測する。
 それと並行して今考えているのは、今後の自分の身の振り方だった。これから魔法世界に足を突っ込むとして、自分はどの立ち位置にいるべきなのか。
 学園長の下に入るのか、一個人として麻帆良内で立ち廻るか……。あるいは他の道を模索するのか。
 一応、いざという時に学園内での立場を確保できるように準備はしてあるが……

「そもそも妙なんだよねぇ。こっちの世界に介入っていうのはともかく、なんで戦争一歩手前まで踏み込んでくるんだろ? この世界でそんな事になったら魔法がバレかねないのに」

「あぁ、先輩の言う通り妙な話だよ。魔法使いの間でも最近の連合の動きは注目されている。最悪また戦争になるんじゃないかってね。それがこっち側か向こう側かはまだ分からないけど……」

「で、その最悪の事態が関東と関西の間で起こりそうになってんのね。そしてそれを起こそうとしてる奴らが身近にいる……と……」

 肩をすくめながらそういう龍宮に言葉を返しながら頭の中で状況を整理していると、葵の言葉に続くように――


―― そう、イレギュラー……前回と違う……違う…………3―A……カ……?


「ん? 前回ってなんだよ?」

「前回? 貴方こそ何を言ってるんだい先輩?」

「いや、何って龍宮が……うん?」

 会話に違和感を覚えて、葵は思わず龍宮の方を振り向く。
 龍宮は、よくわからないといった風に首をかしげて葵の顔を見つめている。

「あれ、今お前喋らなかった? イレギュラーがどうとか前回がどうとか」

「先輩が何を言っているのか分からないけど、貴方の頭が手遅れだということは理解したよ。エヴァとの要件が終わったらゆっくり休んだらどうだい?」

「はっはっはっはっは。……アトデオボエテロヨ……」

 相変わらずの笑顔のままで自然と毒を吐く龍宮をジト目で睨みつけながら、なんとなく頭を片手で押さえる葵。
 正直、休んだ方がいいかもしれないとは思っていた。
 龍宮が回復札をかなり使ってくれたとはいえ、昨晩はあれだけ派手に暴れ回ったのだから当然疲れもかなり残っていた。
 おまけに今、幻聴らしきものまで聞こえてきたのだ。
 エヴァとの会談が終わったら、今日こそゆっくり眠るんだとしょーもない決意を胸にする葵。

「んじゃエヴァん家行くか。とりあえず穏やかな話し合いになりますように……」

「念のために、にんにくとか十字架を持っていったらどうだい?」

「……効くのか?」

「嫌がらせにはなるな」

「なんで喧嘩売る方向になってんだよ!!」

 少し前のように、くだらない言い合いをしながら龍宮と隣り合って歩く葵。
 今までの日常でもあったこの緩やかな時間が、これからは希少な物になっていくのだろうと、葵は予感していた。

 先ほどまで頭に響いていた頭痛はなくなり、代わりに頭の中のどこかで小さな鈴の音が鳴っているような感じがした。

 小さく鳴り響くそれは、遠いどこかで鳴り響く警鐘のように、葵には思えた。







≪コメント≫
ようやくここまで終わらせることが出来ました。皆さんのご意見、ご感想には本当に助けられました。本当にありがとうございました!
 
 そして投稿が大幅に遅れて申し訳ございませんでした。
 感想の中でタツミー不在を嘆くコメントが見られ、話の流れ上しかたなかったとはいえ、自分も
気にしていた所でしたので、今回一気に書き上げてからの投稿とさせていただきました。
 
 ここから原作とは少しずつ剥離を見せて、物語に変化をつけて……いけたらいいなぁと思っています(汗)
 特に関西関係に関しては独自設定が目立つようになるかもしれません。
 (原作読み返して、ネットで調べてみたりもしたんですが、分からない所が多かったためです)

 一章が終わり、どうにか葵が龍宮には大きく劣るものの、共に闘える程度には成長し、
 彼女の相棒として書けるようになりました。

 これからの葵と龍宮のコンビが、皆様のご期待に添えるように頑張りたいと思います。

 それではまた次回。



[33428] 外伝1 彼と彼女の最初の事件―1
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/10/11 00:08


 篠崎葵にとって、病院関係を除いて麻帆良の外に出るのはこれが初めてだった。
 いや、麻帆良の外に出かける事だけではない。
 自分が意識を回復させてから初めての長期休暇で、初めての旅行になる。
 もっとも、正確には旅行ではなく所属している部活動の合宿なのだが……。

「おや、どうしたんだい『篠崎』先輩? 悟りでも開いたような顔で外を眺めて」

「どんな顔してたんだよ俺は……」

 物思いにふけっていた所に突然横から訳の分からない事を言われ、葵はなんとなく髪を手で押さえながら呆れたように溜息を吐いた。

「いや、考えてみれば全てが初めて尽くしの事だなってね」

 目的地へと進む快速電車の中で、席に座って外の眺めを楽しんでいた葵に訳のわからない事を言いながら隣に腰を下ろしたのは、もはや篠崎葵の相方として認識されつつある女生徒――龍宮真名だった。

「あぁ、そうか。先輩にとっては確かにそうだね」

 龍宮も、言われて初めて気が付いたという風に少し驚いて相槌を打つ。

「ふむ、それならしっかりと楽しむといいさ。今から行く所は去年も合宿で使わせてもらったんだが、あそこの鍋は絶品だよ。味にうるさい篠崎先輩もきっと気に入るさ」

「ほほう。言ったな龍宮? 期待に添えなかったらどうする?」

「ふむ、その時は……以前先輩が朝倉に書かされた記事の中で絶賛していたレストランでディナーを奢らせてもらおう。どうだい?」

「……乗った」

 葵がそう言うのと同時に、二人を互いの拳を軽くぶつけて静かに笑いあうと、肩を並べて流れていく外の景色を楽しむ事に専念しだした。
 時期は冬休み――葵にとては、今の自分になってから初めての長期休暇である。
 二人は、外部部員として所属している麻帆良大学バイアスロン部の強化合宿に参加していた。







『外伝1 彼と彼女の最初の事件-1』








 たどり着いた駅からバスに乗り換えて揺られる事30分と少々といった所だろうか。
 ようやくたどり着いた宿は、中々に立派な宿だった。正直、宿というよりも小さい旅館といった方が正しいかもしれない。

「佐々木副部長の親戚が経営してるらしいよ。おかげで貸し切り料金が少し割り引かれているんだって」

「それでか。温泉付きの宿で三食付いてあの料金は安いと思ったよ」

 それぞれのスキー用具と練習用のエアライフルが入ったバックを肩に担ぎ、着替えなどが入った荷物を反対の手に持ちながら二人は旅館の前に降り立った。
 少し離れた所では、部長の芹沢が自分の班――麻帆良大学部活生の点呼を取ろうと集合をかけている。
 大学の部活動と言うことで人数がそこそこに多いこの部活では、大学に所属している人間と外部の人間で別けられる事が多々ある。今回は麻帆良大学の部活生は部長である芹沢が率いる事に、そして龍宮や葵達外部の部員を担当するのは――

「おーし、お前ら集まれぇ! 点呼取んぞぉ!! お前達外部組の責任は全部俺が受け持っているんだからなぁ!! ちゃんと俺の事を頼れよぉ!!」

 パイアスロン部の鬼軍曹――もとい、鬼コーチとして名高い副部長。佐々木直人副部長だった。
 佐々木は、常日頃から鬼コーチのあだ名通りに熱血系の暑苦しさを持っていたが、今日はどういう訳かいつもにも増して気合いが入っていた。
 具体的に言うと、下手をしたら背中に炎が具現化するのではないかというくらいの入りようで……。

「うわぁ、気合い入ってんなぁ鬼軍曹。一体どうしたのさ?」

「あぁ、多分理由は……彼女じゃないかな?」

 妙に気合いが入っている副部長を尻目に、龍宮が目線で副部長の後ろの方を指し示す。
 そこには、数人の着物を着た女性たちが静かに立って軽く頭を下げて合宿生を出迎えていた。

「あの一番端っこの女性……そう、髪を結い上げているあの人。佐々木先輩が絶賛片思い中の女性みたいだよ」

「!? まじでか……っ!」

「あぁ、先ほどのバスの中で何人か女子生徒がこっそり話しているのを聞いてね。旅館の従業員に惚れているって結構な噂だったらしい。それに佐々木先輩もやけに彼女からの視線を気にしているよ。ほぼ間違いないだろう」

 そう断言した龍宮の言葉を聞いた葵は、真剣な顔で龍宮の肩に手を乗せ、真っ直ぐに龍宮を見据えて口を開く。

「……龍宮」

「任せてくれ。副部長と彼女の関係に関しての情報はすでに集め出している。合宿が終わるまでには詳細な情報を提供しよう。報酬は満天堂の餡蜜セットでどうだい?」

「……くっくっく。さすがだな龍宮。その取引、乗ったぞ」

「ふふ。先輩に褒められるとは光栄だね。よし、契約成立だ」

 『つー』といえば『かー』と言わんばかりの意思伝達を軽々と行う二人。
 いい弱みを握ったとばかりに邪悪な笑みを浮かべる葵と、それに同調するかのように笑みを浮かべる龍宮。
 いろんな意味でいつも通りに絶好調な二人だった。

 龍宮から得た情報次第では、日頃のシゴキの復讐として佐々木が恥ずかしさで悶え死ぬまでからかい尽くしてやろうかと、頭の中で計画を練りながら点呼のために二人は整列しだす。
 ふとその時、偶然葵は旅館の隣に生い茂る深い森の方に目をやった。
 
「……ん?」

「どうしたんだい先輩?」

 ふと、今度は葵が龍宮に声をかけて目線で森の方を示す。

 そこには、中々に珍しい――まるで降り積もった雪の色が溶け込んだのではないかと思うほど綺麗な白い髪を持つ同じ相貌の二人の少年――双子だろうか――がじっと、片方はもう一人の子の背中に隠れるようにしながら葵達合宿参加者達を覗き見ていた。

「珍しいね……。アルビノかな?」

「さぁな。この旅館の子かな? かなり目立つから気になっただけだけど……」

「ふむ……」

 二人がそうこう会話をしている間に、背中にもう一人を隠していた子が森の中へと姿を消し、隠れていた方もそれに続いてチラチラとこちらを見ながら姿を消していった。

「おろ、行っちまったか。何度か目が合ったから怖がらせたかな?」

「まぁ、旅館の子だったらまた会うことになるだろうさ。なんだったらその時に謝ればいい」

 ちょうど龍宮がそう言った時に、点呼を終えたのだろう。副部長が荷物の置き場について説明を始めたので大人しく葵と龍宮は話を聞くことにした。
 この後は荷物を置き、ライフルの管理の説明等があった後に自分達の部屋に移動、しばし自由行動といった所だろう。そう二人は考えていた。

 つまり―― 無駄に気合いが入りすぎた副部長が、まさか荷物置き場の説明と部屋の説明だけで15分近くも使う事になるなどと言う事は、さすがに考えてもみなかった。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 満たされる緑の液体。

 まるで立体迷路のような複雑な形の水槽。

 仄かに見える電球の明かり。

 照らされる壁のシミ。


 こうしてここに存在し続けて、どれほどの月日が経つのでしょう……。
 今日も私は、代り映えのしない光景をただじっと眺めている。
 もはや考えることも段々と面倒だと感じるようになりつつある。
 なぜ、今の自分には『彼』に言葉を伝える事が出来ないのだろう。
 一言。たった一言『彼』に伝える事が出来れば、全てが終わるのに……。



 その一言がこんなにも遠い。





 
――もう、いいんです






――もう……いいんです……。








◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







「――名前は古波 涼奈(こなみ すずな)。年は20歳。この旅館に勤め出したのは今年の夏からみたいだね。佐々木先輩とは、お盆でここに帰った時に初めて会ったらしい。仲居さんの話だと、その時にガチガチに緊張しながら彼女と話していたと……」

「ほほう、周囲にバレバレの一目惚れかぁ? 家族にもバレてるっぽいなぁ」

「恐らくね。詳しい情報はもう少し待っていてくれ。具体的には佐々木先輩とどういう会話をしたとか、彼の反応はどうかとかだね。ちなみに早速二人で話しているようだよ」


 合宿の初日は旅館の説明と、自分達の道具のチェック、雪の状況の確認を兼ねた簡単な基礎トレ等で終わり、今は自由時間となっている。
 夕食――今日は期待していた鍋ではなく、普通の和食だった――を終わらせてから葵はすぐに風呂に入り、その後部屋で同室の男子生徒とだべっていた所、龍宮からメールで呼び出されたのだ。

 今は旅館のロビーで、龍宮と共にセルフサービスの日本茶を啜りながらゆっくりと寛いでいる。
 ロビーには、龍宮達が座っているソファーのそばにある売店の店員とロビーカウンターのスタッフ以外は人が見えず、静かに流されている三味線などの弦楽器の音楽と備え付けのテレビの音だけが鳴り響いていた。
 葵達は、ソファーの横のガラス張りの向こうに広がる綺麗な庭を眺めながら会話をしていた。
 龍宮もすでに入浴を済ませていたらしく、今は二人とも備え付けの浴衣と、その上に羽織を着ている。

「しかし、さすがは龍宮。もうそこまで調べたか」

「朝倉に比べるとこういった事は大分劣るんだけどね。彼女は情報系となるととんでもない能力を発揮するから……」

「朝倉だからなぁ……」

 葵は、妙に人懐っこく自分と龍宮に絡んできて色々――主に龍宮とはどういった関係かといった事をカメラ片手に根掘り葉掘り聞こうとしてきたゴシップ好きの女子生徒の顔を思い出して、苦笑を浮かべる。
 最近では自分が趣味で始めた麻帆良の食べ歩き記録のブログに興味を示して、無理矢理自分を報道部まで引っ張っていって度々飲食店関係の記事を書くように頼みこんでくるのだ。

「まぁ、それはさておきだ。どうだい先輩? 合宿はしっかりと楽しめているかな?」

「合宿初日にその質問には向かないと思うんだがな。まぁ、結構楽しめているよ。麻帆良の人工雪とは違って本当の雪の上で走れるんだからね。まぁ――」

 まぁ、出来る事なら走るんじゃなくて滑りたかったけど。と内心で付け加える葵。
 パイアスロンでは、一応スキー板をつけるが、滑り降りるというよりは滑り走るといった方が近いかもしれない。なにせ、雪が積もっているとはいえトラックの上を走るのだからだ。
 それを龍宮は察したのか、押し殺したように小さく笑い声をあげる。

「ははは。パイアスロン部の合宿だから仕方ないさ。……あぁ、一応最終日の時には、雪の調子と相談しながらだけど普通のスキーを楽しめるみたいだよ。さっき芹沢部長と佐々木副部長が話しているのをちらっと聞いたんだ」

「おぉ、まじでか! グッドニュースじゃないか」

 純粋にスキーを楽しめることに喜びを隠し切れていない葵の様子に、龍宮はほんの少し頬を緩めて、しばしその顔を観察する。
 ほうじ茶を啜り一息ついた葵は、そこでようやく龍宮の視線に気が付く。

「おい、なんだその生温かい目は」

「いやいや、先輩を無理にでも合宿に引っ張って来たのは正解だったなぁと思っていた所さ」

 龍宮が言った通り、元々葵はこの合宿に参加するつもりはなかったのだ。
 この冬休みの間に、自分の記憶のヒントを探すために一人で京都へと向かうつもりだったのだが、龍宮からの熱心な誘いのために予定を変更して、この合宿へと参加している。
 やけに熱心に誘ってくることから、葵は日頃何度か龍宮に記憶を失くしてからの人間関係などで愚痴を言っていた事などを思い出し、それで心配してくれているのかと思い、素直に合宿に参加する事にしたのだ。
 なにより、友人が誘ってくれるということ自体が、葵には何よりもありがたく、嬉しいものであった。



 実際の所、龍宮が葵をこの合宿に誘った理由は、それも確かにあったがそれほど強い理由とは言えなかった。龍宮が重要だと考えていたのは二つ。
 一つは、『とある理由』から彼を京都へ行かせるのはまずいと思った事。
 もう一つは、彼女も一度親しい友人――親しい仕事仲間ではなく。だ――と共に旅行をしてみると言う事に惹かれたのだ。
 龍宮にとって篠崎葵という男は、初めて会ったときに自分が重大な厄介事を隠していると察しながらも踏み込みすぎず、加えて気楽に付き合ってくれるという中々に貴重な友人だった。
 さらにもう一つ付け加えるのならば身長だ。
 自分よりも低いとはいえ、それほど篠崎葵は龍宮真名は身長に差があるようには見えなかった。
 クラスの友人相手に話す時は、いつも下を向いて話すものだから、普通に肩を並べて話す事が出来る友人というのは、些細なことではあるものの彼女にとって中々に嬉しい事だった。

 要するに、龍宮真名は篠崎葵をかなり気に入っているのだ。

「まぁ、いい経験になってるよ。気分転換にもなっているし、そういう意味ではお前に感謝だな」

「ふふ、そうか。それはよかった。なら感謝の印としてお代りをもらおうか」

 そういってスッと空の湯のみを差し出してくる龍宮。それを葵は「先輩を顎で使うとはいい度胸だ」と不敵に笑いながら受け取る。
 ほんの数ヶ月の付き合いだというのに、先輩後輩の間柄とは思えない気安さを見せる二人。これこそが、彼らがコンビとして見られている最大の理由だった。

 龍宮の湯呑みを受け取って立ちあがり、ポッドの置いてあるテーブル台まで歩いていく。
 二人分の湯呑みにお茶を注ぎ終わると、運ぶための小さなお盆にそれらを乗せ(最初の一杯はそれぞれが注いで行ったために必要なかった)席へと戻ろうとする葵。
 ふと龍宮の方に目を向け、そのままその後ろの小さな庭園――ちょうど龍宮が今眺めている所へと目を向ける。

(……あれ?)

 その時、ちょうど葵は気が付いた。
 庭園の更に向こう側。客室へとつながる廊下、そこの2階へと上がる階段の所から、今日見かけた白い髪の子供がこちらを――自分を覗き見ている事に気が付いた。

(おかしいな。今日は貸し切りのはずなんだけど……。スタッフのお子さんかな?)

 そのまま元のテーブルに戻ろうと一歩踏み出すのと同時に、その白い髪の男の子は廊下の奥へと姿を消してしまった。
 後ずさりで、じっと葵を見つめながらだ。



「……なんだぁ?」





◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





 麻帆良大学パイアスロン部の副部長――佐々木直人は、今幸せの絶頂の中にいた。

「――それで龍宮って奴が篠崎の奴を追いかけだしてな。篠崎の奴は猫みたいに塀の上を走ったり狭い所をバッタみたいにピョンピョン飛び跳ねながら逃げてなぁ」

「あはは。相変わらず直人さんの回りには面白い人がいますねぇ」

 なにせ、意中の女性と二人きりで話しているのだから。
 今佐々木がいるのは旅館の従業員用の休憩室。名前の通り、ロビーカウンターの奥に設置されているスタッフ用の休憩室である。
 そして、佐々木の目の前にいる女性は古波涼奈(こなみすずな)という、彼が一目惚れした相手だった。彼にとって、これほど嬉しい状況はないだろう。
 佐々木が彼女と出会ったのは今年の夏。忙しくなる盆の間の手伝いのために帰って来た彼を最初に出迎えてくれたのが古波だった。
 そもそも容姿からして佐々木の好みにストライクだった。背中まである黒い艶のある髪に、かなり薄めの――それでも映える化粧。和服を着た時など、それらが全て相乗効果で綺麗に見えたのだ。
 家にいる間は多忙な両親に代わって甲斐甲斐しく自分の世話をしてくれ、仕事もテキパキとそつ無く真面目にこなし、自分の話をキチンと聞いて一喜一憂してくれる――そんな古波に佐々木はどうしようもない位に惚れてしまった。
 それはもう周囲から見て一目瞭然な位である。

「それにしても、その篠崎さんと龍宮さんって本当に仲が良いんですね。直人さんも、お二人の話をする時は本当に楽しそうに話しますよね?」

「あ、あぁ、うん。まぁ……そうだな」

 少し小首をかしげながら、古波は微笑んで佐々木に確認を取るかのようにそう尋ねる。
 葵と龍宮の事を楽しそうに話しているのは間違いないけどなぁ。と、佐々木は内心で頬を引きつらせながらそれを肯定する。
 なぜ佐々木が二人の会話をするかといえば、単純に古波の食い付きが良いからである。
 元々、ほんの数ヶ月の間に多くの話題を麻帆良に提供してくれた葵と龍宮のコンビだ。当然のことながら話題は尽きない上に、惚れている女がその話題を一番楽しそうに聞いてくれるとなれば、話さずにはいられないのが恋する(初心な)男の子というモノだった。

「まぁ、実際に仲がいいしなぁ。ほら」

 先ほどから視界に入っていたソレ。ロビーで何かあった時にすぐ分かるようにと、マジックミラーとなっている小窓。佐々木は目線で古波にそこを覗くように促す。
 そこからは、ソファーに座って仲睦まじく話し込んでいる葵と龍宮の姿が見る事が出来た。
 ちょうど今、葵がお盆に湯呑みを二つ乗せて席に着いた所だ。
 会話の内容は聞こえないが、かなり楽しそうにしている。
 二人とも、口数が多い時はとても多いが、話さない時は本当に話さない人間だ。普通ならば人が複数いて静かだと、何かあったのかと邪推してしまうもの――それが中・高校生といった思春期まっさかりの中だと尚更だ――だが、あの二人は妙にそれが似合っている。
 たまに佐々木も街で二人を見かける事があったが、その大体がどこかの喫茶店で静かにお茶を啜っていたりして過ごしている所だ。

「本当に仲が良さそうですね。見ていて羨ましくなるほどに」

 古波は手で口元を隠しながら上品に笑いを隠すと、再び佐々木にその魅力的な笑みを向けて一つの提案をした。

「機会があったらあの人達ともお話してみたいです。4人で……だめですか?」

「…………」


 恋する男の子は、惚れた女の願い事に頷く以外の選択肢を持ち合わせていない様だった。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





 バイアスロンとは、専用のスキー板を履いた状態で一周1.5kmもしくは2.5kmのトラック規定周回数滑り走る――つまりはクロスカントリースキーだ――という行動に、(基本的には)距離50mの射撃要素を付け加えたスポーツである。
 元々は軍隊の雪中行軍訓練として行われていたものが、スポーツとして行われるようになったのが始まりである。
 トラックを規定数周回した時のタイムに加えて、射撃で外した弾の回数だけペナルティとしてトラック数か、あるいはタイムが加算されるという競技。
 当然のごとく射撃力が要求されるスポーツだが、たとえ射撃が苦手であっても足で稼ぐタイプの選手も多くいる。
 その中で、副部長である佐々木は射撃力よりも走力、脚力を重視するタイプであった。
 当然、その訓練もまた脚力やスキー技術に偏りを見せており――

「と、いうわけでまずはこの丸太を担いで走ってもらおうか篠崎」

「どういう訳なのか説明した後にそのまま死んでくれ佐々木コノヤロー」

「お前なら出来る! 大丈夫だ俺を信じろ! 熱くなれ!! なるんだ篠崎!!」

(佐々木副部長、惚れた女に練習見られているからってここまで暴走できるものなのか……)

 合宿は無事に二日目を迎え、練習は本格的なものへと変わっていった。
 基礎である体力トレーニングに、スキー板をつけずに普通の走りこみ、その後にライフルを担いだ上でスキー板をつけてまた走り込み、そのまま立射と伏射の練習に入る。
 ここまでが基本的な訓練で、その後は能力に応じて自分が足りないと感じている所の補強に時間を当てられる。
 何人かいる教官役の生徒(要は麻帆良大学の上級生)が、射撃・走り込み・総合とそれぞれ役割分担しており、自分の好きな練習を各個行うといったものだった。

 ちなみに龍宮は、葵と共に走り込み担当の佐々木に引きずられ、ほぼ強制的に走り込みに参加させられている。
 他の合宿生は、気合いが入りすぎている佐々木にドン引いて違う教官役の所へと言っているため、たった三人での訓練となっている。
 理由は言わずもがな――

「三人とも頑張ってくださーい! あと少しで昼食の時間になりまーす!!」

 佐々木が、惚れた女に興味を持たれている二人を自分が引っ張っているという所を見せつけたいからである。
 ちなみに、さすがに外に着物では寒いのか服装は、パンツルックの私服に、旅館の名前がプリントされている分厚いジャケットを羽織っている。

「よぅし聞いたか龍宮・篠崎ぃっ!! 飯に入るまでに一度倒れる覚悟で走り込むぞぉ!! トラック20周追加ぁっ!!」

「ちょっと待てっつってんだろーがボケェェェェェェッ!!!!」

 余りの理不尽さに、思わず佐々木にスキー板を外した右足で上段蹴りを決める葵。それを龍宮は「やれやれ」とでも言いたげに肩をすくめながら見ているだけだった。
 蹴り倒された佐々木は、トラックのすぐ横の新雪が積もっていた場所に自分の人型を残しながら起き上がり、スキーウェアの襟に溜まった雪を指で掻き出しながら葵を罵倒する。

「てめ、篠崎! 蹴り飛ばしやがったなぁ!?」

「あぁ蹴るね! もう一回蹴るね! むしろ何度でも蹴るね!」

「暴力は犯罪なんだぞ! いけないんだぞ!!?」

「その言い方やめろ気持ち悪いんだよ! そもそも拷問まがいの訓練押し付けてるお前の方が犯罪だろうが!!」

「犯罪なわけがあるかぁ! これが犯罪か!? これのどこが犯罪だ言ってみろどーこが犯罪だ!!」

「なに開き直ってんだこの色ボケェ!!」

 その言葉がきっかけとなった。
 少し離れているとはいえ古波が見ている事を両者共に忘れて、上等だコノヤローやんのかコノヤローと互いに罵り、掴み合いの喧嘩(いつもの事だが)になる。
 そして、そこで500円玉が風を斬る音がするほどの威力で両者の顎を撃ち抜いて大人しくさせるのが龍宮の仕事だった。(やはりいつもの事である)

「まったく……貴方達はいつもいつも飽きもせずに……」

 こめかみの辺りを押さえながらぼやく様にそう言う龍宮は、倒れている二人をしばらく放置することに決めた。
 ちょうど古波も様子が気になったのか、こちらへと近づいていた。

「あの、お二人とも大丈夫なのでしょうか?」

 心配そうな声で――実際心配しているのだろうが――尋ねてくる古波に、龍宮は首をコキッと鳴らしながら返す。

「あぁ、いつもの事だから大丈夫だろう。いや、本当に……喧嘩するほど仲がいいを体現したような二人だからね」

「……そうですね。直人さんがいつも楽しそうに話していますもの、貴方と篠崎さんの事」

「おやおや。副部長は私達の事をなんと?」

 龍宮の問いかけに、古波はクスリと小さく笑ってそれに返す。

「麻帆良一の『どたばたコンビ』ですって」

「どたばた……」

 雪面に倒れている副部長の後ろ頭を踏み抜いてみたいという欲求を抑えながら、龍宮を会話を続ける。

「ぐ、具体的にはどういう事を?」

「そうですね。篠崎さんが龍宮さんと出歩くと、3回に1回の割合でなにか起こるとか」

(……間違ってはいない)

「街を歩く時は二人でいる事が多いから恋人同士と思われているとか」

(……まぁ、確かにそれも間違っていないが……)

 正しい知識をキチンと伝えて修正しようと身構えていた龍宮だったが、そのどれもが一応事実ではあるために修正のしようがなかった。

「もう篠崎さんは完全に龍宮さんの尻に敷かれているとか――あの、龍宮さん? なんで直人さんの頭を勢い付けて踏みつけたんですか? 雪の中にすごいめり込んでいますけど……」

 もっとも、事実だからと言ってそれを広めることが許容できるかどうかというのは別問題である。

「あぁ、大丈夫だよ。これは強力な気付けの一種でね。もしそんな機会があったら是非彼にやってみるといい。きっと副部長も喜ぶさ。ちなみにオススメは床の上だ」

 邪気を欠片も見せずにこやかにそう言い切る龍宮に、古波は信じたのかあるいはただ流しただけか、笑顔で頷くだけだった。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「ぬぉぉぉ……脳が……世界が揺れているぅぅぅぅぅ」

 葵が目を覚ました時、龍宮と古波はどういう訳か仲を深めたらしく楽しげに会話をしていた。
 恐らくはまた龍宮にやられたのだろう、脳を揺らされた時におこる独特の不快感が頭に残っている。頭を押さえてその場でのたうち回る葵。
 副部長は、どういうわけか自分の隣で頭から雪の中に頭を突っ込んで倒れていた。

(とりあえず引き戻しておくか)

 そう思うや否や、葵は佐々木の首根っこを引っ掴んで雪の中から引き抜いた。

「お、おぉ……篠崎か」

 引き抜いた時に覚醒したようだった。佐々木はしきりに首元をさすりながら辺りを見回している。

「危なかった。あと少し気が付くのが遅かったら、俺はきっとあの川を渡ってたぞ。なんか船頭さんは居眠りしてたんだが……」

「……どーいう夢見てたんだよ」

 思わずジト目になりながら一応ツッコミを入れる葵。先ほどまでの喧嘩はもはやどうでもよくなっていた。
 とりあえず二人揃って態勢を直してスキー板を外し、並んで雪面の上に体育座りをしている。

「なぁ篠崎……寒いな」

(そりゃ首から上が雪ん中に埋まってたしなぁ)

 内心で呟きながら、適当にそーですねーと答える葵。

「まぁ、それは置いといてだ。仮にもウチの従業員の古波と初めて会ったはずの龍宮がなんであんなに自然に話せているんだ? 納得いかん。俺が話せるようになるのにどれだけ苦労したと……」

 半ば本気で憤りを感じているっぽい佐々木に、とうとう女相手に嫉妬するまでになったかと、こっそり距離を空ける葵。なんというか、この合宿中はこの男に関わるのは危険だというのは感じていたが、今それを実感と共に理解できた気がする。
 なにやらその後もすごい恨み言やら惚気やら弱気を延々と語る佐々木(たまになぜか龍宮や葵にまで言及していた)の独り言に近いそれを適当に葵は流していた。

(なにはともあれ。惚れているってのは確定か。鬼軍曹に恋愛……ねぇ)

 似合わないと思う。激しく思う。この男についていける女性というのが一人も思いつかない。まぁ、麻帆良の女性の中には突飛な行動力を持った人間は何人かいるが……。
 
(それを言うなら自分もか。誰かと付き合っている姿って言うのが全く想像できん)

 記憶を失くす前には、自分にも彼女がいたらしい。というよりいた。なにせ、麻帆良に戻って一週間後に互いに泣きながら喧嘩して別れたのだ。
 葵からすれば訳も分からず貴方の彼女と言われて、あげくに別人扱い――実際否定はできないのだが――されたのだ。
 今にして思えばもっと穏便に済ませることもできたし、そうするべきだったと思う。
 だが、あの時は一番情緒不安定だった事も手伝ってその場で振ってしまったのだ。
 その結果として、今の葵はクラスで微妙な立場にあるのだが……。

(人を好きになるのも好かれるのも……大変なんだろうなぁ、きっと……)

 どうやら感極まって来たらしく、微妙に目じりを雪ではない何かで濡らし始めた佐々木にやはり適当に相槌を打ちながら、葵はこちらに気が付いた龍宮に軽く手を振って立ちあがった。

 少し離れた空を見上げると、それまでの快晴とは打って変わって薄暗い雲が立ち込めていた。
 午後からは降るかもしれない。
 ふとそんな事を思いながら、葵は腰についた雪を手で払って軽く身体を伸ばす。
 足元では、未だ佐々木が何かぼやいている。


(なんというか……忙しくなりそうなんだよな。いろんな意味でさ)
 




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





 貴方はこんな私を愛してくれました。
 貴方は今も私を愛してくれています。


 それは理解しています。
 それは嬉しく感じています。


 信じられないほどに。
 例えようがないほどに。


 だからこそ泣き出したい。
 だからこそ問い詰めたい。




 どうしてまだ私を愛しているのですか?





 どうしてあの子を愛してくれないのですか?









[33428]      彼と彼女の最初の事件―2
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/10/23 23:18

「頼む篠崎、龍宮! お前達の力が必要なんだ!!」

 二日目の合宿も無事に終わり、夕食までの間自由時間となった。
 本格的な練習が始まったために、中々に疲労が溜まっていた葵は浴場近くのリラックスルームで龍宮にマッサージをしてもらっている所だったのだが、そこに突然現れたのが佐々木である。
 佐々木はリラックスルームに入るやいなや、そのまま土下座までしそうな勢いで葵達に頭を下げている。

「いや、ちょっと待って副部長。力を貸せと言われてもサッパリ分からん。というか人目をむっちゃ引いているんだが……」

 練習後ということで、リラックスルームに設置されているマッサージチェアを使おうとしていた合宿生は非常に多く、部屋の中で順番待ちをしていた。
 葵もそれを待っていようかと思ったのだが、龍宮の提案で隅っこの普通に椅子に座って彼女に首や肩、腕を揉んでもらっている。
 順番待ちの合宿生の目が集まる中、龍宮は静かに、

「力を貸すというのがどういう事か分からないが、とりあえず場所を移した方がいいかな?」

 と提案した。
 なにせ、この合宿が始まってからこの佐々木と言う男は主に悪い意味で目立ちまくっているのだ。
 今もリラックスルームの中にいる人間の目を引きに引きまくっている。
 葵はそれから来る羞恥心を感じながら、やけに目をギラつかせている佐々木を見やって、ひとつため息を零した。
 
(なんだかよくは分からんが……忙しくなりそうな予感がするんだよなぁ。昨日も思った事だけどさ)


 この時の葵の予感は正しかった。

 だが、もう一つ付け加えるべき言葉があった。

 今までの比じゃない程に――という言葉を

 




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「――ようするに、惚れた女を引っかける手伝いをしろっていうのか」

「なんというか、佐々木先輩のイメージがこの合宿でだいぶ崩れたね」

「いやはやまったく……」

 場所を、人がいなかった二階の多目的ホールへと移してから話し合いを始めた葵達三人。
 そこで佐々木が力を貸して欲しいと言ってきたのは、要するにそういう事だった。

「なんで俺と龍宮交えて話したいとか言ってくるんだろうねぇ。その古波さんとやらは」

「あれだよ先輩。どうやら副部長、会話のネタに私たちを良く使っていたらしいから……」

「それで巻き込まれた訳か。ちくしょうあの色ボケ大佐……」

 葵と龍宮が夕食の後に4人で話す事に了承した後、佐々木は何度もこちらに頭を下げながら立ち去っている。今ここにいるのは葵と龍宮の二人だけである。

「しかし、上手くいくかい? 適当に佐々木先輩を持ち上げて二人をくっつけようなんて」

「別にくっつけるとまではいってねーが……。このままだと俺の身体が持たん」

「…………練習、気合い入ってたからね…………」

「入りすぎだろうありゃあ……」

 まだ二日目だというのに、まるでラストスパートに突入してそのまま三途の川にダイブしかねない訓練を始める佐々木。それに対して葵は、どういう形になるにせよ事態が落ち着いてくれれば――そう考えていた。
 なんにせよ、問題は今日の会話だ。頭の中で佐々木のイメージを落とさず、気楽に話せる話題をリストアップしていく葵。
 ちょうどその時、龍宮が羽織っているジャケットから軽快な電子音が流れ出した。
 すぐに龍宮は内ポケットから自分の携帯を取り出し、ディスプレイを一瞥する。

「やれやれ、こんな時にまで……」

 どこか呆れたような口調でそうつぶやく龍宮。なにかトラブルかと葵は尋ねるが、それに龍宮は「大したことないさ」と軽く笑うだけだ。

「だけど……。すまない先輩、私はここで席を外させてもらうよ。また後で」

「あぁ、それまでには会話のネタの草案作っておくよ」

「ふふ。なんだかんだで貴方は人がいいな。それじゃ、また」

 そういうと龍宮は軽く片手を上げて別れの挨拶をしながらホールから遠ざかる龍宮の背中を、その姿が見えなくなるまで見送った葵は、そのまま二階から見える外の光景を楽しむことにした。
 無論頭の中では先ほど龍宮に言った通り、会話の運びや流れを一通り纏めて草案を作っている。
 
(といっても会話を完全にコントロールするなんてのは不可能だし。とりあえず話題のタネになりそうな俺と龍宮のことから入って……その後、色ボケ少佐の話題に徐々にシフト……あぁ、がっついたりしないように夕食の時にある程度惚気させてガス抜きさせとくか……ん?)

 ふと、どこかで鈴の音が聞こえたような気がした。
 それと同時に、視界に端に白い何かが入った。
 気になった葵は首を動かして、そちらに方に視界を広げる。

「あ、あの……こん……ばんわ……」

 そこにいたのは、昨日森の中からこちらをうかがっていた、あの白い髪の双子の一人だった。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「魔力反応? この近くで?」

『あぁ、ちょうど君達バイアスロン部がそっちにたどり着く少し前になる。近くにいた魔法使いからそう報告があってね。もっとも漠然とした情報でハッキリとは分からないけど……』

 龍宮真名の携帯に掛けてきたのは、麻帆良学園都市では『デスメガネ』の異名を持つ広域指導員にして、魔法世界では上位の強者として知られる男――高畑・T・タカミチだった。

「察するに調査依頼ですか。まったく、人が友人との旅行を楽しんでいる時に無粋な――」

『おや。君が仕事の話の時に愚痴るなんて珍しいね』

「私とて一応人の子ですから、そんな日もあります。まぁとにかく、これは学園――いや、協会からの正式な依頼と言う事でいいのですか?」

 結局のところ、これは依頼の電話。この友人や知り合いが雪山で楽しんでいる中、龍宮に銃を振るえという話だ。

『そういうことになる。明日までには、より詳細なデータを送っておくよ。なにせ、今も情報を分析しているんだけど、魔力の発生源の特定に時間がかかっているんだ。学園長の知恵を借りようにも、今は魔法世界の方に行ってるからね』

 少し疲れたようにそう言う高畑の声に、龍宮は学園長不在の学園の運営――というよりまとめ上げに苦心しているのだろうと察する。
 ただでさえ最近、本国から送られてきた教師達が奇妙な動きを見せているのだ。
 学園長を支える人間で、今は学園をまとめ上げなければならない彼の苦労を思い、龍宮はそっと心の中で十字を切る。

『依頼金については以前の護衛の仕事の時の参考にして――でどうかな?』

「いいでしょう。ただ、厄介事になった時には」

『分かってる。必要経費にプラスして色をつけさせてもらう』

 基本的な料金は既に協会側がこちらの提示する相場を把握し、それに答えてくれているので、龍宮としても関東魔術協会は『今はまだ』信頼できる取引先である。
 そのため、このように料金関係の話で揉めることは少なかった。傭兵には付き物の金銭トラブルを回避できる事は龍宮にとってもかなり喜ばしい事である。
 一応料金の話が終わってからは少しばかり雑談が続く。

『あぁ、ところで龍宮君。君の相方の調子はどうだい?』

「ふふ、相も変わらず元気ですよ。今日も佐々木副部長と仲良くケンカをしていました」

 あえて『仲良く』の所を強調する龍宮。その言葉で、もうその光景に想像がついたのか、電話の向こうから高畑の苦笑が聞こえてくる。

『はは、またかい。以前に工学部の起こしたトラブルに巻き込まれた時も、篠崎君と佐々木君はケンカしてたからなぁ』

「篠崎先輩が言っていましたよ。「おい龍宮、俺はどうやらリアルな夢を見ていたようだ。メガネ掛けた優男がでかいロボット達を素手でぶっ飛ばしたんだ」って。少しは自重して下さい。……いや、これは工学部のマッド達に言うべき事か」

 ふぅっと、龍宮は一度携帯のスピーカーの位置をずらして軽くため息を吐く。

『……篠崎君の様子はどうだい? やはり、まだ記憶が?』

「ええ。彼と話して半年近くになりますが、やはり記憶は戻る気配はないようです。ただ……」

『ただ?』

 声にしてしまってから、龍宮はしまったと思った。誰かに言うつもりは――もちろん葵本人にも言うつもりが無かった事が、つい口に出てしまった。
 ここで適当に誤魔化そうかとも思ったが、それはそれで印象を悪くするだろう。
 龍宮は、何か適切で穏便な言葉がないかと頭の中を探るが、結局は正直な言葉しか出てこなかった。

「ただ、不謹慎ではあるんですが……私は今の篠崎先輩のままでいてくれればと、そう思ってしまうんです」

 苦笑とも自嘲ともつかない表情を浮かべながらそう言い切る龍宮に、やはり高畑は苦笑を浮かべているのだろう。

『その気持ちは分からなくもないよ。なんといったって、彼は君の――相方なんだからね』

 そう言う高畑の声は、どこか面白がっている様に龍宮には聞こえた。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「へぇ、この近くにもう一つ旅館があったのか」

 白い髪を持つ少年――名前はユウキというらしい――と、どういう訳か話をすることになった葵。見た目以上に落ちついた話し方をする少年に、葵は年下ではなく普通の友人と話すように接している。
 
「うん。その……もう潰れているんですけど……」

「おぉう」

 葵としては軽い話題として、どこに住んでいるのかを聞いただけだったのだが、思った以上にヘビーな話だったようだ。
 しまったと思うのと同時に、何かいい話題は無いかと無難な所で探し出す。

「なら、その旅館にそのまま家族と一緒にいるんだよね? 昨日見かけた時には君と同じ……えぇと」

「…………はい、弟です」

「あぁ、そうなのか。その弟くんと家族で住んでいるのかい?」

「うん……。弟と、お父さんと、……寝たきりの母さんが」

「…………いやもうほんとにごめんなさい」

 だめだ。どうにもこの子苦手だ。
 そう感じた葵は、何を話そうかと迷うが話題が出てこない。
 年下と話す機会は何度かあるが、ここまで小さな子供と話すのは初めてだった。加えてこの子の落ちついた話し方は、小さい子と話すような――悪く言えば、舐めた話し方を許さなかった。
 少しの間、互いの顔を見合っている二人。傍からみたら、良い年をした男が小さな男の子にメンチを切っている様にも見えるが、幸い今ここには葵とユウキ以外に人はいなかった。

「あの……」

「ん、どうした?」

「いつも一緒にいるお姉さんは……」

「あぁ、龍宮か? あの、少し色黒のやつの事だと思うけど……アイツがどうかしたのか?」

 そう尋ねる葵だが、なぜかユウキはそのまま葵の顔をじっと見つめている。
 龍宮に一目惚れでもしたのかこのマセガキ。と葵は一瞬思ったが、表情から察するにそういうわけでもなさそうだ。

(どちらかというと……聞きたい事が自分でもよくわかっていない。まとまっていないといった所か?)

 再び会話が途絶え、静寂がホールを満たす。
 どうしたものかと頭をひねる葵だが、今度もやはりユウキがその沈黙を破った。

「お兄さんって、家族はいますか?」

「……いないよ。両親は死んだし、俺はもともと一人っ子だったらしいしね」

「……ご両親はやさしかったですか?」

「わかんないんだよね。何せ――」

 その頃の記憶がない。――そう言おうとするがそれを飲み込み、もう少し砕けた表現を探す葵。

「あんまり俺は物覚えが良い方じゃなくてね。すぐに忘れちゃうんだ」

 葵が冗談めかしてそういうと、なぜかユウキは更に深刻な顔になる。

「僕も……おんなじです。最近、何かを思いだす事すらもう疲れて……」

 随分と年よりじみた事を言い出すが、その顔に浮かぶ疲労の色は本物だ。

「父さんが……父さんが優しかったころの事がだんだんと思いだせなくなっていくんです。母さんの事も……」

「結構大変じゃないか。病院に行った方がいいんじゃないか?」

 冗談を言っている訳でなさそうだし、事実だとしたらかなり危ない状況なのではないか。
 葵がそう思って言うと、ユーキはかぶりをかぶって

「僕はその……どこにも行けませんから」

「どこにも?」

「はい、どこにも……どこにも……」

 そう言うと、ユウキは何かに気が付いたようにビクッと身体を震わせ、すっと音を上げずに立ちあがる。

「あの、話し相手になってくれてありがとうございました。そろそろ家に戻ります」

「ん、そうかい? 悪いな、大した話も出来ずに」

「いえ、久々に誰かと話したから面白かったです。あの……お姉さんの方にもよろしく伝えておいてください」

「んん? あぁ、まぁ別に構わないが――」

 なんでアイツに? と問いかける前に、ユーキは小走りでホールから出て見えなくなってしまった。
 なんとなく、ユーキが消えた辺りをボーっと見送りながら葵はなんだかなぁとぼやく。
 ふと、もう一度窓の外を見ると、暗くなりだしたためにライトアップされた夕暮れ空に雪が舞いだしていた。

「そういえば……ユーキ君、普通にこの旅館に入ってきてたけど知り合いでもいんのかね?」

 ふと、その事に気が付きもう一度振り返るが、やはりすでにユーキの姿は見えなくなっていた。

 再び、どこかで鈴が静かに鳴り響いた気がした。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 最後に君に手を上げたのはいつだったか

 最後に君を抱いたのはいつだったか

 最後に君が笑ったのはいつだったか

 最後に君を泣かせたのはいつだったか

 最後に君と話したのはいつだったか

 
 
 




 最後に私が泣いたのはいつだったか――






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「いいか龍宮。とりあえず最初は普通でいい。古波さんとやらに合わせて普通に話して、麻帆良の話しになったら少しずつ部活関係から入ってあの色ボケ大尉の話題にシフトしていこう」

「なんで副部長の階級が下がっているのかが少し気になるが了解だ」

 夕食まであと少しといったところだろうか。スキージャケットから私服にと着替えた葵達は、昨日と同じくロビーのソファーに、少し低いテーブルを挟んで座っており、今後の予定を話し合っている。
 昨日と違うのは、夕食前ということで既に多くの人間がロビーにいて、立ち話をしていたり土産物屋を覗いていたりする事だろうか。

「あぁ、そうだ篠崎先輩。伝えておくべき事が二つあるんだが」

「ん?」

「まずは、余計なお世話だったかもしれないけど……佐々木副部長と少々交渉してね。今回の一件、キチンと篠崎先輩と私への依頼という形にしておいた。今日の会話が上手くいけば、JOJO苑の割引券5枚を終了時に私と先輩に支払うという形にしておいた。少し少ないが……まぁ、恋の手助けの報酬としては妥当な所だろう」

「……お前のそういう抜け目のない所、かなり好きだよ龍宮」

「ありがとう先輩。何か交渉がある時はこれからも是非任せてもらいたいものだね」

 くっくっく。と、揃って不敵な笑みを浮かべるバイアスロン部の凸凹コンビ。
 その様子を見た廻りのバイアスロン部の人間は『あぁ、またアイツら妙なことをやってんだなぁ……』と、呆れ気ながら遠目に眺めている。

「で、もう一つなんだが……すまない先輩。明日から夜の間は先輩と別行動になる」

「おろ。マジでか」

 それは地味に痛いと葵は思った。
 麻帆良に戻ったばかりの頃に比べて随分と社交的になった葵だが、友達付き合いをしていると言える人間はかなり少なかった。
 バイアスロン部では、龍宮と佐々木の二人だけ。それと、二人程ではないがまぁ話す人間として部長の芹沢の三人くらいしかいなかった。
 仮にバイアスロン部という壁を取っ払っても友人はかなり少なく、後輩でもある報道部の朝倉と……朝倉と…………朝倉と………………。

「先輩、いきなり机の下に潜り込んでどうしたんだい?」

「いや、ちょっと自分の人生を見つめ直そうかと」

「見つめ直すのはいいが、そこだと私のスカートの中を見つめようとしている変態にしか見えないわけだが……思いっきり顔を踏みつけられたいのかい?」

「顔じゃなくて既に頭を踏みつけている人間の言葉じゃないと思うんですけどおおおぉぉぉぉぉぉぉ…………っ!! わかった、わかったから足どけてください本当に頭が潰れるぅぅぅぅぅっ!!!」

 龍宮が足をどけると同時にのそのそと机の下から這い出てくる葵に苦笑しながら龍宮は続ける。
 葵が机に突っ伏して、少し涙目になっているのは無視してだ。

「まぁ、とにかくだ。そういう訳で明日から少しの間先輩と一緒に居る事が出来ないんだ」

「いや、まぁいいんだけど。……大丈夫なのか?」

 葵は机に突っ伏したまま、少し顔をずらして龍宮の顔を覗き見る。
 何度も龍宮と行動を共にしているので、彼女の言葉の裏をなんとなく読み取れたのだ。
 葵は龍宮が『彼女と初めて出会った時』の様に、よくは分からないが危ない『ナニカ』に首を突っ込む事になったのではないかと心配になった。

「ふふ、危なくなったらキチンと逃げるさ。私が追いかけるのも逃げるのも早いというのは先輩が一番知っているだろう?」

 龍宮も、自分が心配されているというのが分かっているため、危ない事に首を突っ込むということを葵に隠す事はしなかった。
 詳しい所までは知らなくても自分がそういう存在だという事は感じているのだろうという推測。
 なにより、葵ならば口外したり不必要に干渉したりしないだろうという信頼があるからだ。
 葵は、龍宮からキチンと逃げるという言質を取った事でとりあえず安堵の息を吐く。

「……なんだかなぁ。せっかくの合宿だってのに」

「それに関しては私も同意だね。まぁ、最終日までに片は付けるさ。私もスキーは楽しみにしていてね。せっかくの機会を逃すわけにはいかないさ」

 恐らく本当に楽しみにしているのだろう。少し上機嫌になり、机を指でリズムよく叩く龍宮を、葵は頬を緩めて見ていた。
 それと同時に、ある決意をする。

(俺、麻帆良に帰ったら友達作るんだ)

 後日、実際に麻帆良に戻って友人を増やそうと行動し、数々の変人奇人と交友を持ってしまった葵は、頭を抱えながら一言こう述べた。



――…………はやまった…………。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 大広間で夕食を終えた葵と龍宮は、佐々木と合流して従業員用の休憩室へと来ていた。
 すでに目標の古波涼奈は、四人分のお茶を入れて待っていた。

「どうも初めまして、お昼の時にお会いしていますが改めて……。この宿の従業員を努めています、古波涼奈です。どうかよろしくお願いいたします」

「いえ、そんなご丁寧に……。あ、自分は篠崎葵です」

「はい、直人さんからよくお話を聞いていますので……そちらの方が龍宮様でしょうか?」

「様は付けなくていいですよ。今の自分達は客ではないし、古波さんのほうが年上なのだから」

「そうですか? では、篠崎さん、龍宮さんと呼ぶ事にしましょう。今日は本当にありがとうございます。お二人から麻帆良の話を聞けるの、楽しみにしていたんですよ?」

 そう言って悪戯っぽく笑う古波に、葵は妙な既視感を覚える。

(あれ、なんかどっかで見覚えがあるような……?)

「どうかしましたか?」

 なんとなくその顔を見つめてしまった葵に、疑問の声を投げかける古波。
 それに首を横に振り否定する葵。慌てたように首をぶんぶんと横に振る仕草は滑稽に見えたかもしれないが――

 ――後ろから殺気混じりの視線を感じた事もあって、葵からしたら大真面目だった。

「い、いいえ! なんでもないです! えぇそれはもう!!」

「ふむ、篠崎先輩。帰る時には背中に注意した方がいい。副部長に刺されかねないよ?」

「頼むから不吉な事を囁かないでくれ。本当にそうなりそうだ……」

 不吉な事を、いつの間に近寄ったのか耳元に口を近づけて囁く龍宮に、思わずため息を吐く葵。

「しかしまぁ、なんですが……副部長はどういう風に自分達の事を話してたんですか? まぁ、そこらへんもキリキリ副部長本人に聞いてみましょ――――なんで副部長の首絞め落とそうとしてんの龍宮?」

「おぉ、これは私としたがつい……。ほら佐々木副部長、出番ですよ?」

 とりあえず先ほどから緊張していてほとんど話さなかった佐々木に話題を振るために適当なネタを用意したのだが、その瞬間恐ろしい速さで飛びのいた龍宮が佐々木を絞め落とそうとしていた。
 古波は、その理由に心当たりがあるのかあるいは能天気なだけか、口元を手で隠しながら軽く微笑んでいるだけだ。

 とりあえずこのままじゃ話が始まらないと。葵は落ちかかっている佐々木の頭を軽くはたいて目を覚まさせる。すると、すぐに佐々木は覚醒した。なにやら『ちくしょうあの猫め、ちょろちょろ逃げ回って……二つあるんだから尻尾の一つくらい触らせてくれてもいいじゃないか』等と寝言をほざいていたために、葵はもう一度佐々木の頭をはたき倒す。

 中々に混沌とした始まりだが、4人の歓談はこうして始まった。



 そして、いつも巻き込まれるお祭り騒ぎなどではない『彼と彼女の最初の事件』もまた、ここから始まっていたのだ。







◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇







「儀式魔法?」

「そうだ、恐らく間違いないだろう」

 葵達が合宿を楽しんでいる宿から遠く離れた麻帆良学園都市。その中に存在する魔法教師の中でもトップクラスの実力を持つ男、高畑・T・タカミチは、送られてきた資料を持って頼りになる元同級生『エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル』の家を訪れていた。
 後日、魔法の反応が確認された場所の調査を始めるだろう龍宮真名に少しでも詳細な情報を送るために、今こうして魔法に詳しい人間に様々な意見を聞いている所だ。

「その確認したという魔法使いの言葉を信じるならばだが……。広範囲にほんの僅かな魔力が一気に広がり、周囲に均等に拡散したことになる。これはまず、通常の魔力行使ではあり得ない事だ。そもそも通常の魔法行使ならば、とっくにあの女が気付いているだろう」

 長い金髪の髪に軽く手櫛を入れながら、エヴァンジェリンは話を続ける。

「もし通常の魔力行使でこのような反応を起こすならば、かなり精密な魔力制御及び魔力隠ぺいが必要なのだが、それにはかなりの腕前――それこそサウザンドマスタークラスの魔力に私並みの制御技術が必要だ。可能性が0とは言えないが、限りなく0に近いと言っていいだろう」

「……そこで儀式魔法だと?」

「そうだ。だが、儀式魔法だというのならば中々に大きな……そうだな、中規模クラスの儀式魔法といったところか。ならば、周囲に何か異変が起きていても良い筈なのだが……」

 エヴァはティーカップに入った紅茶にブランデーをティースプーンで数滴垂らし、かき混ぜる。

「何かそこら辺は聞いていないのか? 例えば雪崩とか、山火事とか……あるいは大量の野生動物の異常行動とかだ」

「幸か不幸か、そういう情報は何も……。現地の魔法使いとも連絡が上手くいってなくて……すまない、学園長が不在になった瞬間にこれだ」

「……私が言うのもなんだが、今そこには普通の生徒が大勢行っているのだろう? 帰還させなくていいのか?」

 エヴァの問いに、高畑は少し苦々しさを表情に出す。

「本国から送られた教師達に押し切られてしまってね。不確定な情報で、いつ関西と揉めるか分からないここを手薄にする気か。それにトップクラスの実力者が付いているのならば彼女に任せればいい……ってね」

「……龍宮真名」

 エヴァの呟くような声に、高畑はため息を吐いて肯定する。

「お前達教師という生き物は、こんな状況でも権力争いをするのか?」

「ただの権力争いなら僕だって放り投げているさ。だけど――彼らは危険だ。それはエヴァも感じているだろう?」

「真祖の吸血鬼の前で軽々しく危険などという言葉を使うな。私が舐められているように聞こえるぞ」

 軽く苦笑して、ティーカップに口を付けて喉を潤すエヴァ。
 従者が入れた紅茶の香りと味に満足すると、彼女はティーカップをソーサーに戻して少し身を乗り出す。

「奴らの事は置いといても――いいか? 中規模クラス。それも中の上と考えていい。それほどの儀式魔法が発生していても未だ異変が起きていない。つまりは、これから何かが起きる可能性が高いという事だ。それが分からんお前じゃあるまい」

「…………」

 エヴァの咎めるような言葉に、高畑は何も言えなかった。
 本当は本人にも分かっている。今すぐに自分が――あるいは他の魔法教師を送り込むべきなのだと。
 だが、今の麻帆良は――いや、魔法世界に関係する全てが過去に類をみないほど混沌としている。
 より多くの生徒がいるここを、学園長が不在の今なんとしても高畑は守らなければならなかった。なによりここには、学園長の宝物と自分が何を犠牲にしようとも守らければならない娘がいる。

「せめて、誰か一人位……この際魔法生徒でも構わんから送っておいてやれ。誰か一人がいるだけで、事態というものは転がるものだ」

 エヴァがそう提案するが、今ほとんどの魔法生徒は魔法教師たちに実習の名目で身柄を押さえられている。頼りにできる魔法生徒はもちろんいるものの、彼女たちには他の魔法教師・生徒の動向に目を光らせてもらっている。
 誰か、龍宮真名という実力者の足を引っ張らずに補佐出来る存在。
 ふと高畑の脳裏に浮かんだのは、一人の男子生徒。だが、余りに自分の考えがばかげている事に思わず自嘲し、自分自身を鼻で笑ってしまう。

 なぜなら、彼は気も魔法も使えないただの一般生徒なのだから――

「? なんだ、心当たりがあったか?」

「いや、少し疲れているのかなって。普通なら絶対に思いつかない子が思い浮かんでね」

「なに?」

 不機嫌そうな顔で首をひねるエヴァに、高畑は軽く肩をすくめて見せる。

「それはともかく……。うん、急な話になるけど愛衣君に頼もう。高音君の仕事が増えるけどね」

 頭の中で適任を思い浮かべ、勝手に納得した高畑は、一度も口を付けていなかった紅茶をすすり、一息吐く。
 エヴァも、気にかかる事はあったもののそこまで深く考えず、従者に簡単な軽食を二人分用意するように命じた。


 エヴァはこの時、思いもよらなかった。
 高畑が頭に思い描いた、魔法はおろか気もろくに扱えないただの小賢しい男が――篠崎葵が、数ヵ月後に自分の前に立ちふさがる敵となる事など。

 そして、後になって思い返す。




 あの男は、この時からすでにあの女の『相棒』だった――と。












[33428]      彼と彼女の最初の事件―3
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/10/27 00:13
「肝試し……ですか?」

 四人での歓談はいい感じに盛り上がっていた。
 いきなり佐々木が意識を失うなどというトラブルこそあったものの、そのおかげで彼はいい感じに緊張が解け、葵や龍宮からすれば普段通りの副部長が帰って来たように感じていた。
 麻帆良で龍宮と葵が巻き込まれたお祭り騒ぎに、それとは違う普通のお祭り事の話。部活での練習などの話になどで小一時間程経った時に、ふと古波涼奈がそんなことを言い出したのだ。
 なんで冬に肝試すんだよ? という意味も含めて疑問の声を上げる葵に、古波はさも当然というような口調で続ける。

「だって、せっかくこうして楽しい人達で集まったんですもの。あなた達のいうお祭り騒ぎに習ってすこしはしゃいでみたいじゃないですか」

 古波はそう言ってまた悪戯っぽく笑っている。
 ふと佐々木の方を見ると、やはり彼も乗り気なのだろう。すぐにでも出かけるという意思表示か、すでにジャケットを羽織ろうとしている。
 この寒い中でんな面倒くさいこと出来るかと、助けを求めるために龍宮の方をみても、彼女は彼女でなにやら考え事をしながら周囲を見渡しており、こちらの視線には気付いていなかった。
 
(あぁ、こりゃダメだ。行く空気だ……)

 周囲に味方がいない事を再確認した葵は、発案した古波をもう一度見る。
 彼女がその視線をどう理解したのかは分からないが、やけに力強く頷いて葵と龍宮をチラチラと見ている事に、葵はなんとなく頭を抱えながら天井を仰ぎたい気分になった。
 だからという訳ではないが、古波涼奈が自分を見る目に、どこか、何かを観察する様な光が混じっている事に、葵はとうとう気が付かなかった。
 
「やれやれ、行くなら行くで仕方ないか……それで? 肝試しといったって、山の中を歩くのは危険じゃないですか?」

 葵がそう尋ねると、古波は手をパタパタと振って、

「大丈夫ですよ。車で行ける所ですから――あぁ、もちろん私が運転していきますよ?」
「となると、そこそこ離れているけど遠いという訳ではないわけですね?」
「はい、その通りです」

 古波は、窓の傍に立つとある方向を指さして、

「この近くに、昔潰れた廃旅館があるんです」
「へぇ、潰れた旅館が………………………なんですと?」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 その旅館は、傍からみても分かるくらいひどい廃墟となっていた。
 広さだけなら恐らく、葵達が止まっている旅館よりも広いだろう。その分、二階がない作りとなっているが、明かりが灯っておらず所々が崩れて中が覗いて見えるこの建物は、奇妙な圧迫感を発している。

「本当に廃墟じゃねぇか……」
「そう言ったじゃないですか。もうここを使う人は誰もいませんよ? それこそ十年以上は」

 葵は目の前に広がる廃墟に目を奪われていた。そして脳裏をかすめるのは今日出会った一人の変わった少年。


 
――近くの旅館の中に住んでるんです。



――うん。……その、もう潰れているけど……。




「……どういう事だこりゃあ……」
「先輩?」

 隣に立つ龍宮が、葵の顔を覗きこんでいる。

「その……先輩も何か違和感が?」
「お前の感じている違和感ってのが何かは分からんが……俺の場合は矛盾だな」
「矛盾?」

 恐らくは廃墟と化した建物を警戒しているのだろう。鋭い目で建物を睨みつけている龍宮に、葵は頷く。

「龍宮、こっちに着いた時に見た子供。覚えているか?」
「あのアルビノの?」
「あぁ。ちょうど今日その子――お兄ちゃんの方に会ったんだけどな……その子、ここに弟君や両親と一緒に住んでるって言ってたんだ」
「……なんだって?」

 葵の言葉に、龍宮はますます視線を険しくさせる。

「車の中で、古波さんに近くに他の旅館があるかどうかを確認してたのはそのためか」
「結局ここしかないそうだけどな……。龍宮、お前が言う違和感ってのは?」

 今度は葵が龍宮に問いかける。だが、龍宮はその問いに答えずただ首をひねるだけだった。

「……言葉に出来ない位なんとなくの違和感って事か?」
「すまない。旅館を出る時から何かが引っかかっているんだが……」

 本当に申し訳なさそうに言う龍宮。
 葵は短い付き合いとはいえ、危険に対するこの後輩の嗅覚の鋭さを理解していた。
 その後輩が、ぼんやりと何かが彼女の思考に引っかかると言っている。それが何を意味するかは簡単だ。


 すなわち――冗談など挟む余地がない程に……危険。


「人がいるかどうか気配で分かるか?」
「もちろんさ、少なくともこの建物の中には人はいないよ。これは絶対だ」
「そうか……」

 人がいない。ということは、ユウキもここにはいない事になる。
 だけど、あの少年が嘘をついたとも葵は考えていなかった。
 そして、龍宮がなにか引っかかっていると言っている事から、目の前の旅館が危険度ランクの上位に達するかもしれない――とも。
 もしこれが麻帆良の中だったら、工学部やロボット愛好会、あるいは報道部やら科学部関係のいつもの暴走だろうとある意味では安心できるが、ここは麻帆良の外で、しかも未知の領域だ。
 麻帆良の中の人間は、なんだかんだでギリギリの所を見極めている。本っっっっ当にギリッギリ過ぎて、そのため葵がいつも全力で逃走や応戦などの対処、あるいは報復をするはめになっているが、それでもひどい大けがをした事は一度もなかった。


――軽い大けがという矛盾した被害を受けた事なら山ほどあるが……。


「龍宮、どうにかしてあの二人を帰そう。俺とお前で偵察いくぞ」
「先輩も一緒に帰るという選択肢はないのかい?」
「今回に限っては……ない」

 車の所で、何やらテンション高めに騒いでいる年上のコンビを目線で示しながら葵はそう断言する。
 葵の中で気になっている事は二つ。
 なぜ、その少年――ユウキはここに住んでいると言ったのか、その意味は何なのか。
 
 もう一つは――いつも一緒に馬鹿やって騒いでいる後輩の安否。

「足を引っ張るつもりはないし、指示に逆らうつもりもない。けど、関わらないって選択肢は今回に限って外させてくれ」
「どうして?」
「……勘だ」

 自分と龍宮の間には、身体能力からして理不尽と言えるほどにとてつもない差がある。その事を理解できないほど葵は馬鹿ではない。その葵が勘を頼りに何かを断言する等、滅多にない事だった。あり得ないと言ってもいいかもしれない。
 だが、なんとなく――なんとなくだが、自分も行った方がいいという考えがあった。
 いや、自分でそう考えているのとは少し違うかもしれない。しかし、頭のどこかが警鐘を鳴らしているのは間違いない。
 龍宮の方も、葵が自分から危険かもしれない所に飛び込むと断言した事に驚いているのか目をパチクリさせている。
 
「何か思う所がある。そういう事かい?」
「そう取ってもらって構わんよ。自分も上手く言えん。ただ、このまま帰って経過と結果を聞くだけっていうのは納得できそうにない。何もなかったとしてもそれは同じだ」
「……本当に先輩らしくないね。いや、それは私もか……」

 龍宮は、困ったようにコメカミを押さえながら苦笑――ではなく、ただ静かに微笑んだ。

「自分の尻は自分で拭いてくれよ、先輩?」
「女の子がそういう台詞を言うもんじゃありません! ってね」
「確かに……少しは自重しようかな」

 そう笑った二人は、今も話を続けている二人を説得するためにそちらの方へと足を向けた。
 心持ち、葵と龍宮が並んで歩く姿は、今までのそれよりも少し距離が近くなった――様にも見えた。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 全てを取り戻そう。

 私なら出来る。

 これがあれば出来る。

 私は『彼女』とこの館と共に生きている。

 大丈夫。

 もう何年も繰り返してきた事だ。

 あの女さえ手にする事が出来れば大きくその日に近づく。

 あぁ、全てを取り戻そう。



――例え何を犠牲にしても






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「結局、帰ってもらう事は出来なかったな。ちくしょう、古波さんがあそこまで反対するとは思わなんだ……」
「なんというか予想外だったね。もう少し大人しい人かと思っていたんだけど……あの人は麻帆良でもやっていけそうな気がするよ」

 どうにか先に帰ってもらおうと二人にかけあった葵と龍宮。
 仮にも元民家兼旅館で、ひょっとしたら浮浪者等が中に入って住みこんでいるかもしれない。だから、肝試しは後日にして、今日は自分達が偵察すると言ったのだが、

「俺もすっかり忘れてたけど、帰る手段は車しかないんだよね畜生。そりゃ俺達だけ置いていけるわけないかちくしょう」
「まぁいいさ。一応外で待ってもらっているんだ。痺れを切らさない程度に急ごう。せめて、先輩が言ってたユウキ君とその家族の手掛かりだけでも見つけないと」
「色ボケ三等兵と古波さんの方は大丈夫だろう。今が距離を近づけるチャンスだって念を押してきた。ついていうなら、こんな寒い中車から出ようとは思わんだろ。その……普通ならば……多分……うん」
「急に自信がなくなったね先輩」
「うるせ」

 結局、肝試しを実行することになった葵は、次善の策として自分達が先行する事を提案した。
この旅館の見取り図は古波が持ってきていたので、それを持って懐中電灯の明かりを頼りに一周してくる。そしてそれを終えてから次のグループ――つまり佐々木・古波組に渡すと言う流れだ。
 
「しかし……龍宮お前、こんな懐中電灯の薄い灯りだけでよくすいすい進めるよな」

 今葵達は、玄関から入って真っ直ぐ続く廊下を歩いている。その合間合間に見つけたふすまや扉は片っぱしから空けて、何か痕跡がないか探している。
 今の所、成果は0だが……。

「夜目に慣れていてね。そういう先輩こそ、この視界が不自由な状況を全く恐れていないじゃないか。フフ……麻帆良の騒動で慣れたのかな?」
「慣れるって何にだよ何に……!」

 葵からすれば、全く恐れていないわけではなかった。寧ろかなりビビっていると言ってもいいだろう。
 今の葵がいつも通りなのは、なんということはない――ただのハッタリだった。
 自分で勘などという不確かなものを言い訳にしてここまで来たのだ。そこでビビっている事を後輩の前でさらけ出す等、死んでもごめんだと葵は本気で思っていた。
 そこで葵が取った方法は、演技。
いつも通りの自分を頭の中で客観的に見て、それを自分の体に再現させる。
 かつて記憶を取り戻すためにと行っていた事だが、その時は今行っているソレとは違い、分からない何かを模索し、それを無理矢理自分に当てはめようとしていたために『失敗』したのだ。

(こういう小手先の小細工なら誰にも負けない自信はあるんだが……)

おかげで龍宮に悟られず誤魔化せている事から、密かにダメな方向に自信を持つ葵。

「しかし……先輩。ユウキ君は、確かに旅館に住んでいると?」
「あぁ、間違いない。少なくともあの子がそう言った事はね……」
「……誰かが住んでいる痕跡は見当たらないが……ふむ」

 誰かが寝泊まりしている――浮浪者だとしても――にしては、この旅館は余りにも自然に汚れすぎている。
 もし誰かが住んでいたりするのならば、仮に住んでいる事を隠そうとしても埃の積り方や物の配置などにそれらしさが出るものだ。
 しかし、今龍宮達が見て回っている範囲ではそういった痕跡はまったく見つからない。

「でも雰囲気はするんだよな。ちくしょう、嫌な予感がしてきた」
「? 人が住んでいる雰囲気かい?」
「いや、そういうのじゃなくて……こう、なんていうか」

 葵は、顎を指で撫でながら少し考える。

「ロボット関係の愛好会やら研究会の連中が騒動起こす前の静けさってこんな感じじゃないか?」
「…………先輩は本当に彼らとは相性悪いからねぇ…………」

 半ば呆れながらも、葵の言いたい事は理解したのだろう。警戒のレベルを上げ、それまでは無手だった龍宮が武器を取る。それは、葵にとっては見慣れたエアガンで――。

「あれ? いつものと違ってなんか無骨っていうか……龍宮、それひょっとして――いや、やっぱなんでもないです」

 一瞬、いつもと同じだが少し違う様に見えたエアガン――ちょっと必要以上にリアルに黒光りするエアガンである――に違和感を覚えて尋ねようとした葵だが、「フフ……」と笑う龍宮の顔を見て、見間違いだったんだと思う事にした。いや、見間違いだったのだろう間違いなく。

(触らぬ神に祟りなし――)

 声には出さずに口の中でそう唱えながら、葵は歩く先を懐中電灯で照らす作業へと戻るのだった。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「いやはや、龍宮と篠崎の二人ならさっさと終わりそうなものだと思ったけど、随分ゆっくりと進んでんなぁ。龍宮に怖い物があるとは思えんし……篠崎か?」
「あら、お話の中では篠崎さんはいつも厄介事を龍宮さんと一緒に押さえているのでしょう? あの人に怖い物ってあるんですか?」

 龍宮に説得された佐々木は、先行を若い二人に任せてこうして車の中で待機していた。
 二人が出発する時、葵は佐々木に「いいですか、今がチャンスです。がっつかずに紳士な所を見せながら話振っておけばOKです。紳士といっても、いつもの貴方の様な変態紳士ではない方なのでお気をつけて。あぁ、時間の方は気にしなくて大丈夫ですよ? 自分は少なくとも貴方よりは空気読めるんで」と、さらりと毒を混ぜながらそう告げていた。
 色々と突込みどころこそあったが、とりあえず時間は気にせずに点数を稼いでおけという意訳は理解した佐々木。
 同時に、今度葵と肉体言語で語りあう決意も固める佐々木。

「篠崎なぁ。むしろ、怖い物だらけって感じがするんだけどな。アイツの場合」
「怖いものだらけ?」

 なんだかんだで、佐々木もまた葵との付き合いはそれなりにあった。
 むしろ、バイアスロン部の副部長として、かつての『篠崎葵』を知った上で完全に以前の葵と切り離して接する事のできる佐々木を、葵はある意味で龍宮以上に評価していた。
 なにより葵にとっては数少ない男友達であり、龍宮が葵から見て最高の『相方』なら、佐々木は最高の『友達』だった。

「別人になってからのアイツは独特の思考を持った変わり者になったからなぁ。そのせいかどうか分からんけど、多分内心で思っている事とやっている事がちぐはぐなんだよなぁ。昔と今じゃベクトルが違うけど」

 古波の質問に答えようと口を開いた佐々木だったが、実際に出たのはどちらかと言うと独白の様なものだった。

「――私にはよく分かりませんが、えぇと……怖がってるのに平気で強がって無茶する……という事ですか?」
「んー……。無茶をするという訳でもないんだが……」

 旅館を出る前に自動販売機で買っておいたホットコーヒーに口を付けながら、何が言いたいのかを整理する佐々木。
 口に含んだそれはもう大分ぬるくなっていた。

「なんて言えばいいんだろうね。アイツ無理に自分を昔の自分に当てはめようとしてた時期があってね」

 葵が入院を終えてからしばらく経って、ようやく部活に顔を出した時、まるで別人になっていたのを今でも佐々木は覚えている。
 それまでの普通の少々目立つ程度にお調子者だった男が、驚くほど静かで、周囲の目に必要以上に気を配る臆病な人間になっていたのだ。印象に残らないはずがない。

「なんつーか怖かったな。人を殺す目をしてた……ってわけじゃないけど、うん。近くで人が動いたり、話をしている時にそれらを全部観察してたんだよ。その目がまた怖くてな」

 そして、その中から断片的に自分の情報を聞き取り、抜き出し、今までの篠崎葵を『再現』しようとしていた。
 実際、その後少しずつ昔の『篠崎葵』へと戻り出していた。
周囲もこのままいけば近いうちに記憶が戻るのではないかと、そう思っていた。
 だが佐々木の眼には、葵が昔に戻っていけばいくほど、人の目の届かない所で彼の目が険しくなっている事に気が付いていた。

「ふと思ったんだよ。アイツ、実は記憶を取り戻したくないんじゃないかって。いや、取り戻したいのかもしれないけど、それでも今の自分でいたかったんじゃないかって」

 言いながらも佐々木はその時を思い出していた。
 あの時の篠崎は怖かったと、周囲の誰にも気取られずにゆっくり壊れていったあの男は本当に怖かったと、外気とは違う寒気を感じて身震いする。
 古波がそれに気が付いたのかはわからないが、ジャケットからカイロを取り出して佐々木に渡しながら、先を促す。

「それからどうやって今の篠崎さんになったんです? 結局昔の自分には戻らなかったんでしょう?」
「あ、ありがとう。いや、俺も詳しく何があったかは聞かされてないんだけど、キッカケはあったみたい。俺も部活のメンバーから聞かされただけなんだけどさ」

 そこで佐々木は、少し悔しそうな顔をする。といっても深刻な後悔といった様子ではなく、どちらかと言えば――面白い物を見逃してしまったという顔。

「あの龍宮と派手に喧嘩したらしいんだよ、篠崎。それこそ殴り合い一歩手前になるくらいだったってさ」

 そこまで言ってから、ふと車の窓越しに廃旅館を覗いてみる。
 薄汚れた廃旅館の窓の一つから、二つの懐中電灯の灯りが寄り添っているのが見えた。
 この分なら、まだまだ時間はかかりそうだなと佐々木は考えて、ダッシュボードの中にしまってあった新商品のスナック菓子の袋を開けて、古波に食べるように促した。それをありがとうと言いながら受け取る古波。
 今の葵について話すのは難しいと佐々木は思っていた。
 二学期に入ったばかりの怖かった時とは違い、今では落ちついている。恐らくそのケンカが関係しているのだろうが、龍宮と本当にいい関係を築いている。
 ここまでならいいのだが、最近になって再び葵が分からなくなっている。
 怖いとかそういうのではないが、行動と思考が合わないとでも言うのだろうか。
 たまに妙な考えに陥る事があった。
 実は、葵の中に違う『ダレカ』がいてたまに入れ替わっているんじゃないか……と思う時が。
 さすがにそんな頭のネジが数本ぶっ飛んでいると思われても仕方ない様な説明をするわけにもいかず、なにか違う言い回しはないかと、古波と新しいスナック菓子の感想を言い合いながら考える佐々木。

 もし、この時二人のどちらかが後ろを向いていれば気が付いたかもしれない。

 後ろの窓に、無骨な男の手がベタッと張り付いている事に。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 ある程度奥の方まで進んで、道が二手に分かれている所にたどり着いた。
 やはり、誰かが住んでいる処か立ち入った痕跡も見当たらない。
 だが、葵は寒さとは違う言葉では言い表わせない悪寒を感じていた。

「なぁ、龍宮。今気が付いたんだけどさ」
「ん?」
「綺麗すぎないか? この建物」
「これを綺麗と言うなら、私はこれから毎日貴方の部屋を掃除しにいく所だが……ちなみに月に五千円だ」
「リアルな金額提示するの止めろよ……。いやそうじゃなくてさ」

 葵は立ち止って、二手の別れている一方を懐中電灯で照らす。その先は更に左右の二手に分かれており、突き当たりの壁には左右それぞれに矢印と、埃が積もって読みにくいが『藍の間』『葵の間』と書かれている木彫りのプレートが張りつけられている。
 おそらくそれぞれが客間へと繋がっているのだろう。なんとなく『葵の間』があるのだろう廊下に少し灯りを差し込みながら、葵は続ける。

「汚れ方が綺麗すぎる。ここら辺はそうでもないが、さっきの廊下とか窓が割れてただろ? これだけ雨風をしのげる場所なんだ、何か動物とか虫が入っていてもいいと思うんだが、見かけないどころか糞尿もないし臭いもしない。蜘蛛の巣とかいった定番モノもないときた。後、さっき気が付いたが――」

 葵は、分岐のもう片方へと懐中電灯を向ける。
 そこは、葵達が泊っている旅館にあるような庭が曇ったガラス越しに見えていた。
 本来なら草木が綺麗に生えそろっているのだろうが、手入れする者がいないため伸び放題となっている。

「? 普通に荒れているだけと思うが――」
「雑草一本生えずにか?」
「……あ」

 龍宮も葵と同じく庭を照らし出す。特に地面の方を。
 一応苔で覆われてはいるが、他には一切雑草が生えていない。一本もだ。
 冬とはいえ、何年も放置されているというのならば少しくらいは生えていてもいいはずだが……。

「いや、微妙におかしいとは思ってたんだよ。玄関口辺りから周囲に伸び放題の植木はあっても、雑草が一本も見当たらなかったからさ」
「誰かが抜いている? いや、それなら他の所も手入れするはずか」
「なんかこう……ちぐはぐなんだよな」

 葵は庭の方へと近寄り、軽く懐中電灯を左右に振って地面を調べ出す。
 その時、唐突にフッと葵の頭の中に今日の昼のやり取りを思い出した。
 本来ならば最初に思いつかねばならなかった事だ。
 なぜ、今唐突にそれが頭に浮かんだのか内心首をひねるが、

「――なぁ、龍宮。これは独り言だけど」

 しゃがみ込んでガラスの汚れ具合を調べながら、葵はそう切りだした。

「今日龍宮の携帯にかかって来た用件。まぁ、龍宮の言い方からして厄介事なんだろうけど……ひょっとしたら、その厄介事にここが関わっているんじゃないかって俺は思うんだ」

 葵は背中で龍宮の気配を感じようとするが、とくに動いた気配はなかった。葵の頭の少し上の辺りで龍宮の持つ懐中電灯の灯りが揺れている。

「まぁ本当にここがそうなのかを置いといて……実際今は意味がない。俺が気になったのはなんでこんな夜中に、しかも怪しい場所があるかもしれないと知っているお前が何も警告せずに付いてきたのかって事だ」

 ガラスにひょっとしたら子供の手形か何かでも残っていないかと期待していたが、やはり何も見つからなかった。
 そのまま葵は立ちあがって、今度は天井を照らす。
 やはり、ネズミはおろか蜘蛛一匹――巣を張っていた形跡すらどこにも見当たらない。

「俺は龍宮真名が関わっている何かを知らないが、もしそれが俺の常識の外にあるものならば……で、それがこの旅館になんらかの形で関わっているのなら、そこになにかヒントがあるんじゃないかと思う。なにか見落としてないか? あるいは見えなきゃおかしいはずの物が見えてなくないか?」

 まぁ、具体的にそれが何か聞く気はないけどね。と断わりを入れてから葵は振り向く、

「さて、どう動く龍宮? とりあえずそれ以外にはおかしい所もユウキも見当たらないし、一度色ボケ達と合流するか? それともこのまま――」

 否、振り向こうとした瞬間、龍宮の手がすごい勢いでこちらの襟を掴み取った。
 葵が呆気にとられている間にも、龍宮は既に来た道を引き返そうとしている。

「え、ちょ、龍宮?」
「くっ、強制認識か……っ! 私とした事が!!」
「ねぇちょっと待て説明をいや説明はいいからこの手を放してこのままの速度で走ると俺がこけて引きずられちゃうからってほぉあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!!」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 どういうことだ?

 どうしてあの男は平然としている?

 あの女ですら誤魔化しきれたこの術式がなぜ効かない?

 あと少しだったのに

 上手くいくはずだったのに

 あの魔力の塊のような存在を捕らえる絶好の機会だったのに

 それが……ただの男なのに

 みじめな魔力しか持たないただの男なのに

 その『ただの男』に邪魔された


 なぜ、あの男は


 なぜ


 なぜ――






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「古波さん! 副部長!!」

 龍宮に引きずられて外へと飛び出した葵。外に出た瞬間、文字通り雪の中に放り捨てられた葵だが、龍宮の様子から今が尋常ではない状況だと判断し、何も言わずに起き上って後に続く。
 車へと戻った二人が目にしたのは、既にもぬけの殻となった車だった。

「くっ……遅かったか!」

 龍宮が力強くボンネットを叩く。すると、その音のせいか、近くの木に降り積もっていた雪が崩れ落ちた。

(……運転席と助手席からそれぞれ足跡が二つ……自分の意思で出た?)

 予想を超えた事態に葵はかなり混乱しながらも、頭のどこかで「まずは調べろ!」と叫んでいる所があるのを自覚する。
 車の周りの雪の状態を確認し、とりあえず手掛かりを見つけようとする。
 龍宮も、何やら真剣な表情で車の周りや辺りを見回している。
 車のドアは空いており、少し雪が中に入り込んだために一部が少し湿っていた。

「おい龍宮。詳しくは聞かないから答えられる事には答えてくれ。一瞬で人の意思を捻じ曲げて、思う様に行動させる事って可能なのか?」
「可能だ。だが、それならば私にしか見えない痕跡が残るハズなんだが……いや、そもそも今までの私も……」

 なにやら引っかかる点があるようだが、そういう事が可能という事が分かればとりあえずはその方向で動くべきだろう。
 少なくとも楽観できる状況じゃない。
 車の中を確認すると、運転席と助手席の間の隙間に、来る時に佐々木が持ってきていたスナック菓子の袋が中身ごとぶちまけられている。
 二人分の懐中電灯はそのまま放置されている。この時点で異常事態である事は確定だった。
 龍宮は、葵には見えない何かを探すように虚空に視線をさまよわせていたのだが、諦めるように頭を振ると、残っている足跡に目線をやる。

「先輩、車の運転は出来るかい?」
「俺を何歳だと思ってんのさ龍宮。運転できてゴーカートくらいだ。そもそも――」

 運転席の周囲を調べていた葵はそれに気が付いていた。ご丁寧にもキーが抜かれている。

(ということは、俺達にも用があるってことか……)

 龍宮も、自分の目でキーが抜かれている事を確認すると舌打ちをして、今度は残っている足跡を目線で追っていく。

「先輩。貴方は今、違和感を覚えたりはしないかい?」
「その違和感ってのが、思考に妙な点があるかって事なら……少しパニくってる事以外は平常だよ」

 葵がそう答えると、龍宮は何度か迷う様に葵の目をチラチラと見て、観念したように溜息をつく。

「私の傍を絶対に離れないでくれ」
「邪魔にならない程度にくっついてるさ。頼りにしてるよ」
「……頼りにしてるのは、どちらかというと私の方だが……あぁ、必ず貴方を守ろう」

 龍宮はそれまで右手に持っていた拳銃と同じものを懐から抜いて、左手の中に収めた。
 二人が睨みつけるように見ているのは、二人分の足跡が続く先。そこは、あの旅館が佇んでいた。








◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






(つくづく、この人は私の予想の斜め上を行く人だ……)

 足跡を辿っていくと、やはりあの廃旅館へとたどり着いた。龍宮達が入った時と違うのは、玄関ではなく、おそらく搬入などに使用してたのだろう従業員用の裏口から入ったことだろう。
 自分の後ろをついてくる葵に、普段使っている改造したエアガンを手渡してから内部に入ると、佐々木達の靴に付いていたのだろう僅かな溶けかかりの雪がまるで目印のように続いていた。
 侵入する時には龍宮でも少し緊張したのだが、後ろの葵からはそういった物が一切感じられない。

(気楽に考えているのか、それとも私にそこまで気を使わせないようにあくまで自然体で振舞っているのか)

 前者ならば愚者。後者ならば少々勇気のある凡人。だが、この篠崎葵という男はいつも予想の斜め上を行く――

(あるいは、見えない敵に対して自分自身が無防備である事を見せつけて引きずりだそうとしているのか……)

 龍宮はゆっくりと足を進めながら、ふと数週間前の――期末試験が終わった少し後の出来事を思い出していた。
 副部長の命令で部活から逃げる葵を追いかけた時、僅かな慢心に付け込まれてものの見事に逃走されてしまった時のことだ。
 正確には、慢心を引きずりだされてしまった。
 全ての策を破り、完全に追いつめたと思い込まされたその一瞬を付いてドンデン返しの一発とばかりに切り札を切って逃げおおせた葵。
 その経験があるからこそ、龍宮は理解している。この奇妙な相方の最大の武器はその演技――擬態なのだと。
 自分の描いたイメージを相手に植え付け、思う様に事態を動かそうとする。
 まだまだ未熟……というよりはそういう状況に追い詰められる前に、龍宮なり広域指導員なりを上手い事――語弊はあるが上手い事利用・使用して、追いつめられないように立ち回るために、使う事がないまま磨かれていない技術だ。
 磨かれていないと言う事は、磨く余地がかなりあると言う事。もしそうなれば、と龍宮は知らず知らずのうちに考えてしまう。

(愚者でも凡人でもない。かと言って天才的な賢者というわけでもない)

 結局のところ、短い付き合いでは今の篠崎葵という男を測るには足りないのかもしれない。今分かっている事はただ一つ。

(私の魔眼でも痕跡すら見えない高度な強制認識魔法が、篠崎先輩にはろくに効いていないと言う事だ)

 もし、最初に考えていた通り調査を明日から開始しており、葵が傍にいなかったらと思うと吐き気に近い何かが身体の中をのたうちまわる。
 葵に指摘されて自分が依頼の件の認識を薄められていると気が付いた時等は、背筋が凍るような思いだった。
 龍宮が葵を連れてきたのも、一人で残すのは危ないという理由よりも、自分では気づかない認識の変更、阻害をされた時の保険という意味合いもあった。
 一般人を保険として連れてくるなど本来あってはならない事なのだが、不思議と今の状況に違和感や罪悪感など全く感じない。それはそれで問題なのだが――

(なんというか……妙にしっくりくる)

 自分が剣と盾の役目となり、彼がそれを補佐するというこの状況に不思議と安心できる自分がいる。
 自分の考えている事がおかしくなり、ついに龍宮は苦笑をこぼしてしまう。

「おいおい、随分と余裕じゃねーか龍宮」

 葵がおどけたような声でそう告げる。そこにどこか咎めるような口調が混じっているのは当然だろう。龍宮も自分で今のはどうかと思ってしまう。だが、

「すまない先輩。いや、……不思議となんとかなるような気がして……ね」

 自分でもよく分からない漠然とした答えだと、再び苦笑を滲ませながら、龍宮は銃を構え直し、再び足を進める。
背中を相方に預けながら、ゆっくりと。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 麻帆良学園の中で最も冒険しがいのある場所だと言われている所がいくつかある。
 例えばロボット愛好会の研究室にある広大な倉庫の一つ、第三倉庫――通称、伏魔殿。
 中には愛好会の試作した数々の物品が大量のトラップと共に眠っており、存在は確かだが入口を発見するのが困難で、入れたとしても意識を保ったまま出る事が難しいと噂されている。
 そうした数々の危険な場所の中で、誰もが知る有名な場所となればここしかない。
 図書館島地下――
 数々の貴重な本が収められているという噂から、正式に探検部まで発足しているという冒険、あるいは騒動好きからはある種の聖地として認められている場所である。
 今、その地下に一組の男女が調べ物をしていた。
 やややせ気味の、細い眼が特徴的な男――瀬流彦と、メガネをかけたストレートロングの女性――葛葉 刀子。二人ともこの麻帆良学園において、魔法や気といった神秘に関わる教員である。

「まったく……本国からきた教員というのは一体なんなんですか!? こちらの足を引っ張ってばかりではないですか!!」
「何かの思惑があるんでしょうが……これはさすがに……。まぁ、警護だけは楽になりましたけど……」

 今二人は高畑からの頼みで、過去に行われた今回の減少に類似する儀式魔法について調べていた。明日の朝に救援として現地に向かう魔法生徒と、今まさに現地にいる傭兵でもある生徒に少しでも多くの情報を渡そうと、それらしい資料を片っぱしから漁っているのだ。

「にしても儀式魔法ねぇ。関西にいた頃いくつか文献を読ませてもらったけど、覚えているものといったら封印術か召喚術くらいしか……」
「そもそも儀式魔法って研究の過程で色々と出てくるものですから……。未知の物がありすぎてどこから手を付けたらいいのやらさっぱりですよ」

 瀬流彦は嘆息をもらしながら次の資料――中世の時代の錬金術について書かれたものを手に取る。が、パラパラとめくっただけですぐに戻してしまう。あからさまに違うと分かっていたからだ。

「そもそも弐集院先生はどこにいるんです! こういう作業はあの人の得意分野ではないですか! ここ最近一度も見ていませんよ!?」
「それが、最近麻帆良に電子攻撃を仕掛けてくる人達がいるらしくてね……。厳戒態勢で缶詰状態。今朝たまたま会った時には娘に会いたいって本気で泣いてたよ。ストレスが食欲に回ってるのか、また少し太ったようだし……可哀そうに」
「……それは……また酷な」

 葛葉は、肉まんが大好きなぽっちゃり体系の同僚が疲労を顔に浮かべながら暴飲暴食に走る姿を思い浮かべ、思わず目じりを潤ませる。
 しかし、同僚を頭の中で労わった所で目を通さなければならない資料の山が消えるわけではない。
 こういう時に、動く事には慣れていても人を動かす事には少々慣れていない高畑に、思わず呪詛めいた愚痴を言いたくなるのも仕方ないだろう。決して口には出さないが……。

「しかしこうしてみると儀式魔法って山ほどありますね。自分も警護用にいくつかの術式を持っていますが……。初めて目にする物の方が多くて何が何やら。刀子先生の方はどうですか?」
「そうですね。ある意味で関西の呪符などが簡単な儀式魔法に当りますが、こういうパターンはちょっと……。それこそオコジョ妖精などの方が詳しいかもしれません。特に西洋の物となると」

 そもそも、儀式魔法というのは規模が大きくなっただけで普通の魔法と基本は変わりがないものである。
 召喚、封印、あるいは攻撃か防御かその他の特別な目的か……。
 なんにせよ、基本的に儀式魔法というものは、発動体などを使用した通常の行使が、魔力の不足や何らかの制限などにより術者に不可能だとなった場合に、魔法陣や媒体といった物を使用して魔力を増幅させて行使する事の全般を指して儀式魔法というのだ。
 それをただ調べろと言われただけでは、正直どこから手を付けていいかわからない。
 一応魔法のエキスパートである真祖の吸血鬼が、ある程度状況から分析してくれためにある程度の傾向はわかっているが、それでも見るべきものはやはり膨大な数に違いなかった。

「むしろ、エヴァンジェリンさんが言うように生徒を全員帰すか、せめて場所を移してあげた方がいいと思うんですが……」
「そうですね。いくらあの龍宮真名がいるとはいえ、バイアスロン部はそれなりの人数がいる部活ですから……もしなにかあった時に全員を守れるとは思えませんし」
「それに、バイアスロン部って事は彼もいるでしょう?」

 彼という言葉に、葛葉は一瞬誰の事を指すのか分からなかった。
 一拍置いて思い出したのは、関東と関西の諍いに巻き込まれて色んなものを同時に失った一人の男子生徒。

「関西の術については刀子先生の方が詳しいと思いますが……本当に彼、何人かの先生が言う様に関西に洗脳されていると思いますか?」

 心配しているような、同時にどこか疑っているような声で資料に目を走らせながら聞いてくる瀬流彦に、刀子は答える。

「……可能性はあると思います。ですが、それはほとんど0に近い物でしょう」

 確かに、治癒魔法のエキスパートが何人も揃った上で記憶の断片すら見つける事が出来なかった篠崎葵という存在には怪しい所がある。
 だがそれが即洗脳に結びつくかどうかとなると、首をかしげざるを得ない。
 むしろ、それをやりそうなのはどちらかと言うと、残念だがいま本国から来ている一派の方なのだ。

「なにより、彼が危険人物と言うなら、龍宮真名があれほど気を許して行動を共にするとは思えません」

 葛葉は直接関わった事はないが、ここ最近の情報だけはいろんな所から耳に入ってきていた。
話題にならない週が無い程に、篠崎葵と龍宮真名のコンビは有名なのだ。それこそ情報収集の必要が無い程に。

「……冬休みに入る前には、報道部と放送部が起こした放送室の奪い合いを二人で止めたらしいです。高畑先生が指導員の出る幕がなかったってボヤいていました」
「本当に、騒動のある所にあの二人は必ずと言っていいほど関わってきますよね……龍宮君も篠崎君も……」

 瀬流彦が呆れたように笑う。
 葛葉は詳しく知らないが、中等部の教諭である彼は、何度か彼らと共に騒動に巻き込まれた事があるらしかった。あの二人の話をすると、どこか照れくさいような顔になるのを本人は気が付いているのだろうか。

「ともかく、明日までにエヴァンジェリンの分析を元に資料を選別しなくてはなりません。今日は徹夜ですよ? なにせ生徒の命に関わるかもしれないのですから」
「ははは。少し弐集院先生や高畑先生の気持ちが分かって来たなぁ……」

 少し目を虚ろにしながらそう小さく呟いて、次の資料に取りかかり始める瀬流彦を横目に見ながら、葛葉も次の資料を手に取る。
 その内容を速読で読み取ると、こんなものまで一々残っているのかと驚いてしまう。

(いくらなんでも……これはないでしょう)

 そう思ってその資料を不必要と判断して積み重ねた資料の一番上に置く。
 その資料のタイトルは簡潔なものだった。


――死者蘇生の研究に関する歴史とその考察


 かつて多くの人間が不老不死と共に夢を見て、そして失敗を繰り重ねてきた魔法の一つ。
 魔法と神秘があるにも関わらず、その中でも誇大妄想と言っていい事に関する三流論文は、葛葉が読み終わった次の資料の下敷きとなり、見えなくなった。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 広い部屋の隅に二人の人間が倒れている。
 一人は男、あの忌々しい男と違い常人並みの魔力は持っている。
 もう一人は女、こちらは少々魔力が少ないが、その代わりに面白いものを持っている。
 男の方は『使う』として、女の方は利用価値があるかもしれない。
 どのように利用するか頭を悩ませていると、結界に反応があった。
 遠視魔法を使い、侵入者を覗き見ると予想した通りあの二人が来ている。
 男の方は目障りだが、女の方が再び足を踏み入れてくれたのは喜ばしい事だ。
 念のために車の鍵を抜いてきたのだが、そのまま放置しておけばあの男を排除出来たかもしれないと少し後悔する。
 仮にあの男が人を呼んできたとしても、私の領域の中では誰もが気付かない。気付けないのだから。

 ふと、後ろを振り返る。
 そこに広がるのは、立体迷路のように魔法陣を模した巨大な水槽。
 これこそが自分の最後の手段。
 大丈夫、上手くいく。
 外部から来る素材と、ここで生産できる素材があれば必ず……必ず……。

「邪魔はさせない。誰にも……誰にも……」

 瞼の裏に広がる遠視魔法を通した視界に移る、片手に拳銃を持って飄々としている男を睨みつけながら、迷路に近い水槽の中を進んでいく。

「覆すんだ。あの悲劇を……」

 中心部となっている、ひときわ大きい円柱状の水槽。
 その中には、愛した女性が――今も愛している女性が浮かんでいる。
 その水槽の傍らには、白い髪の子供が――本来ならば産まれてくれハズだった自分の子供と同じ顔を持つ忌々しい人形がここにいる。
 その子供は、何も感情を移さない瞳でじっと女性を見上げていた。












≪言い訳という名のコメント≫
気が付いたら20話を超えているために赤松板へと移動させていただきました。
そして、前回感想で最低でも2話で終わらせようと思ったのですが……後日談含めると一話増えそうです。本当に申し訳ございません。

さらには第二章と交互に執筆して書き貯めておく予定だったのですが、結局完成しているのは一話のみという始末。
出来るだけ早く本編の方に移る予定なので、どうか皆さん、これからもよろしくお願いいたします。

また、感想・批評してくださる皆様にはどれだけ感謝しても足りません。
特に誤字の修正報告は本当にありがとうございます。
気を付けて見直しても0には出来ないrikkaクオリティorz

今後も気になる点がございましたらよろしくお願いいたします。



[33428]      彼と彼女の最初の事件―4
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:d675214d
Date: 2012/11/14 21:59
「……ここ、か?」

 廃旅館の中に僅かに残った痕跡を辿り、恐らく宴会場として使われていたのだろう畳張りの広い和室だった。
 正直な話、唯一の手掛かりとして追ってきた雪の後はやはり途中でかなり薄くなり、分かりづらい埃の上に残った足跡だけを頼りに辿りついたのだ。確信をもってここに何かあるとは、葵には言えなかった。

「先輩、何か気にかかる事はないかい?」
「むしろそういう事を探すのはお前の方が適任だと思うんだけど……」

 龍宮も警戒しながら辺りを探っているが、何も見つからないのか葵に話を振って来た。
 葵は葵で警戒をしているが、一番気になるのは相手――まったく人の気配を感じないことから半ば幽霊とか怨霊などと言った心霊的な物じゃないだろうな? と思っていたが、とにかく相手が何の動きも見せないという事の方が気になっていた。

(わざわざ丁寧にカギを抜いて行ったんだから俺達……あるいは俺か龍宮のどっちかに用事があるのは確実……だよね?)

 今までにも、龍宮と共に背筋が冷える綱渡りのような行動を何度かした事はあったが、今回は冷える所では済まず、身体が芯から凍るような思いだった。
 正直な所、半分ほどここに来た事を後悔し始めていたが、それでも自分がここにいた方がいいという直感はまだ続いていた。
 ともあれ、葵は自分の考えをまとめるためにも龍宮にいくつか質問をする事にした。

「龍宮、二人をさらっていった相手の狙いについて、なにか思い当ることはないか? 例えばの話でいい」
「そうだね……。普通に考えれば、この旅館への侵入者の排除、あるいは口封じと言った頃か。殺害という手段を取らなくても、そういう手段はある」
「俺達に未だに一切手が加えられていないのは?」
「いや、既に手を出していたさ。もっとも、どうやら寸前で不発に終わったようだけどね」

 そう言って葵の方にニヤリと笑みを向ける龍宮に、葵はあの時の自分の『独り言』の事かと察し、なんとなく懐中電灯を持っていない方の手で後ろ頭を掻く。
 それを照れ隠しと思ったのか――実際そうなのだが――龍宮はクスクスと笑い、再び目の前の狭い暗闇へと目を向ける。
 
(つまり……相手は離れた所からこっちの意識をある程度操れるのか。で、それがどういう訳か俺には不発だったと……。あの独り言ですぐに龍宮が気付いたって事も考えると、そこまで強い効果はないのか? そもそもどうやってそんな事を?)

 頭の中で色々と考えを進めていくが、余りに不毛な方向へと思考を進めている事に気が付き、顔をしかめた。

(そもそも意味の分からんトンデモ技術が飛び交ってる現状、こっちの常識で考えるのは無理か。どっかの本で読んだが、進んだ科学は魔法と変わらないってね。となると、考えるべきはどれだけぶっ飛んだ状況でも変わらない物)

 つまりは相手の思考だと、葵は考える。
 そういった訳のわからない分野で対抗できる龍宮がいるものの、彼女も相手の動きを把握できていない。
 餅は餅屋にという言葉もあるが、何か些細なヒントで状況が動く事もあるという事をつい先ほどの独り言で葵は気付いた。
 龍宮が自分を連れてきたのは、守るために手の届く所に置こうとしたのもあるだろうが、同時に相手の思考に乗せられないためにという意味もあったはずだ。
 いわば、葵は相手の望む方向に流れを作らないための防波堤のような物である。
 姿の見えない相手からしたらもっとも邪魔な存在であり、それが意味するのはつまり――

「……最優先で狙われるのは俺か」
 
 そういう結論に達した葵は、思わず言葉に出してしまう。
 それを聞いた龍宮は、小さく頷く。

「あぁ、先輩が狙われる可能性は高いだろうね」
「やっぱりか。あんまり考えたくない方向だったんだけど……気が重いな」
「おや、私が守るというだけでは頼りないかな?」
「んなわけあるか。護衛役としてはこれ以上ない役だと思うよ」

 ただ――。と内心で密かに葵は付け加える。

(大きく分けて相手が狙うのは三つ。一つは、対象を護衛役に切り変えて最優先で排除する事。一つは護衛と対象を同時にどうにかする手段を用意する事。もう一つは……)

 ふと、葵はその場で足を止める。

「先輩?」

 龍宮も足を止めてこちらを振り返るのが気配で感じられたが、葵はそれを無視してなんでもないように辺りを見回す。

「なぁ、龍宮。さっきのお前の違和感だけど、今も感じているか?」
「? あぁ……まだ感じるが、先ほどよりは弱まっているよ」

 そういう龍宮の顔には、先ほどまでよりも自信に満ち溢れた、葵の思ういつも通りの龍宮真名がそこにいた。
 それが逆に、葵には不自然に映った。

「いきなりそんな事を聞いてどうしたんだい?」
「いや、万が一に備えてね」

(最後の一つは、護衛と対象の分断。これが一番可能性の高い手段か)

 葵は自分で口にした通り、護衛役として龍宮真名という存在は破格の存在であると思っている。
 だがそれでも万全と言えないのは、先ほどの様に彼女の認識が操作される可能性があると言う事。それを止められる可能性のある自分に自衛能力がほぼ皆無という事。
 なにより、ここが相手の腹の中に等しいという事がネックになっている。

(土地勘に加えて龍宮でも良く分からん技術だかなにか。加えてこっちは探さなきゃいけない人間がいる事から一秒でも早く動かなきゃならないという焦りもある。状況は圧倒的に相手が有利)

 葵は懐中電灯の光で畳を一枚一枚調べながら、自分達が如何に不利かを確認していく。
 龍宮は、ふすまや柱などに怪しい所が無いかを実際に触って順番に確かめていっている。
 互いに成果は未だない。

(と、なれば……こちらが取れる確実な手段は大きく分けてこのまま捜索を徹底していくか、一時撤退及び救助要請の二つ。だけどこれは当然相手に予測されていると考えてよし。逆に相手が予測できないものはなんだ?)

「先輩、見つけたよ」

 思考の海に沈んでいた葵を現実へと引き戻したのは、頼りになる護衛兼相方のよく通る声だった。
 彼女の目の前には、普通のふすまがあった位置なのだが、ふすまと思わしきモノは押し入れの向こう側へと倒れて道の様になっていた。

「なんというか……また豪快な隠し扉だな。おい」
「まぁ、意外性としては十分じゃないかな。実際、押し入れの向こう側に何かあるとは思っていてもふすまそのものが隠し扉とは思わないだろう?」
「いやその前に絶対触っちまうだろ。隠し扉だろうがそうでなかろうが」
「まぁ確かにそうだが……今は進む以外に道はないだろう?」
「…………確かにそうなんだが納得いかねぇ」
 
 なんとなく頭のどこかが痒くなるのを感じて、頭を掻き毟る葵。
 その時にふと、葵の頭のどこかで、何かがまた違和感を訴えている事に気が付いた。
 一瞬それが何なのか分からなかったが、一拍置いてようやく違和感の原因に行きついた。

(コイツ、こんなに軽く動くような女だったか?)

 それは龍宮真名の行動そのもの。
 葵の知る龍宮真名という女は、どれほど軽薄に見えても固めるべき所は固めてから行動する女だった。
 今回はさらわれている人間がいるために焦っているのだろうかとも考えたが、どうも違う。というよりは、さらわれている事を本当に気にしているのかも少々怪しい感じがした。
 この少し奇妙な違和感に、葵は先ほど自分が独り言として告げた違和感と再び酷似した状況になっている事を理解した。

(な……る……ほど)

 それと同時に葵は、改めてこの訳のわからない事象が、警戒に値する代物だと認識を新たにする。

(なるほどなるほど。仕組みはともかくとして、文字通り人の認識を変えるものなのか。暗示の様なものと思っていたけど……これは性質が悪いな。さっきまでは意識していなかったというか……半信半疑な部分もあったけど)

 先ほど引きずられていた時に龍宮が叫んだ『強制認識』と言う言葉を思い出しながら、なんの疑問も持たずに中に進もうとする龍宮の背中を追う。
 同時に、どこかで自分を凝視している視線を息使いと共に感じた。
 葵は、震えて動けなくなりそうな背筋を伸ばし、再びいつも通りの姿を装ってから、狭苦しく息苦しさを感じる通路へと足を進める。

(向こうが先に仕掛けてきた。恐らく今の龍宮は敵の手中、でもこっちを襲うような事はしていない……。俺が相手の意向に沿った動きをしているのか、あるいはどうにでもできるからか。まぁ、油断してくれていると言う事にしておこう)

 この時点で、葵は敵にとっての邪魔者は自分でも、手に入れたいのは龍宮真名という存在である事に薄々感づいた。

 懐中電灯で前を照らすと、龍宮はこちらの事を忘れているかのように、少し速足でグイグイと前進している。
 ここで龍宮の肩を叩いて声をかけ、正気に戻すのは簡単だろうが……。
 葵はため息をこっそりと吐くと同時に、懐中電灯を再び握り締める。

(今ここで龍宮を起こしても、この訳の分からん仕掛けを繰り返させるだけか。同じ程度の強制力しか発揮できないなら問題ないけど、この露骨な龍宮の変わりようからして強弱を調整できる可能性あり。となると何度も起こすのは危険……)

 ふと、龍宮のズボンのポケットから、携帯のストラップが外に出てゆらゆらと揺れているのが目に入った。
 葵は速足で龍宮の後ろにくっついてストラップを引っ張り、携帯を抜き取る。
 なんとなく、その行動がドラマや漫画に出てくる痴漢っぽくて、葵のプライドか何かが、罪悪感以外の何物でもない後ろめたさを訴えている。が、この際無視。
 何度かアプリなどで遊ばせてもらった事があるために、使い方で手間取ることはない。
設定画面を手早く開いて、着信音量を最大にしてバイブレーションも設定し、逆にメール着信は音量を消したバイブレーションのみに設定し、龍宮のウェアのフードの中にそっと放り込む。
 万が一、葵が龍宮と離れてしまった時に叩き起すための苦しい策である。
 どこか感じる視線を意識して、気付かれないように動いてみたつもりだが、バレた所でどうせこれ以上何かすぐに出来る事がある訳でもなかった。

(こんなんで起きてくれればいいんだが……)

 こんな小細工しかできない現状と、これだけ接近しても自分に声一つ掛けない龍宮の状況に頭を抱えたくなりながら、葵は余り龍宮を刺激しないように足音を殺して通路の中へと侵入する。
 ふと侵入する時に、足元を見て先ほど通路となったふすまらしきものを見るが、ふすまではなく、無機質な白いただの床となっている。
 なんとなくそれにも疑問を持ちながら、葵は更に足を進める。

(そもそも、この通路本当に隠されていたのか? ふすま押しただけで出てくる隠し通路なんてレジャー施設の忍者屋敷並みのしょぼさだろうが……)

 龍宮を操っている何らかの技術に加えて、旅館に足を踏み入れた時からずっと付きまとっている違和感が、少しずつ葵の中で一つの疑問となって形になってくる。
 だが、それが何なのかを具体的にできない葵はそこで思考を捨てて、目の前の事象に集中することにする。
 龍宮が進む通路は灯りがまったく灯っておらず、完全に闇に包まれていた。
 懐中電灯の僅かな灯りで龍宮の背中を探りながら、葵は速足で通路の中を進んでいった。
 歩きながら葵が考えるのは、先ほど自分で考えた質問の答え。

(相手に決して予測できないもの。言い方を変えれば、相手の思い通りにいかないもの)




(鍵は俺……か……)






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「やはり効かない」

 男は、目の前のベッドに横たわっている女の体を調べながらそう呟く。

「女と別れて上の階を探すように意識を操ったはずなのに……」

 不愉快そうにつぶやくものの、男にとって一番の目標となっている色の黒い女の方はもうどうでもよかった。
 なにせ、彼女は完全ではないとはいえこちらの術式にもう一度取り込んだのだから。
 後はどうにでもなる。と、そう考えていたのだ。男の方が女に再び声をかける様子もない。
少なくとも彼女に関しては、これで問題無くなった。しかし――

「上手くいかないものだ。あの忌々しい男も……この女も」

 今、男の興味を引いているのは事前にさらった二人の片方の事だった。

「この女の身体。これを完全に解析できれば更に……」

 ふと、女の鳩尾の辺りを指で強く推してみる。
 特に変化はない普通の女の身体だ。
 だが男は車の中から二人をさらった時に気が付いていた。
 この女は、あの忌々しい男と同等のイレギュラーだと。

(まぁいい。時間はもう気にしなくていいんだ。既にあの二人は入り込んだんだから……。だが、念のために男の方を封じ込めておかなければ……)

 男は、これからやっかいな作業をしなければならない事に気だるさを感じながら、女の身体に薄いシーツを一枚無造作にかけるとそこから足早に離れて行った。







 だから気が付かなかった。
 ベッドの上で静かに眠り続けていた女――古波涼奈が、男が離れていくのを確認すると同時に目を開いた事に。
 そしてその彼女の顔には、何度か葵の前で浮かべて見せたあの悪戯っぽい笑みが浮かんでいる事に。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「まだ現地の魔法使いとは連絡が取れないのですか?」

 タカミチ・T・高畑は、不在の学園長に変わって隣の県で起こった不可思議な現象に対しての陣頭指揮を取っていた。
 今現在、瀬流彦の葛葉刀子という二人の魔法教師に関連性のありそうな儀式魔法のピックアップを任せ、明日の朝にはその情報を渡して信頼できる生徒の一人を送り込む事が出来るだろう。
 だが、今の高畑が懸念しているのは、現地の魔法使いと連絡が途絶えている事であった。
 対応していた魔法教師にその事を問い合わせて見ても、音信不通という状況に何も変化は起こらなかった。

「すみません高畑先生」
「いや、通じないのならば仕方ない。とにかく呼びかけだけでも続けてください」
「分かりました」

 まだ若い、だが信頼できる教師は一礼すると執務室から退出していった。
 扉が閉められ、相手が離れるのを確認してからため息を一つ零し、執務室の備品であるコーヒーメーカーへと足を運ぶ。
 隣に積まれているカップの一つを手にとって、セットしながら高畑は事態が思った以上に大きく動いている事に頭を悩ませていた。

「まさか、行方不明になった魔法使いが本国の関係者だったなんて……」

 コーヒーが注がれたカップを手に席に戻り、湯気でメガネが曇るのも気にせずに二口、三口煽る高畑。
 ふぅっと一息ついてから、湯気で曇ったメガネを外して机の上に静かに乗せる。
 そのすぐ横には、本国から緊急で送られたとある人物の捜索要請書が乗せられていた。
 その要請書には、髪の長い綺麗な女性の写真が貼り付けられており、そのすぐ下には名前を始めとした簡単な情報や特徴が書かれている。
 そこに書かれていた名前は、『Suzuna Konami』という日本人女性と思われる物だった。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 かれこれ10分程は歩いただろうか、一行に終着点が見えない一本道を龍宮達はひたすらに進んでいた。
 ときおり龍宮は立ち止って、何かを探すように辺りを見回しているが、結局そのまま足を進めていた。

(歩く速度も速くなったり遅くなったりか。この洗脳モドキみたいなのはやっぱり完全には作動していないのか?)

 龍宮の行動から『強制認識』とやらについておおよその推測を立てながら、同時に葵は今までの違和感に付いて考えていた。

(そもそも、元が旅館だってんなら隠し通路なんか必要ないハズなんだよ)

 なんとなく天井に何かないかと上の方をチラっと照らしてみるが、ただ真っ白な天井が広がっているだけだった。

(仮に必要だったとしても、あんな誰でも開ける事ができるような隠し扉を設置する筈がない。となると多分この旅館が潰れてから設置されたと思うんだけど)

 そうなると今度はこの無駄に長い通路の意味が思いつかない。
 どうしてここまで長い通路を作る必要性があったのか、その理由が葵にはさっぱり理解できなかった。ついでに灯りが一切ない理由もだ。
 そもそもこんな通路やら隠し扉を後付けで作る余裕があったら、別にこの旅館を潰す必要なんてなかったのではないだろうか。
 やはり違和感。この通路も、さっきの隠し扉もまるで『たった今』造られたような感じがするのだ。
 いや、そもそも自分は隠し扉が開く所を見ていない。本当にソレはふすまが倒れたものだったのか?

(なにより、俺達は本当に前に進んでいるんだろうな?)

 ずっと代り映えのしない通路を歩いているため、さすがに不安になった葵は、一度だけ龍宮を叩き起そうかとポケットの中で手刀を作る。
 いざ脇腹を素早く突こうとしたちょうどその時に、それまでは一切見当たらなかった灯りが前から差し込んできた。
 いきなりの事で思わず目を軽く瞑って足を止めるが、龍宮は気にした様子を一切見せずにそのままスイスイと進んでしまう。

 少しの間を置いてから慌てて葵が後を追い、その中に入る。
 そこは少し広めの部屋だった。というよりまるで――

「客室?」

 葵達が泊っている旅館の様な客室だった。畳張りの寝所。その横には板張りのスペースがあって、テーブルやら冷蔵庫やらが置かれている。
 寝所の隅には布団が畳まれて放置されており、その上には――

「!? 佐々木!!」

 佐々木副部長がその上に捨てられているかのように倒れていた。
 即座にかけより、抱き起こす。

「おい、大丈夫か!?」
「う……うぅ……ちが……う……」
「佐々木!?」


 何が違うんだ? 意識を失っている今では聞こえるはずがないのだが、思わずそう問いかけようとした葵に、佐々木は、

「違う、俺は……食べられない人類…………むぅ」
「よしコイツ放置」
 
 佐々木を再び畳まれている敷布団の上に放り捨てて、葵は辺りを見回す。
 そして、そこでようやく気が付いた。


――相方の姿が見えない――


「……ぉう……?」

 思わず口から変な声が漏れる。
 もう一度周囲を見回すが、龍宮の背中どころか出口らしきものすら見えない。
 ひょっとしたら押し入れから向こうに出たのかと思ったのだが、開けてみても普通の狭い空間が広がっているだけだった。
 出入り口は一つしかない。だが、少なくとも龍宮はそこからは出ていないはずだった。なにせ葵はそこにいたのだから。

「……本格的に分断してきたか」

 どういうトリック、あるいは技術を用いたのかは分からないが、相手が自分をよっぽど邪魔に思っていたようだと悟る葵。

(アイツの携帯を鳴らす事さえできれば一度くらいは起こせると思うけど……龍宮の姿が見えないってのは厄介だな)

 ふと、後ろを振り返って何かないかと探してみるが、なにやらうなされている佐々木しか目に入らない。
 焦りそうになる頭を押さえて、葵は辺りを見回す。

(……そうだよ。常識の外の事象って事を忘れてた……っ!)

 携帯を取り出すと、一応電波は三本立っていた。とりあえず佐々木の携帯に掛けてみると、マナーモードにしてたのだろう『ジーッ。ジーッ』という音が彼のポケットから鳴り響いた。ちなみにそれでも彼は起きない。
 離れた所にいる彼女につながるかは少し自信がなかったが、もうここで携帯を鳴らして龍宮を呼ぶかと電話帳を開き、タ行へと携帯を操作し――。

――今かけた所で駄目だ。相手が分からないし見えない以上逆効果ダロ?

 葵の頭のどこかで、そんな意見が出る。

(だったらどうする。そもそも脱出の手立てもないんだぞ? 時間だってあるのかどうかも分からない――ん?)

 ふと、葵は自分自身と妙な一人芝居をしている事に気が付き、それに妙にイラ立って近くのイスを蹴飛ばした。

(どうする。とにかく、今考えたように下手に龍宮を起こしても、合流する当てがなければどうしようもない)

 物は試しに、自分が入った客室のドアを開けてみるが来た道は消えており、ただの壁になっていた。
 他になんとかなりそうな場所はないかと、周囲をもう一度見回し、

「窓ガラスの外は真っ暗……いっその事ぶち破るか?」

 灰皿が乗っている小さめの丸テーブルを乗り越えて、窓の外を覗き見るが真っ暗で何も見えない。
 てっきり夜が深いだけかと思っていたが、そういうレベルではなく本当に何も見えないのだ。
 正直怖かったが、少しでも状況を動かさないと何も始まらない。
 覚悟を決めた葵は、息を一つ吐くと同時に近くの椅子を持ち上げて、それを勢いよく窓ガラスに叩きつけ――

「ダメだよっ!!」

 叩きつけようとした瞬間、後ろから突然聞こえてきた叫び声に咄嗟に手を止める。
 聞き覚えのある声に後ろを振り向くと、想像した通りの子がそこにいた。

「ユウキ……か?」
「……とうとう人を呼ぶ様になっちゃったんだね。父さん」

 ユウキは、失望とも絶望ともつかない――ただ、悲しんでいる事だけはわかる声でそう呟く。
「ユウキ、お前どうやってここに――」
「あのっ!」

 どうやってここに入って来たのか。それを尋ねようとした葵の言葉にかぶせるようにユウキは叫んだ。

「あの、お兄さん。お願いがあるんです」

 一度俯いたユウキは、顔を上げてしっかりと葵の目を見て、きっぱりと言い切った。

「父さんを……あの人を止めて……弟を助けて欲しいんです」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 もうやめてください

 お願いだからもうやめてください

 貴方のそれは愛ではない

 貴方のそれは、もはや愛ではないのです

 お願いだから気付いてください

 お願いだから

 誰か――

 誰でもいい――

 


 ――あの人を……止めて……






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「ここの状況を見た時は半信半疑だったけど……本当にここに住んでたんだな」
「うん、本当ならお兄さんにも会う事はなかったんですけど……。はい、どうぞ」

 葵の一つのお願い事をしたユウキは、ここから出す方法があると言ってから部屋に置いてあったポッド――なぜか中身が入っていたソレを使ってお茶を淹れて、葵に差し出していた。
 大丈夫かと少し考えながら、とりあえず「ありがとう」と言って受け取り、軽く口に含んで味を確かめてみる。すると、意外と美味しい、葵好みのお茶だったので、更に一口飲んでみる。
 緑茶の渋みが口の中で仄かな甘さへと変わる瞬間を楽しんでから、葵は質問をすることにした。

「で、ここから出る方法があるって事だけど……」
「うん、それはもう大丈夫です。今のお兄さんが普通にドアを開ければもう外に出られます」
「今の?」
「…………」

 どういう意味か問い質すが、ユウキは口を閉ざしてそれ以上答えるつもりはないようだった。

「わかった。いや、わかってないけどひとまずこの質問は置いておこう。ユウキ、この建物の案内はできるか?」

 とにかく答えられない事は後にして、今は聞ける情報だけ聞いて少しでも状況を把握することにした葵は、質問を変えた。
 ユウキは葵の質問にコクリと頷き、そのままじっと葵を見上げている。

「あのお姉さんを助けるんですよね?」
「あぁ、どうにも操られてるっぽくてね……。ユウキ、ずばり聞くけど何が起こってるんだ? この旅館もお前も、何もかもが違和感だらけなんだが」

 ユウキは、そのまま葵の顔を見て「やっぱり……」と呟く。
 少し視線を不安げに揺らした後、ユウキは不安げに口を開く。

「お兄さんがどうして大丈夫なのかは分からないけど……この家は『生きて』いるんです」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





 魔力の塊の様な女を、完全に取り込むための仕掛けは、今ちょうど終えた。

 このまま歩き続ければ、いずれ疲弊する。ここはそういう風に出来ているのだから。

 その時、女をここに取り込もう。彼女の中に取り込もう

 ふと、私と彼女の身体に等しいこの屋敷の中に、妙な異物を感じた。

 あの男かと思い保管庫を覗くが、あの男はただ部屋の畳の上に座っているだけだ。
 
 ならば誰だ? この家の中を歩き回っているのは?

 ふと、あのもう一人のイレギュラーが脳裏をよぎるが、彼女はつい先ほど見た時にはまだ目をつぶって静かに眠っていた。
 
 くそ……なんだ、この不愉快な感触は

 心がささくれ立つのを感じた私は、妻の前へと足を進める。
 
 近くにあのガキがいるのは気に食わないが、アイツには何もできない。
 
 ボーっと妻を見上げているガキを手で押しのけ、彼女の真正面に立つ。

 彼女をみるだけで力が沸いてくる。あの女の解析に手こずっているが、大丈夫だ。

 彼女ともう一度会うためならば、あの程度の苦労などなんてことない。


 
 待っていろよ。もうすぐお腹一杯になるからな?






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「家が……生きてる?」
「はい。そして、近づいた生き物を誘いこんで分解、吸収する。そういう風に作り変えたってお父さんが言っているのを聞いてました」

 話のスケールが予想の斜め上に跳んでいる事に葵は眩暈を覚えながらも、それを態度に出さずに、話を一度噛み砕く。
 ふと、この旅館の近くに雑草が一本も生えておらず、動物や虫も一切いなかった事を思い出す。

「植木なんかがそのまま伸びていたのは、あれも家だと見なされているからか?」
「はい」

 ユウキは、一度向かい側で眠りこけている佐々木に目をやる。
 相変わらず何かに追われている様にうなされているだけだった。

「本当なら虫や動物、植物なんか、あと……他の物も使って十分な量の……その、力というか電気の様なものなんですけど、それを吸収出来ていたらしいんです。でも……」
「足りなくなったと?」

 葵は、ユウキのいう力の様なものを、漫画に出てくる気のようなものかと勝手に推測して、適当に納得してから話の続きを促した。

「それからは家の範囲を広げたりしていたんですけど、それじゃ足りないってこの間から家を『書き変えて』……」

 言いづらそうに口をモゴモゴさせてから、ユウキはそれを口にした。

「昨日、とうとう他の人も食べれるように書き変えが終わったって……」

 想定していたそれをはるかに超える事態に、葵は思わず天井を仰いだ。
 何の変哲もない普通の天井だが、今すぐあれが紅い肉の壁やら牙に変化して、自分達に迫ってくるのではないかと想像してしまう。
 そして同時に、こんな突拍子もない話をあっさりと信じている自分自身に違和感を感じた。

(なんだ? 俺は今どうしてあっさりと納得した?)

 家が化け物になるという現象が、まるで普通に在り得る事のように認識した自分に、今も歩き続けているであろう龍宮の背中を思い出した。
 それと同時に、もう一つ気になる事が浮かんだ。

「人を操るのもそういう事か?」
「お兄さんにはもう効いていないようですけど」
「『もう』って言葉がちょっと気になったが……まぁ、許容範囲内か。ほんのすこしだけ安心したけど……俺達の他に犠牲者は? 古波さん……もう一人の女の人はまだ無事か?」

 ユウキが零した『他の人』という言葉が気になった。
 普通に考えれば、他の人というのは文字通り『他人』ということだろう。
 ひょっとして……と、葵は顔を僅かに蒼褪めさせる。
 だが、それをこの少年に問い詰めるのは酷だと考え、口にしかけた疑問は飲み込んだ。
 もっとも、最悪の状況を聞きたくないだけの逃げだったのかもしれない。と、葵は少し自分に対して嫌悪感を抱く。
 一方ユウキは、何かを思い出すように目をつぶって、少したってから首を横に振った。

「大丈夫、ここに呼ばれた人はまだお兄さん達だけです。そして、もう一人のお姉さんなら大丈夫ですよ。あのお姉さんは部屋の中にいますから」

 ユウキの話によると、部屋の中はいわば保管庫のような役割らしい。
 元々の客室等を動かして、一度に吸収しきれないほどの獲物が入った時に一旦ここに置いておくのだとか。

「そして、お兄さん達が歩いてきた道は人で言う消化器官なんです。上の旅館だった所以上に、力を分解、吸収しやすい様に書きなおした場所ですから、普通ならかなり疲れているハズなんですけど……」
「? 俺は全然疲れていないぞ?」
「それは……お姉さんが対処しているみたいだから……」
「龍宮が?」

 葵は、そんな事をされた覚えがまったくなかった。
 もし龍宮がそういう事をしていたのなら、というよりそういう事が出来る程あの強制認識とやらに対抗出来ていたのなら、間違いなく葵にその危険性を言っていたはずである。
 不審に思って思わず聞いてみるが、ユウキは困ったように葵をじっと見つめるだけだった。
 よくよく見ると、小刻みに視線が彷徨っている。

(お姉さん……龍宮じゃない? 心当たりがあるとしたら古波さんだけど……まだ彼女とは合流してないし)

 何はともあれ、自分はどうやらその消化器官とやらでもまったく効果はないらしい。
 それが理解できれば葵には十分だった。残る問題は一つ。

「今から龍宮に追いつくことはできるか?」

 質問を変えると、ユウキはそれまでの迷ったような視線とは打って変わって、力強く視線で肯定した。

「やろうと思えばできます。あの人はすごい力を持っている人ですから、分解がほとんどできないんです。かろうじて意識の誘導が出来るだけで……。恐らく、もうしばらくはあの通路を歩きまわされると思います。どれだけの時間かは分かりませんが……」
「その言い方だと、通路を歩きまわった後があるってことか?」

 尋ねながらも葵は、ユウキの先ほどの消化器官という言葉を思い返していた。
 仮にこの家そのものが生き物で、消化器官がそのまま再現されているとするならば、先ほどの長い通路は口と食道の働きを組み合わせた様なものだろう。となると、その行きつく先は――

「あぁ……消化に悪い物は、分解できるレベルまで『噛み砕いて』から胃袋に叩きこもうっていうことか」

 葵は立ち上がり、一刻も早く龍宮と合流しようと出入り口へと足を進める。
 だが、ふと思い立って立ち止り、彼女と合流した所でどうなるのかと自問する。
 そもそも、今自分に取れる行動は何があるのだろうか?
 龍宮を追って引っ張って戻る? 古波を先に探して回収する? 佐々木を外に返す?
 様々な選択肢が頭に浮かび、葵はその中から一つを選び出す。


「ユウキ、その人を操るカラクリって……俺に壊せるか?」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 前に進まなければならない。
 龍宮真名は猛然とする意識の中で、ただそれだけを考えていた。
 前に進まなければならない。
 副部長と古波さんがそこにいるかもしれないのだから。
 前に進み続けなければならない。

――本当に?

 ふと、違和感が脳裏をよぎる。

――本当に前に進んでいいのか?

 自問めいた思考を押さえて、龍宮は前へと足を続ける。

 当然だ。少なくとも出来る事があるなら、それを行うだけだ。
 あの人だってきっとそうする。きっと。きっと。
 何度も頭でそう唱える。

――あの人って誰?

 あの人はあの人だ。
 龍宮は奇妙な頭痛に僅かに顔をしかめながら、足を止めない。

 大丈夫。
 大丈夫だ。
 必ず皆助かるさ。

――本当に? 自分がおかしいとは思わないのか? 皆がそれで助かると?

「思うさ」

 ふと、龍宮は誰もいない、懐中電灯の灯りしかない位通路の中で呟く。
 それは先ほどから冷静に自分を見つめる分割された思考、もう一人の自分への疑問への答えだった。

「あぁ、何かがおかしいとは思うさ」

 自分がおかしいと言っている割には、その口調は確信めいた何かを思わせる位強いものだった。

「だけれど……何に期待しているのかは分からないけれど、それでも私は確信している」

 しかめっ面だった龍宮だが、一言口にするたびにその表情は徐々に和らいでいく。
 一言ずつ、口にする度に朦朧としていた意識が徐々にハッキリとしていく。

「今私がおかしいと感じているならば、そして『あの人』がまだ行動を起こさないなら」

 口にしながら、あの人とは誰のことだったか思い出せない事に少し戸惑い、それでも足取りは少しずつしっかりしてきていた。
 背中のやや上辺りに感じる微かな異物感もまた、奇妙な程に温かく感じる。
 やはり、それがなぜかは分からないが――

「大丈夫さ。私はそう信じている。信じられるんだ」

 不思議とね……と、付け加えるように小さく呟いた龍宮は、それまでより少し歩幅を小さくし、そして、やはり少しだが周囲の警戒を再開しながらまた足を進めていった。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「概要だけ聞くともはやとんでも技術だが! ようするにこの地下に一度設置された部屋は廊下も含めて自由に配置できる訳かちくしょう!! この旅館が変形してロボットになるんですって言われてももう俺は驚かんぞちくしょう!!」

 葵はユウキを抱え、息を切らしながら全力で通路をひた走っていた。
 道案内が出来る人間がいるならば、龍宮を携帯で叩き起こし、合流してから破壊に向かおうかとも思ったが、ユウキからの情報で操作する電波の様なものには強弱がある事が確定し、それを強くされればどうしようもないと判断した。

「はい、でも場所はお父さんが自分でその場所まで行って自分で変えなきゃいけないし、多分今はもう一人のお姉さんを調べるのに忙しくて、お兄さんには注意を払っていないと思います。変わっても僕には大体分かりますから。あ、そこの壁にぶつかってください」
「なんというとんでも設計!?」

 通路自体は先ほどまでの『食道』となんら変わりはないただの通路なのだが、よく調べても到底葵には見つけられそうにない隠し通路がいくつもあった。
 ユウキの指示に従って、今も一見普通の突き当たりに体当たりをした所だが、そのまま何の感触もなく違う通路を走っていた。
 暗くて狭い道を、ユウキに持たせた懐中電灯の灯りだけでバランスを崩さずに全力疾走している葵は、今の集中力なら龍宮からまた逃げ切れるんじゃないかとどうでもいい事を考えていた。
 時に壁を突き抜け、違う部屋を通り抜け、ただひたすらに葵は走り続けていた。
 その時、ふと葵はある事に気が付いた。

「最短ルートって言うのは分かるが! やけに真っ直ぐすぎないか!? ほんの少し方向転換をする以外基本的に真っ直ぐだぞ!?」
「大丈夫です。今のお兄さんは、この家の中で行けない所はないですから」
「ってことは! 本当に言葉通り一直線に突っ切ってるのか!!」

 走りながら喋るのは体力の消耗を促すだけであまり良い事はないというのは分かっていたが、少しでも多くの事を聞いておかなければという強迫観念に近い物もあった。

(そういや、こうして単独でトラブルに当るのは初めてだな)

 今まで麻帆良学園で様々なトラブルに巻き込まれ、解決してきた葵だが、常に隣には誰かがいた。
 それは部活の鬼軍曹だったり、麻帆良のパパラッチだったりだ。なにより――

(いつも大体、龍宮が隣にいた)

 龍宮と背中合わせで事に当って来たこれまでと比べて、いつも感じていた安心感というものが少々薄れていた。寧ろ、自分が動かなければ龍宮が危ないという状況が、葵に緊張感と妙な高揚感をもたらしていた。

(喜んでいいのかと聞かれたら答えられないけど、騒がれるだけじゃない本当の『相方』同士らしくなってきたんじゃないか? なぁ、龍宮――)

 龍宮にこんなことを考えていると知られたら笑われそうな気がしたが、その様子を思い浮かべても不快感はしなかった。

「お兄さん、もうすぐ着きます」

 緩みかかっていた葵の顔が、ユウキの発した一言で引き締まる。
 今までの白い壁の通路が、急に上の階の様な旅館の通路のものとなった。
 走り続けていた足を止め、葵が少し息を整えている間にユウキは葵の腕からすり抜けて床に立った。
 
「この先です。そこでこの地下の構成や、認識操作等を行う様になっています」
「なるほど。脳みたいなもんか」

 この建物そのものが生物のそれと似通っていることから、葵は自分なりにこの建物を解釈する。
 
(さて、それじゃ行きますか)

 一息つき、唾を飲み込んで覚悟を決める。
 相変わらず灯りは懐中電灯しかなかったが、どういう訳か先ほどまでよりも明るく見える。というよりは、先ほどまでが異様に暗かったのだろう。
 ユウキは先にトコトコと先に進んでおり、とあるドアの前で立ち止まっている。
 恐らくここなのだろうとユウキに目で問いかけると、彼はコクリと頷いた。
 正直、言われなければ気付かないような小さいドアだった。目立たない様にか、木製の壁に似せた色で塗装されている。
 ノブに手を静かに乗せて、静かに息を吐いてからノブを捻り、勢いよく扉を開けた。

「…………水族館?」

 扉を開いて中を覗いた葵の感想はそれだった。
 恐らく倉庫だったのだろう大きな部屋には、ぱっと見ただけで大小合わせて30前後の水槽が所狭しと並べられていた。
 その全てが、上下左右のどこかに合わせて二つの穴が開いており、それが丸や三角、等様々な形のパイプで全てが繋がっており、蒼やら緑の色水がその中を流れていた。
 不思議な事に水槽の中でそれらは交じり合わず、ひょっとしたら水ではなくゲル状の物体ではないのか思う位綺麗に水槽とパイプの中を流れていた。
 こういう状況でなければカメラで一枚くらい撮りたい光景なのだが、今の葵にはそんな余裕はなかった。

「さて……と」

 葵は、自分の隣に立っているユウキを見ると、葵の服の裾を掴んだまま水槽の部屋をじぃっと見つめていた。

「ユウキ、大丈夫か?」
「……はい…………大丈夫です」

 そういうユウキだが、その顔は蒼褪めている。
 葵は、そっとユウキの頭に手を乗せる。
 理由を聞こうかとも思った。
 だが、ユウキはそれを察したようにぎゅっと更に強く服を掴んで、「いいんです」と呟いた。
 葵は、その言葉に何か返そうかと口を開くが、上手い言葉が出てこず、「そうか……」としか言えなかった。
 葵はユウキの頭から手を放し、服を掴んだまま一緒についてくるユウキの歩幅に合わせてゆっくりと水槽へと近づく。軽く水槽を指でトントンと弾くと、どうやらプラスチックではなくガラス製だったようで、指で弾くたびに小気味よい音がした。
 破片が飛び散っても大丈夫なように、ユウキを自分の後ろへと下がらせ、



――葵は静かに、だが素早く足を振り上げた。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「まさかこうなるとは……ね」

 古波涼奈は、遠視魔法で覗こうとしていた場所で発生した予想外のイレギュラーに頭を抱えていた。
 強力な強制認識によって、この廃旅館に誘い込まれる所までは『計画通り』だった。
 強制認識の術式の解析、レジスト、そしてダミーを作成してあの男の元を抜け出す所までは上手くいっていたのだ。
 後はそのまま、必要な情報を抜き出してから『龍宮真名』に間接的に協力して貸しを作っておくだけ……だったのだが。

「篠崎葵」

 ポツリと、彼女はそのイレギュラーの名前を呟く。

「やれやれ。そんな存在が現れるはずはないんだけどね」

 古波は、まるで確認するかのように独り言を続けている。
 その表情には、困惑と疑念、そして好奇心が強く浮かび上がっている。

「計画を動かす前に、龍宮真名の傍に面白い男がいると言うから確認だけするつもりだったんだが……」

 古波のその口調は、普段演じている丁寧な口調とは違う、少し砕けた喋り方だった。
 
「まぁいい。本当に捕らわれたのは予想外だったから、今頃は連合から私の――あぁ、古波涼奈という人間の捜索願いが出ているかもれないね。まったく、計画前に少し面白い物を見つけたからと言って欲を出したのはまずかったね。連合の連中にあまり借りを作りたくないんだが……」

 古波が手に入れたかったのは、この廃旅館に施された、芸術的とも言っていい強制認識の術式だった。
 それがあれば、彼女の計画はより完全になるはずだった。
 最も、実際に解析した時点で気付いたが、この術式は彼女の望むものとは少々方向性が違っていた。
 それでも使い道はあるかと思い術式の根源を拝見しようとした所、それもイレギュラーによって破壊されてしまった。

「まぁ、その欲のおかげで面白いものが見れたからよしとするか」

 そう言うやいなや、その少女は遠視魔法の映像から顔を背け、古波涼奈の『顔』を剥がして自分の素顔をさらけ出す。
 彼女はそこまで変装が得意ではないために、たまにそれを外さないと少々キツいのだ。数時間もそのままでいるのは拷問に等しかった。
 余裕が出来た時に、変装用のセットを作成しようと決意するのと同時に、自分の声を偽っていたボイスチェンジャーも外し、数時間ぶりに彼女は自分の肉声を聞くことになった。

「まったくもって予想外だったヨ。篠崎葵サン」

 クックック。と、その少女は静かに笑う。
 それが、自分の知る歴史の中では名前すら出てこなかった存在に対する好奇心からくるものだと、少女は理解していた。
 なぜなら、彼女は科学者だからだ。科学者であるがゆえに、自分を動かす二番目の感情である好奇心については熟知していた。
 少女はスキーウェアを脱いで、その裏地に仕込んであった装備を取り出す、その際に下に着ていたプロテクトアーマーが露出する。
 そのプロテクトアーマーの胴体には、なぜか漢字で『超』の一字が書かれていた。

「本来の歴史とは違う道を通っているアナタ。二つの意味で本来の歴史には存在しないハズのワタシ」


「さて、本当のイレギュラーはどちらなんだろうネ?」


 自問するかの様な彼女の問いに答える者はいなかった。
 少女も答えに興味はなく、スキーウェアから魔法薬が入った試験管数本を納めたケースを取り出して、これからの行動の予定を立てていた。

 この時、彼女がもう一度遠視魔法の映像を覗いていたら、恐らく彼女は驚愕しただろう。
 映像の中で、携帯電話を取り出してどこかへと連絡を取っている男、篠崎葵。
 その男の隣に、それまで映っていなかった女が現れている事に。
 
 その女は何かに驚いている様で、何かを確かめるようにしきりに自分の手足を動かし――


 そのまま篠崎葵の中へと消えていった。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「馬鹿な!!!」

 思わず男は叫び声を上げる。
 決してあり得ない事態が起こったから。あってはならない事が起こったから。

「どうして……どうしてあの男がそこにいる!!?」

 あり得ないはずだった。この地下は男が完全にコントロールしていたのだ。当然誰が動いているかも分かるし、その行き先を決めることだってできる。
 確かに、思い通りにならない人間ではあったが、男は彼を完全に閉じ込めた――はずだった。
 だが、その結果は……

「あ、あぁ……あぁぁ…………っ!!」

 男は急いで、妻の眠る中心点から立体迷路の様な水槽を抜けて壁際へと向かう。そこには、ここの水槽と脳の働きを任せていた部屋の水槽をつなぐパイプがあるからだ。
 急いでつなぎ直さなければならないそれは、例え地震の震源地になろうともここに何の影響もなく、襲撃する様な者もいない事が前提で作られたそれは容易に修理できるものではなく、また壊れやすいものだった。
 徐々に、だが確実に立体迷路のような水槽の中身――魔法陣に魔力を循環させていた魔法薬が減っていくのが分かる。
 同時に、脳の役割を果たしていた術式の元が破壊された事で、複雑に配置していた通路が全て最初の状態に――ただの一本道へと戻ってしまい、女に仕掛けた強制認識が解除されるのも時間の問題となった。

(い、急がなくては……!)

 まだ勝算はあった。あの奇妙な男がいる場所から、女がいる地点まではかなり離れている。
 問題があるとすれば女がかなり近くにいる事だがそれはまだ何とかなる。脳の働きを取り戻せばまだ挽回できる。
 男が急いで脳の部屋に向かおうとした、その瞬間

――ピリリリリ……ピリリリリ……!

 と、大きな電子音が響き渡った。
 それが何を意味するかを理解し、男は足を反射的に止めてその場に立ちすくんでしまう。

「どうして……くそっ、なんなんだ……」

 男にとって、この術式は絶対の自信がある魔法だった。
 決して誰にも解くことはできない強制認識。初めは部外者を近づけないためだけの装置だったが、その効果の強さと万能さから獲物を捕らえるための手段に変更した。
 それが今、たった一人の奇妙な男に破壊された。

「なんなんだ……なんなんだ……」

 完全だったはずの術式と、自分の妻のための生命線が一人の男に破壊され、今まさに妻の身体そのものに危機が訪れていた。
 少し開いたままのドアからは、なにやら話声が聞こえる。恐らくあの女の声だと、男は確信する。
 妙に嬉しそうなその声は、足音と共に徐々に近づいてくる。

「なんなんだ……なんなんだお前達は!!!」

 男が恐怖を紛らわすために絶叫する。
 それと同時に、火薬の破裂する音が二回響くのと同時に扉の蝶番が吹き飛び、直後に扉自体も吹き飛んだ。
 そして、それまではよく聞こえなかった女の声が徐々にハッキリと聞こえてくる。

『あぁ、ここから先は――』

 片手に拳銃を、片手に未だ携帯電話を手にして耳に当てている褐色肌の女が、隙のない身のこなしで中へゆっくりと入ってくる。
 男にとって、その女は先ほどまで妻を救うための救世主の様なものであり、同時に餌にすぎない存在だった。
 それが今、男の目にその女はまるで死神の様に映っている。
 女は、携帯電話の向こう側にいる相手に、微笑みながらこう告げた。


「ここから先は……私の仕事だ。任せてくれ」









[33428]      彼と彼女の最初の事件―5
Name: rikka◆1bdabaa2 ID:a908f18a
Date: 2013/04/21 11:18
 龍宮真名は、もう足取りに迷いを見せなかった。
 ただただ、前へと進んでいる。
 今までうっとうしい程に白かった通路は、一変して葵と共に歩いていた上の旅館の様になっている。
 先ほどまでに比べて、心なしか少し明るくなったその通路を、龍宮は涼しい顔で歩いている。

「ふ、ふふ……ふふふ……」

 いや、涼しい顔というのは間違いだった。溢れてくる笑みを表情に出さないように押さえていた結果、普段よりも少し表情が硬くなっているというのが正しい。
 知り合いがさらわれているかもしれないのに、こんなにも弾むような気分になっている事を恥じたためか。あるいは、

(やれやれ……守ると言った私が守られたわけか。先輩には借りを作りっぱなしだ)

 今までとは比べるまでもない程にはっきりとした思考で、龍宮は自嘲する。それと同時に自分の勘が正しかった事を確認し、そして確信した。
 戦う術等一切持っていない友人が、時に予想外の行動力を発揮し、自分に足りない箇所を補ってくれる『相方』であるという事に。
 日頃から朝倉や部活のメンバーから言われている『相方』という言葉が、妙にしっくりと感じる事に今度は苦笑いが漏れてしまう。

 ちょうどその時、龍宮の背中から微かな振動と共に大きな着信音が鳴り響いた。
 背中に感じた違和感はこれかと、未だに寝ぼけている思考に少しいらだちながら、左手に持っていた拳銃をホルスターへと戻して背中に手を廻し、携帯電話をフードから取り出して画面を開く。
 そこに表示されている着信元を見て、今度こそ隠しきれない笑みがこぼれた。
 龍宮は迷わずに着信ボタンを押して、スピーカーを耳に当てる。

『よう龍宮。お目覚めの気分はどうだい?』

 それは聞きなれた相方の声。
 どうやってかは知らないが、相手に有利過ぎたこのゲーム板を見事にひっくり返してみせた男の声。

「最悪だよ。まだ少し頭痛がするし微妙に胃がムカムカして気持ち悪いときた。……ふふ、いつか私達が大人になって、お酒を飲みすぎたりしたらこうなるのかな?」

 歩き続けている内に、歩いていた通路にようやく行き止まりが見えてきた。
 突き当たりには僅かに開いたままのドアがあり、その先からは魔眼を使わなくても分かるほどに膨大な魔力が渦巻いている。
 だが、恐らく電話の向こうにいる相方が何かやってくれたのだろう。
その魔力の渦に繊細さはおろか構成としても形を成しておらず、どちらかと言うと暴走に近い状態だ。
 要するに、龍宮真名が足を止める理由には欠片もならなかった。

『さぁ? 残念ながら俺は飲酒経験のない真面目で善良な男子高校生なんでね。いつか麻帆良で成人式を迎えた時に一緒にどうだい?』
「ほう? いささか引っかかる所はあるが、その提案はとても魅力的だね。ぜひご一緒させてもらおう」
『決まりだな。佐々木は既に確保して、これから古波さんを探すからそっちは……』
「あぁ、分かってる」

 唯一の懸念事項だった行方不明だった知り合いの一人を既に確保している事に、さすがという思いで驚く龍宮。
 ドアの前へと辿りつく、向こう側から誰かの狼狽した気配が感じられる。恐らくここに自我を保ったままたどり着くとは思っていなかったのだろう。
 右手で拳銃を構え、狙いを定めて二回引き金を引く。狙いは蝶番。寸分の違いもなく狙い通りに、ドアを支えていた蝶番が吹き飛ぶ。
そのまま綺麗に倒れるかと思いきや、どうやらひっかかってしまったようだ。
 そのまま足を進め、もはやドアの役割を果たしていない薄い木の板を思いっきり蹴り飛ばす。

「ここから先は――」

 吹き飛んだ板の向こう側にはこちらを見て何か叫ぶ、髭も髪も伸ばし放題の男の姿があった。
 その男に銃を向けながら、龍宮は部屋の中へと足を踏み入れる。

「ここから先は、私の仕事だ。任せてくれ」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「まったく、ここまで繊細な術式を構築するとは恐れ入ったが……どうやら、チェックメイトのようだ。おとなしく降参してもらえないかな」

 龍宮が部屋に踏み入ると、男は背中を向けて部屋の奥――何やら立体迷路の様な複雑な配置をした、巨大な水槽の奥へと身を隠そうとしたが、それを許す龍宮ではない。
 即座に足元に銃弾を叩きこみ、男の動きを阻害する。
 男は、やはり身体を動かすことに慣れていないのか、足元で銃弾が爆ぜる音がすると同時にその場に躓いたように倒れてしまう。
 龍宮はその隙に魔眼を発動し、その巨大な水槽――高さは恐らく1,6mくらいだろう。大きさでいえば、龍宮達が泊っていた旅館のロビーとほぼ同等くらいか。それが、少々複雑ではあるものの少し離れた所にあるひときわ高い円柱の水槽を中心に円を描くように構成されていた。
 
「……この水槽が魔法陣そのものなのか。中を循環しているのは魔法薬……効率的に魔力を増幅させ、循環させるための構成か。その主軸になっているのはあのひときわ高い水槽。さて、一体何をたくらんでいたのか、聞いてもいいかな? それとも……」

 龍宮は、銃口を水槽に向ける。最低限の防護魔法がかかっているのが魔眼に映っているが、他には何もない。恐らく、襲撃されると言う事をまったく想定していなかったのだろう。
 銃口の先に何があるかを理解している男は、罵るような荒々しい口調で答えた。

「誰もが……誰もが一度は考える夢だ! お前だってきっと考えた事がある! ないはずがない!!」

 叫ぶうちに少しは力が戻ったのか、男は一番外側を構成している水槽の壁にもたれかかりながら少しずつ立ち上がる。

「もう一度声を聞きたいと! かつての悲劇を覆したいと! 考えた事があるはずだ!!」

 男は水槽に手をつけたまま立ち上がりきると、その表面を撫でるように手を動かす。

「これはそれを可能にする術式構成。死者蘇生の構成だ!」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 男は幸せだった。少なくともソレが起こるその時までは、幸せだった。

 かつては魔法の研究者として――うだつは上がらなかったが――生計を立てていた男だが、魔法など一切知らない一人の女性と知り合い、恋に落ちたその時から、男は魔法というものを疎ましく感じだしていた。
 どこかで考えてしまう、自分と彼女は違うのだという思い。
 些細な常識の差異が、些細な考え方の違いが、愛した女性はただの人間で、自分は魔法使いなのだという決定的な違いに捕らわれていた。
 もし、男が魔法世界という閉鎖された世界でどっぷり研究に浸かっていなかったら。
 もし、麻帆良のような表と裏が融和した地域で生活していればそんな思いには捕らわれなかったのかもしれない。
 だが、男は悩んだ。人と接した経験の少なさから来る不器用さゆえに。魔法使い以外の人間とさほど接した事がないゆえに。
 いっその事、自分が構築した強制認識術式で裏世界の事を頭に叩き込もうかと考え、そんな事を平然と考えている自分の傲慢さに反吐を吐きそうな思いをしたこともある。
 結局、そんな葛藤こそが些細な事だと思い知ったのは彼女と何度か会って、いつか自分の生まれ故郷で旅館でも開いて過ごしたいという彼女の夢を聞いた時だ。
 それまでいつ成果が出るか分からない研究を続けてきた男は、ただ先の事を考えるのではなく、夢を持つという事を久々に思いだした。
 
 そこから男は変わっていった。研究で疲れ果ててやつれていた顔には生気が戻り、陰鬱だった雰囲気はどこかへと消し飛んだ。
 男は表の世界に入るための準備を終えると同時に魔法を捨てた。

 そして女性と仲を詰め、愛を告白し、結ばれた。
 二人で共に小さめだが旅館を建てて、彼女の――そしていつしか男の夢にもなっていたそれを叶えた。
 経営は苦しかったが、それでもなんとかなった。妻となった女性の料理の腕は、家庭料理の範囲で上手いと言えるレベルだったが、それが静かに口コミで広がり、客も年々増えていった。
 
 だけど――






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「なるほど……よく分からない文字で読めん所も多いが……これが黒幕の……ユウキの親父さんの『願い』か」

 葵とユウキは、未だに行方が分からない古波を探すために、旅館の中を歩き回っていた。
 ユウキ曰く、今は全ての部屋が普通につながった状態となっているため、安心して歩きまわれるらしい。実際、あの異様に白かった不愉快な通路は消えており、配置こそ変わっていたが、ただの旅館のそれとほとんど変わらなくなっていた。
 もっとも、弊害としてこの建物の中を熟知しているユウキにも古波がどこにいるかは分からなくなってしまったらしいが。

 古波を探しまわっている内に、葵達はある書斎の様な部屋へと辿りついた。
 そこは、まるで誰かが何かを探していたのかのように少し荒らされていたのだ。
 ひょっとしたら古波が何かしたのかと思い中に踏み込んだ葵が見つけたのは、机の上に広げられていた一冊の手帳――日記だった。
 一人の男と女が共に小さな旅館を開き、出てくる様々な問題を共に解決していく過程が書かれていた。女性の葬式を終わらせた記述の次のページから、不可思議な言語で書かれるようになっており、完全に理解する事は不可能だったが、所々日本語で書かれた所には『蘇生』や『再活性化』等と言った言葉が書かれていた。
 その合間に、まったく脈絡なく女性の名前――妻の名前が漢字が書かれていた。恐らく彼女を息返らせたかったのだろうと、葵は推測した。
 葵はペラペラとページをめくって、最初のページをもう一度開く。そこには、日本語で書かれた、この日記の執筆者の決意があった。

「父さんはその言葉をずっと言い続けていました。必ず、必ずって……」
「そう……か……」

 葵は、その言葉をなんとなく指でそっと、横になぞる。
 
『悲劇を覆す』
 
見開きには、かなりの筆圧で走り書きしたのだろう、インクが滲んだ汚い文字でそう書かれていた。

「悲劇を覆す。……悲劇を覆す。悲劇を――」


――悲劇を覆す。


 その言葉が、妙に葵の頭の中に響いた。
 まるで、誰かがそう言っているのを聞いた事があるような。……あるいは、自分が言っていたような奇妙な感覚が葵の身体に広がる。

「うぅ……っ!?」

 途端に、葵の身体に寒気に似た何かが走った。
 自分の身体の内側にまるで何かが入った様な……あるいは何かが中から生えたかのような感覚だ。

「だ、大丈夫ですか? 顔色が……」
「……あぁ、大丈夫大丈夫。心配掛けて悪いね、ユウキ」

 ともあれ、この部屋に古波はいなかった。
 これ以上ここにいる必要はないと判断した葵は、日記をそのままにしてユウキと部屋を出て行く。
 奇妙な頭痛による不快感と共に、どこか悲しげな――鈴の音が鳴っているような音を聞いたような気がした。






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「妻は子供と……祐樹と引き換えに命を失った!」

 男の叫びはまだ続いている。
 今まで誰とも話さず、貯め込んできた悲しみや想いが噴き出しているのだろう。嗚咽が交じりだした声で、男は龍宮に向かって叫び続ける。

「それだけならまだ我慢できた! 私にもまだ守るものがあったからだ! でも……その祐樹も……!」

 男はもう一度、水槽に手の平をバンッと叩きつけた。

「だったら……当り前だろう!? あの日に戻りたいと思うのは……もう一度会いたいと願うのは! 違うのか!?」

 その想いは、その願いは龍宮にも理解できた。
 かつて捨てられていた自分を拾ってくれた恩人。自分が『龍宮真名』となるきっかけをくれた人。
 その大事な人も、くだらないしがらみで死んでしまった。
 何度世界を呪った事か。何度あの日をなかったことにしたいと思った事か。
 
「必死に蘇生の術式を構築した。全て上手くいくはずだった。なのに! 妻は身体しか構築されず、息子は形だけの出来損ないしかできなかった!」

 ふと、龍宮は一番高い水槽の近くに子供が一人いる事に気が付いた。
 膨大な魔力を込められた魔法薬で満ちている水槽越しだったから、今まで気が付かなかったのだ。
 だが、その子供の方など全く気にしていなかった。なぜなら、男は壊れているから。
 ただ哄笑を上げて、その場にへたり込んでいる。
 その姿に龍宮はふと思う。
 自分もこうなっていたのだろうかと。
 龍宮の家の人間に受け入れられず、あのまま一人になっていたら……と。

(だけど……私は今、龍宮真名としてここにいる。過去はどうあれ……私は……)

 拳銃を握る手に力が入る。
 龍宮は、一度全てを失ったと思っていた自分がどれだけ愚かだったのか。どれだけのものを残されていたのか、そしてどれだけ恵まれていたかを目の前の男と対比することでようやく理解した。

 自分の素姓を知った上で、娘と呼んでくれる人がいる。

肩を並べる戦友がいる。

 そして、――背中を任せられる人がいる。
 
 龍宮真名と言う存在は、これ以上ないほどに恵まれている、と。

「あなたの気持ちは……分からなくもない」

 龍宮は心の底からそう呟いた。
 分からなくはない。文字通り、一歩道が違えば自分もこうなっていたかもしれないからだ。

「だが、幸せを取り戻すことと、不幸をなかった事にするのは似て非なるものだ。あなたのその願い、叶えさせるわけにはいかない」

 だからこそ、龍宮は目の前の男を否定する。
 男はその言葉を予想していたのか、嗤うのをやめて龍宮を見る。
 もっとも、その焦点はどこか虚ろである。

「黙れ! 人外風情が分かった様な口をよくも……!」
「……気が付いていたのか」
「ただの人間がそれほど質の高い魔力を大量に内包できるはずがない。研究者なのだからそれくらい分かる!」

 そう言いながら男は再び立ち上がる。正気を失っているのは明らかである。
 ふと、水槽の魔法薬の水位が目に見えて下がり出している事に龍宮は気が付いた。
 恐らく、葵がとったであろう行動に関係あるのだろう。となれば、このままだとあの女性の身体は持たないのではないかと、疑問に思った。

「あの忌々しい男のせいでもう妻の身体は持たん。急いで修復に時を費やせばどうにかなったかもしれんがもう遅い。だったら……来い!」

 男は不機嫌な大声でそう叫ぶと、大きな水槽の横にいた子供――あの時森の中へと消えていった白い髪の男の子が、ふらふらとおぼつかない足取りで男の元へと来る。

「だったらもう一度最初からやり直すまでだ。元々、この出来損ないから妻を再生して、何度も複製して取り込ませることで妻の肉体を戻し、維持し続けたんだ。女、お前には魔力構成の贄になってもらうぞ」
「……そうか、そういう事か」

――取り込ませる

 その言葉で、龍宮は目の前の男へ一切の手加減が必要ない事を確認した。
 相変わらず焦点の合ってない目で龍宮を睨む男の横に、何も言わずに立ち続ける男の子。
 心なしか、龍宮にはその男の子が泣いているように見えた。

「もはや、言葉は不要……か」

 男はヨレヨレの服のポケットから手の平より少し大きい程度の金属製のカード――魔法発動体を取り出し、何事か唱えると同時に周囲に漂っていた魔力が収束し、水槽の中の魔法薬の力を借りて循環し、怪しく輝きだす。

「そんな事をすれば、貴方の妻が苦しむことになるぞ! そして、また何度も貴方の息子を殺すことになるんだぞ!?」
「生き返らせてから謝る。それにコイツはただの素体だ、息子じゃない!」

 瞬間、龍宮は銃口で男の額に狙いを定め、引き金を引いた。
 甲高い炸裂音と共に発射された鉛玉は、それとほぼ同時に水槽を割って飛び出した魔法薬の壁によって絡め取られた。

「あの日を悲劇を覆すために、お前はここで死ねぇっ!!」

 男が杖を振るうと、魔法薬が今度こそ勢いよく水槽から飛び出て意思のある生物の様にグネグネと形を変える。
 その形状は、例えるならば太い蛇が数匹絡み合っている様な姿だった。もっとも蛇のようと言っても頭はなく、頭があるべき箇所は全て棍棒のように丸くなっている。
 それらが膨大な魔力を垂れ流しながら、龍宮に喰らいつこうとうねっている。

「大した魔力だが……それだけだね。これなら先輩を怒らせてしまった時の方がよっぽど怖かったよ」

 だが、龍宮はそれに対して全く恐怖を感じなかった。
 確かに膨大な魔力の塊であり、一見脅威に見える。が、それ以上に今の龍宮は怒り狂っていた。

「本来ならば捕縛するのが筋なんだろうけど、『貴様』にその価値はない」

 左手で一度しまった拳銃をもう一度引き抜き、構える

「喜んで欲しい。運がよければ貴方はまた会えるんだ。奥さんにね」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「なるほど……この魔法薬は、循環させることで中に入っている物体の形状を操作する事が出来るのカ」

 葵は破壊した術の構成、演算装置と言いかえることもできるソレが設置されていた部屋に、古波涼奈を名乗っていた少女はいた。
 狙っていた術式が、自分が必要としていた条件に合致しない事は分かっていたが、新たな術の構築のヒントになる可能性は十分にあったのだ。加えて、自分すら最初は自覚できなかった程の高度かつ強力なこの術式は、戦術的な切り札になりうるものだった。
 そのために、葵を避けながらこの部屋へと辿りつき、調べていたのだが――。

「しかしまぁ、篠崎サンも念入りに破壊してくれたものだヨ。これじゃあ演算部分の解析には時間がかかるネ」

 少女は深いため息をつく。少し足を動かすと、『ぴちゃっ』と水音が響いた。
 演算装置があったこの部屋は、魔法薬で一面水浸しとなっていた。もし部屋の扉を閉めっぱなしにしていたら、軽いプールのようになっていただろう。葵が派手に壊した水槽やパイプはどこか違う場所へと繋がっているらしく、今も魔法薬が大量にどこかから流れ落ちている音がする。
 会話した時や、先ほど覗いていた時の様子から恐らく篠崎葵は魔法と言う存在を知らないのだろうと少女は予測を付けていた。

(一般人に、こうもあっさりひっくり返されるなんて……所詮は実戦経験のないただの研究者カ。自分の術式に絶対の自信があったんだろうガ……詰めが甘いネ)

「最も、私が言える言葉じゃない……カ」

 自嘲する様な呟き後、苦笑めいた表情を見せる少女。
 結局魔法薬以外に関しては今すぐに調べられるものではなく、機会をみて調べ直さないと難しいと判断した。これ以上はこの部屋にいても仕方ない。
 少女は、どこからか試験管を5本取り出して部屋の奥――今も魔法薬が流れおちている所へ行き、それぞれを魔法薬で満たす。
 後は、部屋を出て再び古波涼奈となり、素知らぬ顔で葵と合流しようと計画を立てる。

――ぴしゃ、ぱしゃ……ぱしゃ、ぱしゃぱしゃぱしゃ……。

 ふとその時、足元の液体が震えだした事に気が付く。
 最初は歩いている自分の足音かと思ったのだが、何か違和感が残る。
 一拍置いて、その違和感が魔法薬の流れ落ちる音が小さくなったことだという事に気が付いた。

「……あの男カ?」

 少女の脳裏に浮かんだのは、一度は自分を完全に手中に置いてみせた、髪も髭の伸ばしっぱなしの男の顔だった。
 少々危険かとも思ったが、少女は地面にぶちまけられている魔法薬に直接手をつけてみる。
 振動こそ起こっているものの、どうやらこちらにまで干渉はできないようで、ただ薬品が震えているだけである。
 唯一少女に理解できたことは、この周辺の魔力が一か所に集束されているということだけだった。
 状況を理解した少女は、その可愛らしい顔を苦々しげに歪めた。

「彼女と戦っているのカ。バカダネ」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「なぁ、ユウキ。気のせいか? なんかさっきから俺の第六感とか、危険に対する経験則とかそーいったものが『ココヤバイ!』って叫びまくってるんだが」

 行方不明の古波を探して片っぱしから目に着いた部屋を調べている葵だが、未だに彼女は見つからなかった。
 葵の背中に悪寒が走ったのは、ちょうど20になる部屋のドアを開けた時だった。

「むしろ、そんな経験則が出来るくらい危ない目にあって、そしてさっきまでが危なくなかったみたいに言うお兄ちゃんの方が色々ヤバいと思うんだけど……」
「…………中々言う様になったなユウキ」

 かなり本気で憐みの目を向けてくるユウキから思わず顔を背けて、だがすぐに真面目な顔へと戻る。
 
(とりあえず佐々木のドアホウとユウキだけでも先に脱出させるか? ……でも道案内ができるのはユウキだけだし……)

 今の地下は、変貌していた通路が元のあるべき旅館の通路へと戻った事により、先ほどまでの分かりやすい一本道ではなくなっていた。
 さすがにそれほど複雑という訳ではないが、それでも適当に歩いていたら大いに時間を無駄にしてしまうだろう。

「ユウキ、とりあえず佐々木――あの涎をたらしながら寝言をほざいていた馬鹿を回収して一度外に出よう」
「お姉ちゃん達は?」
「一度外まで連れて行って、それからもう一度探して回る」

 龍宮の腕前ならば、あのよく分からない超技術さえ封じてしまえばそうそう負けたりはしないだろう――とは思うのだが、それでもやはり心配だった。
 出来る事ならばユウキに佐々木を任せて外に出てもらい、自分一人で駆け回ってさっさと古波を探し出してから龍宮の元に向かいたかった。

「お兄ちゃん一人で大丈夫なの?」
「多分な。少なくともさっきまでのような危険はもうないんだろう?」
「うん。その……でも……」
 
 確認の意味を込めて、葵がそう尋ねる。すると、ユウキは肯定を返すもののどこか歯切れが悪い。
 何か気になる事が残っているのかと尋ねようとした葵だが、その言葉は口から出なかった。

「篠崎さん! ご無事でしたか!?」

 後ろから聞きなれた女の声がしたからだ。

「古波さん!?」

 走って来たのだろうか。壁に手をついて切らした息を整えている。

「よかった……。直人さんともはぐれてしまって……」
「佐々木なら確保しています。この通路を真っ直ぐ行って、突き当たりの近くに灯りを付けている部屋がある所で……その……寝ています。恐らくは……」
「? 恐らくは?」

 念のために、一度ユウキと共に佐々木の居場所は既に確認しておいた。
 あいも変わらず寝ており、おまけに寒いのか全身に鳥肌が立って微妙に震えていたので、上から叩きつけるようにありったけの布団をかぶせてきたのだ。

多分、まだ生きている。


 正直、何か寝顔に腹が立ったからといってやりすぎたような気もしなくはない。


「まぁ、とりあえずは無事でよかった」
「あの、龍宮さんは?」

「途中ではぐれてしまって。今から探しに行く所なのですが……古波さん?」
「はい?」
「……いえ、あの……先に佐々木の所に行って待っていてもらえませんか?」

 気のせいか? 
 ふと、葵は館に踏み込んだ時の龍宮の様に、今の古波にも違和感を感じた。
 具体的にどこに違和感があるのかと問われれば、葵は迷わず『全部』と答えただろう。
 仕草、顔つき、雰囲気など、挙げればキリがない。
 例えるならば、目の前にある好物に手を伸ばしたくて仕方がないのを必死に抑えている子供の様に見えたのだ。
 あるいは――獲物を前に今まさに飛びかからんとする猫か。
 何にせよ、あの休憩室で楽しげに団欒していた時とは違う印象が彼女から溢れ出ている。

 冷や汗をかくほどに――

「葵さん、大丈夫ですか? 顔色が悪いですけど……」
「――っ!?」

 不意にかけられた声で、葵はようやく思考の内側から抜け出した。
 
「あぁ、すみません。まぁ、そういう訳です。こっちは大丈夫ですから、佐々木の傍にいてください」
「それは構いませんが……篠崎さんは?」
「自分は……」

 正直なところ、もうこのまま全部龍宮に任せて、脱出に専念してもいいんじゃないか。
 先ほどからそんな考えが浮かんでくるが、それが龍宮への信頼ではなく、自分自身の恐怖から来るものである事を、葵は理解している。そして、そんな意思から産まれた選択肢を肯定するはずもなかった。

「ちょっと、相方を迎えに行ってきます」






◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「なるほど、如何に魔法使いとして、研究者として優れていても、それが必ずしも戦闘の強さに直結するわけではない……か……」

 普通の魔法使いが見れば、腰を抜かして逃げだすだろう膨大な魔力が渦巻いている部屋の中で、龍宮は素知らぬ顔で立ち続けていた。
 辺りには、複雑な水槽の間を縫う様に、液状の魔法薬で構成された大蛇が何匹も彼女に向かって飛びかかっていく。
 だが、龍宮は――こちら側の世界でもっとも有名な傭兵は、その場からほとんど動かず、僅かな体捌きとその対極と言える激しい銃捌きで、その全てを片っぱしから粉砕していく。


――ドパパパパパパパパパンっ!!!!!


 ありとあらゆる方向から迫ってくる大蛇の身体に、銃弾の嵐が叩き込まれる。
 いかに生々しいリアルなものだといっても、所詮は象られただけの大蛇は、声を発する事もなく弾け散り、ただの液体へと帰っていく。

「くそ! くそ! 邪魔を……するなーーーっ!!」

 男が吠える。自分の道を阻むなと、願いを叶えさせろと呪文を唱え、膨大な魔法の矢(サギタ・マギカ)を盾としている大蛇の壁の向こう側から放つ。確かに脅威と言えば脅威だろう。
 だが、それも所詮は戦う人間からすれば大した事のないモノだ。
 龍宮は、即座に自分が羽織っているスキーウェア――万が一に備えて対魔法用の妨害術式を編み込んだそれを即座に脱ぎ捨て、自分の前方にかざす様に放り投げる。
 それがサギタマギカと接触すると、同時に激しく発光した。術式が発動した事を示している。ひと際眩しい、緑の光が部屋を一瞬照らしたかと思った次の瞬間、全てのサギタマギカはあらぬ方向へと吹き飛び、水槽や壁へと激突し、爆ぜていく。

「貴方は確かにすばらしい研究者だったのだろう。だが、外の世界に無関心すぎたな。外の世界の戦いは……こういうものも作りだしたのさ。高価な上に使い捨てだけどね」

 そして彼女の言葉と共に、一発の銃声が鳴り響いた。
 遅れて聞こえてくるのは、金属が砕け、床に散らばる安い音。
 龍宮は、妨害術式による発光現象を目くらましに使い、その隙に相手のカード型の発動体を見事に拳銃で撃ち抜いたのだ。

「あ……あぁ…………お、おのれ……っ!」
「チェックメイト。……これが最後だ、降参してくれ」

 銃口を僅かに動かし、今度は額に狙いを付ける。
 正直、相手の実力はともかく魔力の膨大さは、確かな脅威に違いないのだ。
 もし、目の前の男が戦いのコツやテクニックを身につけ出したら、この建物自体に大きな被害が出るだろう。そうなれば、上にいる葵達にも被害が行く。

(……ここで終わらせよう)

 罠にかかるという無様を晒した自分を拾い上げてくれた葵に「後は任せろ」と大事を言った後で、葵にまた面倒をかけていれば世話はない。
 無理して殺す様な事はしない。逆に、必要ならば殺す。
 それが傭兵として生きる龍宮の信条であり、生き方だった。
 ただ狙いを定めただけでトリガーに指こそ掛かっていないが、男が妙な動きを見せてから指をかけ、引き金を引くまで数を数える間もなく実行出来る。
 
「あの男さえ……あの男さえいなければ!!」

 やはり、失くした妻にこだわる男が、降伏するはずもなかった。
 未だに諦めを見せないその目で、龍宮を睨みつけている。
 動かないのは身体だけで、頭の中では彼女を再び捕らえる手段を必死に構築しているのだろう。

(ここまでか……)

 龍宮は引き金に指を乗せ、僅かに力を込める――



――ピキッ……



 彼女の耳に異音が入ったのは、ちょうどその時だった。
 男にも聞こえたのだろう。怒りで真っ赤になっていた顔色を一転、青ざめさせて目だけで周囲の異変を探っている。
 その答えが、次の瞬間にはすぐに現れた。
 男からさらに2,3mほど離れた後方に存在する、この魔法陣の中心部。女性の形をした『ナニカ』がぷかぷかと漂っているひと際高い円柱型の水槽。
 その障壁に、大きな亀裂が走った。
 そして、水槽の中の「ナニカ」は、

「っ!! おい、逃げろ!!」

 咄嗟に、龍宮はそう叫んだ。
 殺そうとしていた相手にかけるような言葉ではない。だが反射的に叫んでいた。
 男は、その叫びに何があったか気が付き、咄嗟に後ろを振り向く。
 その男の視界に入ったのは、やや高い破裂音と共に雨の様に降り注いでくる水槽の破片と、――水槽の中に蓄積されていた魔力の暴走により吹き飛ばされ、自分に向かって抱きしめるかのように飛ばされてきた、愛しい妻の姿だった。

「おぉ……」

 男はそこに何を見たのだろうか。
 まるで――いや、恐らくそうなのだろう。彼女を抱きとめるように腕を伸ばし……抱きしめ――


「……っ……あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!」

 ――取り込まれた。
 龍宮にはそう見えた。
 水槽から弾き出された『ナニカ』が彼に接触した瞬間、龍宮の眼には彼女の身体の全身から細い糸の様なもの――おそらくは体毛だったのだろうか――が、男の身体へと突き刺さり、そして皮膚の下を蠢き、――彼と同化し、同じ存在へと変えていく。
 もはや、女性の形はおろか、人の形も取れていない。ただの肉塊へと変わっていった。

「! 君! 急いで逃げて――!」

 先ほどまでその存在を忘れていた、あの白い髪の子供を思い出し、そう叫ぶ龍宮だったが遅かった。
 白い肉塊は瞬きすらしない少年に向かって鋭い一本の触手を伸ばし、そのまま貫いた。

「…………ヵ……ァ…………」

 彼自身が、半ばその肉塊に近い特質だったのだろうか、触手が突き刺さった瞬間、初めて何かを口にしようとして……そのまま溶けるように、白い肉塊へと変貌していった。

「くそっ!」

 白い肉塊は、床に零れ落ちている魔法薬に男の命を奪った目に見えない程の触手を伸ばし、まるで植物の根の様にそれを飲んでいる。
 それで魔力を補充しているのだろうか、人間を取り込んだ時の様に急激に巨大化はしていないが、徐々にその身体を大きくさせ、そして魔力を蓄え出していた。
 赤い魔力光が、白い肉塊を照らし出す。

「これは……少し不味い……かな」

 油断こそしていなかったが、余裕の笑みも見せていた龍宮が、ここにきて初めて緊張からくる冷や汗を流した。






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