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[3277] マブラヴ オルタネイティヴ MAD LOOP(148話進行状況:0kb)
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2012/12/29 23:21

ご挨拶

緋城と申します。

 マブラヴ オルタネイティヴで、武の願いが叶わなかったのが可哀相で仕方なかったので、
武の願いが叶う話を考えてみました。

 この話は、武が自分1人で抱え込めるだけ抱え込んで頑張る話です。

 マブラヴ的には力を合わせて協力するべきなのでしょうが、敢えて上記の様な話としました。

 その他、以下の点にご注意の上、よろしかったらご笑覧下さい。

*注意点
・マブラヴ オルタネイティヴをプレイなさっている方を対象に書かれています。
・ネタバレが含まれています。
・独自解釈・設定が多く含まれています。
・序盤ヒロイン達の出番が少なく、冷遇されています。
・地の文でのキャラクター呼称は基本的に呼び捨てで書いています。
・原作からの台詞の引用が多いです。(原作の台詞好きなのです。許してください。)
・拙作では武がもうまりもちゃんと呼ぶまいと決意するシーンは通過していません。よって、武にとって全ての『神宮司まりも』は『まりもちゃん』です。(こっそり追記)

*投稿予定日について
 次回投稿予定日を感想掲示板の投稿告知でお知らせしています。
 よろしかったら、御覧下さい。

*フリーメールを取得いたしました。
 感想掲示板に書き込むのはちょっと……という場合にご利用ください。
 hishiro_ml@yahoo.co.jpになります。
 あまり頻繁には確認しないと思います。
 返信は遅れがちになると思われますが、どうかご寛恕下さい。


*修正のお知らせ
・08/06/27、第7話の投稿に合わせて誤字脱字などをまとめて修正しました。(遥>遙、他)
・08/07/11、第11話の投稿に合わせて、第6、8、10話の一部誤字等を修正しました。(激震>撃震、他)
・08/07/18、第13話の投稿に合わせて誤字脱字などをまとめて修正しました。(基地指令>基地司令、副指令>副司令、他)
・08/07/22、第14話の投稿に合わせて、第6、11、12、13話の一部誤字等を修正しました。(暗号>番号、他)
・08/07/25、第15話の投稿に合わせて、第13話に2行追加。(白銀武再構成における00ユニット化による影響に関して)
・08/08/01、第17話の投稿に合わせて、第6、12話の一部間違いを修正しました。(3年前>2年前)
・08/08/05、第18話の投稿に合わせて、第17話の一部間違いを修正しました。(してないません>していません)
・08/08/08、第19話の投稿に合わせて、第1~18話の呼称・代名詞などの間違いを修正しました。内容自体は変わっていません。
・08/08/15、第21話の投稿に合わせて、第6、20話の一部誤字等を修正しました。(再開>再会、依存>異存)
・08/08/19、第22話の投稿に合わせて、第6、10、19話の情報を更新しました。(2年前>3年前、光州ハイヴ>鉄源ハイヴ、60近くにもなって>50代も半ばを過ぎて)
・08/08/22、第23話の投稿に合わせて、第7、15話の一部誤字等を修正しました。(月読>月詠)
・08/08/26、第24話の投稿に合わせて、第23話の一部誤字等を修正しました。(起動>機動、副指令>副司令)
・08/08/29、第25話の投稿に合わせて、第24話の一部誤字等を修正しました。(遥>遙)
・08/09/02、第26話の投稿に合わせて、第14、23、24、25話の一部誤字等を修正しました。(壬姫>ミキ、他)
・08/09/05、第27話の投稿に合わせて、第18話の一部用語等を修正しました。(挙動>行動特性)
・08/09/16、第30話の投稿に合わせて、第21、23、27、28話の一部誤字を修正し、用語を統一ました。(課程>仮定、戦術機操縦課程、統計思考制御)
・08/09/23、第32話の投稿に合わせて、第4、6、9、10、12、24、26、30話の一部誤字を修正し、用語を統一ました。(B8、シミュレーター演習、8月)
・08/10/03、第35話の投稿に合わせて、第22、34話の一部誤字・用語を修正しました。(出入口、荘厳>厳粛、他)
・08/10/07、第36話の投稿に合わせて、第6、12、22、25、31話の一部誤字を修正し、用語を統一ました。(切り換え、列>烈)
・08/10/13、第38話の投稿に合わせて、第5、7、19、21、35、37話の一部誤字を修正し、用語・内容を変更しました。(コールサイン>ラジオコール/作戦コード、《反オルタネイティヴ派は『G弾運用派』と一緒ってことで》)
・08/10/14、10/13の更新にて、第7、19話の修正投稿のミスを修正しました。(7話に両話を一緒に投稿してしまいました><)
・08/10/17、第39話の投稿に合わせて、第2、3、6、7、9、10、11、12、30、38話の一部誤字を修正しました。(オルタネイティブ>オルタネイティヴ、他)
・08/10/24、第41話の投稿に合わせて、第25、28、33、37、39、40話に振り仮名を追記しました。また、第10話のおまけ内の『陽炎・改』の表記を改めました。
・08/11/07、第44話の投稿に合わせて、第10、24、28、37、38、39、40、41話の一部誤字を修正しました。(『』の付け忘れ、看護兵>衛生兵、近接長刀>近接戦闘長刀)
・08/11/11、第45話の投稿に合わせて、第8、38、39、41、42、43、44話の一部誤字を修正しました。(安部>安倍、月読>月詠、如何>遺憾、増徴>増長、クーデーター>クーデター)
・08/11/14、第46話の投稿に合わせて、第18、44、45話の一部誤字、誤りを修正しました。(確立>確率、大尉>中佐)
・08/11/18、第47話の投稿に合わせて、第21、22、27、29、33、34、40、46話の一部誤字、誤りを修正しました。(おまえ、襲いの表面を>襲い、表面を)
・08/11/21、第48話の投稿に合わせて、第4、5、7、8、10、11、14、21、22、25、26、28、38、39、40、41、43、44、45、46話の一部誤字、誤りを修正しました。(梼子>祷子、22日>25日、『豪天』の仕様を変更しました。)
・08/11/25、第49話の投稿に合わせて、第36、41、45話の一部誤字、誤りを修正しました。(是近>是親、大日本帝国>日本帝国)
・08/11/28、第50話の投稿に合わせて、第26、28、30、31、33、37、38、42、44、49話の誤りを修正しました。(一人称を修正、44話と49話に葵と葉子に言及する文章を加筆修正。)
・08/12/02、第51話の投稿に合わせて、第40、50話の一部誤字、誤りを修正しました。(装甲>走行、は>も)
・08/12/08、第52話の投稿に合わせて、第11、13、17、22、31、33、37、39、40、41、42、49、50、51話の一部誤字、誤りを修正しました。(征夷大将軍>政威大将軍、できるべきこと>できること、他、51話の台詞を一部修正)
・08/12/16、第54話の投稿に合わせて、第53話の一部誤字を修正しました。(合おう>会おう)
・08/12/19、第55話の投稿に合わせて、第54話の一部誤字を修正しました。また、おまけの『何時か辿り着けるかもしれないお話』が含まれる回のサブタイトルに『+おまけ』と追記しました。(狭霧>沙霧、白銀>たける)
・09/01/02、第57話の投稿に合わせて、第44、54話の一部用語を修正しました。
・09/01/13、第59話の投稿に合わせて、第43、54、58話の一部誤字を修正しました。(白銀少尉>白銀君、月読>月詠)
・09/01/24、第62話の投稿に合わせて、第61話の一部を修正しました。(大尉>少尉、水月の言葉への反応に晴子を追加)
・09/01/30、第63話の投稿に合わせて、第11、13、35、36、37、42、43話の一部誤字を修正しました。(防衛基準体制>防衛基準態勢、階級証>階級章)
・09/02/13、第66話の投稿に合わせて、第8、32、45話の用語を修正しました。(時点>時刻)
・09/02/24、第68話の投稿に合わせて、第3、14、15、16、20、67話の一部誤字、誤用を修正しました。(週>周、非難>避難、葉子>桧山)
・09/03/03、第69話のおまけ及び設定資料投稿に合わせて、第44話の一部誤字を修正しました。(潜行>潜航)
・09/03/17、第70話の投稿に合わせて、第25、62、65、69話の一部誤字を修正しました。(間接>関節、月読>月詠)
・09/03/31、第71話の投稿に合わせて、第24、44、70話の一部誤字、誤用を修正しました。(次郎>二郎、第3師団>第8師団、最下層>下層部)
・09/04/07、第72話の投稿に合わせて、第8、9、35、38、39、44、45、46、54、60、63、66、70、71話の一部誤字、誤用を修正しました。(フェーズ>フェイズ、仕官>士官、激震>撃震、19時05分>19時07分)
・09/04/14、第73話の投稿に合わせて、設定資料の更新と、第4、31、71話の一部誤字を修正しました。(重症>重傷、終結>集結)
・09/04/24、第74話の投稿に合わせて、第20、45、46、53、67、68、73話の一部誤字と誤りを修正しました。(固体>個体、21時>20時)
・09/05/05、第75話の投稿に合わせて、第29、74話の一部文章を修正しました。(修正した箇所:一昨年、昨年遂に、靖国神社)
・09/05/19、第77話の投稿に合わせて、第26、74、76話の一部誤字と誤りを修正しました。(珠瀬少尉>珠瀬さん、月読>月詠、衛氏>衛士)
・09/06/02、第79話の投稿に合わせて、第72話の一部誤字を修正しました。(激震>撃震)また、第78話の昼食のシーンと、千鶴の独白のシーンを修正しました。尚、大筋に変化はありません。
・09/06/09、第80話の投稿に合わせて、第61、65、78、79話の一部誤字と誤りを修正しました。(梼子>祷子、まりもも>まりも、桜花>明星)
・09/06/16、第81話の投稿に合わせて、第5、7、69話の一部誤字を修正しました。(早瀬>速瀬、対>体、確立>確率)
・09/06/23、第82話の投稿に合わせて、第11、44、81話の一部誤字を修正し、極一部追記しました。(ハイブ>ハイヴ、月読>月詠、柄頭に(追記))
・09/06/30、第83話の投稿に合わせて、第1、18、34、54、58、59、75、77、79、80、82話の一部誤字と誤りを修正しました。(日記帖>日記帳、咢>顎、送れて>遅れて、追求>追究、突込み>突っ込み、追求>追及、生体認証様>生体認証用、べっど>ベッド、確立>確率、晴天>青天、心配>心肺、人事不肖>人事不省、様態>容態、鏡>鑑)
・09/07/07、第84話の投稿に合わせて、全話を更新させていただきました。感想にて大量の誤字誤用をご指摘頂き、投稿済みの全83話中60話以上に修正が必要となった為です。誤字誤用をご指摘いただけたことに深く御礼申し上げます。
・09/07/14、第85話の投稿に合わせて、84話中50話を修正させていただきました。感想にてまたもや大量の誤字誤用をご指摘頂いた為です。誤字誤用をご指摘いただけたことに深く御礼申し上げます。(第1、2、3、4、5、6、8、9、10、12、14、16、17、18、19、21、27、33、34、35、36、37、38、40、41、43、44、47、49、51、52、54、55、56、58、59、60、61、62、65、67、70、71、75、76、78、80、82、83、84話を修正)
      また、設定資料の更新と、感想でのご指摘に従い、第84話の冒頭に2行ほど追記をいたしました。(『極東国連軍と~寄せられていた。』)
・09/07/21、第86話の投稿に合わせて、85話中60話を修正させていただきました。感想にてまたまた大量の誤字誤用をご指摘頂いた為です。誤字誤用をご指摘いただけたことを重ねて深く御礼申し上げます。(第4、6、7、8、12、17、18、23、23、28、29、30、31、32、33、35、36、37、38、39、40、41、42、43、44、45、46、47、48、49、51、52、54、55、56、57、58、59、61、62、63、64、65、66、67、68、69、70、71、72、73、75、76、78、79、81、82、83、84、85話、設定資料を修正)
      また、感想でのご指摘に従い、第85話の文章を一部修正しました。大筋に変わりはありません。(第5連隊の有人機投入に言及、最終段階のA-01包囲参加戦術機の描写を修正)
・09/07/28、第87話の投稿に合わせて、第12、16、51、55話の一部誤字を修正しました。(指令>司令、過程>課程、ブタペスト>ブダペスト、戦等>戦闘)
・09/09/01、第90話の投稿に合わせて、第6、12、41、42、67、77、80、82、88、89話の一部誤字と誤りを修正しました。(レーザー級>光線級、実践>実戦、シミュレーション>シミュレーター、孫>子息)
・09/09/08、第91話の投稿に合わせて、第90話の一部誤字を修正しました。(盲を開く>蒙を啓く)
・09/09/15、第92話の投稿に合わせて、第22、33、88話の用語を統一しました。(足留め>足止め、ドレスルーム>ドレッシングルーム)
・09/09/22、第93話の投稿に合わせて、第92話の一部誤字を修正しました。(本体>本隊、中退>中隊)
・09/09/29、第94話の投稿に合わせて、第75、83話の一部誤字誤用を修正しました。(ほうんとうに>ほんとうに、武>タケル)
・09/10/06、第95話の投稿に合わせて、第91話の一部誤字を修正し、第23、83話に文章を追記をいたしました。(少尉>中尉、04>03、『武が次々に繰り出す~そして、』、『武は、嬉しそうに頷くと~全力疾走する羽目になった……』)
・09/10/20、第96話の投稿に合わせて、第6、25、38、40、70、89、95話及び【設定資料】の一部誤字誤用を修正しました。(ブースター>スラスター、衛士強化服>衛士強化装備)
・09/10/27、第97話の投稿に合わせて、第87、88、90、91、93、95話の一部誤字誤用を修正し、第36、37、44話及び【設定資料】を一部変更ました。(絶え>耐え、編成>編制、勅命>直命、事態>自体、非情>非常、時系列を修正(HSST迎撃)、44話で砲身長に付いて追記、他)
・09/11/03、第98話の投稿に合わせて、第18、39、51話の一部誤字誤用を修正し、第97話を一部追記しました。(無碍>無礙、私>わたくし、今回は矢継ぎ早に~大きく息を吐いた。)
・09/11/17、第99話の投稿に合わせて、第28、54、85話の一部誤字誤用を修正しました。(知恵>智恵)
・09/12/01、第100話の投稿に合わせて、第85話の一部誤字誤用を修正しました。(作戦立案>戦術立案)
・09/12/15、第102話の投稿に合わせて、第14、51、54、91、99、100、101話の一部誤字誤用を修正しました。(知恵>智恵、レーザー級>レーザー属種、属腫>属種、土>日)
・10/01/12、第104話の投稿に合わせて、第48、50、51、53、102、103話の一部誤字誤用を修正しました。(推進派>運用派、耐えない>堪えない、訓令>訓練、F-35>F-22A)
・10/01/19、第105話の投稿に合わせて、第104話の一部誤字誤用を修正しました。(祐司>裕司)
・10/01/26、第106話の投稿に合わせて、第60、75、90、94、95、96、100、104、105話の一部誤字誤用を修正し、第104話に文章を追記をいたしました。(あたし>わたし、あたし>私、14日(水)>18日(日)、まりか>やよい、『尤も、如何に政威大将軍殿下の御意志によって~練度には相当な自信があると見える。』)
・10/03/27、第111話の投稿に合わせて、第25、63、67、74、94、110話及び【設定資料】の一部誤字誤用を修正しました。(朝倉>麻倉、要因>要員、三角錐>円錐、しちぇば>しちゃえば)
・10/04/13、第113話の投稿に合わせて、第12、34、37、81、89、99、101、103、108、111、112話の一部誤字誤用を修正し、第89話に文章を追記をいたしました。(試験>支援、再突入駆逐艦>再突入型駆逐艦、言ってたました>言ってましたよね、良く>行く、少尉>斯衛軍少尉、なんでじゃ>なんじゃ、帰って>返って、機が>気が、進めて>勧めて、好意>行為、上級>上空、防衛戦>防衛線、『『凄乃皇・弐型』ですら、常軌を~呆然と立ちつくすのであった。』)
・10/05/25、第116話の投稿に合わせて、第40、51、59、111話の一部誤字誤用を修正しました。(少尉>中尉、大尉>中佐、僕>ボク)
・10/06/08、第117話の投稿に合わせて、第4、5、116話の一部誤字誤用を修正し、第115、116話に文章の修正・追記をいたしました。(シンリンダー>シリンダー、明る>明るい、『武が悪夢のようなループに捉われて以来』>『武が支配的因果律の改変を志して以来』、『日露戦争で』)
・10/06/22、第118話の投稿に合わせて、第98、102、104、114、116話の一部誤字誤用を修正し、第117話に文章を追記をいたしました。(族軍>賊軍、近衛>斯衛、白銀>たける、『晴れ渡る大空に~そして希望の光が灯っていた。』)
・10/07/06、第119話の投稿に合わせて、第111、118話の一部誤字誤用を修正しました。(二型>弐型、船主>船首、何10万>何十万、速水>速瀬、心算>つもり)
・10/07/20、第120話の投稿に合わせて、第119話の一部誤字誤用を修正しました。(冥夜声>冥夜の声、因果律情報>因果情報、るる>る)
・10/08/24、第122話の投稿に合わせて、第105、115、120、121話の一部誤字誤用を修正しました。(大尉>中尉、阿部>安倍、構成>攻勢、貰うわ>貰わ、救われ>掬われ)
・10/09/14、第123話の投稿に合わせて、第82、91、106、122話の一部誤字誤用を修正しました。(反面>半面、ナイツ>ナイト、ライアーズ>ライアー、大見え>大見得、10日>22日)
・10/09/28、第124話の投稿に合わせて、123話中35話を修正させていただきました。感想にてまたもや大量の誤字誤用をご指摘頂いた為です。誤字誤用をご指摘いただけたことを重ねて深く御礼申し上げます。(第13、14、22、24、29、35、40、43、44、50、51、53、56、59、61、65、70、77、78、80、81、82、85、87、88、89、90、91、95、107、108、109、112、118、119話を修正(嘘を付く>嘘をつく、「」>『』、滅>壊滅、書いた>描いた、計画の>計画に、炊き付け>焚き付け、激>檄、奢れる>驕れる、持って>以って、凌ぎ>鎬、そのれら>それら、震え>振るえ、合える>会える、完熟>慣熟、中>宙、元>下、座って>据わって、直系>直径、せ>タ、返し>帰し、よ>フ、振るわせ>震わせ、毎>ごと、解き>説き、しなかい>しない、味会わ>味わわ))
      また、設定と異なる記述があった為、82話のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話20の文章を一部修正しました。大筋に変わりはありません。(蛍昏倒以降の日付を2003年から2002年に修正、モトコの口調を修正)
・10/10/14、第125話の投稿に合わせて、第75、83、124話の一部誤字誤用を修正しました。(知らいでか>知らないでか、期間>帰還)
・11/01/13、第126話の投稿に合わせて、第40、121、124、125話の一部誤字誤用を修正しました。(207>2001年度、それれ>それを、知らいでか>知らないでか、朝っぱら>朝っぱらから、風司令>副司令、)
・11/01/25、第127話の投稿に合わせて、第126話の一部誤字誤用を修正しました。(隠して>斯くして)
・11/02/08、第128話の投稿に合わせて、第114、117、127話の一部誤字誤用を修正しました。(再突入駆逐艦>再突入型駆逐艦、統合参謀本部>統合参謀会議、態勢>体勢、応え>答え、うよやく>ようやく、着いて>就いて)
・11/03/08、第130話の投稿に合わせて、第29話の一部誤字誤用を修正しました。(夕子>夕呼)
・11/05/03、第133話の投稿に合わせて、第39、71、130、132話の一部誤字誤用を修正しました。(電波>電子、香月研>モトコ研、匠>巧、9>10、大尉>中佐)
・11/05/31、第135話の投稿に合わせて、第2、3、5、6、102、106、120、121、133、134話の一部誤字誤用を修正しました。(伝導>電導、上記>以上、一段楽>一段落、家族達を>家族達の、クリスマス>クリスマスイヴ、中華人民共和国軍>中華人民解放軍、更新>後進、第4計画>第四計画、冥夜の>冥夜も、日本が日本帝国が>日本帝国が、受けさせるて>受けさせて)
・11/07/05、第137話の投稿に合わせて、第82、135、136話の一部誤字誤用を修正しました。(儘在る>間々在る、一転>一点、しまったいた>しまっていた)
・11/08/02、第139話の投稿に合わせて、第117、118、138話の一部誤字誤用を修正しました。(幽閉>遊兵、それ>その、功軍>行軍、夕子>夕呼)
・11/08/16、第140話の投稿に合わせて、第8、10、11、12、109、139話の一部誤字誤用を修正しました。(補給戦>補給線、為なさしめて>為さしめて、打ち>撃ち、正統>正当、お待たせいました>お待たせしました、必至に>必死に、グランド>グラウンド、紫苑>紫苑の、殊任務>特殊任務)
・11/09/06、第142話の投稿に合わせて、141話中25話を修正させていただきました。感想にてまたもや大量の誤字誤用をご指摘頂いた為です。誤字誤用をご指摘いただけたことを重ねて深く御礼申し上げます。(第18、19、20、21、22、24、25、26、27、28、29、30、31、32、33、34、35、36、37、38、39、40、104、140、141話を修正(叶わ>敵わ、代え>変え、されたいた>されていた、更に>皿に、207B>207A、壊相当>相当、線>戦、身染み>身に染み、望ん>臨ん、3年目>3年前、体制>態勢、打ち合い>>撃ち合い、補足>捕捉、現況>元凶、練習代>練習台、事思う>事を思う、言って>行って、責め>攻め、役何だから>役なんだから、、交代>後退、での>で、慮外物>慮外者、詰まれ>積まれ、不信>不審、表れ>現れ、足元>足、詳細を>詳細の、上げらる>上げられる、皆がPXで事務次官の来訪まで~PXを去った>皆が事務次官の来訪まで~立ち去った、再接近>最接近、出合い>出会い、17小隊>17大隊、望む>臨む、進め>勧め、説かれ>解かれ、過って>謝って、夕子>夕呼、企業>起業、搖動>陽動)
・11/09/27、第143話の投稿に合わせて、第142話の一部誤字誤用を修正し、同第142話に文章を追記をいたしました。(ボーイング>ボーニング、スピンアウト>スピンオフ、『月詠は唯依にとって無現鬼道流紅蓮門下の~それでも一縷の望みをかけて』)
・11/11/01、第144話の投稿に合わせて、143話中46話を修正させていただきました。感想にてまたもや大量の誤字誤用をご指摘頂いた為です。誤字誤用をご指摘いただけたことを重ねて深く御礼申し上げます。(第35、40~44、46~51、53~60、62、63、66~71、80、84、85、87、89、92、93、96、101、108、114、119、121、123、130、135、140、143話を修正(地雷源>地雷源、補足>補足、他多数)



[3277] 第1話 運命の輪の転がる行方
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/14 17:13

第1話 運命の輪の転がる行方

並行世界 2001年12月17日(月)

 夕暮れに染め上げられた白陵大付属柊学園の正門前。
 武は力なく空を見上げ、一人立ち尽くしていた。

(オレは……平和な『こっちの世界』で暮らしていたのに、『あの日』目覚めたのは『向こうの世界』だった……
 宇宙からやって来たっていう『BETA』と呼ばれる化けモンどもと戦争している『向こうの世界』……
 戦わなければ生きる事すら危うい『向こうの世界』で、オレは訓練兵として生きる術を身に付ける羽目になっちまった。
 まあ、『こっちの世界』のクラスメイトで親しかったあいつらが、『向こうの世界』でも同じ訓練部隊にいてくれたおかげで、気分的には大分楽だった……)

 武は通学路になっている、白陵名物『地獄坂』の向こうに見える、平和な町並みに視線を転じて思う。

(『向こうの世界』のBETAとの戦争で荒れ果てて、人が住めなくなったこの町の景色を見慣れちまったオレには、この風景の方が夢みたいに思えるよな……
 戦いに明け暮れる必要の無い、平和を満喫できる、砂糖菓子みたいな世界……か……
 前は当たり前だったのに、もう違和感を感じるようになっちまったもんな……
 最初は狂っているとしか思えなかった『向こうの世界』で、必死に訓練して、戦術機―――『こっちの世界』で言うロボット兵器のパイロット―――衛士になって……
 それでも、人類はたった10万人が地球から脱出し、地球に取り残されたオレ達は、BETA相手に捨て身の決戦を挑んだ―――と思う……
 なんでか、地球脱出船団が出発した後の事って、よく覚えてないんだよな……
 オレも、同じ部隊に配属されたあいつらも、多分戦死した筈なのに、それすら思い出す事が出来ない……
 まあ、どうせロクでも無いに決まってる実戦の記憶なんて、思い出したいとも思わないけどな……
 でも、オレが実戦での悲惨な経験を覚えてさえいたら……もしかしたら、こんな事にはならなかったかもな……)

 武は再び夕暮れに染まった空へと目を向ける……。

(純夏!!……まりもちゃん!!……ごめん……ごめんな……)

 赤く染まった空に被さるように脳裏に浮かぶ幼馴染と恩師の姿に、武はぎゅっ! っと強く目蓋を閉じて溢れそうになった涙を押し留める。

(オレが……オレが『こっちの世界』に逃げ帰ってきちまったばっかりに、おまえやまりもちゃんはあんな目にあっちまった……。
 『向こうの世界』で全ての希望を失い、絶望的な戦いに身を投じていたはずなのに……
 気付いた時には、『向こうの世界』の『あの日』、2001年10月22日の朝に、オレはもう一度戻されちまっていた。
 その時オレは……前の『向こうの世界』の悲惨な歴史を繰り返させない!……今度は人類を救うんだって決意した!
 なにもできないまま、また人類がBETAに蹂躙されるのが耐えられなかったから……
 でも、初めて奴ら、BETAと戦う羽目になったオレは……恐怖に押しつぶされて……決意なんかどっかへ吹っ飛ばされちまった……
 そして、うじうじと落ち込んで……そんな不甲斐ないオレを励まそうとしてくれた、『向こうの世界』のまりもちゃん―――神宮司軍曹は……
 オレの目の前でBETAに喰われて―――死んだッ!)

 武は、拳を堅く、堅く、握り締めた。

(まりもちゃんの死に怯えたオレは……
 なにもかも放り投げて、こっちの世界に逃げ帰ってきて……
 『こっちの世界』ではオレのクラス―――3年B組の担任で、幸せに暮らしているまりもちゃんに泣き付いて、荒んだ気持ちを救われて……
 なのに、そのまりもちゃんは、『向こうの世界』と同じように頭を粉々にされて……
 ―――死んだッ!)

 堅く握り締めた武の拳から、ギシギシと軋む音が漏れた……

(そのうえ、今度は純夏までも……
 『向こうの世界』にはいなかった、オレの大事な幼馴染―――いや、昨日告白してキスまでしちまったんだっけ……
 なのに―――純夏はオレの事を忘れちまったあげく……体育館の天井から落ちてきた、ゴールポストの下敷きになって、大怪我しちまった……
 オレのせいで……オレが、『向こうの世界』から『重い因果』とかいうものを運んできちまったせいでッッ!!
 …………オレは『こっちの世界』にとって、BETAのような存在……か……。
 ほんとうに……そうかもな。
 ……オレなんか、早く消えちまった方がいいんだ……
 夕呼先生、まだ来ないのかな……
 早く……早くオレを……消してくださいよ、先生……夕呼先生……)

 自責の念に沈む武の前に、1台の車が走り寄り、運転席から白陵大付属柊学園の物理教師である香月夕呼が武に声をかけた。

「待たせたわね……乗りなさい……」

 夕呼に言われるままに、のろのろと助手席へと乗り込む武。

 早速走り出した車の中で、夕呼は武に幾つかの説明をした。
 これから、純夏の家に寄り入院で必要な品々を用意すること。
 病院では師岡教諭が純夏に付き添っていること。
 そして…………純夏が一命を取り留めたこと。

(よかった……純夏ぁ……よかった……)

 武は涙を流して、純夏の無事に感謝した……。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 夜の闇に沈む、灯りの途絶えた純夏の家。
 武のあまりの憔悴振りに、夕呼は玄関先に武を残し、純夏の部屋へと上がっていった。
 しかし、しばらくすると夕呼に武は呼びつけられ、結局、純夏の部屋に行く事になった。
 そこで武が目にしたのは、部屋中に散乱した、何十冊もの純夏自筆の日記帳だった。
 そして、次々と日記帳を拾い上げ、内容を読み進めるに従い、武は、純夏が自分へと向けていた想いの大きさを―――思い知った。

 日記に記されている膨大な記述の殆どは、純夏と武が2人ですごした想い出と、純夏の武への想いで綴られていた。
 武の名前が記されていないページなど、皆無に等しい何十冊もの日記。

 そして、純夏が自分の中から流出して失われていく記憶―――武との想い出を、日記を読み返す事で必死になって取り返していたことも、武は知った。

 武に親しい人々からの、武に関する記憶の流出。
 そして、それと引き換えに流入する『向こうの世界』の重い因果。
 それこそが、武を憔悴させ、自らの存在を消し去ろうと決意させるに至った原因だった。
 武との接触を繰り返した知人は、武の記憶を失っていき、それと引き換えに流入する重い因果は、最悪の場合、その人物に死をもたらす。

 現に、『向こうの世界』で死亡してしまっていたまりもは、死亡した。
 『向こうの世界』のまりもの死に傷付き、『こっちの世界』へ逃げ戻った武の消沈した様子を案じ、まりもは武を熱心に慰め、励ました。
 そして、夕食を共にして別れたその夜、武と食事をしていたことに嫉妬したストーカーの凶行によって、『こっちの世界』のまりもも死亡してしまった。

 そして今朝方、武に関する記憶の全てを失った純夏もまた、重傷を負った。
 午後の体育の授業中に、天井から落下してきたバスケット用のゴールの下敷きとなり、病院へと搬送された。

 武は、因果律量子論という並行世界を扱う独自理論を提唱している夕呼から、まりもの死後に1つの仮説を知らされていた。
 BETAとの泥沼の戦争の最中にあり、世界人口が10億人にまで減ってしまった世界の重い因果を、自分がこの平和な世界に運び込んでしまっているという仮説を。
 自身が大切に想っている人々から忘れ去られる絶望に加え、大切な恩師と幼馴染に取り返しの付かない被害をもたらしてしまった。
 この状況に武は深く絶望し、夕呼に己が存在を消してもらうことで被害の拡大を終わらせる事にしか、最早救いを見出すことができずにいたのだった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 病院に着いても、武は自分が更に被害を広げる事を恐れ、車から降りる事すらしなかった。
 夕呼は武を車に残し、純夏の荷物を師岡教諭に渡しに行った。
 そして、戻った夕呼の運転で、車は再び宵闇の中を走り出す。

「先生……ひとつ聞いて良いですか。
 ……オレだけを選んで消すことなんて……できるんですか……?」

 武は、自分が消えた後に、元々『この世界』に存在していた『白銀武』がちゃんと残るのか、夕呼に尋ねた。
 病床にいる純夏の支えとして、『この世界の白銀武』が存在し得るのか、それだけは、どうしても確認しておきたかった。

 ところが、武の疑問を耳にした夕呼は何故か即答を避け、『ちょっとその辺の話』と称して、因果律量子論の仮説について話し始めた。

 そこで語られたのは、因果の『重さ』は創造や誕生に関する事象よりも、破壊や死に関する事象の方が重いということ。
 『因果導体』となった武を通じて発生する、『こっちの世界』の『軽い』因果である武に関する記憶の流出を引き金として、流出した因果を補うために、『向こうの世界』の『重い』因果である死や破壊が流入するのではないかという仮説。
 『因果導体』である武を通した記憶の流出量は、愛情や母性本能といった類の、武への想いの強さに比例して増減するのではないかということ。
 もし、そうであるのならば、その手の感情に反応して記憶の流出が発生する理由、それこそが、武が『因果導体』になってしまった原因を解明する鍵なのだと説明した。

 夕呼の話を大人しく聞いていた武だったが、正直そんなことはどうでもよかった。
 いまは、一刻も早く自己の存在を消して、親しい人たちの安全を確保したかった。

「先生……いつになったらオレの分離の話になるんですか?」

 つい、夕呼を急かすようなことを言ってしまった武だったが、夕呼は軽く流して話を続ける。

 『因果導体』としての武自身か、武を『因果導体』にした原因のいずれかが持つ特殊な力によって、『向こうの世界』で武が時間ループに陥っていること。
 そして、その特殊な力をうまく利用できれば、既に確定した事象を、自分の思い通りに修正できる可能性があること。
 そして、『向こうの世界』からの『重い』因果の流入を防ぐために、『因果導体』である『白銀武』を消す方法……それが…………
 武を『向こうの世界』に送り返すという方法なのだと夕呼は語った……

「先生……どういう意味ですかそれ?! オレは……『向こうの世界』に戻れるんですか?」

 『向こうの世界』の夕呼から聞かされた、『向こうの世界』に戻ることのできる24時間の猶予期間はとっくの昔に過ぎ去っていた。
 それを知っていた武は、夕呼の予想外の発言に驚愕せざるをえなかった。

 だが、夕呼の話には、更に続きがあった―――

「何があんたを『因果導体』にしてしまったのか。
 その原因を探り当ててうまく利用するか、取り除くことで、全ての確定した事象……つまり結果を変えるのよ。
 本来なら分岐しなければならない確率時空を白銀がループしてしまっている原因……それを除去すれば……。
 あんたのループによって世界にもたらされた影響や結果は全て、もたらされなかったことになる。
 ただ……原因を排除するまでは……あんたは『向こうの世界』に止まり続けなければならない。
 そんな精神状態で……人類の生存をかけて戦うのはさぞ辛いでしょうけどね。」

 武に同情するかのような言葉を口にした夕呼。
 しかし、武にとってその言葉は福音にも等しい言葉だった。
 何故ならその言葉は、自らの過ちを償えるかもしれないという、希望を武にもたらしたのだから。

「……もう一度言うわ。
 あんたが『向こうの世界』に帰って、原因を解消しない限り、あんたが関わった事象の結果は変わらない。
 もし『因果導体』で無くなれば……あんたは閉じた確率時空から解放され、あんたが関わった事象の原因が消滅する。
 それによって……あんたがこの世界にもたらした事象も消滅するのよ。」

 だから、武はなけなしの意志を振り絞って、覚悟を口にした。

「…………どんなにループを繰り返そうと……どれだけ時間がかかろうと……必ず……必ずやります!」

「ところが、そんな悠長に構えていられないかもしれないのよ……」

 しかし、夕呼の紡ぐ言葉は、やっとの思いで立ち上がった武の心に、更なる重圧をもたらすのだった。

 『こっちの世界』に於ける武の存在は、今尚『こっちの世界』の『世界の記憶』に『向こうの世界』のものを含む武の全ての因果情報を書き込んでいるのだと。
 その為、武が『向こうの世界』に戻っても、最終的には『世界の記憶』自体が、『向こうの世界』から武の因果情報を受け取り、それを『こっちの世界』に残る『こっちの世界の白銀武』へと収斂させてしまうという。
 そうなれば、『こっちの世界』は『向こうの世界』の因果に支配され、『向こうの世界』でBETAとの戦闘で死亡してしまっている50億人が、『こっちの世界』でも死亡してしまうのだと夕呼は語った。

 武は自分の責任の重さに……いや、重さ故に……覚悟を新たにした。

(オレの責任は重い……。
 これでもう滅多なことじゃ死ねなくなった……。
 絶対に生き残らなければならなくなった……。)

 しかし、BETAとの戦争のさなか、死の顎(あぎと)を逃れることは至難の業である。
 故に、武は夕呼に訊かずにはいられなかった。

「……先生、もし仮に……オレが『向こう側の世界』で戦死したら……どうなりますか?」

「どうにもならないわ。
 あたしの推測では……あんたは死ねない。」

 夕呼の言葉は、武の想像を遥かに超えたものだった。

 夕呼によると、『向こうの世界』での時間ループの終点は、『向こうの世界』で武が死亡した、正にその時点となり、死亡する度に時間ループの起点である2001年10月22日に戻っていると考えられるとのことだった。
 しかも、武自身は覚えていなくとも、既に何度も死亡して、その度に同じ世界で目覚め、同じ時間を繰り返し体験しているのだと。

「本来、あんたが死んだ場合と死なない場合……それ以外にも無限に分岐していくはずの世界が、あんたを基点に閉じてしまっているのよ。
 あんたは自分でその原因を取り除かない限り、絶対に解放されることがない確率時空の牢獄に囚われ続けるのよ。
 それを自分で成さない限り……絶対に許されない存在になってしまったのよ。」

「…………許されない……?」

武は心中で、自分を『因果導体』にしてしまった存在に怒り狂った。

そして、新たに誓いを、覚悟を口にする。

「先生……オレは絶対にそのループを解消して見せますよ。もう絶対に逃げませんッ!!」

「…………世界を……頼んだわよ。」

 白銀の決意が固まったところで、『向こうの世界』に戻るための具体的な方法へと話は移っていった。

 話が進むにつれ、武は『向こうの世界』の夕呼に対して畏敬とも恐れともつかない想いを抱いていった。

 そもそも、『向こうの世界』に囚われていた武が『こっちの世界』に戻ってきたこと自体、『向こうの世界』の夕呼の力によるものだった。
 『向こうの世界』の夕呼は、人類をBETAの脅威から救うための、国連直轄の極秘計画『オルタネイティヴ4』の統括責任者だった。
 表向きの身分は国連軍横浜基地の副司令官で、密かにBETAに対抗する人類の切り札『00ユニット』の開発を行っていた。
 そして『00ユニット』完成に必要な理論を『こっちの世界』の自分が完成させていることを、夕呼は偶然武から知る事ができた。
 そこでその理論の回収をするために、夕呼は武を『こっちの世界』に送り込んだのだった。

 武は過去に2回、『こっちの世界』へ転移してきて、『こっちの世界』の夕呼と接触していた。
 1度目は、理論回収の依頼で、その際『向こうの世界』の夕呼からの書簡を、こちらの夕呼に手渡していた。
 2度目は、依頼に応じた『こっちの世界』の夕呼から理論を受け取る為、いずれも短期間『こっちの世界』に留まり、『向うの世界』に帰還した。
 3度目となる今回は、そのときに使用した装置で、帰る段取りをつけずに逃げ帰って来ていたため、武はもう二度と戻れないと思っていたのだった。

 ところが、『向こうの世界』の夕呼は、『こちらの世界』の夕呼に理論の提供を依頼した際の書簡に細工をした。
 その書簡には、実に多種多様な、発生しうる問題が列挙され、それらに対応するための方法が何通りも書き連ねてあったというのだ。
 今回、『向こうの世界』に武を送り届けるための方法も、そこに記載されていた。
 他にも、『こちらの世界』の夕呼が記憶の流出を免れる方法として、武関連の記憶を全て活字化、武との会話も全て録音、武と別れた後は毎回それらで記憶の補填を行えと、ご丁寧な指示まで書かれていたという。

 反面、武が『因果導体』となっていることや、因果のやり取りが発生してしまう危険性を、『こっちの世界』の夕呼に予見されないように、必要最小限の欺瞞情報も巧妙に混ぜられていた。
 自分の提唱していた因果率量子論が実証された事で有頂天になるという、「こっちの世界」の夕呼の心理さえ計算されており、さすがの夕呼も事前に欺瞞を暴くことはできなかった。

 つまり、この期に及んで尚、武の行動は『向こうの世界』の夕呼の想定内に収まっているのである。

 そして、純夏が日記を使って、偶然にも夕呼と似た様な方法で、記憶の補填を行っていたことに話が及んだ後…………



 ―――運命の輪は、

 狂気の道へと、

 その転がる先を定めた―――



「―――鑑はどこかにいるはずよ。」

「え?」

 宵闇の中を疾走する車、その運転席で、夕呼は唐突にその言葉を放った。

「『向こうの世界』のどこかに、鑑がいるはずだって言ったのよ。」

「そ……そんな…………ばかなッ!!」

「…………」

「だ、だって、向こうの先生が、純夏は存在しないって!」

「白銀ぇ。あんた、この期に及んで、まだ『向こうのあたし』を信用してるの?」

「え?……や…………だって…………オレだってあちこち聞きまくって、それでも何の手掛かりもなかったんですよ?
 あれだけみんなが揃っているのに、純夏がいるんなら、影も形も無いなんて、かえっておかしくないですか?」

 夕呼の突飛な発言に呆然としていた武だが、話が純夏の事だけに、頭の回転が回復するまでも早かった。
 が、夕呼はそんな武を歯牙にもかけず、止めとばかりに衝撃的な言葉を口にした。

「……こっちの鑑の容態だけどね。四肢は全て手術で切除、内臓にも機能障害が多数発生していて人工臓器を接続。
 脳波にも異常が見られていて、意識の回復は絶望的だそうよ。」

「な!…………………………」

 武は体中の力が、悪寒と引き換えに失われていくのを感じた。
 目は確かに開いていて、夕呼の顔も見えているのに、それにもかかわらず、視界が闇に閉ざされたようにしか認識できなかった。

「白銀ッ!! あんた、世界を救うんでしょっ!!
 あんたがこの世界にばら撒いた因果を、もたらした事象を消滅させるんでしょッ!
 ……だったら、しゃきっとしなさい!!」

「―――は、はいッ!」

 そのまま意識を闇へと委ねそうになった武を、夕呼の怒声が殴りつけた。

「あんたは、あんたが背負うと決めた責任の重みから、目を逸らす事は許されないのよ。
 あんたが諦めたら、この世界も救われないんだって事を、肝に銘じておくのね。」

「わ、わかりましたッ!」

「……たく……そんな簡単に挫けられちゃ、堪らないってのよ。
 ……まあ、いいわ。
 落ち着いて、話しを聞けるわね?」

「…………はい!」

「いい?『向こうの世界』でも『こっちの世界』でも、まりもの死亡状況は酷似してたわよね?」

(ぐッ!…………ま、まりも……ちゃん………………)

 BETAに頭部を齧り取られたまりもの死に様をフラッシュバックさせてしまい、感情を爆発させそうになった武だったが、なんとか意志の力でねじ伏せて夕呼に応じる。

「…………はい。どちらのまりもちゃんも、頭部に酷い損傷を受けました。」

「つまり、流入した因果は『死亡した』って因果だけじゃなくて、どの様に『損壊』したかって因果も含んでたって事よ。
 これが、窒息とか、打撲とか、百歩譲って焼死とかなら、まだ偶然って可能性もあるわ。
 けど、まりもの場合はそんなんじゃない。
 確実に『損壊』の因果情報が流入したのよ。」

「…………」

「白銀。あんたに聞かれて、『向こうの世界』に鑑がいないなら流入する因果も無いはずだから、鑑は安全だと考えられるって言ったわよね。」

「……はい…………でも、純夏はあんなことに…………」

「そう、あたしの仮説に反して、鑑はあんたの記憶も失い、大怪我をした…………
 だからこそ!……鑑は『向こうの世界』にも必ずいるのよッ!!
 ……『向こうの世界』に鑑がいるからこそ、あんたの記憶は流出し、因果が流入してきて鑑は大怪我をしたんだわ。
 単に存在しないとか、死んでいたなんて場合なら、あんな状態にはならない。
 そして、それこそが恐らく……あんたが『向こうの世界』で鑑を見付けられなかった理由よ。」

「……純夏を…………見付けられなかった……理由……?」

「…………恐らく、『向こうの世界』の鑑は健康体……五体満足じゃ……ないわ。」

「え………………ッ!!」

 その瞬間、武の脳裏には、オルタネイティヴ4の中枢に関わる少女―――霞と、その霞が抱きついている青白く光るシリンダー、そしてその中に浮かぶ脳髄の映像がフラッシュバックした。
 そして、同時に思い出す、その時の霞の叫び声……

『―――タケルちゃんにはわからない!』

(……そんな…………まさか……そんなことがッ!)

「少なくとも、四肢は自由にならず寝たきりがいいとこ。下手したら、五感も全て失っている可能性が高いわ。
 実際に面と向かって出会っていても、あんたが気付けない可能性もあるわね。」

「せ……先生…………」

「なに? 何か心当たりでも思い出した?」

「あ、青白いシリンダーに、脳みそが浮かんでるんです……そ、それで……社霞って女の子がいつも一緒にいるんですけど……
 その…………リーディングとプロジェクションって能力を持ってるらしくて…………」

「リーディング? 超能力者ってこと?…………白銀、その脳みそと社って娘のこと、詳しく話しなさい。」

「詳しくってほど知らないんですよ。霞と脳みそがセットで向こうの先生の計画の重要な存在だって事とか……
 霞が、先生の第4計画の前に行われた第3計画で生み出されたこととか…………
 あ! そう言えば、一回だけ霞がオレのことを『タケルちゃん』って呼んだ事がありました。
 いつもは『白銀さん』って呼んでるのに。
 しかもその時霞のヤツ、脳みその入ってるシリンダーにしがみついて叫んだんです、『―――タケルちゃんにはわからない!』って。」

「なるほど……そういう事なら、納得がいくわ。
 白銀、向うのあたしは、鑑の消息について何て言ってた?」

「えっと、純夏の外見などの特徴に該当する人物は存在しない。
 戸籍上も存在しない。
 ……あとは、女々しい奴って思われるから、あまり人に聞いてまわるな……だったとおもいます。」

「そりゃあ、該当しないでしょうね。
 戸籍だって、とっくに抹消済みってことか……徹底してるわね。
 白銀、まず間違いなく、その脳みそが……鑑よ。」

(―――ッ!!…………や、やっぱりそうなるのか…………くっ……純夏ッ!)

「脳幹と脊髄だけの状態で生命を維持しているのなら、こっちの世界の鑑の現状と十分近似と言えるわ。
 おそらく、その社って娘が超能力で脳だけになった鑑とコミュニケーションをとろうとしてるんでしょうね。
 脳幹だけで生命を維持できるなんて信じ難いけど、そうでなかったら、超能力者を張付けとく必要が無いからね。」

「…………先生……純夏を…………純夏を何とかしてやれないんですか?」

「……あんたの持っていった数式、向うのあたしは、何に使うって言ってた?」

「え?……えっと、00ユニットを開発するために必要だって…………」

「00ユニット?……なにそれ?」

「いや、教えてもらえなかったんですけど、それが完成すればBETAに勝利できるって……」

「肝心なとこ、聞いてないのね。ま、いいわ。
 そういう事なら、望みはあるわ。
 あの数式はね、人間の思考をキャプチャーして、人間の思考―――ひいては人格を数値化して機械上でエミュレーションさせるための理論なのよ。
 その00ユニットってのを作るのにあの数式が必要だっていうなら、その00ユニットには誰かの思考なり人格なりが搭載されるって事になるわ。
 でもって、そこに、超能力者を使ってまでコミュニケーションをとろうっていう、生きてる脳みそが絡んでいるとなれば、00ユニットに搭載されるのはその脳みその思考と見て間違いないわ。
 もしそうだとするなら、鑑の全人格が数値化され00ユニットってのに搭載される可能性もある。
 あとは、どれだけの入出力が実装されるかだけど、人間性を維持しようとするなら、最低限の入出力は確保するはず。
 そうなれば、鑑と意思疎通が取れる可能性は決して少なくは無いわね。」

(意思疎通?……!! 純夏と話せるのか?!)

「先生! それ、本当ですか!?」

「あくまで予想よ。推論に推論を重ねて、可能性を論じているに過ぎないわ。
 ただ、そうだとすれば、色々と納得がいくのよ。」

「納得が……いく?」

「さっき言ったあんたを『向こうの世界』に送り返すための、向うのあたしが書いてよこした方法だけどね……
 こっちのあたしができるのは、『向こうの世界』から『こっちの世界』のすぐ側まで引き延ばされて来ている時空間に、あんたを接続することぐらいが精々なのよ。
 転移に必要な干渉の殆どは、向うのあたしが担当するって事になるわ。」

「え?……それじゃあ、向うの夕呼先生がオレを引き戻そうとしてくれなかったら、戻れないってことじゃないですか!?」

「そうね。けど、まずそれはないわ。」

「な……なぜ、そう言い切れるんですか?」

「向うのあたしが…………『こっちの世界』の…………『鑑純夏』の記憶を欲していると推測できるからよ。」

「え?…………」

「向うのあたしが脳みそだけになった鑑の人格を、00ユニットってのに搭載したと仮定するわね。
 でも、恐らく搭載直後の鑑の精神は正常に働いていないと考えられるわ。」

「なっ…………」

「脳だけってことは、長期にわたって、五感を含めたありとあらゆる情報から遮断されているのよ?
 人間が五感を遮断された状態で、長時間精神を保ち続けることは難しい。
 鑑の精神は崩壊寸前……いえ、崩壊していない方がおかしいと思われるわ。」

「そ、そんな…………」

「けど、どう使う気かは知らないけど、00ユニットでBETAってのの侵略を跳ね除けて、人類を救うって話なんでしょ?
 だったら、搭載されている人格が破綻したままで良いわけが無いわ。
 正常な状態に精神を復元する必要がある。
 けれど……もし原形も留めないほど向うの鑑の精神が破綻してしまっていたとしたら……修復なんて殆ど不可能でしょうね。」

(…………純夏……おまえ、そんな目にあってたのか…………くっ、オレは……気付いてすらやれなかった!!)

「でも、もしも何らかの形で、人格のバックアップが存在すれば、それを上書きしてやればいい。
 ま、そんな都合のいいものなんて、普通あるわけないんだけど、今回は効果が十分期待できるだけの、入手可能な代用品が存在した。」

「代用品?…………!!……まさか……」

「こっちの鑑の記憶よ。
 もちろん人格丸ごと復元って訳には行かないでしょうけど、崩壊寸前の精神を補強して回復の取っ掛かりにするくらいの効果なら、十分に見込めるわ。」

「じゃ、じゃあ……今回、オレをあっさりと『こっちの世界』に送り返してくれたのは……』

「向うのあたしにとっては、渡りに船だったんでしょうね。
 そして、『こっちの世界』から流出した鑑の記憶を回収するには、『因果導体』であるあんたの存在が不可欠。
 だからこそ、向うのあたしは必ずあんたの回収を実行するわ。」

(くそッ!!……オレは、向うの夕呼先生の掌で、踊らされてたってのか!!
 …………くそっ! くそっ! くっそぉおっ!!
 ……………………だめだ!……熱くなるな!……冷静に考えるんだ……
 ……純夏の事を想うと、正直暴れだしたくなる……
 だけど、オレが背負っている責任は、オレの感情だけで投げ打っていいほど軽いもんじゃないんだ……
 『向こうの世界』でオレが『因果導体』になった原因を究明するには、夕呼先生の力は絶対に必要だ……
 今までのように……全てを夕呼先生に託すのは止めて、オレも強かに先生を利用しなきゃならないんだ……
 それには、今までみたいに、自分の感情に振り回されてちゃダメなんだッ!)

「……先生……オレは…………絶対に……絶対に原因を潰して見せますよ!
 ……そして……そして……純夏のことも…………必ず!!」

「……たのもしいわね。
 自分の感情を、うまく押さえ込めたようだし、これからも、その調子で頑張りなさい…………
 あんたが相手にするのは、『あたし』なんだから。」

「はい!……ついでに……向うの夕呼先生にも吠え面かかせてやりますよ。」

「是非お願いするわ……思いっきりやってちょうだい。」

「任せてください。」

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 そして、2人を乗せた車は、深夜の白陵大学原子力関連研究施設へと到着した。

 夕呼に促されるまま施設へと侵入し、途中遭遇した警備員を気絶させ、武は夕呼を伴って、遂に施設の中枢である制御室に潜入するに至った。
 夕呼の指示に従い、車から担いできた荷物の中身を設置、続けて原子炉からの電力供給の準備を行う武。
 準備がほぼ終わった頃、夕呼が作業の手を休めて、武に話しかけた。

「向うに戻ったあんたは、目的を達成するために、他人の死を容認しなければならない場面も、嫌と言うほどあるはずよ……
 あんたはその度に、使命と倫理との狭間でもがき苦しむ事になると思う。
 あんたは…………それに本当に耐えられるのかしら。
 その時あんたは……世界を救うための選択を冷酷に選び続けることができるのかしら。」

 淡々と語る夕呼。
 しかし、その言葉の奥には、熾烈を極める戦いの待つ世界へと旅立つ教え子に、教師として精一杯の言葉を贈ろうという想いが、確かにあった。

「できることならあたしが代わりたい。
 自分のこの手で……まりもを取り戻したい……!
 それでも……白銀が関わった全ての世界を救うことは……『因果導体』であるあんたにしかできない事なのよ!
 そういう覚悟のないあんたを……『向こうの世界』に戻す意味はない。
 そういう自覚がないなら……『向こうの世界』に戻る資格はないのよ。
 …………それでも……行くのね?」

「―――はい、オレは戻ります。
 そして、オレが『因果導体』になった原因を必ず突き止めて、それを排除します!
 オレが関わってしまった事でおかしくなった全ての世界を……必ず救って見せます!!
 ……そして、純夏も!!」

「…………頼んだわよ。
 転移は意志を強くもつことが成功の鍵……わかっているわね?
 その強い覚悟が……鑑やまりも……みんなへの想いが……白銀を『向うの世界』に導いてくれるわ。」

「……先生……ありがとうございます。」

 その瞬間、外の通路に駆け寄ってくる足音と声高なやり取りが響いた。

 夕呼は舌打ちをしつつ手早く接続と調整を終え、武を装置の効果範囲に座らせる。

 今にも雪崩れ込んで来そうな警備員達の気配に、武は後に残される夕呼の心配をせずにはいられない。
 しかし、夕呼が支払う犠牲に想いを馳せ、心が揺らぎそうになる武を、逆に夕呼は叱咤した。
 そして、別れの時がやってくる……

「……さよなら白銀武……世界を頼んだわよ!」

「夕呼先生―――ありがとうございました!」

「鑑のこと……好きなのよね!?」

「―――す、好きですっ!」

「―――声が小さい! あんたの想いはそんなものなの!?」

「―――オレは純夏が好きです!!!」

「―――もっと!」

「―――好きですっ!!!」

「―――例え、どんな姿でも!?」

「―――脳みそだって―――オレは純夏を―――愛していますっ!!」

 叫ぶ武の身体を白い輝きが包んでいく……

「―――パラポジトロニウム光よ!―――いけるわッ!」

「先生―――」

「―――鑑を、大事にしてやんなさい。
 『奇跡』に、あんたが応えてやるのよ……」

(―――え?)

「―――しっかりやんなさいよっ! 白銀武!」

「先生ッ―――」

そして、時空が歪んだ―――




[3277] 第2話 暴かれる真実
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/05/31 17:13

第2話 暴かれる真実

2001年12月17日(月)

「あら? 珍しい生き物がいるわね……」

 国連軍の軍服の上に白衣を羽織った夕呼は、部屋へ入るなり冷ややかな言葉を、武に投げつけた。

「……先生。」

 転移の際の目眩から回復し、室内の転移装置を確認していた武は、声に振り返って夕呼の姿を認め、帰還に成功したことを確信した。

(醜態晒して逃げ帰った身だからな……夕呼先生の計算通りだったとしても、やっぱ話しづらいな……
 でも……こんな事で、揺らいでる訳にはいかない……よしっ!)

「……おひさしぶり……なんですかね? 今日は何日です?」

「…………12月17日よ。」

「へえ、向うの世界に逃がしてもらったのが、12月10日でしたから、丁度1週間ですね。」

「…………」

「あれ? まさか、ここはオレが逃げ出した世界とは別の確率時空だなんていわないですよね……?
 それとも、オレの記憶はすっかり消えちゃって憶えてないとか?」

「……あんたが逃げ出した世界で間違いないわよ……多分ね。
 あんたの事も、ちゃんと憶えているわ。」

「よかった。これで別の世界だなんて言われたら、途方に暮れちゃうところでしたよ。」

 表情を消して、武の様子を窺っていた夕呼だったが、徐々に、苛立ったような、訝しんでいるかのような、そんな表情が微かに浮かび始めていた。

「……で? なんだって、逃げ出した筈のあんたが、ここにいるのかしら?」

「……実は勝手で申し訳ないんですけど、こっちでどうしてもやり遂げたい事ができちゃいましてね。
 申し訳ないんですけど、また、こっちに居場所を用意してもらえませんか?」

「…………あんたは、もう用済みだって、言ったでしょ。
 なのに、なんで今更、あたしがそんな事してやんなきゃなんないわけ?」

「それを言われると、反論できないんですけど……オレ、本当にもう用済みなんですか?」

「数式も手に入った今、あんたに利用価値なんて残ってるわけ?」

「うわ、容赦ありませんね、先生。
 でも、オレとしてもここで引き下がる訳にはいかないんですよ。
 何とか、置いて貰えませんか?」

「置いてやる位、大した事じゃないけど……じゃあ、あんたはあたしに何を与えてくれるの?
 前にも話したでしょ、利害の一致が重要よ?」

「そうですね…………『保険』……なんてどうです?」

「『保険』?」

「そうですよ。先生のオルタネイティヴ4が、上手くいかなかった時の『保険』ですよ。」

「ばっかねえ、数式も手に入った今、オルタネイティヴ4完遂へのシナリオは既に殆ど完成してるわ。
 今更、『保険』なんて必要ないわよ。」

「そうですか?
 まあ、夕呼先生がそこまで自信たっぷりに言うんなら、オルタネイティヴ4完遂は間違いないのかもしれませんね。
 けど、BETA殲滅の方はどうです?
 不測の事態なんて、これからも山ほど出てくるんじゃないですか?」

「…………だとしても、あんたの存在が、何の『保険』になるってのよ。」

「『この世界』の夕呼先生にとっては、何の役にも立たないかもしれませんけどね。」

「……今回の記憶を持って、次のループのあたしに伝えるって言いたいわけ?」

「その通りです。
 それに、この世界はオレを基点に閉じてしまってるんでしょ?
 どうせオレが死んだらやり直しに…………って、あれ?」

(ちょっとまてよ?……本当に……本当にそうなのか?
 オレが『因果導体』になって、この世界でループしてるのは間違いないとして、でも……
 オレが死んだら世界が消えてやり直し?……本当にそんなことがありえるのか?)

「誰よ、あんたにそんなこと吹き込んだの…………って、ああ、向うのあたしか。
 ったく……中途半端な話、してくれたもんね……嫌がらせのつもり?」

 武の言葉に一瞬きょとんとした顔をした後、夕呼は顔をしかめて吐き捨てるようにつぶやいた。
 が、武はその言葉を聞き流し、自分の思索に没頭し続けた。

(オレが死ぬ度に、世界がそこで途切れて巻き戻るってのか?
 オレって、一体、何様だよ……
 しかも、もう何回も死んでループしてるって事は、その世界で一生懸命に戦った人達の努力は、全部水の泡ってことか!?
 くそ! そんなの、許せるかよ!!)

「…………どうしたのよ……」

 急に黙り込んだ武に、夕呼が訝しげに声を掛ける。
 そんな夕呼に、武はぼんやりと視線を向けるが、意識は今だ思索の淵に沈んでいた。

(そんなんだったら、オレはBETAの殲滅を目の当たりにするまで、死ぬわけにはいかないじゃないか!
 戦場でオレがうっかり死んじまうだけで、それまでの努力が全部パーか?
 いや、もし、全てが上手くいってBETAが殲滅できたとしても、オレが『因果導体』のまま年取って死んじまったら……)

「……夕呼…………先生……」

「なによ? 急にしょげちゃって……さっきまでのふてぶてしい余裕はどうしたのよ。」

「……オレを……オレを基点に……この世界が閉じてしまってるって…………間違いないんですか?」

「…………何が、知りたいの?」

「オレが死ぬと、10月22日の時点に巻き戻って、やり直しになるって…………本当にそうなってるんですか?」

「そうね。……あくまで仮説に過ぎないけど、あんたが前回のループを覚えている事とかからも、それはまず間違いないわね。」

「じゃ……じゃあ……オレが死んだら、この世界は……消え「別にどうもしやしないわよ。」……え?」

「あんたが死んだくらいで、世界がどうこうなるわけないでしょ。
 あんた、向うのあたしに騙されたのよ…………まあ、あの話もまるっきり嘘ってわけでもないけどね。」

「……せ、先生?…………うそって……なんで……なんでそう、言い切れるんですか!」

「さっき、車運転しながら、あんたに話してやった時の記憶を、行き成り思い出しちゃったのよねぇ。
 にしても、ランチア・ストラトスなんて、向うのあたしったら、いい車乗ってんじゃない。」

「……思い出した?……!! 向うの先生から流出した記憶ですか!?」

「そ。あんたと話してたら急に思い出しちゃった。
 にしても、向うのあたしってば、随分とあんたに優しいのねぇ。
 まあ、まりもの忘れ形見じゃ、親身にもなるか……」

「どういうことなんですか?……あ、いや、今のなしで……先生、すいませんけど、少し、考える時間をください……」

 質問を取り消した武の態度に、軽い驚きの表情になる夕呼。
 しかし、すぐに冷やかすような笑みを浮かべると、からかうような言葉を投げつけた。

「あたしも閑な身じゃないんだけどねぇ……ま、いいわ。
 人に訊くだけじゃなく、自分で考えようって姿勢は評価できるわ。
 あんたのおつむじゃ、たかが知れてるけどねぇ~。」

(考えろッ!……先生に頼りっぱなしじゃ、また良いように踊らされる!!
 先生の言う事を無条件に信じることはもうできない……けど、『因果導体』絡みの理論の検証は先生に頼るしかない……
 先生は必要なら平気で人を騙すとしても、不要な嘘はつかないと思う……
 だから、無条件で信じないように気を付けながら、それでも、先生の説明を受け入れて考えるしかない……)

 武は、動揺を抑えきれない自分の感情と、普段の数倍にも相当する高密度の思考にくらくらと目眩を感じつつも、夕呼を穿つように視線を投げかけて言葉を発した。

「少し、確認させてください。
 オレが、この世界で死ぬと、2001年の10月22日に巻き戻って、もう一度この時間をやり直すのは間違いないんですね?」

「あんたの主観で語る限り、その通りよ?」

「オレの主観?……続けます。
 しかし、オレが死んでもその確率時空はそのまま存在を続ける……」

「あったりまえでしょ~?
 あんたに合わせて世界が消えたりなんかしないわよぉ。」

「……だとしたら…………オレが干渉してしまった、『向うの世界』も、オレが『因果導体』でなくなっても、そのまま存在し続けるんじゃないんですか?」

 夕呼の表情が、冷徹な科学者としてのそれに切り替わった。
 そして、淡々と言葉を紡ぐ。

「そうよ……あんたが何をどうしようと、一度発生して安定してしまった確率時空は消滅したり、逆行したりすることはないわ。
 更なる干渉によって、新たに確率分岐させるのが精一杯ね。
 ……でもね、白銀。向うのあたしの名誉の為に言っとくけど、ある意味あの説明でも間違いとは言えないのよ……
 あんたの主観でのみ、発生する事象を捉えるのならば、あの説明でも通用するのよ。」

「……オレの主観?」

「あんたにとっては、自分が死んだ後の世界なんて、存在しないも同然でしょ?
 そして、『因果導体』から解放されて『元の世界』に戻った後は、そこから新たに発生する確率時空しかあなたが認識することはない。
 だから、あなたの主観で認識できる範囲においては、世界が消え、修復されると考えても、決して間違いではないのよ……」

「…………でも、そんなのただの気休めじゃないですかッ!!」

 堪え切れずに言葉を荒げる武に、夕呼は僅かに優しげな口調になって話を続けた。

「そう、ただの気休めよ……でもね白銀……その気休めであんたは希望を持てたんじゃないの?
 この、あんたにとって地獄のような世界に戻って、それでも意志を強く持って、歯を食いしばって生き抜く決意が出来たんじゃないの?
 向うのあたしは、あんたに『この世界』で生き抜く為の『目的』を……せめてそれだけでも、あんたに用意してやろうと思ったのよ……
 向うのあたしにできる、精一杯の餞別だったってわけ。」

「…………そうだったのか…………先生っ!」

 武は、溢れてくる熱い涙を、必死に堪えた。

「…………ま、そんな想いも、あんたが『保険』だなんて変なこと言い出したせいで、水の泡ってわけよ。
 向うのあたしも、報われないわよねぇ。
 白銀ぇ、あたしがあんたを必要としているからこそ、こっちの世界に引き戻したんだって、向うのあたしが教えてやったじゃないの。
 おまけに、00ユニットと鑑の事まで…………ったく、教えすぎなのよね~、あたしだけあって、的確にこっちの事情を読み取ってるわ。」

「…………」

「残念だったわねぇ、白銀。
 世界を救えなくなっちゃったけど、どうするぅ?
 絶望して、自殺でもしちゃう? 拳銃、貸そうか?」

 からかうように、挑発するように、武に言葉を投げる夕呼だったが、その眼差しは、科学者として被検体を冷徹に観測する時のものだった。
 そして、武は……

「冗談でしょ? 今更自殺なんてしません……いえ、できませんよ……
 オレがやっちまったことが、全て取り返しが付かない事だって分かった以上、オレは…………償いをせずに死ぬわけにはいきません!」

「ふぅん……ちょっとはマシな面構えするようになったじゃないの。
 ま、いいわ……合格ってことにしてあげる……こっちの手の内は、向うのあたしにばらされちゃってるし……
 00ユニットが完成したっていっても、相変わらず時間は限られてるしね……」

「!!……00ユニットが?…………じゃあ、やっぱり純夏が……」

「そう……『鑑純夏』を素体として00ユニットは完成してるわ……あんたが出て行った次の日にね。」

(00ユニット…………純夏の心が入ってるはず……一体どんな機械なんだ?……純夏にとって少しでもマシになってるのか?)

「……どうしたのよ、もっと喜ぶかと思ったのに…………ああ、『鑑純夏』の事が気になってるのか……。
 いいわ、実際に見たほうが早いでしょ……じゃあ、ついてらっしゃい。」

 言い置くと、身を翻して部屋を出て行く夕呼。
 武は身を侵す不安を押さえ込みながら、その後を追った。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

「ここよ。この中に00ユニットが存在するわ。」

 夕呼が立ち止まったのは、武にとっても馴染み深い、B19フロアの、脳の入ったシリンダーと霞がいつもいた、あの部屋の入口だった。
 そして、夕呼の脇を抜けて、武が部屋に入る……

 そこには確かに00ユニットがあった……いや、居た……

「……す…………み……か………………?」

 呆然と立ち尽くす武の正面、シリンダーの手前の床に座り込むようにしているのは、表情こそ虚ろなものの、記憶と寸分違わない人間としての純夏の姿だった。
 武の脇を通り抜け、純夏の隣で立ち止まった夕呼は、武の方へと向き直る。

「改めて紹介するわ。
 オルタネイティヴ4の最大の目的にして成果……人類に勝利をもたらす存在―――00ユニットよ!」

(……これが……00ユニット?…………見た目、人間そのものじゃないか……クローンみたいなもんだってのか?)

「喜びなさい、白銀。
 00ユニットには、外見だけじゃなく、人間と寸分違わない擬似器官や生体機能が与えられているわ。
 感覚的には、人間と全く同じ感じ方をするはずよ…………生体反応は0だけどね。」

「人間と同じ! じゃあ、純夏は…………え? 生体反応0?」

「00ユニットっていう名前はね、生体反応ゼロ、生物的根拠ゼロってことから来てるのよ。
 つまり00ユニットは、非炭素系擬似生命……生物ではないわ。」

「生物じゃない?…………先生! 純夏は……脳みその方の純夏は無事なんですよね!」

「死んだわ。」

「死…………ん……だ…………?」

「心臓を動かす……呼吸をする……そういう情報もすべて、ごっそり移植するのよ?
 後に残るのは、全ての情報を……生命維持の方法すら失った脳髄だけ……脳死どころの話じゃ済まないわ。」

「じゃあ……ということは結局……オレと先生が……『この世界』の純夏を………………殺したんですね……」

「ええ、そうよ。
 でも、直接手を下したのはあたし「止めてくださいッ!」……白銀?」

「先生……誰が手を下したかなんて……意味無いですよ…………
 そういう意味では、オレは『向うの世界』で、まりもちゃんと純夏に『直接手を下して』きているんです…………
 そして、恐らくあの世界では『この世界』で死んでいる50億の人間も死んでいく……いや、BETAを何とかしない限り、残りの10億だって……」

「……BETA……ッ!―――敵だっ!!」

 急に発せられた叫び声に、武は愕然とする……その、聞き覚えのある声は……床から勢い良く立ち上がった00ユニット……純夏から発せられていた。

「……殺す……殺す……殺してやる!!―――皆殺しにしてやるぅッ!!! BETAッ―――殺してやるッ……殺す……殺すぅ……」

 純夏は、身体を両手で抱きしめるようにしながら、狂ったように身体全体を使って叫び続けた。

「また始まった……一度こうなると、落ち着くまでが面倒なのよねぇ。」

 いい加減見飽きてしまった芝居を見るように、呆れたような口調で夕呼が吐き捨てた。
 が、目の前で純夏の外見そのままの……いや、武にとっては純夏そのものである存在が示す狂態しか、武の目には入らない。
 慌てて純夏に駆け寄ると、武は両肩を掴んで揺するようにして、必死に呼びかけた。

「おい……しっかりしろよ…………しかりしてくれっ、純夏ッ!!」

「―――ぐあっ!……うぅぅぅぅ…………うぁぁぁぁ…………」

直後、急にうずくまり、頭を抱えて苦しみだす純夏。
そして、そのままくずおれるようにして気を失ってしまった。

「……へえ……これは…………社、どお?」

「いつもの……ハレーションが……途中から、もっと……ぐちゃぐちゃ……に、なりました……」

「……先生……今のは…………」

「BETAって単語に反応して、強い怒りと憎しみを示すのよ。
 00ユニットとして覚醒して以来、毎日のように繰り返してることよ。
 ……でも、最後の頭を抱えて苦しんでいたのは……おそらく、記憶の流入よ。」

「それって、向うの純夏から流出した……」

「そうよ……すばらしいわ。ちょっと対面しただけで、もう効果があるなんて……」

「先生……純夏は……大丈夫なんですか?」

「え?……ああ、精神的負担から保全回路が働いて、一時的に機能停止しただけ……心配はないわ。
 社、すまないけど、00ユニットを休ませてちょうだい。
 白銀、あたしの部屋に行くわよ。」

 武は気付いていなかったが、最初から側に控えていた霞が、倒れた純夏に歩み寄った。

「……はい。……霞……純夏のこと……頼む……」

 霞は、武を一顧だにしなかったが、小さくうなずき、呟くように応えた。

「………………はい……」

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B19フロアの夕呼の執務室。いつものように椅子に座り足を組む夕呼と、その前に立つ武。

「で、どこまで話したんだっけ?」

「どこまでだって、かまいませんよ……それより、オレに何をさせたいのか、はっきり言ってください。
 そして、その為に必要なことを、教えてください…………誰が良いとか悪いとか……そういうの抜きで…………」

「……そうね……その方が早いかもしれないわね。
 あんたにやって欲しいのは、00ユニットのデバッグと調整作業……あたしはもっとエレガントに調律って言ってるけど……」

 武の求めに素直に応じて、夕呼は説明を始めた。

 武に求められるのは、一刻も早い00ユニットの精神的安定と、人間性の回復であること。
 00ユニットがBETAに生命体と認識され得る非炭素系擬似生命であり、リーディング能力を用いた、対BETA用の諜報員であること。
 リーディング能力で得たイメージを言語に変換するには、人間の思考が必要であり、それ故に00ユニットは人間の魂を宿し、宿した精神を正常に保つために、人間の生体機能を再現する必要があること。
 明星作戦で占領された横浜ハイヴの最深部から、BETAの捕虜になっていたと思われる人間達の脳髄が発見されたこと。
 何百とあった脳髄の中で唯一『生きていた』脳髄が、『鑑純夏』のものであったこと。
 BETAの捕虜となって尚、唯一生還した人類である『鑑純夏』を生かし続けるにはBETAの技術が必要であり、それ故に横浜ハイヴのBETA由来の施設が稼動状態のまま維持されていること。
 それらを研究し貴重な情報を得る為に、国連軍横浜基地が建設され、オルタネイティヴ4の拠点となったこと。
 過去にBETAが研究対象として興味を示し、且つ、脳髄のみとされたにもかかわらず生還した『鑑純夏』こそが、より良い『確率分岐する未来』を引き寄せる能力という、00ユニットの素体適正を最も強く所持していると見なされたこと。
 A-01部隊が00ユニット素体候補者を選別する為の部隊であり、今後は『鑑純夏』のスペアであるとともに、00ユニットの軍事面に於ける連携・支援が主任務となること。
 00ユニットの頭脳である量子電導脳に魂を移植した素体は、生命維持に必要な精神活動すら行えなくなり、死亡してしまうこと。

「本当なら、あんたの仕事ぶりを見て、00ユニットを任せられるようだったら、今言った情報を教えてあんたに殺されてやるつもりだったんだけど……
 向うのあたしが暴露しまくってくれたせいで、予定が狂っちゃったわ。」

「止めてくださいって言ったはずです。
 オレは、先生を殺したりしませんよ。」

「あら? あたしの事、憎くないの?」

「正直、はらわた煮えくり返ってますけど…………オレは、先生を利用したいと思ってるので、勝手に死なれちゃ困るんですよ。」

「……つまり、利害一致の上で、お互いがお互いを利用する関係が望みってわけ?」

「そういうことです。」

「あんたが、あたしを利用できるなんて、本気で思ってるの?」

 夕呼は武を横目で見ると、せせら笑うように言い捨てた。
 が、武は苦笑を浮かべてやり過ごす。

「そこは、今後の精進って事で……」

「ふ~ん……いいわ……そういうの嫌いじゃないし、あんたの出した成果に相応な分は、こっちから協力してやってもいいわ。」

「よろしくお願いします。
 で、オレの居場所の件なんですけど……」

「ああ、それ? 前の通りでいいわ。
 あんたはあたしの命令で極秘の任務―――あんたの特性を生かした、最前線での危険で過酷な任務に従事しているって事にしてあるし、部屋もそのまま残してあるから。」

「え? オレがいない間、オレの記憶は消えちゃってたんじゃないんですか?」

「ああ、その事? 大丈夫よ、全部解決済みだから。
 大体、あんたの事忘れちゃったら、回収することもできなくなっちゃうでしょ?」

(…………なんか、違和感あるな……後でもう一度考えてみるか…………)

「で? 他に聞きたい事は無いの?」

「…………すいません、少し自分自身で整理してからでもいいですか?」

「そ……自分で考えてみるのは良い事よ、精々脳みそ振り絞って考えるのね。
 そういうことなら、今日はもう部屋に戻って休みなさい。
 明日からは、A-01に原隊復帰してもらうわ。」

「はい。それじゃ、失礼します」

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B4フロアの自室に戻り、武が時計を確認すると、時間は消灯時間をとっくに過ぎていた。

 武は、ベッドに寝たり、起き上がったりを繰り返しながら、考えをまとめようとしていた。
 しかし、元々真剣に考えることが得意とは言えないため、思いはあれこれと様々な事柄を行ったり来たりしてしまい、なかなか考えがまとまらなかった。

 自室に戻る前に出会った冥夜―――『向うの世界』のクラスメイトであり、『この世界』での訓練部隊での仲間―――との事。
 ……207訓練小隊の皆には、随分と心配をかけてしまったと冥夜から聞かされた。
 00ユニットになってしまった純夏の事。
 ……明日からの調律をどの様に進めるのか。
 BETAの捕虜になり、脳髄だけになってしまうまでに、純夏が味わったであろう苦しみの事。
 ……あの、純夏の狂乱を、如何に宥めたらいいのか。
 『向うの世界』の純夏、仲間たち、夕呼先生、そして向うに残された自分の事。
 ……あの世界をやり直すことは出来ないと知った今、自分は罪を背負って生きなければならない。
 自分を『因果導体』にした原因と、それを消滅させてループを終わらせる事。
 ……鍵は、記憶の流出の切っ掛けとなった感情だと言われた。

(ま、『因果導体』の件は焦っても仕方ないだろう……
 『向うの世界』が救えない以上、BETAを殲滅して、人類を滅亡の淵から救ってからでも遅くはないしな……
 ん? まてよ……オレが死んだら、この世界は続くとしても、オレはまたやり直しになるんだよな……
 ……ってことは…………やべぇ、やべえよ!!……
 ……また『向うの世界』に行って数式回収って話になったら、因果ばら撒いちまうじゃねぇか!
 ………………かといって、数式回収しなきゃ、00ユニットは完成しなくて、オルタネイティヴ5が発動しちまうし……
 …………そっか、オレが数式憶えてればいいんだ!……って、あんなの憶えられるのかよ、オレ!
 ……くそ! 泣き言なんて言ってる場合じゃないな、死んでも憶えるんだ!!
 そうすれば、不幸な世界を増やさずに済むんだから……
 純夏……まりもちゃん……オレは必ずやり遂げてみせる、だから……だから…………ゆる……し……て…………)

 武は灯りも消さないまま、深い眠りへと落ちていった……そして、その頬を、一筋の涙が濡らしていた。




[3277] 第3話 選んだ道
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/05/31 17:14

第3話 選んだ道

2001年12月18日(火)

 武はこの朝、原隊復帰を果たし、夕呼直属の特殊任務部隊A-01連隊第9中隊、通称『伊隅戦乙女中隊(イスミ・ヴァルキリーズ)』のメンバーに紹介された。
 元々、00ユニット候補者を養成するために設立された、国連軍横浜基地衛士訓練校を卒業した衛士は、全員がA-01に配属となる。
 そのため、ヴァルキリーズには武と同じ元207訓練小隊B分隊の冥夜、千鶴、彩峰、壬姫、美琴の5人に加え、同A分隊の2人も含まれていた。
 後から編入となった武は面識の無いはずの、涼宮茜、柏木晴子の2人だったが、武にとっては『向こうの世界』で知っていた顔だった。
 特に、晴子は『向こうの世界』の球技大会で、同じチームとして頑張った事さえあった仲だった……女子チームだったので武は自称監督に過ぎなかったが……
 過去の実戦で死傷しリタイアしてしまったメンバーも含め、A-01部隊に所属した歴代の衛士全員が、『向こうの世界』の白陵大付属柊学園の先輩達だったのではないかと、武はふと夢想した。

 その後は、中隊長の伊隅みちる大尉直々の座学が、マンツーマンで組まれていたため、隊の皆とはろくに話も出来ないまま、知識をみっちり詰め込まれるハメになった。
 この日の座学では、A-01部隊がオルタネイティヴ4完遂のため秘密裏に超法規的措置で派遣されると知った。
 そして、衛士の心得……使命に準じた者達の生き様やその教えを、生き残ったものが誇らしく語り継ぐ事……その流儀を知った。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 夕食後、演習場の外れ―――まりもが戦死した場所の近く―――に、元207訓練小隊B分隊の6人はお参りにやってきていた。
 そこには、鋼材が墓標代わりに建てられており、その前で全員揃って黙祷を捧げていた。

(まりもちゃん……オレ、帰ってきました……
 辛いことから逃げても、何の解決にもならないってこと……それどころか、他人に迷惑を掛けてしまうだけだって、ようやく思い知りました。
 まりもちゃんに諭してもらった時、しっかりと教えを受け止めてたら、『向うの世界』の人達……まりもちゃんや、純夏に迷惑を掛けずに済んだかも知れないのに………………
 でも、今度こそオレは逃げません! どんなに辛くても、オレに出来る限りのことをやり抜きます!!
 不甲斐ないオレですけど、もし良かったら、見守っててください……)

 まりもの死後、『向こうの世界』へ行っていた武にとっては、初めての墓参となる、黙祷の時間も自然と長いものとなった。
 そして、武は顔を上げると、後ろで待っていてくれた皆を振り向き、精一杯の笑顔で言った。

「みんな! これからも、よろしくな!!」

「「「「「 タケル/白銀/…白銀/たけるさん/タケルぅ 」」」」」

 みんなが返してくれた笑顔に、武は決意を貫き通す力を得られた気がした。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 お参りを済ませ、B19フロアの夕呼の執務室へと向かう途中、武は昨夜の考えをまとめ直していた。

(とにかく、オレが『因果導体』のまんま死んじまった時に備えて、次回のループで役立ちそうな知識は覚えとくようにしないとな……
 あと、出来たらループした時にオレの記憶が失われる仕組みもハッキリさせときたいな……記憶を無くさずに済む方法が見つかればベストなんだけど……
 記憶が無くなるって言えば、『向うの世界』の記憶流出だけど……あれと、オレの記憶が無くなるのって、関係ないのかな?
 オレを『因果導体』にした原因のことも合わせて、いずれ夕呼先生に聞いてみないと………………って、あれ?
 ……オレがループしてるのは『因果導体』になってるからだよな……でもって、だからこそ記憶を保って次に反映できる可能性があるわけだろ?
 『向うの世界』の為に一刻も早く『因果導体』でなくなるって話は、こっちの夕呼先生の話を信じる限りじゃ、必要なくなったわけだから……
 ………………もしかして……オレって『因果導体』のままの方が役に立つのか?
 今までの人類がBETAに敗れてしまったものも含めて、ループを繰り返すとどういう影響があるのか、先生に教えてもらった方が良いかな?
 ……うん。この件は、判断の分かれ目になりそうだし、ダメモトで聞いてみるか。
 オレが因果律量子論を理解できれば、一々先生に頼らなくても……って、あんなトンデモ理論、丸覚えならともかく、理解なんて無理かも……
 まあ、今日のところは、こんな感じでいいか……現状成果を上げてるって訳でもないしな……)

 武は一つ頷くと、夕呼の執務室へと入っていった。

「…………白銀です。入ります。」

「なによ、遅かったわね?」

「すみません、元207の連中と神宮司軍曹のお参りに行ってきたんで……」

「そ、まあいいわ……で? 考えはまとまった?」

 いつもの様に椅子に腰掛けて足を組んだ夕呼は、武の話しを聞く態勢に入った。

「まあ、それなりに……で、判断基準にするために、いくつか教えて欲しい事があるんですが……」

「いいわよ……もちろん、答えるかどうかは内容次第だけど。」

「ありがとうございます。
 まず、向うの先生の話によると、オレは既に何回も死んでループをやり直してるってことなんですけど、それって、今後オレがループし続けることも含めて、人類にとってプラスマイナスどっちの影響が出るんでしょうか?」

「はあ? なによそれ……あんた、前回の記憶で世界を救えなかったから、今回のループで世界を救ってみせるって息巻いてたんでしょ?
 なのに、影響マイナスだったら、お話になんないじゃないの…………って、ちょっとまってね……………………
 …………白銀、あんた、前回の記憶じゃ、オルタネイティヴ4に全く貢献できなかったって言ってたわね?」

 当初、バカにしたような顔で話し始めた夕呼だったが、何かに気付いたのか、急に真面目な顔になり、考えを補足するためか、武に以前の発言内容を確認した。

「はい。それで、オルタネイティヴ5が発動して、人類はBETAに敗れるんです……」

「…………白銀が、意志を強くもって世界に介入しようとしなかった世界ではBETAが優勢だった……
 そして、白銀は前のループを1周として認識していて、しかも後半の記憶が曖昧で、死亡時の記憶も失われている…………
 ……白銀を――――――にした力の作用点は…………確率分岐が通常通りに発生しているとすると…………
 ……………………」

「先生?」

 黙りこんだ夕呼に、武が控えめに声を掛けた。
 すると、しばらくしてようやく考えがまとまったのか、口元に当てていた右手を下ろし表情を消して、夕呼は応えた。

「現時点でのあたしの仮説に基づいた答えになるけど、いいわね?」

「はい。」

「じゃあ、教えてあげるけど、現状ではマイナスね。
 あんたの干渉で、恐らく事態は悪化しているわ。」

「なッ!――――――」

 夕呼の言葉に愕然とする武。
 しかし、夕呼はその様を見て満足気にフッと笑うと、言葉を続けた。

「とは言え、今後十分に取り返せると思うから安心しなさい。
 なんでそうなるか、説明するわね。
 まず、あんたが『前の世界』として認識しているループだけど、正しくは、1回のループに伴う確率分岐した世界群というべきね。
 向うのあたしは、あんたが何回もループしてて、一番最近のループの記憶しか保てていないって説明してたけど、あれはあんたを基点に世界が閉じてるなんて、こじつけの世界観に則って説明したからああなったんだわ。
 恐らくあんたは、前回の10月22日に初めて出現して、その瞬間から確率分岐を始めた無数の世界を経験して、無数の死を迎えたのよ。
 そして、それらの無数の世界で死んだあんたは、今回の10月22日に再統合されて、記憶と経験を保ったまま2度目のループを行ってるんだわ。」

「えっと、つまり…………前回、この世界の10月22日で目覚めたオレは、そこを起点として無数に枝分かれする歴史を辿って、それぞれの果てに死んでいると……
 でもって、その無数に枝分かれした死んだ時点のオレが集められて、さらに1つにまとめられてから、もう一回、今回のこの世界の10月22日に目を覚ましたと……
 でも、それだったら、なんで記憶が1回分しかないんですか?」

「厳密に言えば、あんたの記憶は1回分じゃないのよ。
 まず、前回の確率分岐世界群で多くの世界が共通して通った部分の記憶が、あんたの記憶の主体になってるはずよ。
 記憶が1つしかないんじゃなくて、細かい矛盾や齟齬はあるのに、大筋まとまって感じられるもんだから、気付けずにいるんだわ。
 そして、極少数しか存在しない分岐世界や、確率分岐世界の独自性が高まる終端近くの記憶は、滅多に意識に上らないのよ。
 たまに記憶が蘇っても、勘違いってことで、すぐに忘れちゃうんじゃないかしら。」

「つまり、記憶は無数の分岐世界の全部が合わさってるけど、珍しい記憶はなかなか思い出せないって事ですね……
 で、なんで世界に与える影響が現状マイナスで、今後取り返せるんですか?」

「だって、あんたが何も出来なかったせいで、前回の確率分岐世界群、ぜぇ~んぶBETAに負けちゃったんでしょ?」

 後悔してもし切れない傷跡を、ザックリと夕呼にえぐられ、胸を押さえて武は呻いた。

「う…………」

 そんな武に夕呼は満足気に目を細め、怒涛の如き説明を続けた。

「因果律量子論には、世界の間で記憶のやり取りが行われるって仮説があるって、話したわよね?
 で、やり取りされる記憶は世界間で共通のものになり、複数世界で強い因果として影響を及ぼしていくの。
 例えば、00ユニット候補者の元207の娘たちなんかは、強い因果を持っていると考えることが出来るし、だからこそあんたの言う『元の世界』と『こっちの世界』両方に、ほぼ同一の形態で存在するのよ。
 あんたの『元の世界』の知り合いが何人いたか知らないけど、全体からすれば、あの娘たちなんて極一部でしょ?
 BETAの侵攻という悲劇の中で、それでもより良い確率分岐を引き寄せ続けた結果として、あの娘たちは今一緒にいるのよ。」

「…………なるほど。」

「で、ここからが本題なんだけど、『人類がBETAに圧倒される』って因果の影響力は、恐らく相当強いと思われるわ。」

「え?―――」

「あんたという、因果律量子論を実証するサンプルまで得て、それでも尚、オルタネイティヴ4は完遂されなかった……
 00ユニットの完成すら、あんたの前回のループでの記憶を生かして時間を稼ぎ、その上他世界の力まで借りなげれば不可能だった……
 00ユニットの起動まで漕ぎ付けた今、オルタネイティヴ4の完遂は揺らがないと思うけど、BETA殲滅までの道のりには、まだまだ困難が予想されるわ。
 そして、例えこの世界でだけBETAを殲滅しても、他の圧倒的多数の世界群で人類がBETAに敗れ続ければ、その因果が平均化されていき、より支配的な強い因果になっていくのよ。」

 そして、夕呼の説明に、当面の目標を打ち砕かれた武は、噛み付くように確認をせずにはいられなかった。

「そんな…………それって、例えBETAを殲滅できても、いずれ他所の世界の因果に支配されて、最終的にはBETAに人類が敗れるかもしれないってことじゃないですかッ!」

 しかし、武の悲鳴のような詰問を受けた夕呼は、何でも無いことのようにサラリと受け流し、話を続ける。

「そういうこと……あんたにしちゃ、随分と理解が早いじゃないの。
 けど、今のあたし達には、その因果に干渉して、逆らう術が残されているわ!!」

「ほんとですか!?……凄げぇ、凄げぇよ、先生!!……で、それってどんな……」

 おもむろに、不敵に微笑む口元に右手を添えて、夕呼はキュピーン! と瞳を光らせた。

「戦略級時空間因果律干渉兵器ッ!! その名も……………………『白銀武』よッ!!」

「…………シ……シロガネタケル?……なんか、オレの名前と、発音同じなんですけど…………」

「なにとぼけたこと言ってんのよ、あんたよ、あんた!!
 忘れたの? あんたは『因果導体』なのよ、機能が限定されてるとは言え、本来の『因果導体』である『世界の記憶』と同等の存在なのよ!
 あんたを使えば、確率時空間における因果に限定的ながら干渉できるわ!!
 そうすれば、『人類はBETAを圧倒する』って因果が支配的になる可能性すら夢じゃないのよ!!!」

「マ、マジですか!?」

「マジよ……って、これ何語?……まあいいわ。
 …………でもね、白銀…………」

 それまでノリノリではしゃいでいるとさえ見えた夕呼だったが、急に陰鬱な表情に様変わりした。

「それは……とても辛い道よ?………………ハッキリ言って、人間が辿る道じゃないわ…………」

「かまいません!……教えてください、夕呼先生……オレは、どうすればいいんですか?」

「…………その前に……00ユニットの調律の対価として、あんたが何を要求するか聞いておきましょうか……」

 昨夜から考えていた今後の方針に従って、武は自分の願いを言い連ねた。

「…………わかりました……今の話で、オレの方針も決まりましたからね。
 先生……次のループで先生の役に立てる情報……オルタネイティヴ4の完遂とBETA殲滅に役立つ情報を全てオレに叩き込んでください!
 あとは、今回のループでの記憶を可能な限り維持する方策と…………
 ………………オレが『因果導体』で在り続けるための注意点を、調べて教えてください!」

 今日の時点では、最初の一つしか要求できないと武は考えていたが、どうやら夕呼と利害が一致しそうだと判断し、全ての要求を提示した。
 そんな武に、夕呼は呆れたような態度で応じた。

「…………あんた、やっぱり薄々感づいてたのね。
 ……『因果導体』としてループし続けて、BETAを殲滅し続ける……
 確かにその方法でなら、人類のBETAに対する因果情報に干渉し続け、人類優勢な因果を支配的にすることも可能よ……理論的にはね。
 でもね、その代わり、あんたに圧し掛かる負担は凄まじく重いものになるのよ?
 あたしも、いい加減腹括ってオルタネイティヴ4を背負っているけど、ハッキリ言って死んだ後まで抱え込むつもりはないわ……
 あんたはそれを、死んでも死んでも、雪ダルマの様に膨れ上がっていく業を背負い続けて、正気を保っていられるつもりなわけ?」

「…………どこまで出来るかなんて、そんなのはやってみなけりゃわかりません……自信なんて、欠片もないですしね…………
 でも、責任は……罪はとっくに背負っちゃってるんです…………後は、歯を食いしばって、オレに出来る限りの償いをするだけですよ。」

「あんたねえ……向うのあたしが、なんで詭弁じみた理屈まで立てて、あんたに一刻も早く『因果導体』から解放されるように誘導したと思ってるのよ……
 ったく、教師なんて、割に合わない職業ね…………
 あたしだって、あんたの方から『保険』だなんて中途半端なこと言い出して、おまけに、さっきの質問なんかしてこなかったら、この方法は墓まで持ってくつもりだったのよ?
 自分は死んだら何もかも放り出すつもりなのに、あんたみたいなガキに、その何倍もの荷物背負わせる気はなかったからね…………
 けど、あんたがやりたいって言うのなら、あたしとしては大歓迎よ。
 人類がBETAに勝つためには、現状、それが最も有効な方法だしね。
 けど、最後にもう一回だけ、確認するわよ……その道は、半端な覚悟じゃ歩けない道よ……
 ありとあらゆる苦難を覚悟して、それでも乗り越えていくのね?
 一旦、決めたら、逃げ出すことは許さないわ……洗脳してでも、縛り付けてやるから、その位の覚悟をして答えなさい。」

「やります……決して逃げません!……泣いても、へこたれても、力の限り這ってでも進み続けます。」

 武の即答を受け、夕呼は満足気にニヤリと笑った。

「………………そ、いい覚悟じゃない…………じゃ、早速小手調べと行きましょうか。
 …………現時刻を持って、あんたはA-01連隊から除隊よ!」

 夕呼の唐突な言葉に、武は面食らった。

「え!?…………じょ……除隊?……今日復帰したばっかりなのに?……どうしてなんですか?」

「あんたねえ、00ユニットの調律に加えて、あたしの役に立てるだけの専門知識を覚えるだけで、時間なんていくらあっても足りないでしょうが……
 おまけに、あんたには得られる限りの情報を、最後の最後の瞬間まで、その頭に詰め込めるだけ詰め込んだ後じゃなきゃ死んでもらう訳にはいかないのよ。
 あんたはある意味で、あたしよりも重要な人物になったとさえ言えるわ。
 あたしは、所詮いつか死んで、そっから先は何の役にも立たない……けど、あんたは違うからね。
 ……あんたは、そうそう簡単には死ぬわけにはいかない立場に立ったのよ。」

「く…………わ、わかり……ました……」

(くそッ! 戦場で、みんなを守ることすら許されないのか!!…………これが、責任の重さってヤツなのかよ…………)

 密かに歯軋りをして、夕呼の言葉を受け入れる武。

「…………泣き言言わなかったのは評価してあげるけど、こんなの、まだまだ序の口よ?
 ま、差し当たって、00ユニットの調律を進めて頂戴……運用評価試験に間に合うように、ね。」

「運用評価試験?……何時なんですか?」

「1週間後の12月25日よ。試験内容は佐渡島ハイヴの攻略になるわ。
 詳細は、あんたの機密閲覧レベルを上げておくから自分で調べなさい。自室に端末も設置させておくわ。」

(!!……ハイヴ攻略……実戦じゃないか…………しかも、準備期間が7日しかないのか…………
 しっかりしろ!……純夏を生き延びさせるためにも、なんとしてもやり遂げるんだ!!)

「…………わかりました。それまでに、純夏を安定させればいいんですね?」

「そうよ。
 今『鑑純夏』は、人間的な感情を閉ざしてしまっている……BETAに対する闘争本能だけが異常に突出していて、最悪、敵味方関係なく攻撃してしまうのよ。
 『鑑純夏』の感情を取り戻し、『人間』に戻す……それがあなたの仕事よ。
 とにかく……運用評価試験までには一定の成果を出しなさい。
 そのためなら社もあんたが使って良いし、必要なことがあったら言ってちょうだい。
 あたしは最近野暮用が多いから、あんたの判断で臨機応変にやんなさい。
 あんたはとにかく、どんな手段を使っても良いから、『鑑純夏』を正常にするのよ?」

「わかりました…………あ、先生、もう1つだけ教えてください。
 …………この世界でも、オレと純夏は幼馴染だったんですか?」

「…………おそらくそうだったはずよ……少なくとも戸籍上では隣り合った家に『鑑純夏』と『白銀武』は誕生してるわ。
 ……そして白銀……BETAに捕まり、生きたまま脳と脊髄だけにされて、一切の感覚を奪われた『鑑純夏』が……
 ……精神崩壊一歩手前で……それでも最後まで手放さなかった想い……
 ……社がシリンダーのリーディングで一番はじめに読み取った想い…………
 なんだったと思う?
 それはね…………………………『―――タケルちゃんに会いたい』」

「ッ!!………………純夏っ…………」

 武は溢れそうになる涙を必死に堪えた。

「『鑑純夏』は、何百という同じ境遇に落とされた人々が絶望して死んでいく中、その想いだけで生き延びたのよ…………
 その想いに、あんたは応えなければならないわ……わかるわね?」

「―――はい……ッ!」

「ならいいわ……あんたが差し当たって憶えるべき情報については、端末に目録を送っておくけど、当面、00ユニットの調律を優先させなさい。
 ……じゃあ、さっさと00ユニットの所へ行きなさい…………後は任せたわよ?」

「はい……」

 話は終わったとばかりに、執務机に戻ってキーボードを叩き始める夕呼に背を向け、武は部屋の外へと立ち去っていった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B19フロアの、青白く光るシリンダーが設置された部屋へと武が入っていくと、そこには室内の床に座り込みあやとりをする霞と純夏の姿があった。
 いや、あやとりをしているのは、ぽつぽつと呟くように説明をしながら悪戦苦闘している霞だけで、純夏は何処を見るともなく、体の前に力なく掲げた掌に赤い糸を絡げているだけだった。

「よう、霞……純夏の相手してくれてるのか……」

「…………白銀……さん……」

 ピクッと髪飾りを跳ねさせてから、霞はゆっくりと視線を武の方へ向け呟いた。

 武は声を掛けたところで歩みを止め、霞に向かって頭を下げた。

「霞…………オレ、逃げちまってごめんな……ほんと、弱虫だったよな……そのせいで、『向うの世界』ですっげえ迷惑振りまいてきちまった……
 けど、今度こそ覚悟決めて踏ん張るから……力を貸してくれ……頼む! 霞……」

 霞は、コクリと小さく頷くと、武の近くまで歩み寄り、小声で話しかけた。

「…………たくさん…………たくさん辛いこと……ありましたね…………」

「ああ……ありがとう霞……けど、今はまず、純夏を立ち直らせなきゃいけないんだ……協力してくれるか?」

「……はい」

 その後、霞と当面の方針について打ち合わせ、武は純夏の調律を始めることにした。
 純夏の正面に座り、純夏の膝の上で左右の手をそっと握り締め、純夏の瞳を覗き込むようにしながら、武は優しく声を掛けていった。

「……よう、純夏……ひさしぶりだな……オレだ、武だよ……忘れてないよな?……幼馴染の白銀武だぞ?…………
 …………なんだよ、無視かよ……無視は酷いだろ、無視は~~…………オレの顔、しっかり見えてるか?…………」

 そして、その武と純夏の向かい合う光景を、霞はプロジェクションで純夏へと送り続けていた。
 純夏の視覚、触覚、聴覚……これらを刺激しながら、その光景を霞にプロジェクションしてもらうことで、純夏の受け取っている情報のハレーションの中から、自分を起因とする情報を浮き上がらせる……これが、武の考えたアプローチの方法だった。
 そして、30分ほど根気良く話しかけたところで、純夏が微かに身動ぎをして、震える声を口から零した。

「…………タ……ケ…………ル……ちゃ……ん…………?」

(!!……いま、純夏がオレを呼んだ!!……いや、焦るな……落ち着いていくんだ……)

「ん? そうだ、オレだぞ……何か言いたいことあんのか?……今日は特別に何でも聞いてやるぞ?」

「……うぅ…………頭……いたい……」

「……なんだ、頭痛か?……『イタイのイタイの飛んでけ~』って、やってやろうか?」

 そう言いながら、武が純夏の手を放し、頭に手を伸ばしたとき…………
 純夏は急に頭を抱えて苦しみだした。

「……うあぁぁ…………いや…………―――やだッ! いやあっ!!―――取らないでっ!!
 わたしから…………取らないで…………―――タケルちゃんを取らないでよォォォッ!!」

 純夏の両肩を掴んで、武は純夏に呼びかけた。

「大丈夫だから……な……平気だろ……? オレは……側にいる……側にいるじゃないか!」

「あ…………タケル……ちゃん……?……ぁあああぁああァッ!!……
 ―――いたいッ!―――頭が、頭がいたいよっ、タケルちゃんッッ!!!――――――」

 武の手を振り切って、床に倒れてゴロゴロと転がりながら、苦しむ純夏。
 そして、バタッと動きが途絶え、純夏は身体を弛緩させ、床に身を横たえたまま静かになる。

「純夏ッ!」

「……気絶……しました……」

 慌てて駆け寄る武に、霞が冷静に状況を知らせた。
 しかし、その霞の表情も、純夏の苦しむ姿に沈痛さを隠せないものだった。

 その後、武は霞の指示に従って、純夏をODL浄化装置へと運んだ。
 そして、霞のリーディングの結果として、純夏が気絶する寸前に、それまでのハレーションを上から塗りつぶすように、様々な感情の色を伴ったイメージの奔流が溢れかえっていたことを知る。
 そして、この日の調律はここまでとなった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B4フロアの武の自室、既に真夜中近い時間だったが、部屋に戻った時には既に設置されていた端末を早速使い、武は00ユニットの関連資料を閲覧していた。

「なるほど……さっき純夏が気絶したのは、ODLの異常劣化による自閉モードってやつか……」

 00ユニットの資料によると、純夏は精神的な負担や時間経過によってODLという体内を循環する液体が劣化し、その劣化が進行すると頭脳に当たる量子電導脳が自動的に機能停止に陥るらしく、これを自閉モードと呼んでいるとのことだった。
 一旦自閉モードに入ると、体内に内蔵されている浄化システムでは間に合わず、シリンダーに接続されているODL浄化装置で本格的な浄化措置を行わなくてはならないらしい。
 特に負担が掛からなくても、ODLの交換は72時間以内。
 ただし、自閉モードの状態ならば、内臓の浄化システムだけでも200時間は機能障害無しで済むとのことだった。

「自閉モードになると、浄化に数時間から1日以上かかる場合もあるのか……成果を伴わないなら、自閉モードは極力避けるべきか……」

 武は椅子の背もたれに身を預けると、頭の後ろに腕を組み、天井を見上げるようにして考えた。

(『因果導体』であるオレを通じて、純夏には『向うの世界』の純夏から流出した記憶が流入しているはずだ……
 まずは、オレを認識させて、後は霞のプロジェクションを併用して、向うの記憶を関連付けしていけばいい……と思う。
 後は、BETA絡みで取り乱した時に、どうやって宥めるかか…………霞に頼んで、オレと純夏が一緒にいるイメージをプロジェクションしてもらうか……)

「さて、後はオルタネイティヴ4関連の資料でも読むか!」

 そして、1時間後……

「うば~~~~~~~~~~~。」

 資料の余りの難解さに、頭を抱えて呻き声をあげる武の姿があった……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月19日(水)

<ビー・ビー・ビー・ビー・ビー・ビー……>

「!!……警報?…………じゃないか……なんだ?…………鳴ってんのは端末か……」

 朝05時50分、就寝前に電源を落としておいたはずの端末機が、いつの間にやら起動して喧しい音を垂れ流していた。
 ベッドから起き上がって、武が端末にIDを読み込ませると、即座に音は止まって、入れ替わりにディスプレイにメッセージが自動的に表示された。

<緊急!! 至急、00ユニットの元へ行きなさい。-香月夕呼->

「!!」

 武は、端末の電源を急いで落とし、着替えもせずに制服を引っ掴んで部屋を飛び出した。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B19フロアのシリンダールームへ向かう途中のエレベーターの中で、武は手早く制服を着込んだ。
 シリンダールームのドアが開くなり、中から聞こえてきた純夏の叫び声に、武は慌てて中に飛び込んだ。

「どうした純夏ッ!!」

「返して!……タケルちゃんを返してよッ!!……やだ……タケルちゃん、いっちゃやだよ!……
 ぅあああぁぁァァ……いたいいたいいたいィィッ!!……頭が、頭が痛いよ……
 ―――取らないでよ! タケルちゃんを取らないでよ!! いやだよ……いやだあっ!……」

 自身を両手で抱え込むようにして叫ぶ純夏に、武は素早く駆け寄って、しっかりと両腕で抱きしめた。

「霞! オレの思い浮かべるイメージを純夏にプロジェクションしてくれ!!
 純夏!! 大丈夫だ、オレはここにいるぞ純夏っ! おまえの側にいるじゃないか!!
 純夏! オレはどこにもいかないから!!」

 武は必死で純夏に呼びかけながら、『向うの世界』の公園で、純夏とお互いを抱きしめあった時のイメージを、強く思い浮かべた。
 すると、純夏は叫ぶのも、身動きするのもぴたりと止め、きょとんとした目で辺りを見渡した。

「……ほんと?
 ………………あ、ほんとだ、タケルちゃんだ…………よかった…………」

 そして、武の顔を見つめて、ポツリと安堵の吐息を洩らすと、そのまま眠りへと落ちていった……

「霞、純夏は一体どうしたんだ?」

「……はい……今朝、私が……武さんを起こしに行くため……部屋を出ようとしたところで……純夏さんが、目を覚まして……
 周りを見回すなり……白銀さんがいないと言って騒ぎ始めたんです……」

「目が覚めるなり、オレを探したって……ことなのか?」

「……おそらく……私の思考を……無意識にリーディングしたんだと思います……
 ……そして、白銀さんのイメージを読み取って……近くに白銀さんがいると……思い込んだんだと思います……」

「そうか……でもさっき、オレの事を見て、ちゃんと認識してたよな?」

「……はい……してました……」

「よし! そこは一歩前進だな。
 じゃあ、オレは夕呼先生と話してから、朝飯済ませてくるから、その間純夏を頼むな。」

「……バイバイ」

「また、後でな、霞。」

 武は、ベッドで安らかに眠る純夏を霞に任せ、夕呼の執務室へ向かった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B19フロアの夕呼の執務室、部屋の主である夕呼は、慢性化した寝不足に加え早朝からの騒ぎで対応を余儀なくされたため、不機嫌の極みであった。
 そこへ報告にやってきた武は、ストレス発散のいい餌食だったのだが……

「夕呼先生! 純夏が現実のオレを認識しましたッ!!」

 武に嫌味の一つでも投げかけようと思っていた夕呼だが、部屋に入るなり挨拶も抜きで放たれた武の発言に、気分は一気に高揚した。

「ほんとに? それで、その後の00ユニットの反応は?」

 夕呼は小走りに執務机に戻ると、椅子に腰掛けもせずに、端末を操作して純夏のバイタルを表示させ確認し始めた。

「えっと、オレが部屋に入ったときは混乱してたんですけど、抱き締めてオレは側にいるぞって言い続けたら、『ほんと?』って純夏が言ったんです。
 で、オレを見て安心したらしくて、そのまま眠っちゃいました……
 ……気絶って感じじゃなかったんですけど、純夏の状態はどうですか? ODLとか……」

「ふぅん……たった一晩でそこまで回復するんだ……白銀ぇやるじゃない、さすが『鑑純夏』にとっての『特別』よね。
 ODLは大丈夫よ、混乱している間は通常時の5倍位で劣化が進んでたけど、あんたを認識した後は平均値をやや下回るレベルに戻ってるわ。
 量子電導脳の記憶容量の変化を見ても、昨日あんたと会っていた時に大量の情報を受け取っているから、記憶の流入が発生したと考えてよさそうね。
 現在の進行状況は、想定した範囲でも最高レベルに到達してるわ。
 このままあんたに任せて大丈夫だと確信できるレベルだけど、一応あんたの方針を聞かせてちょうだい。」

「はい……って言っても、方針立ててた分は、あらかた終わっちゃったみたいなんですけどね。
 まず、第一に現実のオレを純夏に認識させて、記憶の流入を促進させることが目的でした……けど、どうやらこれは達成できたみたいですね。
 後は、『向うの世界』の想い出を、霞のプロジェクションを併用しながら純夏にしてやって、流入した記憶の関連付けを進めること。
 それから、純夏がBETAのこと―――と、今朝の感じだと、オレのこともかな?―――まあ、その辺の原因で暴れだしたときに、素早く落ち着かせる方法を確立しようと思っています。」

「…………白銀……あんた……なんか悪いもんでも食べたんじゃないの?」

「昨日の夜、先生と別れて以来、何も喰ってません!!」

「冗談よ……あんたが珍しく真っ当なこと言ったからからかっただけよ。
 …………それにしても……『鑑純夏』の事になるとあんたでも頭が回るのね……
 その方針なら、殆ど付け加えることはないわ……強いて言うなら、00ユニットが稼動している間は、極力肉体的接触を保ちなさい……
 って、あんた、なに赤くなってんのよ……そんなんじゃなくて、手を繋ぐとか、肩を抱くとか、そんなんでいいから……
 ……あ、勿論ヤッちゃっていいわよ? そっちの機能も付いてるし………………ああ、うるさいわねぇ、これだからガキは…………
 人間はね、白銀……視覚や聴覚だけじゃなくて、触覚や嗅覚からも強い影響を受けてるのよ、だから、そっちもフルに活用しなさいって話よ。
 ……あ、あと、あんたに携帯用の通信機を渡しとくわ……今朝みたいな事になったら夜昼関係なく飛んで来なさい……いいわね?」

 途中で、武は猛烈な抗議をしたのだが、夕呼は軽くあしらって言いたい事をすべて言い切った……いつものことだが……

「……はい、わかりました…………あ、先生、もう一つだけ教えてください。
 ODLの異常劣化ですが、極力避けた方が良いんでしょうか?……それとも自閉モードに追いやるだけの価値がありますか?」

「…………昨日の例だと、大量の記憶流入とPTSDの同時発生が、異常劣化の原因だと考えられるわ。
 その結果、今朝の00ユニットは著しく安定化が進んだ……あんたが留守にしていた間の、あたしたちの苦労が無駄としか思えないくらいにね。
 だから、ODLの劣化は必要なコストとして割り切っていいわ。」

「はい!…………ええと、それで先生……オルタネイティヴ4関係の資料の件なんですけど…………」

 気合の入った返事を返して、純夏の調律にかける熱意を顕わにした武だったが、その後いきなり情けない顔になって、夕呼の機嫌を伺うように話しかけた。

「はぁ……どうせ難しくて理解できないから何とかなんないかとか、そんな話でしょ?
 ったく、あんた、死んでも憶える位の意気込みはないの?…………まあ、いいわ、意気込みだけで何でも出来たらそんな楽なことないものね。
 調律で成果を出したことだし、特別に配慮してあげるわよ。
 そうね…………00ユニットが休止状態の時とODL浄化措置を受けている間、社にあんたの勉強を手伝わせるわ。」

「霞に!?」

「あの娘、知識量では、うちのスタッフの中でも最優秀よ……しっかり詰め込んでもらうのね。」

「はい、ありがとうございます!」

 またひとつ、自分が歩いていく道が明瞭になった気がして、執務室を出て行く武の足取りは軽かった。




[3277] 第4話 新たなる術(すべ)
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/06/08 17:27

第4話 新たなる術(すべ)

2001年12月19日(水)

 点呼後の、朝食時の喧騒に包まれた1階のPXで、武はヴァルキリーズの面々と朝食を食べていた。

「そうか……特殊任務とあれば仕方あるまい……貴様の戦闘力には期待していたのだがな。」

 自分の除隊を告げた武に、A-01部隊指揮官にしてヴァルキリーズ中隊長である伊隅みちる大尉は、軽く目を瞑った後、淡々と応じた。
 それに続いて、CP将校を務める涼宮遙中尉がほんわかとした笑顔で話しかける。

「ほんと、昨日自己紹介したばっかりで、これから仲良くなろうと思ったとこだったのにね。残念だったね、白銀少尉。」

「ちっ! 折角骨のありそうなヤツが来たから、揉んでやろうと思ってたのにィ……がっかりだわ!」

 笑顔で挑発的に言い放つのは、B小隊、突撃前衛(ストームバンガード)の前衛長を務める速瀬水月中尉。
 それに呼応するように、C小隊の小隊長である宗像美冴中尉の発言が続く。

「速瀬中尉、白銀が何か文句があるそうです。
 同じ揉むのならば、速瀬中尉の胸を揉む方が、揉み応えの点から言っても揉み甲斐があるに違いない、と言ってます。」

「―――えっ?」

 いきなり冤罪を被せられ、愕然として絶句する武に向かって、水月はすぐさま食って掛かった。

「―――ぬぅあんですって…………!?」

「―――な……何言ってるんですか宗像中尉っ!」

 水月の怒りの形相に、腰が引けてしまった武は、悲鳴を上げるようにして、ニヤニヤと笑う美冴に抗議した。
 その抗議は、美冴本人には笑顔で軽く流されてしまったが、その隣に座っていたC小隊の風間祷子少尉によって、拾い上げられた。

「美冴さん……白銀少尉は既に我が中隊のメンバーではないのですから、からかうのも、ほどほどになさらないと…………」

「そうだな……まったく、惜しい人材を亡くしたものだ……」

 そのやり取りに、周囲には笑顔の花が咲くが、ネタにされた武は心中で思いっ切りツッコミを入れた。

(死んでねーーーーーッ!!)

「フフフ……タケル、やはりそなたがいると、場が華やぐな……」
「そうね。たまになら、居てもいいかしらね。」
「白銀……遊ばれ上手?」
「タケルぅ~、早く食べないとご飯が冷めちゃうよ?」
「あはは……たけるさん、お閑な時だけでもいいですから、またご一緒してくださいね~。」

 テーブルに突っ伏す武に、旧知の冥夜、千鶴、彩峰、美琴、壬姫の5人が続けざまに声を掛けて慰めた……発言内容は微妙なものが多かったが……

「あはははは……白銀って、聞いてた以上に面白いねぇ」
「晴子! 言い過ぎ…………でもないか。」

 更に追い討ちをかけるのが、柏木晴子少尉と、涼宮茜少尉の2人だった。
 この2人は、夏の総戦技演習に合格し、冥夜達より2ヶ月早く任官していた、元207訓練小隊A分隊の生き残りであった。
 茜を分隊長として5人で編制されていたA分隊だったが、先立つ2回の実戦で2名が死亡1名が重傷でリタイアしていた。

 武が抜けた今、A-01部隊は大尉1名、中尉3名、先任少尉3名、新任少尉5名の12名で全てだ。
 内1人が衛士ではないCP将校なので、中隊定数12名に1人足りない11名が衛士となる。
 元は連隊として発足した部隊なので、定数が満たされていたなら最低108名以上で発足している。
 欠員の補充も行われたはずなので、部隊損耗率は9割を軽く超えるという計算になる。
 過酷と言う言葉では生温いほどの、熾烈な任務ばかりであったことを伺わせる数字だった。

 にも拘らず、彼女達の部隊の設立目的からすれば、これから下命されるであろう任務こそが本道であり、いままでの任務は下拵えに過ぎなかった。
 オルタネイティヴ4の究極の成果である00ユニットが完成した以上、その実戦投入時の直援こそが彼女たちが果たすべき本来の任務であった。
 たった1個中隊で、人類の希望たる00ユニットの盾となる……その過酷な任務が既に目前に迫っている事を、武は知っていた。

(…………死なせたくない……一緒に戦場に行って、護り抜きたい…………けど、オレにはそれをすることは許されない…………
 くそッ!!…………何か……何か方法はないのか!?)

 机に突っ伏して、表情を隠したまま、武は懊悩していた。

 その後、戦乙女達は訓練へ赴き、武は純夏の元へと戻っていった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 武がB19フロアのシリンダールームに戻ると、純夏は未だに眠っていたが、部屋の隅に持ち運び式の端末と机が用意されていた。
 そして、霞は武をジッと見上げると、手に細い棒のような物を持ち、恥ずかしげに言った……

「……では……授業を始めます……私の事は、『社先生』……と、呼びなさい…………です。」

 頬を染めている霞を暫し見つめてから、武は優しく微笑みかけて語りかけた。

「夕呼先生の差し金か……苦労してるな、霞……こういう所は、向うの先生と同じだよなあ。
 そっか霞……いや、『社先生』、出来の悪い生徒ですが、よろしくご指導ください。」

 武がそう言って最敬礼すると、霞は俯き加減でボソッと言った。

「……やっぱり、霞でいいです……」

 その後30分ほどして純夏が目覚め、『社先生』の授業は中断となった。

 目覚めた後の純夏は、視点が定まらず、終始ボーっとしてはいたが、武が『向うの世界』の想い出の話しをすると、時折相槌を打ったり、頭痛を訴えたりした。
 武はベッドに純夏を座らせ、自分はその隣に座り、肩を抱くようにしながら穏やかに話し続けた。
 午前中に、2回ほど大声で叫んで暴れ出したりもしたが、武が懸命に宥め、霞がプロジェクションで、互いを抱き締め合う武と純夏のイメージを送ると、比較的短時間で落ち着きを取り戻した。

 昼時になり、武が食事の為に席を外そうとしたが、純夏は武と一時でも離れることを嫌がり、激しい怯えを示した。
 そのため、夕呼の秘書的存在であり、セキュリティーレベルの高いピアティフ中尉に、急遽PXから昼食を運んでもらう羽目になった。
 昼食を食べるには、些かどころではなく陰鬱過ぎるシリンダールームだったが、他に選択の余地もなく、3人で合成さば味噌定食を食べる事となった。

 武と霞が食べ始めると、純夏は自分は食べずに2人の様子を眺めていたが、おもむろにはしを取ると、さばを1切れ武の方へと差し出す。

「くっ………………」

 その瞬間、武の脳裏に『向うの世界』で純夏と食事をした時のことや、純夏と冥夜のお弁当合戦の様子等がフラッシュバックした。
 心中に溢れ返った想い出に、武は涙が零れそうになるのを堪えるのに手一杯になってしまい、つい反応が遅れてしまった。
 すると、純夏はアレ? という感じに首を傾げ、呟いた……

「……冥夜もいないし、2人っきりなんだからいいよね…………ほら、タケルちゃん、あ~~ん。」

 再び差し出されるさばの切り身、今度こそ武は躊躇無くそれにかじり付き、咀嚼した。

「……純夏、ありがとな……でも、自分も食うんだぞ?……京塚のおばちゃん特製の料理だからな!」

「うん…………美味しい……でも、なんかポソポソしてるよ?
…………今度はわたしが作ってあげるよ、タケルちゃんの好きな……タケ―――
 ぅああああああァァァァッ!!……いたいっ、頭が痛いよタケルちゃん!……やだっなんでこんな……いたい、いたいのはやだよお……」

「純夏ッ! しっかりしろ、純夏!!」

「いたいぃぃッッ!……いたいよぉ…………タケ……ル…………ちゃ………………ん……………………」

 そして、純夏は自閉モードに入って、気絶してしまった。

「…………純夏……苦しませて……ごめん…………」

 武は、自分の行動が記憶の流入を誘発し、それが頭痛となって純夏を苦しめている事を自覚している。
 もしかしたら、純夏は武をリーディングして、自分を苦しめているのが武だと知っているのかもしれない、そんな事を思わずにはいられない武だった。

「……必要なことです……我慢して、ください……」

 うなだれる武の手を取って、励まそうとする霞。

「……そう、そうだな……ありがとう、霞……………………さ、勉強の続きを教えてくれ、頼りにしてるぞ、霞!」

「!……はい。」

 そうして、霞による授業は、夕食を挟んで消灯時間近くまで続いた。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B4フロアの武の自室は、今日も消灯時間を過ぎて尚、明かりが煌々と灯っていた。
 室内では、武が端末にかじり付くようにして、情報を熱心に読み進めていた。

 最初は、純夏の運用評価試験でもある佐渡島ハイヴ攻略作戦―――呼称『甲21号作戦』の作戦案や投入戦力について読んでいたのだが、馴染みの無い用語や装備を調べる内に、武は、自分が既存の軍事機密の殆どを閲覧可能であることに気付いた。
 中でも帝国軍が極秘で開発している、試製99型電磁投射砲の設計図まで表示された時には、思わず室内に侵入者がいないか見回してしまったほどだった。
 まあ、国連の極秘計画である、オルタネイティヴ第4計画の機密中の機密―――00ユニットの最新データでさえ閲覧許可されているのだから、許可した夕呼にとっては、自分が閲覧可能な他組織・他計画の極秘情報など、歯牙にかける価値すら無いのだろう。

 ともあれ、それら機密情報や、各種基礎研究の資料などを見ている内に、武の中で今朝感じていた願いを叶える方法が、朧気に形をなしてきた。
 ベースとなったのは、『元の世界』の現実の兵器や、アニメやゲームに出てくる想像上の兵器。
 そこから、自分の要求を満たしてくれそうな発想を得て、『この世界』の技術でそれが可能か検証していく。
 何とかなりそうだと当りを付けた武は、慣れないながらも企画書の形に資料をまとめ……どうにか形になったのは、明け方近くになったころであった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月20日(木)

 早朝、B4フロアの武の自室―――主が熟睡する部屋に今日も人の気配が……

―――ゆさゆさ

「……そうです。」

―――ゆさゆさ

「う、う~~ん。」

 明け方近くまで、企画書をまとめていた為、2時間くらいしか寝ていない武は、寝ぼけ眼を見開いた。

「……おはようございます。」

「……おはよう……タケルちゃん……」

「……おはよう……って、純夏っ!?」

 以前から朝は霞に起こしてもらっていて、起こされ慣れていた武だった。
 しかし、今朝は霞の顔の手前に純夏の顔まであったため、驚いた武は反射的に飛び起きてしまい……

<ごつッ!>

「あいたーーーッ!……ひ、酷いよ、タケルちゃん…………」

「す、すまん、純夏、だいじょぶだったか?」

 思いっ切りおでこをぶつけてしまい、涙目になって文句を言う純夏と、慌てて気遣う武。
 そんな2人を、びっくりして髪飾りをピンと立てた霞は、目を大きく見開いて凝視していた。

「…………あれ?……タケルちゃん、ここどこ?…………あれ?……タケルちゃんの部屋、だよね?……」

「ああ、オレの部屋だよ、純夏。」

 なにやら、つっかえつっかえに話す純夏に、武は、様子を窺いながらも会話に応じた。

「……そっか…………そだよね……あれ?……タケルちゃんの部屋、窓あったよね?」

「それは、前の部屋だよ……今はこの部屋なんだ……」

「そっか……引っ越したんだね、タケルちゃん。」

「そうなるかな。それより純夏、起こしてくれてありがとうよ。」

「ううん、なんてこと…………ない、よね?……わたしがタケルちゃんを起こすの…………何時もの事……だよね?」

(なんか、言葉の間に不自然な間が開くな……まるで、台本を確認しながら喋ってるような……!! 記憶を確かめながら話してるのか?
 そう言えば、まだちょっとぎこちないけど、だいぶ向うの純夏っぽい反応してるよな……よし、オレも向こうにいた頃の態度に近づけてみるか……)

「ああ、いつもありがとな、純夏……じゃあ、すぐに行くから、先に自分の部屋戻って待ってろ。できるよな?」

 つい、過保護な反応をしがちになる自分を叱咤し、武はわざと突き放すような言い方をしてみた。

「……え?……一緒に来て、くれないの?」

「あのなあ、オレだって着替えたり、色々と仕度があるんだよ!」

「………………タケルちゃんのくせに……なま……いき……?」

「何で疑問形なんだよ、彩峰の真似か?」

「……純夏さん、行きましょう。」

「え?…………うん……しょうが、ないよね……タケルちゃん、言い出したら聞かない……から……うん、行こ、霞ちゃん」

「おう! 朝飯持ってってやるから、待ってろよ~!!」

「……白銀さん、合成さば味噌定食で、お願いします。」

 武は部屋を出て行く2人を見送って思った。

(純夏、霞にもちゃんと反応してたな…………けど、霞……さば味噌定食、好きなのか……?)

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 その後、B19フロアのシリンダールームで、純夏、霞と3人で朝食を食べた武は、そのまま純夏と午前中一杯を過ごした。
 その間、武は『向うの世界』の想い出を、クイズ形式にして芋蔓式に出題し続けた。
 純夏が即答できない時には、すぐに正解を教え、どんどんと出題を重ねていく。
 途中、純夏が頭痛を訴えることもあったものの、暴れだす事も無く、比較的平穏に時間は過ぎていった。

 もっとも、『クリスマス』に関する想い出のところで、ひと騒動あった。
 昔、『向うの世界』で武が純夏にあげた『サンタうさぎ』のことを純夏が思い出し、どこかに失くしてしまったと言って、騒ぎ出してしまったのだ。
 結局、武が手作りの2代目『サンタうさぎ』をプレゼントすると約束した事で一件落着したのだが、武は更に自分の時間が更に削られることに暗澹とするのだった。

 昼食は、3人で屋上で食べることにして、PXに頼んで―――特務権限で無理強いしたとも言う―――屋上に出前してもらった。
 その後、純夏と霞はシミュレーターで訓練があるというので一旦別れ、武は夕呼に会いに行くことにした……企画書持参で。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B19フロアの夕呼の執務室に武が入ると、何時もの如く、夕呼は執務机で端末に向かってなにやら打ち込んでいた。

「先生、失礼します」

「あら、白銀?……ちょっと待っててくれる?………………………………………………………………
 ………………………………よし、待たせたわね。
 00ユニットの調律の件なら文句無いわよ? このまま進めてもらえれば、それでいいわ。」

「ありがとうございます。あと、調律がらみと、別件で2つほどお願いがあるんですが……」

「いいわよ~、今日のあたしは機嫌が良いから、大抵の事なら聞いてあげるわよ……で、なに?」

「ええと、1つ目は些細な事で申し訳ないんですけど、キーホルダーの留め金を手配して欲しいんですよ……」

 武は今日の午前中の顛末を説明し、手作りの『サンタうさぎ』に付ける金具が必要なのだと説明した。

「なるほど……手作りのプレゼント……しかも、以前もらった大事な品って事か…………
 わかったわ……明日か明後日には届くように手配しとくわね。
 で、もう1つはなに?」

「先生、これを読んでもらえませんか?」

 武は持参した企画書を夕呼に手渡した。
 夕呼は訝しげな表情になりつつも、書類を受け取ってパラパラと流し読みする。

「あんたが書類持ってくるなんて…………はあ? 『遠隔陽動支援機構想』?
 ……なによこれ、あんたが考えたわけ?」

「はい。……もし可能であれば、00ユニットの運用評価試験にあわせて、試験を行いたいと考えています!」

「ふ~~ん、あんたにしちゃあ、頭も権限も使ったじゃない……
 情報を開示されたとはいえ、こんなに早く活用してくるとはね。
 戦術機管制ユニットの操縦システムを利用した戦術機遠隔操縦システムと、無人遠隔操作機を使った前線での機動陽動による支援行動……ねえ……
 まあ、これなら資材は殆ど現有のものの使い回しで済むし、実際に運用できれば作戦成功率も幾らかは上がるでしょうね……
 いいわ。生体反応欺瞞用の素体はあたしの方で手配したげるから、整備班と技術部の方にオルタネイティヴ第4計画に順ずる優先度で準備させなさい。
 この書類はまとめ方が悪すぎるから、社とピアティフに頼んで今日中に作り直して、関係部署に回すように。
 ただし、この計画に使用する戦術機は横浜基地所属のF-15J『陽炎』10機を使うのよ?
 94式―――『不知火』はそっちに回す余裕がないから……それでいいわね?」

「はい! ありがとうございます…………あ、あと、これは提案なんですが……」

「なによ、まだあるの?」

「えっと、オレが乗るはずだった分の『不知火』が手配されてますよね……あれを、遠隔操縦可能にして、純夏の脱出用に出来ませんか?」

「あんた、運用試験機の仕様にまで目を通したの?……いいわ、一応検討対象に入れとくわ。
 確かに、00ユニットを回収するのには手っ取り早い方法だからね。」

「ありがとうございます……お忙しいところ、お邪魔しました!!」

 夕呼がすんなりと許可したのが余程嬉しかったのか、武は何時にも増してキビキビとした挙動で退室していった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 勤務中の兵士が多い時間のため、閑散としている1階のPXに武の姿があった。
 夕呼との相談が予想よりも短く済んだため、純夏の訓練が終わるまでに一休みしようとやって来た武だった。
 合成玉露を購入する際、売店の一角の書籍売り場が、武の目に入った。
 純夏と約束した『サンタうさぎ』を作るに当たって、木材を加工して作成する事を考えていた武は、参考になる本でもあるかと、売り場へと足を運んだ。

「彫刻入門ね……う~ん、参考になるのは、最初の線引きの辺りかな……でも、角材を使うわけじゃないしな~。
 …………ん? これは……」

 『彫刻入門』と題された本をパラパラと立ち読みしてから書棚に戻した武は、書籍売り場に隣接した文房具売り場で日記帳が売られているのに気付いた。

(―――くッ……日記か……くそっ……『向うの世界』で見た、純夏の日記を思い出しちまった…………
 ……ん? まてよ? 向うの純夏は日記で流出していた記憶を補完していたんだろ?…………それならうまくすれば…………)

 武は売店で1冊の日記帳と筆記用具を購入すると、玉露を飲んでから地下へと戻っていった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 訓練が終わり、B19フロアのシリンダールームに戻ってきた純夏に、武は早速日記帳を見せた。

「ほら、純夏。プレゼントだぞ~」

「……ぷれぜんと……?…………タケルちゃん!『サンタうさぎ』?…………じゃないのか…………なに?」

「日記帳だよ。おまえ、毎日日記付けてただろ? これに毎日の想い出を書いておくんだ。」

 純夏は、手渡された日記帳の表紙をじ~~っと眺め続けていた。
 それを見た霞は、武の方を見あげて、ぽそっと呟く。

「日記……想い出を書くんですか?…………私も欲しいです……」

「お! 霞も書くか? じゃあ、今度プレゼントするから、純夏と2人で書いて、見せっこしたらどうだ?」

「……はい、書きます!」

 ほのぼのと和む霞と武だったが、直後、雰囲気は一転して緊迫したものとなった。
 何故なら、日記帳を手にしていた純夏が、急に切羽詰った声を出したかと思うと、直後に悲鳴を上げて気絶―――自閉モードに入ってしまったからだった。

「日記!!……ぅあああああッ!……わたしの日記!!…………読まなきゃ……読んで思い出さなきゃ!!
 忘れちゃうっ!…………タケルちゃんの事を忘れちゃうよッ!!…………
 ぅううううう……いたいいたいいたいィいィィィッ!!……あ、あたマ……ガ………………」

「純夏!…………くそッ!……またか……また、おまえを苦しめちまったのか…………」

「……白銀さん……純夏さん、今まで以上に、思考がぐちゃぐちゃでした…………
 ……でも、とても……とても暖かい色で一杯でした……」

「…………そう、か…………ODL浄化措置が必要かな?」

 武は室内の端末で純夏のバイタルを確認し、ODLの異常劣化を確認してから、純夏をODL浄化装置へと運んだ。
 その後、端末の前に置かれた椅子の、背もたれに力なく身を預ける武に、霞が話し掛ける。

「……大丈夫です、今日の事は、きっと純夏さんの為になります……きっと、間違いありません。」
「ありがとう、霞……よし! こうしていても時間の無駄だ!!
 実は純夏と霞が訓練に行っている間に、夕呼先生にちょっとした計画の実施許可を貰ってきたんだ。
 悪いけど、霞、こっちの方も手伝ってくれるか? 今日中に、関係部署に要請を出したいんだ。」

「……わかりました。説明、してください。」

 その後、ピアティフも交えて、『遠隔陽動支援機構想』の詳細を詰め、関連部署へのプロジェクト参画要請の書類作成を行い、夕食前には書類は完成した。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 夕食時、1階のPXはそれなりに混雑していたが、緩衝地帯のような空席に囲まれて、ヴァルキリーズのメンバーが夕食をとっていた。
 武は、食堂の主である京塚曹長から合成豚角煮定食を受け取って、ヴァルキリーズの所へ行った。

「ここ、いいですか?」

「「「「「 タケル!/白銀?/……白銀/たけるさ~ん/タケルゥ! 」」」」」

 武の声に、即座に喜色を浮かべて名を呼ぶ元207Bの5人。
 それに続いて、中隊長であるみちるが、鷹揚に許可を出す。

「ん? 白銀か……いいだろう、知らない間柄でもないしな。
 特殊任務は順調か? 副司令直属は楽ではあるまい?」

「いやまあ、時間が幾らあっても足りなくって、やり繰りが大変ですけど……
でも、幸い任務は順調にこなせてる……と、思います。」

「へえ~~~、何やってるかは知らないけど、天才衛士様は、有能多才でいいわねぇ~」

「もう、水月ったら……すぐに挑発するのは、良くない癖だよ?」

 何が気に食わないのか、はたまた面白いのか、ニヤリと笑って挑発めいた言葉を投げかける水月に、すかさず嗜める遙。
 そして、お約束のように、美冴の口撃が漏れなく付いてきた。

「なに、速瀬中尉は、少し欲求不満が溜まっているだけですよ。
 今晩にでもベッドで発散すれば、明日はすっきりできるでしょう…………と、白銀が言っています。」

「し~ろ~が~ねぇ~~~~!!」

「言ってませんって!! 宗像中尉も、オレを使って遊ばないでくださいッ!!」

「白銀少尉、すっかり美冴さんに気に入られてしまったわね。」

「あはははは、タケルはいつも面白いよね~」
「まだまだ、若造ですよ……」
「たけるさんたら~~」
「ふッ、まったくそなたは……」
「白銀は、隙がありすぎるのよ」

 あっと言う間に周囲は微笑みで包まれた。
 元々、沈んだ空気が漂っていたわけではなかったが、より華やいだ暖かな空気が場を満たしていった。

 しばらくの間、ヴァルキリーズに遊ばれた武だったが、頃合を見計らい表情を改めるとみちるに話しかけた。

「伊隅大尉、前線部隊指揮官としてのご意見を伺いたい事があるのですが、お時間をいただけませんか?」

「ん? 特殊任務絡みか?……そういう事なら、拒否はできないな……夜間訓練後でもいいか?」

「はい。結構です。」

 武は、この日の夜、みちるの部屋で水月、遙、美冴の3人を加えて、5人で会う約束を取り付けると、PXを後にした。

「白銀のヤツ……一番新米だった癖に、ヴァルキリーズのトップを引っ張り出すなんて、アイツ何様よ?」

「まあまあ茜、仕方ないよ、特殊任務がらみじゃね~……もっとも、実力があるからこそ、特殊任務を任されてるんじゃないかな?
 まあ、焼餅もほどほどにしとくんだね、あはははは。」

「は、晴子~~~~ッ!」

 幸か不幸か、立ち去る自分の後姿を見ながら先任少尉2人が交わした会話に、武が気付くことは無かった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 ヴァルキリーズの夜間訓練が終わるまでの間、武はB19フロアのシリンダールームで、霞から専門知識の講義を受けた。

 その後、B8フロアのみちるの部屋で、武はヴァルキリーズ首脳陣との会見に臨んだ。
 そこで武は、『遠隔陽動支援機構想』を機密情報と断った上で開示した。
 そして、前線部隊との連携時に想定される問題点の洗い出しと、戦術レベルでの運用方法の確立に関連して、多くの貴重な意見を得ることが出来た。

「う~~~ん……効果は否定しないけどさぁ……あたしには、ちょぉっと向かないわね~、これ。」

「速瀬中尉は、血沸き肉踊る肉弾戦がお好みですからね……「と、宗像中尉が言ってます。」な、白銀?」

「む~な~か~たぁ~~~~ッ!」

「オレだって、そうそう遊ばれてばかりじゃいませんよ?」

「あはは。白銀少尉、上手いこと切り返したね。」

「ふむ、白銀。速瀬の言う通り、この計画は、前線の兵士からは非難される可能性が高いぞ?
 それを承知で進めるのか?」

「ええ、幾ら非難されても、前線で何人かでも助かる命があれば、それで構わないと思っています。」

「そうか。そこまで覚悟しているなら、何も言うまい。
 我々の協力が必要になったら、何時でも良いから言って来い。」

「ありがとうございます。……おそらく、シミュレーターでの連携訓練にご協力頂く事になるかと思います。」

「わかった。」

 十分な成果に満足し、みちるの部屋を後にする武であった。




[3277] 第5話 支払うべき対価
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/05/31 17:14

第5話 支払うべき対価

2001年12月21日(金)

 B4フロアの武の自室は、今朝も04時近くまで明かりが灯っていた。
 純夏と約束した『サンタうさぎ』の製作に悪戦苦闘していたためである。
 素材は、校舎裏の丘にある伝説の木の枝を、生木を避けて、周りに落ちてた枝の中から太いものを選んで拾ってきた。
 それをナイフで削っていたのだが、さすがに2時間は寝ないと身が持たない。
 途中で打ち切って寝たものの―――今朝もまた、武の部屋へと大小2つの人影が、侵入していく。

「―――ちゃん……タケルちゃん……―――タケルちゃん起きて。」

「ん~~、純夏~あと5分~~」

「―――ダメだよ! 遅刻しちゃうよぉ……」

「純夏さん……遅刻じゃありません。」

「そうなの?……よくわかんないけど、いいや……
 とにかく、タケルちゃーん朝だよ~~~っ!!」

「…………よぉ、純夏…………霞もおはよう。」

「……おはようございます。」

「やっと起きた……も~タケルちゃん、寝起き悪すぎだよぉ~!」

「わりぃわりぃ……って、純夏おまえ、まるっきり普通じゃないか!」

「ムキーーーーッ! せっかく起してあげたのに酷い言われようだよ……」

「え?……あ、ああ……ごめん、純夏、ありがとな。」

(―――! 昨日と比べても……すごく純夏っぽくなってるぞ……!?
 しかもこれは……『向うの世界』の純夏そのままじゃないか…………
 霞、純夏のこれは精神が安定した結果なのか?)

 純夏の反応があまりに普通すぎたため、武は霞に、もの問いたげな視線を投げた。
 そして、霞はリーディングで武の問いを読み取ると、コクンと頭を縦に動かす。

「いや、何はともあれ、元気な事は良い事だ! そしたら、屋上で朝メシでも一緒に食うか?」

「ええっ!? ホント? ホントに朝御飯一緒に食べてくれるの?」

「ああ、朝メシ3人分、取って来てやるから、霞と先に屋上行ってろよ。」

「うん! 行こ、霞ちゃん。」

「……はい。」

 部屋を出て行く純夏と霞を見送った武は、制服に着替えてPXへと向かった。

 屋上で3人で朝食を食べ、午後の純夏の訓練が始まるまで、色々な昔話や純夏のしている訓練について話をした。
 その間、純夏の言動に不自然な点は見られず、記憶の齟齬も上手く補完できたようで、武は純夏の順調な回復を実感できた。
 また、純夏の訓練の話に関連し、BETAに関する話題も出たが、純夏は全く取り乱す様子も無く、その容姿などに対する不快感を表明するに止まった。
 そして、昼食も出前させて屋上で済ませ、訓練に向かう純夏と霞を送りがてら、B19フロアに向かう武を相手に……純夏が駄々をこねていた。

「え~~っ! なんでなんで? どうしてタケルちゃんは一緒に訓練できないの~~~ッ!」

「いや、だって仕方ないだろ?
 純夏の訓練やってるとこにはオレが使えるシミュレーターは無いし、今のオレは実戦部隊から外されちゃってるからさ……」

「え~、つまんないつまんないつまんないつまんないよぉ~~~ッ!
 タケルちゃんが一緒じゃないなら、わたしも訓練さぼって、タケルちゃんとお話してる方がいいよ~~~。」

 昨日までの、訓練に執着する純夏の姿との落差に、武は意表を突かれた。

「え? 純夏、訓練だぞ? おまえ、あんなに訓練したがってたのに……そんなんで、サボっていいのか?」

「タケルちゃんと一緒の方がいいよ~~~。
 ……だって、香月先生もなんか性格きつくなってるし……冥夜や榊さん、壬姫ちゃん達とも会っちゃダメだって言われたし……」

「う~ん。しょうがないなあ、夕呼先生とは相談しといてやるから、今日の所は素直に訓練しとけよ。」

「……そうです。純夏さん、訓練しましょう。」

「霞ちゃんまで……もうっ! わかったよ……タケルちゃん、期待してるんだから、頑張って香月先生説得してきてねっ!!」

「おうっ! 任せとけ!!…………とは言え……夕呼先生が相手だからなあ~。」

 夕呼がニヤリと微笑む顔を思い浮かべてしまい、武はつい頭を両腕で抱え込んでしまった。

「あはは…………だ、だいじょうぶだよ…………タケルちゃんなら………………」

「……白銀さん……ファイトです……」

 武は、額に汗を浮かばせた2人に励まされて、夕呼の執務室へと向かった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 予め連絡を入れておいた甲斐があり、B19フロアの夕呼の執務室で、武は夕呼と対面していた。

「―――素晴らしい成果じゃない。途中経過としては言うこと無いわ。
 確かに100%とは言えないけど、データを見る限り十分実用に耐える数値ね。
 予定の25日までは、まだ4日も残ってるのに、明日にでも運用評価試験を実施できるレベルよ。良くやってくれたわね。」

 武から、今日の純夏の様子を報告された夕呼は、非常に上機嫌に武を労った。

「ありがとうございます……」

 対して、礼を返す武の表情は喜びとは無縁のものだったが、夕呼は気にせず話を続けた。

「昨日の時点のデータで、25日の評価試験には、最終的なゴーサインが出てるわ。
 とにかくその日1日、とりあえず最低限の安定性が保てれば十分だと思ってたけど、これなら成果も期待できそうね。
 ここまで安定してれば、あんたも例の『遠隔陽動支援機構想』の方に時間が割けるわね。
 あれも、25日には間に合わせるように、関連各部署に発破かけといてあげるわ。」

「!! ありがとうございます。でしたら、それに関連してお願いが幾つか……」

 夕呼の鷹揚な言葉に、ここぞとばかりに武が言葉を紡いだが、夕呼は手を振ってそれを遮る。

「あ~はいはい。どうせ実戦部隊への復帰願いに、A-01部隊との連携訓練の許可でしょ?
 わかってるわよ……A-01との連携訓練は、彼女達の機動制御技術の向上も期待できるからどんどんやりなさい。
 あと、配属に関しては、A-01連隊に第13中隊をでっち上げて、あんたはそこの中隊長って事にしとくわ。
 A-01全体の指揮は伊隅に先任として執らせるけど、あんた自身はどうせHQから動かないんだから、あたしの直接指揮下で動きなさい。
 あんたの階級も、対外的に押しが利くように大尉にしといたげるから、部隊指揮官として、部隊呼称を考えときなさいよ?
 こんなとこで、まだなんかある?」

「部隊呼称はラジオコールとして考えていた『スレイプニル』でお願いします。
 あとは、純夏がさっき駄々をこねまして、オレと一緒に訓練がしたいそうなので、シミュレーターとの連動訓練の許可を下さい。」

「『スレイプニル』……北欧神話に出てくる世界最速の神馬の名前ね。
 00ユニットとの訓練は、あんた自身は機密情報閲覧資格があるから問題ないけど、情報漏洩があると不味いわね…………
 技術部と整備班に、突貫作業で可搬式遠隔操縦装置を作らせるわ。
 それをB27フロアの90番ハンガーに設置させるから、テストを兼ねて凄乃皇弐型との連携訓練をしなさい。
 ………………白銀?」

 ここまで、流れるように言葉を続けてきた夕呼が、不意に表情を消し、言葉を途切れさせた。

「はい?」

 もの問いたげに応える武に、夕呼は相手の真意を見透かそうとするような、鋭い視線を向けた。

「あんたの持ってきた『遠隔陽動支援機構想』は、有効なプランと言えるわ。
 ……まして、それを運用するのがあんたなら、相当な効果が見込める。
 けど、前線の兵達からの評価は厳しいものになるわよ?
 『後方に引っ込んで、前線に出てこない臆病者』くらいは、言われる覚悟をしておくのね。」

 夕呼の言葉に、武は笑みを浮かべて即答した。

「いいじゃないですか。
 オレが命を惜しんで後方に引っ込んでるのは事実ですしね。
 今後は、『世界一の臆病者』ってのを、座右の銘にして生き抜きますよ。」

「…………そ、ならいいわ。」

 武の反応に満足したのか、夕呼はあっさりとこの話題を終わらせた。
 そして、今度は武が真剣な表情になって、夕呼に話し掛けた。

「話は変わるんですけど、少し、いいですか?」

「いいわよ。なに?」

「前にお願いしておいた、次回のループにオレの記憶を可能な限り引き継ぐ方法と、オレが『因果導体』で在り続けるための注意点についてなんですけど、そろそろ教えて貰った方が良いと思うんですよ。」

「あら? なんで、そう思うわけ?」

 とぼける夕呼に、武は苦笑して答えた。

「オレが純夏と親しくなり過ぎたら、拙そうな気がするからですよ。
 オレも、自分が『因果導体』にされた理由についてとか、それなりに考えてみたんですけどね。
 『偶然』オレだった……てオチならともかく、『必然的に』オレが『因果導体』に『選ばれた』んだと仮定すると、そもそもオレを選びそうな存在なんて、純夏くらいしか思いつかないんですよ。
 あいつだったら、少なくともオレに執着はあると思いますしね。
 で、純夏が原因だと考えると、『向うの世界』で記憶流出のキーになってた『オレに対する強い感情』に反応したのは、独占欲か嫉妬だと考えれば納得いきます。
 それに、閲覧可能になった機密情報にあった『G弾』の資料によると、あれ『五次元効果爆弾』ってのが正式名称だそうですね。
 五次元って、3次元空間に、時間と重力ですよね?
 転移実験に使った装置の説明の時に、先生、未来から過去に流れるなんたらとか言ってませんでしたっけ?
 純夏が捕まってた横浜ハイヴの攻略で、G弾は2発使われてますよね?
 五次元効果って、確率分岐世界間に穴とか開けちゃったりしませんか?
 少なくとも、瞬間的には、転移装置よりも莫大なエネルギーを発生させてますよね?
 正直、純夏以外に候補が見つからなかっただけなんですけど、純夏なら他の人間よりも納得いく条件が揃ってるんですよ。
 屁理屈にもなってないのは、自覚してるんですけどね。」

 夕呼の表情を伺うようにしながら、長々と弁を振るった武に、夕呼は少し嫌そうな表情を浮かべて首肯した。

「……途中経過はなってないけど…………結論から言えば、あたしも『鑑純夏』があんたを『因果導体』にした原因だと考えているわ。」

「やっぱりそうですか…………
 にしても、世界が違うからって、自分自身から記憶を奪うなよな…………ったく。
 それで、記憶を保つ方法と、『因果導体』であり続けるための方法……こっちの方はどうですか?」

「…………このタイミングで聞いて来るんだから、そっちも薄々想像付いてるんでしょ?
 あくまで推測に過ぎないけど、あんたが『因果導体』から解放される条件は、『白銀武』と『鑑純夏』が結ばれる―――相思相愛になる事。
 あんたの記憶に関しては、恐らく、あんたが『鑑純夏』以外の人間と結ばれる―――こっちは一定以上の愛情と、もしかしたら性的行為が引き金となって、『白銀武』の再構成時に記憶が削除される可能性が高いわ。
 あんた、今回この世界で目覚めたとき、とても強い喪失感を感じたけれど、何に対する喪失感かはっきり認識できなかったって、言ってたわね。
 恐らく、その喪失感の対象に関する記憶が根こそぎ削除されてるはずよ。
 これらの推測から、あんたが要求される注意点は…………『鑑純夏』を含めて、誰とも深い関係にならない―――つまり、『愛し合わない』ことよ……」

「……先生…………もう、ばれてるとは思いますけど……
 オレは『鑑純夏』を愛しています……どこの世界のどんな純夏であっても!!
 この気持ちはもう消せないと思います…………
 でも、それが必要なんだとしたら、オレは…………オレはこの想いを押さえ込んで見せますッ!
 …………けど、今のこの世界の純夏は、リーディング能力を持ってる!!…………
 先生ッ!!……オレは、オレはどうしたら…………どうしたら、いいんですか?…………」

 武は、見開いた両目からポロポロと涙を零しながら、夕呼を真っ直ぐに見つめた。
 夕呼は、それをジッと見つめてから、武に、痛ましげに答えた。

「白銀…………ほんと……可哀想だと思う、心底同情するわ…………
 …………………………くっ………………くくくくく…………あ~~~っはっはっはっ!」

 そして、いきなり肩を震わせたかと思うと、夕呼は大爆笑した。

「ごめんごめん……いやぁ男泣きだなんて面白いもの見せてもらったけど、白銀ぇ…………
 あんた、00ユニットの装備関連の資料、まともに読んでないでしょ。
 00ユニットの着けてるおっきな黄色いリボン、あれの詳細知らないの?」

 突然のことに、武は唖然として、涙をぬぐうことすら忘れて夕呼に答えた。

「え?…………あのリボンは純夏が昔っから着けてる…………」

「はっずれ~。あれはそれとそっくりに作ってあるけど、全くの別物よ。
 そして、あれの生地の繊維に『バッフワイト素子』とマイクロチップが織り込まれてるの。
 『バッフワイト素子』ってのは、一つの大きさが約20ミクロンの思考波通信素子よ。
 それが逆位相の思考波を発信していて、マイクロチップに登録された人物の思考波を打ち消してしまうのよ。
 現在、オルタネイティヴ計画の主要メンバー全員分の思考波パターンが登録済み。
 あんたの思考波をここに加えれば、00ユニットはあんたをリーディングできなくなるわ。
 あとは、00ユニットの安定具合を見て、白銀の周囲にいる人物も、片っ端からリーディング制限に加えるわ。
 人格が安定してきているなら、他人の心が見えてしまうことは決して幸福なことではないしね。
 特に、昨日辺りから、御剣達元207訓練小隊の娘達に興味を示しているしね。
 ああ、どうせリーディング制限するなら、あんたの中隊に配属しましょう。
 あたし直属の、特殊任務専従の人間として紹介すればいいわ。
 調律の次の段階としては最適じゃない。
 不特定多数の人間と交流させることで、人間性の回復も促進できるわ。
 今日一日様子を見て、問題がなければ明日にでも、A-01の娘たちに引き合わせなさい。」

「いやあの……なんか急展開なんですけど……大丈夫なんですか、実際?」

「あんたねえ、これから運用評価試験当日まで、あんたがやんなきゃなんない事は山盛りなのよ?
 いくら、調律が上手くいってるからって、今までみたいにかかりっきりになれないでしょ?
 それに、さっきの話で『愛しちゃいけない』って意識したから、どうしても距離を取りがちになっちゃうんじゃないの?」

「それはそうですけど…………そこは、訓練一緒にしたりして、埋め合わせるとかじゃダメですかね…………」

「あんたってほんと、女心が分かってないわねえ……
 リーディング制限したら、常に観測することで白銀を身近に感じていたのに、それが急にできなくなるのよ?
 心が見えていたからこそ、安心できた部分があるんじゃないかしら?
 00ユニットの精神に与える影響を考えれば、白銀との距離が遠くなる分を、何かでバランスを取らざるを得ないじゃない。
 『向うの世界』では、『鑑純夏』は御剣と親友だったんでしょ?」

「は……はい、そうです。」

「なら、そういうことでいいわね? 他には?」

「あ、後2つほどあります。
 まず、純夏の事を『鑑』って呼んでやってください。
 どうも、調律でやりすぎたらしくって、今の純夏は『向うの世界』の純夏そのものなんです。
 今の純夏にとっては、先生は、『香月副司令』じゃなくって、『香月先生』なんですよ。」

「ああ、00ユニットが、あたしの言動に微妙な反応してたのはそれだったのね…………
 わかった……今後は『鑑』と呼んで、人格を尊重して接することにするわ。
 確かに、今の『鑑』は『向うの世界』に偏りすぎているかもしれないわね。
 でも、現在の安定度は捨て難いから、運用評価試験までは下手に修正しようとしない方が良さそうね。」

「はい。オレもそう思います。
 で、もう一つなんですけど……純夏のスペアとして、オレを00ユニットにする準備をしておいて貰えないですか?」

「…………白銀? 00ユニットになるって事は生物としての死を迎える事だって言ったわよね。」

「ええ。ですから、純夏に問題が発生しない限り試す気はありません。
 でも、身体の死が、必ずしもループの条件じゃないんじゃないかって気もするんです。」

「……どういうこと?」

「だって、便宜上ループって言ってますけど、実際は、確率分岐世界群からオレの因果情報を集めてきて再構成してるって事でしたよね。
 それだったら、途中で気絶しようと、仮死状態になろうと、記憶喪失になったとしてもですよ?
 『その後』に続く『白銀武』が存在しさえすれば、その『白銀武』の因果情報も、再構成の時に回収されるんじゃないかって思うんです。
 だから、『人間の白銀武』が死んでも、その後に『00ユニットの白銀武』が存在していれば、そっちの記憶も次のループに持ち越せるんじゃないかと思うんですよ。」

「…………なるほど、確かに可能性はあるわね…………
 しかも実施条件は『鑑純夏』に深刻なトラブルが発生した場合……その時には、オルタネイティヴ4は致命的なダメージを被っている可能性が高い。
 それなら、オルタネイティヴ4の再起の可能性も兼ねて試してみる価値はあるわね……
 どうせ、白銀は自分が00ユニットになれるかどうか、どうしても知りたいんだろうし…………
 それに、あんたが目を光らせている限り、他の素体候補は使わせてくれそうにないしね。」

「そういうことです。」

「わかったわ。準備はしておくから安心しなさい。
 もう、他には無い?
 無いなら出てって頂戴……あんたのおかげで仕事が増えちゃったんだから。」

「はい。色々と、ありがとうございます、先生。」

 シッシッと手を振って追い出す仕草をする夕呼に、武は深々とお辞儀をして、部屋を出て行った。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B19フロアのシリンダールームで、訓練から戻った純夏を迎え入れた武は、午前中と同じく、純夏と『向うの世界』での想い出話をした。
 最近の想い出は避け、なるべく幼い頃の話を中心に据えて話していたが、『向うの世界』で純夏の日記を読んで来たとはいえ、武の記憶は相当曖昧になっていた。
 逆に純夏は、相当昔の事でも武に関わる部分は至極明瞭に覚えていて、武の間違いを正していく。
 そして、武は純夏が曖昧にしか覚えていない、武以外の登場人物を思い出しながら、純夏の記憶を補完していった。

「また間違えてる~~~……タケルちゃん、砂場でケーキなんか作ったことなんて無いよ?
 大体、わたしが砂場で遊んだこと無いだなんてあり得ないよ!
 わたしの砂場デビューは、幼稚園に入って直ぐに、タケルちゃんと一緒に遊んだ時だもん。
 あの時は、タケルちゃんに砂投げつけられて、目に入っちゃったから痛かったよぉ~。」

「そ、そうか?……にしてもおまえ、こっちじゃ日記も手元にないのに、良く憶えてるな~。」

「そりゃあそうだよ!
 タケルちゃんといて、タケルちゃんとの想い出があって、はじめてわたしなんだから。
 だから、忘れないよ。忘れるわけないよ。」

 純夏の言葉に、『向こうの世界』であった『出来事』を連想しそうになってしまい、武は必死に踏みとどまった。

「っ!―――ちょ、ちょうしいいなぁ~……ついこないだまで、忘れてたくせに~。」

「でも、ちゃんと思い出したよ!
 大体、タケルちゃんのこと忘れちゃったら、半分はわたしじゃなくなっちゃうよ……
 だから、この間までのわたしは、わたしじゃないんだよ!!」

「……わかったわかった…………じゃあ、そんな純夏に問題だ!
 オレと初めて海に行った時のこと、憶えてるか?」

 海という単語に反応して、霞の髪飾りがピョコっと跳ねる。

「―――海……私、行ったことありません……」

「え~~~~っ! そうなの? 霞ちゃん。
 …………じゃあ、タケルちゃんの恥ずかしいシーンと一緒に思い出すから、リーディングで堪能してねっ!!」

「こ、こら純夏ッ!」

「う、嬉しいです、純夏さん……」

「やめろやめろやめろお~~~ッ!!」

 そんな調子のやり取りが夕食後まで続いたが、今日の純夏は頭痛を訴えることも殆どなく、何の問題も見受けられなかった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 純夏と霞に別れを告げて、武はシミュレーターデッキへとやってきていた。
 昼食後に、夕呼からヴァルキリーズとの連携訓練の許可を得た武は、執務室を出るなりみちるに連絡を入れ、シミュレーターを使用した夜間訓練をねじ込んでおいた。
 よって、武が来た時には、シミュレーターデッキでは、ヴァルキリーズがBETA相手の防衛訓練を行っている真っ最中であった。

 武は、制御室の遙に声を掛け、BETAの増援を出すように依頼してから、素早くシミュレーターに搭乗する。
 着座調整が終わり、武が操縦する戦術機、F-15J『陽炎』がシミュレーター上の仮想戦場の戦線から1000m後方に配置される。

 その時、ヴァルキリーズは突然出現したBETAの増援に食い破られた戦線を、必死に建て直そうとしている最中だった。
 分断こそされていないものの、周囲をBETAに囲まれ、退路を切り開けないまま、弾薬が湯水のように消費されていくという、悪夢のような状況に陥っていた。

「くッ! 大尉、あたしが先行して飛び上がります! あたしがレーザーを回避してる間に、離脱してくださいっ!!」

「速瀬?……くそっ、仕方ないか……よし、ヴァルキリー1より各機、速瀬が飛び上がったら続けて匍匐飛行でBETAを突破する、要塞級(フォート級)の衝角に気をつけろ!」

 突撃前衛長(ストームバンガードワン)の水月が言い出した捨て身の陽動に、みちるは断腸の思いで許可を出した。
 そして、即座に水月が飛び上がろうとした所に、戦域管制の遙から通信が入った。

「ヴァルキリー・マムより各機―――10秒以内に、スレイプニル0が支援を開始します。
 データリンクを更新、オープンチャンネルにスレイプニル0を加えます。」

「こちらスレイプニル0、あと少しで支援できる、それまで持ちこたえてくれ!!」

「白銀ッ?!……わかった、各機BETAを近づけるな! 速瀬、いいな?」

「ちっ……白銀ぇ、あんた、とちったらただじゃおかないわよ?」

「伊隅大尉、接敵後ALM(対レーザー弾頭弾)を発射します、それを隠れ蓑にして、包囲を抜けてください。
 その後オレは、陽動支援を実施します!」

「わかった。―――ヴァルキリー1より全機に告ぐ。
 ALM発射後、レーザー属種による迎撃を合図に噴射跳躍、BETAの包囲を抜けるぞ!」

「「「「「「「「「「 了解! 」」」」」」」」」」

「―――スレイプニル0―――バンデッドインレンジ! エンゲージオフェンシヴ!―――フォックス1ッ!!」

 BETAの包囲網の更に奥、要塞級の影に見え隠れするレーザー属種をALMランチャーの射程に収めた武は、陽炎の両肩からミサイルを全弾同時発射した。
 発射したミサイルは、BETAの包囲網の上空を抜けるか抜けないかの辺りでレーザー属種に撃墜されたが、代わりに重金属雲が発生しレーザーを阻害する。

「よし、全機NOE(匍匐飛行)だっ!」

 すかさず放たれたみちるの命令だったが、全員が命令に一歩先んじて噴射跳躍、追撃してくる要塞級の衝角を避け、あるいは斬り捨ててBETAの包囲を突破する。
 そして、そのヴァルキリーズの94式戦術歩行戦闘機『不知火』とすれ違うようにして、武の『陽炎』がBETAの集団の中へと飛び込んで行った。

「「「「「 タケル!?/白銀ッ!/白銀?/たけるさん/タケルーっ 」」」」」

 思わず武の身を案じて名を呼んでしまう元207B分隊の5人。
 そして、その無謀な行動には先任達も驚いていた。

「ちっ、あのバカッ、なにとち狂ってんのよ!!」

「まずいな……援護しようにも、残弾が心許ない……」

「美冴さん、C小隊のみ残って援護しますか? その間にA,B小隊に補給してもらえば……」

 水月、美冴、祷子の3人は、敵中に孤立しようとしている武を援護する方法に頭を悩ます……
 しかし、即座に迷いを切り捨てるようにみちるの命令が発せられた。

「速瀬、宗像、風間、忘れたのか?
 各機に告ぐ、援護は不要だ。我々は一旦後退し、補給コンテナで補給を済ませ、体勢を立て直す!」

 その、武を見捨てろと命ずるに等しい内容に、全員が驚愕する。

「「「「「「「「「「 ―――!! 」」」」」」」」」」

「白銀が撃墜される前に取って返すぞ! 全機急げ!!」

「「「「「「「「「「 了解! 」」」」」」」」」」

 が、みちるの一喝により動揺は瞬時に収まり、全員は戦域情報に表示されている、補給コンテナのビーコン目指して速度を上げた。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

「よし、状況終了だ! シミュレーター演習はまだ続けるが、全員一旦シミュレーターから出ろ。」

 設定時間が経過したところで、みちるが訓練中断の指示を下した。
 ヴァルキリーズがみちるの前に集合すると、何故か武がみちるの隣に立っていた。

「「「「「「「「「「 ? 」」」」」」」」」」」

「よし、全員揃ったな。
 改めて紹介しておこう、本日付で新たに編制された、A-01連隊第13中隊の中隊指揮官に着任した、白銀武大尉だ!」

「「「「「「「「「「 た、大尉~~~ッ?! 」」」」」」」」」」

「ふっ……白銀大尉、一言挨拶をしろ。」

「あ~、今日からまた皆さんと訓練出来る事になりました。
 大尉とか中隊長とかは、他部隊と一緒に行動する際の箔付けにすぎないんで、今まで通り新任扱いでお願いします。
 大体、中隊って言ったところで、今のところオレしかいませんし……」

「だ、そうだ。望みどおりにしてやれ。
 だが、作戦時と訓練時には、白銀のA-01での序列は私に次ぐ第2位だ。
 そこの所のけじめだけはしっかりつけろ、いいな!」

「「「「「「「「「「 ―――了解! 」」」」」」」」」」

「続けて、今のシミュレーター演習に関して、簡単に演習評価を行う。
 私からの評価の前に、意見や質問があるようなら発言を許す。言ってみろ。」

 みちるが促すと、水月、美冴、祷子の3人が目配せしている間に、茜が一歩前に出て発言した。

「大尉―――BETA包囲下の我々への支援の後、BETA群へと吶喊した白銀―――大尉の行動は無謀だったと考えます。」

「ふむ……だが、白銀は我々が補給を完了し戦線復帰するまで凌ぎ切ったぞ?
 どうだ、白銀……凌ぎきる自信はどの程度あった?」

「そうですね……五分五分ってとこでしたね……今回は未改造の陽炎のデータでしたし……
 あ、涼宮、階級は気にせず、呼び捨てで頼むよ。」

「ふむ。自信の程は50%だそうだ。どの辺が問題だったと思う? 涼宮少尉。」

「今回は我々の戦線復帰が間に合いましたし、大尉の迅速な判断によって援護を断念したため混乱には至りませんでした。
 しかし、白銀が行ったのは独断専行以外のなにものでもなく、連携を無視した行動は問題であると考えます。」

「なるほど、確かに同じ行動を速瀬が無許可で行ったのであれば、私も問題行為と判断するだろう。
 しかし、今回の設定で白銀が行う場合に限り、あの行動は適切だったと断言できる。」

「な!?……何故ですか、大尉!!」

「それはな涼宮。スレイプニル隊は、―――白銀の率いる第13中隊のことだが―――10機の遠隔操縦式無人戦術機『陽炎・改』を基幹戦力とする陽動専任部隊だからだ。」

「「「「「「「「「「 ―――!!! 」」」」」」」」」」

 驚愕する部隊員達に視線を一通り巡らせた後、みちるは説明を続ける。

「白銀の任務は、窮地に陥った戦域に単機で吶喊し、BETAを陽動して戦線の維持・再構築を支援することだ。
 その任務の中には、BETAを誘引した後、搭載されたS-11を使用して自爆、BETAを殲滅することも含まれている。
 また、操縦者である白銀自身はHQに留まり、遠隔操縦システムで戦域各方面に事前配備されたスレイプニル所属機を随時起動、その時々に最も支援を必要とする戦域へ急行し、これを支援する事になる。
 戦場全体で、最も火の粉を被る場所で火消しをするのが、白銀に与えられた任務だ。
 残念ながら、ハイヴ内での通信は途絶しがちな為、ハイヴ突入部隊の支援は想定されていないがな。」

「「「「「「「「「「 ……………… 」」」」」」」」」」」

「よって、スレイプニルの支援を受けた部隊は、戦線の再構築、BETAの殲滅が優先目的となり、スレイプニルに対する援護は考慮されない。
 我々は、スレイプニルの支援を有効に生かし、戦線の再構築、またはBETAの殲滅を、如何に素早く達成するかが課題となる。
 逆に、白銀にとっては、援護の全くない状況で如何に多くのBETAを陽動し、他部隊の支援を効率良く行えるかが課題となる。
 今後、白銀が参加する全ての演習は、以上の方針に沿った錬成を行うものだと認識しておけ。」

「「「「「「「「「「 ―――了解! 」」」」」」」」」」

「なお、白銀の機動制御は対BETA戦での優位性が、先の『XM3』トライアル後のBETA襲撃の際に実証されている。
 各員、白銀の機動制御技術を可能な限りものにしろ!」

「「「「「「「「「「 ―――了解! 」」」」」」」」」」

「では、他に何も無ければ私の評価を発表する…………ないか?…………
 よし……まず最初に、BETA増援が出現した時の…………」

 こうして、演習目的が明確化され、演習評価がなされた後、シミュレーター演習は本格的に再開された…………




[3277] 第6話 鬼が島
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/05/31 17:15

第6話 鬼が島

2001年12月22日(土)

 今朝も純夏と霞に起こされた武は、そのまま2人を伴って、PXで朝食を食べることにした。
 今日から純夏は、スレイプニル隊所属『鑑純夏少尉』として公式に登録され、戸籍も復活させられたので、人目を避ける必要が無くなったためだ。
 武は、京塚のおばちゃんに純夏を紹介すると、早々に朝食を済ませてヴァルキリーズとのブリーフィングに臨んだ。
 そして、壇上に純夏と霞を伴って立ち、ヴァルキリーズに純夏を紹介する。

「こいつは、CP将校としてオレのスレイプニル隊に今日付けで配属になった、鑑純夏少尉です。
 訓練などで一緒になる事もありますし、同じA-01て事で、よろしくしてやってください。
 ほら、純夏、挨拶しろよ。」

「「「「「 ―――!? 」」」」」

 訓練兵だったころの武から、幼馴染の『カガミ・スミカ』の話を聞いたことがある、元207Bの5人は驚きを隠せなかった。
 その時、『カガミ・スミカ』はもう『この世界にはいない』と、武は確かに言っていたからだった。

「う、うん……えっと、鑑純夏です。よろしくお願いします。」

「純夏は、オレの部下って言うより夕呼先生の直属で、一緒に特殊任務に従事してる仲間って感じです。
 ついこの間まで、精神的障害を負っていて記憶が混乱してましたから、たま~に変な事言い出しますけど、適当に流しちゃってください。」

「ううう……酷いよ、タケルちゃん…………」

「「「「「「「「「「「「 タケルちゃん?! 」」」」」」」」」」」」

 純夏と武の親しげな様子に、あるものは面白そうに、あるものは驚愕し、またあるものは舌なめずりをして、注目した。
 武は、背筋に悪寒を感じたものの、なんとか平静を装って話を続けた。

「それから、こちらは皆さんご存知でしょうけれど、夕呼先生の直属でオルタネイティヴ計画のメンバーである、社霞です。
 霞も特殊任務の関係上、一緒に行動する事が多いと思いますので、よろしくお願いします。」

「……社霞です。よろしくお願いします。」

 霞はペコリとお辞儀をして、言葉少なに挨拶をした。

「ヴァルキリーズの紹介は―――大尉、お願いできますか?」

「ん? いいだろう……だが白銀、どうやら、その前に質疑応答の時間を設けた方が良さそうだぞ?
 いや、命令だ白銀。先に我々の疑問に応えろ。」

 武には、その時ヴァルキリーズ全員の目が、ギラリと妖しい光を放った気がした。

(大尉まで! もはやオレは、飢えたライオンの前に放り出された羊同然……避けては通れない道なのか?!)

 武は涙を堪えながら、猛獣達の宴の幕開けとなる一言を……告げる。

「了解しました、大尉………………では、質問のある方はどうぞ……」

 みちるを唯一の例外として、ヴァルキリーズは一斉に口を開いて我先に発言しだした、その様子はまるで餌をねだる雛のようだと武は思った。
 腐肉にたかるハイエナとは思いたくなかったので……

「白銀っ! あんたその娘とど~ゆ~関係よっ! 今すぐきっぱり答えなさいよ。3、2、1―――はい!」
「鑑少尉はCP将校なんだね。私もCP将校だから、仲良くしようね。」
「白銀……貴様、上司という立場を利用して、着任したばかりの部下に手を出すとはな―――見損なったぞ……」
「あら、鑑少尉と社さんがご一緒だったということは……白銀大尉、特殊任務では両手に花でいらしたのね……」
「白銀って、年下趣味か年上専門だと思ってたけど、同じくらいの娘でもいいんだね。結構、許容範囲広いのかな?」
「千鶴ぅ、どうすんのぉ? トンビに油揚げになっちゃうんじゃないの?」
「す、涼宮っ、あなた何言って―――」
「……榊、顔赤いよ?」
「カガミスミカと言ったな? タケル、もしやその者がそなたが以前言っていた幼馴染なのか?」
「あのっあのっあのっあのっあのっあのっあのっあのっあのっあのっ……」
「タケルぅ~、精神障害って色々あるんだよ~、統合失調症、知的障害、精神病質、感情障害、神経症性障害……純夏さんはどれかなあ?」

「だぁ~~~っ!! んな一辺に言われたって聞き取れない―――「えっとね……」―――」

 皆の発言が入り乱れてしまい、内容を聞き取りそびれた武は、大声で叫び文句を言おうとしたが、隣の純夏が話し始めたので沈黙した。
 すると、純夏は各人の発言に一問一答の形で的確に答えていった。
 無論、00ユニットとしての能力の発露である。

「そうだよ、冥夜……さん、わたしとタケルちゃんは子供の頃からのお隣さんなんだ~。
 それから鎧衣さん、症状的には統合失調症か解離性障害に近いって香月先生が言ってたよ~。
 壬姫さんも、あせんないで、落ち着いてね。
 柏木さんは鋭いね~、タケルちゃんって、鈍いくせに節操無いんだよね~。
 風間さんの言う事は間違ってはいないけど、タケルちゃんはい~っつも女の子侍らしてるから、2人だったら少ないほうです。
 宗像さん、手を出す根性も甲斐性も持ってないんです、なんたってタケルちゃんですから。
 涼宮さん―――えっと、お姉さんの方ね―――わたし真っ当な訓練受けてないんで、色々教えてくれると嬉しいです。
 で、最後に速瀬さんの―――あれ?なんでみんなびっくりしてるの?」

「か、鑑少尉……そなた、もしや我らの発言を全て聞き分けていたのか?」

「うん。そうだよ冥夜さん。涼宮さん―――妹さんね―――と榊さん、彩峰さんのは質問じゃなかったよね。」

「う……凄い……わねえ」

 当然、周囲はその能力に驚愕する、奇異の目が純夏に向けられるのではと武は警戒した……が……

「本当に凄いのね。それだけ沢山の言葉が聞き分けられるなら、HQでCP将校する時には、とても便利だと思うよ。」
「本当だね~、聖徳太子は十人の請願者の話を全部聞き分けたって言うけど、純夏さんもできるかもしれないね~。」

 ほんわかした口調でCP将校としての適性を評価した遙と、聖徳太子になぞらえた美琴の発言で、好意的な評価が確定した。
 一同の驚愕が一段落したところで、純夏にみちるからの指導が入る。

「鑑。副司令からの命令で、我が隊では堅苦しい言動は無用とされてはいるが、それでも上官や目上の者の階級を呼ばないのは感心しないな。
 どうやら、事前に我々のリストか何かを閲覧し、記憶してきているようだが、それに階級も載っていなかったか?」

「あ、はい。載っていました、伊隅……大尉……殿?」

「殿まで付ける事は無い。それと、白銀の事は今まで通りでいいぞ。
 幼馴染の呼称を改めるのは、難儀なものだと私も知っているからな。
 あと、先任とは言え、風間以外は年齢も同じだ、同期として付き合えばいいだろう。」

「あ、ありがとうございますっ! 伊隅大尉。」

「あ~、鑑ぃ~。あたしの質問はどうなっちゃったのかしらぁ~。」

「あ、すいません、速瀬中尉。わたしとタケルちゃんはず~~~っと幼馴染だったんですけど…………
 こないだ、遂にタケルちゃんがわたしのこと抱き締めてキスしてくれたんですっ!!
 でもって、わたしが『大好き』って言ったらぎゅ~~~って抱き締めてくれて、もう一回…………
 だから―――恋人、かな? えへへへへ。」

「「「「「な、なななななナナナ/な!なんですって!!/……白銀に捨てられた……ショック……/こくっこくっこくっ/もし告白されたのがボクだったら……」」」」」
「ヒュ~~~ッ、白銀っ、よくやったわっ!! あんたのこと、見直したわよっ!」
「白銀大尉、よく決断したね。こんなご時勢だけど、鑑少尉とお幸せにね。」
「なんだ、ちゃんと想いを伝えたのか……白銀も、中々隅には置けないな……」
「素晴らしいわ。おめでとう、鑑少尉。」
「あちゃぁ~、先こされちゃったか~。」
「晴子、何言ってんのよ……でも、千鶴も可哀想に……」

 純夏の発言で、一気に盛り上がるブリーフィングルーム。
 恋人発言に動揺した元207Bの5人は、絶句したり、横目で睨んだり、どもったり、妄想したりで忙しかったが、他のヴァルキリーズには概ね好意的に受け入れられたようだった……が……

「………………な……なんだとッ! 幼馴染同士で相思相愛になれたのかッ!!
 鑑―――是非その時の事を詳しく―――」

 今まで、唯一人沈黙を守っていたみちるが、突如火山が爆発でもしたかのような勢いで純夏に喰らい付いた。
 それを見て呆然とする新参と、暖かな目で見守る古参……そして、呆然としていた武も、この時ようやく正気に戻って全力で純夏の話を否定する。

「まてまてまてまてまてぇ~っ! いい加減な事言ってるんじゃない純夏っ!! キスだなんて、オレはそんなことしてないぞッ!!(『この世界』では、だけどな……)」

「「「「「「「「「「「「「 …………………… 」」」」」」」」」」」」」

 途端に武に突き刺さる冷たい視線×13―――ヴァルキリーズに何故か霞まで加わっている。

「え~~~~~っ! 酷いよタケルちゃんッ! わたしん家の前で、ついこないだわたしにキスしてくれたじゃんさ~っ!!
 やっと夢が叶って、今までで一番幸せだったんだから、ぜぇえ~ったいっ、間違いないよ~。」

 ぷんぷんと怒る純夏を見据え―――他のメンバーは怖くて視界に入れたくなかった―――武は心を鬼にして純夏を追い詰める。

「ふっ……語るに落ちたな純夏っ! おまえの家は、3年前のBETA侵攻のときに『撃震』に押し潰されて半壊しちまってるんだぞっ!!
 なのに、なんだってそんなとこでキスなんかするんだよっ! 大体、おまえ出歩けるようになったのだって、つい最近だろっ!!」

「うそ、わたしの家、壊れちゃったの?……え……?……あれ?……」

 自らの記憶の齟齬に気付き、混乱する純夏を痛ましい目で見ながら、武は純夏に話しかける振りをして、純夏以外に向けた言葉を解き放つ。

「3年前のBETA横浜侵攻で離ればなれになっちまって、こないだようやく再会できたときには、おまえ、話もまともに出来ない状態だったんだぞ。
 それ以来、夕呼先生の研究を応用した治療受けてて、まともに会話が出来るようになったのなんてこの2、3日の事だろ?
 きっと、夢かなんかで見た事と、ごっちゃになってるんだよ……な、『解る』だろ? 純夏……」

「「「「「「「「「「「「 ―――!! 」」」」」」」」」」」」

 周囲で武を睨んでいたヴァルキリーズは、冷や水を浴びせられたような気持ちになって、視線を泳がせる。
 この基地の所属で、1998年のBETA横浜侵攻の事を知らないものはいない。
 いや、横浜だけではなく、関東以西の日本の半分がBETAに蹂躙され、佐渡と横浜にハイヴを作られ。
 日本は3600万人もの同胞を失ったのだ。
 それ故、その最中に生き別れるという意味、そして3年を経た再会がどれほど奇跡的なことなのか、ヴァルキリーズの全員が思いを巡らせて絶句した。

「あ…………そ、そうか……そ、そうだね、ごめんねタケルちゃん、なんか勘違いしてたみたい……あはは―――」

 武の言葉で、夕呼に言い聞かされていた自分の『設定』を、そしてキスをされたのが『向うの世界』での事だったのだと思い出し、哀しげに言葉を窄ませる純夏。
 その純夏を思いやり、ヴァルキリーズの面々は純夏に歩み寄って、各々が慰めの言葉を投げかけた……

 その後、ようやく笑顔を取り戻した頃、純夏はすっかりヴァルキリーズに受け入れられていた。

 そして続く歓談で、幼い頃の武の恥ずかしい行いの数々が暴露され、場は大いに盛り上がった。
 もっとも、話の中に意味不明な話―――ゴルバンとか、ウルターメン・パワードとか―――が出てきたため、半分は記憶の混乱によるものとして理解されていたようだった。

 ともかく、あっという間に小一時間が過ぎ去り、みちるの命令でブリーフィングは終了、シミュレーター演習が行われた。
 純夏はCP将校として武の戦域管制を行い、情報処理の速度と的確さで、遙に一目置かれることとなった。

 その後、純夏の歓迎会を兼ねた昼食をPXでとった後、午後の予定が、ヴァルキリーズは実機訓練、武達は特殊任務ということで解散することとなった。

 武は純夏の午後の訓練に、遠隔操縦システムの慣熟を兼ねて参加し、仮想戦術機中隊と協力し、純夏の護衛任務を想定したシミュレーター演習を繰り返した。

 純夏の訓練が終わると、武と純夏、霞の3人は戦術機ハンガーへと赴き、第二世代戦術機の傑作機、F-15J『陽炎』を改修した『陽炎・改』を受領し、ヴァルキリーズの実機訓練に合流した。
 そして、統合仮想情報演習システム(JIVES)での演習に参加、純国産の第三世代機である『不知火』を相手に互角以上の機動を見せた。

 その後、夕食と夕食後の休憩を挟み、更に夜間訓練としてシミュレーター演習を行い、この日の訓練は終了した。

 そして、同じくこの日の深夜、『サンタうさぎ』も完成を見たのであった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月23日(日)

「本日未明、国連軍第11軍司令部より、極東国連全軍に対し、佐渡島ハイヴ制圧作戦が発令された。」

 朝のブリーフィングルームの雰囲気は、この、みちるの一言で一気に緊迫したものになった。
 ブリーフィングルームには、ヴァルキリーズの全員と武の計13名が集まっていた。
 みちるの説明は続く。

「本作戦は、在日国連軍及び帝国本土防衛軍との大規模共同作戦だ。
 作戦名は『甲21号作戦』―――これは佐渡島ハイヴの帝国軍戦略呼称『甲21号目標』に由来する。
 作戦実施は来る12月25日。既に国連、帝国両軍は、日本海沿岸部に集結中だ。
 当横浜基地からは我がA-01部隊のみが、特殊任務のために参加する事になる。
 本作戦に於ける我が部隊の任務は、オルタネイティヴ計画より試験的に投入される新型兵器の支援及び護衛だ。
 我が部隊は明朝04時00分横浜基地を出撃。
 陸路にて帝国軍高田基地まで前進し全機起動。
 帝国海軍の戦術機母艦『大隈』に移動後、海路にて佐渡島を目指す。
 ―――ああ、我が部隊と言ったが、A-01連隊からの参加メンバーはここにいる13名のみだ。
 今回、鑑は居残りとなる。
 また、白銀と涼宮は、12月25日04時00分、輸送ヘリで『大隈』を離艦、作戦旗艦となる重巡洋艦『最上』に移乗し、HQで香月副司令達と合流する。」

 その後は質疑応答が行われ、新型兵器の詳細については夜のブリーフィングの説明を待たねばならない事と、A-01部隊のハイヴへの突入は作戦上想定されていない事の2点が判明した。

 この日の武は、午前中はヴァルキリーズとJIVESを使った拠点防御演習を実機で行い、『甲21号作戦』に備えた。
 ブリーフィング終了後からは、純夏と霞が合流し、訓練後には、PXで昼食をヴァルキリーズと食べた。
 純夏は、冥夜を初めとする元207Bの5人を中心に、ヴァルキリーズの皆と歓談し、普通に馴染んでいる様子だったので、武はそれを見て安心した。
 遙から、CP将校として同行してくれれば心強いのにと、しきりに残念がられた純夏だったが、自分は凄乃皇弐型に乗って参戦するとは言えないため、笑って誤魔化すしかなかった。

 午後からは、純夏の凄乃皇弐型とのシミュレーター演習をこなした後、完成の遅れていたスレイプニル隊の装備である、『自律移動式整備支援担架』と『自律式簡易潜水輸送船』のテストに立ち会った。

 この2つの装備は、『甲21号作戦』において『陽炎・改』を佐渡島の戦場の各地に自律制御で展開させるために考案された。
 『自律移動式整備支援担架』は、87式自走整備支援担架に不整地での障害踏破用姿勢制御スラスターと、自律走行システム、自動整備装置などを追加したもので、『陽炎・改』を1機搭載して、陸上を運搬する装備である。
 『自律式簡易潜水輸送船』は、『自律移動式整備支援担架』が納まる大型水密コンテナに浅深度水中自律航行システムと、潜望鏡式通信アンテナなどを取り付け、水中での安定性を図るための流体整形を行っただけの急造品であった。
 これらの装備によって、スレイプニル隊の10機の『陽炎・改』は、作戦期間中の戦場内を随時移動し、陽動支援実施に備え各戦線の後方で待機するように計画されていた。

 テストは順調に済み、整備班による最終調整の後、明朝の出動に備えて運搬車両への積み込みがなされる手はずとなった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 武は夕食までに少し時間が空いたため、純夏と霞を校舎裏の丘へと連れ出した。

「ほら、『サンタうさぎ』。明日は渡すチャンスなさそうだしな。返品は受付ないからな?」

 ポケットから取り出した無包装の『サンタうさぎ』を、武は半ば放り出すように純夏に渡す。

「え?うわーっ、ホントに作ってくれたの? ありがとう、タケルちゃんッ!!」

 反射的に受け取り、純夏は一瞬キョトンとしたものの、直ぐに満面の笑顔になって武に感謝した……
 ―――が、純夏はおもむろに『サンタうさぎ』を目の前に持ち上ると、夕日の光に当てて細部を検め始める。
 そして、武を横目で見てニヤリと笑うと、からかうように感想を述べた。

「ちょっと不恰好だけど、ちゃんと『サンタうさぎ』に見えるじゃん。
 タケルちゃんが作ったとは、と~~~っても思えない出来映えだねっ。」

「なんだと~~~、そんなこと言うんなら返せっ! 今すぐっ、か~え~せ~ッ!!」

「か、返さないよっ! もう、もらっちゃったんだもんね~~~っ!!
 ……………………タケルちゃんっ、ありがとう! これ、一生の宝物にするよッ!!」

「…………か、かってにしろ!」

「えへへ……勝手にするもんね~~~っ!!」

 照れてそっぽを向く武を見て、純夏は幸せそうに満面の笑みを浮かべた。
 その様子を、霞も幸せそうに眺めていた…………

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月24日(月)

 満天の星空の元、戦術機母艦『大隈』の艦首近くの上甲板に座り込み、武は明日の戦いに思いを馳せていた。
 と、そんな武に声が掛かる。

「―――白銀?」

「大尉……」

 声に武が振り返ると、やや離れたところに防寒コートを着込んだみちるが立っていた。
 どうやらみちるは武を心配してわざわざ足を運んだらしく、BETAに対するPTSDの事が心配なのかと問いかけてきた。
 しかし、武自身はそんなこと自体すでに忘れてしまっていたほどだし、そもそも、遠隔支援ではシミュレーターと何も変わりはしない。
 逆に、武は前線に立つヴァルキリーズのことを気遣い、いざとなったら自分が駆けつけ囮になって支援するのだと、みちるに対して気負って見せた。

 その後、武の戦う理由の話から、普通の兵士は、実戦を繰り返すうちに、戦友の命を長らえさせるために戦うようになっていくものだという話になった。
 しかし、みちるは、武自身の戦う理由は、そういった刹那的な理由を超えた、より大きなものに到達しているように思えると武に語った。
 武にとっては、自分の背負った大きすぎる罪故だとしか思えないため、否定せざるを得ない見解だったが、みちるから良い評価を得られた事は、純粋に嬉しかった。
 その後、何故か話は同一部隊内での恋愛の是非に関するものへと傾いていった。
 部隊内に想いを寄せる存在が居た場合、私情を完全に排除する事は難しいだろうこと、しかし、他の仲間への配慮や自分自身のけじめが必要なこと、それでも尚相手を想い続ける事の難しさ。
 更に話はみちる自身の恋愛経験へと移り、姉妹4人で1人の男を競っていると言う話から、妹2人が帝国軍衛士であること、末の妹のあきらが今回の作戦で『ウィスキー部隊』に参加していること、そして、想いを寄せている相手が幼馴染で鈍感だという話へと移っていったのだが…………

「……そう言えば、貴様と鑑も幼馴染だったな!」

 という一言を皮切りに、武は純夏への態度について、みちるから激しく責め立てられる羽目に陥っていた。

「先日から聞いておこうと思っていたのだが、貴様は鑑に対して何か不満でもあるのか!?
 それともまさか、この期に及んで鑑の想いに気付いていないなどと言うのではないだろうな!」

 さすがに先日純夏が炸裂させた、キスされて相思相愛発言騒動の一件があるので、純夏の想いについては武も知らん振りはできなかった。

「さ、最近ようやくですが、そ、それは一応気付きました……」

「!!……やはり、最近なのか…………(幼馴染の男というのは、どうしてこうも鈍くできてるんだ……)」

 後半小声でぶつぶつと呟くみちるに、武が訝しげに応える。

「え、ええまあ……なんか、オレにとって純夏って、居るのが当たり前で、あいつの事なんて何でも解ってる気になっちゃってて……
 お互いの関係が変わるなんて、想像もできませんでしたからね…………
 でもまあ、暫く離ればなれになっちゃって、しかも生死も不明で…………オレも、あいつも、色々考えたみたいで……
 で、再会してさすがにあいつの気持ちには気付きました…………オレ自身の気持ちにも…………」

「そ、そうか!…………(やはり、お互いの存在や関係が当たり前に思えて、関係が変わる事を無意識に避けてしまうのか?)
 ―――とにかく! 今の話からすると、とりあえず互いの想いは伝わったようだな。おめでとう。」

 なにやら、武と純夏の関係に過剰なまでに共感している様子のみちるに、終始圧倒されてたじたじだった武だったが、その一言で一気に心が冷えた。
 とは言え、ここまで親身になってくれたみちるに何も言わないわけにもいかず、武は急に重たくなった口を、無理矢理開いた……

「―――大尉。オレの気持ちは純夏には言ってませんし、言う気もありませんよ……」

「なにッ!!」

「それに、オレは―――オレにはあいつの気持ちを……受け入れる訳にはいかない事情があるんですッ!!」

「貴様! それでも男………………ッ!!―――ま、まさか、特殊任務がらみ……なのか?」

 一瞬激高しかけたみちるだったが、武の悲痛な表情に暫し考えを巡らせ……自身の思いついた可能性に驚愕した。

(もし……もし白銀が鑑の想いを受け入れられない理由が特殊任務―――オルタネイティヴ4の成否に絡むのだとしたら……
 ……そうであるのなら、個人の恋愛感情を考慮する余地など微塵も無い……無いが、それでは鑑があまりに―――ッ!)

「……必ずしも無関係じゃないですけど、任務のせいばかりじゃないです…………
 でも、オレの抱えてる事情は機密に触れますし、状況が覆る事も有り得ないと思います……
 あまり、みんなに表立って言えることじゃないんですけど、大尉には……」

「いや、どうやら私が踏み込みすぎたようだ。
 貴様らが副司令直属で、特殊任務に従事している事を軽視し過ぎていた…………済まなかったな。」

「いえ、こちらこそ気不味い思いさせちゃったみたいで……」

 みちるの表情から、相当深刻に受け止めていると察した武は、なにか雰囲気を好転させる話題が無いか必死に記憶を探った……

「あッ!大尉……幼馴染が鈍感でアピールの仕方が難しいって言ってましたよね?
 参考になるか解りませんけど、こんな方法どうですか?」

 武は『元の世界』で純夏と結ばれたときの記憶から、温泉で純夏に誘われて家族風呂に入った時の事を、他人事の様に取り繕ってみちるに伝えた。
 みちるは恥らいながらも決意を固めたらしく、休暇が取れ次第実行すると言って嬉しそうに笑うと、待機室の方へと戻っていった。

 武がみちるとの会話で垣間見た、みちるの個人としての素の言動を思い出していると、今度は元207Bの5人が揃ってやって来た。

 やはり、実質的な初陣となる明日の大規模作戦を前にして、皆色々と思うところがあるらしく、口々に武の今の心境を尋ねてくる。
 HQに留まり、前線に赴くわけではない武にとっては、内心忸怩たる想いが強かったが、それは押し隠して、陽動支援への自信の程を表明しておく。
 武の言葉に、支援に対する期待を口にしつつ、皆は内心、明日の戦いで武が後方に位置する事を喜んでいた。

 その後、話はBETA襲撃後の武の話となり、皆に単独での特殊任務達成を褒められた武が、『オレは逃げただけだ』と反論した。
 しかし皆は、例え逃げたのだとしても、成果が出せたのなら肯定するべきだと口々に諭す。
 そこから、今の武にとっての戦う目標についての話に変わり、身近な目標の所で、やはりと言うか、純夏との関係の話になった。
 全員、話題にすること自体には遠慮が垣間見えるものの、瞳に宿る強い光は、武に回答を強いていた。

「ん~~~、何て言うか、あいつの気持ちは正直嬉しいんだけどさ……でも、やっぱり、オレにとっては幼馴染なんだよな……
 恋人とか、交際とか……そういう対象として見れないんだよ。」

 自身で自覚している純夏への想いをひた隠しにして、武は困ったような照れたような風を装って答えた。
 その今ひとつ煮え切らない武の態度に、非難するような、それでいて安堵するような微妙な雰囲気で、5人は武に言葉を投げつけた。

「鑑も報われないものだ……」
「一体、何が不満なのかしら……」
「白銀……贅沢もの?」
「鑑さん、かわいそう…………」
「タケル~、幸運の女神には後ろ髪は無いんだよ~」

 しかし、武の口から純夏と付き合う気が無い事を聞き出し、就寝の挨拶をしてその場を立ち去る5人の後姿には、何某かの達成感が確かに漂っていた。
 何処と無く、出涸らしのようになってしまった武だったが、続けざまに晴子の襲撃を受ける羽目になった。

 先の5人に想いに対する武の鈍さを、暗に非難する所から会話の口火を切った晴子だったが、一転して、武の遠隔陽動支援への期待を熱心に語りだした。

「後ろから見てるとわかるんだ。白銀の動きは本当に凄いよ。
 逆に凄すぎて援護や支援が上手くできそうに無いのが困りものだったんだけど、遠隔陽動支援機って事でその問題は根本的に無くなっちゃったからね。
 これで、白銀が引き付けてくれたBETAの殲滅に専念できるよ。
 それに…………帝国軍の方も、支援するんでしょ?」

「ああ…………って、まさか柏木、おまえも帝国軍に身内が……!!」

「おまえも?……ああ、違う違う……少なくとも今回の作戦には知り合いは居ない……と、思うよ。
 そうじゃなくて、凄乃皇弐型にしても、白銀の遠隔陽動支援機にしても、テストが成功して正規配備になれば……
 そうすれば弟達は、今よりBETAに殺される確率が減るかなって……身勝手でしょ……私って……」

「そんな事……ないよ。柏木は弟達のために……家族のために戦っているんだな。」

「う~ん、そうなの……かな?…………自分でもよくわからないなあ。
 さあて……そろそろ寝ておこうかな。」

「ああ、みんな―――特にB分隊の連中は、作戦の前で寝付けないんだろうけど、休んでおくのも任務の内だからな。」

「ふふふ……わかってないなあ。
 まあいいけどね……お休み、鈍感君。」

「………………………………なんか、えらい疲れたな。」

 晴子が立ち去った後、立て続けの訪問攻勢に、精神的に疲れ果てた武は、明日に備えて自分も寝ておく事にした。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月25日(火)

 08時56分、佐渡島沖合いには、帝国連合艦隊と国連太平洋艦隊の艨艟(もうどう)達が艦影を連ねていた。
 そして、宇宙では国連宇宙総軍の軌道爆撃艦隊が、軌道を周回しつつ作戦開始に備えていた。

 09時00分、国連軌道爆撃艦隊による軌道爆撃を皮切りにして、遂に『甲21号作戦』が開始された。
 国連軌道爆撃艦隊からの軌道爆撃に対する、BETAの1次迎撃によって、AL弾(対レーザー弾)が気化し重金属雲が発生。
 それを契機に信濃、美濃、加賀の戦艦三隻を基幹とした、帝国連合艦隊第2戦隊はAL弾による長距離飽和砲撃を開始、BETAの2次迎撃によって更に重金属濃度を向上させる。
 同時に第2戦隊は砲撃を続けつつ真野湾への突入を開始。
 帝国海軍第17戦術機甲戦隊も、真野湾の奥に位置する雪の高浜への強襲上陸を企図して前進を開始した。
 続いて帝国軍機甲4個師団及び戦術機甲10個連隊からなる『ウィスキー部隊』を載せた『ウィスキー揚陸艦隊』も真野湾を目指す。
 この時点で『甲21号目標』よりBETAの増援が出現、真野湾に向け移動を始めた事が確認された。

 そして、全軍の先鋒となるべく、帝国海軍第17戦術機甲戦隊―――スティングレイ隊の81式強襲歩行攻撃機『海神』が潜水母艦より離艦し上陸を開始した。
 押し寄せて来るであろうBETAを駆逐し、上陸地点を確保するべく、波間を割ってスティングレイ隊の『海神』が姿を現す。
 そして彼らは見た―――
 無数のBETAの鼻面を引き摺り回すようにして、たった1機で踊るが如く、地上を、空中を、縦横無尽に動き回る『陽炎』を。

 そして、その『陽炎』からスティングレイ隊へとオープンチャンネルで通信が入る。

「こちら、スレイプニル0、当機は無人機であり、遠隔陽動支援機の運用試験中である。
 当機への援護、支援は無用。近接部隊はBETAの殲滅を優先されたし。―――繰り返す……」

「無人機?…………よく解らんが、スティングレイ1より各機! BETAどものケツに弾をぶち込め! 一気に奴らを蹴散らすんだッ!!」

『『―――了解ッ!!』』

 単機で動き回る『陽炎』は、武によって遠隔操作されているスレイプニル隊の『陽炎・改』1番機であった。
 『陽炎・改』に陽動され、スティングレイ隊に後背や側面を晒していたBETA達は、一斉砲撃を受けて急速に数を減らしていく。

「よし、こちらスレイプニル0、国連軍横浜基地所属、白銀大尉だ。
 スティングレイ1へ、ここは任せた! オレは増援のレーザー属種を叩きに行く!!
 必要だと思ったら、こちらに構わずHQに支援砲撃を要請してくれ!!」

 『陽炎・改』は陽動を切り上げると超低空を匍匐飛行で蛇行しつつ、レーザー照射を避けるために要撃級(グラップラー級)を盾に取り、隙間をすり抜けながらレーザー属種へと突撃する。
 そして、要撃級の群れを抜ける直前、両肩のALMランチャーから対ALMを全弾発射―――レーザー属種の迎撃をALMへ誘引し、発生した重金属雲を突っ切って更にレーザー属種に迫った―――
 無人機であるが故にリミッターを解除され、推力を増強された91式噴射跳躍システムの全力は、『陽炎・改』に凄まじい速度を発揮させた。
 関節部の損傷を回避する為、腕部と頭部に増設されたカナード翼以外の稼動部分をロックした『陽炎・改』は、まるで巡航ミサイルのように飛翔した。

 機体はレーザーの初期照射を断続的に受るが、脚部数箇所に増設された姿勢制御スラスターとカナード翼で機体をバレルロールさせ、殆ど速度を落さぬまま回避機動を繰り返し、遂にレーザー属種の群れの中へと滑り込む―――
 味方誤射を決してしないBETAの習性から、レーザー攻撃に狙われる危険性が一気に減少したところで、『陽炎・改』は関節のロックを解除、減速しつつ両主腕で保持した2本の74式近接戦闘長刀と、パイロンで保持した2丁の87式突撃砲を使い、縦横無尽にレーザー属種を殲滅していった。

 『陽炎・改』の陽動により、スティングレイ隊は被害を殆ど出さずに上陸地点を確保。
 索敵を行ったスティングレイ隊は、『陽炎・改』が接敵しているものとは異なる、レーザー属種の新たな1群を発見し、素早くHQに制圧砲撃を要請していた。

 上陸地点の確保を受け、『ウィスキー部隊』の揚陸艦隊が真野湾へ突入、機甲師団の上陸を開始する。
 真野湾へ突入した揚陸艦隊に、BETAのレーザー攻撃が襲いかかる。
 先陣を切っていた戦術機母艦が照射を受けて爆炎を吹き上げる。
 その最中、戦術機母艦からは我先に戦術機甲師団の戦術機が発進し、匍匐飛行で陸地を目指す。
 そして、それらの戦術機にもレーザーが襲い掛かり、避けそびれた戦術機が撃墜され、照射を受けた艦艇が損傷していく。

 その仇を討つかの如く、第2戦隊からの支援砲撃がレーザー属種に降り注ぐが、その多くが迎撃されてしまいレーザー属種を倒すに至らない。
 とは言え、支援砲撃が続いている間は戦術機や揚陸艦隊は照射対象から外れるため、支援砲撃の元で上陸は急ピッチで進められた。
 しかし、BETAの増援は未だに続いており、新たに現れたレーザー属種群れが、今にも揚陸艦隊を射界に収めようとしていた。

 その、新たに出現したレーザー属種の群れへと単機で突撃する『陽炎・改』―――
 しかし、既に弾薬を打ち尽くしたのかパイロンの突撃砲は投棄されており、長刀も刃先がボロボロになったものを1本残すのみとなっていた。

 右へ、左へとバレルロールによる回避を繰り返しながら距離を詰める『陽炎・改』。
 しかし、避け切れないレーザーによって、肩部の装甲シールドが削られていき、主腕を両方とも失い、遂には頭部に直撃を受けた。
 レーザーの閃光の中に姿を消す『陽炎・改』―――
 しかし、この時既に、上半身をパージした『陽炎・改』の下半身は、急加速しつつポップアップして、上空へと遷移していた。
 そして、高度を取ったところで搭載していた高性能爆弾S-11を起爆―――
 既に指呼の間にまで距離を詰められていたレーザー属種の群れは、戦術核級の爆発に巻き込まれ、姿を消した…………

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 10時15分、作戦旗艦『最上』のCIC(中央作戦司令室)に設置されたHQには、各所からの報告と次々に下される指令とが飛び交っていた。

 現在作戦の第2段階が進行中。
 『甲21号作戦』西部方面の陽動を担う『ウィスキー部隊』は、部隊損耗3%で旧八幡新町及び旧河原田本町を確保。
 第2戦隊は依然健在であったが、揚陸艦隊には轟沈29、大破49、以下中小破多数の損害がでていた。

 そして、そのHQの一角で、ヴァルキリーズの誇るCP将校涼宮遙中尉が戦域管制を行っていた。

「ヴァルキリー・マムより各機―――エコー揚陸艦隊は現在、両津港跡に向け最大戦速で南下中。戦域突入まで―――」

 ヴァルキリーズへ戦況の通達と、上陸準備開始の指令を伝えた後、遙はもう1つの管制対象部隊へと回線を切り換えた。

「ヴァルキリー・マムよりスレイプニル0、両津港近海に配置済みのスレイプニル06(『陽炎・改』6番機)を起動し待機。
 作戦第3段階(フェイズ・スリー)の発令と共に旧大野での陽動支援を開始せよ。」

「スレイプニル0、了解!」

 同じ『最上』の艦内でありながら、任務の秘匿性を理由にHQとは別に設けられた部屋から、武の応答が届く。

 そして、作戦は第3段階へと移行した。

 両津湾沖に展開した『エコー艦隊』―――国連太平洋艦隊と帝国連合艦隊第3戦隊が、AL弾による制圧砲撃を開始。
 武の『陽炎・改』6番機と帝国海軍第4戦術機甲戦隊―――サラマンダー隊の『海神』が、旧両津市一帯に強襲上陸を開始。
 幸い旧大野近辺に残存するレーザー属種はさほど多くは無かったため、上陸拠点の確保と東部陽動を担う『エコー部隊』の揚陸は比較的順調に推移していく。
 国連太平洋艦隊はアイオワ、ニュージャージー、ミズーリ、イリノイ、ケンタッキーの戦艦5隻、帝国連合艦隊第3戦隊は大和、武蔵の戦艦2隻を基幹とし、『エコー部隊』は国連軍機甲3個連隊及び戦術機甲5個連隊で編制されていた。

 そして、『エコー部隊』に同行していたヴァルキリーズも全機が無事に佐渡の地を踏み、旧上新穂を目指して進撃を開始した。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 11時33分、機密保持のため人払いされた作戦旗艦『最上』のHQに程近い1室で、武は横浜基地から持ち込んで設置した可搬式遠隔操縦装置を操作し続けていた。
 この装置には、シミュレーターのような機体の挙動を再現する機能は無いため、身体に掛かる負担は無いに等しい。
 実際に戦術機に搭乗するのに比べ、臨場感に欠ける為、普通の衛士であれば勘働きが悪くなるところだ。
 しかし、『元の世界』の『バルジャーノン』などの筐体ゲームで、視聴覚情報と極限定された振動などの体感情報のみで機体を操作することに慣れている武は、然したる違和感も無く『陽炎・改』を操っていた。

 とは言え、作戦開始から2時間以上にも渡って、激戦地を転戦し続けるのはさすがに辛い。
 せめてもの救いは戦線後方から陽動実施地点に向かう際に、BETAの少ない地域であれば自動操縦に任せて休憩が出来る事であった。

 スレイプニル隊所属機は、戦況に合わせて戦場を移動し続け、なるべく短時間で必要とされる戦域に到達できるように、配置位置を刻々と変化させていく。
 配置位置の更新と『自律移動式整備支援担架』への移動、搭載機への補給・整備など、各種指示は遙がやってくれている。
 その的確な配置は、迅速な戦場への到達を達成してくれている反面、武の休憩時間は決して長いものとなり得なかった。
 そしてなにより……

「うば~~~~~~~~ッ!!」

 武は会話に飢えていた。
 武の戦域管制を兼務してくれている遙は多忙で、指令の授受や情報伝達以外の会話はほぼ皆無。
 しかも、メインの管制対象はヴァルキリーズであって、武はおまけに過ぎない。
 本来は、スレイプニル隊所属機の再配置なども武が行うべき任務なので、これ以上遙に甘える事もできなかった。

 恐らく、自分以上に暇であろう移動中の凄乃皇弐型に搭乗する純夏へと、秘匿回線を繋ぐ誘惑に駆られた武だったが、ODLの劣化を抑止するため、戦域到達寸前まで純夏は眠らされる(機能半休止状態)予定だった事を思い出して諦めた。

「ヴァルキリー・マムよりスレイプニル0、旧沢根方面でBETAの圧力が増大している、戦線構築を目的としてスレイプニル04による陽動支援を実施せよ。」

 孤独と戦っていた武にもたらされた指令は、救い足り得たのかどうか……いずれにしても、武は戦場に呼び戻された……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 12時05分、作戦旗艦『最上』のHQでは、帝国海軍の小沢提督が第4段階への移行を宣言していた。

 この時点で各部隊の損耗率は、ウィスキー全隊で23%、エコー全隊は9%。
 西部方面の『ウィスキー部隊』は計画通りBETAの増援を旧沢根、旧高瀬に誘引し戦線を構築。全部隊の揚陸を完了し、揚陸拠点を放棄。
 東部方面の『エコー部隊』の主力はこの時点ではBETAの陽動を実行中、BETA増援を誘引しつつ旧松ヶ崎まで北進を果たしていた。

 ここまでの戦況は、ほぼ作戦通りに推移しており、『最上』艦長であり作戦総指揮を執っている小沢提督と、名目上はオブザーバーだが実質的な最高指揮権を保持している夕呼が、互いに所感を交わして戦況に対する認識を共有する余裕があった。
 夕呼は帝国軍の敢闘を評価し、小沢提督は極東国連軍の奮戦を賞賛した。

 そして、国連軌道艦隊の再突入殻(リエントリーシェル)分離の確認報告が入り、それと前後して遙がヴァルキリーズの旧上新穂確保を、ピアティフが、A-02―――凄乃皇弐型の進攻状況を報告した。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、旧上新穂地区でヴァルキリーズは周辺警戒を行っていた。

「ヴァルキリー1より各機―――第6軌道降下兵団(オービットダイバーズ)のお出ましだぞ!」
「ヴァルキリー・マムより各機―――現在、旧上新穂地区への落下軌道を取る突入殻は確認されていない。引き続き警戒せよ。」

 旧上新穂地区を確保し、紛れ込んでくるBETAを駆逐していたヴァルキリーズに、みちると遙から通信が入った。

 第6軌道降下兵団が軌道上よりハイヴ目指して降下を開始する。
 続けて、北西―――ハイヴの地上構造物(モニュメント)の周辺に巨大な土煙が何本も立ち上がる。
 轟音と、地震のような激しい振動が届いたのは、暫く間をおいた後であった。

 そして遂に、ハイヴへの突入が敢行された……




[3277] 第7話 スレイプニルの疾走
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/21 17:19

第7話 スレイプニルの疾走

2001年12月25日(火)

 12時47分、佐渡島ハイヴ制圧作戦―――『甲21号作戦』は順調に推移していた。

 ハイヴ突入部隊の最先鋒は大規模なBETA群と遭遇することなく第12層まで進攻。
 後続の『ウィスキー部隊』所属の突入支援部隊は第10層までを完全制圧して兵站を確立。
 地上の陽動部隊の損害も平均的な損耗率を下回っており、問題と言えそうなのは、ハイヴ突入部隊間のデータリンクが上手く機能していないことくらいであった。

 しかし、その数分後に事態は一気に悪化した。
 ハイヴに先行突入した全部隊との通信が途絶、そしてハイヴから湧き出てくる膨大な数のBETA群―――
 その個体数は振動解析の結果から、4万を遥に超えると想定された。

 HQは直ちにテストプランBへの移行を宣言。
 運用評価試験が予定されていた新型兵器、作戦コードA-02―――凄乃皇弐型の攻撃によるハイヴの無力化を企図することとなった。

 事ここに至り、作戦の成否は国連軍横浜基地所属部隊の双肩に掛かる事となった。
 武もヴァルキリーズに追随させていた『陽炎・改』9番機、10番機を以ってA-02支援を行う事となり、他の残存する『陽炎・改』6機も、旧上新穂よりに再配置する。
 後はA-02の到着を待つばかりとなったところで、警戒中のヴァルキリーズに、地下を進攻してきたBETAが襲い掛かる。

 一時的に水月率いるB小隊に組み込まれた武は、冥夜と二機連携(エレメント)を組んでBETA迎撃に当たった。
 幸い襲撃してきたBETAの中にレーザー属種は存在しなかったため、ヴァルキリーズはさして苦戦する事も無くBETAを殲滅した。
 襲撃してきたBETAを右翼22体をA小隊、中央19体をB小隊、左翼18体をC小隊と分担を定め、小隊単位で対応したのだが……

「それにしても、また速瀬にしてやられた。5匹も持っていかれるとはな。」

 掃討を完了して、集結ポイントへと向かいながらみちるはぼやいてみせた。
 そして、美冴と水月は即座にその発言に呼応する。

「こっちもB小隊に4匹喰われましたよ大尉。」
「いや~、部下がよくやってくれましたから。」

 ネズミをたらふく喰った猫のように笑って言う水月に、美冴とみちるが更に話しかける。

「これでB小隊の新人共も一人前の突撃前衛(ストームバンガード)といったところですか。」
「ふふふ……速瀬のお墨付きがやっと出たというわけだな。」

 それに水月は軽い口調で応じた。

「訓練の評価がいくら良くてもアテになりませんから~。全て実戦踏んでからですよ。
 特に、BETA一匹も殺ってないくせに、な~ぜ~か! 大尉になったヤツまでいましたからね~」

「―――だそうだ。白銀。」

 武をダシにして、隊の緊張を和らげる……効果は絶大だが、ダシにされた武としては苦笑せざるを得ない。
 もっとも、大尉の階級や中隊長という肩書きなどからすれば、武も部下に気を配る側に属している。
 さすがに、今の武の経験ではそこまでは手が回らないので、ダシになれるだけでもマシだと思うしかなかった。

 と、綺麗にまとまったところに、悪気の欠片もなしに爆弾発言がポイッと投げ込まれる。

「あ、でもねぇ~、今回の作戦でのBETA撃破数なら、白銀大尉は水月のスコアより1桁以上多いんだよね~」
「ぬぅわぁんですってぇえ~~~ッ!! 白銀! あんた白銀の癖に生意気よッ!」
「あはは……水月、それはさすがに無茶苦茶だよ~」
「大体、白銀の機体、動きが良すぎるのよっ!『陽炎』の癖してなんで『不知火』よりも素早いのよッ!!」
「無人機なんで、機体耐久限界まで素早い挙動が―――「理屈はいいのよッ!! どうせムカツクのは一緒なんだから。」―――んな無茶な!」

 武が合流した事もあり、ヴァルキリーズの戦域管制に専念していたHQの遙が、通信で会話に加わってきたのだった。
 そして、その内容にマジ切れ気味の水月が武に八つ当たりした。
 ヴァルキリーズの浮かべる笑みは、更に華やかになったが、武は作戦後の我が身を案じずにはいられなかった……

 が、直後の祷子の報告で、全員が冷や水を浴びせられたような思いをすることとなる……

「!!―――大尉、見てくださいッ!―――ハイヴ周辺のBETAが……こちらに向かっていますっ!!」

「「「「「「「「「「「 ―――!! 」」」」」」」」」」」

 動揺する祷子以外の少尉たちは、ついつい口数が増えてしまい、あれやこれやと発言してしまう。
 しかし、みちるはそんな部下達を叱咤するべく、的確な指示を迅速に下した。

「―――周辺の補給コンテナをありったけ集めろ!
 攻撃開始地点の手前約2000mにある、新穂ダム跡に防衛線を構築する!」

「「「「「「「「「「「 ―――了解ッ!! 」」」」」」」」」」」

 そして、速やかに隊を掌握すると、次なる手を的確に打った。

「―――ヴァルキリー1よりHQ! A-02攻撃開始地点に向け数個師団規模のBETAが侵攻中! 支援砲撃を要請!」

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、作戦旗艦『最上』HQでは、全上陸部隊の揚陸が完了した事に伴う、全艦隊の湾外退避が完了したところであった。
 みちるの要請を受けた夕呼は即座に判断を下し、全ての支援砲撃をヴァルキリーズの前面に迫るBETAに集中させるように命じた。
 それは、ウィスキー、エコーの両部隊への支援打ち切りを意味し、BETAの物量に衛士の命を以て抗う事を意味していたが、小沢提督は瞬時も迷わずにこれを容認した。

 最早現時点において、作戦の完遂を担っているのはA-02とその直援であるA-01部隊。
 しかも、本作戦の立案時点より、A-02の支援は作戦参加部隊の最優先目的とされている。
 躊躇する謂れは何処にもなかった……後は、作戦参加将兵の血を以て購うだけだった。

 しかし、それほどの覚悟を持ってなされた支援砲撃は、期待された戦果を出す事ができなかった―――

「―――砲弾撃墜率70%、BETA群は依然A-02攻撃開始地点に向け、平均時速60kmで侵攻中。」

 窓の無いCICに、ピアティフの冷静な声が、支援砲撃を打ち払うレーザー属種の閃光の激しさを伝えた。
 推定で100体を超えるレーザー属種が残存していたことは、夕呼をして予想外だと言わしめた。

 既に各作戦艦艇では弾薬の射耗が甚大になっており、無駄弾を打つことは避けねばならない状況だった。
 しかし、その状況下にあって小沢提督は通常弾での砲撃を続行した上で、順次AL弾種へ換装する作戦を立案し、夕呼に伝えた。
 それは、支援砲撃を途絶えさせない事で、敵前でBETAと対峙しているA-01部隊への照射を、牽制する事を企図していた。

 小沢提督の作戦を受け入れた夕呼は、即時砲弾換装を指示。
 然る後、BETAの優先攻撃目標として、A-02が狙われている可能性を小沢提督に指摘する。
 BETAに人類の切り札たるA-02を狙われていると知り、小沢提督は危機感を露わにした。
 しかし、夕呼は数万のBETAを相手取り、A-01部隊は必ず持ち堪えると断言する。
 そして、小沢提督を少しでも安心させるため、武に繋がっている内線をHQのスピーカーに回すと、静かに問いかけた。

「―――こっちの話は聞こえていたわね? BETAの足止めと重光線級(重レーザー級)の排除……できるわね? 白銀。」

 HQの音声は全て武の強化装備に流されていた。
 夕呼に求められた己の役目をしっかりと把握した武は、震える声を押さえて、キッパリと断言してみせた。

「!!―――もちろんです。A-02は必ず守り抜きます!」

「―――だ、そうですわ。提督。」

 満足気な微笑を浮かべ、夕呼は小沢提督に意味ありげな視線を向けた。

「今のはもしや、スレイプニル0―――今朝から各戦域で、単機で陽動支援を繰り返して来た衛士ですかな?」

 小沢提督は、衛士の身でありながら、安全な後方に留まる武を内心快く思っていなかった。
 しかし、朝からの武の転戦があげた戦果を見れば、それは1人の衛士が為し得る戦果とは、到底信じられないほどに多大なものであった。
 しかも、間接的な効果ではあるが、武の陽動支援によって、連携した部隊の戦果も確実に増大している。
 そしてなによりも、武の支援によって、少なからぬ将兵の命が犠牲にならずに済んだ事は、小沢提督の目にも明らかであった。
 まさに八面六臂、縦横無尽と評さざるを得ない活躍ぶりだった。

「そうです。彼の操る遠隔陽動支援機『陽炎・改』はA-02護衛のために2機が投入済みですし、更に他の残存機も近くへと移動させています。
 そしてなにより、A-01部隊の機体は全て新OS搭載機です。
 しかも、彼こそが新OS『XM3』の発案者であり、A-01部隊の全ての衛士は彼から直接の教導を受けています。
 また、蛇足ながら、遠隔陽動支援機構想も彼の立案ですわ。」

 夕呼の説明は、小沢提督には俄かに信じ難いものであった。
 武があげた戦果から、素晴らしい衛士である事は明らかだ。
 しかし、新OSの発案や、戦術機の運用構想の立案などは、衛士としての才能とはまた別の才能を必要とする。
 しかも、作戦開始前に紹介された武の容姿は、大尉の階級に相応しい経験を積んではいまいと確信できるほどに若々しかった。
 夕呼の噂であれば、小沢提督の耳にも過ぎるほどに届いている。
 夕呼のすることであるのなら、畑違いであろうが、如何に突拍子もなかろうが、納得もできる。
 しかし、夕呼の部下―――それも若年の―――までもが、かくも多才であるなど、あり得ることなのだろうか?

「む……新型OSの発案者は副司令でなく、彼だとおっしゃるのですな。」

「そうです……提督、ご安心ください。彼なら……彼らならやってくれます。」

 自信に満ち溢れた夕呼の言葉を受け、小沢提督は半信半疑ながら、結果を受け入れる覚悟を決めた。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 13時11分、新穂ダム跡に地響きを立てて突撃級(デストロイヤー級)BETAが突進して来た。
 しかし、その進路上には立ち塞がるべきヴァルキリーズの姿は見られない。
 突撃級の群れは、何の妨害も受けることなく渓谷状の地形の底を突破していく。

 が、その時、突撃級が通過したばかりの谷の両端の崖沿いから、36mm劣化ウラン弾が雨霰と突撃級の柔らかい後部に叩き付けられた―――
 渓谷の崖沿いに点在する窪みに身を潜ませ、主機を落として突撃級をやり過ごしたヴァルキリーズA、C小隊が、満を持して突撃級を掃討していく。
 狭い谷間で後ろを取られた突撃級は、方向を変える事すらままならず、次々と屍を晒していった。

 そして、突撃級の後を追う形で、A-02目指して進軍を続けていたBETA本隊に、無数のAL砲弾とALMが降り注ぎ、レーザー属種の放つ眩い無数の光の柱が、空に向かって突き立てられた。
 同時に、ヴァルキリーズの元に待ち望んだ知らせが入る。

「―――重金属雲発生! 繰り返す―――重金属雲発生!!」

 HQから届けられた遙の声に、みちるの命令が重なる。

「―――C小隊反転ッ! B小隊突撃せよッ!!」

「「「「「「「「「「「 ―――了解ッ!! 」」」」」」」」」」」

 残存する突撃級の掃討にA小隊を残し、B・C小隊はレーザー属種を殲滅するために、BETA本隊を目指して全速噴射で突進した。

「―――突撃前衛の力を示せッ! ヴァルキリーズの名を轟かせろッ!!」
「―――風間と涼宮は速瀬中尉を―――柏木は私と白銀をカバーするッ!!―――続けッ!!」

 B・C小隊長による指揮の元、戦場を戦乙女達が駆け抜ける。
 レーザー属種への道に立ちふさがる要撃級・戦車級(タンク級)を一蹴し、強引に突破口を開いていくヴァルキリーズB・C小隊。

 しかし、その進撃路を要塞級の巨体が塞ぐ。

「―――中尉ッ! 2時方向にも要塞級3!」
「―――それだけじゃない! 重光線級の周りに集まろうとしているわ!」
「―――あいつら重光線級を護ってるんだ。」
「―――こいつ等から片付けましょう中尉ッ! このままじゃ埒が開かない!」
「―――ダメだ! もっと集まってくるッ! 時間切れになるぞ!」

 茜が、祷子が、晴子が―――そして美冴に水月ですらも、次々に集まってくる要塞級に道を遮られ、レーザー属種に至る方策を見出せずにいた。
 そして、凄乃皇弐型は刻一刻と、砲撃開始位置へと近づいて来る。
 このままでは、レーザー属種の集中照射が凄乃皇弐型を襲う……

「―――速瀬中尉ッ! 陽動しますッ―――オレが要塞級を引きつけますから、一気に突破してくださいッ!」

 ここは任せろと言わんばかりに陽動を買って出る武。
 それを受けた水月は、即座に武に許可を与え、他の皆に方針を示すと、武を要塞級にけしかけた。

「さっすが陽動支援の専門家! 白銀、任せてやるからきっちり陽動して見せなさいよッ!!
 ―――全機散会して反転―――要塞級が陽動にかかったら即時迂回突破だ!
 ―――行け白銀ッ!!」

「―――この野郎ォォォッ!!」

 雄叫びを上げながら、武はBETAの群れへと吶喊した。
 次々に襲い掛かってくる要撃級の前腕を、そして要塞級の衝角を、機体をひねり、あるいは跳躍して避ける。
 前へ、横へ、そして、後ろや上へ、さらに滞空中の転回、旋回―――まさに縦横無尽……いや、むしろ無軌道そのものの動きによって、武は殺到してくるBETAの攻撃をかわし、隙間を擦り抜け続ける。
 さらに、武に追従できずに弱点を晒すBETAへと、弾を撃ち込み、長刀を斬り付け、着実にダメージを与えて自身の脅威度を上げ、さらに多数のBETAを誘い込んでいく。

「―――白銀機23体の要塞級に囲まれていますッ!
 ―――その他要撃級48ッ!戦車級は……計測不能ッ!!」

 情報収集・分析の能力に長ける祷子が、武の状況に言及した。
 彼我の戦力比は1対50を超え、状況はまさに孤立以外の何ものでもなく、BETAの近接を許している以上、例え一流の衛士であっても死を覚悟せざるを得ない過酷な状況に武は晒されている。
 せめてもの救いは武が失敗し撃破されても、遠隔操縦の無人機であるため死にはしない事だが、その場合レーザー属種の殲滅という作戦目的自体が果たせなくなる。
 戦況の絶望的なまでの過酷さに、推移を見守るしかないヴァルキリーズは、自らの無力感に苛まれる……

 そして、遂に茜が堪えきれずに言葉を発する。

「速瀬中尉ッ! 白銀1人じゃもちませんっ、せめて支援砲撃を……!!」
「―――だめだ……陽動の意味がなくなる。」
「―――中尉ッ……!!」

 即座に却下され、それでもさらに言い募ろうとした茜を、波紋一つたっていない澄み切った水面のように落ち着いた声が押し留める。

「―――涼宮。
 ……あの者がやると言ったんだ……タケルを信じてやってくれ。」
「白銀は前も逃げなかった……そして死ななかった。」

 冥夜と彩峰の信頼に支えられた言葉に、茜が言葉を失った時―――

「―――中尉……敵の損耗率が……加速度的に……ッ!」

 祷子の声に、全員がデータリンクを確かめる。
 ……すると、今まで増えるばかりであった武を囲む中型種以上のBETAの数が、増加から横這い、そして減少へと転じていく。
 回避を優先しているため、一撃必殺とは行かないものの、地道にBETAにダメージを与え続けた武の攻撃が、ここにきてようやく目に見える戦果として結実し始めたのだった。
 依然として武を包囲するBETAの数は圧倒的であり、戦果が上がり始めた以上、今まで以上に周囲のBETAを引き付けてしまうに違いない。
 だが、それでも、ヴァルキリーズが希望を見出すには十分すぎる武の奮闘だった。

 そして、この、共に戦う衛士に希望を灯す行為こそが、この作戦で武が幾度も繰り返してきた最大の戦果であった。

「―――まだまだぁーッ!!」

 無論、それは武が意図的に行っている事ではない。
 彼は、純粋に自らの『護りたい!』という願望に突き動かされて、無我夢中でもがき、戦い抜いているだけにすぎない。
 しかし、周囲に居合わせた者は、武の行為から―――『希望』という灯火を、確かに受け取る事ができたのであった。

「―――陽動成功です!要塞級の壁に穴が開きましたッ!!」

 武の動きに目を奪われていたヴァルキリーズB・C小隊の各員は、1人冷静に状況分析を続けていた祷子の声に、待ち望んだ瞬間が遂にやってきた事を知った。

「―――全機反転ッ!!―――NOEで全力噴射ッ!!」

「「「「「「 ―――了解ッ!! 」」」」」」

 武の陽動によって開いた突破口に向かって、放たれた矢のように一直線にヴァルキリーズが飛び込んでいく。

「―――白銀良くやったッ!! 後は適当なところで離脱しろッ!!」

「―――もう少し時間を稼ぎますから―――重光線級を頼みますッ!!」

「わかった、任せておけッ! あんたも機体を無駄に壊すんじゃないわよッ!!」

「!!―――了解です、中尉ッ!」

 陽動を続ける武自身には、心身ともにまだ余裕があり、陽動継続自体には問題はなかった。
 だが、弾薬と推進剤は既に相当消費してしまっており、周囲にBETAを集め過ぎてしまったのも事実だった。
 ALMはこの期に及んでまだ温存してあるので、ALMを囮に匍匐飛行で包囲を抜けるしかないかと考え始めた頃、周囲のBETAに砲弾が降り注いだ―――
 この機を逃さず、即座に包囲網を脱してレーザー属種へと向かう武。
 そして、やや離れて並走する形でレーザー属種へと突進するのは、先の支援砲火を放ったみちる率いるヴァルキリーズA小隊だった。

「―――大尉ッ! ありがとうございますッ!!」

「―――よくやった! そろそろ重光線級狩りの時間だぞ! ―――続け!」

「―――了解ッ!!」

 A-01部隊は全機一丸となって、レーザー属種を蹂躙し始めた。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、旧高瀬-沢根防衛線では支援砲撃が途絶してしまったため、殺到するBETAの物量に『ウィスキー部隊』の衛士達が苦戦を強いられていた。

「―――クソッ! きりがねえッ!
 国連の新兵器ってのは何グズグズしてやがるんだッ!」

「―――クラッカー1よりHQ!! 支援砲撃の再開はまだか!?
 このままじゃ持ち堪えられない! 早くしてくれ!」

「―――HQよりクラッカー1、支援砲撃の再開は未定。
 繰り返す―――支援砲撃の再開は未定。」

「くそっ! じゃあ、午前中に飛び回ってた、陽動支援機とかいってたやつぐらいよこしなってんだッ!!
 あいつも国連だろっ! 尻拭いぐらいしろってのよ……」

「………………彼は今…………にいる…………」

 通信自体は明瞭なのに、HQの言葉が聞き取れず、帝国軍衛士は眉をひそめて聞き返す。

「?……クラッカー1よりHQ、良く聞こえない、繰り返してくれ!」

 クラッカー1の吐き捨てた侮蔑に、事情を知っているが故に小声で応じてしまった事を戦域管制官は後悔した。
 が、クラッカー1に聞き返された事で、戦域管制官は腹をくくると、自分が担当している全部隊にオープン回線を繋ぎ言い直した。

(クッ! 軍規違反なんて知ったこっちゃないわっ!!)

「…………陽動支援機は横浜基地所属の部隊と南で戦っている……」

「ちっ! あいつまで身内優先でこっちにゃこれないっての?……クソォッ!」

「………………彼は、横浜基地所属部隊に同行し、たった12機で数万のBETAを足止めしているっ!!」

「なに……?!―――1個中隊で数万?」

「軍機が絡む……大きな声では言えない……が……今も、単機で要塞級を20体以上相手にして陽動を実施している!
 他の11機を重光線級のところへ送り届けるためにだ…………支援砲撃は、レーザー属種を含むBETA後続部隊の足止めに集中運用されている……」

「…………そうか、教えてくれてありがとう―――HQ、こちらからは以上だ!」

「こちらHQ、健闘を祈る!!」

 戦域管制官は、少なからぬ『ウィスキー部隊』将兵が聞いていたであろう回線を閉じ、背筋を冷や汗でびっしょりと濡らしながら、叱責を待った。
 ―――が、小沢提督も夕呼も、その戦域管制官の行いをその場で咎める事は、敢えてせずにおいた。

「―――クラッカー1より全機……ちゃんと聞いたな?
 あいつは南で大暴れしているそうだ……」

 クラッカー小隊他2小隊で編制された中隊は、午前中にBETAに包囲殲滅されそうになった所を、武の『陽炎・改』によって窮地から救われていた。
 『陽炎・改』は単機でBETAを引き摺り回し、包囲を崩させた後、周辺の『ウィスキー部隊』と連携して、その場のBETA群を殲滅して見せた。

「午前中の借りを返す時が来たぞ……全機、BETA共を蹴散らせッ! 帝国軍衛士の誇りを見せろッ!!
 あいつの機動は見ていたな? アレは無理でも動きを止めるなッ! BETAどもを振り回してやれッ!!」

「「「「「「「「「「 了解ッ! 」」」」」」」」」」

「あきら、お前は少し後ろに下がって、両脇から回り込もうとするBETAを狙え!
 戦車級を仲間に近づけるな!」

「了解!」

 態勢を立て直して、迫るBETAをかわし、砲弾を撃ち込むクラッカー小隊。
 中隊を組んでいるビスケット小隊、アプリコット小隊の各機も追随した。
 健闘するクラッカー隊だが、BETAの増援は途切れる事がない。
 戦線は維持しているものの、遂に弾薬の残量が僅かとなる。
 しかし、補給に下がる機会が巡ってこない。
 判断に苦しんだクラッカー1の動きが一瞬止まる、そこへわらわらと群がってくる戦車級BETA―――

「―――しまったッ!」

<ドガガガッ!!!!!!ピーッ!>

 ドラム缶を叩くような騒音と衝撃が続いた後、機体の損傷を知らせるブザーが鳴る。
 その代わりに、クラッカー1の周囲の戦車級BETAは全て掃討されていた。

「隊長ッッ! 無事ですかッ?!」

「あきらか、助かったよ―――!! 03! 後ろだッ! 突撃級が―――ッ!!」

 咄嗟にIFF(敵味方識別装置)をオフにして放った砲撃でクラッカー1を救ったあきら―――クラッカー3の背後から、先程通り過ぎて行き、今頃になって反転してきた突撃級が急速に迫っていた―――
 クラッカー1への砲撃に集中していたあきらは気付くのが遅れ、回避が間に合わない―――目を瞑り、覚悟を決めるあきら。
 しかし、次の瞬間、突撃級に肉薄した真っ青に塗装された戦術機―――斯衛軍専用の00式戦術歩行戦闘機『武御雷』―――が、長刀を一閃させて突撃級を斬り伏せた。

「どうやら大事無いようだな。―――この場は我ら斯衛が引き受ける。
 そなたらは、一度下がって補給するがよいぞ。」

「斯衛部隊っ?!―――りょ、了解です。クラッカー1より各機、一旦下がって補給だ! 急ぎなッ!!」

 五摂家にしか下賜されない青い『武御雷』に動揺しつつも、クラッカー1は後退の指示を出した。

「「「「「「「「「「 了解ッ! 」」」」」」」」」」

 後退していくクラッカー隊と入れ代わるように、青い『武御雷』の隣に、こちらは赤く塗られた『武御雷』が着地した。
 青い『武御雷』は、赤い『武御雷』に指示を伝える。

「―――月詠。鶴翼複五陣(フォーメーション・ウィング・ダブル・ファイブ)、全体に通達せよ。防衛線を押し上げる。」

「―――は!―――クレスト2より第16斯衛大隊各機に告ぐ。鶴翼複五陣で前進せよ。」

「うむ―――では参るぞ! 皆の者―――続けぃ!!」

 先陣を切る青い『武御雷』に赤の『武御雷』が従い、更に3機の白と、31機の黒い『武御雷』が追従し、BETAを次々に蹂躙していく。
 戦闘の最中、第16斯衛大隊指揮官から、この作戦に合わせ一時的に原隊復帰し、副官を務めている月詠に秘匿回線が接続される。

「月詠―――あの者の部隊は、南で一個中隊を以ってして、数個師団規模のBETAを押し留めているようであるな。」

「―――ッ……は!然様に聞き及んでおります。本来新兵器の直援を任務としております故、恐らく間違いは無いかと。」

「そうか―――されば、この戦線、我らが押し留めて見せねばなるまい―――殿下同様、あの者も死に行く者共を悼むであろうからな。」

「―――はッ!」

 第16斯衛大隊は戦場を疾風の如く駆け抜け、戦線を押し上げ、多くの『ウィスキー部隊』衛士の命を掬い上げていった……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 13時17分、新穂ダム跡より北西へ3700m、支援砲撃をくぐり抜けて進攻してきたレーザー属種に、A-01の12機が猛攻を仕掛けていた。

「―――ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ!
 ―――A-02は現在、砲撃準備態勢で最終コースを進攻中! 60秒後、艦隊による陽動砲撃が開始される。
 A-02の砲撃開始地点に変更無し―――90秒以内に被害想定地域より退去せよ!」

「―――!
 ―――全員聞いたなッ! 即時反転し楔形弐陣(アローヘッド・ツー)で全速離脱だッ!!」

「「「「「「「「「「 ―――了解ッ! 」」」」」」」」」」

「大尉、まだ撃ちもらしがいます。
 後は引き受けますから、支障の無い範囲で武器を置いてって下さいッ!」

「よしッ! 各員不要な荷物を捨てていけッ! 自分を護る分は取っておけよ!」

「「「「「「「「「「 ―――了解ッ! 」」」」」」」」」」

 ヴァルキリーズは最低限の自衛用の武装を残し、捨てられる限りの武器弾薬をパージすると、全速力で反転離脱を開始した。

「ありがとうございます、大尉!」

「なに、こちらの尻拭いも込だからな……
 ―――それにしても、無人機というのも便利なものだな、白銀。」

「使い出があるでしょう?……では、砲撃開始地点の10番機で合流します、お気をつけてッ!」

「―――また、後でな!」

 離脱していくヴァルキリーズを背に、置き土産の武器を構え、BETAの前に立ち塞がる武の『陽炎・改』―――
 その上空には陽動砲撃の砲弾が降り注ぎ、それを迎撃する光の柱が、残存しているレーザー属種の位置を暴露した。

「うぉおおおおおおおおおッッッ!! 一匹残らず……倒すッ!!!」

 雄叫びを上げてBETAの群れに飛び込む武。
 最早、要撃級も要塞級も眼中に無く、それら全てを神懸り的な機動制御技術で振り切ってレーザー属種を駆逐していった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 13時19分、作戦旗艦『最上』のHQでは、作戦参加部隊の被害状況が報告されていた。
 各部隊の損耗率は、国連太平洋艦隊8%、帝国連合艦隊第2戦隊8%、帝国連合艦隊第3戦隊7%、『ウィスキー部隊』45%、『エコー部隊』29%、国連軍第6軌道降下兵団10%、斯衛軍第16大隊4%、国連軍A-01部隊10%。
 ただし、A-01部隊の損耗は無人機のみなので、全作戦参加部隊中で唯一、人的損耗をだしていない。
 斯衛軍第16大隊も戦死1名に留まっており、奇しくもこの部隊には、A-01が使用している新OS『XM3』を搭載した『武御雷』が4機所属していた。

 その他戦況も併せて報告される。
 西部方面、斯衛軍第16大隊が旧高瀬-沢根防衛線を維持。
 東部方面、エコー主力部隊が湯ノ峰山跡に防衛線を構築。
 南部方面、A-01部隊第13中隊が新穂ダム跡防衛線にてBETA陽動を実施。
 全作戦艦艇の砲弾残量20%未満。

 報告を聞き終えた小沢提督がなにやら感銘を受けたような声を洩らした。

「如何なさいました、提督。」

 尋ねる夕呼に、小沢提督が応じる。

「いや、失礼した。恥ずかしながら、オルタネイティヴ第4計画直属部隊の働きに、思わず息をのんでしまっていたのです。
 たったの一個中隊が数万のBETAを向うに回し、この短時間に50体以上いた重光線級を全て撃破するという現実……驚嘆するほかありますまい。
 彼らは50体以上の重光線級を倒すまでに、周囲を固める何倍ものBETAを撃破しているでしょう。
 先程、副司令から任務達成を保証してはいただきましたが……ただの1機も失うことなく成し遂げるとは……。
 極秘任務部隊の実力は噂以上ですな。」

「お褒めに与り光栄ですが、先程も申し上げたとおり、この位の結果を出すのは当然ですわ。
 1機損失は既に時間の問題ですし、なにより、他の前線に回すべき支援砲撃をあの地域に集中させた上での数字である事はお忘れなく。」

「いやいや、1機損失と言っても無人機の事、人的損耗は皆無ではありませんか。
 それにしても注目すべきは新型OSですかな。先行量産型にしてこの戦果……大したものです。
 新型OSが全軍に行き渡った暁には……落命する将兵を減じる事も叶いましょうな。」

「……彼―――スレイプニル0も、提督と同じ事を言っていましたわ。」

「なんと……無人機を用いて陽動を行い20体以上の要塞級を単機で倒す、衛士としての卓越した技量ばかりでなく、そのような大局にまで思いを巡らせていたとは。
 一体、彼はどのような軍歴の持ち主なのですかな?」

「申し訳ありませんが提督、これ以上はお話できかねます。」

「……失礼した。彼もオルタネイティヴ4の機密という訳ですな。」

「ご想像におまかせ致しますわ。」

「A-02予定のコースを進攻中。」
「―――陽動砲撃の砲弾撃墜率5%未満。
 ―――BETA、スレイプニル0の陽動により、防衛線にて進攻停滞中!」

 夕呼と小沢提督の会話に、ピアティフと帝国軍オペレーターの報告が割って入った。

「いよいよですな……。
 今作戦に於ける両軍将兵の挺身が意味あるものと成らん事を期待しますぞ。」

「お任せ下さい提督。
 人類がBETAごときに滅ぼされる種ではない証拠をお見せ致しますわ。」

 夕呼が不敵に微笑んだその時―――

「―――えッ!―――新穂ダム跡防衛線の内側にBETA出現!―――重光線級の存在を確認しましたッ!!!」

 遙の叫び声が、HQを衝撃と共に駆け抜けた―――




[3277] 第8話 黄泉平坂(よもつひらさか)
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/08/16 17:20

第8話 黄泉平坂(よもつひらさか)

2001年12月25日(火)

「…………なんだ、結構、やれば、出来るもんだな…………」

 13時20分、凄乃皇弐型を照射可能な範囲内にいた、全てのレーザー属種を駆逐して尚、武の『陽炎・改』は健在だった。
 凄乃皇弐型が放つ、荷電粒子砲威力圏外への避退は既に間に合わないため、武は陽動砲撃の効果圏の手前に留まり、BETAの陽動を続けていた。
 レーザー属種がほぼ全滅したため、陽動砲撃と言っても、制圧砲撃と同レベルの効果を上げている。
 それでも陽動砲撃を突破して来るBETAは途切れないが、後は荷電粒子砲の発射まで、この場に引き留めておけばそれで良い。
 なんとかなるか……と、武が気を抜きかけたその時―――

 武の背後で地面から土砂が吹き上がり、レーザー属種を含むBETA群が土中から続々と這い出して来た。

「なにッ!―――こいつら、陽動砲撃を避けてきたのかッ?!
 スレイプニル0よりヴァルキリー・マム、BETAが防衛線の内側に出現したッ!
 重光線級もいやがるッ!!―――スレイプニル0はこれより迎撃に移る、A-02の砲撃タイミングを知らせてくれッ!」

 武は即座に反転し、這い出てくるBETAに後ろから劣化ウラン弾をたらふく喰らわせる。
 しかし、地面に開く穴は続々と数を増し、照射態勢をとる光線級(レーザー級)も出始める。

「ヴァルキリー・マム! A-02の砲撃はまだかッ!!」

「こちらヴァルキリー・マム、A-02は10秒以内に砲撃開始しますッ!」

「ぃよぉおッッッし!! てめえら、まとめて吹っ飛びやがれぇぇぇぇぇッ!!!」

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、作戦旗艦『最上』のHQには戦慄が走っていた。
 この期に及んで重光線級の至近距離への出現とは―――
 しかし、そこへ遙からの続報が入る。

「現在出現中のBETAはスレイプニル0によって、制圧されていますッ!
 副司令! スレイプニル0がA-02砲撃開始タイミングを尋ねていますッ!!」

「ピアティフ中尉ッ!」

 夕呼の呼びかけに、ピアティフは即座に意を汲んで応える。

「A-02砲撃開始位置に空間座標固定完了。
 『ラザフォード場』歪曲率安定。各部正常異常なし。
 A-02、何時でも荷電粒子砲発射シーケンスに移行できます。」

「A-02は即時荷電粒子砲発射シーケンスに移行ッ! 10秒以内に撃ちなさいッ!!」

「こちらヴァルキリー・マム、A-02は10秒以内に砲撃開始しますッ!」

 次の瞬間、新穂ダム防衛線にて『陽炎・改』9番機の反応が消失。
 同時にS-11の爆発と思われる振動波が観測された。

 そして、凄乃皇弐型はレーザー照射を一切受ける事の無いまま、その身に宿した希望の光を撃ち放った―――

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 空中にその巨体を浮かべながらも、微動だにせず砲撃開始位置に留まる凄乃皇弐型。
 全高130mを超える機体の、鈍い銀色に黄色いマーキングがなされたその姿は、正座をして上体を真っ直ぐに起こし、両の拳を両肩近くに引き寄せ、肘を後方に張り出した人間のシルエットに見えた。

 その胸部のカバーが左右に折りたたまれ、荷電粒子砲の砲口が露出。
 続いて胸部前方に強い光が凝り、揺らめき、遂には光の玉が乱舞し始め……それらの光を全て押し流すようにして、青白く太い光の濁流が、ハイヴの地上構造物(モニュメント)目掛けて放たれた―――
 その一撃の直撃を受けて、ハイヴの地上構造物は消し飛び、射線軸周辺の地上にひしめいていたBETA群も、衝撃波によって吹き飛ばされ、続いて発生した爆炎の中に姿を消した。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 13時23分、帝国海軍第2戦隊旗艦『信濃』の、音が一切消えたかのように静まり返ったCICで、戦域監視映像を見ていた安倍艦長が感極まって言葉を零した……

「ハ……イヴ……が……砕けた…………人類が……とうとう…………
 ……我々は…………我々は遂に……彼奴等に一矢報いたのだッ!!」

 BETAとの戦いで散った多くの命を思い瞑目する、安倍艦長の両の眼(まなこ)から、ふた筋の涙が頬を伝って流れ落ちた。

 西部方面、旧高瀬-沢根防衛線、『ウィスキー部隊』及び斯衛軍第16大隊。
 東部方面、湯ノ峰山跡防衛線、エコー主力部隊。
 全作戦艦艇の凄乃皇の放った一撃を垣間見る事のできた乗組員達。
 それら将兵の多くが、己が心の思いの丈を、歓声に変えて噴出させる―――

『『『『『『『『『『ゥオオォオオオオッー!/やったぞー!/やったー!/ザマアミロー!/人類を舐めんじゃねえぞー/ワハハハハ/ヒャーハー/フゥーーーーッ!/見たかーッ!/ぅあっはははーっ!』』』』』』』』』』

 それはまさに、人類がBETAに対してあげた勝鬨であり、遂に上がった反撃の狼煙でもあった。

 そして、凄乃皇弐型の直援を担い、その砲撃を間近で見たヴァルキリーズは、言葉も無く、しかし熱い想いを各々の胸に滾らせていた。

 ―――が、そんな感慨を思い切りぶち壊しにされた人物も、1人だけ存在した……

「タッケルちゃぁ~~~んっ! 見た見た見たぁ~~~? わたしの一撃―――ものすごぉ~~~くッ! カッコよかったでしょ~~~~~ッ!!
 ねえねえ、褒めて褒めて褒めて褒めて褒めてぇ~~~ッ!!!ってゆーか、サッサと褒~め~ろ~~~ッ!!!!」

 突如接続された秘匿回線から放たれた、純夏の場違いに能天気な口撃に、武は一気に打ちのめされた。
 その威力たるや、荷電粒子砲と良い勝負なのではないのかとすら思えるほどだった……

「オレの……オレの感動を…………返せ………………」

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 13時25分、作戦旗艦『最上』のHQでは、歓声がようやく収まり、戦況の分析と報告が始まっていた。

「―――A-02、荷電粒子砲エネルギー臨界まで70。」
「―――地上構造物の破壊を確認。基部以外は完全に崩壊している模様。」
「―――S(南)及びSW(南西)エリア、SE(南東)エリアに残存BETA無し。」
「―――地中を南西へ移動するBETAと思われる振動波を感知、現在解析中。」

 凄乃皇弐型の荷電粒子砲の威力は、小沢提督をして驚愕させるに十分なものであった。

「す……素晴らしい!なんという攻撃力だ!!
 ……感謝いたします……香月副司令……
 あの新兵器に、新OS、遠隔陽動支援機構想……
 これで我々は……本当に生き残る事ができるのかもしれない……
 BETA大戦勃発以来……フェイズ4ハイヴにここまでの損害を与えた人間は存在しません。
 ……あなたは人類の歴史にその名を刻みましたな。」

 興奮を隠せずに言い募る小沢提督に、しかし夕呼は冷ややかに応じる。

「高々、地上構造物を吹き飛ばしたに過ぎません。ハイヴは未だ健在です。
 歴史云々など……BETAをこの地球から駆逐できてからの事です。
 浮ついた話は、せめてこの戦いに勝ってからに致しましょう。」

 夕呼が言い終えた途端、BETAの動向が報告される。

「―――振動波の解析が完了―――感知しうる全残存BETAがSEエリアへ移動中!
 総数は師団規模を超えると想定されます!
 ―――予想進路……ッ!!―――A-02現在位置ですッ!!」

『『『『『 ―――ッ!! 』』』』』

 HQに衝撃が走る―――人類の希望に数万のBETAが殺到しているという事実は、BETAと戦い続けた将兵には脅威であった。
 が、ただ1人、不敵に笑って事態を歓迎する者がいた。

「―――好都合だわ。
 BETAの方から寄って来てくれるなんて、ありがた過ぎて涙が出ちゃうわね。」

「―――副司令っ!?……一体何をおっしゃるのですかっ!」

「小沢提督。最早地上部隊によるBETA陽動は必要ありません。
 BETAは自ら、火に群がる蛾のようにA-02におびき寄せられています。
 あとは、荷電粒子砲を以って、焼き尽くすだけですわ。」

 夕呼の発想は、BETAの脅威を、骨の髄まで染み込ませてしまっている小沢提督以下帝国軍将兵には、到底出来ないものであった。
 夕呼は、A-02の前には数万のBETAなど、飛んで火にいる夏の虫だと断言して見せたのである。

「―――な、なんとッ!!」

「提督。憂慮すべきは砲撃態勢のA-02が敵の攻撃に晒される事のみです。
 即時、事前計画を全面破棄し、A-02の東西に全戦力を展開、BETAをA-02の砲撃威力圏内に押し込めてくださいッ!」

「む……よろしいでしょう。―――君、直ちに全軍に作戦変更を指示したまえ。
 詳細は後でいい―――まずはA-02を支援できる位置に全戦力を展開するのだッ!」

「―――了解っ! HQより作戦参加全部隊に告ぐ。
 所定の作戦は現時刻を以って即時破棄。全軍はA-02を支援可能な戦域へ即時移動を開始せよっ! 詳細は追って知らせる。
 ―――繰り返す、所定の作戦は現時刻を以って即時破棄。全軍はA-02を支援可能な戦域へ即時移動を開始せよっ!」

 夕呼は顎に右手を添えて一考した後、さらに意見を述べる。

「提督、各作戦艦艇の砲弾残量が乏しいはずです。
 機甲師団が配置についた時点で、補給を開始する準備を整えてください。
 残存BETAの殲滅は、長期戦になりそうですから。」

「副司令のおっしゃるとおりにいたしましょう。―――君、……」

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 16時17分、作戦旗艦『最上』のHQには穏やかな空気が漂っていた。

「―――SEエリアに連隊規模のBETA出現!
 ―――進路予測……A-02で変わりありません。」

「ウィスキー、エコー両隊は防衛線にてBETAを圧迫。A-02の砲撃威力圏外へのBETAの進撃を阻止せよ。」
「ウィスキー艦隊及びエコー艦隊は担当ポイントへ陽動砲撃を開始。A-02へのレーザー照射を防止せよ。」

 最早直接指示を下す必要も無くなった夕呼と小沢提督は、戦況を見やりつつ会話を交わしていた。

「ふむ……それでもなお、連隊規模が湧いてくるとは……
 いったい佐渡島ハイヴには……どれほどのBETAが居たのでしょうな?」

「これで打ち止めだとしても、フェイズ4ハイヴの統計値の3倍はおりましたわね。
 我々が、如何に希望的観測の元で作戦を立案してきたのか、ようやく思い知りましたわ。」

「そうですな……いや、しかしそれでも尚、今回の作戦はここまで辿り着いたのです。
 これは偏(ひとえ)に、副司令と第四計画に携わる、優秀な人員のお蔭であると言えましょうな。
 A-02の破壊力も素晴らしいものですが、なによりも、新OSと遠隔陽動支援機構想、
 この2つは我が軍でも運用でき、しかも高い効果が期待できます。
 殊に、部隊内での陽動を無人機が担当するとなれば、BETAとの戦闘で命を散らす衛士も必ずや減少する事でしょう。
 あの衛士には、我が軍はいくら感謝してもし足りませんな……」

「ありがとうございます、提督。
 あの者も、そのお言葉を聞けば、さぞ喜ぶ事でしょう。」

「BETA増援最後尾の地上出現を確認!」
「A-02荷電粒子砲発射シーケンスに移行。砲撃開始します。
 尚、今回の砲撃にて、ハイヴ『主縦坑(メインシャフト)』の上部400m近辺までが消失する予定です。」

 凄乃皇弐型の荷電粒子砲第7射が放たれ、地上を侵攻して来ていたBETA群ごと地面を掘り下げて消失させる。
 第2射以降、凄乃皇弐型は荷電粒子砲の射角を徐々に下げ、ハイヴの地下構造を削り取っていた。
 結果、ハイヴ『主縦坑』の地下部分の上部400m分が、周辺の地盤諸共吹き飛ばされ、南東から北西へ向かう一直線に斜行した深い溝の一部となって消失していた。
 深い所では、第13層の『横坑(ドリフト)』までが上部を削り取られて露出しており、溝のあちこちには、崩落せずに残った、ハイヴの『縦坑(シャフト)』や『横坑』がぽっかりと口を開けていた。

「うむ……副司令、そろそろよろしいでしょう。」

 第7射の結果を見届けた小沢提督が夕呼に向けて問いかけると、夕呼も1つ頷いて同意を示す。

「そうですね。提督、ハイヴ突入を開始してください。」

「君、突入予定部隊に連絡したまえ。」

「―――こちらHQ。国連軍第6軌道降下兵団並びにウィスキー部隊のM(マイク)、N(ノーベンバー)、O(オスカー)、P(パパ)の各大隊に告ぐ。
 即時ハイヴ突入を開始、所定のルートにて反応炉の制圧を目指せ。
 ―――繰り返す。国連軍第6軌道降下兵団並びにウィスキーM、N、O、Pの各大隊はハイヴへ突入し、所定のルートにて反応炉の制圧を目指せ。」
「ウィスキー部隊のQ(ケベック)、R(ロメオ)、S(シエラ)、T(タンゴ)の各大隊は地上の補給線確保に当たれ。
 ―――繰り返す……」

 A-02支援のために展開していた地上部隊の中から、ハイヴ突入を割り当てられた戦術機甲部隊が満を持してハイヴ再攻略を開始する。
 凄乃皇弐型の第1射より3時間、途絶える事なく沸き続けたBETAの増援も、遂にその勢いを弱めたように見受けられた。
 そして突入開始より30分以上が経過した16時50分、遂に反応炉のある『大広間(メインホール)』制圧の報告が、HQにもたらされた。

「副司令! 遂に我々はやり遂げましたなッ!!
 遂に……遂に! G弾を用いる事無く、人類初のフェイズ4ハイヴの制圧に成功したのですぞ!!!」

「そうですわね。……ですが提督、未だ作戦の最終段階が果たされておりません。
 最後まで、気を緩める事無く、作戦を完遂いたしましょう。」

「いや、失礼致しました。―――此程の偉業を成し遂げて尚、沈着冷静でいらっしゃるとは、この小沢感服いたしました。
 ―――では、最終段階に移行するということで、よろしいですかな?」

「はい。―――ピアティフ中尉、涼宮中尉、A-01の直援の元、A-02をハイヴに突入させなさい。
 第13中隊の残存戦力の運用はヴァルキリー1とスレイプニル0に一任するわ。」

「―――了解。A-02にハイヴ突入を指示します。」
「―――了解です。―――ヴァルキリー・マムよりA-01各機に告ぐ。現時刻を以って作戦は最終段階へ移行。
 ヴァルキリーズはA-02の直援としてハイヴへ突入せよ。
 スレイプニル残存各機の運用は、ヴァルキリー1並びにスレイプニル0に一任される。
 ―――繰り返す…………」

 そして17時05分、陽が完全に沈み、夕闇に閉ざされた中、機体各所に設けられた灯火を明滅させた凄乃皇弐型の巨体は静々と進み。
 まるで、夕陽が海へと沈むが如く、佐渡島ハイヴの中へと姿を没していった…………

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 17時18分、佐渡島ハイヴ地下807m、第22層SE9『広間』を凄乃皇弐型は進攻していた。
 突入からここまで、散発的な残存BETAによる襲撃があったものの、直援のA-01部隊は1機も欠ける事無く任務を遂行していた。
 現在のA-01部隊の編制は、『不知火』11機と『陽炎・改』4機、加えて補給物資を満載した『自律移動式整備支援担架』4両となっていた。

 既にHQとの通信は殆ど途絶しており、スレイプニル隊の所属機は自律制御でA-02に随伴している。
 『自律移動式整備支援担架』は巡航速度が60kmと遅いものの、段差を飛び越えるための姿勢制御ブースタを装備しているため、ハイヴ内でも問題なく部隊に追従することができた。

 また、『陽炎・改』は、自律行動での追従・戦闘・陽動の他、自爆戦術が可能であった。
 『XM3』搭載機に於ける並列処理速度のいちじるしい向上は、自律行動を従来に比べ遥に高度且つ柔軟なものと為さしめていた。
 これは霞からの指摘で搭載された機能だが、コンボの解析に使用されているメソッドを応用し、蓄積された行動パターンを照合して統計的に最適な組み合わせを選択・実行するようにした事で、人間には及ばないものの従来機を遥に超えた的確な自律行動が可能となったのだった。

 搭載されたS-11を使用する自爆戦術では、進路上を塞ぐBETAや、後方から追撃してくるBETAの殲滅を想定していた。
 無論、通信が阻害されていなければ、HQの武や、現場のヴァルキリーズが遠隔制御する事も可能であった。

「いや~、進攻速度は鈍くなるけど、この支援担架があると楽でいいですね~、大尉。
 なんたって、補給コンテナが後ろを勝手について来るようなもんですからねぇ~。」

 隊の戦力で、BETAの襲撃を圧倒し、一方的に倒し続けた結果、水月の機嫌は史上最高レベルに高まっていた。
 みちるも、一応釘を刺しはするものの、水月の意見には概ね賛成であった。

「速瀬、いくらなんでも浮かれすぎだぞ!……とは言え、ハイヴ内に突入しているというのに、補給の心配が無いというのは、望外の状況だな。
 新OSと言い、これと言い、考え付いた白銀には、感謝してもし切れんな。」

「まったくです、大尉。武器弾薬に燃料と推進剤……おまけにS-11の予備まで4発も。
 S-11は『陽炎・改』に搭載された分と合わせれば8発になります。
 至れり尽くせりとは、このことですね。」

 美冴も加わって、一見暢気な会話を続けていても、小隊長達は警戒を緩めてはない。
 いつ何時、偽装『横坑』などからBETAが飛び出してこないとも限らないからだ。
 円型壱陣(サークル・ワン)で進行するA-01の中央で護られているA-02の真下近くには1機の『不知火』が随伴していた。
 その搭乗者である祷子は、振動センサーによる情報収集と分析に専念し、接近するBETAの早期発見に努めている。
 そして、新たなる振動が観測された―――のだが…………

「―――ッ!! これは…………大尉! 多数の震動波が南と東から近づいてきますッ!
 ―――しかもこれは……上層ですッ!―――上の階層のハイヴ外周部から、BETAが殺到してきていますッ!!」

「なんだと!? 他のハイヴからの増援が来たとでも言うのかッ!?」

 祷子の報告に、さすがのみちるも驚愕を抑えられなかった…………

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 時はやや遡って、17時14分。
 作戦旗艦『最上』のHQではようやく夕呼が表情を緩めていた。
 A-02のハイヴ突入から約10分。
 下層へと下るに従って通信は途切れがちとなっているものの、有線データリンクの敷設も進んでいるため、近い内に通信状況の改善は期待できる。
 また、ハイヴ内の全部隊からの報告を総合しても、最早ハイヴ内にまとまった数のBETA群は存在せず、各隊の掃討完了を待つばかりとなっていた。

 実を言えば、ハイヴ内のBETAからのリーディングが主目的である夕呼は、BETAを減らし過ぎたかと心配しているほどであった。

「ふむ……どうやら、この作戦は我らの勝利で幕を引けそうですな。」

「そうですわね―――「コード991! 佐渡島各地にBETAが出現―――少なくとも軍団規模ですッ!!」―――なんですってッ!!」

 突如もたらされた報告に、さすがの夕呼も血相を変えた。

「佐渡島ハイヴ外縁部の地下から膨大な数のBETAが出現し、ハイヴ中央に向け侵攻を開始していますッ!
 地上部隊が応戦していますが、BETAは地上部隊を無視してどんどんとハイヴ内に突入していますッ!!」

「なんと……いままで、隠れていたとでも言うのか……なぜだ!!」

「…………BETAが戦力を隠していたのだとして、一体目的は―――ッ!!
 ピアティフ中尉! A-02に即時撤退命令ッ!!」

 しばし熟考した夕呼は、何かに思い至ったのか、突然声を張り上げた。

「りょ、了解!…………駄目ですッ! 現在通信が途絶―――しかも、侵攻しているBETAによって有線データリンクも次々と機能障害に陥っていますッ!!」

「副司令! これは……」

 思わず尋ねる小沢提督に、夕呼は唇を一瞬噛み締めてから答える。

「……小沢提督。私の考えでは、BETAの狙いは恐らくA-02です。
 A-02が戦場に到着して以来、BETAの目標が常にA-02であった事もそれを裏付けています。」

「むぅ……何故に敵はそこまでA-02に固執するのでしょうか。」

「さあ、存じませんわ。
 ただ、今攻勢に転じているBETAが、恐らくBETA最後の戦力だと思われます。
 この攻勢を凌ぐことができれば、今度こそ我々の勝利です。」

「ふむ……ここが踏ん張りどころ……といったところですかな?
 して、何か副司令には策がおありでしょうか。」

「策と言うのもおこがましいものですが……提督、反応炉の破壊を指示なさって下さい。」

「なんと……せっかく制圧した反応炉を破壊せよと?」

 夕呼は不敵な笑みを取り戻し、反応炉の確保など然したる重大事ではないと言ってのける。

「そうです。そうすれば、BETAはこの戦場から撤退します。
 ご安心下さい。今回の作戦が成功裏に終わりさえすれば、人類はBETAに対して攻勢に出る事ができます。
 ハイヴ制圧の1つや2つ、今後は珍しくもなくなるでしょう。」

「―――成る程……私も指揮下の将兵を無駄死にさせたくはありません。
 副司令の策を直ちに実施いたしましょう。」

「ありがとうございます、提督。
 それでは、全戦術機甲部隊に、S-11搭載機を中核として反応炉へ進攻させて下さい。
 あくまでも、反応炉の破壊が最優先、無視できるBETAは無視させてください。
 また、支援砲撃可能な全部隊は、ハイヴ外縁方向から中心に向けて順次制圧砲撃を敢行。
 地上の制圧範囲内の部隊には、可愛そうですが一時的にハイヴに潜って凌いでもらってください。」

「わかりました。―――君、直ちに命令を伝達したまえ。」

「了解!……………………小沢提督、地上部隊はハイヴ突入を開始、制圧砲撃も準備の出来た部隊から撃ち始めます。
 ―――しかし、ハイヴに突入していた部隊の約80%との通信が途絶。
 連絡の取れた部隊の戦術機にはS-11搭載機が少なく、S-11の集中運用が可能な部隊の編制が出来ませんでしたッ!」

「ぬぅ!……後は、運を天に任せるしかないか……」

「くッ―――最後の最後で運任せとは……」

「―――ッ!! 副司令ッ! 第12層から17層にかけて、『主縦坑』より2000m以内の全『横坑』がBETAで埋め尽くされましたッ!!
 地上に展開していた部隊は、BETAに阻まれて下の階層へ突破できずにいますッ!!」

 戦況は、急激に悪化の一途を辿り始めていた……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 17時21分、A-01部隊は第25層SE7『広間』の中央にA-02を固定し、『広間』の両端に1つづつある『横坑』から来る敵に備えていた。

「どうだ? 風間。」

「駄目です、大尉。下からも師団規模のBETAが上がってきます。
 上の方も、恐らく第20層近くまでBETAで埋め尽くされていると思われます。
 少なくとも地上への撤退路は確保できません。」

「下から上がってくるBETAは明らかにA-02を目指して侵攻しているんだな?」

「はい。『横坑』全体に展開する様子は見られません。
 こちらに向けて、ほぼ最短経路を選択しています。」

「上は蓋をされ、下からはまっしぐらにこちらへ向かってくるか……横から来るのも時間の問題だな……」

 言葉に出して考えを整理するみちるに、祷子が的確な答えを返す。

「上下の振動に掻き消されぎみで、断言は出来ないのですが、北西を中心とする180度の水平方位からも接近するBETAと思しき振動が微かに拾えています。」

「よし。ヴァルキリー1より各機、これより作戦を説明する。
 状況から推測して、敵の狙いはA-02だと思われる。
 残念ながら我々の戦力では、現在こちらへ向かってくるBETAを相手にA-02を護り切ることは難しい。
 よって、これより隊を2つに分け、A-02の援護と、反応炉破壊をそれぞれの部隊が担うものとする。」

「「「「「「「「「「 ―――ッ!! 」」」」」」」」」」

 この状況下で部隊を2つに分け、しかもHQの許可を得ずに反応炉の爆破を独断で行うというみちるに、ヴァルキリーズは驚愕した。

「A-02はこのままの位置で固定する。
 それをA(アルファ)部隊が護衛し、B(ブラボー)部隊が反応炉を破壊しに最下層に向かう事とする。
 では、部隊編制を発表する。
 A部隊は私とスレイプニル隊全機、B部隊は速瀬以下私以外のヴァルキリーズ全員だ!」

「大尉ッ! いくらなんでも1人じゃ無茶ですって!!」

 条件反射で意見する水月に、みちるは苦笑して応える。

「まあまて、速瀬。別に何も私は一人で犠牲になろうって言うんじゃない。
 そもそも、我々の任務はA-02を守り抜き、無事に横浜基地に帰還させる事だ。
 護衛につく私が犠牲になっては、護り抜ける訳が無いだろう?」

「―――た、たしかに……」

「では、次になぜ私だけが残るのかを説明しよう。
 A-02は機密の塊だ―――しかし、私だけならば部隊長権限でA-02への搭乗を許されている。
 そして、主機さえ無事ならば、A-02の『ラザフォード場』は鉄壁だ。
 無論、主機の出力も無尽蔵ではないが、ある程度までのBETAの攻撃は楽に凌ぎきれる。
 おまけに、B隊がこの広間を出た後、BETAの先陣が来た時点で、下層につながる方の通路を荷電粒子砲の砲撃で塞ぐ。」

「「「「「「「「「「 ―――ッ!! 」」」」」」」」」」

「そうすれば、BETAは迂回するか、障害物を除去するか、いずれにしても私は時間が稼げる。
 BETAの殆どが殲滅されたハイヴだぞ?
 まさか、私以外のヴァルキリーズ全員でかかって、それだけ時間があるのに反応炉を破壊できないとは言わさないぞ?」

 みちるの挑発的な言葉に、水月はニヤリと笑って即答する。

「了~解。そういうことでしたら、BETAがここに辿り着く前に、反応炉を破壊して見せよ~じゃないですかッ!」

 その水月に対し、みちるも口の片方の端をクイッと吊り上げ、応える。

「ほほう……速瀬、大きく出たな。もし間に合わなかったら夕食5日抜きだぞ?」

「げっ……い、5日ですかぁ?」

「よし、それでは補給を済ませ次第すぐに出発しろ!
 S-11は『陽炎・改』に搭載されている分も含めて、8発全部持っていくんだぞ。
 ―――ヴァルキリーズB部隊全機、反応炉破壊に向かえッ!!」

「「「「「「「「「「 ―――了解ッ!! 」」」」」」」」」」

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 17時24分、第26層、SE23『横坑』には、侵攻ルートのSE17『縦坑』を前に足止めを強いられているヴァルキリーズB部隊の姿があった。

「風間ッ!―――まだなのっ!?」

「速瀬中尉、現在の流量だと―――後続が通り過ぎるまで、あと5分は掛かります。」

 みちると別れ、反応炉へ向かったB部隊だったが、ルートに選ばれていたSE17『縦坑』を降下しようとした矢先、下層からSE17『縦坑』を逆走してきたBETAと出くわしてしまい、想定される敵侵攻ルートを外れたSE23『横坑』への退避を余儀無くされた。
 そして、SE17『縦坑』をBETAが通過し終わる時を、今や遅しと待ちかねていた。

「く~~~~~ッ!こいつら、みんな大尉のとこに向かってんのよッ!!
 これじゃ、あたしの晩メシ! 無くなっちゃうじゃないのッ!!」

 おどけて見せる水月だったが、通信ウィンドウに映し出された表情は、みちるの身を案じて焦燥している事が、如実に見て取れるものであった。

「―――ッ!! 速瀬中尉ッ! 『縦坑』の存在しなかった位置をBETAが上層に向けて移動していますッ!!
 BETAの上層への移動速度急速に増加ッ! このままだと、2分で最後尾が『縦坑』を通り過ぎますッ!!」

「なんですってッ!!―――そうか、第4段階のハイヴ突入部隊も、この戦法にやられたんだわ……
 ―――大尉…………よしッ! BETAの通過を待ってB部隊は反応炉を目指すッ!!
 各機、移動開始に備えなさいッ!!」

「そんなッ! 速瀬中尉、BETAを後ろから追撃しましょうっ! そうすれば、BETAを減らす事ができます!!」

「無駄だよ、茜……大尉のところに行くのは下から上がってきてるこいつらだけじゃないんだ……
 しかも、作戦通りなら大尉は下層への道を砲撃で潰すはずだから、下層からのBETAを減らしても、下には逃げられないよ。」

「は、晴子……」

「柏木の言うとおりよッ! あたしらに出来る最善は1秒でも早く反応炉を破壊する事。
 ―――よしッ! 全機最大戦速ッ!! あたしの晩メシの仇を取りなさいッ!!!」

「「「「「「「「「 ―――了解ッ! 」」」」」」」」」

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、作戦旗艦『最上』のHQは、残存兵力を再編制してA-02救出を果たすべく、各員が、知恵を振り絞り、喉を枯らし、今一度統率を確立しようとしていた。

「涼宮ッ! 白銀の奴はなにやってんのよッ!?」

「スレイプニル0は、残存するスレイプニル02、07、08を用いてハイヴ第16層まで進撃路を確保、進撃路の維持は斯衛軍第16大隊があたっています。」

 通信状況の安定が望めなかったため、ハイヴ内での運用は想定されていなかった遠隔陽動支援機であったが、凄乃皇弐型の荷電粒子砲によって掘られた溝により、その周辺であれば通信を維持出来たため、ハイヴ内での運用が可能となっていた。
 そのため武は3機の『陽炎・改』それぞれに、遠隔操縦による陽動と攻撃、自律制御による支援攻撃、自律制御による『自律移動式整備支援担架』3台からの補給と、各機体の役割を順繰りにローテーションさせることで、途切れる事のない猛攻を維持し、斯衛軍第16大隊と連携する事で進撃路を切り開いていた。

「ちッ……まだ16層なの!? 小沢提督、進撃路の維持に部隊を捻出してください。
 そうすれば、斯衛軍の全戦力が進撃路の確保に専念できますっ!」

「んむ……早急に部隊を編制して派兵しましょう。」

「有線データリンク網の設置と維持もやらせてください……でないと遠隔陽動支援機は……」

 なんとか事態改善の糸口を掴みかけたと夕呼が思ったその時―――ピアティフがまるで悲鳴を上げるように報告した。

「副司令ッ!……観測されていたA-02からの重力波が途絶えましたッ!! 『ラザフォード場』が消失したとしか考えられませんッッ!!!」

「―――くッ!!」

 この一報には、さすがの夕呼も絶句せざるを得なかった……




[3277] 第9話 凱歌の影で……
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/14 17:17

第9話 凱歌の影で……

2001年12月25日(火)

 17時24分、第25層SE7『広間』では、下層につながる『横坑』が既に凄乃皇弐型の荷電粒子砲で崩落させられており、上層からやってくるBETA群を、みちるの『不知火』と4機の『陽炎・改』が迎撃していた。
 侵攻してくるBETAの流量がそれほど多くない事と、弾薬が豊富にあるおかげで、みちるはBETAの『広間』侵入を何とか阻止し続けていた。

「速瀬め、一体なにをやってるんだ……このままではさすがに支えきれんぞ?
 ―――ッ!? 下層から新たに強い振動波だと?―――むッ!!」

 センサーが捉えた、下層からの新たなる振動波にみちるが気付いた次の瞬間―――
 『広間』中央に浮いている凄乃皇弐型直下の床が、轟音と共に土砂を噴出し、間欠泉のようにBETAが続々と吹き出してきた。

「くッ! 『縦坑』を掘りながら湧いて出ただと?
 A-02を後退させなければッ―――!!」

 みちるはA-02へ部隊指揮官権限で移動指示コードを送信し、同時に自律戦闘している4機の『陽炎・改』の内2機の任務をA-02の直援に変更した。
 そして、自分の『不知火』もA-02を援護するために反転させ、BETAに砲撃を浴びせるが、数が多すぎて焼け石に水にしかならなかった。

 BETA達は、仲間の上に重なっていくようにして凄乃皇弐型の機体底面から這い登ろうとするが、『ラザフォード場』の重力偏差の効果によってズタボロの挽肉となって辺りに飛び散った。
 それでも、次から次へと死の梯子を何本も立て掛けて、『ラザフォード場』に突進していくBETA群―――
 『広間』の壁面から天井へ蜘蛛のように這い上がっていき、眼下の凄乃皇弐型に身を投じるBETAも増加の一途を辿る。
 最早、凄乃皇弐型は上下からBETAのシャワーを浴びせられているにも等しい状況となっていた。
 そして、上層から侵攻してきたBETA群も、どんどんと『広間』へと侵入し始める。

「く……A-02へのBETAの接触を許してしまうとは…………
 あとは、『ラザフォード場』だけが頼りか…………―――ッ!!」

 みちるが独白したその時、A-02の外部スピーカーから、大音量の絶叫が轟いた―――

「やだ! いやだ! やだやだやだやだやだやだやだ!!
 くるなくるなくるなっ!! こっちにこないでよおぉぉっ!!
 ―――いやぁっ!―――いやっ!!いやあァァァァッッ!!!
 ―――やめて!やめてやめてやめてやめてえェェェェェッっ!!!
 あ゛ああ゛ぁっぁぁっぁッ!!―――全部、イヤ!いやああああぁぁっ!!」

「な、なんなんだ?……A-02は無人機では―――」
 突然の絶叫に驚愕しつつも、みちるは今にもBETAに飲み込まれそうな支援担架に『不知火』を隣接させ、手早く92式多目的自律誘導弾システムを装備する。

「―――いやあッ……いやだぁッ!―――もうやめてぇぇぇ……
 やめてやめてやめてやめてよおぉぉぉっ!!
 さわるなさわるなさわるなさわるなあぁぁ―――っ!!
 ―――放してよおぉぉぉぉっ!
 放してよ…………おねがいだよ、おねがいだから…………
 おねがいします…………だから……もうやめて……
 ……いや、いやあぁぁぁぁぁっ!!
 ……助けてよ……助けて…………タケルちゃん……」

 絶叫はやがてその勢いを失っていき、遂に途絶えた。
 そして、それと同時にBETAを挽肉に変えていた不可視の力場が消失し、凄乃皇弐型は機体の下に位置していたBETAを押し潰しながら、『広間』の底へと墜落した。

「―――ッ! 『ラザフォード場』が消えた?……いや、主機自体が落ちているのか―――!!」

 墜落した凄乃皇弐型の機体上には、BETAが山のように盛り上がっていたが、それらのBETAは雪崩を打つようにみちるの『不知火』や『陽炎・改』の方へと襲い掛かってきた。

「―――そうかっ! 主機が落ちたせいで、脅威度が下がったんだな?
 よしッ! 今ならA-02に乗り移れるぞッ!!」

 みちるは凄乃皇弐型の機体上から雪崩落ちてくるBETAを噴射跳躍で飛び越えると同時に、凄乃皇弐型の機体上面にあるメインハッチからやや離れた場所をターゲットロックし、多目的自律誘導弾を発射した。
 爆風でハッチ近辺に残っていたBETAが一掃された事を確認したみちるは、ハッチに覆い被さるように『不知火』の機体をうつ伏せにさせ、胸部ハッチを開放して機体から飛び降りた。

 そのまま凄乃皇弐型のメインハッチに取り付くと、予め調べておいた手順に従いハンドルを操作してコンソールを引き出す。
 続けてハイヴ突入前に知らされた12桁のコードを入力してメインハッチを開放、素早く中に入るなりメインハッチを閉鎖。
 99式衛士強化装備(パイロットスーツ)から指令を発信して『不知火』を自律制御させてBETAを陽動させる。
 同時に、4機の『陽炎・改』全機の任務を凄乃皇弐型周辺でのBETA陽動に設定する。

 然る後、みちるは30m下方に位置する管制ブロックを目指す。
 ほぼ垂直な縦穴を、非常用昇降ラダーの手摺を両手で保持し、落ちるようにして下りきる。
 落下速度は時折手摺を強く掴むことで、摩擦でブレーキをかけて調節した。

 管制ブロックに着いたみちるは、強化装備のデータリンクで状況を把握。
 凄乃皇弐型の周辺では、3機の『陽炎・改』が未だ健在で陽動を継続していた。
 みちる自身が凄乃皇弐型の機体の奥に移動したため、BETAは生体反応欺瞞用素体によって有人機動兵器として識別される『陽炎・改』を優先目標としていた。
 現状のままなら、凄乃皇弐型のぶ厚い装甲は暫くは持つ。

「よし、手動で主機―――ML(ムアコック・レヒテ)機関を再起動、『ラザフォード場』を再展開するぞ……」

 自分自身への指示を口にしながら、みちるは再起動手順を着実にこなしていく。
 そして、凄乃皇弐型の擱坐から4分後―――17時33分に凄乃皇弐型は再起動に成功し、再び重力のくびきを振り払った。

「これでしばらくは凌げるな……さて、速瀬が反応炉の爆破に手間取った場合どうするかだが……
 ―――ッ! 爆破プログラムは起動しないか……
 ま、HQとの通信が途絶した状態でコイツを爆発させたりしたら、作戦参加部隊は巻き込まれて殆ど壊滅するからな。
 00ユニットの回収が最優先事項である以上、いずれにしても、自爆は最後の手段か…………
 そうなると、現状出来る事は脱出専用機の仕度か……」

 みちるは管制ブロックの背面に設けられた簡易架台に固定されている『不知火』を見上げた。

「『不知火』でなら、A-02を囮にすればBETAの突破も不可能ではないな。
 『不知火』を脱出専用機として組み込むように進言したのも白銀だったな……
 陽動支援機といい、あいつの発想には今回は助けられっぱなしだな。」

 みちるは、コクピットレベルのキャットウォークをつたい、胸部ハッチから戦術機管制ユニットに乗り込んだ。

「この『不知火』は複座型管制ユニットを改造してあるのか……
 後部席のスペースを潰して00ユニットが搭載されているようだな。
 ん? ステータスチェック?
 ……私が見て何が解るとも思えんがな……報告するためには見ておく必要があるか……」

 みちるは、複座型管制ユニットの後ろ半分を埋めている、高さ1.5m、幅1m、奥行き1.5mの立方体の前面に設けられたコンソールを操作し、ステータスチェックを呼び出した。
 コンソールに付属した液晶パネルには、大量のメッセージと共に、1人の少女の全身像と、頭部の拡大映像が表示されていた。

「―――なッ!! 鑑少尉ッ!?」

 コンソールには、苦悶の表情のまま気を失っているように見える純夏の映像が表示されており、その映像に重なるようにして、温度分布、各部機能状況などが周期的に表示されていく。

「―――温度分布、許容範囲内、異常なし。―――機能障害、頭部量子電導脳自閉モード、モード切替原因不明。
 ―――ッ! 量子電導脳だと?……鑑が……『00ユニット』の……被験者だったのか……
 白銀が、訓練部隊編入直後から、副司令の特殊任務に従事していたのもこれが原因か?……」

(……そうか……そう言う事だったのか……白銀はこのことを知っていたんだな? だから昨日―――
 ……いや……これは私には分不相応な情報だ……これ以上首を突っ込まない方が良い。
 今は00ユニットの状況把握をするだけでいい。)

 しばし、目を閉じて己が心を落ち着けると、みちるはコンソールの表示を消して、『不知火』の起動手順を開始した……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 17時31分、作戦旗艦『最上』のHQでは、珍しく夕呼が焦燥を顕わにしていた。

「涼宮ッ! 伊隅達とはまだ連絡は取れないの!? 白銀の状況はっ?!」

「―――ヴァルキリー1以下全機とは通信途絶のままです。
 ―――スレイプニル0は第18層まで進撃路を確保しましたが、未だA-02のビーコンは感知できていません。
 ―――進撃路の確保並びに有線データリンクの敷設及び維持は順調です。」

「おそいってのよッ!! さっさと最下層まで突破しろって伝えなさいッ!!」

「!―――副司令、無茶ですっ!!」

「無茶でも何でも、とにかくやるのよッ!!」

 思わず夕呼に反論してしまう遙だったが、夕呼はそれこそ歯牙にもかけない。
 そこに、武からの通信が遙に、内線が夕呼に繋がる。

「いいんだ、涼宮中尉。先生が言ってるのは心構えの問題だよ。
 とは言え先生、一応確認しときますけど、S-11を使って良いなら、後3層くらいはすぐさま抜いて見せますよ。
 ただし、その場合はオレの扱う機体は無くなりますけど構いませんか?」

「くッ―――わかったわよ。戦力を維持しながらでいいから、可及的速やかに下層を目指しなさい。」

「―――了解。」

 武に取り成されて一気に頭が冷えたのか、夕呼は語気を緩めて指示を出しなおした。
 その直後、HQに1つの吉報が、ピアティフによってもたらされた。

「副司令!! A-02のものと思われる重力波を観測! 『ラザフォード場』の再起動に成功したものと思われますッ!」

 夕呼は即座に的確な指示を続けざまに下す。

「ピアティフ中尉、重力波を複数ポイントから観測して、A-02の現在位置を割り出しなさい。
 小沢提督、A-02の現在位置が判明し次第、全残存戦術機部隊をA-02確保に向かわせてください。
 最悪、メインコンピューターとレコーダーが搭載された脱出用の『不知火』さえ回収できれば、A-02は破壊しても構いません。
 ただし、A-02が空中に浮いている限りは『ラザフォード場』が働いていますので、攻撃は無意味ですし、危険なので20m以内には近づかないように周知徹底してください。
 また、A-02確保後の回収作業にはA-01部隊長の伊隅大尉がいない場合、HQからの暗号送信が最低限必要となります。
 有線データリンクの敷設ならびに維持も、現状どおり最優先で続けてください。」

「副司令! A-02の現在位置でましたっ! 第25層のSE7『広間』ですッ!!」

「うむ! 君、直ちに全軍に通達したまえ。事は一刻を争うぞ、急げ!」

「了解!」

「涼宮中尉! 白銀に―――」

「ヴァルキリー・マムよりスレイプニル0並びにクレスト1(斯衛第16大隊指揮官)に告ぐ、A-02起因の重力波を観測、健在と思われる。
 転送したA-02の現在位置までの進撃ルートを突破し、A-02を確保せよ!
 ―――繰り返す、A-02は健在。指定進撃ルートを突破しA-02を確保せよッ!」

 続けて遙に指示を出そうとした夕呼だったが、遙は既に対応を先読みして戦域管制を開始していた。

「―――さすがね涼宮、仕事が速いわ。」

「ありがとうございます、副司令。現在有線データリンクの敷設により、第23層まではデータリンク有効圏となっていると予想されます。
 第25層のA-02とのデータリンクは現在の進撃速度で後3分お待ち下さい。―――えッ!?
 副司令ッ!! BETAが一斉に退却を開始しましたッ!!」

 遙の言葉の最後に、ピアティフの報告が重なる―――

「副司令! 衛星からの観測によると、甲21号目標の反応炉が機能を停止した模様ですッ!!」

 途端にHQが歓声で満たされた。
 夕呼もようやく肩の力を抜き、声に疲れを滲ませながらも、小沢提督に方針を示す。

「そう……なんとか、終わりそうね。
 小沢提督、ここで可能な限り戦果を拡大しましょう。
 有線データリンク敷設維持にあたる部隊と、斯衛第16大隊、スレイプニル隊を除く全部隊で追撃戦を展開してください。」

「うむ、そうですな。―――君、……」

 『甲21号作戦』は、多大な犠牲を出しつつも、フェイズ4ハイヴの反応炉破壊という、人類初の偉業をG弾抜きで達成し、幕を下ろした。
 残存BETAはその殆どが甲20号目標方面へ逃走、追撃部隊により70%が殲滅された。
 作戦参加部隊の損耗率は最終的には次の通りとなった。
 国連太平洋艦隊8%、帝国連合艦隊第2戦隊8%、帝国連合艦隊第3戦隊7%、『ウィスキー部隊』67%、『エコー部隊』51%、国連軍第6軌道降下兵団44%、斯衛軍第16大隊12%、国連軍A-01部隊38%。
 A-02は作戦終了時に至るまで健在。ただし自律航行システムの障害が深刻で復旧を断念。
 擱坐の判定となり、回収部隊が到着するまで、警備部隊が駐留し護衛する事となった。
 尚、A-01部隊所属全衛士は無事生還。死傷者皆無……と、公式資料には記された―――

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 18時00分、作戦終了後の撤収作業に移行した作戦旗艦『最上』の通信室では、機密保持を理由に人払いをした上で、夕呼と武の2人だけがみちる相手に秘匿回線で通信していた。

「通信途絶後の状況推移のあらましは以上です。別行動後のB部隊の行動に関しては、速瀬から口頭にて受けた報告を元にしたものです。」

 口調だけは淡々とした調子だったが、みちるの表情はあらましだけでは済まない出来事に遭遇したと、明らかに語っていた。

「あらましは以上……ね。じゃあ、詳細な報告は最上で聞くわ。
 ―――あ、あと1つだけ……00ユニットのステータスチェック、見たわよね?」

 何気ない夕呼の一言に、みちるの表情が沈痛なものになり、視線が僅かに揺らいだ。

「―――ああ、気にしないでいいのよ。あんたとしたら当然の行動だから。
 ただ、Need to know ―――解ってるわね?」

「―――はッ!」

「じゃあ、ヴァルキリーズに回線を繋ぐわよ?―――涼宮、繋いで頂戴。」

「―――了解。」

 そして、HQに残って管制を続けていた遙によって、A-01部隊所属の12人の衛士全員に回線が繋がれ、全員が夕呼の言葉を待つ。

「みんな、ご苦労様。
 『甲21号作戦』はあんた達の反応炉破壊によって成功裏に終わったわ。
 伊隅は良い判断をしてくれたわね……
 こっちでも反応炉破壊の判断をしてはいたんだけど、ヴァルキリーズとは通信途絶、他の部隊は反応炉到達は絶望的と、正直手詰まりだったのよね。
 帝国軍じゃ、あんた達は救国の英雄ってことで祭り上げられているわよ。
 残念ねえ、極秘任務部隊じゃなかったら、一躍有名になって引く手数多だったのにねえ。」

 ニヤリと人の悪い笑顔を浮かべて言い放つ夕呼。

「そうですねぇ。特に大尉なんかは姉妹(ライバル)に差をつける絶好のチャンスだったのに、ざんねんでしたね~。」

 夕呼の冗談に乗ってきた水月に、即座にみちるが釘を刺す。

「ほほう。速瀬、どうやら貴様は最近口数が多すぎるようだな……
 反応炉の破壊も相当手間取ったことだし、夕食抜きを2週間に延長してやってもいいぞ?」

「あっちゃ~……大尉、かんべんしてくださいよ~~~」

 その情けない様子に、一斉に部隊の全員が笑った。
 水月の表情も情けないながらも、どこか嬉しそうに輝いていた。

「ま、あたしにとっては、甲21目標なんてどうなろうと関係ないんだけど、新兵器のお披露目も上手く行ったし、回収に手間取っちゃうけど中枢部は持ち出せてるから問題ないわ。
 お客さんの反応も熱狂的でこっちが引いちゃうくらいだから、今回の作戦の目的は十分果たせたわね。
 まあ、あんた達もいい加減疲れただろうから、最上に随伴している戦術機母艦国東(くにさき)に着艦して休みなさい。
 今日の22時―――フタフタマルマル……だっけ? に、74式大型飛行艇(74式大艇)が来るから、それに乗って横浜に戻るわよ。
 あ、伊隅だけは最上の艦載機デッキに着艦しなさい。
 凄乃皇弐型の中枢部の確認と、回収時の詳細報告を受けるわ。
 特に質問は無いわね?―――じゃ、解散。」

「「「「「「「「「「「「 ―――了解ッ! 」」」」」」」」」」」」

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 18時32分、作戦旗艦『最上』の艦載機デッキ近くに用意された機密ブロックには、夕呼、みちる、武の3人が集まっていた。
 武の表情にはやや憔悴した様子が見られ、みちるも意図的に感情を抑制しているのが窺えた。
 しかし、ただ一人いつも通りな夕呼は、そんな事は気にもせず、さくさくと話を進めていく。

「さて……じゃ、詳細な報告ってのを聞きましょうか。」

「はッ! B部隊が反応炉破壊に赴いた後、私は自分の『不知火』1機とスレイプニル隊の『陽炎・改』4機を以って、上層から侵攻して来るBETAのSE7『広間』への侵入を阻止していました。
 下層へとつながる『横坑』は既に封鎖してあったのですが、突然A-02直下の床に開いた穴から、下層にいたBETAが爆発的な勢いで侵入してきました。
 反応炉へ向かう途中で風間が観測したデータによると、BETAは新たな『縦坑』を掘削しながら上層へと侵攻していたそうです。
 BETAの圧倒的な流量に迎撃が追いつかず、A-02への接触―――『ラザフォード場』への干渉を許してしまいました。
 雪崩のような圧倒的な数のBETAに、上下から不断の干渉に晒されつつも、A-02は健在であるように見えました。
 ですが……その時、A-02の外部スピーカーから、女性の叫び声が発せられたのです。
 これが、自身の機体を放棄する際に強化装備に転送しておいた、その際の音声データです。」

 みちるは、強化装備内の音声データを室内の端末に転送して再生した。
 音量は押さえてあるものの、純夏の悲痛な叫びが再生される。
 それを聞き、武は悲痛な面持ちをするが沈黙を保った。

「そして、この叫び声が途絶えた直後、A-02は主機を停止し擱坐しました。
 A-02の擱坐後、BETAは次なる優先目標を有人機動兵器である戦術機5機に指向して襲い掛かってきました。
 私は乗機を捨ててA-02へ移乗し、『不知火』は自律制御としましたが、すでにBETAに損傷を受けていたため間もなく機能停止しました。
 スレイプニル隊の4機にもBETAを陽動させておき、稼いだ時間で私は管制ブロックへ移動、手動にて主機の再起動に成功しました。
 最大出力で展開された『ラザフォード場』はBETAの度重なる干渉に堪えたため、A-02の制御を現状維持とし、私は事態悪化に備えて脱出機である『不知火』に搭乗しました。
 そして、管制ユニットの後部に設置されていた、00ユニット格納部と推測できた部分に設置されたコンソールに気付き、ステータスチェックを実行しました。
 表示された情報によると、量子電導脳が原因不明のまま自閉モードへ移行したとあり、他にはなんら問題は見られませんでした。
 その後は、状況を把握しつつ脱出のタイミングを図っていたところ、速瀬たちB部隊が反応炉を破壊したためBETAは撤退していきました。
 先の報告で省いていた詳細報告は以上です。」

 みちるは報告を終えると、感情を押さえ込んだ顔で、夕呼を真っ直ぐに見つめた。

「知ってのとおり、00ユニットはオルタネイティヴ4の最重要機密よ。
 でも、話せる範囲で話してあげるから、質問があれば言いなさい。」

 夕呼の許可に、みちるは片眉を跳ね上げてから、質問を開始した。

「ありがとうございます、副司令。
 では伺いますが、00ユニットと、先日我が隊に配属された鑑純夏少尉とは同一人物で間違いないでしょうか。
 また、鑑少尉が00ユニット自身なのであれば、鑑純夏という『人物』が実在したとして、どのような人物なのでしょうか。」

「ああ……一応、あんたの部下って事にしてたっけ。
 それなら気になるのも仕方ないわね。
 00ユニットはその仕様上の必要から、人間と同等の人格を持っているのよ。
 で、『人間』の鑑純夏は、00ユニットの人格の元になった人物で、そこにいる白銀の幼馴染よ。
 公式にはBETAの横浜侵攻で死亡したって事になってるけど、実はBETAの捕虜になってたのよね~。」

「―――ッ!! BETAの捕虜……そうでしたか……」

「明星作戦で横浜ハイヴから救出された唯一の生存者―――それが鑑純夏よ。
 ただ、詳しくは言えないけど、生きてるのが不思議なくらいの状態でね。
 延命措置は続けてたけど、擬似生体じゃ補完し切れない状況でね。BETAの情報を聞き出す事もできなかったのよ。
 そこで00ユニットに記憶もろとも人格を複写して、白銀に手伝わせてリハビリさせた結果が、あの鑑少尉ってわけ。
 ―――ちなみに、00ユニット起動後に、鑑純夏本人は容態悪化の末に死亡してるわ。」

「―――そうですか、それで記憶が安定していなかったのですね……」

 みちるは、思案顔で頷いてみせた。

「00ユニットの機能が回復したら、原隊復帰させるから、その時は人間として扱って頂戴。
 彼女、まだ自分が機械だって自覚があまり無いから……」

「はっ、了解です。」

「じゃ、他になければ国東に行って休んでいいわよ。隊の連中に無事な顔見せてやんなさい。」

 みちるは軽く一礼すると、武を一瞥して退室していった。
 みちるの姿が見えなくなると、夕呼は武に向かって話しかけた。

「あの娘は色々とわきまえている娘だけど、抱え込んじゃうタイプだから、あとで話しを聞いてやって頂戴。」

「わかりました。
 で、先生……純夏の方はどうなんですか?」

 焦燥を無理矢理押さえ付けながら、武は今まで聞くのを堪え続けた質問を、性急な調子にならないように語調を整えて発した。
 夕呼は眉にしわを寄せて、お手上げとでも言わんばかりに首を振った。

「それがねえ……自閉モードだってのに、ODLはそんなに劣化してないのよ。
 そもそもODLの劣化以外に、自閉モードの発動条件がないのによっ!
 しかも、外部から信号送って、自閉モードから抜けさせても、次の瞬間にはまた自閉モードに戻っちゃうし……」

「―――? どういうことですか?」

「要するに、鑑はね―――自分の意志で自閉モードを維持してるのよ。
 だから、こっちの操作で自閉モードを脱しても、量子電導脳の機能が復帰した瞬間に、自閉モードに切り替わってしまうんだわ」

「―――ッ! 純夏が自分で引きこもってるってことか……
 で、なにか、対策は無いんですか?」

「正直お手上げよ。
 量子電導脳の処理速度に対抗できる電子機器は、この世界には無いのよ。
 もっと詳しく言うと、量子電導脳の再起動から、コマンドの発行、自閉モードへの移行―――この一連の動作の間に割り込んで、自閉モードへの移行を阻止できる機材は存在しないって事。
 もし、可能性があるとしたら、完全に機能している量子電導脳くらいのもんよ。
 もちろん、そんなもの無いけどね……。
 てことで、現状では全くのお手上げ。
 後は、横浜に帰ってから、霞に鑑を宥めるイメージをプロジェクションさせながら、何度も再起動を繰り返すくらいしか、思いつかないわ。」

「なるほど、わかりました……じゃあ、オレも……覚悟を決めときますね。」

「やっぱり、それしか無いのかしらね……」

 武はメンテナンスベッドを開き、中の純夏の髪を優しく撫でて話しかける。

「……純夏、余程嫌な事があったんだろうな……肝心な時に、近くに居てやれなくてごめんな。
 今は、ゆっくりと休んどけ……横浜に帰ったら、霞とオレとで起こしてやるからさ……
 ―――夕呼先生、輸送機が来るまで純夏についてやってていいですか?」

「勝手にすれば? あたしは一眠りするから。」

 そう言い捨てて、部屋を出て行く夕呼の背中に、武は感謝した。

「ありがとうございます、先生……」

 そして、薄暗い照明に照らされた部屋に、武と純夏だけが残された……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 12月26日(水)

 01時13分、夕呼以下、国連軍横浜基地『甲21号作戦』派遣部隊の全要員は、国連軍横浜基地第2滑走路に74式大型飛行艇旅客機仕様に乗って凱旋を果たした。
 74式大型飛行艇輸送機仕様に搭載されて空輸された『不知火』12機とスレイプニル隊の残存機は、横浜港より陸路にて搬送中であった。

 最低限の警備部隊と共にパウル・ラダビノッド基地司令が、第2滑走路にて直々にA-01部隊を出迎える。
 しかし、夕呼はピアティフと共に、メンテナンスベッドを含む機材を整備班に運ばせて、早々に基地内に入っていってしまった。
 それを横目で見つつ、A-01部隊の全員は整列し、基地司令にみちるが帰還の報告をする。

「A-01部隊、ラダビノッド司令官に対し―――敬礼ーーっ!
 伊隅みちる大尉以下13名、只今帰還いたしましたっ!」

「うむ。諸君―――困難な任務であったが、良くぞ達成してくれた。私は諸君を誇らしく思う。
 本来、諸君の為した偉業を鑑みれば、横浜基地総員にて出迎え、凱旋を祝い栄誉を讃えるべきものだ。
 だが、我々オルタネイティヴ計画に名を連ねるものには、その様な贅沢は許されては居ない。
 しかし、諸君の為した偉業は必ずや人類に希望をもたらし、BETAを地球より駆逐する戦いの先駆足ると私は信ずる。
 我ら人類の反撃は未だ端緒についたばかりである、諸君のより一層の奮戦に期待する。
 ―――現時刻より本日1日は休養日とする。
 まずはゆっくりと休んで鋭気を養い、今作戦の疲れを癒してくれたまえ。
 ―――以上だ。」

「―――敬礼ーーっ!」


 基地司令は労いの訓示を済ますと、答礼を返してきびすを帰した。
 基地司令が去ったところでみちるが振り返り、解散を命じる。
 ヴァルキリーズは、疲労の中にも喜びや高揚を顕わにしつつ、言葉を交わしながら兵舎の方へと立ち去った。
 そして、第2滑走路には武とみちるの2人だけが残った。

「―――白銀……」

「大尉、夕呼先生からは許可を貰ってます。話があるなら、聞きますよ?」

「……そうか、では、私の部屋で話そう。疲れているところを悪いな。」

「いえ……気にしないで下さい。じゃ、行きましょうか。」

 そして、武はみちると連れ立って、第2滑走路を後にした。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 01時30分、B8フロアのみちるの自室で、武とみちるは淹れたての合成コーヒーを飲んでいた。
 ブラックのコーヒーで眠気をいくらか晴らし、みちるは、まずは謝罪から切り出した。

「白銀、済まなかった……」

「―――え? なんのことですか?」

 唐突に謝罪された武が驚いてみちるの表情を窺うと、みちるは目をやや伏せて沈痛な面持ちを浮かべていた。

「鑑の事だ、私は不用意に、分不相応な情報に首を突っ込んでしまったようだ。
 貴様と鑑に降りかかったであろう、悲劇と心の傷の深さは……想像を絶する。
 私は未だに00ユニットがどういった存在なのかすらわかっていない。
 しかし、自分の大事な人が00ユニットの被検体となることを思うと、背筋が薄ら寒くなる思いを押さえ切れない。
 そのような立場で、第4計画の中枢任務をこなすなど……私には絶対に耐えられないだろう。
 訓練部隊編入から今日に至るまでの貴様の働きを思い返すと……貴様の強さを知ると同時に、自分の弱さが情けなくなる。」

「大尉……それは違いますよ……オレは強くありたいと思っていますが……
 それは、今までの自分の弱さが……そして、それがもたらしたものが許せないから……
 だから、一生懸命もがいてるだけなんです。
 大尉に褒めてもらえるような強さなんて、オレは持っていないんですよ。」

 みちるの、心底からの自戒の念に、武は自身に対する過大な評価を否定せずにはいられなかった。
 片方の眉を跳ね上げたものの、武の言葉に敢えて反駁することはせずに、みちるは武を切々と諭した。

「…………そうか。貴様がそう言うのなら、それでいいだろう。
 しかしな白銀……もし、貴様の言う通りだったとしてもだ。
 そうやって、自分の弱さを知って尚、もがき続けることが出来る……それだけでも凄い事なんだぞ。
 しかも、そうしながら貴様が達成してきた事を振り返って見ろ…………
 人類の切り札である00ユニットに関わり、任官前から第4計画の中枢近くで計画に貢献し……
 しかも、『XM3』や陽動支援機構想など、貴様以外、誰にも考えつけなかった……
 いや、考えたとしても、為し得なかった事柄を次々に実現してきた……
 貴様が今までにやってきた事……実績は、人類に多くの救いをもたらしているんだ。
 実際、今回のハイヴ突入の時、貴様の陽動支援機構想のユニットを随伴していなかったら、今頃私は生きてはいないだろう。
 貴様の行いで、戦いの中で命を拾ったものが確実に居る事だけは、しっかりと憶えておけ……
 何時か、貴様が挫けそうになった時に、死力を尽くすきっかけになるかも知れないからな。」

「…………はい、大尉。」

 未だ納得した様子ではないものの、素直に返事をした武に、みちるは目を半眼に伏せて内心を吐露する。

「何人もの部下を殺し、多くの人の死に関わってきて……
 私はその重さを、第4計画に―――人類の未来に貢献するのだという大義名分の重さとで天秤にかけて……
 さらには自身を軍人としての型に押し込んで……
 そうして心に鎧を纏う事で、私は、ようやく自分を保つことが出来ているんだ。」

「大尉―――」

 そんな事は無いと、そう反駁しようとした武を遮るように、みちるは言葉を重ねた。

「なのに、貴様は私と違って鎧を纏っていない……
 自身を護るのではなく、自身を律する事で自分以外の何かを護ろうとしている……そんな風に感じるんだ。
 しかも、貴様は鑑を想っているくせに、鑑だけに囚われない……常にもっと多くのものを護ろうとしているように感じる。
 それはきっと―――『優しさ』なんだと思う。
 このBETAとの戦いに明け暮れる世界で―――
 持てる全てを投げ打っても、自分の求める僅かな幸せを握り締める事が出来るかどうかという、切羽詰った世界で―――
 貴様は無私とも言える大きな『優しさ』で、多くの人々を救おうとしている。
 今回の事で、私は不用意に貴様の事情に踏み込んで、そして貴様の『優しさ』に気付いてしまった。
 ―――だから、私は、私の力の及ぶ限り、貴様の手助けをしようと思う。
 それが……貴様の事情に首を突っ込んでしまった私のけじめであり、詫びだ。
 受けてくれるか? 白銀。」

 最後に両の眼(まなこ)をしっかりと見開き、強い意思を込めて武をジッと見つめるみちる。
 そんなみちるの様子に、武は精一杯の感謝を込めて頷く。

「―――ありがとうございます、大尉。
 オレは、大尉が言ってくれたような立派な人間じゃないですけど……
 それでも、1人でも多くの人を護れるように、オレを助け導いてください……お願いします。」

 その、武の言葉にみちるは晴々とした笑顔を見せ、疲れ果てた部下を解放する事にした。

「そうか、受けてくれるか……ありがとう、白銀。
 よし、それでは今日はもうゆっくりと休め。」

「はい。お休みなさい、大尉。」

 みちるの部屋を出て、自室に帰る武の胸は、何か暖かいもので満たされていた。
 武は、自分が歩いてきた道と、これから歩いて行こうとしている道、その両方をみちるに肯定してもらえたように感じていた。




[3277] 第10話 人類の希望 +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/08/16 17:21

第10話 人類の希望 +おまけ

2001年12月26日(水)

 08時26分、B19フロアのシリンダールームまで霞に会いに来た武は、室内に設置された純夏のメンテナンスベッドとその周辺機器を目の当たりにすることになった。
 機器を操作していた夕呼が、入室した武の方を一瞥すると、声を掛けた。

「どっちに会いにきたの? 社? 鑑?……―――あたし……ってことはないか。」

 半ば捨て鉢に言い捨てる夕呼の姿には、疲労が色濃く滲んでいた。

「夕呼先生、寝てないんですか? 少しは身体を大事にしてください……」

「あたし抜きでも仕事が進むように指示は出したから、これから寝ようと思ってたとこよ。
 社は先に休ませたけど、夕方には起きるでしょうからその頃にまた来なさい。
 鑑は―――って、言わなくても解ってるって顔ね。」

「はい。―――で、『甲20号作戦』は予定通りの日程で実施するつもりですか?」

「ッ!―――そうよ。だから、例の件は今日の夜までに決めるわ。」

「……そうですか。じゃあ、全てが上手くいけば、2週間後の『甲20号作戦』には凄乃皇が2機投入できますね。」

「…………そうね、完全稼動する00ユニットの干渉ならば、鑑を起こせる可能性は高いから……」

「先生、本当に顔色悪いですよ。夕方にまた来ます、続きは先生の元気が戻ってからって事にしましょう。」

「はぁ~~~~~ッ! あんたにまで気を使われるようじゃ、あたしもお仕舞いよね~。
 はいはい、さっさと寝て、調子を取り戻しとくわ。じゃ、また後でね~~~~。」

 首を数回まわして、お気楽な調子を取り繕うと、夕呼は武を残して退室していった。
 後に残された武は、『最上』で別れた時と変わらず、苦悶の表情のままの純夏に辛そうな視線を投げかけると、髪を優しく撫でて語りかける。

「純夏……必ずオレが起こしてやるからな……必ず、オレが…………」

 武の声に応えるものは無く、室内には検査機器の作動音のみが響いていた。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

「―――っ! ちょっとあんたっ!!」

 11時57分、1階のPXにやって来た武に、いきなり大声が掛けられた。

 ここに来る前に、陽動支援機の運用評価試験に関係した部署を廻って来た武は、あちこちで声を掛けられたり、肩を叩かれて賞賛されたりしてきていた。
 極秘任務と言いながら、『甲21号作戦』自体は公式に国連第11軍全軍に発令されたものなので、その結果は横浜基地の全員が知っている。
 そして、A-01部隊の出撃はともかく、凄乃皇弐型の巨体が出撃していく姿は、基地要員の多くが目撃しており。秘匿のしようがなかった。
 まして、武は『XM3』トライアルの時に、発案者として大々的に周知されていたので、副司令直属の衛士として広く知られている。
 おまけに、『遠隔陽動支援機構想』には、技術部や整備班などの多くの人員が関わっていたため、武が作戦参加したという噂は基地全要員の間で暗黙の了解となっていた。
 軍機に配慮されているのか、具体的には何も言われないものの、すれ違う人々の殆どが、祝福や感謝の言葉を述べていった。
 そんな調子だったので、感覚が麻痺していた武は声に反応するのがやや遅れてしまったのだが―――

<バシッ!!>
「―――うごッ!!」

 ぼーっとしていたところで、急に背中に強烈な一撃を貰い、武は驚いて奇声を発してしまった。
 慌てて声の主の方を見ると、京塚のおばちゃんの満面の笑顔があった。
 京塚のおばちゃんは、武の背中をバシバシ叩きながら一方的に話しかける。

「―――武ッ! あんたえらいよ! 無事で帰って来るのが一番えらいんだよ!
 ―――昼御飯だろ? サービスするからいっぱい食べていきな!
 夕飯は時間がちょっと遅くなっちまうけど、ナイショで祝勝会をひらいてやるからね! 楽しみにしといでよッ!!」

「―――おばちゃん……ただいま! 祝勝会? マジで!? じゃあ、おばちゃんのご馳走、楽しみにしてますッ!」

 話したいだけ話し、叩きたいだけ叩いた後、豪快に身体を揺すりながら調理場へと戻っていく京塚のおばちゃんに、武は返事をした。
 すると、武のその声を聞きつけたのか、PXの中ほどの席から美琴の声が届いた。

「タケルゥ~~~ッ! こっちこっち~~~!!」

 そこには、ヴァルキリーズ12名全員が勢ぞろいしていた。

「たけるさん~、今まで寝てたんですかぁ?」
「白銀……お寝坊さんだね。」
「まったく……あなたときたら―――」
「いや、タケルのことだ、既に特殊任務の1つや2つ、こなして来た後であろう。」

 ニコニコ笑って席を引いてくれる美琴、悪戯っぽく微笑みながら話しかける壬姫、顎に右手を当ててニヤリと笑いながら決め付ける彩峰、それを真に受けて小言を始めそうな千鶴、腕を組み何故か不敵な笑みを浮かべながらしたり顔で武を庇ってみせる冥夜。
 武は今回の戦いで失わずに済んだ大事な仲間達の姿に、暖かいものを感じながら応えた。

「さすがに冥夜は良く解っているな。
 朝から特殊任務がらみで先生の所に行って、その後は、『遠隔陽動支援機構想』の運用評価がらみで技術部と整備班に顔を出してきたんだ。」

「「「「「「「「「「「 ―――えっ! 」」」」」」」」」」」
「―――なっ! そなた、それは本当か? ……よもやタケルが休日に、そのような精勤に勤めているとは…………」

 武の言葉に、ヴァルキリーズの全員が一斉に意外そうな顔をする。
 中でも、皮肉のつもりで正鵠を射抜いてしまった冥夜が殊更に驚いていた。

「オレって、そんな評価なんだな~~~。」

「「「「「「「「「「「 あはははは…… 」」」」」」」」」」」

 落ち込んで見せる武に、皆が乾いた笑いを発する中、唯一人、みちるが笑わずに発言した。

「んっ……いや、そんなことはないぞ。白銀、貴様の評価は我が隊の中で鰻登りだ。
 そうだな? 速瀬、宗像。」

「そっ……そそそ、そうですねぇえ……たぁ、確かに『陽動支援機』には助けられましたし……
 え、えっと……あぁぁぁっと、あ、後は『XM3』が無かったら、今回の激戦はきつかったですよね~。」

「そうですね。しかも、反応炉の破壊も、随伴させていたスレイプニル隊の装備運用していたS-11無しでは不可能だった。
 白銀―――おまえのお蔭だ。感謝しているぞ。」

 みちるに急に話を振られ、慌てているのか、武を褒めるのが癪に障るのか、妙にどもる水月に続き、美冴までもが武を褒める。

「そ、そうね……確かに、白銀の発想の御蔭で助かったのは事実よね。」
「―――茜、無理して褒めなくっても、白銀は気にしないと思うよ?
 でも実際、無人機ってのはあると楽だよね。ここぞってとこで、思い切り良く犠牲に出来るもんね。」

 何処と無く悔しげに武を褒める茜と、ドライな意見を爽やかな笑顔で言い切ってみせる晴子だった。

「涼宮、気ぃ使ってくれなくってもいいぞ。
 柏木の評価は正に我が意を得たりってやつだな。」

 そして、遙が例によって威力の大きな発言を、ほんわかとした調子で放り出す。

「うんうん。白銀大尉の事は、帝国軍の小沢提督もべた褒めだったもん。
 すごいよねぇ~。」

「え~っ! お姉ちゃん、それ本当?」

「うん。本当だよ。
 『XM3』と『遠隔陽動支援機構想』で衛士の犠牲が激減するから、帝国軍は感謝してもし切れないっておっしゃってたわよ?」

「うっわ~~~ッ、タケルぅ、誰か他所の人と勘違いされてない?」

「オレであってるだろッ!!」

「「「「「「「「「「「「 あはははは 」」」」」」」」」」」」

 PXの一角で、今日も笑顔が満開になった。
 たまたまPXに居合わせた基地の人々も、彼女らの笑顔を微笑ましげに見やると、感謝するように目礼を捧げた。
 兵士たちにとっては、彼女らの微笑が、深く長い闇夜の夜明けを告げる、輝かしい曙光に見えたのかもしれなかった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 17時05分、B19フロアのシリンダールームで武は霞から講義を受けていた。

(もしかしたら、これが最後の講義になるかもしれないな……
 霞には世話になりっぱなしだったけど、何かオレにしてやれる事ってないかなあ……
 ……そうだ、今晩の祝勝会でヴァルキリーズと打ち解けられれば、オレが居なくなっても―――)

「なあ、霞。話は変わるんだけどさ、今晩―――」

 武はそこまで言って、霞が自分を精一杯睨みつけている事に気付いた。

「―――霞、どうしたんだ?」

「…………いやです……」

「ん? 何が嫌なんだ? あ、折角教えてくれてるのに、オレが違う事言い出したから怒ったのか?
 ごめん霞、でもこの話は―――」

「違います…………そんなことじゃありません……
 ………………私、白銀さんが居なくなるの、嫌です……」

「―――ッ! 霞……」

「……純夏さんがあんな事になって、もう次の作戦が決まってて……
 ……人類の為にも、純夏さんの為にも、『そうすること』が一番なのは解っています……
 ……でも、私は白銀さんが居なくなるのは、嫌です……
 …………ごめんなさい。
 ……私……何もしてあげられません……
 ……私は……ただ待っているだけ……
 ……誰の役にもたっていません。
 ……純夏さんを目覚めさせる事も……白銀さんの力になる事も……
 …………白銀さんの、代わりに―――」

「霞ッ!!」

 突然大声で遮られ、霞はピクンッ! と髪飾りを跳ね上げ、目を大きく見開いて武を見上げた。

「―――いいんだ、霞! そんなこと言わなくて良い。
 オレも夕呼先生も、おまえが……オレ達の本当の気持ちを知ってくれてるだけで……本当に救われるんだ……
 だからそんな寂しいこと言わないでくれ……
 そんな事言ってたら……純夏だって悲しむぞ。」

「ごめんなさい……」

「謝らなくて良いよ。わかってくれればそれで良いんだ。
 オレこそ、中途半端に後ろ向きな事考えて、おまえを不安にさせちゃったんだな。
 ごめんよ、霞…………
 よしッ! オレは絶対に純夏を目覚めさせて、地球上のハイヴを全部ぶっ潰してやる!
 だから、霞はそれを見届けて、全部終わった時に褒めてくれッ!!」

 武は笑顔で宣言して霞に目線の高さを合わせてじっと見つめた。

「………………
 ………………はい、約束です。」

 頬を微かに染めて、コクンと頷く霞。
 と、そこへ突然声が掛かった。

「―――あんた達、なに見詰め合っちゃってるわけ?
 白銀~、あんた、ループ条件忘れちゃってないでしょうね~」

 声の主は夕呼だった。

「わ、忘れていないですよっ!
 今後の決意を霞に聞いてもらっていただけですッ!」

「あ、そ。あんた好きよね~、決意表明。
 ま、そんな事はいいわ。今回の運用評価試験に関して、あんたにも話しておくわね。」

「ッ!!―――はい。」

「帝国と国連本部の連中は大喜びよ―――特に煌武院悠陽殿下からは、今朝の佐渡島ハイヴ排除を内外に知らせる臨時放送で、国連軍に向けた格別の謝辞を頂戴したわ。
 こっちは全て、佐渡島ハイヴの攻略をG弾抜きで成功させた事による効果ね。
 みんなして、あんまり手放しで喜ぶもんだから、リーディング情報の公開は見合わせる事にしたわ。
 米国ではオルタネイティヴ5推進派が大慌て、今朝から基地の憲兵隊が総出で工作員を摘発してるわ。
 今回の結果で、オルタネイティヴ5推進派は虫の息よ。
 鑑の状態が露見でもしない限り、もうあいつらは無視しても構わないわね。
 BETAに国土を占領されている国家群は、一斉にオルタネイティヴ4の支持を表明してるけど……連中何を勘違いしてるのかしらね。
 凄乃皇は00ユニットの機能拡張計画に過ぎないってのに、浮かれちゃって……
 00ユニットこそが人類の切り札だってことが解ってないのよねぇ~。
 まあ、佐渡島ハイヴで、G元素を補充できた事も、凄乃皇の継続使用って点じゃ大きいんだけどね。
 で、本命のBETAのリーディング情報の方なんだけど、これがもうバッチリ―――予想以上の大成果よ!
 地球上に存在する全ハイヴの『地下茎構造(スタブ)』のマッピングデータや戦力の配置情報が手に入ったのよ。
 勿論……BETA地球攻略の司令部である、オリジナルハイヴのデータもね。」

「―――すっ……凄いじゃないですかっっ!!」

「まあね~。次の『甲20号作戦』では、敵の配置から『地下茎構造』のマップ、戦力配備数も全てわかった上での話になる。
 今までのハイヴ攻略戦とは質が違うわ―――ただし、現状でこれをやり遂げるには……」

「―――00ユニットの存在がなければ、戦力が足りない……ですか?」

「そういう事ね。今回の作戦での帝国軍の損害が予想以上に大きすぎたわ。
 てことで白銀、色々検討してみたんだけれど、やっぱあんたに頼む事にするわ。」

 事のついでの様に口にされた夕呼の言葉に、霞はハッと顔を上げた。

「良かった……先生がオレに内緒でヴァルキリーズから素体を選んだら、どうやって阻止しようかと悩んでたんですよ。」

「あたしがその気になったら、阻止なんてさせるわけないでしょ?
 でも、それを強行したら、あたしはあんたという駒を失う可能性が高い。
 同じ失うなら、あんたを素体にして、伊隅達を手駒として残した方が得―――そういうことよ。
 まあ、現在00ユニット候補の中で一番適正が高いのはあんただしね。」

「へえ、そうなんですか? これって喜ぶべきなんでしょうね。」

 苦笑を浮かべて問い返す武に、ニヤリと笑って応える夕呼。

「勿論よ。―――てことで、この後の祝勝会が終わったら、あんたには00ユニットへの人格転移手術を受けてもらうわ。
 手術って言っても、別に解剖したりしないから安心しなさい―――麻酔で眠ってもらうくらいよ。」

「まあ、まな板の上の鯉になった気で臨みますよ。
 ヴァルキリーズには、オレも純夏も、先生の特殊任務って事で説明しますね。」

「そうね。じゃ、祝勝会に向かうとしましょうか。
 社、あなたも来なさい。」

「………………はい。」

 かくして、純夏を残し、3人はPXへと向かった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 19時03分、1階のPXにヴァルキリーズと武、夕呼、霞の15人が揃っていた。
 PXには何人か他部隊の兵士もいたのだが、夕呼の『あんた達、邪魔!』の一言で追い払われてしまった。
 そして、今は入口のところに夕呼の署名入りの『貸切』の看板が出されていた。

「さ~て、全員飲み物持ってるわね~?―――じゃ、始めるわよ~。
 今日は、どっかの誰かさん達のお蔭で、佐渡島ハイヴが排除されてコリャ目出度いって事で、頑張ってくれたどっかの誰かさん達のための祝勝会を開くわよ~。
 あんた達ぃ……見も知らぬ他人のために祝勝会開くだなんて暇人ね~~~。」

 夕呼が茶化すと、全員が苦笑した。

「て~ことで、佐渡島奪還に、くぅわぁあんぱぁ~~~~いッ!」

「「「「「「「「「「「「「「 かんぱーいッ 」」」」」」」」」」」」」」

 乾杯が終わり、手に持つグラスの中身を一気に飲み干すと、夕呼は全員に向け注意を促した。

「はいはい、食べ物に手を出す前にちょっと聞いてね~。
 終わったばっかで悪いけど、次の作戦が既に動き出しているわ。
 次の目標は『甲20号目標』よ。
 一応早ければ2週間後に実施されるわ。
 あんた達の機体はオーバーホールされてるけど、次の出撃までにはS-11が積み込まれる―――つまり次もハイヴに突入して反応炉を破壊してもらうわよ。
 今回の情報収集の成果として、『甲20号目標』の『地下茎構造』と初期戦力配置の詳細データが得られたわ。
 ―――あ、これは一応機密だからそのつもりでね~。」

「「「「「「「「「「「「「「 ―――ッ!! 」」」」」」」」」」」」」」

「そのデータは明日にはシミュレーターに反映されるから、しばらくはシミュレーター演習で腕を磨きなさい。
 じゃ、真面目な話はこれでお仕舞い。今晩のとこは、たぁ~っぷり、楽しんどきなさい。
 じゃね~。」

 夕呼は次の作戦について触れた後、いつもの不真面目な態度に戻ると、そのままPXを出て行った。
 夕呼なりに、自分がいては……と、気を使ったのかもしれないが、今夜の準備もあるのだろう。

「さてと、お腹空いた~~!」
「いただきまぁ~~す!」
「うわあ! 美味しいです~!」
「ほんとだ~、おばちゃん、何これ?」
「いつもと同じ材料なんだけどね。ちょっとした工夫で別の料理になるんだよ。」
「確かに、通常の品書きには無いものばかりですね。」
「まあ、量を作るのには向かないものばっかりなんだけどさ、今日は特別だからね!」
「見た目も、いつもよりも華やかだね~。さすが京塚のおばちゃんだ。あ、霞ちゃん次はこれ、美味しそうだよ……」
「…………おいしいです。」

 夕呼が姿を消すと、立食形式の祝勝会の始まりである。
 茜が真っ先に空腹を訴え、料理の載ったテーブルから離れた場所に立っていた美琴が瞬間移動のように料理に駆け寄り、元207訓練小隊の全員が我も遅れじと料理に手を出す。
 彩峰は無言ではしを素早く往復させ、千鶴はやや離れた場所で先任達と談笑しながら、晴子は自分が食べるよりみんなの様子を眺めるのに熱心な様子だった。
 霞も目をぱちくりさせながら、晴子が取り分けてやる料理を食べていた。
 京塚のおばちゃんは追加の料理を運びながら、満足気に茜や冥夜の相手をしている。

 本来ならば、彼女らと争うように貪っていそうな武なのだが、今日に限っては飲み物だけを手に、離れてそんな光景を眺めていた。
 すると、みちるが歩み寄ってきて、武に静かに話しかける。

「どうした? 貴様は今回の作戦の立役者だ、他の中隊とは言えA-01に違いは無い―――遠慮する事はないぞ?」

 と、目を細め、唇の片端をキュッと上げて言うみちる。
 しかし、武が応える前に表情を改めると、小声で尋ねる。

「鑑は回復していないのか?」

「ええ……一応、表向きには今回の作戦で収集された情報の解析任務で忙しいって事にします。
 ただ、容態は安定してるので、命の危険などはありませんから……
 次の作戦の話を、夕呼先生がした位ですし、それまでには回復させますよ。
 ああ、その件もあって、明日からオレは特務の方に掛かりっきりになると思います。
 シミュレーター演習には参加できませんけど、運用出来ると思ったらスレイプニル隊の機体も加えてみてください。
 データはピアティフ中尉あたりに言えば、用意してくれると思いますよ。」

「…………白銀……貴様、妙に口数が多くないか?―――まさか……」

 簡潔な自分の問いに長々と言葉を連ねる武を見やり、訝しげに眉を顰めたみちるが何か問いかけようとした矢先、少し離れたところから声が掛かった。

「おやおやぁ~? 大尉殿が2人して、一体何の悪巧みですかァ?」
「ちょっと水月、邪魔しちゃ駄目だよ……すいません大尉―――あっ―――えっと、伊隅大尉に白銀大尉。」

 興味津々といった様子の水月と、それを嗜める遙のコンビだった。

「―――あ、涼宮中尉、オレの事は呼び捨てにしてください。」
「ん~……じゃあ、白銀君って呼ばせてもらうね。で、お邪魔じゃなかった?」

 と、和やかに会話を成立させた武と遙の隣では、みちるに睨まれた水月が脂汗を流していた……

「―――ん? 速瀬、貴様何故料理を手にしている? 確か晩飯5日抜きだったはずだぞ?」
「げ……大尉ぃ~勘弁してくださいよぉ~、こんな大盤振る舞い年に1度あるかないかなんですからぁ~。」
「ふ……まあいい。宗像、風間、遠慮しなくてもいいぞ、ちょっと来い。」

 半泣きで懇願する水月を笑って許すと、みちるは遠巻きに様子を窺っていた美冴と祷子を呼ぶ。

「さて、副司令の任務を部隊から欠員を1名も出さずに完遂するなど、実に久しく無かった快挙だ。
 これは偏に貴様らが新任共を厳しく鍛えた成果でもあるが、部隊に配属されて以来席を暖める暇も無かった、この出戻り中隊長の活躍に負う所も少なくない。
 実戦も共にした事だし、加えて本人の希望もある。
 他の新任同様、後輩として可愛がってやれ、いいな?」

「「「「 了解っ! 」」」」

「ふっふっふ……白銀ぇ~~~、やぁあ~~~っと、大尉のお許しが出たわぁ~~~。
 明日から早速扱いてやるから、楽しみにしてなさいよン。」

「―――あ~、速瀬、言い忘れたが、白銀は明日からしばらく特殊任務に専念せねばならないそうだ。
 鑑がこの場に居ないのも、同じ理由だ。
 恐らく、貴様の晩飯抜きが終わった頃には復帰するだろう、万全の体調で扱いてやるんだな。」

「くぅ~~~~ッ! なぁあんて運の良いヤツなのッ!! せっかく晩飯の恨みを晴らしてやろうと思ったのにッ!!!」

「それじゃ、ただの八つ当たりじゃないですかっ!」

「まあまあ、そう怒るな白銀……速瀬中尉も色々と積り積もったアレやコレやを発散する矛先に飢えているんだ……
 黙って、受け止めてやってくれ……」

「むぅ~なぁ~かぁ~たぁ~~~っ!!」

「あらら、また始めちゃったね。」

「いつもの事ですわ。
 それよりも、白銀さんは立場が微妙ですから、色々とご説明しておいた方が良いのではないでしょうか。」

「む。そうだな……ヴァルキリーズとは今後も別行動を取ることも多いだろうし、近い将来、鑑以外の部下が着任する事もあるだろう。
 指揮官教育も済ませていないようだし、今日は我々でみっちりと仕込んでやるか。」

「―――はぁ?……って、まさか今から講義ですかッ?」

 行き成り怪しくなった雲行きに、情けない声を上げる武。
 しかし、一同は穏やかに笑って、その疑念を払拭する。

「おいおい白銀。我々とてこの祝勝会をフイにする気は無いぞ。
 単に、談笑の話題に貴様の為になるものを選んでやると言っているだけだ。」

「うふふふ。白銀君て結構あわてんぼさんなんだね。
 そういう時は、内心を押し殺して、平然としてた方がいいんだよ。」

「そうねぇ~、遙なんか、ぜぇ~んぜん、態度変わんないもんねぇ~。
 怒ってる時だけは、顔が笑ってても気配でわかるけど。
 白銀ぇ、あんたも遙だけは怒らせないようにしなさいよぉ~。
 怒らせると、うちの隊で一番怖いわよ。」

 早足で逃げる美冴を追いかけて、PXを一周してきた水月が遙にツッコミを入れる。

「もうっ、変な事言わないでよ、水月。白銀君が誤解しちゃうじゃない。」

「まあ、人は見かけによらないと言う事だ、白銀。
 お淑やかそうな祷子は隊で一番の早食いだし、大尉も思い人の事になると途端に崩れる。
 この速瀬中尉でさえ、普段の態度からは想像もつかないだろうが、実はとても臆病で繊細な部分を持っているんだ。
 心の強さで言えば、涼宮中尉の方が数段上なんだぞ?」

「そういった印象と本質の差は、人を率いるという立場柄、自らの行いを律して部下を安心させる責任があるからですわ。
 白銀さんも、遠からず直面する事ですし、覚えておいてはいかがかしら。
 それに、美冴さんだって本当はとても純情で可憐なかたなのよ?」

「そうそう、コイツと来たら、クールな素振りしちゃってるけど、実はプラトニックに想い続けてる男が居てさぁ―――」

 その後も、入れ替わり立ち代り、他のヴァルキリーズとも談笑する為に時折席を外しつつ、ヴァルキリーズ首脳陣は上官としての心得や、各人の為人(ひととなり)、果ては恋愛話に至るまで、微にいり細を穿って武に聞かせた。
 恐らく、今後なかなか機会を得られそうに無い武に、部隊の仲間として、指揮官として、伝えておきたい事が多いのだろうと、武は感謝しつつ謹聴していた。
 ―――のだが……

(ううううう……オレだって京塚のおばちゃんのご馳走を食いたいのにっ!!)

「……はい、白銀さん、差し入れです。」

 心中で涙を流す武に、霞が料理を盛り合わせた皿を差し出した。
 その霞の背後では、晴子がニッコリと笑っていた。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 21時13分、B27フロアの廊下を、盛況の内にお開きとなった祝勝会から、その足でやって来た武と霞が歩いていた。

「霞、楽しかったか?」

「はい……料理もとても美味しかったです。
 それに……皆さん、とても優しくしてくださいました。」

「そうか、よかったな……
 で、オレの手術には、霞も立ち会うのか?」

「はい……私は、人格の転移状況を、リーディングで観測します。」

「そっか―――無理しないようにな……っと、この部屋か?」

「……そうです。」

 霞に確認を取って、入室する武。
 室内には機材に囲まれたベッドが2つ。
 そして、一方のベッドには国連軍衛士の制服を着た『白銀武』が目を瞑って横たわっていた。
 その『白銀武』の傍らに立って、仔細を眺める武。

「すっげぇ~。まるっきり自分の死体が転がってるようにしか見えないや。」

「当たり前の事言ってんじゃないわよ。
 遅かったわね、白銀。
 00ユニットへの人格転移手術の準備は、とっくの昔に終わってるわよ。」

 機材の後ろから姿を見せた夕呼が武に文句を言うと、武は即座に謝罪する。

「あ、先生。お待たせしてすいませんでした。」

 何しろ、これから自分の生殺与奪を握る人物だ、下手に刺激できないぞ……と、そこまで考えて、武はバカらしくなった。
 そもそも自分の生殺与奪は最初っから夕呼に握られっぱなしだという事実に気が付いたのだ。
 夕呼は武のそんな内心を気にもせずに、軽い調子で指示を出す。

「ま、人間としての最後の晩餐になるんだろうし、許してやるわよ。
 はい、そのベッドに寝て……上着は脱いで下着だけになってね。
 体の各所にセンサーを付けるから、ちょっと大人しくしてなさい。
 ―――ん?そう言えばヴァルキリーズに社で丁度13人じゃないの……あっははは。
 白銀ぇ、あんた、救世主(メシア)になれるかもよ?」

「え?オレを足したら14人になっちゃいますよ?
 それとも、『この世界』じゃ、使徒の数は13人だったんですか?」

「ばかねぇ、12人に決まってるでしょっ!
 ダヴィンチの絵画の話よ。イエスと12使徒で13人、おまけでナイフを握った謎の人物で合計14人よっ!
 今晩の晩餐でナイフ握って隠れてたの、誰かしらねえ~~~。」

「こわッ! 嫌な冗談やめてくださいよ、先生。」

 ひとしきり馬鹿な話で笑いあった後、夕呼は武の頭部をすっぽりと覆い隠すBCU(ブレイン・キャプチャー・ユニット)を被せると、真面目な顔をして武に話しかけた。

「白銀。―――これから麻酔を投与する人間が言うこっちゃ無いとは思うけど……
 意志を強く持ちなさい。―――麻酔で寝ようが、体が死のうが…………例え人間でなくなったとしても。
 それでも、鑑を、仲間を、人類を救うのは自分なんだと……BETAを必ず殺し尽くすと。
 強い意思は世界の在り方にさえ、影響を及ぼせる可能性があるわ。
 ―――それは……意志の力は、人間の脳内のちっぽけな電気現象なんかじゃなくて、世界の根幹に関わる事の出来る、因果律に近しいものに違いないわ。
 だから、強い意思で以って、手術の成功を、人類の未来を、より良い確率分岐した世界をその手で引き摺り寄せなさいッ!」

「―――はいッ!!」

「じゃ、白銀、人類の希望をあんたに託すわ。
 社、手術開始……」

「はい……白銀さん、頑張ってください。」

 ―――そして、全身麻酔が投与され、武の意識は途切れた……






*****
**** 7月7日純夏誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話 ****
*****

どこかの確率分岐世界
2002年01月16日
―――鉄源(チョルウォン)ハイヴ 最下層―――

「霞、こんなところまで付き合せちゃって、悪かったな。」

「……いえ、純夏さんの、ためですから。」

「ああ、このBETA調整用バイオプラントを横浜に持って帰れば……」

「……はい、がんばりましょう。」

 2人の乗る『不知火』複座仕様の周囲では、『陽炎』改修型陽動支援戦術機20機が周囲のバイオプラントで生れ落ち続けるBETAを、片っ端から殲滅していた。



―――そして、半年の月日が流れる…………



2002年07月07日
12時16分
―――B27フロアの一室―――

 ベッドに横たわっている少女が一人。
 身体には何もまとわず、生れ落ちたばかりの赤子すらかくやと思えるような、傷一つない、艶やかで滑らかな、瑞々しい肌を晒していた。
 ベッドサイドには霞と夕呼の姿があり、夕呼は先程まで使用していたであろう測定機器を外し終った所だった。

「社、シーツかけてもいいわよ。」

「……はい。」

「―――後は眠り姫が目覚めるのを待つだけよ。じゃ、あとは適当にね~。」

 ひらひらと手を振ると、夕呼は部屋から出て行く。
 そして、出て行った先には男が一人、心配そうな表情で夕呼へと早足で歩み寄る。

「……先生…………」

「あんた、そうやってると、出産に立ち会う馬鹿旦那みたいよ?
 鑑の状態は調整を行ったあんたが一番良く知ってるでしょ?
 何の問題も見つからなかったわ。
 まさに、生まれ直したような状態よ。
 肌なんか艶々で、傍で見てて嫌になっちゃうくらい。」

「そうですか―――先生、我儘を許していただいて、ありがとうございました!」

「―――止めなさい。あんた達はその我儘を通せるだけのものを人類にもたらした。
 これは正当な取引よ。
 鑑が目を覚ます前に、側に行ってやんなさい。」

「―――はい。」

 男は夕呼に頭を下げると、素直に部屋の中へと入って行った。

 そして、この日、柊町は十数年来絶えてなかった、良く晴れた七夕の夜を迎えた。
 ―――1人の少女の、目覚めと共に…………




[3277] 第11話 失われた時間
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/08/16 17:21

第11話 失われた時間

2001年12月27日(木)

(ん……なんだ? パステルカラーの漫画みたいな夢だなー。)

 武は夢を見ていた。
 夢の中では『ヘタレ絵』とでも呼びたくなるようなデフォルメされた画風で、国連軍横浜基地とBETAが描かれていた。
 動く紙芝居か出来の悪いアニメのように、BETAがカクカクと動いている。
 BETAといっても、あの圧倒的な物量ではなく、背景なのか全然動かない要塞級と、前後にスライドするように水平移動して、横浜基地に体当たりし続ける突撃級と要撃級が1体ずついるだけだった。
 その代わり、突撃級と要撃級の大きさは横浜基地の地上施設と同じくらいの大きさで、基地の左右から交互に体当たりしていた。

(あ~、なんか平和だな~、こうしてみるとBETAもあんまり気持ち悪くないかもな~……
 あー、でも、なんか妙にリアルな効果音が聞こえてきたぞ…………
 これは……金属製の扉が物凄い力で叩かれてひしゃげるみたいな―――ッ!!)

 武が上体を起こし、音源のドアの方を見るのと同時に、そのドアが吹き飛ばされ闘士級(ウォーリアー級)BETAが1体、姿を見せる。
 そして、そのBETAから武を庇うように両手を広げて立ち塞がる霞の背中。
 その霞に向けて腕を振り上げて突進する闘士級―――

「……白銀さんは、私が……護ります!」

「―――霞ッ!!」

 武は、霞を抱え込むように引き寄せると、背中からベッドの反対側に転がり落ちた。
 直後に轟音と共に真ん中でひしゃげるベッド。
 武は中腰になり、脇に霞を庇うように抱えるものの、その時には既に腕を振り上げた闘士級が間近に立ちはだかっていた。

(―――くっ……これまでだっていうのかよっ!!)

 BETAを睨みつけ、腕が振り下ろされる瞬間を待つ武……しかし、腕は一向に振り下ろされなかった。
 訝しみながらも、BETAを睨んだまま、武はそろそろと後ずさる。
 BETAは立ち止まったまま、追ってこない。
 しかし、武が出口の方へ回り込もうとすると、邪魔をするように移動する。

(……なんだ、こいつ……どうして襲ってこない?……なに考えてやがんだ?)

 武がそう考えた瞬間、00ユニットの仕様に基づいて搭載されたリーディング機能が起動した。
 武の脳裏に、枝分かれしたり再び合流したりする図形が、高速でスクロールし変化していく無着色のイメージが浮かぶ。
 そして、それを言語として、武は理解することができた。

(なんだって?―――優先条項により、戦術行動序列を変更?
 序列1位、知的生命体の疑いがある対象の保護―――序列2位、当該対象の情報を上位存在へ報告―――序列3位、当該対象の捕獲―――序列4位、当該対象の観察。
 …………当該対象って、もしかして、オレか?―――そうか、今のオレは00ユニット、つまりBETAに生命体として認識される可能性があるのか……
 しかし、だとしても手詰まりには違いない……てゆーか、なんで横浜基地にBETAがいるんだ?)

 疑問について考えた途端、さっき夢だと思っていたイメージが頭に浮かぶ。
 武が横目でチラッと霞を見ると、霞がコクンと頷く。

(そうか、あれは霞がプロジェクションしてくれたイメージだったのか。
 オレが寝ている―――起動に手間取ってる間にBETAが横浜基地を襲撃したんだな。
 てことは……この部屋は手術を受けるために入った部屋と同じだから―――ッ!! B27フロアまで侵入されたってのかよ。
 凄乃皇が格納されている90番ハンガーもこの階なんだぞ?……やばすぎるって……)

 と、その時、入口の向うに倒れこむ機械化歩兵の姿が武の目に映った。
 武がその機械化歩兵の安否を心配すると、機械化歩兵装備のバイタルデータと各種ステータスが頭に浮かぶ……いや、浮かぶというより、既に知っていた事を思い出すかのようだった。

(―――!! これが、思考波通信素子による非接触接続か……よし、遠隔操作できるぞッ!
 まずは立ち上らせて、チェーンガンの照準を……
 よし、これで後は、闘士級の位置を誘導して……)

 武がそこまで考えた時、闘士級は急に反転すると猛スピードで入口から抜け出し、あっと言う間に走り去ってしまった。
 あっけに取られる武……しかし、さしあたって助かった事に違いは無いので、今の内に安全を確保する事を考える。
 機械化歩兵は既に息絶えてしまっていたが、強化装備の情報に数十分前に広域データリンクからダウンロードされた情報が残っていた。
 武はその情報から、90番格納庫からB19フロアへのリフトが現在も機能している可能性が高いことを知った。

「よし、霞、司令部に行こう。」

「……はい。」

 武はB27フロアに配置されていた機械化歩兵の装備を回収し、遠隔操作可能な3機を護衛にリフトへと向かった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B19フロアの中央作戦司令室には、陰鬱な空気が立ち込めていた。

 既に打てる手はほぼ打ちつくし、最後の手段を実施すべく現在作戦遂行中の部隊が、結果を出してくれる時を待ち望んでいた。
 指揮下の戦力も殆どなく、残存部隊への指示も途切れがちになりつつあった。
 BETAの増援は未だに続いていたが、先刻帝国軍の戦術機甲部隊が来援し、基地に侵攻するBETAを漸減してくれていた。
 しかし、元より彼らは国連軍指揮下には無い。
 横浜基地司令部に出来る事は、帝国軍部隊からの要請に従い、何とか維持運用できている航空支援部隊を派遣する事くらいしか残っていなかった。

 そして、最後の希望を担って出撃して行った部隊からの連絡は―――未だ絶えて無かったのだ…………

 と、その時、突然場違いとも言える覇気のこもった声が、会話の途絶えた中央作戦司令室に響き渡った。

「夕呼先生っ! いま戻りましたっ!!」

「―――ッ!! 白銀?!」
「むぅ! 白銀大尉か!!」

 呼びかけられた夕呼と、本来申告を受けるべき最上位者のラダビノッド基地司令が武の方へ振り向いた。
 一瞬喜色を浮かべたものの、また沈痛な面持ちに戻った夕呼が、武に状況を説明しようとする。

「白銀―――最早状況は……」

 しかし、夕呼の言葉を武は遮り、自分の質問を投げつけた。

「司令部で把握している限りの戦況は既に分析済みです。
 その上で、反応炉破壊の方針を維持するのかどうかだけ、決めてください。
 その方針に従って、オレも出撃します。」

「出撃って―――くっ……今は時間が無いわね、ちょっと待って……………………
 ―――再検討したけど、反応炉破壊以外にBETAを押し留める方法は思いつかないわ。
 悪いけど……破壊して頂戴……」

「了解です! では白銀武大尉、反応炉破壊のため出撃しますっ!
 詳細は強化装備着用後の通信で申告します。」

「わかったわ。現状で可能な全ての手段を無制限に許可するから、必ず反応炉を破壊しなさい!
 よろしいですね? 司令。」

「むぅっ!……現状他に術はない、か……白銀大尉、基地の命運、貴官に託すぞ―――貴官の奮闘を期待するっ!
 ―――基地の全部署、全部隊へ通達!
 司令部はA-01部隊所属白銀大尉に反応炉破壊を下命。各員は総力を挙げて彼を支援せよっ!
 我が基地の存亡を、彼に託すっ!」

 武の00ユニットとしての能力を知る夕呼とラダビノッド基地司令は、その能力に望みを託し武に全てを委ねた。

「―――了解! じゃあな霞、ここで待っててくれ、みんなを連れて帰ってくるからな。」

「……はい、待ってます。」

 武は中央作戦司令室に霞を残すと、踵を返して走り去っていった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

(こいつにオレが乗ることになるとはな……冥夜、悪いけど勝手に使わせて貰うぞ。)

 B1フロア、A-01部隊用ハンガーで、強化装備を着用した武は紫色(ししょく)の『武御雷』を見上げて冥夜に詫びる。
 と、そこへHQから通信が入る。

「―――白銀? 御剣から通信が入ったわ。そっちに繋ぐから、後よろしく。」
「―――副司令?! 一体どういう……」
「今は、オレが全権を任されてるんだよ、冥夜。状況を報告してくれ。」

 夕呼からの簡潔な通信に被るようにして、状況が把握できていないらしい冥夜が発言する、武はそれに更に被せるようにして、報告を求めた。

「なっ―――解った。では報告するぞ。
 反応炉ブロックは既にBETAで充満している。補給を終えて反応炉守備に当たるBETAも最終確認時点で大隊規模となっていた、恐らく更に増加しているであろう。
 大尉はメインシャフトの最下層を攻撃発起点として維持し、3発のS-11を接続した反応炉爆破担当機を1機ずつ反応炉へ突撃させ、残る全機で反応炉ブロックの入り口まで担当機の進撃路を切り開く作戦を立案。
 爆破担当機は、彩峰、宗像中尉、速瀬中尉の順と―――「もういいッ!!」―――タケル?」

「基地司令より託された全権を以って命ずる! 御剣少尉は即時原隊へ戻り、現作戦中止を通達、攻撃発起点を維持しつつ増援を待て!
 ―――復唱ッ!」

「はっ! 御剣少尉は直ちに原隊へ戻り、現作戦の中止及び来援までの攻撃発起点の維持を通達しますッ!」

「頼んだぞ、冥夜。オレが戻ってきた以上、これ以上自爆なんかさせないッ!
 すぐに行くから、それまで持ち堪えてくれ!」

「わかった……そなたが来るのを……待っているぞ!」

 データリンク上で、冥夜のマーカーがメインシャフトを下へと移動し、やがて通信途絶で消滅するのを意識しながら、武は『武御雷』に乗り込む。
 本来、殿下と冥夜にしか反応しない生体認証を誤魔化して『武御雷』を起動させる。
 そして、残存していた無人の77式戦術歩行戦闘機『撃震』5機を、遠隔制御で随伴させて出撃した。
 『撃震』の遠隔制御は部隊内データリンクを経由し、思考制御で動作指示コマンドを高速で連続送信する事で行う。
 紫の武御雷を中心として、6機の戦術機はメインシャフト最下層を目指し進撃を開始した。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 B33フロア近くのメインシャフト最下層では、ヴァルキリーズとブラッズ(斯衛軍第19独立警備小隊)で臨時編制されたα隊が、先刻戻った冥夜から通達された命令に従い、攻撃発起点をBETAから守り抜いていた。
 現状、上部から降りてくるBETA群は、戦術機には目もくれずに反応炉へと殺到している。
 そのため、反応炉からの補給を終え、メインシャフトへ出てこようとするBETAと、反応炉ブロックへと続くリフト入り口部分で押し合う形となり、そこで流れが滞っていた。

 α隊は随伴させたスレイプニル隊の『自律移動式整備支援担架』6台に満載された豊富な弾薬を消費しながら、過密状態に陥ったBETAに砲撃を浴びせ、効率よく殲滅していった。
 そのような状況であったため、『不知火』1機、『陽炎』1機、『撃震』1機、『武御雷』4機の2小隊にも満たない戦力であるにも拘わらず、攻撃発起点を維持することが可能であった。

 補給ルーチンを組んで、弾と燃料を途切らせる事無くBETAに砲撃を浴びせ続けるα隊に、待ち望んだ通信が届いたのは、冥夜の復帰から約4分後だった。

「伊隅大尉、待たせて済みませんっ!」

「白銀か? いや、それ程でもない。―――で、これからどうするんだ?」

「S-11を搭載した無人機の『撃震』を5機連れてきました。こいつらを突入させるので、突破口を開いてください。
 5機同時投入でも反応炉が停まらなかった場合は、ヴァルキリーズの3機を使って再度爆破を試みます。
 その際は、衛士はブラッズの『武御雷』に移乗してください。」

「わかった、ブラッズは前面に出て、現地点を防衛。ヴァルキリーズ各機は、直ちに多目的自律誘導弾システムを装備せよ。」

「「「「「「 了解! 」」」」」」

 みちるの命令を聞きながら、メインシャフトを逆落としに進撃する武は、押し寄せる喪失感を必死に耐えていた。

(―――オレは、また救えなかったのかッ!!
 ヴァルキリーズで生き残ってるのは、冥夜と、たまと、大尉だけじゃないか……
 くそッ!!―――今は考えるな! 悔やむのは戦いが終わってからで良い……
 一刻も早く反応炉を破壊して、犠牲者の数を1人でも減らすんだ。
 …………いや、それさえも言い訳か……一刻を争うなら、反応炉への特攻を止めるべきじゃ……
 いや、これも後だ!)

 そして、横浜基地の地下深くに、紫色の『武御雷』が降臨する。

「―――なっ! そなたその機体は!!」
「―――白銀ッ、貴様ッ!!」
「「「何をしているのです、無礼者ッ!!」」」

 愕然として、言葉を発する冥夜と斯衛軍のブラッズ各員。
 そもそもブラッズ―――斯衛軍第19独立警備小隊は、現政威大将軍煌武院悠陽殿下の、双子の妹である冥夜を護衛するために派遣されていた部隊である。
 そして、『双子は世を分ける忌児』という煌武院家の為来り(しきたり)により、その素性を隠されて姉悠陽の影武者として育ち、人質のように国連軍に入隊した冥夜を陰ながら護ってきていた。
 武が無断で乗っている紫色の『武御雷』は、本来将軍しか搭乗を許されない特別仕様機を、会う事すら許されない冥夜のために、悠陽が万難を排して下賜したものであった。
 その事情を知るが故に、斯衛の激怒は止むを得ないものであるとも言える。
 しかし、そんな斯衛を武は一喝した。

「黙れッ!!! 苦情は作戦が終わってからにしろ! 煌武院悠陽殿下の御為にも、帝国臣民の安寧のためにも、この地を再びハイヴにする訳にはいかないんだッ!」

「「「「 ッ!! 」」」」

「―――では、突入路を開いてください。α隊、吶喊ッ!!」

「「「「「「「 ―――了解ッ! 」」」」」」」

 そして、反応炉は破壊され、BETAは横浜基地から撤退していった……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 08時12分、ブリーフィングルームのドアをノックして、武は中へと入っていった。
 中には、斯衛軍第19独立警備小隊の4名―――小隊長の月詠真那中尉と、小隊員の神代巽少尉、巴雪乃少尉、戎美凪少尉が武を待っていた。
 紫色の『武御雷』を無断使用した件について、武の釈明を聞くためであった。
 作戦終了後、夕呼の元へ報告と事後対策の相談に行っていたため、月詠達を待たせる事になってしまっていた。

 4人の視線が、入室した武に向けられる。

「「「「 ……………… 」」」」

「お待たせしました。まずは、危急の時とは言え、帝国の象徴たる紫色の『武御雷』を無断で使用しました事を、衷心よりお詫び申し上げます。
 尚、明言させていただきますが、此度の件は小官の独断にて為した事ですので、基地司令部の問責は何卒御寛恕願いたく伏して「もういい。」……」

 00ユニットとしての言語解析能力を活用して、予め用意してあった口上を途中で遮られ、深々と下げていた頭を武は上げた。
 そして月詠を見やると、何故か月詠は薄っすらと穏やかな笑みを浮かべていた。

「もういいのだ、白銀大尉。貴様らしからぬ、その口上を殿下に奏上仕る事が叶うだけで、此度の件は不問としよう。
 いや、あの危急の際に、不要に騒ぎ立てたこちらにこそ非があると言えよう。
 白銀大尉、その切は誠に御無礼仕った。どうか、我らが不始末、寛恕願いたい。」

 月詠がそう言い、頭を下げるのに合わせ、3人の少尉も頭を下げる。

「「「 どうか、お許し下さいっ! 」」」

「……え~と、じゃあ、お互い様ってことで…………良いんですか?
 オレとしては死罪も覚悟してたんですけど……」

 頭を掻きながら武がそう言うと、月詠は微笑んで首肯した。

「そうだ。そうしていただけると有難い。第一、第四計画の中枢を担う貴様を死罪になぞできるものか。」

 実を言えば、月詠は武に感謝していた。
 反応炉への自決攻撃が方針として示された際に、その決定が下されるまでの時間経過と通信途絶を理由に、伝令を1機メインシャフトの上層へ向かわせようと提案したのは月詠であった。
 みちるは、その提案の裏の意図を汲み、その突破能力の高さ等を理由として冥夜に伝令を命じた。
 そして、冥夜が戻るまでに3人がその身を礎として捧げて尚、反応炉は稼動し続けていた。

 本来であれば、冥夜は1番か2番目に自決攻撃を命じられていたはずだった。
 そして、原隊に復帰した際に反応炉が健在であれば、やはり自決攻撃を命じられることも必至だった。
 いっそ、自身が代わりになれればとまで考えた月詠であったが、それは叶わぬ希望であっただろう。
 国連の基地は、国連兵が守り抜くべきなのだから……
 それ故、水月が散った後、冥夜が戻った時には、月詠は瞑目して冥夜の最後を見届ける覚悟をした。

 しかし、冥夜がもたらした命令により、自決攻撃は中止となった。
 そして、武の操る無人機5機の吶喊により、反応炉の破壊は完遂され、冥夜はその命を散らさずに済んだ。
 決して口には出せぬ事ではあるが、月詠にとって、それは何よりも喜ばしい事柄だったのだ。
 それ故、元々武の責任を問うつもりはなく、いざとなれば己が一身に責を負う覚悟をしていた。

 が、それすらも、武を待つ間に解決してしまっていた。
 横浜基地防衛の増援として派遣されてきた斯衛軍第16大隊の指揮官が、殿下よりの勅書を携えて横浜基地へやってきたのだ。
 16大隊は、結果的には防衛戦が終わり、追撃戦に移った直後に来援したのだが、殿下より賜ったという勅書には『横浜基地に預けある全ての機材及び人員は国連軍の指揮の下、自由に活用されたし』との一節が記されていたのだった。
 よって、事後承諾に近いものの、『武御雷』の無断使用が、問題となることはないはずであった……のだが……

「まあ、銃殺や斬首刑って事だと色々と拙いんですけど、死に場所をこちらで選ばせていただけるなら、死罪でも構わなかったんですけどね。」

 という、武の発言で、場の雰囲気は一気に胡乱な気配を漂わせ始める。

「―――? どういう、事だ?」

 訝しげな月詠の面持ちは、続く武の発言で、驚愕と悲哀に包まれる事となった。

「実はオレ、明日にでもオリジナルハイヴに特攻する事になったんですよ。
 自爆攻撃なんで、生還率0%ですから、死罪になっても最後のご奉公ができてお得かなーと。
 ま、いずれにしても、結果は変わらないんですけどね。」

 まるで冗談か何かのように、朗らかに笑って言う武に、月詠は問う。

「何故(なにゆえ)だ! 何故、然様な仕儀となるのだっ!」

「現状、佐渡島で擱坐している凄乃皇弐型を操縦できるのがオレしかいないってのが1つ。
 あと、オルタネイティヴ4の成果である一部機材を運用するには、稼動しているBETA反応炉が必須だから、てのがもう1つの理由です。
 あ、これは一応機密なんで、あまりあちこちに言わないでくださいね。
 てことで、ここの反応炉を破壊してしまった以上、オルタネイティヴ4は中断を余儀なくされます。
 そこで、将来の再開や、今後の対BETA戦を少しでも楽にするためにも、最後のご奉公で『甲1号目標』を叩いておこうってわけなんですよ。
 『甲21号作戦』で収集できた情報から、BETAの指揮系統がオリジナルハイヴを唯一の司令塔とした箒型構造だって判明したんです。
 だから、オリジナルハイヴを叩いておけば、後が大分楽になる可能性が高いんですよね。」

「し、しかしっ! オリジナルハイヴなど、叩けるものなのか?」

「弐型の荷電粒子砲だけじゃ無理でしょうね。
 なので、弐型の主機を暴走させて、G弾20発分の五次元効果でオリジナルハイヴを叩きます。
 G弾だと、迎撃されてしまえばお仕舞いですが、凄乃皇弐型には『ラザフォード場』という盾がありますからね。
 オリジナルハイヴの反応炉が、威力圏内におさまる地点まで接近できる可能性は十分あると思いますよ?」

「だ、だからと言って……」

「すいません、月詠さん。
 どうやってもこの決定はひっくり返りませんし、申し上げられる事ももうないんです。
 なぜ、この話を月詠さんにしたかは、お分かりですね?
 殿下によろしくお伝え下さい。
 ……できたら、さっきのオレの口上は抜きで……」

 武の言葉に、言葉を重ねる愚を悟り、月詠は敬礼を以って、武人(もののふ)の決意に応えた。

「白銀……大尉…………御武運を祈念仕る。」

「「「 ―――御武運を! 」」」

「ありがとうございます。
 ……そうだ、厚かましいお願いなんですが、恐らくオルタネイティヴ4は凍結されて予備計画化されると思うので、A-01連隊の生き残りともども便宜を図ってやっていただけないかと、それが白銀の最後の願いだと、殿下にそうお伝え願えませんか?」

「―――確かに奏上仕りましょう。」

「じゃあ、色々と準備もあるので、これで失礼しますね。」

 最後まで軽い態度を崩さずに、武はブリーフィングルームを後にした。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 10時00分、基地正門前に続く坂の中程、1本の桜の木と桜に寄り添うように立てられた鋼材の前に、A-01部隊の4人の姿があった。
 一面焼け野原となった感のある国連軍横浜基地であったが、シャトル打ち上げ施設とこの正門前の桜並木のある辺りは、奇跡的に被害を免れていた。

「国連軍特殊任務部隊A-01所属―――速瀬水月中尉並びに涼宮遙中尉、宗像美冴中尉、風間祷子少尉、涼宮茜少尉、柏木晴子少尉、榊千鶴少尉、鎧衣美琴少尉、彩峰慧少尉、以上の英霊に対しッ!!
 ―――敬礼ーーッ!!」

 みちるの号令に、横1列に整列し、背筋をピンと伸ばし、全員が一斉に敬礼をする。
 それぞれの胸に去来する想いは如何許りのものか……しかし、その面持ちは一様に引き締まっており、尚も人類のために戦い続ける決意に溢れていた。

「直れぇーーーっ!」

 部隊葬の際に鳴らされる葬送の空砲は省略されていた。
 それは、今も尚基地の現状把握、負傷者救助、基地機能復帰に全力を尽くす、生存者達をはばかったためであった。

 そして、帝国軍は今も尚、撤退するBETAの追撃戦を続けており、戦闘継続中であるこの時間に、数時間前に戦死したばかりの英霊に対する部隊葬が執り行われるなど異例極まりない事であった。
 しかし、この部隊葬はラダビノッド基地司令の認可の下、香月副司令の正式な命令によって執り行われている。
 それは、部隊総員14名中9名を戦いの最中に失い、実質たった4人の生存者の内1名が、今日の内にも生還を期さない任務に着くことが決まったためであった。
 それ故に、部隊葬を終え、先に逝った者達への手向けを済ませた今、皆の心は1人戦いへ赴く武へと向かう。

「大尉。オレに合わせて大事な部隊葬を慌しく執り行わせてしまい、申し訳ありませんでした。」

「詫びるな、白銀。貴様が御剣に作戦中止を命じてくれなかったら、ここには4人も居なかった筈だ。
 隊を預かる身でありながら、部下に挺身を強要せざるを得なかった自分の不甲斐なさが……いや、これは泣き言だな、済まないが聞かなかった事にしてくれ。」

 自らの力が足りなかった事を嘆きかけ、それを甘えと悟ったみちるは、己を律して失言を詫びた。
 それを受け入れつつも、部隊の皆の指揮官への信頼について、武は言及せずにいられなかった。

「はい。でも、決して強要ではなかったと思いますよ。
 みんな、大尉の判断を信じて、自分の命を惜しまずに逝ったと思います。―――なあ、冥夜。」

「うむ。タケルの言うとおりです大尉。
 我々A-01部隊に所属する者一同、元より人類のために身を捨てる覚悟は既に出来ておりました。」

「まあ、オレだけ命を惜しんで後方に下がってたわけだけど、とうとう年貢の納め時ってわけだ。
 臆病が過ぎて、罰(バチ)が当たったかな?」

「あはは……たけるさん。そんなことないですよ~。
 さっきだって、ちゃんと助けに来てくれたじゃないですかぁ~。」

「まったく、そなたときたら、このような時にまでおどけずとも良いのだぞ?」

「……そうだな、今は白銀の都合を優先するべきだろう。
 御剣、珠瀬、貴様達から皆の散り様を話してやれ。
 上官である私からよりも、その方がいいだろう。」

「「 はい。 」」

 そして、冥夜と壬姫は衛士の流儀に従い、仲間達の、そして先達たちの最後の戦いを武に語った。

 BETAの侵攻が察知され、基地内に防衛基準態勢2が発令されたのが02時20分頃。
 町田にBETAの第1陣が出現したのが03時45分頃。
 そして、今回のBETAは、過去に使用した例のない陽動戦術を実施。
 想像もしなかったBETAの陽動に、いいように振り回されてしまった横浜基地守備隊は、防衛線を簡単に切り崩されてしまい、遂に敷地内への侵入を許してしまったのが04時15分頃。

 第2滑走路のメインゲート守備に当たっていたヴァルキリーズとブラッズは、ここに至ってBETAと干戈を交える事となった。

 今回の出撃に先立ち、『甲20号作戦』に備えて、ヴァルキリーズの乗機である『不知火』がオーバーホールに出されていた事が災いし、迎え撃つ準備は万全とは言い難いものだった。
 用意できたのは、みちるが前回の『甲21号作戦』で00ユニット回収に使った『不知火』1機の他、スレイプニル隊用に改修を受けていた『陽炎』が5機、残り5機は『撃震』で間に合わせるしかなかった。
 不幸中の幸いだったのは、この時点で横浜基地所属の戦術機は全て『XM3』搭載機となっていたことだった。

 当初、順調にBETAを殲滅していたが、『撃震』での回避機動には限界があった。
 突撃前衛の支援をしていた『撃震』搭乗の美琴に、突如土中から出現した要撃級が襲い掛かった。
 反撃して相手を沈黙させた美琴だったが、右側の噴射跳躍システムを相手の攻撃が掠り破損してしまう。

 一旦ハンガーに戻って代替機へ乗換える事を提案した美琴は、みちるの許可を得て、千鶴と二機連携(エレメント)を組んでハンガーを目指した。
 ゲートが封鎖中のため地上を移動してハンガーへと向かった2人だったが、演習場から地下のハンガーへ入る直前で戦線を突破してきた大隊規模のBETAと遭遇。
 噴射跳躍の出来ない美琴機を庇いながら戦う内に、要塞級を含むBETA群に囲まれてしまい、2人は遂にその場を離脱できなかった。
 結果的に、この2人の奮闘が大隊規模BETAに対する足止めとなり、Aゲートの充填封鎖は完遂された。

 その後、戦況の悪化に伴い、ヴァルキリーズとブラッズは90番格納庫に移動し、リフト発着場の防衛に当たった。
 そして、スレイプニル隊の『自律移動式整備支援担架』6台もここに回されてきていた。

 当初の予想に反してBETAは基地内各所への分散・浸透は行わず、メインシャフトをひたすら下って反応炉を目指した。
 BETAは光線級をゲート突破まで温存し、満を持して投入してきた。
 隔壁が次々に光線級の照射を受け熔解、BETAの侵攻速度が加速したため、遂に夕呼は反応炉の停止を決断。

 立案された作戦により、遙と護衛の警備兵部隊が点検口をつたってB33フロアの反応炉制御室へ向かい、みちると水月がメインシャフトのBETAを突破して反応炉ブロックを目指すこととなった。
 その際、メインシャフトのBETAが一気に反応炉まで雪崩れ込まないように、B27フロアの90番格納庫で凄乃皇弐型予備機のムアコック・レヒテ機関を起動し、BETAを90番格納庫の隔壁に引き寄せる事となった。
 90番格納庫に残ったヴァルキリーズ7名とブラッズ4名には、陽動に誘引されて殺到してくるBETAから、凄乃皇を護り抜くよう命令が下った。

 しかし、結果的に、みちると水月の反応炉ブロックへの移動は、一時的にとは言えBETAの最下層への流入を誘発、その時流入した小型種BETAの襲撃による遙の戦死、通信回線の遮断という事態を招き、この作戦は破綻してしまう。
 そして、その破綻は90番格納庫での陽動継続を強いる事となり、戦術機11機のみで、膨大な数のBETAから凄乃皇を護り続けなければならないという、過酷な戦況を現出させた。
 さらに、HQから遙戦死の報が届くと、実姉の戦死に動揺した茜と、その茜を庇った晴子の2名が戦死するという事態を招いた。

 一方、通信途絶、反応炉制御システム破損という事態に、みちると水月は独自の判断を強いられる事となった。
 通信が完全に途絶する寸前に、夕呼から反応炉の破壊許可を得ていたため、みちるは、『甲20号作戦』に向けて、既に機体に搭載されていたS-11を使用した反応炉の限定破壊を策定。
 反応炉にS-11を時限起爆で設置した後、メインシャフトより上部へ戻り、司令部との通信回復もしくは90番格納庫の部下との合流を目指すこととした。

 しかし、反応炉に設置したS-11は設定時間が過ぎても起爆せず、止むを得ずみちるはメインシャフト上層へ、水月はS-11再設置のため再度反応炉ブロックへと戻る事となった。
 司令部との通信が回復し、反応炉完全破壊、凄乃皇の確保が方針として定まった直後、水月からの通信が入った。
 水月の報告により、S-11はタイマー部分のみが破壊され起爆が阻止されていたと判明、そこから導き出された仮説は、BETAは補給と同時に新たな命令や情報を、反応炉から得ているというものであった。
 これにより、時限起爆によるS-11の使用は効果を期待できないと判断され、残る方法は戦術機で反応炉に取り付いた上での自決攻撃のみとなった。

 かくして作戦は改められ、凄乃皇のムアコック・レヒテ機関は可及的速やかに手動にて停止、その後90番格納庫内の残存BETAの排除と反応炉の破壊を行うことと定まった。

 みちると水月は90番格納庫でブラッズや部下達と合流を果たし、新たな作戦を下命、祷子がムアコック・レヒテ機関の手動停止を開始した。
 しかし、手動停止手順を実施中に、突如出力を増大させたムアコック・レヒテ機関によって『ラザフォード場』が発生し、重力偏差による凄乃皇の巨体の崩落を誘発、祷子の機体もその崩落に巻き込まれてしまった。
 不幸中の幸いで、この崩落でムアコック・レヒテ機関は停止し、90番格納庫内のBETAの殆どが反応炉に向かって転進した。
 α隊は凄乃皇に取り付いているBETAのみを掃討した後、祷子の救助を断念して反応炉ブロックを目指した。

 α隊がメインシャフト最下層に辿り着くと、既にそこには師団規模のBETAが殺到しており、既に補給を終了したBETA群が反応炉の防衛行動を開始していた。
 短いが激しい交戦を経て、全機同時の反応炉ブロックへの突入を断念。
 自決攻撃担当機による波状攻撃を以って反応炉ブロック内のBETAを漸減しつつ、完全破壊を目指すこととした。

 そして、冥夜が作戦方針を伝えるべく伝令としてメインシャフト上部へと向かった。
 冥夜の復帰を待つ事無く作戦は実施され、彩峰、美冴、水月の順で各々S-11を3発ずつ抱えて反応炉ブロックへ吶喊した。
 突入支援を行った者達は反応炉ブロックを視認することは叶わなかったが、3人全員が反応炉の至近まで肉薄して自爆を敢行したことは、爆発の振動波から確認されていた……

「そして、そなたが全権を委ねられて、私の通信に応じたのだ。」

 と、冥夜は話を結んだ。
 武は堅く目を瞑り、湧き出てくる熱い塊を必至に堪えた。

(くそッ!! オレは……オレはまた護り損なったのかッ! 純夏に続いて大事な仲間を9人も!!
 ……しかも、仲間が必死に戦ってる間暢気に寝てたって、なんのギャグだよッ! 笑えねえよッ!!)

 武は荒れ狂う後悔を、激情を、必死に身の内に押し込めて、長い話を聞かせてくれた仲間へと謝意を述べる。

「そうか……聞かせてくれてありがとうな。
 ―――大変だったんだな。オレ、肝心な時に、役に立てなくて悪かったな……」

「そんな事ないよっ、たけるさん!」

 謝る武に、壬姫が睨むようにして必死に否定する。
 そして、冥夜も慰めを口にした後、しみじみと何か大事な想いを打ち明けるように続けた。

「珠瀬の言う通りだぞ、武。
 そなたと鑑は特殊任務で居合わせなかったのであろう? それは如何とも仕様のない事だ。
 ―――それにな、榊も、彩峰も、鎧衣も……皆、口では文句を言ってはいたが、そなたらがこの災禍より免れた事を本当に喜んでおったのだぞ。」

「そうだよ、たけるさん。みんなで、良かったねって、言い合ってたんだ~。」

「…………そうか。」

 そう呟いた武の頬を、遂に堪え切れなかった涙が1粒……筋を引いて流れ落ちていった…………




[3277] 第12話 継がれる想い
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/08/16 17:22

第12話 継がれる想い

2001年12月27日(木)

 10時38分、基地正門前に続く坂の中程、1本の桜の木と桜に寄り添うように立てられた鋼材の前に、武とみちる、冥夜、壬姫の4人が居た。
 先に逝ってしまった仲間達の想いを聞き、遂に堪えきれずに流してしまった涙を拭い、武は照れ隠しのように言った。

「でさ、話は変わるんだけど……冥夜、たま、おまえたちに頼みたい事がある。」

「「 なんだ?/なんですか? 」」

「オレの考えた『遠隔陽動支援機構想』―――あれと、あれに続く対BETA戦術構想を、おまえらに引き継いで欲しいんだ。
 現場からの風当たりも強い計画だから、辛い思いをさせちまうだろうけど……頼めないかな?」

「水臭いぞタケル、そなたの計画の継承を託されるとあらば、私は万難を排して断じて為すぞ。」
「ミキも頑張りますっ! だから……だから、たけるさん、安心してくださいッ!!」

 おずおずと切り出した武の願いに、腕を組んで胸を反らして応える冥夜と、一生懸命に全力で同意してみせる壬姫。
 そんな2人に、武は満面の笑みを浮かべて礼を言った。

「そっか、ありがとな! 自分で言うのもなんだけど、あれはあれで、それなりに使えると思うんだ。
 今迄の軍の常識からは逸脱しちまってるけど、使い方次第で前線の犠牲を軽減できるはずだ。
 だから……頼むぜ、2人とも。
 ―――てことで大尉、よろしくお願いしますね。」

「ああ、任せておけ。貴様が征けばA-01連隊もとうとう3人を残すのみだ。
 小隊定員すら満たせぬのでは、戦術機甲部隊としての活動は無理だ―――普通ならな。
 しかし、貴様の構想ならば、3人でも十分な働きが出来る。
 佐渡島で貴様がそれを証明しているからな。
 貴様の残す構想を、必ずや人類のために役立てて見せる―――ん? 2人とも、どうした?」

 みちるは、話の途中から、冥夜と壬姫がなにかが気になるようすを見せていることに気付き、2人に問いかけた。

「その、大尉……3人とおっしゃいましたが、鑑を数え忘れておられるのではないでしょうか?」

 冥夜がそう聞くと、みちるではなく武が説明しだした。

「ああ、純夏のことを言い忘れてた。悪いんだけど、あいつはこの後退役するかもしれないんだ。
 もともと、あいつは正規の軍人としての訓練も受けてないし、オレが特殊任務で再会した時に、半ば無理矢理連れてきちまったようなもんだからさ。
 オレが居なくなる以上、軍人であることを強制したくないんだ。
 まあ、霞みたいに、夕呼先生の手伝い位はするかもしれないけどな。」

「そ、そうなのか……」
「そ、そっか……寂しくなるけど……でも、その方が良いのかも知れないねっ。」

 武の説明に納得しつつも寂寥感を押さえ切れない2人に向け、みちるが言葉をかける。

「そういうことだ。白銀の戦術構想は、BETAとの戦いに大きな転換をもたらすかもしれないほどの優れものだ。
 胸を張って任務に邁進するぞ!」

「「 はいっ! 」」

「よ~っし。これで、オレも安心して出発できるよ。ホントに頼んだぜ?」

「うむ、任せるがよい…………と、ところで武……そなた、出撃は何時頃になりそうなのだ?」

「あ~、何やかやで、夜になるんじゃないかな。
 夕呼先生や霞も途中まで一緒に行く予定なんだけど、引継ぎやら何やらで手間取ってるらしいからな~。」

「あ、そうなんだ~。……たけるさんは、それまでどうするの?」

 恐らく、出撃までの時間を共に過ごしたいのだろうと、リーディングをするまでも無く武にも解った。
 しかし、残念ながら武には、横浜基地出発までに成すべき事が山積していた。

「それがさあ、オレも打ち合わせやら引継ぎやら、結構詰まっちまってるんだよ。
 まあ、出発前には、もう一回会えるんじゃないか?」

「そ、そうか……うむ、精一杯努めるがよいぞ。」
「うん! たけるさん、頑張ってね。」

「ああ、2人ともありがとうな。じゃ、また後で会おうぜ。
 大尉、この後引継ぎをしたいんですが。」

「うむ。御剣、珠瀬、両名は15時00分まで休息を命じる。
 しっかりと、寝ておけよ?
 その後、別命あるまで戦術機を用いて基地の復興に当たれ、解散ッ!」

「「 ―――了解 」」

 みちるの命令を受諾し、冥夜と壬姫の2人は横浜基地正門の方へと、時折振り返りながら坂を上がって行く。
 その背中が十分に離れたところで、みちるは武に問いかけた。

「白銀。私はどこまで説明を受ける事が許されているのだ?」

「あらかた説明しますよ。いまさら大尉にまで隠し立てする事は大してありませんからね。
 まず、現在稼動している00ユニットは、2機とも今から70時間程度で機能停止します。
 しかも、内1機は再起動を受け付けないため運用は絶望的。
 よって、オルタネイティヴ4は残された70時間以内で最大限の効果を発揮できる作戦として、『菊花作戦』を立案。
 現在各方面と夕呼先生が折衝中です。
 『菊花作戦』の目的はオリジナルハイヴ―――『甲1号目標』の反応炉の破壊。
 手段は、軌道降下により凄乃皇弐型を強行突入させた上での自爆―――G弾20発分の五次元効果で反応炉ごとオリジナルハイヴを消滅させます。
 今作戦の成否に拘わらず、オルタネイティヴ4はその成果を運用する手段を失って凍結。
 先生の折衝が上手く行っても予備計画扱いとなり、BETA反応炉無しでの00ユニットの運用方法を模索することになります。
 A-01連隊は、予備計画となった後もオルタネイティヴ4の実働部隊として任務に従事する方向で調整してます。
 任務内容は、対BETA戦術構想の評価運用部隊になりますね。
 予備計画化に伴い、予算も人員も権限も、何もかも限られたものになるでしょうが、佐渡島での実績が帝国軍に高く評価されているらしいので、有形無形の支援は期待できそうです。
 大体、そんな感じなんですけど、他に何か質問はありますか?」

「…………なるほど、では、やはり貴様は00ユニットになったのだな。
 そして、鑑は起こさずに、貴様一人で『甲1号目標』に征くつもりなのだな。」

「…………そういうことに、なりますね……」

「―――ッ―――なんでよ? どうして、最後くらい鑑の気持ちに応えてあげないの?
 今更、任務だなんて言ったって、納得しないわよっ!」

 普段の沈着冷静な仮面を脱ぎ捨て、1人の女として武を非難するみちる。
 武は、そこまで純夏に心を砕いてくれるみちるに深く感謝したが、こればかりは譲るわけにはいかなかった。

「ところが、この期に及んで、オレの特殊任務は継続中なんです。
 下手したら死んでも終わらないような厄介な……って、そう言えば、オレは既に生物学的にはもう死んでるんだっけ。
 ―――てことで、死んでも終わらない厄介な奴が残ってるんですよ。
 そして、申し訳ないんですけど、こればっかりは大尉にもお話し出来ないんです。
 夕呼先生すら、墓まで持ってくって言ってるくらい、厄介な奴なもんで。」

「な、なんですってぇ?!……………………す、すまん白銀。
 私とした事が、つい取り乱してしまったようだ。
 それにしても、貴様という奴はとことん底の知れない奴だな。
 そこまで機密にどっぷり浸かっているとは、想像もできなかったぞ。」

 武の説明を聞き、軍人としての立場を思い出したみちるは、羞恥に頬を染めながら、武に謝罪し慌てて態度を取り繕う。
 みちるの純夏への共感に感謝していた武は、みちるの醜態に気付かなかった振りをした。

「オレもですよ、今年の9月までは、こんなことになるとは、思っても居ませんでしたよ。
 それが今じゃ、存在自体が動く機密ですからね。」

「そうなのか? それはまた、急な話だったんだな。」

「ま、そんな訳なんで、純夏のことは勘弁してください。
 で、他に聞きたい事はないですか?」

「いや、今のところはいいだろう。
 で、引継ぎをしたいと言っていたな?」

「はい。B19フロアに作業用の部屋を用意してあるので、まずはそこに移動しましょう。」

 最後に桜の木と鋼材に一礼し、武はみちるを伴って基地へと戻っていった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 18時23分、第2滑走路では、武と夕呼、霞の3人が佐渡島へ向けて出発しようとしていた。
 部隊葬の後、武から対BETA戦術構想の引継ぎを受け、その後一旦別れたみちるも、冥夜と壬姫を連れて見送りにやって来ていた。
 74式大型飛行艇旅客機仕様にはタラップ車が横付けされており、同行する凄乃皇弐型の整備担当技術者達は既に搭乗済みで、あとは、武、夕呼、霞の3人が搭乗しさえすれば、直ちに飛び立てる状態であった。

「じゃ、ピアティフ、伊隅、行って来るわね。何とか使い物になる戦術機を掻き集めて、無人機部隊を作っておきなさい。
 『不知火』も『陽炎・改』も、オーバーホールが終わりさえすれば、戻って来るはずだから、他所に取られないようにしなさいよ?」

「「 はっ! 」」

 夕呼は、基地に残していく腹心の部下であるピアティフとみちるに、留守中の指示を出していた。

「冥夜、たま、それじゃあ、行ってくるよ。凄乃皇に乗ってこっちに戻る予定だけど、そのまま打ち上げになると思うから、直接会うのは無理そうだな。」

 笑って言う武に、壬姫は目を大きく見開いて、涙を堪えるのに必死だったし、冥夜も口がへの字に歪んでいた。
 それでも2人は笑顔を作って、武を送る言葉を告げる。

「うむ。タケル、見事大任を果たして見せよ。世界はそなたの双肩にかかっているぞ。」
「たけるさん、が……頑張ってください! ミキ、信じてますから!!」

「ああ、任せとけ! 意地にかけてもやり遂げて見せるからな。」

「……みなさん、行って来ます。」

「社、タケルの事を頼むぞ。この者は何かと眼を放せぬ気がしてならぬのでな。」
「そうだね~。たけるさんは、いつなにをやらかすか、わかんないとこがあるよね~」
「……はい、しっかり見張ります。」

 霞の挨拶に、冥夜と壬姫が応える。
 武は3人の会話に軽い頭痛を感じながらも、心の底から笑う事が出来た。

「…………おまえらな~~~っ!」

(そうだ、こんな日常を、これからも少しでも多く過ごしてもらうために、オレは行くんだ。
 冥夜やたま、霞、伊隅大尉、夕呼先生、京塚のおばちゃん……
 たくさんの大事な人達を守れなかったオレだけど、せめて残った人達に少しでも明るい未来を……
 そして、いつかはもっと希望に溢れる未来を、必ずみんなに与えてみせるッ!!)

「ほらほら、いくわよ~~~。幼稚園の遠足じゃないんだから、言われる前にさっさと乗んなさいよねぇ~。」

 誰もそれには触れないが、基地に残る者にとって、これが武との今生の別れとなるのだと、全員が自覚していた。
 そして、それ故に、誰もがいつもと変わらぬそぶりで、武を送り出した。

「じゃ、ちょっくら行ってくるな!」
「ああ、行くがよい。」
「いってらっしゃ~い。」
「白銀、死力を尽くして来い!」
「白銀大尉、御武運を。」
「……いってきます。」
「じゃあねぇ~。」

 タラップ車が離れ、74式大艇旅客機仕様は滑走を始め、上空で74式大艇輸送機仕様2機と合流し、遂に横浜基地上空から飛び去ってしまった。
 目指す地は佐渡島―――そこで擱坐した凄乃皇弐型が、オルタネイティヴ4に唯一残された最後の牙であった。

 そして機内。軍や政府のお偉いさんが寛げるように贅を凝らした賓客仕様の与圧客室(キャビン)で、夕呼は思うがままに寛いでいた。
 しかも、10人はゆったりと過ごせる客室を、客室乗務員(フライトアテンダント)まで追い出して、武と霞のみを伴って3人だけで専有するという贅沢さだった。

 恐らくこんな贅沢は暫くできなくなるだろうと、夕呼にも解っていた。
 しかし、そんな事は些細な事だ、何よりも悔しいのは自分が犠牲にしてきた何もかもに、十分に報いる事ができぬまま、雌伏の時を強いられる事だ。
 そう思いつつも、彼女は偽悪的に贅沢を満喫してみせる。
 必ずもう一度オルタネイティヴ4を軌道に乗せる、その決意を新たにする儀式として。

 そんな夕呼の傍らで、武と霞が会話を交わしていた。

「ごめんな、霞。約束破る事になっちまって……」

「……仕方ないです、白銀さん。」

「横浜基地に帰ったら、A-01の連中を手伝ってやってくれな。
 多分、オレの考えていた事は、霞が一番良く理解してくれてると思うからさ。」

「……はい。まかせてください。」

 一通り、座席の感触を堪能し終えた夕呼が、高級天然酒を注いだ水滴をまとったグラスを片手に、武に一方的に話しかける。

「白銀ぇ、あんた、ちゃんと『宿題』全部、終わらせてきたんでしょうねえ。」

 その発言を聞いた武は、今日半日で済ませた『宿題』の量を思い出して苦笑した。

「ええ、何とか。持ち運び式の端末をありったけ掻き集めて、思考制御でレポートにまとめておきました。
 キーボードなんかで打ってたら、到底間に合いませんでしたよ。
 でもまあ、純夏が佐渡島でリーディングした内容の解析は済ませましたし、対BETA戦術構想の資料もまとめました。
 『甲21号作戦』での評価試験の報告書に、今回の横浜基地BETA襲撃事件で収集できた情報のまとめもしましたから……
 ……一応『宿題』は終わりですよね?」

「そうね。で、その中で特に留意すべき事は何?」

「BETAの情報伝播モデルがオリジナルハイヴを唯一の司令塔とした箒型構造だったこと。
 ハイヴの反応炉が、動力源、通信装置、コンピューターの1台3役だったこと。
 00ユニットとしてのオレが、知的生命体としてBETAに認識される可能性が高いこと。
 BETAがエネルギーの補給と同時に、情報や新しい命令を反応炉から得ていること。
 佐渡島ハイヴに所属するBETAの数が、『甲21号作戦』開始直前に短期間で増加していたこと。
 今回の横浜基地襲撃でのBETAの行動を分析すると、人類のBETAハイヴ攻略戦の戦術をそのまま模倣していたと考えられること。
 S-11や横浜基地の構造、戦術など、人類側の情報がBETAに知られていた可能性が高いこと。
 そんなところですかね。
 で、先生の方は上手くいったんですか?」

 武の問いかけに夕呼はニヤリと笑って答える。

「白銀ぇ~。あんた、あたしを誰だと思ってんのよ。
 上手くいったに決まってるでしょ。
 ほぼ、こっちの原案通りに許可もぎ取ってきたわよ。
 まず『菊花作戦』の段取りだけど、軌道爆撃による波状攻撃を3回、45分間隔で続けざまに行うわ。
 第1波ではハイヴ周辺に地上展開しているBETA群を目標に広範囲にわたって飽和爆撃。
 第2波は目標をハイヴ地上構造物周辺に集中させた上で、再突入殻に搭載したG弾5発を通常の軌道爆撃に混ぜて投入。
 G弾5発による戦果を評定して、ハイヴ破壊が不十分と判断された場合のみ第3波攻撃を実施。
 第3波では400機以上の再突入殻を露払いにして、あんたの乗る凄乃皇弐型を軌道降下させるわ。
 先行させる再突入殻の内36機には、通信機能を強化した無人の『撃震』を、92式多目的自律誘導弾システム(ミサイルランチャー)を4セットも無理矢理装備させて搭載し、凄乃皇弐型からあんたが遠隔制御して直衛戦闘をさせる―――弾頭は制圧用の通常弾でよかったわよね。
 最後に『主縦坑』の崩落状況にもよるけど、オリジナルハイヴにのみ存在する超大型反応炉―――通称『コア』の直上、可能な限り深い深度まで進攻して凄乃皇弐型の主機を暴走させて自爆。
 G弾20発分の爆発で半径40kmを消滅させて、オリジナルハイヴとその周辺のBETAを殲滅する。
 主役はG弾で凄乃皇は後詰―――みたいな作戦で、あたしの趣味じゃないんだけどねぇ~。
 凄乃皇でさえ、超大型G弾みたいな扱いだしぃ。」

 G弾をオルタネイティヴ5の象徴として忌み嫌っている夕呼は、心底嫌そうな表情をしてぼやく。
 武はそんな夕呼に苦笑しつつ、宥めるつもりで夕呼にも解り切っている説明する。

「00ユニットが一時的にしろ使えなくなる以上、今後はいざと言う時にはG弾以外に切れる切り札がなくなります。
 なのに、G弾は2年前に実戦で使用してしまっている上に、使用対象だった横浜ハイヴの反応炉を健在のまま放置してしまったんです。
 今後のためにもBETAの対G弾戦術を確かめておく必要があります。
 今作戦だったら、凄乃皇弐型だけで間に合わせるつもりの作戦ですから、効果が0でも支障ありませんからね。」

「……わかってるわよ……好き嫌い言える状況じゃなくなってるってことはね。
 ま、いいわ。で、国連本部の根回しだけど、『甲21号作戦』での鑑のリーディングデータに『XM3』の実戦データ、おまけであんたの考案した対BETA戦術構想の試案をBETA被占領国を中心に配布したわ。
 その結果、つい先日オルタネイティヴ4支持を表明したばかりって事もあって、各国はオルタネイティヴ4を予備計画として今後も継続させる事に同意したわよ。
 あんたの希望通り、00ユニットをBETA反応炉に依存せずに運用する方法の模索と、対BETA戦術構想にある兵器や戦術の研究・開発・運用試験、この2つを二足の草鞋でこなしていく事になったわ。
 オルタネイティヴ5の発動は現在討議中。
 今回の『菊花作戦』でのG弾の効果次第ってとこね。
 まあ、G弾に依存しないでも、戦術レベルではこれまで以上にBETAと戦えるって見通しが立ったから、オルタネイティヴ5の『バビロン作戦』が早期実施されることは、まずあり得ないわね。
 あんたの対BETA戦術構想は、軍人以外には総じて好評だからねぇ~。
 帝国政府も、予備計画化された後も支援を続けてくれるそうよ。
 明日にでも帝国国防省戦術機技術開発研究所に出向いて、『XM3』換装計画の打ち合わせをして欲しいと矢のような催促だったわ。
 よっぽど、今朝のBETA侵攻が恐ろしかったんでしょうねぇ~。」

 些事に右往左往する役人どもの醜態が馬鹿らしいのか、侮蔑の笑みを浮かべて吐き捨てる夕呼に、武は安堵の気持ちを込めつつも、短く応じる。

「―――そうですか。」

 そんな武をみて、夕呼は表情を改めると、静かに話し出す。
 何を感じたのか、今まで窓の外の月明かりに照らされた夜景を眺めていた霞も、武と夕呼の方をジッと見つめる。

「―――白銀。あたしの読みが甘かったばっかりに、あんたには不本意な結果になってしまったわね。
 許して―――いえ、恨んでくれて構わないわ。
 あんたが次の世界に行った後も、あたしは全力で人類のために尽くすと約束する。
 だから、最後にあんたの力を、人類の未来のために貸して頂戴。」

 そう言うと、夕呼は武に向かって、深々と頭を下げる。
 常に無くしおらしい夕呼の態度に、武は慌てて言葉をかける。

「や、止めてくださいよ夕呼先生……今回の作戦はオレから言い出したことですし、先生が今までに達成してきた事は、オレからみたら神業以外の何物でもないですよ?
 今の状況は、それだけ『人類がBETAに圧倒される』って因果が支配的だって事なんですよきっと。
 大体何より、そんな態度先生らしくないですって……何時ものように上から命令して下さいよ。
 ………………あ、そうか…………霞、しばらく向こうの方で外見ててくれるか? リーディングも無しで……」

「!!―――わかり、ました。」

 唐突な武の願いに素直に応じて、霞は夕呼から距離を取って客室の反対側へと移動した。

「―――なによ白銀。エッチ禁止だっての忘れて、最後のご乱行に及ぼうってんじゃないでしょうねえ。」

 武の唐突な振る舞いに、訝しげに頭を上げた夕呼に、武は出来る限り優しい顔を作って、真摯に話しかける。

「……先生。いい機会ですから、思いっ切り泣き言を言ったっていいんですよ?
 オレがあの世に持ってってあげますから。
 ほんの少しにしかならないでしょうけど、先生の背負ってる荷物、減らす手伝いできませんか?」

「―――! 白銀、あんた…………」

 そして、暫しの時間が流れる。
 夕呼と武の周囲に流れた時間はしめやかなものであったか、はたまた、背伸びをして生意気な振る舞いに及んだ武を夕呼が罵倒する、騒がしい時間であったのか……
 霞は意識を窓外の夜景に集中させて、それすらも頑なに知ろうとはしなかった。
 夕呼の、生者には決して自分の感情を吐露しようとしない矜持と、誰よりも真摯に己が罪を抱え込んで足掻く生き様を、霞が世界で一番理解しているが故に。

「……白銀さん……ありがとう、ございます…………」

 霞の幽かな呟きは、聞く者も無く、月明かりに溶けた……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月28日(金)

 06時44分、夜が去り、ようやく空が白み始めた日の出前の早朝、復興途上の横浜基地に静かな、しかし力強い、ラダビノッド基地司令の声が響いていた。

「先のBETA襲撃により、我が横浜基地は致命的とも言える大損害を被ってしまった。
 奮戦虚しく、多くの命と貴重な装備が失われ、正に精も根も尽き果てんばかりであった。」

 基地復興作業は未だ始まったばかり、破壊された跡も痛々しいメインゲートの第2滑走路を挟んだ反対側、シャトル打ち上げ施設では、ブースターを外部増設された凄乃皇弐型がその巨体を発射塔に据え付けられ、打ち上げの時を待っていた。

「だが……見渡してみるがいい。
 この死せる大地に在っても尚、逞しく花咲かせし正門の桜のごとく、甦りつつある我等が寄る辺を。
 傍らに立つ戦友を見るがいい。
 この危局に際して尚、その眼(まなこ)に激しく燃え立つ気焔を。」

 基地内で重要施設の復旧作業に従事するもの……
 基地内の通路に溢れた負傷兵とボディバッグ(死体袋)の間を慌しく行き交い、処置を続ける軍医や衛生兵たち……
 彼らの元にも、司令官の声は届いている。

「我等を突き動かすものは何か。
 満身創痍の我等が何故再び立つのか―――
 それは、全身全霊を捧げ絶望に立ち向かう事こそが、生ある者に課せられた責務であり、人類の勝利に殉じた輩への礼儀であると心得ているからに他ならない。」

 日の出を迎え、曙光が照らし出す荒れ果てた大地には、大量のBETAの死骸と、それらに埋もれるように垣間見える兵器の残骸……
 そして、その凄惨な戦場に散った命にこそ守られたのだと、それらの光景を見下ろす、正門へと続く坂道の桜並木は、曙光を浴びて誇らしげに、傷一つ負わぬ身を堂々と屹立させていた。

「大地に眠る者達の声を聞け。
 海に果てた者達の声を聞け。
 空に散った者達の声を聞け。
 ……彼らの悲願に報いる刻が来た。」

 横浜基地の小高い丘となっている地上部分を埋め尽くすように、国連軍横浜基地所属の、作業を中断できる全要員が立ち並び、揃ってシャトル打ち上げ施設の、凄乃皇の勇姿を眼(まなこ)に焼き付けていた。

「そして今、若者が独り、旅立つ。
 鬼籍に入った輩と、我等の悲願を一身に背負い、孤立無援の敵地に赴こうとしているのだ。
 歴史が彼に脚光を浴びせる事が無くとも……我等は刻みつけよう。
 名を明かす事すら許されぬ彼の高潔を、我等の魂に刻み付けるのだ。」

 そして、皆が立つ場所からやや離れた場所、衛士訓練校の校舎裏にある丘の上、武の言う『伝説の木』の根元近くに、まりもの遺影を胸に抱えた夕呼と、彼女に寄り添う霞の姿があった。

「……旅立つ若者よ。
 貴君に戦う術しか教えられなかった我等を許すな。
 貴君を戦場に送り出す我等の無能を許すな。
 ……願わくば、貴君の挺身が、若者を戦場に送る事無き世の礎とならん事を。」

 見送りに出ていた人々が一斉に敬礼する。
 その中には、冥夜が――壬姫が――みちるが――月詠が――神代・巴・戎の3人が――そして、京塚のおばちゃんが、万感の想いを胸に見送っていた。

 そして、轟音と噴煙とを地上に残し、凄乃皇弐型―――武は、一筋の希望の光となって朝焼けの空へと駆け上がっていった。

 「まりも……見て御覧なさい。あんたが鍛えた白銀が征くわ……」

 夕呼の口から漏れた言葉は、傍らに寄り添う霞の耳のみを震わせ、轟音の中に掻き消されていった……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 09時53分、地球周回軌道上に位置する凄乃皇弐型の管制ブロックで、武は戦況把握に努めていた。
 作戦開始から113分、第1次軌道爆撃開始からだと85分が経過していた。
 G弾5発が投入された第2次軌道爆撃も完了しており、戦果評定の結果が出たところだった。
 第1次軌道爆撃はAL弾の93%、制圧用多弾頭弾の19%が迎撃され、地表に広域展開していたBETA群を漸減した。
 第2次軌道爆撃はAL弾の9%、制圧用多弾頭弾の26%が迎撃されたに留まった。
 しかし、これはBETAの重光線級がAL弾を殆ど無視してG弾搭載の再突入殻とG弾搭載弾頭を狙い撃ちしてきたためであり、5発のG弾は全て迎撃されてしまった。
 それと引き換えに、ハイヴ地上構造物付近に展開していたBETA2次増援は、その殆どを壊滅させる事ができたが、ハイヴ内に与えた被害は皆無に等しいため何の慰めにもならなかった。

「……やっぱりな。G弾を使った爆撃は既に対応されていたか…………ま、これでオルタネイティヴ5も凍結だな。」

 武は独り呟いて皮肉気な笑みを浮かべた。
 と、そこへ艦隊旗艦から通信が入る。

「―――こちら第3艦隊旗艦『ネウストラシムイ』。最終ブリーフィングを開始する。」

 第3艦隊の艦隊司令官を兼ねる『ネウストラシムイ』艦長は、最早最後の希望となったA-02―――凄乃皇弐型を無事に降下させるために、所定の計画を破棄し、第3艦隊の再突入型駆逐艦全艦を以って盾と為す作戦を立案、実施しようとした。
 しかし、武は即座にこの作戦を拒否、第四計画の成果である凄乃皇弐型搭載超高性能コンピューターによるハッキング(と、被害者である第3艦隊には伝えた)を断行し、第3艦隊の制御系を掌握した。
 そして、当初の計画に沿った軌道爆撃を実施し、400機を超える再突入殻と『ラザフォード場』のみを盾として、再突入回廊へと進入する。

「艦隊司令閣下、我儘を通させて頂きました。御無礼の段は平にお赦し下さい。」

「最早、今となっては如何ともし難い。謝罪は受け入れてやるが、その代わり、任務は必ず完遂して見せろよ!
 我々の人類への挺身を妨げたのだ、その分も存分に働いて来いッ! いいなッ!!!」

「はッ! もとよりその覚悟でありますッ!!」

「よしッ!!………………人類の未来を……頼んだぞ……」

 通信がノイズで掻き消され、外部モニターは大気圏突入に伴う灼熱の炎で埋め尽くされた。
 そして、20分以上が経過し、外部モニターの赤が薄れてきた頃、レーザー照射警報が管制ブロックに鳴り響く。

「ふん……やはり先行させたAL弾は無視したか……けどな、やる事がワンパターンなんだよッ!!」

 第3艦隊の制御を掌握した武は、先行させるAL弾と本隊との間隔を予定では420秒先行させるところを600秒に修正し、しかも制圧用多弾頭弾もAL弾とほぼ同じタイミングで再突入させた。
 さらに、凄乃皇弐型の侵攻ルート上に位置するハイヴ地上構造物よりも、周辺部により多く着弾するように投入軌道を変更していた。

 その結果として、凄乃皇弐型がレーザー照射を受ける頃には、先行して投入した軌道爆撃は既にその効果を完全に発揮しており、地上に展開していたBETA群は大いにその数を減らしていた。
 進行方向前方に近いほど残存BETAが多く分布するように仕向けた軌道爆撃により、地上構造物から離れた周辺になるほどBETAは殲滅されており、凄乃皇弐型への照射は進行方向前方付近の浅い角度のみに絞られる結果となった。
 そしてそれは、盾とする再突入殻を進行方向前方のみに集中して運用できる事を意味していた。

 レーザー照射警報を受けて、武はAL弾を大量に搭載した再突入殻を、次々と進路前方へと加速・先行させて盾とした。
 再突入殻1機など、10体を超える重光線級が焦点を合わせた高出力照射の前には1秒も持たない。
 しかし、直援機とする『撃震』を搭載した36機以外の、盾に使う再突入殻にはAL弾を満載してあった。
 レーザー照射により迎撃された再突入殻自体と搭載されたAL弾が気化することで、高濃度な重金属雲の回廊が凄乃皇弐型の進路上に作り上げられていく。

 その結果、重金属回廊を貫通してくるレーザーはさほど多くは無く、『ラザフォード場』を不安定化させるほどの出力には至らなかった。
 そして、撃墜されずに最後まで残った再突入殻と放出されたAL弾が、高速度の質量兵器としての効果を発揮して、ハイヴ地上構造物周辺の残存BETAを駆逐する。

 ハイヴ地上構造物近くまで到達した武は、主機の出力を最大にしつつ、地上構造物の上端へと凄乃皇弐型と直援機を接近させた。
 凄乃皇弐型が地上構造物の傾斜軸線上に遷移すると同時に、『主縦坑』内にびっしりと配置された無数のレーザー属種から同時照射を受けた―――

 武は、『ラザフォード場』を、地上構造物の傾斜軸線に沿って突出する、鋭い円錐状の形に展開。
 レーザーの射線に対して浅い角度で展開した『ラザフォード場』は、最小限の負荷によって、照射を受けたレーザーの射線を僅かに歪曲させ、後方へと受け流した。
 その瞬間、直援戦術機達に、地上構造物上部外縁から92式多目的自律誘導弾システムの制圧用通常弾頭弾を、各機4セットずつ36機で合計144セット分全てから、全弾同時発射させる。
 その結果、地上構造物内に4608発に及ぶ自律誘導弾による飽和攻撃が降り注いだ。
 殆どのレーザー属種が凄乃皇弐型を照準しており、同時照射後の照射インターバル期間中であったため、自律誘導弾は殆ど撃墜されないままレーザー属種を駆逐する。
 そして、吹き上がってくる爆風を押しのける様にして、凄乃皇弐型はオリジナルハイヴの『主縦坑』に進攻を果たした。

 オリジナルハイヴの『主縦坑』は直径約550m、深さは地上構造物の上端より約4kmで基部に至る。
 地上構造物部分は東に傾斜しているため、上部が張り出す形になる西側の壁沿いに降下していけば、ハイヴ破壊を決してしないレーザー属種は照射を行えない。
 残る脅威となるのは、降下するに従って増加する上部より降り注ぐBETA群の落下突撃だが、これも『ラザフォード場』を上方へ突出展開させて受け流してしまえば脅威足りえない。
 いざとなれば、直援機のS-11を使用した自爆攻撃も可能なので、ことここに至っては凄乃皇弐型の『主縦坑』基部への到達、そして自爆を妨げ得るものは無かった。

 …………そして5分後…………

 ムアコック・レヒテ機関の臨界到達の直前……武は、横浜基地に残してきた仲間達の顔を思い出し、『この世界』で最後の叫びを放った。

「……みんな、頑張って…………生き延びてくれよ―――っ!」

 時に、2001年12月28日、10時39分…………『甲1号目標』は地球上より消滅し、人類は歓喜に包まれた―――

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月28日(金)

 10時44分、国連軍横浜基地は、所属全要員の歓声で揺れていた。
 数分前に、ラダビノッド基地司令より『菊花作戦』の完遂と、『甲1号目標』―――オリジナルハイヴの消滅が知らされたためである。
 皆、歓喜の涙で頬を濡らし、手近な者と喜びを共にし、噛み締めていた。

 しかし、喧騒を避けるようにして、己が心と向き合う者もいた。

 御剣冥夜少尉―――彼女は日々己を鍛え上げてきた基地のグラウンドに立ち、宝刀『皆琉神威』の鞘から抜き放った刀身に己を映し、先に逝った思い人への誓いを新たにしていた。

 珠瀬壬姫少尉―――彼女はB4フロアの自室で、先頃ようやく花を咲かせたセントポーリアの鉢植えを前に、自身の『ちいさな愛』を捧げていた男との想い出を、独り呟いていた。

 伊隅みちる大尉―――彼女はB8フロアの自室で、部下が残した資料を熟読し、思いついた事柄を細々とまとめていた。そして、ふと思い立って机の引き出しを開けると、底の方から写真を一枚取り出して眺めた後、端末の画面を切り換えて休暇願いをしたため始めた。

 月詠真那中尉―――彼女は3人の部下を率い、横浜基地の復興作業に従事していた。ラダビノッド基地司令の放送を耳にしたその時だけ、僅かに手を休め、瞑目して誰かを褒めるが如き笑みを口元に浮かべた。

 京塚志津江臨時曹長―――彼女は限られた調理道具と素材をやり繰りし、遂に命を散らすこととなった若者のため、なんとしてもこの日の夕食にさば味噌定食を供すべく奮闘していた。それが彼女にとっての戦いであった。

 社霞―――彼女はB19フロアのシリンダールームで、メンテナンスベッドに横たわる己が分身とさえ思える女性へと、新しい輪を紡ぐために旅立っていった、1人の男の姿を投影し続けていた。そして、霞から流れ落ちた雫が、横たわる女性の頬に一筋の涙の跡を刻んだ。

 香月夕呼副司令―――彼女は『菊花作戦』の完遂をB19フロアの中央作戦司令室で知った。彼女は満足気な笑顔を浮かべると、ラダビノッド基地司令に目礼し、執務室へと戻っていった。そう、彼女が託された戦いは既に始まっている。執務机に座り、端末を叩き始めた彼女は、ふと宙を仰いで呟いた。

「あんたの新しい戦いも、ちゃんと始まったかしら…………ね、白銀?」

 果たして、その声は時と世界の間(はざま)を越えて、相手の元に届いたであろうか…………




[3277] 第13話 新たなる始まり
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/09/28 17:31

第13話 新たなる始まり

2001年10月22日(月)

「………………」

(ここは……どこだ?……今日って、何日だっけ……今、何時…………)

 武は薄目を開けて時計を見た……つもりだったが、そこに時計は存在しなかった。
 一瞬戸惑った後、部屋の配置を思い返して、天井近くの壁掛け時計を見る。

(8時か…………8時ッ!! 寝過ごしたか?! 起床ラッパは? 点呼……は自分でやって………………え?)

 ベッドから跳ね起きた武は、室内の明るさに違和感を感じた。
 そして明るさだけでなく、室内の様子や、無意識の内に手に取っていた白陵柊の制服にも―――

(あれ? オレの部屋って地下4階……じゃないぞ、2階だろうが……ここはオレの部屋……だよな。
 ベッドに机にコンポにポスター……何時も通り……ッ!!―――なんか、記憶が混乱して……
 この位の寒さなら外で寝たって―――って、そんなことしたら凍え死ぬって!
 あ~寒っ、訓練服でいいからさっさと着るか、制服どこにやっちまったんだ?―――って、学校の制服は今着てるのだろうが、なに探してんだよオレは……
 …………?……探してるのは……制服…………国連軍の黒いC型軍装……―――ッ!? 国連軍ってなんだよ!
 あ?……国連太平洋方面第11軍横浜基地A-01連隊第9―――いや、第13中隊所属白銀武少―――大尉……か?
 え?……なんだよそれ、おれは白陵大学付属柊学園3年B組、出席番号―――うわッ!!
 あ……ああ…………あああああああ……ああぁぁああぁあああぁああアアアアアアッ!!!)

 武は部屋の床に倒れこむと、頭を抱え、左右に身を捩るようにして転がった。

(なんだっ! この走馬灯みたいなのは……脳みそ入りのシリンダー……霞……木彫りのサンタうさぎ……
 ……凄乃皇弐型……強化装備姿の純夏……軍装のまりもちゃん………………BETAッッ!!!!)

 武の脳裏に嫌というくらい大写しになる兵士級BETA。
 その口からは上半分を噛み砕かれたまりもの姿がぶら下がるように―――

「うあぁぁああああぁあぁッあアあぁぁアアアアぁぁッああああぁああぁぁアぁぁッああッああぁあアアあぁぁぁああああアアアッッッッ―――」

 息が切れるまで叫び続け、床に突っ伏して荒い息を繰り返す武。

「……思い出した……思い出したぜちくしょうッ!!
 ……因果導体……確率分岐世界……オルタネイティヴ4…………オレは……オレは、ループした……んだよな?
 …………まずは、確認―――じゃねえよっ!! まずは数式だろっ!
 ……憶えて……るよな………………念のために、今の内にメモっとくか。」

 武は机に座りノートに人格転移手術に必要となるブレイン・キャプチャー・システムの基礎理論である数式を書き留めていく。
 一通り書き終ると、再びベッドに戻って、最後の記憶を探る。
 その途端、武の脳裏を気が狂いそうになるほどの、大量のイメージが埋め尽くし、武の自我を押し潰そうとする。

(くっそう、これが記憶の関連付けかよっ! 純夏の奴、こんな目にあってたのか…………
 最後の記憶ッ出て来いってんだよ!
 ―――闘士級に抱えられているオレ、上下逆さまに見えている、床に転がる上半身を潰された霞の死体、首から上は全くの無傷で、その大きく開かれた光を失った瞳……
 ―――ッ!!―――他のがあんだろっ他のがっ!
 ―――凄乃皇弐型の盾になって散っていく再突入型駆逐艦……なんとかオリジナルハイヴの『主縦坑』最上部に辿り着く凄乃皇弐型、次の瞬間膨大な光が『ラザフォード場』を突き破り……
 ―――ッ!! ―――他のッ!
 ―――オリジナルハイヴの『主縦坑』の最下部、横浜基地に残してきたみんなの事を考えながらムアコック・レヒテ機関の臨界を待つ……オリジナルハイヴのリーディングデータを収めたレコーダーを載せた装甲連絡艇を射出、そして全ては光に……
 ―――っよっしゃアア!!
 ………………なんとか、最低一回はオリジナルハイヴを潰せたみたいだな……
 ……00ユニットとして稼動した後の記憶もあるぞ…………
 ……生物として死んで00ユニットになってもオレはオレってことで、再構成時に00ユニットになってからの記憶も反映されたみたいだな……
 ……身体は……肩にあったパーティングラインが見当たらない所を見ると、生身みたいだな……『ここ』で再構成されるのは人間の『白銀武』だってことなのか……
 ……しかし、自分の死に様をこんなに覚えてるってのも嫌なもんだな……
 ……それにしても、酷い展開の記憶が多いな……A-01が健在で終わる記憶なんか1つもないじゃないか……
 ……A-01の生き残りが3人も居るのって、多い方だったんだな……オリジナルハイヴを攻略できた世界は殆ど無いしな……
 ……どれだけ頑張っても、必ずBETAに追い込まれてる感じだ……これが、『人類がBETAに圧倒される』って因果の影響なのか……
 オレが、本当に立ち向かわなきゃなんないのは、その因果なんだな……
 オレはもう、『前の世界群』には何もしてやれない。
 あとは……みんな……頼んだぞッ!―――)

 ―――その後も、記憶を取り戻すための、武の孤独な戦いは2時間ほど続いた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 11時06分、国連軍横浜基地正門へと続く坂道の中程に植えられた、1本の桜の木の前に武の姿があった。
 何故か路上にしゃがみこみ、食事用のスプーンで桜の根元の土を慎重に掘り返していた。

「よし、これくらいで良いか。」

 独り呟くと、3WAYバッグから、ペットボトルを取り出す。
 ペットボトルの中には、数式を記入した紙が、折畳み防水処置としてラップで厳重に包んだ上で、押し込まれていた。
 そして、そのペットボトルを、土を堀返すのに使ったスプーンと共に、掘ったばかりの穴に入れ、土をかけて埋め戻す。
 それが済むと、立ち上がった武は手を叩いて汚れを落し、桜の木に向かって深々と頭を下げる。

(お会いした事はありませんが、A-01の先達の皆さん、この資料はオルタネイティヴ4にとって重要なものです、暫くの間お預けしますのでよろしくお願いします。)

 頭を上げると、武は視線を転じて坂を下った先に見える廃墟と化した町を見た。

(町の壊れ具合や、この桜の木にまりもちゃんの墓標が並んでないことからすると、時間はちゃんと巻き戻ってそうだな。
 細かい確認は、夕呼先生と接触を果たしてからだ。
 さ、これからが正念場だ……みんな、オレも頑張るからな!)

 武は最早『前の世界群』と呼ばねばならなくなってしまった、幾通りもの世界。
 そこに残してきた、最後の時まで生き延ることができた、決して多くはない仲間達を想い、誓いを新たにした。
 そして、踵を返して横浜基地正門へと、堂々と歩みを進める。

 正門の前に辿り着くと、2人の見覚えのある警備兵が、親しげに笑いながら声を掛けてくる。

「こんなところで何をしてるんだ?」
「外出していたのか? 物好きな奴だな。どこまで行っても廃墟だけだろうに。」

(よし、前回と同じ警備員だ。こんな些細な事でもやっぱり安心するな。)

 かけてくる言葉すら記憶どおりだったのに安心して、武は余裕を持って応える。

「そう言わないでくださいよ。これでも、オレの生まれ故郷なんですから。」

「なっ―――そ、それは……済まなかったな……」

 武の返事に驚き、つい顔を見合わせてから、気の毒気に謝罪してくる警備兵。

(よし、掴みはこれで十分だろう。後はハッタリで切り抜けてやる。)

「いや、いいですよ。ところで、目立ちたくないので穏やかに聞いてください。
 事は香月副司令に関わる機密事項です。そのつもりでお願いしますよ。」

 やや声量を抑えながらも、はっきりとした発音を心がけてそう言うと、警備兵の身体に緊張が走り、警戒しつつも武に鋭く警告する。

「なにっ!……わかった。言う通りにしてやるが、妙な動きはするなよ。」
「いいのか!?」
「博士に関係することについては、全て報告しろって言われてるだろ?」
「……そうだったな。」

 警備兵が2人とも納得してくれたようなので、武は口調を改めて要求を述べた。

「協力に感謝する。実は香月博士に極秘でお会いしなければならないので、取り次いで欲しい。
 暗号符丁があるので、それを香月博士ご本人に伝えて貰えればいい。
 符丁はそれなりの長さがあるので、なにかメモする道具はないか?」

 警備兵は警戒しつつも武に言われるままにメモとペンを手渡す。
 武はそのメモに文章を書き連ね、警備兵に手渡した後、口頭で伝言を頼む。

「香月博士に、シロガネタケルという男―――あの人にとってはガキ……青年ってとこか……青年が来て博士に面会したがっていると伝えてくれ。
 その符丁を読めば事態の重要性は解ってくれる筈だと言っていると。
 一応念のため、その符丁を口頭で言うから聞き損なわないように、文面と照合してくれ。
 『鏡の精の待ち人にして、星へ往く船を妨げるもの、機械の救世主(メシア)の生誕を期し、因果を導きこの世へ至る。』
 以上だ、よろしく頼む。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 15時42分、4時間を超える各種検査や手続きを経て、武は今や居心地良ささえ感じてしまう夕呼の執務室へと招き入れられた。
 椅子を勧められて武が素直に腰掛けると、夕呼が優しげに話しかけてくる。

「さすがに疲れたかしら?」

「いえ、この位大した事ありませんよ。それより本題に入りたいんですが、こちらから説明しますか?
 それとも、先生の質問に答えた方が良いですか?」

「それじゃあ、あたしの質問に答えてもらおうかしら?」

 夕呼がニヤリと笑って言うと、武は夕呼と渡り合うという事態に、内心密かに震えながらも頷いた。

「そう言うと思いましたよ。先生が、初手から相手に主導権を取らせるわけありませんからね。」

「先生?……ま、いいわ。じゃ、質問させてもらうわよ―――
 まず、あのふざけた符丁の意味は何?」

「先生は意味が解ったからこそ、こうして会ってくれてるんだと思ったんですけど、まあ、確認は必要でしょうから答えますね。
 まとめて全部説明しますから、いちいち驚かないでくださいよ?
 あと、拳銃抜いて脅かそうなんて考えもなしで、どうせ先生の腕じゃあたりませんから―――じゃ、解答です。
 『鏡の精の待ち人』ってのはオレの事で、つまり、現在BETA由来のシリンダーで脳と脊髄だけにされて生存している『鑑純夏』が会いたがっている『シロガネタケル』がオレだってことです。
 次の『星へ往く船を妨げるもの』ってのは、オレの目的にオルタネイティヴ5の発動阻止が含まれてるって意味です。
 ―――殆どの人間を置き去りにして、10万人ぽっちを移民させるなんてオレには認められません。
 『機械の救世主(メシア)の生誕を期し』ってのは、オルタネイティヴ4の最大の目的にして成果たる00ユニットの完成を必ず成し遂げるって意味です。
 で、最後の『因果を導きこの世へ至る』は、オレが『因果導体』であり他の確率分岐世界から『この世界』へやってきたって意味ですよ。
 『因果律量子論』を提唱してる先生なら、一応信じてもらえると思うんですけどね。
 オレの所持品の中に、この世界由来とは考えられない高精度液晶技術を使った日本製の機械があったはずです。
 あれが証拠になりませんか?
 とまあ、こんなとこでどうです?」

 武が口を閉じて笑って見せると、夕呼は呆れたような表情を顕わにして嘆く。

「まったく、極秘機密のオンパレードじゃないの。
 しかも、あたししか知らないはずの『鑑純夏』の『待ち人』のことまで……一体どこで聞いたわけ?」

「純夏の事は、先生だけじゃなくて霞―――社霞も知ってるっていうか、霞が出所じゃないですか。
 どうせ、今もオレが嘘をついていないかリーディングさせてるんでしょ?
 ネタは割れてますから、こっちに呼んでやったらどうです?」

「あ~~~~っ、あんた一体どこまで知ってんのよっ!
 まさかあんたまでESP発現体だなんて言わないでしょうね。」

 さすがに平静を装うのも限界なのか、わざとそう見せて油断させるつもりなのか、イライラとした様子を隠さずに夕呼が詰め寄る。

「ああ、そういう考え方もありましたね。
 大丈夫ですよ、今のオレにはまだ、リーディング機能は与えられていませんからね。」

「『まだ』? 『機能』? 『与えられていない』?―――あんたまさかっ!」

 訝しげに一瞬考え込んだ後、夕呼は大きく目を見開いて武を凝視した。

「そろそろ、オレの方から手札を切ってもいいですか?
 先生の事だから、とっくに気付いてるんでしょうけど。
 オレはこことは別の確率分岐世界で香月夕呼博士と社霞の手によって人格転移手術を受けた、00ユニット稼動第二号機の成れの果てですよ。
 そして、00ユニットの稼動にまで成功しながら、BETAを駆逐しきれずに頓挫を余儀なくされて、予備計画に成り下がったオルタネイティヴ4の一員です。」

 武の言葉を聴いて、暫し呆然として立ち尽くしていた夕呼だったが、突如として武に駆け寄ると、胸倉を引っ掴んでガクガクと揺すりだした。

「―――な……なぁんですってぇえ!!!?
 なんでよっ!? 00ユニットの稼動まで漕ぎ付けておきながら、どうして計画が頓挫するのよっ!
 あんた、いい加減な事言ってんじゃないわよっ?!
 シャレじゃ済まないのよっ! 間違いじゃもっと済まないのよっ!! 早く言いなさい!! 早くっっ!!」

 夕呼の渾身の力で揺さぶられながら、武は嬉しそうに笑ってしみじみと言った。

「―――先生、ホント変わらないですね。
 本当に先生はどの世界でも変わんないや。
 今の先生の振る舞いなんて、『前の世界群』で自分の量子電導脳の基礎理論を否定された時の言動そっくりですよ。
 ―――大丈夫です、先生。
 オレは計画を挫折させないために、『人類はBETAを圧倒する』って因果を確立するためにこの世界に来たんですから。」

 そう言い、満面の笑みを浮かべた武の目から、嬉し泣きのような涙が一筋こぼれた。
 それを見た夕呼は、呆気にとられながらも、正解をその手に掴み取って呟いた。

「……時空間因果律干渉―――まさかっ!?」

「さすが先生―――話が早いですね。」

 武は心底嬉しそうに晴々と笑った…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時45分、B19フロアの夕呼の執務室で、武はソファーに座って夕呼と相対していた。

 武は1時間ほどかけて、自分の事情を夕呼に説明し終わったところだった。
 無論、全てを話した訳ではない。
 夕呼と取引する材料は手元に残しておく、『前の世界群』で夕呼に良いように踊らされた武としては、無条件に『今回の世界』の夕呼を信用する事は出来なかった。

 武が話したのは、『前の世界群』で主流であった事態の流れ。
 『XM3』の開発。
 クーデターの発生とそれを逆手に取った政威大将軍の救出。
 『鑑純夏』を素体とした00ユニットの稼動と運用評価試験での機能停止。
 『白銀武』を素体とした00ユニットの稼動。
 BETAによる横浜基地襲撃と反応炉の破壊、それによる第4計画の頓挫。
 凄乃皇弐型の自爆による『甲1号目標』の破壊を企図した『菊花作戦』。

 次に、『更に前の世界群』で主流であったと思われる事態の流れ。
 00ユニットが完成せずに、12月25日を以ってオルタネイティヴ5が発動し、オルタネイティヴ4は中止。
 それから2年後に『バビロン作戦』が実施されたが、その世界では人類がBETAに敗れたらしいこと。

 そして、武が生まれてから17年間育った『元の世界』に関して。
 『元の世界』にはBETAは存在しないこと。
 夕呼もまりもも高校の教師で、武や207訓練小隊のメンバーは教え子であったこと。
 この世界での因果情報を元に、『更に前の世界群』の武が再構成されたであろうこと。

 最後に、重要と思われる情報。
 BETAの情報伝播モデルが、オリジナルハイヴを唯一の司令塔とした箒型構造だったこと。
 ハイヴの反応炉が、動力源、通信装置、コンピューターの1台3役だったこと。
 BETAがエネルギーの補給と同時に、情報や新しい命令を反応炉から得ていること。
 00ユニットとしての『白銀武』が、知的生命体として認識される可能性が高いこと。
 武の発案になる戦術機の新型OS『XM3』が戦術的には対BETA戦で絶大な効果があり、各国との取引材料になったこと。
 凄乃皇弐型の運用により佐渡島ハイヴの制圧が成功したこと。
 凄乃皇弐型の自爆攻撃により、オリジナルハイヴを消滅させることができたこと。
 オリジナルハイヴへの攻撃で使用したG弾5発は全て迎撃されてしまった事から、G弾による爆撃はあまり効果が望めそうにないこと。
 武は『明星作戦』当時の『鑑純夏』によって『因果導体』として再構成された存在で、『鑑純夏』と相思相愛になるまで、2001年10月22日を起点とし、『白銀武』の因果の消滅(死亡)を終点とした『ループ』を繰り返す存在となっている、という仮説。

 それらの情報を全て聞き終えた後、夕呼は武を待たせたまま己が思考の渦に身を投じ、未だ帰って来ないのだった。

(暇だなあ……時間掛かるなら、霞に会っておきたいんだけどな……)

 武がそんな事を考えていると、入り口が開き、霞がおずおずと室内へと入ってきた。
 そして、武の側までやってくると、大きな目を一杯に開いて、武をジッと見上げた。

「お、わざわざ来てくれたのか、ありがとうな。
 オレは白銀武、初めまして、だな。
 名前、教えてくれたら嬉しいんだけど、嫌かな?」

「…………知ってます……」

「う~ん……確かにオレは社霞って女の子を沢山知ってる。
 けどさ、なんて言うか、オレが知ってる霞達と君は、同じなんだけど、別の人間なんだと思うんだよな。
 だから、君と会うのはこれが最初ってことになって―――だから、初めましてになるんだ。
 そんなわけなんで、名前教えてくれるか?」

「……社……霞、です……」

「そうか、じゃ、握手だ霞―――あ、霞って呼んでもいいか?
 それから、握手の方法はオレからイメージ読むといいぞ。」

「…………霞で、いいです……」

 そうして、武は初めて普通の握手を霞とした。
 今までの霞の手を乗っけて上下に動かす握手も味わい深かったなあと武が思った時、夕呼が思考の迷宮から戻ってきた。

「あら? 社? 向うの部屋で待機してなさいって言ったのに……え? なに?……ふうん……そう……わかったわ……」

 霞は武の側を離れ、夕呼の脇に行って耳元に口を寄せ、何かを小声で伝えていった。
 そして、夕呼は霞の頭を軽く撫で、ニヤリと笑って武の方に視線を向けた。

「で? あんたは何が望みなのかしら?
 あんたから貰った情報はそれなりのものだったわ。
 相応の要求なら呑んであげるわよ?」

「オレは今までの世界群で世話になった人達を可能な限り護りたいんです。
 だから、その為の立場と先生の支援を下さい。
 将来的には次の世界への情報の継承のためにも、機密情報の開示もお願いしたいですが、それは現時点ではいいです。
 他にも幾つかお願いしたい事はありますけど、今はまだ先生がオレを信用できないと思いますから、暫く待ちます。」

「へぇ~。意外に物分りがいいのね……ていうか、あたしの性格を把握してるって事かしら?
 ま、いいわ。じゃ、その線でいいから具体的な要求を言って見なさい。」

 夕呼のその言葉を受けて、武は頭を深々と下げて礼を言ってから、自分の願いを口にした。

「ありがとうございます。
 まず、立場ですが、戸籍の回復と軍歴の捏造、207訓練小隊への配属をお願いします。
 戦地で徴用されて衛士として実戦を経験、戦時階級で臨時中尉まで特進したものの、正規の教育を受けていないので、夕呼先生直属となったのを機に、再訓練して正規任官しようとしてるってとこでどうですか?
 それから、BETAとの戦いで皆を死なせないために、夕呼先生の元で対BETA戦術構想を研究・開発する権限をください。
 それで、対BETA戦術構想で必要となる評価運用試験などの任務を、ヴァルキリーズや207訓練小隊に担ってもらいたいと思ってるんですが、無理ですかね?」

「ずいぶんと欲張りなのね。
 訓練兵として訓練する片手間に、対BETA戦術構想の考案及び運用試験もやるってわけ?
 あたしも特殊任務として、あんたには色々と働いてもらう気だから、3足の草鞋って事になるわよ。
 体持つの? だぁいじょぉ~ぶ~?」

 からかうように目を細めて武を見る夕呼。
 しかし、武は動じる風も無く、いけしゃあしゃあと応える―――虚勢だったが。

「訓練などに関しては、特殊任務優先って事で抜けられるように、神宮司軍曹に夕呼先生が口を利いてくれると有難いです。
 実際、今更訓練する必要なんてないですしね。
 あとは、優先順位を付けて、なんとかこなしていきますよ。
 あ、後は自室に持ち運び式の端末を1台と、携帯用通信機の手配をお願いします。」

「ちっ、余裕綽々って感じね―――ま、お互い利害は一致しているようだし、いいってことにしといたげる。
 あんたの待遇はあたし直属の臨時中尉って事にして、正規任官を目的として、明日から形だけ207衛士訓練校に配属って事にするわ。
 あんたの主任務は対BETA戦術構想の考案と運用評価試験の実施。
 その他にも、あたしの命令であれこれやらせるわよ?
 あんたの任務で実験部隊や護衛部隊、仮想敵が必要になった場合には、あたしの権限でヴァルキリーズや207訓練小隊に特命を下すわ。
 まりもには、衛士としての技量に不足は無いので、訓練よりも特殊任務優先にするように言っとくから。
 あと、逆にあんたが居た方が良いと思ったら、A-01に臨時編入するからその覚悟もしときなさいよ。」

「ありがとうございます。
 それじゃあ、まずは、『XM3』の開発ですね。
 『前の世界群』では11月11日にヴァルキリーズが出撃してますから、それまでには慣熟しておいて貰いたいですからね。
 先生さえよければ今から概念を説明しますから、なるべく早めに仕上げて貰えませんかね。」

「―――ほんと、厚かましいわね。
 あんた、口ばっかりで実は何にも役に立たないんじゃないでしょうね。」

「衛士としてはそれなりですよ?『前の世界群』じゃ、速瀬中尉に眼の敵にされてたくらいですから。
 プログラムとか理論構築とか、そっちの方はからっきしです。
 何とか必要な知識を丸覚えするのがやっとでしたからね。
 『今回』はそっちも頑張ってスキルを身に付けたいと思ってますけど。」

「ま、いいわ。聞くだけ聞いたげるから、その概念てのを説明しなさい。」

「はい。まずは―――」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時42分、『前の世界群』と同じ部屋を割り当てられて、武はB4フロアの懐かしい自室でレポート作成に勤しんでいた。

(くそ~ッ、00ユニットだった時にはアッとゆーまだったのにな……
 明日は207に配属だし、早ければ3日後の夜には『XM3』のプロトタイプがシミュレーターに載っかるだろ?
 『XM3』が仕上がったら、ヴァルキリーズの慣熟に掛かりっきりになるだろうし……
 やっぱ、早目に出来るだけ進めとかないと駄目だな…………はぁ……
 もしかして、さしあたってオレの方が夕呼先生より切羽詰ってたり―――はしないかさすがに……)

 などと考えながら、キーボードを打ち続ける武。
 しかも、IDがまだ届いていないため、情報閲覧も出来ないのでデータベースからのコピペも出来ない。
 同じ理由でPXに行っても食事も買い物も出来ない。
 記憶を元に、対BETA戦術構想の下書きを、ひたすら打ち込んでいく作業が続いていた。

 と、そこへ、コンコンッと、ノックの音が響いた。
 武は端末の画面を消して、ノックに応じる。

「―――どうぞ?」

「失礼します。白銀武臨時中尉殿でいらっしゃいますか?
 私は神宮司軍曹であります。
 香月副司令の指示により、ID及び携帯通信機他諸々お持ちいたしました。
 こちらが受領リストになりますので、ご確認の上、よろしければサインを……?―――どうかなされましたか?」

 国連軍横浜基地衛士訓練学校の教官である、神宮司まりも軍曹の、やや小柄ながら凛々しい姿が開いたドアの向うにあった。

(―――ッ!! まりも……ちゃん…………)

 まりもの元気そうな姿を目の当たりにして、つい緩みかけた涙腺を、ジッと目を瞑って押さえ込み、武はなんとか普通の声で返事をすることに成功した。

「―――あ、いえ。今まで端末にかじりついていたもんで、ちょっと眼が眩んだだけです。
 それより、あなたがまりも……ちゃん、ですか?
 オレが白銀武臨時中尉で間違いありません。ご苦労様でした。」

 武はわざと失言を混ぜながらまりもに応じた。
 予想通り、まりもは眼と口を一瞬ではあるものの大きく開き、慌てて表情を繕うと言葉を返した。

「ありがとうございます、中尉殿。これしきの事で礼には及びません。
 ですが中尉殿、『まりもちゃん』とは私の事をお呼びになられたのでしょうか?」

「そうですよ。夕呼先生―――香月副司令のことですが――先生が神宮司軍曹を『まりも』と呼び捨てておられたので真似してみたんです。
 いい名前じゃないですか、使わなきゃ勿体無いですよ。」

 そう言われて、まりもは目を瞑って右の拳を震わせたが、なんとか立ち直ると、気を取り直して武に話しかけた。

「そうでしょうか……ともあれ、白銀中尉で間違いが無いのでしたら、受領書にサインをお願いいたします。
 ―――はい、結構です。
 香月副司令から、明日(みょうにち)付けで白銀臨時中尉は我が207訓練小隊へ編入と伺っておりますがよろしいでしょうか。
 ―――はい。了解いたしました。
 それでは、明日の起床後の点呼の際に、こちらの訓練兵の制服を着用の上、自室の扉を開放して廊下にてお待ち下さい。
 訓練期間中も、特殊任務に従事する関係上、現行の階級が保持されるとの事ですので、階級章や衛士徽章は襟の裏側にお付けください。
 詳細は明朝の点呼後に、お知らせいたします。
 何かご質問、ご要望などはおありでしょうか?」

 まりもは、途中武のサインを受け取ったり、返事を聞いたりしながら、事務的に役目を果たした。

「神宮司軍曹。貴女はオレが恩師と思い尊敬している衛士に良く似ている……貴女の練成を受ける事が今から楽しみでならない。
 形ばかりの配属で、特殊任務優先のため迷惑も掛けるだろうが、明日からよろしく頼む。」

 突然態度を改めて、真摯に語りかける武に、まりもは姿勢を正し、直立不動で答える。

「―――はっ! 過分なお言葉を頂戴し恐縮です。
 ご期待に背かぬよう全身全霊を尽くして任務を果たす所存でありますっ!」

 死線を潜って来た衛士に相応しい武の態度に、心中頷きかけたまりもだったが、武の真摯な態度は長続きしなかった。

「あとは……そうだな~、明日からは訓練兵としてお世話になることですし、敬語は止めてもらえませんか?―――まりもちゃん。」

 わざわざ最後に『まりもちゃん』を付ける武、まりもは額に青筋を浮かべながらも、応える。

「申し訳ありません中尉殿、訓練兵となられても中尉殿の階級は無効とはなりません。
 よって、態度を改める件に付きましてはご容赦下さい。」

「……まりもちゃん、頑固過ぎ……よし、じゃあこうしましょう。
 神宮司軍曹、現時刻よりオレの訓練小隊配属が解かれるその時まで、特殊任務に従事している場合を除き、オレを一訓練生として他の訓練生と分け隔てなく練成する事を命じる。
 反論は許さん、復唱しろ、『まりもちゃん』」

「今一度確認する事をお許し下さい中尉殿、ご命令を取り消されるおつもりはございませんか。」

「既に命令は下したぞ軍曹。これが最後だ、復唱し受諾しろ!」

「はっ! 只今より、白銀臨時中尉の訓練小隊配属が解かれるまで、白銀中尉が特殊任務に従事されている場合を除き、白銀中尉を一訓練兵として扱い、練成を遂げさせていただきますっ!
 ―――後悔するなよ? 白銀訓練兵ッ!
 貴様は私が誠心誠意を込めて、全力で練成してやるからな!」

 直立不動で復唱した後、がらりと態度を改めてまりもは武を睨み付けた。

「後悔なんてしませんよ。せっかく正規の教練を受けられるんです、お客さんじゃ詰まらないですからね。
 じゃ、改めてよろしくお願いします、まりもちゃん。」

「ふっ……いい度胸だ白銀。その度胸に免じて私をちゃん付けすることを特別に許してやる、まがりなりにも中尉殿だからな。
 明日からの訓練、楽しみにしておけよ?」

(うわー……ちょっとやり過ぎちゃったか? まりもちゃん、マジ怒ってる?)

 武は内心冷や汗を流しながらも、不敵に笑い、直立不動で敬礼して応えた。

「はっ! 神宮司教官殿、明日よりの練成、何卒よろしく願いますっ!」

 まりもは無言のまま答礼すると、踵を返して立ち去っていった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時27分、B19フロアの廊下を、夕食を済ませた武がシリンダールームを目指して歩いていた。
 その足取りは、何処か躊躇うような気配を纏わり付かせており、覇気に欠けたものであった。

(……そっか、脳みその状態の純夏を、純夏だと思って会いに行くのはこれが初めてなんだな。
 今更、気味が悪いとかはもう思わないけど…………なんか、会いたいような会いたくないような……)

 そうこうする内に、武はシリンダールームの内側のドアの前に立っていた。
 意を決して一歩前に踏み出す武。
 ―――そして、ドアが開き、武の眼に飛び込んでくる青白く光るシリンダー。

「………………」

 武は、アヤカシに招かれてでもいるかのように、力なく震える両手をやや前に向かって持ち上げ、覚束ない足取りで歩み寄って行く。
 薄暗い部屋の中、青白い光に仄かに輝く、シリンダー、その中に収められた、剥き出しの―――脳髄へと―――

「―――すみ……か…………すみかぁ………………純夏ァアアアアアッッ!!!」

 シリンダーまで後一歩の所で立ち止まった武は、次の瞬間、両手でシリンダーに取りすがって号泣した―――

「―――ごめん、ごめんよ純夏……ほんとにごめん……オレ、またおまえを助けられなかった……
 二度と、二度とおまえを失うまいと……必ず護るって誓ったのに…………ごめん、ごめんよぉ…………」

 脳裏に浮かぶのは、『前の世界群』での純夏達の最後の姿であった。
 ―――苦悶の表情のままに自閉モードに閉じこもったままの純夏……
 ―――『甲21号作戦』で、擱坐した凄乃皇弐型から00ユニットを回収しようとするヴァルキリーズもろともに、膨大な数のBETAに飲み込まれてしまった純夏……
 ―――00ユニットの稼動に至れず、侵攻して来たBETAに再占領されるよりはと、大量のS-11によって殺到するBETAもろとも自爆した横浜基地と、脳髄のままで運命を共にした純夏……
 結局、思い出せる限りの『前の世界群』の記憶の全てで、武は純夏を失っていた。
 純夏を護りきれた世界は、ただの1つも存在しなかった……

「……今度こそッ!…………今度こそ護ってやる………………おまえの願いは……ごめん……叶えてやれないけど…………
 そのかわりッ!!…………今度こそ……今度こそ護ってやるぞッッ!! 純夏ァアアアアーーーッッッ!!!」

 辺りを一切はばかる事無く、一心不乱に謝り、誓い、涙する武―――

 武がやってくる前からこの部屋にいた霞は、そんな武を見て瞳を伏せると、そのまま静かに部屋を出た。
 そして、幼馴染たちの悲しい再会を、妨げようとするものから護るべく、接続通路に独り立ち続けた…………




[3277] 第14話 『特別』な小隊
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/09/28 17:32

第14話 『特別』な小隊

2001年10月22日(月)

 19時36分、ドアの開く音に霞が振り向くと、そこには目を真っ赤に充血させた武が、青白く光るシリンダーを背後に、それでも笑顔で立っていた。

「霞……気を利かせてくれてありがとな。」

「……いえ……お話、できましたか?……」

「ああ、オレが一方的に泣き付いただけだけどな。」

「…………よかったです………………ずっと、まってました……」

「そっか…………霞、頼みがあるんだけど、聞いてくれるか?」

 武の言葉に、霞は武を見上げてピコッと髪飾りを跳ねさせてから、コクンと頷いた。

「オレが、純夏との楽しい想い出を思い浮かべるから、そのイメージをあいつに見せてやってくれないか?」

「……想い出…………わかりました……」

 それから10分の間、武と霞による純夏へのプロジェクションが続いた―――

 そして、自室へと戻るため、ドアから踏み出そうとした武は、ふと振り返ると霞を見て言った。

「明日は、霞も想い出作りしような―――霞自身の想い出だぞ。」

「―――!!……想い出…………ありません……でも…………楽しみです…………」

「じゃあ、また明日な、霞。」

「……バイバイ……」

 霞の挨拶に頷いて、部屋を出かけた武だったが、ふと違和感を感じて歩みを止める。

「ん?……バイバイ……か…………霞、また会う相手には『またね』って言うんだぞ?」

「………………またね……」

「ああ、またね、だ、霞。」

 そして、武は今度こそ、部屋を出て行った。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年10月23日(火)

 05時52分、B4フロアの武の自室では、霞が武を一生懸命にユサユサと揺すっていた。

「……ん…………ッ!!―――あ……霞か……」

(くそっ! 一瞬、純夏が起こしにきたのかと思っちまった……けど、霞、『今回の世界』でも起こしに来てくれたのか……)

「……起こしていたんですね…………私も……」

「ん? ああ、毎朝のように起こしてもらっていたよ。
 おまえと―――純夏にな…………おはよう、霞。ありがとな。」

「……またね。」

「ああ、また後でな。」

 霞は言葉少なに、武の部屋から出ていった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時05分、国連軍横浜基地衛士訓練学校の教室で、武は黒板の前に立たされていた。

「本日付で207訓練小隊B分隊に配属となった白銀武訓練兵だ。」

「白銀武です。よろしくお願いします。」

「見ての通り男だ。しかもこの時期というので驚いただろうが、本来白銀は形ばかりの配属となる予定だった。
 何故なら、白銀は戦地で徴用され、衛士として実戦も潜り抜けている現役衛士だからだ。
 戦時階級ではあるが、臨時中尉の階級も持っている。」

(((( ―――中尉ッ!! ))))

 207訓練小隊の榊千鶴、御剣冥夜、彩峰慧、珠瀬壬姫の4人の訓練兵は、中途編入の訓練兵が中尉の階級を持つ事に驚愕した。

「にも拘らず、白銀が訓練兵として配属されたのは、正規の軍事教育を受けていないため、実際の階級が徴用された際の一等兵のままだからだ。
 よって、白銀はこの訓練小隊に在籍し卒業したという形を取って、正規の任官を経た衛士として少尉の階級を得る事を目的としている。
 形ばかりと言ったのは、現役の衛士が今更訓練校で学ぶ事など無いことと、白銀が訓練期間中も、香月副司令直轄の特殊任務に従事するからだ。
 特殊任務との二足の草鞋となるため、白銀の臨時中尉としての階級が訓練期間中も有効なことからも、腰掛けで卒業してもらうつもりだった。
 しかし、白銀は物好きにも貴様らと分け隔てなく練成しろと私に命令を下した。
 よって、白銀は本人の命令により、訓練期間中に於いては特殊任務に従事している場合を除き、訓練兵として遇する事となった。
 貴様らには戸惑う事も多いだろうが、現役衛士から貴様らが学べることは大いにあるはずだ。
 まして、白銀は香月副司令が自らの手元に招き『特別』な人材だと断言するほどの人物だ。
 この機会を逃さず、己を磨き上げる糧としろ。いいな?」

「「「「 ―――はいっ! 」」」」

 訓練兵だったり中尉だったり一等兵だったり、現役衛士だったり腰掛だったり特殊任務だったり、話が二転三転しすぎる上、異例中の異例とも言える扱いだったため、4人とも理解出来たとは言い難かったが、現役衛士に教えを請えるという事だけはしっかりと理解し、声を揃えて返事を返した。
 武はというと、まりもの言葉の中にあった『特別』というくだりに、夕呼のほくそ笑む顔が垣間見えてげっそりしていた。

「既に基地内も見学済みで案内も要らないそうだ。
 では、座学を始める前に、お互いに自己紹介をする時間をやるので交流を深めろ。
 ―――では榊、私は暫く席を外してやる、後は任せるぞ。」

「―――はっ! 小隊、敬礼ーーーッ!」

 千鶴の号令で武も含めた5人が敬礼すると、まりもは答礼して教室を出て行った。
 まりもを見送った後、武は4人の見慣れた少女達に向き直るが、『今回の世界』では初対面なので、彼女らの表情は硬かった。

「で、では、自己紹介をさせていただきます。自分は分隊長を任されております、榊千鶴訓練兵であります、中尉殿っ!」

「よろしく―――そうだな、眼鏡だし三つ編みだし、榊の事は『委員長』って呼ばせてもらうか。
 よろしくな、委員長。
 あと、同じ訓練兵って事で、堅っ苦しいのは抜きでな―――他のみんなもだぞ?
 オレの事も、白銀でも武でも、呼び捨てちゃっていいからな。
 訓練兵とは言え、背中を預けあう戦友なんだから、同い年なんだし、もっとこう馴れ馴れしい位がいいな。」

「―――ハァ?」

 武は、問答無用且つ強引に千鶴を『委員長』に仕立て上げると、フレンドリーな人間関係を要求した。
 唐突に『委員長』にされてしまって絶句する千鶴の隣に、冥夜が進み出て自己紹介する。

「―――む、過度な儀礼は不要という事だな?
 ならば―――私が副隊長を拝命している御剣冥夜訓練兵だ。
 現役衛士に教えを請えるとは望外の事だ。
 そなたには得るものが少ないやも知れぬが、よろしく頼む。」

「ああ、よろしくな、冥夜―――っと、呼び捨てにしちまって構わないか?」

「む―――そ、そなたは私を見ても何も…………い、いや、呼び捨てで構わぬぞ。
 私もそなたの事はタケルと呼ばせてもらおう……これでよいか?」

「じゃあ、そういうことで頼むよ。」

 その次は壬姫が小さな身体で前に出てきた。

「えっと、ミキは……じゃなかった、わたしは珠瀬壬姫訓練兵です。
 よ、よろしくお願いしますっ!」

「よろしく……よし、『たま』って呼んでいいか?」

「なんか、私猫みたいですねー。あ、それでいいですよー。」

「そっか、よろしくな、たま。オレの事はひらがなで『たけるさん』と呼んでくれ。」

「う、うん……頑張りますっ!……じゃなくって……
 が、がんばるね! たけるさん。」

「―――呼び方を指定する人なんて……初めてみたわ」

 衝撃から立ち直って呆れたように呟く千鶴、自分が自失している間に事態が進行してしまい既に取り返しが付きそうにない事は、一応把握できているようだった。
 その千鶴の背後をわざと通り過ぎるようにして前に出ながら、彩峰がぼそっと呟く。

「いいんちょー、いいんちょー……いいんじゃない?」
「彩峰、あなたっ!!」

「お、最後は彩峰か。」
「え?それ誰?」
「おまえだろうがっ!」
「え、ほんとに?!」

 眼を丸く見開いて驚いてみせる彩峰。

「はいはい……よろしくな、彩峰。」

「どうしてだろう、バレてる……ジーーーーーッ」

 彩峰に野良犬でも見るような眼で見られて、少しめげる武。

「口で言うな! で、おまえはよろしくしてくれないのか?」

「合成ヤキソバ1皿でよろしくしてあげても、いいよ。」

「わかったわかった、今度食わせてやるよ。
 だから、よろしくな、彩峰。」

「―――白銀、いい人。とても凄くよろしくしてあげる。」

「ふつーに、よろしくしてくれ……」

 彩峰との会話に疲れ、力無くうずくまる武。
 そんな武の肩を叩いて、励ます彩峰。

「……元気出せ、白銀。」
「だぁ~~~っ、もうっ! わかったよ、元気出すよ!!」
「タ、タケル……そ、そなたは愉快な御仁だな……」
「あはは、たけるさん、おもしろ~い。」
「白銀、グッジョブ……」
「あ~~~っ、もう。これじゃ先が思いやられるわ……」

(―――くっそ~、懐かしすぎるぞっ! みんな、ほんとにまた、よろしく頼むなっ!)

 武は満面の笑顔を浮かべて、目尻の涙を誤魔化した―――懐かしい仲間達に囲まれて。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時03分、PXの席に付き昼食を食べ終えた武は、207の仲間達を見回した。

 午前中の座学の講義時間を、まりもの許可を得た上で、武は教室の後方の席で内職をして過ごした。
 自室から持ち運び式端末を持ってきて、対BETA戦術構想の資料作成を行いながら、座学の内容と207の皆の様子をうかがった。
 『前の世界群』でも、『更に前の世界群』でも、共に学んできている武には、彼女達の優秀さは良く解っていた―――そして、彼女達が抱えている問題点も……

 そして、全員が昼食を食べ終えるのを待って、千鶴が話の口火を切った。

「白銀中尉……んんっ……白銀、あなたの訓練小隊への配属が異例尽くしだって事は、午前の座学中に教官公認でしてた内職で、よ~~~~っく思い知ったわ。
 その上で……聞いておきたい事があるの。
 単刀直入に聞くわね。あなた……期待していいの?
 神宮司教官からは、『特別な人材』だと聞かされたわ。
 それは、私達……いえ、ひいてはこの国の、この星のためになる『特別』なのよね?」

「私達はその特別の意味する所までは詮索しない。
 だが、当然期待はする。
 それは理解しておいて貰いたいのだ。」

 千鶴の言葉に続き、冥夜も『特別』について言及する。
 それは、武の『特別』までもが自分達のような『特別な背景』であって欲しくは無いという願いなのか、それとも、自分達が目指している現役の衛士でもある武に託した希望なのか……
 だが、武には安請け合いをするつもりがなかった。

「ああ、それか……悪いけど委員長、冥夜、オレの『特別』ってのは、『特別臆病な衛士』って意味なんだよ。
 恥知らずって言ってもいい。」

「…………それどういう意味?」
「えっ?えっ?えっ?―――」

 武の思いもよらない応えに、彩峰は眉を寄せ、壬姫は自分の耳を疑い周囲の様子を忙しなく見比べた。

「驚いたか? でもな、本当の事なんだぜ?
 オレは、自分の命を惜しんで、BETAとの戦いで死なずに済む方法を、必死で探してるんだ。
 午前中の『内職』もそれなんだよ。」

「「「「 ―――!! 」」」」

 午前中の内職の内容だと言うのなら、それは即ち、香月副司令直轄の特殊任務の内容だということだ。
 機密の内容を洩れ聞いてしまったのではないかと、全員の表情が一斉に強張る。

「―――ああ、大丈夫だ。話せないような事は言ってないから。
 それに、みんなには、207訓練小隊として、いずれ手伝ってもらうつもりだしな。
 ま、それはおいといて、『特別』の話を続けるぞ?
 オレはさ……実戦の中で大事な人達を護り切れずに沢山失ってきた。
 オレはその度に、次こそは必ず護ると誓って……でも、護り切れた事はなかった。
 逆に、護りたかった人に、その人の命で自分の命を救われた事さえある―――
 そりゃそうだよな、戦場で仲間を護りたいって思うのは、とても自然な事なんだから、そう思ってるのは別にオレだけじゃないってことさ。
 『衛士の心得』って聞いた事あるか?
 戦死した仲間の生き様やその教えを、誇りを持って語り継ぐ。しかも、悲しみを見せずにだ。
 前線の衛士達は、そうやって仲間の死を背負い、乗り越えて、精一杯戦っているんだ。
 だからこそ、仲間の為に戦い、死力を尽くし、仲間を救うために命を散らしていく―――」

 最初は自嘲の色が見えたものの、それでも笑っていた武の顔が、どんどんと沈痛なものに変わっていく。
 そこには、前線で実戦を潜り抜けてきた者が持つ現実の重さが顕れているように、実戦を知らない4人には思えた。
 そして、武は話を続ける。

「……けど、オレは―――確かにその挺身はとても尊いものだけど―――それでも、命を散らしたんじゃ駄目なんだと思った。
 決してその行為を否定してるんじゃない。
 その行為が必要な局面が否応も無く存在してるってのも解ってる。
 それでも―――それでも、死んじまったら仲間を悲ませるし、もう二度と誰かを護る事も、救う事も出来なくなるんだよ……
 だからオレは、死なずに済む方法を探そうと思った。
 死なずに大事な人達を護れる方法―――大事な人達が命を捨てなくても、BETAに対抗できる方法―――
 それを探し出して、世界に広めるのがオレの『特別』な目的なんだ。
 オレは自分が死ぬ事に臆病で、大事な人を失う事に臆病で、必死になって死なずに済む方法を探している『特別臆病な衛士』なんだよ……
 軽蔑するか?
 徴用されたのが国連軍で良かったよ。
 これが帝国軍だったら再教育に回されてただろうからな。」

 静かに、諭すように話す武だったが、その眼には真摯で激しい意志の光が溢れていた。
 そして、最後だけふざけるように笑って、おどけて見せた。
 武の発言に驚き、あるいは沈思黙考する207の4人。
 その様子に、武は言葉を足した。

「―――とまあ、先に本音を言っちまったけど。
 もっと表向きの説明もあるんだぞ?
 いいか―――BETAの最大の武器は物量だ……これは聞いた事あるよな?
 あの無尽蔵とすら思える物量に、人類は叩きのめされてきた。
 最早人類は物量においてBETAに対抗する事は難しいとオレは思う。
 じゃあ、人類がBETAに対抗するにはどうするのか?
 量より質で対抗するしかないと、オレは思う。
 経験豊富な兵士を多く揃え、臨機応変千変万化な戦術でBETAを翻弄して、あの物量を凌ぎきるしかないと思うんだ。
 ところが、BETA相手の戦争じゃ、経験を積む間もなく兵士はどんどんと死んでいく。
 これじゃ駄目だ、もっとBETAとの戦いで兵士が生き延びられるようにしなけりゃ、兵士の質がどんどん悪くなっていっちまう。
 てことで、戦死者を減らす工夫が重要だって思うわけだ。
 ―――てな感じだと、いくらか納得しやすいか?」

「…………無理、それが出来たら苦労しない。」

「そうね、戦死者が多いのはそうまでして戦わないと、BETAを押さえ切れないって現実があるからだわ。
 現実を無視して理想を追っても……」

 彩峰と千鶴が否定的な見解を述べる、しかし、冥夜がそれに異を唱えた。

「―――まて、そなたら。タケルの言う事にも一理あるぞ。
 現在の対BETA戦術は、その当初より苦境にあってこれを凌ぐために考案されたものだ。
 もしや、大局において見過ごされている事があるやも知れぬ。
 それに、現状を無批判に受け入れる事は思考停止に他ならぬぞ。
 タケルの構想が達成された時の事も考えてみよ―――
 そしてなにより、香月副司令が採用した計画……不可能と決め付けるのは早計であろう。」

「そ、そうですよね! 戦場で人が死ななくて済むのにこしたことはないですよ~。」

「…………香月副司令……正気?」

「―――なるほどね……これは正規の軍人には手伝わせられないわけだわ。」

「ま、おまえらにとっては任務って事になるんで、いざとなったら、強制的に付き合ってもらうけどな。
 まあ、オレと知り合っちまったのが運の尽きと諦めてくれ。」

「うむ! 非才の身なれど、粉骨砕身の思いで助力させてもらおう。」

「…………御剣?」

「ちょっと御剣、あなた安請け合いしちゃっていいの?」

「安請け合いとは甚だ遺憾な言われようだな。
 私はこの者の理想に共感して、その一助となると決めたのだ。
 前言を翻すつもりは毛頭ないぞ。
 ―――榊、気付かぬのか? タケルは、全世界で戦う兵士の犠牲を減らす方法を模索すると言っておるのだ。
 まさに、この星のためになる、稀有壮大な行いではないか。
 最初から諦めてしまうには、惜しすぎると思わぬか?」

「……なるほど、納得。」

「―――っ……そ、そう言う事なら、協力するに吝かではないわ。」

「無理しなくったっていいんだぜ? 委員長。
 冥夜も余りオレを買い被ってくれるなよ?
 ま、これは今日明日にどうこうって話じゃないし、お互いもう少しちゃんと知り合ってからでいいさ。」

 そこへ、先程から時間を気にしていた壬姫が割って入った。

「―――そ、そろそろ行かないと、午後の訓練に間に合わないよ~。」

「そりゃやばい。午後の訓練はオレも参加するからよろしくな。」

 そう言って、武が席を立つと、他の4人もPXを後にした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時51分、訓練校のグラウンドで207の5人は10kmの持久走を行っていた。
 武は自分の身体能力を確かめながら走っていたが、『前の世界群』の時と同じく、基礎体力などは前のループの能力を引き継いでいるようだった。

「…………教官、終了しました!」

「……白銀か……よし、後5周追加だ、行けッ!」

 10km走り終えた武が申告すると、まりもは一瞥するなり命令した。

「は?……りょ、了解しましたっ! 白銀訓練兵、トラックを5周いたしますっ!!」

「よしっ! 他の者が全員走り終えるまでに終わらせろよ。現役衛士の体力を奴らに見せてやれ、いいな!」

「―――了解ッ!」

 武はまりもに敬礼をして、10km走り終えたばかりとは思えない速度でトラックを走り出した。

(さすがまりもちゃん、こっちの体力読まれてるな……けど、みんなのペースだって遅いわけじゃない、残りの時間で5周はきついぞ……
 こんなことなら、ペース緩めて走るんじゃなかったぜ。)

 10分後、武は最後まで走っていた壬姫を最後の方で追い抜いて、なんとか5周を走り終えて息を整えていた。

「―――まあいいだろう。
 よし次! ケージにあるあの装備を担いで10キロ行軍だ!
 白銀っ、貴様は完全装備の上、分隊支援火器のダミーも担いでやれ。いいな!」

「―――了解ッ!」

 武は素直に命令を受諾して行軍を始める。
 武にとっては、分隊支援火器はともかく、完全装備でない方がかえって落ち着かないので、まりもの指示は渡りに船だった。
 とは言え……

「うわっ、久しぶりに担ぐと結構重いなー。」

「どうしたの? もう疲れちゃったのかしら?」

「……白銀、口だけ?」

「そう言うな、白銀は5周余分に走っているのだぞ?」

「いや、久しぶりなんでちょっと重く感じただけだ。
 行軍する分には問題ないだろ……多分。」

「すごいですね……いしょっ!」

「衛士も最後は気力・体力勝負だからなー。
 ただ、鍛錬以外じゃ、完全装備での行軍なんてやらないけどな……戦術機に重装備させることはあるけどさ。」

「ほう……さすれば体力は何に必要となるのだ?」

「……知ってて聞いてないか?―――戦術機の戦闘機動中には加速Gが滅茶苦茶掛かる。
 衛士強化装備で大分軽減はされるが、身体に蓄積される疲労は半端なもんじゃ済まないからな。
 戦闘が長期化した時の事を考えると、体力がないとどんどん意識レベルが下がっていっちまうんだ。
 特に、突撃前衛は動き続けてなんぼなポジションだからな―――冥夜や彩峰は適性からして突撃前衛向きだと思うぞ?」

 武は、『前の世界群』での冥夜と彩峰の戦闘機動を思い浮かべながら言った。
 すると、珍しく彩峰が真剣な顔をして、ぽそりと呟く。

「…………そっか……じゃ、鍛える?」

「そうだな。武という格好の目標が目の前にあるのだ。
 より高みを目指して精進すべきであろうな。」

 照れ隠しなのか、疑問系で発せられた彩峰の言葉を、素直に問いかけとして受け取って冥夜が応える。
 対して、壬姫はひどく不安げな表情で、武を見上げるようにして言った。

「じゃ、じゃあ、ミキなんかじゃ戦い続けられないんですか?」

「いや、そんな事もないぞ。体力はあるにこしたことはないって話さ。
 たまは狙撃による支援が主になるだろうから、集中力を維持する気力の方が重要かもしれない。
 けど、BETA相手じゃ混戦に巻き込まれる事も多いから、近接戦闘や回避機動に耐えるための体力はあったほうがいいな。」

「な、なるほどー。」

「……さすがに、実戦を経験してると、言葉に重みが感じられるわね。」

 と、千鶴が感想を述べると、訓練の糧となる会話であると判断し今まで黙認していたまりもが、そろそろ頃合と怒声で全員に活を入れる。

「こらぁ! 貴様らいつまでおしゃべりしているつもりだっ! 余裕があるならペースをあげろっ!!」

 その声に、全員弾かれるようにペースを上げた……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時35分、1階のPXで207Bの5人は揃って夕食を食べていた。
 実戦部隊に配属されてから、いつの間にか早食いの習慣が身に付いていたのか、5人の中で武の食事時間は飛び抜けて短い。
 結果的に、先に食べ終えた後は合成玉露を飲みながら、他の4人を眺める事になるのだが……
 やはり、口を開けている所を見られるのは恥ずかしいのか、千鶴から苦情が出て、そこから他愛のない話が始まる。

「ちょっと、食べてる所、あんまりじろじろ見ないでよね。」
「……白銀が榊の食事を狙ってる。」
「狙ってねーよ!」
「あはははは」
「ふ……しかし、そなたは食べるのが早いな。」
「常在戦場の心構えなんだとさ……オレは先任からそう教わった。」
「―――そうか。となれば、見習わねばならぬかな?」

 会話を続けながら、武はヴァルキリーズ1の早食いを誇っていた風間祷子少尉を思い出した。
 恐らくは今もこの基地にいるのだろうが、ヴァルキリーズは207訓練小隊と出くわさないように、調整されている。

 京塚のおばちゃんが直に取り仕切っているここのPXは、横浜基地でも人気№1のPXなのだが、成長期の訓練兵は体調管理の面から細やかな配慮が必要なために、207訓練小隊は優先的にここのPXを割り当てられていた。
 A-01部隊も優先割り当てを受けている口なのだが、207訓練小隊に涼宮茜が入隊して以来、実姉の遙と遭遇させないために、大分不自由を余儀なくされていたらしい。
 その状況は茜の任官によって解消されたのだが、今度は、任官した207Aと訓練兵のままの207Bを遭遇させないために相変わらず調整は続いているのだろう。
 如何に家族にも詳細を知らせる事ができない特殊任務部隊とは言え、ご苦労なことだと武は思った。

 武がそんな取り留めのないことを考えている内に、全員の食事も終わり、話題は1ヵ月後に予定されている総合戦闘技術評価演習の話に変わっていた。

「1ヶ月もすれば、総合戦闘技術評価演習があるわ。
 それは何としてでも成功させなくちゃいけない。」

「それに先んじてあと1週間もすれば、鎧衣も戻ってくるはずだ。
 その時には207小隊を最強のチームにしておきたいものだ。」

「……鎧衣……美琴だったな。
 サバイバル特性の高い訓練生だったよな?」

「たけるさん……鎧衣さんの事、知ってるの?」

 千鶴と冥夜の言葉を受けて、武は一計を案じて美琴の情報を口に出して見せた。
 眼を一杯に見開いて、驚きを素直に表現しながら壬姫が尋ね返してくるのに頷いて、武は爆弾発言を放り出す。

「ああ、知ってる。
 昼飯の時にも言っただろ? オレの特殊任務をおまえらに手伝って貰うかもしれないって。
 その関係で、悪いけどみんなの人事データは一通り見させてもらった。
 みんなが抱えてる『特別な背景』も含めてな。」

「「「「 ―――!! 」」」」

 あまり人に知られたくない背景を持っている4人は、武の言葉に反射的に身体を強張らせる。
 中でも、千鶴は強烈な反応を示し、武に食って掛かった。

「なんですってっ!! 白銀、あなた一体どういうつもりで―――「白銀は任務だって言った。」―――くっ!」

 しかし、途中で彩峰の痛烈な指摘を受け、自分の動揺を自覚して黙る。
 そんな、みんなの様子を見渡して、武は話を続けた。

「彩峰の言う通り、任務として必要だから人事データを見た。
 オレが知っているという事を、隠しておく必要も感じないからこうして伝えた。
 さっき、冥夜は最強のチームにしたいと言ったな?
 おまえらは、個人の能力なら訓練兵としては破格のものを持ってる。
 それぞれの得意分野じゃ、一応現役衛士だっていうのに、オレじゃあ勝てる気が全然しないくらいだ。
 だけど、個人の能力だけじゃ最強のチームにはなれない。
 必要なものは何だと思う?」

「「「「 ……………… 」」」」

 武の問いに、全員微妙な表情で黙り込む。

「―――その様子だと、自分たちの問題点は自覚してるみたいだな。
 あっけらかんと答えられたらどうしようかと思ったよ。
 解ってるんだろうが、必要なものってのは、チームワーク、つまり団結力だ。
 ―――『お互い詮索しないのが暗黙のルール』だったか?」

「ッ!!―――白銀、あなた何処でそれを―――」

 何処でそれを知ったのか、そう尋ねかけて千鶴は気付く。
 目の前の男は訓練兵としての仲間でありながら、同時に現役衛士の中尉であり、副司令直轄の特殊任務に従事しているのだ。
 訓練兵に対する教官の考課でさえ、読んでいても不思議はないのだと―――

「自分の任務の成果を預けるかも知れない部隊の情報だ、閲覧を許された情報は隅から隅まで頭に叩き込んであるさ。
 話を戻すが、詮索しないってのは深入りしないって事だし、それが暗黙のルールだってのはそのルールに甘えて自分からは打ち明けないって事だ。
 オレは今日、朝の自己紹介でおまえらを戦友だと思ってるって言ったよな?
 昼には、『衛士の心得』の話もしたし、前線で戦う衛士の話もしたよな?
 押し付けがましくて悪いけど、オレはおまえらと本当の戦友になるために、これからもずかずかとおまえたちの抱えてる事情に踏み込んでくつもりだぞ。」

「「「「 ―――ッ!! 」」」」

「そうやって相手の事をお互いに深く知り合って、そうしてようやく互いが互いを語り継げるようになるんだからな。
 自分の殻に閉じこもってる奴を、心の底から信頼できるか?
 自分の命を預けたり、そいつの為に犠牲になったり出来るか?
 最強のチームどころか、戦場で最低限の部隊行動を行うのにも、チームワーク―――いや、部隊内の信頼関係は重要なんだ。
 勿論、どうしても言えない事もあるだろう、オレにだってある。
 仲間に嘘をつかなきゃならない事だってあるかもしれないさ。
 それでもそれは、殻に閉じこもって自分を守る事を優先するのとは違うんだぞ?」

「「「「 ……………… 」」」」

 沈痛な表情で武の言葉を噛み締める4人。
 自分の言葉が反発されるのではなく、真摯に受け止められたのを確認して、内心ほっとしながら武は優しく言葉をかける。

「どうせ、任官して部隊配属になれば『暗黙のルール』なんて消し飛んじまうんだからさ。
 オレにはもう知られちまってるんだから、腹括って練習台にすればいいんじゃないか?
 そうやって、しっかりとお互いが団結できれば、おまえらは最強のチームにきっとなれるよ。」

「「「「 タケル……/白銀、あなた……/白銀、カッコ付け過ぎ/たけるさん――― 」」」」

「―――ってことでだ。
 まずはオレの事を知ってもらうためにも、オレの華々しい戦術機初搭乗の話を聞かせてやろう。
 その時オレはまだ一般人でさ、BETAが攻めて来たってんで避難してる途中だったんだ。
 必死になって逃げる途中で戦術機載せたトレーラーに出くわしてな。
 そのトレーラー―――今にして思えば支援担架だったんだな――の運転席がレーザーで吹っ飛ばされちまっててさ。
 多分衛士もろとも消し飛ばされてたんだろうな……
 で、オレはその戦術機―――F-4『ファントム』にのって戦場から逃げ出したんだ―――強化装備無しでな。」

「ウソ……激しくウソ……」

「なんだよ彩峰、オレの戦術機特性はぶっちぎりのトップクラスなんだぜ?
 もっとも、そのお蔭でようやく後方の司令部に逃げ込んだってのに、その場で戦地徴用される羽目になっちまったんだけどな。」

「す、すごいですねぇ~。」

 その後、武の作り話で盛り上がったが、突っ込みどころ満載の内容に、信じていたのは壬姫だけだったかもしれない。




[3277] 第15話 触れ合う心
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/07 17:21

第15話 触れ合う心

2001年10月23日(火)

 19時03分、B19フロアのシリンダールームに、武はあやとり紐持参でやってきていた。

「よ、霞。こんばんわ、だぞ。」

「……こんばんわ。」

 室内でシリンダーに浮かぶ純夏に話し掛けている霞を認め、声を掛けた武に、霞も素直に挨拶を返した。

「今日はあやとり紐を持ってきたからな。
 霞はあやとりしたことないだろ? 教えてやるから一緒にやろうぜ。」

「……あやとり……」

 武の唐突な提案に、目をパチクリと瞬きさせる霞を楽しげに見て、武は床へと座り込んだ。
 武は霞を手招きし、『前の世界群』で少しはましになったあやとりの腕で、霞に遊び方を教えていった。

 そして30分があっという間に過ぎ、あやとりを切り上げ、武は霞に協力してもらって、純夏へとイメージをプロジェクションしてもらう。
 武は自分の行為が自己満足に過ぎないと思っており、それに霞まで付き合わせている事に罪の意識すら持っていた。
 そして、霞はそんな武の想いも、武の思い浮かべるイメージと一緒にリーディングしてしまう。
 霞は武の心をリーディングし、純夏へとイメージをプロジェクションする合間にふと考えてしまう。

(……この人は、たくさんの悲しい記憶を抱えている……でも、大切な人達への暖かい想いの方がもっと強い……
 ……そして、私もその中に入れてくれている……私の力や出自を知っているのに……
 ……この人をリーディングしていると、たまに鏡を覗き込んだように、私のイメージが見える……
 ……泣いている私……笑っている私……あんな私を、私は知らない……
 ……私は、この人といると暖かくなる……私は、この人を助けてあげたくなる……
 ……これは、私の想い?……それとも純夏さんの?…………
 ……私は、この人と接する事で、あんな私に変わっていける……の?……)

 そして、幾何か(いくばくか)の時が過ぎ、帰り際に武が霞に話しかけた。

「霞、あやとり、楽しかったか?」

「……うまくできません……」

「そっか―――じゃあ、上手くなるまでまた一緒にやろうな。
 飽きたら、おはじきとかもあるからさ。」

「……はい…………またね。」

「ああ、またな、霞。」

 霞と再会を約す挨拶を交わし、退室しながら武は考えた。

(……おはじき、か……たまにでも習わないと駄目かな?
 なんでオレってこう、安請け合いしちまうんだろうな~―――)

 そんな武の思考を読んで、閉まったドアの向こう側の霞が、クスリと微かに笑ったのだが、武には知るよしもなかった―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 21時46分、対BETA戦術構想の資料作成に一区切り付け、消灯前に少し身体を動かしておこうと、武はグラウンドに来ていた。
 武が準備運動のストレッチをしていると、トラックを走っていた冥夜が武に気付き、ランニングを中止して近づいて来た。

「タケル、そなたも自主訓練か?」

「おう、冥夜か。オレはちょっと身体を動かしたくなっただけだよ。」

「そうか―――もしや、夕食後も特殊任務に従事しておるのか?」

「を、鋭いな。まあ、そんな感じだよ。」

 冥夜の問いかけを曖昧に肯定する武に、冥夜は僅かに表情を曇らせる。

「……そなた……もしや、焦っておるのではないか?
 今日の皆との会話にせよ、座学でのあからさまな内職にせよ、何処か性急な感があったぞ。
 しかし、そうだとすると何故(なにゆえ)時間を割いてまで、我らの訓練に参加しているのかが腑に落ちぬのだがな。」

「……鋭いな、冥夜。訓練兵の身でそこまで他人を観察できるなんて、おまえは本当に凄い奴だな。
 普通は自分の事で精一杯だろうに。」

 武が手放しで誉めると、冥夜は僅かに頬を染めて反論する。

「そ、そのような事はない。私とて、自分の事で精一杯であることに、何等変わりはない。
 だが……性分なのやも知れぬが……他者の振る舞いが気に掛かって仕方ないのだ……」

「ん?ああ、そうか……おまえの生い立ちじゃ、周囲の人間相手にそうそう気を許すわけには行かないもんな。
 苦労してるな、冥夜。」

 武が冥夜の事情に理解を示すと、冥夜は嬉しいような困ったような、何とも言えない面持ちになって言葉を返す。

「そなたは……そなたは、私の事情をどこまで知っておるのだ?」

「やっぱ気になるよな……別に隠す気はないけど、言った途端に月詠さんに切り殺されたりとかしないよな?」

「―――月詠の事まで……無論だ、そのような事、私が断じてさせぬ。」

「そっか、それじゃあ安心して話せるな。
 煌武院家の為来り(しきたり)の事も、殿下のご尊顔も、それが原因でおまえの生い立ちが一部隠されている事も、御剣冥夜として警護リストに載ってることも、も一つおまけに、おまえの警護の為に斯衛軍第19独立警備小隊がこの基地に駐留している事も知っている。」

「……全て知っているのだな……全て知っていて、尚そなたは、私に対してその態度を改めぬのだな。」

「だから、言っただろ。おまえらの事は戦友だと思ってるって。
 前線じゃ、仲間相手に変な遠慮なんてしてらんないし―――そもそも、オレは無礼な変わりモンなんだよ。
 おれもちょっと色々あってな、日本人としちゃ感覚が少し変なんだよ。
 まあ、そのお蔭で変わった発想をするって良く言われるけどな。」

「……そうか……そこまで知っているとあっては、本来そなたに気を許すなどあってはならぬ事なのだが……
 ……どうしてか、そなたを疑う気にはなれぬのだ……これがそなたの詐術であるなら、私の完敗だな。」

 冥夜は不敵に笑って言い放った。
 その潔い覚悟の決め様に、武は感動すら覚えた。

(ああ……これが、冥夜だよな……どの世界でも、こいつは人一倍努力して、人一倍考えて、自分を厳しく律して生きている。
 オレは、本当におまえに学び、助けられてここまでやってこれた。
 いつか、おまえの力になれるといいんだけどな。)

「……ん? どうした?
 急に私の顔を凝視して―――ま、まさかそなた……私によ、よくじょ…………」

 己が想像に当てられて真っ赤に顔を染め上げ、些か動揺した面持ちで、両手を前に出して身を庇うようにしつつ数歩後ずさる冥夜。
 武は、そんな冥夜の様子を欠片も気にせずに謝罪した。

「あ―――ごめん、ちょっと考え事しちまった。」

「む…………もしや、特殊任務がらみで着想でも得たのか?
 そうであるなら言うがよい。そなたの任務を妨げる心算は毛頭ないゆえな。」

 己が妄想に過ぎないと気付き、どことなく残念そうな様子ではあるものの、冥夜は真剣な面持ちを取り戻して問いかける。

「ああ―――いや、以前の仲間におまえみたいに堅固な信念と覚悟を持った奴がいてさ、そいつの事を思い出してた。
 そいつは言ってたよ、『目的があれば、人は努力できる』ってさ。」

「そうか―――うむ、簡潔でいい言葉だな。
 そなたはしっかりと目的を定め、全力を振り絞って努力しているのだな。
 恐らく、それが私にはそなたが焦っているように見えた所以やも知れぬな。」

「……オレが焦ってるってのも、当たってるよ。
 言ったろオレは臆病だって、急いでも急いでも、また間に合わないんじゃないかと思うと、たまに怖くて居ても立ってもいられなくなるよ。
 あと、オレが時間を割いてまで訓練に参加するのは、自分の能力を鍛え直すのも目的だけど、なにより仲間が……戦友がいないとオレ自身のやる気が保てないんだよ。
 自我が確立出来ていないって言うんだろうな……はは、我ながら言ってて情けないな……
 本当は、自分の弱さなんて、周りに見せるもんじゃないって解ってるんだけどな。」

「―――そうか、解っているのならば、それでよい。
 そなたは現役の衛士でもある。それは即ち我らが目指す高みに他ならない。
 あまり、情けないところばかり見せぬがよいぞ。」

「―――そうだな、オレのせいで衛士に幻滅させちゃ悪いもんな、今後はもっと気をつけるよ。
 そうすると、冥夜も衛士になる事が、当面の目標って事でいいのか?」

 武がそう訊ねると、冥夜は目を瞑り、何かに想いを馳せるようにして語りだした。

「私は一刻も早く衛士となって、護りたいものがあるのだ。
 ……この星……この国の民……そして日本という国だ。
 今の私には護りたいものを護れるだけの力と立場がない。
 それ故に、衛士に任官される事を目標と定めてきたのだが……そなたの話しを聞いて、己が考えの至らなさを思い知った。」

 武は『前の世界群』と全く変わらない冥夜の決意を聞き、心中頷いていたのだが、何やら展開が異なってきた様子に驚いた。

「……え?! オレの……話……?」

「そうだ……私は今の自分の無力にのみ思い悩み、衛士になりさえすれば、護りたいものを護れるのだと思っていた。
 だが、そなたの話しを聞き、現役の衛士であっても護りきれぬ事があるのだと―――いや、護れるものなど高が知れているのだと思い至った。
 私の衛士にさえなれば護れるという考えが、如何に浅はかで傲慢な考えなのかを思い知った。
 冷静に考えてみれば、たかが衛士1人に出来る事など、全体からすれば微々たる物に過ぎぬ事など、自明の事であるのにな。
 そして、同時にタケル、そなたの発想には大いに感銘を受けた。
 そなたは、戦局全体を変える方法を模索している。
 そなたの任務に貢献できれば、私1人が戦場で戦うよりも遥に多くの民に安寧をもたらす事ができよう―――
 少なくともそうなる可能性に私は魅せられた。
 故にタケル。そなたの目標は今や私の目標ともなったのだ。
 先に宣した通り、私は我が非才の身の全てを以って、そなたの助けとなろう。
 そして、為しうる限り多くの兵士を救い、ひいては多くの民に安寧をもたらそうではないか!」

「―――冥夜…………ありがとう、冥夜……」

 冥夜の心強い申し出に、武は心の底から感謝した……そして、そんな2人を遠くから、『月』が見ていた―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年10月24日(水)

 05時53分、B4フロアの武の自室では、今朝も霞が一生懸命に、武をユサユサと揺すっていた。

「……う~ん……霞、頼むあともうちょい……」

 寝ぼけた武の発言に、霞は武を揺する手を止め、体の向きを変えると、机の上の時計をジッと見つめた。

「よしよし……むにゅ~~」

 再び睡魔に身を委ねる武。
 そして、時計の秒針がきっかり2周するのを見届けて、霞は再び武をユサユサと揺すり始めた。

「…………おはよう霞。」

「……おはよう……またね。」

「ああ、起こしてくれてありがとな霞。またなー。」

 霞は最後に振り向いて武を一瞥すると、武の部屋から出て行った。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時07分、訓練校の教室では兵器に関する講義をまりもが行っていた。

「……というわけで、多くの土地を焦土と化した核兵器への反省から注目を浴びた気化爆弾であったが、BETAの外圧変化への強い耐性という特性から、中型以上への効果が限定的である事、レーザー属種の迎撃能力から使用できるケースが限られる事などの理由から、対BETAの主力兵器足り得なかった。」

 まりもの講義が気化爆弾に及んだとき、それまで内職に精を出していた武が挙手して発言を求めた。

「教官。質問してもよろしいでしょうか?」

「ん?……まあいい、言ってみろ白銀。」

「ありがとうございます―――中型種以上に効果が薄いとのお言葉でしたので、小型種相手であれば十分に効果が得られたと理解した上でお尋ねします。
 戦術機による防衛線において、小型種による浸透突破を阻めず、後方を扼される場合が多いと認識しております。
 そういった場合に、歩兵による小型種の殲滅に気化爆弾を弾頭とした兵器は用いられていないのでしょうか?」

「ふむ。浸透突破してきた小型種を殲滅する際に多く用いられるのは、機関銃と榴弾、地雷だ。
 盛んに気化爆弾が戦場で使用された時代には、気化爆弾を弾頭としたバズーカ砲の様な発射筒も開発された。
 しかし、現在ではBETAの侵攻ルートが事前に予測される戦場での設置型地雷以外では、気化爆弾は殆ど使用されていない。
 何故か―――それはな白銀。気化爆弾はBETAよりも人間に対して非常に殺傷効果が高い兵器だからだ。
 BETA相手の戦闘では、混戦となる場合が非常に多い。
 そのような戦場で気化爆弾を用いると、BETAに与える損害よりも、巻き込まれた人類将兵に対する被害の方が大き過ぎると判断されたのだ。
 どうだ白銀、解ったか?」

「は、理解いたしました。が、重ねて質問させていただきます。
 防衛線では混戦において人類将兵が被る被害を考慮して使用できないとして、BETAハイヴに対する突入前の漸減攻撃用の兵器としては如何でしょうか?」

 最初の質問には、流れるように答えたまりもだったが、今度の質問には僅かばかり口元に拳を当てて考え込んでから応じた。

「ふむ―――つまり、貴様が言いたいのは、戦術機のハイヴ突入に先立って、『横坑』に気化爆弾を弾頭とした発射体を打ち込み、ハイヴ内に潜むBETAに打撃を与えられないかということか?」

「はい。その通りです。」

「う~ん……残念ながら、その様な戦術に関しては寡聞にして聞いた事がないな。
 ただし、現行のハイヴ突入戦術は押し並べて短期決戦だ。
 侵攻ルート上のBETAを殲滅していくような悠長な事は考えられていない。
 また、ハイヴ突入戦が実施される頻度も限りなく少なく、ハイヴ突入戦のみを使用目的とした兵器を生産・備蓄する余裕もないのが現状だ。
 よって、貴様が言うような兵器は試作兵器以外では存在しないと思われるが、着眼点としては悪くないかもしれん。
 ことに、ハイヴ内は周囲を全て囲まれた閉鎖空間である事から、気化爆弾の爆風衝撃波が増幅され中型種相手でも有効な打撃を与えられるかもしれない。
 貴様の特殊任務の権限で兵器開発部にシミュレートを依頼してみるといい。
 私から言えるのはこの程度だ。」

「はっ! ご教授ありがとうございます。」

 武を相手にした質疑を終えると、まりもは武以外の4人に対して教示した。

「今の白銀の質問に関連して言っておく。
 既存の戦訓をそのまま鵜呑みにするのでなく、何故その様な戦訓となったのかを咀嚼し、それを新たな観点から再検討する事は決して悪い事ではない。
 ただし、現状で採用されていない着想には穴がある場合も多く、発案者はその穴に気付けないことが多い。
 その点を弁えてさえいるのであれば、戦場に於いては臨機応変な行動が苦境を打破する事もある。
 その事をしっかりと頭に叩き込んでおけ! 悪しき前例主義には陥るな! 解ったか!!」

「「「「 ―――はいっ! 」」」」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時18分、PXで昼食を食べ終えるなり、千鶴は呆れたように武に疑問を投げかけた。

「それにしても白銀、あなたさっきみたいな事を、何時も考えているわけ?」

「ん?―――ああ、気化爆弾の話か……あれはたまたま思い付いたんで教官に聞いてみただけだよ。」

 武の事も無げな返答に、千鶴は瞬時に言葉を荒げた。

「そんないい加減な! ただの思い付きで座学を中断させないで頂戴。」

「悪かったな―――けど、あれで一つ思い付いたぜ。
 ハイヴ突入部隊が進行方向のBETAの排除に手間取っている時に、後方から追って来るBETAを押し戻すのには結構使えるんじゃないかな。
 何発か波状攻撃でBETAの鼻っ面に叩き込んでやれば、押し戻されたBETAと押し寄せてくる後続とが密集して、足が止まるんじゃないかと思うんだけどな。」

「また、そんな絵に描いた餅みたいな事言って―――「榊は頭が固いね……」―――彩峰っ!」

 千鶴の言葉を遮って、彩峰が皮肉を言う。
 いつもの事ではあるのだが、今回はそこへ冥夜が駄目押しを入れた。

「榊、そなたが常道を尊ぶのが悪いとは言わぬ。
 されど、常道のみでBETAに勝てると思っているのであれば、些か問題があると思うのだがどうだ?」

「―――っ……そ、そうね。
 しっかりと検討せずに批判した事は事実だわ。ごめんなさい、白銀。」

「謝んなくたっていいよ、委員長。
 オレだってしっかり検討してから口にしてる訳じゃないからお互い様だ。」

 冥夜の言葉に謝罪した千鶴だったが、武とは目線を合わせないまま、席を立つ。

「―――そう言ってもらえると、助かるわ。
 じゃ、私は先に失礼するわね。」

「はわわわわ……ど、ど、ど、どうしましょう~~~。」

 立ち去る千鶴の後姿から、彩峰、武、冥夜と視線を忙しなく巡らせ、壬姫は戸惑いを隠せない。
 武は壬姫を宥めてから、冥夜に向かって話かける。

「なあ冥夜、あれで良かったのか? 委員長一人孤立させちまったんじゃないのか?」

「うむ。私が思うに、榊は今、そなたの存在に戸惑っているのだ。」

「オレの存在に戸惑う?」

「……中尉だけど、部下。分隊長はツライね。」

「彩峰の言うとおりだ。タケル、榊はそなたの命令で、そなたを一訓練兵―――即ち分隊員として扱わねばならなくなった。
 それはつまり、実戦経験があり中尉の職責まで務めていたそなたを、未だ訓練兵に過ぎない榊が率いなければならないという状況を生み出してしまったということだ。
 しかも、そなたは常道よりも奇想天外な発想を好む。
 榊はその度に、己が判断とそなたの言葉を秤にかけ、己が采配の正しさを問い直さねばならぬ立場に追いやられている。
 あのものは自負心が強い、故に、そなたに無思慮に迎合することも出来ぬのであろう。」

「つまりあれか? 階級と立場の板挟みってやつか?
 オレの意見は気に喰わないけど、上級者の意見を頭から否定しきるほどの自信がない。
 だから、半端に否定的な態度や見解ばっかり出てくるって事か?」

「そうそう。白銀は賢い……」

「榊さんは、分隊長として頑張ってるんだよ。」

「くそっ! つまりオレの我儘が、委員長を苦しめてるんだな?」

「―――そ、そんな……たけるさんが悪いわけじゃ……」

「……榊が空回りしてるだけ。」

「そう言うな、彩峰。
 それに、そなたとて、何等問題を抱えていないわけではあるまい?」

「ッ―――御剣だって……」

「ふ……見縊るなよ? 彩峰。
 私は殻に閉じこもるのは止めたぞ、今日より私はタケルを真似て、積極的に皆に干渉する事にする!」

「「 ―――っ!! 」」

「榊は確かに今苦しんでいる……しかし、あのまま挫けてしまうほど柔ではなかろう。
 そなたらは、榊が苦しんでいる間、足踏みを続けるつもりか?」

「「 ………… 」」

「―――そっか、そういや冥夜、副隊長だったな……」

「ふふっ……そう言う事だ、タケル。」

 昼休みは、それで一旦解散となった……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時06分、訓練校の教室では、各々の机の上に分解された小銃のパーツが並べられていた。

「よし、全員いるな。
 今日は小銃の組み立て実習だ。
 既に貴様らは幾度もこなしており慣熟を目指すのみだ、故に細かい事は言わない。
 だが、折角現役衛士が同席しているのだから、まずは白銀の手並みを見せてもらう事とする―――白銀っ!」

「―――はっ!」

「207隊の現在の最高記録は彩峰の6分17秒だ。
 現役衛士の実力を見せ付けてやれ! もし、彩峰よりも遅かったら、この時間一杯フィジカルトレーニングをさせてやるぞ。」

「は、実力を見せ付けてやります!」

 そして、言葉通り武は4分51秒で組み立てて見せた。

「ふむ……腕は鈍っていないようだな。よし、白銀、内職に戻っていいぞ。
 さて、勿論現役衛士の仕事は小銃の組み立てではない。
 それでも、白銀はこのスピードで小銃を組み立てた。
 訓練により慣熟するに至った技能というものはそう簡単には忘れないという事だ。
 如何に衛士とは言え、必ず戦術機と共にあるわけではない、手を抜かずにしっかりと修得しろっ、いいな!」

「「「「 ―――はいッ! 」」」」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時57分、PXでまたもや真っ先に夕食を食べ終えた武が、他の皆が食べ終わるのを待っていた。

「なによ、何か言いたげね?」

 そんな武を見て、千鶴が話し掛けてきた。

「あ、ごめん。食い終わってからでいいからさ、みんなでちょっと話しないか?」

「そう―――都合の悪い人、いる?………………いないわね。
 じゃあ、もう少しで食べ終わるから待ってて頂戴。」

 千鶴は皆の都合を確認すると、食事の続きに戻った。

「お待たせ。で、話って何?」

 最後に食事を終えた千鶴が話を振ると、武は表情を改め、皆の顔を見回して言った。

「なあ……みんなに聞きたいんだけどさ……
 ……護りたいもの……ちゃんとあるか?
 詳しく言う必要はないし、幾つあっても、どんなものでも構わない。
 今後変わっていく事もあるかもしれない。
 でも、いま努力するための原動力になるような、そんな大切なものあるか?」

 武の唐突な問いかけに冥夜を除く3人は、意表を突かれた様な、何かに思い当たったような表情をした。
 そして、冥夜は独り頷き、昨夜聞いたばかりの言葉を口にする。

「目的があれば、人は努力できる……か?」

「ああ、そうだ。昨日冥夜には言ったよな、オレの尊敬する人の言葉だ。
 強い目的―――命に代えても護りたいものがあれば、人は必死で努力する事ができる。
 そして、努力した分だけ、例え僅かでも、何かを得る事ができるとオレは思う。
 努力したからって、必ず報われるとは限らない、誰かから授かるのを待ってるんじゃ駄目だ。
 だけど、自分の努力の成果は、自分の手で―――強い意思で掴み取ることが出来ると、オレはそう思ってる。」

「……強い意思で、掴み取る……」

 武の言葉を噛み締めるように、千鶴が呟く。

「オレにも命に代えても護り抜くと誓ったものがあった、必死で努力もした、そして、護り切れなかった……
 けど、護れなかったからって、オレがした努力が無意味だったとは思わない。
 過去に果たせなかった目的はあるけど、オレは今も新しい大事な目的を胸に、生きて努力をし続けている。
 そうやって、生き続けて、努力し続けて、死ぬまでにどれだけのものを護り抜けるか……
 目先の努力じゃなくて、人生をかけた努力を続ける事……そのために必要な目的―――護りたいもの……
 オレは、みんなが必ずそれを持っているって信じてる!」

 強く言い切った武に、心なし目を潤ませながら、彩峰が平坦な声でツッコミを入れた。

「……なら、聞く必要ないね。」

「あ?……そっか、そういやそうだな。」

「白銀……バカ?」

 すかさず白銀がボケると、彩峰が更にツッコミ、壬姫が笑って話を落した。

「あはは……せっかくいいお話しだったのにねー。」

「まったく、これじゃ、ぶち壊しだわ。
 でも、白銀の言いたい事は解ったわ。
 今の自分じゃ届かない願いがあっても、強い意志で努力を続けて、自分のその手で掴み取れって事よね。」

「……そうなの?」

「え?―――そう……なのかな?」

「まったく、そなたたちは……」

 千鶴が話をまとめようとするが、彩峰と武のボケでそれすらもままならない。
 一人腕を組み、呆れて首を振る冥夜であった……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時02分、B19フロアのシリンダールームから、B4フロアの自室へと武が戻ってくると、自室の前で千鶴がうろうろと歩いているのに出くわした。

「よ、委員長。何か用か?」

「え?……白銀っ?! な、中に居たんじゃなかったの?」

「ああ、ちょっと他所に行ってたんだ。用事は済んだから用があるなら入れよ。」

 武は千鶴に気軽に声を掛けて、部屋の中へと入っていく。
 千鶴は僅かに躊躇してから、歯を食いしばると、武の後を追って部屋へと入っていった。

「悪いけど、番茶しかないんだ、いいか?」

「あ、ありがと……ね、白銀……私の父の事なんだけど……」

「ああ、榊首相だろ? 有能な政治家だって聞いてるぞ?
 殿下の信任だって篤いんじゃないのか?」

「……でもね、それは表向きの顔よ……裏では権力を使って色々とやりたい放題なのよ。
 私も、知らない内に当たり前のように徴兵免除されていたわ。」

「それが、委員長には許せなかったのか?」

「―――そうよっ! だってそうでしょ? 内閣総理大臣は殿下より国事をお預かりして、帝国軍将兵を前線へと送り出す立場なのよ?
 他家の子息子女は徴兵して戦場に送り出しているくせに、自分の娘は徴兵免除させるだなんて、許しがたい行いだわ。」

 千鶴は柳眉をきりきりと吊り上げて、怒りを顕わにする。

「それで、自分から志願入隊したのか……」

「そう……もっとも、帝国軍に志願したはずが、どういうわけか国連軍の訓練校にいるっていうのは、ご愛嬌かしらね。
 聞いた話しじゃ、私の志願を取り消そうとして父が画策したけど軍と折り合いがつかなくて、双方の妥協点として最後方任務である国連軍横浜基地にって話らしいけど?」

(そうか、恐らく榊首相は委員長が、00ユニットの素体適性を強く持っているってことを知ってたんだな……
 きっと委員長の徴兵検査の結果を見たんだろう。
 00ユニットの素体候補者がA-01に配属された後、どれだけ過酷な任務を強いられるのか、オルタネイティヴ4を誘致した榊首相なら知っていてもおかしくない。
 普通に衛士になるだけだって、生き延びる率は高くないのに、A-01には入れたくなかったろうな……
 けど、委員長が自分で志願しちまったもんだから、ここの訓練校に配属になるのは止められなかったんだな。
 ……いや、委員長が志願した時点で、すっぱり諦めて止めなかったのかもな……
 珠瀬事務次官も、鎧衣課長も、私情はきっちりと押さえ込んで事に当たっていたもんな。)

「それならそれで仕方ない。
 私にとっては訓練兵であることに変わりないからいいの。
 ここから実力で上に進んでやるわ……この国を守るの、この手でね。」

「そうか。いんじゃないか? 頑張れよ、委員長。」

 武が素直に励ますと、千鶴はびっくりしたように目を見開いた。

「……どうした?」

「え? あ、ううん……凄く意外な言葉を聞いた気がして……
 実は、嫌味臭い自慢話に聞こえたかと思って……ちょっとバツが悪かったんだけどね……」

「そうか……委員長は護られてるだけじゃ、幸せになれなかったんだな。」

「え?!―――白銀? あなた、何を言ってるの。」

 武がふと洩らした言葉に、千鶴が意表を突かれたように問い返した。

「ああ、言葉が足りなかったかな。
 オレはさ、委員長の親父さんが権力を使ってでも、後ろ指差されてでも、それでも委員長の事を護りたかったんだなって、思っただけさ。
 ―――それがきっと、親父さんの護り方だったんだろうなって……勝手な想像だけどな。
 オレには、徴兵免除が必ずしも悪いとは思えないな。
 自分の家族や大切な人を軍人にしたくないってのは人情だろ?
 けれど、皆がそう言って軍人にならなかったら、この世界じゃBETAに滅ぼされてしまう。
 だから、軍人以外の役割で人類に貢献できる人々や、軍人としての適性のない人以外は徴兵されて軍人にさせられる。」

「そ、そうよ! その責務は全国民が等しく負うべきものなのよ。」

「けどさ、個々人が背負ってる責任なんて、同じ重さじゃないだろ?
 多分、徴兵免除はとても重い責任を背負ってる人や、とても重要な仕事をしている人への褒賞なんじゃないのかな?
 多くの責務を負っている人が、より多く報われるのは、決して悪い事じゃないだろ?
 オレ達訓練兵が、将来戦うための訓練を受ける代わりに、三度三度の食事を欠かさず与えられるのなんかもそうだよな?」

「…………そ、それはそうかも知れないけど……」

 武の態度が、事前に思い描いていたものよりも遥に柔らかいため、千鶴は怒りや気迫を保てなくなってきていた。

「まあ、そんなわけで、勝手な想像に過ぎないけど、オレは委員長の親父さんの気持ちもわかる気がする。
 けど、委員長の、自分だけ逃げたくない、自分も国のために貢献したいっていう気持ちも理解できる。
 だからさ、どっちが悪いって事じゃないんじゃないかな?」

「―――え?」

「委員長さ、親父さんに、自分は護られてるだけじゃいやだ、国のために貢献したいって言ったか?
 きっと親父さん自身は政治家として国に貢献してるんだから、委員長にも政治家とか、軍人以外の道での貢献をして欲しいと思ってたのかもしれないじゃないか。
 その辺りの事、じっくり話し合ってみたのか?」

「―――そ、それは……い、いいのよっ! あの人は他人の意見なんかろくすっぽ聞きはしないんだから。」

「おいおい、そうやって、一方的に決め付けて飛び出してきたのか?
 だったら、委員長も親父さんの意見をろくすっぽ聞かなかったって事にならないか?
 ―――委員長さ、もっと肩の力抜いて、楽に考えてみろよ。
 自分の考えで頭の中一杯になっちまって、その考え以外の可能性叩き潰しちまってないか?
 大体、頭の中で考えただけの事なんて、実際に確かめて見なけりゃあってるかどうかすら解んないだろ?」

「―――わ、私が頭でっかちだって言いたいの?」

「あーーーーっ……これって、オレの言い方が不味いんだろうな~~~。
 上手く伝えらんなくってごめんな。
 オレが言いたいのはさあ、なんでも決め付けるなって事……なんだと思う。
 親父さんの考え、徴兵免除の良し悪し、周囲の委員長への評価……答えが出るまでは、曖昧なままでもいいんじゃないか?
 もちろん、あれこれ考えるのは悪い事じゃないさ、けど、そこで辿り着いた結論を、確証も得ないままにそうと決め込んじまうのは違うんじゃないかな。
 委員長は頭がいいんだから、オレよりも何倍もものを考えられるだろ?
 オレが1通り考えるところで何通りも考えて、幅を広く持たせておけばいいんじゃねえの?」

「白銀の話はまとまりがなさ過ぎだけど……言いたい事は何となく解った気がするわ。
 それと、あなたが私と父の事を、真剣に考えてくれたってこともね。
 それにしても、あなたにとって、私の父の肩書きなんて本当にどうでもいいことなのね。」

 千鶴が呆れ果てたと言わんばかりの態度で言うと、武は何を当たり前の事をと目を丸くして言い返す。

「はあ? そんなん当たり前だろ? オレの目の前に居るのは委員長であって、親父さんなんて会った事もないんだから、関係ないじゃないか。」

 武の言葉に、根負けしたように千鶴は表情を和らげ、口元に笑みを浮かべた。

「ふふふ……あなたは、そういう人なのね。
 そこまでバカで単純な人が居るとは、今まで思っても見なかったわ。」

「今、なんか馬鹿にされなかったか?」

「誉めたのよ。あなたと話して、少し気が楽になったわ。
 宣戦布告する気で来たのに、拍子抜けしちゃった。
 ま、兵士の犠牲が減るって言うんなら、私もちゃんと手伝ってあげるわよ。」

「ああ、頼むぜ委員長。オレって結構バカだからさ、色々突っ込みいれてくれると助かるよ。
 階級とか、経験とか、そんなの気にすんな! 目の前のオレ見てたら、ただのバカだろ?」

「……まったく……普通、そんなこと自分じゃ言わないわよ?
 じゃ、今後も厳しくいくから、隊の風紀と品位をみださないでよね!」

「あーーー、努力……します……」

 何故かしょんぼりする武を部屋に残し、千鶴はニヤリと笑って立ち去っていった。




[3277] 第16話 訓練兵の穏やかな1日?
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/28 17:17

第16話 訓練兵の穏やかな1日?

2001年10月25日(木)

 05時52分、B4フロアの武の自室では、今朝もまた、霞が武をユサユサしていた。

「……う~ん……霞、あと5分……」

 寝ぼけた武の発言に、霞の髪飾りがピョコッと跳ね上がり、武を揺する手が止まった。
 霞は少し思案気に首を傾けてから、体ごと机の上の時計に向き直ると、一つ頷いてから動きを止めた。

「ありがとな~……うにゅ~~」

 一言礼を言ってから、再び睡魔に身を委ねる武。
 そして、時計の秒針がきっかり5周する様子をジーーーッと見つめた後、霞は再び武をユサユサと揺すり始めた。

「…………おはよう霞。」

「……おはよう……またね。」

 何時ものやり取りを交わして部屋を出て行く霞を眺めていた武は、ふとある事を思いついた。

「……なあ、霞、ちょっといいか?」

 部屋を出ようとしていた霞は、唐突な武の呼びかけに、歩みを止めずに顔だけ武の方に振り向いた。
 そして、霞の身体は前方へと進み続け、半開きだったドアに衝突してしまった。
 衝突の反動で、横を向いていた頭が首を支点に振られてしまい、頭頂近くをゴツッっとドアへとぶつけてしまう。
 霞は悲鳴を上げこそしなかったものの、それなりには痛かったらしく、その場に立ったままで、ぶつけた辺りを右手の甲でゴシゴシと擦り始めた。
 武は内心、『しまった……また今回もやっちまったか』と思いつつ、『前の世界群』と同じ言葉を霞に送った。

「あんまり、ごしごしやらないほうがいいぞ。
 それとだ。ぶつけて痛いときには、あが~~~って言うといいぞ。」

「……あが~~~。」

 武に教えられたとおりに、オウム返しに繰り返す霞。
 武は、その様子に和みつつ、思いついた件を切り出した。

「なあ、霞。毎朝起こしに来てくれるんなら、一緒に朝ごはんも食べてかないか?
 あ、もちろん忙しいとか、夕呼先生と食ってるとか、都合が悪いんなら断ってくれていいんだぞ。
 単に気が向かないだけだって、そう言えばいいんだ……で、どうだ?」

「……聞いておきます……またね。」

「そっか、先生の許可が要るのか……ああ、起こしてくれてありがとな霞。またなー。」

 部屋を出て行く霞の足取りは、心持ち弾んでいた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 06時32分、PXで朝食を受け取った武が席へ座ろうとすると、挨拶もそこそこに千鶴がニヤリと邪悪な笑みを浮かべて話しかけてきた。

「―――白銀、あなたの部屋、毎晩遅くまで明かりが点いているって話が聞こえてきたんだけど、まさか訓練生の身で誰か連れ込んだりしてないでしょうね?」

「んなわけあ……んんっ……委員長、朝からその話題はどうかと思うぞ?」

 つい千鶴の言葉に乗せられて激高しかけた武だったが、疚しい事はなかったので何とか落ち着いて対処した……のだが……

「……銀色の長髪……外人?」

「んがっ!」

 彩峰の支援砲火に、あっという間に地に伏す羽目となった。

「む!……彩峰、それはどういうことだ?」
「……白銀のベッドに、落ちてた。」
「なんで彩峰がんなこと知ってるんだよっ!」
「え?え?え?え?えっ?え~~~~~~~っ?!」
「な、なんだとっ?!」
「え? 彩峰、それ本当なの? 白銀~~~っ、あなたまさか本当に……」
「……やらしいんだ。」
「こ、こらっ! 彩峰、いい加減な事を言うなっ!!」
「……タケルはいやらしい人ですよ。」
「きめつけるなぁ~~~っ!」
「……そ、そうか……英雄エロを好むというやつだな……」
「御剣! 『エロ』じゃなくて『色』でしょっ!! あなた動揺してるわよッ!!!」
「さ、榊さんも落ち着いてー!」
「……動揺してる、動揺してる。」

 騒ぎはあっという間に燃え広がり、ようやく事態を収拾した頃には、朝食はすっかり冷たくなっていた。

「……なるほど、彩峰は白銀の制服についていた髪の毛を見て、鎌をかけただけなのね。」

「はあ……だから勝手に決め付けて暴走するなよなー。」

「うるさいわねっ、そもそもあなたの存在は色々と微妙すぎるのよ。」

「……それに、髪の毛が付いてたのは事実……」

「ふむ……その点は非常に気に掛かるところだな。」

「はいはい、この件は一旦保留! さっさと食事済まさないと午前の講義に間に合わないわよ!」

 千鶴の言葉で一旦この件は沙汰止みとなり、微妙に冷え冷えとした空気の中、武は冷めてしまった朝食をかっこんだ。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時23分、訓練校の教室では、まりもがプロジェクターを使いながら、BETAの分類について説明していた。
 その説明に用いられている、黒く塗り潰されたBETAのシルエットを見て、武はぼんやりと考えていた。

(そういや、BETAの鮮明なイラストを見れるのって、任官してからなんだよな……
 あの醜悪な外見が広まって、一般人の恐怖が増幅されるのを避けるためなんだろうけど、機密指定になってて総戦技演習に合格しないと閲覧資格がないんだよな。
 しかも、最初の内はやっぱりシルエットだけだし……
 けど、部隊配属になるまで、敵の外見を殆ど見た事ないってのは、どうなんだろうな……
 対BETA戦術構想の手伝いを頼むにしても、BETA関係の情報開示許可を先生からもらっておかないと駄目か……)

 一応の結論を導き出したところで、武は内職の方へと集中した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時01分、午前の座学が終わり、まりもが廊下へと姿を消した直後、彩峰が武へと駆け寄った。

「ん? 彩峰、どうかしたか?」

 珍しく目を大きく見開いて、顔を上気させた彩峰は、武の胸元に手を置き、上目遣いで熱い吐息と共に言葉を押し出す。

「ヤキソバ……」

「…………ああ、今日の昼飯にヤキソバがあるのか…………
 わかったわかった、男に二言はない。今日のオレの昼飯はおまえのもんだ!」

「うん! 白銀……早く頂戴……」

「うわわわわ……な、なんか2人の周りに怪しげな空気が~~~~っ!」
「白銀っ! 風紀を乱すなって言ったでしょっ!!」
「む……彩峰、そなた些かくっつき過ぎなのではないか?」
「彩峰、そういう思わせぶりな言い方をするんじゃないっ!
 サッサと、PXへ行くぞっ!」
「うん!………………白銀、元気になっちゃった?」
「だぁあ~~~~~~~~~っ!」

 騒ぎ始めた仲間を振り切るようにして、彩峰を連れてダッシュしていた武は、彩峰の一言に思いっきり転倒した。

「……早く起きて、ヤキソバがなくなったらコロスよ?」
「だったら余計な事は言うなッッ!!!」

 急いで立ち上がって、PXへと駆け出す武の頬で涙が光ったとか光らなかったとか…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時22分、訓練校の射撃演習場では射撃訓練が行われていた。

「目標、距離100mのターゲット! セレクター・フルによる指切り点射!―――てっ!!」

 武はターゲットを照準した後、僅かに状況を再確認する時間を置いて、トリガーを引いた。
 続けざまに次のターゲットに向かって、射撃を繰り返すが、一緒に訓練している仲間達の方が微妙にペースが早い事に気が付く。
 よくよく観察してみると、皆、照準後に間を置かずに射撃し次のターゲットへと移っている事に気付いた。

(―――そうか、みんな歩兵の撃ち方になっちゃってるんだな。
 歩兵は戦術機と違って、素早く照準して撃つのが理想だからな……よし!)

「神宮司教官! 少しよろしいでしょうか。」

「―――ん?! なんだ、言ってみろ。」

「はっ、訓練方法に関して意見具申があります。
 現在の訓練は生身で戦闘を行う歩兵の教練に乗っ取って行われています。
 しかし、我々は衛士を目指しているわけですから、戦術機で戦闘することを前提とした訓練をする事をお許し下さい。」

「ふむ。例によって何か考え付いたようだな? よし、皆を集めるから何を考えたのか全員に話して聞かせろ。
 許可するかどうかは、その内容次第だ。」

「はっ!」

「総員、撃ち方止めッ!! 小隊、集合ーーーっ!!
 ………………よし、休め。白銀がまたぞろ何か思い付いたそうだ。
 訓練方法を改めたいらしい、まだ許可はしていないが、白銀が何を考え付いたか聞いて各々で考えてみろ―――白銀っ。」

 まりもによって集められた仲間達を前に、武は自分の考えを説明しだした。

「はっ!……じゃあ、説明するぞ。
 まず、皆に考えてもらいたいのは、オレ達は衛士を目指して訓練しているってことだ。
 ベイルアウト後の事とかもあるから、歩兵として戦う能力もあるに越した事はないけど、やはり優先するのは戦術機での戦闘だよな?
 ところが、現在の訓練は生身を使った訓練課程だから、どうしても歩兵の教練に基づいたものをやっている事になる。
 衛士が生身で培った技量を戦術機の挙動に反映させて戦うっていうのが、戦術機操縦で主流になってる考え方だ。
 だけど、同じ射撃一つをとっても、生身で行うのと戦術機で行うのでは、どうしても差が生じる。
 具体的には、照準方法と、射撃までのプロセスが異なるんだ。」

 武の説明を4人は真剣な面持ちで聞いている。

「生身でやる場合には、状況把握と同時かそれにやや遅れて照準を行い、照準が合い次第速やかに射撃するのが基本だ。
 ところが、戦術機では、照準動作はロックオン機能などで自動化もしくは高速化されている。
 衛士は煩わしい照準作業の手間を減らされ、その分をターゲットの選別や、彼我の位置関係、相手の行動を考慮した上での照準補正などに割くことが期待される。
 だから、衛士としての射撃プロセスとしては、照準後即射撃では、状況判断をする時間的余地がなくなってしまうことになるってわけだ。
 生身での射撃訓練では、照準動作を自力でするのは仕方ないとしても、照準後に命中精度を重視する心算で、状況確認の為の時間を一呼吸取った方が良いと思う。
 そうしておけば、戦術機操縦課程に移った後も、違和感を感じずに射撃が行えると思うんだ。
 格闘や接近戦の訓練でも同様に考える事ができる。
 例えば戦術機の戦闘では回避が主体となり、武器以外でBETAに打撃を与える事はまずありえない。
 掴んだり殴ったり蹴ったりすると、戦術機側のダメージが馬鹿になんないからな。
 勿論、格闘訓練である以上、投げや関節技などの習得も重要だが、体捌きや重心移動などの技術の方が戦術機に応用しやすい技術であると言える。
 これらの事から、我々が目指しているのが衛士である以上、衛士として戦術機に乗った状態で活用するという目的意識を明確に持った上で、訓練を行う事が望ましいと考えた。
 ―――以上だ。」

「ふむ―――どうだ? 発言を許可する。皆、ミーティングだと思って、意見があれば言ってみろ。」

 まりもの許可を得て、武以外の訓練兵4人は、今まで説明を聞くばかりであった分を取り戻すように、あれこれと話し始め、武は返答に追われた。

「……戦術機で投げ技は無理?」
「彩峰のSTA(スペース・トルネード・アヤミネ)なら出来るかもしれないけど。普通は、BETA相手じゃ難しいんじゃねえか?
 あいつら重心低いし、重いし、そもそもぶつかった時点で大抵こっちは損傷受けちまうからな~。」
「確かに、目的意識を持って効率的に訓練するのは、悪い事ではないわね。」
「委員長もそう思うだろ?」
「う~ん、わたし達は戦術機の操縦方法とか知らないですから、盲点でしたね~。」
「そうだな、オレとまりもちゃんで教えてやるよ。」

「「「「 まりもちゃん?! 」」」」

 教官をちゃん呼ばわりした武に、驚いた4人は揃って目を丸くした。
 まりもも、額に手を当て頭痛に耐えるような顔で呻く。

「…………白銀……貴様、とうとう訓練中にまでその呼び方をしたか……」

「す、すいません教官……え、ええとだな……オレを訓練生扱いしてもらう代わりにちゃん付けしていいって許可を貰ったんだ……神宮司教官から……」

「まあいい。まがりなりにも中尉殿のなさる事だからな。貴様らもあまり気にせずに聞き流せ。」

「「「「 は、はい…… 」」」」

 話題を変えて、その場を凌ぎきろうとしたものか、まりもは唯一発言していない冥夜に水を向けて発言を促した。

「で? 御剣は何もないのか?」

「はっ! 先の説明の中で、生身の技量を戦術機に反映させるのが主流と申していましたが、それ以外の考え方とはどのようなものなのでしょうか。」

「む……私もそれ以外の考え方は思い当たらないが……白銀、他にもあるのか?」

「あー、他の考えって言うか……オレ独自の考え方かもしれませんが、戦術機を兵器システムとして考えて運用する方法です。
 人間よりも関節部の自由度とかは広いですし、噴射跳躍は人間じゃ真似できません。
 人間を超えた動きも出来るのが戦術機ですから、そういうものだと思って操縦するってのがオレのやり方です。」

「ほう……確かに噴射跳躍は人間には無理な機動だな…………なかなか、興味深い話しが聞けそうだが、話がずれてしまいそうだ。
 今日のところは、その話は抜きにしよう。……他に意見はないか?
 …………よし、それでは、今後は人間と戦術機の差を明確にしながら実技訓練を行う事とする。
 まずは、照準後に命中精度を上げるための時間を設けて射撃を行え。―――解散。訓練再開っ!」

「「「「「 ―――了解! 」」」」」

 訓練兵たちは、再び射撃演習場へと散っていった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時32分、訓練校の射撃演習場では、一通りの訓練をこなし終わった207の各員が、個別の鍛錬に移行していた。
 そして、武と壬姫、千鶴の3人は、長射程狙撃の準備をしていた。
 準備と言っても、狙撃銃の調整を壬姫がしているのみで、観測手の役割を買って出た千鶴は双眼鏡を手にしているだけだった。

「たまの狙撃特性は滅茶苦茶高いからな~、いつか教えてもらおうと思って狙ってたんだよ。」

「わたしなんて、そんなに凄くないよ~、たけるさん。」

「あら、謙遜する事ないわよ。白銀に珠瀬の実力を見せ付けてあげたら?」

「ああ、頼むよたま、オレに狙撃の真髄ってのを見せてくれ。」

「う~…………う、うん……がんばってみるね……
 距離は850mか~……風がちょっと気になるかなー……」

 壬姫は英国式の伏射の姿勢をとると、風を読んで引き金を引いた。

「……はい、双眼鏡。」

 千鶴から双眼鏡を受け取って、武はターゲットを確認した。

「……さすがだな、ど真ん中か……
 なあ、たま……訓練中の狙撃と、実戦中の狙撃の差って何だと思う?」

「え?…………え~と、狙撃の重さ……かなあ。
 訓練と違って、その狙撃にかかっているものが違うと思います。」

「そうか……なら、さっきの1発は、たまは気楽に撃ったのか?
 じゃあ、次はあのターゲットが照射態勢を取った光線級BETAだと思って撃ってみな。
 もし外したら、オレか委員長がレーザー照射で黒焦げになると思ってさ。」

(さて、少しプレッシャーかけてみるか……ごめんな、たま。
 でも、意地悪でやってるわけじゃないんだ、許してくれな。)

 武の言葉に壬姫の肩に僅かに力が入る……瞬きの数も増え、第1射の倍近い時間をかけて引き金を引いた。
 ターゲットの、真ん中から僅かに外れた所に穴が開く。

「ふふふ……どお? 珠瀬の狙撃の腕は。」

「ん? なに笑ってんだ委員長? オレかおまえのどっちかはもう死んでるんだぞ?」

「え? 何言ってるのよ白銀……あっ!」

「え?……わたし、何か失敗しちゃいましたか? たけるさん。」

「…………時間よ。珠瀬が狙っている間に、私達は照射を受けてしまったって白銀は言ってるんだわ……」

「あ…………」

 苦虫を噛み潰したような表情の千鶴の言葉に、壬姫は愕然として目を大きく見開く。

「気にするな、たま。衛士課程に進んでない人間には、BETAの詳しい行動特性は知らされない。
 知らなくって当然なんだ……けど、もう少し急がないとまずかったよな。
 どうして、時間を長く取って撃ったんだ?」

「え、えっと……失敗しちゃいけないと思って……えと、その…………」

 瞳を左右に揺らしながら答える壬姫だったが、実際はプレッシャーから、普段は押さえ付けているあがり症が出てしまい、落ち着くのに時間が掛かってしまったのが真相だった。
 そんな壬姫の内心を看破しつつも、武はそれには気付かないそぶりで話しかけた。

「そっか……けど、オレの考えだと逆なんだけどな。」

「え?……逆?」

「ああ、実戦では失敗を恐れずに果断に行い、訓練では失敗しないように着実に行う。
 何故かって言うと、実戦じゃ状況の変化が物凄く早いから、失敗を恐れていたら行動自体が間に合わない事がある。
 それに、失敗しない事よりも、失敗した後にどう取り返すか、そっちの方が重要だと思うからな。
 何事も失敗するのが当たり前、逆に成功を前提に物事考えてると痛い目に合うもんなー。
 けど、戦場で失敗ばっかりってわけにもいかないよな? じゃあ、どうすれば良いと思う?」

 武の言葉を真剣に聞いていた壬姫だったが、急な質問に答えが見つからず、おどおどしてしまう。
 そこへ、脇で聞いていた千鶴が、ようやく納得したように言葉を挟む。

「なるほど、だからこそ訓練が重要だって言いたいわけね。」

「そう、さすが委員長だな。
 戦場で時間をたっぷり使って成功率優先で何かする余裕はあまりない―――特にBETA相手じゃな。
 だから、戦場以外……つまり訓練中に何度も反復練習して身体に染み付かせておく事で、実戦での成功率を上げるんだ。
 訓練で撃った無数の射撃が、実戦での射撃の成功率を支えてくれる。
 そういう意味では、実戦での射撃より、訓練での射撃の方が重要だとオレは思ってるよ。
 それに、個人の技量を見るんなら、実戦での戦績よりも、訓練時の成績の方が判断基準になるしな―――戦績は状況に左右されすぎるからさ。
 後は精神的な要因だけど、これを養ってくれるのも訓練だな。」

 武はここで一旦言葉を止めて、壬姫を見る。

「いいか、たま。訓練で自分が出せた結果は、必ず戦場での自分を支えてくれる。
 もし、訓練で出せた実力が実戦で出せないとしたら、それは自分の努力を自分自身が信じてやれなかったってことだとオレは思う。
 汗水たらして、必死に頑張って努力してるだろ? それを信じられない理由なんてないよな?
 自分の努力が実を結ぶと信じて頑張り、その努力の成果を信じて自分に自信を持てた時、努力が戦場での戦果に結実するんだとオレは思う!」

「……たけるさん………………うん! ミキ、たくさん頑張って、頑張った分だけ自分に自信を持てるようになります!」

「そっか……頑張れよ、たま!
 よし、じゃあさっきの状況設定でもう一回だ。」

「はいっ!」

 壬姫は素早く伏射の姿勢をとると、流れるような動作で照準し、僅かに呼吸を止めて身体のブレを抑えると、素早く射撃を行った。
 ターゲットの中央からやや外れた辺りに穴が開く。
 ど真ん中とはいかなかったが、壬姫の表情は満足気であった。

「う~ん、少し外しちゃいました……」

「何言ってるんだ、実戦じゃ当たってさえいれば無力化できる。
 今の速度であの精度が出せるなんて、おまえはやっぱり凄えよ、たま!」

「本当……やっぱり珠瀬は狙撃の天才ね……」

「違うぞ委員長、たまは努力の天才なんだ!」

「たけるさん、誉めすぎですよ~。にゃはははは……」

 武の誉め殺しに、狙撃銃を抱き締め身をくねらせて照れる壬姫。
 千鶴はそんな壬姫にふっと微笑をこぼしてから、武に視線を転じてニヤリと笑う。

「さ~て、じゃあ、次は白銀の腕前を見せてもらおうかしら。
 勿論、状況設定は珠瀬と同じでね。」

「うが~~~~、たまの今の射撃の後だからなー。
 まあ、たまが調整してくれてる分だけましか。」

「はい、たけるさん。がんばってね~。」

 武は壬姫から狙撃銃を受け取ると残弾数を確認し、伏射の姿勢をとると、素早くボルトを操作し再装填しながら3連射した。

「……なんとか一発当たったか?」

「……そうね、2発目がターゲットの半径の半分くらいのとこに当たったわ……
 あの速射でよくも当たったと言うべきなんでしょうね……必中を望めないなら数で補うって事?」

「まあな、戦術機の火器は狙撃仕様でも自動装填だからな。
 無駄弾撃っていいってことはないけど、味方が照射受けそうだってんなら、確率あげないとな。
 けどまあ、3発撃って1発でも命中が出たのはまぐれだな。」

「そっかー、それが実戦経験から来る判断なんですね~。」

「まあ、今日のところは感心しておいてあげるわ。」

 その後、武は壬姫の指導を受けながら、時間一杯、狙撃の訓練に勤しんだ。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時04分、1階のPXで夕食を済ませた207Bの5人は、今日の訓練を振り返っていた。

「なるほど……その様な事があったとは……ふむ、タケル、やはりそなたの言葉は重みが違うな。」

「まあ、軍隊は星の数よりメンコの数って言うらしいしな。」

「メンコ?……それって何の事ですか?」

「……食器の事。軍隊でどれだけ食べてきたかってことだね。」

「そうね。星―――つまり階級よりも、経験の方が大事って事でいいんじゃないかしら?」

「うむ。本来は帝国軍における兵卒の中での慣例的な序列の事だ。
 例え階級が下でも、年季の多い兵は古兵と呼ばれて敬われているらしい。」

「へ~、そんな風になってるんですか~。」

「……所詮、階級なんて上の評価。実力が伴うとは限らない。」
「彩峰! なんで私の方見て言うのよ!!」
「……見てない。」
「見てるじゃないのっ!」
「誰が?」
「あなたねぇっ!…………ふぅ…………一応、確認しておくわ……
 あなたから見て、私は分隊長に相応しくないのかしら?」

「!!―――そうは言ってない。」

「そ、ならいいわ………………って、なんでみんなして私を見るのよ?」

 わざとらしく千鶴をニヤニヤと笑いながら見て発言した彩峰に、見敵必戦とばかりにいつものように諍いを始めた千鶴だったが、今日は途中で風向きが変わった。
 一旦目を閉じて、深呼吸をして気を静めると、彩峰を真摯な眼差しで真っ直ぐ捉えて、自分の資質に本気で疑問を持っているのかを問いただしたのだ。
 これにはさすがの彩峰も韜晦(とうかい)できず、渋々千鶴を容認する言葉を発せざるを得なかった。
 ここで一気に畳み掛ければ、何時も通り元の木阿弥だったのだが、今日の千鶴はそこですんなりと矛を収めた。
 その態度に当事者の2人を除く3人が驚いて、千鶴に注目してしまったのだが、武だけは注目しつつも内心で頷き千鶴の事を誉めていた。

(さすがだぜ委員長……昨日の今日で、もう自分を変え始めてる……
 後は、彩峰がどうでるかだけど……今の様子だと大丈夫かな?)

 武は頬を染めて目を伏せる千鶴を見て、そう思った…………この時は。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時51分、B4フロアの武の自室で、武は、純夏と霞のところに行くために端末を終了させていた。
 と、そこへコンコンとドアがノックされ、外からまりもの声が掛けられた。

「白銀訓練兵、在室(いる)なら返事をしろっ!」

「はっ! 只今参りますっ!!」

 武が端末のモニターが消えている事を確認してからドアを開けて敬礼すると、まりもは答礼して伝達事項を言い渡した。

「本日19時30分にシミュレーターデッキに出頭せよ。副司令がお呼びだ。」

「はっ! 19時30分にシミュレーターデッキに出頭いたします。」

 武が復唱して敬礼すると、まりもはそれに答礼して踵を返す。

「………………あの、それだけですか?」

「ん? 他にはないが……どうした?」

 まりもの後姿につい疑問を投げかけてしまった武に、まりもは振り向いて応じた。

「……いや、それだけの通達なら、わざわざまりもちゃんが来る必要ないじゃないですか。
 だってオレ、携帯用通信機持ってますよ?」

 『まりもちゃん』呼ばわりされたところで一瞬眉を跳ね上げたものの、武の言葉を聞き終わった頃には、まりもの表情は精神的疲労を如実に表すものに変わっていた。

「そうなのよねぇ~、私も正直なんでわざわざこんな事……と思ったわよ?
 けど、相手はあの香月副司令よ? 白銀、あなたならこの意味解るわよねえ?」

(うわっ! すっげえ『まりもちゃん』っぽい……って、本人なんだけど、オレにこんな態度見せるほど、夕呼先生の事で疲れてるんだなあ……)

 武は内心でまりもに同情すると、恩師を少しでも労おうと、言葉をかけた。

「ええ……あの人のやることって、二重三重に罠張ってありますからね~。
 下手に逆らうと余計こっちの立場が悪くなってますし、素直に受けて警戒した方がましですよね。」

「そうっ! そ~なのよ~~~っ。あたしは特に学生時代からの付き合いなものだから、直属でもないのに良いように使われちゃって……
 大体、この通達だって、わざわざあなたの部屋に出向いて口頭で伝えろって言われたのよぉ~。
 もう、何考えてるのかしら~~~。」

「あはは……苦労してますね、まりもちゃん。」

「そ~なのよ~。白銀、解ってくれるのはあなただけよ~。
 ピアティフ中尉は階級差がありすぎるし、夕呼に心酔しちゃってるから、相手してもらえないし……
 あなたも、これで『まりもちゃん』呼ばわりさえしなければねぇ~~~~。
 訓練兵でいる間だけでもいいから、あたしの愚痴きいてくれる~?」

(やっぱ、こっちのまりもちゃんも、本質は向こうと変わらないんだな~。
 ―――くっ!…………今は思い出すな、それくらいなら、少しでも恩返しする事を考えろ!)

 『向うの世界』のまりもとイメージが被さったため、まりもの死を思い出し一瞬表情が強張った武だったが、幸いまりもは愚痴を並べるのに夢中で気付かなかったようだった。
 そして、5分ほど愚痴を怒涛の如く捲くし立ててから、まりもはやっと晴々と笑った。

「ありがとう、白銀。おかげで大分すっきりしたわ。
 ごめんなさいね、階級はともかく、あなたの方が年下なのに……
 これじゃ、年長者としても、教官としても、立場がないわね~。」

「いえ、夕呼先生は規格外ですから仕方ないですよ。」

「あなたも苦労してそうね~。助けてはあげられないけど、愚痴をこぼしたくなったら今日のお礼に聞いてあげるわ。」

「はい、その時はよろしくお願いします。」

「ええ、いつでもいいからね?―――では、白銀訓練兵、出頭時間に遅れるなよ!」

 まりもは最後に、照れ隠しなのか『神宮司軍曹』の口調で念を押してから立ち去って行った。




[3277] 第17話 訓練兵の騒がしい朝
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/21 17:21

第17話 訓練兵の騒がしい朝

2001年10月25日(木)

 19時27分、シミュレーターデッキに、武は衛士強化装備を装着して出頭していた。
 シミュレーターデッキには夕呼と霞がおり、武が入室するなり夕呼が説明を始めた。

「待ってたわ。この7号機にあんたに頼まれたXM3の試作OSを組み込んどいたわよ。
 コンピューターを新型に換装して、OSも操縦系と基本動作制御関連をごっそり入れ替えてあるわ。
 その結果、操縦に対する即応性は30%増し、あんたの言ってた機動概念も基本制御として組み込んである。
 あとは、実際にあんたが操縦していって、機動概念の微調整と、あんたの言うコンボに相当する複合動作パターンを学習させてやればいいってわけ。
 ある程度データが蓄積されると、誤差内で同一と判断された一連の操作を、自動的にコンボと判定するようになってるわ。
 それと同時に、強化装備に蓄積された思考パターンと照合して、統計的に最適な組み合わせを選択、実行されるようにしてあるし、コンボに対して簡略操作を後から登録する事もできるわよ。
 キャンセルも同様ね。思考パターンと操作の不連続性から、統計的に発動するし、簡略操作を割り当てる事もできるわ。
 そして、一旦登録されたコンボはデータリンクで共有できるから、コンボを発動させるだけなら直ぐに全員が出来るってわけ。
 ……てなところで、あんたの言ってた仕様は満たしてると思うけど、どう?」

「―――ばっちりですよ、先生。
 それじゃあ、今から早速バグ取りですね。」

「そうね、社が頑張ってくれたから、大きなバグは無いはずよ。」

 武は霞に向き直って礼を言った。

「霞、ご苦労さん。完成するまでもう少し頼むな。」

「……はい。」

 霞が頬を仄かに染めて頷くと、夕呼が詰まらなそうに声を上げる。

「あらぁ~、あたしにはお礼の言葉は無いわけぇ?」

「そんな事ありませんよ先生。
 色々と忙しい中ありがとうございました。
 ヴァルキリーズの実証試験開始までもう少しお願いします。」

「そうそう、わかってるんならいいのよ。じゃ、早速始めて頂戴。」

 夕呼に急かされて、武はシミュレーターに搭乗し、試作OSのデバッグと制御情報の蓄積を開始した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 23時07分、B19フロアの夕呼の執務室を武は訪ねていた。

「で、何の用? あんたの相手ばっかりしてらんないんだけど。」

「あれ? そろそろ先生の方からも話があるんじゃないかと思ったんですけど、まだでしたか?
 もう、ここの反応炉を霞にリーディングさせましたよね?
 結果はオレには秘密ですか?」

「ちっ、試作OSで誤魔化せるかと思ったのに……
 ―――確かにリーディングさせたけど、イメージが目まぐるしく変わりすぎて、ほんの僅かな断片しか判読できないそうよ。
 かと思うと、全くの空白イメージだったりするらしいわ。」

「なるほど、霞じゃ反応炉の処理速度についていけない上に、普段の反応炉は休止状態ってわけですね。
 となると、やはり解読には00ユニットの完成を待たないと無理か……」

「―――そういう訳で、あたしは忙しいのよ。
 解ったらさっさと用件を言いなさい。」

 武の態度が気にくわなかったのか、きつめの口調で夕呼は武を促した。

「わかりました。まず、207小隊に対するBETA関連情報の開示レベルを現役衛士並みに引き上げる許可を下さい。
 これは、訓練の効率化と、オレの対BETA戦術構想の駄目出しをしてもらうためです。
 後は、『前の世界群』で考案した分の対BETA戦術構想の資料がまとまりました。
 これの中から幾つかの装備を試作したいので許可を下さい。
 それから、今後を睨んで今の内から手配していただきたいものもあるんですけど……」

「ずいぶんとまあ、ずうずうしく並べ立てたもんね。
 確かにあんたの対BETA戦術構想の支援はするって約束したけど、なんでも要求が叶うと思ったら大間違いよ?」

「―――わかってますよ。
 現状でオレの未来情報が有効かどうかを、先生が判断する方法がありませんから、オレの発言自体に信頼性がありませんもんね。
 てことで、オレの未来情報が確認できる方法をお教えします。
 それと引き換えって事でどうですか?
 今回のお願いは、先生にとっても損にはならない事だと思いますけど?」

 たっぷり1分の間、武を睨みつけてから、夕呼は忌々しげに言葉を吐き捨てた。

「……解ったわよ。その条件で手を打ってやるわ。
 あんたの情報がそのくらい信用できるのか、あたしも早めに確定したいからね。」

「ありがとうございます、夕呼先生。
 で、未来情報の信頼性を確認する方法ですが……11月11日に旅団規模のBETAが新潟に上陸してきます。」

「!!―――なるほど、予測不可能と言われたBETAの侵攻予告とはね。
 確かに、それが的中すれば、あんたの言う情報の信用度は跳ね上がるわね。」

 夕呼の表情にようやく笑みが戻る。
 それは、この情報を元にどう動いて何を得られるか、計算してほくそ笑んでいる顔をだった。

「それで、XM3が実証試験に移行してからの話なんですが、斯衛軍をそのBETA侵攻に合わせて現場に引っ張り出せないかと考えてます。
 冥夜と月詠中尉のラインから、XM3を餌にして、出来たら政威大将軍の親征によるBETA撃退を実現できたらと思うんですけど……」

「あんたも結構大胆ねえ。で、狙いは何なの?」

「00ユニット完成後の運用評価試験を睨んだ帝国軍との関係強化と、近い将来に政威大将軍へ実権を奉還させるための仕込が狙いです。
 もちろん、無駄な戦力の損耗を避けるってのも理由ですけどね。
 なにしろ、放置した場合、帝国軍第12師団が壊滅して、他にも数個連隊が損害を被りましたから。
 甲21号目標と甲20号目標を攻めるには、帝国軍の戦力は温存されてた方が先生もやり易いんじゃないんですか?」

 夕呼は目を半眼にして口を丸く開け、惚ける(とぼける)ように言ってのける。

「べっつにぃ~、いざとなったら、国連軍だけでやらせるだけだし~。」

「……はぁ~、結局皺寄せはこっちに来るのか……だったら、オレとしては、余計に帝国軍に消耗してもらいたくありません!
 てことで、頼みますよ先生……先生にだって損な話じゃないでしょ?……お願いしますっ!!」

 夕呼が拗ねていると感じた武は、大げさに頭を下げて、その前で手を合わせて夕呼を拝む。
 それを見て溜飲を下げたのか、ニヤリと笑って夕呼はようやく了承した。

「しょうがないわねぇ~。そ~~んなに頼むんなら、許可したげるわ。
 差し当たって、この基地に駐留している斯衛軍の4機に試験搭載するってことでいい?
 それで斯衛軍が食いついてこなかったら諦めなさい。
 上手いこと教導してその気にさせるのね。
 政威大将軍の話はその後でいいでしょ?」

「はい。―――それで、他の件はどうでしょう?」

「あ~そうね~、207の件は好きにやんなさい、まりもにも言っとくからまりもが反対しない範囲でやればいいわ。
 対BETA戦術構想ねえ……………………なるほど、この第一期計画ってのに分類されてるのを開発したいわけね?」

「ええ、『前の世界群』で実戦証明(コンバット・プルーフ)済みの装備の改良案です。」

「ま、この位ならいいわ。で、他にもあるのよね?」

「ええ、今のうちに手配しておいて貰いたいものが幾つか。
 『不知火』と『陽炎』の予備機を15機と30機くらいずつ。
 それからS-11を100発、複座型戦術機管制ユニットを12台、『87式自走整備支援担架』も30台ってとこですかね。
 この辺は、11月中頃までに揃えば間に合うと思いますけど、早いに越した事はないです。
 で、最後にこれが一番の難物なんでしょうけど、ODLのストックを最低でも00ユニット3体分くらい欲しいですね。」

「ODL? どういうこと?」

「00ユニットの運用経験からして、ODLの異常劣化が発生して、緊急浄化処置が必要になる事が多かったんですよ。
 なので、劣化したODLをストックと入れ換えて、劣化したODLだけ時間をかけて浄化した方がいいと思いまして。」

「そう……そんなに異常劣化が多発するとは思わなかったわ。
 じゃあ、あんたの00ユニットとしての擬似生体と一緒に用意しとくわね。」

「お願いします。あと、明日の試作OSの調整の時に―――」

「そうね、今日の仕上がり具合からして、伊隅とまりもにでも立ち会わせましょう。
 あんたがどれくらい腕で、どの程度使いものになるのかも聞きたいしね。」

「じゃあ、そういうことで。オレの方からはこんなとこです、先生からは何かありませんか?」

「…………ないわ。じゃ、今日は帰りなさい。
 ったく、あんたが来てから忙しくなるばっかりじゃない……」

 端末に視線を落し、愚痴をこぼしながらも夕呼は武の要望を果たすべく、各種の手配を始めた。
 そんな夕呼に頭を下げて、武は部屋から出て行った。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 23時22分、B4フロアの自室で武はベッドに寝転がり、今後の事を考えていた。

(明日もXM3のデータ取りってことは、霞と純夏のとこに何時行くかが問題だなあ……
 霞って言えば、朝食のこと何も言ってなかったな……
 まあ、明日の朝にでも聞けばいいか……
 …………
 ……
 ……明日には伊隅大尉と顔合わせか……
 今回はちゃんと部下として役に立てるといいんだけどな。
 ―――あー、でも、ちゃんと配属されるとは限らないのか……夕呼先生、訓練期間中は臨時編入だって言ってたしな……
 …………
 ……
 ―――そうだ、明日の早い内に、まりもちゃんと話ししとかないとな。
 207Bのカリキュラムに、BETA関係の講義、対BETA戦術構想の検討、机上演習にシミュレーター演習ってあたりを追加してもらって……
 …………
 ……
 あとは総戦技演習を前倒しにして貰って、早めに戦術機操縦課程に進めるようにした方がいいな。
 となると、11月10日には終わる日程じゃないとな。
 1週間も日数かけたくないから、演習内容を短縮できないかな……今までの演習内容が何を意図して立案されていたのか聞いた方がいいな。
 あ……あんまり演習内容に深入りすると、オレは総戦技演習に参加できなくなっちゃうんじゃないか?
 まりもちゃんに、日数の短縮化と、衛士になってからも役に立つ演習をってことで一任するかな。
 ………………
 …………
 ……)

 あれやこれやと思いを巡らせていた武だったが、急に勢いよく身体を起こすと、自分の両頬を強く叩いた。

(くそっ! 何を逃避してんだオレは!
 今、真っ先に考えなきゃなんないのは、夕呼先生との信頼関係の事だろうが!!
 さっきの会話、なんだよあれ……お互い腹の探り合いみたいな事してちゃ、信頼関係なんて結べるわけないだろ!
 ……きっと、今先生は自分の理論の洗い直しに必死になってる筈だ……
 最初に話した時に、理論が否定されたって洩らしちまったからな……
 今のままじゃ、オレは先生の仕事に関しては、貢献するどころか、足を引っ張ってるようなもんだ。
 ―――けど……人格転移の数式はオレの持つ最大の手札なんだ……
 あれを使ってしまったら、夕呼先生相手に取引が出来なく―――ッ!!
 取引ってなんだよッ! んなこと考えてるから、上手く行かないんじゃねえのか?
 …………
 ……
 そうだ、オレの情報の信頼性がどうこうじゃない、オレという人間を夕呼先生に信じてもらわないといけないんだ。
 自分の持ってる手札を隠して、上手く取引するなんてセコイことを考えないで、オレ自身を夕呼先生に認めてもらわないと駄目なんだ。
 その上で、オレの望みをしっかりと夕呼先生に伝えて、オレに出来る限りの事を為して、夕呼先生がオレの望みを容認してくれるように頑張れば良い。
 夕呼先生の性格からして、オレが先生にとって役立つ存在になれれば、相応に配慮してくれると思う。
 その上で、無思慮に言い成りになったり、先生の真意を読み取り損ねたりしないように、オレ自身がしっかりと対応すれば良いんじゃないのか?
 …………
 ……
 ―――オレはどうしても辛い選択肢から逃げようとしちまうから、目的の成功率が僅かでも上がるなら犠牲を躊躇わない、夕呼先生の考え方に補ってもらった方が良い。
 そして、逆に夕呼先生が設定した目標を、オレが努力してより少ない犠牲で達成できればそれが理想なんじゃないか?
 夕呼先生に任せっぱなしにするんじゃない、けど、お互いが騙しあうような関係じゃなくて、互いが互いを信頼して補い合えるようになるべきなんだ。
 そして、今のオレの能力が夕呼先生に釣り合っていない以上、夕呼先生が主導的立場になるのは仕方ない事なんだ……
 ―――よし、明日にでも会いに行って、正直に打ち明けよう。
 既に人類には無駄な時間を費やす余裕はないんだから……)

 武は夕呼との関係改善に至る行動方針を心に決め、他に急いで手を打っておく必要のある事柄を忘れていないか自問自答する。
 特に忘れている件は無いと判断した武は、机上の端末を立ち上げて、対BETA戦術構想関連の情報を閲覧し始めた。
 武の努力は02時近くまで続いた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年10月26日(金)

 05時54分、B4フロアの武の自室では、今朝もまた、霞が武を揺すっていた。

「……う~ん……霞、あと5分……」

 寝ぼけた武の発言に、霞少し思案気に首を傾けてから、武が身体にかけている毛布の上端を握り、体ごと後ずさって毛布を武から奪う事に成功する。
 この時点で、時刻は既に56分を過ぎていた。

「ん……なにやってんだ? 霞……」

 毛布を剥がれる途中で目を覚ました武は、相変わらずと言うか、やはり霞は霞なんだなあと、昔を懐かしむような気持ちになっていた。
 そんな思考を読んだのか、不機嫌そうな気配を僅かにまとう霞。
 武はそれに即座に気付き、弁解とも慰めともとれる言葉をかけた。

「あ、ごめんな霞。毎朝起こしてもらってるのに勝手なこと言って……けど、布団を剥ぐ時は、もっとこう、エイヤッ! って感じで一気にやるもんだぞ?
 布団を引っ剥がす純夏のイメージを思い浮かべるからリーディングしてみな。」

 武の言葉に、暫くジーっと武を見つめた後、霞はフルフルと首を横に振った。

「…………むずかしいです。」

「そうだな、純夏くらい元気が余ってないと、朝っぱらからはきついかもな。
 無理にやんなくていいからな―――てことで、おはよう、霞。」

「……おはよう、ございます。」

 ようやく朝の挨拶が出来た武は、制服を手に取り着替え始めようとするが、今朝に限って霞が部屋から出て行こうとしない。

(ん? 霞、まだ何か用かな?…………あ、そうか!)

「霞、一緒に朝ごはん食べる許可、先生から貰えたのか?」

「……はい。」

 こっくりと頷いて答える霞。
 そっか、じゃ、着替えるからちょっと待っててくれな。」

 武はそう言うと手早く着替え始めた。
 そして、7分後…………

 武は、ドアを開け放った自室前の廊下で、まりもの点呼を受けていた。

「……白銀、何故貴様の部屋の中で、社がベッドに座っている?
 これから特殊任務で、一緒に香月副司令のところへでも行くのか?」

「は? あ、いえ、この後一緒に朝ごはんを食べようと思いまして、点呼が終わるまで待ってもらっているだけです。」

「……一緒に朝ごはん? 何故、同じ部隊でもない貴様と社が一緒に食事だなどと、そういう話になるのだ?」

「ああ、それはですね、朝起こしてもらった後で、そのまま別れちゃうのもなんだと思いまして……」

 この辺りから、夕呼絡みの諸事情があるのかと、遠回しに訊ねていたまりもの表情が疑わしげなものに変わっていたのだが、武は全く気付かない。
 それもまあ、無理もない話しだ。
 点呼中の訓練兵は、直立不動で前方に視線を固定している。
 視界の端に位置するまりもの表情など判別できるはずが無かった。

「なに? 貴様、社に起こしてもらったのか?」

「はい、お蔭様で毎朝目覚まし要らずです。」

「……そ、そう言えば、貴様の部屋は毎晩遅くまで明かりが消えないそうだな?」

「はあ、まあ、いろいろとやることが多いものですから。」

「ヤルことがおおいだと?…………まさか白銀、社と同衾なんぞしていないだろうな?」

「どうきん?……ああ、一緒に寝てるかって話ですか?
 いえ、もうそんなことはしていません。」

 『一緒に朝ごはん』と『一緒に寝る』、この2つのキーワードから、『前の世界群』での霞との共同生活を思い出し、武はつい『もうしていない』と答えてしまった。
 その言葉を聞きとがめ、まりもの柳眉がきりきりと釣り上がり始めたのだが、前述の理由でやはり武は気付いていなかった。

「ほほう……一緒に寝た事はあるんだな?」

「ええ、前に夕呼先生に言われて…………って、今の無し! そんな事したことありませんっ!!」

「ん? なんだ白銀、訓練兵の分際で教官に隠し事か?」

「…………も、申し訳ありません……機密事項に抵触しますので、聞かなかった事にしてください……」

(オレが『因果導体』となって確率分岐世界を何度も経験している事は極秘……のはずだよな?
 あ……そう言えば、今回は先生から口止めされてなかったような……
 いや、この件は機密だ、そうに違いない!…………きっと、たぶん、おそらく……)

 などと内心で考えている武の額には、いつの間にか汗が噴き出していた。
 そして、それに気付いたまりもの視線が一気に冷たくなる。

「……ほう、機密か……いいだろう。ならばこれ以上は問うまい。
 ―――が、香月副司令に、この件は報告させてもらうからな。
 それと、念のために言っておくが、社は年齢的に自由性交渉制度の対象にはならないからな。
 MPに連行されたくなければ慎めよ?」

 そうまりもが言った途端に、廊下の先から素っ頓狂な声が4重唱で聞こえてきた。

「「「「 ―――自由性交渉制度ッ?! 」」」」

 まりもと武が声の元を探ると、廊下のT字路の角からこちらを覗き込んでいる207Bの女性陣の顔が覗いていた。
 どうやら、角から身を乗り出すようにして、こちらの様子を窺っていたらしい。
 そして、その声に驚いたのか、単に興味が引かれたのか、武の自室の中から霞がその小柄な姿を現した。

「「「「 ―――社っ?! 」」」」

 またもや207の4人の口から驚愕の4重唱が上がる。
 それを押し潰すように、まりもの怒声が朝のB4フロアを揺さぶった。

「貴様ら、そこで何をやっているッ!!」

 怒声に弾かれたように、廊下に飛び出して姿を晒し、最敬礼する4人。
 そして、代表するように千鶴がまりもの詰問に答える。

「はっ! 僭越ながら、教官が朝の点呼時間を過ぎても一向にお見えにならないため、皆で様子を見に参りましたっ!」

 言われて初めてまりもも気が付いたが、既に点呼の時間が過ぎ去って久しかった。
 予想外の出来事に、まりもも動転して時間を無為に使ってしまった結果がこの時間だった。

「む―――なるほど、榊の言う事ももっともだな。
 よし、白銀、この話は後でゆっくりとしてやる。
 白銀訓練生点呼終了、自由にして良し!
 他の207小隊員は、全員自室前に戻れ! 駆け足っ!!」

「「「「 了解! 」」」」

 女性5人は慌しく立ち去り、廊下には武と霞だけが残された。
 武は精神的疲労にかすれた声で霞に一声かけ、とぼとぼとPXへと歩き始めた。

「……霞、朝ごはん食べに行こうか…………」

「……はい。」

 霞は不思議そうな表情をしながらも、素直に返事をして武の横に並び、歩き始めた。
 朝っぱらから仕出かしてしまった手痛いミスに、今日一日の自分に襲い掛かるであろう喧騒を想像し、鬱になりかける武であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時17分、グラウンドでは武と彩峰が格闘訓練で対戦していた。

 ちょっとした騒ぎになってしまった点呼の後、PXでの朝食時にも『あ~ん』と合成さばの味噌煮を差し出す霞の姿を、207の皆にしっかりと目撃されてしまった。
 『前の世界群』と同じような騒ぎになる事を覚悟し、思い付きで霞を食事に誘ってしまった過去の自分を責め立てた武だったが、予想に反して騒ぎにはならなかった。
 騒ぎにはならなかったものの、207の4人の眼差しは冷ややかなもので、各々のコメントは武に容赦なく突き刺さり、精神的ダメージを痛烈に与えた。

「ほほう、面妖な特殊任務もあるものだな、タケル。幼子に食事の世話をしてもらう事で、BETAに打ち勝つための秘策を、天より授かる事が出来るとでもいうのか?」
「……いいわねぇ、特殊任務の一言でなんでも誤魔化せると思っていられるそのお気楽さ。見習った方がいいのかしら。」
「……白銀、幼女趣味。」
「―――うわー。みんなに見られてるのに、たけるさん、よく恥ずかしくないですねぇ~~~。」

 恥ずかしくないわけが無かった……武は内心涙を流しつつ、自らを犠牲にして霞の想い出作りに殉じることにしたのだった。

 騒ぎにならなかったのは、千鶴以下207女性陣の点呼の際に、霞は白銀の特殊任務関係者で機密に抵触する恐れがあるため詮索するなと、まりもが命令を下してくれたお蔭だった。
 もっとも、まりも自身が武の言い訳だと思っている節があり、まりもを含めた女性陣の武を見る目は実に冷ややかなものであった。
 そして、そんな雰囲気の中、午前中の格闘訓練において、武は格闘戦では部隊内最強の称号を持つ、彩峰の相手を命じられ、現在に至る……

 逃げてばかりでもいられず、間合いを詰めた武の懐に彩峰が滑らかに入り込んでくる、右手を取られ武自身の勢いをそのまま使って、右手から巻き込むように回転運動へと導いていく彩峰。
 STA(スペース・トルネード・アヤミネ)―――それは武の経験した全ての世界で共通して彩峰が得意とする投げ技で、武は数えるのも嫌になるくらいこの技を喰らっていた。
 普段であれば回避不能とも言えるこの技だが、格闘訓練中であれば当初より最も警戒している技でもある。
 心構えが出来ていた武は、自分を巻き込もうとする力に逆らわないように、自ら先んじて彩峰を飛び越えるように前転した。
 さらに途中で右手を捻られている方向に側転することで捻れを解消し、彩峰と向かい合う形で着地すると同時に、逆に彩峰の腕を左手で取りに行く。

 腕を取られ、力比べになる事を嫌った彩峰は、後ろへ飛び退って一旦距離を取った。
 続けて左右に身体を振ってフェイントをかけながら距離を詰め、武の右腕を取って関節技をかけようとする彩峰。
 しかしそれと察知した武は肘の関節を極めにきた彩峰の左手を自身の左手で肘を庇って止めると、そのまま右肘を折りたたみ身体を右前方へ沈めるようにしながら、右肘打ちを彩峰に喰らわせた。
 それと悟って自ら後方へ跳び下がり、彩峰は肘打ちの打撃を軽減したが、また距離が開いて仕切り直しとなってしまった。

 眉をひそめて憮然とする彩峰に、武は苦笑しながら声をかけた。

「……関節極めようとしてアテ外れたろ?」

「…………うん。」

 不貞腐れたような表情で呟いた直後、飛び込むようにして距離を詰めてくる彩峰。

「……っと! 手ぇ早いな……うかうか話もしてらんねぇ……」

 その後も間合いを計り、フェイントを繰り出し、武を捉えようとする彩峰だったが、武はその全てを避け切って見せた。

「……読まれてる。」

 何処か余裕の見え隠れする武の態度に、彩峰は不満げに言う。

「どうかな?」

 口ではそう応じるものの、武には確かにある種の余裕があった。
 格闘の技術だけを取れば、武は今の彩峰にすら叶わない。
 しかし、過去の無数の世界で今よりも上達した彩峰とすら何度も対峙した経験が、彩峰の技を容易にかけさせない事を、武に可能とさせていた。

「ねえねえ、彩峰さんの攻め、読まれてるよ?」
「うん……現役衛士とは言え、タケルは何をやらせても凄いな……」
「そうね、普通何かしら不得手があっても良さそうなものなのにね。」

 武と彩峰の対戦を見学している壬姫、冥夜、千鶴の3人も、予想外の彩峰の苦戦に感嘆の声を上げる。
 それを聞いて武は彩峰を煽ってみる事にした。

「……外野にあんな事言われてるぜ、彩峰?
 もう少し本気出せよ……まだ流してるだろ?」

「……白銀のくせに生意気。」

 武の挑発に右手を腰に当てて不機嫌に吐き捨てる彩峰。
 そんな彩峰の一瞬の隙を突く武。

「―――ふんっ! 後ろとったあ!」

 素早く彩峰の脇から回り込み背後に回って腕を―――

(―――ッ!! や、やばいっ! この展開は―――)

 一瞬身体の動きを止めた武―――しかし次の瞬間、彩峰に足を取られそうになったところを、武はぎりぎりで飛び退って回避した。

(あ、あぶねえ……今のパターンは確か、ジャーマンスープレックスをかけようとして、前に回した手で彩峰の胸を思いっ切り掴んじまうパターンだったはずだ。
 『前の世界群』じゃ、胸の感触に動きが止まったところで足を取られて、大事な急所を踏み潰されたんだっけ…………
 そうか! これが夕呼先生の言う『より良い確率分岐する未来を引き寄せる能力』ってやつなんだな!!―――違うだろうけど……)

「今の、白銀は何をためらったのかしら。」
「明らかに一瞬動きが止まっていたな。」
「でも、その直後に彩峰さんが足を取りにいってたよ?」

 武の行動に、観戦している3人も首を傾げる。
 彩峰も馬鹿にされたと思ったのか、武に詰問しながら詰め寄る。

「……白銀、わたしの事なめてる?」
「―――いや、そんなことは……」
「……じゃあ、背後取ったのに止まったのは何故?」
「そ、それはその―――」
「……白銀…………」

 潤んだ瞳を大きく開いて、武をじっと見つめながら彩峰が近づいてくる。
 武は仰け反りながら、両手を前に出して彩峰を宥めようとする。

「だ、だからだな、彩峰―――「足もらうね。」―――くはっ!」
「ごめん……」
「ちぃっ! させるかぁあッ!!」

 彩峰の表情に油断して足を取られた武は背中から地に倒されてしまった。
 しかし、その直後に彩峰が謝罪と共に右足を上げた瞬間を見逃さず、強引に身体を捻り彩峰に掴まれた右足を無理矢理奪い返す。
 右足に激痛が走ったが、幸い折れたり脱臼したりはしなかったようだ。
 必死になって地面を転がって距離を取り、武はようやく立ち上がった。
 何故、ここまでなりふり構わず必死に逃げたのか。それは…………

「きゅ、急所を狙うなッ!!」
「急所を狙うのは当たり前……」

 必死に抗議する武と、無表情に恐ろしい事を言う彩峰。
 そして、そんな彩峰をけしかけるまりも―――

「彩峰の言う通りだな。遠慮はいらん、隊内に性犯罪者が出る前につぶしておけ!」
「―――了解。」
「りょ、了解じゃないだろっ!! くそっ、こうなったらオレだって手段を選ばないぞ……」
「ふっ……やってみな。」
「言ったな彩峰! じゃあ、恐れおののけ―――次のヤキソバ上げるから勘弁してください……」
「ッ―――いいよ。」

 即答する彩峰であった。
 その彩峰に笑顔で近づき右手を差し出す武。

「よし、じゃあ握手だ彩峰―――っと、もらったっ!!」

 武に応じて彩峰が差し出した右手の、肘と手首の間の辺りを掴む武。
 驚愕を顕わにした彩峰としばし力比べになるが……

「―――っ!」
「―――ふんっ!」
「―――うっ?!…………!!」

 力勝負になってしまえば、やはり鍛え抜いた男である武に軍配が上がり、彩峰は地面に仰向けに倒されてしまう。

「「「「な…………/ほう……!/彩峰さんが……投げられたっ!?/…………」」」」

 未だかつて無い、投げられて地に臥す彩峰の姿に、千鶴、冥夜、壬姫、そして投げられた本人の彩峰が驚愕の声を上げた。
 中でも、彩峰の受けた衝撃は相当なものであったらしく、上体だけは起こしたものの、地面に座り込んだままで呆然としていた。
 そんな彩峰に一応注意を払いつつ武は歩み寄って声をかける。

「悪いな彩峰。」
「……投げられた。」
「……大丈夫か?」
「……投げられた。」
「悪かったな、今のは不意打ちだし……オレ、一応現役だから気にすんな。」
「……投げられた。」
「ほら、起きろ」
「…………」

 一向に正気に戻らない彩峰を、武は半ば抱き上げるようにして立たせてやった。
 それでも未だに茫然自失の彩峰に、武は頭を掻いて告げる。

「安心しろ彩峰、ヤキソバはちゃんとやるから。」
「ありがと白銀、もう大丈夫。」

 途端に正気に戻る現金な彩峰に、207の皆が微笑む。
 そんな訓練兵達に、教官のまりもからの有難い言葉が投げかけられた。

「なかなかやるな白銀。
 実戦で不意打ちは当たり前だ……たとえ訓練であろうと、常在戦場の心構えをわすれてはならんということだ。
 貴様たちにとって、白銀という存在はいい薬だな。もっと精進しろ。」

「―――そんなこと言ってみたところで、神宮司教官が無責任に彩峰をけしかけなければ、オレだってここまではしなかったって事実は変わりませんけどね。
 しかも、人のことを性犯罪者呼ばわりして……」

「うっ―――そ、その件は詫びよう。悪かった。
 ………………さて、それでは次の訓練に移る。
 御剣、準備は済んでいるな?」

「―――はっ!」

 まりもに名を呼ばれて前に出る冥夜は、何故か2振りの模擬刀を手にしていた。

「―――よしっ! 続いて御剣と白銀の模擬刀を用いた近接戦闘訓練を行う。
 他の者は観戦するように。では―――」

「ま、まりもちゃん、ちょっとまって……」

「―――始めーーーッ!」

 ………………今日の訓練は、未だ始まったばかりであった―――




[3277] 第18話 白銀4番勝負
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:39

第18話 白銀4番勝負

2001年10月26日(金)

 08時32分、グラウンドでは武と冥夜が模擬刀を構えて近接戦闘訓練で対戦していた。
 武は、彩峰との格闘戦に続いて、二戦目となる。
 鍛えた肉体は未だ疲れを見せてはいないが、刀を持った冥夜の相手は、今の武をして万全の状態でも厳しい戦いを強いられる。
 武は、己が不利を覚悟しつつ、冥夜と刃を交えていた。

「やるではないか。」

「っと!! そうでも……ねぇよ!」

 武は冥夜を相手に苦戦していた。
 冥夜の攻撃を避け、受け流し、なんとか有効な一撃を受けずに凌いでいたが、それもそろそろ限界に近かった。

「謙遜するな。刀を用いた近接戦闘でもここまでやれるとは、正直言って予想していなかったぞ。」

 冥夜は誉めているが、そもそも武は真っ当な剣術の修行をしていない。
 過去の無数の世界で冥夜に手ほどきを受けてはいたものの、それらは全て実戦を経験しBETAとの戦闘での長刀の有効性と継続使用時の脆弱性を知る前の事なので、正直それほど真剣には行っていなかった。

 武の我流剣法ではどうしても長刀を叩きつけるような斬り方になってしまったため、長刀の損耗が激しく苦労した苦い記憶がある。
 真剣に剣術の修行を行わなかった事を、戦場に出てからの武は後悔したものだった。

 それでも、それらの剣術修行の殆どで相手をしていたのが冥夜であったため、冥夜の癖は手に取るように知っていた。
 武がここまで冥夜の斬撃を凌げたのは、偏にこの事に由来する。

(―――やっぱり真っ当な剣術勝負じゃ敵わないな。
 ちっとばかり無茶だが……やってみるかっ!)

「どうした!? 集中力が欠けているぞッ!」

 対策を練るのに気を取られていた武だったが、冥夜の言葉に慌てて距離を取った。

「おっと! あぶねぇ―――どうして狙わなかった?」

「武士の情けと言うものだ。」

「へへ……後悔するぞ!?」

「させてみるがよい!」

 冥夜のその言葉に、武はニヤリと笑うと冥夜を中心に時計回りに回り込むように動き出した。
 冥夜が武に合わせて身体の向きを変えると、武は更に回り込む速度を上げる。
 回り込む武の動きに隙が無くも無いのだが、冥夜が勝利を確信出来るほどのものでは無く、誘いである可能性も考え合わせると、冥夜は斬りかかる気にはなれなかった。
 かといって、武の動きに付き合って向きを変え続けるのも馬鹿らしいので、冥夜は身体の向きは変えずに視線のみで対応しようとした。

 すると、武は冥夜が回り込むタケルを追って、限界まで右に捻った顔を左側に振り直したその動きにタイミングを合わせ、回り込む動作を中断して距離を詰め、そのまま冥夜の右側を駆け抜けつつ横殴りに斬撃を放つ。

「―――くっ!」

 完全に死角となった右側面から放たれた斬撃を、なんとか躱す事の出来た冥夜だったが、武に対して反撃する事も追撃する事も出来なかった。
 そして、武はまた冥夜の周囲を回り始める。
 戦術機に乗っての激しい機動で鍛えられた三半規管と体力、この2つでなら武は確実に冥夜に勝っていた。
 よって、武は真っ当に立ち合う事を諦め、冥夜を自らの動きで惑乱する作戦に出たのだった。

 周囲を巡っては隙を狙って擦り抜け様に切り付ける。
 馬鹿の一つ覚えのように、武はその戦法に固執した。
 そして、またもや―――

「でやぁあッ!!」
「くっ―――今度こそ!」

 武の姿が冥夜の視界から消えた直後、背後から気合の入った掛け声が上がり、冥夜は振り向き様に斬りかかろうとその身を捻る―――

「な……なんだと!?」

 冥夜が振り向いたその先には、冥夜に向けてスライディングを仕掛けてくる武の姿があった。
 横へ横へと意識を誘導した上での上下方向への揺さぶりは、冥夜でさえももう少しで見失ってしまいそうなほどであった。

 正に地を這う武の攻撃に、駆け抜ける武を横薙ぎに払おうとしていた斬撃を、足元に滑り込んでくる武へと無理矢理斬線を曲げて冥夜は放った。
 しかし、その斬撃は武に軌道を読まれ、模擬刀によって受け止められてしまう。
 そして、武の足が左右に広がり、冥夜の足を挟みこもうとする―――

「冥夜ァ! これで……どうだっ!!」
「―――くっ!!」

 間一髪、冥夜は倒れ込むようにして前転することで武の蹴撃を躱し、そのまま転がるようにして距離を稼ぐ。
 跳ね上がるようにして立った時には、先に立ち上がっていたのであろう武が駆け寄ってくるところであったが、ぎりぎりで構えを取るのが間に合った。

「―――ちっ、これでも倒せないか……さすがだな、冥夜。」

「正直、ここまで追い込まれるとは思わなかったぞ、タケル。
 ……許すが良い。射撃の能力が高まるに従って、近接戦闘を軽んじるようになる者が多かったのでな。
 先日そなたの狙撃訓練の話しを聞いて、それほどの腕前であれば得手は射撃であろうと踏んでいたのだ……が……」

「わりぃな、オレのポジションは突撃前衛だ……射撃だけなんて贅沢は言ってらんなかったんだよ。
 ……それにしてもさ……勝たせてくれないよな。」

「手を合わせる以上、手加減など出来ぬ!」

 そう言って、武に連続して斬撃を放つ冥夜。
 武に再び主導権を取られる事を嫌っているのか、手数が増えた分だけ、斬撃の鋭さが減少していた。
 必殺ではなく牽制を狙った斬撃である分、武は楽に捌くことが出来た。

 しかし、冥夜の連撃の速度は更に増していき、武が避け切れずに刀で受け流す率がどんどんと増えていく―――
 このまま冥夜が押し切るかと思えたが、先に息を切らし手を休めたのは冥夜の方であった。
 そして、手数を増やした付けが冥夜を襲う―――

「むっ!……け、決着がつかぬな……」

「なんだ……もう息が上がったか?」

「だっ、黙るがよいぞっ!……はあ……はあ……はあ……」

 さすがに斬撃を繰り出す手を休め、乱れた呼吸を整える冥夜。
 そんな冥夜を冷静な目で観察し、思いを巡らせる武。

(冥夜、何か考えてるな……勝負を焦ってるのか?
 オレだって、死ぬほど訓練を積んで、実戦も潜り抜けてきている。訓練生のおまえにそうそう負けてやるわけにはいかないんだ……)

「……全てを見透かしたような目だな。
 …………くっ……タケル、そなたに無現鬼道流の真髄を見せてやろう、心して来るがよい。」

「げ……冥夜、そりゃ本気出しすぎだろう?! こっちは剣術は素人同然なんだぞ?」

「……もし仮にそうであっても、無現鬼道流剣術免許皆伝者が剣を取っての立ち合いで、ここまで追い詰められて退くわけがなかろう?」

 冥夜は不敵に笑うと模擬刀を左腰に収め、自然体で立って目を閉じた。

(―――光風霽月……己が心を落ち着け、迷いを捨てる……タケル、私の全てをかけた一閃、受けるがよい……)

 最早武が周囲を巡ろうと、フェイントをかけようと、冥夜には一切動じる様子が無い。

「…………心眼か……しゃあない、後はオレが冥夜の一撃を避けられるかどうかだな…………」

 武は一旦間合いを広く取り、自らの身の内に力を撓めて(たわめて)いく。
 そして全力で冥夜めがけて突進していった……

(む……タケルめ、全速で来るか……それにしても、何という気迫だ…………
 風と……光を感じる……心の音は必要ない……今すぐ、ここから消えるがよい…………今だっ!)

 冥夜は己が心眼に従い、己が存在全てを一閃に込めて放つ―――刀を振るった手に斬鉄の手応えが伝わる。
 快心の手応えに、武の模擬刀を一刀両断にした事を確信し、冥夜に刹那の油断が生じた。
 その瞬間に、冥夜は胸の辺りに激しい衝撃を受け、吹き飛ばされて転倒した―――

(な……なんだとっ!)

 冥夜が目を開くと、武が刀身の半ばで断たれた模擬刀を片手に立ち上がる姿が見えた。

「おいおい、刃の潰してある模擬刀で斬鉄かよ……冥夜、おまえやっぱ本気出し過ぎだって……」

「……!!―――そうか、わかったぞタケル。そなた間合いに入ったところで斬撃と同時に飛び蹴りを放ったな?」

「ああ……おまえが目を閉じてさえいなかったら、通用しなかった手だな。
 おまけに、飛び蹴りの最中は回避も出来ないから、おまえの斬撃に当たるかどうかは運任せだった……
 一応、模擬刀で受けにはいってたけど、こうも見事に真っ二つにされたんじゃ効果はなかったかもな。
 ―――ていうか、当たってたらオレ大怪我だったんじゃないか?!」

「白銀は、走り出す前に右手で逆手に持った刀を右腰から背後に回して構えていたのよ。
 そして、間合いに入る直前で踏み切って飛び蹴りの姿勢になると同時に、刀を地面に垂直になるように真横に振り抜いたの。
 自分の体の盾になるようにね。
 御剣の抜刀はその白銀の模擬刀を見事に断ち切ったけど、その斬撃は白銀の身体の下を擦り抜けてしまったみたいね。」

「……あの一撃が当たっていたら、白銀も只じゃ済まなかった。
 けど、御剣の斬撃は左腰を起点にしてるから、飛び蹴りの姿勢に入った白銀に当たる確率はそんなに高くない……」

 一部始終を観戦していた千鶴と彩峰が事態の推移と評価を口にした。
 それを受けて、武も一言付け加える。

「それにしても、確かに心眼は凄いと思うけど、他の五感を切り捨てないといけないんじゃ、実戦で使うのはきつそうだよな。」

「……確かに……私もまだまだ修行が足りぬようだな……
 今後は、目を閉じずとも心眼を使えるように、精進するとしよう。
 タケル、そなたに感謝を……これで、私は更に高みを目指す事ができよう。」

「そんな大げさな事じゃないだろ?
 ま、冥夜が強くなるのは良い事だけどな。」

「そうね。御剣、次は白銀に完勝してやって頂戴よ。」
「たけるさん、すごいよ。御剣さんと互角にやるなんて。」

 ニヤニヤと笑いながら冥夜をけしかける千鶴と、尊敬の眼差しを武に向ける壬姫を、まりもの衝撃的な発言が襲う。

「榊、何を言っている? 他力本願ではなく、自分で白銀に圧勝して見せろ。
 珠瀬も暢気に感心してるんじゃない。
 次は貴様達が白銀の相手をする番だぞ。」

「「 え?…… 」」

 千鶴と壬姫が絶句した……2人とも近接戦闘が得意とはお世辞にも言えない方だ、しかも壬姫は体格にも体力にもあまり恵まれていない。
 そんな2人を放置して、まりもは今の一戦を講評する。

「ふむ……刀を使った近接戦闘で、御剣に土を付けるとは正直予想外だったぞ、白銀。
 それにしても貴様には定まった型というものがないな。
 相手や状況に合わせて、融通無礙に戦い方を変化させるとは……いや、発想自体にその傾向が見られるか……
 奇をてらうだけならば修正してやるのだが、一通りの基本を身に付けた上でやっている以上問題はあるまい。
 いいか貴様ら、白銀の次に何をやらかすか解らん奇天烈さは、BETAの予測不能といわれる振る舞いと比べても遜色ないぞ。
 これほどの教材には私もお目にかかったことは無い。
 白銀を仮想BETAだと思って、精々精進しろ! いいなッ!!」

「「「「 ―――はいっ! 」」」」
「………………オレは、BETA扱いですか……」

 武のいじけた呟きを気に止めるものは、その場には1人もいなかった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時03分、グラウンドでは武と千鶴・壬姫ペアが模擬短刀を構えて近接戦闘訓練で対戦していた。
 訓練開始前に、千鶴がまりもに願い出て、模擬短刀の複数使用の許可を得て始まった訓練だったが、開始直後から武は劣勢に追いやられていた。

「珠瀬ッ!」「はいっ!!」

 千鶴の指示で短刀を投擲してくる壬姫。
 そりゃないだろうと心の中で悲鳴を上げながら、千鶴を捉えようとしていた模擬短刀を引き戻し、慌てて飛び退ることでなんとか投じられた短刀を躱す武。
 その武に、千鶴は素早く追い縋って短刀で斬りつけてくる。
 千鶴に対峙して斬りかかろうとすると千鶴は間合いを取り、追い討ちをかけようとすると千鶴の合図で壬姫が短刀を投げてくる。
 しかも、壬姫はその片手間に投げた短刀の回収までしている。
 千鶴が陽動で壬姫が支援攻撃……まさに武はBETA扱いされていると言っても過言ではなかった。

 武と千鶴は両手に模擬短刀を1本ずつの計2本。
 武にとっては、両手に短刀を装備するのは、戦術機でBETA相手に二刀流で戦った経験があるため、苦にはならなかった。
 ……が、壬姫が10本を超える数の短刀を装備して投げてくるとあっては、文句の一つも言いたくなる。

「…………おい、委員長。いくら、短刀の複数使用が許可されたって言ったって、近接戦闘訓練でこれはないだろ?」

「何言ってるのよ白銀、あなたみたいな規格外を相手に、普通のやり方でやって勝てるわけ無いでしょ。」

「たけるさ~ん、勘弁してくださいね~。」

 千鶴の高い指揮官特性によって、武は行動の選択肢を狭められ、いいように壬姫の的とされていた。
 千鶴と入り乱れての戦闘中でも、壬姫の投擲は正確に武だけに当たる軌道で飛んでくる。
 今のところは千鶴の指示無しで投げてくる事が無いために避ける事ができているが、それでも後どれだけ避け続けられるか、武には自信がなかった。

「くっそ~、そっちがそう来るんなら……」

 武は周囲を見回して何事かを確認すると、直後に壬姫に向けて右手の短刀を、千鶴に向けて左手の短刀を投げつけた。

「な、なに?!」「うわぁっ!」

 悲鳴を上げて、飛んできた短刀を避ける2人。
 特に壬姫は地面に刺さった短刀を抜こうとしゃがみ込んでいたところだったので、姿勢を崩して地面に転がってしまっている。
 千鶴はさすがに姿勢を崩すには至らず、短刀を2本とも失った武に斬り付けようとするが、武は一瞬前の位置には既にいなかった。
 視界の隅で動く影に気付き、素早く向きを変えた千鶴の視界に、地面に刺さった短刀を引き抜き様に自分へと投じてくる武の姿が映る。
 咄嗟に回避しようとする千鶴だったが、攻撃しようとして前傾姿勢でいたために、回避動作が間に合わない。

「よし、榊は戦闘不能! それまでっ!!
 惜しかったな榊。作戦はなかなかに良かったが、白銀に真似される事も考えておくべきだったな。
 それと、BETAとの乱戦では、戦術機は地面に落ちている装備を拾って戦闘を継続することも珍しくない。ついでにこの事も憶えておけ。」

「―――はい。」

 まりもの講評に、悔しげに応じる千鶴に、壬姫が済まなそうに歩み寄る。

「珠瀬は、自分への反撃に対して脆過ぎたな。
 あそこで姿勢を崩していなかったら、榊が犠牲になるのと同時に白銀に短刀を投げつける事で、勝利することも可能だったはずだ。
 後衛であっても、自分の身もしっかりと守れなければ、前衛を危険に晒すという事が身に染みただろう。
 今後は気をつけるんだな。」

「……はい。」

 壬姫もしょんぼりと答える。

「さて、白銀……さすがに場数を踏んだ現役衛士だけあって、多数を相手にしても今更動揺したりはしないか?」

「まあ、そりゃそうですね。BETA相手じゃ多勢に無勢は当たり前ですから。
 でも、今の状況はレーザー属種の射程内で要撃級相手にしてるようなもんでしたから、大分きつかったですよ。」

「そうだな、BETA相手と違って、人間は連携をしてくる分厄介だからな。
 いいか、貴様ら。BETA相手の戦闘では、まず相手の数に圧倒されないだけの精神力と、周囲を敵に囲まれた状況でも粘り強く戦い続ける持久力が必要とされる。
 怯えに支配された時、心が折れて諦めた時、気力体力が尽きた時が負ける時だと思え。
 それらを心して鍛え、BETAと戦う日に備えろ! いいなっ!」

「「「「「 はいっ! 」」」」」

「教官、質問してもよろしいでしょうか?」

「許可する。言ってみろ、白銀。」

「ありがとうございますっ! 本日の教官の講評を伺っておりますと、BETAに関連するご指摘が多く含まれているように感じました。
 何か事情がおありでしょうか?」

「ん?……そうか、伝えて忘れていたか。
 全員聞け! この白銀からの上申により香月副司令の許可が下り、貴様らのBETA関連情報の閲覧資格が現役衛士並みに引き上げられた。
 今後は座学のカリキュラムが変更され、通常任官後に行われるBETAの行動特性、対BETA戦術などに関する講義が優先的に行われる。
 これは、白銀の特殊任務に協力するために必要な知識を貴様らに叩き込むためだ。
 正規任官の前に人類に貢献する機会を得たのだ、自らの境遇に感謝して邁進しろっ! 香月副司令の信任を裏切るなっ!」

「「「「 ―――はっ!! 」」」」

「さて白銀……」

「はっ! なんでしょうか教官!」

「私は貴様を、全力を持って練成すると約束したな?」

「はっ! 誠にありがたくあります、教官。」

 武の殊勝な態度に、まりもは満足気に頷いてから、ニヤリと獰猛に笑って続ける。

「うむ。しかし、訓練兵相手では少々貴様には物足りないようだ。
 ―――そこで、私が直々に相手をしてやろう。」

「は?…………」

「なに、最近少しお上品に過ごしていたのでな、腕が鈍っているかもしれないが、その辺は勘弁しろ。
 訓練内容は、今やっていたのと同じ、模擬短刀を使った近接戦闘、短刀の使用数は無制限だ。
 解ったら、返事をしろ、白銀ッ!」

 まりもの言葉に、言い知れぬ慄きを感じながら、武は直立不動で叫んだ―――少し、自棄気味だったかもしれないが。

「はっ! 教官のご教導、有難くお受けいたしますっ!!」

「よし、では始めるぞ……」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時34分、グラウンドでは武とまりもが地面を転がり回っていた……

 既に訓練が始まって10分以上が経過していたが、その間、意味のある言葉は誰も発していなかった……
 あまりに凄絶な戦いに、観戦している207隊の4人も皆、揃って言葉を失っていた。

 まりもと武が繰り広げている近接戦闘……いや、何でも有りの取っ組み合いと言った方が近いかも知れない。
 短刀を投げたり、蹴りやタックルが飛び出すのは可愛い方で、地面の土を使った目潰し、急所攻撃、頭突き、自分から地面に身を投じての足払い、容赦の無い踏み付け等など……
 休む暇もなく繰り広げられる攻防に、当人達は息を継ぐ間も慌しく、そこには会話など一切生じる余地がなかった。
 観戦している4人も、まりもの体裁をかなぐり捨てた猛獣のような激しい戦い方に、すっかり圧倒されていた。

 まりもは自分に可能な、ありとあらゆる攻撃を武にぶつけ続け、武もその攻撃を凌ぎ続けている。
 しかし、まりもの無尽蔵とも思える持久力によって繰り出される連撃に、武は攻撃へと転じる切っ掛けが得られずにいた。
 既に、まりもの攻撃を受け流すのに使った腕と脚は疲労と打撲で熱を帯び始めており、動きが鈍くなり始めている。
 当然まりもの方もダメージを負っている筈なのに、その動きは一切鈍る気配が無い。
 かえって、まりもの気迫が増している分、武は圧倒され始めていた。

(―――こ、これが……狂犬と恐れられたって言う、まりもちゃんの本気なのか……
 完全に捨て身で、そのくせ、攻撃は冷静に計算し尽くされた戦術で組み立てられている。
 攻撃のパターンも常に変化してるし……くっそう……付け入る隙がねえっ!)

 そして、遂にまりもの一撃が武の顔面にまともに入った―――堪らず地面に倒れる武。
 その武に猛然と飛び掛り、マウントポジションに持っていこうとするまりも。
 その瞬間、まりもが放った凄絶な殺気に、武は自分が死の淵に居るのだと、理由もなく確信した。
 その一瞬の間だけ、武にとってまりもはBETAと同一の存在として捉えられていた。

(―――くッ! このままじゃ確実に殺されるッ!!
 また―――また護り切れずに死ぬってのか?! 駄目だッ!!
 まだ死ねないっ! オレはまだ、死ぬわけにはいかないんだぁあアアアぁあぁあアッッッ!!!)

 飛び掛ってきたまりもに向かって、武の右足が凄まじい力で蹴り上げられた。
 そのまま避けずに押さえ込みにいったまりもの身体が、その信じ難い力によって跳ね飛ばされる。
 ごろごろと地面を転がって勢いを殺して立ち上がろうとしたまりもへ、低い姿勢で突進してきた武が頭から突っ込む。
 顔面に頭突きを喰らう形になったまりもは、堪らず後ろに転倒する。
 そのまりもの腹の辺りに跨り、マウントポジションを取る事に成功した武は、まりもの顔面をめがけて左右の拳を狂ったように繰り返し繰り返し振り下ろす。
 そのあまりの激しさに、冥夜が、彩峰が、そして、一瞬遅れて千鶴が飛び出して武を止めに掛かる。

「「「 タケル! もうよいっ、止めよ、止めてくれ!!/白銀、駄目!!/ちょっと、止めなさい、落ち着きなさい白銀ッ!!」」」

「あ………………オ、オレ……何を…………」

 3人の懸命な制止にようやく武が大人しくなる。
 そして、武が見下ろした先には、何箇所か顔を赤く腫らしてはいるものの、不敵に微笑むまりもの顔があった。
 あの武の猛攻も、まりもは堅実に防御していたらしく、顔面の怪我はそれほど酷いものではなかったが、恐らく両手には無数の打撲に因る内出血が発生しているに違いなかった。

「ま……まりもちゃん…………す、すいませんっ! オレ、なんてことを―――」

「訓練だ、白銀。気にする事は無い。それより重いから早く退いてくれ。」

「あ、は……はいっ!」

 慌ててまりもの上から退く武。
 急ぎ過ぎたのと疲労から、まともに立ち上がれず、脇に尻餅を付く無様な格好になってしまったが、誰一人としてそれを笑うものは居なかった。
 そんな武に、まりもは立ち上がると優しく微笑んで、講評を告げた。

「見事だったぞ白銀。貴様の戦い抜く意志の強さをしっかりと見せてもらった。
 しかし、感情に振り回されて、戦術を忘れてしまったのはいただけないな。
 貴様の歳にしては十分だと言ってやっても良いのだろうが、BETA相手に歳は何の言い訳にもならないからな。
 極限の状態でも自分を律して、感情を理性で制御できるように努力しろ。
 制御と言っても、押さえ込めと言ってるんじゃないぞ。
 強い感情のエネルギーが向かうベクトルを制御してやって、戦術に従って的確に振るえという事だ。
 それが出来るようになれば、もう一段貴様は強くなれるはずだ。
 解るな?」

「―――はいっ! 神宮司教官、ご指導ありがとうございましたッ!!」

 なんとか立ち上がって、よろけながらも敬礼して謝辞を述べる武を、まりもは満足気に見ていた。

「よし、私と白銀は念の為、衛生兵の手当てを受けてくる。
 その間、残る4名は本日のここまでの訓練を振り返ってディスカッションをするか、2人ずつ組んで近接戦闘訓練を行うかしていろ。
 では白銀、いくぞ。ついて来い。」

「はっ!」

 そして、泥まみれのまま、まりもと武はB4フロアの医療ブロックを目指してグラウンドを後にした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時07分、B4フロアの医療ブロックを後にした2人は、廊下を並んで歩いていた。

「本当に済みませんでした、神宮司教官。」

「気にするなと言っているだろう、白銀。
 貴様を窮地に追いやった時に、私が故意に放った殺気に反応して、貴様の生き足掻こうと(あがこうと)する意思が暴走してしまったんだ。
 私はそれを狙ってやったのだから、覚悟の上の事だったし、見たかったものは十分見せてもらった。」

「―――生き足掻こうとする意思……ですか……?」

 武が考え込むようにして呟くと、まりもは頷いて言葉を継ぎ足す。

「そうだ、貴様はあの時、目の前のありとあらゆる障害を打破して生き残るのだという強い意思を示した。
 恐怖でもなく、諦めでもなく、ただひたすらに強い、『生きる』という意志のみで行動したんだ。
 正直、あそこまでの反応だとは、予想できなかったがな。
 ―――白銀、貴様は余程大きなものを背負っているようだな。
 もっとも、そうでもなければ、香月副司令があそこまで気にかけたりはしないのだろうが……」

「―――過去に償い切れないほどの過ちを犯してしまったんで、必死に少しでも購おうとしているだけですよ。」

 武の常になく沈んだ声音に、武の表情をまりもは横目で伺う。
 しかし、武は直ぐに表情を改め、話題を切り換えた。

「夕呼先生と言えば、BETA関連情報の閲覧資格やカリキュラム変更の件はやっぱり先生から?」

「そう、今朝の社の件で報告したらその時に言われたわ。あたしが責任持てる範囲で白銀の好きにやらせなさいですって。」

「ははは……先生らしい言い草だなあ。」

「うふふ……そうね。
 社の件も、機密の件も、一応の確認は取れてるわ。
 さっきの訓練の様子を見る限りじゃ、性根が曲がっている風でも無いし、疑って悪かったわね。
 ―――ところで、中尉は特殊任務に関連して、207に対して他にどのようなご要望がおありでしょうか?」

 夕呼がらみの話の時だけ、共に夕呼の気まぐれに悩まされる仲間として砕けた口調で応じたまりもだったが、がらっと口調を改めて、上級者の指示を仰ぐ下士官の口調となって武の要望を訊ねた。
 武は、相変わらず見事に切り換えるなあと感心しながら、まりもの質問に応じた。

「実は、総戦技演習を前倒しにして欲しいんです。
 鎧衣美琴が隊に復帰した直後辺りに。
 期間も短縮して、内容も衛士任官後に役立つ内容が望ましいです。」

「それはまた急ですね。戦術機操縦課程に進ませる必要があるということですか?」

「そうです。その理由の一端は、神宮司教官も今晩知る事になるはずです。
 戦術機の新型OSを、オレの発案で夕呼先生が開発してくれています。
 それを使って最初から衛士を育てる、そのテストケースに207隊にはなってもらいます。」

「……新型OS、ですか?」

 新型OSと聞いて、まりもの表情が浮かないものになるのを、武は楽しげに眺めた。

「そうですけど、今晩自分の目でどんなものかは見れると思いますよ。
 お眼鏡に適わない様だったら、新型OSをお払い箱にすると約束します。
 まあ、気に入ってもらえると思いますけどね。
 実戦証明尊重主義は仕方ないですけど、今後207ごと神宮司教官にも新戦術と新兵器の開発を手伝ってもらう事になりますから、あまり否定的にならないようにお願いします。
 あと、鎧衣の方ですけど、個室に移して、座学で使うBETA関連資料を読ませるわけには行かないですかね?」

「可能だと思います。その様に手配しておきます。」

「よろしくお願いします。明日以降、オレは特殊任務で訓練の方は抜けがちになるかもしれないので、そのつもりでいてください。
 それと、午後の訓練時間は比較的合流出来ると思うので、カリキュラムを調整しておいて貰えますか?
 内職でやっていた資料作成はあらかた終わったので、座学を極力午前中に入れて貰えると助かりますね。」

 武の言葉に耳を傾け、必要最低限の受け答えをしていたまりもだったが、話が終わりに近づいたと感じたため、返事に続けて、僅かに悪戯っぽい笑顔を浮かべて言葉を継いだ。

「了解です。―――ところで中尉、特殊任務に関するお話の時には、敬語をお使いいただくには及びませんが?」

 まりもの言葉に武は頭を掻いて応える。

「やだなあ、まりもちゃん。まりもちゃんみたいに、その場その場で言葉遣いを変えるなんて、オレには無理ですって。
 そもそも、軍隊口調でさえ怪しい事があるのに……」

「中尉の練成は言葉遣いや儀礼を中心に行った方がよろしいですか?」

「それだけは、勘弁してくださいっ!」

 武の言葉を切っ掛けに立場が頻繁に入れ替わり過ぎて、境界が曖昧になり始めていた2人は顔を見合わせて笑い、手当てを受けたばかりの傷の痛みに顔を引き攣らせた。




[3277] 第19話 白銀の価(あたい) +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:40

第19話 白銀の価(あたい) +おまけ

2001年10月26日(金)

 12時03分、1階のPXで207の5人は今日もまた昼食を共にしていた。

「それにしてもタケル。そなたは本当に諦めぬな……不撓不屈とは、正にそなたにこそ相応しかろう。」

「確かに、諦めの悪さは天下一品よね。結局午前中の4連戦は全勝だったじゃないの。」

 冥夜が腕組みをして目を瞑り、感服したと言わんばかりの口調で武を評すると、千鶴がそれに相槌を打つ。

「よせよ、委員長。全勝って事はないだろう。
 彩峰の時は騙し打ちだし、冥夜の時だって剣術の仕合ならオレの完敗だ。
 神宮司教官相手だって、追い込まれてたのはオレの方だったし、暴走して正気を失っちまったんじゃ負けたも同然だ。
 ……ま、委員長相手のだけは、オレの作戦がちだな。」

 武は2人の言葉に、くすぐったい思いを抱きつつも、千鶴の全勝という評価にだけ異を唱えた。
 が、最後に付け加えられた一言に、千鶴は柳眉を逆立てて目を吊り上げる。
 そこから堰が切られたように各々が思い思いに話し出し、いつの間にか千鶴と彩峰の諍いへと発展していく。

「―――な、なんですってぇっ!」
「……それでも白銀は凄い。追い詰められた後に必ず挽回する。」
「そうですよ~、たけるさん、すごすぎですよ~~~。」
「確かに彩峰の言うとおりかもしれん。普通事前に策を練るのであればともかく、その場の思い付きで、ああも局面を引っ繰り返したりは出来ぬものだ。」
「そうね。白銀は、余程珍奇な思考回路を持ってるに違いないわ。」
「……白銀の才能に嫉妬?」
「あ、彩峰~っ、誰が嫉妬してるんですってぇ?」
「……誰?」
「貴女に聞いてるのよっ!!」
「……なんで?」
「あははははは……また始まっちゃったよ……」
「まったく、毎回々々、よくも飽きぬものだな。」
「ちょっとオレも今は止める気力が無いよ…………あ、ごめん、ちょっと用事を思いついたんで先に抜けさせてもらうな。」
「「「「 ―――え? 」」」」

 武の唐突な発言に、千鶴と彩峰まで矛を収めて目を丸くする。
 しかし、武は手早く昼食を済ますと席を立ってしまう。

「悪いなみんな、じゃ、午後の座学でな。」

「「「「 ……………… 」」」」

「……彩峰……頼むわ。」
「わかった……」

 実に珍しく、千鶴と彩峰が阿吽の呼吸で連携し、音も立てずに席を立った彩峰がPXを出て行こうとする武の後姿を追っていった。
 それを見送ってから、冥夜は千鶴に訊ねる。

「よいのか? 榊。もしや機密に触れてしまうやも知れぬぞ?」

「え? えええええ?」

 冥夜の言葉に、何が起こったのかようやく察した壬姫が動揺する。
 しかし、千鶴は平然と食事の続け、口に含んだご飯をしっかりと嚥下してから応える。

「別に、後をつけた位なら問題にはならないでしょ。機密ブロックに彩峰が忍び込みでもしなければね。
 大体、白銀は挙動不審すぎるのよ。」

「む……それは否定できぬ事実だが、もう少しあのものを信用してやっても良いのではないか?」

「信用? 私は白銀の事はちゃんと信用してるわよ。
 けど、気に食わないものは気に食わないのよ。」

「そ、そうか……難しいもの……なのだな。」

「え~? 榊さん、なんでそんなにたけるさんのこと気にするの?
 たけるさん、良い人だよ。」

「―――そう、白銀は良い人。」

「うわっ! あ、彩峰さん……いつの間に……」

「早かったわね、で、白銀はどこに行ったのかしら?」

「機密ブロック直通のID認証付き高速エレベーターに乗って行った……多分、香月副司令のところ。」

「―――そう、御剣の意見の方が正しかったようね。
 それにしても機密ブロックへの立ち入り許可まで持ってるだなんて、さすがは香月副司令の直属って事かしら?」

「いずれにせよ、我らの手には負えぬ事だ。
 悪戯に軍機をつついても、火傷するだけだぞ?」

「……そだね。」

 4人は互いの顔を見合わせて、黙り込んでしまった……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時16分、B19フロアのシリンダールームに武が入室すると、そこには相変わらず霞がいて、純夏のリーディングを行っていた。

「よう、霞。お昼ごはんはもう済んだのか?」

 武が訊ねると、霞はコクンと頷いた。

「そっか、最近夜とか忙しいからさ、もし霞の都合が良かったら、純夏へのプロジェクションと、霞とのあやとり、昼休みを使って出来ないかと思ってな。
 どうだ? 都合悪いか?」

「……いいえ。」

「いいえって……都合悪くない、大丈夫って事か?」

 またもやコクンと頷く霞。

「そっか、じゃあ、プロジェクションから頼めるか?」

「……はい。純夏さん、きっと喜びます……」

「そっか、そうだと良いんだけどな……じゃ、頼むぜ、霞。」

 昨日は時間の都合が付かなくて休んでしまったが、純夏へのプロジェクションと霞との想い出作りは、武が己に科した償いのひとつでもある。
 自分をこの世界で再構成し、世界をBETAから救いうる可能性を託してくれた純夏に、武は深い感謝と愛情を感じている。
 武を現在の無間地獄と呼んでも構わないような境遇に叩き込んだ原因でもあるのだが、武は純夏を全く恨んではいなかった。
 それどころか、武との再会を望み、救いを求めている純夏に応えないという道を選んでしまった事に、強い罪悪感を抱いていた。
 それ故に、脳髄のままで生き続ける純夏に、暖かい想い出を送る事で僅かながら償いをしたいと思わずにはいられない武であった。

 そして、罪の意識は霞へも向いている。
 『前の世界群』で、霞は00ユニットとして起動した純夏に懐いていた。
 純夏の精神が安定する前は姉のように、安定した後は妹のように、仲睦まじい姉妹のように寄り添っていた2人を武は忘れることが出来ない。
 そして、純夏の想い出を自分の想い出として、大事に胸の奥に抱え込んでいた霞に、十分な想い出を与えてやれないままでループしてしまった事を、武は後悔していた。
 だから、今回はできるだけ沢山、霞自身の想い出を作れるように、僅かばかりでも手伝いをしたいと武は願っていた。

 しかし、武の最優先目的は2人の幸せではない―――いや、2人の幸せも含まれてはいたが、2人だけの幸せを優先する事は武自身が断固として許していなかった。
 この世界だけでなく、数多の確率分岐世界に於ける『人類はBETAを圧倒する』という因果を支配的にする。
 その為に、人類をBETAに勝利させ続け、可能な限り犠牲を減らし、『人類はBETAを圧倒する』という因果に沿った世界を積み重ねる事で、時空間因果律に干渉する。
 現状、武にしか出来ないこの責務から、武は逃げ出すわけにはいかなかった。
 この責務の前には、あらゆる犠牲を甘受することを、武は自らに課している。
 そして、自ら背負った責任を背に歩み続ける事を、武は純夏へと誓うのであった……感謝と共に。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時02分、午後の座学が終わり、校舎の廊下をPXへと向かう207の5人の姿があった。
 この座学から、BETAに関するより詳細な情報を学ぶ事になった207女性陣であったが、さすがにBETAの醜悪な姿に顔をしかめたものの、終始熱心に知識を貪っていた。
 それは至極当然かもしれない。BETAと戦い人類を勝利に導くという強い決意を持って訓練に励んできた彼女達にとって、BETAの詳細情報は何にも代え難い貴重な情報であったはずだから…………とはいえ。

「それにしても、気持ち悪かったですねぇ~。」
「うん……妖怪?」
「これからご飯なのに、思い出させないでよ、珠瀬。」
「あ……ごめんなさい、榊さん。」
「む……しかし、あれが雲霞の如く迫ってくる事を想像すると…………う……」
「だ~か~ら~~~~っ。」

「ま、最初に見るとインパクト強いよな。
 初陣での衛士の平均生存時間が8分てのは、生理的嫌悪感や心理的圧迫から来る効果も絶対入ってるよな~。」

「あら? 実戦経験のある衛士でも、やっぱり見てて気味の悪いもの?」

「ん? いまじゃ、見れば闘志や憎悪の方が先に沸くけどな。
 まあ、オレの場合は衛士になる前からBETAに対するPTSD持ってたしなー。」

「「「「 え?!…… 」」」」

 武の何気ない一言に、揃って驚愕する4人。

「理由は解んないんだけど、最初はBETAが攻めて来るって聞いただけで倒れちまってさ。
 初陣の時なんて、後催眠暗示と興奮剤でバッドトリップしちまって、恐怖心から逆切れして単機でBETAに突っ込んじまったんだ。
 我ながらあれは酷いもんだったな。
 なんとか生き延びたけど、機体は大破させちまったし……オレに衛士のいろはを教えてくれた人も、間接的にだけどオレが暴走したせいでBETAにやられちまった……」

 武はまりもの死の記憶に、一瞬だけ苦渋の面持ちを見せるが、無理矢理笑顔を取り繕って、話を続ける。

「―――てことで、そんなオレでも、今じゃBETA相手に怖気づく事も無く戦えてるってわけだ。
 だから、奴らの見てくれなんて慣れちまうけど、慣れるまでは自分の手綱をしっかり握ってやんないと、自分ばかりか周りに迷惑を掛けちまうってことさ。」

「そ、そうか……そなた程の者でも、最初から強かったわけではないのだな。
 やはり、重要なのは絶えず高みを目指す意志か。」

「お、良い事言ったな冥夜。そうさ、だからおまえ達は絶対に生き延びて、BETA共を蹴散らしてやれよ。」

「「「「 無論だ/ええ/うん……/はいっ! 」」」」

「じゃ、メシ食いにいくか……っと、そうだ冥夜、悪いんだけどちょっと良いか?
 特殊任務絡みでちょっと教えて欲しい事があるんだ―――長刀の扱いに関することなんだけど。
 ……そうだな、一応機密扱いだから、他のみんなは悪いけど先にPX行っててくれるか?」

「「「「 うむ。私は構わぬぞ/そういう事なら、仕方ないわね/じゃ、またね……/さきいってますね~ 」」」」

 武の言葉に、冥夜をその場に残し3人は連れ立ってPXへと向かった。

「して、タケル。聞きたい事とはなんだ?」

「あー、ごめん冥夜。長刀の扱いってのは、嘘だ。」

「な、なに?! 嘘をついてまで、私と2人きりになって、ど、どうしようと言うのだ。」

 驚愕に半歩後ずさってしまう冥夜。

「あ、大事な話があるのは本当なんだけど、他の連中には聞かれたくなくってさ。」

「た、他者を交えずにする、大事な話だとっ! そ、そうか……さすれば、嘘も止むを得まい……」

 一転して、夕陽に頬を染め瞬き(まばたき)を繰り返し、気持ち上目使いで武の様子を窺う冥夜。
 その冥夜に正面から対峙して、武は真剣な面持ちで口を開く。

「冥夜、落ち着いて聞いてくれ。
 オレはおまえがどんな境遇の生まれでも、そんな事はなんの関係もなく大切な仲間だと思っている。
 それは、信じてくれるよな?」

「あ……ああっ! 無論だ、タケル。い、一時たりとも疑った事なぞないぞっ!!」

「ありがとう、冥夜……
 けど、オレが今から言うことは、おまえの信用を裏切るような事に思えるかもしれない。
 それでも、これはこの国の、ひいては人類の為になると信じて、オレは敢えて冥夜に頼む事にした。」

「?……タケル? そなた何が言いたいのだ?」

「……冥夜、月詠さん―――斯衛軍の月詠中尉とオレを引き合わせてくれ。
 特殊任務の関係で、斯衛軍と秘密裏に接触したいんだ。
 おまえの出生なんて関係無いと言い切ったこの口で、その立場に縋るような、こんな事を頼むだなんて、冥夜には本当に済まないと思っている。
 けど、オレの事は軽蔑してくれても構わないから、この願いをどうか叶えてくれ。
 ―――この通りだ。」

 一気に言い切って、タケルは深々と頭を下げた。

「―――タケル、そなた、この国の為だと言ったな。
 その言葉に偽りは無いな?」

 表情を消して、静かに問い質す冥夜に、頭を下げたまま武は強い意志を含ませて断言する。

「無い。詳細は言えないが、上手く行けば帝国の衛士の命が少なからず救われる!」

「なにっ―――そうか、そなたがそこまで言うのであれば、信じよう。
 わかった、今宵にでも月詠に話を通しておく。
 タケル、頭を上げよ。そなたは自らの行いを信じているのであろう。
 であれば、何も恥じ入る事はあるまい。
 私の気持ちなど、大事の前の小事、多くの衛士が救われるというのであれば、この身が役に立てるのはむしろ本望だ。」

 武は頭を上げると、再び冥夜を真っ直ぐに見つめて言う。

「―――ああ、冥夜。おまえはそう言ってくれると、オレは信じていた。
 けど、オレにとっておまえの気持ちは決して踏み躙りたくない大切なものなんだ。
 こんな頼み事をしておいて厚かましいだろうけど、それだけは信じてくれるか?」

「そうか、それは何よりの言葉だ。
 しかし、私を見縊るでないぞ、タケル。
 私はこれしきの事で、一度信じた仲間を疑ったり蔑んだりはせぬ。
 そなたは胸を張って己が信じた道を征くがよい。
 私はそなたに誓ったはずだ。
 そなたの目標を私の目標とし、私は我が微才の身の全てを以って、そなたの助けとなると。
 そして、為しうる限り多くの兵士を救い、ひいては多くの民に安寧をもたらすと。
 よもや忘れたとは言わさぬぞ?」

 武の眼を真っ直ぐに見返して、冥夜は笑みを浮かべた口で告げた。
 武は、もう一度頭を下げると、冥夜に心からの感謝を捧げた。

「ありがとう、冥夜。
 おまえの気持ちに、応えられるように、これからも精一杯足掻いていくよ。」

「うむ。それでこそ私の信じたタケルだ。」

 2人は夕陽の差し込む校舎の廊下で、決意をこめた不敵な笑みを交し合うと、共にPXへと向かった。
 ―――その姿を現したばかりの『月』に気付く事も無く……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時17分、国連軍横浜基地衛士訓練学校校舎1階の教官控え室に白衣の女性がノックもせずにふらりとやって来た。

「まりも~、元気してる~?」

「夕呼?! またいきなり入って来て……ノックぐらいしてっていつも言ってるでしょ~。」

「なによ~、いきなり入って来られたら困るような事でもしてるってわけぇ?
 ま、あんた、ここ数年男に飢えてるもんね~。
 それじゃ、しょうがないわよねぇ~~~。」

 邪悪な笑みを浮かべて、親友の筈であるまりもを追い詰めていく夕呼。
 不利を悟ったまりもは、抵抗を諦めて、夕呼の用件を訊ねる。

「も~、何とでも言って頂戴。それより、用件はなんなの?」

「男って言えばさ~、最近身近に生きの良いのが入ったじゃないの。
 もう食べちゃった?」

「生きの良いのって……白銀の事?
 まがりなりにも上官なのに、こっちから手を出せるわけ無いでしょ。
 そ、それに年下じゃないの~。」

「年下! いいじゃないの~、あんた子供っぽいとこあるから、そんなに違和感無いんじゃないの?
 あたしには性別認識圏外だけど。」

「そりゃあ、あの歳にしては頼り甲斐はある方だと思うし、ちょっと危うい所はあるものの精神的にも安定してるわよ?
 けど、教え子でもあるわけだから…………って、夕呼あなた……
 もしかして、それが用件なの? 白銀の素行調査に来たってわけ?」

 まりもが表情を真剣なものに改めて訊ねると、夕呼はふっと笑って、それでも真面目な口調で応える。

「あんたも、伊達に長年あたしと付き合ってないわね。
 その通りよ。それなりの理由があって引っ張ってきて直属にしたものの、あいつちょっと扱い辛い所があってね。
 あんたの意見を参考にしようと思って、わざわざ足を運んだってわけ。
 で、あんたから見て、あいつってどうなの?」

 夕呼の諮問を受けて、まりもは俯き加減になって、真剣に思いを巡らす。
 まりもにとって、目の前にいるのは既に親友ではなく、極秘計画を押し進める横浜基地副司令であった。
 副司令の要求に応えるため、自分の全能力を傾けて答えを出す。

「……白銀には、あの年齢ではありえないほどの経験―――というよりは重い過去があるように感じられます。
 また、非常に強い意志に支えられた目的も持ち合わせていると判断できます。
 その意志の強さ自体は、香月副司令、あなたのそれにも匹敵しかねないほどのものと思われます。
 無論、甘さや揺らぎ、限界なども感じ取れますが、あの歳であることを考えれば驚異的であるといえます。
 それらの存在により、白銀の人物像には常に不鮮明な部分が伴い、容易に人品を捉える事が出来ません。
 ―――ただし、表層に出ている素行を見る限りにおいては、その本質は温厚であり、情愛に満ちて、誠実で、自制的です。
 常識に欠け、奇天烈な発想や言動を取る事が多いのは欠点ですが、反面、定型的な思考に囚われない特質でもあり、現在従事している特殊任務の内容からすると、長所であるとさえ強弁し得る程度に過ぎません。
 編入後の言動に矛盾は少なく、これがもし演技であるとすれば、相応の訓練を受けているとしか考えられません。
 衛士訓練生―――いえ、現役衛士としてみても知識、能力共に、凡そ全ての面で平均を大きく上回っており、その優秀さは疑問を挟む余地がありません。
 結論として、もし、彼が何らかの悪意を隠した潜入工作員(スリーパー)であるとした場合、この上なく危険な人物ですが、現状その可能性は少ないと思われます。
 そして、悪意を持たない味方足り得る人物として捉えたのであれば、万難を排して用いるべき稀有な人材だと考えます。」

 夕呼は真剣な眼差しで、まりもの所見を聞き終えた。

「―――そ、裏切らせない限り、使い出は十分にあるって事ね。
 ただし、敵には回すなってとこ?」

 報告を終えたまりもは、親友としての砕けた言葉遣いに戻って、夕呼の言葉に応える。

「―――そうね。でも、あの子は、余程の事でもなければ敵に回ったりしないと思うわよ?
 まあ、夕呼がやり過ぎたら危ないかもしれないけど。
 ―――それにしても、あなたが扱いに悩むなんて、あの子余程の大物だったのね~。」

「そんなとこよ。おまけに妙に知恵が回って、思うように踊ってくれそうに無くってね。
 ―――っとに、厄介だわ。」

「あら? あたしに対しては素直でいい子よ?
 夕呼の接し方が悪いんじゃないの?」

 まりもが悪戯っぽく、からかうように言うと、夕呼は珍しく僅かに頬を赤くして、語調を荒げて言い返す。

「ッ―――あたしにあんたの真似が出来るわけ無いでしょ。
 ま、参考にはなったわ。お礼にあたしの夕食を届けさせてやるから食べなさい。
 天然物の食材を使った高級品よ。
 でも、7時からシミュレーターデッキに来て貰うから、酒は飲まないでおきなさいね。」

「有難く貰うけど、夕呼、食生活や睡眠はちゃんとしないと駄目よ?
 色々と大変なんでしょうけど、無理し過ぎないでね。」

「はいはい―――あんたに心配されるほど零落れ(おちぶれ)ちゃいないわよ。
 じゃあ、また後でねぇ~。」

 夕呼はひらひらと手を振ると、教官控え室から立ち去っていった。
 まりもには、その親友の後姿を、心配そうな顔で黙って見送ることしか出来なかった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時22分、シミュレーターデッキではハイヴ制圧戦のシミュレーター演習を武が行っていた。
 制圧対象は『甲21号目標』―――佐渡島ハイヴが想定されており、戦術機母艦から発進し、上陸、陽動、軌道降下兵団の突入を待って地上部隊のハイヴへの突入と、『甲21号作戦』の作戦そのままの展開であった。
 武は何度か撃墜されながらも、途中で時間経過を飛ばしつつ、作戦の各段階をハイヴ突入前までこなしていた。
 既に基本的なコンボパターンの登録やバグ出しは終わっており、あとはOSに経験を積ませる段階にきていた。

「で、どう? 白銀の腕前は。」

 夕呼の質問に、武のシミュレーションデータを制御室で観戦していた、みちるとまりもは順に感想を述べる。

「どうもこうも……このような機動は従来の戦術機では実現不可能です。
 これを見ただけでは、どこまでが新OSの性能で、どこまでが衛士の腕なのかが判別できません。
 ただ……このような機動を思い付き実行しようと思うだけで、十分人並み外れた衛士であることは間違い無いと考えます。」

「……白銀には突出した特性は無いと考えていましたが、戦術機特性に優れていたのですね。
 衛士強化装備のフィードバックデータ蓄積による緩和効果があるとしても、あの機動に耐えられるとは並大抵の戦術機特性ではない筈です。」

「ああ、あいつがシミュレーターに乗ったのは、今日も合わせて4時間ちょっとだから。
 強化服を渡したのも昨日だしね。」

「「 は?! 」」

 驚愕のあまり、間の抜けた声を出してしまうみちるとまりも。
 たかが4時間ほどのフィードバックデータの蓄積では、衛士強化装備による加速G等の緩和効果は、無いよりまし程度に留まる。
 だとすれば、強化装備の緩和効果無しで、あの機動で発生するGに耐えられるという事になるのだが……

「信じられん。神宮司軍曹はどう思いますか?」

「私も到底信じられませんが、もしそうだとするなら……」

「白銀の戦術機特性は、トップクラスよ。
 まあ尤も、技量が1位ってわけじゃないから、あくまでも加速Gに対する適性が高いだけだけどね。」

「「 ………… 」」

 そんな話をしている間に、武はハイヴへと突入を開始していた。
 噴射跳躍を繰り返し、BETAを避けて進攻していく武の『不知火』。
 武装は着地点の確保と、天井から落下してくるBETAに対して使う程度で、消費も少なく、進行速度もヴァルキリーズで出した記録(レコード)よりも遥に速かった。
 そして、武は単機でフェイズ4ハイヴの中階層を駆け抜けた辺りで、要塞級の衝角を避けそびれて撃墜された。
 ハイヴ突入後、ここまでの所要時間は30分を切っていた。

「そう言えば、以前白銀が言っていたことですが、『人間を超えた動きも出来るのが戦術機だから、そういうものだと思って操縦する』のだそうです。
 その発想がこの機動に結実しているのかも知れません。」

 まりもが、射撃訓練の時の武の言葉を思い出して言うと、みちるは感銘を受けたように頷く。

「なるほど……あの衛士はその様な事を言っていたのですか。
 自分の身体の延長と思う事で、我々は戦術機の機動に枷を嵌めてしまっていたという事か。
 発想の根本からして我々とは違うのだな……」

 そんな2人を放置して、シミュレーターの制御と管制をしていた霞に、夕呼は何やら話し掛けていた。

「社、デバッグと機動概念の微調整は終わった? 残りの試作OS搭載シミュレーターを更新(アップデート)して稼動できる?」

「……はい……大丈夫です。」

「そ、じゃあ早速やって頂戴。
 ―――白銀、この後、伊隅とまりもを試作OSに換装したシミュレーターに乗せるから、暫く休憩してなさい。
 更新作業が終了し次第、2人に試作OSの説明をして、操作に慣れさせてやって頂戴。
 で、2人が慣れたら、あんた対伊隅・まりもペアで市街戦よ。―――わかったわね?」

「あ、あの副司令?」

「言うだけ無駄です。強化装備を装着しに行きましょう、伊隅大尉。」

 なにやら、聞いた覚えの無い予定を武に伝える夕呼に、みちるはせめて確認しようと声をかけるが、まりもに諭されて、大人しくドレッシングルームへと向かう事にした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時57分、シミュレーターデッキでは、みちるとまりもの試作OS慣熟訓練が始まろうとしていた。
 機体は各人共に、試作OS搭載の『不知火』に設定されていた。

「伊隅大尉、白銀武臨時中尉であります。よろしくお願いします。」

「うむ。伊隅みちる大尉だ。所属は明らかにしないが悪く思うな。」

「ああ、所属は存じ上げていますのでお気になさらず。」

 武の不注意な一言にみちるの眼が光る。

「ほう……貴様、どこでそれを知った?」

「あ、やべ……えっとですね―――」

 動転した武は、上手い説明が思い付けずに口ごもる。どんどん冷えていく雰囲気に、まりもが説明役を買って出た。

「伊隅大尉、白銀中尉は、香月副司令直轄の特殊任務に従事されています。
 この試作OSの開発もその一環であり、運用評価試験その他を大尉の部隊も任されるものと推察しております。
 ですから、白銀中尉は大尉の部隊に関しても、相応の情報開示を受けていると思われます。
 ―――白銀中尉。ご自身がご存知だからと言って、機密情報を知っておられることを、不用意に明かされる事の無いようご留意下さい。」

「―――わかりました。説明してくれて助かりましたよ、ま―――神宮司教官。」

「私の部隊『も』? それに、神宮司教官?」

 武とまりものやり取りを聞いて、みちるは訝しむような表情で考え込む。
 武は切りが無いと見て、強引に進めることにした。

「時間が勿体無いので、自分の事は後刻として、試作OSの慣熟訓練を開始させていただきます。
 何よりもご注意戴きたいのは、操作に対する即応性が30%向上しており、操縦系に対する『遊び』が殆ど無いため、繊細な操作が求められる事です。
 この点にご注意戴いた上で、機体を動かしてみてください。」

「「 了解。 」」

 前もって武に注意されたお蔭で、みちるもまりもも機体を転倒させる事も無く、試作OSでの操縦のコツを瞬く間に修得していった。

「結構です。では次に連続動作を試みてください。
 これは入力の終わった動作を戦術機が行っている最中に次の動作を先行して入力する事で……」

 武の指示に従って、試作OSの特殊な機能を一通り学び、慣熟訓練は25分ほどで完了した。
 武は、2人に更に5分ほど自由に機動を行い、自在に操れるようになってもらう事にした。

「―――これでは、従来のOSでの機動がヨチヨチ歩きにしか思えんな。」
「確かに。慣れてしまえば、これ程扱いやすいOSはないでしょう。」

 みちるとまりもの評価も上々のようで、こうなると解ってはいたものの、武は安堵の溜息をついていた。

 そして、いよいよ1対2での市街戦演習が行われる事となった。
 みちるとまりもの『不知火』の装備は『突撃前衛装備』で、87式突撃砲を右手に、92式多目的追加装甲を左手に保持し、背部兵装担架(パイロン)に74式近接戦闘長刀を2振り装備していた。
 対する武は『強襲前衛(ストライク・バンガード)装備』で、両手に87式突撃砲を1門づつ保持し、背部兵装担架に74式近接戦闘長刀を2振り装備していた。
 1機で2機を相手にしなければならない武が、攻撃よりの装備を選んだ結果であった。

「よし、前衛を頼む、神宮司軍曹。」
「は、お任せ下さい。」

 みちるのバックアップを受けて、まりもは『不知火』を遮蔽物となるビルの陰から陰へと、街路を斜めに横切るように、ジグザグに移動させていく。
 まりも機は移動の最中にもアクティヴセンサーを全力発信、みちるも自機のパッシヴセンサーを活用して、武機を索敵する。
 アクティヴセンサーを全力発信したまりも機を捕捉した武は、迎撃ポジションを定めて砲撃するチャンスを狙う。
 そして、まりも機がビルの陰から飛び出し、次の隠蔽ポイントへ向かう途中で武機の右手の36mm突撃機関砲が1連射された。
 まりもは咄嗟に走行をキャンセルして機体を噴射跳躍させ、武の『不知火』を捕捉する。
 そして、接敵を宣言するまりも。

「ブラボー2、エンゲージディフェンシヴ!」

 武機はビルに挟まれた路地へと飛び込み、まりもの射線から身を隠して、隣の街路を目指す。
 まりも機からの索敵情報をデータリンクで共有したみちるは、武の退避ルートを読んで、武よりも先にもう一本隣の街路へと飛び出した。

「ブラボー1、バンデッドインレンジ! エンゲージオフェンシヴ!!―――フォックス3!」

 そして、36mm突撃機関砲による攻撃を宣言して、案の定飛び出してきた武機―――バンデッド1を、今出てきた路地へと追い戻すように1連射する。
 武機はみちるの狙い通り、飛び出してきたビルの陰へと戻ったため、これでまりもと挟撃出来ると、みちるは一人ほくそ笑んだ。

「ブラボー1よりブラボー2、バンデッド1を追い戻した、両側から挟撃するぞ!」
「ブラボー2、了解。」

 ―――しかし、路上を主脚走行して、距離を詰めていたみちる機の複合センサーシステムが動体警報を出す。
 みちるとまりもの間に挟まれている、街区の屋上すれすれを匍匐飛行で接近してくる熱源体をセンサーが捉えたのだった。
 現状、武機以外に該当するものは考えられない。
 みちるは噴射跳躍して砲撃する誘惑に駆られたが、武がそれを待ち構えている可能性が高いと考え直し、機体を停止させて上空へと砲口を向け、92式装甲を構えるに留めた。
 データリンクによると、まりもも同様の行動を選択したようだ。
 これで、武はこのまま通り過ぎるか、後戻りするか―――飛び出してくるようなら、態勢の整ったみちる達は武よりも正確に迎撃できる。
 みちるとまりもは、武がビルの上から飛び出してくる事を期待して待った。

 と、その時、みちるの真上付近のビルの屋上部分が、武機の120mm滑空砲による砲撃を受けて吹き飛び、破片がみちる機にも降り注いできた。
 それと同時に直ぐ近くまで来ていた動体センサーの反応が消失、続けて自機との高度差5m以内の水平1時の方向で衝突音と振動が発生。
 その意味にみちるが気付く直前に、目の前のビルの陰から地を這うような水平噴射跳躍(ホライゾナルブースト)で『不知火』が飛び出してきた。

「くっ―――!」

 破片を回避するために街路中央に移動していたみちるは、即座に自機を右方向へ噴射滑走(ブーストダッシュ)させ射撃体勢を取らせる。
 しかし、最初から攻撃するつもりで飛び出した武機は先手を取って、36mm突撃機関砲をみちる機へ向けて連射。
 ビルの陰に飛び込めないように進路を弾幕で遮断した。
 退路を断たれたみちるは、回避機動で手一杯となってしまう。

「ブラボー1、エンゲージディフェンシヴッ!」
「ブラボー2了解、支援に向かいます。」

 みちるは叫ぶように通信を送って、目まぐるしく回避機動をしながらも応射を試みる。
 応射をしても武機に命中するとはみちるも思ってはいなかったが、せめて牽制でもしなければ、まりも機が来るまで逃げ切れそうになかった。
 それ以前に従来OSの機体であったならば、とっくに撃墜されていただろうと、こんな状況にも拘わらずみちるはふと考えた。
 そんなみちる機を、武機は徐々に追い詰めつつあった。

 しかし、あと少しでみちる機への命中弾を得られそうになったところで、武機の背後にまりも機が飛び出してきた。
 まりも機は噴射を止めて着地すると同時に武機を攻撃しようとしたが、既にそこには武機の姿はなかった。

「ブラボー2、上だっ!」

 まりも機が飛び出してくるタイミングを計っていた武は、まりも機が姿を現すのと同時に、後方伸身宙返りの要領で噴射跳躍していた。
 山形の軌道の頂点に至るまでに、左主腕で保持した87式突撃砲でみちるへの砲撃を続けながら、右主腕の突撃砲を投棄し、背部兵装担架から74式近接戦闘長刀を取り構える。
 更に、頂点を過ぎ、頭部が下を向いた倒立の体勢になったあたりから、砲撃目標をまりもに変更。
 上空からの砲撃で足止めをしつつ逆落としに噴射降下(ブーストダイブ)して、頭上からまりも機に長刀で斬りつけ大破させた。

 IFFによりみちるの砲撃が途絶えた隙を突いて、武機は再びみちる機に向かって36mm突撃機関砲を連射しつつ、水平噴射跳躍で突進。
 脇を通り過ぎてから背後へと旋回軌道で回り込んで長刀で止めを刺したが、それと前後して、突進中の砲撃によるみちる機大破の判定宣告が為されていた。



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**** 8月10日まりもちゃん誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話2 ****
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どこかの確率分岐世界
2030年4月08日

 この日、国連軍横浜基地の正門から坂を下りきった場所にある、柊桜花幼稚園は入園式であった。
 園の正門に面している桜並木は今年も満開の花を咲かせ、新しく幼稚園に入園した子供たちを祝ってくれた。
 30年前には、二度と人が住めるようにはらなないと言われたこの地域である。
 しかし、10年ほど前に一人の魔女が魔法の様な科学力を振るい、長きに渡った呪いを除去することに成功し、今や帝都近郊のベッドタウンとしてすっかり復興を遂げていた。

 BETAを地球から撃退し、子供を安心して育てられる日々が帰ってきて早15年以上。
 月をBETAから取り戻し、BETA大戦の終結が宣言されたのも、既に10年以上前のことだ。
 失われた人口も急速に増え、第四次ベビーブームも数年前まで続いていた。
 町には若者や子供たちの姿が満ち、様々な文化的変化も押し寄せてきている。

 賑やかな入園式も終わり、喧騒が去った幼稚園には、数人の男女が残って会話を楽しんでいた。
 この幼稚園の園長である神宮司まりもは、既に60近い年齢ながら、背筋もピンと伸び壮健な様子であり、その愛嬌のある容貌からも未だ40代とも見紛われる女性であった。

「神宮司園長、今年も沢山の子供達が入園してきましたね。」

「そうね。この国の……いえ、この星の未来を受け継ぐ子達だもの。
 親御さん達にご満足いただけるように、しっかりと教え導き、真っ直ぐに育ててあげないといけないわね。」

「はいはい、園長。そのお話はもう『耳にタコ』ですよ。」

「まあ、また白銀語なんて使って……でも、仕方ないかしらね、この星を救い、今尚BETAから守っている守護神様ですものね。」

「そうですねぇ~、近々ヴァルハラでは火星遠征艦隊が編制されるって噂もありますけど、また『ガセ』なんでしょうね~。」

「はぁ~、白銀語が持て囃されるのは仕方ないとは思うけれど、どうにも下品な言葉が多すぎる気がするわ。
 これも私が年寄りだからなのかしら……」

 園に務める保育士達の言葉の乱れに、溜息をつくまりも。
 正直、教育の場にあるものが乱れた言葉を使うなど、以っての他だとまりもは思うのだが、これも時代の趨勢というものだと諦めてもいた。
 それに、保育士と言っても皆若い、一番年嵩の保育士でも30に届かない年齢だ。

 甲20号―――鉄源ハイヴ と、甲19号―――ブラゴエスチェンスクハイヴが制圧され、日本がBETAの脅威から解放された後の第三次ベビーブームの世代が、ようやく社会人となって今の日本を支え始めている。
 それ以前の世代は、戦時教育を受けていた世代であり、民間の職に着く者は少なく、軍属を離れて民間へと戻るものは多くはなかった。
 その為、軍事関連以外の各業種に於いて人的資源が枯渇しかけていたのだが、その穴を埋め、充実させ、拡大しているのが第三次ベビーブーム世代の若者たちであった。

 そして、若者たちの先駆者として、様々な文化的爆弾を世界中にばら撒いたのが、BETA大戦に於ける英雄であり、今も尚、人類の守護神と崇めたてられる白銀武であった。
 彼は軍務を果たす傍らに、様々な情報発信を行い、白銀語と呼ばれる新語や流行語の数々を垂れ流し、軍事以外に目を向ける余裕のなかった世界に数々の娯楽の種を蒔いた。
 その影響をもろに受けて育った現代の若者にとり、彼は正に文化的指導者と見なされている。
 古い世代の文化を愛する者には、些か住み難い世情であるとも言えた。

「はいはい、それじゃあ今日はこの辺にしましょう。
 明日から暫くは、戦争のような騒ぎになるわよ。皆しっかりと休んで鋭気を養って頂戴ね。」

「「「「「「 はいっ! 園長!! 」」」」」」

 まりもは保育士達を嘆いているが、実はこの幼稚園の保育士の評判は非常に良かった。
 保育士達は、普段おっとりとしていて、優しい事だけが取り柄に見える園長が、一度怒ると如何に恐ろしく、厳しい女性であるかを熟知していた。
 実際に彼女の怒りに触れた者こそ少ないものの、折に触れて彼女を訊ねてくる彼女の昔の教え子だという人々―――軍属が多かった―――から、冗談半分に聴いた話だけでも、実に空恐ろしいものがあった。
 それ故に、保育士達は園長の逆鱗に触れる事のないように常に自らを律しており、それが今風の若者でありながらも、芯が一本通っているとして評価されていたのだった。

 保育士達は、口々に挨拶をして園を去って行き、園の敷地に隣接して建っている自宅へとまりもが戻ろうとすると、暗がりから若い男の声が発せられた。

「―――お久しぶりです、まりもちゃん。」

「?!…………その呼び方、いい加減に止めてくれないかしら。
 50代も半ばを過ぎて、ちゃん付けで呼ばれるなんて屈辱よ? しかも相手は自分の半分以下の年恰好なんだから。
 今年も来てくれたのね―――白銀。」

 暗がりから薄明かりの元へ、1人の青年が歩み出てくる。
 まりもは彼に会う度に、自分が彼と出会った頃に若返るようでもあり、自分に降り積もった歳月を改めて実感するようでもあり、実に不思議な感慨に耽ることとなるのが常だった。
 この青年こそが白銀武、既に居を月に移して尚、『横浜の魔女』と呼ばれるまりもの親友、香月夕呼の片腕であり、BETA大戦の英雄、人類の守護神と呼ばれる人物である。

「ええ。今年もA-01の先達の方々や、逝ってしまった仲間達の墓参に来ました。
 ……今年も、綺麗に満開になりましたね、桜。」

「そうね。毎年、この桜に励まされて、1年をなんとかやり過ごしているわ。」

「またご謙遜を……子供相手に若い保育士さんがへたばっても、園長先生は息も切らさないと、もっぱらの評判だそうじゃないですか。」

「あら? そんな話、誰から聴いたのかしら?」

「それは機密事項ですのでお答えできません。
 ―――でも、まりもちゃんには、本当は教育委員会で辣腕を振るって欲しかったです。
 さもなければ、せめて、高等教育の現場で……」

「白銀、それ以上言わないで頂戴。あたしに人の道を説く資格はないわ。
 あたしに出来るのは、自我の育ちきっていない子供達を見守る事くらいが精々よ。
 それにもう、若い教育者達も育っているわ。良くも悪くも戦前の人間の出る幕じゃないわよ。」

 まりもは寂しげに、それでも満面の笑みを浮かべて言う。
 武はその笑顔を見て、相変わらず可愛い人だなあと感慨に耽った。

「さあ、それじゃ行きましょ。あたしの教え子達の墓標―――あの桜の木の元へ。」

「はい―――」

 そして、月明かりと、横浜基地のサーチライトの照り返しの中を、親子程に歳が離れているように見える2人の男女が、桜並木の方へと肩を並べて歩いていった。




[3277] 第20話 数式提供と武の願い
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:40

第20話 数式提供と武の願い

2001年10月26日(金)

 21時56分、シミュレーターデッキの制御室で、武とみちる、まりもの3人は、先程まで合計3回に亘って行われた、市街戦演習の記録を再生しながら、即席の検討会を開いていた。
 夕呼と霞は、この時既にシミュレーターデッキから立ち去っている。

 みちる・まりもペアを相手に武が行った2対1の市街戦演習は、武の2勝1敗となっていた。
 1戦目では、挟撃を達成した瞬間のまりもの油断を、奇抜な3次元機動で突いた武の勝利。
 2戦目では、武の機動の脅威が身に染みたみちる・まりもペアが二機連携を崩さなかったため、みちる機を大破させた直後に、武機がまりもの攻撃によって撃墜されてしまい、みちる・まりもペアの勝利。
 3戦目では、試作OSの特徴である高機動性を検証するために、長刀と短刀のみを装備して高機動近接格闘戦に絞って演習を行った。
 こちらは武の独壇場であり、粘ったものの、みちる・まりもペアは散々振り回されたあげくに撃破された。

「ふむ。キャンセルと先行入力の効果は絶大だな。
 この2つは従来の機動概念のままでも、十分に効果を発揮する。
 これだけでも、前線の衛士の死傷率は格段に下がるだろう。」

「そうですね。3次元機動の方は光線級によるレーザー照射が気になりますが……」

 上空に飛び上がる機動の危険性を指摘するまりもに、武が何でもない事のように応える。

「ああ、大丈夫ですよ神宮司教官。照射警報がなったら、キャンセル使って、即座に地上に降りればいいんです。
 BETAの陰に入れれば言う事なしですね。
 乱戦中のジャンプは飛びっぱなしじゃなくて、短時間で降りる事前提でやれば大丈夫です。
 飛ぶ前に、着地点の当りを付けておけばもっと良いですね。
 勿論、光線級のいない戦場では飛びっ放しでも良いですけど、推進剤の消耗が激しくなりますからね~。」

「…………なるほど、初期低出力照射中に射線から逃げてしまうのか……」

「そうです。間に他のBETAを挟めば、照射中止に追い込めますし、地形による遮蔽も有効です。
 あとは、光線級との距離が近ければ、機動だけでも何とか躱せますよ。
 やつらの照準能力は正確無比ですけど、目標追従能力は距離が近いほど下がりますから。
 まあ、それも、複数個体から狙われてしまえば、難しいですけどね。」

「―――貴様まさか、光線級のいる状況で飛んだのか?」

 武の『前の世界群』での実体験に基づく見解に、みちるが不信と驚愕の混じった問いを投げかけてきた。

(うわっ、相変わらず大尉は鋭いとこ突いてくるな……気をつけて話さないと……)

「―――ええ。シミュレーターで重点的にチェックしました。
 従来OSでは照射警報後に行動入力してたんじゃ間に合わなかったんで、自律回避モードに頼るしかありませんでしたけどね。」

「……そうか、このOSでなら、光線級がいても短時間であれば飛べるのだな?
 ―――ふっ……白銀中尉、貴様は大した仕事をした。誉めてやるぞ?」

「いえ、オレは思い付いただけで、実際に開発したのは夕呼先生ですから。
 それに、先行入力の方も、使いこなせれば相当な効果を発揮します。
 可能な限り先行入力は行って、都合が悪くなったらキャンセルする癖を付けた方が良いですね。」

「ああ、確かに3戦目での貴様の近接格闘戦機動には、動作の途切れるところが殆ど無かったからな。
 凄まじい連続攻撃だった。
 その癖、一連の攻撃の最中にこちらが攻撃をしても、するっと回避されてしまう。
 BETA相手の乱戦であれが出来ると思ったら、貴様に追い込まれている最中だというのに、笑いが押さえられなかったぞ?
 神宮司軍曹も、そう思いませんか?」

「同感です。
 ―――今のところ、試作OSには欠点らしいものは見当たりませんね。
 現状で、既に既存OSを遥に超越していると考えます。
 万難を排して実用化に漕ぎ着けるべきでしょう。」

 みちるとまりもの好評を得て、訊くまでも無いとは思ったが、武は念のため確認しておくことにした。

「―――では、試作OSはお二人のお眼鏡に適ったということでよろしいですか?」

「今更だな。一日も早く実用化するべきだ。」
「白銀中尉、先だっては試作OSの有用性に疑念を表明してしまい、申し訳ありませんでした。
 この試作OSは必ずや、多くの将兵の助けとなる事でしょう。」

「ありがとうございます。」

「―――ん? 神宮司軍曹は、試作OSについて予め話を聞いていたのか?
 そう言えば、白銀中尉自身の事についても聞きそびれていたな。
 そろそろ、聞かせてもらおうか?」

 みちるがキラリと目を光らせて武に詰め寄る。
 助けを求めてまりもの方を見る武だったが、まりもは面白そうに腕組みをして傍観に徹する構えだった。

「―――では、簡単にご説明いたします…………」

 武は、自分が戦時階級で臨時中尉まで特進したものの、正規の軍事教育を受けていない為、現在訓練生として正規任官を目指している事。
 訓練と並行して、対BETA戦術構想の案出・検討とそれに伴う装備の開発、評価運用を特殊任務として夕呼から命じられている事。
 訓練期間中も特殊任務に従事するため、特例として臨時中尉の階級に留まっている事。
 そして―――

「対BETA戦術構想で開発された新装備の評価運用に際しては、207訓練小隊とA-01連隊第9中隊―――『イスミ・ヴァルキリーズ』でしたね―――にご協力いただきたいと考えています。
 ヴァルキリーズの皆さんには実戦部隊としての見地からの評価やご意見を、207訓練小隊からは既存の固定観念に縛られない自由な発想を期待しています。」

 と、武は話を結んだ。

「なるほど、それで神宮司軍曹を教官と呼んだのか……A-01連隊についても、情報は殆ど開示されていると考えていいのだな?
 ―――そうか、副司令がそうなさったのであればそれはいい。
 しかし、207訓練小隊や他の者に不用意に機密を洩らさぬようにな―――と、これはまがりなりにも特殊任務を任されている者に言う事ではなかったな。」

「いえ、肝に銘じておきます。
 で、大尉に異存が無いようでしたら、明日にでもヴァルキリーズの全機体を試作OSへ換装して、実証試験を開始していただきたいのですが、如何でしょうか。」

「―――いきなり全機で実証試験か?
 白銀中尉、随分と自信があるようだな…………いいだろう。
 ただし、即応態勢に不安が生じるが、副司令は何か仰ってなかったか?」

「許可は取ってあります。今後もこういった事があると思いましたので、ヴァルキリーズ用も含めて、『不知火』の予備機を15機申請してもらってあります。
 それまでは、申し訳ありませんが何とか凌いでください。
 試作OS搭載機は、余程のバグが無い限り、従来機よりも実戦向きだと思いますけどね。」

「―――確かにな。それにしても『不知火』15機とは、随分と豪勢だな。
 情報開示の件といい、白銀中尉は副司令の信頼が相当厚いと見える。
 ―――まあいいだろう。我が隊の明日からの予定はどうすればいい?」

「明日は、朝から1日中、このシミュレーターデッキで試作OSに慣熟してください。
 午前と、夜の訓練には自分も参加させていただく予定です。
 午前中の訓練開始前のブリーフィングで、ヴァルキリーズの皆さんにご紹介いただけると助かります。」

「了解した。では白銀中尉、明日の朝会おう。
 神宮司軍曹、お先に失礼する。」

「はっ! 伊隅大尉、失礼いたします!」

 みちるは、武とまりもに軽く敬礼して別れを告げると、シミュレーターデッキから立ち去っていった。
 みちるの姿が消えると、まりもはしみじみと武に感想を漏らした。

「……白銀、あなた凄い物を作ったわね。」

「気に入ってもらえましたか?」

「ええ。これなら、自信を持ってあの娘達に学ばせる事が出来るわ。
 今後は、衛士の初陣での生還率も向上する事でしょうね。」

「……そうですね。でもまあ、オレの目指しているのはもう少し先なので、そちらの方もお手伝い願いますね。」

「…………そうね。―――精々手伝わせていただきます! 白銀中尉殿ッ!」
「うむ―――期待しているぞ、神宮司軍曹。」

 おどけた様なやり取りを交わして少し笑った後、2人はシミュレーターデッキを出て別れた。
 まりもは自室へ、そして……武は決意と共に夕呼の執務室へと向かった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 22時23分、B19フロアの夕呼の執務室を武は訊ねていた。

「あんたの相手ばっかりしてらんないって言わなかったっけ?」

 武が室内に入るなり、夕呼の不機嫌な声が叩きつけられる。

「すいません、先生。どうしてもお忙しいようでしたら、また出直します。
 けれど、もし出来るようでしたら、お時間を頂戴できませんか?」

「……随分と殊勝な事言うじゃない。
 いいわ、なるべく手短に話しなさい。」

 武の態度に何を感じたのか、夕呼は真面目な面持ちで、武に話の先を促した。

「はい、ありがとうございます。
 実は昨夜、自室に戻ってから自省しまして、先生相手に駆け引きの真似事をしている場合じゃないと気付きました。」

「あら? あたしは駆け引きできる男の方が好みだけど?」

「駆け引きできるかどうかはともかく、まずは先生に全ての情報を提供して、時間と情報を有効に活用してもらう事が優先だと思うんです。
 オレにも叶えて貰いたい願いがありますけど、それはオレの事を信用してもらって、先生にオレの貢献に見合うと思っただけ、叶えて貰えればそれで十分だと思う事にしました。
 はっきり言って、オレは『前の世界群』で先生に情報を小出しにされて、目隠しをされたまま良いように利用されました。
 だから、オレは『今回の世界』では、重要な情報を隠しておいて、自分の要求と引き換えに提示していこうと考えてたんです。
 けど、今の人類に―――オルタネイティヴ4にそんな余裕なんてないんですよね。
 ……だから、先生に踊らされるのも覚悟の上で、知る限り全ての情報を提供するつもりで、今日は来ました。」

「……そう……で? 何の情報をくれるわけ?」

「00ユニットの量子電導脳の新理論を提示できます。
 最初に先生に会ったときに、オレがそれらしい事を言ってしまったせいで、先生は今、理論の洗い直しをしてるんじゃないですか?
 けど、あの理論じゃ現在の技術力では実現できないんです。
 ですが、あれとは全く異なる理論が、オレの生まれ育った『元の世界』の先生によって完成されているんです。」

 目を半眼にして、話半分に聞いていた夕呼だったが、異なる確率分岐世界の自分が新理論を完成したというあたりで、目を見開き身を乗り出してきた。

「なんですって?…………そう……あたしと同条件のあたしや他の人物じゃなくて、異なる立脚点を持つあたしが思いついたのね?
 だから、あたし自身が考え付けないような着想を得る事ができたんだわ……」

「そうです。『元の世界』の夕呼先生は、BETAと戦争しているこの世界には存在しない娯楽から着想を得たといっていました。」

「なるほど……それなら納得はいくわ。
 じゃあ、あんたの言う『前の世界群』のあたしは、あんたをあんたの言う『元の世界』に転移させてその理論を得たのね?」

 武は、夕呼の瞳が爛々と輝きだしたのを見て、ここで釘を刺しておくことにした。

「そうです。先生は、オレを世界転移させて数式と、それから『鑑純夏』の記憶を得ました。
 そして、『鑑純夏』を素体として00ユニットを完成させ、『因果導体』であるオレを通じて00ユニットの純夏に記憶を流入させて、00ユニットの調律を進めたんです。
 ですが、その際にオレが持ち帰った新理論の数式は、既にこの世界に存在します。」

「ッ!!―――なんですってぇっ!!
 あんた、よりによってなんて情報を隠してんのよ。
 解ってんの? それがあれば、00ユニットを完成させて、オルタネイティヴ4を完遂できるのよ?!」

 一気にヒートアップする夕呼を、武は冷静なままで水を差す。

「先生、忘れたんですか? 00ユニットの稼動と計画の完遂は1セットですが、イコールじゃありませんよ?」

「そんなことはどうでもいいのよっ! あるんならさっさと出しなさい、ほらっ!!」

 が、その程度では、夕呼には全く効果は見られなかった。
 仕方なく、武は夕呼の要望に沿うことにした。

「解りましたよ、もう。一応丸暗記してきたんですけど、記憶が薄れないうちにメモしたものを、A-01の戦没碑代わりにしてるあの桜の根元に埋めてあります。
 オレに取りに行かせるんなら、正門の警備員に連絡でもしておいてくださいよ。」

「わかったわ。連絡しとくから、速く取ってきなさいっ!!」

「はいはい……」

 …………そして、20分後。
 武の持ってきた大学ノートから破り取った紙切れを、夕呼は猛スピードで読破していた。

「そうよそう! これが言いたかったのよ!!
 あたしの求めていた物がちゃんと数式にまとめられてるなんて、さすがあたしね!
 凡人にはこれがわからないのよねぇ。」

 紙切れに記された数式を読み終わった夕呼は、途端に相好を崩すと紙切れを胸に抱きしめて、小躍りせんばかりに喜びを顕わにした。

「……あの、先生……その数式だけで全部理解できるんですか?」

「はぁ? 何言ってるのよ当たり前じゃない。」

「だって、その理論、『元の世界』から持ってきた時は100ページ近いプリントアウトだったんですよ。下手な絵とかも書いてあって……」

「絵なんか、下手だって何だっていいでしょっ!
 どうせ、そんなの世間のぼんくら相手の説明用に決まってるわ。
 天才のあたしなら、この完成された数式だけで、す・べ・て・が、理解できるわよ。
 あ~~~~っ、なんて美しい数式なのかしら。」

「……そ、そうなんですか。用が足りたようで何よりです。
 それがあれば、00ユニットは完成できるんですよね……」

 有頂天な夕呼と対照的に、武はなにやら複雑そうな顔をして思い悩んでいる様子であった。
 それにようやく目を留めた夕呼は、不審げに武に声をかける。

「そうよ! これでオルタネイティヴ4は本格的に始動できるわっ!!
 ―――って、あんた、なんか落ち込んでるわね……00ユニットの完成はあんたの目的でもあるんでしょ?
 嬉しそうな顔しなさいよ…………ああ、これと引き換えに叶えたい願いってのがあったんだっけ。
 一応、言うだけ言ってみたら? 今、あたしの機嫌は有史以来最高に良いから、まかり間違って聞いちゃうかもよ?」

「―――じゃあ、お言葉に甘えていいますね。
 ―――先生。鑑純夏を00ユニットの素体として使用しないで下さい。」

「はぁ?! あんた、いきなり何馬鹿なこと言ってんのよ。
 素体が無くちゃ00ユニットが完成しないってことは知ってんでしょ?
 あんな条件バッチリな素体候補、使わないでどうすんのよ。」

「―――素体には、オレを使ってください。」

 武がそう言うなり、上機嫌だった夕呼の顔が、般若のように歪み怒りを顕わにする。

「なによあんた、あたしに五体満足なあんたをわざわざ殺させたいっての?
 死にたいなら、佐渡島にでも行きなさい!
 自殺志願者の相手するほど暇じゃないのよっ!!」

「純夏にはッ!!……………………純夏には、生きていて欲しいんです……例え、あんな状態であっても……」

 武を自殺志願者と決めつけて怒鳴りつける夕呼、それに対して武も即座に怒鳴り返し……しかし、直ぐに気を落ち着けて言葉を続けた。
 そんな武に、夕呼も表情を消して、静かに訊ねる。

「あんた……本当にそれが、あの娘の為だと思ってるの?
 今、あの子がどんな状態でいて、何を願って必死に生き足掻いているのか、あんたは知ってるんじゃなかったの?」

「知っています……けど、それでも……オレの我儘に過ぎないとしても、純夏をまた苦しめるのは嫌なんです!
 それに……純夏を素体とした00ユニットは順調とは言えない仕上がりでしたよ? 先生。
 00ユニットへの人格転移手術後の稼動に至る過程は、純夏の1週間以上に対してオレの方は僅かに1日。
 しかも稼動後直ぐに安定稼動したオレに対して、純夏は運用評価試験の佐渡島でBETAに集られた(たかられた)ショックから、自ら自閉モードに閉じこもってしまいました。
 計画を完遂するためにも、オレを使ったほうが良いと思いますけど?」

「……あんた、自分の命を何だと思ってるの?」

「別になんとも? 無駄死にはごめんですし、生ある限りは最善を尽くします。
 これでも元ヴァルキリーズですからね。
 けど、オレはもうとっくに、数え切れないくらい死んでいる人間です。
 想像できますか? 自分の死に際の記憶を、リアルに、無数に覚えてるんです。
 何時死ぬかは問題じゃない。何の為に、どうやって死ぬかが問題なんです。
 それに、オレにとって00ユニットになる事は死んだ勘定に入らないって、『前の世界群』の記憶ではっきりしていますしね。」

「そう……確かにそう言ってたわね。
 時空間因果律干渉、しかも因果導体の死を契機に因果情報を回収され、同一確率分岐世界での干渉起点において再構成されるループ構造。
 干渉を続けようとする以上、自らの無数の死を積み重ねて乗り越えていかなければならない。
 あんたはそういう道を征く覚悟をしてるんだったわね。
 解ったわ。今まで半信半疑だったけど、あんたが本気で因果律を変えようとしてるってのは信じてあげる。
 けれど、あたしはまだあんたを信用できていない。
 だから、現時点であんたを計画の中枢たる00ユニットにする訳にはいかないわ。」

「それは……仕方の無いことです。
 さっきも言った通り、夕呼先生相手に駆け引きをするのは諦めました。
 ですから、夕呼先生が思ったとおりに計画を進めてくれていいんです。
 オレはこれからも、頼んだり、提案したり、反対したり……色々ともがくでしょうけど、それでも夕呼先生を信頼して手駒として一生懸命務めますよ。
 夕呼先生がオレの働きに応じて、見返りをくれることは期待してますけどね。
 でも、夕呼先生の足を引っ張る事だけはしないように努力します。
 だから先生……オルタネイティヴ4を今度こそ完遂してください!」

 武はそう言い切って夕呼を真っ直ぐに見つめた。
 夕呼はその眼差しを正面から受け止めると、溜息を一つついて呆れたように口を開き、目を半眼にして視線を逸らす。

「はいはい……あんたに頼まれなくたって、オルタネイティヴ4は完遂して見せるわよ。
 不本意だけど、あんたのお蔭で現時点で最大の障害であった案件は解消されたし。
 おまけにあんたは稼動後の00ユニットの運用事例も知っているって言うんだから、これで失敗した日にはあたしは恥ずかしくって自殺しちゃうわよ。」

「ですけど先生、現在支配的な因果律は、相当にBETAが優位なものだと思えます。
 オレなんかに言われるまでも無いんでしょうけど、何処で足をすくわれるか解りませんよ?」

「…………あんたの忠告なんて、鼻で笑ってやりたいんだけど……さすがに無数の確率分岐世界を覚えてるだけあって、言葉の重みが違うわね。
 せいぜい足をすくわれないように気をつけるわよ。
 あんたが見てきた世界群で他ならない『あたし』が何度も挫折したんだって言うんだから……ね…………」

 武の真摯な忠告に不愉快そうな表情を隠しもせずに、しかしそれでも夕呼は素直に忠告を聞き入れた。
 そして、暫しの間、自分の覚悟と意志を挫こうとする、因果律という名の見えない鎖を睨むかのように、虚空に鋭い眼差しを放っていた。

「まあ、いいわ。差し当たって鑑純夏の00ユニット化は凍結。
 新理論に立脚した擬似生体の作成に当たっては、あんた用を優先して作らせるわ。
 あたしも行き詰ってた理論にかけてた時間を他の事に使えるし、3週間くらいは猶予をあげる。
 その間に、あたしに信用されるように頑張ってみるのね。」

「3週間……BETA新潟侵攻の後ですね。精々頑張るとしますよ。」

「そうしなさい。さて、それじゃあ優しいあたしが、早速あたしに貢献する機会をあんたにやるわ。
 ―――知っている事、洗いざらい話しなさい!」

「わ、わかりました……」

 武は返事をしながら諦めた…………今日は寝かせてもらえないらしいと……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年10月27日(土)

 04時31分、B4フロアの自室に、武はようやく帰り着いた所であった。

(うあ、ねみぃ~~……ちょっとシャワー浴びるか……)

 武はシャワーを浴びながら、少しだけすっきりした頭で今日の段取りを考える。

(ヴァルキリーズと顔合わせして……あー、先生から貰ってきたヴァルキリーズの人事資料読まないと……
 あ~もう、それは朝飯の後でいいや……ともかく、寝よ……)

 武はシャワールームから出ると、タオルで水気を拭き取って、そのままベッドに倒れこみ、あっという間に寝入ってしまった。

 そして、75分後、武の部屋のドアがノックされ、暫くして霞が部屋に入ってきた。

 霞はベッドへと近づき武を揺すろうとして、髪飾りをピクッ!!と激しく直立させて、その場に立ち尽くした。
 ベッドの上にはシャワーを浴びた後、そのまま寝入ってしまった為、全裸のままうつ伏せで寝ている武の姿があった。

 時計の秒針が2周し、霞はようやく動き出した。
 左右を見渡し、ベッドから落ちていた毛布を見つけて拾い上げ、武に足元の方からゆるゆるとかけていく。
 肩の辺りまでかけ終えたところで、霞はふぅと息をつき額を右手で拭う。
 そして、時計を見て時間が05時59分になる事を知り、小さく飛び跳ねると武に駆け寄り、何時もの2倍くらいの速度で武を揺すった。

「……う~ん……霞、あと5分……」

 寝ぼけた武の発言に、霞はきゅっと眉を寄せ、全力を振り絞って更に揺する速度を上げた。

「ん……なんだか、今日は元気だなぁ、霞……」

 一応目を覚ましたものの今だ朦朧としている武を、起床ラッパの放送が襲う。

「げ……寝過ごした?!…………って、うわっ! なんでオレ素っ裸―――ッ!!」

 慌てて飛び起きた武から床へと落ちる毛布……
 自分が素っ裸だと気付いた武は、大慌てで服を着て、身だしなみを整えた後自室のドアを開け放ち、ドアの脇に立った。
 それから、耳を澄ませてまだまりもは来そうにないと判断し、武は部屋の中を覗く。
 部屋の中では、霞が机の前で椅子に座って壁の方を見つめていた。

「霞、おはよう……慌しくってごめん、も少し待っててくれな。」

 コクンと頷く霞の頬はほんのりと赤くなっていた。
 霞が頷いたのを確認して、姿勢を直そうとした武だったが僅かに遅く、丁度廊下の角を曲がってきたまりもの怒声が武の鼓膜を乱打した。

「こらぁッ!! 白銀訓練兵、しっかり立てぇッ!!」
「はッ! もうしわけありません、教官ッ!!」

 武は、まりもに命じられた腕立て100回をこなしながら、点呼を受けることとなった。

「……白銀、今日も社に起こしてもらったのか?
 例え今は訓練兵だとは言え、現役衛士ともあろうものが、少々情けなくは無いか?」
「は、情けなくあります!」

 腕立てを続けながら武は応えた。
 そんな武を見下ろして、まりもは呆れたように声をかける。

「で、今朝もこれからPXで社と仲良く朝食か……まあ、私は構わんが、207の他の連中は多感な年頃の少女だ、あまり刺激するなよ?」

「…………ど、努力します……」

「成果は期待できそうに無さそうだな。―――よし、腕立ても終わったな。点呼終了、自由にして良しっ!」

 まりもは武の敬礼に答礼を返すと、踵を返して立ち去っていった。

「……よし、霞。朝ごはん食べに行くぞ!」

「……はい。」

 空元気を出して明るく言う武に、霞は大人しくついて行き、今朝もPXで武にアーンを敢行した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 06時35分、PXで武は羞恥プレイの真っ最中であった。

「……どうぞ…………あー……ん……」
「あ、ああ…………う、美味いぞ、霞。」
「……まだあります…………はい……あーん……」
「…………あ、霞もちゃんと食べるんだぞ? ほら、オレの皿から取っていいから……」
「…………白銀さんからは……食べさせて……くれないものなんですね……」
「ぐあっ…………か、霞も、た、食べさせて欲しいのか?」
「……はい…………」

 頬を染めてコクリと頷く霞。
 武はブルブルと震える手ではしを取ると、合成さばの切り身を取って霞の方へと差し出した。
 口を目一杯あけて、差し出された切り身の手前で左右にうろうろと顔を動かした後、霞は武を見上げて呟く。

「……………………おっきいです……」
「ごっ、ごめん…………これで、どうだ?」
「…………はい、おいしいです……」

 武が慌てて切り身を皿に戻し、はしで小さく切り分けてから、改めて霞に差し出すと、霞はパクッとはしごと口に含む。
 霞は切り身の欠片を咀嚼して飲み込むと、小さな声で美味だと述べた。
 その様子を見ていて、何とはなしに動悸が激しくなり、頬が紅潮するのを自覚し、武は誤魔化すためにご飯をかきこむ。
 と、見たくは無いけど見ずに居るのも我慢できないといった風情で、横目でちらちらと様子を窺っていた壬姫が、つい漏らしてしまった言葉が響く。

「あ~っ! 間接ちゅ~だぁ……」
「え?! キスっ?」
「…………白銀……大胆……」
「ん? 珠瀬、カンセツチューとはなんだ? …………ふむ……なるほど……ということはこの場合…………な、なんだとっ?!
 タ、タケル!! そなた公衆の面前で朝からその様な破廉恥な行為を行うとは! そ、それでも日本男児かっ、恥を知れッ!!!」
「み、御剣さん……そ、そこまで破廉恥じゃないから、お、おちついてください~…………」
「そっ、そうよ、御剣、お、落ち着きなさい……そ、そ、そんなに、ど、動揺するような事じゃ、な、な、ないんだから……」
「……いいんちょー、思い切り動揺してる……してる……してる?」
「う、ううううう、うるさいわねっ!」

 壬姫の言葉を火種に一斉に燃え広がる喧騒……武は耳まで真っ赤に紅潮しつつ、必死で聞こえない振りをして食事を終えた。
 そして、合成玉露を飲んで、場が落ち着くのを待ってから話を切り出す。

「さて、みんな、ちょっといいか?」

 途端に、207女性陣の冷たく鋭い視線が、武に一斉に突き刺さる。
 さすがに怯みかけた武だったが、物が飛んでこないだけ『前の世界群』よりはマシだと自分を誤魔化し、敢えて平静を装って話を続けた。

「神宮司教官からも説明があると思うけど……実は、今日から暫く、オレは特殊任務関係の用事で、午前中の訓練に参加できない。」

「「「「 え? 」」」」

「午後の訓練はなるべく参加するけど、夕食後も今まで以上に忙しくなりそうなんだ。
 暫くは、情報開示されたBETA関係の座学が行われると思うけど、座学がある程度進んだら、午後の訓練時間を使ってオレの対BETA戦術構想の討論を行ってもらうつもりだ。
 そのつもりで、座学を真剣に……って、これは言わないでもいいな。
 まあ、そんな感じで頼むよ。」

 武の説明が終わると、顎に手を当てた彩峰がぽつりと呟く。

「…………実用段階までいってる?」

「を、鋭いな彩峰。オレの最初の成果は今日から実証試験に入る。
 おまえらも総戦技演習に受かれば触れるぞ?」

「ほう……となると、その成果とやらは戦術機がらみの物なのだな。」
「……本当に、戦死者が減るようなものなの?」

 武が彩峰の予想を肯定し、思わせぶりな発言をすると、冥夜と千鶴が即座に反応した。
 武は悪戯っ子のように笑うと、さらに焦らすような物言いをして、PXを後にした。

「まりもちゃんのお墨付きは貰ったぞ? 委員長。
 まあ、詳細は機密だ。知りたければ1日も早く総戦技演習をクリアするんだな。
 じゃ、オレはちょっと急ぎの用事があるんで先に行くな。」

 悠々とPXを後にする武とその後に従う霞を、言葉もなく見送る207女性陣であった。




[3277] 第21話 未知なるヴァルキリーズとの遭遇
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:41

第21話 未知なるヴァルキリーズとの遭遇

2001年10月27日(土)

 06時52分、武がB4フロアの自室でヴァルキリーズの人事データを読んでいると、ドアがノックされた。
 武が端末の画面を消してドアを開けると、そこには冥夜が立っていた。

「タケル、少々邪魔をしてもよいか?」

「ああ、長くならないならな。ま、入れよ。」

 武は冥夜に椅子を勧め、自分はベッドに腰掛けた。

「で、なんの用だ?」

 武が水を向けると、冥夜は眼(まなこ)を閉じて周囲の気配を探り、不信人物が居ないと確信してから口を開いた。

「月詠の件だ……今晩、夕食後に会えるよう手筈をしたのだが、先の話からすると日時を改めた方が良いかと思ってな。」

「今晩? さすが冥夜、迅速だな。いや、今晩で構わないよ、そっちの方を優先する。ありがとうな。」

 冥夜の手配に感謝して礼を述べる武。
 そんな武に、冥夜は言い難そうに切り出す。

「…………それで……だ……その…………わ、私も同席しても良いだろうか?」

 冥夜の言葉に、暫し考え込む武。

「……そうだな……途中で席を外してもらうかもしれないけど、それでいいなら……
 あ、あと、今晩の話の内容は207のみんなにも秘密だぞ?
 秘密を抱え込む覚悟があるんだったら、同席してくれて構わない。」

「望むところだ、是非同席させてもらおう。
 ……そうか……そうだな。うむ、このことは、私とそなたの秘密としよう。」

 なにやら楽しい事を思いついたかのように、冥夜は少し笑って頷いた。

「そうか、じゃあ、今晩18時30分に訓練校の教室で落ち合うってことで伝えておいてくれるか?
 あそこなら、普段おまえの警護をしてる月詠さん達にとっては、庭みたいなもんだろうしな。
 周辺の警備はお任せしますって言っといてくれ。」

「解った。では、これで失礼する。邪魔をして済まなかったな、許すが良い。」

「いや、こっちこそ手間かけさせて済まない。感謝してるぞ、冥夜。」

「ふっ……これしきの事で礼など言うでない。ではな。」

 武の言葉に嬉しそうに口元を綻ばせて、冥夜は部屋から出て行った。
 武は冥夜を見送ると、再び端末に向かい、人事データの続きを読み始めるのだった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時07分、武はヴァルキリーズが集まっているブリーフィングルームへと招き入れられた。

「白銀臨時中尉、待たせたな、入れ。」

 ドア越しにかけられたみちるの声に応じて、ブリーフィングルームの控え室で待たされていた武は、ドアを開けて進み出た。

「「「「「「「「「「「「 く、訓練兵?! 」」」」」」」」」」」」

 武の着ている国連軍横浜基地衛士訓練学校の制服を見て、驚愕するヴァルキリーズの乙女12名。
 唯一驚いていないみちるは、片手を上げて全員を黙らせると、何事も無かったかのように武の紹介を始めた。

「香月副司令直轄の特殊任務に従事している白銀武臨時中尉だ。
 年齢は17歳で新任共と同い年だが、戦地で徴用され戦場の荒波に揉まれて臨時中尉にまで特進した強者だ。
 残念ながら正規任官はしていないため、現在副司令の特殊任務の傍ら、207訓練小隊に所属して正規任官を目指している。
 その為、着用している制服が衛士訓練校の制服となっているが、戦時階級は保持されているのでそのつもりでいろ。
 因みに、衛士としての腕は私よりも上だ。
 昨晩、私と神宮司軍曹のペアで3戦して1勝2敗で負け越した。
 1勝した時でさえ、囮になった私は撃墜されている。」

「「「「「「「「「「「 ッ!!――― 」」」」」」」」」」」」

 ヴァルキリーズでも、突撃前衛長の水月にしか追従を許さない腕前のみちるが、まりもと組んで尚、敗れたという衝撃の事実に、再びヴァルキリーズが驚愕した。

「そして、白銀中尉の特殊任務において開発された新型OSの実証試験を、本日より我が隊が行う事となったため、白銀中尉が我々の教導に当たる事となった。
 新型OSと聞いて眉を顰める者もいるかも知れないが、安心しろ。
 その画期的な性能は、私と神宮司軍曹が既に確認している。
 このOSが搭載されているなら、『撃震』でさえ従来OSの『不知火』に勝てるほどの代物だぞ?」

「「「「「「「「「「「「 ……………… 」」」」」」」」」」」」

 三度驚愕に襲われ、最早絶句するしかないヴァルキリーズ……
 ここまでくると一体何に驚けばいいのだろうか……
 目の前の年若い衛士が自分達精鋭であるヴァルキリーズの教導をする事にか、新型OSを開発した事にか、はたまた、『撃震』で『不知火』に勝てるというみちるの言葉にか……
 しかし、みちるは部下達に、混乱から回復する暇を与える事無く話を進める。

「と言う事で白銀中尉、自己紹介しろ。」

 みちるに促されて、武は一歩前に出て、直立不動で自己紹介をする。

「白銀武臨時中尉であります。
 この度は香月副司令より拝命しました小官の特殊任務に、精鋭であるイスミ・ヴァルキリーズのみなさんのご協力を得られる事、誠に光栄であります。
 自分は正規任官を果たしていない若輩者ではありますが、何卒よろしくお願いいたします。」

「よし。では白銀中尉、私から中隊のメンバーに紹介しよう。
 が、その前に一つ断っておく事がある。
 我が隊では、香月副司令の無意味な事はするなとの命令により、堅苦しい言動は抜きという事になっているが、異存はあるか?」

「いいえ、大尉殿。
 ―――これでもオレは副司令の直属ですので、とっくにそっちの水に慣らされています。
 オレは訓練兵でもありますし若輩ですから、みなさん気軽に呼び捨ててください。」

 みちるの言葉に、武は最初だけ直立不動で応じた後、姿勢を崩して笑顔を見せて、ヴァルキリーズに話し掛けた。
 その様子にみちるは唇の片端を吊り上げて笑い、武を整列させたヴァルキリーズの元へと招いた。

「ふっ、当意即妙というヤツだな白銀。こっちに来い、順に紹介してやる。
 右から、CP将校の涼宮遙中尉、コールはヴァルキリー・マム。207訓練小隊の3期前の卒業だ。
 ああ、知っているかもしれないが、我が隊のメンバーは全員神宮司軍曹の練成により、訓練学校を卒業している。
 言わば姉妹のようなものだな。」

「はい、その話は聞いています。―――涼宮中尉、よろしくお願いします。」

「よろしく、中尉。」

 遙はふんわりとした笑顔を浮かべて挨拶してきた。

「涼宮は指揮車両から戦域管制をしてくれる。こう見えても怖い女だからな。怒らせないように気を付けろ。」

「―――た、大尉! なにいってるんですか、もう!」

(そう言えば、『前の世界群』じゃ涼宮中尉の怒った所には出くわさなかったな……そんなに怖いのかな?
 横浜基地防衛戦では、自ら志願して反応炉停止作業に向かったって聞いたから、きっと芯は気丈な人なんだろうな……)

「次はB小隊―――突撃前衛を指揮している速瀬水月中尉。我が隊の副隊長でもある。こいつも3期上の卒業だ。」

「よろしくお願いします。」

「よろしく。……ふっふっふ……あんた、大尉よりも腕がいいんですって?
 後で是非手合わせ願いたいわぁ~。」

 ニヤリと不敵に微笑んで、水月は挑みかかるように、話しかけてきた。
 迂闊に頷こうものなら、そのままシミュレーターデッキに連行されそうな気配が漂っている。

「まあ、少しばかり血の気が多いが、近接格闘戦の腕は部隊でも飛びっきりだ、閑があったら相手してやってくれ。」

(速瀬中尉も相変わらずか~。まあ、今回は部下じゃないだけマシだと思っとくか……
 まあ、この人を鍛えておけば、他のメンバーはこの人が鍛えてくれそうだしな……)

「次はC小隊を指揮している宗像美冴中尉。2期上の卒業だ。」

「よろしくお願いします。」

「どんな教導をしてくれるのか、期待してるぞ、白銀。」

 真剣な眼差しで武を見つめて言う美冴の姿に、新鮮さを感じて武は思わず注視してしまった。

「なにを見とれているんだ白銀。宗像は男嫌いだから色気を出すと痛い目を見るぞ。」

「大尉。私は男嫌いなのではありません。気持ち良ければ何でも良いだけです。」

(宗像中尉……そう言えば、真剣な表情って、あまり見る機会がなかったな……いつも飄々としたイメージしかないぞ……
 でも知ってますよ、遊び人風な態度は、思い人に操立てしてカモフラージュでやってるんですよね。今度こそ、生き延びて再会してくださいね。)

「次は、突撃前衛の水代葵(みずしろ・あおい)中尉、速瀬や涼宮と同期だが、半期先任だ。理由は言わなくてもわかるな?」

「はい。―――水代中尉、よろしくお願いします。」

「よろしくねぇ、白銀君。」

 僅かにウェーブのかかった長髪を背中に流している、如何にもお嬢様といった感じの女性が武に向かって微笑みかけてきた。

「水代は、大学に在籍していた間、徴兵猶予を受けていた為、我が隊最年長だ。
 衛士としての腕は今一つだが、生き延びる勘だけは鋭い。我が隊はこいつの勘に何度も救われてきた。」

「大尉ったら酷いなぁ、年の事までばらさないでくださいよぉ。」

(この人とは初めてだな。BETAの新潟上陸の時に先任が3人リタイアしたって話だったから、この人がそうなんだろうな……
 相当おっとりした感じの人なんだけど……勘、ねえ……最良の未来を嗅ぎつけるって事か……)

「次は、水代と同期任官の桧山葉子(えやま・ようこ)中尉だ。A小隊で制圧支援を担当している。」

「よろしくお願いします。」

「白銀中尉……よろしく……おねがいします。」

 たどたどしく、言葉を紡ぎだして挨拶してきたのは、真っ白いリボンの蝶々結びで髪をポニーテールにしている、眼鏡をかけた女性だった。
 人見知りする性質なのか、大きめの眼鏡をかけた顔には、何処となくおどおどとした表情が浮かんでいた。

「見ての通り、気弱で引っ込み思案なところがある奴だが、いざと言う時の粘りには定評がある。
 水代と大学でも一緒に学んでいたそうだ。2人して指揮官特性が低かったり、操縦が下手だったりするものだから、仲良く平隊員で足踏みしている。」

「あの……そういうわけなので……足手まといにならないように……がんばりますね。」

(なんだか本当に気の弱そうな人だな……でも、速瀬中尉よりも先任てことは、明星作戦にも参加してたんじゃないか?
 それでいったら、水代中尉と2人で、伊隅大尉に継ぐ戦歴の長さじゃないか……戦場では見かけによらない実力を発揮するのかな?
 でも、この人もBETA新潟上陸の際にリタイアしてしまったんだな……)

「次は、水代紫苑(みずしろ・しおん)少尉、宗像と同期だ。」

「よろしくお願いします。」

「あ……よろしくお願いします、白銀中尉。」

 気弱げな微笑を浮かべて立っていたのは、背丈といい、顔立ちといい、水代葵をスレンダーにして髪をショートにしたら、正にこうなるだろうと思えるほどにそっくりな人物であった。

「名前で解ったと思うが、こいつは水代中尉の妹だ。まあ、顔を見れば双子のように似ているから言うまでも無いな。
 衛士としての腕も良い方だが、姉と二機連携を組ませると、2人合わせて凄まじい戦闘力を発揮する。B小隊のナンバー2だな。」

「……そんな……僕なんて、大した事ないですよ……」

(か弱そうな人なんだけど、そんなに強い衛士なのか……にしても、お姉さんと2人でって……お姉さん、腕は良くなかったんじゃ……
 この人も初めて見るから……きっと、新潟ではお姉さんを庇ったんだろうな……)

「次は、風間祷子少尉だ。卒業は1期上だな。C小隊の制圧支援を担当している。」

「よろしくお願いします。」

「こちらこそ。白銀中尉。」

 祷子は、相変わらずしっとりと落ち着いた雰囲気で微笑みながら、武に挨拶を返した。

「こいつは中々面倒見のいいやつでな、我が隊の接着剤のようなものだ。人間関係で相談したい事があったら話してみるといい。」

「困ったことがおありでしたら、いつでも相談に乗らせていただきますわ。」

(風間少尉……お世話になります。
 また、ヴァイオリンを聞かせてくださいね……そして、今回こそ生き延びて下さい……)

「次は、涼宮茜少尉、207訓練小隊A分隊の分隊長をしていた、いわば貴様の同期生だな。
 涼宮以降の5人は全員A分隊の同期生だ。
 B分隊は夏の総戦技演習に落第したが、こいつらは合格して戦術機操縦課程に進み、今月になって着任してきたばかりの新任少尉共だ。
 まだ仮配置だがA小隊の強襲掃討を任せている。」

「よろしくお願いします。」

「よろしく、白銀中尉。君の教導、楽しみにしてるね。」

 ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべながらも、どこか水月に似た獲物を狙う獣のような気配が茜にはあった。

「こいつも名前で解るだろうが、涼宮中尉の妹だ。水代たちもそうだが、姉妹そろってこの部隊に入るなんて……なんて親孝行な奴らだろうな。」

「えへへへ……」

(涼宮……今回は仲間を失わずに済むように頑張れよ。委員長達も直ぐに追いついてくるし、今回は207訓練小隊フルメンバーで戦い抜こうぜ!)

「次が、柏木晴子少尉。やはりA小隊で、担当は砲撃支援だ。」

「よろしくお願いします。」

「よろしく、白銀中尉。同い年なのに中尉で実戦経験あるなんて、すごいね~。」

 快活に笑いかけながらも、その瞳は笑っていない……言葉は誉めているのに、その実、相手の力を見定めているような晴子だった。

「柏木は、訓練で見る限りでは視野が広く、的確な支援をこなす、有望な新人(ルーキー)だ。」

「あはは。実戦で生抜けるように、頑張りま~す。」

(柏木……おまえの支援、今回も頼りにしてるぜ……
 今回の世界じゃ弟さんたちが戦わずにすむといいな。)

「次は、築地多恵(つきじ・たえ)少尉だ。突撃前衛で速瀬と二機連携を組むことになっている。」

「よろしくお願いします。」

「んのののの……よ、よろしくお願いします……」

 ボンボンの付いた髪留めゴムで、頭の右後ろで髪を結んでサイドポニーにした少女が、胸の前で両手を揉み合わせながら、緊張気味に挨拶をした。

「こいつの機動は一風変わっていてな、白銀の機動に近いものがあるような気がする。
 精々鍛えてやってくれ。」

「あああああ、茜ちゃんと一緒に頑張りますです。」

(築地か……BETA奇襲で戦死したって聞いたっけ……一風変わった機動って……猫の築地の因果でも流入してるのか?
 まさか……この世界でも夕呼先生の実験台になったんじゃ…………)

「次は、高原智恵(たかはら・ちえ)少尉。C小隊の砲撃支援だ。」

「よろしくお願いします。」

「よろしくお願いしますね、白銀中尉。」

 長く豊かな髪を後ろでまとめ、後れ毛を肩から前へ両サイドに垂らした少女が、おっとりと挨拶してくる。

「高原は狙撃特性が高いのだが、今一つ落ち着きがないのが欠点だな。
 もう少し精神を鍛えないと、実戦で生抜けんぞ?」

「てへへ……がんばりまぁ~っす!」

(高原か……球技大会の時に名前を聞いたような……いずれにしても、この娘もリタイア組みか……
 ここは一つ、心を鬼にして鍛えてやるか……)

「最後が麻倉月恵(あさくら・つきえ)少尉だ。C小隊で強襲掃討を担当している。」

「よろしくお願いします。」

「よろしくねっ! 白銀君!!」

 前髪を長めにしたセミロングの、髪質が硬いのか毛先がやや跳ねている少女が、弾むような口調で挨拶してきた。

「元気印の麻倉だが、些か熱くなりやすい傾向が見られる。戦場では冷静さを失ったら死ぬだけだと教えているところだ。
 白銀からも、戦場の厳しさを教えてやってくれ。」

「うひゃ~、また怒られちゃったよ~。」

(麻倉……こいつも球技大会で聞いた名前だな……これでリタイア組みは全員か……
 それにしても、伊隅大尉の人物評はさすがだな……あとで麻倉には戦場の厳しさを教えてやるか……)

「以上、衛士12名CP将校1名が、A-01連隊第9中隊の総員だ。
 白銀、お前の教導に期待しているぞ!」

「はいっ! 精一杯努めさせてもらいます!
 では早速ですが、衛士強化装備を装着してシミュレーターデッキに集合してください。
 皆さんの実機は既に試作OSへの換装作業に入ってますから、今日は1日シミュレーターで訓練してもらいます。
 試作OSの詳細の説明などは、シミュレーターに搭乗してもらった上で、操作等を実際に行ってもらいながら説明します。
 ―――伊隅大尉。」

「うむ―――総員、強化装備着用の上シミュレーターデッキに集合しろ! 解散ッ!!」

「―――敬礼ッ!」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時12分、シミュレーターデッキでは、ヴァルキリーズが試作OSでの動作教習を一通り終了させ、その即応性の良さに驚喜していた。

「大尉! このOSときたら、最高ですよぉ~! これだったら、BETAが束で来たって、へっちゃらですって!」
「本当に……これなら今まで以上に戦えますね。」

 小隊長2人の発言に、隊の皆も我先にと話し始める。

「これほど動きがスムースになるとは、驚きですわね。」
「そ~ですね~。これなら私でも初陣をなんとか生き延びられそうな気がしますよ。」
「晴子! そんな弱気な事言わないの!! 私達は全員で生き残るのよ!」
「ははははははいぃ~~い! あ、あたし頑張って生き延びて見せますねぇ~、茜ちゃん!!」
「まっ、初陣で即戦死ってのは、カッコワルイよね、智恵?」
「そ、そうね……がんばりましょうね、月恵。」

 祷子の言葉に晴子が応じ、そこから連鎖的に元207Aの全員が話し出した。
 そして、残る4人は……

「うわぁ~、たたっ……ね、ねぇ、紫苑~~~、なんでこんなに安定しないのぉ~~。」
「姉さん、もっとそっと操作するんだよ……今までよりも遊びが少ないんだから、そっと、そぉ~~~っと……」
「葵ちゃん……だ、大丈夫?」
「水代! 後は貴様だけだぞッ!! さっさとしろ!…………はぁ~。」

 唯一人、未だに試作OSの操作に慣れない葵の面倒を見ていた……

 ―――そして、数分後。

「白銀、待たせたな。」

「いえ、こちらも涼宮中尉と打ち合わせが終わったところです。
 それでは、みなさんにはまずオレの機動を仮想映像で見ていただいて、試作OSが目指している戦闘機動がどのようなものかを、捉えてもらいます。
 状況設定は、沿岸部へのBETA上陸後の防衛戦で、レーザー属種が存在する状況です。
 ―――涼宮中尉、演習開始と、複数視点から見た仮想映像の全員への配信をお願いします。
 じゃあ、始めますよっ!」

 それから約30分、武は仮想1個師団の支援の下、続々と上陸してくるBETAを相手に防衛戦を繰り広げた。
 武の基本戦術は陽動であり、BETAの前衛に吶喊しては、鼻面を引っ掻き回して侵攻を停滞させ、友軍の支援によりBETAを殲滅するというもので、極オーソドックスな戦術である。
 ただし、その陽動を単機で行っていることと、その戦闘機動が尋常ではなかった。
 BETAへの攻撃は自分の脅威度を維持して、陽動を継続することを第一とし、BETAの撃破は二の次としている事。
 これは、理屈では正しいとヴァルキリーズにも解るのだが、雲霞の如く群がってくるBETAの渦中にあって、その数を減らしたいという欲求に耐えることが出来る武の精神力には、感嘆せざるを得なかった。
 そして、圧巻だったのが3次元機動だった。

「ちょっ……あ、あれで、光線級に落とされないわけぇ?」

 水月はその機動を目の当たりにしながら、未だに信じることが出来ずにいた。
 武は先程から3次元……つまり、押し寄せるBETAの頭上に度々飛び上がっていた。
 当然なんども光線級の初期照射を受ているのだが、こまめに地上に降りたり、上背のある要塞級に接近して射線を阻害するなどして、一度たりとも本照射を受けなかった。
 それでも、弾薬や推進剤が乏しくなって、支援の仮想師団の後方に武が補給に下がるたびに前線は内地の方へと追いやられ、師団の前衛戦力は削られていく。
 結果的にはレーザー属種を殲滅し切れなかったため支援砲火の効果が薄く、仮想師団は戦線を崩壊させて壊滅した。
 武はそれでも単機で足止めを続けたが、増援の設定を行っていないため、単にヴァルキリーズに3次元機動と敢闘精神を見せるに留まり、BETAの侵攻を阻止するには至らなかった。

「まあ、単機で出来るのはこの程度ってことですね。」

 武は事も無げにそう言うが、武が前線で陽動している際の仮想師団との連携によるBETA殲滅速度と、侵攻速度低減は、にわかには信じ難い数値を弾き出していた。
 ―――もしも、単機でなかったら……最低限2個小隊であの陽動を行っていたら、戦線を維持しきれたかもしれない……それが観戦していたヴァルキリーズの共通した思いであった。

「さて、一応の概略は解ってもらえたと思いますので、次は実際に体験してもらいます。
 オレのシミュレーターに連動して、みなさんのシミュレーターを動かします。
 網膜投影もオレが見ているものをそのまま配信しますので、何も出来なくて歯痒いでしょうが我慢してください。
 大分揺すられると思うので、酔い止めにスコポラミンを飲んでおくことをお勧めします。
 自分で動かすのと違って、衛士強化装備のフィードバックはあまり期待できませんからね。
 ………………
 ―――じゃ、涼宮中尉、始めてください。」

 それから15分間は、ヴァルキリーズにとって地獄のような時間になった。
 激しい機動には最も慣れているはずの水月でさえ息を荒げているような状態で、一番加速Gに弱い葵にいたっては顔が真っ青になっていた。
 それでも泣き言を言わずに絶えているあたりが、古参らしいと言えばらしかったが……
 結局、遙からの秘匿回線で、葵のバイタルモニターの数値が悪化した事を知らされた武が、演習を中断して今の機動を可能とするキャンセル・コンボ・先行入力といった新概念の説明を行い、体調回復の時間に充てることとした。

「…………といったところですか。
 質問を受け付けてもいいんですが、その前にもう一つシミュレーター演習に付き合ってもらいます。
 ヴォールクデータの地上に於ける陽動・支援0%のS難度実戦モードです。
 オレの機動が、ハイヴ攻略でどれほどの効果を出すのか確かめてください。
 ―――涼宮中尉、度々申し訳ないですが、お願いします。」

 そして約30分後、途中で2人の脱落者を出しつつも、武は単機で中階層を突破して『主縦坑』に到達、最下層へ続く『横坑』の手前で上から途切れなく降ってくるBETAの豪雨に押し潰された。

「うわ~、『主縦坑』の底があんなにきついとは思わなかった……まあ、急がば回れってことですかね……」

 武は平然と話しているが、ヴァルキリーズで即座に返事を出来るものは一人もいなかった。
 衛士強化装備の緩和機能が十分に効力を発揮しない状態で、武のハイヴ内3次元機動で身も心もシェイクされ、半数以上が意識朦朧となっていた。
 辛うじて最後まで状況を把握していたのが、みちるを初めとして、小隊長の水月と美冴、あとは突撃前衛の紫苑あたりまでで、残りは全員ダウンしかけであった。
 そして、シミュレーターの外では、途中でバイタルモニターの数値悪化により、遙のドクターストップで脱落してしまった葵と葉子が、ベンチに横たわって唸っていた。
 なにはともあれ、シミュレーター演習は一応終了ということになった。

「……水代中尉、桧山中尉、大丈夫ですか?」
「だぁめぇ~~~。」
「……ちょ……っと……むり……か……も……」
「そうですか……もう少し休んでてください。」

 シミュレーターを降りた武が、脱落した2人の中尉を見舞うが、未だ回復には程遠いようであった。
 武がシミュレーターの方を振り向くと、ヴァルキリーズの残り10人が降りてきた。
 元207Aの新任少尉たちは、降りるなり手摺に捕まって何とか立っているという感じ……なのだが……武は微妙な違和感に気が付いた。

(あれ? なんで涼宮に築地がしがみついているんだ?
 あいつが乗ってたのって、涼宮よりも2つ奥のシミュレーターだろ?
 いつの間に柏木追い抜いて涼宮に追いついたんだ?)

 武が、そんなどうでもいいことを考えていると、まだ少しふらついている水月が武の目の前に仁王立ちした。
 そんな水月に遙が心配そうに付き添っている。

「しょ、しょ~ぶよっ! 白銀……っ!!」
「水月、意地張ってないで、休んでた方が良いよ?」

「いや、速瀬中尉、せめて体調戻ってからにしましょうよ。
 今晩だって出来ますから……と、そうだった。
 ちょっと伊隅大尉に話があるんで、失礼しますね。この時間内に模擬戦やりたいなら、しっかり回復してくださいね。」

 武は水月を遙に任せて、美冴となにやら話しているみちるの元へ歩み寄った。

「―――伊隅大尉、お話し中申し訳ありません。少し、よろしいでしょうか。」

「ん? 構わないぞ。どうかしたか?」

「本日の夜間訓練ですが、別件が入りましたので、参加が遅れてしまいそうなのでお知らせしておこうと思いまして。」

「やれやれ……貴様も何かと多忙なようだな。解った……もし参加自体が危うくなったなら、涼宮中尉に連絡を入れてくれ。」

「了解しました。……お二人は、もう殆ど回復なさっているようですね。」

「ふっ……まあな。私の場合は痩せ我慢も入っているが……」

 みちるは思わせぶりに言葉を途切らせると、美冴の方を見る。
 美冴は、溜息を一つ吐くと武のほうを見て話し始めた。

「なに、種明かしをすればどうということはない話だ。
 速瀬中尉のように意地を張らずに、スコポラミンを限界量飲み、なるべく加速に逆らわないように心がけただけだ。
 さて、種明かしも終わったことだし、私は祷子の看病でもしてくるとしよう。
 では、失礼します、大尉。―――白銀もな。」

 そう言い置いて、美冴は少し離れたベンチに腰掛けて休んでいる祷子の方へと立ち去っていった。

「―――伊隅大尉、オレの機動ってそんなにきつかったですか?」

「そうだな。はっきり言って貴様の機動は変態的に凄まじい。
 ……が、BETA相手に有効だと分かった以上、我々は必ず物にしてみせるぞ。」

 変態呼ばわりされて落ち込みかけた武だったが、続けてみちるの意気込みを聞いて嬉しそうに笑った。

「そう言ってもらえて嬉しいですよ。オレも教導のし甲斐があるってもんです。」

「それにしても、他人の操縦に身を任せるのがこれほど辛いとは思わなかったな。
 恐らく自分で同じ機動をする分には、これ程のダメージにはならないだろう。」

「…………そうか、普通自分で操縦する時は、統計思考制御で実際に機動が始まる前に、加速Gを打ち消すように強化装備で緩和してるんだ。
 だけど、それが他人の操縦だと機体が動き出して加速Gが発生する寸前じゃないとフィードバックされないから、加速Gを緩和しきれないんだな……
 ……てことは……あれ?……そうか、操縦者の強化装備の統計思考制御のデータを同乗者の強化装備に配信して…………
 ―――よし、これならいけるぞッ!!」

 みちるがふと洩らした言葉に着想を得て、独りぶつぶつと呟きながら思索に耽る武。
 そんな武を面白そうに眺めて、みちるが口を開いた。

「ふっ……白銀、また何か思い付いたのか?」

「え?―――あ、はい。すいません大尉、ちょっと考えに夢中になってしまいました。」

「いや、構わん。それが貴様の本分だろう?
 私の何気ない発言が参考になったのなら、これに勝る事はない。
 試作OSがこれ程のものともなれば、貴様の発案になる次の装備が楽しみでならないな。」

「そう言ってもらえて、嬉しいですよ。
 実は近い内に、もう幾つか試作装備が仕上がってくるんです。
 そうしたら、またご協力頂く事になると思いますので、よろしくお願いします。
 上手くいったら、そのままヴァルキリーズの正式装備にしてもらおうと思っていますから。」

 武の言葉にみちるはニヤリと笑みを浮かべ、未だに半数がへたばっている部下達に鋭い視線を投げかけて言った。

「ほほう? 楽しみにしておこう。
 そういう事ならば、それまでに試作OSを使いこなせるようになっておかないとな。」

「あ、試作OSの慣熟方法ですが、一応目指すべき機動のイメージは今の演習で掴んでもらえたと思うので、今後の訓練はオレの操作ログを参照しながら行ってください。
 ただし、オレの操作は先行入力を多用していて、使えないと思ったら即座にキャンセルしていますから、有効な操作は7割以下だと思います。
 涼宮中尉には、キャンセルされた操作と実行された操作を色分けした上で、キャンセルされた操作がコンボであった場合、注釈としてコンボの登録ナンバーが表示されるように操作ログの編集を頼んでおきました。
 ヴァルキリーズのみなさんなら、それを見れば格段の進歩を遂げて下さるものと信じています。」

「ふっ……至れり尽くせりで悪いな白銀。
 貴様の尽力には、我々の成長という成果で応えてやろう。
 ……と、いう訳で、家の暴れん坊の相手をしてやってくれ。」

 みちるのその言葉に、恐る恐る武が後ろを振り向くと、今度は二本足でしっかりと仁王立ちしている水月の姿があった。

「…………わかりました……お相手をさせていただきますよ……速瀬中尉……」

「よしっ! よく言ったわね白銀、それでこそ男の子よっ!!」

「ごめんね……白銀中尉……」

 その日の午前中の訓練は、武対水月の3連戦で終了した……




[3277] 第22話 光州の残照
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:41

第22話 光州の残照

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 公式設定改竄告知:『光州作戦の悲劇』
 拙作は『光州作戦の悲劇』と呼ばれる彩峰中将事件に関する状況や事態の推移を、公式設定と異なった独自の設定で描いております。
 拙作をお読みいただく際にはご注意の上、ご容赦願えると幸いです。
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2001年10月27日(土)

 11時57分、いつもとは違うPXで武はヴァルキリーズの13人と昼食を共にしていた。

「ああっ! もうっ!!……なんであんたに勝てないのよ?!
 なんかずるしてんじゃないでしょうねぇっ!」
「もう……水月、いい加減止めなよ。」

 食事が始まっても、荒れ狂う水月は落ち着く気配の欠片もなかった。
 武相手の模擬戦で3連敗したのがよほど悔しかったらしい。

「あれはさぁ……ほらぁ、やっぱり実力で負けてるってことだよねぇ。」
「姉さん……そんなはっきり言っちゃまずいよ……」
「葵ちゃん……自分に、跳ね返ってくるよ?」

 水代姉妹と葉子は一応小声で話していたのだが、水月イヤーはその言葉を聞き逃さなかった。

「葵さぁ~~~ん? あんた、白銀の機動体験、途中でへばってたわよねっ!」
「え?……えへへ、そう……だったかなぁ? そんなことないよね、紫苑。」
「その言い逃れは、無理ありすぎだよ……姉さん……」
「あんたっ! そんなにあたしに扱かれたいのっ?!
 大体、葵さんは突撃前衛にしては、気力体力が足りてないのよね。
 この機会に鍛えてみるぅ?」
「水月、八つ当たりは格好悪いよ? しかも部下に当たるなんて……」
「う…………じょ、冗談よっ! そ、そんなことするわけないでしょ?」
(((((((((((( いやいやいや、絶対に本気だったでしょ! ))))))))))))

 矛先を武から葵に変えて、八つ当たりをしようとした水月をすかさず遙がやんわりと止める。
 慌てて誤魔化す水月の様子に、他の全員が内心でツッコミを入れていた。

「それにしても~、白銀中尉はとても同い年とは思えないわね~。」
「ほんとだよっ! すっごいよね~、あの機動……憧れちゃうねっ!」
「確かにあの機動は凄かったね。あれに合わせて支援するのは大変そうだ。」
「あ、あああああ、あたしは茜ちゃんに憧れてますぅっ! 白銀中尉なんて目じゃないべ?」
「ちょっと多恵! その言い方は白銀中尉に失礼でしょ?」
「へ? うひゃぅ! え、えっと、こっこっこっこれはですねぇ~~~、す、すいません~…………」

 元207A―――智恵、月恵、晴子、多恵、茜の5人は武の方をチラチラと見ながら、仲間内で話しながら昼食を摂っていた。

「白銀中尉。我が中隊の隊員達は、貴様が気になって仕方がないようだぞ? 選り取り見取りで食い放題だ、さぞ嬉しいだろうな?」
「美冴さん、少し言いすぎなのではないかしら?」
「ああ、もちろん祷子は私が先約だ。残念だったな、白銀中尉。」
「あの……オレはどう応えればいいんでしょうか……」
「ん? 好きに応えていいぞ。私は任務外の事は感知しないからな。」
「日和ましたね、伊隅大尉。…………じゃあ、風間少尉、宗像中尉の発言で悩んでるんですが……」
「なっ! 祷子に頼るとは……白銀……貴様を見損なったぞ……」
「うふふ。美冴さんもその辺になさったらいかがかしら。」

(相変わらず、宗像中尉と風間少尉は仲がいいな。伊隅大尉も興味無さげな素振りで楽しんでるのかな?
 『前回の世界群』じゃ、配属後はあれこれ忙しかったから、訓練以外じゃヴァルキリーズの先任とは過ごす閑がなかったもんな……)

 207の仲間達と居る時とはまた一味違った雰囲気の中、武は焦燥感や緊張が和らいでいくのを感じていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時39分、B19フロアのシリンダールームで、武は霞とあやとりをしていた。

「…………白銀さん……」

「ん? どうした霞、次は右手の小指でだな……」

「……違います…………話があります……」

「話って?……まあいいか……いいぞ霞、遠慮しないで話してくれ。」

「どうして…………このままに、するんですか?……」

「このまま?…………純夏のことか?」

 霞に問いかけられて、シリンダーの中の脳髄を見て、武は問い返した。

「そうです…………このままは、寂しいです……」

 霞の答えに、武は暫し瞑目する……そして、再び目を開くと霞に静かに話しかけた。

「そうだな……純夏は今のままだと霞としか話せない。
 ……いや、今の精神状態だと、コミニュケーションすら成立していないか。
 ―――確かに、00ユニットになれば、純夏の精神は安定して、人間並みの生活が出来るようになるかもしれない。
 けどな、霞。それは人類の切り札としての重い責任と引き換えに得られるものに過ぎないんだ。
 その責任を背負わされるのと、今の状態と、どっちが純夏にとっていい事なのか……オレも悩んだけど、結論が出なかった……
 ―――霞。オレは『前の世界群』で、00ユニットになった純夏が苦しむ姿を見ちまったんだ。
 だから……だから、他にどうしようもなくなるまでは、その重責を純夏に押し付けたくはないんだよ。」

「……純夏さんが……心配なんですね……
 ……護って……あげたいんですね……」

「ああ、そうだ。
 オレは―――純夏が苦しむ姿を、出来る事ならもう見たくないんだ……
 オレは……オレは臆病だよな、霞。」

 苦悩を浮かべた瞳で、武は苦笑いしながら話す。
 そんな武に、霞は目を伏せて応える。

「……いえ……優しいんですね……」

「ありがとう、霞。―――でもさ、いつか……例えばオレが00ユニットになって、BETAを地球から追っ払って……
 ……そうしたら、純夏を今の状態から、なんとか救い出してやれる方法が見つかるんじゃないかって……
 …………ははっ、夢みたいな話だろ? 自分で言ってて笑っちゃうよ。」

「夢……叶うといいですね……」

 2人は再びあやとりを再開し、昼休みの終わりと共に、武は部屋を後にした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時05分、B5フロアの多目的端末室に207隊の全員が揃っていた。
 端末室前方の講師用の机の脇に立ち、まりもは訓練兵達に向かって訓練内容を説明する。

「本日は、端末を用いたリアルタイム進行の机上演習を行う。
 昨日の午後と本日の午前中に座学で学んだ知識を確認できるように、今回の演習内容はBETA上陸に対する防衛戦だ。
 任務の最優先目的はBETAの殲滅、次いで戦域後方で避難中の民間人の保護だ。
 貴様らが失敗しBETAの突破を許せば、避難中の民間人が犠牲となることを忘れるな!
 BETAの物量の恐ろしさ、レーザー属種の対空迎撃の威力などを、如実に感じられるように、端末を使用したリアルタイム進行の演習とした。
 榊を師団長として、他の者は榊の指揮下でそれぞれ連隊を指揮せよ。
 データリンクは100%機能するものとするため、お互いの会話や意思疎通は普通に行って良し。
 では、自分の指揮する部隊の状況を把握せよ。」

「「「「「 了解! 」」」」」

 与えられた戦力は、帝国本土防衛軍の編制に準じた1個師団。
 戦術機甲部隊9個中隊、機甲部隊36個中隊(内訳:戦車9個中隊、高射砲9個中隊、曲射砲18個中隊)、航空支援部隊9個中隊、機械化歩兵部隊18個中隊、歩兵・工兵・輜重の各部隊が3個中隊づつであった。

 そして、海岸線から続々と上陸してくるBETAに対する机上防衛演習が進められた。
 上陸してくる敵の規模は旅団規模と推定されていた。
 レーザー属種が上陸したところで、千鶴は防衛線を内陸へと下げ、渓谷状の地形へとBETAを誘引して殲滅するという作戦を立案・下命した。

 千鶴の指揮する師団本隊は戦域中央を担当、前衛の戦術機甲部隊はBETAを陽動しつつ渓谷へと後退、支援砲火を担当する後衛の機甲部隊は渓谷の出口側の左右に展開し、レーザー属種からの射線が遮られる尾根の陰などに展開させた。
 渓谷部を抜けてきて密集した状態のBETAを、レーザー属種からの迎撃を受けにくい状況下での制圧砲撃を以って殲滅しようと千鶴は考えていた。

 左翼は冥夜の連隊を最左翼とし、壬姫の連隊が本隊との間を埋め、右翼は彩峰の連隊を最右翼とし、武の連隊が本隊との間を埋めた。
 両翼の任務は、師団本隊の誘引を逃れ迂回突破しようとするBETAを機動迎撃し、陽動を以ってその進路を師団本隊の陽動圏内へと誘引する事と、浸透突破しようとするBETA小型種の殲滅であった。
 さらに、陽動を行う前衛部隊の支援を目的として、AL弾を中心とした陽動砲撃によって前衛部隊の被照射の危険を減らし、重金属雲濃度が充足している間は、制圧砲撃に切り換えてレーザー属種を減らす事も任務のうちであった。

 左右両端を担当する冥夜、彩峰の2人には、戦術機甲部隊を1個中隊から2個中隊に増強した連隊が任せられ、師団本隊である千鶴は戦術機甲部隊を2個中隊減じているものの、実に5個連隊を統括運用していた。

 戦線全体は緩やかな漏斗状に形成されており、陽動を担当する戦術機甲部隊は小隊単位でローテーションを組み、分担している陽動圏内の最深部までBETAを誘引したところで次の連隊の戦術機小隊へと陽動を引き継ぎ、戦線の内側を迂回した後、再度前線に出て陽動を繰り返す。
 結果、BETAはベルトコンベアに運ばれる荷物のように中央の渓谷へと誘引され、レーザー属種の迎撃を免れた師団本隊の制圧砲撃により急速に殲滅されていった。
 レーザー属種を優先して殲滅する従来の戦術に対し、レーザー属種の照射を陽動砲撃に誘引し、レーザー属種の直援である突撃級や要撃級を地形を利用して先に殲滅するというのが、千鶴の立てた戦術であり、それは上手く機能しているように思われた。

 しかし、戦闘開始後約40分が経過した頃に、左右両翼の展開する戦域の更に外側にそれぞれ1個大隊規模のBETA増援が出現し、事態は一気に混迷する事となった。
 最左翼を担当する冥夜は指揮下の半数に相当する戦術機甲1個中隊を、足止めとしてBETA増援に差し向けると同時に、師団司令部(千鶴)に指示を仰いだ。
 これに対し、最右翼を担当していた彩峰は、直ちに指揮下の全戦力をBETA増援へ急派し、即時殲滅を企図した。

「榊、あまり長くは持たない、早急に対処を頼む。」
「ちょっと、彩峰、貴女何を勝手に―――」
「委員長、戦術機甲1個中隊こっちにまわしてくれれば右翼はオレが何とかする、それより今は、左翼に指示を出せ、でないと戦線が崩壊するぞ!」
「すまんな、タケル……榊?」
「―――そ、そうね、左翼には曲射砲3個中隊と、護衛に機械化歩兵1個中隊を回すわ。
 制圧砲撃でBETA増援を殲滅して頂戴……白銀? きついでしょうけど、戦線の維持、頼んだわよ。」
「「 了解ッ! 」」
「彩峰ッ! 聞こえてるわね、さっさとBETA増援を殲滅して担当戦域へ戻ってッ!!…………返事位しなさいよッ!」
「…………了解……」

 ―――約5分後、右翼のBETA増援はほぼ瓦解し、掃討戦に移っていた。
 左翼では、未だ戦術機甲中隊で足止めしつつ制圧砲撃を実施中、また、小型種掃討のために機械化歩兵部隊2個中隊も派兵されていた。

「…………彩峰、そっちの状況はどうだ?」
「あと少しで殲滅できる!」
「そっか、じゃあ、手の空いた部隊からでいい、右翼の戦線に戻してくれ、オレの方はそろそろ限界だ……」
「―――ッ!!」

 BETA増援を殲滅する事に集中していた彩峰は、武に言われ改めて右翼戦力の詳細情報を見て絶句した。
 戦線が維持されているために、一見問題が無いように見えていたが、その実、武の指揮下にある戦力は酷く損耗していた。
 殊に、戦術機甲部隊の損耗が酷く、その穴を埋めるために高射砲部隊や戦車部隊まで投入して、なんとか戦線を維持しているような状況であった。
 高射砲部隊や戦車部隊はその移動速度においてBETAに劣るため、戦線維持に投入された部隊は全て撃破される有様で、使い捨て以外の何ものでもなかった。
 しかし、そうして部隊を徐々にすり減らしながらも、武は右翼の戦線を辛うじて維持している。
 この時点で彩峰の部隊が一部でも右翼に復帰すれば、戦線は崩壊せずに済むと思われた。

「……わかった……戦術機甲1個中隊と曲射砲2個中隊を白銀に預ける。」
「そうか、助かる。なるべく早くに戻って来てくれよ。」

 ―――そして更に20分ほどが経過し、机上演習は終了した。

 結果的に68分に亘って戦線を維持し、増援の部隊が駆け付けた事により残存BETAは殲滅された。
 指揮部隊の損害は、戦術機甲部隊9個中隊の内4個中隊相当が壊滅、戦車9個中隊の内2個中隊相当が壊滅、高射砲9個中隊の内2個中隊相当が壊滅、曲射砲18個中隊の内1個中隊相当が壊滅、航空支援部隊9個中隊の内1個小隊相当が壊滅、機械化歩兵部隊18個中隊の内6個中隊相当が壊滅、歩兵・工兵・輜重の各部隊はほぼ健在であった。
 最も多くの損害を出したのが武が指揮した部隊であり、戦術機甲部隊2個中隊、戦車1個中隊、高射砲1個中隊、曲射砲2個小隊、機械化歩兵2個中隊の損害を出した。
 これは、師団全体で出した損害の半数近くに相当する。
 決して武の指揮が劣悪だったわけではない。にも拘らずこれ程の損害を被ったのは、担当した右翼戦線が如何に激戦であったかを物語っていた。

―――そして、まりもによる講評が行われる。

「―――さて、一応BETA相手に増援の到着まで戦線を維持し続け、突破を許さなかったな。
 これにより、作戦は成功したと見なす―――皆、よくやった。
 特に榊、従来のレーザー属種の殲滅を最優先とする戦術を用いず、地形を有利に活用できる所まで戦線を後退させた事は評価に値する。
 特に、地形を上手く使って制圧砲撃の迎撃をレーザー属種にさせなかったことや、BETAを密集させ飽和攻撃により効率よく殲滅せしめたことは特筆に価する。
 前衛となる戦術機甲部隊を陽動に専念させる事で被害を抑えた点も、評価に値するな。」

「「「「「 ………… 」」」」」

「しかし、その反面、戦域を限定しすぎたため、戦域外にBETAの増援が出現した時点で混乱したのはいただけないな。
 この点について、榊、貴様はどう考える?」

「……はっ、事前にその様な戦況を想定し、対処方法を両翼指揮官に通達出来なかった事が混乱の原因であると考えます。
 私の作戦立案の不備であり、反省しております。」

 千鶴の答えを聞いたまりもは、やや思案気に頷いた後、更に問いを重ねる。

「―――ふむ。それは一面では真実に違いないな。
 しかし榊、起こり得る全ての戦況を事前に想定し、対処法を立案・通達するのは不可能に近いぞ。
 想定外の戦況の現出に対する対処法という観点からだとどの様に考えるか、今一度意見を述べよ。」

「……想定外の戦況が現出した際には、速やかにHQに指示を仰ぎ、その指示に沿って対処するべきだと考えます。」

「ふむ……確かに教科書通りの答えではそうなるが…………どうする? 白銀―――いや―――どういたしますか、白銀中尉。
 衛士訓練校の教練としては、榊の答えを是とせざるを得ません。
 しかし、それでは中尉の特殊任務に支障をきたすのではありませんか?」

 まりもは講評を中断して、臨時中尉としての武に意味有り気に訊ねた。
 武は即座にその意を察して応じる。

「そうですね。正規軍の命令系統や組織概念は知っておいて貰った方が良いと思います。
 その結果問題が発生した場合には、オレの方でもフォローしますから、特殊任務優先でお願いします。」

「……わかりました。フォローの件は当てにさせていただきます。
 ―――さて、待たせたな。榊、貴様の意見は訓練校に於いては正解とされる。
 私も、貴様らに軍はピラミッド型の組織であり、上からの命令には絶対に服従しろと言い聞かせてきた。
 しかし、だ……それは民間人を軍人に育成するための訓練校であるが故の事であり、苛酷な環境に耐性を付けさせるために行われているに過ぎない。
 よって、正規軍の前線に於ける命令系統および組織概念は、実は全く異なる。
 正規軍での組織は前線の部隊指揮官に多くの情報と権限が与えられ、高度な判断を要求する逆ピラミッド型の組織概念によって運営されている。
 作戦に関わる全員が、一兵卒に至るまでデータリンクによって戦域情報を共有し、臨機応変な対処と現場での即時即決が求められるのだ。
 勿論、機密情報は共有されないし、戦略的要求によりHQから下命される作戦目的に反する行動は認められない。
 しかし、作戦目的遂行の為の行動であれば、現場指揮官の判断が往々にして優先されるのだ。
 この観点から述べるのであれば、先程の榊の意見は全くの失格となる。
 それは軍への忠誠ではなく、怠惰と見なされる行為となってしまうのだ。」

「―――そんな……」

 まりもの言葉に、千鶴は思わず呟きを発してしまう―――が、まりもはこれを敢えて咎めずに話を続けた。

「人間の思考が通用しないBETAとの戦いに於いて、数で劣っている我々人類は、戦場での予測不能なBETAの行動に即座に対応し、戦術を駆使して優位に立たなければならない。
 そして、その為にはボトムアップ、トップダウン型の指令系統では間に合わないのだ。
 そして各級の指揮官は戦域データリンクによって指揮下の部隊の動向を把握し、全体を見通した上での方針を下命する事になる―――解ったな?」

「「「「 はいっ! 」」」」

「今回の机上演習においても、両翼の更に外側に出現したBETA増援に対して、御剣、彩峰の両名が独断によって即応しているが、正規軍に於いてはこれが正しい対応ということになる。
 ただし、更に講評するのであれば、御剣はその後の行動指示を榊に一任したのが問題だな。
 可能であれば、自分が望む行動案を意見具申するべきだ。そうすれば、上位指揮官の負担を軽減できる場合もある。
 今回の演習の中では、白銀の行った戦術機甲1個中隊の派遣要請と、その後の戦線維持を請け負うとの意思表明がこれにあたる。」

 まりもの言葉に冥夜は武を一瞥して頷き、まりもに視線を戻した。

「逆に、迅速に行動したのは良かったが、既存の任務の引継ぎや意見具申を一切しなかった彩峰のやり方にも問題があるな。
 実際、白銀は急遽、戦術機甲3個中隊と曲射砲4個中隊他で維持していた右翼戦線を、戦術機甲1個中隊と曲射砲2個中隊他で構成される半数以下の戦力で維持しなければならなくなった。
 意見具申により戦術機甲1個中隊を受け取ったものの、陽動砲撃の火力が半減したため支援砲火の効果が薄くなり、更に前衛の戦力が一時的に一気に3分の1に減少した結果、前衛部隊の被害が急速に増大した。」

 まりもの言葉に、武の方を横目で見た後、彩峰は唇を噛んで俯いてしまった。

「結果的に白銀は戦線維持に成功したが、私から見ても何時崩壊しても不思議の無い状況だった。
 よくもまあ凌ぎ切ったものだが……白銀、貴様の今回のやり方には問題点がある、解っているな?」

「はっ! 今回自分が下した命令は自決攻撃に類するものであり、統帥の正道に外れるものであります。
 今回自分の作戦が功を奏したのは机上演習であったからであり、実戦の場に於いては部下の離反を招きかねない危うい策であったと自覚しております。」

 まりもの問いに、武は今回自分が採らざるを得なかった作戦の非道さを率直に認めた。

「ふむ。解っているのであれば良い。
 ―――今、白銀は部下の離反を招きかねず、実戦では功を奏するか解らないと言ったが、私は実戦に於いても8割以上の兵が命令に従って行動すると考える。
 これは、先にも言った戦域情報の共有により、現出した戦況が如何に危機的状況であるか一兵卒に至るまで知り得ることに起因する。
 何も知らずに受ける理不尽且つ一方的な命令ではなく、その必要性を理解できるが故に、兵は死地へと躊躇わずに身を投じると私は信じる。
 が、それはこの作戦を肯定する理由とはならない。
 指揮官たるものは、このような事態を招かないための努力を怠ってはならず、自らの非才を部下の命で購うが如き所業は断じて為してはならない。
 無論、実戦に臨んだならば、犠牲を厭うて作戦目的を達成できないなど以っての外ではあるがな。
 結局、今回のような机上演習や過去の戦史などから多くの事例を学び、窮地に追い込まれる事を避けられるようになる事が重要だ。
 そして、それとともに、危急の際には断固として犠牲を厭わずに作戦を遂行する事も求められる。
 指揮官たるものは、部下に限らず兵を無駄死にさせずに済むように努力しろ、ということだな。」

 そう言うとまりもは言葉を休め、全員の表情を検める。
 そして、俯いたままの彩峰に目を留めた後、武に視線を投じた。
 武はまりもの視線に微かに頷きを返し、彩峰の様子を窺った。

 まりもは最後に、自分が部下を死地に送り出す姿を想像してしまい、今にも泣き出しそうに瞳を潤ませて歯を食いしばっている壬姫を一瞥して言葉をつづけた。

「まあ、今の話は本来指揮官教育で学ぶべきものだ。
 任官はおろか総戦技演習にすら合格していない貴様らが、本来気にするようなことではない。
 今すぐ理解して身に付ける必要もないだろう。
 講評はこれで終わるが、残った時間で、各自今回の机上演習のログを精査して検討しろ。
 お互いに意見交換することも許可する。―――では、始めっ!」

「「「「「 了解! 」」」」」

 まりもの号令に敬礼して応えた後、千鶴の元に冥夜と壬姫が集まる。
 恐らく互いの指揮内容を相互に検討したいのであろう。
 そして、彩峰は他者を拒絶するかのような雰囲気を身に纏い、独り端末を操作していた。
 武はそんな彩峰を一瞥した後、千鶴の元へと歩み寄った……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時02分、まりもが多目的端末室から退室して直ぐに、武は彩峰に呼びかけた。

「彩峰、悪いがちょっと話したい事がある。少し時間をもらえないか?」

 そそくさと部屋を出ようとしていた彩峰は、武に機先を制されて機嫌を損ねた様子だったが、武の言葉に首を横に振る事は無く、大人しく武に同行した。

「……どこ、行くの?」
「屋上だ……ちょっと気分転換も兼ねてな。」
「……めんどくさい。」
「そう言うな、おまえも気に入るかもしれないぞ。」
「そかな……」

 そして、2人は屋上に辿り着いた。

「……寒いよ。」
「そうか。」
「……もう帰っても良い?」
「駄目だ……オレがなんでおまえを呼んだかわかるか?」
「……告白?」
「違う。」
「……残念。」
「残念なのか?……じゃなくって、さっきの机上演習の事だ。
 オレが仲間を護りたくって戦ってるってのは知ってるよな?
 机上演習とは言え、部下に自決攻撃を命じて何にも感じていないと思うか?」

「…………ごめん……悪かった……」

「……謝罪は受け入れよう。それに、あの作戦自体はオレ自身が決めてやったことだしな。
 問題はだ……おまえが今後同じような事を繰り返さないかだ。
 彩峰、おまえに背中を預ける事が出来ると、オレに信じさせてくれないか?」

「ッ!!―――」

 武の言葉に彩峰は目を伏せ、唇を噛んだ……

「なあ、なんだって、あんな事したんだ?
 一歩間違えば、命令違反に、戦場放棄と見なされかねない行動だぞ?」

「後方には避難中の民間人がいるって想定だった……」

「そうか……民間人の保護を優先したんだな?
 けどさ……その結果として、兵士がどれだけ犠牲になった?
 ましてや、右翼が崩壊したら、おまえがBETA増援を殲滅しても、後方の民間人は右翼を突破したBETAに蹂躙されるぞ?」

「…………」

「勘違いしないで欲しいんだけどさ。おまえの戦闘指揮自体は間違ってるとは思っていないぜ?
 実際に、おまえはBETA増援を阻止して、短時間で殲滅してるし、結果的には右翼は維持できたしな。」

「維持できたのは、白銀のお蔭……」

 彩峰は、しょんぼりと肩を落として小声で応じた。

「そうだな、問題はそこだ。
 おまえが抜けた後を任されるのは至極当然の事だ。だけど、何の連絡も調整もなしじゃ、いくら戦域データリンクがあったって面食らっちまうよな。
 どうして、意見具申しなかった? 事後承諾もしないってのは相当徹底してるよな?」

「分隊長様は作戦に固執する……議論している閑は無かった……」

「まあ、今まで通りならそうだったかも知れないな。
 ―――けど、今回は違っただろ? 左翼の冥夜の独断は許容されたし、オレの意見具申もそのまま受け入れてくれた。
 左翼への対応だって速やかに成されたし、おまえの行動も一応追認されたじゃないか。
 今回は、左右両翼に同時に増援が出たからな。おまえの独断専行で、結果的に委員長は左翼に集中する事ができた。
 戦線が崩壊しなかったのは、そのお蔭でもあるよな。
 こうやって振り返ってみたら、意見具申や調整、事後承諾をしていた方が上手くいったような気がしないか?」

「…………」

「―――『人は国のためにできることを成すべきである。そして国は人のためにできることを成すべきである』……だったな。」

「―――!!」

 武の口にした、今は亡き父、彩峰萩閣の言葉に目を見開く彩峰。

「彩峰中将の言葉だそうだけど、おまえさ、この言葉の意味ちゃんと考えた事あるか?」

「え?!」

「『人は国のためにできることを成すべきである』、こっちは解り易いよな。
 オレ達軍人なら……と、みんなはまだ訓練兵だけどさ……命懸けで作戦に従事することだし、後方で一次・二次産業に従事している人達なら、食料や工業製品を一生懸命作って国の基盤を支える事だ。
 要するに、自分の務めを―――それが子育てとか家事だって良いさ―――とにかく一生懸命果たして、国の力にするってことなんだろう。
 あとは、『国』のために我慢できる事は我慢するってのも入ってるかな。
 腹一杯食えなくても我慢するとか、気に食わない上官の命令に従うとか、さ。
 じゃあ、『国は人のためにできることを成すべきである』……こっちはどういう意味だと思う?」

「……国に尽くした人に報いる事。」

 彩峰は、何を当たり前な事を……という顔で、即答した。

「ま、普通はそう応えるよな。じゃあ聞くけどさ、『国』って誰なんだ?」

「―――え?……」

「内閣総理大臣―――榊の親父さんか? それとも、政威大将軍煌武院悠陽殿下か? 2人は『国』であって『人』じゃないのか?
 2人とも、『人』として、政治家としての務めや、政威大将軍としての勤めを果たす事で、『国』に尽くしてるんじゃないのか?」

「……そ、それは……」

「そもそも、『国』の主体って何だ? 皇帝陛下ってのが、常識的な答えだけど、皇帝陛下は全権を政威大将軍にお預けになっておられるよな。
 そしたら、やっぱり殿下が『国』として、遍く民草に対して『できることを成』さないといけないのか?
 だとしたら、殿下から信任されて実務を預かっている総理大臣や政治家は、民草に『できることを成』さなくてもいいのか?
 ―――そして、そもそも、『国』が『人』に対して『できること』ってなんだ?
 『できること』ってことは、当然できないこともあるわけだろ?」

「………………」

「『人は石垣人は城』って知ってるか? 本当はもう少し違う言葉らしいけど、大体の意味としては国を栄えさせる力は人なんだって意味……だったと思う。
 つまりは、『国』の力ってのは国民の力を集めたものって事だな。
 個々の『人』が『できることを成』して、そうやって集まった力で、個々の人々の集合体である『国』のために『できること』をする。
 それがひいては『人』のためになる……そういうことなんだと思う。
 けれど、『国』のために何かをする時、その根幹である個々の『人』の都合は忘れられる事がおおいから、彩峰中将は敢えて『人』のためって言ったんだろうな。」

「…………結局、国が優先されるって事?」

 眉を寄せて、彩峰は苦しげに武に問う。

「……どうかな? 国民全員が満足できるって事はありえないけど、ちゃんと『人』のためを考えて『国』が行った事なら、大多数の『人』のためになるんじゃないかな?
 結局、国が滅びてしまえば、国民は路頭に迷って苦しむ事になるんだからさ。」

「…………そだね。」

「まあ、『人のためにできること』ってのが、『国』のためだとしてもだ。
 じゃあ、具体的に誰が『国』としての行いを成すのかってことなんだけど……オレは『成すべき時に成すべき人が成す』んだと思う。
 だから、殆どの場合は国家的指導者―――殿下や総理大臣なんかだな―――とか、その人達を補佐する職責の人達が成すんだろう。
 けれど、時には『国』に成り代わって何事かを『成す』べきだと感じ、信念に従って『成す』人もいるんだと思う。
 例えば、おまえの親父さん―――彩峰中将もその一人だと、オレは思う。」

「え?!……」

 武は『前の世界群』で夕呼に与えられた無制限とすら言える情報閲覧資格を使って調べた、『光州作戦』の詳細を思い浮かべながら言葉を繋いだ。

「夕呼先生からおまえの人事データを見せてもらった時に、『光州作戦』についても調べさせてもらった。
 あの作戦では、彩峰中将は、大東亜連合から帝国が委託された、避難民の誘導・護衛を受け持っていた。
 そして、帝国派遣軍主力は前衛を務める大東亜連合軍の後方支援に当たっていたんだ。
 ところが、BETAの猛攻に大東亜連合軍が予想外に呆気なく崩壊し、瓦解した戦線からBETAが押し寄せてきちまった。
 そこで、帝国派遣軍司令部は戦力を可能な限り維持した上での撤退を決定。
 彩峰中将にも、本隊との即時合流が下命された。
 しかし、その命令に従っては、前線を突破したBETAから避難民が逃れられないと判断した彩峰中将は、護衛任務の続行を派遣軍司令部に具申した。
 結論から言うと、これは聞き入れられなかったんだけどな。」

「―――ッ!!…………」

 無言のまま、真剣な眼差しで聞き入る彩峰。

「その結果、彩峰中将は派遣軍司令部の移動命令に従わずこれに抗命し、避難民の護衛を続行した。
 襲い来るBETAの進路を戦術機甲部隊による陽動で逸らし、狭隘な地形や架橋にあっては砲撃によってBETAを殲滅しつつも道を塞いでBETAの進行速度を低下させた。
 そうして彩峰中将は避難民と指揮下の兵力の多くを、朝鮮半島から脱出させる事に成功した。
 ところが、彩峰中将が合流しなかった派遣軍主力は運悪く悲惨な撤退戦となった。
 派遣軍司令部が無能だったわけじゃあない、彩峰中将ほどの熟達した指揮ではなかったものの、極々堅実な指揮の下、派遣軍は統率された撤退戦を行っていたんだ。
 ところが、運悪く退路上に大東亜連合軍を追撃して壊滅させたBETAが戻ってきてしまい、包囲下に陥ってしまった。
 そして、派遣軍主力の将兵で、最終的に帝国本土へ帰還できたのは僅か2割に満たなかったんだ……
 帝国に帰還した彩峰中将に対して与えられた評価は『他国民の保護を理由に友軍を見捨てて逃げた卑怯者』…………」

「……………………」

 自身も聞いた事がある言葉だったのだろう、悲痛な表情を彩峰は見せ俯いてしまう。

「まあ、主に『光州作戦』で戦死した将兵の遺族を中心にあがった非難だったんだろうな。
 大東亜連合に対する約定を果たし切ったのだからと、彩峰中将を擁護する声も国内にはあった。
 けれど、国内の世論に押し切られる形で、彩峰中将は敵前逃亡の罪で投獄され……後のことは、おまえの方が詳しいな。
 勿論、この件の裏では様々な人間の利害が絡み合っていた。
 『光州作戦』の大敗に対する国民の非難を、軍部から逸らす狙いもあった。
 また、おまえは知らないかもしれないけど、彩峰中将が殿下の御指南役を仰せつかっていた事から、中将を妬み失脚を望む者達もいたらしい。」

「……結局、軍の無能な奴らが責任を押し付けた……」

「そう思うのも解るが、さっきも言ったように、少なくとも派遣軍司令部は決して無能ではなかった。
 彼らが大損害を受けずに帰国できていたら、避難民の護衛を達成した事からも、彩峰中将の抗命は情状酌量されて不問に付されていただろう。
 なにしろ、当時の帝国軍に彩峰中将ほどの、有能な指揮官を切り捨てられる余裕なんて無かったんだからな。
 それにな、彩峰。光州が陥落してハイヴが建設されたら、次が日本なのは自明の事だった。
 実際にそうなったしな。
 その状況で、大陸での戦力の消耗を避けようとした派遣軍司令部の判断は、必ずしも間違っているとは言えないだろ?
 である以上、軍人という『人』であった彩峰中将が『国』のために成すべきだった『できること』が、本来なんだったか解るな? 彩峰。」

「……命令に従って、撤退する事………………でもっ!」

 俯いたまま悔しげに呟いた後、彩峰は激しい勢いで顔を上げ、武を睨みつけた。
 武は彩峰の激情を静かにその身に受け入れて、話を続ける。

「それでも、大東亜連合との約定を破って避難民を見捨てる事が正しいとは思えない……か?
 そうだな、オレもそう思うよ。けど、そんな事は恐らく派遣軍司令部でも考えたはずなんだ。
 大東亜連合との約定や避難民の命と、自分達が本来守るべき日本の国民を秤にかけて、慚愧の念を以って定めた方針に違いないんだ。
 そして、同じ状況分析をして、逆の答えを選び取ったのがおまえの親父さん―――彩峰中将だったんだとオレは思う。
 ―――いや、彩峰中将はきっと、日本にとっての最良を得るべく、抗命という道を選んだんじゃないかとオレは思っている。
 彩峰中将は、戦力の温存を派遣軍司令部に委ねて、自らは最後まで大東亜連合との約定を守って避難民を護衛する事で、日本が国際的に非難され、将来的に孤立しないように配慮したんじゃないかと思うんだ。
 あの状況で、足の遅い避難民を連れて、指揮下の部隊を損なわずに逃げ切れる自信は、彩峰中将にも無かったんじゃないかな。
 そういう意味では皮肉な事に、派遣軍主力がBETAに対する足止めになって、その結果として彩峰中将の部隊は少ない損害で済み、それが却って帰国後の彩峰中将への非難を厳しいものとしてしまったんだ……」

「…………そ……んな……」

「そこでだ……この彩峰中将の行いだけど、オレには『人』として『国』のために『できること』の範疇を超えていると思う。」

「……?」

「恐らく、光州で彩峰中将は『国』として『できること』を『成』したんだ。
 部下の身命と装備という『人』が捧げた力によって、将来の日本の人々の安寧を願って、恐らくは自分の分を超えると思いつつも、今この時に国に代わって成すべきは自分であるとの信念を持って、それこそが己が責務だと信じて、『人』としての立場を超えて『国』としての責務を担ったんだ。
 そして、『人』としての職権を超えたが故に、帰国後に『人』として罪を問われてしまったんだと思う。
 ―――けれどっ! オレは敢えて断言するがおまえの親父さんがしたのは正しい行為だッ!!
 実際に、おまえの親父さんのお蔭で、大東亜連合の日本に対する心象は悪化しなかった。
 それは、今日の日本防衛に大きく寄与しているし、明星作戦で大東亜連合軍の協力を得られた事さえ、無関係とは思えない。
 おまえの親父さんは、己が身命を捧げて、多くの日本人に今という時間をもたらしたんだ……」

「……白銀……」

 彩峰は何時の間にか溢れ出していた武の涙を見て、一瞬なにが起きたのか解らなくなってしまった。
 武は、自身が背負っている『人』としての限度を超えた甚大な責務を思い、知らず知らずの内に、彩峰中将に共感していた。
 そして、己が一身を捨てて国に、民に貢献しようとするその凄絶な覚悟を想い、感極まって涙してしまったのだった。
 武は、涙を拭って、話を続ける。

「……ごめん、オレが泣く事じゃないよな、悪かった。
 え……と、何処まで話したっけ…………ああ、彩峰中将のお蔭でってとこだな。
 だからな彩峰、おまえの親父さんは、とてもすごく凄い、烈凄い、爆凄い、心底凄い人なんだ!!
 だから……オレが言って良いことかわかんないけど……オレが言っても意味ないのかも知れないけど……
 …………親父さんを誇ってやってくれないか、彩峰。」

「ッ!―――」

 彩峰は、白銀の真摯な顔を直視し続けることに耐えられず、視線を逸らすと、視界に偶々飛び込んできたフェンスの上へと身を躍らせた。
 そして、もうすっかり暗くなった空を見上げ、小さな小さな声を漏らした。

「…………ありがと」

 その声が聞こえたのかどうか……武はフェンスの上に腰掛けた彩峰を見上げて、更に話し掛けた。

「あのさ、自分でも何言ってたんだか解んなくなっちゃってるんだけどさ。
 もう少し、軍とか、上官とか、委員長とかさ、信じてみることってできないかな。
 確かに腐った奴だっていると思う。けどさ、そうでない奴だっているんだろうし、最初は少し位拙くても良い方に変わるかもしれないだろ?」

「榊みたいに?」

「ん……まあな。
 それにさ、上官に意見具申しないにしたって、仲間に相談くらいしたっていいだろ?」

「白銀に?」

「ん……ま、まあな……頼りないかもしれないけどさ……冥夜でも良いし……」

「……そんなことないよ……」

 ぽつりと彩峰が呟いた言葉は、折りしも吹き抜けた風の音によって掻き消された。

「う~~~、寒っ!! ん? 今なんか言ったか?」

「……別に…………わかった、ちょっと努力してみる……」

「お! ほんとか? ありがとな、彩峰。
 なんか、我慢できなくなって愚痴とか言いたくなったら聞いてやるからな。
 他にも何かお礼してやろうか?」

「……………………今度、一緒にお昼食べて。」

「は? 昼飯くらいなら、ちょくちょく一緒に食ってるだろ?」

「―――バカッ!!」

 フェンスから飛び降り、さっさと屋上から立ち去る彩峰。
 取り残された武が出入口に駆け寄った時、ドアは既に施錠されていた……

「彩峰……これはないだろ?……」

 寒風吹き荒ぶ屋上に、武は独り呆然と立ち尽くすのであった……




[3277] 第23話 月影の円舞曲(ワルツ)
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/10/06 17:02

第23話 月影の円舞曲(ワルツ)

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 公式設定改竄告知:74式稼動兵装担架システム
 拙作は74式稼動兵装担架システムの仕様を、公式設定と異なった内容で描いております。
 原作において、背部の兵装担架に長刀2本を搭載し、主腕に突撃砲を装備している状態から、両手持ちで長刀を使用した後に、再び突撃砲に持ち換えている場面が散見できました。
 そのため、突撃砲と長刀など、複数の武装を同じ兵装担架で搭載でき、しかも、持ち換える際に仮収納>正規収納装備リリース>仮収納装備を自動にて正規収納、という形で、装備変更補助が行えるという設定に改竄いたしました。
 拙作をお読みいただく際にはご注意の上、ご容赦願えると幸いです。
>>>

2001年10月27日(土)

 18時58分、彩峰から話しを聞いて武を屋上から救出した冥夜が、武と2人で国連軍横浜基地衛士訓練学校の教室に入ると、そこには既に斯衛軍第19独立警備小隊隊長である月詠中尉が直立不動で立っていた。

「冥夜様、お呼びにより参上仕りました。」

 月詠は己が主と定めた冥夜に対して、臣下としての礼を行った。

「……月詠、此度は足労をかけた。本来訓練兵である私がそなたを呼び出すなど、許されぬ事であるのに無理を申した。許すが良い。」

 冥夜は頭を下げる月詠に、物言いたげな様子を見せたが、まずはその労をねぎらった。

「おやめ下さい冥夜様、私どもは冥夜様にお仕えする事こそが本望。喜びこそすれ決して苦になどいたしませぬ。
 ―――して、その者が此度のお召しの原因でございましょうか。」

 月詠は一頻り冥夜に仕える喜びを訴えた後、面を上げて武を眼光鋭く睨みつけた。

(……やっぱり睨まれるのか……)

 『前の世界群』での、『菊花作戦』前日の月詠との別れが友好的であった分、武は月詠の態度に凹んでいた。

「うむ。月詠、そなたなら既に存じておろう、我が207訓練小隊に転入となった白銀武……臨時中尉だ。
 香月副司令直轄の特殊任務に従事している関係で、訓練兵でありながら、臨時中尉の階級を保っておられる。
 白銀中尉、この者が、斯衛軍の月詠真那中尉です。」

「始めまして、白銀武臨時中尉です。
 この度はわざわざご足労頂きまして、感謝いたします。」

「月詠真那だ。……ふん、冥夜様のお召しでなければ誰が貴様などに会いに来るものか。」

「月詠! 初対面でありながら、失礼ではないか!!」

 冥夜の叱責に月詠は軽く頭を下げるものの、逆に冥夜を諭し始めた。

「そうはおっしゃいますが冥夜様。この者の素性の怪しさは、到底看過できるものではございません。
 冥夜様はそれをご存じないのです。」

「なっ……タケルの素性がどうしたというのだ?」

「はっ、城内省の管理情報で照合した結果、白銀武という人物は3年前のBETA横浜侵攻の際に死亡しております。」

「―――ッ!! タ、タケル……」

 月詠の言葉に衝撃を隠せない冥夜。
 しかし、数多の世界で、月詠に死人扱いされた記憶を持つ武は、全く動じることなく平然と応じる。

「死亡って言っても、死体を確認出来たわけじゃないでしょう?
 生存確認が取れなかった人間を、一括りにして死亡扱いにしただけじゃありませんか?
 オレ以外にも、実は生きてる人間はいるんじゃないかと思うんですけどね。」

「ど、どうなのだ? 月詠。」

「―――確かに、白銀武の死体が確認されたとの情報はございません。
 しかし、生きていたのであれば、何故に今月に至るまで生存確認が取れていないのか……
 冥夜様は不自然だとはお思いになられませぬか。」

「それはですね、オレ自身が記憶を失っていたからですよ。」

「「な?!/なにっ!」」

「3年前のBETA横浜侵攻の際に、オレは何らかの理由で記憶を失ってしまったらしいんです。
 いや、精神崩壊と言った方が良いかも知れませんね。
 それでも、生身でBETAと接近遭遇して生き残ったという一点だけで、香月副司令にとってオレには価値があったようでしてね。
 オレは香月副司令の庇護下で研究と言う名の治療を受けて、ようやく自我が回復したのがつい先頃と言う訳です。
 その結果として、オレが白銀武だと判明したため、香月副司令が戸籍の書き換えをやってくれたってわけです。」

「タ、タケル、それではそなたの軍歴は……」

「ああ、記憶を失う前のオレは、学業優秀ってことで徴兵猶予を受けてたらしいから、……まあ、そっちは偽造って事になるな。」

(…………きっと、徴兵されて純夏と引き離されないために、必死でがり勉してたんだろうな、オレ…………)

 『前の世界群』で、BETA横浜侵攻で死亡した本来の自分が、徴兵猶予を受けられるほどに学業優秀であったと知った武は、其処までやるのかと我が事ながら呆れ返ったものだった。

「ふっ、語るに落ちたな。軍歴が偽造であると認めた以上、貴様が白銀武を語っている偽者ではないと信じる事など出来るものか。」

「そこがまあ、香月副司令の研究ならではってやつでしてね。
 今、オレが持っている記憶は、衛士訓練校を卒業し、正規任官した衛士としてBETAと戦い、仲間を失い、それでも足掻き続けた白銀武としてのものです。
 香月副司令も色々と調べたようですが、オレの記憶にあるような衛士や戦闘の存在は確認できなかったそうです。
 オレにとっての『過去の記憶』が、『この世界の記録』には存在し得ない……なら、オレの『過去の記憶』ってのは何処からきたんでしょうね。
 その辺りは、実際に記憶復元処置を行った香月副司令にもはっきりとはしないそうです。
 そういう意味でなら、オレは幽霊みたいなものかもしれませんけど……」

「―――そうか。タケル、それがそなたの本当の『特別』なのだな……」

「まあ、そう思われても仕方ないか。
 けど、オレ自身の考えは、こないだみんなに言ったとおり、『特別臆病な衛士』ってことで変わんないぞ?
 それはともかく、オレの記憶が例え妄想や幻覚に由来しているとしても、オレの知識や経験は実際に役に立つもののようですよ。」

「そんな絵空事を信じろというのか!?」

「いいえ? 別に信じて欲しいとは思ってませんよ。」

「―――なに?」

「オレは、そちらが気にしている様子だったので説明しただけです。
 その上で、別に信じても信じなくてもそちらの都合でご勝手にどうぞ。
 ただし、そういった事情で機密も絡みますので、あまりあちこちで吹聴なさらないようにお願いします。」

「貴様、居直る心算か!?」

「そうですよ? こちらは話せる範囲でお話しました、あとはそちらの問題です。
 同時に香月副司令の研究の結果としてオレが存在して、『計画』に組み込まれているのだということは、しっかり認識してください。」

「くっ…………」

「こちらとしては一応の誠意をお見せしたって事で、そろそろ本題に入らせてもらっても構わないですかね?」

「……月詠―――」

 月詠の反応を窺うようにしながら声を掛ける冥夜に、月詠はキッと表情を引き締めて武の言を容認する発言をする。

「解った。今日の所は貴様の説明を受けれておこう……信用したわけではないがな。
 ―――では、本題とやらを聞かせてもらおうか。」

「ありがとうございます。では、立ち話もなんですから、どうぞおかけ下さい。
 ―――それでは本題ですが、実は先程申し上げたオレの記憶や経験を元に、香月副司令直轄の特殊任務として、既存の戦術機用OSの性能を遥に超える、新型OSの開発を行っています。
 本日より、実証試験に入ったばかりではありますが、この試作OSを斯衛軍に先行提供する許可を香月副司令より頂戴してあります。」

「ふん……そのような素性の知れぬものに、斯衛が飛び付くと思われるのは不愉快だな。」

 武の言葉を鼻先で笑い飛ばす月詠。
 そもそも斯衛軍の戦術機は独自調達が基本である。
 ましてや、『横浜の牝狐』の息のかかった代物など、おいそれと搭載できるわけが無かった。

「そうですか? 即応性の向上だけでも3割り増し、その上連続して機動を行う際の隙がほぼなくなるという性能を誇っていますけど?」

「!!―――口だけでなら、何とでも言えるであろうな。」

 武の口にした性能に、一瞬興味を示しそうになった月詠だったが、鉄壁の自制心で踏みとどまり、興味なさげに応える事に成功した。

「ご希望なら、今からでも、シミュレーターで体験していただけますよ? 実機は『不知火』でよろしければ明日には乗っていただけます。」

「………………」

「こちらも善意だけでこの申し出をしている訳じゃありません。
 斯衛の『武御雷』に於ける試作OSの運用データは、全てこちらに提供していただきます。
 新型OS完全対応となる、次世代型戦術機の開発データとして活用したいと思っていますので。」

「じ、次世代型戦術機? それに新型OSだと?」

 武と月詠のやり取りを、黙って聞いていた冥夜だったが、つい言葉を洩らしてしまった。
 それをしっかりと聞き取った武は冥夜に告げる。

「次世代型戦術機はまだ先のことだけど、昨日言った通り、新型OSは総戦技演習に合格すれば戦術機操縦課程で触れるぞ。」

「な、なに? では昨日の朝食の場でそなたが言っていたのは、試作OSのことだったのだな?」

「ああ、207訓練小隊は新型OSによる衛士教練のテストケースになってもらうからな。
 と、いうことなんで、冥夜が乗せられる前に、どんなOSか確認しておきたいと思いませんか?」

 瞳を輝かせて期待を募らせる冥夜に頷いた後、武は月詠に視線を転じて、意地の悪い物言いをした。
 武が次々に繰り出す言葉に翻弄され、武が冥夜を呼び捨てにした事を聞き流してしまうほどに、月詠は思考を圧迫されていた。
 そして、冥夜が任務で搭乗を強制されると聞いた以上、既に月詠にはこの話を受け入れる以外の選択肢は採り得ない。
 苦虫を噛みつぶしたような表情で、腹の底から声を絞り出すようにして、月詠は了承する言葉を吐き出した。

「―――ッ!! 貴様の申し出は了解した。早急に、斯衛軍総司令部に許可を願い出よう。
 そちらに提供するのは新型OS搭載機の運用データのみで構わないのだな?」

「はい。ただし試作OSを搭載するのは、この基地に駐留している4機の『武御雷』に限定させていただきます。
 機密保持などの点からも、未だ外に出せるものではありませんので。」

「―――了解した。しかし、シミュレーターと実機で、貴様が言うほどの物かどうかは確かめさせてもらうぞ?」

「構いません。早速シミュレーターをご使用になりますか?」

「……そうさせてもらおう。」

「了解です。―――ああ、それと中尉、お願いがあります。中尉のお名前をお呼びしても構いませんか?」

「……貴様、わざと呼ばずにいたのか……いいだろう。我が名を呼ぶ事を許す。」

 武の見せた配慮に、やや意外の念を感じ、許可しないのも狭量であるように感じた月詠は、渋々武に許しを与えた。

「ありがとうございます。では―――真那さん。」

 武に突然下の名で呼ばれた月詠は、椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、顔を怒りで真っ赤に染めながら武を怒鳴りつける。

「ばっ! 馬鹿者っ!! 苗字で呼べッ!!!」

「すみません、月詠中尉、冗談です。
 それから、オレは根っからの無礼者なので、言葉遣いがなってませんが、諦めて下さいね。」

「き―――貴様……私を愚弄する気か?」

「やだなあ、そんな怖い事はしませんよ。」

「そうだぞ月詠、このものの態度は筋金入りだ。全て承知の上で私を冥夜と呼び捨てにしているくらいだからな。」

 冥夜は腕を組むと、何処と無く自慢げに発言した。
 その発言に、月詠が激怒する前に何とかしようと、武は必死になって説明を試みる。

「あ、えっとですね、冥夜の事情については特殊任務として情報開示を受けたのであって、他意はないんです。
 名前を呼び捨てにする件も、冥夜にちゃんと許しを貰ってですね……」

「…………冥夜様を……冥夜様をそのように呼ぶなっ! この無礼者――――ッ!!」

 勿論、武の説明は月詠の怒りを押さえるにあたり、何等寄与する事はなかった―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時22分、シミュレーターデッキの入り口前に、武と月詠の姿があった。

 あの後、月詠に散々絞られた果てに、冥夜の『よい。私が許した』の一言でようやく解放されたのだが、その時の冥夜の顔が満足気に見えたのは武の見間違いであったのかどうか……
 いずれにせよ、冥夜をA-01が訓練しているシミュレーターデッキへ連れて行くわけにも行かず、訓練校を出た辺りで別れた。
 その後、月詠と二人でドレッシングルームに寄って衛士強化装備を装着し、ここまでやって来たところであった。

「もう一度、念を押させてもらいますけど、中で訓練しているのは香月副司令直属の特殊任務部隊です。
 くれぐれも、制御室やシミュレーターの中を覗き込まないようにお願いしますよ。」

「解っている。」

 武は月詠の返事を聞くと、強化装備の通信機能で、シミュレーターデッキ内の遙を呼び出す。

「白銀です。…………はい、お客さんを連れて入り口まで来たところです。…………了解です。じゃあ、ドアを開けてください。
 お待たせしました、中へ入って、14番のシミュレーターにご搭乗ください。」

 そして、シミュレーターが12機稼動しているだけで、人の姿が見当たらないシミュレーターデッキを奥へと向かい、武が13番、月詠が14番のシミュレーターに搭乗した。
 シミュレーターが起動すると、武は月詠に通信を繋ぎ話しかけた。

「まず試作OSの特徴をご説明します……………………
 ―――といったところです。
 では、動作教習課程で、操作に慣れてください……………………
 ―――はい、結構です。さすがにあっという間に乗りこなしてますね。
 次はオレの対BETA戦闘機動を見ていただいてから……」

 試作OSの機能説明から、月詠にアドバイスをしながらの動作教習を終え、試作OSで可能となる3次元機動の実演に入ろうとしたところで、武の発言は月詠に遮られる事となった。

「待て―――その前に、貴様と立ち合わせて貰いたい。」

「…………一度刃を交えてみないと信用がなりませんか……」

 顔を顰めて応じる武に、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべて、満足気に月詠が応じる。

「そういう事だ。思いの他、物分りが良いではないか。」

「わかりました。及ばずながら、お相手させていただきます。」

 かくして、試作OS搭載型『不知火』同士での市街戦が行われる運びとなった。

「……やはり、動かないか…………」

 武はレーダーの表示を見て呟いた。
 試合開始後1分が経過したが、周囲を距離を置いて回りこむように位置取りをする武機を一切無視する形で、月詠機は最初の位置から寸毫たりとも動いていなかった。
 動作教習での滑らかな機動を思うと、故意に行っているに違いない。

「……しかたない……か…………負けるな、これは……」

 武は覚悟を決めると、月詠機の正面へ移動し、87式突撃砲を右主腕の脇下から背部兵装担架へ仮収納した後、続けて右肩越しに74式近接戦闘長刀を抜刀、装備する。
 仮収納した突撃砲は正規収納されていた長刀がリリースされたのを受けて、自動的に正規位置に収納された。
 続けて武は、左主腕で保持していた92式多目的追加装甲を捨てる。
 これで、武機の装備は右主腕に長刀、背部兵装担架2基に87式突撃砲が1門ずつ計2門となった。

 武は、主脚歩行で月詠機へと歩み寄る。
 対峙する月詠機の装備は右主腕に長刀、2基ある背部兵装担架の右に突撃砲、左に長刀が保持されていた。
 武は長刀の間合いの3倍―――45m程の距離を置いて歩みを止め、長刀を両主腕で保持し、右八双に構える。
 対する月詠は右腰の前で長刀を右主腕で保持し、切っ先を右体側へと傾ける構えを取っていた。
 そのまま幾何か(いくばくか)の時間が過ぎるが、双方共に突撃砲を構えるそぶりもなく対峙していた。

「―――いきます…………ッ!!」

 そして、静かに宣言した後、無言の内に気迫を込めて武は水平噴射跳躍し、一気に月詠へと距離を詰める。
 対する月詠は進みも退きもせず、その右主腕をやや振り上げるに留まった。
 次の瞬間、水平噴射跳躍の勢いをそのままのせた武機の一刀が振り下ろされる。
 前傾姿勢から振り下ろされたその一刀を、月詠は時計回りに左半身となるように機体を裁きながら、手首を支点に反時計回り回転させて左斜め上に切っ先を持ってきていた長刀で滑らかに受け流す。
 そして、受け流した剣の流れそのままに、武機の右肩口から頸部の辺りを薙ぎにいく月詠―――武は長刀を振り下ろす動作をキャンセルすると同時に、瞬時に跳躍ユニットの向きを調整しつつ逆噴射し、その場で胸の辺りを回転軸として、前方へ倒れこむように回転して月詠の切っ先を躱した。
 前転の途中、天地が逆転した辺りで、回転モーメントを少しでも得る為に振り上げる動作になっていた長刀を、右主腕の片手持ちに変えて月詠機の主脚を薙ぎ払いにいく武。
 月詠は地を這うような武機の横薙ぎの一閃を瞬間的な噴射跳躍で飛び退って避ける。
 そして、着地するなり前方へと踏み出し、武機を横合いから逆袈裟に斬り上げようとした。
 しかし、武は主脚を狙った一閃を躱された直後から逆噴射を止めて跳躍ユニットを全力噴射し、速やかに上空へと退避した。

「ふん……荒削りで無茶苦茶だ…………が……言うだけの事はあるな……」

 月詠は一連の機動が終わったところで、僅かに獰猛な笑みを浮かべて独り呟いた。
 荒削りで無茶苦茶、とは武の機動の事であろう。
 しかし、言うだけの事はあるとの言葉は、半ばまでは試作OSに向けられていた。
 今の一連の機動で、月詠はキャンセルと先行入力を使用していた……否、使用していなければ、武に主脚を斬り飛ばされていたであろう。
 従来のOSでは望めなかった滑らかな連続した機動と、危急の際に新たな動作に瞬時に切り換える事のできるキャンセルは、予想以上に有効であった。

 元来、斯衛の衛士には千変万化の太刀筋を戦術機で再現するため、戦術機の機動を細々とした一連の機動へと分解し、状況の変化に合わせて斬撃を途中で変化させるという技が伝えられている。
 例えば、上段からの一刀を振り下ろすという機動を、上段の構えから刃筋を思い描いた斬線に合わせるので1動作、斬線に沿って振り下ろし始める初期加速で1動作、対象に当たる瞬間に柄を絞り手首を伸ばすので1動作、振り切った長刀を止めるのに1動作といったように細分化する。
 この4つの一連の動作の最中に、手首の返し、斬線の変更、刀を引き後方に下がる等、新たな動作を挟み流れを変えることで太刀筋を変化させるのだ。
 言ってしまえば、先行入力とキャンセルが出来ない従来OSで、剣技を再現する為に編み出された苦肉の策であり、実戦で活用しきれる者は決して多くはない。
 殆どの者が、統計思考制御の助けによって、良く用いる変化の幾つかを選択的に放てるだけであり、千変万化など夢のまた夢といったところである。

(―――しかし、この試作OSであれば……しかも、コンボと言ったか、一連の複合動作を登録し、出し易くする機能もあると申していたな。
 このOSがあれば、我が斯衛の衛士達は更に一騎当千の強者になる事が叶おう。
 彼奴めの策に乗せられるようで気に食わぬが、一存にて見過ごせるものでもない、か……)

 月詠はあれこれと内心言い訳をするが、何のことはない、試作OSにべた惚れしているのであった。

 その後も受身の月詠に対して武が仕掛け、いなされては反撃を奇抜な機動で辛うじて躱すという展開が繰り返された。
 その様はまるでスペインで行われていたという、闘牛を見ているようであったとは、制御室でモニターしていた遙の言葉であった。

 ―――そして、突撃砲を一切用いないまま、刀のみを交える事47分……とうとう推進剤が切れ、機動が鈍った武を撃墜し、月詠の円舞は終了した。

「いや、完敗です。さすがに斯衛の近接戦闘能力は凄まじいですね。」

 そう言う武の顔には一片の悔しさもなく、全力を出し切ったという充実感が溢れている。
 対する月詠の方も、試合を始める前に比べると、表情から険が取れ、応じる口調も和らいでいた。

「ふん。貴様こそ、最後の最後まで突撃砲を用いなかったではないか。
 その潔さと、このOSの素晴らしさだけは誉めてやる。」

「じゃあ、気に入っていただけましたか?」

「ああ、このOSが斯衛に採用された暁には、貴様に感謝するものは決して少なくはないだろうな。」

「ありがたい! それじゃあ、斯衛軍総司令部には……」

「今日の内に報告と許可申請をしておこう。」

 月詠が淡々と約束を口に告げると、武の顔に安堵が浮かび、次いで月詠の機嫌を窺うような面持ちになる。

「助かります。……ところで一つお願いがあるんですけど……」

「ん? なんだ?」

 その武の様子に警戒心を蘇らせ、不審げに月詠が応じると、武は恐る恐るといったようすで切り出した。

「今の操作ログなんですが、こちらで参考にしたいんですが、見させてもらっても構いませんか?」

「…………ふ…………ははははは……良いも何も、貴様のところのシミュレーターだろうが……
 他所のシミュレーターを動かしたのだ、データを取られる覚悟などとっくに済ましている。
 何を言うかと思えば、律儀な奴だな。」

「そうですか?…………でも、さっきの月詠中尉の機動は、ただのキャンセルと先行入力じゃ再現できないと思うんですよね。
 未だコンボが登録されていない筈なのに、あの機動が出せるっていうのは信じがたいですよ。」

 武の言葉に、満足気に頷いて、月詠は教える。

「ふ……其処に気付いたか……まあ、操作ログを見れば解る事だ、特別に教えてやる。
 あれは、斯衛独特の戦術機操縦作法だ。
 刀を振るという動作を複数の細かい動作の連なりに分解し、途中で流れを変えられるように工夫したものだ。」

「……なるほど、オレと似たような事は斯衛でも考えられていたんですね。」

「さすがに、戦術機側を作り変えようとする者などいなかったがな。
 貴様と、貴様の記憶を招いた香月副司令には、感謝せんとな。」

「そう言っていただけると、ありがたいですね。
 ところで、この後オレの機動を追体験してもらうつもりだったんですが……どうしますか?」

「部下にも訓練をさせたいので、その時に一緒にしてもらおう。
 済まないが、本日はこれにて失礼させてもらいたい。」

「了解です。―――中尉、白銀です。お客さんが帰られるそうなので…………はい……はい…………
 月詠中尉、シミュレーターから降りてくれていいですよ。
 オレも降りますから、入り口まで送りますよ。」

 ―――そして、シミュレーターデッキの入り口で、武と月詠は明日の打ち合わせをしていた。

「…………では、明日の夜までに、別のシミュレーターデッキを用意しておきます。
 CPはピアティフ中尉に頼んでみますね。
 ―――はい、実機の方は遅くても明後日までに『武御雷』を試作OS搭載機に仕上げるように、整備班に依頼しておきます。」

「わかった、ではまた明日、相見え(あいまみえ)るとしよう。」

「はい。お疲れ様でした。」

 武の言葉を背に、月詠はシミュレーターデッキから立ち去っていった。
 武は入り口のロックをかけると、制御室に向かい、先程の月詠の操作ログを早速閲覧した。

「う~ん、なるほどな……けど、これは一朝一夕じゃ真似できないなあ。」

「へ~、で、それは今日中に見なきゃいけないわけ?」

「ん……いや、これは持ち帰ってじっくり見る事にする……って、速瀬中尉、いつの間に……」

 後ろから声を掛けられて、素直に返事をした直後、言い知れぬ悪寒に背筋を凍らせて振り返った武は、そこに仁王立ちをしている水月の姿を仰ぎ見る羽目になった。
 そんな武を蹴り飛ばす勢いで、水月はシミュレーターへと追い立てて行く。

「ふっふ~~~ん。じゃあ、もう手が空いたでしょっ! さっさとシミュレーターに乗んなさいッ!! ほらほらほらっ!」

「か、勘弁してくださいよ、速瀬中尉~。オレ、今の今まで月詠中尉と近接格闘戦やってたんですよ?
 今日は寝不足だし、身体が持ちませんって……」

「ん? 寝不足ねえ……相手は誰だったんだ? 白銀。」

「夕呼先生ですよ……明け方まで解放してもらえなかった…………って! むむむむむ、宗像中尉ッ! いつのまに―――」

「ほほう。香月副司令のお相手で、明け方まで頑張るとは、白銀、おまえもなかなかやるな。見直したぞ。」

 宗像の発言に、何時の間にかシミュレーターから降りてきていたヴァルキリー平隊員ズ9人が黄色い歓声を上げる。

「「「「「「「「 うそぉ~~~ッ!!! 」」」」」」」」

「ああもうっ! 紛らわしい言い方しないで下さいッ!!
 特殊任務で打ち合わせをしていただけですよ!」

「そう照れるな白銀。あの副司令のお眼鏡に適うなんて、男として自信を持っていいんだぞ?」

「だからいい加減にしてくださいっ!
 もうこんなんだったら、速瀬中尉の相手をした方がマシですよッ!!」

「だ、そうですよ? 速瀬中尉。」

「ナイスよっ! 宗像、誉めてやるわ。
 ほら、白銀、さっさとシミュレーターに乗んなさい!!」

「ああもうっ! わかりましたよっ!! 乗ればいいんでしょ乗れば……」

 武は自棄になってシミュレーターに乗り込む。
 心身ともに、疲労に襲い掛かられて陥落寸前であったが、まだまだ武が解放される事はないらしい。

 そして、シミュレーター演習が始まると、武の悲鳴がシミュレーターデッキに響き渡った。

「ちょちょちょちょ、ちょっと、速瀬中尉!! 何ですかその装備は~っ!
 なんで強襲掃討装備なんですかっ! おまけに自律誘導弾まで!!
 わわわわわっ! いきなり撃ってきた~~~~ッ!!」

「ふっふっふっ……あんた相手に攻撃当てるには、この位の手数がないとね……
 ほらほらほらっ! 踊れ踊れ踊れぇ~~~ッ!!!」

「…………お、オニ~~~~~ッ!!!」

 それでも武は、水月の残弾が切れるまで避け切ったという…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年10月28日(日)

 06時37分、PXに通じる廊下に武と霞の姿があった。

「ほんとは今日は休みだったんだけどな~……あ、霞、もし疲れてたり、体調悪かったら、起こしに来るの休んでもいいんだからな。」

「…………だいじょうぶです。」

「……そ、そうか。」

 霞が珍しく強い視線で前方を睨みながら応えたため、武はなんとなく気後れしてしまった。

(軽い気持ちで言っただけなんだけどな……もしかして、何か勘違いさせちまったか?)

「あのさ……霞……」

「だいじょうぶです……」

「わ、わかりました……」

 霞のまとう雰囲気に、武はこの件を話し続ける努力を放棄した……

「ん? タケルではないか……休みだというのに早いな。社も毎朝ご苦労だな。」
「ほんとね、昼過ぎまで寝ているかと思ってたわ。おはよう、社。」

 そして、207訓練小隊の指定席と化しているテーブルへと朝食を2人分持ってやって来た武と霞に、先にテーブルに着いていた冥夜と千鶴が声をかけてきた。

「おはようございます……」
「おはよう……って、おまえら、挨拶になってねえぞ、それ。」
「ん? そうか? おはようタケル今朝もあ~んか?」
「あらそう? じゃ、おはよう白銀、自分で食べられないなんて、あなたほんとに私達と同い年?」
「ぐ…………い、いいだろ別に!」
「誰も悪いなどとは言ってはおらんぞ? 言いがかりは止して欲しいものだな。」
「そうね。自身に疚しいところでもあるんじゃないの?」
「……白銀さん……あーん……」
「………………あ、ありがとう……霞……」

 武は内心で滂沱の涙を流しながら、今朝もまた、少し塩辛い気がする合成さばの味噌煮を口に含むのであった……

 ―――そして、合成さばの味噌煮をお互いに食べさせあって、武と霞の朝食が終わろうとする頃には、壬姫と彩峰もやってきていた。
 壬姫は今日もまた顔を真っ赤にしながら、横目でチラチラと武と霞を見ていたが、他の3人は表面上は冷静を保つ事に成功していた。

「ところで白銀、あなた今日は何をして過ごすのかしら?」

「ん? どうした委員長、急に。」

「ええ、実は、今日は訓練が休みだから、鎧衣の見舞いに行こうってみんなで決めたんだけど、その時あなただけいなかったから。」

「ああ、なるほどな…………そうだな……午後なら空いてるよ。
 午前中と夕食後には、悪いけど特殊任務が入っちまってるんでな。」

「……白銀、休み無し?」
「え~っ! お休みじゃないんですかぁ?!」
「ふむ。ご苦労な事だな、タケル。」
「ま、身体を壊さない程度になさいね。あまり寝てないんでしょ?」
「ん? そうだなぁ、でも今朝は4時間くらい寝たぞ。」
「4時間~~~っ?! たけるさん、それしか寝てないんですか?」
「まあな。昨日なんかは1時間ちょいしか寝てなかったから、さすがにちょっと厳しかったかな。」
「白銀……無茶しちゃ駄目……」

「……そうです、白銀さん……ちゃんと寝てください……」

「「「「「 ―――!! 」」」」」

 武をネタに盛り上がっているところに、真剣な霞のコメントが割って入り、全員が社を見て絶句した。
 霞は、5人の注視の中、武のみをジッと見上げて繰り返す。

「身体を壊します……しっかりと寝て……ください……」

「あ、ああ……今晩からそうするよ、霞。」

「…………なら、いいです……」

 武が了承すると、霞は興味を失ったように、視線を自分の座っているテーブルへと落とした。
 そんな霞を気にする武を脇目で見ながら、残る4人は顔を寄せて、ひそひそと話していた。

「愛かな? 愛だよね?」「……すくなくとも真剣に心配していたようではあったな。」「そ、そうね。」「とても凄く愛してる?」

「そこ、聞こえてるぞ?」

 武はわざと視線を向けないままで、声をかける。
 すると、千鶴が咳払いをして、何もなかったかのように話題を元に戻した。

「そう、午後なら白銀も行けるのね。じゃあ、13時00分にここで合流しましょ。それでいいわね?」

「「「「 ……ああ。/承知した。/うんっ!/……わかった。 」」」」

「じゃ、私はこれで失礼するわ。みんな、また後でね。」
「うむ。私も少し所要がある。皆、また午後にな。」
「は~~~い。」
「……じゃね。」
「ああ、また午後にな。」
「…………」

 その後、壬姫や彩峰と軽く世間話をしてから、武は霞を伴って席を立ち、PXを後にした。




[3277] 第24話 汝等、斯衛たれ! +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:42

第24話 汝等、斯衛たれ! +おまけ

2001年10月28日(日)

 07時58分、武は1人でシミュレーターデッキの入り口前に立っていた。

 朝食後、武はそのまま霞とB19フロアのシリンダールームへと向かい、あやとりと純夏へのプロジェクションを行った。
 時間になったので、それを切り上げ、衛士強化装備を装着してきたのだが……

「おっそぉお~~~ぃいっ! あにやってたのよ白銀っ! アンタ、今何時だと思ってんの?」

 シミュレーターデッキに入るなり、武は水月に怒鳴りつけられる羽目になった。
 武もいい加減慣れたもので、逆らう事はせずに強化装備の網膜投影で確認した時間を告げる。

「07時59分ですね。」

「んなことはどうでもいいから、あたしの相手を早速しなさいっ!」

「自分で聞いといてそれですか…………まあ、そんな事じゃないかとは思ってましたけどね。
 速瀬中尉、申し訳ありませんが、他の方の進捗を先に確認させていただきます。
 これは特殊任務の範疇ですのでご協力願います。」

 これは駄目だと諦めて、武は背筋を伸ばして軍人としての態度で要求を述べた。
 これには水月も黙るしかないと思ったのだが……

「そんなの、後で遙にレポート出してもらえば大丈夫だってぇ~。ほらほらぁ、せっかくこのために30分も前から待ってたんだからぁ~。」

 武の予想はまだまだ甘かったようで、水月はそのくらいでは諦めなかった。
 武はシミュレータールームを見回して、水月を押さえられる人物であるみちるの姿を探したが、みちるはおろか、遙を初めとしてヴァルキリーズの姿は1人も見当たらなかった。

「ちょっとアンタ、聞いてるの?」

「ちょっと待ってください速瀬中尉……他のみんなはどうしたんですか?」

「え?…………そういや、みんな来るの遅いわねぇ。」

 と、その時、武の強化装備に通信が入る。

「はい、こちら白銀臨時中尉…………あ、はい、シミュレーターデッキです。
 ………………ええ、いらっしゃいますけど………………はあ、なるほど…………わかりました、お伝えしておきます。
 ……はい、では後ほど。―――速瀬中尉。」

 通信が切れると、武は水月に向き直って話しかけた。

「なになに? やっと諦めて相手する気になったぁ?」

「ブリーフィングルームで伊隅大尉がお待ち兼ねですよ。
 実機を使っての実証試験のミーティングを始められなくて困ってらっしゃる様子でしたけど、行かれなくてよろしいんですか?」

「げげっ! ミーティング忘れてた?! ヤバイ、また晩メシがなくなる…………くっそぉ、白銀、アンタ覚えてなさいよっ!!」

 武に指を突きつけて言葉を叩きつけると、水月は脱兎の如く駆け出していった。
 その後姿を見送って、武は独り呟いた…………

「毎度の事だけど、八つ当たりだよなぁ。―――ヴァルキリーズが来るまで、斯衛式の分割動作パターンを学習させられないか、試してみるか。」

 武は早速シミュレーターに乗り込み、自分の機動を細分化して登録できないか試し始めるのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時19分、ここ1年程ヴァルキリーズが割り当てられているPXで、武は昼食を終えてヴァルキリーズと歓談していた。

「ねえ、白銀中尉。ちょっと聞いてもいいかな?……千鶴たち、元気にやってる?」
「確かにそれは気になるよねえ。白銀中尉はどの娘が好みのタイプなのかな?」
「ぅああああ、あた、あたしはぁ茜ちゃんみたいな人が……って、あたし何言ってるんだべ?」
「あはは。ほらっ! 多恵ってば、落ち着きなよっ、また訛ってるぞっ。」
「でも~、確かに白銀中尉が誰を好きなのかってのは~、興味深いところだよね~。」
「ちょっとみんなして話捻じ曲げないでよ!」
「あれぇ? 茜は興味ないの?」
「は、晴子?! ……そ、そりゃあ、全然興味ないってわけじゃないけど……」
「まあまあまあ、ちゃ~んと全部聞き出せばいいじゃないの~。」
「お! さっすが智恵、ちゃっかりしてるねっ!」

 茜の遠慮がちな質問を皮切りに、元207Aの5人が一斉に話し出し、茜の最初の質問は方向性を捻じ曲げられてしまう。
 というより、武が部隊内恋愛していると、既に決め付けられてしまっているようだ。

「こらっ、ちょっと待て。あいつらは全員オレの大事な戦友だ。
 それ以上でもなければそれ以下でもないし、大体誰かを好きとかそういう話もない!
 あ、因みに美琴以外はみんな元気だぞ、涼宮。
 美琴も殆ど検査入院みたいなもんらしいから、心配は要らないだろ。
 この後207B全員で見舞いに行くけどな。」

「え? 鎧衣、入院してたの? どうして?」
「鎧衣が入院するなんて珍しいね。毒の有るものでも、しっかり抜いてから食べるだけのスキルを持ってたはずだけど……」
「ちょっと晴子~、食べ物関係とは限らないんじゃない~。」
「うんうん、智恵の言うとおりだよっ! そうだなあ……階段から転げ落ちたとかじゃないのかなっ。」
「あたしが入院さしたら、茜ちゃんはぁ見舞いに来てくれるっぺか?」

「麻倉、良い線いってるぞ。風邪気味でボーっとして、ラペリング中に金具を閉め忘れて3mほど落ちたらしい。
 壁自体は15mもあったそうだから、3mですんで良かったよな。
 怪我自体も大した事はなかったらしいぞ。」

「そっか……私たちがA-01に任官してこの基地にいる事は、あの娘達にも秘密って事になってるからお見舞いには行けないね。
 今日、お見舞いに行くんなら、明日にでも様子教えてよね、白銀中尉。」
「そうだね、私からも頼むよ、白銀中尉。」
「んひゃぅ、茜ちゃんの為に、あたしからも頼みますですです。」
「よろしく~おねがいしますね~。」
「白銀君っ、美琴をしっかり励ましたげてよねっ!」

「ああ、任しておけっ!」

 なんだかんだと言いながら、美琴を心配している207Aの面々に、武は胸を叩いて請け合った。
 そんな新任少尉たちの様子を、ヴァルキリーズの先任たちは珍しく口を挟まずに、微笑ましげに眺めていた。

 唯一、途中で割って入ろうとした葵だけが、紫苑に口をふさがれて、呼吸困難に陥っていたけれど……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時17分、B5フロア医療ブロック内の入院施設エリア―――通称『病棟』の504号個室に207訓練小隊所属の6人の姿が揃ったところであった。

「鎧衣、体の調子はどうかしら?」

 ベッドの上半分を起こして、何やら書類と睨めっこしている美琴に、千鶴が声をかけた。

「あ、千鶴さん。それにみんなも~。あれ? 見た事ない人がいるね……でもまあいいや。
 あ、身体の調子はね、もう全然なんともないんだけど、神宮司教官の持ってきた課題が溜まっちゃってね~。
 BETAの詳細図解を見た日の夜なんか、夢に見て夜中に飛び起きちゃったよ~。」

「あ~、鎧衣? この人が今度新しく転入してきた白銀武……訓練兵よ。」

「へ~、そうなんだ……でねでね、神宮司教官が言うには、ボクが個室に移ったのも、BETAの詳細情報が開示されたのも、入院中まで課題をやる羽目になったのも、ぜ~~~んぶ、今度訓練小隊に編入になった新人のせいなんだって~。
 あ! もしかして……君がその新人!?」

「鎧衣、だからさっき言った通り……」

「え? ああ、そうなんだよ榊さん、神宮司教官がさあ、機密書類移送用の鞄持ってきてね、退院までに全部片付けておけって言うんだけど、これがまた凄い量あるんだよ~。
 しかも、それ以外に、みんながやった机上演習のレポートなんかまで、追加で来るんだよ~。」

「え?……ホントに?」

「うん! そう言えば、昨日の夜教官が持ってきた机上演習のレポート、軍記物みたいで結構面白かったよ。
 白銀って指揮官も結構無茶やるよね~。指揮下の部隊が可哀相だったよ~。
 あ……もしかして、君があの白銀武君?」

「ああ、そうだ。」

「そっかあ、ボクは鎧衣美琴、よろしくね。
 じゃあ、ボクのことは美琴でいいよ。その代わり、君はタケルね。」

「ああ、わかった。よろしく頼むな、美琴。」

「ええっ?! い、いきなり呼び捨てだなんて、なに考えてるんだよ~。
 もしかして君って、結構恥ずかしい人? それとも、強引なのかな~。」

「あ、あのね、白銀……」

 美琴のあまりのマイペースっぷりに、千鶴が武に事情を説明しようとして口ごもる。
 武はそんな千鶴に向かってひらひらと手を振り、心配要らないと告げる。

「ああ、美琴の為人(ひととなり)は把握している。まかせとけよ、委員長。」

「え? 委員長? 何の委員長? 誰が?」

 武は美琴の言葉を無視すると、姿勢を正して咳払いをし、出来るだけ厳かに話し出した。

「鎧衣訓練兵! 小官は白銀武臨時中尉である。今から貴様に命令を下す!」

「はいっ! 中尉殿!」

「これより榊訓練兵より説明を受け、その内容を復唱せよ。いいな?」

「はっ! 榊訓練兵の説明を受け、その後内容を復唱しますっ!!」

「よし、榊訓練兵、後は頼む!」

「……た、頼むって…………もう、解ったわよ……
 では鎧衣、説明を始めるわよ。」

「はいっ!」

 武は美琴への説明を千鶴に押し付けると、入り口近くまで下がった。
 他の3人も、武の方にやって来て、4人で美琴の方を見ながら小声で内緒話を始める。

「なるほど、鎧衣も訓練兵としては有能であるからな、命令ともなれば、嫌でも集中力を発揮するであろう。
 さすがタケルだ。よく思い付いたものだな。」
「中尉殿、エライエライ……」
「凄いよ、たけるさん~。」
「ふっ、敵を知り己を知れば百戦危うからずだ。任せとけって。」
「うむ。だがその言葉は正しくは『彼を知り己を知らば、百戦して危うからず』というらしいがな。」
「……白銀、まだまだだね。」
「うるさいな~、使いどころはあってるし意味だって通じるだろ?」
「まあね……」
「あはははは。でも、鎧衣さん元気そうでよかったよ~。」

 壬姫が笑ってそう言うと、他の3人も笑顔を見せて頷いた……

 ―――そして、千鶴の説明と、美琴の復唱が終わり、再び個室内に緩んだ空気が戻ってきた。

「あ、そうだ、ボクね、明後日あたりに退院できるらしいよ?
 神宮司教官が先生に掛け合って、検査日程を前倒しにしてくれたみたいなんだ~。」

「明後日か……」

「ん? タケル、どうかしたか?」

「いや……なんでもないよ。さぞ教室やPXが賑やかになるだろうなと思っただけだ。」

「あはは……そうですねぇ~。」

「あ、ねえねえ、そう言えば、タケルが毎朝、霞さんにあ~んしてもらってるって、本当なのかな?」

「そ、それをどこでっ!!」

「本当……白銀は幼女趣味。社は騙されてる。」
「そうなんだよ~、今朝もねミキたちが見てる前で交互にあ~んって、でねでね、そのはしをそのまま自分の口に持ってって……」
「うわっ! たま、頼む頼むから止めてくれ~~~~~っ!」
「え~? ボクその話聞きたいなぁ~。」
「そうね。珠瀬、この際だから全部教えてあげなさいよ。」
「うむ。小隊の中で情報は共有されるべきかも知れぬな。」
「賛成……」
「ごめんねぇ、たけるさん。」
「や~め~ろ~~~~~っ!」

 武は絶叫したが、その後カエルの髪留めをした衛生兵に、部屋から連れ出されてお説教を受けることとなった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時32分、小一時間もの間、衛生兵のお説教を受けた武は、ようやく解放されてB5フロアの医療ブロックを後にした。

「ん? ようやく出てきたか……タケル、こっちだ。」

 声をかけられて、通路脇の階段室に目を向けると、そこには冥夜が独りで立っていた。

「ああ……冥夜か、他のみんなは?」

「うむ、みな先に帰ったぞ。
 私はそなたに提案があったので、ここでそなたを待っていたのだ。
 この後、夕食まで予定は無いのであろう? もし良ければ、私と剣の鍛錬を共にせぬか?」

「え? 剣の鍛錬って、もしかして無現鬼道流を教えてくれるのか?」

「む? そなた、無現鬼道流を修めたいのか?
 直ぐには無理であろうが、基礎ができてくれば手ほどきしても良いぞ?」

「そうか! いやぁ、実は昨日、月詠さんにこてんぱんにやられちゃってさあ……
 昨日は冥夜にも歯が立たなかったし、自分の修行不足が身に染みちまったよ。」

「む……そ、そうか……いや、しかしそなたは奇抜な発想や機転、そしてなにより総合的な能力で十分埋め合わせているではないか。
 それほど、己を卑下するには及ばんと思うのだがな……
 しかし、まあよい。それでは共に剣の鍛錬を行おうではないか。」

「ああ、よろしく頼むぜ! 冥夜。」

 ―――20分後……武は講堂の近くに設けられた第6鍛錬場で、模擬刀を用いて一心不乱に素振りをしていた。
 そこは、天井が高く取られた15m四方程度の板敷きの部屋であり、斯衛軍第19独立警備小隊に待機室兼訓練施設として貸与されていた。
 誰が付けたのか通称を『斯衛道場』―――腕に憶えのある衛士が何人も扉を叩いては返り討ちにあい、ほんの数名だけが出入りを特別に許されていると言ういわく付きの部屋である。
 その部屋で、武は自分より遥に低い身長の斯衛軍衛士3人の指導の下、もう20分近くも、ただひたすらに素振りをさせられていた。

 姿勢が崩れたと言われては模擬刀で打たれ、力を入れすぎたと言われてはまた打たれ、素振りの速度が遅いと言われてはまた打たれた。
 打たれたとは言っても、後に影響が残るほどに強くは打たれておらず、問題点を指摘し気力を維持させるために行われている行為のようではあった…………一応は。

「よし、白銀、休んでいいぞ。」

 ようやくにして、月詠の声が休憩を告げ、武は模擬刀を手挟んでタオルで汗を拭いた。

「ふんっ! タオルだなどど風情の無い奴。」
「「 無い奴~(ですわ~) 」」
「大体、あの程度の腕で、無現鬼道流を習いたいだなんて、斯衛を馬鹿にしてるとしか思えないよね。」
「絶対に馬鹿にしてるよな。」「ホントですわ~。」

 斯衛軍第19独立警備小隊の少尉3名の内、神代が毒づくと、残り2名の巴と戎がすかさず唱和する。

(……くそっ、今度PXで道着と手拭いを注文してやる!)

 武だけがタンクトップにズボン、タオルといった格好であり、他は全員が道着着用の上で手拭いを用いていた。
 入室した当初から、斯衛軍少尉たち3人の武を見る視線がやけに冷ややかで、武は居心地の悪い思いをしていた……無粋で無様な奴と、言われ続けている気がしてならなかった。

「こちらはいいから、お前達は、冥夜様のお相手を勤めなさい。」
「「「 はい!真那様!! 」」」

 月詠の指示に即座に冥夜の元へ駆け寄る3人の姿は、まるで主人に駆け寄る小型犬のようであった。
 そんな3人を見送り、月詠が武に声をかける。

「貴様はどの様な人物に師事したのだ? 全くなっていないが、太刀筋や身ごなしに、微かに無現鬼道流の流儀の残骸が見受けられるぞ?」

「!―――ああ、長刀の訓練に付き合ってくれた仲間が、無現鬼道流を修めていたんですよ。」

「ふん……いま、僅かに顔色が変わったぞ? 大体、斯衛以外で無現鬼道流を修めている衛士などそうそう……ッ!!」

 武を揶揄するように話している途中で、突然言葉を途切らせた月詠は、一瞬鋭い視線を冥夜へと向けるが即座に武に戻した。
 稽古中の冥夜の感覚は鋭い、下手に視線を投げかけては悟られてしまうが故の振る舞いであった。

「貴様……よもや、『記憶』とやらの中で、冥夜様と面識があるのではなかろうな……」

「……月詠さん、その件は『計画』の機密事項です。滅多な事で口に出さないで下さい。」

「……すまん。いささか動転したようだ。」

「いえ…………所詮『記憶』は『記憶』に過ぎません……オレ以外にとっては……
 ですから、気にしないで下さい。」

「そうか……」

 そう言う武の表情は、どこか透徹しながらも、強く激しい想いが渦巻いているように、月詠には感じられた。
 月詠はこの日の午前中に、武について冥夜と話し合った事々を思い起こさずに入られなかった。

『あの者は、強い意志を以って人類に救いをもたらそうとしている。
 私は、あの者があれほどまでに強い意志を得るに至った経緯を思うと、恥ずかしい事だが身震いを憶えるほどだ。
 『あのお方』にご迷惑をおかけしない限りにおいて、私はタケルの助けになるのであれば、この身一つを惜しむ気は全く無い。
 あの者の目指しているものは、私の望みを内包している。
 私は既に覚悟を決めた。月詠にはそれを承知しておいて欲しい。』

 冥夜の言葉を思い出し、月詠は慄然として思う。

(実在しない記憶……それは如何に凄絶なものであったとしても、確かにその記憶を持つもの以外にとっては絵空事に過ぎぬかもしれぬ。
 しかし、その記憶に立脚するこの者の在り様と、そこから被る影響は現実のものに相違ない。
 そして、明らかに昨今の冥夜様はその強い影響下にあらせられる。
 やはり、この者は冥夜様にとって看過できぬ危険人物なのではないだろうか。
 ……とはいえ、昨夜の手合わせから察するに、この者の人品は然程悪いものとも思えぬ。
 また、試作OSといい、あの奇天烈な機動といい、この者の生み出すものはBETAと戦う上で世界にとって有益であろう事もわかった。
 しかもあの牝狐―――香月夕呼の『計画』について言及し、自らがその一部であるかのように語るとあっては、私の一存では処断する事は難しい。
 やはり、上の判断を仰がざるをえぬか。)

 独り沈思黙考する月詠を、汗を拭きながら、不思議そうに武が見ていた……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時35分、1階のPXに武と冥夜が揃ってやってくると、207Bの皆に、夕食時であるにも拘らず珍しく霞が混ざっており、食事を共にして…………いなかった。
 確かに霞の前には夕食の乗ったトレイが置かれているのだが、全く手をつける気配が見受けられない。
 そして、夕食を持った武がテーブルに近づくと、霞は緩やかに振り向いて武の方を見上げた。

「……待っていました……」

「そ、そうか……晩御飯冷めちまわなかったか?」

「……大丈夫です。」

 確かに冷めてはいないようで、トレイの上の合成カレーライスからは微かにではあるが湯気が出ていた。

「お、霞はカレーライスか。オレは合成天丼だぞ。」

「はい……京塚曹長が……選んでくれました……」

 そんなやり取りをしている2人と、間にテーブルを挟んだ反対側では、席に着いたばかりの冥夜に、既に食事を終えた207Bの面々から質問が投げかけられていた。

「御剣、白銀と一緒に来るってことは、お見舞いの後一緒に行動していたの?」

「……デート?」

「「「 ―――ッ!! 」」」

 千鶴に続けて発せられた彩峰の言葉に、千鶴、壬姫に彩峰自身も加えた3人が、<ガーンッ!>といった効果音が聞こえてきそうな、目を大きく見開いた驚愕の面持ちで硬直する。
 そんな3人を他所に、冥夜は僅かに頬を染めてもそもそと応える。

「む……そなたら、邪推をするでない。わ、私はタケルとあ、あ、あ……逢引などと、その様な事はしてはおらぬ。
 単に剣の稽古を共にしていたに過ぎぬのだぞ。」

「で、ででででで、でもっ! 御剣さんの顔、ほっぺ赤いよ?」
「照れてる?……それに、一緒に居たのは本当?」
「なるほど、お見舞いの後で1人別行動したのは、そういう狙いがあったわけ。ふ~ん、御剣がね~~~。」
「そ、そなたら、邪推をするでないと言っておるのが聞こえぬのか!」
「……御剣だけズルイ……わたしも格闘の相手に誘う……」
「御剣さんも、彩峰さんもいいなぁ~。狙撃の自主訓練は、許可がなかなか下りないんですよねぇ~。」
「え……えっと、私は……その……」
「ふ……榊にはネタがない……ザンネンザンネン……」
「くっ……彩峰、貴女……」

 そんな207B女性陣の喧騒の影で、武の霞を相手取った駆け引きが静かに進行していた。

「……白銀さん……あーん。」

(くっ……朝だけじゃなく、夕食でもあ~んをする羽目に…………いやまてっ! 諦めるのはまだ早い!!)

「な、なあ霞。そのカレーは京塚のおばちゃんが、霞に食べさせようとして選んでくれたんだよな?」

「…………そうだと、思います。」

 差し出していたスプーンを皿に戻し、僅かに考え込んでから、コクリと頷く霞。

「だったら、そのカレーは霞が食わなきゃなんないだろ? 京塚のおばちゃんの気持ちを無碍には出来ないよな?」

「………………」

 武の言葉に、霞の視線はカレーライスの皿に落とされる。
 その横顔を見て、武はその視線がカレーライスの一点に固定されて全く揺らがない事に気が付いた。
 そして、その視線の先には…………カレーのルーの中に顔を出している、ころっとした感じで、大き目の塊にカットされた赤い奴…………

「ニンジンか……霞、ニンジンが苦手なら残してもいいから、ちゃんと自分で食べた方がいいぞ~。」

「……残すと……怒られます……」

「じゃ、じゃあ、ニンジンだけオレが食ってやるから。」

 武のその言葉に、霞は髪飾りをピコッと立てると、コックリと頷く。

(よしっ! 説得成功!!…………って、ええ?!)

 心の中で密かにガッツポーズを決めていた武は、続く霞の行動に愕然とした。
 霞は頷いた後に、自分のトレイと武のトレイの位置を交換し、天丼の具だけをはしで挟んで差し出してきたのであった。

「……あーん……です。」

 武はそんな、確信に満ち溢れた霞の行動に両肩を落とし、素直に口を開けるのであった。

「あ~、たけるさんたち、またやってるぅ~。」
「……そだね、」
「もう、騒ぎ立てるのも馬鹿らしくなってきたわね。」
「うむ……おそらくあの者達にとっては、あれがあるべき姿なのであろう……今一つ腑に落ちんが……」

 武は霞と交互にあ~んを繰り返し、仲間達の未だ冷たさも残るものの、どことなく生温い視線を浴びながら夕食を完食した……カレーのニンジンも含めて。

「それにしても、夕食時に霞がPXにくるなんて、珍しいな。何かオレに用事だったのか?」

「ちがうよ、たけるさん。社さんはミキたちに会いに来てくれたんだよ。
 理由は女の子同士の秘密だから、たけるさんは聞いちゃ駄目ですよ~?」

「え? そうなのか? 霞。」

「……はい……」

(そうか……霞が自分からオレや夕呼先生、それに純夏以外の人間に、それも自発的に接触するなんて凄い事じゃないか。
 この分だと、オレがお役ご免になる日もそう遠くないかもしれないな……)

 武がそんな事を考えると、霞は髪飾りを跳ね上げて、武の左手に縋るように手を添えた。
 そして、大きく見開いた目で、まつげをフルフルと震えさせながら、小さな声で呟く……

「……イヤです……」

 武はそんな霞にクラリと目眩のような感覚と、庇護欲を感じると、慌てて霞の不安を除くべく言葉を紡ぐ。

「大丈夫……大丈夫だ、霞。まだまだ一緒に居てやるから安心していいぞ。」

 言葉と同時に、霞の頭を手で撫でる武に、霞は心地良さそうに表情を緩めて応える。

「……はい……白銀さん……」

 そんな二人の様子に、207B女性陣はすっかりあてられてしまい、顔を真っ赤にしていた。

「うわっうわっ……なんだか、さらに凄い雰囲気になってますよぉ~。」
「……らぶらぶ?」
「む……な、仲睦まじいとは、こ、このような事を言うのだな……」
「し、白銀……あなた公共の場なんだから少しは周囲をはばかりなさいよ!」
「榊、無粋……」
「わ、私は部隊の規律を、風紀の乱れを―――」
「……焼き餅?」
「あ、彩峰~っ!」

 千鶴の矛先を逸らしてくれた彩峰に、この時ばかりは、心の中で手を合わせて感謝する武であった……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時55分、第19独立警備小隊の試作OS慣熟用に割り当てられたシミュレーターデッキの制御室で、訓練内容の打ち合わせをしている武とピアティフの姿があった。

「お手数おかけしますが、よろしくお願いします、ピアティフ中尉。」
「いえ、任務ですのでお気遣いなく、白銀中尉。」
「そう言っていただけると助かります。それで訓練の進行予定なんですが……」

 武とピアティフがそうこうしていると、斯衛の4人が入室してきた。

「じゃあ、そんな感じでお願いします。ピアティフ中尉は斯衛の方とは面識は?」
「伝達事項などで幾度か。紹介していただくには及びませんよ。」
「了解です。では、さっき言ったような感じでお願いしますね。」

 武は制御室を出て、斯衛の4人の元へと歩み寄り声をかけ……ようとして、月詠の後ろにもう1人、人影があることに気付いた。

「―――冥夜ぁっ!? な、なんでおまえがここに……」

 斯衛と共に居た人物が冥夜と知って、武は驚きのあまり叫んでしまった。

「「「 冥夜様を呼び捨てにするなっ! 無礼者ッ!! 」」」

「神代、巴、戎、良いのだ、この者には私が許した。」

「「「 ―――はい……冥夜様…… 」」」

 冥夜の言葉に、渋々ながら引き下がる3人だったが、武を睨みつける瞳には煮え滾る怒りが溢れていた。

「白銀。貴様は我が隊が冥夜様の警護のために、この基地に駐屯している事を知っているはずだったな?
 試作OSの実質的な初訓練とあり、隊の総員で参加することにしたのだが、それでは冥夜様の警護が全うできぬ。
 そこで、冥夜様に無理な願いをお聞き届けいただいて、このような場所までご同行願う仕儀と相成った。」

「なるほど、事情は承知しました。
 訓練中は、入り口のロックを致しますのでご安心下さい。
 では、早速ですがシミュレーターの方へどうぞ。
 動作教習課程に関しては、月詠中尉に一任させていただいてもよろしいですか?」

「そうだな。この者達は貴様に含むところがあるようだから、その方がいいだろう。」

「はい、それではお願いします。
 冥夜は制御室に行っててくれ。中にピアティフ中尉が居るから、中尉の指示には従ってくれな。」

 月詠の言葉と自分を睨みつける斯衛の少尉3人の様子に、武は苦笑しながらも頭を下げ、続けて冥夜に制御室に行くように言った。

「!! 制御室に入って良いのか?! そなたに感謝を。」

 小走りに制御室へと向かう冥夜を見送って、武もシミュレーターに搭乗した。
 そして、月詠の指導の下、神代、巴、戎の3人は順調に動作教習を完了させる。

「では、暫く退屈かもしれませんが、オレの機動を仮想映像で見て、試作OSが目指している戦闘機動を、捉えてください。」

 そして、武による、レーザー属種が存在する状況下での、BETA上陸後の沿岸部に於ける防衛戦の、シミュレーター演習が始まる。

「…………」
「な、なによあれ!」「嘘だろ? なんで照射受けないんだよ。」「信じられませんわ~。」

 無言で武の機動を見つめる月詠と対照的に、神代、巴、戎の3人は文句のような言葉を吐き続けていた。
 そんな3人を、月詠は静かに叱咤した。

「しっかりと見ておけ、いずれはお前達にもこれと同じ機動をやってもらうぞ。」
「「「 は、はい! 」」」

 そして、30分ほどで武の演習は終了した。

「大体の感じは掴んでいただけましたか? 次はオレの機動を体感してもらいます。
 念の為に酔い止めのスコポラミンを飲んでおいていただけますか?」

「何を言うかっ!」「私達を愚弄する気か!」「冗談ではありませんわ~」

「白銀、構わんから始めてもらおう。この者達がへたばっても中断する必要はないぞ。」

「「「 ま、真那様っ?! 」」」

 3人は月詠の言葉に戦慄し、お互い通信越しにアイコンタクトすると、慌ててファストエイドキットからスコポラミンを取り出して嚥下した。
 そして武の機動に連動するシミュレーターで、先程と同様の防衛戦の短縮版に引き続き、S難度実戦モードのヴォールクデータのハイヴ突入演習を体験する事になった。

「「「「 くっ―――/うわぁあ~/ひええ~/ひょわぁあ~~~ 」」」」

 そして、振り回されること50分、シミュレーター演習が終わった時には月詠でさえ疲労を隠せず、3人にいたっては息も絶え々々であった。

「し、信じらんない。」「に、人間業じゃないよ、これ。」「変態過ぎですわ~。」

 しかし、感想を口にする気力が残っている辺り、腐っても斯衛であった。

「さて、オレの方で用意していた内容はここまでですけど、この後の訓練はどうしますか?」

「……20時27分か……まずは私の相手をしてもらおうか。
 昨晩は長刀のみだったからな、貴様の本来の実力を見せてもらおう。」

 通信越しに、部下の様子を見て月詠が武との対戦を要望した。

「わかりました。でも、オレは別に射撃戦が得意なわけじゃないので、ご期待に添えるかどうか……
 まあ、やってみればわかりますか……」

「そういうことだ。」

 かくして、昨夜に引き続き対戦することとなった武だったが、今日の月詠はXM3搭載型『武御雷』のデータを使用している。
 どうみても、強さは昨日の比ではないだろう。武は気を引き締めて市街戦演習に臨んだ。
 機体の性能と経験の蓄積では月詠、XM3への慣熟と3次元機動では武に分があった。

 武の無軌道を絵に描いたような突拍子もない機動に、月詠の砲撃はことごとく回避される。
 逆に、武の砲撃は月詠の的確な位置取りにより、遮蔽物に遮られて命中しない。
 お互いに決定打を得られないまま、時間だけが過ぎていった。

「うそ、信じらんない。真那様と競り合うなんて……」
「しかも、真那様の動きは、試作OSのおかげで何時もより凄いってのに……」
「きっとこれは、悪い夢ですわ~。」

 武と月詠の対戦を観戦していた3人は唖然としていた。
 斯衛でさえ、月詠と1対1で相手が出来る強者は多くはいない。
 にも拘らず、あの模擬刀もまともに振れない男が、その月詠と互角に戦える衛士だなどと、午後の鍛錬で武を散々見下していた3人に信じられるわけがなかった。

 市街戦演習開始後40分が経過し、昨夜と同様、武機の推進剤が減ってきたところで、武が長刀を2本左右の主腕に保持し、接近戦を挑むと見せかけて月詠機に迫る。
 長刀の間合いに入る直前で、月詠機の周辺を縦横無尽に飛び回る機動に変更した武は、背後の兵装担架に保持した87式突撃砲2門から36mmを乱射。
 さすがの月詠もここまで近接された状態で乱射されては回避しきれず、被弾した結果として大破の判定となった。
 とはいえ、反撃により武も中破の判定を受けたので、実質的には痛み分けであったかもしれない。

「白銀、貴様わざと36mmを温存していたな? 最初から狙っていたのだろう。」

 実に楽しげな笑みを浮かべながら月詠が問うと、武は頭を掻きながら苦笑して応えた。

「昨日の対戦で、他に勝てそうな戦法を思い付けなかったんですよ。
 まあ、これも一回しか通用しないでしょうから、また別の方法を考えないと……」

「ふん……私も貴様専用の戦法でも編み出すかな。
 ……いや、貴様に特化した戦法なぞ、使い道がなさ過ぎるか。
 それはともかく、今度は神代たち3人を相手にしてもらえるか?」

「3人一遍にですか? いいですけど、なんだかオレが扱かれて(しごかれて)るみたいですね。」

「大変ではあろうが、堪えてもらおう。
 何しろ、まずは貴様の機動をしっかりと把握せねばならぬのだからな。」

「そうですね。じゃあ、神代少尉、巴少尉、戎少尉、3人とも用意は良いか?」

「「「 何時でも来い!/大丈夫に決まってるだろ!/準備万端ですわ~。 」」」

 3人が一斉に応えたところで、今度は3対1の市街戦演習が開始された。

「「「 うそだ~っ!/や、やられちゃった!/そんな~、ですわ~。 」」」

 勝負は10分で着いた。変則的な水平噴射跳躍を繰り返しながら、36mm突撃機関砲を撃ってくる武に対して、3人は連携を以って反撃を行ったが、その反撃は武を捕らえるに至らなかった。
 そして、反撃に気を取られて回避がおろそかになり、巴が落とされるとそこから先はあっという間であった。
 その後、失地回復に夢中になった3人を相手に、武は4回に渡って市街戦演習を繰り返す羽目になった。
 執念の成果か、武が根負けしたのか、最後の市街戦演習では、巴、戎の撃墜と引き換えに神代が武機を撃墜してのけた。

「「「 どうだ~!/ざまぁみろぉ~!/私達の勝利ですわ~。 」」」

 ようやくの勝利に勝ち誇る3人に、月詠の怒号が降りかかる。

「馬鹿者っ! 3対1で2機も落とされておいて勝ち誇るとは、貴様らは斯衛の誇りを何処へ置き忘れてきたかッ!!」

「「「 ひぇえ~、真那様怖い~!! 」」」

「白銀中尉、ピアティフ中尉、世話をかけた。
 ここから先は、斯衛だけで訓練を続けさせていただきたい。
 白銀、明日の晩までに、この馬鹿どもの性根を叩き直しておくので、また相手をしてやってくれ。
 無論、私の相手もしてもらうがな。
 冥夜様、申し訳ございませんが、今しばらくお時間を頂戴したく存じます。何卒ご寛恕願います。」

「りょ、了解しました、月詠中尉。ピアティフ中尉、お疲れ様でした、今日は上がってください。
 冥夜はそのまま制御室で待機して、後の事は月詠さんと相談してくれ。」

「わかりました。それではお先に失礼させていただきます。」

「わかった。心配は要らぬ、そなたこそしっかりと休まぬと社に叱られるぞ。
 月詠も気にするでない。斯衛指揮官として成すべき事を成すが良い。」

 ピアティフが通信回線から姿を消し、武がシミュレーターから降りる間際、月詠の叱咤が通信回線を駆け抜けた。

「冥夜様、有難きお言葉でございます。
 …………貴様らぁっ! 今晩は寝られると思うな! とことんまで相手してやるからなッ!!」

「「「 真那様、お許し下さい~~~っ!! 」」」

「誰が許すかぁ~ッ!!!」

 シミュレーターを降りた武は、通信回線が閉じていることを確認してから呟いた。

「……斯衛って、やっぱ大変そうだなぁ~。」

 その言葉は、激しく揺れ動くシミュレーターの作動音に紛れ、何処かへと消えていった……



*****
**** 8月27日、速瀬水月 誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話3 ****
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どこかの確率分岐世界
2005年08月27日

 休暇を利用して帝都へと足を伸ばしていた水月は、人通りの多い表通りを駆け抜けながら、左手の腕時計を確認した。

「あっちゃぁ~! アクセサリー見ててすっかり遅れちゃったわ。 怒ってるかなぁ~。心配、してるんだろうなぁ~。
 それにしても、誕生日だからって、自分で自分に指輪プレゼントするだなんて、あたしも寂しい女になっちゃったもんよねぇ~。」

 そうして走ること数分で、待ち合わせ場所である駅前ロータリーの入り口が見える位置まで、水月は辿り着いていた。

「あれ?」

 ロータリーへと入る角の辺りから、なにやら人垣ができているのが見えた。
 その人々は、ロータリーの奥の方をなにやら覗き込んでいるようで、中には、背伸びをしている人まで見受けられる。
 水月は嫌な予感を……戦場でBETAが地下から湧き出してくる時のような悪寒を感じて、走る速度を上げた。
 BETAの群れに割って入るように、人垣を強引に押しのけて最前列に出た水月の目に飛び込んできたのは、人垣を押し戻す警官と、本部へと報告している警官、ロータリーに止まっている救急車…………
 そして、ガードレールやベンチ、電話ボックス、街灯まで轢き倒し、駅前のビルへと突っ込んでいる乗用車の姿であった……
 その時、救急車のドアが閉まり、サイレンを鳴らしながら走り出した。
 それを見送った警官が、無線機に報告する言葉が水月の耳に飛び込んでくる。

「事故発生14時15分ごろ。え~、被害者氏名――スズミヤハルカ……はい。涼しいにお宮。遙は…………」

 ―――そして、3年の年月が流れた…………

2008年08月27日

 水月は病室のベッドの脇に独り立っていた。
 水月の髪型は高めに結ったポニーテールのロングではなく、ミディアムレイヤーに短くカットされていた。
 静かな病室にうっすらと寝息だけが聞こえる。
 ベッドの上には、遙が目を瞑り横たわっていた。
 穏やかな寝顔だった……ただ眠っているように見える。そして、その寝顔はあまりに安らかだった……

「この病室、静か過ぎるのよね……時間が一番残酷で……優しいんだってさ……。
 香月副司令のお姉さん、モトコ軍医(せんせい)が言ってたよ。
 優しく流れるから、あんたはそうやって寝て……同時に残酷だから…………」

 言いながら、水月は堅く握り締めた拳を震わせて…………

「いたっ!…………な、なぁあに? あ、あれ? 水月? 何時の間に来たの?」

 安らかに眠っていた遙は、水月にいきなり頭を小突かれて、小さく悲鳴を上げて飛び起きた。

「時は残酷だから、時間があると思って寝惚けてると、待ち合わせ相手に殴られるって話よっ!
 大体、なんだってあたしの誕生日の待ち合わせ場所が帝都の病院で、あんたが病室で寝てるのよっ!」

「あ……それはね……その…………ね、水月……2人でした約束、覚えてるよね?
 どっちが先に良い男(ひと)を見つけて……」

「孝之を卒業できるか―――ね。うん、ちゃんと覚えてる……
 そうね、BETA相手の戦いも大分先行きが明るくなってきたし、そろそろ決着つけようかしらね。」

 遙の言葉の後を水月が引き継ぐと、不敵に笑って悪戯っぽく遙に語りかけた。
 すると、遙は真剣な顔で頷き、話し始める。

「あのね、水月。ここで待ち合わせにしてもらったのには理由があるの。
 実はね、私、ここに勤めている男性(ひと)を好きになったんだと思う……ううん。好きになったの。
 だから……私の勝ちだよね、水月。」

 遙は最後の方だけ微笑んで、言葉を締めくくった。そして、怒られるのを覚悟した子供のようにベッドの上から水月を見上げる。
 水月は、きょとんとした顔から、満面の笑みになって遙に応える。

「え~っ! 遙もなの? あたしも今日、遙に打ち明けようと思ってたのに、先越されちゃったか~。
 実はね、あたしも3年前くらいから気になってる男性(ひと)がいてさ、ここの先生なんだけど、今お試し期間中なんだ~。」

「―――なんだ……水月もなんだ……よかったぁー。孝之君のこと忘れちゃう薄情もんって怒られるの覚悟してたの。
 私の好きな人も、ここのお医者さんだよ。3年前の交通事故で、私、ここに運び込まれてちょっとだけだったけど入院したでしょ?
 あの時に知り合ったの。」

「へ~。あたしもそんな感じだよ。にしても遙はつくづく車には祟られるよね~。あの時は焦って容態も聞かないで病院に駆け込んじゃってさ。
 窘められたのが切っ掛けかな。優しい人なんだけど、妙に頑固なところがあってね……」

 水月も遙も、恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに、幸せそうに、交互に思い人の特徴をあげていった。

「そうなんだ。私の好きな人も頑固なところあるかな~。でもね、あたしのドジなところ見ても優しく笑ってくれるの。
 あ、でもなんでだか、下の名前だけはどうしても教えてくれないんだよね。」

「へ~、遙の相手もそうなの? この病院で流行ってるのかしらね。そう言えば、うちの基地の衛生兵に趣味の悪いカエルの髪留め使ってる娘がいるの知ってる?」

「うん。私はあの髪留め可愛いと思うけど……でも、あの娘街中でストーカーみたいな事してたって聞いたよ。」

「そうなのよ~、なんかあの娘あたしの好きな男追っかけてたらしいのよ~。」

「ええ?! 私は、私の好きな人追っかけてたって聞いたよ?」

 2人はタラ~っと冷や汗を流して、何とも言えない顔をして互いに見詰め合った。

「えっと、お互いに、相手の名前、言った方が良いみたいだね。」
「そうね。一斉に言うわよ……3、2、1、ハイ!」
「「 館花医師(たちばなせんせい)!! 」」

「「 ………………………… 」」

 綺麗に2人の口から出た名前がハモッたあと、いや~~~~な空気と時間が2人の間に流れた……

「ま……またなの?」
「あんた、よりによってあのひと選ばなくたっていいじゃないのよ~~~っ!」

 と、そこで個室のスライドドアが開き、ひょろりとした優しげな風貌の、30過ぎの白衣の男性が姿を現した。

「君たち、ここは病院なんだから、もう少し静かにしないとね……おや? 君は……」
「た、館花せんせっ! よ、よくもあたしと遙と二股かけてくれたわねえっ!!」
「先生! なんてタイミングの悪い……逃げてっ! 逃げてくださいっ!!」

 入ってきた男性医師は、お決まりの注意を口にした後、水月の顔を見て軽く驚いたような顔をする。
 そして、水月は怒鳴りながらも腕まくりをして、臨戦態勢で館花医師へと近づいていく。
 遙は、水月に紹介しようと仕事の都合が付き次第、来てくれるように頼んでいたため、責任を感じて必死に忠告するが、その忠告も間に合いはしなかった。

 ―――そして、10分ほどが過ぎ去り、個室の中の人数は4人に増え、館花医師は水月に殴られた左頬に氷嚢を当てていた。

「きょ……兄弟ぃ?!」

「いやぁ、まさか、兄貴の相手が水月ちゃんの親友だとは思わなかったよ。
 にしても3年前に数日だけとは言え、自分の担当した患者と懇ろになるのは職業倫理的にどうかと思うよ? 兄貴。」

「いや……その、面目ない…………にしても、僕はこいつから水月さんの写真を見せてもらってたんで、事情にはすぐに気づいたんだけど、まさか説明する間もなく殴られるとは思わなかったな……」

「そうだよ水月! ちょっとやりすぎっ!!」

「ご、ごめん、遙……館花せ……館花さんも、いきなり殴っちゃってすいませんでした。」

 頭を深々と下げて、真剣に謝罪する水月に、館花(兄)は慌てて手を振って水月をなだめた。

「いや、大した事ないから、頭を上げてくれないかな……水月さん。」

「そうそう、大体、水月が本気で殴ったんなら、この程度で済むわけないさ。」

「た~ち~ば~な~せ~ん~せ~い~~~~っ?! それは、どういう意味ですかっ!!」

 今度は館花(弟)に詰め寄る水月。そんな水月を館花(兄)とその頬に氷嚢を当てている遙は、微笑ましげに眺めていた。

「ね、館花医師(せんせい)……こうなったら、下の名前、教えてくれるよね?」

「う~~~ん。仕方ないか……けど、笑わないで欲しいんだ、頼むからさ。―――実は、僕たち兄弟は上から順に、一郎、二郎、三郎って言うんだ。
 あまりに安直な名前なんで、3人揃って、自分の名前が嫌いでね。」

「「 三郎?! 3人?! ―――まさか、三つ子ッ?!!! 」」

 水月と遙は、あまりに予想外の新事実に面食らってしまっていた。

「ああ……そう言えば言ってなかったっけ。僕たちは三つ子で、一番下の三郎は、今は君たちと同じ国連軍横浜基地で、軍医の香月モトコ博士の元で研究してるんだ。
 僕等は3人とも遺伝子欠陥を抱えているけど、三郎が言うには近々研究成果で何とかなる目処が立ったそうでね……」

「だから水月……直ぐじゃなくていいから、僕との結婚を考えてみて欲しいんだ。
 ―――速瀬水月さん、貴女を愛しています。もし貴女の事情が許す時が来たら、僕の奥さんになってくれませんか?」

「え?……あ……あ、あの……えっとぉ………………はい……今すぐは、無理だけど……いつか、必ず…………
 館花……いえ、二郎さん、ありがとう……お申し出お受けいたします。
 大急ぎで片付けちゃいますからっ! 待ってて下さいねっ!!」

 真剣な表情で水月にプロポーズする館花二郎医師に、目尻から嬉し涙を流しながら応えた水月は、最後に元気良く決意表明して、溢れんばかりの笑みを咲かせた。
 そんな親友の喜ばしい瞬間に立ち会えた遙は、自分と寄り添って佇む館花一郎医師に囁きかけた。

「―――館花先生も、あたしにプロポーズして下さいますか?」
「もちろんだよ、遙さん。でも、今日は弟に花を持たせてやって、また改めてにするよ。もう少し、待っててくれるかい?」
「はい……一郎さん……でも、私も、暫く待たせちゃうかもしれません。それでも、私でいいんですか?」
「君が、いいんだよ。……っと、今日はこれまでにしとこう。便乗で済ませちゃったら勿体無いからね。」
「ふふ……そうですね。じゃ、私達はちょっと席を外しましょうか……」
「そうだな、2人とも情熱的過ぎて、すっかり周りが見えてないみたいだしね……」

 遙と館花一郎医師は、情熱的に抱き締めあって、貪るように唇を重ねる水月と二郎を残し、病室を静かに後にしたのであった…………




[3277] 第25話 時津風を帆に受けて
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:43

第25話 時津風を帆に受けて

2001年10月29日(月)

 05時56分、B4フロアの自室で、今日も武は霞によって目覚めを迎えていた。

「ふぁ~……おはよう。いつもありがとう、霞。」

「……おはよう……何時に寝ましたか……」

「ん?……01時過ぎ位かな…………って、か、霞? ほら、4時間も眠れば十分だって、な?」

「……そうですね…………」

 一応納得してもらえたようだと胸を撫で下ろした武は、着替えを済ませて点呼に臨んだ。
 既に諦めているのか、まりもも霞に挨拶するだけで武には特に何も言わず、点呼は無事に終了した。
 武は霞を伴ってPXへと向かい、霞の要望に従ってさば味噌定食を2人前注文した。
 ところが、今日に限って京塚のおばちゃんがわざわざカウンターの外までやって来て、武の前に立って頭の天辺から爪先までジロジロと値踏みをするという事態となっていた。

「―――ふ~ん、あんたが訓練小隊に編入になったって言う白銀武かい。
 確かに、身体はもう出来上がってるようだね……夕呼ちゃんからお構い無しって聞いてるから見逃してやるけど、霞ちゃんに変な事をした日には、お飯(おまんま)の食い上げになると思っとくんだね。
 解ったかい?」

「解ってますよ、おばちゃん。霞を悲しませるような事は、オレだってお断りです。」

「―――なんか、返事が浮ついてるような気もするんだけどねぇ……霞ちゃんが懐いてるようだから、今日のところは信じておくよ。
 ……ほら、さば味噌定食2人前。さ、行った行った。」

 京塚のおばちゃんは、カウンター越しに手を伸ばしてさば味噌定食2人前が乗ったトレイを取ると、武に押し付けるようにして追い払った。
 武は苦笑いしながら、いつも使っている席に座り、霞と共にさっさと食事を食べ始めた。
 霞に少しづつ食べさせるのに時間がかかることも大きいが、人目の少ない内に自分の食事を終わらせた方が、幾らかでも恥ずかしくないと昨日までの経験で悟ったためである。

 その努力の甲斐もあり、207の皆が集まる頃には、武の食事は粗方済んだ後であった。
 そして、207の中で1人だけいつもと違う席に着いた人物が居た。

「社さん、おはようございます~。」

 昨日の夕食の前後で親しくなったのか、霞の左隣の席に壬姫が座って霞に挨拶をして、霞もその挨拶に応えた。

「…………おはよう……ございます。」

「ねえねえ、社さん。さば味噌ばっかりじゃなくて、これも食べてみない? おいしいよ~。」

 そう言って、いつもより気持ちテンション高めの壬姫は、目をキラキラさせながら、合成生姜焼き定食の肉を一切れはしでつまんで差し出した。
 霞が髪飾りをピクンと揺らして壬姫の方に向き直り、小首を傾げてから生姜焼きを口にして咀嚼した。
 その様子を見て、壬姫の顔が幸せそうに緩む。

「な!……た、珠瀬そなた……」

 なぜか動揺する冥夜を他所に、壬姫は笑み崩れた表情で霞に訊ねる。

「えへへへ~、社さん、おいしい?」

「……おいしい、です………………?……」

 返事をした後、なにやら考え込んでいる霞の様子に、武と壬姫が顔を合わせる。

「霞? どうかしたか?」

「…………いえ、なんでもないです。…………ありがとう……」

「ううん、大した事じゃないよー。社さん、いっつもさば味噌だけど、他の料理もおいしいからね~。」

 武に応えた後、壬姫にもお礼を言う霞。
 壬姫は霞のお礼に応じながらも、席を立って何時もの自分の指定席に移動する。
 定位置に戻った壬姫に彩峰が親指を立てて見せ、千鶴は些か呆れ顔をして声をかける。

「わざわざ席移動しないで、あそこで食べてきたらよかったんじゃない?」
「そんな~、あまりお邪魔は出来ませんよぉ~。」
「そ、そそそ、そうか、少しならいいのだな?」
「……御剣、白銀にはやっちゃ駄目。」
「あ、彩峰! そなた何を邪推しているのだ!!」
「あら? 御剣、はしが震えているわよ?」
「榊まで!!」
「あれぇ~~~、御剣さん、お顔が赤いですよぉ~。」
「そ、そなたら~~~~!」

 なにやらわいわいと始めた207女性陣の会話をなるべく耳に入れないようにしつつ、武は霞に訊ねてみた。

「霞……今度から、他の料理も食べてみるか?」

「…………………………………………さば味噌定食で、いいです。」

 武は、霞の返事の前に挟まれた沈黙の長さに、たまには他の料理も頼むことにしようと決めた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時02分、B1フロアのハンガー近くに設けられたブリーフィングルームに、ヴァルキリーズと武、そしてピアティフが集まっていた。

「昨日の午後に引き続き、本日も実機演習を実施する。
 本日の訓練に対して、白銀の従事している特殊任務に関連して要請があったため、白銀より説明がある。
 ―――白銀、説明をしろ。」

「はっ! ……さて、本日この後に行う実機演習ですが、B・C小隊で編制されるB(ブラボー)隊と、A小隊にオレの特殊任務で試作された新型兵器―――と言っても、従来兵器の改修型ですが―――を加えたA(アルファ)隊での模擬戦を行ってもらいます。
 CPはA隊がピアティフ中尉、B隊が涼宮中尉です。
 最初はこちらの新兵器に関する説明は一切しません。また、本日の演習はJIVESを使用します。
 演習内容は、A隊が拠点防御、B隊が攻撃側とします。
 B隊の作戦目標は、45分以内での守備拠点に設置されたマーカーの破壊となります。
 B隊の皆さんは、最大大隊規模を相手にするつもりで演習に臨んでください。
 今回は、新兵器の運用評価を主体とさせていただきますので、模擬戦の勝敗はあまり気にしないでいいです。
 それでは、B部隊の皆さんは、あと30分間はこの部屋に留まり、その間に作戦を立案してください。
 A隊の皆さんには、先に演習場の守備拠点へ移動してもらいます。
 演習開始は第二演習場西で08時45分からとします。」

「よし、ではA隊はハンガーで戦術機に搭乗し、第二演習場へ移動しろ。B隊は速瀬に任せる。」

「了~解。大尉、手加減はしませんよ?」

「ふっ、望むところだ。……ではな。」

 水月の言葉に、不敵に笑い返してブリーフィングルームを出たみちるだったが、外で待っていた武に歩きながら訊ねる。

「―――で、実際のところ、どうなんだ? A小隊だけではB小隊の突破は防ぎきれないぞ?
 なにしろ、B小隊は先任が3人揃っているからな。
 A小隊は私と桧山が先任、涼宮と柏木が新任だ。この内、近接戦闘でB小隊とやり合えるのは私と後は涼宮くらいだな。
 涼宮の装備を変更して長刀を持たせておくか?」

「いえ、A小隊は支援に徹してください。前衛はオレの方で引き受けます。ただ、1機で相手できる数は限られますから、向うが迂回突破してきたら大尉が迎撃してください。
 それから、申し訳ないんですが、今回大尉にはオレの複座型の『不知火』で出撃していただきます。」

「解った。精々貴様の新兵器とやらに期待させてもらうとしよう。」

 みちるは、試作OSに引き続いて武が投入するという新兵器に、期待を膨らませつつハンガーへと向かった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時42分、国連軍横浜基地第二演習場西エリアの東端に立つ、『不知火』8機の勇姿があった。

「よぉ~し、みんな。それじゃあ作戦通りにいくわよ。
 防御側が有利なのはセオリーだけど、相手の衛士は5人。単純計算でこっちの方が3人多いからね。
 短期決戦で、防衛線の突破を目指すわよっ!
 全機、楔形複壱陣(アローヘッド・ダブル・ワン)! NOEで突っ込むわよッ!!」

「「「「「「「 了解ッ! 」」」」」」」

 ヴァルキリーズB隊の『不知火』8機は、前後4機ずつ、2つの楔となって匍匐飛行で進撃を開始した。
 しかし、行程の半ばを過ぎた辺りで、所属不明機(アンノウン)からのアクティヴセンサーの発信を、各機のパッシヴセンサーが感知した。
 データリンクは所属不明機を敵性機体と判定し、自働的にバンデッド01の識別コードを割り当ててレーダーに表示する。
 バンデッド01は、進行方向左から右へと高速で飛行していたコースを変更、UターンするとB隊の進行方向に立ち塞がる形で停止、恐らくは着地した。

「チッ! 見つかったわね……宗像、どう思う?」
「このまま突っ込むか、一旦引くしかないでしょうが……ここは引いておきましょう。」
「……しょうがないか。全機、鎚型壱陣(ハンマー・ヘッド・ワン)で急速後退! いったん出直すわよ!」

 陣形を追尾してくる敵を逆撃するのに適した鎚型壱陣に組み替えて、B隊は反転する。
 しかし、バンデッド01はしつこく後を付いて来る。

「しつっこいわねぇ。……全機聞いて、攻撃発起点まで1000mを切ったら、一斉に反転してバンデッド01を落すわよ。
 風間と高原はミサイル全弾ぶっ放して、B小隊が接敵するまで支援しなさい。その後は後ろに下がって、ミサイルコンテナを再装備してから合流しなさい。
 B小隊全機と、宗像、麻倉の6機でバンデッド01を一気に落すわよ。
 バンデッド01の後方に、敵の増援が居たら、風間と高原の合流まで時間を稼いで、合流後に一気に畳み掛けるわ。」

「「「「「「「 了解! 」」」」」」」

「よぉ~っし! じゃあ、カウントダウンいくわよ、1500、450、400、350、300、250、200、150、100……全機反転!!」

「「 ヴァルキリー7(11)、フォックス1ッ!! 」」

 水月の号令と共に反転し、全力噴射で行き足を殺すB隊の『不知火』8機。
 その内の祷子・智恵の2機は、行き足が止まると同時に、両肩の自律誘導弾を全弾発射し、左右に展開してバンデッド01へ牽制砲撃を放つ。
 残る6機の『不知火』は突撃砲を乱射しながら、バンデッド01へと放たれた矢のようにまっしぐらに突撃する。

 バンデッド01は自律誘導弾の発射を察知すると同時にB隊に向かって右方向へと進路を変更。
 全力噴射で横方向に自律誘導弾を引きつけてから更に右方向へ曲がった。
 大きくUの字を描いて反転したバンデッド01に自律誘導弾64発が襲い掛かる。
 ここで、バンデッド01は全力噴射による匍匐飛行中とは思えない軽快な回避機動を展開し、小刻みに上下左右に機体を振り、背部兵装担架からの36mm突撃機関砲による迎撃と合わせて、自律誘導弾の攻撃を辛うじて振り切る。

 そして、そのバンデッド01に追撃を加えるべきB隊の『不知火』6機は、バンデッド01が最初の右転回をする直前にはなった自律誘導弾を回避する為に、追撃速度を落さざるを得なくなっていた。
 しかし、さすが精鋭ヴァルキリーズの突撃前衛+2機だけあって、32発の自律誘導弾は全て打ち落とすか、避けきるかしてしまった。
 バンデッド01に一気に急迫することには失敗したものの、未だにバンデッド01は追撃可能圏内にある。
 一瞬引くか進むか迷った水月だったが、元来の気性が2度続けて引く事を良しとしなかった。

「全機ダメージは無いわね? 風間と高原は補給に行って! 残る6機であいつを落すわよッ!!」

「「「「「「「 了解ッ! 」」」」」」」

 36mm突撃機関砲で牽制砲撃をしながらバンデッド01を追う6機だったが、バンデッド01は匍匐飛行の速度を殆ど落す事無く回避機動を行って見せ、距離は中々縮まらなかった。

「速瀬中尉、深追いし過ぎるのはどうでしょうか……」
「解ってる、あと1000m追ったら一旦反転するわ。風間と高原に待ち伏せさせて、そこにあいつを引き摺り込みましょ。」
「それにしても、あの機動、白銀ですかね。」
「多分ね。けど……機体識別が『陽炎』と『F-15E(ストライクイーグル)』の間を行ったり来たりしてるわ。さっきの回避機動も変だったし、大分いじってあるみたいね。」
「そうですね……なにっ!!」

 水月と状況把握のための会話をしていた美冴は、ついさっき通り過ぎたばかりのエリアから自律誘導弾が発射されたことに気付いて愕然とした。
 後方左右の2箇所から、合計64発の自律誘導弾が6機の『不知火』に襲い掛かる。
 同時に、バンデッド01が反転し、急接近してくる。
 挟撃された事に気付いた6機は結果的に3方向に分かれて回避することとなった。

 進行方向右手へと避退した水月と多恵、左手方向へと避退した宗像と月恵、そして、逆噴射で行き足を殺しながら落ちるようにして下方の市街地へと飛び込んでいく葵と紫苑の水代姉妹。
 自律誘導弾はその殆どが水代姉妹を追尾するが、その大半が建物に激突して爆発し、瓦礫が雪崩のように辺りに飛散した。
 バンデッド01は水月と多恵に狙いを定め、先程とは攻守を入れ換えて急接近してきた。
 バンデッド01はまるで三角翼のように、両主腕に1本ずつ保持した長刀を、真っ直ぐに揃えた左右主脚の両脇に斜めに構えていた。
 頭部を進行方向に向けた仰向けの姿勢で、噴射跳躍システムを斜め下に向けて揚力を維持し、低高度を飛翔するその姿はまるで巡航ミサイルか戦闘機のように見える。
 そして、仰向けになっているため機体下部に位置している背部兵装担架に保持された87式突撃砲が、進行方向前方に位置する水月機と多恵機に36mm弾を撃ってくる。

「くっ! やってくれるじゃないのっ! 築地、あんたは一旦逃げなさい。あたしがあいつを足止めするから、態勢整えなおしてからバックアップしに戻ってくんのよ、いいわねっ!」
「ははははは、はい~~~!」

 水月は多恵を逃がすために高度を取り、バンデッド01の頭を押さえようとする。
 バンデッド01は水月へと進路を変更し、仰角を取って上昇に転じた。

「あははっ、ひっかかったわねぇ、白銀ッ!!」

 水月に急迫するバンデッド01、しかし、そのバンデッド01を狙う2機の『不知火』が居た。

「しっかり狙え、麻倉。これを逃したら次があるか解らないぞ。」
「は、はいっ!」

 先程、進行方向左側に避退した美冴機と月恵機であった。
 しかし、惜しむらくは2機の装備している87式突撃砲は狙撃には向いていない事であった。
 その為、2機はバンデッド01にぎりぎりまで接近して砲撃しようと、水平噴射跳躍で水月の方へと全力で移動していた。
 そして、そろそろ砲撃しようとしたところに、左方向からの狙撃が2機を襲った。

「なんだっ? くっ、桧山と柏木か?」
「うわわわわわ~~~っ!!」

 左からの砲撃であったことが幸いし、美冴機は多目的装甲で狙撃を弾く事ができたが、月恵は36mm弾2発の直撃を受け中破の判定を受け、左側主腕及び主脚が使用不能となった。
 月恵は撃墜される前に、なんとか高度を下げて市街地へ不時着するのが精一杯であった。
 そして、2人の狙撃手の狙いは美冴に絞られる。
 これ以上滞空していては撃墜は免れないと判断し、美冴は市街へと降下する。

「速瀬中尉、A隊の後衛がフォローに上がってきています、そちらの支援には行けません。」
「ぬぁあんですってぇ! こうなったらあたしだけで……きゃっ…………」

 美冴と月恵の離脱とほぼ同時に、水月はバンデッド01との高機動近接戦闘に入っていた。
 近接戦闘とは言いながら、現状では36mmの撃ち合いに過ぎない。
 しかもバンデッド01は基本的に頭部をこちらに向けて接近してくるため、投影面積が少なく唯でさえ命中率は低い、その上、妙にちょこまかと上下左右に横滑りして水月の砲撃を回避する。
 その間も、バンデッド01は2門の87式突撃砲を撃ってくるため、水月自身も回避するのに忙しい。
 と、その瞬間、水月は後方にバンデッド02(敵性機体)が出現したことを、後方警戒センサーの警告音で知る事になる。
 バンデッド01だけでも手一杯であったところへ、もう1機に後方を取られ、挟撃される形になった水月は、必死に回避するものの敢え無く撃墜される羽目になった。

「ひゃわわー、宗像中尉、速瀬中尉がおとおとおと、落とされちゃいました~。」
「解っている、落ち着け築地。B隊全機に告ぐ、市街地の建物の陰に隠れて合流するぞ。
 悪いが麻倉には囮になってもらう。紫苑、おまえらは無事だな?」
「はい。僕も姉さんもダメージは殆どありません。急いで合流します。」
「なんで? どうして私じゃなくてぇ、紫苑に聞くんですかぁ? 宗像中尉。」
「―――その方が早いからだ。葵さん、障害物でこけたりしないでくださいよ。」
「なっ! だ、大丈夫よぉ…………多分……」

 月恵を囮に、市街戦で巻き返そうとした美冴だったが、そこへ悲鳴のような通信が入る。

「ヴァルキリー7、エンゲージディフェンシヴ!! 美冴さん、ヴァルキリー11と共に、2機の戦術機に挟撃を受けています!
 このままじゃ……きゃぁ!!」

 祷子の悲鳴と共に、データリンク上のヴァルキリー7とヴァルキリー11のマーカーが消える。
 同時に、ほんの少し前に表示されたバンデッド03とバンデッド04のマーカーも反応消失で消えてしまう。

「くそっ……これで衛士の数でもこっちが不利になってしまったか……しかも後衛と前衛のトップを失っている……
 仕方ない、各機、防衛拠点へ突撃。作戦目標を破壊しろ! 持久戦になってはこちらが不利だ。
 麻倉、悪いが上空へ飛び上がって索敵だ、桧山達の注意を引き付けてくれ。
 築地は私と二機連携だ、しっかり付いて来いよ。
 いいか、祷子達を喰った2機が戻るまでに敵防御拠点を落すぞ!
 よし、各機突撃開始!!」

「「「「 了解ッ!! 」」」」

 市街地の大通りを縫うようにして、防御拠点を目指し、水平噴射跳躍で突撃する美冴、多恵、葵、紫苑の4機。
 そして、タイミングを見計らって、月恵が噴射跳躍して上空へと飛び出し、アクティヴセンサーを全力で発信。
 後方より接近する3機を発見、改めてバンデッド03、04、05のマーカーがデータリンクに表示される。

 月恵は空中で上下左右にダンスを踊るように回避軌道を取りつつ、『不知火』と識別されたバンデッド03に右主腕と背部兵装担架2基で保持した87式突撃砲合計3門による砲撃を雨霰と放つ。
 その月恵機に対して、後方より狙撃が襲い掛かる。
 初弾はなんとか回避したものの、然程も経たない内に月恵機は撃墜されてしまった。

 しかし、その僅かな時間で美冴は狙撃手の潜伏場所を絞り込む事に成功し、築地を引き連れて想定狙撃地点を目指した。
 後方から3機が追って来て、前方に狙撃をした2機が存在する。
 A隊の衛士の数は5名、故に前方に位置するはずの後衛2機を、殲滅するか最悪足止めできれば、後方の3機が追い付く前に防衛拠点の作戦目標を破壊できる。

 これなら、何とか勝てると美冴は踏んだ。
 ただし、不安材料はある。武の新兵器がなんなのか不明である以上、どんなどんでん返しがあるか解らない。
 と、その時、右前方の路地から『不知火』が1機飛び出して来て、両主腕と背部兵装担架2基で1門ずつ保持した合計4問の87式突撃砲を乱射してきた。

「ひゃぁう! あ、茜ちゃんでねぇべか!! や、やめてけ…………」

 前方に飛び出してきたバンデッド06の36mm弾の弾幕を避けきれず、多恵の機体が撃墜される。

(涼宮だと? 涼宮は後方の3機の中に居たんじゃないのか? 強襲掃討装備の涼宮では、狙撃は難しいはずだが……なにっ?!)

 バンデッド06に牽制の36mm突撃機関砲の砲撃を放っておいて、その上空を突破することに成功した美冴に、更に2方向からの狙撃が襲い掛かってくる。

「紫苑、葵、後は頼んだ!…………」

 美冴機も、その通信を最後に撃墜された。

「とうとう僕たちだけになっちゃったね、姉さん。」
「そ、そうだね……でもぉ、相手はもう出払っちゃってるんでしょぉ。
 さっさと目標破壊してぇ、勝利をこの手にっ!ってね。」
「気が早いよ姉さん。」
「そっかなぁ―――ッ!! やばい、紫苑!」
「了解!」

 軽口を叩いていた葵が突然逆噴射をかけて速度を落とし、建物の陰に半ばぶつかるようにして飛び込む。
 激突の衝撃で小破の判定が出るが、無視してそのまま路地の奥へと移動する。
 その直後に、120mm滑空砲の連射が、一瞬前まで葵機が居た場所へと障害物の建物を貫通して着弾した。

 そして、名前を呼ばれ警告されただけで、紫苑は葵の意図と行動を正確に把握して行動する。
 葵が路地に逃げ込むのと前後して、紫苑は葵に砲撃を敢行したバンデッド07に36mm突撃機関砲を牽制で1連射し、葵を追って路地へと噴射滑走で飛び込んだ。

「ねぇねぇ、なんでまだ敵機がいるのよぉ。」
「うん、おかしいね。衛士が5人しか居ないのに、敵性戦術機が7機も出現しているよ。」
「どういう事なのかしらねぇ。」
「解んないけど、それより、今の戦闘で敵防御拠点への到着が遅れちゃったから、宗像中尉と戦ってた戦術機もそろそろ守りに入っちゃったかもしれない。」
「う~ん、そうだねぇ…………あんまり、成功する気がしないけど、演習なんだし、撤退するわけにもいかないよねぇ。」
「そうだね、やれるとこまでやってみよう!」
「うん。」

 その後、最短ルートを進撃する事を放棄した水代姉妹は、葵の勘だけを頼りにA隊の防衛陣形の裏を突く事に成功し、晴子機と葉子機を撃破するがそこまでが限界であった。
 その直後にバンデッド06とバンデッド07の襲撃を受けて紫苑が大破。
 最後に残った葵が奮戦するも、2機相手では2分も持たずに、撃墜された。

「状況終了。演習参加全機は、直ちに防御拠点に集まれ。」

 みちるの命令に従って防御拠点に集まってくる戦術機達。
 ヴァルキリーズの『不知火』が11機、武とみちるが搭乗している『不知火』複座型が1機、そして、『陽炎』を改修したと思われる戦術機が4機、合計16機の戦術機が一堂に会する事となった。

「なによっ! 新兵器とか言って、ただの『陽炎』改修機じゃないの。」
「でも4機もいたんだねぇ。どうやって操縦してたのかなぁ。」
「頭部と主腕の上部にカナード翼が増設されてるね。主脚各所には姿勢制御スラスターも増設されてるし……」
「なるほど、あのちょこまかした回避機動は、そのお蔭か……」
「結局、8機ずつで対戦してたんですのね。」
「でもさっ、『陽炎』の改修機で『不知火』相手に互角以上って変だよねっ!」
「ほんとね~。でも、白銀中尉の技量のせいもあるかもね~。」
「あたしは茜ちゃんに落とされたので、白銀中尉は関係ないのですっ。」

 B隊のメンバーは新兵器と思しき『陽炎』改修機を前に、あれやこれやと、喋っていた。
 未だオープン回線はA隊とB隊では別回線のままであった。
 と、B隊の通信回線がA隊の通信回線に統合され、みちるの声がオープン回線に流れる。

「さて、では今回の演習の講評を行う。
 それに先立って、今回演習に参加した新兵器について、白銀より説明してもらう。
 白銀―――。」

「了解です。―――新兵器と言っても、機体自体は『陽炎』の改修機に過ぎません。
 この機体の新機軸は、遠隔操縦と自律制御によって運用する無人機である事にあります。
 一応呼称も改めまして、『陽炎』改修型遠隔陽動支援戦術機『時津風(ときつかぜ)』と呼称しています。
 『時津風』は無人機であるため、搭乗者への負担を気にせずに、かなり無茶な機動が取れます。
 その為、噴射ユニットを強化し、機体上部に機動制御補助用のカナード翼を、主脚各部に姿勢制御スラスターを増設しました。
 これらを用いる事により、飛翔中の機動力と最高速度を向上させています。
 あとは、関節部にロック機構を追加してあり、高機動飛翔時の関節部への負荷を軽減するようにもなっています。
 管制ユニットは従来のものをそのまま流用していますので、衛士が乗り込んで直接操縦する事も可能です。
 ただし、その際は相当の覚悟が要りますね。『時津風』はじゃじゃ馬ですから。」

 武はここで一旦言葉を切って、網膜投影されているヴァルキリーズの表情を確かめた。
 遠隔操縦の無人機である事だけは演習前に伝えてあるA隊の衛士も含めて、全員が興味深げでいて、何か違和感を感じているような、微妙な表情で武の話を聞いていた。

「『時津風』の運用目的は、主として戦場に於ける陽動を担当する事です。
 BETAの注意を引き付けて、友軍のBETA殲滅を容易にしたり、撤退時の囮としたり、謂わば戦場に於ける最も危険な任務を担当させる機体です。
 遠隔操縦による運用に関しては、大きく分けて2種類の運用を想定しています。
 一つ目の運用方法は、HQまたはCPからの遠隔操縦による戦域管制を主とした方法です。
 これは、戦域に於いて、随時最も戦力の投入が必要と思われる地点に、戦線後方へと事前に分散配置した『時津風』を急行させて、戦況を好転させる事を企図した運用方法です。
 この方法のデメリットは、通信状態の悪化によって運用できなくなる事であり、特にハイヴ突入時に運用出来ない事が最大の欠点といえます。
 その他に、事前配置したまま待機させている『時津風』が、遊兵化してしまうこともあげられます。
 もっともこの点は、展開させた『時津風』を交互に用いる事で、補給整備を行えるという事でもあります。
 メリットとしては、高い能力の衛士をこの任務に充てることができれば、有力な戦力を戦場全域に比較的容易且つ短時間で転戦させられる事があげられます。
 この場合、謂わば火消しチームとして戦場で最も危険な地点に投入し、戦況を好転させる運用方法が最も効果的であると思われます。」

 武は再び言葉を切って、全員の表情を改める。今度は、僅かではあったが表情に差違が表れていた。
 好意的な表情もあれば、嫌悪感を隠し切れないもの、未だに良く理解できていない不要領なものなどに分類できようか。

「もう一つの運用方法は、部隊内の支援機として、小隊又は中隊に配備する方法です。
 この場合、『時津風』の操縦者は同じ部隊内の複座機に搭乗して、『時津風』を運用します。
 この場合は、部隊内データリンクを介して遠隔操縦を行いますので、通信状況の悪化にも対処がし易く、ハイヴ内あっても運用は可能であると思われます。
 『時津風』は自律制御によって部隊に随行させる事ができますので、複座型に搭乗する衛士は、搭乗機体の操縦と、サブアームの射撃管制や周辺探索、作戦指揮などなど、各種作業を分担する事ができます。
 任務の内容にもよりますが、『時津風』担当衛士1人に対して複数の『時津風』を随伴させる事も可能です。
 自律制御でも支援程度であればこなせますので、衛士を増やす事無く戦力を増強できると考えます。
 あとは、蛇足ではありますが、『時津風』部隊内運用担当機の複座型は通信機出力を強化してある以外は従来機と全く変わりません。
 『時津風』の概略に関しては以上です。」

 みちるは武の説明を聞き終えた部下を一瞥し、物言いたげな顔が幾つかあることに気付いたが、現時点では発言を許す事をせず、講評を再開した。

「さて、今回の演習では、A隊に4機の『時津風』が編入されていた。そして、私が白銀と『不知火』複座型に搭乗した。
 衛士の数で劣っていたA隊は、防御拠点の防衛に専念するしか選択肢がなかったわけだが、白銀の提案により、『時津風』を用いた早期警戒網を展開した。
 防御拠点を中心として、1機が旋回飛行しながらアクティヴセンサーの全力発信によって索敵すると共に、防御拠点より3方向に進出して隠蔽した3機の『時津風』がパッシヴセンサーによる索敵を行っていた。
 これらの『時津風』の運用は、白銀が各『時津風』に自律行動を指示して行わせたものだ。
 全機で突撃してきたB隊が発見したのは、旋回飛行をしていた『時津風』だな。
 この『時津風』を以降T1と呼称する。
 B隊の接近を察知した白銀は、直ちにT1を遠隔操縦に切り換え、B隊への威力偵察を実施した。
 すると、B隊が所属全機を投入している事が判明したため、我々A隊は迎撃に打って出る事を選択した。」

 ここで、みちるはニヤリと笑った。水月はそんなみちるの笑みを見て、悔しげに顔を顰めた。

「ここで特筆すべきは白銀が行った『時津風』の運用だろう。
 白銀は後退に移ったB隊を追尾しながら、残る3機の『時津風』―――T2、T3,T4と呼称する―――を自律制御で動かした。
 T2及びT3はT1の左右斜め後方を距離を空けて追従させ、T4には防御拠点の守備を担当させた。
 残るA隊の『不知火』4機は、B隊が分散する場合に備えて、T2,T3の更に後方を追随していた。
 A隊はこの時点で、B隊の包囲殲滅、分散後の各個撃破双方を視野に入れて行動していたが、極端な話、『時津風』3機でB隊の3機を落せれば十分だと考えていた。
 何しろ、そうなれば衛士の数は5対5になる。その条件下なら防衛側が圧倒的に有利だからな。
 そして、T1を振り切れなかったB隊は反転し、T1を撃墜すべく攻撃に転じたわけだが、それを予期して距離を必要以上に詰めなかった白銀によって凌がれ、逃亡して見せたT1を追撃した。
 この時、白銀の指示で私がT2とT3に指令を送り、T1の逃亡コースの両側面に2機を隠蔽させた。
 そして、B隊が上空を通過した直後に、T2とT3が自律誘導弾を全弾発射し、我々A隊は攻撃に移った。」

 話を聞いていた美冴の表情が極僅かに忌々しげに歪む。

「この際、白銀はT2とT3に極静穏モードでの移動を指示している。
 T2は風間と高原が去っていった方向への索敵、T3は優先撃破目標として速瀬の追尾が目的だ。
 この時点で水代姉妹の機体は見失っていたため、速瀬と築地を白銀が、宗像と麻倉を桧山と柏木が担当し、涼宮は桧山・柏木の護衛とB隊の突破に備えた。
 そして、私は風間と高原を捕捉すべく戦域を迂回していたというわけだ。
 白銀の猛追に、B隊が引き付けられたところを狙って麻倉に損傷を与え、T1に気を取られ、しかも築地と離れて単独行動を取っていた速瀬を、極静穏モードで接近していたT3を遠隔操縦に切り換えた白銀が、速瀬の不意を突いて撃墜した。
 つまりは、この時T1は自律制御で機動していただけだったのだが、速瀬、気付いたか?」

「―――正直、それどころじゃなかったですよ。あの戦闘機もどきが白銀だって思いこんでたんですから。」

「ま、そんなところだろうな。
 そして、合流を急いだ風間と高原をT2が捕捉し、T2を遠隔操縦に切り換えた白銀と私で、風間と高原を挟撃し、撃破した。
 この時点で、推進剤や弾薬の消費が激しかったT1を自律制御で地上に降ろし、極静穏モードで防御拠点方向に移動させながら、パッシヴセンサーで索敵を行わせていた。
 そして、私とT2,T3の3機でB隊の残存機を攻撃しようとしたのだが、B隊はそれに先んじて突撃を開始したな。
 決断したのは宗像か、結果的にA隊は2分されていたからな、戦力が半減したB隊が勝利できる最後のチャンスだと思ったのだろうが……
 結果的にその行動はT1のパッシヴセンサーに捉えられていた。
 だから、こちらはB隊が二機連携で二手に分かれて突撃している事を把握していた。
 そういう意味では麻倉は囮にはならなかったのだが、索敵は成功したようだな。
 その直後に、宗像と築地が桧山と柏木を指向して進路を変更したからな。
 とは言え、それもこちらでは把握していたから、涼宮を加えた3機で迎撃できた。
 残った水代姉妹の相手は白銀が遠隔操縦するT4が行い、T1が自律制御で挟撃する予定だったのだが……
 葵が突然進路を外れたのは、例の如く勘任せか?」

「まぁ、そんなとこですねぇ。」

「敵の攻撃を回避するのに、遮蔽物に衝突して小破するのはいただけないが、相変わらず貴様の生き残るための勘は鋭いな。
 あの騒ぎで、A隊は貴様らを見失い、迂回を許した結果として、桧山と柏木の2機を落とされる羽目になった。
 しかも、迂回路を解析したところ、『時津風』で再構築しようとしていた索敵エリアの隙間を見事に縫って接近していたな。
 しかし、衛士で5対2、戦術機で8対2になってしまっていたからな、そのあたりが限界だったというところか。
 戦況の推移はこんなところだ。」

「つまり、あたしたちB隊は初手からずっと、A隊の掌の上だったってことですかぁ?」

「A隊と言うよりは、白銀の、だな。今回は白銀が打った手が、全て面白いように図に当たったな。
 無人機という事で思い切った運用が出来た事も大きかったし、白銀が何人も居て入れ替わりに戦ったような結果になった。
 今回は戦術機相手の演習ということで、『時津風』の武装を92式多目的自律誘導弾システムと87式突撃砲2門に74式近接戦闘長刀2振りとした。
 白銀の話では、対BETA戦での『時津風』の標準武装は今回の装備の自律誘導弾をALMに換え、さらにS-11を搭載するそうだ。
 S-11による自爆攻撃を認めては、演習にならないからな。」

「へ~、自爆攻撃って、要するにBETAを引き付けてもろともに吹き飛ばすって事ですか?」

「そうだ、柏木。ただ、あくまでもそれは最後の手段だそうだ。自爆せずに補給と整備が出来れば、再度出撃できるわけだからな。
 今回は基本的に白銀1人で『時津風』4機を運用したわけだが、単座機の衛士や、複座機のもう1人の衛士が、搭乗している機体を自律制御にして、『時津風』の遠隔操縦を担当する事も可能だそうだ。
 まあ、その場合は自機が襲われた時などに、苦戦する羽目になりそうだがな。
 さて、では今度は攻守を変えてもう一度演習を行うぞ。
 今度は手品の種がわかってるんだ、もう少しは粘って見せろよ? 速瀬。」

「了~解。今度こそ、目に物見せてやるわよっ、覚悟しなさい白銀!!」

 かくして、午前中一杯、実機演習は繰り返し行われた。




[3277] 第26話 逆風、順風、それぞれに吹く風
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:43

第26話 逆風、順風、それぞれに吹く風

2001年10月29日(月)

 12時03分、ヴァルキリーズが割り当てられているPXで、武はヴァルキリーズと昼食を共にしていた。
 だが、今日に限って、何処となく不穏な空気が場に漂っていた。

「あ~っ! しゃくにさわるったらありゃしないっ!! 白銀っ、やっぱあれ、反則だわっ!」
「水月、いい加減にしようよ~。大体、ご飯食べながら怒ると消化に悪いんだよ?」
「遙は黙ってて、これは譲れない問題なのよッ!」

 やはりというか……震源地はいつも通り水月なのだが、今日は周囲の反応が違っていた。

「そうですよねっ! 速瀬中尉。私もあれは卑怯だと思います。」
「うん。僕もあまり好きにはなれないかな。」
「えぇ~? どうしてそう思うのぉ、紫苑。機体壊れちゃっても衛士は無事だなんてぇ、願ったり叶ったりじゃないのぉ。」
「姉さん、これは前線で戦う衛士としての誇りの問題だよ。」
「……私は……有効な兵器だと思うけど……」
「そうだな。葉子さんの言うとおり、確かに有効な兵器なのは確かでしょう。問題は……」
「前線で戦友の命を散らして戦い抜いてきた、衛士達に受け入れられるかですわね、美冴さん。」
「そう言う事だな、祷子。」

 茜の発言に続いて、勢い込んで発言しようとした多恵だったが、呼吸を整えている間に紫苑に先を越され、その後は先任達が立て続けに発言したため、自分は発言できないままに萎れてしまった。
 みちるは周囲に気を配り、聞き耳を立てている者が居ないか注意しつつも、部下の発言を冷静に確かめている。
 その他の少尉達はと言うと、晴子は興味深げに目をキラキラさせて事態の推移を見守っており、智恵はなにやら考えている様子、月恵は何が問題なのか解らずにキョトンとしていた。

 何の事かと言えば、『時津風』に関してである。全員一応機密であると理解しているため、具体的な内容には若干1名を除いて踏み込まずに話している。
 『時津風』の発案者であり、ヴァルキリーズの演習に持ち込んだ元凶である武は、当然周囲の注目の的であるのだが、発言者の表情を真剣な顔で確認しつつ頷くだけで、一向に発言しようとしない。
 にも拘らず、会話は徐々にヒートアップし始め、このままでは制御が失われるのも時間の問題、と思われたところで、みちるが満を持して発言した。

「そこまでだ! この件に関しては、明日までに自分の所感をまとめておくように。
 明朝のブリーフィングで討論を行う。部隊内で話し合う分には構わないが、時と場所と話の内容には十分に留意する事。以上だ、解ったな!」

「「「「「「「「「「「「 了解! 」」」」」」」」」」」」

 命令を下し、部下が黙った事を確認すると、みちるは自分の昼食に戻った。
 みちるとしては、部下にはきちんとした説明をした上で、納得のいく任務として従事させたかった。
 しかし、今日の演習に先立って、武からなるべく生の反応を収集したいとの要望を受けたため、現状を維持……いや、助長せざるを得なかった。
 そこはかとなく不本意である事が感じ取れるみちるの様子に、武は感謝の念を込めて軽く頭を下げ、PXを後にした……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時29分、B19フロアのシリンダールームで、今日も武は、霞に純夏へのプロジェクションを行ってもらっていた。

「よしっ、霞、お疲れ様。いつも悪いな。」

「……いえ……」

「純夏、喜んでくれてるかな……」

 武がいつもプロジェクションが終わる度に考えている事を、つい言葉にして漏らしてしまうと、霞は少し小首をかしげて考えてから、武に向かって話しかける。

「……白銀さん……純夏さん……精神に変化が……現れています……
 白銀さんがいると……ハレーションが……おきます……
 イメージ……ぐちゃぐちゃです……でも……明るい色してます……」

「―――ッ!! 記憶の流入か……純夏、苦しんだりしてないか?」

「……少し……疲れるみたいです……でも……明るい色が……だんだん……増えてます……」

「そうか、せめて楽しい夢でも見てくれてると良いんだけどな。」

「……はい。」

 武は、昼休みの残り時間が少なくなっていたため、夕食後にもう一度来て、霞と遊ぶ約束をして立ち去って行った。
 武を見送った霞は、シリンダーへと歩み寄り、その前にたたずんで静かに話しかけながら、プロジェクションを開始した。

「―――純夏さん……私と見ましょう……白銀さんとの想い出を…………」

 シリンダーと少女の2人だけで心を交し合う時間は、今一度の少年の来訪を待ち望みつつ、今また緩やかに流れ始めた……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時25分、訓練校の射撃演習場の一角に武と壬姫、まりもの3人が集まっていた。
 3人の足元には大型で防水仕様のガンケースが2つ置かれていた。
 207の他の3人は、突撃銃を装備して既に射撃訓練を始めている。

「さて、こいつは、Mk11 Mod0 スナイパー・ウェポン・システムだ。
 このガンケースの中には、バックアップ用のアイアンサイトが標準装備された銃本体の他に、装弾数20発のマガジン、クイックデタッチ・スコープリング、ミルドット光学スコープ、バイポッド、クイックデタッチサプレッサーなどが収納されている。
 Mk11は7.62x51mm NATO弾を使用する、有効射程900mのセミオートスナイパーライフルだ。
 近年になって米海軍が採用し始めている。
 先日、白銀が言っていた通り、戦術機での狙撃はセミオートになるので、その感覚を体感できるようにと探してみたところ、当基地に2丁だけ存在したので借り出してきた。
 白銀と珠瀬は今日はこれを使って狙撃訓練を行え。」

「「 了解! 」」

 武と壬姫はマニュアルを見ながら、狙撃ライフルの動作確認と調整作業に入る。

「へ~、この銃って、銃身(バレル)がフリーフローティングになってて、銃本体にかかった力が直接銃身に伝わらないようになってるんですね~。」

「結構色々考えてあるんだな~。戦術機用の87式支援突撃砲なんか、突撃機関砲を長銃身(ロングバレル)に延長しただけかと思ってたけど、あれも似たような機構になってるかもしれないな。」

「さて、じゃあ早速試してみましょう、たけるさん。」

「そうだな。」

 2人はスコープの調整に、壬姫は2発、武は4発使用した。
 20発入るマガジンに撃った分だけの弾を補充し、約800m先にある4つの標的に5発ずつ撃ち込んでいく。
 20発撃つ毎に標的を回収交換して、武と壬姫は100発ずつ射撃した。

「まあまあかなー。うん、結構良い感じですね~、この銃。」

「たまはさすがだな~。オレの方は何とか的には当たってるってレベルだよ。」

「えへへ。この前、たけるさんに言われてから、狙撃に限らず自分が頑張れただけ、自分を信用してあげることにしたんです。
 そうしたら、なんだかす~っと気が楽になって、最近調子が良いんです。たけるさん、ありがとうございました。」

 壬姫はそう言うと深々とお辞儀をした。
 武は照れてしまい、両手を壬姫の両肩に添えて頭を上げさせた。
 そして、上から壬姫の瞳を見下ろすようにして、嬉しそうに微笑んで言った。

「そうか。よかったな、たま。これからもその調子で頑張るんだぞ。」
「はいっ!!」
「ほう……そなた達、何をこれからがんばるのだ?」
「ナニ?……」
「彩峰、貴女、紛らわしいこと言うの止めなさいよ。」

 後ろから声をかけられて武が振り向くと、ニヤニヤと笑う冥夜、彩峰、千鶴の3人の姿があった。

「ん?……なあなあ、みんなこれ見てくれよー。たまのやつ、初めて使った狙撃銃で800の的にこんなに正確に狙撃したんだぜ。」
「どれどれ? へ~、さすが珠瀬ね。全弾殆ど中央付近じゃないの。」
「な? 凄いだろ…………って、冥夜! 彩峰! おまえら何を……あ、そ、それはっ!」

 武に言われて千鶴が壬姫の標的を覗いている間に、その横では冥夜と彩峰に壬姫までが加わって、武の撃った標的を集めていた。

「こ、こらっ! そっちは見なくてもいいんだってば……」
「別に見たからと言って、問題はあるまい? それとも、これは機密にでも抵触するものなのか?」

 珍しく、皮肉っぽく話す冥夜に、武が二の足を踏んでいると、何時の間にか千鶴までが加わって武の標的を改めていた。
 ここに至って武も諦め、狙撃ライフルを清掃し、ガンケースへと仕舞い始めた。
 武が撃った最初の方の標的は、本当に何とか的から外れなかったといったところだったので、皆で笑ってみていたのだが、6枚目、7枚目と的が進む内に、4人の表情が真剣になっていった。
 そして最後の標的を見終わった4人は、顔を合わせてお互いの表情を窺う。

「……最後の1枚。的の中心から4分の1に収まっているわ。しかも、前の的よりも集弾が散らばっているものは1つもないわね。」
「撃つほどに、精度が上がってる?……」
「でも、たけるさん、最初も最後も、射撃ペース殆ど変わってなかったですよ?」
「よもや、100発の訓練で、そうそう成長するとは思えんが…………」

 半ば呆然と見送る4人の視線にも気付かずに、狙撃ライフルを仕舞い終えた武は、まりもに申告してから突撃銃を装備してサーキットトレーニングを開始するのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時04分、B19フロアのシリンダールームに武がやってくると、室内の床に2m四方くらいの防水布が敷かれており、その上で霞が正座して武を待っていた。

「か、霞? 正座なんかして、大丈夫なのか? 足痺れないか?」

「大丈夫です……白銀さん……座ってください……」

「あ? あ、ああ。」

 霞に促されて、防水布の霞と反対側に正座する武。
 霞は、自分の手近にあった巾着を取ると、手を伸ばすようにして、武の方へと差し出した。
 武が手に取って巾着を開くと、中には色とりどりなガラス製のおはじきが入っていた。

「―――霞、もしかして、今日はおはじきをやりたいのか?」

「はい……おはじき……やりたいです……」

「そっか……けど、オレおはじきの遊び方、まだちゃんと憶えてないんだよなぁ。」

「大丈夫……私……覚えました……」

 珍しく、強めの語調で言い切った霞を見て、武は相好を崩した。

「そっか、じゃ、準備万端だな。そっか、そんなにおはじきしたかったのか……」

「……はい。」

「じゃあ、遊び方教えてくれな、霞。」

 そして、霞による説明が終わり、まずは武から弾くことになった。

「よ~し、全部取りきってやるぞ~!」

 武は、比較的近い位置にあるおはじきを選んで、親指で弾いて目的のおはじきに当てる。
 上手く弾いて取る事ができ、更に2つ続けて取った後で、力を加減しすぎて指が通らずに選手交代となった。

「あ~っ、3つしか取れなかったか~っ! 霞の番だな、頑張れよ~。」

「―――クスっ…………はい……」

(ん? いま、なんか霞が笑ったような…………)

 霞は混み合っている場所のおはじきの中から1組ずつおはじきを選び、外へ外へと弾いていく形で次々に取っていく。
 霞の小さく細い指は、するするとおはじきの間に優雅な線を描き続け、小さな桜貝のような親指の爪は強からず弱からず適切な強さと方向でおはじきを弾いていった。
 あっという間に場に残っていたおはじきは1つのみを残して姿を消し、霞は目を閉じると、揃えた人差し指と中指でおはじきの周囲に2回円を描いた。
 続いて指をチョキの形に開くと、指と指の間をおはじきが通るようにすーっと縦になぞって、最後の1個も自分の手中に収めた。

「……おわりました…………」

「凄ぇ、凄ぇよ、霞…………あれ?
 ……………………霞、おはじきやった事あるのか?」

「……初めてです……」

「……………………霞、遊び方誰に習ったんだ?」

「……珠瀬さん……です……」

「……………………なるほど、昨日の夕方だな?」

「はい……」

 今まで遊びというものを知らなかったはずの霞が、見事におはじきを取りきった事に、感動と共に疑念を覚えた武だったが、昨晩に壬姫が言っていた『理由は女の子同士の秘密だから』という言葉を思い出して納得がいった。

(そっか……霞のやつ、オレを驚かせようと思って内緒にしてたんだな。
 あれだけ上手く弾けているってことは、リーディングで感覚的なものも覚えたんだろう。
 後は、霞は頭が良いから、弾く角度とか、強さとか、その辺計算してそうだしな。
 よ~~~っし、それならオレはその想いに思いっきり応えてやるだけだ!)

「よしっ! 霞が上手なのは解ったけど、オレだってやられてばっかりじゃないからな~。」

 武が笑顔で子供のように宣言すると、霞も嬉しげに笑って武を応援する。

「はい……頑張ってください……」

 その後もおはじきは続き、初手は武、その後は霞で遊ぶのだが、武が1度か2度失敗すると、その後の霞の手番でおはじきが全部取られてしまうという展開が繰り返された。
 武は悔しがりながらも霞を応援し、誉め、しきりに感心しながらも、着実に自分の取るおはじきの数を増やしていった。
 そんな、真剣におはじきに取り組む武の様子を見て、霞は思う。

(白銀さんは、本当に負けず嫌いですね。そして、どんなに不利でも決して諦めません。
 そして、努力を重ねて少しずつでも、着実に進んでいくんですね。
 そんな白銀さんだから、BETAに勝利する―――しかも、確率時空全体でだなんて途方もない目的に向かって、本気で取り組めるんですね……
 私は、純夏さんの想いではなくて、私自身の想いで、白銀さんのお手伝いがしたいと、そう思います……
 今はまだ、自分の想いと純夏さんの想いが混然としているけれど、白銀さんが『私』に想い出をくれるから、いつか『私』自身の想いだと自信を持って、『あなた』のお手伝いをしますね。)

「くっそぉ~~~~ッ! なかなか上手く行かないもんだなぁ、これ。大体、指の太さの分だけ、オレの方が不利なんじゃないか?」

「白銀さん……焦らないで……」

「ああ、そうだな。けどな霞、いつか絶対勝って見せるからな…………いつか絶対…………絶対にだ!」

 武の言葉にピクンと髪飾りを揺らした後、霞はコクリと頷いて見せた。
 そして、武が第19独立警備小隊との訓練に行かなければならなくなるまで、2人は時間の許す限り、おはじきを繰り返した…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年10月30日(火)

 08時17分、ブリーフィングルームにヴァルキリーズと武の姿が揃っていた。

 武は今朝も霞に起こしてもらい、朝食を共にしてきていた。まだ人気の少ない内に自分の分を食べ終えてしまえるようになり、多少は気恥ずかしさが減少したような気がする武だった。
 その後207の皆と話をし、時間にゆとりを持ってブリーフィングルームに来たのだが、その時には既にヴァルキリーズは全員揃っていた。
 おかげで、定刻の8時になる前に、さっさと討論が始まってしまった。

 みちるによる議事進行で、各人の所感が述べられていった。
 部隊内でも武闘派と目される、水月、紫苑、茜の3人の所感は、大雑把にまとめると『実際に戦術機に乗っていないのでは、実力を発揮できるか疑わしい』という内容であった。
 物事を多角的に捉える傾向の強い、美冴、葉子、祷子、智恵の4人は、特にHQからの運用案に対して、前線将兵からの感情的な反発や、士気の乱れなど、心理的影響を心配する意見が発せられた。
 対して、その有効性に着眼し、諸手を挙げて賛成したのが晴子であった。
 残る、葵、多恵、月恵の3人は……
「とにかく、多少ドジしちゃってもぉ怪我しないで済むのは有難いわぁ。命あっての物種だしぃ。」
「ひ、独りよりは2人の方が断然いいですっ! あ、あああああ、あたしはぁ、茜ちゃんとの同乗を志願しますぅッ!」
「まあ、やられちゃっても死なないで済むってんなら、思いっきり戦えるよねっ!」
 などと発言して、周囲の顰蹙を買っていた。

 みちる以外のヴァルキリーズの発言が終わったところで、みちるが口を開く。

「全員が所感を述べたところで私の見解を言っておく。
 部隊指揮官としては、『時津風』の配属は有難い限りだ。部下の損耗を抑えつつ、果断に行動することが叶うからな。
 しかし、貴様らが言った事以外にも、幾つか問題点があるように思えるのだが……その辺りの質疑応答に移っても構わないか? 白銀。」

「そうですね……あ、その前に『時津風』の―――いえ、オレの対BETA戦術構想の根幹理念について、先に話させてもらっていいですか?
 『時津風』を含めて、オレが今後持ち込む全ての兵器に関する基本理念ですから、これに納得していただかないと、検討方向がずれていってしまいますからね。」

「いいだろう。その理念とやらを説明しろ、白銀。」

 武は、まず、人類はBETAの物量に対して、『質』―――即ち、経験に基づく適切な対応を以って対抗する事こそが必要であると述べた。
 そして、その『質』を高める為には戦場での人的損耗を減らし、将兵の経験が蓄積される事が必須であると説いた。
 さらに、現在の苛酷な戦況において人的損耗を減らすのは困難であるため、なんらかの新しい要素を戦場に導入しなければならないと続け、その新しい要素を探し出し実戦に投入することこそが、対BETA戦術構想の目的であると語った。

 戦場に於いては身命を惜しむ事無く、鋭意専心任務を果たす事のみを優先すべし―――そういった教育を幼い頃から受け続け、挺身を美徳と捉えていたヴァルキリーズには、武の発想は理屈では納得できるものの、感性としてはどこか居心地の悪いものであった。
 人類の勝利の為に命を惜しむなと言われ、その通りに頑張って戦ってきたのに、今になって、勝利する為には命を惜しめと言われたのであるから、既存の価値観を否定しかねない内容に反感を抱いてしまうのも無理はなかった。

 武は一端言葉を休め、ヴァルキリーズを見回した。
 その多くは多かれ少なかれ違和感や反感を顕わにしており、完全に無表情なのはみちるのみ、反感も違和感も感じて無さそうなのは、葵、晴子、月恵の3人。
 他の9人は全員、反感か違和感を持っているように見受けられた。
 また、肯定的な3人とて、武の話の意味を十分に理解した上で割り切っているのは晴子唯一人であり、残りの2人は単に深く考えていないだけのようであった。
 武は内心で溜息を付き、彼女らが受け入れ易くなるようにと、言葉を足す事にした。

「勿論、身命を賭して任務を達成し、人類へ貢献するのは尊い事ですし、最後の最後に至っては、その手段を執るのは我々軍人の義務です。
 それは自明の事ではありますが、オレが言っているのは、それだけではBETAの物量に押し潰されてしまうという事です。
 我々人類将兵は、1人の身命に対して、より多くのBETAの損害を支払わせなければならない。
 オレが言っているのはそういう事であり、その為の方法を案出し1日でも早く実戦に投入することが重要だと言っているに過ぎません。
 そして、暴言と承知で敢えて付け加えますが、その為に案出された戦術・兵器は有効性と効率のみを論じるべきであり、それ以外の、例えば感情論などを以ってして否定するなど、許されるべきではないと考えます。」

「「「「「「「「「「「「「 …………………… 」」」」」」」」」」」」」

 武は、ヴァルキリーズが自身の言葉を受け入れてくれるのをじっと待った。
 やがて、深く考えずに受け入れてしまった2人を含めて全員の考えが一段落ついた頃を見計らい、武は続けた。

「ここまででご説明させていただいたのが、オレの提唱する対BETA戦術構想の根幹理念であり、『時津風』は、戦術機運用に於いて、最も致死率の高い部分を遠隔操縦の無人機に担当させることで衛士の死傷率を軽減すると共に、窮地に陥った時に、人的損耗を伴わずに活路を開く術を限定的ながら提供する為に考案しました。
 以上です、伊隅大尉。」

「白銀、ご苦労だった。―――さて、白銀の言った事を踏まえた上で、『時津風』に関する質疑応答を開始する…………」

 『時津風』に関する討論はここからが始まりであった…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時32分、ブリーフィングルームには武とみちるの姿しか残っていなかった。
 他のヴァルキリーズは実機演習を行う為、既に退出して、ドレッシングルームへと向かった後であった。
 武とみちるは、2人で残り、先程まで行っていた討論の総括を行っていた。

「しかし、あれほど綿密に構想されていたとは思わなかったぞ白銀。
 問題点の洗い出しという点に於いては、あまり役に立てなかったようだな。」

「いえ、幾つか新鮮な発想も得られましたよ。築地の2人で乗っていれば安心できるって意見とか……まあ、他にも色々と。」

「そうか。それなら良かった。―――尤も、貴様が知りたかったのは、現役衛士の拒否反応の方だな?」

「―――その通りです。A-01はこの横浜基地の部隊で、最も多大な損耗を経験している部隊です。
 にも拘らず、士気も練度も高く、任務に対する責任感も強い。
 個々の衛士も能力だけでなく精神的にも安定している。
 そんな部隊へ『時津風』を押し付けた時に、どんな反応が出るかを知りたかったんです。」

 武は、先程まで部屋に居たヴァルキリーズの反応を思い返す。
 そんな武に、みちるは訊ねる。

「で……実際に反応を見て、どう思った?」

「正直、もう少し肯定的に受け入れられるかと思っていました。
 多大な損害を出してきた部隊であるが故に、人的損耗を回避できる『時津風』をもっと評価してもらえるかもしれないと、期待していたのですが……」

「そうだな…………白銀、試作OSの性能を確かめた時のあいつらの反応を覚えているか?
 皆、手放しで喜んでいたろ? あれはな、自分が生き延びられる可能性が上がったから喜んでいたんじゃない。
 あれは、自分がより多くのBETAを殺せるようになれるからこそ、喜んでいたんだ。
 『時津風』に対して、皆の反応が鈍いのは、直接的な攻撃力が一見向上していないように思えるからだ。
 戦略的には人類戦力の増強につながり、今と同じ衛士の数で、より多くのBETAを駆逐できるようになるだろう。
 しかし、現場で戦う衛士としては、単体戦力として『時津風』を評価してしまう。
 戦術機として考えた時、『時津風』は『不知火』とさほど変わりはしない。
 だから、皆戦力が増強されるという実感が湧かないのだろう。」

 そこまで言ったところで、みちるは目蓋を伏せ、やや自省の面持ちで話を続けた。

「…………それにな、白銀。貴様の話しを聞いて。私ですら思わずにはいられなかった事がある。
 何故、今更。取り返しがつかないほど仲間を失ってしまった今になって、何故こんな話が出てくるのか―――とな。
 多くの仲間の想いを背負っている者ほど、この思いに囚われてしまうのではないかと、私は思う。
 そして、自身を含めて、今までその発想に至れなかった事を悔やまずにいられないからこそ、その裏返しで容易に受け入れる事が出来ないのではないだろうか。
 我々は最初から追い詰められており、犠牲を厭わずに戦ってきた。
 その犠牲が必要なものなのだと、他に方法などないのだと、必死に自分を納得させる事で、今日まで戦い抜いてこれたんだ。
 それが、ただの自己満足に過ぎず、単に己の考えが足りなかっただけなのだと、突きつけられるのは辛い。
 そういう弱さもあるのだという事を、貴様にも知っておいて貰いたい。」

「…………なるほど……ありがとうございます、大尉。
 大尉が心情を明かしてくださったお蔭で、納得が出来ましたし、何よりも自分の考えに自信が持てました。
 オレが目指している事は、本来もっと前に達成されるべき事だったけれど、まだ手遅れにはなっていないんだって……
 せめて、新任の5人や、これから戦場に出る将兵の為にも、一日も早く達成するべきなんだって、確信しましたよ。」

「そうだ、白銀。過去は変えられない。だからこそ、未来を変える努力を欠かしてはならないんだ。
 我々も全力で協力する。例え僅かでもいい、将兵が生き延びる確率を上げてやろうじゃないか。」

「はい、大尉。」

 武が真剣な面持ちで頷くと、みちるは表情を緩め、声を潜めて話しかけてきた。

「話は変わるが、実は昨晩から我々の夜間シミュレーター演習に、飛び入り参加の衛士が来てな。」

 みちるの話に武は驚愕した。
 夕呼直属の特殊任務部隊の訓練に、飛び入り参加など許されるわけがない。

「その人はな、なんと香月副司令直筆の、参加許可証をもぎ取って来たぞ。」

「なるほど……まり……神宮司教官ですね?」

「そうだ。あの人も衛士だな。試作OSを知ってしまった以上、モノにせずにはいられないんだろう。
 あの人も歴戦の猛者だが、意外と『時津風』を最も評価してくれるかも知れんな。」

「ええ…………」

 言葉少なに応えた武だったが、内心で呟かずにはいられなかった。

(当然ですよ、伊隅大尉。オレの発想の根幹はまりもちゃん―――神宮司軍曹の教えにあるんですから。
 臆病でも構わない、勇敢だと言われなくてもいい。それでも何十年でも生き残って、一人でも多くの人を守って欲しい……
 まりもちゃんのその言葉が、オレの対BETA戦術構想の本当の根幹理念なんです。
 そして、オレは仲間達をこれ以上失いたくないが故に、対BETA戦術構想を推し進めている。
 それは決して、BETAに勝利するためなんかじゃないんです。
 たとえどんな理由を付けようと、所詮オレの……我儘に過ぎないんですよ……でも、この我儘で実際に何人かの人々が救われるなら……
 冥夜が信じてくれたように、人類の勝利に貢献できるのなら…………オレは…………)

 武がなにやら物思いに沈んだと見て取ったみちるは、武一人を残してブリーフィングルームを後にした。
 武はそれに気付く事無く、独り、自らの提唱する対BETA戦術構想へと思いを巡らせていった。




[3277] 第27話 207Bの絆
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:44

第27話 207Bの絆

2001年10月30日(火)

 12時07分、ヴァルキリーズとの実機演習を終えた武は、今日の午前中に退院したはずの美琴が気になり、1階のPXへとやって来ていた。
 昼食を京塚のおばちゃんから受け取って、いつもの席に近づくと訓練校への配属以来長らく空席になっていた場所に、美琴の姿が見受けられた。

「よお、無事退院できたみたいだな、美琴!」

 武が左後方から声をかけると、美琴は振り返り満面の笑みを浮かべて応えた。

「あっ! タケルぅ~、久しぶりだね~。なんだかもう何年も会ってないような気がするよ~。」
「何年も前だったら、初めて会う前だろ!」
「なんだか、前にあったときよりも背が伸びてるような気がするよ~。」
「前に会ったのは2日前だぞ?」
「うん! やっぱり背が伸びてるよ、育ち盛りだもんね~。ボクもね、もう少し大きくなりたいんだ~。」

 相変わらず武の返事をスルーしながら強引に話を展開させ、最後に両手を自分の胸にアピールするように当てた美琴は、上目遣いに武を見上げた。
 武は、内心でまたこのネタかよと思いながら、視線を外して自分の席に腰掛けつつ、思わせぶりに返事をする。

「そうか……そうだな、美琴もたまも、小さいからなぁ…………………………………………………………背が。」

 ニコニコと笑いながら、武の言葉を聞いていた美琴と壬姫は途中でガ~ンと金鎚で頭を殴られたような顔をしたが、最後の落ちで救われたような顔になる。
 その様子を横目で見ながら、巻き込まれた壬姫はともかく、ショックを受けるくらいなら、自虐ネタは止めておけよと、武は心中で美琴にツッコミを入れていた。
 そんな武に彩峰がグッと親指を立てて、「……白銀、意外とやるね。」と呟く。

「―――それで、午後の訓練からは、美琴も参加するんだろ?」

「あ、うん! さっき教官に挨拶に行ったらね、午後の授業はボクが臨時で指導教官役をして、救急治療の実技訓練をしろって言われちゃったんだ~。
 だから、タケル、本領を発揮して見せてね。」

「……何をだ?」

「やだなあ、救急治療の実技に決まってるじゃないか~。
 さっきね、みんなから話を聞いたんだよ。タケルって、凄いんだね~~。特殊部隊にでもいたの?
 だってほら、特殊部隊って、何をやらせても凄いレベルでできる人間の集まりでしょ? タケルのことじゃない。」

「おいおい、あんまり誉めるなよ~。ちょっとばかり各方面の師匠に恵まれただけだって。
 あとは、頑張って努力しただけさ。」

 そう言って武は、207Bのみんなの顔を見回す。
 満面の笑みで頷く壬姫、笑みを浮かべて目を瞑る冥夜、千鶴は片眉と片頬を上げて皮肉気な笑みを浮かべ、彩峰はニヤリと挑戦的に笑った。
 今まで、1週間以上の間、折に触れて武の話や、考え方に接してきた4人は、武の頑張りに自分も負けはしないと、笑顔で意思表明をしてみせたのであった。
 美琴だけが、武の言いたい事がピンと来ないのか曖昧に笑っていたが、腕組みをすると、なにやら残念そうな表情になって発言する。

「なんだー、怪我なんてしてないで、はじめっから一緒にいられたらよかったのになー。」

 そんな美琴に、他の面々が慰めの声をかける。

「まあ、これから今までの分を取り返せばよいではないか。」
「そ、そうですよ~。たけるさんは逃げたりしませんよ……きっと……」
「そうかしら? 最近白銀は色々とお忙しいみたいだけど?」
「……毎朝のあ~んは欠かさないけどね。」

 そして、美琴は、そんなみんなの気遣いを完全にスルーして、あっさりと話題を切り換えた。

「そう言えば、入院中に面白いテレビを見たよ。……もっとも、後半は勉強が忙しくって、それどころじゃなかったけどねぇ。
 あ、でもね、見た中にすんごい感動のお話があったんだよーー。疎開で置き去りになった犬が…………」

 美琴は入院中に見たという、TV放送の国民向けプロパガンダプログラムの作り話を、実話だと信じて熱心に話し出した。
 離ればなれになった愛犬と飼い主が、遠く離れた疎開先で奇跡の再会を遂げるという話だった。
 『前の世界群』でも同じ話を聞いたことのある武は、実話と信じて感動しているみんなの顔を眺めながら、B19フロアにいる純夏の事を思い起こしていた。

(そう言えば、『前の世界群』じゃ犬繋がりで純夏の事を思い出して、泣きそうになっちまったんだっけ。
 夕呼先生がオレの願いを聞き入れてくれたら、こいつらは純夏と会わず仕舞いになるのか…………
 オレの勝手な感傷に過ぎないんだろうけど、こいつらには純夏の事を知っていて欲しいな。
 やっぱ、オレの願いは、純夏の可能性を奪って、あのシリンダーに縛り付けているだけなんだろうか………………)

「…………ル……ケル、どうしたのだタケル!」

「ん? あ、なんだ冥夜?」

 物思いに沈んでしまっていた武は、冥夜の呼びかけで現実へと呼び戻された。
 すると、何時の間にか美琴の話が終わっていて、207の全員が武を心配そうに覗き込んでいた。

「……白銀、悩み事?」
「なにか、嫌な事でも思い出したの? 相当深刻そうな顔、してたわよ?」
「も、もしよかったら、話してみませんか? 誰かに聞いてもらうだけで、楽になる事だってあると思いますよ~。」
「うむ。内容によっては我らが力になれるやも知れぬしな。」
「もしかして、ボクの話が気に触っちゃったのかな?」

 武は、みんなに心配をかけてしまったことを悔やみつつも、いい機会だと開き直る事にした。

「ああ、ごめんごめん、ちょっと幼馴染の事を思い出しちまってたんだ。
 オレさ、この基地の演習場になってる旧市街で育ったんだよ。」

「「「「 ―――えっ?! 」」」」「!!」

 207の皆は一斉に驚くが、冥夜の驚きだけは僅かに趣が異なっていた。

「でさ、鑑純夏っていうんだけど、隣の家に住んでて、子供の頃からオレの後を付いて回ってた、まるで犬みたいなヤツだったんだ。
 だから、今の話聞いて思い出しただけだよ。
 純夏とは、3年前のBETA横浜侵攻の時に、一緒に避難してる最中に離ればなれになっちまって以来、それっきりなんだ。
 けど、オレも色々あって九州の方に拾われていって、前線で死ぬような思いもしたけど、こうして戻ってこれてるしさ、純夏もどこかで生きてると思う事にしてるよ。
 一応、香月副司令にも調べてもらってるけど、少なくとも死亡確認は取れてないらしいからさ。」

「「「「「 ……………… 」」」」」

 武の話を聞いて、皆の表情が沈んだものに変わってしまう。
 武は、そんな雰囲気を掃うように明るく笑って、軽い口調で話しかけた。

「おいおい、オレはまだ希望は捨ててないんだ、そんな暗い顔は止めてくれよ。
 何時か、あいつがひょっこり帰ってくることがあったら、みんなには紹介するから仲良くしてやってくれよな。
 あ、TVって言えばオレ、昔、チョップ君って教育番組に出てくる人形にそっくりだって言われた事があるんだけどさ、あの番組ってまだやってんのかな?」

「え?……あ、やってたやってた!!」
「へ~、あれ、まだやってたんだねー!」
「……わかるような気がする。」
「いや~、わかり過ぎって感じかな?」
「それ言った人、鋭い観察眼の持ち主ね……」
「何だ? チョップ君とは一体何者なのだ?」

 武の無理矢理な話題転換に、なにやら考えていたらしい冥夜の反応が少し遅れたものの、207の女性陣が飛びついたおかげで、場の雰囲気はなんとか明るさを取り戻した。
 そして、チョップ君談義は、武がその場を逃げ出すまで続いた……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時47分、B19フロアのシリンダールームに武の姿があった。
 既に霞によるプロジェクションは終わっていたが、今日も霞と遊ぶのは夕食後にしてもらい、武はシリンダーの前に立って、純夏に向かって話し掛けていた。

「……なあ、純夏……おまえは『この世界』じゃ会った事ないんだろうけど、207Bのみんなにおまえの話をしたよ。
 この世界のオレたちの知り合いで生きてる人間なんて、きっと殆どいなくなっちまってると思うから、今日は『元の世界』のみんなの記憶を霞に頼んでおまえに届けてもらった。
 この世界の本来のおまえにはいらない記憶なのかもしれないけど、『向うの世界』の純夏の記憶が流入しちまってるなら、決して知らない顔じゃないだろ?
 ごめんな、純夏。オレがおまえにしてやれる事って、本当におまえのためになっているのか、微妙な事ばっかりだよなぁ……
 やっぱ、オレの我儘でおまえの苦しみを引き延ばしちまってるか?
 そこは寒いか? 少なくとも明るくは無いよな……音も聞こえないんだろうし…………
 ごめん、ごめんな純夏…………」

「―――白銀さん!」

 シリンダーに向かって、懺悔でもするかのように話し続ける武を、霞が珍しく大きめの声を出して遮った。
 武が驚いて振り向くと、常に無い事をしたせいか、息を荒げている霞の姿があった。
 そして、息を整えると、霞は更に武に話しかけた。

「白銀さん、悪い方にばかり……考えちゃ駄目です……
 純夏さん……明るい色……増えてます…………
 本当に……増えてるんです…………
 明るい色……消しちゃ駄目です…………」

「そっか、ありがとな、霞。ちょっと、弱気になっちまってたよ。
 純夏を少しでも力付けてやるためにも、オレが落ち込んでちゃ駄目だよな!
 霞にも、心配かけて悪かったな。」

「……いえ……いいです……」

「そうだ、オレは純夏に誓ったんだ。純夏の起こしてくれた奇跡に応えて、必ず人類を救ってみせるって、そして純夏もみんなも護るって!
 まだ……まだオレは始めたばっかりじゃないか、こんなところでめげている場合じゃないよな、純夏。
 おまえの苦しみに比べたら、オレなんてまだまださ……なあ、純夏…………」

 笑顔で語りかける武だったが、霞がリーディングした武の心は、悲しい色で溢れていた。
 だが、それでも戦い抜くと決意した強い心が、そこには確かに存在した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時04分、机を教室の前方へ移動して、後ろにスペースを確保した訓練校の教室に、207Bの全員が揃っていた。
 そして、美琴が臨時指導教官として、救急治療に関して滑らかに説明を行っていた。

「意識がなくなって呼吸が停止していても、死亡しているとは限らないんだ。
 確認すべきは次のこと。出血の有無、意識の有無、呼吸の有無。それと鼓動の確認ね。
 じゃあ、人工呼吸なんだけど……タケル、寝転がってくれる?」

「…………わ、わかった。」

 数多の記憶から、ここで逆らってもいい事はないと、武は素直に教室の床に仰向けで横たわった。
 そして、その武の顎に美琴は細い手を当てて顔を寄せ、間近から声をかける。

「タケル…………いくね?」

 そして、美琴はおもむろに…………左手で武の鼻をつまみ、右手で顎をグイッと持ち上げ、下顎を下げて口を開かせ、武の口を自分の口で塞ぐように当てた。

(あ……美琴の唇……柔らか―――ッ!!)

 その瞬間、武の脳裏に任官後の自分と美琴が抱き締めあって、キスをしているイメージが浮かぶ。

(な……これは……記憶の関連付けか? いや、それにしては現実感が薄すぎる……となると、記憶の流入か?)

 息を吹き込んだ後、胸骨圧迫に移って、形だけ武の胸を押していた美琴が、再び人工呼吸を始める。
 すると、美琴の唇の感触を契機として、前回のイメージから更に連鎖するように、美琴と自分の恋人同士としか思えないイメージが幾つも連続して武の脳裏に浮かぶ。

(これ……は……最初のループでクリスマスを祝った前後からの記憶か……?)

 そして、武が目を瞑ってイメージについて考えている間に、心肺蘇生の実演が終わっていた。

「……と、大体こんな感じかな~? 気をつけなきゃいけないのは、胸骨圧迫の方が人工呼吸より優先度が高いことと、押す時には垂直に押すようにすること、それと、自発呼吸や意識が戻るまで、心肺蘇生は絶え間なく続けることかな~。
 じゃあ、実際にやってみたい人~。あ、武は任官後に何度か練習してるよね? だから、そのまま練習台として寝ててよね。」

 美琴が『練習台として』と言った瞬間に、全員の手が揃って上げられていた……

 ―――約15分後。結果的に207B女性陣全員が、武を相手に実習を済ませ、武は気分が悪くなったと主張して休憩を要求した。
 武の要求は受け入れられ、武は窓際の壁に寄りかかる形で目を閉じて呼吸を整える―――振りをしながら、心肺蘇生実習中の体験について考えをまとめていた。

(―――くそっ! なんだってんだ……全員が全員、設えた様に揃ってフラッシュバックするなんて……
 しかも、揃いも揃ってオレと恋人みたいな感じで……おまけに美琴以外は『元の世界』だとしか思えないイメージまであったぞ……
 委員長の振袖姿とか、冥夜のウェディングドレスとか、たまの弓道着もそうだし、校舎裏の丘で会ってる時の彩峰の服も向うの物だった……
 なんで? どうしてループしてない筈の『元の世界』での記憶まで全員分あるんだ?
 純夏の分も合わせて、オレが5股でもかけてたって言うのかよっ!!
 …………だめだ、オレだけじゃ、何がなんだか解らない……今晩にでも夕呼先生を訊ねてみよう…………)

「―――タケルぅ、そろそろいいかな~? 止血法に移りたいんだけど……」

 内心の動揺を顔に出さないために、必死で深呼吸をして動悸を静めようとしていた武は、美琴に声をかけられて、またもや動悸を跳ね上げながらも、なんとか返事を返した。

「ん? あ、ああいいぞ。……えっと、その……ま、待たせて悪かったな………………って、おい! またオレが練習台なのか~~~~ッ!!」

 それからしばらくして、教室から武の悲鳴が聞こえたとか、聞こえなかったとか…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時36分、いつものPXでは、207Bの全員が揃って夕食を食べていた。
 そして、霞さえいなければ、武が食事を真っ先に終わらせるのは、最早いつものことであった。

「いつつつつ……おい、美琴。あれじゃあ、治療じゃなくって傷害実習じゃないかよ。」
「大丈夫だよ、タケルぅ。タケル以外にとっては、ちゃんと治療実習になってたから。」
「オレは、どうでもいいのかっ! オレはッ!!」
「あはははは……何怒ってるのさタケルぅ。脅したってご飯は分けてあげないよ?
 あ、でも、もしどうしても我慢できないなら、後で何か食料が見つからないか、グラウンドを探してみてあげようか?」
「い、いやいい……カエルや蛇は御免だ……虫もな……」
「好き嫌いは良くないよ? タケルぅ。」

 そんな武と美琴の珍妙なやり取りを、他の4人は生暖かく眺めている。
 美琴はムードメーカーで明るい好人物なのだが、マイペース過ぎて自分で相手をすると相当疲れる。
 食事をしている間、武が美琴の相手をしてくれるのは非常に助かるのであった。
 そして、全員の食事が終わったところで、千鶴が声をかけた。

「―――みんな、ちょっと聞いて。」

「「「「「 ? 」」」」」

「とうとう11月に入ったわ。総合戦闘技術評価演習までもう1ヶ月ない。
 準備は……間に合う?」

「全然問題ないよ」「うん」「……うん」「私も!」

 千鶴の問いかけに、口々に問題はないと応える4人。
 しかし、武は自分がまりもに総戦技演習を早めるように依頼した事を思い出していたため、返事が遅れてしまった。

「?……白銀?」

「ん? ああ、ごめん。ちょっと考え事をしてた……」

「……どうした、タケル?」

 不審げに冥夜が武に問いかけると、それに重ねるようにして、千鶴が更に問いかけてくる。

「当てて見せましょうか、考えていたこと。
 どうして前回、私たちが合格しなかったか……ってことじゃないの?
 もっとも、あなたなら、前回の総戦技演習の評価報告を閲覧してても不思議はないけどね……」

 千鶴の言葉に、武は内心で眉を顰めていた。

(またこの話か……どうしても、避けられない話なのかな……さて、今回はどうするかな……)

「あ、ああ……演習の評価内容は把握している……と、思う。」

 千鶴は目を閉じて、お手上げという風に両手を開き、感情を消して一気に言葉を紡ぎきった。

「……チームをまとめられない無能な分隊長と、指示に従わない部下、見切りをつけて独断した部下……」

「ど、どうしてそんなことわざわざ言い出すの?」

 千鶴の言葉に動揺を隠せない美琴が、困惑に揺れながらも取り成そうとする、が……

「……そして、最後はアンタの指示に従って、地雷原の餌食になったんだ……」

「……鎧衣は迂回するべきだと言っていた。鎧衣の勘が尊重されるべきことは事前に了解済みだと思っていたのだがな……」

「冥夜さんっ!」

 そんな美琴の発言自体がまるで存在しなかったかのように、彩峰と冥夜までもが言葉を継いだ。
 美琴は慌てて、咎めるように冥夜の名前を呼ぶ。

「「「 ………… 」」」

 言いたい事は言い切ったとばかりに、目を瞑って黙り込む千鶴、彩峰、冥夜の3人…………

 ―――と、そこへ、壬姫の場違いに明るい笑い声が響く。

「あはははは。もう、3人とも人が悪すぎですよぉ。鎧衣さんがビックリしちゃってるじゃないですか~。
 たけるさんだって、真剣な顔しちゃってますよぉ~。」

「ふっ……どうした? タケル。不安そうな顔をしているぞ?」
「……まだまだ若造ですよ。」
「白銀、安心していいわ。そんなの、もう昔の話よ。」

 壬姫の言葉を受けて、3人は目を開くと一様に不敵な笑みを浮かべて、口を開いた。

「「 へ? 」」

 話の流れから置いてきぼりにされた武と美琴は、マヌケな声を上げるしかなかった。
 千鶴、冥夜、彩峰、壬姫。4人は自信に瞳を輝かせ、口々に事の詳細を説明しだす。

「えへへ……実はこないだ、わたしたち4人で、今度の総戦技演習に向けて話し合いをしたんです。」
「……珠瀬が言い出した。」
「うむ。普段自分から何か言ってくることの少ない珠瀬の提案に、些かながら驚いてしまった。珠瀬、許すが良い。」
「珠瀬が自分たちはともかく、白銀の正規任官をフイにしちゃ駄目だって言ってね……」
「そ、そそそそそ、それは内緒だって約束したじゃないですかぁ~。」
「ま、あなた一人なら合格間違い無しでしょうからね。」
「うむ、足を引っ張ったと言われるのは御免被りたいからな。」
「……絶対、合格するよ。」
「もうっ! ……とにかく、みんなで話し合って、二度とあんな事にはしないって決めたんです。」
「―――だから……白銀、鎧衣。私達の間には、もう深刻な問題なんて無いわ。
 私達全員が、一丸となって挑めば、総戦技演習なんて楽勝よ!」
「うむ。」「……うん。」「ですよね~。」

「おまえら……」「みんな~……」

 満面の笑顔で告げてくる壬姫を初めとした3人に、武と美琴は喜びに言葉を詰まらせた。
 武は、自分が207Bに配属されて以来為してきた事が、一つの成果を実らせたことを確信した。
 そして、武は喜びを隠さずに、素直な気持ちを言葉に乗せる。

「……おまえらは……おまえらは最高の仲間達だ! 総戦技演習なんかさっさと合格して、戦術機操縦課程に進むぞぉ~!!」

「「「「「 お~っ! 」」」」」

 武の勢いに乗せられて拳を突き上げる5人の少女達に、PXに居合わせた基地要員たちが何事かと目を丸くしていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時03分、PXを出て、B19フロアのシリンダールームへと向かおうとする武を、冥夜が小走りで追いかけてきた。

「タケル! 済まぬがそなたに相談があるのだ。」

「ん? どうした、冥夜。」

「……実は、今宵の月詠たちのシミュレーター演習を、207の皆と見学させて欲しいのだ。
 既に月詠からは許可を得ている。後はそなたの了承さえ貰えればいいのだが、どうであろうか。」

 真剣な表情で語りかけてくる冥夜に、武は暫し迷った後、許可を出すことにした。
 冥夜だけに情報を多く開示している現状を、可能な範囲で補正しておいて損はないと考えたためだった。

「………………まあ、見学だけなら構わないかな……どうせ冥夜には見せちゃってるし……
 でも良いのか? 冥夜。月詠さん達との関係、あまり表沙汰にしないようにしてたのに。
 あと、守秘義務が漏れなく付いてくるから、それが嫌な奴は連れてきちゃだめだぞ?」

「うん。実は、仲間に隠し事をするのは極力止める事にしたのだ。
 だから、月詠との関係を殊更に隠すのは止めた。だから、その点は心配せずとも良い。
 では、これから皆に話して希望者を募る事とする。タケル、そなたに感謝を。」

「いや、この件は、さっきのおまえらの決意表明への礼代わりってことにするよ。
 総戦技演習に合格したら、嫌でも使いこなしてもらうものだしな。」

 武がニヤリと笑って言うと、冥夜は照れたように僅かに頬を染め、目を軽く瞑ると感慨深げに言葉を紡ぐ。

「そなたの言う通りなのだが……こうなると、総戦技演習が待ち遠しいものだな。
 つい先日まで、その日が来る事を思うと、期待や覚悟と共に恐れや不安も感じたものであったが、そなたが来てからの僅かな日々で、恐れも不安も露と消えたぞ。」

「そっか……じゃ、みんなによろしくな~。」

 武は軽く手を振って冥夜と別れ、霞の元へと向かいながら内心で呟いていた。

(待ちわびる事はないぜ、冥夜。どうせ、総戦技演習は目の前なんだからさ。
 ―――けど、まりもちゃん、どんな内容を用意してるんだろ?)

 そして、B19フロアのシリンダールームに着いた武は、今日は霞の手にあやとり紐があるのを認めて、内心安堵の溜息を漏らした。
 そんな武の様子に、霞がクスリと笑ったのだが、武が気付く事はなかった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 21時17分、シミュレーターデッキには、斯衛軍第19独立警備小隊と207Bの合計10人とピアティフ中尉が揃っていた。
 始めに、武と冥夜を除く207Bの4人とピアティフ中尉の顔合わせを済ませ、現在は月詠の提案による一風変わったシミュレーター演習が行われていた。

 演習内容は、シナリオ自体はヴォールクデータを使用したハイヴ突入シナリオなのだが、断続的にBETAと遭遇するように恣意的に操作してあり、尚且つBETAによる追撃が行われないように設定されていた。
 結果として、BETAが配置されたエリアに到達する毎に、武を先頭にBETA群の中を突破し、次のBETA配置エリアまでの間に設置されたインターバル区間で、直前のエリアでの機動の評価や問題点の洗い出し、質疑応答などを行うようになっていた。
 損傷や燃料弾薬の消耗は引き継がれるが、中破以上の損害を受けた機体は、このインターバル区間で損傷無しの状態にデータを修正された。

 結果として、細切れの障害物競走を繰り返しながら、障害物―――この場合はBETAの群れだが―――を如何に上手く切り抜けるか、反復して練習するような演習内容となっていた。
 各エリアでは武の『不知火』を先頭に縦型壱陣(トレイル・ワン)を組み、戎、巴、神代、月詠の順で4機の『武御雷』が、武の機動に追従する形でBETA群を突破していく。
 ただし、連携は一切取らず、着地点の確保や、避けきれないBETAの排除なども、各機が自力で行う事とされていた。

 武は、燃料弾薬を節約するため、噴射跳躍を主体として、床や壁、場合によってはBETAすら足場にして進んでいく。
 噴射跳躍中にこまめに軌道を変更し、天井から落ちてくるBETAを避け、あるいは長刀で薙ぎ払い、ひしめくBETAの群れの中に着地点を見出しては、次の噴射跳躍へと繋げる。
 着地点が見つからない場合のみ、突撃砲や長刀でBETAを無力化し、その死骸を足場に、周囲のBETAが寄って来る前に、次の噴射跳躍を開始する。

 先頭を行く武の機動は参考にはなるものの、BETAは常に動き回り襲い掛かってくるため、武の機動をそのままなぞる事が出来たとしても、それだけではBETAから逃れる事は出来なかった。
 結局、斯衛の4人は、武の機動を必死に追いかけながらも、自分に可能な機動によって追従するしかなく、武との距離はどうしても開いていってしまうため、長距離の追従は事実上無意味だった。
 また、極限に近い機動は極度の集中を要求するため、長時間継続する事は出来ないし、無理にやっても訓練効率が下がってしまう。
 これらの問題点を解消するために、BETA配置エリアの間にインターバル区間が設定されていた。

 武に比べ、斯衛の4人の推進剤や弾薬の消費量はどうしても多くなってしまうため、途中でリタイアする形となってしまう。
 武も稀にリタイアするのだが、それはこのヴォールクデータが中階層を無限に繰り返すループ構造に改竄されており、ゴールが存在しないためであった。
 この、いつまでたっても終わらない、ハイヴ機動突破演習を、5人は既に2時間以上も続けていた。

 そして、その様子を食い入るように同じ時間だけ見続けている207B女性陣5人の姿が、制御室にあった。
 演習を行っている5人に見学者を気遣う余裕などなく、ピアティフは必要な事しかしないし言わないため、207Bは事実上放置されていたのだが、それを不満に思う者は一人もいなかった。
 試作OSを使用していることもあり、衛士を目指し訓練に励んでいる彼女達の眼前で繰り広げられているのは、現時点で為し得る戦術機の機動としては正に最高峰の高みに位置するものであったからだ。
 自分たちの夢想すら遥に超えた機動の数々に、彼女達は時を忘れて見入っていた。

「………………す、凄い……凄すぎますよ……」

 演習中の武たちの会話は出力されていないため、機器が時折発する電子音以外の音が途絶えていた制御室に、壬姫のかすれた声が流れ出した。
 そして、それが呼び水になったかのように、制御室に2時間ぶりに会話が戻ってきた。

「……ホント、凄すぎ。」
「な、なんなの? あれって実際の戦術機でできるの?」
「うむ。試作OSによって、機動性が画期的に向上しているらしい……とは言え、やはり何度見ても信じ難いな……」
「このシミュレーターが現実のハイヴを再現できていたと仮定するなら、戦術機による反応炉破壊も可能だと思えるわ。
 未だかつて、成功した例のない、戦術機のみによるBETAハイヴ制圧が……」
「……実現する?」
「そ、そんなこと、本当にできちゃうんですか?!」
「あんな機動が誰でも出来るんなら、不可能じゃないかもしれない! すごい、すごいよっ!!」
「そして……総戦技演習に合格した暁には、我らが試作OS世代の衛士の魁(さきがけ)となるのだな……」
「そうね、必ず辿り着くわよ! みんな!!」
「ああ。」「……勿論。」「はいっ!」「うんっ!」

 207Bの5人は、興奮に頬を染めながら、必ずこの高みへと辿り着いてみせるのだと、心に堅く決意したのであった。

 ―――そして、30分後。
 他の皆を先に帰し、武と月詠の2人だけが、シミュレーターデッキに残っていた。

「で、何の用ですか? 月詠中尉。」

 武が頃合を見て訊ねると、月詠は沈思黙考から覚めて武を見る。

「さて、如何に話したものかと思ったが……貴様相手なら率直に話すのが良さそうだな。
 貴様の生体認証をしたいので、髪を一筋所望したい。」

「へえ……生体認証できるだけの情報が城内省に残ってましたか……
 なんでオレの情報が城内省にあるのか、全然見当がつかないんですけど、オレが白銀武だって確認が出来るならオレもありがたいですしね。
 こんなんでよければどうぞ。」

 そう言って武は髪を1本引き抜いて月詠に渡す。
 月詠は受け取った髪を密閉容器に入れると、更に話を続けた。

「……その様子だと、貴様の正体に関しては、後ろ暗い事は無いようだな。
 であれば、これもこの機会に告げておこう。
 近々、斯衛軍総司令部は貴様を帝都城に招聘(しょうへい)するだろう。」

「…………随分と早い対応ですね。」

「ふん……正直、貴様らが用意した試作OSは、斯衛軍でも無視出来ぬほどの性能を発揮しているからな。
 私としても、実情を誤魔化して報告するわけにはいかぬ以上、妥当なところだろう。」

 苦虫を噛み潰したような表情を作って、月詠は辛らつな言葉を吐いたが、その声色は決して冷淡なものではなかった。
 武は苦笑しつつも、月詠に応える。

「それで、生体認証ですか。
 さっきの髪の毛で本人確認が取れたら、月詠さんも少しは警戒を解いてくれるんですか?
 ―――あ、答えはいまは結構です……
 それで、招聘された時にはどの程度の手土産を持っていけばいいんですか?」

「―――そうだな……最低でも城内省のシミュレーター1台を試作OS対応にしてもらいたい。
 それと、貴様には試作OSを搭載した実機で、斯衛の衛士と手合わせをしてもらおう。」

「―――解りました。その線で夕呼先生の許可を取っておきます。
 …………あと、これはそちらの都合で、実現しなくても結構ですが……
 もし、第四計画の報告書を閲覧できる方と内密に面談出来るようでしたら、なるべく早くにお伝えした方が良い情報があります。」

 思わせぶりな武の言葉に、月詠はまなじりをキリリと吊り上げて武を睨んだ。

「―――なにッ! 貴様、この期に及んでまだ隠し事を!!」

「月詠中尉。これは最高機密に程近い所にある話です。
 失礼ですが、斯衛の赤であっても知る権利はありませんよ?
 記録に残すのも控えたい情報だということです。
 ただ、1万を超える帝国軍将兵に係わる話とだけ、申し上げておきます。」

 激高した月詠だったが、冷静に切り返した武の言葉に、瞬時に冷静さを取り戻すと、生真面目に頭を下げて謝罪した。

「―――済まない、白銀中尉。私の方が立場を弁えていなかった様だ。
 今の話は、私が直に城内省に戻り、上の方に内々に伝えておこう。」

「いえ、謝罪は結構です。かなり無礼な物言いだったと自覚していますから。
 ただ、これだけはお伝えしておきます。
 オレは冥夜に貴女との面会の手筈を依頼した折に、上手く行けば少なからぬ帝国軍の衛士が救われると話しています。
 であるからには、その言葉を現実にしたいとも思っています。
 それだけは、信じてくれませんか?」

「ふん……口では何とでも言えるものだ……が、貴様は言っただけの物を既に1つ見せているからな。
 一応その言葉は覚えておこう。
 全ては、生体認証が取れてからのことだ。」

「まあ、仕方ないですね。オレも幽霊扱いは御免被りたいんで、生体認証の件には期待しておきますよ。」

 その後、武はこの日に行われた訓練方法を、A-01の訓練でも行いたいと申し出て許可を貰うと、月詠と別れて夕呼の執務室へと向かう事にした。
 どうやら釣れたようだなと、心の内で呟きながら……




[3277] 第28話 逃げ水、追えど届かず
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:45

第28話 逃げ水、追えど届かず

2001年10月30日(火)

 22時02分、B19フロアの夕呼の執務室を武は訪ねていた。

「失礼します。夕呼先生、今お時間よろしいですか?」

「ああ、白銀? いいわよ、入んなさい。」

 部屋の入り口から声をかけると、執務机で端末を操作している夕呼から入室の許可が下りた。
 その声を聞き、武は今日は少なくとも不機嫌では無さそうだなと、少し安堵しながら部屋の中程まで入っていく。

「で? 今日は何?」

「はい、実はつい先程、斯衛軍の月詠中尉から髪の毛の提出を求められまして。生体認証だそうです。
 そして、認証が取れたら、帝都城に招聘されるらしいですよ? オレ。」

「そ、上手い事喰い付かせたみたいね、おめでと。
 で? 手土産は何を要求されたわけ?」

 夕呼は端末のキーボードを打つ手も休めずに、大して興味もなさげに聞き返した。

「最低限、城内省のシミュレーターを1台、試作OS対応にして欲しいそうです。
 それから、試作OS換装済みの戦術機持参で、オレに実機演習の相手をしろって話でしたね。」

「ふ~ん、結構安く上がったじゃないの。
 シミュレーター1台じゃ連携訓練が出来ないでしょ。この際だから、4台ばかり試作OSに換装してきてやんなさい。」

「わかりました。
 で、その際に斯衛軍の上層部に、オルタネイティヴ4で、限定的ながら未来情報を取得できた可能性があるって話をリークしようかと思っています。
 月詠中尉には先日ネタ振りを済ませてありまして、オレが人格崩壊していたのを、先生の因果律量子論の被検体になる事で回復し、他の世界の『白銀武』の記憶と経験を持っているって話をしてあります。
 ループや『因果導体』、時系列上の未来の情報を持っていることは言っていません。
 この内、未来情報を持っていることに関してだけ、斯衛軍上層部のオルタネイティヴ4の詳細を知り得る人間に明かして、今度のBETA新潟上陸に対する対策としての、実弾演習を提案したいと思っています。
 勿論、未来情報の取得は実験の副産物に過ぎず、再現性も確実性も高くないと伝えます。」

 武の話の途中から、夕呼は端末を操作する手を休め、顎に手を当てて多方面から利得損失を計算しながらも、最後まで話しを聞いた後、考え考え、呟くように言った。

「そうね……偶然だろうが、これっきりだろうが、成果は成果だしね。
 しかも、未来情報以外に、あんたのトンデモ発想から有用な試作OSも得られたことだし、情報開示を得られる立場の人間になら漏らしてもいいか……」

「―――先生、やっぱりロクに報告上げてないんですね?」

 呆れた調子で武が訊くと、夕呼はニヤリと笑って堂々と応えた。

「あったりまえじゃないの。
 一々詳細な報告書なんか出してたら、何処から漏れるか解んないじゃない。
 こっちで出したい情報以外は、1ピコたりとも出さないわよ。」

「じゃあ、00ユニットの完成の目処が付いた事なんかも……」

「それこそ絶対に出さないわ。擬似生体の製作に関わってる技師たちだって、擬似生体の完成度なんて解っちゃいないわよ。」

「てことは、00ユニットの仕様も……」

「概略しか出してないわ。第6世代人工ESP発現体と同等の能力と、人間の人格を100%再現可能な革新的高性能コンピューターを搭載する予定って事だけよ。
 人間の外見をしている事さえ伝えてないわ。まあ、その道の専門家なら推測出来るとは思うけどね。
 国連の上層部にだってオルタネイティヴ4反対派がいるんだから、情報駄々漏れになんかしないわよ。」

「解りました。で、斯衛軍上層部だと、どの辺の人が詳細情報の閲覧資格を持ってるんですか?」

「煌武院悠陽殿下と斯衛軍副司令官の紅蓮(ぐれん)大将辺りね。
 それ以外はこの2人の判断で、限定的に開示しているはずよ。
 この基地に来ている月詠中尉とかね。」

 夕呼の返事に、武は難しげに顔を顰めて口を開く。

「なるほど……それじゃあ、面会は叶わないかもしれませんね。」

 しかし、そんな武を面白そうに見やって、夕呼は軽い口調で楽しげに告げる。

「そうでもないと思うわよ~。殿下はともかく、紅蓮大将は豪快且つ気さくで腰が軽いし、あんたみたいな変わった人間が大好きな方だから、多分お会いする事になると思うわよ?
 下手したら、直に手合わせさせられるかも知れないわね。」

「……マジですか?」

「マジよ!……って、これ、真面目な話って意味だっけ?」

「ええ、そんな意味です……って、もしかして先生、記憶の流入が……」

 武の言葉に反射的に応えてから、少し記憶を確かめるような素振りを見せた夕呼に、武は純夏に記憶の流入が見られた事を思い出して訊ねた。
 すると、夕呼は感心したように口を丸く開けて驚いてみせる。

「あら、良く気が付いたわね。そうよ、この間あんたに詳しい話を聞いたあたりから、あんたの言う『元の世界』から分岐した『向うの世界』のあたしの記憶が流入してきているわ。
 まあ、その殆どがあんた絡みの下んない記憶だったけどね。
 にしても、今のあんた見てると、信じらんない位ガキだったのね~。それでも大分マシになったんだって、実感しちゃったわ~。
 でも、まりものあのヘンテコな格好は一見の価値はあったわね。こっちでもやらせちゃおうかしら。くくくくく……」

(ま、まりもちゃん……オレのせいで……ごめんっ! それに、『向うの世界』での、オレの醜態まで知られちまったのか……
 オレ、『因果導体』である限り、例え次のループに行っても、この人には絶対頭が上がらない運命なんだな……)

 自分の醜態を知られたと気付き、己が暗澹たる未来を思い、心の中で滂沱の涙を流す武。

「ま、斯衛に関してはあんたの考えてる通りにやっていいわ。
 一応、情報の出し方も考えてはあるようだしね。
 大体、あんたの事情なんて、『あたしの計画』にとっては最早大した問題じゃないから、どうでもいいのよね~。
 ―――ただし! オルタネイティヴ4の中核情報を漏らしたら、即座に殺すわよ……」

「オレがそんな事するわけないじゃないですか。
 オレはこの世で2番目に先生の計画の完遂を望んでいる人間ですよ?
 敵対勢力に情報漏らすくらいなら、死んだ方がマシです。」

「そ、ならいいけど……帝都城に行くなら、一応自分の身の安全にも気を配んなさい。
 今のところ、まだ斯衛以外には目を着けられていないようだけど、そろそろあいつが嗅ぎつける頃よ。」

「鎧衣課長ですか……」

 武は、『前の世界群』で出会った、室内であるにも拘らずパナマ帽を被りコートを羽織る伊達者、帝国情報省外務二課課長である鎧衣左近を思い出してうんざりとした顔を露わにした。
 そんな武の様子を目にして、軽く笑った後、夕呼は言葉を続ける。

「帝都城に招聘されるとなれば、必ず嗅ぎ付けてくるわよ。
 あいつなら、あたしの手元にあんたが居なかったって事実を、確証は無理でも確信は出来るくらいには情報を持ってる筈よ。
 だから、精々気を付けるのね。……で? 話はこれでお仕舞い?」

「あ、いえ……もう一つあるんですけど……」

「なによ、珍しく、歯切れが悪いじゃない。用があるなら、さっさと言いなさい。」

 なにやら、口ごもる武の様子に、夕呼は意外そうな顔をしつつも発言を促した。

「実は、オレの身に起きた現象を因果律量子論で検証して欲しいんです。
 今日の午後の訓練の時なんですけど…………」

 武は救急治療訓練の心肺蘇生の実習時に起こった、フラッシュバックとその内容に関して夕呼に説明した。
 途中、武をからかうようにニヤニヤと笑みを浮かべながら話しを聞き終えた夕呼は、しばらく興味深げな表情で考え込んだ後、口を開いた。

「そうね。確かに記憶の関連付けじゃなくて、流入のようね。
 他の確率分岐世界のあんたから虚数空間に流出した記憶が、あんた自身の『因果導体』としての働きであんたに流入したと考えて間違いないと思うわ。
 問題は、虚数空間への記憶の流出なんて、そうそう起きないって事ね。
 しかも、あんたの女性遍歴に関係する記憶ばっかりが、そんなに揃ってるって事自体が既に異常だわ。
 あんたの異常なまでの嗜好の幅広さ、見境なさを除いても、ね。」

「その辺はほっといて下さい。自分でも実感湧かないんですから。」

「ふッ……ま、いいわ。別に本筋じゃないし。
 で、そこにあんたから聞いている、『前の前の世界群』でのあんたの記憶に欠落があるって話を当て嵌めると、これが見事に理論モデルに合致するのよね~。
 つまり、あんたが再構成される時に鑑の嫉妬によって削除された記憶が虚数空間に流出して、その記憶が劣化してイメージとして流入したって事よ。」

「つまり、どっか他所の確率分岐世界のオレの記憶じゃなくて、ループして再構成されているオレ自身の記憶だって事なんですね?
 …………あれ? でも、それだと『元の世界』での記憶が虚数空間に流出しているって事は―――ッ!!」

 ぶつぶつと呟きながら考えをまとめていた武の表情が、急に強張った。
 夕呼はその様子を冷徹な瞳で観察しながら、武の考えを裏付けてやる。

「そうゆうこと。そもそもBETAのいる『こっちの世界』の10月22日に最初に目覚めたあんたも、再構成体だったって事よ。
 『元の世界』―――いえ、そこから分岐した『元の世界群』から、あんたの存在に影響を及ぼさない程度の断片的因果情報を集めて、あんたは『こっちの世界』で再構成されたんだわ。
 だからこそ、転移実験で『向うの世界』へ行ったときに、向こうにもあんたが居たのね。
 あたしは、あんたが居た『元の世界』の近似世界に転移したのかと思ってたけど、『元の世界群』の1つに転移していたって事になるわね。
 そして、それらの『元の世界群』はおそらくは10月22日を起点として『こっちの世界』の鑑の干渉を既に受けていて……だからこそ、あんたの『元の世界』」の記憶の中に、『こっちの世界』から数式回収で転移して行ったあんたと出会ったあたしの言動が含まれてたんだわ。」

「なるほど……それが、1万枚の資料の印刷やら、転がってきた純夏の靴やらの記憶がオレにあった理由ってわけですか。」

「それどころか、鑑は『こっちの世界』であたしが00ユニットの開発につまづく事を承知した上で、必要な数式を思いついた私のいる確率分岐世界を選んで干渉し、あんたを最初に再構成する元になった因果情報を収集した可能性が高いわ。
 それが、意識的な選択だったかは、解らないけどね。
 あんたを再構成しても、鑑が00ユニットとして復活できなければ、再会なんて叶わないから、当たり前っちゃ、当たり前なんだけどね。」

「……純夏…………」

「にも拘らず、あんたは最初のループでは00ユニットの開発に何の貢献も出来ずに、207Bの女の娘たちとよろしくやってたってわけよ。
 鑑も報われないわよねぇ~~~。しかも、今回は00ユニットにすらしてもらえそうにないんじゃねぇ~、なんの為に白銀を再構成したんだか解んないわよね~。」

 ニヤニヤと笑いながらふざけたように言う夕呼だったが、その目はあくまでも冷徹に冴えていた。
 武は、疲れ果てたような苦笑を浮かべつつも、冷静に夕呼に応じる。

「夕呼先生、わざわざ挑発しなくてもいいですよ。
 オレが純夏の想いを裏切って利用しているって事は、とっくに自覚してるんですから、今更そこを突かれても揺らいだりはしません。
 それよりも、いくら純夏の事に気付いていなかったとは言え、207Bの全員と恋人になってただなんて、そっちの方がショックでしたよ。」

「別に気にしなくたって良いんじゃない? 戦時中だし、部隊内での肉体関係とか、結構転がってる話よ?
 生物学的にも正しい行いだし。妊娠すれば最低でも2年は予備役に回れるしね……っと、あの娘達は逆に予備役に行きたがらないか。
 それに、前のあんたはともかく、今のあんたはそういう関係はご法度なんでしょ?」

「ええ……まあ、どうせ無数にある確率分岐世界の幾つかで、何かの間違いでそうなっただけだと思いますし。
 あまり、気にしても仕方ないかもしれませんね。」

 武は気を取り直してそう言うが、夕呼は呆れた様な呟きを漏らす。

「呆れた…………この鈍さこそが『恋愛原子核』が発現するための必須条件なのかしら?」

「え? 夕呼先生、何か言いましたか?」

「あ、何でもないわ。それより今度こそ話はお仕舞い?」

「はい。オレの方からはこれだけです。」

「そ。じゃあ、今日はこれで戻りなさい。
 ……あ、あんたの機密閲覧資格を引き上げておいてやったから、さっさと対BETA戦術構想の第2期分を推し進めなさい。いいわね?」

「解りました。じゃ、今日はこれで失礼しますね。」

 そして、武は執務室から立ち去った。その後姿がドアの向うに消えた後、端末を操作しながら夕呼がポツリと呟いた。

「傍で見てる分には面白いけど……鑑もあの娘たちも報われないわねぇ…………」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年10月31日(水)

 08時53分、試作OS換装済みのシミュレーターデッキでは、7台のシミュレーターが稼動し、演習の真っ最中であった。

 例によって、霞に起こされて朝食に行き、昨夜の機動に関して周囲をはばかりながらもあれこれと聞かれた後、武はヴァルキリーズのブリーフィングに参加して、午前中の実機演習をシミュレーター演習へ変更するよう要請した。
 武の要請はみちるによって受諾され、ヴァルキリーズと武の14名はシミュレーター演習を行う事となった。

 大隊が演習可能なこのシミュレーターデッキには、予備機も含めて合計40台のシミュレーターがあるが、現在動作しているのは後半の21~27番の7台であり、常であれば遙が詰めている制御室にも、デッキフロアにも人の姿は見えなかった。

 武は仮想空間内で激しい3次元機動を行いながら、通信回線越しに、演習参加メンバーに状況確認をしていた。

「伊隅大尉、機動による負荷は大丈夫ですか?」

「ん? そうだな……若干違和感はあるが、支障の無いレベルに収まっている。
 それより、遠隔操縦に慣れるほうが難しいな……反応は有人機よりも良いから機動自体はやり易いはずなのだが……
 機動を体感できない事が、これ程までに違和感になるとは思わなかったな……」

「なるほど……涼宮中尉、各員のバイタルのチェックや、シミュレーターの制御操作は支障なくできてますか?」

「う……うん……なんとか、できてるよ……白銀中尉……」

「良かった。それで、現状でバイタルが危険域に達しそうな人は居ますか?」

「ううん……だ、大丈夫みたい……強いて言うなら私が一番悪いけど……でもっ、まだまだ平気だよっ!」

「遙、無理してないでしょうねぇ~…………うん、この程度のバイタルならまだ平気ね、それじゃあもう少し荒っぽく行くわよ~!!」

「わわわっ! 別に荒っぽくしなくっても……」

「よし、スレイプニル00より各機、こちらはトライアルエリアを抜けた。各員早く追いついてくださいね。」

「「「「「「「「「「「「 了解ッ! 」」」」」」」」」」」」

 武とヴァルキリーズが行っているのは、昨夜に月詠が考案したハイヴ機動突破演習に武が手を加えたものであった。
 オリジナルでは武と第19独立警備小隊の4人が同じ仮想空間で演習を行っていたが、武はこれに手を加え、武の操る機体とヴァルキリーズの操縦する機体1機毎に仮想空間を割り当てていた。
 この結果、単機でBETAに突っ込んでいく武機とそれに反応するBETAの動きが親情報となり、それがヴァルキリー各機の仮想空間に反映される。
 そして、親情報にヴァルキリーズ各機の行動が反映される事により、個々の仮想空間内での状況の推移は各々異なる展開となるのだった。
 これは、武の持つ確率分岐世界のイメージを、シミュレーター演習に応用したものであった。

 武の機動を参考にしながら、原則連携を行わずに追従するのであれば、BETAと武機以外の僚機の存在は訓練効率を悪化させると、武は考えたのであった。
 尤も、斯衛のように合計4人程度であればこそ追従出来たのであり、12人が縦列で追従したのでは、武の機動を参考に出来るのは前から数名だけとなってしまうため、この方法を思い付かなかった場合、何グループかに分けて交代で行わなければならなかったであろう。

 そして、演習に使用されているのは複座型仕様のシミュレーターであった。

 このシミュレーターデッキの21番以降のシミュレーターは、前日までの空き時間を使って整備班により複座型管制ユニットを使用したものに換装されていた。
 そして、霞による試作OSのバージョンアップが成されており、複数の衛士が搭乗した場合、各衛士の統計思考制御情報と操縦内容が、戦術機の試作OS用高性能並列処理コンピューターによって統合処理されるようになっていた。

 統合処理により、複数の衛士の思考や操縦を反映して最適化された機動を戦術機は行うこととなり、その機動に対するフィードバックが、全搭乗衛士の強化装備に対して行われ、体感加速を等しく緩和し軽減する。
 また、各衛士の操縦内容が競合する場合、主操縦士の入力を優先とした競合回避も行い、副操縦士への早期警告なども為される。
 これらの機能によって、複数の衛士によって操縦される戦術機の機動が潤滑なものとなり、同乗者の操縦によって思わぬ加速Gを受けて振り回されるような事も激減するものと期待されていた。

 今回、武と遙を含めたヴァルキリーズの合計14名全員で7機の複座型に搭乗していた。
 組み合わせは、武とみちる、水月と遙、美冴と祷子、紫苑と葵、茜と葉子、多恵と晴子、月恵と智恵となっており、各組毎に、名前の上がっている順で、主操縦士、副操縦士とされた。
 そして、今回の演習では、主操縦士には武の機動を参考にしながらの追従が、副操縦士には、個別に各種の任務が割り当てられていた。
 遙はシミュレーターの制御と全員のバイタルの監視、みちる、祷子の2人は『時津風』を遠隔操縦して武機の追従、葉子、晴子、智恵は背部兵装担架に保持された2門の87式突撃砲を使用した搭乗機体への砲撃支援とされた。
 また、祷子の操る『時津風』は美冴の『不知火』と仮想空間を共有しており、『不知火』の支援も任務の内となっていた。

 そして、最後に葵だが…………任務は紫苑の操縦支援全般とされていたのだが、傍目から見ると、たまに射撃する以外はレーダーや外部映像を見てきゃあきゃあと騒いでいるだけに見えた。
 しかし、紫苑の操縦する『不知火』は他の機体……慣れない遠隔操縦で『時津風』を操るみちるはともかく、普段とほぼ同条件であるはずの水月と比べてさえ、遥に効率良くBETAを避けて、武の『不知火』に追従していた。
 戦闘機動自体を見れば水月やみちる、美冴にすら見劣りするにも関わらず、トライアルエリアを抜ける時間や燃料弾薬の消費量が、武に次いで最も少ないのが紫苑であった。

 しかし、恐らく紫苑だけではこの結果は得られないだろうというのが、武とみちるの見解であった。
 一見きゃあきゃあと騒いでいるだけのように見えて、葵は的確に自機に迫る脅威を発見して、それから逃れる術を見出している。
 そして、それを言葉以外で察知して的確にBETAを回避しているのが紫苑なのだった。
 何よりも乱戦でのサバイバビリティーに於いては、恐らくこの2人が乗った複座は最強ではないかと思われた……

「確かに凄いですね、あの2人……」

「そうだな。しかし、使いどころが難しいな。いっそ、2人で1機の『時津風』を運用させてみるか?」

「HQからの遠隔運用ならそれでもいいですが、前線に出る場合は、搭乗機体の運用がありますから……」

「まあ、もう少し色々と試してみるか。他はどうだ?」

 一番距離を離されており、どうやらこのエリアの突破は叶いそうに無い月恵の悪戦苦闘ぶりをチェックしつつ、武とみちるは意見交換をしていた。

「そうですね。『時津風』の運用に関しては、単機で追従している伊隅大尉機は問題無さそうですね。
 風間少尉は宗像中尉機の支援を優先しているせいで、自機が落とされる事が多いですね。その代わり、宗像中尉機の損耗率は群を抜いて低いです。
 機動と砲撃を分担している3機も戦術機自体の損耗率は低いですが、やはり弾薬の消費は増えてしまっていますね。
 やはり、3次元機動に慣れてきたら、小隊単位で仮想空間を共有するようにして、2機の複座型『不知火』を2機の『時津風』が支援する形を試してみましょう。」

「ふむ……戦術の選択肢が増えるのはありがたいが、こうなると増え過ぎてしまって有効なパターンが絞りきれんな。
 それぞれの衛士の適性にまで気を配るとなると、とてつもない試行錯誤をして、ようやく出来上がったものは融通の利かないものということにもなりかねんぞ?」

「まあ、その辺りはおいおい考えていけばいいでしょう。
 今日、いきなり複座に乗ってもらったのは、衛士強化装備の統合フィードバックが、どれだけ効果を見込めるかを見たかったからですしね。
 そちらの方は、有効性が確認できましたから、残りの時間は、単座に乗り換えて3次元機動に集中して訓練をするとしましょう。
 明日は、複座の実機で、涼宮中尉に戦域管制をやってもらおうと思います。」

 武がそう言葉を結ぶと、みちるは少し考えてから、口を開いた。

「ふむ。涼宮を実機に乗せてまで戦域管制をさせるのは、ハイヴ突入戦を想定してか? それとも衛士以外が戦術機に同乗した状態でどれだけ作業を行えるのかが知りたいのか?」

「両方ですよ。伊隅大尉。」

 その後、ヴァルキリーズは乗りなれたシミュレーター1番から13番に搭乗しなおして、ハイヴ機動突破演習を繰り返した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時06分、ヴァルキリーズが割り当てられているPXで、武はヴァルキリーズと午前中の訓練を振り返りながら昼食を食べていた。

「なんだか、胃がでんぐり帰ってるみたいな感じだよ~。
 みんな、良く平気でご飯食べられるねぇ。」
「遙は慣れてないからね。直ぐに慣れるから、それまでは根性で食べるのねっ!」
「水月~、他人事だと思っていい加減なこと言わないでよ、もぉ~。」
「あはは……でもお姉ちゃん、最後は慣れだってのはホントだよ?」
「そ、そそそそそ……そうなのですっ! 慣れてしまいさえすれば、後は問題ナッシングですよ~、茜ちゃん!」
「多恵? 今はお姉ちゃんの話なんだけど、解ってる?」

 やはり、衛士としての訓練を行っていない遙を、いきなり戦術機に同乗させたのは失敗だったかと、賑やかに会話している涼宮姉妹と水月、多恵の4人を見やって武が考えていると、テーブルの向かい側から美冴が話し掛けてきた。

「いやいや、シミュレーターとは言え、ハイヴ突入演習であれほどまでに進攻速度が上がるとは思わなかったぞ、白銀。」
「本当ね。試作OSと白銀中尉の3次元機動で、ハイヴ突入作戦の成功率は相当上がるんじゃないかしら。」
「あたしなんかが真似するには、ちょっとハードルが高いけどね~。」
「そんなことないさ、柏木。慣れればそれなりに出来るようになるよ。
 けど、ハイヴ内じゃ上からもBETAが降ってくるから気をつけないとな。」

 美冴に続いて、祷子と晴子が話しに参加してくる。
 武は、晴子を励ました後に、途中で上から落ちてきた要撃級を避けそびれて、晴子の『不知火』が押し潰されたところを思い出して、一言添えた。
 晴子は武の言葉にペロッと舌を出してから、悪びれずに笑った。

「それよりさっ、複座型も悪くなかったかなっ! ねっ、智恵もそう思うでしょっ?」
「え? わ、私は~、後ろから来る奴を撃ってただけだから~。あ~、でも、月恵が楽になってたんなら良かったかな~。」
「そうねぇ、複座型はらくでよかったわぁ。ねえ、紫苑もそぉおもうよねぇ?」
「う~ん、姉さんとなら大歓迎だけど、支援砲撃と機動の噛み合せが心配かな。」
「ああ、水代少尉、その場合は主操縦者の操作が優先されますから、両方駄目になるって事だけはないですよ。」
「あ、そうか……ありがとうございます、白銀中尉。」
「でも……やっぱり命中率は……悪くなるかも……」
「まあ、その辺は確かに。どうしても機動が優先されちゃいますから、自動補正がされるとは言っても、照準は甘くなりますね。」

 月恵、智恵を初めとして、水代姉妹や葉子など、同乗者が支援砲撃を担当していた面子からも意見が出てきた。
 武は所々で解説などを入れながらも、ヴァルキリーズから話しを聞いていった。

 それからも様々な意見が出たが、現状では複座型に搭乗する事への忌避感は存在しないようであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時00分、衛士訓練校の教室に、時間きっかりにまりもが入ってきた。
 まりもは教卓に抱えてきた書類と記憶媒体を置くと、207B全員を見回して口を開く。

「さて、貴様等には明日から南の島にバカンスに行ってもらう。」

「「「「「 ―――えっ?! 」」」」」

「―――嬉しいのは解るが、そんなに、はしゃぐんじゃない。解っているとは思うが、これは総合戦闘技術評価演習だ。
 バカンスになるか、衛士としての貴様らの未来が荼毘に付されるかは、偏に貴様等の行動次第だ。
 合格さえすれば、帰還前に水遊びくらいはさせてやる。遊びたかったら全力を尽くせッ!」

「「「「「「 ―――はいッ!! 」」」」」」

「さて、総戦技演習の任務内容は従来現地に於いて命令書が手渡されるのが通例だが……榊、命令書だ、取りに来い。」

「……は?! ―――はいッ!」

 1通の封書を差し出し、自分を呼ぶまりもの発言内容に、一瞬呆然としてしまった千鶴は、慌てて返事をすると教卓前へと進み、命令書を受け取った。

「榊訓練兵、命令書受領致しました!」

 受け取った命令書を左脇に挟むと、千鶴は敬礼して命令書受領の申告を行った。
 まりもは千鶴に対して敬礼を返すと、全員に向けて話を続けた。

「今回の演習では命令書の内容に合わせて作戦を立案する時間を与える。
 期間は、これ以降出発までの時間の全てだ。
 教卓の上にある書類と記憶媒体は、作戦を立案するにあたって参照可能な全情報だ。
 装備の用意などもあるから、作戦案の概略と装備申請の提出は本日20時00分までに行え。
 最後に貴様等の行動予定を知らせる。
 207訓練小隊は明朝05時00分横浜基地を出発。第2滑走路より74式大艇旅客機仕様に搭乗して空路で演習実施地点に移動する。
 その後、現地にてHQに合流し、作戦開始まで待機する事となる。
 では榊、指揮を執れ! 質問は受け付けん。総戦技演習は事実上今から始まっていると思えよ?」

「了解しましたっ! ―――小隊、敬礼ーーーッ!!」

 千鶴の号令に、全員が起立して敬礼すると、まりもは答礼して教室を出て行ってしまった。
 千鶴は早速命令書を机の上に広げ、全員がその机を囲むようにして命令書を読む。

「「「「「「 !!!! 」」」」」」

 命令書に記載された内容は帝国軍硫黄島要塞地下陣地をハイヴに、帝国陸軍硫黄島要塞守備隊をBETAに見立てての、間引き作戦を模倣した守備兵力漸減作戦であった。
 概略は次のようなものであった。

・本作戦を『硫黄島守備隊漸減作戦』と呼称。BETAハイヴに対する間引き作戦を想定した模擬演習とする。
・ハイヴ地上構造物所在地は、島北部の北集落から約500メートル北東の地点に存在する、硫黄島要塞の帝国海軍司令部の在所と想定。
・ハイヴの『地下茎構造』は、海軍司令部から島の北東3分の2を網羅し、南西の端は千鳥飛行場跡に至る地下陣地をその範囲とし、島南西端の擂鉢山独立砲兵陣地は、今回の演習では存在しないものとして扱う。
・よって、本作戦の上陸地点は島南西部の西海岸及び東海岸の何れかとなる。
・上陸後は上陸地点の周辺に制圧拠点を定め、ここを攻撃発起点として北東へ進撃し、ハイヴBETA守備戦力と想定される硫黄島要塞守備隊に可能な限りの損害を与え、その戦力を漸減する事を目指す。
・作戦実施期間は最大28時間。
・作戦期間内に撤収し、HQに帰還出来なかった場合、部隊は全滅と判定。
・撤収時期は作戦実施期間内において、訓練小隊指揮官が任意に決定して良い。

・硫黄島要塞守備隊の演習参加兵力(以降守備隊と記す)は歩兵2個大隊(792名、HQ要員を除く)とする。
・守備隊は仮想BETAとして戦闘に参加するため、次の制約を受ける。
・イ、守備隊は仮想要撃級BETAの歩兵と、仮想BETAレーザー属種の狙撃兵に分けられる。
・ロ、守備隊が取りうる戦術行動は、地下陣地内での移動及び待機、地下陣地周辺地上地域の巡回索敵、接敵した訓練兵への追撃、さらに制圧拠点発見後の包囲の3種のみ。
・ハ、BETAの被陽動性を再現するため、守備隊は接敵した訓練兵を放置する事は出来ず、存在を見失うか無力化するまで追撃を中断できない。
・ニ、『ハ』に関わらず、守備隊地下陣地内の部隊及び接敵地点より3キロ以上離れた地上に位置する部隊は、追撃に参加しなくても良い。
・ホ、守備隊は緊急時を除き、移動・運搬に動力付き装備の使用を禁止。
・へ、BETAの物量を再現するため、戦闘不能と判定された守備隊兵士は、匍匐移動にて訓練兵の射撃を阻害しない位置まで移動後、通常の移動方法にて地下陣地へと帰還。その時点を以って健全戦力として守備隊戦力に再編される。
・ト、歩兵は仮想要撃級BETAとしての行動特性を再現するため、近接戦用兵装(模擬短刀、模擬刀など)を除く武装の使用を禁止。
・チ、仮想レーザー属種BETAとしての行動特性を再現するため、狙撃兵には次の細則を定める。
・ 一、狙撃兵は狙撃銃を除く武装の使用を禁止。
・ ニ、直接射撃においては立射のみに限定。ただし効果判定では威力範囲・命中精度において補正が適用される。
・ 三、狙撃有効射程内への曲射砲などによる支援砲撃下においては、迎撃行動を優先し、移動並びに直接射撃は禁止。
・ 四、直接射撃に際しては、射手と目標を結ぶ射線上及びその周辺に守備隊兵士が存在する場合は射撃禁止。
・ 五、迎撃行動後並びに直射後にはインターバル期間が適用され、射撃が行えなくなる。
・ 六、移動中の上陸用舟艇(LCAC)を狙撃した場合、上陸用舟艇は大破と判定、搭乗した兵士及び搭載装備は全て喪失と判定される。
・リ、守備隊は部隊内データリンクを使用可能、HQの指示によって戦術行動を変更できる。
・ヌ、守備隊は、敵制圧拠点の境界線を越えて内部に踏み入った時点で戦死の判定とする。また、外部から制圧拠点の内部への攻撃を禁止。

・207訓練小隊B分隊(以降訓練小隊と記す)には、次の細則を定める。
・イ、上陸及び撤収に際しての上陸用舟艇(LCAC)の使用を除き、移動・運搬に動力付き装備の使用を禁止。
・ロ、火器、爆薬などの武装の使用に制限は設けない。ただし強化装備及び自律型兵器はその使用を禁止。
・ハ、制圧拠点に関しては地形に関わらず、中心と定めた地上部分より水平方向に半径200mの円周内と定める。
・ニ、制圧拠点内では訓練小隊は戦闘行為を禁止。

 そして、次の項目こそが、207訓練小隊の全員をして、震撼せしめていた。

「タ、タケル!」「白銀これって……」「隔離された?」「タケルぅ~。」「たけるさん、そんな……」

 即ち…………『・ホ、白銀武訓練兵の戦闘参加はこれを禁止。当該訓練兵はHQより戦域管制にあたる事を命ず。』

「………………やられたっ! そう来たか、まりもちゃん……」

 総戦技演習『硫黄島守備隊漸減作戦』作戦開始まで、残り18時間と51分であった……




[3277] 第29話 激闘!硫黄島-前編- +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:45

第29話 激闘!硫黄島-前編- +おまけ

2001年10月31日(火)

 18時02分、B19フロアの夕呼の執務室に、武は呼び出されていた。

「失礼します。夕呼先生、なんの用ですか?」

「ん~? 別に~。どんな顔してるかと思ってね~。」

 ニヤニヤと嬉しそうに笑いながら、武の反応を窺う夕呼。
 武は溜息を1つついてから、話しを進めることにした。

「ってことは、今日の午後まで、総戦技演習の日程がオレの所に来なかったのは、夕呼先生の差し金だったんですね?
 昨日の晩も、わざと黙ってたんでしょ? まりもちゃんにも口止めしましたね?」

「あったりまえじゃないの~。試験受ける立場の癖に、事前に情報貰えると思う方があまったれてんのよ!」

「確かに、その通りなんですけど、夕呼先生は愉快犯的にやってるでしょ?
 まあ、各方面への連絡は、夕呼先生の意向でってことで通しておいたから、構いませんけどね。
 月詠中尉は事前に知らされていたようですね。同行するんですか?」

「秘密裏にね。表には出てこないわ。―――にしても、あたしの名前勝手に使うなんて、あんたも良い度胸じゃないの。」

「まあ、連絡が直前になったのは、先生の意向で間違いないんですから、自業自得ですよね。
 それよりも、そろそろ本題に入りませんか?」

 夕呼に脅されても、しれっと応える武。
 夕呼は舌打ちをして、本題に入る事にした。

「ちっ! あたしは娯楽少ないんだからもう少し楽しませなさいよね~。
 ま、いいわ。今日呼んだのは、総戦技演習後の予定についてよ。
 今回は日程を短縮して明後日、2日の夜には帰ってくる予定だけど、その後1週間は何かと忙しなくなりそうでしょ?
 だから、出かける前に手配する必要のあることは済ませとかないとね。」

「なるほど。確かにそうですね。」

「あんたは、総戦技演習後早々に、帝都へ行くことになるだろうけど、これは移動時間も込みで、夕方から未明にかけてのみ許可すると斯衛の方に伝えてあるわ。
 試作OSに換装済みの『不知火』は、あんたが行く前に、色々と機密漏洩対策を施した上で向うに届けておくわ。
 一応、複座型にしとくけど、『時津風』だっけ? 対BETA戦術構想の兵器は今回は持たせないわよ?
 それから、斯衛軍との合同実弾演習は、十中八九実施される事になると思うから、その時にあんたの考えた兵器の運用評価試験をやっちゃいなさい。
 そうすれば、斯衛軍も有効性がどうのこうのと後で五月蝿い事は言わないでしょ。
 見切り発車で生産に入らせるから、仕様変更するなら早めに出しなさい。
 それから、国連の方に探りを入れてみたら、総戦技演習終了後の割と早い時期に、珠瀬国連事務次官の視察を目論んでいる連中が居たわ。
 あんたの話通りに事態が推移するなら、HSST(再突入型駆逐艦)が爆薬満載で落ちてくるんでしょうね。
 これをどうするかも今の内に決めておきなさい。」

 夕呼には珍しく、途中に茶化しが入らない実務的な内容だった。
 武は違和感を感じつつも、夕呼の言葉に応じた。

「そうですね。斯衛への出向は、その短時間だと数回に及ぶかもしれませんが、提供するのがシミュレーター4機だけですし、月詠さんたちも教導出来るでしょうから大丈夫でしょう。
 試作OS以外は実弾演習でのお披露目って事ですか。まあ、実際は演習の後の実戦でって事ですよね。了解です。
 複座型を帝都に持っていけるんなら、同乗者へのフィードバック統合も公開しちゃって良いんですね?―――はい、わかりました。
 それなら、実弾演習が上手く行った後に、将軍専用機の改修計画立案とテストを、当基地で請け負うって事にしたいと思うんですけど……」

「御剣の立場を強化するために?」

「……それもあります。けど、殿下には戦場での士気高揚に一役買っていただきたいんですが、失ってしまった場合の影響が大きすぎる存在でもあります。
 その辺りの折り合いを付ける方策を確立するのが目的です。―――はい、最悪、冥夜に影武者をやってもらう事も考えてはいます。
 もう少し、マシな方法を探しますけどね。
 対BETA戦術構想第1期装備群は、『前の世界群』で夕呼先生にもチェックしてもらった物ですから、そのまま生産に入ってもらって大丈夫だと思います。
 仕様変更が出るとしたら、運用評価試験の後になると思いますから、作り過ぎないようにしてもらえれば十分です。
 あ、でも運用評価試験は誰がやるんですか? 『前の世界群』ではヴァルキリーズにBETA捕獲をさせていたようですけど、そうなると、オレ独りじゃ装備群を運用しきれないんですが……」

 武が夕呼に問いかけると、夕呼は惚けた顔であっさりと答えた。

「ああ、あれね~。今回は諦めたわ。
 実弾演習でヴァルキリーズを、衛士のプロフィールはともかく、部隊としては表に出すことになっちゃうでしょ~?
 そんな状況で捕獲したBETAなんて、使い道がないじゃない。」

「後ろ暗い事に使えないって話ですか。なるほど、解りました。では、捕獲はなしってことで。
 HSSTに関しては、夕呼先生の意見をお聞きしたいんですが、12月頭のクーデターに、HSST阻止の方法が影響を及ぼすと思いますか?」

「それって、HSST事前阻止と迎撃阻止で、クーデターの発生時期とかがずれるかってことね?
 はっきり言って、クーデターの方は気にしなくって良いと思うわよ。
 あれは、色々と関わる要素が多過ぎて流動的な反面、やろうと思えばこちらからでも干渉しやすい出来事だからね。」

 夕呼はそう言うとニヤリと嗤う。

「……なるほど、鎧衣課長が演出助手を務めたと言っていましたからね。解りました。
 そう言う事なら、今回はたまに迎撃してもらう方が良いと思います。
 対外的な宣伝や抑止効果が見込めますし、不正規な手法で最優先命令を出さずに済む事、珠瀬事務次官への影響など、得られるものは少なくないと思えますからね。
 『前の世界群』では、HSST事前阻止のために出所不明な指令を出すことで、国連宇宙総軍北米司令部を刺激し、ひいてはアメリカの面子を潰してしまい、XG-70を出し渋らせる結果を招いてますしね。
 それに、迎撃成功率を高める方法については、幾つか考えがあるんです。例えば……」

 武はHSST迎撃計画とそのヴァリエーション、必要な準備や手配などについて、夕呼と暫し話し合った。
 そして、真剣な顔で検討していた夕呼は、結論が出たのか表情を緩めて武を上から下まで嘗め回すように見た。

「……そうねえ、これならまあ、許容できる範囲のリスクで済むわね。わかったわ、この線で準備を進めさせておくわよ。
 ―――それにしても、あんたの考えた装備はあれこれ潰しが利いて、使い出があるわねえ。
 頼りなくて生意気そうなガキだと思ってたけど、伊達に経験積んじゃいないって事かしらね。
 ―――他に、あんたから何かある? なければ戻っていいわよ。」

「…………なさそうですね。それじゃ、今日はこれで失礼します。
 ………………………………あ、そうだ、夕呼先生。」

 武は退室しようとして、入り口前まで歩いたところで、振り向き夕呼に声をかけた。
 夕呼は、既に準備やら手配やらの指示を端末に打ち込み始めており、視線をディスプレイに向けたままで武に応じた。

「なに? なにか忘れてた?」

「ありがとうございます。オレが明日の仕度に少しでも早く戻れるように、手短にしてくれたでしょう?」

 夕呼の指がキーボードを叩く音がピタリと止まる。が、直ぐに、タイプ音は再開し、夕呼の気の無い返事が武に届けられた。

「バカな事言ってないで、さっさと行きなさい。」

 武は、深々とお辞儀をして、部屋を出て行った。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年11月01日(木)

 07時22分、小笠原諸島の外れに位置する硫黄島の沖合いに位置する、総合戦闘技術評価演習司令部に207Bの6名が整列していた。

「よしっ! 全員揃ったな!! 本日08時00分より、国連太平洋方面第11軍、横浜基地衛士訓練学校、第207衛士訓練小隊B分隊の総合戦闘技術評価演習を実施する。
 演習内容は昨日発令された命令書に同じであり、昨日提出された作戦案は受理されている。
 本作戦は帝国軍硫黄島要塞をハイヴに、帝国陸軍硫黄島守備隊をBETAに見立てての、間引き作戦を想定した物である。
 従って、敵戦力の漸減が第一優先目的だ。また、貴様等の撤収―――生還を第二優先目的とする。
 本作戦は、作戦開始より28時間経過後、または訓練部隊の全滅、生存者全員の本船への帰還をもって終了するものとする。
 ―――香月副司令、何かございますか?」

 まりもが微妙な表情で後ろを振り向くと、後部甲板に設えられたプール際のデッキチェアに水着姿で寝転んでいた夕呼が、サングラスを手で押し上げ、その下から覗かせた目で訓練兵たちを眺めて言った。

「はいはい、怪我しない程度に頑張ってきなさい。
 もちろん、落ちたりしたらただじゃ置かないわよ?
 白銀に頼まれて、あんた達関連で費やした私の時間を無駄にしようもんなら、除隊如き生ぬるい事で済むとは思わないことよ。
 それが嫌だったら、意地でも合格してみせなさい。いいわね?」

「「「「「「 了解ッ!! 」」」」」」

 夕呼がサングラスをかけ直し、再びデッキチェアに身を横たえた後、まりもが指示を下す。

「よし、では一時解散とする。作戦に使用する3隻の上陸用舟艇に積載された装備の確認をしておけ。
 07時55分に再び集合。時間合わせの後、作戦を開始する。解散!」

「―――敬礼ッ!」

 まりもの答礼を受けた後、207Bの6人は舷側のタラップへ駆け寄り、係留された上陸用舟艇に移乗した。
 係留された上陸用舟艇は、『LCAC-1』級エア・クッション型揚陸艇であった。
 所謂ホバークラフトであり、限定的ではあるものの陸上でも行動が可能、兵員・物資を内陸にまで輸送できる能力を持っていた。

 『LCAC-1』中央の物資搭載スペースで積載されている各種装備を確認しつつ、207Bの面々は、今自分達が後にしてきたばかりの船を見上げ、口々に話しだす。

「ねえ、あれって、軍艦じゃないですよねえ?」
「……高速クルーズ客船。」
「BETAのせいで、飛行機じゃ行きにくいところが増えたから、政財界の上流階級向けに運用されてるやつよ。」
「……乗ったことあるんだ。」
「う、うるさいわねっ、父に同行して乗せられたことがあるだけよっ!」
「この船って確か、双胴水中翼で60ノット出せるんだよね~。ボク一度でいいから乗ってみたかったんだ、夢が叶っちゃったよ~。」
「しかし、副司令もあのような格好をなさらずともいいであろうに……」
「まあ、そういうなよ冥夜、あの人は半分休暇で来てるんだからさ。
 こんな時でもないと、仕事から離れられないんだとさ。」
「む……そうか、さぞや激務なのであろうな……」

 自分達以外に人が居ないのを良い事に、結構言いたい事を言いながら、それでも6人は手際良く装備の確認を続けていく。

「それにしても、偉い量だな……おまえら、ホントにこんなに運用できるのか?」
「自分で言い出しておいて、何言ってるのよ白銀。」
「……自分は上陸しないもんだから、無責任?」
「いや……なんて言うか、考えてる時と、こうして目の前で見るのとでは、やっぱ違うな~と。」
「まあ、無理に全て使い切る必要もあるまい。タケルのお蔭で弾切れの心配だけはしなくても済みそうだな。」
「確かにね~。これだけあったら、全部は使い切れないよ~。」
「そうですねえ~。」

 そして、3隻全てに積載された装備を確認して、6人はHQが設置されている高速クルーズ船『てんま』に戻った。

「それじゃあみんな、頑張れよ! まあ、作戦が始まれば歩兵用ヘッドセットのデータリンクで話せるけどな。」
「ええ、あなたの戦域管制、当てにしてるわよ、白銀。」
「……まあ、ほどほどに。」
「硫黄島か~! 名だたる激戦の地だよ~、早く上陸したいなぁ~。」
「たけるさん、ミキ、頑張りますねっ!」
「タケル、そなたが後方で見ておるのだ、決して醜態は見せぬ、安心しているが良い。」

 6人で円陣を組んで意気を上げていると、歩み寄ってきたまりもの、気迫に満ちた声がかけられた。

「貴様らっ! 覚悟はいいなッ!!」

「「「「「「 はいっ! 教官ッ!! 」」」」」」

「よしっ、それでは各自時計合せ………………57,58,59―――作戦開始!」

「「「「「「 ―――了解ッ!! 」」」」」」

 時計の時刻合わせを行った5人は、慌しく敬礼すると、『LCAC-1』へと移乗していく。
 『LCAC-1』の右舷前方に位置する操縦室には国連軍横浜基地所属の運行クルーが詰めており、207Bの5人は、3隻に分乗して操縦室へと駆け込んでいく。
 それを見ながら、武は歩兵用ヘッドセットのデータリンクを接続し、オープン回線を設定する。
 タラップを外し、係留索を解き、主機の運転を開始して『LCAC-1』は移動を開始した。
 それと前後して報告が入る。

「01(榊)より00(白銀)、1号艇、移動を開始します。」
「02(御剣)より00、2号艇、移動を開始する。」
「03(鎧衣)より00、3号艇、移動開始するよっ!」
「00了解。―――00より各員へ、健闘を祈る。」
「「「「「 了解っ! 」」」」」

 戦域管制を開始した武に、まりもは『LCAC-1』を見送りながら話しかけた。

「―――それにしても、積載されている装備もそうだが、たった5人の上陸に『LCAC-1』を3隻とは随分と豪勢なものだな。」

「その辺は、夕呼先生の仕込みですよ。この過剰な装備の申請がそのまま通ったのが、いい証拠です。」

「そうか。貴様は私だけでなく、香月副司令にも師事しているのだな。」

「不肖の弟子ってとこですね。押し掛けですし、認められてもいないんじゃないですかね。」

「まあ、お手並み拝見といこう。司令室に行くぞ。」

「了解です。」

 武は早くも遠退き、その姿を小さくしている3隻の『LCAC-1』に、もう一度視線を投げると、まりもに従って船内へと姿を消した。
 武には、『LCAC-1』の行く手に見えた硫黄島南東の擂鉢山が、佐渡島ハイヴの地上構造物のように見えていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時25分、西海岸の南端を上陸地点とし、制圧拠点を定めた207Bは、第1次攻撃を開始しようとしていた。
 第1次攻撃の目的は陽動。制圧拠点を隠蔽すると共に、揚陸した装備を敷設する間、守備隊の注意を引き付ける事が主たる目標とされた。
 装備の敷設に当たるのは千鶴と美琴の2名。陽動部隊は冥夜、彩峰、珠瀬の3人であった。
 陽動部隊は『LCAC-1』で擂鉢山を海路で迂回し、08時30分に東海岸より再上陸、09時12分には千鳥飛行場跡の南端付近に攻撃発起点とする第1砲撃ポイントを定め、北東へと進撃を開始した。
 第2、第3砲撃ポイントと、攻撃拠点を定めて装備を配置しつつ進撃した陽動部隊は、09時37分、巡回索敵中と思われる敵部隊を発見。
 そして今まさに、戦いの火蓋が切られようとしていた。

「05(珠瀬)、バンデッド・インレンジ、迫撃砲による支援砲撃を開始します。」

 壬姫は双眼鏡をしまうと、丘陵の陰に設置した60mm迫撃砲の方位及び仰角を調整し、砲弾をよいこらしょと持ち上げて、砲口に当てて手を放すと、大急ぎでしゃがみ込んで口を開け耳を押さえた。
 甲高い発射音と共に砲弾が飛んで行ってしまうと、次の砲弾を持ち上げて、また砲口に当てて手を放す。
 餅つきのように、この動作を繰り返し、壬姫は5発の砲弾を30秒ほどの間に連続して発射した。
 目標は巡回索敵中と思われる守備隊の1個分隊12名で、本来迫撃砲で攻撃するような数ではないのだが、今回は別の意味で迫撃砲で砲撃する必要があった。

「00より各員、支援砲撃の被撃墜率は90%。判明した狙撃兵の配置をデータリンクへ送る。」

 今の支援砲撃の効果判定の結果を武が通達すると同時に、データリンクのレーダーに狙撃兵の位置が12個のマーカーで示された。
 そして、その直後に歩兵を表すマーカーが、既に表示されていた1個分隊分12個に加えて、更に2個分隊24個が表示される。
 合計48個のマーカーは狙撃兵を除き、分隊単位で壬姫のいる地点へ向けて殺到して来る。

「02より05、砲撃地点を300手前に修正した後、10発撃ったら第2砲撃ポイントへ後退せよ。
 彩峰、次の支援砲撃が来たら狙撃兵を殲滅するぞ。」
「05了解。」
「……了解。」

 陽動部隊の指揮官である冥夜が、状況を判断して指示を出すと、壬姫は方位はそのままで、仰角だけを修正して、支援砲撃を再開した。
 直後、壬姫の位置より300m前方に隠蔽していた冥夜と彩峰が突撃を開始する。
 2人は壬姫を目指して突撃してくる3個分隊の内、中央に位置する1個分隊へと突撃銃を乱射し、あっという間に12名全員を撃ち倒すと、その先にいる狙撃兵へと突撃していく。
 レーザー族種BETA役である狙撃兵を集めた分隊は、支援砲火の迎撃中なので移動も射撃も禁じられている。因って、冥夜たちは逃げられる心配をする必要が無かった。

「00より各員。敵増援2個分隊が接近中。北東、距離1700と1600だ。」

 この演習では、BETAの移動時に発生する振動波を想定して、守備隊が207B各員にある程度の距離まで接近すると、その位置がデータリンク上に表示されるようになっている。
 そして、データリンク上で判明した敵増援などの戦況の変化を、戦域管制を担当している武が適宜通信で全員に知らせていた。
 その情報どおりに、狙撃兵分隊の更に遠方から新たな歩兵2個分隊が駆け付けて来るのが冥夜たちにも見えた。
 しかし、狙撃兵までの距離は既に400m、冥夜たちの攻撃を防ぐには遠すぎて間に合わない。
 冥夜と彩峰は更に100mほど駆け寄りながら突撃銃のマガジンを交換し、銃弾のプレゼントをたんまりと狙撃兵にお見舞いした。

「これで2個分隊殲滅か。いささか一方的過ぎるな。」
「……楽でいいね。」
「さて、我らに向かってくる兵は適度にあしらって、先に珠瀬に向かう連中を片付けようぞ。」
「……了解。」

 この時点で、冥夜と彩峰に向かっている守備隊は歩兵3個分隊、内2個分隊は前方―――北東よりから、残り1個分隊は壬姫へと向かっていた進路を冥夜たちの追撃に切り換えて、後方やや右より―――南南西から迫ってきていた。
 しかも途中で擦れ違うような形であったため、今にも近接されそうなほど近寄られていた。
 冥夜と彩峰は左回りに南南西から迫る分隊を振り切りながら、突撃銃で射撃。数を減らしながら壬姫が迫撃砲を撃っていた第3砲撃ポイントを目指した。
 この時点で、壬姫は迫撃砲を放棄して、後退を開始している。
 その壬姫を追撃している分隊は迫撃砲により7人に減少していたが、冥夜と彩峰はその更に後方から追撃する形となった。

「よし、捉えた。珠瀬を追っている輩だ。彩峰、速度を上げるぞ!」
「わかった……」

 そう言いながら、牽制に後方へと手榴弾を投げると、冥夜は突撃銃のマガジンを交換しつつも走る速度を上げた。

「00より各員、02を目標に更に2個分隊が接近中、北方距離1500。狙撃兵が含まれている可能性もある、後ろに接近してきている分隊をあまり引き離さないようにな。
 02、04(彩峰)はそのままあと200進めば05が遮蔽に使っていた丘陵に回りこめる、そうすれば暫くは狙撃を受けずに済むぞ。」

「02了解。彩峰、丘陵の陰に回り込んだら、珠瀬を追っている分隊を殲滅し、反す刀で後ろについてきている分隊も殲滅するぞ。」
「了解。」

 冥夜と彩峰は丘陵を回りきったところで前方に捕捉した守備隊7名に、後方から突撃銃で射撃して全員を殲滅させると、その場で振り返り、追ってきていた分隊へと筒先を変えた。

「02、敵増援2個分隊が丘陵まで900に迫っている、迫撃砲で制圧砲撃をしてくれ。方位は3度45分21秒、距離700だ。
 05、そちらに向かった追撃部隊は殲滅された。第2砲撃ポイントへ移動して、索敵を開始してくれ。」
「02了解。」「05、了解です。」

 武の通信を聞いた彩峰が、壬姫が放置していった迫撃砲に取り付き、方位と仰角を調整する。
 その間に冥夜が砲弾を持ち上げ、彩峰が頷くのを待って迫撃砲の砲口に砲弾を滑り込ませる。

「00より各員、支援砲撃の被迎撃率0%。現状では狙撃兵の存在は確認されない。
 02は支援砲撃を続行、04は接近する敵を迎え撃ちながら周辺警戒してくれ。」
「02砲撃を続行する。」「04了解。」

 冥夜は北方より接近してくる2個分隊の内、武の指示した方角から来る分隊へと迫撃砲を放つ。
 もう1個分隊へは、第3砲撃ポイントに置いておいた弾薬を補充した彩峰が、丘陵の中腹より伏射で弾幕を張って殲滅した。
 彩峰が冥夜の砲撃から生き残ったと判定されている3名へと矛先を向けようとしたところで、武の声が響いた。

「00より各員、支援砲撃の被迎撃率が90%に上昇した。
 敵増援4個分隊が接近中。北方より北北東にかけて、距離1600、1500、1700、1500。
 02、04は直ちに第2隠蔽ポイントへ移動開始。移動時は地形を上手く利用して狙撃されないようにしろよ。
 05、状況を知らせてくれ。」

「っ……次から次へと、切りが無い。」
「こ、こちら05、第2砲撃ポイントの迫撃砲の準備完了、何時でも撃てます。周囲に敵影なし。」

 彩峰が忌々しげに呟いた直後に、壬姫の報告が上がった。

「00了解。05は、02、04を追撃している分隊の残存兵を狙撃でしとめてくれ。
 その後、02,04は第2隠蔽ポイントで隠蔽して待機。
 05は周辺索敵だ。」

「「「 了解。 」」」

「00より01、そちらの進行状況を知らせてくれ。」

「こちら01、今のところ敵影は見られないわ。制圧拠点外縁の装備敷設は順調よ。
 ただ、結構重労働ね、これ。白銀に言われて用意した猫車だっけ? 運搬用一輪車(手押し車)がけっこう役に立ってるわ。
 けど、草地とかじゃないと跡がくっきり残っちゃうわね、これ。」

「跡を消す時には竹箒だな。まあ、陽動も順調だからそっちも頑張ってくれ。」

「01、了解よ。」

 武が千鶴と話している間に、残兵の掃討も終わり、第2陣を相手に壬姫が60mm迫撃砲による砲撃を開始していた。
 現在戦域マップ上には、先程探知された歩兵3個分隊と狙撃兵1個分隊の他に、更に6個分隊が接近してきていた。
 現時点で迫ってくる敵兵力は14個分隊、先程来の戦闘で殲滅した7個分隊の2倍の戦力である。
 敵を一方的に倒しているにも拘らず、度重なる増援に、敵兵力は増える一方であった。

「なんだか、倒せば倒すほど、敵が増えてく気がしますね~。」
「それだけ陽動が成功しているという事だ、珠瀬。」
「大漁、大漁……」

 今のところ、狙撃兵は確認されている1個分隊だけのようなので、冥夜と彩峰が隠蔽ポイントを飛び出して、確認済みの狙撃兵を殲滅しに向かう。
 狙撃兵が2個分隊となった時点で、陽動部隊は戦術の変換を強いられる事になると、武は考えていた。
 現在の迎撃戦法では、狙撃兵が存在する状況では、支援砲撃を中断できない。
 結果として多方向から接近する敵歩兵分隊に、壬姫が接近されてしまう結果となる。
 支援砲撃をすることで、敵狙撃兵の迎撃を誘い、その位置を暴露させると同時に足を止める行為は、実は壬姫を危険に晒す、諸刃の剣に過ぎないというわけだ。
 無論、これは想定されていた事で、対策も立ててあるが、それは次の砲撃ポイントでだ。
 今はもう少し敵兵力を減らしつつも、誘引したいところであった。

「00より02、狙撃兵を殲滅し次第、05の援護に回ってくれ。
 そろそろ、次の狙撃兵が来るぞ。」
「02了解。だが、狙撃兵との間に2個分隊いる、少し手間取るぞ?」
「わかった、最悪の場合、05には単独で第1砲撃ポイントへ下がらせる。
 ―――00より各員、敵増援6個分隊接近。北東から東にかけて、距離1500、1600、1700,1600、1700、1500。
 02、時間切れだ、05と合流して、援護に回ってくれ。
 00より各員、戦術をプランCに変更する。盆地にこもって狙撃を回避しながら、第2砲撃ポイントを守るぞ。
 05は、02,04の合流を以って支援砲撃を中止。
以降は盆地に侵入してきた敵を近接戦闘で倒しつつ、狙撃兵を含む敵兵力を誘引する。」

「「「 了解 」」」

 結局、今回の突撃では1個分隊すら削れないままに、冥夜と彩峰は反転し、壬姫のいる盆地―――第2砲撃ポイントを目指す。
 2人が盆地に飛び込み、壬姫が迫撃砲の砲撃を中止した時点で、北から東にかけて、20個分隊200名を遥に超える敵兵が迫ってきていた―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、帝国軍硫黄島要塞、守備隊司令部では硫黄島要塞守備隊司令東梅一(あずま・うめかず)大佐の直率により、演習参加部隊の指揮運用が行われていた。
 とは言え、初期配置と、巡回索敵の分担を定めた以外、現状では特に出す指示もなかった。
 BETAらしく、発見した目標へと一目散に、各部隊が独自の判断で追撃しているに過ぎない。

「演習の方はどうなっている?」

「―――!! 要塞司令に対し、敬礼ッ!」

 守備隊HQの中に詰めていた総員が起立し、突然入ってきた硫黄島要塞司令官粟森道定(あわもり・みちさだ)少将に対し敬礼をする。

「演習中だろう、任務に戻らせたまえ。」

「―――はッ! 総員任務に戻れ!」

『『 了解! 』』

 粟森少将は答礼をしつつも司令部の要員を速やかに任務へと戻らせ、自身は東大佐の隣に手近な椅子を引き寄せてどかりと座り込んだ。

「で、どうなんだ? 国連の衛士訓練兵どもは。」

「は! それが思いの外出来のいい連中のようでして、既に7個分隊84名がやられております。
 現在は、追撃部隊が急行し、20個分隊で強襲している所であります。」

「ほほう。演習に参加しているのは2個大隊だったはずだから、本部要員も再編して、66個分隊といったところか。
 総兵力の3分の1でかかられては、訓練兵では凌ぎ切れまい。接敵しているのは3名のようだが、既に何名か倒したのかね?」

「いえ、総戦技演習を受けて上陸してくる訓練兵は5名と聞いております。もう1名は海上のHQから戦域管制をしているとのことでした。
 そして、接敵したのはあの3名のみ、残り2名は未だ所在不明であります。」

「ふむ。では、君の部下たちは、3名の訓練兵に84名も倒されて手傷一つ負わせられなかったのかね?」

「失礼ですが閣下、こちらは仮想BETAということで、忌々しい事ですが狙撃兵12個分隊以外は火器の使用を禁じられております。
 さすがに、数をそろえない限り、肉薄する前に撃ち倒されてしまいます。
 ましてや、地形を利用した隠蔽や移動、伏撃などの、初歩ともいえる戦術すら使用を禁止され、一目散に追撃するだけときては、ひよっこ相手とは言えやられるのもしかたありますまい。」

「ふ、まあそうだろうな。しかし、その様な状況にあるということは、狙撃兵は無力化されているのかね?」

「はい、当初より、訓練兵どもは迫撃砲による陽動砲撃を繰り返し、狙撃兵の所在を突き止めると、前衛2名の突撃を以ってこれを殲滅せんと図ってきました。
 最初に接敵した狙撃兵1個分隊はこれにより壊滅。2度目は増援が間に合ったため、攻撃を受ける前に訓練兵が攻撃を諦め、砲撃拠点としている盆地へとこもりました。
 そろそろ、部下がその盆地へと突撃する頃合であります。
 本来であれば、まず盆地を包囲した後、戦力を集約して同時に攻めかかるのでありますが、今回は先に盆地に着いた分隊から逐次突入する形となります。」

「ふむ。無念そうだな、東君。しかし、ひよっこ相手に160倍近い正規兵をぶつけているのだ。その程度の縛りは止むを得んだろう。
 しかし、訓練兵どもは、何故盆地に潜んで動かぬのだろうな?」

「我が方の狙撃兵の数が増え、狙撃を恐れて身動きが取れなくなったと思いたいところですが……」

「ふ……どうやら、ただのひよっこでは無いと見ているようだな。」

「はい、訓練兵にしては、狙撃兵の役回りである、レーザー属種BETAに対する対応が的確すぎます。
 任官後まで秘匿されるはずの、BETAの行動特性を熟知しているとしか考えられません。
 恐らくは、訓練課程のカリキュラム見直しかなにかのテストケースかと考えます。」

「なるほど。それでようやく合点がいった。それなら総戦技演習で、間引き作戦の真似事なぞやるわけだな。
 しかし、そうなると一筋縄ではいくまい。ほれ、盆地へ入った兵が端から倒されておるぞ。」

「問題ありません。その間に、更に8個分隊の増援が到着しています。」

「倒しても倒しても、それ以上に増える敵……まさにBETAの恐ろしさだな。」

「…………同感です。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、硫黄島要塞地下陣地S11ゲートへと、駆け足で戻っていく帝国軍兵士の一団がいた。

「くそっ! やってらんねえぜ。相手が突撃銃撃ってくるってのに、何で模擬刀一本で斬りかかんなきゃなんねえんだよ。」
「しかも、やられちまった後は、こうやって走って戻んなきゃいけないしね。」
「で、戻ったらまた出撃だしな。」
「しょうがないよ、あたしらBETA役なんだからさ……」
「なんだって、国連軍のひよっこの為に、アタイらがこんなことしなきゃなんないのかねえ。」
「ま、硫黄島要塞守備隊は大東亜戦争からこっち、暇してるからねえ。」
「けどさ、国連軍のお嬢ちゃんたちも災難だよね、大勢の正規兵によってたかって迫られてさ。」
「アハハ、違いない……っと、S11ゲートが見えた! 総員、さっさと生き返って追撃に戻るよ!」
『『『 ―――了解っ! 』』』

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時54分、第2砲撃ポイントでは、窪地へと飛び込んでくる敵兵を、冥夜が模擬刀を振るって端から斬り倒していた。

「こちら02、第5波を殲滅!―――武、まだか?」

「00より05、陽動砲撃開始。
 02、04は周囲に集まってきている敵を掃討。」

「「「 了解! 」」」

 盆地へ入ってくる敵歩兵を彩峰と一緒に突撃銃で撃ち倒していた壬姫が、迫撃砲へと飛びつき、砲弾を放り込む。
 同時に冥夜は右手の模擬刀を鞘に戻し、左手の突撃銃を両手に持ち換えて、盆地の外縁北側へと駆け上がる。
 彩峰も突撃銃を手に、盆地外縁東側へと駆け上がった。
 そして、2人は、間近に迫った敵兵、殊に狙撃兵の殲滅を開始した。

「やらせないよ……」「悪いが、容赦はせぬぞ!」

 壬姫の陽動砲撃と、敵の歩兵が至近距離まで近付いている事により、狙撃される心配がほぼ無くなった冥夜と彩峰は、突撃銃を撃ちまくった。
 そして、実に8個分隊の歩兵を殲滅し、200m以内の歩兵が2個分隊まで減った時点で武から指示が入った。

「00より各員、交戦しながら第1砲撃ポイントへ後退を開始せよ。
 敵の歩兵は狙撃兵からの盾だ、倒し過ぎないようにしろよ。
 それから、敵歩兵が左右に移動し始めたら、その動きに合せて歩兵の影に移動しないと狙撃されるからな。」

「「「 了解。 」」」

 交戦しながらの後退は無論困難である。しかし、まずは壬姫が走って距離を稼ぎ、壬姫の援護が始まると、冥夜と彩峰が一気に下がる。
 これを交互に繰り返し、後退し続けること6分。
 その間に敵歩兵10個分隊を殲滅したが、その間に増えた敵増援は30を数え、今や追撃部隊の総数は53個分隊、人数にして600名を超えていた。
 倒しても倒しても増えていく敵の数に、見渡す限り追いすがってくるその圧倒的な物量に、3人は精神的に切迫してきていた。
 殊に、壬姫などは精神的なゆとりを失い、張り詰めた今にも切れそうなか細い糸の様になるまでに、磨り減らされてしまっていた。

「―――来るなっ! 来るなぁ!!
 ―――来るなぁッ!!―――来るなって言ってるのにッ!!
 ―――来ないでよーーッ!!!」

 大声で叫び、声を嗄らしながらも敵を撃ち倒し、冥夜と彩峰の後退を援護する壬姫。
 そこへ、冥夜と彩峰が追いついて来たため、迎撃を引き継いだ壬姫は、振り向き様に駆け出そうとした。
 しかし、その途端に、足がもつれ、前のめりに派手に転んでしまう。

「―――ぎゃふ~~!!」

 そして、張り詰めていた精神の糸は、その衝撃によってあっけなく切れてしまい、無気力な状態へと壬姫を陥れた。

(―――わたし、何やってるんだっけ……なんか、もう、どうでもいいや……)

「珠瀬!」
「大丈夫か、珠瀬! 何をしている、早く立たないか!!」
「う、ううううう…………」

 慌てて壬姫の両脇に立ち、援護(カバー)する態勢を取る冥夜と彩峰。
 しかし、2人が声をかけても、突っ伏したままの壬姫は、唸るだけで一向に起き上がる気配を見せなかった。

「―――くっ!」
「仕方ない……」
「―――たま、もう少しだ、前を見てみろよ……第1砲撃ポイントは目と鼻の先だぜ。
 そこまで行き着けば、こっちの勝ちだ。あと、少しだけ頑張ろうぜ……」

 怒鳴りつけてでも壬姫を立ち上がらせようとした冥夜と彩峰は、武の静かに語りかける声に、互いに目配せをして迫る敵兵の排除に専念する事にした。

(……たけるさん? 前?)

 武に言われて前を見ると、少し先の草叢に、第1砲撃ポイントの目印が見えた。

「ほら、いままで頑張ってきた事の総仕上げだ。こんなとこで挫けちまうわけにはいかないよな?」

(…………ッ!! そ、そうだ、わたし何やってるんだろうっ! 今まで頑張ってきたのに、お終いになんか……お終いになんか、絶対にしないんだから!!!)

「……は、はいっ! ミキは、ミキはやりますッ!!!」

 壬姫は、突撃銃も放り出したまま、四つん這いから転げるように走り出し、速度をぐんぐんと上げていく。
 そして、目の前に出現した窪地へと飛び込むと、そこに隠されていた『物』を引きずり出した―――



*****
**** 9月12日イリーナ・ピアティフ誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話4 ****
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どこかの確率分岐世界
2015年9月12日

 17時22分、国連太平洋方面第11軍横浜基地のB19フロアに与えられている執務室で、イリーナ・ピアティフ国連軍大尉は端末を睨みながら各部門の進行スケジュールの調整を行っていた。

 一昨年、地球上で最後のBETAハイヴが制圧され、遂に地球全土からBETAが駆逐された。
 そして、当初の目的を完遂したとされたオルタネイティヴ4は、昨年遂に次期予備計画であるオルタネイティヴ6に移行した。
 オルタネイティヴ5は予備計画として実施されていたものが、BETA大戦の戦況好転を機に凍結された為、5を飛ばして4から6への移行となったのだ。

 オルタネイティヴ6予備計画招致に際しては、オルタネイティヴ5修正案である米国案と、オルタネイティヴ4の発展形である日本案が最後まで争ったが、米国案の性急さと米国の台頭を嫌った諸国によって、引き続き日本案が採用された。
 日本案が採用された背景には、様々な要因があった。
 同じ日本案であったオルタネイティヴ4統括責任者で実績のある、香月夕呼が横滑りで統括する予定であった事。
 そしてその香月夕呼が、オルタネイティヴ4を統括している期間に、謂わば後ろ盾である筈の母国日本の権益確保を一顧だにせず、計画の完遂にのみ邁進した事。
 日本がBETA大戦に於いて、自国領土の安全を確保した後も、積極的に他国の領土回復を支援し続けた事。
 これらの材料があって尚、最後まで対立候補であり続けた米国案には、その執念を驚嘆すべきか、はたまた国連に対する米国の影響力の強さを嘆くべきか。
 最終的には、日本案が米国案の一部を内包する形で米国の面子を立てる事で決着し、日本案がオルタネイティヴ6予備計画に採択された。

 そして、月面攻略部隊の装備人員が建造・生産・練成を開始し、月面のBETAに対する受動的情報収集活動も常時行われるようになった。
 将来的には軌道上の国連宇宙総軍総司令部に居を移す予定のオルタネイティヴ6本部であったが、今はまだオルタネイティヴ4以来の古巣である国連軍横浜基地に設置されていた。
 必然的に横浜基地の重要性も大きくなっており、昨年の辞令で、横浜基地司令官であるパウル・ラダビノッドは少将に昇進し、副司令である夕呼も准将となっていた。
 ピアティフの大尉への昇進もその時に通達されたのだが……

(そう言えば、あの辞令を受け取った直後に、香月副司令から退官を勧められましたね。)

 あの時、昇進の祝電を届けたピアティフに、夕呼は短く一言だけ、辞めるなら今よ、と呟いたのだった。

(あの時、私ではもうお役に立てませんか? って伺ったら、副司令ときたら、居れば便利だけど居なくたって何とでもなるわ、だなんて仰ってましたね。
 あ、そうそう、こんなとこに何時までも居たら嫁に行きそびれるわよ~って、そんな風にも仰ってました。)

 ピアティフはその時の夕呼の様子を思い出して、笑みを浮かべた。

(それで、1週間後に、辞めないの?って訊かれて、辞めませんって答えたら、それっきりでした。
 副司令は目的の為には手段を選ばない方だけど、極稀にああいった気遣いをなさいますね。
 でも、私ももうこの計画に骨を埋める覚悟をしました……今まで自分が手伝ってきたことを思い出すと、逃げ出す気になれませんから。
 もう40も目の前だし、結婚は多分、無理ですね。)

 などど取り留めの無い思考に身を委ねていると、携帯無線機に夕呼からの呼び出しが入った。
 大急ぎでやり掛けていた作業を中断して端末を落すと、ピアティフは夕呼の執務室へと向かった。

 夕呼の執務室に入ると、そこには武が立っていた。

「香月副司令、只今参りました。白銀大佐も、お元気そうで何よりです。
 軌道上(うえ)と地上(した)を行ったり来たりで、お忙しそうですね。」

「ピアティフ大尉もお元気そうで。ええまあ、退屈せずに済んでますよ。」

「あったりまえでしょ~、あんたは国連軍の備品みたいなモンなんだから、きりきり働きなさいっ!
 けどまあ、今日は特別に休暇にしてやるから、さっさとピアティフをPXに連れてきなさい。」

「了解! じゃ、ピアティフ大尉、1階のPXまでご同行願います。
 向うで人を待たせてますので、急いで下さい。
 あ、質問は諦めてください。夕呼先生に口止めされてますので。」

 そして、ピアティフは武に先導される形で1階のPXへとやってきた。
 入り口には暗幕の様な布がかけられていて、『貸切・招待状の無い者立ち入り禁止! 香月夕呼』と書かれた札が立てられていた。
 そして、武に促され、恐々とピアティフが暗幕を潜ると……

『『『 Happy Birthday!! 』』』

 大勢の唱和する声がピアティフを迎えた。
 PXには、この横浜基地で過ごした16年という歳月の中で得て、失わずに済んだ知人達の笑顔が並んでいた。
 思わず、涙ぐんで棒立ちになってしまったピアティフに、武が話し掛ける。

「サプライズ・パーティーってやつですよ、ピアティフ大尉。
 BETA大戦もひと段落着いたし、少しは人生楽しまないと。」

 その言葉に武の顔からPXに集まってくれた人々へと、今一度視線を投げかけると、涙で霞んだ視界の中に、先に逝ってしまった知人達の笑顔も見えたような気がしたピアティフであった……




[3277] 第30話 激闘!硫黄島-中編-
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:46

第30話 激闘!硫黄島-中編-

2001年10月31日(火)

 09時59分、守備隊司令部にロメオ小隊隊長から報告が届いていた。

「ロメオリーダーよりHQ。ひよっこどもに引っ掛けられた。辺り一面地雷原になってやがる。
 跳躍地雷が広範囲に敷設されている模様。このままだと全滅も有り得る。排除する許可が欲しい。」

 その報告に、ロメオリーダーの通信を受けたCP将校が、守備隊司令である東大佐の方へと振り向く。
 東大佐は頷いてマイクを取ると、オープンチャンネルで、演習に参加している守備隊全将兵へ告げた。

「こちらHQの東大佐だ。守備隊兵士諸君。諸君が追い回しているひよっこどもは、諸君を見事に地雷原へと誘引したようだ。
 無論、諸君らが易々と地雷原に踏み込むような無能な兵士でない事は承知している。
 しかし、だ。残念ながら本日の諸君は、無能で愚かなBETAの役所を担っている。
 ここは一つ、これから衛士になろうという国連軍衛士訓練兵への餞(はなむけ)として、派手に引っかかってやりたまえ。
 相手はたった3人で、600を超える諸君らを誘引してのける傑物だ。
 ここは先達として、彼らの努力に報いてやることだ。いいな?」

『『『『 ―――了解ッ!! 』』』』

 マイクを机上に戻して、席に座りなおす東大佐に、粟森少将が語りかける。

「大盤振る舞いだな、東君。」

「そうですな。とは言え、此度の演習の趣旨からすれば、他に選択肢はありません。
 ズルをしてまで、訓練兵相手に面目を保とうとは思えませんな。」

「そうだな。……国連軍の訓練兵ども、どうやら期待できそうじゃないか。」

「はい。今回の攻撃は向うも様子見のつもりでしょう。しかし、次からはそう易々とはやらせません。
 戦術の行使を禁じられたなら、物量という戦略を以って押し潰してやるまでです。」

「ふははははっ、楽しそうだな、東君。」

「そうですな。こいつら相手なら、退屈はせずに済みそうです。ついでに、参加将兵の運動不足も解消される事でしょう。」

 守備隊司令部に、2人の司令の笑い声が響いた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、207Bの敷設した地雷原には、600名を超える帝国軍兵士が犇めいて(ひしめいて)いた。

「くあ~っ! 今の司令の話聞いたかよ~。地雷原で派手に戦死して、此処まで追い込んだのご破算にしろってよ。」
「追い込んだの半分、引き摺り込まれたの半分だからね、しょうがないよ。」
「まあ、BETA共は地雷を無力化したりはしないからね。」
「あ~あ、ま~た、地下陣地までマラソンかよ!」
「しょうがないさ、諦めな!」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時03分、第1砲撃ポイントでは、壬姫が、窪みの底から引きずり出した起爆信号発信機に、一斉起爆のコードを入れ終えたところであった。

「たけるさん! 準備できました!!」

 ラジオコールを使用することすら忘れて、叫ぶ壬姫。

「よしっ! 00(白銀)より02(御剣)、04(彩峰)、直ちに第1砲撃ポイントへ向かえ!
 地雷を一斉起爆するぞっ!!」

「「 ―――了解ッ! 」」

 敵兵へ手榴弾を放り投げながら、踵を返して第1砲撃ポイントへ駆け寄り、中へと飛び込む冥夜と彩峰。
 その窪みの5m手前には、壬姫がつい今しがた設置した指向性のクレイモア対人地雷が、近寄る敵兵を吹き飛ばすように置いてあった。

「珠瀬っ、もうよいぞっ!!」
「―――起爆ッ!!」

 壬姫が起爆信号発信機の発信ボタンを押す。同時に第1砲撃ポイントを要として、北東に向けて開いた半径1km程の扇状の広範囲な地域で、同時に対人地雷が起爆した。
 扇上のエリアの外縁では指向性の対人地雷であるクレイモア地雷がエリア外へ向けて鉄球をばら蒔き、扇の中では彼方此方から筒状の跳躍地雷が飛び上がって爆発し、やはり鉄球を全周へとばら蒔いた…………と、判定された。
 一応、賑やかな爆発音が鳴り響いたが、所詮は模擬弾であるから爆発はしないし、鉄球がばら蒔かれることもなかった。
 しかし、戦闘不能と判定された兵士たちは、ばたばたと地面に倒れていき、一握りの生存者だけが残った。
 そして、その生存者達を、第1砲撃ポイントの縁へと持ち上げられ、姿を現した重機関銃の掃射が襲う。
 射手は冥夜、装弾手は彩峰である。
 さらにご丁寧に、壬姫が迫撃砲による陽動砲撃も行っている。
 そして、近場に立っているものが皆無となると、3人はさっさとその場を後にして、東海岸へと斜面を駆け下りて行った。
 かくして、第1次攻撃は損害0で完遂された。時に10時05分の事であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時09分、制圧拠点外縁では、各種装備―――対人地雷他色々―――を手早く仕掛けていく美琴の側で、周辺警戒にあたっている千鶴が安堵の溜息を漏らした。

「ふぅ~、なんとか上手くいったみたいね。一時は駄目かと思ったわ……」

「そうだね~、壬姫さんなんか、表情が物凄く強張ってたもんね。
 でもさ、その分、タケルが声をかけた後の顔が、すっごく輝いて見えたけどね~。」

「そ……そ、そうね。―――でも、現場に居なかったせいもあるけど、第1次攻撃の指揮は粗方白銀に任せっ切りになっちゃったわね。」

「まあ、元々タケルの考えたプランだし、いいんじゃないかな? ボクらはボクらの任務を全うするだけだよ。」

「そうね…………」

 美琴に返事を返しながら、千鶴は昨日の作戦立案会議を思い出していた。

 武は、今回の作戦で最も重要な事は、守備隊の追撃を振り切ることだと強調していた。
 戦術機であれば、レーザー属種の照射を受ける状況でないかぎり、交戦しているBETAを振り切って戦域を離脱する事は大して難しくない。
 しかし、今回の演習では徒歩である。武器弾薬を装備している以上、BETA役の守備隊兵士の方が足が速いと想定するべきである。
 相手に火器が無いため、追ってくる者を倒すのは容易だが、振り切れないとなると、延々と敵に追い回され続ける事になってしまう。
 そうなれば、3時間もすれば、100倍を越える人数で圧倒されて終わるだろうと、武は主張した。

 その主張には頷ける点が多く、反対の声は上がらなかった。
 そこで、相手の追撃を振り切る手段の検討に入ったのだが、これがなかなかに難しかった。
 接敵すれば、相手は直ちに会敵地点目指して殺到してくるだろう。
 部隊間の距離もそれほど遠くはなく、十分連携できる距離のはずだ。
 ならば、瞬殺でもしない限り、敵はどんどんと増えていくことが予想された。
 しかも、相手には狙撃兵もいる。最初に接敵した相手が狙撃兵であったら……

 と、狙撃兵の話が出たところで、武が狙撃兵を無効にするには、迫撃砲などで陽動砲撃を行えばいいと言いだす。
 千鶴や、他の皆も、先日の机上演習の陽動砲撃を思い出して、ああ、あれかと思った。
 ただし、歩兵が迫撃砲などの重火器を運用するとなると、装備が重くなってしまい、移動がままならなくなる。

 そこで武が提案したのが、こちらの進攻ルート上に装備を隠匿、もしくは配置しておいて、接敵後は進攻ルートを戻りながら戦うという作戦であった。
 そして、迂回されて、退路を断たれかけた場合の対策をかねて、攻撃発起点付近に大規模殲滅用のエリアを設けるというのだ。
 とは言っても、207Bの少人数で設置運用可能な大規模殲滅用の兵器など、遠隔起爆可能な対人地雷程度しかなかったのだが……
 かくして、基本的な作戦概要は定まった。

 運用しなければならない装備は膨大な量にのぼったが、武はホバークラフトである『LCAC-1』で攻撃発起点近くまで運んでしまえばいいと言った。
 武が言うには、『LCAC-1』は上陸に際して運用してよいと明記されているので、例え再上陸であっても使えるとの見解だった。
 千鶴は屁理屈だと言って反対したが、試しに多めに『LCAC-1』を申請してみれば良いと武が言い出した。
 最初の上陸と撤収だけなら、2隻でも多い『LCAC-1』を3隻申請してそれが通るなら、他の目的に使っても構わないという事だと武は主張した。
 結果的には武の言う通り、すんなりと申請は通った。

 残る問題は、100基以上の地雷を敷設する大規模殲滅用エリアは、準備に時間がかかる割りに一度しか使えない事だった。
 よって、できるだけ多数の敵を誘引してから使いたいが、如何にそれを果たすかが問題だった。
 結局これは、進攻ルート上に防衛に適した場所を幾つか定め、敵を防ぎ減らしながら、なるべく多くを誘引した後、攻撃発起点へと誘い込むしかないとの結論に至った。
 そして、装備の申請書作成を武に任せ、武を除く207Bの全員で装備部へと駆け込むと、迫撃砲や対人地雷などなど、なれない装備の慣熟に時間を費やしたのだった。

「冥夜さんたちは、そろそろ第2次攻撃を開始する頃かなあ?」

 物思いに耽っていた千鶴は美琴の声に我に返った。

「そ、そうね。今度も、計画通り上手く行くといいんだけど……」

「うん。ボクたちもこっちの仕度を急がないとね。せっかく冥夜さんたちが時間を稼いでくれてるんだから。」

「……そうね。敷設を急ぎましょ、鎧衣。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 11時23分、守備隊司令部から演習参加将兵へ、地下陣地内への帰還並びに待機命令が発せられていた。

「随分と、思い切ったことをしたな。
 巡回索敵を内縁部に限定し、その他の全域で巡回索敵を止めてしまうとは。」

「仕方ありません。そうしなければ、訓練兵のゲリラ戦術の犠牲となって各個撃破されるだけです。」

「まあ、そうなのだがな。……それにしても、また同じ戦術で来るかと思えば、今度はゲリラ戦術で来るとはな。」

「確かに、予想外でした。こちらの位置を捕捉しないうちから迫撃砲を撃ち、迎撃反応で狙撃兵の位置を暴露させる。
 そして、狙撃兵を目標に、迎撃されるのを承知で陽動砲撃を続け、狙撃兵を足止めした上で寄って来た歩兵を対人地雷でしとめる。
 その後は戦果を拡大しようとせずに、こちらの増援が集まる前にさっさと後退していってしまう。
 しかも、撤退路はクレイモアで確保してあり、退路に立ち塞がってもクレイモアの餌食になるだけ。
 これを3回も繰り返されて、7個分隊を殲滅されました。もう十分です。」

「しかし、いいのかね?
 緒戦で30分という短時間で83個分隊を殲滅した訓練兵たちが、1時間もかけて7個分隊のみの殲滅に甘んじている意味に、東君なら当然気付いているはずだな?」

「無論です。十中八九、奴らは時間稼ぎに出ているのに間違いありません。ですが閣下、奴らは巧妙であり、このままでは時間を稼がれた上に、スコアまで稼がれてしまいます。
 どうせ、奴らはスコアを稼ぎに出てくるはず。それまでは、こちらは兵を休めておくだけのことです。」

「やれやれ、訓練兵どもも、厄介な相手を本気にさせてしまったものだな。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、硫黄島要塞地下陣地では帝国軍兵士が身体を休めていた。

「いや~、うちの司令は優しいよねぇ。まさか演習中に休憩させてもらえるなんて、思っても見なかったわよ。」
「まあね~、しかも地下陣地は涼しいしね~。」
「それにしても、国連のひよっこどもも、結構やるじゃないの。」
「ああ、地雷原じゃ50個分隊以上、一気に喰われたらしいしな。」
「その後も、ゲリラ戦で引っ掻き回されてるしね。」
「……まあ、このまま終わるって事だけは、ないんじゃないの?」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 11時34分、戦術をゲリラ戦法に切り換え、元山飛行場の南端付近まで進出した陽動部隊だったが、敵を捕捉出来ないまま、時間のみが無為に経過していた。

「02より00、依然敵影を補足できない。陽動砲撃に対する迎撃もないというのは、些かおかしいのではないか?」

 冥夜の疑問は武も感じてはいた。しかし、武はそれでも構わないと思っていた。
 現時点での主たる目的は、制圧拠点外縁への装備の敷設だったから、それが達成できるのであれば、多少戦果が減っても武は気にしなかった。

「00了解。
 00より01(榊)、作戦の変更を提案する。どうやら守備隊はこちらのゲリラ戦に付き合う気がないらしい。
 恐らくは地下陣地に部隊を引っ込めて、こっちを陣地の奥深くへ誘い込んで包囲殲滅するつもりだと思う。
 そこで、部隊を再編制し、威力偵察部隊として、02と05(珠瀬)を装備敷設地点の前方へ展開し、01,03(鎧衣),04の3人で敷設作業を行いの敷設速度を上げた方が良いと思う。」

「01より各員、異論があれば発言して頂戴。
 私は00の作戦に賛成するわ。」

 異論は無かったので、再編制の後、3名による装備敷設と、2名による索敵が2時間に亘って行われた。
 そして、当初計画されていた分の装備の敷設が完了した。

 ここで、暗くなる前に攻勢に出るか、それとも更に装備の敷設を続けるかが問題となった。

「ふむ。恐らくは此処での戦いが最後の決戦となろう。可能な限り構えを厚くして望みたいと思うのだが。」
「同感。」

 冥夜と彩峰は、敷設を続けてより多くの敵を倒す事を重要視した。

「でもね、冥夜さん、慧さん。ボクらは5人しかいないから、万一夜襲を仕掛けられたら敷設した装備も満足に使えないかもしれないと思うんだ。」
「えええええ、えっとですねぇ、あの数に夜に押し寄せられたら、怖すぎ―――もとい、対処しきれないと思いますぅ~。」

 美琴と壬姫は、夜襲を受けた際の危険性を重要視していた。
 武は、現場に居ない自分の立場から意見を差し控えており、皆の視線は千鶴へと向けられていた。
 千鶴は、腕を組み、右手を顎に当てると、なにやら考えながら意見の集約を始めた。

「つまり、御剣と彩峰は多少のリスクを負っても第一優先目的である守備隊兵力漸減、つまり戦果の拡大を主張していて、鎧衣と珠瀬は夜襲を仕掛けられるリスクを回避して、無理の無い範囲で最大限の戦果を得ることを主張している。
 これで大体あっているかしら?」

 一斉に頷く4人。千鶴はその4人に更に問いかける。

「じゃあ、この中で今晩夜襲が行われる可能性は低いと考えている人は居るかしら?―――居ないようね。
 となると、夜襲を受けて尚、凌ぎ切れるかだけど……白銀? あなたから見て、私達で夜襲を凌ぎ切れると思うかしら?」

「正直、凌ぎ切るのは難しいと思うな。
 それに、長丁場になるほど、みんなの体力と集中力は失われる。
 夜間の索敵は精神に更に負担をかける。もし夜襲がなかったとしても、明日の戦闘は今日これからやるのと比べて力を発揮できないだろうな。」

 武の言葉に、冥夜と彩峰の表情が微かに歪む。千鶴はその様子を目の端に留めつつ、美琴に向けて訊ねる。

「鎧衣、あなたは、今晩夜襲があると思うかしら?」

「う~~~ん……なんだか、ありそうな気がするかな~。うん! きっと来るよ。」

「ありがとう、鎧衣。………………じゃあ、私の考えを言うわね。
 鎧衣と珠瀬、白銀の意見は尤もだと思うわ。だから、夜襲を避けるために、今日の内に戦端を開く方が良いと思う。」

 千鶴の発言に、冥夜と彩峰が眉を寄せ、美琴と壬姫が心配そうに様子を窺う。
 しかし、千鶴の発言にはまだ続きがあった。

「その上で、御剣と彩峰の意見も取り入れて、現状から戦端を開いた上で、敷設し切れなかった装備を極力有効に使って、最大限の戦果を上げる方法を取りましょう。」

「ッ!………………どんな、作戦?」
「何か良い策でもあるのか? 榊。」

 千鶴は、自分の発言に、反射的に噛み付こうとして、辛うじて自制し冷静を保った彩峰に笑いかけると、右手の人差し指を顔の前に立てて説明を始めた。

「じゃあ、説明するわね。まずは…………」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時21分、守備隊司令部は静かであった。

「……ふむ、内縁部以外の巡回索敵を中止して、そろそろ3時間か。
 そろそろ、仕掛けてくる頃合かな?」

 粟森少将が言うと、東大佐が頷いて同意を示した。

「はい、閣下。訓練兵どもが、今日中にもう一戦交えようと考えているのなら、そろそろ仕掛けてこねば日が沈んでしまいます。
 夜戦ともなれば、こちらは距離を詰めやすく、しかも相手は暗がりで思うように逃げられないはず。
 そうなれば後は山狩りと一緒です。多少の罠があろうと数に任せて蹂躙してご覧に入れましょう。
 ですが……」

「夜襲される危険性に気付かぬ奴らとも思えん……か?」

「はい。もし奴らが夜襲に応じるとするならば、我が方へ与える損害と引き換えに玉砕する覚悟の場合だけかと。」

「ふむ……血気盛んな訓練兵であれば、選んでも不思議の無い考えではあるが…………
 君が教官であったら、そんな作戦を展開した訓練兵を合格にするかね?」

「結果的に全滅したのであればまだしも、演習であろうと命を捨ててかかる兵など御免こうむりますな。」

 そう言う東大佐の表情には微かに苦渋の色が見られた。BETA大戦の最中、多くの部下を失ってきた高級士官の顔であった。
 粟森少将もその応えに1つ頷き、話の穂を継いだ。

「私もだよ。あの訓練兵たちも、それを理解している事を願おうじゃないか。
 ―――ん?……どうやら、始まったようだぞ? 東君。」

「…………迫撃砲を索敵代わりに撃ちながら前進してきていますな。
 しかし、あれではみすみす包囲下に陥るばかりのはずですが……」

 守備隊司令部の統合情報画面(メイン・スクリーン)の戦況図を見ながら、東大佐は状況を分析して、何か腑に落ちない事でもあるかのように考え込んだ。

「どうする? 地下陣地南西方面各地の、出入り口付近で待機させている兵達を解き放つかね?」

「いえ、内縁部の巡回索敵部隊と接敵後、どう動くかを見定めます。」

「そうだろうな。……しかし、東君。これは、戦術を行使しているとは言わんのかね?」

 からかう様な人の悪い笑みを浮かべて問いかける粟森少将に、東大佐は苦笑いをしつつも胸を張って言ってのけた。

「なんの、BETAどもが何時どの様にして巣から飛び出してくるかなぞ、未だに解ってはおりませんからな。
 多少反応が鈍いくらいは、誤差の内という事です。」

「ふ……開き直ったな? 東君。そろそろひよっこどもに踊らされるのには飽きたとみえる。」

「なに、BETAの真似事を強いられている部下達に、少しは鬱憤晴らしをさせてやりたいだけの事です。」

「そういう事に、しておくとするか。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、硫黄島要塞地下陣地では待機中の部下に気合を入れている小隊長の姿があった。

「いいか貴様ら! 米軍の下っ端である国連軍の、しかも正規任官もしていないひよっこに、これ以上でかい顔させるんじゃないぞ! 帝国陸軍兵士の誇りを奴らに見せ付けてやれッ!!」
「はっ! 少尉殿、我らパパ小隊一同、必ずや帝国陸軍魂を見せ付けてやります!」
「よく言った、曹長!」
「はっ、ありがとうございます! では、こいつ等には私から良く言って聞かせますので、少尉殿はあちらで今しばらく英気を養われては如何でしょうか!」
「む……そうか、ではそうさせてもらおう。任せたぞ、曹長。」

 小隊長に着任したばかりの少尉を遠ざけると、曹長は小隊員達を近くへと呼び寄せた。

「ふう……助かりましたよ曹長。」
「うむ、少尉殿は硫黄島に来たばっかりで、まだ里心が抜けていないからな。点数を稼ぎたいとお考えなんだろう。」
「大変でしょうが、上手い事補佐して差し上げてください。頼んますよ、曹長。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時25分、敵発見の報が、オープン回線を通じて武によりもたらされた。

「00より02、支援砲撃の被迎撃率99%。北東に敵狙撃兵2個分隊を確認。距離1800と1700。」

「02、了解。後退しつつ陽動砲撃を繰り返す。敵との距離が詰まったら教えてくれ。」

「00了解。01、聞いての通りだ。」

「01より03、04、05へ。02の後退に備えてちょうだい。02の退路確保に全力を尽くすのよ。接近する敵に見つからないでね。」

「「「 了解ッ! 」」」

 現在、207Bは冥夜を北東へ先行させて、1000m南西に彩峰と壬姫、更に500m南西に千鶴と美琴と、ほぼ一直線で並んでいる。
 その線を千鶴と美琴の更に先へと伸ばすと、海岸線と交わる辺りに制圧拠点が位置していた。

 硫黄島要塞の地下陣地の概略図は、作戦立案時に開示されていたので、敵が外縁部の巡回索敵を中止して要塞にこもり、207Bを内縁部近くまで誘い出し、包囲殲滅しようとしている事は容易に想像できた。
 かといって、敵と接敵しなければ、苦労して敷設した迎撃エリアへと相手を誘引する事が叶わない。
 そこで、万一歩兵部隊の包囲下に陥っても、持ち前の白兵戦能力で撃破されずに後退してくる事を期待して、冥夜が単独で進出することと決まった。
 無論、冥夜が包囲下に陥る危険を少しでも減らすため、退路確保の為に様々な手を打ってはある。
 そして、遂に冥夜が内縁部の巡回索敵をしていた敵狙撃兵と接敵したのだった。

 その後も、冥夜は迫撃砲を断続的に撃ちながら後退を続けたが、500mほど後退したところで5方向から敵歩兵部隊がほぼ同時に迫って来た。

「00より02。敵増援5個分隊が接近中。西から南にかけて、距離1600、1500、1500、1700、1600。
 00より01、03。2個分隊がそろそろそちらに再接近する、上手く隠れてやり過ごしてくれよ。」

「「 01(03)了解。 」」

 冥夜の後退に合わせて、距離を保つように後退していた千鶴と美琴は茂みの中へと隠蔽し、接近してくる敵歩兵部隊をやり過ごそうとしていた。

「ッ!! 03より各員、地下陣地の出入り口を確認。狙撃兵1個分隊が出てきたよ。」

「―――まずいわね。……01より03、発見された時に備えて殲滅する準備をしてちょうだい。
 05は陽動砲撃の準備。目標は02の北東200mでいいわ。
 04は予定退路周辺に配置した対人地雷を遠隔起爆する準備をして待機。
 01は陽動砲撃と近接している歩兵部隊の殲滅、双方の準備にかかるわ。
 02は05の砲撃が始まったら迫撃砲を放棄して、03、05との合流を最優先にしてちょうだい。
 各員いいわね?」

「「「「 了解ッ! 」」」」

「00より各員。更に敵増援7個分隊が02を目標に接近中。西北西から南南東にかけて、距離1700、1600、1500、1500、1700、1600、1700。この中には03が確認した狙撃兵部隊も含まれている。
 現在02を目標に接近中の部隊は14個分隊、内狙撃兵は3個分隊以上だ。
 狙撃兵部隊は03との最接近地点を通過中。
 ………………
 …………
 ……
 狙撃兵部隊は03には気付かなかったようだ、02に向かって移動中。
 02の陽動砲撃に対する迎撃を確認。
 狙撃兵部隊は5個分隊。02を中心に、西、南西、南、北北東、東北東に各1個部隊。距離1100、1000、1200、1600、1500。
 00より01。02と敵歩兵部隊との最短距離が500を割った。
 狙撃部隊もそろそろ直射可能な位置に着くぞ!」

 暫くの間、武による状況推移の報告のみがオープン回線を流れていた……が、遂に戦況を動かすべき時がやって来た。

「01より05、陽動砲撃開始! 04は敷設した対人地雷で可能な限りの敵を排除!」

「05了解です!」「04了解。」

 壬姫が陽動砲撃を引き継いだことにより、冥夜は移動に専念できるようになり、代わりに足が止まった壬姫の元へと急ぐ。
 そして、彩峰が起爆信号発信機から送り出す起爆コードによって、予定退路周辺に敷設したクレイモア地雷の内、敵兵を殺傷可能なものが次々と起爆していった。

「01より03、500m後退して陽動砲撃の準備をしてちょうだい。
 02は05と合流後、残敵を殲滅しながら05と共に後退よ。その時点で陽動砲撃は私が交代するわ。
 04は、対人地雷での敵殲滅が終わったら、私と合流して!」

「02了解。」「05了解です。」「04…………今終わった。そっちに向かう。」

「00より各員。接近中だった敵14個分隊の内4個分隊の殲滅を確認。
 しかし、新たに敵増援9個分隊が02を目標に接近中。北西から南東にかけて、距離1700、1600、1600、1500、1500、1700、1600、1600、1700。
 現在02及び05を目標に接近中の部隊は19個分隊、内狙撃兵は4個分隊以上だ。
 02、そろそろ2個分隊と接敵するぞ、気をつけろ!」

 陽動砲撃を行う壬姫との合流を急ぐ冥夜の前に、2個分隊24人の歩兵が襲い掛かる。

「02、エンゲージ・ディフェンシヴ! そなたら、邪魔をするなっ!! つぇえええいッ!!!」

「01より05、陽動砲撃は私が代わるから、02の援護をお願い。
 04、私に向かってくる敵の排除を頼むわ。」

「05、りょ、了解!」「04、任せて。」

「01より、03。陽動砲撃の準備が出来たら教えてちょうだい。」

「03、了解。」

 千鶴の的確な指示により、陽動砲撃は千鶴に代わり、手の空いた壬姫が冥夜の支援に入る。
 陽動砲撃を開始することで位置を暴露した千鶴の護衛を彩峰が担当し、美琴は次の陽動砲撃を開始する準備に入った。
 この時点で敵の総数は19個分隊。しかし、接敵している敵は2個分隊のみであり、退路上に立ち塞がる事のできる敵は5個分隊に過ぎない。
 そして、その5個分隊でさえも……

「こちら02、敵1個分隊を殲滅し、残敵を誘引したまま後退を続行する。」
「こちら04、対人地雷、起爆するよ。」

「00より各員。敵19個分隊の内6個分隊の殲滅を確認。
 だが、敵増援も11個分隊増えた。北北西から東南東にかけて、距離1500から1800の間だ。もう、いちいち読んでらんねえよ。
 現在、敵部隊は24個分隊、内狙撃兵は4個分隊以上だ。
 もう少しで、包囲を突破できる、みんな、頑張れッ!!」

 千鶴に迫っていた歩兵5個分隊は彩峰が起爆した対人地雷によって殲滅され、冥夜も珠瀬と協力して15人ほどの敵歩兵を倒し、残った9人ほどを誘引しながら後退を続けていた。
 か細くはあるが、退路は未だ確保されていた。
 しかし、その退路へと、更に歩兵7個分隊が迫る。

「03より01! 陽動砲撃準備完了だよっ!」

「01了解。03は直ちに陽動砲撃開始!!
 04、私と2人で後退路を維持するわよ!」

「こちら03、陽動砲撃開始するよ。」「04、了解。わたしは南側をやるよ、あんたは西。」

「!―――01了解! 02へ、退路は確保してあるわ。05は先行して03の護衛についてちょうだい。」
「05、了解です!」

 千鶴と彩峰は肩を並べて南西へと進みながら、寄って来る敵歩兵3個分隊を突撃銃で薙ぎ払った。
 冥夜は後ろから追ってくる敵の相手をしつつ、後退を続ける。
 壬姫は後退を急ぎながらも、残った最後の対人地雷と突撃銃による射撃で2個分隊を殲滅し、冥夜を一瞥してから美琴の元へと駆け出していった。

「00より各員。敵24個分隊の内5個分隊の殲滅を確認。
 敵増援は14個分隊だ。ほぼ全方位から接近中、距離100から1800の間だ。
 一番近いのは03の発見した出入り口から沸いてきてやがる。しかも2個分隊同時だ、気をつけろ!
 現在、敵部隊は33個分隊、狙撃兵はおそらく6個分隊以上いるはずだ。
 02、追撃してくる敵を減らしすぎないようにな。」

「こちら02、言われるまでもない事だな。」

 207Bの5人は敵包囲網を抜け出そうとしていた。
 しかし、間近に迫る敵の数は10個分隊を数え、100人以上の兵士が前後左右から殺到してくる。

「01より02、殿を頼むわね。
 04、私と一緒に02の支援よ、倒し過ぎて狙撃を受けないように気をつけなさいよね。」

「02了解。任せるが良い、これしきの手勢にやられたりはせぬ!」
「04了解。あんたこそ、ドジ踏まないでよね。」

 千鶴と彩峰は一瞬だけ目を合わせると、不敵な笑みを互いに見せ合い、殺到する敵歩兵を撃ち倒し続けた。
 その2人の間を、壬姫が全速力で美琴の元へと駆け抜けていく。
 殿を引き受けた冥夜は、敵を引き付けつつも模擬刀を振るい、飛び掛ってくる敵を躱し、一人、また一人と危なげなく斬り倒していく。

「00より各員、敵歩兵5個分隊の殲滅を確認。
 また、現時点を持って敵包囲網の突破を達成したものと認める。
 現在追撃してくる敵は、42個分隊だ。
 あとは迎撃エリアまでご案内するだけだが、気を抜くなよ!」

「やったぁ! あと少しで迎撃エリアだよっ!」
「御剣さん、頑張ってください!」

 包囲網突破の報を受け、喜びの声を上げる美琴と壬姫。
 しかし、指揮官として千鶴は気を抜くわけにはいかない。
 そもそも、第3次攻撃はこれからが本番なのだから。

「01より05、鎧衣の援護は必要無さそうだから、更に防衛線の内側まで後退して陽動砲撃の準備をしてちょうだい。
 03は、05の準備が済み次第、陽動砲撃を引き継ぎ、防衛線の後方に下がって迎撃エリアの各装備を起動して!」

「05、了解です。」「こちら03、わかったよ千鶴さん、任せといて。」

「01より各員、それじゃあ、作戦通り始めるわよ!」

「「「「「 ―――了解ッ!! 」」」」」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時38分、守備隊司令部では東大佐が渋い顔で統合情報画面を睨んでいた。

「どうやら、包囲網を食い破られたようだな、東君。」

 それと対照的なのは粟森少将で、含み笑いを混ぜながら、東大佐に話しかけるその顔は、実に楽しげであった。

「…………退路を確保するために、後方に戦力を配置するのは読めてはいたが……最前衛を1人に担わせるとは…………
 しかも、その後の撤退戦での陽動支援の引継ぎ、退路確保、追撃してくる兵の排除、全てをあれほど滑らかに実践できるとは信じ難い……」

「これで、後の展開は、朝と同じになりそうだな。地雷原に誘引されて50個分隊前後が殲滅される。
 今日1日で5個大隊以上の損害か。」

 粟森少将は、東大佐を見て、慰めるように声をかけた。

「東君、まあ、落ち着きたまえ。幸いにして、彼らは敵ではない、少なくとも今はな。
 あれほどの逸材が、来年には衛士に任官するというのだ。嬉しい事じゃあないかね。」

「………………確かに、閣下の仰るとおりです。しかし、このままでは、硫黄島要塞守備隊の面目が立ちません。
 せめて、一矢報いるために、全力を尽くさせていただきます。」

 東大佐は、右手の拳を震わせながらも、不敵な笑みを取り戻し、粟森少将にそう宣言した。
 粟森少将は、片眉を上げてから、軽く肩をすぼめて、許可を出した。

「この演習の指揮官は君だ。好きにやりたまえ。
 彼らにとって……いや、彼女らだったか……いずれにせよ、これは得難い貴重な経験になることだろう。
 少なくとも、演習で死んでしまうほど、柔な連中では無さそうだからな。」

「では、その様にさせていただきます。」

 東大佐の睨みつけている統合情報画面の戦況図では、誘蛾灯に引き寄せられる羽虫の様に、守備隊将兵がわらわらと誘き寄せられていく様子が克明に映し出されていた。
 膨大な数の部下達のマーカーに半分埋もれたようになりながら、それでも訓練兵たちの5つのマーカーは燦然とした光を放っているように、東大佐の瞳には映っていた……




[3277] 第31話 激闘!硫黄島-後編- +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:47

第31話 激闘!硫黄島-後編- +おまけ

2001年10月31日(火)

 14時43分、制圧拠点外縁に迫る54個分隊600名超の守備隊を前に、さすがに緊張した声で千鶴が命令を下す。

「01(榊)より03(鎧衣)、地雷原を一斉に起爆! 敵歩兵を一掃してちょうだい。」
「03了解。じゃ、いくよ~。」

 美琴のまるで打ち上げ花火に点火でもするような、お気軽な声の直後に地雷原で爆発音が多発した。
 そして、戦死もしくは重傷の判定となった守備隊将兵がその場に倒れ、後はまばらに人影が立っているだけとなった。

「01より02(御剣)、04(彩峰)は、左右両翼の陽動砲撃を開始、敵狙撃兵を近付けないでちょうだい。
 05(珠瀬)、陽動砲撃の開始後、残った歩兵を狙撃して!」

「「「 05(02、04)了解! 」」」

 榊の指示に従い、冥夜と彩峰が防衛線の両翼に走り、設置済みの96式40mm自動擲弾銃による陽動砲撃を開始する。
 自動擲弾銃は、迫撃砲と違い重機関銃のような外見をしている。
 脇に弾倉箱が付けられており、自動的に装填されるようになっていた。

「ふむ、引き金を引くだけで発射できるとは、迫撃砲に比べ相当楽が出来るな。」
「面倒なのは、弾倉箱の交換……」
「うむ。しかし、その際には榊が穴を埋めてくれるであろう。」
「……しょうがないから、任せるよ。」
「何がしょうがないのよ!」

 通信回線をそんな会話が流れる中、壬姫は陽動砲撃の引継ぎを確認してから狙撃銃を取り出し、対人地雷の一斉起爆を生き延びた歩兵を狙撃で次々に撃ち倒していく。
 千鶴も、近くまで寄って来た歩兵に対して突撃銃を放って3人ほどを撃ち倒した。

「00(白銀)より各員、敵48個分隊の殲滅を確認。接近中の敵は4個分隊。
 これを合わせて現在敵戦力は10個分隊。内狙撃兵部隊は7個分隊だ。」

「01より、03。陽動砲撃の支援の下で可能な限り地雷原を再敷設してちょうだい。
 05は03が作業できるように敵狙撃兵の間引きと接近してくる歩兵の殲滅を頼むわ。
 狙撃兵は全滅させないようにね。
 私は、05と反対側の歩兵を迎撃するわ。
 ―――207各員へ。接敵を維持して敵を陣地へ誘引し続けるわよ。」

「「「「「 了解! 」」」」」

 美琴は壬姫に護衛され、防衛線の地雷原に対人地雷を再敷設し始めた。
 狙撃の危険があるため、地雷原の再敷設はどうしても防衛線内側よりの狭いエリアに限定される。
 そこで、跳躍式地雷を諦め、指向性を持つクレイモア地雷を外周に向けて並べていく。
 起爆コードをグルーピングして、一列に並べたクレイモア地雷を4個間隔で同期させて起爆できるように設定した。
 これで、接近する敵に対して、4回の迎撃が行える。

 狙撃兵を殲滅せずに接敵を維持して更に敵を誘引、敷設し切れなかった地雷も再敷設する事で有効活用し、可能な限り守備隊に損害を与える。
 それが千鶴の選んだ作戦であった。

 美琴は敷設作業を続けながらも、ついつい視線が地雷原の方へと引き寄せられてしまっていた。

「なんか、凄い光景だね。」
「……そうですね~、なんだか、異様な光景ですねぇ~。」

 地雷原では、戦闘不能と判定された600名近い兵士達が、匍匐前進で一生懸命戦域から離脱しようとしていた。
 通常の演習であれば、演習が終わるまで死体として倒れていればいいのだが、今回の演習では彼らは一刻も早く地下陣地へと戻り、新たな戦力として戦闘へと復帰しなければならなかった。
 かといって、死体が射線を塞ぐなどして演習を阻害するわけにもいかないため、彼らは207Bの射程内を出るまでは匍匐移動を義務付けられていたのだった。

「う~ん、これと似た光景を、どっかで見た気がするんだよね~。」
「そ、そうなの? こんな光景そうそうお目にかかれないと思うんだけど……」
「鮭の遡行……」
「それだ! それだよ慧さん!! うん、まさに川一面を埋め尽くして上流に向かって遡行する鮭の姿そのものだよ!!」
「……川、広すぎだけどね。」
「あ、あははははは……」

 美琴と壬姫の会話に割り込んだ彩峰が、美琴の疑問に回答を提示し、喜んだ美琴がはしゃぐ。
 すかさず彩峰がツッコミを入れ、壬姫が乾いた笑いを上げる。
 会話には参加しないものの、冥夜の口にも微笑が浮かび、千鶴も呆れて軽く頭を振りながらも敢えて止めようとはしなかった。

 正直、ここに至るまでの後退戦は千鶴にとって少なからぬ負担となっていた。
 午前中は通信で聞くのみであったため、圧倒的な物量による圧迫感というものに実感が伴わなかったが、実際に晒されてみると実に恐ろしいものであった。
 なるほど、壬姫が挫けそうになった訳だと納得しつつ、自分がなんとか耐えられたのは、長らく競争意識を持ってきた彩峰と連携して戦っていたお蔭だろうと、千鶴は自己分析していた。
 何はともあれ、作戦は順調に推移し、敵に壊滅的打撃を与える事に成功。暫くは小康状態が続くと思われた。
 美琴の惚けた物言いは、部隊の緊張を解す。
 これで次の敵の来襲でも戦い抜けると千鶴は確信した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時55分、守備隊司令部では、演習参加部隊の再編制の指示が矢継ぎ早に出されていた。

「―――そうです、狙撃兵は分隊単位の編制を行わず、個別に再出撃してください。」
「―――フォックストロット小隊は再編制終了し次第、直ちにSE15ゲートより、SE16ゲートへ移動してください。」
「―――第3次攻撃隊、第3次攻撃隊、出撃10秒前。……5・4・3・2・1・今! 先発している第2次攻撃隊との距離を350に保ち、2列縦隊にて行軍せよ。」
「第4次攻撃隊の部隊編制を確認します。タンゴ・レッド、ユニホーム・レッド、ヴィクター・レッド、エコー・レッドの4個分隊となります。出撃準備出来次第報告を。」
「第5次攻撃隊の部隊編制を発表します。タンゴ・グリーン、ユニホーム・グリーン、ヴィクター・グリーン、エコー・グリーンの4個分隊です。」
「フォックストロット、ゴルフ、ホテル、インディア、の各小隊は再編制が終わり次第報告を。」
「―――第4次攻撃隊、第4次攻撃隊、出撃10秒前。……5・4・3・2・1・今! 先発している第3次攻撃隊との距離を350に保ち、2列縦隊にて行軍せよ。」

 途切れなく指示を出しているオペレーターと統合情報画面を眺めながら、粟森少将は傍らに立って、司令部を掌握している東大佐に声をかけた。

「波状攻撃かね? 東君。」

「その通りです、閣下。3分毎に、敵防衛線に近いSE13~16ゲートより各1個分隊、合計4個分隊48名を出撃させます。
 各ゲートから防衛線までの距離には若干の差がありますので、訓練兵どもは4方向からの分隊単位の波状攻撃に、間断なく曝されることとなります。
 また、2列縦隊での行軍形態により、1斉射での部隊全滅を困難と為さしめます。
 それとは別に、狙撃兵の分隊単位での編制を解き、個別にSE11~18ゲートより出撃させ、8方向から分散包囲させます。
 これにより、陽動砲撃を維持せざるを得ないように仕向け、敵の機動戦力を削ぎます。
 訓練兵の人数は5人、如何に潤沢に弾薬を用意していようと、戦闘継続には限界があるはずです。
 構築した防衛線に我が軍を誘引し続けようと欲を掻き、狙撃兵を殲滅しなかった事を後悔させてやります!」

 些か多弁に東大佐は作戦方針を述べた。
 統合情報画面の戦況図には、防衛線に向かって断続的に進攻する歩兵部隊による4本の線と、8つのゲートからばらばらに防衛線に向かって接近する狙撃兵の点が移っていた。
 正直そこまでせんでもと、粟森少将は内心肩を竦める思いであったが、外面上は鷹揚に頷くに留めておいた。
 そして、第1次攻撃隊の先鋒が、防衛線に到達した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、国連軍訓練兵が築き上げた防衛線を視界に収めた1個分隊12名の帝国軍兵士の姿があった。

「いいか! 野郎共に女郎共っ! 午前中に引き続き、ついさっきも地雷原で国連の嬢ちゃんどもにいいように喰われちまったんだ。このまま終わるわけにゃいかないってのは解ってんだろうね!」
『『『 はい! 分隊長殿!! 』』』
「よしっ! あんたら、気合入れて突っ込むんだよっ!! ちんたらしてる奴ぁ、あたしがケツを蹴り飛ばすかんね!」
『『『 はい! 分隊長殿!! 』』』
「国連の嬢ちゃんどもが、お家に帰ってママのおっぱい咥えたくなる様に、震え上がらせてやるんだッ! いいねっ!!」
『『『 はい! 分隊長殿!! 』』』
「よぉ~しっ! 良い返事だ。いいかい! 戦死判定が下るまで、全力で突っ込むんだッ! 士魂を燃やせッ!! 奴らを蹴散らせ、分隊突撃ッ!!!」
『『『 うぉおおお~~~~ッ! 』』』

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 15時00分、制圧拠点外縁の防衛線では、地雷原の再敷設が一応終わり、冥夜と彩峰に対する補給を千鶴と美琴が行っていた。
 補給と言っても、作戦開始時に擲弾自体は50発入りの弾倉箱50箱が集積されている。
 冥夜と彩峰は毎分約10発のペースで撃っているものだから、5分前後で弾倉1箱が空になる。
 すでに2箱が空になっており、自動擲弾銃の脇に転がっていた。
 それを後方へと片付け、擲弾の入っている弾倉箱を取りやすい位置に並べなおすのが、補給代わりであった。

「00より各員、まずい事になりそうだぞ。
 敵歩兵分隊が、距離350、移動時間にして3分ほどの間隔をあけて、4つのルートに分散して1分隊ずつ接近してきている。
 数は現在18個分隊。
 どうやら、守備隊は波状攻撃を仕掛けてくるつもりみたいだ。途切れなく攻めてくるから、休む閑がなくなるぞ。」

「01了解。
 01より02、04へ。弾倉の交換が近付いたら教えてちょうだい。
 03は迎撃システムの管制を頼むわ。
 05は私に合流してちょうだい。
 迎撃システムの補給や穴埋めを担当するわよ。
 各員、相手の物量に圧倒されないようにね。可能な限り粘って、守備隊の損害を拡大するわよ!!」

「「「「「 ―――了解ッ! 」」」」」

 そして、途切れる事のない波状攻撃が、防衛線に襲い掛かってきた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 15時30分、守備隊司令部では、第17次攻撃部隊に出撃命令が下ろうとしていた。

「―――第17次攻撃隊、第17次攻撃隊、出撃10秒前。……5・4・3・2・1・今! 先発している第16次攻撃隊との距離を350に保ち、2列縦隊にて行軍せよ。」
「第18次攻撃隊の部隊編制を確認します。ロメオ・ブルー、シエラ・ブルー、タンゴ・ブルー、ユニホーム・ブルーの4個分隊となります。出撃準備出来次第報告を。」

「第10次攻撃隊までは殲滅されたようだな。
 しかし、遠隔操作の重機関銃まで用意していたとは思わなかった。なあ? 東君。」

「全くです。嫌になるほど周到に準備してますな。しかし、私はこのまま夜戦に持ち込む覚悟です。」

「日没まで後1時間半と言ったところか。訓練兵どもはそれまで凌げるかな?
 弾薬とて何時までも続くわけでもあるまい。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、硫黄島要塞地下陣地から出撃した1個分隊12名の帝国軍兵士の姿があった。

「第17次攻撃隊か……国連軍のひよっこどもも、案外しぶといな。」
「なあに、こっちはちょこっとマラソンしさえすれば、兵力は幾らでも回復するんだ、そうそう何時までも、もたねえさ。」
「……そうだね、こんだけの猛攻受けてんだ、そうそう持つわきゃあないよね。」
「そうさ、持つわきゃあ……ねえんだ……」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時22分、守備隊の波状攻撃の開始から1時間、制圧拠点外縁の防衛線は未だに維持されていた。

 しかし、207Bの5人に溜った疲労は、既に相当なレベルに達していた。
 途切れる事の無い敵兵との戦闘が続く中、千鶴は弾薬の交換以外は体力の消費もなく、集中力も然程必要としない自動擲弾銃の銃手2人を、防衛線の迎撃システムの補給や機動迎撃を担当しいる2人と、20分単位で交代させることで、補給や迎撃で溜った疲労の回復を、銃手を担当している間にさせるようにしていた。
 また、千鶴自身も比較的疲労が蓄積しない迎撃システムの管制に担当を移し、戦況の把握と監視、各員への指示などを主として行ってきた。
 その甲斐あって、今のところはなんとか戦闘を継続できているが、自分自身を含め、全員の集中力や思考能力が落ちてきている事は否めなかった。

 疲労が蓄積した状態で、休憩を兼ねて行う陽動砲撃は間隔が開きがちとなり、迎撃システムの補給もだんだんと時間がかかるようになってきている。
 迎撃システムの操作も後れがちになり、敵歩兵部隊に接近を許し、クレイモア地雷によって一掃するしかなくなるほど肉薄されてしまったことも一度ならずあった。
 5人とも言葉少なになり、言葉にも覇気が薄れ、言われた事を黙々とこなすようになってきている。
 このままでは、遠くない将来、何か些細なミスから全体が崩れてしまう事も十分考えられる状況となっていた。
 そんな状況の中、部隊で唯一集中力を維持できているのが、武であった。

「00より05! 集中力が低下しているぞ、しっかりしろっ!!」
「ッ! は、はいっ!! ま、05了解です。」

(……珠瀬のバイタルデータにまでは、気が回らなかったわね……さすが白銀、後方にいるとは言え、作戦時間が長時間になっても現役衛士はびくともしないわね。
 何か失敗を仕出かす前に、白銀に指揮権を委任した方が良いかもしれないわね。
 責任を放棄することになるかしら? でも、現実的に私は前線で担当しなければいけないことが多く、指揮に集中できない。
 逆に白銀は後方にいて、前線に出てくることが出来ない。
 このまま私の面子で任務を失敗させる事もできないし……なら、指揮を代行させて、私自身の負担を軽減させる事が最善じゃないのかしら?)

「00より01、N01エリアに敵1個分隊が接近してる、迎撃を頼む。」
「01了解。」

 千鶴は武に言われたとおりに、迎撃システムの制御をN01エリアの重機関銃座に切り換え、接近してくる歩兵分隊へと射撃を行った。

(―――頼むまでもなく、既にフォローされちゃってるじゃない。
 だったら、徒に悩んでないで、明確に指揮権の代行を命じた方が部隊は潤滑に運用されるわね。)

 千鶴はようやく決断すると、オープン回線で武に指揮代行の指示をだした。

「01より00、現出した戦況に鑑み、部隊指揮の代行を命ずる。
 正直、指揮と迎撃を両立させる余裕が無いわ、基本的にそっちで戦況把握と分析、部隊運用を代行してちょうだい。
 方針の変更や、作戦プランの移行の判断は、一応こちらでするけどね。」

「―――00了解。これより部隊指揮を代行する。
 00より03,05、それぞれ02、04と自動擲弾銃の銃手を交代しろ。
 交代した後、02はN02エリアのクレイモア地雷のグループ3を交換してくれ。
 04はNE01エリアの自動擲弾銃で03と05の弾倉箱交換時のフォローを頼む。」

「「 03(05)了解 」」「02了解」「04了解」

 N01エリアに接近中の敵を殲滅した千鶴は、次の迎撃目標をS01エリアに接近中の敵歩兵分隊に定め、迎撃システムの制御を切り換えながら思った。

(さすが白銀、的確で細やかな指示ね。さっきまでは越権行為にならないように、最低限に控えてたんだわ。
 意地を張って、大分無駄をしてしまったかしらね……それにしても!)

 千鶴はS01エリアの重機関銃座を操作して敵歩兵分隊を撃ち倒しながら、つい声に出して毒づいてしまった。

「いい加減、鬱陶しいのよ! あなた達っ!!」
「……キレた?」
「キレてないわよっ!」
「ふふふ、しかし、榊の言う事も尤もではあるな。」
「ほんとですね~。」
「うん、まるで南米の軍隊蟻みたいだよね。あれも後から後から来るんだって。」

「話が盛り上がっているところを悪いけど、蟻退治の続きを始めてもらうぞ。
 00より02、N01エリアの第2重機関銃座の弾倉箱を交換してくれ、そろそろ弾切れだ。
 05は弾倉箱の交換を開始、04はEエリアに向けて陽動砲撃開始だ。」

「02了解。」「05了解です!」「04、じゃあ、撃つよ。」

「タケルはちょっと真面目すぎるよ~。少しくらい笑いを取ってくれてもいいとおもうんだけどな~。」
「オレはお笑い芸人じゃない!」
「あはははは。」「ふふふ。」「うふふふふ。」「……似合ってるかもね。」

 冥夜は弾倉箱を交換しながら考えた。

(指揮権をタケルに一部委ねる事で、榊も精神的にゆとりが出来たようだな。
 波状攻撃が始まって以来、戦況把握と指揮に没頭していて気の休まる時が無かったのであろう。
 タケルも気にはしていたようだが、榊が自分で気付いてよかった。
 今の会話で皆も緊張が解れたであろうし、これで暫くは持つか……それよりも、問題となるのは時間か……)

 弾倉箱の交換を終えた冥夜は、明るさを急速に減らし徐々に赤みを帯びていく空に目をやった……

「―――よいしょっと! で、確認……よしっ!
 05より00、弾倉箱の交換終わりました!」
「00了解、05は陽動砲撃を再開してくれ。
 03、弾倉箱の交換を開始、04は陽動砲撃をNエリアへ変更してくれ。
 02は、NE03エリアの第1重機関銃座でジャムが発生しているので、対処を頼む。」

「05了解です。」「03おっけ~。」「04了解。」「02、任せておくが良い。」

 壬姫は自動擲弾銃を6秒に1回程度の間隔で単射しながら、思う。

(あ~、自動擲弾銃は迫撃砲と違って楽だな~。
 しっかり体力を回復させて、元気を取り戻しておかないと。
 それにしてもみんな、凄いよ。敵が次から次からやって来て、もう1時間も戦いっ放しなのに……
 ミキなんて、体中へとへとだし、押し寄せてくる敵見てると怖くって震えてきちゃうよ……
 ―――でもっ、わたしだって、今朝みたいな失敗はもうしないよ! みんなと一緒に戦い抜いて、総戦技演習に合格するんだから!!)

 壬姫は、額から滝のように流れてくる汗を拭い、自動擲弾砲を撃ち続けた……

「03より00、弾倉箱の交換が終わったよ。」
「00了解。
 00より04、陽動砲撃終了。今のうちに弾倉箱を交換しておいてくれ。
 03は、陽動砲撃再開だ。」
「04、わかった。」「03了解、じゃあ撃つね。」

 彩峰は武に応答し、砲撃を終了し、弾倉箱の交換に取り掛かりながら考えた。

(この人数で、ここまで戦えるなんて思わなかった。
 作戦だって、どっかで上手くいかなくなるんじゃないかと思ってたし、今でも少し思ってる。
 けど、これだけ作戦が上手く機能しているのは何でだろう。
 白銀が有能だから? ううん、原案は白銀だけど、作戦案の詳細を詰めたのは榊……
 以前の訓練では、榊の作戦はよく破綻していた。今回は何が違う?)

「00より04、どうかしたか? 弾倉箱の交換に手間取ってるみたいだけど。」
「あ、ごめん。もう直ぐ終わる……こちら04、弾倉箱の交換を終了。」
「00了解。04は続けてE03エリアの重機関銃座の弾倉箱を交換してくれ。」
「04了解、じゃ、移動するね。」
「00了解。」

(そうだった、今は考える時じゃない、まずは戦わなきゃ。)

 彩峰は、武がいると思われる南の方角を一瞥したが、そこには夕焼けに照らされた擂鉢山が見えるだけであった……

 美琴は、自動擲弾銃を撃ちながら茜色に染まりつつある空を一瞥して考えた。

(この分だと、もう少しで日が暮れる……ここまでちゃんと戦い続けられるなんて、みんな凄いや。
 タケルの発案で千鶴さんが考えたこの防衛線もしっかり機能してるし、ローテーションで疲労回復もさせてくれてる。
 壬姫さんも挫けずに頑張ってるし、彩峰さんも作戦通りに動いてる。
 千鶴さんが頑張り過ぎてて心配だったけど、ちゃんとタケルと負担を分け合う事で楽になれたみたいだし、作戦は順調に推移してるように思える。
 けど、なんとなくだけど、日が暮れると危ないような気がするんだ……
 どうしよう…………よし、一応千鶴さんに判断を仰いでおこう。今なら、少しは余裕がありそうだもんね。)

「03より01へ、意見具申の許可を下さい。」

「……こちら01、03、意見具申を許可する。」

「えっと、明確な根拠はないんですけど、撤退作戦の開始を日暮れ前に前倒しする事を進言します……」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時43分、守備隊司令部では、東大佐が演習に参加している守備隊全将兵に向け演説を行っていた。

「演習に参加している守備隊の兵士諸君! 東大佐だ。
 本日、任務であるとは言え、諸君には誠に不本意かつ不毛な戦闘を強いる事となり、私は強い慚愧の念に駆られている。
 しかるに、諸君は任務に忠実に、正に堅忍不抜の精神をもって敢闘し、その勇猛なる姿は演習相手である国連軍衛士訓練兵達をして心胆寒からしめたであろう事は間違いない!
 惜しむらくは、諸君の敵手たる訓練兵達は稀に見る逸材であり、諸君より受ける精神的肉体的重圧を撥ね退け、今尚戦闘行動を継続し続けている事である。
 彼女らの敢闘精神もまた、後進として見たとき、賞賛に値する資質というべきであろう。
 しかし!! このままで演習を終わらせてはならない! 諸君は発揮することを禁じられた本来の実力、諸君の鍛え上げた兵士としての真髄を、その一端たりとも彼女らに示さねばならない!!
 私は、硫黄島要塞守備隊の名誉にかけて、諸君らに今一度の奮起を期待するものである。
 演習参加全部隊は、本日16時50分、日没を前に全軍突撃を実施する。
 訓練兵どもの勇戦に全力を以って応え、先達としての矜持を示せ!!!
 訓練兵どもを恐怖させろ!
 訓練兵どもを蹴散らせ!
 奴らに地獄を見せてやれ!!!
 ―――最後に一つだけ注意事項がある。
 戦闘不能の判定を受けて、地に伏す戦友を踏み潰さないように注意しろ。突撃に際して諸君が気を配る必要のある唯一の事項だ。
 では、諸君、今しばらく辛抱してくれたまえ。なに、祭りの時間は直ぐにやってくるものだ。」

『『『 ―――了解ッ!!! 』』』

「また、随分と煽り立てたものだな。」

 東大佐は、後ろからかけられた粟森少将の静かな声に振り向いた。

「まあ、部下どもも憤懣が溜っているはずですからね。少しはガス抜きをしておきませんと。」

「なるほど。確かに、確かに。しかし、全軍突撃まで、訓練兵どもが大人しく待っていてくれるかね?」

「確かに、夜戦を嫌って撤退することもありえます。ですが、既にそのような前兆が無いか、分析を行うように指示は出してありますし、その場合は全軍突撃を早めるだけのことです。」

 粟森少将は少し考え込むようにしながらも、納得したように頷いた。

「ふむ。今の演説が終わった以上、直ぐにでも突撃には移れるか……相手の撤退に乗じた方が、却って隙を付けるかもしれんしな。」

「そういうことで―――「東司令!!」―――何事だ!」

 粟森少将との会話の途中でかけられた、オペレーターの緊迫した声に、東大佐は瞬時にオペレーターへと向き直った。
 オペレーターは情報画面から目を逸らさないまま、声を大きくして報告する。

「敵陽動砲撃の発射地点が200m後退しました。また、防衛線の重機関銃も射撃が止みました!!」

「ちっ! 全軍に突撃命令! 奴らを逃がすな!!」

「―――それ見たことか。最後まで楽しませてくれるものだ。」

 粟森少将の呟いた言葉は、守備隊司令部の喧騒に掻き消され、誰の耳にも留まる事無く消えていった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、硫黄島南東の荒地を、全速力で突撃する帝国軍兵士達の姿があった。

「ちっ! とうとうケツまくりやがったね、国連の連中。」
「くそッ! やり逃げなんざ、許せるかってのよ!!」
「ああ、一発ぶん殴らせてもらわなきゃ、気がすまねえぜ!」
「あ~、それは止めといた方が良いかもよ。」
「はぁ?! 何でだよっ!!」
「……いや、忘れてくれない? あたしも忘れることにするからさ、アハハ。」

 乾いた笑いを漏らし、帝国軍衛士は駆ける。脳裏に浮かんだ、政威大将軍殿下に生き写しの、国連軍訓練兵の凛々しい顔(かんばせ)を必死に忘れようと試みながら。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時45分、制圧拠点内縁まで後退していた207Bの5人は、最後の仕掛けを準備しているところであった。
 しかし―――

「00より緊急! 敵が総突撃を開始した。防衛網の地雷で止められるのは先鋒だけだ。
 直ぐに突破されるぞ!」

「くっ! じゃあ、みんな、制圧拠点に後退―――「駄目だ!」―――00?」

「それじゃ駄目だ01、制圧拠点に逃げ込んだら、守備隊は包囲戦術を選択できるようになる。
 もし、撤退しきる前に半包囲でもされたら、移動中に『LCAC-1』ごと、狙撃兵による撃沈判定で全滅させられる。
 制圧拠点内の『LCAC-1』に搭載した自動擲弾銃は、制圧拠点外に出るまで撃てないんだ。
 だから、制圧拠点を出た途端に、同時判定で狙撃の餌食になる可能性が大きい。
 今の状況じゃ、制圧拠点を迂回して、第2撤収ポイントの『LCAC-1』まで移動するしかない!」

「―――わ、解ったわ。みんな聞いたわね。陽動砲撃を遠隔操作に切り換えて、第2撤収ポイントへ移動開始よ!!」

「「「「 了解 」」」」

 207Bの5人は、退路を擂鉢山の方角―――南南東へと定め、行軍を開始した。

「00より各員へ、遠隔操作による陽動砲撃再開を確認。
 クレイモア地雷により、敵前衛12個分隊が壊滅するも、後続が前線を突破!
 敵兵力はおよそ46個分隊だ。
 もうすぐ制圧拠点にぶつ―――全員伏せろ!!」

 武の慌てた声に、全員が地面へと身を投げ出す。

「01より00、何があったの?」

「00より各員、陽動砲撃をしていた自動擲弾銃が無力化された。」

「「「「「 !! 」」」」」

「―――よし、現時点で、敵に補足されている気配は無い。敵は制圧拠点の包囲戦術に移行している。
 敵からの視界、射線の阻害を念頭において移動を再開してくれ。
 それから…………」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時49分、守備隊司令部では、東大佐がなにやら難しげな表情で考え込んでいた。

「敵影未だ発見できません。ジュリエット・ブルー分隊が制圧拠点エリア境界線に到達、制圧拠点境界線のデータが開示されました。」

 統合情報画面に制圧拠点の設定境界線が表示された。

「よし、直ちに包囲戦術へ移行。南方の海岸近くに多めに部隊を配置しろ。狙撃兵は境界線から距離を600取って包囲だ。」

「了解! HQより全部隊に継ぐ、直ちに敵制圧拠点の包囲を開始せよ。各分隊は担当エリアをデータリンクにて確認せよ。」

 オペレーターの指示を聞きながら、統合情報画面の戦況図を睨んでいた東大佐だったが、何かに思い至った様子で、慌てて指示を出し始めた。

「至急、最も擂鉢山に近い部隊を3個分隊選び出し、周辺索敵をさせろ!
 狙撃部隊も、3個小隊を南方へ配置、距離は境界線から900に変更だ! 急げ!!」

「りょ、了解! …………こちらHQ、エコー・レッド、タンゴ・グリーン、ヴィクター・ブルーの3分隊は直ちに現地点にて周辺索敵を厳にせよ!
 アルファ、チャーリー、デルタの3個小隊は、制圧拠点の南方を距離900で包囲せよ。ブラボー小隊は1個小隊で北方を距離900で包囲せよ。」

「……一応、東と北も1個分隊ずつに周辺索敵をさせろ。訓練兵どもが隠れているかもしれん。」

「了解。…………こちらHQ。シエラ・レッド、インディア・ブルーの2分隊は現地点にて周辺索敵を……」
「―――!! 東司令、ヴィクター31より報告! 制圧拠点より南南東に訓練兵と思われる人影を発見、数5!!
 ヴィクター・ブルー分隊は追撃に移りました。」

「よし! やはり居たか。全部隊に追撃させろ!!」

「HQより全部隊に告ぐ―――ッ! 制圧拠点周辺全域で地雷の起爆を確認!
 また、南南東より支援砲撃を受けています!! 砲撃地点は1箇所のみ、陽動砲撃と思われます。
 残存兵力は歩兵5個分隊、狙撃兵12個分隊です。
 現在、残存した歩兵5個分隊と、再編された歩兵4個分隊が全力で追撃に移っています。」

「先行している歩兵に陽動砲撃をしている支援火器を蹴散らせと伝えろ! このままでは、狙撃兵が移動できん!」

「りょ、了解! HQより……」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、つい先程発見したばかりの国連軍訓練兵と思われる集団に向かい、ヴィクター・ブルー分隊は突撃していた。

「くっそう! またやられたっ!!」
「国連の奴らは、地雷マニアばっかりかよ!!」
「見事な手並みだよね、あれで訓練兵とは空恐ろしい連中だよ。」
「まったくだ、しかし、最後で運が尽きたようだな。俺たちに見つかったのが……」
「運の尽きって奴よね~。仕留めるわよ~。守備隊一の夜戦上手と言われたこの私の手でね。」
「ま、今は見失わないことが大事だ! 支援火器はエコー・レッドに任せて俺達は距離を詰めるぞっ!」
『『『 了解ッ!! 』』』

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 時は僅かに遡って16時51分、207Bの5人は、地形の谷間を縫うようにして、南南東の第2撤収ポイントを目指していた。

「00より01。敵1個分隊がそちらの追撃を開始した! 直ちに地雷原の起爆と陽動砲撃の開始を進言する!」

 千鶴は、武の言葉が終わるのを待たずに手にしていた起爆信号発信機のスイッチを押し、同時に彩峰に指示を出す。

「04、陽動砲撃開始!」
「わかった。」

「00より各員、敵29個分隊を殲滅! 残った敵9個分隊がそちらに突撃している。
 陽動砲撃により足止めされている狙撃兵分隊と思われる分隊は8個分隊だ。
 04、陽動砲撃の発射間隔は早めにしてくれ。」

「04、了解。」

 先頭を歩いていた千鶴が振り向き、全員に命令を下す。

「陽動砲撃が行われている内に距離を稼ぐわよ! 全員駆け足!!」

「「「「 了解! 」」」」

 第2撤収ポイントへ向けて、207Bと守備隊の追いかけっこが始まった……

 ―――4分後、陽動砲撃を行っていた遠隔操作の自動擲弾銃が無効化され、207Bの5人は再び地形による射線阻害を利用した移動を強いられていた。
 しかも、陽が完全に沈んでしまい、足元が定かではなくなってしまっている。必然的に移動速度は落ちた。

「00より01、追撃部隊は25個分隊に増えた。最も近い分隊との距離は300、直ぐに追いつかれちまうぞ。」

「01了解…………彩峰……意見はある?」

「足止めするしかない。」

「…………彩峰、御剣、追撃部隊の足止めをしてちょうだい。
 珠瀬は2人を援護でき、且つ敵の狙撃兵に狙われにくい狙撃ポイントを探して隠蔽。
 鎧衣と私で第2撤収ポイントの『LCAC-1』に先行して、搭載してある自動擲弾銃で陽動砲撃を行うわ。
 陽動攻撃が始まったら、3人とも足止めを止めて第2撤収ポイントへ急いでちょうだい。
 『LCAC-1』に乗りさえすれば、こっちのもんだわ。いいわね?」

「「「「 了解! 」」」」

 冥夜と彩峰は大きな高低差のある地形の影に入ったところで身を潜め、敵歩兵分隊が近付くのを待ち受けた。
 壬姫は2人の近くから周囲の地形を検分して、狙撃地点と定めた草叢へと移動していく。
 207B側は、振動探知を行っているという想定のため、直視しなくてもデータリンクで守備隊の位置が把握できる。
 先頭の部隊を殲滅するのは容易い事だ。しかし、問題は、その後にある。

 こちらが攻撃することで潜伏位置が露呈し、残った敵追撃部隊が殺到することが予想された。
 歩兵分隊だけなら、多少数が居ても凌げる自信はあるが、狙撃兵分隊に接敵されたら一巻の終わりだ。
 それまでに千鶴たちが陽動砲撃を再開できるかが、生死の分かれ目であった。

「さて、覚悟を決めるとするか。」
「榊は、絶対間に合うよ……絶対に、間に合わせる筈……」
「ほう? 何故(なにゆえ)そう思うのだ?」
「……わたしに謝りたくないだろうからね。」
「04! ……聞こえて……いるわよっ!!」
「怖い怖い……」
「「 あはははは 」」

 軽口を叩きながら、彩峰は今回の作戦が何故上手く機能したのか解ったような気がしていた。

(榊は、今回の作戦では、幾つもの事態を想定して、代案を複数用意してたんだ。
 ベストを1つじゃなく、ベターを幾つも。
 そして、白銀に、鎧衣や御剣、そしてわたしや珠瀬からも意見を聞いて、その都度方針を変えていたんだ……
 少しは見直してやっても良いかも知れない……おちょくるのは止めないけどね。)

「彩峰、来るぞ! 一端やり過ごして、後ろから撃とう。」
「了解!」

 ―――そして、彩峰の言った通り、千鶴はちゃんと間に合った。



*****
**** 9月20日築地多恵誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話5 ****
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どこかの確率分岐世界
2008年09月20日

 10時29分、B8フロアにある、多恵の部屋の扉をノックする茜の姿があった。

「多恵~? いるんでしょ~。何やってんの? そろそろ出かけないと、お昼時でお店が混み出しちやうよ~。」

「へゃっ! あ、あああああ、茜ちゃんでねか?! うひゃう! も、もうこんな時間だったべか……ちょ、ちょっくら待っててけろッ!!」

「うっわ。何時にも増して訛ってる……多恵ったら、また何か妄想してたわね。」

 ドアの向こう側からの返事に、茜は額に手を当てて嘆く。
 多恵と知り合って、もう7年半以上になる茜は、多恵の奇行には慣れてしまっている。
 その茜にしても、今の多恵はちょっと動顛が激しすぎるように感じていた。
 だからか、特に意識はせずに、茜は目の前のドアを押して室内へと踏み込んでいた。

「多恵? どうしたの…………ッ!! 多恵ッ!!」

 室内に入った茜が見たのは、下着姿で泣き腫らした多恵と、周囲に落ちている破り捨てられたブラウスであった。
 茜は大声で多恵に呼びかけながら、大急ぎで歩み寄る。

「あ……茜ちゃん……す、すぐ支度するだから、待っててけろ。」

 その茜の剣幕に驚いたのか、泣き腫らして真っ赤に充血した目を大きく見開いて、多恵はよろよろと立ち上がった。
 その多恵の両肩を支えるように手を添えた茜は、多恵に向かって真剣な眼差しで問いかけた。

「多恵! 何があったの?! 誰に乱暴されたのッ?!」

「へ?……………………べ、別に、なんもねえっぺや?」

「え?…………」

 多恵の返事に、床の引き裂かれたブラウスに視線を落す茜。
 その視線を追った多恵は、茜の勘違いに気付いて慌てて弁解を始めた。

「あ……こ、これは違うだよ茜ちゃん! ちょっと気持ちさ高ぶっちまっただで、着替えよう思っち持っでたブラウス、自分で破っちまっただよ。
 別になあんも、起ぎてなんぞねぇだ!!」

「あ、そう…………そう、なんだ……ごめん、勘違いしちゃった、あはは……」

 多恵の説明に自分の思い込みであったと理解した茜は、顔を真っ赤に染めながら謝罪した後、乾いた笑いで誤魔化した。
 しかし、対する多恵は茜に心配してもらえた事が嬉しかった様子で、右後ろに結ったポニーテールを尻尾よろしくぶんぶんと左右に振って、茜の謝罪に感謝を持って応える。

「んにゃぁあ! おらの事心配してもらえるなんで、ほんなこつ嬉しいっぺや! 茜ちゃんはやっぱ最高だっぺや!!………………んでも……
 ―――んでも、茜ちゃん、結婚しちまうんだっぺや?」

「!!―――け、けけけ、結婚っ?!………………そ、そっか……婚約したこと、もう耳に入ったんだ。」

 多恵の言葉に、今度は違う羞恥で首から上、耳の先まで真っ赤に染めて、茜は多恵に確認した。
 多恵は、俯いてポツリポツリと言葉を発して応えた。

「んだ……今朝寝坊さしでPX行っだら……宗像少佐が速瀬少佐さからがってで……そんとき涼宮少佐ど……茜ちゃんも……一緒に婚約しだっで……」

「そっか、ばれちゃったか……別に、隠してた訳じゃないんだけど、戦況はまだ厳しいし、あまり大っぴらにするのもね……
 ―――そ、それにさ、まだ婚約しただけで、結婚するのはまだまだ先の話よ。」

 未だ真っ赤な顔のままで、それでも多恵を立ち直らせようと声をかける茜。
 そんな茜に、多恵は俯いていた顔を上げて、無理矢理笑って祝福の言葉を告げる。

「うんにゃ、おめでとお、茜ちゃん! 茜ちゃんならきっど幸せになるっぺや……けんど…………」

 しかし、途端に笑顔を歪ませ、また俯いてしまう多恵に茜は心配そうに声をかける。

「けど? だけど、どうしたっていうの? 多恵……」

「―――けんどっ! あだしはこれで、失恋確定だっぺやぁーっ! う……うぁああああああ~~~~っ!」

 茜に両肩を支えられたまま、俯いた顔を左右に激しく振り、床へと涙をバタバタと振り散らかす多恵。
 そんな多恵に、茜は右手を肩から背中へと回し、優しく撫でながら慰めた。

「ごめん……ごめんね、多恵……多恵の気持ちに応えられない私を許して…………
 ……けどね、多恵。あなたは私の掛替えの無い戦友よ! 共に戦場を駆け抜けて、お互いに支えあってきた仲じゃないの……
 この絆は、私が結婚しようと、例え死んでしまおうと、決して無くなったりはしないわ。
 わたしは生ある限り、多恵の事は忘れない! これだけは誓ってもいいわ。
 ……だから、多恵。それで我慢して頂戴。わたしを許して、ね……」

 茜も長い付き合いの中で、多恵が自分に慕情を向け続けていた事には気付いていた。
 しかし、茜は多恵に、というより、同性に対して恋情を抱く気になれず、その想いを受け流し、友情のみを育んで来たつもりだった。
 報われない日々であっただろうに、それでも、多恵の想いは変わらなかったんだなあと、茜は改めて多恵の自分への慕情を思い、優しく多恵の背中を撫で続ける。
 茜の言葉が届いたのか、背中を優しく撫でられて落ち着いたのか、号泣するのを止めた多恵が、掠れた声を上げる。

「………………あ、茜ちゃん……」

「なに? 多恵。」

「……ひどづだげ……無理を承知で頼んでもいいっぺか……」

「なに? 私に出来る事なら……」

 茜が優しく促すと、多恵が物凄い勢いで顔を上げ、茜の顔を両手で挟み込むように固定して、間近から目を覗き込むようにして願いを口にする。

「茜ちゃんっ!! あだしの一生に一度の願いだ! 結婚する時さ、『拡大婚姻法』の適用さ申請してけろ! あだしにも茜ちゃんと結婚ささしてけろっ!!」

「か、『拡大婚姻法』……ねぇ…………えっと、多恵、私だけじゃ決められないから…………三郎さんと相談させて……
 な、なるべく、前向きに検討してもらう……から……だから……その……お願いだからっ、もう少し時間を頂戴……
 ―――って、目を瞑らないでっ、首傾けないでっ、唇寄せないでっ、多ぁ恵ぇえっ―――!! っっっとぉ、てりゃっ!!」

 すっかり盛り上がって、茜の唇を奪いに来た多恵を茜は一生懸命正気に戻そうとしたが、言葉の無力を悟ると、思いっ切り勢いを付けて多恵に頭突きを見舞って貞操の危機から脱してのけた。

  ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎

 『拡大婚姻法』は、2003年に、前年の『甲20号目標』制圧を受け、BETAの直接的脅威から脱した日本において制定された。
 2003年の民法並びに戸籍法の改正と共に、『拡大婚姻法』は20年間の時限立法として制定され、2004年4月を以って発効した。
 これにより、日本では多夫多妻婚姻が可能となった。
 2003年の法改正と、『拡大婚姻法』制定にあたっては、国民総人口の回復を目指した多産奨励政策と共に、2003年当時の男女比率の偏り、社会基盤の女性依存率の拡大、法制に於ける男女不平等の是正などがら、新しいBETA戦後の日本の在り方を模索する意味でも重要な転機であるとされた。

 従来の男性主体であった諸制度を改め、戸籍に於ける筆頭者を性別に因らず定める事が可能とされ、『夫婦同氏の原則』に代わり夫婦別姓が原則となり、婚姻適齢期の男女差が撤廃され共に16歳以上となるなど、多くの法改正が女性有権者の声を代弁する女性議員達の手によって断行された。

 そして、2003年の法改正の目玉とされた『拡大婚姻法』に関連しては主に下記のような事柄が定められた。

 ・戸籍法の改正事項:
  一、『拡大婚姻法』の適用により複数の男女(ただし、同一の性別のみで構成された集団を除く)により、1つの戸籍を作成し、筆頭者を定める事が出来る。
  一、追加婚姻に伴う入籍に際しては『多夫妻』全員の同意を必要とする。
  一、戸籍に、『配偶者』項目と併記で、『多夫妻配偶者』の項目が追加。
  一、戸籍の『嫡出子』『非嫡出子』『養子』の細目に『実父』『実母』の2項目が追加。

 ・民法の改正事項:
  一、婚姻適齢は男女共に16歳以上。
  一、成人年齢は18歳に引き下げ。
  一、『夫婦同氏の原則』の撤廃。ただし本人の意思により男女共に戸籍筆頭者の姓へと改姓する事も可能。
  一、『拡大婚姻法』の適用により、戸籍を同じくする複数の男女は、従来の婚姻制度における『夫婦』に順ずる『多夫妻』として、各種法制の適用を受ける。
  一、『拡大婚姻法』の適用を受けた者は、適用後5年間を再婚禁止期間と定める。
  一、『拡大婚姻法』適用後、5年を経過した後の各年度開始時点において、新生児の累計出生数が『多夫妻』の構成人員の内、同法適用後5年を経過した『多夫妻』の合計人数以下であった場合、『拡大婚姻法』の適用は解除され、『多夫妻』による婚姻は解消される。
  一、戸籍に記載された子供の親権については、『多夫妻』による婚姻中に於いては『多夫妻』の構成員全員が権利義務を共有する。

 『拡大婚姻法』は、一時期取り沙汰された一夫多妻制度の復活論に対する女性有識者の反発から始まった。
 同法は、男女同権の基本理念に基づきつつも、従来の『家』に依存する社会通念の崩壊を抑止しつつ、個別の要求により柔軟に対応し、多様な婚姻の形態を許容しようとするものであった。
 同法は、成人男性の減少と、多産奨励による国民総人口回復、男女同権運動の機運の高まり等を受け制定を目指した。

 しかし、既成の倫理観の崩壊や、歪な社会の醸成などに対する危惧を訴える識者からの反対なども強く、同法は20年間を差し当たっての期限とする時限立法(限時法)として制定されることとなった。
 また、同法の主たる目的は多産奨励であるとされ、同法適用者には多産が義務付けられると共に、乱用を防ぐ為に適用後5年間という長期の再婚禁止期間が定められる事となった。
 しかし、20年の期限が経過する中で、社会通念が新たに醸成される事により、同法は恒久法に改められるであろうと言われている。

 また、同法制定の陰には、男性の減少に伴って社会現象化し始めていた、日本に於ける同性愛者達による、事実上の同性婚姻を目指した組織的運動があったとも言われている。




[3277] 第32話 激闘!硫黄島-サウナ編-
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:47

第32話 激闘!硫黄島-サウナ編-

2001年11月01日(木)

 17時22分、硫黄島近海を遊弋する『LCAC-1』の左舷前方に位置する乗員室では、207Bによる作戦会議が行われていた。
 議題は勿論、作戦を更に継続するかであった。

「この上陸用舟艇に積載してある装備だけでは、いささか心許ないと言わざるを得ぬであろうな。」
「……そだね。」
「制圧拠点に残してきた『LCAC-1』や装備は無事じゃないかなあ?
 防衛線にだって、再利用可能な装備は残ってそうだし、回収すれば後一回くらいは……」
「でもでも、制圧拠点の包囲が解けてるって保証はないですよ~。」
「問題になるのはそこね。けど、自動擲弾銃を連射しながら海上から接近してみて、迎撃反応を探るって方法はあるわね。」
「では、まずはその方向で……」
「HQ、00(白銀)より各員。話中済まないが、香月副司令から話があるそうだ。」

「01(榊)了解。―――香月副司令、どうぞお話しください……」

 通信越しで話に割って入った武の言葉に、視線で会議の中断を指示すると、千鶴は夕呼に話を聞く態勢が整ったことを伝えた。

 千鶴の声に続いて、今すぐスキップでも始めそうなほどに上機嫌な夕呼の声が、オープン回線に流れた。

「あんた達、良くやったわ! 満点上げてもいいくらいよ。あたしもあんだけの装備、横車押して揃えさせた甲斐があったってもんよ。
 そういう意味では、今回のこの結果はあたしのお蔭って言っても過言じゃないわね!
 まあ、細かいことはどうでもいいから、早いとこHQに帰還しなさい!」

「りょ、了解しました。207訓練小隊は直ちにHQに帰還します!」

「とにかく急ぎなさい、いいわね?―――じゃ、まったね~。」

「「「「「 ……………… 」」」」」

 207Bの5人が訳も解らずに首を捻っていると、さらにHQから通信が入った。

「こちらHQ、神宮司軍曹だ。急な事で驚いているだろうが、現時刻を持って総合戦闘技術評価演習は終了とする。
 急遽打ち切りとなった原因に関しては、帰還後に説明するが、これにより貴様らに悪い評価が与えられる事は無いので動揺するな。
 装備品の回収は帝国軍硫黄島守備隊と硫黄島に残留している『LCAC-1』2隻のクルーに任せればいい。
 現時点では以上だ。早く帰って来い。」

「「「「「 了解…… 」」」」」

 これで最低限の状況把握は出来たので、一同は操縦室の方へと移動し、艇長にHQへ帰還してくれるように依頼することにした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時27分、高速クルーズ客船『てんま』に設置されたHQへ、207Bの5人が駆け込んできた。
 土や埃、汗にまみれて一列に並ぶ5人の端に武も並び、ほぼ9時間半ぶりに207Bの全員が一堂に会した。
 そして、千鶴が分隊長として、自分たちの前に立つまりもに帰投報告を行う。

「207訓練小隊B分隊、―――敬礼ーーっ!
 榊千鶴訓練兵以下6名、只今帰投いたしましたっ!」

「よし。よく全員生還した。今回の……」
「はいはい、そこまで。まりも~? あんたに任せると長くなるから、後はあたしがやるわ。」
「ゆ……香月副司令、困ります……」
「命令よ! てことで、あんた達。」

 突然割り込んできた夕呼に、千鶴が慌てて号令をかける。

「こ、香月副司令に対し、敬礼!」

 すると、上機嫌だった夕呼は途端に顔を顰めて千鶴に文句を言う。

「榊ぃ~、そういう無駄に堅っ苦しいのは止めてよね~。
 総戦技演習不合格にしちゃうわよ~?」

「―――し、しかし……」

「ま、今日は気分が良いから許したげるわ、次から気をつけなさい。
 で……なんだっけ? あ、そうそう、あんた達、総戦技演習は合格。以上終わり。」

(またこの人は……)「「「「「 ―――へ? 」」」」」

 夕呼のあまりにあっさりとし過ぎた合格通知に、武は内心で頭を抱え、それ以外の207B一同は唖然としてマヌケな声を上げた。

「で、こっからが本題よ。―――いい?
 ……………………サウナに繰り出すから、さっさと支度しなさい!!」

「「「「「「 サウナ~~~~~ッ!!! 」」」」」」

「そ、硫黄島要塞ご自慢の、地熱利用の乾式サウナよ! あんた達の健闘に敬意を表して、要塞司令が貸切にしてくれるっていうのよ~っ!!
 汗を流した後は、夕食もって言われたけど、こっちの船の方が良い物出すから、そっちは断っちゃった。
 とにかく、そういう訳だから、さっさと支度してきなさい。
 あんた達の準備が出来次第、すぐに出発するわよ。」

「ふ、副司令! 質問させていただいてもよろしいでしょうか!」

 千鶴は嫌な汗を流しながらも、勇気を振り絞って夕呼に質問の許可を求めた。

「いいわよ~、なに?」

「……そ、その、ご命令は解りましたが、その、し、白銀も……ど、同行するのでしょうかっ!」

(委員長っ! その質問は逆効果だっ!!―――って言っても、こっちの委員長は先生との付き合いが殆どないから無理もないか……)

 その質問を聞くなり、夕呼はニヤリと邪悪に笑い、207Bの一同に、嘗め回すような視線を投げかけた。
 武は、既に覚悟を決めており、表情を消して嵐の到来に備えた。

「なに? 前線に出て戦わなかったからって、白銀を仲間外れにでもしようっての?
 それなら、希望通りにしてやってもいいわよ~。」

「な、仲間外れって……そ、そんな事は考えていません!!」

「じゃ、問題ないじゃない。あんた達だって知ってるでしょ?
 前線では、風呂もトイレも男女一緒、いちいち気にしてたらやってけないわよ?」

「い、硫黄島要塞は、現在戦闘配備にありませんし、前線とは言い難く……」

「あらぁ? 変ねえ? あんた達、ついさっきまで硫黄島で戦ってたんじゃなかったの?
 演習とは言え、前線だったってことじゃない。」

「そ、それは…………へ、屁理屈です!」

「ふぅん、副司令に向かって屁理屈とは、いい度胸じゃないの、榊訓練兵。
 で、榊以外のあんた達は、白銀と一緒でも構わないのかしら?」

 千鶴を一瞥して萎縮させ、黙らせてしまった夕呼は残った207B女性陣4人へと矛先を転じた。

「「「「 ………… 」」」」

「聞こえないわね。なに? 分隊長の榊にだけ火の粉を被らせといて、自分達は逃げ出す気?」

「「「「 ッ!! 」」」」

 辛辣な夕呼の言い様に、榊以外の他の4人も覚悟を決めた。

「ご命令とあれば従いますが、そもそも白銀と共に入浴する必要を認め得ないのですが。」
「えっと、その……は、恥ずかしいので勘弁してくださいぃ……」
「……白銀の目付きがヤラシイからイヤ?」
「タ、タケルがどうしてもって言うなら、ボクは我慢しても―――「「「「 鎧衣(さん)ッ!! 」」」」―――反対です……」

 冥夜、壬姫、彩峰、美琴の4人は口々に、武を伴っての入浴に、反対意見を述べた。一端許容に走った美琴だったが、他の4人に睨まれて、反対に転じた。

「珠瀬の恥ずかしいってのはさっきも言った理由で却下、御剣の必要性っに関してはしっかりとあるわよ?
 なにしろ、今回の要塞司令のご高配は207訓練小隊B分隊に対するもの。そこには当然白銀も、ひいてはまりもだって含まれてるわ。
 それをこっちで勝手に除外したら、礼を失するってものじゃないのかしら?」

「はうあうあ~」「む……」

 壬姫は早くも目を回し、冥夜は悔しげに口を噛む。

「鎧衣はどうでもいいとして、彩峰……疑問系で逃げるってのはどうかと思うわねぇ。
 断言して見せるなら、考えてやってもいいわよ?」

「アハハ……」「………………」

 乾いた笑い声を出して誤魔化す美琴と、黙って俯いてしまう彩峰。
 仲間が敵わぬと知りつつここまで奮戦したのだから、武としてはその方が良い結果を導くと知ってはいても、独り座して居る訳にもいかなかった。
 武は、自らが犠牲の羊になることを決意した。

「夕呼先生も一緒に入るんですか?」

「あったり前じゃないの。硫黄島要塞の地熱サウナといえば、帝国軍のお偉方垂涎の知る人ぞ知る施設よ。」

「へ~~、それは豪勢ですね! 前々から夕呼先生とまりもちゃん、どっちがプロポーションがいいのか気になってたんですよ。
 乾式サウナなら邪魔な湯気もないですし。千載一遇の機会(チャンス)って奴ですね。
 要塞司令のご高配には感謝してもしきれ…………」

 そこまで言った所で、武は後ろから彩峰に口をふさがれ、冥夜の当身を鳩尾に受けて気絶した。
 千鶴の直卒により、気絶した武はHQの外へと速やかに運び出されていく。
 1人残った冥夜は、直立不動で夕呼に対して、言上した。

「香月副司令。慮外者への処罰は我らにお任せいただきたい。
 必ずや、性根を叩きなおし、二度とこのような事の無い様に厳しく躾け直しますゆえ、此度の暴言には何卒ご寛容を賜りますよう、切にお願い申し上げます。」

「はいはい、解ったから、あんたも行きなさい。それから、折檻はほどほどにして、サウナに出かける仕度の方を優先しなさいよね~。
 あたしは待たされるのは嫌いよ?」

「はッ! 確かに承りました。では……」

 冥夜は敬礼をしかけて止め、深々と一礼してHQを出て行った。
 かくして、HQには夕呼とまりものみが残される。

「ちっ! 白銀の奴、上手いことあの娘たちを逃がしたもんね……」

「ちょっと夕呼、少し苛め過ぎなんじゃないの?」

「追試みたいなもんよ。あの娘たちも、精神的にはまだまだ甘いところがあるわね。
 ま、白銀がいれば、空中分解はしないだろうけど……
 しっかし、揃いも揃ってほんっとぉ~に初心(うぶ)ね~。あれだけはっきり意識してるってのに、あの馬鹿は全然気付いてないみたいだし。」

「まさかそんな事ないでしょ。単に白銀が相手にしてないだけじゃないの?」

「あんたも相変わらずそっち方面は鈍いわね~。そんなんだから、男逃がしてばっかなのよ。」

「う、うるさいわねぇっ!」

「ま、それでも白銀に比べたら百倍はマシね。
 なにしろあいつと来たら、『何かの間違い』でもない限り、あの娘たちと恋仲になるなんて有り得ないって思ってるらしいわよ?」

「そ、それは………………確かに、鈍すぎるわね……」

「ま、いいわ。白銀が道化を演じてまで逃がしたんだし、今回は白銀に免じてあの娘たちは勘弁してやるわ。
 まりも、白銀は暴言に対する隊内処分として、本日の夕食まで謹慎、サウナへの同行を禁ずるってことにして、あの娘達に伝えてやりなさい。
 白銀には、これは口実だから、砂浜でも散歩して時間を潰すように言っといてちょうだい。」

「…………夕呼にしちゃ、随分と優しいじゃないの。」

「―――ちょっとね。それより、早く行ってサウナの仕度をさせなさい。そろそろ船が硫黄島の埠頭に着いちゃうわよ?」

「解ったわ。」

 まりももHQを後にすると、夕呼一人が情報機器の中に取り残された。
 そして、夕呼は右の拳を唇にあて、独り呟きながら自身の行動を振り返った。

「………………あたしが優しい? …………記憶が流入したせいで情が沸いたのかしら?
 ―――ま、いいわ。いざとなったらそんな感情、すっぱりと切り捨てて見せるわよ。」

 夕呼の呟きは、人気の絶えたHQに虚ろに響いて消えた……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時41分、207Bの全員が、高速クルーズ客船『てんま』の後部甲板に揃って並んでいた。
 武以外の全員が、個人差はあるものの一様に、何某かの荷物を足元に置いていた。

「さて、接岸までもう暫く時間があり、香月副司令もお見えになっていないので、この時間を使って今回の演習の講評をしておく。」

 まりもは目の前に並んだ訓練兵達を見た。
 皆、どの様な講評が下るのか真剣な面持ちで待っている。

(そうよ。 合否だけ伝えればいいってものじゃないのよ! 総戦技演習の締めは、この娘たちのためにもしっかりとやっておかなくっちゃ。)

「まず、第1次攻撃および第2次攻撃の際だが、御剣は指揮を白銀に任せ過ぎだ。
 確かに問題は発生しなかったが、現場で部隊の指揮を取る立場になった以上、そう簡単に指揮権を放擲してはならない。
 どうしても止むを得ない場合や、状況的に相応しい場合は、第3次攻撃に於いて榊が行ったように、委譲する権限の範囲を明示するか、追認の形で自分の命令として部隊を動かすべきだ。
 これは、何か問題が起こった際に、責任の所在が曖昧になってしまわないためにも重要なことだ、しっかりと心しておけ。」

「―――はッ! 」

「珠瀬が自失した件は、白銀のフォローがあったとは言え、自力で立ち直ったのでよしとしよう。
 だが、自分の心の弱さが、仲間の窮地を呼び込みかねないことを、全員肝に銘じて置くんだな。」

「「「「「「 はい! 」」」」」」

「全般的に、白銀の戦域管制に職掌を超えた部分が多分に見られたが、実戦経験の有無から来る差がある以上、口を出したくなるのも無理はないだろう。
 実戦に於ける戦域管制は今回の白銀ほど懇切丁寧とは限らないという事を忘れるな!」

「「「「「「 はい! 」」」」」」

 眉を寄せ、気難しい顔を作って、ここまでの講評を行っていたまりもだったが、ここに至ってニヤリと笑って話を続けた。

「とは言え、これらの点を考慮しても尚、貴様らの演習結果は大したものだと誉めてやるべきだろうな。
 最終的に貴様らが殲滅した守備隊兵力は345個分隊強、総勢4144人を数えた。」

「「「「「「 ―――!! 」」」」」」

「単純計算で10個大隊を超える兵力を、1個分隊―――白銀を入れてもたった6人の戦力で、作戦開始より10時間を経ずして殲滅したことは特筆に価する。
 それが、例え徒手空拳に等しい相手に、過剰なまでに潤沢な装備を以って為した事だとしてもだ。
 殊に、第3次攻撃の中盤以降、途切れる事の無い波状攻撃に100分以上も耐え、その後の撤収時に至るまで敢闘精神を保ちえたことには高い評価を与えねばなるまい。
 また、戦況の変化に、柔軟に対応し、敵に大きな損害を与え続けたことも高評価だ。
 皆、今回の演習で、圧倒的な物量に押し寄せられた時の恐ろしさが体感できたと思う。
 実戦でBETAの群れと対峙した時、今日の体験は決して無駄にはならないものと確信している。
 よくぞ、苛酷な演習を1名の脱落も無く耐え切った。
 私は今日の貴様達の働きを誇りに思う。今回の評価演習の結果は、香月副司令が仰ったとおり合格だ。よくやったな、おめでとう。」

「「「「「「 ―――あ、ありがとうございますっ!! 」」」」」」

 207Bの全員が、総戦技演習に合格した喜びに打ち震えている。
 武は、幾多の記憶で総戦技演習に合格してきていたが、5人の喜ぶ様に今回も目頭が熱くなるのを抑えることができなかった。

「良かったな、やったじゃないか、みんなっ!!」

 武の声に、207B女性陣は喜びに輝いた顔を一斉に武に向けて……

「……なんだ、白銀、居たの。」
「……結構しぶとい、もう少し絞める?」
「なんだか、感動がどっかにいっちゃいましたよ~」
「タケルぅ~、折角みんなして喜んでるのに、空気読まなきゃ駄目だよ~。」
「いくら衛士として優秀でも、人品卑しいのではな……」

 207B女性陣は途端に目を半眼にし、どんよりとした眼差しで、武に冷たく鋭い言葉を投げつけてきた。

「―――ッ!! お、おまえら………………」

 あまりに冷たい扱いに、武がショックを受け絶句すると、5人は一斉に笑い出して、武に駆け寄る。

「うふふふふ、なぁに、その顔! 冗談よ、冗談。」
「ヘコンデル、ヘコンデル……」
「ほんとはみんな、たけるさんに感謝してるんですよ~。」
「まあ、今回の殊勲賞はタケルで間違いないよね。」
「そうだな、だが、人品が大事であることは事実だ、タケル、心しておくがいいぞ。」
「それはそうだね~。」
「ま、感謝してるわよ、白銀。」
「アリガト……」
「タケルぅ、ほら、しゃんとしなよ~。男の子でしょ?」

「………………ハイ、今後ハ不適切ナ言動ハ、控エサセテ頂キマス…………」

 武は、未だにショックから立ち直れず、引き攣った笑みを浮かべて、抑揚に欠けた声を出すのが精一杯であった。

「はいはい、白銀をからかい終えたんなら、そろそろ行くわよ~。
 白銀はこれに懲りたら、次からあたしの邪魔はやめるのね。」

 丁度、後部甲板に姿を現した夕呼は、皆の脇を通り過ぎながらそう声をかけると、武以外の全員を引き連れて上陸タラップを降りて行った。

 甲板から皆の姿が見えなくなるまで見送った武は、一度懐中電灯を取りに船内へと戻った。そして、自分もタラップを降りると硫黄島へと上陸した。

 そして、夜の海岸で独り、霞へのお土産になりそうな貝殻を物色し始めるのであった……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時02分、硫黄島要塞南東エリアの玉名山の頂上近くに設けられたサウナに、夕呼、まりもと207B女性陣の姿があった。

 硫黄島の埠頭に上陸した一行には、要塞司令部所属の女性中尉が案内に付き、差し回しの移動車両に乗って地上を移動した後、地下陣地へと招き入れられた。
 大東亜戦争当時は地熱と硫黄臭に悩まされる急造陣地であったらしいが、現在では地熱発電により豊富な電力が供給されており、地下陣地全域に空調が行き渡っているとの説明が、案内役の中尉よりなされた。
 11月だというのに蒸し暑い地上とは異なり、涼しく過ごしやすい地下陣地の通路を通り、一行は賓客歓待用サウナ施設へと案内された。
 このサウナ施設は地熱利用ではあるものの、基地内の巡回水冷システムで集められた熱を利用しているため、実際には地上に設けられていた。
 そして、玉名山の山頂を背に南東の海を眼下に、上には満天の星空を楽しみながらサウナを楽しめるようになっていた。
 サウナにはシャワーと水風呂も併設されており、海水や雨水を浄化して飲料水を精製している硫黄島に於いては、非常に贅沢な施設であった。

「ん~~~っ。聞いていたよりも大分マシな施設ね。硫黄の匂いもしないし、これなら満足できそうだわ。」

 そう言うと、タオルすら身に纏わずに木製のベンチに腰掛けた夕呼は、両手の指を組んで頭上に上げ、大きく伸びをした。
 その隣では、腰の辺りにタオルをかけたまりもが、呆れた様に夕呼の様子を眺めていた。
 2人の反対側のベンチには、壬姫、美琴、千鶴、冥夜、彩峰の順で出入り口付近から横並びに、身の置き場がなさげに寄り集まって腰掛けていた。

「ほら、あんた達。無礼講にしてあげるから、そんな縮こまってないで寛ぎなさい。
 元々、ここを使わせてもらえるのは、あんた達の働きによるんだし、もっと堂々としてていいわよ~。」

 夕呼のその言葉に、彩峰は冥夜と距離を空けて楽な姿勢で座り直し、冥夜も姿勢を崩しこそしなかったものの、隣の榊との間に空間を空けた。
 そして、サウナに金属はご法度なので、メガネを外している千鶴は、無礼講との許可に力を得、気になっていた事柄を口に上らせるのであった。

「ありがとうございます、副司令。では、お言葉に甘えて、幾つか質問させていただいてもよろしいでしょうか。」

「いいわよ~。このサウナにご相伴できた分だけ、質問に答えてあげるわ。」

「では、演習が急遽切り上げられたのは、どのような理由によるものでしょうか。
 また、このサウナを利用できるのが、私達の働きによるというのは、どういった意味なのでしょうか。」

「ぷっくくく…………それが傑作なのよね~。あんた達が、余りに上手く立ち回ったせいで、守備隊司令が音を上げちゃってね。
 もうこれ以上は勘弁してくれって泣き付いてきたのよ。
 だもんだから、演習期間を短縮して切り上げる代わりに、硫黄島要塞の歓待を受けられる事になったってわけ。」

「副司令、その仰りようは如何なものかと。
 榊訓練兵、硫黄島守備隊司令官殿は、貴様らの勇戦を讃え、これ以上の演習は必要ないとの提言をなさったのだ。
 実際、貴様らの上げた戦果は大きく、あの時点で部隊が全滅していたとしても、合格とするに十分なものであった上に、貴様らは全員健在な状況で既に島からの離脱を成功させていた。
 そのままHQに帰還すれば合格は確定であったため、守備隊司令官殿のご提言を容れ、演習期間を短縮して終了としたのだ。
 このサウナの利用については、要塞司令官閣下のご高配を賜ったものであり、なんら取引めいたことは行われていない。解ったな。」

「「「「「 はい! 」」」」」

「まりも~、またあんたはそんな詰まらないことばっか言って……………………そうだ。
 鎧衣、あんた、そこに積まれてる、白い山がなんだか解る?」

 またぞろ夕呼に嫌味でも言われるかと身構えていたまりもは、夕呼の矛先が美琴に向かったことに安堵した。

「えっと…………あっ! もしかして、これが噂に聞いた塩サウナですか? 副司令!」

「さっすが、鎧衣。良く知ってたわね~。効用及び入浴法も説明できる~?」

「えっと、確か……効用は、体に悪い脂肪を溶かし出すとか、皮膚呼吸を正常化させるので美肌効果があるとか、筋肉疲労が取れるとか言われていて、冷え症の解消にも効果があり、減量効果もあるって話です。
 入浴方法は、始めに全身を濡らした後で水気を拭き取ってからサウナに入って、汗ばんできた頃から手に塩を取って頭の天辺から爪先まで、指の間とかも満遍なく塗り広げます。
 この時ゴシゴシと擦り込まない様に気を付けるのコツだそうです。
 そうする内に、塩が汗に溶け出すのでマッサージをするように更に塗り広げます。
 そして、10~15分、シャワーで良く塩を洗い流して、湯上りには水風呂で頭も顔も十分に冷やすんです!」

 美琴の説明を、サウナに居る夕呼以外の全員が興味深げに聞いていた。

「ちゃんと解ってるじゃない。さっすがあの鎧衣の娘ね~。」

「え? 副司令は父をご存知なのですか?」

「たま~にね。あたしが珍しい物が入用になった時に仕入れてもらっているわ。
 で、今の説明にあった塩サウナなんだけど、自然塩でないと駄目らしいのよね~。
 海に囲まれている日本じゃ、比較的安価な塩とはいえ、自然塩なんてそうそう入浴に使えるもんじゃないわけだけど、この硫黄島では、海水を地熱利用で蒸留して飲用水を作っている関係で、塩は売るほどあるってわけよ。」

「あ、なるほど~~~。この島は地熱利用が出来るから、逆浸透膜やイオン交換膜を使うよりも安価で済むんですね、凄いや~。
 もしかすると、地下陣地内の熱交換システムとかも全て統合管理されてませんか?」

「されてるらしいわよ? 島の北東にはサトウキビ畑もあるらしいし、南国フルーツも育ててるらしいわ。
 帝国軍は結構ここで採れた物を賄いに使ってるって話よ。」

 夕呼と美琴の会話を、良く解らない戯言として他の5人は聞き流していたが、その直後に事態は一気に他人事では済まなくなった。

「さて、鎧衣の説明が終わったところで、207訓練小隊の訓練兵は、日頃の教導に対する感謝の念をこめて、まりも―――神宮司軍曹の全身に塩を塗りこんでやんなさい。
 隅から隅まで、余さず丹念に塗るのよ! そして、さらに10分間の間、全身を隈なくマッサージしてやんなさい。」

「えええええ~~~っ! い、いいわよ、あなたたち! ゆ、夕呼……じゃなかった、香月副司令、今のお言葉を撤回なさって下さいッ!!」

 慌てて、取り乱すまりもの様子に、唖然としてしまう207B女性陣であったが、夕呼は嬉しそうなニヤニヤ笑いを満面に浮かべ、更に追い討ちをかけた。

「ほら! あんた達なにボ~ッとしてんのよ! 無礼講だからって、命令聞かなくて良いって訳じゃないのよ?!
 さっさとやんないと、今からでも白銀呼びつけて、あんた達全員に塩塗らせるわよ!!」

 夕呼の言葉は実に効果覿面であった。
 彩峰が瞬間移動の如くに塩が盛られた皿の前に移動して、皿ごと恭しく持ち上げる。
 冥夜と千鶴が、まりもに左右から近付き、やんわりとまりもの両肩に手をかける。
 そして、皿を両手で持ち上げた彩峰の左右後方に従うように、壬姫と美琴が何故か両手をわきわきとさせながら、まりもに正面から歩み寄ってくる。
 まりもは、教え子達を押し留めようとするが、それは空しい努力に過ぎなかった。

「き、貴様ら、こんな事をして、只で済むと思うのか? 今なら間に合う、大人しくベンチへ戻れ!」
「済みませぬ、神宮司教官。」「上位命令だからね……」「残念ですが教官。上位命令ですので、勘弁して下さい。」「教官~、ごめんねぇ~。」「あ~、上位命令じゃなきゃ、こんな事、やりたくないのになぁ~。」
「や、やめろ! 止めないかっ!!…………いやぁっ、止めてぇえ~~~~~ッ!!!」

 口ではあれこれ言いながらも、夕呼の口車に逆らえる筈もない教え子達に、力ずくで対抗することも出来ず、まりもは床に横たえられて、5人によって全身を塩塗れにされ、続けて10分間に亘って揉みくちゃにされてしまった。
 そして、ようやく解放されて、サウナから飛び出し、水風呂へと逃げ出したまりもであったが、水風呂から上がったまりもの肌は、実に血色良く、艶々のつるつるでスベスベになっていた。

 それを見た他の面々は、一休みした後、今一度サウナにこもり直して、丹念に自分の身体に塩を塗り込んだ……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年11月02日(金)

 08時49分、小笠原諸島父島近海にて、207Bの6人はダイビングに興じていた。

 昨夜は夕呼の手配によって高速クルーズ客船『てんま』の客室を割り当てられ、普段の合成食からは想像も出来ないご馳走を夕食に供された後、ふかふかのベッドで演習の疲れをぐっすり眠って癒すことが出来た。
 そして、朝起きて朝食を済ませてみると、夜の間に『てんま』は海域を移動して、小笠原諸島父島の近海へと到達していた。
 夕呼の呼び寄せた父島のガイドによって、『てんま』は更に短距離を移動し、イルカとマッコウクジラのいる海域を目指した。
 そして、思いもしなかった本格的なバカンスに、207Bにまりもまで加わって、水着姿でイルカと戯れたり、スキンダイビングを楽しんだりして午前中から午後の早い時間帯を過ごす事となった。

 あまりの楽しさに、途中幾度か武が『てんま』へと一人で戻っていたことを気にかけたものは居なかった。
 『てんま』に戻った武は、船縁で海面を見下ろす形で一人なにやら行っていたが、その姿を見て興味を持った夕呼がわざわざ近寄ってきて声をかけた。

「あんた、なにやってんのよ。」

「あ、夕呼先生。いや、実はですね………………て、事なんです。」

 武が手に持っていたものを肩から提げて、身振り手振りを交えて説明すると、夕呼は意外な事を聞いたという風にマジマジと武を見て言った。

「へ~、あんたにしちゃ気が利くじゃないの。誉めてやるわ。
 じゃ、お墨付きをやるから頑張んなさい。」

「ありがとうございます。……先生、先生は泳がないんですか?」

「あったりまえでしょ? 泳ぐんだったら酒飲めないじゃない。」

「さいですか。」

 そんなやり取りをする2人の眼下の海面では、イルカと戯れる6人の女性兵士の姿があった。
 それは、戦時中とは思えないほど華やかで眩しく、そして………………武には切ない光景であった。
 この情景をごくありふれた物にしてみせると、武は心の中で堅く誓うのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 20時03分、PXでの夕食を終えた武は、B19フロアのシリンダールーム、そのドアの前に立っていた。

 16時30分に、父島近海で高速クルーズ客船『てんま』から74式大型飛行艇旅客機仕様に乗り換えて、横浜基地の第2滑走路に帰還したのが19時32分。
 全員『てんま』でシャワーを済ましていたので、荷物を持ったままPXへ直行して夕食を済ませた。
 昨日の夕食以来、豪華な食事を3食供された207Bの6人であったが、母の味とでも言ったらいいのだろうか、京塚のおばちゃんの料理はほっと出来る味で、皆で舌鼓を打つこととなった。
 そして、食事が終わり解散する事となって直ぐその足で、武はB19フロアへのエレベーターに向かったのだった。

 ドアが開き、シリンダーから漏れる青白い光に照らされた室内の光景と、シリンダーに向かって立つ霞の姿を認め、武は室内に入って暫く待つことにした。
 少しして、一段落着いたのか、霞は武の方へと向き直り、歩み寄ってきた。
 武も霞に向かって歩きながら、右手を上げて声をかける。

「よっ! ただいま、霞。」

「お帰りなさい……白銀さん……合格……おめでとう……ございます……」

「を! ありがとな、霞。それでさ、霞にお土産持ってきたぞ~。」

「……あ……ありがとうございます……」

 嬉しそうに頬を染める霞に、武も妙に浮かれてしまい、担いできたバッグから土産の品を取り出した。

「ほら、霞! これがイルカとクジラの木彫りの置物だ。
 こっちがイルカで、こっちがクジラ。この置物だと同じ位の大きさだけど本物はクジラの方が何倍もでっかいんだぞ。
 いやあ、総戦技演習に行って、ちゃんとした土産物屋に行けるとは思わなかったな。
 小笠原諸島の父島って島で買ってきたんだ。」

「……かわいい、です……」

「でな、店で売ってる物には見劣りするかもしれないけど、演習をやった硫黄島で自分で探してきた物もあるんだぞ。
 ほら、巻貝と、この石。巻貝は耳に当てるとごわごわ~って聞こえるけど、その音を波の音だと思って聞いといてくれ。
 何時か、霞を本当の海に連れてってやるから、それまではその貝で我慢だ!
 で、石の方は、黒いとこの中に白いとこが十字に交差してて、珍しいもんだから拾ってきた。
 気に入ってくれるかな? 霞。」

 霞は巻貝を受け取って耳に当てると、武を見上げて頷いて言った。

「ごわごわ~って、いってます。
 ……この石は……鶉石(うずらいし)です……黒い部分……火山ガラスです……白い部分……中性長石です……
 白黒……の斑模様が……鶉の卵に……似ているから……鶉石です……イタリアと硫黄島……今では、硫黄島でしか……採れません……
 ………………硫黄島……調べたら……載っていました…………」

 霞は、巻貝を耳から外し、一緒に渡された白黒斑(まだら)の石を手に載せて武にも見えるように差し出すと、途切れ途切れではあるものの、石の説明を一生懸命にした。

「―――そうか、硫黄島で演習が行われるって聞いて、調べてくれたんだな、霞。
 心配してくれてありがとう。お蔭で、みんな無事に、合格して帰ってくることが出来たよ。」

「私は……なにも……していません……」

「そんなことないさ! 霞が心配してくれた事は、何処かでオレたちの力になったさ。
 それに、そうじゃないとしても、少なくとも今オレはとっても嬉しくて、霞に感謝しているぞ。
 それじゃ駄目か?」

「いえ……十分、です……」

「そっか。それじゃあ、これが最後のお土産だ。
 これは、霞と……純夏にも、だな。」

 武はバッグから撮影機材と接続コード、持ち運び式の端末を取り出し、接続をしていった。
 そして、撮影機材の再生スイッチを入れると、端末の画面にイルカやクジラ、そして楽しそうにはしゃぐ207Bの女性陣5人とまりもの姿が映し出された。
 撮影しているところから遠いのか声などは聞こえないが、波の音だけは映像の背後に絶えず流れていた。
 武が度々『てんま』に戻って行っていたのは、これらの映像の撮影の為であった。

「……………………凄いです……」

 その映像を見た霞は、涙をポロポロと零しながら、嬉しそうに笑みを浮かべた。
 武は、霞のその様子に、頭を優しく撫でてやりながら話しかけた。

「そうか、気に入ってくれたか。霞だったら、この映像を端末で網膜投影出来る様に処理できるだろ?
 そうすれば、臨場感だってもっと良くなるぞ。
 それで、気が向いたらで良いから、純夏にも見せてやってくれるか?」

「もちろん……です…………白銀さん……ありがとう…………」

 武は言葉では返事をせずに、それから暫くの間、霞の頭を撫で続けた……




[3277] 第33話 帝都城の三武人 +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:48

第33話 帝都城の三武人 +おまけ

2001年11月03日(土)

 11時08分、総戦技演習合格後の座学が早めに切り上げられ、1階のPXに207Bの全員が揃って、早めの昼食を食べようとしていた……の、だが……

「なあ、委員長。これって意味無いんじゃないか?」

「なによ白銀。文句あるって言うの?!」

「いや、別に文句ってわけじゃないけどさ……」

「……だったら、黙って食べる。」

 武は周囲を見回し、何かを恥じているような千鶴と、苦虫を噛み潰しているような彩峰、背に腹は代えられぬといった風情で目を瞑っている冥夜、胸の前で両手を組んで涙目で懇願するように見つめてくる壬姫、ワクワクと楽しげに目を見開いて見上げてきている美琴の5人の様子を確認して溜息をついた。

「はぁ~。ま、しょうがないか。初めての衛士強化装備、しかも訓練兵仕様は慣れるまでは装着するだけでも恥ずかしいだろうからな。
 その上、大量の食事を取ると、お腹が出っ張ってる様子が丸解りだから、おまえらには酷ってモンだろ。
 苦しむ苦しまない、戻す戻さない以前の問題で罰ゲーム確定だから、オレが引き受けてやるけどさ…………
 ほんっと~~~に、良いのか? 委員長。衛士訓練校の伝統なんだろ?
 オレが食っても、今更シミュレーターの揺れ如きじゃなんともないし、戦術機適性検査を受けるかどうかすら危ないぞ?
 なのに、そんな立場のオレがこれ食って、本当に訓練校の伝統を果たした事になるのか?」

「……解ってるわよ! けど……その……しょうがないじゃない。」
「衛士強化装備、ぴちぴち……」
「あ、あんなのだとは、思いませんでした~。」
「うむ、本で見た白黒の図解とは、雲泥の差であった……」
「あれデザインした人って、絶対やらしい人だと思うな、ボクは。」

 どうやら、先日の斯衛軍第19独立警備小隊のシミュレーター演習の見学時に見た、衛士強化装備の実物が207B女性陣にとって思いの他衝撃的であったらしい。
 万が一にも自分に回って来たらとの懸念が、満場一致で武を犠牲の羊とする事を選ばせていた。
 しかし、武の指摘により、この人選に問題があると判明してしまい、生真面目な千鶴が煩悶する事となっていた。

「ま、いいさ。一応オレも訓練兵だし、頼めば検査くらいしてくれるだろうし。おまえらだけが恥ずかしい思いするんじゃ可哀相だからな。」

 武はそう言って、4人前はゆうにある昼食を食べ始めた。

「恥ずかしい思い?」「何の事だ?」「……衛士強化装備?」「たけるさん?」「え? え? タケルぅなんか変なこと考えてない~?」

「直ぐに解る。それに、言っとくけど、オレのせいじゃないからな。」

「「「「「 ……………… 」」」」」

 皆の質問に答えないまま、精力的に昼食と格闘する武の姿を、不安そうな207B女性陣5人が眺めていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時12分、ドレッシングルーム前の廊下に、立ち話をしている武とまりもの姿があった。

「……なるほど。それでそんなに腹が出っ張っているのか。」

「はい。そんな訳なんで、一応戦術機適性検査を受けさせて頂きたいんですが……」

「ふむ。そうだな、これも一応伝統行事だからな……いいだろう許可する。
 それよりも、明日以降のシミュレーター訓練は、試作OSでやるんだな?」

「はい。最初から試作OSに慣れてもらいます。それから、最初は短時間でいいですから、オレの3次元機動を必ず毎日追体験させて下さい。」

「習うより慣れろ方式か?……わかった、追体験の時間はバイタルを見ながら徐々に延ばしていこう。
 それにしても、遅いな。そろそろ発破をかけに行かねばならんか?」

 まりもがそう言った途端に、まるでタイミングを見計らっていたかのようにドレッシングルームのドアが開き、身を寄せ合うように不自然に距離を詰めた状態で、207B女性陣5人が廊下へと出てきて壁際に並んだ。
 彩峰以外は全員頬を染めており、半透明で肌の色が透けている胴体前面の胸の辺りを隠そうとして、腕を組んだり、両の拳を口元に持ってきたりしていた。

「白銀! 小隊整列よ、よ、横に並びなさいっ!―――神宮司教官お待たせいたしました。207訓練小隊、衛士強化装備の装着を完了いたしました。」

「よし! ではシミュレーターデッキへ向かう。付いて来い。」

 そう言うと、まりもはさっさと歩き出すが、何故か皆もじもじするだけで、歩き出そうとしない。
 武は今までの幾多の経験から事情を察し、率先してまりもの後に従う。
 すると、その後ろに5人が付いてくるのが気配で解った。

(みんな、恥ずかしいんだろうな。オレの強化装備は今回も正規兵用か……濃い色だとあまり気にならないんだけどな……
 まあ、可哀相だけど、少しでも免疫付けといてもらわないとな。A-01への配属が決まってるとは言え、他所の部隊との共同作戦もあるからな。)

 その後、シミュレーターデッキの待機室で衛士強化装備の説明と微調整が行われ、続いてシミュレーターに2人ずつ搭乗し、戦術機適性検査が行われた。
 5人とも、ふらふらになりながらも何とか振動に耐え抜き、まりもから揃って問題なしとのお墨付きをもらった。
 この頃になると、最初に乗った千鶴と冥夜は完全に体調を回復させていた。
 そこで、武はまりもと相談して、複座型シミュレーターに千鶴を同乗させて、軽く機動を体験させて見た。

 武の衛士強化装備には1週間程度とは言え、毎日シミュレーターや実機に乗って、激しい機動を繰り返した蓄積データがある。
 それを複座型仕様の試作OSで統合フィードバックを行う事で、千鶴の真っ新な強化装備に武の蓄積データを反映し、千鶴が受ける体感加速Gを緩和しつつ、千鶴個人により適合したフィードバック情報の蓄積を促進できないか試すのが目的であった。
 千鶴が終わると、続けて冥夜、彩峰、壬姫、美琴と順に一通り行って、まりもにデータ蓄積の状態を分析してもらった。

「ふむ。見ろ、白銀。バイタルへの影響が少ない割りに、フィードバックデータの蓄積量は、戦術機適性検査時のものを上回っているぞ。」

「え? 1人辺りの時間は、戦術機適性検査の時の3分の1、5分間だけだったんですよ?」

「まあ、適性検査では、激しい機動は最後の方だけだからな。この訓練方法は使えるかも知れないぞ?」

 武のフィードバック蓄積データを元に、同乗者に対してもある程度のフィードバックが働くため、体感加速が軽減され、機動に耐えている間に武と同乗者の個人差を、同乗者の強化装備がデータ蓄積していくらしいとの結論が出た。
 これならば、シミュレーター演習を始めたばかりの訓練兵でも、搭乗時間の延長や、体調回復にかかる時間を節約し、早期にフィードバックデータを蓄積できる可能性が高かった。
 問題は、マンツーマンで正規の衛士が訓練に付き合うわけには行かないことである。
 しかし、武はヴァルキリーズの訓練で同一の親データから、個別の仮想空間を各シミュレーター側に構築したことを思い出し、応用することを思いついた。
 複座型に2人で乗るのではなく、全員別個に単座型に搭乗した上で、教官役の衛士の統計思考制御情報と操縦内容、更にはフィードバック蓄積データを全ての単座シミュレーターへと送信し、各々の並列処理コンピューターで統合処理した上で、各搭乗者のフィードバックとシミュレーターの揺動を実施する。
 この方法であれば、教官約1人で何人もの訓練兵に機動を追体験させながら、フィードバックデータの早期蓄積を期待できた。
 まりもの承認を受けて、この訓練方法は翌日から早速試されることと決まった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時32分、帝都に向かって飛行中のUH-60JA多用途ヘリコプターの機内に、武と月詠の姿があった。
 月詠は、自分が用意した弁当を食べる武に向かい、機内通話装置(ヘッドセット)越しに話しかけた。

「昨夜戻ったばかりなのに、済まないな、白銀中尉。」

「いえ、解ってた事ですから、お気になさらず。月詠さんも似たり寄ったりの強行軍でしょうしね。
 とは言え、生体認証が合致したのなら、一つお聞きしたいことがあるんですが、構いませんか?」

 弁当を空にして、合成煎茶を飲み干した武は、駄目元で月詠に質問の許可を請うてみた。

「私に答えられる範囲のことならな。―――答えを与えるとも限らんが、それでも良ければ言ってみるがいい。」

「―――どうして、城内省に生体認証まで出来る様な、オレの詳細な個人情報が存在したんですか?」

「………………まあ、最早隠していても意味はないだろうな。
 解った、教えてやろう。貴様の取り戻した記憶の中にあるかどうかは知らないが、貴様は幼少の砌に冥夜様との邂逅を果たしているのだ。」

 武は『元の世界』で冥夜が姿を消した朝と、その後で純夏と窓越しに話した時の事を思い出した。
 あの日思い出し、純夏からも聞かされた、御剣の家へと引き取られる直前に、公園で寂しそうにしていた幼い頃の冥夜との想い出。

「!!…………まさか、子供の頃に公園の砂場で遊んだ、大きな刀を持った女の子……オレと同じ誕生日の…………」

「ほう。思い出せたか。あの時は、冥夜様の存在を危険視する馬鹿者どもの凶手より、冥夜様をお逃がしする為に一時的にではあるが護衛が全てお側を離れていたのだ。
 そして、貴様と2人で過ごしたお蔭か、冥夜様は敵は勿論、あろう事か味方にまで中々発見されず、ようやく夕方過ぎになってあの公園で保護されたのだ。
 護衛の言葉に逆らってまで、冥夜様が誰かと別れを惜しんだのは、後にも先にもあの一件のみ。
 それ故に、あの日より貴様は潜在的な要注意人物として、城内省でマークしていたのだ。
 それが、貴様の生体認証データまでもが城内省のデータバンクに保存されていた理由だ。」

「そうでしたか…………冥夜はこの事は?」

「恐らく気付いておられないだろう。だが、無意識の領域では気付いておられるのやも知れぬな。」

「…………そうですか……奇遇っていうんですかね、こういうのって。
 しかし、ようやく納得行きましたよ。死んだ筈の要注意人物の名前を名乗って、冥夜に近付く不審人物。
 そりゃあ、月詠さんたちが警戒するわけですね。」

「そう言う事だ。しかし、此度の件で少なくとも貴様が生体認証に合致する本人であると解り、しかも、その様な昔話に関係の無いところで、既に冥夜様の信頼を得てしまっている現状では、最早隠し立てしてもなんら益の無い事であろう。
 恐らく貴様は、幼少の砌の冥夜様にとって、何等背景を持たぬ1人の少女として接する事の出来た唯一の存在だったのであろう。
 今でも冥夜様はあの日の想い出を大事に覚えていらっしゃるはずだ。
 しかし、要らぬ事を冥夜様に申し上げた慮外者が居てな。万民に等しく接するが正しき在り様故、その者の事は忘れねばならぬなどと、幼き冥夜様に賢しげに言上しおったのだ。
 その為、冥夜様は貴様の名前も容貌も、記憶から消し去ってしまわれた……」

「そう……だったんですか…………」

「それ以来、冥夜様は民草全てを守りたいと、事あるごとに口にされるようになった。
 ふ……これは余談だな。少々口を滑らせすぎたようだ。
 他言は無用に願いたいものだな、白銀中尉。」

「わかりました。冥夜にも言わずにおきます。今のあいつには関係の無いことです。そして、オレにもね。」

「物分りが良くて、助かることだ。―――そろそろ帝都城に着くようだな。
 後続のヘリに乗っている技術者達がシミュレーターを換装する間に、実機にて手合わせしてもらう段取りになっている。
 そのつもりでいてもらおう。」

「解りましたよ。月詠中尉。」

 そう言ってヘリの窓から外を覗いた武の視界に、月の無い闇夜の中、サーチライトで照らされる帝都城天守閣が飛び込んできた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時54分、衛士強化装備を装着した武は、帝都城敷地内の歩行近接格闘戦専用演習場で、試作OSに換装され、帝国カラーに塗装された複座型『不知火』に搭乗していた。
 広大な敷地を誇るとは言え、帝都城の敷地内で模擬弾を使用した演習が出来るはずも無く、かといってシミュレーターばかりでは実機を操る際の勘が鈍る。
 そこで、間を取って設けられたのが、近接格闘戦のみを実機で行う歩行近接格闘戦専用演習場であった。

「あの、月詠さん、これってちょっとオレに不利過ぎるんじゃ……」

「大丈夫だ、きっと手加減してくださる……と思う。
 まあ、万一貴様が瞬殺されようとも、OSの性能は見極めて下さるだろう。」

「!―――その言い方……月詠さんっ! 相手の衛士は『どなた』なんですかっ!!」

「ふっ、それは終わってからのお楽しみだ。お見えになったぞ、白銀中尉。」

 四方を囲む、一辺500m、高さ30m程の防音壁に設けられたゲートを抜けて、赤い『武御雷』が現れた。
 そして、オープン回線のID一覧にBlaze01(ブレイズ・ワン)のIDが表示された。

「ふむぅ。貴様が白銀武か。お互い名乗る前に、まずは手合わせを所望する! 準備は良いか?」

「郷に入っては―――ってことで、お受けしましょう。では……参ります!」

 武は左右主腕に74式近接戦闘長刀を1本ずつ保持し、対戦相手の『武御雷』へと主脚走行で突進していく。
 対する『武御雷』は両主腕で保持した74式近接戦闘長刀を大上段に高々と振り上げ、寄らば一刀の下に斬って捨てるとの苛烈な意思を、構えを以って体現していた。
 後の先を取るつもりであろう『武御雷』に、しかし臆する事無く突っ込んでいった武は、一足一刀の間合いに入る直前で、右主脚を軸に、大きく左主脚を前に送り出し、『不知火』の機体を右向きに半身になるように開きながら、左主腕の長刀を刃を左に寝かせた平突きとして繰り出す。

 対して『武御雷』は、避けた後に横薙ぎに斬り払われることを嫌って、刃の向いていない向かって左前へと時計回りに機体を捌き、『不知火』の機体は未だ間合いが遠いため、突き出された『不知火』の左主腕を斬り落とさんと、頭上の長刀を振り下ろした。
 この時点で、『不知火』の大きく踏み出された左主脚は宙に留まっており、『不知火』は死に体かとも思われた。

「腕一本、もらったぁっ!―――なにぃっ!!」

 『武御雷』の衛士が、己が一振りによる『不知火』の左主腕切断を確信したその瞬間、まるで見えない糸か何かで引き戻されるように、『不知火』の左主腕と左主脚が引き戻されてしまった。
 そして、代わりに突き出されてくるのは『不知火』の右主腕とそこに保持された長刀であった。
 しかも、信じ難い事に、この時『不知火』が軸足としていた右主脚は大地を蹴って宙に浮いていた。

 実は武はこの時、ほぼ地面と水平に腰の後ろへと突き出しておいた2基の跳躍ユニットの内、左側を逆噴射、右側を通常噴射で瞬間的に噴かしていた。
 左右逆方向の噴射によって『不知火』の腰部に反時計回りの回転を発生させ、その力を利用して左手腕と左主脚を引き戻すと同時に、それと入れ換えるようにして右主腕による平突きを繰り出したのであった。
 しかも、この時引き戻される左手腕は『不知火』の頭部左側面へと引き上げられる形となっており、そこに保持された長刀は、左上から正面下へと刀身を伸ばし、『武御雷』の振り下ろした長刀を受け流す形となっていた。

 『武御雷』の衛士は、咄嗟に両主腕と長刀を主腕の出力に任せて左へと振るい、反動を利用して『武御雷』の機体を右方向へとよろける様に傾けることに成功した。
 『不知火』の右主腕による突きは空を切る結果となった。

 武は突きに拘泥する愚を犯さずに、先程とは左右逆に跳躍ユニットを今度は長めに噴かして、その場で独楽のように時計回りに回転した。
 右主腕によって突き出されたままの長刀は、刃は右に向けて寝かしてあり、回転によって生じる遠心力によって、よろけて姿勢を崩している『武御雷』へと鋭い斬撃となって襲い掛かる。
 しかし、その斬撃が中る寸前に、『武御雷』は姿勢を崩したままで、噴射跳躍を敢行し、際どい所で横飛びに斬撃を避けた。

 そして、片や『不知火』は回転を止めてその場に立ち、片や『武御雷』は長刀を放した右手を大地に着いて、側転をするようにくるりと回転すると、両主脚で見事に着地してみせた。

「ちぃっ! 月詠さんを想定して編み出したこのコンボを凌がれるか!!」

「ふ……ふははははっ! 愉快なりッ!! 小僧、貴様良くぞこのわしに土を付けたな!」

 オープン回線に3度豪快な声が流れ、『武御雷』は文字通り土の付いた右主腕の掌を『不知火』に向けて突き出して見せた。

「……いや、それ言葉の使いどころが、微妙に違いますから……」

「かっかっかっ! うむ、気に入ったぞ小僧。月詠が申しておった通り、面妖な機動をして退けるものよ。
 我流で荒削りの剣筋だが、さながら天狗が振るいそうな剣法よのう。戦術機には却って相応しいやも知れぬ。
 いや、愉快、愉快!!」

「…………ご存知のようですけど、オレは国連軍横浜基地所属の白銀武臨時中尉です。もしよろしければお名前を伺ってもいいでしょうか。」

 武が遠慮がちに自分から名乗った上で、名を問うと、音声のみであった通信に画像が付き、厳つい顔付きの壮年の衛士が映し出された。

「おおっ! あまりに愉快であったとはいえ、名乗りを忘れてしまうとは不覚であった。
 わしは斯衛軍にて副司令の職にある紅蓮醍三郎(だいざぶろう)大将である。
 招聘に応えての登城、ご苦労であったな。」

(やっぱ、紅蓮大将だったのか……にしても、旧OSであの動きって事は、斯衛軍秘伝だっていう戦術機操縦作法を完全に使いこなしてるな……
 月詠さんといい、斯衛には何人化け物みたいな衛士が居るんだ?)

 武は、紅蓮大将の名乗りを聞いて、なんとか面談が叶いそうだと安堵しつつも、そのあまりに豪快な人となりに圧倒されていた。
 それでも、なけなしの気力を総動員して、紅蓮に話しかけた。

「それで、まだ手合わせをする必要がありますか?」

「ん? そうだな、今日のところはここまでで良いだろう。
 真那、白銀中尉を客間へと案内してくれ。わしも直ぐに行く。」

「は、了解であります。それでは白銀中尉…………」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時07分、月詠の案内でシャワーで汗を流しさっぱりとした武は、帝都城内の斯衛軍総司令部内の一室で、やたらと座り心地の良いソファーに身を沈めていた。
 少人数の来賓を持て成す為の部屋なのであろう、比較的こぢんまりとした、恐らくは高級な品なのであろう調度品が過不足なく配置された落ち着いた装いの洋間であった。

 そして、武の目の前にある木目の美しいテーブルには、馥郁(ふくいく)たる香りを立ち上らせる、天然物であろう茶葉を使用した緑茶が供されていた。
 立ち上る香気に誘われて武が茶を一口啜ると、低めの温度の茶には苦味が殆ど無く、まろやかな甘みが口の中に広がっていった。

「うおっ! なんか良くわかんないけど、お茶ってこんなに美味いもんだったのか……」

「当たり前だ、それは福岡は八女で『伝統本玉露』を栽培していた生産者が、千葉へと移って栽培した高級玉露だ。
 それを、帝都城の奥女中がわざわざ出向いて入れたものだ。貴様には勿体無いと言上仕ったのだがな……」

 あまりの滋味に思わず武が独り言を漏らすと、背後に控えるように立っていた月詠が聞き咎め、言葉を返した。

「へ~、そりゃ、確かにオレなんかには勿体無いや。
 ―――ん? 奥女中が出向いてって……それも紅蓮大将が?」

「む……いや、それは―――」

 月詠が応えかけたその時、扉が控えめにノックされ、静々と開かれるとまず女中が現れて一礼し、方々お運びになられました、と言って、廊下へと下がった。
 続いて姿を現したのは、和装を典雅に着こなした冥夜に瓜二つな顔(かんばせ)の女性―――政威大将軍煌武院悠陽殿下であった。
 女中が先触れをした際に、ソファからは立ち上がっていた武ではあったが、如何せん(いかんせん)跪く(ひざまずく)にはテーブルとの間隔が狭すぎた。
 武はソファの脇へ出て跪(ひざまず)こうとするが、悠陽が鷹揚に言葉をかけて止めさせた。

「構いません。堅苦しき事はせず、そのまま腰を下ろすが良い。
 此度(こたび)は忍んで参りました故、過ぎたる礼も無用となさいますよう。
 殊に、そなたは我等が招聘に応じた身、さすれば客人として堂々と振舞われるが良いでしょう。」

 その言葉を受け、武は深々と一礼するに留めた。
 そして、テーブルを挟んだ向かいの席に、悠陽と、続いて入ってきた紅蓮が腰掛けるのを待って、自らも再び腰を下ろした。

「ふふふ……そなたが白銀武ですね? そなたについては、月詠の報告にて為人(ひととなり)は聞き及んでいます。
 この場は非公式の場故、気にせず普段通りにお話しなさい。」

「ありがとうございます、殿下。何分不調法なもので、そう言っていただけると助かります。
 紅蓮大将閣下だけでなく、殿下にまでお会いでき、光栄です。
 それだけ、私の提案を重く受け止めていただけたものと考えてよろしいのでしょうか?」

「然様に受け取って構いませぬ。…………ですが白銀、そなたの話を聞く前に、わたくしの我儘に些か時間を割いては貰えぬでしょうか。」

「……構いません。冥夜のことですね?」

 武が悠陽の願いを快諾すると、悠陽は目を細めて口元を隠し、ころころと笑いながら言葉を零した。

「ふふ……そなた、事の次第を存じているそうではないですか。にも拘らず、わたくしの前で冥夜を呼び捨てにするとは、聞きしに勝る男(おのこ)ですね。」

「申し訳ありません。礼儀知らずなもので……」

「それで、そなたから見て、あの者―――冥夜は如何様に見えましょうや。」

「冥夜は、素晴らしい人間です。己を厳しく律し、強い意思で志(こころざし)を真っ直ぐに追い求めています。
 他者には常に配慮し、仲間には慈愛を持って接しています。
 自らを厳しく律するがゆえに、堅苦しく頑固なところもありますが、素直な人柄をしています。
 ただ、他者を重んじるせいか、自らを二の次として考える傾向があるのが心配です。」

 武の言葉を噛み締めるように目を伏せて聞き入っていた悠陽だったが、最後の件(くだり)で美しい睫毛を微かに震わせた。

「―――そうですか。月詠、白銀はこう申しておりますが、そなたから見て、冥夜の人物評として如何なものでありましょう。」

「はっ、この者の申しよう、些か不遜なれど、知己を得て2週間と立たぬことを思うに、的確なものであろうかと存じます。」

「然様ですか。―――白銀、月詠の話では、冥夜は当面そなたを能う限り(あたうかぎり)の力で助ける所存との事。
 そなたも多忙でしょうが、冥夜の事をよろしく頼みます。」

 頭こそ下げなかったものの、目を伏せることで悠陽は請い願う想いを表した。

「恐れ多いことです。ですが、その件でしたらお言葉を頂戴するまでもありません。
 冥夜に限らず仲間達の幸福はオレの願いに他なりません。
 力を尽くして、お心に沿うように心がけます。」

「白銀、そなたに感謝を。―――さて、紅蓮、待たせましたね。
 わたくしの我儘はこれまでと致します。仕事の話を始めるが良い。」

 悠陽は表情から温もりを消し去ると、紅蓮に対してこの場の主導権を預けた。
 紅蓮はひとつ頷くと、武の背後に控えていた月詠に視線を転じて、命を下す。

「はっ! 畏まりまして。では月詠、暫し席を外し、入り口の警護をせよ。」

「はっ! それでは殿下、御前失礼仕ります。」

 事前に指示されていたのか、二つ返事で拝命して月詠が客間を出て行った。
 そして、扉が堅く閉ざされた。

「さて、白銀中尉。貴官の要望はこれで叶ったであろう。伝えたい事柄とやら、聞かせてもらおうではないか。」

「はい。ではまず、お話しする前にお断りして置きますが、これからお話する事は、一般常識に照らす限り、非常識かつ信じ難い事柄です。
 しかし、その根幹には香月夕呼博士の提唱する『因果律量子論』が存在し、かの理論に於いては十分に起こり得る事柄とされている事をご承知置きください。
 さて、まず最も重要な事柄からお伝えします。
 来る11月11日に、『甲21号』―――佐渡島ハイヴから、旅団規模のBETAが押し寄せ、新潟に上陸する可能性が高いと判明致しました。」

「なんとっ!?」「白銀……そなた、BETAの行動を予測できたと申すのですか?」

 驚愕する2人を他所に、武は冷静に話を続けた。

「はい。ただし、どの程度信頼できるかが未だに不明瞭な上、再現性も無きに等しい方法により偶然得た情報である為、外に出す事が躊躇われる程度の確度しかありません。
 しかし、得られた情報によると、最悪の場合、帝国軍第12師団が壊滅的損害を受ける為、内々にお知らせできる機会を探しておりました。
 これより、如何にしてこの情報が得られたのかをご説明差し上げますので、申し訳ありませんが、情報を信用するか否かはお二方の判断にお任せしたいと思います。
 まず、私の身の上からご説明します。情報を得るにあたり、重要な要素として関わってきますので、御傾聴下さい。
 私は横浜の柊町で生まれ育ち、3年前のBETA横浜進行の際に、BETAに遭遇したと考えられています。
 断言に至らないのは、私にその時の記憶がないからであり、その後香月博士の下で実験の被検体となってから、先月の中過ぎに至るまで、殆ど全ての記憶と自発的精神活動を喪失していた為です。
 しかし、先月某日に行われた実験の結果、私は記憶と人格を取り戻し、香月博士が私の記憶を基に調査した結果、『白銀武』という人間が過去に存在し、戸籍上は死亡したものと扱われていた事が判明しました。
 ところが、私の記憶の中には、常識的には存在し得ない記憶が含まれていたのです。
 それは、『時系列上の未来』の記憶です。
 先程のBETAの新潟上陸は、私の取り戻した記憶の中では『過去に既に発生した事柄』なのです。
 この現象は、『因果律量子論』に於ける多世界解釈によって発生し得るものであると推論される反面、多世界に於ける未来情報が何処まで信用できるかに関しては、香月博士にも断定し切れない問題でした。
 しかし、私が記憶を取り戻して以来、記憶と現実に起きる事象の照合を繰り返すことで、私の記憶と『この世界』の類似性が高い事が判明しました。
 その結果、同一の事象が、『確率時空』全体を支配する『因果律』によって、この世界でも発生する可能性は決して低くないとの判断が下されるとともに、斯衛軍に警告を行うことが検討され、この会談に結実したというわけです。」

「「 ……………… 」」

 武の話のあまりの荒唐無稽さに、悠陽と紅蓮は黙り込んでしまった。
 武は内心焦っていたが、ここは腹を括ってどっしりと構え、2人が何か発言するのを平静を装って待った。

「ぬぅっ! つまり、貴様は異世界の未来の記憶を持っており、その記憶の現時点までの部分が、この世界のそれと良く似ているため、同様の事件がこの世界の未来に起こるかもしれないと、そう言っているのだな?」

「そうです。そして、オレの持つ記憶の中で看過し得ない重大な事件の一つが、BETA新潟上陸です。」

「重大な事件の一つと言いましたか? 白銀。さすれば他にも重大な事件を知っているということですか!」

「その通りです。このBETA新潟上陸が現実に発生すれば、私の未来情報の確度はあがります。
 しかし、未来情報は確率分岐が進む遠い未来であればあるほど信頼性が減少していきます。
 なので、現時点では、まずはBETA上陸の情報をお伝えしているわけです。」

「……貴様はこの世界の人事記録では軍歴が存在しないそうだが、その記憶とやらの中で、衛士としての経験を積んだというのか?」

「そうです。そして、その記憶を基に香月博士に開発してもらったのが、試作OSです。」

「先程の、紅蓮との立ち合いで使用していたというOSですね。
 『不知火』で紅蓮の乗る『武御雷』を相手にあれほどまでに立ち回れるとは……紅蓮、あれは試作OSの力なのですか?」

「殿下、あの立ち回りに於いて、試作OSに起因するものは3割が精々、残りはこの者の技量と工夫と見ました。
 さすれば、例え斯衛の衛士であっても、並みの衛士ではこの者には歯が立ちますまい。」

「今年で18……奇しくもわたくし達と、同じ年、同じ日の生まれと聞きました。
 その歳でそれほどの技量に達することが叶うものでしょうか?」

「さて、それは……余程に才を持った者を幼き頃より鍛えたれば叶うやも知れませぬが……いや、例えそれでも衛士とあっては戦術機に乗らねばなりませぬ故、やはり難しき事かと。」

 試作OSの話を武が持ち出した途端に、悠陽と紅蓮はあれこれと評議を始めてしまった。
 そして、暫しの時が流れた後、2人は武に向き直り、真剣な表情で武の言うBETA新潟上陸が現実となる事を前提として、対策を練るとの方針を伝えてきた。
 そこで、武はもう1歩踏み込むことにした。

「信じていただけましたか……いえ、信じていただけなくとも、万に1つでも起きた時の事をお考えいただけただけで、お話した甲斐がありました。
 そこで、BETA新潟上陸に備える為に、一つ提案があります。」

「提案ですか? 構いません、白銀、思う所を申すが良い。」

「ありがとうございます。この度ご提供申し上げた試作OSの実証試験を行っている、中隊規模の部隊が国連軍横浜基地に存在いたします。」

「ふむ。第四計画直属の特殊任務部隊の生き残りだな?」

 紅蓮の『生き残り』という言葉に、設立以来A-01が払ってきた大勢の犠牲を想って瞑目した武だったが、再び目を見開くと、堂々と胸を張って腹案を明かして見せた。

「そうです。将来的な斯衛軍への試作OSの量産型配備を睨み、新潟に於いて合同実弾演習を行うというのは如何でしょうか。
 国連軍との合同演習では外聞が悪いということであれば、横浜からの部隊は所属を伏せて仮想敵部隊(アグレッサー)として参加する形でも構いません。」

 武の提案に、悠陽は頤(おとがい)に繊手を添えて僅かに考えた後、提案の裏に潜む意図を看破して頷いた。

「……なるほど……実弾演習と称して斯衛の部隊を上陸地点近くに動かしておき、実際にBETAが動いた際には迎撃戦闘に参陣させるのですね?」

「はい。そして、その際には第四計画直属特殊任務部隊A-01も参戦させていただきます。
 また、その際には、新たに考案された対BETA戦術構想に基づく新兵器群の運用評価試験を兼ねさせていただきたいとも考えています。」

「む……新兵器の試験運用だと? 前線の兵の命がかかっているその場でか?」

 武の言葉に、紅蓮が眉を不快気に顰めて問い返すが、武は笑みを浮かべて首肯した。

「はい。新兵器とは言っていますが、オレの記憶の中では実戦投入済みもしくは十分に構想が練られている物です。
 中隊規模の特殊任務部隊で、少なくとも並みの戦術機甲大隊以上の戦果を上げてご覧に入れます。」

「ほほう。大言壮語したものだな。とは言え、貴様一人で並みの小隊程度の働きは軽く凌駕しよう。
 しかも、勇猛果敢な精鋭と知る人ぞ知る第四計画の特殊任務部隊だ、いっそ謙遜したと言っても良いくらいか。」

「……恐れ入ります。」

 武はA-01に対する紅蓮の評価に感謝して、その言葉を追認した。

「しかし、第四計画直属の特殊任務部隊は、超法規的に活動できるはず。それをわざわざこちらに伝えてきているという事は、我らにその新兵器とやらを見せておきたいと言う事ではないのですか?」

「ご慧眼のとおりです。実は新潟で投入する新兵器群は、対BETA戦術構想の第1期装備群に属する物です。」

「第1期装備群? では、第2期以降があるのですね?」

「はい。少なくとも第2期装備群の評価運用試験は年内に行う予定です。ですが、問題は……」

「なるほどのう……横浜基地以外で採用されるには時間がかかるか……」

 紅蓮が重々しく頷き、問題点を指摘する。

「はい。また、横浜基地で使用する分だけでは、量産ラインを確保できません。
 ある程度以上の需要があれば話は違ってきますが。」

「それで、斯衛に実戦での戦果を見せ、有用と判断されれば試作OSと共に正規採用を……それが狙いなのですね?」

「行く行くは、斯衛で実績を積んだものから帝国軍へと採用していっていただくつもりですが、今はまだ帝国軍への提供や情報漏洩は避けたいのです。
 無論、理由はありますが、未来情報に起因するものですので、詳細はBETA新潟上陸が実現してからという事で、ご容赦下さい。」

「……紅蓮、この者の話、そなたはどう考えますか。」

「は、色々と画策しておるようですが、ここまで明かしている以上、我らの足を掬う意図は御座いますまい。
 何より、前線で戦う衛士が救われるのであれば、否も応もありますまいて。
 それに、斯衛の衛士にも久しく実戦を経験しておらぬものが増えました。
 この辺りで、鍛え直すのもよろしいでしょう。」

 紅蓮は悠陽の問いに、豪快な笑みを浮かべて応えた。

「解りました。白銀、そなたの提案を呑みましょう。」

「……ありがとうございます。……実は、演習の件を受け入れていただいた上で、今ひとつ提案させていただきたい事があります。」

「随分と、思わせぶりな事ですね。申してみなさい。」

「はい。恐れながら、演習に殿下のご来駕を賜りたく、伏してお願い申し上げます。」

 武がその言葉を発した直後、室内の空気が瞬時に緊迫した物へと転じた。
 悠陽と紅蓮の、鋭い視線を浴びながら、武は不敵な笑みを佩いて見せた。



*****
**** 9月27日彩峰慧誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話6 ****
*****

どこかの確率分岐世界
2002年9月27日

 12時46分、国連軍横浜基地衛士訓練学校校舎の屋上に、一人の男がやってきた。

 沙霧尚哉、将来を嘱望された衛士であったが、今は過ちを償い、汚名を雪ぐ為、生き恥を晒している男である。

 沙霧は屋上に独り立つと、周囲に視線を巡らせ……唐突に視線を巡らせた先から正反対の方向へと逸らせた―――凄まじい勢いで。

 沙霧は、動きの激しさ故にずれてしまったメガネの位置を直すと、視線を逸らせたそのままの姿勢で言葉を発した。

「……慧。君はもう少し、他者の視線を意識した方がいいのではないだろうか。」

 沙霧の涼やかで良く通る声に対して、屋上のフェンスの上に腰掛けて、スカートを風になびかせ、健やかな足と白い布地を露にしている彩峰の、平坦でやや内にこもる呟きが返る。

「……大丈夫、自信あるから。」

「そっ! そういう問題ではないだろう。淑女としての慎みという物について……いや、今日はもっと大事な話をしに来たのだ。慧―――」

 相変わらず視線は逸らしたままで、しかし、姿勢と威儀を正し、真剣な表情と口調で彩峰に話しかけようとする沙霧。
 ……身体は完全に彩峰に背を向けたままであったが。

「指輪なら、受け取らないよ……」

「んなッ!!…………………………………………な、何故指輪の事を?」

 彩峰の言葉に衝撃を受けて、反射的に振り返ってしまい、またもや凄まじい勢いで視線を逸らした沙霧は、動揺を隠し切れない声で問うた。

「後ろ手に持ってる箱、見えてる…………」

 沙霧尚哉、一生の不覚であった……

「…………し、しかし、包装された箱の外見を見たのみでは、中身までは判別しがたいと思うのだが……」

「尚哉は、実は昔とあまり変わっていない……父さんへの想いに区切りを付けられたあの日から……尚哉は昔に戻り始めた……
 わたしは、昔の尚哉なら良く知ってるから……」

「―――慧……」

「昔の尚哉が、わたしの誕生日に、そんな態度で訪ねて来たなら…………用件は解ってる……
 昔のわたしは……その日が来るのをずっと待ってたから………………」

「―――慧…………私は……」

 何か言いかけた沙霧を、しかし続けざまに放たれた彩峰の声が断ち切る。

「でも、今のわたしは昔とは違う。」

「―――ッ! 慧?!」

「わたしは変わった…………
 父さんに失望して、母さんと周囲の冷たい目に晒されて、何もかもを奪われて、誰かの救いを求めていたわたしは、もう何処にもいない。
 師と仰いだ父さんの不遇を傍観する事しか出来ず、ただひたすらに己が悔恨とだけ向き合っていた、あの頃の尚哉が消えかかっているように、わたしの中に尚哉の知っているわたしはもういない……」

「―――そ、それは………………」

 彩峰の言葉に何かを言いかけて、沙霧は唇を噛み締めて、沈黙を守った。

「こんなこと言われたら、尚哉が何か言えるはずがない……尚哉は恥を知っているから。
 そして、わたしはそんな尚哉の事を知っていて、この話をした……後は、解るよね………………あッ!!」

 力なく、それでも頭を垂れずに佇む沙霧の背後を、一陣の風が駆け抜ける。
 それは、フェンスの上から屋上の出入り口へと、瞬時に移動してのけた彩峰であった。
 彩峰が出入口のドアを勢い良く開けると、そこにはドアへと手を伸ばしかけた武が立っており、いきなり開いたドアに目を丸くしていた。

「よ、よう。彩峰……」

 彩峰は瞳を武のドアへと伸ばした右手ではなく、体側にだらりと下げた左腕……その先にぶら下げられている、何の変哲も無い紙袋へとじぃいいいいいいいいいっと、向けられていた。
 そして、彩峰はまるで犬のように鼻をフンフンと言わせながら、武の言葉をじっと待っているようであった。

「ちょ、丁度良かった、おまえを探してたんだよ。今日って、おまえの誕生日だろ? 京塚のおばちゃんに頼んで……」

「御託は良いから、早く頂戴……」

「……そ、そうか、ほらよ。合成ヤキソバパンだ。今日は特別に3本作ってもらったぞ。」

「……ありがとッ!!」

 彩峰は、非常に珍しい、何の含みも無い満面の笑みで礼を言うと、表情を消し、背後の沙霧を肩越しに見た。

「尚哉、今のわたしは、『こっち』の方が嬉しい……じゃね……」

 彩峰はそう言い置いて屋上から立ち去り、その場には武と沙霧が残された。
 屋上で一緒にいる沙霧と彩峰、という情景から、『元の世界群』での彩峰と沙霧の話し合いの場に割り込んで、彩峰に告白した時の記憶を蘇らせてしまった武は、なんとなく気不味い思いで沙霧に話しかけた。

「沙霧さん、もしかしてお邪魔でしたか?」

 武の声に、脱力していた沙霧は気概をなんとか掻き集め、静かに首を振った。

「いや、白銀少佐が来る前に、既に結果は出ていたのだ。全ては私自身の至らなさが招いた事。
 決して、白銀少佐のせいではない。」

「そ、そうですか………………さ、沙霧さんも彩峰に誕生日のお祝いを?」

 武は、沙霧の力なく垂れた左手に握られた小さな包みを見て、つい聞いてしまった。
 沙霧は、今気付いたかのように己が左手を見て、力なく首を振った。

「ああ……だが、受け取ってもらえなかった。よくよく考えれば当然かも知れぬ。道を過ち己が罪を償うことに汲々とする日々を送る男だ。
 贈り物などされても、却って迷惑というものだろう…………」

「彩峰は、そんな事は気にしないと思いますけどね。それに、過去に犯した罪を購うために必死になっているのはオレも同じです。
 ですから、沙霧さんには、是非前向きに邁進して欲しいです。」

「む……そうか。…………うむ、己が罪から安易に逃れるなと貴公に言われたあの日から、もう直ぐ1年になるのだな。
 この辺りで、初心に立ち返ってみるとするか。―――ところで、その…………先程の紙袋の中身なのだが……」

「ああ、合成ヤキソバパンですよ。合成コッペパンに合成ヤキソバを挟んだだけの代物です。
 彩峰の大好物なんですよ。」

「なんと……ヤキソバを好んでいる事は承知していたが、その様な好物が増えていたとは……なるほど、私の中の慧……失礼、彩峰少尉は、過去の残照に過ぎないのだな。」

 武は、何やら内省に耽る沙霧を見て、悩んだ後で話しかけた。

「沙霧さん。なにを悩んでいるのかは知りませんけど、彩峰の事なら、これから取り返せば良いじゃないですか。
 あなたも彩峰も、2人とも生きてこうして話し合えてるんですから、未来はこれから作り上げていけばいいんですよ。」

「…………しかし、己が罪さえ購えぬ私が……」

「……気持ちはわかりますけどね…………そうだ、それなら、彩峰の為になる事を探したらどうですか?
 沙霧さんが彩峰の側にいて、彩峰の力になれば……そういう関係なら、いいんじゃないですか?
 何しろ、彩峰ってヤツは自分を他人に理解させる努力を一切しませんからね。翻訳できる人間がいた方が良いでしょう。」

「む……今の私には荷が重いような気もするが……考えてみよう。助言かたじけない、白銀少佐。」

「どうって事ないですよ。じゃ、オレもそろそろ行きますね。」

 武は沙霧に背を向けて屋上から去っていく。沙霧は一人残って秋晴れの空を見上げると、左手に握り締めていた包みをそっと懐に仕舞った……


―――そして、12年の月日が流れる…………


2014年9月27日

 12時46分、国連軍横浜基地衛士訓練学校校舎の屋上に、一人の男がやってきた。

 その手に色あせた包装紙に包まれた小さな箱を握り締めて………………




[3277] 第34話 紫電降臨!
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:49

第34話 紫電降臨!

2001年11月04日(日)

 05時56分、B4フロアの自室で、今日も武は霞によって目覚めを迎えていた。

「ん……む……あ゛~~~……おはよ~、霞~。」

「……おはよう……ちゃんと寝てますか……」

「ん?……あ~、ご免、昨日……てか今朝は帝都城から帰り着いた時点で02時過ぎてたから……3時間くらいだな~。
 まあ、軍人だからな、こんな日もあるさ。霞だって仕事で徹夜とか、あるだろ?」

 仕事で休日がつぶれた父親の弁解よろしく、任務へ理解を求める武を、霞は一見無表情に見上げる、しかし、その全身からは抗議のオーラが滲み出ていた。

「……あります…………でも、ちゃんと寝なきゃだめです……」

「ああ、心配してくれてありがとな。
 けどさ、霞。昨日は相当得るものが多かったぞ。
 ん……そういや、今日は日曜だっけ。てことは、今回再構成されてから、2週間たったのか……
 なあ、霞。この2週間、オレはちゃんと頑張れてたかな?」

 丁度起床ラッパが鳴っていた。一緒に朝食を取るようになって以来、霞が起こしに来る時間は数分ではあるが遅くなっている。
 着替えをしながら霞に問いかけたものの、武は返事を待つ事無く、今回再構成されてから、自分が為し得た事柄を思い起こしていた。
 臨時中尉と訓練兵の二足の草鞋、夕呼先生との信頼関係の構築、対BETA戦術構想の推進を夕呼に認めてもらい第1期装備群を試作、XM3の試作OSの実証試験は順調で、ヴァルキリーズは第1期装備群の配備もあわせて着実に戦力を増大させている、207Bの総戦技演習合格は『前の世界群』よりも半月以上早まった、斯衛との協力体制も……
 そこまで考えて、武の思考は更に昨夜の帝都城での出来事を反芻し始めた。

(しかし、紅蓮大将はともかく、いきなり殿下にお会いするとは思わなかったな。
 あの会談を終えた後、帝都城のシミュレーターの換装が済んだ事を確認して、佐渡島ハイヴ攻略戦シミュレーター演習と、エンドレスのハイヴ機動突破シミュレーター演習のシナリオと、霞の作ってくれた『白銀武エミュレーションプログラムVer.1』をインストールしてきたんだよな。
 まあ、『白銀武エミュレーションプログラムVer.1』とか言ってはいるけど、単にオレの操縦ログを基に、シミュレーターでオレの機動を再現して追体験させたり、オレの機動に追従したり出来るようにしただけで、相手の動きに対応できるわけじゃないけどな。
 大変だったのがその後だな。『不知火』に乗って川崎の演習場まで移動して、実機演習の繰り返しだったもんな。
 斯衛の小隊相手に連戦だったから、相当疲れちまった。まあ、腕の良い猛者達は、紅蓮大将の指示で対戦相手じゃなくて、『不知火』に交代で乗って実機での機動を体感して貰ったから、演習自体はそれほど苦戦しなかったけどさ。
 ただ、大抵、後部席から、親の仇でも見るような不穏な気配が立ち込めてるんだよな~。数人、例外がいたけどさ。
 で、何やかやで解放してもらったのが1時過ぎだったからな~。
 まあ、帝都周辺に駐留している斯衛軍各大隊からの選抜メンバーだって言ってたから、オレの品定めだったんだろうな……ん?)

 そこまで考えた時に、武は、霞が自分を一生懸命揺すっているのに気付き、我に返った。

「あ、ごめんな、霞。ちょっと考え事しちまってたよ。」

「ほ~。それは邪魔をしてしまって申し訳ない事をしたな、白銀訓練兵ッ!!」

 自室の入り口の方から聞こえてきた、不機嫌そうな声に、武が恐る恐るそちらを窺うと、そこには柳眉を逆立てたまりもの姿があった。

「ま、まりもちゃん?!……げ、もうそんな時間なのかっ!!」

「白銀ぇえっ!! 腕立て200回っ! 直ちに始めろっ!!」

「りょ、了解!」

「白銀、昨夜は特殊任務で出かけていたそうだな。体調管理はしっかりしろよ?」

「はっ! 体調管理をしっかりといたしますっ!」

「よし、では腕立てが終わったら自由にして良いぞ。」

 そう言い置いて、まりもは腕立てを続ける武を置いて、立ち去っていった。

「くっ、霞、ちょっと……待ってて……くれな。」

「……はい。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 6時48分、武が1階のPXで朝食を2人分受け取り、いつもの席へと移動すると、今日は既に207B女性陣が揃って朝食を食べていた。

 まりもが去った後、腕立て伏せを終えた武は、今朝寝る前に入浴していない事を思い出して、腕立て伏せで一汗かいたこともあり、シャワーを浴びることにした。
 そして、出かけようとした時、霞が満を持して、ゲームガイの絵と、武と純夏を並べて描いた絵を、お土産のお返しにと差し出してきた。
 喜んだ武が霞に礼を言い、絵を誉め、貰った絵を何処に飾るかなどと言い出して時間を潰してしまったため、PXに着く時間がえらく遅くなってしまっていた。

「おはよう、タケル。どうかしたか? 今朝は珍しく遅いではないか?」
「おはよう白銀。あまり社さんに面倒かけちゃだめよ。」
「おはようございます、たけるさん、社さん。」
「タケルぅ~、寝坊は良くないよ~。」

「おう、みんなおはよう。」
「……おはようございます、みなさん……」

 朝の挨拶をしながら席に座った武に、わざわざ席を立って彩峰が近付く。
 そして、おもむろに前かがみになり、武の頭に顔を近づけ……

「ん? どうした彩峰。」
「……くんくん、白銀からシャンプーの匂い……風呂上りだね……一体、2人の間に朝から何が……」
「こらこら! 朝っぱらから変な疑惑を振り撒くなっ!!」
「……チッ……白銀、詰まんない……」
「おまえが詰まんなくても、こっちは平穏がいいんだよ!」
「ま、いいや…………今日はあ~んが見れそうだしね!」

 彩峰の瞳がキラリと光り、唇が邪悪な笑みに彩られた。
 そして、霞はコクリと頷くと、はしで合成さばの切り身を取り上げて武に差し出して言った。

「白銀さん……あーん……」
「な、なあ霞、今、彩峰とアイコンタクトで会話してなかったか?」
「………………あーんです……」

 少し長めの沈黙を挟んで、武の問いに応えず、再び『あ~ん』と繰り返す霞に、武は追究を諦めて素直に霞の差し出す合成さばに齧り付いた。

 しばらく静かに食事の時間が過ぎ、霞の朝食も残り少なくなってきた頃、時計と睨めっこをしていた千鶴が、待ち切れなくなったように口を開いた。

「で、白銀。ちょっといいかしら?」

「ん? ああ、食事をしながらでもよければな。」

「構わないわ。あなたの口に入る物はもうなさそうだから。」

 武は、霞の前にある、さば味噌煮が乗っていた今は空の皿を見てから千鶴に応じた。

「そりゃそうか。―――で? 何の話だ?」

「あなたは、昨夜は夕食すら取らずに特殊任務に出かけてしまったから仕方ないけど、昨日の夕食の後に、あなた以外の全員で集まって、総戦技演習のデブリーフィングをしたのよ。
 その結果、たった5人であれほどの人数の攻撃に耐え切れたのは、あなたの提案で準備した支援火器や地雷原、そして、それらの遠隔運用にあるという結論に至ったんだけど・・」

「ふ~ん、それだけか?」

「え?! それだけかって、どういうこと?」

「幾ら準備が万全でも、戦場じゃ崩壊してしまう戦線なんか珍しくないんだぞ? 準備や装備とかシステムにばっかり目をやってると、足を掬われるぞ?」

 武は敢えて直接的な回答を提示せずに、思わせぶりな事を言って自力で回答に辿り着かせようとした。

「……ふむ。タケル、そなたが匂わせているのは、士気と体力の維持に関する事か?」

「そうだ。第1次攻撃の時のたまが良い例だ。あと少しで敵を一気に殲滅できるのはたまにも判っていた筈だ。
 にも拘らず、人間の心は何かの拍子に崩れてしまうことがある。そうなれば、何を準備していても無駄になることさえあるな。
 たまは良く立ち直ったな、偉いぞ。一度ああいう経験をして乗り越えたんだ、これからは今迄よりも自信を持っていいぞ。
 次は体力の話だな。体力を消耗すれば、装備の運用も覚束なくなり、効率的運用が出来なくなっていく、精神的な処理能力も低下する。
 第3次攻撃の中盤以降、波状攻撃にさらされた時、正直オレは持たないかと思った。
 けど、委員長が上手に、自分を含めた全員の疲労を蓄積させない運用を行った。
 あれがなければ、波状攻撃に押し潰されて終わっていただろうな。」

「……分隊長さまさま?」

 茶化すように言う彩峰だったが、その表情が真剣だったため、千鶴は一睨みしただけで取り合わずに済ませた。

「なるほどね。じゃあ、それも含めてでいいんだけど、疑問なのは、演習で私たちが出来た事が、なぜ対BETAの実戦では出来ないのかってことよ。」

「つまり、演習の何処までが、実戦に即していて、どこが実戦と違うのか、それが知りたいってことか?」

「まあ、そういう解釈でも、間違ってはいないと思うわ。」

「そういう事なら簡単だ。あの演習で実戦との共通点は1つだけ。
 ……………………圧倒的な物量に襲われた時の重圧(プレッシャー)だけだ。
 他は所詮演習に過ぎない。しかも、BETAの物量に比べれば、あんなの可愛いもんだ。」

 武は何でも無い事のように、演習は実戦とは比べ物にならないと断言してのけた。

「「「「「 なっ―――!! 」」」」」

 困難な演習を潜り抜け、自信を深めていた一同は、武の言葉に動揺する。
 その5人の様子を眺めて、武は演習に込められたまりもの願いと、それに応える為の道を優しく諭す。

「もっとも、まるっきり無駄って程じゃない。演習での守備隊は、今のおまえらが耐えられる限界に近い圧力で、おまえらに迫っていたはずだ。
 あれを経験したおまえらは、実際にBETAの物量に晒された時に、幾らかでも耐性がついているはずだ。
 死の8分を切り抜けられるように……神宮司教官の親心ってやつだな。大分無理を言って帝国軍に協力させたらしいぞ。
 おまえらはそういう意味で大分恵まれているんだ、任官しても、初陣で死んじまったりして神宮司教官をがっかりさせんなよ?」

「無論だ。」「あたりまえでしょ?」「当然……」「はいっ!」「うん!」

 各々が、決意を込めて応えるのを確かめた武は、表情を真剣なものに改めると、今度は戦術機甲部隊が晒される過酷な実戦の実相について語りだした。

「ならいい。とは言え、じゃああの演習は実戦では何の参考にもならないかって事になると、それについてはそうでもない。
 一応、BETA相手の実戦に於けるポイントは、ちゃんと抑えてあるからな。
 ただなあ、相違点を一々挙げてったら、幾ら時間があっても足んないんだよな~。
 まあ、幾つか大きいとこを挙げるとすれば、演習では制圧射撃も前線での陽動も地雷原の構築も全部おまえらが一括して行ったが、実戦では個別の部隊が司令部の指示で別個に行う形になる。
 だから、連携は崩れやすいし、支援砲撃の部隊は1部隊毎に専属であるわけじゃないから、いざという時に当てにならない事も多い。
 それから戦術機でBETA相手に足止めをする際、遠隔操縦の銃座や地雷原に相当するものなんてまずない。
 精々が、たまたま地雷原の敷設が間に合ってた時くらいのもんじゃないか?
 それだって、BETAが殺到すればあっという間に効果はなくなる。
 つまり、オレたち衛士、戦術機甲部隊は他戦力との連携が前提になっている陽動戦力であるにも拘らず、他戦力を当てには出来ないって事になっちまうな。
 だから、支援砲撃が来るまで、敵がいなくなるまで、撤退の許可が出るまで、それらの何れかが来るまでひたすら凌ぎ、耐え、生き残る。
 さもなきゃ全滅するまで戦い抜くかだ。
 ハイヴ突入作戦はもっと酷い。反応炉に辿り着き、S-11を仕掛けられない限り、まず撤退すら許されない。
 最後の最後、もう進めなくなったその時は、後に続く者の為に少しでも奥へ行ってS-11を起爆してハイヴに損傷を与える。
 それが戦術機甲部隊の実戦だ。損耗率が凄まじい事になるわけだよな。
 衛士の損耗率が高いのは、なにも初陣の死の8分のせいばかりじゃ無いって事だな。」

「「「「「 …………………… 」」」」」

 真剣な顔で、それでも何でも無い事の様に、極普通の口調で武が語った実戦の凄惨なありさまに、207Bの女性陣は言葉を失う。
 ―――が、それまでの真剣な表情を吹き消して、武はニヤリと不敵に笑うと、さらりと前言をひっくり返した。

「―――ま、今迄はって事だけどな。これからは、そんな事にはさせないさ。」

「「「「「 え?! 」」」」」

 武の話の急展開に付いていけず、呆然とする5人。しかし、冥夜はいち早く武の言いたい事に気付く。

「―――ッ!! それは、そなたが推し進めている対BETA戦術の事だな、タケル!」

「「「「 !! 」」」」

 残りの4人の視線が冥夜に注がれる中、武は一つ大きく頷いて言った。

「そうだ。前にオレは言った筈だぞ。『特別臆病な衛士』であるオレが、衛士が生き残れる方法を見つけてみせるってさ。」

 いま、戦術機という力を振るう資格を得て、BETAとの実戦をより身近に感じる立場となった少女達に、武の言葉は以前とは比較にならない重みで響いたのであった。

「え~っ? 武、みんなにはそんな事言ってたの~? ずるいよ~、ボクはそんな話初耳だよ~!!」
「あ………………あの時は、美琴は入院してたっけ。」
「仲間外れだなんて、酷いよタケルぅ~~~っ!」
「す、すまん! 許してくれ、美琴!!」
「たけるさん…………」
「……台無しだね。」
「ま、白銀だから、仕方が無いわね。」
「タケル、そなた、何故にそう間の抜けた事になってしまうのだ?」
「…………仕方ないです……白銀さんですから…………」
「なっ! か、霞まで…………」

 一度は確かにその場を満たした、厳粛な雰囲気は、美琴が騒ぎ出したことで一気に消え去り、美琴に平身低頭する武を見て、各々がその情けない様に脱力した。
 そこには、重苦しい決意も、感動も欠片も残ってはいなかった…………しかし、何か、生きていく為の力、希望のようなものが、微かに残されていたかもしれない。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時03分、シミュレーターデッキの制御室で、武はシミュレーターの設定を行っていた。
 最近、シミュレーターと試作OSの連動やら、演習プログラムの作成などで、霞と一緒にシミュレーターを操作する事が増え、ある程度の設定であれば出来るようになっていた武だった。

「神宮司教官、設定が終わりました。」

「よし、それでは貴様ら全員シミュレーターに搭乗しろ!」

 まりもは207Bの全員がシミュレーターに搭乗すると、自分は制御室に移動し、通信回線を接続し、全員がオープン回線で会話できるように設定した。

「よし、午後のシミュレーター教習を行う前に、白銀中尉が、今回の演習に於ける注意事項を説明なさるので傾聴しろ!
 白銀中尉、お願いいたします。」

「さて、教習内容自体は、午前中と同じだ。自分の習熟具合に合わせて動作教習応用課程AからDの範囲で反復履修してもらう。
 ただし、機体設定がちょっと違っている。戦術機操縦課程で訓練兵が乗る97式戦術歩行高等練習機『吹雪』だって事は午前中と同じだけど、無人機である遠隔陽動支援機仕様にかえてある。
 遠隔陽動支援機ってのは、オレの対BETA戦術構想の最初の成果で、無人機を遠隔操縦して衛士の生命の危険抜きで前線での陽動を担当させる機体だ。
 本来は有人機よりも各種リミッターが緩和され、機動特性が向上するんだが、今回は動作教習応用課程ということで、一切設定を弄っていない。
 よって、シミュレーターが一切揺動しないこと以外、全く変化はないと思ってもらって構わない。
 臨場感は無くなるが、その分揺動に悩まされずに操作の習熟に専念できるはずだ。
 機動を行っても、視聴覚以外で全く反応を得られないため戸惑うだろうが、まずは操作にしっかり慣れることを目標にしてくれ。以上だ。」

「よし、それでは個々に動作教習応用課程をAからDの範囲で選択し、教習を開始しろ。
 私と白銀に対する質問はオープン回線で随時受け付ける。では開始!」

「「「「「 了解! 」」」」」

 207Bの戦術機操縦課程が本格的に始まったのは、この日の午前中からであった。
 昨夜、帝都に向かう前に、武は霞にとあるプログラムの作成を依頼しておいた。
 『並列仮想統合フィードバック』プログラムである。
 このプログラムでは、単座のシミュレーター群に於いて、あるシミュレーターを親機として、複数の子機をそれぞれ独立した仮想空間内にて親機の操縦及び統計思考制御を入力として受け取らせ、統合フィードバックを個別に実施する。
 これにより、複数の子機に乗った衛士が、仮想空間内に於いては、試作OSが搭載された複座型戦術機に、親機の衛士と個別に搭乗したのと同様の統合フィードバックを受けることができる。

 武は午前中のシミュレーター教習の最初に、このプログラムを使って、207Bの5人を仮想複座型『吹雪』に搭乗させ、動作教習応用課程AからDを通してクリアして見せた。
 目的は2つ、まずは模範例を先に見せておく事で、学習効率を向上させること。
 もう一つが、動作教習応用課程に於いて発生しそうな機動に対するフィードバックを予め衛士強化装備にデータ蓄積させておくことであった。
 その為、武は念を入れてもう一度、動作教習応用課程AからDを合計2回通しでクリアしてから、設定を単座型『吹雪』に戻して各々に動作教習応用課程AからDを履修させた。
 午前中の結果のみでも、過去の最短履修記録との比較に於いて、207B女性陣は倍近い履修速度で動作教習応用課程をクリアしていった。

 そして、午後のシミュレーター教習では、データ蓄積が不十分な状態では揺動により思うように操縦できず習得効率が悪化するのではないかとの予測の下に、現在の教習が行われる事となった。
 遠隔陽動支援機の設定を利用して、シミュレーターの揺動を無くした上で動作教習応用課程を行い、習得効率の向上が図れないかを試す事としたのであった。

「む……なにやら、動かしている実感がないというか……むむむ……面妖な……」
「ホント、動かしてる気がしないね……」
「まあね、でも、楽なのは確かだし、集中もし易いわ。」
「ボクは気に入ったかなぁ、これ。なんだか、凄く楽しいよ~。」
「わたしも、揺れない方が助かるかなぁ~。」

 ―――そして、30分が経過した。

「―――どうだ? これなら午後の時間一杯、休憩無しで続けられそうか?」

「そうね、体力的には問題ないと思うわ。精神的には……」
「……気持ち悪い、目が回りそう?」
「疑問系はやめろ彩峰。本当に辛いのか?」
「……大丈夫、我慢できる。」
「うむ、確かに違和感が強いが、操縦への習熟を目的とする分には、問題はなかろう。」
「さっきも言ったけど、ボクはこっちの方がいいなぁ。」
「わたしもです、たけるさん。」
「……いかがですか? 神宮司教官。」
「少々お待ち下さい、中尉。」

 武の問いかけに、制御室のまりもは全員のバイタルを確認し、しばらく考えた上で応えた。

「…………午後の訓練時間を全てこの形式の教習に充てましょう。習得効率は向上しているように見受けられますし、バイタルへの負担も少なく、休憩抜きでの教習続行にも問題の無い範囲です。
 ただし、本日の最後にもう一度、実機仕様で再履修を行わせ、習得度合いを確認したいと思います。」

「そうですね。じゃあ、そういうことで。おまえら、頑張って今日中に動作教習応用課程Dまで終わらせちまえよ!」

「無茶を申すな。」「白銀、あなたねえ。」「ムリムリ。」「ちょっと厳しいかなぁ~。」「無茶苦茶だよタケルぅ~。」

 武の言葉に苦情を返しながらも、皆の表情は明るかった。

 ―――そして、午後の訓練も終わりに近付いた頃、機体の設定を通常の『吹雪』に戻して行った動作教習応用課程の再履修が行われた。
 復活した揺動により、思うように操縦出来ない局面も少なからずあったものの、午後の訓練開始時に比べれば格段の成長を遂げていた。
 午前の教習では壬姫と美琴が他の3人に比べて身体能力の差により幾らか出遅れていたが、午後の訓練で大分遅れを取り戻していた。
 殊に美琴の成長は著しく、終盤では習得率でトップに躍り出ていた。
 ただし、最後の揺動を復活させた再履修では、やはり身体能力に勝る冥夜と彩峰には一歩を譲ることとなった。

 終わってみれば、冥夜と彩峰は動作教習応用課程Dを修了しており、美琴と千鶴は後一歩、壬姫も動作教習応用課程Cまではクリアしていた。
 実訓練時間約7時間での動作教習応用課程D修了は、訓練兵によるクリアまでの歴代最短記録である33時間を一気に5分の1近くまで短縮する結果となった。
 それも同時に2人もである。しかも残りの3人とて、後1時間もあればクリア出来る所まで進んでおり、8時間としても歴代最短記録の4分の1しかかからない事になる。
 試作OSの即応性向上による所も少なくないとは言え、武の持ち込んだ新しい教習方法が功を奏しているのは明白であり、既存の教習カリキュラムを踏襲し、幾らかの改善をなして満足してしまっていた事に、まりもは密かに自己嫌悪を感じていた。
 しかし、まりもはその自己嫌悪をばねにして、新しい教習カリキュラムを構築し、次世代の訓練兵教育に役立てる事を堅く心に誓うのであった。

「……と言う事で、貴様らは過去の訓練兵による最短記録を、革新的に更新しているわけだ。
 しかしこれは、貴様らの素養と努力による所もあるだろうが、白銀の持ち込んだ試作OSの性能と、新しい着想に基づいた訓練方法による所が大きい。
 決して慢心する事無く、更なる高みを目指して訓練に邁進しろ、いいなッ!!」

「「「「「 はいっ! 」」」」」

 まりもにより、自分たちの驚異的な履修速度を知らされて戸惑いつつも、207B女性陣の顔は達成感に満ち溢れていた。

「そして、貴様らは更に優遇措置を受ける事が決定している。
 まず、香月博士の提案と、当基地に駐留中の斯衛軍第19独立警備小隊の好意により、このシミュレーターデッキを夜間に使用する許可が下りた。
 斯衛軍は4名しかいないので、シミュレーターは余っているとの事だ。斯衛軍への感謝を忘れるな!
 次に、貴様ら専用の練習機だが…………実は今朝既に搬入されている。」

「「「「「「 えええぇ~~~ッ!!! 」」」」」」

 これには武も含めて207Bの全員が驚いた。

「博士は戦術機など車と同じで慣れだと言っていたが……まあ、それはいい。
 しかし、今日搬入されたという事は、総戦技演習の実施要望書を出した頃、1週間ほど前には既に手配をしていたという事になるな。
 博士の手配が早いのは何時もの事だが……貴様ら、総戦技演習に合格できてよかったな。博士の手配が無駄になっていたら、何をされていたか解らないぞ?
 実は機体の搬入の事を話さなかったのは、どうせ暫くは実機には乗れないだろうと思っていたからなのだが、本日の履修程度からすると、明日の午後には実機に搭乗することができるだろう。
 整備班長によると、相当程度のいい機体が搬入されたらしい。今日一杯かけて、基本整備と再塗装、そして試作OSへの換装が行われている。
 明朝にはハンガーに収められているはずだから、気になるなら見に行くといい。
 いいか? これ程までの優遇措置が行われているのは、貴様らが新OS世代となる衛士訓練兵の先駆けであり、モデルケースとして期待されているからだ。
 明日からは更に結果を求められると思っておけ、いいな。」

「「「「「 りょ、了解! 」」」」」

「よし、では本日は解散。白銀中尉はもう暫くお付き合い願えますか? 然程お時間は取らせません。」

「了解です。―――あ、みんな、悪いけど、オレは今日も特殊任務で出かけちまうから、夕飯はPXでは食えないんでよろしくな!」

「………………うむ……気を付けて行って来るがよい。」
「……わかったけど、無理しないでね。」
「じゃね……」
「いってらっしゃい、たけるさん。」
「それじゃまたね、タケル。」

 口々に別れを告げてPXへと向かう仲間達を見送って、武はまりもと今後の訓練計画について話し始めた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年11月05日(月)

 0時43分、武は旧川崎の演習場で、紅蓮に見送られてヘリに乗ろうとしていた。

「ご苦労だったな、白銀中尉。だが、これで主だった斯衛の部隊には試作OSの性能が理解されただろう。
 では、11月10日に新潟でまた見え(まみえ)ようぞ!」

 午後の訓練終了後、武は今日もヘリで帝都城へと向かった。
 帝都城では、斯衛軍の試作OS対応シミュレーターによる訓練を視察し、訓練方法や斯衛軍衛士の適応状況などに対する意見を求められた後、実弾演習に関する詳細の打ち合わせを行った。
 その後は、旧川崎の斯衛軍演習場に移動して、先日に引き続き実機での模擬戦である。
 この日で関東近県に駐留している、主立った斯衛部隊に対する試作OS換装機の装備展示(デモンストレーション)は完了したため、武の帝都招聘は当初の目的を完遂したと伝えられた。
 疲労困憊した武は見送りの紅蓮と新潟での再会を約し、横浜基地へと帰還した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 06時59分、いつもの様に霞に起こしてもらい、朝食を共にしてからPXで別れた武は、207Bの皆が居るであろうハンガーへとやって来ていた。
 今朝は、PXで朝食が配られ始める前から207Bの全員が勢ぞろいしており、武を除く全員が大急ぎで朝食を食べていた。
 理由など聞くまでも無かったので、武は霞といつものペースで食事を取りつつ、食べ終わった皆に、先にハンガーへ向かうように促したのだった。

「あ、たけるさんだ~!」
「よう! みんな、まだ下に降りないのか?」

 ハンガーの2階部分、搭乗デッキの際の手摺の前に揃って並んでいる仲間たちの下へ、武は歩み寄った。
 手摺の向うは吹き抜けとなっており、1階で作業する整備班の姿と、1台の搬入用トレーラー、そして、ハンガーに格納されている6機の『吹雪』の姿を見ることが出来た。

「ん? そうか、搬入がまだ済んでいないのか。」
「そうなのよ、けど、変じゃない? 白銀を入れたって、私達は6人なのに、7機目の機体だなんて。」
「あ、千鶴さん、シートが剥がされるよ!」
「ええ?! あ、あの機体って……」
「……『武御雷』……しかも、紫?」
「………………」
「な、なんで紫色の『武御雷』が……あ!」
「うわ~~~っ! わたし、『武御雷』を見るのって初めてです~。」
「うんっ! ボクもだよ壬姫さん~。」

 間近に見ることが出来た『武御雷』の勇姿に、興奮して舞い上がる壬姫や美琴と対照的に、千鶴と彩峰は心配そうに冥夜の様子を窺う。
 冥夜は何かを堪えるかのような表情で、紫色の『武御雷』を見つめていた。
 武は事態を収拾する切り札を持っていたが、敢えてこの場は様子を見守ることにした。
 そうこうする内に、『武御雷』のハンガーへの格納が完了し、整備班が引き上げていった。

「鎧衣さん、近くに行って、もっとよく見ようよ!!」
「あ、待ってよ壬姫さんっ!!」

 搬入作業が終わり、1階部分に立ち入れる様になったのを受けて、壬姫と美琴が階段を駆け下りていく。
 それに引き摺られる形で、207Bの全員が1階部分へ降りて、『武御雷』の足元へと近付く。

「うわぁ~、やっぱり近くで見ると迫力が違いますねぇ~。」

 壬姫がそう言いながら『武御雷』の二本爪の間へと近寄って行く。
 そろそろと手を伸ばした壬姫に、厳しい中にも配慮を滲ませた月詠の叱責が投げかけられた。

「珠瀬訓練兵、妄り(みだり)に手を触れてはならぬぞ。その『武御雷』は特別な機体故な。」

「あ! 月詠中尉っ!! も、申し訳ありません!」

 慌てて壬姫が謝った直後に、千鶴が号令をかける。

「!―――け、敬礼っ!!」

 武を含めて全員が敬礼すると、月詠とその後ろに従ってきていた神代、巴、戎の3人が揃って答礼した。
 そして、月詠が冥夜の前へと進み出ると、冥夜に一礼して話しかけた。

「冥夜様、遅ればせながら、総合戦闘技術評価演習、合格おめでとうございます。
 昨夜は所要にて帝都へ戻っておりました故、お祝い申し上げる事が叶わず、申し訳ございませんでした。」

「よい。それよりも、これは一体どうした事だ。」

「はい。冥夜様、『武御雷』をご用意致しました。なにとぞ……」

「己の分はわきまえているつもりだ。一介の訓練生には、『吹雪』でも身に過ぎるというもの。」

「この『武御雷』は冥夜様の御為にあるのです。冥夜様のお側におくように命ぜられております。
 どなた様のお心遣いかは冥夜様もご存知のはず……
 どうか、そのお心遣い、無下になさいませぬよう。」

 重ねて言葉を連ねる月詠に、冥夜は瞑目して口を閉ざし、心中に思いを巡らせているようであった。

「御剣……」「榊、駄目……」「でも、黙って見てられませんよ~。」「う~ん、でもボクたちが口出しして良いのかなあ?」

 冥夜の苦衷を慮って、声をかけようとする千鶴を彩峰が制止した。壬姫も美琴もなんとか冥夜の力になろうと悩んでいる事が明確に見て取れた。
 武は冥夜の事情にも207Bの結束が揺るがないことに満足して、切り札を切ることにした。

「……冥夜。」

「……武……済まぬが、私の事情によるものだ、皆に迷惑を掛けぬよう、何か妙策を案ずるゆえ、今しばらく時間を貰えぬであろうか。」

「大丈夫、大丈夫なんだ、冥夜。その『武御雷』の件は、既に落とし所が決まっているんだよ。
 そうですよね、月詠中尉。」

「なに?! そうなのか? 月詠。」

「はい、冥夜様。すでに国連軍横浜基地と合意の上で、表向き問題の少ない名分が用意されていると聞き及んでいます。」

 月詠中尉には珍しく、柔らかな笑みを浮かべての返答を受けて、武が事情を明かす。

「実はな、冥夜。この『武御雷』には試作OSを基にして現在開発している、新OSの量産型『XM3(エクセムスリー)』を搭載する事が決定されている。
 しかし、この機体は特別なものだから、間違っても誤動作をしてはならない。
 よって、換装後に徹底的なテストをしなければならないが、特別な機体故に制約があり下手な人間を乗せる訳にもいかない。
 そこで、この横浜基地で、試作OSの実験部隊でもある207訓練小隊の訓練兵であり、斯衛軍で正式採用されている無現鬼道流を修めている『御剣訓練兵』に、白羽の矢が立ったというわけだ。」

 武の説明を聞いた冥夜は、胡乱気な視線を武に向けて口を開いた。

「……ふむ。その言い様だと、私は任務でこの機体に搭乗せねばならぬと、そう聞こえるのだが、相違ないか?」

 冥夜は、いささか含むところのある問いかけをすると、全く困った奴だとでも言いた気に苦笑を浮かべながら、武の返答を待ち受けた。

「ああ、その通りだ。新OSの発案者として、この機体に採用されるのは実に光栄な事なんで、冥夜には否でも従ってもらうぞ。」

「解った。任務ということであれば何も言わぬ。全力を尽くし、万全にしてみせよう。
 ……………………タケル、月詠、そなたらに感謝を……そして…………」

 冥夜は瞑目したまま胸を張り、武に承諾の言葉を告げた後、微かな声で感謝の念を口にした。
 その声を聞き、武と月詠は笑みを浮かべたが、更に続いた言葉は次第にか細くなり、誰も聞き取ることは叶わなかった。




[3277] 第35話 寧日長からじ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:44

第35話 寧日長からじ

2001年11月05日(月)

 08時07分、ブリーフィングルームで、ヴァルキリーズと向かい合う形で、武は演壇に立ち説明を始めた。

「―――来る11月10日、新潟県旧長岡市にて斯衛軍による実弾演習が実施されます。
 そして、その際に行われる模擬戦の仮想敵部隊として、ヴァルキリーズには演習に参加してもらいます。
 オレも参加しますし、対BETA戦術構想第1期装備群も動員して、大隊規模の戦力として参加してもらいますのでよろしく。
 模擬戦は1個大隊から最大1個連隊までの斯衛部隊を相手に、数回に亘って行われる予定です。
 これは、試作OSと対BETA戦術構想第1期装備群の有用性を、斯衛軍に周知させる事を目的としています。
 また、時間が取れれば各種装備の実弾演習も行いますので、模擬戦で使用しない装備も含め、実弾装備を携えて臨む事になります。
 行動予定は次の通りです。
 当基地出発は11月9日18時00分、陸路にて演習地へ向かい、斯衛軍の宿営地にて一泊。
 翌11月10日09時00分より開始される演習に参加し、更に翌11月11日13時00分を以って現地を発ち、陸路にて横浜基地へ帰還します。
 伊隅大尉、オレからは以上です。」

 武は説明を終えると、みちると交代して演壇を降り、端の方の席に座った。

「今聞いた通り、久しぶりの出撃だ。模擬戦とは言え、相手は精鋭中の精鋭である斯衛軍だ。
 気を抜くんじゃないぞ?
 相手の数は3倍から9倍だそうだが、遠慮なく蹴散らせ、いいな!」

「「「「「「「「「「「「「「 了解! 」」」」」」」」」」」」」

「それでは、装備並びに編制を発表した上で実機演習を行う。
 模擬戦に合わせた、仮想敵部隊としての編制と、対BETA防衛戦、対BETA間引き作戦、ハイヴ突入戦の4つの編制を定め、それぞれについて問題点の洗い出しをするぞ。
 ただし、斯衛軍との演習までは、模擬戦用の仮想敵部隊としての編制と、実弾演習の想定となる対BETA防衛戦用の編制での練成を優先して行う。
 では、第二演習場で実機演習だ。各員衛士強化装備を装着してハンガーに集合しろ。速瀬、涼宮と相談して、私が行くまでに実機演習の準備を整えておけ、装備と編制は私が合流してから発表する。いいな。」

「「 了解! 」」

「よし。では解散! 白銀は残れ、少し話がある。」

「「「「「「「「「「「「「 了解! 」」」」」」」」」」」」」

 武とみちるを残して、ヴァルキリーズがブリーフィングルームを出て行った。

「さて、白銀。昨日は予定通りに休養日にさせてもらって悪かったな。
 貴様は配属以来休み無しと聞いている、もし必要であれば、こちらの休日など幾らでも潰してくれて構わんぞ?」

「いえ、オレも予想外だったんですが、総戦技演習の日程の2日目がまるまる休暇になりましてね。
 久しぶりに休んできたばかりです。
 それよりも、総戦技演習からこっち、休日は抜くとして、3日間の進展状況を教えていただけますか?」

 武を気遣うみちるに、武は笑って心配要らないと応え、自分が離れていた間のヴァルキリーズの訓練状況について訊ねた。

「そうだな。試作OSへの慣熟は進んでいる。コンボの使用はともかく、キャンセルは十分に活用されている。
 先行入力は使用頻度の個人差が一番大きいな。積極的に使っているのは、わたしと、速瀬、宗像、風間、柏木、築地……この辺りだな。
 ただし、築地はやたらと先行入力しているが、キャンセルも多く効率が良いのか悪いのかよくわからん。
 どうも、先行入力に夢中になるあまり、戦況から乖離して慌ててやり直しているように見受けられるから、どちらかというと不味い傾向かもしれんな。
 先行入力を戦闘での機動に直接反映させて効果を得ているのは、未だに速瀬だけだ。
 築地は有効に使いこなせていないし、私を含めて他の4人は先行入力で空いた時間を戦況把握や判断に使っているからな。
 次に、貴様の3次元機動への習熟だが、これも個人差が大きいとは言え、全員がそれなりに習得し始めてきている。
 ハイヴ機動突破シミュレーター演習での追従率は格段に進歩していると言えるな。
 そろそろ、部隊単位でのヴォールクシナリオを試してみたいと思っているところだ。
 ただし、この所レーザー属種の存在する戦場での訓練は行っていないので、そちらを優先するか迷っている。
 ハイヴでの機動演習によって、ようやくレーザー属種による呪縛が薄まってきた所だからな。
 また、元の木阿弥にならないかが心配だ。
 最後に、対BETA戦術構想の第1期装備群だが、これを使用した訓練は殆ど手を着けていない。
 ただし、第1期装備群の仕様や運用構想は全員に叩き込んである。
 また、複座型の統合フィードバックシステムだけは、宗像の機体で涼宮を同乗させる形で運用している。
 涼宮も戦術機の機動に大分慣れだぞ。―――大体、こんな所だな。」

 3日間のヴァルキリーズの訓練の成果と問題点を列挙したみちるに、武は少し考えてから所感と要望を述べた。

「…………なるほど。先行入力は徐々に使いこなしていってもらうしかないですね。
 3次元機動は、レーザー属種のいる戦場で、意識的に使いこなせないと意味ないので、3次元機動という概念が身に付いた段階で、野戦をメインに切り換えてください。
 部隊連携による、ハイヴ突入演習の重要性はオレにもわかります。
 オレの持ち込んだ訓練カリキュラムは個人が試作OSに習熟するためのもので、部隊連携を考慮していませんからね。
 …………そうですね。実弾演習の件がありますから、これからは、第1期装備群の運用に慣れてもらいながら、部隊単位での野戦をメインに訓練していく方向でお願いします。
 対戦術機戦闘はおまけでいいですから、レーザー属種のいる戦況での野戦……そうですね、佐渡島ハイヴからの侵攻に対する水際防衛戦辺りをメインシナリオにして訓練してみてください。
 実機演習はどうしても対戦術機戦になりますから、シミュレーター演習で防衛戦の方を重点的にお願いします。」

 武の話を黙って聞いていたみちるだったが、武の要望を聞く内に訝しむような表情に変わっていた。
 そして、話し終えた武を伺うようにしながら、問いを放つ。

「白銀。貴様、やけに野戦、それもレーザー属種の制圧下に於ける防衛戦に拘っていないか?」

「―――ここは否定するよりも、機密です、と、そう言っておいた方がいいでしょうね。
 今回の斯衛軍の実弾演習ですが、演習地を斯衛軍に提案したのはオレです。そして、実弾はたっぷりと持っていきます。
 実戦の1回や2回出来るほどに、です。」

 武の言葉を聞き、みちるの顔に驚愕がありありと浮かぶ。武の言葉が匂わせているのは、実弾演習の日程で実戦―――しかも、BETA相手のそれがあるという事を意味しているとしか、みちるには考えられなかったからだ。
 そして、それは今まで不可能といわれ続けていた、BETAの行動予測がなされたという事を意味する為、衝撃の強さにみちるは表情を隠す事すら出来なかった。

「白銀! それはつまり―――い、いや、なんでもない。そうか、機密ならば仕方ないな、それでは私は独自の解釈に基づいて訓練方針を定めさせてもらう。
 何か意見があれば、何時でも良いので聞かせてもらおうか。」

 武は、みちるが自分の意を汲んでくれたことに感謝しつつ、話を進めることにした。

「はい。お言葉に甘えて、何か気付いたら意見させていただきます。
 それで、部隊編制に関してなのですが……」

 それから暫くの間、武とみちるの間で、実弾演習、そしてBETA相手の実戦に備えて、ヴァルキリーズの未来を左右する編制計画の検討が行われた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時55分、ヴァルキリーズとの実機演習を終えて昼食を共にした後、武はB19フロアのシリンダールームへとやって来ていた。

「白銀さん……白銀さんが居る時だけ……純夏さんはハレーションで一杯になります……」

 霞は純夏へのプロジェクションを終えると武にそう伝えた。
 一回のプロジェクションの時間や情報量が少ないせいか、情報流入はそれほど純夏の負担にはなっていないようで、武は安心した。
 明るい色が日に日に増えているとの霞の言葉に勇気付けられ、武はプロジェクションを続ける決意を固めた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時15分、第一演習場で『吹雪』に搭乗して整列していた207B女性陣は、武が『不知火』に乗って現れたことに驚愕していた。

「なんと! この基地に『不知火』が配備されていたとは……」「しかも、なんで白銀が乗っているのよ!」「何かの間違い……」「うわぁ! うわぁ!」「タ、タケルぅ! ずるいよ~、ボクにものらせてよ、ね~!!」「ん? ああ、乗せてやるから少し待ってろ。」

 午後の訓練時間に、武は207Bの初めての実機演習に参加し、複座型『不知火』を持ち出して、実機による3次元機動を体験させた。
 いくら正規兵でもあるとは言え武が『不知火』を持ち出してきた事に、横浜基地に配備された『不知火』を見たことの無かった207Bの面々の驚きは大きかったが、武は対BETA戦術構想でのテストベッド機であると説明して誤魔化した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時48分、夕食後に霞とあやとりをして過ごした後、武はB19フロアの夕呼の執務室で、帝都での成果などについて報告していた。

「……なるほどね。大体のとこは解ったわ。差し当たり上手い事運んだみたいで良かったじゃない。
 後は、実弾演習と、もし本当に来るようならBETAとの実戦で、あんたの対BETA戦術構想の実用性を証明しなさい。いいわね?」

 武は夕呼の言葉に頷くと、この日は自室へ戻って対BETA戦術構想の第2期装備の構想を練ることにした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年11月06日(火)

 12時12分、BETA本土上陸に対する防衛戦を想定したシミュレーター演習を終え、ヴァルキリーズと昼食を取っていた武に、声を弾ませて遙が話しかけてきた。

「すごいね、白銀中尉! BETAの侵攻に、私達だけであそこまで対応できるだなんて、今までじゃ、考えられないことだよね。」

 遙の言葉に頷いた武は、ようやく戦術機の機動に慣れてきた遙に、体調不良などがないか訊ねた後、ヴァルキリーズ全員と今回の演習で洗い出せた課題について意見交換した。
 少なからぬ課題が残ったとは言え、演習の経過は概ね武が満足できる水準のものであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時05分、壬姫は、国連軍横浜基地が誇るHSST打ち上げ用リニアカタパルト、その最上部に横たわっていた。
 いや、正確には、リニアカタパルトのほぼ垂直に立ち上がった先端部に固定された整備リフト、その上に伏射の姿勢を取って横たわる『吹雪』の管制ユニットに搭乗していた。
 そして、『吹雪』が伏射の姿勢で保持しているのは40m近い全長を持つ、巨大な対物ライフルのような形状の、試作1200mm超水平線砲であった。

「たま、聞こえるか?」

「はい、たけるさん。」

「よし、それじゃあ、始めるぞ。ブリーフィングで説明した通り、『吹雪』と超水平線砲を使用した、衛星データリンク間接照準による射程600kmの極超長距離狙撃のデータ取りだ。
 同時に、狙撃を直接搭乗した機体で行う場合と、遠隔操縦した機体で行う場合で、どの程度差異が認められるかのテストも行う。
 超水平線砲の砲身は強度に問題があるから、砲撃できるのは3発までだ。
 3発撃ったら砲身交換して、更に3発撃ってくれ、砲身交換はコンボ登録してあるが、一応説明する。
 砲本体の左側の砲身交換ボタンを押して砲身をリリース。その後キャリングハンドルを保持して前方へ引き抜く。
 続けて、新しい砲身をキャリングハンドルを保持して差込んだら、ハンドルを右に倒してロックだ。
 マガジンには2発しか砲弾が残っていないから、マガジンも交換してくれ。
 砲身の交換による照準誤差がどの程度発生するかもデータ取りの項目に入ってるからな、それじゃ、頼むぞ、たま。」

 真剣な面持ちで武の説明を聞いた後、壬姫は首を傾げて確認せずにはいられなかった。

「了解です。でもたけるさん、戦術機に乗り始めたばかりのわたしが、こんな重要なテストを担当しちゃっていいんですか?」

「う~ん。実はさ、たまのシミュレーターの訓練記録から割り出された狙撃特性の数値って、横浜基地の全衛士の中で1位なんだよ。
 しかも、2位以下を大きく引き離しての、なんだ。
 少なくとも、現時点で極東1位じゃないかって話になってる。」

「え? えええ~~~っ!!!」

 目を大きく見開いて驚く壬姫。そんな壬姫を通信画像で見ながら、武は話を続ける。

「てことで、射程600kmの極超長距離狙撃なんて離れ業で、データ取りが出来るのはたまくらいしかいないって事なんだ。
 実際、いままでお蔵入りしてたこの超水平線砲が、実用化を睨んで再テストになったのも、たまの狙撃特性があったればこそって事になるな。
 今まで頑張って訓練してきたことが、また一つ実を結ぶと思って、気軽に行こうぜ、たま。」

「はい! たけるさん。」

 元気よく返事をした壬姫は、心の中でそっと想いを呟いた。

(たけるさんに誉めてもらえて、お手伝いが出来て、わたし、凄く凄くうれしいよ。でも、ほんとはそれは、全部たけるさんのおかげなの。
 たけるさんが来て、色々と教えてもらってから、わたしは自分を信じてあげることが出来るようになったよ。そしたら、信じてあげた分、色んな努力がどんどん実を結ぶようになったの。
 みんな、みんな、たけるさんのおかげ。だからミキは、一番凄いのはたけるさんだと思うんだ……)

 その想いは、壬姫の大きな瞳に溢れ出さんばかりに湛えられていたが、武は欠片も気付く事無く、説明を続けた。

「よし、じゃあまずは、搭乗機体の方で3発、砲身交換の後、更に3発だ。
 目標は東方600km沖の特務艦から放球され、高度50km近辺で滞空する、高高度往還滞空動力気球だ。
 尤も、実際に狙うのは気球の1km横の空間座標だけどな。
 弾道は気球に搭載された弾道観測センサーが行ってくれる。
 砲撃間隔はたまに任せるから、落ち着いてやってくれ。」

「了解しました。……………………初弾装填……よし!」

 壬姫は大きく深呼吸をして精神を集中させてから、狙撃を開始した。
 自身が搭乗している『吹雪』で6発、続いて第2リニアカタパルトの先端に配置された遠隔操縦の『吹雪』で6発。
 結果は、直径20mと想定された目標に対して、全12発中6発が的中となり、2発が至近となった。
 遠隔操縦による差違は認められず、砲身交換後の1射目による弾道実測結果による補正が的中には必須であるとの結論が出た。

 そして、『吹雪』による砲撃が終了した後、更に6発の砲撃が行われ、この日のテストは終了した。

「たま、お疲れさん。お蔭で超水平線砲の運用データが取れたよ。」

「えへへへへ、わたしでお役に立てたんなら嬉しいです。」

「ところでさ、たま。夕呼先生の所で小耳に挟んだんだけど、たまの親父さん、国連事務次官の視察があるらしいぞ。
 そしたら、久しぶりで親父さんに会えるかもしれないな。
 手紙のやり取りくらいで、直接顔合わしていないんだろ?
 部隊のみんなにも紹介出来たらいいのにな。手紙にみんなの事を書いたりしてるよな?」

 合計18発の極超長距離射撃を行った壬姫を労った後で、武は珠瀬玄丞斎国連事務次官の来訪を告げると共に、手紙に書いた内容を想起させる話運びで、壬姫の思考を誘導した。
 過去の幾多の記憶から、武は壬姫が父親に当てた手紙で、自分が訓練小隊の分隊長をしていると嘘をついてしまっている事や、207Bの皆の為人を歯に衣を着せず赤裸々に、あるいは若干の誇張を混ぜて知らせている事を知っていた。
 その為、珠瀬事務次官の視察の折には、嘘をついた娘を懲らしめようと言う意図からか、事務次官による暴露が行われ、壬姫や何故か武が皆の怒りを買う羽目に毎回陥っていた。
 それを阻止しようと画策する武に、思考を誘導されてしまった壬姫は、手紙に書いてしまったあれやこれやを想起して、顔を真っ青にし、もうすっかり涙目になってしまっていた。
 そんな壬姫の様子を通信画像で見ながら、武は気付かない素振りでさらに追い討ちをかける。

「207Bは個性豊かだからな、たまの親父さんもみんなに会いたがるぞ、きっと。
 たまが手紙に色々書いていれば、話だって弾むってもんさ。なあ? たまもそう思うだろ?」

 武の言葉に何を想像したのか、壬姫はぶるぶると激しく全身で震えだし、武に震える声で助けを求めた。

「ど、どどどどど、どうしよぉ~~~。た、たたた、たけるさぁ~~~ん、助けてください、ヘルプミ~~~っ!!」

「ん? どうしたんだ? たま。まあ、話を聞いてやるから、まずはハンガーに機体を戻して降りて来いよ。」

「は、ははははは、はいぃ~~~。」

 全身の震えが止まらない様子の壬姫を眺めつつ、武は内心で安堵の溜息を付いていた。

(よし、今からでも、電子メールなら間に合うだろ。とにかくたまの親父さんが来る前に、手紙に書いた事をたまに訂正させておかないとな。)

 今回はHSSTの迎撃ミッションを予定している為、私的制裁までは行かないと思いつつも、その前段階の針の筵のような、たまを除く207Bのみんなの怒りを一身に受ける経験を、今回は受けずに済むと、武は胸を撫で下ろすのだった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時38分、1階のPXでは、たまと他の207B女性陣が、個別に行われた午後の訓練内容をお互いに話し合っていた。

「えぇええ~っ! その超水平線砲っていうの、ボクも見たかったなぁ~」「わたしも『時津風』を動かしてみたかったです。『吹雪』の遠隔操縦モードと違うのかな?」

 この日の午後、武とたまを除く207Bの残り4人は、実機演習で『吹雪』と『時津風』を交互に操縦していた。
 超水平線砲の試射の後、武はまりもから報告を受け、既に皆の動作教習課程は修了しつつあり、近々実機による模擬戦を開始してもいい段階だと聞いていた。
 夕食後、207Bの面々は『時津風』や超水平線砲の話題で盛り上がり、武に話を聞きたがったが、武は翌日7日の午後に『時津風』関連の討論会を行うから楽しみに取っておけと言って取り合わなかった。
 夕食後の時間を今日も霞とあやとりをして過ごした武だったが、その後はまた207Bと合流し、自主訓練としてシミュレーター演習を行った。
 207Bの習熟の速さに満足して自室に引き上げた武は、夕呼に提出する対BETA戦術構想第2期装備群の原案をレポートにまとめた後、就寝した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年11月07日(水)

 10時48分、霞に毛布を剥がれて起こされた武は、点呼と朝食を済ませ、第二演習場でヴァルキリーズと対戦術機戦闘の実機演習に参加していた。

「やった~~~っ! あたしの勝ちよっ!! 白銀、ざまぁ~みなさいっ!!!」

 演習で武・柏木ペアに勝って、大喜びの水月を、同じチームの葵、紫苑、智恵の3人が呆れて見ていた。
 確かに勝利した事に間違いは無いが、演習は、武と晴子が搭乗する複座型『不知火』1機と『時津風』3機で編制されるA隊と、複座型『不知火』2機と『時津風』2機で編制されるB、C、Dの各隊とで4機対4機の模擬戦を行う内容だった。
 衛士の数で2対4というハンデを利用し、水月は全機固まっての蹂躙戦を展開し、相手の迎撃を葵の勘で回避しつつ、接敵した敵を4機で集中攻撃して撃破していった。
 武の回避機動も、晴子の的確な支援砲撃も、数と葵の勘で圧倒して見せたのであった。
 水月のチームに限らず、ヴァルキリーズの練度向上は著しく、この日の演習で、武・晴子ペアの勝率が6割を超える事は無かった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時06分、ヴァルキリーズとの訓練を終えた後、水月が勝ち誇ってあれこれ五月蝿かったので、武は1階のPXに逃げて来ていた。
 ここならば207Bとの接触を禁じられているヴァルキリーズはやってこれないため、安心して食事が出来ると思ってのことだった。

「おい、そこの訓練兵。」

 昼食を受け取るために列に並ぼうとした武は、いきなり背後から声をかけられた。
 武が足を止めて振り向くと、そこには見覚えのある、男女1人ずつの衛士が連れ立って立っていた。

「は、何かご用でしょうか? 少尉殿。」

 幾多の記憶の中で、『武御雷』が搬入される度に、必ず絡んでくるこの2人組みの衛士の姿に、武は内心うんざりしながらも、敬礼をして用向きを尋ねた。
 そして、相手の反応を待ちながら、搬入に際して表向きの名分を用意しただけで安心して、この2人に対する備えを怠ったことを後悔した。

「おまえらの隊は、あそこにいるので全部か?」

 男性衛士が顎でしゃくった先で、207Bの5人が昼食を食べているのを確認した武は、男性衛士の問いを肯定した。

「7人じゃないのか?」

「総員で6人であります。」

 女性衛士の問いに武が応えると、2人組みの衛士は、揃ってここぞとばかりに、厚かましい質問を重ねてきた。

「だったら、ハンガーにある特別機……帝国斯衛軍の新型は誰のだ? おまえらの中の誰か用だと聞いたが。」

「なあ……どうなってる? 何であんなモンがここにあるんだ?」

「恐れながら少尉、もし、少尉殿の個人的な興味を満足させるためのご質問でしたら、この件はお忘れになった方が良いと愚考いたします。」

 一応、相手に引き下がる機会を与えようと、それとなく匂わせてみたが、2人組みの衛士は一向に気付く様子もなく、不満げに一歩近付いて威圧してきた。

「なんだと……? おまえ……誰に口聞いてるか、わかってんのか?」

「申し訳ありません。少尉殿のお名前も所属も、自分は存じ上げておりません。」

 武はこの際徹底的に追及するつもりで、相手を釣り上げにかかった。

「ずいぶんと生意気な口をきくヒヨッコだな。士官様相手にしゃべってるんだって自覚がたんないっていってるんだよ。」

 今度は、女性衛士の方が絡んできた。

「もし自分の態度で不快にさせてしまったのであれば謝罪いたします。しかし、やはり個人的興味で詮索なされるのは如何なものかと愚考いたします。
 どうか、ご再考願います。それとも何か事情がおありでしょうか?」

 武はわざわざ、同じ忠告を口にしてから、更に水を向けてやった。

「口の減らないガキだね!!」
「あのなあ、ハンガーをあいつがひとつ占有しているのは事実だろ? 整備兵もあいつの点検を行っている。
 ましてや特別仕様機とくりゃそこらの戦術機とはワケが違う。その事情を聞く権利が、オレ達にはないといいたいのか?」
「個人の興味だろうが何だろうが、教えろと言ったことには答えればいい。
 逆に答えられない事情があるほうが問題じゃないのか?」
「聞けば、おまえ等は何かしらねぇが随分とワケありの集まりらしいじゃねぇか。
 そこんトコ説明しろよ。」
「黙ってちゃわからんな? おまえ等数ヶ月先には我々と行動を共にするってこと、忘れてるんじゃないだろうな?」
「隠し事ありありで、部隊にとけ込めると思ってるのか?」

 水を向けられたとも気付かずに、武が黙っている事を良い事に、畳み掛けるようにして代わる代わる言い募る2人組み。
 武は、十分言質は取れたと判断し、挑発してさっさと片を付ける事にした。

「なんだ下らない……単に興味本位の馬鹿か……」

 それまでの殊勝な態度をガラリと改めて吐き捨てるように言ってやると、途端に顔を真っ赤にした男性衛士が殴りかかってきた。

「き、貴様ぁっ! 上官に向かって、なんてこと言いやがるっ!」

 武は殴りかかってきた拳を右手で捌き、足払いをして床に転倒させる。
 そして、女性衛士が男性衛士を庇って間に割って入って来たところで、制服の襟を裏返し、そこに付けていた階級章を見せ付ける。

「「 り、臨時中尉?! 」」

 二人揃って、驚愕の声を漏らしたところで、武は静かに、しかし断固とした口調で命じる。

「どちらが上官か解ったな? 貴様らには聞きたいことがある、これからオレに同行してもらおうか。
 逃げたり、騒いだりすれば、更に罪が重くなることは解っているな?」

「「 ……………… 」」

 2人が驚愕の余り、声も出ない様子なのを見て、武は訓練兵としての態度で2人を促す。

「さあ、こちらへおいで下さい。少尉殿。―――ああ、もしよろしければご一緒に如何ですか? 月詠中尉。」

「是非そうさせてもらおうか、白銀訓練兵。」

 2人組みの衛士に視線を向けたまま武が声をかけると、近くの売店の棚の陰から、赤い斯衛の軍装を身にまとった月詠が現れた。

「「 こ、斯衛の赤!! 」」

 月詠の登場で、意気地を完全に砕かれた2人は、ガックリと項垂れて、見る影も無く意気消沈してしまった。

 そして、武に先導され、月詠に後ろから監視されて、2人の愚かな衛士達は連行された別室で、背後関係や普段の素行などを憲兵隊の立会いの下、徹底的に調べ上げられることとなった。

 途中、憲兵隊に取調べを任せ、廊下へと出た武と月詠は今回の事態について話し合った。

「オレは、あの2人を焚き付けた整備兵が怪しいと思います。」

「そうだな。そちらの方は我々の方でも調べてみよう。」

「そうですね。あのバカどもに関してはともかく、整備兵の方は、場合によっては憲兵隊の中にも仲間が潜んでいるかもしれません。
 お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。」

 考えようによっては国連軍の恥となる事柄をあっさりと月詠に告げて、武は深々と頭を下げた。
 月詠は鷹揚に頷いて了承すると、今度は武に便宜を図るよう依頼してきた。

「なに、事は冥夜様と『武御雷』に関することだ、我らとて無視は出来ぬさ。それよりも、副司令を通じて、我らの調査に便宜を図ってもらえるとありがたい。」

「わかりました、少しお待ち下さい。…………夕呼先生、急にすいません、今大丈夫ですか?……平気でなければ出ていない?
 ご尤もです。実はちょっとお願いが…………ああ、もう憲兵隊から報告が?…………はい。そうですか、ありがとうございます。
 それで大丈夫だと思います。…………はい、それだけです。ではまた。」

 武は月詠の依頼を快諾し、携帯無線機を取り出すと、夕呼に通信を繋いでみた。
 すると、この時点で夕呼は既にこの件に関する報告を受けており、今後の展開を先読みして憲兵隊への手配を済ませていた。
 武は、憲兵隊には話が通してあるから、憲兵隊の将校立会いの下で、斯衛に好きに調べさせろと伝えられ、夕呼との通信を切った。

「…………と、言う事だそうです。国連軍内部の問題でお手数かけますが、よろしくお願いします。」

「なに、任せておけ。私の方で干渉するよりも、大分上手く事を運べた。白銀、冥夜様に降りかかったやも知れぬ火の粉を、よくぞ払ってくれた。礼を言うぞ。」

 今度は月詠が軽く頭を下げる。武は軽く手を振って、頭を上げさせるとニヤリと不敵に笑い、月詠に向けて胸を張って宣言してのける。

「それこそ無用に願います。冥夜はオレの大事な仲間です。月詠さんが相手でも譲るつもりはないですからね。」

「ふ……言うに事欠いて、そう来るか。」

「まあ、共闘は大歓迎ってことで、勘弁してください。」

 月詠は苦笑して武の大言を受け入れると、現時刻を提示して、武の注意を喚起した。

「良かろう。此度の働きに免じて許してやる。それより、もう時間があるまい、午後の訓練に遅れてしまうぞ。後は我らに任せるがいい。」

「うわ、もうこんな時間か……じゃ、よろしくお願いしますね、月詠中尉。」

 そう言うと、武は慌てて敬礼を済ませて、その場から駆け足で去っていった。
 その武の後姿を見送る月詠の表情は、珍しく柔らかな笑みを浮かべていた…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時23分、訓練校の教室で、武は遠隔陽動支援戦術機『時津風』の仕様と、運用構想についての説明を終えたところであった。

「……と、いった所だな。さて、みんなの意見を聞かせてもらおうか。」

 武はそう言って207B女性陣とまりもの6人を見回した。

「意見っていったって、『時津風』って昨日の実機演習で使った機体でしょ? もう完成しちゃってるんじゃないの。
 今更意見を聞くってことは、後継機か、改修を睨んでの話って事なのかしら?」

「……多分、運用構想の方。」

「え~と、わたしは『時津風』は動かしてないんですけどぉ、『陽炎』改修機で『吹雪』よりも高機動だって本当なんですか?」

「そうなんだよ~、なんかね~、ばびゅ~ん、ずばずばっ!って感じで、凄く反応が良いんだ。ね、冥夜さん。」

「ん? うむ、そうだな。実際に衛士が搭乗していないが故に、加速Gを気にせずに思い切った操縦が出来る。
 出力も『吹雪』とでは比べ物にならぬな。主機出力の差もあるだろうが、あれは恐らくリミッターの緩和によるものであろう。
 先のシミュレーター演習の折に、タケルが言及していたであろう。」

「あ~、そう言えば、そんな事もいってましたねぇ~。」

 未だ『時津風』という戦術機の実像が掴み切れていないのか、意見を述べる前に、『時津風』の分析に話が移ってしまっていたが、武もまりもも止める事無く見守っていた。
 そして、話は次第に遠隔陽動支援機構想自体へと戻っていき、千鶴が総論をまとめ始めるに至った。

「……つまり、『時津風』単体の評価としては、遠隔操縦機である事によって、御剣、彩峰、鎧衣の様な体感や勘を重視するタイプにとっては、能力を限定されるってことね。
 ただし、似たような能力である珠瀬の狙撃に関しては、余り影響がなさそうってことね―――これは、対象との距離に関係があるのかしら。
 まあ、それはともかく、能力を限定されるのはデメリットだけれども、所詮それは極一部の能力に過ぎず、第2世代改修機で訓練機とは言え、第3世代機である『吹雪』を凌駕する戦闘力を発揮していることを考慮すれば、メリットのほうが大きい。
 結論は、これで異議無いかしら?―――そう、解ったわ。
 じゃあ、運用面のまとめに移るわよ?
 HQ運用での最大の問題点は通信障害に対する脆弱性よね。これに対する対策は、広域データリンクの強化で対応するしかないって事でいいわね?
 次に問題になるのは、HQが直接攻撃に晒された際の対策ね…………」

 そこで討論されている内容自体は、然程目新しいものではなかった。
 『時津風』は対BETA戦術構想装備群の中で最も完成している装備であり、実を言えば改修案すら既に立案されている装備だったからだ。
 しかし、この討論を通じて武は、207Bの皆が対BETA戦術構想の理念に則った考え方を身に付けてくれたことを確認できた。
 そして、ヴァルキリーズに比べ、遠隔運用に対する感情的な拒否反応が薄い事と、それを積極的に取り入れようとする精神的土壌が醸成されている事が確認できたのが、武にとっては何よりの収穫であった。
 なぜなら、武はヴァルキリーズや207Bの、戦場での死亡率を可能な限り低減させる為にこそ、対BETA戦術構想を推し進めているからだった。
 ヴァルキリーズも演習を通じて、装備群の有用性を認識し、活用する事に慣れては来ている。
 いずれA-01に配属となる207Bによって、対BETA戦術構想はより潤滑にA-01に受け入れられていく事になるだろう。
 そして、まりもの瞳の輝きが、207Bに続く新たなる衛士訓練兵達にも、対BETA戦術構想の理念が新しい概念として伝えられていく事を約束してくれているように、武には感じられたのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時52分、『時津風』に関する討論会が終わった訓練校の教室で、207Bはまりもから、国連事務次官が翌11月08日に横浜基地を視察に訪れると通達された。

「なに? 明日の事務次官の訓練校視察の際に、珠瀬訓練兵に分隊長代理として案内をさせろというのか? 白銀。
 ―――ふむ……出来ない事は無いが…………そうだな。皆に異論が無いのであれば構わないだろう。
 ―――よし、珠瀬訓練兵、明日の事務次官の横浜基地衛士訓練学校視察の折に、分隊長代理として案内を務めることを命ずる。訓練兵としての規範を守り、立派な姿をお父上にお見せしろ!」

 まりもはそう言って、武の提案に許可を与えた。
 武は、事務次官の訓練校視察があるかを確認した後、訓練校の案内に際して壬姫を分隊長代理として案内役に抜擢することを提案したのだった。
 かくして、壬姫が案内役を仰せつかる事となり、その後の夕食の時にも、壬姫に慌てる様子が無かった事で、手紙の事は上手く解決したものと考え、武は胸を撫で下ろした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 20時38分、シミュレーターデッキでは、月詠の好意により、独立警備小隊と207Bの4対6での模擬戦が行われていた。

「あっはっは~! 今日こそは完勝して見せるよっ!」「おおよ! あたし達の真の力を見せてやるぜっ!」「大人しく~、やられておしまいなさいなのですわ~。」

 模擬戦が始まる前に、霞とおはじきをしてぼろぼろに負けていた武は、意気消沈したままに、シミュレーターデッキへとやってきて、模擬戦に参加していた。
 そして、始まったシミュレーター演習では、207Bとしての搭乗機体ということで、『吹雪』で月詠の相手をする事を強いられ、散々に追い回されることとなった。
 神代、巴、戎の3人も今では試作OSにすっかり慣熟しており、5人で対峙した207B女性陣を時間がかかったものの損害無しで全滅させ、その後は嬉々として武を追い回していた。
 武は斯衛軍の4人に追い回され、演習終了時間まで、反撃も出来ずに必死で逃げ回る事しか出来なかった。
 シミュレーター演習が終わった時には、既に疲労困憊していた武だったが、明日のHSST迎撃作戦の最終確認をする為に夕呼の執務室に赴いた。
 そして、帰り際に、霞におはじきで連敗している事をネタに夕呼にからかわれ、疲れ切った心身に止めの一撃を見舞われたのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年11月08日(木)

 6時56分、1階のPXで霞に朝食のおかずを全て食べさせた後、武は基地内待機命令が発令されている間に、皆がどう過ごすのかを尋ねた。

「そりゃあね、私としては余り気分は良くないわよ? 私という個人が父の付属物に貶められているような気が、どうしてもするから。
 でも、それは今の私自身の持つ価値よりも、父の娘という立場の方が、ある種の人間にはより高い価値があるっていう事だから、実績を積んで自身の価値を高めるまでは、他者の評価に甘んじることにしたのよ。」

 現職の総理大臣の娘であるという一点を以って、千鶴が国連視察団の案内を命じられており、国連視察団の到着前に隊を離れる予定である事を知った武が、恐々と千鶴に心情を尋ねてみると、千鶴は苦笑しながらも割り切った表情でそう語った。
 武は千鶴のその様子に、千鶴が父親の存在を徐々に受け入れつつあると知り、内心で安堵した。
 そして、皆が事務次官の来訪までそのままPXで過ごす予定と聞くと、一旦自室に戻り後で合流すると言って立ち去った。
 武は霞を伴ったその足でハンガーに向かい、基地周辺の警戒任務に出動するヴァルキリーズを見送ってから、HSST迎撃準備の進捗状況を確認しに行くことにした。

 そして、宇宙より帰還した駆逐艦(ふね)から、1人の男が横浜基地へと降り立った…………




[3277] 第36話 宇宙(そら)より訪いしもの
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:51

第36話 宇宙(そら)より訪いしもの

2001年11月08日(木)

 15時07分、B4フロアの訓練施設エリアの外れに位置するゲート前に、武と壬姫、まりも、霞の4人が立ち、珠瀬国連事務次官の来訪を待っていた。

「たま、落ち着け。親父さんだけだって話だから、そんなに気張らなくても大丈夫だ。」
「そ、そうですよね。あはは……」

 本来同行する予定ではなかった武だったが、壬姫の余りの落ち着きの無さに、まりもに同行を命じられた。
 そのお蔭か、幾多の記憶で見た時よりは、壬姫の緊張も和らいでいるように、武には見受けられた。

 と、その時ゲートが開き、その向うから痩身の男性が姿を現し、まりもの号令が廊下に響いた。

「珠瀬国連事務次官殿に、―――敬礼ッ!」

 まりもは敬礼したままで、事務次官に語りかける。

「珠瀬事務次官、横浜基地衛士訓練学校へようこそ。
 ここから先は、珠瀬訓練兵がご案内差し上げます。珠瀬訓練兵!」

 まりもに呼ばれて、壬姫が一歩前に出る。

「パ……じゃなくて……珠瀬事務次官、お待ちしておりました。どうぞこちらへ!」

 その途端、きりりとした厳格な表情をしていた事務次官の顔がだらしなく笑み崩れる。

「おお~、たま~~~っ! うんうん、久しぶりだな~~、大きくなりおって~~~、しかもすっかり頼もしくなったなあ……
 でもパパは甘えてもらえないの、ちょぉっと寂しいぞぉ……」

 このおっさんは相変わらずだなと、武は思ったが、眉一つ動かさずにまりもと共に直立不動を保ち続けた。

「う……で、ですが私は訓練兵なのでっ!!」

 壬姫が甘えたい誘惑を堪えて表情を引き締めると、事務次官も緩んでいた表情を引き締めて言った。

「そうか……うむ、頼もしいな……パパは嬉しいぞお!!」

 発言内容は親馬鹿なままだったので、それを聞いて、武は心中でツッコミを入れた。

(……パパ、嬉しいのか寂しいのかハッキリしろよ。)

 と、武の視界の隅で、霞がコクリと頷くのが見えた。

(そうか、リーディングか、霞、同意してくれてありがとうな。)

 武が心の中で礼を言うと、再び霞がコクリと頷いた。

 その後、訓練施設を順に見て回り、最後に兵舎へとやって来た。

「―――こちらが兵舎です。」

 まりもが連絡をしたのか、既に兵舎エリアの入り口には207Bの残り4人が整列し、事務次官を出迎えていた。

 207Bの皆、特に分隊長の千鶴を見て安心したのか、案内をした後、何も続けずに肩の力を抜く壬姫。その場に沈黙が流れる……

「……たま、号令だ号令……」

「あ!―――珠瀬事務次官に、敬礼ッ! 珠瀬事務次官、ご紹介いたします、我が第207衛士訓練小隊の訓練兵たちでありますっ!」

 武に小声で言われて、慌てて号令をかける壬姫。その号令に従って、武も含めて、207Bの全員が敬礼する。

「「「「 お待ちしておりましたっ! 」」」」」

「うむ。諸君の双肩に人類の未来が懸かっている。宜しく頼むよ。…………うんうん。君たちがたまの同期兵かね?」

 敬礼に応えて激励した後、一同を見渡した事務次官がそう言うと、すかさず彩峰のツッコミが入る。

「……あんたもたま…………たまパパ…………」

 壬姫、千鶴、冥夜、美琴の4人が驚愕の表情で固まる。が、壬姫はブルブルと頭を振ると、事務次官の前にでて謝罪した。

「も、申し訳ありません、事務次官! 後で注意いたしますので、何卒ご容赦下さい!」

 壬姫のその言動に、彩峰も思うところがあったのか、素直に謝罪した。

「……申し訳ありません。事務次官。」

 が、事務次官は残念ながら、彩峰の事よりも、愛娘の方に気を取られていた。

「その凛とした姿。いいじゃないか、たま~。たまはいい子だ。ほら、よしよし~。」

 またもや表情を蕩けさせて、壬姫の頭を撫でる事務次官。

「えへへ……はっ! あ、ありがとうございますっ!!」

 頭を撫でられて、釣られて蕩けそうになった壬姫だったが、なんとか立ち直って直立不動で礼を述べた。
 少し寂しそうにしながらも、事務次官は娘の頭から手を放し、再び整列している全員を見回した。

「ん? 君はさっきまで一緒に居た……」

 事務次官が千鶴に目を留めて話しかけると、千鶴は一歩前に出て名乗る。

「榊千鶴訓練兵です!」

「おお、君が榊是親殿のご息女か……ん? いや、失礼。要らない事を言ってしまったようだね。
 しかし、父上は世界に誇れる政治家だ。煙たい事もあるだろうが、誇りに思うに十分値する人物だと思うよ。
 今後も娘をよろしく頼む、榊分隊長。」

 『榊首相の娘』と言われた瞬間、千鶴の表情が微かに強張ったのを見逃さず、事務次官はすかさず謝罪した。しかし、それでも榊首相の評価が高い事だけは千鶴へと伝えた。

「はっ! 光栄であります、事務次官殿!」

 事務次官の言葉に、千鶴は表情を和らげ、敬礼して謝辞を述べると後ろに下がった。

「ん? 君は……」

 続けて、事務次官は美琴に目を留めた。美琴は千鶴と入れ替わりに一歩前に出て名乗る。

「はい、鎧衣美琴訓練兵です!」

「ほう、君が…………うむ。なるほど、身にまとう雰囲気が良く似ている。
 ―――いや、我が娘に劣らず華奢なお嬢さんだ。頑張って立派な衛士になりたまえ、鎧衣訓練兵。」

 事務次官は目を細めてうんうんと頷いた後、やや取り繕うようにして、早口で後を続けた。

「は? あ、はいっ!」

 その態度に、どこか腑に落ちないものを感じつつも、美琴は敬礼をして後ろへと下がった。

(そうか、珠瀬事務次官は鎧衣課長と面識があるんだな……冥夜の事も知っている様子だったしな……)

 武がそう思っていると、丁度事務次官が冥夜に話しかけるところであった。

「では、あなたが御剣冥夜訓練兵ですかな?」

「はっ! 仰せのとおりであります、事務次官殿!」

「色々とご事情はおありでしょうが、国連の事務次官として、あなたの献身に期待させていただきます。
 どうか、娘をよろしくお願いいたしますぞ。」

 いっそ恭しいと言ってよいほどの態度で、冥夜に語りかける事務次官。そこには隠し切れない敬意が仄見えていた。

「はっ! 必ずやご期待に応えてご覧に入れましょう。」

 冥夜が敬礼して後ろに下がると、事務次官は最後に残った彩峰に目を留め、話しかけた。

「では、君が彩峰訓練兵だね?」

「彩峰慧訓練兵であります……」

「ふむ。お父上については毀誉褒貶相半ばし、君は少なからず辛い思いをしたかも知れない。
 しかし、お父上はこの上なく立派な志を持った軍人であられた。
 例え晩節を汚したのだとしても尚、お父上が残された功績は実に素晴らしいものだ。
 お父上に相応しい立派な衛士となりたまえ、彩峰訓練兵。」

 事務次官は目を瞑り、やや上向いて天井を見透かしてどこか遠くに思いを馳せるようにして、言葉を重ねた。
 そして、最後に彩峰の目を真っ直ぐに見て、励ましの言葉を送った。

「……はい。」

 彩峰は、複雑そうな顔をしながらも、大人しく頷いて後ろへと下がった。
 それを見届けた後、事務次官は振り返って、壬姫の後ろに付き従っていた武に目を留めた。

「……君は……白銀武君だね?」

 壬姫に事前に手紙に書いた嘘を訂正させたことで、事態の混乱を抑止できたと、武は内心快哉を上げていた。
 なので、つい気合の入った返事をしてしまった。その様子は、事務次官に気に入られようとしていると、周囲の目には映った……かもしれない。

「はっ! 私が白銀武訓練兵であります、珠瀬事務次官殿ッ!!」

 直立不動で胸を張り、大声で名乗った武に事務次官は歩み寄り、武の肩に手をかけてにこやかに続けた。

「先程から見ていたが、うむ、なかなかの好青年だ。顔も悪くない、性格も良く、冷静で頼り甲斐があると聞いている。
 おまけに既に実戦を経験した優秀な衛士であり、臨時中尉の戦時階級を持ちながら、正規任官を目指して訓練兵として自己鍛錬に勤しんでいるそうだね。
 今のご時勢で、君ほどの男はそうそう居まい。」

 事務次官の表情はにこやかで、言葉の内容も武を褒めちぎるものであったが、武は冷や汗が出るのをぎりぎりで押さえるのがやっとであった。

(し、しまった! たまが手紙に書いたオレに関することって、多少大げさに書いたとしても丸っきり嘘ってわけじゃなかったんだ!
 ……って、事は……まさか、オレに関する部分だけは前と同じに?!
 し、しかも、なんだか、事務次官に掴まれてる肩、えらく痛いんだけど……まさか、このおっさん、オレを落し入れようってんじゃ……)

 縋る様に霞を横目で見ると、霞は悲しげに目を伏せて、コクンと一つ頷いた。

(バ、バカな~~~~ッ!!)

「君ならば……うむ、よかろう。たまをよろしく頼むよ。傍で支えてやって欲しい、今までも、そしてこれからもね。
 いやはや楽しみだ……わはははは。いやぁあ! そろそろわしも、孫の顔が見たいかな、ま、ご、の、か、お、が、な! わははははははは……」

 辺りの雰囲気が一気に緊迫し、武は己が身を時間に委ねる覚悟を済ませた。
 後は、私的制裁にかけられるのが早いか、HSST落下で防衛基準態勢2が発令されるのが早いかの問題と化していることを、武はよ~~~~っく理解していた。

「……ちょっと、いい?」「タケル、そなたに話がある。なあに、時間はとらせん……よいな。」

 武が両脇から声がしたと思った時には、既に武の両腕は千鶴と冥夜に捕らえられてしまった後だった。
 2人とも、声は平坦であるにも拘らず、武の両腕を捉えた手は、ぶるぶると激しく震えていた。
 そして、後ろから首に腕が回されたと思った次の瞬間、武の両足は床を離れ宙に浮いていた。
 彩峰に仰向けに担ぎ上げられ、床とほぼ水平となった武は、無駄な力を抜いて従容と因果に我が身を任せた。

「よし彩峰、そのまま連れ出すのだ。」
「うん、わかった……もう放さない。」
「諦めてね。どうしようもないコトって……あるんだよ、人生には……
 運命って……残酷なんだよ……ボクだって好き好んで……うぅううう……」
「おお、歓迎のパフォーマンスかね?」

 冥夜の号令がかかり、彩峰がそれに応じ、美琴が止めとばかりに、涙声で悲惨さをいや増してくる。
 そして、それを傍観する珠瀬事務次官の声は実に楽しげで、いっそ邪悪なまでの喜悦を潜ませていた。

「よし、連行するぞ。」「了解。」「全速力!」

 千鶴の号令で壬姫以外の207B全員が駆け出そうとした、正にその時―――

 国連軍横浜基地全域に警報が鳴り響き、防衛基準態勢2が発令された。
 その直後、B4フロアの兵舎の廊下に立ち尽くす一同へと、まりもがもの凄い勢いで駆け寄り、急停止して敬礼すると、珠瀬国連事務次官に司令室への同行を依頼した。

「防衛基準態勢2が発令しました。事務次官、地下司令室までおいで下さい。」

「何事ですか、軍曹。」

 険しい表情になってはいるものの、事務次官は取り乱しもせずに、落ち着いて状況の説明を求めた。

「駆逐艦がコントロールを失い落下中です。詳細は現在調査中ですが、現在の軌道は横浜基地を直撃するコースです。」

 まりもの説明は、説明された事務次官よりも、207B女性陣の間に衝撃を走らせた。
 そして、彼女たちに追い討ちをかけるように、呼集がかかる。

「207衛士訓練隊に告ぐ。直ちに第2ブリーフィングルームに集合せよ。繰り返す……」

 夕呼の声で行われた館内放送に、今度はまりもも含めて全員に緊張が走った。
 一瞬、腑に落ちない表情を浮かべたものの、まりもはすぐさま教え子たちを叱咤する。

「……一体、どういう事?―――全員、第2ブリーフィングルームに向かえ。全速力!」

「「「「「「 了解! 」」」」」」

 207Bは全速力で第2ブリーフィングルームを目指す。武は意図的に最後尾を走りながら壬姫の小さな後姿を注視した。

(……たま、正念場だけど、オレはたまを信じてるからな。おまえも自分自身を信じてやれるよな?)

 そして、横浜の魔女と呼ばれる女の待つ第2ブリーフィングルームに、207Bは駆け込んだ。

「あら? 割と早かったわね。じゃ、さっそくだけど―――あなた達……いえ、珠瀬訓練兵にはHSST迎撃作戦に参加してもらうわ。」

「―――なっ! な、何を考えているんですかっ! 珠瀬はまだ訓練兵ですよっっ!!!」

「教官うるさい。―――訓練兵だとか正規兵だなんて、死んでしまえば関係ないのよ?
 今は為し得る限り最も成功率の高い作戦を実施するだけの話だわ。」

「夕呼!! あなた一体何考えてるの!!!」

「……生き延びる方法よ。アンタ一体、何のために教官やってんの? こんな時に使えない奴なら要らないわ。
 大体、シミュレーターの訓練記録をあたしに見せたのは、まりも……あなたよ? あの数字が何を意味するか知ってるわよね?
 珠瀬の狙撃特性は、少なくとも極東1位よ。珠瀬ほど今回の迎撃作戦に相応しい衛士は居ないわ。
 わかったら、説明を始めるから、最後までおとなしく聞きなさい。」

「う……」

 大切な教え子のために夕呼に噛み付いたまりもだったが、夕呼の正論の前に力なく引き下がらざるを得なかった。

「HSSTの迎撃作戦だって話はしたわね? じゃ、経緯を説明するわよ。
 事故の発生は40分前の、15時04分。エドワーズから那覇基地に向かっていたHSSTが、再突入の最終シーケンス直前で通信途絶。
 15時19分、国連軍GHQ(総司令部)は状況を原因不明の機内事故により乗員全員死亡と推定。
 同時に、遠隔操作、自爆コード、ハッキングなど、思い付く限りの対策を講じるもことごとく失敗。
 結果、現在HSSTは横浜基地に向かって順調に落下中……というわけ。
 まあ、HSSTの落下事故自体は前例もあるし、通常の手順で滑空降下してくるんなら、HSSTの運動エネルギー自体はたかが知れてるわ……
 ところが、この事故機の航法システムは、なぜか電離層を突破した後、フルブーストするように設定されてるのよね。
 しかも、機体の耐熱限界ギリギリで……減速じゃなくて加速よ? どういうつもりか知らないけど、まともな航行プログラムじゃないわね……
 おまけにカーゴの中身、爆薬満載だそうよ。本来、海上輸送がセオリーのデリケートなヤツがね。
 どのみち、あれがここに落ちることは確実。言ってみれば、巨大な徹甲弾が空から降ってくるようなものよ。
 降下中の加速によって、激突寸前のHSSTの速度は音速の数倍、その運動エネルギーと軍用装甲駆逐艦の耐熱耐弾装甲の強度をもってすれば、地面を最低20メートルはえぐるでしょうね。
 そして、満載した爆薬がドカン! 」

 夕呼はニヤニヤと人の悪い笑いを浮かべたままで説明を続け、最後に両手を肩の前で広げておどけて見せた。
 しかし、聞いている方は、そんな悪ふざけに付き合う余裕などなく、武以外は、全員顔面を蒼白にしていた。

「むぅ……」「そ、そんなっ!!」「そ、想像を絶する破壊力……」「……基地壊滅。」
「……加速……爆薬……どうして…………副司令! これは偶然ですか?!」

 冥夜、壬姫、美琴、彩峰の4人が事態の深刻さに暗澹とする中、千鶴はこの事件の背後のキナ臭さに気付き、夕呼に疑問を投げつけた。

「さあ……どうかしらね? あちらの方が何かご存じなければ、誰にもわからないわ。」

 そう応えた夕呼の視線を追うと、そこには何時の間にか珠瀬事務次官の姿があった。

「……おお、お邪魔でしたかな?」

 いっそ、暢気とも言えるほどに飄々とした言葉を発する事務次官に、壬姫とまりもの声が被さる。

「パパ!?」
「事務次官……何故避難なさらないのです!!」

 しかし、事務次官はさらに滔々(とうとう)と言葉を続ける。

「いや、私の仕事はこの基地の視察でしてな……優れた機械やシステム、そのようなものを見たところで、この基地の真価は見えますまい?
 人を見てこそ、日本政府や帝国軍との関係の発展に役立つというものですよ。
 またとない機会です。極東の絶対防衛線、国連の最前線である横浜基地の実力、とくと拝見させてもらいます。
 ささ、私に遠慮なさらずに。」

 事務次官は最後に笑みすら浮かべて言ってのけた。

「ずいぶんと仕事熱心なようで…………説明を続けるわ……ここからは覚悟して聞きなさい。
 実は、こんなこともあろうかと用意していたものがあるわ。
 これよ! 1200mmOTHキャノン……っていっても、あんた達ならもう知ってるわね?
 先日、珠瀬が試射をしていた超水平線砲よ。こいつでHSSTを破壊する。」

「ち、ちょっと! 超水平線砲は対地兵器―――」

 あまりに常軌を逸した話に、まりもが異議を述べようとするが、途中で夕呼に叩き潰される。

「あったま固いわねー。対地だろうがなんだろうが、これしかないんだからしょうがないでしょ?
 それに、珠瀬の試射時の標的位置知ってる? 高度60kmよ? 十分対空兵器として使えるってデータが取れてるわ。
 じゃ、説明を続けるわね。
 超水平線砲は元々、極超長距離からBETAのハイヴを砲撃するという概念で試作された対BETA兵器よ。
 分類としては『多薬室砲』ってヤツに分類されてるわ。
 通常圧力で激発された砲弾の通過に伴い、砲身側面に配置された複数の薬室が順次点火、砲身内の圧力を再加圧して砲弾の最終到達速度を向上させるものよ。
 発射後は、弾道安定のためのライフリングにより発生する旋転を相殺するスリッピング・バンドの付いた装弾筒を離脱。
 砲弾内部のコンピューターが入力データに基づき砲弾側面の炸薬を制御爆破。
 2度の弾道補正をして遥か彼方の標的に命中……という優れもの―――のハズだったんだけど、砲身の耐久性の問題から前線運用が疑問視されてお蔵入りした兵器ってわけ。
 ま、今回は時間的な制約や諸条件から砲身寿命はあまり気にしないでいいわ。
 で、狙撃目標のHSSTの軌道が、これ。ヨーロッパ上空で再突入を開始、3分後に日本海上空にて電離層を突破。その瞬間を狙撃するわ。
 ちなみに、高度60km、距離500km。狙撃距離としては非常識な距離ね、。超水平線砲の弾速をもってしても、発射から着弾まで33秒くらいかかるんだから。
 だけど珠瀬、あんたはこないだの試射で600kmの狙撃を経験済みよねぇ~。」

「は、ははははは、はいぃ~。」

 急に話を振られた壬姫は、慌てながらも、なんとか返事をした。

「―――てことで距離は問題なし。一番の問題は、初弾での迎撃に失敗した場合、電離層を抜けたところで、HSSTが加速を掛けることよ。
 それから142秒後には、この基地に激突している。できるだけ高高度で撃ち落したいところね。
 だから、初弾はHSSTが電離層から出てくる33秒前に、出現位置を予測して撃たなければならない。
 もし撃ち漏らしたら、HSSTのフルブーストによる軌道誤差が生じて当て難くなるでしょうね。
 砲撃は2門の超水平線砲を使って2発ずつ合計4回。現在の砲身強度では3発の砲撃が限界だから、1発ずつの試射を合わせて丁度よね。
 一応、予備の超水平線砲をもう1門用意してあるけど、5発目以降は時間的に本土上空での撃墜になるわ。
 そうなれば、耐熱耐弾装甲の強度だと、内部の爆薬が爆発してもぼぼ原型をとどめたまま、関東一円のどこかに落ちてくるでしょうね。
 ま、この基地に落ちるのは避けられるでしょうけど。
 基本的に装備の運用は方角と目標が違うだけで、こないだの試射と同じよ。
 2基のリニアカタパルトの先端に整備リフトを固定。
 そこに『吹雪』と超水平線砲のセットをそれぞれ配備し、衛星データリンク間接照準による極超長距離狙撃を行う。
 この迎撃作戦はこないだの試射のデータがあったからこそ立案されたものよ。
 超水平線砲の実射経験を持つ衛士も、距離500km以上の極超長距離狙撃を経験している衛士も、少なくとも今の横浜基地には珠瀬、あんたしかいないわ。
 ほっとけば15分以内に1万人以上の人間が死ぬわ。
 基地からの脱出も、この基地の最下層への避難も、全基地要員の数%程度の人数しか救えない。
 全員を救うチャンスを持つ人間は、この基地で珠瀬、あんただけよ!」

 夕呼は言葉を途切らせると、表情を消して、静かに珠瀬の返事を待った。
 そして、夕呼の言葉を受けて、沈痛な面持ちで、しかし毅然とした態度で珠瀬の前に立ってまりもが命じる。

「……この基地の命運は……貴様にかかっている…………―――珠瀬、直ちに迎撃準備にかかれ!」

 緊張のあまり、壬姫の顔は強張り、歯を食いしばっているため、返事すらままならない。
 その壬姫の背中に、そっと武の手が添えられる。そこから広がる温みに、壬姫は全身の緊張が解けていくのを感じ、自分に気合を入れなおしてまりもの命令を復唱した。

「……………………~~~っ!……はいっ! 珠瀬訓練兵、直ちに準備にかかりますっ!」

 我が意を得たりと不敵な笑みを浮かべた夕呼は、壬姫と白銀に指示を出す。

「珠瀬、『吹雪』は16番ハンガーよ。白銀、あんたも行って観測手を務めなさい。」

「「 了解! 」」

 声を揃えて返事をすると、壬姫と武はブリーフィングルームから駆け出して行った。
 夕呼は2人を見送ると、意地の悪い笑みを浮かべて、残った207Bの4人を振り返った。

「さて、あんた達はどうする? 最下層に逃げたければ、珠瀬に免じて最優先で避難させてやってもいいわよ~。」

 4人はお互いに視線を交し、頷き合った。そして、分隊長として、千鶴が夕呼に応じた。

「では、お言葉に甘えて、お願いがあります!」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 15時50分、第1リニアカタパルトの先端部に固定された整備リフトに、武と壬姫が搭乗した2機の『吹雪』の姿があった。
 壬姫の乗る『吹雪』は伏射の姿勢で超水平線砲を構えており、武の乗った『吹雪』は超水平線砲の横に膝立ちの姿勢を取っていた。
 そして、併走している第2リニアカタパルトの先端部にも2機の遠隔操縦仕様の『吹雪』と、こちらには2門の超水平線砲が配備されていた。

「たま、偉いぞ、良く逃げ出さなかったな!」

 全ての準備が完了したのを確認し、武が話しかけると、壬姫ははにかむように笑って応えた。

「そんなぁ、たけるさん、酷いよぉ。わたしだって、さすがにこの状況で逃げ出したりなんてしませんよぉ~。
 それに、たけるさんに教わってから、わたし、自分を信じられるように、狙撃の努力と一緒に、自分を信じる努力もしてきたんだよ。
 だから、自分を信じる努力を続けてきた自分を、もっともっと、信じることが出来る筈だよね。」

「―――ああ、そうだな。そして、そうやって重ねた努力が、本番に結実するんだ。」

 武の返事に嬉しそうに頷いた壬姫は、表情を真剣な物に改めると、切々と語りだした。

「―――たけるさん。……それでも、ほんとは少しだけ怖いの。
 自分の命だけじゃない、部隊のみんなの命だけでも考えたくないくらい重いのに、それよりもっともっと多い、横浜基地の1万人以上の人の命が、自分にかかってるんだって思うと、凄く怖いよ。
 ―――でも、わたしじゃなきゃできないから、みんなわたしに頼むんだよね?
 みんなが言うほどわたし才能ない! 狙撃は……ちょっとできたら嬉しくて……だから頑張ったの!! 自分で頑張ったの!!
 狙撃が凄いって言われるのは、わたしが頑張ったから!
 わたしは……わたしは……わたしじゃなきゃできないことを一生懸命やってきたもん!
 だから、わたし、自信を持っていいんだよね?
 わたしが……この基地を、みんなを護って見せます!
 ……でも……ひとつだけお願いがあります。
 ……ちゃんと、最後まで見ててくれますか?
 最初から最後まで、わたしがやるの見ててください!―――たけるさん!」

「ああ、任せておけ! 最後までちゃんと見届けてやるから。
 さっさと済ませて、親父さんに格好いいとこ見せてやろうぜ!」

「―――はい!」

 壬姫が満面の笑顔で頷くと、それを待っていたかのようなタイミングで夕呼からの通信が入った。

「珠瀬、準備はどう?」

「い、いつでもいけます。」

「そ、手短に言うけどいいわね? FCS(火器管制システム)に、装備に関するデータは入力済み。気象条件は常時自動補正。
 衛星と早期警戒機のデータをリアルタイムで画像情報に変換しているから、照準は普通の感覚でできるはずよ。
 今からダミーの目標情報を画像情報に表示するから、OTH01、OTH02、OTH03の初弾弾道測定を済ませておきなさい。」

「はい。ありがとうございます。」

 壬姫は、自身が搭乗する『吹雪』が構えているOTH01から順に、OTH02、OTH03と1発ずつ砲撃を行い、弾道補正を行った。
 そして、初弾弾道測定が終わると、夕呼から再び通信がが入る。

「ごくろうさん。それじゃあ、もう少しだけ時間があるから、ご褒美に207の残り4人に通信を繋いだげるわ。
 あの娘たちったら、最下層に逃がしてあげるって言ったのに、あんたの勇姿が良く見えるところに配置してくださいだなんていうから、訓練校の屋上に配置してやったわ。
 無線機持たせたまりもも一緒につけといてやったから、音声だけだけど、少し話しでもしてなさい。」

「―――あ、ありがとうございますっ!」

「礼なんか要らないから、しっかりHSSTを撃ち落しなさい、いいわね?」

「はいっ!」

 そして、オープン回線のIDに207Bという表示が加わる。

「珠瀬? 聞こえてる?」

「うん! 聞こえてるよ、榊さん。」

「珠瀬か? 我らはここから応援しているゆえ、己が技量の限りを尽くして事に当たるがよい。」

「はいっ! 御剣さん。」

「珠瀬、頑張れ……」「壬姫さん、がんばってね~。ボク、信じてるからね!」

「彩峰さん、鎧衣さん…………うん! 頑張るよ。」

「珠瀬、私達は貴様がHSSTを必ず撃ち落して退けると信じている。だからここに居るのだ。
 榊は、隊全員で迎撃作戦に参加すると言ってこの配置を望んだ。
 珠瀬、お前の後ろには我々207衛士訓練小隊B分隊が控えている。安心して任務に邁進しろ!」

「……りょ、了解ですっ! 神宮司教官!!」

 壬姫は滲んできた嬉し涙を指で拭うと、元気良く返事を返した。
 と、そこへピアティフの冷静な声が作戦の幕開けを告げた。

「目標、再突入開始。」

 そして、夕呼から最終確認の説明が入る。

「珠瀬、解っているとは思うけど、念の為ちゃんと聞きなさい。
 砲弾の自動装填に6秒かかる。次弾のデータ補正にコンマ4。いいわね? 装弾は5発。でも4発以上は砲身が持たないわ。最悪、OTH砲が暴発する可能性もある。
 もっとも時間的には2門の合計で4発が限界。さっきも言ったけど、それ以降は迎撃が成功しても破片による被害が出るからね。」

「わかりました。4発で仕留めます。」

 壬姫の返事に夕呼はニヤリと笑って言葉を続けた。

「お父様も隣でご覧になっているわ……いいとこ見せなさいよ、珠瀬分隊長代理。」

「え? あ…………はいっ!」

 そこへ、ピアティフの声が割って入り、壬姫も砲撃の準備を整えていく。

「目標、60秒後に電離層を突破。」

「OTH01、砲弾装填……よし。OTH02、自律行動にて砲弾装填。OTH01、照準……よし!」

「OTH01、砲弾の装填を確認。トリガータイミング同調10……9……8…………5……4……3……2……1」

 ピアティフのカウントダウンに合わせて、壬姫が超水平線砲のトリガーを引く。
 直径1200mm近い巨大な砲弾は、轟音と衝撃波を撒き散らしながら大空の彼方へと飛び去っていった。

「OTH01、砲弾装填! OTH02、照準……よし!」

「OTH02、砲弾の装填を確認。トリガータイミング同調10……9……8…………5……4……3……2……1」

 1発目の着弾を待たず、遠隔操縦によって、第2リニアカタパルトのOTH02から第2弾が発射される。

「第1射弾着まで……5……4……3……2……1…………―――命中! 目標の爆散を確認!」

 初弾命中の報を聞き、壬姫が満面の笑みを浮かべて武に語りかける。

「えへへー、やったよっ、たけるさんっ! わたしやったよー。」
「ああっ! すげぇッ! すげえよたまッ!!」

 しかし、喜びは続かず、すぐさま掻き消されることとなった。

「待ってください! レーダーに未だ反応があります!」

「ピアティフ! どういうこと?」

 冷静に詳細の報告を指示する夕呼に、ピアティフは手早く算出した予測値を報告する。

「HSSTの前方およそ半分が形状を保って新たな軌道要素を持って飛来します。
 このままの軌道だと、80%以上の確率で本土に落着します。
 ですが、当基地及び帝都に到達する可能性はほぼ0%で、運動エネルギーも大幅に減少します。」

 夕呼は一瞬表情を消した後、ニヤリと笑って命令を下した。その命令とは―――

「―――そう、ならいいわ。状況終了! 防衛基準態勢を―――「待って下さい」―――白銀?」

「OTH03による砲撃続行を提案します! たま、OTH03の遠隔照準の準備に入れ! ピアティフ中尉、新たな軌道データを基に、衛星データリンク間接照準を復帰してください! OTH03の照準用画像情報もたまの『吹雪』に送ってください! 副司令、『データだけでも』十分なはずです!!」

 武は提案に続けて勝手に指示を出し始めた。壬姫は言われるままにOTH03の準備にかかるが、ピアティフは夕呼に許可を求めた。

「副司令?」

「……やってやんなさい。…………ま、いいか。被害が出なくても十分揺さぶりはかけられるしね。」

 ピアティフに許可を出したあと、暫く間を置いて夕呼の口から微かに漏れた言葉は、司令室の喧騒の中、誰の耳にも入る事無く消えていった。

「いいか、たま。OTH03の砲弾は気化弾頭だ。目標に直撃する必要はない、至近弾で十分だ。ただ、爆風で叩き落す形になるから、やや上を狙え。」

「はい。…………照準……よし!」

「OTH02、砲弾の装填を確認。気化弾頭の起爆プログラム始動確認。トリガータイミング同調10……9……8…………5……4……3……2……1」

 壬姫はカウントダウンに合わせて、OTH03のトリガーを引いた。
 その瞬間、第2リニアカタパルトの最先端に固定された整備リフト、その側面に取り付けられた遠隔制御の砲架に保持された超水平線砲から巨弾が発射され、遥か彼方のHSSTの残骸へと大気を掻き分け、水蒸気を棚引かせながら突進していった。

「第3射最接近まで……5……4……3……気化弾頭起爆!」

 HSSTの残骸に最接近する直前で気化弾頭の信管が起爆し、弾頭内のサーモバリック爆薬が固体から気体へと爆発的な相変化を遂げて、弾頭を中心に広範囲の空間に高速で噴出し拡散する。
 その後、散布された粉塵と強燃ガスの複合爆鳴気中で自己分解による爆発が起こり着火、空気中の酸素との爆燃による強大な衝撃波を発生させた。
 HSSTの前半部分は慣性の導くまま、発生した爆風衝撃波へと突っ込み、空中で見えない壁にめり込んだかの如くに、その軌道を捻じ曲げられた。
 そして、水平方向への速度を大きく落とし、日本海へと落下していく。

「目標の軌道要素変動を確認しました。日本海へと落下していきます! 本土に到達すると思われる反応は全て消失しました。」

「状況終了……防衛基準態勢を4へ移行。」

「やった! やったぞたまぁっ!!」

「うん! わたし、やったよ、たけるさん!!」

 今度こそ作戦の完遂を確信し、喜びを分かち合う武と壬姫。しかし、喜びを分かち合い損ねた者達の怨嗟の声が通信回線から響いてきた。

「あのねえ、あなた達。私達も居るってことをすっかり忘れてない?」
「……無視されてる?」
「2人だけで盛り上がっちゃって、ひどいよ壬姫さん!」
「喜びに水を差したくはないが、そなたらの態度は、如何なものかと思うぞ。」
「まあ、そう言うな貴様ら。16番ハンガーで2人を出迎えてからじっくりと意見してやればよかろう。」

「「「「 了解! 」」」」

 ハンガーで機体から降りた後のことを想像し、壬姫は悪寒にブルブルと全身を震わせて、武に助けを求めた。

「…………た、たけるさん……」

「たま、諦めろ……人生には、どうしようもないコトってヤツがあるそうだ…………」

「そ、そんなぁ~~~っ!」

 しかし、武は既に運命を受け入れており、壬姫は絶望の声を上げることしか出来なかった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時16分、B19フロアの地下司令室から立ち去ろうとした夕呼に、珠瀬国連事務次官が歩み寄り、声をかけた。

「おめでとうございます博士。さすが国連軍の極秘計画を預かる横浜基地……すばらしい危機対処能力です。」

「次官のお嬢様がこの基地を……いえ、人類の未来を救ったのです。さぞや鼻が高いことでしょう。」

「いえいえ、ここでの訓練の賜でしょう。娘を立派に鍛えて下さった神宮司軍曹には感謝の言葉もありません。
 ……ですが、おかげで有意義な視察になりましたよ。」

「それはどうも……。それにしても、次官は本当に仕事熱心ですのね。」

 夕呼は相手の心の奥を探るような視線と共に、事務次官を揶揄するような言葉を投げかけた。

「博士、これだけは誤解なきよう。自分のであればともかく……我が子の命をこのような事のために差し出して……無心でいられる親はいませんよ。
 そこまではいくら私でも……無理です。しかし……この度の事件……複雑な背景がありそうですな。」

 今回の事態の陰に蠢く国連上層部の物の怪達に思いを馳せて、顔を顰める事務次官に、夕呼は不敵な笑みを佩いて応じてみせる。

「……楽しくなってまいりましたわ。」

「ほ?……ふふっ……ふははは。あなたという方は……」

 その夕呼の態度に、事務次官は一瞬呆気にとられたような顔をしてから、相好を崩して笑い声を上げた。

 かくして、太平洋方面第11軍横浜基地は危機を脱した。
 若干18歳の訓練兵にすぎない少女の力によって……




[3277] 第37話 台風一過、されど寧日来らず +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:51

第37話 台風一過、されど寧日来らず +おまけ

2001年11月08日(木)

 17時01分、第1滑走路の第1リニアカタパルト起点付近に駐機した再突入型駆逐艦の搭乗タラップ前で、珠瀬国連事務次官が207Bの面々に別れを告げていた。

「この度の視察は、図らずとも有意義なものになった……諸君のおかげだ。
 たまはいい仲間を持った……親としては嬉しく思う。これからもよろしく頼むぞ。なあ、白銀君!!」

「は?!」

 唐突に、名指しされた武は、事務次官の瞳の奥に燃える熾火(おきび)のような光を見て驚愕した。

「そうかそうか、頼まれてくれるか! これでたまと遠く離れていても安心できるというものだ。
 では、近い内に、孫の顔でも見せてくれたまえ。ま、ご、の、か、お、で、も、な! ぅははははは……」

 表向きは朗らかに笑いながら、事務次官は冷酷に武を猛獣の檻へと追い落としていく。

「え゛っ!?」

 急に氷点下の極地へと身を落とされたような寒気に襲われ、武はさながら金縛りに会ったように動けなかった。

「―――敬礼!」

 頃合と見て、まりもがすかさず号令をかける。金縛りにあっていた武も条件反射で敬礼をした。

「……それでは、諸君の一層の活躍に期待する。」

 事務次官も表情をきりりと引き締めて答礼し、最後に一言激励の言葉を述べると、タラップを昇って駆逐艦の艦内へと姿を消した。

「よし、207訓練小隊、解散!」

 まりもは、敬礼をしたまま金縛りにあっている武を見てニヤリと笑うと、解散を命じて立ち去っていった。

「……ちょっと、いい?」
「タケル、そなたに話がある。なあに、時間はとらせん……よいな。」

 武が両脇から声がしたと思った時には、既に武の両腕は千鶴と冥夜に捕らえられてしまった後だった。
 2人とも、声は平坦であるにも拘らず、武の両腕を捉えた手は、ぶるぶると激しく震えていた。
 そして、後ろから首に腕が回されたと思った次の瞬間、武の両足は滑走路を離れ宙に浮いていた。
 彩峰に仰向けに担ぎ上げられ、滑走路とほぼ水平となった武は、無駄な力を抜いて従容と因果に身を任せた。

「よし彩峰、そのまま連て行くのだ。」
「うん、わかった……もう放さない。」
「諦めてね。どうしようもないコトって……あるんだよ、人生には……
 運命って……残酷なんだよ……ボクだって好き好んで……うぅううう……」

「た、たたたた、たけるさ~~~ん。」

 自己保身の本能によって指一本動かせずにいる壬姫は、精一杯の力を振り絞って武の名を呼ぶ。

「気にするな、たま。これはもう運命なんだよ。
 オレは、横浜基地を救えただけで十分だ。これ以上は何も望まないさ……」

「よし、連行するぞ。」
「了解。」
「全速力!」

 その日、B4フロアの男子トイレの個室から、この世のものとも思えない呻き声が響いていたという……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時42分、B19フロアの夕呼の執務室を、武は訪れていた。

「顔、非常に面白い事になってるわよ? トイレの床に転がってたらしいじゃない?」

 入室してきた武の顔に付いたトイレのタイルの跡をまじまじと観賞してから、ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべて夕呼は言った。

「…………知ってます。冷たくていい気持ちでした。―――ったく、酷い目に遭った。
 ……夕呼先生、たまの親父さんは、HSSTの黒幕とは別勢力ですよね?」

「そうね。自分の命ならともかく、娘の命を賭けてまで平静ではいられないって言ってたから、違うんじゃないの~?」

「違うんじゃないの~? って、またいい加減な。で、夕呼先生の読みでは、HSSTの黒幕はG弾運用派、移民推進派、第四計画反対派のどれだと思いますか?
 ああ、反オルタネイティヴ派はG弾運用派と一緒ってことで。」

「あら? 第五計画推進派をちゃんと2つに分ける程度には状況を把握してるってわけ?
 そうね~、やり口自体甘かったし、移民推進派でしょうね~。我が身大事の腰抜けどもがやりそうなことよ。」

 目を半眼にして、惚けた表情でまるで取るに足らない雑事の様に言い捨てる夕呼。しかし、武は顔を顰めて吐き捨てた。

「くそっ! 今は人間同士で争っている場合じゃないってのに!! で、尻尾は掴めそうですか?」

「あんたの帝都行きと丁度時期がかぶったから、煙幕代わりに鎧衣課長にマンハッタンに飛んでもらっておいたわ。
 他にも幾つかのルートに網を張っておいたから、何か引っかかるかもしれないわね。」

「そうですか。まあ、そちらは先生にお任せします。今のオレじゃ何をどう扱えばいいのかすらわかりませんから、意見すら言えませんしね。
 次は……ああ、そうだった。先生、昼間は出過ぎた真似をして済みませんでした。一応、謝っときます。」

 そう言って、武が頭を下げると、夕呼は面白そうに目を細めて問いかける。

「一応って事は、後悔はしてないって事かしら?」

「……そうです。あの後、自分なりに考え直してみたんですけど、先生は諦めが……いえ、見切りが早過ぎると思います。もう少し粘っても良いと思うんですよ。
 多分、先生は何か想定外の出来事が起きても、修正プランを即座に思い付けるんでしょうね。そして、その修正プランでも十分だと考えるからこそ、従来のプランや目標に拘泥しないんじゃないですか?
 逆に、オレはまだまだ冷徹に徹し切れてないですから、感情的に切り捨てられない事にはつい拘泥してしまいます。無論、これも良い事ではないんでしょうけど、より良い結果を得るための打開策を諦めずに模索します。
 今回、先生は横浜基地と帝都以外の本土にHSSTの残骸が落着して、人的物的被害が出たとしても、その被害を盾に取って、何らかの政治的取引を行うことで収支が合うと考えたんじゃないんですか?
 そして、オレは人的被害を抑える事を最優先に打開策を実行しようとした。
 今回は先生が譲ってくれたお蔭で問題は発生しませんでしたし、オレも最終的には先生の判断に従う覚悟はあります。
 ですが、この機会に、先生の見切りの速さ、粘りの無さは指摘しておいた方が良いんじゃないかな、と、そう思ったわけです。」

 夕呼は武の長広舌を、珍しい、人語を解する動物を見るような目で見ながら聞いていた。

「ふ~ん。それだけ?」

「いえ、もう少しあります。先生は常に変化し続ける状況の中で最善と思われる選択肢を選び続けているんでしょうけど、それは障害を避けてより楽な道へと迂回しているってことでもあると思うんです。
 そして、迂回に迂回を続けた結果、行き止まりに追い込まれてしまうこともあるかも知れないじゃないですか。
 だから、それが可能な時には多少強引でも、障害を乗り越えて進むことも必要だと思うんです。
 ですから、先生の、粘りの足りない所を……その、役者不足でしょうけど、オレが埋め合わせして……ですね。
 ……でもって、オレの判断の甘いところを夕呼先生が叩き潰してくれれば丁度良いんじゃないか……と……
 ………………すいません、ちょっと、分不相応でしたか?…………」

 夕呼の半眼の視線を浴び続け、当初勢いの良かった武の言葉は徐々に失速し、最後にはとうとう侘びが入った。
 武の言葉が途切れると、夕呼は片方の眉を吊り上げて、捕らえた獲物をどう料理しようかと、舌舐めずりするかのような笑みを浮かべて話し始めた。

「随分と言いたい放題言ってくれたじゃないの。
 なに? あたしが楽な方楽な方へと逃げてるとでも言いたいわけ?
 でもまあ、あたしみたいな上品で思慮深い人間には思い付かなくても、あんたみたいな短慮な人間なら、力任せに障害を乗り越える方法を思い付いて提示できるって話は理解できるわ。
 さしずめ、高貴な魔術師と蛮族の戦士の組み合わせってところね。
 だから……まあ、今回のあんたの出過ぎた行為は不問にしたげるわ。結果的には当初の作戦目的をクリアしたわけだしね。
 それと、最終的にあたしの指示に従うってんなら、今後も多少五月蝿くしても許したげるわ。」

 武の事を揶揄する形ではあったものの、夕呼なりの譲歩を得られたと知り、武は夕呼に感謝して、素直に礼を述べた。

「―――ありがとうございます、先生。」

 その武に、夕呼は心底呆れたといった感じで言葉を投げかける。

「それにしても、あんたもほんと諦めが悪いわね。
 横浜基地以外への落下は、最初っから折込済みだった事じゃないの。
 珠瀬が迎撃に失敗しても、気化弾頭で軌道を捻じ曲げる事だけは十分可能だっていう試算が事前に出ていたからこそ、あたしは今回の作戦を許可したんだし、その時の被害予想はあんただって見てたでしょ?」

「そこですよ、覚悟しているのと、受け入れているのは違うんです、先生。
 いくら頑張ったって、必ず結果が出るとは限らない。だから、最悪のケースまで可能な限り予測して、被害を最小に抑える努力と、発生しうる被害を受け入れる覚悟は必要だと思います。
 それでも、最善の結果を最後の最後、ぎりぎりまで諦めない事も大事だと思うんですよ。」

 夕呼はお手上げといった風に両手を上げて、武の言い分を受け入れた。

「ま、あんたがやろうとしている事を考えたら当たり前かしらね。そのくらい諦めが悪く無ければ、確率分岐世界間の因果律を改変しようなんて思わないか。」

「……まあ、そういうことなんでしょうね。」

「他人事みたいに言っちゃって……ああ、そう言えば明日の夜から新潟行きだったわね。
 ヴァルキリーズの新任たちも連れて行くそうじゃない。
 あんたのことだから、危ない所には連れて行かないのかと思ってたわ。」

 片眉を上げて、さも意外な事のように言う夕呼に、武は苦笑して応えた。

「まさか。そこまで過保護にはしませんよ、と言うより、そんな事をしても意味があるとは思えませんね。
 一応、新任たちが死の8分を超えられるように打てる手は打ちました。
 1つだけ間に合わなかったものがありますが、それは仕方ありません。
 次にも同じだけの手立てが講じられると言う保証もありませんし、先送りにしても余裕が無くなるばっかりだと思ってますよ?
 オレ一人の力で出来ることなんて高が知れてます。あいつら自身が自分で生き抜けるようにしてやるしかないじゃないですか。」

「あ、そ……ま、それはこの際どうでもいいわ~。
 もう一度言っておくけど、斯衛の連中を、A-01の衛士に接触させないように気をつけるのよ?
 斯衛軍との折衝は全てあんたがやんなさい。
 なるべくなら、同行する整備兵や警備兵にも、極力斯衛軍と接触しないように徹底させなさい、いいわね。」

「了解です。」

「今日までのあんたの働きや、言動には概ね満足してるわ。11日のBETA上陸が実際に起きて、あんたが上手く対処できたら、一応あんたの事を信用してやってもいいと思ってる。
 だから、そのつもりで頑張ってきなさい。帰ってきたら、情報開示レベルを上げてやるから、ちゃあんと片付けてくんのよ。」

「わかりましたよ。オレとしても、第1期装備群でつまづくつもりはありませんしね。精々いい結果を土産にして、帰ってきます。」

「そ、いい心がけね。じゃ、他に用事が無ければさっさと出て行きなさい。」

 武は素直に一礼すると、夕呼の執務室を後にした。

 そして、明日から3日ほどは、シリンダールームでの日課に割く時間が取れそうに無いため、いつもよりも長く霞や純夏と過ごすことにした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年11月09日(金)

 12時18分、いつもの通り霞に起こしてもらった武は、霞や207Bと朝食を取り、実弾演習を前にして、最後の部隊連携をヴァルキリーズと確認して午前中を終えた。
 そして今、武は昼食を食べながらヴァルキリーズの質問攻めにあっていた。
 今日、口火を切ったのは茜であった。

「白銀中尉、昨日の防衛基準態勢2で、207Bが出撃したって本当なんですか?」
「んののっ! 茜ちゃん、それほんとうですか?」
「あ、それ、あたしも聞いたよ。防衛基準態勢2が発令された後、207衛士訓練小隊が第2ブリーフィングルームに呼集されたって話でしょ?」
「へ~、晴子さあっ、そんな話、何処で仕入れてくるわけ?」
「でも~、普通に考えれば、そんな事ありえないと思うんですよね~。」

 そして、話題が同期生の事だけに、瞬く間に元207Aの5人に延焼した。

「ああ、その話だったら私も聞いたぞ。なんでも、リニアカタパルトの最先端に4機の『吹雪』が配備され、馬鹿でかい大砲で対空砲撃を敢行したそうだ。」
「なるほど、基地周辺の警戒中に捕らえた砲撃音はそれだったのね。」
「対空迎撃だと? そうか、207Bには珠瀬訓練兵が居たな。狙撃特性では風間よりも優秀だそうだぞ。」
「あっれ~、大尉、なんで207Bの訓練兵の特性数値まで知ってるんですか?」
「ん? ああ…………まあ、言っても構わんか、207Bが総戦技演習に合格して戦術機操縦課程に進んだのでな、一応定期的に神宮司軍曹から各訓練兵の考課表が回ってくるんだ。」
「ッてことは! 白銀の成績も載ってるんですね?!」
「ちょっと、水月! それは聞かない方がいいよ……」
「涼宮の言う通りだぞ、速瀬。白銀の成績は歴代訓練生の総合1位だ。貴様の現役当時の成績では勝っている所は一切無いぞ?」
「あはははは、速瀬中尉ぃ、墓穴掘ったねぇ。」
「ね、姉さん……」
「葵ちゃん……それ、墓穴……」
「ちなみに、葵の実技の成績は歴代最下位記録だ。卒業できなかった連中のは除くがな。」
「あはははははは。そうそう、我ながらぁ、ちょっと凄い成績だったわよぉ。」
「そこで、笑えるってのが凄いよ、姉さん……」
「ほんとね……」

 207B出撃の話題は宗像の発言から先任達にも飛び火して、武は全員の注目を浴びることとなった。

「で? どうなんだ、白銀。本当に訓練兵が出撃したのか?」
「実際に出撃したのはオレと珠瀬訓練兵だけです。宗像中尉。」
「そうか、では、珠瀬訓練兵が落下してくるHSSTを撃墜したんだな?」
「その通りです、伊隅大尉。」
「撃墜って言ったって、ふつ~は無理でしょ? 大体距離幾つくらいで落としたのよ。」
「距離500km、高度60kmですよ、速瀬中尉。」
「500kmって……そんな長射程で狙撃できる兵器があるんですか?」
「それはですね、涼宮中尉。1200mm超水平線砲ってのがありまして……」

 ……と、根掘り葉掘り聞かれることとなり、武は精神的にぐったりと疲れて、PXを後にした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時22分、第三演習場に6機の『吹雪』と1台の指揮車両が展開していた。

 演習場の各所には補給コンテナが配置されており、戦術機同士の市街地演習が行われていた。―――ただし、5対1で。

「くっそ~、委員長のやつ、手を変え品を変え良くやるな! だが!!」

 武はつい愚痴を呟いてしまう自分を叱咤して、今は仮想敵となっている207Bの仲間たちへと襲い掛かった。

 今日は、207Bにとって初めての、実機による模擬戦闘演習となる、市街地演習が行われていた。
 そして、まりもが発表したチーム分けは武1人対他5人全員。
 5対1とは言え、現役で実戦経験のある衛士と訓練兵、しかも武の衛士としての技量は高いため、瞬殺されなければ十分だとまりもは考えていた。
 そもそも、武の腕前は教導隊でも上位を狙える程なので、どうチーム分けしても戦力バランスが取れそうに無かったのであった。
 しかし、予想外に、207B女性陣は健闘していた。

「いい? 白銀が来たら、36mmで弾幕を張りつつ散開して退避、白銀の追撃を受けた機体だけは後退を断念して横方向に回り込むように退避機動するのよ。
 高度を上げ下げする事でなるべく被弾を避けてね。他の機体は距離を取ってから白銀機に砲撃よ!
 この状況の現出を待って、珠瀬は隠蔽を解いて白銀機を狙撃。多分、白銀を落とせるのは珠瀬だけ、頼んだわよ。」

「「「「 了解! 」」」」

 総合力で、207Bの全員を大きく引き離している武だったが、長刀での近接戦では冥夜に、接地状態での機体の機動では彩峰に、長距離狙撃では壬姫に、隠密偵察では美琴に、僅かではあるが負けていた。
 そして、作戦立案能力においては、突飛な発想では武が勝るものの、戦術の緻密さや、配置の的確さなどでは、千鶴に軍配が上がる。
 その千鶴の作戦の下、207Bは武に勝る個人技を駆使して挑んでいた。

 基本的に切り札となるのは壬姫の狙撃で、その壬姫を最終局面まで隠蔽させるのが美琴の隠蔽技術であり、武が得意とする3次元機動を封じるために、中層以上のビルが立ち並ぶエリアに引きずり込んで、壬姫の狙撃体制が整うまでの時間を稼ぐのが冥夜と彩峰であった。

 1戦目、壬姫の狙撃を警戒していたにも関わらず、武は冥夜にビルの間に誘導され、近接戦闘に持ち込まれたところで、前後左右を囲まれた。
 唯一開いていた上空へと飛び上がった武は、待ち構えていた壬姫の狙撃を躱し切る事が出来ずに損傷を受けた。
 結局、その損傷がもとで冥夜、美琴の2機と刺し違える形で撃墜されてしまった。

 その後はイタチごっこ、もしくは狐と狸の化かし合いの様相を呈していた。
 武が一撃離脱を狙えば、千鶴は壬姫を除く4機を密集させて、迎撃の密度を上げて対応した。
 4機が密集している地点を武が狙撃して仕留めると、次は狙撃可能なポイントを限定され、狙撃ポイントに着くなり壬姫の狙撃に晒された。
 狙撃してきた壬姫を先に倒そうとすれば、壬姫の隠蔽ポイントは他の機体の集結ポイントの直ぐ足元であり、武は壬姫の撃破を断念せざるを得なかった。
 結局、高機動近接戦闘と一撃離脱戦法を組み合わせるしかなく、一撃離脱と見せかけて、急接近したところで以前月詠相手に使った、近接高機動全方位射撃を仕掛けた。
 しかし、これも次からは武の接近に伴い、散開して退避するようになったため効果が激減した。
 分散退避する内の1機を各個撃破しようとしても、こんどは追撃している間に包囲された。
 今まさに、武は包囲されるのが先か、目標とした美琴機を落とすのが先か、ほんの僅かな勝機を求めて技量を振り絞っている最中だった。

「くそっ! 間に合わないか……一端距離を取って、狙撃してやる。」

 武は美琴の撃墜を諦め包囲からの離脱を選択。雨霰と降り注ぐ弾雨を掻い潜り、砲撃圏内から離脱した瞬間に、着地してつい寸前まで砲撃してきていた千鶴機を、87式支援突撃砲の狙撃で撃墜した。
 矢継ぎ早に、3発の狙撃を行った直後、武が噴射跳躍して回避運動を取ると、直前まで武の機体が居た位置に壬姫の狙撃が着弾した。
 危なく千鶴機の撃墜と引き換えにやられるところだったが、指揮官を失った残り4機は何とか倒せると武は思った。
 実際、その後の展開は武の考えた通りになりはした。しかし、千鶴が撃墜される前に授けた策により、4機を落すのに武は10分以上の時間を必要とし、この日の訓練は終了となった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時35分、1階のPXでは、武が何時にも増して大急ぎで夕食を掻っ込んでいた。

「そういえば、あの試作OS、基本動作の拡張パターンってたけるさんの蓄積データが基になってるんでしょ?」

 壬姫がそう話しかけても、武はほんの一瞬だけ食べるのを止めて「そうだ」と短く応えるだけで、また夕食を掻っ込み始める。

「そ、そうだよね。だからだと思うんだけど、ライフルの構えとか、たけるさんに似てると思うんだ~。」
「ああ……それには同感だな。」
「近接戦闘もそんな感じ……」
「戦術機特性の時、教官が言ってたじゃない。機体のクセは衛士に似るんだって。」
「なんだか、機体そのものがタケルみたいだよね。」

 壬姫の言葉から連鎖して、皆が口々に同意する。すると、千鶴が皆の意見に回答を提示する。

「白銀の蓄積データが拡張パターンのベースなんだから、白銀の中に居る感じがするのは当然ね。」

 ところが、今度はその言い回しを捉えて、彩峰が意味深な発言をする。

「……抱かれてる感じ?」

「変な想像しないで頂戴! まあ、個々のデータが蓄積すれば気にならなくなるでしょ。
 ―――ところで。
 白銀、あなた、もう少し落ち着いて食べられないの?」

 例によって千鶴は柳眉をキリリと逆立てて、彩峰の言動に釘をさし、すかさず今の話題に決着をつける。
 そして、武に視線を移すと、眉を顰めてお説教のような苦言を述べた。

「……実機演習で負けたから、焼け食い?」
「うわぁ~、ご飯粒が飛び散ってるよ~。」
「タケルぅ、お百姓さんが泣いちゃうよ?」
「合成食ゆえ、農家の方々は関係なかろうが、食物を無駄にするのは感心せぬぞ、タケル。」

 207B女性陣が、千鶴の指摘を機に、武の食べっぷりに注目し、あれこれ話しかけている間に、武は粗方の食事を済ませ、程好く冷めた合成玉露を一気に飲み干した。
 そして、207Bの仲間達に事情を説明し始めた。

「プハァ~。―――ああ、悪い。そういや言ってなかったな。
 実は特殊任務の方で、この後18時00分までにハンガーに行って、兵員輸送車に乗らないといけないんだ。
 それでちょっと急いでたんだよ。」

「兵員輸送車? またどこかへ出向するの?」

 千鶴が聞くと、最後に残っていた漬物をぽりぽりと食べてから、武は言葉を返した。

「ま、そんなトコだ。今回は2泊3日の予定だから、戻るのは11月11日の夕方か夜になると思う。
 ま、11日は休養日だから、明日の訓練だけ、一緒に出来ないって事になるな。」

 その日程を聞き、冥夜の表情が僅かに動く。それを見た武は、恐らく月詠がほぼ同じ日程で横浜基地を離れる事を思い出した。

「てことで冥夜、悪いけど剣術の鍛錬は休みにしてくれ。」

「あ、ああ、無論だ。そなたは特殊任務の方が本業であろう。全力を尽くして務めてくるが良い。」

「たけるさん、何処へ行くか知らないけど、気を付けて行ってきてくださいね。」
「タケルぅ~、変な物拾い喰いしちゃ駄目だよ~。どうしてもお腹空いた時には、ちゃんと毒の無いものを選んでね~。」

「ああ。何処で何をするのかは言えないけど、なるべく気をつけるよ、たま。こら美琴! オレは秘境探検に行くわけじゃない。変な妄想はやめろ!!」

 壬姫と美琴の言葉に応える武に、何時の間にか背後に近付いてきていた彩峰が、ポンと武の肩に手を置いて、真剣な表情を作ってポソリと言った。

「……生きて帰れ!」

「なんで命令形なんだよ、彩峰。ま、ご要望にはちゃんと応えて見せるから、心配すんな。」

 武が笑顔で応じると、彩峰は僅かに頬を染めて、無言のまま自分の席へと戻っていった。

「じゃあ、白銀。ほんとに気を付けて行ってきてね。」

「なんか、こう心配ばっかりされると、なんだか酷い目に会いそうな気がしてきたぞ。大丈夫だよ、委員長。それじゃあ、また明々後日にな。
 ―――じゃ、みんな、行ってくるよ。」

 武はそう言って手を振ると、PXを後にした。
 そして、この世界で再構成されて以来、初めてとなるBETAとの戦いへと出陣して行ったのだった……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 23時52分、横浜基地を18時07分に出発したヴァルキリーズは、BETA日本侵攻の傷跡が残る荒涼とした土地を移動して、新潟県旧長岡市の斯衛軍長岡野外演習露営地に到着した。
 ヴァルキリーズの隊列は、支援担架50台、大型輸送トラック10台、兵員輸送車4台と言う大規模なものであったが、事前に綿密な打ち合わせが行われていたため、設営された後直ぐに人払いがなされた露営地の一角へと速やかに誘導された。
 兵舎の割り当て、装備の格納、各種装備の移動後整備点検作業を含む予定の立案・調整。これら全てをみちるに任せ、武は斯衛軍長岡野外演習司令部へと、部隊の到着を報告しに行くことにした。

 演習司令部では、今回演習副司令に任命された神野空王(じんの・くうおう)大佐に、到着の報告を行った。
 この神野空王大佐は、斯衛軍の退役大将であり、現在は帝都城守護職を務める神野志虞摩(じんの・しぐま)翁の長男であり、斯衛軍第2大隊隊長でもある。
 武は先の帝都城への出向時に神野大佐と面識を得ていた。今回の実弾演習では総司令官は紅蓮大将となっているが、実務を取り仕切るのはこの神野大佐であるからと引き合わされていたのだった。
 今回の演習で、A-01と模擬戦を行うのは斯衛軍第6連隊所属の3個大隊とされていた。第6連隊以外に参陣しているのは神野大佐の第2大隊のみで、こちらは周辺警備が主眼であり、演習には殆ど参加する予定はないという。
 通信隊や、輜重隊、整備隊、工兵隊、航空隊なども参陣しているが、こちらは演習を支えるための支援部隊である。

 報告の後、武は神野大佐との演習スケジュールの確認と調整を行った。
 その結果、明日の試作装備評価演習は、次のようなスケジュールと定まった。
  09時00分:第18大隊との模擬戦闘。制限時間30分。
  10時00分:第17大隊との模擬戦闘。制限時間30分。
  11時00分:第16大隊との模擬戦闘。制限時間30分。
  12時00分:昼食
  14時00分:模擬戦闘。制限時間60分。斯衛軍側の参加兵力は最大3個大隊。午前中の演習結果によっては中止。
  17時00分:試作装備評価演習講評及びデブリーフィング。
  18時30分:夕食会。(参加資格は中隊以上の部隊長もしくは少佐以上の将校)

 もちろん、試作装備評価演習以外にも、実弾演習が行われる。午前中の評価演習が1個大隊相手なのは、その間に他の2個大隊が実弾演習を行うためであり、午後の評価演習が場合によっては中止されるのも、実弾演習により重きが置かれている為である。
 評価演習ではJIVESが使用される予定で、A-01の実弾演習は演習2日目の11日に演習エリアの一角が割り当てられているとの事であった。
 ―――そして、10日の夕食会への、武の出席が要請された。

「ちょ、ちょと待って下さい! オレは臨時中尉に過ぎないし、部隊長でもありませんよ?!
 おまけにマナーだって知らないし、そんなところに呼ばれて赤っ恥かくのはご免被ります!」

 武は慌てて、固辞した。斯衛軍の赤をまとう大佐相手に一介の国連軍臨時中尉が話す言葉としては論外なのだが、神野大佐は莞爾として笑うと、声を潜めて言った。

「そう言うだろうと思ったがな、白銀。貴様、これを固辞したら不敬罪に問われかねんぞ?」

「―――ッ!! ま、まさか……」

「そうだ。政威大将軍煌武院悠陽殿下直々に、此度の演習に尽力のあった国連軍部隊の代表として、賓客としてお招きになるそうだ。」

 武はその言葉を聞いて、がっくりと項垂れる。A-01連隊の衛士は存在自体が機密であるために、基本的に公の場に出ることは許されていない。
 総司令部への報告に武が来たのも、部隊指揮官であるみちるの存在を秘匿するためであり、A-01に割り当てられた露営地の一角が人払いされている理由も同じであった。
 よって、国連軍部隊の代表として夕食会に出席できる兵科将校は武しか存在しなかった。
 武は最後の抵抗として礼装を持ってきていないと告げたが、明日の夕方までに手配すると言われ、諦めることとなった。

「まあ、そうしょげるな白銀。どうせ貴様が座る席は、殿下や紅蓮大将、第16大隊長の斉御司(さいおんじ)大佐、後は俺も同席すると思うが、これだけ綺羅星の如き方々が集まっていては、滅多な人間は近寄って来れぬさ。
 この内、貴様が面識が無いのは斉御司様くらいだろ? あの方なら身分の差など大して気になさらんさ。何しろ五摂家の御曹司でいらっしゃるからな、身分が釣り合う者の方が少ないのだ。
 大体、貴様が同席してくれないと、俺は気の休まる余地が無くなるではないか。なにしろ俺の家格はこの面子の中では最低なのに、殿下に次ぐ家格の斉御司の若様を相手に、演習副司令として上官面をしなければならないのだからな。」

 そう言っている神野大佐とて、家格は月詠家よりも上である。
 紅蓮大将に土を付けたと聞いて、武の事を大層気に入ったらしいこの人物は、武の意思を全く無視して、己が知己として遇すると一方的に宣言し、以来公式の場以外で敬語を使うなと、武に強要したのだった。
 神野大佐は、40代にもなって、多分に稚気を残した人物であった。

「オレなんか、最初っから気が休まる余地なんて無いですよ。」

「そこはそれ、俺や紅蓮閣下が引き立ててやるさ。」

 武はこの辺で観念し、実務レベルの打ち合わせを手早く済ませてしまう事にした。
 そして、実務的な事柄を片付けた武は、引き止める神野大佐を袖にして、早々に総司令部を辞去した。
 明日に備えて鋭気を養わなければならない立場であるのに、気力を根こそぎ奪われた気分であった。



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**** 10月10日柏木晴子誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話7 ****
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どこかの確率分岐世界
2006年10月10日

 12時32分、帝都にあるグランドプリンセスホテル赤坂の披露宴会場『クリスタルパレス』では、盛大な結婚披露宴が執り行われていた。

 丁度堅苦しい挨拶も一通り終わり、お色直しで新郎新婦も退席していた為、来賓も適度に席を離れて知人や新郎新婦の親族と歓談していた。

「や、今日は無理言っちゃって悪かったね~。恩に着るよ、茜。」

 礼装を纏って席に着いていた茜に、晴子が背後から声をかけた。茜は座ったまま身を捻って背後を振り向き、晴子へと言葉を返した。

「あ、晴子。それは構わないんだけど、なんか、私だけ場違いな気がしちゃって……」

「そっか。新郎側の賓客はおじさんばっかりだからね。
 新婦側なら、茜よりもちょっと若い娘達もいるんだけどね。茜、同席のおじさんに、何か変な事されなかった?」

「最初に所属と階級聞かれただけ。その後は特に何も無かったわ。あれこれしつこく聞かれもしなかったし……でもさ、晴子。お呼ばれするの私なんかで良かったの?
 なんか、軍のお偉いさんが沢山来てるじゃないの、この披露宴。人数だって、こんなに大勢だなんて……」

 茜はそう言うと、頭を巡らして会場内を見渡す。
 会場内には、上は将官から下は左官まで、現役退役合わせて100人近い高級軍人達が、あちこちでサロンよろしく歓談しているのが見受けられた。
 招かれた客に親族も合わせて、全部で300人近くになろうか。実に盛大な披露宴であった。
 大尉とは言え未だに尉官に過ぎない茜には、少々居心地が悪かった。茜が座る席は上座近くのテーブルで、同席していたのは全員現役の将官であったから余計にそう思えた。
 晴子は片目を瞑って、なんでもないように笑いながら茜に応えた。

「あはは。実は家って軍人一族でさ。未だに本家とか分家とか、人の行き来が頻繁なんだ。
 大家族主義って言うのかな―――あたしなんかは、武家の真似事だと思ってるけどね。
 そんなんで、とっくに現役退いてる爺様達の、現役の頃に部下だった人達とかが沢山来てくれてるだけだよ。
 親父や叔父さん、従兄弟なんかは、BETA相手の戦争で端から戦死しちゃったからね。
 本家の生まれとは言え5男だった父さんの息子―――つまりあたしの弟たちだけど―――もう、それ位しか本家筋の男の子が生き残ってないんだよ。
 一族の期待の星が結婚するっていうんで、爺様達が舞い上がっちゃってさ。
 家って、爺様達の発言力が強いから、今のご時勢に男尊女卑思想ばりばりでね~。」

 晴子の笑顔は話し初めと髪の毛一筋も変わらないが、話の内容がだんだんと洒落にならなくなってきたため、茜は戸惑いながらも晴子の顔を見上げた。

「―――晴子? 私にそんな話ししちゃって………………晴子?! あなたまさか酔って……」

 茜は晴子の瞳が潤み、若干頬が赤らんでいるのに気付いて愕然とした。
 そうだった、晴子は酒に酔っても一見普段と変わらない素振りで、そのくせ、常にも増してとんでもない爆弾発言を連発する、性質の悪い酔い方をする女だった……
 恐ろしい想像を巡らして、茜は血の気の引く思いだったが、当然晴子はそんな事には頓着しない。

「そのくせ、女も徴兵対象になった途端に、手の平返した様に御国の為に尽くさねばならぬ! なぁんて言い始めてさ~。
 それまでは、黙って家の事さえしてればいい! とか言ってたのにね。
 おまけに、軍人になったところで、女より男って発想は、なぁ~~~んにも、変わんないんだよね。
 あたしなんか、『桜花作戦』後に、A-01の機密が一部解除されて、所属が発表されるまでは、後方勤務の無駄飯喰い扱いで一族の恥とか言われてたのに、A-01の所属って解った途端にま~た手の平返して、今度は一族の誉れ扱い。
 この披露宴だって、A-01の衛士を招けって、もう、ほんっと~に、しつこくってね。って、これは出席してくれるように頼んだ時に言っといたっけ。」

「え、ええ……」

「なのに出席してくれるなんて、茜は仲間思いだよね! 家の弟なんて、会った事もないってのにさ。
 さっすが中隊長ともなると、人間が出来てくるんだね。」

「何言ってんの、晴子だって中隊長でしょ!」

「あはは、そうだった……しっかし、A-01も人数増えたよね。今じゃ連隊規模か。
 あたしらが任官した頃なんか、これでようやく中隊定数が充足したって、先任たちが喜んだくらいだったのにね。」

 晴子の言葉に、茜は任官したての頃を思い出す。ようやく部隊に馴染んで、初陣を控え、自分を鍛えに鍛えていたあの頃。
 そして、『白銀武』と出会い、時代が激しく変わっていくさまを見続けてきた、この5年間を。

「そうだね。白銀大佐のお蔭かな。うちの隊だけじゃない。あれ以来衛士の……ううん、衛士以外も戦死者の数が劇的に減少したから……」

「あーそうだね。うん。白銀大佐には感謝してるよ。
 大佐の対BETA戦術構想を早い内から導入したお蔭で、帝国軍の衛士の生存率は飛躍的に向上して、陽太(ようた)も月乃(つきの)ちゃんも―――ああ、弟と嫁さんね―――前線勤務から何とか無事に帰ってこれたからね。
 これで2人も、夫婦揃って後方勤務に転属させられるらしいよ。
 なにしろ、多産奨励、国民人口回復こそが、今の日本では急務だからね。
 帝国軍じゃ、30代以下の男性軍属の前線勤務率は減少する一方だってさ。
 爺様たちも、自分達の子供や孫の世代が沢山死んだからね。次の世代の子供を1日でも早く見たいらしいよ。
 ほんと、なんであの世代はああ我儘なんだかね~。」

 殊更声を潜めるでもなく話し続ける晴子に、聞いている茜の方が周囲に聞きとがめる人が居ないか、気が気ではなかった。
 と、そこへ軍属中等学校の制服を着た少年が歩み寄って来て、晴子に声をかけた。

「姉さん……ちょっといいかな?」

「ん?……テル、どうかした? あ~、『桜花作戦』の英雄に紹介してほしいんだな~。
 よしよし、お姉ちゃんが特別に紹介してあげよう! 涼宮大尉、こいつが私の下の弟で、柏木照光(てるみつ)。軍属中学校の3年生です。
 テル、こちらが、国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、A-01連隊の涼宮茜大尉だ。大尉、弟と握手してやってくれますか?」

 晴子に紹介されて、少年は顔を真っ赤に染めて精一杯の敬礼をすると、直立不動の姿勢をとった。
 茜などは、自分なんか……と、思っているが、『桜花作戦』ハイヴ突入部隊A-01は、帝国の少年少女たちの憧れの的である。
 日本本土への直接的なBETAの脅威は去ったとは言え、未だBETAとの大陸での戦いが続いている為、軍人を志す少年少女は少なくなく、少年達からは甘酸っぱい憧れを、少女達からは尊敬すべき先達として、A-01の女性衛士達は熱狂的偶像(アイドル)として目されていた。

「柏木照光君ね。A-01連隊の涼宮茜大尉です。詳しい配置は機密扱いだから、勘弁してね。
 お姉さんとは『桜花作戦』前から一緒に戦って、的確な援護に助けられてきたわ。お姉さん―――晴子は私の大切な戦友よ。」

 茜は緊張してがちがちになっている少年―――柏木照光に優しく話しかけると、右手を出して握手してやった。

「あ、ありがとうございます―――ッ!!!…………」

 少年は憧れの女性に握手してもらえた感動で、瞳を潤ませていたが、そもそもの用事を遅まきながら思い出して、もう一度茜に敬礼してから、姉の方へと向き直った。

「―――じゃなくて、姉さん、俺、姉さんに用事があって来たんだってば。兄さんが呼んでるんだ、ちょっと外せないかな?」

 茜は照光のその言葉を聞いて、この機会を逃さずにすかさず活用する事にした。

「晴子。私は良いから、弟君と一緒に行ってきなよ。今呼んでるって事は多分、新婦さんのお色直しが終わるまでにって事だと思うから、きっと時間はあまり無いんじゃない?」

「あはは。解ったよ茜。あたしの危なっかしい話はもうお腹一杯らしいから、今日のところはここまでにしとくよ。
 ほんと、今日は来てくれてありがとうね、茜。」

 そう言って、照光を引っ立てるようにして去っていく戦友を見送って、茜は一人呟きを零す。

「…………晴子……本当に酔ってたのかしら?…………相変わらず、あの娘は本音が読めないわね。」

 一方、茜の前から立ち去った姉弟の方では、照光が晴子に常に無い感謝を捧げていた。

「姉ちゃん、本っ当~~~~っに、ありがとうッ! 涼宮大尉に紹介してもらえて、しかも握手までしてもらえるなんて、夢みたいだよ!!」

 そんな下の弟の姿を見て、晴子はニヤリと笑って言う。

「まあ、今日はあんたの失恋記念日でもあるからね。その位の役得はあってもいいでしょ。」

「う゛………………あ、相変わらず容赦ねえな、姉ちゃん。けど、しょうがないよ、俺の月姉への気持ちは横恋慕だからさ……
 そりゃあ、拡大婚姻法の事は考えたけど……」

 それまで浮かれまくっていた照光の表情が寂しげなものに変わった。

「女1人で男2人じゃ、このご時勢だし、月乃ちゃんへの風当たりが強すぎるだろうね。
 子供が1人でも沢山欲しい爺様たちも、いい顔しないだろうしね~。」

「解ってるよ。だから俺は月姉の事はすっぱり諦めるって決めたんだ!」

「よしよし、テルも大分男の顔が出きる様になってきたね。まだまだ甘っちょろいけどさ。
 ―――それより、陽太は、何の用事だって?」

 晴子がそう訊ねると、照光は、今度は一転して笑顔になって、得意そうに言った。

「へへっ―――知ってるけど教えね~。それに、もう兄貴の所に着くから、直接聞いた方が早いって。ほら、この部屋!」

 そう言って照光が指し示したのは、新婦側の親族控え室だった。何故に新婦側かと疑問に思った晴子だったが、自分の親族の融通の利かなさを思うと、こちらの方が使いやすかったのかもしれないと、直ぐに思い直して扉を開けた。

「陽太? あたし、入るよ?―――って、月乃ちゃん?! なんであんたまで!」

 部屋の中には白無垢から銀色のドレスにお色直しした、ついさっき義理の妹となった、実の妹の様な幼馴染の少女が椅子に腰掛けて微笑んでいた。
 その隣に立つ上の弟―――陽太が姉の問いに答える。

「そもそも、姉さんを呼んだのは月乃の発案なんだ。爺様達の居ないところで、姉さんに言っておきたい事があってね。」

 晴子は首を傾げて考える。弟達は勿論、月乃も晴子とは親しい間柄だった。子供の頃は一緒に遊び、月乃からは月乃と同い年の弟、陽太への想いを打ち明けられ、相談に乗ったこともある。
 ここ数年直接会ってはいないものの、連絡はそれなりに取っており、3人の事なら自分の知らない事の方が少ない筈だと常々晴子は思っていた。
 しかし、17歳にして、夫婦となった弟と月乃から、披露宴の最中に呼び出されてまでされる様な話の心当たりは、晴子には全くなかった。
 そして首を傾げる晴子に向けて、子供の頃から夢見ていた日を向かえ、幸せでいつもの何倍も綺麗に輝いている月乃が紅を刷いた唇を開く。

「晴子さん……いえ、お姉さん。ありがとうございました。お姉さんやお姉さんの部隊の方達のお蔭で、私は今日、陽太さんと結ばれる事が出来ました。
 私達だけじゃない、私たちの戦友も、いえ、世界中の多くの人達が、きっと同じ感謝を捧げていると思います。
 ―――そして、晴子さん、お誕生日、おめでとうございます。日々任務に励まれている晴子さんの事ですから、お誕生日にお招きしても中々お戻りにはなられないと思い、私達の結婚式ならと、ご迷惑を承知で日取りを重ねさせてもらいました。
 今まで、お世話になった事への感謝を込めて、私達『3人』からの、お祝いの品です。」

「ほら、姉ちゃん、これ。姉ちゃん飾り気が無さ過ぎっからさ。イアリングとネックレスと、月姉が刺繍したスカーフ。誕生日おめでとう、姉ちゃん。」

 予めこの部屋に用意しておいたのであろう袋を取り出し、晴子に手渡す照光。そして、晴子を眩しげに見ながら、陽太が感謝と祝いと、過去を詫びる言葉を告げた。

「本当にありがとう、姉さん。そして、おめでとう。後方勤務に回される俺たちと違って、任務、大変だろうけど頑張ってくれ。
 そして、もう昔の事だけど、軍人の癖に軽薄だとか、冷たいとか、覚悟が足りないとか、姉さんの立場も知らないで言いたい放題言ってた事、今更だけど謝るよ。
 月乃にはその前から謝れって言われ続けてて、喧嘩までしてたのに、あの頃の俺は意地張って、姉さんにきつく当たってた。
 『桜花作戦』の後、姉さんの部隊がオリジナルハイヴを落としたって聞いて、俺、凄く恥ずかしかった。
 直ぐにでも謝りたかったけど、手紙で謝るのも恥ずかしかったし、それからは俺も姉さんも任務があって中々会えず仕舞いで、でも、本当に何時か謝りたいと思ってたんだ。
 姉さん、馬鹿な弟で本当にご免。こんな俺の結婚式にわざわざ来てくれて本当にありがとう。」

 晴子は、横浜基地の訓練校に志願して以来、何故自分が実家に帰らなくなったのか、ようやくにして理解できた気持ちになった。
 爺様達の言葉なんか、晴子は子供の頃から気にしてなかった。その言葉は薄っぺらで、まるで録音された音声を再生してるみたいに、同じ事を繰り返すだけだったから。
 けれど、弟達の言葉は、弟達が可愛かったからこそ、晴子にとって辛かった。弟達が幼いなりに、信念に基づいて自分を非難する事に晴子は堪えられなかった。
 だからこそ、時折連絡は取るくせに、面と向かって会うことを忌避していたのだと、晴子は今になって気付いた。
 そして、晴子は真摯な瞳で自分を見つめる陽太を見て、その隣で柔らかに幸せそうに笑う月乃を見て、最後に来年からは衛士訓練校への入隊が決まっている照光が、心配そうに自分と兄を交互に窺っているのを見た後で、ようやく、その口を開いた。

「あはは、何真面目な顔して言ってるんだか。そんな昔の事なんて、今の今まで忘れてたよ。
 そんな事より、月乃ちゃんに愛想尽かされないことでも考えといた方がいいんじゃない?
 それから、主に月乃ちゃん、プレゼントありがとう。使う機会がどんだけあるかは解らないけど、大切にするよ。
 …………でもまあ、あんたらや月乃ちゃんが幸せそうに笑っているのが、あたしには一番のプレゼントかな。」

 そう言って、晴子は朗らかに笑った。
 ―――それは、甲16号、重慶ハイヴ攻略の1月ほど前の出来事であった……



(作者より一言。甲16号攻略で晴子が死んだりはしませんので念のため。自分で読み直したら、死亡フラグっぽかったのでw)




[3277] 第38話 其は斯衛の剣足るや? +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:52

第38話 其は斯衛の剣足るや? +おまけ

2001年11月10日(土)

 05時42分、斯衛軍長岡野外演習露営地の国連軍区画にある兵舎の一室では、武が簡易ベッドの上で惰眠を貪っていた。

「……がね……白銀……起きろ、白銀…………」

「ん……ふぁ~……霞ぃ、後5分…………」

 誰かが自分を起こそうとしていると、寝ぼけた頭でようやく認識した武は、ついいつもの癖で霞の名前を呼んでしまった。

「な、ななななな……何を寝ぼけているっ! さっさと起きろ! 白銀臨時中尉ッ!!」

 すると、動揺した気配に続き、烈火の如く激しい怒声が降り注ぎ、さすがに武も完全に目を覚まし、慌てて上体を起こした。

「うわっ!…………あ……伊隅大尉…………」

「あ……伊隅大尉、ではないっ! さっさと起きて制服を着用しろっ!」

「は、はいっ! オレ、起床ラッパ聞き逃しましたか?」

 大急ぎで制服に着替えながら武が恐々訊ねると、みちるは武に背中を向けたまま、片眉を上げて応えた。

「ん? いや、今はまだ起床ラッパまで15分はある。しかし、先程警備兵から連絡があってな。
 ゲートに斯衛軍の輜重隊の車両が来ているらしい。斯衛軍との折衝は貴様に一任されているからな。
 ゲートに行って、話しを聞いてきて欲しいのだ。」

「なるほど、了解しました。お手数をおかけして申し訳ありませんでした、大尉。」

「いや、部隊指揮官は私だからな。本来ならば私が対応すべきなのだが、貴様に一任するように指示が出ているのでな。」

「まあ、オレは斯衛軍に存在が把握されてしまっていますからね。大尉たちこそ、さぞ窮屈な思いをなさってるでしょう。」

「気にするな、私や先任たちは慣れているさ。それより、さっさと行って、用件を聞いて来い。」

「―――了解!」

 ―――そして、30分後、武とヴァルキリーズの13人の前には、焼かれた天然物のサンマが乗った皿が並んでいた。

「な、なんか、合成食品以外を朝から食べれるなんて、なんていうか、その、豪勢だよね……」
「あはははは、涼宮中尉、それ、駄洒落ですか?」
「もう、やめてよお姉ちゃん。晴子、お姉ちゃんのは天然だから、放っといてあげて……」
「え? なに? どうしたの、茜? 私、なにか変なこと言っちゃったかな?」
「ほら、遙、それはもういいから、せっかくのゴウセイな朝食を冷めない内に、食べようよ!」
「そうだな、速瀬の言うとおりだ。斯衛の心遣いだそうだ、有難く頂戴しろ!」
「「「「「「「「「「「「「 はいっ! 」」」」」」」」」」」」

 さすがにサンマ以外は合成食材であったが、一夜干しした天然物のサンマは美味だった。
 天然サンマは、斯衛軍が演習に来るということで、日本海沿岸の帝国本土防衛軍の基地で漁獲して保存していたものを、陣中見舞いとして送ってきたもののお裾分けであった。
 全員が舌鼓を打ち終えたところで、みちるがふと思い出したように、武に聞いた。

「……そう言えば、白銀……貴様、まさか社に起こされた事でもあるのか?
 今朝、寝惚けて、社の名前を呼んでいたぞ?」

 唐突なみちるの質問に、武は思いっきり合成玉露を吹いてしまった。

「うわっ! ちょっと白銀中尉いっ! 勘弁してよねっ!」
「あらら~、はい、月恵、お膳布巾よ~。」
「す、済まない麻倉。大尉、いきなり何を……」

 武の吹いた合成玉露を被りそうになった月恵に謝った武は、みちるに抗議しようとしたのだが、美冴に華麗にインターセプトされてしまう。

「私が聞いた話じゃ、京塚曹長のお膝元のPXで、毎朝幼女と互いにあ~んをして朝食を食べる、男の訓練兵がいるそうだ……」
「あらまあ、横浜基地でPXに出入りする幼女や、訓練兵でしかも男性のとなると、非常に限定されてしまうのではないかしら。」
「あはははは。祷子ちゃん、そんな条件に該当するのなんてぇ、男女共に1人ずつしかぁいないじゃないのぉ。」
「ね、姉さん。せっかく風間が曖昧な表現にしたのに……」
「でも……少し意外…………そういう人だったんですね……」
「ちょっ! ちょっと桧山中尉、そういう人って……」

 だんだんと、周囲のヴァルキリーズの視線に含まれる温度が下がり、それと反比例して注目度が上がって来るのを感じて、武は恐怖した。ついさっき食べ終えたばかりのサンマの味を忘れてしまうほどに……

「まあ、その話はその辺にしておけ。模擬戦を前に、白銀の士気を喪失させたくはないからな。」

「「「「「「「「「「「「 ………………了解。 」」」」」」」」」」」」
(なんでそんなに残念そうなんだ、あんた達は!)

 武は心中で力の限り突っ込んでいたが、藪蛇になるのは嫌だったので黙っていた。

「さて、その模擬戦だが、午前中に3回、午後に1回が予定されている。しかし、午前中の結果次第では、午後の模擬戦は中止だそうだ。
 午前中の模擬戦は全て1個大隊相手のものだ。この意味は全員解っているな?」

「こてんぱんにのしてやればいいって事ですよねっ! 大尉。」

「速瀬の言うとおりだ、衛士の人数で3対1、戦術機の数で3対2の劣勢で、相手は斯衛で『武御雷』だ。
 しかしその程度の差など、試作OSと『時津風』の前には大した問題ではないと教えてやれ、いいなッ!!」

「「「「「「「「「「「「「 ―――了解ッ! 」」」」」」」」」」」」」

「よし、それでは08時45分に機体に搭乗して演習開始地点へと移動する。それまでに準備を整えておけ。―――解散!」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時00分、旧長岡市郊外に於いて、A-01と斯衛軍第18大隊との試作装備評価演習が始まった。
 防御側のA-01に対して第18大隊が進攻し、防御拠点内に設置されたマーカーの破壊を企図するのが演習の内容であった。
 第18大隊の『武御雷』36機に対し、A-01は複座型『不知火』7機と遠隔陽動支援戦術機『時津風』17機の合計24機。
 複座型『不知火』への搭乗組み合わせは、みちると月恵、水月と智恵、美冴と茜、祷子と多恵、紫苑と葵、葉子と遙、そして武と柏木となっていた。
 今回の組み合わせは、新任と先任の組み合わせを優先したものであり、新任達をBETA相手の初陣で可能な限り戦死させない為の組み合わせであった。

「ソリッド1より、18大隊各機へ。我が連隊の先鋒を賜った以上、小手先の策は捨て、正面より相対して斯衛の力を示す事こそが我らの務めだ!
 全機、楔型参陣(フォーメーション・アローヘッド・スリー)、彼奴らの守りを突破して見せろ!
 彼奴らの中には、紅蓮大将と短時間ながら立ち合って見せた、白銀と言う強者もいる、気を抜くなよ!」

『『『『 はっ! 』』』』

 斯衛第18大隊指揮官の命に従い、36機の『武御雷』が、巨大な矢尻の形に展開し、NOEで防御拠点へと突進していく。
 防御拠点まで距離6000mとなった辺りで、進行方向前方と左右斜め前方の3箇所から、自律誘導弾の斉射を受ける。

 急速に迫り来る合計96発の誘導弾にも全く怯まず、第18大隊は36mm突撃機関砲で自律誘導弾を迎撃しながら、陣形を崩す事なく突進を続ける。
 その陣形へと自律誘導弾の後を追うようにして、3機の『時津風』が両主碗に74式近接戦闘長刀を翼のように構え、機体を地面と水平に倒して、NOEで吶喊する。
 自律誘導弾への迎撃に数を割かれているとは言え、決して少ないとは言えない砲弾が『時津風』を襲う。
 しかし、『時津風』は風に舞う木の葉のように、上下左右に機体をひらひらと舞わせ、火線をことごとく回避してみせた上で、あまつさえ背部兵装担架2基で保持した87式突撃砲2門から、36mm弾と120mm弾の乱射までしてのけた。
 ここで、試作OS搭載機と従来OS搭載機の差が出る。3機の『時津風』が無傷であるにも係わらず、『武御雷』は回避しきれずに次々と被弾する機体が出始めていた。

「くそっ! 『陽炎』の分際でちょこまかとッ!」「だが! たかが3機で我らを止められると思うなよ!」
「ソリッド1より全機、跳躍中止! 突撃前衛、抜刀! 彼奴らを蹴散らせッ!」

 自律誘導弾に加え、3方向からの『時津風』の突撃を受け、第18大隊はNOEを中止し、着地して迎撃の態勢を取らざるを得なかった。
 第18大隊各機が着地し、迎撃態勢を整えた時には、『時津風』は既に指呼の間に迫っていた。
 突撃砲の弾は既に撃ち尽くしたらしく、仰向けで跳んでいた機体を反転させ、頭部を起こして水平噴射跳躍に切り換えつつも、『時津風』は2振りの長刀を構えて、速度を落さずに突っ込んでくる。

 この時点で、第18大隊の損害は大破2機、中破6機、小破9機である。戦闘行動に重大な支障が出る中破以上に限っても、相手に何の損害も与えない内に、既に4分の1が被害を被ったことになる。
 怒り狂った斯衛の突撃前衛は、特攻でもするかのような速度で迫る『時津風』に斬りかかる。
 一瞬の交差の後、1機の『時津風』と、4機の『武御雷』が中大破の判定を受ける。中大破した4機の『武御雷』の内の3機は、長刀の間合いに入る寸前で軌道を変えて、頭上を跳び越えていく『時津風』からの36mm砲弾を受けていた。
 弾切れとみせて、僅かに残弾を残していた『時津風』の作戦勝ちである。

 残る大破した『武御雷』1機と同じく大破した『時津風』は、軌道修正が間に合わず実際に衝突する危険が高いと判定された時点で、JIVESが強制介入して両機を自律制御、相互に相対速度を落す機動を行わせた上で、耐衝撃姿勢を取らせた。
 結果として、両機共に小破で済み、衛士も無事であったが衝突により両機共に大破との判定となった。

「くそっ! 体当たりだと?! 正気じゃねえぞ!!」「気を付けろ、2機が前衛を抜けたぞ!」「くっ、砲撃は無理だ。抜刀して……」

「うわっ、しまったなあ……これじゃ姉さんみたいじゃないか……」「紫苑~ん、何か言ったぁ?」「ご、ごめん、姉さん。」

 攻守両陣営の通信回線にそのような言葉が流れた直後、先程の倍近い、160発の自律誘導弾が斉射され、事実上足を止められた第18大隊に降り注いだ。

「な、なんだと?! 味方機も巻き添えにするというのかっ!!」「くそっ、残ってる突撃砲は1門だけかッ!」「げ、迎撃……うわっ、くるなぁ~っ!!」

 陣形の内部に2機の『時津風』の侵入を許し、近接戦闘への切り換えを始めた所へ自律誘導弾の斉射を浴び、第18大隊の混乱は更に加速する。
 友軍の自律誘導弾が降り注ぐ最中、2機の『時津風』は回避すらせずに斯衛軍の『武御雷』に斬りかかっていた。
 その上、またもや自律誘導弾の後を追うように5機の『時津風』が87式突撃砲を乱射しながら突撃してきており、更には2箇所からの狙撃すら受けていた。
 既に第18大隊に事態を挽回する余地はなく、大勢はこの時点で定まった。

 それでも、第18大隊は奮戦し、中大破の判定を受けた『時津風』は5機に及んだ。
 最終局面までの間に、A-01が戦闘に投入した戦術機は狙撃担当機を含めて10機であったから、投入機体の半数を撃破されたことになる。
 この演習でA-01のキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)は7.2対1となった。『陽炎』改修機と『武御雷』の間で、しかも戦闘投入機体数で『武御雷』が3倍以上を投入していたことを考えれば、異常極まりない数値であった。
 この結果によって、斯衛軍の受けた衝撃は小さくはなかった。

 そして、10時00分より、試作装備評価演習の第2戦目が実施された。
 今回は攻守を換え、防御側の第17大隊に対してA-01が進攻する形であった。

 この演習も、第1戦目以上に圧倒されて、斯衛軍側が敗れる結果となった。

 拠点を守る斯衛軍に対して、A-01は『時津風』6機によって進攻を開始した。
 演習開始直後、衛士として高い技量を持つみちる、水月、武、紫苑の4人が単機で、美冴と多恵が二機連携を組んで、5方向から同時に第17大隊の防衛線に襲い掛かる。
 これに対し、第17大隊は各方面に1個小隊ずつを迎撃に向かわせ、4個小隊を後詰とした。
 しかし、ここでも試作OSと3次元機動による回避能力の高さが効果を表し、1個小隊で迎撃しても尚、『時津風』を撃破するには至らず、逆に徐々にではあるが第17大隊の方に損害が出始める。

 ここで、第17大隊隊長は後詰の内から2個小隊を、比較的与し易しと見た紫苑の機体へと追加投入し各個撃破を企図した。
 しかし、その直後より、『時津風』の動きが別人のように素早く的確になり、徐々に後退を始めた『時津風』に3個小隊がずるずると誘引される形となってしまった。
 そして、その次の瞬間に、3個小隊が誘引されたのとは正反対の方向から、11機の『時津風』に周囲を守られた、7機の『不知火』が突撃してきたのだった。

 防衛線の5方向に7個小隊を投入してしまっていた第17大隊は、慌てて戦力を呼び戻そうとしたが間に合わず、なんとか掻き集めた13機の『武御雷』で合計18機のA-01の強襲を迎え撃つのがやっとであった。
 A-01がマーカーの破壊を優先したために、撃破された『武御雷』は多くはなかったが、斯衛軍はA-01に対して戦場の主導権を全く取れぬままで敗退する事となった。
 A-01の損害は『時津風』の中大破4機であった。

 また、この演習によって、A-01の保有全機体数が24機であり、2個中隊規模に過ぎない事を、斯衛軍は確証はないものの推測するに至った。
 そうでなければ、第2戦目の最終局面で投入しない理由が見当たらないからであった。
 この事実の前に、斯衛軍は戦慄せざるを得ない。国内最強と目される第3世代戦術機である『武御雷』36機を、同じ第3世代機であるとは言え、カタログスペックで劣る『不知火』7機と、傑作機とは言え、第2世代機の『陽炎』改修機に過ぎない『時津風』17機で圧倒できるなど、絶対に起こり得ない事であるからだ。
 で、あるならば、かかる事態を成さしめたのは、衛士の技量の差以外には、評価対象である試作OSの能力であると言う事になる。
 故に、第3戦に集まる注目は凄まじい物となっていた。
 何故なら、第3戦に参加する第16大隊には、試作OSを先行搭載した『武御雷』が存在しており、尚且つ、搭乗する衛士の技量も際立っていたからであった。
 この時第16大隊には、試作OSを搭載された赤の『武御雷』を引き連れて、月詠真那大尉が此度の演習に合わせ、一時的に原隊復帰を遂げていたのだった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時36分、露営地の国連軍区画で、機体の整備補修を行いつつ、A-01の衛士達は休息を取って心身の疲労を癒し、次の演習に備えていた。

「次は油断できませんよ。青い『武御雷』は部品からして選りすぐられた高性能機ですし、何より、月詠さんがいますからね。」

「あの斯衛の中尉か……確か試作OSに初めて乗った日に、白銀と引き分けた衛士だったな。」

「そうです。今では皆さん以上に試作OSやオレの3次元機動に熟練してますからね。正面から戦ったらオレでも勝てる気がしません。」

「うそぉ。そんなんじゃ、私じゃ瞬殺されちゃうよぉ。」
「大丈夫だよ、姉さんはボクが護るから。」

 武の言葉に、ヴァルキリーズに衝撃が走り、葵が泣き言を漏らして紫苑に慰められていた。
 ヴァルキリーズには、武と正面から戦って、互角に戦える衛士は未だ存在しない。
 精々、水月が偶に勝利をもぎ取る程度だ。そして、その武が勝てないとなれば、ヴァルキリーズでは歯が立たないことになる。

「まあ、苦し紛れですが、月詠さん相手の対策も練ってはあります。使わずに済めばいいんですけどね。」

 試作装備評価演習第3戦開始は、15分後に迫っていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 11時18分、A-01の守る防御拠点の奥深くに、赤い『武御雷』が建物の残骸を縫うようにして、猛烈な勢いで突進してきていた。

「くそっ! 本命はやっぱり月詠さんかッ!!」

 11時00分より始まった試作装備評価演習第3戦目は、再びA-01が守るマーカーを第16大隊が襲うという内容であった。
 開始直後、第16大隊は各小隊毎に分かれ、防衛拠点を半包囲する形で主脚走行によって接近してきた。
 その数8個小隊。そして、その何れにも青と赤の『武御雷』は確認できなかった。

 8個小隊で陽動し、本命は残る1個小隊。そこまでは容易に推測できるが、その本命が、何時何処から襲い掛かってくるのか、それだけは杳として知れなかった。
 その為、8個小隊に対応しつつも、包囲下にない方向の索敵も疎かに出来ない状況にA-01は追いやられていた。
 しかも、A-01の機体は24機、衛士は遙を除いて13名。8個小隊全てを同時に迎撃するには、技量の点から考えて全員でかからなければ厳しい。
 しかし、それでは索敵と本命の1個小隊への迎撃が自律制御任せになってしまう。

 熟慮の末、みちるは敵の包囲部隊を各個撃破することに決めた。
 まず、みちる、水月、紫苑、茜の4人で『時津風』を操って、敵の半包囲に向かって右翼の端から順に殲滅していく。
 残る敵包囲部隊に対しては、左翼端の小隊に遙によって管制された自律制御の『時津風』4機を充て、残る6個小隊には遠隔操縦の『時津風』を1機ずつ充てた。
 これで、『時津風』は残り3機、衛士は遙を含めて11人が戦闘に参加することとなる。
 残る衛士3人の内、葉子は搭乗している『不知火』で狙撃による支援。葵は紫苑の遠隔操縦の支援にまわることとなった。
 そして、索敵及び敵本命への迎撃は、『不知火』1機と『時津風』3機を以って、武が受け持つ。
 また、1機で1個小隊を相手にする美冴、祷子、晴子、多恵、智恵、月恵の6人や、4機投入するとは言え自律制御で戦闘させる遙が窮地に追いやられた際には、武が一時的に遠隔操縦を交代して戦線を維持することとなっていた。
 第2戦目で、敵の各個撃破の最初の目標とされた紫苑機の操縦を武が引き継いだ時のように、である。

 こうして、幾何(いくばく)かの不安を残しつつも定まった作戦に従って迎撃が行われた。
 斯衛の包囲部隊は無理に強襲して来る事はせず、OSの性能差があるにも係わらず、手堅くA-01の戦力を拘束した。
 『時津風』4機の迎撃を受けた小隊は、接敵する前から隣の小隊と合流してしまい、2個小隊の『武御雷』8機でA-01の『時津風』5機を相手に粘って見せた。
 しかも、8機の内の2機が中大破すると、更に隣の小隊と合流し、更に持久の姿勢を見せる。
 その頃にはA-01から向かって左翼の包囲網はかなり縮められてしまっていた。

 そして、次の瞬間、いままでじわじわと手堅く包囲網を縮めて来ていた包囲部隊の各機が、反撃すら二の次で防衛拠点目指して突撃を開始した。
 即座に反応して迎撃に移ったA-01だったが、ここで第16大隊の本命が出現した。
 A-01の防衛線を突破した数機の『武御雷』と、未だ防衛線で戦っている『武御雷』、その左翼よりの更に遠方から、第16大隊最後の小隊が、NOEによる猛烈な速度で急迫してきたのだった。

 あっという間に防衛線に到達した4機の『武御雷』は、数に勝る『武御雷』をなんとか押し留めようと奮戦する祷子と晴子の『時津風』を、擦れ違い様の1連射で撃破し、この2機による拘束から解き放たれた6機の『武御雷』と共に防御拠点へと突進した。
 A-01で、この10機の『武御雷』の迎撃に間に合ったのは、祷子と晴子に防衛線の『時津風』の遠隔操縦を引き継がせたみちると水月の『不知火』2機、そして、自律制御の『時津風』3機を従えた武の『不知火』、合計6機の戦術機であった。
 葉子は撃墜されてしまうと、遙も道連れになってしまうので、狙撃を以って、本命の10機以外で、防衛線を突破してきた『武御雷』を迎撃する任に当たった。

 そして、突撃してきた本命10機の『武御雷』を相手どったみちると水月の二機連携は、あっという間に突進してきた『武御雷』6機を血祭りに上げた。
 しかし、その間に残った4機の『武御雷』の内、月詠機を除く3機、青のカスタムチューンされた『武御雷』とその近侍である2機の『武御雷』に包囲されてしまい、撃墜こそされないものの、2人はその場に拘束されてしまった。
 かくして、月詠機はただ1機、防衛拠点のマーカーを目指し、その前に武が立ち塞がることとなったのであった。

「月詠さんが相手とは言え、そう簡単に、抜かせはしませんよ?」

 そう呟くと武は、自律制御の『時津風』3機に、自機を先頭にした縦型壱陣を組ませて、月詠機へと接近していく。
 月詠機から砲撃が放たれるが、武は得意の3次元機動で上下左右に機体を動かして弾幕を避ける。
 お互いに試作OSを搭載し、3次元機動の大元締めである武と、現時点では武に次いで最も3次元機動に熟達している月詠の戦いである、互いに放つ砲撃は全てが相手を捕らえられずに空を切った。

 自律制御の『時津風』3機は、武の統計思考制御と操縦のデータをデータリンクから受信し、統合処理された機動により、まるで『不知火』の影になったかのように、全く同じ回避機動で月詠の砲撃を避けていた。
 本来第3世代機である『不知火』の機動には、第2世代機では追従出来ないはずなのだが、『時津風』は無人機である事によるリミッターの解除と、機体に増設された姿勢制御スラスターとカナード翼により、半ば無理矢理ではあるが、追従する事が可能となっていた。

 そして、距離を詰めながらも先行入力とキャンセルを繰り返していた武が、満を持して『同期コンボ』の発動キーとなる操作を行った。
 その瞬間、まさに月詠の砲撃が途切れた一瞬を突いて、武の背後から3機の『時津風』が左右と上の3方向に飛び出し、月詠機からやや離れた周囲に向けて、36mm弾の弾幕を張り退路を断った。
 そして、それと同時に、3機の92式多目的自律誘導弾システムが斉射され、合計96発の自律誘導弾が月詠機に向かって殺到する。
 武の『不知火』は跳躍ユニットを逆噴射し相対速度を殺しながら、月詠機へと正面から36mm突撃機関砲を連射した。
 3機の『時津風』は、弾幕を絞り込みながらも月詠機めがけて突進を続け、自律誘導弾96発も降り注ぐ。

 完全なオーバーキルであったが、その最中、月詠機が1発の120mm砲弾を放った。
 その砲弾は、紙一重で武の不知火の脇を通過し………………そして、弾道の更に先に存在したマーカーを榴弾により破壊した。

 この時点で試作装備評価演習第3戦目は、斯衛軍第16大隊の勝利で終了した。
 演習終了時点での第16大隊の生存機は僅かに4機、実に32機が大破の判定を受けていた。
 対するA-01の損害は、『時津風』5機にすぎず、キルレシオはやはり6.4対1とA-01の側に大きく傾いていた。
 斯衛第16大隊の辛勝で終わったとはいえ、大隊の損耗率は部隊壊滅以外の何ものでもなく、試作装備の性能と、国連軍部隊の練度の高さをはっきりと示していた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 11時56分、露営地の国連軍区画の食堂で、昼食の前に、武はヴァルキリーズに頭を下げて詫びていた。

「オレの力が足りずに負けてしまい、申し訳ありませんでした!」

 頭を下げて詫びた後、再び直立不動になった武の顔をまじまじと見て、みちるはフッと笑うと武に話しかけた。

「詫びる割には、大して悔しがってなさそうじゃないか、白銀。試作OSを搭載した月詠中尉が、単機であれほどの活躍をしたのが嬉しいんじゃないのか?」

 みちるがそう指摘すると、武は苦笑して頭をかくと、言葉を続けた。

「鋭いですね、伊隅大尉。でも、頑張ってくれたヴァルキリーズのみなさんに申し訳ないと思っているのは本当ですよ?」

「気にしないで、白銀中尉。『不知火』と『陽炎』改修機で、しかも3分の2の機体数で渡り合えるだけで、本来信じ難いことなんだから。
 それに、私は後方支援だけじゃなく、前線でみんなの力になれて、本当に嬉しいの。これも、白銀中尉のおかげだよ?」

「そういや、最後の方は、自律制御の『時津風』4機を遙が1人で操ってたんだっけ。よく落とされなかったわね、遙。」

「涼宮中尉は、4機の配置を細やかに調節して、敵の攻撃を集中させなかったんですよ、速瀬中尉。
 さすがに、CPとして戦場を俯瞰し続けてきた涼宮中尉の戦術眼は確かですね。」

「しかも、その合間に、戦域管制もしていただきましたから、本当に頭が下がりますわ。
 お疲れ様でした、涼宮中尉。」

「まあ、今までも時には我々を手足のようにこき使ってきた涼宮だ、自律制御機4機程度は朝飯前だろう。」

「もう、そんな言い方しないで下さい。大尉。」

 武は、ヴァルキリーズの中尉達が、敗北の責任を有耶無耶にしてくれているのに気付き、この場では責任の所在については言及しないことにした。
 そして、今は午後の第4戦に向けての対策に時間を割くべきだろうと、気持ちを切り換える事にした武であった。

「話は変わりますが、先程演習司令部から連絡が入りまして、午後の第4戦では、斯衛第6連隊が守る防御拠点を、我々が攻める事になりました。」

「「「「「「「「「「「「「 ッ!! 」」」」」」」」」」」」」

 武から知らされた戦力差に、ヴァルキリーズの表情が一様に硬くなる。

「どうやら、第1戦、第3戦で、キルレシオを稼ぎすぎたのが原因のようですね。第3戦で負けたので、2個大隊辺りで済むかと思ったんですが、物量相手に何処まで出来るか見せてみろと、そういう事のようです。」

「そんなぁ、物量って言ったって、相手が斯衛の『武御雷』じゃBETAと違って、質も高いしぃ、連携だってぇ、戦術だってぇ、段違いじゃないのよぉ。」
「それだけ、ボクたちの実力が認められたって事だよ姉さん。」
「そうね……でもそれだけに……今まで以上に……厳しいかも……」
「あちゃぁ~、午前中だって、相当厳しかったのになあ。どうする? 茜。」
「どうするって言ったって、やれるだけやるしかないでしょ、晴子。」
「あ、あああああ、茜ちゃんは、あたしがこの身に代えても護りますです。」
「ちょっと、多恵っ! あんたっ、風間少尉まで、巻き添えにする気じゃないよねっ?」
「多恵さんなら~、やりかねないかと~。」
「まあ、私も巻き添えで盾にされてしまうのかしら? でも、茜さんは美冴さんと同乗ですし、それもいいかもしれないわね。」
「こらこら祷子。お前まで新任の戯言に付き合ってどうするんだ。築地、お前も不必要に騒ぐんじゃない。
 午後も圧勝すれば良いだけの事だろう?」

 108機対24機という数の差に動揺する新任に、祷子がやんわりと割って入り、その意を汲んだ美冴が叱咤激励して収拾する。

「相手は確かに増えるが、こちらが攻める立場なら、やりようはあるだろう。多方面からの進攻に対応しなければならなかった、第3戦よりはマシなはずだ。
 問題は、午前中の演習でこちらの手の内を幾つか見せていることと、やはり月詠中尉の存在だな。」

「あ、そうそう、月詠中尉って言えば白銀! 中尉を落とした時のあれ、一体どうやってやったのよ! 3機の『時津風』の動き、自律制御だけとは思えない動きだったわよ?」

「速瀬中尉、技術的な話になりますけど、大丈夫ですか?」

「う゛……嬉しくないけど、それでも聞くわ……」

「そうですか。試作OSに搭載されたコンボって言うのは、ある意味では連続した個々の動作の連携を円滑化するものです。
 自動的に経験蓄積されて登録されるコンボは特にその傾向が高く、例えば3回の砲撃と後方への小刻みな後退の組み合わせを続けて何度も行うと、これが自動登録されて後方に後退しながら射撃をするようになり、複合動作パターンになります。
 これにより、砲撃、後退、砲撃、後退、砲撃、後退と個々の動作を順番に行っていたのが、後退しながら砲撃を3回行うという、統合された動作になり、機動が滑らかになって無駄な時間や機動の寸断が解消されます。
 そして、自動登録された複合動作パターンに簡略操作を登録すれば、コンボとして完成します。
 ところが、こういったコンボを先行入力で行うと、途中で後退方向や距離を変えたり、砲撃対象の変更や、タイミングの調整などが出来なくなります。
 オレの機動中の射撃精度が悪い理由の一つが、コンボ任せの照準で砲撃している事にありました。
 狙撃の得意な方には理解していただけるでしょうが、正確な砲撃には、撃つ直前の時点での微調整が欠かせません。
 しかし、先行入力では砲撃目標の指定以外は、微調整できないわけです。」

 ここで武は言葉を切って、水月の様子を窺う。水月はその視線を受けて、頬を赤らめながら言葉を発する。

「な、なんとか、まだ理解出来てるわよ?」

「この問題は、砲撃に限ったことではなく、様々なコンボで発生しうる問題です。
 しかし、キャンセルによる中断が出来ること、コンボによる滑らかでありながら複雑な動作が行えるというメリットが大きいこと、コンボを使用しないという選択もできることなどから、許容してきたのが実情です。
 しかし、オレは月詠中尉相手の模擬戦などから、よりきめ細かいコンボの構築が出来ないか模索するようになりました。
 その結果、まず仮組みされたのが『分岐コンボ』です。」

「「「「「「「「「「「「「 『分岐コンボ』?! 」」」」」」」」」」」」」

「簡略操作で起動されるコンボの動作の途中に、詳細指示待ちの処理を追加したものです。
 詳細指示待ちの指定期間中に、移動や攻撃などの詳細を指示する操作を行うことで、コンボの途中で微調整を行えるようにしました。
 そして、これを更に進めて、コンボの途中で後に繋がっていく機動を複数登録しておいて、コンボの機動を流れを途切らせる事無く変化させられるようにしたんです。
 例えば、長刀を刃を左に向けて平突きした後の行動を、相手が左に回避した場合の左斬り払いと、後退した場合の前進してからの連突き、右に回避した場合のバックステップによる仕切り直しの3パターン登録しておいて、平突きが繰り出されている最中に詳細指示待ちの処理を入れる事で、コンボの複合動作を分岐させます。
 無論、指示待ち期間の間に適合する入力が行われない場合には、OSが統計上最適と判断した動作へと分岐してコンボは続きます。
 これが、『分岐コンボ』の詳細です。
 そして、これから派生して仮組みしてもらったのが、『同期コンボ』で、複数の機体で1つの複合動作パターンを同期して実行するものです。
 さっきの月詠さん相手に使用したのがこれの一つで、オレの機体に追従する自律制御機に、同時に目標に向かって多方向から突撃させると同時に、周囲に弾幕を形成して退避ルートを遮断しつつ、更にオレの操縦する機体からは目標への本命の砲撃、おまけに自律誘導弾の斉射により飽和攻撃を仕掛けて確実に殲滅できるようにしています。
 それでも凌がれた場合を想定して、最終的には自律制御機が同時に多方向から近接戦闘を仕掛けるようになっていました。」

「「「「「「「「「「「「「 ……………………………… 」」」」」」」」」」」」」

 武の、偏執的なまでに相手を殲滅へと追い込むコンボの詳細を聞いて、ヴァルキリーズはすっかり引いてしまった。

「まあ、言ってみれば合体必殺技みたいなもんですね。現時点では過剰攻撃過ぎるんで、使いどころがほぼ無いですし、あくまでも今回の対月詠戦のみに絞って考案したコンボですから。
 ただし、ハイヴでの噴射跳躍から砲撃による着地点の確保、そこへ着地してから、着地点周囲の制圧砲撃により、後続機の着地点を確保するまでの一連の動作を『同期コンボ』で組む事によって、ハイヴ突入戦時の自律制御機によるルート確保に使えないかと考えています。
 応用はあまり利きませんが、一人の衛士が限定的とは言え、複数の機体を同時に操れる可能性があるので、試す価値はあるんじゃないかと思っています。」

「……白銀、本当に貴様は底なしだな……そんな事まで考えていたのか…………」

 武の説明を聞いて、みちるがしみじみと感想を述べると、ヴァルキリーズの残り12人が、それこそ同期しているかのようにウンウンと繰り返し頷いた。
 武はなんとなく恥ずかしくなって、言い訳じみた事を言って誤魔化そうとする。

「いや、その……紅蓮大将とか、月詠さんとか、下手したら従来OS搭載機に乗ってても苦戦するんですよ?
 これで試作OSまで使いこなされたら、ちょっとやそっとじゃ敵わないじゃないですか。だから、つい、必死になっちゃって……」

「…………あたし、あんただけは敵に回さない事にするわ。
 今まで、あれこれ振り回してごめん、頼むから忘れてちょうだい……」

 水月がげっそりとした表情で言うと、周囲から驚き半分の失笑が漏れた。

「白銀中尉、すごいねぇ。水月が降参するなんて、滅多にないことだよ。」
「わ、私、水月さんが降参するの、初めてみちゃった。」
「全くだ。白銀、速瀬を凹ませるとは、大したものだな。しかし、工夫と言うものには際限が無いのだと、貴様には教わってばかりだな。」
「とんでもない。戦術面での工夫に関しては、オレは大尉には到底及びもつかないですよ。」

 その辺りまで話した所で、まずは昼食を食べる事となり、この場は一端お開きとなった。



*****
**** 10月13日伊隅みちる誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話8 ****
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どこかの確率分岐世界
2003年10月13日

 22時07分、シミュレーターデッキを出ようとしたみちるは、背後から呼び止められて振り向いた。

「伊隅大尉、お疲れ様です。ちょっと、打ち合わせしておきたい事があるんですが……お時間良いですか?」

 そこには、A-01連隊の指揮官である白銀武少佐が立っていた。
 一応、設立当時の連隊の名前を残してはいるが、現時点での部隊規模はCPを含めても43名、増強1個大隊に過ぎない。
 本来、大佐であるべき連隊指揮官を、少佐に過ぎない武が勤めているのはそのためであった。

「は、大丈夫です、白銀少佐。ですが、部下に対して敬語を使うのは止めていただけないでしょうか。」

「駄目です。オレは部下にも丁寧語を使う士官を目指すことに決めましたので。」

「全く、頑固な人だ。打ち合わせは強化装備のままがよろしいですか?」

「そうですね。網膜投影があった方がいいと思います。」

「解りました。では、待機室で伺いましょう。」

 かくして、シミュレーターデッキの待機室で、2人は近く発令される予定の、甲9号目標攻略作戦の打ち合わせを開始した。

 ―――20分後。大体の打ち合わせを終えたところで、武はふと思い出したようにみちるに話しかけた。

「―――そう言えば、今日は伊隅大尉のお誕生日でしたね。とりあえず、プレゼントもケーキもありませんが、お誕生日おめでとうございます。
 誕生日なのに、遅くまで働かせてしまって済みません。」

「いえ、お気になさらないで下さい。少佐の激務に比べれば、私の勤務状況など、大した事はありません。」

「……まあ、オレの場合は事情がちょっと違いますからね。それより、仕事はもうお仕舞いです。
 そろそろ敬語は勘弁して下さいよ、大尉。どうせオレなんてお飾りみたいなもんなんですから。」

 武がそう言って泣きつくと、みちるは文句を言いながらも、口調を以前の―――武が部下だった頃の言葉使いに戻してやった。

「まったく、貴様の方は敬語を改めようとせんくせに、人の口調には注文をつけるとはな。
 それに、貴様をお飾りだなどと思っている者はうちの部隊には1人も居ないぞ?」

「―――大体ですね、『桜花作戦』後にA-01所属衛士全員の氏名が機密解除を受けて公表されたんですから、もう、オレが対外的な窓口になる必要だってなくなったはずでしょう?
 なのに、なんで未だにオレが指揮官で、しかも大尉よりも先に少佐に昇進しなきゃなんないんですか!」

 みちるの言葉を聞き流し、武が噛み付かんばかりに言い立てるのに、みちるは呆れた様な表情で、腰に手を当てて応じる。

「貴様もいい加減しつこいな。大体A-01部隊員としての戦功は、百歩譲って同等だとしても、貴様は対BETA戦術構想の構築に新装備の開発、おまけに香月副司令の特殊任務で上げた功績まであるじゃないか。
 それで私より先に階級が上がらなかったら、それこそ論功行賞が正しく行われていない事になってしまうだろ?
 大体、作戦立案にしろ、戦況把握にしろ、今の貴様に私なんぞが太刀打ち出来るものか。
 いい加減に諦めろ、な、白銀。」

「う……わ、解りましたよ…………は~、なんだってこんな事に……
 あ、そう言えば伊隅大尉、産休取る時は、なるべく早めに教えてくださいね。
 大尉が居ないとなると、オレ一人じゃA-01は火の車になっちゃいますから。」

「さ、産休ッ?! な、ななな、なんでそんな話が出てくるのよ!……じゃない、出てくるんだ?」

 武の発言に目を大きく見開いて、素っ頓狂な声を上げるみちる。話し言葉が、素の喋り方になってしまったのを、慌てて言い直す辺りが、武には微笑ましく感じられた。

「いや、だって、大尉、婚約したんでしょ? それも拡大婚姻法で。
 あれって確か、申請後、5年以内に入籍した人―――『多夫妻』でしたっけ?―――ともかく、その合計人数以上の出産を義務付けられてましたよね?
 だから、大尉も結婚したら子供生むんだろうなと思って。」

 武が笑ってそう言うと、みちるは、目を半分閉じて、頬を染めて答える。

「そ、そうか……確かにそれならば気にするなとは、い、言えないな。
 でも、今はまだ婚約の段階に過ぎないし、わ、私以外に最低3人は妻が居るからな。
 わ、私が出産しなくても、何とかなると思うわ……じゃない、思うぞ?」

「そうですか。でも、やっぱり好きな人の子供は、ご自分で生みたいんじゃないんですか?」

「そ、そうね。……でも、生んだ子供が笑って育てる世界にしないといけないしね。
 うちの姉妹の中じゃ、あたしが一番そのために活躍できる立場にいるから。
 それに、あたし以外は、帝国で勤務してるから、結婚したら全員後方勤務になって、産休、育休取り放題だしね。
 ま、まあ、その分、休暇の時には正樹は独占させてもらう―――って、私は何を……」

 子供の話から、ついつい素のままで想いを語ってしまっていたみちるは、ようやく正気を取り戻して、真っ赤になった。

「なるほど、独占するんですか……くっくっくっ…………」

「う、うるさいっ! そ、そういうわけだから、私の産休なんて考えなくてもいい!!」

「解りました。解りましたから、そう睨まないでくださいよ。―――それにしても、随分とまた、すんなりとまとまりましたね。」

 真っ赤になって言い募るみちるに、武が両手を上げて降参の意を示しながら、それでも事情を尋ねてみると、みちるは途端に苦虫を噛み潰したような顔付きになってしまった。

「~~~~~~~ッ!! それがなぁ……正樹の奴、私以外の3人にも手を付けていてな。
 折角、白銀に教わった温泉作戦で結ばれたと思って、喜んでいたというのに!」

「あちゃぁ~、それはまた……」

 武はみちるが気の毒で目を逸らさずにはいられなかった。

「あきらは甲21号作戦の前に、まりかは初陣の前、やよい姉さんとは正樹自身の初陣の前だったそうだ……
 しかも、家の姉妹だけならともかく、よりによって、香月副司令のお姉さんとまでだと?!」

 みちるは、最早眼前の武など眼中になく、想像の中の思い人の首を締め上げるかのように、強化装備を着用した震える両手を、顔の前に出して輪を作った。
 その全身から溢れる怒りのどす黒いオーラに、武は思わず後ずさりつつ、それでも聞き逃しに出来ない点を、訊ねる。

「夕呼先生のお姉さんって、モトコ先生ですか?」

 香月モトコ博士は、天才的な医師であり、専門の脳外科以外でも素晴らしい才能を発揮する女性であった。
 『桜花作戦』後に、香月副司令の招きに応えたモトコは、国連軍横浜基地の医療部に特別顧問として就任し、各種研究チームや医療チームを統括する立場についていた。
 モトコ医師の招致には武も関係しており、その人柄は少なからず承知していた。

「あ、いや。もうお一方いらっしゃるのだそうだ。確か、次女だと言っていたかな?
 従軍カメラマンをなさっているとの話だったな。
 以前、正樹の所属していた前線基地に取材にいらした折に、カメラの話で意気投合したのだと言っていた。」

「ああ、なるほど。」

 間の抜けた返事をしながらも、あの2人の姉妹なんだから、只者じゃないんだろうなと、武は勝手な想像を巡らしていた。

「家の姉妹たちは、天下の大天才香月博士と義理の姉妹だなんて光栄ね、なんて言っていたが…………
 ―――白銀、貴様なら、それが如何に恐ろしい事か、解るはずだな?」

「―――ッ!! …………そ、それは想像を絶しますね。」

「そうだろう。まあ、それは杞憂(きゆう)で済んだのだがな。
 その従軍カメラマン、ミチコ女史というそうなのだが、正樹との関係は既に過去の話で、今では只の知り合いに過ぎないと、一応正樹の言質は取った。
 ああ、なんで私はあんな奴を好きになってしまったんだろう。
 やり直せるものなら、やり直したいくらいだぞ、白銀。」

「ふ~ん、じゃ、やり直してみるぅ~?」

 その声が聞こえた瞬間、みちると武の時間が凍った。ピタっと動きを止めた2人に、横浜基地の白衣の魔女、香月夕呼副司令はゆるゆると歩み寄り、三日月のように吊り上げた唇を開く。

「ねえ、伊隅。義理とは言え、あたしの姉になれるのよぉ~。一体何が気に入んないわけぇ?
 それに白銀ぇ、あんた、想像を絶するってどういう意味なのかしらぁ?」

「「 そ、それは! 」」

 夕呼のネズミをいたぶる猫のような声に、思わず声を揃えて応える、武とみちるであった。
 それに対して、夕呼は瞬時に柳眉を吊り上げ、口をへの字に曲げて武とみちるを睨みつけた後で、冷たくぼそりと言葉を吐き出した。

「あんたたち、いっぺん実験材料になって見る?」

「い、いえ、それはちょっと……」「いや、オレもうとっくになってますし……」

 大慌てで弁解しようとする2人を見て、一応は溜飲を下げたのか、夕呼は表情を和らげた。

「そ。ま、いいわ~。ミツコ姉さんも、別に伊隅たちと一緒になる気は無いみたいだし……
 ほら、伊隅。これ、姉さんがあんたへ誕生日のプレゼントだってさ。」

「へ?……あ……は、はい。わざわざありがとうございました、副司令………………写真? え? 正樹?」

 みちるは夕呼が放り投げた茶封筒を慌ててキャッチすると、中を覗いて呟きを漏らす。

「え? 伊隅大尉の彼氏の写真なんですか?」

 茶封筒から大判の写真を取り出して見入るみちると、興味津々でみちるの脇から覗き込む武。
 そんな2人にひらひらと手を振って夕呼は待機室から立ち去っていく。

「じゃ、ちゃんと渡したからねぇ~。
 ―――ったく、ミツコ姉さんときたら、このあたしに郵便配達の真似事をさせるなんて、なに考えてんのかしら……」

 みちると武の見ている写真の中では、1人の青年士官が凛々しく敬礼をしている姿が焼き付けられていた。

「へ~、結構カッコイイじゃないですか。」

「これ、正樹が任官した1年後くらいの写真だわ…………そっか、香月副司令のお姉さんと出合った頃のものね。
 世が世なら、プロカメラマンとして、芸術性の高い作品を撮って、世界的に評価されたはずの人だって正樹が言ってたけど。
 確かに、いい腕だわ。私が見ても、正樹が3割り増しに格好良く見えるものね。」

 みちるは、感心しながら写真を次々にめくっていく。写真の被写体は全てみちるの思い人の男性であった。
 そして、最後の方の写真を見て、みちるは顔を真っ赤にして罵声を上げた。

「えっ?! ~~~~~~~~~ッ!!! 正樹の奴! なんだってヌード写真なんて撮らせてんのよッ! フケツ~~~~~~~ッ!!!!」

 叫び声を残して、みちるは待機室を飛び出していった。後に残された武は、呆気にとられつつも、呟いた。

「いやあ、確かに芸術性抜群だったよな。男のオレが見ても綺麗に見えたし…………
 でも、わざわざ元カレの婚約者の誕生日にあんな写真送ってくるなんて、ミチコさんて人、実はまだ気があるんじゃ…………」

 その、武の言葉が的を得ていたのかどうか、それはこの時点では知る由もない事であった…………




[3277] 第39話 斯衛は彼の剣を求めたり +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/09/06 20:53

第39話 斯衛は彼の剣を求めたり +おまけ

2001年11月10日(土)

 14時05分、旧長岡市郊外に於いて、A-01と斯衛軍第6連隊との試作装備評価演習最終戦が始まっていた。

「月詠。午前の演習では大儀であった。此度もそなたの働きに期待しておるぞ。」

 通信画像越しにそう語りかけてきた、斯衛軍第6連隊隊長兼第16大隊隊長である斉御司久光(ひさみつ)大佐に、月詠は軽く目礼して応じる。

「過分なお言葉、恐懼せざるを得ません。何分撃墜される間際、苦し紛れに放った一弾にて拾った戦果に過ぎませぬ故、誇ることも出来ません。」

「何を言うか。そなた当初よりその覚悟にて、120mmに榴弾を込めて戦場(いくさば)に立ったのであろう。
 さすれば、かの戦果はそなたの手にて掴み取りし物に相違あるまい。己が先見をこそ誇るが良かろう。」

「恐れ入ります。」

 斉御司大佐の言葉を更に固辞することを避け、月詠は目を閉じて斉御司の賞賛を受け入れた。

「4機がかりであったとは言え、そなたをああも容易く落として見せるとは、国連軍の白銀とやらも大した武士(もののふ)よ。
 して、此度の演習、そなたはどう見る?」

「恐れながら、万全の備えをして尚、彼の者らに利があるかと存じます。」

「ほう。何故然様に思うか、胸の内を詳らか(つまびらか)にするが良い。」

「は。彼の者―――白銀中尉は融通無礙にして、常に留まる所を知りませぬ。故に、此度も何かしら新奇な策を以って向かってくると思われますが、その策が一向に読めませぬ。
 先程は、こちらが攻め手故、こちらの策に嵌める事が叶いましたが、此度は彼の者に先手を取らせざるを得ませぬ。よって、彼の者の策を封じることは至難と言えましょう。」

「ふむ。それ故に万全の構えをして尚不利と申すか。されば、最後に頼むは数の差となるであろうか?」

「然様に存じます。」

「なれば、こちらの伏兵、そう易々と用いる訳にもいかぬな。となると、彼奴らの主力を如何にして誘引せしめるかだが……」

「大佐、敵の物見が参りました。数は3、NOEにて我が陣の周囲を巡っております。」

 部下の報告に、斉御司大佐がデータリンクの情報を表示させると、防御拠点を中心に、正三角形の頂点の位置を保ちながら、同一の円軌道を描く敵機の情報が映し出されていた。
 しかも、その3機全てが、最大出力でアクティヴセンサーを発信していた。

「索敵のようだが……いささか派手な振る舞いだな。陽動であろうか?」

「は……それだけであれば良いのですが…………」

 3機の戦術機は、そのまま3分ほど防御拠点の周囲を飛び回った後、反撃がなかったためか、飛び去って行った。
 そして、それと入れ替わりのように、8方向から1機ずつの戦術機がNOEで防御拠点目掛けて、突撃を敢行してきた。

「皆の者、逸るでないぞ。まずは陣の奥まで十分に引き寄せた後、本陣の守備戦力にて叩き、敵の主力を誘引するのだ。よいな!」

『『『『 承知っ! 』』』』

 斯衛軍第6連隊は、午前中にA-01を相手取り苦杯を嘗めた斯衛第16、17、18大隊によって編制されている連隊であった。
 彼らは既にして敵手の手強さを知り、己が全力を以ってして、午前の恥辱を拭う覚悟であった。
 斯衛第6連隊108機の『武御雷』は手薬煉(てぐすね)を引いて、A-01の8機が近付くのを待ち構えていた。

 ―――が、防衛拠点の中心目掛けて真っ直ぐに突進してきていたその進撃路を、A-01の8機全てが、突然ほぼ直角に右へと曲げた。
 唐突な軌道変更に、その意図を俄かには看破出来ず、月詠も斉御司大佐も首を捻る。が、それも僅かな時間のこと。敵機の新たな軌道を見るなり、斉御司大佐が月詠の名を呼ばわる。

「―――ッ! 月詠!!」

「は! 全機に告ぐ、伏兵部隊を含めて即時全力にて迎撃に移れ! 伏兵の位置を看破されたぞッ!!」

 2人の反応は十分に早かった……しかし、それでも事態を好転させるには遅きに失した。
 少なくとも、この時点に於いてA-01が斯衛の上手を取った事は、間違い様の無い事実であった。
 実は、演習開始直後に、斯衛第6連隊を構成する27個小隊の内3分の1近い8個小隊が、防衛拠点を中心とする8方向に進出し、隠蔽して主機を落とし、息を潜めていたのだった。
 彼らは、A-01の主力が防衛拠点に取り付いた時、その後背を扼して包囲殲滅する為の戦力であった。
 その彼らに対して、今まさに、8機の『時津風』が全速力で突進して来ていた。

 そして伏兵部隊へと、8機の時津風全てから、32発ずつの自律誘導弾と、12発ずつの120mm砲弾、そして、4000発ずつの36mm弾が雨霰と打ち込まれた。
 主機を落としていた伏兵部隊の『武御雷』は、当然回避機動が遅れ、弾雨の中に次々と崩れ落ちていく。
 そして、防御拠点から8方向に打って出た増援部隊には目もくれず、伏兵部隊を殲滅した8機の『時津風』は、一目散に引き上げて行ったのであった。
 かくして、演習開始から15分を待たずに、斯衛第6連隊は8個小隊を一方的に失った。

「ふ……ふはははははは……見事な手並みよ! 月詠、そなたも然様に思うであろう? されど、如何にして伏兵の位置を見破ったのであろうか。」

「は……恥ずかしながら、我が身には見当もつきませぬ。恐らくは先の3機の索敵の成果でありましょうが……」

 実は、索敵をしていた3機の『時津風』のアクティヴセンサーによって得られた情報は、データリンクによって遙の乗る『不知火』へと送信され集約されていた。
 そして、試作OS用の高性能並列処理コンピューターの機能を、姿勢維持に必要な最低限の機体制御のみに押さえ、残る演算能力を総動員して、集約された索敵情報を統合処理し、防衛拠点内外の敵の配置を割り出す事に成功したのだった。
 同一の円周を周回する3つの発信源から探査波を発信し、同時に反射波を観測点として受信。
 この手順を、3分間の索敵中に無数に繰り返すことにより得られた膨大なデータを合成し、分解能を向上させ、伏兵の存在する位置を割り出せるほどに高精度のセンサリングマップを作成した。
 こうして判明した伏兵部隊を各個撃破する為に、防御拠点の威力偵察もしくは強襲と見せかけて『時津風』8機を突撃させ、伏兵部隊を射程内に収めた所で進路を変更。
 急接近させた『時津風』各機の全火力を持って、伏兵部隊を殲滅したのだった。

 しかし、その様な事情は、この時点で斯衛軍が知る由も無い事であった。それ故に、斉御司大佐は月詠を責める事無く、他に状況を打開する糸口がないかを問うに留めた。

「然もありなん。さすれば今は、その件は忘れるとしよう。して月詠、今論ずべきは何であろうか。」

「は、一つ腑に落ちぬ儀がございます。彼奴らめの『陽炎』改修機の機動があまりにも常軌を逸しております事と、何故『不知火』をああまで温存するのかで御座います。」

「うむ。それは私も気になっていた。先の演習にて我等が突撃を阻むに当たり、彼奴らが投入せし『不知火』は3機のみ、あの状況で残り4機を出し惜しむ意味が解せぬ。」

「然様でございます。そこで、もしや出し惜しんだが故ではなく、出せぬ理由があったのではないかと愚考仕りました。」

「出せぬ理由とな?」

 そして、月詠は斉御司大佐の信頼に答え、A-01の最大の弱点と言うべき問題点を手繰り寄せてみせた。

「は、『陽炎』改修機の高機動と合わせ考えるに、もしや、彼奴らの衛士が乗りしは『不知火』のみにて、他は押し並べて無人機ではなかろうかと推察仕りました。
 そして、無人機を遠隔操縦にて衛士が制御しているとすれば、衛士が乗る『不知火』を出せば無人機は自律制御となるのが道理。
 逆に無人機を矢面に立てようとするならば、『不知火』にまでは手が回りますまい。
 また、午前の演習にて、同時に投入されし戦術機の数が凡そ10前後であったことから、『不知火』は複座にて、衛士は最大14名程かと。」

「なるほど。さすれば、『陽炎』改修機を相手取るより、『不知火』をこそ落とすべきであろうな。」

「は。されど、彼奴らとて、容易に『不知火』は出さぬでありましょう。」

「…………では、ここはひとつ、乾坤一擲の大博打といこうではないか、のう、月詠。」

 そう言って、斉御司大佐は不敵な笑みを佩いた―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時15分、斯衛軍第6連隊は、残る19個小隊の内4個小隊16機を投入して全方位索敵を強行した。
 この内3機がA-01の『時津風』と接敵。遭遇戦に入るものの、護りに徹して『時津風』を拘束し、接敵した3機の両翼より、各2機、合計4機が更に奥へと索敵の網を広げた。
 この斯衛軍の索敵に対し、A-01は左右両翼の4機を各個撃破し、そのまま残る3機の『武御雷』をも殲滅しようとした。
 しかし、その時点で既に、防御任務であるにも拘らず、斯衛第6連隊は残存戦力の3分の2近い12個小隊48機の『武御雷』を、斉御司大佐自身が陣頭にて直率して一気に攻勢に打って出ていた。

 3対3でありながら、『時津風』に有利に推移していた戦況は、高い士気の下で攻勢に出た48機の『武御雷』が来援した事によって、一気に斯衛側に有利な戦況へと転じていた。
 鶴翼複壱陣(フォーメーション・ウィング・ダブル・ワン)、即ち両翼をやや前に張り出した横一文字に近い扁平なV字型の列を前後2列並べ、後列の中心に指揮官である斉御司大佐の『武御雷』を配した陣形を以って、斯衛軍は怒涛の如く攻め立ててきた。

 3機の『時津風』はなんとか後退しながらも斯衛の進撃を遅滞させようとするが、数の差は如何ともし難く、半包囲に陥り、殲滅されるのは時間の問題かと思われた。
 しかし、そこへA-01側の増援『時津風』7機が来援し、例によって、味方の『時津風』諸共に自律誘導弾224発の斉射を浴びせた。
 こうして、『時津風』10機と索敵隊の残存機から4機を加えた『武御雷』52機による事実上の決戦が始まった。

 この時、A-01の内、遙、葵、葉子、智恵の4人は直接戦闘には参加していない。
 葉子は戦場を突破してくる敵を狙撃で迎撃すべく待機しており、葵は紫苑の『時津風』の遠隔操縦の支援を行っていた。
 智恵は『時津風』3機で周辺警戒を行っており、遙は戦域管制をしながら、残る『時津風』4機を防御拠点へと迂回進攻させていた。
 今のところ、主戦場ではA-01がやや優勢であり、斯衛軍の『武御雷』は徐々にではあるが、数を減らしていっていた。
 しかし、戦域管制を行っている遙は、妙に落ち着かない感覚をしきりに感じていた。

「なんだろう…………そうか、斯衛軍の戦い方が、攻勢に出てきたくせに攻勢よりも守勢に近いせいだわ。
 だとすると………………ッ!!―――こちらヴァルキリー・マム(涼宮遙)、ヴァルキリー11(高原)、周辺警戒を密にして下さい。特に側方と後方に気を付けて! 敵の別働隊が急襲してくる可能性が高いわ!!
 ヴァルキリー・マムより、ヴァルキリー1(伊隅)。意見具申、斯衛軍は我々の主力を戦場に拘束して、本隊を別働隊で襲撃する可能性が高いと考えます。既に本隊周辺の警戒態勢は厳にしてあります。」

「ヴァルキリー1、了解。―――なるほど、確かに攻勢に打って出たにしては勢いが弱いな。………………止むを得んか。
 ヴァルキリー1よりスレイプニル0(白銀)に告ぐ、現在操縦しているT01(『時津風』1番機)を即座に自律制御に切り換えて、S07(『不知火』7番機、武・晴子搭乗)とT15、16、17を用いて本隊の守備に当たれ。」

「スレイプニル0、了解。」

「ヴァルキリー1より、ヴァルキリー・マム。敵の別働隊が襲撃してきたら、S07とS05(『不知火』5番機、葉子・遙搭乗)の2機を除いて、残りの『不知火』5機を自律制御で後退させろ。ヴァルキリー11に手伝わせていいぞ。
 ヴァルキリー1より、ヴァルキリー5(桧山)。スレイプニル0を狙撃で援護しろ、だが決して無理はするな。貴様が落ちれば遙の戦域管制が途絶える。
 自機の生存を優先しろ、いいな!」

「ヴァルキリー・マム、了解。」「ヴァルキリー5、了解しました。」

 遙の意見具申により、A-01の本隊守備の体制が改められた数秒後、本隊の左後方から接近する4機の「武御雷」が発見された。
 そして、その先頭を疾駆するのは赤く染められた『武御雷』であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時49分、A-01の皆は、露営地の国連軍区画の待機室で寛いでいた。

「それにしても、今回も涼宮のお蔭で危ない所を救われたな。」

 みちるが言うと、武と美冴、祷子が頷く。

「そ、そんなことないですよ。斯衛の別働隊を殲滅したのは白銀中尉と葉子さんだし、私は大した事はしていませんてば。」

「いや、別働隊の急襲に不意を突かれずに済んだのは、涼宮中尉のお蔭ですよ。もし、意見具申が後1分遅かったら、本隊の『不知火』に犠牲が出ていたでしょうね。」

 結局、試作装備評価演習最終戦はA-01の勝利に終わった。
 斯衛軍の別働隊である4機の『武御雷』は、月詠を武が、他の3機を葉子が相手取る形で戦闘が行われ、葉子が狙撃で2機を、武が『同期コンボ』で月詠を落とし、残る1機も智恵と葉子が『不知火』を後退させながら時間を稼ぎ、月詠を落とした武が撃破した。

 この時点で、主力同士の戦いは、武が抜けて自律制御となった『時津風』が撃墜され、『武御雷』も14機が中大破していた。
 月詠が撃墜された事を知った斉御司大佐は、自らが率いる残存34機にA-01本隊への突撃を下命、最後の賭けに出たが、この時既に勝機を逸していた。
 斯衛軍の攻撃隊の突撃と前後して、防衛拠点へ迂回進攻していた『時津風』4機が襲い掛かったのだ。

 この時、4機を遠隔操縦していたのは、武、水月、みちる、紫苑の4人、そして、葵が紫苑を支援していた。
 まず、紫苑の『時津風』が先行して突入し、敵の守備部隊4個小隊16機の迎撃を誘引しながら、防御拠点を掠めるようにして通り過ぎ、迎撃のことごとくを振り切って見せた。
 そして、その紫苑の『時津風』に気を取られた斯衛軍守備部隊へ、残った3機の『時津風』が自律誘導弾を斉射しつつ突撃し、『武御雷』11機を撃墜するとともに、マーカーを破壊した。

 斯衛軍の主力もA-01本隊を捕捉殲滅せんと勇戦していたのだが、突撃に移った斯衛軍攻撃隊と交戦していた残り9機の『時津風』を全て自律制御に切り換えて追撃戦を行わせる一方、美冴、茜、月恵の3人がA-01本隊に残された『時津風』で迎撃に当たり、葉子、祷子、晴子、智恵の4人も『不知火』で狙撃による迎撃戦を展開。
 自律制御機とは言え、9機の『時津風』に後方を扼され、前方からは3機の『時津風』に4機の『不知火』の援護付きで攻められては、34機の『武御雷』もA-01本隊に手をかける事は叶わなかった。
 それでも、戦闘終了時まで、20機もの『武御雷』が残存し、斉御司大佐の青い『武御雷』を護り抜いていた事は、斯衛の矜持の現れであったのかも知れない。
 最終的な被撃墜数は、A-01が『時津風』3機、斯衛軍第6連隊は『武御雷』83機となり、A-01のキルレシオは27.7対1という、非常識な値となった。

 ともあれ、試作OSと遠隔陽動支援戦術機『時津風』の性能を斯衛軍に知らしめるという任務を、ヴァルキリーズは立派に果たした。
 ここから先は、この後に開かれる試作装備講評及びデブリーフィングの場に出席する武次第という事になる。
 それがどうなるにせよ、武は明日発生するであろうBETAとの戦いに備えて、ヴァルキリーズには十分な休養を取っておいてもらいたかった。

「じゃあ、オレはデブリーフィングの仕度があるので失礼しますけど、みなさんはゆっくり休んでおいて下さいね。
 明日は、今日使わなかった第1期装備も実弾演習で全部試してもらいますから、そのつもりでいてくださいね。」

 武はそう言い置いて、待機室を後にした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時14分、演習司令部内に設置された、広めの7日に前方に設えられた演壇に、武は立っていた。

 ブリーフィングルームの中には、50名を超える斯衛軍士官たちが席に着いて武に視線を注いでいた。
 このデブリーフィングに参加しているのは小隊以上の部隊指揮官と、演習司令部に属する士官たちであった。
 悠陽は別室にてこの部屋の映像を見ていると、武は神野大佐より聞かされていた。
 そして、武の立つ演壇の両脇には席が設けられており、右側の席には紅蓮と神野大佐が腰掛けており、反対側の席は、武の席となっていた。

「―――以上で試作OS並びに『陽炎』改修型遠隔陽動支援戦術機『時津風』の説明を終わらせていただきます。」

 武がそう言って説明を締め括ると、神野大佐が立ち上がり、議事を進行した。

「では、続けて試作装備に関する質問を許可する。白銀臨時中尉は引き続き皆の質問に答えてやってくれたまえ。
 では、質問のあるものは挙手せよ。」

 その後幾つかの質疑応答が行われたが、試作OSに関するものが殆どで、『時津風』に関する質問は電子妨害に対する対策と自律制御に関するもの程度に過ぎなかった。

「他に質問は無いか? よし。それでは紅蓮大将から講評を頂戴する。白銀臨時中尉、ご苦労だった。席に戻ってくれたまえ。
 講評中に解説や意見を尋ねると思うが、その際も起立する必要は無いぞ。」

「は! お言葉に甘えさせていただきます。」

 武は、紅蓮と神野大佐、そして、室内の斯衛将校達に敬礼して席に着いた。

「さて講評だが…………手酷くやられたものだな、ん? まあよい。順に演習の流れを追って、要所を捉えるとするか。
 第1戦、小手先の策を弄さずに愚直に進撃したのはまあ、勘弁してやろう。
 しかし、たかが3機に足を止められたのはいただけぬな。NOEでの高速移動中でありながら砲撃を行った『時津風』と、地に足を付けねば全力を発揮できぬ貴公らの差がはっきりと出たというべきだな。
 ここで安易に足を止めたからこそ、『時津風』2機の陣形内への突入を許し、また、後続の『時津風』7機の集結とそれに続く飽和攻撃を許したと言える。
 相手の守備を力づくで食い破るつもりであったなら、もう少し気合を入れんかッ!!」

 紅蓮に一喝された第18大隊の衛士達は、姿勢を正して謝罪した。

『『 ッ!!―――申し訳ございません! 』』

「まあ良い。『時津風』は捨て身が身上故、そうと知らぬ貴公らは面食らったであろう。
 その後も健闘はしたようだが、最早大勢は覆せなんだな。
 『時津風』を5機撃墜したと言うても、内1機は自滅、2機も損害覚悟で切り込み、更には自律誘導弾の巻き添えで損傷したからのう。
 実質、貴公らが落としたのは2機のみだな。」

 紅蓮の辛辣な講評に、第18大隊の将兵は唇を噛み締めて恥辱に耐える。

『『 ……………… 』』

「さて、第2戦だが…………序盤、5方向から進攻して来た『時津風』に対して、4対1ないし4対2で相対しながら、ついぞ圧倒出来なんだ事は誠に遺憾ではあるが仕方あるまい。
 A-01とて精鋭を送ったが故の単独進攻4機であり、また、単独では危ういと見ての二機連携であったのだろうからな。
 事前に協議せし折、白銀はA-01の1個中隊にて斯衛の1個大隊に匹敵すると大言したものだが、技量にて上位4名の衛士であれば、なるほど4機相手は然程困難ではなかったのであろう。
 無論、試作OSあってのことではあろうがな。
 さて、かかる仕儀において、各個撃破を選ぶのは定石であろうし、もっとも技量に欠けると思われる機体を狙うのもむべなるかなと言ったところか。
 が、ここで白銀にひとつ訊いておこう。3個小隊を相手取った後、『時津風』の技量が急に上がったが、あの機動は貴様であろう?」

「そうです。もともと、多方向からの進行は、守備戦力の漸減もしくは分散させた後の拘束が目的でしたから、1機で3個小隊を誘引・拘束出来る機会は見逃せませんでした。
 そこで、その時点で私と各個撃破の目標となった『時津風』の衛士との間で、遠隔操縦を担当する機体を交換いたしました。
 よって、ご慧眼の通り、3個小隊を相手取っていたのは私です。」

『『『 ―――ッ! 』』』

 戦闘途中での衛士の交代など想像すらしたことも無い斯衛軍士官等は驚愕した。
 しかし、紅蓮はニヤリと笑うと、然したる事ではないかのように後を続けた。

「やはりな。そのあたりも『時津風』は色々と融通が利くようだな。さて、後は何も言わずとも良かろう。
 第17大隊は、A-01の企図そのままに、兵力を分散し、拘束された。となれば、後は敵主力に守りを喰い破られて負けるだけだな。
 最終局面で、損害を受けた『時津風』は恐らくその時点では自律制御となっていたのであろうよ。
 とは言え、打開策はわしにも思い付かぬ故、A-01が上手であったということになるであろうな。」

 紅蓮のお手上げと言わんばかりの講評に、斯衛士官達は声を失う。

『『『 ……………… 』』』

「さて、第3戦だが、解っておるであろうが、勝ちを拾えたのは僥倖ぞ?
 無論、真那が万全の備えと覚悟を持って臨んだればこそ拾えた僥倖であり、そこに至るまでの戦術は良く練られておった。
 また、衛士も作戦に基づき良く善戦したと言うべきであろう。
 殊に『時津風』4機以上による強襲を受け、尚且つ崩れずに凌ぎ切った左翼は誇ってよいぞ。
 右翼の『時津風』4機は動きを見るに自律制御の数合わせよな。
 されど、撃墜出来なんだのは、上手く差配したA-01の衛士を誉めるべきだな。
 防衛線に引きずり出し拘束せしめた『時津風』は14機、A-01保有機体の過半を拘束したのであるから上出来と言うべきであろう。
 そして、損害を恐れずに真那一騎を防御拠点の奥へと通す為、全機一丸となって突撃した様もまた見事であった。
 最後の最後で白銀に阻まれねば完勝であったであろうに、惜しかったな、久光。」

「全機が捨て身でかかった時点にて、完勝はあり得ませぬ。
 しかも、我が力及ばず、恥を晒す事と相成りました。お叱りは如何様にも。」

 紅蓮に声を掛けられた斉御司大佐は、表情を揺らす事無く淡々と応えた。

「殊勝だな、久光。とは言え、この3戦にて、機体数にて2個中隊規模のA-01に斯衛の大隊では容易に伍し得ぬと知れた。
 かくして、午後は1個連隊108機の『武御雷』をして相手取ることとしたのだが……斯衛が攻め手であれば勝てたのであろうがな。」

 顎を厳つい右手で摩りながら紅蓮が首を傾げると、斉御司大佐が言葉を添えた。

「当初より月詠が申しておりました。国連の白銀に初手を取らせるのは拙い(つたない)と。
 今思うに、守りに拘泥せず、数を頼んで攻めかかるべきでした。」

「おお、確かに白銀に初手を取らせるは拙きことよな。わしも白銀に先手を取らせた折には、凌ぎ切るのが精一杯であった。
 此度も、見事に伏兵を平らげられてしまった訳だが……白銀、何故に伏兵を察知できた?」

 斉御司大佐の言葉に、厳つい顔に喜色を浮かべて紅蓮は応え、なにやら奇術の種を明かせとせびるかのように、武に訊ねた。

「は、試作OSに使用している高性能並列処理コンピューターにて、3機の『時津風』が3分に亘って収集した索敵情報を統合処理した結果です。
 戦術機に従来搭載されているコンピューターとは性能が格段に違いますので、戦闘機動中で無ければ高度な情報処理が可能なのです。
 何分相手はこちらの4.5倍です。初期の配置を知らねば勝機は得られないと考えました。
 伏兵を各個撃破出来たのは僥倖に過ぎません。」

 武の応えに、紅蓮は頻り(しきり)に感心して幾度か頷いた後、講評を続けた。

「なるほどのう……戦場の戦術機に情報分析までさせるか……
 その後は、先程久光が申した通り、A-01に主導権を取らせぬ為に最低限の守りを残して打って出たわけだな。
 しかも、主力に陽動をさせておいて、A-01の本隊を月詠に突かせる。悪く無い策であったな。
 8個小隊失う前であれば、上手く行っていたやも知れぬな、久光。」

「は……されど、守備を命ぜられておりながら打って出るは、所詮苦し紛れの苦肉の策。
 追い詰められねば採る様な策では御座いませぬ。」

 策自体は悪くはなかったと告げる紅蓮に、斉御司大佐は、所詮窮余の策であり、当初より用いる事はあり得ないと否定する。

「それもまた、一理あるのう。しかし、それでは残る手段は数を頼みに陣にこもるしかなくなるが……白銀、その際の策も立ててあったであろう?」

「はい。その際は、索敵情報を基に狙撃と波状攻撃を組み合わせて消耗を誘い、最終的には突撃する予定でした。
 また、狙撃も叶わぬほど陣の奥にこもられた際には、波状攻撃の陰で静穏モードにて防御拠点に攻撃隊を肉薄させ、強襲する策も検討していました。」

 紅蓮に問われるままに、武がA-01で想定していた作戦案を述べると、紅蓮は莞爾と笑って、斯衛軍士官達に話しかけた。

「となれば、篭城したところでやはりじり貧か。かかかかか。どうだ、貴公ら、敵手の手強さが身に染みたであろう。
 ここまで彼我に優劣が付いたは、試作OSによる単体戦力の向上、試作OS用搭載コンピューターによる情報処理能力の向上、遠隔操縦の無人機による選択可能な戦術の拡がり、これらが複合することでこれほどの差が出ると言うことだ。
 個々の衛士としての技量には然したる差はあるまい。新しき装備と、それを使いこなす工夫がこの差を生み出したとするべきであろう。
 これで、わしからの講評は終わるが、何か申したき儀のあるものはおるか?」

 ここで、武は控えめに手を掲げた。

「白銀か……いいだろう、申してみよ。」

「ありがとうございます。私が申し上げたい事は唯一つ、斯衛には『時津風』の様な遠隔支援機が必要だということです。」

『『『 ~~~っ!! 』』』

 武の一言で、室内の空気が一気に緊迫する。国連軍の生意気な若造の、身の程を弁えぬ発言と、半数以上の斯衛軍士官の眼光が心中の思いを雄弁に語っていた。
 しかし、武はその空気を敢えて無視して話を続ける。

「何故なら、私が聞き及んだところでは斯衛の本分とは、将軍並びに将軍家縁の方々を御守りする事であるとされていたからです。
 もし、御守りする事こそが本分であるとするならば、斯衛のみなさんは、面子や誇りなどは投げ捨ててでも、最後の最後まで生き延びて、守護すべき方々の盾とならねばならぬはずです。
 で、あるならば、斯衛の衛士の方々は易々と死なぬ工夫をなさるべきです!
 『武御雷』で前線に出て、勇敢に戦って戦死するが如き贅沢は、最後の最後まで取っておくべきかと愚考いたします。
 斯衛が守護を本分とし、且つその力を存分に振るうには、遠隔支援機の導入が必須であると提言させていただきます。」

『『『 ―――ッ…………………… 』』』

 武が思う所を述べると、幾らか耳を傾け考え込む者が増えた。しかし、感情的に嫌悪をぶつけてくる者も決して少なくは無かった。
 そこへ、紅蓮の豪快な笑い声が響き亘る。

「かっかっかっ! 白銀、よくも言いたい放題吠えおったな! されど貴公ら、この者の言いよることもまた、一面の真実であると知れいっ!
 現に今日の4連戦にて、合計17機の損害を出したA-01に、戦死判定を受けた衛士は1人たりとておらぬわッ!!
 それは即ち、装備の補充さえ得られれば、明日も今日と同じだけの戦力が発揮出来ると言う事ぞっ!」

 紅蓮に一喝され、感情に捕らわれていた者達も、今一度、武の言葉が意味する所を吟味しなおした。
 17機の中大破を出して尚、衛士の戦死0。それは従来では絶対ありえない数字であった。しかも、A-01は無人機の運用であるが故に、苛烈な戦術を行使し得たのだと、今となれば思い至る。
 そして、それを斯衛としての戦に当てはめたならば…………

「ん? どうだ、久光。貴様は『時津風』に如何様な所存を得た?」

 問われて、斉御司大佐が瞑っていた目を開き、やや陰のこもった笑みを浮かべて応える。

「それがし、日頃より部下に諌められ、先陣を切るなど許された事も無く、日々鬱々とすることも少なくありませぬ。
 それ故、『時津風』あらば、戦場(いくさば)にて思う存分働けようかと、実を言えば些か雀躍たる心地でおります。
 また、将軍殿下を守護仕る斯衛としても、此度の演習の如く容易に身命を擲つ(なげうつ)事が許されよう道理がありますまい。
 さすれば、その者が申すとおり、そも選択の余地など無きものかと存ずる。」

「うむ。よく言ったぞ久光。貴公らも古き因習に捕らわれず、今一度、此度の演習を顧みて思いを巡らすが良いぞ。」

 その紅蓮の言葉によって、講評は幕となった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時18分、夕食会会場の一番上座に据えられたテーブルで、武は着慣れない国連軍の礼装に身を包んで料理に舌鼓を打っていた。

 演習とは言え、常在戦場の心構えを忘れるべからずと言う事で、夕食会は意外なことに酒精は並ばず、料理の素材も合成食材であった。
 それでも、趣のある器に盛り付けられ、一皿づつ配膳される料理はどれも凝っていて、見た目も美しく味も京塚曹長に劣らないほど素晴らしい出来で、とても合成食材とは信じられないほどだった。
 いや、恐らくは帝国の軍で供される食事としては最高級であろう食事なのだから、それと比べて見劣りしない京塚曹長の腕が凄いのだろうと武は思った。

 そして、夕食会は武にとって予想外に居心地の良いものとなっていた。
 席を共にする4人の内、直接言葉を交した事が無いのは斉御司大佐のみであったし、斉御司大佐は、武の発想や試作装備に興味があるようで、それなりに気さくに武に話しかけてきていた。
 また、他のテーブルに着いている斯衛の士官達の中に、政威大将軍殿下が招いた賓客に礼を失する者など居る訳も無く、夕食会はごく和やかに進んでいたのであった。

「それでは白銀、そなたは月詠を相手に、4機の戦術機を同時に操って臨んだと申すのですか。」

「はい。恥ずかしながら、私は単機での立ち合いでは月詠中尉には及びませんので。」

「何を申す。謙遜してみたところで、4機もの戦術機を同時に操って見せる者などそなた以外におらぬという事実の前には、瑕瑾(かきん)とすら成り得ぬであろうに。
 紅蓮師範(せんせい)も、そうは思われませぬか。」

「うむ、久光の申す通りよ。されど如何様にして成し得たものであろうか。白銀、申して見ぬか? 殿下も興味がおありのご様子だぞ?」

「これ紅蓮、その様に私を引き合いに出すのではありませぬ。それに、然様な手管を用いずとも、白銀は説明してくれましょう。」

 それとなく連携しつつ、武に答えをせがむ3人に、武は苦笑しつつも『分岐コンボ』と『同期コンボ』の説明をして、更に話を続けた。

「―――ということです。そして、今は仮組みですので私の機体にしか実装されていませんが、試作OSが量産される暁には、誰でも行えるようになることでしょう。
 ―――いえ、なってもらわねば、困ります。」

「うむむ……。試作OSに使用されている高性能コンピューターがあってこそとは言うものの、OSひとつでここまで世界が変わるとは、思いもしなかったな。
 お、それはそうと白銀、月詠真那は此度の演習中のみだが、第16大隊第2中隊隊長の職責に復帰しておるので大尉の階級に戻っているぞ。
 叱られないように気を付けておくのだな。」

 武の説明を受けて、神野大佐が唸る。そして、ふと思い出したかのように、月詠の階級が一時的に大尉に戻っていることを指摘した。

「あ、そうだったんですか。神野大佐、助かりました。面と向かって間違えようものなら、何を言われたか……」

 武がそう言って、首を竦めて震えて見せると、悠陽と紅蓮を初めとして、卓に着いている全員がうんうんとそろって頷きを返した。

「月詠は忠臣故、諫言を控えるという事を致しませぬ……また、申すことは一々尤もな正論ゆえ、耳を傾けぬ訳にも参りませぬし……」

「うむむ……しかし、あの者も今少し遊び心というものを学ぶべきだとは思うのですがなあ。」

 悠陽と紅蓮まで眉を顰めてぼやき始め、皆の視線が夕食会の中程より下座の方へと下った辺りのテーブルへと吸い寄せられた。

「―――いや、それにしても、一日も早く、我が隊に遠隔支援戦術機の配備を望むものだが、一朝一夕には成らぬであろうな。」

 卓の雰囲気を戻そうと、斉御司大佐は些か強引に話題を試作装備へと戻した。そして、その内容は掛け値なしの本音であった。

「そう焦るな、久光。白銀が隠し玉は、未だ全てを曝し(さらし)てはおらぬらしい故な。」

 斉御司大佐が気忙しい思いを口にすると、紅蓮が窘めつつも更に撒き餌をばら蒔く。しかし、撒き餌に喰い付いたのは政威大将軍殿下であった。

「そうでした、白銀。明日の実弾演習では、どのような装備を見せてもらえるのでしょうか?」

「殿下、それは見てのお楽しみという事で、ご寛恕ください。」

「ほほほ。それでは明日を待つといたしましょう。まことにそなたは吃驚(びっくり)箱のような男(おのこ)ですね。」

 惚けてみせる武に、悠陽は楽しそうに笑う。しかし、その細めた瞳は笑みではなく怜悧で真摯な光を宿していた。
 この斯衛軍長岡野外演習露営地に集う多数の将兵の中で、明日のBETAの襲撃を予期するものは僅かに4名。
 そして、その内のみちるを除く3名が同じ場に集い、明日に思いを馳せつつも、表向きは和やかな時が流れていく。

 武の記憶通りであれば、BETAの侵攻開始まで後11時間ほどであった…………



*****
**** 10月20日涼宮茜誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話9 ****
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どこかの確率分岐世界
2005年08月28日(日)

 13時22分、帝都、立花(りっか)総合病院内科病棟707号室へと、茜は入っていった。

「お姉ちゃ~ん、着替えとか持ってきたよ~。って、あ、す、すすす、すいません! え~と、あのその、あ、姉がお世話になってます……先生……ですよね?」

 個室の中に入るなり、元気に声をかけた茜は、室内から微笑ましげに自分を見返す男性医師と直面して、動揺してどもった挙句に、ようやく挨拶をした。

「ご丁寧にどうも。私は涼宮遙さんの担当医をさせていただいている館花と申します。妹さんですか?」

 男性医師は茜に名乗ると、遙に向き直って優しげに尋ねた。

「……そうです……妹で茜っていうんです。茜、お姉ちゃん恥ずかしいじゃないの。」

「ご……ごめん……」

「いえいえ、ここは個室ですから大目に見ましょう。ですが、なるべく静かにお願いしますよ。
 では、涼宮さん、大丈夫だとは思いますが、検査結果が出るまでは安静になさってくださいね。
 では、ごゆっくり。」

 そう言い置いて、館花医師は707号室を出て行った。

「あはは……や、優しそうな先生だったね……」

「もう! 茜は直ぐ帰っちゃうからいいだろうけど、私は入院してるんだからね。恥ずかしいじゃないの~。」

 そう言って拗ねる遙に、茜は拝むように片手を立てて謝る。

「だから、ごめんって……それにしても、自動車事故で検査入院だなんて、お姉ちゃんはほんと~に、車には祟られるよね~…………」



2006年08月03日(日)

 13時11分、帝都の洋食屋『三鶴来』から、茜は多恵と連れ立って出てきた。

「あ~、美味しかったぁ~。ちょっと高いけど、それでも庶民が天然物の食事を食べれるようになったのね~。」

「ほんとうだねぇ。今日は、茜ちゃんと2人きりだったから、何食べても幸せの味しかしなかったですよ~。」

 今食べてきた、ランチコースの味を思い返して幸せそうな表情を浮かべる茜。そして、その茜をウットリと見つめてこれまた幸せそう……いや、涎を垂らしそうな顔で応える多恵。

「って、ちょっと多恵、何食べてもって……もしかして味覚えてないんじゃ―――あれ?」

「ど、どどど、どうしたですか? 茜ちゃん。」

 多恵の発言に呆れながらもツッコミを入れようとして、茜は多恵の肩越しに知った顔を見つけた。
 その人物も、茜に気が付いたようで、歩調を僅かに速めて茜の方へと向かってくる。
 そして、茜はその人物の更に向こう側に、不審な人影を見出した。
 商店街の店頭に並ぶショーケースの陰から、慌てたように飛び出して、小走りで距離を詰めては、また別の物陰に身を隠す女性。
 しかも、茜はその女性にも見覚えがあった。

「あれってたしか衛生兵の…………」

「やあ、涼宮さん。奇遇ですね。今日は休暇ですか?」

 眉を微かに顰めて記憶を探る茜に、歩み寄ってきた人物―――立花総合病院勤務の館花医師が話しかけてきた。

「あ、えっと……はい、そうです。こちらは同僚の築地多恵です。」

「なるほど。ご高名は予てより耳にしていますよ、築地さん。私は館花と申しまして、以前遙さんの担当医をさせていただいた者です。」

「むむむむむ……あ、茜ちゃんになれなれしくしない……で……へ? はるか? あ、茜ちゃんのお姉さんの知り合いの方……ですか?
 あ、あたしってば……ご……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃ…………」

 館花医師に挨拶する茜の前に立ち塞がるようにして文句を言いかけた多恵は、自分の勘違いに気付くと、今度は一転して謝罪の言葉を連呼しだした。
 そして、茜は物陰から出てきた女性が、こちらをじ~っと見つめた後、残念そうに立ち去っていくのを黙って見ていた。



2007年02月19日(月)

 07時05分、国連軍横浜基地B4フロアの通路を、茜は医療ブロックへと向かって歩いていた。

「ぃつつ……今月は酷いや…………薬、強いのもらおうかな…………あれ? なんで?」

 顔を顰めながら歩いていた茜は、通路の前方に、基地で会うとは思わなかった、意外な人物を認めて目を丸くした。
 が、その表情はその人物の手前に立ち、何やら言い争っている女性の髪に、カエルの髪留めが揺れている事に気付くと、途端に険しいものへと変わった。
 茜は歩調を速めて、2人の近くへと歩み寄っていく。

「……いや、だから、身に覚えのないお礼は受け取れないと……」
「なんでですかっ! どうして、思い出してくれないんですかっ?! 折角再会できたのに……
 あの日、しつこく絡まれていた私を助けてくれましたよね。
 お礼くらい受け取ってくれてもいいじゃないですかっ! 館花先生ッ!!!」

 言い争う声から、どうやら、手前の女性が館花医師に何か品物を押し付けようとして、館花医師が固辞しているらしいと見当をつけた茜は、2人に向かって声をかけた。

「館花先生、ご無沙汰しています。その節は姉がお世話になりました。
 穂村愛美衛生兵、私服で居る所を見ると非番のようだが、基地内の廊下で何を騒いでいる?」
「!?……君は確か、ヴァルキリーズの……」
「た、大尉!……も、申し訳ありません……」

 茜が声をかけると、何やら言い募っていた女性―――愛美は振り返って茜を認め、慌てて敬礼して謝罪した。
 しかし、茜にはその瞳の奥に、粘着質の意志の炎がチラついているように感じられた。
 前年の夏に、帝都で館花医師の後をつけているかのような愛美を見かけた後、茜は気になって横浜基地で愛美の噂を集めてみた。

 晴子が集めてきてくれた噂では、愛美は真面目でそれなりに有能な衛生兵であるものの、同僚との付き合いは殆どなく、勤務中以外はたまに買い物に行く程度で、後は殆ど自室にこもっているような人物であるとの話であった。
 それが、去年の夏から秋にかけて、勤務時間以外で自由になる時間のほとんど全てを使って外出許可を取り、帝都へと繰り返し出かけるようになったと知った。
 男の後を付けている様な姿を目撃したとの話も幾つかあり、不倫だ、横恋慕だ、果ては男に貢いでいるのではないかなど、それなりに噂にはなっていたらしい。
 しかし、本人に華やいだ様子が見られなかった事もあり、冬が近付いた頃に愛美の外出が途絶えると、次第に噂は立ち消えとなっていった。

 実は、噂を聞いた後で茜は館花医師に連絡を取り、身辺にそれとなく注意するようにと警告もしていたのだが、愛美の外出が途絶えたため、この件はとうに終わったものと考えていた。
 しかし、それはどうやら、早計だったようだと、茜は内心で反省しつつ、愛美を横目で牽制しながら、館花医師に話しかける。

「館花先生……え? その制服は……館花先生、何時から軍医になられたのですか?」

 茜は館花医師に話しかけて初めて、羽織っている白衣の下が国連軍の制服である事に気付いた。
 問われた館花医師も、やや戸惑いがちに、茜に応える。

「ええと、私は昨年の11月からこちらの医療部の研究室へ配属となりました館花軍医大尉です。失礼ですが、涼宮大尉はどちらで私の事をお知りになられたのでしょうか?
 私はこうしてお話しするのは初めてだと思うのですが……」

「え? 館花先生ですよね? 帝都の立花総合病院に勤務なされていた……2年ほど前、姉が自動車事故にあった際にご担当いただいた涼宮ですが、お忘れですか?」

 茜がそう言うと、館花軍医は納得がいった風に頷いて言った。

「ああ、なるほど……いや、失礼。涼宮大尉、あなたがご存知なのは私の兄だと思います。私は兄達と三つ子ですので、外見や声でお間違えになっておられるのだと思いますよ。」

「「 ええっ?! 」」

 館花医師の説明に、茜と愛美の声が重なって響く。

「内科医でしたら上の兄、外科医でしたら2番目の兄ですね。私は末の3番目になります。
 ……ああ、もしかして、穂村くんも、私と兄を間違っているんじゃないかな?」

 その言葉に、愛美はいやいやをするように、首をゆるゆると横に振る。

「そんな……じゃあ、再会できたと思ったのは、私の勘違い………………そんなぁっ!」

 何やら切羽詰った様子の愛美に、茜と館花軍医は言葉を失う。しかし、さすがは医師と言うべきか、館花軍医は愛美を刺激しないように優しく話しかけた。

「今度、私の方から兄達に訊ねてあげるから、どんな事があったのか差し障りのない範囲で紙に書き出して持ってきなさい。
 それでいいね? 穂村くん。」

「………………は……はい…………それで、結構です……ご迷惑を、おかけしました、館花先生。」

 愛美はそう言って、館花軍医に頭を下げて一礼すると、茜に対して敬礼した後、憔悴した様子でその場を立ち去っていった。

 ―――そして、茜はこの日から、館花軍医の下へ、あれこれと相談事を持ちかけに行くようになったのだった…………



2007年10月20日

 22時24分、茜はB8フロアの自室に、館花軍医を招き入れていた。

「誕生日おめでとう、茜。これ、受け取ってくれるかな?」

 そう言って、館花軍医は小奇麗に包装された小さな四角い包みと、茜の髪の色を映したような小さな花がたくさん束ねられた、スプレーギクの花束を差し出した。
 茜は少し首を傾げて悪戯っぽい笑みを浮かべると、腰の後ろで手を組んで数歩後ろへと後ずさる。

「えへへ、どうしようかな~。」

「……随分と焦らすんだね。花言葉だけじゃ、満足してくれないのかな?」

 困ったような、照れたような様子の館花軍医を見て、茜は嬉しそうに笑って頷く。

「うん! ちゃんと、言葉にして……」

「茜、君の事が好きだ。とっても好きだ。どうか、お願いだから僕の想いを受け取って欲しい。
 知っての通り、僕は遺伝子欠陥で身体は虚弱だし、子供も授かるか解らない、男としては欠陥品だ。
 だけど、今やっている研究をものにして、必ずこの遺伝子欠陥を克服してみせる。
 逞しい男になるには、もう間に合いそうにないけど、それでも僕と結婚して欲しいんだ。」

 館花軍医がプロポーズの言葉を告げると、茜は先ほど空けた数歩分の距離を、ゆっくりと歩み寄って0にして、館花軍医の背中へと両腕を回し、そっと抱き締めて身体を摺り寄せる。
 そして、胸に顔を埋めるようにして告げる。

「私も館花さんのこと好きっ! 大好きっ!!………………でも……ね。まだ、これは受け取れないよ。」

 茜はそう言って身を離すと、茜に抱き付かれたため左右に広げられた館花軍医の両腕の内、左手が持っていた小さな包みを人差し指でちょん! とつついた。
 そして、スプレーギクの花束だけを受け取って、少し寂しげではあるものの、にっこりと満面の笑みを浮かべて、館花軍医の顔を見上げた。

「今はこっちだけ貰っておくね。そっちはもう暫く待ってて。ね、お願い。」

 館花軍医は大きくため息を吐くと、肩を竦めて小さな包みを懐へと仕舞いこんだ。

「まったく、我儘だね、君は。でもまあ、誕生花がその花じゃ仕方ないか。君にその花を贈りたい男は沢山居るんじゃないかな?
 何しろ花言葉が―――」

 そこまで言いかけて、館花軍医は茜が瞳を閉じて顔を上向かせていることに気付き、言葉を途切れさせた。
 そして、緩やかに屈み込みながら、続きを心の中で呟いた。

(花言葉は『私はあなたを愛する』だからね。尤も、君ならもう1日早く生まれてもぴったりだったかな。
 10月19日の誕生花の一つは…………)

 館花軍医の思考は再び背中に回された茜の両腕と、苦しいくらいにぎゅっと抱き締めてくる力に掻き消された。
 言葉も、思考も、今の2人には不要のもの…………互いの想いさえあれば2人には十分であった。

 …………………………10月19日の誕生花、一説によるとそれはゴーヤ、花言葉は『強壮』であった。




[3277] 第40話 斬魔の剣が壱の太刀 +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:45

第40話 斬魔の剣が壱の太刀 +おまけ

2001年11月11日(日)

 06時26分、斯衛軍長岡野外演習司令部に、甲21号より旅団規模のBETAが出現し、南下しているとの急報がもたらされた。
 即座に露営地全体に総員戦闘配置の警報が鳴り響き、斯衛軍の衛士達が『武御雷』に駆け寄って、整備兵と共に出撃前の機体確認をしていく。
 大隊長以上の指揮官が演習司令部に集まり、何よりも殿下に無事帝都へとお戻り頂く算段を始めようとした矢先。
 その演習司令部に、紫色の零式衛士強化装備を身にまとった悠陽が姿を現した。

 その出で立ちに言葉を失う斯衛士官達に、悠陽は凛とした声で命を下す。

「私は武門の長として戦場(いくさば)に参じ、怨敵たるBETAを退けます。皆の者、直ちに合戦準備を命じます!」

 その下命の内容故に、即座に承諾出来ずに口ごもる斯衛士官達にすかさず大喝が飛んだ。

「この大虚け共がッ!! 政威大将軍殿下の下知に、即座に応ぜずして何の斯衛かッ!!!」

 言わずと知れた、紅蓮大将による一喝である。悠陽に従って司令室に現れた紅蓮も既に赤の零式衛士強化装備を装着しており、やや語調を弱めつつも続けて命じた。

「此度の戦は政威大将軍殿下のご親征である。斯衛の本分これに勝るものは無しッ! 見事にBETA共を蹴散らし、殿下と共に勝ち鬨をば上げようぞッ!!!
 第6連隊を主力とし、第2大隊を後詰として陣を引けい! わしは殿下の近侍として第2大隊と行動を共にする。済まぬが空王には司令部にて差配を頼むぞ。」

 紅蓮の言葉を受け、神野大佐が演習司令部に檄を飛ばす。

「はっ! さすれば殿下、御武運を。殿下がご出陣あそばす、紫色の御『武御雷』を御用意奉れッ!! 斯衛第6連隊並びに第2大隊は、殿下ご親征の元BETA迎撃のため出陣するッ! 総員合戦準備となせッ!!!」

 神野大佐の指揮の下、司令部は一気に喧騒に包まれた。オペレーターは各所に指示を飛ばし、参謀たちは陣形の構築や補給物資の展開、更には近隣に展開し警戒に当たる筈の帝国本土防衛軍第12師団との戦域分担を検討し始めた。
 部隊指揮官達も、悠陽に一斉に敬礼すると、司令部から駆け出しながらも強化装備のデータリンク越しに、部下に出陣の準備を命じる。
 そこへ、この危急の際に場違いとも言える通信が入る。

「神野大佐! 国連軍横浜基地所属A-01連隊の白銀臨時中尉から通信が入っております。」

 この忙しい時にと、忌々しげな表情と口調を隠そうとせず、それでも同じ露営地の中に駐留する戦闘部隊からの連絡を、無視する事も出来なかったため、オペレーターは通信を取り次いだ。

「構いません。通信を開きなさい。」

 神野大佐がオペレーターに応じる前に、涼やかながら凛と通る声が命じた。政威大将軍御自らの下知に、オペレーターは先刻までの憤懣さえも忘れて通信を繋ぐ。

「お忙しいところを済みません。国連軍演習派遣部隊A-01の指揮官代理として、斯衛軍演習司令部にお伝えします。
 我がA-01連隊は此度の演習に持参した全装備を以って、BETA迎撃の先鋒を勤めさせていただきたく存じます。
 勝手とは思いますが、我が隊は此度、BETAの迎撃に最適と思われる装備を持参しております。何卒先陣の許可を頂戴したく伏してお願い申し上げます。」

 殿下のご親征である事を知る由も無いとは言え、斯衛を差し置いて厚かましくも先陣を要求する国連軍の中尉に、司令部内で憤怒に近い思いが渦巻く。
 しかし、それすらも、一涼の風がいとも呆気なく一掃してしまった。悠陽の言葉という形を以ってして。

「そうですか。試作装備の威力を実戦にて披露して見せるというのですね。なれば、特に差し許しましょう。されど、そなたらの試作兵器に効果が無いと知れし折には、そなたらの委細に構わず我らは動きます。
 相応の覚悟を以って臨むがよい。―――とは言え白銀、そなたらの働きには期待させていただきましょう。御武運を。」

「ありがたきお言葉、我が隊の衛士にもしかと伝え、ご期待に沿う戦果を必ずやお見せ致しましょう。
 一部機密もありますゆえ、今後の通信は殿下、紅蓮大将、神野大佐のお三方に限らせていただきます。何卒ご容赦下さい。
 では、A-01、出撃いたします。」

 斯衛軍を、ひいては殿下を相手取り、不遜とも思える国連軍中尉の申し様に、斯衛士官達は怒りを覚える。
 しかし、また同時に、昨日の演習における彼の国連軍部隊の凄まじい戦い振りを知らぬものも居らず、此度の合戦での働きに期待を寄せている事もまた確かであった。
 そして、5分後、政威大将軍煌武院悠陽殿下の直卒の下、斯衛軍演習派遣部隊は露営地より出撃した……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 6時31分、A-01連隊は新潟県旧三条市燕三条駅付近に本隊を展開していた。
 A-01が投入した戦力は、複座型『不知火』7機、『時津風』17機の先日の演習で投入した戦力に加え、『撃震』改修型戦術歩行随伴輸送機『満潮(みちしお)』20機、そして『自律移動式整備支援担架』10台であった。
 衛士の数こそ14名でしかないが、保有する戦術機は合計44機に達し、増強大隊規模であった。

 部隊編制はA小隊が複座型『不知火』2機、『時津風』4機、『満潮』4機、自律支援担架2台で編制されており、小隊長の美冴と複座型に同乗している茜、そして祷子と多恵が同乗する形で配置されていた。
 B小隊は小隊長が水月で同乗が智恵、そして葵と紫苑が同乗する形で配置されており、A小隊と装備は同じ編制であった。
 C小隊は中隊長兼任の小隊長がみちる、同乗者は月恵、そして葉子と遙が同乗する形で配置され、装備は複座型『不知火』2機、『時津風』4機、『満潮』8機、自律支援担架4台と、遙による運用を前提として、支援装備が多く配備された編制であった。
 そして、新たにD小隊が編制されており、衛士は複座型に同乗する武と柏木の2名のみと他の小隊の半数であったが、装備は複座型『不知火』1機、『時津風』5機、『満潮』4機、自律支援担架2台で編制されており、小隊戦力は他の小隊に劣るものではなかった。

 現在、旧燕三条駅付近には本隊として『不知火』7機、『満潮』4機、自律支援担架2台が展開していた。
 残る戦術機33機は、日本海との間に角田山から国上山に至る山々を挟んだ、旧西浦区から旧弥彦村にかけて北から南へD、A、C、Bの順で小隊単位で展開していた。

 帝国軍第12師団と、斯衛軍は、旧三条市のA-01本隊の直ぐ後ろを南北に走る旧国道8号線沿いに展開し、A-01を突破してくるBETAに備えていた。
 斯衛軍が旧三条市周辺を担当し、第12師団は南北に分派されて防衛線を構築する形となっていた。
 これは、主にA-01の機密を保持する為の計らいであったが、12師団全体で政威大将軍殿下をお守りするというのが、この布陣の表向きの理由とされた。

「涼宮中尉、振動波観測装置の地中設置は済みましたか?」
「はい、白銀中尉。そろそろ設置作業に派遣した『満潮』も帰還します。」

「広域データリンクの情報によると、BETAは3群に分かれて上陸してくるようです。BETAの群を南から順に第1群、第2群、第3群と呼称します。
 D小隊が第3群、B小隊が第1群、A小隊が第2群をそれぞれ担当するものとします。C小隊は全体のバックアップをお願いしますが、BETA第1群、第3群の前衛は、第2群の侵攻ルートの方へ誘引する予定なので、A小隊のバックアップがメインになると思います。
 まずは敵前衛の突撃級を一纏めにします。その後は、レーザー属種が上陸してくるまではシミュレーター演習と同じ戦術Aで、レーザー属種上陸後は、状況に合わせて戦術BまたはCへと各小隊毎で移行して下さい。
 各上陸予想地点周辺への第1次敷設は終了していますか?………… 了解です。では、涼宮中尉、戦域管制をお任せします。」

 A-01連隊に於ける部隊指揮官はみちるであるが、今回は、急遽対BETA戦術構想第1期装備群の運用評価試験を兼ねることとなったため、基本戦術は武が策定していた。
 とは言うものの、状況設定は横浜基地で行っていたシミュレーター演習の対BETA防衛戦とほぼ同じであるため、ヴァルキリーズにとっても慣れた戦術ではあった。

「了解。―――BETA上陸まで残り……180……150……………………30……20……10……来ます!」

 波打ち際に一際大きな波が打ち寄せ、それが引いていった直後、間欠泉のような飛沫を上げて、海中から突撃級BETAが飛び出してきた。
 広範囲の海岸線に亘って、次から次へと上陸してくる突撃級。そして、猛烈な勢いでの突進が上陸後間を空けずに始まったが、その行き足が付く前に、突撃級の進路前方に敷設されていた地雷が起爆した。
 地雷から対地角度2~40度の範囲に指向されて撃ち出された金属片が、突撃級の装甲殻の下や前方側面などから、柔らかい下腹部や脚部に突き刺さり、突撃級はもんどりを打つ様に転倒し、後続の突撃級に跳ね飛ばされる。
 そして、転倒した突撃級を跳ね飛ばした後も、突進を続けたその突撃級を、更に次の地雷が襲う。
 その様な場面があちこちで展開され、進撃路を転倒した突撃級に塞がれ、後続の突撃級の侵攻が停滞した。

 そこに、南方側面からすかさず襲い掛かる36mm劣化ウラン弾の掃射。未だ無数に存在し、更に海中より姿を現し続けている突撃級達の向きが、36mm突撃機関砲を放ち続ける2機の『時津風』へと向けられる。
 そして、突撃級の突進は新たな方向を得て、再び始まる事となった。2機の『時津風』は時折砲撃を放ちつつ、噴射跳躍で突撃級との距離を保ちながら、山沿いに南の方へと後退していく。
 それを追って、凡そ100体程の突撃級が土煙を上げて時速100km以上の速度で突進していった。

 武にとっては、退路が確保され、レーザー属種のいない環境下なので、突撃級100体ばかりに追撃されたところで何ほどの事もない。
 ヴァルキリーズの先任達とてそれは同じだろう。
 心配なのは、新任で尚且つ陽動に参加しているA小隊の多恵、C小隊の月恵、そして、武と共に陽動している晴子だった。
 武が晴子のバイタルを確認すると、許容範囲内ではあるが、精神的に緊張していることが解った。
 そこで、武は晴子の緊張を解くべく、小隊内通信で話しかけてみることにした。

「どうだ、柏木。突撃級は前からじゃ殆ど傷を付けられないだろ。後ろや横から撃てれば、結構楽なんだけどな。」
「そ……そうだね。あはは、そう言えば、最初に掃射した時には面白いくらいに倒れてたよね。
 なんだか、撃っても撃っても倒せないような気になっちゃってたよ。」
「突撃級はBETAの中でも砲撃では倒し難い方なんだ。支援砲撃を浴びせても、しぶとく生き残るくらいだからな。柔らかい尻や腹を狙わないと駄目だ。
 今撃ってるのは、オレたちの脅威度を認識させて、陽動を確実にするための砲撃だから、ダメージを与えることは考えなくていいんだよ。」
「……あはは、そうだった……だからこそ、地雷で倒すんだったよね。」
「そういう事だ。だから、今は奴らの注意を逸らさずに、誘引できていればそれでいい。追いつかれさえしなければ、なんてことはないさ。」
「……わかった。気を使ってくれてありがとう、白銀中尉。やっぱ、シミュレーションとは迫力が段違いだね。」
「すぐになれるよ、柏木。さ、後少しで誘引ポイントに着く。そうしたら、A、C小隊が誘引している突撃級を後ろから喰うぞ。」
「了解!」

 武は晴子のバイタルが幾らか安定したのを確認して、データリンクで戦況を確認する。
 BETA第2群前衛は、山間を抜けてきた所をA、C小隊が陽動誘引した上で、地雷と『時津風』による狙撃で殲滅中。
 BETA第1群前衛はB小隊が南から、BETA第3群前衛は武達D小隊が北から、BETA第2群侵攻ルートへと誘引している。
 タイミングからすると、B小隊の方が先に誘引を終えそうな気配だった。
 そろそろ、BETAの本隊が上陸してくる頃合であり、その中には当然レーザー属種が含まれている筈なので、武としては、その前に前衛の誘引を完了させておきたかった。

「よし、柏木。少しペースを上げるぞ!」
「了解!」

 ちょうど、突撃級の速度も上がって来たところだったので、武は噴射跳躍の距離を伸ばし、移動速度を上げることにした。
 そして、2機の『時津風』を追い続けた突撃級は、逆方向から誘引されて東の方へと進路を曲げていた第1群の突撃級と合流する形となった。
 その先には、突撃級が列を成して緩やかに蛇行しており、その列から外れて地雷の餌食になったのであろう突撃級の死骸が、列の両側に土塁のように連なっていた。
 今もまた、列から外れ、仲間の死骸に衝突して弾き飛ばした突撃級が、進行方向前方の地雷から飛来した金属片を受けて、新たな障害として死骸を晒す羽目になった。
 その近くに居合わせた突撃級もダメージを受けたようだが、狂った様に突進を続ける。
 そうして、突撃級たちは、鑢(やすり)で削り取られていくかの様に、徐々に列を細らせていった。

 武と晴子は、NOEで突撃級の列に沿ってその上空を飛びながら、列の両端(りょうはじ)を突進している突撃級の柔らかい尻に、36mm弾を撃ち込んで倒していく。
 そして、ついに先頭を追い抜くと、そこでは多恵と月恵の『時津風』が噴射跳躍と砲撃を繰り返して、突撃級を誘引し蛇行させていた。
 武は、オープン回線で多恵と月恵に話しかける。

「よっ、築地に麻倉、ごくろうさん。もう暫く、その調子で頼むぞ!」
「あ、白銀中尉……は、はははははいぃ、任されましたです。」
「白銀中尉、お疲れさまっ! あ、晴子もねっ! こっちは何とか頑張りますねっ!!」

 そして、突撃級の先頭から3000mほど離れた旧北吉田駅周辺に陣取った、A、C小隊の『時津風』5機が87式支援突撃砲で、蛇行する突撃級の横腹を狙って狙撃を行っていた。
 狙撃に留めるのは、多恵と月恵の陽動を妨げないためであった。突撃級の死骸の隙間を縫うようにして狙撃を行い、徐々に死骸の壁をぶ厚くしていた。
 武と晴子は、その狙撃の邪魔にならない辺りまでNOEを続けた後、地面に着地した。
 そして2人は、操縦していた『時津風』2機を自律制御にすると、本隊のいる旧燕三条駅への移動とその後の補給を指示した後、事前に自律制御で移動を済ませておいた残り3機の『時津風』の方へと、遠隔操縦の接続先を切り換えた。

 一瞬にして、機外画像が切り替わり、BETA第3群が上陸した海岸の近く情景が網膜投影された。

 機体のすぐ近くには、自律支援担架で運ばれて荷下ろしされた、自律地雷敷設機用補給コンテナが設置されていた。
 その底部に開いた格納庫のようなスペースに、直径2m強の円形をした走輪ホバー両用の自律地雷敷設機が滑り込み、コンテナから延びたアームで位置を固定された後、空になった上部の積載ラックに、直径1200mm高さ300mmほどの地雷が7個、自動的に収納された。
 すると、自律地雷敷設機は海岸の方へと自律制御で移動して行き、データリンク上で指定された地雷原へと積載した地雷を設置していく。
 その間にも次の自律地雷敷設機が補給を受け、その後も次から次へと地雷を敷設していった。

 そしてその場から更に内陸へ2000m後退した地点では、自律支援担架が新たに積載してきた各種補給コンテナを、『満潮』が自律制御で荷下ろししていた。
 斯衛軍の展開する防衛線の更に後方には、国連軍整備班が展開しており、大型輸送トラック10台から自律支援担架へと各種補給コンテナなどの物資の積み替え作業を行っていた。
 武と晴子がBETA第3群前衛の誘引をしている最中も、この地では、続いて来襲するBETA第3群本隊を迎撃するための準備が、自律制御機達によって着々と整えられていたのだった。
 無論、これはBETA第1群の上陸予想地点でも同じ事であった。

「よし、迎撃準備は上手く進んでいるな。柏木、まずは強襲掃討装備で行くぞ。弾は十分にあるよな?
 長刀が必要になったら、自律制御で随伴してくる『満潮』から受け取ればいいからな。
 その代わり、『満潮』がBETAにやられないようにしっかり陽動してやれよ。」
「わかってるって。白銀中尉は心配性だね。」
「性分なんだよ。やれることやっとかないと、後で後悔しそうでヤなんだ。
 てことで、もう少しだけ聞いとけ。今度は戦車級も来る。こいつらを近づけると、あっという間にたかってくるから、36mmで掃射するか、さっさと移動して距離を取れよな。」
「うん。心配してくれてありがとう、白銀中尉。……って、あたしは『時津風』には乗ってないんだから、心配してるのは『時津風』の事じゃないの!
 あ~あ~、感謝して損した~。」
「……馬鹿言ってる場合じゃない、そろそろ来るぞ!」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、旧燕三条駅より10km以上東に離れた旧三条市麻布に置かれた斯衛軍本陣では、紫色の『武御雷』の管制ユニットに搭乗したままで、悠陽が紅蓮と神野大佐を相手に通信回線を繋いでいた。
 この『武御雷』は、実はつい先日まで予備機であった。本来の悠陽の乗機は、横浜基地へと搬入させた機体であり、この機体は今日の事態に備えて、ようやく慣らしが終わったばかりである。
 紅蓮始め、皆が揃って予備機を送れと言うのを無理矢理押さえ付けて、悠陽は己が乗機を冥夜へと送った。
 その事を後悔してはいなかったが、やはり戦場に立ってみると、悠陽も不安と無縁では居られなかった。
 しかし、その様な不安は、いつの間にやら雲散霧消してしまっていた。それほどに、A-01の戦いは常軌を逸していた。

「―――どうやら、前衛の突撃級は旧北吉田駅周辺へと、ほぼ全てが無事に誘引されたようですね、紅蓮。」

「どうやらそのようですな。上陸時点で総数400近く、そして、今尚150を超す突撃級を、4個小隊で拘束し殲滅しつつあるとは……些か信じ難い光景ですな。」

「全くです。先程から、第12師団からの問い合わせが執拗で、対応に苦慮していますよ。向うには増強大隊規模に見える筈なのに、それでも信じ難いようですな。」

 いつでも『武御雷』に搭乗できるようにと、司令部に居ながら、零式衛士強化装備に身を包む神野大佐が肩を竦めてぼやく。
 だが、悠陽も紅蓮も神野大佐のぼやきには取り合わなかった。

「―――BETA第1群と第3群の本隊に対する戦支度も順調のようでなによりです。」

「何故わざわざ突撃級を中央に誘引するのかと思えば、その隙に本隊迎撃の準備をさせようとは。白銀らしき作戦と申すべきか……」

 悠陽と紅蓮が突撃級誘引後のBETA上陸地点近辺への地雷原再敷設に言及すると、神野大佐が甚く(いたく)感心したように滔々と語りだす。

「しかし、自律制御の地雷敷設機を開発し、戦術機甲部隊で運用するとは……
 地雷原の敷設は拠点守備や歩兵部隊によるBETA小型種相手の迎撃では行われていますが、通常のBETA迎撃作戦に於いてはあまり用いられません。
 これは、BETAの侵攻が事前に予測できず、且つ一旦侵攻が始まればその進撃速度の速さに工兵による敷設が間に合わない事と、例え敷設したところで数で押し切られてしまい効果が低いと言われてきた事に起因します。
 また、広範囲に地雷を敷設した場合、誤爆に因る友軍の被害が無視出来ない事や、車両による移動への影響なども積極運用を妨げてまいりました……
 しかし、戦術機による陽動・誘引と、自律制御機による限られた範囲とは言え短時間での地雷原敷設を組み合わせる事で、ここまで効果的にBETAを漸減できるとは思いませんでしたな。
 誤爆に関しても、無人機であれば、十分許容できるリスク。白銀は恐らくそこまで考えているでしょうな。
 しかも、この『満潮』という『撃震』改修機の仕様は…………」

 神野大佐が試作装備に言及すると、悠陽は武から帝国軍へは情報を流さぬようにと頼まれていた事を思い出し、既に指示した事ではあったものの、神野大佐に今一度確認をせずにはいられなかった

「空王、第12師団には、詳細な情報を記録させぬように。くれぐれも頼みましたよ。」

「は、こちらの司令部で、広域データリンクの情報に一部フィルターをかけてあります。A-01の情報は位置マーカーしか表示されていない筈です。
 連中、マーカーの数のわりに、BETAの損耗があまりに早すぎるので吃驚しているようです。」

「―――そうでしょうね。詳細な情報を得ているわたくし達でさえ、信じ難き思いなのですから。致し方無き事でしょう。」

 そう言って、悠陽は再び戦況図を拡大表示させる。BETA本隊の上陸は目前に迫っていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 06時42分、遂にBETA本隊の上陸が始まった。
 まず視界に映ったのは、波間に垣間見える要塞級の高く突き出た脚部上端であった。
 その後、頭部がすっかり海面上に現れた頃、本隊の先鋒である要撃級が水飛沫を噴き上げて上陸してきた。
 要撃級は地雷によって撃破された突撃級の死骸を避け、あるいは踏み越えて内陸を目指す。その動きには一切の躊躇というものが無かった。
 そして、その足元を埋めるようにわらわらと付き従う戦車級の群れ、あっという間に地面を覆い隠すその姿は怖気を震わすには十分過ぎるほど醜悪であった。

 しかし、その悪夢のような姿は、地雷の爆発によって血煙となって吹き飛ばされた。
 地雷上部の指向性爆薬と金属片が仕込まれた部分が起き上がり、センサーにより接近してくるBETA群に向けて方位を調整し、炸薬を起爆。
 飛び散る金属片は戦車級を貫通して見る影も無く四散させ、要撃級の前腕に一部を弾かれながらも、その隙間を潜り抜けて柔らかい胴体に突き刺さった。

 しかし、BETAの侵攻はその程度では終わりはしない、血煙の中から新たなる要撃級と戦車級が姿を現し、また数m進んで地雷の餌食となる。
 それが幾度も幾度も繰り返されて、50体ほどの要撃級と、300体を超す戦車級が死骸と化し、辺り一面血溜りとなった頃、BETAは地雷原の突破に成功した。
 そして、その前に3機の『時津風』が立ち塞がる。その500mほど後方には2機の『満潮』の姿もあった。

「よし、陽動を始めるぞ、柏木。レーザー属種が居るから、あまり派手には飛び上がるなよ?」
「りょ、了解!」

 さすがに、初陣で要撃級62体に戦車級300体余り、そして更にその背後にそびえる要塞級12体に重光線級6体の巨体や、地を埋め尽くす光線級を含む700近い小型種を前にして、晴子は平静ではいられないようであった。
 数にしてみれば意外と少ないようにも思えるが、それらが眼前を埋め尽くし迫ってくる情景は、初陣の衛士には何倍もの数に見えてしまうものである。

「……仕方ないな、オレが1人で陽動するから、引き付けられたヤツを殲滅してくれ。しっかり援護してくれよ! 柏木。」
「ちょ、ちょっと、白銀中尉…………ッ―――了解、援護は引き受けたよっ!」

 武の言葉に反発しかけて、今の自分の状態を冷静に見極めた晴子は、大人しく武の指示に従うことにした。
 武は両主腕に1門ずつ構えた87式突撃砲を乱射しながら、BETAの群れへと主脚走行で駆け寄って行った。
 突撃砲の乱射によって無理矢理抉じ開けた血路に飛び込み、背部兵装担架2基に保持された87式突撃砲2門も加えて、合計4門の突撃砲を乱射し、群がるBETAを機体に寄せ付けない。
 それでも、退路へは左右のBETAが殺到し、遂には塞がれるかと思ったその時、晴子の支援砲撃によって退路を塞ぎかけていた要撃級と戦車級が一掃された。
 その砲撃により、BETAの一部が晴子の『時津風』に目標を改めたまさにその時、逆噴射による水平噴射跳躍によって、BETAの群れの中から武の『時津風』が一気に離脱してくる。
 そして、4門の突撃砲で追いすがるBETA達を掃射しながら、主脚歩行で後方へと下がり始めた。
 ここで武は操縦機体をもう1機の『時津風』に変更し、今まで操縦していて残弾の減少した『時津風』には、自律制御でマガジン交換をさせながら後方へと下がらせた。

「柏木、要塞級が一緒に来ている。一端下がって、残った要撃級は地雷で片付けるぞ。要塞級には効果は望めないだろうけどな。」
「了解!」

 武が殿(しんがり)を受け持ち、3機の『時津風』が小刻みな噴射跳躍で後退して行く。そして、その後を追ったBETA達は、武の陽動の間も地雷敷設機達がせっせと敷設し続けていた、第2地雷原へと踏み込んだ。
 IFFにより、武達の機体が安全距離まで後退している事を確認した地雷は、即座に炸薬を起爆させた。
 そして、また戦場に血飛沫が舞い、要撃級と戦車級の残数がどんどんと0に向かって減っていく。

「柏木、解っていると思うが、これでレーザー属種とオレたちとの間には10体ばかりの要塞級と、あとは小型種しか居なくなる。
 『満潮』の砲撃が効果を及ぼさなかったら、ALMを斉射してくれ。」
「りょ、了解……」

 レーザー属種と『時津風』の間を遮る要撃級が全滅する前に、試作砲撃支援コンテナ甲型を背部兵装担架に装着している『満潮』2機が、陽動砲撃を開始した。
 頭部の左後ろに位置する120mm速射砲から、AL砲弾が毎分10発の速度で連続発射される。
 上空に撃ち出されたAL砲弾は、高度100m程度の位置で、複数のレーザー照射を受けて蒸発し、重金属雲を発生させた。
 その後も3秒に1発の割合で、2機の『満潮』から交互に発射されるAL砲弾は、次々と照射を受けて打ち落とされ、次第に重金属雲濃度が濃くなってきた。

 『満潮』は随伴輸送機であって、厳密には戦闘用の戦術機ではない。
 それ故、『撃震』の装甲と管制ユニットをほぼ排除して、強度維持のための補強と『時津風』と同様に姿勢制御スラスターを増設した上で、肩部と胸部に物資積載スペースを設け、それ以外の部位の装甲を排除したスペースに推進剤タンクを分散配置して、フレキシブルチューブによって接続し推進剤の配分を行えるようになっていた。
 即ち、機体本体は積載スペースと駆動フレームしか存在しないに等しい戦術機である。
 また肩部物資積載スペース側面に74式稼動兵装担架システムを改造し、長刀または突撃砲を2つ同時に保持できるようにした、試作連装稼動兵装担架システムを片側1基、左右両側で合計2基装備。背部には、従来の74式稼動兵装担架の代わりに、各種背部コンテナ保持用の兵装担架が装備される仕様となっていた。
 もっとも、外見上は『撃震』と殆ど見分けがつかない。これは、機体各所の積載スペースや推進剤タンクが外装板で覆われており、一応対レーザー蒸散塗膜加工を施されているため、姿勢制御スラスターが増設されている以外は、殆どシルエットに差違がないためであった。

 そして、背部コンテナの1種である試作砲撃支援コンテナ甲型は、随伴輸送機である『満潮』に、自走砲代わりの砲撃支援も兼務させてしまおうという発想で作成されていた。
 この装備は、120mm滑空砲をベルト給弾で120発連射できるようにした120mm速射砲と、自律誘導弾を単発にて連続発射する64発搭載の単射式自律誘導弾コンテナが一体化したものであった。
 『満潮』が装備した状態では、左肩の後ろの頭よりもやや高い位置に120mm速射砲モジュールが顔を覗かせ、そこから給弾ベルトがコンテナへと繋がっている。砲の射角は水平から90度まで、方位は機体前方から左右60度の範囲で旋回可能であった。
 単射式自律誘導弾コンテナはコンテナ上部右側面外部の射出位置に、自律誘導弾1発が格納された垂直発射セルを、自動装填で送り出して自律誘導弾を発射する。発射後、空になった垂直発射セルは投棄され、次のセルが送り出されれば即座に次弾を発射できるようになっていた。
 双方共に弾種を選択できるが、今回は両方ともAL弾が装填されていた。

 今回実際に試してみるまで解らなかったのが、120mmAL弾頭をレーザー属種が優先攻撃目標とするかであったが、現状十分に陽動砲撃として機能していた。
 武は陽動砲撃が続いている内に、レーザー属種との距離を詰めることにした。
 陽動砲撃の直後にタイミングを合わせて、小刻みに噴射跳躍をして要塞級の衝角を躱し、あるいは長刀で切断しながら前進していく。
 そして、要塞級10体全てを誘引したところで、晴子にレーザー属種の掃討を命じた。

「よし、柏木、レーザー属種の掃討を頼む。」
「了解。白銀中尉も気をつけてね。」

 晴子は、自律制御の『時津風』1機と、『満潮』2機を引き連れて、主脚走行でBETA小型種を蹴散らし、踏み潰し、蹂躙しながら進撃し、そして遂にレーザー属種を36mm突撃機関砲の射界に収めるに至った。
 その時、晴子の『時津風』でレーザー照射警報が鳴り響き………………直後に解除された。
 同時に、晴子の頭上20m程で1発のALMが照射を受けて、身代わりの様に蒸発した。続けて『満潮』の砲撃コンテナから発射されたALMはもう少し高くまで飛翔した所で照射を受けて蒸発する。
 小隊データリンクによって、レーザー照射警報に連動して自動発射された自律誘導弾であった。
 警報解除は、晴子の『時津風』を照準していたレーザー属種が、より優先順位の高い空間飛翔体であるALMに照射目標を変更して追尾し、照射が『時津風』から逸れた結果であった。
 そして、次の照射警報が鳴る閑を、晴子はBETAに与えなかった。

「白銀中尉! レーザー属種、殲滅完了。今から援護に……」
「いや、こっちは大丈夫だから、『満潮』の砲撃コンテナを交換しておいてくれ、こいつらを倒したら、第2群のレーザー属種を潰しに行くぞ。」
「……了解。」

 重光線級6体、光線級20体を殲滅した晴子が、要塞級相手に陽動を続けている武の援護に行こうとすると、武はそれを断り補給を優先するように指示してきた。
 そして、その言葉に従って、自立支援担架のところまで後退し、晴子が2機の『時津風』と2機の『満潮』の補給を済ませた時には、武は要塞級を全て殲滅していた。
 広域データリンクによると、BETA第1群を担当するB小隊も順調に殲滅を進めており、戦況は順調に推移しているように思われた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 06時57分、多恵の操縦する機体が戦車級BETAに取り付かれてしまい、多恵はパニックを起こしていた。

「ぃいやぁああああ~~~~ッ! やだっ! 来るなっ! 来ないでっ! 齧らないでよぉ……助けてっ茜ちぃゃぁアあァぁんッ!!!」

 その悲痛な叫びがオープン回線を駆け抜けた直後、新任達よりも先任達に衝撃が走った。
 仲間の悲鳴……それを引き金として、過去の数多の経験が、彼女達を否応無く駆り立てる。
 やられているのは誰だ。場所は? 状況は? 救い出すにはどうすればいい?
 先任達は半ば脊髄反射でそれらの判断を瞬時に行う、それは思考ですらなく条件反射に近いものであった。

 違う戦域にいて距離が遠すぎるB小隊の先任3人は、自分達では間に合わないと瞬時に悟り、心をから悲鳴を締め出して、現在の任務に専念する。
 しかし、同じ戦域に居るみちる、美冴、葉子、祷子、そして名前を呼ばれた茜は、反射的に多恵の機体を助ける為に、有りと有らゆる手段を即座に行使し始めた。
 葉子と祷子は狙撃を多恵の機体周辺に限定、多恵の機体に向かって前腕を振り上げる要撃級を撃破し、さらに付近に居る目ぼしいBETAを掃討し始める。
 みちる、美冴、茜は、残存する突撃級の殲滅を中止し、水平噴射跳躍で一目散に多恵の機体に向かって移動を開始、無茶を承知で36mm突撃機関砲を構える。
 機体を大破させようと、砲撃によって戦車級を装甲ごと、こそげ落すつもりだった。

 と、そこで武が、オープン回線越しに大声で一喝する。

「何やってるんですかっ!! 多恵のT201(A小隊第2分隊『時津風』1番機)はオレが操縦して自爆させますっ!
 麻倉は急いで後退しろッ!! NOEは駄目だぞ!」

 そして、A、C小隊の衛士の目に、周辺友軍機のS-11起動による『退避警報』が発せられる。

「自爆だと?!」「まて、まだ助からないとは……」「そんな……」「白銀中尉?!」「し、白銀っあんた多恵を殺す気ッ?!」

「何言ってるんですかッ! 特に風間少尉! 築地はあなたの後ろに『乗っている』でしょう?! みんなしっかりして下さいッ!!!」

「「「「「 あ゛……………… 」」」」」

 間の抜けた声の五重奏を最後に、オープン回線を、沈黙が支配する。そして、沈黙を破る暢気な声。

「はれれ? ここはどごだべ? なんが一瞬ではぁ、えらい遠くさ来たっぺや……」

 直前まで武が操縦していた、BETA第2群本隊の後方に迂回すべく日本海沿岸を南へと進撃中の『時津風』へと、武の上位コードによって強制的に操縦機体を交換された多恵は、BETAが一匹も見当たらない長閑な風景と、戦域概況図の自機位置を見てきょとんとしていた。

「築地、そいつはオレが操縦していたT705(D小隊『時津風』5番機)だ。暫く柏木の指示に従ってろ!
 そろそろ機体が限界です、S-11を起爆しますから、周辺の機体は耐衝撃姿勢を取ってください!
 5、4、3、2、1、起爆ッ!!」

 その声と同時に、多恵の操縦していたT201が眩い閃光を発し、BETA群の侵攻ルートである山間部に向けて凄まじい衝撃波と熱が蹂躙していく、そしてその後を追うようにして激しい爆風が周囲の物を巻き上げながら駆け抜けていった。
 熱と衝撃波は指向性を持っていたが、爆風はA、C小隊所属の『時津風』をも襲った。
 物陰に隠れ、機体の姿勢を低く保って爆風をやり過ごす5機の『時津風』と4機の『満潮』。中でも最も近くに居た麻倉の『時津風』は爆風に耐え切れず、10mほど吹き飛ばされて、廃ビルの外壁に激突し、左主腕と左肩の自律誘導弾システムを破損してしまった。

「麻倉、遠隔操縦で旧北吉田駅周辺まで後退してから、T701(D小隊『時津風』1番機)に操縦機体を切り換えて、戦線に復帰しろ。
 築地、そろそろ落ち着いたか?」

「ふゃ?……あ、はははは、はいぃっ! お、落ち着きましたぁ。」

「そうか、それじゃあ、T602(C小隊第2分隊『時津風』2番機)に操縦機体を切り換えて戦線復帰しろ。こんどは慌てて騒ぐなよ。」

「は、はいぃ~……」

 武は、機体を損傷させた月恵と、失ってしまった多恵に新しい『時津風』を割り振ると、データリンクで戦況を確認した。
 S-11の爆発でBETA第2群本隊は当初の半数まで減少していた。しかし、レーザー属種や要塞級は全て健在。
 しかも、要撃級と戦車級がごそっと吹き飛ばされた関係で、照射を阻害されないエリアがあちこちに出来上がってしまっていた。
 この状態では、いちいち照射を気にしながら戦わなくてはならなくなる。
 『満潮』の砲撃コンテナである程度の照射は誘引出来るとしても、砲撃コンテナの弱点は装弾数の少なさであり、陽動砲撃を長時間持続する事は出来ない。
 武は一旦部隊を後退させて、態勢を立て直すことを選択した。

「さて、今の内に、A、C小隊各機は旧吉田駅まで後退して地形を利用して隠蔽して下さい。
 建物くらいじゃ、レーザー照射を防げる保証はありませんからね。
 今、T701と一緒に、本隊に同行させていた『満潮』4機の内2機を、砲撃コンテナ装備でそちらに急行させています。
 そちらに元から居た『満潮』と合わせて6機で陽動砲撃をさせて、その支援下でレーザー属種を殲滅する方向でお願いします。
 攻撃開始のタイミングは敵の侵攻が旧北吉田駅に到達した時か、B、D両小隊のいずれかがBETA第2群本隊の後ろに回り込んで挟撃の態勢が整った時点です。
 殲滅しそびれた突撃級は斯衛か帝国軍に任せましょう。
 伊隅大尉、よろしいですね?」

「……解った。ヴァルキリー1よりヴァルキリーズ各員に告ぐ。今の、白銀の作戦で行く。いいな?」

「「「「「「「「「「「「 ―――了解! 」」」」」」」」」」」」

 みちるの指示に一斉に応えるヴァルキリーズ、しかし、武は遙の通信画像に違和感を感じた。今、遙が返事をしなかったように、武には見受けられたのだった。
 武は同時に、BETA第2群本隊との戦闘が始まってからこっち、遙の戦域管制が途絶えていた事にも気付く。

「涼宮中尉、損害を出して構いませんから、地雷敷設機で旧北吉田駅周辺に手前から敵に向かって地雷原を敷設して下さい。―――涼宮中尉!」

「……え? あ……な、なに? すみません、白銀中尉、もう一度お願いします。」

 遙は、白昼夢から覚めたかのように、目を瞬きさせて、武に聞き返してきた。
 みちるが遙の応答を聞いて片方の眉を跳ね上げるのが見えたが、武は指示を繰り返した後、オープン回線では何も言わずに、秘匿回線を遙に繋ぐ。

「涼宮中尉、桧山中尉に聞こえるかもしれませんから、返事はしなくて良いです。
 機外映像を全て消して、データリンクによる戦域概況図と、通信画像のみにして下さい。
 そうすれば、HQに居る時とほぼ同じ環境になります。落ち着いて、何時も通りの戦域管制をしてください。
 頼りにしてますよ、中尉。」

 武は、通信画像で遙が微かに頷くのを見て、秘匿回線を切断した。
 ヴァルキリーズはみちる以外誰も気付かなかったようだが、遙もBETA相手の戦場に立つのは初めてであった。
 おそらく、同乗している葉子の操縦機体であるT601(C小隊第2分隊『時津風』1番機)の機外映像を網膜投影していたのだろう。
 そして、初陣の衛士の多くと同様に、迫り来るBETAの姿に、何時の間にか思考力を奪われていたに違いない。

「涼宮中尉までだなんて、おもいもしなかったなぁ。」

 武の耳に、通信回線を経由せずに、晴子の声が届いた。

「柏木、解っていると思うけど……」

「大丈夫。この事は誰にも言わないよ、白銀中尉。あたしは幸運だね。君と同じ機体に搭乗しているお蔭で、初陣で随分色々と勉強させてもらってるよ。」

「そうか? オレは別にそんな大した事してるつもりはないんだけどな。」

「あはは。白銀中尉にとっては普通の事なのかもね。さて、そろそろ、BETA第2群の背後に回り込めるね。」

「ああ、挟撃に持ち込めれば、オレたちに随伴している『満潮』2機を加えて、8機での陽動砲撃の下で一気にBETAどもを蹴散らせる。
 それでこの戦いも終わりだ。」

 武がそう言った次の瞬間、遙の悲鳴のような警告が、オープン回線を駆け抜けた。

「ベ、BETAの地中侵攻を確認しましたッ!!―――」



*****
**** 10月22日社霞誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話10 ****
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どこかの確率分岐世界
2007年04月11日(水)

 11時56分、国連軍横浜基地1階PXで、霞は食料班の女性とカウンター越しに会話していた。

「……あはははは、相変わらずバカやってるね~、タケルちゃんは。」

「でも、みんな楽しそうに笑ってます……」

「まあね~、タケルちゃんといると、なんかウキウキしてくるんだよね~。あの無駄に熱心なところに引っ張られるって言うかさ~。
 でも、あんまり引き摺られて、バカがうつんないように、霞ちゃんも気をつけなね~。
 ―――あ、なに? お昼ごはん? もう少しだけ待っててね~。」

 話し込んでいた霞の背後に近付いて来た衛士訓練学校の男子訓練兵を見て、食料班の女性が声をかけた。
 しかし、男子訓練兵は霞の後姿だけを視界に収めたまま、独り言のように呟く。

「……霞ちゃんって、社霞? うわ~~~っ、本当に兎みたいだ~。すっげ~、髪型もだけど、この制服なんか、尻尾みたいなボンボンまで付いてるぜ。
 姉ちゃんが適当にでっち上げたんじゃなかったのか~~~。」

 そう言って、霞の横に回りこみ、横顔を見ようとする男子訓練兵。
 霞はいきなり視線を向けられて、そちらを横目で恐々と見ながらピクンと髪飾りを跳ね上げた。
 武に想い出をもらい、徐々に人付き合いも増えてきたとは言え、霞の人見知りは未だに根強く続いていた。

「ちょっときみぃ? うちの霞ちゃんに何する気なのかなぁ? 食料班敵に回したら、この基地じゃ生きていけないって分かってるかなぁ?」

 つい手が出たといった感じで、そろそろと霞に向けて手を伸ばしていた男子訓練兵に、食料班の女性から横槍が入る。
 それで正気に戻ったのか、霞に魅入られたかのように釘付けだった少年の瞳が、ぱちくりと瞬きし、一瞬で赤面するとその場で直立不動になって敬礼して叫んだ。

「―――ッ! し、失礼しましたっ! じ、自分はこの度、横浜基地衛士訓練学校に入隊いたしました、柏木照光訓練兵であります!
 社少尉のお噂は、姉より度々伺っておりました。どうかご無礼の段、お許し下さいッ!!」

「柏木って…………あ~~~ッ! 柏木さんの弟さん~~~~ッ!」「……え?…………」

 男子訓練兵―――照光を人差し指と癖っ毛で指差して驚く食料班の女性の声に、霞は女性と照光を交互に見比べて忙しげに瞬きを繰り返していた。
 これが、霞と照光の出会いであった。



2007年08月09日(木)

 14時23分、シミュレーターデッキの制御室で霞はシミュレーター演習の管制を行っていた。

「違うっ! 何回やりゃあ出来るんだ? 照光。後一回やって出来なかったら、その技は難易度下げるからな!
 あと、今のでとちってたのは……………………ってとこか、よし、もっかいやるぞ!」

『『『 ―――了解ッ! 』』』

 演習の様子を見ながら、霞は笑みを浮かべた。

(白銀さん、相変わらず熱心ですね。でも、訓練兵のみなさんも、頑張ってます。)

 国連軍横浜基地衛士訓練学校で、7月の総戦技演習に合格した衛士訓練兵には、帝国中の衛士訓練兵が羨むご褒美が授けられる。
 それは、極東国連軍のエース、『桜花作戦』の英雄、3次元機動の開祖、白銀武大佐直々の指導による、戦術機操縦課程シミュレーター演習であった。
 それは8月10日を最終日とした、5日間の特別プログラムであり、毎日午後の訓練時間が充てられていた。

 名目上の訓練目的は、3次元機動と部隊連携の慣熟となっているが、やっている事はシミュレーターを使用した曲芸飛行であった。
 各機体は、各々の訓練兵の技量に応じた3次元機動を担当し、カラフルなスモークを棚引かせながら、空中に複雑な軌道を描き、訓練兵全員で1つの立体的な軌跡を描き出す。
 副司令の黙認の元、2004年に初めて行われた時は、身内だけで内々に観賞されていたが、何時の間にか口コミで噂が広まり、今では後日再生された映像が記憶媒体に解説やBGM付きで編集保存され、横浜基地内のPXで販売されるまでになっていた。

 勿論、戦術機操縦課程を始めて間もない訓練兵の行うものであるから、富士教導隊などのエリート衛士が行うデモフライトなどと比べれば、粗が目立つ事この上ない代物である。
 しかし、武の奇抜な発想による演出と、どうしても起きてしまう訓練兵のミスが、逆に完成されたデモフライトよりも見応えがあるのだと言われている。
 他にも、未来のA-01所属衛士の初々しい映像に価値を見出すものや、帝国全土から選りすぐられた衛士候補生の練度の高さを示す教材として、自校の訓練兵の発奮を促すのに使用する衛士訓練学校が出たりもした。

 なんやかやで、仕掛け人である武の思惑を超えてブームになってしまっているが、これは本来、神宮司教官の誕生日の祝いとして企画されている物に過ぎない。
 しかし、そんなささやかで、それでも大事な想いがこもっているからこそ、この演習は横浜基地司令部並びにA-01の強力な支援の下、断固として毎年行われるようになっていた。

「いいか、照光。例え準備が万端でなかろうが、やり遂げなきゃいけない時ってのがあるもんだ。
 それを逃したら成し遂げられない、そんな時がな。少なくとも今度機動に失敗したら、次で成功しようが明日成功しようが、おまえには本番では絶対にこの機動はやらせない。
 時間は人間を待ってはくれないぞ、たった一回を物にして見せろ。照光だけじゃないぞ、全員気合入れて行け! ―――始めっ!」

『『『 ―――了解ッ! 』』』

 そして、照光は難度Sと言われた機動を見事にやってのけた。



2007年10月12日(月)

 18時23分、1階のPXで霞は武の隣に腰掛けていた。
 そして、その周囲にはA-01に所属する衛士達が20人ほど集まっていた。

 この場に居るのは今月A-01に任官した新任衛士達であり、現在武とみちるによって着任後の部隊教育を施されている真っ最中である。
 A-01連隊は、今回の新任衛士を加えることで、晴れて連隊定数を満たすことが出来た。
 そして、今期の新任たちは、お調子者でおっちょこちょいではあるものの、憎めない性格と高い戦術機特性を示した照光を中心に、お互いを高め合って来た。
 その実力は2001年度に次ぐとまりもに言わしめるほどで、出来の良い新任達に、みちるはこのところ笑顔でいることが多かった。無論、新任の居ない所でのことだったが。

 そして、みちるの何倍も、武は新任たちの面倒をよく見ていた。
 それは、今回の新任に限ったことではなく、霞にとっては毎年見てきた光景であった。
 武は新任たちの特性を伸ばし、弱点を指摘し、時には苛酷な前線の惨状を話し、BETAを殲滅することの意義を謳い揚げ、何よりも命の重さを説いた。

 過去に比べれば戦死するものは圧倒的に少なくなったとは言え、BETA相手の初陣はやはり損害が出やすい事に変わりはない。
 武は、新任を出来る限り先任と複座型に同乗させた上で、陽動支援機を担当させて初陣を乗り切らせているが、それは装備を潤沢に使用できるA-01ならではの話に過ぎない。
 今でも世界中で、少なからぬ初陣の衛士が戦死し続けているのも、事実なのである。
 武は、それらの事を、新任の衛士が配属される度に、何度も繰り返し語り続ける。
 辛気臭い話を繰り返すにも拘わらず、新任たちが寄って来るのは、英雄としての武が余程に魅力的なのか、人柄のせいなのか、はたまた恋愛原子核の効果なのか、その辺りは霞にも良く分からない事であった。

 今も、武の周りには平均年齢18歳の女性衛士たちが10人以上で取り囲んでおり、男性衛士と様々な理由で武に対してそれほど積極的でない女性衛士数人が、テーブルの反対側や、人だかりの外側に立ったり座ったりしていた。
 とは言え、その場の全員が、武の一言一句を聞き漏らすまいとしている事に変わりはなかった…………いや、1人だけ、意識が武から逸れている衛士がいた。
 その衛士―――照光は、殆ど表情の変化を見せない、俯き加減の霞の顔に視線を合わせ、飽きもせずにぼ~っと見つめ続けているのであった。
 それでも、話を聞いていない訳ではなく、話を振られれば即座に応答するため、最初はからかった仲間達も、今ではまたかと呆れるだけになっていた。

 そして、殆ど変わらない表情の奥で、霞は厨房の方から焼餅と怒りの思念が放射されるのを感じ、この後の武の身を案じていた…………



2011年10月22日(月)

 06時32分、1階のPXで霞は武と共に朝食を食べていた。
 武を挟んで反対側には、霞が数年来親しくしている食料班の女性が、仕事を抜け出して座っており、時折自分のおかずをはしでつまみ、武に差し出して食べさせている。
 一体全体、自分の歳を何歳だと思っているのか……と考えてから、自分ももう24になったのだと思い至り、霞はふと自分の人生を振り返ってしまった。

(白銀さんと出会って、もう10年になるんですね。この10年に比べると、その前の私の人生はあまりに淡白で、本当に自分の記憶なのか疑ってしまうほどです。
 今の私にとっては、純夏さんから譲り受けたあの平和な世界の記憶の方が、余程自分の人生だったようにさえ感じてしまいます。
 いえ、そうでないと知って、それでもそうであって欲しいと願ったからこそ、私は白銀さんと共にあろうとしたのでしょうか?)

 霞は隣で食事を続ける武を横目で見て、再び思索に耽る。

(私は白銀さんが抱えている誓約にして制約を知っています。そして、それを知っているからこそ、白銀さんも警戒せずに私を側に寄せてくれるのでしょう。
 そして、白銀さんはたくさんの私自身の想い出をくれました。辛い想い出もありますが、それらの想い出で私のこの10年間は輝いています。
 私は今の関係に満足していますが、時折白銀さんは何か悩んでいるような目で私を見ます。
 何が問題だというのでしょうか? 私は自分の気持ちに見返りを求めていませんし、白銀さんにもそう明言してあります。
 ですから、自分に寄せられる相手の気持ちに応える事が出来ない白銀さんも、負担には感じてはいないはずです。
 もしかして、時が止まっているような自分と共にある事の影響を、心配してくれているのでしょうか?)

 今一度武を盗み見ると、そこには出会った頃とさして変わった所の見当たらない、武の若々しい容貌を見出すことが出来た。
 数年前から武は特殊メイクで容姿を歳相応に見せるようになっていた。
 そして、今のように基地内でメイクを落としている際には、武自身の影武者アンドロイドであり、自律AIの育成中であると誤魔化してきた。
 最初の頃こそ、皆が驚いていたが、オルタネイティヴ4の副産物だと説明し続けた結果、今では良く出来たAIだと感心されるだけとなっていた。

 霞と同じオルタネイティヴ4の部隊章を付けている限り、大抵の基地要員は深入りしてこない。
 まして、影武者武からは本物への直通回線が常時繋がっており、本物の武が影武者AIの行動を時折監視修正しているという設定を流布してあるため、下手な手出をするものも居なくなった。
 実際、武は自律AIを仮組みしており、予備の素体を制御させ、自分は特殊メイクをした上で基地要員の前に同時に出て見せた事すら何度かある。
 それらの努力の成果として、影武者アンドロイドは、横浜基地では武本人に準じた扱いを受けるようになっていた。
 00ユニットとして歳を取らなくなった武は、こうして自分自身でいる時間をなんとか確保していた。

(もしかすると、10年前から同じデザインで着続けているこの改造制服は、もう私には似合わないというのでしょうか?
 傍で見ていて、一緒にいて、恥ずかしかったりするのでしょうか?
 それとも、白銀さん達の奇抜な思考に、私が染まり始めてしまっていて、それを心配しているのでしょうか?
 ………………解りません。10年間で大分勉強したつもりでしたが、世の中の一般的な価値観というものは相変わらず難しいです。)

 霞が似合っていないかもと心配した改造制服だが、決してそんな事はなかった。
 今の霞は、二十歳(はたち)前の少し小柄な女性に見える。兎の尻尾を擬したボンボンが少しやりすぎかもしれないが、プリーツスカートのようになっている上着の裾とロングスカートは、黒を基調にしていることもあってシックであり、小柄で線の細い霞に良く似合っていた。

「ねえ、霞ちゃん、今晩は誕生日のご馳走作ってあげるからね。
 香月先生からは、派手にやってもいいって言われてるけど、何人くらいお客さん呼ぶ?」

 霞が思索に耽っていると、そんな事とは知らずに、食料班の女性が訊ねてきた。霞は首を傾げて、武の方を見る。

「そうだなあ、イスミヴァルキリーズの17人だろ? 夕呼先生は来ても長居はしないだろうし、ピアティフ中尉に……」

 霞の意を汲んで、武は誕生会の出席者リストを各人の勤務予定を参照しながら作成する。
 そうしていると、霞の背後からずうずうしく立候補する人物が居た。

「はいはいはいっ! 柏木照光中尉、是非お呼ばれしたいです!」

「なんだ、居たのか照光…………だってさ、どうする? 霞。」

「私は……別に構いませんが…………どうして、来たいんですか?」

 霞が平坦な声で訊ねると、照光は顔を赤くして口ごもる。すると、霞は抑揚のない声ではあるものの、次々と言葉を返して照光を追い込んでいった。

「―――ッ! ど、どうしてって、その……」
「ご馳走が食べたいのですか?」
「ち、違っ……えっと、そ、そうだほら、知り合いの誕生日くらい祝ってあげたいって思ってもおかしくないだろ?」
「普通……そういう時は……自分で何か考えるものです。」
「あう……いや、えっと、その……ほ、ほんとは、今晩時間もらって誕生日プレゼント渡そうと思ってたんだよッ!!
 ―――けど、誕生日パーティーやるんなら、そんな時間ないじゃないかっ!!」
「―――逆切れですか?」
「う゛…………ご、ごめん……でも、誕生日を祝ってあげたいってのは本当なんだ、それだけは信じてくれよ……」
「それは解っています……解らないのは、どうしてあなたが私にそういう感情を向けるのかです。」

 問題が核心近くに集約した時、横から口を挟んできた人物が居た。

「あはははは、そりゃ、しょうがないよ。こいつ何年も前から霞ちゃんのことお気に入りだもん。」

 いつの間にか武の背後に立ち、目を輝かせて弟と霞のやり取りを聞いていた晴子であった。

「げッ! あ、姉貴………………だめだ……俺の人生は今終わった…………」

「どういう……事ですか?」

 頭を抱えて絶望する弟は放置して、笑顔の前に片手を立てて右目を瞑ると、晴子は悪びれずに霞に対して謝罪し始めた。

「ごめんね、霞ちゃん。実は『桜花作戦』後、こいつったらすっかりヴァルキリーズ信奉者になっちゃってさ。
 あれこれ聞いてくるもんだから、霞ちゃんの話もしちゃったんだ。そしたら、すっかり夢中になっちゃってね。」

「おい、柏木、霞は未だに機密解除されてないからまずいぞ、それ。」

 あっさりと言ってのけた晴子に、武が一応突っ込みをいれた。しかし、晴子は笑って居直ってみせる。

「そうなんだよね~。でもまあ、他には話してないし、テルも横浜基地配属になったから、結果オーライってことで。」

「わあっ! その名前で呼ぶなよ姉貴、俺も姉貴の事あだ名で呼ぶぞッ!」

「あはは、ごめんごめん。」

 何やら呼び名の事で曰くがありそうな姉弟に、今や外野となった武と食料班の女性がこそこそと会話を交し、聞き咎めた晴子が突っ込みを入れる。

「柏木のあだ名?」「なんだろうね?」「ハル姉とか?」「それなら、普通じゃない?」「じゃあさあ……」「ほらそこっ!横道に逸れない!」

「テル? てる……照る照る坊主?」

「うわっ! 霞ちゃんに言われた! くっそぉ~、恨むぞ姉貴~~~ッ!」

 単に、連想した言葉を言っただけなのに、この世の終わりのような騒ぎっぷりを見せる照光に、霞が堪えきれずに笑い出す。

「くすくす……ごめん……なさい……くすっ…………でも、本当に……どうして私を……気にかけるのですか?」

「…………だ、だって、霞ちゃんより可愛い娘知らないから…………てゆーか、気になっちまうんだから仕方ないだろっ!」

 照光の居直った答えに、霞は暫く考え込んでから、真面目な顔をして頷いた。

「…………それなら、解ります……私も、白銀さんがどうしようもなく、気になりますから。」

「ぐっ…………や、やっぱり…………」

 霞の言葉に、ショックを受けて凹む照光。その照光に霞は淡々と告げる。

「白銀さんは、私の一番大切な人です……あなたは、良くて2番にしかなれません……他の人を選ぶ事をお勧めします。」

「そ、それじゃ、霞ちゃんは白銀大佐の1番なのかよ。大佐なんて、いっつも周囲に綺麗所侍らせてるじゃんか。」

 苦し紛れに、照光は武の事をあげつらってみせるが、霞は全く動じなかった。

「私は何番でもいいんです……傍にいられれば……」

「じゃ、じゃあ! 俺だって順番なんかどうでもいい! 霞ちゃんのこと見てられればそれでいいッ!!」

 照光がとうとう開き直って告白紛いに言ってのけると、霞は頷いて武の方を見て言う。

「……………………そうですか………………白銀さん、照光さんを呼んであげてください。」

「!!―――霞ちゃん、それって…………」

 曲がりなりにも自分の告白を受け入れてもらえたのかと、照光は顔を輝かせた。

「よ~っし、これで今晩の主菜は決まったな。後は任せるぞ、柏木。」

「了~~~解。今から構成考えて、しっかり料理して見せるから、任しといて!
 テル、あんたこれから大変だよ~。霞ちゃんはみんなに愛されてるからね!」

 しかし、続く武と姉の言葉に、照光は今晩自分が衆人環視の元で晒し者になる事を知り、落ち込みかけた……が、霞に一応受け入れてもらえたのだからと、最後の最後で踏み留まって、声をかけた当初から聞こうと思っていた事を、ようやくにして訊ねた。

「う゛……やっぱり、俺の人生終わったかも…………ま、まあいいや。これで一歩前進だし……
 あ、そうだ霞ちゃん。プレゼントにメッセージ彫り込みたいんだけど、今日で何歳?」
「……24です。」
「へ~、年女なんだ……って、霞ちゃんて、干支まで兎? そっか~、だからそんなに似合うのかな~………………」

 平然と答える霞と、素直に受けいれて感想を述べる照光。そんな2人を眺めながら外野の3人は会話を交す。

「ねえ……いきなり直球で歳聞くってどう思う? タケルちゃん。」「いや、年上だって確定してもあの態度だし、天然じゃないか?」「あはは、馬鹿な弟でごめんね~。」

 そんな外野を他所に、照光は霞と面と向かっての会話という至福の時間を過ごす事ができた。

 ―――その夜、社霞誕生会で参加者全員にお披露目された照光のプレゼントは木彫りの兎の親子であった。
 素人にしては緻密に彫り上げられたそれの台座には、『社霞さんへ。24歳のお誕生日おめでとうございます。』と彫られていた。
 照光が、霞の何番目まで上り詰めるのかは、この夜の参加者の間で賭けになったという。




[3277] 第41話 斯衛が得し物
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:46

第41話 斯衛が得し物

2001年11月11日(日)

 時はやや遡って06時52分、旧北吉田駅周辺の戦場は一気に混沌と化していた。
 ようやく突撃級の残りが20体程度まで減ったところで、BETA第2群の本隊が県道55号線沿いに多宝山と角田山の間を抜けてきたのだった。

 無論、誘引した突撃級の最後尾が通り過ぎた後に、自律地雷敷設機を投入して地雷原の再敷設も行ってはいた。
 しかし、未だに十分な地雷が敷設できない内に、第2群の本隊が山地を越えて来てしまったのであった。

 こうなっては狙撃だなどと悠長なことを言っては居られず、多恵と月恵は直ちに敵本隊の陽動を命じられ、残った突撃級はみちる、美冴、茜の3人が強襲掃討装備で包囲殲滅することとなった。葉子と祷子は狙撃で多恵と月恵の支援である。
 砲撃コンテナを装備した『満潮』も2機ずつが陽動組みと殲滅組みに追随した。

 多恵と月恵は、横幅は広いものの厚みの無い地雷原の後方で遮蔽物に隠れて、地雷原を突破してくるBETAを待ち受けていた。
 暫く前に山間部にレーザー属種が姿を現していたが、高台で足を止めさせると厄介なので、『満潮』は陽動砲撃を行っていない。
 今しばらくは、要撃級や突撃級と肉薄しての近接戦闘を続けざるを得なかった。
 狙撃で多恵と月恵を支援するはずの葉子と祷子も、今は地形の陰に隠れている事しか出来ない。

 そして遂に、90体程の要撃級と400体を超える戦車級が、地雷原を抜けて殺到して来た。
 要撃級は前腕を振り上げて、戦車級は腹部の大きな口をがちがちと音を立てて開け閉めしながら、遮蔽物の陰から飛び出した、多恵と月恵の『時津風』目掛けて突進して来る。

 多恵も月恵も、36mm突撃機関砲を乱射しながら、BETAの存在しない土地を見つけては噴射跳躍で移動して、肉薄してくるBETAに囲まれないようにして陽動を続けていた。
 なまじ高所から撃ち下ろす射線となっているため、短時間の噴射跳躍を繰り返す『時津風』と地上の要撃級や戦車級が重なるらしく、今のところレーザーの照射は受けていなかった。

 そうこうして、『時津風』2機で、12体の要撃級と、60体程の戦車級を撃破した辺りで、レーザー属種がようやく山間部から平野部へと移動し、葉子と祷子も狙撃を再開できる状況になった。
 突撃級の方もあと数体で片付く段階となっており、後は葉子と祷子の狙撃に任せ、『満潮』4機を集中運用することで対レーザー属種の陽動砲撃の密度を上げ、一気にレーザー属種を殲滅するという作戦がみちるによって立案された。
 それに従い、突撃級への狙撃が始まり、みちる、美冴、茜の3人が操縦する『時津風』3機が突撃級を陽動しつつ、レーザー属種の方へと移動を開始しようとしたその矢先、『あの事件』が発生したのだった。

 多恵が、着地動作までの噴射跳躍機動を先行入力によって行い、近付いてきた要撃級の前腕を回避した。
 その回避機動の真っ最中に、多恵は着地後の周辺制圧射撃の先行入力を早くも行っていた。
 ところが、そこでいきなり多恵の眼前に、耳障りなアラーム音と共に、『レーザー照射警報』の文字が表示された。
 噴射跳躍の際に、要撃級に下から殴られる事の無い様に、高度を高めに設定していたことが裏目に出て、平地まで降りてきていた重光線級の1体からの射線が通ってしまったのだ。
 随伴していた『満潮』2機は自動的に対レーザー防御手順に従ってALMを連続発射、すでに多恵の『時津風』は噴射降下に入っており、そのまま着地していれば照射は免れる状況であった。

 しかし、この時多恵は、キャンセルを多用しているいつもの癖で、反射的にキャンセル操作をし、戦車級が多数存在する地点に『時津風』緊急着陸させてしまった。
 当然、周囲の戦車級は大挙して『時津風』に取り付いてくる。
 照射警報を受けた時点で動転していた多恵は、機外映像で大写しされた戦車級の口と、機外マイクが拾った機体の装甲が齧られる音を聞いてパニックを起こし、オープン回線に盛大に悲鳴を響かせてしまったのだった。

 この悲鳴により、先任達を中心として、多恵の操縦していた『時津風』を有人機と誤認して救出しようとする行動が誘発され、作戦は崩壊の一歩手前までいった。
 結果として『時津風』を1機喪失、1機小破させてしまったものの、武の遠隔操作によるS-11の起爆という行動と、的確な指示によって被害はそれだけに留まり、A,C小隊は旧北吉田駅周辺まで後退して、態勢を立て直しつつあった。
 みちるは、自らの失態を猛烈に反省しつつも、白銀によって提示された作戦を承認し、再び勝利が手元へと舞い戻ってきた感触を得ていた。
 その後の武と遙の会話で、遙の変調に気付き、バイタルデータをチェックしたみちるは、遙の精神が過度の緊張状態にある事を示していた数値が、急速に収まっていくのを目の当たりにする事となった。
 その原因が恐らくは武の行動によるものだと確信し、みちるは呆れ半分ではあるものの、内心で武に感謝した。

(……先程の状況は、今までであれば、最低1人、悪くすれば3人程度の戦死者が出てもおかしくない状況だった……
 しかし、戦死はおろか負傷者すら出ず、敵に大損害すら与えている。
 築地の悲鳴に動転した私達が、過去の経験から勝手に危機的状況と誤認してしまっただけで、そもそも、白銀にとっては危機的状況ですらなかったのだろうな。
 ―――いや、白銀は今回の様な『危機的状況』を物的損失のみで収拾可能な、『大した事のない状況』にする為にこそ、対BETA戦術構想と装備群を考え出したのだろう。
 それを、勘違いで無にされかかったのだから、怒鳴るのも当然か。いや、それよりも見事に事態を収拾してくれた事に感謝すべきだな。
 ―――しかし、これで今回の戦いも先が見えたな……)

 みちるが、そこまで考えた時、事態は更なる波乱をもたらした。遙の報告の形を取って。

「ベ、BETAの地中侵攻を確認しましたッ!! 地中設置した振動波観測装置の情報を統合処理した結果、連隊規模のBETA群の地中侵攻を察知しました。
 予測される地上出現地点は旧三条市麻布付近! 斯衛軍本陣の至近ですッ!!」

「―――ッ! 白銀、直ちに斯衛軍に―――「いまやってます!」―――よし、各員自律制御にて、A-01本隊の機体を旧三条市麻布方面に進出させろ。
 地中侵攻しているBETA群が顔を出す前に、北吉田の連中を平らげるぞ! 速瀬、B小隊の時津風は直接旧三条市麻布方面に進出させろ。
 こっちは、A、C、D小隊で十分だ。」

「「「「「「「「「「「「「 了解! 」」」」」」」」」」」」」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 07時07分、旧三条市麻布に置かれた斯衛軍本陣では、武によって知らされた、連隊規模で地中侵攻中のBETA群に対する迎撃態勢が整いつつあった。

「―――解りました。それではそのように致しましょう。……それにしても、白銀のもたらした事物(じぶつ)には驚き入るばかりですね。
 白銀の試作装備が地中侵攻を察知してくれたお蔭で、事前に態勢を整えることが叶いました。さもなくば、我らは少なからぬ損害を受けていた事でしょう。
 試作装備の数々が配備されし後は、どれほど戦が楽になることでしょうか。開発した白銀と、香月博士、そして第四計画を誘致してのけた是親には、感謝してもし切れませぬね。」

 神野大佐に作戦実施の許しを与えた悠陽は、続けて武に対する心情を吐露する。

「そうですな。とは言え、此度は従来の装備で凌がねば為りませぬ故、くれぐれもご油断召されぬように。」

「重々承知しております。……おや、久光殿が参られたようですね。」

 青い『武御雷』と随伴の黒い『武御雷』3機が、悠陽の乗る紫色の『武御雷』へと歩み寄ってくる。そして、青い『武御雷』から通信が入る。

「斉御司久光、お召しにより、馳せ参じました。此度、殿下の直衛に任じられしはこの上なき誉れと存じます。さすれば一心に努めますゆえ、何卒ご安心召されますよう言上奉ります。」

 そう言上する斉御司大佐の表情は苦虫を噛み潰したが如き様相であった。それを見て、軽く笑った悠陽は、からかうように告げる。

「ふふ……そう畏まらずとも構いませぬよ、久光殿。わたくしと共にお飾りになるのが、さぞ悔しいご様子。額に皺が寄っておいでですよ?」

「仕方あるまい。殿下と久光、2人共に斯衛にとっては警護対象である以上、一つ所に在る事こそが望ましい。久光とて、部下に要らぬ苦労はさせたくはあるまい?」

 紅蓮にも諭されると、斉御司大佐は少し吹っ切れた様子で小さく笑い、額の皺を消した。

「此度は堪えると致しましょう。先に希望が見えております故。―――されど、良くぞ地中侵攻を察知なさいましたな。」

「それもまた、白銀よ。それも偶然ではなく、どうやら当初より地中侵攻を警戒して察知する術を用意しておったようでな。
 昨日の演習の折、伏兵を割り出せし術は余禄にて、此度の用法こそが、そもそもの目的であったらしい。
 戦闘開始前に振動波観測装置を複数、地中に設置しておったのが、仕込みであったようだな。」

 紅蓮の言葉の先を悠陽が引き継ぐ。

「いずれにせよ、お蔭で此度は窮地を避けることが叶いました。
 突如として地中より現れるBETAの奇襲には、熟練の衛士でも、為す術も無く倒されてしまう事が少なくないと聞き及んでいます。
 しかし、それも今後は激減する事でありましょう。」

「私も然様に存じます。此度我らが目にした試作装備の数々、一日も早く全軍に配備すべきかと。」

 斉御司大佐が悠陽の言葉に強く頷き、身を乗り出すようにして述べると、紅蓮がその様子をからかうようにして応じる。

「久光、それは昨夜も聞いたぞ。とは言え、昨日は見せなんだ装備も含めて、これ程までにBETAに対して効力を発揮するとはのう。
 しかも、未だ開発中の試作装備まであるらしいぞ?」

 斉御司大佐は思う、近い将来、衛士の戦死者は試作装備によって激減する、それが信じられるが故に、此度の戦で部下を死なせたくないと。

「それはまた……さすれば、此度の戦で徒に兵を損なう事、罷り成りませぬな。」

「まさにそれこそが肝要なのです、久光殿。白銀の対BETA戦術構想の根幹は、熟練の将兵を以ってBETAの物量に対抗するというものと聞き及びます。
 如何に優れた剣があれども、それを振るう兵が居らぬでは話になりませぬ。
 此度は兵の損耗を限りなく避けるよう皆に徹底させてくださいませ。」

 そして、己と意を同じくする悠陽の下知に、斉御司大佐は為しうる限り部下の身命を温存すると方針を定めた。

「しかと承りました、殿下。さすれば暫し失礼を。部下に厳命してまいりますれば。」

 そう言い置いて、斉御司大佐は通信を切断した。そこへ、今度は神野大佐から通信が入る。

「殿下、そろそろ刻限となります。どうか、噴射跳躍の準備を為されますよう言上奉ります。」

「解りました。他の者達も、万事怠り無く備えておりますね?」

「はっ。準備万端整っております。」

 現在、斯衛軍本陣に配置されていた斯衛軍第2大隊を中心とする部隊は、『武御雷』のみを残して、既に東南東に位置する要害山の山間部へと撤収を済ましていた。
 そして、残った『武御雷』は円陣を幾重にも組むようにして待機しており、その最外縁の東南東に悠陽、紅蓮、斉御司大佐の3機の『武御雷』は位置していた。
 BETAの地中侵攻の目標とされていると判明した後も、斯衛軍の『武御雷』が未だにこの地に留まっているのは、BETAを誘き寄せて殲滅するためであった。

 すでに、帝国本土防衛軍第12師団の砲兵部隊はこの地点に照準を済ませており、BETAの出現に時間を合わせて制圧砲撃を実施する手筈になっている。
 試射と照準補正を行っていない事に一抹の不安は残るものの、第12師団も政威大将軍の御座す(おわす)陣地への照準という前代未聞の事に、万に一つも間違いの起きぬように細心の注意を以って準備をしているはずであった。
 無論、神野大佐を初めとして、皆が悠陽を先に避難させようとしたのだが、悠陽が一人難を逃れる事を良しとしなかった為に、斯くの如き仕儀となっていた。

「こちらHQ、斯衛軍本陣の各機に告げる。退避プログラム、開始まで残り……20秒……15……10、9、8、7、6、5、4、3、2……退避!」

 その通信と同時に、悠陽と直衛合わせて6機の『武御雷』は、噴射跳躍によって要害山へと退避を始める。
 しかし、同時に動き始めたのは円陣の中心近くにいた『武御雷』のみであった。
 これは、ぎりぎりまでBETAを引き付ける為の所定の行動であり、中心付近の『武御雷』に続き、そこから外縁へ向かって波紋が広がるように、次々と『武御雷が』噴射跳躍で退避を開始していく。

 そして、上空には制圧砲撃の砲弾が、既に飛来していた。そして、その砲弾を迎撃するかのように、柱のような激しい勢いの土煙が、本陣のあった一帯に無数に吹き上がり、その陰からBETAが続々と這い出してくる。
 しかし、その直後に第12師団砲兵部隊の制圧砲撃の第1射が着弾し、BETAをバラバラに吹き飛ばした。
 その後も続けて砲撃は降り注ぎ、土煙の中から数条のレーザー照射が空へ向かって突き立てられたりしたものの、それもすぐに途絶え、大勢に影響は及ぼさなかった。

 そして、砲撃威力圏の周辺では、制圧砲撃を掻い潜ってしぶとく這い出してきたBETAを、斯衛軍の『武御雷』達が、端から殲滅していく。
 BETA相手では滅多に無い一方的な戦況に、冷静を以って鳴る精鋭斯衛軍の衛士達も、さすがに興奮を露にして満身創痍で転げ出てくるBETAに36mm劣化ウラン弾を撃ちこんでいた。
 そして、夢中になってしまったが故に、一部の衛士は事前に受けた忠告を無にしてしまう。

 傷付いた突撃級に、120mm滑空砲を撃っていた黒い『武御雷』の足元で、突如土砂が吹き上がり、その中から振るわれた、棍棒の様な前腕が『武御雷』の腰部の辺りを強打した。
 左足を付け根からもぎ取られ、その場から吹き飛ばされて地に倒れ伏す『武御雷』。その『武御雷』に、先刻の前腕を振るった要撃級を先頭に、BETA達が土中より姿を現して迫る。

『―――よいな。砲撃によって頭を押さえられた地中のBETAの一部は、進路を変更して異なる地点にて地上に出現する可能性がある。
 砲撃威力圏内から這い出てくるBETAを殲滅する際には、常に足元への注意を怠ってはならんぞ。』

 ブリーフィングの際に、神野大佐から聞いた言葉を『武御雷』の衛士は思い出し、人生の最後に思い出すのがこれかよ、と、顔を顰めて目を瞑る。
 わさわさと、生理的嫌悪感を刺激する動きで、『武御雷』の脇に近付いてきた要撃級が前腕を振り翳す。
 ―――しかし、寸刻の後、『武御雷』の衛士の元に届いたのは、死の前腕による打撃ではなく、ラジオコール、クレスト2からの叱咤であった。

「貴様! 殿下を御守りせねばならぬこの戦場で、足掻こうともせずに易々と諦めるとは惰弱極まりない行為であるぞッ!
 後で部隊長に一から性根を叩き直してもらうがいい! 解ったら、這ってでも後方へと下がれ。私とて、何時までもここには居らぬぞッ!!」

 慌てて閉じた目を見開いた衛士は、己が乗機の脇で36mm弾にズタズタにされた要撃級と、その向うに仁王立ちになり、弓手に87式突撃砲を、馬手に74式近接戦闘長刀を構え、近くは刀の錆びに、遠くは弾雨にて屍と化さしめる、赤き『武御雷』の姿が見えた。
 損傷した『武御雷』の衛士には這ってでも下がれと言い捨てたクレスト2―――月詠であったが、随伴する3機の内2機に命じて、片足を失い噴射跳躍ユニットをも損壊したらしき『武御雷』を後方へと搬送させた。

 そして、残る1機を連れて砲撃威力圏の周囲を噴射跳躍によって高速で周回する。そして移動の最中にも、的確な射撃や、着地から跳躍までの合間に振るう長刀の一閃を以ってして、BETAを次々と葬っていく。
 そして、先程の衛士のように、危地に陥った者を見つけては、月詠は救援に赴くのであった。
 この任務を月詠は、青を纏う斉御司家の御曹司であり、第6連隊長兼第16大隊長である斉御司大佐より直接拝命していた。
 しかも、政威大将軍殿下のご懸念を晴らすべく発せられたものである事も、その折に聞き及んでいる。
 それ故に、月詠は己が持てる力の限りを尽くして、只の一人も戦死させぬように、戦場を疾駆していたのであった。

 しかし、如何に月詠が技量に優れ、試作OSを先行搭載した赤の『武御雷』を操っているとは言え、所詮は1機の戦術機に過ぎない。
 その手の届かぬところでBETAの手にかかるものも出始めていた。
 斯衛とて、皆が皆歴戦の勇士である訳が無く、此度の戦が初陣となるものも少なくなかった。
 警護任務が主体である斯衛は、やはりBETA相手の戦場からは、程遠い場所で責務を果たす事が多かったのである。
 無論訓練は苛酷であり、個々の技量は帝国軍の富士教導隊にも劣らぬと言われているが、やはり戦場での経験ばかりは訓練だけでは身に付かない。
 BETAの動きを読み切り、先手を取って尚、斯衛は予断を許さぬ苦しい戦闘を強いられていた。

「くっ! 不味い、あそこでは遠すぎる……私が辿り着くまで、何とか持たせて見せぬか……貴公らも斯衛であろうにッ!!」

 地中から飛び出したBETAの1群に3機の『武御雷』が囲まれた事に気付き、急遽駆け付けようとする月詠。しかし、その場までの距離はあまりに遠すぎた。
 この上は、彼の地の衛士達の奮闘に望みを託すしかなかったが、3機の内2機が斯衛軍衛士訓練学校上がりの新任である事を、月詠はデータリンクから読み取っていた。
 状況の悪さに諦念を抱きかけ、しかし即座に振り払った月詠は、不退転の決意を以って突き進む―――と、その時、データリンク上のBETAのマーカーが4つ、ほぼ同時に消えた。
 この機を逃さず、包囲下で新任を庇っていた熟練衛士が退路を切り開き、『武御雷』3機は包囲を破って後方へと逃れる事ができた。

 その時になって、月詠は西の方より接近してくる1群のマーカーに気が付いた。
 マーカーの所属は国連軍横浜基地、A-01連隊であった―――

「くそっ、もう少し早くに到着できていれば……」

 87式支援突撃砲から第2射を放ち、更に1匹の突撃級を仕留めた武は、渋い顔をして呟いた。葉子、祷子、晴子の3人もまた、NOEの最中でありながら第2射を放ち、それぞれBETAに命中させていた。
 BETAの地中侵攻を予見して斯衛に警告を発し、BETA第2群の本隊を殲滅と並行して自律制御で複座型『不知火』7機他の戦力を急行させたにも係わらず、A-01の到着を待たずして戦場は混戦状態へと移行してしまっていた。
 そして、広域データリンクによると、斯衛軍は既に5機の『武御雷』が中大破の損傷を出している。しかも、KIA(戦死)が2名。

 武は、自らが呼び寄せた斯衛軍から戦死者が出てしまったことに、自責の念を感じる反面、従来の迎撃戦闘に比べれば、損耗は皆無に等しいレベルに過ぎないという事も、冷徹に計算していた。
 そして、帝国軍に損害が皆無であるにも拘らず、斯衛軍が政威大将軍殿下の親征の下、損害を出してまで矢面に立ってBETAを殲滅したという、これ以上は望むべくもない最良に近い状況が現出した事を、武は内心で喜んですらいた。
 自分のその考えが、見知らぬ衛士の死を数字としてのみ捉えたが故のことであり、親しい者の死でないからこそ可能な思考であると、武は自らを顧みて嫌悪感を抱く。
 しかし、同時に『前の世界群』で悠陽に聞かされた一節、『自らの手を汚すことを、厭うてはならないのです。』という言葉を思い出し、武は心中で自分自身を叱咤した。

(オレは、オレ自身が下した決断によって生じた結果から、目を背けちゃいけないんだ!
 今回、オレは打てる限りの手を打ち、思いつく限りの有りと有らゆる方策を用いて、事に当たった。
 勿論、全てが思い通りになるなんて、有り得ない。何処かで必ず犠牲は出ると解っていた。
 それでも―――それでもオレは足掻き続ける! オレに出来る範囲でより良い未来を引き寄せる努力を決して止めない!
 無論、犠牲は極力減らせるように手を尽くす。けど、犠牲が出ることを恐れて―――『自分の手を汚すことを厭うて』流れに身を任せる事だけは絶対にしない!!
 そうでなくて、どうやって純夏達に、そして以前のループで死んでいったまりもちゃんや仲間達に顔向けが出来るって言うんだ……
 BETAとの戦いはまだまだこれからだ。どうやったって、屍山血河を築く事は避けられない。
 払った犠牲の重さを軽んじたら駄目だ! その重さを認めて、それでも尚、犠牲を払って歩き続ける。そして、何時か必ず、払った犠牲に見合うだけの未来を、必ず手に入れるんだッ!!)

 ―――そして、A-01は、地中を侵攻していたBETA第4群への攻撃を本格的に開始した。
 7機の『不知火』は、内6機をみちる、美冴、葉子、祷子、柏木、智恵の6人が操縦を担当して狙撃による援護砲撃を開始し、残る1機を紫苑と葵が2人で操縦して他の6機の直衛に当たった。
 遙は『満潮』を近隣へ派遣して振動波観測装置を追加設置し、地中に潜む残存BETAの動向を分析する。
 そして、武、水月、茜、多恵、月恵の5人は、『時津風』を砲撃威力圏周辺へと展開し、遙の振動波観測データ統合処理の結果に従って、残存BETAの殲滅を開始した。
 残存BETAの動向予測は、武を通じて斯衛軍にももたらされ、戦況は一気に人類の側へと傾いた。
 そして、07時29分。斯衛軍演習司令部は、上陸したBETAの9割以上を殲滅したと断定。以降は帝国本土防衛軍第12師団による周辺警戒と残存BETAの捜索・殲滅に委ねる事とした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時03分、斯衛軍長岡野外演習露営地は戦勝に湧き立っていた。

 斯衛軍の将兵にとっては、此度の戦でたった2名の戦死と10機に満たない戦術機の損耗のみで、旅団規模のBETAを撃退できたのは、政威大将軍殿下の御威光以外の何ものでもなかった。
 例えその戦果の大半が斯衛軍衛士ではなく、国連軍衛士によってもたらされたものだとしても、その国連軍部隊自体が殿下と紅蓮大将の名の下に招かれていた以上、斯衛にとっては全ては殿下の先見の明であるとしか思えないのであった。
 とは言え、実際に彼の部隊が多大なる武勲を挙げた事は周知の事実であり、戦場での装備回収に手間取って、露営地への帰参が遅れていた国連軍部隊が姿を現した時には、手隙の者が揃って出迎える騒ぎとなった。
 斯衛軍将兵の歓呼に手を振って答えた『不知火』も居たが、叱責を受けたのか直ぐに止めてしまい、戦術機41機と支援車両22台で構成された軍勢は、そのまま国連軍区画へと姿を消してしまった。
 今回派遣されてきた国連軍部隊が機密部隊である事も参陣する斯衛軍将兵には周知されていた為、不満の声は上がらなかったが、些か残念そうに時折振り返りながらも、将兵達はお互いにあれこれと意見を交しつつ、それぞれの配置へと戻っていった。
 そして、周囲の人影が絶えた頃、1台の車が国連軍区画を後にした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時32分、斯衛軍演習司令部内貴賓区画の応接間に、1人の青年が招きいれられた。

「国連軍A-01連隊所属、白銀臨時中尉が見えられました。」

 取次ぎを任されていた白服の斯衛少尉はそう言上すると、自分が開けたドアの手前で一礼し、脇へと退いて後に控えていた武に道を空ける。

「白銀武臨時中尉、お召しにより参上仕りました…………って、なんで笑われなきゃなんないんですか?!」

 この部屋に来るまでに何度も口の中で練習していた台詞を、上手い事噛まずに喋れたと思ったら、室内に居た全員に失笑されてしまった武は、礼儀をかなぐり捨てて苦情を申し立てた。

「こ、これは済まぬ事をしました……ぷっ……されど、そなたがあまりに似合わぬ殊勝な物言いを致すものですから、つい…………
 こほん。白銀? 人目の無き所でまで、その様に畏まる事はありませんよ? 何よりそなたは無頼なところが面白……いえ、持ち味なのですから。」

「くくっ、誠に殿下のおっしゃる通りですな。殊勝な白銀なぞ、見ていて道化にしか見えませぬからなぁ。」

「いやいや、お二方、あまりあの者を贔屓なさって増長させてはなりませんぞ。ここはひとつ礼儀というものを―――ブフッ!
 ……れ、礼儀正しい白銀……ぶははっ……確かに道化かもしれませぬな。」

 一体何がツボに嵌まったのか、盛り上がっている3人を白い目で見やってから、白銀は数歩3人の側へと歩み寄って、憮然として問いかけた。
 …………まあ、このあたりの不敬な態度こそが、3人の白銀に対する人物評の根幹となっているのだが、武自身は気付いてはいない。

「それで、私はここで跪拝(きはい)でもすればいいんですか?」

「いや、これは済まん。そちらに腰掛けるが良いぞ。疲れている所を早々に呼び出して済まなんだな。」

 紅蓮はようやくにして笑いを収めると、武にテーブルを挟んだ向かいの席を進める。悠陽も些か反省する面持ちとなり、目蓋を閉じて謝意を示すと、続けて今回の防衛線における武とA-01の働きに言及した。

「そうですね、些か礼を失してしまいました、お許しくださいましね。
 ……さて、白銀、此度の働き誠に大儀でした。また、そなたらの部隊の戦功著しき事、誰一人疑うものも居りますまい。
 そして、そなたが提唱する対BETA戦術構想も、実際のBETAを相手取ってあれだけの効果を出して見せたのです。
 最早実効性を疑うものも居らぬでしょう……いえ、みな争うように各種装備を求めるに違いありません。」

「うむ。久光もおもちゃをねだるように、一刻も早い自らの隊への配備を願っておったぞ。」

 それを聞いて、頃合と見た武は、持参した記憶媒体をテーブルへと置いた。

「では、これをどうぞ神野大佐。試作OSを除く対BETA戦術構想第1期装備群の技術資料と、開発時点で想定された運用モデルのデータです。
 試作OS用の高性能並列処理コンピューターの性能に依存しているものも多いのですが、それ以外はそのデータがあれば幾らでも作れますし、応用も利くはずです。」

 武が何気なく言った言葉に、向かいに座る3人の表情が驚愕に彩られた。

「なに?! それは……いや、確かにありがたいが、そんなに簡単に出してしまって構わないのか?」

 神野大佐が、記憶媒体に手を伸ばしながら、武の表情を伺うようにして訊ねてくるが、武は一笑して手を振って些細なことだと切って捨てた。

「実物を運用する所をお見せしてしまいましたからね。そこに入っているのは、技術的には既存の技術だけですから、隠したところで、どうせ何時かは再現されてしまいます。
 それくらいだったら、最初から全てお渡しして、そちらの時間を有効に使ってもらった方が良いですからね。
 こっちで済ましてある試行錯誤を、そっちでもやり直すなんて二度手間も良いとこですし。
 そのデータがあれば、82式戦術歩行戦闘機『瑞鶴』の遠隔支援機化も出来ると思いますよ。『撃震』改修型遠隔陽動支援戦術機『天津風(あまつかぜ)』の基礎研究データも入ってますから。
 もっとも、そっちの方は、うちでは実機検証はしてないんですけどね。なにしろ『満潮』を優先してしまったもんで。
 あ……そう言えば、試作OS以外でもう1つだけそこに載ってない技術がありました。
 BETAが有人兵器に強く反応する習性があるので、輸送機である『満潮』を除き、陽動支援機には生体反応欺瞞用の素体を搭載する仕様になってるんです。
 この素体を用意してくれたのは香月副司令なので、その技術資料は抜けているはずです。まあ、これはそちらでも何とかなる技術だと思いますけどね。」

 武の言葉に感心しながらも、神野大佐はついに記憶媒体を手に取った。

「生体反応欺瞞? 有人機に見せかけているのか! そんなところまで、よくもまあ……」

「まあ、そんな訳で、そこに入ってるもの以外は、香月副司令と交渉して下さい。あの人は結構出し渋りますからね。
 試作OSの斯衛への提供自体は了承を得ていますけど、対価はそちらの交渉次第です。頑張ってください。」

 武はそう言うと、神野大佐の視線が記憶媒体に釘付けになっているところを見計らって、紅蓮に目配せをした。

「大層それの中身が気になるようだな空王。それを持って下がっても良いぞ。
 早速技術畑の人間に見せてやるが良い。何か疑問が出ても、白銀が帰る前であれば訊ねることも出来るであろうからな。」

 武の意を汲み取って紅蓮が水を向けると、悠陽もそれに呼応した。

「そうですね。白銀もそうそう帝都城に呼び出すわけにも参りません。本日で済むことであれば、そのほうが良いでしょう。
 空王、紅蓮の申すようになさい。―――そうそう、くれぐれも斯衛の外には漏らさぬように。」

「はっ! しかと承りました。」

 すると、神野大佐は満面に喜色を浮かべ、悠陽、紅蓮、次いで武に暇を請うと、記憶媒体を手に急ぎ退室して行った。
 それを見送ると、紅蓮が武を見てニヤリと笑う。

「どうだ、これでよいか? 白銀。」

「ええ、これで第四計画絡みの話が出来ます。お手数をおかけしました、殿下、紅蓮大将。」

「いえ、空王を同席させたこちらに配慮が欠けておりました。
 されど、あの記憶媒体は、神野を遠ざけるために出されたのですか?」

 さらりと訊ねる悠陽だったが、その瞳は冷たい輝きを秘めていた。

「いいえ。先程言った通り、斯衛に無駄な時間を費やしていただきたくないだけです。
 あの中身はオレが思い付いた事なので、香月副司令はあまり気にかけてないんですよ。なので、お渡しできるんです。
 ―――それに、今回の戦闘では斯衛に2名の戦死者が出てしまいましたからね。なるべく早く、犠牲者を減らしたいんです。
 この度は、斯衛を出陣させていただきありがとうございました。彼らの挺身には必ず報いて見せます!」

 その悠陽の瞳を真っ直ぐに見返して、武は2人の斯衛の死を決して無駄にはしないとの覚悟を示した。
 悠陽は、瞳の中の光を和らげ、困ったように頬に手を当てて応えた。

「まあ……白銀、そのように熱い眼差しで女子を見るものではありませんよ?
 こう見えて、わたくしは殿方に免疫がないので、動悸が激しくなってしまうではありませんか。」

「…………は?」

 突然目を伏せた悠陽が、恥らうように言い出したため、武は間抜けな声を出したきり、目を丸く見開いて硬直した。

「む……白銀、貴様このわしの目の前で殿下を篭絡しようとは…………うむ! その意気や良しっ!! がはははは。」

 紅蓮までが突拍子もない事を言い出したため、ようやく武にも自分が遊ばれていると判断がついた。

「…………あ~……なるほど、遊んでますねお二人とも。
 なるほど、そういう事でしたら、オレはこれで失礼させていただいて、事の顛末を月詠中尉……いえ、大尉にお知らせすることにしましょう。
 後は、月詠大尉を交えてじっくりと話をなさってください。では……」

 武はそう言って席を立とうとするが、それを悠陽と紅蓮が慌てて引き止める。

「お、お待ちなさい、白銀。わたくしの戯れが過ぎました。謝りますゆえ、待つのです。ま、真那さんも、戦闘直後で多忙なはずですし……」
「そうだ、ほんのちょっとした遊びではないか。これしきの事で騒ぐな、白銀。それ、席に戻らぬか、月詠にはこの事断じて漏らすでないぞ?」

 慌てる二人を暫し立ったまま見下ろした後、武は再び腰を下ろした。

「では、真面目なお話をさせていただいて構いませんね?」

 腰を下ろした武が訊ねると、悠陽と紅蓮は、揃って大きく首を縦に振り、安堵に胸を撫で下ろした。
 やはり、この2人でも月詠さんの説教は苦手なのか、などど思いつつ、武は本題を切り出した。

「さて、BETAの侵攻が現実になったところで、以前にお知らせした残る未来情報についてお知らせします。
 オレの記憶では、12月05日未明、帝都守備連隊がクーデターを起こし、榊首相他、内閣閣僚数名を殺害します。」

「なっ―――!」「む、なんとっ!」

 武の話の内容に、驚愕する悠陽と紅蓮。武は取り合わずに話を続けた。

「首謀者は帝都防衛第1師団第1戦術機甲連隊所属の沙霧尚哉大尉。
 クーデターには帝国軍富士教導隊も加わっていました。
 決起の切っ掛け、大義名分となったのは、天元山の噴火に際して帝国軍が行った、不法帰還民の強制疎開と難民収容所への移送に対する批判。
 そして、殿下のご意志に従わずに国政を壟断(ろうだん)し、国民を蔑ろにする奸臣、国賊の誅殺と殿下の復権です。」

「…………」「む、確かにそれは……いや、しかし榊は……」

 目を瞑り、何事かに想いを馳せる悠陽。そして、沙霧の目指すものに賛同しつつも、榊首相の想いを知るが故に戸惑う紅蓮。
 武はさらに話を続け、クーデターの暗部をも白日の下にさらす。

「ですが、クーデターを使嗾(しそう)し、また暗躍して環境を整えていたのは、極東での復権を望み、あわよくば第四計画の接収をも視野に入れていた、米国と国連上層部の第五計画推進派の仕業でした。
 彼らは、反体制派の若手士官達を扇動し、決起に至る諸条件を整えてやり、決起に際しては親米派の政治家達を逃がして仙台に臨時政府を樹立し、事前に日本近海へ派遣していた米国第7艦隊の国連緊急展開部隊編入を安保理にて承認させ、クーデターの鎮圧を米軍主導によって行うことを企図しました。」

「なんと、米国の奴原(やつばら)めが、そこまでやりおるか!」

 武の言葉に再び驚愕し、激怒する紅蓮。悠陽は何かを堪えるが如く、唇を引き絞る。

「オレの記憶では、第五計画推進派に日本国内の主導権を握られることを嫌った香月副司令が、第四計画所属部隊を動かして、米軍の支援下ではあるものの、横浜基地所属の日本国民で構成された部隊によって殿下を救出、そしてクーデターの首謀者である沙霧尚哉を討伐しました。
 その結果、対米感情の悪化と引き換えに、国連軍横浜基地への評価は高まり、仙台臨時政府は解散し、殿下は実権を回復なさいました。
 しかし、その経過において、日米の多くの将兵の命と装備が失われたのです。」

 ここに至って、ついに悠陽が震える唇を開いた。

「わたくしが至らぬが故に、そのような犠牲を民に強いる事になろうとは……
 白銀、良くぞ教えてくれました。そなたがもたらしてくれたこの情報、必ずや無には致しません。
 紅蓮、クーデターは必ずや阻止いたしますよ。」

「御意ッ!」

 悠陽の言葉に、短く、しかし強い意思を込めて応える紅蓮。しかし、武はここで新たな一石を投じた。

「いえ、クーデターは、オレの記憶通りに起こしてもらわないと困るんですよ。」

「なにぃッ!!」「な、なんと……」




[3277] 第42話 妖怪ぬらりひょん
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:47

第42話 妖怪ぬらりひょん

2001年11月11日(日)

 18時23分、演習派遣部隊A-01は国連軍横浜基地へと帰還を果たしていた。

 出迎えは整備班の装備受け入れチームのみ。『時津風』の喪失1機、中破2機を初めとした、装備の損耗情報が記録された記憶媒体を整備班長に渡すと、武はブリーフィングルームへと急いだ。
 ブリーフィングルームではヴァルキリーズの13人が、思い思いに寛ぎながら、武が来るのを待っていた。
 そして、今回の演習派遣のデブリーフィングが開始された。

「まず、このデブリーフィング終了後、PXで慰労会を行います。夕食の時間は遅くなりますが、その分いつもより凝った料理が出ると思いますので我慢して下さい。
 さて、今回の演習派遣ですが、当初の予想を遥かに越える結果を出していただきました。ヴァルキリーズのみなさんには、試作装備の研究・開発責任者として、感謝します。
 本当に、ご苦労様でした。殊にBETA相手の実戦データが収拾出来た事は僥倖でした。
 今回のデータを基に、必ずや試作装備群は近い将来に実戦配備され、人類の刃となるでしょう。」

「「「「「「「「「「「「「 ―――ッ! 」」」」」」」」」」」」」

 武の言葉を聞いて、ヴァルキリーズは、今回自分達が運用した試作装備群を前面に押し立てて、BETAを駆逐する人類将兵の姿を思い浮かべる。
 ―――それは、人類がBETAを圧倒する、夢のような情景であった。

「演習露営地を出発する前に、斯衛軍司令部に寄って意見交換をしてきましたが、斯衛軍内部での評価も上々のようでした。
 この点でも、みなさんは十分に任務を完遂してくれたと思います。
 最後の締めくくりとして、明後日までに、今回の派遣任務の中で試作装備を運用した所感を、報告書として個々人でまとめ、伊隅大尉に提出して下さい。
 それを以って、今回の派遣任務は完了とします。いいですね?」

「「「「「「「「「「「「「 ―――了解! 」」」」」」」」」」」」」

「最後にもう一度言いますが、みなさん本当にご苦労様でした。―――伊隅大尉、何かあればどうぞ。」

 武の言葉を受けて、みちるが演壇に立つ。

「よし、私からは一言だけ。よくぞBETA相手の実戦で生き残ったな。特に新任達はこれで死の8分を切り抜け、衛士としても一人前だ。
 今後も厳しい任務が続くだろうが、白銀に与えられた装備を活用することで、我が隊は今までに以上に成果を出せる筈だ。
 総員、今回の経験を基に、切磋琢磨してより高みを目指せ。いいなッ!」

「「「「「「「「「「「「 はいッ!! 」」」」」」」」」」」」

「よし、では、質問がなければこれでデブリーフィングは解散とする。何か―――麻倉か、珍しいな、なんだ?」

 みちるは、即座に勢いよく挙げられた手の主、月恵に発言を許す。すると、月恵は勢い込んで大声で発言した。

「はっ! 慰労会は何時開始でしょうかッ?」

 月恵の質問に、ガタタッと、その場に居る人間の半数が、脱力のあまり腰砕けとなって物音を立てる。

「19時30分からだ! 場所はいつものPX。ただし、今日は京塚のおばちゃんが出張してきてくれるから、期待できるぞ。
 けど、そんなのデブリーフィング終わってからでいいだろッ!」

「あ~っ、怒んないでよっ。中尉っ男前っ!」

 武が質問の答えを告げた後、文句半分に注意したが、月恵は悪びれずにウィンクをしてくる始末であった。

「まあいい。他にはないな?―――よし、では解散!」

「―――敬礼ッ!」

 水月の号令に全員が敬礼して、デブリーフィングは解散となった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時48分、デブリーフィング後、伊隅大尉が夕呼に報告すると言っていたため、武はまずはシリンダールームを訪ねることにした。

「よう、霞、ただいま~。全員無事に帰ってきたぞ~。」

 室内へと入った武が声をかけると、シリンダーに浮かぶ純夏に向かっていた霞が、振り向いて武の方を向いた。

「……おかえりなさい……どうでしたか?」

「ん? 演習か? BETA迎撃か? まあ、どっちもそれなりには上手くいったよ。満足はしてないけど、出来る限りの事はしてきた。」

「……そうですか…………役に立ちましたか?」

「試作OSか? 第1期装備群か? いずれにしても効果絶大ってとこだな。斯衛の衛士達も目を丸くしてたよ。―――あ、そうそう、同期コンボも使ったぞ。
 霞のお蔭で、何とか試作OS搭載の月詠さんの『武御雷』を倒せたよ。ありがとうな、霞。」

「……よかったですね…………ッ!」

 武に礼を言われて微かに笑みを浮かべて応じていた霞の表情が引き締まり、髪飾りがピクンッ! と跳ねた。

「…………あの人が来ました…………来て下さい……」

「あの人?………………ッ! 鎧衣課長か?!」

 武の問いに、霞は黙って頷いた。そして、2人は灯りの落とされた夕呼の執務室へと入っていく。
 霞は、執務室の中央付近まで進んで静かに立ち止まり、武はシリンダールームから移動してくる間、ずっと閉じていた右目を開けて、薄暗い室内を見回した。
 すると、書架の陰に隠れるようにして佇む人陰がぼんやりと見て取れた。
 同時に霞もそちらへと振り向く。すると、その人影はゆっくりと歩み寄ってきて穏やかな声で武たちに話しかける。

「おやおや、気付かれてしまったか。博士なら司令所に行きましたよ。」

 薄明かりに照らされて苦笑いをしている男は、武の予想通り、帝国情報省外務二課課長である鎧衣左近であった。
 武は不意を打たれないように警戒しつつ、極力穏やかに問い返す。

「どなたですか? 名乗ってもらえないとなると、不審者を発見した兵士として振舞わないとならないんですけど。」

 端的に要求と、従ってもらえない場合の行動予定を告げた武だったが、その程度でマイペースを崩される鎧衣課長ではなかった。

「はじめまして。いやはやしかし……まさか……本当に君がいるとはなぁ。」

 更に歩み寄った後、瞬間的に速度を上げて、瞬時に間合いを詰めようとした鎧衣課長に対して、武は何とか腰を落として身構えることに成功した。

(今の間合いの詰め方……美琴が何度かやるのを見た覚えがある……やっぱ親父さんなんだな……)

 鎧衣課長は、2歩ほど下がって間合いを広げ、感心したような言葉を発する。

「―――む、私に懐を取らせないとはなかなかやるな。シロガネタケル……本物か……」

 一瞬だけ、獰猛な気配を鎧衣課長が発する。もう一度来るかと武が身構えようとすると、それより早く霞が武の腰の辺りにしがみついてきた。
 すると、鎧衣課長はまとう気配を緩め、霞に向かって話しかけた。

「警戒しなくても大丈夫だよ、社霞……ちゃん? どうせしがみつくなら、おじさんにしないか?
 このスーツは私の自慢でね、今となっては中々手に入らない貴重品なんだ。
 生地の手触りが最高で……どうだい、触ってみたくはないかね? シロガネタケルくん。」

 鎧衣課長は言葉の途中で、武に視線を転じて話しの矛先を変えた。武はその言葉を受けて、肩を竦めて応える。

「そうですね。望めば何でも叶うとは思わないことだな……とか言われないのなら、是非触ってみたいものですね。」

「む……予防線を張るとは面白みのない男だな、シロガネタケルくん。
 ―――しかたない。そうまでして触りたいと言うのなら、特別に許してあげようじゃないかね、シロガネタケルくん」

「霞、ちょっと下がっていてくれ。―――じゃ、遠慮なく。帽子も触らせてもらっていいですかね?…………じゃ、遠慮なく。
 ……………………あなたは、一体何処のスパイですか? ナイフに針に……帽子の中のは吹き矢ですか?
 金属探知機に引っかからなければいいってモンでもないでしょうに。」

「遠慮のない男だな、シロガネタケル。他人の秘密を暴き立てるとはあまり趣味がいいとは言えないな。
 どうやら、よほど警戒させてしまったようだね……シロガネタケルくん。」

 武の身体検査を抵抗もせずにやらせておきながら、鎧衣課長の言葉は武への非難が溢れかえっていた。

「そうやって名前を連呼するから警戒されるんですよ。で? そろそろ、お名前を伺ってもいいですかね?」

「いいだろう、それほどまでに私の名前が知りたいのなら……私は微妙に怪しい男だ。
 ちなみにその微妙さ加減は……例えるなら……」

 武は、話し続ける鎧衣課長から再び距離を取って、話を大人しく聞き流し続けた。

「…………ちゃんと聞いているのかね? シロガネタケルくん。」

 延々と3分ほど話し続けた後、鎧衣課長はふと気付いたかのように武に訊ねた。

「ええ、あなたのお名前が未だに出てきていない事がわかる程度には。」

「……無礼な男だな、シロガネタケルくん。人の話はちゃんと聞くものだ。」

 と、そこで部屋の明かりが灯り、執務室の入り口から夕呼が入ってきた。

「騒がしいわよ。人の部屋で何やってるわけ?」

「こんばんは、香月博士。」

 観念したように目を瞑って薄く笑った鎧衣課長は、慌てず騒がず夕呼に丁重に挨拶をする。
 そして、武も夕呼の非難を免れるために、自分に都合のいい言い訳を夕呼に告げる。

「あ、香月副司令。鎧衣課長がお出でになっていたんで、少々お話を伺いながら監視しておきました。」

「そ、あんたにしては上出来ね。」

 それほど本気にしていないのか、武の話をさらっと流して執務机の方へと歩み寄る夕呼。

「はて……私はいつの間に名乗ったのかな? シロガネタケルくん。」

 名乗ってもいないのに、役職付きで武に名指しされてしまった鎧衣課長が、眉を上げて困惑したような表情を取り繕って訊ねる。

「結局、お名前は伺えませんでしたけど、情報省外務二課課長の鎧衣左近さんじゃないんですか?
 香月副司令から伺っている為人からすると、間違い無さそうに思えるんですけどね。」

「おやおや、自己紹介をしているつもりだったのだが、無用なことだったかね? シロガネタケルくん。」

「いえ、十分に個人を特定できる内容でしたから、ある意味ちゃんと自己紹介になってたと思いますよ?
 あ、それから、名前を連呼されても、もう突っ込まないですから、期待しないでくださいね。」

 鎧衣課長の言葉に、『前の世界群』での記憶を基に、武は、迷走する言葉の行き先を塞いで回るように話す。
 全く自分のペースに乗ってこない武に、さすがの鎧衣課長も眉を顰めた。

「……まったく。本当に面白みのない男だな、シロガネタケル。」

「面白くなくても一向に構わないけど、礼儀くらいは心得て欲しいもんね。
 入室の許可……どころか、面会の予約をもらった覚えもないけど?」

 鎧衣課長がやんわりとあしらわれるという、中々見れない場面を人の悪い笑顔で眺めていた夕呼だったが、一段落着いたところで、まずは文句を付ける事で、話を進める合図とした。

「いやぁ、部屋の前に立ったら扉が開いてしまったんですよ。」

「先程、鎧衣課長から副司令は指令所に行ったって教えてもらいましたよ。わざと後姿見送ってから部屋に入ったんでしょうね。」

「へぇ~。あんたにしては、口が軽かったみたいじゃないの?」

 武は援護射撃のつもりで、鎧衣課長に不利になるような発言をし、夕呼は当意即妙にそれを拾い上げて鎧衣課長に投げつける。

「さて、そんな事を言いましたかな。妄想癖でもあるのかね? シロガネタケルくん。」

「口の減らない男ね。大体、世間話をしにきたわけじゃないんでしょ?
 用が無いなら、さっさと帰ってちょうだい。大体、あんたに頼んどいた件はどうなってんのよ。」

「ひとつしかない口が減ったら大変ですな……わはははは……
 おお、そう言えば博士に頼まれて、ニューヨークくんだりまで足を運んだのでした。
 しかし、土産に眠気覚ましの天然コーヒーを買い求めてまいりましたが、最近は思いの他良くお休みのようで。
 肌の血行も良いようですし、博士の美貌が更に際立っておりますな。」

 とは言え、鎧衣課長も、その程度の言葉の応酬で恐縮するほど柔ではなく、相変わらず本題には入らずにのらりくらりとはぐらかし続ける。
 その様子にとうとう夕呼が話の流れを無理矢理断ち切った。

「―――はいストップ。で? 本当は何しにきたわけ?」

「ですから、ニューヨークでの報告ですよ。
 先日の爆薬満載のHSSTの件ですが、どうやら国連軍上層部の移民推進派と、反オルタネイティヴ派の急進派が手を組んだようですな。
 実は先日来、反オルタネイティヴ派の中で、横浜基地所有のG元素が浪費される前に接収せよとの声が高まっておりましてね。」

 鎧衣課長の話で裏の事情が読めたのか、ニヤリと面白そうな笑みを浮かべて夕呼が応じた。

「ふふん、なるほど……XG-70の引渡し交渉が裏目に出たってわけね。」

「さすがは香月博士。彼の機体を稼動させるとなれば、G弾の原料となるG元素が湯水のように消費されていきますからなあ。
 G弾信奉者にとってはさぞや許し難い浪費に見えることでしょう。
 移民推進派にとっても、彼の機体を運用した結果、通常戦力に大損害を被るのではないかと、戦々恐々としている様子。
 その繊手の一振りで、これ程多数の者たちを右往左往させるとは、香月博士も罪な方ですな……はっはっはっ……」

「ま、馬鹿共が何考えようが、実害が無ければなんてことないわ。それより、さっさと本題に入りなさい。」

「ならば、アメリカインディアンのトーテムポールに用いられているクレストについて少し……」

「却下よ。」

「トーテムポールとはそもそも……」

「鎧衣課長?!」

 夕呼が声のトーンを下げて、おどろおどろしい声をだすと、壊れていた蛇口が直ったかのように、鎧衣課長の口から情報が滔々と流れ出した。

「帝国軍の一部に不穏な動きがあるようでして……恣意的な配置移動などが幾つかと……おお、そうそう、近く戦略研究会なる勉強会が結成されるようでしてね。
 さすがに優秀な将校ともなると勉強熱心なものですなあ……何を勉強するのかにも寄りますがね。
 おや? あまり興味が無いご様子ですが、それで済まないことは分かってらっしゃるでしょう? 香月博士。
 もし彼らが事を起こせば、日本に政治的・軍事的空白が発生してしまうのですよ?
 当然、横浜基地もその影響を免れることは出来ない。
 そうなれば国益に聡い彼の国がどう動くか……反オルタネイティヴ勢力や国連内部の移民推進派も黙っちゃいないでしょうなあ。
 まして、オルタネイティヴ計画を秘密裏に誘致した現政権が倒れてご覧なさい……ああ、恐ろしい。
 先頃のHSSTの件も、無関係ではありませんよ?」

「黙って聞いていればぺらぺらと……大体そいつらの手伝いをして、あちこちに火種を放り込んでるのはあんたでしょ?
 うちまで延焼させられちゃ、たまんないのよね~。
 大体、あたしはそんな下らない騒ぎになんて興味ないわ。あたしの邪魔にならないんだったら、何だっていいのよ。」

 しかし、鎧衣課長の話は、武から情報を既に得て、裏も幾つか取っている夕呼にとって目新しいものではなかった。
 おまけに、鎧衣課長が自分の目的のために、夕呼をけしかけようとしている事も解っている為、必然夕呼の態度は邪険なものとなった。

「おやおや……何か勘違いをされてしまったようですな。
 それにしても、博士の興味はオルタネイティヴ4を完遂する事のみ、ですか……
 どうやら、あまり目新しい話ではなかったようですね……私とした事が、少々旬を逸しましたか。」

 眉を顰めて、叱られた犬の様にしょんぼりとして見せる鎧衣課長。しかし、夕呼は取り合わずに更に先の話を促す。

「……で、本当は何しに来たわけ? どれも、わざわざ足を運んでまで知らせる問題じゃないでしょ。」

「そこまで期待されては仕方がない。本題に入りましょうか?
 実はここ最近、奇妙な現象が続いておりましてね。
 国連の最重要機密計画を所轄する、某女性博士の動向が急変いたしまして。
 それまで欠片も興味を示さなかった、戦術レベルの装備開発に力を入れてみたり、配下の部隊を帝国斯衛軍の演習に派遣してみたり……
 おお、そう言えば、若い燕を囲ったという噂までありましたなあ。」

「…………まるで、どこかで聞いたような話だけど。それがあたしに何の関係があるのかしら? ねえ、鎧衣課長?」

 答え如何によっては、その商売道具の二枚舌を引っこ抜いてやると言わんばかりの夕呼の様子に、さすがの鎧衣課長も顔が引き攣った。

「………………は、ははは……香月博士であれば、その様な人物の考えも示唆していただけるかと、期待しただけに過ぎませんよ。
 しかし、博士のご研究の方も、順風満帆のようですなあ。睡眠時間も足りていらっしゃるご様子ですし。
 それに、ここ最近のあなたのご采配は、全て的の中心を射抜いてらっしゃるようで……
 先のHSST落下事件に先立って行われた超水平線砲の試射が、地上目標ではなく、高高度の空中目標であった理由はなんです?
 そして、斯衛軍の演習に派遣された部隊が、対BETA用装備を潤沢過ぎるほど保有していた理由は?
 そもそも、政威大将軍殿下が同行なさる演習が、何故佐渡島の目と鼻の先などという、危険な場所で行われたのです?」

 しかし、鎧衣課長も早々に動揺を鎮め、手法を改めて舌鋒鋭く疑問を幾つもぶつけてきた。そして、攻守所を替えて、今度は夕呼がのらりくらりとはぐらかす。

「……さあ? そんなの、決めた人間にでも聞いてよ。」

 そんな夕呼に対して、鎧衣課長は表情を改めて、夕呼を更に追及する。

「…………神の御業か悪魔の力か……そのどちらかでも、手にされたのですかな?
 始めは社霞かと疑ったが…………死んだはずの男がここにいる。
 …………是非ともご説明いただきたいものですな。」

「仕事熱心なのは結構だけど……少し脇道に逸れすぎじゃない? あなたにお願いしたのは、仲介と調停、それから調査だったはずだけど?」

「おっと、これは失礼……なにぶん飼い主想いなもので。」

「だいたい人に聞きに来る前に、飼い主のご意向をちゃんと伺ってきた方がいいんじゃないの~?
 あまり勝手な事すると、光の女神様に見放されちゃっても知らないわよ~?」

「これは耳が痛い……ではご忠告に従って、一旦飼い主の下へと戻る事に致しましょう。
 ……おお、そう言えば、先程、決めた人間に聞けともご忠告いただきましたな。
 本当に聞いてもよろしいので?」

 夕呼に独断専行をそれとなく指摘されると、鎧衣課長は苦笑いを浮かべてようやく引き下がった…………と、思えば、今度は矛先を武へと変えてくる。
 鎧衣左近という男は、まったくもってしぶとい人物であった。

「いいわよ~。ただし、その前にちゃんと飼い主の指示をもらってきなさい。」

「おや、どうやらニューヨークに行っている間に、随分と風向きが変わってしまったようですな。
 では、この辺で失礼するとしましょう。
 シロガネタケルくん。それじゃあ近い内にまた会おう。それまで、息子をよろしく頼むよ。」

「息子じゃないでしょ? まあ、仲間ですから面倒は見ますけどね。」

 視線を武に転じて、歩み寄りながら話しかけてきた鎧衣課長の惚けを、さらりと流して見せた武だったが、余裕を保てたのはここまでであった。

「いや失敬。娘のような息子だ……ん? 違うか、息子のような娘、うん、そうだ。
 ははは……いや、済まない。私は息子が欲しかったんだよ、屈強な息子がね……だからつい、勘違いしてしまう……
 おお! そうだ。君ならばいささか線は細いものの、それなりに逞しく鍛えられているようだし、うちの娘と結婚して私の息子にならないかね?
 さもなければ、逞しい孫息子でも良いかも知れんなあ。」

「あはははは! そりゃいいわ! 白銀~、良かったじゃないのぉ、珠瀬に続いて鎧衣までお父様公認で子作りに励めるわよぉ~。」

 悪乗りする2人に我慢しきれずに、遂に武が声を荒げる。

「2人とも、いい加減にして下さいっ! 」

「白銀さん……結婚、するんですか……」

 悪気がないとは言え、霞にまで追撃されて、武は頭をかきむしる。

「あ~~~~っ! 霞まで信じるんじゃないっ!! オレは無実だ! 貞操は護って見せるぞ!!!」

「はっはっはっ……なんだ、面白みのない男かと思ったが、実はなかなか愉快な男じゃないか、シロガネタケルくん。」

「鎧衣課長、あなたは何を考えてるんですか?!」

「私の目的? それは言えないな。―――が、一つだけ教えてあげよう。情報攪乱は的確に行うのが、私のモットーだ。
 では、さらばだ。またの機会に会おう、シロガネタケルくん。」

 かくして、マイペースで掻き回すだけ掻き回しておいて、鎧衣課長は去っていった。
 そして、鎧衣課長の立っていたところには、天然コーヒーの豆と、10cmほどのトーテムポールの彫り物が置き去りにされており、トーテムポールは霞のコレクションに加わる事となった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時04分、鎧衣課長が立ち去った後の執務室で、武は夕呼に実弾演習での成果について報告していた。

「―――と言う事で、殿下並びに紅蓮大将から協力の約束は取り付けてきました。
 甲21号作戦の方は、試作OS供給の話が向うから来るでしょうから、その折にでも先生の方で進めてください。
 オレじゃ、国連軍の事情が解りませんからね。」

 鎧衣課長の登場で、少なからずイラついていた夕呼だったが、武の報告を聞くと、満腹になった猫のように満足気な笑みを浮かべた。

「―――そう。伊隅からも簡単に聞いたけど、望みうる限り最高に近い成果じゃないの。
 あんたの未来情報も、地中侵攻以外は殆ど的中してるし、これで次の情報も確度が上がったわね。
 それじゃあ、約束どおりご褒美をあげるわ。機密閲覧資格とセキュリティーレベルをあたしに準じるところまで上げておくわね。
 これで、反応炉ブロックを含めて、この基地で行けない所はなくなるし、データベースに入っている情報で閲覧できない情報もなくなるわよ。
 精々次回に向けて、勉強に精を出すのね。」

「―――ッ! ありがとうございます、先生。」

 武は夕呼に対して深々と頭を下げた。

「礼を言われる筋合いじゃないわね。最重要な情報はあんたが提供したんだし、それなりに覚悟は出来てるみたいだしね。
 ただ、1つだけ覚えておきなさい。あんたが手を組んだのは、現世で最も邪悪な『魔女』よ。
 あたしと手を組んだ以上はあんたも地獄行き決定ね……っと、あんたは死んでも地獄にすら逝けないんだっけ。
 どっちにしても、今更怖気づいて逃げ出すなんて許さないから、記録を閲覧する時には覚悟を決めて読む事ね……」

 夕呼の凍てついたように鋭い視線を受け止めて、武は真摯な顔で、力強く頷いて見せた。

「―――はい。心して見させていただきます。」

 武のその様子を見て、夕呼は眉を跳ね上げた後、一転して気だるげな様子になって言葉を続ける。

「もっともぉ~、情報にしたって、セキュリティーレベルにしたって、00ユニットになっちゃえば、どうせしたい放題に見放題なんだけどね~。
 喜びなさい、白銀。あんたの希望通り、00ユニットの第1号はあんたを素体に選んでやるわ。
 問題は時期なんだけど……」

「あまり早いと、諸勢力の動向に影響が大きそうですよね。
 00ユニットの稼動を隠し通すことは難しいですか?」

「一番注目されているところだから、さすがにちょっと難しいわね。
 やっぱりクーデター直前までは、待った方が良さそうね。」

 夕呼の意見を聞いて、武は00ユニットへの人格転移手術までにできる事、しておくべき事に思いを巡らせた。

「そうすると、今月の後半ですね。あと2週間てとこですか……
 そう言えば、さっきの鎧衣課長の話しぶりだと、XG-70はすんなり接収できそうなんですか?」

 武の言葉を聞いて、夕呼はニヤリと邪悪な笑みを浮かべて頷いた。

「そうね。今回は無茶な命令出さなかったから、難癖付けられてないみたいだし、HSST撃墜と事後調査で判明した情報で揺さぶってやれば、すんなり接収できそうよ。
 斯衛の協力、ひいては帝国軍の全面協力を受ける算段もついたし、00ユニットの稼動もあんたの未来情報が妄想でないと証明された今、ほぼ確実。
 最後の懸案事項だった人類戦力の損耗も、あんたの対BETA戦術構想で大分軽減されそうだし。
 凄いじゃないの白銀っ! これでオルタネイティヴ4は一気に完遂に向けて走り出せるわ。」

「…………そうですね。残る不安要素は、支配的因果律です。」

 上機嫌だった夕呼が、武の言葉で顔を顰める。

「ちっ! 嫌なこと思い出させないでよ。そればっかりは、どうやったって急には変えらんないんだから。
 …………解ったわよ。浮付かないようにして、足を掬われないようにすればいいんでしょ?
 それじゃあ、あんたはこれから2週間、クーデターに備えた準備と並行して、人格転移手術に備えて資料作成を行いなさい。
 資料の内容は、人格転移手術に失敗してあんたが失われた後に、あたし達の為に成りそうな事、思いつく限り全てよ。」

「はい、解ってます。―――あ、そうだ。『前の世界群』じゃ、夕呼先生に前線に出る事を禁止されてたんですけど。
 クーデターではオレが出張るのが一番良さそうなんで、許可をもらえませんか?」

 武の『死後』の対策を話し合っているにも拘らず、2人の会話は完全に事務的に為された。
 自分自身を含めて、人の死とそれによって派生する事象への対応は、2人にとって日常的な事柄となっているのかも知れない。
 それでも、自分の死に関連して、武は1つの疑問を夕呼に対して行った。
 対する夕呼の返事はそっけない口調ではあったものの、些か口数が多く、視線もあらぬ方へと向いていた。

「ああ、あの話ね。出撃前に、例の数式の暗記だけしとけばいいんじゃないの?
 世界間の因果律の改変は、あんたの目的であって、少なくとも『この』あたしの目的じゃないわ。
 どうせ何処に居たって死ぬ時は死ぬんだし、あんただってさっさと死ぬ気はないんでしょ?
 好きにしていいわ。あたしの命令に逆らわない限りにおいて、一切戦場に出なくても構わないし、なんだったら、1人で佐渡島に突っ込んだっていいわよ~。」

「そんな事はしませんよ。じゃあ、オレは夕呼先生に許された範囲で、『この世界』と『次の世界』の為に最良と思われる行動を取らせてもらいます。
 先生。本当にありがとうございます。今後もご指導ご鞭撻、よろしくお願いします。」

 夕呼の言葉から、武が自身の判断で行動する事を許すと、その判断を留保付ではあっても認めてやると、そういう意図を汲み取った武は、夕呼に対して深々と頭を下げて礼を述べ、今後の更なる指導を乞い願った。

「やあよ、そんな面倒臭い事お断りだわ。さっきも言ったでしょ、自分で努力しなさい。
 てことで、今日はこの辺でいいわ。さっさと慰労会にでも行きなさい。」

 夕呼にしっしと追い払われて、武は素直に退室する事にした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時42分、慰労会の開始時間に間に合わなかった武は、ついでとばかりにシミュレーターデッキに寄っていた。

 シミュレーターデッキでは、斯衛軍第19独立警備小隊の居残り組み、神代、巴、戎の3人と、207Bが3対5でシミュレーター演習を行っていた……のだが……

「なんでぇ~~~。」「くっそぉお~!」「どうしてですのぉ~~~。」

 はっきり言って、斯衛の3人は苦戦していた。機体性能では圧倒的に『武御雷』に軍配が上がり、部隊内の連携も、斯衛の3人は正に三位一体と言える域に達している。
 にも拘らず、207Bの5機の『吹雪』に翻弄され、辛うじて撃墜されずに居るといった状況であった。

(まあ、あの5人に連携組まれちゃ、きついよな。なにしろ、作戦、偵察、近距離、遠距離、各方面のトップクラスの技量持ちが揃ってるんだからな~。)

 そんな事を考えながら、仲間達の成長を喜ぶ武は、先ほど無事帰還した武と再会して言葉を交し、尚且つ武が制御室で観戦すると知った207Bが、それまでに倍する勢いで斯衛の3人に襲い掛かっている事に、全く欠片も気付いていなかった。
 そして10分ほどが経過したところで、シミュレーター演習は207Bの完勝で終わった。

 武は制御室を出て、シミュレーターから降りてきた皆を搭乗デッキで待った。
 そして、嬉しそうな、誇らしげな様子で駆け寄ってくる仲間達を、武は笑顔で迎える。
 先程の再会は制御室から通信越しの会話だったので、面と向かい合うと帰ってきたという実感が一入な武であった。

「白銀っ!」「……白銀。」「たけるさ~ん。」「タケル~!」

 口々に武を呼ばわる4人に対して、冥夜のみが何やら迷う素振りを見せた後、ようやく口を開いた。

「……タケル、そなた……その、もしや今日は新潟で戦っていたのではないか?」

「「「「 えっ?! 」」」」

 冥夜の言葉に驚愕する千鶴、彩峰、壬姫、美琴の4人。
 実は、本来休養日である207Bが夜間自主訓練を行っていたのは、今朝方に発令されたBETA新潟上陸に起因する防衛基準態勢3発令と、上陸したBETAが殲滅された後にまりもから行われた状況説明に刺激され、1日も早くBETAと戦える技量を身に付けたいと全員の意見が一致したためであった。
 そして、それ故に、現在曲がりなりにも同じ訓練小隊に属している武が、前線で戦うなどとは思いもしなかったのである。
 しかし、冥夜だけは、武と同じ日程で月詠が新潟へ演習に向かった事を知っている。
 しかも、武が以前からその月詠を通して斯衛に接触しようとしていた事も考え合わせると、武も月詠と同じ演習に参加していたのではないかと予想がついた。
 そうであるならば―――今朝新潟の地に武が居たのであれば、武ほどの衛士が戦場に立つ事は十二分にあり得るように冥夜には思われたのだった。

「ああ、BETA共を蹴散らしてきたぞ。―――そうだな、神代少尉、斯衛軍から連絡は来てますか? もしまだなら、BETA新潟上陸戦の概略を説明しますから、一緒にどうですか?」

 武が声をかけると、やや躊躇いがちではあるものの、斯衛の3人の少尉が近付いて来る。
 やはり、万に一つも間違いなどあり得ないと思いつつも、月詠の安否が気になって仕方ない様子が、傍からでも如実に窺えた。

「今回のBETA迎撃戦闘は帝国軍の圧勝だ。残念ながら斯衛軍の衛士に2名の戦死者が出たが、他は負傷者と装備の損耗だけで済んだ。
 もちろん、月詠さんは怪我一つ無い。」

「「「「「「「「 ―――ッ! たった2人?! 」」」」」」」」

 全員が驚愕の声を上げると、武は眉を潜めて、僅かに口調を鋭くして言った。

「―――そう言いたくなる気持ちは解るけどさ。頼むから『たった』だなんて言わないでくれ。
 2人も死んだんだ。坂田君江少尉と、如月八重少尉。共に斯衛軍第6連隊所属だそうだ。
 神代少尉たちは面識はなくても、名前くらいは知っているんじゃないのか?」

 武が戦死した斯衛軍衛士の名前を出して確認すると、斯衛の3人は表情を固くして頷く。
 その様子を見て、207Bの5人は、自分達が人の死を数として捉えていた事を自覚し、それがもし知り合い―――例えば武であったらと考えて恐ろしく感じると同時に、戦死者が出た事を軽く受け止めてしまった事を恥じた。

「やはりそうか。月詠さんの原隊だって聞いたから、そうじゃないかと思ったんだ。
 ―――彼女らの挺身には深く感謝と哀悼の意を表させていただきます。」

 神代達に向かって頭を下げて一礼した後、武は207Bに向き直って話を続ける。

「―――無論、オレたちは軍人だから、戦死者が出るのは日常の延長だし、それに動揺する事は許されない。
 けど、それに対して冷静で居られるのと、何も感じずにやり過ごしてしまうのは違うと思うんだ。
 何度も言ってきたけど、人間の死は取り返しが付かない。その重さだけはなるべく忘れないでくれ。」

「「「 ――― 」」」「白銀……」「タケル、許すが良い。」「……うん。」「たけるさん……」「うん、わかったよ、タケル。」

 反省の色を濃く浮かべる仲間達を見て、武は表情を明るく一変させて、沈鬱な場の空気を押し上げる事にした。

「―――まあ、それでも画期的な勝利なのは間違いないしな。オレとしても、対BETA戦術構想第1期装備の実戦運用データが取れたし、願ったり叶ったりだ。
 詳細は明日の訓練時間を割いて見てもらう。その時に、第2期、第3期装備群の構想も説明するからな。
 オレの対BETA戦術構想の有効性が実証された以上、おまえらもやる気が出るってもんだろ?」

 今日の戦果を誇りつつ、早くもその先へと目を向けている武に、207Bの面々にも気概が満ちる。

「そうね!」「無論だ。」「……わたしはヤルよ。」「はい! 頑張りますっ!」「そうだね、頑張らなくちゃ!」

「よし、じゃあ、無理しない程度に自主訓練頑張れよ。オレはちょっと行くとこあるから、また明日な!」

 武はそう言って手を振ると、シミュレーターデッキを後にして、慰労会をしているはずの、ヴァルキリーズが待つPXへと向かった。




[3277] 第43話 破魔の剣は人の智恵にて鍛えたり
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:48

第43話 破魔の剣は人の智恵にて鍛えたり

2001年11月11日(日)

 20時03分、斯衛軍実弾演習派遣慰労会の会場となっているPXに来たばかりの武は、早くも後悔し始めていた。

 武が、自分が遅れても構わず始めてくれと、予めみちるに頼んでおいたため、武がPXに来た時には、定刻通りに始まった慰労会は宴たけなわとなっていた。
 料理や飲み物が並ぶテーブルに近付くと、葉子がすかさずコップを差し出し、好みを聞いてからサイダーを注ぐ。
 それを待って乾杯のやり直しとなり、BETA撃退を祝う乾杯が交された。

 この時、手にしたコップを一気に煽って飲み干した水月に、武は相変わらず豪快だなと微笑ましく感じた。
 しかしその直後に、ニヤリと微笑みながら武を見た美冴が、水月のコップに見慣れぬビンから液体を注ぐのを目の当たりにして、武は嫌な予感に背筋を震わせた。
 早々に撤退しようと、武は言い訳を探し始めたが、何を言う閑もなく、美冴の口から邪悪な意志と共に、火種がぽ~んと放り出された。

「そう言えば、昨日の朝の件について、白銀に問い質していませんでしたね、速瀬中尉。」
「ん? 昨日のあさぁ~?………………あ~~~ッ、そうそうそうよっ! ちょっと白銀ぇ、アンタ、毎朝、社といちゃいちゃしてるって、どうゆ~~~ことよ?
 なに? それってあたしや遙への当て付けかなんか? 何とか言いなさいよ! 3、2、1―――はい!」
「ええ?! えっと、そ、それはですね……」
「ええっ?! ちょっと水月ぃ、私まで一緒にしないでよ~。」

 武は必死に誤魔化そうと言葉を発したが、その声は水月の隣で苦情を言い立てる遙の声に紛れてしまった。
 しかも、美冴は邪悪な光を湛え、満足気に細めた目で武を見ながら、水月に向かって囁きかけて火に油を盛大に注いだ。

「速瀬中尉、白銀は、そんな質問にいちいち答えてられるか。そんなに羨ましかったら、自分も何処かでいい男引っ掛けて来い―――と、言ってます。」
「ぬぅあぁんですってぇ~~~っ! ちょっと白銀っ、あんたそれどういう意味よ~。
 あ、あたしがあ~~~ん如きを羨ましがってるとでも思ってるんじゃないでしょうねぇ~。」
「ちょ、ちょっと水月~。うわ、お酒臭い……」
「い、伊隅大尉! 助けてくださいよ……って、まさか……」
「……ん?……いかんぞ白銀、戦場を共にした以上、貴様も我々の戦友だ。お互い誇り高く語り継いでいくためにも、隠し事は感心しないぞ。……ヒック……」
「甘いな白銀……こういう時は頭から。基本だぞ。」
「基本って、何か間違ってますよっ、宗像中尉!」
「ごめんなさいね、白銀中尉。美冴さん今日はちょっとはしゃいじゃってるものだから。我慢して付き合ってあげてくださらないかしら。」
「あはははは、諦めたら~、白銀中尉。あ、なんだったら、今からあたしもあ~んしてあげよっか?」

 宗像の囁きに激怒して、テーブルを叩いて怒鳴る水月。いきなり大声を張り上げたせいで、水月がふらついた隙を突いてみちるに助けを求めた武だったが、みちるは既に頬を赤く染めて目が据わっていた。
 思えば席順はみちる、美冴、水月、遙、祷子と並んでおり、美冴が両脇の上官に酌をしていた事に、この時ようやく武は思い至った。
 そして、既に目的は達したとばかりに、武に一言投げかけて、祷子の隣へと席を移す美冴。その隣でニッコリと天使のような笑みを浮かべていながら、武には何の助けともならない言葉を告げる祷子。
 そして、その尻馬に晴子が乗って、武の肩をバシバシと叩く。

「……それで……本当に……そういう趣味なんですか?……中尉……」
「え、桧山中尉も随分と拘りますねっ!」
「あはは、葉子ちゃんはぁ、霞ちゃんの貞操を心配してるんだよねぇ。」
「ね、姉さん、そんな、白銀中尉だって社さんに手を出したりはしないと思うよ?」
「ど~だか。白銀君って、なんかやらしそ~な気配がするし。毎朝起こさせてるって辺りで、既に普通じゃないじゃないですか。」

 か細い声で、途切れ途切れでありながら、葉子の質問は明瞭にその場に響いた。武は半ば頭を抱えながらもそれに応じたが、まともに弁明する前に葵の追い討ちがかかった。
 紫苑が姉の失言をフォローしようとするが、茜が半眼にした白い目で武を睨め付け(ねめつけ)ながら、偏見による疑惑をぶちまけた。

「や、ややややや、やらしいんですか?」「そういやっ、207Bで美少女5人に囲まれてるんだっけっ!」「そういえば~、そうですね~。」
「……そっちにまで飛び火するのかよっ!」
「ほらほらほらほらッ! さっさと答える! 3、2、1―――はい!」
「だからっ! オレは疚しい事は一切していません~~~ッ!!!」
「ふっ、男はみんなそう言うが、真実だった例(ためし)がないな。」
「……嘘なんですね……あんな幼い子に手を出すなんて……鬼畜の所業です……」
「白銀、隠し事は感心しないと言ったぞ。」
「あ~っ! やっぱり嘘ついてるんですねっ! フケツッ!」
「そ、そそそそそ、そうですっ! 茜ちゃんの言うとおり、白銀中尉はフケツですぅっ! だから茜ちゃんも、ち、近付かない方が、良いですよぉ~。」
「あはははは、多恵がまたなんか言ってるね。」
「何でもいいけどぉ、盛り上がってきたねぇ~。紫苑も飲みなよ、ほらほらぁ~。」
「ぼ、僕は良いよ姉さん。姉さんもあまり飲みすぎないほうが……」
「ね、ねえ、なんかみんな様子が変じゃない? 月恵。」
「そうかなっ! これ飲めば、智恵だってそんなの気になんなくなるって……ほらほら……」
「………………だ、だめだ、もう収拾がつかない…………」

 武は、13人の戦乙女に囲まれて、頭を抱えてテーブルへと突っ伏した。
 結局この騒ぎは、PXの片付けに戻ってきた京塚のおばちゃんが大音声で一喝するまで、小一時間ほども続いたという……

 この日、A-01はBETAとの戦闘を、1名足りとも欠ける事無く潜り抜けた。A-01連隊設立以来、滅多にない快挙であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年11月12日(月)

 05時56分、B4フロアの自室で、武は3日ぶりに霞に揺すられて目覚めを迎えていた。

「ん……おはよう、霞。」

「……おはよう……ございます。」

 武が目を開けて霞に挨拶すると、挨拶を返した霞は机の前に行って椅子に腰掛けた。
 このところ、霞は毎朝こうして武の点呼が終わるのを待つのが習慣となっていた。
 たった2日空けただけなのに、霞のその後姿に、何とはなしに安堵する自分に気付く武だった。

「なあ、霞。今日から暫くの間、よかったらおはじきで遊ばないか?」

「構いません……でも……何故ですか?」

 武の提案に即答してから、髪飾りをピクッと揺らして、霞は提案の理由を聞き返した。
 武は、やや苦笑しながらも、正直に応える。

「ああ。暫くしたら、自分の努力に関係なく強くなっちまいそうだからさ。
 その前になるべく強くなっておこうと思って。嫌じゃなかったら、付き合ってくれると嬉しい。駄目か? 霞。」

「お相手します……ですが、どうせ強くなるなら……時間の浪費ではないのですか?」

「う~ん、どうだろうな。例えどれだけ僅かでも、努力して得たものっていうのには、価値があるような気がするんだよな。
 だから、自己満足かもしれないけど、努力させてくれよ、霞。」

「……はい、解りました……」

 霞の指摘に武は苦笑しながら答え、霞は納得して了承した。もともと、霞は武が望むのであれば応じる気だったので、それで武が満足できるのであれば構わなかった。
 しかし、武の思考の一側面を新たに知りえたことは、霞にとって十分な収穫であった。

「今日は、演習派遣の休養日って事になってるから、朝ごはんが終わったら、午前中一杯シリンダールームに行こうと思うんだけど、霞の都合は大丈夫か?」

「…………はい、大丈夫です。」

「そっか、じゃあ今日の午前中は、純夏と3人でゆっくり過ごそうな。」

「はい……」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時32分、国連軍横浜基地衛士訓練学校の教室で、武はプロジェクターを使用して、まりもと207Bに、昨日のBETA新潟上陸戦に於ける戦況推移を詳細に説明していた。

「―――と、まあ、この時点で戦況はほぼ確定したから、後は残敵掃討に時間がかかっただけだな。」

「……実際に、ここまで効果があるとはな…………」
「りょ、旅団規模のBETA群を、14名で殲滅って……」
「うむ! タケル、見事だ。私も己が事のように嬉しいぞ。」
「……確かに、画期的…………」
「すごいっ、凄すぎですよ~」
「う~ん、BETAが上陸前に3群に分散してくれたお蔭もあるけど、確かに凄いね~。」

 武の説明が終わると、まりも、千鶴、冥夜、彩峰、壬姫、美琴と、続けざまに驚きや喜びを口にした。
 武は満足げに頷くと、話を続けた。

「で、今回の運用データにより、次の点が実証されたと思う。
 1.BETAの行動特性に合わせた装備の運用により、より効率のよい殲滅が可能である。
 2.戦術機甲部隊に、高機動化された各種支援兵科を随伴させ、諸兵科連合部隊としての性格を持たせる事で、損害を抑え継戦能力を高める事ができる。
 3.振動波観測装置の統合運用により、BETA地中侵攻の察知及び対応が、従来に比べ格段に容易となる。
 4.自律制御及び遠隔操縦により戦術機及び各種装備を統合運用することで、少数の衛士で多数のBETAを相手取る事が可能である。」

「ふむ……しかし白銀中尉。確かに衛士1人辺りの戦闘能力は格段に向上するでしょうが、コスト面に釣り合うものと言えるでしょうか?」

 武の説明に頷きながらも、まりもがコスト面から疑問を提示する。武は頷いて同意を示した上で、更に見解を述べる。

「費用対効果としては、コストが効果を上回る可能性は否定できません。ただし、この構想は全戦術機甲部隊を同様の部隊編制にする事を、必ずしも想定していません。
 従来の編制を主としつつも、要所々々にこのような部隊を配置したり、崩壊しかけた戦線へと投入する火消し部隊としての運用を行ったり、何よりも孤立した戦闘を強いられるハイヴ突入部隊など、高いコストを投じる価値のある運用方法を研究する事で、高いコストに見合う戦略的価値を見出せると考えています。」

 武が、全部隊を高価な部隊にするのではなく、要所に投入することで、戦場全体を制御する為の梃子にするという考えを説明した。

「……なるほど、戦場全体でのハイ・ロー・ミックス構想ですね。
 ―――いや、衛士が乗る機体と、無人機や戦術機以外の自律装備まで含めて、そちらの方もハイ・ロー・ミックスと言えるか。
 しかも、損耗を覚悟しなければならない装備を安価に抑えていることからすれば、初期コストは高くついても、運用コストは然程割高にはならないかも知れませんね。」

 武が、部隊単体ではなく、戦場全体で評価するという視点を提示したと受け取って、まりもは高価な兵器と安価な兵器を統合運用して、全体のコストを抑制するハイ・ロー・ミックス構想に言及する。
 そして、そのような視点から再評価すると、対BETA戦術構想の新たな面が見えてくる。

「それは……被る損害を安価な装備で吸収し、高価な装備を温存するという事でしょうか?」

 千鶴が、まりもの言葉を自分なりに解釈して確認すると、まりももそれを肯定した上で、更に新しい観点から対BETA戦術構想を分析する。

「そういう言い方も出来るな。そもそも、白銀中尉の提唱している、人的損耗を極力減らし、熟練将兵を育成保持するという発想自体が、ある意味ハイ・ロー・ミックス構想でもあるのか。
 熟練将兵を最も高価で最も汎用性のある兵器として捉え、それを温存するための装備を考案しているわけだからな。」

「……納得……白銀はケチ……」
「あはは、本当だねぇ。」

 彩峰のツッコミと美琴の同意に、反射的に文句を言ってから、武はようやくまりもの言葉の意味を理解できた。

「ケチで悪かったなぁっ!………………そうか、高価な装備を温存して、安価な装備を引き換えにして、BETAを殲滅すれば、部隊全隊のコストが上がっても割に合うんですね?」

「……自分でやっていて気付いていなかったんですか? 白銀中尉。
 ―――ただし、部隊が全滅しない場合にしか成立しない条件ですから、従来の、部隊が壊滅しない方が不思議に思える様な損耗率に捉われていては、決して出来ない発想ですね。」

 武の言葉に、呆れたように応じた後、運用コストで部隊の評価を下す事が、従来如何に無意味であったのかをまりもは説いた。それを聞いて、武が目を丸くして応じる。

「そうなんですか? 斯衛には結構すんなりと受け入れられていましたけど。」

「あそこは別です。将軍家の守護の為にはコストを度外視する事も厭いませんから。『武御雷』を見れば解る筈です。」

「じ、神宮司教諭! そ、そうは仰いますが殿下を御守りするという事は、即ち我が国の国体を護持する事にも等しく……」

「―――ああ、なるほど……しかし、そうなると、帝国軍への普及は難しいですか?」

 まりもの説明と冥夜の言葉に、確かに斯衛は金に糸目を付けなさそうだと納得した武だったが、その後帝国軍の懐事情に思いを巡らした結果、武は沈痛な面持ちとなって、まりもに訊ねた。

「物によるでしょうね。自律地雷敷設機などは問題なく採用されるでしょう。ただし、運用が前線の衛士の手を離れ、工兵部隊に移るかもしれませんね。
 問題は、衛士の損耗を、どれだけ軍上層部が深刻に受け止めているかです。中尉の対BETA戦術構想が受け入れられるか、形骸化して装備だけが運用されるかは、それ次第でしょうね。」

「縄張り意識も強いしね……」
「色々と、面倒なんですねぇ~。」

 武はまりもと彩峰、壬姫の言葉を受けて、考え考え、独り言のように呟いた。

「なるほど……しかし、そちらの方は、別の方向から働きかけた方が良さそうですね。」

「……白銀、もしかして、政治家の方から圧力をかけさせる気?」

 武の呟きを聞きとがめて、千鶴が何か嫌な事を思い出したかのように訊ねると、武は感心したような顔をして千鶴に応えた。

「を、委員長、さすがだな。軍上層部よりも、民間人の政治家の方が説得しやすそうだしな。」

「そりゃあ、色々な説得方法があるからね。けど、何らかのパイプが無いと、話なんてまともに取り合ってもらえないわよ?」
「……さすがに詳しいね。」
「門前の小僧習わぬ経を読むってやつよ。でも白銀、軍人が政治に口を出すのはどうかしら?」

 父親とその取り巻きを思い出して、千鶴は助言と苦言を武に与えた。途中で挟まれた彩峰の言葉は、今回のところは武への苦言の方が勝ったため、軽く流す事ができた。

「ま、委員長の言う事も尤もなんだけどな。けど、そうそう悠長に構えてたら、どんどん人死にが増えちまうからさ。
 まあ、伝手の方は何とかするよ。―――てことで、続いて第2期、第3期装備群の構想を説明する。
 第2期装備群は現在試作用の仕様を詰めている最中で、第3期装備群はまだ構想だけの段階だ。
 そういう訳で、時間的要因から、第2期装備群の仕様変更は急がなきゃならないんで、まずはそっちからみんなの意見を聞かせてくれ。
 じゃあ、説明を始めるぞ…………」

 ―――かくして、対BETA戦術構想第1期装備群の実戦証明が確立したことで、対BETA戦術構想は今まで以上に強力に推進される運びとなった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時05分、207Bの皆を先にPXへと送り出し、教室に残ってもらったまりもと、武は向かい合って座っていた。

「何のお話しでしょうか? 白銀中尉。」

「あ~、そんなに畏まらなくても良いんですけど……じゃあ、先に仕事の話から済ませますか。
 実は、近日中に戦闘記録が幾つか届きます。危機的状況に陥り、部隊に壊滅的損害を出しながらも、そこから生還した衛士の強化装備及び機体の記憶媒体から吸い上げたものです。」

「そんなものを、何に使うおつもりですか?」

「それを基にシミュレーションデータを構築して、207Bに疑似体験させます。」

 武の言葉に、まりもの顔色が一気に変わる。

「―――ッ! そ、それは……私は反対です。PTSDを発症する恐れもありますし、何よりあの娘たちはまだ訓練途中です。」

「神宮司教官の意見もわかります。最悪の場合、PTSDから再起出来ずに、任官を待たずして衛士への道が閉ざされるかもしれないって事も解っています。
 それでも、初陣で取り乱して、戦死してしまったり、部隊の仲間に犠牲を出すよりは遥かにましな筈です。」

 しかし、武が冷静に、危険性を認めた上で更に言葉を重ねると、まりもも渋々とではあるが、武の言い分を認めざるを得なかった。

「…………確かに、仰る通りではありますが……」

「神宮司教官、先程の第1期装備群の実戦運用は、A-01が担当しました。元207Aの5人も参戦して、初陣を無事生き抜きましたよ。」

「!……そう、そうですか。……あの娘たちが……良かった……」

 武は、唐突に話題を変えて、まりもの教え子達が初陣を生き延びたことを知らせる。
 それを聞いて喜びを露にするまりもだったが、その喜びは、武の発言で消し飛んでしまった。

「ですが、途中でBETAに取り付かれて自爆した『時津風』は、築地少尉が操縦していた機体です。
 その際、実際には搭乗していなかったにも拘らず、パニックに陥った築地が悲鳴を上げたため、先任たちが条件反射で救出に向かおうとして、危うく戦線を崩壊させかけました。」

「そ、そんな事が…………」

「もちろん、あの戦域に居た全戦術機が失われても、それらは全て無人機です。その場で戦死者は出なかったでしょう。
 しかし、その結果としてBETA殲滅までの所要時間は増大し、有人機の投入も招きかねず、A-01に死傷者が出なかったとしても、斯衛軍により多数の死傷者が発生していた事でしょう。
 従来飽きるほどに繰り返されてきた、初陣衛士に纏わる惨劇としては、大分ましな状況であるのは解っています。
 そうなるように、思いつく限りの手を打ったのはオレですから、逆にそうでなくては困ります。
 それでも、やはり初陣に衛士を放り込む前に、何らかの訓練によって、耐性を付けるべきだと思います。
 例え、それで有為の人材が衛士としての道を閉ざされてしまうとしても、命ごと全ての可能性が失われてしまうよりは遥かにましです。
 この件に関しては、最悪夕呼先生を説得して、上位命令として実施する事も考えています。
 けど、神宮司教官なら、解ってくれますよね。全ては初陣で、死の8分を生き延びさせるためです!」

 武は滔々と自論をまりもに説く。まりもは真摯にその言葉を聞き、熟慮の末に答えと悔悟の念を口にした。

「………………解りました。そういう事でしたら、賛成します。
 私は至らない教官ですね。教え子達に一秒でも長く生き延びて欲しいと願いながら、自分の手の内で失ってしまう事を恐れて、過保護にしてしまったようです。
 私が至らないばかりに、A-01は多くの犠牲を払い続けてきたのですね。」

 しかし、そのまりもの自らを貶める言葉は、武には到底受け入れ難いものであったため、武は一生懸命まりもを慰めようとする。

「―――まりもちゃん、そんな事はないです。今年は特別だったらしいですけど、A-01の先任の誰に聞いても、まりもちゃんの厳しさは良く解ります。
 それ以上厳しくされたら、合格する衛士が激減しちゃいますよ。
 ……ただ、まりもちゃんは少し真面目すぎますね。従来の手法に忠実すぎるんです。
 その点ほら、オレは型破りが大好きですから―――」

 そんな武に、まりもは小さく笑みを浮かべると、武に礼を言って、自分を説得するように宣言した。

「……あ~あ、年下に慰められちゃったわ。でも、慰めてくれてありがとう、白銀。
 過去を悔やんでも取り返しは利かないものね。精々あなたの型破りな発想を参考にして、今後の訓練方法を改善するわ。
 今年の訓練兵はちょっと特別だったから、少し手加減しすぎたようね。今からでも調子を戻すとするわ。」

「うわっ……みんなには悪い事しちまったかなぁ。お手柔らかに願いますよ、まりもちゃん。
 只でさえ、みんなはオレの思い付きに振り回されてるんですから。」

「あら? 別にあの娘たちが憎くてやる訳じゃないもの。それは白銀だって同じでしょ?
 あの娘たちが生き延びてくれるなら、この身は地獄に落ちても構わない。あなただって、そう思うでしょ?」

 何気なく告げられたまりもの問いに、武は数多の世界で身命を捧げて逝った、大切な仲間達の事を想い浮かべ、静かに応えた。

「………………そうですね。本当に、そう思いますよ。」

 まりもは、そう応える武の瞳に、言い知れぬほどに深い何かを認め、絶句するしかなかった…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時51分、1階のPXにて、夕食後の時間を、武は207Bとゆったりと過ごしていた。
 今日は午前中一杯を霞や純夏と過ごしていたので、空いた時間で、武は皆の留守中の事などを中心に、どうと言う事のない話をあれこれとしていた。

「そうか、タケルは本来ならば、今日は実戦後の休養日だったのだな。如何に対BETA戦術構想の為とは言え、無理をしてはならぬぞ?」
「そうですよ~、たけるさん。ちゃんと休んで下さいね~。」
「ああ、心配してくれてありがとな。冥夜、たま。」

 腕組みをして、どちらかと言うと窘める様な冥夜に対して、笑顔のたまは優しいお姉さんが弟を甘やかすような癒し波動を発していた。

「それはともかく、BETA新潟上陸戦の戦況推移聞いて思ったんだけど、総戦技演習での作戦は、こっちが大元だったってわけね。」
「榊、無粋……」
「うるさいわねっ!」
「まあまあ……委員長の言う通り、対BETA戦術構想の方が原型で、それに歩兵の携行装備として活用できるものを当て嵌めたんだ。
 だけど、戦術機って人間視点で見たらでっかいけど、BETA相手の戦闘で考えると、歩兵としての性格が強い兵器の様な気もするよな~。」

 武をいたわるやり取りが一段落するのを待って、千鶴が午前の訓練時間に開示された、対BETA戦術構想に関連する話題を持ち出した。
 千鶴の話題選びを、彩峰がすかさず非難したが、武が返事をしたことで、なんとかその場は納まった。
 しかし、今度は武の言葉に触発されて、美琴が妙な薀蓄交じりの話を始めてしまい、彩峰のツッコミもスルーして、更に薀蓄を語り始める。

「う~ん、地形阻害の多い戦場で戦う陸戦兵力って事と、砲撃による支援下で前線を構築するって考えるとそうかも知れないね~。
 そう考えると、BETAなんかはレーザー属種以外は飛び道具が無いから、突撃級が中世の重装騎兵かローマの戦車(チャリオット)、要撃級が軽装歩兵で、要塞級がマケドニア式ファランクスって感じだよね。
 突撃級の衝角が騎兵槍かポールウェポンで、要撃級の前腕が戦棍(メイス)、要塞級の衝角はファランクスの長槍って感じかな~。」
「……例えが解り難い……おまけに時代がばらばら……」
「マケドニア式ファランクスの優れていたところはね、従来のギリシア式に比べて……」

 こうなると、何を言っても無駄だと知っている面々は、美琴を会話から除外して、話の続きを始めた。

「それってつまり、歩兵単体の戦闘力ではなく、戦況に合わせて地形や各種装備を柔軟に運用する事で、戦線を構築するべきだって事?」
「そうだな。後は、一般に防御力が弱いソフトスキン(非装甲)であるって事かな。戦術機には装甲はあるんだけど実際にあまり役に立ってないからなあ。」
「ふむ。敵戦力の拘束、侵攻阻止を担うものの、強大な火力を持つ訳でもなく、敵の攻撃力に対する十分な防御も無い、か……
 となると、唯一異なるのは、機動力だな。」
「そうだ。しかし、その機動力を維持する為に戦術機が携行できる火力は制限されてしまっている。この辺も歩兵と似たり寄ったりか。」
「……なるほどね……『満潮』は荷物持ち……」
「あー、そう言われると、そんな感じですねぇ。」

 その後も、自主訓練の刻限が迫るまで、対BETA戦術構想に関する会話が続いた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時13分、シミュレーターデッキの待機室で、武は真那と向かい合って話していた。
 武と真那を除いた、斯衛軍第19独立警備小隊の3人と、207Bの5人は、シミュレーター演習の第1戦目を始めたところであった。

「結局、演習中はお話しする機会はありませんでしたね。ところで、やはり階級は中尉に戻っちゃったんですか?」

 真那の強化装備から発信されている識別情報の階級を参照して武が訊ねると、真那は鼻で笑って応じる。

「当たり前だ。小隊長は中尉、中隊長は大尉。役目に応じて規定の階級となっているに過ぎん。階級の上下など些細な事だ。
 ましてや、演習中、国連軍区画に引っ込んでいた貴様と出くわす筈も無い。それに、演習中の私の任務は、斉御司大佐の警護だからな。」

「まあ、階級に関しては、斯衛じゃそうかもしれませんけどね。
 で、演習の件は、紅蓮大将や神野大佐と話してありますから、もしかして、先日の衛士2人組みの件ですか?」

「そうだ。あの日の内に怪しい整備兵を割り出してな。
 転属直前で、身柄を押さえて取り調べたんだが、向うもプロでな。
 一向に口を割らないので、憲兵に任せて薬を使わせたが、それらも思うように効果を及ぼさなかった。」

 武はその話を聞いて、霞の顔を思い浮かべたものの即座に打ち消して、月詠の話に集中した。

「仕方がないので、所持品などを調べる傍ら、身辺を厳重に見張ってな。
 のこのこと口止めにやってきた奴を、上手く捕らえる事に成功したのだ。
 これがまた、丁度HSST落下の騒ぎで、防衛基準態勢2が発令された直後でな。
 早速身辺を洗ったところ、逃げ支度は万全で、基地の外に車まで待たせているという周到さだ。
 その車で待っていた3名も拘束して、一通り取り調べたところでこの日は終わった。
 珠瀬訓練兵がHSSTを撃墜してくれていなかったら、全ては闇に葬られていたかも知れんな。」

 HSSTだけでも大騒ぎであったのに、その最中にまで彼の国の策謀は止まなかったと知って、武は些かげんなりとして言った。

「かなり、周到に用意されてたんですね。その話からすると、HSSTを落そうとした連中と繋がりがあると見て、間違い無さそうですか。」

「その様だな、全部で5人の身柄を拘束したわけだが、この内2人が憲兵隊の所属でな。
 私の目付け役だった憲兵大尉が、その件で本気になって調べ始めた結果、上から下まで大量検挙に繋がったそうだ。
 この辺りが9日の事なので、その後はこの基地の憲兵隊に任せて演習に赴かざるをえなくてな。
 今日、こちらへ戻ってから早速憲兵隊に顔を出したら、司令部直轄で軍法会議の訴追手続きを推し進めているとの事だった。
 こちらの状況は貴様なら香月副司令から聞いたほうが早かろうな。
 そして、彼奴らがあの衛士達を焚き付けた理由だが、どうやら斯衛とこの基地の関係が、どの程度親密なのかを計りたかったらしい。
 確かに、暫く前までであれば、我ら斯衛と貴様ら国連軍の間には、冥夜様しか接点が無かったからな。
 それ故、『武御雷』を突くのはあながち的外れとも言えぬのだが、今では貴様の方がパイプとしては太くなっている以上、冥夜様を突いた所で大事(だいじ)に至ることはなかったはずだ。
 ところが、貴様がしゃしゃり出て、しかも私と共に奴らの取調べをしてしまったものだから、貴様の存在が斯衛と横浜基地との接点として向うに把握されてしまった可能性が高い。
 無論、冥夜様に火の粉がかからぬように配慮してもらったことには感謝している。
 しかし、みすみす相手にこちらの手の内を曝してしまったのは失態であったな。」

 武は月詠の指摘に、顔を顰めて対応に問題があった事を認めた。しかし、この機会に月詠の国連軍横浜基地への心象を良くしておこうと、言葉を続ける。

「ご尤もです。しかし、月詠中尉。これで解っていただけましたよね?
 この横浜基地は、国連の反米勢力の牙城です。如何に米国が国連に対して強い影響力を持っているのが事実であっても、国連軍全てがあの国の尖兵だとは思わないで頂きたいものですね。」

「…………そうだな、少なくとも、貴様や冥夜様が帝国に仇なす事はなかろう。その位は信じてやる。」

 渋々といった様子ではあるものの、月詠は僅かではあるが武の言い分を認めて見せた。
 それに対して、武は礼を述べると、自主訓練へと話題を転じた。

「ありがとうございます。それじゃあ、そろそろオレ達もシミュレーター演習に参加しますか。」

「ふっ……演習での借りを返してやるぞ、白銀。」

 すると、途端に月詠は態度を改め、勁烈な気配をまとい、不敵な笑みを浮かべ、武のことを睨み付けた。武は背中に流れる冷や汗を意識しながらも、なんとか情けない顔を見せずに受けてたつことが出来た。

「………………精々頑張って喰らいついて見せますよ、月詠中尉。」

 この日の演習で、武は月詠に対して護りに徹して、207Bの5人が連携で斯衛の残り3人を撃破するのを待ち、残った戦力をもって月詠に対するという戦法を使い、50%を超える勝率を叩き出した。
 同じ試作OS搭載機で、『武御雷』4機と、『吹雪』6機での戦闘である事を考えれば、十分に驚異的な結果であった。
 冥夜の技量の向上に、賞賛を惜しまなかった月詠であったが、3人の部下に対しては、また思うところが違っていたらしく……その夜、斯衛軍第19独立警備小隊では、明け方まで徹夜で特訓が実施されたという…………




[3277] 第44話 白銀の残光・その1 +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:48

第44話 白銀の残光・その1 +おまけ

2001年11月12日(月)

 22時32分、自主訓練を終えた武は、B19フロアの夕呼の執務室を訪ねていた。

「今日は何? 大体の話は昨日で済んでたはずだけど?」

 入室してきた武をちらと見たきり端末の画面へと視線を戻し、キーボードを叩く手を休めもせずに夕呼は訊ねた。

「実は、月詠中尉から、大量検挙の話を聞きまして。先生の方が詳しい話が聞けるかなと思って。
 もし、お忙しいようでしたら、出直しますよ?」

「ちょっと待ってなさい。……………………………………………………っと、こんなとこかしらね。
 で? どの辺まで聞きたい訳?」

 やりかけていた作業を切の良い所まで済ませ、夕呼は足を組んで椅子に深く座り直し、武に視線を投げて問いかけた。

「そうですね。クーデターとオルタネイティヴ4に影響のあるところだけで結構です。」

「そ、今回は休憩がてら教えてやるけど、次回からは自分で報告書を読みなさい。
 何の為に、あんたの情報閲覧レベルを限界一杯まで上げてやったと思ってんの?」

「あ…………す、済みません。技術資料にばかり気を取られてて、そっちの方も見れるだなんて思ってもみませんでした!」

 夕呼の説明に、武は間の抜けた声を出してしまってから、慌てて夕呼に謝罪した。
 しかし、夕呼は面倒くさげに手を振ると、フッと小さく笑ってから、さっさと本題に入ってしまう。

「だから、今日のところは勘弁してやるってば。
 で、今回の件で、うちの基地と国連太平洋方面第11軍の上層部に巣食っていた、米国よりの馬鹿共を一掃できたわ。
 さっきの作業は、そいつらに代わって席を埋める、有能で米国や移民推進派の息のかかっていない人材を、世界中からピックアップする作業よ。
 これで、今後の作戦行動は、大分風通しが良くなるわ。
 これまでは、ど~でもいい事に一々口を出されて、嫌気がさしてたのよね~。」

 夕呼はいかにもうんざりしていたといった表情で吐き捨てた。
 とは言え、怪しげに光る瞳と、吊りあがった唇が、夕呼にとって現状が満足のいく展開を見せているという事を、如実に現していた。

「そ、それは良かったですね。で、クーデターに関係する方ではどうですか?」

「も~ばっちりよ! とっ捕まえた連中の潜伏予定地から、相手の連絡員に目星をつけて、帝都での連中のアジトを幾つも把握できたわ。
 今現在も、鎧衣のとこと、うちの憲兵隊で、さらに糸を手繰っているわ。勿論、クーデターまでは手は出さないわよ?
 それに、クーデターでの連中の手札もHSSTの件で見当が付いたわ。

 実は、HSSTが落ちてきた日の前日に、ハワイ駐留米軍の太平洋艦隊基地から第7艦隊が、演習名目で日本近海へ向けて出港してたのよね~。
 ところが、翌日の夕方になって、HSSTが迎撃された途端に、演習日程を延期して急遽ハワイにUターン!
 空母に搭載していたF-22Aラプターの軍事機密保護の観点から、演習予定が再検討されることになって延期されたって通達があったけど、あからさま過ぎるわよね~。
 多分、クーデターの時にも、第7艦隊が動くわね。あそこの艦隊司令長官は有能でがちがちの軍人だけど、主席参謀が上院にべったりの白人至上主義者でね。
 これがまた嫌な奴なのよ~。G弾信奉者で、それを隠しもして無いわ。」

 武は、夕呼の言葉をよくよく吟味してから、確認するように話し始めた。

「つまり、こういう事ですか? HSSTを落とした連中か、それと繋がっていた米国の勢力が、半壊滅状態になった横浜基地に第7艦隊の部隊を駐留させて、あわよくばオルタネイティヴ4を接収して、G元素を確保しG弾を量産する。
 そういうつもりで事を進めてたってことですか?」

「ま、そんなところかしらね~。その後は、駐留米軍がクーデター派を刺激して、クーデターを勃発させてから鎮圧。
 最終的には、日本の実効支配まで一応計画は立ててあるんじゃないの~?」

 武は、夕呼の言葉に暫く言葉を失ってから、ようやく掠れた声を絞り出した。

「に……日本の……実効支配までですか?…………やつら、正気なんですか?!」

「正気も正気、しかもそれこそが世界の為だと、臆面もなく信じているでしょうね。
 オルタネイティヴ4完遂の為には、BETAだけじゃなく、そんな連中とも駆け引きをしないといけないってことよ。
 あんたが00ユニットとして稼動した後は、こっちの方面も手伝わせるからそのつもりで居なさい。
 じゃ、さっきやってた作業でちょっと忙しいから、他に用がないならとっとと出ていきなさい。」

「…………はい……お邪魔しました……」

 ―――それは、武の人格転移手術の16日前の日の出来事であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○
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 武は夢と現の狭間で、世界を隔てた懐かしい人々を想っていた……

(―――夢を見た……希望を捨てず、必死に戦い続ける人々の夢を……夢を見た……残された願いを継いで、護るべきものの為に、戦い続ける人々の夢を……
 夢と現実の境界は……自分の力で道を……切り開けるかどうかだけだ。それを悔やんでみても、夢が現実に戻る事はないんだろう。
 だから……オレは……出来る限りの事をしていこう……と思う。この世界に、オレが生きている意味は……そこにあるんだと思う。
 これが、望まれた運命じゃなかったとしても……この世界で……オレだけが出来ることなら……
 悲しい別れも……人類の運命も……そして、自分の運命も……オレには変えられるはずだと信じる。
 護りたいものを……本当に護るという強い意思を……常に持ち続けたなら……オレには、誰にも出来ないことが、出来るはずだ……そう信じる。
 だから……だから……せめてこれから……生きて……生き足掻いて……少しでも多くが生き延びられるようにしたいと思う。
 みんなが生きる、この星を、守り抜きたい……そう思う。
 残された人々に……残された想い出に……そして……愛する人の願いに……全てを捧げて応える。
 オレは……必ず出来るはずだ……その力があるはずだ……
 人類は負けない……絶対に負けない……オレがいるから……オレが、いるから……みんなが、いるから……)

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第2ループ確率分岐世界群基準世界
2002年12月22日(日)

 13時07分、戦艦『紀伊』のみちるに割り当てられた士官室に、みちる、冥夜、壬姫の3人が集まっていた。
 戦艦の物としては比較的広い士官室には、小さいながらも応接テーブルが備えられており、3人は寛いで会話に花を咲かせることができた。

「……それにしても、やっとと言うべきか、もうと言うべきか……白銀が逝ってしまってからそろそろ1年になるのだな。」

「はい、伊隅少佐。時が過ぎ去るのは誠に早いものです。タケルが残し、我らが受け継いだものを全世界に広め、人類の劣勢を覆し、遂に反攻作戦を実施する目前まで辿り着きました。」

「御剣さんの言うとおり、色々あって大変でしたけど、過ぎて見ればあっと言う間の事でしたねぇ~。」

 2001年12月28日に『軍神』白銀武中佐(戦死後2階級特進による)によって甲1号目標が破壊され、凄乃皇弐型の自爆により巨大なクレーターと化してからほぼ1年。
 以前に比べれば、勢力圏拡大の動きが比較的弱まったBETAに対して、最低限の間引きを行いつつも、人類は戦力を立て直しつつあった。
 その中核となったのは、現在予備計画に格下げされたオルタネイティヴ4によって開発された戦術機用新型OS『XM3』と、白銀武が生前に提唱したとされる対BETA戦術構想である。
 この2つが世界的に普及した結果、BETAの物量に対しての効率的な間引きが可能となり、戦死者の数が激減し、人類の戦力はBETA大戦開始以来、実に久しぶりに減少から増加へと転じる事ができたのであった。

 そして、今年の11月初旬、五次元効果による後遺症を伴わないハイヴ攻略を達成した、唯一の作戦である甲21号作戦から1年経過した12月25日を作戦決行日として、今後の人類の未来を占うべく、国連軍の総力を結集した一大作戦が発令された。
 作戦名称『甲20号作戦』、目的は朝鮮半島にあるBETAハイヴ『甲20号目標』反応炉の破壊。
 今後の大陸反攻を睨んで、朝鮮半島をBETAから奪還したい国連軍は、BETAの再侵攻を誘発する反応炉の機能維持を断念。
 今回は可能な限り速やかな反応炉破壊を以ってBETAの撤退を促し、朝鮮半島の解放と、大陸進攻の橋頭堡確保を目指す事とした。
 そして、本作戦に先立って11月25日より、予備作戦が実施されていた。

 予備作戦に従事するのは、極東国連軍及び帝国軍より選りすぐられた衛士達であった。
 比較的早期にXM3への換装を果たし、熟達した衛士を多く抱える両軍からの選抜である為、選抜部隊は現役衛士の最高峰が揃ったと言っても過言ではない顔触れであった。
 そして、その中にあって、一際注目を浴びたのが、国連軍横浜基地所属、A-01連隊の3名の衛士達であった。

 A-01指揮官である伊隅みちる少佐、副官である御剣冥夜大尉、そして、珠瀬壬姫大尉。
 彼女らこそは、XM3の生みの親であり、戦術機3次元機動の開祖、対BETA戦術構想の提唱者、オリジナルハイヴを壊滅させ人類に希望の光をもたらした、『軍神』白銀武の所属部隊の生き残りであり、彼から直接に3次元機動を学び、対BETA戦術構想を受け継ぎ、今尚その発展に力を注ぐ、オルタネイティヴ4の実戦部隊員であった。

 『菊花作戦』完遂後、予備計画化されたオルタネイティヴ4は、その戦果と、実戦部隊であるA-01に所属した衛士達の氏名を機密解除して開示した。
 そして、それ以来、XM3や対BETA戦術構想の普及の為、世界各地を飛び回ったのが、前述のA-01連隊の3名であった。
 所属衛士が3名しか残っていないにも拘らず、連隊を名乗るA-01であったが、今では、オルタネイティヴ4の為に連隊規模で設立された同隊が、熾烈な任務の結果として3名に至るまで損耗したという事実が世界的に知られていた為、その名の重さは畏敬と共に広く受け入れられていた。
 当然、各部隊からの選りすぐりである衛士達は、彼女らを見知っており、教導などで直接知見を持つ者も多かった。
 よって、選抜部隊の運用は伊隅みちる少佐の指揮下で、円滑に実施されていた。

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 時は1月ほど遡り、2002年11月25日

 08時24分、戦艦『紀伊』に設置されたHQのピアティフから、オープン回線で状況説明が行われた。

「上陸地点まで、距離4000。各艇は自律誘導弾コンテナを分離し、浮上準備を開始します。
 潜入部隊の各員は、揚陸艇からの発進準備を整えて待機して下さい。
 ―――浮上開始まで、60……30……20……10……9……8……7……6……5……4……自律誘導弾発射! 各艇浮上します!
 120mm砲展開、陽動砲撃開始。戦術機射出口開放。射出まで5秒……3……2……1……射出!」

 海面を割るようにして、尻尾の無いエイのような『戦術機潜航強襲揚陸艇甲型』が浮上する。その数は18隻を数えた。
 それに先立って、艇後部から切り離した水中発射式自律誘導弾コンテナが1基辺り32発のALMを海中より上陸地点に向けて発射しており、上空では沿岸に展開しているレーザー属種から放たれる光芒がALMを切り裂き、重金属雲を発生させていた。
 そして、浮上直後の揚陸艇の、上甲板左右の水密ハッチが観音開きに跳ね上がり、中から120mm短砲身速射砲が1門ずつポップアップしてくる。
 速射砲は速やかに仰角をとると、上陸地点上空へ向けて陽動砲撃を開始した。

 それと前後して上甲板前部中央寄りの左右に2つの射出口が開き、そこから艇内に格納されていた戦術機がカタパルトによって射出された。
 射出された合計36機の戦術機は、即座にNOEを開始し、陽動砲撃の下、上陸地点の切り立った崖へと突進する。
 レーザー属種の殆どすべてからの射線が切り立った崖によって阻害されているため、潜入部隊は照射を受ける事無く上陸地点へと到達できた。
 逆噴射で制動をかけながら崖の表面に主脚を付き、膝を屈伸させて勢いを殺すと、各戦術機は、今度は崖に沿って上昇に転じる。
 そして、12機の『時津風』が、先行して崖の上へと飛び出すと、両主腕と背部兵装担架に保持した合計4門の87式突撃砲を掃射して、崖の上に居合わせたBETA群を掃討しながら、内陸へと進行していく。
 続いて24機の『満潮』が崖の上に姿を現し、先行する『時津風』に水平噴射跳躍で追い付くと、残弾が乏しくなった87式突撃砲を受け取り、フル装填されたものと交換し、さらに『時津風』の背部兵装担架が保持する突撃砲を74式近接戦闘長刀に交換する。
 装備の交換すらも、内陸部への移動の最中に完了させ、合計36機の戦術機甲部隊は、植生の大半を失い痛々しい山肌を露にしている山間部へと姿を消して行った。

 それに合わせて、陽動砲撃を実施していた揚陸艇も速射砲を格納し、自律誘導弾コンテナからの第2射を隠れ蓑に、水中へと潜航する。
 自律誘導弾コンテナからのALM発射から10分と経たない間の出来事であった。
 『戦術機潜航強襲揚陸艇甲型』は、『甲21号作戦』で武が使用した『自律式簡易潜水輸送船』の設計思想を昇華させたもので、実戦運用されたのは今回が初めてであったが、能く(よく)その性能を発揮し、BETA支配地域に戦術機36機を損耗無しで上陸させ、見事に初陣を飾ったのであった。

「こちらヴァルキリー1(伊隅)、各員に告ぐ、何か支障のあるものはいるか?………………よし、我々は朝鮮半島への潜入に成功した。
 我々の目的は、朝鮮半島全域への振動波観測装置の設置による、索敵網の構築だ。BETAとの戦闘は極力回避する。
 敵の数が多い場合は、『時津風』の陽動により、BETAを『満潮』から引き離す。今回ばかりは『満潮』の方が主役だ。
 『満潮』にまで衛士を割り当てて、遠隔操縦にしているのは伊達や酔狂じゃあないぞ。解ったな?」

『『『 了解! 』』』

 その後、潜入部隊は3隊に別れ、それぞれを、みちる、冥夜、壬姫が率い、上陸地点を起点として、地中設置型振動波観測装置を設置していった。
 途中、遭遇したBETAとの戦闘で1機の『時津風』を失うも、この日の予定数の設置を完遂し、迎えに来た『戦術機潜航強襲揚陸艇甲型』で日本海を遊弋する『甲20号予備作戦』支援艦隊へと帰還した。

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時は戻って2002年12月22日(日)

 13時11分、ここ1月弱の予備作戦に従事した日々を頭から振り払い、みちるは戦艦『紀伊』の自室で寛ぐ、たった2人の部下へと視線を向けた。
 冥夜と壬姫に取り立てて疲れた様子は見られなかったが、あの日から1月弱、彼女たち選抜部隊の衛士達は、毎日のように上陸・潜入・設置を繰り返してきた。
 そして、本作戦の決行を3日後に控えたこの日、予定設置数を大幅に上回る観測装置を設置し終えた選抜部隊は、ようやく任務から解放されて休養日を与えられ、思い思いに鋭気を養っていたのであった。

「しかしまあ、予備作戦の目的が完遂できて一安心だな。」

「ほんとですよねぇ~、少佐。それにしても、BETA支配地域へ潜入しての索敵網設置だなんて、1年前じゃ想像もしないような任務でしたねえ。」

「珠瀬の言う通りだな。全てはタケルの残した自由奔放な発想と、最後の瞬間まで集め続けて、我等の下に送り届けてくれたBETAの情報があればこそだ。」

 みちるの満足気な言葉に、壬姫が嬉しそうに応じ、冥夜がしみじみと回顧した。

「うむ。今回の作戦では、1年前の情報とは言え、ハイヴ内の『地下茎構造』やBETAの配備数に、詳細な行動特性の情報まで揃っているからな。
 その上、こちらの装備は対BETA戦術構想の第2期装備群までが実用化されている。
 『凄乃皇』が無いとは言え、昨年の『甲21号作戦』の時よりも、大分楽に戦えるだろう。」

 そう言いながら、みちるは、昨年の『甲21号作戦』を思い返していた。
 思えば、あの日がA-01が最も輝いていた日であったのかも知れないと。
 人数こそ中隊定数の衛士12名に、CP将校としての遙を加えた13名だけであったが、武、水月、美冴を初めとして、優れた衛士が揃っていた。
 その上で、戦術機用新型OS『XM3』を搭載した『不知火』を駆り、オルタネイティヴ4が満を持して投入した新兵器『凄乃皇弐型』の直衛を担っていた。
 武も、彼の提唱する対BETA戦術構想の最初の成果であり、『時津風』の実証試験機である遠隔陽動支援機『陽炎・改』を駆って、佐渡島中を転戦して多大な戦果を上げていた。
 『凄乃皇弐型』の荷電粒子砲で佐渡島ハイヴの上層部をBETAごと吹き飛ばし、一時的にとは言え、反応炉を破壊せずにハイヴ制圧したあの日、作戦参加将兵全員が、人類の勝利をまざまざと感じ、A-01の全員が達成感に高揚していた。

 しかし、最後の最後で詰めを誤り、BETAの逆襲を受け、『凄乃皇弐型』は00ユニットであった鑑純夏の機能停止により擱坐。
 折角占拠したハイヴの反応炉を、破壊せざるを得なくなった。

(―――あの時私は、反応炉の破壊を独断で速瀬たちに命じた。
 反応炉を破壊しさえしなければ、『甲21号』を失ったBETA達に横浜基地が襲撃される事も無く、白銀も『菊花作戦』でその身を散らす事も無かったかもしれない。
 ―――いや、その場合は、擱坐した『凄乃皇弐型』を自爆させて、佐渡島ごと友軍に多大な被害を与え、更に横浜基地の襲撃を招き、より悪い結果となっていたかも知れんな。
 いずれにせよ、過去は定まり変える事はできない。過去を後悔するくらいなら、変える事のできる未来を見据えて努力すべきだ。
 ―――それが、生き残り、想いを託された我々が為すべき事だ。)

 みちるは、過去を思い返し悔やもうとする己が心を叱咤し、明々後日に実施される本作戦に思いを馳せた―――

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2002年12月25日(水)

 08時00分、1年前に成功を収めた『甲21号作戦』にあやかり、同じ日であるこの日この時、『甲20号作戦』が開始された。

「上陸地点制圧艦隊所属の全艦艇に通達、これより我が隊は朝鮮半島沿岸部へと突入。戦艦部隊の砲撃をしてBETAのレーザー属種を殲滅する!
 全艦砲戦用意、我に続け! 揚陸艦隊の露払いとして、沿岸部のBETAをことごとく蹴散らして見せるぞ!」

 戦艦『信濃』のCICで、安倍艦長が全艦突入の号令を発した。
 これを受けて、朝鮮半島北岸の中ほどに向け、東方から『信濃』を先頭に15隻の戦艦が艨艟(もうどう)を連ね、波濤を蹴散らして突き進む。

「レーザー照射への対応は艦隊レーザー近接防御を担当するミサイル駆逐艦に任せ、我ら戦艦部隊は照射源の殲滅を優先する。
 また、ミサイル駆逐艦がレーザー照射を受けぬよう、陣形を右先梯形陣となせ。
 随伴のミサイル駆逐艦部隊には戦艦の陰から出ないようにもう一度注意を促しておけ。」

 帝国連合海軍及び極東国連軍の戦艦群は右先梯形陣を組み、『信濃』を先頭に心持ち面舵を当てながら、右へと緩やかな弧を描くように半島へと接近していく。
 そして、沿岸部までの距離が20kmを割り込んだ頃、『信濃』のCICでオペレーターが声を跳ね上げた。

「本艦へレーザー照射、数4!『照月(てるづき)』がALMを発射―――レーザー照射ALMを追尾ッ!! 本艦を逸れましたッ!!」
「―――重金属雲発生、戦闘濃度ッ!!」

 『信濃』がレーザーの初期低出力照射を検出すると、右舷に随伴していた『秋月(あきづき)』型ミサイル駆逐艦の2番艦である『照月』が、即座にVLS(垂直発射システム)よりALMを発射。
 ALMは数秒後にレーザー照射を受けて蒸発し、重金属雲を形成した。
 安倍艦長は、艦隊防御システムが正常に稼動している事を確認しつつ、今の照射で所在が明らかとなったレーザー属種に向け、戦艦部隊所属全艦の主砲による統制射撃を指示する。

「艦隊統制射撃、データリンク照準ッ!! 主砲一斉射―――撃てーッ!」

 安倍艦長の号令一下、戦艦部隊の主砲弾が沿岸のレーザー属種目がけて放たれた。
 未だ距離があるため、弾道軌道を描くその砲弾はレーザー照射によりその殆どが迎撃され、上陸地点上空に重金属雲を発生させる。
 従来の戦術であれば、重金属雲の形成と同時に海兵隊が上陸地点の確保を行い揚陸を開始するのだが、今回の作戦では海兵隊も揚陸艦隊も動かない。
 『甲20号目標』―――鉄源(チョルウォン)ハイヴが沿岸部より100km以上内陸に存在するため、主砲による砲撃が主戦場に届かない戦艦部隊は、敢えて揚陸艦隊の露払いを買って出ていた。
 ぶ厚い耐熱耐弾装甲と、随伴するミサイル駆逐艦のVLSによる艦隊防御システムに護られて、戦艦部隊は沿岸部との距離をどんどんと詰めていく。

「装甲の状態はどうか?!」
「―――左舷装甲で規定耐久値を割り込んでいるのは10%未満です、戦闘継続に支障ありませんッ!!」
「ようし! 十分に距離は詰まった。全戦艦に通達、統制射撃解除! 各艦の任意で砲撃を行え、全兵装使用自由ッ!!
 使用可能な全砲門を左舷へ向けろ!全砲門、データリンク照準にて、各個に砲撃を開始せよッ!!」

 この時点で沿岸部までの距離は8kmを割り込み、各戦艦の主砲及び副砲は水平射撃による直射となっていた。
 この状態となると、戦艦から放たれる砲弾は弾道軌道を描かないため、VLSから発射されるALMを最優先で照射しているレーザー属種は、戦艦群からの砲撃を受けて次々と消し飛んでいった。
 かくして、遂に上陸地点周辺のレーザー属種は壊滅した。

「人間の底力を見たか! BETA共め! 『軍神』白銀中佐死すとも、彼の残した希望の光は今なお我等の手の中にある。
 この光が、必ずや貴様らを地上から駆逐するッ! その日は決して遠くは無いぞッ!!」

 安倍艦長は、拳を固く握り締めると、瞑目して勝鬨をあげた。昨年の『甲21号作戦』に於ける悲惨な上陸戦を覚えているだけに、揚陸艦隊の損耗皆無での上陸地点制圧にその喜びは一入であった。

 この日、武が菊花作戦に於いて死の直前まで収拾し、装甲連絡艇に託して人類に届けたBETA情報を解析して作成された艦隊防御システムは、十二分にその効果を発揮した。
 『甲21号作戦』時の佐渡島沿岸部に比べ、海岸線の長い朝鮮半島ではレーザー属種の分布密度が低いとは言え、大破以上の艦艇を1隻たりとも出さずにレーザー属種を殲滅したことは、BETA大戦に於ける海戦史上で、稀に見る快挙であった。
 比較的損傷の酷い戦艦数隻を離脱させた上陸地点制圧艦隊は、そのまま上陸地点近海を遊弋し、残存BETAを砲撃しつつ、新たなレーザー属種の出現に備える。
 ここに至って、海兵隊の『海神』や『A-10』が強行上陸して残存BETAの駆逐を開始したが、その数は決して多いものではなかった。
 かくして、『甲20号作戦』揚陸艦隊は全く損害を被る事無く、その全戦力を揚陸することに成功した。

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 8時42分、揚陸を終えた鉄源ハイヴ攻略部隊は、上陸拠点の維持を海兵隊と制圧艦隊に任せ、4つの部隊に分かれて進軍を開始した。
 鉄源ハイヴの周辺20kmほどの範囲は既に平地に均されてしまっているが、そこへと至るまでには幾つもの山脈を越えて進軍することになる。
 主力である戦術機甲部隊の過半数と前線司令部を擁するエコー部隊は、鉄源ハイヴから山脈を挟んで東南東へ40kmほど離れた位置にある、旧韓国江原道(カンウォンドウ)華川(ファチョン)郡を攻勢発起点とし、前線司令部を設置すべく進軍を開始した。
 機甲部隊を主幹とするシエラ部隊は、鉄源ハイヴよりやはり山脈を挟んで南南西に40kmほど離れた位置にある旧韓国京畿道(キョンギドウ)東豆川(トンドゥチョン)市方面を目指し、予備作戦の選抜部隊を中核に編制された、小規模ではあるが精鋭の衛士と戦術機を揃えたウィスキー部隊もこのシエラ部隊に同行していた。
 予備兵力であり後方支援を主たる任務とする、各国の有人戦術機を中心に編制されたブラボー部隊は、予備作戦で設置された索敵網の情報を基に、朝鮮半島各地に散在するBETAの小集団を各個撃破するために、大隊単位で各方面へと向う。
 これは朝鮮半島奪還の第一歩であり、ハイヴ攻略部隊の安全確保の上でも重要な任務であった。

 かくして、『甲20号作戦』は順調な滑り出しを見せ、第2フェイズである朝鮮半島制圧へと移行した。

「ブラボー・デルタ1よりデルタ大隊各機へ。データリンクによると、尾根を一つ挟んだ向こう側にBETA共がいる。
 これより、尾根越しに攻撃を仕掛けて、BETA共を俺達の故郷から地獄に叩き落してやれ!
 ただし、突撃級は地雷でかたをつけるから、手を出して無駄弾を使わないようにしろ。要塞級がいたら、狙撃で倒せ。
 なお、攻撃開始に先立って、尾根越しに曲射砲による索敵砲撃を敢行する。
 その結果、レーザー属種の存在が確認された場合は、続けて陽動砲撃を実施するから、最優先でレーザー属種を殲滅しろ。
 後方の安全は確保されている、無理せず、焦らず、確実にこなせ。いいな!」

『『『 了解! 』』』

 ブラボー部隊デルタ戦術機甲大隊は、随伴する『満潮』の120mm短砲身速射砲による尾根越しの砲撃の後に続くように、噴射跳躍で尾根へと取り付き、尾根から撃ち下ろす砲撃でBETAを殲滅して行った。
 ここのBETA群にはレーザー属種がいなかったため、5分ほどの戦闘でBETAは殲滅された。

「…………くそおっ! あの山々を彩っていた豊かな木々は、粗方BETAの腹の中か……くそぉ……BETA共めがッ!!」

 BETAの死骸を足元に、山頂や稜線に沿って僅かに木々が残るばかりで、あとは草一本生えていない荒涼とした故国を見渡し、韓国出身である大東亜連合軍所属の大隊長は、固く閉じた瞳から一筋の涙を流した…………

 予備作戦によって判明していた事ではあるが、BETA支配地域とは言え、ハイヴ周辺と沿岸部以外では、BETAの分布密度は決して濃いものではなかった。
 大東亜連合軍将兵や祖国をBETAに奪われた国連軍将兵の多いブラボー部隊は、朝鮮半島各地に点在するBETA群を次々に各個撃破して、着実に掃討していった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 15時13分、『甲20号作戦』は、第3段階に移行していた。
 旧華川郡の攻勢発起点を出発したエコー部隊の第1次陽動部隊は、あと山を1つ越えればハイヴ周辺の平野部という位置にある、旧近東面(クンドンミョン)に集結していた。

「アルファ・リーダーより第1次陽動部隊全機へ。いよいよ鉄源ハイヴとご対面だ。だが、焦るんじゃないよ、まずは周りのゴミ共を掃除するのが先だ。
 ハイヴの中にお邪魔すんのはその後にしなって、横浜の魔女のお達しだからね。
 まずはあたしらが笛吹いて先導してやって、ゴミ共をゴミ捨て場まで引っ張ってってやんなきゃなんない。
 途中で転(こ)けて、ゴミ共に押し潰されない様に気をつけるんだよ!」

『『『 了解ッ! 』』』

「ようし、いい子たちだ。じゃあ、母ちゃんがもう一回、手順を説明してやるから、しっかりお聞き?
 まず、随伴している『満潮』216機が120mm砲弾を一斉に発射する、あたしらはそれに続いて山を飛び越えて、噴射降下で一気に斜面を駆け下りるんだ。
 もたもたしてっと、レーザー属種がこっちに熱~い視線を投げてよこすからね。こんな所で丸焼きになんてなるんじゃないよ!
 さて、無事に地面に到着できたら、近場に居る奴だけ掃討しつつ、隊形を作って南を目指すよ。
 隊形は、ブラヴォー大隊の『時津風』が前衛だ。雁行複壱陣(エシュロン・ダブル・ワン)で進路を切り開きな。
 我がアルファ大隊の『時津風』は右側方を縦型壱陣で固める。殿(しんがり)はチャーリー大隊の『天津風』だ。鎚型壱陣で後方を固めるんだよ。
 部隊の中央は『満潮』だね。こいつらの背負ってる120mmがあたしらの生命線だ。他にも武器や弾薬の補充、マガジンの交換までしてくれる。
 上手い事手伝わせて、BETAに付け入る隙を見せないようにしなッ! 解ったかい? ベイビーズッ!!」

『『『 イエス・マム! 』』』

「よ~~~し、それじゃあ、30秒後にお散歩に行くよ! ……20……10……5……4……3……2……1……GO!」

 旧近東面北西の稜線越しに、216機の『満潮』が装備する120mm短砲身速射砲が、AL弾を一斉に発射する。
 そして、それらがレーザー照射を受けて気化し重金属雲を発生させている隙に、合計324機の旅団規模の戦術機甲部隊が稜線を飛び越え、噴射降下で斜面を駆け下りていく。
 最後尾の『満潮』6機が、上空から振り下ろすように照射された最高出力のレーザー照射を受けて蒸発するが、これにより搭載していたAL弾が蒸発し、周囲は一気に濃密な重金属雲に包まれ、それ以降はレーザー照射による損害は発生しなかった。
 無事に平野部に着地した第1次陽動部隊は、『時津風』72機、『天津風』36機、そして、120mm短砲身速射砲コンテナを装備した『満潮』210機であった。
 陽動部隊は速やかに隊形を整え、『満潮』を中央に保護する形で、先鋒と側面を『時津風』、殿を『天津風』で固めて、高度を低く抑えた噴射跳躍を小刻みに繰り返しながら、南方へと山脈沿いに移動を開始した。

「よ~~~し、みんな、ゴミ共がわたしらを見失わないように、適度に弾をばら撒いておやり。
 はしゃいでタックルしてきそうな突撃級には、投擲地雷のおしゃぶりをくれてやんな!」

 陽動部隊は移動を優先しつつも、87式突撃砲でBETAに砲撃を行い、進路を切り開くと同時に、自らの脅威度を上げてBETAを確実に誘引していく。
 『満潮』の120mm短砲身速射砲は、対レーザー防護手段として陽動部隊の命綱であるため、BETA殲滅には使用せず温存していた。
 自律制御の為、直接戦闘には参加しない『満潮』だったが、突撃砲の弾薬交換などの戦闘支援を行い、火力の充実を図っていた。
 これにより、突撃砲の残弾が乏しくなった機体は、最寄の『満潮』を呼び寄せて、突撃砲を丸ごと交換するだけで、速やかに戦闘に復帰する事ができた。

 この陽動部隊の動きに釣られるようにして、ハイヴを中心に広がる平野部に散在していたBETA達が、磁石に引き寄せられる砂鉄のように、山脈沿いに南方へ移動していく陽動部隊の方へと移動し始める。
 まず真っ先に殺到するのは移動速度の速い突撃級であったが、これに対して陽動部隊は砲撃を行わず、『満潮』が運搬していた円盤状の投擲地雷を受け取り、主腕によって突撃級に向けて投擲した。
 突撃級の前方に、内臓のジャイロによって上下を保ちながら落下した地雷は、数回バウンドした後で動きが止まると、搭載する指向性爆薬を接近してくる突撃級に向け、十分に引き付けた上で炸薬を起爆した。
 これにより、先頭を進む突撃級が横転して道を塞ぐ形となり、BETAの追撃速度は一時的にではあるが、遅滞された。

 いち早く押し寄せた突撃級をいなしつつ、陽動部隊が山間部の渓谷へと入っていくと、陽動されたBETA群は平野部全体に広がっていた状態から、徐々に密度を上げながら渓谷へと向かう列となり、津波が河川を逆流していくように渓谷へと雪崩れ込んでいった。
 しかし、その総数は優に軍団規模を上回り、このままでは、ハイヴ周辺の平野部に展開していた10万近いBETAが全て陽動部隊についていってしまいそうな勢いであった。

「こちらヴァルキリー1(伊隅)。ヴァルキリー3(珠瀬)、そろそろ満員御礼の札を上げるぞ。グングニルズを率いて、陽動砲撃とこちらに向かってくるレーザー属種の狙撃を頼む。
 ヴァルキリー2(御剣)は、ミョルニルズを率いて陽動に引き摺られているBETAの側面を強襲しろ。BETAが喰いついて来たら即座に後退だ。
 グレイプニルズ各機は、私と共にグングニルズを護りつつ、ミョルニルズの支援だ。
 総員準備は良いな? BETAの濁流を断ち切るぞ!」

『『『 了解ッ! 』』』

 陽動部隊がBETAを陽動する先は、シエラ部隊が展開している旧東豆川市方面であった。その地で誘引したBETAを殲滅するのが所定の計画なのだが、殲滅対象のBETAは軍団規模までが上限とされていた。
 そこで、シエラ部隊と旧東豆川市で別れ、更に北へと進出していたウィスキー部隊が、鉄源ハイヴの南西に位置する山脈の陰から、120mmAL弾の陽動砲撃の下、36機の『時津風』と72機の『満潮』を以ってして、BETAの濁流に側方から楔を打ち込み、流れを断ち切ろうと試みる。

「ヴァルキリー2より、ミョルニルズ各機へ、基本は一撃離脱だが、その間にBETAに痛撃を与えてやるのだぞ!
 突撃砲は全弾を撃ち尽す覚悟で臨め。なに、補給は『満潮』で直ぐにできる故、心配は要らぬ。
 しからば―――ミョルニルズ、横型壱陣にて、突撃ッ!」

 先鋒は12機の『時津風』で構成されるミョルニルズであった。
 冥夜の号令に従い、横一列に散開したミョルニルズは、背部兵装担架2基に保持した87式突撃砲を両主腕の脇の下から前方へ回し、36mm突撃機関砲を乱射しながら、BETAの列へと突撃する。
 南へと向かっていた進行方向を、西よりに右へと曲げて、突撃級を先頭としてBETAの一群が突進してくる。
 冥夜を初めとする『時津風』は突進してくる突撃級を軽く飛び越えながら機体を捻り、尻から脇腹にかけて74式近接戦闘長刀で深々と斬りつけると、着地するなり今度は続け様に周囲の要撃級に長刀を振るい、あっという間に各機数体ずつを血祭りに上げた。

「よしッ! 各機離脱っ! 後方への砲撃を忘れるでないぞ。残弾全てくれてやるが良い!!」

 冥夜の合図の直後、ミョルニルズは即座に転進し、突撃砲の残弾を120mm滑空砲の弾も含めて後方へとばら撒きながら北西方向へと進み、先行させておいた『満潮』に追いつく。
 両主腕の長刀を背部兵装担架に仮マウントすると、突撃砲を両主腕に保持し、フル装填された『満潮』の運ぶ突撃砲と交換し、背部兵装担架に戻すと再び長刀を両主腕で保持した。
 そして、補給が終わると、再び冥夜の命が下る。

「ヴァルキリー2より、ミョルニルズ各機へ、補給は終わったな? よし、反転してもう一度一撃離脱をかける!
 全機、反転ッ!」

 その後、数回に亘り反転強襲を繰り返し、BETAの注意を引いて南方への流れを途中で断ち切ろうとするミョルニルズ。
 そのミョルニルズを取り囲もうとするBETAには、ミョルニルズ所属の『満潮』から500mほど南西を、縦型壱陣で進むグレイプニルズから、87式突撃砲の砲撃が降り注ぐ。
 ミョルニルズへの援護砲撃を行うグレイプニルズの衛士達に、みちるの檄が飛んだ。

「ヴァルキリー1より、グレイプニルズ各機、ミョルニルズを包囲させるな!
 退路を確保しろ! ミョルニルズに一匹たりともBETAを取り付かせるなッ!!」

「ヴァルキリー3より、グングニルズ各機へ。北を基準に、第1小隊は1時方向、第2小隊は2時方向、第3小隊は3時方向のレーザー属種を狙撃、殲滅して下さいっ!」

 そして、ミョルニルズにレーザーを照射し、対レーザー防御手順により、『満潮』から発射されたAL弾に照射を誘引された重光線級達に、壬姫の率いるグングニルズから放たれた120mm砲弾が突き刺さった。

 グングニルズの装備する02式120mmライフル砲は、87式突撃砲の120mm滑空砲と異なり50口径の長砲身となり、砲身長は内径の50倍―――6mもの長さとなっている。
 砲身内にはライフリングが刻まれており、弾道安定性が重視され、長距離での高い命中精度を誇っていた。
 また、装弾数15発の弾倉を2つ同時に装着可能となっており、セレクターにより弾種を切り換えて砲撃できるようになっていた。
 重光線級にはAPDS(装弾筒付徹甲弾)を用いる、弾道安定性を優先するため敢えて横風の影響を受けやすい安定翼の付いたAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)は使用しない。跳弾を起しやすい弾種だが、突撃級以外のBETAには問題とならないとされた。
 そして、光線級に対しては時限信管付き榴弾が使用される。こちらは、発砲時に目標との距離を測距し、目標手前の空中で榴弾内の炸薬を起爆するもので、飛散する破片によって小型種を多数殺傷する。
 ただし、標的周辺に友軍機が居る場合巻き込んでしまうため、使用には注意が必要とされる。

 グングニルズに配属された狙撃特性の高い衛士達は、的確な判断の元、脅威度の高い順にレーザー属種を狙撃していく。
 かくして、グングニルズから6km以内に存在したレーザー属種は、次々と撃ち倒されていった。

「こちらヴァルキリー1。BETA群の分断を確認、グングニルズを先頭に、グレイプニルズ、ミョルニルズの順で北西へBETAを誘引した後、山間部へと入って地形を盾にNOEで離脱する。
 グングニルズは、進路を阻害するBETAを排除しつつ、所属する『満潮』を先行させて、足止め用の地雷原を敷設させろ。
 ミョルニルズは追って来るBETAの先頭を反復して攻撃し、進行速度を遅滞すると共に、BETAをこちらに誘引し続けるんだ。
 グレイプニルズは、ミョルニルズの退路確保と、東から来るBETA群の遅滞だ。
 油断してると包囲下に陥るぞ。総員注意を怠るなッ!」

『『『 ―――了解ッ! 』』』

 かくして、ヴァルキリーズに率いられた連隊規模の戦術機甲部隊によって、南方へと向かっていたBETAの濁流は、軍団規模をやや超えたあたりで断ち切られた。
 北西へと誘引されたBETA群は、ハイヴ西方の山間部で追撃を振り切られ、暫し右往左往した挙句に、ハイヴ周辺の平野部へと戻っていった。
 南方へ陽動された軍団規模のBETA群は、陽動部隊を追って、山間部を縫うようにして旧東豆川市方面へと侵攻して行く。
 しかし、山間部を移動する間に、レーザー属種は断続的に稜線越しの曲射砲撃を受け、迎撃の為に移動を停止するたびに他のBETAに追い抜かれ、最終的には最後尾にかたまるように誘導された。
 そして、山間部を越えてハイヴ南南西40kmほどに位置する、旧東豆川市付近の平野部へと誘引された5万近いBETA群は、地雷と機甲部隊の砲撃と、後方の山間部から隠蔽を解いて急襲し、レーザー属種を平らげた戦術機甲部隊の強襲によって、いっそ呆気ないほど順調に殲滅されていった。



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**** 11月07日宗像美冴誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話11 ****
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どこかの確率分岐世界
2002年03月03日(日)

 11時12分、帝国本土防衛軍京都要塞の第1滑走路に2人の国連軍衛士が降り立った。
 出迎えの将兵に答礼し、幾つか言葉を交した後、国連軍京都要塞駐留部隊差し回しのジープに乗ると、2人は小声でなにやら言葉を交し始めた。

「それにしても、なぜ私が少佐のお供をしなければならないのですか?」

「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないですか。」

「嫌がってなどいません。ただ私が選ばれた理由を知りたいだけです。」

「理由ですか? それなら、主に階級の問題ですね。今回の出向は『甲20号作戦』に向けた帝国軍への教導ですから、出向する人間はなるべく階級が高くて戦闘技術の教導が出来る人間が望ましいんです。
 オレが出向する以上、大尉にまで隊を離れて貰う訳にはいきませんし、そうなるとうちの部隊じゃ次に階級が高いのは5人の中尉になりますけど、桧山中尉と葵さんは性格や技量からして教導は無理。
 涼宮中尉は衛士じゃありませんから、そうなると、もう2人しかいないじゃないですか。
 そして、その2人のうちどちらが帝国軍相手の教導に向いているかを考えたら…………こっから先は、聞くだけ野暮ってもんじゃないですか? 宗像中尉。」

 2人の衛士―――武と美冴は、表面上穏やかな顔を繕いつつ、今となってはどうでもいい事を話していた。

「はぁ~。私がむくつけき男供に囲まれて受ける精神的苦痛の事は、考慮してはいただけなかったのですか……」

 表情は一切変化させていないくせに、美冴の口調は遣る瀬無さを十二分に滲ませていた。武は思わず苦笑してから表情を取り繕って、言葉を返す。

「今回の場合は、速瀬中尉を連れてきた際に、帝国軍将兵が受ける精神的・肉体的苦痛の方を、より考慮せざるを得なかっただけですよ。」

「なるほど……速瀬中尉なら、端から喧嘩や決闘を吹っかけて回っても、驚くには価しませんからね。
 仕方ありません。こうして愚痴ってみたところで、結局任務からは逃げられませんから、その理由で納得しておきましょう。」

 美冴の言葉に笑顔を見せて、武は心底助かったという口調で美冴に感謝して見せた。

「そうしていただけると助かりますよ、宗像中尉。
 ところで、最初に行われる講義での説明はお任せしちゃっても大丈夫ですか?
 質疑応答はオレの方で受け持ちますけど……」

「大丈夫です。横浜基地からここまでの空路の間に資料は読んでおきました。任務に支障がなくなったからこそ、空いた時間で愚痴ってみただけです。」

「…………暇つぶしですか……ま、いいとしましょう。」

 武がそう返事をした直後、ジープは京都要塞国連軍区画へと吸い込まれていった。

 ―――そして、約2時間後、昼食を国連軍将校たちと済ませて休憩を挟んだ後、武と美冴は講堂の壇上に用意された来賓席に腰掛けていた。

「では、これより『甲20号作戦』実施に向けて、諸君らの部隊に導入されることが決定している、各種戦闘装備の性能とその運用方法に関して、国連太平洋方面第11軍横浜基地A-01連隊所属の宗像美冴中尉よりご説明いただく。
 質疑応答は説明が終了した後、同じくA-01連隊の指揮官であり、本日の題目である戦闘装備の開発者でもある、白銀武少佐に直接お答えいただく。
 各自、データリンク上の共有情報として、各装備のデータが閲覧できる事を確認しておけ!
 ―――では、宗像中尉、お願いします。」

 進行役の帝国本土防衛軍の大尉に声をかけられると、美冴は起立し敬礼して応じる。

「はっ! 宗像美冴中尉、これより僭越ながら、各装備の説明の任に当たらせて頂きます!」

 その声は決して大きなものではなかったが、美冴の衛士強化装備のマイクに拾われ、講堂に集まった衛士強化装備を着用した、帝国軍3個連隊324名と国連軍1個連隊108名、合計432名の衛士達全員の下へと過不足なく届いた。
 美冴はレーザーポインターを手にすると、壇上に設置された大型プロジェクターのスクリーン手前に立ち、対BETA戦術構想によって生み出され、この度『甲20号作戦』参加部隊へと供給されることとなった装備の説明を開始した。
 その姿を、とある帝国軍衛士が柔らかな笑みを浮かべて見詰めているのを、壇上の武は見逃さなかった。

 ―――その後、2時間半に亘って説明と質疑応答が行われ、30分の休憩を挟んでシミュレーターを使用した、各装備の運用デモが武と美冴の2人によって行われた。
 そして18時37分、夕食を済ませた後、左官以上の士官を集めた会合に参加する武と別れ、美冴は1人PXで、会合が終了するまでの時間を待機する事となっていた。
 『桜花作戦』でオリジナルハイヴを攻略したA-01の所属衛士を一目見ようと、PXには多数の人間が押し寄せていたが、美冴の居る一角は憲兵によって警護されており、遠巻きにするのが精一杯となっていた。
 しかも、暫くすると憲兵隊の将校が美冴に声をかけてPXから連れ出してしまい、しかも残る憲兵隊員がPXに集まっていた野次馬をその場に留めてしまった為、一同から落胆の声が一斉に上がった。

 そしてその頃、会合が行われる会議室では、武と京都要塞司令官が小声で会話を交していた。

「白銀少佐。貴官の要望のとおり、帝国本土防衛軍第8師団第2連隊所属衛士の緑川仁(みどりかわ・じん)に、宗像中尉の案内させるように手配したが、これは一体どういう含みがあるのかね?
 第2連隊の指揮官が、国連軍の引き抜きではないかと心配していたようだぞ?」

 面白そうに唇を吊り上げてそう問いかける要塞司令に、武は頭を下げて応じる。

「お手数をおかけして申し訳ありませんでした司令。実は、彼の衛士は宗像の陸軍高等学校時代の先輩に当たるそうでしてね。
 今回の出向の出張手当代わりに、会わせてやりたいと思いまして。」

「なるほどなるほど、貴官は部下思いのようだな―――ん? どうやら始まるようだ。
 『甲20号作戦』に向けた作戦検討会……まあ、実のところは新型装備の運用方法の講義だが、私を初め皆期待しておる。よろしく頼むぞ、白銀少佐。」

「はっ! 精一杯努めさせていただきます。」

 この会合は2時間に亘ったが、その間に美冴が何処で何をしていたかを、武は一切追及しなかった。
 美冴も武と再会した折にただ一言、「お蔭で有意義な時間を過ごせました。」と言って敬礼しただけであった。



2003年11月07日(金)

 11時23分、京都嵐山の麓に立ち、BETAに喰い荒らされて荒涼としてしまった風景を睨みながら、美冴は数日前の横浜基地での会話を思い出していた。

「ほほう、自律植樹システムの実証試験計画の引継ぎですか。この『甲17号作戦』を間近に控えた忙しい時期に、私に京都まで出かけてこいと、そう仰るんですね?」

 武から話を聞いた時、美冴は冷ややかな笑みを口元に浮かべ、冷淡な口調で問いかけた。すると、武は首を竦めながらも、きっぱりと応じた。

「―――そうです。対BETA戦術構想で培われた無人機運用技術の民生転用を見越した実験研究の一環として、嵐山をモデルケースにした植樹計画の立案などで、宗像大尉に協力してもらっていたやつですが、先日香月副司令に露見してしまったんですよ。
 そうしたら、京大時代に嵐山で花見をした事があったらしくて、京都要塞になら機材が余ってるし差し当たってBETAの侵攻も無さそうだから、さっさと花見が出来るようにしろとせっつかれましてね。
 おまけにモトコ先生まで駆り出して、クローン促進培養で苗木まで作らせちゃったって言うんです。
 だもんで、モトコ先生にまで、場所塞ぎだからさっさと苗木を運び出せと言われてしまいまして……さすがに今の時期にオレは基地を離れられないので、宗像大尉にお願いするしかないんですよ。
 既に先方で、自律植樹システムの実証試験を担当してもらう方は決まっているんで、長くても1泊2日で済みますから。休暇気分で里帰りして来て下さい。」

 その時の武は、拝まんばかりの態度で早口に言い終えると、本当に両手を眼前で合わせて拝んで見せた。
 すると、近くに居合わせたみちるに水月、遙、おまけに祷子までもが集まってきて、武に口添えした。
 美冴には、この辺りでこの件の裏が見えてしまった。
 どうやら、隊の上層部が全員で示し合わせて仕組んだらしいと気付いた美冴は、表面上は飽く迄も不本意であるとの態度を貫き、武に最大限に恩を着せた上で受け入れた。
 その段階で、京都で出会う相手にも想像は付いていたのだが…………

「どうして、前線部隊所属の仁さんが、自立植樹システムなんかに関わる事になったんですか?」

 美冴は、追想を振り払って後ろを振り向くと、そこで柔らかな笑みを浮かべている帝国本土防衛軍の青年衛士に問いかけた。

「まあ、表向きは、うちの部隊の機材を使う事になったからだろうね。
 実際には京都要塞の上層部から、直々に指名されたようだけど。
 前線部隊とは言え、暫くの間は、『甲20号作戦』での実戦経験を基に、対BETA戦術構想装備群の教導任務が主だから、時間的な余裕はあるんだけどね。
 しかし―――去年の時といい、君の上官は随分と手回しがいいようだね。」

 おっとりニコニコと笑うその笑顔に、つい癒されそうになってしまって、美冴は軽く頭を振った。
 高校で知り合った頃から、美冴は仁の雰囲気に包まれると、ついついぽ~っとして時間だけが過ぎ去ってしまうという経験を幾度となく繰り返していた。
 当時の友達には、普段怜悧な事で知られていた美冴が、彼と居るとらしくもなく呆けてしまうと、散々にからかわれていたものであった。
 そんな時間の過ごし方も、美冴は決して嫌いではなかったが、今は一応任務中であるため、時間を無駄にする訳にもいかなかった。

「まあ、仁さんが迷惑でないなら、構いません。それではシステムを起動します。
 植樹用コンテナに苗木と培養土が種別に格納されています。今回植樹するのは赤松を中心に、いろは楓と桜です。
 培養土には土壌生物が既に幾種類か含まれているそうです。
 こちらの植樹計画図で事前に植樹する苗木の種類と場所を指定しておけば、後は満潮が等高線に沿って高い位置から順番に植樹していってくれる筈です。
 後は状況監視と、自律システムが判断に迷うような状況が出た時に、指示を出してやるだけです。
 今日は私もいますので、なにかあれば聞いてください。」

 そう言って、美冴はシステムの運用を開始した。こうなると、何かおきない限り、後は本当に見守るだけである。
 正直手持ち無沙汰になるはずなのだが、美冴は必死に意識を明瞭に保とうとしていた。
 それは睡魔と闘うようなもので、気が付けば仁の顔をぼーっと眺めている自分に気付いて、慌てて何を話そうか、どう話そうかと思いを巡らせるのだが、そうこうする内に何時の間にかまた仁の顔に見惚れて思考が止まってしまう自分が居る。

 思えば、仁が初陣の前に帰郷してきた時もこうだった。あの時美冴は、いざとなったら自分の方から迫ってでも、婚約に漕ぎ着ける覚悟だった。
 しかし、結果的には、2人で過ごした間の記憶すら定かではなく、仁を戦地へと送り出した後、自分の不甲斐なさに涙する日が数日続いたほどだった。
 ―――周囲の人間は、思い人を偲んで泣いていると思っていたようだったが……美冴は、それはそのままで放っておく事にした。色々と都合が良かったので。

 とは言え、今日までその轍を踏むのはご免だったので、美冴は必死の思いで任務絡みの話を切り出した。
 私事に想いを巡らしたりしたら、途端に仁を意識してしまい、その笑顔を覗き見ては時間が飛ぶ、そのメカニズムを美冴はよくよく思い知っていた。

「それにしても、こんな任務を押し付けられて、本当は嫌なんじゃないですか? 少なくとも、衛士の仕事ではないでしょう。」

 すると、仁は何時にも増して美冴を包み込み癒すような笑みを浮かべて、語り始めた。
 その内容は悔悟とも取れる内容もあったにも拘らず、その口調はただ只管に優しく、美冴の普段からどこか張り詰めている精神の緊張と疲労を、じんわりと和らげて癒していく。
 美冴は仁の言葉を聞き取ろうと集中するが、集中しようとするほどにその笑顔に意識が向いてしまい、段々と世界に靄がかかっていくような心地となっていった。

「うん、衛士の仕事ではないね。
 でもね、僕はこの任務を担当できて嬉しいよ。この嵐山は、僕が衛士としての仕事で護るはずだった。
 なのに、僕はBETAがこの嵐山を蹂躙したあの時に、護る為に戦う事すらできなかったんだ。
 あんなに悔しかった事はなかったな……それ以来、BETAを駆逐して敵を取ろうと必死で戦ってきたけど……今度は国連の特殊部隊が、BETAの親玉を倒してしまった。
 しかも、作戦の後に公開されたその部隊、A-01の所属衛士の中に君の名前があったものだから、それを知った時には、驚いてしまったよ。
 どうやら、僕は肝心な時には何も出来ないのかもしれないと、そんな馬鹿な事を考えた事すらあった。
 けれど、去年の『甲20号作戦』では、君たちの手伝いが出来たし、今回は護れなかったこの嵐山を再生させる仕事にも携われる。
 全ては、君の存在からもたらされた事のようにも思えるけれど……いや、そう思えるからこそ、僕は嬉しい。
 君の為に何かが出来ると思えるのは、とても嬉しいよ、美冴ちゃん。
 だから………………」

 美冴が意識を保てたのは其処までであった。
 次に気が付いた時には陽もすっかり暮れていて、整備支援担架のライトが辺りを照らし、満潮やその他の機材も全て片付けられていた。
 昼食を入れてきた保温容器は空になっていたので、昼食も食べたらしいのだが、一切記憶に残っていなかった。
 悔しさに身を焦がす思いの美冴であったが、表面上は冷静な素振りを貫き通す。
 それに、悔しさより遥かに強く、言い知れない程の充足感と多幸感が心を満たしていたのも事実であった。
 そして、京都要塞に帰還して、仁と別れて割り当てられた部屋へと戻ったのだが、自責のあまり美冴は聴覚が疎かになってしまっていた。
 その為、別れた直後に、美冴を見送りながら仁が呟いた言葉を、美冴は当然の如く気付きもしなかった。

「……はあ。また空振りか……一体何回告白すれば聞き取ってくれるんだろう。
 もしかして、僕は遠回しに振られているんだろうか? まあ、彼女が嬉しそうにしているから、それで満足しておくか。」

 彼、緑川仁中尉は、我慢強く、粘り強く、諦めずに戦い続ける衛士であり、派手な所はないものの守勢の巧者と言われていた。
 そして、その温和な為人と、XM3導入前から所属部隊の生還率が、他の隊よりも頭一つ高い事で知られていた。
 その彼が、ついに痺れを切らし、彼としては実に珍しい単刀直入且つ性急な告白を敢行し、姓を宗像に改めるまで、未だ長い年月を必要とする。
 しかもその際に、美冴の仁と過ごしている時の醜態や、仁の告白を何度も聞き逃していた事なども、ヴァルキリーズの面々に知られてしまう事になるのだが、やはりそれもまた、大分先の出来事であった。




[3277] 第45話 白銀の残光・その2
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/21 17:32

第45話 白銀の残光・その2

  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

 武は夢と現の狭間で、世界を隔てた懐かしい人々を想っていた……

(―――夢を見た……希望を捨てず、必死に戦い続ける人々の夢を……夢を見た……残された願いを継いで、護るべきものの為に、戦い続ける人々の夢を……
 夢と現実の境界は……自分の力で道を……切り開けるかどうかだけだ。それを悔やんでみても、夢が現実に戻る事はないんだろう。
 だから……オレは……出来る限りの事をしていこう……と思う。この世界に、オレが生きている意味は……そこにあるんだと思う。
 これが、望まれた運命じゃなかったとしても……この世界で……オレだけが出来ることなら……
 悲しい別れも……人類の運命も……そして、自分の運命も……オレには変えられるはずだと信じる。
 護りたいものを……本当に護るという強い意思を……常に持ち続けたなら……オレには、誰にも出来ないことが、出来るはずだ……そう信じる。
 だから……だから……せめてこれから……生きて……生き足掻いて……少しでも多くが生き延びられるようにしたいと思う。
 みんなが生きる、この星を、守り抜きたい……そう思う。
 残された人々に……残された想い出に……そして……愛する人の願いに……全てを捧げて応える。
 オレは……必ず出来るはずだ……その力があるはずだ……
 人類は負けない……絶対に負けない……オレがいるから……オレが、いるから……みんなが、いるから……)

  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
  ○ ○ ○ ○ ○ ○

2002年12月25日(水)

 17時13分、旧華川郡の『甲20号作戦』前線司令部では、作戦司令官である国連軍中将李碩琳(イ・シュオリン)司令官と夕呼が、戦況の推移を確認しあっていた。

「香月副司令。ご提供頂いたデータ通りならば、そろそろ、ハイヴ上層のBETAは殲滅できそうですな。」

「そうですわね。これ以降は、ハイヴ下層のBETA群が移動してこない限り、地上は小康状態を保つはずです。
 そして、白銀の残したデータに含まれていたBETAの行動特性では、下層のBETAはハイヴが襲撃されない限り上がっては来ないはずですわ。」

 戦域概況図では、鉄源ハイヴ周辺の地上に存在する残存BETAのほぼ全てを誘引して、第4次陽動が実施されていた。
 この陽動により、ハイヴ周辺の地上からBETAは、その姿をほぼ消す事になると思われた。
 残存BETAの掃討命令も、A-01連隊指揮下のウィスキー部隊に対して、この時既に発令済みであった。

「それにしても、軍団規模のBETA群を4度に亘って陽動・殲滅したにも拘わらず、戦死者が100人に満たないとは驚きですな。
 18万以上のBETAを殲滅したにも拘らず、中・大破した戦術機も無人機128機に留まり、機甲部隊の損害も46両のみ……
 さすが『軍神』の残した対BETA戦術構想は違いますな。」

 現時点での損害の詳細を見た李中将は、目を細めて感慨深げに呟いた。
 その呟きの中に含まれた、『軍神』という言葉に一瞬だけ眉を顰めたものの、夕呼は楽観を戒めるように問題点を指摘した。

「……ですが、18万を越えるBETAを殲滅するために、相当量の燃料弾薬を消耗してしまったはずです。
 この作戦の為に、国連を通じて全世界から供出を受けたとは言え、足りないのではないですか?」

「従来のレーザー属種相手に端から迎撃されていた頃に比べれば遥かに効率的なのですが、既に揚陸した燃料弾薬の半分以上が消費されております。
 現在も物資の揚陸と輸送を行っておりますが、想定されている残り40万以上のBETAを殲滅しきるのは、やはり無理かと。
 BETA殲滅によるハイヴ占領は、残念ながら困難と判断せざるを得ませんな。
 香月副司令は如何お考えで?」

 李中将の問いかけに、夕呼は傍らの情報端末で戦況情報の分析を続ける霞を見下ろし、分析作業の邪魔をしないように、そっと声をかけた。

「少々お待ち下さい。―――社、今後の作戦の見通しはどう?」

「……現在、輸送中の物資は、反応炉破壊を担当する……ウィスキー部隊の追加装備と補給物資です。
 ……それが到着するまでに、陽動を目的として……ハイヴに突入し……BETAを地上に誘導し殲滅して下さい。
 その後……更にハイヴ内のBETAを引きずり出すために……F-01を投入します……
 F-01の効果が認められた場合……即座にウィスキー部隊をハイヴに突入させてください……」

 霞は作業を続けたまま、視線も上げずに、夕呼の問いに対して応じる。
 その言葉は、テストプラン通りのものであり、作戦が現時点まで順調に推移している事を示していた。

「……つまり、規定のプラン通りでいいのね?」

「はい……ただ、そろそろ地中侵攻があるかもしれません……」

 霞は、現状で唯一の不安要素を強調した。夕呼は満足げに頷くと、李中将に向き直って告げる。

「解ったわ。―――李中将、テストプラン通りの進行でいいそうですわ。ただし、地中侵攻への警戒を厳重にして下さい。」

「了解しました。いや、しかし。随分とお若い参謀でいらっしゃいますな?
 オルタネイティヴ4の秘蔵っ子というわけですかな?」

 李中将はテストプラン通りと聞いて素直に頷き、それでも霞に些か興味を引かれたように、夕呼に訊ねた。

「……社は、白銀の思想を、最も濃く受け継いだ人材です。
 対BETA戦術構想をこの世で最も良く知るのは私ではなく、この娘ですわ。」

「……然様でしたか。それでは、『軍神』の後継者の実力、しかと拝見させていただきますかな。
 司令部総員に告ぐ、第4次陽動の完遂を以って、本作戦は第4フェイズに移行する。
 ハイヴ周辺の地上に残存するBETAの掃討を急ぐと共に、第1次ハイヴ突入部隊の準備を整えるよう、作戦参加全部隊に通達せよ。」

『『 了解 』』

 データリンクを通じて司令部内回線で発せられた李中将の言葉に、前線司令部に属するCP将校達の応答がこだまする。
 しかし、幅3m、奥行き5m程の部屋に過ぎない司令部には、それらCP将校たちの姿は無く、李中将とその副官、夕呼、そして霞の4名の姿しか見られなかった……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 17時41分、鉄源ハイヴのS127『門(ゲート)』からS132『門』までの6つの門に、それぞれ1個連隊規模の戦術機甲部隊が取り付き、ハイヴへと突入を開始しようとしていた。

 しかし、ハイヴ突入部隊でありながら、それらの戦術機甲部隊は全て無人機によって編制されていた。
 各部隊の内訳は、『時津風』12機、『天津風』24機、『満潮』72機、『自律移動式整備支援担架』72台であった。
 そして、部隊は自律支援担架を伴い、主脚走行によってゆっくりとハイヴへと潜って行く。

 『地下茎構造』を50m進む毎に、最後尾の自律支援担架が、データリンク中継システムを吊り下げたガス気球を放出する。
 放出された気球は、中継システムに内蔵されたセンサー類の情報を基に、『横坑』の天井から20m程の距離を空けた空中に移動し、圧搾空気噴出装置を用いて、同一3次元座標を維持した。
 そして、随伴している『満潮』の1機は、付着式振動波観測装置を『横坑』の側壁に25m間隔で貼り付けていた。

 ハイヴ突入後、『地下茎構造』に合わせて戦術機甲部隊は分散していき、最終的に、1部隊が『時津風』1機、『天津風』2機、『満潮』6機、自律支援担架6台にまで分散した頃、『主縦坑』まで直線距離で6km、最も深くまで潜った部隊は第12層の深度446mにまで至っていた。
 ここに至るまでの入り組んだ『地下茎構造』の各所には、データリンク中継気球と付着式振動波観測装置が設置され、鉄源ハイヴ内のBETAの分布情報を、徐々に暴き始めていた。

 そして、遂にハイヴ下層からの、BETA反攻の前兆を索敵情報統合処理システムが察知した。

「隊長! BETA共ですッ!BETA共が、下層から凄い勢いで上がって来ますッ!!」

「ああ、そのようだねぇ~。それじゃ~諸君、予定通り~撤退を始めようじゃ~ないか。
 殿は~『満潮』の~2番機だったかねぇ~……うん。2番機に~務めてもらおうじゃあないか~。
 諸君も~、『満潮』を~、ちゃぁあんと守って、やるんだぞぉ~。」

 この時点を以ってハイヴ突入部隊は進攻を中止、地雷を敷設しつつも徐々に後退を開始する。
 そして、ハイヴの底より凄まじい勢いで這い上がってくる、数万匹のBETA群。
 途中で地雷による損害を被りつつも、『横坑』の側面までも利用して、遂に突撃級が後退中のハイヴ突入部隊に追いつく。

「た、隊長ッ! BETAですッ! 突撃級が追いついてきましたッ!! 数千体は居ますッ!!!」

「う~ん、ぽちっとなっと…………これで暫くはぁ『満潮』まかせだねぇ~。」

 しかし、ハイヴ突入部隊の方も迎え撃つ準備は万端であった。
 自律誘導弾連射コンテナを装備した『満潮』が殿に付き、噴射跳躍で後退しながらも自律誘導弾を1秒ごとに1発ずつ機体後方へと続けざまに発射する。
 発射された自律誘導弾の弾種は、通過後に後方に向かって子弾頭をばら撒くクラスターミサイルであった。
 装甲殻に覆われていない尻に子弾頭を喰らい、次々と死骸を積み重ねていく突撃級。
 しかし、数千体という数は、毎秒5体前後の損害など苦にもせず、同類の屍を弾き飛ばし、あるいはその隙間を抜けて、後から後から湧き出るが如くに追い縋って来る。

「隊長ぉ~~~ッ! BETAが『満潮』に襲い掛かってきますッ!!」

「よっ! てりゃっ!…………君ねぇ、そんな事言ってる間にさぁ~、大砲撃とうよねぇ~。
 差しあたってぇ、足止めすればいいんだからさぁ~。」

 クラスターミサイルという牙を逃れ、『満潮』に迫る突撃級には、『時津風』や『天津風』が120mm滑空砲の砲撃を放ち、仕留められないまでも足を止める。
 そうして足を止めた突撃級には、次のクラスターミサイルの子弾頭が降り注ぎ息の根を止めるのであった。

 とは言え、128発の装弾数を誇る自律誘導弾連射コンテナであっても、毎秒1発の連射を続ければ2分もすれば残弾が尽きる。
 クラスターミサイルを撃ち尽くした『満潮』は、NOEで一気に『門』へ向けて飛び去った。
 そして、新たな『満潮』が殿を交代し、再びクラスターミサイルを連射し始める。
 突撃級を漸減しながらの撤退は続き、3機目の『満潮』に交代した後、ようやく突撃級の追撃が途絶えた。

「いやぁ~、よ~やく、一段落ついたねぇ~。」

「たたたたた、隊長ぉお~~~~~ッ! こ、今度は1万を超える大集団でありますぅ~~~~~ッ!!」

「……君も~、懲りないねぇえ~~~……」

 しかし、先程の突撃級と同規模の要撃級と、それに数倍する戦車級に、出遅れた突撃級で構成されたBETA群が、すぐ其処まで迫って来ている事が、データリンク経由の情報で容易に見て取ることができた。

 ハイヴ突入に際して設置したハイヴ内索敵網は、既に半数近くが機能を停止していたが、それでもハイヴ内のBETAの移動経路や分布は未だに察知し続けていた。
 BETAの反攻に先立って、ハイヴ突入部隊が速やかに撤退を開始していたため、BETA群は殿を受け持つ部隊の撤退路周辺に集結し、幾つものルートに分散して、突入部隊を追撃する形となっていた。

 この時点で、ハイヴからの脱出口となる『門』まで、直線距離で2km、経路上の踏破距離で6kmほどであった。
 ハイヴ内での戦闘で後退速度を低下させすぎると、近接ルートからBETAに先回りされかねないため、殿部隊はデータリンクでBETA群の動きを確かめながら撤退の速度を調整しつつ、『満潮』のクラスターミサイルに加え、36mm突撃機関砲の劣化ウラン弾や、120mm滑空砲から放つ炸裂弾(キャニスター)による砲撃で、BETAの先頭に位置する個体に損害を与え続けた。

「……く…………このっ………………っ…………」

「あ~、ようやく静かになったねぇ~。っと! よっ! けどぉ~、今度はぁ~、BETAが、多すぎて~、ちょぉおっと、忙しいかなぁ~。
 お? 喜びたまえ、諸君~。遂にゴールがぁ、見えて……あ、通り過ぎちゃったねぇ~~~。」

 そして、殿を務めた部隊も遂に『門』に辿り着き、ハイヴ突入部隊は一切の損害を出す事無く地上へと帰還した。

 その後を追うようにして、複数の『門』から飛び出してくるBETA群。
 未だ一部しか湧き出していないとは言え、データリンクの表示によればその数は優に4万を超える。
 しかし、ハイヴ内索敵網により、BETAの地上への侵攻ルートを完全に把握していた鉄源ハイヴ攻略部隊は、鉄壁の布陣を既に済ませていた。
 ハイヴ周辺に広がる平野部の南方15kmの地点にシエラ部隊の機甲部隊を展開し、さらにBETAが地上への侵攻に使用していたルート上の『門』全てを包囲するように、エコー部隊から8個連隊規模の無人機を抽出して編制した戦術機甲部隊を展開していた。

 それ故に、地上に噴出したBETA群には、即座に制圧砲撃の砲弾の雨が降り注ぎ、BETA小型種、中型種を次々に肉片へと変えていく。
 しかも、この制圧射撃は無駄弾を極力無くす為に、斉射と斉射の間に間隔を空け、索敵情報統合処理システムによりBETAの進行状況を確認しながら断続的に、しかし的確に実施されていた。
 遂には、BETA群の後続に混ざっていたレーザー属種も出現したが、包囲している戦術機甲部隊が、即座に120mm短砲身速射砲コンテナによる陽動砲撃下での包囲殲滅戦を実施し、速やかに殲滅してのけた。

 そしてなによりも重要なのは、この制圧砲撃の合間に行われた索敵により、BETAの地中侵攻を察知する事に成功した事であった。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○


 18時18分、旧華川郡の『甲20号作戦』前線司令部では、李中将が、データリンクを経由したCP将校からの報告を受け、苦笑を漏らしていた。

「地中侵攻? この期に及んでやっとかね?」

「は、推定される目標地点は、当司令部所在地、到達時間は20分後と予想されます。」

「ふむ……支援砲撃を行っているシエラ部隊ではなく、ここに来るか……
 よし、作戦司令部は当攻撃発起点を放棄する。
 足の遅い部隊から、南方へ避退させろ。第5フェイズで使用する装備物資は、シエラ部隊の下へ急ぎ輸送し、その他は陸路で旧東豆川市へと向かわせろ。
 遠隔操縦にて作戦参加中の衛士が乗る、複座型有人戦術機を自律制御で後方へ退避させるのも忘れるな。
 必要に応じて旧東豆川市を新たな攻撃発起点として作戦を継続する。
 また、全軍に通達。18時30分を以って、司令部は移動を開始する。万一司令部との通信が途絶した場合は、各隊は所定の作戦行動を続行せよ。
 また、通信途絶中に作戦行動の継続が困難と判断された場合の指揮は、シエラ部隊指揮官に委任する。
 司令部要員は順次移動態勢に移行。有線接続を切断する前に、無線接続への切替が完了している事を必ず確認せよ。―――以上だ。
 …………副司令、やはりBETAの狙いはここのメインコンピューターですかな?」

 BETA地中侵攻の目標とされた事にも全く動じず、現在の拠点の放棄と戦力の撤退を即断し、各所への指示を出した李中将は、夕呼を振り返って興味深げに訊ねた。

「そうですわね。恐らく、この司令部の大規模並列処理コンピューター『思金(おもひかね)壱型』が、第3フェイズ以降移動していない事が目標とされた要因だと思われます。
 後は……この時点まで地中侵攻が行われなかったのは、ハイヴ周辺への制圧砲撃が引き金になったか、さもなければ通常侵攻と並行して行うパターンしか用意されていない可能性が考えられますわね。
 BETAは厳密には思考をしてはおらず、諸条件に反応しているだけですから。」

 夕呼の指摘に、李中将は苦々しげな表情となって、悔いを滲ませた言葉を漏らした。

「そうでしたな。つい相手の思考を読もうとしてしまう。それこそが、物量に継いで、BETAを恐るべき敵として祀り上げてしまった原因だというのに……」

「全くです。どれほど異質な思考なのかと恐れおののいていたというのに、蓋を開けたら出来の悪いAIもどきに過ぎなかった。
 BETAを恒星間航行可能な知的生命体と誤認したのが、致命的な誤りでしたわね。」

 李中将の言葉に、夕呼は自嘲の笑みを浮かべて応じた。

「しかし、今ではBETAは自己増殖する自律システムに過ぎないと判明した。これも白銀武中佐が残したデータの解析結果でしたか。」

「はい。白銀がオリジナルハイヴを消滅させたあの日、多くの情報を残してくたお陰です。
 ―――それよりも、李中将。移動態勢のまま指揮を継続なさるお心算ですか?」

 武の名前に、表情を真摯なものに改めて応じた後、夕呼は、この後起きるであろう事態を想定し、李中将に訊ねる。

「地中侵攻してくるBETA次第ですな。地上に出てこずに地中を追ってくるのであれば、致し方ありますまい。
 地上に顔を出すようであれば、戦術機部隊で殲滅し司令部を再設置いたします。」

「解りました。社、移動態勢に移行するそうだから、簡易固定ジャケットを着て、4点式ハーネスを装着しなさい。
 ―――ったく、これ暑苦しくて気に喰わないのよね……」

 夕呼は李中将に頷いて承諾すると、霞に指示を出しながら、自分も簡易固定ジャケットを取り出し、愚痴を零しながらも白衣の上から装着した。
 そして、衝撃吸収素材が多用された、体全体を抱え込むような形状のシートに納まって、ハーネスをジャケットに取り付けて身体をシートに固定した。

「ははは……そうおっしゃいますな。『思金壱型』による慣性緩和機構があるとは言え、移動中は本来であれば戦術機並みに揺れている筈なのですからな。
 万一に備えて、慣性緩和機構が作動しなかった時に供えねばなりますまい。」

 自身も同様にしてシートに固定した李中将が、夕呼の愚痴を耳にして笑みを零して宥める。
 夕呼もバツの悪い顔をしながらも、李中将に応える。

「―――わかっております。つい愚痴を零してしまいました。」

「いやいや、お気になさらず。本来副司令やそちらのお嬢さんは、軍属とは言えこのような前線にお出でになるような方ではない筈。
 相応の訓練を積んだ軍人とは同列には扱えませんよ。
 ―――それより、いよいよ移動を開始しますぞ。」

 李将軍の言葉に、夕呼はシートに身を委ねて目を瞑り、襲い来るであろう揺れに備え、心中で毒づいた。

(ったく! なぁあにが、前線移動司令部『飯縄(いづな)』よっ! 白銀の奴、碌でもない物考えて……大体、真に受けて作る方も作る方よね。)

 そして、時化た時の船のような揺れが、夕呼の思考を中断させた。

 前線移動司令部『飯縄』は、複数台の装輪式大型装甲車両と戦術機で構成される。
 今回の作戦では、司令部車両1台、動力車両2台、電算車両2台、通信車両3台の合計8台の装輪式大型装甲車両と、24機の複座型F-15Eで構成されていた。
 各車両と戦術機は、ロボットアームの先端に存在するインターフェースを経由して、ロボットアーム同士や、戦術機の有線接続用通信ケーブルとロボットアームとで、物理接続を確立し、全体で1つの司令部として稼動するようになっていた。

 『飯縄』の要求仕様は、1.全環境展開能力。2.高出力高速パケット通信能力。3.危機的状況からの離脱能力。の3つであった。
 1.と2.は、遠隔陽動支援戦術機を多数運用する戦場に展開し、広域データリンクを確立する能力として要求された。
 そして3.は、敵対勢力による急襲を受けた場合に、司令部が壊滅し広域データリンクが喪失する事がないように要求された。
 2.に関しては、専用の設備を搭載すれば済む話である。
 動力車両、電算車両、通信車両の3車種が開発され、電算車両にはオルタネイティヴ4で開発された大規模並列処理コンピューター『思金壱型』が搭載された。
 問題となるのは1.と3.であった。
 最終的に、必要とされる設備を複数の装輪式大型装甲車両に分散し、緊急時や装輪走行で踏破出来ない場合などでは、各車両を戦術機2機に保持させて運搬させる事で解決する方法が採用された。
 その為、車両の本体構造は装甲を兼ねた強固な構造体となり、戦術機が保持する為の保持架が2つ車両上部両側面に存在した。
 また、司令部要員の生残性を高めるため、CP将校は基本的には護衛兼補助動力機関である戦術機を複座型として衛士と共に搭乗するものとされた。
 しかし、その一方で、高級指揮官が戦場全体を統括するための司令部車両も用意され、戦術機による運搬時の揺動を、車両に備わった揺動補正制御機能によって軽減できるように開発されていた。
 さらに、各車両に搭載されているバッテリーと補助動力で賄える短時間の運用であれば、各車両が物理的に接続されていない状況に於いても、無線データリンク接続によって機能する事も可能であった。
 これにより、移動中であっても、理論上は司令部機能は維持可能であるとされていた…………のだが……

(こんな揺れまくりの状況で、作戦指揮なんか出来るわけ無いじゃないの! 自分の基準で考えるなってのよ、白銀の奴め~っ!!)

 夕呼はシートの肘掛を握り締めながら、心中で武の面影を思い浮かべながら毒突いていた。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 18時25分、鉄源ハイヴの最南端に位置するS142『門』のとば口で、奇妙な機体が1個大隊規模の戦術機甲部隊の護衛を受けて待機していた。
 その機体はデフォルメされたデルタ翼の航空機に足を2本付けた様な形状で、寸詰まりの翼に当たる部分には回転翼が内蔵されていた。
 言ってみれば、航空機とヘリと戦術機を切り張りしたような機体なのだが、輸送目的なのか胴体部分が丸みを帯びて膨らんでおり、何処となく愛嬌のあるフォルムをしていた。

「HQより作戦参加全機に告ぐ、現時刻を持って作戦は第5フェイズへの移行を宣言する。
 F-01並びにF-01護衛部隊、ウィスキー部隊の各機は直ちに作戦を開始せよ。」

「F-01了解」「エコー・アルファ・リーダー、了解だよ!」「ヴァルキリー1(伊隅)、了解。」

 HQからの作戦開始を受けて、F-01―――つまり、件の奇妙な機体は、胴体中央に装備した特殊機関の運転を開始した。
 管制ユニットには3名が搭乗し、衛士上がりの主・複パイロットと、特殊機関のオペレーターが搭乗していた。

「さて、いよいよこの『天宇受賣(アメノウズメ)』のお披露目だね。簡易ML機関に火を入れな。出力は最低でいいから、暴走させるんじゃないよ?」
「了解!」

 機長の指示で、オペレーターが慎重に操作を行い、ムアコック・レヒテ型抗重力機関を起動する。

「―――カルーツァ・クライン・エコーを観測。微弱ながら安定しています。」
「機長、ハイヴ下層よりBETA群の大規模移動を確認! 総数10万を超えています!」
「よ~し、レーザー級が出て来ない内に、退避するよ。
 F-01よりアルファ・リーダー。BETAは餌に喰いついた。F-01はこれより第1隠蔽ポイントへ移動する。護衛を頼むわ。」
「こちらアルファ・リーダー。護衛の方は任しときな! その代わり、BETAの舵取りの方をよろしく頼んだよ!」
「了解。」

 F-01は回転翼によって揚力を得て浮上すると、機体後部から突き出た噴射跳躍ユニットを噴射して、地上を南方へとNOEで移動し始めた。
 その周囲を取り囲み、護衛部隊の戦術機もNOEで移動を開始する。
 目指すは、いずれハイヴから湧き出てくるであろう、レーザー属種からの照射を避けるために用意された隠蔽ポイントであった。
 そして、広域データリンク上では、ハイヴの最下層近くより、Sエリアを中心に、下層から上層へと埋め尽くす様に逆流してくる真っ赤なマーカーが表示されていた……

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 18時41分、鉄源ハイヴ突入後、15分が経過したこの時、A-01率いるウィスキー部隊は、第15層を主脚走行で進攻していた。

 簡易ML機関を搭載した『天宇受賣』による陽動の成果か、この時点に至るまでウィスキー部隊は中隊規模以上のBETA群とは遭遇していなかった。
 有人機である複座型『不知火』14機に、やはり複座型の『武御雷』が赤が1機と白が3機、そして、36機の『時津風』と72機の『満潮』を基幹とする増強連隊規模のウィスキー部隊は、一糸乱れぬ機動を以ってして、時速80km前後の速度で『地下茎構造』を踏破していく。

「伊隅少佐、どうやらここまでは順調のようだな。しかし、そろそろ地上の陽動が中止される頃合か。」

 赤い『武御雷』に搭乗する女性衛士が、珍しく自分から話を切り出してきた事に、軽い驚きを覚えながらも、みちるは会話に応じることにした。
 なぜなら、この暫く後には、ウィスキー部隊はハイヴ上層を陽動から解放されて巣へと戻ってくる万単位のBETA群と、恐らくは未だにハイヴ最下層に温存されているであろうやはり万単位のBETAに挟撃される事になると予想されていたからであった。
 ここまでが容易に進攻出来た分だけ、部隊の衛士が受けるプレッシャーが大きい事は間違いない。であれば、今の内に全員の精神を引き締めておく必要がある。
 赤の『武御雷』を操る斯衛軍衛士も、それを考えているのだろう事は容易に想像がついた。

「そうですね。月詠大尉の仰る通りでしょう。ML機関を搭載した『天宇受賣』は隠蔽ポイントを移動しながら、断続的にML機関を起動してBETAを陽動し続けた筈ですが、地上へ向かったBETA群は最終的には12万をやや上回りました。あの数を陽動し続けるのには無理があります。
 今後も、BETAのハイヴへの帰還状況やハイヴ周辺の地上への残留状況を見ながら、散発的にML機関を使用した陽動を行うでしょうが、それで拘束できるBETAは半数程度に過ぎないでしょう。
 となれば、6万近い数のBETAが地上から我々を追って駆け下りてくる事になります。」

 みちるの言葉に、日本帝国斯衛軍より国連軍選抜部隊へ一時的に出向してきている月詠大尉は、我が意を得たりと頷いて、その判断を肯定した。

「さすが、名だたるヴァルキリーズの指揮官だな。私も同じ予測を立てた。しかし、こちらが現在の進行速度を維持できさえすれば、そうそう追いつかれる事はない筈だが、その辺りのお考えは如何なものか?」

「恐らく第20層を抜けた辺りで、BETAの最終戦力が我々に殺到してくると考えます。想定している数は5万前後、軍団規模は居るかと。
 私はこれに対して可能な限り漸減戦闘を行い、敵の戦力を極力上層に引き寄せた後、敵中突破を敢行して反応炉ブロックを目指します。」

 みちるが、ハイヴ内で正面切っての戦闘を行い、BETA群を引き付けた後の突破を表明すると、オープン回線を抑え切れないどよめきが走る。

「むろん、戦術機甲部隊のハイヴ突入戦時の最適戦術が、3次元機動によるBETA群との戦闘回避にある事は存じています。
 なにしろ、その戦術は我がA-01のお家芸ですので。
 しかし、それとても無尽蔵に行える訳ではありません。突破に要する時間や距離は極力短縮し、尚且つ反応炉ブロック周辺に於けるBETAの数も可能な限り減らす必要があります。
 よって、敢えて最下層から迎撃に上がってくるBETA群を引き付け、敵中突破に要する距離を縮め、反応炉ブロックの周辺のBETAを極力引き寄せます。
 何か、異論がおありですか? 月詠大尉。」

「いや。貴官らの能力の高さ、そして、故白銀武中佐の残した対BETA戦術構想の有効性は、私も良く知っている。
 そして、それは本作戦が現時点に至るまで、順調に推移している事からも明らかだ。
 その総仕上げとして、我が手で反応炉破壊を達するは、衛士としてまさに本懐。例えこの身がここで果てようとも、何の後悔もありはせぬ。」

 その言葉を聞くと、みちるはフッと皮肉気に笑い、冗談でも言うように月詠に言葉を投げかけた。

「困りますね、月詠大尉。我々は白銀譲りの信念の基に戦っているのです。
 白銀は常々、将兵を生き延びさせてこそ、人類はBETAに勝利できると言っていました。
 そして、我々がBETA相手に挺身せずとも勝利を得ることが出来るようにと、対BETA戦術構想を残したのです。
 なのに、それを引き継いだ我々の眼前でそうそう簡単に死なれては、白銀に顔向けが出来ません。
 そうだな? 御剣、珠瀬。」

 みちるの呼びかけに応え、冥夜と壬姫が口々に想いを語る。

「少佐の仰せの通りです。我らは将兵の命を以って勝利を購う為に戦っている訳ではありません。
 将兵を為しうる限り多く生還させ、人々の憂いを少しでも減らす為に戦っているのです。
 そして、我ら将兵は、生き続けて人類の刃として戦い続けねばならぬのです。」

「そうですよ。例え装備が失われても、人が失われなければ、必ずいつか再起出来ます。
 その為の時間は、たけるさんが稼いでくれました。
 私達はたけるさんや先達の挺身に報いるためにも、易々と死ぬわけにはいかないんです!」

 それは、選抜部隊の衛士達が、彼女たちの口から直接、あるいは書物や記録映像等から間接的に、この1年の間に繰り返し聞かされてきた思想であった。
 絶望の中で足掻き、命を犠牲にして他の命が存える(ながらえる)為の時間を1秒でもいいから紡ぎ出す。
 そんな、我が身を糧として存えるような、人類全体が緩慢な死へと向かうだけであった日々は、あの日、『白銀武』がオリジナルハイヴに挺身した日から一変した。
 BETAの進攻は目に見えて遅くなり、『白銀武』の残した対BETA戦術構想が装備群と共に浸透するに従い、BETAとの戦いで失われる人命は明らかに減少した。
 人々は希望を取り戻し、ただ生き存える為ではなく、BETAに勝利し地球を奪い返すために戦い始めた。
 そして、1年に亘って蓄えた戦力を以って、この『甲20号作戦』の実施に漕ぎ付けたのだ。

 これが最後なのではない、これが始まりなのだ―――
 この戦いで勝利出来ずとも、この戦いで得た戦訓を持ち帰り、それを生かして再び挑む時間が、今の人類には与えられている。
 それこそが、『白銀武』が人類に与えた最大の恩恵であった。
 なればこそ、『白銀武』の挺身に、彼が残した恩恵に感謝するのであれば、易々と身命を擲ってはならない。
 ウィスキー部隊の衛士達は、ヴァルキリーズの言葉に、この戦いを生き延びて、人類の刃たり続ける事を、今一度心に誓った。

「よし、よく言った。ウィスキー部隊の総員に告げる。
 任務の完遂に死力を尽くすのは軍人として当然の事だ。その上で部隊指揮官として貴様らに命じる。
 生き抜け! 易々と命を投げ出す事は許さん。
 それが可能なだけの恩恵を、我らは既に受けている。その恩恵に応えて、必ずや未来へと希望を繋げ!
 何としてでも生き抜き、いつか必ず、BETAを地球から駆逐しろ! いいなッ!!」

『『『 了解ッ! 』』』

 ―――そして、その5分後、第21層に到達した彼らは、鉄源ハイヴ最下層から逆流してくる6万近いBETA群の反応を察知した。




[3277] 第46話 白銀の残光・その3
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:49

第46話 白銀の残光・その3

  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

 武は夢と現の狭間で、世界を隔てた懐かしい人々を想っていた……

(―――夢を見た……希望を捨てず、必死に戦い続ける人々の夢を……夢を見た……残された願いを継いで、護るべきものの為に、戦い続ける人々の夢を……
 夢と現実の境界は……自分の力で道を……切り開けるかどうかだけだ。それを悔やんでみても、夢が現実に戻る事はないんだろう。
 だから……オレは……出来る限りの事をしていこう……と思う。この世界に、オレが生きている意味は……そこにあるんだと思う。
 これが、望まれた運命じゃなかったとしても……この世界で……オレだけが出来ることなら……
 悲しい別れも……人類の運命も……そして、自分の運命も……オレには変えられるはずだと信じる。
 護りたいものを……本当に護るという強い意思を……常に持ち続けたなら……オレには、誰にも出来ないことが、出来るはずだ……そう信じる。
 だから……だから……せめてこれから……生きて……生き足掻いて……少しでも多くが生き延びられるようにしたいと思う。
 みんなが生きる、この星を、守り抜きたい……そう思う。
 残された人々に……残された想い出に……そして……愛する人の願いに……全てを捧げて応える。
 オレは……必ず出来るはずだ……その力があるはずだ……
 人類は負けない……絶対に負けない……オレがいるから……オレが、いるから……みんなが、いるから……)

  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
  ○ ○ ○ ○ ○ ○

2002年12月25日(水)

 18時58分、鉄源ハイヴ第22層の『横坑』で、大挙して押し寄せる突撃級を、ウィスキー部隊が迎撃しようと待ち構えていた。

 この時点で、ハイヴ上層からは、地上の陽動を振り切ったBETAの一部がハイヴへと戻り、最下層へと向かって猛烈な勢いで駆け下りてきていた。
 しかし、その数は予想を大きく下回り、当初12万を数えたBETAの内、3万をやや下回る程度に過ぎず、地上の陽動部隊の奮戦振りを如実に表していたため、ウィスキー部隊衛士の士気は著しく高揚させられていた。

 そして、最下層からは、ハイヴ突入部隊であるウィスキー部隊を目指して総数6万近いBETA群が殺到してきており、姿を現したのは、その先駆けである4千を超える突撃級の大群であった。
 時速100km近い速度で、あっという間に『横坑』の床と壁面下部を埋め尽くして迫るその姿は、見る者の生理的嫌悪感や恐怖感を煽るのに十二分な光景である。

 ハイヴの『地下茎構造』という限られた空間で、突撃級の集団突撃に遭遇しては、その上を飛び越える以外に有効な回避方法は存在しない。
 そして、推進剤を消費して飛び越えてみたところで、その先には要撃級と戦車級を主体とした、第2陣が続いている。
 その第2陣を相手に手間取っていれば、今度は折角やり過ごした突撃級が背後から戻ってきて挟撃される。
 ハイヴでは、一旦走り出したら、最後までおちおち足を止めることさえ覚束なくなってしまう。
 そして、推進剤を使い切るのが早いか、反応炉に辿り着くのが早いかの、全てを賭けたマラソンが始まってしまうのだ。

 かと言って、その進撃を停滞させるのも至難の業であった。
 狙撃や地雷などで先頭の個体を倒し、死骸で進路を塞いでみても、突撃級は壁面や、速度こそ落ちるものの最悪天井すら使って突進して来るのだ。
 大口径砲を多数揃えて連射でもすれば掃討出来るかもしれないが、それだけの装備をハイヴ内へと持ち込み、運用するような手段は非現実的であった…………今までは。

「来たな、BETA共。よし、砲撃を開始しろ!」

 みちるの命令一下、迫り来る突撃級へと、毎分千発以上の発射速度で120mmAPFSDS弾が断続的に降り注いだ。
 砲弾は、モース硬度15以上とされる強固な装甲殻を、50口径120mmの砲身によって生み出された高い弾速によって、次々と貫通していく。
 この辺りの『横坑』の直径は120mほどであり、フェイズ4ハイヴの『横坑』の最大直径に近いサイズとなっている。
 そして、その中程に、巨大な影が浮いており、そこから3つの火線が放たれていた。

 巨大な影の正体は、直径45m、全長165m程のハイヴ突入支援用硬式飛行船『豪天』であった。
 ハイヴ突入部隊の初期火力支援を目的とした『豪天』は、『縦坑』や『横坑』のクランクのきつい所などでは、給弾ベルトの全長に制限されるとは言え、前部と中部、後部の3つに分離して進攻できるようになっており、前部に砲架を3門、中部と後部に弾薬庫を搭載していた。
 船首付近の上部と左右斜め下方の合計3箇所の砲架には、120mm回転式多砲身機関砲が据えつけられており、ハイヴ突入部隊が真っ先に遭遇するであろう突撃級の突撃を、その強力な火力によって撃退し、突入部隊の燃料弾薬を温存することを目的としていた。
 120mm回転式多砲身機関砲は、50口径120mm滑腔砲の砲身を4本束ねてあり、ドラムマガジンの装弾数は600発であった。
 しかし、『豪天』の場合、後部弾薬庫より給弾ベルトによりドラムマガジンへの給弾を行う事で、4,000発の装弾数を実現していた。

 もとより、初期迎撃に於いて全弾を打ち尽くしてしまえば、そのまま戦術機甲部隊は前進し、置き去りにされる使い捨ての無人兵器である。
 しかし、現時点において、『豪天』はその火力を遺憾なく発揮し、6mを超える砲身を上下左右に振りながら、空中より120mm砲弾を打ち下ろし、苛烈な弾雨によって殺到する突撃級を掃討していた。
 『豪天』は120mm砲弾を連射する事による反動を、船体の前部と中部、後部に4基ずつ搭載された噴射跳躍ユニットの噴射によって押さえ込み、じりじりと前に向かって進んでいく。
 そして、その200m後ろから、2番艦が追従し、1番艦が打ち漏らした突撃級を断続的砲撃によって駆逐していった。

 5分ほどの砲撃で、1番艦は3門合わせて12,000発の全弾を打ち尽くすと、そのままハイヴの奥へと突入しBETAをその身に引き寄せる。
 すると、突撃級は壁面を駆け上がり、天井部をも逆さまになりながらも走行して見せると、自身を砲弾と化し、『豪天』一番艦に向かって身を空中に投じて、次から次へと体当たりをしていった。
 そこへ、2番艦が本格的に砲撃を開始し、1番艦もろとも突撃級を殲滅していく。
 この2隻の『豪天』の存在こそが、みちるをしてBETAを可能な限り引き付けて迎撃するという作戦を選択させていた。
 そして、2隻の『豪天』によって総数4千を超える突撃級は、このまま殲滅されるかとさえ思えた。

 しかし、ここまでに通過してきた『地下茎構造』各所に配置してきた、付着式振動波観測装置のデータを統合処理していた冥夜の報告により、事態はまたもや混沌へとその舵を取る。

「伊隅少佐! 現地点のほぼ真下に位置する『横坑』に、BETAが集まってきております。
 掘削侵攻して、この場に湧き出てくるものと推測されます、警戒を!」

「解った。―――珠瀬、『横坑』後方への地雷設置状況はどうだ?」

 『甲21号作戦』で似たような状況を経験しているみちるは、冥夜の報告にも全く動じる事無く、既に準備を始めさせていた対応策の進行状況を確認しただけであった。

「はい。えっと、設置予定である、投擲地雷全保有数の75%、216発全ての設置を完了しています!」

 壬姫の返事に満足したみちるは、ウィスキー部隊所属全機に対して今後の作戦指示を下す。
 一旦戦況が動き始めたならば、暫くは落ち着いてブリーフィングなど出来ないと考えた為であった。

「よし。各機に告げる。下層からの掘削侵攻に備えろ! 掘削侵攻が確認され次第、NOEで後方の地雷原の背後まで退避し、地雷原と自律誘導弾連射コンテナを装備した『満潮』3機のクラスターミサイルで敵の侵攻を遅滞して時間を稼ぐぞ。
 その後、時期を見計らって、NOEで推進剤の残量50%付近まで、一気に敵中を突破する。
 一切無駄弾は撃つんじゃないぞ。砲撃は図体のでかい要塞級を無力化する時と、進路を塞ぐBETAの壁を吹き飛ばす時だけだ。
 壁は床に積み重なるだけじゃなく、天井からもぶら下がって降りてくるから気をつけろ!
 要塞級は可能であれば、衝角を無力化するだけで後は放って置け。
 それ以外は、天井から落下してくるBETAを回避する事だけに集中して、一気に距離を稼ぐんだ。いいな!」

『『『 了解ッ! 』』』

 ウィスキー部隊の全員が声を合わせて唱和した。続けて、みちるは布陣の説明にはいる。

「前衛はグングニルズに任せる。侵攻ルート上のBETAの内、脅威度の高いものから排除してくれ。」

「ヴァルキリー3(珠瀬)、了解! グングニルズ各機へ、我々は12機の『時津風』を使用して前衛を担当します。
 装備は、背部兵装担架に87式突撃砲を2門、主腕に02式120mmライフル砲とします。
 小隊単位でローテーションを組んで、残弾数を見ながら、前衛、中衛、後衛を入れ換えます。
 マガジンの交換は後衛の時に極力行ってください。NOEをしながらの砲撃になりますが、自信を持って落ち着いてやりましょう!」

 みちるの指示を受け、壬姫がグングニルズに具体的な指示を下す。
 通信画像越しに、その必死な表情を見て、殆どが年上で構成されているグングニルズの衛士達は、娘か妹を見るような暖かな笑みを浮かべて口々に命令を受諾する。

『『 了解! 』』

 グングニルズのやり取りが済むのを待ち、みちるは残るミョルニルズとグレイプニルズに指示を出す。
 今回の編制では、ミョルニルズとグングニルズの衛士1名ずつが2人でペアを組んで12機の複座型に、残る6機にはグレイプニルズのA班とB班がペアとなって搭乗している。
 複座型が撃墜されると一気に2人の衛士が失われてしまうため、複座型の戦闘に際しては、近接高機動戦闘を得手とする衛士が、可能な限り操縦を担当する事とされていた。

「グングニルズの後をミョルニルズとグレイプニルズA班の18名で、複座型有人機で追従する。
 残りの無人機は自律制御で随伴させるが、グレイプニルズB班の6名は、『時津風』で無人機の護衛を担当しろ。無人機の被害を最小限に留めるんだ。
 各員、解ったな?」

『『『 了解! 』』』

 そして、然程時間を空ける事もなく、その時はやってくる。

「少佐! 掘削侵攻を確認しました!」「総員退避!!」

 冥夜の報告に、即座にみちるの命令が飛ぶ。未だに砲撃を続行している『豪天』2番艦をその場に残し、ウィスキー部隊の所属全機がNOEで『横坑』を数百メートル後退する。
 その足元では次々に激しい土柱が上がり、土砂と共に要撃級や戦車級が飛び出してきた。
 それらは、ほんの一瞬だけ戸惑うように停止した後、すぐさま壁から天井へと駆け上がり、『豪天』へとその身を躍らせた。
 『豪天』は合計12基の噴射推進ユニットを全力噴射し、BETAの第1陣のダイブを辛うじて避けた。
 そして、そのまま3基の120mm回転式多砲身機関砲を掃射しながら、ハイヴの奥へと突進を開始した。
 この動きにその場の大半のBETAが陽動され、砲弾を打ち尽くした『豪天』が停止してBETAに埋もれるまで、BETAの侵攻は僅かではあるが遅滞された。

 しかし、それも2分にも満たない時間に過ぎず、再びウィスキー部隊に迫るBETA群。
 地雷原と3基の自律誘導弾連射コンテナの攻撃によって進行を食い止めようとするものの、それも程なく突破されると思われた。

「御剣、どうだ?」

 みちるの端的過ぎる問いに、冥夜が応える。

「はっ、上下左右の『地下茎構造』にBETA群の侵攻を確認しています。後方に回り込まれるのも時間の問題かと。
 そろそろ頃合ではないかと考えます。」

「よし! ヴァルキリー1(伊隅)より、ウィスキー部隊全機に告ぐ。BETAの地雷原突破を機に、NOEにて反応炉を目指す。
 貴重な推進剤を大盤振る舞いするんだからな、BETAどもに喰われるなよ!」

『『『 了解! 』』』

 ―――そして、設置した最後の地雷が起爆した直後、壬姫を先頭にグングニルズの第1小隊が操る『時津風』4機が、先陣を切ってBETA群の頭上へとNOEで飛び上がる。
 それに、後続の部隊が間を空けずに続く。
 グングニルズの第2、第3小隊、冥夜が率いる複座型『不知火』6機、月詠率いる赤と白合わせて4機の複座型『武御雷』と2機の『不知火』、みちるが率いる『不知火』6機、さらに、左右3機ずつの『時津風』を護衛として、自律制御の『時津風』18機と『満潮』72機の集団が噴射推進ユニットの推力に任せて空中に飛び上がる。

 グネグネと蛇行し、しかも時折クランクも存在するハイヴ内であるから、直径が100m前後あっても巡航速度はそれほど上げる訳にもいかなかった。
 それでも時速200km前後の速度で進攻し、しかも先頭のグレイプニルズは進路前方から、次々と現れる無数のBETAの脅威度を適宜判断し、彼我の相対速度によりあっという間に近付いて擦れ違うまでの僅かな時間で、的確に砲撃を与えていく。
 まさに職人芸というべき技の冴えであった。それでも撃ち漏らしたBETAの内、後続の自律制御機の脅威になりそうなものは、グングニルズに続く有人戦術機18機が殲滅する。

 有人機は飽く迄も自衛が優先なのだが、グングニルズの露払いにより、腕利き衛士達には幾何かのゆとりが存在した。
 そもそも、ウィスキー部隊に選抜された衛士達は、NOEではなく、噴射跳躍による3次元機動によって、ハイヴ内に充満したBETA群の中を、推進剤を節約しながら進撃するという訓練を、身体に染み付くまで繰り返して身に付けた衛士ばかりである。
 NOEで空中を進攻するだけで良い現在の状況は、例え速度が200kmと高速であっても、大分楽な状況であった。

 しかし、それと引き換えに、推進剤の残量はどんどんと減っていく。
 途中100体を越える要塞級の集団に進路を塞がれ、無力化するために速度を落とさざるを得なかったこともあり、最下層から上がってきたBETA群の75%を突破した辺りで、推進剤の残量が50%を割り込んでしまった。
 すでに、反応炉のある最下層まで目と鼻の先、第28層まで到達しており、このまま進んでも反応炉には辿り着ける可能性が高かったが、みちるは手堅く一旦進撃を中断する事にした。

「こちらヴァルキリー1、グングニルズは操縦対象の『時津風』を自律制御に切り換えて有人機の直衛をさせろ。その後、ミョルニルズと搭乗機の操縦を交代。
 ミョルニルズは後続の『時津風』12機を先行させて着地点を確保。
 ここで、推進剤や武器弾薬の補給を行うぞ。
 後続の追撃を遅滞するために、グレイプニルズB班の操縦する『時津風』6機は後方へ進発。敵の追撃を陽動して遅滞しろ。
 必要に応じて、S-11の使用も許可する。
 反応炉は目の前だ。万全の態勢を以って挑むぞ! 各人気を引き締めていけッ!!」

『『『 了解! 』』』

 グングニルズ所属衛士と搭乗している複座機の操縦を交代し、ミョルニルズの衛士12名は『時津風』を駆って先行し、要塞級の存在しない地点を見出して周囲のBETA掃討を開始した。

「悪いなそなたら、ここは暫く我らが借り受けるぞ!」
「さっさと場所を明け渡せ。ここは元々人類のものだぞ?」
「お前達、」「しつこいとお、」「あの世行きですわよ~。」「「「ま、どうせ全滅させるけどね!(ですわ~!)」」」

 ミョルニルズがBETA群を殲滅する様は、まさに一騎当千、疾風怒濤、鎧袖一触、当たるを幸い端からBETAを蹂躙し、あっという間に辺りを死骸と血で舗装していく。
 そこへ後続の有人機が到来し、天井や壁面のBETAを87式突撃砲で掃討する。更に後続の『満潮』が到着すると、『時津風』に操縦を切り換えて迎撃を継続しつつ、有人戦術機の補給を開始。
 続いて、搭載した全推進剤を放出した『満潮』から前線へと押し出して、一時的に迎撃を担当させ、『時津風』の補給も完了させる。
 後方で陽動に従事していた『時津風』の残存3機も呼び戻し、代わりに搭載装備の殆どを放出した『満潮』6機を後方へ送り出し、S-11による自爆を以ってBETAの追撃を遅滞させて時間を稼いだ。

「ヴァルキリー1より各員、補給は終わったな! それでは反応炉の顔色を覗きに行くぞ、さぞや真っ青になってることだろう。
 ウィスキー部隊、反応炉を目指し―――突撃ッ!!!」

『『『 了解ッ!!! 』』』

 みちるの号令一下、ウィスキー部隊は反応炉を目指して突撃を再開した。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 時はやや遡って18時38分、鉄源ハイヴ周辺の平野部は、三度BETAで溢れ返っていた。
 『天宇受賣』の簡易ML機関に引き寄せられて、砂糖にたかる蟻、誘蛾灯に飛び込む蛾のように、ハイヴの幾つもの『門』から途切れなくBETAが湧き出てくる。
 それに対して、シエラ部隊からの制圧砲撃が降り注ぐが、それもレーザー属種が出てきた時点で中止された。

「香月副司令。レーザー属種の出現を機に制圧砲撃を中止しましたが、本当によろしいので?」

 地中進攻してきたBETA群を排除し、再び位置を固定して司令部としての機能を万全のものとした『飯縄』の司令部車両内で、李中将は夕呼に対して確認を行っていた。

「構いません。シエラ部隊は既に今回の作戦で用意された砲弾の80%を撃ち尽くした筈。最早、曲射砲弾は殆ど残っていない状態です。
 残るは、僅かな曲射砲弾を除けば、直射砲弾である戦車砲や対空機関砲の砲弾のみの筈。レーザー属種に喰わせてやる砲弾はもうありません。
 第一、『天宇受賣』による陽動は、元々BETAの殲滅を企図していません。可能な限り長時間に亘って、BETAを陽動出来ればそれでいいのです。」

 欠片も動じる事無く、李中将に頷く夕呼。戦況図では1個大隊36機のみを護衛に、隠蔽ポイントの掩体壕(えんたいごう)に潜む『天宇受賣』に向けて12万近いBETAが殺到していた。

「おい、そろそろML機関の火を落として、第2隠蔽ポイントへ移動するよ。」

 『天宇受賣』の機長が、管制ユニット内の副パイロットとML機関の技師に声をかけると、技師は慎重に機関出力を落としていき、ML機関を停止させた。

「……簡易ML機関、完全停止を確認。」
「BETA群、進行速度を緩めました。戦術機甲部隊がBETA群に対し陽動を開始、東西への誘引を開始しました。また、BETA群最後尾の1万程がハイヴへと転進しています!」
「くそっ! BETA共を巣に戻して、中にいるヴァルキリーズの敵を増やすわけにはいかない。大急ぎで移動を終えて、ML機関を再起動するよ!」
「「 了解! 」」

 ML機関を停止させた『天宇受賣』は、掩体壕を出ると、主脚走行によって南方の第2隠蔽ポイントへ移動を開始した。
 直援の戦術機甲大隊36機のうち、『満潮』24機は120mm短砲身速射砲による陽動砲撃を行いつつ、レーザー属種の射線を遮るように『天宇受賣』とBETA群との間に位置し、12機の『時津風』は両翼に展開し、急速に迫る突撃級を02式120mmライフル砲の連射によって足止めして侵攻を遅滞させていた。
 ハイヴ南方の地上と夜空のそこかしこに、マズルフラッシュと爆発と、サーチライトのような光が無数に乱舞していた。

「機長! 護衛の『満潮』が先程から何度も初期低出力照射を受けています! 陽動砲撃中なのにですッ!!」
「くそっ、なんでよ?! ML機関は止めてるし、回転翼だって、着地時の衝撃緩和にしか使ってないのよッ!!」

 データリンクを通じて、直衛機が『天宇受賣』を狙ったと思われる多数のレーザー照射に曝されつつあると知った副パイロットの叫びに、機長が吐き捨てるように応える。
 すると、技師が淡々とした感情の起伏を押さえた声で、機長の疑問に答えた。

「恐らくは、この機体に搭載されている簡易ML機関制御用の高性能コンピューターと、G弾の材料でもある稀少物質がML機関の燃料として搭載されているせいだろう。
 このまま照射を受け続ければ、いずれ直衛は全滅、当機がやられるのも時間の問題だろうな。
 どうする? 当機を囮にすれば、脱出機で飛び出しても撃墜されずに逃げ切れるかもしれないが。」

「はん! 誰がそんな事するもんですか!! あたしとこいつはねえ、横浜基地防衛戦の生き残りよ? 機体をやられて負傷して、なんとかBETAに喰われずに基地まで戻って、負傷で再出撃出来ずにへたばってた時、ヴァルキリーズが反応炉に挺身してくれたお蔭で生きてんのよ!
 そのヴァルキリーズの生き残りがハイヴに潜ってるってのに、ここで逃げたら死んでった戦友(なかま)達に顔向けが出来るもんかっ!
 悪いけど、あんたにも最後まできっちりML機関の制御を続けてもらうから、覚悟しときなさいよねッ!!」

「そうか、杞憂だったならそれでいいんだ。実は私も横浜基地防衛戦の折に基地にいた口でね。
 凄乃皇のML機関に火を入れた後、全てをヴァルキリーズに委ねて何も出来なかった……つまり、機長と同じような立場だったと言う訳さ。
 私も逃げる気はない、最後まで陽動を務めようじゃないか。
 ―――で、提案なんだが、司令部に無人機の直衛を増やしてもらえるように上申した方がいいだろう。
 『天宇受賣』が1秒でも長くML機関を運転できれば、それだけBETAを誘き寄せられるからね。」

「なるほどね! さっすがインテリは違うわね! F-01よりHQ、意見具申! 本機直援部隊がレーザー初期照射を多数受けている。よって、増援の必要を認める。繰り返す、増援の必要を認める!!」

 『天宇受賣』からの提案と前後して、司令部でもレーザー属種に対する対策が練られていた。
 結果として、残存する『満潮』の3分の1を超える5個連隊540機を『天宇受賣』の直衛に増派すると共に、第2隠蔽ポイントにて簡易ML機関を再起動させた。
 それに合わせ、残存する『時津風』『満潮』全機を吶喊させ、レーザー属種の殲滅を強行。多数の損害を出しつつも、地上に存在するレーザー属種の9割を殲滅することに成功した。
 レーザー属種の激減を受けて、シエラ部隊の制圧砲撃も再開し、『天宇受賣』の陽動に引き寄せられるBETA前衛の遅滞も行ったが、曲射砲は間もなく全弾を打ちつくしてしまった。
 シエラ部隊指揮官は、ML機関の運転中に限定して、直射砲を装備した機甲部隊による支援砲撃を敢行。僅かに残ったレーザー属種の照射を受け、損害を出しつつもよく敢闘精神を発揮して戦闘を継続した。
 そうして、無人機を中心とした激しい戦闘が開始されてから、30分弱が経過した19時18分。
 全無人機の過半数にあたる、合計1000機近い無人機が失われてしまったため、司令部では、有人戦術機甲部隊の投入を検討せざるを得ない状況に至っていた。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 19時23分、ウィスキー部隊は鉄源ハイヴの最下層―――第30層に到達し、反応炉のある『大広間』を目前としていた。

 第28層で補給を終了した後、ウィスキー部隊は、『不知火』14機、『武御雷』4機、『時津風』33機、『満潮』54機、合計105機の陣容で、放たれた矢の如く猛烈な勢いで進撃を再開した。
 補給の時間を稼ぐために『時津風』3機と『満潮』6機がS-11で自爆。そして、自律制御での進撃中に、落下してくるBETAや、要塞級の触角によって失われた『満潮』が12機。
 合計21機を失ったものの損害は17%に過ぎず、最下層の第30層までの2階層をNOEで突撃するウィスキー部隊所属衛士の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。

 そして、遂に辿り着いた最下層の『大広間』、直径600m強の半球形の空間であるそこには、中央に青白く光る反応炉と………………実に3万を超えるBETA群が存在していた―――
 その光景を前に、『大広間』に入ったところで動きを止めるウィスキー部隊。
 そして、初めは緩やかに、しかし徐々に速度を上げて雪崩をうつように、BETA群はウィスキー部隊へと押し寄せてくる。
 最後の最後、ここに来て立ち塞がる彼我300倍を超す数の暴力に、精鋭であるはずのウィスキー部隊に於いても尚、言葉を失い、呼吸すら忘れてしまう衛士もいた。
 しかし、僅かな間を置いてその耳に届いたのは、嘲笑すら含んだ不敵な指揮官の声であった。

「……ふっ……やはりそうくるか! 結局貴様らは最後までバカの一つ覚えで数頼みかッ!!
 ウィスキー部隊総員、『横坑』より離れた壁際に拠点を構築する! 邪魔なBETAは排除しろ。総員直ちにかかれっ!!」

『『『 了解! 』』』

 みちるの指示に、所属衛士35名の声が唱和し、ウィスキー部隊の全戦術機が呪縛を解かれたかのように動き出す。
 進路を妨げるBETAを駆逐し、『大広間』に幾つかある『横構』と『横構』の真ん中付近を制圧して防御陣形を取った。
 その最中にも、みちるによる作戦の説明が行われる。

「拠点構築後の作戦を説明する。ミョルニルズは『時津風』12機で進出し、拠点外周で押し寄せてくるBETAを陽動。
 グングニルズは搭乗機体を使用してミョルニルズの支援だ。その際、天井や壁面を移動してくるBETAの撃退も担当しろ。
 グレイプニルズB班は『時津風』6機で陽動だ。NOEで反応炉へ飛び、周辺にいるBETA共を引き剥がせ! 拠点と反対側に誘引した後、振り切って推進剤の補給に戻るんだ。
 推進剤切れで途中で落ちたりするんじゃないぞ?
 グレイプニルズA班は拠点中央で全般支援を行いつつ、残る無人機の運用を行う。
 無人機運用の詳細は後で説明する、拠点確保が終了し次第、各員今の方針で直ちに行動を開始しろ、ここからは時間との競争だ。焦らず急いでやれ、いいな!」

『『『 ―――了解! 』』』

 壁際に速やかに拠点が確保され、グレイプニルズA班の搭乗した『不知火』6機を中心に無人機の『時津風』15機と『満潮』54機が取り囲み、その周囲に12機のグングニルズの搭乗する『不知火』『武御雷』混成部隊が展開、やや離れてミョルニルズの駆る12機の『時津風』が展開し、早くも接近してきたBETAを相手に3次元機動による陽動と74式近接戦闘長刀による殲滅を開始していた。
 この時点で既にNOEによって反応炉へと向かっていたグレイプニルズB班は、途中散発的な砲撃によって拠点へと向かうBETA群の一部を誘引していた。
 そして、拠点確保後の小康状態の中、みちるにより、さらなる作戦指揮が行われていた。

「グレイプニルズA班は、『満潮』が装備している戦闘コンテナを遠隔モードにして拠点外周に設置し、固定砲台としろ。
 また、戦闘コンテナと推進剤以外の全積載物資を降ろして拠点内に集積。『満潮』には推進剤と2発のS-11のみを積載した状態にしろ。
 推進剤の残量が少ない機体から反応炉へと吶喊させ、S-11による反応炉破壊を試みる。爆風による損害を避けるため、初期の突入は1機ずつとする
 いよいよとなったら、6機まとめて突入させるが、まずは私だけで様子を見る。残りのグレイプニルズA班5名は、固定砲台とした戦闘コンテナを遠隔操作してBETAを迎撃しろ。
 グレイプニルズB班が戻ってくるのに合わせて、S-11を起爆させる。ミョルニルズは後退するタイミングを逸しないように気をつけろ。
 グレイプニルズA班、戦闘を開始しろ。ただし、無駄弾は撃つなよ?」

「「「「「 了解! 」」」」」

 グレイプニルズB班の陽動により、拠点の反対側へと揺動されたのは、『大広間』に当初より存在したBETAの約3分の1である1万強。
 そして、『横坑』から今尚流入し続けるBETAを合わせ、2万5千近いBETAが拠点へと押し寄せてこようとしていた。

「くっ! 貴様ら、私を喰らいたいのなら、もっとこちらへ寄って来るが良い。端から刀の錆びにしてくれようぞ。」
「ふん! お前らなどに、易々と喰われてなどやるものか。私を侮ると高くつくぞ!」
「こぉ~のぉ~~~!」「邪魔なんだよっ!」「一昨日きやがれですわ~。」

 その大群の先鋒を、冥夜率いるミョルニルズ12機が陽動して進攻を停滞させ、ミョルニルズへと纏わり付くBETAや、間をすり抜けて拠点へと近付くBETAには、グングニルズの的確な支援砲撃が行われて死骸の数を増やしていく。

「このっ! このっ! このぉ~っ! 絶対近寄らせませんからねぇ~~~!!」

 グングニルズを率いる壬姫は、壁や天井を伝わってこようとするBETAを長距離精密砲撃で駆逐していた。
 何時になく切迫した表情をしている壬姫だったが、冷静さは失っていないようで、放たれた砲弾は1体ずつ着実にBETAを葬っていった。

 ミョルニルズの『時津風』達が舞うように機動し続ける遥か先、殺到するBETAの密集する地点へは、グングニルズA班の放つ120mm榴弾や、クラスターミサイルが放たれ、全体からすればごく僅かずつではあるが、BETAを着実に削ぎ落とし、押し寄せる勢いを幾らかでも和らげようとしていた。

 そして、陽動に当たっていたグレイプニルズB班の『時津風』が反応炉の上空に近づくと、みちるの操る『満潮』が反応炉目掛けてNOEで突進を開始した。
 途中6機の『時津風』と擦れ違った『満潮』は勢いを殺す事無く反応炉へと突進し、ミサイルのように飛び込んでいく。
 そして、ウィスキー部隊各機が、対衝撃姿勢を取った直後、反応炉の至近で2発のS-11が起爆し、指向性をもたされた衝撃波と熱が反応炉を襲い、表面を削り取った。

 『大広間』の中を余波である爆風が吹き荒れ、対衝撃姿勢を取るウィスキー部隊の戦術機の周りにもBETAが吹き飛ばされてくる。
 その殆どが死骸であったが、中には生きたまま吹き飛ばされてきた個体もあったため、各衛士は慌てて至近に位置するBETAから殲滅して回る羽目になった。
 そんな騒ぎの最中にも拘わらず、みちるは躊躇せずに2機目の『満潮』を反応炉へと突撃させる。
 そのみちるの脳裏を、1年前の横浜基地防衛戦の折、みちるが下した命令に従い、反応炉へと挺身した部下達の姿がよぎる。
 みちるは、僅かに唇を噛み締めたが、冷徹に、最大限の効率を求めて、今度こそ1名の犠牲すら出さぬために、全神経を集中して『満潮』を操り、同時に戦況を細部に至るまで把握しようと努めていた。
 そして、その努力は実を結び、みちるは最良の未来を引き寄せる事に成功する。

 みちるは、戦闘に参加していない『満潮』の高性能並列処理コンピューターと機体に装備されたセンサー、そして設置し切れずに残っていた付着式振動波観測装置をフルに活用して、索敵情報を統合処理させていた。
 その結果、拠点の背後の壁面に向け、その向う側から掘削侵攻する、BETAの一群が存在する事を察知する。
 その掘削ルートを見た瞬間、みちるの脳裏に1つの作戦が閃いた。

「こちらヴァルキリー1、時間が無いので全員よく聞け。
 拠点背後の壁面に向け、掘削侵攻するBETAの一群を察知した。
 私はこれを逆用して一気に反応炉を破壊する事に決めた。これより手順を説明するので各自頭に叩き込め。
 まず、ミョルニルズは、押し寄せるBETA共を陽動しつつ、拠点から更に押し出して、BETAを拠点から遠ざけろ。
 グングニルズはミョルニルズへの支援を続けるが、掘削侵攻するBETA群の出現に合わせてグレイプニルズ、無人機らと共に上空へ退避できるように準備をしておくんだ。
 上空への退避の後、掘削侵攻して飛び出してくるBETA共を砲撃により殲滅。勢いの弱まったところで1発のS-11を装備した『満潮』を掘削坑へ突入させて自爆させる。
 爆風が弱まった時点で、グレイプニルズB班の操る『時津風』、有人機、『満潮』の順で、掘削坑に飛び込め。
 ミョルニルズも、可能な限り急いで、この穴へと突入し、殿を受け持つんだ。
 この状況の現出を待ち、2発ずつのS-11を搭載した『満潮』12機による突撃を敢行し、同時起爆によって反応炉を破壊する。
 幸い、掘削侵攻してきたBETAどもの掘削坑は『大広間』外壁に沿って上層の『横坑』に繋がっている。
 その『横坑』に出てしまえば、『大広間』からの爆風衝撃波も大分弱まるはずだ。あとは念の為にNOEで可能な限り掘削坑から距離を稼げ。
 万一反応炉の破壊に失敗した場合は、S-11の自爆により掘削坑のBETAを排除して再度反応炉ブロックへと進攻する。
 もっとも、12機24発のS-11で破壊出来ない事など、まず考えられんがな。
 何か質問はあるか?………………ないな、では作戦開始だ。ミョルニルズは防衛線を押し上げろ!」

『『『 了解! 』』』

 ミョルニルズは今まで以上に激しい近接機動戦闘を繰り広げ、多数のBETAを血祭りに上げながら拠点からBETAを引き剥がしていく。
 それを援護しつつも、グングニルズとグレイプニルズの意識は背後の壁へと向けられていた。そして―――

「来たぞ! 全機噴射跳躍ッ!!
 砲撃開始ッ!―――よし、『満潮』突入……自爆っ!
 ―――今だ! 全機掘削坑へ突入せよ! ミョルニルズ、陽動終了、至急合流して殿に付け!!」

 みちるの矢継ぎ早に放つ言葉に合わせ、事態は急速に進展した。
 拠点に居た全戦術機が噴射跳躍して上空へ退避。続けて飛び出してきたBETAに向けて全力斉射して瞬時に殲滅。
 後続に飛び出す暇させ与えずに、1機の『満潮』が掘削坑に飛び込んで自爆。土砂とBETAが掘削坑から噴出してくるが、生き残っているBETAは見当たらない。
 土砂の噴出が収まったところで6機の『時津風』が掘削坑へ飛び込み、18機の有人機が後に続く。反応炉へ突撃を命じられた『満潮』12機は自律制御によるNOEで反応炉を目指す。
 残る『時津風』15機と『満潮』36機が後に続くと、陽動を切り上げて取って返したミョルニルズの『時津風』12機が殿に付く。
 合計87機の戦術機が疾風となって掘削坑を駆け上がっていく。
 そして、反応炉を上空から取り囲む形で、12機の『満潮』が24発のS-11を同時に起爆させた。

  ○ ○ ○ ○ ○ ○

 19時43分、地上では遂に有人戦術機が投入され、数少なくなった『時津風』の支援とは言え、戦闘に参加していた。

「くそぉ! 弾が切れた……近くに『満潮』は……いないか………………くそっ、こうなったら65式近接戦闘短刀で切り込んでやるッ!!!」
「おい、待て!! 勝手に突っ込むんじゃ…………なに?!」
「BETAが……BETAが逃げていくぞ!」
「やった……ヴァルキリーズがやったんだ!!」
「じゃあ、反応炉が―――」
「こちらHQ、作戦参加全将兵に告げる。監視衛星が『甲20号』反応炉の活動停止を確認。
 戦術機部隊は、直ちにBETA群の撤退を追尾、朝鮮半島からの撤退を監視・確認せよ。
 ただし、自衛の場合を除き、BETAへの発砲は禁ずる。繰り返す、BETAへの発砲は禁ずる。
 これからは、幾らでもBETAを殺すチャンスがやってくる。それまで弾はとっておけ―――以上だ。」
『『『 ぅおおおおお~~~~~ッ!!! やった! 遂にハイヴを落としたぞーーーーッ!!! 』』』

 ハイヴ周辺の平野部に集結していた『甲20号作戦』参加将兵達が、上陸地点を確保し続けた海兵隊と上陸地点制圧艦隊を初めとする作戦支援艦隊の海軍将兵達が、口々に勝利の雄叫びを上げた。

 時に2002年12月25日、19時45分。『甲20号』反応炉の機能停止を以って、人類は遂に4つ目のハイヴを攻略し、朝鮮半島をBETAから奪還する事に成功した。
 ここに至り、人類は遂に大陸反抗の端緒についたのである。

 尚、ハイヴに突入し反応炉を破壊したウィスキー部隊は、掘削坑突破の前後に4機の『時津風』喪失するも、有人機は全て健在でハイヴより帰還。
 その損耗率は、当初より使い捨ての装備である『豪天』2隻を除けば、『時津風』7機、『満潮』36機のみであり、多数の装備弾薬を失ったものの、戦術機の損耗率は34%に留まった。
 ハイヴ突入部隊において死傷者0、生還率100%は、史上初であり、この日、人類の夢想がまた一つ、現実となったのであった。

 また、『甲20号作戦』に於いて、作戦参加将兵の戦死者は僅かに232名に過ぎず、全世界の人間を驚かせ、狂喜させた。
 戦勝報告を受けた国連は、大勝利に歓喜して直ちに総会を開き、オルタネイティヴ4の本計画への再格上げと、同計画主導による大陸反攻作戦の立案及び実施を全会一致で採択した。
 そして、その方針に従って、大陸反攻に必要とされるであろう各種装備・燃料・弾薬の生産と、新戦術の研究及び普及を急務と定めた。
 人類は、この日を境に地球奪還に向けての道を、遂に歩みだしたのであった。

 BETAという暴虐の前に、未来を失いかけたこの世界が、白銀武という風変わりな衛士を、希望と引き換えに失って1年。
 彼の残した種子は人類に根付き、ようやくにして芽吹こうとしていた。
 その種子を愛しみ、芽吹きを助けた人々は、戦火の絶えた朝鮮半島で夜空を見上げ、彼の在りし日の姿を思い浮かべ、誇らしげな笑みを浮かべていた。
 そして、心中に、或いは口に出して、彼の人の名を呼ばわって偲び、それぞれに想いを馳せるのであった……

「白銀……」「タケル……」「たけるさん……」「白銀……」「「「…………」」」『『『『 白銀武中佐…… 』』』』

 彼女らの戦いは未だその端緒についたに過ぎない。
 しかし、その道程は、暖かな白銀の残光によって照らされた道だと、彼女らは信じて疑わない。
 そして、その道を歩む限り、自分達は彼の志と共にあるのだと…………

 そして、それらの人々の中で、魔女と幼い少女のみが、近くて遠い世界で、今も尚戦い続けているであろう男に想いを馳せていた。

「社。ようやく、白銀の遺産を世界に認めさせることが出来たわね。」
「はい……でも、全てはこれからです…………受け継いだものは決して無駄にはしません……」
「そうね……ま、あいつの事だから、向うで必死に足掻いてばかりで、こっちの事なんて思い出しもしてないでしょうけどね~。」
「…………ません……」
「え?」
「そんなこと、ありません…………白銀さんは、この世界も、前の世界も、元の世界も…………絶対に忘れたりしません……」
「………………そうね、そうかも知れないわね。」

 夜空に散りばめられた星々は、そんな人々を照らし、涙を堪えるように瞬いていた―――

  ○ ○ ○ ○ ○ ○
  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年11月29日(木)

 08時08分、国連軍横浜基地B27フロアにある一室の、幾つもの測定機器に囲まれたベッドの上で、国連軍のC型軍装を着た1人の男が横たわっている。

 その男の閉じられた目蓋から、不意に一筋の涙が零れて落ちた。

 それは、嬉し涙か、悔し涙か、それとも、ひとえに懐かしさからか―――或いは、知り得ぬと諦めていた知人の近況を、予想外に知り得た時の、喜びの涙であったかも知れない……




[3277] 第47話 パンドラの箱、その名は―――
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:50

第47話 パンドラの箱、その名は―――

2001年11月29日(木)

 08時10分、国連軍横浜基地B27フロアの一室で、1人の男が目を覚ました。

「………………夢……か。それにしちゃあ、やけにはっきり覚えてるな。」

「夢じゃないかも知れません……」

 夢の残滓に身を任せたまま、独白のつもりで呟いた男―――武は即座に傍らから声を返され、驚きのあまりベッドの上で、上体を跳ね上げるように起した。
 そして、既に解っている答えを確認するために、声の主に視線を向ける。

「うわっ!…………っと、霞か。オレに付いててくれたのか……ありがとな……けど、純夏とか他の仕事とか、大丈夫なのか?」

「……ずっと付いていた訳じゃないです……でも、1時間ほど前……白銀さんの脳波が測定できなくなりました……」

 霞の説明に、『前の世界』で転移実験の大元になった夢の一件を思い出し、武は納得しかけたが、新たなる疑問に行き当たってしまう。

「じゃあ、オレは『前の世界』に戻ってたのか……あれは夢じゃなくて向こうの世界の…………あれ? けど、オレ自身が死んだ後の世界になんて戻れるのか?」

「……解りません……」

「だよなあ……今度、夕呼先生にでも聞いて見るか。」

 困った時の夕呼頼みとでも言わんばかりに、武が夕呼の名前を挙げると、背後の測定機器の向こうから、その名の主が声を投げてきた。

「そぉ~んなに、聞きたい~?」

「うわっ!……ゆ、夕呼先生、居たんですか?!」

 武が驚いて振り向くと、プリントアウトを手にした夕呼が、ベッドの周囲を囲むように配置された各種測定機器の間に立っていた。

「そりゃあ、居るわよ。00ユニットのバイタルに異常がでたんじゃ、何を置いても駆けつけるに決まってるでしょ。
 でもまあ、現状、数値は全て正常に戻ったし、あんたの反応もほぼ元通りね。
 何か違和感とかある?」

 夕呼が訊ねると、武は首を傾げて暫し考える。すると、自分自身を測定している周辺機器からのデータと、それを分析した結果があっという間に脳裏に浮かぶが、武はそれを無視して感覚的な違和感がないかだけを感じ取ろうとした。

「……大丈夫そうですね。あと、これはおまけですけど思考波通信素子による非接触接続も機能しているようです。
 自分自身の測定データと分析結果を無意識に読んじゃいましたよ。」

「ふ~ん。さすがに二度目だけあって慣れてるわね。あとで軽くセルフチェックしておきなさい。
 説明も要らないし、面倒がなくていいわね~。―――で、さっきの『夢』の話だけどね。
 世界があんたを引き戻す力を持っているって話は、知ってたっけ?」

「えっと、一応聞いた事がありますけど、あれは『元の世界群』に精神が転移する理屈だったような……
 しかも、実際にはオレは欠片を集めて再構成されてたわけで、あの世界にはオレが失われずに存在してたんですから、あの説明自体既に矛盾が―――」

「はいストップ。まあね~、あたしもあんたを操るのに結構いい加減な事言ってたみたいだけど、大元から嘘言ってる訳じゃないのよ~。
 あの話で誤魔化していたのはね、世界があんたを引き戻そうとする力のメカニズムって奴をぼかしてたってことよ。
 世界が失われたピースを取り戻そうとする力じゃなくて、BETAのいる『こっちの世界群』からあんたを招こうとする力―――意思が存在するのよ。
 おそらくは『こっちの世界群』に呼応する『元の世界群』の『鑑純夏』の意志の力の集合体がね。」

「え?! 『元の世界群』の純夏の意思ですか? だって、『元の世界群』じゃ、オレの存在は失われてないんじゃ……」

「ばっかねえ……いい? あんたって人間が存在していた所で、他の女に取られちゃって、自分との接点が失われちゃってたら、そんなの居ないも同然じゃないの~。
 恐らくは、BETAにあんたの存在を奪われた『こっちの世界群』の『鑑純夏』と、『元の世界群』であんたを恋敵に奪われた『鑑純夏』の、あんたを求める意志の力が呼応して世界がつながったのよ。
 まさに世界を超える意志の―――『愛』の力って訳ね。白銀ぇ~、あんた、愛されてるわねえ。」

「そ、そんな……つまり、オレは『元の世界群』でも純夏を傷つけてたって事ですか?
 そして、そうまでしてオレを再構成した『こっちの世界群』の純夏の願いを叶えずに、さらに純夏を傷つけて…………
 オレは、オレは…………」

「はいストップ……あたしは『この世界』でBETAに勝てればそれでいいの。それ以上は望まない。
 だけど、あんたはそうじゃないんでしょ? 自分と鑑を哀れむのはいい加減にしなさい。
 それともなに? 因果律干渉諦めて、ループ条件解除しちゃう~? なんなら、鑑も00ユニットにしてあげるわよ?」

 夕呼の言葉に、武の苦悩に歪んでいた表情が、瞬時に平静なものに変わり、苦笑すら浮かべて告げる。

「見苦しい所をお見せして済みませんでした。ご心配なく、00ユニットとしての働きは、しっかりと務めさせてもらいますし、オレ個人の問題ではありますが、因果律干渉も諦めません。
 なので今後も、色々とよろしくお願いします。」

 そんな武を、霞が目を大きく見開いて、吃驚したような顔で見上げる。その様子を目にした夕呼は、武を頭の天辺から爪先まで冷たい視線でなぞると、ふんっと鼻で笑って武に言葉を投げつける。

「見苦しい? あんなの珍獣の振る舞いみたいなもんで、傍で見てて面白いだけよ。
 本当に見苦しいってのは、今のあんたの事を言うのよ。なるほど、我ながら便利なもんを作ったもんよね。
 どれだけ人間そっくりに見えたところで所詮は機械、電子制御である以上00ユニットの意のままって訳?
 あんた、外面(そとづら)取り繕えば、それで済むなんて思ってないでしょうね! もしそんなふざけた事考えてんなら、即座にこの基地から追い出すわよっ!!」

 夕呼が怒鳴り付けるようにして言葉を切ると、武の表情が、悩んでいるような、困っているような、嬉しいような、それらが複雑に混ざったものへと変化する。

「……さすがにお見通しですか……けど、言った事は本当にそう思ってるんですよ?
 自分の感情を押さえ付けるのに時間がかかりそうだったんで、ちょっと機能を使って表情や声色を取り繕ってみたんですけど、不味かったですかね。」

 武はそう言いながら、霞の頭を優しく撫でる。霞はようやく安心した様子で、目を瞑って大人しく撫でられていた。
 その様子を見て、夕呼は怒気を収めると、解答を告げる教師のように告げた。

「外部の人間が居る所でなら、その機能は有効だから効果的に使いなさい。外交や駆け引きで、表情を自在に操れる事は何よりの武器になるから。
 けれど、それは自分の感情を偽って相手に伝えることだって事も覚えておくのね。
 そして、それを五感や理性以外で察知する存在も居て、それらはあんたに不信を抱くわ。
 だから、不必要にその機能で感情を隠すのは止めなさい。大体、そんなお便利機能で外面だけ強固に覆ったら、中身は軟弱になるに決まってるでしょ。
 そんな奴を、あたしは身近に置いとかないって言ってるのよ。」

 武は納得したように頷いてから、応じた。

「なるほど、言われて見たらその通りですね。ズルはしないで、精々自分を鍛える事にしますよ。
 ―――でも、夕呼先生、実はこの機能羨ましいんでしょう?」

「う、うるさいわねっ! それより、説明の続きをするわよ。あんたのせいで脱線したじゃないの!
 ―――っと、『元の世界群』であんたに振られた『鑑純夏』達の意志の力の集合体が、あんたを『元の世界群』へと引き戻そうとする力だって話はしたわね。
 で、今回あんたが前のループの自分の死後の世界に行ったんだとすれば、その確率分岐世界で、一時的にしろ多数の意思が失われたあんたを強く意識したんでしょうね。
 今回、あんたの再構成に使われた因果情報は、『前の世界群』のものだから、因果情報のやり取りをするパス(経路)も繋がりやすいと推測できるわ。
 そんな状況が揃っているところで、人格転移手術であんたの因果が人間としての死と00ユニットとしての再生の境界、謂わば非存在と存在の狭間を漂っていたもんだから、一時的に向うに引き寄せられたんでしょうね。
 これは、世間でよく言う臨死体験とか幽体離脱を、因果律量子論的に説明しようとして考えた仮説を適用した結果導かれた仮説よ!
 つまり、無数の確率分岐世界間の因果情報のやり取りは、世界に於ける個の存在を曖昧化させる事で、より容易に達成できるという……」

 武は夕呼の説明を聞きながら、霞に小声で謝った。

「ごめんな、霞。感情と表情が一致しなくて気持ち悪かっただろ?」

「……もう、いいです…………でも、私にまで……私達にまで隠さないで下さい…………」

「ッ…………そうだな、ありがとうな、霞。―――そして……」

 武はあらぬ方を向いて、仮説を滔々と説明する夕呼に向かって、微かに頭(こうべ)を垂れた……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時32分、B33フロアの反応炉制御室に武と夕呼、霞の3人の姿があった。

「―――これが、横浜ハイヴの反応炉よ!」

 耐圧ガラス越しに見える青白い光をまとった反応炉を右手で指し示し、夕呼が大仰な身振りで武にもったいぶって告げる。
 しかし、武の態度は実に素っ気無いものであった。

「知ってますよ。『前の世界群』じゃこいつをぶっ壊したりしてますから。
 …………まあ、BETAがうじゃうじゃ纏わり付いてないから、それなりの見栄えではありますね。」

「ちっ! 付き合い悪いわねえ。全人類でこいつを直接拝んだ事のある人間なんて、殆どいないのよ?
 まあ、いいわ。早速リーディングを開始して頂戴。今は休止期間のはずだけど、30分ほどで活動期が来るから。」

 武の応えに舌打ちをしたものの、さすがに事の軽重を間違えはせず、夕呼は武に反応炉のリーディングを命じた。

「了解。―――しかし、セルフチェックは済ませたとは言え、慣熟訓練も無しにいきなり反応炉相手の実戦投入ですか。
 よっぽど、いままで我慢してきたんですね……目の前に長年求めていたBETAの情報っていう宝の山が眠っているのに、指を咥えて待ってるのがそんなに辛かったんですか?」

「―――う・る・さ・い! あんた、00ユニットになってから口数増えてない?
 あんまり考え無しに囀る(さえずる)と、発声機能潰すわよ?」

「怖っ! はいはい、備品は黙って働きますよ。じゃ、この椅子を借りますね。量子電導脳の処理能力を最大限に確保するために、最低限の機能維持用を除いて全プロセスを休止させますから。
 何か、指示を出したいときにはデータリンク経由でお願いします。…………じゃあ、始めます。」

 武は、反応炉制御室のコンソールの前に据え付けられた作業椅子に座り、体の力を抜いてから、身体制御プロセスを順次休止状態へと移行していく。
 外見上は深い眠りへと落ちていくように見えるが、その実、武の思考=情報処理能力は、最大限に発揮可能な状態になっていた。

(よし、リーディング機能起動……周辺思考の検索……夕呼先生と霞………………ん? 微かな思考が……これか?
 対象を確定、リーディング開始……焦点形成、焦点以外の思考を排除………………リーディングデータ検出、翻訳開始……これは…………)

「……先生。」

「なに? やっぱり読めなかった? それにしたってもう少し粘りなさいよね。」

 椅子に腰掛け、寝入ったように見えた武が、5秒ほどで目を開け声をかけてきたため、夕呼は不機嫌そうに文句を言った。

「いえ、読めました。リーディング成功です。」

「え? だってデータリンクに情報表示は……されてるわね。そっか、そっちが情報源だったわね。―――で、これが結果?」

 武に呼ばれるまで、何も表示されていなかった情報端末の画面に、文字の羅列が表示されているのを確認して、夕呼は納得顔になってから武に確認を取る。
 その間も、夕呼は端末の表示をスクロールさせて、内容の参照を中断しなかったが。

「そうです。大雑把に言うと、微弱で瞬間的な思考が周期的に反応炉に存在しました。
 例えて言うなら、イベント起動型のコンピュータープログラムで入力監視をするような、そんな感じの思考です。
 人間だったら、瞑想している途中で、薄目を開けて辺りの様子を窺うような感じですかね。」

「なるほど、指示待ちって訳ね。それにしても、思考ノイズが皆無って、まるで機械みたいね。夢も見ないようだし……」

「思考自体も、まるっきりプログラムみたいでしたよ。あ、ただ、満足感というか、達成感みたいなものは気配だけですが感じ取れましたね。」

 情報端末の詳細情報―――付帯情報を加えた武の報告書だが―――を読み終えた夕呼は、なにやら気難しげな表情で頤(おとがい)に右こぶしを当てて考え込んだ。
 ―――そして、そのまま5分以上が経過する。
 夕呼が思考に没頭して、外部情報を遮断するのに慣れている武と霞は、夕呼を放って置いてたわいのない話をして過ごす。

 実を言えば、武はこの僅かな時間を使って、以前の数日分の作業をこなせると知っているため強い誘惑を感じていたが、00ユニットにとって思考を含む活動とは、即ちODLの劣化と言う消費を伴うものである事も知っているため、この後に控えている活動期に入った反応炉のリーディングに備えて、不要不急の思考は極力避けていた。
 何しろ、下手に情報の関連付けが行われて情報流入が発生すると、どれほどの情報処理が発生するか解らないのだった。
 尤も、再構成から生身で過ごした1月で、大抵の情報の関連付けは済んでおり、大容量の情報流入は今のところは発生してはいなかった。

 しかし、生身の頃とは次元の違う、00ユニットとしての超高精度の思考能力は、人間であった頃とは段違いの精度で情報を処理しているため、起動した直後から、人間の時には意識出来ずに取りこぼしていたような、微細情報の流入が多数発生している。
 その為、武は無意識の内に思考の情報処理精度を落そうと、フィルタリング機能を作成し、即座に起動、プロセスを常駐させていた。
 『前の世界群』でもやっていたのだろうが、武は特に意識した事はなかった。先程リーディングに備えて不要なプロセスを休止していく際に、初めて気付いた事であった。

「白銀。今の状態で、反応炉が蓄積している情報は読めない?」

「無理そうですね。リーディングは相手の思考を読み取るのであって、記憶を読み取るわけじゃありませんから。
 ただ、記憶の再生もしくは検索を誘発出来る様な切っ掛け(トリガー)が判明すれば、プロジェクションで何とかなるかも知れませんね。」

「そう。それじゃ、活動期に備えて待機して頂戴。」

「了解。それじゃあ、また機能休止しますね。」

 武は再び椅子に体を預け、寝入ったような状態となった。その姿を見て、夕呼は不機嫌そうに呟く。

「ふん……なんだか、お気楽に安眠してるみたいで、見てて腹が立ってくるわね。」

「香月博士………………」

「―――冗談よ、冗談。頼むからそんな目で見ないで頂戴、社。」

 そんな会話がなされているとは、この時点では知る由もない武は、反応炉周辺に焦点を絞り込んでリーディングを行っていた。
 そして、遂に反応炉が活動期に入る。

(お? 無数の情報源から断片情報を読み込んで、統合して……って、これ! 純夏の思考じゃないのか? どっからこんな……転送? 保存か?
 反応炉と独立した記憶領域?……外部記憶? 副脳か?……あ、反応が消えた…………ODLの同類か? コイツで覆って外部からの観測を遮断してるのか……
 それにしてもさっきの情報…………おっと、反応が戻ったぞ、早いな…………今度は読み込みか……ん? これは指令か?
 ―――監視対象の情報収集続行……最新情報並びに行動基準の更新?…………長短期計画更新?………………これだけか。
 ん? 外部記憶を検索するのか? しめた! これで検索閲覧のトリガーをサンプリングできるぞ………………
 なんだ? 更新を示す符号とか、更新時刻を表す情報が付加されてないのか? 全部の情報を凄まじい速度で読み流してるぞ?
 マジかよ…………ん? 純夏? 純夏かこれ! え? けどこれって…………なんだとぉおッ!!
 ―――クソッ! こんな……こんなのって、ありかよ、ちくしょおぉおオオおぉオッツッッッ!!!)

 武がリーディングによって読み取った情報の中に、BETAに捉われた『この世界群』の純夏の記録が存在していた。
 その内容に、怒りで何もかもをぶち壊してしまいたいような衝動を覚えた武だが、なんとか最後の一線で踏みとどまり、擬似内分泌系をトリガーし、鎮静効果を持つ擬似伝達物質を限界量まで分泌して平静心を取り戻す。
 そして、なんとか純夏と、BETA横浜侵攻時に捉えられた人々を襲った悲惨な出来事のリーディングを続け、記憶媒体への保存を行う。
 やがて、情報の内容は、地球上のBETAに関する情報や、多種多様な状況下での行動規範などに移り変わっていった。

 ―――そして、1分ほどが経過し、反応炉の活動期が終了した直後、武はODLの異常劣化によって自閉モードに移行し、意識を失った……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時37分、B33フロアの反応炉制御室の椅子の上で、武は自閉モードから復帰し、即座に意識を取り戻した。
 椅子の傍らには2つのタンクと人工透析装置を改造したODL交換装置が置かれていた。

「……白銀? 目が覚めた? ここじゃ簡易ステータスしかチェック出来ないから―――どうしたの?」

 武が通常モードに移行したのを簡易ステータスで確認した夕呼が、武自身に詳細なセルフチェックをさせようと話しかけるが、武が視線を自分に接続された管に繋がるタンクを睨んで何か考えている様子に気付くと、言葉を途切らせて訊ねた。

「―――ああ、お待たせしました夕呼先生。ちょっと、問題が発生したもので、関連情報を収集して整理してたんです。
 結論から言うと、不味い事になりました。このままだと、人類の戦略・戦術・技術情報が大量にBETAに流出します。」

 武がどうと言う事も無いような調子で、あっさりと告げた言葉に、一瞬だけ反応を遅らせたものの、即座に表情を引き締めて、夕呼は武に詰め寄った。

「―――なんですって?! どうしてそんな事になるのよッ!」

「00ユニットとしてオレが現在知っている全ての情報が、ODLからその反応炉を通じて、オリジナルハイヴの反応炉に流出するからですよ。」

 打てば響くように返る武の言葉。それを聞いて、僅かに不審げな顔をしたものの、夕呼は即座に仮説を組み立てて検証を終わらせ、最も重要と思われる事柄を端的に武に訊ねる。

「ODL?!―――ッ! そう、そういう仕組みって訳…………じゃあ、差し当たって、あんたが使用した後の劣化ODLは、全て破棄しないとならないって事ね。
 浄化措置で反応炉にODLを循環させると、そこから情報が反応炉に漏れるのね?」

 武は我が意を得たりと頷いて、現在追い込まれている窮状の説明を始める。

「さすが夕呼先生。話が早いですね。―――そうです。そして、現在のODL精製速度だとオレが72時間活動できるだけの量を確保するのに2週間。
 14日間の内活動できるのは3日だけって事になりますね。既にODLの予備は後2回分、今のオレの中に入っている分を合わせても活動限界は9日。
 しかも、起動したての00ユニットには、異常劣化の危険が常に付きまといます。
 最悪明日辺りにODLを使い切って、200時間後―――8日と8時間を過ぎれば自閉モードでも機能維持が保証されなくなる。
 あっ、14日間の内、9日間を自閉モードで過ごすだけでODL1回分が劣化するんだから、自閉モードを維持する事すら出来ないんじゃないか……
 00ユニットになっても、うっかりミスって無くならないんですね。」

「あんた、何暢気な事言ってんのよ! このままだと、あんた00ユニットとしての人生もお仕舞いになんのよ?」

 武の暢気な発言に、夕呼が叱り飛ばすように状況を突きつけ、ここに至って事態を把握した霞も、衝撃的な事実に強張った不安げな表情で武を見上げた。
 そんな2人に、武は極自然に笑いかけてなるべく落ち着かせるように、穏やかに話しかけた。

「解ってますけど、慌てたって仕方ないですし、貴重な情報も…………胸糞悪くなるのもありましたが…………ふぅ…………
 とにかく、情報は手に入った訳ですから、現状万々歳じゃないですか。
 それに、オレはまだ諦める気はありませんからね。状況はあまり良くはありませんけど、そんなのいつもの事じゃないですか。」

 途中、先程リーディングした情報の中の、純夏やBETAに捉われた人々の情報を思い出して、怒りがぶり返しそうになるが、武はなんとか平静を取り戻す。
 現在、ODLの浄化を受けられない武は、感情を爆発させる事でODLの劣化を加速させる訳にはいかないからだった。

(―――オレって、もともと短気だからな……感情を抑制するなんて、どれだけ出来るんだか……)

 武は、内心でぼやく。00ユニットの機能を以ってしても、身体機能と違って精神活動までは思うように制御は出来ない。
 擬似内分泌系による興奮・鎮静効果とて、以前の化学伝達物質の振る舞いをトレースしているだけであって、実際には偽薬(プラセボ)効果に近い。
 量子電導脳による精神活動は、本質的にはそれらの刺激を超越して行われているのだから。

「―――そうね。確かにあんたの言う通り、事態が進展する前に対策を練られるだけ上等よね。
 あたしとした事が、あんたに諭されるだなんて、嫌になるわね。
 ま、いいわ。それじゃあ、あたしの執務室に移動して、善後策を練りましょう。」

「そうですね。ここじゃ、夕呼先生がデータベースの情報を閲覧しにくいですからね。」

「―――さ、社、行くわよ。大丈夫よ、今すぐどうこうなるわけじゃないわ。」

「…………はい……」

 かくして、3人は反応炉制御室を後にした。制御室を出る間際、振り向いた武の視界の中で、制御室の窓越しに見える反応炉が、嘲笑うかのように青白い光を脈動させていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時23分、B19フロアの夕呼の執務室で、武と夕呼、霞の3人が今後の対策を検討していた。

「ふう……じゃあ、これまでの話しをまとめるわよ?
 まず、現状のままあんたの機能維持のみを行う場合ね。
 この場合、外付けの簡易浄化装置を開発して、自閉モードでの機能維持限界を最低336時間以上に延長し、ODLの精製に必要な期間を超過させて、徐々にODLを備蓄。
 そして、いざと言う時だけ、備蓄したODLを使って通常モードで短時間あんたを運用する。
 これは実現性は高いし、時間を稼ぐのには適しているけど、あんたの存在価値は限りなく低下するわね。ま、あるだけマシだし、さっき入手したBETA関連情報だけで、長年に渡るオルタネイティヴ計画が得た情報を遥に超えてるから、十分っちゃ、十分だけどね。
 次が、あんたを活動限界までフルに活用して、機能停止した時点で破棄。十分なODLの備蓄と、浄化装置の機能向上を待って次の00ユニットを作成して起動。
 これが一番効率がいいように思えるけど、次の00ユニットがあんた以上に使い物になるかが不明だし、00ユニットが不在の間に、何等かの事態が起きて計画が破綻する可能性も無視できない。
 折角入手したBETA関連情報も、それを活用する具体案を提示できない時点で、難癖を付けられるでしょうしね。
 そして最後、オリジナルハイヴを壊滅させて、情報の流出をここの反応炉までに限定する。
 そうすれば、あんたは全力を発揮し続けられるし、時間も稼げる。
 ま、問題はオリジナルハイヴをどうやって壊滅させるかなのよね~。」

 夕呼はそう言うと、苦虫を噛み潰したような表情になって、武の方を見たが、武は肩を竦めただけであった。
 それを忌々しげに睨み付けてから、夕呼は話を続けた。

「―――ま、それは一旦置いといて、付帯事項の方を先にまとめるわよ。
 まず、横浜ハイヴの反応炉を調査研究することで、ODLの精製量を向上させることは、十分可能と考えられる。
 これは、『明星作戦』後に、ODLで満たされた無数のシリンダーが発見された事からもまず間違いないわ。
 ただし、その機能が今も生きていて全力発揮できるとしても、そのトリガーを発見できるまで、あんたを通常モードで起動してどれだけの期間かかるかが不明。
 次に、反応炉の通信機能を突き止めて、通信機能のみを停止させる方法。停止のさせ方は物理破壊、酵素の注入による不活性化、反応炉に対する通信機能を起動するトリガーのブロックなど、方法は幾らでも思いつくけど、具体的な手順や技術は五里霧中。
 そもそも、下手に失敗したら反応炉が壊れて、オルタネイティヴ4は頓挫する、と。
 最後に、割とどうでもいい事ではあるけど、白銀がこの1月ちょいで積み上げてきた事―――斯衛との信頼関係とかあれこれが無駄になることね。
 尤も、白銀を失う事は人格転移手術の時点で織り込み済みだから、こっちはなんとでもなるわ。
 ここまでは、間違いないわね?」

 武は頷く。夕呼はイラついている事を隠そうともせずに、頭を右手で掻き毟って言う。

「どれもこれも、碌な話じゃないわ! 折角万事上手くいこうかってこの時に、何でこんな面倒な事になってんのよッ!!」

 ストレスを発散するかのように、怒鳴り散らす夕呼を宥めるように、武が話し始める。
 霞は、心配そうに、夕呼と武の顔を交互に見つめる事しかできなかった。

「―――だから言ったじゃないですか先生。支配的因果律があるんだって。
 元々、BETAにとって都合のいい方向に事象が発生し易くなってるんです。
 地球での戦いだってのに、BETA大戦は向うのホームタウンディシジョンで戦ってるんですよ。
 今になって考えてみれば、『前の世界群』での『甲21号作戦』や、横浜基地防衛戦であそこまでBETAが有利に事態を進められたのは、00ユニットとして起動した純夏を通じて、人類側の情報を得ていたからなんですね。
 そうしてみると、横浜基地反応炉を破壊せずに守り切っていたら、オレからも情報が流出して、さらに不利になっていたかもしれませんね。
 純夏は軍人としての教育を受けたり、機密情報を積極的に閲覧したりしてませんでしたけど、オレは違いますからね。」

「はぁ~~~~……解ったわよっ! あんたの忠告を鼻で笑って軽視してたあたしが悪かったわよっ!
 ―――しょうがないから、オリジナルハイヴをぶっ壊す方法を検討するわよ。
 つっても、XG-70は絶対に間に合わないし、いまから通常戦力を集めた所で、成功率は低いし、あんたの稼動限界が来るほうが早い―――と。
 やっぱり、G弾以外に可能性はないわよねえ。―――ったく! このあたしがG弾使う算段しなきゃなんないだなんて、腹立つッたらありゃしない!
 ……けど、G弾って、もう対抗措置が組まれてるって、あんた言ってなかった?
 それに、G弾だけじゃ、反応炉までは破壊しきれないんじゃないの? 相手は地下4000mよ?」

 夕呼は嫌いな食べ物を口一杯に頬張ったかのように、顔を歪めてG弾に言及すると、続けざまに問題点を指摘した。
 しかし、武はそんな夕呼に笑って応じると、G弾によるオリジナルハイヴの破壊手順について説明し始める。

「普通に軌道爆撃したんじゃ無理でしょうね。けれど、やりようはあると思います。
 まずは、様子見にG弾4発を大量のAL弾に制圧用多弾頭弾と一緒に軌道爆撃で投入します。
 『前の世界群』と同じ対抗措置なら、敵のレーザー照射はG弾に集中して照射されるでしょうから、G弾4発を間隔を空けて投下する事で、G弾の撃墜と引き換えに、地上展開しているBETA群の大多数を掃討出来る筈です。
 もし、G弾に集中して照射してこなければ、重金属雲が構成されますし、4発の内1発でもハイヴ上空に辿り着けば、やはり地上及びハイヴ内のBETAに大きな損害を与えられます。
 この場合は、同様の手順でG弾20~30発をAL弾に紛れ込ませて連続投下すれば、反応炉を落せると思います。
 そして、G弾が集中照射によって4発とも迎撃された場合は、再突入殻にG弾と一緒にAL弾頭を満載して、間隔を空けて50機以上軌道爆撃で投入します。
 勿論これに並行する形で、BETA地上展開に合わせて、制圧用多弾頭弾も投入してBETAを殲滅します。
 そして、オリジナルハイヴ上空に重金属雲の空中回廊が形成された時点で、無人のHSST1機毎に、耐熱対談装甲で保護されたG弾5発を搭載した上で、HSST5機をフルブーストで突入させます。
 さすがに、ここまでやればオリジナルハイヴでも落せるでしょう。」

 武の説明に、夕呼はわざとらしく目を丸くした上に口まで大きく開けて言う。

「あっきれた…………G弾79発も投入する気なの? 米国の現在のG弾備蓄数ほとんどそれで使い切っちゃうんじゃないの?」

「合計92発だそうですから、数的にはぎりぎりですね。」

「―――本当にそこまでやんないと通用しない訳?
 そんな大規模投入、頼んだって、脅したって、向うが承知するはずないでしょ?
 つまり、オリジナルハイヴの破壊は望み薄ってことね。
 次善の策は……ODLの続く限り、あんたに頑張ってもらうってとこかしらね……」

 夕呼のその言葉は、白銀武を『使い捨てる』という方針を意味していた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 11時20分、B19フロアの中央作戦司令室に、珍しくラダビノッド基地司令が姿を見せていた。
 とは言っても、特に用事があるようではなく、情報画面を眺めては何か考え事をするかのように目を細めている。
 外面だけを見れば、深遠な哲学か、戦略構想を模索しているように見えるが、ある程度彼と顔を合わせることの多い司令部付きのCP将校たちは、『ああ、また暇を持て余しているんだな……』と、思うだけである。

 この時、司令室に詰めていた人間はラダビノッド基地司令を除くと、4人のCP将校のみであった。
 その中の1人である『彼』は、先程から断続的に襲ってくる尿意と戦っていた。
 さすがに基地司令の居る場で席を外してトイレに行くのは憚られたが、ラダビノッド基地司令は一向に立ち去る気配がない。
 『彼』はペアを組んでいるCP将校に小声と身振りで説明すると、席を立って司令室を退出した。

 『彼』が司令室から外の廊下に出ると、行く手の方から、ハイヒールの踵が床を忙しなくノックする音が近付いてきた。
 音源を見た『彼』は、そこにこの横浜基地の真の主である、香月夕呼副司令の姿を認め、通路の脇に寄って道を空けた。
 敬礼しないのは、軍人にあるまじきことであったが、そこは、敬礼が夕呼の心象を著しく悪化させると熟知する司令部詰めの将校ならではというところか。

 そのまま、道を空けた『彼』に礼を言うどころか、一瞥を向けもせずに、夕呼は『彼』の前を通り過ぎていった。
 『彼』は夕呼の機嫌を損ねなかった事に安堵して、その場を立ち去ろうとしたのだが、その瞬間『彼』の訓練された耳は、夕呼の靴以外の何かが床を叩く微かな音を捉える。
 反射的に振り向いた『彼』は、夕呼が落としたと思われる記憶媒体が床に落ちているのを発見した。
 夕呼を呼び止めて、落し物として返却しようとして、『彼』は声を喉の奥へと押し戻す。
 床の上に転がる記憶媒体には、殴り書きではあるものの、『彼』にとっては決して無視できない単語が記されたいた―――『G弾』と。
 『彼』は素早くその記憶媒体を拾い、懐に隠すと、夕呼の様子を思い浮かべた。思い返すと、夕呼の様子は普段に比べて余裕が無く、興奮しているように見えなかっただろうか?
 『彼』は夕呼から十分に距離を取って司令室の方へと引き返し始めた。尿意など、既に跡形も無く消え去っていた。

 そして、司令室の入り口まで戻った彼が、事前に仕掛けておいた細工で入り口のセンサーを停止させ、自動で開く事の無くなったドアを薄く開き、隙間越しに中の様子を窺うと、中では夕呼が隣接する待機室へとCP将校達を人払いしているところであった。
 そして、ラダビノッド基地司令と夕呼のみとなった中央司令室で、常に無く、なにやら焦りさえ感じられる夕呼の声が、発せられた。

「司令。00ユニットの稼動には成功しましたが、重大な―――いえ、危機的な状況が発生いたしました。」

「ぬぅ?! 博士が危機的とまで言うとは、オルタネイティヴ4の進退に関わる事かね?」

 夕呼の、普段の余裕が全く感じられない物言いに、ラダビノッド基地司令の声にも焦燥が滲む。

「はい。しかし、それだけではありません。最悪、人類が今まで以上にBETAに圧倒されかねない事態です。
 本日、遂に稼動に漕ぎ付けた00ユニットを使用して、反応炉からBETAの情報を引き出したところ、人類の軍事機密を含む情報が、BETAオリジナルハイヴの反応炉に流出する可能性が、極めて高い事が判明しました。
 せめてもの救いは、以前より論議の的となっていたBETAの情報伝播モデルが、オリジナルハイヴを唯一の司令塔とした箒型構造である事が判明した事です。
 ですから、オリジナルハイヴの反応炉を破壊さえ出来れば、BETAへの情報流出も避けられ、また、今後各ハイヴのBETAが、行動特性を変更させて我々の戦術に対応する事もなくなると考えられます。」

「むぅん……それは確かに朗報だが、全てはオリジナルハイヴが攻略できればの話だろう。
 それが不可能である以上、状況は悪化の一途を辿るとしか、私には思えんのだが……」

 夕呼の説明に苦渋の滲む声で答えるラダビノッド基地司令。ドア越しに聞き耳を立てている『彼』も、その言葉には全面的に同意するものであった。
 同時に、その様な危機を招いた、『横浜の魔女』に対する怒りが心中に渦巻く。しかし、『彼』は自らの感情を殺し、話を聞き取る事に集中した。

「いいえ、ラダビノッド司令。私にとっては最悪に近い手段ですが、現状でオリジナルハイヴを攻略する作戦を、00ユニットが立案いたしました。
 ―――それは、G弾の大量投入によるオリジナルハイヴ壊滅作戦です! これをご覧下さい…………あら?…………
 変ね、何処へやっちゃったのかしら……ま、いいわ。申し訳ありません、作戦案の説明用の記憶媒体を忘れてきてしまったようです。
 内容はそれほど複雑なものではありませんので、口頭にて作戦案の概略を説明いたします。まず―――」

 夕呼の言葉に、『彼』は思わず懐から先程の記憶媒体を取り出してラベルを注視した。
 ―――そこには『G弾大量投入による甲1号壊滅作戦』と、殴り書きされていた。




[3277] 第48話 作戦名は『神の鉄槌』
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:50

第48話 作戦名は『神の鉄槌』

アメリカ東部標準時:2001年11月28日(水)(日本時間:11月29日(木))

 アメリカ東部標準時:23時02分(日本時間:14時02分)、就寝前のひと時を音楽と酒精によって寛いで過ごしていた『男』は、緊急連絡用回線によって夢の国への扉を閉ざされる事となった。
 そして、安逸な夢に代わって、深刻な悪夢が極東の地よりもたらされる。

「―――君か! 君が危険を犯してまで直接連絡してくるとは、ただ事ではないな? 直ぐに用件に入りたまえ。」

 元々節度を持って嗜んでいたに過ぎない酒精は、『男』の思考に然したる影響を与えてはいなかったが、通信相手の顔を見た途端に、その酒精の残滓すら瞬時に消し飛んでしまった。
 何故なら、其処に映しだされていたのは、極東の魔女の根城に潜ませていた潜入工作員の中で、最も有用且つ有能な人物―――『彼』の姿であったからだ。
 余程の事でもなければ、使用されない厳重に秘匿された緊急連絡用回線での通信。
 しかも、本来『彼』は、その存在を隠蔽する為に、必ず連絡員を間に挟む事となっていた。
 にも拘わらず、その『彼』が直接連絡をよこした以上、これから語られる情報が深刻かつ緊急のものである事は明白であった。
 『男』は心を落ち着け、『彼』の報告により心身が受けるであろう衝撃に備えた。

「では早速。オルタネイティヴ4によって全人類に対する深刻な危機が発生しました。
 危機の内容は、全人類の戦略・戦術・技術情報の殆どがBETAに漏洩するというものです。
 原因は、オルタネイティヴ4が開発していた00ユニットのBETAに対する機密保持能力の欠如によるものです。
 日本時間で本日の午前中に、00ユニットが稼動し、BETA情報の取得に成功したとの事ですが、それと引き換えに、00ユニットの持つ情報がBETAに対して流出した可能性が高い模様です。
 ご存知のとおり、00ユニットは超高性能コンピューターであり、既存データベースへの接続が維持された状態で起動したと推定されますので、相当広範な情報を保持していたと考えられます。
 これにより、G弾やXG-70、第3世代戦術機など、最先端の装備群の情報がBETAに漏洩したと思われます。
 なにより最悪なのが、3年前に『明星作戦』での情報を基に、現時点で既に、BETAが我らがG弾に対する対抗措置を確立し始めているという情報です。
 そして、今回の00ユニットからの情報流出によって、対抗措置は更に確実性を増し、遠からぬ未来にG弾は―――いえ、人類の全兵器と戦術すら無効化されてしまう可能性が高いとの結果が、00ユニットによって導かれたとの事です。」

 『男』は、目を固く瞑って拳を握り締める。内心に狂おしく湧き上がるのは、危機を招いた極東の魔女とその一派、そして彼女らを祀り上げた愚か者達への怒り。
 そして、最愛の母国と人類が破滅する事への底知れぬ恐怖であった。

(くそっ! 極東の馬鹿共が遂にやらかしたか!! 国連の諸国が我が国を妬み、下手に対抗しようと極東の夢と現実の切り分けも出来ないような、奇想天外な計画を採用した挙句、我がG弾の使用を制限した結果がこれだ!
 くそっ! くそッ!! 人類は―――我が栄光ある母国は、このような下らない原因で滅亡してはらんのだッ!!!
 何か、何か方法がある筈だ! 何か―――)

 怒りと恐怖に染められ、さながら地獄の業火に炙られるかのような焦燥の最中、それでも『男』は諦めずに打開策を求める。
 そして、『男』の求める打開策は、呪わしい事に極東の地より授けられた。

「しかしご安心下さい。現時点でなら、未だに人類の希望、我らがG弾はその力を完全に失ってはいないとの事です。
 あの魔女とて、人類の滅亡を望んでいる訳ではありません。00ユニットの全能力を用いて、唯一の打開策を見出したのです。
 そして、当然の如く、その打開策は我らがG弾による、オリジナルハイヴ壊滅作戦でした!
 これは、00ユニットが稼動後に収集した情報により判明した、BETAの情報伝播モデルがオリジナルハイヴに一極集中しており、そこで決定された戦略・戦術が各ハイヴに伝達されるという特性を突いたものです。
 対抗措置が各ハイヴへと流布される前であれば、オリジナルハイヴを殲滅する事で、人類の危機は避けられるのです!
 作戦案は既にお手元に転送されている筈です。魔女の元で作成された計画ですので、偉大なるG弾の威力を過小評価しているやも知れませんが、00ユニットの演算及び推論能力は世界最高峰と推測されますので、大筋で間違いは無いものと確信します。」

 『男』は『彼』によってもたらされた朗報に歓喜し―――即座に己を叱咤した。

(くそッ! 諸悪の根源が己が失態を糊塗しようと編み出した策に、喜ぶなどあってはならん!
 とは言え、あの魔女は邪悪ではあるが、反面確かに有能だ。その計画は検討する価値はあるに違いない。
 もし代案を思いつけないのであれば、危急の際だ、採用せざるを得んか―――)

 『男』は屈辱に身を焦がしながらも、もたらされた打開策に希望を見出しかけた。
 しかし、続けて『彼』が告げたのは、恥知らずであり、神をも恐れぬ、決して許す訳にはいかない謀略であった。

「しかし、あの魔女めは、G弾を我らより強奪し、己が失敗を挽回する為にこの計画を自分の手で行うつもりであります!
 厚かましくも、一両日中に国連の場に持ち出して、自分の責任である事も棚に上げ、人類存亡の危機を交渉材料とし、各国を脅して我が母国に圧力をかけ、G弾を供出させた上で己が主導の下で計画を実施。
 その成果によって、今回の騒動を引き起こした責任を回避しようとしているのですっ! なんと、なんと厚かましいッ! まさに魔女の―――いえ、悪魔の為せる業です!」

 ここに至って、心中に煮え滾る憤怒を抑えきれなくなってきた『彼』に、『男』はそれに数倍するであろう自分の憤りを完全に押さえ込むと、平静を装って諭し、労い、称揚した。

「―――落ち着きたまえ。……なるほど、君が直接連絡してきた重要性が確かに理解できた。
 これは2重の危機だ。人類の存亡と、我がG弾の接収による魔女の台頭。何れも必ずや阻止せねばならぬ事態だ。
 だが、君の働きにより、この件は我等の手によって解決され、我が国の栄光の下、人類は命脈を保ち、必ずやあの魔女をも破滅させる事が出来るだろう。
 私は君の働きに最大限の賛辞を送ろう。―――他にまだ聞くべき事があるかね?…………よし、ではこれより私は早急に行動に移るとしよう。
 君は、君が最も相応しいと思う行動を取りたまえ、無論、君は人類を救った英雄だ。本国への帰還を含め、必ずや最も相応しい行動を取るであろう事を確信しているよ。
 それでは、ご苦労だった。今後も活躍を期待している。神の祝福があらんことを。」

「ありがとうございます! 我が母国に神のご加護を!!」

 尊敬する指導者に讃えられ、『彼』は喜びに顔を輝かせて通信を終えた。
 『男』はその様子に、『彼』が尚も魔女の下で活動を継続するであろう事を確信し、『彼』の事を思考から綺麗に拭い去った。
 今はそのような瑣末な事柄に裂くゆとりなど、欠片も有りはしないのだから。
 『男』は多方面に連絡を取りながら外出の用意を整え、我が家を後にした。
 『男』にとって―――いや、世界にとって長い一夜が始まろうとしていた―――

 そして、24時間後、米軍の独力によるオリジナルハイヴ壊滅作戦―――『神の鉄槌作戦』(オペレーション・ザ・ハンマー・オブ・ゴッド)が、国連への通達さえ無しで強行された。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年11月30日(金)

 16時04分、国連軍横浜基地B19フロアの夕呼の執務室で、武と夕呼が顔を合わせていた。

 執務机に座る夕呼とその前に立つ武。そして、執務机の上には、先程成功に終わったばかりの米軍によるオリジナルハイヴ攻略作戦『神の鉄槌作戦』の詳細な報告書が放り出されていた。
 そこには、米国が一両日中に国連での戦勝報告と、オルタネイティヴ4の犯した失態についての弾劾を行う予定である事も記されていた。

「―――白銀。………………やったじゃないのぉ~! これであんたも安泰、あたしも枕を高くして寝られるってもんよ!!
 それにしても、G弾信奉者の連中は上手く踊ってくれたわね~。こっちは笑いが止まらないって、あははははっ!!」

 夕呼は目尻に涙を浮かべると、大笑いしながら執務机に上体を預け、平手で机をバンバンと叩いた。
 そう、米軍の独断専行によるオリジナルハイヴ攻略の強行こそが、夕呼と武によって実施された謀略の目的であった。
 大人しく危機的状況を国連に訴え、作戦案を提示してみたところで、事態は紛糾するばかりで無駄に時間を費やし、仮に作戦が認められ、実施されたところで、その頃には武は機能を停止してしまっている可能性が高い。
 それくらいなら、武を使い潰して、次の00ユニットを稼動させることに望みを託した方がましであった。

 武もその考えには全面的に賛成であったが、一つの保険として提示したのが、米国のG弾信奉者を扇動して、オリジナルハイヴの攻略を実施させる謀略であった。
 それは、鎧衣課長によって提供されたものが大半を占める、G弾信奉者の組織や中枢メンバー、そして、先のHSSTの件で工作員として判明したものの、『糸』として泳がせてあった横浜基地中枢に潜り込んでいた工作員などの詳細な情報を、武が00ユニットとしての驚異的な処理能力によってプロファイリングし、心理傾向を分析した上で立案したものであった。
 保険とは言いながら、成功する確率は高かった。それは立案した武が一番良く知っていたし、夕呼は00ユニットの能力を熟知していたが故に、武の謀略を採用した。

 あの時間に、ラダビノッド基地司令が中央司令室に顔を出したのも、潜入工作員と擦れ違った際に、夕呼が記憶媒体を落としたのも、そして、2人が中央司令室で交したやり取りに至るまで、全ては武の立てた謀略に沿ったものであった。
 それどころか、工作員が尿意を感じて席を立ったのは武によるプロジェクションの効果であったし、工作員の報告の際にも、武は回線の傍受をしながら工作員にプロジェクションを送って心理状態を誘導することで、間接的に通信相手の心理をも誘導していた。

 そして、結果はまさにこちらの思い通りに展開し、この後の国連を舞台とした争いでも、米国のG弾運用派の弾劾を跳ね除け、逆に相手を糾弾するところまで、武のシナリオ通りになりそうな状況であった。
 それ故に、夕呼は手放しで喜び、大笑いしているのであったが、対して武はというと、陰鬱な表情で佇んでいるだけであった。

「―――あんた、自己嫌悪にでも浸ってるわけ?」

 突然、笑い転げていた夕呼が動きを止め、執務机に上半身を突っ伏したままの体勢から、首から上だけをもたげると、武を鋭利な刃物のような視線で刺し貫く。

「―――まあ、そうなるんでしょうね。けど、後味悪いなって思ってるだけですよ。
 後は、これが癖になって人を陥れるのを楽しむようにはなりたくない―――そう思います。
 勿論、必要となればやります―――というより、今後幾らでもやる羽目になるって事は解ってますし、覚悟も決めました。
 けど、自分が嫌っていた、人間相手に謀略を仕掛けて争う連中と同じとこまで、遂に落ちたんだなって、そう思っただけです。」

 夕呼の問いかけを中半まで認めながらも、その言葉の裏に隠された問いかけは否定して、武は素直に自分の心情を吐露した。

「なに? それってあたしに対する嫌味?」

 夕呼が自嘲する様に唇を歪めて応じると、武は慌てて手を振って否定した。

「とんでもない! 夕呼先生には感謝していますよ。今までも、そしてこれからも、どれだけ大きな負担を先生に強いているのか、その一端を垣間見て、ちょっと浸っちゃっただけです。」

「ま、いいわ~。今後はあんたのお蔭で大分楽が出来そうだし。現世最悪のゴミ溜へようこそ! 歓迎するわよ~。」

 夕呼はそう言うと、再びけらけらと笑い出した。
 そんな夕呼の振る舞いを見ながら、武はオルタネイティヴ4が凍結された際の泥酔した夕呼の姿を思い出し、悲しみを感じると共に、充足感も得ていた。
 外見を取り繕わずに、たとえ半分以上が演技だとしても、喜怒哀楽を今まで以上に自分にぶつけてくる夕呼に、自分が今までとは比較にならないほど、夕呼に受け入れられている事を武は感じ取っていた。
 それは、人類を救うために汚水溜めへと飛び込んできた武への哀れみと共感であり、傷を嘗めあって癒す行為に近いのかもしれない。
 それでも、武は覚悟を決めて己が意思で踏み込んだとは言え、自分がこの汚臭に満ちた世界でただ一人佇まずに済んだ事に、夕呼という先達にして同行者が居る事に、心から感謝していた。

「ほんと、夕呼先生には頭が下がりますよ。これからも、よろしくお願いします。」

 武がそう言って深々と頭を下げると、夕呼は手をヒラヒラと振って声をかけた。

「はいはい、今更ほっぽりだしゃあしないわよ。それより、今日はもうこれでいいわ。
 あんた、反応炉のリーディングしてから今まで、ODLの劣化を避けるために、鑑を初めとして207や社まで、必要最低限の人間以外とは接触しなかったでしょ。
 良く我慢したわね。今日は休養日にしてあげるから、好きに過ごしなさい。備蓄しているODLも消費しちゃっても構わないわよ。
 ただ、オリジナルハイヴの反応炉の予備が稼動し始めないかどうかだけは、チェックしといて頂戴ね。」

「―――ッ!……解りましたっ、ありがとうございますッ!!」

 夕呼に叫ぶように礼を言うと、武は踵を返し、全速力で執務室から駆け出していった。
 その姿を見送った夕呼は、ぽつりと言葉を漏らす。

「あんな青臭いガキに、重荷をしょわせなきゃなんないなんて……因果なもんね…………」

 ―――無論、その言葉を聞くものは無く、呟きは室内へと拡散して消えていった…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時09分、B19フロアのシリンダールームでは、武の気配が近付く事に気が付いた霞が、髪飾りをピンと立てて振り向いた。
 ―――そして、その視線の先でドアが開き、丸1日、顔を見ることすら出来なかった武が、姿を現した。

「白銀さん………………」

 嬉しくて歩み寄ろうとした霞だったが、シリンダーに浮かぶ純夏に向ける、武の苦悩に満ちた眼差しを見て思い留まると、武が歩み寄るのを待つことにした。
 幸いにして、武は霞を無視する事は無く、前に立つと霞の頭に手を載せ、視線を向けて優しく声をかけた。

「霞……1日ぶりだな、元気……みたいだな。心配かけちゃったけど、何とかこのままで居られそうだよ。
 これからも、よろしく頼むな!」

 霞に向けられた武の顔は、一応笑みを浮かべてはいたが、隠し切れない懊悩が微かに滲み出ていた。
 そうでなくとも、霞には武の感情がリーディングを使うまでも無く察知できてはいたのだが……

「白銀さん、無理しないでいいです……」

 武を見上げて霞が呟くと、武は表情を歪めてから、申し訳無さそうに言葉を切り出した。

「そっか、気を使わせて悪いな、霞。ちょっと、純夏に関して色々と考えたいことがあるんだ。
 悪いけど、暫く純夏と2人っきりにしてくれないかな。霞が居るのが嫌って訳じゃないんだけど、また、前みたいにわんわん泣いちゃいそうでさ。
 やっぱ、かっこ悪いとこは見られたくないしな。頼むよ、霞。」

「……解りました。外に居ますから、済んだら教えてください。」

 霞はコクンと頷くと、静々とシリンダールームを出て行った。その後姿を見送った武は、息を大きく吸って、吐き出すと、覚悟を決めて純夏の方へと振り返った。

「………………なあ、純夏……『前の世界群』でおまえがBETA共を殺すッつって暴れた理由、解っちまったよ。
 あんな…………あんな酷い…………あんな、酷い目に、あったら…………そりゃあ……そりゃあブッ殺したくもなるよなぁッ!!
 くそぉッ! オレだって、今から佐渡行って、手当たり次第にぶっ殺してきてぇよッ!!!! チクショウ…………なんで……なんで純夏が、あんな目に…………」

 武は、反応炉のリーディングをした後、ODLを交換して目覚めて以来、極力思い出さないようにしていた情報の封印を解く。
 それは、BETAに捉えられ、徹底的に弄ばれ、人間としての尊厳を根こそぎ奪い取られて獣に落とされ、果ては脳幹のみにされるまでの純夏の記録。
 しかも、外部からの観察だけではなく、純夏の思考の内容までもが鮮明に保存されていたのだった。
 見るに堪えない淫靡で凄惨な情報を、武は無理やり咀嚼して、一口ずつ飲み下していくように浚った。
 リーディングの時には、純夏を冒涜する内容だと知れた時点で、半ば自動的に翻訳して記録するに留め、内容を意識しないようにしてやり過ごしたそれを、武は純夏を前にして苦行を果たすかのように脳裏に焼き付けていった。
 そして、何時の間にか大量に流れ出ていた涙を、分泌系への強制割り込みで停止させると、シリンダーへと手を伸ばした。

「……護ってやれなくて、ごめんな、純夏。護ってやるどころか、オレは逆に、おまえの負担にすらなっちまってたんだな。」

 BETAに蹂躙される合間合間に、純夏が想っていたのは自分を護ろうとして、BETAに素手で向かっていき、無残に引き裂かれ殺された『この世界』の武の最後。
 時には平和で幸せだった時の想い出を振り返る時もあったが、純夏の想いの中で、圧倒的に多くを占めたのは、自分の為にBETAに殺された武の姿と、それを見るだけで何も出来なかった自分に対する自責の念と、BETAに対する果てしない憎しみ。
 BETAに肉体と精神を蹂躙される合間の僅かな時間、しかし、それさえも、自らを責めて過ごした純夏。
 それは、脳幹となって、シリンダーに浮かべられ、外部からの刺激が閉ざされた後も変わる事は無かった。
 ―――ただ、一つの願いだけが、長い時間をかけて大きく育っていく。

『―――タケルちゃんに会いたい……』

 暗闇の中で、その想いだけが唯一の灯火(ともしび)であり、唯一の温もりであった。
 そして、そのちっぽけな灯りと温もりだけで、純夏は自らが抱え込んだ狂気すら超えて、生き続けてきたのだった…………

 BETAの記録は、『明星作戦』後も続き、現在でさえ更新され続けている。
 まさに、BETAにとって、純夏は人類の貴重なサンプルであったのだろう。
 オリジナルハイヴからの命令に於いても、最優先序列となっていたのは、純夏を通した人間に関する情報の収集であったのだから。

「……純夏…………おまえの憎しみやおまえの苦しみはオレが抱えてってやる…………だから……だからさ…………
 ……………………おまえの記憶からは…………消しちまってもいいよな?」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時30分、霞は武に呼ばれ、B19フロアのシリンダールームに戻ってきていた。
 武には部屋を出る前の沈鬱な気配が見られなくなっており、何かを決意して、成し遂げようとする強い意思が、霞には感じられた。

「……白銀さん…………」

 霞が武を見上げながら声をかけると、武は安心させるように力強く頷き、霞に自分の考えを打ち明けた。

「あのな、霞。知ってるだろうけど、オレも00ユニットになってリーディング機能とプロジェクション機能を使えるようになった。
 だからさ、純夏の精神を正常に戻せるかやってみようと想うんだ。幸い、小難しい心理学とか精神医学とかの専門知識でも、今のオレならなんとか理解できそうだしさ。
 精神が回復するに従って、五感を喪失している事が今以上にストレスになるんだろうけど、催眠とか暗示とかで安静状態か休眠状態に近い状態に導ければ、精神がこれ以上傷つくのは避けられるんじゃないかと思うんだ。
 霞は、この考えを、どう思う?」

 武の説明を聞いて、霞は一生懸命に検討に検討を重ねた。
 純夏の精神状態は、現状で既に限界に近いほど疲弊している。
 外部からの刺激を長期間にわたって喪失し、自身の思考のみが全てであるにも拘らず、その思考のほとんどが自分を傷つける思考であったためだ。
 『明星作戦』後、霞のプロジェクションにより、外部からの刺激を僅かながらも取り戻し、精神活動は幾らか活力を取り戻したが、結果として自傷行為に限りなく近い精神活動もまた活性化してしまった。
 それでも、武が横浜基地にやってきて、『元の世界群』の純夏の幸せなイメージを思い浮かべ、それを霞がプロジェクションするようになってからは、自傷行為の合間にではあるが、激しい思考が凪ぎ、暖かな想い出に浸ってダメージを癒す時間も、少しずつではあるものの、増えてきていた。
 ある意味で、武が言っているのは、この方向性を保ったまま、より積極的な治療を行うという事になる。

 しかも、00ユニットとなった武の能力はリーディングとプロジェクションに限ってさえ自分に匹敵し、やり取りするイメージの精度に関しては最早次元さえ異なるほどに精緻である。
 治療が成功する可能性は、霞には高いように思われた。そして、五感が失われている事などによって派生する問題点も、催眠療法により回避される可能性は十分に存在する。
 問題は、リーディングとプロジェクションという従来存在しない手法によって、催眠療法が成立するかだが、これも施術者である武が、高度な情報処理能力を持つ00ユニットである事を考慮に入れれば、見込みはある。
 そして、まずは催眠誘導の手法を確立する事から手を着ければ、現状と比べて危険は皆無に等しいと霞は判断した。

「……まず、催眠療法の確立から始めれば……大丈夫だと……思います…………でも……
 催眠療法の確立は……普通の人間を被験者にしないと……問題が発生した際に、対処する術がありません…………」

「そうか……そっちの問題は確かにあるな。今の純夏じゃ叩いて起こすとかって出来ないしなあ。」

「……白銀さん……乱暴すぎます…………」

「うおっ! 霞、頼むからそんな目で見ないでくれ…………」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時30分、武は霞を伴って、1階のPXに来ていた。
 通常の食事は採らなくても構わないのだが、食糧難のこのご時勢に勿体無いとは思いつつも、食べる楽しみを放棄する気にはなれない武であった。
 さすがに夕飯時は人出が多すぎるので、あ~んは勘弁してもらい、いつもの席で夕食を食べていると、207Bの面々が各々夕食を手に持ってやってきた。

「よっ! 久しぶりだな、みんな。」
「みなさん……こんばんは…………」

 207Bの面々も、PXに来た時から武と霞に気付いていたらしく、足早にやってきて武と霞の挨拶に応えた。

「久しぶり。社さんも今晩は。」
「タケル! 元気そうで何よりだ。社もやっと気鬱が晴れたようだな。」
「たけるさ~ん、何時戻ってくるのかと心配してたんですよぉ~。霞ちゃんもいるんだね。」
「タケルぅ! ちゃんとご飯食べてた? 霞ちゃんも、今の内から沢山食べておいた方がいいよ。
 ―――ボクも……ボクだって! ちゃんと子供の頃から沢山食べてたんだよッ! なのに、なのに、ぅううううう…………」
「鎧衣さん、元気出してください~。ミキだって、ミキだってぇ~~~~…………」
「……白銀、生きてたんだ。……社は……………………………………うん、解った。」

 千鶴は相変わらず冷静に、冥夜は心からの笑顔で、壬姫は満面の笑みに安堵を混ぜて、各々が武と霞に声をかけ席に座った。
 美琴は相変わらず斜め方向に心配が暴走して号泣し始め、慰めようとした壬姫までつられて泣き出してしまった。
 そして、それを脇に、彩峰が言葉は悪いものの嬉しそうな笑顔で武に話しかけ、続いて霞とボディーランゲージで語り合っていた。
 そんな、相変わらずな仲間達の姿に、武はようやくあるべき場所に戻ってきたという実感を得ると共に、無事に戻ってこれた事を喜んでいた。

「みんな、大げさだなあ。一昨日の夜に一緒に夕飯食べたじゃないか。丸2日っきゃ経ってないぞ?」
「えへへへへ……言われてみれば、そうですねぇ~。」
「改めて言われてみると、48時間で終わる特殊任務って言うのも何なのかしらね。」
「社が言うには、色々とあったらしい……」「…………(コクコク)」
「ちょっと、彩峰、怖いから無言で意思疎通しないでよ!」
「…………怖がられた。」「……(ガーン!)」
「え? あ? あの、社さんはいいのよ? 私は彩峰を……」
「なあ、冥夜。なんか、彩峰と霞って、仲良くなってないか?」
「ん? ああ、社は、この2日の間に何度か顔を見せてくれてな。そなたの任務が機密なせいか、何も喋らないのだが。
 彩峰が言うには、言いたい事が何となく解るのだそうだ。」
「ウン、2人ともきっと、テレパシーで会話してるんだよ! タケルもそう思うよねえ?」
「あ? それはちょっと……なあ? 冥夜。」
「うむ、あれは以心伝心というものであろう。鎧衣が言うような面妖なものではあるまい!」
(面妖ねえ……その線でいったら、今のオレは絡繰り人形か付喪神ってとこかな……)
「以心伝心って、素敵ですよねぇ~。心が通い合っているって感じです~。」

 武を中心に据えながら、各々が好き勝手に食事をしながら会話を楽しんでいた。
 武も、途中で霞が冥夜の言葉に傷付いていないかを気にしながらも、他愛のない会話を続けた。

 そして、食事が済むのを待って、武は先週の月曜日から水、月と間を空けて3回に亘って行われた、『対BETA心的耐性獲得訓練』の結果について発表した。
 『対BETA心的耐性獲得訓練』とは、シミュレーターによる戦場疑似体験プログラムであるが、そのシナリオはBETA相手の実戦に於いて、危機的状況に陥り部隊に壊滅的損害を出した際の、部隊内データリンクの情報から再構成されたものである。
 圧倒的多数のBETAに蹂躙され、仲間を殺され、悲鳴や絶叫、救いを求める声が飛び交う戦場で、必死に足掻き、もがき、それでも力及ばずBETAにたかられて、最後には装甲ごと齧られて終わる……そんな、BETA戦争の悪夢のような場面ばかりで構成されたシナリオのプログラムである。
 BETA相手の最も悲惨な現実を疑似体験させる事で、精神的な耐性を身に付けさせようという訓練であるが、逆にPTSDを発症して衛士としての道が閉ざされる危険性もある、過激な内容の訓練であった。

「ああ、そう言えば、先週からやってもらった、『対BETA心的耐性獲得訓練』後の心理検査の結果が出てたぞ。
 全員PTSDの発症など、問題は一切見られないそうだ。大分きつかっただろうけど、良く耐え抜いたな。」
「はぁ~~~、よかったぁ~。私2度目とかブルブル震えちゃったから、PTSDになっちゃったかと不安でした~。」
「正直、あれはちょっと辛かったわね。……けど、あれが前線の実情なんでしょうし、いきなり実戦で出くわすよりはましだと思うことにするわ。」
「うむ。今の内に耐性を付けておけという、神宮司教官とタケルの思い遣りであろう。あり難いことだ。」
「ボクはねえ、BETAの、あの生物学的分類を超越した特長の取り合わせこそが、人間に生理的嫌悪感を抱かせるんじゃないかと思うな。つまり―――」
「………………白銀のせいだった?」
「ん?」

 彩峰がポツリと言葉を漏らすと、薀蓄を垂れ流していた美琴までもが、ピタリと口を閉ざして武に注目した。
 霞だけが、驚いたように皆の顔を見回している。
 武は、どういう対応をしようかと瞬時に思いを巡らしてから、真面目な顔をして応えた。

「―――そうだ。あれはオレの発案だよ。」
「どうして?…………あれは、結構危ないよ…………」

 武の応えに、彩峰が的確な指摘を返してくる。武はそれに頷いて言葉を続けた。

「そうだな。彩峰の言う通りだ。あれは、総戦技演習並かそれ以上に危険なものだ。
 あれで精神障害を負った場合、最悪衛士失格と判断されて、退校処分になる事も十分にあり得たんだ。
 最初、神宮司教官は反対したけど、オレが説得して押し切った。」

「え……」「うむ。」「そ、そんな―――」「う~ん。」「……だと思った。」

「解ってくれてるとは思うけど、別におまえらに衛士になって欲しくないんじゃない。
 おまえらが衛士を目指して頑張ってきたんだって事は、十分に分かっているつもりだ。
 だけど、どうしたって、戦場では個々の意思なんて、其処に働く力によって踏み躙られる事が多くなる。
 そして、いざトラブルが起きたら、それは個々の衛士1人の話じゃ済まないんだ。
 あの訓練を体験したみんななら、もう解るだろ?
 部隊が崩れる時は、大抵が1人のピンチから始まる。心理的動揺や、ミス、不運などが原因で、機体を損傷したり、BETAにたかられたり、包囲されたり……
 そして、それを何とか助けようとして、部隊の全員がオーバーワークに陥って、それまでの連携が崩れる。
 そうなると、そこから始まる崩壊の連鎖は容易なことじゃ収まらない。部隊全体が壊滅するまではあっという間だ。
 そして、なんとか連鎖を断ち切って1人か2人の欠員で済んだとしても、部隊が訓練で積み上げてきた連携は、既に完全には機能しなくなっている。
 正直、前線の部隊にとって、新任衛士は大事な後輩であり、補充要員でありながら、もっとも恐ろしい不安要素。身内に抱えた爆弾みたいなもんなんだよ。」

 全員が、武の話に真剣に聞き入る中、千鶴が納得がいったように腕組みをして言葉を告げた。

「―――それで、複座型や、遠隔陽動支援機が出てきたのね。」

「別に、新任衛士のためだけじゃないさ。けど……あれだな。おれもちょっと戦場心理って奴を甘く見ていたらしいよ。
 この間の新潟の戦いで、無人機がBETAにやられそうになった時、部隊は今まで通りに崩壊しかけたよ。
 頭では、無人機と解っていても、戦場で生き残ってきたベテランほど、心身に染み付いた反応が出てしまうらしい。」

「うむ。そなたの言う事も解る様な気がするな。鍛錬によって身に付けた事柄は、無意識にそれを為す域にまで達する事もある。
 それを、今度は意識的に為すなと言われても、難しいものがあるであろうな。」

 冥夜が腕を組んで、瞑目しながら語ると、武はそれに頷きながら応じる。

「冥夜の言う通りだ。そして反面、有人機が完全に戦場から姿を消す訳じゃないんだ。
 だから、有人機が危地に陥った際には、今度は逆に素早い行動が出来るかどうかに、戦友の命がかかってくる。
 ―――難しい問題だよな。」

「出来る奴がやればいい…………」
「彩峰さん、だってそれじゃあ…………」
「あ、けど、それは正解だと思うなあ。無人機の運用をする衛士が弁えていれば、大分状況は変わってくるはずだよね。」

 彩峰が突き放すように言うと、壬姫が心配げに異を唱えかけて、口篭る。そして、そこにいっそ能天気とも言える明るさで美琴が同意した。

「そうだな。差し当たっては、彩峰の言う通りだ。一部の衛士を遠隔陽動支援機の運用に熟練させて、当座を凌ぎながら、概念が普及していくのを待つしかない。
 ―――てことで、おまえらにかかっている期待は大きい。実質的な最後の試練も無事乗り切ったんだし、みんな頑張れよ!」

「ええ?!」「ん?」「なになに?」「……なに?」「え……あーっ、そうか! ボク達、遠隔陽動支援機の運用方法まで、訓練課程に含まれてるんだよ!」
「「「「 あ~~~~~っ! 」」」」

 何を頑張れと言われたのか、今一つ不得要領だった4人が、美琴の解説に驚愕の声を上げた。

「運用だけじゃないぜ? 現時点での対BETA戦術構想に関して、おまえらより詳しい人間なんて殆どいないんだからな。
 運用どころか、新しい戦術構想や、それに基づいた装備までどんどん生み出してもらいたいくらいだ。」

「無茶を言うなタケル。誰もがそなたほどに、自由な発想が出来るわけではないぞ?」

「けどさ、冥夜。この1ヶ月ちょっとで、大分オレの考え方に染まってきてないか?」

 呆れたように、冥夜が武を諭すが、武は逆に問いを返すことで応じた。
 冥夜は、一瞬きょとんとした顔をしたが、直ぐに悪戯っぽい笑みを浮かべると、目を瞑り頤(おとがい)を反らし、笑みを浮かべて言ってのけた。

「ん?……言われて見れば……ふむ。私はともかく、皆はそれなりに染まっていると思うぞ。」

「何言ってるのよ! 真っ先に染まって白銀に同調したのはあなたじゃないの!」

 途端に顔を真っ赤にして千鶴が噛み付くが、冥夜は柳に風と受け流す。

「ん? そうだったか?」

「そういう惚けた誤魔化し方までそっくりよ!」
「違うね、白銀はもっと要領悪い…………」
「確かにそうですねぇ~、あはははは……」
「そうだよね~。タケルだもんねえーーー。」
「…………白銀さんですから……」
「おまえら、何気にひで~よ! しかも、霞まで…………」

 結局武に全ての皺寄せが来て、霞にまで追い討ちを受けた武が頽れる。PXの一角に、2日ぶりの賑やかな笑いの華が咲いた。




[3277] 第49話 夢であいましょう
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:51

第49話 夢であいましょう

2001年11月30日(金)

 19時03分、国連軍横浜基地のシミュレーターデッキでは、最早毎晩恒例となった、207Bと斯衛軍第19独立警備小隊の合同訓練が始まろうとしていた。
 そして、過去に幾度も行われたように、訓練の始めにおいて、待機室で武と月詠の密談が行われる事となった。
 最初の内こそ、皆の目が刺々しかったり、胡乱気であったりしたものの、今では皆慣れてしまい疑問にも思わなくなっている。
 ―――のだが、今日は霞が同席すると言うので、一波乱あった。

 そもそも、夕食で207Bの皆と合流して以来、霞が武の側を離れようとしない事に、207Bは内心少なからぬ衝撃を受けていた。
 そして、シミュレーターデッキにまで同行し、月詠との密談にまで参加すると聞くに及んで、一同は即座に武を吊るし上げにかかった。

「ちょっと、白銀。いいかしら?」「なに、今回もさほど時間は取らせぬ。」「逃がさないよ……」「た~け~る~さ~ん♪」「あはははは、タケルぅ、ボクだけは味方だからね―――助けないけど。」「お、おまえら、なんで、毎回毎回、詰め寄って来るんだよっ!」「うるさいっ!」「おとなしくしろっ!」「抵抗は無駄でしてよ~。」「……お、おまえらもかッ!!」

 そして、騒がしい一時が過ぎ、武は渋々といった様子で降参し釈明した。

「ちょっと、特殊任務でドジ踏んじまってさ。今ちょっと、何時昏倒するか解らないらしいんだよオレ。別に気分も悪くないし、痛くも苦しくも無いんだけどな。
 でもまあ、一応経過を見る意味で、霞に付いてもらってるんだよ。」

 武のこの言葉に、冥夜を除く207B女性陣と、面白半分に吊るし上げに加わっていた、神代、巴、戎までが半信半疑ではあるものの、一応口々に武の身を案じた。
 しかし、冥夜と月詠の2人が受けた衝撃は彼女らの非ではなく、心配を通り過ぎて蒼白な面持ちとなりながら、心中の恐怖を押さえ込んでいた。

 ここにいる者の中で、冥夜と月詠だけが、現在の武の記憶や人格が、夕呼の実験の結果として生まれた物であると知らされている。
 無論、事実とは異なる訳だが、2人はそうであると信じ切っているため、事実はこの際、全く影響を及ぼさない。
 よって、特殊任務の結果としてトラブルが発生し、現在の武の人格が変貌、或いは最悪の場合、再び失われてしまうのではないかと考えたのであった。

 月詠は武がもたらした対BETA戦術構想の価値と、それを生み出すにいたった武自身を、決して表には出さないものの非常に高く評価していた。
 それが失われるという事は、今後の武の発想や行動によって救われるかもしれない無数の存在が、失われてしまう事に等しかった。
 月詠ほどの剛の者にとってさえ、それは空恐ろしくなるような恐怖足り得たのである。

 そして―――冥夜の心中に渦巻く恐怖は、より根源的で、得体の知れない、無窮に続くかとさえ思われるほどに深くて暗い、何もかもを吸い込んでしまいそうな渦として、あらゆる熱を虚無へと吸い出していた。
 それは、無論月詠と同様の、有能な人間としての武が失われる事への恐怖も含まれていたが、より圧倒的な割合を占めているのが、自分を個人として受け止めてくれた『白銀武』という人間に対する依存心と、未だ明確に自覚してはいないものの、武に対する仄かな恋慕から、武を失う事を全身全霊を以って忌避しているが故の事であった。
 しかし、冥夜は己が心の深奥を覗いて紐解くことはせず、ただその強靭な精神力のみを以って恐怖を押さえ込み、なんとか動揺を封印しようと戦いを挑んでいた。

「みんな、心配してくれてありがとな。けど、本当に何にも起きない可能性の方が高いんだ。万一に備えてってやつだよ。
 それに、もし昏倒しても、対処法は確立してるから、夕呼先生のとこに運んでもらえれば大丈夫なんだ。その為に霞に付いてもらってるんだよ。
 だから、安心して訓練を始めてくれ。…………あ、月詠中尉と一緒に冥夜もちょっと残ってくれるか? 直ぐ終わるからさ。」

 武の説明に、皆は差し当たって満足すると、呼び止められた冥夜と月詠を残して、訓練を開始するためにシミュレーターへと立ち去っていった。
 武は皆を見送ると、念の為、冥夜と月詠の衛士強化装備に秘匿回線を繋げて告げる。

「すみません。2人には余計に心配させちゃったみたいですね。この件は、確かに夕呼先生の実験が関係していますが、本当に万一に備えてのことですし、倒れても1日もかからずに復帰できますから。
 3日ほど様子を見たら、元通りになりますから、本当に気にしないで下さい。」
「そ、そうか。だが、油断は禁物だ、しかと自愛するのだぞ。」「貴様には多くの期待がかかっている、迂闊な事はするなよ?」

 冥夜は武の言葉を聞いて、心中に巣食った恐怖が洗い流されていくのを感じ、ようやく安堵する事ができた。
 そして、武と霞、月詠の3人は、ようやく待機室へと移り、密談を開始した。

「殿下に内々にお伝えして頂きたい事があるのですが、お願いできるでしょうか。
 本日、日本時間の昼過ぎに実施された、米軍の独断専行によるオリジナルハイヴ攻略作戦『神の鉄槌』に関連した案件です。」

「無論だ。遠慮は要らぬから、さっさと言うが―――ちょっと待て! 今なんと言った?! オリジナルハイヴ攻略作戦だと?」

 月詠が驚愕に目を見開くのを見て、武は頷くと説明した。

「まだ、月詠中尉のお耳には入っていませんでしたか。
 米国が国連への通達も無しに、今日の日本時間13時00分から、独自に決行した作戦ですよ。G弾を大量投入してオリジナルハイヴの反応炉を破壊したんです。
 恐らく、既に殿下のお耳には入っていると思いますので、その件についてなのですが―――
 まずは、この度はG弾が大量に運用されたことに関しまして、心を痛めておられるであろう殿下に、何卒ご自愛頂きたく奏上仕ります。
 そして、今回の件がオルタネウティヴ4に与える影響に関してですが、対応策は既に確立してありますゆえ、ご心配頂くには及ばないとお伝え下さい。
 さらに、オルタネウティヴ4は、その当初の目的とした成果を、遂に手にするに至ったと。」

「なにッ!! それは、それは真なのだな、白銀!」

 ここに至って、月詠は堪えきれずに武の言葉を遮った。それに、武は真剣な面持ちで頷いて応じる。

「本当です。そして、既に運用も始まっています。殿下のお耳には、その成果の持つ欠陥に関しても既に届いておいででしょうが、その問題は既に当方で把握した上で、対処が為されております。
 どうか、ご安心頂きますようにと、お伝え下さい。」

「む……解った。確かに奏上仕ろう。」

「あと一点。現在既に論議が始まっているでしょうが、天元山の火山性微動の観測により、近日中に予測される噴火に備えた、不法帰還者の処遇に関してです。
 殿下におかれましては、さぞご心痛であろうかと推察いたしますが、曲げてご静観いただきたいとお伝え下さい。」

 政威大将軍に指示をするが如き武の言葉に、月詠は柳眉を逆立てて激高する。

「―――なんだと? 貴様、僭越であろう!」

「先日、新潟にてお伝えした件に関係する事だとお伝えいただければ、殿下には事情をご高配願えるかと存じます。
 そして、その件で一度、紅蓮大将も交えて打ち合わせをさせて頂きたいとお伝え下さい。」

 しかし、武がすでに悠陽との間で内諾を得ていると臭わせると、月詠は渋々とではあるが引き下がった。

「む―――。そうか、あい解った。」

「月詠中尉には、事情をちゃんと説明できないのに、あれこれとお願いする事になって、本当に申し訳ないと思っています。ありがとうございます。」

 無理矢理自分を納得させている様子の月詠に、武は丁重に頭を下げてみせた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 20時02分、B19フロアのシリンダールームで武は瞑想していた。
 より正確に言うと、自分の記憶をなぞって記憶の関連付けを刺激し、情報流入を誘発させようとしていた。

(…………う~ん、情報精度を劣化させるフィルターを外しておくと、結構細々とした情報流入が発生するな。
 けど、ODLの劣化は思ったほどじゃないな。情報量よりも感情的な振幅が大きい時の方が劣化が早いみたいだな。
 まあ、感情ってのは文字よりも絵みたいなイメージって感じだからな、記録しようと思うと情報量として段違いに大きいような気もするよな。
 さて、と……いよいよ、00ユニットになった後の記憶に行くか―――ッ! やっぱり、情報量が一気に増大したな……)

 それまでの何百倍もの情報精度に膨れ上がった記憶を、注意深く時間をかけて反芻していく武。
 人間だった時に思い返した際には、細部を無意識に切り捨てて相当簡略化して思い出していたのだと、今にして武は思い知った。
 そうして、無意識に切り捨てていた分が、今、武の量子電導脳で改めて処理され、整理され、関連付けられて、流入した情報も追加した上で、改めて記憶野に格納されていく。
 一旦この課程を経てやりさえすれば、その記憶を思い出しても記憶の流入は発生しない。
 また、それに類似した体験を現実に経験しなおしたとしても、やはり記憶流入が発生する可能性は低くなる。
 この処理さえ終われば、極度に興奮したり感情を爆発させたりしない限り、いきなりODLの異常劣化によって機能停止する危険性は限りなく0に近くなる。
 武は過度の心的ストレスを発生させないように気をつけながら、ゆっくりと記憶を浚っていった。

 そんな武を横目にしながら、霞は純夏へのプロジェクションとリーディングを行っていた。
 無機質で寒々しい雰囲気のシリンダールームであったが、霞にとっては暖かく居心地のいい、寛げる空間として感じられていた。

 武の記憶の反芻は、23時過ぎまで続けられた。仲間の死や、別れなどでは、感情の振幅を抑えきれず、ODLの劣化を引き起こしたが、何とかこの日はODLの交換をせずに終えることが出来た。
 武は霞におやすみを言うと、B4フロアの自室へと帰っていった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月01日(土)

 05時52分、B4フロアの武の自室前に、霞の姿があった。

(白銀さんは、寝てるでしょうか…………00ユニットになった以上、もう私が起してあげる必要が無いのは解っています……でも…………)

 霞は勇気を振り絞って扉を開けて、武の自室へと入ってく。そして、霞が見た室内には、いつも通りベッドで眠りを貪っている武の姿があった。

 厳密に言うのであれば、00ユニットは睡眠を必要とはしない。しかし、強制的に処理を実行しない限り、その記憶のシステムは人間のそれを模倣する。
 結果として、睡眠時に行われる短期記憶から長期記憶への移行が行われるし、その際には夢さえ見る。
 無論、情報処理装置として、長期記憶への移行が行われなかったとしても、取得した一次情報のバックアップは完璧だが、思考などの派生情報は失われる可能性がある。
 そして、なにより、人間であった頃の感覚から、連続稼動による精神的疲労感もあるため、00ユニットも睡眠を定期的にとることが推奨されていた。

 しかし、人間の睡眠と同じという事は、感覚器系の機能は休止されず、稼動状態にあるということである。
 視覚情報は目蓋を閉じていれば無効だとしても、聴覚による情報だけでも他者の接近を察知するには十分なはずであった。
 おまけに、00ユニットにはリーディング機能が付与されており、周囲の思考波の有無及びその特徴が、常時感知できる。
 よって、然るべき予防措置が採られてさえいれば、他者の接近によって覚醒しない訳が無いのである。

「白銀さん…………おきて、ください……」

 躊躇いながらも、霞が武をゆさゆさと揺する。武はむにゃむにゃと口を動かしながら眉を顰め、寝返りを打って言葉を漏らした。

「む~……あと、5分…………」

 霞は、時計を見て時間を確認する。時刻は既に56分を回っていた。

(少し、躊躇っていた時間が長過ぎました……)

 霞はさらに力を入れて武を揺する。すると、武はようやく目を開き、眩しげに目の上に手を翳しながら、霞を見て言った。

「おはよう、霞……いつも、ありがとな……ふぁぁ~~~。」

 霞は、武が目を覚ましたのを確認した後、机に向かって椅子に腰掛けてから、正面の壁に向かったまま声を出した。

「もう、おこさないで、いいのかとおもいました…………」

「ん? オレが…………00ユニットになったからか?」

 武は、途中言葉を途切らせて、自室の周辺に、思考波と稼働中の電子情報機器が存在しないのを確認した上で、言葉を続けた。

「はい……」

「う~ん。オレとしては、今まで通り霞に起こしてもらえると嬉しいな。勿論、霞が嫌じゃなければだけどな。」

「どうしてですか?……私がおこさなくても…………平気なはずです……」

 霞の言葉に、武は着替えをしながら応える。

「理由は、オレの我儘だな。昨日の夜、普通の食事しただろ? 我ながらこの食糧難の時代に勿体無いと思ったけどさ。
 オレは、今まで通りの人間としての生き方を止めたくないんだ。
 確かに今のオレは色々と便利に出来てるから、あれこれ切り捨てて効率よく活動できる。
 甘えかもしれないけど―――ほら、オレはまた人間に戻る可能性が高いからさ、生活のリズムを崩しっ放しって訳にもいかないだろ?」

「人間に……もどる?……」

 霞が武の言葉に訝しげに応じると、武はばつが悪そうにしながらも応えた。

「あ、ごめん……つまりその……この世界でもう一回死んだら……な。」

「………………」

 霞は無言であったが、その背中が緊張したのが武には解った。着替えの終わった武は、霞に歩み寄ると頭に手を載せて優しく語り掛ける。

「霞……別に今すぐ、今日とか明日とかって話じゃない。事によったら霞よりも長生きした後かもしれない。
 けど、それが何時かは解らないけど、オレは必ず次の世界に行って、またBETAと戦う。
 その時になって、ご飯の食べ方忘れてたら、困るだろ?」

「寝坊のしかたなら……忘れてても、いいと思います……」

「うわっ! そりゃ、そうかもしれないけどな…………」

「……うそです……次の世界の私が困ります…………嬉しかったです……嬉しかったんですっ…………」

 霞の肩が微かに嗚咽に震えていた……武は、霞の頭を優しく撫でながらも、自分の近未来を察して覚悟を決めると、霞に感謝の言葉を告げた。

「そうか……ありがとうな、霞。よかったら、これからも起しに来てくれな。」

「……はい……」

 霞が涙を浮かべて振り返った直後、リーディング機能が正常である証として、武の部屋のドアが押し開かれ、点呼にやってきたまりもが室内を検分した。
 武は、自分の予測した近未来の内、最悪に近いケースが発生した事を知ったが、最早身を委ねるしか術は無かった。

「白銀ぇ~っ! 貴様、朝から何を仕出かしたっ! 社を泣かせるとは、何事かッ!!」

 武は、柳眉をキリキリと逆立てて怒鳴るまりもと、自分の腰の辺りで、吃驚して硬直している霞を見て、弁明を諦めると、直立不動になって敬礼した。

「はっ! 申し訳ありません、教官!」

 ―――幸い、腕立て伏せ千回は、00ユニットに授けられた身体機能の許容範囲内であった……疲労や筋肉痛まで再現されたのには辟易したが、武は敢えてそれを甘受した。
 苦痛や苦しみも、人間としての生活の内だと……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 07時58分、ヴァルキリーズが使用申請しているブリーフィングルームを調べ、武は霞を伴って顔を出す事にした。
 ブリーフィングルームには、既に全員が揃っており、3日ぶりに姿を現した武に視線が集まった。

「ん? 白銀か、特殊任務は終わったのか? 社が一緒のようだが、何か我々に任務でも?」

 みちるが訊ねてくるのに、武は手を振って応えた。

「いえ、霞はオレのお目付け役で来てくれてるだけです。ちょっと特殊任務の結果、後遺症が出る疑いがありましてね。
 ―――あ、そんなに心配してもらわなくても大丈夫です。詳細は機密で言えませんが、順調に行けば後遺症もなく、今まで通り軍務に従事できますから。」

「そうなんだ。あまり、無理しないでね、白銀中尉。」
「そうそう、あんたには、まだまだ楽しいおもちゃを作ってもらわなきゃなんないからね~。」
「おやおや、速瀬中尉は様子は、まるで子供のようで……いや、純真さが足りないようですから、やくざの強請りの方があってるか―――と、白銀が考えています。」
「はいはい、中尉の皆さんは相変わらずのようですね。速瀬中尉、あまりごねると、新型装備の試験担当から外しますよ?」
「う……き、汚いわよ、白銀……」
「……私達……何も言ってないのに……」
「しょうがないよ葉子。わたしたち、なんちゃって中尉だしぃ。」
「…………葵ちゃんに言われると……ショック大きいかも……」
「あはは、気にしない気にしない……」

 武が霞を伴っている理由について述べると、遙が安心しながらも武を気遣って声をかけ、水月がニヤリと笑みを浮かべて後に続く。
 すかさず美冴がちゃちゃを入れて、怒りに火の着いた水月を武にパスしてくるが、武は対BETA戦術構想の開発者権限をチラつかせて水月を押さえ込んだ。
 武の何気ない一言の余波が葉子と葵にいったが、生憎位置が遠かったため、武が気付く事は無かった。

「あはははは、白銀中尉もだいぶ慣れてきましたね~。」
「ちょ、ちょっと晴子っ、今は……」
「柏木っ! 茜っ! あんた達、何こそこそ話してんのッ!!」
「いやぁ~、あたしは別にこそこそとは話してませんね~。茜は?」
「え、えっと……中尉達のお話を邪魔しないようにと注意してただけですっ!」
「んのののの……は、速瀬中尉ぃ~、あ、茜ちゃんは悪くないんです、叱るなら、わ、わわわ、私を~!!」
「あっそぉ~、じゃ、築地は午前の訓練が終わったら腕立て200回よ!」
「ほほう。それはいいな。速瀬、お前もそれに付き合って……そうだな、300回やって見せろ。築地よりも早くに終わらなかったら、もう100回追加だ。」
「うげっ! た、大尉、何であたしまで……」
「もう、定時を過ぎているぞ。なのに騒いだ罰だ、解ったな。―――さて、話を戻すか。白銀、わざわざここに来た理由があるなら聞くぞ?」

 晴子がからからと笑って感想を言うと、茜が水月の様子を窺いながら、小声で晴子に注意する。
 晴子の感想に怒りのやり場を見出した水月が、キラリと目を光らせて、茜諸共哀れな獲物をターゲットロック。
 確信犯の晴子はスリルを楽しみながらも、笑顔のままで言い逃れ、茜も何とか釈明した。
 そこへ築地がのこのこと名乗り出て、茜の代わりに水月の攻撃を食らった。が、この間に時計は無慈悲に秒針を刻み、ブリーフィング開始時刻を過ぎて騒いでいたとして、水月もみちるからペナルティーを命じられてしまう。
 他のヴァルキリーズの面々は、笑いを噛み殺して水月の情けない顔を眺めていた。
 そして、武は笑いの衝動を飲み込むと、みちるの問いに応えた。

「いえ、特に理由はありません。特殊任務の方で時間が空いたので顔を出しただけです。
 速瀬中尉と築地には、悪い事をしちゃいましたね。」

「なに、いつもの事だ。よし、では全員席に着け! 今日の午前中の訓練内容について説明するぞ!」

 新潟のBETA侵攻を迎撃して以来、ヴァルキリーズは対BETA戦術構想の第1期装備群を使用した部隊運用の試験を続けていた。
 それは、築地のパニックに端を発した醜態を繰り返さないためでもあり、また、近々届く予定の第2期装備群の試作装備導入に備える為でもあった。

 ブリーフィングが終わり、ヴァルキリーズが実機訓練に向かうのに合わせて、武は霞とB19フロアへと向かった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時32分、武と霞がB19フロアの夕呼の執務室を訪ねると、夕呼が眠たげにあくびを噛み殺していた。

「あれ? 先生、徹夜だったんですか?」

「国連よ、国連……深夜1時から始まって、途中で休憩入れて7時間。ついさっき終わったところよ~。」

 気だるげに言う夕呼に、武はすかさず労いの言葉をかける。

「それは大変だったですね。機密回線で呼び出されましたか。」

「そ、米国が大はしゃぎで安保理の非公式協議を招集してね、私は夜中に叩き起こされて機密回線でお呼び出しって訳よ。
 で、米国の理事が自国の成した壮挙を美辞麗句で褒め称えた後、オルタネイティヴ4の引き起こした危機とか称するものを持ち出した上で非難して、最後に今後はG弾の運用により速やかな地球奪還が成し得るのだから、直ちにオルタネイティヴ4を凍結して、オルタネイティヴ5の地球奪還作戦を遂行すべきだってぶち上げたのよね~。
 そいつ、言うだけ言って、満場の拍手を期待したのか顔を高潮させちゃって、他国の理事達を見渡すんだけど、見る顔見る顔み~んなしかめっ面なわけよ。
 で、最後に私の顔見るもんだから、わざと失笑してやったら、顔真っ赤にして怒鳴んのよこれが! 『何が可笑しいっ!』とか言って―――も~~~サイコー!」

 夕呼はケタケタと一頻り大笑いし、暫し呼吸を整えて続けた。

「で、その後中国の理事が口火を切ってね、『国連総会の決議によってBETA支配地域の領有権は、BETA侵攻時点のまま凍結すると定まっており、旧喀什(カシュガル)は未だ我が国の領土なのだが、無断で大量のG弾を使用した爆撃をするとは、我が国に対する宣戦布告か!』と、こうよ!!
 続けて、仏国理事が、『今回使用されたG弾は国連極秘計画オルタネイティヴ5にて使用するという前提で、同計画に供出されていたものと理解しておりましたが、それを無断で使用するとはどういう見解をお持ちですかな?』って嫌味ったらしく言ってね。
 次が英国理事で、『それに、貴国の計画案と瓜二つのプランが、貴国が独断でオリジナルハイヴ攻略を行う直前にオルタネイティヴ4より提出されていたではないですか。貴国が何故に独断専行してまで自国による作戦実施を強行なさったのか、是非ご説明いただきたいものですな。―――おや? お手元に届いていない? おかしいですなあ。』と、この惚け方がまた絶妙でね!
 おまけにソ連の理事までが気の毒そうな顔を精一杯取り繕って、『国連の決議なしに作戦を強行した事の是非はおくとしても、オルタネイティヴ4より提出された計画には、オリジナルハイヴ攻略後のG弾を使用しない大陸奪還計画が付帯してありまして……その……自国領土を奪還するにあたっては、やはり国土に対する負荷の少ない兵器の使用が望ましいと言わざるを得ないわけです……』と、腰が引けてるわりに言いたい事はきっかり言ったわけよ!!」

 夕呼がそこまで話すと、一旦一息入れたため、武は場繋ぎにコメントした。

「国連への根回しは上手く行ったようですね。BETA大戦後の米国の覇権を好ましく思わない国々を中心に、今回のオリジナルハイヴ攻略の功績を振りかざされる事が、如何に危険かを指摘しておいた甲斐がありましたか。」

「まあね。それもだけど、G弾を使用しない大陸奪還計画の方がより影響力が強かったわね。それに、G弾は何も対BETA専用の兵器じゃない。
 折角米国しか保有してないG弾の備蓄量が激減したんだから、減らしたままにしておきたい―――せめて自国が所持するまでは―――てのが、各国の本音じゃないの?
 結局、すったもんだの挙句に、今回の作戦はオルタネイティヴ4の計画を委託されたオルタネイティヴ5予備計画が、国連の活動として実施したって事に落ち着いたわ。
 オルタネイティヴ4による人類の情報流出に関しては、米国以外の安保理理事国には、情報流出は事前に察知して回避されており、オリジナルハイヴ殲滅後は発生しない旨の報告書を配布しておいたしね。
 あとは私が発言して、今回の米国の拙速な作戦実施が不正規な情報収集活動の結果なのではないか、先のHSST落下といい、米国は国連極秘計画であるオルタネイティヴ4に対する妨害工作を望む傾向があるのではないかって、あ・く・ま・で・疑念として表明した上で、もしこの件に関して米国が身の潔白を証明したいと言うのであれば、オルタネイティヴ4は関連情報を開示することに吝かではない。お勧めはしないけれど―――って言ってやったわけよ!
 そのころはもう、米国理事は顔色変えながら口をパクパクさせて冷や汗拭うしか出来なくなっちゃっててさ。
 各国理事の非難を浴びながら、弁明も真っ当に出来ない有様だったわよ。あ~~~っ、思い返すに傑作な顔してたわねー、あの理事。
 その後の話の流れで、オルタネイティヴ4の大陸奪還計画の中核となる、XG-70全機の供出も決定されたわ。2、3日中には搬入されるはずよ。
 ま、そんな感じで、徹夜しただけの甲斐はあったかしらね~。」

 夕呼は1つ伸びをしてから、首を回すと、姿勢を正してニヤリと笑った。
 その様子からして、夕呼はG弾の使用を容認しなければならなかった鬱憤を、相当晴らして溜飲を下げたようであった。

「じゃあ、予定通り、オルタネイティヴ4はお咎めなし、オルタネイティヴ5は大幅に後退したってわけですね。」

「後退どころか、あれが脱出計画と対になってなかったら、凍結されてたはずよ。
 何たって、備蓄してたG弾の過半数を使った上に、BETAがG弾に対抗措置を取ってるってことがハッキリしちゃったからね~。
 米国は今回の大量投入による実績で、G弾飽和攻撃の有効性を主張するつもりだったみたいだけど、使用される各国がそれに良い顔するはず無いじゃない。
 しかも、未だ机上の空論でしかなくても、代替案がある状況で、あんな力任せの粗雑な戦術採用されるもんですか!
 大体、今回の作戦案だって、白銀の収集した詳細なBETA関連情報があったればこそ、初めて立案可能となったんだから、オルタネイティヴ4の有用性を証明したようなもんよね~。
 それを、欲出して国連安保理で偉そうに講釈垂れたもんだから、他国の反発食らって村八分ってわけよ。
 ざまぁ~見ろってのよ! 久しぶりにすっきりしたわ~!!
 ―――で、あんたの方からは? なんか聞いとくことある?」

 夕呼は一頻りはしゃいで見せてから、武の方を見て訊ねた。武は夕呼の態度を見て、徹夜明けでハイになってるのかな? と、思いつつ応じる。

「―――そうですね。じゃあまず、情報流出に関してです。
 指揮統括反応炉との通信機に相当する部分なんですけど、特殊な半独立構造らしくて、通信障害が発生すると、新しいユニットが搬入されるのを待って、丸ごと交換するみたいなんです。
 で、このユニットがまた、直通通信専門で接続先は1箇所のみ。新しい通信ユニットを受け入れた反応炉は、接続先をほぼ無条件で指揮統括反応炉として認識するようです。
 ですから、横浜ハイヴに関しては、外部からのBETA侵攻を許さない限りは、情報流出の心配はないと思います。
 あと、これはまだ未確認なんですけど、通常、派生系トップの反応炉が機能障害を起こすと、同じ惑星上の別の派生系ハイヴに吸収・統合されるみたいなんです。
 地球の場合、アサバスカ以降のBETA着陸ユニットを全て撃破していますから、差し当たって地球上には、指揮統括能力を持った反応炉は存在しないと考えていいと思いますよ。」

 武の説明を暫く検証すると、夕呼は頷いてその見解を受け入れた。

「―――なるほどね。つまり、1惑星上に1派生系のハイヴしか存在しない現状自体が、BETAにとっては想定外なわけね。
 ま、BETAには、どっかしら抜けてるって言うか対処能力に欠けたところが他にも多く見受けられるし、あながちあり得ない話じゃあないわね。
 てことは、ここの反応炉でODLを浄化し続けても、特に問題はなさそうね。」

「大丈夫だと思います。BETA関係のリーディングと解析は、今日明日でやっておけばいいですか?」

「そうね。あ、解ってると思うけど、リーディングデータと解析結果は、データベースから独立した端末に格納するのよ。
 でないと、何時誰に覗き見されるか解んないからね。」

「解りました。―――で、ちょっと相談があるんですけど……
 その……純夏のメンタルケアをプロジェクションとリーディングでやってみようと思うんですけど、プロジェクションによる催眠が上手くいくか、なんとか確かめる事って出来ませんかね?」

 武が恐る恐るといった感じで言うと、以外にも夕呼は真剣な表情で検討を始めた。

「なんですって? プロジェクションで催眠? ―――って事は、ある程度接近しさえすれば、壁越しでも相手を施術下におけるって事じゃないの……
 ―――使える……使えるわっ! ―――白銀! こないだのHSSTの一件で拘束した連中を実験台にしていいから、さっさとその技術を確立しなさい。
 そうね……現状既にリーディングデータ自体は相当量取れているし、解析は最悪情報部の連中にやらせれば時間は掛かっても何とかなるし……
 優先順位は、反応炉のリーディング、催眠技術の確立、次いでリーディングデータの解析とするわ。
 拘束した連中は、おかしくなって手に負えなくなったら、医療部の専門医に任せなさい。
 もし催眠導入に成功したら、尋問に素直に答えるようにでも暗示をかけてやって頂戴。
 ただし、可能な限り、あんたの関与を憲兵隊にも悟られないようにすんのよ?」

 武は、急に乗り気になって嬉々として指示を出す夕呼の様子と、その顔に浮かぶ邪悪な笑みを目の当たりにして背筋が震えたが、なるべく早くに純夏の治療を開始するには渡りに船であったため、素直に指示を受け入れた。

「わかりました。ありがとうございます、先生。」

「今回は、気にしないでいいわ。その分、いずれ返して貰うから……んふふふふふ……」

 武は本能的に邪悪な気配を察知し、夕呼の前から逃げ出すことにした。

「では、先生。早速作業に入ります。先生も、仮眠を取ってくださいよ?」

「はいはい。じゃ、しっかりとやるのよ? し・っ・か・り・と・ね……くくく……」

(こ、怖~~~~~ッ! 夕呼先生、怖すぎだろ?!)

 背中を向けて退室する武の後に続いた霞は、武の背中をふと見上げると、微かに首をふるふると横に振った。
 どうやら、今の夕呼の振る舞い程度は日常茶飯事であるらしい。しかし、武がそれを思い知るのはもう少し後の事となるのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時13分、B19フロアのシリンダールームで、武は純夏にプロジェクションとリーディングを同時に行っていた。

 午後に、憲兵隊に収監されていた工作員を相手に行った催眠実験は思いの外順調に済み、結果的には物理的切っ掛けで行う催眠導入よりも有効性が高いという事が判明した。
 視覚、聴覚、触覚などを介して間接的に行うよりも、精神に直接働きかけるプロジェクションによる催眠導入の方が有効なのは、ある意味当然なのかもしれない。
 今頃憲兵隊では、突然素直に機密情報を供述し始めた工作員達に、目を丸くしているに違いなかった。

 何れにせよ、プロジェクションによる催眠技術の確立と検証を済ませた武は、午前中から行った反応炉のリーディングが一段落したこともあり、純夏に対する催眠治療を早速開始することにしたのだった。

 武はまず、『元の世界』の自分の部屋のイメージをプロジェクションする。朝の日差しの中、ベッドで寝汚く(いぎたなく)寝ている自分。そして―――ドアの内側には純夏が居るという、自分にとっては懐かしくもお決まりのイメージを……
 イメージを投影された純夏には情報の流入が始まる。プロジェクションと流入するイメージに流されるようにして、ベッドに歩み寄り、武を起そうとする純夏。
 ―――しかし、布団に手をかけて、武の寝顔に視線を落としたところで、純夏の動きが止まる。

「タケル……ちゃん……?………………なんで?……タケルちゃんは、死んじゃったのに……殺されたのに……殺された……BE―――」

「ん~? 純夏か? ふぁあ~~~~~っ、どうした? 元気ないな、お腹でも壊したのか?
 おまえなぁ、拾い食いはするなって言ったのに、言う事聞かないからだぞ~。」

 純夏の心が狂気へと向いかけたのを察して、武がすかさず介入して軌道修正する。

「なっ! タケルちゃんじゃあるまいし、わたしは拾い食いなんてしないもんっ! …………拾い食い? あれ? タケルちゃん、食べ……食べられてなかった?」

「ひでぇなあ、それを言うなら食べてなかった? だろ~。大体オレが食べられるってなんだよ。ゾンビ映画でも見たのか?」

「ゾンビ? 違うよ……もっと、気味の悪い、醜悪で……許せない! あいつらタケルちゃんをっ!!」

 みるみる憎悪に染まっていく純夏に、武は能天気な顔で呆れたような口調で茶々を入れる。

「おいおい、なんの夢だよそれ、おまえ、そんなにオレを化け物に食わせたいのか?」

「―――そ、そんな訳ないよッ!! わたしがタケルちゃんが食べられちゃえなんて、思う訳ないじゃんっ! なのに、あいつらが……」

「だからさぁ、それって夢なんじゃないのか? オレはこうして五体満足にここに居るじゃないか。今朝はどうかしてるぞ? おまえ。」

 武は純夏の意識を誘導し、武がBETAに喰われた記憶を『夢だった』という認識へとすり替えていく。

「―――夢? あれが……夢? でも…………ホントに? でもでもっ! げんにタケルちゃんはこうして無事で居るし!
 …………でも、もしかしたら、こっちが夢で……起きたらあれが現実で―――」

「あ~、純夏クン? 君は何を言ってるのかね? それより、オレはさっさと着替えたいんだが、部屋から出てってくれないかね?
 …………ん~、今日は一緒に遊びに行くんだろ?」

 純夏の意識が、自分の望まない悲劇を否定する方向に傾いたところで、武は餌を純夏の目の前にぶら下げる事にした。
 効果は覿面で、純夏の思考は降って湧いた話題で一杯になる。

「へ? わたしとタケルちゃんが一緒にお出かけ?」
「ああ。」
「2人っきりで?」
「ああ……って、なんだったら尊人でも呼ぶか? 親父さんにどっかに拉致られてなければだけど……」
「えええっ! い、いいよいいよっ!! じゃ、じゃあ、部屋の外で待ってるから、早く着替えてよねっ!」

 純夏はタケルの部屋から飛び出すと、ドアを閉めるなり背中を預けて胸を押さえる。武と2人っきりで出かけるという話に、鼓動は既に早鐘を打ったようになっていた。
 武は純夏の心情をリーディングで読み取ると、過去に純夏と出かけた時のイメージを断片的に投射する。
 純夏は貪るようにそのイメージを受け入れると、関連した記憶の流入をも回想として受け入れ、己が心に焼き付けていく。

(お出かけって、電車に乗るよね? また吊革につかまって、タケルちゃんと沢山話ができるよ。
 電車の中だとタケルちゃん、普段よりもちゃんとわたしの話聞いてくれるんだよね。歩いてる時とかだと、たまに聞き流して他のもの見てたりするよ~、タケルちゃん酷いよ~。
 でも、前に急に電車が揺れた時に、しっかりと支えてくれた事があったよ。あの時はすっごく嬉しかったよ~。
 あ、でもでも、慌てたわたしの肘がタケルちゃんの顎の辺りに入っちゃった事もあったっけ……
 あの時はタケルちゃん不機嫌になっちゃって、結局アイスをおごらされちゃったよ。お小遣い前でピンチだったのに……
 大抵、出かける先は橘町が多いよね。横浜に行ってもいいんだけど、タケルちゃんがあの人混みは過剰すぎるッ! とか言って嫌がるんだよね~。
 タケルちゃん、変な所で都会育ちっぽくないよね。それからそれから―――)

 純夏の思考はどんどんと加速して、芋蔓式に『武が逃げ帰った世界』の純夏から流入した記憶を関連付けしていく。その行為によって更に記憶の流入が発生するが、それすらも貪欲に貪り、本来のこちらの世界の記憶すらも部分的に侵食しながら『鑑純夏と白銀武』の歴史を再構築していく。
 それはまるで、『武が逃げ帰った世界』で、日記を何度も何度も読み返す事で、武との想い出を失うまいと必死で足掻いていた純夏の執念が、乗り移ったかのようであった。

 武は過剰な記憶の流入によって、純夏の精神が疲労困憊しないように、適当なところで介入し、純夏の思考を中断させた。

「おい純夏っ! ドアによりかかんなって! オレを閉じ込める気かよ!!
 そんなに出かけんのが嫌なら、オレはもっかい寝なおすかんな。じゃ、おやすみ~。」

「うわっ! わわわわわ~っ。だ、だだだだ、駄目だよタケルちゃんっ! 寝ちゃ駄目、駄目だよ、ていうか寝るな~っ!!
 お出かけだよ? 2人っきりだよ? ぜったい、ぜったいっ、ぜぇえ~~~~ったいッ!! お出かけするったらするのぉ~~~ッ!!!」

「解った解った、解ったから朝っぱらから騒ぐなよ。―――けど、続きはまた今度な。」

「え?!」

 武は催眠誘導によって純夏の意識を、深い―――夢さえ見ない眠りへと落す。霞からのプロジェクションを夢として認識する以外は、次に自分が干渉するまでは自発的思考もほぼ休止するように暗示をかける。
 次に武に起された時には、純夏はうたた寝か妄想に入り込んでいた程度にしか感じないであろう。

 武は純夏が眠りについたことを確認した後も、暫くの間目を閉じて身動きをしなかった。
 武にとって、『前の世界群』で00ユニットとして稼動した純夏が自身の心に閉じこもって以来、久しく絶えていた幼馴染との会話であった。
 例えそれが仮初の―――夢の中での逢瀬によるものであったとしても、武の心は喜びに大きく震えていたのであった……




[3277] 第50話 星輝くも、闇未だ深し
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:52

第50話 星輝くも、闇未だ深し

2001年12月04日(火)

 06時45分、1階のPXでは、207Bの面々が集まりつつあった。
 武はすでに自分の分の朝食を完食しており、霞に合成クジラの竜田揚げを食べさせていた―――勿論、あ~んで。
 後は彩峰が来れば全員揃うなあと、武が何とはなしに思った時、PX備え付けのテレビからピィン・ピィン・ピィンと注意を促す信号音が流れ、続いてニュース速報が流れた。

「――――火山活動の活発化に伴い、昨夜未明、帝国陸軍災害派遣部隊による不法帰還者の救出作戦が行われました。
 現場では大きな混乱もなく、14名全員が無事に保護されたと……」

 武はそのニュースを聞いて、今回も救助作戦自体は成功したと確信し、それが与える影響を計ろうと冥夜に視線を移す。
 すると、冥夜はまるで敵を睨みつけるような、それでいて、自分の力不足を責めるような表情をしていた。

「……冥夜、どうした? 怖い顔をして。」

「どうしたもこうしたも、そなたは今のニュースを聞いて、何とも思わないのか?!」

「不法帰還者とは言えこの国の国民だ、命だけでも助かった事はいい事だと思うけどな。」

「なっ! そなたほどの男が、まさか命さえ助かれば問題ないなどと考えてはおらぬであろうな?!」

 武の飄々とした応えに激高しかけた冥夜は、自らの感情を押さえ込みながら武の真意を問い返す。

「ん~、問題ないとまでは言わないけど、命あっての物種、とは思うな。」

「タケル! それは浅慮と言うものだ! 人にはそれぞれに命よりも大事なものがあるのだ。命さえ無事なら良いという事にはならぬのだ!」

「けど、それでも死んじまったらお仕舞いだろ?」

「そ、それはそうだが……しかし、そもそも彼らは危険を承知で己が故郷へと戻った者達だ。その覚悟や土地に対する愛着は相応のものがあるであろう。
 にも拘らず、先程の報道の内容からすると、帝国軍は夜の内に彼らの寝込みを急襲し、強制的に立ち退かせたのにまず相違あるまい。
 彼らは彼ら自身の覚悟と決意を無視されて、捕らえられ、愛着のある故郷の地から引き離されたのだ!
 どうして、それを喜ぶ事ができよう。そなたには彼らの無念が理解できぬというのか……」

 武の理解を得られないもどかしさに、冥夜は己が想いを滔々と言葉にして重ねていく。しかし、武はそんな冥夜に対して問い返す。

「じゃあ、冥夜はどうすればいいと思うんだ? 内務省の役人の一部が言ってたらしいけど、何もしないで放っておいた方がいいって言うのか?」

「そうは言っておらん。説得の労は取るべきであろう。そして、その上で住民の意思を尊重し、飽く迄も避難を拒むものがあれば、可能な限りその身命を救うべく力を尽くすべきなのだ。
 帝国軍人は国民の生命財産を守るために在るのだからな。」

「つまり、帝国軍は、不法帰還者の生命財産を守るために、将兵の身命と装備を危険に曝し、自暴自棄に陥っているだけかもしれない住民の意思を尊重し、その盾になれとそういうんだな?」

 武が冥夜の理想の陰で強いられるリスクについて述べると、冥夜は少しだけ口ごもったものの、断固として自説を曲げずに肯定する。

「―――そうだ。この国では御国の為と言って、長らく力無き者に負担を強いてきたのだ。力ある者が力無き者の為に力を振るわねばならんのに、その使いどころを弁えておらぬ!
 この国は、民に報いねばならぬのだ……なのに、危急の際だの、戦時だのと、そう説いて民に忍従を強いる者達が、襤褸(ぼろ)を身にまとい額に汗していた事があろうか!
 彼奴らは、国の行く末を過とうとしているようにしか…………」

 冥夜は、そこまで口にして、何かに気付いたかのように急に黙り込んだ。眼前の朝食に、自責の念も露に視線を落す冥夜へと、千鶴が声をかける。

「気にしなくていいわよ、御剣。確かに私も父や父の同僚の政治家たちが、襤褸を着ているとこなんて見たことが無いし。
 冷や汗ならともかく、生産的な労働に伴う汗を流している様子も、一度も見た事は無いから。」
「所詮は他人事……」

 冥夜の言い分を肯定するかのような発言を、冷静にしてみせる千鶴に、ちょうどやってきた彩峰が一刺しする。
 反射的に噛み付きかけて、ぐっと堪えた千鶴は、冥夜に対して言葉を続ける。

「っ……そうね、自分達の周りの政争に手一杯で、国や民の事なんて考える余裕も無いような人も沢山いたわね。
 けどね、御剣。だからと言って、彼らが不要な訳でも、全員が全員、国の事を気にもかけていないのかと言えば、必ずしもそうではない……筈よ。
 筈なんだけど、断言できないところが辛いわね……」
「なまじ内幕知ってると、辛いね…………」
「あんたにだけは、慰められたくないわっ!!」

 言いたい事を言い終えていたため、こんどは彩峰の言葉に遠慮なく噛み付く千鶴。そこへ、武の言葉が投げかけられた。

「どうして断言できないんだ? 委員長。少なくとも委員長の親父さんは国の為を思って頑張っているじゃないか。
 胸を張って誇っていいだろ?」

「そっ―――それが出来たら……苦労は無いのよ…………」

 そう言って、尻窄まりになっていく千鶴の声だったが、その頬は僅かに紅潮し、はにかんでいる様子が窺えた。
 武は、千鶴の方はそれで満足する事にして、冥夜に再び話しかける。

「なあ冥夜。おまえの言いたい事も解る。けどな、やっぱり今現在、この国に余裕が無いのは事実なんだ。
 そりゃあ、災害救助に投じられる戦力なんて、BETAからの国土防衛に割かれる戦力から見れば、規模も小さいし、装備も練度も二線級の予備兵力に過ぎないだろう。
 それでもだ、いくら軍人だからって国民には違いないし家族だっているだろう? そして、旧式の装備だからって、それは国民全員の為のもので、何時か誰かを救うために存在するんじゃないか?
 それらが、もし不法帰還者の意思を尊重するために失われてしまったら、却ってそれは、不法帰還者達に罪を背負わせる事になるんじゃないのか?」

「―――そ、それは確かにそうかも知れぬが、それでも尚、私は彼らに報いたいと思うのだ!」

 武の情理を尽くした説得に、冥夜の決意も揺らぎ始めるが、それでも民に報いたいという冥夜の根幹を成す願いは変わらない。
 すると今度は、冥夜の願いを肯定しながらも、その発露の仕方に武は言及する。

「そうだな。おまえが個人としてそう思い、己が力で出来る事をするのは悪い事じゃない。勿論、任務や周囲に支障を出さない範囲でだけどな。
 けれど、自分が為せる事が無いからと言って、出来る筈なのにしていないと決め付けて、他人を非難するのはちょっと卑怯なんじゃないか?
 政治家だって人間だ。欲望もあるだろうし、悪人だっているだろう。けど、オレ達には知り得ない何か正当な理由があるのかもしれないだろ?
 なのに、それを知らない事を棚に上げて、具体的な対案をきちんと検討もせずに非難するってのはどうなんだろうな?」

 武は更に、立場の差、判断材料となる情報の差についても言及していく。
 他者を非難するのみで、自分は何もしないのは八つ当たりに等しいと言外に言われ、冥夜は言葉を失ってしまう。

「………………」

「じゃあさ。例えば、今回の不法帰還者の強制退去を手配したのがオレで、オレがこの国の未来の為に良かれと思って、断腸の思いで断行したっていったら、おまえはどう思う?」

「そ、それは!……タ、タケルがそこまで言うのであれば、私はそなたの言を信じる。無論、口出しを許されるのであれば、より良い道が見つからぬか模索するであろうが……」

「そっか、ありがとな。けどさ、オレに会った事も、名前を聴いた事もなかったとしたら、冥夜はオレを信じる事は出来ないよな?
 だから、政治家たちを信用できないで、非難したくなるんだろ? けど、それって何かいい結果を導くのかな?」

「…………非難しても、何も解決しないって事?」

 武は、真剣な顔で顎に手を当てて発言した彩峰に頷きを返して続ける。

「彩峰の言う通りだな。これはオレの個人的な考えだけどさ。何か気に食わない事、変えたい事、それがあったら、他人を非難するより、自分に何が出来るかを考えた方がいいんじゃないかな。
 勿論、一人の人間が出来る事なんて僅かな事だ。何も出来ないって結論が出る事の方が多いだろう。
 けど、物事って、そういう小さな事の積み重ねでも、動く時には動くもんさ。少なくとも何もしないよりはましだろ?
 ただ、その時に、誰か他の人間を―――例え反対意見を持ってたり、愚かで欲得づくの小人だとしか思えなかったとしてもだ―――力尽くで押しのけるようなのは不味いと思うな。
 人間、万能でも、全知全能でもないんだ。もしかしたら、自分のやろうとしている事よりも、相手のやろうとしている事の方が、いい結果に結びつくかもしれない。
 いや、勿論いざとなったらそんな悠長な事は言ってられない、最善と判断したら相手を殺してでも断じて事を成すのがオレたち軍人の仕事だ。
 だけど、それでも―――いや、だからこそ、軽々しく他者を押し退けるような判断は下しちゃいけないと……うん、いけないと思うんだよ。」

 武はそう言いながら、己が判断を信じ、G弾信奉者を騙して操り、文字通り彼らの信じる道を押し退けた自分の行いを思い返していた。
 そして、自分の語る言葉が如何に理想論であるのか、如何に自分が裏腹な人間であるのかを実感しながらも、それでも武は言葉を訂正する気は無かった。
 例え自分の我儘だとしても、皆には真っ直ぐに生きて欲しいと願ったが故に。

「たまの親父さんだって、国内じゃ色々と言われてるし、厄介な性格してると思うけど、それでも日本と世界の為に、一生懸命やってるんだって会ってみたら実感出来たろ?
 やっぱり、そうそう簡単に相手を非難したり、否定しちゃあいけないんじゃないかな。」

「……たけるさん…………」「そうだね、少なくともあの押し出しの強い性格は貴重だよね~。」「よ、鎧衣さん、酷いですよ~。」

 自分の父を引き合いに出され、幼少時から心を痛めてきた世間の非難を武に否定してもらえ、壬姫は感動に涙ぐんだ。
 しかし、続けて美琴に変な評価をされてしまい、情けなさに違う意味で涙目になってしまう壬姫であった。
 さすがに、それに付き合ってしまうと脱線してしまうので、壬姫に内心で同情しながらも、武は話を大筋に戻した。

「それにさ、最初に言った事に戻っちまうけど、不法帰還者達や救助作戦に派遣された将兵達が生きているからこそ、オレたちが何かしてやれる可能性が残っているわけだろ?
 そう考えると、やっぱ死なせたくないんだよな。死を覚悟している人間にとっては迷惑なんだろうけど。
 それでもオレは生きて欲しいと思うし、生きて自分と周囲の為に頑張って欲しいと思う。
 死んじまう方はそれで終わりで満足かもしれないけど、残される方は切ないしな…………
 なんたって、BETAとの戦いは総力戦だから人手は幾らでも必要だし、何よりオレは、明日を今日よりいい時代にするために頑張ってるんだから、それまで少しでも長生きして欲しいと思うんだよ。」
「白銀、恥ずかしい奴…………」
「う、うるせーよ、彩峰。」

 武が言葉を切るなり、すかさず彩峰のツッコミが入った。顔を真っ赤にして照れながら悪態を付く武に、冥夜を含めて207Bの皆が笑った。

「結局、白銀はそこに辿り着くのね。途中色々と理屈つけてるけど、根っ子はみ~~~んな、同じなのよね。」
「そんな!…………バカの一つ覚え?」
「悪かったなあ! くっそう、折角人がいい事言ったと思ってんのに、端から茶化しやがって、おまえら鬼か?!」
「たけるさ~ん、自分で言ったら駄目ですよぉ~。」
「タケルだもんね、駄目駄目だよね。ね~、霞さん。」
「そんなことありません……白銀さんは……いい事を言いました……」
((((( ガーン! )))))

 間違いなく同意が得られると確信して訊ねた美琴であったが、霞が武を全面肯定したために、冥夜を含めた207B女性陣が一斉に驚愕に固まった。

「よし! 霞、よく言った!! おまえ『だけ』はオレの味方だよな~。」
((((( ガ、ガーン! )))))

 その上、更に武が霞だけを持ち上げたため、5人は更なる衝撃を受ける。が、しかし―――

「………………白銀さんも、調子に乗りすぎです……」
「―――うごッ!?」

 やはり、最後は武が頽れて終わるのであった。
 ―――因みにこの時、霞は彩峰に視線を投げており、霞に持ち上げてから落とすという技を伝授した彩峰が、右手の親指を突き上げて会心の笑みを見せていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時08分、武は衛士訓練学校校舎の屋上に足を踏み出した。

 今朝、朝食の後に彩峰から、相談があるので、午後の訓練の後で時間を割いて欲しいと言われた武は、彩峰とこの屋上で会う約束をしていた。

「よ! 彩峰、待たせちまったか?」

「いいよ………………」

 片手を上げて挨拶する武を一瞥して、直ぐに背中を向けて視線をフェンス越しに夕暮れの空へと向けてしまう彩峰。
 そのまま会話が途絶えてしまうが、武は敢えてそのまま彩峰の言葉を待った。

「…………今朝、言ってたよね……」
「ん?」
「……例え僅かでも、出来る事をすることが大事……」
「ああ、確かに言ったな。」
「……『人は国のためにできることを成すべきである』……」
「そうだな。そしてその積み重ねが、国を大きく動かしていくんだ。」
「……だから、わたしもできることをするよ……」
「……そうか。で、何をするんだ?」

 武は薄々感付きながらも、彩峰に対して問いかける。すると、彩峰は懐から封を切った手紙を取り出し、武に手渡す。
 手紙の差出人は『津島荻治』。

(やっぱり、沙霧大尉からの手紙か……危なかったな、これを持って彩峰が憲兵隊に出頭していたら、大事になるところだったぜ……)

「なんだこりゃ? あっ! もしかしてラブレターか? 彩峰も意外と隅に置けないな~。けど、なんでオレに……」
「中身、読んで……」
「ん? オレが読んじまっていいのか?…………そっか、じゃあ遠慮なく………………
 なんか、言い回しが小難しいな…………ん?……あれ?…………おい、彩峰、これ……」
「多分、近々何か仕出かすよ…………それが、最後の手紙だって……」
「………………沙霧尚哉……か? 差出人。」

 武が沙霧の名前を出すと、沈痛な表情で俯いていた彩峰が、驚愕に彩られた顔を上げて武を凝視した。
 武は、彩峰と向かい合って、真っ直ぐに視線を返して言葉を重ねる。

「やっぱりそうか……帝国軍でも相当名の通った衛士だってな。しかも、おまえの親父さんの部下だったらしいな。」

「……白銀……調べた?」

「いや……たまたま知ってた事と……後は想像かな。―――だから、おまえに直接聞くぞ?
 おまえと沙霧大尉はどういう関係なんだ? どうして、こんな手紙がおまえの手元に届く?」

「尚哉は……父さんの部下で、自分の子供のようにかわいがってて、よく家に呼んでいた……わたしに勉強とか、教えてくれてた……
 わたしも結構慕っていたと思う…………それに父さんは……父さんはあの人とわたしを……結婚させたがっていた……」

 ぽつりぽつりと、彩峰は言葉を続けた。その表情は、悲しみに彩られてはいたものの、僅かではあったが幸せであった頃を懐かしむ想いも滲んでいたように、武には見えた。

「……尚哉は、罪に問われ投獄される父さんを、黙ってみてるしかなかった自分を……今でも責めている。
 そして……父さんの為に、国の為に、何か事を起そうとしている。
 ……多分……命がけで…………この手紙は、おととい……わたしに面会に来た、大東亜連合軍の人が持ってきた。
 その人が、これが最後だって言ったから、嫌な予感はしていた……
 今朝、白銀の話を聞いて……逃げないで、なにかわたしにできることを探そうと思って…………尚哉からの手紙を初めて読んだ。
 多分、尚哉のやろうとしてる事は……父さんの教えに沿っていないと思う……尚哉は道を過とうとしてる……
 だから―――憲兵隊に出頭しようかとも思ったけど、多分それじゃ間に合わないから……だから、先に白銀に見せた……
 これ以上は、わたしにできることは思いつかないから………………
 ―――白銀、わたし、できることを精一杯成せたかな?……おそかった?」

 淡々と話し続けた彩峰は、最後の最後で涙を零しながら、それでも笑みを浮かべて武に問いかける。
 武は、衝動的に彩峰をきつく抱きしめると、耳元で優しく言葉をかけた。

「―――そんなことないぞ、彩峰。そして、なによりもオレを頼ってくれてありがとうな!
 それでいいんだ。人間1人でできることなんて高が知れてる。けどな、仲間を頼って、力を合わせて何かを成すなら、結構色々とできるんだぜ?
 おまえは、おまえにできることを精一杯考えて、成したんだ。おまえは立派だよ!
 だから、オレもおまえにひとつ打ち明けるよ。
 沙霧大尉がしようとしている事は、既に粗方調べがついてる。」

「え?―――」

「ちょっと色々と事情があってな、オレの方で対応する事になってるんだ……
 悪いけど、詳細は説明できない。けど、なるべく穏便に済むように頑張ってみるから、オレを信じて待っててくれ。
 どうせ明日中には決着付けるつもりだからさ、憲兵隊になんか行かないでいいぞ。」

「―――白銀…………ナニモノ?」

 さすがに疑いの眼差しを向ける彩峰を気にもせず、武は彩峰を解放すると、照れながらも右手の親指で自分を指して言う。

「オレは世界一臆病者な衛士だ! 前からそう言ってるだろ?」

「照れてるから、台無し……」

「ぐはっ! チェック厳しいな、おまえ。―――ま、そういう事だ。今日の所は後日に備えて鋭気を養っておくんだな。
 オレは、なるべく後日にお前があれこれできるように、上手くけりをつける事を考えるよ。」

 武が凹みつつも、笑ってそう言うと、彩峰も微かに笑みを浮かべて応えた。

「うん。任せた…………期待裏切ったら、呪うよ?」

「怖ッ!……精々頑張ってみるから……呪うのは止めろよな?」

「どうしようかな………………やっぱ、呪う?」

「疑問形も止めろ~~~っ!」

「…………どうする?」

 彩峰は、武をからかいながら思う。

(尚哉、白銀は凄いよ? 尚哉も父さんの影ばっか追うのを止めて、もっと明るい未来を考えられるようになるといいね……
 わたしは、白銀を信じて、付いていってみるよ……だから…………尚哉も、自分の事を……大事に…………)

 そして、クーデターへの秒読みが始まった―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月05日(水)

 03時49分、帝国本土防衛軍・帝都守備隊司令部には、今回の決起に参加している各部隊からの報告が届いていた。

「沙霧大尉。各省庁、主要な政党本部、新聞社と放送局、所定の浄水施設及び発電所を確保。
 残るは帝国議事堂、首相官邸、内閣府、議員会館の一角だけなのですが……制圧に向った部隊が突入直後に音信を絶ち、既に10分が経過いたしました。」

 椅子に腰掛け、軍刀を足の間の床に付き、その柄頭に両の手の平を乗せている、99式衛士強化装備をまとった青年。
 今回のクーデターの首謀者であり、帝都防衛第1師団・第1戦術機甲連隊所属の沙霧尚哉大尉は、部下の報告にカッと閉じていた目を見開いて問い返した。

「なに?! 交戦して殲滅されたとでも言うのか?」

「それが、接敵の報告も通信妨害の痕跡も無いのです。いきなり広域データリンクから、マーカー及び付帯情報が消失いたしました。
 あと、気になる事がもう2点。まず、実は首相官邸周辺以外の帝都各所の制圧に向かった部隊ですが、一切の抵抗を受けておりません。
 陸軍省ですら守備部隊は移動しており不在。しかも、榊首相の命により、一切の抵抗を試みず、我等の指示に従うようにとの通達があったというのです。
 そして、捕縛して誅殺せんとした閣僚を初めとした奸賊どもも、皆在所を抜け出しており、一人たりとも捕縛出来ておりません。
 これらの状況からして、我等の決起が事前に把握されていたとしか考えられません。
 にも拘わらず、首相官邸周辺以外では、我等は全く掣肘を受ける事無く、帝都を掌握しつつあります。」

 部下の説明を聞き、沙霧は再び目を閉じて黙考した。

「―――よし、もう一度、首相官邸に戦術機甲中隊と、機械化歩兵1個小隊を派遣し威力偵察を行え。その部隊まで音信を絶った場合には、私が直属部隊を率いて制圧に向う。」

「は! 了解であります!」

(こちらの動きを読まれていたか……しかし、それにしては相手の動きが妙だ。戦いを避けているのは間違いないが、問題はその理由だな。
 援軍の到来まで戦力を温存する気か……まさか、帝都を戦火に曝したくないなどと、そんな殊勝な事を考える輩でもあるまい。
 もしそうであるならば、いま少し民草を労わる政(まつりごと)をしていただろう。
 しかしそうなると……)

 あまりに理屈に合わない敵手の対応に、時間の経過につれて、沙霧の額の皺は深くなるばかりであった。

 ―――そして15分後、CP将校の悲鳴のような言葉が、司令部に響き渡る。

「さ、沙霧大尉! 首相官邸に向った偵察部隊が連絡を絶ちました! 広域データリンクからも反応が消失していますっ!!」

 その声にも動じる色を全く見せず、ゆるりと沙霧大尉は立ち上がって告げる。

「―――そうか。第1戦術機甲連隊第2中隊出るぞ! 首相官邸を威力偵察するッ!」

 その泰然自若とした風格に、司令部の浮き足立った空気は一気に引き締まった。

「はっ! HQよりミストシールズ、全機出撃用意! 沙霧大尉が出撃なされる!! ―――繰り返す……」

(恐らくは、私を招いているのだろう。だが、それは一体何者だ? 榊首相の―――政治家のやり口ではない。
 我が同志の部隊を連絡すらさせずに無力化し、私を招いてどうする気だ?
 私の首を取れば事態が収束するとでも考えているのか? いや、それならば、もっと簡単な方法があるはずだ…………
 読めんな……こうなっては、相手の手にのって罠を食い破るしかないか…………)

 沙霧は頭を軽く振って迷いを振り切ると、司令部を出てハンガーで待つ愛機の元へと向った。
 この時、帝都に曙光は未だ届いていなかった……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 04時01分、国連軍横浜基地B19フロアの中央作戦司令室には、外部の人間が2人も訪れており、夕呼とラダビノッド基地司令が話し相手を務めていた。

「―――それでは、米国第7艦隊の国連緊急展開部隊への編入及び当横浜基地への進駐を、彼の国は要求しているのですな?」

「そのようです。ですが、彼の国というよりは、G弾運用派と言った方が正しいでしょうなあ。
 このところ、失点が続いたので、焦っているのでしょう。」

 ラダビノッド基地司令の問いかけに、珠瀬国連事務次官が応じ、その後を情報省外務二課の鎧衣課長が受けた。

「いやいやまったく。つい先日まで肩で風を切る勢いだったのですが、今では見る影も無く縮こまってしまっていましてね。
 まさに、驕れるものも久しからずといった風情ですな、はっはっは……
 ―――ですが、未だに彼らのコネクションや信奉者達は、大きな力を動かせますからな。
 恐らく、今頃は一発逆転を狙っている事でしょう。いやはや執念深い事で……」

 立て板に水と語り始めた鎧衣課長を、夕呼はひと噛みしてから、首尾を確認して脅し上げた。

「そんな分かりきった事はどうだっていいのよ! それより、向うの尻尾はちゃんと掴んであるんでしょうね?
 ここでとちったら、あんた、あたしだけじゃなくて、本来の飼い主にまで見放されるわよ?!」

「おやおや、それは願い下げですな。後で部下に発破でもかけておくとしますか。
 それにしても、上手くことが運べば、博士も安泰、この国も良い方向へと歩みだすことでしょう。
 おまけに、国連も上層部の意思統一が取りやすくなるのではないですかな?」

 困ったような顔をして応じる鎧衣課長だったが、その実全く懲りていない事はその口調からも明らかであった。
 そして、そんな鎧衣課長に、眉をハの字にし、ほとほと呆れ帰った様子で、珠瀬事務次官が評した。

「鎧衣君は相変わらずのようですなあ……国連は各国の意見調整の場ですぞ。意思統一など、必要ありません。
 ただ、人類全体に貢献するべく、折々に方針が定まりさえすればよいのです。」

「例え、それが某国の方針をなぞるものに過ぎなくとも、ですかな? 事務次官。」

「ラダビノッド司令。それは彼の国に限った事ではないのですよ。ただ……確かに彼の国の影響力の大きさが突出している事だけは認めねばなりませんな。
 しかも、この所いささか独断専行が多いもので、そのあたりが困り物です。」

 ラダビノッド基地司令の言葉に、諭すように、そして、彼の国の振る舞いに困惑するように応える珠瀬事務次官。

「ふっ、ご安心下さい事務次官。今回の騒動が終わった暁には、彼の国の口数を大幅に減らしてご覧に入れますわ。」

「香月博士が仰ると、美貌と相まって、恐ろしさも数百倍ですなあ。
 しかし、そこまで仰るとは、計画が最終段階に入ったとの噂は間違いないようですね。」

「よく言うわよ―――その噂、あんたのとこが火元なんじゃないの? 火遊びは程々にしないと、灯油ぶっ掛けるわよ?」

 夕呼が、本当にやりかねないような物騒な視線で鎧衣課長を射抜くが、当の本人は何処吹く風で嘯いて(うそぶいて)みせる。

「はっはっは……これから寒い季節ですからね、それはそれで暖かそうですなあ。
 実は、ある特殊なジェルを塗付して発火させると、火がついてもその下の体は熱くないというものがありましてね。
 これはジェルが非常に揮発性の高い……」

「はい、ストップ。あんたと違ってこっちは忙しいんだから、薀蓄はまたにして頂戴。
 で、事務次官、国連緊急展開部隊への編入前であれば、第7艦隊は日本の主権を尊重せざるを得ないはずですわね?」

 夕呼は鎧衣課長の薀蓄を遮ると、珠瀬事務次官に話を振った。

「無論です。もし、国連加盟国が他国の主権を踏み躙るような行為を行った場合は、国連は直ちに抑止行動を取ります。
 特に、彼の国は風当たりも強いですからな。」

「では、事前にお願いしたとおり、安保理の方は出来るだけ引き延ばしてください。
 いよいよとなったら先程お渡しした政威大将軍殿下の親書を……」

 珠瀬事務次官は、片手を前に掲げて夕呼の言葉を遮ると、委細承知と頷いてみせる。

「解っております。前回の視察の折の騒ぎといい、今回の件といい、国連の総意で行われている極秘計画に良からぬ策動をしかけるものには、少々火傷をしてもらいませんとな。
 ―――では、私は一旦戻らせていただきます。香月博士、あなたのその自信が虚勢ではない事を願っておりますよ。」

「お任せ下さい、事務次官。」

 珠瀬事務次官の辞去の挨拶に夕呼が応じ、一旦は踵を返した珠瀬事務次官だったが、何かを思い出したらしく半身に振り向いて言葉を発した。

「―――そうそう、そう言えば博士の所の白銀中尉はどうしていますかな?
 有能な彼の事です、まさか基地内で燻っている訳でもありますまい。」

「白銀武なら、今頃は帝都にいるはずですよ、事務次官。本来ならば、私が大活躍する筋立てを用意していたのですがね。
 後から出てきた彼に出番を取られてしまいました。まったく、最近の若者は年上を敬わなくなってきましたなあ。」

 珠瀬事務次官の問いかけに、脇から鎧衣課長が楽しげに応じた。
 それを聞いた珠瀬事務次官は頼もしげに応じつつも、目を細めて夕呼に鋭い探るような視線を向けた。

「ふはははは。鎧衣君を押し退けて舞台に上がるとは、白銀中尉は聞きしに勝る傑物のようですな。
 香月博士の秘蔵っ子といったところですかな? さもなくば―――」

「事務次官? お帰りはあちらでしてよ?」

 しかし、夕呼は珠瀬事務次官の言葉に取り合わず、さっさと帰れと言わんばかりに出口を指し示した。

「ほ! いや、これはご丁寧に。ではまた後ほど……」

 珠瀬事務次官も引き際を弁えて、素直に中央作戦司令室から立ち去っていく。
 それを見送る、夕呼とラダビノッド基地司令、鎧衣課長の3人。

「―――いやあ、事務次官も食えない方ですなあ。」

 ドアが閉まるのを確認し、飄々と感想を述べる鎧衣課長に、ラダビノッド基地司令が呆れたように言葉を漏らす。

「彼も、君にだけは言われたくないだろうと思うがね。
 まあ、いい。香月博士、それで、第7艦隊と帝都の方は、そろそろ始まるのではないかね?」

「はい。神宮司臨時中尉はそろそろ向うに着く頃です。帝都の方でもそろそろ沙霧が動く頃でしょう。」

 夕呼がそう言うと、ラダビノッド基地司令は姿勢を正し、瞑目して言葉をつむぎだす。
 その姿は、祈りに通じるが如き静謐さを漂わせていた。

「―――そうか。願わくば、白銀中尉の願いどおり、なるべく血が流れないとよいのだがな。」

「―――そうですわね。」

 夕呼は同意し、特命を帯びて行動している親友、神宮司まりもに思いを馳せた。

(まりも。頼んだわよ……)




[3277] 第51話 帝国の黎明 +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:52

第51話 帝国の黎明 +おまけ

2001年12月05日(水)

 04時03分、相模湾沖を航海中の第7艦隊が張り巡らした防空エリアへと接近する、1機の戦術機が捕捉されていた。

「こちら米国第7艦隊旗艦『ブルー・リッジ』、接近中の国連所属機に告げる、貴機は我が艦隊の防空エリアに侵入するコースを取っている。
 所属及び飛行目的を告げられたし。―――繰り返す、所属及び飛行目的を告げられたし。」

 第7艦隊旗艦『ブルー・リッジ』のCICからの誰何に対して、国連所属機から即座に応答が入る。

「第7艦隊『ブルー・リッジ』に告ぐ。こちら国連太平洋方面第11軍、横浜基地所属の94式戦術歩行戦闘機『不知火』。
 衛士は横浜基地司令部直属、神宮司まりも臨時中尉。ラジオコールは『MD1』。
 当機の飛行目的は貴艦隊司令官に対する日本帝国国務全権代行、政威大将軍煌武院悠陽殿下からの親書を届ける事である。
 日本帝国よりの特使として貴艦隊所属艦艇への着艦を望むものである。」

 MD1からの返信に、CICがざわめきに包まれる。直ちに艦隊司令に報告がなされ、通信を交していたCP将校は上位者の指示をMD1へと伝える。

「MD1に告ぐ。貴機の目的は了解した。護衛に当艦隊より戦術機甲1個小隊を向かわせるので指示に従って貰いたい。」

「こちらMD1、了解した。速やかな対応に感謝する。」

 ―――そして、5分後。まりもの乗る『不知火』は、第7艦隊所属空母『セオドア・ルーズベルト』の飛行甲板に着艦していた。
 左右後方に護衛と言う名の監視任務に当たる、F-22A『ラプター』の1個小隊4機を従えたまりもは、管制ユニットの胸部ハッチを開きその上に立った。

「MD1より、『ブルー・リッジ』へ。当機をおりる前に、政威大将軍殿下からお預かりしてきた、貴艦隊将兵へのお言葉を代読させていただきたい。
 念の為に申し添えるが、日本帝国では殿下からお言葉を賜る事は、大変名誉な事だとされている。」

「―――『ブルー・リッジ』よりMD1へ、当通信回線を艦隊所属全艦艇の艦内放送に接続した。」

「米国第7艦隊将兵諸氏に申し上げる。私は国連太平洋方面第11軍横浜基地所属の神宮司まりも臨時中尉です。
 本日、貴艦隊を訪れるにあたり、日本帝国国務全権代行、政威大将軍煌武院悠陽殿下より、諸氏へのお言葉を賜っております。
 只今より、僭越ながら代読させていただきますので、ご清聴下さい。
 ―――『米国第7艦隊将兵の皆様。まずは皆様の母国への忠勤を讃えさせていただきます。
 また、過ぎし日には我が国の危難に際して、貴艦隊将兵の皆様が我が国に対してお寄せくださった、献身と義勇に深く感謝を捧げるものであります。
 誠に残念な事ではありますが、前世紀において我が国と皆様の母国とは互いの威信をかけて争う事態となってしまいました。
 されど、BETAの来襲という、人類全体の危難において、過去の恩讐を超え皆様が母国の尖兵となって、全世界の為に身命を賭して働かれている事、誠に尊き事と存じます。
 今一度、皆様のご精勤を讃えると共に、人類の一角を担う者として感謝を捧げたいと思います。
 此度は、演習とは言えはるばる我が国までお運びいただき、皆様にこうして私の思いをお伝えする機会が得られましたのは誠に嬉しき事であります。
 されど、誠に申し訳なき仕儀ではありますが、皆様には一時我が領海からお退きいただきたいと存じます。
 実は、お恥ずかしき事なれど、只今我が国ではクーデターが水面下にて進行しております。
 また、これに対しまして、皆様の母国の関与が疑惑として取り沙汰される事態となっております。
 このような事を申し上げねばならぬ事、誠に慚愧の念に耐えませぬが、それも皆様の母国にかけられし嫌疑が晴れるまでの事でございます。
 私は、皆様の献身と義勇を夢疑うものではございませんが、クーデター勢力の決起が至近とされる現時点に於きましては、残念ながら皆様を我が国にて歓待する事は、叶わぬ仕儀であるとご了承願いたく、斯くの如く申し上げる次第です。
 皆様におかれましては、何卒心を安んじられて、皆様の母国の嫌疑が晴れる時をお待ちいただき、然る後、我が国の歓待を受けていただきたいと存じます。
 遠路お運び頂いた皆様を門前にて足踏みさせるが如き振る舞いを、何卒お許し願いたく、日本国将軍として皆様にお詫び申し上げる次第です。
 ―――政威大将軍煌武院悠陽』―――以上です。」

 まりもが代読を終えた直後、通信回線を、ひいては第7艦隊所属全艦艇の艦内を、1人の男の絶叫が貫いた。

「嘘だッ! 何という妄言を吐くのだこの牝犬がッ!! 我らが合衆国を疑うなどと、それだけでも神をも恐れぬ行為だと知るがいい!
 そもそも、政威大将軍などと言ってみたところで―――くっ、離せ! 何をするっ、離せと言っているだろう! 私を誰だと……」

 しかし、通信回線の向うでなにやら騒がしい気配と、異議を申し立てる男の声が上がり、速やかに騒音は小さくなって消えていった。
 第7艦隊将兵の多くは、1人の大佐の容姿を思い浮かべ、溜息を吐いた。
 彼は艦隊内においても、今迄に多くの差別的言動を取っている事で悪名高い人物であり、にも拘らず未だかつて問責された事がない事で恐れられていた。

「大変失礼した、神宮司中尉。私は、第7艦隊司令官ジョン・ネトガー中将だ。部下の発言に到底看過し得ない重大な非礼があったことを、深くお詫びする。」

「私個人に対する誹謗に関しましては、ご配慮頂くには及びません、提督。しかし、先程の方のご発言には、政威大将軍殿下のお言葉に対する内容が含まれており、残念ながら私の一存では聞かなかった事にはできません。」

「解っている。そちらに関しても、彼の隊内処分の結果と合わせて、日本帝国の―――城内省、だったかね? そちらの方へ謝罪の申し入れをするつもりだ。
 ―――それでは中尉、ご足労だがヘリで本艦へ移乗してくれたまえ。以上だ。」

「―――了解いたしました。では、後ほど。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 04時11分、『セオドア・ルーズベルト』の艦橋で、艦長であるロッキー・オハンリー大佐が、まりもを乗せて離艦していくヘリを見送っていた。

「まったく、参謀長にも困ったものですな。」

 オハンリー大佐が、声をかけらて振り向くと、そこには逞しい体格をした偉丈夫、第66戦術機甲大隊指揮官アルフレッド・ウォーケン少佐が立っていた。

「―――そうだな。しかし、彼もこれでお仕舞いだろう。隊内での発言ならまだしも、他国からの特使に対する差別的発言。
 しかも、国家元首からのメッセージにまで難癖を付けたのだからな。」

 オハンリー大佐は、ウォーケンの言葉に頷くと、顎を掻いて今回の椿事を評してみせる。ウォーケンもその言葉に満足気に同意した。

「是非そうあって欲しいものです。艦隊司令もようやく内患を取り除けるといったところですな。」

「そうだな。それにしても、今回の火元はラングレー(CIA)のようだな。先日の演習が急遽延期された時も不審に思ったものだが、我が艦隊を手駒扱いしては欲しくないのだがな。」

 オハンリー大佐が、顔を難しげに顰めて言うと、ウォーケンも眉を寄せて唸るように応じる。

「そのようですね。合衆国に捧げる忠誠に一片の曇りもありませんが、ラングレーの手先となって散っていくのだけはご免被りたいものです。
 それにしても、演習延期の件以来、参謀長は何やら追い詰められた様子を見せていましたが、それでもあそこまで我を忘れて怒り狂ったと言う事は……」

「恐らくは、あのメッセージは正鵠を射ているのであろうな。
 そのような謀略の先棒を担がずに済むのであれば、それに越した事は無い。
 まして、あの国は一時とは言え、我が艦隊将兵が命を散らしてまで守ろうとした国だ。
 どのような理由があるのかは知らないが、BETAとの戦い以外で無用の戦は起したくはないからな。」

 オハンリー大佐は、BETA日本侵攻の折と、『明星作戦』の折に戦場に散っていった将兵のことを思い、願いを敢えて口にした。
 そして、ウォーケンも先達から教えられた、日本兵についての言葉を思い出して口にする。

「日本で戦った衛士から教えを受けた事があります。日本人衛士は無茶で無謀だが、勇敢で鋭利な刃物のように鋭く、実直であったと。
 前線を維持しきれず後退する時、彼らは必ず米兵を先に逃がし、多くの日本人衛士が殿となって散っていったとも聞きました。
 日本の為に多くの米兵が死んだが、生き残った米兵の多くは日本兵に救われたのだと……」

「そうだな。戦いにおいて、優先すべきものは立場によって当然異なる。国土を焼いて悔やまぬ者もあれば、草木一本が失われる事に涙する者もある。
 俺だとて、故郷を核で焼き払うと言われては、素直に頷けぬものを感じるだろう。
 とは言え、我々は合衆国に忠誠を誓った身だ。例え不本意であっても命令には従わねばならん。
 さて、ホノルル(太平洋艦隊司令部)はなんと言ってくるだろうな?」

「ホノルルが答えを出す前に、日本のクーデターが終結してくれるとあり難いのですが。」

 ウォーケンがやや諦め口調でそう零すと、オハンリー大佐はニヤリと笑みを浮かべて応じた。

「そうだな。意外とすんなりと納まるかも知れんぞ? そして、ラングレーの尻尾を掴んで突きつけて来るかも知れん。
 俺にはさっきのメッセージは、事態を明るみに出す為の下拵えのように思えるがね。」

「私には、そこまで期待できないように思えますが……まあ、さしあたって一旦は領海を出ることになりそうですね。
 部隊に緊急展開の準備をさせておきます。」

「うむ。ホノルルからの命令次第では、戦術機甲部隊のみ長駆する事になりかねんからな。頼んだぞ。」

「はっ! それでは失礼いたします!」

 ウォーケンは敬礼をすると、ブリッジから格納庫へと降りていった。望まぬ戦争に備えるために。
 ―――全ては合衆国の為、頑ななまでにそう信じて、ウォーケンは己の責務を全力で果たす覚悟を新たにした。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 04時11分、帝都永田町の首相官邸より南に500m程に位置し、米国大使館に面している『ホテル小倉』の露天駐車場に、沙霧以下12機の『不知火』が揃っていた。

「よし、ではこれより主脚走行にて首相官邸に対する威力偵察を行う。ただし、敵の攻撃を受けるまでは発砲は避けろ。
 接敵した場合は敵の情報を収集しつつ即時後退だ。飽く迄も偵察が目的だと言う事を忘れるな!
 これより小隊毎に分かれ3方から首相官邸へと接近する。私が率いる第1小隊は特許庁前交差点から北上して内閣府下交差点へと出る。
 第2小隊は溜池交差点から六本木通り沿いに首相官邸を目指せ。第3小隊は桜田通りから霞ヶ関二丁目交差点、財務省上交差点と迂回し、六本木通り沿いに内閣府を目指せ。
 何か質問はあるか?………………よし、では出るぞ!」

「「「「「「「「「「「 了解! 」」」」」」」」」」」

 沙霧率いる帝都守備隊、第1戦術機甲連隊第2中隊―――ミストシールズは、小隊毎に分かれて道路沿いに移動を開始した。
 そして、時間を調整した後、ミストシールズ各小隊は、一気に首相官邸及び内閣府を目指して突撃する。

「なに?! 『不知火』1機だけだと?―――しかも、あの機体塗装は国連か!」

 ビルの合間を抜け、内閣府下交差点へと踊りだした沙霧は、首相官邸の敷地内に悠然と単機で立つ、国連カラーの青で塗装された『不知火』を見て唸る。
 そして、即座に噴射跳躍して後退しようとしたその瞬間、沙霧の乗る『不知火』の主機が落ち、管制システムが停止、衛士強化装備の部隊内データリンクを除く全情報表示が視界から一斉に消えてしまった。
 幸か不幸か、トラブルは沙霧の機体のみに発生したらしく、ミストシールズの残り11機は行動に支障は無いようであった。
 第2、第3小隊は一旦進撃路を後退した後、迂回して第1小隊の退路確保に向かう。
 一旦後退した第1小隊の沙霧以外の3機が、沙霧の機体を回収すべく、再び内閣府下交差点を目指そうとしたまさにその時、最悪の知らせが帝都守備隊司令部から届き、沙霧を含むミストシールズ全員が背筋を凍らせる事となった。

「こちらHQ、ミストシールド1へ! 本日04時15分、神奈川県旧町田市一帯にコード991(BETA識別警報)が発令されましたッ!!
 超大深度地下より、ほぼ垂直に近い角度で地中侵攻して来るBETA群の振動を、絶対防衛線の警戒網が感知しました!
 予測される地表到達時刻は60分後、地上への出現予想地点は旧町田市周辺です。
 地上出現後の進路は不明、帝都への侵攻も十分考えられますッ!!」

「なにッ?! BETAだと? ―――解った。この回線を、直ちに決起軍全将兵に繋げ。
 ―――我らが大義に賛同し共に起って(たって)くれた同志諸君。沙霧尚哉大尉だ。
 諸君も既にBETA来襲の報を聞いた事と思う。私はこの状況を受けて、諸君に即時原隊復帰を命じる! 速やかにBETA迎撃の任に当たれ!!
 誠に無念ではあるが、この日この時にBETAの侵攻が発生せしは、我らに天命が下らなかったということであろう。
 さすれば、せめて本来の務めである、国土防衛の任だけでも果たして見せねばなるまい。
 皆、思うところはあろうが、ここは我らが本分を果たさねばならぬ時だ! 必ずやBETAを殲滅し、政威大将軍殿下の御宸襟を安んじ奉ろうではないかッ!!」

 沙霧の言葉に応じる決起軍将兵の声は、悔し涙を必死に堪えたものであった。

『『『 ―――ッ! 了解ッ! 』』』

「よし、では諸君の武運を祈る! 以上だ。
 ミストシールド1よりミストシールズ全機へ、私には構わずにBETA迎撃の任に当たれ。ついでに司令部に戻ったら、私が乗れるように予備機を用意させておいてくれ。
 なに、直ぐに戻る。行け!」

「「「「「「「「「「「 りょ、了解! 」」」」」」」」」」」

 沙霧は、さらに自分を回収しようとする部下達にも、有事の際に定められた配置へと戻るように指示を出す。
 沙霧に心酔する部下達は、躊躇いつつも明確に発せられた命に背けず、後ろ髪を引かれる思いでその場からNOEで飛び去っていった。

(さて、国連軍の『不知火』はどう動くかな?―――ん? 機体が再起動するだと?)

 沙霧は網膜投影に表示される『着座調整中』との表示に眉を顰める。
 と、そこへ若い青年の声が聞こえてくる。何時の間にか開いた覚えの無い通信回線が開かれており、通信相手は『ID:A13-00』と表示されていた。

「さて、あなたが決起軍の最高指揮官と言う事で間違いありませんね? 沙霧尚哉大尉。」

 通信画像の無い、音声のみの通信で相手は沙霧に単刀直入に訊ねてきた。沙霧もそれに対して、冷静に応じる。

「いかにも。私が大義を皆に説いて決起軍を挙兵した、沙霧尚哉だ。ところで貴官はBETA来襲に際して、ここで悠長に話していられる立場なのかな?」

 沙霧は敢えて自分が決起の首謀者であると名乗ると、続けて先程から頭をよぎる疑念を言葉に乗せて通信相手にぶつけた。

「―――その様子だと、BETA来襲の情報を疑ってはいるようですね。なのに、決起軍を原隊復帰させてしまってよかったんですか?」

(やはりBETA来襲は欺瞞情報か……しかし、我等の決起を事前に把握し、我等の戦域データリンクや警戒網からの情報まで思いのままに操作している。
 あの『不知火』なにやら見慣れぬコンテナを背部兵装担架に固定しているな。
 あれが、情報戦用の装備なのだろう。
 ここまで上手を行かれては、此度の決起の成就は叶わないか……さすれば、後は為し得る限り同志を巻き込まぬことこそが肝要。)

 沙霧は内心で素早く方針を固めると、通信相手の問いかけに応じた。

「―――帝国本土防衛軍の衛士として己が本分までは見失ってはおらぬ。例え疑わしい情報であっても、BETAを相手に躊躇うゆとりなどありはせぬだろう。
 ―――それより、私をここに招いた目的はなんだ?」

「謁見ですよ。沙霧大尉も望むところのはずですよね。」

「な、なに?!」

「済みませんが、そちらの機体は勝手に動かさせていただきますよ。」

 声に続いて加速がやってきた。沙霧の乗る『不知火』はNOEによって高度を取り、内閣府の上空を抜け、帝国議事堂の敷地を掠めるようにして、桜田濠(さくらだぼり)を飛び越え帝国城の敷地へと入る。
 途中、帝国議事堂の敷地内に、音信を絶った決起軍の戦術機甲部隊と機械化歩兵部隊の装備および将兵の姿が見えた。
 そして、帝国城の外縁には帝都城守護の任に当たる斯衛軍第2連隊の『武御雷』の姿も見受けられたが、帝都城に侵入しようとしている国連軍と帝国軍の『不知火』を警戒する素振りも見せなかった。

(やはり同志は捕縛されていたか……私の機体を意のままにしている事や、BETA来襲の欺瞞など、相当高度な情報戦能力を保有しているようだな……
 通常歩兵を随伴させなかったのが敗因か? いや、データリンクを意のままにされたのでは、如何ともし難いか……人相手の実戦経験は、皆乏しいからな……
 ―――なに?! 斯衛が見逃すだと?! ―――そうか……少なくともこの国連軍機は斯衛軍と通じているのだな……であれば、此度の決起もあながち無為にはならないかもしれないな。)

 管制ユニットに座っている事しかできない沙霧は、唯一自由になる外部映像から情報を得て、彼我の状況を分析していく。
 その結果沙霧は、最早逆襲に転じる事は無意味であり、残るは状況の許す限り目指した大義の芽を潰されぬように尽力するのみと覚悟を決めた。

 そして、2機の『不知火』は帝都城内、斯衛軍歩行近接格闘戦専用演習場へと着地した。
 続けて、沙霧の『不知火』は65式近接戦闘短刀に至るまで、全ての武装を投棄した後、管制ユニットの胸部ハッチを開く。
 沙霧は、素早く流れるような身のこなしでハッチの上へとでると、その場で速やかに拝跪(はいき)した。
 なぜならば、沙霧の『不知火』の正面には、左右に青と赤の『武御雷』を近侍として屹立する、紫色の『御武御雷』の威容が望めたからであった。

 沙霧が尚も拝跪し続けると、通信回線越しに野太い声が発せられた。

「貴官が帝都防衛隊の沙霧尚哉か、わしは紅蓮醍三郎大将である。貴様も此度は、中々に腹の据わった事を仕出かしたものよな……」

 沙霧が伏せていた目を薄く開けると、網膜投影には通信回線に新たに増えた3つのIDと、帝国軍衛士であれば知らぬ者無き勇士、斯衛軍副司令官、紅蓮醍三郎大将の通信画像であった。
 紅蓮大将のIDはJEG-01、残り2つはJEG04a-00と…………

(JEG-00!! では、あの『御武御雷』には殿下が……死中に活ありとはこの事か……)

 沙霧は思いを巡らすが、その間にも紅蓮の話は続いていた。

「―――とは言え、貴様らの想いは汲む事ができても、為した所業を許すわけにはいかぬ。ましてや―――」

 と、紅蓮がそこまで言ったところで、網膜投影に新たな通信画像が現れ、通信回線に涼やかな声が流れた。

「お待ちなさい、紅蓮。ここからはわたくしが直に話します。沙霧尚哉。わたくしは政威大将軍煌武院悠陽です。
 此度はわたくしの至らなさから、そなたらに心労を負わせ、思い余って決起に至らせし事、誠に不甲斐なく思っています。
 それ故、暫し直答を許しますゆえ、そなたの大儀を述べてみるが良い。」

 沙霧は、悠陽の言葉に深く胸を打たれつつも、己が人生の全てを賭ける所存で、自ら信じる大儀を奏上した。

「―――殿下、拝謁の栄誉を賜り、誠に恐悦至極にございます。私は、帝国本土防衛軍、帝都防衛第1師団、第1戦術機甲連隊所属、沙霧尚哉大尉であります。
 畏れ多きことながら、直答のお許しを賜りまして、分を弁えず奏上仕る御無礼、平に御容赦のほど御願い奉ります。
 まずは先ほど殿下より賜りましたる御言葉、我が身には過ぎる栄誉にございます。
 如何様に申し開きを致しました所で、殿下の御宸襟を騒がせし身なれば、万死に価せし咎人に他なりません。
 されど、我が大儀は、畏れながらすべて殿下と御国の御為に他なりません。また、それが故に憂国の烈士が多数、此度の決起に賛同してくれたのです。
 昨今、畏れ多くも将軍の御尊名において行われる政が、殿下の御意思と違えているとしか思えぬ事例が甚だ多く、現政府の腐敗著しきは一目瞭然。
 政府の奴原(やつばら)は、己が利権を貪り、殿下の御意思を蔑ろにし、国民に負担を強いて恥じる所がございません。
 このまま看過していては、殿下の御心と国民は分断され、日本の行く末が暗澹としたものとなるは必定であります。
 故に、私は同志らと共に起ち、殿下の御意思を捻じ曲げる帝都に巣食った逆賊共を討ち、すべての膿を出し切る所存でありました。
 そして、明日の日本の為に、殿下の御心の下、政府と軍と民とが一体となって、未曾有の国難に立ち向かう為の態勢を整える一助とならんとしたのであります。
 誠に無念な仕儀ながら、事ここに至りましては、我らが決起が無為に終わるは必定。
 されど、こうして殿下に我らが大儀を奏上仕る事が叶い、私は最早思い残す事はございません。
 我が身の処罰は如何様にもお受けいたしますれば、畏れながら我が同志らの処遇に関しましては、何卒ご高配を賜りたく、伏して御願い奉ります。」

 沙霧は一気に奏上すると、頭を更に深く垂れ恭順の意を示した。
 悠陽は沙霧の言葉をただ黙って聞いていたが、その顔(かんばせ)は悲しみを色濃く映したものであった。

「沙霧。そなたの大儀しかと聞き届けました。また、そなたが誠に忠義に厚き士である事も、得心するに至りました。
 されど、そなたの申した事で、悲しき事ながら、聞き逃しに出来ぬ事があります。
 そなたは、わたくしの意を違える者達を逆賊と言い、これを討つと申しましたね?
 それでは、そなたは、そのような行いがわたくしの意に叶うと思いますか?」

 沙霧は悠陽の言葉に臓腑を引き千切られるかのような痛みを覚えつつも、ようやくの思いで苦渋を抑えて返答した。

「畏れながら、殿下の御心に反し奉る事と承知の上にて、断行する所存でございました。」

「やはりそうですか。しかし、沙霧。それではそなたの行いは、そなたが申す逆賊と何が違うと申し開きするつもりか?」

 沙霧は更に恐懼(きょうく)しつつ、身を切る思いで言葉を発した。

「我が行いは、彼の逆賊と何等相違無き外道の行いと存じております。されど、我が身を以って為すべしと―――殿下の御心に背くと承知の上で思い定めたものでございます。」

 沙霧の言葉に、悠陽は悲しみに溢れた言葉を洩らす。それは嗚咽にすら似たものであったかもしれない。

「―――なんと、外道と知りながら、そなた程の士がその身を汚す覚悟をしたと申すか。
 わたくしが不甲斐なき将軍であるが故に、そなたらを斯様な立場に追い込んでしまった事、誠に口惜しき限りです。
 されど沙霧、わたくしはそなたの過ちを正さねばなりません。
 そなたが、誠に国を、民を、この煌武院悠陽を想うのであれば、断じて己が判断にて人を討ってはなりません。
 血は血を呼び、争いは争いを生みます。その様な仕儀をもたらして、そなたらの唱える大義に、人々が共感するでありましょうか?
 将軍の意思が伝わらぬ者を悪しき者として排除するなど、その様な事が許される道理が、人々の心からの共感を得る道理がありましょうか?
 そなたの為そうとした行いは、そなたの掲げた大儀を汚すものに他なりません。
 国とは民の心にこそあるものです。そして将軍であるわたくしは、民の心にある日本を映す鏡のようなもの……
 様々に千変万化する多様な姿を映し、為しうる限りそれらに沿った道へと国を導くのが将軍の務め。
 政を為す者も、防人として戦いに身を投じる者も、それぞれの役目を果たす者である前に、等しく紛う事無き民でもあるのです。
 その民を討ち、国を導く事など出来はしません。そなたは民を想いながらも、その一点に於いて過ったのです。
 誠にこの煌武院悠陽を想ってくれているのであれば、この事をそなたの心に刻み、これより後は、この国の―――いえ、人類の為にそなたの『できることを成す』のです。」

「!!―――」

 悠陽の言葉の一節に、沙霧の肩が震える。その様子に、悲しみの中にも暖かみを加えた眼差しを向け、悠陽は言葉を続ける。

「そなたは、萩閣の部下であり、教え子であったそうですね。
 『人は国のためにできることを成すべきである。国は人のためにできることを成すべきである。』―――萩閣は我が師の一人でありました。
 そして、そなたは知らぬでしょうが、そなたが逆賊と断じた是親もまた、わたくしの師なのですよ。
 彼の事件の折、萩閣を失う事を是親は酷く悼みながらも、国の為、ひいては民の為に敢えて萩閣を極刑に処したのです。
 もし、そなたが萩閣の件で是親に思うところがあったとしても、それに囚われる事を萩閣は望んではいないでしょう。
 人は所詮全知全能にはなれません。わたくしとて将軍としての重責に相応しい能力を持っているとは言い難く。
 ましてや、生まれながらにその力を授かっている訳ではないのです。
 人は過つものです。そして、知ってさえいれば過たぬ事を、知らぬが故に過つ事もまた、得てして多いものなのですよ?
 そなたは此度、多くの事を知り得なかったが故に、眼(まなこ)を曇らせ道を過ちました。
 そして、わたくしもまた、知らぬが故に事態を看過し、あたら多くの血を流すところでありました。
 此度知らせをもたらして、悲劇の芽を摘み取りしは、そなたをわたくしの前に導いた、国連軍の衛士なのですよ?
 白銀、此度の件の事、この者にも教えてやってもらえませぬか?」

 そして、沙霧はこの時初めて、国連軍の『不知火』に乗る衛士、白銀武の顔を見知ったのであった。
 通信画像に映し出された顔立ちは、未だ成年に達していないであろう幼さを残したものであった。
 しかし、唯一その双眸だけが、彼のまとう幼さにそぐわぬ、苛烈な意思を秘めているように沙霧には感じられた。

「―――国連太平洋方面第11軍、横浜基地衛士訓練学校第207訓練小隊所属白銀武臨時中尉です。
 尤も、現在は司令部直轄の特殊任務に従事中ですけどね。」

 武はそう名乗ると、茶目っ気を出して沙霧に笑いかけた。笑うと双眸の鋭さが押さえられ、歳相応の表情となる事に沙霧は気付いたが、それ以上に武の所属が彩峰と同じである事に気付いて愕然としていた。

「まあ、一応訓練中の身ではありますが、実戦経験もあります。ただの臨時中尉だと思って頂いて構いませんよ。」

 訓練兵の身でありながら、あの横浜の牝狐の巣食う司令部直轄で特殊任務を果たす衛士が、ただの臨時中尉である訳がなかった。
 沙霧はやや呆れながらも、油断はすまいと己を律した後、武へと語りかけた。

「沙霧尚哉大尉だ。それで白銀中尉。貴官は私に何を教示してくれるのかな?」

「―――そうですね。今回の決起の裏に、米国のG弾運用派と、国連上層部のとある一派が暗躍しているなんて、どうですか?
 ―――ああ、お怒りになるのはご尤もなんですが、こちらも証拠も無しに言ってる訳でもないんですよ。
 こちらで調べた、米国情報機関の息のかかった人物の氏名と、米国情報部との繋がり、解っている範囲で彼らの果たした役割について記されたファイルの一覧を送りますので、話を聞きながら見てください。
 彼らは、あなた方のような現政権に不満を持つ将兵をリストアップして、帝都防衛隊や富士教導隊など、決起しやすい部隊へと配属し、あなた方の思想に理解を示した振りをして後援を約束し、超党派勉強会―――『戦略研究会』の設立を助けました。
 彼らの紹介で、決起軍の中枢近くに受け入れた人物も、少なからず居ますよね?
 そして、彼らを通じて様々な情報を得た米国情報部は、今度はあなたの同志に牙を向いた。」

「なに―――?!」

 転送された資料に詳細に記された情報に、武の言葉を否定できずに唇を噛んでいた沙霧は、同志の身を案じて声を上げた。

「こちらが、米国情報部に脅されて、協力を約束せざるを得なかった兵士の一覧です。
 彼らは決起が順調に進んでいれば、帝都城の包囲部隊に配置される予定でした。
 そして、彼らは帝都城へ向けて発砲するようにと命じられていた。大事な人、大事なものと引き換えにです。
 米国情報機関は、彼らの生命を火種として戦乱を起し、あなた方を将軍殿下に弓引く逆賊とし、演習名目で日本近海に展開させた第7艦隊の戦力を以ってあなた方を鎮圧。
 さらにはあなた方が殺害した閣僚の後釜に親米派議員たちを据えて、この極東での復権を果たそうと画策していたんです。
 そして、あなた方が米国の傀儡と見なしていた榊首相と横浜基地は、実際には殿下の認可の下とある計画を進めており、米国のG弾運用派とは対立しているんですよ。
 ですから、G弾運用派はこの機に乗じて、両方とも除こうとしたという訳です。
 そこで、私が彼らの謀略を阻止するべく殿下に御注進に及び、沙霧大尉達の決起の情報をお知らせし、殿下から榊首相に協力を仰いでもらった結果、こうして大尉と話をする事ができたわけです。」

 武の言葉に、沙霧は屈辱に顔を歪める。

「く―――!! 我等は米国の謀(はかりごと)に踊らされていたと言うのか! ……おのれ…………
 ―――それで、そこまで把握していながら、我らが決起を阻止しなかった理由はなんだ?」

「2つほど目的がありましてね。その為に、沙霧大尉の決起を利用させていただきます。
 目的の一つは、米国のG弾運用派の勢力を削ぐ事。そして、もう一つは―――殿下の復権ですよ。」

「なに?!」

 沙霧は驚きの声を上げ、目をカッと見開くと、武の言葉に嘘が偽りが無いか、鋭い眼光で見定めようとした。
 その眼光を何処吹く風とやり過ごし、武は淡々と言葉を続ける。

「今回の決起を鎮圧し、そればかりか暗躍した国内外の勢力を摘発して、国際的謀略を暴く。
 それに加えて、先日のBETA新潟上陸の際の、御親征によるBETA撃退。
 この2つの実績を大々的に発表して、殿下の文武の能力の証とし、榊首相から政府が委託されている全権を、殿下に返還してもらいます。
 よろしいですよね? 榊首相。」

 武がそう言って言葉を途切らせると、通信回線にID:GUEST1が加わり、通信画像に内閣総理大臣榊是親卿の姿が映った。

「殿下を矢面に立たせ列強との熾烈な政争に曝すは、畏れ多く憂苦極まりなき事なれど、殿下ご自身がご決心なされお望みとなるのであれば是非も無し。
 まして殿下はお力を示され、御身にその資格がある事をお示しになられた。
 事ここに至れば、我が非才の一身を以って、殿下にお仕えし御心を叶えんが為の一助と成すのみだ。」

 渋面を浮かべた是親の表情ではあったが、そこには悠陽に向けた憂慮と一抹の寂しさを含んだ喜びとが窺えた。

「―――つまり、OKって訳ですね? と、いうことで沙霧大尉。勿論、あなたも協力して下さいますよね?」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 05時14分、日本帝国首相榊是親は、帝都城内より声明を出し、決起軍の投降によるクーデター終結を宣言。
 それと同時に、今回のクーデター早期終結において、政威大将軍殿下の意を受けた者の働きが、大きく関与していたことに言及。
 詳細は緊急招集される帝国議会の場において、殿下の御臨席を賜った上で、発表すると述べた。
 尚、クーデターの参加将兵に関しても、帝国軍の一部将校と述べるに留まり、その姓名が明かさることはなかった……



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**** 12月04日風間祷子誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話12 ****
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どこかの確率分岐世界
2005年05月18日(金)

 19時52分、夕食を終えた祷子は、旧ミラノ市街の廃墟に佇んでいた。
 現在ミラノは目前に迫った『甲11号作戦』―――ブダペストハイヴ攻略作戦に参加する部隊の一大集結地となっており、祷子もその一員として加わっていた。

 2003年の甲12号―――リヨンハイヴ殲滅以来2年間、欧州連合軍は欧州の地に橋頭堡と戦線を構築し、BETAを駆逐し続けて人類の支配圏を拡大してきた。
 そして、西欧諸国と南欧諸国の過半を取り戻しつつある今、遂に東欧の奪還に先鞭を着けるべく、ブダペストハイヴの攻略を開始しようとしていた。

 『甲11号作戦』の予備作戦として、現在旧ミラノを策源地として、ブダペストに至る進撃路の打通と、周辺BETAの間引き、広域索敵網の構築が行われていた。
 攻略対象のハイヴが内陸に位置する為、上陸作戦による短期決戦は行えず、補給線を確立する為にも、進撃路を確保してからでないとハイヴ攻略には掛かれない戦況であった。
 そして、ようやくブダペストに至る進撃路打通の目処が立ち、Xデーに向けて攻略部隊主力が続々と、この旧ミラノへと集結してきていたのだった。

 ハイヴ攻略作戦を立案、指揮運用し、地上制圧段階の主力となる凄乃皇を擁するオルタネイティヴ4。その直轄部隊であるA-01も先遣部隊を派遣しており、その一員として祷子もミラノへとやってきたのであった。
 そして、夜風と漠然とした予感に導かれるまま、祷子は兵舎を後にして隣接する旧ミラノ市街の廃墟へと1人歩を進めた。
 人類の支配下とは言え、BETA小型種が紛れ込む可能性も0では無く、危険な行為に違いないのだが、慎重で冷静な祷子らしくもなく、満天の星明りの下そぞろ歩きを敢行していた。

 ―――と、突然上がったガラガラという音に、祷子の歩みが止まる。そして、祷子の視線の先では、先の音の発生源である崩落した廃墟が、宵闇ではっきりとはしないものの、埃を巻き上げているように見受けられた。
 その廃墟は、建物の道路に面した部分が崩落し、元より半壊状態にあったらしいのだが、今の更なる崩落により、道路よりの半分が完全に崩落しきってしまい、残った半分の室内空間をぽっかりと露出していた。

 何とはなしに気を魅かれ、祷子がその廃墟に近付くと、星明りに照らされた室内には、幾つもの楽器が飾られていた。
 その多くは汚れ、あるいは腐食し、無残な姿を曝していたが、祷子は、奇跡的に破損の見られないショーウィンドウの中にヴァイオリンケースを見出して、慎重に廃墟の中へと踏み込んで行った。
 そして、祷子がショーウィンドウへと恐る恐る手を伸ばして、その側面に触れた途端、遂に時の流れに屈したかのように、強化ガラスが細かな粒と化して崩壊した。
 反射的に手を引いた祷子の眼前に、いまや遮る物も無く、手に取られる事を望むかのように、ヴァイオリンケースがその身を横たえていた。

 ―――満天の星、肌寒いものの震えるほどではない夜気が静謐に揺蕩う旧ミラノの廃墟に、何処からか途切れ途切れに流れてくる音があった。
 鳴っては途絶え、暫くしてまた鳴っては途絶えるその音は、調律を為される弦楽器、ヴァイオリンの音色であった。
 そして、ようやく調律が完了したのか、短い流れるようなメロディーが奏でられた後、僅かな静謐を挟んだ後、儚げな音色が奏でられ始めた……

 廃墟の中、ヴァイオリンを構えて佇み、音色を奏でているのは祷子であった。
 その手にあるのは、奇跡的に破損を免れ、祷子の調律により往時の音色を取り戻した、あの廃墟に眠っていたヴァイオリン。
 そして、祷子が奏でるのは、パガニーニの『24の奇想曲作品1』。

 最初祷子は、以前みちるに誉められて以来得手とする『クロイツェル・ソナタ』を演奏しようとしたのだが、今立っている旧ミラノの廃墟に相応しい曲をと思いなおして、イタリアの誇るヴァイオリニストの鬼才であるニコロ・パガニーニの残した難曲であり、最近技量を上げる為に挑戦している『24の奇想曲作品1』を選んだ。
 そして、待ち構えている困難な作戦への決意を込めて、祷子はヴァイオリンの弦に弓をあて、音色を奏でていく。
 祷子は、まずは荒涼たる旧ミラノの廃墟の風景を悼んで第5番イ短調を、そして、BETAとの戦いに思いを馳せて第10番ト短調を、最後にこの地に命を散らした人々へ捧げるために第24番イ短調を奏でた。

 その調べは風に乗って、満天の夜空の下を流れて消えた……

 そして、このささやかではあるが運命的な出会いが、1つのうねりとなって、物語を作り上げていった。

 ―――翌日。祷子はA-01に割り当てられた宿舎に、欧州連合軍のイタリア出身だという大佐の訪問を受けていた。

「―――え?! 演奏会? 私がでしょうか?」

 驚いて聞き返す祷子に、その大佐は頷いて情熱的に語った。
 昨夜、祷子が廃墟でヴァイオリンを奏でた時、その調べが警備に当たっていた兵士数名の下まで届いていた事。
 その中の1人が音声データを録音し、それが昨夜から今日の午前中にかけて広まって噂になった事。
 祷子の身元は、念の為にと、演奏が終わって宿舎へと戻る祷子を影ながらフォローしていた警備兵と、兵舎に戻る祷子の身分確認をした兵舎ゲートの兵士の証言によって確定された事。
 そして、イタリア出身の将兵を中心に、多くの将兵達から昨夜の演奏をちゃんとした場で聞きたいとの要望が上がり、司令部で検討した結果、レクリエーションの一環として行うのであれば、容認しようとの方針が定まったのだと。
 故に、後は祷子が引き受けてくれさえすれば、演奏会の開催が決定するとの事であった。
 祷子は、一旦返事を保留して、A-01先遣部隊を指揮するみちるに伺いを立てたところ、拍子抜けするほどあっさりと同意が得られた。

「―――いいだろう。もし風間が構わないなら、その話しは受けるといい。
 風間は、以前から音楽という人類の遺産を後世に残す為に戦い、BETAを一掃して再び文化を復興するんだと言っていたな?」

 みちるは、祷子から話しを聞くと、真剣な面持ちで暫く黙考した後、話を引き受ける事を勧め、さらには風間が以前漏らした戦う理由に言及した。

「―――はい。」

「幸い、白銀の対BETA戦略構想や、香月副司令の新兵器などのお蔭で、今や人類はBETAを圧倒しつつある。
 今後は戦死者も減り、軍人の生活もゆとりを少しずつでも取り戻していくだろう。
 ならば、今まで戦いに明け暮れ、生きるだけで精一杯だった将兵に、お前の言う人類の遺産を根付かせてやればいい。」

「―――中佐。」

 みちるは、思う所を述べた後、ニヤリと唇を不敵に吊り上げると、祷子をけしかけるように言った。

「今の世の中、人類の中で軍人の占める割合は大きい。だんだんと退役して一般社会へと戻っていく者も出るだろうが、文化的素養など持たない者も少なくないぞ?
 だから、いい機会だと思って、お前の戦う理由を、そこに込めた思いを、将兵に向けて解き放ってみてはどうだ?」

 みちるの言葉を受けて、祷子は熟考した後力強く頷き、演奏会を引き受ける事を宣言する。

「………………はい、中佐。拙い技量で恥ずかしいですが、精一杯心を込めてやらせていただく事にいたしますわ。」

 かくして、翌々日、5月21日の夕食後に演奏会が行われた。
 そして、予想以上に好評を博したため、『甲11号作戦』決行の前夜に再び演奏会が開かれ、大作戦を前にした将兵の緊張を解すとともに、その士気を大いに上げたと評価される事となった。
 この件は『甲11号作戦』司令部より、国連軍最高司令部へと提出された報告書においても言及され、注目を浴びる事となる。

 これが発端となり、それ以降のA-01が参加する国連軍の大規模作戦においては、後方の策源地において祷子に演奏依頼が為されるのが、ほぼ慣例化した。
 各国部隊の将兵の中から、音楽的素養のある者も参加し、国籍を跨った文化交流の側面すら出てくるのだが、祷子の演奏は、それら他の出演者とは別格として支持され続けた。
 いつしか、祷子の演奏は『戦乙女の誘い』と呼ばれるようになり、戦いに赴く将兵に武勇を授けるとまで言われるようになった。

 祷子は戸惑い、また、膨れ上がった風聞に恥らいつつも、演奏を断る事無く引き受け続けた。
 そして、戦場の片隅で出会ったヴァイオリンを、欠かさず戦場へと伴うようになった。



2014年01月03日(金)

 この日、日本帝国帝都東京の帝都オペラシティーでは、帝都交響楽団による新春コンサートが開催されていた。
 そして、コンサートホールの招待席には、A-01に名を連ねる衛士260余名の内、イスミヴァルキリーズと呼ばれる古参女性衛士達18名と、おまけで呼ばれた5名の男女が一角を占めていた。
 しかし、3部構成の第3部が始まって以来、その席の内の1つから招待客の姿が消えた。

 やがて、コンサートはフィナーレに近付き、残すは最後の演目となったとき。みちるの父である指揮者が観客に向かってマイクを取り、深みのある声で話し始めた。

「ご来場の皆さん。皆さんもご存知のとおり、昨年、遂に人類は長きに亘るBETAとの戦いに勝利し、地球を奴らから取り戻しました。
 一時は、人類の存続すらも危ぶまれ、人々は戦い続ける為だけに生まれ死んでいくかのような様相すら呈しておりました。
 その最中、音楽という人類が育んだ文化を絶やす事無く、本日を迎える事が叶い、誠に嬉しく喜ばしい事だと思います。
 本日は、混迷するBETA大戦を今日の勝利に導き、人類に多大なる貢献をした、国連軍横浜基地所属イスミヴァルキリーズの皆さんを会場にご招待しております。」

 そう言って、指揮者が言葉を切ると、招待席のイスミヴァルキリーズ17名と1つの空席が、スポットライトで照らされた。

「総員きりぃ~つ! ―――敬礼ッ!」

 みちるの号令により、17名の国連軍の礼装をまとった女性衛士が立ち上がり、正面を向いたまま一糸乱れぬ敬礼をする。
 会場の観客達は、彼女らに万雷の拍手を捧げる事で感謝の念を表明した。壇上の楽団員も、ある者は足を踏み鳴らし、ある者は弦を弾いて拍手に唱和する。
 拍手が収まるのを短かからぬ時間待ってから、壇上の指揮者は、ゆったりと敬礼を返し、彼女らを労う。

「本日は招待を受けてくれて、誠にありがとう。どうか、着席して楽にして下さい。
 さて、みなさんご存知のようにイスミヴァルキリーズは18名の女性衛士に冠された称号です。
 残る1名の衛士について、少しご紹介させていただきたいと思います。
 ユーラシア大陸をBETAより奪還する為に、彼女らイスミヴァルキリーズを中核とするA-01部隊は、各地の前線を転戦し、常にハイヴ攻略の中核として獅子奮迅の活躍を果たしてこられました。
 しかし、その中に1人、戦場での働きだけではなく、戦に臨む将兵の心身の疲れを癒し、戦いに勝利し生き延びるための活力を与え続けた―――そう語り継がれている戦乙女がいます。
 彼女は戦場での戦術機に代えてヴァイオリンを手にし、砲弾を音色に代えて、作戦に参加する将兵を音楽によって癒し、賦活したのです。
 彼女の名は風間祷子。イスミヴァルキリーズの一員であり、戦場において将兵に武勇を授けると讃えられた『戦乙女の誘い』を奏でしヴァイオリニスト。
 本日の最後の演目のスペシャルゲストとして、戦場の戦乙女にしてヴァイオリニスト、風間祷子さんをお迎えしたいと思います。」

 その声に背中を押されるようにして、舞台袖から純白のドレスに身を包んだ祷子が姿を現す。
 ユーラシア大陸の戦場を共に駆け巡ったヴァイオリンを手にした祷子を、先程にも増して激しい拍手が迎える。
 何時まで経っても鳴り止もうとしない拍手を、壇上の指揮者が両手で押さえるようにして収め、指揮壇の脇へと招く。
 そして、再びマイクを通して観客に語りかけた。

「盛大な拍手をありがとう、皆さん。私も彼女をこの場に迎える事が出来て大変光栄に思っています。
 実際、固辞する彼女を説得して、演奏に参加してもらうには些かならず苦労致しました。
 しかし、その苦労の甲斐あって、彼女を招き、本日最後の演目を演奏させていただく事が叶いました。
 最後の演目は、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』。
 彼女が2005年のブダペストハイヴ攻略を前にして、初めて将兵を鼓舞する為に演奏したとされる、イタリアの名ヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニの残したヴァイオリン独奏曲『24の奇想曲作品1』の第24番「主題と変奏」に於ける、「主題」を用いてラフマニノフが作曲したものです。
 本日は、人類の勝利を祝し、前途を祈って、戦乙女のヴァイオリンの音と共に、この曲を捧げたいと思います。」

 指揮者は祷子に励ますように微笑みかけ、軽くお辞儀をすると、マイクを指揮棒に持ち替えて構えた。
 そして、人類の文化の復興を誇るかのように、演奏が始まった……




[3277] 第52話 陽は昇り、天高く悠久の輝き
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/21 17:36

第52話 陽は昇り、天高く悠久の輝き

2001年12月05日(水)

 時はやや遡って04時34分、帝国本土防衛軍・帝都守備隊司令部では、つい先程まで、町田に来襲したBETAへの対応に追われていた決起軍の将校達が、呆然としていた。
 ようやくBETA迎撃の態勢を整えたと思った直後、データリンクからBETAの反応が消失してしまった為である。

 その消失の唐突さが、首相官邸周辺に突入した決起軍部隊の音信途絶を連想させ、決起参加将校たちは事ここに至って、ようやく決起鎮圧勢力による情報操作を疑った。
 無論、データリンクへのアクセス監視など情報欺瞞への対策を実施してはいたのだが、より徹底したデータリンクの調査及び対抗策の強化を命ずると同時に、首相官邸から未だに戻らない沙霧大尉の救出作戦を策定し始めた。

 そんな状況であったため、折りよく司令部へと愛機『不知火』に乗って帰還した沙霧は、まさに救世主か凱旋した英雄であるかのように迎えられた。
 そして、沙霧は一時は原隊復帰を命じたとは言え、未だに司令系統が繋がっている決起軍将兵を中心に、決起に参加しなかった帝国軍も含めて、広く通信回線を開いて声明を行った。

「帝国軍将兵の諸君! 私は本日未明、帝都に於いて大義の為に決起した、帝国本土防衛軍、帝都防衛第1師団、第1戦術機甲連隊所属、沙霧尚哉大尉である。
 我らが大義とは、畏れ多きことながら政威大将軍殿下に我が国の大権を奉還奉り、政を正し、殿下のご意思の下、国民が一丸となって未曾有の国難に立ち向かい、勝利を勝ち取れる体制への魁(さきがけ)となる事であった!
 そして、私は遂に、畏れ多くも殿下の謁見に浴する栄誉を与えられ、直にお言葉を授かるを得たッ!!」

 沙霧の言葉に、決起軍の将兵達は喜びを顕わに雄叫びを上げ、この通信を聞いた、その他の帝国軍将兵にもどよめきが走った。
 そして、僅かに間を置いて、再び沙霧の言葉が続く。

「我等は、殿下に対する忠誠の証として、まずもって殿下よりご下命賜りし勤めを果たさねばならぬ!
 これより、決起軍に参加せし将兵のみならず、この声明を聞きし全ての帝国軍将兵に、殿下より賜りしご直命の内容を送信する。
 決起に賛同する者も、賛同しない者も、己が忠誠心に従い、殿下のご直命を果たさん事を切に願う!
 ―――将兵諸氏は、まずは配信されたデータファイルを開くといい。其処に挙げられた者達は―――米国に内通した売国奴である!!
 直ちにその者達の身柄を捕縛せよッ! また、間もなく、城内省及び内閣府からも同様の命令が下される筈である!
 そこに記された者は、我等決起軍の大義に賛同した振りをして、米国の野望を実現せんと擦り寄ってきた下劣な輩であるッ!!
 殿下は、我等が決起を奇貨として、内憂外患を掃う事を望んでおられる。
 我等の浅慮など比べるべくもなく、殿下は深謀遠慮を巡らされ、我が国をより良き道へと導く機会を窺っておられたのだ。
 殿下の御稜威(みいつ)を広く世に知らしめ、救国の魁となるは今を置いて他になし!
 決起軍の同志諸君! 畏れ多くも殿下は我等が大義をお聞き届け下さり、直命を賜るという栄誉をお授けになられた。
 我等決起軍の大望は、その御心に従って奸賊を捕らえ、米国の悪行を詳らかにして世に知らしめる事で、成就するのだッ!!」

 沙霧の声明を聞き、決起軍も決起に参加しなかった帝国軍も、総力を挙げて一覧に記された者達の捕縛に乗り出した。
 かくして、捕縛は速やかに成され、軍の手の及ばぬものに関しては、官憲の手に委ねる事として捕縛作戦は終了した。
 捕縛者の多くは決起軍の内部及び周辺に多く、それらが一網打尽となった事を確認した沙霧は、決起の完遂を宣言した。

「同士諸君! 諸君の尽力により、我等が決起は望外の成果を得たものと信ずる!! 誠にご苦労であった。
 当初の計画より大きく異なる結果ではあるが、殿下より賜りし御采配に沿った形で、大義は見事に成し遂げられたのだ!
 これより先、殿下の御稜威(みいつ)の下、我が国は一丸となって、必ずや国難を乗り切り、明るき未来を手にするに相違ない。
 また、殿下は、決起軍将兵たる諸君に対し、御国の為、人類の為に、更なる献身を望むとの御言葉を御下しになられた。
 決起軍としての最後の勤めを果たした今、諸君は潔く身を慎んで殿下の御裁可を待ち、今後も殿下の御心を奉って己が勤めに邁進して頂きたい。
 諸君、誠に―――誠にご苦労であった。私は諸君の尽力に深く感謝を捧げるものである。―――以上だ。」

 こうして、沙霧尚哉を首謀者とするクーデターは、ほぼ無血の内に終結した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 11時02分、帝国議事堂において、臨時議会が政威大将軍煌武院悠陽殿下の御臨席の下、行われていた。
 帝都で勃発したクーデターが僅か2時間を経ずして終結し、早くも帝都住民の生活は常態を取り戻しつつあった。
 しかし、帝国議会においては、混乱はいや増すばかりであるようにさえ感じられた。
 なにしろ、今臨時議会は、軍並びに官憲による捕縛により非常に多数の欠員を出し、議会開催に必要な参加者数を欠くような有様であった。
 しかしながら、事態の重大性に鑑み、今臨時議会は特例として開催されていた。

 そして、その議会にて、此度のクーデターに関連し、政軍官に蔓延していた米国との癒着と、帝国内に浸透していた米国情報機関の諜報組織の実態が、微に入り細を穿って暴露されるに至り、その内容の詳細さは、それらに関与していなかった議員たちの心胆をすら寒からしめるに十分なものであった。
 何故なら、彼らとて相手を米国と限らなければ、多かれ少なかれ後ろめたい事に手を染めている者が多く、それらについても同様に調べられている可能性に、思いを巡らさざるを得なかったからである。
 そして、詳細な報告がなされた後、これらの調査は全て悠陽の指示によって成された事であり、今回のクーデターの早期終結を含め、全ての功績は悠陽にあり、内閣府は殆ど関与すら出来なかった事が明らかにされた。

 そして、今、日本帝国総理大臣榊是親が壇上に立ち、全ての議員に起立を求めた上で、議会を代表して悠陽に対して謝辞を奏上していた。

「―――以上が此度の仕儀にございます。
 殿下、此度の一件に於きましては御宸襟を大いに騒がせましたる事、臣是親、誠に汗顔の至りであり、畢竟恐懼(ひっきょうきょうく)に堪えませぬ。
 殿下の御信任を賜りながら、己が非才故に勤めを全うするを得られず、我が不徳、衷心より伏してお詫び申し上げる次第でございます。
 事、ここに至りますれば、殿下よりお預かりせし全権、政務統帥に至るまで須く(すべからく)奉還し奉りし後、速やかに身を慎みまして一同職を辞させて頂く所存でございます。
 殿下におかれましては、誠にご不快の極みかと愚考いたしますれども、曲げて愚臣の言をお聞き届け賜りたく、伏して御願い奉る次第にございます。」

 その言葉に、首相に習い深々と腰を折って面を伏せていた、議員一同に衝撃が走る。
 総辞職、そして、政威大将軍への実権の奉還。それは、政威大将軍による親政の復活であり、ひとつ間違えば、議会の廃止すら意味していた。
 首相とは言え、独断でこのような大事を為した榊首相への怒りや驚愕は大きかったが、既に公式に奏上されてしまった上に、此度の件で悠陽の名の下に処断された元同僚の顔を思い浮かべると、逆らう気力など湧いてこよう筈もなかった。

 そして、議員たちは続いて発せられた、悠陽の直答に、畏敬の念を抱く。

「是親。そなたの潔い出処進退、誠に見事です。されど、わたくしは未だ経験少なき若輩の身。
 この身に負いし責務より逃れる所存は毛頭無き事とは言え、我が身一つでは立ち行かず、ひいては国の行く末を過ち、民を苦しめてしまう事もありましょう。
 わたくしには、そなたを初めとした、多くの臣の助力が必要です。そなたは職に留まり、綱紀を正し、その身を捧げて民に尽くす事で此度の責を果たすよう、しかと命じます。
 されど、此度の件を振り返るに、わたくしの意を明確に告げずに来た事にも、遠因を求め得ると知りました。
 故に、大権の奉還についてはこれを受け入れ、これまで以上に国と民のために、我が責務を果たしていく所存です。
 皆も、これまで以上に精勤に励み、わたくしを助け、民に安寧をもたらさん事を強く望みます。」

 悠陽は、議会の必要性を明言しながらも、議員に襟を正し精勤に務めるようにと釘を刺し、しかも大権は己が懐へと納めて親政に乗り出す決意を見せた。
 その言葉には、今後は身の処し方を間違えた途端、即座に地位を失うのだと、議員達をして確信させるに余りある強さがあり、悠陽への侮りを雲散霧消(うんさんむしょう)させるに十分なものであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 かくして、第二次世界大戦終結以来、有名無実化されてきた政威大将軍の国務全権代行たる大権は、悠陽の元へと奉還された。
 この事は、先日のBETA新潟侵攻に於ける斯衛軍を率いた親征による大勝利、そして、此度のクーデターを早期終結に導き、米国の陰謀を払い除けた政治的手腕と共に、国内外に広く報道された。

 諸外国のメディアも、悠陽の映像を流したり、写真を掲載するなどして、その清楚でありながら凛とした容姿と共に、クーデターを僅か2時間で終結に導いた手腕や、センセーショナルな米国に対する疑惑を報道。
 各誌の見出しやTV番組のテロップには『極東の姫将軍、クーデターを鎮圧! 陰に蠢く米国の闇?!』『ショーグンガール悠陽、遂に復権!』『政威大将軍煌武院悠陽殿下、溢れんばかりの叡智と勇気、そしてカリスマ』『女将軍陛下の愛したスパイ? クーデターに際して00ナンバーの情報工作員が暗躍した?!』『極東にジャンヌダルク出現! 今こそ反攻の時か?!』『日本帝国挙国一致体制確立! BETAへの守りは鉄壁か?』『日本帝国脅威のメカニズム! 対BETA新兵器の開発に成功か?』などなど、真面目なものから興味本位のものまで、多彩な文字が悠陽の似姿を飾り立てていた。
 そして、今まで実権を失っていた事もあり、特に国外のメディアに露出する事の少なかった悠陽の映像や情報を、諸外国の国民は貪るように吸収し、悠陽のカリスマに魅了されていく。
 極東のプリンセス、女帝といっても構わないほどの高貴な出自、類稀な美貌、常に民衆を気遣う人柄、長らく実権を奪われていたという悲劇、米国の策謀を跳ね除けたという叡智、そして何よりも、BETAの侵攻を陣頭指揮して撃退し、しかもその際の死傷者がBETA大戦の歴史上、奇跡的とも言える少なさであったことが、諸外国の民衆に希望を与え熱狂させる。
 悠陽に纏わる報道は日々数多く行われ、そして、それは米国に於いてさえ例外ではなかった。

 米国はこの一連の報道における、米国への疑惑に対し、即座に遺憾の意を表明し撤回を求めた。
 これに対し、悠陽は直ちにメディアを通じて反論し、帝国国内で不穏分子が策動した事は明らかであるとし、これに対する捜査は断固として行う事、また、捜査により判明した情報に関しては報道規制を行わない事の2点を確言した。
 その上で、現在報道されている米国への疑惑の根幹は捜査により判明した事柄ではあるが、これらは必ずしも真実とは限らないため、事の真偽が誰の目にも明らかなものとならない限り、日本帝国側からは公式に外交問題として提起する事はしないと確約した。
 そして、米国政府の関与の有無はともかく、米国籍を持つ複数の人間が捜査線上に浮かび上がっている事を挙げ、米国政府は要らぬ嫌疑を早急に晴らすためにも、日本司法当局への捜査協力など、何らかの対応を取るべきではないかと示唆した。
 しかし、この声明の後も、米国政府は頑ななまでに日本帝国の司法捜査への協力を拒み、結果として国際世論だけでなく、国内世論からも責められる事態を招くのであった。

 何れにせよ、日本帝国に於ける今回のクーデターは、大きな被害を出す事もなく終結。
 悠陽は大権を取り戻し、帝国国内に於ける米国の影響力は大幅に低下した。
 決起軍に参加した将兵の姓名は非公開とされ、その殆どが、悠陽より恩赦を賜り軍務を続ける事を許された。
 しかし、唯一人、首謀者であった沙霧大尉のみは姓名を明らかにされ、帝国軍の軍籍を剥奪された上で、帝都より姿を消したのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月06日(木)

 08時04分、国連軍横浜基地衛士訓練学校の教室に、まりもが武を伴って入ってきた。

「え? なんで?」「む……タケル……」「なぜ2人一緒?……」「ど、どどどどど、どうして神宮司教官と……」「まさか……まさか朝帰りだなんて言わないよねぇ! タケルぅ~!」「んな訳あるかっ!」

 たった2時間で終結したくせに、やたらと影響の大きかったクーデターから一夜が明けて、昨日の朝食から姿を見かけなかった武とまりもの2人が、揃って教室に姿を現した事に、207B女性陣は動揺を隠せなかった。
 それに気付いていないという事も無いだろうに、美琴の言葉に突っ込み返しただけで、武は素知らぬ顔で教室後方の自分の席に着席してしまった。
 こうなると207Bの皆は、まりもの話が終わらない限り、武の様子を窺うことすら出来なくなってしまう。

「さて、朝帰りはともかく、昨日は任務で当基地を離れたため、貴様らの面倒をみれなかった事は詫びておこう。
 榊、昨日の訓練報告書を明日の訓練終了時までに私に提出しろ。」

「はっ! 了解しました!」

「よし。で―――だ。これから述べる事には、私にも思うところが無い訳ではないのだが、香月副司令直々の命令であるため、抗議するだけ無駄だという事を、先に貴様らに伝えておく。
 任官も間近というこの時期ではあるが、我が207訓練小隊に、新たに訓練兵が配属される事となった。
 白銀同様、経験豊富な衛士ではあるが、207訓練小隊に所属し国連軍衛士としての再任官を目指すのだそうだ。
 はぁ~……いいぞ、入ってきて自己紹介をしろ!」

 そして、教室前部の扉を開けて、入室してきた人物を見て、武とまりもを除く全員の目が丸くなり、教室内の一切の音と動きが途絶えた。

「む…………こ、この度、国連軍衛士として再起する為に、諸君らと共に学ぶ事となった―――沙霧尚哉……訓練兵である……あります。
 色々と思うところはあるでしょうが、任官までよろしくお願いする!」

 教壇で頭痛を堪えるかのように頭を振っているまりもの横に立つ男は、昨日の報道で唯一顔と名前が明かされた決起軍の首謀者、元帝国軍大尉、沙霧尚哉その人であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時02分、1階のPXのいつもの席に、人数が1人増えた207Bの全員が座り、昼食を取っていた。

 しかし、今日に限っては、周囲からの視線が集中しており、武を除く全員が、眉間に皺を寄せながら黙々と昼食を口にしていた。

「おいおい、みんなどうしたんだよ、難しい顔しちゃって。折角仲間が増えたんだから、まずは親交を深めなきゃ駄目だろ~。」

 武が笑顔で言うが、皆珍しくも視線を武に向けようともしない。
 さすがに、自分が元凶であるとの自覚から、沙霧が渋々と発言する。

「いや、白銀ちゅ……訓練兵―――あ、いやその、白……銀、昨日の今日で、日本国民に仲間として受け入れてもらえるとは思っていない。
 無理に仲を取り持ってもらわなくても結構だ。」

 沙霧は四苦八苦して武を呼び捨てにすると、皆を気遣った心算の言葉を搾り出した。
 ―――が、その言葉が不発弾の信管を思い切り刺激してしまった。

「……そうなんだ。」

 聞くだけで体の芯まで凍ってしまいそうなほど冷たい口調でポツリと漏らすと、彩峰がトレイを手にして席を立つ。
 その声を聞いた途端に、沙霧の表情は凍りつき、一切の感情を窺わせなくなった。
 千鶴や冥夜、壬姫、美琴、4人全員が彩峰と沙霧の間に、緊張感を醸し出す目に見えない何かを感じ取った。

「け……彩峰訓練兵、待ってくれ、この場は私が立ち去った方がいいと思う。
 隊の皆はどうかこのまま寛いでくれ。では午後の訓練まで失礼する。」

 沙霧はそう早口に述べて彩峰を押し留めると、さすがに現役衛士であっただけあって、武とほぼ同時に食べ終えていた昼食のトレイを持って、足早にPXから立ち去っていった。
 その姿を追うようにして、PX内の基地要員の視線も207Bの面々から離れ、武を除く全員が安堵の息を漏らした。

「ふう。参ったわね。」「うむ、周囲の視線が辛いのは久方ぶりであった。」「……そだね。」「あはははは、隊が結成された頃も、注目の的でしたしね~。」「あの頃はでも人数も多かったから、まだマシだったけどね~。」

 そんな207B女性陣の様子を見て、武は困惑したような顔をして言葉を漏らす。

「う~ん。もう少し、すんなりといくかと思ったんだけどなあ。」

 武のその言葉に、皆が口々に反論する。

「いく訳ないでしょ?!あの人は今の日本で、殿下に次いで有名な人よ?!」
「うむ……仮にも政府に、ひいては殿下に弓引かんとしたのだ。思うところが無いと言えば嘘になるな。」
「あはは……それに、その……元大尉なんですよねぇ。いまさら同じ訓練兵だといわれてもちょっと……」
「そうだね~、タケルと違って貫禄もあるしね~。何歳くらいなんだろう?」

 そして、美琴の何気ないその一言が、再び緊張を呼び戻すこととなった。

「―――27歳……」
「「「「 え?! 」」」」
「あの人の年齢……」
「「「「 ……………… 」」」」
「あの人は、父さんの部下だった……昔は家にもよく来ていた……」
「そ、そそそそそ、そうだったの。あ、彩峰のし、知り合いね……え……」
「そ、そうか! 彩峰ちゅ……彩峰のお父上の薫陶を受けたのであれば、一角(ひとかど)の衛士であるのだろうな。」
「あ、あはははは、彩峰さん、お知り合いなら……お知り合いなら……え、え~っと、その…………」

 彩峰の感情を容易に窺わせない口調で告げられ、驚愕し、動揺する4人。
 事情を知っている武が敢えて静観する中、美琴を除く3人は、口々に驚愕の事実に対して応じようとするが、動揺を隠しきれなかった。
 そんな最中、天然なのか、計算なのか、本能なのか、美琴は速やかに動揺をおさめ、例によって場の空気を全く無視して話題を変える。

「あ! そう言えばさ、この所、とんでもない事ばかり立て続けに起きてるよね。
 クーデターや殿下の復権もそうだけど、国連によるオリジナルハイヴ強襲作戦とか、ちょっと間が空くけど、BETA新潟上陸や、HSST墜落事件もそうだよね。
 こうしてみると、なんだかタケルが来てから一気に忙しなくなったような気がしない?」
「鎧衣、あなた何馬鹿なこと……って、え? 白銀が配属されてきたのが10月23日だから、まだひと月ちょっとしか経ってないの?」
「ふむ……その間に4件か。確かに多いかも知れぬな。」
「た、たけるさん~、何か悪いものでも憑いてるんじゃないですか?」
「でしょでしょ? しかも、オリジナルハイヴ以外の3件全部、武が係わっているんだよね~。なんだか、因縁がありそうな気がしない~?」
「…………オリジナルハイヴにも係わってたり?」
(!……冗談だよな? まさか本気で疑ってないだろうな、彩峰の奴。もしかして勘か?)

 只でさえ話題性に富んだ題材に加え、武の存在も絡めたため皆の食いつきは良く、話は一気に弾んだ。
 しかし、彩峰の何気ない一言に、武は微かに動揺した。

「―――んな訳無いだろ! 大体何処をどう考えたら、そんな発想が出てくるんだ?」
「……今、間が空いたね…………それに……あの日も、白銀はいなかった……」
「あ、そう言われてみればそうね。発表自体が作戦終了翌日の午前中だったから、なんとなく白銀も居たような気になってたわ。」
「ふむ……確かにオリジナルハイヴが攻撃される前日より、タケルは姿を消していたな。」
「あの時もたけるさんは特殊任務だったんですよね……それに、帰ってきて暫く後遺症の心配があるとか言ってましたし……」
「あ~っ! そうか! 武はきっと暴発したG弾の重力変動に巻き込まれて、心身に癒えない傷を負っちゃったんだね?!
 ううううう……タケルぅ、なんて悲劇なんだろう!!」
「そんなんだったら、即死してるって! 大体、あの時オレは、横浜基地からは一歩も出てないぞ?」

 なんだか今日は何時にも増して美琴が暴走気味だなと、武は内心うんざりとしながらも、一応事実を告げて誤魔化そうとする。

「じゃあ、なんだって、後遺症が心配になるような事になってたのよ?」
「う……そ、それはその…………あー、悪いけど機密事項なんだ。……なんだよ、ほんとだぞ?」

 が、千鶴の突っ込みに上手い理由を思いつけなかった武は、機密で押し切る事にして、周囲の冷たい視線に曝された。
 居た堪れなくなった武は、大して深く考えずに、問いを放つ。

「そ、それよりもさ! 折角話題に出たことだし、お前らオリジナルハイヴ壊滅とか、クーデターとか、報道見てどう思った? どんな風に感じた?」

「また随分と唐突ねえ。しかも、オリジナルハイヴはともかく、クーデターに関してだなんて、タイミングが……まあ、いいわ。
 ―――そうねえ。オリジナルハイヴはそりゃあ憎たらしいBETAの親玉が吹っ飛んだって事だから、嬉しいは嬉しいけど、G弾が大量に使用されたって話だしね。
 それに、あそこが元凶と言っても、私たち日本に住む人間にして見たら、佐渡や鉄源のハイヴの方が切実な脅威だものね。
 まあ、あまり思うところはないかしら。あ、それでも軌道爆撃のみで、死傷者0ってのは凄いと思ったわ。」
(を、話に乗ってくれたか。サンキューな、委員長。にしてもちょっと反応が薄いなぁ。オリジナルハイヴが陥落したんだぜ?)

 千鶴は、あまりに強引な武の話題変換に呆れながらも、律儀に答えを返した。

「そうだな。確かに死傷者0でハイヴを落せたというのは、驚異的な事に違いあるまい。しかし、軌道爆撃で消費した弾薬機材は相当な量に及んだと発表されている。
 そうそう何度も行える戦術とも思えぬな。それに、少なくとも我が日本の国土では、もう二度とG弾を使用されたくはないものだ。」
(全くだ。オレだって二度とG弾には頼りたくないよ、冥夜。)

 千鶴の言葉を引き継いで、冥夜も思いを語る。

「う~ん、人命優先っていうのは、たけるさんの戦術構想にも適ってますけど、重力異常によって生態系が破壊された土地が増えるのは、やっぱり嫌ですよね。
 今回、なんだって国連はオリジナルハイヴを強攻したんでしょうか?」
(ああ、なるほどな。オリジナルハイヴの統括反応炉の情報を知らなければ、反応はこの程度なのか。)

 壬姫の言葉を聞いて、武は内心で納得した。オリジナルハイヴとは全ての元凶でありながらも、現在全ての人類から最も離れたハイヴでもあるのだと。

「でもさ、ボク聞いた事があるんだけど、オリジナルハイヴを落せれば、人類はBETAに勝利できるって考えが軍上層部にはあるって話だよ?
 これって、最も攻めるのが難しい位置にあって、最大の規模を誇るハイヴだから、そこに通用する戦術が確立されれば人類は勝てるって事かな?
 それとも、BETAの各個体がハイヴの反応炉からエネルギーを補給して活動しているように、各ハイヴもオリジナルハイヴから何らかの補給を受ける必要があって、だからオリジナルハイヴを攻略すると、各ハイヴも機能障害を起したりするってことなのかな?」
(惜しいぞ、美琴。断たれるのは補給じゃなくて、情報と指令だ。)

「……どうでもいいよ……オリジナルハイヴは落ちたけど、佐渡のハイヴは健在だった…………
 それより白銀、―――決起軍の大儀って何?」
(やっぱ、気になるんだな、彩峰。)

 武は、彩峰の言葉を受けて、説明する事にした。

「―――そうだな。殿下のご意思が歪められず国の方針として推し進められる世の中を実現するために、障害となる腐敗した政治家を粛清する。
 それが、決起軍の大義だな。けど、こうやって要約しちまうと、決起軍も立つ瀬が無いか。
 決起軍に参加した将兵たちの多くは、昨今の国民を蔑ろにする政治のあり方に疑問を持ち、危機感を感じ、何が悪いのか、どうすれば事態を打開して、国をあるべき姿に戻せるのか。
 それを真摯に考えて、辿り着いたのが、最初に言った大義だったって訳だ。」

「自分で何ともならないから、他人のせいにしただけ……」

 彩峰が吐き捨てるように言うのを聞いて、武はさらに言葉を足した。

「そう言うなよ、彩峰。決起軍は事を成し遂げた後は、全ての責任を負って処罰される覚悟をしてたんだから。
 実際、今回だって殿下と沙霧の謁見の後、裏で暗躍していた連中を拘束し終わったら、一切抵抗しないで投降しただろ?
 彼らは最初から、自分達の選んだ道が外道であり、自らの手を汚した後は、大義に殉じる覚悟だったんだ。」

「そんなの、ただの無責任……」

 飽く迄も頑なな彩峰の様子に、他の4人は様子を窺うばかりで、話に割って入る事も出来ずにいた。

「そうだな。そこら辺は、オレも同感だ。だからだろうな、謁見の際に殿下が沙霧を諭したんだ。
 国とは民の心にこそあるもの、その千変万化する多様な心を反映して、出来る限りそれらに沿った道へと国を導くのが将軍の務め。
 例え立場が異なっても民は民、その民を討っては国を導く事などできないってな。
 あとは、人は知ってさえいれば間違わない事でも、知らないが故に間違う事が多いとも仰っていたな。
 これはきっと、自分の知識だけで判断したら間違うぞってことなんだと思うな。
 あ、そう言えば、天元山の不法帰還者だけどな。噴火で荒れちまったけど、近々元の土地に戻れるらしいぞ。
 難民収容所に収容した不法帰還者宛に、殿下が親書を内密にお下しになったそうだ。
 その中で、火山活動が収まった後の天元山周辺への帰還をお許しになった上で、元から天元山で暮らしてた人以外にも、現地の復旧を手伝う代わりに、難民収容所に暮らす人達も希望すればあの辺りでの居住が認められるらしい。
 殿下は、親書でこう仰ったそうだ。苦難窮まろうとも希望を捨てず、互いに助け合って少しでも長く生きて欲しいってな。」

 武の言葉に、冥夜は目を丸くした後、瞳に嬉し涙を滲ませた。その様子を見守る武に声がかけられる。

「ほほう。これは随分と良い話を聞かせてもらった。」

 突然背後から声をかけられた武だったが、欠片も動じる事無く言葉を返した。

「殿下のお言葉ですからね、月詠中尉。まあ、一言一句違わずって訳にはいきませんが、大筋はあってると思いますよ。
 ―――ご用件は沙霧さんの事ですか? それでしたら、殿下の御意思です。さすがに帝国軍に置いておくことはできないから、国連軍衛士となって人類の為に戦って、罪を償えと。」

「そうか。殿下はそう仰せになって、あの者を叱咤激励なさったのだな……解った。だが、次からはああいった者を冥夜様の側に寄せる前に、こちらに連絡をよこせ。いいな?」

 月詠の言葉に、自分の配慮が欠けていた事を知り、武は素直に頭を下げて謝罪した。

「あ……そうか、それは気付かなかった……済みませんでした、月詠中尉。」

「まあいい。それはそうと白銀。貴様、斯衛の衛士に大分妬まれているぞ?
 此度の件と言い、何ゆえ国連軍の貴様を殿下が重用なさるのかと、憤慨しているものも少なくないらしい。
 次に斯衛に顔を出すときには気を付けるのだな。」

「げ……まいったなぁ、オレ、近々斯衛のXM3教導に行くんだけどな~。」

 月詠の言葉に武が頭を抱えながら愚痴るのに、皆の疑問が重なる。

「「「「「「 XM3? 」」」」」

「ん? ああ、戦術機用試作OSの量産型の名称だよ。今度斯衛軍で正式に配備が開始されることになったんだ。
 おまえらや月詠中尉たちの機体も、そろそろ換装されるんじゃないか?
 あ、でも、トライアルの後かもしれないなー。」

 武の説明を聞いていた皆は、その言葉の最後でまたもや疑問の声を上げた。

「「「「 トライアル? 」」」」

「あ、それも言ってなかったっけ? XM3が完成したもんだから、斯衛軍以外にもお披露目しようって話になってさ。
 XM3の性能を見せるために、性能比較試験みたいな事をやろうって事になったんだ。
 おまえら、主役だから頑張れよ! まあ、オレも出るかもしれないけどな。」

 武のお気軽な返事に、千鶴が切れて、眼鏡の奥で眼を吊り上げて武に噛み付く。

「ちょっと! 聞いてないわよ、それっ! 大体、沙霧さんなんて新OS触った事もないんでしょ?」

「あ、さすがに沙霧さんは出せないから、基本的にはおまえら5人な。
 どういう編制になるかはまだ未定だけど、時津風でも組み込んで、数合わせするんじゃないか?」

「あ~、もう! 白銀が来てから、何もかも滅茶苦茶だわっ!!」
「話題、大分戻ったね……」
「あ~や~み~ね~~~~っ!」
「…………わたし、なんか悪い事言った?」

 八つ当たり気味に喚く千鶴に背を向け、自分を指差してそう訊ねる彩峰に、千鶴以外の全員が気の毒そうに首を横に振った。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時09分、シミュレーターデッキでは207B女性陣がシミュレーター演習を行っていた。
 制御室のまりも以外に、武と沙霧もいるのだが、武は沙霧に付き切りでXM3のレクチャーをしている。
 昼食の時に武が言った通り、この日からシミュレーターはXM3にバージョンアップしており、実機も換装作業に入っていると、訓練開始時にまりもから説明が為された。

 この日は珍しく武が終日訓練に参加しているというのに、沙霧の相手ばかりしているため、207B女性陣の機嫌はあまりよろしくなかった。
 おまけに、冥夜と彩峰の衛士強化装備を沙霧が直視しようとしない事に気付き、残る3人―――特に千鶴が激怒していた。
 なまじ差が少ないために、余計に区別されたのが気になったらしい―――無論、沙霧が2人だけを意識したのは全く異なる理由だったのだが。

 いずれにしろ、シミュレーター演習は男女別で行われていた。

 ―――1時間後。沙霧がXM3に慣れたということで、模擬戦が行われることになった。
 組み分けは、女性陣5人対男性陣2人。この組み分けに鬱憤を溜め込んでいた女性陣5人が燃えない訳がない。
 5つの心を1つに合わせて、勝利の凱歌を挙げるべく模擬戦に臨んだのだが―――

「くっ! なによこれ! 早すぎる……」「む! 私の斬撃を見切るだと?」「はわわわわ、たけるさんに見つかっちゃいました~!」「あ、危ない壬姫さん!」「やらせないよ!」「くっ、彩峰が直衛か……沙霧さん、たま……支援突撃砲装備の機体から倒します!」「む……了解した。」「あ! ちょっと、待ちなさいよ!」「くっ! そう易々と……なに?!」「壬姫さん、沙霧さんを狙撃で……」「よ~し、って……遮蔽物に……あ、今度はあっちから?」「榊、こっちは白銀で手一杯。尚哉を止めて……」「やってるわよ! やってるけど……」「む……なんと素早い機動だ……」「珠瀬! 一旦退避して! 食い止められないわ。」「わ、わかりました……って、えええ?!」「珠瀬機、動力部に被弾、致命的損傷、大破。」「ご、ごめんなさい~。」「悪いな、たま。よし次はどっちだ? 彩峰か?」「鎧衣、援護……」「りょ、了解。」「よ~し、いくぞっ! 彩峰。」「白銀……え?!」「なんてな、先におまえだ美琴!」「うわぁあ! タケルが―――」「鎧衣機、管制ユニットに被弾、致命的損傷、大破。」「く―――白銀っ! え? 尚哉?」「すまん慧……」「彩峰機、機関部損傷、機能停止。」「御剣!」「くっ! せめてタケルだけでも……」「甘いぜ冥夜! ……沙霧さん!」「うむ!」「御剣機、右腕、右脚、右跳躍ユニットに被弾、中破。」「御剣! あ、白銀?!」「もらったぁ~!」「榊機、動力部、機関部に被弾、致命的損傷、大破。―――状況終了。」

 ―――結果は散々なものとなってしまった。

「いやあ、さすがに経験の蓄積が違いますね。即席にしては連携も上手くいったし。」
「いや、白銀ち……白銀の采配が的確だったお蔭だ。楽に動かさせてもらった。」
「……確かに、実力は見せてもらったわ。短い間でしょうけど、よろしくね。さ、沙霧。」
「……ああ、よろしく頼む。榊分隊長。」
「うむ。帝都守備隊において中隊を率いた腕前、感服した。数手先まで練り込まれた戦術機動の粋を垣間見させていただいた。
 叶う事であれば、是非教授願いたいものだ。」
「あ…………お、お恥ずかしい限りです。私でお役に立てるのであれば、これに勝る喜びはございません、み、御剣殿。」
「いやあ、今日初めて乗っただなんて思えないよ~。あ、ボク鎧衣美琴っていいます! って、もう言ったっけ?
 あ、そうだ! 今度、帝都の事とか聞かせてくださいよ、評判のお店とか……あああ! もしかして、諸外国の大使館のパーティーとか行ったことありますか?
 ボク一度でいいから各国大使館の……」
「いや、その……大使館にお邪魔した事はないのだ。……しかし、あなたが鎧衣課長のご息女か……よろしく頼む、鎧衣……殿。」
「ええ?! 父さん、帝都防衛隊にまで商売しに行ってたんですか? 本当に手広く商ってるんだな~。
 あ、それからボクの事は美琴って呼んでくださいね。ボクも尚哉さんって呼ばせてもらいますから。」
「ああ、了解した、美琴殿。」
「あはははは、びっくりしたでしょう。鎧衣さんは話し出すと長いから、お返事するタイミングがなかなか掴めないんですよね。
 わたしもよろしくお願いしますね、沙霧さん。」
「なるほど……いや、忠告に感謝する、珠瀬殿。」

 一旦シミュレーターを降りて、待機室に集まった一同は、武の言葉を皮切りに、代わる代わる沙霧に声をかけていく。
 千鶴が、冥夜が、美琴が、壬姫が……そして、戸惑いながらも、沙霧は彼女らに応じていく。
 そして、彩峰が沙霧の前に立った。

「…………尚哉、ひとつ聞いていい?」
「―――ああ。」
「……死ぬつもりは無くなった?」
「―――生きて償わねばならぬ身だからな。易々と死は選べぬのだ。」
「そう―――だったら、仲間と認めてあげる……」
「―――ありがとう、慧。」
「……尚哉、白銀にコテンパンにされた?」
「―――ああ、手も足も出なかった。」
「……白銀は凄いよ……色々と学ぶといいよ。」
「―――そうだな。」
「……でも……馬鹿なとこは学んじゃ駄目。」
「は?」
「こら彩峰! 最後にそれか!!」
「だって、馬鹿は白銀だけで十分……」
「「「「 確かに! 」」」」
「…………やっぱ、酷ぇよ、おまえら……」

 シミュレーターデッキに笑いが響き渡った。
 千鶴が、冥夜が、美琴、壬姫、慧、まりもまでが声を上げて笑い、いつの間にか自分も笑っていることに、沙霧は気付く。

(―――なんと言う事だ。昨日、死を覚悟して決起軍を率いて起ってから、丸2日と経っていないと言うのに、何故私は心から笑えているのだろう。
 慧のお蔭か? 207Bの皆に認めてもらえたお蔭か? いや、やはり、この白銀という男のせいなのであろうな。
 殿下は、私が何を知らなかったのか、横浜基地に赴けば知る機会もあると仰せになられた。
 私はここで多くを学び、己が罪を償いながら生きて行こう。
 彩峰中将、お側に伺うことは叶わなくなりましたが、お教えを今一度噛み締めて自分が何をどれだけ成せるのか、精一杯試みてみる事に致します。)

 沙霧は、心中に今は無き恩師の姿を思い浮かべ、今一度決意を新たにするのであった。




[3277] 第53話 蜘蛛の糸、一縷の望み
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:53

第53話 蜘蛛の糸、一縷の望み

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 独自設定告知:ODLに関する設定
 今回の内容に含まれるODLの機能や組成に関する記述は独自設定に基づくものです。
 拙作をお読みいただく際にはご注意の上、ご容赦願えると幸いです。
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2001年12月06日(木)

 19時06分、B19フロアのシリンダールームに武は来ていた。
 今日の武は、いつものように霞に起されたものの、朝食もまともに取れずに、沙霧の207訓練小隊配属の件でまりもと打ち合わせたり、配属後の沙霧に対BETA戦術構想やXM3の説明をしたり、果てはなかなか溝の埋まらない沙霧と皆との間を取り持ったりと、あれやこれやと忙しく、純夏と霞に会いに来る時間が取れなかった。
 しかし、シミュレーションで明らかとなった、沙霧の衛士としての実力が突破口となり、夕食後には、少し硬さが見られるものの沙霧も207Bの皆と談笑するまでになっていた。
 それを見て安心した武は、夜間の自主訓練を休み、ようやくシリンダールームへとやって来れたのだった。

 そして、武は今日も、純夏に対する催眠療法を行っていた。シーン設定は冬休みの日中であり、自室でバルジャーノンに夢中になる武に、純夏がベッドに腰掛けてあれこれと話しかけ、武は生返事を返していた―――のだが。

「ねえ、タケルちゃん。わたし、最近ちょっとおかしくない?」

「ん? どこがだ?」

 武はのんきに応じながらも、内心ヒヤリとしていた。
 催眠治療自体は順調に進んでおり、純夏の精神は時折記憶の欠落を意識したり、封印し切れていないBETA関連の記憶に起因する情緒不安定に陥る以外は、ほぼ正常な精神状態にまで回復していた。
 武は純夏の記憶の欠落に対して、自分の記憶を補填していたが、それには純夏の記憶の欠落が表面化する必要があった。
 記憶の流入も一段落しており、BETA関連の記憶の封印にしろ、記憶の補填にしろ、一朝一夕で済む段階ではなくなっていた為、武は純夏の精神に負荷をかけないように、ゆっくりと時間をかけて進めていくつもりだったのだが……

「最近わたしさ~、なんか物忘れが激しくなっちゃってない? あ~っ! きっとタケルちゃんがわたしのこと、ぶってばかりいるからだよ!
 責任~! 責任とってタケルちゃんっ! てゆ~か取れ! 今すぐ取れ! せっき~にんっ! せっき~にんっ!取れったら取れったら取れぇ~~~っ!!」

「バカ言ってるとまたぶつぞ? 大体おまえはもともとバカだから、ぶったってこれ以上バカにはなんないの!」

「ひっどぉ~~~い! タケルちゃんがバカのくせに私を馬鹿にした~~~っ!」

 などと、一頻り騒いだ後、飽きたのか疲れたのか急に言葉を途切らせた純夏は、武のベッドにコテンと上体を横倒しにすると、武の背中にやや不安げな視線を投げやや気だるげに語りかける。

「……………………………………
 ふぅ―――でもさ、ほんとになんかおかしくない? わたし自身もそうだけど、タケルちゃんもなんか妙に優しいしさ~。
 昨日今日と、なんだかんだ言ってわたしに付き合ってくれてるし、言うほどわたしのことをぶたないし。
 それに……タケルちゃんのとこのおじさんとおばさん、それから家の両親も、冥夜の手配で旅行中なんだよね?
 なのに、冥夜はぜんっぜん帰ってこないし、連絡もないなんて、どっか変だよ……」

「冥夜や月詠さんは、御剣の本家の方に帰ってるからな。向うで色々あんだろ。」

 武は、ゲームを続けるイメージを保ちつつ、純夏の思考に集中する。
 純夏が感じている不安は、漠然としていて、謂わば武を独占している幸せの裏返しのようなものだと解るが、その根幹には武や周囲、そして自分自身に感じる違和感があった。

「そうなのかな~。なんかこ~、足元がふわふわしてるってゆ~か、夢見てるような感じなんだよね~。」

「あ~、そりゃあれだ。とうとうボケが始まったんだよ! 純夏、おまえも大変だな~、20歳(はたち)前で、もう老人性痴呆症かよ~。」

 武は純夏の不安を取り除こうと、敢えてからかってみせる。

「ひっどぉ~~~いっ! ボケてなんかないもん! タケルちゃんこそゲーム脳のくせに~! 世の中のおじいちゃんおばあちゃんに、あやまれ! あ~や~ま~れ~~~っ!」

 純夏は勢い良く上体を起すと、癖っ毛を真っ直ぐに逆立てて喚く。その思考の中には、既に不安は欠片も無かった。

「はいはい、ごめんなさいよっと! よっしゃ~、ステージクリアだ!」

「真面目にきいてよ~っ! ってゆーかきけーっ!」

「それより、晩飯はどうするんだ? スカテンでも行って食うか?」

「え? ええっ?! タケルちゃん、奢ってくれるの?!」

 期待に笑顔全開になって純夏が言う。武は悩む素振りをしながら、純夏の願いを叶えてやる。

「え~? ワリカンじゃねぇのかよ~。あ~、でも最近晩飯全部作ってもらってるしな~。今回だけだぞ? 調子に乗んなよ? 純夏。」

 武の言葉に癖っ毛をハートマークにし、目を半開きで潤ませ頬を高潮させて、純夏は喜びに浸った。

「やったぁ~~~っ! タケルちゃんと2人っきりの夕飯で、しかも奢ってもらえるなんて、嬉しすぎて夢のようだよ~~~。」

「ん? そっか、それじゃあ、夢だったって事にしとけ! でもって、食事はワリカンな?」

「駄目ッ! 駄目駄目駄目駄目駄目ぇえ~~~~ッ! もう聞いちゃったもんね、約束したよね、決定なんだからねッ!!
 えへへへへ~、何食べようかな~。マツタケはもう食べ飽きたから、カキフライがいいかな~。」

「だから、おまえが食ってきたのはマツタケじゃないって言ってるだろっ! 大体、おまえ料理の材料買いにいってて、マツタケ見たことないのかよ。」

「あ~、あの馬鹿みたいに高いマツタケ? あんなの、値段でしか物の価値を計れない人向けの贅沢品だよ!」

「オレには、おまえの思考の方が計れねえよ……」

 と、言いながら、武は純夏の思考を精査していく。思考の流入量は治療開始当初と比べると激減しており、治療中を除く一日の殆どの時間を、催眠誘導による安静状態で過ごしている純夏の精神は、瑞々しさを取り戻し活発な精神活動を可能とするようになっていた。
 この状態なら長時間に亘る治療も可能なのだが、武もそこまで時間を割く余裕がない。霞も頑張ってくれてはいるが、記憶の補填と情報流入は武でないと出来ない。
 そろそろ、治療方針を上方修正するべきかもしれないと、武は思った。

 その後、夕食から戻り、お互いの部屋に別れ、純夏は上機嫌で浴室へと向った。
 入浴シーンは純夏自身の思考をフィードバックして、半自動でプロジェクションする事で、武は自身の表層意識ではなるべく認識しないようにして済ませる。
 その後、いつものように窓越しでの会話を済ませた、純夏が日記を書き終えるのを待って、武は純夏を深い眠りへと落とした。
 最後にBETA関連の記憶に対する封印を強化すると、武はこの日の純夏との逢瀬を打ち切った。

「白銀さん……おつかれさまです……」

 リーディングで純夏の治療……というよりは、リハビリを垣間見ていた霞が、武を労う。

「ありがとな、霞。で、純夏の状態、どう思う?」

「もう、普通の人とあまり変わりません。……私のプロジェクションを受けた後も……イメージがはっきり浮かんでいます。
 前みたいに……黒く塗り潰されたりしていません。」

 霞は、真っ直ぐに意思を込めた眼差しで武を見上げる。その眼差しは、武に選択を迫るものであった。

「そうか……思ったより、大分早かったな。00ユニットになった純夏の調律の時と同じくらいは、時間が掛かると思ったんだけどな……
 じゃあ、ちょっと夕呼先生の所に行って来るよ。夕呼先生の現在位置は―――って、またあの人はこそこそと……あれは必要だからやってるんじゃなくて、趣味なんじゃないのか?」

 リーディング機能で思考探査を実施した武の言葉に、物問いたげな表情をした霞だったが、直後に髪飾りをピクンと揺らして、武を吃驚したような顔で見上げた。

「あ……白銀さん、凄いです……あの人の思考は色が薄くて、見つけ難いのに……」

「本人は、あんなに濃い性格してるのにな! 霞も一緒に来るか?」

 霞は暫く俯いて考えた後、顔を上げて応えた。

「………………はい……おみやげ、気になります。」

「そ、そっか……じゃ、行くぞ、霞。」

 武は、霞はお土産好きなのかな~と考えながら、夕呼の執務室へと向った。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 20時32分、B19フロアの夕呼の執務室は明かりが消されており、つけっ放しのモニターや非常灯の放つ薄明かりに、机や本棚がぼんやりと照らし出されていた。

「ん? 夕呼先生は留守か……霞、ちょっとここで待たせてもらわないか? 尻取りでもやってれば直ぐ戻ってくるだろ。」
「はい……」

 武はそう言いながら、ドアの横にあるスイッチで照明を点けると、ソファーの所へ行って腰を下ろす。
 そして、さり気なく室内を見回して、書棚の陰に人影を見出した。

「霞。オレの後ろに…………」
「ああ、また驚かせてしまったかね? 白銀武。」

 武が素早く立ち上がり、霞を庇おうとすると、本棚の陰の人影が両手を肩の高さに挙げて、光の下へと歩み出てきた。

「はぁ~、なんだ。鎧衣課長ですか。勝手に入るのはしょうがないとしても、明かりくらい点けて、ソファで待ってたらどうなんですか?」

「む、なんだとはまた、相変わらず失礼な男だな。それに、ソファに長く座ったりしては、自慢のコートに皺が寄ってしまうではないかね。
 コートの手入れというものにも色々とあってだね、殊に皮コートの状態を維持するには細心の注意を必要とし………………」

 またもや薀蓄を語り始めた鎧衣課長を他所に、武はソファーに座り直すと、鎧衣課長を放置して霞に話しかける。

「よし、それじゃあ、尻取りを始めるぞ。霞からだ。」
「はい……コート」「トンボ。」「ぼうし。」
「―――白銀武。人の話はちゃんと聞いた方がいい。将来ろくな人間にならないぞ? それとも、既に人間を止める決心でもしたかな?」
「シルクハット。―――ああ、鎧衣課長、あなたの邪魔はしませんから、こっちの邪魔もしないでもらえませんか? 霞、『と』だぞ。」
「トーテムポール。」
「おお、そう言えば、こないだのアメリカ土産のトーテムポールは絶品だったろう? まあ、売っていたのはネイティヴアメリカンではなく、普通の白人だったんだがね?」
「『る』か……ルーマニア。」
「ふむ、ルーマニアは現地の発音では『ロムニア』と言った方が近いのだよ。そしてそもそもの意味は『ローマ人の国』という意味でね。
 尤もルーマニアが王国として成立したのは1878年のベルリン会議で承認されてからで……」
「アメリカ。」「川。」「…………ワラキア」
「そうそう、ルーマニア王国になる前はワラキアとモルダヴィアという2つの公国でね。ワラキアと言えば有名なのが串刺し公ヴラド3世だね。」
「アーモンド。」「ドルイド」「ドラゴ、げほごほっ、ドラキュラなドラキュラ。」「……白銀さん…………」「ごめん、オレの負けです……」
「うむ。ドラキュラ公とも呼ばれていてね。ドラキュラとは本来『ドラクリヤ』即ち『竜の息子』という意味であり……」
「あんた達、人の部屋で何やってんの?」

 お互いに邪魔をしないとの妙なルールで、鎧衣課長の薀蓄と武と霞の尻取りは暫く続いたのだが、夕呼が帰ってきたことでそれも中断される事となった。
 もっとも、尻取りの方はその直前に武の敗北が決定していたが……

「これはこれは香月博士。相変わらずお美しいですなあ。」

 鎧衣課長は夕呼に向き直ると、いつもの様に美貌を讃えた。

「お世辞は要らないし、薀蓄も要らない。前置きも要らないから、本題だけ話して帰って頂戴。」

 それに対して、夕呼は叩き付けるようにして、戯言を封じ込めに掛かる。が、鎧衣課長はさらりと躱すと武に向き直って話を続ける。

「いやはや、まったくつれない女性(ひと)だ。高嶺の花というのはこういう女性(ひと)の事を言うのだよ? 白銀武。」
「ああ、済みませんけど、オレも薀蓄は要らないですから。」
「まったく、付き合いの悪い男だな、白銀武。まあ、そんな話はどうでもいい。君に用事があって訪ねるほど、私も変人ではないのでね。」
「そんな話って、夕呼先生の話じゃありませんでしたっけ? それに、それを言うなら、変人じゃなくて暇人じゃないんですか?」
「……騒がしいぞ、白銀武。さて、博士……話は変わりますが、少々よろしいでしょうか?」

 一頻り攻防を繰り返したところで、ある程度満足したのか、鎧衣課長は夕呼に向き直って話しかけた。

「話が変わるのは歓迎よ。ただし、本題以外を口にしたら撃つわよ?」

 夕呼にそう脅された鎧衣課長は、肩をひとつ竦めると、ようやく実のある話をし始めた。

「おお、恐ろしい。そこまで期待されては止むを得ませんなあ。―――昨日のクーデターの報告ですよ。やはり米国はこの基地を狙っていたようです。
 実は調査の結果、この基地にG弾が隠匿されているとの情報が、決起軍に流布されていたと判明しましてね。
 帝都を掌握し、殿下の直命を賜る事が叶えばそれで良し、賜れなくとも内閣閣僚―――彼らが逆賊と断じた者たちを粛清した後、この横浜基地を包囲し、接収または攻略するつもりだったようです。
 知らぬ事とは言え、香月博士を敵に回そうとは、なんとも恐れ知らずな事ですなあ。はっはっは。」

 朗らかに笑う鎧衣課長を半眼で呆れたように見た後、夕呼は邪悪な笑みを浮かべながら呟く。

「なるほどね。最悪そこまで行けば、米軍も横浜基地防衛の大義名分で、好き放題できるものね。
 それにしても、G弾を隠匿とは、言ってくれるじゃないの。ま、確かに材料はあるけどね~。」

 どうみても、復讐する気満々な夕呼に、武は戦慄しつつも疑問を投げかけた。

「それで、決起軍の兵士を脅すために、米国の工作員に人質に取られていた人とかは、無事救出できましたか?」

「ああ、そちらの方は、さすがに全員無傷とはいかなかったが、それなりに救出できた。犠牲者は工作員相手に抵抗を試みた2名だけで済んだ様だ。
 ―――白銀武。こちらの世界に踏み込んだなら、知っておくことだ。
 目的遂行の為には手段を選べない時もある。犠牲を厭わずに成し遂げなければならない時がな。
 そのような時、出来る事はその犠牲を無にせず、最大限に活かす事だけだ。そのタイミングと方法を心得ておくんだな。」

 武の問いに応えた後、鎧衣課長は表情を真剣なものに改めて、武に言い聞かせるように話しかけた。
 それは、自分の歩む道へとやってきた、若者への餞(はなむけ)であったのかも知れない。

「―――はい。しかと覚えておきますよ、鎧衣課長。」

 鎧衣課長の鋭い視線を正面から受け止めて武が応えると、鎧衣課長はニヤリと獰猛な笑みを浮かべて見せた。
 今は協力していても、いずれ鎬(しのぎ)を削る事もあるかもしれないと―――いや、鎬を削れるようにならねばと、武は決意を新たにした。

「はいはい、男同士で見詰め合うのはやめてよね~。」

「おや。もしや妬いていただけましたかな。なんと光栄な事だろう。君もそう思わないかね? 白銀武。」

 夕呼の忌々しげな言葉に、嬉しそうに応じてから、鎧衣課長は武に話を振ってくる。殺気を帯びかけている夕呼を見ながら、武は素っ気なく話を断ち切った。

「え~と、ノーコメントで。」

「で、米国の政府や、国内世論はどうなってるの? そっちの方も依頼しといたはずだけど?」

 さすがの鎧衣課長もここが引き時と思ったのか、今度は素直に応える。

「万事抜かりはありませんよ、香月博士。G弾大量投入により、破壊されつくした喀什の映像が、戦果を誇ろうとしたG弾信奉者の手によって、報道機関に流れるはずです。
 そして、それに対する非難が巻き起こるように、種もしっかりと蒔いてあります。
 他にも、G弾運用派や、オルタネイティヴ5推進派のスキャンダルについても手掛かりをあちこちにばら撒きましたからね。
 今頃はスクープ目当てに、さぞかし大勢の記者達が走り回っている頃でしょうなあ。
 おまけに、殿下に好意的な報道も多く流れている昨今です。米国の勢力図も大きく書き換えられることでしょう。」

「そ、さすがに仕事は堅実ね。ま、そうでなければとっくに口を塞いでるけど。」

 惚けた表情で酷い事を言いつつも、夕呼は鎧衣課長を評価して見せた。

「では、今度はこちらが質問する番です。昨日のクーデターで決起軍の一部部隊が無力化された件、そして、決起軍を空回りさせたBETA来襲の誤報。
 いずれもオルタネイティヴ4の成果によるもの、と言う事でよろしいですか?」

「知らないわ~。整備不良に只の誤報なんじゃないの~?」

「はっはっは。もしそうだとしたら、帝国軍上層部は引責辞任が多発して、偉い事になりそうですなあ。
 昨日、帝都内に展開していた国連軍横浜基地所属の部隊は、白銀武の乗る『不知火』1機のみ。
 管制ユニットは複座型だったそうですが、乗っていたのは白銀のみだったとか。それと、背部兵装担架にコンテナを搭載していたいう話も聞きますなあ。
 オルタネイティヴ4の成果は、戦術機に搭載可能という事ですか。いや、或いはそれこそが欺瞞情報か……」

 鎧衣課長は、そう言って武に鋭い視線を投げかける。

「鎧衣課長。白銀が斯衛と伝手を通じて以来、従来以上に情報は伝わってんでしょ~。
 あまり、無い物強請りをしていると、今手にしているものすら失うわよ?」

「それは勘弁願いたいものですなあ。しかし、このままでは、私の価値が下がる一方でして。」

「アメリカの情報でも引っ張ってきたら? どうせ殿下は米国との、対等な立場での融和を目指すんでしょ?
 今後はうちの情報よりも、あっちの情報の方が必要になるんじゃないの~?」

 夕呼がそう言うと、鎧衣課長は肩を竦めて引き下がり、米国相手の諜報活動を食事に例えて語る。

「いやはや、誠に仰るとおりです。しかし、米国の食事は少々大味すぎて、趣に欠けるのが難点でして。量だけは沢山出てくるのですがね。
 とは言え、ここはご忠告に従っておくと致しましょう。白銀武が間に入って以来、パイプが太くなっているのも事実ですしね。
 では、香月博士、益々のご活躍を願っておりますよ。ではな、また会おう、白銀武。」

 鎧衣課長はそう言い置いて立ち去っていった。

 そして、鎧衣課長の立っていたあたりへと霞が歩み寄って、床から東京タワーの置物を取り上げる。

「あら? 国内の品物だなんて、あいつにしちゃあ珍しいわね。でも、その東京タワーの横にへばりついてるの、何?」

 珍しく夕呼が鎧衣課長の土産に興味を示すと、霞は両手で置物を支え持って、夕呼の方へと差し出してみせる。

「……メイド・イン・USAです……『エンペラー・コング日本強襲』だそうです……」

「それはまた、微妙な選択だなぁ。鎧衣課長らしいといえばらしいけど……」

 呆れたように呟く武に、夕呼は視線を向けて訊ねる。

「―――で? 白銀、あんた鎧衣課長のリーディングはしてみたの?」

「一応、軽く覗いてみましたけど……凄いですね、あの人。表層思考で常に薀蓄情報連想しっぱなしなんですよ。
 お蔭で、メインの思考や情報が圧倒的な量の薀蓄情報に紛れちゃってて、あれじゃあ、霞には読み切れないでしょうね。
 鎧衣課長の話がちょくちょく薀蓄に飛ぶのは、即答できない時に、その時連想していた薀蓄を垂れ流してるみたいです。
 会話から連想している場合が多いんで、微妙に話題が繋がったりするんですよね。」

 感心するように話す武だったが、夕呼は辟易したようすで、武の話を軌道修正した。

「そんな知ってても意味の無い情報に興味は無いわ~。で? あんたなら、その膨大な無駄情報から、意味のある部分だけを選り分けられるでしょ?
 そっちの方だけ、さっさと話しなさい。」

「あ、はい。鎧衣課長は、00ユニットの詳細を知りたかったようですね。
 一応、戦術機に搭載可能な超高性能コンピューターを想定しているようですけど、人間に擬態している可能性も疑っています。
 擬態している場合の最有力候補として、オレに目を着けてる辺りはさすがですね。
 あとは、クーデターでの圧倒的な情報戦能力が、帝国に対して振るわれた時の事を考えていましたが、こちらはそれほど心配してはいないようです。
 万一に備えてるって感じでしたね。」

「ふぅん。ま、そんなとこか。今後諸勢力の監視が厳しくなるから、あんたも襤褸出さないように気を付けんのよ?
 で、他にもなんか用がありそうね。―――鑑絡みの話?」

 夕呼は、武の報告に予想通りといった感じで頷くと、武に言わずもがなの注意をしてから、用件を言うように促した。

「!!―――ばればれですか。そうです、純夏の件でお願い半分、提案半分で、お話があります。」

「あんたの情けない顔見れば、用件の内容は大体想像付くわよ。―――けど、社の報告じゃ精神状態は順調に回復しているって事だったけど、何か問題でも発生した?
 あの娘にはもう、あたしにとっての利用価値が殆どないから、別にどうなっても構わないんだけどね。」

 偽悪的に言ってのける夕呼に、武は慎重に話し出した。

「実は、催眠療法が上手く行き過ぎて、思考が明確になってきているんです。で、結果として、現在のプロジェクションで形成されている仮想現実に違和感を感じ始めてしまいました。
 ですから、現在純夏がおかれている状況を、捏造して伝えようかと思うんです。
 オレが『元の世界群』に逃げ帰った時、実は純夏にこっちの世界で再構成されてからのあれこれを話しちゃってるんです。
 なので、その後、こっちの世界に引き戻された際に、純夏も巻き込まれたって事にしようと思うんです。
 で、その際に建物の崩落に巻き込まれて大怪我をして、純夏は現在全身不随で治療中って事にしようかと……」

「ま~た、面倒臭い事考えたわね~。で、あたしにその設定の補強をしろっての?
 でも、現状で鑑とコミュニケーションを取れるのは、あんたと霞だけだし、それならあたしにわざわざ話を持ってきたりはしないわよね?
 鑑を00ユニット化する決意でもしたの?」

 夕呼は面倒臭そうにそっぽを向いて吐き捨てると、そのまま横目で武を睨んで訊ねた。

「いえ、そうじゃないんですけど……いや、そうなっちゃった時の事も含めてかな?
 もし、オレが何らかの理由で機能停止したら、次の00ユニットの素体候補は純夏ですよね?
 それ以外にも、今後の展開によっては00ユニットが複数必要とされるかもしれない。
 場合によっては、207BやA-01の誰かが素体になるかもしれない。
 そんな状況も含めて、現状の純夏と、00ユニット化した素体適格者のその後についての提案なんです。」

 武がそこまで話すと、夕呼は眉を跳ね上げて、ようやく興味を示した。

「―――ふぅん、なんか思い付いたって顔ね。いいわ、言ってみなさい。」

「実は、BETAが捕獲した人間相手に行った調査行為―――なんでしょうね、一応―――あれの中に、人体の細胞を変質させたり増殖させたりして、短時間で身体構造や形状を変貌させているケースがあるんです。
 極端な例だと、それまで存在しなかった器官を、神経や内分泌系も含めて新たに増やしてしまったりもしていました。しかも、数時間の内にです。
 BETAが、調査が終わった後のサンプルを脳幹の状態にして保管していたのも、どうやら調査の結果、人間の個を確立しているのは脳幹の部分だけであり、その他の部分は付属物であると、そう結論付けたかららしいんです。
 逆に言うと、BETAにとっては、脳幹さえとってあれば、必要になり次第、元の状態に容易に戻せるということなんですよ。」

「元の状態って―――あの状態から、人間を五体満足に戻せるって言うの?!」

 武の話の突拍子の無さに、さすがの夕呼が驚愕の声を上げる。武は夕呼に頷きかけると話を続けた。

「そうなんです。BETAの炭素系有機組織に対する技術力は非常に高く、相当容易に身体構造を弄れるらしいんです。
 どうやら、細胞核に直接刺激を与えて変質・増殖を促すと同時に、必要なエネルギーを供給するらしいんですけどね。
 ……そう言えば、『元の世界』で『ミトコンドリア・イヴ』ってゲームがあったなあ。あれはミトコンドリアが指令を出して、生物を変貌させるんだっけ……
 あ、すみません、脇道にそれました。で、ここからが提案なんですが、このBETAの細胞操作技術を基にした医療技術を確立できれば、脳幹の状態……いえ、細胞のレベルからでも人間の身体を再生可能だと思うんです。
 勿論、ここまで極端でなくても、失ったり機能不全を起した身体器官の再生医療として捉えただけでも、画期的な技術になるはずです。
 そして、人格転移手術によって生命活動を停止した素体に関しても、素体の身体を冷凍保存かBETAの炭素系有機組織保持技術によって保存しておけば、00ユニットから人間の身体への人格再転移手術が可能じゃないかと思うんですよ。
 ただ、残念ながら、横浜ハイヴのBETA調整用バイオプラントは、BETA生産装置と認識され、『明星作戦』の折に破壊されてしまっています。
 その為、詳細な解析には稼動しているバイオプラントが必要になるわけですが……」

 ここまでの武の話で、大体の方向性が掴めた夕呼は、武の言葉を引き継いで自分の考えを述べる。

「なるほど、『甲21号作戦』で入手しようってのね?
 確かに、BETAのバイオテクノロジーは魅力的だわ。それが自由になるなら、人類はBETAに対して優位に立てる。
 けどね白銀、それはパンドラの箱よ? 00ユニットと同様、下手すればそれ以上に、人類に仇為すかも知れない技術だわ。
 それを承知で言ってるの?………………そう、解っていて、その上で言ってるのね?
 オルタネイティヴ4で、その技術を秘匿して運用しろと…………
 いいわ。どうせ地獄の底まで覗き込む覚悟は済ませてるし、その技術を解析し、人類の手に負える範囲までダウングレードして再構成出来そうな人材にも、ちょっと心当たりがあるからね。
 で、あんたとしては、その技術を使って、鑑の体を人間として再生したいって訳ね?」

 夕呼は、武が行おうとしている事の危険性を指摘し、武がそれを承知していることを確認すると、邪悪な微笑を浮かべて武の提案を承諾。その上で、私人としての武の願いに言及する。

「―――はい。お願いできないでしょうか?」

 そんな夕呼に対して、酷く申し訳なさげに頭を下げる武。
 夕呼は、そんな武を鼻で笑いつれない返事をするものの、武と純夏にその権利を得る資格がある事を示唆してみせる。

「その返事は保留させてもらうわ。けど、あんたと鑑はこの世界に大きな成果をもたらしたし、これからも、さらにもたらすでしょうね。
 だから、何時とは言わないけれど、その位の我儘は許される時が来るかもしれないわね。
 ―――てことで、それまで粉骨砕身して働くのね。それ次第で、鑑の再生も早まるかもしれないわよ~。
 あ、それともさっさと00ユニット化しちゃう?
 その技術が確立できれば、人間に戻れるんだから問題ないじゃない! そうしなさいよ~。」

 夕呼が冗談半分に提案すると、武は急に深刻な陰りのある表情になって、懇願した。

「勘弁して下さいよ先生。人格転移手術は決して成功率が高いとは言えないじゃないですか。
 オレ自身の00ユニット化は、10に1つでも成功すれば、00ユニットとして、人間の時とじゃ比較にならないほどの成果を上げ、『次の世界群』に持ち越せる―――だからこそ、リスクを承知で志願したんです。
 飽く迄も可能性の話ですが、00ユニットとしての能力で、人格転移手術自体の成功率を上げる方法を見つけられるかもしれませんしね。
 けど、オレにとって誰かを00ユニット化するってことは、その人物が人格転移手術に失敗して死亡する確率分岐世界も、ほぼ間違いなく生み出すってことなんです。
 オレはね、先生。自分に関してなら、派生する全ての確率分岐世界から成果を得る事が出来ますけど、そのかわり起こり得る悲劇の殆どを享受せざるを得ないんです。
 だから、自分から悲劇を起すような真似はなるべくしたくないんですよ。」

 武の、心の奥に蟠る暗がりから搾り出したような言葉に、夕呼は暫く黙考して応えた。

「―――なるほどね。鑑を脳幹のままで保持しようとした理由はそれだったって訳。あんたにとっては現状維持が最もリスクが少ないってわけね。
 にも係わらず、あんたは現状に満足できないから、あれこれと動いて世界に干渉して変貌させていく。
 そして、全ての成果と悲劇を掻き集めて、何度も何度もより良い結果を出すために足掻き続ける覚悟だってわけ。
 立派なもんじゃないの! よくまあ、そんな事ヤル気になったわね。 あんたの物好きも、相当なもんよね~。」

 武の抱え込んだ鬱屈を理解し、それでも尚、夕呼はいとも簡単に武の境遇を茶化して見せる。
 武は夕呼のその言動に、救われた様に明るい顔になって、応えた。

「やだなあ、夕呼先生。そんなに誉めないでくださいよ。それに、まだ始めたばっかりなんですから、やる気を削ぐのも勘弁してください。
 で、そういう事を考えていますんで、純夏が身体を―――どちらのにしても―――手に入れた時に、備えておいて欲しいんです。
 オレの時だって、月詠さんに疑われたり、あれこれありましたしね。」

 武がそういうと夕呼は口を歪めて、嫌々ながらに手抜かりを認めた。

「ちっ……解ったわよ。あんたの時は、確かに城内省のあんたのデータを見逃したわよ!
 けど、あんたみたいな一般人が、城内省のデータベースに載ってるなんて普通ないんだからしょうがないじゃないの。
 今回はあんたが情報改竄しとけばいいでしょ。まあ、鑑の近親者はBETAの侵攻で全員亡くなっちゃってるしね。
 あの脳幹と『鑑純夏』個人を結びつけるデータはないはずだけど、一応、鎧衣のとことかデータを浚っておきなさい。
 鑑自身には、『この世界』の自分が別にいて、BETAに捕まってたらしいって言っておくといいわよ。
 見たくない現実に直面した時の為に、逃げ道を用意しておいてやるの。そうすれば、自分で自分を欺瞞してくれるわ―――大抵ね。」

 武は夕呼の言葉に頷いた。

「解りました。じゃあ、表向きはオレと同じく、BETA横浜侵攻後に先生に保護されて、崩壊した精神の治療を受けていたって事にしますね。
 それに類する極秘データの痕跡や断片も捏造しておきます。疑うのは鎧衣課長くらいのもんでしょう。」

「そうしなさい。で、話は変わるけど、リーディングデータの解析は大分進んだのかしら?
 まさか、さっきの情報解析を最優先してやってたわけじゃないでしょうね?」

 夕呼が視線を鋭利にして武に問いかける。

「まさか、ちゃんと進めてますよ。データーの大別は済みました。
 解析は、全ハイヴの地下茎構造とか戦力配置などの純粋なデータを放置して、その他の情報から解析しています。
 バイオプラントの情報も、BETAの種族的起源の情報を探していて見つけました。
 最初は、統括反応炉が支配種族の命令を受けて、各ハイヴの反応炉を通じてBETAを操っているのかとも思ったんですが、オリジナルハイヴの地下茎構造やBETAの配置を見ても、それらしい区域が無いんです。
 どうやら、統括反応炉が何かしらの指令を受けているとしても、支配種族は地球上には居ないようですね。で―――」

 武がそう言うと、夕呼は武の言葉を片手を振って遮った。

「ちょっと待ちなさい、白銀。その、支配種族ってのはどっから出てきたのよ。」

「え? ああ、まだ言ってませんでしたね。これはオレの仮説なんですが、BETAの思考は生物学的反応を利用したプログラムみたいなものに過ぎないと思えるんです。
 反応炉のリーディングの時にも、オレ、言ったじゃないですか。思考ノイズが皆無で、思考自体もまるっきりプログラムみたいだって。
 BETAって、満足感というか、達成感みたいなものと引き換えに、プログラム通りに動いているだけって感じなんですよ。
 そして、そのプログラムに相当する膨大な判断基準とそれに対応する行動は、統括反応炉から反応炉に伝えられ、反応炉から個々のBETAに該当する部分のみが伝えられるんです。
 ―――ODLと、ほぼ同質の液体によってね。」

 夕呼は瞳を煌かせると、満足げに頷いて言った。

「やっぱりBETAへのエネルギー供給に使われていたあの液体は、ODLと同質だったのね?
 組成比率が大分違っていたし、外部からの観察を断続的に遮る性質のせいで、効能がはっきりとしなかったのよ。」

「あれの役割は、情報の伝達と、エネルギーの供給ですね。あと、安全装置のような役割も果たしているようです。
 BETA用ODLに含まれる情報転写物質とでも呼ぶべき粒子が、外部からの観測が遮断されている間に、循環しているBETAの記憶野と情報の転写を行うようなんです。
 そうやって、BETAには最新の判断基準と命令を、BETAからはそのBETAが遭遇した事象に関する情報をそれぞれ転写するんですよ。
 そして、ハイヴでは反応炉から新しいODLが供給され、BETAの体内のODLが反応炉に回収されます。
 この回収したODLから、反応炉はBETAの得た情報を取得する、そういう仕組みなんです。
 エネルギーは、ODLからBETAの各細胞核へ直接供給されるようですね。それ以外に、観測遮断をする時にもエネルギーを消費するようです。
 BETAに消化器官が無いのは、ODLから直接エネルギー供給を受けるためですね。
 そして、観測遮断の発生は、情報転写物質と循環個体の持つ情報に差分が生じた時に起きるようです。
 記憶流入や、強い情動が発生すると、情報転写物質はそれらを転写しようとして観測遮断を連続して行います。
 これが、ODL異常劣化の原因でしょうね。
 そして、情報転写物質が保有する情報量が多くなるのに従って、観測遮断で消費するエネルギーの量も増大します。その結果として、情報転写物質の情報量が膨大になると、ODLはエネルギー供給を行っても、端からエネルギーを消費してしまって、その機能を停止してしまいます。
 ですから、反応炉による浄化では、エネルギーの再充填と同時に、情報転写物質の保有情報の消去を行っているわけですね。
 00ユニットや純夏のシリンダーを満たしているODLは、放出するエネルギー量を抑え、情報転写物質を莫大な量に増加したもののようです。
 人間の生体組織が耐えられるレベルにエネルギーを抑えている癖に、情報転写物質が頻繁に観測遮断をして情報転写を行うせいで、72時間しか持たないんですよ。
 簡易浄化システムでは、情報転写物質の保有情報の消去が出来ないため、時間が経過するごとに浄化効果が減少し、最終的にはODLが不活性化する、そういうことになるようです。
 ですから、BETAの場合は、一回の補給で長期間活動できますが、それでも、一定期間以内に反応炉に帰還してODLの交換を行わないと、エネルギー供給を絶たれて活動を停止するってことに、変わりはないわけです。」

 夕呼は、満腹になった猫のように目を細めて笑みを浮かべた。

「なるほどねぇ~。情報転写物質なんて代物が鍵だったわけね。
 しかも、情報転写の仕組みが観測遮断による彼我境界の曖昧化による情報均等化だって言うなら、そんなの気付きっこないわよね~。
 ODLの単位時間当たりのエネルギー消費量の平均値が、供給してからの経過時間に比例して増大する傾向は掴めてたけど、そんな理由だったとはね。
 しかも、今の話からすると、統括反応炉の最終命令に等しい判断基準と命令はあんたがリーディング済みなんだから、それさえ解析を済ませれば、BETAの戦術行動は全てシミュレートできるって事じゃないの。
 たった数日で、今まで長年に亘って謎とされていたBETAの実態がここまで明らかになるなんて…………やっぱりあたしの方針は正しかったんだわ!
 全人類はあたしを褒め称えるべきよ! 白銀もそう思うでしょ?」

 夕呼のはしゃぎっぷりに、武は苦笑しつつも、心の底から同意した。

「ええ。夕呼先生が居たからこそ、人類は救われるんです。先生が居て、純夏が居て、霞が居て……絶望に負けずに希望を持ち続けたからこそ、ようやく勝利に手が届くんです。
 今度こそ……今度こそ、BETAから地球を取り返しましょう! 先生!! 霞!」

「あったりまえよ! ここまで来て、水の泡になんてしないわよっ!!」

「はい……がんばりましょう……」

 深き地の底、この世の地獄に生きる香月夕呼の執務室に、ようやく得た希望を信じる3人の誓いが響き渡った……




[3277] 第54話 『神の刃』は人類(ひと)の――― +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:54

第54話 『神の刃』は人類(ひと)の――― +おまけ

2001年12月07日(金)

 06時32分、まだ人気の少ない1階のPXに、驚愕の叫び声が上がった。

「なっ! 何をしているっ! 公衆の面前でそのような秘め事をするなど、恥を知れッ!! そもそも男女7歳にして席を同じゅうせずと言ってだな―――」

「秘め事って…………沙霧さん、ここは一応国連基地ですから、文化圏としては日本とは少し違うんですよ。
 仰る事にも一理あると思いますが、まずは落ち着いて、席に着いてください。
 ―――霞、ビックリしたか? 大丈夫か? 」

「は、はい……びっくりしました……」

「そ……それは、申し訳ないことをした……」

 朝も初めから、沙霧に怒鳴られた武は、半ば呆れつつも沙霧を宥めて席に着かせた。
 霞は沙霧の発した怒鳴り声に目を大きく見開いて、瞬きを繰り返していたが、武が覗き込むようにして声をかけると、ようやく落ち着きを取り戻す。
 その様子を見て、沙霧も罪の意識に駆られたのか、神妙に霞に謝罪を述べた。

「白銀さん、あーんです……」

 落ち着きを取り戻したのはいいのだが、霞は即座にあ~んを再開しようとする。

「いや、ちょっと待ってくれ、霞。先に沙霧さんと話をさせてくれないか?」

 霞は、武の言葉に沙霧と武を交互に見ると、はしを置き両手を膝の上に揃えて目を伏せた。
 その、どことなく悲しげな風情に、沙霧は少なからず怯み(ひるみ)ながらも、武に対して意見し始めた。

「白銀殿、如何に国連軍の基地とは言え、日本男児たるもの公衆の面前にて、互いに食事を与え合うなど、破廉恥極まりない行為だと思わないのか?
 そういった事は、周囲に人目の無い環境でこそ、行うべきであろう。」

 沙霧は、霞の側がこの行為に強い意欲を持っていることを看破し、武に対して揺さぶりをかけようと試みる。

「まあ、沙霧さんの言う事も解らないでもないんですけど。一応朝食時間の初っ端の人の少ない時間帯を選んでるんで、勘弁してもらえませんか?」

 『前の世界群』でシリンダールームで霞と朝食を取った時の事を思い出しながら、武は下手に出てみた。
 今更、純夏の脳幹を不気味だとは思わないが、それでもあの部屋は食事に向いているとは思えない武であった。

「む…………しかし、少ないとは言っても、居ないわけではないのだし…………」

 武に下手に出られて、納得は出来ないものの、かと言って霞の手前強弁もし難い沙霧は、腕を組んで唸り始めてしまう。
 そうこうする内に、朝の早い千鶴と冥夜が朝食を持って席へとやって来た。

「おはよう、白銀、社―――それから、沙霧さんも……って、どうかしたんですか?」
「ふむ、タケルと社はいつも早いな。沙霧殿も―――む、どうかされたか?」

 そして、沙霧が唸っているのに目を留めて、心配そうに訊ねる千鶴と冥夜。その声にはっと顔を上げて挨拶をする沙霧。

「榊分隊長に、御剣殿。おはようございます。……いえ、その……さきほど白銀殿がそちらの娘御から手ずから料理をですね……」

「ああ、あ~んね。」「うむ。そうか、沙霧殿はあ~んを見るのは初めてであったな。」

「は?! お2人ともご存知なので?」

 特に気にした様子も無く納得する2人の様子に、驚愕の眼差しを向ける沙霧。その沙霧に2人は苦笑を浮かべながら席に着く。

「ご存知も何も、毎朝の事だもの……いい加減慣れるわよ。」
「ああ。私も最初の頃こそ驚いたものだが、何時の間にか気にならなくなっていたな。」
「ま、毎朝?! ……そ、そんなものでしょうか?」

 沙霧がさらに告げられた言葉に目を白黒させていると、背後から痛恨の一撃が叩き込まれた。

「……尚哉、結構純情?」
「くッ! け、慧?! 私は別に―――」
「あっれぇ~、たけるさんがまだ食べ終わっていないなんて、珍しいですね~。あ、みんなおはようございます~。」
「みんな、おっはよぉ~! あれ? 尚哉さんどうかしたの? 朝食に苦手なものでも入ってた? けど、好き嫌いは良くないよ~。
 確かに合成食材は、味は今ひとつだし変な風味があったりするけど、逆に言えば本来の食材の風味をちゃんと再現できていないって事なんだ。
 だから逆に言えば、例え嫌いな食材でも合成食なら食べれたり……」
「よ、鎧衣殿、別に食事が問題なわけでは……」
「やだなあ、ボクの事は美琴って呼ぶって約束したじゃないかぁ~。ほら、尚哉さん、言ってみて~。」
「み、美琴殿。」
「よく出来ました~。でね、ボクも蛇だけは苦手で、仕方なく食べる時も我慢して飲み込むのがやっとなんだけど……」
「いや、美琴殿、食事の問題ではないのだ。問題なのは、白銀殿と―――白銀殿ッ! 何故、何事も無かったかのように、再開しているのだ!
 話は未だ終わっては―――「尚哉うるさい……」―――ぐ……」
「あ、沙霧さん、話は後でちゃんと聞きますから。メシが冷めちゃうんで、今日のところは勘弁して下さいよ。頼みます!」
「む…………しょ、承知した……」
「なんだか、わたしの挨拶、有耶無耶にされたような気がします~。」

 そして、慌てて弁解する沙霧に、壬姫の挨拶に続けて、美琴の決め付けが炸裂し、話の方向はさらに混沌としていく。
 武は、この機を逃さずに霞との食事を再開したが、沙霧が気付いて咎め立てしてきた為、片手を立てて拝んでこの場は見逃してくれるように懇願した。
 沙霧も、これを受け入れたため皆が食事に戻ったのだが、挨拶の返事をもらえなかった壬姫が、ひとりしょんぼりと項垂れていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 07時56分、武はヴァルキリーズが使用申請しているブリーフィングルームの扉を開いた。

「「「「 !!―――白銀中尉! 」」」」

 が、室内に入るなり、葵、多恵、月恵、智恵の4人が、席を立って駆け寄ってきたため、つい後退ってしまう。

「わわっ! ちょっと白銀っ! あんた、何、急に後ろに下がってんのよっ!―――って、久しぶりねぇ、今日は訓練に参加出きんの?」

「あ、どうも、ご無沙汰して―――」
「「「「 は、速瀬中尉?! お、おはようございます!!」」」」

「ん? おはよー。は、は~ん。白銀が下がってきたのは、あんたらのせいね~。」

「「「「 ひっ!! 」」」」

 水月の右目がキランと光り、睨まれた4人が微かに悲鳴を上げて硬直する。
 しかしそこで、水月の背後の廊下から、のほほんとした声がかけられた。

「水月~。そこで立ち止まられると、あたしが入れないよお。それに、時間ももう余裕ないよ?」

「げっ?! や、やばいっ! あ、あんたらもさっさと席に着きなさい! ほらっ、白銀も。」

 先日の腕立て300回がきつかったのか、水月は慌てて席に着こうとする。
 武に駆け寄ってきていた4人も、慌しく逃げるように席へと戻った。

「了解です。あ、涼宮中尉、おはようございます。」
「白銀中尉。おはよう。久しぶりだね。クーデターの朝以来だから、2日ぶりかな?」
「そんなとこですかね~。」

 慌しい5人を他所に、武と遙はゆったりと挨拶を交しながら、席へと歩いていって座った。
 そして2人が着席した直後に、時計の秒針を睨んでいたみちるが、顔を上げる。

「よし! 全員揃っているな。白銀、午前の訓練は参加でいいのか?」

 ブリーフィングルームに集まっているヴァルキリーズ+1を見回して頷くと、みちるは武に問いかけた。

「はい。それと、クーデターに関するデブリーフィングと、XM3への換装及び明後日に行われるトライアルに関して説明する時間を頂戴できますか?」

 そして、武が幾つかの依頼をすると、みちるは快諾して、クーデターのデブリーフィングから開始する。

「ああ、いいだろう。では、まずはクーデターのデブリーフィングから始めるとしよう。とは言っても、我々は多摩川の手前で待機していただけだがな。」

 みちるの言葉を受けて、武がクーデターがすんなりと納まった原因を説明する。

「今回は、首謀者の沙霧尚哉が素直に殿下に恭順の意を表しましたからね。」

「それよ! わざわざ決起したくせに、ちょっと殿下と話せただけで舞い上がって言い成りになるなんて、根性足んないのよそいつ!」

 水月が、暴れられなかったのはそいつのせいだと言わんばかりに噛み付くと、晴子がからかうように情報を提供して火に油を注いだ。

「あっれぇ~。そんな事言っていいんですか? 速瀬中尉。その沙霧って人、今207訓練小隊に配属になって、この基地に居ますよ? 知らないんですか?」

「ぬぅあんですって~~~! 白銀! ほんとうなの?」

 晴子の話しを聞くなり、矛先を変えて武に噛み付く水月。晴子以外のヴァルキリーズも、沙霧の件は初耳だったらしく、皆それぞれに驚きを表していた。

「なに? 沙霧が訓練生だと?」「え? じゃあ、任官したらA-01にくるのかな?」「む……衛士としての腕はいいらしいですが、うちの隊に馴染めるかな?」「大分真面目な方だと聞きますから、少し難しいかもしれませんわね。」
「えっと……葉子ちゃん、みんなぁなに驚いてるのぉ?」「葵ちゃん……話はちゃんと聞いてようね。」「姉さん。クーデターの首謀者が、今この基地の訓練校に在籍してるんだって。」「へ~、それで?」「葵ちゃん……」
「ちょっと晴子! そんな話どっから仕入れてきたのよ。」「PXだよ、茜。京塚曹長直轄のPXじゃ、207訓練小隊は何だかんだ言って注目の的なんだよ。」「そ、そそそ、それはぁ、茜ちゃんも注目されてたって事ですか~~!」「なるほど~、PXの人に噂話を聞けるって訳ね~。」「なっるほどねっ! やるじゃん晴子!」

 武は、いきなり騒がしくなった室内を見回してから、水月に向って応えた。

「―――まあ、事実ですね。現在、帝国本土防衛軍の軍籍を剥奪された沙霧尚哉は、当横浜基地衛士訓練学校第207訓練小隊所属の衛士として任官を目指しています。
 総戦技演習と、基礎訓練は免除されました。予定通りに事が運べば、トライアル終了後に国連軍衛士として任官する事になるでしょうね。
 配属先は、勿論A-01連隊です。」

 少し考えて、どうせ数日中には解る事と判断し、武は質問に正直に応えた―――が、その言葉は更なる騒ぎの火種となる。

「それは本当なのか! 白銀。」「なによそれ! 昨日の敵がなんだって後輩になってんのよっ!!」「う~ん、どうしてそういう事になったんだろ。」「そこまで予定が組まれていて、白銀が知っているということは―――」「副司令が手配なさったんでしょうね。ですけど、その理由は一体?」
「あ、なるほどぉ、後輩が増えたんだねぇ。あたしやっと解ったよ。」「葵ちゃん……その後輩が誰かが……問題なんだってば……」「葉子さん、姉さんは差し当たって、放って置きましょう。」「え~? 紫苑ひどいぃ。」
「え? えええ? この部隊に配属になるの?!」「ん~、現状で中隊定数満たしてるからね。他に中隊作るって可能性もありかもね、」「でも~、207Bは現在、白銀中尉に沙霧訓練兵を加えても7人ですよ~」「う~ん。それじゃあちょっち、人数足りなくない?」「あわわわわ……あ、茜ちゃんが狙われているのです~。」「ちょっと多恵! 妄想に浸って縋り付いてくんのやめて~!」「あはははは。」

 おおよそ3つのグループに分かれて、それぞれが並行して進行する発言を、00ユニットとしての処理能力で、しっかりと聞き分けながら武は思った。

(なるほどなー。『前の世界群』で純夏をヴァルキリーズに紹介した時にはオレも驚いたけど、なるほどこれは楽だよなー。
 同時に幾つもの発言を処理しておいて、いざ判断しようとする時には、個別にちゃんと聞いたように、総合して判断できるんだもんな。
 しかも、忘れたり、こんがらがったりもしないし……)

 自分の機能を、『前の世界群』での純夏の言動と照らし合わせて実感しつつも、武はさらに説明を続ける。

「本当っていうか、一応予定ではそうなってますね。
 207訓練小隊が予定通りに任官されたら、オレと沙霧さんを除く5人はヴァルキリーズに配属になります。
 以降、18名の増強中隊として活動してもらいますのでそのつもりで居てください。
 近々、伊隅大尉と相談するつもりだったんですけど、1個小隊6人で複座型3機、陽動支援機6機、随伴輸送機3機の12機編制を考えています。
 オレと沙霧さんは、折角のヴァルキリーズの伝統を台無しにするのも申し訳ないので、別の中隊を立ち上げる事になりそうです。
 作戦行動時には、一緒に行動したり、人員を融通してもらう事もあり得ますので、その時はよろしく。
 まあ、いずれにしても、この辺は207が任官してからって事で、今日のところはこの辺で勘弁してください。」

 一応決まっている事や、考えている事を説明しきって、武は両手を肩の前まで上げて、追究を止めてくれるように懇願した。

「ふむ―――無理矢理聞き出すような真似をして、済まなかったな、白銀。先程の新編制の話は、また機会を改めてだな。
 A-01に新たな中隊が復活するのも大歓迎だ。なにしろ、今までは補充すら追いつかない有り様だったからな。」

 瞑目して語られた、みちるの言葉の後半に、先任達―――特に古株の葵や葉子、水月と遙の表情が曇る。
 しかし、4人はお互いに目配せをすると、頷き合って未来への決意を確固とする。
 そして、その様子を美冴と祷子が嬉しそうに見ていた。

「では、話を戻そう。先程も言った通り、我々の側には取り立てて論ずべき事はない。緊急展開用ブースターユニットも、中距離データリンク増幅システムも、何れも使用しなかったからな。」

 みちるが話をクーデター当日のデブリーフィングに戻すが、本当に論じる点がないらしい。武もそれを受けて、デブリーフィングをまとめにかかる。

「緊急展開用ブースターユニットは演習場での実機テストで十分ですし、中距離データリンク増幅システムは帝都で使用した場合の民間への影響が心配されていましたから、使わずに済んで良かったと思うことにしましょう。
 帝都内の方も、想定された中でベストに近い推移を見せましたからね。今回は上手く行き過ぎたって事で片付けて良さそうですか?」

「そうだな。で、次はXM3への換装だったな。その話は私の所にもきている。
 いいか、本日、我々の運用している機体は、試作OSの量産型であるXM3への換装作業が行われる。
 明日は1日実機演習でXM3への慣熟を行うが……白銀?」

「はい。XM3に換装するとは言っても、蓄積データは全て引き継がれますし、従来の機能は全て問題なく働く筈ですので、今まで通りに使う分には違和感も無いと思います。
 追加された機能は、機体のデータベースにあるバージョンアップデータを見てください。
 目ぼしい所では、『分岐コンボ』や『同期コンボ』が搭載され、『索敵情報統合処理システム』が部隊内データリンクを経由して複数の機体のCPUで分散処理可能になっています。
 お解りでしょうが、分散処理がなされる事によって、統合処理を行っている最中でも、ある程度の行動を戦術機に取らせる事も出来る様になります。
 もっとも、戦闘機動までは難しいと思ってください。ただし、無人機に処理を多く割り振れば、戦闘と統合処理を同時に行う事も一応は可能です。」

「つまり、部隊内データリンクを経由して、部隊所属機全体に、統合処理の負荷を分散できるんですね。
 対BETA戦術構想では、待機や後方支援に専念する機体が出易いですから、それらのコンピューター資源を有効活用できるということですね。」

 武の説明に、遙がCP将校らしい分析を述べる。武はそれに頷いて話を続けた。

「さすがですね、涼宮中尉。その通りです。ただし、それには各機のコンピューター資源の使用率を見ながら、分散処理の細やかな負荷配分設定をしなければならないので、それが出来る人材は限られるでしょうね。
 現状のヴァルキリーズでは涼宮中尉と桧山中尉、風間少尉に柏木ってとこですか。―――高原は頑張って訓練すればいけるんじゃないかな?
 ああ、小隊長のお三方は、部隊指揮がお忙しいでしょうから除きました。」

 武が自分を睨みつける水月に気付いて釈明したが、ここでもまた火に油を注ぐものがいた。

「よかったですね、速瀬中尉。能力や適正ではなく、役割分担のせいだそうですよ? 白銀、おまえも本音を隠すのが上手くなったな。」
「白銀! 本音って何よ、本音ってぇえっ!!」
「―――だから、特に本音なんて無いですけど、そもそも速瀬中尉は自分で分散処理の制御をしたいんですか?
 適材適所、各々が役割を分担し、連携してこその部隊でしょう……」

 美冴の発言に逆鱗を逆撫でされた水月が吠えるものの、武は正論で宥めようとする。
 武にとって幸いな事に、切りが無いと見たか、ここでみちるが介入し話を進めた。

「白銀の言う通りだな。速瀬、その辺で納得しておけ。―――白銀、『分岐コンボ』と『同期コンボ』だか、登録はやはり自動では無理か?」

「そうですね。出来ない事もありませんが、最低限トリガーの設定や、複数の自動登録コンボの関連付けは必要です。
 出来たら、自動登録コンボのシェイプアップもした方がいいですね。一応、編集用プログラムもありますので、それを使う事になると思います。
 正直、『分岐コンボ』や『同期コンボ』は実用レベルまでもっていくのは相当手間隙がかかりますね。
 しかも、出来上がった後で、使用者が慣熟する時間も要りますから、『分岐コンボ』と『同期コンボ』は起動ロックがかかっています。
 使用する時は、コンボ毎にロックを解除しないと発動しないって事ですね。」

 武の説明に頷くみちるだったが、その瞳は力強い光りを湛えており、新機能をモノにする気満々である事を窺わせる。
 他の面々もそれぞれに新しいXM3に興味と意欲を抱いている事が、その場の雰囲気から十分に汲み取る事ができた。

「なるほど。上級者向けということだな。―――XM3関係はそんなところか?………………よし。
 次は、トライアルだったか? 明後日実施という事だが、未だ詳細な内容が発表されていないな。」

「トライアルに参加する外部の部隊には、実機での模擬戦を含むとだけ、伝えてありますけどね。
 横浜基地の戦術機甲部隊には、明日の朝に通達が回る筈です。で、何故A-01だけ今お話しているかというと……」

「主役だからよね?! あたし達がXM3の精鋭部隊として、並み居る戦術機甲部隊をばったばったと……」

 武の説明を遮って水月が声を上げるが、武はそれをあっさりと否定する。

「いえ、A-01は、今回のトライアルには参加しません。」

「「「「「 え~~~~~っ! 」」」」」

 水月を筆頭に、葵、多恵、月恵、智恵が不満げな声を上げる。水月はともかく、その他の面子に違和感を感じた武だったが、まずは説明を済ましてしまうことにした。

「いや、だってA-01は機密部隊ですから、模擬戦に出せるわけ無いじゃないですか。
 表向きは教導部隊って事になってますけど、まさか『不知火』で帝国軍相手に喧嘩売るわけにもいかないでしょう。
 『不知火』は帝国軍でも配備が遅れてる機体ですよ? 1機や2機ならともかく、部隊単位で出すわけにはいかないでしょう。
 とにかく、トライアル当日は、司令部直属という事で、あれこれ裏方を勤めていただきます。
 特に重要なのが、米国の戦術機甲部隊の案内と、横浜基地地下構造部の警備です。米軍の案内は動向の監視もしなければならないので、伊隅大尉と涼宮中尉にお願いします。
 地下構造部の警備の方は、速瀬中尉と宗像中尉で交替で務めてください。
 で、それ以外に、トライアルの進行とかXM3の説明なんかを、ヴァルキリーズにやらせろって夕呼先生が言うんですけど……」

 武がそう言った途端に、葉子が愕然とした表情を見せ、葵が満面に笑みを浮かべ、他のヴァルキリーズが一斉にその2人に注目した。

「む……副司令、気に入っていたようだからな。」「あはは、葉子さん気を落とさないでね~。」「葵さん、あたしは、応援するわよぉ~。」「確かに一見……いや、一聞の価値はあるからな。」「でも、葉子さんがお気の毒です。」「風間、そんな事言ってるけど、笑みがこぼれてるよ?」「あら……水代少尉、お恥ずかしい所をお見せしました。」
「ねえ、これって噂のあれ?」「噂って、私と、あ、あああ、茜ちゃんの?」「多恵、そんな噂は無いから。じゃなくって、今年の新年会でやったってやつじゃないかな?」「晴子~、それってもしかしてあの?」「やったぁ~! 遂にっ、私らも聞けるんだねっ!」

 何やら、妙に盛り上がるヴァルキリーズに首をかしげながらも、武は言葉を続ける。

「で、香月副司令が水代中尉と桧山中尉をご指名なんですけど、お願い出来ますか?」

「はい! 任せてぇ下さいぃ。頑張ろうねぇ、葉子ちゃん。」
「また……またあれを……やるの?」
「葉子さん、済みませんけど、姉さんをお願いします。」

 盛り上がってやる気満々の葵に、どんよりと落ち込む葉子、その葉子を励ます紫苑。その3人を見て、武はまたもや首を傾げたが、一応了承は取れたものとして、話を切り上げる事にした。
 そしてその後、午前中から午後にかけてのシミュレーター演習のブリーフィングが行われ、全員にシミュレーターデッキへの移動が命じられた。
 水月は踊るような早足で真っ先にブリーフィングルームを出て行き、慌てて遙がその後に続く。
 そして、水月の姿が視界から消えるのを待っていた葵、多恵、月恵、智恵の4人が、武の下に殺到して取り囲む。
 ブリーフィング開始前の様子から、こうなる事を予想して席に座ったままだった武は、4人の顔を見上げる。

「で、何の用なんですか?」

 困惑顔で訊ねる武に、必死の形相で4人は口々に懇願した。

「白銀君!」「白銀さ!」「白銀中尉~」「白銀っ!」
「お願いだからぁ、」「速瀬中尉の、」「相手をですね~、」「してあげてくれないかなっ!」

「はあ?!」

 それから、4人がした説明は、要するに、クーデターで暴れそこなった水月が、ストレス発散を兼ねて自分達をシゴクので、武に水月のガス抜きをして欲しいと、そういう内容であった。
 武は、やれやれと溜息を付きながらも、未だブリーフィングルームに残っているみちるに物問いたげな視線を向けると、みちるは苦笑を浮かべながらも頷いて見せた。

「解りましたよ。あとで閑を見て、速瀬中尉の相手をすればいいんですね。」

「「「「 ありがと~~~! 」」」」

 目尻に涙まで浮かべて喜ぶ4人に、武はもう一度溜息をついて頭(かぶり)を振った……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時44分、B19フロアのシリンダールームで、武は純夏への催眠暗示を補強していた。

 念入りに、念入りに、幾重にも純夏のあの忌まわしい記憶を囲い込んでいく―――
 武はついに、純夏に自分達がBETAのいる世界に存在している事を伝える決心を固めていた。
 その為、BETAから連想して、純夏が記憶を掘り起こしてしまわないように、殊更念入りに記憶の封印を補強していたのだった。

「―――よし、こんなもんだろ。じゃあ、霞。純夏にこの世界の事を話しに行くよ。霞の事もちゃんと紹介するから、ちょっと待っててくれよな。」

 シリンダーから視線を外した武が話しかけると、霞はペコリとお辞儀をして応じる。

「はい……お願いします、白銀さん。」

「ああ、まかせとけ!」

 そう言うと、武は純夏へのリーディングとプロジェクションを開始した。シーン設定は校舎裏の丘、伝説の木の根元。時間は日中にした。

「よ、純夏!」

「あ、タケルちゃん! はれれ? わたし達なんでいきなりここにいるの?」

 純夏は武に挨拶をした直後、目をぱちくりさせて周囲を見回す。

「あーっと、純夏、ちょっと真面目な話があるんだけど、いいよな。」

 武の真剣な様子に、純夏はたちまち心配そうな表情になって、前屈みの姿勢から武の顔を見上げて言う。

「え?…………どうしたの、タケルちゃん。なにかあったの?」

 そんな純夏に、武は慎重に話を切り出す。

「おまえこないだ、最近何か変な気がするって言ってたよな?」

「え?……ああ、あれね。うん、言ったよ。でもわたし、変なもの拾い食いなんてしてないからねっ!」

「ああ……それも解ってる。お前が違和感を感じる理由は、ほんとは解ってるんだ……」

「タケルちゃん、ほんとに大丈夫? なんか、辛そうだよ?」

 目を細めて、自分まで辛そうな顔をして言う純夏に、武はなんとか笑みを浮かべて言葉を続ける。

「一応、大丈夫だ。―――なあ、純夏……前に近所の公園でさ、夢かアニメか、漫画みたいな話したの、覚えてるか?
 オレがさ、宇宙から来た敵に地球が侵略されてる世界に飛ばされちまって、ロボットに乗って戦う訓練をする話……」

 武がそう言うと、純夏は眉を顰めて記憶を確かめ確かめ話し始める。

「え? そんな話……あ……うん、聞いた、よね。タケルちゃんの誕生日で、何故かタケルちゃんが逃げ出して……わたし、一生懸命探したんだよ?
 いきなり、こっちくんなっ! とかいわれてさ。ホントにほんっと~~~に、傷付いたんだからね!
 でもって、町中探して……夕方になって近所の公園に行ったら……ベンチでタケルちゃんが寝てた……滅茶苦茶寒かったのに……
 あ! そう言えば貸して上げた手袋を放り投げられたよ! あれは酷いよ!! 一生の宝物に格上げしたばっかだったのにさ~。」

「悪かったよ……でさ、その後、話したってわからねぇって言ったら、おまえが……」

「うん……わたしは、タケルちゃんのことなら、なんだってわかるよ。絶対に、絶対だよ。
 あの時も、話の中身は無茶苦茶だったけど……でも、タケルちゃんが真剣に、本気で話してたのはわかったよ。
 ほんとに苦しんでるのも、悲しんでるのも……怖がってるのもわかった…………それから、なんとなくだけど、わたしを心配してくれてるような気も……したよ。
 あれから、タケルちゃんの夢みたいな話を聞いて………………あ~~~~~っ! タ、タタタ、タケルちゃん……た、確かその話……」

 凄くショッキングな事を思い出した様子の純夏に、武は沈痛な表情をして頷く。そして、まりもの死について話そうとするが―――

「ああ、まりもちゃん……オレのせいで死んじまって―――「キスだよ、キスッ!! キスしちゃったよね? ね? ね? ねえったらね~~~っ!」―――そっちかよ!」

 途中で、顔を真っ赤に上気させて、癖っ毛をハートマークの形にした純夏に思いっきり遮られた。

「そうだ、そうだよっ! あの話の後で、家の前まで帰ってきて……それも、あの時はタケルちゃんからしてくれたんだよ~! 将来のこと考えたことあるか―――って……
 でもってぎゅ~~~~~っと抱き締めてくれて、わたしも大好きって言って………………もう一回……キス……したよ……
 したよね? あれって、夢みたいだけど、夢じゃないよね? ほんとの事だよね? ねえっ! 何とか言ってよタケルちゃん!!」

「純夏……」

 武は、純夏の真正面に立って、名を呼ぶ。

「う、うん……」

 両手の指を胸の前で組んで、神妙な顔付きで武の言葉を待つ純夏。
 武は、その純夏に―――告げる。

「悪いけど、その事は………………忘れてくれないか……」

 武の言葉に、純夏は愕然として武の両腕にしがみつく。そして、武の顔を見上げて問いを重ねた。

「え?!………………なんで? どうして?……忘れろってことは、あれ夢なんかじゃないんでしょ? ホントにあったことなんでしょっ?!
 どうして? どうしてそんなこというの?! 酷い……酷いよ、タケルちゃん…………わたしのこと……わたしのこと! 好きだったから、キスしてくれたんじゃないのッ?!」

「理由はこれからちゃんと説明する。解ってもらえるかは自信ないけど、出来る限り、説明する。だから、まずはオレの話を聞いてくれないか? 純夏。」

 武は至近距離にある純夏の顔をまっすぐに見つめながら、真剣に言葉を紡ぐ。純夏は武の本気を感じ取って、黙って頷き、武と一歩だけ距離をおいた。
 武は視線を柊町の町並みに向け、なるべく感情を抑えるようにして、話し出した。

「―――おまえに『飛ばされた世界』の話をした後、お前に話をしてあの世界を強く意識したせいか、家に戻って次に目覚めた時、オレは―――あの世界、宇宙から来た敵と戦争をしている世界に戻っちまってたんだ。
 そして、まりもちゃんを2回も殺してしまった償いをしようと、あの世界でオレは一生懸命に戦った。けど……
 美琴も、委員長も、彩峰も、柏木も、D組の涼宮も、それから、あの世界で知り合った、上官―――部隊の先輩たちも、他にも大勢が、戦いの中で死んでいって……
 部隊の人間は冥夜とたま、あとは隊長とオレしか生き残っていなかった……
 オレは、みんなを護りたいと思って、本当に護りたいと思って……でも、護りきれなかったんだ……
 そして、人類が更に不利になりそうな事件が起きて、オレは敵の親玉に特攻して……死んだ。」

「え……死ん、だ? タケルちゃんが?」

 純夏が茫然自失に陥りながら、半ば無意識に言葉を紡ぐ。武は黙って純夏の様子を窺い、リーディングで記憶の封印が解けてしまわないか、じっと見守った。
 やがて、純夏は思考を取り戻し、武へと再び焦点を合わせることに、成功した。そして、恐々と訊ねる。

「う、嘘……じゃないの? だって、じゃあ、今わたしが話してるタケルちゃんは?」

「安心しろ、純夏。オレは確かに死んじまったけど、その後また振り出し、10月22日に戻されちまったんだ。
 その時、オレは正直嬉しかった。今度こそ、まりもちゃんや、みんなを護り抜こう……そう決心して家を出た。
 そしたら、おまえん家の一部が崩れる音がして……あの世界じゃ、おまえの家は、破壊されたロボットに押し潰されちまってるんだけど、その一部が崩れたんだな、きっと。
 で、様子を見に行ったら…………お前が瓦礫に半分以上埋もれて、押し潰されていたんだ……」

「え?! わたし?……その世界に、わたしはいないんじゃなかったの?」

「ああ……それは、平和な世界のおまえだったんだ……何故かは解らないけど―――いや、きっとお前にあの世界の話をしちまったせいなんだろうけど、お前まで『こっちの世界』に来ちまったみたいなんだよ。」

「え? 『こっちの世界』? まさか―――」

 武の説明に、純夏の顔が青ざめる。

「ああ、今のお前とオレは、ホントは『こっちの世界』―――宇宙から来た敵とロボットで戦ってる世界に来てるんだ。
 そして、瀕死の重傷を負ってしまったおまえは、いま、重態で寝たきりになってるんだよ。
 オレが巻き込んじまったせいでおまえまで……ごめん、ごめんな純夏……
 おまえ、なんとかしぶとく命だけは取り留めたけど、身体はもうボロボロで、例え意識が目覚めても、体中の感覚もまともに感じられないような状態なんだ。
 幸い脳に損傷は見られないっていうんだけど、このまま放置しておくと精神に悪影響が出るかもしれないって言われてさ。
 仮想現実って聞いた事あるだろ? この世界はそれなんだ。今、オレとおまえは機械の見せてる夢の中で話してるんだよ。
 おまえの身体が治るまではまだまだ時間が掛かるらしくってさ、それまではこうやってバカになんないように、リハビリするんだってさ。」

 純夏に説明しながら、武は心から願う。

(純夏……頼む、今だけでいい、この話だけで良いから、信じてくれ、騙されてくれ……オレの……オレのウソを信じてくれ!
 それが、きっとオレがおまえの為に出来る最善だから……最善だと、信じているから……)

 武の話を聞く純夏が、眉を寄せて訝しげな表情をかたどる。

「タケル……ちゃん?」

 か細く漏れる物問いたげな純夏の声を、武は敢えて無視して話を続けた。

「そんでさ、あの時は、オレ、まりもちゃんが死んじゃって落ち込んでたし、おまえに忘れられないようにもう会わないようにしようと決めてもの凄く辛かった。
 おまえにもし忘れられたらと思うと、もうなんか目の前真っ暗な感じでさ。だから、おまえに全部話して、信じてもらえた時、もう一生離れたくないって思った。
 その後で、その……キスしちまった後で、おまえに好きだって言ってもらえて、本当に嬉しかった……嬉しかったんだよ、純夏……けど……
 けど、あの時オレは、もう『こっちの世界』には戻れないと思ってた。どんなに苦しくても、どんなに罪が重くても、何も出来ないと思ってた。
 だけどさ、『こっちの世界』に戻ってきたんなら、オレには何か出来ることがあるんじゃないか、オレにしか出来ない事があるんじゃないか……
 いや、オレがやらなきゃいけないことが……オレが護れずに死んでいったみんなに報いる責任が、オレにはあると思うんだよ。
 だから……ごめん、純夏。『こっちの世界』じゃ、オレはおまえよりも大事な物を……果たすべき目的を背負っちまってるんだよ。
 だからさ…………」

 武がそこまで一気に話し、つい言葉に詰まってしまった時、純夏は俯いて大きく溜息をつくと、上体を起して満面の笑みを浮かべて言う。

「タケルちゃん……………………そっか……もう、決めちゃってるんだね。
 そっかぁ~……しょうがないよね。タケルちゃんは昔から一度言い出したら聞かないもんね。
 うん。いいよ、タケルちゃん。わたしはタケルちゃんをちゃんと応援してあげるよ。
 一度決めた事を投げ出したりするタケルちゃんは、わたしのタケルちゃんじゃないからね。
 だから……今の話も、信じてあげるよ。でもね! 何処がそうなのかはわかんないけど、ところどころ、ウソついてるのはわかったんだからね!
 …………けど……タケルちゃんが良かれと思ってウソついてるんだって……それもわかっちゃったからさ~。
 だから……しょうがないよね…………騙されてあげるよ! 応援してあげるよ! けど……あの事を忘れるのだけは無理だよ……
 ううん、あの事だけじゃないよ。タケルちゃんとの想い出はわたし自身だよ! 自分自身を捨てたり出来ないよ!!
 だから、あの事はわたしの心の中の奥の方に、大切に大切にしまっておくよ。それで、いいよね、タケルちゃん……」

 一生懸命言葉を連ねる純夏、当初浮かべていた満面の笑みは、言葉を連ねる毎に崩れ、切実な想いが表に表れてくる。
 武は、そんな純夏に、もう、ただ只管に謝ることしか出来なかった。

「純夏………………ごめん、ごめんな、純夏……本当に、ごめん…………」

 そんな武に純夏は歩み寄り、ついには縋り付いて号泣し始めてしまう。

「しょうがないよ。だって、それがタケルちゃんだもん! タケルちゃんなんだもん! タケ…………う……うわぁあああああん~~~~
 タケルちゃぁあ~~~~んっ!!!」

 誰一人、邪魔する者も居ない校舎裏の丘の上で、武と純夏は心の赴くままに涙を流した。
 互いを想い、互いが自分よりも大事な二人は、それ故に、自分の想いに封をして、距離を置くことを決意した。
 伝説の木の根元、二人が交した聖なる想い…………
 ―――それは人類を救うかもしれない、儚い、切ない、けれど最強の『神の刃』。



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**** 12月16日煌武院悠陽、白銀武、御剣冥夜(五十音順)誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話13 ****
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どこかの確率分岐世界
2002年12月15日(日)

 18時03分、国連太平洋方面第11軍横浜基地の1階に位置するPXは、夕食を食べる基地要員で賑わっていた。
 その一角、8人掛けのテーブル4つほどがA-01部隊の専用になっており、他のテーブルから少し距離を置いて配置されていた。
 桜花作戦完遂後、所属衛士の情報が公開され、司令部直属の訳有り部隊として半ば白眼視されていた以前に比べると、基地要員の視線も大分変わった。
 視線が暖かく親しみのあるものに変わった反面、以前よりも遠慮なく眺められるようにもなった。
 それでも、不必要に近寄って来ないのは、未だに機密情報に触れる事の多いA-01の事情が影響していると言えた。
 が、そんな配慮も、当の本人達が大声で喚いていては全く無意味である……

「ちょっと、タケルちゃん! 今晩から出かけちゃうってどういうことさ~ッ!」
「しょ、しょうがねぇだろ? 任務だよ任務!」
「任務って言えば済むと思ってるんだろうけど、そんなの、甘いんだからね!!」
「甘いって……言っとくけど、本っ当~~~に、任務で出かけるんだぞ?」
「だってだって、明日の今日で帝都に行くんだから、パーティーかなんかに決まってるよ~!
 わたしも行きたい! い~き~た~い~ッ!!」
「あ~~~っ、もう! わがまま言うな!」(ビシッ!)
「あいた~~~っ! なにするよ~。」
「おまえなあ、何時までお客様気分でいるんだよ。もう、ここの食料班に勤めて3ヶ月以上経ってんだろ?
 ちったぁ勤め人としての自覚をだなあ……」

 PX中の注目を他所に、派手な口論を繰り広げているのは、英雄部隊、人類の刃、希望の担い手と讃えられるA-01部隊の指揮官と、何故かA-01の所属でもないくせに、行動を共にしていることの多い食料班の少女であった。
 そしてその傍らには、A-01と共にオリジナルハイヴ攻略に参加した、司令部直属の社霞がおり、2人を心配そうに見上げていた。
 社霞と食料班の少女―――鑑純夏は、共に朝食の時間にA-01指揮官、白銀武少佐の両脇に侍っている事でも知られている。
 その為、この3人が一緒に居る分には良くある事なのだが……今日は一段と騒がしい様子であった。
 そして、新たな人物が、そんな3人へと歩み寄っていった。

「タケル! あんたこの娘だけ仲間外れにしようってんじゃないだろうねえ。」
「きょ、京塚のおばちゃんまで……だから任務なんですってば。先方から招待もされてない人間を連れて行ける訳が……あ……」
「あ~~~っ! 招待って言った招待ってぇ~!! やっぱパーティーかなんかなんだっ!」
「こら純夏! あんたもちょっと静かにしてな! 食事中の人が美味しく食べられないじゃないか。」
「は、はい……すみません~……」
「タケル。あたしだって別に横紙破りをしろって言ってる訳じゃあない。けど、みちるちゃん以下、部隊の先任全員と、夕呼ちゃんに霞ちゃん、イリーナちゃんまで一緒に行くんだろ?
 先方さんに、もう一人ぐらい何とかならないか、聞いて見るくらいは出来ないのかい?」
「え?……いや、それは、でも……」
「なるほど……そういう事でしたら、私の方で手配いたしましょう。」

 そして、さらに会話に加わったのは斯衛軍の月詠真那大尉であった。

「月詠さん?! え……でも、いいんですか?」
「ああ、知らない顔でもないしな。ある意味丁度いい機会かもしれん……」
「え?」
「あ、いや、こっちの話だ。ただし、鑑純夏。私と同行する以上、会場では白銀とは別行動が多くなるし、私の指示には従ってもらうことになるぞ? 心して返答するのだな。」
「う~~~……」
「純夏ぁ、悪い事は言わないから諦めろって……」
「やだ、行くっ!! 月詠さん、済みませんけどお願いします。」
「うむ。良かろう。では、早々に仕度をしてくるのだな。」
「は~~~い! へっへぇ~~~ん。タッケルちゃ~ん、ざまぁ~みろぉ~~~っ!!」

 純夏は、武にあかんべぇ~をすると、手早くエプロンを外しながら駆け出していった。
 それを見送った武は、月詠に頭を下げる。

「済みません、月詠さん。純夏の事、よろしくお願いします。」
「あんがとよ、真那ちゃん。あたしも恩に着るよ。」
「いえ。京塚曹長には日頃からお世話になっております故、どうぞお気になさらないで下さい。
 白銀、安心しろ。私も帝都には知り合いが多い。如何様にでもなるだろう。
 それに―――」

 と、月詠は視線を隣のテーブルで腕を組んでいる冥夜の方へと泳がせて、言葉を続ける。

「―――冥夜様にも頼まれたのでな。」
「―――そうですか、冥夜が……」

 翌日は、政威大将軍煌武院悠陽殿下の誕生日であり、帝都―――いや、帝国各地で祝賀行事が執り行われる日であった。
 そして、A-01部隊の今年度配属の新任を除く先任達18名と、夕呼、霞、ピアティフの3人が、この日に帝都城へと公式に招かれていたのだった。



2002年12月16日(月)

 10時04分、帝都城内謁見の間には、五摂家や華族、有力武家の家人、城内省の高級官僚、斯衛軍の高官や家格の高い者、帝国議会の閣僚、帝国軍の高級軍人等々、500人を超える客人が集っていた。
 それ以外にも、給仕の女官や、警護の斯衛兵なども多く居合わせていたが、謁見の間はそれでも狭苦しさを感じさせないほど広々としていた。
 客人は身分や立場に合わせて、奥行きのある謁見の間の上座から下座までの間を遊弋し、談笑しながら、本日の主役である悠陽のお出ましを待っていた。

「政威大将軍、煌武院悠陽殿下、御出座~。」

 謁見の間に響き渡った先触れに、一同が言葉を収め、面を下げて悠陽の入場を待つ。
 暫くすると、涼やかな声が謁見の間に流れた。

「皆、面を上げてください。本日は多忙な中、祝賀に集って(つどって)下さった事、この煌武院悠陽、心より謝意を表します。
 さて、そなたらの中にも、昨年のこの日、この場に居たものが幾人(いくたり)かは居りましょう。
 そのものらは聞き覚えがあるやも知れませぬが、昨年わたくしは、この国の未来に、暗雲を貫いて希望の光が差し込んでいると申しました。
 そして、わたくしの言葉を信じ、多くの帝国軍将兵等が身を粉にして勤めに邁進して下さったお蔭で、今年、ついに我が国は全ての国土をBETAより奪還するを得ました。」

 そこまで言うと、悠陽は謁見の間に集う諸人(もろびと)を見渡し、最後に演壇の袖に控えているA-01の衛士達を見た。
 そして、悠陽の言葉は続く。

「1998年のBETA本土進攻以来、一時は国内に2つのBETAハイヴを築かれ、国土を荒らされ、多くの臣民を喪い、我が国は未曾有の危機に曝されてしまいました。
 その、明日をも知れぬ危地より脱し、本日を迎えることが出来ましたのは、帝国軍将兵の挺身故の事と思います。
 されど、それは帝国軍将兵のみにて為し得た事ではありません。諸外国の軍民を問わぬ多くの皆様が、我が国に寄せて下さった援助があればこそ、今日のこの日を迎えることが出来たのです。
 殊に、我が国に駐留する国連太平洋方面第11軍横浜基地の将兵による貢献は、我が国のみならず、人類全体にとって紛れもなき福音となりました。
 横浜基地よりもたらされた、新たな戦術構想に則った新規装備群の数々は、BETAとの戦いにおける死傷者の数を劇的に減らし、BETAと戦い続ける人類に希望をもたらしました。
 また、横浜基地所属の特殊任務部隊であるA-01連隊は、BETAの統括反応炉を擁する『甲1号目標』、即ちオリジナルハイヴを攻略し、BETAの指揮系統を破綻させる事に成功しました。
 さらに、今年の5月には、朝鮮半島の『甲20号目標』―――鉄源ハイヴを陥落させ、我が国土はBETAの直接的脅威から、遂に解放されるに至ったのです。
 その、A-01連隊の指揮官であり、対BETA戦術構想の提唱者でもある白銀武少佐は、奇しくもわたくしと同年同日を生誕日とするとの事。
 わたくしは、この縁を以って、今日のこの日を国土奪還を記念する祝日と定めると共に、何れ来るべき未来に、地球奪還を祝う祝日とする事を望みます。
 帝国軍将兵の皆様、日本国民の皆様、わたくしはここに宣言いたします。
 我が国は、諸国の助力により滅亡の淵より這い上がり、遂に国土を奪還するに至りました。
 これより先は、我が国が、BETAに国土を奪われている諸国の皆様のお力となる所存でございます。
 決して短いとは言えない、絶望的な戦いに倦み疲れた我が国々民の皆様。
 皆様の苦難を思う時、この悠陽の心も千々に引き裂かれるかの如く痛みます。
 されど、我が国は忘恩の徒と成ってはなりません。全世界の人類が共に苦難を脱し、BETAを殲滅するその日まで、どうか耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、今しばらくの間、わたくしにお力添えをいただきたく思います。
 今日この日より、わたくしは地球奪還、BETA殲滅を目指し、これまで以上に粉骨砕身して勤めを果たす覚悟でございます。
 どうか、国民の皆様におかれましては、わたくしを支え、諸国の恩に報いる力をお与え下さい。」

 ここまで、滔々と語ると、悠陽はその頭を垂れた。その姿は日本全国へと放送され、多くの国民が悠陽の真摯な訴えに心を打たれた。

「後日、帝国議会にて祝日の制定を正式に為しますが。勝手ながら、まずは本日の祝賀はわたくしの生誕を寿いで(ことほいで)頂くのではなく、国土奪還に力を尽くした方々を讃えるものとさせていただきたいと思います。
 武運拙く命を散らせし英霊の皆様、BETAの暴虐に儚くなられた臣民の皆様を悼む気持ちは、日々弥増す(いやます)ばかりではありますが、此度は、未だ健在であられる功労者の方々に感謝を捧げたいと思います。
 国連太平洋方面第11軍横浜基地所属A-01連隊の皆様、どうか前にお並びください。」

 悠陽の言葉に、A-01連隊の衛士18名が、悠陽の立つ演壇の前に並び、敬礼する。

「A-01連隊の皆様の献身に、我が国を代表し、日本国政威大将軍として心よりの謝意を表します。
 どうか、皆々様、今後も人類の未来を切り開く刃足り続けてくださいますよう、武運長久を祈願させていただきます。
 さあ、救国の功労者である彼等を讃え、感謝しようではありませんか。
 そして、人類が一丸となって手を携え、いつの日か地球を奪還するのです!」

 悠陽と、悠陽の前に整列するA-01連隊の衛士18名に、万雷の拍手が送られた。
 それは、この謁見の間だけではなく、放送が映し出されていた日本の津々浦々において、沸き起こっていた。
 この日より、日本の報恩の日々が始まる。それは打算を超越し、情によって為される義挙であり、国際社会における日本の評価を弥増すものであった。



 ―――同日、14時22分。帝都城の奥深くに位置する庭園に、数名の姿が見受けられた。
 昼食会を挟み、悠陽の生誕祝賀会改め国土奪還祝賀会は華やかな内に滞り無く済み、内々に招かれた者のみがこの庭園を訪れていた。

「うわ~っ! 凄いよタケルちゃん!! こぉ~~~んなにおっきなコイ、あたし、初めてみたよ~。」
「そりゃそうだろ、今時コイなんて、そうそうお目にかかれるもんか。―――てゆーか、なんでおまえまで居るんだよ!」
「白銀、今更うるさく言う気も無いが、殿下の御前だぞ、少しは弁えんか!」
「そう思うんなら、こいつをどっかに連れてってくださいよ、月詠さん。」
「これ白銀、そのように申さずともよろしいではありませんか。実は、鑑殿をお招きするよう真那さんに申しつけたのは、わたくしなのです。」

 一人、場も弁えずにはしゃぐ純夏と、ついいつもの調子で相手をしてしまう武、それを窘める月詠に、悠陽、冥夜の姉妹。
 この5人を除けば、庭園に居るのは、警護に当たる神代、巴、戎の3人のみ。
 無論、周囲には厳重な警戒が為されているのだが、差しあたっては内々の集いと言えるであろう。

「あ、姉上がですか? いやしかし、また一体何故に………………」
「真那さんから話を聞いたのです。英雄と誉れ高い白銀武をして、歳相応の若者に引き摺り下ろしてしまう女性が居ると……」
「む……確かにタケルには、純夏の相手をしていると羽目を外し易い傾向が窺えます。」
「殿下……それは、その……二人の出自が似通っているが故ではないかと思うのですが……」
「あ~、どうも済みません、無作法なやつで……ほら! 純夏!! こっちに来て座れって。」
「ぶ~~~~っ! コイなんて、滅多に見られないのに~。」
「鑑純夏。私とした約束を覚えているか?」
「うひゃ?! は、はははははい~~~~。お、覚えてます、月詠さん…………覚えてますから、お願い許して~~~。」
「覚えているなら良い。少し大人しくしているがいい。」

 冥夜が腑に落ちない様子で考え込むと、口元を右手で隠した悠陽はコロコロと笑い、妹の問いに答えて見せた。
 それに冥夜が応じると、月詠も姉妹の会話へと参加していく。
 そして、武が純夏を引っ張って東屋(あずまや)へと戻ってきた。
 コイに未練たっぷりの純夏だったが、月詠に睨まれると借りてきた猫のように大人しくなり、ぶるぶると震えだしてしまう。
 その様子を満足気に見た月詠は、一瞬だけ笑みを口の端に浮かべた。

「それにしても、国土奪還祝賀会になるとは、吃驚しましたよ。いきなり名指しされちゃいましたし。」
「白銀を驚かせる事が出来たのなら、重畳ですね。」
「確かに……ですが姉上、この者は日常においては相当な粗忽者ですよ?」
「そうそう! しょせんタケルちゃんはタケルちゃんだからね。」
「す~み~か~!」

 ようやく席に落ち着き、話題を提供したつもりの武だったが、あっという間に、おちゃらけた話にされてしまい、純夏を睨み付ける。
 それを見ながら、悠陽は瞳を鋭利な刃物のように光らせ、核心へと切り込む一言を口の端に乗せた。

「……鑑殿は、白銀の事を良くご存知のようですね。」
「!―――姉上……」
「うん! タケルちゃんの事なら大抵の事は知ってるよ! もっとも最近、秘密主義になっちゃって生意気なんだけどね。夕呼先生に口止めされてるとか言うから、一応許してあげてるけど。
 あ……でも、何時の間にか私の知らないタケルちゃんが増えちゃったかな。わたしは衛士じゃないから訓練とか参加できないし、戦場に付いてく訳にも行かないしさ~。
 そっちのタケルちゃんのことは、冥夜の方が良く知ってるよね。」
「む……ま、まあな……しかし…………」
「まあ、それではわたくしが、この中で一番白銀を理解できていないという事になってしまいますね。なんと、不甲斐なき事でしょうか……」
「いや、殿下。別にオレの事なんか理解してなくたって……」
「いえ、そうは参りません。今や白銀は世界に名だたる救世の英雄。その白銀を国内に擁している以上、日本国将軍としてそなたの為人を把握しておく事は、重要な職務の一環です。
 真那さん、暫し、白銀に庭園を案内(あない)なさい。当人を前にしては、憚りもありましょう……」
「はっ! 白銀、付いて来い………………さっさと来んか。」
「純夏~、あんまり変な事は言うなよな~。頼むぞ~。」

 邪魔な武を追い払い、女3人になったところで、場の空気は一変した。そこはかとない緊張が、悠陽と冥夜から場に漂い出す。
 が、その緊張をのほほんとした言葉が、雲散霧消させる。

「―――そっか。相変わらずタケルちゃんは人気者だね。本人はヘタレなのに、どうしてこう女の子を惹き付けるかな~。」
「純夏?!」「鑑殿……」
「でも、タケルちゃん相手は苦労するよ~。鈍感だし。おまけに今は夢中になってる事があるから、多分、想いは届かないよ……
 わたしも、大分前に釘さされちゃったしね……」
「「 ―――ッ!! 」」

 が、続いて発せられた純夏の告白により、悄然とした空気が醸されてしまった。

「でもさ、辛いかもしれないけど、想いを抱くのは、こっちの勝手だと思うんだ。
 もともと、競争相手も多いしね。冥夜を初めとして、ヴァルキリーズにもタケルちゃんが気になる女性(ひと)は多そうだし。
 霞ちゃんもライバルだしな~。まあ、そういう意味じゃ、タケルちゃんが誰にもなびきそうに無いのは救いなのかな?」
「純夏……そなたは……」
「鑑殿……いえ、鑑さん、あなたはそこまでご存知でそれでも白銀を?」
「わたしはもう、腐れ縁て言うか、人生の半分くらいはタケルちゃんと一緒だったから……
 誰かに、タケルちゃんを連れて行かれちゃうよりはましかな…………なぁあんて、ちょっと後ろ向き過ぎるかな!
 今のなしねなしっ! お詫びに、タケルちゃんの恥ずかしい幼少時のあれやこれやを話したげるからさ!!」

 しんみりとしてしまった空気を吹き飛ばすように、純夏は笑顔で武との想い出を語りだす。
 それは惚気ではないのかと思いながらも、悠陽も冥夜も、己の知らない武の逸話に引き込まれていった……



 ―――同時刻、帝都城内来賓室では、明日の国際政治を左右しかねない会談が、世間話でもするかのように行われていた。

「で? 今回の件は誰の仕込みなのかしら?」

 国連太平洋方面第11軍横浜基地副司令にして、国連極秘計画オルタネイティヴ4統括責任者である香月夕呼が尋ねると、職責を超えて世界各国の情報畑を踏み荒らし、己が道を押し通す事で知られる帝国情報省外務二課課長、鎧衣左近が韜晦(とうかい)する。

「仕込み? はて、香月博士は深く考えすぎなのではありませんか? 博士のように優秀な頭脳を持つと、何かと気苦労も多そうですなぁ。はっはっは……
 そもそも、殿下の御心は既に以前より定まっていた事です。此度は、良い機会だとお考えになったのでしょう。」

 夕呼が鎧衣課長の言葉に眉を顰めるのを見ながら、日本帝国内閣総理大臣、榊是親卿が言葉を継ぐ。

「こやつに同意するのは誠に不本意ではあるが、我々が殿下の内示を受けて、本日の仕度を仰せつかったのは紛れも無き事実ですぞ、香月副司令。
 我等は下知に従い、為し得る仕度を滞りなく為したに過ぎんのですよ。」

「その結果、こんなに濃くて爺むさい面子に、あたしが囲まれてるって訳ね。」

「爺むさくて申し訳ありませんなぁ、香月博士。これでも、榊首相や鎧衣君とは同年代なのですがね。ほっほっほ。」

 夕呼の吐いた毒舌を、オブラートで包むかのように、朗らかな言葉が国連事務次官である珠瀬玄丞斎から発せられた。

「もし、気になさっているのでしたら、その笑い方と、お髭を何とかなさった方がよろしいですよ、事務次官。」

「がっはっはっはっは……相変わらずの毒舌ぶりよのう、香月副司令。
 されど、本日は目出度き祝いの日、その辺りで矛を収められては如何かな?」

 夕呼の言葉に呵々大笑した後、野太い声で諭したのは帝国斯衛軍副司令である紅蓮醍三郎大将。
 帝国の文武諜報を束ねる3人と、国連の頂点近くで各国の取り纏めと極秘計画を担う2人。
 BETA大戦の転換期を演出し、現時点では、全世界を主導しているといっても過言ではない顔触れが、今一堂に会していた。

「いいでしょう。それでは伺いますが、事務次官は、今回の殿下の声明が、各国にどの様に受け止められるとお考えですの?」

「そうですな。まず米国の警戒を招くのは致し方ありますまい。また、諸国首脳も殿下の声明を鵜呑みにはせぬでしょう。
 良くも悪くも、国際政治は駆け引きの場。過去に得られた支援はその時点での利害が一致した結果と捉えるのが、国際政治のありようです。
 過去に受けた恩義に報いるという発言を、そのまま信じる国は無いでしょうなぁ。」

 夕呼の問いかけに、珠瀬事務次官が嘆かわしげに、眉を垂らして応じ、それを受けて鎧衣課長が言葉を繋ぐ。

「しかし、各国……殊にこれから国土を奪還しようとする国々には、差し伸べられた手を跳ね除ける余裕は無いはずです。
 そして、殿下は差し伸べた手で、何かを代償に求める事はなさらないでしょうなぁ。」

「報恩とはそういう物だよ、鎧衣課長。しかし、それによって我が国々民は誇りと尊厳を養う事が出来るであろう。
 それは、日本という国を立て直す為には必要な滋養だ。さもなくば、国の礎が脆くなってしまいかねん。」

 榊首相も頷き、己が信念を吐露する。紅蓮も力強く頷き言葉を添えた。

「我が国将兵の精兵たるを、各国に示す良き機会です。斯衛も派兵を前提に、体制の組み直しを進めておりますぞ。」

「まったく、男共が集まって楽しそうに悪巧み? 何だかんだ言って、あんた達全員、殿下が可愛くて仕方ないだけなんじゃないのぉ?」

「「「「 ……………… 」」」」

 大いに威勢を上げていた男達は、夕呼の言葉に虚を突かれ、不覚にも言葉を失ってしまうのであった……



 ―――そして、再び帝都城奥の院は庭園の東屋に場を移す。
 幼い頃の武の逸話を次から次へと話した後、純夏は再びコイを眺める為に池に渡された橋へと向かい、東屋には悠陽と冥夜の2人だけが残されていた。

「…………鑑さんには、気を使わせてしまったようですね。誠に不甲斐ない事です。」

 遠目に純夏の様子を見遣りながら、悠陽が呟くと、冥夜が意を決して口を開く。

「姉上……姉上も、その…………タケルの事を…………」

「冥夜。わたくしは大きな責務を負った身です。己が一存で為せる事などほんの僅か。
 このひと時を捻出するのでさえ、此度の祝賀会を口実に、是親や紅蓮が奔走してくれたお蔭でやっと実現したようなものです。
 いま少しの時が過ぎれば、わたくしは公人としての立場に立ち返らねばなりません。
 わたくしのような立場の者が、私心を露わにするなど許されぬ事です。」

「姉上……」

「されど、鑑さんが仰った通り、己が心の奥底に想いを抱き続ける事ならば、許されぬ事もないでしょう。
 そして、恐らくは白銀も、己が私心を内に封じ込めて、大義を為すべく身を粉にしているのだと思えます。
 冥夜。そなたもわたくしに比べれば身軽とは言え、最早国民の多くから眼差しを向けられる身の上です。
 まずは民から寄せられる期待に応えねばならぬ事、弁えておりますね?」

 悠陽は、鋭い視線を冥夜に向け、己が妹の覚悟を見定めようとする。冥夜も、真っ直ぐに悠陽の視線を受け止めると、力強く己が覚悟を表明した。

「無論です姉上。元よりこの身は国に、ひいては民草に捧げる所存でした。
 今や国連軍衛士の身の上なれば、日本の民のみならず、人類全てに捧げる覚悟でおります。」

「その決意、見事です冥夜。―――されど、やはりそなたとて人の子。勤めが如何に重くとも、己が心を捨てる必要はないのですよ?
 己が心を封じる事無く、大らかにより豊かに育む事もまた、大切なのです。
 人は人として、できることを成すべきなのです、冥夜。人の心を捨て切ってしまっては、いずれその行いは人の道を外れていってしまいます。
 白銀を良く見て、学ぶと良いでしょう。そして、その中でそなたの心を育んでおいきなさい。」

 悠陽は幼い頃に引き離され、長らく会う事さえ禁じられてきた双子の妹に、慈しみに溢れる眼差しを注いだ。
 冥夜は喜びに頬を染めながら、姉の心のこもった教えを、己が心に焼き付けるのであった。

「はっ! 姉上のお言葉、しかと心に焼き付けました。ご厚情に感謝いたします。」

 冥夜の言葉に、満足気に微笑んだものの、悠陽は直後に溜息を吐き、双眸を閉じて嘆かわしげに頭(こうべ)を振った。

「冥夜。そなたは些か堅苦しすぎます。次の機会には、わたくしに甘えて、姉としての喜びを味わわせてくださいましね。
 ―――誠に楽しき時は早く過ぎ行くもの。そろそろ刻限のようです。
 そなたらも、仲間の下に戻るが良い。今宵は横浜基地にて、白銀の生誕を祝う催しがあると聞きました。
 遅れぬように、主賓を横浜基地へと連れ戻すが良いでしょう。
 今日は掛替え無き、幸せなひと時を過ごす事が出来ました。白銀や鑑さんにも、そなたからよろしく伝えおいてくださいましね。」

 悠陽は、冥夜にそう告げると、衣の裾を捌いて、ゆるりと立ち上がった。
 冥夜は、悠陽を眩しげに見上げると、辞去の言葉を告げる。

「姉上、必ずやまた参上仕ります故、それまで何卒ご壮健であらせられませ。」
「そなたらも。武運長久を願っております。」

 東屋を出ようとしていた悠陽は、冥夜の言葉に振り向かず肩越しに言葉を返すと、未練を振り切るようにしてしずしずと庭園を後にした。
 冥夜は、その後姿を、両の眼に焼き付けていた……




[3277] 第55話 諸人(もろびと)こぞりて
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:54

第55話 諸人(もろびと)こぞりて

2001年12月07日(金)

 20時07分、B19フロアのシリンダールームでは、未だに武による純夏へのリーディングとプロジェクションが続けられていた。

 純夏に投影されたイメージの中、二人で盛大に大泣きした後、武と純夏は丘に座って肩を寄せ合い、『こっちの世界』の話をしていた。
 『元の世界群』と共通の人々の、『こっちの世界』での在り様に、純夏は目を丸くして聞き入っていた。

「でさ、まりもちゃんや月詠さん、3バカなんかの変わりようも凄いんだけど、一見ほとんど変わって無い様で居て、一番変わってんのが夕呼先生。
 なにしろ、『元の世界』じゃ学会に無視されたトンデモ学者だったのにさ、こっちじゃ、人類の未来を背負った天才科学者を地で行ってるんだぜー。」

「うわ~、そ、それは、なんてゆーか、似合い過ぎってゆーか……こ、怖いかもしれないね。」

 武の説明に、顔中に冷や汗を浮かべる純夏。そんな純夏に、武は説明を続ける。

「まーな。でもさ、オレやお前が『こっちの世界』でこうしていられんのも、夕呼先生のお蔭だからさ。
 あの人、確率分岐世界―――パラレルワールドみたいなもんなんだけど、それに興味津々だから、世界を超えてやってきてるオレたちみたいな存在は見過ごせないんだってさ。
 結構、何だかんだ言って、面倒見てくれんだよな。」

「あはは……も、もしかして、モルモット扱いなんじゃないのかな?……」

 そして、力なく笑って呟かれた純夏の言葉に、武はやっぱり夕呼先生の本質って一緒だよな~っと思った。

「お! 純夏にしちゃ鋭いじゃないか! まさにその通りだよ。……でさ、おまえの身体は今、大変な事になっちゃってるからさ、夕呼先生の助手をしている人が、ず~っと、おまえの面倒見てくれてんだぜ。
 今、ここに呼ぶから、ちょっとその顔何とかしとけよ。」

 武が他の人間を呼ぶと言った途端に、純夏がわたわたと慌て始める。

「え?! えええええ~~~っ! えっと、か、鏡~っ! タケルちゃん、鏡……なんて持ってるわけないよね、タケルちゃんが……はわわ、どうしよ~。
 あ、学校行けば鏡もあるから……タケルちゃん! わたしちょっと学校まで…………って、なんで化粧台がこんなとこにあんのさっ!
 しかもこれ、タケルちゃんちにある、おばさんのやつじゃんかさ!」

 何時の間にか、自分の隣に白銀家で見慣れた化粧台が出現している事に純夏が気付く。
 途端に、ツッコミを入れる純夏だったが、武は鼻で笑って取り合わない。

「へへへ、ばぁ~~~か! ここは仮想現実だって言っただろ~。大抵の事は何とかなる―――ってゆーより、こんだけリアルにする方が大変なんだぞ。
 設定弄れば、このくらいは簡単に出来るんだよ。」

 文句を言いつつ、純夏は化粧台に向って、まずは鏡に自分を映してみる。

「べ、別にタケルちゃんがえばる事じゃないじゃんかさ~。えっと……うわぁ~、涙の跡が~~~っ、目の周りとか腫れちゃってるよ~。酷いよ、タケルちゃん。」

「酷いのはおまえの顔な。ほらほら、言ってる端からだばだば涙流してんなよなー。」

 泣き腫らした自分の顔の状態に、癖っ毛もヘチャッと垂らして滂沱と涙を流す純夏。
 しかし、武に言われて涙を止めて、ふと武の顔を見上げて純夏は愕然とした。ついさっきまで、武の顔も涙や鼻水でぐちゃぐちゃだったはずだ。なのに……

「う、うん……あれ? あれれ? タケルちゃん? なんでタケルちゃんの顔は泣き跡無いの?」

「あ? オレか? おれは自分でイメージ修正した。リセットした。初期化した。」

 武が臆面もなく言い切ると、純夏は癖っ毛を振りかざして猛烈に抗議する。

「え?………………ひっどぉ~~~~いっ! 何自分だけさっぱりしてんのさ! わたしも綺麗にしてよ~っ!」

「……無理だ。純夏の綺麗な顔なんて想像出来ないからな! あ、あれなら出来るぞ! ほら、子供の頃の鼻のとこに落ち葉を引っ付けた顔!!
 あれ傑作だったからな~。ちょっと待ってろ、今すぐに……」

 抗議を袖にしたばかりか、信じられないほど恥ずかしい提案をしてくる武を、純夏は必死で押し留めてから小声で呟く。

「わ~~~っわ~~~~っわ~~~~~~~ッ! やめてやめてや~め~て~~~~~っ!!…………ブツブツ……酷いよ、酷すぎだよ、タケルちゃん……」

「わははw いいもん思い出させて貰ったぜ。てゆーか、化粧台出してやったんだから、自分で何とか出来るだろ。
 ほら、あっち向いててやるから、さっさと済ませちゃえよ。」

 そんな純夏を一頻り笑い飛ばした後、武は純夏に背中を見せる。純夏はようやく安心して、化粧道具と格闘を始めた。

「うん…………………………………………ん、こんなとこかなー。済んだよ~、タケルちゃ…………って、タケルちゃん! その女の子誰ッ?!」

 そして、なんとか満足のいく結果になって振り向いた純夏は、武の背中の向うに、銀髪を兎の尻尾のように2つにまとめた小さな女の子の姿を認めた。

「社霞。おまえの面倒見てくれてる娘だよ。大人しくて、可愛いけど、これですっごく頭いいんだぜ。
 戦術機―――ロボットのOSをプログラムしたりさ。大体あの夕呼先生の相手が出来るってだけで、凄いと思うだろ?」

「……はじめまして……純夏、さん……」

 その女の子―――霞は、武の紹介に頬を染めて、風の音に吹き消されてしまいそうなか細い声で挨拶をした。

「う、うん! はじめましてだね、やしろ…………ううん! 霞ちゃん!!
 なんでだろ……はじめて会ったって気がしないよ~。」

 どことなく親しみを感じる霞に、純夏は挨拶を返した。そこへ、すかさず武が茶々を入れる。

「そりゃそうだろ、毎日面倒見て、話しかけてくれてるんだからな。霞なら、お馬鹿なおまえを馬鹿にしないで相手してくれるぞ、きっと。」

「あ~~~っ! タケルちゃんが、またわたしを馬鹿にした~~~~~っ! くやしぃ~~~~~っ!!」

 途端にわ~わ~と騒ぎ出した二人を、霞は目を丸くしながらも、どこか幸せそうに眺めていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月08日(土)

 08時07分、横浜基地第四演習場には、横浜基地所属の戦術機26機が林立していた。
 機種は3機種、『撃震』が10機、『陽炎』が10機、そして、『吹雪』が6機であった。
 そして、その中から8機、2個小隊の機体が演習場へと進み出て、距離を空けて対峙する。

「第1試合、はじめぇ~ッ!!」

 開始の号令と同時に、8機の戦術機は機動を開始し、急速に距離を詰めながら互いに砲弾を放つ。
 この演習場には遮蔽物となるものが殆ど無く、敵弾を躱すのは基本的に機動によるしかなかった。
 当然放たれた砲弾の命中判定を避け切れない戦術機が出て、JIVESによって損傷に応じた機能制限を受ける。
 そして、対峙していた2個小隊の内、片方の小隊に属する『陽炎』4機が全機戦闘不能となった時、相手の小隊―――4機の『吹雪』はその全機が健在であった。

 演習場の端に林立する戦術機の足元に設置されたテントの中で、その様子を観戦していた衛士達が一斉に呻き声を上げた。

「なん……だと?」「うそでしょ?」「ありえん……」「なんだぁ? あの動きは……」「ちょっとぉ! 訓練兵相手に何やってんのよ!」「や、けど別に悪い動きじゃなかった。」「ああ、『吹雪』の回避機動が異常なんだよ。」「回避だけじゃない、砲撃だって大したもんだよ、ありゃ。」「じゃあ、新世代OSのせいだって言うのかよ?」
『『『 ……………… 』』』

 最後の『新世代OS』の一言に、テントに集まっていた20名の衛士達が、揃って言葉を失った。
 この場に居るのは―――いや、今の模擬戦で『陽炎』に搭乗していた4人も含めて24名全員が、国連軍横浜基地に所属する戦術機甲部隊の衛士の中で、エースとして名を馳せる歴戦の強者であった。
 普段から搭乗している機体毎に小隊単位で選出された為、実力順というには若干のズレは存在したが、同機種、小隊単位での戦闘であれば、3本の指に間違いなく数えられると自他共に認める6個小隊がこの場には集められていた。

 そして、『次世代OS』などという、名前だけは大層な『おもちゃ』を搭載し、衛士訓練校の訓練小隊が搭乗した『吹雪』と模擬戦をさせられると知って、彼らは誇りを汚されて激怒した。
 そんな実戦証明も取れていないような、新装備を積んだだけで、実戦用の主機に換装すらしていない練習機仕様の『吹雪』に乗った訓練兵が、実戦を幾度も潜り抜けてきた自分達歴戦の衛士と同数で渡り合うなど、侮辱以外の何ものでもなかった。
 いま、演習場から、すごすごとこちらへ戻ってこようとしている、4機の『陽炎』に搭乗した衛士達も、訓練兵を蹴散らして実力の差を思い知らせると息巻いて出て行ったのだ。
 ―――しかし、結果は完敗。訓練兵の操る『吹雪』の、いくら第三世代機とは言え、信じ難いほど滑らかで奇抜な機動を捉えきれず、あっという間に全滅してしまったのであった。

 そして、ベテラン衛士達の悪夢は続いた。
 『陽炎』に搭乗した3個小隊が3戦し、続けて『撃震』に搭乗した3個小隊が3戦した。
 都合6戦、全て相手は訓練兵の『吹雪』4機であり、6戦して全機が戦闘不能になる間に、『吹雪』を1機たりとも撃墜できなかったのだった。
 そして、失意の中で苦しみもがく彼らの前に、『白銀臨時中尉』と名乗る『訓練兵』が姿を現す。
 『新世代OS』の開発も、訓練兵を開発衛士として採用し鍛え上げたのも、目の前のへらへらとしている癖に、妙に眼光だけは据わっているガキだと知って、ベテラン衛士達は怨嗟の視線で貫いた。
 が、『白銀臨時中尉』とやらは、その視線の集中砲火を歯牙にもかけず、とんでもない事を言い出した。

「じゃ、みなさんにはこれから、戦術機用新世代OS『XM3』の講習を受けていただき、然る後、XM3搭載機でもう一度模擬戦をしていただきます。
 そして、明日にはみなさんがXM3の性能を、帝国軍や米軍の衛士達を相手に証明していただきます。
 では、まずXM3に関して簡単なレクチャーを行い、然る後、管制ユニットを簡易シミュレーターとして、XM3の機動に慣熟していただきます。
 模擬戦はその後に行います。
 では、XM3の特長についてですが……」

 ―――そして、1時間後。XM3のシミュレーター講習を終え、実機での慣熟を開始したベテラン衛士達は、お気に入りのおもちゃを与えられた子供のようにはしゃいでいた。
 彼らは皆、既にXM3という『おもちゃ』に夢中であった。
 XM3は彼らが今まで夢想した事すらないほどに、自由な機動を戦術機に行わせることを可能とした。
 最初こそ、過敏とも思える即応性の高さに戸惑ったものの、彼らベテラン衛士達はあっという間にコツを飲み込み、思い描くとおり―――いや、思い描く以上に動いてくれる戦術機に感動すら覚えていた。
 これなら―――このOSを搭載した機体なら、人類はBETAに負けない。そう思わせるほどの性能を、彼らはXM3から感じ取っていた。

 そして、彼らは知る事になる。XM3の奥深さと、訓練兵と侮っていた207B訓練小隊の衛士としての実力を……
 彼らはXM3という新たな力を得て、勇躍訓練兵達に雪辱戦を挑み―――そして撃退された。
 遮蔽物の殆ど無いこの演習場では、頼りに出来るのは部隊内の連携と己が機動のみ。
 しかし、同じXM3搭載機となって尚、訓練兵達は連携と機動の双方でベテラン衛士達を上回る事を証明して見せた。
 これが市街戦であったならば、ベテラン衛士達も、経験に裏打ちされた戦術を駆使して善戦出来たかもしれない。
 しかし、XM3搭載機という兵器を操る衛士としての腕において、訓練兵に凌駕されている事を、ベテラン衛士達は認めざるを得なかった。

 この日の午後、そして夜間。彼らは『白銀臨時中尉』の残していった教材を貪るように吸収しながら、XM3の真骨頂―――コンボ、キャンセル、先行入力の3種の神器を物にする為に、夢中で訓練を繰り返した―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時48分、1階のPXのいつもの席で、207B訓練小隊が夕食を終えて寛いでいた。
 今日は、同じPXに居合わせる基地要員たちの多くが、ちらちらと彼女達を見ては何事か囁き合う事を繰り返していたのだが、そこに悪意が無い為か、先日沙霧が注目を集めた時と異なり、207Bの全員が視線を気に病む事は無かった。
 そもそも、彼女らは注目される事自体には、耐性があり過ぎると言っても過言ではなかった為、多少注目されてもいつも通り程度にしか意識しない傾向があった。

「はぁ~。今日はさすがに疲れたわね~。」
「……残念ながら同意。」
「嫌なら同意してくれなくって結構よ、彩峰!」
「まあまあ、榊さんも彩峰さんも止めましょうよ~。でも、お二人も、御剣さんと鎧衣さんも、今日は本当にお疲れ様でした~。」

 食事を終えた千鶴が合成玉露を啜って愚痴ると、彩峰がそれに同意した―――が、一言多いせいで千鶴が噛み付き、壬姫が慌てて2人を宥める。
 そして壬姫は、午前中に引き続き、旧OS搭載機に乗った横浜基地の戦術機甲部隊相手に模擬戦を繰り返し、連戦連勝を達成した千鶴、冥夜、美琴、彩峰の4人を労った。

「そうだよね~。タケルと壬姫さんは、模擬戦ほとんど参加しなかったもんね~。模擬戦の予行を何度かやったくらいだっけ?」
「いや、タケルと珠瀬は、後半第三演習場で、エース達の対戦相手をしておったのではなかったか?」
「えへへ。実はそうなんです。『時津風』を3機操って、小隊を迎撃する訓練をしていたんです。
 明日は1人でやらないといけないんですけど、今日はたけるさんに直衛についてもらって、助けてもらっちゃいました。」

 壬姫が入ると同数の機体で行う模擬戦では相手にならないとの、まりもと夕呼、そして武の判断で、明日のトライアルでは壬姫と武、沙霧を除いた4人が小隊を組んで参加することに決まっていた。
 そして壬姫はエキシビションとして、『時津風』3機を支援としてたった1人で小隊を相手にする事になっていた。

「いや、やっぱたまはすげえよ。いくら、『時津風』2機をレーダーサイト代わりにして、索敵情報統合処理システムで相手の行動を炙り出してるって言っても、4機全部が同時に突っ込んできても、2機から3機は接敵前に落しちまうんだからな。」
「珠瀬、やるね……」
「接敵前に2機以上? 確かにそれは凄いわね。」
「ほほう。接敵した時点で敵を半数にまで減らしておるのであれば、後は自律制御の『時津風』を囮にすれば勝てるのではないか?」
「えへへ……で、出来るだけ頑張りますね~。」
「う~~~~ん、壬姫さんは敵に回すと厄介極まりないって事だよね~。
 攻略するには、武並みの変態機動を身に付けるか、沙霧さん並の状況把握と先読みで照準させずに間合いを詰めるか―――ボクの隠蔽技術じゃ索敵情報統合処理システムは誤魔化せないしな~。」

 武が壬姫の演習の結果を報告すると、他の皆が口々に誉める。が、美琴の言葉に、他の5人の目が一人先程から口を開かない沙霧に向う。
 皆の注目を浴びた沙霧は、口元に拳をあてて暫し考えをまとめ、徐(おもむろ)に話し出した。

「………………いや、申し訳ない。皆の話はしかと聞いている。
 模擬戦とは言え、連戦をこなした榊分隊長、御剣殿、鎧衣……もとい、美琴殿、慧……殿はさぞやお疲れだろうと思うし、また、全戦全勝を達成されたのは誠に見事だと思う。
 珠瀬殿も、『時津風』3機を用いて索敵と狙撃を行い、単独で小隊を相手取る妙技は素晴らしいものだと思う。まさに天賦の才であろう。
 とまあ、斯様に思うことは徒然あるのだが……その……中々、口を挟む機会を掴めなくてな……面目次第も無い……」
「…………尚哉、奥手?」
「「「「「 ぶーーーッ!! 」」」」」

 沙霧の告白に、絶妙の間合いで彩峰のツッコミが入り、残る5人は一斉に吹き出した。
 彩峰の言葉に目を丸くして驚く沙霧の顔が更に5人の笑いのツボを刺激して、ポーカーフェイスの彩峰と、何やら真剣に考え出した沙霧を他所に、顔を真っ赤にしてのた打ち回った。

「―――ふむ。奥手か……そう言えば、戦傷の療養から復帰してこの方、色事は絶えてなかったな……奥手と言われて否定する材料は見当たらないか……」

 特に恥じる様子も衒い(てらい)も無く、淡々と語る沙霧の話のその内容に、沙霧を除く全員の頬に、それまでとは違う意味で赤みが差す。
 そして、頬を赤らめながらも、彩峰は敢然とツッコミを入れた。

「以前はあったんだ………………色事。」
「「「「「 ぶはッ!! 」」」」」

 その破壊力の凄まじさたるや、他の5人を撃破するに十分すぎる威力を発揮し、5人は机に突っ伏した。

「ん……そうだな。まあそれなりにだな。毎晩繰り出すほど夢中にはなれなかったが…………!! け、慧―――殿……な、何を……言わせるのだ。」
「勝手に言っただけ……」
「まったく君は……申し訳ない、つい実戦部隊の擦れっ枯らしを相手にする調子で話してしまった。誠に面目次第も無い。」

 そこでようやく沙霧は、自分が相手にしているのが、前線に出たことも無い訓練兵の、しかもうら若き乙女達である事を思い出して慌てて謝罪した。

(そうか。これが大人の男の余裕って奴なのかな……ん? まてよ? まさか、実戦部隊じゃ女の人もこれっくらいなんでもないくらいに明け透けなのか?!)

 武は、うっすらとヴァルキリーズの面々を思い浮かべながら、考える。ヴァルキリーズも恋愛話には夢中になるものの、性交渉を匂わせるのは宗像くらいで、それさえも臭わせるに留めている。
 武は暴走しそうな妄想を打ち消して、現実に戻る事にした。無駄に量子電導脳のハイスッペックを駆使した為、同席している皆は武があれこれ思いを巡らせた事には気付かない…………筈だったのだが……

「……白銀、やらしいこと考えてた。」
「ぐはっ!…………あ、彩峰……い、いきなり何を……」
「どもってる、どもってる……」
「語るに落ちるとは、この事ね、白銀。」
「ふむ。そなたが何を考えたのか、是非聞きたいものだな。」
「た~け~る~さぁ~~~~ん?」
「あはは、しょうがないよねぇ。タケルだって、血気盛んな男の子だもんね~。」
「む……何やら急に矛先が……」

 武が女性陣に寄って集ってしっちゃかめっちゃかにされる間、沙霧は一言も発する機会を掴めなかった。
 沙霧尚哉―――武骨で真っ直ぐで、不器用な男であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月09日(日)

 08時27分、横浜基地第四演習場の外れに、12機の戦術機が飛来した。

 『F-15E・ストライク・イーグル』6機と、『F-22A・ラプター』6機で構成された編隊は、昨夜の内に到着していた先遣隊が設営した、簡易ハンガーの近くへと着地した。
 そして、人目を憚るようにハンガーへと姿を隠す『ラプター』6機。
 『ストライク・イーグル』4機は、ハンガーを護るかのように周囲に展開し、残る2機が『ラプター』に続いてハンガーへと入っていった。
 そして、簡易ハンガーの周囲を囲むフェンスの中、プレハブの建物の中にみちると遙が居た。

「ふむ。どうやら無事到着したようだな。」
「そうですね。間もなく指揮官の方がいらっしゃると思います。」

 みちると遙が、窓から覗いてそんな会話を交した5分後、ドアがノックされ、衛士強化装備姿の逞しい男性衛士と、どことなくコケティッシュな雰囲気の女性衛士が連れ立って入出してきた。
 みちると遙はさっと立ち上がって敬礼をし、米軍衛士2名が答礼した後、各々が名乗る。

「米国陸軍第66戦術機甲大隊指揮官アルフレッド・ウォーケン少佐だ。」
「米国陸軍第66戦術機甲大隊第1中隊第1小隊所属のイルマ・テスレフ少尉です。」
「国連太平洋方面第11軍、横浜基地司令部直属伊隅みちる大尉です。」
「同じく、涼宮遙中尉です。」

 みちると遙の名乗りを聞いて、ウォーケンが僅かに眉を動かす。

「司令部直属? 伊隅大尉は衛士のようだが? それと、司令部直属であるなら、先日我が艦隊への特使を勤められた、神宮司中尉と面識がおありかな?」

「はっ! 私は、今回のトライアルに際して、一時的に原隊である教導部隊を離れております。
 また、お尋ねの神宮司中尉は、恐らく衛士訓練学校の教官である神宮司まりも軍曹の事かと存じます。
 もし、そうであれば、面識はあります。何か軍曹にご用事がおありですか? 少佐。」

 みちるは、ウォーケンの問いに背筋を伸ばし直立不動で答えた。

「いや、特に用と言うほどの事は無い。少し、気になっただけだ。―――そうか、衛士訓練学校の教官という事は、もしや、本日の……」

「はい。彼女が手塩にかけた教え子たちが、本日のXM3実証模擬演習に於いて、最高レベルステージとエキシビションステージの対戦相手を務める事になっております。
 ところで、ウォーケン少佐、貴隊からのエントリーは『ストライク・イーグル』1個小隊でよろしいでしょうか?」

 ウォーケンの質問に一通り答えたところで、みちるは目を一瞬だけ光らせ、ウォーケンに問いを放った。

「事前に頂戴した資料によると、最高レベルステージの機体は、第3世代機とは言え練習機が4機と聞いているが?」

 ウォーケンがあまり気乗りしない様子で応じるが、みちるは更に追い討ちをかけた。

「はい、その通りです。しかし、ウォーケン少佐、彼女らは『吹雪』5機で、XM3搭載の『武御雷』3機を圧倒します。
 失礼ながら、如何に傑作機とは言え、従来型OS搭載の第2世代戦術機である『ストライク・イーグル』では、少々分が悪いかと考えますが?」

 みちるの挑発寸前の発言に、ウォーケンは苦笑を浮かべた。元々、トライアルに出す気があるからこそ、『ラプター』を持ち込んだのだから、ここは乗ってもいいだろうとウォーケンは判断する。

「ふ……なるほど、衛士であり教導部隊の恐らくは中隊長である君を、わざわざ我々の案内に付けたのはそれが目的か……
 いいだろう大尉。そこまで言われたのであれば、我々も米軍衛士としての意地がある。
 エントリーは『ストライク・イーグル』1個小隊に加えて、『ラプター』1個小隊、合わせて2個小隊で頼む。
 ―――ただし、『ラプター』の小隊は、『ストライク・イーグル』の小隊が敗れるまでは出さない。それでいいか?」

「はっ! 結構です、少佐。また、当基地副司令より伝言を預かっております。
 貴隊が『ラプター』のエントリーをなさり、最高レベルステージに勝利された場合、本日最後に行われるエキシビションマッチに於いてXM3搭載『武御雷』の小隊との対戦相手の座を賭けて、エクストラステージをご用意させて頂くとのことです。
 尚、エクストラステージの対戦相手はXM3搭載『不知火』他3機となります。」

 ウォーケンの言質を取った後に、ようやく目の前に餌をぶら下げるようなみちるの言葉を聞き、ウォーケンは母国で聞いた、国連軍横浜基地に巣食うと言う魔女の噂を思い出した。
 しかし、ウォーケンは臆する事無く、魔女の釜の上でダンスを踊る覚悟を決めた。

「日本の戦術機と端から当たれるという訳か? 副司令殿も粋な計らいをなさるものだ、なあ? テスレフ少尉。」

「はい。ですが、全ては試合に勝ってからの話ですね。」

「ふむ。それもそうだな。では、伊隅大尉。エントリーの手続きと、良かったら会場の案内を頼めるかな?」

「はっ! もしよろしければ、トライアル観戦会場にご案内いたします。」

「わかった、では頼む。―――テスレフ少尉! 第1小隊の全員で伊隅大尉に同行する。第2小隊には試合の準備をさせろ。
 第3小隊はハンガーの警備だ。整備班には『ラプター』の模擬戦参加準備を整えさせておけ!」

「はっ! 了解しました、少佐。」

 イルマは敬礼すると、踵を返してその場を立ち去った。ウォーケンは去っていくイルマを見送りもせずに、みちるに対して言った。

「私以下4名で、観戦会場にお邪魔しよう。車はこちらからもハンヴィー(高機動多用途装輪車両)を1台出させてもらおう。」

「了解いたしました!」

 みちるは、ウォーケンに敬礼して、提案を了承した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時00分、トライアル観戦会場には大勢の衛士や、軍の官僚・将官達が集まっていた。
 トライアル観戦会場は、横浜基地の第一演習場から第四演習場をフルに使ったトライアル会場の外れ、地下ハンガーの昇降口付近に設営されていた。
 3階建ての建物は幾つかのエリアに分けられており、来場者の立場に応じて使用できるエリアが定められている。
 そこに集うのは帝国軍の衛士達が半数を占め、彼らの多くは九州や北海道、新潟など、最前線から選別されて派遣されてきていた。
 彼らは待機所を兼ねた1Fエリアを割り当てられ、情報が刻々と更新される掲示板や、トライアルの風景を映し出す為の大型スクリーンを眺めながら、歓談している。

 と、今まで、トライアルのタイムスケジュールが表示されていた大型スクリーンに、2人の女性が映し出される。

「おはようございます。本日はぁ」「戦術機用新世代OS、XM3」「のぉ、トライアルにお越しくださいましてぇ、当横浜基地を代表してぇお礼申し上げます。」
「本日の」「司会進行その他」「を、私、水代葵とぉ、」「桧山葉子」「のぉ、会話二人羽織でお送りしま~す。」

 カメラ目線でニッコリと笑う美女と、俯き加減でメガネを反射させている女性、葵と葉子の姿と声が、トライアル公式回線を通じて流れた。

「今回のトライアルでご紹介する」「戦術機用新世代OS、XM3」「は、従来のOSに比べぇ」「操縦への即応性が3割り増し」「になってましてぇ、おまけにコンボだキャンセルだ先行入力だとぉ、様々な」「新機軸」「が取り込まれたぁOSなわけです。」
「このXM3は、既に帝国斯衛軍においてぇ正式採用が決定しているのですがぁ、今回は斯衛軍以外の」「帝国軍と諸外国の皆様」「にぃ、XM3の性能をご覧頂くために、このトライアルがぁ、開催される運びとなりました。」「あってる……」「ほんと? よかったぁ。」
「でぇ、何故に斯衛軍が先行して採用を決めているかですがぁ、」「このOSは煌武院悠陽殿下の御依頼により、開発された為」「だ、そうです。」
「さて、この後はいよいよトライアルがぁ開始となります。本トライアルは、大きく2つに分かれておりましてぇ、」「XM3を実際に体験して頂ける従来OS機との性能比較測定」「とぉ、」「XM3搭載機のデモンストレーションを兼ねた連携測定」「の2つがございまぁす。」

 笑顔で弾むように説明していく葵の言葉の所々に、無味乾燥な葉子の台詞が入り混じる、一風変わったアナウンスであった。

「性能比較測定ではぁ、こちらで用意した、」「XM3と従来OSを搭載した同一機種で、同じ測定メニューを一回ずつ」「やってもらってぇ、結果を比較します。」
「連携測定ではぁ、横浜基地の『撃震』と『陽炎』のそれぞれ小隊ランキング上位3個小隊がぁ、同一機種との模擬戦を行い、」「連携効率の向上を測定」「しまぁす。」
「あ、でねでね、」「丁寧語で喋る!」「のがお約束なので言い直しますねぇ。……そして、当基地からご招待させていただいた名だたる部隊の方達やぁ、」「同一機種のXM3搭載機との模擬戦に勝利」「した強者達は、当基地衛士訓練校のぉ207訓練小隊が、」「XM3搭載第3世代戦術機『吹雪』」「でお相手いたしまぁす。」
「あ、そこのおじさま! 『吹雪』なんてぇ練習機じゃないかって、馬鹿にしてませんかぁ? え? おまけにぃ訓練生なんかで相手になるかですって?」
「とんでもない! うちの訓練生は凄いですよぉ~。総戦技演習合格後、よちよち歩きの頃からぁ、XM3の実証試験用試作OSにぃ、」「爪先から頭の天辺まで」「どっぷり浸かってぇ鍛え上げた、」「謂わば」「XM3の申し子!」
「昨日の予行演習では、従来型OS搭載機のみならずぅ、XM3搭載機に乗った我が基地のエース部隊まで、」「連戦連勝」「でぇ下しちゃってますからね!」
「しかもぉ、207訓練小隊は最強の切り札である狙撃の名手、先日当基地に落下しかけたHSSTを、」「超絶技巧」「で迎撃した珠瀬訓練兵とぉ、XM3の生みの親、」「新概念を考案」「したぁ白銀訓練兵を外して模擬戦に臨みます!」
「それだけぇ余裕って事だよね? 葉子ちゃん。」「そうね。」「だ、そうですぅ。」
「おっとぉ、ここで珠瀬訓練兵のファンの皆さんには、」「朗報」「がありまぁす! 珠瀬訓練兵が無人機3機とぉ小隊を組んで1個小隊を相手取るぅ、」「エキシビションマッチ」「もぉあるそうです。」
「こちらはぁ、対戦申し込みが、」「殺到」「した場合ぃ、抽選となりますので、」「悪しからずご了承」「くださいませ~!」

 恐らくは、葵が言葉に詰まる度に、葉子が割り込んで補足しているのだろうが、その間に殆ど空きが存在せず、一連の発言のように繋がっている。
 その癖、声質や抑揚が思い切り異なっている為、聞いていてなんとも言えない味わいがあった。

「さあ! エントリーは既にぃ開始されてますよ~。我もと思う方はぁ」「振るって」「ご参加下さいね~。」
「さて、それではエントリーがぁ完了するまでの時間を使ってぇ、お便りを」「そんなの無い」「ことも無いのでぇ読ませていただきます!」「無いのに……」
「え~、トライアル司会のAさんとYさんから頂戴しましたぁ。」「なにそれ?」「え~とぉなになに? 《こんにちは、》 はい、こんにちは~。」
「《毎日国連軍で上官に扱かれてヒィヒィ言っているAとYです。》あらまぁ、お疲れ様ですねぇ」「後で絶対怒られるよ」「って、そりゃ酷いぃ上官ですねぇ。」
「《今日手紙を書いたのは、トライアルの公式放送は、帝国軍の各戦術機甲部隊に配布されると聞いたからです。》ほうほう。」「もうやめようよ~」
「《実は私達が国連軍に志願したのには訳があります。》な、なんと~、その訳とは? 」「あ! 駄目だって……」
「《それは……大学時代に2人で憧れていた、佐伯先生が軍に志願しちゃったからなんです!》おおお!」「やめてってば!」「あんですとぉ~?」

 と、その時、観戦会場の1Fの片隅で、丁度飲み物を取りに行って戻ってきた直後だった1人の衛士が、口に含んでいた飲み物を噴出し、大型スクリーンを呆然と見上げていた。

「《ですから、万に一つでも、私達のメッセージが届くことを願って、この手紙を書きました!》うんうん、届くとぉいいねえ!」「ほんとにやめようよぉ」
「《佐伯先生! 今はどちらの部隊にいらっしゃるかも存じませんが、どうか生き抜いてください!》」「あ――うん。」「お? ここはぁ同意? 」「……同意です」
「《そして最後に2人からの想いを込めて、このメッセージを送ります!》おぉ? きたきた!」「あ、駄目駄目駄目……」「読んじゃうもんね~。」
「《先生! 愛してます!! 何時か、きっと、きっと迎えに来てくださいね!!》」「駄目だってばぁ!」「うわっ、ちょっとぉ――(プツン)」
 「…………『只今、放送設備にトラブルが発生いたしました。申し訳ありませんが、暫くそのままで、お待ち下さい。繰り返します。只今―――』」

 いきなり映像が途絶え、ナレーションが流れると同時に、1Fのあちこちで笑いが漏れる。
 堅物の官僚や、高級将校の一部には顔を顰める者も居たが、概ね許容する雰囲気が会場内には漂っていた。
 中には、笑いながらも涙を拭う女性衛士の姿なども散見されたが、周囲の者達は笑って肩を小突くと見て見ぬ振りをした。

「あ~、テステステス……あ、繋がってぇますね~。いやぁ吃驚しちゃいましたぁ。いきなり放送設備がぁ火を噴いちゃいまして」「嘘……」「いやもう、焦るのなんのって。」
「まあ、なんとか放送再開できてぇ一安心です。」「嘘ばっかり……」「あ、そうそう、この番組」「番組じゃないのに」「いえ、番組ですぅ、そう決めちゃいました。」
「とにかく皆さんからのぉお便り待ってまぁす!」「何処に出すって言うのよ。」「観戦会場内にぃ専用葉書と投稿ボックスが設置されてますのでぇ、」「え? 嘘?!」「じゃないよぉ? ほんとーにあるもん。」
「それに書いてぇどしどしメッセージお寄せ下さい!」「えええ?!」「皆さんのぉ愛のメッセージ、お待ちしてまぁ~す!」

 すると、会場のあちこちで矯正が上がる。なんと、本当に会場各所に愛のメッセージ投稿葉書と投稿ボックスが置かれた机が配置されていたためだった。
 本当に葉書にメッセージを書き出す者、仲間をけしかけて書かせようとする者、皆思わぬイベントに湧いていた。

 そんな喧騒を他所に、造花の陰で合成コーヒーを啜る男性衛士が居た。

「や、『佐伯先生』。こんな所でなにやってるのさ。」

 男性衛士―――佐伯裕司(さえき・ゆうじ)大尉は、先程、このフロアに戻った直後と同じように、盛大に口に含んだ合成コーヒーを噴出してしまう。

「おいおい、何をやっているんだ、勿体無い。飲まないのなら、その合成コーヒー私にくれないか?」

 げほげほと咳き込む佐伯を眺めながら話しかけるのは、やや鋭い眼光と顔立ちをした妙齢の女性衛士―――草薙香乃(くさなぎ・かの)大尉だった。

「草薙大尉、止めてくれないか、その呼び方。」

 苦情を申し立てる佐伯に取り合わず、草薙は合成タバコを加えたままニヤリと笑って話を一方的に続ける。

「いや、懐かしい呼び名を聞いたと思ってね。私も数年前までは、君の事をそう呼んでいたっけね。
 ―――そうか、彼女らは確か、君の最後の教え子だったな。
 軍に志願するという君を引っ張って、早3年か。
 実は、彼女達もうちの部隊に引っ張ってこようとしたんだが、相当強固な邪魔が入ったらしくてね。
 配属先すら掴めなかったんだが。まさか、まだ、こんな所に居ようとはね。」

 話が進むに連れて、草薙の表情が鋭くなり、目が眇められていく。その様子にからかわれた事も忘れ、佐伯は真剣に訊ねた。

「配属先すら掴めなかった? 君のご家族に頼んでも?」

「ああ、そうだ。正確に言うと、任官後の配属部隊の活動内容が秘匿されていて、一切判明しないんだそうだ。
 だが、この基地に配属になっていたのなら、それも納得できるね。
 ここは横浜の牝狐の巣だ。ここに配属になって、しかも、外に情報が漏れないように秘匿されているなら、あの牝狐の直属になったに決まっているさ。
 よくまあ表に出したもんだよ。それとも、風向きが変わったのかも知れないね。」

 佐伯は、再び、模擬戦のタイムテーブルを映し出している大型スクリーンを見上げて、難しい表情になった。

「そんなに―――そんなにやばいのか? ここは。」

「そうだね。少なくとも春先頃まではやばかったね。今年2月のBETA上陸の際に、国連カラーの不知火が無茶やって相当戦死者を出したらしい。
 引き換えに、光線級を抑える事が出来たらしいがね。
 犠牲を厭わず成果を求める。戦果も素晴らしいが、損耗率は常軌を逸しているって噂。そう、ただの噂だ。
 だがまあ、良かったじゃないか。少なくとも彼女ら―――水代葵に桧山葉子だったか。二人とも、生きて笑っている。」

 佐伯は草薙の言葉に頷き、思う。

(そうだな。少なくとも彼女達は生き残って、そしてああやって笑っている。俺ももう暫く生き足掻いてみるか。)

「―――てことで、君、愛のメッセージで返事を書いてやったらどうだ? 彼女ら、喜ぶぞ? きっと。」

「……そんな恥ずかしい事、出きる訳ないだろ。」

「なんだ、案外度胸が無いな、君も。」

「………………」

 佐伯は沈黙に逃げる事にして、すっかり冷めた合成コーヒーの残りを一気に飲み干した。
 ブラックの筈のそのコーヒーは、仄かに甘いように、佐伯には感じられた。




[3277] 第56話 闇路(やみじ)を照らす妙なる光
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:55

第56話 闇路(やみじ)を照らす妙なる光

2001年12月09日(日)

 09時22分、横浜基地B19フロアの中央作戦司令室では、夕呼がケラケラと笑いながら、葵と葉子の放送画像やトライアル観戦会場の様子を映し出すモニターを眺めていた。

「いいんですか? アレ。まあ、許可して手配したのは先生なんでしょうけど……」

 武は『元の世界群』の夕呼が、サブカルチャー系のイベントにも嵌っていた事を思い出しながら訊ねた。

「いいのいいの。真面目なばっかりじゃやり甲斐が無いじゃないの。このくらいなら馬鹿やってもいいわよ。
 だいたい、軍高官どものあのシッブ~イ面眺められただけでも、十分な価値があるわ~。」

 手をヒラヒラと振るだけで、武の問いを払い除け、夕呼は楽しげに放言した。

「とか言って、本命はわざわざ圧力かけてトライアルに参加させた、佐伯裕司大尉―――いや、草薙香乃大尉の方でしょう。
 水代中尉や桧山中尉の知人で、五摂家分家筋の末子……
 斯衛に進まず大学の心理学部で助教授になるも、3年前に帝国軍に志願、以来帝国軍内部に少なからぬ影響力を持つ、ですか。
 そして、彼女にその決断をさせた原因と思われるのが、佐伯大尉。
 どうするつもりなんですか? 先生。」

 武が踏み込んだ質問をすると、夕呼は振り返ってニヤリと笑い、言い放つ。

「べっつに~。あたしはなぁんにもしないわよぉ~。
 チャンスはやったんだから、後は物にするもしないも向うの勝手。
 ま、あんたがお節介焼きたいって言うなら、べつに止めないけどぉ~。」

「はぁ~……わかりましたよ。帝国軍の国連軍横浜基地に対する悪感情を軽減すればいいんですね?」

「解ってんなら、きっちり結果を出しなさいよ?」

「了解です。米軍の将兵も観戦会場に来たようですから、オレは向こうに行きますね。」

「はいはい。いってらっしゃ~い。が~んばってねぇ~。」

 夕呼は再び放送画像に向き直り、肩越しにひらひらと手を振って、武を送り出した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時37分、武がトライアル観戦会場に到着した時、大型スクリーンでは、トライアル連携測定の第1試合の模様が実況されていた。
 第1試合で行われた模擬戦は全部で7組。横浜基地所属のXM3搭載型戦術機『撃震』と『陽炎』が対戦相手を務める模擬戦が各3個小隊ずつで6組。残り1組は207訓練小隊の訓練兵が乗るXM3搭載型戦術機『吹雪』1個小隊が対戦相手を務める。
 『撃震』『陽炎』が対戦相手を務める模擬戦は基本的に同系機同士の組み合わせだが、『吹雪』は練習機であるにもかかわらず、相手を選ばずに、対戦しなければならなかった。

「え~とぉ、『撃震』A小隊と、C小隊、『陽炎』B小隊とC小隊はぁ、XM3搭載機側のぉ圧勝でしたね~。『撃震』B小隊の相手もぉ、残存2機が必死で堪えてますがぁ4対2だから時間の問題かなぁ。」
「注目は、『陽炎』A小隊とぉ、『吹雪』A小隊ですね。『陽炎』A小隊の相手はぁ」「米国陸軍第66戦術機甲大隊所属の『ストライク・イーグル』」「ですねぇ。」
「同じF-15とは言えぇ、F-15JとF-15Eじゃ、相当性能差がぁありますよね。えっと、」「機動性と索敵・火器管制能力の大幅な向上と、それに合わせた内部構造の強化」「がぁされてますからね。ですが、『陽炎』Aチームもぉ頑張っています! XM3による」「操縦即応性」「の高さとぉ、先行入力による」「機動の連続性」「おまけにぃキャンセルによる」「動作中断によるフェイント」「などを駆使してぇ、互角の戦いを見せていますね~。」
「そして、さらに注目なのがぁ、『吹雪』A小隊です! 相手は何とぉ、富士教導団の『不知火』小隊!」「露軍冬季迷彩」「の『不知火』がぁ我等が207訓練小隊の『吹雪』にぃ襲い掛かっております!」「既に『不知火』が2機大破してるよ?」「―――さあっ! 同じ第3世代戦術機でぇ」「配備年度」「では新鋭機とは言えぇ、『吹雪』は所謂『不知火』開発の為のぉ」「実証実験機」「を量産化したぁ練習機。主機出力も抑えられており、性能差はぁ相当あるはずですねぇ。」
「しかしぃ、昨日初めてXM3に触れたぁ『撃震』『陽炎』の3小隊とは異なり、207訓練小隊はXM3のぉ」「先行試作型が産声を上げて」「からのぉ付き合い! その能力を」「十全に発揮」「できるぅ恐るべき訓練兵たちであります。」
「彼女らならば、必ずや富士教導団のぉ『不知火』相手であってもぉ互角に戦えるものと信じて」「だから、もう圧倒してるから。」「―――信じてぇおります!!」「圧倒してるのに……」

 葵と葉子のアナウンスの通り、連携測定第1試合7組の内、既に4組がXM3搭載機の圧勝で終わっていた。残り3組の内1組『撃震』B小隊は既に勝利は時間の問題で、本来絶対的優位であるはずのF-15Eを相手取る『陽炎』A小隊も、善戦していた。
 そして、千鶴の指揮の下、冥夜、彩峰、美琴の3人は、富士教導団の『不知火』を翻弄し、無傷で2機を撃墜し、残る『不知火』2機を『吹雪』4機で追い詰めていた。
 その様子を意識しながら、武は米国陸軍第66戦術機甲大隊第1中隊第1小隊に割り当てられた、2Fの部屋へと向った。
 そして、インターフォンを押して入室許可を求める。

「―――失礼致します。横浜基地衛士訓練学校第207訓練小隊所属、白銀武訓練兵であります! 入室の許可を頂戴したく、申告いたします。」

「…………よし、入れ! 白銀訓練兵。」

 インターフォンからみちるの声で許可が下り、ドアが自動的に開く。武は室内へと足を踏み入れ、直立不動で敬礼をした。

「ウォーケン少佐、並びに米国陸軍の皆様、ご紹介いたします。XM3の発案者であり、開発責任者でもある、白銀武訓練兵です。
 白銀訓練兵は、戦地徴用にて軍人となり、臨時中尉の戦時階級も得ています。現在はXM3の開発を司令部直属の任務として遂行しながら、正規任官を果たす為に訓練兵として再訓練課程におります。
 尤も、現在の207訓練小隊は、XM3開発部隊としての側面が主となっておりますが。
 失礼ながら、XM3に関してご質問などおありかと思いまして、私の方で白銀訓練兵を呼ばせていただきました。
 白銀訓練兵、こちらの方々が、米国陸軍第66戦術機甲大隊の衛士の方々だ。機密に触れない範囲で、ご質問にお答えしろ。」

 みちるが武を紹介し、質問に答えるように命じると、武は直立不動で敬礼したまま命令を受諾した。

「はっ! 了解いたしました!!」

 すると、ウォーケンが一歩前に進み出て、武に答礼して話しかける。

「米国陸軍第66戦術機甲大隊指揮官、アルフレッド・ウォーケン少佐だ。楽にしたまえ白銀中尉。
 今、君の開発したXM3搭載機の素晴らしい性能を拝見していたところだ。
 我が隊の『ストライク・イーグル』が貴国の『陽炎』相手にあれほど苦戦するとは正直想像も出来なかった。
 一体、何がそこまで性能差を縮めたのか、是非説明してくれないかね。」

 ウォーケンが武を中尉と呼び、士官として扱う意思を示した上で、解説を依頼した。すると、その言葉に続いて喋りだした女性衛士が居た。

「ホント、日本の技術者は、機械を改良する才能があるって聞いてはいたけど、あれはちょっと信じられないわ。」

「テスレフ少尉! 上級者である白銀中尉に対して失礼だぞ。」

 砕けた口調で感想を述べるイルマをウォーケンが叱責するが、武がそれを取り成す。

「いえ!ウォーケン少佐殿のご高配には感謝いたしますが、自分は訓練兵でありますので、どうかお気になさらないで下さい!
 では、説明に入らせていただいてよろしいでしょうか?」

「む……そうだな。それでは頼む。白銀『中尉』。」

 武の取り成しを受け入れたものの、それでも武を中尉と呼んだ上で、ウォーケンは武に許可を出した。

「はっ! お任せ下さい! 貴隊の『ストライク・イーグル』は機動性と火器管制能力において、対戦相手の『陽炎』を大きく上回っております。
 しかし、XM3による操縦即応性の向上や、先行入力、キャンセルによって、『陽炎』は予備動作時間の短縮、連続機動の間隙の解消、動作変更による機動多様性の確保の3点を達成しております。
 その結果、『陽炎』は『ストライク・イーグル』の砲撃を回避する事が可能となり、現在の膠着状態を可能としております。」

「つまり、XM3を搭載すると、より多彩に、自由に戦術機を動かせるようになるってことかしら?」

「はっ! その通りであります。テスレフ少尉殿。」

 イルマの解釈を、武が直立不動で肯定すると、イルマは人差し指を口に当てて笑い、ウォーケンにそれとなく提案をする。

「フフフ。そんなに畏まらなくってもいいのに。そうですよね、ウォーケン少佐?」

「む……そうだな。白銀中尉、もう少し楽にしてくれていい。その代わり、テスレフ少尉の失礼も許してやって欲しい。」

「はい。では、お言葉に甘えさせていただきます。ウォーケン少佐。
 解説の続きになりますが、『ストライク・イーグル』と互角に戦っている『陽炎』A小隊ですが、彼等はXM3の性能を半分以下しか引き出せておりません。」

「 何?!」「え?……」「な……」「バカ言え!」

 武の言葉に驚愕を隠しきれない米軍衛士4名。それを右手を上げて押さえ、武は言葉を続ける。

「その証拠に、『吹雪』A小隊は富士教導団の『不知火』を圧倒しています。あちらは、そろそろ決着が着くでしょう。
 富士教導団の残り2機が粘っているように見えますが、『吹雪』A小隊が包囲を万全とする為に手を緩めているに過ぎません。
 センサーをアクティヴにした前衛を勤める207-02(御剣)と207-05(彩峰)を囮として、207-03(鎧衣)が既に富士教導団の退路遮断の為に迂回しています。
 この後、後方で指揮に専念していた207-01(榊)も加わって、一気に包囲殲滅に移るでしょう。
 その際の、『吹雪』の機動に注目して下さい。既存の機動とは一線を隔した3次元機動をお見せ出来ると思います。」

 ―――そして、『吹雪』A小隊は、武の言葉通りの行動を見せ、富士教導団の『不知火』2機を一気に殲滅した。

「な―――」「ウソ?」「なんだありゃ?」「ジーザス!」

 まるでサーカスの軽業師のように、変幻自在に飛び跳ね、空中で姿勢を変え、軌道を変化させながら2機の『不知火』に迫り、砲撃と長刀による斬撃であっという間に『不知火』を葬り去った『吹雪』4機。
 その機動は、従来の戦術機ではあり得ないほど自由で流麗であった。実際に対戦していたならば、1対1でも動きを追尾しきれるかどうか。
 しかも、それを成したのは第3世代戦術機とは言え、主機出力を初め、各種性能で劣る練習機なのである。米軍衛士4人の受けた衝撃は大きかった。

「今の機動を可能としているのが、XM3のコンボと呼んでいる機能です。これはコンビネーションを語源としており、一連の複数動作の組み合わせを最適化して事前に学習・記憶させておき、簡略化された操作によって発動させる事で、高度な複合動作パターンを、状況に合わせて自動補正した上で実施するものです。
 さらに、今回彼女等は小隊の内2機を照射源として、干渉合成開口レーダーのように精密な索敵を実施しています。
 そして、XM3用に開発された高性能並列処理コンピューターは、膨大な観測データを統合処理することを可能としています。
 それ故に、『吹雪』A小隊は2機の所在を暴露する事と引き換えに、相手の位置を詳細に把握し、有利な位置取りにより常に相手を圧倒した訳です。
 彼女達はXM3の持つ機能とその活用法を徹底的に学んでいます。そして、XM3の機能を活用する事を前提として、衛士教育を受けてきました。
 従来のOSでの操縦経験を持たないが故に、彼女等の操縦はXM3に最適化されています。
 同性能のXM3搭載機に乗って、彼女等に勝利できる衛士は極限られた有数の衛士だけでしょう。
 ―――と、いうことで、『吹雪』が例え練習機とは言え、失礼ながら貴隊の『ストライク・イーグル』では、相手にならないかと愚考いたします。」

 武は、さらにコンボと索敵情報統合処理システムの存在まで明かした上で、ウォーケン達を挑発した。

「む!―――」「あらら……」「なんだとぉ?」「テ、テメェッ!!」

 ウォーケンは顔を顰め、イルマは面白そうに困惑して見せ、残る衛士2人は激情を押さえ切れずに唸り声を上げた。
 部下の心情を察したウォーケンは、即座に部下を叱責する。

「待て! 落ち着くんだ。白銀中尉の言葉も決して荒唐無稽なものとも言えないだろう。
 お前達も、先程の『吹雪』の機動を見たはずだな? あれを近距離で行われては、対処するのは困難だろう。
 懐に入られては我々は甚だ不利となるはずだ。そして、懐に入るための高い索敵能力も持っていると白銀中尉は説明し、『吹雪』A小隊の行動はそれを裏付けるものだ。
 お前達の誇りと矜持は解るが、冷静に判断できないようでは、勝敗は戦う前から決してしまうぞ。解ったな!」

「「 サ、サー・イエッサー! 」」

 ウォーケンの言葉に、直立不動で応える衛士2名。その様子を他所に、イルマは興味深げに武を眺めて言う。

「ふ~ん。もしかして君、『ラプター』を引き摺り出せって言われてるのかな?」

 イルマの言葉に、武は不敵な笑みを浮かべて応える。

「ちょっと違いますね。あなた方が、油断してあっさり負けてしまわないように忠告して来いと、当基地副司令から直々に命令されただけです。」

「ンフフ……なるほど、そういうことなのね。ウォーケン少佐。どうやら、ジョニー中尉達が敗北するのは既定事実みたいですよ?」

 武の言葉に納得したようすで、イルマはウォーケンに悪戯っぽく話題を振る。ウォーケンは渋い表情ながら、状況を冷静に判断し、許容した。

「…………どうやら、残念ながら、そうなる可能性は低いとは言えないようだな。
 しかし、そうでなければ、我々が派遣された甲斐も無いというものだ。
 たまたま、演習目的で日本に寄港していたからとは言え、こうして参加している以上、相応の成果は持ち帰りたい。
 そういう意味では、XM3の性能が素晴らしいものであることを、今回は期待するべきだろう。
 ―――ところで、白銀中尉。貴官はトライアルには参加しないのかね?」

 ウォーケンの質問を受け、武はニヤリと笑って応じた。

「本日最後のエキシビションマッチに出る予定です。ですから、少佐の小隊が『吹雪』A小隊を下した時には、我が基地が誇る狙撃の名手、珠瀬訓練兵と私とでお相手する事になると思いますよ。」

「―――なるほどな……貴官がXM3に関しては最優秀の衛士であるという事か。テスレフ少尉、白銀中尉とは是非手合わせしたいものだな?」

「はい、少佐。精々頑張って、『吹雪』A小隊対策を練りましょ。幸い貴重な情報をもらえましたからね。」

「うむ。白銀中尉。説明ご苦労だった。お蔭で慢心に陥る事無く虚心で臨む事が出来そうだ。
 運が向いた時には、手合わせをしてもらうとしよう。」

「はっ! 少佐殿の御武運をお祈り申し上げます! 失礼してもよろしいでしょうか?」

「私は構わないが……伊隅大尉?」

「はっ! 白銀訓練兵、ご苦労だった。下がって良し!」

「はっ! それでは失礼致しますッ!」

 武は敬礼をすると、踵を返して退室していった。それを見送ったイルマは、小声で呟く。

「あれが、白銀武か。フフフ……面白い子ね。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時49分、ウォーケン達への顔見せを済ませた武は、観戦会場の1Fに降りて次の接触対象を探していた。

「さて……草薙大尉は何処に居るかな……」

 武は観戦会場内の監視システムにアクセスして、草薙と佐伯の姿を発見すると、そちらの方へと近付いていった。

「―――しかし、話には聞いてはいたが、新型OSは素晴らしい出来だな。」

「お気に召していただけましたか? 草薙大尉。」

 近くまで歩み寄ったところで丁度聞こえてきた言葉尻を捉え、武は草薙に話しかけた。
 いきなり話しかけられた草薙は片眉を跳ね上げて、声の主である武の方へ緩やかに振り向いた。
 対照的だったのは佐伯で、即座に身構えると武を誰何する。

「貴官は何者だ?」

「国連軍太平洋方面第11軍、横浜基地司令部直属、白銀武臨時中尉です。佐伯大尉。」

 武が敬礼をして所属を述べると、草薙が興味深げに目を見開き、佐伯に警戒を解くように言ってから、武の情報を告げる。

「ふうん。そっちの肩書きを名乗るのか…………佐伯大尉、警戒しなくても良いよ。彼がXM3の発案者にして、横浜の牝狐直属の部下だよ。」

「な……彼が?」

 佐伯は、草薙の説明に驚愕する。眼前の男性衛士は、佐伯から見るとまだ少年に過ぎないように見えたためだった。

「で? 香月副司令のお使いかな? 坊や。」

「いえ。副司令はあなた方には干渉しないそうです。ただ、お節介の許可が出たので、ご挨拶だけでもと思いまして。」

 草薙の挑発を受け流し、武は苦笑しながら夕呼と自分の立場を告げる。

「―――つまり、お呼びじゃないって私らが言えば、構わないでくれるのかい?」

「そうですね。そうなると、後でオレが副司令に叱られるでしょうが……まあ、押し売りも良くないですしね。
 いいですよ。そう仰るなら大人しく引き下がります。」

 草薙の言葉に、更に苦笑を深めながらも、武は降参するように両手を肩の高さに翳して応じる。

「―――ふん。まあいい。XM3には興味があるし、牝狐よりは話が通じると聞いてるからね。
 あんたを送ってくる辺り、さすがに自分の悪評は弁えてるって訳だ。」

 ニヤリと笑って前言を翻す草薙に、佐伯が情けない顔で口を挟む。

「あー、済まないが、二人して何の話をしてるんだ? ちょっと五里霧中なんだが。」

「君も、場の雰囲気を重んじない奴だな。折角盛り上がってたのに台無しじゃないか。
 ―――そうだな、白銀臨時中尉、どこか、落ち着いて話せる場所を確保できないかね?」

 興を削がれたとでもいうように、口をへの字に曲げて、草薙は佐伯を睨みつける。
 が、佐伯が首を竦めると、一応溜飲を下げたのか、武に向って密談の手配を依頼してきた。

「そうですね。少々お待ち下さい。」

 そう言って、武が壁に備え付けられた通信装置の方へと歩み去ると、佐伯は草薙の耳に口を寄せた。

「で、何者なんだ? 彼。」
「白銀武。XM3の発案者にして開発責任者。対BETA戦術構想という新機軸を提唱し、多くの新型装備と新戦術を斯衛軍に売り込んだ男さ。」

 声を潜める佐伯に、やはり草薙も小声で応じた。

「え? XM3って、殿下が内々にこの基地に開発を依頼して実現したんじゃなかったのか?」
「それは表向きだよ。全ては彼の主導で生み出され、斯衛に売り込まれたんだ。以来、殿下に重用されているって噂もある。」
「殿下に?! 国連軍の将校が?」
「ああ。しかも牝狐の手下で、衛士訓練学校の訓練兵でもあるって変わり者さ。」
「!!―――さっきの、そっちの肩書きってのはそのことか。いくらなんでも、胡散臭すぎないか?」

 と、佐伯と草薙がそこまで話したところで武が近付いて来た為、内緒話は中断となった。

「場所が用意できましたので、こちらへどうぞ。」

 武はそう言うと、先に立って2Fへと上る階段へと先導する。それに草薙が続き、佐伯も後を追いながら小声で話しかけた。

「おい、素直に付いて行っていいのか?」
「大丈夫、向こうが何かするつもりなら、何処に居たって同じだからね。」
「それって、大丈夫って言わないんじゃないか?」
「なに、気にしたら負けだよ、佐伯大尉。」

 そうこうすると、3人はとある部屋の中に居た。その部屋は小さめの接客室のような作りをしており、ソファとテーブル、観戦用のモニターが用意されていた。
 モニターでは、第1試合が全て終了し、エキシビションマッチとして、壬姫が1人で乗機の『吹雪』に加えて『時津風』3機を操り、1個小隊を相手取って迎撃していた。
 索敵情報統合処理システムを使用した壬姫の狙撃は、相手の接敵を許す前に2~3機を撃墜してしまう。
 あっという間に最初の小隊を撃退してしまい、次の小隊を相手に第2戦を開始していた。
 その映像に、葵と葉子のアナウンスが被る。

「強い! 圧倒的にぃ強い!! 我が横浜基地が誇るぅ美少女狙撃手、珠瀬壬姫訓練兵! そのぉ」「無垢な」「瞳に見詰められたが最後ぉ」「撃墜必至」「なのでありますッ!!」

 武に勧められて、草薙と共にソファに腰掛けたところで聞こえたその声に、モニターの方を見てしまった佐伯へと、武がやんわりと話しかけた。

「気になりますか? 佐伯大尉。」
「気にならないわけが無いだろう。衛士1人で戦術機4機を操って1個小隊を手玉に取るなんて、信じ難い事だ。」
「いえ、水代中尉と桧山中尉の事ですよ。」
「ッ!―――なんの事かな?」
「あー、佐伯大尉? 惚けるだけ無駄だから止めといた方がいいよ。どうせ、私らの事を調べつくした上で、手を廻して呼び付けたに決まってるんだからね。」
「さすがに、草薙大尉は解ってらっしゃいますね。―――では、本題に入っても?」
「そうだね。佐伯大尉はこういう話には慣れていない。なるべく思わせぶりにならないように頼むよ。」

 武に想いを見透かされるのを嫌って惚けて見せた佐伯だったが、武に直截に指摘されて動揺を表わしてしまう。
 それを見かねた草薙が忠告し、武がそれに同意した上で話を切り出す許可を求めた。
 草薙は許可したものの、こういった謀略じみた話とは無縁な佐伯に配慮するよう、武に求める。
 そして、武は1つ頷くと話を始めた。

「了解です。オレもややこしいのは苦手なんで、却って助かります。
 で、早い話、お2人の持つ当横浜基地に対するイメージを改善するように言われてるんですよ。」

 武の言葉に、草薙は肩を竦めて呆れた様に言葉を返す。

「そりゃまたご苦労な事で。あたしが親族の七光りで影響力があるもんだから、懐柔しようってわけかい?」
「懐柔って言うか、誤解を解いておこうと思いましてね。」
「―――誤解ねぇ?」

 疑わしげに目を眇める草薙に、武はやや頬を引き攣らせて言葉を続けた。

「えーと。まず、最初に認めてしまいますけど、水代中尉と桧山中尉の所属する部隊に関しては、機密部隊として各種情報を隠蔽してきました。
 また、現在も機密指定は外れていません。
 ですが、半年前とは大分状況が変わってきまして、今後は改善が期待できる筈です。
 少なくとも、所属衛士の機密解除は検討中ですし、部隊自体も公然のものとなる可能性が高いです。」
「ほう―――そりゃまた何故かな?」
「ハイヴ攻略の主力部隊として、大っぴらに戦う予定ですからね。」

 半信半疑……と言うよりは、端から疑って掛かっていた草薙と佐伯だったが、ハイヴ攻略という言葉には反応せざるを得なかった。

「何?!」「―――そうやって、また戦死者を大量生産する気か?」

 テーブルを叩き、声を荒げる佐伯に、武は宥めるように手の平を翳して説明を続ける。

「あー、戦死者は極力出さない方向で。
 いや、勿論絵空事に聞こえるのは承知ですけど、あのエキシビションマッチで使用している無人機―――陽動支援機って呼んでますけど、あれとか、他にも幾つか人死にを減らす工夫は考えてあります。
 戦場全体での戦死者も減らして見せますよ?」
「対BETA戦術構想と、その装備群か。実際新潟では驚異的な成果を上げたそうだな。」

 武の説明に、既に落ち着きを取り戻している草薙が、気だるげに手持ちの情報を明かしてみせる。

「さすがに斯衛にも伝手があると伝わっちゃいますか。でも、あれは悠陽殿下直属部隊の戦果って事になってますので、どうかよろしく。」
「え?…………あ、あれも貴官らがやったのか?!」

 武の惚けた言い草に、虚を突かれた佐伯が反射的に確認してしまうが、武は困ったような顔をして、佐伯を窘める。

「……機密指定だって、言ったじゃないですか、佐伯大尉。ちゃんと聞き流してくださいよ。」
「あ……す、済まない……」
「やれやれ、君は本当に向いてないな……なるほどな。どうやら本当に今までとは方針が変わったようだ。
 尤も、方針を変えなければ遅くとも来年中に部隊が全滅しかねない損耗率だったらしいからな。
 まあ、衛士になった以上、如何に苛酷な任務であろうと文句は言えない。言えるだけの余裕も無い。
 例え発足から2年強で、連隊が中隊定数を割り込むほどにまで激減しようと、戦果が得られているならば満足するべきなんだろうからな。」

 武に窘められて、ばつが悪そうに口ごもる佐伯を見やって、薄く笑った草薙が、呆れたように首を振りながらも感想を述べた。
 尤もその口調には、当初は佐伯の朴訥さを心地良く想っているさまが伺えた。しかしそれも、話が進むに連れて徐々に厳しいものとなっていった。
 相手の立場を許容するような言葉の並びでありながら、口調は、苛酷な任務を与えた事を明らかに非難していた。

「―――苛酷な状況であったことは否定しません。それ故に秘匿されていると言う事も。
 しかし、その犠牲の上で、達成されたものが今後の戦死者を減らし、BETAを駆逐するんです。
 免罪符にするつもりはありませんが、先達の死を犬死にしない事こそが、オレたち現役の勤めだと思っていますよ。」

 この点に関しては、武も弁護は出来ない。素直に非を認めつつ、過去の犠牲を無駄にせず活かして見せると覚悟を告げた。

「是非そうあって欲しいものだね……」
「ふん。所詮、国連軍の都合に過ぎないんじゃないのか?」

 武の告げる言葉を一応は受け入れた草薙に対して、佐伯は国連軍など信じられないという頑なな態度を示す。

「―――国連軍じゃ不味いんですか? 言っておきますが、米国の影響力は横浜基地にはほとんど届いていませんよ?
 うちの副司令は、頭ごなしに何か押し付けられるのが大嫌いですからね。」

 それに対して、武が国連軍内での横浜基地の立場を説明しようとするが、佐伯は取り合おうとしない。

「口だけならなんとでも言えるさ。」
「―――いや、それがどうも、本当の事らしいんだよ。佐伯大尉。」
「な?! 草薙大尉? それは―――」

 しかし、ここで草薙が武の言葉を裏付ける話を、佐伯にし始めた。

「考えてもみなよ。米軍の手先を相手に、斯衛や悠陽殿下が新戦術や新規装備の共同開発なんぞ、名目だけとは言え持ちかけるもんか。
 それに、先日のクーデターの鎮圧にも、この白銀中尉が一枚噛んでたって噂もある。
 横浜基地の行動は、一貫して米国の影響を排除する方向に向いてるんだ。
 実際、所属する国連軍将兵も、その過半数が米国籍以外の将兵で固められている。
 帝国の反米感情に配慮しての事かと思っていたが、どうやら本当に国連軍の反米国派閥の拠点だったらしいな。」

「―――なんだ。わざわざオレが説明しに来る必要なかったようですね。」

 草薙の説明を聞いて、武は肩をすくめてぼやく。が、内心では的確な情報収集と分析をして退けた、帝国軍の一大尉の手腕に驚いていた。
 五摂家の縁者とはこういうものなのか、と。

「そうでもないさ。私だって、この話は半信半疑で聞いてたんだ。
 クーデターで米国の影響力を国内政治から排除した殿下が、同時期に横浜基地と緊密な関係を公表しているからこそ、ようやく爪の先程の真実味を感じたんだ。
 それほど、ここの副司令の悪名は轟いてたってわけだ。」

「あ、やっぱりそんな感じなんですね……あはははは…………
 と、そこまでご存知なら、今回のトライアルにお招きした理由も想像付きますか?」

 その草薙をして下された夕呼の悪評に、武は冷や汗を垂らして笑うしかなかったが、なんとか軌道修正を試みる。

「そこまで手を抜くもんじゃない。しっかり仕事はしないとな、白銀中尉。一体、私らに何の用があるって言うんだ?」

「―――実はですね。今月の25日に『甲21号作戦』と呼称される、佐渡島ハイヴ攻略作戦が実施される予定なんです。」

 幸い、心得た草薙が話に乗ってくれたので、武はまた一枚カードを切ることにした。
 佐伯には効果覿面なカードだったが、やはり草薙には予想の範疇であったらしい。

「な?!―――2週間しかないじゃないか?! 準備は間に合うのか?」
「準備はとっくに進められているさ。けど、それに関してはちょっと気になる噂が耳に入っている。
 白銀中尉、作戦参加部隊は、帝国軍に大東亜連合軍、そして、在日国連軍だけと聞いているが、本当かな?」
「はい、本当です。米軍抜きで佐渡島を『占領』します。」

 最も気になる点のみを的確に聞き返してくる草薙に、武も言葉少なに応える。
 佐伯は2人のペースに付いていけず、振り回されて驚愕するばかりであった。

「米軍抜き? 軌道降下兵団も、太平洋艦隊も抜きで佐渡を攻める気なのか?
 馬鹿な! 砲弾も戦力も足りはしないぞ!」

 が、短い中にもさらりと含ませた言葉を、草薙は聞き逃しはしなかった。

「―――白銀中尉、今、占領と言ったか? 攻略ではなくて?」
「はい。佐渡島ハイヴの中枢機能を保持したままでの、占領を目指します。」
「「 !! 」」

 ハイヴを破壊せずに占拠する。それは『明星作戦』において偶然果たされた戦果ではあったが、それは決して企図したものでも、完全に達成されたものでもなかった。
 それは、G弾2発によるハイヴ所属BETAの大量殲滅と、何故か近隣のBETAが反応炉の停止を待たずに撤退を開始した為に、偶然達成されたものに過ぎない。
 それを、G弾抜きで、遥に少ない戦力で行おうというのだから、佐伯はもちろん、さすがの草薙も驚愕に言葉を失った。

「弾薬に関しては、無駄遣いを減らす予定ですから、帝国で備蓄している分で何とかなると思います。
 軌道爆撃も、軌道降下戦術も使いませんしね。時間は掛かるでしょうが、佐渡島にいるBETAを尽く駆逐します。
 これが、作戦の概要をまとめた書類です。
 そしてお二人には、帝国軍内にXM3搭載型遠隔陽動支援機の運用部隊を2個大隊規模で編制し、作戦に参加していただきたいのです。」
「遠隔陽動支援機? ―――あれでか!?」

 武の言葉に、動揺を抑えきれない佐伯が、モニターを指差して聞き返す。モニターでは壬姫が4戦目を開始したところであった。
 そして、佐伯の横では、草薙が渡された資料を流し読みしていた。

「そうです。部隊所属衛士には、HQからの遠隔操縦で、陽動支援機を運用していただきます。
 陽動支援機は、前線でのBETAの陽動を一手に引き受け、有人戦術機のリスクを減らし、戦果を増大させる重要な役目を担っていただきます。
 陽動支援機がやられてしまうと、その穴は有人戦術機を運用する戦術機甲部隊が埋める事になります。
 人的損耗を軽減するためにも、沈着冷静に粘り強く、しかも果断に陽動をこなすことが、遠隔陽動支援機運用部隊には求められます。
 草薙大尉と佐伯大尉の所属する連隊は、お二人の心理学的アプローチによるマインドセットにより、実戦でも高いレベルで安定した戦闘力の発揮を達成していると伺っています。
 そのノウハウを活かして、命の危険が無いからと言って無茶をせず、着実にBETAを陽動してくれる部隊を構築していただきたいのです。
 それに、遠隔陽動支援機は、衛士が後方に留まる事から、現場の風当たりが大分きつくなると思われます。
 生半可な指揮官じゃ設立前に潰されかねません。その点、草薙さんなら反対派を押さえ込めるはずです。」

 ざっと資料を読み終えた草薙が、武の言葉に頷いてみせた上で、疑問を提示する。

「なるほど。そっちの思惑は解った。だが、私がそれを受けるべき積極的な理由が見当たらないな。」
「大体、そういう話なら、まずは帝国軍上層部に話を通して、命令が下るようにするのが先なんじゃないか?
 それに、衛士が乗りもしない戦術機でまともな戦果など…………」

 草薙の疑問に続いて、話始めた佐伯だったが、途中で何かに気付いたかのように、愕然としてモニターを見る。

「まともな戦果、上げてますよね? 衛士訓練学校の訓練兵が、1人で3機の陽動支援機を操って、帝国軍の正規兵の小隊を連破してるじゃないですか。」

 武の言葉どおり、モニター上では壬姫が1人で『吹雪』に搭乗し、3機の『時津風』を操って、4組目の小隊を撃破したところであった。
 その現実を前に、佐伯は言葉を失う。

「む……」

 ここで、武は佐伯の方を見てから、意味有り気に草薙に視線を転じた。

「全ては、戦場で死傷する将兵を減らすためです。如何でしょうか、草薙大尉の『目指す目的』とも合致すると思うのですが?」

 武のその言葉に、草薙は両手を頭の後ろで組んで、ソファに背を預けた。

「どうせ、殿下の方から私の実家にも要請を出して頂くつもりだな?
 いいだろう。上から押さえ付けられる所を、わざわざ私が納得できる状況をお膳立てしてくれたんだ。
 今回は素直に乗せられておこう。事実、私にとっても、帝国軍にとっても、決して悪い話じゃない。
 佐渡島ハイヴの攻略は帝国の悲願だしな。」

 ソファに凭れ掛かったまま、天井を見るようにして草薙が了承の意を表明すると、武は佐伯に視線を転じて訊ねる。

「ありがとうございます、草薙大尉。―――で、佐伯大尉は如何なさいますか?」
「―――俺は草薙の判断に従うさ。」
「その件じゃありませんよ。水代中尉と桧山中尉に会って行かれますか? もし、その意思があるなら、場を設けますが?」
「ッ!!―――む、無用だ!…………二人が元気だと判っただけで十分だ。」
「無理しなさんな、佐伯大尉。会える時に会っておいた方がいいぞ?」

 武の再度の質問に、顔を赤らめて断ってから、佐伯は懐かしげな視線を、モニターで解説している2人の女性に注ぐ。
 その様子を見て、からかうように、そして慈しむようにして、草薙が話しかけるが、佐伯は首を横に振るだけであった。

「―――そうですか。それでは、せめてトライアルを楽しんでいって下さい。
 私はこれで失礼させていただいても構いませんか?…………では、失礼します。」

 武はソファから立ち上がって敬礼すると、部屋を足早に立ち去っていった。
 室内には、押さえ切れない焦燥感からBETAとの戦いへと身を投じた男と、その男を護る為に、一度は背を向けた軍へと返り咲いた才女が残された。
 翌日、帝国軍大本営よりXM3搭載機による陽動支援戦術機甲連隊の設立が発令され、草薙大尉は少佐へと昇格。
 2個大体規模の選りすぐられた衛士を指揮下に収め、増強連隊規模の陽動支援機とその補助装備の運用に当たることを命じられた。
 副官は佐伯大尉。部隊の初陣は僅か2週間後の12月25日、『甲21号作戦』であると内示された……




[3277] 第57話 救いの主とぞ、誉め称えよ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:56

第57話 救いの主とぞ、誉め称えよ

2001年12月09日(日)

 11時45分、横浜基地第二演習場東エリアでは、207訓練小隊が搭乗するXM3搭載型『吹雪』と米国陸軍第66戦術機甲大隊の『ラプター』による模擬戦が開始されたところであった。

 これに先立つ連携測定第1試合から第3試合において、207訓練小隊は1機も撃墜される事無く、3試合を完勝してきた。
 第1試合と第3試合では富士教導団の『不知火』を相手に、そして、第2試合では、第1試合でXM3搭載型『陽炎』A小隊を撃墜数4対2で下した、米国陸軍第66戦術機甲大隊の『ストライク・イーグル』を相手にしての勝利であった。
 3試合とも、アクティヴセンサーを全開とした冥夜と彩峰の『吹雪』を囮兼前衛とし、遊撃に美琴の『吹雪』、後詰―――というよりは、殆どCPとして千鶴の『吹雪』を隠蔽した上で運用していた。

 基本的な戦術は、索敵情報統合処理システムで敵の位置を把握し、冥夜と彩峰は敵の攻撃を引き付けつつ持久。美琴の迂回を待って挟撃―――というものであった。
 何しろ、練習機仕様の『吹雪』では『不知火』はおろか『ストライク・イーグル』相手でも主機出力で大きく水を空けられている。
 噴射跳躍ユニットでのNOEでなら、なんとか追随出来ないこともないのだが、そんな事をしてはいい的になるだけである。
 なので、207訓練小隊の戦術は、引き付けて倒す以外の選択肢が無かった。

 索敵情報統合処理システムのCPU負荷を全て引き受けた千鶴機は、実質的に戦力外となる。
 3機で4機を相手にする事になるが、相手の配置が手に取るように判る上、美琴の高度な隠蔽技術は相手に悟られずに迂回を成功させ、幾度も奇襲を成功させた。
 第2試合では冥夜が、第3試合では彩峰が対戦相手4機による集中攻撃を受けたが、相手の移動ルートを分析した千鶴による、的確な退避指示があったお蔭もあり、2人とも撃墜される事なく相手の猛攻を凌ぎきっていた。
 そうして持久している内に、迂回した美琴の奇襲によって対戦相手の一角に穴を空け、一度3対3に持ち込んでさえしまえば、それ以降は対戦相手が優位に立つ事は一度たりとも無かった。

 だが、今回の相手は現時点で世界最強と目される戦術機『ラプター』である。
 ステルス性能が高く、センサー類の性能も、火器管制能力も高い。主機出力はおろか、NOEでの巡航速度すら比較にならないほど水を空けられてしまっているのだ。
 207訓練小隊の『吹雪』が勝っているのは、3次元機動による回避能力と、接近戦くらいしかなく、索敵能力も、索敵情報統合処理システムを使用しても、五分まで持っていければ上等であろうと思われた。
 しかも、それだけの差があって尚、対戦相手の指揮官であるウォーケンに慢心はなかった。

「ハンター1よりハンターズ。狩を始める前に言っておく事がある。決して油断をするな! 戦闘は一撃離脱と、追撃された時の迎撃のみを許可する。
 相手の得意とする高機動近接戦闘に引き摺り込まれるな! 解ったな!!」

「「「 サー・イエッサー! 」」」

「よろしい。では、作戦はブリーフィングで話した通り、一撃離脱による波状攻撃だ。相手を一撃してから離脱反転するまでの間が最も敵に狙われやすい。
 常に回避機動を取りながら、センサーを最大限に活用しろ! 残念ながら、今回のトライアルでは対電子戦装備は使用を禁止されている。
 各機全力を尽くして、ジョニー達、第2小隊の無念を晴らせ、いいなッ!」

「「「 サー・イエッサーッ!! 」」」

「いいぞ、ハンターズ! お楽しみの狩の時間だ。奴等の喉笛を噛み千切ってやれっ! GO! GO! GO!!」

 ウォーケンの嗾ける声に従い、猟犬達は狩場へと飛び込んでいく。
 獲物の内2匹は、愚かにも自ら居場所を曝している。その内のウォーケンに指示された1匹目掛けてハンター4がNOEで放たれた矢のように突き進んでいく。
 ハンター3は緩やかな弧を描くように、ハンター2は2匹の獲物の間、恐らくは3匹目が隠れているであろうエリアへと、回避機動を交えながら突進して行った。
 それを確認したウォーケン自身も、時間差で目標に到達するようにきつくたわめられた弓の様な軌道を進攻しつつ、イルマへと通信を繋いだ。

「ハンター2、貴官が勝利の鍵だ。上手い事頼むぞ。」
「ハンター2了解。任せてください。必ず尻尾を掴んで見せますから。」
「期待している、ハンター2。以上だ。」

 第66戦術機甲大隊―――ハンターズが最初の獲物と見定めたのは冥夜の操る『吹雪』であった。
 まず1機の『ラプター』が凄まじい巡航速度で上空を航過していき、冥夜が素早く機体を隠したビルに36mm弾を一連射して威圧していった。
 そして、続け様に別方向から次の『ラプター』が突入してくる。冥夜は休む間も無く機体を移動させ、射界を確保させないようにしなければならなかった。

「―――どうやら、相手は高速での一撃離脱による波状攻撃を仕掛けてきているようだぞ、榊。相手の行動分析は出来ぬか?」
「もう少し粘って頂戴。さすがに『ラプター』のステルス性能を補正するには、もう少しデータ蓄積が必要だわ。
 ある程度データが蓄積したら、『あれ』をやるから、鎧衣はそれまでは、見つからないように気を付けて。
 彩峰! 御剣が回避に専念している分、アクティヴセンサーの発信はそっちが頼りよ。いきなり狙撃はされないと思うから、なるべく遮蔽物の陰から出て発信して頂戴。
 ただし、解ってると思うけど、動きを止めちゃ駄目だし、そっちに向かう『ラプター』が出たら、即座に建物の陰に引っ込むのよ?」
「了解したよ、千鶴さん。」
「ワカッテル、ワカッテル……」
「本当に解ってるんでしょうね! 彩峰ッ!!」
「まあ、そう興奮するな榊。そなたは自分の仕事に専念するが良い。今しばらくの間、私が時間を稼いでみせよう。」
「……頼むわね、御剣。」

 そして、データ蓄積の時間を稼いでいたのは、207訓練小隊だけではなかった。

「どうだ、ハンター2。匂いは嗅ぎ付けたか?」
「こちらハンター2。位置を絞り込むにはもう少しかかります。
 CPが有ればとっくに割り出してる筈なんですけど、戦術機のコンピューターによる分析能力じゃ割り出すのは難しいです。絞り込んだ後は勘頼りになりますけど、構いませんね?」
「任せる。貴官の勘は信用しているからな。―――しかし、それを思うと、この『ラプター』のステルス性能をほぼ無効化しているXM3専用コンピューターの分析能力とは、一体どれほどのものなのか……」
「なんとか、こっちにも回して欲しいところですね、少佐。」
「そうだな。が、それは我々のレポートを読んだ上層部が決める事だ。それに、練習機相手に負けた報告書を書くのはご免だぞ?」
「はいはい、なんとかしますよ―――っと、見つけた?! 少佐、それらしき反応を見つけました、次の航過で確認します。」
「よしっ! ハンター2、サーチ・アンド・デストロイだ! 頼んだぞ。」

 同時刻。期せずして榊の下にも十分なデータが蓄積されていた。既に207訓練小隊各機のデータリンク上では、ハンターズの位置と予想進路が明示されていた。

「よし! みんな、次の航過で仕掛けるわよ。同期コンボのロックは解除してあるわね?」
「無論だ!」「大丈夫!」「外れてる……」
「じゃあ、タイミングはこっちで取るから、みんなは起動に備えて頂戴。………………3、2……今!」

 榊の声と同時に、遮蔽物に機体を隠していた冥夜の『吹雪』が通りに飛び出し、36mm突撃砲を急接近してくる『ラプター』に乱射した。
 『ラプター』の速度に対応し切れていないのか、36mmの散布界は『ラプター』の機体やや下方に偏っている。
 砲撃を受けたハンター4は、反撃をせずに回避に専念。機体をロールさせながら上空へとブレイクし、『吹雪』の射撃を引き付けて、急接近中のハンター3の砲撃を支援しようとした。
 しかし、次の瞬間、高度を上げたハンター3の『ラプター』は、3方向からの弾幕の真っ只中に突っ込んでしまっていた。

「なにぃッ?!」「ハンター3、着弾多数。大破。」「畜生ッ!! ―――なんだってんだ、一体……」

 それは、冥夜機の砲撃で相手が上空に回避するように誘導した上で、予想進路上に隈なく弾幕を張り巡らす同期コンボであった。
 冥夜、彩峰、美琴の3機から目標までの距離に合わせ、着弾までの所要時間の差すら考慮した上で、コンボならではの緻密な砲弾散布界の修正まで行って放たれた砲撃は、ハンター3の機体が遷移しうる空間位置を満遍なく36mm劣化ウラン弾で埋め尽くした―――と、JIVESによって判定された。
 結果的に、弾幕の中へと、自ら飛び込む形となった『ラプター』は、無数の砲弾を受けて、撃墜判定を受ける事となったのであった。
 武譲りの、千鶴快心の同期コンボによる嵌め技であった。

「やったわ……」
「榊、そっちに1機行ってる!」
「ッ!!……いえ、僅かに進路がずれてる。僚機が撃墜されて、緩旋回をし損ねたのかも……いずれにしても、今動いたらやられる……」
「榊! 大丈夫なのか?」「千鶴さん?」
「御剣、貴女はまだ狙われてるのよ! 回避に専念して!! 鎧衣も、位置を特定されたはずだから移動と隠蔽を……
 彩峰は、センサーの発信に専念して! もし、私がやられたら―――あ! 敵機が、旋回を開始したわ……よし! じゃあもう一度同じ手で―――」

 自機が発見されて撃墜される場合に備え、その後の指示を下そうとしていた千鶴だったが、接近してきていた『ラプター』が旋回機動を開始するのを確認して一息ついた。
 そして、同期コンボによる2機目の撃墜に方針を転換し、指示を始めようと思考を切り換えた直後―――

「フフフ……居た居た……見つけたわよ~。ここでブーストリバース!! いっけぇ~!!!」

 旋回の途中、千鶴の『吹雪』が真後ろになった瞬間に、イルマの乗る『ラプター』は跳躍ユニットを全力で逆噴射し、行き足を落として自由落下を始める。
 その背後ではガンラックに保持されたAMWS-21戦闘システムが起き上がり、崩れかけた廃墟に機体を埋めるようにして隠蔽している千鶴の『吹雪』を照準した。

「わるいけど、これが仕事なのよ。許してね。」

 イルマは笑みを浮かべた唇で呟き、引き金を引いた。―――2門のAMWS-21戦闘システムから、120mm砲弾と36mm砲弾が斉射され、廃墟ごと『吹雪』を消し飛ばした―――と、JIVESは判定した。

「207-01、大破、機能停止。」「くっ…………ごめん、みんな…………」

 千鶴は、管制ユニットの中で唇を噛み締めた。
 残念ながら、指揮官機である千鶴の『吹雪』が撃破された後は、3対3とは言え、『ラプター』が終始有利に戦いを進めた。
 207訓練小隊は、千鶴が撃破された直後に、冥夜が索敵情報統合処理システムの運用を断念。美琴の潜伏先近辺に、冥夜と彩峰の2機が囮となって移動。
 互いに背中合わせで迎撃の態勢を取り、アクティヴセンサーは最大出力で発信を継続。さらに同期コンボによって、『吹雪』2機の回避機動を連動させた上で、操縦を彩峰に集約した。
 冥夜は限られたコンピューター資源を用いて、『ラプター』の接近を可能な限り早期に発見できるように努め、美琴は冥夜と彩峰に襲い掛かる『ラプター』を要撃せんと、隠蔽したままデータリンクのレーダー画面を注視していた。
 この戦術で、207訓練小隊はハンター3を中破の判定に追い込むことに成功したものの、やはり機体の圧倒的な性能差を覆す事はできず、全機が撃墜されてしまった。

 結果は敗北であったが、圧倒的に劣る性能の『吹雪』で同数の『ラプター』を敵に回して、撃墜1、中破1、小破1の戦果を上げた207訓練小隊は、その様子を観戦していた、米軍を含む全将兵から賞賛を浴びる事となった。
 敗北に打ちひしがれてハンガーに戻り、機体から降りた207の4人は、沸き上がった歓呼の声に目を丸くしていたと言う。

「なんとか勝てた……といったところだな。テスレフ少尉。」
「そうですね。相手の指揮官機を見つける前に、もう1機落とされていたら、負けてたのはこちらだったかも。
 少佐、強かったのはXM3とあの娘たち、どっちだと思いますか?」

 米軍が自前で用意したハンガーに『ラプター』を戻し、勝利者インタビューとも思えるほどに熱狂的な質問に答える『吹雪』A小隊の4人の映像を、待機室のモニターで見ながら、ウォーケンとイルマが会話を交していた。
 小隊の残り2名は、只今失意のどん底におり、その場には姿が見えなかった。

「そうだな………………恐らく、両方だろう。あの白銀中尉が手塩にかけて鍛えたのだろうな。指揮官機が落とされた後の行動も速やかだったし、その後の戦術も見事なものだった。
 普通は、もう少し動揺して乱れるところだ。彼女等は任官を前にして、既に一流の衛士として開花し始めていると言えるだろうな。」
「随分と誉めるんですね、少佐。キュートな彼女たちに夢中になっちゃいましたか?」
「勘弁してくれ、テスレフ少尉。貴官だって、彼女等の実力は認めているのだろう?」
「そうね。キュートで、プリティーだけど、素晴らしい衛士達だわ。午後のエクストラステージがとっても楽しみ。」
「そうだな。実に楽しみだ。ミキ・タマセ、タケル・シロガネ。果たしてどれほどの衛士なのか……ラングレーに踊らされたとは言え、極東の果てにまでやってきた甲斐があったかもしれんな。」
「そうですね。」

 ウォーケンの言葉に応じたイルマの瞳が一瞬だけ妖しく光った。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時09分、トライアル観戦会場には、京塚志津江曹長の監修になる仕出し弁当が大量に運び込まれ、早々に食べ始めた帝国軍衛士達が、あまりの美味さに感涙にむせび泣き始めていた。
 そこへ、既におなじみとなった能天気なアナウンスが流れる。

「みなさ~ん、お弁当は受け取りましたか~? 我が横浜基地が誇るぅ食の達人! 合成食材の魔術師!! 京塚志津江曹長がぁ」「陣頭指揮」「を取った仕出し弁当は絶品ですよ~。」
「これを食べられるだけでもぉ、今日のトライアルにぃ来てよかったと思う人も少なくないはずですね!」「それはちょっと、まずいんじゃ……」「いえ、いいのです! 食に勝るぅ愉悦なし!!」「色気より食い気?」「そうそう!!!」「肯定しちゃうんだ……」「しちゃいます!」

 そのアナウンスに笑みを浮かべる者、そこまで言うならと、弁当を受け取る為に配給の列に並ぶ者、反応は様々だが居合わせた殆どの者がアナウンスに耳を傾けていた。
 午前中一杯のアナウンスは、時に珍妙で、時に明るく軽快に、そして折々に入る解説は的確に、お堅い催しであるはずの新装備トライアルを必要以上に盛り上げていた。

「さてさて、それじゃあ、ご飯を食べながらぁ、噴出さないようにぃ聞いてくださいね~。」「勿体無いからね。」「ですね~。午前中からぁ合間を縫ってご紹介してきたぁ愛のメッセージですが、お昼休みの初っ端でぇ今回」「裏方を勤めている当横浜基地の要員」「からのメッセージを、読ませてぇいただきますね~。」

 愛のメッセージは、予想外に多数寄せられ、午前中の模擬戦の合間を縫って読み上げられていた。
 その中には、今は亡き人へのメッセージと思われる、過去形のものも含まれていたが、葵の人柄のせいか、重苦しくならずに済んでいた。

「では、教導隊中隊長のぉイニシャルM・I(次女)さんからのぉメッセージです。」「え? それって……」「読みまぁ~す。『正樹! 帝国軍と国連軍に引き裂かれて、私はもう体の疼きが押さえられない! 早く私を抱き締めに来てくれっ!!』おおおおお~~~~っ! 熱烈ですねぇッ!!」「あ……読んじゃった……」「そうですか、疼いちゃってるんですかぁ、大変ですね~。正樹さんはさっさと休暇を取ってぇ大尉―――じゃなかった、M・I(次女)さんを慰めてあげてぇ下さいね!」
「……あれぇ? どうしたの? 葉子ちゃん。なんで、そんなぁ隅っこに逃げてるのかな?……え? 耳を澄ませてみろ?………………あ、なんだかぁ騒々しい足音が―――」「こらぁ! あんた達、何いい加減なこと放送してるのよ!」「あああっ、大尉ぃ駄目です! オンエア中ですよ?!」「いいから! そのマイクを貸~し~な~さ~い~~~ッ!!」「は、はははははいぃッ!」「―――コホン。正樹、先程のメッセージは部下の悪ふざけだ。迷惑を掛けてしまったと思うが許してくれ、以上だ。…………葵、邪魔をして済まなかったな。真・面・目・に! 任務を遂行しろ、いいな?」「はっ! 真面目に任務を遂行しますッ!」「よし、邪魔をしたな、失礼する。」
「………………こ、怖かったぁ……寿命が縮んだよ~。」「葵ちゃん、オンエアのままだよ?」「え?! あ、あはははは……い、今の無しです! ちょっとぉ取り乱してました!!―――じゃ、気を取り直してぇ行きますね~。次のメッセージです! 教導隊小隊長のイニシャルM・Mさんからのぉメッセージです!」「懲りてない……」「え~? だって、これ読まないとぉ特訓4時間て言われたんだもん。てことで読みまぁす、『仁さん、何時か必ず、あの嵐山の景観を取り戻して、二人で幸せに過ごしましょう。その為にも是非国連軍に転属を―――』」

 同時刻、トライアル観戦会場では、ご馳走を噴出すまいと、必死で堪える将兵の姿がそこら中で見受けられた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時52分、横浜基地の演習場では、全ての測定が終了し、機材の撤収が始まっていた。
 そして、トライアルに参加していた衛士達の殆どが、トライアル観戦会場に集まってきていた。

「いやぁ~、午後の連携測定第5試合と第6試合はぁ熱い戦いが」「繰り広げ」「られましたねぇ~。汚名をぉ返上する為に、従来OSの『不知火』からXM3搭載『陽炎』にぃ乗り換えた富士教導団と、我等が207訓練小隊のぉ『吹雪』A小隊の」「熾烈な」「戦いはぁ、見所満点でした!」
「午前中は惜しくも『ラプター』にぃ敗れてしまった『吹雪』A小隊でしたが、午後は富士教導団のぉ」「猛者」「を相手に」「善戦」「して、1勝1引き分けとぉしました。」
「本日、連携測定はぁ6試合行われましたが」「XM3搭載機の小隊が敗北したのは、『吹雪』vs『ラプター』、『陽炎』vs『ストライクイーグル』の2組のみ。XM3の有用性は見事に証明された」「と、言ってもぉいいのではないでしょうか。そして、本日の最後をぉ飾るのは、XM3搭載型『武御雷』とのぉハイパーエキシビションマッチですッ!!」

 観戦会場1Fの衛士達からどよめきが上がる。日本が世界に誇る傑作機『武御雷』、そのXM3搭載型の勇姿を戦場以外で見れるとは、僥倖以外の何ものでもなかった。

「しかも、そのぉハイパーエキシビションマッチにおける」「対戦権」「を賭け、午前中にぃ『吹雪』A小隊を下した米国陸軍の『ラプター』に、207訓練小隊の誇るぅ天才美少女狙撃手、珠瀬壬姫訓練兵と、XM3のぉ生みの親、」「新機軸の3次元機動を得手」「とする天才衛士、白銀武訓練兵のコンビがぁ、XM3搭載型『不知火』と、珠瀬訓練兵のエキシビションマッチでぇ最早お馴染みとなった」「『陽炎』改修型陽動支援機『時津風』」「3機を引き連れてぇ挑みます!」
「果たして我が横浜基地が誇るぅ白銀武とXM3は、米国が世界最強のぉ戦術機、」「『戦域支配戦術機』と豪語」「する『ラプター』を」「凌駕し得る」「のか! それとも日本が誇るぅ『武御雷』と『ラプター』の夢の直接対決がぁ実現するのか?! 実にぃ興味深い1戦です。」
「そしてぇ今、連携測定では同時に4試合がぁ行われていた、第三演習場にぃ『ラプター』が姿を現しました。今までのぉ連携測定の4倍以上となるぅ面積の広さは、どちらに微笑むのでしょうか?」「『ラプター』の巡航速度の高さを活用しやすい反面、珠瀬訓練兵の狙撃も有効性を高めると思う。」「そ、そうなんだ…………つまりぃ、どちらか一方がぁ有利って事にはならないのね?」「そう。」
「おおっと、ここで我等がぁXM3搭載型『不知火』と『時津風』もぉ姿を現しました。そして試合開始までぇ後僅か―――」「開始したよ。」「―――っと、始まってしまいましたぁ~。」

 模擬戦の開始と同時に、『時津風』3機がアクティヴセンサーを全開にして、NOEで前方へと展開を開始する。
 殊に武・壬姫側から見て右翼に位置するT01(『時津風』1号機)は、両主腕に保持した長刀を翼代わりとし、頭部を進行方向に向け、背中を地面に向けてほぼ水平に仰向けになった姿勢を取り、カナード翼と長刀を微調整するための物を除く全ての関節をロックして、戦闘機のように飛翔し、ぐんぐんと速度を稼いでいく。
 そして、模擬戦の戦闘エリアの3分の1を過ぎた辺りからバレルロールをメインに、機体脚部に増設されている姿勢制御スラスターと機体上部各所に増設されたカナード翼を使用した変則機動も織り交ぜて、狙撃を警戒しながらも『ラプター』を補足するべく敵陣に向けて吶喊して行った。

「む―――F-15改修機にしては機動が機敏だな。よし、折角突出してきてくれるのだ、全機でかかって撃墜するぞ!」
「「「 サー・イエッサー! 」」」

 T01単機での突出を察知したウォーケンは、T01の進行方向を半包囲するように4機の『ラプター』を配置し待ち構えた。

「よし、出来るだけ引き付けるんだ………………む? 上昇するだと?! 全機砲撃開始!!」
「「「 了解! 」」」

 しかし、T01は戦闘エリアの半分を過ぎた辺りで、上昇に転じて高度を取り始める。
 高度を取られてのルックダウンによる索敵を嫌い、ウォーケンは全機に砲撃を命じた。
 しかし、高度を上げる事で、地上の『ラプター』との距離を確保していたT01は、風に舞う羽毛のようにヒラヒラと、変幻自在な機動を行って『ラプター』4機による砲撃を掠らせもしなかった。
 そして、十分に高度を取ったT01は、砲撃によって位置を暴露した『ラプター』に向けて、逆落としに噴射降下を仕掛ける。
 T01は噴射降下の最中にも回避軌道を繰り返し、さらには両肩部から32発の自律誘導弾を斉射した。
 4機の『ラプター』に分散して襲い掛かる自律誘導弾。
 その誘導情報は、索敵情報統合処理システムからレーダーコンテナを経由して自律誘導弾へと送信された、正確無比なものであった。
 4機の『ラプター』が回避と迎撃を優先せざるを得なくなったその僅かな時間、T01は回避機動を中断しハンター4に向けて直進する。その時間僅かに1秒。
 その1秒の間にT01は、背部兵装担架に保持した2門の87式支援突撃砲を、進行方向へ向けて各門2発ずつ、計4発を放っていた。

「くそッ! やられた!!」「ハンター4、管制ユニット、動力部に被弾、致命的損傷大破。」

 動力の落とされた『ラプター』の管制ユニットで、アームレストを殴って悔しがるハンター4の衛士。
 対照的に、『不知火』の複座型管制ユニットでは、武と壬姫が笑顔で会話を交していた。

「よし、上手いぞ、たま!」「えへへ、やったよ! たけるさん。」

 T01は武の遠隔操縦によって吶喊していたのだが、自律誘導弾を発射し、回避機動を行わなかった1秒間の間だけ、背部兵装担架と支援突撃砲の制御を壬姫が行っていた。
 その正確無比な砲撃は、自律誘導弾に気を取られたハンター4に4発の36mm砲弾全てを命中させていた。
 上方からの撃ち下ろしであった為、4発中2発は肩部装甲シールドに弾かれたが、残る2発が『ラプター』を沈黙させる事に成功していた。

「ハンター4! くそッ! 各機ブレイクだ! 奴を振り切れ!!」
「「 了解ッ! 」」

 ハンター4の撃墜により、包囲殲滅を選んだが故に、自らの優位である高速を生かせなくなっていた事に気付いたウォーケンは、直ちに散開を指示。
 一旦距離を取って、一撃離脱戦法へと方針を転換しようとした。
 しかし、武もそれを易々と許しはしない。
 未だに十分についている行き足と、位置エネルギーを使って『ラプター』の驚異的な加速に何とか喰らい付き、支援突撃砲を連射する。
 T01に後ろから追い立てられながらも、必死で回避し続けるハンター3。
 T01の武装が連射可能な87式突撃砲であったなら、恐らく既に撃墜されていたであろう。

「くそぉっ! 低空じゃ障害物が多すぎて振り切れない!」

 障害物を回避しながらのNOEであるため、思うように速度が上がらず、T01を振り切れないことに焦ったハンター3は、高度を上げてビルの上へと踊り出た。
 そして、全力噴射で急速に速度を稼ぎ始めるハンター3の『ラプター』。後方に追い縋るT01との距離もじりじりと広がり始め、障害物が無くなった事で回避機動も取りやすくなった。

「へっ! 所詮、F-15の改修機なんざ、屁でもねーんだよ! クソがッ!!」

 心理的に余裕を取り戻したハンター3は毒づきながらも、背部ガンラックのAMWS-21戦闘システムから、T01に向けて牽制の砲撃を始めた。
 そんなハンター3の耳に、ウォーケンの叱咤が飛び込んでくる。

「高度を下げろ! ハンター3!! 高度を上げると狙撃が―――」

 正にその時、ハンター3の左から飛来した36mm砲弾が、続け様に着弾し、ハンター3は撃墜判定を受けてしまった。
 狙撃を行ったのはT03(『時津風』3号機)。左翼側から進攻していたこの機体を使い、T01からの照準情報に基づいて壬姫が行った狙撃は、見事にハンター3の未来位置を捕捉したのだった。

「さすがたま! 日本一!!」「えへへへへ……誉めすぎですよ~、たけるさん。」

 T01の吶喊に始まる一連の攻防の中で、一気に指揮下の戦力の半分を喪ってしまったウォーケンだったが、その思考は未だに明晰であった。

(既に、我が方の戦力は『ラプター』2機のみ。現有戦力で、敵の索敵情報統合処理システムを無力化する事は難しいか。
 となれば、『ラプター』のステルス性能は、無力化されたと考えるべきだ。
 残るこちらの優位性は速度だけか。如何に『ラプター』と『不知火』とは言え、向うはXM3用の高性能コンピューターを搭載している。
 火器管制能力は恐らく互角。となれば、HSSTを撃墜し、午前中に群がる挑戦者を単身狙撃で撃退し続けた珠瀬訓練兵に、長距離砲戦で敵うとも思えん。
 やはり、高速巡航性能を武器として、一撃離脱のサーチ・アンド・デストロイしかないか……
 狙うとするなら、有人機の『不知火』だな。『ラプター』1機と刺し違えても、撃墜さえできればこちらの勝ちだ。)

「ハンター2、敵の『不知火』を捕捉して撃破する。私が先行するからフォローを頼む。
 最悪、私ごと撃墜しろ。いいな!」
「―――了解、少佐。」

 ウォーケンは、パッシヴセンサーから得られる情報を分析にかける。
 『吹雪』A小隊を相手取った時にも、指揮官機の位置を割り出す為に使用した手法だが、索敵情報統合処理システムを運用する為にデータリンクを介在する情報量が膨大になっている為、その通信に使用されている波を洗い出して位置を特定しようと試みる。
 最も情報発信の多いのは3機の『時津風』であり、この3機はアクティヴセンサーの発信で位置も特定できている。
 この3機の情報送信に対して、リターンを返す信号を拾い上げるべく、ウォーケンはフィルターを次々に切替ながらそれらしい波を探していく。
 その間にも、ウォーケンの『ラプター』は、相当な速度で市街地をNOEで飛行し続けている。自律制御の助けがあるとはいえ、その腕前は確かであった。

「む!―――これか? ハンター2、それらしい波を拾った、仕掛けるぞ!」
「イエッサー!」

 ウォーケンは『ラプター』を目星を付けたポイントへと向ける。欺瞞航路を使用することも考えたが、下手に相手に時間を与えては、4機がかりで包囲されてしまう恐れがあった。
 そこで、ウォーケンは相打ち覚悟で吶喊を選択したのだった。
 そして、目標ポイントに近付き、ビルの谷間から交差点に出ようとした時、ウォーケンの脳裏に新米衛士だった頃に、先輩衛士から教えられた言葉が蘇る。

『いいか? ルーキー。遮蔽物の陰から出る時は、出る直前に必ずベクトルを曲げろ。そうすりゃ、相手に狙い撃ちにされても回避出来る可能性が上がるからな。』

 ウォーケンは、その言葉に従い、反射的に高度を下げた。―――と、ウォーケンの『ラプター』背部のガンラックに保持されていた突撃砲が、36mm弾の直撃判定を受け破壊された。

「く―――ッ! ハンター1、エンゲージオフェンシヴ! 突撃する!!」
「了解!」

 敵に先手を取られたにも拘らず、敢えて『オフェンシヴ』と言い切ったウォーケンは、有り余る『ラプター』の推進力に物を言わせ、力尽くで軌道を捻じ曲げながら、ようやく捕捉した『不知火』目掛けて突撃を強行する。
 衛士強化装備のフィードバックでは抑え切れないGを必死で堪えながら、無茶苦茶な機動でありながら、急速に距離を詰めていくウォーケンであった。
 しかし、さすがにこの状態からでは砲撃にまで手が回らない為、ウォーケンは、至近距離まで近付いた所で、相打ち覚悟で砲撃するつもりだった。

(あと少しで100m! ここまで近寄れば!!)

 ウォーケンがそう思って回避機動を中断し砲撃態勢を取ろうとした瞬間、まるでそれを待っていたかのように『不知火』が動いた。
 『不知火』はまずは真上に噴射跳躍、更に横方向に軌道変更、ビルの壁面を蹴って斜め上へ跳躍し、そこから噴射降下した後、水平噴射跳躍。
 更にポップアップした直後に、機体を捻って伸身宙返りを決めた『不知火』が着地したのは、ウォーケンの『ラプター』の真後ろ。
 ウォーケンは『不知火』を完全に見失っていた。
 そして、背後から振るわれる74式近接戦闘長刀。それを感覚ではなく戦術眼によって察知したウォーケンは噴射跳躍ユニットを全力噴射しながら叫ぶ。

「今だ、ハンター2! 私ごと奴を撃てッ!!」

(よしっ! 貰ったわ!! これで私達の勝ちよ!)

 イルマは照星(レティクル)に『不知火』を収め、心中で快哉を上げた。ウォーケンの『ラプター』は、残念ながら長刀の一撃を避けることが出来そうにないが、敵の『不知火』も次の瞬間には、4門の突撃砲から放たれる砲弾で蜂の巣になるはずだった。

「ハンター2、主機、右主腕、右噴射跳躍ユニットに着弾、戦闘不能、大破。」

 しかし、無常な宣告が、正にトリガーを引こうとしていたイルマの耳に飛び込んでくると、機体の動力が切断され、イルマは暗闇へと追いやられてしまった。
 それは、米軍の誇る最新鋭機『ラプター』が、XM3搭載機に敗北した事を意味していた。

 実は、イルマの『ラプター』の砲撃位置は、武と壬姫によって巧妙に誘導されたポイントであった。そしてそこを、2機の『時津風』が遠距離から狙い撃っていた。
 索敵情報統合処理システムにより得られた、『ラプター』の詳細な機動情報から砲撃位置に到着するタイミングを割り出し、着弾までの時間差も見越して放たれた合計4発の砲弾は、内3発が命中し、その内の1発が背後から主機を貫いていた。
 その直後にはウォーケンの『ラプター』も『不知火』によって斬り倒され、米国陸軍第66戦術機甲部隊第1小隊は全滅したのであった。

 そして、トライアル観戦会場他、横浜基地のほぼ全域に、葵の歓声が響き渡った。

「やりましたぁ~っ! 我等が美少女スナイパー珠瀬壬姫とぉ天才衛士白銀武ペアが、『ラプター』にぃ勝利しましたぁ! しかも、」「終わってみればスコア4-0でXM3側の圧勝」「でしたねぇ~!!」
「あ、只今演習場へと87式自走整備支援担架が4台入ってきました。そしてリフトアップされてシートが剥がされってえええぇえ~っ! あれは、し、ししし」「紫色(ししょく)の御『武御雷』……将軍殿下の専用機の筈」「だよねぇっ! 他の3台は白……あ、赤じゃないんだ……」
「え?! あ、はい、了解です。……え~、只今入った連絡にぃよりますと、この後、政威大将軍煌武院悠陽殿下」「より賜った御言葉が放送されるとの」「ことです。少々お待ち下さい……え? 映像付き?!」

 葵の驚愕の声を最後に映像が切り替わり、和装の悠陽の姿が映し出される。そして、悠陽は柔和な笑みを浮かべると、ゆったりと語りだした。

「XM3トライアルに集われた皆様、日本帝国国務全権代行、政威大将軍煌武院悠陽です。
 中には遠路より参られた外つ国の客人もおりましょう。此度の参集、誠に大儀でありました。
 そして、本日行われしトライアルを通し、皆様の目にXM3は如何様に映りし事でしょうか。
 わたくしは、BETAとの戦いに於いて、XM3は衛士の、ひいては全軍将兵にとり、妙なる救いの光となるものと確信しております。
 XM3は既に帝国斯衛軍において導入が始まっており、近々帝国軍へも配備を開始する予定であります。
 此度のトライアルは、帝国軍衛士の皆様に、XM3の真価を体験して頂くと共に、外つ国の皆々様にも御照覧頂く為に催したものです。」

 ここまで話し、悠陽は一旦言葉を途切らせると、一時両の眼(まなこ)を閉じて瞑目した後、再び双眸を開き、意思を込めた眼差しで前を見据えて言葉を続ける。

「わたくしは常々、長きに亘るBETA大戦に於いて、多くの将兵が犠牲を払い続けてきたことを悼まぬ日はございませんでした。
 それ故、将兵の犠牲を減らして尚、BETAに打ち勝ち得る術を求め、この地、国連軍横浜基地の俊英、香月夕呼博士に研究を依頼いたしました。
 香月博士は多忙を極める方ではありますが、白銀武という有為の士を見出し、博士の助力を得た彼の手によって、XM3を初めとする装備群が誕生するに至ったのです。
 そして、本日皆様が目の当たりにされたXM3、そして遠隔陽動支援機『時津風』は、ほんの手始めに過ぎません。
 BETAとの戦いを新たな局面へと誘う装備群、そしてそれらを運用するための新戦術は、既に幾つかは実用レベルに達しており、更に多くの装備、戦術が今尚検討され続けております。
 我が国は、世界に先んじて、それらの装備、戦術を採用し、実戦においてその力を世に示す先駆けたらんと決意しております。
 それが故の斯衛軍先行導入であり、今後のBETAとの戦いに於いては、今まで以上に斯衛軍は参陣し戦場(いくさば)での先陣を切ることでありましょう。」

 力強く、朗々と告げた悠陽だったが、ここで一転して憂いに眼差しを伏せ、恥じ入るように告げる。

「本来であれば、わたくし煌武院悠陽こそが先陣を切り、皆様を率いるべきではありますが、諸事がそれを許してはくれませんでした。
 そこで、わたくしは恥を忍んで、妹とも思い定めし者に、わたくしの名代として戦場に立つことを請いました。
 そして、彼の者は快く私の願いを聞き入れてくれたのです。
 彼の者の名は御剣冥夜。御剣家の長女であり、本来であれば斯衛にて赤を纏う資格を持つ者でありながら、幼き頃より私の影として生きる事を選び、生まれ日すらわたくしと同じくし、日陰へとその身を沈め、苛烈な鍛錬を自身に課してきた者です。
 彼の者は、長じて衛士としての技量を修めるにあたり、その姿さえも私に似せてしまったが故に、将兵の混乱を避ける為、斯衛はおろか帝国軍への入隊さえ避け、国連軍の門戸を叩き、この横浜基地にて衛士訓練兵となりました。
 わたくしが、斯衛軍への導入を前提とする装備の開発を横浜基地へと委ねた理由の一つでもあります。
 この地にて、冥夜はわたくしの愛機の試験を繰り返し、本日皆様に披露が叶うまでに仕上げてくれました。」

 ここで悠陽は伏せていた瞳を開き、誇らしげに面を上げ、喜ばしげに言葉を続けた。

「わたくしは、本日皆様に新たな力を宿した我が愛機と共に、御剣冥夜を我が股肱の臣として披露し、彼の者がわたくしの名代を務め得る力を持つと皆様に示すため、我が愛機を駆って試合に臨むように命じました。
 どうか皆様、彼の者の力を確かめ、願わくばわたくしの名代として認めていただけますよう、心より望みます。
 ―――冥夜。そなたがわたくしの為に歩みし苛酷な道程(みちのり)、誠に大儀でした。
 本日を持って、陰より出でて陽の下にその身を置き、長年に亘り蓄えてきたその力を振るう事を許します。
 わたくしの心は常にそなたと共にあります。わたくしの名代としての立場を、見事に証し立ててお見せなさい。」

「―――はっ! 直命、しかと承りました、殿下。」

 悠陽の言葉に応じた声は、涼やかでありながら、芯の通った、清冽な声であった。
 そして、紫色の御『武御雷』が、一歩を踏み出し、横浜の大地を踏み締める―――ハイパーエキシビションマッチが、今正に始まろうとしていた。




[3277] 第58話 陽は夜に、夜は陽に安らげり
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:56

第58話 陽は夜に、夜は陽に安らげり

2001年12月09日(日)

 14時49分、横浜基地第四演習場の外れに位置する米軍臨時露営地の待機室では、米国陸軍第66戦術機甲大隊の衛士達が、モニターに映し出された政威大将軍殿下のメッセージを静聴していた。

「ふぅん。あれが噂の政威大将軍殿下なのね。
 それにしても、数々の新装備を自国の軍に実戦で試させて、その効果を証明するだなんて、随分と思い切ったことを考えたものね。
 少佐もそう思いませんか?―――少佐?」

 声を掛けたのに全く返事が無かった為、不審に思ったイルマは、身を前に乗り出してウォーケンの顔を覗き込んだ。
 すると、ウォーケンは頬を染め、僅かにではあったが瞳を潤ませ、焦点の合っていない視線をモニターの方へと向けており、イルマの声も姿も意識の埒外(らちがい)にある様子であった。

「………………可憐だ……」

 うっとりと呟いたウォーケンの言葉を聞き、イルマはお手上げといった表情と身振りで自分の椅子に座り直すと、ハイパーエキシビションマッチの生中継に意識を戻す。
 モニターでは模擬戦開始と同時に、白の『武御雷』3機が1列に連なり、戦闘エリアの進行方向右端に沿って水平噴射跳躍で突撃していく。
 その内の先頭の1機と、3機からやや距離を空けて追従する紫色の御『武御雷』の2機が、アクティヴセンサーを最大出力で発信していた。
 そして、対する武・壬姫ペアも、3機を全面に展開させて、アクティヴセンサーを全力発信。お互いに索敵情報統合処理システムによって、配置情報は丸見えとなる。

「しかし、XM3が画期的な新装備であることは確実だな。」

 索敵情報統合処理システムにより、互いの配置を把握しあっている事を葉子の解説で知ると、ウォーケンが真面目な口調で意見を述べた。

「あら。少佐、いつ戻られたんですか?」

「む……別に私は何処にも行ってはいない。それよりも、XM3だ。日本の戦術機用に調整された、近接戦闘に特化したOSなのかと思っていたが、呆れるほどの汎用性の高さだな。」

「そうですね。戦術機の小隊単独で、精密索敵から統合射撃までできるとなれば、CP要らずですね。おまけに、無人遠隔陽動支援機が導入されれば、BETA相手の戦死者も激減しそうだし。」

「ああ。世界はXM3と陽動支援機によって救われるかも知れんな。しかし、問題はあのOSや無人機が、対人類戦闘に於いても絶大な効果を発揮するという点だ。
 そのような戦闘装備が我が国以外で開発され、しかも先行配備が始まってしまっている。
 おまけに、その装備の力により、我が軍の最新鋭機『ラプター』が、従来の戦術機に敗れてしまったということも問題だ。」

「そうですね。もし、万が一我が国だけがあのXM3を配備し損ねた場合、パワーバランスが崩壊しかねませんね。」

「これは、大急ぎで報告書と上申書を書かねばならないようだな。全員、早速レポートの作成にかかれ!」

「「「 サー・イエッサー! 」」」

 ウォーケンの命令に、一斉に敬礼して、待機室を飛び出していく部下達。ウォーケンはそれを見送った後、モニターに視線を戻した。
 そして、紫色の御『武御雷』を目にして一人呟く。

「お許し下さい殿下。決して、殿下が悪意を持って我が国に敵対するなどと考えているわけではないのです。
 ですが、我が母国アメリカ合衆国は、世界を分裂させない為にも、強大な軍事大国であり続けねばならないのです。
 なぜなら、強大な軍隊を維持できるだけの国力は、世界でも我が国しか保持していないのですから……」

 そのウォーケンの呟きは、細く開かれたドアの隙間から、室外に佇むイルマの耳へと届く。

(ふ~ん。まあ、確かにアメリカの後方支援が無ければ、BETAと戦い続ける余力なんて、世界には残ってないかもしれないわよね。
 けど、アメリカが必要以上に自国の国力を温存し、反対側の手で、諸外国の国力が疲弊するように仕向けているのも事実なのよ? ウォーケン少佐。
 まあ、ウォーケン少佐だって、気付いてない訳じゃないんでしょうけど。あれが忠誠心って奴なのかしらね?)

 イルマは、音を立てないように扉を閉め、その場を静かに立ち去った。この後のデスクワークを考えると、イルマは気が重くなる。
 なにしろ、イルマは軍に出す報告書よりも詳細なレポートを、ラングレーにも出さなければならないからであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時51分、トライアル観戦会場では、皆の視線が大型スクリーンで繰り広げられる、XM3搭載型『武御雷』の勇姿に釘付けになっていた。

「ねえねえ、葉子ちゃん。なんでぇ『武御雷』側は、索敵情報統合処理システムをぉ使ってるのに、4機とも戦闘機動できるの? えっとぉ、ほら、コンピューター」「資源」「そうそれ、それがぁ足りなくなるんじゃなかったっけ?」
「……手元の資料によると、紫色の御『武御雷』はXM3搭載と同時に複座型管制ユニットに換装されているの。そして、XM3用の高性能並列コンピューターを2基搭載しているわ。」
「え? 『武御雷』って動かすのにぃコンピューター2基も要るの?」「1台で十分。」「じゃ、何故2台も積んでるの?」「片方は情報処理用。索敵情報や戦況の分析、通信機能の強化に使うらしいわ。」
「なんでそんな事にぃなってるの?」「将軍殿下が、前線で斯衛を直率あそばされる場合に備えてだそうよ。」「へ~。そっか。殿下が前線にぃお出ましになったら、帝国軍の総指揮官だもんね~。」「そういうことね。」「納得納得ぅ~。」

 そんな葵と葉子の会話を他所に、『武御雷』4機は戦闘エリアの半ばを越えて、更に前進を続ける。既に武・壬姫ペアの前衛左翼の位置は察知しており、その機体目掛けて白い『武御雷』が三連星となって突撃していく。
 『武御雷』に目標とされた武・壬姫ペアの機体は、右へ90度進路を変え、中央よりにシフトするように移動していく。
 同時に、前衛中央が『武御雷』と入れ替わりに戦闘エリアの半ばを越え、狙われた機体を後衛の機体とで挟み込んで支援する形を作る。
 残り一機は、狙われた機体を挟んで『武御雷』と反対側に位置した。
 この配置により、『武御雷』が目標を変更しない場合、武・壬姫ペアの3機による半包囲に自ら飛び込む形となっていた。

「神代、巴、戎。タケルと珠瀬の罠を力尽くで食い破って見せよ!」

「「「 承知いたしました、冥夜様! 」」」

 しかし、冥夜の命を受けた3人は半包囲など全く恐れる気配も無く、勇躍して獲物と定めた機体へと突撃していく。

「視界に捉えた! 目視により『時津風』と確認。」「よぉおしっ! 美凪、やるよ?」「了解ですわぁ~! 神代さん、タイミングはお任せいたしますわぁ~。」
「よぉおしっ! 行くよっ! 噴射気流殺ッ!!!」「でぇえ~~~いっ!」「やーーーーッ! ですわぁ~。」

 神代の合図に合わせて、神代を先頭に縦1列に並んで水平噴射跳躍をしていた3機の『武御雷』、その後ろ2機が左右に飛び出して、『時津風』の左右へと弾幕を張り巡らした。
 同時に神代は噴射跳躍により上空へと飛び出し、武のお株を奪う反転噴射降下で、頭上から『時津風』に斬りかかる。
 『時津風』は後退せずに、逆に水平噴射跳躍で急加速し、神代の『武御雷』の足元をすり抜けるようにして前に出る。
 そして、背部兵装担架で保持した左右の突撃砲を両脇の下から前へと突き出して、未だに自機の左右に弾幕を張り続ける巴と戎の『武御雷』に向けて、36mm突撃機関砲を乱射する。

 しかし、巴と戎は3次元機動によって宙に舞い、36mmの弾幕を回避。しかもその間も自らの弾幕を保持し続けた。
 そして、噴射降下していた神代の『武御雷』が機体を引き起こし、『時津風』に背中を向けたまま再度上昇に転じると、上空から背部兵装担架で保持した2門の87式突撃砲を『時津風』目掛けて撃ち下ろした。
 左右を弾幕で塞がれ、上空から撃ち下ろしの乱射を喰らった『時津風』は、機体を仰向けに寝かして神代機の方へNOE。突撃砲の目標を上空の神代に変更する。
 地上と空中から互いを捕捉せんと放たれる36mmの弾幕。
 ここに至って、巴と戎も弾幕を寄せて、『時津風』を左右に開かれた顎(あぎと)の中へと捕らえようとする。
 『時津風』はこの時点で既に死に体となっており、後は神代を道連れに出来るかどうかといった状況であった。

 そして、神代は砲撃を続けながらも空中で機体を左右に舞わせて、『時津風』の砲撃を回避して見せた。
 『時津風』はなす術も無く三方からの砲撃をその身に受け、撃墜判定が下される。
 が、それとほぼ同時に巴の『武御雷』が、自機の右側面からの狙撃により、大破の判定を受ける。

「巴機、動力部、右噴射跳躍ユニット、右脚部に被弾。大破。」「くそっ! やられちまった……」

 巴を喪った神代と戎は、躊躇せずにその場を離脱して突撃を再開。次の獲物を先程屠った『時津風』の先に位置していた機体に定める。
 そして、巴を狙撃した機体には、紫色の御『武御雷』が猛然と襲い掛かっていた。

「くっ……今一歩間に合わなかったか! 巴には済まぬ事をしたな……しかも、後詰の位置にいたこの機体が『不知火』ではないとは当てが外れたな、月詠。」
「は……よもや弱点ともいえる、有人機である『不知火』を、前衛に出してきているとは思いませんでした。」
「まずは、タケルに一杯食わされたか……しかし、我等と神代達の猛攻を、同時に捌けるものなら捌いて見せよ、タケル!」

 冥夜の駆る紫色の御『武御雷』の斬撃を躱し続けていた『時津風』の機動が不意に鈍る。
 その隙を見逃す冥夜ではなく、次の瞬間には『時津風』は一刀の下に両断されたとの判定が下っていた。
 しかし同じ頃、神代と戎の『武御雷』は、近距離で舞い踊る『不知火』と、断続的に襲い掛かる狙撃に急速に追い詰められていた。

「くそ~っ、冥夜様がお出でになるまで、何としても持たせるんだ!」「わ、解ってますわぁ~! け、けど―――あっ!」

 地上を空中を、そしてビルの壁面さえも縦横無尽に翔け巡る『不知火』に幻惑され、知らず知らずの内に狙撃ポイントへと誘導された戎が、左主脚に命中弾を受けてしまう。

「戎!」「神代さん、私はこれまでです。最後に『不知火』を抑えますから、狙撃してきた『時津風』をお願いしますわ!」「くっ……頼んだぞ、戎。」

 戎は噴射跳躍によって高度を取り、射界を確保して『不知火』に弾幕を浴びせる。
 さすがに上を取られての弾幕に、『不知火』は反撃しつつも回避を優先せざるを得ない。
 しかし、上空に舞い上がった『武御雷』は、同時に狙撃のいい的でもあった。『時津風』の87式支援突撃砲から放たれた36mm弾が次々に着弾し、『武御雷』を戦闘不能へと追い込んでいく。
 しかし、戎が戦闘不能の判定を受けるまでに稼いだ時間で、戦況は一変していた。
 神代の『武御雷』は猛烈な速度で『時津風』との距離を詰め、戎の敵を取らんと襲い掛かり、『不知火』の方へはやはり冥夜の駆る紫色の御『武御雷』が急迫していた。
 『不知火』は紫色の御『武御雷』との距離を保つ意味も兼ねて神代の『武御雷』を追撃し、『時津風』は砲撃によって迎え撃つ事を選択した。

 一心不乱に、千変万化の回避機動を行いながらも、なんとか距離を詰めた神代は、遂に『時津風』を射界に収める。

「よぉし、これで!!」

 神代は2門の87式突撃砲から、36mm弾と120mm炸裂弾を同時に放つ。しかし、その砲撃が放たれるのと前後して、『時津風』から自律誘導弾32発が発射される。
 ここで、神代は敢えて回避機動を取らず、『時津風』に対して砲撃を続行しながら一直線に突進した。
 奇跡的に自律誘導弾をやり過ごし、後方に置き去りにした神代は、遂に『時津風』を撃墜する。

「やった!―――きゃぁっ!!」

 しかし、喜びも束の間に過ぎず、直後に後方から追撃してきた『不知火』の狙撃を受けて噴射跳躍ユニットを損傷。
 バランスを崩して地面に叩きつけられた所へと未だにしつこく追尾してきていた自律誘導弾が着弾し、撃墜判定を受けてしまった。
 そして、狙撃を行った『不知火』も遂に紫色の御『武御雷』に間合いを詰められ、砲撃を浴びせられるに至っていた。

「くそっ! また一歩及ばなかったか!!」
「冥夜様、しかしこれで1対1です。焦らず明鏡止水の如き心にて臨めば、必ずや勝利を得られるでしょう。
 何より、今の冥夜様には殿下のお力添えがございます。」
「そうであったな。殿下の名代として、恥じぬ戦いをせねばなるまい。征くぞ! 月詠!!」
「はっ!」

 複座型の前部座席に座る月詠の言葉に、今一歩及ばなかった事を惜しむ心、武との戦いに逸る心、冥夜の心を揺らすそれらの雑念が急速に納まっていく。
 そして、冥夜は一旦追撃の手を緩め、『武御雷』に大地を踏み締めさせて泰然と屹立させた。
 残るは最早互いに1機のみ。しかも既に互いを捕捉しあった状態である。『不知火』が、指揮機用に強化された紫色の御『武御雷』を振り切ることはほぼ不可能。
 となれば、慌てて追い立てる必要を冥夜は感じなかった。

 機体の性能では冥夜が圧倒的に有利だが、武と壬姫は2人で砲撃と機動を分担できる上、XM3の扱いでは武に一日の長がある。
 しかも、同じ複座型でありながら、この『武御雷』は月詠の操縦を受け付けない。
 紫色の御『武御雷』が手綱を委ねるのは世に悠陽と冥夜の姉妹のみ。故に月詠に出来るのは、戦況分析と助言だけであった。
 しかし、冥夜の心は穏やかに凪ぎ、全てを受け入れて泰然自若として戦いに臨んでいた。

(砲撃に於いては珠瀬に及ばず、機動に於いてもタケルに及ばぬ私だが、一刀に賭ける心は決して譲りはしない。
 ならば、一刀を放てる距離まで、全身全霊を以って詰め寄るまでッ!!
 タケル、来るがよい。私を寄せ付けずに倒せるか否か、そなたの技量、見せてもらうぞ……)

 暫し、冥夜の出方を伺うかのように、距離を保って周囲を巡っていた『不知火』が、一気に加速して突っ込んでくる。
 冥夜は『武御雷』を操り、常に遮蔽物を挟む事で『不知火』に砲撃を許さない。
 あっという間に『不知火』と『武御雷』の距離が詰まり、間にはビルを1つ挟むのみとなる。
 『不知火』が現在の軌道を保つなら、『武御雷』の上空を通過していく事になる。その時には互いに砲撃を交す事になる筈であった。

(しかし、タケルがその様な当たり前の戦術を取るとも思えぬ。十中八九勝負を決するべく仕掛けてくる筈だ。
 通過する前か? 通過せずに急迫してくるか? それとも…………)

 冥夜が静かに待ち受ける中、『不知火』が上空に到達した。
 互いに砲撃を交す『武御雷』と『不知火』。『不知火』の砲撃が回避機動の最中から放たれた物であったためか、冥夜は辛うじて壬姫による砲撃を回避する事に成功した。
 そして、『不知火』は突如として軌道を変更して『武御雷』に襲い掛かる―――ような事も無く、そのままあっさりと上空を通過し、ビルの陰へと姿を消した。

(ふっ―――通過後に仕掛けてくるか! だがそれなら!!)

 冥夜は心中で呟くと、『不知火』の通過直後から『武御雷』に機動を開始させる。
 水平噴射跳躍でビルの間から飛び出し、斜向かいのビルを蹴り飛ばして上空に遷移。
 その先には、通過直後に急減速した上で、ビル屋上の壁面を蹴って反転したばかりの『不知火』の姿があった。
 その機体は地面と水平にうつ伏せとなっており、背部兵装担架で保持した突撃砲の筒先は、先程まで冥夜が居たビルに挟まれた道路へと向けられている。

(む―――不味いっ!)

 千載一遇のチャンスとも見えるこの状況で、しかし冥夜の背筋を悪寒が走る。
 冥夜は噴射跳躍ユニットの向きを変え、右手のビルの陰に機体を隠す。
 その直後に、左の跳躍ユニットのみを噴かしてローリングした『不知火』が砲弾を放った。
 その砲弾は正確に、寸前まで冥夜の『武御雷』が居た空間を貫く。

 ビルの陰で上昇に移った冥夜は、ビルの屋上に飛び出した直後に噴射降下でビルの屋上に着地し、そのまましゃがみ込んだ。
 ローリングから、噴射跳躍ユニットによる力任せの上昇に転じた『不知火』から放たれた砲撃は、間一髪しゃがんだ『武御雷』の頭上を通過する。
 冥夜はその瞬間を逃さず、限界まで撓めた両主脚を伸ばす勢いと、噴射跳躍ユニットの最大出力を以って、上空の『不知火』目掛けて放たれた矢の様に一直線に突き進む。
 そして、左腰に引いて構えた長刀を、全身全霊を込めて振り上げる。
 させじと砲撃を放つ『不知火』。しかし、その砲弾は『武御雷』の肩部装甲シールドによって弾かれ、遂に『武御雷』の74式近接戦闘長刀が『不知火』の機体を捕らえた―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時45分、1階のPXの何時もの席に、207Bの全員が揃って夕食後の歓談をしていた。
 話題はどうしてもこの日に行われたトライアルの話となる。

「―――それにしても、冥夜さんの最後の機動は凄すぎますよ~。わたしなんて、上空通過後は何にも出来ませんでしたよ~。」

 ハイパーエキシビションマッチの最終局面を思い出しながら、壬姫が目をキラキラとさせて冥夜に尊敬の眼差しを送る。

「いや、紫色の『武御雷』を駆って尚、私は武に及ばなかった。未だ精進が足りない証拠だ。
 本来、あの機体を駆って敗れる事は許されないのだからな。」

 しかし、冥夜は首を横に振って自省の言葉を述べる。

「そんなことない……御剣は凄いよ……」
「そうね。少なくとも、私じゃ白銀にあそこまで食い下がる事はできないわね。上空通過か、通過反転後にやられてたと思うわ。」

 彩峰が冥夜を誉め、千鶴もそれに同調する。さらには、美琴が最終局面を分析して武に話を振った。

「う~ん。最後の主脚のパワーを最大限に活かしたジャンプからの一閃は、『武御雷』のアドバンテージを最大限に活かしていると思うんだ。
 ただ、タケルはきっと、地上戦じゃ『武御雷』のパワーに押し切られると睨んで、最初から空中戦に持ち込む気だったんだとおもうな。どうかな? タケルぅ。」

「ん? まあ、そう言う事だな。けど、冥夜は主脚を使ったジャンプでこっちの予想を上回る速度で斬りかかってきた。
 あれは読めてなかったから、オレは実質的に冥夜の勝ちでいいと思うんだけどな。沙霧さんはどう見ますか?」

 武は美琴の指摘を認めつつも、冥夜に裏を書かれたと語り、沙霧に発言する機会を与える。

「……そうだな。御剣殿の最後の一閃は、御『武御雷』の性能を最大限に引き出した素晴らしいものだった。
 実際、私ですら見惚れたほどで、お見事としか言いようがない。
 むしろ、あの一閃と刺し違える形で突きを放てた白銀殿の方が、異常だと思えるほどだ。
 実際、観戦していた大半の衛士が、御剣殿の腕前は認めている。恐らく帝国軍の現役衛士でも、長刀を使用しての近接戦闘で御剣殿と互角に立ち合えるものは多くはあるまい。」

 実戦を潜り抜けた歴戦の勇士と目される沙霧の賞賛に、冥夜も嬉しそうに頬を染めた。
 ここで終わればいい話なのだが、壬姫の発言を彩峰が茶化して、周囲の笑いを誘った。

「そうですよ~。冥夜さんは凄いです! ……その、たけるさんが、更に輪をかけて凄いだけで……」
「……変態的に凄い?」
「あ、彩峰さ~ん。たけるさんっ! ち、違いますよ? ミキは、ミキはそんな意味で言ったんじゃ……」

 このように、207Bの面々は、自省する冥夜を口々に誉め称えた。実際、あの時の冥夜の機動は、共に訓練をこなして来た皆にとっても、見た事が無い程に研ぎ澄まされていた。
 正直、あの機動を以ってしても相打ちにしか持っていけない、武の方に畏怖を感じるほどであった。

「冥夜様の機動は見事なものでございました。ですが、敢えて申し上げるならば、些か捨て身に過ぎるかと存じます。」

 その声は、椅子に座る冥夜の背後から、控えめに発せられた。声の主は月詠であり、主人に付き従う脇侍の如くに背後に控えていた。
 トライアルに於ける悠陽の言葉により、冥夜は公然と政威大将軍の関係者としての立場を認められることとなった。
 月詠はこの機会に、今日まで影ながら行っていた警護を大っぴらに行う事とし、冥夜の訓練中を除き、斯衛軍第19独立警備小隊の誰かがすぐ側に控える態勢を整えた。
 横浜基地としても、今後、冥夜の存在を帝国軍との融和の象徴として祀り上げるつもりなので、月詠の案はすんなりと承認されて今に至っている。

「……そうだな。冥夜は一旦目標を見定めると、それにひたむきになり過ぎるよな。機会を待って持久したり、より有利な状況を現出する為に環境作りをしたり……いざとなればちゃんと出来る癖に、ここぞという時に活路を見出すと、多少危険でも身を投じる事が多いよな。」

 月詠の言葉に、武が頷きながら同意する。その言葉に、冥夜はやや怯んだ様に身を仰け反らせ、珍しく困惑を顕わにしながら言葉を発した。

「む……そ、そうであろうか? し、しかし、『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』、『肉を切らせて骨を断つ』などという言葉もあるではないか。
 やはり武人たる者、果断を以って良しとするべきではないか?」

「まあ、普通はそうなんだろうな。オレはその考え方は嫌いだけど。」

「う……き、嫌い……そうか、嫌い……なのか…………」

 武の『嫌い』という言葉に動揺する冥夜だが、武はそれを軽く聞き流して話しを続ける。
 周囲の女性陣が揃って溜息を付き、冥夜に同情の眼差しを向けるが、武は話に夢中で一向に気付かない。

「ああ。オレは生きてさえいれば機会は巡ってくるって、そう思って……いや、そう思いたがっているからさ。
 勿論、犠牲が必要な時もあるし、いざと言う時に迷っちゃ駄目だってのも解っちゃいるさ。
 けど、今後冥夜は他人を犠牲にしてでも、自分の身を護って生き延びなければならない場合が来るってことを、今の内から覚悟しとかないと不味いんじゃないかな。
 今日から、おまえが背負っちまった立場には、そういう責務もくっついてきてると思うぞ? 冥夜にはこれが一番辛いかもしれないけどな。」

「白銀の申す通りです、冥夜様。殿下の名代として、今後冥夜様には身を惜しんで頂かねばなりません。
 殊に、戦場において紫色の御『武御雷』が大破するようなことがあれば、将兵の士気にも関わる大事となりますゆえ、何卒ご配慮願いたいと存じます。」

 武の言葉に、更に月詠が言葉を重ねるに至り、冥夜は神妙な面持ちで頷いた。

「む……そうか、私の考えが足りていなかったようだな。殿下のお役に立てる事に浮かれていたやも知れぬ。
 今一度、初心に立ち返って、進むべき道を見定めてみるとしよう。」

「冥夜様…………ご立派です……」

 背後で感涙に咽び泣く月詠を他所に、冥夜はトライアル終了後に、実は横浜基地に来駕していた悠陽と、言葉を交した時の事を思い返した。

(姉上……姉上の名代というだけで、私には未だ荷が重いようです。一体姉上はどれほどの責務に耐えておいでなのでしょうか……)

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 時は遡って16時32分、国連軍横浜基地のB19フロアにある貴賓室にて、冥夜は悠陽に拝謁を賜る事を許されていた。
 生涯叶う事が無いと思っていた実姉との目通りを許され、冥夜は緊張に背を強張らせながらも、浮き立つ想いを抑えきれずにいた。

(姉上はトライアルでのお言葉で、私の事を妹と思い定めていると仰ってくださった。
 あのお言葉だけで、私は既に報われた。この後は、我が身命の全てを以って姉上のお役に立てるよう、誠心誠意務めよう……)

 扉を前にそう心中にて思い定め、冥夜は入室の許しを請うた。

「御剣訓練兵、お召しにより、只今罷り越しました!」

「む! 来たか……入るがいい。殿下がお待ち兼ねだぞ。」

 室内から野太い声が応じ、扉が開かれる。

「紅蓮師匠っ! ご無沙汰致しております。」

 扉の向うに現れた、尊敬する師の姿に、冥夜は声を弾ませて礼を取った。

「うむ、一瞥以来よな。が、今は殿下に拝謁するが急務であろう。急ぎ奥へと参るが良い。」

 可愛い孫娘を見るかのように、目尻を下げて応じた紅蓮だったが、さすがに長話は避け、奥で冥夜の訪い(おとない)を待つ悠陽の下へと急がせた。
 冥夜は、紅蓮の言葉に頬を羞恥に染めながらも、その言葉に従って奥へと歩を進める。
 室内には衝立(ついたて)が立てられ、入り口からは中の様子を窺えない作りとなっていた。
 冥夜が衝立を回り、奥へと歩を進めると、室内に設えられた応接セットのソファから、悠陽が待ちかねたように立ち上がる姿が目に映る。

 この日に至るまで、悠陽の御言葉を幾度か賜る機会を得ていた冥夜であったが、それらは全て月詠を介した伝聞であり、拝謁が叶う機会は一度たりとも無かった。
 それ故に、冥夜は遂に見える(まみえる)事が叶った事に感激し、涙を湛え始めた瞳をきつく閉じると、その場に拝跪して言上した。

「御剣冥夜、お召しにより御前に参上仕りました。此度は格別の御計らいにより拝謁を賜り、畢竟恐懼に堪えません。」

 言上を終えて、そのまま悠陽の応え(いらえ)を待つ冥夜に対し、柔らかな声が驚くほど近くよりかけられた。

「冥夜、もし叶う事であれば、その様に他人行儀な態度は勘弁なさい。わたくしはそなたとこうして二人きりで、姉妹として見える日を夢見てまいりました。
 わたくしの存在がそなたに課してきた苦難を、もし許して貰えるのであれば、わたくしを政威大将軍としてではなく、一人の姉として接しては貰えぬでしょうか。」

 拝跪する冥夜の前に膝を付き、その肩に両の手を添えて、悠陽は己が積年の願いを訥々と述べた。
 両肩に生じた温もり、間近よりかけられた声、そして何よりもその内容に驚愕した冥夜が衝動に負けて頭を上げると、じっと自分を見詰めている悠陽の顔(かんばせ)が、直ぐ間近に見受けられた。
 一瞬思考が停止した冥夜であったが、悠陽の顔が憂いを浮かべている事に、そして、その憂いを浮かべさせているのが己であると気付くに至り、慌てて心中に溢れていた言葉を紡ぎだす。

「姉上! 私こそ姉上とこうして見える日が来る事を、願わぬ日は一日たりともございませんでした。
 されど、それは決して叶わぬ事と、臣下として拝謁を賜ることすら叶わぬものと、半ば諦めておりました。
 ―――これは誠に現実なのでしょうか。私の浅ましい願望が夢を見させているのではないのでしょうか。」

「―――冥夜! これは決して夢などではありません。わたくしとそなたが実の姉妹である事を、公にする事は未だ叶いませんが、こうして内々に見えし時だけは、実の姉妹として振舞おうとも、誰を憚る必要もありはしないのですよ。」

 冥夜の言葉に憂いを晴らし、歓喜に顔を輝かせた悠陽は、誠心誠意を以って妹に語りかける。
 その言葉の温かみに、冥夜は遂に歓喜の涙を双眸から溢れさせて、長年に亘って慕ってきた姉に想いの丈をぶつけるのであった。

「―――姉上っ! お慕い申し上げていました。姉上、姉上ッ!!」
「冥夜……長らく辛い思いを強いたこの姉をどうか許してくださいましね……」

 ―――そして、しばしの時が流れ、ようやく落ち着きを取り戻した冥夜は、応接机を間に挟み、ソファに腰を下ろして悠陽と対面していた。

「取り乱してしまい、申し訳ありませんでした、あ……姉上。」

 顔を羞恥に真っ赤に染めて、冥夜が悠陽に謝罪すると、悠陽は莞爾と笑みを浮かべて言葉を返した。

「構いませんよ冥夜。わたくしは、ようやくにして姉らしき事をそなたにしてあげられた事を、心より嬉しく思っています。
 そして、そなたがわたくしを姉と慕ってくれし事、何にも増して嬉しく思います。そなたに万謝を。
 ―――されど、わたくしはこうしてそなたと触れ合いたいという望みと引き換えに、そなたに新たなる重荷を背負わせてしまいました。
 戦場に於ける象徴としてのみとは言いながら、わたくしの名代としての立場を公にした以上、今日よりそなたに向けられる周囲の目は必ずや変わることでしょう。
 そして、そなたはこれまで以上に、周囲の期待に応え続ける事を強いられる筈です。
 そなたには、今まで以上に苦労をかけてしまいますが、どうかわたくしの我侭を許してくださいましね。」

 双眸を閉じて頭を垂れる悠陽に、今度は冥夜が喜びに満ちた笑みを浮かべて応じる。

「何を仰いますか姉上。私は姉上のお役に立てることが何よりも嬉しくてならないのです。
 幼き頃より、姉上の為人やお考えを伝え聞き、憧れに身をやつして参りました。
 その姉上のお役に立てるとあらば、これに勝る喜びはございません。」

 その、心からの言葉に、悠陽も再び笑みを浮かべて面を上げた。

「冥夜、そなたに感謝を。わたくしは何よりも国の為、民の為に生きねばならぬ身の上。そなたの事を第一に想う事は出来ませんが、それでもそなたの事を掛替え無く想っている事だけは、どうか信じてくださいましね。」

「無論です、姉上。私も姉上の事を掛替えの無い大切な方だと想っております。」

 運命に引き裂かれていた二人の姉妹は、今、心からの笑みを交し合って、互いの存在に心を癒されていた。
 そして、相手と心を通じ合えた実感に、己に課せられた責務を遂行する為の新たなる力が漲るのを、確かに感じたのであった。

「―――ところで冥夜。」
「なんでしょうか、姉上。」
「白銀には既に想いを告げたのですか?」
「は?!―――な、ななななな、何を仰るのですか姉上ッ!」

 唐突に発せられた悠陽の言葉に、冥夜の思考が沸騰する。
 そこへ、今までの姉妹の会話を聞いていたとしか思えないタイミングで野太い声が割って入る。

「む―――何かございましたかな? ん? 冥夜、一体何を動顚しておるのだ。
 心惑わせる事があるのであれば、この師匠に申してみるがいいぞ、んん?」
「ぐ、紅蓮師匠まで―――わ、私は動顚してなどおりませぬ。」
「ほほう。その様な上面の言葉で、このわしの眼力を謀れるとでも想うておるのか、この虚け(うつけ)が!」
「くっ―――」
「さあ、冥夜。そなたの師匠である紅蓮と、姉であるわたくしが、そなたの悩みを晴らしてしんぜようと言うのです。
 素直に想いの丈をお明かしなさい。さあ、さあ、さあ―――」

 紅蓮と悠陽に詰め寄られ、冥夜は進退極まってしまい、言葉さえもまともに出ない有様と成り果てた。
 と、その時。冥夜の脳裏にBETA新潟上陸を撃退し、横浜基地に戻ってきた武が漏らした言葉が蘇った。

『いや~、それにしても、月詠さんは凄いよな~。衛士としても超一流。斯衛に戻れば大尉殿で、しかも、殿下や紅蓮閣下を初めとして、御歴々が揃ってお小言を頂戴しているみたいだったからな~。』

 冥夜は、藁にも縋る思いで、その言葉を搾り出した。

「つ―――月詠……」
「え?!」「む?!」
「―――月詠に相談いたしました折に、このような件は、軽々しく口にせず、己が心の内にて慎重に計るべしと諭されました。」
「なんと、真那さんが……」「む……月詠がその様に申していたと言うのか……」

 冥夜が、苦し紛れに月詠に諭されたと述べると、途端に悠陽と紅蓮が顔を見合わせた。
 その様子に勝機を見出した冥夜は、すかさず攻勢に打って出る。

「は、然様な仕儀でありますれば、お二方にご相談申し上げるのは吝かではございませんが、月詠の進言に反したとあれば、詫びずにはおかれませぬ。
 なに、お二方のお気持ちが解らぬ月詠でもありますまい。必ずや、事情を察して寛恕してくれるに相違ありませぬ。」
「そ、それは、その……め、冥夜の申す通りではありましょうが……」
「う、うむ……既に月詠がそなたを案じて献策しているというのであれば、忠義篤きあの者の意を汲むこともまた大事であろう。」
「そ、そうですね。さすがに紅蓮の申し様には重みがあります。冥夜、此度はまずは月詠の忠義に免じて、あの者の献策に従ってみるがいいでしょう。
 されど、その上で尚、助言が必要となりし折には、是非この姉を頼ってくださいましね。」
「む。その折には、わしの事も忘れるでないぞ。これでも殿下よりは融通の利く立場故な。」
「これ紅蓮。わたくしの立場を慮って、融通を付けてくれても良いではないですか。それを抜け駆けをしようとは、わたくしは実に嘆かわしく思いますよ?」

 すると、効果覿面。悠陽と紅蓮は、前言を撤回して月詠を立てるような物言いに終始し始め、仕舞いには互いに次の機会の布石を争うが如き様相を呈するに至った。
 さすがに見かねた冥夜が、二人の顔を立てるように言葉を告げる。

「お二方の御厚情、私には過ぎた物ではございますが、誠に嬉しく存じます。
 私が己が道を見失うことと成りし折には、必ずやお二方に助言を請いますれば、此度は御厚情を賜るのみとさせていただきたいと思います。如何でしょうか?」
「そ、そうですか……では冥夜。助言が必要と成りし折には必ず……」
「うむ。必ずや我等を頼るのだぞ?」
「は……姉上、紅蓮師匠。我が身には過ぎた御厚情、この冥夜決して忘れは致しません。」

 悠陽と紅蓮に深々と頭を下げながら、冥夜は武に心からの感謝を捧げていた……




[3277] 第59話 巣立つ雛たち
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:57

第59話 巣立つ雛たち

2001年12月09日(日)

 20時03分、B19フロアの夕呼の執務室を武は訪ねていた。
 これに先立って、霞と純夏の下にいって団欒の時間を過ごしていたのだが、トライアルの後始末で夕呼が多忙であると知っていた為に時間調節をしたのであって、思うところがあって夕呼を後回しにした訳ではなかった。

「お疲れ様でした、夕呼先生。各国の反応はどうでしたか?」

 武がそう訊ねると、夕呼は退屈そうに淡々と説明を始めた。

「XM3に関しては、各勢力押し並べて、直ぐにでも欲しいって言ってきてるわ。けど、ライセンス生産はアメリカが乗ってくるまでは無理ね。
 ソ連にライセンスを渡しちゃったら、即座に技術情報が米国に流れるからね。
 まあ、米国も近日中に交渉して来るでしょ。それまでは、来年の国内生産分の分配交渉でお茶を濁しておくわよ。
 陽動支援機構想も、反応自体は良かったわよ。ただし、あれにもXM3が搭載されてると説明したら、渋い顔をしてたわね。
 有人機に優先配備したいんだろうから当然でしょうけど。
 恐らく、XM3で旧OSをエミュレートして、陽動支援機を遠隔操縦する方法を採用するんじゃないかしらね。
 自律制御がお粗末になるけど、XM3の絶対数が少ない内は、使い捨てが前提の陽動支援機に搭載する余裕は無いでしょ。」

「なるほど。で、ライセンス生産をちらつかせる事で、各国に米国への外交圧力を約束させたってとこですか。」

 武の言葉に夕呼は妖艶な笑みを浮かべ、満足気に応じる。

「そ。あんたも駆け引きってもんが解ってきたじゃないの。
 尤も、本来ならば、オルタネイティヴ4の副産物である高性能並列処理コンピューターのライセンスは、国連加盟国諸国の共有財産でもあるんだけどね。
 そうは言ってもオルタネイティヴ計画は、誘致した提唱国の負担が大きいから、今回みたいに開発の当初から帝国との共同開発と言う事にしてしまえば、諸外国は一応の権利を帝国に認めざるを得ないって訳よ。
 ま、あたしは別に金が欲しい訳じゃないから、その辺は帝国にくれてやるけどね。
 米国もさんざんライセンスで稼いでる以上、コピーはしないでしょうね。新OS開発に金をつぎ込んでシェアを取り戻そうとはするだろうけど。
 で、米国の衛士達をリーディングした結果はどうだったの?」

「この間のクーデターで介入しそびれたまま、特に指令は下ってないみたいですね。
 CIAの工作員であるイルマ・テスレフ少尉も、一衛士として参加していただけのようでしたから。」

 夕呼の問いかけに、少しだけ眉を顰めて武は応えた。夕呼は軽く頷いて言う。

「ま、そうでしょうね~。今頃失敗の言い訳に四苦八苦してるところだろうし。
 ふふん。あたし相手にちょっかい出そうだなんて、身の程知らずな事するから火傷すんのよ。」

 昏い(くらい)笑みを浮かべる夕呼に、武は頃合を見計らって声をかけた。

「で、207訓練小隊の任官の方はどうなりましたか?」

「ああ、そっちの方は問題ないわ。
 富士教導隊相手に互角以上にやって、米軍の『ラプター』まで落としたんだから、あの娘たち―――と、あんたもか―――とにかく、207の実力を疑う奴なんてもう居ないわよ。
 明日にでも訓練小隊解隊式やって、明後日にはA-01に配属させるわ。
 大体、最大の問題だった御剣の件は、あんたが解決したようなもんじゃないの。
 悠陽殿下と御剣の件は、あんたの思い通りになって満足した? 新潟に斯衛を引き摺り出すって言い出した時から、ずっと狙ってたんでしょ?
 最悪、悠陽殿下として戦場に立たせるつもりだったのが、晴れて殿下の名代として―――御剣冥夜として胸張って活躍できるようになったんだから、さぞかし、嬉しいんじゃないの~?」

 夕呼はあっさり答えてから、武をからかうように続けた。それに対して武は真面目に深々と頭を下げた。

「その件に関しては、お骨折りいただきありがとうございました。夕呼先生の方から国連軍上層部や国連事務局、帝国政府など、各方面に根回しして下さいましたよね?
 207訓練小隊の任官を、帝国と国連の、融和の象徴として宣伝効果が見込めると言って、各方面を説得していただき、本当にありがとうございました!」

「べ、べつにあんたに礼を言われるこっちゃないわよ。その方がこっちの都合が良かったからそうしただけ。A-01に関してもそう。
 ―――だから、いちいち頭なんか下げないでよね。調子狂うから……」

 武の真摯な言葉に、途端にそっぽを向く夕呼。武は、もう一度だけ深々と頭を下げてから、その言葉に従った。

「―――はい。あ……帝国軍と言えば、草薙大尉の方は、一応納得してもらえたようですよ?」

「そ。まあ、あっちは嫌がっても逃げられないように根回ししてあるから、最悪どうなっても構わなかったんだけどね。
 けどまあ、あんたが居たから駄目元でやらせてみただけよ。
 それに、あの女なら、XM3と陽動支援機の価値は見逃さないわ。」

 本気でどうでも良さ気に応える夕呼。その様子を見て、相変わらずだなと武は思った。
 夕呼は、自身が多くの責務を抱え過ぎている事を自覚している。それ故に、最低限の目標さえ達成していれば、一々仔細を問うことはしなかった。
 そして、目標が達成されなかった場合も、次善の策が達成できればそれで満足するようにしている。
 それは、個々の案件に拘り過ぎると、次々とドミノ倒しのように、複数の案件に支障が出てしまいかねないからであった。

 しかし、最近の夕呼は幾つかの案件において、自分で手を打った上で白銀にフォローをさせるようになっていた。
 自分と違って人当たりが良く、しかも妙に相手に好まれ易い白銀に相手をさせる事で、案件がスムースに片付く事に気付いた為であった。
 長年、霞という傍観者であり理解者でもある存在こそ居たものの、独りでオルタネイティヴ4を運営してきた夕呼は、ここに至ってようやくパートナーを得たと言えるのかもしれない。
 本人は、決して認めはしないであろうが……

「ま、いずれにしても、明後日の配属後、あんたには斯衛軍や帝国軍の教導に出張ってもらうわよ。
 6日間で全部済ませてきなさい。そうすれば、A-01との連携訓練に残り6日間が使えるわ。
 明日、明後日で、6日分の訓練スケジュールを伊隅に指示しておくのね。沙霧も、一時的に伊隅に預けるといいわ。
 ―――そうね。衛士としての基礎教育は沙霧がいくらか肩代わりできるはずだから、伊隅にはヴァルキリーズの先任をちゃんと鍛えとくように言っといてちょうだい。
 あんたの教導には、まりもを助手に付けたげるわ。」

 大人しく夕呼の話を聞いていた武だったが、まりもの名前に驚きの声を上げた?

「え?! ほんとですか? まりもちゃん連れてっていいんですか?」

 武の声に顔を顰めて、夕呼は軽く睨み付けるように武を見て言った。

「なによ、随分と喜ぶじゃないの。あんたって年上趣味だったわけ?
 ま、まりもも、ここんとこ男日照が続いてるから、この機会にヤっちゃってもいいけどね~。」

「そんなんじゃありませんけど、本当に助かりますよ、先生。まりもちゃんなら、帝国軍の内情にも詳しいでしょうし、旧OSからXM3への移行経験もありますからね。」

 せっかく振ったネタを軽く流された夕呼は、はいはいと気だるげに手を振ると、面倒くさそうに口を開いた。

「わかってるわよ~、そんなこと。だからこそ、同行させるんだから。
 ま、まりもも、来年度の訓練兵の入隊準備以外には、大した仕事も無いしね~。精々移動時間くらいは、旅行気分でも味合わせてやってちょうだい。」

「了解しました!」

 元気一杯に応える武に、何処と無く不機嫌そうな表情を向けながらも、夕呼は言葉を続ける。

「それと、鎧衣の所の部下が何人かあんたの護衛につくけど、そいつらに変な尻尾を捕まれないように注意しなさい。いいわね?
 あとは……明日辺りに、今日のトライアルを踏まえて、『甲21号作戦』への各軍の参加戦力の詳細が届くわ。
 それを確認した上で、テストプランを修正して、細部を煮詰めてちょうだい。あんたと違って、こっちはチェックするだけでもそれなりに時間が掛かるんだから、さっさと仕上げんのよ?」

「了解しました。」

「そ、じゃあ、今日のところはもう戻っていいわ。―――あ、明日の訓練小隊解隊式は少しばかり大げさになるから、あの娘達に自分の立場と役割ってものを自覚させておきなさい。
 それすらも、任務の内だって、ちゃんと納得させとくのよ、いいわね?」

 夕呼が念を押すと、武は一瞬だけ難しげな表情を浮かべたものの、素直に頷いて一つだけ確認を取る。

「解りました。みんなの立場上仕方ないですね。あ、でも美琴は鎧衣課長の立場を知らないはずですが、その辺はどうするんです?」

「あ~、鎧衣の娘ね。本人には何も教えないでいいわ。今後広告塔になるって事だけ叩き込んでおきなさい。
 どうせ、はっきりと立場を言い立てられるのなんて、御剣と、精々が榊に珠瀬くらいなもんでしょ。
 あ、沙霧も居たか。けど、いずれにしても、知る人ぞ知るって事でいいのよ。いちいち種明かしなんてしないわ。
 解る人間にだけ部隊の価値が伝われば、それで十分だしね。
 他に質問は?―――じゃ、出てってちょうだい。あたしは、あちこちと意思疎通取るので大忙しなんだから。」

 武は夕呼に一礼すると、執務室を後にするのだった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

2001年12月10日(月)

 07時32分、訓練校の教室で207Bの全員を前に、武が話しを切り出そうとしていた。

「早くから集まってもらって悪いな。今日の日程が始まる前に、ちょっと折り入って話しておかなきゃならない事があるんだ。
 この後、神宮司軍曹がくれば通達されると思うけど、9時から講堂で207訓練小隊の解隊式が執り行われる。」

「「「「「 解隊式?! 」」」」」「む……もう任官なのか……」

 武の言葉に驚く女性陣と、なにやら残念そうに呟く沙霧。武は沙霧の呟きを耳にして、それに応じた。

「あー、部隊配属は明日になる予定です。今日は手続きやらなんやらで潰れますね。
 ―――さてと、急に訓練校の卒業と任官が決まったように感じるかもしれないけど、これは元々予定されていた事だ。
 逆に言うと、この時期にみんなを任官させる為に、昨日のトライアルで主役を務めてもらったと言っても過言じゃない。
 月詠中尉たちと鍛錬に勤しんだ事もあって、みんなの衛士としての実力は既に平均を遥に超えている。
 あと不足しているのは、実戦経験だけだ。
 そして、対BETA戦術構想や装備群に関する知識も豊富。悪いけど、これ以上みんなを悠長に訓練させていられる状況でもないからな。
 近々予定されている大規模作戦で、みんなにはこの横浜基地の精鋭部隊の一員として作戦に参加してもらう。
 もちろん、新型装備を運用してBETA相手の最前線で頑張ってもらう事になるな。
 なにしろ、現状で新型装備を熟知している衛士なんて殆ど居ないんだから。
 今の話の流れで解ったと思うけど、みんなの配属先は横浜基地の教導部隊だ。この部隊が、実際に試作された対BETA戦術構想装備群の、運用テストをしていた。
 現状で中隊規模の部隊なので、作戦前に衛士の補充が急がれたと思ってくれていい。
 ここまでで質問は?」

 武が話をどんどんと進めた為、沙霧を除いた全員の目が丸く見開かれ、鳩が豆鉄砲を喰らった様な状態になっていた。
 そして、沙霧が手を上げて質問をする。

「―――つまり、私の配属から明日の任官まで、お膳立ては全て整っていたという事か? 白銀殿。」
「「「「「 え?! 」」」」」

 沙霧の言葉に驚き、その衝撃で女性陣の頭が回り始める。

「まあ、そんな感じですね。207Bを近々任官させる予定が立っていたんで、そこに沙霧さんを滑り込ませて一緒に任官させる予定だったのは間違いないです。
 もちろん、昨日のトライアルでみんなが実力を発揮できたからだけどな。昨日ボロ負けしてたら、今日の卒業は取り止めだった。
 ま、そんな事、万に一つも無いと思ってたけどさ。」
「タケル……そなたは、全て知っておったのだな?」
「その癖、そ知らぬ顔して私達と接してたってわけ?」
「酷いよタケル~! ボクたちの間で隠し事するなんて~。」
「え? え? え?」
「もしかして、白銀が決めた?……」
「慧殿、いくら白銀殿でもそこまでの権限はないだろう。」
「そうだぞ彩峰。そんな事決定できるのは、香月副司令や基地司令、政威大将軍殿下あたりになっちまうぞ?」

 沙霧の言葉を認めつつ、今回の任官は皆の実力による物だと説明した武に、苦情交じりの声がかけられる……中でも、壬姫は未だに状況が上手く把握できず、彩峰に至っては更に裏側を探ってくる。
 しかし、彩峰の突っ込みには苦笑しながらも沙霧の反論が入り、それに力を得た武は彩峰を煙に巻こうとした。
 尤も、そんな事で誤魔化される彩峰ではなく、さらに痛いところを突いてくる。

「じゃあ、その辺りに吹き込んだんだ……」
「う……彩峰、おまえなあ、オレをなんだと思ってるんだ?」
「……正体不明の変態衛士?」
「なんだよそれは! それと疑問系も止めろ!」
「まあ、正体不明はともかく、来歴不鮮明くらいなのは確かよね。年齢と能力の差が激しすぎるわ。」
「む……確かにそうだな。言われて見れば榊分隊長の言う事にも一理ある。」
「変態って言われるだけの所以も、少なからずタケルにはあるよね。あの突拍子も無い機動概念とか、後は、毎朝霞さんとあ~んしてるのだって、最初の頃はすっごい噂になってたもんね~。」
「ロリコン、ロリコン……」
「あ、彩峰さ~~~ん……」
「………………」

 つい口ごもってしまった武だったが、苦し紛れの切り返しが上手く行き、幸か不幸か話題は武弄りへと流れを変えた。
 事情を少なからず知っているつもりの冥夜だけは、一切発言をしなかったため、彩峰がそれを横目で見ていた。
 武はそれに気付いたが、今は放置しておくことにして、ここで本題へと軌道修正を図る。

「でだ! 脱線しちまったが、本題は此処からだ。昨日のみんなの活躍に加えて、政威大将軍殿下のお言葉もあって、お前達に対する内外の注目度は非常に高い。
 ま、昨日の今日だしな。しかも、ここ数年間に亘る国連軍と帝国軍の隔意を越えて、帝国からも好意的な感情を寄せられているのも事実だ。
 なにしろ、政威大将軍殿下と国連軍横浜基地による共同開発計画の実験部隊であり、新装備を以って米軍の鼻を明かして見せたんだからな。」

 ここでまたもや茶々が入った。

「やったのは、白銀と珠瀬……」
「いや、どちらかと言えば、評価が高かったのは『吹雪』で善戦した方の試合だったな。
 『不知火』と『時津風』の試合の方は、一方的に圧勝したので却って印象に残らなかったようだ。」

 米軍の『ラプター』に勝てなかった悔しさを滲ませて彩峰が呟くが、珍しく沙霧がすかさず言葉を返した。
 何のかんのと言いながらも、彩峰の言動には真っ先に慣れてきている沙霧であった。

「うむ。珠瀬もタケルも、既に一廉(ひとかど)の衛士として認められていたからな。勝てて当然と受け止められたのであろう。」
「そうね。悔しいけど、同じ訓練小隊に属していても別格って感じよね。」
「アハハ。ボクなんて、一番影薄いもんね~。得意なのも存在感の無さを活用した隠蔽技術だし……」
「そんな、……鎧衣さんには、何時もお世話になってますよぉ~。鎧衣さんの隠蔽技術は凄いですぅ~。」
「……白銀は変態だから、何仕出かしてもあまり驚かれないね。」

 それを切っ掛けに、またもや各々が思うところを述べ始めたが、またもや彩峰のところで白銀変態論に話題が舞い戻ってしまう。
 武は半ば諦め気分で、再度話題を軌道修正する。

「だから、変態の話じゃなくて! オレ達は今や、在日国連軍と帝国軍の融和の象徴足り得るって話なんだよ!!
 で、さっきもちょっと話した近々行われる大規模作戦は、在日国連軍と帝国軍、そして大東亜連合軍の3軍共同で行われるんだ。
 だから、それに向けて、各軍将兵に対する士気高揚の一環として、オレ達の任官は広報的な意味合いを付加されちまったってことなんだよ。
 良くも悪くも、この隊の面子は知る人ぞ知る背景を持ち過ぎてる。見る人が見れば、この面子が同じ隊で戦っているだけで、そこに意味を見出しちまうんだ。
 ……そして、帝国も、基地司令部も、それを利用する気満々って事だ……」

 ここまで一気に話すと、武は言葉を休めて皆の様子を窺う。
 沙霧を含めて、心中穏やかならざる表情の並ぶ中、一人だけ空気を読まずに発言する者が居た。

「そう言えばそうだよね~。みんな何気に有名だもんね~。タケルだって今やXM3の開発者って事でビッグネームだしさ。」

 能天気に自分だけは例外だと信じきって発言する美琴に、武は心中で突っ込みを入れた。

(おまえが知らないだけで、おまえの親父さんだって知る人ぞ知る有名人なんだぞ、美琴。)

 そして、動揺を真っ先に収めたのは、既に政治的色彩を身に帯びる覚悟が出来ていた冥夜であった。

「私はむしろ望むところだ。虚飾に彩られようとも、殿下と国連軍の双方の役に立てるのであれば、これに勝る喜びは無かろう。」
「そうだな。既に罪を負ったこの身だ。如何様に処されても今更文句を言う資格もあるまい。それに将兵の士気を上げる事が叶うのであれば……」
「祀り上げられるのも任務の内………………気に食わないけどね……」
「…………そうね、任官するのだから、個人的な感情論で云々していい問題じゃないわよね。」
「そ、そうですよね! ミキも、少しでも争いの種が減るなら本望です!」

 そして、冥夜の覚悟に触発され、他の面々も思いを定めて、次々と決意を表明した。

 日本帝国国務全権代行、政威大将軍煌武院悠陽殿下より名代として指名され、自らは斯衛に於いては赤を纏える武家の出身である御剣冥夜。
 しかも、冥夜が悠陽と血を分けた双子の姉妹である事は、帝国の上層部では知る人ぞ知る事実である。
 そして、日本帝国総理大臣、榊是親卿の息女である榊千鶴、国連事務次官を務める日本人外交官である珠瀬玄丞斎を父に持つ珠瀬壬姫。
 さらには、大東亜連合軍将兵に高く評価されている故彩峰萩閣帝国陸軍中将の忘れ形見である彩峰慧と、憂国の義士にして練達の衛士であり、在りし日の彩峰中将から薫陶を授かり、部下でもあった沙霧尚哉。
 おまけに当の本人は知らされていないが、情報畑では国際的に有名な帝国情報省外務二課課長、鎧衣左近の娘である鎧衣美琴。
 最後に、画期的な戦術機用新OSであるXM3を開発し、BETA大戦に新風を吹き込まんとする新進気鋭の若き衛士、白銀武。
 加えて、全員が国連軍に所属しながらも国籍は日本。
 この部隊が、帝国本土絶対防衛線の後方に位置する、横浜基地に居座り続けるというのであれば非難も浴びるだろうが、前線に出て新型装備と新戦術の運用試験を行い、かつ対BETA戦の先鋒を務めるとなれば、国連軍、帝国軍、そして大東亜連合軍の将兵は自らの襟を正さざるを得ない。
 来る『甲21号作戦』に於いて、作戦参加将兵の求心力と士気を高める為にも、各軍の上層部は207訓練小隊の任官を最大限に称揚するつもりであった。

「そっか、みんな解ってくれるか……みんな、これから色々あるかもしれないけど、頑張ってくれよなっ!」
「なにを言うか。そなたが最も大変であろうに。」
「そうそう、白銀は他人の心配をしてる場合じゃないでしょ。」
「……口の聞き方知らなさ過ぎ?」
「あはははは、やだなぁ慧さん。タケルも慧さんには言われたくないと思うよ。」
「よ、鎧衣さんも、話題は選んだ方がいいですよぉ~。」
「そうだな。白銀殿はいま少し威厳を身に付けた方が良いな。」

 武が、皆の決意を聞いて励ますと、一部微妙な発言もあるものの、全員からの励ましが返ってきた。武は苦笑を浮かべながらもそれを受け入れ、解隊式に思いを馳せるのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時55分、国連軍横浜基地の講堂に、衛士訓練学校の制服を身に付けた207訓練小隊の全員が整列していた。
 そこへ、講堂の後方の入り口から、総勢100人近い賓客が姿を現し、講堂の後方や側方に並べられた椅子に腰掛けていく。
 賓客の過半は、先日のトライアルの観戦の為に横浜基地を訪れていた、各国軍の将校や政治家であった。
 この事からも、今や207訓練小隊が政治的光彩を強く放っていることが伺える。
 講堂の前方寄り中央に、直立不動で整列する訓練兵7人は、横目で様子を窺うことも出来ぬまま、講堂が多くの人の気配でざわめいていくのを肌で感じ取っていた。

 そして、09時00分。講堂右手前方の扉が開き、数名の人物が入場すると壇上に設えられた席へと上がって行った。
 壇上の席に腰掛けたのは、横浜基地司令官パウル・ラダビノッド准将、帝国斯衛軍副司令官紅蓮醍三郎大将の他、国連太平洋方面第11軍総司令部総参謀長、帝国軍参謀本部次長、大東亜連合参謀本部次長と、錚々たる顔触れが並んだ。
 その最後尾に付いて壇上に上がった女性下士官―――神宮司まりもは、独りだけ席に着かず、舞台袖に設えられたマイクの前に立ち、壇上のご歴々と会場内の賓客に向けて敬礼をし、式次第を述べた。

「―――只今より、国連太平洋方面第11軍、横浜基地衛士訓練学校、第207衛士訓練小隊解隊式を執り行う。
 横浜基地司令官、パウル・ラダビノッド准将殿、演壇へお上がり下さい。」

「うむ―――。」

 まりもの請願に従い、ラダビノッド基地司令が重々しく腰を上げ、壇上に設えられた講演台の向うに立った。
 それを待って、まりもが号令をかける。

「第207訓練小隊各員ッ、ラダビノッド司令官に対し―――敬礼ッ!」

 その号令に合わせ、7人の訓練兵は一斉に敬礼を捧げる。
 それに対し、ラダビノッド基地司令は返礼し、訓練兵を順繰りに見廻すと、その手をゆっくりと下げた。

「―――休めッ!
 ―――基地司令訓示! 第207小隊各員―――気を付けェッ!」

 それに合わせて再びまりもによる号令と、式次第の進行が告げられ、ラダビノッド基地司令はマイクに向って口を開いた。

「楽にしたまえ……訓練兵の諸君。諸君は昨日のトライアルに於いて、その練成の成果を見事に衆目の下で証明した。
 諸君の類稀なる実力は、我が基地司令部の要員のみならず、帝国軍、国連軍、そして国連加盟各国より招かれた賓客の方々、全ての目に明らかであった。
 故に、我が横浜基地司令部は諸君の訓練課程を終了し、任官を命じるに十分な資格を諸君に認め、ここに訓練小隊解隊を命ずるものである。
 諸君、世界は今、力と勇気ある若者を欲している。実戦において、経験豊富な指揮官や兵士の力は、勝利を掴み取るためには欠かせないものである。
 だが、それと同じくらい重要なものがある。―――それは勝利を信じる心だ。
 若者たちよ、失敗を恐れず己の最善を尽くせ。どんな苦境に陥ろうとも、最後の勝利を信じ努力を惜しむな。勝利を信じあきらめぬ心、それこそが君たち若者が持つ唯一にして最大の武器なのだ。」

 ここまで告げて、ラダビノッド基地司令は、だた独り、若者とは言い難い沙霧を見て瞳を一瞬だけ和らげた。が、次の瞬間には謹厳な表情に戻り、訓辞を続ける。

「人類は今正に、未曾有の窮地より、反撃の途に着いた所である! 先の国連軍によるオリジナルハイヴの殲滅を皮切りに、近々人類は長きに渡る忍耐を越え、反攻を開始することであろう。
 無論、戦況は予断を許さず厳しいものとなるやもしれぬ。―――が、だからこそ、必勝の信念を曲げてはならない。諦めたらそこで終わってしまうのだ。
 ましてや、諸君は任官を前にして、既に多くの期待を受ける身である。重責ではあろうが、それに押し潰される事無く、勝利を目指して奮闘し続けることを、諸君は求められているのだ。
 いま地球人類はその歴史上初めて、ひとつの絆によって結ばれている。
 それは、人種、民族、宗教、国境といったあらゆる人為的区分を超越した、『同じ種である』という最も根源的な絆である。
 そう、地球の全ての人々は同じ赤い血潮が流れる同胞なのだ。
 隣人と、それに連なる人々に思いをはせよ。明日も彼らが在るか否かは、諸君らにかかっているのだ。
 人の姿が絶え、建物が朽ち果て、寒風吹き荒ぶ荒野となった大地に思いをはせよ。来るべき未来、そこに緑が蘇り人々の笑みが在るか否かは、諸君らにかかっているのだ。
 座して手に入れられるものは何も無い。命をかけて掴み取れ。
 それがどれほどの気概を必要とするか……諸君は今後赴くであろう戦場でそれを知り、或いは挫けそうになるやもしれない。
 しかし、その時諸君は、その傍らに必ずや戦友の姿を見出すはずだ。心の中に先達の思いを見出すはずだ。
 諸君は、必ずやそれらに支えられて苦境を乗り切り、未来を人類の手に取り戻すために、全力で戦い続けるであろうことを、私は信じて疑わない。
 脈々と紡がれてきた人類の歴史を、そして、それらが育まれた大地を、未来の世代に受け渡す―――それこそが、我々に与えられた使命だ。
 第207衛士訓練小隊の若人よ。私は、諸君の意志と力が、人類の悲願を達するに当たり、必ずや一助となるであろうことを確信している。
 本日をもって諸君は、人類防衛の前衛たる国連軍衛士の資格を得た。
 その栄誉と責任を噛み締め、必勝の気概を持って、勝利と未来を掴み取る為に、その持てる力を尽くしてほしい。
 ましてや、君達は人類反攻の先鋒たる事を、既に定められた者たちだ。
 諸君の後に続く多くの将兵の、そして全人類の願いの重さをも噛み締め、持てる力の限りを尽くし切って尚、人類の悲願達成の為に、さらなる力を振り絞ってほしい。
 君たちの誇りは私の誇りであり、日本国民の誇りである。―――そして、世界の、全人類の誇りだ。
 ……手のひらを見たまえ。―――その手で何を掴む?―――その手で何を守る?
 ……拳を握りたまえ。―――その拳で何を拓く?―――その拳で何を倒す?
 ……国連軍衛士として、人類の戦士として、諸君はその手に委ねられたものを決して放擲してはならないということを銘記してほしい。
 ………………
 最後に、極めて異例な事ではあるが……誠に光栄な事に、諸君の任官に際し、お言葉が寄せられている。
 日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽殿下からの御祝辞、心して賜りたまえ。」

 そして、ラダビノッド基地司令により、悠陽の祝辞が代読された。

『第207衛士訓練小隊の皆様。この度の皆様の任官、誠に目出度き仕儀と存じます。
 皆様には、任官を前にして既に、人類の悲願達成の為に力を尽くしていただき、感謝の念に堪えません。
 そして、今後更なる尽力を求められるであろう皆様の任官に当たり、わたくしからのせめてもの餞として、祝辞を述べさせていただきます。
 古来、先人達はこの国と民を愛し慈しみ、それが永らえることを願って参りました。
 それら先人の想いは、この地に暮らす全ての人に託されております。
 そして、それは他国に於いてもなんら異ならないはずです。
 その想いを果たす事は、今の世に於いて並々ならぬ事ではございましょう。
 されど、一人一人が成すべきことを成し、相克を乗り越え、力を合わせる時、それでも尚、果たさざるものなどありはしないでしょう。
 顧みれば、我が国は一時は怨敵の跳梁を許すも、遂には一隅へと押し戻し、母国を蹂躙されし東亜の勇士は、今も尚、日夜奮戦を続け、人類は皆、その力を束ねて怨敵に対峙しております。
 そして、ようやくにして、人類がその力を結集し、怨敵に対する反撃の狼煙を上げる時がやってきたのです。
 今正に、人類の反攻が開始されんとするこの時、任官される皆様が人類の先鋒として立ち、国籍や立場を超え、相克を超越し、融和を体現して、人類の悲願を達成するべく活躍される事を切に願います。
 皆様が正しき道を歩まれる限り、わたくしの心は、如何なる時も皆様とともに有ります。
 どうか、誇りを持って、軍務に邁進なさってください。』

 代読を終えて、ラダビノッド基地司令は暫し間を置いた後、再び話し始めた。

「……昇任に際し、殿下よりお言葉を賜るという名誉は、諸君に向けられる期待の大きさの顕れである。
 諸君は未だ任官したばかりではあるが、既にして大きな期待を背に、国連軍衛士としての歩みを始める事となった。
 しかし、私は諸君が必ずや期待に応えるであろう事を確信している! 諸君の前途に栄光のあらんことを。
 …………以上である。」

「第207訓練小隊―――気を付けェッ!
 ラダビノッド司令官に対し―――敬礼ッ!
 ―――引き続き、衛士徽章授与を行う。」

 そして、式次第は衛士徽章授与に移り、ラダビノッド基地司令とまりもが壇上より降り、訓練兵たちの前へと歩み寄る。
 ラダビノッド基地司令は、千鶴の前に立つと名を呼び、呼ばれた千鶴はそれに応じて一歩前に出る。
 ラダビノッド基地司令は、脇に従うまりもの持つ台から衛士徽章をひとつ取ると、それを千鶴の胸元に付けた。
 そして、祝辞を述べると千鶴と敬礼を交し、千鶴は一歩下がって列へと戻る。
 その儀式は、その後も冥夜、美琴、彩峰、壬姫、武、沙霧と順に繰り返され、恙無く衛士徽章の授与は終了した。
 厳密に言えば、軍籍抹消された沙霧はともかく、武は衛士徽章を保持していたのだが、解隊式の前に返上して、再度授与される形となった。

 ラダビノッド基地司令とまりもは再び壇上に戻り、まりもによる式次第の進行が行われる。

「―――衛士徽章授与を終了する。
 第207訓練小隊―――気を付けェッ!
 ラダビノッド司令官に対し―――敬礼ッ!
 ―――以上を以って、国連太平洋方面第11軍、横浜基地衛士訓練学校、第207衛士訓練小隊解隊式を終わる。
 ―――第207訓練小隊―――解散ッ!」

「「「「「「「 ―――ありがとうございましたッ!! 」」」」」」」

 直立不動で謝辞を述べる訓練兵達に、講堂内の賓客から拍手が送られる。
 そして、壇上の御歴々とまりもが退場すると、賓客たちも満足気に訓練兵達を一瞥して講堂から立ち去って行った。

「……そろそろいいんじゃないか?」
「うむ、そうだな……私にも気配は感じられぬが……鎧衣、どうだ?」
「うん……ちょっとまってね…………いいよ、みんな。もう誰も居ないや。」

 美琴が、視界に入っている時計の保護ガラスや金属の表面など、背後の光景を反射している部分を目だけ確認してから、そろそろと後ろを振り向いて結論を出す。
 すると、沙霧を除く、全員が一斉に力を抜いた。

「はぁ~~~~、き、緊張しましたぁ~~~。」
「そうだな。私の経験した解隊式でも、規模はともかく、ここまで豪華な来賓というのは例が無いな。」
「外野なんか関係ない……」
「そうね。……でも、これで私達、晴れて衛士に成れたのね。」

 壬姫が胸に手を当てて、全身で深呼吸をしながら溢せば、沙霧も首を回して緊張を解しながらも同意する。
 それに平然とした風を取り繕いながら彩峰が受け、千鶴が喜びに瞳を潤ませながらも思いを口にする。

「白銀と、尚哉は、出戻りだけどね……」
「もう! こんな時くらい、まぜっかえさないでよね!」
「良いではないか、榊。これが我等207訓練小隊B分隊の在るがままの姿だ。最早残照に過ぎぬが、最後に味わっておいても良かろう。」
「そうだよね~。なんだか、独特の雰囲気があったよね~。ボクが思うに、これだけ個性的な面子が集まる訓練小隊ってそうそう無いと思うんだ~。」
「そ、そうですね~。ほんっとぉ~~~にっ、鎧衣さんの言う通りだって、ミキも思います……」

 すかさず茶化す彩峰に言い返す千鶴。その様子に全員の緊張が解れ、したり顔で冥夜が述べた言葉に、美琴が何度も頷きながら解説を始める。
 長くなると思ったのか、途中で壬姫が口を挟んで同意して見せるが、その笑顔と口調は、美琴の他人事のような態度に呆れかえっているものであった。

 そして、新任の衛士となった女性陣は互いに手を取り合って、任官の喜びを分かち合っていた。
 その様子を、邪魔しないようにやや離れて見守りながら、武と沙霧は小声で話す。

「これで、沙霧さんも思う存分腕を振るえますね。」
「ああ。思いの他、短い再訓練だったが……振り返ると、無聊を託つ閑もなかったな。
 帝都防衛第1師団での訓練と比べても密度の濃いものであった。しかも、中々に奇天烈な装備群にもお目にかかれたしな。退屈するどころではなかったよ。
 ……なにより、衛士としての技量とは異なる面で、多くの事を学べたような気がする。白銀殿には感謝しているぞ。」
「いや、そんな……オレなんかより、あいつらに感謝してやってくださいよ。そして、これからは沙霧さんもあいつらを導いてやってください。」
「無論だ……一度は道を誤ったこの身だが……それ故に導ける事もあろう。まあ、私もまだまだ学ばねばならぬ事が多そうだがな……
 ん? 白銀殿、どうやらお呼びのようだぞ?」

 沙霧が、お互いに言葉を告げあうのを止めて、一斉に武に視線を投げた女性陣に気付いて言うと、武の背を押し出すようにして、数歩その身を引いた。

「ん? どうした? みんな。」

 笑顔で歩み寄る武を少し眩しそうな目で見ながら、女性陣は一列に並ぶと、千鶴の号令に合わせて頭を下げた。

「白銀武臨時中尉、ご指導ありがとうございましたッ!」
「「「「 ―――ありがとうございましたッ! 」」」」

 武は、目を見開いて驚いた後、途端に真っ赤になって意味も無く手を泳がせて叫ぶ。

「なッ!! や、止めてくれよ~! おんなじ訓練兵なのに、ご指導って何だよ……仲間だろ~、な、止めようぜこんなの……」

 そんな武の様子に、上目遣いで覗いていた美琴が噴出し、他の面々も下げていた頭を上げて、武の珍妙な様子に大笑いする。

「プッ……アハハ……タケルぅ、なにその情けない顔~っ!」
「あはははは、顔真っ赤ですよ? たけるさ~ん」
「うむ。ここまで動揺した武も中々拝めぬからな。任官の祝いに良きものを見せてもらったぞ。」
「ワラエル、ワラエル……」
「ちょっとぉ! もう少ししゃんとしなさいよね、白銀!……でも、本当に感謝しているわ。私達はこの2ヶ月弱で、あなたから多くの事を教わったわ。」
「うむ。そなたが配属されてからの日々は、それまでに数倍する密度であったぞ。タケルそなたに感謝を。」
「ほんとうに、ありがとうございます。たけるさん。」
「うん、ボクたち、凄く運がよかったと思うんだ。ホント、タケルには感謝してるんだよ?」
「ま、苦労もさせられたけどね……」
「彩峰!」

 一頻り珍妙な武に対する感想を述べた所で、千鶴が武の情けない態度を叱り飛ばしてから、真面目な顔で改めて謝辞を述べる。
 すると、それに続いて皆が口々に心からの謝辞を述べていった。唯一天邪鬼な発言をした彩峰を千鶴が一喝するが、彩峰の頬は上気し視線は横を向いており、思いっ切り照れまくっている事は衆目にも明らかであった。

「まあまあ、委員長。彩峰の言う通りだし……それに……」

 武は、千鶴を宥めてから意味有り気に言葉を途切らせ、皆を見廻す。
 女性陣に加えて沙霧も、一体何を言いだすのかと、口をつぐんで武に注目する。

「―――これからもお前らには苦労してもらうからさ。」

 満面の笑みで言い放つ武に、全員が虚を突かれたように一瞬だけ間が空いたが、直ぐに雪崩のように言葉が返される。

「ふっ……それこそ私の臨む所だぞ、タケル。」「はいはい、今更楽しようなんて思ってないわよ。」「ミキも、精一杯頑張りますね! たけるさん。」「タケルに頼まれたんじゃあ仕方ないかな~。」「ヤキソバ奢ってくれたら、頑張ったげる……」「ふむ。全身全霊を以って期待に応えよう。」

「そっか。じゃ、これからもよろしく頼むぜ、みんな。それから………………今まで世話になったな! みんな、任官おめでとうッ!!」
「タケル……」「白銀……」「……白銀」「たけるさん……」「タケルぅ……」

 武からの祝辞に、涙目になって武に縋りつく女性陣。武の、照れながらも満面の笑みを浮かべたその顔は、心底嬉しそうであった。
 その仲睦まじい様子を、沙霧は苦笑しながら見るとも無く眺めていた。

「ふむ……あれがカリスマと言う物なのか? まあ、いずれにしても、無邪気なものだな……」

 沙霧は、独り呟くと、光の差し込む、明り取りの窓の向うに広がった空を見て、来るべき戦塵に塗れる日々に思いを馳せた。
 その日は、決して遠くは無いであろうと……




[3277] 第60話 若鳥を迎える空
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:58

第60話 若鳥を迎える空

2001年12月10日(月)

 09時42分、解隊式の終わった講堂で、元207Bの皆が任官を喜び合っていると、講堂の左側面後方の扉が開いた。
 そこには1人の人物が立っており、逆光でシルエットしか見て取れなかったが、同時にその姿は日々見慣れた姿に間違いなかった。

「「「「「 神宮司教官?! 」」」」」「神宮司軍曹、か……」「…………」

 女性陣が驚きの声を上げると、まりもは一歩前に進んで敬礼をし、直立不動で口を開いた。

「ご注意下さい少尉殿、私は既に皆さんの教官ではありません! この度目出度くご昇任なされた皆さんに、午後のスケジュールをお知らせしに参りました!
 申し上げても、よろしいでしょうかっ!」

「「「「「 !!………… 」」」」」

 まりもの態度に硬直する女性陣。しかたなく、武がまりもに歩み寄り、答礼して応じる。

「神宮司軍曹、ご苦労。スケジュールの通達を頼む。」

「はっ! 申し上げます。新任少尉の皆さんは、13時00分に第7ブリーフィングルームにお集まり下さい。
 配属部隊の通達、軍服の支給方法、事務手続きの説明等が行われる予定であります。
 また、ご歓談のところ申し訳ありませんが、解隊式の撤収がございますので、皆様にもご退場いただけますようお願い申し上げます。」

 直立不動で通達を終えたまりもに、武はさらに言葉をかける。

「ご苦労だった軍曹。それではそうそうに退場するが、もしよければ軍曹には我々を見送って欲しいのだが、構わないか?」

「はっ! 喜んで勤めさせていただきます、少尉殿!」

「ありがとう、軍曹。…………おーい、片付が出来ないから、さっさと出ろってさ!
 お行儀良く、順繰りに出てくんだぞ? 見送ってくれる軍曹に挨拶も忘れんなよ!」

 まりもの承諾を得ると、武は背後を振り向き、動揺を隠せない女性陣に声をかけた。
 その声に背中を押されるようにして、千鶴がまりもへと歩み寄る。
 武は邪魔にならないように、数歩下がって立った。

(やった! このポジションて、絶好の位置だぜ。『前の世界群』じゃ後ろから眺めてたからな。)

 横合いから、感動のやり取りを眺める機会に恵まれ、武は内心で快哉を上げた。許されるのであれば、ビデオで画像を録画したいくらいであった。

(ん? 待てよ? 今のオレは00ユニットなんだから、一次入力情報のログを別媒体に保存すればいいんじゃないか?
 やりぃ! じゃ、しっかりと見て聞いとかないと駄目だな。)

 などと、下らない事を武が考えている間にも、昇任の儀式は進んでいた。
 千鶴に続き、冥夜、美琴、彩峰、壬姫と、全員が目尻に涙を浮かべて、まりもと言葉を交していった。
 本来、壬姫に続くのは武だったのだが、武は沙霧に目配せして先に回そうとする。
 沙霧は、苦笑して頭を振りながらも、前に出てまりもと対峙した。

「神宮司軍曹、誠に短い期間ではあったが、貴官の練成に感謝する。貴官は稀に見る優秀な教官であったと思う。」

「ご昇任おめでとうございます少尉殿! 武運長久をお祈り致しております!」

「私のような訳ありの訓練兵を受け持ち、さぞや頭を痛めただろう。次の訓練兵が来るまで、ゆっくりと鋭気を養って欲しい。」

「お気遣いありがとうございます少尉殿! ですが、少尉殿よりも規格外な訓練兵も中には居るものであります。
 形だけとは言え、少尉殿の教官となれたことを光栄に思っております!」

 まりもは、一瞬だけ横目で武の方を示して応じると、改めて沙霧に敬礼を行った。沙霧はそれに答礼すると、最後に軽く会釈をして去って行った。
 全員の儀式を堪能した武は、最後にまりもの前に立ち、まりもの敬礼に答礼で答えた。

「神宮司軍曹、お世話になりました。」

「ご昇任おめでとうございます少尉殿! 武運長久をお祈り致しております!」

「オレは、貴女の練成を受けた事を、生涯の誇りとして決して忘れません。今のオレがあるのは、貴女のお蔭だと心から思っています。貴女は最高の教官でした。」

 武の賛辞を受ける内に、まりもの生真面目な表情がだんだんと引き攣っていく。

「大変、光栄です少尉殿。ですが、少尉殿は元より優れた衛士であられました。私は何も益しておりません。
 むしろ、私の方が多くを学ばせていただきました。」

「そう言ってもらえて嬉しいですよ、軍曹。それでも、オレは心の底から貴女たちの教えに感謝してるんです。それだけは、覚えておいて下さい―――まりもちゃん。」

 右手を拳に握りながら、必死で衝動を押さえ込むまりもは、途中で二人称代名詞が複数形になった事に気付かなかった。
 なんとか衝動をやり過ごしたまりもは、どもりながらも言葉を返した。

「み、身に余る光栄です少尉殿……お、お望みであれば、ま、『まりもちゃん』でも構いませんが……軍紀上、神宮司軍曹とお呼び頂く事が望ましいと思われますが?」

「ああ、済みませんでした神宮司教官。二人だけでしたのでつい。」

「お、お気をつけ下さい少尉殿。私は下士官です。て、丁寧な言葉をお使い戴くに当たりません。
 また、お詫び頂く必要もありませんし、私は既に少尉殿の教官でもありません……」

 言葉を微かに震わせながら、丁寧に武の発言内容を訂正するまりもに、武は満面の笑みを浮かべてさらに言い募る。

「ああ、そうでしたね、神宮司軍曹。重ね々々、ご忠告ありがとうございます。
 ですが軍曹、実はオレは一大決心をしまして、然るべき場合を除いて、下級者にも丁寧語を使うことに決めたんですよ。
 最近やんごとない方々と話す機会が増えてしまいましてね。そういう時に無礼を働くよりも、下級者に丁寧語で話す方が問題が少ないかと思いまして……」

「白銀ぇっ!―――少尉殿。……し、失礼ですが、わざとお戯れなのでしたら、そ、そろそろ勘弁していただきたいのですが……」

 怒りのあまり、呼び捨てにしかけて、慌てて階級と敬称を付け足すまりも。
 我慢の限界に達しかけているまりもをじっくりと眺めてから、武はようやく言葉遣いを改めて謝罪した。

「済まない軍曹。つい任官に浮かれて悪ふざけが過ぎたようだ。尤も、下級者に丁寧語を使うというのは本当だぞ?
 貴官にもおいおい慣れてもらうので、覚悟しておくように。そして―――本当に……本当に感謝しています。」

 悪戯っぽく応じた後、真剣な表情で謝辞を述べる武に、まりもは怪訝な顔をするが、直ぐに真面目な表情に戻って皮肉交じりの謝辞を告げる。

「白銀少尉?…………! あ、ありがとうございます。恥ずかしながら、顧みて己が力不足を実感するところも多々ありますが、そう言っていただけて恐縮です。」

 武はまりもの言葉に苦笑しながらも、この場は会話を切り上げる事にした。

「やだなあ。本当に感謝してるんですよ? まあ、オレの場合は立場が色々とあれでしたから、その辺りは斯衛軍と帝国軍への教導を手伝ってもらう間にでもまたってことで。
 ―――神宮司軍曹。貴官の働きに感謝する。今後もよろしく頼む!」

「はっ! 少尉殿! 精一杯努めさせていただきますッ!」

 最後だけは模範的な軍人らしく、武とまりもの儀式は終了した。
 余談だが、この時のまりもの記録映像は、後日夕呼に献上され、高い評価を得た…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 20時12分、限界まで膨れた腹の中身を少し追い出してから、武はヴァルキリーズが訓練中のシミュレーターデッキへとやってきていた。

 今日の夕食は豪勢と言うべきか、苛酷と言うかべきか、非常に判断に迷うところであった。
 なにしろ、おかずの量が各人5人前ずつあり、ノンアルコールの各種飲料がこれでもかと用意され、入れ替わり立ち替わりに現れる基地要員が、任官祝いの言葉と共に、次から次へと飲み物を注いでいったのだ。
 大量のおかずは、基地要員有志からの差し入れであったらしい。
 京塚のおばちゃんの心配りによって、グラスが全て小型の物になっていたため何とかなったが、いっそ何かの罰ゲームじゃないのかと疑いたくなるような騒ぎである。
 とは言うものの、あれほど多くの人達が祝ってくれるとは思ってもみなかったので、皆、一様に嬉しそうに飲み物と食事を腹に詰め込んだ。
 中でも、ただ一人成年であった沙霧のところには、アルコールを持参した者が集中してしまい、ちゃんぽんで飲まされた沙霧は、決して酒に弱い方ではないのに、早々に泥酔させられてしまった。
 どうやら、金髪の某女性CP将校が、厨房の奥にある冷凍庫から持参して注いだ酒が、致命的だった様である。

 そんな乱痴気騒ぎも何とか終わり、今頃は皆自室で唸っている筈であるが、武はその辺は融通の利く身体なので、既に普段と大して変わらない状態になっていた。
 そして、シミュレーターデッキに足を踏み入れた武は、先程部屋に放り込んできた沙霧と、似たり寄ったりな様子の人物を認めて歩み寄る。

「水代中尉と桧山中尉じゃないですか、こんな所でどうしたんですか?」

 武は、壁際で互いに寄りかかるようにへたり込んでいる、葵と葉子の2人に声をかけた。

「あ~、白銀君だぁー……」「す、すいません……ちょっと……ほっといて……くれませんか……」
「あ~、お疲れのようですから、また後で……」

 頭をフラフラさせている葵と、今にも戻しそうで真っ青な顔色の葉子の様子に、武は差し当たりそっとしておく事にして、制御室に向った。

「あ、白銀中尉。昇任おめでとう。」

 武が制御室に入るなり、遙が祝いの言葉を述べてくる。武も礼を言ってから、先程の2人のことを尋ねてみた。

「ありがとうございます、涼宮中尉。でも、昇任祝いなら、階級は少尉にしてもらえませんか?
 それから、水代中尉と桧山中尉はどうしたんですか?」

「あはは。あの2人は今日一日中大尉に扱かれて、とうとうさっきダウンしちゃったの。
 だから今扱かれてるのは、水月と宗像中尉の2人だけなのよ。
 それはそうと、階級に拘るのは明日の布石なのかな?」

 あまり洒落にならない話を笑顔であっけらかんと話した遙は、逆に鋭い質問を放ってくる。

「ばれましたか。明日、新任少尉として配属される身ですからね。やっぱり相応の扱いってのをして欲しいじゃないですか。」

 武も隠し立てはせずに、素直に質問に答えた。遙はそんな武に、笑顔を更に和らげて話しかける。

「白銀少尉も変わってるね。普通、下の階級で扱って欲しがる人なんていないのに。
 よっぽど、軍の上下関係が嫌いなんだね。うちの隊はいいけど、他所に行った時に苦労しちゃうよ?」

「まあ、その辺は望むところって事で。で、切の良い所で隊長のお三方と涼宮中尉にお時間を頂きたいんですけど、無理ですかね?
 それに、扱きって一体何やってるんです?」

「極普通の模擬戦だけど、チーム分けが、水月、宗像中尉、水代中尉、桧山中尉の4人対残り8人なの。
 おまけに、機体が『不知火』4機対『時津風』機数制限無しなだけだよ?」

「…………機数制限なし?」

「そう、機数制限なし。同時投入は最大8機だけど、倒しても倒しても補充されるから、常に8機相手にしてるような状態だね。
 尤も、『不知火』の方も落とされてもすぐに再投入されるから、『不知火』も機数制限無しって言えば無しかも……」

 遙の説明に、武は背筋が凍るような思いだった。

(つまり、2倍の『時津風』を相手に、エンドレスで模擬戦を行っているって事か?
 しかも、相手側は『時津風』なんだから、機動によるGの負荷はなしだろ? うわっ、えげつない……
 おまけに2人がリタイアしちゃったんだから、今は4倍の『時津風』相手かよ!)

 武は恐々とモニターを覗き込む。そこには、さすがに疲労の色は濃いものの、ぎゃあぎゃあと文句を盛大に、唯一の味方である美冴に怒鳴り散らす水月と、同じく疲労困憊ながらも、平然とした退屈気な表情で、負けじと相手の急所をえぐるような言葉を返す美冴の姿があった。
 無論、その間にも2人の機体は、部隊ナンバー2とナンバー3の地位に相応しい戦闘機動の粋を見せている。
 武は、2人の精神力に目眩がした。

「す、凄いですね……この状況下で、口喧嘩できる精神力って……」

「まあ、2人とも長時間の戦闘には慣れてるからね。それに、燃料補給の隙は無いから、燃料や推進剤が切れたら即撃墜でしょ?
 さっき、2人とも補給の手間が省けるって言ってたわよ?
 あ、今大尉に白銀少尉の話をするから、もう少し待っててね。
 ヴァルキリー・マムより、ヴァルキリー1、白銀少尉から会談の申し入れです。メンバーは大尉、速瀬中尉、宗像中尉、そして私です。
 可能であればとの事なので………………」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 20時36分、急遽確保したブリーフィングルームに、武とヴァルキリーズ全員の姿があった。
 武の方の用事が、秘匿性が無いとの事だったので、みちるの申し入れで急遽トライアルのデブリーフィングを兼ねる事に成った為であった。
 時間も遅い為、自由参加とされたのだが、疲労困憊のはずの葵と葉子も含めて、全員が参加していた。

「……てことで、オレは明後日から暫く出張なので、その間沙霧さんも伊隅大尉にお任せしたいと、そういう訳です。
 オレがいない間の訓練内容に関しては、後で別途打ち合わせってことでいいですよね?」

「それは構わないが、白銀。貴様と沙霧は新設の中隊に配属されると聞いたが、中隊長職はどうするんだ?」

 武の話に、訝しげにみちるが問い返すが、武は明確な答えを返さなかった。

「あー。それは、オレが出張から帰ってきてからって事で。
 中隊って言っても、配属になる衛士は差し当たって、オレと沙霧さんだけですからね。
 小隊長職さえ要らないくらいですし。」

「ふむ。―――まあいい。それでは、向こう1週間の予定はそれで良いとして、明日の任官は、全員A-01連隊の新任として扱っていいのだな?」

 武が誤魔化していると察したみちるは、それ以上追及しなかった。そして、新任少尉の扱いについて武に訊ね。武はそれに頷く。

「はい。それで結構です。ヴァルキリーズじゃないのが2人混ざりますが、よろしくお願いします。」

「お前たち喜べ。2人で連携を組ませたら、日本でも有数のXM3使い(エクセムスリー・マスター)が、貴様等の後輩だぞ?
 他の5人の腕前も昨日のトライアルで観たとおりだ。先任として、うかうかしてられないな?」

 みちるが、挑発的な物言いをしてヴァルキリーズを見回すと、火傷してでも挑発には噛み付かずに居られない水月が声を上げる。

「ちょっとばかし腕が良くたって、今日の特訓で一回り成長したあたしと宗像にかかればどうってことないですよ、大尉。」
「そうか。では、明日の午後にでも早速、速瀬、宗像の二機連携と、白銀、沙霧の二機連携で模擬戦をやるか?
 今日と一緒で、制限時間一杯まで無制限復活ルールでどうだ?」
「いえ、私は辞退させていただきます、大尉。速瀬中尉でしたら、お一人でも2人を相手に奮闘なさるでしょう。私は却ってお邪魔です。」
「む……宗像、裏切ったわね~ッ!」
「ほほう。戦意は有り余っているようだな速瀬。さすがは我が隊の誇る突撃前衛長だ。明日も、もう一回り成長できそうだな。」
「くっ………………す、すみません、1対2は勘弁して下さい、大尉。」
「ふっ……いいだろう。血気盛んなのはいいが、冷静な判断も出来て初めて実戦で生き残れる。皆も速瀬を見習うようにな。」
「「「「「「「「「「 了解! 」」」」」」」」」」

 相方に引き摺りだそうとした宗像に逃げられ、さらにみちるに追い詰められて、水月は珍しく白旗を揚げた。
 白銀と沙霧、片方だけを相手にしても勝ち目が薄い2人を、一度に相手にした日には、延々と瞬殺される事が目に見えていたからである。
 もがく閑も、足掻く閑も得られないのでは、時間の無駄に過ぎない。さすがにそれは水月も望まなかった。

(うわー、一見いつも通りだけど、伊隅大尉は昨日の愛のメッセージの件を相当根に持ってるみたいだな。)

 武がそんな事を考えていると、議題がトライアルのデブリーフィングに移っていた。
 横浜基地地下施設の警備は問題なし。みちると遙の米軍相手の案内も問題なし。
 問題ばっかりの、葵と葉子の司会進行も、夕呼の赦免状があるのでこれまた追及できない。
 となると、やはり話題は、207Bの取った戦術や、『ラプター』や『武御雷』との対戦経験に集中する。

「ねえ、白銀中尉。千鶴たち、なんであんなに強くなってるの?」
「そうだよね~。元から才能は凄かったけど、ちょっとあれは尋常じゃないよね。」

 やはり、元は同じ部隊だった少尉5人は、昨日の207Bの強さに危機感を感じたらしく、茜と柏木を皮切りに、質問と感想を口々に述べる。

「そ、そうですよぉ~、榊さん―――は動いてなかったけど、他の3人の機動は茜ちゃん並でしたよ?」
「あれなら、あたしより上だよ、多恵。」
「それに~、榊さんの指揮能力高かったよね~。
 大体、戦闘機動を搭乗衛士に任せた上で~、同期コンボだけを指揮官の方で発動させるなんて~、普通考え付かないよね~、月恵?」
「ん? 智恵の言う事は良く解んないけどっ! 富士教導隊もさ、XM3搭載型『陽炎』に乗り換えた後は、すっごい良い動きしてたもんなっ! なのに勝っちまったんだから207Bはすげえって話だろ?。」
「そうだね。最後の引き分けだって、教導団が守りに徹したせいだしね。
 いくら個人技が高いって言っても、3対4でしかも同じXM3搭載の『吹雪』と『陽炎』じゃ分が悪かったよね。
 せめて、主機が換装されていたら話は別だったろうけど。」

 武は、元207Aの発言が一通り終わるのを待って、種明かしをした。

「それはだな。あいつらが、衛士の腕も、機体の性能も上の相手と、毎晩訓練してたせいだな。
 なにしろ、斯衛軍第19独立警備小隊の、XM3搭載型『武御雷』、しかも赤1機に白3機を相手に『吹雪』練習機仕様5機で、毎晩模擬戦してたからな~。」

 その武の言葉に今度は水月が喰い付き、そこから冥夜の身分が話題に上がる。

「白銀ぇ~、それ嘘じゃないでしょうね?! 何よその贅沢な訓練! たまにはあたしも誘えってのよ!!」
「水月~、207Bの御剣少尉は政威大将軍殿下縁故の方なんだから、斯衛が特別扱いするのは当たり前だよぉ~。」
「ふむ……そして、明日からはその御剣少尉が、うちの部隊の新任として配属されるわけですね?」
「御剣少尉の適性からすると、B小隊が相応しいのでしょうね。速瀬中尉が粗相なさらないとよろしいのですけど……」
「風間、君、結構酷い事言ってるけど、いいの?」
「大丈夫ですよ、水代少尉。実現性の高い未来予想図ですから、速瀬中尉も否定できないと思いますわ。」
「否定はしないけど、腹は立つのよ? 風間!」
「あら……ごめんあそばせ。」

 一連の会話が祷子の謝罪で一段落付くと、みちるが冥夜の扱いについて述べる。

「御剣の件だが、隊内での扱いに関しては、一国連軍衛士としての扱いで構わないそうだ。そうだな? 白銀。」

 みちるの確認を受けて、武も冥夜の扱いについて述べる。

「はい。本人もそれを望んでいますし、政威大将軍殿下にも、その点はご了承いただいています。
 訓練及び任務中を除く時間に、斯衛軍第19独立警備小隊の衛士が護衛に付くのを認めてもらう以外は、一切の特別扱いは必要ありません。
 ただし、御剣少尉が殿下の名代として戦場で行動する際には、一時的に特殊任務扱いで部隊指揮下から外れる可能性はあります。
 編制上大変でしょうが、上手く組み込んでください。」

「ふむ……御剣は特性からして突撃前衛しか考えられんが……いや、小隊編制自体をいじる予定だったな。
 いざとなれば、沙霧を借りれば穴埋めは出来るか……いずれにしても、御剣の扱いについては了解した。
 しかし、中隊長が新任少尉から、こうして指示を受けるというのも珍しいとは思わないか? 白銀少尉。」

 みちるが、武の言葉を了承し、最後に悪戯っぽく付け加えると、武はわざとらしく首を竦めて応じる。

「勘弁して下さいよ大尉。オレはしがないメッセンジャーボーイみたいなもんなんですから。」

「ふっ、新戦術構想と関連装備の開発責任者が、メッセンジャーボーイか? 大したメッセンジャーボーイが居たもんだな。
 まあいい。近い内に相応の階級になるだろう。みんな、白銀が新任少尉で居る内に精々可愛がってやれ。」
「白銀君は、階級がぁ上がっても、偉い人ぶったりぃしないよね?」
「勿論ですよ。実は今日から、下級者相手にも丁寧語を使うことに決めましたし。」
「「「「「「「「「「「「 ええ?! 」」」」」」」」」」」」
「へぇ~、それはぁ徹底してるね。」
「そうですかね。」

 みちるの冗談交じりの言葉尻を捕らえて、葵が武に問いかけると、武は得たりと頷いて、まりもにも告げた決意を述べる。
 その言葉に、葵以外のヴァルキリーズが驚愕する。

「白銀ぇ、あんた本気なの? それ。」「白銀中尉、ちょっとそれはどうかなあ。」「白銀、それは少し行き過ぎなのではないか?」「軍紀が……維持できない……」「う~ん、姉さんの発言はあまり真に受けない方が……」「あ~っ! また紫苑が酷い事ぉ言ってる~。」
「白銀、それは無論、然るべき場合を除いての話だな?」

 慌てたように、武に翻意を促そうとする古参のヴァルキリーズ。だが、みちるは、冷静に武がTPOを弁える気があるかだけを問うた。
 そして、武はそれを肯定してみせる。

「勿論です、大尉。作戦中など上下関係を徹底すべき時は、然るべき態度をとります。」
「そうか、ならばいいだろう。」
「「「「「「「「「「「 え?! いいんですか? 」」」」」」」」」」」
「うむ。英国海軍の士官や、大戦中の海軍予備士官などにそういった人物がいたというからな。
 それに、白銀ならば、肩肘張って見せてもボロが出るだろう。最初から少し箍を外してるくらいが似合ってると思わないか?」
「「「「「「「「「「「 ……………… 」」」」」」」」」」」
「お墨付きが出てぇ良かったね。白銀君。」
「ありがとうございます、大尉、水代中尉。」

 武が状況を弁えると発言すると、みちるは武の決意を許容した。
 葵を除くヴァルキリーズが驚いて聞き返すが、みちるは幾つかの例を挙げ、武の為人まで持ち出して、武の主張を補強する。
 みちるにそこまで言われると、ヴァルキリーズにも反論できる者は居なかった。そもそもヴァルキリーズの隊内では、必要以上の堅苦しい言動が廃されている事もある。
 実を言えば、それほど受け入れ難い話でも無かった。
 武は、皆が受け入れかけているのを感じて、もう一押しすることにした。

「オレだって、別に階級の上下関係を無視しようって言ってるんじゃないですよ?
 極端な話、少尉になったからって、神宮司軍曹みたいな尊敬できる人に偉そうな口を利きたくないだけです。
 かといって、相手によって態度を変えるのも差別になりますからね。だから、いっそ下級者全部に丁寧語で接する事にしたんですよ。」
「はぁ~、随分とまた、割り切ったわねえ。」「う~ん、それなら、一応納得できるかな?」「まあ、ぎりぎり個性の内ってところでしょうか。」

 みちる以下、上層部が容認した事で、この件は一応の決着が付いた。
 その後は、武の所見を聞きながら、トライアルで行われた目ぼしい模擬戦の検討会が行われた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 22時08分、武がシリンダールームに顔を出すと、室内では霞が純夏にプロジェクションを行っていた。
 霞は、純夏に武の来訪を告げると、直ぐにプロジェクションを切り上げて、武が歩み寄るのを待った。

「白銀さん……任官おめでとうございます……純夏さんにも……白銀さんの……任官の話をしていたところです。」

 霞は近くまで歩み寄った武を見上げると、訥々と祝いの言葉を述べた。
 武は、霞の頭に手を置くと、礼を言ってから純夏との交流に誘う。

「そっか、毎日純夏の面倒見てくれて、ありがとな、霞。これから解隊式の様子とか、純夏に見せようと思うんだけど、霞も一緒に観るか?」

「いいんですか……うれしいです……」

「よっし、じゃ、椅子にでも座って楽な姿勢になろうか。」

 武は椅子を2つ持ってきて、シリンダーの近くに置いた。そして、椅子に深く腰掛けると、プロジェクション機能とリーディング機能を起動する。
 プロジェクション対象はタイムシェアリングにより、5対1の比率で純夏と霞に振り分け、リーディング対象は純夏に集約させた。
 霞は、武からプロジェクションを受け、自分の行いたい行動をイメージ化して武にプロジェクションする。
 この方法によって、仮想現実で3人は語り合う事ができるのであった。

 ―――今回の状況設定は武の部屋。武と純夏、霞の3人で、解隊式のビデオを見ようと言う訳だ。

「よ、純夏。今日はちょっとした土産があるぞ。」

 部屋の入り口で、寝惚けたような顔で目を擦っている純夏に、武はベッドに腰を下ろしながら声をかけた。
 その脇には霞が立ち、心配そうに純夏の方を見ている。

「………………あ、タケルちゃん! それに、霞ちゃんも…………そっか、夢見てたと思ったけど、霞ちゃんが色々と教えてくれてたんだね。
 霞ちゃん、いつもありがと~。……あ~っ! そう言えば、タケルちゃんが、学校卒業したって本当?」

「ん? まあな。冥夜たちも一緒に卒業だ。正確には任官したって言うんだけどな。」

「そっかぁ~。タケルちゃんっ! 卒業おめでと~!!……で、お土産って何? ねえねえ、なんなのさ~~~っ!」

 ベッドに腰掛けた武に歩み寄った純夏は、腰の後ろで手を組むと、上体を前に倒して武の顔を覗き込む姿勢になり、満面の笑顔を浮かべた。
 そして、祝いの言葉を述べた後、そのまま顔を右に傾げると、ニコニコと笑いながら土産をせびる。
 身体こそ動かないものの、頭の上では特徴的な癖っ毛が、犬の尻尾のようにぶんぶんと勢いよく、左右に振られていた。

「あ~も~、がっつくなよ純夏! オレ達の解隊式……まあ、卒業式みたいなもんだけど、それの記録映像だよ。
 おまえの知ってるみんなとは、厳密には違うけど、懐かしいだろ? まりもちゃんも出てるからさ。」

「うわ~、早く見せて、ねっ、早く早くは~や~く~~~!」

 純夏は、目を大きく見開いて、武の肩を両手で揺すりながら急かす。

「あ~!! 解ったからせっつくなって……ほら、座れよ、霞も好きな所に座っていいぞ~。
 お菓子と飲み物も手元にあるし……よぉ~し! それじゃ、はじめるぞ~!」

 武に言われて、純夏はベッドの武の左隣に腰掛け、霞は少し迷った後、武を挟んで純夏と反対側に腰掛けた。
 そして、武がリモコンを操作して、ビデオ上映会が始まった。

「……ねえねえ、これ、タケルちゃん自身が全然映って無いじゃんかさ~。」
「しょうがね~だろ~、この映像撮ってるのオレなんだから、自分が映るわけないじゃねぇか。」
「あ、そっか……それで声だけ入ってるのか~。って、タケルちゃんの卒業式なのに、タケルちゃんが撮影してたの?!」
「……しょうがねぇだろ! 表向き解り難い撮影機材があるんだよ! なんたって、ロボットで戦ってるような世界だからさ。」
「じゃあ、隠し撮りなのか~。それじゃあ、フレームワークが下手っぴでも文句は言えないよね~。」
「うるせ~! 黙って見てろ!」
「ん~、この外人の男性(ひと)が、基地司令なんだ~。あ、霞ちゃんはこの人と会ったことあるの?」
「……はい……たまに会います……」
「バカだなぁ~、純夏。霞は基地ナンバー2の香月副司令、つまり夕呼先生の助手なんだぜ? 何度も会ってるに決まってるじゃないか。」
「あ~っ、バカって言ったぁ~! そういうタケルちゃんは、基地司令と会った事あるの?」
「バカかおまえ? この映像見てて何言ってんだよ! 解隊式が卒業式だとしたら、校長役を基地司令がやってんだぞ?
 この後で、卒業証書授与代わりに、声かけられて衛士徽章ってバッチを付けて貰うんだよ! なのに、会った事ない訳ね~だろ?」
「あ……そっか……ん? でもでもっ、それが初めてなんじゃないの? いくらタケルちゃんが問題児だって、そうそう校長先生……じゃなかった、基地司令さんが会ってくれる訳ないもんね。」
「ん?……そう言えば、今回顔合わせるのは初めてだったっけ?……こないだ米国のスパイ嵌めた時は……あの時も直接は顔合わせてないや……
 うわ~、オレって本当に夕呼先生としか話してないんだな~。てゆーか、副司令の夕呼先生の方が、実権握ってるからな~。」
「やっぱり! ろくすっぽ会ったことないんじゃんかさ~! や~い、下っ端兵士~!!」
「う、うるせぇっ! こう見えてもオレは結構重要人物なんだぞ!…………一応。」
「今、一応って言わなかった? 言ったよね? 言ったでしょ?! やっぱ、大したことないんじゃないの~?」
「そんなこと、ありません……」
「「 え?! 」」

 わりとどうでも良い事から、武と純夏のやり取りがヒートアップしたところで、小声ではあるものの、強い意思を感じられる声が、2人の言葉を途切れさせた。

「そんなこと、ないです……白銀さんは、基地にとって……いえ、世界にとって……とても大事な人です……
 大したことない、下っ端兵士なんかじゃ、ありません……」

 霞は、今にも泣き出しそうな顔で、純夏をじっと見上げて言い切った。
 純夏は、慌てて目を左右に揺らして、挙動不審に陥った後、力無く頭を下げて霞に詫びた。

「……すいません。悪乗りして言い過ぎました……タケルちゃんも、ごめんなさい……」
「いや、オレは元から気にしてないからいいんだけど……霞?」
「解ってもらえたんなら、いいんです……でも、白銀さんは、本当に凄い人なんです……本当に本当なんです……
 信じてあげてください、純夏さん……」
「………………うん。解ったよ、霞ちゃん。わたしの知ってるタケルちゃんは、どうしよーもない、ヘタレなタケルちゃんだけど……
 私の知らない、そうじゃないタケルちゃんも居るって事なんだね。
 タケルちゃん、あまり自分のこと言わないから、霞ちゃんが色々教えてくれるかな?」
「はい……ですから、私の知らない白銀さんの話も、聞かせてください……」
「もちろんだよ! これからもよろしくね? 霞ちゃん。」
「よろしく、お願いします……純夏さん……」
「お、おまえら、そういう話はオレの居ないとこでしてくれ…………てゆーか、純夏! 霞に変な話したら承知しないからな!」
「へっへっへぇ~~~。どぉ~しよっかなぁ~。」
「す~み~か~ッ!!」

 その後も、賑やかな会話を交しながら、3人は仲良く、訓練小隊解隊式の映像を観たのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 22時43分、純夏との逢瀬を終えた武は、シリンダールームで霞と会話を交していた。

 仮想現実の中でビデオを見終わった3人は、外食に出かけ、純夏と霞は純夏の家で一緒に風呂に入り、寝巻きに着替えてベッドに並んで就寝した。
 ある程度の生活を体験しないと現実感覚が消失しかねないと考えた武が、数時間でも現実と同じような生活習慣を演出したわけだが、霞が一緒だったせいか、純夏が興奮して、ベッドであれこれ長話し始めたのには、武も正直閉口してしまった。
 聞くに堪えない内容だった為、恥ずかしさのあまり入浴中と同様自動処理に任せてしまったが、霞が何を聞いたのか、知りたいような、知りたくないような、二律背反な武であった。

「……相変わらず、騒々しい奴で疲れたろ? 霞。」
「いえ、とっても楽しかったです……」
「そっか…………霞、明後日から、6日間ほど他所に任務で出かけることになったんだ。また、その間の純夏のこと、よろしく頼むな。」
「はい。」
「その後は、1週間もすれば『甲21号作戦』だ。作戦が上手く行けば、BETAのバイオプラントが手に入る。
 そうなれば、純夏を元の身体に戻すのだって夢じゃなくなる。オレ、頑張ってくるから、純夏と待っててくれよな、霞。」

 正直、横浜基地から離れたくないと、武は思っていた。例え現実でなくとも、純夏と過ごす『元の世界』をモデルにした仮想現実に、何時の間にか依存し始めているのかと武は考え、自身を叱咤してその思いを振り払った。
 後に、武はこの時の事を思い出し、後悔する事となる……




[3277] 第61話 新たなる家族-母さん元気で留守が良い-
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/09/28 17:45

第61話 新たなる家族-母さん元気で留守が良い-

2001年12月11日(火)

 08時06分、朝食を何時ものメンバーで取り終えた元207Bの新任少尉7名は、ブリーフィングルームの前方で横一列に並ばされていた。
 配属先の部隊に、半年前まで同じ訓練小隊の訓練兵であった、207Aの全員が揃ってる事に驚いた207Bの女性陣が、ようやく落ち着きを取り戻したところを見計らい、みちるは207Bと向かい合う形で、ヴァルキリーズ12名を一列横隊で整列させた。
 そして、ヴァルキリーズの前に立ち、新任少尉達に声をかけた。

「―――新任少尉諸君。まずは昇任おめでとうと言っておこう。」

「「「「「「「 ―――は! ありがとうございます、大尉殿! 」」」」」」」

 みちるの祝辞に元207B全員が、直立不動で声を揃えて応える。みちるは、真面目な顔をして調子を合わせる武を見て面白そうに目を細めたが、そのまま話を続行した。

「諸君がトライアルで見せた腕前は、実に見事なものだった。当横浜基地最強と自負する我が隊でも、諸君の腕前は十分に通用するものと確信している。
 我が隊は、表向き教導部隊とされてはいるが、実際は独立した指揮系統下で、オルタネイティヴ計画の先鋒としての任務に従事している。
 オルタネイティヴ計画は、香月副司令が統括する国連直轄の極秘計画であり、人類の存亡を賭け、BETA殲滅を目的とした計画である。
 我が隊の任務が如何に重要なものであるか、各々がしっかりと銘記しておけ!」

「「「「「「「 ―――了解しましたッ、大尉殿! 」」」」」」」

 みちるの言葉に、今まで垣間見る事しかできなかった、武の特殊任務の根幹を知ると同時に、自分達が課せられる任務の重要さを噛み締めながら、元207Bの面々は声を張り上げて応えた。

「我が隊は副司令直属の特殊任務部隊A-01連隊として、1997年に発足し、最盛期には112名の衛士を擁していた。
 しかし、明星作戦に於いて壊滅的な損害を受け、以降人員を補充しつつも、副司令の立案する極限とも言える激務の中で更に人員を消耗し、既に我が1個中隊を残すのみとなっている。
 この、我が隊ならではの人員消耗率の激しさはつい先頃まで続いていたのだが、白銀少尉のもたらした様々な戦術と装備が導入された事により、今年の11月以降の人員消耗は避けられている。
 だが、要求される任務は今後も厳しいものであると予想される為、貴様らのような腕利き衛士は大歓迎だ。
 直ぐにでも実戦力として働いてもらうので覚悟しておけ。」

「「「「「「「 ―――はいッ、大尉殿! 」」」」」」」

「また、我が隊……いや、A-01連隊の所属衛士は全員、同じ訓練学校を卒業している。
 貴様らが着ていた訓練学校の制服に『白陵』と記されていたのは、A-01部隊の衛士を練成するために設立された訓練学校が、設立当時帝国軍白陵基地に設置されていた為だ。
 以来、BETA日本侵攻により、仙台や練馬に移設され、国連軍横浜基地が稼動してからは国連軍の訓練学校となったが、教官は変わらず神宮司軍曹のままだ。
 従って、我々は全員、神宮司軍曹の教え子であり、貴様らはその一員となるのだ。
 訓練校の先輩であり、部隊の先達が命を賭して果たしてきた任務を、貴様らが継承することになる。
 訓練学校での成績、トライアルで見せた実力、何より発案者である白銀少尉から直接仕込まれた対BETA戦術構想と、その装備群に対する知識―――
 そして、沙霧少尉の帝国軍時代の軍歴と、人望もだな。
 どれを取っても申し分ない。貴様らには大いに期待しているぞ。」

「「「「「「「 ―――は! ありがとうございます、大尉殿! 」」」」」」」

 歴代の部隊所属衛士全員が、まりもの教え子と知って目を丸くしたものの、みちるの期待の表明に、新任少尉7人は背を精一杯伸ばして応える。
 その姿を、みちるは一通り見回すと、自らも背筋を伸ばして言葉を発する。

「―――A-01部隊へようこそ。貴様らを歓迎する!」

「「「「「「「 ありがとうございます、大尉殿! 只今を以って着任致しますッ!! 」」」」」」」

 声を揃えて着任報告をする新任少尉たち。その姿を見てニヤリと笑うと、みちるは更に言葉を続けた。

「―――A-01連隊第9中隊、通称伊隅戦乙女中隊の隊長を務める、伊隅みちる大尉だ。
 我が隊に配属となった貴様らに、最初に言っておくことがある。
 この隊では、硬っ苦しい言動をする必要はない。副司令から、無意味な事はするな―――との命令が下っているからな。
 形式張った言動は、部隊外の人間がいる時だけにしておけ。いいな?」

「「「「「「「 了解しました! 」」」」」」」

「では、中隊のメンバーを紹介する前に……そうだな、白銀。ちょっとこっちに来い。
 貴様は特殊任務で、我が隊と何度も行動を共にしている。おまけに新任共の事も良く知っているだろう。
 貴様から、新任を我々に紹介しろ。その後で、先任を私から紹介する。」

「え? オレがですか?…………解りました! 白銀少尉、新任少尉達の紹介をさせていただきます!!」

 最初面倒くさげに顔を顰めた武だったが、みちるの獰猛な笑みを見て諦め、背筋を伸ばして拝命した。

「では、先ずは第207訓練小隊B分隊の分隊長を務めた榊千鶴少尉から紹介します。
 榊少尉は、鋼鉄の女を自称する猛女ですが、涙もろく女らしい所も在ったり無かったりします。」

「―――ちょ、ちょっと白銀!?
 やめてよ、初対面の先任の皆さんが、変な印象持ったらどうするのよ!」

「ごめんごめん……本当は、口はきついけど責任感があって、仲間想いな奴です。
 衛士としては特に飛び出た特性はありませんが、一通り何でもこなすし、指揮官特性は高く、作戦立案もこなします。
 頭が固いのが難点かな? ほら、挨拶しろよ。」

「―――もう、後で覚えてなさいよね……
 榊千鶴少尉です! よろしくお願いいたしますッ!!」

 小声で武に文句を言ってから、背筋を伸ばして敬礼し、挨拶をする千鶴。ヴァルキリーズも一斉に答礼をする。

「さて、次は、副隊長だった御剣冥夜少尉です。
 御剣少尉は、己に厳しく、他人にも厳しい真っ直ぐな奴です。
 その立派さには、オレもみんなも一目置いています。」

「よすのだ、タケル……こそばゆい……」

 冥夜が小声で武に異議を唱えるが、武は意にも介せずに続ける。

「冥夜は、常日頃から国と民の事を深く想っています。
 自己犠牲の傾向がありますが、みなさんご存知の通り、大任を背負ってしまったので、そうそう簡単に死んでもらうわけにも行かなくなりました。
 なので、皆さんからも、色々と教え諭してやってください。
 後、長刀を使った近接戦闘技術は凄まじいものがあります。トライアルで御覧になったとおりですね。ほら、冥夜。」

「―――御剣冥夜少尉であります。よろしくお願いいたしますッ!!」

 武に促され、背筋を伸ばした冥夜は、きりりとした表情で敬礼し、挨拶をする。その、政威大将軍殿下と瓜二つの顔(かんばせ)に、僅かに遅れながらもヴァルキリーズが答礼した。

「次は、鎧衣美琴少尉ですね。
 鎧衣少尉は、掴み所のない奴ですが、よくよく接してみても掴み所がない。それ以上でも、それ以下でもない奴です。」

「ひ、酷いよタケルぅ~!」

 少し涙目になって、武を睨みつける美琴。武は笑いながらも謝って、紹介を続ける。

「あはは。冗談だよ冗談。掴み所がないのは本当ですが、面倒見が良く、優しい奴です。
 隠蔽技術に優れた特性を発揮し、戦術機ではあまり応用が利きませんが、サバイバル技術やトラップの設置と解除を得意とします。
 また、広範な雑学を修めており、先読みのセンスをもっています。こいつの勘は、無視しない方が良いですね。美琴、いいぞ。」

「鎧衣美琴少尉ですッ! よろしくお願いいたしますッ!!」

 目尻の涙を払って、美琴は精一杯背伸びして敬礼し、ヴァルキリーズは微笑を浮かべながらも答礼をする。

「さて、次は彩峰慧少尉ですね。
 彩峰は格闘のスペシャリストです。寡黙で取っ付きにくいですけど、案外と面白い奴です。」

「得意技は寝技……」

 武の言葉を受けて、ボソッと呟く彩峰。その発言は、小声ながらも何故か室内の隅々まで行き渡った。

「ったく、おまえは……ね、面白い奴でしょ? しかも、コイツは変に自由人で、軍人のくせにルール無用って感じのところがあります。
 突飛な言動が多いせいで、榊少尉とは犬猿の仲で、根本的には似たもの同士のくせに、何かって言うと直ぐにぶつかります。」

「―――ちょっと白銀!」「一緒にしないで。凄く心外。」
「なんですってぇ?! 彩峰、今なんか言った?」「何? とうとう耳までおかしくなった?」
「はい、ど~ど~ど~、先任の皆さんが見てますよ~。―――と、まあ、こんな感じです。
 ですが、彩峰の咄嗟の判断は結構当てになります。それに無愛想な振りして、結構あれこれと考えてる奴なんで、可愛がってやってください。ほら、彩峰。」

「彩峰慧少尉です……よろしくお願いいたします!」

 榊と睨みあっていた視線を外すと、頬を少し赤らめて彩峰は敬礼し、挨拶をした。ヴァルキリーズは苦笑を浮かべて、一斉に答礼をする。

「さて、正規の訓練兵だったのは、次の珠瀬壬姫訓練兵で最後ですね。沙霧さんもオレも、腰掛け訓練兵ですから。
 珠瀬少尉は―――オレはたまって読んでますが―――皆さんご存知のとおり狙撃の名手で、狙った的は絶対に外しません。
 孤高のスナイパーでありながら、その心には無限の優しさと強さを秘めています。」

「お、大げさですよ~たけるさん!」

 武の言葉に、壬姫は顔を真っ赤にして、両手を伸ばしたり縮めたりしながら、言う。

「大げさなもんか。たまの腕前は最低でも―――最低でもだぞ? 極東一だって夕呼先生が言ってたくらいなんだ。
 トライアルでの活躍だって、みんなが見てるんだから、胸を張っていいんだぞ? たま。
 まあ、狙撃の腕と同じくらい、謙譲の美徳に溢れた奴なんで、みんなで煽ててやってください。たま、挨拶しろよ。」

「―――あ……珠瀬壬姫少尉です! よ、よよよ、よろしくお願いいたします~。」

 武の声に、真っ赤だった顔を緊張させて敬礼し、どもりながらも挨拶をする壬姫。その愛らしさに和みながらもヴァルキリーズは答礼をした。

「じゃ、最後に沙霧尚哉少尉です。
 オレも訓練校で一緒になってから知ったんですが、意外と多彩な面を持ってる人です。
 真面目で頭の固い秀才タイプだと思ってましたが、意外と許容性があります。
 まあ、年齢が違うせいか、砕けた付き合いは苦手なようですが。」

「いや、白銀殿が、砕け過ぎなのではないかと思うのだがな。」

 沙霧が反論すると、元207Bのみならず、ヴァルキリーズの全員までもが、一斉に頷く。

「うわっ! みんな何気に酷ぇ!! それはともかく、衛士として腕はぴか一ですし、XM3にも短期間の間に慣熟して、成長著しく頼もしい限りです。
 国連に来る前の前歴には、ちょっと色々とありますが、信用できる人だと思うので、よろしくしてやってください。―――沙霧さん。」

「沙霧尚哉少尉であります! 何卒よろしくお願いいたしますッ!!」

 沙霧は、年季の入った見栄えのする敬礼をして、良く通る声で挨拶をした。対するヴァルキリーズも、一様に真剣な表情で答礼をする。

「―――以上で、紹介を終わります。」

 みちるに紹介の終了を報告する武に、みちるは労いの言葉を投げかけた。

「ご苦労だった、白銀。ああ、そうだったな。
 全員よく聞け、白銀少尉は本日の配属に際して、臨時中尉の戦時階級を返上したそうだ。
 階級を間違えて呼ばないように気をつけるように。まあ、呼び捨てにしておけば間違える事も無いだろうがな。
 一応、挨拶しておくか? 白銀。」

「はい。新任少尉の白銀武です。残念ながらヴァルキリーズではありませんが、同じA-01連隊に配属されましたので、よろしくご指導下さい。」

「よし、新任少尉として、びしびしと鍛えてやれ。―――ま、出来るものなら、だがな。
 それから、階級に係わらず、白銀の特殊任務に関しては、白銀の指示や判断が最優先となる場合があるので注意しろ。
 ―――涼宮少尉。元同輩の207Bに対する白銀の紹介はどうだ? 嘘などあれば訂正してくれ。」

「―――えっとぉ……若干の誇張はあるけど、大筋あってると思います。
 それなりに笑えたし、合格点じゃないですか?」

 茜の答えにみちるは頷くと、少し難しい顔をして考え込む。

「そうか―――ふむ、そうなると、私も何か気の利いた紹介をせねばならんな。う~む。」
「「「「「「「「「「「「 普通に紹介して下さいッ!! 」」」」」」」」」」」」」

 ヴァルキリーズの息のあった請願に答え、みちるは笑いを取るのは程々にして、ヴァルキリーズを新任少尉達に紹介していった。
 <注釈:ヴァルキリーズの紹介が気になる方は、21話をご再読ください。>
 そして、一通り紹介が終わると、新任達にヴァルキリーズの列に加わるように命じ、全員を前にして言葉を発した。

「よし―――新任少尉達は、A-01部隊にそろって配属された訳だが、我が第9中隊に配属されたのは女性ばかり5人だけだ。
 男2人は、仲良く新設された第13中隊に配属となった。新設されたばかりで中隊指揮官すら空席の上、明日からは白銀が特殊任務で基地を離れる。
 そこで、沙霧少尉には、一時的に私の指揮下に入って貰うこととする。」

「はっ! よろしくお願いします!」

「―――うむ。よろしく頼む。が、一時的に、しかも仮にとは言え、我が隊と行動を共にする以上、我が隊のモットーを知っておいてもらいたい。
 今から、我が中隊のモットーを斉唱する。新任たちは良く聞いて頭に刻み込めッ!―――いいな?」

「「「「「「「 はッ! 頭に刻み込みます!! 」」」」」」」

 一斉に直立不動で復唱する新任たちを満足げに見渡し、みちるは表情を引き締めて声を張り上げた。
 みちるの声に続いて、副隊長の水月の命令が轟き、ヴァルキリーズの先任達が唱和する。

「死力を尽くして任務にあたれ!」
「―――中隊、復唱ッ!」
「「「「「「「「「「「「 死力を尽くして任務にあたれ! 」」」」」」」」」」」」
「生ある限り最善を尽くせ!」
「「「「「「「「「「「「 生ある限り最善を尽くせ! 」」」」」」」」」」」」
「決して犬死にするな!」
「「「「「「「「「「「「 決して犬死にするな! 」」」」」」」」」」」」
「―――以上だ。」

 みちるが、斉唱を終えると、水月が今度は新任少尉達に、復唱を命じる。

「―――新任少尉総員、復唱ッ!」
「「「「「「「 ―――死力を尽くして任務にあたれ!―――生ある限り最善を尽くせ!―――決して犬死にするな! 」」」」」」」

「よし。新任少尉達は、元207Aの涼宮少尉達とは同期と言う事でいいだろう。
 沙霧少尉も白銀もそれでいいな?―――よし、では、白銀を除く新任少尉はここに残れ。
 他の者は戦闘訓練だ―――白銀、内容はお前に任す。速瀬、隊の指揮を頼んだぞ。」

「解りました。」「了~解。」

 みちるの言葉に、武と水月が応えてる。みちるは、続けて解散の命を下し、水月が号令をかけた。

[―――以上、解散!]「―――敬礼ッ!」

 先任達と武が、みちると敬礼を交した後、ブリーフィングルームを出て行く。
 それを、沙霧を除く新任少尉達が不安げに見送る。目ざとくその様子を見咎めたみちるは、苦笑を浮かべながら諭す。

「そう、不安げな顔をするな。なに、昼になればまた会える。
 現在、我が隊に課せられた急務は、対BETA戦術構想の第2期装備群までの習熟でな。
 それゆえに、発案者である白銀の指導は貴重なんだ。殊に、明日から白銀は、斯衛軍と帝国軍に対する教導で出かけてしまうしな。
 ―――さて、今日は貴様らに、A-01部隊の任務について説明する。
 我々は極秘計画に携わる特殊任務部隊だ。立場上機密に係わる事も多く、現状では、部隊の活動内容を初めとして、我々所属衛士の詳細情報すら秘匿されている。
 沙霧を除く元207Bは、同輩だった涼宮茜以下5名と、同じ基地に配属されていながら、彼女らの任官後一度たりとも顔を合わせていない筈だ。
 それこそが、我々の活動が不必要に漏洩しないようにと取られた措置の結果だ。
 この後の講義で知った情報も、他では決して漏らさぬように注意しろ。
 尤も、既に貴様らはオルタネイティヴ計画の末端とは言え、白銀の特殊任務に携わっていたのだから、機密のレベルが上がると思えばそれでいい。
 また、明日以降の新任衛士に対する座学は、沙霧少尉に講師を頼みたい。済まないが、他の5人に実戦に出る衛士のいろはを叩き込んでやって欲しい。」

「―――了解しました。」

 沙霧は、みちるの言葉に力強く頷いた。みちるはそれに頷きを返すと、A-01の任務についての講義を始めた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 11時52分、戦闘訓練を済ました先任組み+武が、ブリーフィングルームに合流するのを待って、ヴァルキリーズ+2名は揃って昼食を取りに行く事となった。

「いや~、京塚のおばちゃん直轄のPXも久しぶりよね~。」
「そうだね。茜が訓練小隊に入隊して以来だから、かれこれ半年以上だよね。」
「そうだな。207Bの任官が遅れなければ、10月には戻れたんだがな。」
「美冴さん。結果的に4月まで戻れないところを、こうして12月の前半で戻れたのですから、喜んでもよろしいのではなくて?」
「そうそう、祷子ちゃんのぉ、ゆーとーりだよね。わたしなんか、想像しただけでぇ涎が……」
「姉さん、はしたないからそういうのは止めようよ。」
「うん……葵ちゃんは……黙ってれば美人なんだから……」

 先導するみちるの後に続く古手の先任達7人は、何やら含みのありそうな会話をしながら通路を進んでいく。
 その後ろに続くのは、元207の12人。千鶴は、訓練校同期の茜に訊ねた。

「ねえ、茜。もしかして、私達のせいで、先任の皆さんは他所のPXに移動になっていたの?」
「う、うん。もともとは、私とお姉ちゃんや水月さんが顔を合わせないようにって事だったらしいんだけど。
 私達だけが先に任官しちゃったもんだから、今度は私達元A分隊と千鶴たちが出くわさないようにってことで、他所のPXのままになっちゃったらしいよ。」
「元々、京塚のおばちゃん直轄のPXは、希望が殺到しているもんで、ローテーションが組まれてるらしいんだけどさ。
 優先枠が2つあって、1つが体を作らなきゃいけない育ち盛りの訓練兵。その次が、副司令直属のA-01部隊なんだってさ。」
「へ~っ、さっすが晴子! PXの事には詳しいねっ!! 智恵もそう思うでしょ?」
「ええ、さすがに~、PXの情報網を利用しているだけの事は、ありますね~。」
「あ、茜ちゃん、京塚のおばちゃんの料理、楽しみだねぇ~。も、もし沢山食べたかったら、あ、あたしのおかず半分上げてもいいよ?」
「あはは……多恵さんは、相変わらず茜さんが大好きなんだね~。みんな、元気そうで何よりだったよ~。」
「ほんとですよ~。しかも、伊隅大尉のお話だと、凄く死傷率の高い部隊だったって、お話じゃないですか~。
 本当に、みなさんご無事でよかったですよ~。」
「珠瀬、喜ぶのはいいが、それくらいにしておくがよいぞ。同期が一人たりとも欠けていないのは、恐らく我らの代だけだ。」
「そだね……少なくとも、今は止めといた方がいい……」
「うむ。前線で壊滅的打撃を受ける部隊は珍しくはないが、補充を受けながらも、たった5年で連隊規模が中隊規模まで減るというのは、尋常な話ではないからな。」

 さすがに女性ばかり10人も集まると、会話の連鎖が止まらない。何気に沙霧も会話の輪に加わっているのは、さすがに環境に慣れた証拠であろうか。
 そんな様子を、武は最後尾から他人事のように眺めていた。

 やがて、1階のPXに到着したが、まだ配膳が始まる前のようであった。
 にも拘らず、みちるがカウンターの方へと近付くと、調理場の中から、手を拭きながら大柄な女性が出てきて大声でヴァルキリーズを迎え入れた。

「おや、みちるちゃんじゃないかい! 水月ちゃんに遙ちゃん、美冴ちゃんに祷子ちゃん。葵ちゃん、紫苑ちゃん、葉子ちゃん、茜ちゃん、晴子ちゃん、多恵ちゃん、月恵ちゃんに智恵ちゃんまで、みんな久しぶりだねぇ。
 みんな、ちゃんと食べてたかい?」

 言わずと知れた1階PXの主、京塚曹長である。京塚のおばちゃんは、ヴァルキリーズの先任達の名前を一気に連呼しながらも、全員の顔を見渡して、体調を確かめる。

「京塚曹長、今日からまた、部隊一同揃ってお世話になります。よろしくお願いします。」
「「「「「「「「「「「「 よろしくお願いしますッ! 」」」」」」」」」」」」

 みちるが、皆を代表して挨拶をすると、それに続いて、ヴァルキリーズの先任達が一斉に頭を下げた。

「あいよっ! このあたしに任しときなっ! あ、そうだみちるちゃん、前と同じ奥の角に8人掛けのテーブルを3つ、他のテーブルから離しておいたから、そこを使っておくれ。
 もし入用だったら、傍の壁際に衝立や予備椅子も置いてあるから使っておくれよ。」

 京塚のおばちゃんは胸を叩いて請け負うと、みちるに指定席を用意した旨を伝える。
 訓練兵の体調管理と、機密に関連することの多い特殊任務部隊A-01にPXで寛いでもらえるように配慮するのは、帝国軍白陵基地時代から京塚のおばちゃんが一手に引き受けている仕事だった。
 みちるも京塚のおばちゃんには、全幅の信頼を寄せている為、そのまま受け入れて頭を下げた。
 丁度そこで昼食の配膳が始まったので、ヴァルキリーズと武、沙霧の20名は、列に並んで昼食を受け取る事となった。

「―――全員、そのまま聞いてくれ。新任の配属祝いは夜に行う事にする。午後は、また座学と戦闘訓練に分かれることになるので、昼休憩の間にも交流を深めておくように。以上だ。」

 全員が席に付いたところで、みちるが簡単に通達を終わらせ、各自が食事を取り始める。
 それに合わせて、冥夜の下へ月詠がやって来て、控えめにA-01の衛士達に向けて礼をとった。
 それに気付き、みちるは食事の手を止めて立ち上がり、月詠に声をかける。

「第19独立警備小隊の方か? 中隊長の伊隅みちる大尉だ。警護の話は聞いている、よろしく頼む。」

 みちるの言葉に、冥夜の後ろを離れ、数歩みちるの方へと近寄った月詠は、敬礼して応じた。

「斯衛軍第19独立警備小隊隊長、月詠真那中尉だ。貴隊の特殊性は聞き及んでいる。席を外した方が良い時は遠慮なく言っていただきたい。
 私を含め4名の斯衛兵が、交代で冥夜様の警護に付かせていただく。こちらこそ、よろしくお願いする。」

 みちるが答礼した事で挨拶は終わり、月詠は敬礼していた手を下ろすと、一同に対して一礼した後、冥夜の背後へと戻った。
 周囲に座っている元207Bの面子は、軽く会釈するだけで月詠を受け入れる。
 その様子を見て、前夜に武から護衛の件を聞いていた事もあり、他のヴァルキリーズも、差し当たりそのまま受け入れることにして、食事に専念し始めた。
 常の通り、何時の間にか、真っ先に食べ終えた祷子が食後の合成玉露を口にしていると、武と沙霧、水月の3人が前後して食事を終えた。

 3つのテーブルは、縦並びにくっつけられ、片側に12人ずつ合計24人が座れるようになっていた。
 その上で、中央のテーブルに古参の8人が、最も奥まったテーブルに元207Aの5人が、前よりのテーブルに元207Bの7人が座っていた。
 朝食時にはいつも霞が左側に座るので、武はPXの他のテーブルに背を向け、北側の壁を正面に見る形となる、PX中央側の列の、前から2番目の席に座っていた。
 その武の右隣に美琴、そのさらに右が彩峰。反対側の壁沿いの列には、彩峰の向かいに沙霧、沙霧の右隣の壬姫から、千鶴、冥夜と前の方へと並んでいる。
 207Bだけで食べていた時とは、点対称に180度回転した配置となっていた。
 そして、残り2つのテーブルには、沙霧の左隣から奥へと向って、葵、葉子、美冴、祷子、柏木、智恵、月恵と並び、彩峰の並びには奥へと向って、紫苑、みちる、水月、遙、茜、多恵が座っていた。

「ちょっと、白銀! 食い終わったんなら、こっちに来なさいっ!」

 テーブルに身を乗り出して、武が食べ終わっている事を確認した水月は、椅子にふんぞり返って武を呼びつけた。

「はい、なんでしょう? 速瀬中尉。」

 武は素直に席を立ち、水月と遙の間、やや後方に立って水月に用件を訊ねる。

「ねぇ、あんたさぁ、なんだって臨時中尉の戦時階級返上しちゃったわけ?」

 右後方に立った武を、椅子に座ったまま見上げて、水月は質問をぶつけた。いきなりな質問に、しかし武は素直に応じた。

「いや、なんでって言われても……そもそも、あの階級は上官が戦死した後を穴埋めする為に、小隊長に任命された時に貰った階級ですからね。
 オレ独りになって、この基地に転属になった時点で、小隊を指揮するって名目もなくなったんで、ホントはその時に返上するはずだったんですよ。
 ですけど、夕呼先生の下で対BETA戦術構想の装備群を試したりする関係で、兵卒の階級じゃ、戦術機乗りまわすのにも、皆さんに協力してもらうのにも問題があるって事で、戦時階級を保持する事になったんです。
 けど、オレもとうとう正規任官して、少尉になれましたから、ようやく戦時階級を返上できるようになったって訳です。」

 武は設定どおりに、すらすらと説明する。その言葉を吟味するように、水月は腕組みをして考え込み、代わりに茜が声を上げた。

「でも、どうして、白銀ちゅ……ごほん。白銀はそんなに階級に無頓着で居られるわけ?
 軍隊じゃ、階級1つ違えば立場が全然違うじゃない。結構重要だと思うんだけどな。」

「う~ん、でもさ、涼宮。オレの場合は戦時階級だから、役割や任務に付随する階級って印象の方が強いんだよ。
 元々、オレの正規の階級は一等兵に上がったきりで、戦術機特性が高いからって、不足気味だった衛士の補充にされちまってさ、一気に臨時少尉に任命されて、その後は小隊長を押し付けられた時に、臨時中尉に上がっただけなんだぞ?
 昇進したって言うよりは、任務に合わせて体裁だけ整えたって感じがしないか?」

 武の答えを聞いて、茜は考えながら言葉を発する。

「ん~、つまりぃ……昨日任官するまでは、中尉扱いされてたけど、本当の階級は一等兵で、昨日の任官で下士官すっ飛ばして、正式に少尉に昇進したって事か。
 戦時階級も、正規の教育を受けて昇進したんじゃなくて、前線で与えられた任務に相応の戦時階級を与えられただけって事よね。つまり……」
「白銀臨時中尉は、張子の虎で、正味は一等兵のままだったってことじゃないの?」
「ま、そんなとこかな。」
「え?! 認めちゃうんですかぁ?」

 茜の呟きに答えるように、晴子が身も蓋も無い事を言って退けた。しかし、それを平然と肯定する武に、却って横で聞いていた多恵の方が驚きの声を上げた。

「こらこら、おまえたち、あまり白銀の言う事を真に受けるんじゃないぞ。
 確かに白銀の言い分も間違ってはいないが、白銀のケース自体が、白銀の高い能力故の特殊な例だって事にわざと言及してないんだからな。
 柏木もちゃんと解っているくせに、まぜっかえすのも程々にしておくんだぞ?」

 騒ぎになりそうだと見た美冴が、残り僅かな食事を中断して注意する。特に叱責された晴子は、確信犯の笑みを浮かべながらも謝罪した。

「えへへぇ。済みませんでしたぁ。」
「え? え? 結局、どういうことなのかなぁ? 茜ちゃん。」
「ちょっと待ってよ、多恵。今整理してるんだから。」

 話の展開に付いていけない多恵と、何やら未だに悩んでいる茜。その様子を見て、みちるが説明を始めた。

「―――つまりだ。白銀にとって、戦時階級は任務と共に必要に応じて与えられたもので、自分の努力で得たものだという感慨が無いという事だな。
 無論、これは白銀の主観によるものであって、客観的に見たならば、正規の練成を経る事無く、白銀が戦時階級に相応しい能力を有していたからこそ与えられたということになる。
 実際、訓練学校に配属された後の白銀の成績を見る限り、正規の教育を受けていないとは思えないほどに、座学の成績も優秀だ。
 結論として、白銀はその特異な経歴によって、階級の重みを実感できていないという事だな。
 飽く迄も、これは白銀の異常なまでに高い能力があってこその話なので、貴様らの感覚で理解しようとしても難しいという事だ。」

「「 ―――なるほど! そういうことですか~。 」」

 みちるの説明に、期せずして返事が重なってしまった水月と茜が顔を見合す。その二人に挟まれて、遙がくすくすと笑い出す。

「―――なに? 水月も茜と同じ事で悩んでたの? 白銀少尉が、能力高すぎて、階級なんか飛び越してあれこれやってるのなんて今更なのにね。
 2人とも、負けず嫌いだから、上下関係がはっきりとつく階級には、つい拘っちゃうのよね。」

 遙に笑われて、水月と茜の顔が真っ赤になった。そして、階級返上の話題は、思わぬところにも飛び火していた。

「ね、ねえぇ、葉子ちゃん……私も中尉のぉ階級返上した方がぁ良かったのかな?」
「そんな……それは、確かに私達の、身の丈にあってるとは言えないとは思うけど……けど、それはあたしも一緒だし……」
「何を仰ってるんですか。お二方は、『明星作戦』で激戦を潜り抜けて生き残ったからこそ、中尉の階級を得ていらっしゃるんです。ですから、どうか、胸を張っていらしてください。」
「…………風間の言う通りですよ、葉子さん。姉さんはともかく、葉子さんはちゃんと階級に相応しい能力を持ってます。自信を持ってください。」
「……風間少尉……紫苑くん…………ありがとう……」
「よかったねぇ、葉子ちゃん! これでお給料ぉ下がらなくって済むね!!」
「姉さんはもう少し、腕を磨いてください!」

 みちるに次ぐ古参でありながら、戦術機の操縦能力では、少尉達にすら後れを取りがちな中尉2名が、ぼそぼそと小声で囁きを交していた。
 それを耳にした祷子が2人―――葵と葉子を励まし、紫苑も葉子を励ます。その言葉に、葉子も葵も自信を取り戻したようであった。

 そんな状況をしっかりと把握した武は、火元の責任として、事態の収拾に乗り出す。

「まあ、階級が上がっても責任や、書類仕事が増えるばっかりでしたしね。
 それに、オレの場合、夕呼先生の下で自由にやらせてもらってますから、あんまり階級は気にしてないんですよ。
 大体、オレの場合は年が年ですからね。人生の先輩に敬語とか使われると、背中がむずむずしちゃうんですよ。
 そんなとこでいいですかね? 速瀬中尉。」

 なるほど、あれは特殊な例なんだなと、ヴァルキリーズの殆どが納得する様子を感じて、武は話を終える為に水月に確認を取った。
 すると、水月は上目使いに武を一瞥してから、そっぽを向いて言い放つ。

「―――解ったわよ。そういうことなら白銀、あんたがあたしの階級を追い越そうが、私的な場や身内の場では、後輩として扱ってやるから覚悟しときなさいよね!」

「ホントですか? 速瀬中尉! よろしくお願いしますっ!」

 水月の言葉に手放しで喜ぶ武の姿に、皆の注目が集まるが、みちるの悪戯っぽい言葉に注意が逸れた。

「いいのか? 速瀬。白銀に階級で追い抜かれるのは、そう先の話ではないかも知れないぞ? 後悔しても知らないからな。」

「後悔なんて、しょっちゅうしてますよ大尉。それでも、一旦こうと決めたら突っ走るのが突撃前衛魂って奴ですっ!」

 みちるの忠告に、笑って応える水月の言葉を聞き、得たりと頷いたのは前衛として適性の高い紫苑、月恵、冥夜、彩峰の4人と、水月を尊敬し突撃前衛を志望している茜。
 B小隊の残り2人、葵と多恵は内容を深く考えずに笑い、沙霧は微笑ましげにその様子を眺めていた。
 遙、美冴、祷子、葉子の、水月との付き合いが長い4人は、その言葉に何を感じたのか優しい笑みを浮かべ、晴子、智恵、千鶴、美琴、壬姫の残り4人は、武の喜び様の方が気になる様子で、なにやら考え込んでいた。

「―――そうか、ならいい。何れにしろ、階級が少尉だろうが中尉だろうが、白銀の実力と、対BETA戦術構想の提唱者であり、新型装備の開発責任者である事に変わりは無い。
 が、それはそれとして可愛い後輩であることも間違いないわけだから、みな仲良くしてやれ。」

 最後にみちるがまとめ、階級論議は幕を閉じたが、その言葉に元気良く月恵が応えた。

「もうとっくに仲良くしてますよっ! ね? 智恵。」
「え? そうだね~、午前中の訓練じゃ~、みんなして白銀君にお世話になったよね~。特に茜が沢山構ってもらってたかな~。速瀬中尉が便乗してたけど~。」
「「 い、いいでしょ! べつにっ!! 」」

 月恵に振られた智恵の言葉に、真っ赤になった水月と茜が、またもや言葉を重ねてしまい、全員の笑いを誘った。
 その笑いの輪に加わりながら武は思う。

(やっぱり、ヴァルキリーズの雰囲気はいいよな。今日だけかもしれないけど、新任少尉として受け入れてもらえて嬉しいよ。
 夕呼先生に我侭言った甲斐があったってもんだ。―――よしっ! 今度こそ、せめてこのメンバーくらいは生き延びさせて見せるぞッ!!)

 武は、新生ヴァルキリーズ―――A-01部隊の面々を見廻して決意を新たにした。
 無論、親しい人々のみを生き延びさせようという考えが、自己中心的なものである事は、武も十二分に承知している。
 しかし、見知らぬ人々の生死は、ぼんやりとした概念上のイメージとしてしか思い浮かべる事が出来ず、やはり実際に強い原動力となる想いは、身近な存在への想いなんだなと、武は改めて実感していた。

 そもそも、夕呼に願い出れば、大尉程度の階級は簡単に得られると、武は『前の世界群』の経験から解っていた。
 にも拘らず、臨時中尉だの、正規任官を目的とした訓練部隊配属だのと、半端な立場を提示したのには狙いがあった。
 戦時階級の制度を利用し、正規の階級を一等兵という底辺に近い階級としながらも、現役衛士としての戦時階級と実力を示し、さらに、訓練兵と特殊任務に従事する衛士という2つの顔を持ち合わせる事で、自身の階級や立場が曖昧になるように武は当初から画策していたのである。
 全ては、階級社会である軍という組織の中で、ある程度自由に行動できる立場を維持しつつも、ヴァルキリーズや第207訓練小隊に於いて、上級者として隔意を持たれる事を避ける為であった。

 自らの甘えであると知りながら、武にとってやはり207とヴァルキリーズは、自らの帰属点―――『家(ホーム)』であった。
 『他の世界群』から掻き集められた因果情報で再構成された武は、本来『この世界群』に属していない為、自身の居場所は横浜基地と207やA-01にしか定める事が出来なかった。
 それ故に、武は自身の階級を上げる事よりも、実家の居心地を良くする事を優先したとも言える。

 『前の世界群』では、最初は武も階級を上げ、発言力を増し、人類を救う為の影響力を、一刻も早く身に付けようと考えていた。
 しかし、階級は大尉まで上がったものの、結局は時代の激流の中では大尉も少尉も殆ど差が無かった。
 結果的に、武の影響力を増したのは、夕呼との協力関係と00ユニットとしての能力と立場である。
 その経験から『この世界群』では、武は階級に然程価値を見出していない。
 行動に支障をきたさない為の階級は、必要に応じて随時夕呼から与えられると解っていたし、自身の階級が上がるのを待っていては、時代の転換点を逃してしまう事も解っていたからだ。

 大体、軍人としての階級を上げていったところで、武が行おうとしている事の大きさからすれば、得られる権限など高が知れていて大して役に立たない。
 准将であるラダビノッド基地司令にしても、行っているのは夕呼のサポートにすぎず、与えられている権限は夕呼の暴走抑止と軍事的サポートにすぎない。
 純粋に、権限のみを見た時、大佐にすぎない夕呼の持つ権限の方が絶大なのである。
 夕呼の持つ権限は、オルタネイティヴ4統括責任者という立場に付随するものであり、大佐という階級は立場に相応のものが与えられているにすぎない。
 結局は、階級が先なのではなく、如何に影響力を行使できる立場に立つのかが重要なのだと、武は考えるに至った。

 そういった観点に立った時、夕呼直属の部下という立場は、武が望みうる限り上限に近い立場である。
 何しろ、夕呼を納得させる事さえできれば、国連極秘計画オルタネイティヴ4の強権を発動できるのだから。
 しかも、今回は実権を失っていたとは言え、日本の精神的支柱である政威大将軍という立場の悠陽とも接触し、策を献じて悠陽の実権を取り戻し、その方針に影響を及ぼす事にすら成功した。
 全ては臨時中尉と訓練兵という、決して高いとは言えない階級で成した事であった。

 ここに至って、武は階級に関しては完全に居直った。なまじ高い階級を得て、自分が大切に思う人々に堅苦しい態度を取られるくらいなら、中途半端な階級など要らないと。
 それが自分の甘っちょろい感傷から出た考えと知りつつも、武はそれを許容した。
 自身の目的に支障をきたさない範囲なら、自分の感情や願望を満たしておく事も必要であると、武は考えたからである。
 武は、これからも目的達成のための、長い苛酷な道程を突き進むつもりだった。
 そして、その為には自身のモチベーションを維持する事も重要であると、武は考えていたのであった。

 武は自身の思索の果てに、この結論に辿り着いたのだと思っていたが、傍から見れば何の事は無い、夕呼の影響を受けてそのまま真似ているだけなのは明白である。
 が、何はともあれ、武は自身の極々個人的な願望を満たすことに成功して、幸せだった。




[3277] 第62話 鋼と兜の斯衛
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:58

第62話 鋼と兜の斯衛

2001年12月12日(水)

 06時06分、武はまりもの運転する高機動車『疾風』の助手席で、まりもと2人で食べ終えた、サンドイッチの包装を片付けながら会話を続けた。

「―――てことで、階級なんて、大した事じゃないって気がしてるんですけどね。
 月詠中尉だって、独立警備小隊でこそ中尉ですけど、斯衛軍の原隊じゃ大尉で中隊長ですし……
 大体、まりもちゃんだって、教官職に着任するに当たって軍曹になってるだけで、本来の階級は中尉じゃないですか。」

 目的地である斯衛軍旧川崎演習場に着くまでの間、2人きりなのだから任務を離れて個人として話しをしたいという武に押し切られ、まりもは階級を棚上げして会話に応じていた。
 話を始めてみれば、武の階級に関する見解が話題となった為、なるほどこの話題ならば私人としての立場でないと話が成立しないなと、まりもも渋々納得した。
 武は立場や任務の内容こそが大事なのであって、階級はそれに相応しい最低限のものが与えられていれば十分だと述べた上で、実例として、月詠とまりもの例を挙げたのであった。

「それはまた、随分と達観したものねぇ。白銀の年だったら、もっと向上心に燃えていい筈なのに……」

 まりもが、溜息をついてそう零すと、武は即座に反論した。

「そんなこと言ってるけど、まりもちゃんだって、中尉に戻りたいとか思わないですよね? それは、今の教官としての役割が大事だって思ってるから、遣り甲斐があるって思っているからじゃないんですか?」

「それはそうなんだけど…………
 白銀、気付いてる? あなたのその考え方って、絶対夕呼の影響よ?
 あ~あ~、結局あたしの練成よりも、夕呼の影響力の方が大きいのね。自信を無くすわ~。
 只でさえ、白銀が来て以来、自分のやって来た事に自信を無くしかけてるってのに……」

 まりもは、形ばかりとは言え自分の教え子であった武が、夕呼の『悪』影響を多大に受けたと知って大いに嘆いた。
 そして、言われた武も少なからぬ衝撃を受ける。自力で辿り着いたと思っていたが、知らず知らずの内に夕呼の影響を受けていたのかと……

「でもね、白銀、その考え方は、決して間違いではないけれど、他所の部隊と折衝する時には通用しないわよ?
 そこでは、階級の差が何よりも物を言うわ。」

 これから赴く教導相手である斯衛軍の事を念頭に置いてまりもが言うと、武も素直に頷いて応えた。

「わかってます。実は、今日付けで中尉、明日付けで大尉の辞令が下る事になってるんです。
 階級章も、辞令の紙も、基地を出る前に渡されてるんですよね。手抜きもいいところだと思いませんか?
 まあ、夕呼先生に頼み込んで、配属初日までは少尉のままに留めておいてもらったせいなんで、文句なんて言えないんですけどね。
 本当は、昨日付けで中尉、今日付けで大尉に昇進した上で、教導に当たる筈だったんですよ。」

 武の惚けた言い草に、まりもは目を丸くして助手席を見てしまう。が、即座に前方へと視線を戻したまりもは、呆れかえった口調で感想を述べる。

「呆れた……三日天下ならぬ三日少尉じゃないの。どっかの芸能人の1日司令官とかじゃあるまいし……
 そこまで拘る事かしら……
 それにしても、大尉って事は新設の中隊指揮官は白銀が就任するのね。」

「はい。部隊のラジオコールは『スレイプニル』に決めました。
 正直言うと、沙霧さんの上官てのも気が引けるんですけどね。
 ―――ところで、まりもちゃん。こっからはある意味与太話ってことで聞いてもらいたいんですけど。いいですか?」

 急に話題を変え、しかも前振りまでしてきた武の態度に、まりもは怪訝な顔をしつつも、断る理由を見出せずに了承した。

「え? 与太話って……まあ、いいわ。何?」

「まりもちゃんは、夕呼先生からオレの訓練校配属に際して、戦歴の詳報が提示されなかった事を疑問に思って、国連軍のデータベースで検索をかけてみませんでしたか?
 そして、該当情報が見つからなかった段階で、オレが所属していた部隊がA-01のような、夕呼先生直属の機密部隊だと考えたでしょ。
 だからこそ、BETA横浜進攻後に後方に疎開もせず、正規の徴兵も受けずに、最前線の近くに引き取られ、しかもその後になって戦地徴用されただなんて話を、すんなりと受け入れた振りをしていた。
 多分、横浜進攻直後に夕呼先生に目を付けられたオレが、機密部隊に秘密裏に配属させられて、試作装備の実戦運用試験でもやらされていたとでも思ったんじゃないですか?
 そして、その機密部隊が壊滅的打撃を受けたもんで、生き残ったオレを先生が横浜に呼び戻して、それらしい説明を付けて207に放り込んだ。
 だから、軍歴の詳報も無いし、データベースにも載っていない。そんな風に考えて、納得してたんじゃないんですか?」

 どこかで聞いてきたかのようにすらすらと並べ立てる武に、まりもは呆れながらも素直に認めた。

「―――まあ、大筋間違ってはいないわね。『Need to know』と教えておいてなんだけど、知らされる事だけしか知ろうとせずにいたら、実戦で『適当に』戦う事なんて出来ないものね。
 知らされない事は、自力で調べた上で、知らない素振りで要領良く立ち回ることも、実戦で生き延びるには重要。白銀も解ってるみたいね。
 いきなり少尉殿に任官する衛士は、教官以外の下士官と親しく接する機会がないから、あまり知らないかもしれないけどね。」

「まあ、一つ間違えば、MPに引っ張られますからね。実際に場数踏んだ人間に実地で教わるのがいいんでしょうけど……
 オレの場合は、夕呼先生のスパルタ教育の賜ですけどね。まりもちゃんは教官職に付く前に現役下士官から教わった口ですか?」

 武が苦笑いをしながら、訊ねると、まりもも苦笑を浮かべて応えた。

「確かに教官職に付く前に、現役教官の軍曹からみっちり仕込まれたけど……あたしも夕呼の影響が大きいわね。
 夕呼は手段を選ばないから、学生時代から危ない橋を何度も一緒に渡らされたものよ。」

「まあ、そんなところでしょうね。で、ですね。こっからが与太話なんですけど。
 現実的には、まりもちゃんの辿り着いた答えが可能性としては高い訳ですけど、こんな突拍子もない筋書きなんてどうですか?
 オレの軍歴は実はオレの頭の中にしかなくて、この世界の記録には当然影も形も見当たらない。だから、詳報を出そうにも矛盾点が出かねないので出すに出せない。
 じゃあ、オレの夢想か幻想かって言うとこれまたちょっと違って、実は並行世界に存在するオレが実際に体験した記憶が、世界を跨いでオレの頭の中に焼き付けられているとしたらどうです? あ、並行世界って解りますか?」

「―――ちょっとまって! 並行世界って、夕呼の提唱していた因果律量子論とか言うトンデモ理論の、『多世界解釈』がどうこうってやつじゃ―――」

 まりもの頭の中に、学生時代の頃から、どうせ理解できっこないと、自分にも夕呼にも解り切っていたにも拘らず、夢にまで見るほどに聞かされ続けた悪夢のトンデモ理論が蘇る。
 が、武はまりもに釘を刺して、『与太話』の続きを語る。

「まりもちゃん。だから、これは与太話です。夕呼先生の研究と混同しちゃ駄目ですってば。
 ―――で、ですね。同じオレという人間が居る位ですから世界自体も結構似ていて、似たような場所で似たような人々と知り合いながら、暮らしてたりする訳ですよ。
 そう、例えば、恩師が同じだとか、友人が一緒だとかね。
 で、そんな別の世界で、自分が過ごした人生の記憶を、全部とは言わないまでも頭の中に焼き付けられたら、それは自分自身の経験や記憶と何処が違うんでしょうね?
 例えば、衛士訓練学校に入学する前に、訓練校で学び、鍛え、任官して、実戦までこなした経験を得てしまったとしたら?
 その人物が、改めて衛士訓練学校に入学したらどんな訓練兵になると思いますか?」

「白銀……それって…………」

 高機動車の速度を落とし、路肩に停止させ、遂にはまじまじと武を凝視するまりも。

「おまけに、似た世界の記憶ですから、同期の訓練兵の面子も、教官も同じだったりするかもしれませんね。
 そうだ、ここまで荒唐無稽なんですから、さらに話を広げて、並行世界の記憶も1種類じゃなくて、幾つもの世界から記憶が転写されたって事にしましょうか。
 BETAに負けそうな世界だけじゃなくて、そもそもBETAが攻めてきていない平和な世界で、鬼軍曹と同じ人が、ひたすら優しい、愛嬌のある女性教諭になっているとか、どうですか?
 もちろん、生徒はみんな親しみを込めてあだ名で呼ぶんです。例えば―――『まりもちゃん』とかね。」

「ッ!!―――」

「幾つもの世界で、同じ人物に沢山の貴重な教えを受けた。そんな記憶を持っていたら、どんな気持ちになると思いますか?
 まあ、人生ってのは山あり谷ありですからね、楽しい記憶ばっかりって訳にもいかないでしょうが、やっぱり想い出が多いのって幸せなんでしょうかね……」

 笑うでもなく、泣くでもなく、ただ只管に無色透明な雰囲気を纏う白銀を、まりもはじっと見詰めた。
 そんなまりもに、武は少し照れたように笑うと、おどけた風に話を切り上げる。
 そして―――

「ま、オレの与太話はこれで終わりです。ちょっと荒唐無稽過ぎましたかね。
 ―――で、まりもちゃん。解隊式の日の話の続きなんですけど……」

 武は表情を真摯なものに改めると、万感を込めて謝辞を告げる。既に永遠に告げることが叶わなくなってしまった『まりも』達への想いも込めて―――

「今のオレがあるのは、まりもちゃん達のお蔭だと心から思っています。
 本当に―――本当に感謝してます。ありがとうございましたッ!」

 武は、感謝と供に、心中でまりもに詫びていた。
 夕呼から、オルタネイティヴ4の機密に触れない範囲でならば、自身の事情を漏らしてもいいとは言われていたものの、話を聞かされた方は相応の戸惑いや、場合によっては心労を抱え込む事になると武は考えていた。
 実際、必要があったとは言え、話を聞かされた冥夜と月詠は、時折何やら考え込む様子が見受けられる。
 それ故、武は他の207Bやヴァルキリーズには話さなかった。

 しかし、先日の解隊式でまりもに向かい合って謝辞を述べた時、どうしても伝えきれない想いに、もどかしさが残ってしまった。
 そして思い出したのは、『逃げ帰った世界』でいずれ話すと約束したまま、その機会を永遠に失くしてしまったまりもの事と、解隊式が行われた12月10日が、期せずして『前の世界群』でのまりもの命日であった事だった。
 『この世界群』ではBETAの襲撃は無く、まりもも死亡していないが、一寸先は闇、何が起こっるか解らないと言う怖さだけは、嫌と言うほど身に染みている武である。
 一晩中焦燥感と戦った末、武は自分の甘えを許す事に決めた。
 しかし、A-01への新任少尉としての配属を含め、最近自身を甘やかしているという自覚もあった為、武は、暫くの間自身を厳しく律する覚悟をし、まりもに話す際にも、感情を暴走させないように気を付ける事にしたのであった。

(まりもちゃん、いつまでも甘えっぱなしでごめん!……その分他所で頑張るから……戦場で失われる命を一つでも減らすから……甘ったれたオレを許してください……)

 武の想いは、果たして届いたのか……路肩に止まった車が、再び走り出したのは、幾何かの時が過ぎ去った後であった―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 06時47分、まりもの運転する高機動車は、斯衛軍旧川崎演習場の正面ゲートを通過して、指定された駐車位置に停車した。

「いよぉっ! あんたが国連軍の白銀中尉か?」

 高機動車の助手席から降りた武に、さっそく威勢のいい、青年の声が投げかけられた。
 武がそちらを向くと、黄の斯衛軍装に身を包んだ男性衛士2名と、白の斯衛軍装に身を包んだ女性衛士2名、合わせて4人が歩み寄ってくる所であった。

「おいおい、絶人(たつひと)君。いきなりそれでは相手が面食らってしまうじゃないか。
 失礼。俺は斯衛軍第13大隊(スティールズ)隊長、麻神河暮人(あさかみがわ・くれひと)大佐だ。
 先程声をかけたのは、第14大隊(ヘルムズ)の隊長を務める麻神河絶人中佐と言う。
 国連軍横浜基地司令部直属の、白銀武臨時中尉とお見受けするが、間違いないかな?」

 先に声をかけてきた、威勢の良い20歳(はたち)そこそこの男性衛士―――絶人を軽く叱責し、もう一人の鋭い眼光をした20代後半の男性衛士―――暮人が進み出て名乗った。
 武は今回の教導に当たって、斯衛軍の人事データを収集していた。
 それによると、暮人は第13大隊から第15大隊までが所属する斯衛軍第5連隊の指揮官を兼任している。

 暮人は斯衛軍に任官後、1993年に『不知火』先行量産機の運用評価試験を兼ねて、援欧義勇軍に斯衛衛士1個中隊12名を率いて参戦した。
 欧州全面撤退を目前にした戦いは苛烈であり、派遣された12名の衛士の内、無事に帰国したのは暮人と当時から副官であった焔純(ほのお・じゅん)の2人だけであったという。
 欧州派遣後、冷徹なまでに研ぎ澄まされた雰囲気を纏う様になった暮人は、以来『鋼の斯衛』と渾名される事となる。
 因みに、第13大隊のラジオコール『スティール』はこれに由来する。

 しかし、この派遣で暮人と純が得てきた戦訓は貴重なものであり、斯衛軍と帝国軍の双方で高く評価された。
 惜しむらくは、同年に実施された大陸派遣に、暮人が得てきた戦訓を反映した作戦要務令の改訂作業が間に合わなかった事であった。
 以来、斯衛軍内に於いて、守護を主たる任務とする他部隊に比べ、暮人の率いる部隊は、BETAに対する攻勢を強く意識した部隊となった。
 BETA日本進攻に際しても部隊を率いて奮戦し、多大な犠牲を出しつつも、各地を転戦してBETAの侵攻遅滞に貢献した。

 また、絶人は暮人の義弟である。麻神河家現当主、麻神河剣造(けんぞう)の実子は絶人の方であり、暮人は剣造が孤児であった暮人と純の2人を引き取り、当時子の無かった剣造が、後継者とする為に暮人を養子としたのである。
 翌年に絶人が生まれたが、剣造は後継者を改めず、未だに暮人が次期当主として指名されている。
 義理の兄弟ではあるが、暮人と絶人は互いに相手を立て、仲の良い兄弟として周知されていた。

 武は人事資料の内容を思い返しながら、斯衛の衛士達に敬礼をして、名乗った。その脇では、まりもも武に倣って敬礼をしていた。

「はっ! 国連軍横浜基地司令部直属A-01連隊第13中隊所属、白銀武中尉であります。
 誠に失礼ですが、本日付で正規の中尉の辞令を受けましたので、訂正させていただきます!
 この度は、XM3及び陽動支援機並びに関連装備群に関して、及ばずながらご指導させて頂くためにまいりましたっ!
 随行は、神宮司まりも軍曹であります。」

 すると、斯衛軍衛士4人も答礼し、暮人が武に応じた。

「うむ、ご苦労だった。そして、中尉への昇進、実に目出度い。
 ―――しかし、話に聞いたよりは礼儀正しいじゃないか、白銀中尉。だが、俺と絶人君の大隊は斯衛としては些か柄が悪い。
 あまり堅苦しい言動はしなくても構わないぞ?
 それから、こちらが俺の大隊の第2中隊の隊長をしている焔純大尉だ。
 そして、そちらが第14大隊第2中隊隊長の夕見早矢花(ゆうみ・さやか)大尉。
 あと、この場には指揮官が居ないが、第15大隊も貴官の教導を受けることになっている。」

「よろしくお願いいたしますッ!
 ―――そうですか……では、お言葉に甘えて、ざっくばらんにやらせてもらいます。
 正直窮屈なもので、肩がこるんですよね。」

 武が苦笑しながらそう述べると、絶人が大笑いしながら言った。

「あっはっは! 素直な奴だな! けど、俺はそういうのは嫌いじゃないぜ! 仲良くしような、白銀!!」
「もう、絶人君ったら、失礼よ?」
「そう言うなよ、早矢花さん。白銀はざっくばらんの方が好きだって言ってるじゃないか。」

 絶人に早矢花が小声で小言を言うが、一向に堪えた様子は見られなかった。

「あー、絶人君は放って置くとして、早速頼みたいんだが……」

 絶人と早矢花のやり取りに、少し困ったような顔をして、暮人が話を切り出そうとする。
 すると、武は得たりと頷いて、持参した記録媒体を取り出して言った。

「はい。準備は万端ですよ、大佐。これは少し早いですけど、オレからのクリスマス・プレゼントです。」

「ん? クリスマス・プレゼント?―――って、なんのこった? 早矢花さんは知ってるか?」
「え? 私も知らないわ……」
「絶人君。クリスマス・プレゼントというのは、欧米の宗教上の聖人の生誕を祝う祝日に、親が子供達に渡す贈り物の事だ。」
「へ~。外国じゃそんな催しがあるのか……って! 白銀、てめぇ、俺たちを子ども扱いしようってのか?」
「まったっ! 早合点するんじゃない、絶人君。その聖人の生誕日というのが12月25日なんだ。
 我々が派遣される予定の『甲21号作戦』の実施予定日が正にその日だからな。白銀中尉は、それに引っ掛けて、洒落た言い回しをしただけだと思うぞ。」

 きょとんとした顔で疑問を口にした絶人は、暮人の説明を聞くなり、勝手に思い違いをして怒り出した。
 それを即座に暮人が押さえ、絶人の勘違いを正す。

「実を言えばそういう事です。この記録媒体には、『甲21号作戦』の各テストプランと各段階のシミュレート演習のシナリオデータが入っています。
 此処だけの話ですが、佐渡島ハイヴの地下茎構造や、BETAの個体数、挙動等はかなりの精度です。
 その分難易度はきつくなってますが、当てにしてもらっていいですよ。」

 そして、武が暮人の説明を肯定し、プレゼントの中身を説明すると、絶人は途端に眼を輝かせて、満面に笑みを浮かて捲くし立てた。

「何? そりゃホントか? 凄ぇじゃねえか! 悪かったな白銀。勘違いしちまったことは謝るから、水に流してくれよ! なっ?
 それと、一刻も早く、こいつを試してみたいとこなんだが、生憎その前にやって貰いたい事があるんだ。」

「は? その前にって……なんですか?」

 武が予想外の話しに訊ね返すと、暮人が神妙な顔をして話し始めた。

「うむ。実はさっき言いかけたんだが、貴官に鼻っ柱をへし折って欲しい部下が数名居てな。
 お恥ずかしい限りなんだが、俺たちが叱責しても、あまり効果が見込めなくてね。その点、貴官なら効果絶大だと思うんだ。
 実はそいつ等なんだが、貴官が殿下や紅蓮閣下に高く評価されているのが気に食わないようで、貴官に悪感情を抱いてしまっていてな。
 その結果、貴官の実力を不当に過小評価してしまってるんだ。
 尤も、それだけならまだいいんだが……」

「……そうですか、オレが過小評価されてるのは問題じゃないんですね……」

 暮人の言葉の途中で、やさぐれ始める武。それに対して、絶人が応え、さらに暮人の後を受けて話を続ける。

「あったりまえじゃねぇか。おまえの腕前なんざ、この教導の間で嫌でも解るんだからな。
 それより問題なのは、おまえの腕を過小評価してるもんだから、トライアルでおまえと相打ちになった御名代(ごみょうだい)まで、悪し様に思ってるって事なんだよ。」

「御名代? トライアルで相打ちって……まさか! 冥夜の事ですか?!」

 絶人の言葉に驚愕する武。その武に、再び暮人が説明する。

「そうだ。斯衛軍では―――いずれ、帝国軍にも広まるとは思うが―――御剣冥夜殿を、殿下が名代として御指名あそばされた事から、『御名代』とお呼びする事となった。
 飽く迄も象徴であって、実権は伴わない事から、指揮系統の混乱を避けるため、階級も国連軍衛士としての少尉のまま据え置き、称号として「それにしてもを贈るに留める事も決定された。
 それはともかく、先のトライアルで紫色の御『武御雷』に傷を付けた御名代殿を、相手の貴官に対する過小評価ゆえに、御『武御雷』に乗るに足る技量を持たない証とするものが出てしまったんだ。
 無論、表立って公言できる事ではない。本人達も殿下のご意思を慮って、隠しおおせているつもりなんだろう。
 しかし、酒席でそれとなく漏らした者が出て、それに数名が同調する素振りを見せた事から、事態が表面化したという訳だ。」

 暮人の表情は実に忌々しげなものであった。そして、言葉が途切れたところで、絶人が説明を引き継ぐ。

「こういう問題は、表に出てくるのは氷山の一角だからな、早めに見えてる所を叩き潰しちまった方がいいだろうってことで、対策を練ってみたんだが、俺たちが上から叱ったところで陰に篭るだけなのは目に見えてる。
 そこで、丁度教導に来るおまえに当人達の天狗の鼻をへし折ってもらえば、相対的におまえと相打ちに持ってった御名代の評価も改まるだろうって、そういう事になったって訳だ。
 てことで是非やってもらいたいんだが、どうだ?」

 武は表情を引き締めて、要請を受け入れた。

「―――そういう事情でしたら、是非やらせていただきます。冥夜が如何に優れた衛士か、証明して見せますよ。
 とは言え、実機を持ってきてないんですが、シミュレーターでいいんですか?」

 武がそう訊ねると、絶人がニヤリと笑って言い放った。

「いや、実機じゃねぇと納得しそうに無いんでな。黒だが『武御雷』を用意してある。そいつでいっちょ揉んでやってくれよ。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 07時02分、武は黒の『武御雷』に乗って、斯衛軍旧川崎演習場、第1番区画にて模擬戦の開始に備えていた。
 装備は74式近接戦闘長刀を2振りと、87式突撃砲、87式支援突撃砲を1門ずつ装備していた。

「白銀っ! 準備はいいか? もし、『武御雷』の搭乗感覚に慣れたいなら、少し時間を取るけど、どうする?」

 絶人が通信越しに訊ねてくるが、武は首を振ってその申し出を断る。

「一応、『武御雷』用XM3の動作確認で、紫色も含めて一通りシミュレーターで乗ってますから大丈夫です。
 さっさと始めてもらって構わないですよ。」

「なにぃっ! シミュレーターとは言え、紫色の御『武御雷』の搭乗経験だとぉっ! くっそ~、俺もおまえが妬ましくなってきたぜっ!
 まあいいっ! それじゃあ、始めるぞっ! 第1試合、開始ッ!」

 絶人の掛け声と同時に、レーダーに映っている8km先の『武御雷』のマーカーが、一直線に武の『武御雷』目掛けて突進し始めた。

「はぁ?! 遮蔽物を盾にも取らないで一直線? いくらオレが珠瀬少尉ほど狙撃が上手くないからって、舐め過ぎだぞ?」

 呆れたようにオープン回線に呟くと、武は左手の長刀を地面に突き刺し、87式支援突撃砲を両主腕で保持して、真上に噴射跳躍した。
 そして、上空から撃ち下ろす形で、突進してくる武御雷を狙撃。都合6連射したところで、既に勝負は着いていた。

「次、お願いします。これじゃ、お話にもなりませんよ?」

「……まったくだ。おい、貴様ら! これ以上醜態を曝したら、只で済むと思うなよ?…………よし、次だ、行け!」

 暮人が、静かな声音に怒気を染み渡らせて言い渡すと、模擬戦の相手を命じられた衛士達は震え上がった。
 続く2番手、3番手は、地形や遮蔽物を利用して間合いを詰めようとするが、武の狙撃は遮蔽物の隙間を狙い撃ったり、相手の回避機動を塞ぐ予備砲撃を混ぜた連射などで、2機とも距離を詰め切れないままに撃破された。

「まあ、幾らかマシですけど、XM3の3次元機動を生かし切れていませんね。まだ居るならどんどんどうぞ。」

「む……耳が痛いな。よし、次! せめて白銀に回避機動くらいはさせて見せろよっ!」

 4番手は、遮蔽物から飛び出す軌道を工夫する事で、距離を1kmまで詰めることに成功したものの、支援突撃砲を背部兵装担架に格納し、87式突撃砲を左主腕に保持した武の『武御雷』が強襲に転じ、あっという間に距離を詰めると36mm砲弾の斉射を浴びせて撃破してしまった。
 5番手、6番手も必死に距離を詰めるものの、詰めた直後には武の機動に翻弄されて、反撃すらまともに出来ないままに撃破されてしまう。

「…………麻神河大佐、失礼ですけど、本当にXM3の慣熟プログラムを済ませたんですか?
 反応速度は向上してても、3次元機動を物に出来てないじゃないですか。これじゃ、ハイヴに入ったら長くは持ちませんよ?」

「オレも少し不安になってきたよ。そいつらも、ヴォールクデータではそれなりに3次元機動をしていたんだが、屋外で高度を取ることへの抵抗を払拭できていないようだな。
 貴様ら、それじゃ陽動支援は勤まらんぞ? 気合入れてやらないかっ!!」

 結局、武との距離を詰め、近距離を縦横無尽に飛び回る武からの砲撃を躱し、一刀を以って斬りかかる事ができたのは、最後の1人、10番手の衛士だけであった。
 そして、その衛士も、渾身の一刀を捌かれ、擦れ違った直後に、武の『武御雷』の背部兵装担架が保持する、突撃砲からの斉射を背中に受けて大破した。

「どうしますか? もう一周しましょうか?」

 この時、第1試合開始から47分、武は1人あたり平均4分強で撃破し続けたことになる。

「まだ、白銀に挑む気概のある者は居るか? だがな、二度までも醜態を曝した者は、隊に残れるとは思うなよ?
 隊を放逐される覚悟で、名誉挽回しようというものは居ないか?………………そうか。
 白銀、どうやら、情けない事に貴様に牙を剥けるものは居ない様だ。
 が、このまま終わっては、貴官も納まりがつかんだろう。不甲斐ない部下に代わって、俺が相手をしよう。」

「ッ! 暮人さんっ! ここで抜け駆けかよっ! 俺だって白銀とはやって見たいんだ、先に俺が出るのが筋ってもん―――」

 暮人の言葉に食って掛かった絶人だったが、暮人の非人間的なまでに冷めた瞳を見て、言葉を飲み込む。

「済まんが絶人君。不出来な部下の償いは、この場で最上級者である俺の務めだ。
 白銀中尉と仕合ってみたいのであれば、また別の機会にしてもらおう。―――白銀中尉、しばらく待っていてもらおうか。」

 暮人は、そう言い置いて、CPから足早に出て行った。
 その足音が聞こえなくなったところで、絶人が白銀に言う。

「おい、白銀。気を付けろ。暮人さん、ありゃあ本気で怒ってるぞ。
 いや、悪いのはうちの情けない連中なんだが、暮人さんは隊の名誉を背負って、全力で掛かるつもりだぞ?」

 心配げに、絶人は武に忠告する。
 その内容に暮人の怒りの凄まじさを知り、武と対戦して敗北した10人の斯衛衛士達が、連隊長の鋼の眼差しを浴びた気になって、初陣の新兵のように恐れに震えていた。
 武は、その忠告に感謝しつつ、とある問いかけをする。

「大佐の立場上しょうがないですよね。……ところで、1つ聞きたいんですが、月詠中尉と麻神河大佐だと、どちらの腕が上ですかね?」

「む―――悔しいけど、月詠には暮人さんでも3本に2本は取られるな。」

「そうですか……それじゃあ、悪いですけど、負ける訳にはいきませんね。」

 絶人の答えを聞いて、武は嘯いてみせる。その言葉に、絶人はまじまじと武の顔を通信画像越しに見た。

「なに? おまえ、それってまさか……」

「ああ、大丈夫ですよ。オレもまだ、XM3搭載型の赤い『武御雷』に乗った月詠中尉には勝てません。
 ですが、『不知火』で相手をして、逃げ切っている以上、『武御雷』に乗って落とされる訳にはいかないでしょう。
 そんな事になったら、横浜に戻った後が怖いですからね。」

「おい……『不知火』で赤の『武御雷』に乗った月詠と互角だと?―――おまえ、化け物か?!」
「ちょっ! ちょっと、絶人君、言い過ぎよッ!」
「う……悪いな白銀、言い過ぎた。…………しかし、そうか……そういう事なら、暮人さんでもきついかもな……」
「ま、勝負は水物ですからね、やって見なけりゃわかりませんよ。」

 早矢花に注意され、自らの失言を悟った絶人は、即座に武に謝罪したが、武から聞いた情報に心配そうに眉を寄せる。
 そんな絶人に、武は取り繕うような発言をするが、絶人に一笑に付されてしまった。

「ちっ! 心にも無い事言うんじゃねぇ。……ったく、暮人さん、気を付けた方がいいぜ? 白銀の奴、月詠相手に逃げ切るらしい、しかも、『不知火』でだとさ。」
「そうか……なるほど、殿下と紅蓮大将が重用なさるわけだ。しかし、俺も武門に生きる身だ。一度口にした以上、撤回は出来んさ。
 後は乾坤一擲の大勝負で、結果をただ従容と受け入れるだけだ。」

 2人の麻神河のやり取りがオープンチャンネルで行われるのを聞いて、武は心中で感心していた。

(なるほどな……隊内の人心掌握ってのはこうしてやるのか。
 失態を演じた部下を、叱るだけ叱っておいて、部下の不名誉を一手に引き受けてオレに仕合を申し込む。
 そして、結果が出る前にオレの評価を持ち上げるだけ持ち上げておく。
 これで、どちらが勝っても、オレへの評価、そして冥夜への評価は麻神河大佐と同格だという印象を与えるって訳か……
 しかし、そうなると、模擬戦の内容が物を言うな……分岐コンボの1つや2つは使って見せるか……)

 武が密かに感心し、気合を入れていると、絶人が模擬戦の開始を宣言した。

「それじゃあ、いくぜ? ―――始めっ!」

 武は無駄とは思いつつも、狙撃の機会を狙って、数回噴射跳躍を行う。しかし、暮人は遮蔽物伝いに巧みに接近してくる為、その姿を捉える事すら難しかった。
 そして、ようやく捉えたその黄色く塗装された機体を拡大表示して、武は心中で唸る。

(……マジかよ……『武御雷』が盾持ってるのなんて初めて見たぞ? 遮蔽物から出るときには必ずフェイント入れてるし、狙撃は無理だな。
 なんか、大佐の動きって、斯衛っぽくないんだよな。なんていうか……そうだな、『泥臭い』感じがするな……
 どっちにしても、動かずに待ちの態勢でいても良い事なさそうだし、こちらからも間合いを詰めて引っ掻き回すか。)

 武は狙撃を諦めると、支援突撃砲を背部兵装担架に格納し、両主腕に長刀を1振りずつ構えて、主脚走行で遮蔽物伝いに移動を開始した。
 武と暮人の双方が、遮蔽物を有効に使って移動している為、砲撃を交す機会が発生しないままに、急速に距離が詰まっていく。
 旧川崎演習場に居る、斯衛軍第13大隊から第15大隊まで3個大隊の衛士全員が、彼等の所属する第5連隊の指揮官でもある暮人と、最近斯衛軍の中でその名が取り沙汰されるようになった国連軍衛士、白銀武との模擬戦を固唾を呑んで観戦していた。

 そして遂に両機の距離が200mを割り込んだ時、暮人の『武御雷』が水平噴射跳躍で一気に武の『武御雷』目掛けて急迫した。
 武も噴射跳躍して3次元機動を行いながら、迎撃しようと、背部兵装担架の突撃砲を前方に指向して、36mm弾の弾幕を張る。
 しかし、急迫する暮人も、噴射跳躍の向きを小刻みに変え、主腕や主脚の慣性質量を使った姿勢制御から、建物の壁面を蹴っての跳躍まで、武のお株を奪う巧みな3次元機動で弾幕を回避しつつ、執拗に間合いを詰めてきた。
 そして、距離が間近となり、武が長刀による近接戦闘に入ろうとした時、暮人の背部兵装担架が保持した突撃砲ごと起立したのを武は見逃さなかった。

(ん?―――ッ! まさか―――)

 疑問に思ったのも刹那の間に過ぎず、ほぼ反射的に武は最大推力で上空へと機体を逃がし、暮人機から急速離脱を図る。
 その次の瞬間、急迫していた暮人の機体が上下左右に急激なスピンを始め、背部兵装担架に保持した2門の突撃砲から、上下左右前後、全方向に対して36mm弾を乱射しばら撒く。
 それは、かつて武が月詠相手に用いたコンボであった。距離を取った事で、弾幕の密度が薄くなった為、武は致命傷を避けることには成功する。
 武は上空から、独楽よりも遥に複雑で立体的な回転運動を行っている暮人の『武御雷』に、36mm弾を斉射しながら、一旦遮蔽物となるビルの影へと機体を移動させた。

「ちっ! このコンボならいけるかと思ったんだが、さすがに本家本元だけあって、簡単には喰らってはくれないか……」

 オープン回線に、暮人の苦しげな声が流れる。今の交戦の判定結果は、両機共に小破。どちらも戦闘続行に支障なしであった。
 被弾数は暮人の方が多かったが、胎児の様に胸元に引き寄せた主脚と頭部の前に翳した右主腕、そして、後ろ手に回して背後に構えた92式多目的追加装甲により、命中弾による致命傷を避けることに成功していた。
 それでも、回転するのに必要な推力を得る為に噴射跳躍ユニットは展開せざるを得なかった為、露出していたその部分が着弾して損傷しなかったのは僥倖と言える。

 とは言え、戦闘に支障が出ていないのは機体の話であり、暮人自身は無茶苦茶な機動によって発生したGにより、些か意識が朦朧としていた。
 そして、それを知っているかのように、武の反撃が始まる。

 武は『時津風』でやるように、機体を仰向けに水平に寝かせ、両主腕の長刀を主翼代わりに機体の左右側面に構え、背部兵装担架を頭上、つまり進行方向へと向けて、ビルの狭間を突撃する。
 突撃砲の36mm弾で暮人の機体上空に弾幕を張り、暮人の取れる回避機動を水平方向に限定した上で、機体と遮蔽物との間に支援突撃砲の砲撃を続け様に行って、暮人の『武御雷』を路上に釘付けにする。

 暮人も背部兵装担架の突撃砲で反撃を行うが、武の『武御雷』がその頭部を真っ直ぐに暮人の機体へと向けている為、投影面積が小さく、しかもその機体の殆どが肩部装甲シールドの陰に隠れてしまっている為、有効な打撃を与える事ができなかった。
 最早、最接近まで僅かな時間しか残されておらず、かくなる上は長刀にて決着を付けるしかないと暮人は覚悟を決めた。
 兵装担架に保持した2門の突撃砲によって砲撃を行いながらも、長刀を両主腕で保持して右肩に担ぐようにして構える暮人の黄色い『武御雷』。

 そして、その直後に決着の時がやってきた。それは、始まりから終わりまで、1秒にも満たない時間でしかなかった。
 正面から体当たりをするかのように、突っ込んでいく武の『武御雷』。
 自らの胸の辺りを目指して突進してくる黒の『武御雷』に渾身の一刀を振り下ろす暮人の黄の『武御雷』。
 しかし、武の『武御雷』はその寸前から全力で逆噴射をかけ、行き足を殺しながら仰向けからうつ伏せへとローリングで半回転する。
 続けて両主脚を前方へと振り出し、左右側面に構えていた長刀を胸の前で交差させて、暮人の一刀を受けにいく。

 噴射跳躍ユニットの推進軸の変更と、前方へ振り出された主脚の慣性重量によって、武の『武御雷』は上半身を後方へと急速に仰向かせ、胸の前で交差させて構えた左右の長刀は、暮人の斬撃を見事に阻む事に成功する。
 と、同時に武の『武御雷』が振り出した両主脚が折りたたまれ、両膝の装甲シールドが暮人の『武御雷』の腰部に激突する。
 それに僅かに遅れて、武の『武御雷』は、左右の脇の下から前方へと展開した、背部兵装担架で保持する突撃砲と支援突撃砲を斉射し、暮人の胸部に集中砲火を浴びせた。
 逆噴射で制動をかけたとは言え、行き足の付いていた『武御雷』の運動エネルギーが、飛び膝蹴りを喰らう形となった暮人の『武御雷』へと伝わり、機体は凄まじい勢いで後方へと吹き飛ばされ、路上を転がる事となった―――と、JIVESによって判定された。

 実際には、JIVESによって、早期に武の機体は減速を開始しており、暮人の機体も水平噴射跳躍を開始して衝撃を和らげていた。
 よって、両膝の装甲シールドの衝突は、それなりの衝撃となったものの、暮人の『武御雷』の外装を歪めるに留まり、機体、衛士ともに、重大な損傷を受けることは無かった。
 しかし、JIVESの判定と、擬似再生映像に依れば、胸部を砲撃で吹き飛ばされ、腰部も半分千切れかけ、路上に叩きつけられてボロボロになった黄の『武御雷』が、無残な姿で横たわっていた。
 対する黒の『武御雷』は、噴射跳躍によって道路に着地し、今の衝突による損傷は、両膝関節に30%程度のダメージが表示されるのみであった。

「う~ん。JIVESのセーフティーって、安全上しょうがないけど、なんか間抜けですよね。」
「いや……俺は今、心底感謝してるぞ。正直今回ばかりは肝が冷えたからな。」
「あー、白銀。おまえはちょっと無茶しすぎじゃないか? 今のはちょっと洒落になんねぇぞ……」
「あらら、絶人君を呆れさせるなんて、白銀君は大物ね。純さんもそう思うでしょ?」
「確かに早矢花さんの言う通りね……でも、今のは一つ間違えば大事故だった。危険だったのも確かよ。」
「あー………………済みませんでした……」

 武の体感では、ゴツンと当たって、ふんわりと着地した感じだったので、つい暢気な感想が出てしまったが、他の面々、事に実際に飛び膝蹴りを喰らった暮人は、気を落ち着けるのも一苦労であった。
 当然、武に非難が集中する事となり、武は頭を下げて詫びる羽目になる。
 とは言え、最終局面直前までは互角と見えた模擬戦も、終わってみれば武の圧勝であり、最後の過激な一撃もあって、最早、絶人でさえ武に単機で挑む気はなくなってしまっていた。

 かくして、新潟での実弾演習に参加していた斯衛軍第2大隊と第6連隊に続き、第5連隊の衛士達も、武の凄まじさを実感することとなったのであった。




[3277] 第63話 過去と未来と現在と……
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:59

第63話 過去と未来と現在と……

2001年12月13日(木)

 18時07分、斯衛軍旧川崎演習場に、第16大隊指揮官である斉御司久光大佐が、陣中見舞いと称して来訪していた。
 斉御司大佐は、帝都城より天然物の焼き鮭を持参し、斯衛軍第5連隊の将兵に振舞った。
 そして、武とまりもは他の将兵とは別室で、斉御司大佐とその副官の大尉、そして、麻神河暮人大佐、麻神河絶人中佐、焔純大尉、夕見早矢花大尉の合計6人と共に、夕餉を食べる事となっていた。

「そうか。とうとう白銀も大尉に昇進して中隊長となったか。なに、貴様であれば、今後も栄達の階(きざはし)を上り続けるであろうよ。
 とは言え、確かに目出度き仕儀よな。」

 斉御司大佐が、武が大尉へ昇進したと聞いて祝いの言葉を述べた。すると、いつもよりいくらか丁寧な言葉遣いで、絶人が感想を述べる。

「まあ、いくら元々臨時中尉だったからって、少尉任官後3日で大尉ってのも露骨な人事だとは思いますけどね。」
「絶人君……」

 その忌憚の無さ過ぎる発言に、隣に座る早矢花が小声で注意する。と、その様子を見た斉御司大佐が微笑みを浮かべて早矢花を労う。

「夕見大尉も絶人の目付け、大儀よな。その花の顔(かんばせ)に瑕疵など生ぜぬよう、いま少し、ゆとりを持てるとよいな。
 絶人も、あまり夕見大尉に甘えるでないぞ。尤もそなたらの仲睦まじき様は、傍で見ていても微笑ましき事ではあるがな。」

「そうだぞ、絶人君。隊内の事であれば俺も煩く言う気は無いが、外部の方に対しても君は歯に衣を着せなさ過ぎる。
 早矢花さんに愛想を尽かされないように、気を付けるんだな。」
「う……ま、まあ、なるべく努力はしますよ。」

 斉御司大佐の言葉を受けた暮人にまで小言を頂戴して、絶人は口篭りながらも改善に向けた努力を約した。
 もっとも、その隣で苦笑交じりの笑みを浮かべて、会釈で両大佐に謝意を示す早矢花を見るにつけ、努力の効果は期待でき無さそうではあったが……

「いやしかし、オレは斯衛ってのは、もっと堅苦しいところだとばかり思ってましたよ。」

 一連のやり取りを見ていた武が感想を述べると、斉御司大佐が苦笑してそれに応じた。

「なに、我等五摂家の者や直参武家の者が、威儀を示す為の古臭い仕来りや作法を捨て切れぬゆえ、そういった傾向が強いのもあながち誤ってはおらぬ。
 されど、今では武家の出身でない斯衛も増え、武家の者であっても旧来の仕来りや作法から脱却せし者も現れておる。
 その最先端を早掛けせしが、そこな絶人よ。幼き頃より屋敷を抜け出し、下町にて衆生の童と共に戯れていたと聞き及んでおるゆえ、筋金入りなのであろう。」

「ははあ、なるほど……それで、こんなに捌けているんですね……」

 斉御司大佐の言葉に武が頷くが、渋い顔をして暮人が苦言を発した。

「しかしなあ、白銀。その頃から、幼いながらもお供をさせられ、常に行動を共にしていた早矢花さんがこれだけしっかりと作法を身に付けているんだ。
 やはり、大事なのは環境ではなく、本人の心構えだとは思わないか?」
「だから、暮人さん。そこで本人の資質ってもんも勘定に入れてくれって、いつも言ってるじゃないか。俺には堅苦しいのは似合わねえって。」

 暮人の苦言に即座に切り返す絶人。その様子には、居合わせた全員が苦笑せずにはいられなかった。

「―――さて、夕餉も凡そ済んだ様子。さすればそろそろ本題に入ってもよかろう。昨日までの我が隊の練成状況を持参した。
 此度の作戦には、我が連隊より練度の高い者を選抜し、第16大隊を再編し臨む事とした。
 御名代殿を守護仕るに相応しき陣容とは思うが、もし練成の至らぬ所に気付きし折は、是非指摘してもらいたい。」

 一通り、談笑と食事が済んだ頃合を見計らい、斉御司大佐は副官に持参させた持ち運び式端末を武の前で広げさせ、『甲21号作戦』に向けた、第16大隊の訓練経過を表示させた。
 その端末に収められた情報には、膨大な映像資料も含まれており、到底全てを見切れるような量ではなかった。
 しかし、00ユニットである武にとっては、端末の記憶媒体読み出し速度にこそ制約を受けるものの、全情報を把握すること自体は児戯にも等しい。
 情報が格納された記憶媒体が、内蔵式の高速媒体であった事も幸いした。
 武は、報告書形式にまとめられた情報を画面に表示して内容を読みながら、非接触接続によって、膨大な量の情報を次々と吸い上げていく。
 記憶媒体の作動音までは消せなかったが、記憶媒体へのアクセスランプは制御プログラムを一時的に改変して、過剰アクセスの実態を隠蔽するのも忘れなかった。

 武が15分ほど黙読する間に、斯衛指揮官達は情報交換を行っていた。

「―――いや~、やっぱ白銀の機動は半端じゃなかったですよ。紅蓮大将が土付けられたってのも頷けますね。」

 絶人が、昨日今日と、教導中に武が見せた3次元機動の粋に関して述べると、斉御司大佐はそれに同意し、さらに麻神河家の2人の大隊指揮官を労った。

「うむ。白銀の、いざと言う時の思い切りの良さと、発想の突拍子の無さは、月詠の折り紙付であるからな。
 しかし、貴殿らもご苦労であったな。この短期間でのXM3と陽動支援機、各種新装備への慣熟、難儀であったであろう?」

「ありがとうございます、斉御司大佐。しかし、大佐の大隊では、御名代の警護に加え、我々よりも多彩な新型装備を運用なさると聞きます。
 大佐の方こそ、ご苦労が多いのではありませんか?」

 暮人が、斉御司大佐の労いに礼を述べた後、斉御司大佐の重責について案じるが、斉御司大佐はゆるゆると首を横に振る。

「なに、我等は新潟で、白銀と国連軍部隊がBETA相手に新型装備を運用する所を、つぶさに見る機会に恵まれておるゆえな。
 そちらに関しては、大分楽が出来た。新たに増えた第二期装備群は、隊の衛士全員で使うというものは存外少ないのだ。
 ゆえに、なんとかこなしつつある……と、いったところよな。」

「こっちに回ってくる装備は、陽動支援機『朱雀』と随伴輸送機『満潮』、『自律移動式整備支援担架』、『自律地雷敷設機』に、『地中設置型振動波観測装置』と第1期装備群に属するものだけ。
 第2期装備群は1つも回ってこないってのが、ちっとばかし気に喰わねえんだよな。」

 斉御司大佐の言葉に、絶人が無い物強請りをする。それに、端末操作を続けながら武が応えた。

「無茶言わないで下さい、麻神河中佐。第2期装備群は、生産が間に合ってないんですから。作戦までに必要最低数が揃うかどうかなんですよ?
 大体、斯衛軍第5連隊には、大東亜連合軍の陽動支援という、重大な任務が在るじゃないですか。
 そっちをこなすのに、第2期装備群は必要ないはずです。それよりも、大東亜連合軍の死傷者の多寡は、偏にあなた方の陽動支援にかかっているんです。
 『甲21号』の制圧に成功したら、近い内に朝鮮半島の『甲20号』を攻めることになります。
 そうなった時にこそ、大東亜連合軍の戦力は必要となるんですから、責任重大ですよ?
 日本の斯衛軍が無人機とは言え、大東亜連合軍の将兵を身を挺して護ったという事実が、『甲20号』を攻める共同作戦において多大な影響を及ぼすんです。
 解っているとは思いますけど、本当に重要なんですからね?」

 端末から視線を動かさずに淡々と言った武の言葉だが、絶人をして、その言葉に込められた願いの重みに、大人しく首肯した。

「ふ……斯衛軍の暴れん坊と言われる絶人をやり込めるか。白銀は普段おどけて見せてはいても、さすがに一廉の武士(ひとかどのもののふ)よな。
 しかも、『甲21号作戦』を前にして、その後の『甲20号』攻略への布石を重く見て語りおるか。
 さぞや横浜の魔女殿にも、重用されておるのであろうな。」

 愉快気にくつくつと笑いながら、斉御司大佐が述べる。それに、やはり端末から目を逸らさぬままで、武は肩を竦めて応える。

「まさか。オレなんて、香月副司令のおもちゃみたいなもんですよ。いいようにからかわれて振り回されてます。
 なんでしたら、そこの神宮司軍曹に確かめてもらっても構いませんよ?」

「え?……ちょ……し、白銀大尉殿ッ! 自分は下士官に過ぎません。このような場に同席するだけでも、身に過ぎます。ですのに―――」

 いきなり、武に話を振られて、まりもが慌てて抗議するが、時既に遅く、3人の佐官の興味はまりもへと移ってしまっていた。

「ふむ……神宮司まりも軍曹か。衛士訓練学校にこもって表に出てくる事こそなかったが、そもそも、横浜の魔女殿が白陵基地に間借りした時より、魔女殿の懐刀、腹心中の腹心と噂された女傑であったな。
 衛士としての、凄まじい戦いぶりから付けられた二つ名も聞き及んでいる。富士教導団に迎え入れられ、将来を嘱望されながらも、魔女殿の招聘に応えて教官職に着いたのであったな。」

「へぇ~。斉御司大佐の耳にまで入るほどの衛士だったのか……道理で、教導の手際がいいはずだ。
 下士官だと解っていても、なんかこう、逆らえねえんだよな。」
「絶人君、叱られてしょげてたものね。」
「う……だってよお!」
「でも、それも納得いくわ。神宮司まりもって、何処かで聞いた名前だと思ってたのよね。純さんもご存知でしょ?」
「―――ああ、あの女性衛士か……帝国軍の衛士だと聞いていたのだが、国連軍に移っていたとはな……」

 まりもに関する伝聞を語る斉御司大佐の言葉に、絶人がうんうんと何度も頷きながら、まりもに対する所感を述べた。
 そこをすかさず早矢花に突かれて、顔を真っ赤にする絶人。
 さらに、意味ありげにまりもを横目で見ながら言葉を交す早矢花と純に、なにやら不穏な気配を感じたのか、まりもは座ったまま背筋を伸ばして発言した。

「―――過分なお言葉痛み入りますが、自分は一介の教官に過ぎません。香月副司令とは任官前の友誼が些かあったに過ぎませんので、どうか誤解なされませんようお願い申し上げます。」

「いやあ、あの香月副司令と友誼を結べる段階で、只者じゃありませんって。」
「―――ッ!! 白銀大尉ッ!!!」

 しかし、折角のまりもの主張も、言葉尻を捉えた白銀の発言によって台無しにされる。かくして、3人の男性佐官と、2人の女性大尉を相手取った、まりもの短いながらも苦難の時が始まったのであった……
 その最中でただ独り、我関せずとお茶を啜っている第6連隊の男性大尉には、誰も注目しなかった。

 ―――そして、まりもが憔悴しきった頃、武はようやく端末から顔を上げて、斉御司大佐に告げる。

「斉御司大佐。ざっと見せていただいた限り問題は無さそうです。予定通りのスケジュールで進めてください。こちらでも、準備を進めておきますから。
 それにしても、さすがに斯衛は精鋭ですね。新潟で運用を目の当たりにしていたとは言え、見事に使いこなせてます。
 第5連隊の衛士の皆さんも、最初は正直危機感を抱きましたが、昨日今日と訓練を見せていただいたところ、練成期間からすれば満足できるレベルに到達しています。
 初日に模擬戦で対戦させていただいた方達も、今日はちゃんと光線級の存在する戦場で、3次元機動できてましたしね。」

「なに、あれだけの醜態を曝したんだ。そのくらいの意地すら見せられないのならば、本当に隊から叩き出すさ。」

 斯衛軍衛士を褒める武に、部下を突き放すようでいて、信頼している様子の暮人の言葉が返った。

「ふ……相変わらず麻神河大佐は手厳しいな。『冷厳たること刃金(はがね)の如し』とはよく言ったものよ。」

 それを揶揄するように、薄く笑った斉御司大佐が、斯衛軍内部で流布される暮人の人物評を述べてみせた。
 暮人がそれに応じようとした所へ、ドアをノックする音が割って入った。

「―――どうした?」
「はっ! ご歓談中申し訳ありません。只今、帝国陸軍の草薙香乃少佐と佐伯裕司大尉が到着なさり、着任報告にみえておられます。」
「―――そうか……斉御司大佐。申し訳ないが、席を外させて戴いても構わないでしょうか。」

 ドア越しに告げられた帝国軍士官の来訪に、暮人がこの場を辞去しようとするが、斉御司大佐から意外な言葉が告げられた。

「…………麻神河大佐。迷惑でなければ、是非この場に呼んで貰えぬだろうか。
 香乃殿―――いや、草薙大佐とは些か面識がある。久しく見えて(まみえて)おらぬゆえ、叶うならばこの折に会っておきたいのだ。」

「……なるほど。そういう事でしたらこの場に呼びましょう。おい! 両名をこの部屋まで案内しろ。」

 暮人は斉御司大佐の願いを聞き入れる事とし、ドア越しに命令を達した。
 室内では、暮人の決定を受け副官である純が、控え室の従兵に夕食の食器類を下げ、飲み物を用意するように、手配を行っていた。
 そして、僅かな時が過ぎ、再びドアがノックされ、ドア越しに声が投げかけられた。

「麻神河大佐殿! 草薙少佐殿と佐伯大尉殿をご案内いたしましたッ!」
「よし、入室を許可する。」

 暮人が許可を出すと、ドアが開かれ、草薙と佐伯が部屋へと入ってきた。
 両名は直立不動で敬礼をし、着任の挨拶を述べる。

「帝国陸軍、参謀本部預かり、草薙香乃少佐並びに佐伯裕司大尉、陽動支援機運用の教導を受ける為、着任致しました。
 斯衛軍第5連隊の諸氏にはご迷惑かと存じますが、何卒よろしくご教導下さい!」

「よく来たな。我が隊は貴官らを歓迎する。私は斯衛軍第5連隊指揮官の麻神河暮人大佐だ。まずは、楽にしたまえ。
 さて、教導に関する話しもあるんだが、その前に草薙少佐と旧交を温めたいと仰る方が居てな。―――斉御司大佐。」

 帝国陸軍の両名に答礼し楽な姿勢を取らせると、暮人は斉御司大佐を招いた。
 招かれるままに、草薙の前にやってきた斉御司大佐は、腕組みをして草薙少佐をまじまじとみると、面白そうな顔をして話しかけた。

「ほほう。見違えたぞ、香乃殿。随分と凛々しくなられた。よもや、この久光を忘れてはおられまいな?」

「斉御司大佐。ご無沙汰申し上げておりました。ですが、小官は只今軍務の最中でありますので、どうか草薙とお呼び捨てください!」

 草薙少佐は、斉御司大佐に対して敬礼し、はきはきと歯切れ良く述べた。
 斉御司大佐は、草薙に温和な笑みを見せると、頷いて答えた。

「承知した。草薙少佐。貴官が壮健であると知りえた事で此度は満足するとしよう。軍務の最中に邪魔をしたな。許せ。」

「お心遣い、感謝致します、斉御司大佐。大佐もご壮健であられるご様子、誠に重畳であります。」

 草薙の言葉に頷くと、斉御司大佐は暮人に手を上げて謝意を表し、テーブルの席へと戻った。
 それを見送ってから、暮人は草薙に向き直り、確認事項を口頭による質疑応答でこなしていく。

「―――そうか。貴官らの到着で、陽動支援戦術機甲連隊の要員は揃ったか。
 では、明朝一番で発足式を行い、その後、早速訓練を開始してもらおう。」

 最後に、翌日からの予定について述べる暮人に、草薙が直立不動で言葉を発する。

「発言をお許し下さい、麻神河大佐。」
「なにかな? 草薙少佐。」
「は、発言をお許しいただきありがとうございます。もし、叶う事でありましたら、我が隊の発足式についてお願いがございます。
 陽動支援戦術機甲連隊の発足式を、五摂家の直系であらせられる斉御司大佐の御陪席を賜った上で、これより行うわけには参りませんでしょうか。」
「ふむ……斉御司大佐、いかがなされますか?」

 草薙の発言に、暮人が斉御司大佐の意向を伺うと、斉御司大佐は莞爾とした笑みを浮かべて快諾する。

「私に異論は無いな。何しろ、来る作戦では戦場を供にするかもしれぬ部隊ゆえな。」
「焔大尉。発足式をこの後執り行う事は可能か?」

 斉御司大佐の快諾を得て、暮人は純に式の手配が可能か確認した。

「15分いただけるのであれば、問題はありません、大佐。」
「よし、いいだろう、草薙少佐。貴官の指揮する連隊の発足式を19時30分より、第1屋内練兵場にて、斉御司大佐の御列席の上で執り行う。
 要員を掌握し、第1屋内練兵場に19時25分までに集合させたまえ。」

 純が仕度にかかる所要時間を述べると、暮人は時刻を確認した後、草薙に命令を下した。
 草薙は命令を受諾すると退室の許可を求め、暮人がそれに応えて許可を与える。

「はっ! 草薙少佐及び佐伯大尉は、要員を掌握し、第1屋内練兵場に集合させます! 失礼してよろしいでしょうか?」
「よろしい、退席したまえ、草薙少佐。」
「はっ! 失礼致しますッ!!」

 草薙と佐伯は、敬礼をすると部屋から速やかに退室していった。

「よろしかったんですか? 斉御司大佐。」

 草薙と佐伯が去った後、暮人は斉御司大佐にもう一度確認を取った。
 すると、斉御司大佐は薄っすらと笑みを浮かべて頷き、暮人を近くへと呼び寄せ、辺りを憚る様子で話し始めた。

「麻神河大佐にはご存じなき様子ゆえ、この機会に知っておくが良かろう。
 草薙少佐―――香乃殿は、五摂家分家筋の末子、と言う事になっている。が、実のところ警護リストに名を連ねていない事が不思議なほどの身でな。
 だが、斯衛に入隊するでもなく、学究の道へと進んだ事から、表立って警護を付けず、その存在が秘されていたのだ。
 ところが、数年前、急に帝国軍に志願されてな。
 任官後は志願前に最高学府で心理学の教鞭を取っておられた事もあり、実験部隊指揮官として、衛士の精神状態を高度に管理する手法にて、実戦での戦果を向上すべく鋭意努力なされていると聞く。
 先程同行していた佐伯大尉は、草薙少佐の最高学府時代の同僚で、やはり心理学を修めているそうだ。」

 暮人と絶人は斉御司大佐の話しを聞きながら、直ぐ隣にいる国連軍所属の武とまりもの様子を窺わざるを得なかった。
 斉御司大佐の話に依れば、草薙少佐の素性は、斯衛としては極力外に漏らしたくない類の話である。
 それを国連軍所属の2人の前で話して良いものか、気にせずには居られない2人であった。
 斉御司大佐は、そんな2人の様子を見て、言葉を足す。

「白銀はおどけた言動が多いが、どうしてこれで多くの機密を抱えている男だ、一筋縄でいくとは思わぬ方が良いぞ。
 白銀は草薙少佐の素性など、疾うに知っておるさ。その上で彼女を、新設される陽動支援戦術機甲部隊の指揮官に押したのであろうからな。
 陽動支援戦術機甲部隊は、所属衛士が後方に留まり無人機を運用する部隊ゆえ、前線衛士達からの怨嗟の声は小さくはあるまい。
 そして、そのような立場に追いやられた所属衛士の心情も、また穏やかである筈も無い。
 トライアルで如何に性能を見せ付けられようと、新装備に対する不信感や、反感、従来の装備と戦術に対する信仰も拭い切れはすまい。
 それらの障害を越え、2週間という短期間で部隊を実戦運用可能な域に鍛える為に、草薙少佐は選ばれておるのだ。
 彼女の隠然たる影響力と原隊での実績は、誹謗中傷や妨害工作を跳ね除けるであろう。
 そして、彼女と佐伯大尉の心理学への造詣が、所属衛士達の心情を安定させ、短期間で部隊を纏め上げる筈。
 そなたらも、草薙少佐に配慮するばかりでなく、学べるべき事はこの機会に学んでおくがよいぞ。」

「「………………」」

 斉御司大佐の言葉に、暮人と絶人は、草薙の事、武の事、新装備、新戦術、様々な事柄に思いを巡らし始め、暫くの間言葉も無かった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時32分、斯衛軍旧川崎演習場第1屋内練兵場には、帝国軍衛士22名が整列し、壇上に立つ新設部隊の指揮官を見上げていた。
 帝国軍衛士22名の後方には、彼らの戦いを支える整備班を初めとした支援要員が並び、側面には斯衛軍の小隊指揮官以上の衛士が列席者として並んでいた。
 そして、壇上の右脇には貴賓席が設えられており、3人の斯衛軍左官が青と黄の斯衛軍装に身を包んで座していた。

 そして、壇上の中央に、佐伯を左後方に伴って立った草薙は、部隊発足に当たっての訓辞を行っていた。

「帝国陸軍が誇る衛士諸君。私は本日より諸君が所属する、帝国陸軍参謀本部直属、陽動支援戦術機甲連隊の指揮官に着任する草薙香乃少佐である。
 現時刻を以って発足となる陽動支援戦術機甲連隊は、12月25日に実施予定である大規模作戦に於いて、従来とは一線を画す新装備と新戦術を運用し、戦果を上げる事を期待されている。
 その期待の大きさは、原隊に於いて勇名を馳せた諸君らが、我が隊に揃って転属を命ぜられたという一事を以ってしても明らかである。
 新戦術と新装備の詳細に関しては、今は述べない。だが、諸君に与えられた任務が如何に重要であるかだけ話しておく。」

 草薙は、ここで一旦言葉を切ると、居並ぶ帝国軍衛士達を見廻し、声を一際張り上げて告げた。

「我等、帝国軍将兵の勤めは何か! ―――それは、御国を、ひいてはそこに暮らす民を護る事である!
 我等、帝国軍衛士の勤めは何か! ―――それは、押し寄せるBETAの前に立ち塞がり、その侵攻を押し留め、後方の友軍を護る事である!
 ―――そして、我が連隊の勤めの何たるかを、諸君は心に刻み込み、胸を張り、誇りを持って、必ずや成し遂げねばならない!
 我等、陽動支援戦術機甲連隊の務めは何か! ―――それは、帝国軍衛士の先鋒となり、押し寄せるBETA悉く(ことごとく)を引き寄せ、その侵攻を停滞させ、友軍衛士の元へと辿り着かせない事であるッ!!
 我が国の盾である帝国軍将兵、その最前線に掲げられた盾である帝国軍衛士、その帝国軍衛士達を襲うBETAの切っ先を逸らす事こそが我等が務めッ!!
 友軍の損害の多寡は、我が連隊の働きの如何によって、大きく減ずる事が出来、それが故に我等に寄せられる期待は大きいのだッ!!
 諸君が、自らが背負う務めの重さを心に刻み、誇りを持って任務に邁進する事を切に願う。」

 拳を握り、一気呵成に告げる草薙の激に、居並ぶ衛士達の引き締まった顔が高揚する。
 それを見渡した草薙は満足気に頷きかけ、訓示を再開する。

「―――また、最後になってしまったが、本日、我が隊の発足に当たり、勿体無くも五摂家が一門、斉御司家の直系であらせられる、斯衛軍第6連隊指揮官、斉御司久光大佐の御陪席を賜る栄誉を賜ることが叶った。
 これは、大変に光栄な事であり、我が連隊が如何に期待を寄せられているかの証左である。
 諸君は与えられた栄誉に、戦果を以ってして応えねばならない! 総員、気を~付け~ッ! 斉御司久光大佐に対し―――敬礼ッ!!」

 草薙の号令に合わせ、草薙自身と佐伯を含め、陽動支援戦術機甲連隊所属衛士24名が、そして、その後方に控える支援要員達が、一斉に姿勢を正して敬礼を送る。
 壇上の斉御司大佐はゆるりと立ち上がると、答礼を返し、声を張り上げた。

「陽動支援戦術機甲連隊の諸君。貴隊の発足、誠に祝着である! 来る作戦に於いては、我が斯衛軍第16大隊も諸君らと轡を並べて戦う事となろう。
 諸君には大いに期待している。諸君が、明日よりの練成に心血を注ぎ、その成果を必ずや戦場にて発揮するであろう事を信ずる。
 ―――以上だ。」

 かくして、陽動支援戦術機甲連隊発足式は、所属衛士達の意気を大いに高揚させ、恙無く終了した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

12月17日(月)

 18時02分、斯衛軍旧川崎演習場の1室で、暮人、純、絶人、早矢花、草薙、佐伯の6人と供に武とまりもが夕餉を供されていた。
 この日を以って教導を終え、横浜基地に帰還する2人と別れを惜しむ為の晩餐……という名目になっていたのだが……

「………………別れを惜しまれているのは、神宮司軍曹だけだよな……」

 武が毒づくと、それを耳に入れた絶人が大笑いして、言った。

「あ~っはっはっは! そりゃあ、人徳の差ってもんじゃねぇのか、白銀。」
「どうせ、オレは人徳がありませんよ……」

 と、まあ、すっかりいじけてしまった武はともかく、まりもは女性衛士である草薙、純、早矢花、そして、佐伯に囲まれて、別れを惜しまれていた。

「―――それにしても、神宮司軍曹の教導を受けられた事は、我が隊の誇りとなるだろう。
 此度の教導を基に、部隊が存続する限り、受けた教えは後進へと引き継がせていただく。」

 草薙の言葉に、半ば諦め顔で、それでもまりもは嘆願する。

「草薙少佐殿。何度もお願いしておりますように、私は一介の軍曹に過ぎません。何卒、過分な評価はなさらないで下さい。
 また、お言葉使いも下士官に対するものに改めていただけると―――」

「神宮司軍曹。その件に関しては、私は貴官を階級で呼称すると約した時点で、既に互いが了承済みであると認識している。
 私にとって、貴官は、帝国軍女性衛士の草分けであり、尚且つ、今尚語り継がれる伝説的な先達だ。
 階級が如何に隔たれようとも、私の貴官への尊敬の念は揺るがない。敬称を付けて呼ばれたくないのであれば、譲歩する事だ。
 何より、別れに際して貴重な時間を費やすほどの話題とも思えないな。」

 しかし、草薙の滑らかな弁舌により、まりもは容易く反論を封じ込められてしまった。
 それを脇で笑いながら、早矢花も草薙に口添えする。

「本当ですよ、神宮司軍曹。斯衛軍では、帝国軍より早くから女性衛士を擁してきましたが、それでも貴官の噂は幾度も耳にしました。
 帝国陸軍が女性衛士を採用し始めたその初期に、彗星の如く現れた女傑として、その勇名は轟いています。
 ほぼ男ばかりの衛士訓練学校に於いて、女性の身でありながら次席卒業。
 任官後は大陸で、男性衛士すら恐れをなすほど勇猛果敢に戦い続け、中尉への昇進を機に教導隊へと転属し、後進の育成に努めたと聞きます。
 まあ、何故か教導隊に転属後の消息は伝わらなかった訳ですけど、まさか国連軍の教官になられていたとは……」

「……私は、そんな立派な人物ではありません、夕見大尉殿。
 それに、女性衛士としても先達であられる焔大尉殿がおいでなのですし……」

 まりもは内心で未だに疼く古傷を堪えつつ、傍らに居る自身よりも長い軍歴を持つ純を引き合いに出した。
 しかし、その純さえも、まりもを高く評価しているという事は、迂闊にも失念していたまりもであった。

「まあ、確かに先に任官はしているけど、技量で勝る自信はあまり無いわね。
 それに、XM3への転換プログラムは見事な出来だったし、教導内容が素晴らしかったのも事実よね。
 正直、このまま斯衛の教導官として引き抜きたいくらいだわ。」

 軍歴の長さという、女性衛士としては微妙な点を引き合いに出された純は、苦笑しながらもまりもの教導を手放しで褒める。
 それを聞いて、佐伯も頷いて同意する。

「まったくだ。従来OSからXM3に移行する際に発生しやすい問題点とその対応策が、実に見事に網羅されていた。
 XM3慣熟の為のシミュレーター演習も、従来に無いユニークなもので、且つ素晴らしい効果を上げた。
 あなたが練成した訓練兵たちが、トライアルで見せた能力の高さに、今更ながら合点がいきましたよ。」

「焔大尉殿、佐伯大尉殿、XM3転換プログラムの骨子は白銀大尉殿が考案なされたものです。
 私は作成に当たってお手伝いさせていただいたに過ぎず、お二方の評価は過大なものではないかと愚考いたします。」

 飽く迄も、頑なに謙遜してみせるまりもに、3人の女性衛士達は顔を見合わせ、佐伯は首を軽く振って嘆息した。
 と、そこへ、様子を窺っていた武が割って入る。

「そんなことないですよ? 神宮司軍曹の助けが無ければ、あそこまでの完成度には至らなかったでしょうしね。
 それに、従来OSからの移行時に発生しやすい問題点とその対策に関しては、全て神宮司軍曹がまとめてくれたものじゃないですか。
 残念ながら、オレにとってはXM3の方が性に合ってるもんで、従来OSからの移行時の違和感とか、全然解りませんでしたからね。
 謙遜も過ぎると嫌味になりますよ? 神宮司軍曹。
 あ、それから、焔大尉。神宮司軍曹は横浜衛士訓練学校の欠くべからざる人材ですので、引き抜こうったって駄目ですからね。」

 助かったような、助かってないような、微妙な表情をするまりもを諭し、武は純に釘を差した。
 純も苦笑いを浮かべながらも、武の主張を了承してみせる。

「神宮司軍曹ほどの逸材を手放したがる組織はないわよね。元から諦めてはいるわ。
 今回、教導を受けられただけでも、幸運だったと思うしかなさそうね。
 出来たら、訓練兵のいない時期だけでも、出張教官に来て欲しい所だけど……」

「あ、いいですね、それ。上層部に意見具申しときますね。」

 純の言葉に、早矢花が手を叩いて同意する。それを聞いた草薙も、腕を組んでなにやら佐伯と相談を始める。

「―――なるほど、その手があったか……どう思う? 佐伯大尉。」
「いっそ、こちらから横浜基地に押し掛けて、短期の教導を受けた方がいいんじゃないか?」
「ああ、その手があったか。国連軍との交流を兼ねてと言う事で、上手く話が運ぶかもしれないな。」

「あー、取らぬ狸のなんとやらはその辺にして下さいね。
 さて、爪弾き状態の、麻神河大佐と、麻神河中佐もいいですか?
 帰る前に挨拶を兼ねて、それらしい事を言わせていただきますね。
 まず、斯衛軍第5連隊の皆さんの練度は十分な域に達していると思います。後は、弾薬の節約さえ出来れば文句なしですね。
 陽動支援機は、BETAから脅威と見做される程度に、浅く広く攻撃すれば十分なんです。
 BETAを倒すのは有人戦術機に任せ、陽動から外れて戦線を突破した奴だけ倒せば十分です。ですから、その辺りを徹底して下さい。
 どうも、第5連隊の皆さんは、自分の手でBETAを倒さないと気が済まない方が多すぎます。
 ―――帝国軍陽動支援戦術機甲連隊の皆さんは、光線級の制圧下での3次元機動がまだ活用し切れていませんね。
 この辺は生存本能に直結しているところなので難しいかもしれませんが、理論とシミュレーターでの経験で慣らしていってください。
 どうしようもなかったら、光線級のいない状況下でのシミュレーター演習を増やしてもいいです。
 最低限、光線級がいない状況だけでも、3次元機動による陽動が出来るようでないと話になりませんから。
 尤もこの辺は釈迦に説法ですかね。陽動に徹してBETAの誘引を最優先にするって意識は、陽動支援戦術機甲連隊の方が徹底できてますしね。
 ただし、3次元機動が出来てないので、撃破される比率が高すぎます。
 あれじゃあ、前線に穴が開いてしまうので、BETAが有人戦術機のところまで突破してしまいます。
 あと、6日間しかありませんが、なんとか間に合わせてください。
 ―――と、まあ、そんな感じですかね。それじゃあ皆さん、佐渡でお会いしましょう。」

 武が6日間の教導の総括とも言うべき講評を行うと、居合わせた全員が、時折頷き、時折唸りながらも傾聴した。
 彼等にとっても、残る6日間に、武から受けた教導をどれだけ物に出来るかが、来る作戦の成否を分けるのだと解っている為、全員が真剣な表情であった。
 そして、別れの時がやってきて、暮人が一同を代表して謝辞を述べる。

「白銀大尉、そして神宮司軍曹。作戦を目前に控えたこの時期に、6日間に亘る教導、誠にご苦労だった。
 貴官らの献身に対する礼は、必ずや来る作戦に於ける戦果にてお返しして見せよう。
 再び見えるその日まで、ご壮健であれ。」

「「 はっ! ありがとうございます! 」」

 かくして、6日間に亘る、武とまりもの旧川崎演習場に於ける教導は終わりを告げた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時58分、往きと同じくまりもの運転する高機動車で、日の暮れた夜道を横浜基地へと向う武とまりも。
 まりもの思惟は、教導期間中のあれこれへと向いがちであったが、武の思惟は、既に明日からのA-01との訓練に向っていた。

「……白銀大尉、彼らは実戦で戦い抜くことが出来るでしょうか?…………いえ、今の質問はお忘れ下さい。
 言っても仕方の無い事でした。命令が下る限り、出来るかどうかに関係なく、全力を尽くさねばならないのが軍人でした。」

 つい、口から滑り出してしまった問いを、まりもは後悔と共に取り消した。
 毎年、訓練兵をA-01へと送り出す毎に自問してきた問いかけ。いつもは自問するしかなかったその問いを、まりもは、今回、共に教導に当たった白銀に対してぶつけてしまった。
 まりもは、心中で自分を叱り付ける。

(何をやってるの、私は。いくら教導を主導する立場で、大尉の階級を与えられているからって、白銀は、未だ18にもなってない子なのよ?―――あ、昨日で18になったんだったわね。)

 まりもは、昨夜の祝賀の催しを思い返す。昨日は政威大将軍煌武院悠陽殿下の御生誕日であった。
 帝都城では午前より生誕祝賀会が催され、その様子を録画した映像が訓練後の夕食時に上映された。
 夕食は祝賀会とされ、斯衛軍、帝国軍の将兵が入り混じって、殿下の生誕を祝う祝宴と化す。
 斯衛軍、帝国軍を問わず、女性衛士の多くから畏敬の念を寄せられていたまりもは、話しかけられれば上級者である衛士達の相手をするしかない為、武をせめてもの盾代わりにして、傍に付き従う事にしていた。
 そして、意外な事に、武は宴の初めこそ大人しく左官達の相手をしていたものの、隙を見て会場の外へとそうそうに抜け出してしまう。
 衆人環視を浴びていた筈なのに、一瞬の隙を突いて実行された、その際の手際はいっそ見事なものであった。
 まりも一人を伴って、人気の絶えた屋外の寒気に身を晒した武は、黙って夜空を見上げる。
 まりもはその姿を見て、彼の想いが御剣冥夜の元へと向いている事を悟った。
 訓練教官であったまりもは、冥夜と武、そして悠陽の誕生日が同じである事を知っている。
 どことなく寂しげに見えた武の背に、まりもは躊躇った挙句、何気ない風を装って、武の誕生日を祝う言葉を告げた。
 驚いて振り向いた武は、笑みを零して礼を述べ、なにやらおどけるような事を話していたように思える。
 何故か―――そう、何故か、その内容をまりもは記憶できていなかったのだが、来年こそは皆で盛大に……とか言っていた様な気がする。
 いずれにしても、その時武が浮かべた笑顔だけは、しっかりとまりもの記憶に焼きついていた。

「…………ちゃん?…………まりもちゃん……神宮司軍曹ッ!!」
「はっ!―――あ、白銀大尉?」
「白銀大尉? じゃ、ありませんよ。運転中にボーっとしないで下さい。いくら廃線同然で対向車が見当たらないって言っても、危なすぎます。」
「も、申し訳ありません、大尉!」

 まりもは赤面して詫びた。上官を―――しかも、次の大作戦の成否を握る重要人物を乗せた運転中に、物思いに耽って自失するなど背任行為にも相当する行いであった。
 自分の為した失態に、まりもの羞恥はなかなか収まろうとしなかった。―――本人の主観においてはだが。
 理由はともあれ、まりもが顔を真っ赤に染めた事に、車内が暗いせいか気付きもしなかった武は、先程のまりもの言葉に対する応えを律儀に繰り返した。

「まりもちゃんの言う通りですけど、心配するには及ばないんじゃないですか?
 初陣を迎える新兵って訳じゃないですし、ヴァルキリーズが新潟で実戦運用した際の戦訓も、教導に取り入れてありますからね。
 それに、もし何か問題が起きたり、失敗してしまう衛士が出たりしても、彼等の経験はまず失われません。
 前線で煽りを食らう将兵には申し訳ないですけど、彼等が得た経験は、必ず未来に生かされます。
 それを、信じるしかないですね。」

 武のその言葉にまりもは、武が戦場での犠牲を受け入れている事を再確認した。
 そして、前線の将兵や、陽動支援を命じられた衛士達から発案者である自身が疎まれようとも、将来に亘って犠牲が最小限になる事を、最優先に考えているのだという事も……

 この6日間、旧川崎演習場でたった2人きりの国連軍人であり、教導に関する調整や検討など意見交換をする必要も有った為、まりもは武と会話する機会が多かった。
 必然的に、仕事以外の会話も少なからず紛れ込み、1週間にも満たない間に、まりもは随分と武の事を知り得たような気がする。
 初日に武が語った『与太話』を、まりもは事実に限りなく近い例え話なのだろうと考え、受け止めている。
 話に紛れ、冗談の振りをして、平和な世界で教鞭を取っていたと言う自分の話なども聞いてみた。
 すると、武は一瞬だけ表情を消してから、微笑を浮かべて誇らしげに、作り話だと前置きをしてから、実在しない女教師の話を語った。
 武は誇らしげに語るのだが、その内容はその教師の失敗談が多く、滑稽なものが殆どであった、それでも最後に武は、尊敬に値する人生の先達であったと述べて、話を締め括った。

 この6日間で、まりもは武が多くの想いを胸にしまい込んでいる事を知った。
 訓練兵であった頃から、薄々感じてはいた事だが、どうやら想像以上に質、量ともに尋常ではない想いであるようで、まりもは、武が時折見せる、年齢に不相応な覚悟や決意の根源を垣間見たように思う。
 先程、聞いても仕方の無い質問をしてしまったのも、以前とは比べ物にならないほど、武の判断を信頼するようになっている証拠だったかもしれなかった。

「そうね。『死の8分』で全ての可能性が消えてしまうよりは、絶対いいわよね。」

 戦場で命が―――可能性が失われるのは避けられない。その冷徹な論理に従って、まりもも武の言葉に同意した。
 今まで自問自答を繰り返してきた疑念の答えは未だに得られはしなかったが、少なくとも未来への希望は得られた。
 まりもには、今はそれで十分であると感じられたのであった。
 まりもにとっての最前線、横浜基地まで残る道程はほんの少し。
 ―――そして、ほんの数日後にはその横浜基地から、まりもの教え子たちが戦場へと旅立つ事になっていた―――




[3277] 第64話 クリスマスの過ごし方
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/21 17:41

第64話 クリスマスの過ごし方

2001年12月18日(火)

 06時31分、1階のPXの奥、A-01専用とされたテーブルに、元207Bの5人を除くヴァルキリーズが勢ぞろいして、武と霞を待ち受けていた。
 朝食の配膳が始まる前から席に着いていたらしく、テーブルの上には何も置かれていない。
 久しぶりに霞に起してもらいご機嫌だった武の気分が、段々と坂道を転がり落ちていく……

「お、おはようございます……」
『『『 ―――おはようっ! 』』』

 揃って笑顔で挨拶を返す、ヴァルキリーズの13人。その全員が、興味津々の様子で頬を上気させ、武と霞が席に着くのを今や遅しと待ち構えていた。

「か、霞……今日は、別の席で―――「駄目だ。」―――は?」
「それは許されないぞ、白銀。A-01の一員である以上、貴様は指定された席で食事を取る義務がある。解ったな。」

 テーブルに肘を着き、顎の前で両手の指を組んだみちるが、薄く笑みを浮かべながら俯き加減で言い放つ。

「……わ、解りましたよ…………」

 ―――そして、武にとっての難行が始まる。霞のはしから武がおかずを食べる毎に、野次馬と化したヴァルキリーズの13人が、拳を握って感嘆する。
 何気に霞に食べさせる時にも、黄色い歓声が上がっていた。

「ふ……まさか、本当に毎朝あ~んをしていたとはな。見直したぞ、白銀。」
「いや~、ほんっとうにやってるなんて思わなかったわよ~。恥ずかしくないのかしらね、ねぇ? 白銀た・い・い?」
「ぷ……み、水月……そ、それはちょっと……ぷくく……す、済みません、白銀大尉……ぶっ!……」
「おやおや、涼宮中尉はツボに入ってしまいましたか。白銀大尉も罪作りな方ですね。そうは思わないか? 祷子。」
「ま、まあ、罪作りといえば、罪作りなのかもしれませんけど……必ずしも白銀大尉に非があるとも言い切れませんし……」

 一通り観賞した所でみちるが感想を述べると、水月が武をからかうようにニヤニヤと笑いながら続く。
 それを遙は窘めようとするが、何かが笑いのツボに嵌ってしまったらしく、言葉が途切れ途切れにしか出てこなかった。
 それをネタにして、美冴が武をさらにからかおうとするが、祷子がその言葉の毒をやんわりと薄める。薄めるに留めたのはわざとか否か?

「いいなぁ~。ねえ、紫苑~。」
「嫌ですよ、姉さん。この年になってお互いに食事を食べさせるのは………………いや、少なくとも、人前ではご免です。」
「ふふふ……紫苑くん……照れてる?」

 相変わらず葵の周囲では、物事の影響が明後日の方角に捻じ曲がるようで、何故か紫苑が頬を染め、それを葉子に指摘されていた。

「あ、あああああ、茜ちゃんッ!! そ、そそそそ、その、あ、あたしたちも―――「駄目!」―――そ、そんだらこと言わねぇで―――「駄目ったら駄目!」―――あうう……」
「あはははは、いいじゃん、茜。一回位やらせてやったら?」
「晴子ッ! 他人事だと思って、いい加減な横槍入れない!」
「アハハッ、多恵も相変わらずっ、一途だよね~、智恵。」
「そ、そうだね~。でも~、わ、私も白銀大尉相手なら~、一度くらいはやってみたいかも…………」
「「「「 え?! 」」」」

 位置的に、武から距離が空いてしまっている元207A組みだったが、多恵はじ~~~~っと武と霞の行いを見た後、矛先を茜に向けて突撃を敢行。
 素気無い拒否に2度に渡って跳ね返されてしょげてしまった。
 そこに、晴子が支援砲撃を試みるが、茜の鉄壁は揺るぎもしない。
 頼もしい元分隊長にへこまされた多恵を月恵が笑い、智恵に同意を求めたのだが、それに応じた智恵の、些か唐突な発言に他の4人は目を丸くして驚く事となった。

 と、そこへ珍しく冥夜と彩峰が連れ立ってやってきた。冥夜の背後には月詠も付き従っている。
 冥夜と彩峰にとっては、既に毎朝恒例の事なので、武と霞の食事は気にもならない。
 どちらかと言えば、先任達のテーブルに朝食が並んでいない事の方が気になったが、差し当たって黙ってテーブルに着いた。
 が、些か冷たい眼で武を見た月詠が、辛辣な言葉を漏らす。

「……本当に幼女趣味だったとはな……それならそれで、私の心配事が減るので構わないが……」
「趣味……白銀は実は多趣味……守備範囲は恐ろしく広い…………」
「む……そうなのか? それでは百害しかないではないか……」

 その月詠の言葉に彩峰が応じて、武の傷口を広げにかかる。月詠も、したり顔でそれを受け止め、深刻そうな風を装って言葉を返した。

「こらこらこらっ! そこ何の話してるんだよっ!!」
「綾取りとか、お弾きまで…………え? 白銀の趣味の話……どうかした?」

 堪らず割って入った武の抗議を、わざと聞き流しながら彩峰は言葉を続け、さらにその後で、白々しく驚いた素振りをしてみせる。
 止めに、彩峰がニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、武は歯軋りして、白旗を揚げた。

「くっ……惚けるだけじゃなくて、欺瞞まで組み込むとは……う、腕を上げたな、彩峰……」
「褒めてくれるなら、ヤキソバ奢って……」
「どうして奢ってやんなきゃならないんだよっ!」

 傍若無人な彩峰の言葉に、さすがに武がキレるが、無論それすらも彩峰の手の内である。

「大尉に昇進したくせに……白銀大尉はケチですよ……」
「白銀、大尉にもなっておいて、少々騒がしいぞ? 冥夜様のお食事に障るではないか。」
「ん? 気にするでない、月詠。武が騒がしいのは元気な証拠だ。大尉になったからと言って、あまりに大人しくなっては、却って皆が心配しよう。
 それに、人とはそれほど急には変われぬものであろうしな。」

 キレた武に彩峰、月詠、冥夜のトリプルコンボが、満を持した大尉昇進ネタを絡めて叩き込まれる。
 それに、その場に居た全員が唱和し、武はテーブルに頽れてしまった。

『『『 ―――確かに! 』』』「みんなして酷ぇよ……」
「白銀さん……」「霞……慰めてくれるのか?」

 その武に、左隣から、霞の声が掛かる。それに、一縷の慰めを見出して武が顔を上げると……

「あーん、です。」「………………そっちか……」

 そこには、場の空気を一切無視して、マイペースを貫く霞の姿と、差し出される合成さば煮込みがあった。

「おはようございますぅ~。あれれ? たけるさん、どうかしたんですか?」
「―――どうせ、大尉への昇進祝いで、遊ばれた挙句にへこんだんじゃない?」
「あはは、そうそう、タケルぅ、大尉への昇進が決まってるのに、隠したまま出向しちゃうだなんて、水臭いよ~。
 香月副司令が、わざわざ教えに来てくれなかったら、みんな知らずに居たところだったんだよ~。」
「………………」

 差し出されたさば煮込みを、テーブルに右頬を付けただらしない格好で武が咀嚼していると、残りの4人もやってきた。
 武の様子に目を丸くする壬姫、それを一瞥しただけで、凡その事情を断じて見せる千鶴、相変わらずのマイペースで言いたい事を言う美琴。
 ただ独り、無言を通した沙霧は、せめてもの武士の情けをかけた心算なのかもしれない。

「あ~~~、もうっ! 朝っぱらから、いい加減にして下さいっ! 先任の皆さんももう十分でしょ? 朝食くらい取ってきたらどうなんですか?」

 堪忍袋の緒が切れた武が、席を立ってテーブルに手を付いて言い放つと、みちるを除いた先任全員が揃って起立し、直立不動で敬礼して異口同音に応じる。

「「「「「「「「「「「「 はっ! 了解いたしましたっ! 大尉殿ッ!! 」」」」」」」」」」」」
「ぐはっ!!………………こ、これが…………これが、やりたかったんですね…………」
「まあ、そういうことだな。なに、隊の皆からのささやかな昇進祝いだ。仲間に愛されていて良かったな、白銀大尉?」

 みちるを除くヴァルキリーズ先任12名の、一糸乱れぬ言葉に、頽れるようにしてテーブルに突っ伏した武は、息も絶え々々に言葉を搾り出す。
 そこへ、席を立ったみちるが済ました顔で講釈を垂れ、先任達を引き連れて、カウンターへと朝食を取りに向ったのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時02分、ブリーフィングルームには、A-01に所属する衛士20名が久しぶりに勢揃いしていた。

「―――皆も既に知っての通り、白銀が先日大尉に昇進し、第13中隊の指揮官に着任した。
 これにより、本日より沙霧は私の指揮下を離れ、白銀の指揮に従う事とする。
 また、本日午後からは、近日中に実施が予定されている大規模作戦を前提とした演習が開始される。
 これに関しては、白銀から説明してもらおう。―――白銀! 着任の挨拶と、引き続いて作戦概要並びに本日の演習に関して説明を頼む。」

 演壇に立って話していたみちるは、武を指名して自分は最前列左端の席へと座る。
 代わりに最前列右端の席から武が立ち上がり、演壇へと上がった。

「12月17日を以って、国連軍横浜基地司令部直属A-01連隊第13中隊隊長の辞令を受けた白銀武大尉だ。
 とは言え、現状第13中隊は所属衛士がオレと沙霧少尉の2名しか居ないため、ヴァルキリーズとの合同演習を行う事が多くなると思う。
 今まで通り……いや、今まで以上によろしく頼む。
 尚、第13中隊のラジオコールは『スレイプニル』とした。これは、主たる任務となる、陽動支援機による緊急展開任務に由来する。
 さて、次に今後の予定について述べる。
 先程、伊隅大尉が仰ったとおり、近々大規模作戦が発令される。
 作戦名は『甲21号作戦』、実施予定日は12月25日。作戦目的は、甲21号目標―――つまり、佐渡島ハイヴの占拠だ。」

 武はここで一旦言葉を切って、A-01の全員を見廻す。みな、緊張と高揚を綯い交ぜ(ないまぜ)にした真剣な顔を向けて来ていたが、疑念を浮かべているのは3分の1がいいところであった。

「いいか? 攻略でも、殲滅でもない。占拠が目的だ。今回の作戦ではハイヴ中枢部の機能を維持した状態での占拠を目指す。」
『『『 ッ!! 』』』

 武がはっきりと告げると、19名全員の表情が、一斉に驚愕に染まった。

「みんなの言いたい事は解る。『明星作戦』を除けば、反応炉の破壊によるハイヴ攻略すら、先日行われたオリジナルハイヴへのG弾大量投下による例しか成功例がない。
 従来のハイヴ攻略戦術は、地上陽動によりハイヴ内のBETAを引き付け、その隙にハイヴ突入部隊が反応炉破壊を目指し、その達成によって残存BETAを撤退に追い込み、追撃戦で可能な限りの損害を与えるというものだ。
 それが既存の戦術で期待しうる最大限の戦果であり、しかも、G弾を使用した『明星作戦』以外では、未だに反応炉への到達に成功した例すらない。
 しかし、それでも尚、『甲21号作戦』の作戦目的は占拠だ! 佐渡島に蔓延って(はびこって)いる全てのBETAを駆逐し、BETAハイヴの中枢を丸裸にして手に入れる!
 勿論G弾も使用しないッ!! これは日本帝国の悲願である佐渡島奪回に止まらず、今後の大陸反攻作戦の行方を占う重要な作戦だ。
 そして―――この作戦の中核を担うのが、我々第4計画直属の特殊任務部隊であるA-01連隊となるッ!!
 『甲21号作戦』は、第4計画が提唱したG弾を用いない『大陸奪還作戦』の試金石となるものである。
 全世界が―――特にBETAに国土を占領された国家群が当作戦に寄せる期待は、非常に切実な物である。
 よって、当作戦は万難を排して成功させねばならない!
 尚、『甲21号作戦』は在日国連軍、帝国軍、大東亜連合軍の3軍の協力の下、第4計画の主導によって実施される。
 特に、帝国はその全戦力の半数近くを投入する予定だ。
 ―――ここまでで、何か質問はあるか?」

 武が質問を待って、A-01を見廻すと、他に質問をする者が居ない事を確認してから、千鶴がその手を掲げた。

「榊少尉か。発言を許す。」
「はっ! ありがとうございます。G弾を使用せずに佐渡島のBETAを残らず駆逐するとのご説明でしたが、それらは通常の装備弾薬のみを用いてなされるのでしょうか?
 弾薬の備蓄総量からして、BETA全てを駆逐するには、些か不足が出るのではないかと愚考いたします。」

 千鶴は、起立して意見を述べる。武は頷いてそれに応じる。

「榊少尉の疑念は尤もだ。従来の戦術ではレーザー属種による対空迎撃により、支援砲撃の大半が迎撃される為、大量の弾薬が無為に消費された。
 また、直接砲撃も、突撃級の突破力を活かした蹂躙戦術により乱戦に持ち込まれ、運用機体ごと多大な損耗を出している。
 しかし、当作戦では、対BETA戦術構想に基づき、それらの無為な損耗を避け、装備弾薬を有効に使用する事で、費用対効果を劇的に向上させる事を目指す。
 そして、その上で、G弾に代わる大規模殲滅用兵器が投入される。これは、第4計画の擁する新型兵器だ。
 この新型兵器に関する詳細は午後の演習の前に行う。
 ―――が、当作戦に於いては、この新型兵器が運用できるか否かで装備・弾薬・兵員の損耗が大きく異なってくる為、我々A-01の主たる任務はこの新型兵器の運用並びに直衛となる!
 対BETA戦術構想が有効に機能した場合の、装備弾薬の損耗軽減に関しては、今更説明する必要は無いな?
 これで納得いったか? 榊少尉。」
「はっ! ありがとうございました!」

 武は更に暫く待ったが、他には質問が無い様なので、話を進めることにした。

「よし、では続けて本日の演習内容に関してだが、午前中はA-01全体での連携訓練を行う。
 これは、部隊としての呼吸を合わせる為のものであり、『甲21号作戦』に於ける連携とは異なる。
 しかし、午後からの訓練では、編制や部隊内運用などの様相が一変してしまう為、最後に隊内の連携をしっかりと確認し、仲間との繋がりを強固な物としておくように。
 そして、午後からの訓練だが、A-01と帝国斯衛軍第16大隊との合同演習となる。
 また、これに伴って、横浜基地に駐留していた斯衛軍第19独立警備小隊が原隊である第16大隊に組み込まれ、さらにヴァルキリーズの御剣少尉と斯衛軍第16大隊第1中隊B小隊所属の神代巽少尉が配置を交換することとなる。
 これは、御剣少尉が政威大将軍殿下の要請により、特殊任務を帯びて帝国斯衛軍へ出向となるにあたり、その代替要員として、また斯衛軍との共同作戦を行うに当たって、意思疎通を円滑に行う為の要員として、神代少尉を我が隊に受け入れる事とした為だ。
 幸い神代少尉とは、御剣少尉を通じて面識があると思うので、上手く受け入れて欲しい。衛士としての技量は確かだし、完全にこちらの指揮系統に組み込まれる為、斯衛軍衛士である事には特に配慮する必要はない。」
「………………」『『『 ―――!! 』』』

 武の説明に、冥夜は遂に来るべきものが来たかと決意を顔に浮かべ、他の者達は、ようやく馴染み始めた仲間が、顔見知りとは言え他組織の人間に入れ代わる事への不安を顕わにした。
 武はその不安を宥める為に、口調を和らげて続ける。

「これは、色々と検討した結果、第16大隊、ヴァルキリーズ共に尤も影響が少ない方法として採用されました。
 最悪の場合、さらに沙霧少尉と神代少尉の配置を交換しますが、神代少尉を受け入れる方向で上手く連携出来るように努力して下さい。
 午後からの演習は、『甲21号作戦』の各局面を前提とした演習となります。よって、その詳細は本日午前中に当基地に派遣されて来る第16大隊の合流を待って説明を行う事とします。
 ―――質問が無ければ、以上で説明を終わり、午前の訓練を開始したいと思います。………………ないですか?……伊隅大尉。」

 武が質問が無い事を確認した後、みちるに声をかける。

「よしっ! 午前中の訓練は実機演習だ。総員、衛士強化装備を装着の上、ハンガーに集合しろっ! 解散ッ!!」
「そ……………………………………ちょっと、白銀大尉!」

 いつもの癖で、号令をかけようとして、言葉を飲み込む水月。しかし、一向に号令がかからない為、武に注意を促す。
 こちらもいつもの癖で号令を待っていた武は、慌てて謝罪すると号令をかけた。

「え?…………ああ、オレが次席指揮官なんでしたっけ……すみません、速瀬中尉。
 総員―――敬礼ッ!」

 その物馴れない様子に、皆は苦笑を浮かべながらも一斉に敬礼した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時26分、定員150名のブリーフィングルームに、斯衛軍第16大隊の衛士36名と、A-01所属衛士20名、合計56名が勢揃いしていた。
 既に名前と階級、得意とするポジションのみの、簡単な自己紹介までが済んでおり、然る後、冥夜と神代を交換する形で全員が席に着いていた。
 冥夜も神代も、近くに第19独立警備小隊や、元207Bの既知の人物が居るとは言え、今ひとつ馴染めていないようであったが、一刻も早く周囲に溶け込むことが期待されている為、止むを得ない措置であった。

「―――それでは、斉御司大佐を差し置いて僭越なのですが、本日より6日間に亘って行われる合同演習の説明をさせていただきます。
 今回の合同演習は、来る12月25日に実施される予定の『甲21号作戦』を念頭に置いた演習となります。
 『甲21号作戦』に於いては、『御名代』となる御剣少尉を擁した斯衛軍第16大隊と、我が国連軍横浜基地の新型兵器を運用するA-01連隊が両輪となって、作戦を推進する事が期待されております。
 また、作戦の全行程において、対BETA戦術構想第2期装備群を運用するのも、我々だけとなります。
 今作戦の趨勢を握っているのは対BETA戦術構想による効率的なBETA殲滅ですが、その要となる対BETA戦術構想装備群は、我々を除けば斯衛軍第5連隊と帝国軍陽動支援機連隊に配備されるのみであり、しかも、これらの部隊には第1期装備群しか配備されておりません。
 よって、我々こそが今作戦の要であり、作戦の成否は偏に我々の双肩に掛かっているのだという事を、今一度心に留めていただきたいと思います。
 また、斉御司大佐には誠に申し訳ないのですが、作戦期間中の戦術並びに装備運用に関しましては、小官の判断を優先して従っていただきたいと思います。
 大佐の階級にあらせられる方に、大尉の身で僭越極まりない要請ではありますが、曲げてご了承願いたいく、お願い申し上げます。」

 そう言って、深々と頭を下げてみせる武に、斉御司大佐は鷹揚に手を振って快諾する。

「何を言うか白銀。対BETA戦術構想こそが、今作戦の要と申したのはそなたであろう。
 さすれば対BETA戦術構想の提唱者であり専門家であるそなたの指示に従うに、何の異論も有りはすまい。
 存分に采配を振るうが良かろう。我等がそなたの指示に逆らう場合は唯一事、御名代殿の身命を御守りする際だけよ。
 それだけは、何を差し置いても我等は断固として成し遂げる!
 が、それに反せぬ限りに於いて、我等はそなたの指示に忠実に従う事を約そうではないか。」

 武は頭を上げると、感謝の言葉を述べた。

「ありがとうございます。斉御司大佐。小官も全身全霊を持って、最良の結果を得るべく粉骨砕身いたしますので、どうかよろしくお願い申し上げます。
 ―――さて、それでは今作戦の概略に関して説明させていただきます。
 まず、今作戦で投入される特殊装備についてですが、既に対BETA戦術構想の第2期装備群までの詳細は、皆様ご存知の事と思います。
 そこで、重要機密である、我が横浜基地の新型兵器に関して説明させていただきます。
 皆様、ご承知とは思いますが、作戦終了後に至っても尚、新型兵器の情報は軍機となりますので他言無用にお願い申し上げます。
 では、前置きが長くなりましたが、新型兵器、戦略航空機動要塞『凄乃皇弐型』をご紹介させていただきます。」

 室内の全員の目が、映し出された『凄乃皇弐型』の3面図に釘付けとなる。
 そして、その大きさと、戦術機とは全く異なる形状に、徐々に驚きが広がっていった。

「戦略航空機動要塞『凄乃皇弐型』は、ハイヴへの単独侵攻単独攻略を目的として開発された機体ですが、残念ながら現状ではそこまでの性能は発揮できていません。
 しかし、搭載している荷電粒子砲は口径20mを超える熱衝撃波を発射します。有効射程は20km程度で、射線軸周辺の一定範囲は熱衝撃波と電磁波、そして副次的に発生する強力な磁界に曝されます。
 予測されるBETA殲滅範囲は、『凄乃皇弐型』を起点とし、15km地点で幅5キロに亘る漏斗状の範囲を想定しています。
 この範囲内に存在するBETAは、例え要塞級であっても殲滅できるはずです。
 この絶大な砲撃能力によって、地上に展開するBETA群を殲滅し、さらにはBETAハイヴの上層部から中階層辺りまでを地盤毎吹き飛ばし、地下茎内の制圧を容易にする予定です。
 また、『凄乃皇弐型』はムアコック・レヒテ型抗重力機関と言う主機を搭載しており……」

 武による『凄乃皇弐型』の説明に、室内の全員が、最初は眼を丸くし、次に呆気に取られ、しかし、次第に何者かに魅入られたかのように興奮し、『凄乃皇弐型』の図面に視線を釘付けにされていく。
 それは、彼等にとって、BETA殲滅の切り札に見えたのであろう……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時52分、シミュレーターデッキへと向う道すがら、武は斉御司大佐と言葉を交していた。

「この度は、わざわざ出向いていただき、ありがとうございました。
 先程のブリーフィングにしろ、これから受けていただくシミュレーター演習のシナリオにしろ、機密情報が多いものですから……」

 武が斉御司大佐に、感謝と事情の説明をしようとするが、斉御司大佐は軽く手を上げてその言葉を遮った。

「なに、気にする事は無い。先程のブリーフィングで更に得心がいった。この基地こそが、BETAに対する反攻作戦の要であり、発祥の地であるのだとな。
 であれば、我等は進んでこの地に集い礼賛するのみよ。
 それより白銀。先の教導で同行していた神宮司軍曹は、やはり此度の作戦には参加せぬのか? 基地で留守居をさせておくには、惜しい腕前の衛士と見たのだが……」

 武は、斉御司大佐の言葉に、神妙に頷きながらも説明をしようとして………………果たす事ができなかった。

「ああ、神宮司軍曹でしたら……って、うわぁあ~~~。」
「む、白銀?…………これは……一体どういった趣向なのですかな? 御名代。」

 なにやら、A-01の衛士達に担ぎ上げられ、通路の向こうへと小走りに運ばれていく武を見送った斉御司大佐は、その武の代わりのように己が隣に現れた冥夜に訊ねた。

「なに、シミュレーター演習を始める前に、少々身内の儀式があるのです。
 我がA-01は白銀大尉と沙霧少尉を除けば女性(にょしょう)ばかりゆえ、白銀大尉が男性用ドレッシングルームに入る前に迎えに参じたまで。
 担ぎ上げて運ぶ段に及びましたるは、先のブリーフィングにて皆少々気が高ぶっておるからでしょう。
 ―――ところで、もし差支えがなくば、私も儀式に参じようと思うのですが、よろしいでしょうか。」

 冥夜は生真面目な顔で、尤もらしく言葉を連ね、武の後を追ってよいかと斉御司大佐に訊ねた。

「あ、ああ……御名代殿の望まれるとおりになされるがよろしいでしょう。
 ここは国連軍の基地。国連部隊の流儀とあれば、私がどうこう言う筋でもございますまい。」

 その、一見平静に見える顔(かんばせ)の裏に、なにやら焦燥のような気配を感じ取った斉御司大佐は、冥夜を繋ぎ止める術を見出し得なかった。

「では、遠慮なく、儀式に赴かせていただきます。さすれば、後ほどシミュレーター演習の場にて。失礼仕ります。」

 許しを得、流れるような挙措で一礼すると、冥夜は駆け足に劣らぬほど素早い早足で、仲間達の後を追って立ち去っていってしまった。
 後に残された斉御司大佐は、近くに居合わせた沙霧に声をかける。

「………………のう、沙霧。そなたは儀式に参ぜずともよいのか?」

「は、私は謂わば外様でございますので…………」

 言葉少なに沙霧は答え、武が運び去られた方へと、憐憫に満ちた眼差しを一度だけ向けた……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時57分、ドレッシングルームに程近い人気の絶えた通路で、武はヴァルキリーズに囲まれていた。

「伊隅大尉、首尾は如何ですか?」
「御剣か……なかなかしぶとくてな、だが、教導に当たった6日間の間、神宮司軍曹が同行していたのは確かなようだ。」
「……そうですか。」

 通路の先から早足で歩いてきた冥夜は、みちると言葉を交すと、武を鋭い眼差しで貫いた。

「さて、白銀。もう一度確認するが、神宮司軍曹に不埒な真似はしていないだろうな?」
「ふ、不埒な真似って、なんですか! オレは真面目に教導任務を―――」

 みちるに訊ねられて、武は即座に抗弁するが、その途中で美冴が口の端を妖しく吊り上げて割り込んできた。

「ふっ、不埒な真似と言うのはだな、大尉の階級を笠に着て、軍曹が逆らえないのを良い事に、あんなことやこんなことを……」
「美冴さん、白銀大尉もそこまで品性下劣な方ではないでしょう。ですが、若い殿方であるのも事実……」
「手ぇ出しちゃったんじゃないのぉ? 白銀ぇ。神宮司軍曹、喜んでた?」
「あ、それに関してはですね、速瀬中尉。実は京塚のおばちゃんに聞いたんですけど。教導から戻って以来、神宮司軍曹の機嫌がいいらしいんですよ。
 しかも、食事中にたまに物想いに耽ってるそうです。」
「でかしたわっ! 柏木。ほらほら白銀~~~っ、ネタは上がってんのよぉ~。正直に白状しちゃいなさい! 3、2、1―――はいっ!」
「してませんってばっ!!」

 美冴の決め付けに、祷子がフォローを入れるものの、彼女も疑いは持っている様子。
 祷子が言葉を濁した後を水月が受けて、さらに晴子が聞きこんだ情報で武を窮地に追い落とす。
 その情報に力を得た水月が告白を迫るが、武は無実を主張して否定するのみ。
 そして、そこに救いの手が差し伸べられ―――

「もう、水月も無理に聞き出しちゃ駄目だよぉ~。でもね……白銀大尉……責任はちゃんと取ろうね……男の子なんだからちゃんとけじめは付けなくっちゃ……
 白銀大尉なら……もちろんわかってるよねぇ―――」

 ―――た訳ではなかった。
 遙の優しい声に顔を向けた武だったが、途端にその表情が引き攣る。
 床に座らされた武が見上げた遙の顔は、いつも通りの笑顔を浮かべた小春日和のような温和なものだ。
 しかし、武はその笑顔の奥から放射されるおどろおどろしい念を、如実に感じ取っていた。
 無意識の防衛本能により、相手の真意を読み取るべく発動したリーディング機能を通して、遙から膨大な濁流のようなイメージが流れ込んでくる。

(うわっ! なんだこのイメージは! イ、イメージの色が、黒! 黒! 黒ッ! 全部真っ黒じゃないかッ! 黒過ぎてイメージのディティールが読み取れない……
 ん? 誰か男の人と……速瀬中尉か?………………だ、駄目だっ! リーディング中止ッ!!)

 流れ込んで来たイメージを反射的に解析しようとして、慌てて武はリーディング能力を停止。一次入力情報の該当メモリを封印する。
 武の、その一瞬の動揺を目敏く捉えて、遙は更に言葉を告げてくる。

「あれ? もしかして、心当たりがあるのかな? 駄目じゃない白銀大尉。こうなったら、責任を取ってプロポーズしなきゃだめですね。」
「プ、プロポーズ?!」

 温和な笑顔はそのままに、武に更なるプレッシャーをかけてくる遙。その雰囲気に中てられたのか、水月やみちる、美冴達までもが、一歩引いて様子を窺っていた。
 武は、素っ頓狂な声を上げながらも救いの手を捜して、辺りを見廻す。

「プロポーズって事は、結婚ですよねっ! 実はボク、たまたま婚姻届を持ってるんです! いやぁ~、先日いきなり父さんから手紙が届いてですね、それに同封されてたんですよ~。
 貰った時には、こんなもの持ってても仕方ないと思ったけど、役に立つ時は立つもんなんですね~。
 ほらっ! 武。ここに武の名前を書いて、印鑑はないだろうから―――拇印でも大丈夫かなぁ?」

 遙の放出する空気を一切無視して、能天気な美琴がなにやら懐から紙をとペンと朱肉を取り出し、武の前に並べ始める。
 さすがに意表を突かれたのか、遙も何時もののほほんとした雰囲気に戻って、その用紙を覗き込んだ。

「あ、ほんとに婚姻届だ……」
「ぷ、ぷぷぷぷぷ、ぷろぽぉーずだと?! そ、それに、け、けけけけけ、結婚?! 婚姻届け?!」
「御剣、お、落ち着いてッ!」

 遙がポツリと漏らした言葉に、ついさっきまで凍り付いていた冥夜が、真っ赤になり湯気を出しながら、動揺しきった様子で喚き始めた。
 それを千鶴が必死で落ち着かせようとする。
 その隙に、半ば自失している武に、美琴がペンを握らせようとするが、その手を彩峰がはっしと掴み、妨害する。

「―――させない……」
「ど、どうしたの? 慧さん……」
「……鎧衣の名前が書き込んである……」
『『『 え?! 』』』

 彩峰の声に、全員が驚き、床から拾い上げられた婚姻届が手から手へと回されて、各々が記載内容を確認する。
 そこには確かに、『妻になる人』の欄に美琴の名前と、父母の名前が記載され、誰かは知らないが証人2名の記名捺印も済んでいた。
 後は、『夫になる人』の欄に記載さえすれば、そのまま役所に出せる婚姻届がまさにその紙であった。

「あ、あはははは……そう言えば、父さんからの手紙には、気にいった相手が見つかった時に使えって、書いてあったっけ……すっかり忘れてたよ~。」
『『『 嘘だっ!! 』』』

 全員に指差されて、美琴はしょぼくれたまま武から隔離された。

「よ、鎧衣さんが、あんなことをするなんて……はっ! そ、そう言えば、ミキの部屋にも婚姻届が―――」
『『『 ―――それはもういいから! 』』』
「は……はいぃい~~~」

 美琴を見送った後、便乗しようとした壬姫も、皆に睨まれてしまい、涙目になって輪の外に追いやられた。

「ゆ、油断がならないわね……彩峰、お手柄よ。今回は褒めて上げるわ。」
「……あんたにも、負けない……」
「な、ななななな、なにいってんのよっ! 難癖付けるってんなら、白黒つけてやるわよ!」
「望むところ……」

 そのまま、睨み合ってその場を離れる2人。残された冥夜は、眼の焦点が合わない状態でフラフラしている。

「結婚かぁ~、佐伯先生、まだぁ独身かなあ? 気になるね~、葉子ちゃん。」
「……うん……」
「あ、佐伯先生って、もしかして、佐伯裕司大尉の事ですか? 教導相手の帝国軍部隊指揮官にそういう名前の人がいましたけど。」

 武が素知らぬ顔をして告げると、葵と葉子が喰い付いて来る。

「えっ?! 佐伯裕司って、佐官の佐に、伯爵の伯って書く佐伯に、裕福の裕に、司(つかさ)って書く裕司?!」
「本当ですか? 白銀大尉!」

 普段とすっかり口調が変わってしまっている2人に詰め寄られ、武は慌てて頷く。
 そんな武を放り出すと、葵と葉子は手を取り合って喜ぶ。紫苑も2人に向って笑顔で言葉を投げかけていた。

「よかった、よかったよぉ~。」「佐伯先生、ご無事でしたか……」「良かったね、姉さん、葉子さん。」

 佐伯の無事を喜ぶ3人を眩しげに見上げながら、武はそろそろと立ち上がる。
 みちると水月、遙、美冴は葵達3人の様子を、共に喜ぶように、羨むように見ていた。
 残る207Aの5人の内、茜はなにやら心配そうに遙と水月を見遣り、その茜を多恵が眼をぱちくりさせながら見詰めていた。

(残りは3人。柏木に高原と麻倉か……くそっ! 柏木はこっち見て笑ってやがる! けど、位置的には離れてるし、ドレッシングルームとは反対方向だ!
 ドレッシングルームの方には……高原と麻倉か……2人で何話してるんだ? ん? こっちを横目で見て……)

 と、月恵がしょうがないなぁと言った風に肩を竦めて壁際により、智恵はそんな月恵を片手で拝んで謝意を示しながらもその後に続いた。
 武は唐突に開かれた脱出路に駆け込み、全力で走り去りながら後方へ怒鳴る。

「オレは……オレは無実ですからねぇっ!!」

 幸い、その場で追っ手がかかることはなく、武は男性用ドレッシングルームに逃げ込む事に成功した。




[3277] 第65話 イヴの告白
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/09/28 17:45

第65話 イヴの告白

2001年12月24日(月)

 18時46分、直江津港に建つ旅客ターミナルビルの一室に、A-01に所属する20名と、斯衛軍第16大隊第1中隊B小隊の月詠以下4名が集まっていた。

 この日の未明に横浜基地を出発したA-01連隊と斯衛軍第16大隊は、多数の車両からなる車列を連ね、陸路にて帝国軍高田基地を目指した。
 高田基地に到着した後は機体の最終チェックを行い、戦術機は主脚走行で作戦参加車両と供に直江津港まで移動し、戦術機母艦『大隈』他、各種輸送艦艇に搭載した。
 その数はA-01連隊だけを見ても87機の戦術機を初めとして、100両を超える数の車両に及んだ為、搭載作業にはかなりの時間を要した。
 それでも『甲21号作戦』参加艦艇の出港時間までには時間が空いた為に、急遽旅客ターミナルの1室を確保して、最終ブリーフィングを行っていたのであった。
 月詠と神代、巴、戎の4人が同席しているのは、冥夜の警護の為もあるが、乗艦時を以って冥夜と神代が配置を交替するという事情も考慮されていた。

 そして、武が全員に確認事項を通達する。A-01の部隊指揮官は大尉として先任となるみちるだが、作戦内容に関しては武の方が詳しい為であった。

「―――確認事項は以上だ。
 さて、みんな疲れているだろうから、この後はゆっくり休んでくれ。
 特に、明日の未明から働いてもらう事になる風間少尉と珠瀬少尉はなるべく早めに寝ておくように。
 第一段階の成否は2人の肩にかかっているからな。」

「はい。」「了解しました!」

 武を真っ直ぐに見返して、祷子と壬姫は応える。
 武は2人に頷くと、今度は冥夜と斯衛軍の4人の方を向いて話しかける。

「御剣少尉―――いや、御名代殿は斯衛軍第16大隊と行動を共にして下さい。第2段階で先陣を切っていただくことになりますので、よろしくお願いします。
 神代少尉は訓練時と同様に桧山中尉と『不知火』5号機に搭乗し、B小隊に所属して速瀬中尉の指揮下に入ってください。」

「任せるが良い。」「了解。」

 冥夜は凛然と、神代は生真面目な表情で応じた。
 武は2人に笑いかけると、沙霧に向き直る。

「沙霧少尉は後ほどヘリで、作戦旗艦となる重巡洋艦『最上』に移乗してもらいます。でもって、オレは一度へリで横浜基地にとんぼ返りだな。」

「了解した。」

 沙霧が頷くのを確認した武は、その場に集う全員の顔をもう一度見廻して言った。

「第4段階になれば全員合流できる。それまでは、各員全力を尽くして任務に当たってくれ。
 伊隅大尉。オレからは以上です。なにかありますか?」

「いや、特にはないな。では、これより一旦解散とするが、船に乗るものは出港30分前には乗船するように。―――解散っ!」
「総員―――敬礼ッ!」

 みちるが解散を命じ、武が号令をかけると、全員が揃って敬礼して幾つかのグループに分かれる。
 元207訓練小隊の者達は、別行動となる冥夜の下に集まって声をかける。
 葵、葉子、紫苑は3人で部屋を出て行き、みちるを筆頭にヴァルキリーズの幹部連と祷子が明日の詳細を確認している。
 武は、沙霧と少し話をした後、ヘリの時間には早かったが、一旦部屋を出ることにした。

 旅客ターミナルを出た武は、帝国軍の知人を訊ねてみるという沙霧と別れ、1人になって港に犇めく船影を眺めていた。
 そうして、武が思い出すのは、『前の世界群』での『甲21号作戦』前夜。あの時は、ヴァルキリーズの皆と共に『大隈』に乗って佐渡を目指した。
 しかし、今回は純夏の代わりに武が『凄乃皇弐型』に搭乗する事になっている。
 テストプランは00ユニットとしての、演算能力の全てを振り絞ってシミュレートした。
 各段階で中核を担う装備人員にトラブルが発生した場合でも、代替案は用意してある。
 最悪のケースでも佐渡島ハイヴのBETAを半減させた上で、3割以下の人的損耗で撤収できるように計画してあった。
 『前の世界群』の時とは異なり、00ユニットからの情報流出も無い。司令塔であるオリジナルハイヴの反応炉も機能を停止したままだ。
 まして、横浜基地の反応炉から得たリーディングデータにより、BETAの手の内も解っている。
 それでも尚、武の内から不安は一向に消え去ろうとはしなかった。

「白銀大尉~。ちょっと、いいですか~?」「お邪魔するねっ!」

 武は声をかけられるのを待って、後ろを振り向く。するとそこには、智恵と月恵の2人の姿があった。

「ん? 高原と麻倉じゃないか。どうした? 何か用か?」

 武が訊ねると、月恵が頭をかき回しながらそっぽを向き、肘で智恵を小突く。
 小突かれた智恵は、心持ち引き攣った笑みを浮かべて武に話しかけた。

「えっと……もし、お忙しくなかったら、任務とか、部隊とか、関係無しで、少しお話出来ませんか?」

「ん~。そうだな。敬語と階級抜きでだったら、相手してやってもいいぞ?」

 武が思い付きでそんな条件を出すと、月恵の方が喰い付いて来た。

「えっ! タメ口ならいいの?! やったぁ~っ!」
「つ、月恵~、そんなに飛び跳ねないでよ~……それに~、私はこまっちゃうよ~。」
「別に同い年なんだし、そんなに気にすることもないだろ? 高原。」
「そうそうっ! 折角白銀がこう言ってるんだしっ、甘えちゃえっ!」
「う、うん! えっと~、白銀君。ちょっと聞きたいんだけど~………………」

 武の言葉に、その場で飛び跳ねて喜びを表す月恵だったが、それでは直ぐ隣に居た智恵が堪らなかったらしく、月恵に文句を言う。
 それへ武が言葉を足して、智恵にも上下関係抜きの会話を受け入れるように誘導する。
 月恵も即座に同調し、智恵を唆した。智恵も未だに躊躇いが残るものの、何とか武に話しかける。

「なんだ?」

 上手くいったと内心快哉を叫びながらも、平素を装って武は智恵を促す……が、続いて発せられた智恵の言葉に、武は慌てふためく事となった。

「その~…………白銀君は~、誰か付き合ってる娘とかいますかっ!?」
「え゛……」
「そ、その、も、ももももも、もしいないのでしたら~、わ、私とお付き合いしていただけないでしょうか~。」
「あ~っ! 智恵っ!! 抜け駆けは無しだって約束したでしょっ! はいっ! はいはいはいっ!!
 私も立候補するっ! ねっ、白銀、こんなご時勢だけど、任務中以外は、面白おかしくハッピーに過ごそうよっ!!」
「ぬ、抜け駆けじゃないもん~。」
「はいはいっ。解ったから拗ねないのっ! で、白銀っ、返事は如何にっ!?」
「や、やっぱり~、もう誰か心に決めた人が~…………」

 想像だにしなかった突然の告白を、しかも2人から続けて告げられて、武は頭が真っ白になった。
 靄のかかったような思考を必死になって掻き回して、事態を整理しようとする。

(ちょ……ちょっと待て! 冥夜とか、元207Bの連中ならともかく、なんだって高原と麻倉が……
 今までの記憶でだって、そんなのひとつもないぞ!?)

 今まで武が経験した世界群では、智恵と月恵は武に出会ってすらいないのだから、記憶が無いのは当然であった。
 そんな、意味の無い空回りの思考を続けながらも、武はなんとか返事らしきものを口にしようとする。

「え、えっと……別に付き合ってるとか、そういう相手は居ないけど……」
「よかった~。社さんと本気で~結婚前提でお付き合いしてますとか言われたら~、私どうしようかと思ったよ~~~。」
「ほらっ! そんな光源氏もどきなんてさっ、現実には居ないっていったじゃんっ!」
「ほんとに良かったぁ~。」

 なにやら、随分な事を言われているような気がしたが、互いに手を取り合って喜んでいる2人を放っておいて、武は優先順位に従い状況把握を優先する。

(えっと。2人共、オレがフリーなら付き合ってくださいってことか? それってつまり………………オレが好きですって事?! なんで!?)

 武は、必死に自身を落ち着かせ、2人に話しかけた。

「あー、ちょっと待ってくれよ。一体全体なんだって急に、そんな話になったんだ?」
「別に急じゃないよっ! 新潟に出撃した頃から、目は付けてたんだからっ!」
「その~……最近は~、同年代の男の子って殆ど身の回りに居ないんですよ~。横浜基地でも殆どが年上の方ばかりですし~。」
「まっ、一応歩兵部隊の新兵に若い子が何人かいるけどさっ! けど、あの子らは兵卒だから、士官の私達が声かけるとがっちがちになっちゃうんだよねっ!
 かと言って、士官で若いのっていったら衛士になるけど、国連軍の衛士はなんか擦れたのばっかで、ヤラシーのが多いんだよねっ!」
「なんどか~、声をかけられたことはありますけど~、ああいうのはちょっとご遠慮願いたいです~。」
「智恵なんか、大人しいから、Oh~大和撫子~ッ! とか言われて、まとわり付かれた事あったもんねっ。」
「A-01の所属で無かったらと思うと~、悪寒が止まりません~。」

 武の問いかけに触発されたように、2人は交互に、如何に自分達の身の回りに交際相手に相応しい男性が少ないかを主張し始めた。
 その内容には、武も他人事ながら頷かずにはいられなかった。
 確かに、現代日本の若者の多くが戦場で命を散らし過ぎていたし、横浜基地に配属になっている他国籍の国連軍将兵は、若い衛士であっても全員が実戦経験があり、厭世的であったり享楽的であったりと、癖のある人物が大多数であった。
 また、国連軍の自由性交渉制度の存在が、恋愛や性交渉を秘め事とするこの世界の日本文化と馴染まない為、日本国籍の国連志願入隊組みと外国籍の配属将兵との間に、隔たりが生じがちなのも事実であった。
 要するに、この世界の日本育ちの少女らにとって、国連軍の男性将兵は心情的に受け入れ難い人物が多かったのである。

 智恵と月恵の言葉に武は、『この世界群』でのトライアルでも、シャーク小隊として『陽炎』を駆ってトライアルで活躍していた国連軍衛士達を思い出す。

(『前の世界群』でトライアルの時に話したエースパイロット達も、えらい明け透けな人達だったからな……
 あれには、オレでも付いてけなかったし。
 あれ? 最近どっかでこんな感覚……そうか、沙霧さんの色事の話の時か……そうすると、帝国軍でも前線で戦う将兵はそっち方面は盛んなのか?
 ヴァルキリーズは、なまじ若い女性ばかりだったから特殊なのかな?
 ―――ああ、そうか。訓練学校の卒業生ばかりで発足したから、前線で揉まれた熟練兵が殆ど居なかったのか……
 よくまあ、それで部隊が崩壊しなかったもんだな……さすがは00ユニット素体候補者ばかり選りすぐっただけはあるって事か……)

 文化的背景を考察していたはずが、智恵と月恵が所属するA-01連隊の特異性に辿り着いてしまった武は、その仕組まれた苛酷な環境に陰鬱な思いに捉われかけてしまった。
 そして、ふと気付くと、智恵と月恵が不安そうな表情で自分を覗き込んでいるのに気付く。

「―――ん? どうかしたか?」
「へっ!? あ、えっと、そのっ、あのっ……智恵、パスッ!!」
「あ! ちょっと月恵~……もう~。あの、大事な作戦前に浮付いた話しちゃったから、怒ってらっしゃいますか?」

 説明を月恵に押し付けられた智恵の、おずおずとした言葉に、自分の思いが顔に出てしまった事に武は気付いた。

「あ、いや、そうじゃないんだ。ちょっと他の事に考えがずれちゃってさ。それと、高倉、敬語に戻っちゃってるぞ。
 でさ、国連軍の男連中が趣味じゃないってのは解ったけど、なんでオレなんだ? 差し当たって手近に居るからって、妥協しなくたっていいだろ?」
「「 妥協ッ!? 」」

 武の言葉に、智恵と月恵が異口同音に素っ頓狂な叫びを上げた。
 そして、2人がかりで、猛烈な勢いで熱弁を振るう。

「ちょっと、ちょっと、ちょっとーッ! 白銀、きみ自覚が無さ過ぎっ!」「そうです~。能力、階級、性格……は、多少癖が強いけど~。」「それだってさっ、幼女趣味が只の噂なら少しくらいピントがずれてたって、許容範囲内だよっ!」「そうですよね~……かえって親しみが湧く程度ですし~。」「そっ、アクセントだよアクセント。おまけに何気に優しいしっ、偉ぶらないしっ!」「何よりも~、そうそう簡単に戦死なさりそうに無い~、技量の高さが魅力です~。」「そうそうそうっ! せっかく捕まえても死なれちゃったらお終いだしねっ!」「―――ちょっと待てっ! おまえらっ!!」
「「 え? 何? 」」

 怒涛の様な褒め殺し―――にしては辛辣な言葉も飛び出していたが―――を武が大声で遮ると、2人はきょとんとした顔で武を見詰める。

「おまえら、そ、そんな打算的なんでいいのかよっ! もっと、こう……心の奥底から湧いてくる想いとか……その、なんかこ~じわじわ~っと盛り上がってくるものとかさ!」
「ぷっ! し、白銀、顔真っ赤! かわいぃ~っ!!」「くすくす……ほんとに~。それに~、すっごく恋愛に夢を持っているって、わかっちゃいました~。」

 真っ赤になってどもりながらも力説した武を見て、月恵と智恵が笑いを堪えようと無駄な努力をしながら、容赦の無い感想を述べた。

「お、おまえらな! オレは真面目な話をしてるんだ。」
「あははっ、ごめんごめんっ! でもさ、白銀。私らだって、結構真面目なんだよっ。」「そうです~。ようやく一大決心をして打ち明けたのに~、どうしてこんなに笑える展開になってるんでしょう~。」「相手が白銀だからじゃない?」「あ~、納得です~。」
「おまえら、オレをからかって遊んでるんじゃないのか?」

 武が、さすがに笑ってばかりの2人を睨むと、2人は慌ててぶんぶんと首を振って、胸に手を当てて笑いの衝動を押さえ込む。
 その後も、話を再開しようとしては、武の顔を見て噴出したりしてから、やっと落ち着いて話が出来る状態になった。

「ごめんね~。でも~、私たちだって悪ふざけとかじゃなくて~、真剣なんだからね~。」
「そうそうっ! 高校に上がって以来、そういう乙女らしい話が全然なくなっちゃってさっ。白銀は久しぶりに現れた恋愛対象なんだからっ!」
「そ、それにね……し、白銀君が言う様な気持ちも~、ちゃんと……その……あるんだよ?」
「そ、そうさっ! 幾ら私だって、なんとも思ってないのに告白したりしないよっ!」
「そ、そうか……う~ん…………」

 真剣な顔で、改めて2人から想いを打ち明けられた武は、どうやって断ったものか、頭を悩ませる。

(う~ん。女の子って、打算って言うか、計算尽くって言うか、そんなんで人を好きになるもんなのかなあ……
 何て言うか、こう、お互いに何時の間にか想いが募ってきて、相思相愛になるんだと思ってたんだけど……あ、でもそれだと告白されて付き合う場合が……
 いやいや、どっちにしても、オレには断るしか選択肢がないんだから、そんなこと考えたって駄目だ!
 どうやって断ったらいいんだ? オレ、こういうのって、苦手なんだよな……相手の気持ちを傷付けたくないって言うか……
 けど、曖昧にしていい問題じゃないし……)

 武は悩みながらも、自分の返事を待つ2人をじっと見詰める。

(どうも、2人共、オレが好きでしょうがないって言うよりも、彼氏が欲しいって感じなのかな?
 『恋人』っていう、自分と深く繋がれた存在と、そこから得られる安心感や充足感が欲しいって事か?
 なんか、先に自分に相応しい相手を探すって感覚があるような気がするんだよな……
 ―――そうか、こっちの日本の感覚じゃ、交際は結婚が前提で、恋人っていうのは許婚に近い感覚なのか……だから、感情だけじゃ済まないって所もあるのかもな。
 恋愛じゃなくて、結婚の感覚で考えれば、なんとか納得できるかも……
 となると、何が何でもオレじゃなきゃ駄目とか、そこまでの執着が在るって訳じゃないのか?
 それなら……)

「……駄目そうだね~、月恵。」「うん……まっ、しょうがないよっ!」

 武が何とか答えを捻り出そうとした時、智恵と月恵が顔を見合わせて言葉を零したので、武は慌てて返事を告げようとする。

「あ、ごめん、今返事するから―――」
「あ、気にしないでいいよ~。白銀君。」
「そうそうっ! 私らがいきなり告白したんだからっ、君が困ることないよっ。真剣に考えてくれて、お礼言わなきゃだねっ!」
「そうだね~。ありがとう、白銀君。」
「……オレって、そんなに考えてる事、顔に出るかな?」

 ところが、返事を告げようとした所で、智恵にやんわりと遮られ、続けて2人に礼を言われてしまう。
 そんな2人に、武が少し情け無げな表情になって訊ねると、2人は笑って応じた。

「う~ん、どちらかと言えば~、出る方じゃないかな~。」
「白銀は表情豊かだもんねっ。私はそんなとこも気に入ってるよっ!」

 明るく、何時もの調子で答えてくれる智恵と月恵を優しく見詰めて、武は誠心誠意言葉を紡ぐ。

「そっか……あ、でも返事自体は決まったんで、聞いてくれるか?………………ありがとな。
 先に答えを言っておくけど、オレは相手がお前達じゃなくても、誰かと交際するつもりはない―――っていうか、そんな余裕がないんだ。
 情けない話だけど、オレの気持ちは半分過去の後悔に向いちゃっててさ。
 何とか残り半分を未来に向けてはいるけど、それだって、過去の後悔を繰り返したくないから必死に足掻いてるだけなんだよ。
 だから、現在(いま)を誰かと歩く心の余裕が無い。現在に心が向いてしまって、過去を忘れちまうのが怖い。忘れられっこ無いとは思うんだけど、それでも怖いんだよ。
 それくらい、オレにとって過去は重いんだ。だから、2人の気持ちは嬉しいけど、オレはその気持ちに応えられない。ご免な。」

「謝らなくていいよ~。けど、これだけは覚えておいてね~。私、諦めたわけじゃないですから~。」
「そうそうっ! 今日の所は引き下がっておくけどっ、何時か振り向かせて見せるもんねっ!」
「がんばろうね~、月恵。」「うんっ! 負けないからねっ、智恵っ!」「そうだね~。負けてられないよね~。」
「……………………」

 笑って戦闘続行を宣言する2人に、武はかける言葉を見つけられなかった。
 そんな武に、2人は笑顔のまま別れを告げて、立ち去って行く。

「それじゃあ、また明日ね~。」「頼りにしてるよっ! 白銀大尉っ」
「ああ、しっかり寝て鋭気を養っておけよな~。」

 そして、2人の姿が十分に離れたところで、武は近くの暗がりに声をかける。

「―――盗み聞きだなんて、ちょっと趣味が悪いぞ、柏木。」
「あちゃぁ~、ばれちゃってたか……」

 武の声に、少し離れたコンテナの影から、晴子が舌を出し頭に手を当てて姿を現す。

「で? なんだって、盗み聞きなんてしてたんだ?」
「そりゃあ、愛しの白銀君が、夜分に他の女の子と話し込んでたら、やっぱり気になるってモンでしょ?」

 晴子はそれまでの会話で、武が私人としての会話を望んでいると察し、砕けた口調で応える。

「柏木……お前までそんな事言うのかよ……今日は一体どうしたってんだ? まさか、宗像中尉あたりの企みじゃあないだろうな。」
「あらら……結構本気なのにな、残念。それから別に誰も企んだりはしてないと思うよ。
 けど、あたしらの同期は、みんな大規模作戦は初めてだからさ。作戦前で、色々考えちゃうんだよ。」

 晴子得意の何時もの悪ふざけだと思った武は、取り合わずにもう一度理由を訊ねる。
 武に自身の言葉を流されてしまい、晴子は目を見開き苦笑したが、あっさりと武に答えを与える。
 しかし、その答えでは、武には十分とは言えなかった。

「色々って……オレが誰と付き合ってるかとか……そんなの作戦と関係ないだろ?」
「作戦には関係ないかもしれないけど、作戦に身を投じる乙女には、大問題なんだよね~。
 ほら、万一の事を考えるとさ、なるべく思い残すような事はなくしておきたいってのが、人情でしょ?」
「なんだよ、それ。何時死んでもいいようにってことか? 逆だろ? 心残り沢山作っておいて、何が何でも生きて帰ればいいじゃないか。」

 自分の疑問に対して返された晴子の言葉に、武は押さえ切れない憤懣が口調に滲み出すのを自覚しつつ、それでも口を閉じはしなかった。
 そんな武を、晴子は優しい目をして見ながら、それでもあっさりと笑い飛ばす。

「あはははは。駄目だよ白銀。白銀はあたし達が生き残れるように一生懸命だから、そう言いたい気持ちは解るけどさ。
 でも、自分がやりもしない事を、他人に押し付けるのは感心しないよ?
 白銀が、何が何でも作戦を成功させて、誰一人戦死させないだなんて、そんな精神論だけで行動してる訳ないよ。
 どれだけ頑張っても、どれだけ望んでも、必ず叶うとは限らないって、それを嫌って言うほど知ってるからこそ、あれだけの構想を練ったんでしょ?
 対BETA戦術構想や、今回のテストプラン、それからここ1週間の訓練内容を振り返れば、それが良く解るよ。
 けどさ、それでも絶対生きて帰れる保証なんて何処にも無いんだ。
 白銀がそれを承知で、強い決意で生き残れって言うのは、その意思の力で生還率を少しでも上げようと思ってるからだよね。
 それはそれで理解できるけど、万一がある以上、やっぱりそれに備えておこうと思うのも仕方ないんだよ。
 それをしたからって、非難するのは身勝手すぎるんじゃないかな~。」

 笑顔を絶やさずに、晴子は滔々と語った。ようやくその言葉が途切れると、武は頭を抱えて呻吟し、然る後、晴子に頭を下げて謝罪した。

「くっそぉ~~~っ! 一っ言も言い返せねぇよ………………ご免、柏木。オレが身勝手だった。謝るよ。」
「あー、いいよいいよ、謝んなくて。それが白銀の優しさだって、みんな解ってるからさ。
 けど、智恵と月恵の気持ちも解ってあげて欲しいんだよね。
 あの2人、この1週間の間、なんやかやと白銀に纏わりついてたでしょ?」

 晴子は武の謝罪を手を振って遮り、武の真意が伝わっていると告げた。そして、智恵と月恵の行動を武に思い起こさせる。
 武は、教導から戻って以来の、訓練漬けの日々を思い返す。

「―――確かに、2人して、なんやかやと面倒見てくれた……かな?
 神宮司軍曹の件でつるし上げられた時も、逃がしてくれたし……」
「でしょ? この1週間、多分あの娘達は自分の気持ちと向き合って、確かめながら、白銀への想いを育ててきたんだと思うよ。
 白銀は運命的な恋愛に憧れているみたいだけど、始まりや、経過は、そんなに重要なことかな?
 切っ掛けはなんだっていいじゃない。想いが確かにそこにあるなら、切っ掛けや経過は、それを否定する理由にはならないんじゃないかな?」

 晴子の言葉に、武はもう一度考え直す。さっきは急な出来事で驚いていたこともあり、違和感が先に立ってはいたが、今になって見ると恋愛の形を1つの型に押し込める必要はないようにも思えてきた。
 人それぞれの個性と環境、その無限の組み合わせの数だけ、恋愛の形もあっていいはずだと、晴子の言葉を契機に、武は素直に思うことが出来た。

「―――そうだな。うん。柏木には大事な事を教えてもらったよ。ありがとな。」

 武は素直な心で晴子に感謝した。それに晴子は照れたように笑い、手を振って話を続ける。

「あはは……そんな大した事、あたしは言ってないよ。それに……白銀には、個人的に本当に感謝してるからね……」
「―――弟さん達の事か?」

 晴子の言葉に、武は『前の世界群』での晴子との会話を思い出し、訊ねた。

「あ、やっぱり知ってるんだ? 仲間内でも茜くらいしか知らないのにね。まさか、A-01の身上書、全員分暗記してたりする?
 もしそうなら、なんか、変質者っぽいよ? し・ろ・が・ね・くん。」
「そんなんじゃないけど……でもそうだな、戦場に出ないで済むかは微妙だけど……大分マシには出来たと思うよ。」

 茶化す晴子に、今後のBETA対戦の行く末を思い描いて、武は自身の成果を誇って見せる。
 例え気休めに過ぎなくても、それが晴子の心配を和らげる事が出来ればと願いを込めて。

「大分マシだなんて、そんなもんじゃないよ。天国と地獄くらい違うんじゃないかな。
 あたしなんか、XM3の慣熟訓練始める前は、実戦何回目まで生き残れるかな~とか、考えてたからさ。
 実戦で犠牲無しに生き残れるなんて、前は夢にも思った事無かったよ。
 きっと、生き延びられたら誰かのお陰。何時か自分が死ぬ時は、誰かの為に犠牲になれればいいなって……
 足引っ張って、仲間を巻き添えにして死ぬのだけは嫌だったな。
 けど、XM3の凄さを知って、新潟で初陣を経験して、ようやく誰かの犠牲抜きでも生き延びられるようになるんだなって、考えられるようになったよ。
 もちろん、実戦で誰も犠牲にならないだなんて事はあり得ないって解ってはいるよ? けど、自分の力と運だけで生き延びられるってだけで、凄く幸せだなって思うんだよね。
 自分も、弟達も、家族の為、国の為、世界の為に、いずれ犠牲になって、今まで生まれて生きてきた分の恩を返すのかなって、なんとなく思ってたからさ。
 だから、本当に白銀には感謝してるよ。ご免ね、なんか、こんな話するのって、あたしらしくないよね。あはははは。」

 昔を懐かしむ様な顔をして、あっさりと悲壮な決意を語る晴子。それは、その決意が既に過去のものとなった今だからこそなのか。
 それとも、悲壮な決意が当たり前と思える程に追い詰められた社会背景の中で育ったからなのか。武にはどちらとも判断がつかなかった。
 そして、話し終えると、晴子は照れたように頭に手を当てて笑う。

「柏木……おまえ、そんな事考えてたのか……凄えな……オレなんか、嫌だ嫌だって想いばっかで、何かの為に犠牲になろうとか、考えた事無かったよ。」

 武は、晴子を尊敬の眼差しで見つめた。ドライで、何事も割り切った様子で、視野が広く思慮も深い。
 その癖日常では、危ない所に首を突っ込むのが好きで、周囲を引っ掻き回しては笑っている。
 武にとって、晴子のイメージはそういったものだった。そして、今日初めて、武は晴子の明るい表面の裏に、深い諦念が隠れていた事を知った。
 そして、自分の努力によって、その諦念が幾らかでも拭えた事に、確かな喜びと達成感を感じていた。

「そんな大した事じゃないってば……あたしは単に諦めちゃってただけ。
 白銀は、諦めずに考え続けて、それでこれだけの成果を出したんだから、白銀の方が凄いって。
 あ、ここでお互いに褒め始めると水掛け論になるから、この話はお仕舞いにしようよね。
 で、話を戻すけど、白銀はもう少し乙女心が解る様になんないと駄目だね。
 あの娘たちみたいに、擦れてない娘ならいいけど、きっと近い内に質(たち)の悪いのまで沢山集まってくるからね。」
「は?!」

 晴子の言葉に、訳が解らず間抜けな声を出す武。晴子は、それに苦笑して、説明を追加した。

「君はここしばらく大活躍だからね。名前も売れたし、出世もした。見た目もそこそこで、性格は癖があるけど素直。
 優良物件目当ての計算高いオネエサマから、興味本位の自称一夜妻候補まで、大勢近づいて来るんじゃないかな~。
 そうなった時に、今のまんまじゃいいように振り回されちゃうよ?
 それに………………本気の娘が……しかも、はっきりと気持ちを伝えられない娘達が可哀想だよ……」

 柏木にしては珍しく、面白がるよりも、本気で心配しているかのような口調に、武はどう答えていいものか迷った。

「………………えっと……その……ありがとな、柏木。オレの事心配してくれて……るんだよな?
 大丈夫だよ。確かにオレ、女の人の考えてる事とか良く解んないけどさ。
 それでも、例え一夜限りだろうと、浮付いた事する余裕がないってのも、掛け値なしの本当の事だからさ。」

 結局、迷いながらも、晴子の気持ちに感謝して、自分の決心を述べるに留めた。それを聞いた晴子は、武をじっと見詰めて重ねて問いを放つ。

「ホントに? たま~に、温もりが欲しくなったりしない? 本当は、誰か真剣に愛してる人が居るとかじゃないの?」
「…………本当だ。冗談抜きで、そんな余裕ないんだって。大体、下手に浮付いた事なんかしたら、夕呼先生に何される事か……」

 晴子の言葉に一瞬浮かんでしまった純夏の面影を振り払って、武は応える。そして、夕呼の邪悪な笑い顔まで思い出してしまい、本気で身を竦ませる武であった。
 そして、晴子は全てを台無しにする言葉を、肩を竦めて放り出す。

「……なぁんだ、詰まんないな~。」
「は?!」
「まさか、君くらいの年で、本気でそんな枯れ果ててるなんて思わなかったよ~。これじゃあ、からかい甲斐が無さ過ぎるよね~。」

 ついさっきまでの真摯な雰囲気をかなぐり捨てて、晴子は何時もの捉え所のない笑顔を浮かべて言葉を並べた。

「なっ! 枯れ果てって…………柏木? おまえまさか……」
「え? あはは、やだなあ。話したことは嘘じゃないし、一応本気だよ? 君の心配だって、少しはしてるって。自分の楽しみ優先だけど。」
「か~し~わ~ぎ~~~っ!」
「あはははは…………まあまあ、今日の所は勘弁してよ。それに、解っちゃった事もあるしね。」
「解った事?」

 その内容に、武の表情が怒りと羞恥に赤くなる。晴子はそれをいなしながら、楽しそうに、思わせぶりに、言葉を告げ、武はその言葉に首をかしげた。
 そして、晴子は回答自体はあっさりと告げ、武を追い詰めに掛かる。

「そ、さっき君、真剣に愛してる人が居るんじゃないかって聞いた時、しばらく黙り込んで、否定もしなかったよねえ。
 あ、今更否定したって遅いからね。ふっふっふ……それが誰かは解らないけど、みんなに話したらどうなるかな~。
 う~ん、それはそれで、楽しそうだな~。ねえ? し・ろ・が・ね・くん。」

 武を横目で見遣りながら、ご満悦の笑みを浮かべて晴子が突きつけた言葉は、真実でこそ無いものの、幾分かの事実を含んでいた。
 その為、武は否定しきれずに、取引を試みる。

「ぐ…………お、お互い、今夜の事は忘れるって事でどうだ?」
「どうしよっかな~。まあ、君が忘れるって言うなら、あたしも口外しないって約束してもいいよ?」
「………………そ、それで、いい……」
「りょ~かいっ! 即断即決、実に結構。なんとか間に合って良かったね。」

 晴子は、ニヤニヤ笑いを隠しもせずに、条件をやや自分に有利に修正すると、あっさりと取引を受け入れた。
 その原因の一つが、やや離れた場所からの呼び掛けとして、その場に届いた。

「タケルっ! こんなところに居ったのか。そろそろ時間なので別れを告げようと参ったのだが、構わぬか?」

 呼び掛けの主は冥夜であり、その後ろには元207B女性陣と、茜に多恵の姿もある。
 どうやら、武と晴子が2人で居た為、気を使い離れた場所から声をかけた様子であった。
 武は、晴子の方を見て、異論が無い事、表情が何時もの笑顔に戻っているのを確認して、冥夜に返事をする。

「ああ、構わないからこっち来いよ! こっからだと、船の灯りが沢山見えるぞっ!」
「ほんとですかぁ~………………うわぁ~、凄く綺麗ですね~、たけるさん。」
「へ~。これは壮観だね~。これだけ揃ってるところを見ちゃうと、是非とも一斉に汽笛を鳴らして欲しいところだよね~。」

 武の声に、壬姫と美琴が駆け寄ってきて、港に犇めく船舶の明かりを見てはしゃぐ。
 他の面々も、笑みを浮かべながら歩み寄り、晴子も一緒になって僅かな時間ではあったが言葉を交し、戦場での再会を約して別れていった。
 別れ際、武はやや離れたところから冥夜を見守っていた、月詠たち4人にも頭を下げて、独りヘリポートへと向う。

 横浜基地に戻れば、凄乃皇の出撃準備と、作戦計画の最終調整が武を待っている。
 今年のイヴは、どうやら徹夜になりそうだなと、武は苦笑を浮かべて考えていた……




[3277] 第66話 天裂く光芒、裁きの雷霆、地に翻りしは紫の御旗
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 17:59

第66話 天裂く光芒、裁きの雷霆、地に翻りしは紫の御旗

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 独自設定告知:レーザー属種の視覚に関する設定
 今回の内容に含まれるレーザー属種の視覚情報の処理や照準方法に関する記述は独自設定に基づくものです。
 拙作をお読みいただく際にはご注意の上、ご容赦願えると幸いです。
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2001年12月25日(火)

 03時56分、佐渡島近海には『甲21号作戦』開始を数分後に控え、帝国連合艦隊を主力とした各種艦艇が配置に付こうとしていた。

「―――小沢提督、安倍です。第2戦隊信濃以下各艦、戦闘配置完了。後は、攻撃命令を待つばかりであります。」
「うむ……貴官らは横浜の新型装備に、的の位置を知らせる重要な立場だ。
 些か地味な役回りではあるが、後の上陸作戦での損耗の如何がかかっている。
 心して任務に当たられよ。」
「―――はっ、畏まりました。」

 帝国連合艦隊第3戦隊旗艦、戦艦『大和』のCIC(中央作戦司令室)に、作戦旗艦である重巡洋艦『最上』と第2戦隊旗艦である戦艦『信濃』の間で交された通信が流れた。
 『甲21号作戦』の総指揮に当たる、帝国海軍中将小沢提督と、第2戦隊司令と『信濃』艦長を兼務する、安倍大佐のやり取りに続き、今度は戦隊内データリンクを通じて第3戦隊の僚艦である戦艦『武蔵』艦長、井口大佐からの通信が入る。

「安倍君、随分と逸っているな。」

 その笑みを含んだ声に、第3戦隊司令と戦艦『大和』艦長を兼務する田所大佐が応じる。

「我々も、似たようなものだよ、井口さん。」
「はっはっはっはっはっ……確かに。」
「あの島が奴らの手に落ちた日……あの日も我々はここに居たのだからな。」
「ああ、今でもあの日の事は夢に見るよ……忘れられる訳が無い。」

 井口大佐と言葉を交しながらも、田所大佐はBETAに佐渡島を占領されたあの日、力及ばず島に取り残された将兵と住民ごと、あの島をBETAに飲み込まれてしまった、あの悪夢のような戦いを思い返してしまう。
 しかし、田所大佐は追憶を振り切り、CICの情報画面に映し出される戦力配置図を見た。そこには今日こそ佐渡島を取り戻さんと展開している、多くの戦力が表示されている。
 そして、その中で極端に離れた位置。佐渡島の南東距離約200kmに、国連軍のマーカーが3つ表示されていた。
 田所大佐は戦力配置図に表示された膨大な戦力に思いを馳せ、万感の想いを込めて言の葉を口にのせる。

「……まさか、生きてこの日を迎える事ができようとは……夢にも思わなかった。
 あの日、この地で失われた幾多の命に報いるためにも、必ずこの作戦は成功させねばならない。
 BETAを叩き出し、あの島を……我が国土を我らの手に取り戻そう。先に逝った者達も見守っている。」
「うむ……そうだな。」
「その為ならば、多少地味であろうが、国連軍の前座であろうが、立派に務めて見せようではないか。」
「無論だ。ふ……それに、我等の働き所は必ず来るさ。何しろ今作戦の目的は、佐渡島の占領。
 あの島に蔓延る全てのBETAの殲滅だからな。」

 田所大佐の言葉に、井口大佐が応えた時、広域データリンクを通じて、『甲21号作戦』開始が告げられる。
 それを受けて、田所大佐は戦隊内データリンクに命令を発した。

「データリンク照準、目標甲21号地上構造物、索敵砲撃、撃ち方ぁーっ始めーっ!!」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 04時04分、いまだ宵闇に沈む佐渡島に向けて、2発の巨弾が空気を切り裂いて飛来する。
 自らが発する音を後方に置き去りにして迫るそれを、夜の間も休む事無く活動し続けていたモノ達が目敏く発見する。
 そして、僅かな時間をおき、宵闇を切り裂く無数の光芒が佐渡島より放たれ、2発の巨弾を瞬時に蒸発させてしまった。
 こうして、『甲21号作戦』は佐渡島南方と東方を遊弋する、帝国連合艦隊第2、第3戦隊からの、30秒毎に1発ずつという、散発的な砲撃によって開始された。

 1回当たり、たった2発の砲弾による砲撃が、4回に亘って繰り返される。なんら効果を及ぼさない、弾の無駄遣いとしか思えない砲撃であったが、その成果は次の瞬間に示された。
 佐渡島の地表に展開していた重光線級を中心とした100を超えるBETAの1群が、極超音速で飛来した榴弾とそれによって巻き起こされた衝撃波によって、瞬時に殲滅されたのである。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、茨城県と栃木県の境となる三王山の上空高度2900mに、3つの巨大な影が存在した。
 その一つ、全高130m、全長180m程の影、戦略航空機動要塞『凄乃皇弐型』の管制ブロックに、武の姿があった。
 武は壬姫による初弾の諸元を基に、祷子の照準プログラムを微調整した上で2人に告げた。

「よし、初弾の誤差は10m以内だ。風間少尉、珠瀬少尉、2人共その調子でどんどん頼みます。」
「解りましたわ。」「りょぉ~かいです!」

 通信相手の壬姫と祷子は、現在地より150km以上離れた帝国軍高田基地に居た。
 高田基地から三王山の麓まで、専用の通信経路が用意され、可能な限りリアルタイムでデータ欠損の無い、高速高精度の部隊内データリンクが形成されている。
 そして、その部隊内データリンクを通じて、壬姫と祷子が遠隔操作している装備こそが、凄乃皇の左右に浮かんでいる全長400mを超える飛行船―――対BETA戦術構想第2期装備群の一つ、航空狙撃用硬式飛行船『雷神(らいじん)』1番艦と2番艦であった。

 高田基地に用意された一室で、壬姫と祷子は遠隔操縦用の可搬式遠隔操縦端末を操っていた。
 現在操っているのは『雷神』であり、空中砲台とでも呼ぶべき代物であったが、操縦方法は戦術機による狙撃に合わせてプログラムされていた。
 その為壬姫は、戦術機で狙撃をしている時と比べてもあまり違和感を感じなかったし、そもそも横浜基地で何度もシミュレーションを繰り返し、予め感覚をしっかりと掴んでいた。

「じゃあ、私は海岸線沿いに、南の方へ狙っていきますね。」
「ええ、私は北の方を担当しますわ。」

 言葉少なに、狙撃の分担を済ませ、壬姫はデータリンク照準で、砲撃威力圏内になるべく多くの重光線級が入るように、ただし、撃ち漏らしが出ないように、慎重に狙いを定めていく。
 発射タイミングは1分に1回。索敵砲撃の着弾10秒前に、こちらの砲弾が着弾するタイミングで砲撃しなければならない。
 壬姫は、横浜基地で武から受けたレクチャーを思い出していた。

「いいですか? レーザー属種の目標識別能力は確かに驚異的ですし、レーザーの射程も長いです。
 レーザー属種の視覚情報の処理は、普通の映像としての認識の他に、時系列上の差分だけ選り分けての認識もしています。
 これによって、遠距離に存在する移動体なども速やかに認識している訳ですね。」

 この時は、祷子と壬姫の2人に説明をしていた為に、武の言葉遣いは丁寧だった。

「おまけに、レーザー属種の視覚は視界中央の受像体密度が最も大きくて、視野の周辺部に行くほど荒くなっています。つまり、視界の真ん中は超望遠で、視野の周辺では倍率が低くなっているんです。
 で、時系列差分でBETAとして識別していない動体を察知すると、それに向けて視線を修正し、拡大された映像で対象を識別。攻撃対象であれば、即座に照射を開始する訳です。
 この視線の修正がレーザー照射の射線修正になる訳なんですが、この速度はそれほど速いわけじゃありません。
 なのに、精密な照射になる理由は、目標との距離が離れている為に、少しの視線移動で対象追尾が間に合うからですね。
 つまり、逆に言えば、近距離や、瞬時に視界を横切ってしまうような高速飛翔体が相手の場合は、追尾が間に合わない訳です。」

 武は、離れた所で右手を左から右へ振って見せた後、壬姫の近くに寄ってきて同じ様に右手を振って言う。

「な、近くじゃ眼で追えないだろ? つまりはそう言う事なんだ。
 ―――ですが、たまたま弾のやって来る方向を見ていれば、何かの拍子に迎撃に成功する可能性も皆無とは言えません。
 そこで、連中の目を予め、他の方向に向けさせておく事を考えました。
 索敵砲撃を南と東から行う事で、レーザー属種の視線を誘引しておいて、南東の水平線の影から、極超音速の砲撃を浴びせるんです。
 そして、その直後に索敵砲撃の砲弾がレーザー属種の迎撃圏内に入るように時間を調整する事で、南東を指向するレーザー属種の数を限定します。」

 武はそう言って、悪戯を企む子供の様に、意地悪な笑みを浮かべたのだった―――

 ―――壬姫が物思いに耽っていると、砲撃時刻を知らせる武の声がデータリンクを通じて聞こえてきた。

「超水平線砲第2射まであと10秒……8、7、6……」

(いけない、最終調整を……うん、こんなとこかな……この後で上陸する人達の為にも、出来る限り撃ち漏らさない様にしなくちゃ……)

「3、2……発射!」

 かくして、船体の姿勢を制御する事で、射線軸を微調整した『雷神』から、今また、遥か彼方の佐渡島に向けて、音速の50倍近い速度で直径1.2mの巨弾が発射された。
 発射された巨弾は重力に引かれながらも、その驚異的な速度で直線に近い軌道を描き、10秒ほどで佐渡島近海の上空に到達する。
 しかし巨弾は、その圧倒的な速度故に、レーザー属種の照準が間に合わず、有効な照射を受ける事はなかった。

 1200mm弾頭は、高精度のプログラムに従って内蔵する炸薬を起爆。弾頭内に搭載された数百発の榴弾を、下方に向けて発射し空中で爆散した。
 炸薬の起爆前に得ていた圧倒的な速度に比べれば、決して大きなものではなかったが、下方向への加速を加えられた榴弾は、その軌道をつんのめる様に変化させ佐渡島の地表へと降り注ぐ。
 榴弾が降り注いだ先の地表に存在したBETAは、重光線級、光線級、その他の種別の差に係わり無く、圧倒的な運動エネルギーと、衝撃波によって粉砕される。
 その破壊力の前には、突撃級の誇る装甲殻すら抵抗できずに、紙の様に貫かれていた。

 航空狙撃用硬式飛行船『雷神』は、船体の中央に配置された200口径1200mm超水平線砲6門の周囲を、気嚢で囲む構造を持つ硬式飛行船であった。
 周囲には超水平線砲の弾薬を補給する為の小型飛行船を数隻随伴させ、バラストの移動と、船体各所に搭載された姿勢制御用のプロペラで、射線軸を固定された超水平線砲の照準を合わせていく。

 搭載されている200口径1200mm超水平線砲は、戦術機での運用を諦め、装薬による1次加速後の砲身内加圧を、高密度に圧縮された圧搾空気を、砲身内に順次解放することで賄う方式であった。
 火薬を使用しない分、砲弾を加速する為により長い砲身を必要とした為、砲身は全長240mという、実に長大なものとなっている。
 その代わり、砲身への負荷が軽減され、砲身寿命の問題はクリアされた。
 長大な砲身を持つこの砲を、如何に照準するかも問題であったが、これに対しては、射軸を硬式飛行船の中心軸に沿って固定し、船体ごと姿勢制御することで照準する方式を採用。
 加速用の圧搾空気の再充填に必要な時間による速射性の低さも、6門の砲を順次使用する事で解決した。

 かくして、『雷神』はBETAのレーザーによる迎撃を、数百kmという砲撃距離と、音速の50倍近い弾速によって、無効化する事に成功した。
 そして、佐渡近海を遊弋する第2、第3戦隊の戦艦による索敵砲撃に対する迎撃から、重光線級の位置を特定し、その周辺のBETAごと殲滅していく。
 BETAの行動プログラムが、レーザー属種の集中運用を基本としていた為、1回の砲撃で数体の重光線級と、その数倍の光線級が効果範囲内に収まった。
 『雷神』による砲撃が行われる毎に、人類の天敵、恐怖の代名詞とされたBETAレーザー属種は、その数を減じていった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 04時42分、作戦旗艦『最上』のCICに設置されたHQに、1つの信じ難い報告が届けられた。

「S(南)及びSE(南東)、E(東)の各エリアから重光線級の反応が消滅! 索敵砲撃への長距離迎撃も確認できません! 観測班は当該区域の重光線級が全て駆逐されたと判断していますッ!!」

「な、なんだと? 作戦開始後40分あまりで、重光線級を排除できたというのか!?」

 CP将校の報告に、愕然とした表情で問い返す小沢提督。CP将校は頷くと、情報表示画面に2つの佐渡島の地図を表示した。

「―――こちらが、この40分間で、監視衛星の画像と索敵砲撃に対する迎撃から判明した重光線級の累計分布図です。
 そして、こちらがA-00―――『雷神』による砲撃75回、全ての砲撃威力圏を重ねて表示したものです。」

 その佐渡島の地図では、ハイヴを中心として、8つの方角に分割された区画のうち、南から東にかけての3つのエリアで、全ての重光線級のマーカーが、砲撃威力圏を表す楕円形のエリアに覆い尽くされていた。

「なんと―――上陸開始前に、光線級の排除が叶うとは……」

 目を見開き、表示された地図を凝視する小沢提督に、背後から冷静な声が投げかけられた。

「勘違いなさらないで下さい、提督。現在は、作戦開始当初より地上に展開していた重光線級を駆逐したに過ぎません。
 こちらのシミュレーションに依れば、数分の内に、ハイヴからの増援が出現するはずです。」

「香月副司令…………無論、増援の事は存じています。
 しかし……失礼ですが、『雷神』の威力がこれ程のものとは、資料を読ませていただいただけでは信じられなかったのです。」

 小沢提督は、背後を振り返り、そこに白衣を羽織った夕呼の姿を認めると、夕呼の言葉に頷きながらも、自らの持っていた疑念を打ち明けずにはいられなかった。
 夕呼は、笑みを浮かべると、あっさりと小沢提督の言葉を許容して見せた。

「無理もありません。今日に至るまで、BETAのレーザー属種の迎撃を打ち破る超長距離砲撃は、存在しなかったのですから。
 しかし、それも今日までです。ご覧戴いた通り、『雷神』の200口径1200mm超水平線砲は、所定の効果を発揮しました。
 これで、上陸前の制圧砲撃で大量の弾薬を射耗せずにすみますわね。」

「仰るとおりです。では、テストプランに従い、BETA第1次増援に含まれる重光線級と、打ち漏らしと増援を合わせた光線級を、A-00(『雷神』)に排除してもらうといたしましょう。
 然る後に、第2次増援が出現するまでの時間差を用い、地上に展開するBETAの間引きを目的として、第2、第3戦隊に制圧砲撃を行わせます。」

「はい。よろしくお願いしますわ。提督。」

 夕呼は、小沢提督の言葉に嫣然とした笑みを浮かべて応えると、ピアティフの元へ歩み寄り、A-01部隊関連の情報が表示された画面に視線を落とした。

「ふふ……今のところは、全て予定通りじゃないの……ピアティフ、A-02(『凄乃皇弐型』)のテレメトリ(遠隔測定)データに異常はないかしら?」

「はい、現時点までは、全ての数値が予測範囲内に収まっています。」

 夕呼は、ピアティフの返事に満足げに頷きを返した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 07時32分、佐渡島とその近海は、眩しい朝日によって照らし出されていた。
 深い青に彩られた海上には、多くの艦艇の姿が見受けられ、佐渡島の地上には、おびただしいBETAの死骸がその骸を曝していた。
 草木の一本すら見受けられない荒野のそこかしこに、紫の血を滴らせたBETAの肉片が散らばっている。
 しかし、それらの中にあって、未だに健在なBETAも少なからず存在していた。

 作戦開始時に地上に展開していたBETAの個体数は約4万。その後、2度に亘って軍団規模の増援が出現したが、レーザー属種は悉く『雷神』の砲撃によって駆逐された。
 レーザー属種の存在しない間のみではあったが、連合艦隊第2、第3戦隊は制圧砲撃を実施し、『雷神』による戦果と合わせて、10万近いBETAを殲滅している。
 それでも尚、佐渡島の地表及び海底には3万近いBETAが残存し、しかもその大半が打たれ強い中型種であった。

 佐渡島南方海域に展開していた連合艦隊第2戦隊旗艦、戦艦『信濃』のCICで、艦長である安倍大佐は、戦果が表示された情報画面を見ながら、誰に言うとも無く独白していた。

「―――いささか物足りない気もするが、地上戦力を投入する前に上げた戦果としては上々だな。
 消費した砲弾の量を思えば、信じ難くもあるな。まさかこれ程の戦果が得られるとは……
 横浜の対BETA戦術構想とやらも、張子の虎ではなかったと言う事か。
 いずれにせよ、現状はテストプラン通りに進行している。このまま我が第2戦隊と、第3戦隊が北西海域に移動し、海底のBETA共を上陸地点から引き離せば、作戦は第2段階に移行するという訳だな。」

 安倍大佐の言葉通り、現在第2、第3戦隊は、制圧砲撃を続けながらも佐渡島北西の海域へと舵を取っていた。
 艦船の接近に備えてか、地表に出てきたBETAの一部が海底に展開し、制圧砲撃が威力を発揮しなくなってしまっていた。
 そのまま放置しては、第2段階の上陸作戦での障害となる為、制圧砲撃を繰り返した第2、第3戦隊を移動させることで、上陸地点と反対側の佐渡島北西沿岸へと、海底のBETA群を誘導しようというのであった。

「しかし、第3次増援はないという予測に基づいた作戦か……BETAの行動予測など、どうやって可能としたのだろうな……」

 安倍大佐の思案顔を他所に、佐渡島ハイヴは沈黙を守り、佐渡島の沿岸部海底に展開するBETAは、艦隊を追って移動を開始していた。
 それは、テストプランで予測されていた、正にそのままの行動であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 時はやや遡って07時08分、武は帝国軍高田基地に居る壬姫と祷子に、部隊内データリンクを通じて命令を告げていた。

「風間少尉並びに珠瀬少尉は、現時刻を以って『雷神』運用任務を離れ、連絡へリにて戦術機母艦『大隈』へ向い、原隊に復帰せよ。」
「「 了解! 」」

 『雷神』による砲撃は、敵味方が入り混じる上陸開始後は行わない予定であった。
 例え誤射が発生しなくとも、砲弾の発する衝撃波による被害が予想されたからである。
 壬姫と祷子が命令を受領すると、武は言葉を和らげて、2人を労った。

「2人共、朝早くからよくやってくれました。ヘリでの移動時間で少しでも疲労を回復しておいてください。
 今回の作戦は長丁場です。体力を温存するのも任務の内だと思ってくださいね。」
「解りましたわ。」「了解です、たけるさん。」
「―――よし、では直ちにその場を撤収し、『大隈』へ向え!」
「「 了解! 」」

 2人の返事を聞くと、武は部隊内データリンクを切断し、回線を作戦旗艦『最上』のHQに間借りしている、ピアティフ中尉へと暗号回線を接続した。

「A-02よりHQ。」
「こちらHQ。A-02どうぞ。」
「これより、A-02はテストプランに従い、佐渡島を目指して移動を開始する。
 A-00は現在地点に自律制御で残留。超水平線砲の残弾は2割弱。
 照準システム、データリンクシステムのプログラムは修正済み。必要に応じて、A-02のサポート抜きでも使用に耐えると判断する。
 ―――以上。」
「こちらHQ了解。副司令にお伝えしておきます。」
「よろしく頼みます。」

 武はピアティフに『凄乃皇弐型』の移動開始を告げると、『雷神』2隻をその場に自律制御で残して、佐渡島に向けて移動を開始した。

(今のところ、順調に進行してるな……頼むから、このまま推移していってくれよ……)

 武はデータリンクからの情報を整理・分析しながら、一路、佐渡島を目指した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 07時58分、作戦旗艦『最上』のHQでは、作戦第2段階への移行が宣言されようとしていた。
 海底に展開していたBETA群の誘導も計画通りに推移し、作戦開始以来砲撃を行ってきた第2、第3戦隊は補給と休息を命ぜられた。

「副司令、予定通り、第2段階に移行しても構いませんかな?」
「はい。よろしくお願いいたしますわ、提督。」
「わかりました。―――現時刻を以って、本作戦の第2段階への移行を宣言する!」
「―――HQより全軍に告ぐ。作戦は第2段階へ移行。繰り返す―――作戦は第2段階へ移行。」
「こちらHQ、帝国連合艦隊第1戦隊は上陸地点への制圧砲撃を開始せよ。」
「HQより帝国海軍第17戦術機甲戦隊、上陸開始せよ。繰り返す、上陸開始せよ。」
「HQより―――」

 夕呼に最終確認をした後になされた、小沢提督による第2段階への移行宣言に従い、HQのCP将校達が各部隊への命令伝達を一斉に開始する。
 一気に騒がしくなったHQの中で、小沢提督の視線は、戦力配置図の1点。佐渡島南東近海で、第17戦術機甲戦隊と並んで表示されているマーカーに向けられていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時01分、佐渡島南東近海の海中を航海中の帝国海軍第7潜水隊司令を兼務する、潜水母艦『崇潮(たかしお)』艦長大田中佐は、麾下の帝国海軍第17戦術機甲戦隊に出撃命令を下していた。

「全艦最大戦速―――全スティングレイ離艦せよ!」
「スティングレイ1より各機―――海兵隊の恐ろしさを奴等に思い知らせろ! 全て蹴散らせ!!」
『『『 ―――了解ッ! 』』』

 大田中佐の命を受けて、第17戦術機甲戦隊指揮官のスティングレイ1が部下達に気合を入れる。
 一斉に威勢のいい返事をした戦隊所属の衛士達は、『海神』と各々の潜水母艦との接続を解いて次々に離艦した。
 部下達の『海神』とフォーメーションを組み、スティングレイ1はBETAで溢れ返っているであろう佐渡島という地獄に向けて、進撃を開始する。
 と、そこへ広域データリンクを通じて、他部隊からの通信が入った。

「パープル・クレスト0より、スティングレイズ。我、これより敵前に上陸し、陽動支援を実施せんとす。我に続け。―――以上だ。」
「スティングレイ1、了解…………パープル・クレスト0?―――ッ! 斯衛軍派遣部隊筆頭衛士―――御名代殿か!?」

 唐突な通信に、スティングレイ1は了解とだけ応え、ラジオコールのデータを検索して驚愕し、反射的に頭上を見上げる。
 第17戦術機甲戦隊の頭上、海面直下にはコンテナに毛が生えた程度の急造品に過ぎない、『自律式簡易潜水輸送船』が航行しているはずであった。
 戦域情報に表示されるマーカーは、それらが斯衛軍第16大隊に属している事を示していた。

「スティングレイ1よりスティングレイズ。今の通信を聞いたな? 御名代の御剣冥夜様からのお言葉だ! 総員全力を尽くし、御名代殿に我等が勲をお見せしろッ!!」
『『『 ―――了解ッ!! 』』』

 スティングレイ1が部下達に、再度檄を飛ばした直後、『自律式簡易潜水輸送船』36隻は一斉に浮上し、斯衛軍第16大隊の陽動支援機はNOEで佐渡島へ上陸を開始した。
 かくして、政威大将軍名代、斯衛軍派遣部隊筆頭衛士、御剣冥夜少尉を先陣として、悔恨の地、佐渡島奪回に向けた上陸作戦が開始された。

 冥夜からの通信と、続くスティングレイ1の激によって、何時にも増して奮い立ったスティングレイ隊の『海神』が、波間を割って海岸線へと次々に上陸を果たす。
 そして、その一員から、興奮と戸惑いを混ぜ合わせた声がオープン回線に流れた。

「隊長ッ! 紫色の、紫色の戦術機を確認しましたっ! 御『武御雷』ではありません、『瑞鶴』のように見えます……他にも青や赤、黄に白の機体も……」

 その部下の不規則発言を敢えて咎めず、スティングレイ1は士気高揚の契機とする。

「そうか! 『瑞鶴』改修型陽動支援戦術機『朱雀(すざく)』だな。総員聞け! 紫色の陽動支援機は、御『武御雷』配備以前に将軍専用機として運用された『瑞鶴』の改修機だ!
 退役していたとは言え、帝国軍の栄光の象徴であった機体に違いは無い。BETAどもに指一本触れさせるな! 周囲のBETA共を根絶やしにしろっ!!」
『『『 ―――了解ッ!!! 』』』

 その言葉に、スティングレイ隊の士気は最大限に高揚した。
 冥夜の操る紫色の『瑞鶴』の周囲には過剰とも思える程の火力が集中され、そこ以外の上陸地点周辺に於いても、驚異的な速度でBETAが駆逐されていく。
 それは、無論光線級が事前に排除されていたことが主たる要因ではあったであろうが、政威大将軍名代による陣頭での陽動支援実施が齎した、戦意高揚の効果が絶大なものである事も証し立てていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時21分、作戦旗艦『最上』のHQでは、いよいよ上陸作戦が本格的に開始されようとしていた。

「スティングレイ1よりHQ、上陸地点を確保、繰り返す、上陸地点を確保!」
「HQ了解。―――HQよりウィスキー艦隊、現時刻を以って作戦はフェイズ3に移行。
 各戦術機甲部隊を順次発進させよ。―――繰り返す、ウィスキー艦隊は、戦術機甲部隊を順次発進させよ。
 尚、各機甲師団の揚陸は、戦線構築後となる、各艦艇は揚陸に備えよ。」
「HQより帝国海軍第21戦術機甲戦隊、上陸開始せよ。繰り返す、上陸開始せよ。」
「戦術機母艦『高尾』、敵のレーザー照射を受けています!」
「スティングレイ1よりHQ、『高尾』を攻撃した光線級3体を排除した。高尾は無事か?」
「こちらHQ、『高尾』の損害は軽微。搭載戦術機も全て無傷だ。」
「そうか、『高尾』が無事でよかった。―――以上だ。」

 喧騒に包まれるHQの様相を他所に、小沢提督は戦況図を信じられない思いで見詰めていた。
 上陸作戦が開始されたというのに、友軍に殆ど損害らしい損害が発生していないのだ。
 従来の佐渡島への間引き作戦の状況を考えるに、これはあり得ない状況であった。

(信じられん! 過去の間引き作戦ですら、多大な損害と引き換えに上陸を果たしてきたというのに。
 ―――いや、間引き作戦の目標撃破数など、第1段階で既に達成しているではないか……
 対BETA戦術構想……これほどまでに戦況を変えてしまうとは……
 上陸前のレーザー属種殲滅、そして陽動支援機……いくらレーザー属種が殆ど駆逐されているとは言え、上陸地点確保までの損害が少なすぎる。
 無人機の中破が2機のみとはな……これなら……これなら本当に佐渡からBETAを駆逐出来るかもしれん。)

 物思いに耽る小沢提督に、夕呼の声が投げかけられた。

「どうかなさいまして? 提督。」

「―――いや失礼、あまりの損害の少なさに、却って不安が募ってしまいましてな。
 あなた方の確立された、対BETA戦術構想は実に素晴らしいものですな。」

 我に返って、かけられた声へと振り向いた小沢提督は、夕呼に軽く会釈をすると、対BETA戦術構想を讃えた。
 しかし、夕呼は厳しい表情を崩さず、今後の見通しについて述べる。

「提督、佐渡島攻略はまだまだこれからですわ。未だにBETA与えた損害は、佐渡島に所属すると予想される全個体数の、4分の1にも達していません。
 そして、今回の作戦では残る全てのBETAを殲滅しなければならないのですから、戦いはまだ始まったばかりです。」

「そうでしたな。しかし副司令。あなたもそれを見越して、新型兵器を投入なさるのではないのですかな?
 彼の新型兵器が佐渡に到達するまで、あと1時間少々と言ったところですか。
 それまでに、こちらの準備を済ませねばなりませんな。」

 小沢提督は、戦力配置図に目をやり、佐渡島へ向けて本土上空を移動中のマーカーを見た。
 『雷神』や陽動支援機などの新装備、そして、それらを運用する対BETA戦術構想を提唱した国連軍横浜基地が、それらを差し置いて切り札と称する新型兵器。
 それが発揮するであろう威力を思うと、心が逸るのを押さえ切れない小沢提督であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時37分、斯衛軍第16大隊所属衛士達は、シエラ艦隊に属する戦術機母艦『真鶴(まなづる)』の艦内で、未だに収容されたままの複座型『武御雷』に搭乗していた。
 とは言え、待機している訳ではなく、全員が遠隔操縦によって、遠隔陽動支援機『朱雀』を縦横無尽に操り、佐渡島に於いて押し寄せるBETA群を翻弄していた。

 上陸地点の確保が完了した後、斯衛軍第16大隊は、そのまま戦線の構築と押し上げにかかっている。
 今回の作戦で上陸地点に選ばれたのは、旧佐渡市立間であった。

 この地は近年、佐渡島ハイヴから本土に向けてのBETA主要進行ルートとなっており、山々がBETAによって削られ、旧新穂地区を抜けて旧立間に至る渓谷が形成されていた。
 この渓谷を越えればハイヴ周辺の平野部に進出でき、海岸沿いに北方に進めば、旧319号線沿いに両津港へ、南方に進めば、旧65号線沿いに真野湾へと進出する事も可能であった。
 さらに、佐渡島の南東は高い物で標高600m程の山々が連なっていたのだが、これもBETAによって山頂を大分均されて(ならされて)しまっており、皮肉にも機甲部隊の運用が大分容易になっていた。

 現在、斯衛軍第16連隊は、第2陣として上陸してきた帝国海軍第21戦術機甲戦隊―――サラマンダー隊を支援部隊とし、渓谷を中心に扇状に戦線を広げてBETAを駆逐していた。
 当初斯衛軍第16大隊の支援を担当していたスティングレイ隊は、現在旧立間で弾薬を補給しており、補給が終わり次第佐渡島近海の哨戒任務に付く予定であった。
 上陸後、僅かに残っていた光線級の照射を受け、2機の『朱雀』が回避しきれずに中破してしまった斯衛軍第16大隊であったが、予備機体をシエラ艦隊の戦術機母艦から呼び寄せたため、既に戦力は回復済みであった。
 また、中破した2機の朱雀も、『自律移動式整備支援担架』で応急処置を済ました上で、戦術機母艦へと自律制御で帰艦させ、現在修理を行わせている。
 今後は戦線の左翼に、第3陣として上陸してくる帝国軍陽動支援戦術機甲連隊が展開し、帝国軍戦術機甲部隊の有人機と共同で、真野湾南方の半島部分からBETAを駆逐し、支配下に収める予定である。
 そうなれば、帝国軍戦術機甲部隊の支援の下、更に戦線を押し上げ、渓谷の北西に広がる平野部まで押し出す事も可能となると思われた。

「はっはっは。『武御雷』には一歩及ばぬが、『朱雀』もこれで中々に使い勝手が良い。そうは思われませぬか、御名代殿。」

 斯衛軍第16大隊を率いる斉御司大佐は、前線でBETAを陽動し、恣に(ほしいままに)引き摺り廻せてご機嫌であった。
 これまで自重を強いられて後方に留められる事の多かった斉御司大佐は、ここぞとばかりに青の『朱雀』を縦横無尽に操って多数のBETAを誘き寄せている。
 今正に突撃級、要撃級、戦車級、合わせて50体以上に取り囲まれていながら、快活な笑い声を上げ、これが初陣となる冥夜に話しかけて来た。

「はっ、私は『時津風』を操った事もありますが、『朱雀』は第1世代戦術機を基にしたとは思えぬ、軽快且つ鋭い動きを見せております。
 これならば、そう易々と遅れを取ることはありますまい。」

 武が考案した『対BETA心的耐性獲得訓練』の成果か、初陣で多数のBETAを陽動する羽目になったにも係わらず、冥夜は動揺する事無く陽動支援を果たしていた。
 尤も、冥夜の操る紫色の『朱雀』の周囲に活動中のBETAは殆ど居ない。
 冥夜の働きが悪いのではなく、如何に陽動してみても、端から支援砲火によって駆逐されてしまうのであった。
 スティングレイ隊の支援を受けていた時も同様であり、サラマンダー隊に支援を交替した折に、申し送りでもされたかのように、支援砲火の過剰なまでの集中は継続されていた。

 無論、申し送りなどはされていなかったし、冥夜にも解っている事ではあるが、帝国軍の将兵が紫色を纏う戦術機に僅かな傷一つでさえ付けまいとするのは当然の事であった。
 これではまともな陽動にならない為、冥夜はBETAの密集するポイントへ次々に応援に行き、BETAの一極集中を妨げる役割を果たしていた。
 それは、尤も苛酷なポイントで戦い続ける事に他ならなかったが、過剰とも言える支援と冥夜の卓越した近接戦闘能力により、文字通り傷ひとつ負わずに此処までを戦い抜いていた。

「それは重畳。―――さて、どうやら第3陣が駆けつけた様子。そろそろ、戦線をいま少し押し上げますかな?」

 斯衛軍第16大隊の指揮官は斉御司大佐である。しかし、象徴として皆を率いるのは筆頭衛士であり、政威大将軍名代である冥夜でなければならない。
 それゆえに、斉御司大佐は方針を冥夜に告げ、冥夜は斉御司大佐に成り代わって、命を下す。

「承知いたしました、斉御司大佐。―――パープル・クレスト0より、斯衛第16大隊並びにサラマンダーズに告ぐ。
 帝国陸軍戦術機部隊が参るまでに、いま少し戦線を押し上げる。サラマンダーズの衛士達よ、今しばらくそなたらの力を貸すがよいぞ。」
『『『 ―――了解ッ! 』』』

「うむ。さすれば、第16斯衛大隊総員、私に続くがよいっ! 全機吶喊ッ!!」
『『『 ―――承知ッ!! 』』』

 冥夜は己が掛け声と共に、噴射跳躍で一気にBETAの群れの中へと飛び込んでいく。
 それに続く斯衛軍第16大隊の『朱雀』35機。突撃砲を放ちながら、舞踊る戦術機へと周囲のBETAが吸い込まれるように向きを変えて殺到していく。
 そのBETA群へ、サラマンダーズの『海神』が猛烈な砲撃を浴びせ、腹背を曝したBETA群を急速に殲滅していった。




[3277] 第67話 兵(つわもの)共、皆陣成して前に在り +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:00

第67話 兵(つわもの)共、皆陣成して前に在り +おまけ

2001年12月25日(火)

 08時43分、シエラ艦隊に属する戦術機母艦『烏丸(からすま)』の格納庫で、今や遅しと出番を待っていた斯衛軍第5連隊各機の下に、ようやく待ちに待った通信が届いた。

「―――HQよりエコー揚陸艦隊。全艦艦載機発進準備! 全艦艦載機発進準備!」
「―――エコーアルファ1よりHQ! 全艦艦載機発進準備良し!」
「―――HQ了解。全機発進せよ! 繰り返す、全機発進せよ!」
「よっしゃぁ~っ! 待ち草臥れちまったぜッ! 暮人さんッ!!」
「よし。斯衛軍第5連隊、陽動支援機各機、出撃せよッ!」
『『『 ―――了解ッ!! 』』』

 暮人の命令一下、エコー揚陸艦隊に搭載されていた『朱雀』108機が佐渡島目掛けて飛び立っていく。

「いいか、上陸後は北方へ進出して、旧赤玉以北の半島部からBETA共を叩き出す!
 ただし、俺達の仕事は飽く迄も陽動支援だ。BETAの殲滅は大東亜連合軍の有人戦術機に任せておけ。
 無駄弾を使わないように気を付けろ。大東亜連合の有人機にBETA共を近寄らせるんじゃないぞっ! いいな!?」
『『『 了解っ! 』』』

 佐渡島に到達するまでの僅かな時間を使い、暮人は上陸後の指示を徹底する。
 そして、それを受けて、絶人が全員に発破をかけた。

「ぃよぉ~っしっ! いいかぁ? 俺たちがドジ踏んだら、大東亜連合の連中が割り食うんだからなっ!
 おまえら、よそ様に迷惑かけねぇように、しっかりやれよッ!!」
『『『 了解! 』』』
「んじゃ、一丁暴れてやるぜッ!!」
『『『 お~ッ!!! 』』』

 ノリの良い衛士達の雄叫びが、部隊内データリンクに響き渡る。
 その雄叫びに、早矢花を筆頭に10名を超す女性衛士達が、やんちゃ坊主の集団を見るような呆れ顔をしていたが、それは斯衛軍第5連隊ではよくある風景ではあった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 08時59分、佐渡島の南東に位置する、旧立間に上陸したウィスキー部隊所属の有人戦術機甲部隊は、佐渡島南方の半島部分の制圧作戦を開始していた。
 今回投入された帝国軍有人戦術機甲部隊は7個連隊であった。
 その内、1個連隊を斯衛軍第16大隊の支援に、上陸地点の確保と北方への押さえに2個連隊を充て、残る4個連隊を投入し、陽動支援戦術機甲連隊を前衛として半島部の制圧を目指していた―――のだが……

「ちっ、なぁにが陽動支援よ、たま~に思い出したように弾ばら撒きながら、ぴょんぴょん飛び跳ねているだけじゃないのさ。」
「まったくだ。おまけにあれには、衛士は乗ってないんだろ? ったく、こちとら命がけだって言うのに、あちらさんは遊び半分って事なのかねえ?」
「撃墜数(スコア)も大したことないしね。精鋭部隊が聞いて呆れるよ。まあ、見世物としてはそこそこ見ごたえあるけどさ。よくもまあ、あんな軽業師みたいな機動が出来るもんだよ。」
「それだって、自分が乗ってないからだろ? BETAの始末はこっちに任せっぱなしで、いい気なもんだぜっっと!」
「まったくだよ。第1連隊の連中が羨ましいね。連中は、御名代様率いる斯衛軍第16大隊の支援だっていうからね。まったく、こっちは大外れだよっ!」

 前方で噴射跳躍を繰り返す、帝国軍陽動支援戦術機甲連隊の足元に群がるBETAに砲弾を浴びせ、次々に殲滅していく帝国軍衛士達。
 戦況が順調であるからか、何時にも増して部隊内データリンクに流れる軽口の量が多い。
 しかもその内容は、前方で陽動支援を実施している友軍部隊に対する批判めいたものであった。
 さすがに見過ごせないものを感じ、叱り飛ばそうとした小隊長は、先程から黙り込んでいる残り1人の通信画像に目を止めて話かけた。

「ん? 03、どうした? 戦闘中に考え事が出来るほど、あんたの腕は良くないはずだよ?」
「あ、す、すいません隊長。」

 慌てて謝罪する部下―――伊隅あきら少尉に、小隊長―――クラッカー1は重ねて訪ねる。
 幸い、戦況には余裕がある、問題を積み残しにする必要はないだろうと、クラッカー1は判断した。

「いいから、何を考えてたか言ってみな。まさか、恋人の事を思い出してたってなわけでもないんだろう?」
「そ、そんなんじゃありませんっ! ―――え、えっと、その……こんな事言っていいのか判らないんですけど……
 その……今日は、なんでこんなに楽に戦えるのかなーって…………」

 あきらの返事に、小隊の全員が黙り込む。が、その直後には、あきらは仲間2人から大笑いされていた。

「あははははっ! あきら、あんたも言うようになったじゃない。尻に殻付けたヒヨッコだと思ってたけど、見直したよ!」
「ぎゃはははははっ! ちげえねえ。BETA相手にそんだけ言える様になりゃあ、一人前だぜっ!」
「―――ちょっと黙りな、あんた達。……あきら、なんで楽に戦えてるなんて思ったんだい?」

 しかしクラッカー1は、大笑いする2人の部下を黙らせると、真面目な顔をしてあきらに問いかけた。

「え? えっと……だって、BETAが前にしかいないじゃないですか。しかも、殆どこっちに近づいてこないし。
 それに、突撃級だって、殆どが腹や尻を狙えます。こんな楽な戦い、シミュレーター演習でもやったことないなあと思って……」
「「 え? 」」

 あきらの答えに、2人の仲間が虚を突かれ、間抜けな声を上げた時、大隊長の胴間声(どうまごえ)がオープン回線に響き渡った。

「てめぇら、いい加減その壊れた蛇口みてぇな、口を閉じやがれ! 黙って聞いてりゃピーチクパーチク、愚痴ばっか叩きやがって。
 まともな事言いやがったのは、クラッカーズの嬢ちゃんだけだってのが、また情け無くて涙がちょちょ切れちまうぜ。
 いいか? 耳かっぽじいて良~く聞きゃあがれ!
 どうして今日に限って、BETA共がてめぇらを齧れるとこまで寄って来ないと思ってやがる。
 陽動支援機様が、BETA共を陽動してこっちに来させねぇからだ!
 どうして今日に限って、BETA共が揃ってこっちにケツ向けてると思ってやがるんだ、ああ?
 特売日か? んなわけねぇだろうが!
 陽動支援機様が、BETA共を自分に引き付けて、進路を捻じ曲げてくださってるからだ!
 てめぇらが、そうやってへらへら笑って七面鳥撃ち出来てるのはなぁ、ぜぇ~んぶ、陽動支援機様のお蔭だと思いやがれっ!
 解ったら、少しでも早く、少しでも多く、BETA共に弾をぶち込むんだッ!
 無駄弾撃ったら承知しねえぞっ! 無駄口もだ!! 陽動支援機様に感謝して、BETA共を地獄へ叩き込めッ! いいなッ!!」
『『『 ―――りょ、了解ッ!! 』』』

 大隊所属各機が、上擦った声で応答する。それを聞いて、大隊長はにやりと笑みを浮かべるとあきらを褒めた。

「おう、クラッカー3。てめぇだけは褒めてやる。浮かれねえで良く考えやがったな。
 その調子で、上手い事頭使って生き延びるんだぞ? こんな生温い戦場で死なれちまったら、てめぇを育てた軍は丸損だからな! がははははっ!」
「りょ、了解です!」

 大隊長の伝法な褒め言葉に、あきらは目を丸くして応えてから、自身の気持ちを今一度引き締めた。

(そうだ、こんなところで死ぬもんか! 絶対生きて帰って、正樹ちゃんとまた……)

 何を思ったのか、管制ユニットの薄暗がりの中で、ブルブルッと勢い良く首を振ったあきらの頬は赤く火照っていた……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 9時02分、戦術機母艦『大隈』の格納庫に並ぶ複座型『不知火』の管制ユニットで、ヴァルキリーズが遠隔操縦モードを起動していた。

「よし、全員起動したな。―――尤も、風間と珠瀬は居ない訳だが……まあ、戦闘が主体の任務じゃないからな、2人抜きでも大丈夫だろう。
 各員、周囲には気を配れよ。『満潮』を担当する葵、紫苑、茜、彩峰の4名は、自機の破損を全力で避けろ! 貴様らが任務の要だという事を忘れるな!」
「は~い。」「了解。」「了解!」「了解……」

 みちるは全員のステータスを確認した後、最終ブリーフィングを開始した。

「速瀬、神代、築地、麻倉の4名は接敵した際の陽動だ。BETAを部隊から引き離せ!」
「りょ~かい!」「承知!」「は、はははは、はい~。」「了解ですっ!」

 壬姫と祷子はこの作戦には不参加である。未明からの長時間に亘った狙撃任務の疲労を回復する為に、現在休息を取っている為だった。

「涼宮と榊は随伴機の制御と、周辺探査を担当しろ。なるべく接敵されたくないからな。早期に発見してこちらから叩きに行く方針を採用する。」
「了解。」「了解!」

 データリンクの戦域マップには佐渡島の北西近海が表示され、そこに24個のマーカーが南北2つのグループに分かれて表示されていた。

「A(アルファ)部隊は私が直接指揮するが、B(ブラボー)部隊の指揮は宗像に任せる。
 桧山と柏木は地中設置型振動波観測装置を搭載した、葵、紫苑、茜、彩峰の直衛を命じる。決して離れるな!
 他の6名は、状況に合わせて柔軟に行動しろ!」
「「「「「「「「 了解! 」」」」」」」」

 みちるは、17名の部下全員の顔を通信画面で見廻して、作戦開始を告げる。

「よし、我が隊はこれより佐渡島北西沿岸に強襲上陸し、N(北)エリアとSW(南西)エリアに地中設置型振動波観測装置を設置する。
 既に地表に残存するBETAの殆どは、南東に陽動されている筈だが、気を抜くんじゃないぞ。
 特に、北西沿岸のレーザー属種は、未だに健在であると予想されている。BETAの殲滅は二の次だが、出来る範囲で倒しておけ。
 ―――全機起動ッ! 水中発射式自律誘導弾コンテナを切り離せ。『自律式簡易潜水輸送船』最大戦速!
 アクティヴソナー最大発信! 海底にBETAが居ないか気を付けるんだ!!
 ―――よし! 自律誘導弾、5秒間隔で連続発射ッ! 重光線級の照射が途切れたら即時浮上し、緊急発進後NOEで上陸しろ!
 照射インターバルの間に、レーザー属種を黙らせろよ?!」
『『『 ―――了解ッ!! 』』』

 『自律式簡易潜水輸送船』から切り離された水中発射式自律誘導弾コンテナから、ALMが5秒間隔で佐渡島北西沿岸へと発射される。
 初弾は発射後直ぐに照射を受け、レーザー出力が上昇したところで蒸発し、重金属雲を発生させる。
 その密度は低く、然したる効果はなかったが、続いて発射されたALMは、少しずつではあるがその飛翔距離を伸ばしていき、重金属雲の回廊が徐々に形成されていく。

 幸い、重光線級は両方面合わせて7体に留まり、その位置は最重要攻撃目標として戦域マップにマーカー表示される。
 光線級も、その殆どが重光線級の周辺に存在していた。
 重光線級の照射が途切れるタイミングに合わせ、急速浮上した『自律式簡易潜水輸送船』から、『時津風』と『満潮』がNOEで飛び出す。

「もらったわよぉ~っ! このこのこのぉ~っ!!」

 先陣を切った水月が、重光線級の周辺に居る光線級に36mm弾を雨霰と浴びせかける。36mmの劣化ウラン弾を浴びて、光線級は肉片と化していくが、その流れ弾を浴びても重光線級には殆ど効果が見られなかった。
 ヴァルキリーズは光線級の制圧を優先して砲撃を行うが、87式支援突撃砲を両手で維持した葉子、柏木、智恵、美琴の4人は、重光線級に狙いを定めてじっと何事かを待つ。
 そして、先程のALM迎撃データから重光線級の照射インターバルの終了タイミングを計り、その巨大な単眼目掛けて36mm弾を連射した。

「えいっ……」「ほらほらほらっ!」「そこぉ~っ。」「これでどおかな?!」

 それらの砲弾は、重光線級の目蓋が開くのと前後して着弾し、見事に重光線級を無力化する。
 これが初陣となる元207Bの3人も、訓練以上の実力を発揮してBETAを殲滅していく。その様子を見て、みちるは密かに胸を撫で下ろしていた。
 かくして、ヴァルキリーズは2手に分かれて佐渡島に上陸を果たし、多数の地中設置型振動波観測装置を配置しながら、南東の友軍支配地域目指して佐渡島を横断していった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 9時29分、作戦旗艦『最上』のHQには戦況情報が寄せられていた。

「ウィスキー戦術機甲部隊各隊、佐渡島南方の半島部分を制圧完了、戦線を真野湾、旧長石より旧目黒町に形成。
 ウィスキー機甲部隊各隊は、旧81号線、旧181号線沿いに展開し、支援砲撃を実施中。」
「エコー戦術機甲部隊は、佐渡島東方の半島部分を制圧し、旧上新穂から旧田ノ浦にかけて戦線を構築していますっ。
 エコー機甲部隊各隊は、旧319号線沿いに展開して、支援砲撃を行っていますっ!」
「帝国軍第17戦術機甲戦隊は真野湾の哨戒を継続中。帝国海軍第21戦術機甲戦隊も両津港近海の哨戒を継続しています。」
「国連軍A-01部隊、旧立間にて集結と整備・補給を完了。これより斯衛軍第16大隊に代わり、旧目黒町から旧上新穂にかけての一帯に展開します!」
「連合艦隊第2、第3戦隊、補給と休息を終えて復帰します。これにより、連合艦隊第1戦隊が、補給を開始。各艦乗員は半舷休息に入ります!」
「全軍の損耗は何れも軽微。損害は擱坐等を含めても2%未満に留まっています。」
「現在、地表に展開している残存BETAの個体数は、推定1万未満です。その殆どが、S、SE、Eエリアに集中しています!」

 小沢提督は、それらの報告を聞いて、力強く頷いた。

「うむ! どうやらこちらの準備は間に合ったようだな。―――副司令、そちらは如何ですかな?」
「こちらもそろそろ到着いたしますわ、提督。A-02の到着と前後して、高確率でレーザー属種が出現する筈です。
 全軍に警戒の呼びかけと、第2、第3戦隊にAL弾の装填を命じておいてください。」

 夕呼は情報画面に向けていた視線を上げ、小沢提督の問いかけに応じた。
 小沢提督は、その言葉に頷き、各隊への通達を命じた後、再び夕呼に確認の言葉を投げかけた。

「承知しました。―――君、全軍に通達。レーザー属種の出現に備えよ。また、第2、第3戦隊は、AL砲弾を装填し、陽動砲撃に備えよ。―――以上だ。
 ―――ところで、香月副司令。新たに出現するレーザー属種の排除は、国連軍の陽動支援機に一任するという事で、間違いありませんかな?」

「はい。テストプラン通り、敵のレーザー属種の第1陣は、A-01を中心とした、陽動支援機部隊にお任せください。
 次に出現するBETA群は、A-02を目標とし、旧上新穂を経由して旧立間に至る渓谷へと集中すると予測されています。
 レーザー属種を排除した後、残存BETAは、砲撃開始位置に到達したA-02が砲撃により排除します。
 それまでは、旧上新穂で敵の侵攻を食い止めてください。」

 夕呼の言葉に、小沢提督は顎を撫でて暫し思いを巡らす。そして、再び夕呼に対して問う。

「しかし、それでは陽動支援機に損害が出てしまいませんかな? 如何に衛士が乗っていないとは言え、陽動支援機は本作戦の要の一つ。
 この段階で失うのは如何なものでしょうか?」

 些か不安げな小沢提督に対して、夕呼は自信に満ちた笑みを浮かべて応える。

「ご心配には及びません、提督。A-01部隊は潤沢な予備機体を用意しております。元来、陽動支援機は被害担当兵器です。
 今作戦でこそ機体数が不足しておりますが、本来であれば、大量に投入して使い捨てるのがそもそもの構想です。
 それに―――A-01はそう簡単に落されはしません。どうぞ、ご安心下さい。」

「む―――副司令がそこまで仰るのであれば、A-01の活躍を拝見させていただきましょう。
 旧上新穂には、有人戦術機隊を2個大隊配置します。」

「よろしくお願いいたしますわ、提督。尤も、A-01が旧上新穂の北西に地雷原を敷設するはずですから、それほど多くは抜けてこないと思いますけれど。」

 夕呼の言葉に、小沢提督は僅かに眉を上げて応じる。事前に読んだ資料の中に、確かに自動的に地雷を敷設する装備に関する記述があったことを思い出したためであった。

「なるほど、自律地雷敷設機ですな。解りました。旧上新穂に展開させる部隊の撤退タイミングは、そちらにお任せしてもよろしいか?」

「はい、結構です。ピアティフ、頼むわね。」

 夕呼の依頼に、ピアティフは耳の通信機に手を当てたまま頷く。そして、武からの通信の内容を夕呼に告げた。

「―――了解です。……副司令、後15分ほどでA-02が砲撃開始位置に到着いたします。」

 そして、その言葉を待っていたかのように、地中設置型振動波測定装置の観測情報を分析していたCP将校が、緊迫した声を上げた。

「ハイヴ内に多数の振動波を観測! 軍団規模のBETAが地上を目指していると思われます!!
 地上到達予測時間は―――5分後ですッ!」

 今正に、佐渡島で地獄の釜の蓋が開こうとしていた―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 09時36分、ハイヴを中心に切り拓かれた荒野の、外縁部に広がる南東の高台を背にする形で、戦術機甲部隊による真野湾から両津港跡に至る戦線が構築されていた。
 戦線の背後、高台の上には機甲師団が展開し、BETAに向けて何時でも砲撃を放てるように、万全の態勢で待ち構えている。
 その左翼、南西寄りを担当するのが、帝国軍を主力としたウィスキー部隊であり、その最前線で陽動支援を果たし、友軍の損害を極僅かに限定したのが、帝国軍陽動支援戦術機甲連隊であった。

「へっ、懲りもせずに湧いてきやがるかBETA共ッ! だがなぁ、今回ばかりは好きにはさせねえぞっ!」
「―――ああ、オレ達には新戦術とXM3を初めとした新装備がある。今度こそ、奴等に眼に物見せてやろうぜ!」
「うふふ……あたしの魅力で、BETAを引き摺り回してやるわ。」
「あんた、BETAにだったらもてもてだもんね。人間の男はからっきしだけどっ!」
「うっさいわねぇ!」「「「ぎゃはははは……」」」

 BETAの新手がハイヴの奥深くから湧いてこようとしている事は、既にHQから伝えられている。
 衛士達が軽口を叩くのは、どうしても拭い切れない恐怖をやり過ごそうとするからであった。
 陽動支援機を操るこの部隊の衛士は、全員が前線を遠く離れた作戦旗艦『最上』の艦内にいる。
 総勢74名が1室に収まれるようにと、特別に用意された1室である。
 如何にBETAの増援が迫ろうと、この部屋にいる彼らが死ぬ事は万に一つも無い。
 しかし、自分達のミスが、佐渡島で戦っている友軍将兵の命を奪うのだという事を思うと、彼等は自身が戦場にいる時よりも更に強い強迫観念に押し潰されそうになる。
 それを自覚するが故の軽口であり、部隊指揮官である草薙も、副官である佐伯も、それ故に敢えて軽口を咎めなかった。

 そして、草薙が頃合を見計らって、檄を飛ばす。

「よし、BETA共が沸いてくる前に注意しておく。今作戦では、現在に至るまでレーザー属種はその殆どが殲滅されていた。
 しかし、新手には多数のレーザー属種が含まれている可能性が高い。
 だが、我々にはレーザー属種の脅威に身を竦ませる事は許されていない。
 友軍の盾となり、宙を舞ってBETA共を誘引し、同時にレーザー属種どもにレーザーを空撃ちさせることが期待されている!
 幸い、レーザー属種の排除は国連軍部隊が請け負ってくれる。貴様らは、それまでの時間を凌ぎ切ればいい。
 帝国軍人の誇りに賭けて! 帝国軍全衛士の中から選り抜かれたという自負に賭けて! 見事に任務を果たして見せろッ!! 解ったなッ!!!」
『『『 了解ッ!! 』』』

 そんな帝国軍衛士達の様子に、同室に配置された沙霧が満足気な笑みを浮かべていた。
 沙霧の任務は、ついさっきまでは彼等のフォローであった。
 沙霧の手元には6機ずつの『時津風』と『満潮』、そして同数の『自立移動式整備支援担架』が割り当てられ、それらで陽動支援戦術機甲連隊の陽動が破綻しそうになる度に、戦闘に介入して戦線を繕ってきた。
 時には、支援部隊に加わって、密集したBETA群の殲滅までも行っている。

 1機だけを操縦していれば良かった頃に比べると、格段に困難な任務であったが、指揮官として中隊を率いていた沙霧は、自律制御と遠隔操縦を上手く使い分けて、危なげなく任務を完遂していた。
 しかし、今、彼には新たな命が下っていた。

「草薙少佐殿! HQからの命により、現時刻を持って小官は貴隊の支援を離れ、レーザー属種の殲滅任務に当たる事となりました。
 どうか、ご確認下さい。」

 沙霧は、遠隔操縦装置を操作し続けながら、草薙に向かって申告を行う。そして、草薙も間髪をおかずにそれに応えた。

「ああ、その件は確かに聞いている。沙霧少尉、レーザー属種の殲滅は貴官らに任せる。なるべく早くに殲滅してくれよ?」
「はッ! どうかお任せ下さいっ!」

 沙霧の応えに、陽動支援戦術機甲部隊に所属する衛士達の肩から、心持ち力が抜ける。
 彼等にとって、沙霧尚哉という衛士の名前は決して小さくはない。帝都を守護する帝国陸軍帝都守備隊にその人在りと謳われた練達の衛士。
 その腕前と人徳は、多くの帝国軍衛士からの尊敬を集めていた。
 先の決起の責任を一身に負い、同志達の恩赦と現役残留を引き換えに帝国軍から軍籍末梢の上で不名誉除隊させられたにも係わらず、そのまま野に朽ちるを潔しとせず、国連軍衛士としてこの国土奪還の大作戦に馳せ参じたその心栄え。
 さらに、上陸後の作戦行動中に沙霧の見せた腕の冴えは、正に一騎当千。先日教導に現れた白銀武にも引けを取らないと思えるその機動に、部隊所属衛士の多くが惚れ込んでいた。
 その沙霧が任せろと言った。―――ならば、自分達は沙霧を信じて、自らの務めを果たすのみ―――陽動支援戦術機甲部隊の衛士達は、そう心に決めて操縦装置に集中した。

 そして、遂にBETAの増援がハイヴから噴出してきた。すかさず放たれた索敵砲撃だったが、それを貫く無数の光芒―――

「HQより全軍に告ぐ、ハイヴ周辺の各『門』より、重光線級を含む軍団規模のBETAが出現! 進路は南東、現在佐渡島へ進行中の国連軍の新兵器を狙っていると思われる。繰り返す―――」
「機甲師団はレーザー属種の排除まで支援砲撃を中断。戦車部隊、高射砲部隊はBETAの突破に備えよ。―――繰り返す……」
「戦術機甲部隊は、敵前衛の侵攻を戦線にて停滞させろ! 一匹足りとも後方に抜けさせるな!!」

 一斉に通信回線の中を様々な命令が飛び交う。そして、佐渡島ハイヴの『地上構造物』の足元から、滲み出すようにBETAの群れが姿を現し、こちらの方へと迫ってくる。
 その数、速度、そして圧力たるや圧倒的であり、支援砲火による制圧砲撃が無い事も相俟って(あいまって)、上陸部隊将兵を怯ませるには十分であった。

 が―――その圧倒的なBETA群に向けて、地表ぎりぎりを猛烈なスピードで突撃していく23機の機体が在った。
 それらの機体を示すマーカーの所属コードは、国連軍横浜基地司令部直属A-01連隊。
 沙霧が、そして、XM3と対BETA戦術構想の発案者、白銀武が所属する部隊であった―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 9時38分、戦術機母艦『大隈』格納庫のヴァルキリーズは、網膜投影される映像の猛威に歯を食いしばって耐えていた。

「こ、これは……なんていうか、その……ご、ごきげんねッ!」
「水月……無理しなくてもいいのに……」

 ヴァルキリーズで唯一機外映像をシャットアウトして、戦域マップの情報だけで4機の機体を制御している遙が、水月の強がりに呆れたように応じた。
 他のヴァルキリーズは、美冴でさえ言葉を発する余裕が無くなっていた。
 身体には一切加速Gが掛かっていない筈なのに、凄まじい加速感が映像だけを原因として脳を満たす。
 遙以外の全員の目には、眼下約10mを時速600km超過の速度で過ぎ去っていく荒野と、その先で急速に大きくなっていくBETA群の姿が、視界一面に広がっていた。

 シミュレーションこそ何度かはしていたものの、緊急展開用ブースターユニットを実戦で使用するのは初めてであった。
 緊急展開用ブースターユニットは、鋭角な円錐を底面の円が半円になるように、縦に真っ二つにしたような形状をしていた。
 そして、その膨らんだ胴体部に戦術機を格納し、ロケットブースターの猛烈な加速によって、巡航速度である時速600kmにあっという間に到達する。
 上新穂からハイヴの『地上構造物』までは10キロ弱。この速度なら1分掛からずに到達してしまう。
 実際、水月の言葉に遙が応じた時点で、BETA群は既に間近に迫っていた。

「ALM斉射!」

 遙の声と同時に、先頭を行く4機の緊急展開用ブースターユニットから、戦術機を格納する代わりに大量に搭載されたALMが一斉発射される。
 4機合計600発のALMが、BETA群の最前列を突っ走る突撃級の頭上を抜けて、後続のBETA本隊へと襲い掛かる。
 しかし、BETA本隊から即座に眩い光芒が放たれ、ALMは急速にその数を減らしていく。
 そして、ALMの蒸発と引き換えに形成された重金属雲を突破して、4機の緊急展開用ブースターユニットが突撃級を飛び越えて、BETA本隊へと速度を落さずに突っ込んでいった。
 リフティングボディー形状と地面効果を用いて超低空を飛行する緊急展開用ブースターユニットは、その機首から翼端にかけてスーパーカーボン製のブレードを持っていた。
 4機の緊急展開用ブースターユニットは、進路上に存在したBETAを斬り裂き、突き刺し、押し潰していく。

 そうして広げられた突破口に向けて、後続の緊急展開用ブースターユニット19機から、1発ずつのミサイルが発射された。
 発射されたミサイルはBETA群の直前で気化弾頭を起爆。猛烈な爆風が周囲に吹き荒れ、BETA小型種を爆風衝撃波で圧殺しながら、中型種をも吹き飛ばしていく。
 そして、爆発の後には逆噴射によって急減速した緊急展開用ブースターユニット19機と、そこから射出されて大地を己が主脚で踏みしめた、『時津風』19機の勇姿があった。

 直ちに主脚走行を開始し、BETA本隊に空けられた間隙に駆け込む『時津風』。
 これで、レーザー属種の大半は周囲のBETAが邪魔でレーザー照射が不可能となる。
 数少ない照射可能位置に居たレーザー属種からの照射も、初期照射を感知した直後に自動発射される自律誘導弾で誘引する事で、『時津風』は被害を免れる。
 そして、A-01によるレーザー属種狩が始まった。

「よ~し、重光線級狩りの時間だぞ、ヴァルキリーズ! 中央から順に、一匹残らず狩り尽くせっ!」
『『『 了解ッ!! 』』』

 みちるの命令に、一斉に答えが返る。この時点で『時津風』を操縦しているのは遙を除くA-01連隊の衛士全員19名。
 沙霧は作戦旗艦『最上』から、武に至っては佐渡島へ進行中の『凄乃皇弐型』からの遠隔操縦による参戦であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 9時41分、A-01と入れ違いに、突撃級が戦線へと押し寄せて来ていた。

「くっそぉ~、白銀達は、派手にやってやがるぜっ!」

 迫り来る突撃級の彼方で発生した、気化弾頭の大爆発を見て、絶人が悔しそうに唸る。
 そんな絶人に、早矢花が口をへの字に曲げて小言を言う。

「ちょっと絶人君、そんな事言ってる場合じゃないでしょ? 直ぐに突撃級が此処まで来るわよ!」
「直ぐにったって、俺達の出番の前に、地雷があるじゃねぇか……お、言ってるそばから始まったぜ!」

 絶人の言う通り、地雷敷設機で設置した地雷原に突入した突撃級が、地雷の爆発によって吹き飛ばされ、その後方に続いていた個体も、地面すれすれを飛来し、装甲殻の隙間から飛び込んだ地雷の金属片によって、脚部や腹部をずたずたにされてしまい、つんのめる様に転がる。
 そうして、足を止められてしまった突撃級に、後続の突撃級が衝突し、乗り越え、或いは脇を擦り抜けて、しかし、また次の地雷によって吹き飛ばされ、柔らかい脚部や腹部を傷付けられて、次々に荒れ地に骸を曝していく。
 それが幾度も繰り返されて、遂には突撃級の死骸でバリケードのような壁が出来るが、突撃級はその壁をも乗り越えて、怯む事無く押し寄せる。
 しかし、壁を乗り越えた突撃級は、既にその速度を大幅に落としており、その突破力は著しく低下していた。

 真野湾から両津港跡にかけて構築された戦線の、北東に当る両津港寄りを担当する斯衛軍第5連隊は、突撃級が地雷原を抜けてくるのを今や遅しと待ち構えていた。
 その後方には、大東亜連合軍戦術機甲部隊が突撃砲を構えて、何時でも支援砲撃が行えるように備えている。
 この段階に至るまで、大東亜連合軍に大きな損害は発生していない。
 残存BETAの掃討という、比較的危険の少ない任務ではあったが、それでも数千の中型種BETAを戦術機甲部隊のみで殲滅したことを思えば、信じ難い結果であった。
 そして、その結果をもたらした帝国斯衛軍の陽動支援戦術機部隊に対して、大東亜連合軍は畏敬と崇拝に近い感情を抱きつつあった。
 それ故に、押し寄せる突撃級を前にしても、帝国斯衛軍の色鮮やかな戦術機がBETAの前に立ち塞がっている限り、恐慌に陥らずに済んでいたのである。

「―――よし、BETAが地雷原を抜けてくるぞ! スティール1より斯衛第5連隊総員に告ぐ。陽動支援開始ッ! 奴等を後方に抜けさせるなッ!!」
『『『 ―――了解っ! 』』』

 傷付き、大幅に速度を落とし、それでも突進を止めようとしない突撃級へと、斯衛軍第5連隊の『朱雀』が突撃し、その鼻先で宙を舞うようにして身を躱す。
 すると突撃級は、闘牛士を貫きそびれた闘牛のように速度を落とし、のそのそと向きを変えて『朱雀』を追おうとする。
 最前列が速度を落とし方向転換を始めたため、突撃級の群れは渋滞を起こし、その突破力は失われた。
 『朱雀』各機は、着地する度に長刀によって突撃級を斬り倒しながらも、常に跳躍を繰り返して一つ所に留まらない。

 そして、突撃を停滞させた突撃級に、大東亜連合軍戦術機甲部隊の支援砲撃が浴びせられ、腹背を曝していた突撃級は、急速に殲滅されていった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、戦線中央の旧上新穂付近にも、突撃級が押し寄せて来ていた。

 この戦線に敷設された地雷原の奥行きは、他の方面の優に3倍に達していた。
 それは、この戦線を担当していたA-01連隊が、レーザー属種を排除するためにBETA本隊へと強襲をかけるに当たり、この地に敷設していった物である。
 突撃級は速度と個体数を大幅に減じたものの、遂に地雷原を突破して、渓谷へと流れ込んでいった。

 その突撃級に、渓谷の崖沿いから砲撃が腹背へと叩き込まれる。
 砲撃の主は、この戦線に配置された帝国軍戦術機甲部隊の『不知火』と『撃震』で構成される各1個大隊、合計2個大隊の戦術機達であった。
 地雷原と渓谷の地形を利用した迎撃戦術は、A-01の置き土産であり、さらには、A-01の前にこの戦線で陽動支援を担当していた御名代殿よりお言葉を賜り、後事を託されていた為、帝国軍衛士達の士気は非常に高かった。
 しかも、国連軍の新型兵器とやらを目指しているらしい突撃級は、渓谷をまっしぐらに駆け抜けていき、突撃砲の砲撃によって面白いほど簡単に骸を曝していく。

「へっ、ちょろいもんだぜ。こりゃあ、今回は楽勝だな!」

 隊の中でも経験の浅い衛士ですら、軽口を叩くほどにあっけなくBETAが殲滅される。それはまるで夢の様な出来事であった。
 そして、それ故にか、現実は容易に悪夢へと姿を変貌させた。

「03! 危ないッ!!」「へ?」

 次の瞬間、軽口を叩いていた衛士の乗る『撃震』が脇から突っ込んできた突撃級に突き倒されて、その巨体の下敷きになった。
 そして、反射的に僚機を救いに駆けつけようとした機体にも、新たな突撃級が迫る。

「04! 跳べッ!! 早くっ!」「りょ、りょうか―――」

 小隊長に怒鳴られ、噴射跳躍をしようとした04の脳裏に、鮮明に浮かび上がる記憶。
 それは初陣の時の記憶。彼の目の前で噴射跳躍し、直後にレーザー照射を浴びた親友の『撃震』の姿。
 その記憶が故に、ほんの一瞬の躊躇いが生じ、たったそれだけの事で、彼の人生は終わりを告げることとなった。
 突撃級に蹂躙された部下のバイタルを確認した小隊長は、周囲を油断無く確認しながらも、冷静に突撃級に砲撃を浴びせ続ける。

「馬鹿野郎がっ! 折角生き延びるチャンスが与えられたってのに、それを活かせずに無駄死にしやがって……
 こんな所で死なせる為に、てめぇらを扱いたわけじゃねえんだぞ…………くっそおっ!」

 小隊長は歯を食いしばり、それ以上の愚痴が自分の口から漏れる事を阻止する。

(今は、任務を果たしBETAを殲滅する。後悔は生き延びてからすればいい。)

 小隊長は自分にそう言い聞かせながら、怒りを砲弾に変えてBETAへと叩き込んでいった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 9時44分、ハイヴ『地上構造物』から南東に約2kmの地点で、A-01の『時津風』19機がBETA本隊の真っ只中で奮闘していた。

 BETA本隊に気化弾頭で突入口を空けたA-01は、まず中央に位置したレーザー属種に躍り掛かった。
 葉子、祷子、晴子、壬姫の4人が支援突撃砲で重光線級の単眼を撃ち抜く。
 瞼のような保護膜を閉じている重光線級には、みちる、美冴、智恵、美琴の4人が120mmを撃ち込む。
 葵、茜、千鶴の3人は4門の突撃砲から36mm弾を乱射して、周囲の要撃級や戦車級ごと光線級を殲滅する。
 そして、武、水月、紫苑、神代、多恵、月恵、彩峰、沙霧の8人は、仲間の周囲を目まぐるしく駆け回り、BETAを翻弄しながらも、長刀で斬り付け、あるいは砲撃を放って、要塞級を中心に、レーザー属種に限らず脅威度の高い順にBETAを仕留めていった。
 怒涛の様な攻撃で、瞬く間に中央部のレーザー属種を駆逐したA-01は、2手に分かれて南北へと掃討を開始。
 その背後を埋めるようにして要撃級と戦車級が襲い掛かるが、ヴァルキリーズは噴射跳躍と反転降下を繰り返して、BETAに接近を許さない。

 そうして、レーザー属種を殲滅し続ける事約4分が経過した現在、A-01は重光線級127体と光線級500体近くを撃破していた。
 残るは、南北の両翼に位置する、50体余りの重光線級と200を超える程度の光線級のみとなっている。
 既に、渓谷の奥に位置する、『凄乃皇弐型』の砲撃開始位置を照射できるレーザー属種は残っていない。
 後は、可能な限りレーザー属種を排除するだけであった。

「伊隅大尉、時間です!」

 武の声に、みちるは即座に反応し、沙霧と武を除く全員に撤退を指示する。

「よし、陽動を継続する白銀と沙霧を残して、全機安全圏まで退避しろっ! 白銀、沙霧、喰い残しは任せたぞっ!」
『『『 ―――了解ッ! 』』』

 みちるの命令一下、ヴァルキリーズの『時津風』は要撃級の間を擦り抜けるように、NOEで高速離脱を開始する。
 そして、ヴァルキリーズが安全圏に到達した時には、武と沙霧はレーザー属種の南北両端近くへと位置を移していた。

「S-11、起爆ッ!」「了解ッ!」

 武の命令一下、空中に飛び上がった2機の『時津風』はS-11の指向性をもった熱と衝撃波をレーザー属種へと放ち、それらを焼き尽くす。
 そしてその直後、遂に砲撃開始位置に到達した『凄乃皇弐型』が、荷電粒子砲を発射した―――



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**** 2月19日穂村愛美誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話14 ****
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どこかの確率分岐世界
2002年02月19日(火)

 08時45分、夜勤明けで引継ぎと朝食を済まし、B3フロアの自室に辿り着くと、愛美は早速引越しの仕度を始める。
 愛美は今日付けで、国連軍横浜基地医療部付属、第0研究室付衛生兵に転属となった。
 その為、これから新たに割り当てられた部屋へと引っ越さなくてはならなかったのだ。
 夜勤明けで疲れてはいたが、休めるのは先方に着任の挨拶を済ませてからになると思われた。

 尤も、愛美の引越しの仕度は直ぐに終わった。愛美は軍から支給される制服と、下着類の他には最低限の私服しか持っていない。
 事務用品も全て支給品で、私物と言える物は、小さな卓上時計とコルクで作られた小さな写真立てだけ。
 軍用背嚢1つに、あっという間に全ての荷物が収まってしまった。
 最後に、短くない時間を過ごした自室を見詰めて、愛美は部屋を後にする。
 部屋は4人部屋であったが、同室の3人とは必要最低限の付き合いしかない。いや、任務に係わらない会話すら殆ど無かったかもしれない。
 愛美がその部屋に抱く感慨は、空虚極まりないものであった。

 ―――約30分後、第0研究室の主任である、香月モトコ軍医中佐に着任報告を済ませた愛美は、新たに割り当てられたB5フロアの部屋へと辿り着いていた。
 背嚢を背負い、ドアを開けた途端に、部屋の中から元気な声と気だるげな声が続けて発せられた。

「あっ! 文緒っち(ふみおっち)! どうやら見えたようですよっ!」
「え~? も~来ちゃったのぉ?」

 愛美が目を瞬かせて室内を見ると、そこには中学生か、下手をしたら小学生とも見紛う小柄な衛生兵と、メリハリのいい体付きの長髪の衛生兵が居た。

「あ、あの……」
「あっ! あなたが穂村愛美さんですかっ? 天川(あまかわ)さんは、天川蛍(ほたる)っていいますっ! よろしくお願いしますねっ!」
「あ~、あたしは星乃(ほしの)文緒ねぇ~。一応よろしくぅ~。」
「え~とですねっ! 天川さんと文緒っちは、香月先生の勤めていた、病院の看護婦だったんですっ!
 この度、香月先生がこちらの軍医さんになられたのでっ、一緒に転勤してきたんですっ!
 ですからっ、軍隊の事は良く解りませんっ! 一生懸命勉強しますからっ、先輩として、色々と教えてくださいねっ!」
「え……あ……は、はい。」

 突然の事に戸惑う愛美に、2人はさっさと自己紹介を済まし、愛美が挨拶も出来ない内に小柄な衛生兵―――蛍が事情の説明と、今後の指導の依頼まで一気に捲くし立てた。
 愛美は、なんとか返事をして頷く。完全に蛍のペースに巻き込まれ、終始圧倒されてしまっていた。

「あっ、ありがとうございますっ! 天川さんっ、頑張って一日も早く、立派な衛生兵になりますねっ!
 ではではっ、まずはその第一歩として、マナマナのお引越しをお手伝いしますねっ!」
「え?……あ、あの、マナマナって……」

 今度はいきなり変な仇名で蛍に呼ばれ、再び目を見開いて戸惑う愛美。
 しかし、蛍は悪気の欠片も全く無い笑顔で断言する。

「いやですねっ! マナマナはマナマナの事に決まってるじゃないですかっ!」
「あ~、穂村ぁ。天川は勝手に変な仇名付けちゃうのよぉ。しかも~、一回決めたら何言っても無駄ぁ~。」

 それに続いて、呆れ果てたといった口調で、文緒が解説を付け足す。事情はそれで理解は出来たが、その内容に愛美は驚愕せざるを得なかった。

「え? えええっ?!」
「ほらほらっ! マナマナはその荷物を下ろしてっ、こっちの椅子で休んでいてくださいっ!
 荷物の片付けは、天川さんと文緒っちにお任せですよっ!」
「えぇ~、あたしはや~よぉ。穂村だってぇ、他人に荷物触られんの、嫌よねぇ?」

 蛍は、愛美の背後に回って腰の辺りをぐいぐいと押して、愛美をテーブルの方へと押しやろうとする。
 対して文緒は片付が面倒な様子で、それとなく愛美が断るようにと水を向けてくるが、蛍はその言葉尻を捉え、プンプンと怒りながら腰に手を当てて文緒を叱り飛ばす。

「文緒っち! 他人だなんてっ、何て事を言うんですかっ! 私達は今日からチームなのですっ! 一心同体なのですよっ!」
「あの、その……荷物の整理は……自分で…………」
「あ~、天川は言い出したらしつこいからぁ、嫌でなかったらやらしてやったらぁ。
 でないと~、いつまでも煩いばかりでぇ、どうどうめぐりになるわよぉ。」

 愛美は自分で片付けると言おうとしたが、とうとう匙を投げたらしい文緒が、蛍の好きにさせたらどうかと提案してきた。
 その言葉に、愛美は文緒と蛍を見比べて、諦めの表情で背嚢を床に下ろした。

「あれれっ? これだけですかっ? 随分と、少ないんですねっ! 天川さんなんかっ、ぬいぐるみさんたちでベッド1つ埋まっちゃいましたよっ?」
「天川~、あんたはちょっと私物多すぎ~。一応ここは軍隊なんだからさぁ~。少しは考えなよねぇ~。」
「う~んっ。でもでもっ、あの子たちは天川さんの家族のようなものなのですよっ!…………あ、写真立てですっ!」
「あっ! それはっ!!」

 背嚢1つという荷物の少なさに首を傾げはしたものの、文緒とあれこれと話しながら、蛍は手早く背嚢を開け、一番上にそっと乗せられていたコルク製の写真立てを取り出した。
 その途端、半ば呆然と成り行きに身を任せていた愛美が、瞬時に蛍から写真を奪い返すなり両手で胸に抱え込んだ。

「あやぁ~っ! もしかしてっ、大事なものでしたかっ! 天川さんっ、余計な事、しちゃいましたかっ?」
「あ……いえ、その…………済みません、つい…………」

 突然写真立てを奪い取られた蛍は、しかし怒りもせずにしょげたような顔をして、愛美に謝る。
 愛美もその様子に、自分が乱暴な態度を取ってしまったことに気付き、謝罪しながら写真立てをテーブルの上に置いた。
 愛美の乱暴な態度に、睨みつけるような視線を向けていた文緒も、愛美の謝罪に睨むのを止め、写真立てを興味深げに覗き込む。

「あれぇ~、これってぇ、穂村の彼氏ぃ? けっこぉ~い~男じゃん。……けど、この写真~ちょっとピンボケしてない~?」
「あれあれっ? ほんとですっ! それにカメラ目線になってないですねっ。どうなさったんでしょうっ?」

 写真立てに収められた写真を見た文緒の言葉に、蛍も一生懸命背伸びするようにして机に置かれた写真立てを覗く。
 その様子に、先程の乱暴のお詫びにと思ったのか、愛美はそこに写る少年の話を、ぽつりぽつりと話し始めた。

「…………その方は、数年前に、この基地の衛士訓練学校にいらした方です……その当時は、ここは帝国軍の白陵基地でしたけど……
 私もその頃……この基地の訓練部隊で、衛生兵を目指して、訓練していました。
 訓練はとても厳しくて、時々、何もかも投げ捨てたくなるほどでした……でも……
 訓練学校の校舎裏の丘で、お昼休みや、暖かい季節には夕食後にも……その方が、寝転がって過ごしているのに気付いたんです……
 衛生兵の訓練は、私にとってはとても厳しいものでしたけど、それでも、衛士訓練兵のその方のほうが、何倍も厳しい訓練をなさっているのは知っていました。
 ……なのに、その方は、いつでものんびりと、何も大変な事など無いように、丘に寝転んでいたんです……
 私は、声をかけることすら、出来ませんでしたけど、その方の姿を見ては、頑張る力を分けてもらったんです……
 けれど…………その方は、BETAが日本に侵攻したその年に任官されて……それ以来、配属された部隊さえ解らなくなってしまいました……
 私は、それでもその方を忘れられず、白陵基地の代わりに、国連軍横浜基地が建設されると聞いて、国連軍への出向要員に志願しました……
 そして……再会を願って、この基地で働いて…………ある時、その方が『明星作戦』で戦死されていた事を知りました…………
 その写真は、私が隠し撮りした、その方のたった一つの写真です…………
 ―――詰まらない、昔話でしたね。」

 写真立てだけをじっと見詰めながら、愛美は想い出を一気に語り切った。
 そして、蛍と文緒の方を見ると、文緒は所在無げに髪を掻き揚げており、蛍は涙に潤んだ瞳を大きく見開いて、歯を食いしばって愛美の方を見上げていた。

「ま~その、あれよね~。ありきたりな言葉だけどさ~、気~、落とさないでね~って、今更って感じぃ?」
「マナマナっ! 辛い時にはっ、この天川さんを頼ってくださいねっ! 天川さんは、必ずマナマナの力になりますっ!」

 その二人に、愛美は薄く透明な微笑を浮かべて言った。

「大丈夫です。もう、昔の事ですから。」

 その笑顔は、あまりに透明すぎて、心の一部を、この世ではない何処かへと失くしてしまった様な、そんな笑顔だと、蛍と文緒には思えた。



2007年02月19日(月)

 08時20分、自室のベッドで愛美は号泣していた。

(今度こそ運命だと思ったのにっ! 鳴海(なるみ)さんの、彼の魂が宿っているのだとっ! 私の下にようやく戻って来てくれたんだと思ったのにっ!!)

 この日の朝、片思いの相手に想いを告げに行った愛美は、その相手が自分の想っていた当人ではなく、その三つ子の兄弟であると知った。
 そしてその事実は、愛美の幻想を木っ端微塵に打ち砕いていた。

「また……めぐり逢えた……そう、思ったのに…………」

 愛美は去年の初夏に珍しく出かけた帝都で、荒くれ男数人に絡まれていた所を、機転を利かせた男性に救われていた。
 決して喧嘩が強い様子でもないのに、看過せずに愛美を助けたその男性は、長めに伸びた前髪や、中性的な細りとした頤(おとがい)などが、どこか写真の少年、鳴海孝之(たかゆき)を彷彿とさせる人物であった。

 その時は、動顚してまともに礼も告げられずに別れた愛美だったが、それ以降は休養日には出来るだけ帝都へ出かけて、その男性と出合った周辺を捜し歩く日々を過ごした。
 殆どが空振りに終わる日々ではあったが、幾度かはあの男性を見かけることもあった。
 それでも、愛美は声をかけたりはせず、後を追ってその男性の振る舞いを眼にするだけで満足していた。
 直接話しかけられなかったのは、本来の引っ込み思案な性格の所為だけでなく、愛美が自身の孝之への想いを裏切ってしまう事に対して、無自覚な恐れを抱いていたからかもしれない。
 しかし、傍観する日々の内に、愛美の中で孝之のイメージとその男性のイメージとの同一化が進み、何時の間にか愛美は、孝之の魂があの男性の中にあるのだと思い込んでしまうようになった。
 失われた孝之に、蘇って欲しいという願望が生んだ妄想である。愛美も自身を振り返ってそう思うこともあった。
 それでも、愛美の思いは大きく膨れ上がっていく。

 だが、そんな愛美にとって越えがたい障害が出現した。
 最初は茜と多恵であった。自分の憧れの人と談笑するオリジナルハイヴを攻略した英雄達の姿に、愛美は男性と自分との距離が広がるのを感じた。
 そして、決定的であったのが、遙とあの男性が2人で楽しげに街を歩く姿を目撃してしまった事だった。
 愛美は訓練兵の時に大怪我をした遙を知っていた。そして、孝之がそんな遙を何度も見舞いに来ている姿を見て、2人の関係が親密なのだと知った。
 しかも、孝之が死んだという、悲しい現実を愛美に突きつけたのも遙であった。尤も、それは悲しみを堪えて互いに励ましあう遙と水月の会話を、偶然愛美が耳にしてしまっただけなのだが……
 とは言え、蘇った孝之の側にもやはり遙が居ると知り、愛美は絶望した。そして、秋が深まるのとともに、帝都へと出かける事も止め、あの男性の事は忘れようと努めた。

 しかし、ようやく想いを振り切れると想った矢先、愛美は自分の配属先である第0研究室の主任室から、件の男性が出てくる所を目撃してしまう。
 必死の思いで香月モトコ博士に訊ねてみると、11月―――愛美が帝都に出かけなくなった少し後に、まるで愛美を追う様にして、この第0研究室の分室へと転属してきたのだという話であった。
 ここに至って、愛美は遂に孝之が自分の下へと戻ってきたのだと、これは運命的なめぐり逢い、再会なのだと思い込んでしまった。
 それでも元来内向的な愛美はなかなか男性―――館花軍医大尉に話しかけることが出来なかった。
 ようやく今日、自分の誕生日に、今までの自分を捨てて生まれ変わる程の決心をして、館花軍医に会いに行ったのだった。しかし―――

(……結局、全部私の思い違い……運命なんて、めぐり逢いなんてなかった…………鳴海さんは……もう、戻ってこない…………)

 最早涙も枯れ果てて、感情が希薄化し表情すらも能面のようになった愛美に、突然声がかけられる。

「マナマナ?……いったい、どうしたのですかっ?」

 のろのろと頭を上げて、視線を巡らせた先には、小柄な同僚、天川蛍衛生兵が両手を大きく振りながら、心配そうに愛美を覗き込んでいた。

「マナマナ、今日は珍しくおめかしして出かけたのにっ、どうして部屋で寝ているのですかっ?
 あっ、天川さんは、お昼休みにちょっと私物を取りに来たのですっ! でもっ、そしたらマナマナが居て、びっくりしたのですよっ!
 それにマナマナ、そのままではっ、服がしわしわになってしまうのですっ!」

 明らかに動顚している様子なのだが、蛍の発言の内容は普段とそう変わらない気がして、愛美は薄く笑みを浮かべた。
 その、表情のすっぽり抜けたような愛美の顔の中で、赤く紅を塗られた唇だけが笑みを象るのを見た蛍は、一瞬ビクッと身を竦ませるが、何とか気力を振り絞って愛美に近づく。
 そして、愛美の二の腕を両手で包み込んで、顔を寄せて愛美の目を覗き込むようにして、真剣な顔で話しかける。

「マナマナ、安心してくださいっ! 何があったのかは解りませんがっ、この天川さんが力になりますっ!
 二人で頑張って、乗り越えていきましょうっ! 天川さんは今まで何度もマナマナの力になろうとして、果たせませんでしたけどっ!
 今度こそ、絶対ぜ~ったいにっ! マナマナの力になりますっ! マナマナは天川さんの大事な同僚でっ、ルームメイトでっ、お友達ですっ!
 マナマナっ、お願いだから1人で抱え込まないで下さいっ!」

 その後も蛍の想い入れ過多な熱弁は続き、それに力を得たのか、心を解されたのか、根負けしたのか……何れかは誰にも定かではなかったが、愛美は蛍に事情を打ち明けた。
 もらい泣きした蛍と再び涙が枯れるまで泣いて、ようやく落ち着いた時には既に夕方近くになっていた。
 お昼休みにやってきて、そのまま職務放棄してしまったことに気付いた蛍が真っ青になり、愛美と2人で大急ぎで研究室に向かい、香月軍医中佐に頭を下げ捲ったのは、まあご愛嬌というものであった。
 因みに、香月軍医中佐は研究に没頭していた為、蛍の不在自体に気付いておらず、脱走の嫌疑をかけられることもなく、仕事を押し付けられた文緒に帝都で夕食をご馳走するだけで、不問と処される事となった。

 この日の午後、蛍と愛美の間にどんな会話が交されたかを知るものは居ない。しかし、その後も愛美は任務に従事し続け、明るい笑顔を見せるようになったという。




[3277] 第68話 鬩ぎ合う(せめぎあう)希望と絶望 +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:01

第68話 鬩ぎ合う(せめぎあう)希望と絶望 +おまけ

2001年12月25日(火)

 09時46分、佐渡島の南東に位置する渓谷の一点から、眩い閃光が放たれ、佐渡島ハイヴの『地上構造物』へと吸い込まれていった。
 そしてその直後、ハイヴの象徴とも言うべき『地上構造物』はその基部を吹き飛ばされ、上部は一溜りも無く崩落した。
 その光景は、佐渡島に居る者達だけでなく、近海を遊弋する艦艇にも広域データリンクを通じて伝えられた。

 一瞬の沈黙の後、広域、部隊内を問わず、全てのデータリンク通信回線を、無数の将兵の雄叫びが埋め尽くす。
 その無数の歓呼の叫びの中、戦艦『信濃』のCICでは安倍大佐が一筋の涙を流し、戦艦『大和』、戦艦『武蔵』のCICでは田所大佐と井口大佐が、期せずして同時に、拳を握り締めて大きく頷いていた。
 そしてここ、作戦旗艦『最上』のHQに於いても、夕呼とピアティフを除く全ての人員が、喜びに沸いていた。

 ―――が、そこへ危機感に溢れる通信が入り、HQの要員は一転して冷や水を浴びせられる事となる。

「A-02よりHQ! 至急地中に残存するBETAの動向を分析されたし!
 A-02の砲撃威力圏外に存在していたBETAが、各部隊を襲撃する可能性が高い! 即時対応を指示されたしッ!!」

 それは武からの警告であった。武は荷電粒子砲の第1射を放った後、すぐさま戦果評定に入っていた。
 その結果、地中設置型振動波観測装置のデータから、思ったよりも多数のBETAが残存する事、その位置が地上ではなく地中に多く存在する事、現在も尚移動中である事などが判明。
 また、『凄乃皇弐型』の荷電粒子砲のあまりの威力に、作戦参加将兵達が判断力を低下させ、一時的ではあるとは言え、ほぼ全ての作戦行動を放擲してしまっている事。
 さらには、HQでさえ、戦況分析と作戦指導を中断してしまっている事にも、武は気付き、先の警告を発する事となった。
 思考の空白、感情の爆発、その最中にも、人類の敵は密かに牙を剥き、今にも逆襲に転じようとしていたのだ。

「―――て、提督ッ! BETAの小集団が、無数に地中を侵攻し、戦線を各地で突破しつつありますッ!!
 このままでは、有人戦術機部隊―――いえ、場合によっては、機甲部隊まで到達しかねません!」

 そして、我に返って残存BETAの分布と行動を分析したCP将校は、戦線崩壊の瀬戸際にあると知り、蒼白な顔で叫ぶように報告した。
 それを聞いた小沢提督は、眉を顰めて唸った後、とある装備に一縷の希望を繋いで、即座に夕呼の方を振り返る。

「むぅ……香月博士、地中侵攻に対応する為の装備は使用可能でしょうか?」
「無駄です、小沢提督。あの装備は大規模地中侵攻でなければオーバーキルになってしまいます。
 それに今からでは設置に要する時間がありません。―――現在、白銀が対応策を立案中です。
 各部隊には、地中のBETAの位置情報を確認して、BETAの付近から退避するように周知徹底して下さい。
 特に、直射砲を持たない機甲車両や後方部隊は、早めに退避するようにと。」

 しかし、夕呼は首を横に振り、その場凌ぎの対応策のみを告げた。
 夕呼の言葉に、小沢提督は頷き、すぐさま命令を下そうとした―――が、

「解りました、君、全軍に通達を―――」
「戦線各所でBETAが出現! 陽動支援戦術機部隊と有人戦術機部隊が交戦に入りましたっ!」

 ―――僅かに及ばず、戦線各所にBETAが出現し、済し崩しに戦闘が開始されてしまったのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 9時48分、作戦旗艦『最上』の陽動支援戦術機甲部隊に割り当てられた一室は、喜びに沸いていた。
 しかし、その直後に幾つかの遠隔操縦装置からBETA警報が発せられ、しかも次第にその数が増えていく。
 中には、操縦していた機体を破壊されてしまった衛士すら存在した。

「全機、避退機動開始ッ! 然る後、現状を把握しろっ!
 佐伯大尉、手配を任せる。」

 草薙の叱咤が室内に響き渡る。そして、その直後にはHQからの命令が下った。

「HQより全軍に告ぐ。陽動支援戦術機部隊を除く全部隊は、即時戦闘を中止。戦域マップに表示されるBETAマーカーを参照して安全圏への退避を優先せよ。
 既に接敵している陽動支援戦術機は可能な範囲で交戦を継続。BETA殲滅が困難な場合は、陽動に専念して自機の安全を優先せよ。
 接敵していない陽動支援戦術機は一時後退して、安全圏にて部隊を再編。新たな命令が下るのを待て。」

 HQからの通信が終わると、佐伯の落ち着いた声で指示が響く。

「機体を失ったものには、旧立間の予備機体を割り当てる。割り当てを受けた者は、直ちに原隊に復帰しろ。
 部隊再編のポイントは、戦域マップにマーカーを表示する。速やかに退避を完了せよ。」

「よし、佐伯大尉の指示に従え。接敵しているのは……6名か……済まんがしばらく逃げ回っていろ。
 無理して損傷を受けたりするなよ? レーザー属種も出てこないとは限らん、空中には留まらんようにな。」

 このBETAの奇襲で、陽動支援戦術機甲連隊は6機の損害を出してしまった。上陸からこれまで、1時間以上戦い続けて失った3機の2倍である。
 また、広域データリンクによれば、有人戦術機部隊も数箇所でBETAと遭遇戦が発生していた。
 幸い出現したBETAの規模が少なかった事と、レーザー属種が存在していなかった為、有人戦術機部隊はHQの指令に従って戦闘を中止して安全圏へと退避していく。
 しかし、この時点で既に、少ないとは言えない被害が発生していた。
 よもやBETAが狙って成したとは思えないが、人類側にとって正に最悪のタイミングで仕掛けられた奇襲であった。

 HQは武が急いで策定した作戦を各部隊に伝達していく。
 陽動支援戦術機甲連隊にも、再編が完了した直後に新たな作戦案が下された。

「HQより陽動支援戦術機部隊に告ぐ。これより、陽動支援戦術機部隊は小隊単位で地下に潜むBETAの頭上に移動し、奴等を地上に誘き出せ。
 誘き出したBETAは有人戦術機部隊の下へ誘導し、有人戦術機部隊と連携して殲滅を行うものとする。
 速やかに、地下のBETAを殲滅し、次の増援が来る前に戦線を再構築せよ!
 尚、既に地上に出現しているBETA群は、優先して誘導し殲滅せよ。」

「よし、では第1小隊は予備として待機。他の各小隊は佐伯大尉の指示に従って、BETAを引き摺り出して来い。
 もたもたして、BETAに喰われるんじゃないぞっ! 行けッ!!」
『『『 了解! 』』』

 先の奇襲で接敵したままの6機を欠く為、再編制した小隊は17個小隊。しかもその内第1小隊は、草薙と佐伯の2機のみであった。
 これを予備として残し、佐伯は16個小隊を戦域マップに表示されるBETA群に割り振る。
 その内3個小隊は地上に出現しているBETAの陽動に割り当て、単独陽動を行っている6機と合流させつつ、有人戦術機部隊の下へと誘引するように指示を与えた。
 佐伯は、撤退を終え、陣容を整えた有人戦術機部隊に近いBETA群から優先して残る10個小隊を割り振り、効率よく有人戦術機部隊へと誘導できるように配慮する。
 それを済ませてしまえば、佐伯に出来る事は祈る事のみであった。

 そして、BETA掃討作戦の開始の合図でもあるかのように、『凄乃皇弐型』の荷電粒子砲第2射が放たれた―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 9時56分、作戦旗艦『最上』のHQでは、『凄乃皇弐型』の荷電粒子砲第2射の戦果分析が即座に開始されていた。
 第2射とほぼ同時に開始された、地中BETA群掃討作戦の進行状況の把握と分析も並行して進められる。

 幸い、先のBETA地中侵攻で『凄乃皇弐型』に近づけた群れは無かった。
 恐らくは荷電粒子砲によって、地中に潜んでいたBETAも諸共に殲滅されたとHQでは判断された。
 しかしBETAの奇襲を受けた部隊では、陽動支援戦術機が10機、有人戦術機甲部隊が42機の損耗を出し、その内37機の衛士が戦死してしまった。
 これは、作戦参加衛士総員の2%に相当する被害である。この被害の大きさが、従来の対BETA戦闘を脱却できない有人戦術機甲部隊が、如何に脆い存在であるかを如実に表していた。

 一方、『凄乃皇弐型』の荷電粒子砲は、第1射で3万を超えるBETAと『地上構造物』を吹き飛ばし、地表を大きく抉り取った。
 第2射でも、新たにハイヴから現れた師団規模のBETAの内、1万体以上を殲滅している。
 残存した4千体未満のBETA群は、その過半が突撃級と戦車級であり、レーザー属種は大半が無力化されていた。
 突撃級の多くが生き残っているのは、BETA本隊が砲撃威力圏に出現するのを待つ間に、広範囲に展開しながら突撃を開始してしまう為、レーザー属種の殲滅を優先するには見逃さざるを得なかったからである。

「ヴァルキリー・マム(涼宮)よりA-01各員に告ぐ。直ちに残存レーザー属種の殲滅を開始せよ。繰り返す―――」

 第2射完了後、直ちに行われた索敵砲撃により、重光線級13体、光線級48体の居所が特定された。
 それを確認した遙の戦域管制がHQにも流れ、残存レーザー属種を殲滅すべく、A-01が『時津風』に『満潮』を随伴させて急行する様子が戦域マップに表示される。
 そして、戦線へと侵攻する突撃級に対しては、新たに敷設しなおされた地雷原で、その出鼻を挫く。
 さらに、速度を落とし、傷付き、それでも尚、地雷原を突破してくる500未満の突撃級に対しては、地中を浸透してきたBETAの掃討を終えた、戦術機甲部隊が応戦する。

 また、突撃級に続くBETA本隊へは、レーザー属種の壊滅を待って機甲部隊の制圧砲撃が降り注ぎ、比較的装甲の柔らかいBETA群は急速にその数を減らしていった。
 その後は、地中に残った残存BETAを陽動支援機で誘き出し、掃討しなければならなかったが、先ほどとは異なり今回は速やかに整然と掃討が実施される。

「ふむ……どうやら、第4段階も軌道に乗ったようですな。先程は冷やりとしましたが、白銀大尉のお蔭で大事には至らずに済みました。
 香月副司令、彼は、実に有能な若者ですな。」

 戦況の推移をつぶさに追っていた小沢提督であったが、ようやく現状に満足したのか視線を転じて夕呼に話しかけた。
 『凄乃皇弐型』の機体各部の状態を確認していた夕呼は顔を上げ、小沢提督の方へと歩み寄って応じる。

「恐縮ですわ、提督。ですが、先程の地中分散浸透を予測出来なかったのはこちらのミスです。
 それに、白銀も指揮権を侵害しかねない、出過ぎた行為をしてしまったと詫びておりましたわ。」

「いやいや、指揮権と言っても作戦の主導権は第四計画に優先権が認められております。さらには、あの時は戦線崩壊すらあり得た危急の際。
 感謝し、己が油断を戒めこそすれ、白銀大尉を責める事など出来はしません。
 ですが、恥の上塗りを承知で言わせていただきますが、それ程にA-02の砲撃の威力は素晴らしかった。
 全将兵が、我を忘れて喜んだのも当然、責めるのは酷と言うものでしょうな。」

 小沢提督は、夕呼の謝罪に首を振って問題としていない事を伝えた上で、騒ぎの元となった荷電粒子砲の砲撃の威力について述べた。
 夕呼は微笑を浮かべて一礼する。

「高く評価していただき恐縮です。ですが、所詮荷電粒子砲は威力と射程、砲撃威力圏が広いだけの大砲です。
 戦線を維持する部隊なくしては、運用すらままなりませんわ。
 BETA殲滅に必要な時間と弾薬量を節約する以外は、ハイヴを掘り返してBETAを引き摺り出す程度の効果しかありません。」

 夕呼のその言葉に、小沢提督は苦笑を浮かべて首を振る。

「それだけの効果があれば十分ではありませんか。実際、副司令直属の部隊だけで、BETAの増援の大半と、全てのレーザー属種が殲滅されているのです。
 我が帝国軍や、大東亜連合軍の損耗が少ないのも、全てはそのお蔭です。
 それに、今作戦のテストプランも素晴らしいものです。BETAを相手にここまで狂いの無い作戦進行など、正に夢を見ている心地ですな。」

 眼を見開いて力説する小沢提督に、夕呼も頷きを返して応じた。

「その、BETAの行動予測を可能とした事こそが、第四計画の最大の成果であり、それを活かしたが故のテストプランです。
 A-02にしろ、対BETA戦術構想とその装備群にしろ、作戦の実施を容易にしているに過ぎません。
 失礼ながら、私にとっては、BETA殲滅が最優先。将兵や装備、弾薬の損耗は二の次でしかございませんわ。
 ―――その意味では、何よりも人的損耗を嫌う白銀が私の下に居た事は、将兵にとっての福音であったかもしれませんわね。」

 小沢提督は、夕呼の偽悪的とすら言える言葉を聞いても、全く顔色を変える事無く首肯した。

「上に立ち、戦争を指導する立場の者は、目的の為には犠牲を厭う事を許されませんからな。
 その意味で言えば、香月副司令のお覚悟は見事と言えましょう。
 とは言うものの、少ない犠牲で目的が達成できるのであれば、それに越した事はありません。
 その意味では、白銀大尉の貢献も絶大なものでありますな。」

 夕呼は、小沢提督の言葉に薄く笑みを浮かべると、一言礼を述べて話題を変えた。

「ありがとうございます。
 しかし、今は作戦の途中です。今は作戦完遂に集中すべきでしょう。
 こちらのシミュレーションによると、そろそろ大規模な地中侵攻も予想されます。
 地中侵攻対抗装備の実戦運用は初めてですので、効果が不足した場合に備える必要があります。
 どうか、そちらにご留意下さい。」

「確か、大規模地中侵攻に対する予備プランは、陽動支援戦術機による地上への誘導と、先制制圧砲撃による漸減。然る後に戦術機甲部隊による殲滅戦でしたな。
 問題点は、地上への出現ポイントを制圧砲撃で叩いた結果、後続が地中に残存し分散してしまうことでしたか。
 ―――いやなにっ! それとて、従来の戦場に比べれば遥にましです。我が将兵は踏ん張ってくれるでしょう。」

 夕呼の指摘に、テストプランにあった次善策を検討し、渋い顔になった小沢提督であったが、決然と顔を上げると帝国軍の誇りを込めて断言して退けた。
 そこへ、脇から新たなる声が発せられる。

「そうでしょうな。そして、無論それは我が大東亜連合軍将兵も同じですぞ。」

 夕呼と小沢提督が声の主へと視線を転じると、そこには国連軍少将である李碩琳(イ・シュオリン)司令官の姿があった。
 李少将は、大東亜連合軍が国連の作戦に参加する際の作戦指揮を円滑とする為に、大東亜連合軍から国連軍へと出向している高級将校である。
 今回の作戦においても、大東亜連合派遣軍総司令官という立場でHQに席を得ていた。
 とは言え、『甲21号作戦』は、オルタネイティヴ4の主導の下、帝国軍の指揮において作戦が進められる事が事前に定められていた為、今に至るまで一切口を出さずに戦況を見守ってきた。
 しかし、作戦が理想―――いや、夢想に近い程順調に推移し、先程の混乱も乗り切って再び戦況が落ち着いてきた事もあり、夕呼と小沢提督の会話に加わる気になったのであった。

「この作戦を成功させて、第四計画の大陸奪還計画を実現させ、祖国をBETAより取り戻す事こそ、我等が悲願。
 その為ならば、万骨枯れようとも、なんら悔いはありません。」

 李少将の言葉に、小沢提督が幾度も頷きを返して応じる。

「うむ―――そのお気持ち、良く解りますぞ。
 我が帝国軍にとっても、帝都の喉元に突きつけられた切っ先同然である佐渡島ハイヴの排除は悲願でありました。
 また、一部とは言えBETAに奪われた国土を持つ者として、貴官らの覚悟も理解出来ます。
 しかし、この作戦さえ成功すれば、貴官らの母国もそう遠くない未来に奪還されることでしょう。
 確か、香月博士は既に甲20号目標の攻略作戦を立案なさっていると聞き尾及んでおりますが……」

 そう言うと、小沢提督は夕呼の方を窺う。夕呼は内心で溜息を付ながらも、話を合わせた。

「はい。既に作戦の骨子は出来上がっております。
 今作戦で装備弾薬が大量に失われない限り、来年中には実施できる見込みですわ。
 ―――ですから、まずは今作戦を可能な限り完全な形で完遂する事こそが、最優先事項となりますわね。」

 言外に、先の事より、目先の作戦指揮に集中しろと匂わされて、小沢提督と李少将が首を竦めて応じた。

「そうですな。全力を傾注いたしましょう。」「我が将兵にも発破をかけておくとしますか。」

 そそくさと、夕呼に背を向け指示をし始める小沢提督と李少将の姿に、夕呼は息をひとつ吐き出すと肩を竦めるのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時06分、『凄乃皇弐型』の管制ブロックで、武は索敵情報を脳裏に浮かべ、やや緊張の色を浮かべていた。

(遂にきやがったか……地上に出現する師団規模の増援と同時に、さらに旅団規模で地下茎から直接地中侵攻するBETA群が3つか……
 シミュレーションでは効果が見込めるって結果は出たけど、『土竜(どりゅう)』は初めての実戦投入だからな……
 くそっ、悩んでても仕方ない、早めに第1陣を投入して、不具合が出たら第2陣以降は対応できる範囲で不具合を修正して投入するしかないか。
 それにしても、さっきの地中侵攻はタイミングが良過ぎだろっ! くそう、十中八九支配的因果律の所為だな。
 『前の世界群』の時に比べて、『凄乃皇』の陽動効果が薄いもんだから、荷電粒子砲の威力圏外に分散したBETAが結構多かった。
 『前の世界群』じゃオリジナルハイヴが『凄乃皇』の脅威度を上げてたみたいで、殆ど全てのBETAが一直線に殺到して来てたからな。
 今回は、従来の評価条件に加えて、G元素を大量に搭載している事による効果しか見込めないか。
 こればっかりはBETAへの情報漏洩を防いだのが裏目に出てるな。
 おかげで、戦線崩壊こそ避けられたものの、人的損耗は少なくなかった……
 ―――いや、今は悔やんでる場合じゃない。作戦に集中しなきゃな。)

 武は荷電粒子砲の第3射の準備を進めながらも、地中侵攻してくると思われるBETAの別働隊への対応を検討していた。
 現在、佐渡島各所に設置した振動波観測装置から得られた索敵情報により、佐渡島ハイヴ内の中階層から上層部にかけて、2個師団規模のBETAが移動中であると判明していた。

 1個師団規模のBETAは、『主縦坑』付近の『地下茎』を地上に向けて侵攻中。
 しかし、残る1個師団規模のBETAは、3つの旅団規模の群れに別れ、両津港方面、旧目黒町方面、真野湾方面の3方向のハイヴ外縁部へと、中階層から駆け上がりながら移動している。
 BETAの行動プログラムでこの行動を逆解析すると、3つの軍団規模BETAは、ハイヴ外縁の『横坑』の突端部からそのまま地中侵攻を開始すると予想された。

 現状、地中侵攻するBETA群は荷電粒子砲でも阻止出来ない。
 これに対する対抗手段として武が用意させた装備が、通称『土竜』こと『地中埋設式気化爆弾』であった。
 『土竜』は運用前提としてBETAの地中侵攻ルートが判明していて、尚且つその侵攻ルート上に埋設する時間的余裕が必要とされた。

「―――まずいな、旧目黒町方面に向う進行ルートは荷電粒子砲の射線に近過ぎる。このルートだと荷電粒子砲の影響を受けない設置ポイントは精々1つか……
 こちらA-02、ヴァルキリー1(伊隅)並びにパープル・クレスト1(斉御司)へ。『土竜』を使います。戦域マップにマーカーで表示されたポイントに『土竜』を埋設して下さい。
 荷電粒子砲の第3射が間近ですから、その前にA-02より『土竜』の受領を完了するようにお願いします。」
「了解だ。」「承知した。」

 今作戦に当たり、『凄乃皇弐型』は機体後部にカーゴベイ(貨物室)を増設していた。そして、とある理由から『土竜』はそのカーゴベイで一括保管されている。
 武は『土竜』を受領しに来たA-01と斯衛軍第16大隊の『満潮』に、カーゴベイから『土竜』を降ろして引き渡した。
 埋設用の機材と込みになった『土竜』はいささか大きい為、『満潮』が2機掛りで保持して運搬して行く。
 それを見送った武は、第3射の発射タイミングを見極めながら、HQに通信を繋いだ。

「こちらA-02、HQ応答願います―――」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時08分、旧長石からハイヴ方向へ約2kmの地点では、2機の『時津風』に護衛されて、2機の『満潮』が『土竜』の埋設作業を行っていた。

「いやあ、温泉の試掘は前から一度やって見たいとは思ってたけど、まさか戦場で戦術機を使ってボーリングすることになるとは思わなかったよ。」
「……え? 温泉の試掘ですか?鎧衣さんいきなり何を……」
「温泉の試掘はねえ、知識と経験に裏打ちされた試掘者の読みと、大自然との勝負なんだよ~。
 まあ、最近は調べようとすれば地下水脈とか、温度分布とかで、大体の当たりは付いちゃうんだけどね~。」
「そ、そうなんですか……」「あ、杭打ちが終わったね、じゃ、引き上げるよ~。」
「了解……撤収する……」「ち、違うよ慧さんっ! 杭を引き上げるんだよっ! 大体、まだ『土竜』を埋設してないじゃないかぁ~。」
「冗談……言ってみただけ……」「あ、彩峰さ~ん……」
「貴様等、黙って仕事は出来ぬのか? まったく、ただでさえ土方(どかた)仕事のようで、気乗りがしない任務だと言うのに……
 これ以上私のやる気を削ぎ落とさないでくれ。」
「す、済みません~。」「……了解。」「あはは、ごめんね~。」

 『満潮』での埋設作業を担当している美琴は、何が楽しいのか何時にも増して口数が多かった。
 それを無視出来ずに合いの手を入れる護衛の壬姫と、美琴の言葉尻を捉えて、笑えない冗談を言い放った埋設作業補助の彩峰。
 そんな3人につい文句と愚痴が出てしまう神代は、護衛であり、この分隊の指揮官でもあった。
 ともあれ、今のところ作業は順調に進行していた。

 『土竜』の埋設作業は、まず、内径2m、全長10mの鋼管杭を10本、次々に継ぎ足しながら杭打ち機構で打ち込む事から始まる。
 炸薬の反動を利用して、力任せにあっと言う間に鋼管杭を10本打ち込んでしまうと、続けて鋼管内の土砂ごと鋼管を引き抜く作業となる。
 その後、掘削した穴の最深部に『土竜』本体を設置して、その上に鋼管ごと土砂を埋め戻す。
 これで、『土竜』本体は地中約100mの地点に埋設されたことになる。

 『土竜』の本体は直径2m全長10mの円筒形であり、内部は3重構造となっていた。
 外周は装甲板で、その内側が中空になっており、ここには圧搾空気が封入され加圧されている。
 そして中央部にはサーモバリック爆薬とXM3に使用されている高性能並列処理コンピューター、そして陽動支援機と同じ生体反応欺瞞用素体がワイヤーで吊られていた。

 BETAの地中進行速度は驚異的に速いと言えるが、それでも地上侵攻よりは速度が半分程度まで落ちる。
 ハイヴから5km地点にある地中に突き出している『横坑』突端部まで侵攻した後、地中侵攻で第1埋設ポイントである8kmまでの3kmを地中侵攻するのに掛かる時間は約6分。
 『土竜』設置にかけられる時間は4分も無い。
 それでもまだましな方であって、斯衛軍第16大隊が担当している両津港方面ではハイヴとの距離が近い為、第1埋設ポイントでの作業時間は2分とされていた。
 地中侵攻してくるBETA群を表すマーカーを睨みながらの、神経を磨り減らす作業であった。

「神代少尉、『土竜』設置完了しました!」
「そうか。―――ヴァルキリー99(神代)よりヴァルキリー・マム(涼宮)。『土竜』の埋設を完了した。これより撤収する。」
「―――ヴァルキリー・マム了解。ヴァルキリーズD分隊の撤収を許可します。」
「よし、直ちに撤収する! 旧上新穂までNOEだ。行けッ!」
「「「 ―――了解ッ! 」」」

 それでも『凄乃皇弐型』の荷電粒子砲第3射を脇目で見ながらの作業は無事に完了し、2機ずつの陽動支援機と随伴輸送機は、旧上新穂の戦線へと戻っていく。
 ―――そして、それから1分が過ぎた頃、地中侵攻するBETA群が近付いてきた。
 地中侵攻していたBETA群の先頭集団は、『土竜』の埋設ポイントの近くに来たところで、その進路を曲げて『土竜』へと向ける。
 実は、『土竜』は高性能並列コンピューターで振動解析や各種シミュレーションなどを実施して、生体反応欺瞞用素体と組み合わせる事で、有人の高性能コンピューター搭載機としての条件を整え、BETAの撃破優先順位を意図的に上げていた。
 しかも、人類にとっては有効な利用方法が判明していないG元素を、微量ではあるが内部に仕込む事で、さらにBETAの誘引率を上げるように工夫されている。
 そして、それらの策は十分な効果を発揮して、『土竜』は見事にBETAを誘引した。

 尤も『土竜』にG元素を使用した事は、その保管場所の問題をも発生させた。
 普通に戦線後方に備蓄していたのでは、保管場所がG元素に誘引されたBETAの襲撃を受けてしまう可能性が高いのである。
 そこで採用されたのが『凄乃皇弐型』での一括保管であった。
 これは、最優先防衛対象であり、元からG元素を搭載している『凄乃皇弐型』であれば、『土竜』を搭載していても、殆ど影響がないとの判断からである。

 『土竜』は武の妥協から生まれた装備である。
 当初、武が開発を目指していたのは、地中を掘削推進する自律誘導弾であった。
 しかし、実用に耐える地中推進機構が開発出来る見込みが立たなかった為、武は地中に爆弾を設置して迎撃する事を検討した。
 ところが、大陸での核地雷の運用などを見るに、手間に見合うだけの効果を得るのが難しい方法であると解った。
 問題点は、地中で相手の進路と僅か10mでも離れてしまえば、間の土壌が防護壁の役割を果たしてしまう事。
 そして、BETAは土中に生き埋めになっても、その多くが再び地中侵攻を再開してしまい、時間稼ぎにしかならない事。
 これらの点からも、一時は武も地中侵攻するBETAの地中迎撃は諦めていた。
 しかし、武はBETAを誘引する事で、地中での接敵率を向上させることを思い付き。さらに―――

 地中侵攻してきたBETA群の先頭に位置する要撃級が、スコップ代わりに振るっていた前腕で、手前の地盤ごと『土竜』を叩き、その装甲板に亀裂を生じさせた。
 すると、途端にそこから内部の圧搾空気が周囲の土塊を吹き飛ばしながら噴出し、内部の気圧減少を起爆信号として信管が起爆。
 サーモバリック爆薬が固体から気体へと爆発的な相変化を遂げて、装甲板に開いた亀裂から、無数のBETAが犇めくトンネルへと、凄まじい勢いで噴出し拡散する。
 そして、散布された粉塵と強燃ガスの複合爆鳴気の中で、自己分解による爆発が発生して引火し、トンネル内の酸素との爆燃を起した。
 閉鎖空間内での爆燃は、内部の瓦礫やBETAを吹き飛ばし、攪拌し、或いはトンネルの側壁へと押し付けて圧死させた。
 爆風衝撃波で圧死しなかった中型以上の個体も、BETA同士の衝突により、柔らかい部分を硬く鋭利な部位によって傷付けられる。
 爆発の威力圏内に居た小型種は壊滅。中型種も半数が戦闘力をほぼ喪失した。

 ―――密閉空間で気化爆弾を使用する事を思い付き、『土竜』を完成させたのであった。
 そして、武の考えた通り、閉鎖された地中での気化爆弾の爆発は、非常に高い効果を上げる。
 気体が抜ける隙間さえあれば、サーモバリック爆薬は地中のトンネル内に拡散し、そして拡散した空間自体が爆弾とほぼ同義となる。
 熱と衝撃波で小型種を壊滅させて、中型種を相互に衝突させる事で傷付ける。
 『地中埋設式気化爆弾』、通称『土竜』は、想定通りの威力を発揮し1発で1000体近くの小型種と、200体近い中型種を殲滅した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時12分、作戦旗艦『最上』のHQでは、荷電粒子砲第3射の戦果分析と、現在進行中の『地中埋設式気化爆弾』によるBETA地中侵攻に対する殲滅作戦、そして、『地中埋設式気化爆弾』による殲滅が叶いそうに無い、旧目黒町方面への地中侵攻に対する迎撃準備、それらが同時並行して進められていた。

「うむ! どうやら両津港跡方面と真野湾方面への地中侵攻は、設置した4基ずつの『土竜』で8割以上の殲滅が叶いそうですな。
 A-02の第3射も、ほぼ第2射と同じだけの戦果を上げています。レーザー属種の撃ち漏らしがおりますが、問題はA-01を派遣するか否かが悩みどころですな。
 左翼と右翼は支えられるでしょうが、旧目黒町方面へは、地下からは7割以上が無傷の旅団規模BETA群、地上からは500体以上の突撃級が迫っております。
 此処で突破を許しては、A-02に接敵を許してしまう。
 どうやら、ここが踏ん張りどころのようですから、A-01もこちらに振り向けた方がよろしいかと思うのですが、香月副司令は如何お考えですかな?」

 戦況を分析した小沢提督は、自分の見解を述べた後に夕呼の意見を尋ねた。
 夕呼は、武と交していた通信を切り、小沢提督の方へと歩み寄ると、意見と言う名の方針を告げる。

「そうですわね。残存するレーザー属種とその周辺のBETAは、機甲部隊と第2、第3戦隊のAL弾による飽和砲撃によって殲滅しては如何でしょう。
 旧上新穂はA-01と斯衛軍第16大隊を陽動支援とし、ウィスキー部隊から戦術機甲部隊を2個連隊展開させて、BETAの殲滅を担当させれば時間は稼げると思いますわ。
 恐らくは、ここが地上戦における最大の山場になるはずです。
 ですが、渓谷の外側で地中侵攻してくるBETAを引き摺り出せさえすれば、A-02の荷電粒子砲で一気に殲滅することも可能となります。
 それまで、なんとしても旧上新穂で持ち堪えさせてください。」

 夕呼の言葉に、小沢提督は頷きを返す。

「解りました。―――君、各部隊に伝えたまえ、戦線左翼及び右翼は現状を維持して侵攻してくる残存BETAを殲滅。残存するレーザー属種は、全支援砲撃を集中運用し、飽和攻撃により殲滅。戦線中央へはウィスキー部隊より第4、第8戦術機甲連隊を抽出し防衛に当たらせたまえ。
 殊に戦線中央は渓谷の入り口までで、全ての地中侵攻BETAを引き摺り出さねばならん。
 ―――各員の奮励を期待すると伝えたまえ。」

 地中を侵攻する3000超過のBETA群と、地上を突進する500超過の突撃級が『凄乃皇弐型』に迫る。
 立ち塞がるは精鋭A-01連隊と斯衛軍第16大隊の陽動支援戦術機、そして2個連隊の有人戦術機甲部隊であった。
 彼らに与えられた命令は、地上を侵攻する突撃級の阻止と、地中進行するBETA群の地上への誘引。
 佐渡島の地上を制するのは、果たして希望か絶望か。



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**** 2月29日珠瀬壬姫誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話15 ****
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どこかの確率分岐世界
2012年02月29日(水)

 07時05分、国連軍横浜基地のPXで食事をしていた壬姫は、携帯端末の呼び出し信号に気付き、相手先の情報を参照した。

「あ、パパからだ……」

 網膜投影で表示された情報を読み、父親である珠瀬玄丞斎が相手と知ると、壬姫は小さく呟いて通信を開く。
 そして、簡易型ヘッドセットから先端にカメラの付いたフレキシブルケーブルを引き出して、自分の顔が映る様に調整した。

「おぉ~! たまぁあ~っ、誕生日おめでとお~~~っ!! 相変わらずたまは可愛いなぁ~。パパはたまの元気な顔が見れて嬉しいぞぉ~!
 それでな、今、パパと話せる時間はあるかなぁ?」

 通信が繋がった途端に、目じりを下げてハイテンションに捲くし立てる玄丞斎だったが、壬姫にとっては何時もの事であり、全く動じる事なく会話に応じる。

「あ、パパぁ~。うん、勿論、大丈夫だよ~。でもちょっとだけ待っててね~。」

 壬姫はテーブルから立ち上がると、同席していた部下達にそのまま食事を続けるように言い置いて、PXの端の方へと移動する。
 その際、PXの奥の一角に置かれたテーブルに座り、食事をしている武の姿が目に入った。
 最早周囲は200名を超えたA-01の衛士達で埋まり、PXの過半を占拠しているような状況なのだが、打ち合わせ事項や、相談等がある折には、A-01の幹部達は好んであの一角に集まる。
 そして、A-01指揮官である武の席が、この10年来あの一角から移る事は無かった。
 壬姫が近付く気配に気付いたのか、武が食事を中断して振り向くが、壬姫は受話器を持って耳に当てるポーズを取って、通話中である事を示した。
 すると武は納得したように頷いて、再び背中を向ける。
 壬姫は、相変わらずの武の様子に微笑を浮かべながら、PXの端へと辿り着いた。

「パパ。待たせちゃってごめんねぇ~。もういいよぉ~。」

 壬姫は、壁に背中を預けると、口元を片手で覆って、口の中で言葉を呟く。
 携帯端末のマイクは骨伝導モードにしてある。慣れてさえいれば、口を塞がなくても声は外に漏らさずに済むのだが、壬姫はついつい声を漏らしてしまうので口を手で覆う癖が付いていた。

「お~、そうかそうか。時間を取らせてしまって済まないなぁ~、たま。
 それはそうと、先程微笑んでいたのは、白銀大佐とでも擦れ違ったのかな?」

 待っている間も、愛娘の顔を堪能していたらしく、玄丞斎の表情は蕩け切って、今にも形が崩れてしまいそうなほどであった。
 しかし、一瞬だけ、瞳を冷徹に閃かせて、玄丞斎は武の名を口にした。
 もっとも壬姫はその眼光に気付く事無く、満面の笑みで応える。

「うん! 今、PXだからね~。壁際による間に、ちょっとね。でも、パパよく解ったね~。」
「ん~、たまの事なら、パパなんだって解っちゃうぞぉ~、ははははは。
 では、最初にも言ったが、もう一度言っちゃうかなぁ~。
 たま、誕生日おめでとう。これでたまも28歳か。パパが歳を取る訳だなぁ……
 いや、なんにしても目出度い事だ。任務もあるだろうが、お願いだから、なるべく危ない事はしないようになぁ~。頼むぞぉ~、たま。」

 玄丞斎の言葉に、少しだけ言葉に詰まったものの、壬姫は再び父に微笑みかけた。

「……大丈夫だよぉ、パパ。今じゃ昔ほど危ない任務なんてそうそうないんだから。
 それから、誕生日を祝ってくれてありがと~。わざわざその為に通信くれたの?」

「ん? ああ、たまの誕生日だからな。本当はそっちに行って直接祝ってやりたいのだがなぁ……」

 しょんぼりとした顔をしてそう言う玄丞斎に、壬姫は首を振って気にしていない事を伝える。

「仕方ないよ、パパ。お仕事忙しいんでしょ? ミキも休暇取らなかったし。」

「すまんなぁ……ああ、忘れるところだった。たま、この間頼まれた品物を、誕生日プレゼントとして送っておいたよ。
 ちゃんと今日中には届くはずだぞ~。」

 玄丞斎の言葉に、目をキラキラさせてミキは喜び、玄丞斎も、その愛娘の喜びように再び顔を蕩かせる。

「ほんと~?! ありがとぉ~、パパ! 大好きだよ~。」

「パパもたまの事大好きだぞぉ~。―――でだな、それと一緒に……その……んー、見合い写真をだな……」

 『見合い』の一言が出た直後に、壬姫は突然早口で喋り始めた。

「あ、パパ。部下が呼んでるから、もう行かなくっちゃ! お祝いとプレゼントありがとう。ミキもお手紙書くからね、それじゃあまたね。
 パパも身体には気をつけてね~。」

「あ、ちょ……た、たまぁあ~~~~」

 悲痛な玄丞斎の呼びかけも黙殺し、壬姫はさっさと通信を切ってしまった。そして、大きな溜息をついて、内心で愚痴る。

(はぁ~、パパったら、またお見合いの話だなんて……そりゃあ、ミキだって結婚には憧れるけど……)

 壁に寄り掛かって俯き加減のまま、壬姫は上目遣いの視線だけを武に向ける。
 その武の両脇には、いつもの様に霞と純夏が、そして正面には冥夜が座っている。
 そして、その4人の周囲を埋めているのは、武と冥夜の直轄小隊の5名だった。

(……昔は、御剣さんの隣に座ってたのにな……って、いまさらか~。)

 A-01が補充人員を受け入れて、拡大していくにつれて、壬姫や同期の皆も、指揮官として部下を率いるようになっていった。
 今では、A-01は増強2個連隊規模まで膨れ上がり、帝国斯衛軍と並んでハイヴ攻略戦の中核戦力となっている。
 壬姫も今では中隊を率いる立場だから、食事も部下たちと取っている。

(昔は楽しかったな~。毎朝たけるさんとお話して、笑いあって、訓練して……今でも、夕食後には『イスミ・ヴァルキリーズ』のみんなで集まる事は多いけど……
 なんだか、距離が開いちゃったような気がするよね……)

 と、物思いに耽る壬姫に、脇から声が掛かった。

「珠瀬……」

「あ、彩峰さん……」

 壬姫が振り向くと、そこには彩峰が立っていた。彩峰は同情するかのように悲しげに眉を寄せると、右手を壬姫の肩に乗せて思い入れたっぷりに口を開いた。

「…………残すなら頂戴、ヤキソバ。」

 その言葉に、一瞬きょとんとしてから、壬姫は堪らずに噴出す。
 笑いながら、今朝は朝食を受け取る時、一緒になった彩峰に強硬に勧められた所為で、朝からヤキソバを頼んでしまった事を壬姫は思い出した。

「ぷっ!……や、やだなぁ~、彩峰さん……はいはい、ヤキソバは上げるから、そんな顔しないでください~。ね、わたし、もう笑えてるでしょ?」

 壬姫がそう応じると、彩峰はニヤリと笑って呟く。

「ヤキソバヤキソバ……さ、早く行こ……」
「そうですね~。行きましょう………………彩峰さん、ありがとう……」
「大丈夫! ヤキソバだったら何時でも食べてあげるから……」

 ぽつりと礼を告げた壬姫に、彩峰は惚けておどけたが、壬姫には彩峰が自分を気遣って励ましに来てくれたと解っていた。
 壬姫は、彩峰に感謝して、軽くスキップしながら歩いていくその姿に続き、自分の席へと戻りながら思う。
 彩峰は、武と沙霧、どちらを選ぶのだろうかと……

(ううん……沙霧さんと結ばれるか、誰とも結ばれないか……なのかもしれないな………………そして、わたしも……)



 17時48分、午後の訓練を終え、総務課で小包を受け取ってきた壬姫は、自室で小包を開いていた。
 一番上に乗っていた見合い写真と思しき冊子は脇に退けて、その下の重みのあるプラスチック製の箱を開ける。
 すると、その中には、園芸用の肥料や薬剤と共に、種子が入っていた。

 日本も、ここ数年はBETAの侵攻を被らなくなり、復興も順調に進んで来ていたが、どうしても復興は生活に密着した方面が優先となる。
 観賞用の花などは、未だに種類が限られ、生花は売られていても種子や園芸用品は入手できないものも少なくない。
 今回玄丞斎が送ってきた物も、壬姫が帝都の園芸用品店で入手できなかった品々であった。

「本多(ほんだ)少尉であります。珠瀬大尉、ご在室でしょうか。」

 と、そこへ壬姫の部下である本多利美(としみ)少尉が、ノックと共に扉越しに声をかけてきた。

「あ、本多少尉ですね。入ってきていいですよ。」

「はっ! 失礼しますっ!」

 壬姫が声をかけて入室を許可すると、鉢植えを抱えた本多少尉が入ってくる。
 その鉢植えにはセントポーリアが花を咲かせていた。

「え~と、病気に罹っちゃったって言ってたよね。」
「そうなんです。見ていただけますか?」
「うん。ちょっと待っててね~。」

 壬姫は、本多少尉の持って来た鉢植えを受け取って、セントポーリアの状態を確かめる。
 その間に、本多少尉は壬姫の部屋で育てられているセントポーリアを楽しげに眺める。
 今回持ち込んだ本多少尉のセントポーリアも、壬姫が自分の鉢から株分けして贈ったものであった。
 そして、本多少尉の目がベッドの上に置かれた園芸用品に留まる。

「あれ? 珠瀬大尉。新しい種ですか?」

「うん。ストロベリーフィールド……日本では、センニチコウ(千日紅)って言った方がいいのかな。
 それは、センニチコウの近縁種でキバナセンニチコウって花の、ストロベリーフィールドっていう品種の種なんだ。
 イチゴみたいな花が咲くんだよ。それが有名になった所為か、今ではセンニチコウ全体の別名として、ストロベリーフィールドって呼ばれることもあるんだって。」

 壬姫は園芸用品をしまってあるケースから、薬剤を取り出しながら本多少尉に応える。

「へえ……今度は、この花を育てるんですか? もう長い事、セントポーリア一筋だって聞きましたけど……」
「うん。実は暫く前から種を探してたんだけど、なかなか入手できなくって……アメリカに居る父に頼んで送って貰ったの。」
「なるほど! アメリカだったら入手も楽そうですよね。」
「えへへ。ちょっとおねだりしちゃった。―――はい、これ。使い方は……」

 壬姫は、セントポーリアが罹った病気を治す為の方法を本多少尉に伝えた。
 本多少尉は何度も礼を言って、壬姫の部屋を後にする。
 それを見送ってから、壬姫はビンに詰められたストロベリー・フィールドの種子を見やってから、傍らに退けた見合い写真と思しき冊子を手に取る。
 そして、その内容をざっと確認して、玄丞斎からの手紙などが混ざっていないか確認した後、小包の包装紙で包み直して、机の引き出しにしまってしまう。
 後日、父の元へとそのまま送り返すつもりであった。

 今日はこの後、PXで壬姫の誕生日パーティーを、武が音頭を取って開いてくれる事になっている。
 昔と違って、今ではA-01も大きくなってしまった為、武が主催する誕生日パーティーも相手が絞られてしまっていた。
 それでも武は、自分が任官した当時の仲間達の誕生日だけは、必ず祝うようにしている。
 そして、武は毎回、飽きもせずに同じ言葉を告げるのだった―――生き延びてくれてありがとう―――と。

 今晩は久しぶりに、武や昔の仲間達と沢山話が出来そうで、壬姫は心が弾んでいた。
 折々に会話は交しているものの、皆任務が忙しく、全員が顔を合わせることは滅多にない。
 壬姫自身、書類仕事を溜めてしまって、夜は自室で書類と格闘している事が多かった。
 それでも、今夜は皆、時間をやりくりして参加してくれるだろう。
 壬姫はストロベリー・フィールドの種子の詰まったビンを、そっと机の上に置き、部屋を出てPXへと向った。

 明日からは、セントポーリアを卒業して、ストロベリー・フィールドを育てようと決意して。

 ―――センニチコウの花言葉は『変わらぬ愛』、『不朽』、『変わらない愛情を永遠に』、そして1品種としてのストロベリー・フィールドの花言葉は『永遠の恋』。
 壬姫は、自分の心に咲いたセントポーリアを、ストロベリー・フィールドへと植え替える事に決めたのであった―――




[3277] 第69話 地に潜みし敵を、切り裂く刃
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:01

第69話 地に潜みし敵を、切り裂く刃

2001年12月25日(火)

 10時13分、戦線中央に位置する、旧目黒町から旧上新穂にかけての戦域に、A-01連隊の『時津風』18機と斯衛軍第16大隊の『朱雀』36機、そして50機を超える『満潮』が集結していた。

「ヴァルキリー1(伊隅)よりパープル・クレスト1(斉御司)。A-01連隊20名、これより貴官の指揮下に入ります。」
「パープル・クレスト1(斉御司)、了解。緊急時を除き、我が隊の命令は御名代殿―――パープル・クレスト0(御剣)から発せられる。
 その点に注意されたし。貴官らと轡を並べて戦える事は、末代までの誉れとなるであろう。よろしく頼む。」
「はっ、光栄であります!」
「―――とは言え、作戦上の優先権を持つのは貴隊のスレイプニル0(白銀)である故、彼と御名代殿との間で意見具申から下命までを直接行うのが早かろう。
 後は、私とそなたで異論がある時のみ割って入れば良いのではないかな?」
「―――了解です。では、その様にいたしましょう。」

 HQからの指示により、斯衛軍第16大隊の指揮下にA-01連隊が組み込まれ、冥夜の下知の下、武の作戦が実施される運びとなった。
 みちると斉御司大佐との間で確認の為のやり取りが交され、以降は2人に武と冥夜が加わり、作戦指揮の態勢が整えられる。

「うむ、では後は任せたぞ、白銀。御名代殿は、白銀の策をそのまま下知なさってください。」
「了解です。」「む、承知した。」

 斉御司大佐は、作戦立案と下命を、武と冥夜に丸投げすると、自身は口を挟むのを控えた。
 最早時間も然程残されてはいない為、武は早速指示を出す。

「それじゃあ、まずは、ヴァルキリー11(高原)とヴァルキリー13(榊)に、左翼側から地上侵攻してくる突撃級を、右翼側の突撃級の方へと誘導してもらおう。
 その際、途中で地中侵攻してくるBETA群の進路を逆行して、幾らかでも地上に誘引した上で突撃級と一緒に右翼に引き摺っていって欲しい。
 なにしろ、ついさっき察知されたんだけど、佐渡島ハイヴから2個旅団規模のBETA群が、地中侵攻に合流しようとしてるからな。
 これで、こっちに来るBETA群は師団規模になっちまう。少しでも減らしておかないと、戦線を突破されかねないんだよ。」

 武の提案に対して、斉御司大佐とみちるが頷くのを確認した冥夜は、直ちに千鶴と智恵に命令を下す。

「うむ、解った。―――パープル・クレスト0(御剣)よりヴァルキリー11(高原)及びヴァルキリー13(榊)に告ぐ。これより直ちに本隊を離れ、左翼より地上侵攻する突撃級の陽動に向かうがよい、また……」

 冥夜から命令を受けた千鶴と智恵の『時津風』が、1機の『満潮』を随伴させて、水平噴射跳躍で陽動の為に出発する。
 それを見送りながら、武は残った部隊への指示を一気に説明し始めた。

「よし、右翼の地上侵攻は、まずは地雷原で押さえる。地雷原の後方には斯衛軍第16大隊の第3中隊12機を配置して、地雷の敷設とそこを突破してくるBETAに対する陽動支援を、そのさらに後方には帝国軍第8戦術機甲連隊第1、第2大隊を主戦力として配置、BETAを殲滅してもらう。
 左翼の地上侵攻に対しては、第2陣としてヴァルキリー5(桧山)とヴァルキリー8(茜)に、第3陣としてヴァルキリー9(柏木)とヴァルキリー15(美琴)に右翼側への誘導を反復してもらう。
 その他の部隊は、地中侵攻に対する地上誘引と殲滅の担当だ。
 地中侵攻するBETAを全て地上に引き摺り出したら、後はA-02の荷電粒子砲で殲滅するから、全機NOEで離脱してくれ。
 この時レーザー属種が生き残ってると不味いから、レーザー属種だけは最優先で殲滅しとかないとな。」

「うむ。それでは――」

 武の指示を冥夜が各部隊へと伝達しようとしたその時、智恵からの緊急報告が届く。

「ヴァルキリー11(高原)よりパープル・クレスト0(御剣)へ、緊急報告! 地下を侵攻中のBETA群がこちらの陽動に引っかかりませんっ!
 繰り返します、地下侵攻中のBETA群に対して陽動の効果無しッ! 指示を下さい~。」
「なんだって?! 冥夜、報告は俺に直接上げさせてくれ、対応を考える。冥夜は、他の部隊への指示を頼む。」
「む―――よし。パープル・クレスト0(御剣)よりヴァルキリー11(高原)。詳細をスレイプニル0(白銀)に報告し、指示を仰げ。
 パープル・クレスト0(御剣)より、斯衛軍第16大隊第3中隊並びに帝国軍第8戦術機甲連隊第1、第2大隊に告ぐ……」

 即座に武が反応し、冥夜はその言葉に従って報告を武に上げるよう智恵に告げると、指揮下の各部隊に対する命令伝達に専念した。
 そして、武は千鶴と智恵から状況の詳細を聞く。

「地中侵攻するBETAの頭上で、主脚走行したり立ち止まったりしても、1匹も陽動されて上がって来ないって言うのか…………
 解った。時間が無いから2人はそのまま突撃級の陽動に掛かってくれ。」
「「 了解っ! 」」
「―――冥夜、左翼への陽動の第2陣を出してくれ。もし地中侵攻中のBETA群が反応しない場合は、そのまま突撃級の陽動に専念してもらうように伝えて欲しい。」
「うむ。解った。パープル・クレスト0(御剣)よりヴァルキリー5(桧山)及びヴァルキリー8(茜)に告ぐ。直ちに左翼陽動を開始せよ。また……」

 武は、地中侵攻するBETA群が、頭上の戦術機を無視するような場合を、BETAの行動プログラムで逆解析する。
 すると、資源採掘モードや、障害排除モード、防衛モードでは、優先撃破目標である戦術機が頭上に存在する場合、ほぼ間違いなく陽動されて地上に出現する事が確認された。が―――

(これか! G元素回収モード……このモードだと、G元素を最優先目標として、行動を妨げるものを除き一切無視して突き進むのか。
 けど、現在の状況でG元素回収モードで所属BETAを出撃させるロジックなんて何処にも無い―――って、横浜ハイヴだから無いのかっ!
 シミュレーションに使ってるのは横浜ハイヴの反応炉の行動プログラム。他のハイヴも同じ行動プログラムである保証は無いんだった……
 そう言えば、横浜ハイヴは他のハイヴと違って、人類を捕獲研究する為のハイヴである可能性が高いって仮説があったよ。
 ……てことは、今こっちに向って地中侵攻しているBETAは、G元素回収モードで間違い無さそうだな。
 このままだと、戦線も何もかも突破して、『凄乃皇弐型』の真下に湧いて出るってことか……
 しかも、その頃には2個旅団規模の増援も追いつくから、師団規模のBETA群に膨れ上がっちまう。
 さすがに不味いって。そんな状況になったら、殲滅し切るまでは荷電粒子砲が撃てなくなるじゃないかッ!
 もたもたしてたら、次の増援が来ちまうぞ?
 くそおっ! なんか良い方法はないのかよっ!
 『土竜』を埋設して吹き飛ばそうにも、この渓谷は山を削って作られているから、底の地盤が固くてそうそう簡単に設置坑を掘削できないし……
 ん? まてよ……『土竜』にはこいつらも反応したよな…………
 てことは…………そうか、『土竜』に仕込まれたG元素には反応したんだな?―――それなら……)

 武は、現在の状況で『土竜』を持たせた陽動支援機を地上に配置した場合の、G元素回収モードで行動するBETA群の反応を急ぎシミュレートする。
 その結果、『土竜』を抱えさせた陽動支援機ならば、高性能コンピューターと擬似生体反応が、陽動支援機と『土竜』で2倍となる事も相俟って、地上にBETAを誘引可能だという結論を得た。
 しかしその場合、『土竜』を持たない陽動支援機での陽動はほぼ無効、陽動ができる機体も『土竜』を抱える為、片方の主腕が使用できず機動も鈍る。

(―――それでも、他に方法は無い、か。後はどうやって地上に全部引き摺り出すかと、恐らく混ざっているだろうレーザー属種をどうやって潰すかだな……
 地上に出た分の侵攻遅滞は『土竜』を抱えた陽動支援機でやるとして、レーザー属種を殲滅するのは残りの陽動支援機でやるしかないな、有人機を投入するのは危険すぎるだろう。
 よし、有人機部隊には、右翼に集約した突撃級の殲滅と『凄乃皇弐型』の直衛を任せよう。右翼は最悪数さえ減らしてもらえれば、渓谷に突入されたって構わないしな。)

 武は必死に作戦を再構築していく。
 地上侵攻に対応させる予定だった部隊も、左翼から右翼への陽動を担当するヴァルキリーズの6名を除いて呼び戻す。
 ただし、右翼への地雷原設置作業は、遙に管制を引き継がせて続行させた。
 そして、そこへHQからの通信が届く。

「白銀、良く聞きなさい。 ついさっき、10時13分に監視衛星が、『甲20号目標』―――鉄源ハイヴから出現したと思われる軍団規模のBETA群が、朝鮮半島の旧釜山に到達したのを確認したわ。
 そのBETA群はそのまま南下して海中に姿を消したそうよ。予測では、九州に向けて侵攻していて、上陸予定時刻は3時間後、13時頃と推測されるわ。
 現在HQでは『甲21号作戦』を継続するか否かを検討中よ。」

 淡々と情報を伝える夕呼だったが、その表情は険しかった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時16分、冥夜は自らが仮初に所属する斯衛軍第16大隊第1中隊B小隊と共に、旧上新穂近辺に設置された地雷原の手前まで辿り着いていた。
 そして、自律地雷敷設機によって構築されたその地雷原を、地上侵攻BETA群の生き残り、突撃級300体余りが突破してくる。
 冥夜達はこれより4機の『朱雀』を以ってして、それらを相手に陽動を行わねばならない。

「こちらパープル・クレスト0(御剣)、帝国軍第4戦術機甲連隊に告ぐ。我等4機はこれより陽動支援を開始する。
 そなたらは我等の陽動支援下で、BETAの速やかな殲滅を達成せよ。
 後方の国連軍新兵器が主砲の第4射を行う前に、BETAどもを駆逐するのだ! 総員合戦開始と為すがよいッ!!」

『『『 了解ッ! 』』』

 冥夜は月詠、巴、戎らが操る赤と白の『朱雀』と共に、殺到する突撃級へと36mmをばら撒きながら突進する。
 36mm弾は突撃級の装甲殻に弾かれてしまうが、自機の脅威度を上げ陽動する為の砲撃なので問題は無い。
 4機で300体余りの突撃級を相手にする事にも、冥夜は何の不安も感じてはいない。
 共に陽動支援を務める僚機は、気心の知れた月詠達であり、後方で殲滅に当たる有人戦術機も『不知火』を中核とした戦術機甲連隊108機である。
 御名代である冥夜の直卒により、士気の高揚した戦術機甲連隊の砲撃の前には、300体余りの突撃級など、2分と持たずに全滅すると冥夜は確信している。
 冥夜が気にしているのは、渓谷に於いて地中侵攻するBETA群を相手取る、A-01と斯衛軍第16大隊の事であった。
 しかし、冥夜は首を振って思いを断ち切り、己が務めに集中する。

(今は、一刻も早くこのBETA共を殲滅し、有人戦術機を荷電粒子砲の威力圏外へと退避させる事だ。
 それが、タケルや皆に負担をかけない事に繋がるのだからな。)

 紫色と赤、そして白2機の、たった4機の『朱雀』に翻弄される突撃級に向け、帝国軍第4戦術機甲連隊108機は横列を組んで支援砲撃を開始した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、『凄乃皇弐型』砲撃開始地点へと続く渓谷の入り口近辺では、激しい乱戦が繰り広げられていた。
 万一、『甲21号作戦』が中断される事になるとしても、目前まで迫ってきている地中侵攻中のBETA群に対する対処は急務である。
 そこで、武はまず、冥夜以下斯衛軍の1個小隊をA(アルファ)部隊とし、帝国軍第4戦術機甲連隊を付けて、地上を進行してくる突撃級BETAの殲滅に向わせた。
 正直、地中侵攻してくるBETA群の陽動に、冥夜、月詠、巴、戎の4人の力は欲しかったのだが、帝国軍有人戦術機部隊に与える士気高揚効果と、いざと言う時の統率力から、武は断腸の思いで冥夜達を派遣した。

 そして、代わりに突撃級の陽動に出していた千鶴、茜、智恵、葉子の4人を復帰させ、A-01と冥夜達4名を除く斯衛軍第16大隊で、地中侵攻してくるBETAを引き摺り出す作戦を開始した。
 まずは、水月、斉御司大佐、彩峰などを筆頭に、3次元機動を得意とする衛士を10名選出してB(ブラボー)部隊とし、『土竜』の本体を陽動支援戦術機の主腕で抱えさせた上で、地中侵攻するBETA群の頭上で陽動を行わせた。
 壬姫や祷子を筆頭とする狙撃を得手とする衛士達はC(チャーリー)部隊とし、渓谷の崖の上に配置してレーザー属種を最優先に、狙撃を担当させる。
 残る衛士達はD(デルタ)部隊として、A部隊の陽動に釣られて地上に出現したBETAの殲滅が任務となる。

 A部隊の戦術機は、主脚走行で地中に潜むBETAの頭上を走り回り、BETAが地上に飛び出す寸前で噴射跳躍して襲撃を逃れる。
 そしてまた主脚走行を再開し、地上に出現したBETAの始末は、C、D部隊に任せる。
 そんな陽動を繰り返した結果、現時点で渓谷の中には小型種を含めて4000を超えるBETAが犇めき、その中を39機の戦術機が飛び回るという、ハイヴ内とも見紛う苛酷な戦場が現出していた。

「ちッ! こんだけ誘き寄せたって言うのに、まだ半分は地下だっての?! こっちはそろそろ、足の踏み場すら危ういってのに!」

 水月は、左主腕で全長10mにも達する『土竜』を抱えている為に、右主腕だけで保持した74式近接戦闘長刀を振るって進路上の戦車級を斬り払う。
 本来であれば噴射跳躍で逃れたい所なのだが、地中のBETAを陽動する為にも、ぎりぎりまで噴射跳躍は控えねばならなかった。

「……ッ! しつこい……」「紫苑!」「くっ!……これは、少し厳しいですね。」

 絶妙な足運びでBETAの間を擦り抜けながら、追い縋って来るBETAに背部兵装マウントの87式突撃砲を乱射する彩峰。
 そして、葵の勘の助けを借りながらも、際どい所で要撃級数体の強襲を回避する紫苑。
 重量自体は然程重くはないものの、主腕に抱えた直径2m、全長10mの筒は、戦術機の機動を大きく損ねる。
 その様な状態にも係わらず、多数のBETAの最中で陽動を続けた為、彩峰も紫苑も既に余裕は欠片も失く、疲労も相当蓄積しているのが伺えた。

「ははははは。うむ、中々に歯応えがあるな。これほど楽しませてくれるとは重畳々々。神代もそうは思わぬか?」「はっ! 御意にございます。―――って、このっ! 寄ってくるなぁあっ!!」

 次々と襲い掛かってくるBETAを、『土竜』を左主腕に抱えたまま、右主腕の長刀一本で端から斬り捨てて機体に一切寄せ付けず、地中からの襲撃時にのみ優雅な弧を宙に描く青い『朱雀』。
 その『朱雀』を操りながら、まるで舞踏会でダンスを踊っている最中であるかのように、斉御司大佐は朗らかに笑って話しかけた。
 しかし、同意を求められた部下であり、現在はA-01所属となっている神代は、口でこそ首肯して見せたものの、直後に『時津風』に急迫し攻撃用の前肢を振り上げた要撃級に、慌てて長刀を振るう始末。
 なんとか一刀の下に斬って捨てて凌いだものの、神代の表情を見るに、どうやら歯応えが有り過ぎて辟易している様子が如実に表れていた。

 そして遂に、噴射跳躍した陽動担当の黒い『朱雀』へと、地面に空いた穴の中からレーザーが照射された。
 その『朱雀』を操る斯衛軍衛士は、即座に噴射降下を行い、BETAの群れの中に僅かに空いた場所へと着地する。
 それと入れ違うように、崖の上に待機した『満潮』の120mm短砲身速射砲コンテナからAL弾が打ち出され、レーザー照射を誘引した。
 照射源である、未だに地中に潜んだまま、僅かに頭頂部の照射粘膜を覗かせる重光線級に、120mmAPFSDSが速やかに打ち込まれ、重光線級はその巨体を土中へと頽れさせた。

「はわわ、と、とうとうレーザー属種が出てきましたよぉ~。」「そのようね。でも、この後の事を考えるなら、早めに出て来てくれた方がありがたいですわ。」

 重光線級を狙撃した、試製50口径120mmライフル砲を『時津風』の両主腕で構えさせながら壬姫が嘆くと、祷子が同意しつつも、事態を歓迎する旨の発言をする。

「それは……そうだけど……今まで以上に……気が抜けない……」「そうですね! ほらっ、また崖を這い上がってくるのが居ますよ。ていっ!!」

 その祷子の発言に、渓谷の底に犇めくBETAを堅実な狙撃で仕留めながら応じる葉子に、同意しながら、反対側の崖を駆け上がるBETAを打ち落とす晴子。
 その崖の下では、両主腕に長刀、背部兵装担架に突撃砲を装備した『時津風』や『朱雀』達が周囲のBETAを殲滅している。

「ちっ! 弾が切れたか。ヴァルキリー1(伊隅)よりヴァルキリー・マム(遙)、一旦崖の上に退避して補給を行う。」
「こちらヴァルキリー・マム(遙)、ヴァルキリー1(伊隅)へ、補給を許可します。VM-08(ヴァルキリーズ所属『満潮』8番機)と合流して下さい。
 ヴァルキリー・マムより、ヴァルキリー3(宗像)、スレイプニル2(沙霧)へ。ヴァルキリー1の抜けた区画のフォローをお願いします。」
「ヴァルキリー3(宗像)、了解。」「スレイプニル2(沙霧)、了解した。」

 美冴と沙霧は即座に移動を開始し、先程までみちるが掃討していた区画を砲撃圏内に納めた。
 その移動の最中にも、殺到するBETAを撃ち、或いは薙ぎ払って、撃破していく。
 だがそれでもBETAは尽きる事無く湧き出して、渓谷にはBETAの死骸が無数に積み重なっていった。

「くっ、こいつら切りが無いよ!」「ひょわわぁ~、このこのこのっ! こ、怖かったよ~、茜ちゃ~ん。」「多恵はっ、ちょっと、落ち着いた方がっ、い~んじゃないかなっ!」「そうね、でも確かに、これだけ周りを囲まれると、ぞっとするわね。」「あはははは、だけどさ~、まだ地下には3分の1以上残ってるんだよね~。」「ッ!―――!!―――うっ!―――」

 極力崖を背にする形で、周囲を囲まれにくくして掃討している茜、多恵、月恵、千鶴、美琴の5人。
 周囲には、突撃級、要撃級が溢れ、その間を埋めるように戦車級がうぞうぞと這い回る。
 少し離れているものの要塞級の姿もあり、崖を昇って頭上に回ろうとしたBETAが、狙撃されて直ぐ脇へと転がり落ちてきたりする。
 周囲は見渡す限りBETAで埋め尽くされており、それらのBETAの殆どが、最優先目標とする『土竜』を抱えた陽動担当機に向かっている状況でなかったら、とうの昔に撃墜されていたであろうと、5人とも内心では考えていた。
 そして、そもそもが機動を苦手とし砲撃戦主体である智恵は、既に意味のある言葉を発するゆとりさえも失っていた。

 これほどまでにA-01と斯衛軍第16大隊が奮闘しても尚、地中侵攻してきたBETA群の約3分の1は、陽動に誘引されず地中に留まり、遂にその先頭は『凄乃皇弐型』の間近へと迫っていた。

「やはり地上に誘引し切れなかったか。―――A-02よりHQ、これより、A-02は移動を開始。地中侵攻中のBETA群を地上に誘引する。」
「こちらHQ、了解。」

 武が、HQに『凄乃皇弐型』を囮とした陽動開始を宣言すると、ピアティフが即座に応答してきた。
 既にHQには地中侵攻BETA群の迎撃プランを提示して許可を得ている為、この段階で翻意を促される事は無かった。
 状況が急変した場合に即時対応できるようにと、斉御司大佐より一時的に指揮権を委任された武は、斯衛軍第16大隊の指揮下に編入された、帝国軍第8戦術機甲連隊へと命令を直接通達する。

「A-02より、帝国軍第8戦術機甲連隊へ。A-02の移動開始後に誘引されて地上に出現するBETAを攻撃せよ。
 ただし、地中侵攻中のBETA群に注意し、その最後尾よりも後方に位置し続けるように留意するんだ。
 さもないと、足元からBETAが湧いて出てくるぞ。」

『『『 ―――了解っ! 』』』

 武の指示に、A-02の後方で待機していた帝国軍第8戦術機甲連隊の108機が、一斉に応じる。
 当初彼らは、『凄乃皇弐型』の盾となってBETAを食い止めると主張したのだが、冥夜と斉御司大佐の言葉によって窘められ、この時まで堅忍自重して後方待機に甘んじていた。

「そなたらの覚悟は見事であるが、徒に命令に異議を申し立てるのは感心できぬな。
 白銀大尉はそなたらに戦うなと言っておるのではない。そなたらに相応しき働きどころは他にあると言っておるのだ。
 戦意に逸るあまり、軽々に大局を見失ってはならぬぞ。」
「うむ。御名代殿のお言葉に相違は無いな。本作戦は人類のBETAに対する反攻の端緒に過ぎぬ。
 次の作戦では、貴官らの戦術機にも新型OSであるXM3が搭載されるであろう。さすれば、今は戦意を抑え、生き延びて次の作戦に備えるべきであろう。
 ここで貴官らが無為に損害を広げては、本作戦の完遂すら危うくなると知れ。今は自重し、この場は我等に任せるが良い。」

 冥夜と斉御司大佐に告げられたこの言葉により、帝国軍第8戦術機甲連隊は前言を撤回し、後詰となった。
 御名代と、斉御司家の御曹司の言葉に不承不承従ったというのが実情であったが、その様な考えは渓谷で展開される戦闘の苛酷さの前に跡形もなく消し飛んでいた。
 あの戦場に於いて、未だ損害を出さずに戦い続けるA-01と第16大隊の衛士達を見て、彼我の技量の差を思い知り、己が力量の不足と先の命令の正当性とを、2つながらに噛み締めていたのであった。
 が、それ故に、戦闘参加を命ずる武の指示を受け、第8戦術機甲連隊の戦意は高揚する。
 彼らは、冥夜と斉御司大佐の言葉を胸に、自らを戒めながらも、作戦に可能な限りの貢献をすべく進軍を開始した。
 そして、彼らを導くかのように、『凄乃皇弐型』の巨体が宙を滑るが如く前進を始めていた。

「A-02より、C、D部隊に告ぐ。当機の機材により判明した、レーザー属種の出現確率が高いと思われるポイントを、戦域マップにマーカー表示する。
 出現するレーザー属種の殲滅に全力を尽くされたい。
 レーザー属種の大群が出現する場合も想定される、その場合はD部隊所属機によるS-11を使用した自爆攻撃を許可する。
 全てのBETAを地上に誘引した後は、A-02の主砲によって一気に殲滅する。その際には退避しそびれないように注意されたし。以上。」

『『『 了解! 』』』

 指示の傍ら、武は時速60km程度の速度で『凄乃皇弐型』を前進させる。
 『凄乃皇弐型』を目指して地中侵攻していたBETA群は、頭上を通り過ぎる『凄乃皇弐型』を追う為に、反転しようとしては後続に塞き止められ、その大半が地盤を掘削して地上を目指した。
 武はリーディング機能を起動して、地中のBETAの思考からレーザー属種のパターンに適合するものを抽出し、その位置を戦域マップにマーカー表示していく。
 そのマーカーに対して、C部隊の衛士が次々に照準宣言を行い、照準宣言がなされなかったマーカーに対しては、D部隊の戦術機が攻撃可能なポイントへと移動を開始する。
 当初は殆ど存在しなかったレーザー属種も、『凄乃皇弐型』がBETA群の後方に近づくにつれて増加していく、
 始めは余裕を持って仕留めていたC部隊も、段々と手が回らなくなっていった。
 その分の負担はD部隊に圧し掛かり、レーザー属種以外への攻撃を優先した結果として、B部隊への支援が疎かになってしまう。
 その様子に、武はB部隊による陽動を切り上げる事を決意した。

「A-02よりB部隊に告ぐ、一時後退し、渓谷より1km以上離れた崖の上に退避せよ。そちらに誘引されたBETAの殲滅は許可する。
 ヴァルキリー・マムが管制する『満潮』に『土竜』を引き渡した後、装備を補給。
 自律誘導弾連射コンテナを装備した『満潮』を随伴させて、A-02の反転に備えて崖上の指定位置に展開せよ。」

『『『 了解ッ! 』』』

 武の指示を受けて、B部隊に属する陽動支援戦術機達が、『土竜』を抱えて崖の上へと噴射跳躍で飛び上がる。
 何機かはレーザー属種の照射を受けるが、レーザーの出力が上がる前に照射源のレーザー属種が狙撃され、損害を被るにはいたらなかった。
 尤もこれは、地上に出現したレーザー属種の殆どが『凄乃皇弐型』を照準していた事も大きい。
 そうでなければ、何機かは損害を被っていたかもしれない。

 この時点までに、『凄乃皇弐型』も最高出力のレーザー照射を数回受けていたが、その全てをラザフォード場によって捻じ曲げて逸らしている。
 今までのところ、いずれも単照射であり、直ぐに照射源が撃破された為に照射時間も短く、大した負担にもならなかった。
 しかし、武はとうとう、レーザー属種本隊と思われる、40体を超えるレーザー属種の集団を、リーディング機能で捕捉した。
 この集団から連続して照射を受ける事態となれば、流石に『凄乃皇弐型』の主機に負担がかかる事態は避けられない。
 武は急いで沙霧へと通信を繋いだ。

「A-02よりスレイプニル2(沙霧)へ。レーザー属種40体以上の集団を捕捉。重光線級8体前後を含むと思われる。
 指定ポイントに移動してS-11による殲滅を実施されたし。また、運用している予備機を全て、渓谷周辺の崖上に待機させておいて下さい。」
「スレイプニル2(沙霧)了解。予備機は既に移動中。」

 沙霧の応答を受けながら、武はデータリンクから得たA-01と斯衛軍第16大隊のデータを分析する。
 その結果、恐れていた通り、D部隊の衛士の内機動を比較的苦手とする数名のバイタルが、相当悪化してきている事が判明した。
 このままでは、A-02の反転を待たずに、集中力を途切れさせて損傷を受ける可能性が高い。

(さすがに、この乱戦はきつかったか……どうする? 後方に一旦下げるか?
 いや、A-02の反転まで、B部隊の衛士と交代させるか。B部隊でBETAの追撃を受けていなくて、バイタルに余裕のある衛士をピックアップして……)

 B部隊の衛士で、真っ先にリストに上がったのは、水月と斉御司大佐であった……

「ほらほらほらぁ~っ! あんたら、邪魔なのよっ! さっさと地獄に引っ込みなさい!!」
「ほほう。黒の『朱雀』とは言え、それなりに動くではないか。どれ、まずは手近なマーカーから落としていくとしよう。」

 2人は、それまで操縦していた機体の補給と、その後の移動をD部隊の衛士に任せると、D部隊の機体を一時的に担当してこれ幸いと暴れ廻った。
 2機の周囲では、当たるを幸い斬り捨てられたBETAが無数の屍を曝し、地上に出現したレーザー属種も、近くで待ち構えていた2機からの砲撃を浴びて倒れていく。
 2人の他にも彩峰と斯衛軍の衛士1名がD部隊の疲労の激しい衛士と交代していたが、水月と斉御司大佐の暴れっぷりは比べ物にならなかった。

(なんであんなに元気なんだ? あの2人は……)

 武が半ば呆れながらそう思ったその時、S-11起動による『退避警報』が鳴り響く。
 戦域マップを確認すると、沙霧の機体がS-11を起動し、地中のレーザー属種の集団が地上に出てくるのを、今や遅しと待ち構えているところであった。
 そして、沙霧の操る機体が自爆し、重光線級9体、光線級43体と、その周辺に存在したその他BETA群を巻き添えに殲滅した直後、『凄乃皇弐型』は反転予定ポイントに到達した。

 この時点で、地中侵攻していたBETA群の9割が地上に誘引されており、その内4000体近くが既に殲滅されていた。
 それでも未だに7000体を超えるBETAが残存しており、A-01や斯衛軍第16大隊の衛士達の中には、疲労により集中力が低下するものも出始めていた。
 10分にも満たない戦闘に過ぎなかったが、過密な戦闘は衛士に極度の集中を強いていたのであった。

「これより、A-02は反転し、砲撃開始位置まで移動した後、主砲にてBETA群を殲滅します。
 砲撃威力圏内の機体は、速やかに安全圏へと退避。
 ただし、B部隊は、A-02の移動終了まで崖上に待機し、ぎりぎりまでレーザー属種にALMによる飽和攻撃を仕掛けてください。
 荷電粒子砲の発射カウントダウンは10秒前から行います。逃げ遅れないように注意して下さいよ。いいですか?」

『『『 ―――了解! 』』』

「では、A-02反転! 各部隊退避開始ッ!!」

 地中のBETAの誘引を目的としていた先程とは異なり、時速200kmを超える速度を出して、『凄乃皇弐型』は砲撃開始位置へと戻っていく。
 その『凄乃皇弐型』から逃げるかのように、渓谷で戦っていた陽動支援機や、BETA群の掃討を行っていた有人戦術機が、噴射跳躍で両脇の崖の上へと退避する。
 未だに地中に残っていたレーザー属種が、再び頭上を通過していく『凄乃皇弐型』を追って地上に姿を現すが、崖上で待機していたB部隊の『満潮』から、1体当り数十発のALMが降り注ぐ。
 『凄乃皇弐型』を照準しようとしたレーザー属種はALMを無数に浴び、ALMを全て迎撃したレーザー属種ですら、周辺に発生した濃密な重金属雲によって、『凄乃皇弐型』へのレーザー照射を妨げられた。
 そして、荷電粒子砲第4射のカウントダウンが始まる。

「A-02主砲発射まで10、9、8……4、3、2、1、発射!!」

 そして、4度荷電粒子砲が光芒を放ち、地中侵攻してきたBETA群の生き残り約7000体が、高熱のイオン流とその周辺に吹き荒れる衝撃波や電磁波によって殲滅された。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時27分、作戦旗艦『最上』のHQに隣接する機密区画では、夕呼が武と秘匿通信を交していた。

「……そう、反応炉の作戦立案ロジックが一部異なってる可能性があるのね。……いえ、現時点では無理して反応炉のリーディングをする必要は無いわ。
 なんにせよ、G元素回収モードに対する対処法も確立したという事でいいのね?……なら、この件はもういいわ。」

 夕呼は、先のBETA地中侵攻の迎撃に手間取った理由を武から聞き出すと、その件に心中で解決済みの判を押す。
 途中、武が現在位置からの佐渡島ハイヴ反応炉へのリーディングを提案してくるが、それは不要として退けた。
 遠距離のリーディングが、00ユニットのODL消耗を増大させる恐れが大きい為だが、現時点までで幾つかの齟齬は見られるものの、作戦が順調に進行しているからでもある。
 作戦はようやく地上戦の山を越えたに過ぎない。この後には、ハイヴ内のBETA掃討作戦という、前代未聞の作戦が待っている。
 『明星作戦』に於いて、G弾が投入された直後に発生した原因不明のBETA撤退によって、殆ど空になった横浜ハイヴの探査時ですら、残存BETAとの遭遇戦によって人類は損害を被っている。
 今回の作戦の本当の山場はハイヴ突入後だと考える夕呼は、00ユニットの生命線とも言えるODLを可能な限り温存するつもりであった。

 確かに、『凄乃皇弐型』の荷電粒子砲の射線のはるか下を、地中侵攻してきたBETA群の排除には手間取った。
 侵攻ルートの大半が荷電粒子砲の威力圏と重なる為に、『土竜』の設置が1基しか間に合わなかった事、陽動支援機による地上誘引に反応しなかった事、この2点により一時は『凄乃皇弐型』砲撃開始位置まで侵攻され、最悪その対処に追われて『凄乃皇弐型』の砲撃が中断してしまう事態すら覚悟した。
 しかし、武が速やかに作戦を再構築し、A-01と斯衛軍第16大隊が奮戦した結果、無事殲滅に成功。
 損害は『時津風』1機、『朱雀』2機、『撃震』4機を損失。戦死者は帝国軍戦術機甲部隊の衛士3名のみ。
 あれだけ混迷した状況で、1万を超えるBETAを殲滅したにしては、皆無に等しい損害であった。
 『凄乃皇弐型』をレーザー照射の危険にさらす作戦案には感心しなかったが、結果を見ればリスクに見合った戦果であると言えるだろう。
 尤もリスクと言っても、武の提示した作戦上で、レーザー照射の危険を最低限にする対策が確立していたからこそ許可したのだが……
 いずれにせよ、夕呼にとって現状は十分に許容できるものであった。

「で、『甲21号作戦』継続の是非についてだけど、続行する事が決定されたわ。
 さっき、帝都城の大本営から、『甲21号作戦』の完遂に全力を傾注せよって命が下ってね。
 『甲20号目標』からのBETA侵攻は、西部方面軍の戦力で対処するそうよ。」

 夕呼の言葉に、やや表情を険しくした武が応じる。

「―――そうですか。リーディングデータから、『甲20号目標』の所属BETA数が飽和状態に近い事は判明してましたから、近い内に侵攻が行われるとは思っていましたけど、まさか軍団規模にまで膨れ上がるとは……
 多分、同様に飽和状態に達した、『甲18号目標』から溢れたBETA群の流入が重なったんでしょうね。
 しかし、その上で、軍団規模のBETA九州侵攻が『甲21号作戦』の当日に重なる―――しかも、地上戦が始まって部隊が展開した直後ってあたりに、支配的因果律の容赦の無さを感じますよね。」

「まったくね。あれだけ準備万端整えておいたのに、ここまで苦労するとは思わなかったわ。
 けど、九州侵攻に対しても、手を打ってない訳じゃないし、今更『甲21号作戦』に投入されている部隊から戦力を抽出しても、混乱するばかりで大して役に立たないでしょ。
 だから、あんたはこっちに集中しなさい。いいわね、白銀。」

 従来型の師団編制の部隊で構成される西部方面軍に思いを馳せている様子の武に、夕呼は釘を刺して『甲21号作戦』に集中させようとする。
 が、武はニヤリと笑みを浮かべると、夕呼に反論した。

「何言ってるんですか、先生。こちらには何の混乱もきたさないで抽出できる戦力があるじゃないですか。
 『雷神』を派遣しましょう。運用案も今まとめました。
 帝都城に運用案を送付すれば、あとは大本営の斯衛軍参謀が上手く取り計らってくれると思いますよ。」

「あー、確かにあれなら転用できるわね。残弾3割だっけ……いいわ。『雷神』は直ちに移動を開始させなさい。
 後は……砲撃ポイントまでの高速通信回線を用意させなきゃなんないわね。
 それじゃあ、あたしは小沢提督に状況を説明しに行くから、暫くあんたは穴掘りに専念してなさい。
 ―――以上よ。」

 夕呼は武との通信を終え、部屋を出ながら内心で呟く。

(白銀の奴、最初から『雷神』を西部方面に派遣する気でいたわね。
 ま、これであっちもそれ程酷い事にはなんないでしょ。部隊もそれなりに揃っているようだし……ッ! これは……)

 夕呼は、網膜投影で流し読みしていたBETA九州侵攻迎撃に参加する戦力情報に、気になる部分を見出した。
 足を止めて暫し考え込んだ夕呼は、踵を返すと通信装置の前に取って返して、秘匿通信回線を設定する。
 通信先は―――国連太平洋方面第11軍、横浜基地であった。




[3277] 第70話 防人の詩(うた)
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:02

第70話 防人の詩(うた)

2001年12月25日(火)

 12時57分、西部方面軍司令部に、とある人物から通信がもたらされていた。

「はっ! 仰るとおりの通達が、大本営より届いております。
 これより、西部方面軍全将兵は、閣下の指揮に従います。ご采配をお願いいたしますッ!」

 通信相手は、西部方面軍司令の言葉に力強く頷いた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時14分、九州北部、東松浦半島に位置する旧佐賀県唐津市呼子町(よぶこまち)一帯に、BETA九州侵攻の先鋒たる突撃級が上陸を開始していた。
 次から次へと波間から姿を現し上陸してくる突撃級へと、火線が放たれる。
 それは84式突撃砲から放たれた36mm砲弾であったが、突撃級の装甲殻に軽々と弾かれてしまった。
 砲撃を行った戦術機は、突撃級の数と勢いに押されるかのように、噴射跳躍を繰り返して後退していく。
 そのような戦術機の姿が、旧呼子町一帯のそこかしこで散見された。

 当初分散していた戦術機達は徐々に合流し、個々の戦術機を追い立てていた突撃級も1つの大きな奔流となって、東松浦半島を南下していく。
 後退を続ける戦術機は散発的に砲撃を行うだけとなっており、突撃級の侵攻を妨げ得る何ものも存在しないようであった。
 そして、その奔流は更に数と速度を増しながら、唐津港跡を掠め、高尾山と鏡山の間を流れる松浦川沿いに南へと退路を取った戦術機達を追う。
 この頃になると、突撃級の移動速度は時速100kmを、総数は3000体を遥に超え、しかも2000体近い戦車級までもが突撃級にしがみ付いて随伴していた。
 その圧倒的な数に、24機ばかりの戦術機達は、NOEでただ只管に逃走するばかりとなっていた。
 川沿いに南下する突撃級の左右にはやがて山々が近付き、地形は狭隘な渓谷へと変化していく。
 しかし、BETAはその様な状況の変化に関係なく、逃げる戦術機を追い続けた。

 突撃級の進撃が、霧差山(きりさしやま)と夕日山(ゆうひやま)の間を過ぎ、本牟田部(ほんむたべ)駅跡に差し掛かった頃、遂に人類の迎撃が開始された。
 川の両岸に敷設された地雷が次々に起爆し、戦術機を猛追していた突撃級を吹き飛ばす。
 致命傷を負わなかった突撃級も、金属片によって脚部や腹部を傷つけられ、横転し、或いは速度を落として蹲ろうとする。
 しかし、急に速度を落とす事の出来ない後続の突撃級は、傷付いた同類を避けようとしながらも、避けきれずに衝突し、或いは避けた先にある地雷によって吹き飛ばされる。
 あっという間に、突撃級は先頭集団に道を塞がれ、その進撃速度を落としてしまった。
 その瞬間に、西部方面軍の広域データリンクに、総大将の下知が下る。

「よし、今だっ! 彼奴等めに砲撃を浴びせよッ!! 更に奥へと引きずり込むのだ!」

 今まで逃げるばかりであった戦術機が、その号令に反転し、渓谷の奥から雪崩を打つように突撃してきた戦術機の一群に加わり、総勢108機となって突撃級に襲い掛かる。
 その先頭を駆けるのは赤い1機の『朱雀』。
 赤い『朱雀』は突撃級の死骸の山から這い出てきた突撃級を、擦れ違い様に脇から斬り付けて一刀の下に倒すと、機体を仁王立ちにさせた。
 そして、右主腕に持った74式近接戦闘長刀を『X』を描くように左右に振り、従う『朱雀』達を解き放つ命を下す。

「それっ! 両側から囲んで砲弾をたらふく喰らわせてやれいッ! ただし、BETAの前衛を1巻きするのみにて、その後は直ちに旧相知町(おうちちょう)方面へ撤退するのだ。
 彼の地を此奴等の墓場と化さしめようぞッ!!」

『『『 ―――承知ッ! 』』』

 赤い『朱雀』とその後ろに控えた3機を除き、104機の『朱雀』は2手に別れ、前方を塞がれて密集した突撃級前衛の左右を、NOEで縦列となって翔け抜ける。
 36mm砲弾を掃射しながらそのまま500mほど進むと、左右2列の戦術機は互いの方へと進路を変え、突撃級の上空で交差した後左右を入れ替え、上流へと戻りながら再び突撃級を掃射する。
 あっという間に、数百体の突撃級を仕留めた『朱雀』達は、そのまま上流に位置する旧相知町方面へと飛び去った。
 その後を、仲間の死骸を乗り越えた突撃級が追ってくるのを確認しつつ、赤い『朱雀』と随伴の3機が噴射跳躍で後退していく。
 その姿は、BETAの群れを先導しているかのようであった。

「くっくっく……BETA共が、こちらの思い通りに動きおるわ。これまで苦心惨憺してきたのが阿呆らしくなるのう。
 さてさて、白銀の奴を褒めてやるべきか、恨むべきか……」

 赤い『朱雀』を操りながら、獰猛な笑みを浮かべる衛士に、指揮下に納めた西部方面軍部隊の指揮官から通信が入る。

「紅蓮閣下、帝国軍第8師団並びに第9師団の全部隊、展開を完了いたしました。」

「うむ。もう直ぐ突撃級共が雪崩れ込んで来よる故、戦車部隊は稜線沿いに展開し、渓谷の出口に姿を現す突撃級を狙え。
 曲射砲は山越しに本牟田部駅跡一帯を制圧砲撃せい。ただし、レーザー照射されるまでだ。無駄弾は撃たせるなよ?
 戦術機甲部隊は戦車部隊の直衛と、我等斯衛の陽動支援機に誘き寄せられたBETAを殲滅せよッ!
 わざわざ此処まで引き摺ってきたのだ。一匹足りとも逃がすでないぞッ!!」

『『『 了解ッ! 』』』

 突撃級の大軍を、自らに有利な山間の地に誘き寄せた紅蓮。
 周囲を山々に囲まれたこの地であれば、レーザー属種が上陸しても差し当たってレーザー照射を浴びることは無い。
 残存する突撃級3000弱に対して、動員した兵力は帝国本土防衛軍2個師団と、斯衛軍1個連隊。
 108機の『朱雀』の他に、有人戦術機3個連隊、機甲部隊8個連隊、航空支援部隊2個連隊、そして各種歩兵部隊が展開している。
 突撃級と戦車級、合わせて5000に満たないBETA群を相手取るには、十分過ぎる戦力であった。

 しかし、突撃級と戦車級を殲滅する間にも、レーザー属種を含むBETA本隊が東松浦半島に上陸し始めていた。
 そして遂に、山越しに制圧砲撃を行っていた曲射砲の砲弾が、上空でレーザー照射を受けて蒸発する。
 突撃級の中を縦横無尽に擦り抜けながら、長刀を振るって屍の山を築き上げていた紅蓮が、レーザー属種上陸の報に片方の眉を跳ね上げてニヤリと笑みを浮かべる。

「む……遂に来おったか、レーザー属種め。しかし、そう簡単に暴れられると思うなよ?
 我等が何故にこのような山奥まで誘き寄せて戦っているのか、その理由を思い知るがよいわッ!!
 ―――こちらバーンストーム1(紅蓮)、帝国海軍第4戦隊に告ぐ。直ちに索敵砲撃を実施されたい。
 繰り返す、直ちに索敵砲撃を実施されたい。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 13時36分、佐渡島の『凄乃皇弐型』の管制ブロックで、荷電粒子砲の第17射の準備を終え、九州の戦域情報を分析していた武に、祷子から通信が入った。

「白銀大尉。九州の戦域マップに、レーザー属種のマーカーが表示されました。雷神による評定射撃を実施してよろしいですか?」
「直ちに実行して下さい。その後は、毎分1発ずつの間隔で、残弾が0になるかレーザー属種が壊滅するまで、砲撃を続けてください。
 よろしくお願いします。」
「了解。珠瀬少尉による評定射撃の後、毎分1発ずつの砲撃に移行します。」

 祷子からの通信が切れた後、武は『雷神』の情報を確認する。
 レーザー照射による撃墜を避ける為に、先導用小型高速飛行船を数隻飛ばし、その後を時速224kmの最高速度で移動した『雷神』は、途中にレーザー属種が存在しなかったこともあり、何とか時間までに移動を完了する事が出来た。
 既に各部のステータスチェックも完了し、データリンクの接続も良好。いつでも砲撃開始できる状況であった。

 そして、壬姫の手によって評定射撃が実施される。
 旧島根県出雲市に位置する、帝国陸軍出雲基地上空の『雷神』から放たれた1200mm弾頭は、西方に約350km離れた目標へと23秒ほどかけて飛翔し、極超音速の榴弾による局所的集中豪雨を、旧呼子町周辺にばら撒いた。

 壬姫によって為された評定射撃は、照準誤差17mで着弾した。
 そのデータを基に、壬姫と祷子による制圧砲撃が開始される。
 佐世保軍港を出港し平戸島南方海域に展開した、帝国海軍第4戦隊から放たれる索敵砲撃と連携し、『雷神』は旧呼子町一帯に上陸したレーザー属種を、周囲のBETAごと殲滅していく。
 ―――そして、200口径1200mm超水平線砲の残弾を9発残して、九州に侵攻したBETAレーザー属種の反応はほぼ消滅したのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時03分、平戸島南方海域に展開した帝国海軍第4戦隊旗艦、戦艦『長門』のCICにオペレーターの報告が響き渡った。

「東松浦半島周辺にレーザー属種の反応無しッ! 索敵砲撃、レーザー照射を受けていません!!
 レーザー属種の殲滅に成功したと思われますッ!!」

 その報告に、『長門』艦長兼第4戦隊司令である松田千春(まつだちはる)大佐は、閉じていた眼(まなこ)をカッと見開いた。

「第4戦隊の全艦に告げる! これより我が艦隊は総力を挙げて、九州に上陸したBETA群に対する制圧砲撃を実施する。
 全艦統制射撃準備! データリンク照準ッ、全砲門―――ってぇ!!」

 第4戦隊所属艦艇は、松田大佐の号令一下、一斉に主砲や艦対地ミサイルを斉射した。
 それらの砲弾やミサイルは、約60kmの距離を飛翔して、九州に上陸したBETA群へと降り注ぐ。
 これに、九州北部の山間に展開した西部方面軍所属の機甲部隊の砲撃が加わり、九州に上陸したBETA群は急速にその数を減少させていった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 14時34分、九州の山間を飛翔する、36機の米軍所属戦術機が存在していた。

「ふむ……XM3だけでも相当なものだと思ったが、白銀中尉……おっと、今は大尉だったな。
 彼の提唱した対BETA戦術構想とやらも、相当効果的なようだな。」

 既に戦場には大規模なBETA群は存在せず、制圧砲撃では費用対効果が悪すぎる小集団が散逸しているだけとなっていた。
 その残存BETAの掃討作戦に名乗りを上げた、米国陸軍第66戦術機甲大隊所属の『ラプター』36機は、北九州の各所に設置された、地中設置型振動波観測装置からのデータを基に残存BETAを掃討していた。
 その第66戦術機甲大隊指揮官である、アルフレッド・ウォーケン少佐の言葉に、直属小隊で副官を務めるイルマ・テスレフ少尉が律儀に応じる。

「確かにそうですね。今回の防衛戦に投入された戦力の内、XM3搭載機は斯衛軍の216機だけ。
 しかも、その内実際に作戦に投入されたのは、陽動支援戦術機の『朱雀』108機だけだったって話ですものね。
 後は、対BETA戦術構想の装備で……えーと、ライディーン?」

「『雷神』だろう、テスレフ少尉。東洋の雷を司る神の名だ。それと、自律地雷敷設機か。あとは、今我々が情報を得ている地中設置型振動波観測装置もそうらしい。
 おまけに、この詳細なBETA存在位置情報も、白銀大尉が説明してくれた索敵情報統合処理システムで分析した成果だという話だ。」

 流暢に日本語を操るものの、流石に神仏の名称までは知らないらしく、妖しげな発音を口にしたイルマに、東洋思想や文化に造詣のあるウォーケンが訂正する。

「ライジン? ああ、雷の神ですね。なるほど、耳で聞いただけだったんで解らなかったわ。
 ともかく、それのお蔭で上陸したレーザー属種は壊滅。制圧砲撃は100%の効果を挙げて、BETA本隊も殆ど壊滅して小集団が散逸するだけ。
 突撃級は斯衛軍と帝国軍が山間部に誘引して殲滅しちゃったし。
 わざわざ演習をやっていた北海道から文字通りすっ飛んで来たのに、残敵掃討しか出番が無いだなんて骨折り損でしたね、少佐。」

「うむ―――いや、トライアルでは見られなかった、対BETA戦術構想の成果をこうして実感できたのは、無駄とは言えないだろう。
 それに、北九州の各地に散逸してしまったBETAを狩り出すには、我々の『ラプター』の高い巡航速度と、砲撃管制能力は適していると言える。
 このところ色々と、我が母国は日本に借りを作ってしまったからな。少しでも返しておいた方がいいだろう。」

 自分達の参戦が、如何にも無駄足であったかのようなイルマの言葉に、ウォーケンは現在の作戦行動が無価値ではないと明言した。
 とは言え、些か強弁に属す物言いである事は否めない。それでも、隊の士気を維持する為にも、作戦の正当性を確保しなければならないウォーケンの立場はイルマにも解る。
 その為、イルマは言葉少なに同意して、言葉を切った。

「―――それは確かにそうですね。」

「うむ。理解してくれて何よりだ、テスレフ少尉。―――さて、さっさと片付けて、北海道の我等が母艦へ帰還するとしよう。
 『ラプター』の機密は未だ解除されてはいないからな。下手な所で補給や整備をする訳にもいかない。
 推進剤の補給は止むを得ないが、トラブルが出ないうちに横浜基地までは辿り着きたいからな。
 ハンターズ各機に告ぐ。さっさと残敵を平らげて、横浜基地まで帰還するぞ! 上手くすれば夕食はミセス京塚の料理にありつけるからな!」

『『『 サー・イエッサー!! 』』』

 36mm弾や120mm炸裂弾を使い分け、時折砲撃を行いながら36機の『ラプター』は北九州を翔け巡った。
 そのBETA殲滅速度は、帝国軍戦術機甲師団の優に5倍以上に達し、航空支援部隊の攻撃へリのそれすらも上回ったと言う。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 15時48分、作戦旗艦『最上』のHQでは、『甲21号作戦』第5段階への移行を前に、最終検討が行われていた。

「本作戦開始以来、殲滅したBETA総数が凡そ32万ですか。信じ難い程の大戦果ですなあ。
 しかも、装備、弾薬の損耗も少なく、従来とは比ぶべくもありません。
 何より人的損耗が圧倒的に少ない。未だに100名にも満たないとは……
 これも、A-02の凄まじいまでの攻撃力によるものですな。」

 小沢提督は、この時点までの戦果と損害をまとめて、感嘆の意を込めて頭(かぶり)を振る。
 32万のBETAを殲滅したのに対して、人類側の戦死者は、衛士40名と、機械化歩兵、普通科歩兵、その他兵科を合わせて47名のみ。
 陽動支援戦術機を中心に、無人機や各種装備がそれなりに損害を出してはいるものの、それとて従来の対BETA戦に比べれば軽微としか言いようがない数である。
 想定されている佐渡島ハイヴの所属BETA数は約40万。既にその80%を殲滅した事になる。
 小沢提督が信じ難いというのも無理はなかった。

「それに、甲20号目標から出現した軍団規模BETA群の侵攻も、見事に撥ね除けたそうではありませんか。
 しかも、こちらも極軽微な損害で、上陸したBETAを悉く殲滅したと聞きましたぞ。」

 小沢提督に続いて九州防衛戦に言及したのは、李少将であった。
 李少将の言う通り、九州防衛戦で帝国軍の被った損害は、『朱雀』4機、『不知火』3機、『陽炎』1機、『撃震』17機、90式戦車5両に留まり、戦死者も衛士18名、戦車兵13名、機械化歩兵、普通科歩兵、及びその他兵科の合計で106名に過ぎなかった。
 これらの損害は、戦車部隊へのBETAの接近を許してしまったり、残敵掃討の際に不覚にも撃破されてしまったり、BETA小型種の浸透によって被害を出したりした結果であった。
 とは言ううものの、戦死者は全て合わせても137名に留まり、喪失した装備も消費した弾薬も、やはり従来に比べると画期的なまでに少なく、西部方面軍司令部は大勝利として快哉を上げていた。
 李将軍の言葉に頷きを返しながら、夕呼が勝因を分析した。

「白銀が、甲20号目標の所属BETA数が飽和状態に近づいていた事から推測して、近々九州侵攻があるのではないかと予測していたのですわ。
 その為、斯衛軍副司令官でいらっしゃる紅蓮大将閣下が、斯衛軍第1連隊を率いて西部方面軍に出向なさっていたのです。
 勿論、対BETA戦術構想の装備群をいくらか用意していかれました。
 紅蓮閣下は、先の新潟防衛戦の折にも戦場においででしたから、A-01を除けばBETA侵攻に対する防衛指揮官としては最適の人物です。
 それだけでも十分に勝算はあったのですが、『甲21号作戦』の第1段階で使用したきりの『雷神』を白銀が派遣いたしまして、予め佐世保軍港に派遣しておいた帝国海軍第4戦隊と連携して、レーザー属種を殲滅する事が叶ったそうですわ。
 『雷神』の射線付近に友軍が存在しないように、旧相知町付近まで突撃級を誘引しての殲滅戦も成功したようですし、レーザー属種が全滅した後は第4戦隊と砲兵部隊が制圧砲撃で壊滅させたとの事です。
 取り溢したBETAが小集団となって散逸していたそうですが、これも全て掃討した模様です。
 このように、通常兵器のみでもBETAを圧倒する事は十分可能です。
 A-02は確かに強力な兵器ではありますが、BETAとの戦闘に於いて、必須とされるほどの物ではありませんわ。」

 李将軍は、夕呼の説明を何度も頷きながら聞いていたが、小沢提督は夕呼の説明に一部異論を唱えてみせる。

「香月副司令は、A-02など大した事はないかのように仰いますが、実際問題として、A-02の荷電粒子砲が無くば、本作戦とて完遂は難しいと思うのですがな。
 確かに、副司令の仰るとおり、A-02抜きでも人類はBETAに対して優勢に戦闘を進めることは出来るかもしれません。
 しかし、荷電粒子砲無くしては、砲弾の数が足りるかどうかも怪しいのが実情でありますし、レーザー属種を殲滅するにもより多くの犠牲を払う事となっていたでしょうな。」

「提督の仰る通り、確かに砲弾や装備などはより大量に必要とされるでしょう。
 ですが、A-02は量産に向かず、運用にも様々な問題を抱えている兵器です。
 その様なものに頼るよりも、量産可能な対BETA戦術構想の装備群を一刻も早く、大量に配備すべきでしょう。
 本作戦へのA-02投入は、いまだ配備の進まない各種装備の穴を埋める為に、投入したに過ぎませんわ。
 ただし、BETAハイヴの物理的破壊による侵攻ルートの短縮は、A-02の荷電粒子砲以外の現用兵器では不可能でしょう。
 本作戦に於いてA-02に課せられた任務の一つが、このハイヴ『地下茎』への貫通坑の掘削です。
 現在、荷電粒子砲の25回の砲撃の内、地上に出現したBETAを掃討する為に放たれた10射を除く15回の砲撃で、BETAハイヴの下層部分―――第21階層まで貫通した斜路を掘削しています。
 斜路は、A-02の砲撃開始地点からBETAハイヴの『主縦坑』に達しており、この斜路の部分でハイヴの『地下茎』は分断されました。
 この斜路を起点とすることにより、従来に比べてハイヴ突入部隊への補給線の確立や退路の確保は容易になり、この後の第5段階の遂行を助けるはずですわ。」

 夕呼は、小沢提督の言葉を一旦は肯定したものの、A-02の量産性の低さを指摘し、量産可能な兵器体系の確立と配備こそが重要であると説いた。
 然る後に、夕呼は『甲21号作戦』に於けるA-02の運用目的が、土木機械にも等しいハイヴへの侵入口の掘削であると言い切る。
 しかし、地上からハイヴ下層部分に至る侵入口を設けるなど、今まで誰も思い付きさえもしなかった事であった。
 それが実際に達成され、従来のフェイズ4ハイヴ最深到達記録である511mを遥に超える800m地点までが掘削されてしまっている。
 正に、ハイヴ攻略戦術の革命とも言える状況であった。

「確かに。現在の状況は、ハイヴ突入がいきなり下層部から始まるに等しいですからな。
 これまで多くの犠牲を出して尚、突破すら出来なかった中階層より上を、迂回する事が叶うとは……
 後は、あの斜路を如何に維持するかですな。あそこさえ維持出来ていれば、副司令の仰る通り、補給線も容易に維持できましょう。
 テストプランを見た時には絵空事かと思いましたが……実際にこうしてもたらされた戦況を目の当たりにすると、やはりA-02の素晴らしさが際立ちますな。」

 どうしても、A-02の賛美から離れない小沢提督の発言に、僅かに眉を顰めつつ、夕呼は釘を刺した。

「ですが提督。A-02が、大変貴重な資源を消費して稼動しているということをお忘れなく。
 それ故に、全てのBETAハイヴをA-02で攻略する事は、困難と言わざるを得ないのです。
 今回A-02が投入されているのは、対BETA戦術構想装備群の配備が不十分である事、作戦目的であるBETAハイヴ中枢部の機能を保全したままでの占拠が非常に困難なものである事、そしてなにより、我が第四計画の最重要機材の安全を確保しつつ運用する為なのです。
 その点を、くれぐれもお間違いの無い様、よろしくお願いいたしますわ。」

「―――無論、承知しております。
 それでは副司令、第5段階、ハイヴ内掃討作戦に移行して構いませんかな?」

 改めて問いかける小沢提督に、夕呼は嫣然とした笑みを浮かべて頷いた。

「ええ。よろしくお願いいたしますわ。」

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時01分、佐渡島ハイヴ下層部分へと続く斜路の中ほどに、斯衛軍第16大隊が集結していた。
 随伴輸送機『満潮』36機、陽動支援戦術機『朱雀』36機、戦術機『武御雷』18機。
 ―――そして、戦術機『武御雷』陽動支援機仕様が18機。合計108機の戦術機が立ち並んでいた。

(『武御雷』陽動支援機仕様、か。さっすが斯衛軍はやることが半端じゃないよな。)

 その様子を広域データリンクで配信されている映像で確認し、武は内心で呟いた。
 『武御雷』陽動支援機仕様とは、複座型『武御雷』に『時津風』と同様に姿勢制御スラスター、カナード翼、関節駆動部ロック機構、生体反応欺瞞用素体などが追加され、リミッターも無人・有人で切替可能とした機体であった。
 本来、被害担当機であり、使い捨てが前提である陽動支援機に、帝国軍最高の戦術機である『武御雷』を使用するなど、常軌を逸した行いである。
 しかし、これにはとある経緯があった。

 斯衛軍に陽動支援戦術機が配備された際に、部隊編制が改められ、複座型『武御雷』が運用されることとなった。
 その結果、斯衛軍衛士2人に付き、1機の『武御雷』が宙に浮く事となり、当初これらの機体は予備機となる筈であった。
 斯衛軍衛士にとって、『武御雷』は政威大将軍殿下より下賜された恩賜の戦術機であり、己が忠誠の証でもある。
 複座型の採用により、僚友の機体に搭乗するのは我慢できても、己が愛機を手放す事には強い抵抗感があった。
 それ故に、部隊内予備機として管理し、実戦に参加する際には、36機中18機を投入する事が提案されていた。
 ところが、この案を可決せんとした時に、斯衛軍参謀等を一喝した人物が居た。―――紅蓮醍三郎大将である。

「我等斯衛は、守護奉る御方々を御守りせんが為、面子も誇りも投げ捨て、最後の最後に至るまで、御方々の盾とならねばならぬっ!
 さすれば、何故にして、殿下より賜りし『武御雷』を無為に眠らせるが如き事を成しえようかッ!!
 恩賜の機体を無碍に出来ぬという主等の気持ちは解る! されど、我等斯衛衛士の心情など、守護たる務めの前には些事に過ぎぬのだッ!!
 恩賜の機体を十全に活用する術をば見出してみせぬかッ!!!」

 この紅蓮の発言は、新潟での演習の際に武が口にした言葉を念頭に置いたものであった。
 紅蓮に一喝された参謀たちは、宙に浮いた『武御雷』を2重の意味で予備機として運用する案をまとめた。
 1つには、『朱雀』の損耗が激しく、予備機を全て失った後に投入する、陽動支援機の予備として。
 今1つは、有人の複座型『武御雷』が損傷した際に乗り換える予備機として。
 この2つの運用を前提として、部隊に無人機として随伴させる事としたのであった。
 そして、陽動支援機として高機動性能を高め、リミッターに無人機用の設定を加える事で、従来の『武御雷』の機動を超える機体へと改修し、『甲21号作戦』に投入する事となったのである。

 武は―――いや、広域データリンクで斯衛軍の映像を見ている者の殆どが、108機の戦術機の最前列に屹立する、紫色の御『武御雷』に目を奪われていた。
 『甲21号作戦』が開始されて以来初めて、遂に紫色の御『武御雷』が最前線へと姿を現したのである。
 当然、その背後に控えて警護に当たるのも青、赤、白、黒、色は異なれど37機全てが『武御雷』であった。
 この37機の内、18機は陽動支援機仕様に改装済みなのだが、御『武御雷』に注目が集まる中、それに気付く者は多くは無かった。
 そして、その注目の的である御『武御雷』に搭乗する冥夜の声が、広域データリンクのオープン回線に流れる。

「作戦参加将兵諸氏に告ぐ、私は斯衛軍派遣部隊筆頭衛士、御剣冥夜だ。
 本作戦開始以来の諸氏の奮闘誠に見事であった。政威大将軍殿下も、さぞやお喜びになられている事であろう。
 さて、諸氏も知っての通り、先程作戦は第5段階へと移行し、遂にBETAが棲家たるハイヴの掃討を開始するに至った。
 ついては、これより私は、及ばずながら政威大将軍殿下の名代として、諸氏に先駆けてハイヴへと突入し、我が国を侵せし怨敵を調伏する先鋒を務めんとす!
 これは我が意思にあらず、政威大将軍殿下が御心が、作戦参加将兵諸氏と共にある証であると思われよ。
 今こそ、我等は将軍殿下の御心の下、一丸となりて怨敵BETAを我が国土より一掃しようではないかッ!」

『『『 ―――ぅぉおおおおお~~~ッ!!! 』』』

 冥夜の言葉に、感極まった帝国軍将兵の雄叫びが応える。
 冥夜は目を瞑り、その雄叫びに耳を傾けた後、清冽な笑みを佩いて命を下す。それは、政威大将軍名代としての命であった。

「これより、佐渡島ハイヴ掃討を開始する! 各員己が務めに邁進せよッ! 斯衛軍第16大隊っ、我に続くが良いッ! 突撃ィッ!!!」

 叫びと共に、紫色の御『武御雷』は斜路をNOEで突進を開始し、斯衛軍第16大隊の戦術機達がその後に続く。
 随伴の『満潮』から自律誘導弾が放たれ、佐渡島ハイヴ第21層の露出部を半ばまで埋めている土砂へと降り注ぐ。
 突入の障害となる土砂が吹き飛ばされ、ぽっかりと空いたその『横坑』へと、紫色の御『武御雷』を鋭利な穂先とし、108機の戦術機が一番槍となり、人類の怨敵BETAの象徴たるハイヴ下層部へと突き立った。
 そしてそれは、人類がフェイズ4ハイヴ最下層に到達した瞬間でもあった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時05分、佐渡島ハイヴ第21階層SE32『横坑』を、斯衛軍第16大隊先鋒部隊は主脚走行にて進撃していた。

「御名代殿、先の演説は、なかなかの出来映え。兵共も、さぞや奮い立った事でありましょう。月詠もそうは思わぬか?」
「はっ、久光様の仰せの通りかと。冥夜様、誠にお見事でございました。」
「斉御司大佐、お止めください。あのような虚飾は私の本意では御座いませぬ。が、あれも名代としての勤めと思えばこそ……」
「ははは。虚飾とは人聞きの悪い。兵の士気を鼓舞するは、古来より軍を率いる大将が務め。
 政威大将軍殿下の御名代として戦場にある以上、そなたの責に相違あるまい。
 そなたは見たところ筋も良い様子、慣れるまでいま少しの辛抱であろうよ。」
「…………」

 笑みを浮かべながら、快活にハイヴ突入前の冥夜の演説を論ずる斉御司大佐と月詠に、冥夜が耐え切れずに苦言を漏らすが、斉御司大佐は逆に冥夜を諌めてしまう。
 己が責務と言われてしまえば、それ以上は黙する以外に術を見出せない冥夜であった。

 紫色の御『武御雷』は、ハイヴ突入地点から200m程の地点で、他の複座型『武御雷』に護られて停止している。
 現在、斯衛軍第16大隊の先鋒として進撃しているのは、『満潮』16機を随伴させた、『朱雀』8機2個小隊であった。
 無論、先鋒とのデータリンクを中継し維持する為に、残りの『朱雀』28機と『満潮』14機が展開している。
 御『武御雷』の下に留まっているのは、複座型『武御雷』17機と、『武御雷』陽動支援機仕様18機、『満潮』6機であった。

「とは言え、御名代殿が虚飾と仰りたいお気持ちも解らぬでもないな。
 大見得を切ってハイヴに突入したというのに、このようなとば口で留まって居るのですからな。然れど―――」

 斉御司大佐は、言葉を途中で途切らせると、物問いたげに冥夜を見る。冥夜は苦々しげな表情ではあるものの、その言葉に応えて見せる。

「解っております。此度の突入は、ハイヴ最下層に閉じこもるBETA群を誘引し、地上に引き摺り出すのが目的。
 深入りするは愚の骨頂、有人機にて突入せしは無人機の遠隔操作を確実足らしめる為。
 それ故に、ここより先に進むは、無益であると存じております。」

「その通りだ。我等の様に、兵の象徴たるを求められし者は、相反する表と裏の姿を使い分けねばならぬ。
 兵の前では勇壮に。されど、その実、己が身の安全は何よりも優先せねばならない。
 表の姿は勇猛果敢に、裏の姿は小心で臆病であらねばならぬ。
 そして何よりも、兵にとっての我等は大樹であり続けねばならぬのだ。
 苛酷な戦場という暴風の最中、尚も屹立する大樹としてあって初めて、兵たちは安堵を得られるのだからな。」

 冥夜の言葉に頷きを返し、斉御司大佐はさらに言葉を続ける。それは、戦場に於いて兵たちの象徴として立つものの心得であった。

「容易く傷付いては兵を動揺させる。かといって、卑怯未練でみすぼらしくては象徴足り得ぬ。
 無論、己を鍛え多少の事では傷付かぬ強さを得る事も大事。然れど、それ以前に危険を身の回りに寄せ付けぬようにする事こそが肝要なのだ。
 お解りになられるな? 御名代殿。」

「は、お言葉はしかと心に刻み付けます。ご教授誠にかたじけなく存じます。」

 冥夜が神妙に頷き感謝を述べると、斉御司大佐はさも面白そうに、人の悪い笑みを浮かべた。

「よかったな月詠。私よりは苦労せずに済みそうではないか。」
「は?」

 意表を突く斉御司大佐の言葉に、冥夜は目を大きく見開いて疑念を顕わにする。

「御名代殿は素直でかつ真面目であらせられるようだ。私などは、戦場に立つと気が逸り、衝動を抑え難くてな。
 ついつい、先陣を切っては月詠に叱られていたものよ。
 その点、御名代殿は運がよくて居られる。陽動支援機が在る故、存分に戦働きが出来ましょうからな。いや、重畳々々。」

 快活に言い切った斉御司大佐に、月詠が苦虫をかみ締めたような貌で、怜悧な言葉を放つ。

「―――久光様、余計な事まで冥夜様にお教えにならないで下さい。
 冥夜様は生真面目なご気性ではあられますが、全ての國民(くにたみ)の苦難を見過ごしに出来ぬお方です。
 それ故、危地を見ては救わんと、火中に飛び込まれるのがご気性ゆえ、私は常に心が休まりませぬ。
 どうか、余分な智慧はご無用に願いたく存じます。」

 月詠の言葉に首を竦める斉御司大佐の様子に、月詠に説教をされる自身の姿を思い浮かべてしまい、冥夜は言葉を漏らす。

「そうか……私の警護で横浜に来る以前は、月詠は第16大隊で大佐の警護をしていたのであったな。」

「うむ。御名代殿のお蔭で、最近は羽を伸ばしていられたのだが、先の新潟の折といい、此度といい、私が戦働きに出る折には、必ずこの者が目を光らせておってな。
 しかし、口は煩いが、有能で下の者には人望がある。居なければ居ないで惜しく思うのであろうな。」

 冥夜の言葉を受け、楽しげに話す斉御司大佐であったが、そこへHQからの急報が入った。

「HQよりパープル・クレスト0(御剣)、1(斉御司)、2(月詠)に告ぐ。
 佐渡島近海を哨戒中のサラマンダー5より急報。北西の海底を佐渡島に向けて侵攻する、軍団規模のBETA群が確認された。
 約6分後には佐渡島北西沿岸に上陸すると思われる。―――繰り返す……」

 『甲21号作戦』開始以来、12時間をかけてBETAを地上より駆逐した佐渡島に、新たに軍団規模のBETAが上陸するという、それは正に凶報であった。




[3277] 第71話 地の底にもたらされしもの +おまけx2
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:02

第71話 地の底にもたらされしもの +おまけx2

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 独自設定告知:BETAバイオプラントに関する設定
 今回の内容に含まれるBETAバイオプラントに関する記述は独自設定に基づくものです。
 拙作をお読みいただく際にはご注意の上、ご容赦願えると幸いです。
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2001年12月25日(火)

 16時08分、『凄乃皇弐型』の管制ブロックで、武はサラマンダー5からの急報に接した。
 ハイヴ突入後のBETA増援、しかも地上からという状況に、武は『前の世界群』の『甲21号作戦』を思い出してしまう。

(くそっ! 今回も、最下層と地上と、両方からハイヴ突入部隊が襲撃されるってのか?
 これも因果律だとでも言うのかよッ!!)

 武は『前の世界群』での『甲21号作戦』最終局面を思い出す。
 あの時、純夏の乗った『凄乃皇弐型』と直衛に付いていたヴァルキリーズは、ほぼ制圧済みであった佐渡島ハイヴ内でのリーディングを実施していた。
 そこへ、佐渡島ハイヴの上層部周辺部に潜んでいた軍団規模を超えるBETA群が、最下層に残存していたBETA群と上下から挟撃したのだった。
 結果的に、『凄乃皇弐型』の直衛を離れたヴァルキリーズ主力によって、佐渡島ハイヴの反応炉が破壊される事で事態は収束した。
 しかし、純夏の機能停止と『凄乃皇弐型』の擱坐という、痛恨の事態と引き換えであった。
 その事を思い起こしてしまったが故に、過剰に反応しそうになった武だったが、危ういところで自身の感情を押さえ込む事に成功する。

(まて、落ち着けっ! 落ち着くんだ。―――今回は状況が全く違う。まずはちゃんと分析しなきゃ駄目だ…………
 まずは、ハイヴ突入部隊である第16大隊の位置だ。
 無人機はある程度奥へと進攻しているけど、少なくとも有人機は斜路から入って直ぐの位置で留まっている。
 振動波観測装置も多数設置されている現状で、BETAに包囲されてしまうことは先ずあり得ない。
 だから、冥夜たちの安全は、一応確保されてる。
 よし…………次に、BETAの増援が何処から、そして、どうしてこのタイミングでやってきたかだな……
 ―――そうか、甲18号から溢れたBETAか。甲20号だけじゃなく、こっちにも向かったんだな? で、今になってようやく辿り着いたって訳か…………
 てことは、このタイミングに重なったのは偶然―――つまり、支配的因果律の仕業ってことかよ。くそッ! 今日は随分と仕事熱心じゃないか……)

 九州に上陸したBETA群が、軍団規模という予想を遙に超えた数に膨れ上がった理由を分析した結果、武は甲18号から溢れたBETAが、飽和状態に達していた甲20号に流入した所為だと推測された。
 そして、当然の事だが、甲18号から溢れたBETAが甲20号と甲21号に向った場合、距離や地形の差から所要時間が異なる。
 その差を適用すると、BETA九州侵攻を誘発したであろうBETA群の、甲18号進発時刻に佐渡島までの所要時間を加えると、十分許容できる誤差範囲で現時刻に合致する。
 武はこの事から、数分後に佐渡島に上陸する軍団規模BETAが、甲18号から溢れたBETAであると推測し得たのだった。

(―――てことは、連中の行動特性は、転属モードか。それなら、戦闘行為の優先度はそれ程高くないはずだ。
 まずは、目的の反応炉に辿り着く事が最優先になってるはずだからな。
 となると、ハイヴ突入部隊が、地上と最下層の両方から挟撃を受ける可能性は低いよな。
 ―――よし、それなら、第16大隊の行動は作戦どおりでいいはずだ。
 増援のBETAの方は、突撃級を地雷原で漸減して、最後尾に居るはずの要塞級とレーザー属種だけ減らしておけばいいか。
 こっちは、A-01に任せればいいな。
 万一、突撃級がハイヴに潜らずに、地上侵攻して来た場合は、斯衛の第5連隊に陽動してもらおう。
 その場合、荷電粒子砲で始末できるかどうかは、タイミング次第か。
 折角8万近くまで減らした残存BETAが、12万近くまで増えちまうけど、それは許容するしかないよな。)

 武は状況の分析と、対策の立案を済ませた後、HQの夕呼に通信を繋いだ。
 武が通信を繋ぐまでの所要時間は、サラマンダー5の急報を受けてからで20秒足らず。HQでは、ようやく状況の把握が済んだところであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時12分、HQからの指示に従い、ハイヴ内での陽動を続けた斯衛軍第16大隊は、最下層付近からの軍団規模BETAの侵攻を誘発する事に成功していた。
 これで、佐渡島ハイヴに残存していたBETAの約半数を引きずり出せた事になる。
 しかし、それとほぼ同数のBETAが間もなく上陸しハイヴに到達すると知らされて、斯衛軍第16大隊の衛士達の一部には、納得のいかない表情をする者も幾人か存在していた。

「よし、これより敵先鋒の突撃級に対する遅滞戦術を実施する。
 パープル・クレスト3。自律誘導式気化弾頭弾発射装置を自律発射モードにて設置し、前衛が戻り次第、そなたらも後退するが良い。」

 冥夜の下知に従い、第2陣の『朱雀』が『満潮』の試作連装稼動兵装担架システムに保持されていた、自律誘導式気化弾頭弾発射装置を受け取る。
 発射装置は、円筒状のミサイル収納チューブの先端に照準システムとバイポッド(二脚架)が取り付けられた構造をしており、『朱雀』はバイポッドを引き起こすと、発射装置を斜めに横たえる形で、下層へと繋がる方向に向けて設置した。
 そして、NOEで突撃級を振り切って戻ってきた、前衛の『朱雀』や『満潮』を確認すると、照準システムの安全装置を解除し、前衛と共に後退を開始する。
 それから暫し後、迫り来る突撃級を察知した照準システムは、自律誘導式気化弾頭弾を発射した。

 自律誘導式気化弾頭弾は曲がりくねったハイヴの『横構』を飛翔すると、突撃級が近付いたところでロケットモーターをパージ。
 サーモバリック爆薬を起爆して、弾頭の後部から後方に向けて複合爆鳴気を噴出する。
 そしてその直後には、弾頭の前部から今度は前方に向けて、後方に噴射したものの数倍量の複合爆鳴気が放出された。
 極僅かな時間差を付けて前後に噴射された複合爆鳴気は、続け様に着火して、爆燃による衝撃波をハイヴ内に撒き散らす。
 弾頭の進行方向後方で発生した爆風衝撃波は、『横坑』の両側に向けて衝撃波を発生させた。
 しかし、僅かに遅れて爆燃した進行方向前方で発生した爆風衝撃波は、先に発生した爆風衝撃波によって後方を塞がれて、突撃級に向う指向性を付与され、より強力な爆風衝撃波を発生させる。

 その結果、突撃級は襲い掛かってくる爆風衝撃波に巻き込まれ、吹き飛ばされて、今駆け抜けてきたばかりの『横坑』へと猛烈な勢いで吹き飛ばされ、押し戻される。
 爆風衝撃波自体で致命傷を負った個体は無かったが、吹き飛ばされる過程で他の個体の装甲殻に柔らかい腹部をぶつけたり、ハイヴの強固な壁面に衝突して重大な損傷を負う個体が少なからず発生する。
 これにより、突撃級の突進は完全に押し戻され、BETA群はその侵攻を一時的にしろ停滞させる事となった。
 前衛の停滞は、後続の迂回を誘発する、しかし、隣接する『横坑』に迂回した後続が再び合流し、再度侵攻を開始した突撃級と前後して進んでいくと、またしても前方から自律誘導式気化弾頭弾が襲い掛かり、再度侵攻を塞き止められてしまった。

「うむ。上手くいっているようだな。今1度気化弾頭弾で、敵の侵攻を遅滞させるがよい。」

 冥夜の下知により、自律誘導式気化弾頭弾による侵攻遅滞が三度行われた結果、ハイヴ突入部隊を目指して侵攻してきたBETA群は、先鋒の突撃級と本隊の各種BETAが混在し、かつ過密な状態と化した。
 そして、そこへ新たな自律誘導弾が飛来する。
 飛来した弾頭は、またもや後方にサーモバリック爆薬の爆燃を発生させた後、過度に密集したBETA群に向けて弾頭に搭載した指向性S-11を起爆する。
 指向性を持たされた熱と衝撃は密集したBETAに襲い掛かり、多数を瞬時に消滅させた。
 その後発生した爆風は、後方をサーモバリック爆薬の爆燃によって塞がれていた為、そのエネルギーの大半を更にBETAへと叩き付けた。
 その結果、先頭ほど過密になっていなかった後続のBETAも、爆風で押し戻された残存BETAと衝突し、圧し押し戻されて、やはり過密な状況へと追いやられる。
 そこへ、S-11を搭載した自律誘導弾が再び飛来し、またもや暴虐の嵐を吹き荒れさせた。

 この一連の攻撃によって、1万弱のBETAが殲滅され、生き残ったBETAも前衛と本隊が混在し、戦列を極端に短くした状態のまま、ハイヴ突入部隊を追って斜路の端から地上へと噴出した。
 その直後、止めとばかりに『凄乃皇弐型』の荷電粒子砲が発射され、突撃級も要撃級も、レーザー属種から要塞級までもが一緒くたになって、イオン流の中で姿を消滅させる。
 かくして、4万を超えたBETA群は全滅した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 16時42分、作戦旗艦『最上』のHQでは、戦況の分析が行われていた。

「ふむ。どうやら、ハイヴ内での気化弾頭弾による侵攻遅滞と、その後のS-11搭載弾頭弾による殲滅はそれなりの効果を発揮したようですな。」

 小沢提督が、初めて実戦で使用された気化弾頭弾とS-11搭載弾頭弾によるハイヴ内BETA殲滅戦術の戦果を講評すると、李少将がそれに異を唱えた。

「それなりとは、些か過小評価なのではありませんかな? 確かに、A-02の荷電粒子砲の威力の前には、1万ばかりのBETA殲滅は物足りないかもしれません。
 しかし、これらの装備が反応炉破壊を目的とした、ハイヴ突入部隊によって運用された時の事を考えてみてください。
 大隊規模の戦術機甲部隊が、噴射跳躍で置き去りにしてきたBETA群を足止めし、尚且ついざとなれば1万体を殲滅できるのです。
 しかも、その為に必要な装備は、随伴輸送機一機で積載可能な量に過ぎないのですぞ?
 この戦術が確立し、洗練されたならば、ハイヴ突入部隊に対する福音となることは間違いないでありましょう!」

 李少将が熱弁を振るうと、小沢提督も顎に手を当てて暫し考え直した後、頷きを返した。

「なるほど、仰るとおりですな、李少将。私の見識が些か不足していたようです。
 ―――さて、いずれにせよ第5段階は、ほぼテストプランどおりに進行しておりますが、北西から上陸したBETA増援は、その内3万強がハイヴに到達してしまいましたな。
 幸か不幸か、地上に展開している我が軍には目もくれず、一目散にハイヴへと潜っていきましたが、これも白銀大尉の予想通り。
 地雷原とA-01の強襲により、上陸した総数の4分の1にも満たないとは言え、1万近い損害を与える事も叶いました。
 しかしこの増援により、ハイヴに残存するBETAは7万強に増加。確か、荷電粒子砲の砲撃はこの段階以降は行わない予定でしたな?」

 小沢提督に尋ねられて、夕呼は頷いて応じる。

「はい。これ以上荷電粒子砲によるハイヴ下層部分への砲撃を行えば、ハイヴ中枢部の機能に障害を与える危険性が無視し難くなります。
 また、先のBETA地下侵攻の際に、第四計画で入手した反応炉の行動特性情報と、甲21号目標の行動特性に差異が確認されていますので、若干信頼性が低下してはおりますが、BETAは残存個体数が4万に近付くまでは、ハイヴ突入部隊を迎撃してくると思われます。
 ですから、まずはBETAの迎撃を逆激して殲滅。しかる後に、最下層の『大広間』まで進出して、そこに立て籠もる残存BETAを殲滅し、反応炉の制圧を目指します。
 最下層での戦闘に於いては、気化爆弾、S-11共にハイヴ施設への破損が懸念される為使用を禁止。
 激戦が予想される為、帝国軍陽動支援戦術機甲連隊の所属機を含め、残存する陽動支援機、随伴輸送機を全て投入していただきます。
 無人機の運用はA-01と斯衛軍第16大隊及び第5連隊の衛士が担当。
 『大広間』のBETAを殲滅した後、ハイヴ内全域の残存BETA掃討に移行。
 部隊指揮官は斯衛軍の斉御司大佐、指揮官補佐を同じく斯衛軍の麻神河大佐とし、データリンク途絶時の作戦立案は、A-02で同行する白銀大尉に一任したいと考えます。」

 顎に手を当てて夕呼の言葉を聞いていた小沢提督は、夕呼の言葉を吟味した後、頷きを返した。

「解りました。斉御司大佐と白銀大尉であれば、安心して作戦を委ねる事ができましょう。
 それに、A-02を同行させるのは、最悪、主砲での反応炉破壊を視野に入れてのことですな?」

「最悪とは申しませんが、無論それも視野に入れてのことですわ。
 ただし、A-02の派遣は、第四計画の主目的であるBETA情報の収集に在ります。
 場合によっては、収集したデータの回収が最優先目標となりますので、ご承知おきください。
 ―――御名代よりも優先していただきます。よろしいですね?」

 双眸を怜悧に光らせて同意を迫る夕呼に、些か苦い表情をしながらも、小沢提督ははっきりと応える。

「解っております。斉御司大佐にも、一応お言葉を伝えてはおきましょう。
 ですが、最早その様な窮地に立たされる事もありますまい。」

 夕呼は斉御司大佐と通信する為に離れていく小沢提督を見送りながら、心中で呟きを発していた。

(…………支配的因果律なんてのが悪さしないんなら、ね。
 まあ、本当に釘を刺しておくべきなのは、斯衛じゃなくて白銀なんだけどね。
 収集した情報は何としても送っては来るでしょうけど、御剣が死ぬような事があれば、白銀も戻らないでしょうね。
 今後の為に必ず生還しろと命じておけば別だろうけど…………別にそこまでするような事じゃないか。
 既に白銀抜きでも人類はBETAから地球を奪還できる。A-01が全滅しても鑑がいるしね。
 白銀、好きにやらせてやるから、A-01とハイヴ施設、見事に全てを得て見せなさい。
 あんたが、真に望むことからすれば、微々たるものの筈でしょ? こんな所で躓くんじゃないわよ?)

 夕呼は、李少将に軽く会釈して、ピアティフの元へと戻る。
 その心中は、一切表に出ることはなかった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時52分、佐渡島ハイヴ第29層SE6『縦坑』の周辺に、『凄乃皇弐型』以下、A-01連隊、斯衛軍第16大隊、斯衛軍第5連隊の全戦力が集結していた。
 複座型『不知火』10機、複座型『武御雷』72機、複座型『武御雷』陽動支援機仕様72機、『時津風』172機、『朱雀』146機、『満潮』248機、総計720機を数え、優に6個連隊を超える数の戦術機達であった。
 しかし、それらの戦術機を操る衛士の数は、2個連隊にも及ばない164名に過ぎず、厳密に言えば内1名は衛士ではなくCP将校である。
 そして、その戦力を以って殲滅しなければならないのが、佐渡島ハイヴ最下層―――第30層に立て籠もるBETA4万強であった。

 『甲21号作戦』第5段階開始直後、斯衛軍第16大隊の陽動によって、軍団規模のBETAを誘引。
 地上へと誘導しつつ気化弾頭弾とS-11搭載弾頭弾を組み合わせて迎撃し、約1万体を漸減すると共にBETA群の侵攻を遅滞させた。
 その結果、残存BETA群約3万は、前衛から後衛までが入り乱れ密集した状態で斜路の終端へと出現する事となり、『凄乃皇弐型』の荷電粒子砲の1撃によって一瞬で壊滅した。

 しかし、これと入れ違うようにして、『甲18号目標』から進発したと推測されるBETA増援3万強が佐渡島ハイヴに到達し、残存BETAは推定7万強まで回復してしまった。
 これに対して、斯衛軍第16大隊に替わりA-01連隊がハイヴへ突入。
 先の陽動と同様に、気化弾頭弾とS-11搭載弾頭弾を組み合わせて使用しながら、未だに上層、中階層が健在なSエリアの『地下茎』へとBETA群を誘導。
 当初師団規模で侵攻してきたBETA群であったが、その内5千を殲滅した時点で更に師団規模のBETA群が最下層を進発し、最終的なBETA群の個体数は累計して2個師団規模、3万体近くに及んだ。
 しかし、A-01連隊は着実にBETA群を漸減しながら、約30分以上に亘って『地下茎』内を転戦し、2個師団のBETA群を全滅させることに成功する。

 地上では、この時間を利用して、『甲21号作戦』に参加している全陽動支援機と随伴輸送機が斜路周辺に集められ、残る有人戦術機甲部隊や機甲部隊の戦力によって、佐渡島地上全域に対する防衛態勢が構築された。
 地下からのBETA出現に備えて地中設置型振動波観測装置が増設され、更なるBETA群の上陸を警戒して『海神』による哨戒も厳重に実施される。
 かくして万全の態勢が整えられた後、前述の戦力が第29層に集結されたのであった。

「さて、いよいよ最下層の攻略に掛かります。状況と作戦の説明を、僭越ながら小官が―――「前置きなら要らねぇぞ、白銀。」―――え?」

 作戦説明の前に、斯衛軍衛士に配慮して挨拶をしようとした武に、麻神河絶人中佐が強引に発言して割り込む。

「ここに集まった衛士で、お前の事を知らない奴なんざ居ねえよ。お前が仕切るのに不平を言う奴もな。時間の無駄だからさっさと作戦の説明に入れって。」

 にやりと獰猛ながら陽性の笑みを浮かべて、絶人はそう言い切った。
 武が通信回線越しに斉御司大佐の通信画像を窺うと、苦笑しながらも頷いて見せたので、武はその言葉に従う事にした。

「―――では、挨拶抜きで。まず、最下層を攻略するに際しての注意事項です。
 最下層に残存するBETA群の行動についてですが、今までのBETA群と異なり最下層を離れて追撃してくる事は無いと予測されています。
 その殆どがこの第29層に至る前に追撃を止め、停止もしくは当初の配置へと復帰しようとするでしょう。
 これにより、残存BETA群は全て最下層で仕留めなければならなくなりますが、本作戦の最終目標がBETAハイヴ中枢部の確保・占領である以上、最下層でS-11や気化弾頭弾等の大威力の兵器を使用する事は許されません。
 よって、敷設地雷や投擲地雷、120mm以下の火砲や小型自律誘導弾、近接兵装によるBETA掃討を目指します。」

 武は此処で言葉を切って、各級指揮官の反応を確認した。
 BETAの大量殲滅に威力を発揮した、各種兵器を使用出来ないという状況にやや緊張感が漂うものの、押し並べて戦意は衰えておらず、どちらかと言うと戦意高揚著しい人物の方が多い様に見受けられた。
 それを見て取った武は、内心呆れながらも話を続ける。

「次に、最下層のBETA施設に関する説明を行います。最下層には反応炉のある『大広間』の他に、重要な施設が2つ存在します。
 片方が、このBETA由来の特殊物質が保管されている保管庫エリア。もう一つが、このBETA生産プラントです。」

『『『 BETA生産プラント?! 』』』

 武が戦域マップ上で佐渡島ハイヴ最下層の『地下茎』を表示しながら説明すると、部隊員の大多数から驚愕の声が上がった。

「そうです。我々がBETAと呼んでいる各個体は、自然増殖ではなく、クローニングに近い方法によって生まれて来るんです。
 そして、これこそが、BETAがあの圧倒的な物量を維持出来る理由です。
 ここからは、今この瞬間にも、BETAが生まれ出ているはずです。
 BETAの生産速度は、フェイズ4ハイヴだと3ヶ月で旅団規模―――大小合わせて約5千体程度と推測されています。
 現在は、ハイヴ内のBETA数が枯渇してきていますから、この10倍程度の速度でBETAが増産されているでしょう。
 尤も、1時間で小型種が各種合わせて10体に、戦車級が9体、突撃級、要撃級は1~2体ずつ生まれる程度に過ぎませんし、要塞級は5時間に1体以下、光線級で3時間に1体、重光線級に至っては11時間近く掛かる筈です。
 大した数ではありませんが、この施設からは少しずつBETAが湧き出てくると思って、警戒してください。
 尚、BETA由来の特殊物質は最高レベルの機密に属しますので、保管庫のエリアには近付かないようにお願いします。
 また、両施設の付近での戦闘も厳禁です。
 保管庫エリアとBETA生産施設の制圧並びに占拠後の警戒は、『大広間』制圧後にオレが『凄乃皇弐型』と陽動支援機で行います。
 情報開示レベルの問題なので、ご容赦下さい。」

 武の説明を聞き、今更ながらに武が如何に特殊な立場にいる衛士なのかを、その場の全員が思い知る。
 しかし、それには構わず、武の説明はいよいよ攻略作戦の戦術面へと移っていった……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 17時58分、第29層SE6『縦坑』より、36機の『時津風』と同数の『満潮』が、佐渡島ハイヴの最下層へと飛び出した。

「ほらほらほら~ッ! さっさとくたばんなさいよッ!!」

 大声で叫びを上げる水月に続いて、彩峰、神代、多恵、月恵、紫苑らB小隊に、武と沙霧を加えた8機の『時津風』が、長刀を振るいながら突進して進路を切り開く。
 そのすぐ後に続く、みちる以下、千鶴、遙、茜、葵、葉子らA小隊の『時津風』22機と『満潮』30機が、周囲のBETAを36mm突撃機関砲や、自律誘導弾、120mm速射砲などの砲撃で殲滅して行く。
 A小隊に属する機体の内、『時津風』17機と『満潮』30機は、自律制御による戦闘であったが、遙の繊細な管制によって効果的な砲撃を実施するに至っていた。
 最後尾には美冴に率いられた、美琴、壬姫、祷子、晴子、智恵らのC小隊が、『時津風』6機で試製50口径120mmライフル砲を続け様に放ち、突撃級や要塞級など装甲の硬いBETAを狙撃していく。
 そしてその『時津風』各機の背後には1機ずつの『満潮』が控え、弾薬をフル装填した120mmライフル砲を主腕で保持し、何時でも交換に応じられるように備えていた。
 A-01が大小合わせて500体前後のBETAを排除して『大広間』直前の曲がり角まで到達した時、『大広間』から1万体近いBETAが殺到してきた。

「よしッ! まずは此処までだ、下がるぞッ!」

 みちるの、命令一下、速やかに後退を開始するA-01各機。そして、随伴する『満潮』36機は、各機4発ずつ、合計144発の投擲地雷を置き土産として放り出していく。
 同時に、自律誘導弾連射コンテナを装備した15機の『満潮』はクラスターミサイルを連続発射。第29層へと退避するまでに、各機8発、合計120発を放った。
 殿を務めるC小隊は、天井や側壁を伝って来るBETAへと砲撃を行い、急迫してくるBETAを次々にこそぎ落とす。
 A-01がSE6『縦坑』に飛び込むと、追って来たBETA群はその殆どが『縦坑』には進入せずに、すごすごと『大広間』へと戻っていった。
 『大広間』には到達出来なかったものの、この突入でA-01は、大小合わせて約1500体のBETAを撃破した。

「よしっ! 今度は我等の番だ。抜かるでないぞッ!!」

 A-01が第29層へと撤退したのに合わせて冥夜の命が下り、今度はSW5『縦坑』から第16大隊の操る『朱雀』36機と同数の『満潮』が、A-01と入れ替わりに最下層へと突入した。
 第16大隊も、やはり『大広間』の手前で1万体近くのBETAに迎撃され、第29層への撤退を強いられた。
 しかし、今度は第16大隊の撤退と入れ替わりに、斯衛軍第5連隊所属の、第13大隊がNW6『縦坑』から最下層へ突入。
 さらに第14大隊がNE7『縦坑』から第13大隊と入れ替わりに、その第14大隊の次にはSE6『縦坑』から第15大隊が突入した。
 何れも『大広間』には到達出来なかったものの、各隊が1000~1500体程度のBETAを撃破していた。

 その後も5つの部隊は、代わる代わるに最下層へと突入を繰り返した。
 突入路として選ばれた4本の『横坑』には、初回の突入で撃破されたBETAの死骸が散乱し、2度目以降の突入では、それが障害物となってBETAを殲滅する速度が低下する。
 それでも、突入が2巡すると、10回の突入で合計1万体近くのBETAを殲滅し、最下層に立て籠もるBETAは3万体まで減少していた。

(よし、今の所順調だな。同時に突入すれば、制圧に掛かる時間は減るけど、休憩を挟みながらこのローテーションで攻撃をあと20回ほど繰り返して、残存BETAを1万5千位まで漸減しよう。
 その後、斯衛軍第15大隊を予備戦力として、残る4部隊で同時に4方向から『大広間』を攻める。
 そうすれば、各隊平均で4千体程度を相手にすればいい事になる。
 迎撃に上がってきたBETA群に偏りがあれば、BETAの多いルートは誘引しつつ一時撤退させて、BETAの少ないルートから『大広間』に侵攻すればいいよな。
 焦る必要は無いんだ……着実にBETAを倒していけば、後3時間もかからずに最下層からBETAを駆逐できる!)

 武は、ともすれば一刻も早く制圧を急ごうとしがちな自分を自制する。
 警戒に警戒を重ねてきた支配的因果律も、事ここに至っては、最早この作戦に効果のある事象を発生させる事は不可能であるように思われた。
 それでも、武は万が一に備えて、着実な方法を選択し続けていたのであった。

「こちらHQ。A-02、秘匿回線による協議は可能か?」

 三度A-01が突入を開始したところへ、HQのピアティフから通信が入り、秘匿回線による協議を打診してきた。
 ハイヴ内の進攻ルートに設置してきたデータリンク中継気球と、『凄乃皇弐型』や複座型有人戦術機に搭載された中距離データリンク増幅システムによって、ハイヴ最下層でも広域データリンクとの接続は、今の所正常であった。
 ちょうどA-01の一員として、最下層での戦闘に参加していた武は、この攻勢が終わり、第29層に後退する時刻を予想して指定する。

「こちらA-02、7分後が望ましい。緊急か?」

 しかし、ピアティフの声音に、過度の自制を感じ取った武は、緊急か否かを問い合わせた。

「―――HQより、A-02。緊急ではありません。では、19時07分に秘匿回線を接続しますので、協議に備えておいてください。以上です。」

 だが、ピアティフは緊急性を否定すると、武の申告を基にゆとりを取った時刻を指定して、通信を終えた。
 武は、首を傾げながらも、応じる。

「―――了解。19時07分よりの協議に備える。以上。」

 意識を自身が操る『時津風』に戻し、前方に横たわっていた突撃級の死骸の影から飛び出してきた要撃級を、長刀で一刀両断にして退けたものの、武は自身の腹の底に渦巻く底知れぬ恐れを感じ取っていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 時は遡って、18時03分、国連軍横浜基地の第2滑走路に、米国陸軍第66戦術機甲大隊所属の『ラプター』36機が着陸していた。

「―――諸君の北九州での活躍は、既に私も聞き及んでいる。誠にご苦労だった。
 これより、87式自走整備支援担架36台を差し向けるので、整備補給を存分にするといい。
 その後、20時00分まで、当基地地上施設の指定区域を使用した休息を許可する。
 じっくりと身体を休めた後、母艦へと帰投するがいい。」

「はっ! ラダビノッド基地司令官閣下のご配慮に感謝いたします!」

 通信越しに、ラダビノッドの言葉に敬礼して礼を述べると、ウォーケンはラダビノッドの答礼を待って回線を閉じた。
 そして、部隊内データリンクのオープン回線で、部下達に話しかける。

「よし、みんな聞け! これより、国連軍の整備支援担架を使用して、『ラプター』の整備と補給を行う。
 それが済み次第、1個中隊を機体の警備に残した上で、交代で休息を取る事とする。
 ラダビノッド横浜基地司令官閣下のご好意により、PXや地上施設の一部が解放された。
 京塚曹長の美味い食事にありつけるぞ。感謝して行儀良く過ごすんだぞ?
 最初の警備は第3中隊。30分後に、第2中隊と交代。その更に30分後に第1中隊が警備に当たる事とする。
 ―――よし。それでは補給と整備を開始せよ!」

『『『 ―――了解! 』』』

 『ラプター』は米国の最新鋭機である為、国連軍の整備兵にも触らせる訳にはいかなかった。
 その為、提供された87式自走整備支援担架を使用して、衛士自身の手で簡単なチェックと整備を行い、推進剤や燃料、弾薬などを手早く補給していく。
 ウォーケンも愛機のチェックと整備を終え、補給も終了させて数時間ぶりに管制ユニットから地上へと降り立った。

「早いな、テスレフ少尉。」

 ウォーケンの『ラプター』の足元には、既に自機の整備補給を完了させたイルマが立ち、直属の上官であるウォーケンが降りてくるのを待ち受けていた。

「私の機体は、特に問題もありませんでしたから。それより、よろしかったら、夕食に行きませんか?
 京塚曹長の料理が楽しみです。」

「む―――そうだな。日本では既に自然食材が払底し、国連軍基地でも合成食材が使われていると聞いていたが、この基地の食事は、我等が母艦で出る食事よりも数段美味だからな。」

 イルマの誘いに頷きながら、ウォーケンは顎に手を当てて、なにやら考え込みながら解説を始める。
 その様子に微笑を浮かべて、イルマは言葉を返した。

「そんな、面倒くさいことを考えなくてもいいでしょう? 損害も無く作戦を完遂して、母艦に戻る前に美味しい食事が取れるんです。
 それだけで、十分だと思いませんか? さ、食べ損ねないように、早くPXへ行きましょ。」

 部隊内データリンクで、部下達の整備と補給が殆ど終わりかけている事を確認したウォーケンは、イルマと連れ立って『ラプター』が一時的に駐機している第2滑走路の一角を後にした。
 イルマの言う通り、今回の作戦は実戦でありながら、損害らしい損害も無く完遂された。
 それは、指揮官であるウォーケンにとって、この上なく喜ばしい事である。
 ウォーケンにとっては、この日の任務は既に終わったも同然であり、佐渡島で今も尚行われている、大規模作戦に思いを馳せる事は全く無かった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時07分、佐渡島ハイヴ第29層SE12『横坑』に位置する『凄乃皇弐型』の管制ブロックで、武は秘匿回線のコールに応じた。
 通信回線の接続と同時に、網膜投影で夕呼の通信画像が表示された。
 背景から察するに、HQに隣接する機密区画のようである。

「夕呼先生、協議って一体なんで―――「白銀。」―――え?」

 武は、夕呼に言葉を遮られて目を丸くした。そんな武に夕呼は真剣な表情で告げる。

「まずは、あたしがこれからする状況説明を、冷静に聞きなさい。
 ―――本日18時26分、国連軍横浜基地との通信が途絶。そして、18時57分。
 ………………観測衛星によって、横浜基地のBETA反応炉の機能停止が確認されたわ。」

 横浜基地のBETA反応炉の停止、それは00ユニットである武にとって、正に死の宣告に等しかった―――



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**** 03月22日涼宮遙誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話16 ****
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どこかの確率分岐世界
2013年03月10日(日)

 12時28分、国連太平洋方面第11軍横浜基地の講堂、その演壇に横浜基地司令官パウル・ラダビノッド准将の第2種礼装に身を包んだ姿があった。
 ラダビノッド基地司令は背筋を伸ばし、朗々たる声で言葉を紡ぎ出していた。

「―――この良き日に祝辞を述べるに当たり、些か迂遠ではあるものの、昔日を振り返ることをどうかお許し願いたい。
 私が、当横浜基地の司令官として赴任した2000年当時、世界は正にBETAに飲み込まれ押し潰されようとしていた。
 若者たちの多くが戦場にその命を散らし、世間には絶望が染み付き、明るい未来などは思いを馳せる事さえ珍しいような、暗澹たる時代であった。
 しかし、翌2001年には転機が訪れ、人類はBETAに対する反攻を開始し、周知の如く当時25を数えたBETAハイヴも、今や甲7号目標―――スルグートハイヴを残すのみとなった。
 この人類反攻作戦において、我が横浜基地所属のA-01旅団は、1997年の発足以来BETA大戦の最前線で常に戦い続けて来た。
 連隊規模で発足したA-01は、戦況厳しい2001年までの苛烈な戦闘に於いて多くの所属衛士が命を落とし、一時は中隊定数をすら割り込むほどの苦境に追いやられていた。
 しかし、A-01は不屈の敢闘精神によって戦い続け、人類反攻の尖兵として、人類社会に対し多大な貢献をもたらし続けてきたのである。
 そして、本日人生の新たなる門出を迎えた新婦等4名は、その全員がこの栄誉あるA-01に所属し、オリジナルハイヴ攻略を初めとする多くのハイヴ攻略に従事してきた衛士である。
 人生の先達であるはずの我等は、彼女等に戦争を教え、戦場に送り出す事しか為し得なかった。
 しかし、彼女等は自らの手で未来を切り開き、世界に平穏を取り戻し、今日の己が幸せを自らの手で勝ち取ったのである。
 戦場に於ける軍人―――衛士としてではなく、1人のたおやかな女性としての幸せを、愛する者と結ばれる日を、自身の手と数多の戦友等の力で勝ち取った事は、彼女等が等しく誇りとするところであろう。
 BETAとの長きに亘る戦いに於いて、礎と成りし英霊達も、彼女等のこの門出を挙って(こぞって)祝福しているに相違ないであろう。
 また、新郎である3名も、軍人として戦場に赴く事こそ無かったものの、医師として多くの人々を救う為に、銃後に於いて戦ってきた立派な男達である。
 彼等の貢献もまた素晴らしいものであり、これより後、彼女等と良き家庭を築くに相応しい男(おのこ)であると言えよう。
 御列席の紳士淑女のみなさん。どうか新郎新婦等に祝福を。
 そして、彼らが幸せな家庭を築き、今日までの貢献に相応しい幸福を得られん事を、私は切に願うものであります。
 ―――速瀬水月中佐、涼宮遙中佐、涼宮茜少佐、築地多恵大尉、そして、館花三郎軍医少佐、館花一郎医師、館花二郎医師。
 諸君の未来が、平和と幸福の内に紡がれん事を。ご成婚、誠におめでとう。」

 ラダビノッド基地司令が祝辞を終えると、ウエディングドレスとタキシードに身を包んだ新郎新婦等7名が深々と頭を下げ、来賓達からは万雷の拍手が鳴り響いた。

 この日、講堂には華やかな飾りつけがなされ、多数の椅子やテーブルが運び込まれ、照明器具や音響設備が設置され、立派な結婚披露宴会場と化していた。
 講堂内には涼宮家、速瀬家、築地家、館花家の親族達を初めとして、横浜基地司令部の将校や、A-01旅団の指揮官達、医療部第0研究室―――通称モトコ研の軍医や衛生兵、立花総合病院の医師や看護士などが参列し集っていた。
 さらに、斯衛軍と帝国陸海宙軍、内閣府からも来賓が招かれていた。
 私的な祝宴であるとは言え、日本帝国に多大な貢献を果たし、英雄として讃えられるA-01旅団、それも『イスミ・ヴァルキリーズ』の一員である古参衛士18名の内の4名が合同で結婚披露宴を行うとあって、帝国の政界も無視は出来なかった。
 度重なる海外派兵と新装備や戦術の教導で親交を深めた各軍の将校達も、任務をやり繰りして多数出席している。
 帝国本土防衛軍の将校が居ないのは、帝国周辺に位置するハイヴの攻略が進み、BETAに対する国土防衛よりも地球奪還に於ける海外派兵の比重が上がった為、2008年を以って陸軍に統合された為であった。

「う~ん。なんでこんな大事になっちゃったんだろう。」

 純白のウェディングドレスに身を包んだ遙は、夫となった館花一郎の左腕に手を絡ませ、寄り添って立ちながら小声で呟いた。

「え?…………弟達からは、原因は君だって聞いてるけど?」
「えぇ~! なんで私の所為になってるのかなぁ?」

 遙は驚愕しているが、事実は一郎の言う通りであった。
 遙と一郎、水月と二郎、茜と三郎と多恵の3組で、結婚式と披露宴を一緒に済ませてしまおうという話は、数年前の婚約当初からしていた話であった。
 しかし、当初は親戚筋とA-01や研究室、そして病院の親しい仲間だけ呼んで、ささやかに祝えれば十分だと7人全員が考えていた。
 それが、横浜基地を上げての盛大な披露宴になってしまった直接の切っ掛けは、遙が中央作戦司令室でピアティフを招待しようと話しかけた事にあった。
 A-01旅団に新設された戦域管制班の班長でもある遙は、横浜基地のCP将校達と共に中央作戦司令室に詰めて、各種管制や調整、情報交換をする事が多かった。
 またオルタネイティヴ4直属部隊と言う事もあり、ピアティフの世話になることも多かった為、挙式が現実味を帯びたところでつい気軽に話をしてしまったのである。

 この時、ピアティフが少々大げさに祝いの言葉を述べた事もあり、遙を初めとして水月、茜、多恵の4人が結婚するという情報は、あっという間に横浜基地司令部所属のCP将校全員に広まった。
 そして、この噂がラダビノッド基地司令の耳に届いた時、全ての様相が劇的な転換を遂げる事となる。
 若者達に戦いのみを強いてきたという慚愧の念を、長年に亘って抱えてきたラダビノッド基地司令にとって、A-01の衛士として10代の頃から戦い続けて来た水月や茜、多恵、そして、彼女らと共に戦場に出て、戦域管制として部隊を支えてきた遙が結婚するという知らせは、この上なく喜ばしいものであった。
 それ故に、ラダビノッド基地司令は直ちに調査を命じ、収集された情報から介入する口実を捻り出す。

『A-01の主要人物が一堂に会する当該結婚披露宴は、万全の保安態勢の下で行われねばならない。』

 それこそが、ラダビノッド基地司令の口実であり、以降この結婚披露宴の計画は当事者達の手を離れ、ラダビノッド基地司令直属のプロジェクトチームによって推進される事となった。
 その結果、ラダビノッド准将自身が主賓となって、横浜基地を上げての盛大な披露宴が行われる事となったのである。
 日本帝国の4軍と、政界への根回しも横浜基地司令部から行われた。
 横浜基地で唯一ラダビノッド基地司令を掣肘できる夕呼が、この件を面白がって黙認し、不干渉を宣言してしまった為、遙以下、水月、茜、多恵、館花軍医の全員が武に泣き付く事となった。
 その後、武の必死の交渉により、当事者達の意思が幾らかでも反映される事が叶ったのは、僥倖であった。

 が、その様な経緯を全て忘却したかのように、遙は首を傾げている。
 この事を水月や茜が耳にすれば、呆れと諦めを綯い交ぜにした表情を見せ、新たなる伝説として語り継ぐに違いなかった。

「あ……マナマナだ……ちゃんと来てくれたのね。」
「ん? ああ、あの緑の髪の子か……」

 祝いの言葉をかけにきてくれた賓客を、丁寧にお辞儀をして見送った遙は、視線を転じてアクアマリンとピンクの2着のウェディングドレスが寄り添う一角に、緑の長髪を見出だして呟いた。

 三郎の所属する香月研究室付きの衛生兵として、愛美は蛍や文緒と共に、香月研究室に所属する軍医である三郎に対して、代わる代わるに祝辞を述べているようである。
 その傍らに立つのは、アクアマリンのウェディングドレスに身を包んだ茜であり、その茜の二の腕にしがみつく様にして立っているのが、ピンクのウェディングドレスを着た多恵であった。
 最も熱心に祝いの言葉を投げかけているのが蛍であり、文緒はどちらかと言うと、多恵をからかって楽しんでいるようだ。
 その2人の後方で、愛美が邪気の無い笑みを浮かべている様子を遠目に見て、遙は満足気な微笑を浮かべた。

 一時期、館花3兄弟を相手にストーカー紛いの行為を行っていた愛美だったが、よくよく事情を聞いてみたところ、愛美を救い想いを寄せられる発端となったのは一郎であったと判明した。
 その旨を三郎が愛美に伝えた結果、愛美が一郎に礼を述べに来る一幕があったのだが、警戒して同席した遙を他所に、愛美は礼儀正しく礼を述べた後、特に執着を見せる事無く立ち去っていった。
 その後、それとなく愛美の身辺を調査した遙は、愛美と親しいと思われる蛍と接触し、1年以上かけて親しくなった上で愛美について様々な話を聞きだした。
 その結果、一郎だけでなく、孝之にまで愛美が想いを寄せていた事を知った遙だったが、生前の孝之と愛美の間に殆ど接触が無く、愛美の片想いであったらしい事もあり、反感よりもその死を悼む者としての共感を、遙は愛美に対して感じるようになった。
 館花3兄弟に執着した事自体、孝之の面影を重ねた結果だと知った時には、自身が一郎に魅かれた理由の一端に、孝之の面影があったのだと自覚させられてしまった遙であった。

 茜と三郎、そして多恵が拡大婚姻法の適用を申請すると聞いた遙は、愛美と話す機会を設けた。
 しかし、既に愛美の想いが孝之のみに向いている事を悟った遙は、生前の孝之を偲ぶ想い出話をして愛美と別れた。
 それ以来、遙は愛美と蛍や文緒を交えて親交するようになり、今では蛍の呼び方が移ってマナマナと愛美の事を呼ぶようになっていた。
 今では、愛美の存在は遙に取って、自身の孝之への想いを委ねる対象となっているのかもしれなかった。

「おやおや、水月さんは余程あのケーキナイフが気に入ったんだな。ほら、まだ手に持っているよ?」
「え? 本当に?…………うわぁ、本当に持ってるよぉ……まあ、水月らしいって言えば、らしいんだけど……」

 真紅のウェディングドレスを見事に着こなした水月が、手にしたケーキナイフを祝辞を述べに来た直属の中隊長や小隊長に見せびらかしていた。
 ウェディングケーキの入刀に使われたそのナイフは、水月の強い要望により技術部が作成した特注品で、74式近接戦闘長刀の形状を正確に再現した物であった。
 どうやら、ケーキカットの後も、手放さずに居たらしい。
 流石に目立たないように持っていたのだが、ここで大っぴらに見せびらかしてしまった為、少なからぬ来賓がその事実に気付いてしまったようである。

 それでも、満面に笑みを浮かべて、瞳をキラキラと輝かさせている様子は、全力で周囲に幸せをアピールしている。
 その隣では二郎が苦笑を浮かべていたが、そんな水月も好ましく思っているらしく、水月を見詰める視線はこの上なく愛おし気なものであった。

「遙、少し休んだ方がいいんじゃないか? もう2時間も立ちっ放しで、疲れただろ?」
「え? ああ、心配してくれてありがとう。私もそれなりに訓練しているから、このくらいなら全然平気。
 ―――でも、ちょっと喉が渇いちゃったね。飲み物を貰って、少し椅子に腰掛けようよ。」

 一郎の遙の疲労を気遣う言葉に、笑って心配無用と告げた後、それでも遙は一郎を、休憩用に椅子が並べられた一角へと誘った。
 遙には、長丁場になるであろうこの披露宴で、新婦の中で最も体力の無い自分よりも、一郎達新郎3人の方が先に疲労困憊してしまうと予想していた。
 それ故に、気遣いを受け入れた振りをして、休憩する事にしたのであった。

 立食パーティー形式の披露宴も一段落し、当初の来賓も半分ほどが姿を消していた。
 この披露宴は2部構成となっており、新郎新婦達の入場から、ラダビノッド基地司令を初めとした貴賓からの祝辞、ケーキカットなど一通りのセレモニーが行われ、その後は、来賓どうしが自由に歓談し料理や飲物を楽しむ時間となっていた。
 退出は各自の裁量とされており、披露宴自体は夜まで続けられることとなっている。
 その為、新郎新婦達に祝辞を述べ、一通りの挨拶を終えた者や多忙な者から順に、会場を後にしていたのである。
 内閣府の政治家や、帝国4軍の高級将校らが退出していくに従い、披露宴の雰囲気は徐々に砕けたものに移り変わっていった。
 そして、15時を過ぎた頃から、横浜基地の要員達が、任務の合間に顔を出して祝辞を述べていくようになり、午後の勤務時間が終わるとA-01所属衛士や支援要員が勢揃いして、再び場が賑やかになった。
 この頃になると、新郎達3人はすっかり疲れ果ててしまっていたのだが、新婦達4人は新郎そっちのけで、気心の知れた仲間達と盛り上がっている。
 その様子を、壁際の椅子に揃って腰掛けた新郎達3人が、そっくりな顔に苦笑いを浮かべながら眺めていた。

「ふ~っ、流石に軍人だけあって、これしきの事じゃびくともしないらしいね、うちのお嫁さんたちは。」
「まあ、戦術機に乗って何時間も戦える訳だからな。体力じゃ到底叶わないよ。」
「兄貴達、ちょっと諦めが良すぎないか? 」
「そんな事言ってられるのは今の内だけじゃないのか? 何しろお前の家庭は戦乙女が2人も居るんだからな。」
「う~ん、でも茜ちゃんと多恵ちゃんなら、お互いにある程度相殺してくれそうな気もするな。そうなると―――」
「そうなると、水月さんが一番手強いってことかな?」
「いやいや、体力的な話をすれば、水月ちゃんが一番かもしれないけど、遙はあれで―――」

 すっかり傍観者と化した新郎達は、愚痴半分、惚気半分の会話をしていたのだが、遙について何かを言いかけた一郎が、突然ピタリと口を噤んだ。
 そして、一郎が恐る恐る隣の席を見ると、そこには小柄な女性が何時の間にか腰掛けていて、皿に盛られた料理を美味しそうに頬張っていた。

「―――天川さん、料理、美味しいのかな?」
「んぐんぐ……はいっ! 横浜基地の食事は何時も美味しいですがっ、今日の料理は格別ですっ! 天川さん、嬉しくてしょうがないですよっ!」
「―――そうか、それは良かったね。
 …………あー、話の途中だったな。何処まで話したんだっけ?」

 一郎は、隣に座る蛍に話しかけてから、やや顔を引き攣らせて、弟達の方へと向き直る。
 そして、途切れてしまった話の接ぎ穂を探そうとするが、それに対する応えは、背後から間髪置かずにもたらされた。

「水月さんと比べて、はるにゃんがどうかってとこまでですよっ! その続きは、天川さんも興味津々ですっ!」
「あ、ありがとう…………あー、遙は細やかな気遣いが得意だからな、あの4人の中でニコニコと笑っているだけに見えて、主導権を握っているのは遙かもしれないぞ。」
「―――そうですねっ! 天川さんもそう思いますっ!…………皆さん、体調が優れないようでしたら、天川さんがお力になりますからっ、遠慮なく言ってくださいねっ!」

 蛍はそう言い置いて、空になった皿を手にして立ち去って行った。
 それを見送って、三郎が口を開く。

「最近、遙さんは天川君と仲が良いらしいね。あ……天川君が、遙さんの所に行って何か話しかけているな……」
「あー、つまり……どういう事なんだ? 兄貴。」

 いまひとつ事態が把握できていないのか、それとも理解したくないのか、二郎が一郎に説明を求める。
 一郎は椅子から立ち上がりながら、弟の質問に答えた。

「つまりだな。放り出しているように見えても、奥さん達は俺達のことを気にしてくれてるって事さ。
 せめて、体力の続く間くらいは、隣に立ってる事にするよ。」

 そう言って、一郎は弟達を置き去りに、遙の元へと歩み寄っていく。
 それを見送ってから、二郎と三郎は顔を見合わせる。

「―――兄貴の奴、すっかり尻に引かれてるな。」
「しょうがないさ、相手が悪い。俺も茜の所に行く事にするよ。
 さもないと、多恵ちゃんに茜を取られちゃいそうだからね。」
「仕方ない、俺も行くとしよう。俺達には過ぎた嫁さん達だ。誠心誠意尽くすとするさ。」

 二郎と三郎は億劫そうに立ち上がると、それぞれの妻の下へと向う。しかし、その顔は溢れる喜びを隠しきれていなかった。
 何をどう言って見たところで、この3兄弟は自分の妻にベタ惚れしているのが明白なのであった。

「あ、大丈夫? 無理はしないでね?―――あなた。」
(!!!!!―――あなた……あなた……あなた……)

 最愛の妻に歩み寄り、遙に優しく声をかけられた一郎の思考は、たった1つの単語で埋め尽くされてしまった。
 その場に居合わせた人々は後に異口同音に語ったという。
 曰く、『あれほど、幸せそうに笑み崩れた男の顔は見たことが無い。』と―――

 因みに、翌日の新郎達3人は、体の節々を襲う痛みを耐え忍んでいたという。



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**** 04月01日鎧衣美琴誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話17 ****
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どこかの確率分岐世界

 満天の夜空には星が瞬き、満月は中天に差し掛かったその姿を、煌々と照らし出されていた。
 その美しさは、月面をBETAに占領されている事など欠片さえも匂わせずに、今日も夜空に座を占めている。
 そして、月明かりの元、国連軍横浜基地衛士訓練学校の、校舎裏にある丘を目指して歩く美琴の姿があった。

「あ、タケルぅ!」

 美琴は、丘の頂上に植えられた木の根元に武の姿を認めると、右手を振りながら駆け寄っていく。

「美琴! 悪いな、こんなとこまで呼び出しちまって。」

「ううん! このくらいなんでもないよっ! それより……ボクだけをこんなところに呼び出すなんて、何の用かな?」

 美琴は、胸の前で両手を揉み合わせるようにしながら、武の双眸をじっと見詰めて問いかける。
 武は、その視線から目を逸らすと、丘から一望できる荒れ果てた故郷の町並みへと視線を転じた。

「―――なあ、美琴。オレがこの町の出身だって話はしたよな。」

「え?……う、うん。」

 武の言葉の内容に、美琴は眉を寄せながらも頷いて答えた。

「その所為もあってさ、オレにとってこの丘はなんていうか、大切な場所なんだよ。
 今日は、お前に大事な話があってさ…………けど、ちょっとまだ迷いも振り切れなくてな。
 ―――だから、オレ自身の気持ちを整理するのに、ここまで来てもらったんだ。お前には悪い事しちまったけどさ。」

「そ、そんなの気にしなくって良いよ。そ、それより、大事な話って……なに?」

 武の真剣な、そして心のこもった言葉に、美琴は不安と期待を心中で膨らませていく。
 そして、武は鼻の頭を人差し指で軽く掻きながら、言い難そうに途切れ途切れに言葉を紡いでいく。

「その……なんだ……美琴、オレ……お前に―――」

 その様子に、美琴の心中の天秤が一気に期待の方へと傾き、さらには勢い余ってグルングルンと回り始め、やがては猛烈な勢いでプロペラの様に回転し始める。
 そして、その暴走したエネルギーは1つの結論を導き出した。

「も、もしかしてプロポーズ?! 告白?! ねえねえ、そうなんでしょ?! や、やだなあタケルって意外と強引なんだね!!
 え~、こまったなぁ、ど、どうしよう。返事は何時までにすればいいの?」

 感激のあまり、目をぎゅっと瞑り、満面の笑みを浮かべた美琴は、上半身をくねらせながら言葉を発する。

「え? ちょ、ちょっと、何言ってんだ美琴!? おいっ、オレの話を聞けってば……」

 武が慌てて話しかけても、既にその声は美琴の脳内に浮かぶ妄想上の武の言葉に上書きされてしまい、美琴の意識には届かない。

「そんなに急かさないでよタケル! 勿論ボクの返事はOKだけど、こういう事はちゃ~んと時間を置いてから応えるのがいいとおもうんだ。
 それにボク達、任務だってあるし……」

 武は、美琴に自分の言葉が届いていないと確信すると、美琴のうわ言のような言葉は一切無視して、すぅ~っと息を吸い込んでから大声を発した。

「鎧衣少尉ッ! きょぉお~~~付けぇ~~~ッ!!」
「はッ!」

 号令と共に、直立不動になる美琴。この辺は、訓練で繰り返し刷り込まれている為、美琴でも脊髄反射の域にまで達していた。

「美琴、大事な話なんだ、しっかりと聞いてくれ。実はお前に、オレの特殊任務の一部を手伝って欲しいんだ。
 色々と考えてみたんだが、A-01の中ではお前が一番適任だと思う……」

 真剣な顔で自分の両肩に手を置いて、話しかけてくる武に、美琴は両目をぱちくりさせる。

「……タケル?」

「―――美琴、頼む! オルタネイティヴ4直属の諜報員になってくれッ!」

 武の言葉に、美琴は両方の瞳を極限まで見開いて驚愕の声を上げた。

「ええ?! ちょ、諜報員って……スパイぃい~~~~ッ!!!」



 場面は変わって、ここは米国西海岸のとある寂れた港町。

 夜霧に包まれた埠頭に、絞り込まれたエンジンの響きが届いた。
 やがてその音は徐々に大きくなっていき、夜霧を掻き分けてゴムボートが姿を現すと埠頭へとその身を寄せた。
 ボートからは、舫い綱(もやいづな)を手にした1人の男が現れ、埠頭へと上がってゴムボートを係留する。
 係留を終えた男は立ち上がると、そのまま振り返りもせずに背後へと声をかけた。

「よう、約束の時間どおりだろ? ブツはいま持って来るから、ちょっと待っててくれ。」
「―――手早く頼む。」

 背後からの声に片手を上げて答え、男はゴムボートに戻ると旅行用トランクを1つ抱えて来た。
 そして、埠頭の上で傍らに置いたトランクに手をかけると、改めて相対した人影に押し殺した声をかける。

「ブツはこれに入ってる。そっちは、ちゃんと用意できてるんだろうな?」
「これだ、そっちに滑らす。内容を確認してくれ。」

 打てば響くように人影は答え、スーツケースを埠頭に置いて、男の方へと足で蹴って滑らせた。
 男はスーツケースの中身をフラッシュライトの灯りで照らし、米ドル紙幣が詰まっている事を確認すると、トランクを押しやって埠頭の上を滑らせた。

「中身の確認をするかい?」
「いや、いい。お前はそんな危ない橋は渡れないはずだ。だからこそ、お前に依頼したんだからな。」
「けっ! ほっときやがれってんだ。じゃ、俺は行くぜっ! あばよ!」

 男はゴムボートの係留を解き、ボートに飛び乗ると、そのまま夜霧の中へと姿を消した。
 それを見送った人影は、踵を返して埠頭を戻ろうとして足を止める。

「ふぅん。もう少し、何人か経由するのかと思ってたよ。
 ―――ちょっと、ボクらを嘗めすぎてるんじゃない? それとも、最近は予算でも減ってるのかな?」

 声を発した人影は、トレンチコートの襟を立て、中折れ帽を目深に被り、その背中を街灯の細身の柱へと預けていた。
 両手はコートのポケットにしまわれており、威圧感はおろか、気配すらも非常に希薄であり、背景に溶け込んでしまいそうな佇まいであった。

「ッ!―――鎧衣の娘か……」

 トランクを手にした人影―――中年の男は、突然発せられた声の主を見て忌々しげに吐き捨てた。

「あ~あ~。昔の千鶴さんの気持ちが、今になって良く解るよ。親が有名すぎると、中々自分自身を評価してもらえないものなんだね。
 まあ、ボクは別にこっちの世界で名前を売ろうだなんて、思ってはいないけどさ。」

 トレンチコートの人影―――美琴は、人差し指を中折れ帽の折り目に沿わせるように右手で押さえ、目深に被っていたそれをクイッと持ち上げて、不敵な笑みを浮かべた貌を露わにした。
 桜花作戦の後に、実父である鎧衣左近から送られた、何処の物とも知れない木彫りの人形を受け取ってから、美琴の背は急に伸び始め、今では170cm近くになっていた。
 ところが、その身長と引き換えになったかのように、美琴の過度にスレンダーな体型は一向に丸みを帯びる事が無く、背が伸びた分だけ、その『細さ』が際立つ事となってしまっている。

「―――む! その体型……息子だったのかッ!」

「…………いい加減にしないと、思いっきり殴るよ? ボクだって、ボクだって気にしてるのに…………」

 そう言って、コートのポケットから右手を出して拳を握って見せる美琴。その顎と手首にはプロテクターの様な物が装着されており、知っている者が見れば、衛士強化装備を装着している事は一目瞭然であった。

「―――いや、それは遠慮しておこう。しかし、君は国連軍横浜基地の所属だと聞いているのたがね。
 一体全体、どうしてこんなアメリカの片田舎に来ているのかな?」

 忌々しげに美琴と言葉を交しながら、トランクをしっかりと握り、中年の男は周囲の気配を注意深く探る。
 男には、目の前の美琴以外には、人影も、誰かが隠れているような気配も感じ取れなかった。

「ほんとはねぇ~、ボクだって、こんなとこなんて来たくは無かったんだ。どうせなら、ハイチとかだったら良かったのに。
 ―――あ、ねえねえ、腕の良いヴードゥーの呪い師、知らない? もし知ってたら教えてくれないかなぁ?
 ボク、ちょっと悩みがあってさ。相談してみたい事があるんだよ~。」

 そんな中年の男が発するシリアスな雰囲気など何処吹く風で、得意のマイペースで、気の向くままに話を脱線させる美琴。
 無論、男がそんな下らない戯言に耳を貸す筈がなかった。

「ちっ、勝手にほざいているがいい。私は君ほど閑じゃないんだ。これで失礼するよ。」

 そう言って、男はトランクを押しながら歩き始める。そんな男に向けて、美琴の言葉が降りかかった。

「あっ、そうだったね……ボクがどうして此処にきているのかだっけ?
 やだな~。そのトランクの中身を追っかけて来たに決まってるじゃない。
 その中身、横浜製でしょ? ちゃんと代金払った? 踏み倒そうとすると高くつくよ?」

 その言葉に、男の足が再び止まり、こめかみの辺りから冷や汗がたらりと流れ落ちる。

「……なんの話か、解らんな。このトランクは私の物だ。買い求めて代金を払ったのが、何年前だったかすら思いだせんがね。」

「だからさ、中身の話だって言ってるじゃない。ちゃんと人の話は聞かないと駄目だよ~。
 ま、いいや~。ヴードゥーの呪い師も知らなそうだし、今晩の所は見逃してあげるよ。」

 美琴がそう言うと、更に警戒を強めながらも、男は再び歩き出す。
 そして、美琴の前を通り過ぎようとした、その時―――

「―――でもね。その中身の代金は、近々取り立てに行くからね。
 ………………だから、それまでにヴードゥーの呪い師でも探しといてよ。ね、お・ね・が・い。」

 自身に向けられた美琴の言葉に一瞬だけ硬直した男だったが、忌々しげに美琴を睨みつけると、そのまま、今度は足を止める事無く、暗がりへと姿を溶け込ませていった。

「……行かせちゃって良かったの? ミッキー。」

 見送るでもなく、中折れ帽を目深に被り直す美琴に、何時の間にか美琴の背後に現れたブロンドの美女が小声で話しかけた。

「ケリーさん? いいよいいよ、今回はあれが他所に流れないかの追跡調査だし、タケルからはプレッシャーだけかけとけって言われてるだけだからね。
 タケルが言ってたんだけど、あれにはウィルスが仕掛けられてて、焦って解析しようとすると、楽しい事になるらしいよ。
 それに、ちゃんと足跡追わせてるんでしょ?」
「もちろん。」
「ならいいよ。運び屋の身柄も、今頃は確保したところかな?」
「ええ。ついさっき連絡が入ったわ。」
「じゃあ、問題なしだね。」
「あたりまえよ。」

 手短に状況の確認を済ませた美琴とケリーは、ハイタッチをして、笑みを交した。

「じゃ、手の空いてるエンジェルズを集めて食事にでも行こうか。
 ボクはどうせこれからとんぼ返りだからね。もうお腹ぺっこぺこだよ。」
「やったぁ~! じゃあ、案内するわね……っと、その前にそれ着替えないとね。
 さすがにその格好で、お店に入る気は無いでしょ?」
「うん。じゃあ、ちょっとその辺で着替えてくるよ。」

 美琴はそう言って、手近な暗がりへと姿を消した……



2010年4月1日(木)

 05時41分、B8フロアの美琴の部屋に侵入者の姿があった。
 その人影は、ベッドで安眠を貪る美琴に歩み寄ると、両手を美琴の首へと伸ばし―――

「鎧衣ッ! さっさと起きなさいってば!! 点呼に間に合わなくなるわよ?!」

「へ?!…………あ、千鶴さん、おはよ~。
 あ、聞いてくれる? すっごく楽しい夢を見たんだ~。」

 美琴は、何度か目をぱちくりさせた後で、自分の首の両脇に両手を付いて、耳元に顔を寄せ声量を押さえて怒鳴りつけた千鶴に挨拶をした。

「おはよ~じゃないわよ。あなただって、もう小隊を預かる身なんだから、示しが付かなくなるような事はやめてちょうだい。
 まあ、自分で寝坊を警戒して、私に頼んでおくだけましだけど……
 それに、人に起こしてもらっておいて、夢って何よ夢って……」

 左手を右肘に当てて、右手の人差し指をピっと顔の前で立てた千鶴は、お説教モードで話し始める。

「うわっ、ちょっと、千鶴さん、時間無いんだよね? 今はお説教は勘弁してよ~。」

「……仕方ないわね。じゃ、あたしは自室に戻るわ。―――あ、鎧衣、あなたすっごく楽しそうな寝顔してたわよ。
 余程楽しい夢だったみたいね?」

 千鶴の問いに、暫く考え込んでから、美琴は満面の笑みで応える。

「うん! 結構楽しい夢だったよ。これがまた、ちょっとスリリングで―――」

「あ~、今はいいわ。後でゆっくり聞かせてちょうだい。
 いくら特殊任務で出かけてたからって、あまり規律を乱すような事はしないでよね。」

 千鶴は、そう言い置いて部屋を出て行く。
 その後姿が消えた後で、美琴は小声でぼやいた。

「…………でもねぇ、千鶴さん。西海岸からとんぼ返りしたから、時差ぼけがあるんだよ~。
 東回りで向こうに行った時よりはましだけどね。ふぁあ~。
 ほんと、夢みたいな話だけど、これがボクの現実ってやつなんだよね。
 さ、点呼が終わったら、タケルに報告に行かなくっちゃ……」




[3277] 第72話 甲22号反応炉破壊命令
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/21 17:45

第72話 甲22号反応炉破壊命令

2001年12月25日(火)

 18時21分、国連軍横浜基地1階のPXでは、夕食を終えたウォーケンとイルマがゆったりと食後の会話を交していた。
 が、その憩いのひと時は、儚く消し飛ばされる。―――最悪の警報によって。

「―――防衛基準態勢1発令―――即時防衛態勢へ移行せよ!
 ―――防衛基準態勢1発令―――全戦闘部隊は即時防衛態勢へ移行。準備の整った者から、所定の配置にて敵の襲撃に備えよ!
 現在、当基地にはコード991(BETA識別警報)が発令されている。各員BETAの出現に備えよ!
 ―――繰り返す。各員BETAの出現に備えよ!!」

 基地内に警報が鳴り響き、施設内放送が危急を告げた。後方の基地である筈の横浜基地に於けるコード991の発令。
 それは正に驚天動地の出来事であった。

「ウォーケン少佐!」
「よし、米国陸軍第66戦術機甲大隊各員は直ちに『ラプター』に搭乗せよッ!
 繰り返す、米国陸軍第66戦術機甲大隊各員は直ちに『ラプター』に搭乗せよッ!
 状況確認と、対応を策定するのはその後だっ!!」
『『『 ―――了解! 』』』

 イルマの声に、ウォーケンは自らも駆け出しながら、部下達へと指示を下す。
 目指すは、第2滑走路に駐機している愛機であった。
 その後方を、イルマを先頭に部下達が追従してきていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時27分、第2滑走路脇に駐機された『ラプター』の管制ユニットでは、ウォーケンが少なからぬ焦燥に襲われていた。

「HQ、応答せよ! HQッ!!………………くそ、駄目か……」

 ウォーケンは、横浜基地HQへの呼び掛けを中断すると、暫し黙考した。
 ウォーケンが『ラプター』に戻るまでの間に、HQから作戦参加依頼が為されていた。
 その概略は、米国陸軍第66戦術機甲大隊に、横浜基地地下最下層で稼動しているBETA反応炉破壊を任務とする、戦術機甲部隊の護衛して欲しいとの内容であった。
 ウォーケン達米軍は横浜基地の指揮下に属して居ない。それ故に作戦参加依頼は要請にすぎず、ウォーケンは断る事もできた。
 しかし、今やXM3や対BETA戦術構想など、BETA大戦に於ける新機軸を、この横浜基地は数多く生み出している。
 それを思うと、ウォーケンとしても可能であればこの基地の壊滅は避けたかった。
 ウォーケンは要請を受け入れることを即断し、関連情報のデータ送信を依頼しつつ、『ラプター』へと急いだ。
 しかし、着座調整を終えたウォーケンが、再度HQに通信を繋ごうとしたところ、呼び掛けに一切の応答が無かったのだ。

 暫し黙考した後、ウォーケンは送信されていた作戦データに付記されていた接続コードで、横浜基地の広域データリンクに接続する。
 すると、HQには既に壊滅のマーカーが表示されており、その周辺にBETAのマーカーも表示されていた。
 どうやら僅かな時間の間にBETAの侵攻を許してしまったようだと、ウォーケンは判断した。
 幸い、HQは壊滅する前に基地所属の各部隊に作戦命令を下しており、現状では各部隊指揮官がその作戦命令に従って行動しているようであった。

 現在、横浜基地を襲撃しているBETA群は、本来は研究用に捕獲されていたという、大小併せて500体程のBETAであった。
 500体の内訳は、突撃級と要撃級が50ずつに、戦車級が100、兵士級、闘士級が150ずつといったところである。
 本来ならば、この程度のBETAであれば、殲滅も不可能ではない。
 が、今回に限っては問題が2つあった。
 一つは、基地内の保管施設から侵攻を開始している捕獲BETAは、既に基地施設各所に浸透してしまった上で、反応炉を目指していると思われること。
 そして、もう1つ。甲21号方面から、師団規模のBETAが横浜基地目指して侵攻してきているという状況であった。

 殊に、甲21号方面からのBETAは、『甲21号作戦』に戦力を抽出されて薄くなっていた第二防衛線を地中侵攻で突破し、北関東絶対防衛線すら越えようとしているらしい。
 この状況下では、帝国軍のBETA阻止戦力は帝都防衛に回される。
 必然的に、横浜基地は所属戦力で防衛するしかない訳だが、A-01以外にも所属戦術機甲部隊の中核を担う精鋭1個連隊は、『甲21号作戦』に投入されており出払っている。
 しかも、対BETA戦術構想の装備群も、『甲21号作戦』と九州防衛線に全て配備してしまい、基地には殆ど残されていなかった。
 この為、残存戦力でのBETA撃退を断念した横浜基地HQは、BETAが目指しているであろう反応炉の破壊を決定。
 第7戦術機甲大隊にS-11による反応炉爆破を下命した。
 ウォーケンらが依頼されたのは、この第6戦術機甲大隊の護衛であった。

「ウォーケン少佐。秘匿回線の使用を許可してください。」

 ウォーケンが判断に迷っていると、イルマからの通信が入り、秘匿回線の使用を要請してきた。
 ウォーケンは、何事かと思いつつも、秘匿回線の使用を認めた。

「よし、秘匿回線の使用を許可する。―――どうした、テスレフ少尉。」
「ウォーケン少佐、封緘(ふうかん)命令書1208を開封なさってください。解除コードはITMGGMです。」
「む―――解った、そのまま暫く待て。………………これは!」

 秘匿回線を接続したウォーケンに、イルマは開封に解除コードを必要とする、封緘命令書ファイルの閲覧を要請してきた。
 直属小隊の副官とは言え、少尉にすぎないイルマが何故封緘命令書の解除コードを知らされているのかを疑問に思いつつも、ウォーケンは開封した命令書を読み、その内容に驚愕した。

「イルマ・テスレフ少尉の独自行動を容認しろだと?…………そうか、テスレフ少尉、君はラングレーの工作員なんだな?」

 不審げに眉を顰めたウォーケンは、しかし直ぐにその命令書の意味するところを理解した。
 ウォーケンは表情を押し殺してイルマに確認するが、イルマは寂しげに笑ってから、真剣な表情で自分に許される精一杯の返答をする。

「それに関しては、否定も肯定も致しません。私が申し上げられるのは、難民キャンプに居る私の家族の処遇が掛かっている事と…………
 ウォーケン少佐、あなたが私のような難民出身の志願兵にとって、得難い上官であるという事だけです。」

 言葉少ななイルマの返事に、ウォーケンはイルマの苦しい立場を理解した。

「―――なるほど、命令とあれば是非もあるまい。テスレフ少尉、現時刻を持って貴官に独自裁量による行動を許可する。
 貴官の勤めを遂行したまえ。」
「はっ! ご配慮ありがとうございます。…………ウォーケン少佐は如何なされるのですか?」

 ウォーケンは、イルマが米国の闇に従うのであれば、自らは部隊を率いて米国の誇りと栄光に恥じない行いを果たそうと決意し、その意思をイルマに伝える。

「……私は……我が部隊は横浜基地防衛の為に、反応炉破壊部隊の護衛を行う!
 今となっては、横浜基地が人類全体の為に重要な役割を果たしつつある事は明らかだ。
 よって、我が隊は人類の為、BETA殲滅の為に横浜基地を護る!」
「―――解りました。少佐、御武運を。」

 イルマは、最後に敬礼をして部隊内データリンクとの接続を切断すると、単機での移動を開始した。
 それを見送りながらも、ウォーケンは残った部下34名に方針を下す。

「ハンターズ各員に告ぐ。ハンター2(テスレフ)はこれより暫くの間、別命を帯びて別行動をとる。恐らくは、この戦いが終われば合流できるはずだ。
 そして、我々は横浜基地HQからの依頼により、横浜基地最下層で稼動しているBETA反応炉破壊を任務とする、国連軍横浜基地所属第6戦術機甲大隊の護衛任務を遂行する。
 これより、横浜基地内のメインシャフトを降下し、反応炉ブロックを目指すぞ。
 既に横浜基地はBETAの侵入を許し、HQは壊滅している可能性が高い。各員、気を抜くなよ。
 よしっ! 全機私に続けッ!!」
『『『 サー・イエッサーッ!! 』』』

 米国陸軍第66戦術機甲大隊は、横浜基地地下最下層にあるというBETA反応炉を目指して進軍を開始した。
 只1機、戦列を離れたイルマの『ラプター』を除いて……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時39分、第2滑走路や、シャトル打ち上げ施設の更に南東に、イルマの乗る『ラプター』が佇んでいた。
 その前には、戦術機すらちっぽけに見えてしまうような、全周700mを超える巨大な長方形の縦穴が、ぽっかりと口を開けていた。

 この巨大な縦穴こそが、90番格納庫の離発着口であった。
 今朝の凄乃皇弐型の出撃まで、厳重に隠蔽されてきたこのゲートであったが、今は無防備に開放されたままとなっていた。
 そして、その縦穴へと、『ラプター』が身を投じる。そのまま600mほどを降下したところで、ようやく『ラプター』は縦穴の底にたどり着いた。
 縦穴の底、北東の壁面に設置されている、高さ200mを超える巨大なゲートを開放する為に、『ラプター』はゲート脇のコンソールへと歩み寄る。

 イルマの操作によってゲートが開くと、その向うには広大な空間が広がっていた。高さ250m近くある、広大な吹き抜けの空間。
 ゲートが開ききるのも待たずに、イルマは『ラプター』を90番格納庫へと進入させた。

「さてと……目標は何処にしまわれてるのかしら?」

 イルマがそう呟きながら、周囲を見渡そうとしたその時、鋭い誰何の声が発せられた。

「そこで止まれッ! 場合によっては撃墜するぞッ!!」

 『ラプター』のセンサーが拾った外部音声で、自身が誰何された事を知ったイルマは、『ラプター』を停止させる。
 そして、内心で舌打ちをしながら、外部スピーカーを通じて会話を試みる。

「ちょ―――ちょっと待って! 私は横浜基地のHQから要請を受けて来たのよ? 一体全体、どうなっているの?」

「―――私は、横浜基地司令部直属の神宮司まりも臨時大尉だ。
 この施設は、横浜基地副司令直轄の機密ブロックだ。例え基地司令からの命令であっても、立ち入らせる訳には行かない。
 直ちに退去せよ。」

(神宮司まりも……魔女の腹心だって話だけど、今度は臨時大尉か……なんとか、説得できるといいんだけど……)

 イルマが『ラプター』の補助センサーを使って音声の発生源を確認すると、ゲートを入って右手に当たる位置に1機の『撃震』が87式突撃砲を構えて立っていた。

「だ、だから待ってって言ってるでしょ? あなた状況を把握してるの? 今、この基地はBETAの侵攻に曝されているのよ?
 HQも既に壊滅している可能性が高いの! 私は、この施設の要員を脱出させる為に……」

「状況は把握している、当施設の脱出は私だけで十分だ。貴官の助けは必要ない。
 こうして問答している時間も惜しい、直ちに退去しろ。さもなければ攻撃する。」

(くっ……説得は無理みたいね……)

 イルマは、必死に説得しようとするが、まりもは全く取り合わない。

「わ、解ったわ。退去するから撃たないで頂戴ね。」

 イルマはそう言いながら、『ラプター』を左回りに転回させて背部をまりもの『撃震』に曝す。
 そして、その直後にイルマは『ラプター』を噴射跳躍させ、さらに続けて肩部スラスターを噴かして軌道を強引に捻じ曲げた。
 その『ラプター』を掠めるようにして『撃震』の放った36mm砲弾が飛び去る。
 更に逃げる『ラプター』の後を、まりもの砲撃が執拗に追尾する。

(このっ! 私だって、やられっぱなしじゃいないわよ?!)

 スラスターによる小刻みな機動でまりもの砲撃を躱しながら、イルマは『ラプター』の背部ガンラックを操って、『撃震』を狙い撃つ。
 床に立ったまま砲撃に集中していたまりもの『撃震』は、その砲撃を回避しようと、サイドステップを試みる。
 初弾を辛うじて避けた『撃震』だったが、続け様に放たれた36mm弾が、胸部管制ユニットに直撃してしまう。
 直撃の勢いで、体勢を崩していた『撃震』は背部から仰向けに倒れてしまった。
 そこへ、更にイルマの追い討ちが掛かり、『撃震』は穴だらけになって動きを止めた。

「悪いけど、これがあたしの仕事なのよ……許してちょうだいね。」

 『ラプター』を『撃震』の間近に立たせて、36mmを更に連射して留めを刺してから、イルマは詫びるように呟いた。
 そして、外部スピーカーから漏れたその呟きに、応えが返る。

「―――いいわよ。お互い様だもの。」
「なっ!!―――きゃぁあっ!!!」

 応えと同時に、『ラプター』を複数の方向からの36mmチェーンガンによる連射が襲う。
 あっと言う間に、『撃震』同様穴だらけになって倒れ臥す『ラプター』。砲撃は90番格納庫の天井の各所に設置された、自動砲架の36mmチェーンガンから放たれていた。
 その砲撃を放ったまりもは、90番格納庫のガントリーに設置された、『凄乃皇弐型』の予備機に搭乗していた。

「―――目標の主機、完全に沈黙しました。心拍、呼吸に該当する音声も感知できません。目標は完全に撃破されたと推測されます。」

 『凄乃皇弐型』予備機の管制ブロックに、データを淡々と読み上げる霞の声が響く。
 その声に、脱出用に搭載された複座型『不知火』の管制ユニットで、自動砲架の36mmチェーンガンを操作していたまりもが緊張を解く。

「わかったわ、霞ちゃん。退避プログラムの設定を続けてちょうだい。私は一応、侵入者の調査をしておくから。
 プログラムが終わったら、退避の準備を整えた上で状況の推移を窺いましょう。」

 まりもは霞にそう言葉をかけると、90番格納庫の奥、中央集積場へと続く90番格納庫リフト発着場に待機させていた、『撃震』5機の内の1機に遠隔操縦を接続する。
 先程イルマに撃墜された『撃震』も、この機体と同様に『不知火』の管制ユニットから遠隔操縦していたものであった。
 しかも、機体は『撃震』のままだが、管制ユニットは生体反応欺瞞用素体が搭載された、陽動支援機用のものが使用されている。
 『天津風』への改修こそされていない為、機動性は落ちるものの十分に陽動支援機として使用できた。
 まりもは、未改修の『撃震』である事を利用して有人機であるとイルマに思い込ませ、わざと撃墜される事で『ラプター』の動きを止めたのであった。

(素直に退去してくれたら殺さずに済んだのに……イルマ・テスレフ少尉、か……
 夕呼に言われて、90番格納庫で霞ちゃんと一緒に待機してたけど、本当に米軍が来るとは思わなかったわ……
 それにさっきの防衛基準態勢1の発令といい、HQの音信不通といい、どうやら余程の事が起きているようね。)

 遠隔操縦の『撃震』を『ラプター』の残骸に近寄らせたまりもは、『ラプター』の管制ユニットをこじ開けようとした。
 ―――が、その瞬間、90番格納庫の照明が一斉に消えた…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時48分、横浜基地最下層の反応炉ブロックに、35機の『ラプター』と36機の『撃震』が辿り着いていた。

「トマホーク1より、ハンター1(ウォーケン)へ。これより我が隊はS-11の設置作業に入る。設置数は9発。
 1発あたり4機で作業を行う。その間、周囲を警戒されたし。」

 国連軍横浜基地所属第6戦術機甲大隊指揮官である、ラジオコール『トマホーク1』からの通信に、ウォーケンは頷いて応えた。

「ハンター1(ウォーケン)了解。護りは任せてもらおう。それよりも、被害が拡大しない内に、一刻も早く反応炉を破壊するべきだ。
 幸い、現時点ではHQ以外の被害は殆ど発生していないようだからな。」

「あ、ああ。しかし、折角XM3に換装したってのに、基地内に侵攻されちまったんじゃ、迎撃できる場所が限られちまう……
 しかも真っ先にHQが落とされるとはな…………
 こうなると、小回りの利く機械化歩兵部隊が頼りだな。」

 広域データリンクを見る限り、BETAはB19フロアの研究棟ブロック外縁から侵攻を開始し、現状研究棟ブロック内を中心に下層を目指している。
 例外はHQを襲った一群で、これはHQのメインコンピューターを、上位撃破目標として破壊しに向かったものと推測されていた。
 そして、作戦初期にHQが壊滅した為に、研究棟の機密解除が行われず、各部隊は研究棟ブロックの周辺やメインシャフトに展開して、BETAを迎撃する態勢を取らざるを得なかった。
 研究棟の職員で、脱出してきた者は未だ存在しない。生存は絶望的であろうと考えられていた。
 それでも、防衛態勢で待ち構える部隊とBETAの間で、未だに戦端が開かれていないのは、僥倖であった。
 しかし、その様な状況が何時までも続くとも思われない為、一刻も早く反応炉を破壊し、逃亡するBETAを追撃したいというのが、ウォーケンはじめ迎撃に当たっている部隊の総意でもあった。

「ハンター1(ウォーケン)よりトマホーク1。どうだ? そろそろ設置は終わりそうか?」

 反応炉の周囲を部下と共に警戒しながら、ウォーケンはトマホーク1に進行状況を尋ねた。
 未だにBETAが反応炉ブロックに殺到してくる気配はない。正直遅すぎるとウォーケンは思ったが、この場合は感謝すべきだと思いなおした。

「こちらトマホーク1。今、最後の一基の取り付けが―――よし、終わったぞ。これより5分後に起爆するようにタイマーを設定する。
 退避する準備を始めてくれ。
 トマホーク1より、大隊各員へ。起爆タイマーを5分後にセットするぞ。10秒前…………5、4、3、2、1、セ―――」

 その瞬間、反応炉に設置された9基のS-11全てが、ほぼ同時に起爆して、反応炉ブロックは熱と衝撃で蹂躙された。
 そして、ウォーケンと部下達もまた、愛機『ラプター』と共に閃光の中で消滅していった…………

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 時はやや遡って18時21分、横浜基地B19フロアの中央作戦司令室にも、防衛基準態勢1発令の放送と警報が鳴り響いていた。

「ぬぅ……何事だっ! 何故、防衛基準態勢1が発令されている? しかもコード991とはどういうことだ! BETAなど、どこにも存在しないではないか。」

 ラダビノッド基地司令は眉を寄せて、中央作戦指令室内のCP将校たちを見回した。
 すると、1名の男性CP将校がおずおずと立ち上がり、半ば自棄になったかのような大声で申告する。

「も、申し訳ありませんっ! 司令。誤って、非常呼集訓練用の模擬データリンクプログラムを実行してしまいました!!」

「なんとっ! よりによって、一大作戦を実施している最中にか?! く……直ちにプログラムを停止して、状況の訂正を基地全域に通達せよ。急げッ!」

 ラダビノッド基地司令は、両の眼に怒りの炎をチラつかせながらも、事態の収拾を優先するように大失態を申告したCP将校に命じる。
 CP将校は、直立不動で敬礼をすると、復唱して管制席に戻ろうとする―――が、その横顔を見た瞬間、ラダビノッド基地司令の脳裏で警鐘が鳴らされた。

「む?!―――貴官は確か…………」

 件の男性CP将校は、先日のオリジナルハイヴ攻略の謀略で利用した、G弾信奉者の工作員であった。
 今日の司令部要因からは排除していた筈の男の姿に、ラダビノッド基地司令は即座に事態のキナ臭さを察知した。

「―――衛兵ッ! 直ちにあの男を拘束しろッ! 全オペレーターは、直ちにメインコンピューターへの不正アクセスの有無を確認せよッ!!」

 中央作戦司令室に詰めていた、件の男を除く全CP将校がラダビノッド基地司令に集まる。
 そして、ラダビノッド基地司令は視界の隅で、件の男が何かを取り出して床へと放り投げるのに気付く。

「いかぁあんッ! 総員伏せろーッ!!!」

 その直後、横浜基地中央作戦司令室の中を、激しい爆風が吹き荒れた。
 時に18時26分の事であった―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 18時58分、非常灯に切り替わり、暗赤色で薄っすらと照らし出された90番格納庫では、『凄乃皇弐型』の予備機が今正にガントリーロックから浮上しようとしていた。

「ムアコック・レヒテ機関最低出力で運転開始。ラザフォード場の発生を確認。カルーツァ・クライン・エコー、安定。
 抗重力機関自律航行モードに設定。コース確認。国連軍横浜基地を離脱し、佐渡島近海の重巡洋艦『最上』を目指します。」

 淡々と声を紡いでいた霞が、まりもの通信画像に僅かに視線を向ける。
 その哀しげな視線を受けて、まりもは軽く首を横に振った。

「我慢して、霞ちゃん。今、基地の皆が大変なのは解ってるわ。けど、夕呼には何をおいても護り抜けと命じられてるのよ。
 私は機密物資の内容までは知らないけれど、きっと人類にとって重要な物なんだと思うわ。
 ―――だから、今はこの基地を離脱して夕呼達の所に向いましょう。
 基地の復興は、他の人達に任せるしかないわ。少なくとも、今はね。」

 『凄乃皇弐型』の予備機も、現在佐渡島で実戦投入されている機体と同様に、機体後部にカーゴベイが増設されている。
 この日の午前中に、夕呼からの秘匿通信を受けたまりもと霞は、オルタネイティヴ4の重要機密物資を『凄乃皇弐型』のカーゴベイへと積載する作業を行ってきた。
 何とかイルマを退け90番格納庫を守り抜いたものの、データリンクの情報を見るに、反応炉ブロックを中心とした施設が壊滅的な被害を被り、しかも、中央作戦司令室は未だに音信不通のままだった。
 現状、横浜基地の防衛体制は崩壊一歩寸前である。で、あるならば、まりもは夕呼の命令に従って、積載した機密物資を護り抜く為にも夕呼の元へと向わざるを得なかった。
 そして、本当は霞にも解っていたのだ。他に選択肢がない事は。

「…………はい。」

 それ故に、まりもの優しく言い聞かせるような言葉に、霞は目を伏せて頷くと、自律航行プログラムを起動した。
 静々と『凄乃皇弐型』は暗赤色に照らされた空間に浮かび上がり、イルマが入ってきて以来開きっぱなしのゲートへとゆっくりと移動していく。
 そして数分後、反応炉ブロックでのS-11の爆発と、中央作戦司令室の機能停止で混乱する横浜基地から、巨大な機体が満天の星空へと飛び去っていった―――

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 19時11分、佐渡島ハイヴ第29層SE12『横坑』に位置する『凄乃皇弐型』の管制ブロックで、武は秘匿回線を通じて夕呼から横浜基地の現状について説明を受けていた。

「―――じゃあ、少なくとも、まりもちゃんと霞は無事なんですね?」

 少し安心したかのように表情を和らげて、武はまりもと霞の無事を確認した。

「ええ。ついさっき通信回線が繋がってね。まりもと社が収集したデータを受け取ったわ。そっちにも今送ってるとこよ。」

 対する夕呼は厳しい表情を寸分も崩さずに、手持ちの情報を武の元へと送ってくる。
 武は、送付されてきたデータを瞬時に読み込んで把握した。

「―――なるほど。保管していたG元素に各種データ媒体、『凄乃皇四型』用のML機関とその周辺部品、量子電導脳に作成済みの00ユニット用の擬似生体、それと―――ッ!!―――純夏も持ち出せたんですか?!
 先生! ありがとうございますっ!!」

 武は、通信越しに夕呼に頭を深々と下げた。夕呼は、それに軽く手を振って応じる。

「礼なんていらないわ。未だに鑑は00ユニット素体候補の筆頭よ。私としても、そうそう簡単に失う訳にはいかないの。
 それに、あのシリンダーごと運搬可能になったのは、あんたがODLの機能を解析した事と、ODLのストックを備蓄するってアイデアを出したお蔭よ。
 要するに、殆どあんた自身の成果であって、あたしはそれに便乗して運び出す指示を出しただけ。
 実際にシリンダーを反応炉から切り離して、ODL簡易浄化装置に接続して運び出したのは社だし。
 あたしは、頭を下げられるほどの事はしてないわ。」

 事も無げに言い切る夕呼だったが、それでも武は重ねて感謝の言葉を告げた。

「それでも、夕呼先生が事前に手配しといてくれなかったら、純夏は助からなかった可能性が大きいですよ。
 本当に、感謝します。―――でも、なんだって、そんな手配が出来たんですか?」

「ああ、それ? BETA九州侵攻に対する迎撃作戦参加部隊のリストに、米国陸軍第66戦術機甲大隊が入ってたのを見かけてね。
 行動予定を調べてみたら、往きと帰りに横浜基地での補給と整備を申請してたのよね~。
 正直今更とは思ったんだけど、G元素狙いでちょっかい出されるかもと思って、まりもに対抗措置を取らせてたのよ。
 まりもには、最悪の場合、機密物資を調整の終わっている『凄乃皇弐型』の予備機に積載して、こっちまで逃げて来いって言ってあったんだけど、まさか、本当に逃げ出す羽目になるとは思わなかったわ。
 しかも、反応炉が停止するなんて、完全に想定外よ。
 如何に『甲21号作戦』がハイヴ中枢機能の確保を目的にしているとは言え、人類が確保している唯一の稼動反応炉に手出しする奴が居るとは思わなかった。
 完全に、私の判断ミスだわ…………で、悪いんだけど、横浜基地の状況を探ってちょうだい。」

 武の問いに、片眉を上げてなんでもない事のように説明を始めた夕呼だったが、反応炉停止の件から忌々しげな表情を露わにした。
 そして夕呼は、侘びとも取れる言葉と共に、横浜基地の状況調査を武に依頼した。

「―――なるほど。戦域データリンクからデータ回線を通じて、横浜基地内のデータリンクに探りを入れろって事ですね。
 ちょっと待っててください。………………お、地上施設はまるまる機能してますね。
 滑走路の地上管制室から、基地内データリンクに進入できました。
 中央作戦司令室は大破して現在復旧作業中。研究ブロックは反応炉ブロックに近い下層のブロックはほぼ壊滅。
 B30フロア以下は完全に崩壊していて、救助すら断念している状況です。
 死傷者は、中央作戦司令室と研究ブロックの要員、それと戦術機甲部隊及び機械化歩兵にも被害が出ています。
 どうやら、中央作戦司令室から欺瞞情報と共に偽の命令が出て、BETA侵攻に対する防衛作戦だと誤認させられた上で、S-11による反応炉破壊作戦が実施されたようです。
 反応炉破壊は時限起爆で行われる予定であったにも拘らず、タイマーセット直後に起爆。これは、何らかの工作が行われた可能性が高いですね。
 既に憲兵隊が、S-11に細工した可能性のある要員を拘束して、調査を開始しています。
 S-11設置任務に当たっていた第6戦術機甲大隊と、護衛任務の要請を受けていた米国陸軍第66戦術機甲大隊が全滅。
 メインシャフトの最下層に近い位置に展開していた第4戦術機甲大隊と、108機械化歩兵連隊の8割以上が戦死しています。
 研究ブロックの要員も、反応炉ブロックに近い下層部に詰めていた人を中心に、約3分の1が死亡もしくは行方不明です。
 中央作戦司令室は、内部で爆破工作が行われ、その時配置に付いていた要員の半数が死亡。残りも重傷です。
 この中にはラダビノッド司令も含まれていて、現在医療ブロックで治療を受けています。
 地下原子炉は緊急停止中で、現在最優先で復旧作業中。中央作戦司令室のメインコンピューターが破壊された事もあって、指揮系統が相当混乱していますね。
 あと、中央作戦司令室で破壊工作を行ったと断定された人物は、オリジナルハイヴをG弾信奉者達に攻撃させる時に利用した例の工作員でした。
 こちらも、背景などを憲兵隊が調査中です。
 こちらから、横浜基地の指揮系統に割り込んで、指示を出す事も可能ですけど、どうしますか?」

 夕呼の依頼を受けた武は、データ回線を経由して横浜基地の情報端末にハッキングを開始。
 無人と化した第1滑走路地上管制室の情報端末から、基地内データリンクに接続して情報を収集した。
 その結果を掻い摘んで説明し、夕呼から横浜基地に指示する事が無いかを確認する。

「米国陸軍第66戦術機甲大隊『全滅』ねえ。1機だけ、なぜか90番格納庫に来て返り討ちになっちゃってるけどね。
 ―――そうね、面倒だけど、しょうがないか。バカ共に活を入れてやるからちょっと繋ぎなさい、白銀。」
「了解。」

 武が通信を横浜基地のデータリンクに接続すると、夕呼は横浜基地司令部要員の生き残りに的確な指示を与えていく。
 影ではあれこれ囁かれていようと、副司令である夕呼の威光により、横浜基地の指揮系統は速やかに再構築されていった。
 その仲介を片手間で果たしながら、武は自身の感情を必死に押さえつけていた。

(くそッ! 折角BETAの横浜基地襲撃を未然に防ごうとしたのに、なんなんだよこの大損害は!
 おまけに、なんで米軍のウォーケン少佐たちまで巻き込まれてるんだ?! イルマ少尉はまだCIAの任務だとしても、他の衛士達は無関係じゃねぇのかよ?!
 それを最新鋭の戦術機ごと巻き添えにする意味なんてあるのか?!
 折角、クーデターやトライアルで犠牲を出さずに済んだってのに…………畜生ッ! なんだってこうなんだよっ!!
 『前々回の確率分岐世界群』じゃ、横浜基地も所属部隊も、2004年までは大して損害を出してないんだ。
 2001年度中に横浜基地壊滅だなんて因果は、到底支配的とは思えない……なんだって、こうまで損害を被るんだ?
 ……横浜基地が被害を被った際の共通事項は反応炉の停止か?…………てことは、もしかしてオレが排除される事が因果律の影響なのか?!
 『人類がBETAに圧倒される』って因果が覆らないように、オレを排除しようとする力が働いてるってのか?
 なんなんだよ、それはっ! なんだって、人間の行いでBETAが有利になるんだよっ!! 普通は逆だろ?
 大体、脈絡なさ過ぎだろ? こんな事が起きる気配なんて欠片も………………ん? なんだ? この情報は……外部入力じゃない、内部発生した情報か?
 表層意識との関連付けが薄すぎて、見逃すとこだったけど、無意識に何かの処理をしてたってのか?
 中身は…………ッ!―――これは………………『甲21号作戦中』の破壊工作の発生確率47%?!
 ―――そうか、そう言う事かよ畜生ッ! てことは、あの時の―――陽動支援機の教導に行く前に、横浜基地を離れたくないと感じたのもこれだったのか…………
 くそっ! あの時に気付いてれば、防げたって言うのかよッ!!!)

「―――白銀、もういいわよ。で、話の続きなんだけど……白銀?!」

 横浜基地に一通りの指示を下し終えた夕呼が通信を終了し、武の顔を見て怪訝そうに呼びかける。
 僅か数分前は平静であった武が、表情を歪ませて悔恨の念を露わにしていたからであった。

「せ、先生―――オレの、オレのミスだったんです……オレが間抜けだったから横浜基地はッ!!―――」

 武はようやくの思いで悲痛な言葉を搾り出すと、今になって気付いた事柄を夕呼に説明しだした。
 それは、後悔に半ば埋もれ、散文的ではあったが、00ユニットの機能に関する貴重なデータであった。
 それ故に、いくらか辟易としながらも夕呼は最後まで武の言葉を遮らず、その言葉の重要な部分のみを抽出して要約した。

「つまり、量子電導脳によって再現されているあんたの精神活動の内、無意識領域の活動の一環として様々な事象の分析と予測を常時行っているって言うのね。
 しかも、その元となる情報は、生身だった時のものよりも精度も蓄積情報量自体も桁違いな上、場合によっては無意識の内にデータベースの検索参照までしているって?
 呆れたわ。無意識の内にハッキングしまくってたんじゃ、どれだけ足跡残してるか把握できないじゃないの。
 非接触接続の機能制限を検討しないとならないかしら……ま、そっちは今はいいわ。
 で、膨大な分析と予測をしている癖に、無意識に行われている処理だから処理結果の殆どは表層意識には浮かばないままになる、と。
 まあ、無駄って言えば無駄だけど、そもそも人間の精神活動自体非効率なものだから、それは言っても仕方ないわね。
 その非効率な精神活動の結果として、インスピレーションや勘働きがある訳だし……
 ―――あ、そうそう。因果律量子論で扱われる因果情報のやり取りが行われるのも、この無意識領域での事象なのよね~。
 で、あんたは量子電導脳の高速かつ高精密な分析と予測を行っていながら、人間としての感覚で処理していた所為で、粗方の処理結果を曖昧な形で処理してドブに捨ててたって訳?
 しかも、ようやくそれに気付いて見たら、今回のような破壊工作の可能性も、2週間以上前に予測できていたのに見過ごしていた、と。
 ―――大体、これであってる?」

 武は沈痛な面持ちで頷くと、夕呼に詫びた。

「はい。それであってると思います。―――済みません先生。オレが00ユニットとしての機能を使いこなせていれば……」
「止めなさい。そんな事言っても、時間は巻き戻ったりしないわ。
 それに、素晴らしい事じゃないの。製作者である私でさえ、正確には把握出来ていなかった量子電導脳の働きが1つ判明したのよ。
 『あの機能』を使うまでも無く、それほどの処理を常時行っているなら、それらの処理結果を上手く関連付けする方法を確立するだけで、相当な成果が期待できるわ。
 そうなれば、あんたは常にブレーン(知能顧問団)の助言を得ているのも同然に成るのよ。
 あんた1人でもそこそこ使えたけど、そうなれば、更に使い出が出てくるわね。」

 自罰的な方向に向う武の思考を断ち切って、夕呼は今回得られた利点を喜んでみせる。
 武としても、後悔しても自己満足が得られるに過ぎず、何ものも生み出さないと承知しているので、過去に捉われないようになんとか思考を切り替えた。

「そうですね。オレの方でも、いずれなんとか物にして見せますよ。
 幸い、こっちに向っている『凄乃皇弐型』は何の妨害も受けていないようですから、今は『甲21号作戦』の完遂が最優先って事で良いですか?」

 武がようやく前向きな意見を口にした事に満足して、夕呼はニヤリと笑って頷いた。

「そうね。さっさと佐渡島ハイヴを手に入れなさい。
 ―――それにしても、あんたに『凄乃皇』の自律航行プログラムを作成させておいて正解だったわね。
 あれなら、途中で戦闘にでもならない限り、乗ってるまりもや社が重力偏差でシチューにされることもないでしょ。
 まあ、あんたの組んだプログラムは、既存のプログラム言語とは次元が違いすぎて構文解析ができないから、どっかにバグがありそうで危なっかしいんだけどね。」

「そうですね。オレ自身、あのプログラムは把握できていませんしね。それこそ無意識の産物ですから。」

 武の行ったプログラム作成は、00ユニットとしての機能を使用したもので、武の表層意識は漠然とプログラムの機能を意識しただけで、無意識の内にプログラムが出来上がるという、突拍子も無いものであった。
 これは、ハッキングなども同様で、表層意識が望んだ行為を実現する為に、00ユニットとしての機能が無意識に発動する為、表層意識では経緯を認識し難いという特性を持っていた。
 その為、夕呼の言葉に、素で同意する武だったが、夕呼はその様子に呆れ返って嘆く。

「あ~、我ながら使い勝手の悪い道具を作っちゃったもんよね~。
 なまじ人間の精神活動なんて再現してるもんだから、折角の性能が無駄に浪費されてる気がしてしょうがないわ。
 内部処理追っかけても訳解んないし。
 ―――けど、だからこそ、コンピューターじゃ出来ない独創的な活動が出来るんだけどね。
 じゃあ、これで一旦通信は切るわ。しっかりやんなさいよ? 白銀。鑑の為にも、あんた自身のためにもね。」

「―――そうですね。精一杯頑張りますよ。」

 そう応えると、武は笑みを浮かべて頷いた。




[3277] 第73話 佐渡島奪還。そして―――
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/21 17:46

第73話 佐渡島奪還。そして―――

2001年12月25日(火)

 20時46分、佐渡島ハイヴ最下層では、反応炉を擁する『大広間』攻略が最終局面を迎えていた。

 第29階層から波状攻撃を繰り返す事により、『大広間』に立て籠っていたBETAを漸減し続けた結果、最下層の残存BETA数が1万5千を割り込んだ所で、ついに武が総攻撃を決定した。
 斯衛軍第15大隊を後詰に残し、第29層の確保に当たらせた上で、A-01連隊、斯衛軍第16、第13、第14大隊の4部隊が、同時に4方向の『縦坑』から最下層へと進撃し、反応炉の存在する『大広間』を目指した。

 今回は『大広間』の通信状況が悪すぎる為、各部隊は有人戦術機も投入している。
 その為、斯衛軍からは、御名代である冥夜を擁する第16大隊を後詰に廻すべきだとの意見が出たが、これは冥夜と斉御司大佐によって退けられた。
 曰く―――

「そなたら斯衛が殿下の名代たる私を護り抜こうと、心血を注いでいる事は重々承知の上である。
 そして、それは実に見事な心栄えであり、そなたらの忠誠心の顕れである事に疑う余地は無い。
 されど、殿下の名代として、私にも果たすべき務めがあると言わねばならぬ。
 殿下ではなく、私が名代として本作戦に参加している意義を今一度思い起すが良い。
 畏れ多くも殿下の御名を拝し奉って、私が帝国軍将兵の前に立ち、勲(いさおし)を立てて帝国軍将兵の士気を鼓舞するためであろう。
 無用の危険に身を曝す事が許されぬ立場である由(よし)は、重々承知している。
 されど、『大広間の』占拠に於いて攻め手に加わりし事は、決して無用な危険ではない。
 衛士として、これに勝る勲はそうはあるまい。ここで身を惜しんでは、殿下の名代としての任を全うしたとは言えぬであろう?」

「うむ。御名代殿の仰せは一々ご尤もだ。
 そなたら斯衛に、斯衛としての考えがあるが如く。
 殿下や我等将軍家縁の摂家衆には摂家衆なりの思いがあり、覚悟がある。
 御名代殿は、誠に殿下のお立場を己が事の如くに心得ておられる。
 五摂家が一つ、斉御司家直系として、私は御名代殿の御意を是とする。
 この上は、斯衛は下知に従い、全霊を以って御名代殿を御守りするべきであろう!
 異議があらば申してみるが良いッ!」

 最早、斯衛からは一切の異議は出なかった。かくして第16大隊は『大広間』攻略の一翼を担う事になったのだが、冥夜の言葉を聞いて武は内心唸っていた。

(冥夜の奴………………すっかり演説馴れしたなあ……)

 場の空気を弁えぬ、あまりにも暢気な感想であった……

 何はともあれ、『大広間』攻略戦は開始された。
 4方向から攻め込んだ各部隊に対して、迎撃してくるBETAの数に偏りが無い事を確認すると、武は強攻を選択した。
 前衛が突入して戦線を押し上げて陽動し、時間と空間を稼ぐ間に、『満潮』が運搬してきた120mm回転式多砲身機関砲が4基、ハイヴの床に設置された。
 砲撃の反動を支持する為の砲架がハイヴの床に固定され、ベルト給弾によりドラムマガジンが接続された。
 照準機構は可搬性向上の為に砲架には搭載されておらず、『満潮』の主腕によって照準が行われるようになっていた。

 120mm回転式多砲身機関砲の設置が終わると、前衛を務める陽動支援機に後退命令が下され、各機が設置された機関砲の方へと後退してくる。
 それを追って殺到してくるBETAに、毎分千発以上の発射速度で120mmAPFSDS弾が断続的に降り注ぐ。
 50口径の砲身によって十分な運動エネルギーを与えられた砲弾は、突撃級の装甲殻や、要撃級の前腕すら貫通し、場合によっては数体のBETAを串刺しにして撃破していった。

 4基の機関砲は『横坑』の上下左右を分担し、床だけでなく、壁からも天井からも、続々と這い寄ってくるBETAを薙ぎ払っていく。僅かに打ち漏らした個体は、機関砲の後ろに控えた陽動支援機の狙撃で撃破し寄せ付けない。
 ドラムマガジンは2分と持たずに弾切れになるが、脇に控えた『満潮』が即座に次のドラムマガジンに交換する。
 各部隊はそれぞれ3千前後の個体を撃破し、『大広間』に残存するBETAは3千を割った。ここに至って、BETAは『大広間』から出て来なくなった為、ついに『大広間』への突入が敢行される事となった。

「いいですか? 各員、陽動支援機と有人戦術機との距離を保つように注意してください。
 その上で、まずは陽動支援機で『横坑』と『大広間』の接続部の周辺を掃討して、BETAを排除して下さい。
 その後、有人戦術機を『横坑』の端まで進出させて、遠距離からの狙撃で残存BETAを更に漸減します。
 後は、状況を見ながら『大広間』内部に展開して、残存BETAを包囲殲滅します。」

 BETAが『横坑』に入ってこなくなった為、戦闘行為が途切れた機会を利用して、武による『大広間』制圧作戦の説明が行われる。

「注意すべきなのは、天井に張り付いているBETAです。狙撃手の方は、最優先でこれを殲滅して下さい。
 接近戦は極力避けて、砲撃による殲滅を目指します。ただし、反応炉に張り付いている個体への砲撃は避けて下さい。
 また、流れ弾が反応炉に当たらないように、射線にも留意するようお願いします。
 時間がかかっても構いませんから、着実に作戦を実施していきましょう。
 最終的には、近接格闘戦闘によって残存BETAを殲滅します。その際は、BETAの死骸の影に潜むBETAに注意するようにお願いします。
 それじゃあ、そろそろ始めましょう。御名代殿。」

「―――よしっ! 総員気を引き締めよっ! この期に及んで要らぬ損害を出すではないぞ。よいな?
 ―――各隊前衛ッ! 『大広間』への突入を開始するがよいッ!!」

『『『 了解ッ!! 』』』

 冥夜の号令に従い、各隊8機ずつの陽動支援機が『大広間』に突入する。
 途端に、BETAが土砂降りの様に一斉に降り注いできた。それを躱し、あるいは斬り払い、陽動支援機各機はBETAの襲撃を跳ね除ける。
 『横坑』に残った有人戦術機からも支援砲撃が実施され、『大広間』の床を這いずるBETAを殲滅していく。
 この突入で2機の『朱雀』が撃破されてしまったが、即座に予備の機体で『大広間』へと再突入し、各隊8機ずつの態勢を維持した。
 そして、そうこうする内に降ってくるBETAの数も減少し、『横坑』の出口周辺の掃討が開始された。

 その後は『横坑』の出口を中心に、支配地域を押し広げるようにして『大広間』内に部隊を展開させていく。
 遠方のBETA群には、反応炉に流れ弾が当たらないように配慮した上で、『満潮』の120mm単砲身速射砲コンテナによる砲撃が行われる。
 接近してくるBETAに対しては、天井に張り付いた個体を優先した上で、試製50口径120mmライフル砲で迎撃。
 その迎撃を潜り抜けた個体には、強襲掃討装備の機体が砲撃を浴びせ、最終的には長刀による斬撃で斬り伏せる。

 『大広間』に突入した各隊は息のあった連携でBETAを寄せ付けず、順調にBETAの残存数を減らしていった。
 そして、ついに反応炉周辺以外のBETAの掃討がほぼ終了し、近接格闘戦闘による残存BETAの排除が開始される。
 陽動支援機を前衛、『満潮』を中衛、有人戦術機を後衛として、包囲の輪を一気に縮めた。

「やっと! ここまで、きたねっ! 智恵。もう少しで、制圧完了だよっ!」
「そうだね~。随分時間が~掛かったもんね~。えッ! なに?」

 月恵と智恵が同乗しているS07(A-01所属複座型『不知火』7番機)が、突撃級の死骸の脇を通り過ぎようとしたその瞬間、突然死骸がS07の方へと転がされ、左主脚に死骸をぶつけられたS07は、あっけなくバランスを崩してしまう。
 この時、もしも機動特性の高い突撃前衛の月恵がS07を操縦していたのなら、咄嗟に回避行動を取る事ができただろう。
 しかし、月恵は『時津風』を遠隔操縦して、反応炉周辺の残存BETA相手に近接格闘戦闘の真っ最中であった。
 それでも咄嗟に左主腕の突撃砲を放り出して、なんとか受身を取ったS07に、前腕を大きく振り上げた要撃級の影が覆い被さるように襲い掛かる。
 恐らくは、突撃級の死骸に埋もれるようにして、一時的に活動停止していた個体だったのであろう。
 それが、間の悪い事に、S07の主脚走行の振動に反応して、活動を再開したと思われた。
 智恵は、自分と月恵の死を覚悟して、か細く呟いた。

「白銀くん―――」

 そして、要撃級の前腕が振り下ろされ、S07の胸部を押し潰した―――

「智恵ッ! 月恵~ッ!!」

 そして、その様子を目撃した晴子が、叫びを上げながら突撃砲の36mm弾を、S07に覆い被さった傷だらけの要撃級に叩き込む。
 元々傷付いていた要撃級は直ぐに動きを止めるが、S07も要撃級の死骸の下で、完全に沈黙していた。
 そして、武の叫びが、部隊内データリンクに響き渡る。

「高原っ! 麻倉っ!! おまえらっ気を抜き過ぎなんだよっ!!―――直ぐに予備機の『時津風』を向わせるから、そいつに乗り込め。
 ………………乗り込んだら、第29層まで後退だ。反論は許さないぞ、有人機を落とされたのはお前らの責任なんだからな!
 周囲に小型種が居ないか注意を怠るんじゃないぞ。柏木、『時津風』に2人が乗り込むまで、護衛を頼む。」

「了解っ! ベイルアウトの時に、要撃級の前腕にぶつからなくて良かったね、智恵、月恵。」
「う、うん……そ、そうだね~。」「え? え? なにっ? 何があったのッ?!」

 『大広間』の天井近くから、ベイルアウトされたS07の複座型管制ユニットが、エアクッションを展開しつつ落下して着地した。
 晴子の操縦するS06(複座型『不知火』6番機)がその近くに駆け寄り、周辺警戒を開始する。
 その足元では、複座型管制ユニットが開き、衛士強化装備に身を包んだ智恵と月恵が姿を現した。

「ごめんね~、月恵。やられちゃって……」
「いいっていいって、こうして無事なのも、智恵が素早くベイルアウトしてくれたお蔭なんだからさ。」
「えっと~、それがね……私、ベイルアウトした記憶が無いんだけど~。」
「へ? じゃ、じゃあ、なんで?」

 実を言えば、S07が撃破される寸前に、外部から上位権限でベイルアウトを強行したのは武であった。
 これも偏に00ユニットとしての反応速度と、非接触接続によって実現された、直接思考制御による迅速な命令実行の恩恵があればこそ間に合ったと言える。
 2人が九死に一生を得た事で、武は自分が00ユニットになっていた事に感謝した。

(やった! 00ユニットとしての機能のお蔭だとしても、なんとかオレの手で2人を護る事ができたぞ!
 オレだって……オレだって誰かを護る事ができるんだ……
 よしっ! これからも、諦めずに1人でも多くの生命を救ってやるぞ!
 横浜基地で犠牲になった人達の分も、この戦いで犠牲になった分も。
 九州で―――いや、世界各地でこの瞬間にも命を落としている全ての英霊に賭けて、必ず、必ず! 安心して生涯を全う出来る時代を取り戻してやる!!)

 その後は、残存BETAの掃討も順調に進み、遂に『大広間』の制圧が完了した。
 時に、21時17分の事であった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 21時26分、佐渡島ハイヴ第30層の『大広間』には、多数のデータリンク中継気球が浮かび、『凄乃皇弐型』と『時津風』8機、『満潮』8機のみが残留していた。

 『時津風』と『満潮』は半数の4機ずつが、『大広間』に隣接するBETAバイオプラントから、未だに湧き出してくるBETAの排除を行っていた。
 そして、残りの4機ずつに護られ、ML機関を停止させた『凄乃皇弐型』の管制ブロックで、武は夕呼と通信を行っていた。

「白銀、ご苦労だったわね。『甲21号作戦』は、21時20分を以って最終段階に移行。
 現在、陽動支援機と随伴輸送機の各1個小隊4機に、有人戦術機の1個中隊を随伴させて1ユニットとして、合計58ユニットで佐渡島ハイヴ内の残存BETAを虱潰しに殲滅させてるわ。
 ついでに、有線データリンク網の敷設もよ。
 時間は掛かるでしょうけど、此処まできたらさすがに作戦が失敗する事はなさそうね。
 これなら、オルタネイティヴ4の成果としても、十分満足できる結果よ。」

 夕呼の労いに、しかし表情を緩める事無く武は応じる。

「そうでなくては、この作戦で戦死した将兵に顔向け出来ませんよ。
 オレが、BETAハイヴ中枢部の機能を保持した状態での占拠なんて言い出さなければ、助かった命だってあったかもしれないんですから。
 けど、横浜基地の反応炉が破壊された今となっては、この反応炉を破壊しなくて良かったと、心から思っています。
 危うく、オルタネイティヴ4がまたもや凍結されるところでしたからね。」

 武の言葉に、夕呼も素直に頷く。

「そうね。危うく、あんたも失う所だった。あんたをこき使って、楽する予定が危うくパーになるとこだったわ。
 今まであれこれ融通してやった分、これからも働いてもらうから、覚悟しとくのね。」

「ああ―――それはちょっと無理そうなんですよ、先生。借り逃げにならないように、活動停止になる前に、なるべく働いて成果を残していきますね。」

 夕呼の冗談めかした言葉に、さらりと応える武。その言葉を聞いた夕呼は、一度双眸を閉じて瞑目した後、明日の天気予報の話でもするように口を開いた。

「―――そう。やっぱり、甲21号目標には、人類の捕虜は存在しないのね?
 そして、それ故に、人類に―――そして、00ユニットに適合するODLも存在しない。
 おまけに、人類に適合するODLを生産可能に出来るとしても、あんたの活動限界には間に合わない。そういう計算結果が既に出てるってことかしら?」

 夕呼の言葉に、武は眉を上げて、感心したように応じる。

「さすが先生。その辺も予想が付いてたんですね。幸い、横浜基地の反応炉から、人類に適合するODL精製用の、BETAユニット生成コマンドを吸い上げてあります。
 このコマンドをプロジェクションすることで、このハイヴでも人類に適合するODLが精製されるようになり、それ以降なら00ユニットも再び運用可能になります。
 ただし、BETAユニットの生成には、最低でも1ヶ月はかかると予想されますから、オレが今直ぐ自閉モードに入っても間に合いません。
 それに、1ヶ月以上00ユニットが使用できなくなる以上、今回の後処理や今後への布石など、00ユニットの能力はフルに活用しなければならない筈です。
 オレを自閉モードにする余裕なんて、今のオルタネイティヴ4にはありませんよね? 先生。」

 そして、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべて武が問いかけると、夕呼はフンと鼻で笑い飛ばしてから応えた。

「ふん。いざとなったら、別にあたし1人だって、オルタネイティヴ4は完遂して見せるわ。
 今程度の状況、半年前に比べたらなんでもないわよ。―――けどまあ、あんたを使い潰していいなら、その方が楽できるのは確かね。
 で、あんたの要求は、鑑の生命維持かしら?」

「そうです。本当に話が早くて助かりますよ、先生。
 00ユニットの活動を維持する為には完全に不足しているODLですけど、生身の脳幹の活動を維持するだけなら、十分な量の備蓄が存在する筈です。
 純夏が2ヶ月間生命維持できるだけの量のODLを確保して、優先的に割り当ててやってください。
 その代わり、オレは残りのODLを使って、活動限界一杯一杯まで、能力の限りを尽くしてオルタネイティヴ4の為に働きますから。」

 要求を告げた武と、要求を告げられた夕呼。2人は暫し無言で睨み合ったが、夕呼が溜息をついて視線を外した。

「いいわよ、その条件で。じゃ、時間もODLも勿体無いし、今すぐ始めるとしましょう。
 まず、反応炉へのプロジェクションは済んでいるの?」

 夕呼は武の要求を受け入れた。尤も、2人共、その様な取引が形だけである事は承知している。
 人類の生存の為にどうしても必要となれば、武は純夏に必要なODLを消費し尽くす事も辞さないだろうし、夕呼もその必要さえ無ければ、武に要求されるまでも無く、00ユニットの素体最有力候補である鑑を切り捨てたりはしない。
 今のやり取りは、謂わば儀式に近い。お互いが感情ではなく、取引に基づいて行動するのだと体裁を整えただけ。
 しかし、自身の感情に流される事の許されない2人にとっては、それは必要なやり取りであったのかもしれなかった。

「はい。既にプロジェクションは完了しています。BETAバイオプラントの一部に変化が見られますから、2~3時間もすれば、確証が持てると思います。
 最終的には、『明星作戦』で純夏が発見された時のように、この大広間の天井から無数のシャフトがぶら下がる事になります。
 まあ、中身は空ですけどね、勿論。
 そこから後は、横浜基地建設時のノウハウが流用可能な筈です。」

 夕呼は、2年以上をかけた横浜基地建設の過程を思い返して、うんざりとした表情を浮かべた。
 最近になってようやく完成したばかりだというのに、またあの苦労をしなければならないとあって、夕呼は辟易した。
 しかも、今度は帝都を遠く離れた島である。重力異常が無い為に植生の回復が期待できる以外には、さして喜ぶべき点を夕呼は見出せなかった。

「また、基地建設からやり直しって訳? 時間も予算も馬鹿になんないのよ?
 ま、あんたに言ってもしょうがないか。で? そっから先は、また00ユニットを作ってやり直せって事かしら?」

 夕呼は忌々しげに吐き捨てると、目を眇めて武を見て訊く。それに武は苦笑して応じた。

「出来る事なら、00ユニットを抜きにしてオルタネイティヴ4を完遂して欲しいんですけど、それは難しいでしょうからね。
 その辺りの判断は夕呼先生にお任せしますよ。もう時間に追い立てられて、なりふり構わず犠牲を出し捲る必要もないでしょうしね。」

「なによそれ、嫌味だったら、もう少し毒を混ぜないと効果ないわよ?」

 不敵な笑みを浮かべて武を睨め付ける(ねめつける)夕呼。それに対して、武は両手を胸の前に上げて、押し留めるようにして訂正する。

「嫌味なんかじゃありませんよ。只の現状認識です。
 ―――けれど先生。これから先、BETA相手よりも、人間相手に00ユニットの力が必要になるんじゃないんですか?」

 その武の言葉に、夕呼はすっとぼけるような顔をして、応じる。

「また、随分と話が飛んだわねぇ。オルタネイティヴ4は、BETAから地球を奪還する為の計画よ?
 なのに、なんだって人間相手にどうこうしなきゃなんないのかしら?」

 夕呼の誤魔化すような問い返しに、しかし武は真剣な、そして陰鬱な表情で応える。

「実はオレなりに、今回の横浜基地の件を分析してみたんですけど、どうやら今回の一件は、オリジナルハイヴ攻略の件でオレ達に嵌められた、例の工作員が独自の考えで引き起こしたようなんです。
 あの一件で失脚した彼の上司やら、米国で勢力を失いつつある同胞への罪の意識から、相当自分自身を追い詰めていたらしく、それらしい痕跡が今回の調査で確認できました。
 今回の一件は、彼にとっては贖罪だったようですね。オルタネイティヴ4の本拠地である横浜基地の研究ブロックと、最大の研究対象と思われる反応炉の破壊。
 あとは、あわよくばG元素を奪って、米国の同胞の下に届ける。その一念で、あれだけの事をしでかしたみたいですよ。
 G弾信奉者への情報漏洩がこちらの謀略だと思わせない為にも、暫く泳がせておいて、いずれ処理する心算だったのが失敗でしたね。これも苔の一念って奴ですか。
 常識で考えるなら、人間1人がどれだけ必死になったところで、組織相手に大した事が出来るはずがないって事になるんでしょうけど、夕呼先生はそんな事は言いませんよね?
 強い意思は世界の在り方にさえ、影響を及ぼせる可能性がある―――『前の世界群』での先生の言葉です。
 意志の力で因果律に干渉して、より良い確率分岐をした未来を引き摺り寄せる。それこそが、オルタネイティヴ4の手法ですよね?
 実は、00ユニットですら、因果律への干渉能力を最大限に増幅させる為の道具に過ぎないんじゃないんですか?
 BETAに対する諜報員だなんてのは方便で、00ユニットという世界への影響力を極限まで拡大された、因果律干渉能力者を生み出す事こそが真の目的だった。
 勿論BETAの情報が得られるに越した事はない。それでも、因果律干渉能力者の行動による、現状の打破こそが先生の目的だったんじゃないんですか?」

 武の言葉を、夕呼は一笑に付す。

「は? あんた、何馬鹿な事言ってんのよ。
 BETAに対する諜報工作が重要視されているからこそ、生体反応ゼロ、生物的根拠ゼロの非炭素系擬似生命だなんて、手間の掛かるものを作ったのよ?
 あんたの言い分なら、人体を素体にして強化措置を施した方が簡単じゃないの。」

 しかし、武は引き下がらなかった。

「その点に関してなら、理由は2つ思い付きますね。
 1つは、因果律に干渉する力を拡大する為には、量子電導脳の確率分岐世界群に多重干渉できる機能が都合良かった事です。
 そしてもう1つは、非炭素系擬似生命の開発案が、既に1984年に日本のオルタネイティヴ次期計画案の骨子として、策定されていたからです。
 先生が帝国大学に招聘される7年も前ですね。そこで、先生は既定の路線に則って、計画案を推進することを選択した。
 幸い、既定の路線でも、先生の望む因果律干渉能力者を生み出す事は可能だった。
 そして、個人で研究するのとは桁違いの予算、設備、人材、そして権力が得られる。
 結果的に、その路線に乗っかって面従腹背で研究を推し進めた方が近道だと考えた。違いますか?」

 夕呼は、ここに至って表情を消し、押し殺した声で武に問いかける。

「一応、それらしい説明にはなってるわね。で? もしそうだとしたら、どうだっていうのよ?」

 夕呼の平坦な声音に、しかし武は極気軽に応えた。

「え? どうもしませんよ? 結果的に、BETAが排除されて、地球が奪還されれば問題ないですよね。
 オレ自身の目的とも重なってますし。どっちかって言えば、そのお蔭で先生には便宜を図ってもらえてるって気もしますからね。
 先生は00ユニットによる因果律干渉で、人類にとってのより良い確率分岐する世界を引きずり寄せようとした。
 そりゃまあ、00ユニットの独自判断による因果律干渉が、本当に人類全体にとって望ましい結果となるかは疑問の余地があるでしょうけど、人類は既に崖っぷちなんですから、分の悪い賭けじゃないと思いますよ?
 実際、00ユニットであるオレは、正真正銘人類の為に頑張ってる訳ですし。
 それに、先生は手間隙かけて、候補者を厳選してたじゃないですか。ちょっとやり口は苛酷だったと思いますけどね。
 ですから、オレにとっては、オルタネイティヴ4の目的がBETA情報の収集だけじゃなくて、より広範な人類救済にあるなら、その方が都合がいいんですよ。
 だから、それ自体は問題じゃなくって、本題は人間の強い意志の力で因果律に干渉できるのならば、支配的因果律を助長している『人間の意思』って奴もあるんじゃないかって事なんです。
 勿論、00ユニットみたいな干渉力の増幅は行われていないでしょうけど、恐らく個人としては強大な影響力を持つ存在が複数居ると思うんですよね。
 実際に例の工作員も、所属組織から与えられていた権限や装備、資金を目一杯使って今回の騒ぎを起した訳ですしね。」

 夕呼は表情を消したまま、武を見て言葉を発した。

「―――そう、どうやら、BETA大戦に於ける最大の敵に気付いたみたいね。
 ま、これは別にBETA大戦に限った事じゃないし、昔から言い古されている事だけどね。
 ―――人類の最大の敵は、人類よ。
 その様子ならもう調べてあるんだろうけど、人類はBETAとの戦いの中で、何度も足を引っ張り合って敗北を続けてきたのよ。
 そもそも、喀什のオリジナルハイヴの勢力拡大を許したこと自体、当時の中国政府が落下物を独占しようとした所為だと言えるし、つい最近では、たかが試作の電磁投射砲を奪おうとして、わざとBETAを呼び込んだ挙句、前線補給基地と虎の子の爆撃機部隊を全滅させた馬鹿も居るわ。
 最前線国家の防衛戦力を、自国の影響力を増す為だけにすり減らそうとした馬鹿も居たわね、誰かさんのお蔭で失敗したけど。
 そうよ、白銀。人類はね、BETAとの戦いに於いて、自ら失策を重ねて負けるべくして負けているのよ。今回の横浜での一件なんて、まだましな方だわ。」

 人類全てを嘲笑う、正に魔女か悪魔の如き笑みを浮かべて、夕呼は武に囁く。
 それは呪いであったかもしれない。夕呼の理想と目的を妨げる、愚かな俗物共への、長年に亘って積もりに積もった恨みが、今正に噴出していた。
 さすがに気圧されるものを感じながらも、武は自らの憤りに押されて、言葉を搾り出す。

「くそっ! やっぱりそうなのか……人類が団結できずに自滅するって因果も、打破すべき支配的因果律に含まれてるんですね?
 ちくしょうっ! BETAを圧倒するよりも、遥に難しそうじゃねえかよ。
 くそっ! 権力握ってる奴等が、もう少しまともだったら、どれだけの人間が助かったかもしれないのに…………
 ―――くッ!………………済みませんでした、先生。愚痴っていても始まらないですよね。話を戻します…………」

 武は目を硬く閉じて深呼吸すると、声を整えて話を元に戻した。

「―――てことで、国内外の馬鹿共をあしらいながら、最適と思われる行動をオルタネイティヴ4の主導で推し進めるには、まだまだ00ユニットの力が必要だろうと、残念ながら思った訳です。
 本当は、オレがこのまま働ければ良かったんですけど…………まあ、『次』はもう少し上手くやりますよ。」

 武がそう言って笑うと、夕呼は邪悪な笑みを心の深淵へと押し戻し、少し拗ねたような顔をして言った。

「ったく、たまにあんたが羨ましくなるわね。なんだってあんたばかりがやり直せるんだか。」

 夕呼の言葉を聞いて、武は会心の笑みを浮かべて言って退けた。

「執念深い幼馴染の面倒を見てきたお蔭ですよ。―――多分、オレの代わりにあいつが―――純夏が先生の手伝いをしてくれると思います。
 けど、あいつは馬鹿ですからね。ちゃんと手綱を握っておかないと大変な事になりますよ?」

 夕呼をからかうように忠告する武だったが、夕呼はその言葉を軽く笑い飛ばす。

「あんた、あたしを誰だと思ってんの? そんな事、言われるまでもないわよ。
 さて、そこまで解ってんなら、00ユニットが存在しなくなる間、諸勢力を黙らせて主導権を握れるだけの仕込を済ませていきなさいよね。
 そうすれば、その経験と知識は、次の確率分岐世界群でも役に立つでしょ。
 あ、それから、此処の基地化だけどあんた図面引ける? 横浜基地と似たり寄ったりでいいから。
 施設部にやらせると仕事が遅いのよね~。機密も漏れるし。」

 早速あれこれと具体的な要求を始める夕呼に、武は苦笑しながら応じる。

「情報収集と各種工作の計画は立てますけど、後で鎧衣課長でも誰でもいいですから、実行を請け負ってくれる信頼できる人を紹介して下さい。
 オレが出来るのは、ネットワーク上の情報操作や改竄までですからね。
 それから、基地の設計ですか? データベースと首っ引きでなんとか出来ると思いますけど、後で専門家にチェックしてもらう必要はあると思いますよ?
 あ、今思い付いたんですけど、戦術機と強化外骨格に自動で建設作業を補助させるプログラムでも組んでおきましょうか?
 細かい作業や、専門的な作業はともかく、物資の運搬や補助なら出来そうですよね。」

「ふうん。便利そうじゃない。あって困るもんでもないし、組んどきなさい。
 後は―――あ、そう言えば、横浜の件は、本当に米国の勢力は無関係だったの?
 ちょっとでも、絡んでるんなら、相応の罰をくれてやんないとね。」

 夕呼は顎に手を当ててニヤリと笑うと、そう嘯いた(うそぶいた)。武はそれに苦笑しながらも、集めた情報を分析した結果を話す。

「どうやら、本当にあの工作員が1人で考えて実行したらしいですね。
 勿論、組織から与えられていた権限や装備、資金なんかは目一杯使ってたみたいですけど。
 それでも、あれだけすんなりと事が進んだのは、オレを排除しようとする、支配的因果律の影響が追い風になったんでしょうね。
 S-11のタイマーを弄って、即座に起爆するように工作させる為には、事前に弱みを握っておいた整備兵に大金を握らせたようですし、テスレフ少尉への指令コードも、クーデター時に備えて知らされていたものを使ったようです。
 彼の暴走だとも知らずに、CIAからの命令と信じて従ったテスレフ少尉は浮かばれませんよね。
 ああ、浮かばれないと言えば、ウォーケン少佐の米国陸軍第66戦術機甲大隊が反応炉爆破に巻き込まれた件ですが、どうも意図的に行われたようです。
 あの工作員も、この件で米国が疑われるのは承知していたみたいで、あれこれとカモフラージュをしていて、あれはその一環だったようですね。
 最新鋭戦術機を運用する米軍将兵が、善意で作戦に協力して巻き添えをくらって壊滅する。
 この一事をもって米国も被害者だと印象付けながら、テスレフ少尉がG元素を奪取して、上手く工作船で国外逃亡を果たした場合に、その存在を隠蔽しようと図ったようです。
 犯行声明も用意してあって、あちこちの報道機関に事前に投書をしてました。
 内容は大したもんじゃありませんね。機密を暴露しているわりに、主張自体は拙劣で、わざといい加減に書いて信憑性を曖昧にしている感じです。
 犯行声明の内容でめぼしい所だと―――
 横浜基地の司令部と帝国政府上層部が、横浜基地の地下に稼動しているBETA反応炉を隠匿していて、BETAが頻繁に日本に侵攻してくるのはその所為だ、とか。
 BETA由来の反応炉を稼動させたままにするなど、危険極まりない暴挙であって、この事実を知った以上看過し得ないので破壊する、とか。
 横浜基地所属部隊も、横浜基地に協力的な米国陸軍第66戦術機甲大隊も同罪である、とか。
 この行いは神の御名の下に行われる正義の行いであって、祝福されて然るべきものである、なんてのもありますね。
 あとは、横浜基地の副司令は―――っと、これはいいか。そんなとこで―――「白銀、続きを言いなさい。」―――はい。
 横浜基地の副司令は、自身の研究の為ならば、多くの人命が犠牲になっても一片の涙すら流さない魔女だ、と書いてあるようです。」

 恐る恐る続けた武の言葉に、夕呼はなんでもなさそうな顔をして、問いを放つ。

「ふうん。その工作員、もう死んじゃってるんだっけ?」
「―――はい。最初から逃げ延びる心算はなかったようで、自爆用の爆弾も抱えていたようだと、現場検証の報告に記載されてますね。」
「そ。それなら、もう悪さは出来ないわね。」

 夕呼は、表情を寸毫も変えずに相槌を打ったが、武はその寸前に夕呼が舌打ちをした事に気付いてしまった。
 それと悟られないように、武は話題を切り替える。

「ところで、『凄乃皇弐型』の予備機はどうするんですか?」

 武の提案に、夕呼は人の悪い笑みを浮かべた。

「気になる~? でも白銀ぇ。あんたが気にしてるのは『誰』の事なのかしらねー。
 まりも? 社? 鑑?」

 ニヤニヤと笑いながら訊ねる夕呼に、武は一切取り合わずに応えた。

「全員ですよ。おまけに『凄乃皇弐型』自体や、グレイ・イレブンの消費も気になります。」

「つっまんないわね~。ちょっとは赤くなるとかしなさいよね。
 あ、そう言えば、佐渡島ハイヴのG元素保有量はどうだった?」

 武の反応に不満を漏らしながらも、夕呼は佐渡島ハイヴ占領で確保されたG元素の量を訊ねた。
 夕呼にとっては割りとどうでもいい事だったので、今まで気にもしていなかったのである。

「そうですね。グレイ・イレブンが約1トンってとこですね。他も大体『明星作戦』で入手した量の2~3倍ってとこですか。
 フェイズ4ハイヴでこの量があるってことは、やっぱり横浜ハイヴの保有量は相当少なかったことになりますね。」

「―――そうね。従来考えられていた、フェイズ5に成るまでのハイヴでは、ハイヴ建造に伴って備蓄しているG元素を消費していくって仮説どおりなら、そういう事になるわね。
 でもまあ、今となっては、横浜ハイヴは人類研究の為の特殊用途のハイヴだったと考える方が状況に即してるから、元から少なかったのかも知れないわ。」

 夕呼が考え考えそう口にすると、武が何やら思いだしたように話し始めた。

「そう言えば、G元素の近くに、やたらと高密度に圧縮された元素貯蔵施設が発見されました。
 隣接して、元素分離精製施設らしいものもあります。BETA共が集めてきた物質を元素毎に分離生成して圧縮貯蔵しているようです。
 どうやら、将来的にはあれがG元素の素材になるみたいですね。」

「へ~。まあ、その辺は後日ゆっくり調べるから、今はいいわ。
 あ、そろそろ、『凄乃皇弐型』の予備機が、ヴァルキリーズC小隊の護衛付きでそっちに到着するはずだから、その後の管理も任せるわ。
 今は自律航行で移動してるから、中には誰も乗ってないから。
 それと、最下層の警備やバイオプラントから生まれてくるBETAの始末も、引き続きやんなさい。
 もしも、交代要員が欲しいようなら、伊隅に交代させるから早めに言いなさい、いいわね?」

「了解です。」

 武が頷くと、夕呼は話をまとめに入る。さすがに早朝からHQに詰めていただけあって、夕呼にも疲労が蓄積している様子が見受けられた。
 恐らくこの後、夕呼は幾らかでも休息を取るのだろう。

「じゃ、こっちでも今後の予定をもう少し詰めておくわ。
 何かあったら、何時でもいいから連絡をよこしなさい。
 ―――差し当たって、そんなところかしらね。
 ………………あ、そうそう白銀。あんた、『甲21号作戦』中に戦死ってことにするから。」
「へ?―――」

 夕呼の最後の宣告に、武の口から、間抜けな声が漏れて消えた……




[3277] 第74話 継承と誓い
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/03/23 17:29

第74話 継承と誓い

2001年12月26日(水)

 04時33分、佐渡島の両津港にその姿を浮かべる作戦旗艦『最上』のHQでは、ほぼ丸1日に亘って行われた『甲21号作戦』の事後処理が行われていた。
 前日の21時20分より行われた、佐渡島ハイヴの全『地下茎』からの残存BETA掃討は、約6時間をかけて完遂された。
 これに先立ち、A-01及び司令部要員を除く極東国連軍と大東亜連合軍は撤収を開始。
 殊に横浜基地所属の極東国連軍部隊は、所属基地復旧を手伝う為、大急ぎで帰還していった。
 帝国軍部隊も、佐渡島に残留する守備部隊の編制と、それらを支援する部隊による駐屯地設営を進めながら、平行して帰還する部隊の撤収準備も開始していた。

 『甲21号作戦』は歴史的な大勝利を収めた。今作戦での戦死者は最終的に100名に届かず、にも拘らず佐渡島からBETAを1匹残らず排除し、念願の国土奪還を達成した。
 撃破したBETAの個体数は優に40万を超え、弾薬こそ相応に消費したものの、失った装備は極僅かに留まった。
 作戦参加将兵は歓声を上げて勝利の凱歌を高らかに歌い上げて然るべき状況なのだが、笑みを浮かべる将兵の数は少なく。
 多くの将兵が遣る瀬無いような、不安げな雰囲気の中に沈み込んでいた。
 丸1日続いた大作戦の疲労も確かにある、しかし、彼らを苛んでいるのは肉体的な疲労ではなく、精神的な喪失感であった。

 前日に『大広間』の制圧が通達された後は、作戦全参加将兵の殆どは、大勝利に沸いていた。
 作戦期間中に国連軍横浜基地が災厄に襲われたと知る者も、いや、中には横浜基地所属将兵の中にも、勝利を喜び快哉を上げるものは多かった。
 が、03時46分、ハイヴ内の掃討もほぼ終了し、戦闘も行われなくなってきた頃、悲報が作戦参加全将兵を打ちのめした。
 国連軍横浜基地所属A-01連隊第13中隊指揮官、白銀武大尉戦死―――

 当初、その一報に衝撃を受けたのは高級士官や司令部に近い者達だけであった。
 作戦終盤とは言え、作戦中に戦死者が出るのはそもそもそれほど珍しいものではないし、武の名前は衛士の間でこそ噂になっていたものの、一般兵士達の間にまでは広まっては居なかったからだ。
 しかし、上位者達が揃って沈痛な表情をして落胆するのを、部下たちは見過ごせはしなかった。
 当然上司を気遣い、或いは、自身の不安を打ち消す為に、理由を問い質す者が現れた。
 その結果、戦死した国連軍大尉こそが今回の作戦の立役者であり、対BETA戦術に革命をもたらした士官だという情報が、一兵卒に至るまで駆け巡る事となった。
 かくして、戦勝気分で華やいでいた佐渡島は、一転して通夜の会場の如く陰鬱な雰囲気に包まれてしまったのであった。

「………………むぅ…………」

 気難しげに唇を歪ませて沈思黙考していた小沢提督の口から、呻き声が零れ落ちた。
 それを待っていた訳でもないのだろうが、直ぐ脇で今作戦の詳細な経緯を分析していた李将軍が、顔を上げて口を開く。

「全く、返す返すも、惜しい人物を喪いましたな。
 彼ならば、今後も人類の為に、多大な貢献を果たしてくれるものと期待していたのですが……」

 李将軍の言葉に、小沢提督も大きな失意の溜息を吐き出して、口を開く。

「痛恨の極みです。―――しかも、死因がA-02のトラブルとは…………今更言っても詮無き事ですが……
 如何に防御力に優れ、戦局を左右する重要な兵器だからと言って、彼ほどの稀有な人物を試作兵器に乗せるべきではなかったのです。
 あたら有為の傑物を、試作兵器の欠陥と引き換えに失ってしまうとは…………佐渡奪還の喜びさえ、消し飛んでしまいましたな。」

 目を瞑り、天を仰いで語る小沢提督に、李将軍も頷きを返した。

「誠に。私も『甲20号作戦』では、彼の助力を仰ぎたかった―――しかし、覆水盆に返らずです。
 彼が残した物を継承し、彼の分まで戦い続け、いつの日か地球を奪還する事こそが、我々に為し得る最大の供養となりましょう。」

「そう―――そうですな。……全くもって、仰るとおりです。しかし―――若い者が先に逝き、老骨が残るはなんとも寂しいものですな……」

 『最上』のHQに、小沢提督の言葉が流れ出て、何処かへと消えていった……

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、帝国海軍第2戦隊旗艦、戦艦『信濃』のCICに、第2戦隊と第3戦隊の艦長や参謀達が集まっていた。
 佐渡島近海の哨戒を、この後母港である横須賀へと帰還する帝国海軍第1戦隊に任せ、今後しばらくの間の任務となる、佐渡島海上防衛線構築を議題として、両戦隊の首脳部が集まっていたのであった。
 が、ここでもまた、武の死が取り沙汰されていた。

「―――此度もまた、大きな痛手を被ってしまったものだな。」

 腕組みをし、『大和』艦長である田所大佐が瞑目して呟く。

「まったくだ。しかし、同時に多くの将兵の命が助かった。これでこれからの戦況は変わるだろう。」

 田所大佐の言葉に、大きく頷きを返しながらも、『武蔵』艦長の井口大佐が応じて、前向きな話題に切り替えようとする。
 すると、口を引き結び、瞑目していた『信濃』艦長安倍大佐がカッと両の眼(まなこ)を開いて、万感の篭った声を上げる。

「我等は、彼から多くの恩恵を授かった! 彼の残した新戦術と横浜基地の新兵器、あれらがあれば―――人類は救われる!
 今日を境に、人類は必ずや攻勢に転じ、BETAから地球を奪還できるだろう。
 今後主戦場となるは大陸。そこに於いては我ら戦艦乗りの働きどころはありはすまい。
 寂莫たる思いはあれど……いや、まだ暫くは働きどころも幾らかは残っていよう。
 この上は粉骨砕身、BETAとの戦いに邁進して、彼から受けた恩義に報いねばなるまい。」

「うむ、なんとしてもやり遂げねばならんだろうな。」

「そうだな、BETAとの戦いで、多くの血が流れ、多くの若者たちが死に過ぎた。
 そろそろ戦いを終わらせねばなるまい。」

「―――ああ、九段(靖国神社)の桜も、これ以上増やさずともいいだろう。」

 安倍大佐の言葉に、田所、井口両大佐が頷きを返す。3人の周囲では、第2、第3戦隊の艦長、参謀達が、固く拳を握り締めて、眼に決意を宿らせていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 04時36分、帝都城大本営に政威大将軍煌武院悠陽殿下がお運びになられた。
 紅蓮大将は未だに九州から帰還していないため、伴っているのは警護役の月詠真耶斯衛大尉であった。
 一斉に敬礼して向える、大本営の参謀達。悠陽は答礼を返すと、己が席に優雅な身のこなしで腰掛ける。
 それに倣って一同が腰掛ける中、通信参謀が進み出て『甲21号作戦』完遂の報を述べる。
 その報せに笑みを浮かべて聞き入っていた悠陽だったが、最後に申し添えられた武戦死の報には、双眸を閉じずにはいられなかった。

「―――白銀が逝きましたか……皆、此度の戦いから能く(よく)戦訓を学び取り、今後の戦において1人でも犠牲となるものを減らす努力を欠かさぬようにせよ。
 彼の者がもたらしたものを腐らせる事は、この私が許しません。しかと各々の心に刻み込んでおくのですよ?」

 その場に居合わせた者全てが、悠陽の言葉に深々と頭を下げた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 04時40分、帝国本土防衛軍西部方面軍司令部を擁する熊本基地の司令部に、神野大佐を伴った紅蓮が入室して来た。
 先程、睡眠中に佐渡島奪還の報を聞いて、司令部までやってきたのである。
 そして、『甲21号作戦』の、現時点で知り得る限りの詳報を読み進めた。
 しかし、当初より満足気に、時折頷きながら読み勧めていた紅蓮の表情が、作戦完了後の事後処理に関する記述のところで唐突に強張り、口をへの字に思い切り曲げた。

「紅蓮閣下、どうかなさいましたか?」

 その様子に、脇に控えていた神野大佐が、声量を控えながらも訊ねた。
 すると、紅蓮は腕を組み、やや天を仰ぐように面を上げて、呟くように応じる。

「うむ。『甲21号作戦』が完遂された後、白銀が逝ったそうだ。新兵器の欠陥による事故が原因だそうな。」
「ッ!―――白銀がですか?!」

 声を荒げる事こそなかったものの、神野の表情は一変して驚愕に彩られていた。

「―――そうか、実に面白き、良き男(おのこ)であったものを……惜しいのう。」
「はい。全くです……」

 紅蓮と神野大佐は、暫し瞑目して武の冥福を祈った。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 04時58分、『最上』の陽動支援戦術機甲部隊に割り当てられた一室は、作戦中の活気も絶え、部屋の一隅に2名の衛士が腰掛けているだけとなっていた。

「データの整理がやっと終わったよ。これを基にして、帝国軍でも陽動支援戦術機の配備運用が一気に進む筈だ。」

 コーヒーの注がれたカップを2つ持ってきた佐伯が、タバコを燻らせている草薙に片方を手渡しながら話しかけた。

「そうだな。そうでなければ、白銀大尉が報われないだろう。」

「―――ああ、それじゃあ、俺達も精々頑張るとするか。」

 草薙が、タバコの先からユラユラと立ち上る煙を見ながら言うと、佐伯も頷きを返した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 05時12分、佐渡島ハイヴに荷電粒子砲によって穿たれた斜路北東側の崖上に、斯衛軍第16大隊と同第5連隊の有人戦術機が陣を張っていた。
 既に、佐渡島全土は地上も地下も制圧が完了しており、全てのBETAは駆逐された筈ではあるが、それでも周辺警戒の態勢を崩してはいない。
 斯衛軍複座型『武御雷』の機数は70機。総計4個大隊の衛士144名に対して4名分、2機の『武御雷』が欠けている。
 いや、それ以前に、陣の中央に位置すべき紫色の御『武御雷』の姿が見当たらなかった。

「御名代殿が御戻りになられましたら、佐渡島からは撤収ですね、斉御司大佐。」

 部隊内データリンク越しに、斯衛軍第5連隊と第13大隊の指揮官を兼務する麻神河暮人大佐が、斯衛軍第16大隊指揮官にして、五摂家直系で青を纏う斉御司久光大佐に話しかけた。

「うむ。後ろ髪引かるる思いも多々あるが、我らの務めはこの地には既になかろう。
 御名代殿と月詠達が戻り次第、帰途に着かねばなるまいな。」

 腕組みをして瞑目しながらも、淡々と言葉を返す斉御司大佐。その顔(かんばせ)からは、内心の思いを窺い知る事は難しい。
 しかし、その内の幾何かは、この場の多くの衛士達が察するまでも無く共有していた。

「……佐渡を奪還できたのは嬉しいけどよ、最後の最後でけちが付いちまったよなぁ。
 ―――ったく、いくら威力が絶大だからって、安全対策が不十分な兵器なんて運用すっからこんな羽目になるんだ。
 これだから、実戦証明の無い新兵器は…………」

 我慢の限界に達したのか、幾度目かの愚痴を斯衛軍第14大隊指揮官である麻神河絶人中佐が口に上らせる。

「絶人君! 何時までも後ろ向きな事ばっかりいい続けるだなんて、君らしくないわよ!
 隊の士気にも係わるんだから、しっかりしてちょうだい!!」
「そうだな。早矢花君の言う通りだぞ、絶人君。白銀大尉の死を惜しむなとは言わんが、それよりも先にすべき事は決意だろう。」

 絶人の愚痴を、即座に叱り飛ばす絶人のお目付け役こと、第14大隊第2中隊隊長の夕見早矢花大尉。
 更に続けて、直属上司にして義兄でもある暮人が、落ち着いた口調で絶人を諭す。
 うへぇといった感じで首を竦めた絶人は、半ば不承不承ではあるものの、2人の言葉を受け入れる。

「わ、解ってるよ。あいつの―――白銀の意思を継いで、これからの戦いに臨めって言うんだろ?
 ―――けどさ、よりによってあの白銀が、しかも戦闘じゃなくって乗機の事故で死んじまったってんだから、遣る瀬無いにも程があらぁ。」
「そうね。彼には、まだまだこれからも活躍してもらいたかったわね。」

 絶人の言葉に、第13大隊第2中隊隊長である焔純大尉も言葉少なに同意する。
 そしてそれらの言葉には、この場にある斯衛軍衛士達の大多数が、心中で頷きを返していた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 05時13分、佐渡島ハイヴ第29層に設けられたA-01連隊の拠点を、紫色の御『武御雷』が、白の『武御雷』1機、『朱雀』4機を護衛として伴い、訪問していた。
 A-01連隊は現在、佐渡島ハイヴの最下層の警備に当たっている。
 とは言え、最下層への立ち入りは、オルタネイティヴ4の権限に於いてA-01の衛士ですら禁じられていた。
 最下層のBETAバイオプラントから湧き出てくるBETAの掃討と、『大広間』に一時的に駐機されている『凄乃皇弐型』2機の警護も陽動支援機で行うのみであり、主たる任務は第29層の封鎖であった。

 冥夜がわざわざ此処までやってきた表向きの理由は、今回の作戦での最大の戦果である、BETAハイヴ中枢部の警護に当たるA-01を激励すると共に、今作戦に於ける貢献を讃える為であった。
 とは言え実情は、原隊であるA-01を1人離れ、御名代として帝都に帰還しなければならない冥夜が、この地に残る仲間に別れを告げにきたといったところである。
 逆に、冥夜の代わりにA-01に出向している神代は、この地に残ってA-01の任務に従事する事になる。
 それ故に、月詠や巴、戎が、神代と暫しの別れを告げる機会でもあった。

「―――では、神代。冥夜様の代わりとして、しっかりと務めを果たすのだぞ。」
「はいッ! 真那様。」

 月詠に激励され、神代はきりりと表情を引き締めて応える。

「そうそう、あの物騒な新兵器に殺されないように気を付けた方がいいぜ。」
「雪乃ったら、不謹慎ですわよ~。でも~、確かに危ないかもしれませんわねぇ~。」
「雪乃! 美凪! お前達、そんな言葉が冥夜様に知れたら―――わ、私は知らないからな!」
「うわっ! 1人で逃げる気かよっ!」「こうなったら、一蓮托生ですわ~。」「ま、まきこむなーっ!」

 月詠の言葉に続けて、巴と戎も神代に言葉をかけるが、内容の胡乱さに神代が自己保身を図った。
 すると、途端に巴と戎が神代を非難し、やいのやいのと言い争いが始まる。
 そこへ、すかさず月詠の怒声が降りかかった。

「静かにしろッ! お前達はどうしてそう考えなしに口を開くのだ! 斯衛の威信を損なうような言動はせぬように、常々心がけろとあれほど…………」

 説教を始めながらも月詠は、こうなる事を予想して4人だけの通信回線を確保しておいた事に安堵した。
 身内以外が居る場では、なんとか斯衛らしい言動を保てるようになった3人の部下であったが、他者の目が無いところでは旧来の些か思慮の浅い本性が現れてしまう。
 3人の斯衛衛士としての教育も任されている月詠としては、それが常々頭痛の原因となっていた。
 尤も、衛士としての素質はそれなりのものではあるし、なにより3人で組んだ時の連携には見るべきものがある。
 月詠にとり、有望で可愛い部下である事もまた確かであった。

 それに3人が、恐らくは無意識の内に武の戦死による喪失感を埋めようとして、常にも増して道化た言動を取っているのだろう事も、月詠には解っていた。
 3人共、自身は武を嫌い、その力を認めていないと思っているようだが、月詠からしてみれば、彼女等の言動は甘えの裏返しに見える。
 帝都城招聘の後は、月詠自身も武には公私に亘って期待するところが大きかっただけに、今回の事故は殊更無念であった。
 公には帝国の、そして人類の為に対BETA戦術構想の発展を期待していたし、私には、冥夜に与える心理的な影響に少なからぬ期待があった。
 しかし、武は事故で失われてしまった。武によって拓かれた冥夜の一個人としての人生を豊かにすべく、月詠はこれまで以上に冥夜の為に粉骨砕身して尽くす所存であった。
 月詠は、神代、巴、戎に対する説教を僅かに中断すると、武の冥福を祈り、冥夜を今後も支える事をその御霊(みたま)に誓った…………

 紫色の御『武御雷』を見て、それに乗る冥夜の姿を思い出した智恵は、そこから更に連想して武の姿を思い出してしまった。
 思えば、武はよく冥夜と話していたように、智恵には思えた。やはり、冥夜が一番武にとって身近な存在だったのかと……そんな事を考えていたら、智恵の心の中で武の死が急に現実味を増してきた。
 そうして智恵は、知らず知らずの内に、心の内を言の葉にのせてしまう。

「…………白銀君、死んじゃったんだね~。結局、助けて貰ったお礼も~、ちゃんとできなかったよ~。」
「智恵……しょうがないよっ……まさかさっ、BETAの排除も終わった後でっ、あんな…………あんな事になるなんて……だ、誰だって思わなかったんだからさっ…………う…………」

 智恵の言葉に触発されて、月恵の気持ちも哀しみに満たされてしまう。なんとか元気な振りをしようと強がるものの、最後には零れそうになった嗚咽を噛み締めて黙り込んでしまった。
 そんな月恵の様子に、晴子が笑みさえ浮かべて叱咤激励する。

「ほらほら、智恵も月恵も、しっかりしなよ。そんなんじゃ、白銀も安心して成仏できないじゃないか。
 生き残ったあたし達は、白銀を安心させてやんなきゃ駄目なんだからさ。ね、茜?」
「……晴子…………そうね、晴子の言う通りね。残された私達が頑張って、1日も早く白銀に追いついて、追い越して、人類の為に戦い続けるのよ!
 それが私達の務めだわ。」

 茜は晴子の言葉を聞き表情を見て、笑みさえ浮かべて見せるその割り切りの良さに愕然とした。
 しかし同時に、茜には晴子のその笑みの奥に悲しみが隠れているだろう事も想像できる。
 訓練兵時代の付き合いで、晴子のあっけらかんとした表情の裏に、多くの思惟と感情が隠されている事を、茜は看破していた。
 それ故に、今の晴子が仲間を元気付ける為に、態度を取り繕って見せている事にも、茜は気付く事ができた。
 それでも―――いや、それ故に、茜は晴子の言葉に同意してみせる。晴子の気持ちを無にしない為、智恵と月恵が少しでも武の死から立ち直れるように。

「……ぐずっ……あ、茜ちゃんの言う通りだっぺや、あだしらがきばんねばいげねっす……じゃない、頑張らないと駄目だよね、茜ちゃん!」

 その茜の言葉に貰い泣きしかけていた多恵が、鼻を啜り上げて頷く。が、その際につい出てしまった訛りに、慌てて言い直す多恵の様子に、智恵と月恵からも笑いが零れる。
 部隊内データリンクのオープン回線で交されるそんな会話を聞きながら、先任達はまた別の通信回線で言葉を交していた。

「―――どうやら、なんとか立ち直れそうね、あの娘達。」
「そうですね。作戦前に白銀に告白したって聞いてましたからね。正直ちょっと心配でしたが、なんとか乗り切ってくれそうじゃないですか。」
「きっと、麻倉さんと高原さんで、お互いに支え合っていけるよ。きっとね……」
「速瀬中尉と涼宮中尉のように、ですわね。」

 水月が安堵の言葉を漏らすと、それに美冴が同意し、遙が微笑んで発言すると、祷子も笑みを浮かべて同意する。
 祷子の言葉に、やや照れたような水月と遙だったが、その言葉自体は訂正しなかった。

「なんだか、可哀想よねぇあの2人。もし佐伯先生が戦死ぃしちゃったらと思うと、他人事じゃぁないわよね、ねえ、葉子ちゃん。」
「葵ちゃんの……言う通りだけど……あの2人だけじゃないから……」
「へ?! どういう事ぉ?」
「姉さん。涼宮と築地、沙霧さんを除いた他の新任達は、みんな白銀くんに好意を持ってたんだよ。」
「えええっ? そ、そうだったのぉ? 早く教えてよねぇ、紫苑~。」
「葵ちゃん……鈍すぎ……」
「いや、姉さんの場合、周りを良く観察してないだけだと思うな。」
「ひ、酷いぃ~!!」

 水月達の話が途切れたところで、残りの先任達3人が話し始める。
 わざとなのか、天然なのか、葵達の会話を耳にした水月達の表情にも微笑が戻った。
 と、丁度その時、冥夜とみちるの間で交されていた儀礼的なやり取りが終わる。
 一応A-01連隊向けの激励と言う事で、部隊内データリンクのオープン回線に、視聴限定で流されていた為、全員が会話の内容を把握していた。

「―――という訳で、貴隊の作戦への多大なる献身については、必ずや殿下に奏上仕ろう。
 また、最後になってしまったが、殿下の名代として貴隊の献身に心より感謝を捧げる。
 そなたらの働き、誠に大儀であった。」

「はっ! 御名代殿のお言葉ありがたく頂戴いたします。
 ―――ところで、もしよろしければ、我が隊の新任達に少々お時間を賜る事は叶いませんでしょうか。
 もし、叶いますならば、こちらで秘匿回線を設定させていただきますが……」

 冥夜の、政威大将軍の名代、斯衛軍派遣部隊筆頭衛士としての言葉に、みちるは感謝を述べ、本来であれば身の程を知らないと叱責されてもおかしくない願いを口にした。
 しかしそれは、この後帝都城へと事の次第を奏上しに赴かねばならない、傷心の部下に対する最大限の配慮であった。
 それが解っている為、この会話を聞いているであろう月詠も苦言を呈さずに、黙認する。
 そして、冥夜が僅かに瞳を揺らすのを見て、月詠は冥夜の背中を押しやる事を決意した。

「御名代殿。10分程でございましたら時間に余裕はございます。
 A-01の此度の働きを顧みるに、今後の帝国、延いては人類に多大な貢献を為すと思われる者達です。
 此度の褒美にお言葉をかけてやってはいかがでしょうか。」

 冥夜は月詠の言葉に目を見開くと、嬉しそうに頷いた。

「そうか。月詠の言を入れよう。では伊隅大尉、手数をかけるが、秘匿回線の仕度を頼む。」
「はっ! 直ちに……」

 みちるは、笑顔を見せて敬礼すると、秘匿回線を設定して自身は回線を切断した。

「皆、大事無いか?…………いや、無い訳がなかったな。詮無いことを言った、済まぬ。」

 秘匿回線が開かれ、旧207Bの仲間達の顔が並ぶ通信画像を見ながら冥夜は話しかける。
 並んでいる顔は4つ。武と沙霧が欠けていた。なんでも、沙霧は『大広間』の警戒を担当していることを理由に、通信を断ったと冥夜はみちるから聞いていた。
 恐らく沙霧は、気を使って遠慮したのであろうと、冥夜は思った。
 みちるや月詠はああ言ってはいたが、その真意は冥夜にも解っていた為、名代ではなく、御剣冥夜国連軍少尉として仲間達と語り合う心算だった。

「………………冥夜さん……冥夜さぁ~~~ん! た、たけるさんが、たけるさんがぁ!!」

 冥夜の顔を見、その言葉を聞いた事で、恐らくは堪えていた想いが溢れ出してしまったのだろう、壬姫が両目からぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら、叫び声を上げた。
 秘匿回線とは言え、複座型管制ユニットでは同乗者には自身の声が聞こえてしまうのだが、幸い冥夜を除く他の4人は、S08(A-01所属複座型『不知火』8番機)とS09(複座型『不知火』9番機)にそれぞれペアで搭乗していた。
 その為、5人の仲間達の他には、月詠が冥夜の言葉を聞いているだけであり、冥夜は月詠に己が言葉を聞かれることに問題を感じていなかった。

「壬姫さん……泣いちゃ……泣いちゃ駄目じゃないか。
 タケルは佐渡島ハイヴ占領を、見事に成し遂げてから逝ったんだから……ボク達は、タケルの事を、誇ってあげなくちゃ駄目だよ……」
「珠瀬、鎧衣が正解……」

 えぐえぐと鼻を啜り上げながら泣く壬姫に、美琴と彩峰が言葉をかける。
 千鶴は、その様子に痛ましげな視線を投げかけてから、冥夜を労った。

「御剣も、初陣だって言うのに、御名代としての任務、大変だったでしょ。お疲れ様。」
「―――なに、初陣だったのは皆も同じであろう。それに、任務の多様さや難易度では、私の方は然程でも無かったからな。
 皆の方が―――む、そう言えば、珠瀬は『雷神』で上げた戦果が絶大だったのではないか?」

 千鶴の労いに感謝しながらも、冥夜は壬姫を高揚させようと『雷神』の話を振ってみた。

「そだね、BETA撃破数が3万近いなんて前代未聞……珠瀬、やるね……」
「そうね。あなたは私達の誇りよ、珠瀬。」
「うんうん! 凄いよ壬姫さん!!」

 冥夜の言葉に、彩峰、千鶴、美琴の3人も同調して、壬姫を褒め称える。
 それに、わたわたと、慌てて目を拭った壬姫は、なんとか笑顔を浮かべて応える。

「ぐすっ!………………そ、そんな事ないですよう! 風間少尉だって同じ位の撃破数だし、何よりも『雷神』が飛びぬけて凄いんですっ!
 さすが、たけるさんが考えただけありますよねっ! 照準の補正だって、たけるさんが『凄乃皇弐型』から……たけるさんが……う……たけるさぁ~~~ん!」
「み、壬姫さん……うっ……た、タケルぅう~~~~っ!」

 だが、『雷神』の話をしている内に、武の面影を思い出してしまったのか、壬姫はまた泣き出してしまった。
 そして、とうとう美琴まで貰い泣きしてしまう。

「―――仕方あるまい。珠瀬、鎧衣、暫し、心ゆくまで涙を流すが良い。しかし、我ら以外の前では泣くでないぞ。
 泣いてばかりでは、あの者も―――タケルも成仏できまい。」
「そうね、今の内に泣いておきなさい、珠瀬、鎧衣。」

 軽く首を振ってから、冥夜は壬姫と美琴を優しく諭した。そして、それに千鶴も頷く。

「―――御剣、口が上手くなった?」

 冥夜の言葉に軽口を叩いてみせる彩峰だったが、その瞳は涙で潤んでいた。

「そうだな。今日一日で、随分と演説をさせられたからな。
 私のような不器用な人間でも、多少は口が上手くなるのであろう。」

 しかし、冥夜は彩峰の潤んだ瞳には言及せずに、その軽口に応じて見せた。

「ほんと、御剣は立派だわ。―――白銀も、きっと喜んでいるわよ。
 私も、白銀に心配をかけないように、これからももっともっと精進するわ。」
「……負けないよ。」
「……ボ、ボクだって!」
「ぐすっ……ミキだって、頑張りますっ! 努力し続けますっ!!」

 冥夜の言葉に、千鶴が冥夜を褒め、武の名前を挙げて決意表明をすると、彩峰も、美琴も、壬姫さえも涙を振り払って、決意表明をして見せた。
 そんな仲間達の様子を見て、冥夜は心からの笑みを浮かべて仲間達に唱和する。

「そうだな。私も精進を重ね、タケルの名を誇りを持って語るに相応しき衛士になろう!
 タケルの名と命にかけて、あの者の想いを我らで繋いでいかねばならぬ。
 そして、必ずやBETAから地球を取り戻して見せようではないか!」
「ええ。」「やるよ……」「もちろん!」「はいっ!」

(タケル……そなたの思いは我らが……いや、世界中の心ある者達で継承しよう。
 そして、必ずやBETAを駆逐してみせようぞ。だから、どうか我らを見守っていてくれ……タケル―――)

 冥夜は仲間達の決意に輝く顔を見ながら、心中で武に語りかけるのであった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 同時刻、戦死扱いとなった為、最早当分の間は『凄乃皇弐型』の管制ブロックから離れられなくなった武は、夕呼と秘匿回線で会話していた。

「―――じゃあ、純夏への説明はそういう話にしておきますね。
 で、話は変わるんですけど、オレの戦死ってこのタイミングじゃなきゃいけなかったんですか?
 それに、『凄乃皇弐型』の欠陥で死亡って、不味いんじゃないですか?」

 一通りの打ち合わせが終わったところで、武が夕呼に泣き付く。
 武が傍受している、佐渡島展開部隊内での通信を掻い摘んで聞くだけでも、武を惜しむ内容の発言が多々含まれており、口々に自分を讃えられ冥福を祈られてしまい、さすがに武も居心地が悪かった。
 それに武としては、折角の佐渡島奪還を達成したのに、将兵が意気消沈しがちなのも気になるし、何よりも自身の死因とされた『凄乃皇弐型』への悪評が立つのも心配であった。
 しかし、夕呼は満足気な笑みを浮かべて取り合わない。

「何言ってんのよ。あんただって、状況は把握してんでしょ?
 大盛り上がりじゃないの。これであんたは悲劇のヒーロー確定だし、あんたが所属していたA-01が、あんたの代わりに脚光を浴びるわよ。
 今作戦の旗頭だった御名代殿も所属してるし、これで日本国内の共感は確実に得られるわね。
 それと、帝国軍のお偉いさん達が、兵器としての『凄乃皇弐型』にご執心でね。
 飽く迄もあれはおまけだって言ってるのに、まるっきり聞きゃあしないのよ。
 だもんで、『バニシング・フォートレス』の悪評に復活してもらう事にしたって訳。」

「『バニシング・フォートレス』って…………ああ、これか……こんな悪名が付いてたんですね……
 XG-70シリーズ開発中の事故で、重力偏差によりパイロット全員が体組織を徹底的に粉砕されて殉職。
 その際、救助と調査に当たった兵は、管制ブロック内に飛散していた流動体がパイロットの遺体だとは気付かずに、パイロット全員が消失したとして報告。
 この報告が噂となって一人歩きした結果、XG-70はパイロットが消えてしまった事から『バニシング・フォートレス』という異名で呼ばれるに至る……か。
 『フォートレス』ってのは、XG-70が戦略航空機動要塞だったことからですね。」

 夕呼の言葉に疑問を提示した武だったが、無意識に情報検索を実施した事を、先の反省から組み上げた深層心理活動監視プログラムの通知で気付き、その情報を素早くピックアップして口にした。

「そ。解説ご苦労様。元々、米国でXG-70シリーズがモスボール処置されて開発中止になったのは、この搭乗者に対する安全確保に失敗したからなのよ。
 ま、そんなの00ユニットの能力を使えば問題なくなるのが解り切ってたから引っ張ってきたんだけど、米国ではこの欠陥は有名な話なのよね~。
 そこから、人間の乗れない機体に乗ってるあんたが、人間じゃないんじゃないかって疑われる可能性もあったしね。
 その辺も込みで、性能は破格だけど危険で安心して運用出来ない兵器って事にした方が、現状ではプラスになるわ。
 これで、うち以外では積極的に配備しようってところも減るし、オルタネイティヴ4では研究・改良した上で、危険を承知で運用していくって建前が出来るって訳よ。
 ま、オルタネイティヴ4に出向して、『凄乃皇』のメンテナンスや改修に努めている、ロックウィードの技術者達にはちょっと可哀想だけどね。」

 夕呼は楽しげに武に自分の考えを説明する。武が見るに、00ユニットの機能拡張構想の1つに過ぎない『凄乃皇』が過大に評価されたのが気に喰わないらしい。
 武としても、所詮量産が困難で、燃料となるG元素が現状ハイヴから奪取するしかない『凄乃皇』は、良くて切り札としての価値しかないと思っている。
 対BETA戦術構想に基づく装備群の製造と配備が終わるまでの繋ぎならともかく、主力装備として依存する兵器ではないと、武も考えていた。
 武も夕呼もBETA大戦の幕引きは、可能な限り『人の手』で成し遂げられるべきだと考えている。
 そうであってこそ、人類がBETAに勝利したと言えるのだから。

「―――なるほど、先生がわざと悪評を立てて、『凄乃皇』の運用を制限しようって考えなら問題は無さそうですね。
 じゃあ、そっちはいいですけど、オレの方はもうちょっと何とかならなかったんですか?
 なんだか、凄く居た堪れないんですけど、オレ。」

 夕呼の説明に納得しながらも、武は重ねて夕呼に愚痴る。すると、夕呼はさらに楽しげに笑みを深めて応じた。

「いいじゃないの~。生前葬だとでも思っておけば~?
 どうせほんの数日しか違わないんだし、自分がどんな風に思われてたのか、忌憚の無い評価を知るいいチャンスじゃないの~。」

「どこが忌憚の無い意見ですか! 色眼鏡かかりまくりじゃないですかっ! やですよこんなの…………楽しそうですね、夕呼先生……」

 恨みがましい視線で夕呼を見る武だったが、夕呼は歯牙にもかけずに笑い飛ばす。

「そりゃもう、サイコーよ~。殊に、あんたのその間抜け面を眺められる事が、ね。
 ………………居なくなってから利用するよりは、遥かにましってものよ……」
「先生、それって…………」

 一頻り笑った後、笑みを収めてポツリと零した夕呼の言葉に、武が痛ましげな表情をしたその時、機密ブロックの筈の夕呼の居る通信室に、乱入してきた人物が居た。

「ちょっと! ゆう―――しっ、失礼致しました! 通信中であられましたか。直ちに退室致しますッ!」

 夕呼が1人で居ると聞いてきたのだろう、何やら今にも噛み付きそうな勢いで入室してきて怒鳴りかけたまりもが、通信中である事に気付いて直立不動になって詫びる。
 武は乱入者に気付いた直後に自身の通信画像を消し、サウンドオンリーにモードを切り換えて様子を窺った。

(よかった……まりもちゃんも元気そうだな……ん? 後ろに、霞もいるのか……)

「ああ、構わないからドアをきっちり閉めてこっちに来なさいよ、まりも。
 社も一緒にいらっしゃい。幽霊に会わせてあげるから。」

 夕呼の言葉に、まりもは怪訝な面持ちをしながらも従うが、その脇を霞が珍しく小走りで駆け抜けた。

「あ、ちょっと……もう、気を付けるのよ?」

 まりもは、急に駆け出した霞を心配したのか、振り向いて制止しようとしたが、霞が夕呼の元へ無事辿り着いている事を確認すると、軽く注意を促すに留めてドアを閉め、自身も夕呼の元へと近付いた。

「さ~て、それじゃあご開帳といきましょうか。ほらっ、恥ずかしがってないで顔をちゃんと見せなさいって。」

 まりもが通信端末に近付いたところで、夕呼が武に促す。その言葉に、霞が身を乗り出し、まりもも不審な面持ちではあるが通信端末のディスプレイに視線を落とした。

「神宮司軍曹、一瞥以来ですがご壮健そうで何よりです。霞、怪我とかしなかったか?」
「なっ?! し、白銀?!……大尉……ご無事だったのですか? 戦死なさったのだとばかり…………しっ、失礼致しました!」
「……はい。私はなんともありません。白銀さんは………………」

 夕呼に促されて、通信画像を表示して挨拶した武に、まりもは驚愕し、霞はコクンと頷いた後、悲しげに武を見詰めた。

「ちょっと、ゆ―――香月副司令、これは一体……」
「はいはい。説明するから黙って聞きなさい。ちょっと問題が発生して、白銀が近々リタイアする事になっちゃってね。
 今後はあんたにも今まで以上に働いてもらわなきゃなんないから、オルタネイティヴ4の一部機密を開示するわ。
 その心算でしっかり聞きなさい。オルタネイティヴ4の究極の目標であり成果となるものを00ユニットって呼んでいて―――」

 まりもは、夕呼に事情を問い質そうとするが、夕呼はそのまりもを制止して、機密情報の説明を始める。
 その時間を利用して、武は霞と話をすることにした。

「なあ、霞。その船に着くまでに、海の上を飛んできたんだろ? 海は見れたか? ああ、でも夜だからよく見えなかったか……
 けど、朝日が昇れば、真っ青な海が見れるぞ。―――オレは、ちょっと一緒に見に行けるか微妙だけど、明日も晴れるみたいだからきっと綺麗だと思うぞ。」
「……はい。海、見ます……」
「霞は、もう大体の事情は先生から聞いてるのか?」

 武は霞に優しく話しかけた。『前の世界群』の霞と同じく、この霞も海を見たことがない筈だから、是非この機会に見せてやりたいと思ったのだ。
 本当は自分が一緒に居て見せてやりたかったが、戦死している立場ではそれは難しいと解っていた。
 霞も、素直に頷いてくれた為、武は本題に入る事にした。その言葉に、俯き加減になっていた霞は、弾かれるように顔を上げて応える。

「ッ―――はい。聞いています………………白銀さんっ!」

 そして、霞は何かを告げようとしたが、武は敢えて自分の言葉を重ねた。

「そっか……なあ、霞。オレはそんな具合なんで、近々居なくなっちまうけどさ、純夏にオレの代わりに先生の手伝いをしてくれるように頼む心算なんだ。
 だから…………だから、純夏の事、霞に頼んでもいいか?」
「はい! 任せてください!」
「そっか。ありがとな、霞。純夏の奴、あれで結構泣き虫だからさ。本当に頼むよ。
 純夏と2人で、たくさん想い出作るんだぞ、霞。」
「はい!……はい…………」

 武の言葉に、霞は涙ぐんで俯いてしまったが、それでも武の言葉にはこくこくと頷きを返していた。

「―――てことで、まりも、あんたには00ユニットとして起動した後の、鑑の面倒を見てもらうわ。
 00ユニットの事は、あたしと、ラダビノッド司令、社、ピアティフ、後は話すのはこれからだけど、伊隅しか知らない事だからその心算で居て頂戴。」
「―――りょ、了解しました。」

 武が霞と会話を交している間に、夕呼は端的に説明を進めていた。
 00ユニットの事、リーディングやプロジェクション能力の事、武が00ユニットの素体となっていた事、機能停止する武の代わりに、現在脳幹だけの状態である純夏が次の素体となる事、そして、その純夏の起動後の面倒を見て、衛士として作戦行動に参加できるように教育し、精神的にも安定させる役目をまりもが負う事などが手短に説明されていった。
 そして、説明を聞き終えたまりもが、夕呼に促されて通信端末の前に立つ。
 武の身の上を一部とは言え知ったまりもは、表情を消して武に話しかける。

「―――白銀大尉……」
「神宮司軍曹……いや、まりもちゃん。オレはもう戦死告知された幽霊ですから、階級抜きで話しましょうよ。
 純夏にはオレからも言い聞かせておきますけど、あいつの面倒を見てやってください。
 まりもちゃんにとっては、知らない人間でしょうけど、純夏の方は別の世界でまりもちゃんの教え子でしたから、きっと懐くと思うんです。
 出来たら、最初の間だけでも、軍人としてじゃなく、私人として接してやってください。
 神宮司軍曹は厳しくて恐ろしい鬼軍曹でしたけど、私人としてのまりもちゃんは、教師をしていたまりもちゃんと同一人物だけあって結構感じが似てますからね。」

 武は、堅い表情のまりもに向って、心からの笑みを浮かべて話しかけ、純夏の事を頼み込んだ。
 まりもは、武の言葉に表情を緩め、微かに悲哀の色を浮かべながらも、微笑んで武に応えた。

「―――そうね。あなたの遺言だと思って、出来る限りの事をするわ。
 その、鑑って娘にも、重い荷物を背負わせてしまう事になるだろうけど、押し潰されないように鍛え上げて、それでも辛そうな時は支えて励ましてあげるわよ。
 大分特別扱いになるけど……特殊任務になるそうだし、何より人類に多大な貢献をしたあなたの願いですものね。」

「ありがとうございます、まりもちゃん。これで、安心できましたよ。馬鹿な奴ですけど、ほんとに純夏の事を頼みます。
 それと―――オレは、まりもちゃんに色々と教えてもらった事を決して忘れません。
 まりもちゃんの指導を受けられた事はオレの誇りです。本当にありがとうございました。
 これからも、人類の為に後進の練成に力を尽くしてください。きっと、そいつらもまりもちゃんに教えられた事を誇りに思うはずですから。」

 武は頭を深々と下げて、まりもに感謝の言葉を告げた。それが、武の精一杯の別れの言葉であった―――




[3277] 第75話 4度(よたび)目覚めて――― +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/10/14 17:48

第75話 4度(よたび)目覚めて――― +おまけ

2001年10月22日(月)

 15時12分、国連太平洋方面第11軍横浜基地B19フロアにある夕呼の執務室で、武は夕呼との対面を果たしていた。

「―――なるほどね。大体の事情は解ったわ。荒唐無稽でご都合主義な話だけれど、一応、論理的に矛盾がない事だけは認めてあげるわ。」

 夕呼は顎に手を当て半眼になって武を眺めてそう言うと、武に向けて構えていた拳銃を引き出しに戻した。

「ありがとうございます。夕呼先生。で、少なくともオレの未来情報の精度を判定する為の情報がありますから、その検証を頼めますか?
 まずは、そこから始めるのが、お互いの関係を構築するのに良さそうだと思うんですけど。」

 今までに経験した3回の再構成と同様に、『元の世界群』そっくりの自室で目覚めた武は、人格転移手術の基礎理論となる数式を紙に書き留め、手早く役に立ちそうなものをまとめた後、苦痛に耐える為に気休めに鎮痛剤を服用した上で、タオルを歯で噛み締めて記憶の関連付けを強行した。
 鎮痛剤の効果は実感できなかったものの、数時間に亘る記憶の関連付けに伴う頭痛を、休憩を挟みながらも乗り切った武は、ふらふらとした足取りで家を後にすると横浜基地に向った。
 途中、横浜基地正門に続く坂道の桜の木で、先達の英霊に祈りと決意を捧げた上で数式のメモを根元に埋め、お馴染みの守衛を務めている伍長達に、『前の世界群』で使った符丁を夕呼に伝えてもらう。
 その後は、お定まりの検査を経て、夕呼の執務室で詰問を受けた。
 さすがに4回目でもあり、オルタネイティヴ4に関する知識も、夕呼のこの時点の心情も、今回の武には以前より格段に理解出来ていた為、武の置かれている特異な状況に関する説明は、比較的すんなりと進んだ。
 過去の経験を掻い摘んで話し、00ユニットの人格転移手術に必要な数式を知っている事、00ユニットに情報流出の危険がある事とその対処法、BETA反応炉の機能について、BETAの指揮系統について、『前の世界群』で有効であった対BETA戦術構想の事、武自身が目的としている時空因果律干渉による支配的因果律の上書きについて―――
 的確に要点をまとめながらも、時には夕呼の質問に答えつつ、武は重要と思われる情報の概要を全て伝えた。
 そして、それらの情報の信頼性を増す為に、未来情報の検証作業を夕呼に依頼するに至ったのだった。

「確かに、あんたの言う未来情報の検証が出来れば、今の話の信頼性も幾らかは上がるわね。
 けど、それはあんたの話が荒唐無稽であっても妄想ではないと判断できるだけで、あんたが虚偽を申告して居ない理由にはなんないのよね~。」

 夕呼は、武の言い分を認めた上で、更に論理を展開する。だが、これは武も承知の上であり、しかも対策も用意してあった。

「それはオレも承知してます。ですが、時間が惜しいのも事実なので、こちらの要求事項の中で、夕呼先生が問題ない、損にならない、そう判断した事から叶えて欲しいんです。
 オレは先生を信頼してますけど、先生にオレを信じろって言うのが無理なのは解ってますからね。
 ですから、最初は先生の都合でオレを利用して貰えればそれで十分です。ただし、可能な限り対応は前倒しにして欲しいので、それだけは重ねてお願いします。」

 武がそう言って深々と頭を下げると、夕呼は忌々しげな顔をして武を見て口を開いた。

「一見あたしの丸儲けに見えて、全部あんたの手の内じゃないのよ。
 ―――あんたみたいなガキに踊らされるのは気に喰わないけど、そんな理由で放置出来る様な情報じゃないのも確かみたいね。
 あんたの目論見に乗ってやるから、要望事項をまとめて提出しなさい。
 それと、未来情報の検証以外で、今日の内にやって欲しい事があれば今言うのね。
 真偽の裏付けが取れていないとは言え、これだけの情報を貰ったんだから、大抵の事はやってやるわよ?」

 殆ど、やぶ睨みに近い視線を武に突き刺しながら、嫌々といった口調で言う夕呼に、武は苦笑いを浮かべて望みを口にした。

「ODLの採取備蓄は可能な限り早くお願いします。XM3の開発も可能であれば今日からでも。
 鎧衣課長との協力体制も早期に確立したいですね。斯衛軍や帝国軍への働きかけは、その後の方がいいでしょうから。
 ああ、そうだ。これは出来たらでいいですが、207衛士訓練小隊の鎧衣美琴訓練兵の検査日程を早めて、退院を前倒しして下さい。
 これは、念の為ですけど、総戦技演習合格を契機としたHSST落下を早期に誘発させるには必要になりますから。」

「……そんだけ? あんたの身分とか、行動の自由とかは?」

 聞かなくても解っていると、表情でアピールしながら、それでも投げやりに確認する夕呼。これはそうとう機嫌が悪いなと思いながらも、武は応えた。

「そんなもの、大勢に影響はありませんからね。今までの話でオレの希望は大筋理解してもらえてるでしょうし、わざわざお願いするような事でもないでしょう。
 オレは、先生に協力する気はありますけど、餌をぶら下げられて踊らされるつもりはありませんから。」

「………………なんてやな奴! あんた、そんな態度であたしと上手くやってけると思ってんの?」

 機嫌の悪さを隠しもせず吐き捨てる夕呼に、武は肩を竦める。

「時間を節約しているだけです。それに、オレは経験の浅い隙だらけの若造ですからね。
 側に置いてもらえるなら、後で幾らでも玩べますよ?
 単に、今この時だけは、オレの方の準備万端なだけです。
 最初くらい、主導権を握れなかったからって、そんなに拗ねないで下さいよ。」

「ッ―――ふんっ! そこのソファーに座って、検証用の未来情報と、要望事項の一覧でも書いてなさい。
 あたしはあれこれ手配するから、邪魔すんじゃないわよ?」

 武の生意気な言葉に激昂しかけた夕呼だが、なんとか鼻息を荒くするだけで踏み留まり、武にレポート用紙と筆記用具を投げつける。
 そして、その後は武には一瞥もくれずに、執務机の端末に向って忙しげにキーを叩き始めた。
 夕呼に言われたとおりに、大人しくレポート用紙と筆記用具を拾ってソファに座り、武は検証用の未来情報の書き出しを始めた。
 未来情報の書き出しが終わっても、その後の要望事項は多岐に亘っており、書き上げるのも楽な仕事ではない。
 しかし、一刻も早く仕上げるに越した事はないので、武は、時間を無駄にしない為にレポート用紙をどんどんと文字で埋めていった。

(―――それにしても、色々と考えた上で、この方法が一番だと思ったんだけど、ここまで不機嫌になられるとはちょっと予想外だったな。
 『前の世界群』で相談した時、夕呼先生がニヤニヤしてたのはこうなる事が想像できてたからか……
 しょうがない、後々の為だ。夕呼先生だって不愉快なんだろうから、オレも我慢するか。)

 頭の中で、自身の感情を宥めると、武は要望事項の書き出しに集中する事にした。

 そうして、会話が途絶えて数分の時間が経過した頃、キーボードを打つ手は止めずに、夕呼の視線が一瞬だけチラリと武に向けられる。

(―――なんて生意気なガキなのよあいつ。あたしを前に淡々とこっちが喉から手が出るほど欲しい情報を話し捲って、自分からの要求は本当に時間的に急いだほうがいいものだけ。
 あんなの、頼まれなくたって、こっちの都合で手配するような事ばっかじゃないの。
 あたし相手に、取引も駆け引きさえもさせないで、手持ちの情報の価値だけで主導権をもぎ取って、その癖自分の利害には無頓着。
 ったく、やり難いッたらありゃしないわ。―――あとは、あれがポーズなのか、本心なのか。情報に罠が仕掛けられているのか、いないのか。
 あれだけの情報をぽんと出しておいて、今更罠も何も無いとは思うけど……あ~! ストレスが溜まるわっ! 後でまりもでもからかおうかしら。)

 内心で、そんな事を考えながらも、夕呼は関係各所にメールを出し、様々な手配を行っていく。
 それは、霞へのXM3開発指示、鎧衣課長への訪問依頼、オルタネイティヴ4研究員へのODL採取備蓄の指示、医療部に美琴の早期原隊復帰を実現させよとの命令、そして、武へのセキュリティーパスの発行と、国連軍兵士としての軍歴の捏造、B4フロアの士官用個室の手配、軍装や支給品の手配、207訓練小隊への編入辞令の発行、などなど……
 流れるようにキーを打ち続けていた夕呼の指が僅かな時間ピタリと止まる。
 そして、再び動き出した指が行った手配は―――00ユニット用擬似生体の新規作成の指示であった……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 18時31分、武はB19フロアのシリンダールームの前に立っていた。
 要望事項をとりあえず急ぎのものから書き上げていき、緊急性の低いものばかりになってきた為、武は作業を一旦切り上げて夕呼に提出してきていた。
 夕呼は詰まらなそうに、武が3時間近くかけて書き上げた要望書と、封印された上で、開封時刻を指定された未来情報検証用の資料を受け取った。
 そして、当座の方針を確認した後、夕呼はXM3開発の為に、霞に仕様を説明しに行くようにと言って、しばらく前にピアティフが運んで来たセキュリティーパスと、軍装及び支給品が一纏めになった荷物を武に押し付け、執務室から追い出したのであった。

 武は、深く息を吸い込むと、シリンダールームへと足を踏み入れる。
 最早、武にとって当たり前の光景と化したその部屋は、相変わらず薄暗く、部屋の中央にある純夏の脳髄が収められたシリンダーの青白い光ばかりが目立っていた。
 そして、そのシリンダーの脇に、いつもの改造国連軍軍装を着た霞が立ち、武の方をじっと見ていた。
 武は、部屋に一歩入るとそこで足を止め、背中でドアが閉まるのを待ってから、霞に優しく話しかけた。

「―――初めまして。オレは白銀武。そこの、鑑純夏の幼馴染だ。
 まあ、実際には、他の確率分岐世界群で純夏の幼馴染だった、白銀武の因果情報を集めて再構成された存在ってのが正解らしい。
 面倒くさい話だけど、君なら解るよな?
 で、君の名前―――」
「―――霞でいいです………………社霞……知っているのに、何故聞き直そうとするんですか……」

 武が自己紹介をして、霞に名前を訊こうとすると、霞がその問いを遮るように名乗り、武に疑問をぶつけた。

「霞って呼んでいいのか? ありがとな、霞。で、名前を知っているのにもう一度訊いたのは、それが初めて会った時の礼儀だと思うからだよ。
 オレは確かに何人もの霞と出合って、沢山の想い出を貰った。けど、それは、今オレの前に居る霞じゃないだろ?
 だから、オレは今目の前に居る霞と、もう一度1から想い出を積み上げていきたいんだよ。」

「……想い出………………この私も、作れるでしょうか?」

 霞は、ほんの数歩であったが、自ら武に歩み寄って訊ねた。武は満面の笑みを浮かると、自信を持って応える。

「勿論さ。さっき、オレは沢山の社霞と知り合いだって言ったよな? けど、想い出作りに失敗した霞は未だに見たことが無いんだ。
 だから―――大丈夫だよ、霞。もしオレでよければ、一緒に沢山想い出を作ろうな。楽しい想い出をさ。」
「―――はい。」

 霞はコクンと頷いた。武は霞に歩み寄って、右手を霞の頭に乗せ、優しく撫でてやった。
 そして、しゃがみ込んで霞と視線の高さを合わせて話しかける。

「けどまあ、まずは仕事の話を済ませちゃっていいかな? 霞に是非作り上げて欲しいプログラムがあるんだ。
 頼んじゃってもいいか?」

「……香月博士から聞いてます……戦術機用の新OS、ですね……」

 髪飾りを1回だけ跳ね上げて、霞は夕呼から既に指示を受けている事を明かした。
 武は霞に頷いて、XM3の説明を始める。

「そうだ。まず、オレの考えているOSの特徴なんだけどさ―――」

 武はXM3の基本的な機能の特徴、『前の世界群』で霞から教えてもらった開発に於ける要注意点、後から追加して欲しい機能の方向性等を系統立てて説明していった。
 内容は、『前の世界群』で霞に意見を聞きながらまとめたもので、記憶を頼りになんとか思い出しながら霞に伝えることが出来た。
 一通り説明を聞いた霞は、幾つかの質問をした後、既に運び込まれていた事務机と持ち運び式端末に向い、早速作業を開始する。
 武は、その後姿に、控えめに声を投げかける。

「ごめん霞。なるべく邪魔しないから、ちょっと純夏と話してていいか?」

 すると霞は、振り返りこそしなかったが、耳飾をピョコっと立てて、応えた。

「はい……どうぞ……」
「ありがとな、霞。プログラム、頑張ってくれよ。期待してるからな。」

 武は霞に感謝と激励を告げて、シリンダーの中の純夏に向き直った。

「よう、また会ったな、純夏。つっても、おまえはこのオレに会うのは初めてになるんだけどな。
 最初の再構成と2度目の再構成で、オレはおまえを護れずに失い続けたよ。
 3度目の正直で、『前の世界群』では必死に頑張ったけど、幾つかの確率分岐世界ではやっぱりおまえを護り切れなかった。
 おまけに、おまえを幸せに出来たって胸を張って言えるような世界なんて、ひとつも……ひとつも無かったよ、純夏……
 情けない幼馴染でごめんな、純夏。なんだか、オレっておまえを悲しませてばっかりのような気がするよ。
 今回こそ、おまえが少しでも幸せになれるように頑張るけどさ、けど、ごめんな純夏。おまえの幸せよりも、まず人類が生き延びられるようにしなくちゃならないんだ。
 おまえが……おまえがオレに会いたい一心で、孤独に耐えているのを承知で、それでもお前の事を一番にしてやらないオレを許―――
 ……………………ごめん、今の無しな。お前を一番大事にしてやらない身勝手で我侭な幼馴染で悪かったな。
 けど、それでも頑張るからさ。何時か……何時かは人類も救って、おまえも、他のみんなも幸せに笑えるように、本当に頑張るから―――だから、それまで待っててくれよ。
 夕呼先生が許してくれれば、近い内にまた話せるようになるからさ。それまでは、おまえも寂しいだろうけど、もう少し頑張っててくれな。」

 武はシリンダー越しに純夏に話し終えると、額をシリンダーに押し当てて、暫し物思いに耽った。
 『元の世界群』での能天気なやり取りや、幼い頃の純夏。
 2度目の再構成で再会した、00ユニットとして目覚めた純夏。
 3度目の再構成で再会し、別れを告げ、後を託してきた、純夏自身の夢の中の純夏。
 自分にとってはつい先日の出来事である純夏との別れ。武はその想い出を鮮明に思い出していた。



 『前の世界』で過ごした最後の日々の中、もうそろそろ、活動限界が来ると悟ったあの日。
 武は夕呼に許可をもらって、純夏と仮想現実で別れを告げ、そして、後の事を託そうとしていた。
 武は先ず、人気の無いタイミングを見計らって、『凄乃皇弐型』予備機のカーゴベイへと移乗した。
 そして、ODLの消耗を抑える為の、催眠誘導による安静状態から純夏の精神をゆっくりと覚醒させていく。

 武は『元の世界群』の自分の部屋のイメージを純夏にプロジェクションする。
 そして、純夏の心の中に出現した武のベッドで、純夏は目を覚ました。

「ん?…………あ、おはよー、タケルちゃん! って、ええ?! なんでわたしタケルちゃんのベッドで寝てんの?!
 ま、まさか、タケルちゃんがわたしにヤラシー事を!!」
「んな訳あるかっ!!」「あいたーーーッ!」

 ビシッ、と純夏の頭を引っ叩く武。そして、叩かれた所を押さえて涙ぐむ純夏。
 武はこんなやり取りも、暫くは出来なくなるなと、内心で思いながらもリーディングとプロジェクションを続けた。

「ったく、何時までも寝惚けてんじゃねぇよ。ほら、思い出せよ、此処は何時もの仮想現実。
 今日はちょっと大事な話があるんだから、真面目に聞いてくれよな。」
「あ、そっかー。そう言えばそうだったね。思い出したよタケルちゃん!
 で、大事な話って何?」

 何時ものように前傾姿勢になって、上目遣いで覗き込んでくる純夏に、武は溢れ出しそうな想いを必死に押さえ込んだ。

「前から、オレが現実の世界の方で、宇宙から来た敵と軍隊に入ってロボットで戦ってるって言ったろ?
 そんでさ、ちょっとドジ踏んじゃってな……もうそんなに生きてられないんだよ……オレ……」

「え?……何言ってるの? タケルちゃん…………冗談だよね?
 だって、タケルちゃん、全然平気そうじゃん。怪我だってしてないし……」

 口では信じられないような事を言いながらも、純夏の表情はどんどんと悲痛なものになっていく。
 武はその様子に、慌てて説明を続けた。

「あああああ、大丈夫、大丈夫なんだ純夏。大怪我したとか、痛いとか苦しいとか、そういうのは全然ないから!
 ちゃんと、ちゃんと説明するから、落ち着いて聞いてくれ。純夏、おまえにも関係のある話だから。」

「ほ、ほんとうに? ほんとうにタケルちゃん痛かったり、苦しかったり、怪我してたりしない?」

 純夏は顔を触れ合わんばかりに近づけて、武の瞳を覗き込むようにして訊ねる。
 そして、武が視線を逸らさずに、微かに頷いて答えると、ようやく安心したように離れて、ベッドに腰掛けた。

「解った。大人しくしててあげるから、その代わりちゃんと説明してね? タケルちゃん。」

 武も、純夏と並ぶようにベッドに腰掛けると、説明を始める。

「前に、純夏の体が事故でボロボロになっちゃってて、治るまでに時間がかかるって言ったろ?
 実はおまえの体の状態は、もう少し悪くって……無事だったのは脳と脊髄だけなんだ―――」

 武は純夏に、純夏が現在脳髄だけで、BETAの技術で生命維持されている事。
 BETAとは宇宙からやってきた敵の総称で、バイオ技術に優れている事。
 地球に来ているBETAの殆どは、どうやら生体ロボットのようなもので、自我を持っていないらしい事。
 BETA由来の再生医療技術の研究が順調に行けば、脳髄だけの状態から、五体満足に再生される可能性が十分にある事。
 そして、現行技術で作られた、SFのサイボーグかアンドロイドのような、擬似生体のボディーに精神を移して、生身の体の代わりとする方法もある事。
 自分も戦傷が元で、現在その擬似生体のボディーに精神を移して『生きて』居る事。
 ところが、夕呼の研究に反対する勢力によって、BETA反応炉が破壊されてしまい、その結果、近々擬似生体が活動停止に陥り、自分も実質的に死亡してしまう事。
 武が助かるには間に合わないが、再生医療技術が確立されれば、擬似生体から生身の身体に戻れる可能性もある事。
 それらの事柄を、武は純夏に、じっくりと説明していった。
 『元の世界群』の純夏から流出した記憶の上に再構築されている、今の純夏の人格にとって、それは荒唐無稽な話ではあったが、アニメや漫画の設定と思えば一応理解する事は可能だった。
 勿論、現実感などは皆無だったが。

「―――で、この擬似生体ってのだけど、夕呼先生の開発した対BETA用の秘密兵器なんだ。
 今までは、オレが擬似生体として夕呼先生の手伝いをしてきたけど、さっきも言った通り、もうそんなに長く活動できない。」

「やだよっ! なんで……なんでタケルちゃんがそんな事しなきゃなんないの?! それに!
 活動できないって、タケルちゃんが死んじゃうって事なんでしょ? やだよそんなのッ!!」

 これまでの説明の最中にも、何度かあったが、武の身の上に関する話題になると、純夏は感情的に過剰に反応する。
 この時も、耳を手で押さえ、頭を力の限りに激しく左右に振って、話を聞こうとしなくなった。
 武は、しばらく話を中断して純夏が落ち着くのを待ち、動きを弱めた純夏の両手を優しく握り、耳からそっと外して話しかける。

「純夏……オレたちが今いる世界じゃ、BETAを何とかしない限り、人類は滅んじまうんだよ。
 オレは、おまえや、冥夜たちが笑って生きていけるようにと思って頑張ってきた。
 でなければ、いずれ近い内に、みんな死んじまうからだ。
 オレだって別に死にたかった訳じゃないから、あれこれ工夫して、なんとか戦争で死ぬ人の数が減るようにした。
 けど、それでも何人もの人が死んだし、それはBETAから地球を取り戻すまでは終わらないんだ。
 この世界の夕呼先生は、その為に一生懸命努力している。オレの考えにも協力してくれて、お蔭でオレなんかの考えが採用されて、戦況は改善された。
 けど、それもこれも、擬似生体の能力が発揮されたからこそなんだ。それが無ければ、夕呼先生も失脚して、大勢に影響を及ぼせなくなっちまうんだよ。
 だから純夏、おまえに頼みがある。オレの代わりに、擬似生体に心を移して、夕呼先生を助けてあげて欲しい。
 そして、平和を取り戻して、生身の身体に戻って、みんなと仲良く暮らして欲しいんだ。」

「なんで? どうして私なの? タケルちゃん。なんでわたしやタケルちゃんが、戦争なんかしなきゃなんないのさぁッ!」

 両手を武に握られている為、純夏はせめてもと大声を上げて喚く。武は、その様子に寂しげな顔をして、それでも話を続けた。

「誰もが、何かしらの形で戦わなきゃいけない厳しい世界なんだよ。少なくとも、今は。
 そして、擬似生体に心を移せる適性を持った人間はそんなに居ない。おまえが断れば、冥夜達の誰かが選ばれるかもしれないんだ。
 あいつらは、この世界で育ってきたから、擬似生体になるのを断ったりはしないだろう。
 けど、そうなったら純夏、おまえは再生治療の技術が確立するまで、脳髄だけのまま、眠り続ける事になっちまうんだぞ?
 いま、こうして話している仮想現実も、実を言えば、擬似生体の兵器としての機能を使ってるんだ。
 だから、鮮明なイメージの中で見たり聞いたり話したりすることも、多分出来なくなる。
 そんなのは、嫌だろ?……それに、オレのやりかけた事を、おまえに引き継いで欲しいんだよ。
 そして、冥夜達と力を合わせて、この世界で生きていける道を、切り開いて欲しいんだ。」

 純夏は、見開いた瞳からぽろぽろと涙を零し、しゃくり上げながら掠れた声で言う。

「やだよ……タケルちゃんが居ない世界なんて、意味ないよ!」

「…………純夏、頼むから、そんな事言わないでくれよ……
 今回も、オレの力は足りなかったけど、それでもおまえや冥夜たち―――護りたい人たちを、やっと護り抜く事が出来たんだよ。
 勿論、これからも戦いは続くから、今まで護り抜けたって言ったところで、只の自己満足なのは解っているさ。
 けど―――それでも、今まではその自己満足すら出来なかったのが、ようやく此処まで辿り着いたんだよ、純夏!
 今回、オレは初めてあいつらを一人も失わずに済んだんだ! だから―――だから、オレが居なくなった後も、生き抜いて、幸せになって欲しい。
 解ってくれよ、純夏……」

 純夏は、涙で歪む視界の中で、それでも武を見つめ続けていたが、そっと武の手を握り返してから、武の手を優しく振りほどいて涙を拭った。

「―――ほんと、タケルちゃんは我侭だよね。何でも自分で決めて突っ走って、わたしはそれに付いてくのがやっとでさ……
 それで、どんどん先にいっちゃうんだから…………たまには立ち止まって待っててくれたっていいのに……
 あ~あ~、もう、しょうがないや~。それでもわたしは、そんな、前だけ見てがむしゃらに走ってくタケルちゃんも嫌いじゃないから……
 だから……タケルちゃんの言う通りにしたげるよ。
 タケルちゃんが居なくなった後は、わたしが頑張ってタケルちゃんの代わりをするよ!
 そしたら、きっと何時か、タケルちゃんに追いつけるよね?
 タケルちゃんは、死んじゃったら、また10月22日に戻るんでしょ?」

 純夏は、疲れたような、それでも精一杯の笑顔を浮かべ、武の願いに応える。
 そして、最後に告げられた問いに武は頷いて応えた。

「ああ、多分また、最初からやり直しになると思う。」

 武の返事を訊いて、純夏は笑みを広げて言う。

「―――じゃあさ、わたしがまた、今回みたいに次の世界にも出現するかもしんないよね。
 そしたら―――今度こそ、現実で会おうね、タケルちゃん! 約束して、くれるよね?」

「ああ―――約束するよ、純夏…………」

 それが、自分のついた嘘に立脚する以上、実現し得ない事を承知の上で、武は純夏と約束を交した―――



 ―――『前の世界』での純夏との回想を終えた武は、額をシリンダーから離して、再び純夏を見つめる。

「純夏……約束したのは『前の世界』のおまえとだけど、今度こそ……今度こそおまえを目覚めさせてやるからな。
 また、泣かせちゃうかも知れないけど、その分沢山笑わしてやるから、覚悟しとけよな。
 ―――じゃあ、また会いに来るよ、純夏。またな。」

 声を聞く術も、返事を返す術も無い純夏に別れを告げて、武は踵を返した。

「霞、邪魔して悪かったな。今日はこれで帰るよ。プログラムと―――純夏の事、頼むな。」

 霞は、作業を一旦中止して、椅子から立ち上がると武に向き直って言った。

「バ………………またね。」

 その、霞の言葉に、武は笑みを浮かべて応じると、部屋を出て行く。

「ああ、霞。またね、だ。」

 その武の背中を見送り、ドアが閉まった後も、霞はその場に立ち続けていた。

(『またね』は再会を願う言葉、『バイバイ』は別れの言葉―――あの人は、一体どれだけの別れと再会を経験してきたのでしょうか……
 私が別れを告げようとした時には、既にあの人は『またね』と言う言葉を教えようと考えていました。
 私は、それを『見て』、『またね』と再会を望む言葉を告げました。
 あの人は、それだけで私がリーディングをしたことに気付いて、それなのに、その行為を受け入れて満足して立ち去っていきました。
 私の能力を確認して満足したのでしょうか? それとも、多くの私を知っているから、慣れているのでしょうか?
 あの人は優しく接してくれますが、それは私を利用する為なのでしょうか?……解りません……
 けれど、あの人のイメージの中では、私ではない私が嬉しそうに笑っていました。
 あれが、あの人と私ではない私との想い出だとしたら、私もあんな想い出を得ることが出来るのでしょうか?
 …………解りません。けれど、私も想い出が欲しいです。だから………………)

 霞はそのまま暫く自問自答を行った後、プログラミングを再開した―――

  ● ● ○ ○ ○ ○

 20時06分、B4フロアの武の自室の前に、まりもが立っていた。

「白銀臨時中尉殿! ご在室でいらっしゃいますか?」

 まりもは廊下に直立不動で立ち、声を張り上げる。すると、直ぐに中から入室の許可が下りた。

「あ、構いませんから、入ってください。」
「はっ! 失礼致します。
 ―――私は当基地の衛士訓練学校にて教官職に任ぜられております、神宮司まりも軍曹であります。
 香月副司令の指示により参りましたッ!」

 まりもは、部屋へと入り、ドアを閉めると、その場で再び直立不動となって敬礼して名乗る。
 武は、腰掛けていた椅子から立ち上がり、答礼をして椅子を差し出す。
 そして、自身はベッドに座りなおしながら、武はまりもに話しかけた。

「楽にして、椅子にかけてください、神宮司軍曹。ああ、遠慮はしないように。
 オレは下級者を甘やかす趣味はありませんが、不要に厳しく当たる趣味もないので。
 まあ、オレ自身、戦時階級こそ臨時中尉ですけど、正規の階級は一等兵ですからね。
 だから、階級については少々特異な感覚を持ってますから、下級者への態度に関しては多めに見てください。
 年齢的にも若輩ですしね。無論、軍の規律を乱す気はありません。」

「はっ! それではお言葉に甘えさせていただきますっ!」

 武は、なにかしら言いたげなまりもの機先を制して、自分の主張を一気呵成に述べてしまう。
 その為、まりもは言われるままに、椅子に腰掛ける羽目になった。

「さて、香月副司令から既に聞いていると思いますが、明日からオレは第207衛士訓練小隊に配属されます。
 つまり、1訓練生として、神宮司軍曹の練成を受ける身になる訳です。
 理由は、ご存知のとおり、国連軍衛士としての正規の教育を受けて、新任衛士として正式に任官する為です。
 そして同時に、新機軸の衛士訓練課程の実証試験を、オレ自身を含む207小隊で実施してもらいます。
 新しい衛士訓練課程の詳細は、今資料を作成中なのでもう少し時間を下さい。明日には戦術機操縦課程に移るまでの資料を渡します。
 オレは、訓練兵としての立場と同時に、香月副司令直属の特殊任務従事者として戦時階級も保持しますので、その時々で階級ごと立場が変わってしまいます。
 ですから、然るべき時と場合を除いて、他の訓練兵と同じ様に扱ってください。
 気苦労をかけちゃいますが、こちらも任務上止むを得ない事なので、よろしくお願いします。」

 まりもが腰掛けるのを待って、またもや畳み掛ける様に話す武。その内容に、まりもは目眩を感じる。

「は、ご要望は確かに承りました。ですが、幾つか質問があります。お許し願えますでしょうか。―――ありがとうございます!
 まず、訓練兵と同様にとのご要望でしたが、臨時中尉殿として遇させて頂く訳には参りませんでしょうか?
 また、中尉殿の階級と新訓練課程の実証部隊となる事に関して、訓練兵達に知らせても構わないのでしょうか?
 最後に、新訓練課程が求める成果が何処にあるのかを、ご教授願えますでしょうか?―――質問は以上であります。」

 まりもの質問を許した武は、黙ってまりもの言葉を聞き終えると、満足気に頷いて応える。

「まず、オレの扱いについてですが、オレの戦時階級は、本来特殊任務に従事している最中のみに限定されています。
 ですから、常時その階級というのも、本当は不味いんですよ。
 殊に訓練中は、特殊任務に関連して指示や見解を述べる時以外は、確実に特殊任務中とは言えませんから、訓練兵としての階級が適用されるべきでしょう。
 軍の規律を云々するのであれば、訓練中に臨時中尉として扱うほうが、問題が大きいと考えます。
 とは言え、現状だと訓練中以外では特殊任務に従事しているような状態なんですよね。
 ですから、訓練兵と共にいる場合には原則として訓練兵として、訓練兵が共にいない場合には臨時中尉として接してください。
 ああ、無論訓練兵が居合わせても、特殊任務に明確に従事している際は臨時中尉でも構いません。この案件は、これで決定とします。いいですね?
 次に、オレの階級の話と、新訓練課程の実証部隊となった事は、207に通達して構いません。
 いずれ、段階的に訓練兵たちの情報開示レベルも上がっていくことになりますし、隠しても無益ですから。
 最後の質問は我が意を得たりと言ったところですね。新訓練課程の求める成果は、対BETA戦闘に於ける衛士の生残性向上です。
 対BETA戦闘に於ける衛士を含めた戦死者の数を、画期的に減少させる新戦術の構築が、特殊任務でオレが研究している内容なんですよ。
 今回の、新訓練課程も、その一環です。まあ、今は大言壮語としか思えないでしょうが、その辺はおいおい理解していってもらいます。
 けれど、万に一つでも、今言った成果が見込めるのなら、試す価値は十分あると思いませんか?」

(対BETA戦闘での戦死者の減少ですって? しかも画期的に?!―――そんな事が簡単に出来るんなら苦労しないわよ……
 でも、確かにそれが実現できるなら……いえ、まずはそれよりも無茶なカリキュラムで、あの娘たちが潰されないように気を付けないと……)

「無論です! それは、長きに亘って先達が求めて止まなかったものであります。そういう事であれば、微力を尽くさせていただきます!」

 まりもは、内心を押し隠して言葉を発した。それを知ってか知らないでか、武はまりもに微笑みかけて口を開いた。

「それは心強いですね。神宮司軍曹の噂―――というよりも、人事データは見させてもらいましたから、安心して任せられます。
 それと、神宮司軍曹にはオレの特殊任務も手伝って貰いますよ。
 これは、既に香月副司令から内諾を受けていますから、明日には特殊任務従事中の戦時階級として、臨時中尉の辞令が届くはずです。
 一応、オレが先任で特殊任務ではプロジェクトリーダーという事になりますが、同じ階級でオレの方が若輩ですから、明日からは敬語の類は勘弁して下さいね。」

 武のその言葉に、まりもの目が丸く見開かれた。

「は? 私が特殊任務に? 臨時中尉ですか? ど、どうしてそんな事に?!」

 そんなまりもの様子を見て、笑みを深めて武が応えた。

「香月副司令のご推薦ですよ。衛士として一流で、習得した技術の指導が出来る人材をと言ったら、神宮司軍曹の名前が出てきたんです。
 元は帝国陸軍中尉だったそうじゃないですか、教官職が長かったとは言え、驚くような階級じゃないですよね?
 そういうことでなんで、訓練中は教官として、特殊任務では同輩として、明日からよろしくお願いしますね。」

(―――ゆ、夕呼の奴! 面白半分に推挙したわね~っ!)

 心の中で、横浜基地の実質的な支配者に対し、文句を言い倒すまりもであった。



*****
**** 05月05日榊千鶴誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話18 ****
*****

どこかの確率分岐世界
2014年03月30日(日)

 19時32分、国連太平洋方面第11軍横浜基地の1階に位置するPXは、多くの将兵が集まってごった返しており、その大半はA-01旅団所属衛士達であった。
 なぜなら、この日、立食パーティーの形式で催されているのが、A-01を退役する衛士の送別会であったからだ。
 翌日、2014年3月31日を以って退役する事となった、榊千鶴少佐、水代葵大尉、桧山葉子大尉、水代紫苑大尉の4人と別れを告げるために為に催されたこの送別会には、A-01所属衛士以外にも、多くの将兵が入れ替わり立ち代り別れを告げに訪れていた。
 この横浜基地に10年以上に亘って所属し、BETA大戦終盤の反攻作戦に於いて、常に先鋒として戦い続けたA-01の古参衛士である4人の声望は絶大であり、別れを告げようとする人波は一向に途切れる様子も無く、4人の周囲へと押し寄せていた。
 殊に千鶴以外の3人は寿退役であり、佐伯との結婚が決まっていた為、彼女等全員が、揃って幸せそうな笑顔を満面に浮かべていた。

 ―――そして、怒涛の様な2時間が過ぎ去った頃、ようやくPXの人影が減り始め、だんだんと主役である4人も親しい仲間達と歓談する余裕が出来てきた。
 送別会の冒頭に於いて乾杯の音頭を取った後、送別の辞を述べたラダビノッド少将と共に、人混みに押されるようにしてPXを後にしていた武も、そろそろ頃合と見て再びPXへと舞い戻る。
 A-01旅団の指揮官である武は、4人の退役願いを受理する立場であった為、既にこの件に関しては十分に話し合っている。
 その為、武は他の仲間たちが4人と歓談する姿を遠巻きに眺めるだけで、その輪の中に入って行こうとはしていなかった。
 が、そんな武に目を留めた千鶴は、周囲の人々に断りを告げて、1人武の元へと歩み寄った。
 それまで千鶴を囲んで歓談していた元207訓練小隊の同期兵達は、千鶴を見送った後、そのまま自分達だけで歓談を再開する。どうやら、千鶴が戻るのを待つつもりのように見受けられた。

「白銀大佐―――っと、ちょっと、そんなあからさまに嫌そうな顔しないでよもうっ!
 …………解ったわよ、白銀って呼び捨てにすればいいんでしょ? まったく………………」

 歩み寄った千鶴が敬礼をして武に話しかけようとすると、武は即座に顔を歪ませて恨めしそうな顔を作り、千鶴にこれ見よがしに見せ付けた。
 その30過ぎとは思えない子供のような振る舞いに、説得を早々に諦めると、千鶴は武の無言の要求に屈する事にした。
 訓練兵時代に出会って以来、無数に交された同様のやり取りの情景を思い出し、肩を竦める千鶴の頬が微笑みによって緩む。

「白銀、あなたは本当に相変わらずね。200人からの部下をまとめる立場なんだから、もう少ししゃきっとしなさいって何時も言ってるでしょ?
 まあ、神宮司軍曹譲りのTPOを弁えた変わり身は見事だとは思うけど……って、こんな話しに来たんじゃないのよ。
 危なく今日も説教で終わっちゃうところだったじゃないの!」

「おいおい、委員長。勝手に捲くし立てておいて、さすがにそれはないだろ?
 それでもまあ、退役してもたまには顔を出して、説教してくれよ。委員長が居なくなると、気が抜けちまうかもしれないからな。」

 千鶴の半ば愚痴めいた言葉に、嬉しそうに笑みを浮かべながら武が応じた。
 千鶴は、腰に両手を当てると、やれやれと首を横に振って呆れ返ってみせる。
 そして、千鶴は武に対して本題をようやく切り出すのであった。

「白銀。私、次の衆議院議員総選挙に立候補する事に決めたわ。
 先日、野党の選挙対策委員長と話したんだけど、多分拾ってもらえることになりそうなの。」

「……そっか。親父さんの政党には所属しないのか。
 おまえが野党から出馬するとなると、与党も議席を減らしかねないな。
 なんで、親父さんの手伝いをしてやんないんだ? 委員長。」

 武は千鶴の言葉に首を傾げた。そんな武にニヤリと笑みを浮かべて千鶴は応じた。

「あら……私は父の手伝いをするつもりよ? 私が与党に参加したところで、『イスミ・ヴァルキリーズ』としての令名のお蔭で議席が増えこそすれ、父の政局運営にさしたる影響は及ぼせないわ。
 父も、自分の政党の中で後継者となりうる人材を育ててきてるし、今更私が加わったところで、仕方ないでしょ。
 それよりも、父の影響力が届き難い野党に私が潜り込んだ方が、国政を望ましい方へと誘導できるし、与党の腐敗や暴走も抑止できる。
 殿下や父が、より良くこの国の舵取りが出来るように、私の全力を尽くすつもりよ。
 ………………そうすれば、第6計画も推進しやすくなるでしょ?」

 千鶴は右手人差し指を立てて、武に滔々と自分の考えを説明した後、最後の部分だけ小声で囁いた。
 今年初めの、A-01部隊長ブリーフィングに於いて、オルタネイティヴ4は地球奪還の達成を以ってその使命を完遂したとされ、直属部隊であるA-01は、月奪還を目標とするオルタネイティヴ6直属部隊として存続するとの内示があった。
 その席には中隊長であった千鶴も参加しており、オルタネイティヴ6が引き続き日本に誘致されて、夕呼の下でオルタネイティヴ4からほぼ横滑りで始動するとの説明を聞いていた。

「そうだな。第6計画を推進する為にも、日本の国策は安定しているに越した事はないな。
 委員長と親父さんが、2人で与野党双方から支えてもらえれば、正直助かるよ。
 日本が安定していれば、国連内での諸勢力への対応に力が裂けるからな。」

「ふふふ……白銀って政治論議なんて全然興味なさそうなのに、さすが香月副司令の片腕ともなると色々と考えてるみたいね。
 嫌々やってるのが、傍から見てて丸解りだけど……」

 千鶴の言葉に真面目な顔で頷く武に、千鶴がおかしそうに笑い声を漏らしてからかう。
 武は拗ねたような顔をするものの、千鶴に対して右手を差し出した。

「……委員長。そういう事なら、これからもよろしく頼む。退役して、戦う戦場は別れちまうけど、おまえはこれからもオレ達の戦友だ。
 応援するから、早いとこ野党で上り詰めてくれ。そうすりゃ、この国も安泰だもんな。」

「そうね。出来る限りの努力を約束するわ。」

 そう言って千鶴は、武の右手を力強く握った。



 2014年4月30日、帝都の国鉄『新宿駅』東口に於いて、千鶴は街頭演説を行っていた。
 周囲には報道陣が押し掛けており、集まってくれた市民を圧迫している事に内心眉を顰めた千鶴だったが、報道により自身の声が広く有権者に届く事を考えて、心中で密かに折り合いをつけた。

「―――私は、政治家としては素人に過ぎず、未だ人生経験の浅い未熟者に過ぎません。
 しかし、地上からBETAを一掃した今日、私は戦友や先達、英霊となられた方々の努力によって取り戻された平和な社会を、より豊かなものとする事こそが私が選ぶべき道だと思い定めました。
 幸い、我が国は政威大将軍殿下の先見の明により、BETA侵攻、ハイヴ建設による苦難を退けて復興を遂げ、国土の安定を成し遂げながらも、大陸に於けるBETA被支配地域の解放に手を差し伸べ続けてまいりました。
 その結果、自国の復興は些かその歩みを緩めたかもしれませんが、我が国は多くの国家と友誼を結び、高い評価を得るに至ったのです。
 そして今や、人類は遂に世界を挙げて復興の途に着こうとしています。
 未だ、月に蔓延っているBETAを叩く戦いが残ってはおりますが、まずは地上に於いてはBETA大戦の傷跡を癒し、復興を推し進めねばならないでしょう。
 我が国は、BETAに占領された国土を奪還し、共に復興に邁進する友邦諸国の先駆けとなり、BETAによって奪われた繁栄を今一度取り戻し、豊かな地球の再建に尽力するべきなのです。
 その為に、これまで以上に重要となるのは、大局を見通し国家の大計を立てる事だけではなく、国民である皆さん一人一人の求める事柄を掬い上げ、国政に反映して殿下に奏上仕る事ではないでしょうか。
 殿下は英明であらせられますが、さりとて臣民の願いを押し並べて掬い上げる事は、畏れながら殿下の御手を以ってしても為し難い事であらせられるかと拝察いたします。
 さすれば、それを殿下に代わって為し、輔弼(ほひつ)する事こそが、皆さんの代りとなって帝国議会に座を占める代議士の責務であると私は確信しています。
 私は、皆さんの意志を尊重し、より良き明日の帝国を実現する為に、戦術機を降り、衛士強化装備を脱ぎ、銃後を支え続けた皆さんと共に立って、国政の場に於いて新たなる戦いに邁進する決意でおります。
 無論、将兵が銃後の支えなくしては戦えぬのと同様、いえ、それ以上に、私は皆さんのご支持、ご支援無くしては、戦いの場に立つ事すらできません。
 私が戦いの場に立って何事かを成し、皆さんのご支援に応える事が出来るまでには、多くの艱難辛苦を乗り越えねばならぬ事は弁えております。
 また、BETA大戦の最中に臣の首班として殿下を輔弼し、国土奪還を成し遂げた我が父と袂を分かっている事もまた、弁えております。
 しかし、先程も申し上げたとおり、新しき時代が到来した今、旧来の手法を無批判に踏襲するだけでは、より良き実りは得られないと私は考えます。
 敢えて、定石を用いず、主流におもねる事無く、新たなる道を模索し、国政に皆さんの意志に基づく道標を掲げる事こそが、私の切なる願いであります。
 どうか皆さん。皆さんの声を、願いを、意思を、未熟ではありますが私に託し、戦いの場となる帝国議会へと送り出していただけないでしょうか?
 若輩である我が身を顧みて、厚かましい事とは思いますが、何卒ご支援を賜りますよう、どうかお願い申し上げます。」

 深々と頭を下げる千鶴に対して、演説に聞き入っていた人々の熱狂的な拍手と、報道陣のフラッシュが投げかけられた。
 佐渡島ハイヴの攻略、そしてオリジナルハイヴを初めとする数多のハイヴ攻略に於いて、最前線で戦い続けた国連軍横浜基地所属のA-01部隊。
 日本国籍の衛士で構成されたA-01は、斯衛軍と並んで帝国国民の誇りであり英雄であった。
 中でも、佐渡島ハイヴ攻略時から所属している、当時の第9中隊『伊隅戦乙女中隊』所属の18名は、『イスミ・ヴァルキリーズ』と呼称されて熱狂的な崇拝を寄せられている。
 その18名の一人であり、BETA大戦の混迷期から一貫して国政の一翼を担ってきた、榊是親卿の息女である千鶴の退役と政界への転身は、国民の衆目を釘付けにする出来事であった。
 是親卿と袂を分かち、野党から立候補するとの一報には多くの者が首を傾げはしたものの、選挙活動を通じて語られた千鶴の言葉には、父である是親卿を貶める言葉は一切無く、千鶴はただ只管に新しき道を模索し、国民の意思をより良く反映する事のみを希求する姿勢を貫いた。
 与党に対する反対意見ばかりを声高に述べる候補の多い中、千鶴の姿勢は所属する党主流との乖離を窺わせたが、その集票能力の高さに期待する党は千鶴の言動を容認し、その一貫した姿勢に国民の多くは理解を示す事となった。



 ―――そして、翌5月4日。無謀にも父是親と競った小選挙区でこそ敗れたものの、千鶴は比例区に於いて初当選を果たした。
 当確が確定した時点で、殺到した報道陣に対して千鶴は手短に語った。

「どうやら、私は政治家としての初陣で生き残る事が出来たようです。
 この上は、支援してくださった有権者の方々の為に、粉骨砕身して為し得る限りを尽くしたいと思います。
 ですが、私の先達たる党の立候補者の方々には、未だに戦い続けている方もおいでになります。
 戦いが完全に終わるまで、私は推移を見守る覚悟ですので、今の所はこれでご勘弁下さい。」

 報道陣にそれだけ告げると、千鶴は選挙事務所に集まっていた支援者達に短いながらも心の篭った感謝を告げて、祝勝ムードに沸く支援者達をその場に残し、TVの前に陣取って選挙の行く末を見守り続けた。
 明けて翌未明、午前4時頃に最後の当選枠が埋まると、最後まで千鶴の面倒を見ようと事務所に残った事務員を帰し、千鶴は僅かながらも仮眠を取る為に寝室へと下がる。
 そして、1時間ほど仮眠した後、千鶴は身嗜みを整えると、近年増え始めた民間放送局の報道番組に出演する為に選挙事務所を後にした。
 こうして、衆議院議員としての千鶴の戦いの日々が幕を開けた。

 報道番組への出演、記者会見、党の幹部への挨拶など、多忙な一日を過ごした千鶴が、事務所へと帰り着いたのは、夜も更けた22時過ぎであった。
 事務所には多数の祝電やメッセージが寄せられており、それらが事務員によってまとめられていた。
 千鶴はその山のような量に苦笑しながらも、なるべく時間を割いて早めにそれらに目を通そうと決意する。
 と、千鶴はそれらと少し離されて、1通の祝電がテーブルの上に目に付くように置かれているのに気付いた。
 既に帰宅した事務員のメモが添えられたその電報を手に取り、千鶴は内容に目を通す。

<榊千鶴様へ―――
 誕生日おめでとう。ついでに当選もおめでとう。
 にしても、これで衆議院議員榊千鶴の誕生って訳だ。文字通り第2の人生ってところか?
 誕生日に被ってるあたりが、凄いよな。
 隊のみんなも、純夏も霞もピアティフさんも、みんなが委員長の当選を祝ってたぞ。
 まあ、暫くは忙しいだろうが、軍務で鍛えた体力で上手い事乗り切ってくれ。
 じゃ、頑張れよ。―――白銀武>

 電報を読み終えた千鶴は、その電報を抱えたまま寝室へ行き、サイドテーブルにそっと置いて眠りに付く。
 いい夢が見られそうだと、笑みを浮かべながら、千鶴は目蓋を閉じるのであった。



 2019年6月17日、先頃行われた総選挙に於いて2回目の当選を果たしていた千鶴は、報道陣に囲まれていた。
 千鶴の所属する党の幹部達に不正献金疑惑が持ち上がり、それに関するコメントを求められていたのである。
 また、与党から提出された、横浜周辺地域復興計画に対して、所属党指導部が党議拘束の上で反対すると発表した件についてもまた尋ねられていた。

「不正献金疑惑に関しては、事態の推移を見守っている段階です。一刻も早く事実が明らかになる事を個人的には望んでいますが、疑惑に過ぎない段階でコメントを求められてもお答えいたしかねます。
 ただし、有権者の方々からの、報道が事実であるならば、許しがたいとのご意見が私の下に多数寄せられている事だけは、申し上げる事ができます。
 次に、私が所属していた国連軍横浜基地では、多くの将兵が今も尚人類の為に勤務しております。
 彼の地がG弾の使用による局所的重力異常に曝されている事は周知の事実であり、横浜基地将兵の人体に対する悪影響が以前より懸念されています。
 与党の復興計画は、この重力異常を除去する方法の研究を推し進める内容であり、私も個人的に興味があるものではあります。
 しかし、同時に私は政治家として、党議拘束の有用性を否定できません。
 今回我が党の指導部が党議拘束を行うのであれば、粛々とそれに従うのみです。
 私が為し得る事は、今回の場合、党の指導部を批判する事ではなく、党内において私の見解を訴え、近い将来に私の意見が党の指導部に容れられる様に努力することです。
 それこそが、私が支援者の皆さんに報いる為の最適な行動だと考えます。」

 この発言の後、千鶴は今回の不正献金疑惑に関して論じる為の党衆議院議員総会に出席した。
 疑惑の渦中にある党幹部達は、疑惑を否定した上で、この件は与党の陰謀であり、司法当局の不正捜査であるとの見解を述べ、税金の無駄遣いである復興計画に対して断固反対し、広く世論を喚起するとの見解を述べた。
 ここで、千鶴は挙手し、発言の許可を求める。
 幹部達は、元横浜基地所属であり、今も戦友達が所属している横浜基地周辺の復興計画に関する意見だと考えたが、今朝方のコメントで千鶴が党議拘束には従うと明言している事を知っていた為、司会に目配せをして発言を許した。

「発言を許していただき感謝いたします。―――まずは、幹部の諸先生方にお尋ねいたします。
 今回の諸先生方にかけられた疑惑ですが、これらに類似する疑惑は与党に所属する議員に対して、過去枚挙の暇も無いほどに繰り返し提起されてきた案件です。
 その度に、我が党の諸先輩方が与党議員を弾劾し、その引責辞任を迫って参りました。
 鑑みるに、今回の疑惑に関しても、実は与党の議員の一部に類似の案件があり、それに対する我が党の攻勢を軽減する為に仕組まれた可能性すらあり得ます。
 もし、その様な事実が明らかになったとしたならば、我が党は諸先生方の潔白を主張しながらであったとしても、断固として引責辞任を迫るべきであると考えますが、諸先生方のお考えは如何でしょうか。」

 横浜復興の件には一切触れず、献金疑惑に関する発言を始めた千鶴に、最初は眉を顰めていた幹部たちであったが、話を聞く内に目を輝かせ始めた。
 何しろ、千鶴の父は政敵である与党の首魁である。その娘である千鶴が、与党議員の不正献金の手掛かりを得ても不思議はない。
 もしそうであれば、与党に対して追及を行う事で、今回の疑惑を有耶無耶にする事も可能となる。
 そこで、幹部達は、もし不正献金の事実があるのであれば、当該議員は引責辞任するのが当然であり、我が党は容赦するべきではないと口々に唱え、もしその様な事実があるのであれば、この場で明かすようにと千鶴を急かした。

「解りました。確かに私の手元に、不正献金の事実を詳らかにする資料がございます。
 それでは、その資料をこれから皆様にお配りいたします。」

 そう言うと、千鶴は一旦会議場を退席し、暫くして秘書達に書類を持たせて戻ってきた。
 そして、秘書達に若手議員が座る会議場の後ろの席より資料の配布を始めさせ、自身は着実な足取りで幹部の元へと資料を持って歩み寄っていく。
 途中、壇上の司会からマイクを受け取った千鶴は、資料の収められていると思われる大判の封筒を幹部達に手渡し、その脇に立った。

「皆さん、資料はお手元に行き渡りましたでしょうか? では、僭越ながら、資料の説明をさせていただいてよろしいでしょうか?―――ありがとうございます。
 では、皆さん封筒を開き資料をお取りください。さて、まずご覧いただきたいのは、資料の23ページ目です。」

 ぶ厚い資料の最初の方には、過去の案件の経緯が纏めて列挙されていた為に、いち早く資料に目を通し始めていた議員も、未だに最初の方を流し読みしている状態であった。
 そこに、行き成り23ページ目と言われて、資料を捲った議員達から驚愕の声が漏れる。

「ご覧頂けばお解りになると思いますが、そこに記載されているのは、先程潔白を主張なさった我が党の諸先生方が、不正献金を受け取っていたという事実を詳らかに記したものです。」

「さ、榊君! 君ッ! 一体これはどういうことだねッ!! 与党の議員の資料なのではなかったのかね!?」

 狼狽した幹部が脇に立つ千鶴を見上げながら叫ぶが、千鶴はそちらに目もくれずに言葉を続けた。

「与党議員の不正献金に関する資料も最後の方に載っております。与党議員でいらっしゃる、先生の弟さんに関する資料も含まれておりますが。
 さて、お集まりの皆さんに申し上げます。誠に残念な事ではありますが、それらの資料を見る限りにおいて、今回諸先生方にかけられた不正献金疑惑は、限りなく事実に基づいたものであると思わざるを得ません。
 いえ、それどころか現在取り沙汰されている疑惑は、与党議員に飛び火しない範囲に限定された、極一部に過ぎないことが明らかです。
 この資料が私の手元に届いた以上、私は近い将来に、この資料が衆目に曝される事を警戒せざるを得ないと考えます。
 で、ある以上。我が党の今後を占うに当たり、我々はこの件に如何に対応するべきか、今一度検討する必要があると考えます。
 無論、検討に際しては、先程諸先生方が述べられた、不正献金の事実に対する我が党の取るべき対応が、第一に検討されるべき対応であると思います。
 私からは、以上です。―――席に戻らせていただいてもよろしいでしょうか?」

 千鶴が一通り話し終えた後、目を見開いて食い入るように資料を読む幹部達に尋ねると、幹部達の中で唯一疑惑の対象となって居なかった幹部が頷いた。
 そして、千鶴が席に戻ると、その幹部がマイクを取って話し始めた。

「さて諸君。榊議員がこの資料が近い将来に公開されるという危惧を抱いている以上、我々はそれを前提として動かざるを得ないだろう。
 で、あるならば、最早今回の疑惑は疑惑ではなく事実として広く国民に認識される事となり、我らは世論の審判を受ける事になる。
 如何にして、この危局を乗り切るべきか。既に方針は述べられているようにも思うが、諸君の意見を伺いたい。」

 その後、党衆議院議員総会は紛糾したものの、不正献金の事実を暴かれてしまった幹部達をこの期に及んで庇うものは少なく、幹部達には党として一切の庇い立てをせず、与党議員諸共に責任追及を行い、党の自浄能力を示す事で国民の信頼回復に努めるという方針が決定された。
 この晩、夜の報道番組では千鶴の所属する党の、マスコミ受けの良い有力議員達が資料を片手に熱弁を振るい、不正献金を根絶するべく例え身内であろうとも、徹底的に責任を追及し、政界の汚濁を一掃すると宣言した。
 この件により、主流派幹部の多くが失脚し、千鶴の所属する党は一気に代替わりが進む事となった。
 そして、この一件の立役者でありながら、なんら取引を行おうとしなかった千鶴は、他の議員達から畏怖されると共に、一目置かれる事となった。

「―――ああ、テレビの報道番組は見たよ。…………ああ、委員長の親父さんも承知の上だ。
 与党でも、庇い立てはしない方向で話が進んでいると言ってらしたよ。」

 携帯端末から骨伝導で伝わる武の声に、千鶴は頷いて応えた。

「そう。今回の件で私の党内での立場は微妙になったけど、影響力だけは一気に増大したわ。
 今後は、事実を揉み消そうとしても、傷口が広がるばかりの場合もあるって、何人かは考え始めると思うわ。
 月奪還の目処が付いたものだから、最近米国の野党議員の取り込み工作が増えてるのよね。
 利益ばかり追っていると、相応に痛い目に会うって思い知ってもらわないとね。」

「そうだな。今回の資料には、米国企業に繋がりのある人間も載せておいたから、あっちへの警告にもなった筈だ。
 それにしても、あの国の連中も懲りないよな。2001年の時にも同じような事をして、痛い目にあってるのにもう忘れてんのかね。」

 千鶴は、武の言葉に薄っすらと笑みを零すと告げた。

「10年以上前の事ですもの。人の記憶は薄れるものだし、向うの人間も世代交代したんじゃないの?」

「はぁ~…………そんなもんかね~。まあ、委員長もこれから風当たりが強くなるだろうけど、上手い事乗り切ってくれよな。」

 軽い言葉を装いながらも、真剣に案じている気配が滲み出ている武の言葉に、千鶴は綻ぶように笑みを浮かべて応えた。

「ようやく、私の本格的な戦いが始まるわ。私も頑張るから、白銀も月奪還の方頑張ってよね。
 あと、みんなにもよろしく伝えてちょうだい。私も元気に戦っているからって。」

 退役してから5年。政治家としての経験を積み、貪欲に政治的手腕を鍛え上げてきた千鶴が、遂にその父親譲りの才能を以って、攻勢を開始した。
 それは、月がBETAより奪還される暫く前の出来事であった……




[3277] 第76話 五つの蕾
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/21 17:47

第76話 五つの蕾

2001年10月23日(火)

 05時52分、B4フロアの武の自室では、霞が武を一生懸命にユサユサと揺すっていた。
 それは、最早武にとっては馴染み深い目覚めの儀式であった。

「……ん…………霞か?…………おはよう……」

(そうか……また、霞に起してもらえるのか…………)

「……はい……私も、起こしにきます…………」

「ん? ああ、そっか。ありがとな霞。おまえに起こしてもらえると助かるし、嬉しいよ。」

 武は、霞の頭に手を伸ばして、撫でてやる。霞の耳飾がピンっと立ってへたりと倒れた。

「……今日の朝御飯は食べません……おやすみなさい………………あ……またね……です。」

「ああ、またな、霞。」

 霞は武の手から後ずさって脱出すると、小声でぽそぽそと呟きながら、ドアへと向う。
 そして、ドアを押し開いたところで振り返り、挨拶をしてから出ていった。

「ん? 霞の奴、おやすみって、言ってたな……徹夜か? それに、『今日の』朝御飯は食べないって言ったか?
 それって、まさか…………『明日は一緒に食べましょう』って事なのか?!」

 武の頭の中で、霞がこくこくと何度も頷くイメージが浮かんで消えた……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 06時48分、1階のPXで朝食を受け取った武は、馴染み深い席へと向う。
 207訓練小隊の全員―――と言っても美琴は入院中だが―――が揃う頃合を見計らってやってきた為、武が向う先では207Bの4人が食事を取っていた。
 武は、冥夜と向かい合わせとなる席の後ろに立つと、手にトレイを持ったまま声をかける。

「あ~、食事中悪いんだけどさ、その部隊章からすると、衛士訓練学校の207訓練小隊の人達であってるよな?」

 武の声に、4人は食事を中断して顔を上げた。そして一同を代表して、千鶴が片方の眉を跳ね上げながら、問い返してくる。

「確かに、私達は207訓練小隊の訓練兵ですが、あなたは?」

「お、悪い悪い。初めましてだな。今日付けで、207訓練小隊に配属になる白銀武だ。
 午前の訓練開始時に、神宮司教官が紹介してくれるって話だったんだけど、それらしい集団が目に入ったからさ。
 で、もし良かったら、ここの席に座らせてもらってもいいか?」

 武は千鶴の警戒するような視線に笑顔を返すと、自分の素性を名乗って、席に座っていいかと訊ねた。
 千鶴は、他の3人の表情を窺った後、じろっともう一度武を睨め付けてから許可を出す。

「―――どうぞ。………………一応、名乗られたから名乗り返しておくわね。
 私は、207訓練小隊B分隊の分隊長を任されている、榊千鶴訓練兵よ。
 私の右に居るのが御剣冥夜訓練兵、左が珠瀬壬姫訓練兵、あなたの右手に座っているのが彩峰慧訓練兵。
 あと1人、鎧衣美琴訓練兵がいるけど、彼女は今入院加療中よ。」

「えーと、じゃあ、左から、御剣、榊、珠瀬、で、彩峰だな。よろしく頼むぜ。
 色々と聞きたいこともあるんだけど、まずは食事をさせてもらうな。みんなも、食事中断させちまって悪かったな。」

 武がその場に居る4人の名前を確認して、一旦話を打ち切ると、4人は武の謝罪に形ばかりの返事をして食事を再開した。
 そして、一番後からやってきたにも拘らず、さっさと自分の食事を済ませてしまった武は、興味津々といった表情をあからさまに浮かべて、4人を満遍なく眺め始めた。
 その遠慮の無い視線に、眉をピクピクと動かしながらもなんとか堪えていた千鶴は、食事が終わるなり、きりきりと柳眉を上げて武を詰問する。

「白銀って言ったわね。あたしたちの顔に何か付いてでもいるのかしら?
 そうでないなら、あまりじろじろと見るのは止めてちょうだい。」

「あ、気分悪かったか? そりゃあ、済まなかったな。けどさ、新しい仲間が気になるのはしょうがないだろ?
 勘弁してくれよ。分隊長。」

 千鶴の剣幕を笑ってやり過ごしながらも、頭に手を当てて謝る武。
 そのやり取りを慌てた様子で心配そうに見ている壬姫と、腕組みをして興味深げに観察している冥夜。
 彩峰は、我関せずといった様子で、視線を向けさえせずに合成玉露を啜っていた。

「私達は、興味本位の視線を向けられるのは好まないの。今後気をつけてくれさえすれば、それでいいわ。」

「興味本位って……間違っちゃ居ないかもしれないけど、随分な言われようだな。別にヤラシイ目で見た心算は無いぞ?
 同じ隊になる仲間の事を、より深く知ろうとする事は悪いことじゃないだろ?」

 武が内心で、やはりそうくるかと思いながらも、驚いたような表情を取り繕って聞き返すと、千鶴は目を瞑り眉をぎゅっと寄せて、吐き捨てるように言い放つ。

「それが迷惑だって言ってるのよ。私達の事は必要最低限の事以外は詮索しないでちょうだい。」

 武は、千鶴の言葉に心底驚いたといった風に、首を何度も横に振りながら言葉を返す。

「おいおい、本気かよ分隊長。正式な配属がまだだからって、同じ隊になった人間に詮索するなってどういうことだよ。
 ん? 今、分隊長は私達って言ったか? まさか、おまえら全員の総意って訳じゃないよな?」

「………………」「はわわわわわ……」「む…………」

 武が残る3人に話を振るが、彩峰は無視、壬姫は険悪な空気に動転して言葉にならず、冥夜も腕組みをしてなにやら思案するのみ。
 それを確認した後、千鶴が再び言葉を発した。

「総意と思ってもらっていいわ。うちの隊では、お互い過度の干渉は慎むのが流儀なの。
 白銀も、その事を覚えておいてちょうだい。―――「馬鹿言ってんじゃねえぞ?」―――え?」

 腕を組み、眉を上げて、決定事項を通達するように言って退けた千鶴の語尾に、武の押し殺した声が重なった。
 その声に潜む剣呑な気配に、息を飲んで武を見る千鶴。
 武は食べ終えた朝食の器が乗ったトレイを左に押しやると、握り拳を作った両手をテーブルに置き、感情を押し殺した声で言葉を続ける。

「ふざけるんじゃねえよ。詮索するな? お互い過度に干渉しないのが流儀だ?
 その流儀ってのは一体全体何処から来た流儀だ? どうせ、おまえ等の中の誰かが勝手に作った流儀なんじゃねえのか?
 笑わせんなよ? 訓練兵風情が流儀だなんて、何様の心算だ?
 知らないみたいだから教えてやるよ。実戦部隊の衛士にはな、『衛士の心得』っていうのがあるんだ。
 前線で戦って、戦友達がバタバタと死んでいくその中で、先に逝った仲間の事を、生き残った者が誇り高く語り継ぐ。
 そうやって、戦死した戦友の縁(よすが)をこの世に留めるんだ。そして、その戦友達の遺志を戦う力に変えていくんだよ。
 おまえら、衛士訓練兵だよな? 衛士になろうと思って訓練してんだろ?
 お互い干渉しないで、詮索しないで、表面だけの付き合いで、仲間を語り継げるとでも思ってるのかよ?
 おまえらの目指している衛士達の流儀を聞いて、まださっきと同じ事言えるのか?」

 両の拳を握り締め、感情を押し殺してはいるものの、それまでの人懐っこい様子を払拭した武の言葉に、そしてその言葉に滲む強い想いに、千鶴は圧倒されて言葉を失う。
 冥夜は、武の言葉の内容を吟味するように瞑目し、壬姫は武の豹変に吃驚して目を見開いて硬直し、今まで無視を決め込んでいた彩峰ですら、気不味げに横目で武を窺った。
 が、武の反撃に圧倒されたが故に、千鶴は素直には引き下がれなかった。

「な―――何を知ったような事いってるのよ! わ、私達にだって色々と事情ってものがあるのよ!
 後から来たばっかで、勝手な事ばかり言わないでちょうだいッ!」
「まて―――いま少し、落ち着いてはどうだ? 榊。その者の言う事にも一理ある。
 良くも悪くも、我らは互いを良く知らぬ。その上で筋を論ずるならば、白銀とやらの言う事に分があろう。
 我らにも事情があるとは言え、それは知らぬ者には通らぬ道理。ここは、互いに矛を収め、時と場所を改めて今一度話し合うことにしてはどうだ?」

 テーブルに手を付いて、勢い良く立ち上がった千鶴は、声を荒げて武を詰る(なじる)。
 しかし、その千鶴に対して、冥夜の冷静な声が投げかけられた。その声の調子と内容に、千鶴の身の内から激情が抜けていく。
 半ば呆然とし、言葉を失って冥夜を見下ろす千鶴に、一転して和らいだ武の声が投げかけられる。

「あー、済まなかった。オレも少し頭に血が上っちまってたみたいだ。
 言った事は本当だし、オレの本音に違いはないから訂正はしない。けど、こっちの考えだけ押し付けちまったのも確かだよな。
 別に喧嘩したかった訳じゃないし、本当におまえらとはいい仲間になりたいんだ。
 あんな事いっといて今更かもしれないけど、よろしく頼むよ。」

 武の言葉に、千鶴は冥夜と武の顔を交互に見た後、羞恥に居た堪れなくなりながらも、ようやく言葉を返す。

「わ、解ったわ。白銀の言った言葉に付いては、良く内容を吟味してみる。
 私も感情的な物言いになって悪かったわね。その点については謝るわ。―――わ、悪いけど、私はこれで失礼するわね。」

 千鶴は、視線を武と合わせないまま、それでも冥夜と武の言葉を受け入れ、自分の非も認めてから足早にPXを後にした。

「あ、さ、榊さん! あ、あたしもお先に失礼します!」
「じゃ、あたしも行くね……」

 壬姫は武に頭を数回慌ただしく下げてから、千鶴の後を慌てて追いかけていき、それに合わせる様に彩峰も席を立った。
 かくして、PXから3人が立ち去り、武と冥夜が差し向かいで残る形となる。

「……御剣は行かないでいいのか?」

 席に留まり、武をじっと見詰める冥夜に、武が合成玉露で喉を湿らせてから訊ねる。
 すると、冥夜はきょとんとした表情をした後、ニヤリと笑って応えた。

「ん?…………ああ、榊の事なら心配は要らぬであろう。あの者は、あれで自らを律する事が出来る人間だからな。
 それより……そなたは日本以外で育ったのか? 名前を聞くに日本人ではあるようだが……もしや日系2世なのか?」

 武は、冥夜の探りを入れるような視線に、冥夜が気にしている事を察して応える。

「ああ、そういうことか。いや、オレは日本生まれの日本育ちだ。ただ、生まれつき無礼者なんだよ。
 だから、あれこれ気にしないだけだ。此処は国連軍だし、オレは御剣と同じ訓練兵として出会った。
 なら、オレおまえの関係で構わないよな?」

「む―――そうか…………うむ、そうだな。その言葉、後で榊にも聞かせてやるが良いぞ。」

 武の言葉に少しだけ疑わしげな顔をしてから、冥夜は軽く頭を振ると晴々とした笑顔を見せて言った。
 武はその言葉に素直に頷くと、時計を見て話を切り上げることにした。

「そうだな。そうするか。…………さて、そろそろ訓練の仕度をしないとな……行くとするか。」
「ああ。そうするとしよう。では、また後ほどな。」

 武と冥夜は再会を約して席を立つ。冥夜に先立って自室へと戻りながら、武は今までの会話を思い返すのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

08時03分、国連軍横浜基地衛士訓練学校の教室で、武はまりもと並んで黒板の前に立っていた。

「朝食の時に顔合わせは済んでいるそうだな。本日付で207訓練小隊B分隊に配属となった白銀武訓練兵だ。
 見ての通り男で、しかもこの時期の配属というので驚いただろうが、実を言えば白銀は実戦経験を積んだ現役衛士だ。
 戦時階級ではあるが、臨時中尉の階級も持っている。
 にも拘らず、白銀が訓練兵として配属されたのは、正規の軍事教育を受けていない為だ。
 国連軍での正規の階級は一等兵に過ぎない。
 よって、白銀はこの訓練小隊に在籍し卒業したという形式を踏んで、正規の衛士として少尉に任官する事を目的としている。
 さらに、これは貴様らにも関係が出てくる話だが、白銀は1998年より2年以上に亘って当基地副司令である香月博士の下で、特殊任務に従事してきた。
 その特殊任務は現在も継続中であり、その一環として衛士訓練課程の見直しも行っている。
 そして、その新衛士訓練課程の試験運用部隊として、207訓練小隊が選ばれた。
 今日から貴様らは、今後のBETA大戦の行方を占う新世代の衛士となるべく、これまで以上に訓練に邁進せねばならん。
 尚、白銀の扱いは特殊任務に関連して命令を下す場合などを除き、貴様らと同じ訓練兵として扱う。
 基本的に貴様らは同じ訓練兵として接していればいい。
 貴様らには戸惑う事も多いだろうが、現役衛士である白銀から、貴様らが学べることは大いにあるはずだ。
 まして、白銀は香月副司令が自らの手元で働かせている『特別』な人材だ。
 この機会を逃さず、己を磨き上げる糧としろ。いいな?」

「「「「 ―――はいっ! 」」」」

 まりもの言葉に、声を揃えて返事をした207Bの4人だったが、その内心は平静とは言い難い状態であった。

(えーっ?! なんで? どうして、現役の衛士なのに今更訓練兵に……あ、そうか、正規の教育受けてないって……あれ? でも、なのに新しい訓練課程の見直しは出来るんだ? あれれ? それって、なんか変じゃないかな?…………あ、でも、訓練学校を卒業したって形式を踏んでって言ってたから、形だけなぞるのかな?)

 壬姫は、目をぱちくりさせながら、一気に与えられた情報を一生懸命整理していた。その左隣の席では、彩峰が微かに眉を顰めている。

(臨時中尉? 戦時階級で中尉、しかも衛士だって言うなら小隊長? 1998年から香月博士の下で特殊任務? 父さんが死んで、BETAが日本に上陸したあの年なら、まだ横浜基地は存在しなかったはず。その頃の香月博士の当時の立場ってなに? おまけに衛士教育を受けないで戦術機に乗ってたなんて信じられない―――怪しげな奴……)

 無表情の下で、彩峰は疑惑と不信感を募らせ、武を警戒し始めていた。一方、対照的に嬉しげなのが冥夜である。

(ほほう。只のお調子者ではなかろうとは思っていたが、これは想像以上だな。―――なるほど、現役衛士なのであれば、先程の発言も頷ける。実戦で修羅場を潜り抜けて来たと言うのであれば、あの者から学ぶ事は多かろう。うむ、これは願ってもない事だ。)

 冥夜は、武を糧として、自身がより一層の練成を遂げるであろう事を想像し、不敵に微笑んだ。そして、残る1人―――千鶴は驚愕を押し殺そうと、自制心を総動員していた。

(なんですって?! 現役衛士の臨時中尉? あいつ、さっきは確か―――くっ! なんてこと! あいつ、名乗る時に自分の階級を告げてないじゃないの! さては確信犯ね。訓練小隊に配属になるとだけ言って、事情を隠したんだわ。でも、だとすると、あいつの話は現役衛士としての言葉ってことに―――じゃ、じゃあ、私が間違っているって言うのッ?!―――あッ! しまったッ!! これじゃあ、さっきの私の態度は上官侮辱罪に相当する…………私、初手から弱みを握られてしまったんだわ。やられた―――)

 千鶴は口をへの字に食いしばって、自らの失態に臍をかんでいた。
 そうして、彼女等4人が内心で密かに思いを巡らせている間にも、まりもの説明は続く。

「―――よって、これより予定を変更し、午前中は身体能力及び戦闘行動に関する考査を行う。
 総員、BDU(野戦服)を着用の上、グラウンドに集合! 15分やる、遅れたら承知しないからな! かかれッ!!」
「―――敬礼ッ!」

 千鶴の号令に、一斉に規律して敬礼した後、全員が駆け足で教室から走り去っていく。
 それを見送ったまりもは、武に視線を向けて問いかける。

「……白銀、朝食の時に何かしたのか?」
「はっ! 申し訳ありません、神宮司教官。少々意見の食い違いがありまして、口論になりました。
 幸い、御剣訓練兵の仲裁により、その場は収まったのですが……」

 まりもの問いに、武は即答したものの、言葉を濁した。武の目にも、千鶴が心中にしこりを残している事が明らかだったからだ。
 まりもは、やや考えた後、再び武に話しかける。

「―――そうだな。2日ほど時間をやるから、貴様がなんとか収拾をつけてみろ。結果の如何に係わらず、私に報告するように。
 もし、特殊任務に支障が出そうな場合には、勿論そちらを優先していい。
 よし、貴様も行っていいぞ。集合に遅れたら―――解っているな?」
「はっ! 失礼いたしますっ!!」

 武はまりもに敬礼すると、全力で教室から駆け出し、自室へと向った。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 12時18分、1階のPXのいつもの席に、武を加えて5人となった207Bが揃っていた。
 午前中の訓練時間を費やして、小銃の分解清掃・組み立てから、完全装備で全長4kmの射撃コースを使ったサーキットトレーニングを2本行い、その後は狙撃と、素手、短刀、長刀を使った模擬近接戦闘が行われた。

 模擬戦闘の組み合わせは、素手で武と彩峰、冥夜と千鶴・壬姫組。短刀が、武と千鶴・壬姫組、冥夜と彩峰。長刀が武と冥夜、彩峰と千鶴・壬姫組であった。
 素手、長刀共に、武は部隊最強の使い手である彩峰、冥夜を相手取る事となった。また、千鶴と壬姫のペアも、千鶴の作戦能力により、身体能力でやや劣る2人の戦力が底上げされる為、決して手を抜ける相手ではない。
 とは言え能力テストは、模擬戦の組み合わせも含めて、207Bの皆に、自身の能力を知ってもらう為に、武からまりもに頼んだ事であった。
 午後には座学のペーパーテストと、各種討論が行われる。表向きは、新訓練課程を導入するに当たっての、各員の能力評定と言う事になっていた。
 そして、全員が昼食を終え、空腹を癒したところで、千鶴が徐に(おもむろに)武に向って頭を下げた。

「白銀中尉殿、朝食の折は知らぬ事とは言え、失礼致しました。どうか無礼をお許し下さい。」

 きっちりと姿勢を正して謝罪する千鶴を見て、武は天井を見上げて溜息を付いた。

「はぁ~っ…………中尉は止めてくれよ、分隊長。同じ訓練兵じゃないか。
 どうせ、朝食の時は、訓練兵として相手をしろって命令が下る前だから、上官侮辱罪に相当するとか、そんな事考えてんだろうけどさ。
 オレは気にしてないから―――って、言っても納得しそうに無いなあ。
 …………よしっ! じゃあ、今朝の件を不問にする代わりに、オレはおまえらの事を好きに呼ばせてもらうぞ。
 あと、オレの事も敬称抜きで苗字か名前で呼んでもらう。あ、もしどうしても敬称が付けたいんなら、『たけるさん』と親しげに呼んでくれ。
 おまえらの呼び名は……そうだな。冥夜、たま、彩峰、―――そして、榊は頭が固くて眼鏡に三つ編みと、学級委員長っぽいから『委員長』って呼んでやるよ。」

「い、委員長?! な、なんなんですかそれは……それに、なんで私だけじゃなくって他のみんなまで……」

 武の言葉を聞いていた千鶴は、予想外の内容に慌てて苦情を申し立てる。
 しかし、武は取り合わずに話を終わらせてしまう。

「そこは、連帯責任って奴だな。委員長が全員の総意だって言ってたのに、誰も否定しなかったんだからな。
 てことで、この件はお仕舞いにしよう。いいよな? みんな。」

 そして、千鶴以外の3人に話を振ると、武の提案は、わりとすんなりと受け入れられる。

「む―――罰とあればやむを得んな。では、そなたの事はタケルと呼ばせてもらおう。」
「たま……ですか? あはは、猫みたいですねー。じゃ、じゃあ、わたしはたけるさんで……」
「私だけ普通……白銀、差別してる?」
「あー、彩峰はなんて言うか、慧より彩峰って方が個性的でしっくり来るんだよな。慧って呼んで欲しいか?」
「激しくイヤ……」

 少し驚いたように目を見開いた冥夜は、ニヤリと笑みを浮かべて愉快そうに。
 壬姫は何の疑いも無く、言われたままに、彩峰は苦情を述べつつも許容して見せた。
 しかし、千鶴だけは、口をパクパクと開け閉めするだけで、言葉が出てこない。
 そこで、武はニヤリと人の悪い笑みを浮かべて、千鶴に向って話しかける。

「あれ? どうしたんだ、委員長? 嬉しくって、感動のあまり言葉も出ないのか? 委員長。委員長、そんなに恥ずかしがらなくってもいいんだぞ?」
「い、委員長って言うなっ! べっ、別に恥ずかしがってなんていないわよっ!!」

 武の言葉にキレる千鶴。しかし、武のにやにや笑いは止まらない。

「おいおい、おまえの巻き添え喰らったみんなが我慢してるのに、おまえだけキレるのかよ? そりゃちょっと我侭なんじゃないか? 委員長?」
「くっ―――わ、解ったわよ! その、条件を飲むから、その代わり、今朝の件は忘れてもらうわよ!」
「よしっ! じゃ、これで今朝の件はお仕舞いだな。じゃ、これからは気軽に頼むぞ、みんな。どうせ、同い年だしな。」

「しょ、しょうがないわね。」「うむ、よろしく頼むぞ、タケル。」「よろしくお願いしますね、たけるさん。」「まあ、適当に……」

 武は4人から帰ってきた返事に満足して、満面の笑みを浮かべた。それをやや悔しげに見ていた千鶴は、咳払いをするとまた別の話を切り出す。

「ねえ、白銀。神宮司教官は、あなたを『特別』な人材だと言っていたわ。
 午前中の訓練で、あなたが高い能力を備えている事は解ったけど、それがあなたの『特別』じゃないでしょ?
 もし良かったら、あなたの何が『特別』なのか、教えてくれないかしら。」

 その質問に、武は冥夜を見て、冥夜も聞きたそうにしている事を確認すると、内心またかと思いながらも口を開いた。

「―――そうだな……特殊任務にも係わっている事だから、機密に関することは言えない。
 けど、逆に、おまえらに手伝ってもらう、衛士訓練課程の新カリキュラムにも関係する話だから、是非言っておきたい事でもある。
 けど、どうせ話すなら全員揃ってた方が都合がいいな。この話は、今日の夕食後に鎧衣の見舞いに全員で行って、その場で話すって事でどうだ?
 オレも鎧衣と早めに顔合わせしておきたいしな。あ、鎧衣は今日から個室に移ってもらってるから、全員で押し掛けても大丈夫だぞ。」

 武の言葉に、首を傾げながらも千鶴は応じた。

「個室に?…………わ、私は別にいいけど、みんなはどうかしら?―――そう、大丈夫なのね。じゃあ、それでいいわ……白銀。」
「よしっ! そしたら、後は見舞いの時にな。ところで、たまの狙撃だけどさ―――」

 その場の全員の了解を得た武は、午前の訓練中の話題を持ち出し、その後は当たり障りの無い談笑が交された。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 18時25分、B5フロア医療ブロック内の入院施設エリア―――通称『病棟』の507号個室に207Bの総勢6名とまりもの姿があった。

「鎧衣、しばらく邪魔をするぞ。ああ、そのまま寝ていて構わん。療養中なのに悪いが、ゆっくりと休ませてやる訳にもいかなくなってな。
 事情の説明と、退院までの課題の内容を通達しに来た。楽にしていて構わんから、聞け。」
「はっ!」

 普通に見舞いに訪れては、美琴のペースに引っ掻き回されて時間を無駄にしすぎると考えた武が、まりもに足を運んでもらった為、状況の説明は実にスムースに進んだ。
 207訓練小隊に、武が加わった事、新しい衛士訓練課程の試験運用部隊となった事、退院後少なくとも座学に付いてこれるように、入院中の美琴にも課題が課せられる事。
 それらを言い渡すと、まりもは足早に立ち去っていく。これからまりもは、武から受け取った新衛士訓練課程の資料を基に、訓練スケジュールの見直しをしなければならない為であった。
 そのまりもの後姿に内心で手を合わせて拝んでから、武は美琴と彼女を囲んでいる仲間達の姿に視線を転じた。
 千鶴と壬姫は両脇に寄り添い、彩峰は壬姫の隣に、冥夜はやや離れて美琴の足元のあたりで腕組みをして立っていた。
 その様子を見て武は、なるほど、訓練時間以外では冥夜は距離を置かれているんだなと実感した。

「―――へぇ! タケルって、凄いんだね~。なんだか特殊部隊の隊員みたいだよ~。ボク憧れちゃうな~。」

 美琴は武が何を言うまでも無く、まりもに紹介された直後には、武を『タケル』と呼び、自身を武に『美琴』と呼ばせる事を確定事項としていた。
 そして、早くも数年来そう呼び続けてきた友人であるかのように、その言葉には屈託がみられない。
 また、それに応じる武の態度も、まるで親しい友人と行うような気さくなものであった。

「おいおい、あんまり褒めるなよ、増長しちまうだろ~。
 まあ、それはちょっと置いといてだ。美琴、暫く黙ってオレの話を聞いてくれ。
 委員長に聞かれた件で、返事をおまえと知り合うまで待ってもらっている話があるんだ。任務の説明だと思って、しっかりと聞けよな。」

「え? あ、委員長って千鶴さんのことだっけ。うん、わかったよタケル。」

 珍しく大人しく言う事を聞いて口を閉ざし、自分をベッドの上から見上げてくる美琴を見て、武は内心でガッツポーズをしていた。

「じゃあ、昼間の質問に答えるぞ。ちょっと長くなるけど、みんなも聞いてくれな。
 特殊任務の機密に係わる事柄は言えないんで、ところどころ曖昧に誤魔化すと思うけど、勘弁してくれよな。
 まず、オレ自身の何が『特別』なのかに付いてだけど、軍歴がちょっと特殊な他は、わりと普通だと思ってる。
 狙撃ならたま、剣術なら冥夜、格闘戦なら彩峰、作戦立案なら委員長、隠蔽やトラップなら美琴には敵わない程度だしな。
 これでも実戦経験まであるのにだぜ? まあ、優秀な先生に恵まれてたんでなんとかそこそこにはなれたけどな。
 まあ、オレ自身の適性で自慢できるのは、戦術機特性くらいか。
 なんでも歴代記録でも上位に入るらしくて、その所為で衛士教育抜きで行き成り戦術機に乗せられてたんだけどさ。
 ―――で、だ。これだけなら、そこそこ使える衛士ってだけだから、わざわざ香月副司令が『特別』扱いする訳がない。
 かといって、おまえらみたいに『特別な背景』を抱えてるって訳でもない。」
「「「「「 ッ!!――― 」」」」」

 武が、『特別な背景』と口にした途端に、美琴を除く4人に衝撃が走り、表情が強張る。唯一自分の背景を自覚していない美琴も、仲間達の様子を心配そうに窺っていた。
 殊に、自身の出生を秘さねばならない冥夜は、少なからぬ衝撃を受けた。

(む……タケルは特殊任務遂行の為、我らに関する情報開示を受けているのか? であれば、能力的なものや表向きの情報だけかも知れぬが、朝食後のタケルの言葉を鑑みるに、それ以上の事に勘付いていよう。
 やはり、この件は月詠に知らせねばならぬか……私はタケルは信用できると思うのだが……しかし、姉上に累が及ぶ事は絶対に避けねばならぬし……)

「一応断っておくけど、オレはおまえらと同じ小隊の訓練兵であると同時に、おまえらがモデルケースになる新衛士訓練課程の立案者で、試験運用の担当責任者でもある。
 だから、おまえらどころか、神宮司軍曹も含めて、試験運用に係わる人員の人事データを全て閲覧している。
 覗き見されているようで、気持ち悪いかもしれないけど、これも任務なんで勘弁してくれ。
 ただ、はっきり言っておくけど、オレはおまえらがどんな背景を抱えていても、それでおまえらとの付き合い方を変える気は無いぞ。
 こうして、お互い顔を突き合わせているんだから、他人が紙に書いた報告よりも、実際に面と向かってやりあった結果を大事にしたいからな。
 そのかわり、朝食の時にも言ったけど、おまえらの事情なんか関係なく、どんどん踏み込んでいって、おまえらと相互理解を深めたいと思う。
 オレにも言えないことはあるし、おまえらにだってあると思う。だから、それは各々ではっきりと言ってくれ。
 嫌な事まで、無理矢理聞き出そうとはしないからさ。
 けど、これはオレからの頼みなんだけど、もしオレが先に戦死するような事があったら、おまえらにはオレの事を語り継いで欲しいんだ。
 なにしろ、オレが今まで所属していた部隊は既に消滅しちまって、オレの事を語り継いでくれる仲間が居なくなっちまったからさ。」
「「「「 ?! 」」」」

 武の言葉に美琴を除く4人が絶句する。
 武の言葉に、表情を徐々に険しくしていた千鶴だったが、武の所属部隊が消滅したと聞いて、溜め込んだ鬱屈が消し飛んでしまった。

(消滅? ぶ、部隊が壊滅したって事?! じゃ、じゃあ白銀は仲間を全て失って……それで、新しい仲間が私達だったのね…………
 こっちの情報を覗き見ておいて、そんな事は関係ないだなんて、綺麗事ばかり言う奴だと思ったけれど……
 もしかして、白銀自身が、仲間を欲しているのかしら……)

 ―――が、そんな空気を欠片も気にすることは無く、美琴が手を上げて発言を求めた。

「ねえねえ、その語り継ぐってどういうことなのかな? 誰か、自分の生き様を伝えたい人が居るとかなの?」

 武は、美琴の質問に、『衛士の心得』について、説明しなおす事にした。

「そっか、美琴には言ってなかったな。あのな、『衛士の心得』ってのがあってだな―――」

 そして武は、前線での衛士が置かれる実戦での苛酷な実情と、その中で育まれた『衛士の心得』について語った。

「―――て、事でだな、前線じゃあ必死に仲間を護ろうとしても、個人の力じゃ護りきれない。
 隊の仲間たちと必死に力を合わせて、それでも壊滅する時は呆気なく壊滅しちまう。
 だからこそ、先に逝った仲間の死を無駄にしない為に、その存在を消してしまわないように、『衛士の心得』で語り継ぐのさ。
 そんな訳で、オレとしては、同じ部隊に所属した以上、相互不干渉だなんて我慢できない。
 互いに命を預けあって、武運が尽きた後は、自分の事を語り継いで欲しい、そう思っている訳―――なんだけどな。」
「「「「「 ??? 」」」」」

 そこまで話したところで、武は急に沈鬱な表情で言葉を濁した。
 熱弁を振るっていた武が急に沈み込んでしまった為、他の5人は顔を見合わせる。
 そして、僅かな時間を置いた後、武は話を再開した。

「―――戦死する覚悟は出来てる。戦い続ける覚悟もある。だけど、オレは、仲間を護れずに喪う事が怖くなっちまった。
 オレは、自分の仲間や親しい人を護る為に、必死に強くなろうとした。強くなってオレの手で仲間を護ろうとした。
 けど、オレ1人の力じゃ出来る事なんて高が知れてる。それどころか、仲間達はオレを残して何人も先に逝っちまう。
 オレは今まで沢山の仲間を護り切れずに、喪ってきた……
 それで、オレは『臆病』になった。仲間を喪う事を極端に恐れる『特別臆病な衛士』になったんだよ。
 けど、BETAをなんとかしないと、仲間どころか人類が滅亡しちまうから、戦いは避けられない。
 だから、それ以来オレは、精一杯足掻く事にした。オレが護る方法じゃなくて、みんなが―――仲間が死ななくて済む方法を、必死になって探した。
 仲間を護る為に命を散らさずに済む方法。命を捧げなくてもBETAを押し返せる方法。そして、オレの考えは香月副司令に認められた。
 オレが、副司令の下でやっている特殊任務は、それが全てではないけど、戦死者を限りなく減らしてBETAに勝利する方法の研究だ。
 前線の将兵から卑怯と言われてもいい。臆病者と嗤われてもいい。命がけでない戦争なんてあり得ない事なんて解っている。
 けど、それでも可能な限り戦死者の出ない方法を探す為に、オレは必死になって足掻いているんだよ。
 多分これが、オレの『特別』だよ。」
「「「「「 ……………… 」」」」」

 武の言葉に、5人は言葉を失って黙り込んでしまった。皆、あれこれと思いながらも、適切な言葉を思い浮かべる事が出来なかった。

(そんな……わたしは、衛士になって頑張って戦いさえすればどうにかなるって、そう思って頑張ってきたけど、実戦はそんな甘いものじゃないんだ……)
(タケル……一体どれほど辛い思いをしたんだろう……でも、それでも足掻き続けてるなんて、ボクはタケルは凄いと思う……けど、なんて言ってあげたらいいんだろう……)

 黙りこんでしまった5人を見た武は、ややぎこちないものの笑顔を浮かべて話を続けた。

「悪い! ちょっと湿っぽくなっちまったな……で、だ。まずオレは衛士の死亡率を下げる事から手を着けたって訳だ。
 新しい戦術と装備をオレは考え出した。後は、それを実践できる衛士が必要だ。しかも、少数じゃ意味がない。
 だから、新しい戦術と装備を前提とした教育カリキュラムも必要になる。その為に考えたのが新衛士訓練課程だ。
 オレは、オレの考え出した戦術と装備には自信がある。だから、おまえらがそれを物にしてくれれば、全世界の衛士達の死亡率が減らせる筈なんだ。
 だから―――だから頼む! オレに協力して、新衛士訓練課程をクリアしてくれ! そして、人類はBETAに負けたりしないって、証明して欲しいんだよ!!」

 武が言葉を終えて、深々と頭を下げると、室内には沈黙に包まれた。
 沈黙の中、彩峰は武の言葉を、そこに隠された真意を看破しよう思考を巡らす。

(白銀は嘘を言っているようには見えない。けど、何かそれだけじゃない気がする。
 特殊任務の機密事項を隠しているだけ? 任務の成功率を上げる為に隊の結束や自身の影響力を獲得しようとしている?
 違う……そんな計算ずくじゃない……言ってる事は到底実現可能とは思えないような内容だけど、香月副司令が協力してるなら……
 こいつ、結構面白い奴かもしれない。もう少し様子を見よう……)

 その沈黙を最初に破ったのは冥夜であった。冥夜は、腕を組み胸を張って誇らしげに宣言した。

「よかろう! 万に一つでも良い。BETAとの戦いで力尽きる将兵が減るというのであれば、それは私の願いでもある。
 私はそなたの言葉を信じて、為し得る限りの力でそなたに協力しよう。」

 そして、その冥夜の言葉に残る4人も続いた。

「に、任務なんだから、頼まれなくたって全力を尽くすわよ。
 けど、そこまで大口を叩いたんだから、その新戦術と新装備が使い物にならなかったら、只じゃおかないからね。」
「……いいよ。面白そうだからやったげる。」
「たけるさん、わたし、頑張りますねっ!!」
「水臭いよタケルぅ! 仲間じゃないか。絶対力になってあげるからね!!」

 千鶴は武を鋭い眼光で貫きながら、彩峰は目を瞑り笑みを浮かべながら、壬姫は口元で両手を握り拳にして、美琴はベッドを降りて武に手を差し伸べながら、それぞれが協力を約束した。
 その言葉に、武が深々と下げていた頭を勢い良く上げた為、歩み寄っていた美琴がぶつかりそうになって慌てて避けて、バランスを崩しベッドに仰向けにひっくり返った。
 それを機に、病室には皆の笑いが一斉に咲いた…………




[3277] 第77話 ほころぶ蕾
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/09/28 17:48

第77話 ほころぶ蕾

2001年10月23日(火)

 19時33分、B4フロアの自室で鉢植えのセントポーリアを世話しながら、壬姫は今日の出来事……と言うよりは、白銀武と言う人物について考えていた。

(白銀武臨時中尉……『たけるさん』かぁ~。変わった人だったけど、良い人だと思うな~。
 あんまり怖くないし、優しそうだし……でも、すっごく優秀な軍人―――衛士なんだろうな~。
 長刀で御剣さんと、素手の格闘で彩峰さんと互角だったし、学科や戦術論も千鶴さんに引けを取らなかったもんね。
 それに―――狙撃だって物凄く上手だったよね~。)

 壬姫は午前中の能力テストで行われた、狙撃の試技を行う武を思い浮かべて表情を綻ばせる。
 壬姫には僅かに及ばなかったものの、850mの距離で3連射して内2発を的に当てて見せたのだった。

(あの距離で速射して、なのにちゃんと命中させるだなんて、たけるさんって本当に凄いですよね~。
 1発当たれば御の字だから、2発も当たったのは大まぐれだなんて言ってたけど……それでも凄いよ。
 それにたけるさん、色々と教えてくれました。実戦じゃ狙いをつける時間が十分に得られるとは限らない事。
 それから、実戦では失敗を恐れずに、自分を信じて思い切り良く行うべきだって事。
 そして……実戦で自分を信じられるように、訓練で努力を繰り返して、自分自身を信じてあげられるようにする事……
 あたし、自分に自信が無かったから、がむしゃらに訓練してきたけど、不安は全然無くならなかった……
 けど、訓練や努力をして、頑張ってきた分だけ自分を信じてあげていいんだって教えてもらいました。
 たけるさんも、天才的な狙撃の名手に教わって、たくさんたくさん努力したって言ってました。
 そして……それでも自分よりもあたしの方が上手いんだから、それだけ自信を持っていいんだぞって…………)

 壬姫は、その言葉を告げながら、自分の頭を撫でてくれた武のごつごつとした、それでもなんだかとっても暖かい感じの手を思い出して、頬を染めた。

(…………あ、そう言えば、たけるさんの伏射の構えも英国式でしたね~。帝国じゃあまり使う人は見ないけど、国連軍には結構居るのかなぁ?
 それに……狙撃の指導をしてくれって頼まれちゃいました…………あんなに何でも出来るたけるさんに教えるなんて、畏れ多いけど……
 でも、なんだか、とってもわくわくします…………狙撃も、それ以外も、たくさんたくさん頑張って、頑張れた自分を信用して上げられるようになろう!
 あたし、自分に自信なんて持てたことないけど……自分を信じる努力もたくさんたくさんして、たけるさんが褒めてくれたあたしを誇れるようになります!
 だから、任官するまでに、もっといろんなことを教えてくださいね、たけるさん……)

 壬姫が世話をしているセントポーリアは、地下で育てている所為か、横浜基地一帯の重力異常の影響か、未だに花を咲かせたことがない。
 父である玄丞斎から送られたセントポーリアであるが故に、父との絆と思って大事に育ててきた壬姫だったが、もう最近は開花を諦めかけていた。
 しかし、今日の壬姫は、慈しみと期待の篭った瞳でセントポーリアを見詰めている。
 今の壬姫には、近い将来に必ず、セントポーリアの蕾が綻び綺麗な花を見せてくれると、何故だかそう信じることが出来たのだった―――

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時37分、B19フロアの夕呼の執務室を武は訪ねていた。

「先生。未来情報の検証はどうでしたか?」

「あ~、あれね~。ほぼ全て的中したわよ。
 夕食に飲んだワインは酸化して酢に成り下がってたし、こっちは真夜中だってのに、事前に時間を指定してきた米国大統領は、30分も待たせた挙句、顔に引っかき傷こさえて来やがったわよ。
 メイクで必死に隠してたけど、画像を解析したら検証データ通り、女性の爪で引っかかれた跡で間違いなさそうね。
 他の検証データも、内容はろくでもなかったけど、未来情報の信頼性は十分に確認できたわ。」

 武の問いかけに、夕呼は辟易とした表情で淡々と告げた。
 武の持って来た未来情報の検証データは、嫌がらせかと思えるほどに、夕呼をイラつかせる事象ばかりが記されていた。
 これは、検証データを用意した時点の夕呼が、10月22日当時の恨み辛みを忘れずに、詳細な記憶を維持していたからだと武は聞いていたが、恣意的に多世界の自分に対する嫌がらせとして選んだ可能性も低くは無かった。

「良かった。それなら、オレの持ってる情報も一応は信用しても良さそうですね。
 前の世界の夕呼先生は、オレの再構成は以前の再構成とまったく同一の確率分岐点で行われるはずだから、その時点での世界情報は全く同一な筈だって言ってました。
 だから、再構成からの時間経過が少ない時点では、殆ど誤差は生じない筈だとも……」

 夕呼の不機嫌の理由に今ひとつ思い至らない武は、内心で首を傾げながらも、自身の情報の価値が失われなかった事に安堵した。
 そして、『前の世界群』で夕呼が言っていた言葉を思い出して口にすると、『この世界群』の夕呼も頷いて後を続けた。

「そうよ。そして、あんたがこれから行動していくほどに、世界はどんどんとずれていく。
 尤も、あんたの影響の及ばないところでは大きく食い違わないはずだし、あんた自身が複数の確率分岐世界の記憶を持っているから、それらからずれの幅や方向性もある程度なら推測できるわ。
 あんたが00ユニットになれば、その辺りの演算も十分可能ね。
 で、あんたが昨日置いてった要望事項のリストだけど、全て叶えてやるから感謝しなさい。
 時間や予算、設備、その他諸々の関係で、今直ぐとはいかないこともあるけど、可能な限り前倒ししてやるわ。」

「本当ですか?! ありがとうございます、先生!!」

 恩着せがましく武の要望を叶えると言う夕呼に、武は満面の笑みを浮かべて喜び、最敬礼して感謝した。
 その、まったく邪気の無い反応に、一瞬だけ夕呼はくすぐったそうな顔を浮かべるが、直ぐに苦虫を噛み潰したような表情を取り繕って言葉を投げつける。

「ふ、ふん! あたしにあれだけの要求を突きつけたんだから、あんたには楽なんか一切させないわよ!
 精々こき使ってやるから覚悟しとくのね!!」

「はいっ! 誠心誠意、出来る限りの事をさせてもらいますよ、先生!! 本当にありがとうございます!
 今度こそ、オルタネイティヴ4の完遂まで手伝えるように頑張りますから、よろしくお願いしますッ!!」

 まるで尻尾を振ってはしゃいでいる犬の様な武の態度に、却って警戒心を刺激された夕呼は眉を顰める。
 そして、内心で武の真意を看破しようと試みた。

(くっ……なんなのよこいつ! 挑発しても柳に風だし、心底本気であたしに協力しようとしてるとしか思えないじゃないの。
 ……まあ、昨日こいつが話したのが、掛け値なしに本当の話なら、今更ちょっとやそっと挑発されたところで動揺する筈も無いか……
 霞のリーディングで、少なくとも自覚的には嘘をついてはいないと判明してるけど、暗示によってそう信じ込んでいるだけって可能性はまだ残ってる……
 けど、未来情報は検証できたし、作り話にしては機密を知り過ぎてるのよね。
 残る可能性としては、00ユニットになった後で造反するってパターンくらいかしら?
 ああ、そう言えば将軍殿下との面会も望んでいたわね。そこで暗殺でもされたら、未遂で済んでもオルタネイティヴ4は大ダメージだわ。
 けど、こいつの話が真実ならば、オルタネイティヴ4にとって、こいつは掛替えの無い存在なのよね。
 何か、何かもう一つ決め手があれば………………ッ!!―――そうよ、記憶流入があるじゃないの!
 上手くすれば今日明日中に、『元の世界群』とやらのあたしから流出した記憶の流入が確認できる可能性があるわ。
 あたしの記憶のログで差分を取って……それが確認できたら、こいつを信用してやってもいいわね。
 ふふふ……そうなれば、こいつは絶対にあたしを裏切らない、最優秀な手駒だって事になるわ。
 しかも上手い事に、『前の世界群』では反対勢力の謀略で痛い目に逢ったらしいから、諜報関係も手伝わせる事ができる。
 00ユニットに人間不信を起こさせない為に、そっち方面での活動は期待していなかったけど、人間の汚い面を知って尚、人類の為に戦うって言うこいつなら、00ユニットの全能力をあらゆる方面に発揮できるかもしれないわ!
 ふ、ふふふふふ……最っ高じゃないのっ!! 今まであたしの邪魔をしてきた馬鹿共を、十羽一絡げに一掃してやるわ!
 積り積もったあたしの恨み、必ず晴らしてやるわよ。あ~! その時が来るのが待ち遠しいわ~。)

 武を信用する為の決め手を見い出した夕呼は、心中で暗い喜びに身を震わせる。
 その気配を感じ取ったのか、武が恐々と夕呼に声をかける。

「ゆ、夕呼先生? どうかしましたか?」

「べっつにぃ~。それより、そろそろあいつが来る頃だから、あんたはこのままこの部屋で待ってなさい。
 あたしはあいつの相手するとイラついて仕方なくなるから、暫く他所に行ってるわ。
 政威大将軍殿下に会う手筈をしっかりとつけるのよ?」

 夕呼は椅子から立ち上がると、ヒラヒラと手を振りながら武に部屋で待つように言い付けてドアへと向う。
 武は急な話題の変化に戸惑いながらも、夕呼に確認の為の問いかけをした。

「あいつって……まさか、鎧衣課長ですかっ?! え? オレ一人で相手するんですか?」

「そ。あんたにとっては初対面じゃないんだし、上手い事交渉しなさい。
 勿論、下手な情報漏らしたり、失敗したら只じゃおかないからね。
 じゃ、頑張ってねぇ~。」

 夕呼はそう言い残すと、そのまま執務室から出て行ってしまう。残された武は、力無くソファーに頽れて、帝国情報省外務二課課長、鎧衣左近の来訪を待ち受けるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 20時32分、国連軍横浜基地の正面ゲートを自ら運転する車で出た鎧衣課長は、つい先程まで会っていた少年の事を思い返していた。

(―――ふむ。白銀武か。白銀とはしろがね、即ち白き金属という意味の言葉で銀のことだが―(以下略)―
 あの年齢にしては落ち着いている……いや、落ち着きすぎているか。おお、そう言えば白銀という地名が―(以下略)―
 私も明星作戦前から香月博士の下を訪ねているが、A-01以外の直属部隊など、存在する気配すら感じられなかった。A-01の部隊名には北欧系の伝承に縁のある名が付けられているが、あれは香月博士の―(以下略)―
 しかも、先程の交渉を見るに、単純な軍人としての経験だけとも考えられないな。そもそも軍人というのは頑迷に命令に従い―(以下略)―
 となると、直属部隊だとしても、諜報部隊か、極秘実験専門の部隊か? む、諜報部隊と言えば、横浜基地に潜入させた部下がまた―(以下略)―
 いずれにせよ、香月博士が白銀一人をあの執務室で待たせ、私との交渉を一任した以上、第4計画の中枢に位置すると判断していいだろう。しまった、香月博士の美貌が疲労で損なわれていないかを―(以下略)―
 しかし、生体認証用にと毛髪の採取を促されたが、本当に冥夜様と縁のある、あの白銀武と同一人物なのだろうか? 生体認証に用いる検査法はDNA照合を―(以下略)―
 本来であれば、将軍殿下との謁見など、望めるような人間ではないのだが、殿下は興味をお示しになられるだろうな。北欧神話はスカンディナヴィア人の伝説と信仰を基に―(以下略)―
 とは言え、帝国の国土奪還、将兵の損耗回避に画期的に貢献できる提案があるとは大きく出たものだ。そう言えば銀には魔除けとしての効用が―(以下略)―
 信じ難い話ではあるが、香月博士が後ろ盾になる以上、実現性皆無と言うことはないはずだな。博士の美貌がそう簡単に損なわれるとも思えないが、やはり質のいい化粧品を―(以下略)―
 問題は、第4計画の副産物なのか、只の時間稼ぎなのかだが、副産物と考えるには些か毛色が違いすぎるな。毛色か……人類の毛髪の色はユーメラニンとフェオメラニンと呼ばれる化学物質によって―(以下略)―
 いずれにせよ、白銀の要求は看過できないな。殿下の御裁定を仰ぐしかあるまい。)

 鎧衣課長はその独特の思考法によって、武との会話から得た所感から、その軍歴の胡散臭さ、武が保有していると思われる能力と軍歴の乖離(かいり)、夕呼の下での武の立場への考察、幼い頃に冥夜と邂逅したという少年との姓名の一致、武の話した内容なども吟味した上での謁見の実現性、第4計画の進捗へと繋がる一連の思考を、関連性の薄い余分な思考と混在させながら、常人の数倍の速度で推し進めた。
 そうして出た結論は、武の価値を認め、可能な限り便宜を図るべきだというものであった。
 無論、鎧衣課長の権限で決定できないような事柄も含まれていたが、鎧衣課長の経験に裏打ちされた勘は、武の願いを、少なくとも今回は可能な限り速やかに叶えるべきだと訴えている。
 僅か30分ほど会話をしただけであるにも拘らず、海千山千の諜報員である自身をして、そう判断させてしまうだけの何かを武が身の内に内包しているように、鎧衣課長には感じられたのであった。

(まあいい。今回は最大限に協力してやろう、シロガネタケル。それはそうと、土産に置いてきた赤兎馬の描かれた壷は、誰の手に渡ったのだろうか、あれは―(以下略)―)

 霞がリーディングをしていたならば、目を廻してしまいそうな程に雑多な思考を行いながら、鎧衣課長の運転する車は、的確な走りで一路帝都を目指して走り去っていった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 20時59分、B5フロア医療ブロック内の入院施設エリア―――通称『病棟』の507号個室で、美琴は少し前までこの部屋に居た、見舞いに来てくれた仲間達との会話を思い返していた。

(う~ん。試験運用部隊か~。どんなことをやらされるのかなあ? でも新訓練課程って、あの新しく配属されたタケルが考えたんだよね?
 しかも、自分も一緒にその訓練を受けるって言うんだから、それほど無茶な訓練じゃないのかな?
 あ、でも、現役衛士として戦ってたって言ってたから、訓練兵のボクらにとっては無茶だったりするかもね~。
 ん…………タケルかぁ~。なんていうか、ボクとタケルって相性バッチリって感じがするんだよね~。
 隊のみんなも仲良くしてくれるけど、どこかもうひとつ他人行儀な感じなんだよね。まあ、みんなの立場じゃしょうがないのかもしれないけど……
 その点タケルは、話してて居心地がいいって言うか、こう、ボクの事をしっかりと受け止めてくれてるって気がするし、初対面なのにちゃんと仲間として認めてくれてるって感じだったもんね。
 タケルと毎日一緒に訓練できるみんなが羨ましいな~。ボクも早く退院してタケルと一緒に訓練したいよ!)

 美琴は、自分がA分隊ではなくB分隊に配属された理由を、人数合わせと、自分の物怖じしない性格の所為だと思っていた。
 美琴にとって、情報省外務二課課長である父左近は、風変わりでマイペースで強引ではあっても、商社に勤める優しい父に過ぎず、自身が周囲から特別視されるなど想像すらしていなかったのである。
 実のところ、鎧衣課長が親心と趣味で娘に仕込んだサバイバル技術は格別のものであり、美琴の生来の勘の鋭さと合わさって、鎧衣課長と対立する勢力からの数々の襲撃を、さして意識することも無く回避することを可能としていた。
 その為、これまた本人の自覚は無いものの、諜報畑の人間の間では美琴の存在はそれなりに知られており、諜報員ではなく衛士の道に進んだ事は、多くの人間に安堵の溜息を吐かせていた。

(―――そう言えば、さっきのみんなの雰囲気って、ボクが入院する前よりも打ち解けてたかも……って、まさかね。
 タケルの配属は今日だって言ってたから、さすがに1日でそれはないか~。)

 さしあたって、暇を持て余していた美琴は、その後も新しく出来た仲間である武について、あれこれ想像して過ごした。
 仲間や武自身の口から聞いた情報に、幼い頃から父親に聞かされてきた荒唐無稽な冒険譚を混ぜ合わせて、美琴は空想の中で武と二人で暴れ回った。
 その空想は美琴にはとても心地良く魅力的であった為、美琴の中では、武の存在がどんどんと大きくなり、遂には掛替えの無い相棒として認識されていく。
 果たして父の影響なのか、美琴自身の特質なのか……いずれにしても稀に見る思い込みの強さではあった―――

  ● ● ○ ○ ○ ○

 21時32分、訓練校のグラウンドに、模擬刀2本を手にした武が姿を現した。
 夕呼の執務室で鎧衣課長と対面した武は、何とか交渉をやり遂げた後、鎧衣課長と入れ替わりで戻ってきた夕呼に経過を報告し、なにやら絵の書かれた壷を霞の下に届けた。
 やはり霞は鎧衣課長のお土産をコレクションしているらしく、欠片も嬉しそうではなかったが、黙ってその壷を受け取った。
 その後武は、XM3開発に関して疑問点などがないか霞に訊ね、幾つか説明をした後B19フロアを後にし、頃合を見てグラウンドにやって来たのであった。

 そのグラウンドでは、武の予想通り冥夜が自主訓練を始めるに当たって、入念にストレッチを行っている。
 武はわざと足音を立てて冥夜に近付き、声をかけた。

「よ、冥夜。これから自主訓練か?」
「む―――タケルか。そうだ。毎晩欠かさず鍛錬を行うようにしている。そなたも自主訓練か?」

 足音で接近する者の存在に気付いていた為、冥夜は落ち着いて対応する。それに対して、武は手にした模擬刀を見せて応えた。

「いや、ちょっと違うんだ。冥夜に剣術の指導を頼めないかと思ってな。自室に居なかったからこっちに来てみたんだよ。
 で、どうだ? 頼めないか?」
「ふむ―――我流とは言え、そなたの剣は実戦で培われたものであろう? 今更私などに習わずとも良いのではないか?」

 武の願いに、今朝方の能力テストで、奥義を出さなかったとは言え、刀を取っての試合でほぼ互角の戦いを強いられた冥夜は、腕組みをして武の真意を問い返した。

「それがさ、どうも基本が出来てないみたいで、長刀の持ちが悪いんだよ。刃筋の立て方が今ひとつみたいでさ。
 だもんで、基本を少し身に付けたほうがいいと思ってな。」
「そ、そうか……そういうことであるならば、力になろう。されど、私も未だ衛士となるべく修行中の身。
 それ故、私の鍛錬が終わった後でも構わぬであろうか?」

 冥夜の問いに、頭を掻きながら恥ずかしげに応える武。その姿に何やら得も知れぬ衝撃を受けた冥夜は、一歩後退りながらも剣術の指導を了承した。

「そうか! ありがとう、冥夜。感謝するよ。けど、冥夜の鍛錬ってどのくらいやるんだ?―――そうか1時間か。
 じゃあ、その頃にまた出直してくるよ。よろしく頼むな、冥夜。」
「ああ。それでは後ほどまた見え(まみえ)よう。ではな。」

 武は、ストレッチの続きを再開する冥夜に背中を向け、基地地上施設の入り口に向って歩きながら、冥夜に届かぬ程度に囁く。

「月詠中尉……いや、斯衛軍第19独立警備小隊の方ならどなたでも構いません。もし任務に支障が無いようでしたら、お時間を頂戴できませんか?」

 武は念のため、もう2回ほどその言葉を繰り返しつつ歩みを進め、地上施設の玄関に入った。
 すると、玄関を入って直ぐ脇の影から、武に玲瓏な声が投げかけられる。

「我らに何用だ? 白銀武……臨時中尉だったな。」

「呼び捨てで構いませんよ、月詠中尉。警護対象である御剣家ご令嬢と同じ部隊に配属されたオレに、興味がおありかと思いまして。
 一応の情報はちゃんと伝わっているようですね。初めまして。香月副司令の直属で特殊任務に従事する傍ら、衛士訓練学校で訓練兵として任官を目指している白銀武です。
 御剣訓練兵に危害を加えるつもりはありませんので念のため。ああ、但し、訓練カリキュラムは厳しくなりますし、大分過激な内容も含まれます。
 とは言え、衛士になる以上いずれは通らなければならない道を、少しでも安全に経験してもらう為の処置ですからね。
 詳細はいずれ資料をお渡ししますが、この件に関しては御剣訓練兵だけ贔屓は出来ませんのでご承知置きください。」

 月詠に声をかけられた武は、グラウンドの冥夜からは視線の通らない位置へと移動した上で、月詠と向き合い、一気に返答から挨拶、用件へと続け様に語った。
 月詠も負けじと鋭い声で突き返す。

「我らを見縊るでないぞ、白銀。如何に苛酷な任務が課せられようとも、それが正当なものである限り我らが異を唱える事などあり得ぬ。
 それは冥夜様の誇りを汚す行いだからだ。―――言いたい事はそれだけか?」

 刃のように鋭い瞳で切り付けてくる月詠に、苦笑を浮かべながらも武は言葉を返す。

「それは失礼しました。思い違いを謝罪します。で、用件ですがもう少しあります。
 オレの経歴ですが、第4計画の特殊任務に当たるに際して、戸籍情報などを一時的に改竄して、BETA横浜侵攻時に死亡した事にしてありました。
 今回、訓練部隊配属に際して、一通りの情報は元に戻しましたが、何処かに死亡情報が残っている可能性があります。
 その件で、変に疑われても困るので、今の内に申し上げておきますね。
 帝国情報省の方に毛髪を提供して、生体認証可能かどうか調査も依頼してあります。
 上手くすれば、いずれ本人確認も取れると思いますので、そのあたりご承知置きください。
 今後はオレの特殊任務の関係で、色々とご協力願う事もあるかもしれませんので、一つよろしくお願いします。
 ―――オレからの用件はこれで全てですが、月詠中尉からは何かありますか?」

「同じ部隊の所属となった以上、冥夜様の信頼を裏切るような事はするな。私からはそれだけだ。」

 戸籍情報の改竄など、機密に抵触しかねない情報をあっさりと明かす武に、月詠は真意を推し量る視線を投げつつも、ありきたりな警告を告げるに留めた。
 武は月詠の言葉にしっかりと頷きを返しながらも、話を切り上げて敬礼すると、踵を返して立ち去っていく。

「勿論ですよ。まずは、ちゃんと信頼してもらえるように務めることの方が先ですけどね。
 ―――では、月詠中尉、失礼致します!」

 答礼を返し、立ち去って行く武を見送りながら、月詠の内心には疑念が溢れていた。

(白銀武、か。今朝になって人事データの一部が届けられた、冥夜様の訓練小隊へと転属してきた訓練兵。
 男だというだけでも要注意対象だというのに、白銀は只の訓練兵ですらない。
 国連軍に1998年に志願入隊。入隊後の詳細な軍歴は機密扱いで未公開。提示されたのは正規の練兵を経ていない事と、衛士としての実戦経験がある事、そして臨時中尉という戦時階級。
 そして、第4計画の中枢近くに座を占める人物だとの追記―――これは、こちらへの牽制か?
 極秘任務に赴く将兵を死亡扱いにする事は、必ずしも無いとは言えぬ。ましてやあの牝狐のする事だ、その程度は何の呵責も無く行うだろう。
 だが……それが『あの』白銀武と同一人物だと? 出生地と両親の名前からして、奴が名乗っているのが、未だ幼く在らせられた冥夜様と僅かな間ながらも共に過ごした、『あの』白銀である事に間違いはない。
 しかし、BETA横浜侵攻の際に命を落としたと思われていた白銀が、実はあの牝狐の下で飼われていて、今になって冥夜様の御前に姿を現すだと?
 しかも第4計画の中枢に係わっている? 冥夜様の訓練小隊が奴の考えた新しい衛士訓練課程の試験運用部隊になる?
 幾らなんでもキナ臭すぎるっ!! おのれ牝狐め、何を企んでいるのだ……
 だが、先程対面して様子を窺った限りでは、少なくとも性根の曲がった様子は見られなかった。情報省に生体認証を依頼したとも言っていたな。
 ならば、あのものは正真正銘『あの』白銀なのか? 牝狐が後ろで暗躍しているだけなのか?
 ………………解らん。しかし、警戒を解くにはあ奴はあまりに不信すぎる。監視を強めるしかないな―――)

 月詠は、斯衛軍総司令部に報告を上げ、情報省が入手した筈の武の毛髪を、城内省の生態認証データと照合するよう要請する事を心に決める。
 神代に冥夜の周辺警戒を厳にするように命じた月詠は、斯衛軍総司令部に秘匿通信を繋ぐべく、横浜基地通信隊へと急ぐのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 23時11分、B4フロアの自室にて、冥夜は転属してきた訓練兵である武について思い返していた。

(ふふ……得体の知れぬ奴だが、どうにも疑う気になれぬ。
 今朝方初めて見えた折には、軽佻浮薄な軟弱者かとも思ったが、榊との問答で、内には戦場で鍛え上げられた鋼の芯が通っていると知れた。
 そして今日1日の能力テストで、今の我らでは到底敵わぬ程に高い能力を持った優れた衛士である事も目の当たりとした。
 かといって能力に驕り、階級を笠に着て居丈高な態度を取るような事もせぬ。
 それどころか、自身の階級を何とも思っていないかのようであったな。
 そして、私や榊を前にして、我らの出自を知りながら同じ訓練兵だと平然と嘯き、こちらの懐へと遠慮なく踏み入ろうとする。しかも、妙な事だがそれを一向に不快に感じぬ。
 冥夜と名を呼び捨てにされるなど、幾久しく無かった事だ。―――うむ。新鮮で実に良い感覚だ。
 榊などは気負っていた分、拒否感の方が上回っているようだが、落ち着けば気負いが取れて自然体となるやも知れぬ。
 尤も、『委員長』という呼び名はさすがに、榊には酷かも知れぬがな……)

 冥夜は、顔を真っ赤にしていた千鶴の姿を目蓋の裏に思い起こして、くつくつと笑い声を漏らした。

(そして、我らのような実戦を知らぬ訓練兵を相手に、己が苦衷を明かし、戦友として自身の想いと願いを託してくれた。
 何故に今日であったばかりの我らに、それ程の信頼を与えてくれるのかは解らぬが、あの者の信頼に私は相応しい者でありたいと思う。
 なによりも、私はあの者から掛替えの無い教えを受けた。
 我が願い―――この星……この国の民……そして日本という国……それらを護り、姉上をたとえ僅かでもお助けする事。
 しかし、それは衛士となって我武者羅に自身を鍛えても容易には叶わぬ願いであると、あの者は自身の苦衷を曝す事で、私に教えてくれた。
 そして、個人の力ではなく、皆の力を高め、怨敵BETAに打ち克つ術を見出すのだと、新たなる道程をさえ示してくれたのだ。
 あの者の歩む道こそが、あの者の目指す世界こそが、私が追い求めてきた願いに通じる道であり、姉上が望む世界に違いない。
 私はあの者と知り合えた運命に感謝しよう。
 そして、先程の鍛錬の後に告げたが如く、我が非才の身の全てを以って、タケルの助けとなろう。
 為しうる限り多くの兵士を救い、ひいては多くの民に安寧をもたらし、姉上の重責を僅かなりとも軽くして見せようではないか。
 タケルは言った、一人で出来る事など高が知れていると。
 ならば、私の全てを賭けて、タケルに今一歩を歩ませよう。
 タケルの足掻きを、一寸でも前へと推し進めよう。
 タケルと私の2人で出来る事など高が知れていようが、いずれタケルの元には多くの者が集い、合力することであろう。
 そして、いつか人類は高みに達し、BETAを退けて、平和を取り戻す事が出来るに違いない。
 なんと眩い希望だろう。私は、我が力の限りを以って、この希望を現実のものとしてみせよう。
 ああ―――生まれてこの方、これほど明日の目覚めが待ち遠しい夜があっただろうか…………)

 冥夜はその双眸を閉じて眠りへと落ちる。その寝顔は安らぎに満ち、苦悩の欠片も見られなかった―――

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年10月24日(水)

 05時54分、B4フロアの武の自室では、霞が武を一生懸命にユサユサと揺す―――ると言うよりは、ぐいぐいと両手を押し付けていた。

「……ん……ああ、霞か、おはよう……起してくれてありがとな―――って、おい! 大丈夫か霞っ! なんかふらついてるぞ?!」

 いつもより気持ち緩慢な刺激に、なかなか目覚めなかった武がようやく目覚め、霞に挨拶しながら右手で擦った目を見開くと、そこには振り子よろしく上体を揺らして、ボーッとした表情で双眸を半開きにし、髪飾りを頭の両脇にヘタレさせた霞が立っていた。
 尋常ではない霞の様子に、眠気も吹っ飛んだ武は、心配そうに声をかける。すると、霞は常にも増して平坦な口調で返事をしながら、ドアの方へのろのろと歩き始める。

「……だいじょうぶ……です…………おやすみ……なさい…………しろ……がね……さん…………」

「おいおい、本当に大丈夫なのかよ、霞。もしかして、今日も徹夜明けなのか? あまり無理すんなよ?」

 霞の行く手に立ち塞がっていたドアを開けてやりながら、武は更に心配そうに声をかけた。
 本当ならば、このまま霞の部屋まで送ってやりたいところだが、点呼をすっぽかす訳にもいかない。

「だい……じょうぶ……です…………もどったら……すこ……し……ねま……す…………から…………」

「そ、そうだ! 点呼が終わるまでオレのベッドで休んでろよ、霞。点呼が終わったら、部屋まで送ってやるからさ……」

 思い付いた事をそのままに告げた武の言葉に、霞の右側の髪飾りだけが一瞬ピンッと直立するが、次の瞬間には力なくヘタレる。
 しかし、何らかの刺激は霞の脳に届いたらしく、霞は上体をふらふらと揺らしながらも、なにやら必死に検討している様子であった。
 武は、何故か声をかけただけで、霞が壊れてしまいそうな危うさを感じて、倒れ込んだら支えられるように身構えながらも、見守る事しかできずにいた。
 その姿は、傍から見れば、幼い霞に襲い掛かろうとする変質者のようであった。

「べっど…………タケルちゃんの……べっど………………はい……しろがねさんの……べっどで…………ね、ます…………」

 霞はそう言うと、気力が尽きたようにその場に頽れる。が、事前に身構えていた武は、霞の膝が床に付く前に支える事に成功し、そのまま霞を自室のベッドに運んで寝かせた。
 大分時間を無駄にしてしまっていた為、大急ぎで着替えを済ませ、武は廊下に出てまりもを待つ。
 少ししてやって来たまりもに、騒がれる前に以上を説明するべく、武は先手を取って話しかけた。

「神宮司臨時中尉。済まないが点呼の前に少し話を聞いて欲しい。」

 まりもに対して、臨時中尉の肩書きで話しかけた武に、まりもは即座に特殊任務関係と判断を下す。

「はい。なんでしょうか? 白銀中尉。」

 素直に話を聞く態勢になってくれたまりもに感謝しつつ、武は小声で事情を説明する。
 昨日付けで、まりもにも特殊任務従事中の戦時階級として臨時中尉の辞令が降りており、新衛士訓練課程の打ち合わせなどで、同輩としての敬語抜きの会話をまりもに承服させていた武は、やや砕けた口調で話しかける。

「神宮司中尉は、香月副司令直属の社霞って知ってますよね?
 実は、彼女に特殊任務に関する作業を頼んであったんですけど、どうやら徹夜しちゃったみたいで、足元が覚束なかったものでオレのベッドで休ませているんです。
 訓練兵としては、問題のある行為とは解ってるんですが、オレに課せられる罰はともかく、霞をそのまま寝かしといてやりたいんですよ。」

「え? 社が白銀中尉の部屋で寝てるの?!―――そういう事なら、特殊任務絡みという事で情状酌量はするけど、香月副司令に報告は上げるわよ?
 ―――解ったわ。こほん。……では、室内の点検を行う間、廊下で待機していろ、白銀訓練兵。」

 まりもも、武に小声で応じると、教官としての立場に戻って、武に待機を命じて室内に入る。
 着衣の乱れも無く、室内のベッドで安らかな寝息を立てている霞を確認すると、まりもは廊下へと戻り、武の点呼を終えて立ち去って行く。
 次の点呼の相手である、千鶴の部屋へと向いながら、まりもは何か腑に落ちないものを感じていた。

(夕呼直属の社が、白銀の任務を手伝うのは良いとして、なんで朝から白銀の部屋に来てたのかしら?
 特殊任務なら、点呼なんてすっぽかして、社が作業をしていた場所に白銀が行けばよかったんじゃ……
 なにか、不自然なのよね。夕呼にでもそれとなく聞いてみようかしら……)

 後刻まりもは、夕呼から霞が昨日から武を起しに通っているという話を聞き、目眩を感じる事になるのだが、それには、未だ暫しの時間が必要であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 07時03分、武は精神的な疲労に肩を落としながら、1階のPXへとやってきていた。

 寝入ったままの霞を抱えて、B19フロアの夕呼の執務室へと連れて行った武は、夕呼にさんざんからかわれた後で、ようやく霞の部屋のロックを開けてもらい、夕呼の監視の下、霞をベッドに寝かし付けた。
 その際、ベッドに乗っていた不気味な兎らしき巨大ぬいぐるみが気になったが、その場は無視することにした。
 夕呼の鬱憤晴らしとしか思えない精神攻撃により、少なからぬダメージを負った武だったが、なんとか気力を掻き集め、朝食を取る為にPXまでやってきたのであった。

「あ、たけるさ~ん! おはようございます~。」

 朝食を受け取って席に向うと、既に集まっていた207Bの訓練兵の内、壬姫が武を見つけて手を振ってきた。

「おはよう、みんな。」
「うむ。おはようタケル。―――ん? なんだか疲れたような顔をしているな?」
「朝からお盛ん?」
「彩峰! 朝食時から変な事言わないでちょうだい。―――おはよう、白銀。」

 席に座りながら、挨拶をする武に、壬姫以外の3人が応じた。
 が、冥夜は武の疲れ切った表情に、目を見開いて疑問を提示し、彩峰はすかさず胡乱な物言いをする。
 それに千鶴が突っ込みを入れながらも、武に挨拶をして、207衛士訓練小隊の1日が今日も始まると武が思った直後、彩峰によって爆弾が投下された。

「変な事じゃない。事実。…………あたしは見た! 白銀が少女に襲い掛かって自室に連れ込むその瞬間を!!」
「なにっ! 本当かタケル!!」「えええええーーーっ!!!」「ちょ、ちょっと! それ本当なの彩峰?!」「本当。烈本当。」

 途端に騒がしくなった食卓に、今日はろくでもない一日になりそうだと、武は朝から黄昏れていた……




[3277] 第78話 『小さな一歩』を積み重ね―――
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/09/28 17:49

第78話 『小さな一歩』を積み重ね―――

2001年10月24日(水)

 12時05分、1階のPXのいつもの席に、207Bの5人が揃っていた。
 全員の前に昼食の乗ったトレイが置かれている。その上には京塚のおばちゃん謹製の、実に美味しそうな料理が載っている。
 彩峰のトレイに至っては、山盛りのヤキソバである。
 が、にも拘らず、料理に手をつけているのは武だけであった。

「―――ん? どうしたんだ? おまえら。食わないのか? っていうか、彩峰がヤキソバを前にしてはしを伸ばさないなんて、天変地異の前触れか?
 ヤキソバ冷めて硬くなっちまうぞ? 彩峰。」
「それだけは許せない…………」

 武の言葉に、頭を激しく振って『何か』を撥ね退けると、彩峰は猛然とヤキソバに喰らい付いていく。
 それを見ていた他の3人が、嘔吐を堪える様な素振りで視線を逸らす。当然、昼食を掻っ込んでいる武の方にも目を向けない。

「白銀……あ、あなたはもう見慣れているのかも知れないけど……私達は……その……初めて見たんだから、強い衝撃を受けてるのよ……
 総天然色で見ると、あ、あんなに気持ち悪かったなんて……」
「ッ!―――榊……止めて、お願いだから…………」

 武の楽しげな視線を感じたのか、苦しげではあるものの、千鶴は反論らしきものを口にする。
 しかし、その千鶴の言葉に先ほど振り払った『何か』を思い出してしまったのか、彩峰が口一杯に頬張ったヤキソバを噴出しそうになる。
 決死の形相で何とかヤキソバを嚥下した彩峰だったが、息も絶え絶えな状態で千鶴に嘆願する。
 負けず嫌いで千鶴を眼の敵にする彩峰が、言葉の上だけでも嘆願するとは、その心中たるや如何許りであっただろうか。
 『何か』―――それは、人類の天敵、BETAのグロテスクな姿の事であった。

「―――よし、私は腹を括ったぞ。彼奴等は我らの怨敵だ。彼奴等の所為で貴重な食料を無駄にする事など、以っての外だ!
 私は断固たる決意でこの昼食を取り、彼奴等を打ち破る為の血肉と化さしめるぞ!!」

 冥夜は閉じていた眼をカッと見開き、猛然と昼食に挑みかかる。
 その様子に、壬姫と千鶴も触発されたのか、各々の昼食にようやくはしを伸ばした。

「す、凄いです、御剣さん……よ~し、わたしも頑張りますっ!」
「そ、そうね……御剣の言う事は尤もだわ。わ、私だって……う…………」

 そんな4人の様子を、早くも自身の昼食を終えた武が、優しげな光を目に宿して見詰めていた。
 今日の午前中から、207B所属訓練兵の情報閲覧レベルが新任衛士並みに緩められ、BETAに関する詳細な情報を午前の座学で叩き込まれたのであった。
 今までシルエットを目にする事すら稀であったBETAの醜悪な姿を、実写映像も込みで延々と見せられたのだから、彼女等が食欲を失うのも尤もな事である。
 ともあれ、普段の倍近い時間はかかったものの、昼食は全て彼女等の胃の中に姿を消した。

「―――ふう……それにしても、今朝になって教官から情報閲覧レベルが上がったって聞いた時は何事かと思ったわ。
 あれも、あなたの差し金なのかしら? 白銀。」

 食事を終えて、合成玉露で一息ついた千鶴は、眼鏡を光らせて武を問い詰める。

「ん? ああ。そういうことだな。新衛士訓練課程では、オレが考案した対BETA戦術構想とその装備群に付いて学んでもらう。
 そして、従来の衛士教育が、任官後の部隊教育を経て実戦参加能力を確立するようになっている所を、任官までに初陣に立てるように改める。
 というか、初陣で生き残れない衛士候補生を予め除外するって方針だな。」

 千鶴の問いかけに対して、武は淡々と応える。―――が、その内容は、他の4人にとって聞き流せない内容を含んでいた。

「除外?……厳しいね……」「そ、それって、任官できないって事ですか~。」「む……いや、何の事は無い、自らを鍛え抜けばよいだけだ。」

 武の言葉に動揺を隠せないままに言葉を漏らす、彩峰、壬姫、冥夜の3人。だが、千鶴だけは暫し黙考した後で、口を開いた。

「白銀、それは詰まり、従来よりも任官する為の合格水準が高くなっているってことかしら?」

「まあ、そう言っても間違いじゃないな。オレの考え方だと、人的資源と戦術機の無駄遣いを減らそうとした結果なんだけどな。」

 武は相変わらず淡々と応じるが、対する千鶴の内圧が高まってきている事は、傍目からでも容易に窺い知る事ができた。
 壬姫は心配そうに武と千鶴を見比べ、彩峰は面白そうに千鶴を横目で観察する。一人、冥夜だけは武の言葉の意味を深く読み取ろうとするかのように、沈思黙考の構えであった。
 そして、力の劣る衛士を任官させるのは無駄だと言わんばかりの武の言葉に、柳眉をきりりと吊り上げて千鶴が噛み付く。

「何を言ってるのよあなた! 前線で戦う衛士が不足しているっていう情勢なのに、任官する衛士を減らすような真似をするなんて、何を考えてるの?!」

「委員長こそ、何を考えてるんだ? 衛士や戦術機は使い捨ての消耗品じゃないんだぞ?
 初陣を生き残れないような衛士を大量生産し、高価な戦術機に乗せて出撃させて、初陣で死なれちまったら衛士教育に掛かったコストと戦術機が丸損じゃないか。
 それにな、不足してるのは衛士だけじゃないぞ。他の兵科も、いや、それこそ軍人以外の銃後を支える人材だって不足してるんだ。
 そして、その不足はBETAとの戦いで犠牲者を大量に出し続けた結果なんだぞ?
 衛士への道が狭まるのは、確かに衛士を目指すおまえらにとっては脅威だろうさ。
 けどな、もっと視野を広く持つんだ。昨日も言ったよな。衛士になったからって、出来る事なんて高が知れてるって。
 でも、逆に言えば、衛士に……軍人にならなくたって、BETAに打ち勝つ為の貢献は出来るんだぞ?
 一番ジリ貧になるのは、多大な犠牲者を出し続ける事だ。その結果が、今の人類の窮状なんだからな。」

 武は千鶴の調子に合わせて、言葉の内容を説明から反論へと変えて応じる。
 その言葉に激高しかけた千鶴だったが、昨日の経験から何とか踏み止まる事に成功した。

「なっ!………………そ、そうそう簡単に、挑発されたりはしないわよ?
 ―――そうね。白銀の言う事も解らないではないわ。
 けど、現時点で人類が生き残っているのは、身命を賭して盾になってくれた先達たちのおかげだってことも事実よね?
 それに、白銀の言う事は、任官する衛士を減らしても、BETAとの戦いを維持できる手立てがあって初めて成立する事でしょ?
 今まではその手立てが見出されていなかったからこそ、人類は尊い犠牲を払って戦い続けて来たんだから。
 と、言う事は、あなたの対BETA戦術構想は、より少ない衛士によって、現状と同等の戦果を上げながら、同時に戦死者も減らせるって事なのかしらね?」
「そうだ。」
「「「「 え?! 」」」」

 自らの感情の激発を抑え、武の言葉を吟味した千鶴は、その論理の前提となる部分に穴があると判断し、その点を指摘した。
 如何に武が優秀であったとしても、人類が苦闘を続けてきた長年の間に成し得なかった事を、そうそう都合よく成せるとは思えなかったが故の言葉であった。
 しかし、武が即座に千鶴の問いを肯定した為、4人は驚愕のあまり言葉を失ってしまう。

「その通りなんだよ、委員長。オレの考えている対BETA戦術構想では、戦死者を減らして実戦経験を蓄積していく事と、人的資源を効率的に運用する事で戦果を拡大する事の両方を目指しているんだ。
 勿論、いい事ばかりじゃないぞ。代償として、装備の損耗は従来より増えるし、人数が減った分だけどうしても単位時間当たりの投入戦力は減る。
 けどな、前線での衛士の死傷率を減らすことで、従来より粘り強く戦闘を継続できるし、投入戦力が減少した分はそれを補える装備を運用する事で賄うんだ。
 当然従来よりも個々の衛士にかかる負担は増大するけど、衛士の生残性を向上させる事で、装備の運用効率は向上していくはずだから、将来的には却って装備の損耗は効率化されて減ると思うぞ。
 まあ、今のところは絵に描いた餅だってことも事実だけどな。
 ただし―――この絵に描いた餅に価値があると、香月副司令が認めてくれたからこそ、オレがここに居て、おまえらが試験運用部隊になっているってことは、忘れないでくれよな。
 まあ、おまえらなら、余程馬鹿やらなければ全員任官できるだろ。みんな揃って適性は十分にあるんだからな。」

 自信満々に語る武を、4人は目を丸くして見詰める事しかできなかった―――

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時58分、B4フロアの武の自室前に立ち、霞はドアをノックした。

「―――どうぞ~。…………お、霞じゃないか、どうした?」「え? や、社?」

 ノックに入室を促す言葉をかけた武は、入ってきた霞に対して気軽に声をかけた。が、武の部屋の中に居合わせた千鶴は、意外の念を禁じ得ず、疑問の声を上げてしまう。
 静々と部屋に入ってきた霞の方はというと、千鶴を一瞥して軽く頭を下げた後は、武のみを見て小さな声で用件を告げた。

「白銀さん……シミュレーターデッキに来てください……香月博士が、お待ちです。」

「え? じゃあ、もう出来たのか? 凄いじゃないか、霞! あ、委員長、悪いんだけど、特殊任務で呼び出しみたいなんで、今日はこれまでって事で構わないか?」

 霞から告げられた言葉で、XM3の試作版がシミュレーターに搭載されたと悟り、武は歓声を上げた。
 そして、夕食後、相談があると言って自室を訪ねてきていた千鶴に、話を切り上げる許しを求める。
 無論、千鶴としては特殊任務を優先せざるを得ないので、その場は素直に同意した。

「え? ええ、勿論よ。続きはまた、あなたに時間のある時に頼むわ。」
「そっか、悪いな委員長。じゃ、悪いけど行かせて貰うな。委員長は、そのお茶飲み終わるまで、ゆっくりしてっていいからな。
 茶碗とかも、そのまんまにしといてくれていいからさ。じゃあ、続きはまた今度な!」

 言葉を交す時間さえも惜しそうに、武は早口で言いたい事を言うと、霞を押しやるようにして部屋を出て行ってしまう。
 そのあまりの勢いに、腰を上げる暇さえも得られずに、千鶴は1人武の部屋に取り残されてしまった。

「あ、慌しい奴ね……ま、まあ、特殊任務で香月副司令のお呼びじゃ、しょうがないのかしらね。」

 独白を呟き、その声が武の自室に拡散して消えると、千鶴は妙に落ち着いてしまい、そのまま合成番茶の残りをゆっくりと口にする。
 何とはなしに安らいだ気持ちになった千鶴は、そのままつい先程まで武と交していた話の内容を分析し始める。

(―――まあ、確かに白銀から学ぶべき事は多そうね。
 普段のふざけた様な態度も、半分……いえ、四半分くらいは演技なのかもしれないし。
 物事を捉える視野も広いし……特に、あいつの発想は非常識すぎるくらいに自由奔放で斬新だわ。
 逆に、私は頭が固くて、定型に収まろうとし過ぎって事……なのかしらね……)

 出会ってからこっち、武の言動に反発を覚える事が少なくなかった千鶴だったが、武の言う事は冗談のように気軽に言った事でも、凄絶な実戦での経験や熟慮に裏打ちされたものが多かった。
 その為、反発はするものの、武の見解を受け入れざるを得ないことが多かった千鶴は、ストレスを感じると共に、自負心を傷付けられ続けていた。
 出合って2日も経っていないというのに、千鶴の中で武は無視しがたい存在となり、いっそ尊敬できる言動を取る人物であればどれほど楽であったかと嘆くまでに至っていた。

 とは言え、真面目な話をしているとき以外の武は、千鶴の目には不真面目で考えなしとしか見えない事が多く、どう接していいのか判断できずにいたのだった。
 そんな思考の迷路で迷っていた千鶴だったが、昼食時の武の言葉に自身を見直す切っ掛けが含まれていた。

(視野を広く持て……か。確かに、私は軍人らしくあろうとして、型に嵌ったものの見方しか出来てなかったかもしれないわね。
 それに、何時の間にか、軍人―――衛士になること以外に自分の価値を見出せなくなっていたのも確かだわ。)

 千鶴は趣味らしい趣味を持っていなかった。好奇心……と言うよりは知識欲が強かったので、実家のお手伝いさんなどから教われる遊びは貪欲にマスターしたし、暇つぶしにあやとりの新作に挑戦したりもした。
 しかし、それらは習熟する為に行ったという側面が強く、趣味と言うほどに執着している自覚が千鶴にはなかった。
 単に負けず嫌いな所為で、人並み以上に出来ないと満足できなかっただけかもしれないと、千鶴は自らを振り返って思う事が多い。

 その為か、衛士訓練学校に入隊してからは、衛士になる為だけに全ての時間を費やしてきたと言っても過言ではなく、遊びですら戦術機のマニピュレーター操作の鍛錬になると聞いた、あやとりが主体になったほどであった。
 衛士となり、軍人として栄達し、人類の為に十分な貢献が出来る立場になる為に、軍人らしい軍人になることにばかり目がいって、それ以外の価値観を千鶴は見失いかけていた。

(そうね。確かに白銀の言う通りだったわ。軍隊はそれ単体じゃ戦闘行為を維持できない。
 銃後で社会基盤を支え、食料や装備、消耗品を生産してくれる人々があってこそなのに、いつの間にか軍人以外は護るべき存在としか思えなくなっていたわ。
 本来は、単に役割分担に過ぎない筈なのにね。これじゃあ、選民思想で驕り高ぶってた父の同輩―――政治家たちと同じ穴の狢じゃないの。
 白銀は言っていたわね。政治家としてだって、立派な仕事をして国家に貢献している人は居る筈だって……
 私は、なまじ代々政治家を輩出した家に生まれた所為で、政治家の悪い面ばかり見てたのかもしれないわね。
 そして、父に強く反対されたから、そんな父に反発したから、それだけの理由で軍人になる事に執着して、他の道に価値を見出せなくなってたなんて、ほんとお粗末もいいところだわ。
 白銀は、衛士である自分をどう思っているのかしら。…………少なくとも、模範的な軍人としての態度は、窮屈に感じているみたいね。)

 千鶴は、武の言動の端々に現れる、無軌道で自由闊達な振る舞いを思い出して微笑を浮かべた。
 武にとって、規律を重んじ、厳格な風潮を持つ軍隊社会は、さぞや窮屈なのではないかと思った為であった。

(―――けれど、白銀の言っている事が大言壮語の類で無いなら、あいつはきっと人類の救世主になる。
 人類がBETAを駆逐して、地球を奪還出来る日さえ、現実になるかもしれない。
 そして、私達はその端緒に立ち会っているんだわ。
 なら、この務めを全うして、白銀の成果を世に知らしめる事こそが、人類に対する貢献になるんじゃないかしら。
 なるほど、御剣が手放しで助力を誓う筈だわ。従来の常識にばかりしがみ付いて、私は新しい可能性から目を背けていたのね。)

 千鶴は深い溜息を付いて、自省する。折に触れて明らかになる冥夜の慧眼に、千鶴が自身との差を思い知るのはこれで何回目になるだろうか。
 恐らく冥夜は自身の生い立ちの問題から、積極的な言動を控えてきていたのだろう。その為、回数こそ少なかったものの幾度か耳に痛い諫言や忠告を受けた経験が千鶴にはあった。
 その度に何時か追い越すのだと、自身を奮い立たせてきた千鶴だったが、昨日からさらに武までもが加わって、自尊心が挫けそうになっていたのだ。

 しかし、武は腹を割って話してみれば、親身になってあれこれと惜しみなく千鶴に助言を与えた。
 突然相談に乗って欲しいと押し掛けた千鶴に、武は『前の世界群』でも似た様な事があったのを思い出した。
 だからこそ、武は数多の世界で千鶴と交した言葉を思い出しながら、この機会に自身を縛っている枷から、千鶴を解き放とうとしたのだった。

(他にも、白銀からは色々と言われたわね。
 父の事、役割分担、責務と報酬、護る事と護られる事、父の思いと父に対する私の態度、物事を決め付けずに可能性として捉える事、そして、指揮官としての心得……
 指揮官は部下を知り、案じ、護り、活用し、信頼を得る。
 日頃から部下を熟知し、部下の為に最良の道を見出して導く。そして、適材を適所に配して、部下の適性を活かす。
 そうして日頃から信頼を得る努力をしてこそ、窮地に於いて士気を保ち、死の恐怖をも超えて部隊は戦う事が出来る、か……
 白銀も理想論だとは言っていたし、自分には到底無理だって笑ってたけど……私は指揮系統にばかり目がいっていて、上意下達を当然の事として、命じる者としての配慮や、命じられる者の気持ちを軽視してたわ。
 けど、気付かせてもらえた以上、今からでも改める事は出来るものね。
 白銀の言う事を鵜呑みにするのではなく、咀嚼して取捨選択して、私は私らしく、より高みへと這い上がって見せるわ。
 白銀……あなたから学べる事は、最後の一滴まで搾り取ってやるから、覚悟なさい……)

 人気の絶えた白銀の自室で、千鶴の口から漏れた、恐ろしげな笑い声が微かに響く。
 その声を、たまたま通りがかった壬姫が聞き、心霊現象と勘違いして、大慌てで逃げ出して行った。
 そしてこの後、怖いもの見たさに彩峰と連れ立って戻ってきた壬姫達が、武の部屋から出てきた千鶴と鉢合わせて一悶着起きる事になる。
 が、それはともかくとして、千鶴が後にした武の自室では、綺麗に洗われて片付けられた茶器が、主の帰りを待っていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 20時58分、シミュレーターデッキでは、試作OSを搭載したシミュレーターに搭乗した武が、試作OSのバグ出しに精を出していた。

「すげぇ、すげえよ霞! これなら十分実用に耐えるぞ。たった2日で組み上げたなんて信じられないくらいの仕上がりだ。
 徹夜して、頑張って作ってくれたんだな、ありがとな、霞!!」

「いえ……白銀さんの……要望や情報が……しっかりとしていたお蔭です……」

 武の手放しの絶賛に、霞が頬を染めて応える。頬を赤くしている以外は、特に表情に変化は見られないのだが、ピコピコと繰り返し跳ねる髪飾りが霞の内面を表していた。
 その様子を、外見では気難しげな仮面を被ったままで微笑ましげに眺めた後、夕呼は呼び出しておいたみちるとまりもに問いかける。

「で、あんた達の意見はどう?」

 夕呼の問いに、シミュレーターデッキの制御室のモニターで、仮想映像を見ていたみちるが興奮気味に応える。
 仮想映像の中では、みちるも乗りなれた戦術機である『不知火』が、普段自分達が乗っている時よりも格段に滑らかな挙動で、最早別次元ともいえる機動を行っていた。
 噴射跳躍による空中機動を多用するその機動は、レーザー属種の存在する地上での有用性に疑問もあったが、ハイヴ内やレーザー属種の存在しない戦場では確かに有効であろうと思えたし、何よりもみちるはその機動の千変万化な様子に魅了されていた。

「素晴らしい機動です、副司令。本当に機体データは『不知火』のままなのですか? 別の機体としか思えません。動作の切れが良すぎます。」

 対して、まりもは比較的冷静であった。

「なるほど、白銀中尉の言っていた、衛士の生残性を画期的に向上させる新戦術の根幹を成すのが、この新型OSと言う訳ですか。
 確かにこの性能なら、衛士の生残性は倍以上に跳ね上がるかもしれません。
 大言壮語かと思っていましたが、これならば頷けます。」

 みちるに続けて夕呼に応えたまりもの言葉に、夕呼はニヤリと笑みを浮かべ、みちるは驚愕して聞き返す。

「新戦術? 白銀中尉というのは、あのシミュレーターに搭乗している開発衛士のことか?
 そうか、衛士の生残性向上か……それは楽しみだな、神宮司中尉。」
「はっ!」

 夕呼の存在すら一瞬忘れ、まりもの方に振り向いて聞き間違いではないと悟ると、みちるは不敵な笑みを浮かべ、まりももみちるの見解に同意した。
 苛酷な任務の中で、多くの部下や同僚を喪ってきたみちるにとって、まりもから聞いた言葉がもたらす未来図は何が何でも手に入れたい未来であった。
 そんな2人に対して、夕呼は満を持して追い討ちをかける。

「伊隅~。勘違いしちゃ駄目よ~。白銀は只の開発衛士じゃなくて、この試作OSを含めた、対BETA戦術構想とその装備群の発案者で、研究プロジェクトの担当責任者なんだから。
 白銀の上はあたしだけ。オルタネイティヴ4で、本計画に次いで重要なプロジェクトのリーダーって訳よ。
 そして、現段階の対BETA戦術構想において、この試作OSは基幹技術であって不可欠に近いものだけど、白銀の新戦術の真骨頂は、この試作OSが完成したその先にあるわ。
 おまけに、現在も尚、白銀は対BETA戦術構想を進化させようとしているしね。
 つまり、この試作OSは、白銀にとって最初の小さな一歩に過ぎないってことよ。」

「は? 副司令、この新型OSの先の構想が既にあるというのですか? しかも、あのシミュレーターは研究者が操縦していると?」

 夕呼の追い討ちに、驚愕を深めてみちるは問い返す。その期待通りの反応に、夕呼は満足気に笑みを深めてみちるの誤解を正す。

「違う違う、白銀は衛士が本業だけど、あたしの直属で新戦術とそれで用いる装備の研究開発をしているってことよ。
 でもって、最近実用化の目処が付いて、慣熟用の訓練課程の構築なんかも始めたもんだから、まりもを臨時中尉にして補佐につけたのよ。
 つまり、まりもは白銀の部下ってことね。
 さて、と……社、白銀はこのままで実用に耐えるだなんて言ってたけど、本当に大丈夫かしら?」

「……はい……致命的な動作不良や、白銀さんの要求仕様に……達していない部分は……無いようです……」

 突然夕呼に声をかけられたにも拘らず、霞は驚きもせずに的確な返事を返す。

「そ、じゃあ、デバッグとパラメーターの微調整をちゃっちゃと済ませて、全ての試作OS搭載シミュレーターを更新(アップデート)して頂戴。
 伊隅、まりも、あんた達には、早速あれに乗って白銀と模擬戦をやってもらうわ。
 それで問題が出なかったら、明日から伊隅の部隊の戦術機全てにあの試作OSを搭載するわよ。」

「え?! あ、りょ、了解です!」「……了解。」

 夕呼の言葉にみちるは戸惑いながら命令を受領し、まりもはやや諦めのこもった声で応じる。
 そして、白銀に今後の指示を出す夕呼を他所に、2人揃って衛士強化装備を装着する為にドレッシングルームへと向った。

 ―――この日行われたシミュレーターによる模擬戦で、武はみちるとまりもを相手に2対1で戦い、3戦して2勝1分けとした。
 試作OSの完成度も、実機に搭載して問題ないレベルと判断され、翌日から早速ヴァルキリーズの『不知火』に換装が行われる事が決定した。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 22時31分、B8フロアの自室で、まりもは就寝前のシャワーを浴びていた。
 まりもは下士官である軍曹の階級にあったが、オルタネイティヴ4直属衛士を育成する衛士訓練学校の教官職を務めている為、オルタネイティヴ4に関与する尉官が多く部屋を割り当てられるこの一角に、士官用個室を与えられていた。
 それ故に、気の向くままにシャワーを浴びたりできるのだが、温水を全身に浴びながらも、まりもの思考はどうしてもついさっきまで操っていた試作OSへと向かってしまう。

(―――戦術機があれほど滑らかに、思い通りに動くものだったとはね。
 最初は遊びの少なさに戸惑ったけど、今まで鍛え上げてきて、1つの極みと思っていた機動が、あっという間に児戯にも等しく思えるようになっちゃったわ……
 即応性の30%向上も凄いけど、あの機動を可能としているのはキャンセルと先行入力よね。
 コンボって機能は未だ使いこなせていないけれど、あの機能の効能は理解出来てると思う。
 おまけに、既に機能拡張計画まで組まれているなんて……一体白銀は何処からこんな発想を思い付いたのかしら……)

 試作OSを操った時の感覚を反芻し、機能の特徴を思い返す内に、思考は武に関するものへと移ろっていく。

(なるほど、あれだけの物を発案できるなら、夕呼が直属にするのも頷けるわね。
 肩肘張らないところも、夕呼の好みにあってるだろうし。
 なにしろ、特殊任務で部下になったあたし相手に、敬語を使わないで同輩として接するようにって真っ先に力説してくるくらいだものね。
 よっぽど敬語が嫌いなのかしら……まあ、あの歳だし、正規階級と戦時階級の差も激しいから、解らないことでもないけど……
 けど、為人はともかくとして、あの年齢で、あそこまで何もかもに熟達しているってのが、どうにも不自然な感じがするのよね。
 夕呼直属の機密部隊で、極秘任務に従事していたとは言え、正規の教育もなしに3年に満たない期間であそこまでの能力を得られるものかしら。
 その上、あんな新戦術や装備の詳細まで練り込むだなんて―――
 それに、普段は感情豊かなくせに、時々怖いほどの自制心を見せるのよね。まるで夕呼みたいな……)

 まりもは、武と夕呼の姿がオーバーラップするかのような心象を振り払い、シャワー室を出てタオルで水気を拭き取る。
 手早くふき取って、寝巻き代わりのアンダーシャツとズボンを着込みながらも、思索を更に推し進める。

(でも、あの新型OSを知ったからには、特殊任務や新衛士訓練課程にも本腰を入れて取り組まなきゃね。
 白銀の話が大言壮語でも机上の空論でもないのなら、冗談抜きでBETA大戦に革命をもたらすものだわ。
 そして、あの娘たちが生き残れる可能性を、確実に押し上げてくれる。
 白銀武か―――今ひとつ掴み所の無い子だけど、こうなると期待せざるを得ないわね。
 人類の為にも、白銀の研究が実を結ぶように、あたしも全力で手伝う覚悟を決めなくちゃね―――
 明日からは、夜間に新型OS慣熟訓練もしなきゃならないし、今日はゆっくりと休んでおきましょ。)

 まりもは、教官職だけで十分に多忙であった日々が、更に多忙になる事を覚悟してベッドへと潜り込む。
 明日からは睡眠時間を削る日々が続く事になりそうだが、同時に今まで以上にやり甲斐のある日々になると、まりもは確信しながら眠りへと落ちていった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 23時33分、消灯時間を既に超過しているにも拘らず、シリンダールームには武と霞の姿があった。

「霞、XM3の試作版を2日であそこまで組んでくれた事といい、この統合フィードバックシステムと並列仮想空間生成プログラムを組み上げてくれたことといい、ほんっとうに、感謝するよ!
 これで、明日の朝からヴァルキリーズに試作OSの慣熟訓練を始めてもらえる。
 無理言って悪かったな。もう遅くなっちゃったけど、ゆっくり休んでくれな。」

 武は霞が組み上げたプログラムが入った記憶媒体をしまうと、拝まんばかりに霞に感謝を捧げた。
 霞は恥ずかしげに首を横に振ると、小さな声で武の感謝に応える。

「いいんです……白銀さん……急ぐ理由、知ってます……それに……お役に立てて、嬉しいです…………」

「そっか。でも本当に助かったよ。何か霞にお礼をしなきゃな。
 あ、そうだ、明日から毎日少しずつでも時間を取って、あやとりとか、おはじきとかして遊ばないか?
 ここ2日、根を詰めて仕事させちまったし、オレも息抜き代わりになるしな、どうだ? 嫌か?」

 武は『前の世界群』で習慣にしていた霞との交流を思い出していた。
 その思考をリーディングした霞は、武の言葉にコクンとひとつ頷く。

「そっか、じゃあ、明日からだな。約束だぞ、霞。」
「はい、約束です……」

 少しだけではあるものの、嬉しそうな霞の様子に、武は満足気に頷き笑顔を見せて言う。

「あ、今回のお礼とは別だからな。何か、オレに出来ることでして欲しい事があったら―――「あ-んがしたいです。」―――か、霞?!」

 が、武の笑顔は霞の一言に、凍りつく事となった。

「私も……朝御飯を一緒に食べて……白銀さんとあーんがしたいです。」

 じっと武を見上げて、明確に意思表示をする霞。武は内心で号泣しながらも、早々に諦めて受け入れる覚悟をした。
 過去、数多の世界でしてきた事だけに、この世界の霞だけ断る事もしたくない。
 また、周囲が騒ぐ事だろうが、いずれ慣れて日常と化す事も経験済みなので、霞を悲しませてまで平穏を手にする事は憚られた。
 武は、霞に頷いて応じた。

「そうだな。明日から一緒に朝食を食べよう、霞。―――けどな、合成さば味噌煮定食以外も食べような。」
「?……はい……わかりました……」

 武の言葉にもの問いたげな表情を浮かべた霞だったが、素直に了承して頷いた。

「じゃ、今晩は早めに寝るんだぞ、霞。また明日な。」

「はい……またね……です……」

 霞に別れを告げ、心中で純夏にもお休みを言った武は、シリンダールームを後にしながら明朝の喧騒に立ち向かう覚悟を決めた。
 と、武はその場に足を止めて何やら考え始める。

(ん? まてよ……騒がしいって言えば、今朝も彩峰の所為で騒がしかったよな…………
 もしかして……オレが何しようと関係なく、なにかしらの騒ぎが高確率で起こってないか?!)

 と、今更な事に気付いて愕然とする武であった―――




[3277] 第79話 戦乙女ら、破魔たる銀の刃を得たり
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/21 17:48

第79話 戦乙女ら、破魔たる銀の刃を得たり

2001年10月25日(木)

 06時06分、B4フロアの自室前の廊下で、武は直立不動で冷や汗を流していた……

「―――香月副司令から聞いたぞ? 毎朝、社に起こしてもらっているそうだな、白銀。
 一応、同衾など不埒な真似はしていないようだが、何故この時間になっても社が部屋にいるのか、説明してもらおうか?」

 冷や汗を流しているのは、衛士訓練校教官として脇に立ち自室内を眺めているまりもが発する、絶対零度かと思えるほどに冷たい声の所為であった。

「はっ! 点呼終了後に、朝食を共にする約束をいたしましたので、待ってもらっております。」

 まりもの詰問に、言い訳をする訳にもいかず、端的に事情を説明する武。
 その言葉にまりもの眉が微かにピクピクと痙攣する。外見上の反応はそれだけであったが、当然、そんな説明だけで、まりもが納得している訳が無かった。

(毎朝、優しく起こしてあげて、その後一緒に食事っ?! な、なんてうらや…………じゃないっ!
 く、訓練兵としてはあるまじき行為だわ! 堕落よ堕落!! 風紀と規律が乱れるわ!!!)

 まりもは内心を押し隠すが、まとう雰囲気はさらに剣呑なものとなり、吹雪が吹き荒れるが如くに武の体感温度を下げる。

「ほ~……優しく起こしてもらった後に、一緒に食事か……訓練兵の身分にしては随分と優雅な朝だな? 白銀。
 となると私は、無粋な点呼を割り込ませてしまって、申し訳ない事をしたと思うべきなのかな? ん?」

「いえ! そんな事はありません! 訓練兵としての活動に支障を及ぼすような事はいたしませんので、どうかご寛恕下さい。」

 まりもは、実直に訓練兵としての受け答えに終始して、一言も言い訳をしない武を、眇めた(すがめた)目で見て思う。

(―――厳罰に処して今後禁止を申し渡したいところだけど、夕呼からは、霞ちゃんの情操教育の面からも、白銀との交流を妨げるなって言われちゃってるのよね~。
 夕呼の事だから、面白半分なのは間違いないけど、霞ちゃんの情操面での成長が不十分なのも事実だし……しょうがないわね、もう!)

 まりもは、一応は武に釘をさせたものと判断し、この場は解放してやることにした。

「まあいい。どうせ貴様は規格外だ。見逃してやるから、節度を持って行動するんだぞ。
 白銀訓練兵! 点呼は終了だ。自由にして良し!
 ―――で、白銀中尉、午前中は特殊任務の為、座学は欠席でいいのよね?」

「はっ!…………と、あ、今度はそっちの用事ですか。
 そうですね、暫くは座学の時間を特殊任務に充てると思います。実技と机上演習にはなるべく出る心算ですけどね。
 けど、神宮司中尉は、立場の切替早いですね。」

 まりもの態度の変化に、一瞬戸惑ったものの、武は特殊任務の予定を告げた。

「まあね。伊達に香月副司令の元で、長年勤めてた訳じゃないってことよ……良くも悪くも、ね……」

 武の言葉に応じるまりもは、先程までの気迫を失い、心持ち肩を落として力無く言葉を紡ぐ。
 その様子に、武は憐憫の念を向けて慰める。

「神宮司中尉は夕呼先生とは学生時代からの友人だそうですね。あの夕呼先生の相手を長年に亘って務めるなんて、心中察して余りあります。
 でも、夕呼先生も立場上、気安く接する事の出来る相手が限られますから、神宮司中尉の存在は貴重なんだと思いますよ。
 気休めにもなりませんけど、頑張ってくださいね、中尉。」

「…………白銀中尉……そうね、今更逃げる訳にもいかないし、香月副司令の立場も解らないでもないから、耐え忍ぶ事にするわ……
 じゃあ、他の娘たちの点呼に行くわね。―――解散っ!」

 まりもは、空しげな笑みを浮かべて武の慰撫に応えると、自らに気合を入れるかの如くに解散を命じ、武の敬礼に答礼を返して立ち去っていった。
 その後姿には、先程の厭世的な雰囲気は微塵も見られず、武はまりもの見事な自律能力に感動しながらも見送るのだった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 07時05分、1階のPXで、武は予想に違わず喧騒の只中にあった。

「ちょっと、白銀……まさか、昨日自室に連れ込んだのって、社だったんじゃないでしょうね?」
「銀髪だった。間違いない……身体的特徴も合致……」
「だそうよ?―――って、彩峰あなた! そこまで見てたんなら、昨日の時点で相手は特定できてたんじゃないの?」
「犠牲者の個人情報は秘匿した……」
「くっ!……ま、まあいいわ。で、白銀、何か弁明があるかしら?」
「弁明? 別に、霞に朝飯を食わしてやってるだけだぞ? 弁明の必要を認めないな。」
「な、なんですってぇえ~~~っ!!」
「それより、朝飯冷めない内に食ったほうがいいぞ。それに、あんまり騒ぐと周りの人に迷惑だしな。」
「そだね。……榊は傍迷惑な女……」
「あ~や~み~ね~~~っ!!!」

 配膳開始時間より前からPXにやって来ていた武は、真っ先に朝食を受け取ると、霞を急かす様にして、自分の朝食を他の皆が現れる前に済ませてしまっていた。
 その為、武はヒートアップする千鶴を何処吹く風でいなし、解した合成さばの身を霞に差し出して食べさせる余地があった。
 もし、霞に食べさせてもらっている場面を目撃されていたならば、到底不可能な対応である。
 彩峰は、この状況に面白そうに瞳を輝かせて、時には千鶴の怒りに薪をくべ、時には千鶴を揶揄しからかって、ますます千鶴を昂ぶらせて楽しんでいる。
 しかし、千鶴の追及を柳に風とやり過ごしているように見える武だったが、実は背中をびっしょりと汗で濡らしており、内心では千鶴の剣幕に身を竦ませていた。
 壬姫は既にパニックになっており、おろおろとしているだけなので、後は冥夜の仲裁を期待している武だったのだが……

(う~む。これは一体どうしたことなのであろうか。
 当初は社が利き腕を負傷していて、武が介助をしているのだと思ったのだが、どうもそうではないようだ。
 事実、先程から、ご飯は自身の両手を用いて食しているしな。
 また、何故霞の前にある朝食は、主菜のみが完食されており、逆に武の朝食は主菜のみが残っているのだ?
 そして、なぜ武は自身の朝食の主菜を、霞に食べさせているのであろうか。
 幼子(おさなご)に食事を与える親のようでもあるが、社はそこまで幼くは無いしな……
 それに、一見微笑ましくもある風景であるのに、妙に腹立たしく感じるのは何故なのであろうか……)

 しかし冥夜は、腕組みをして物思いに耽るばかりで、一向に仲裁を行おうとはしなかった。
 そして、喧騒の最中、無表情に淡々と、霞は武の差し出すはしからおかずをついばみ、心中密かに考えていた。

(………………先手必勝です……)

 残念ながら未だにリーディング機能を得ていない武には、霞の無表情の奥を垣間見る事は叶わないのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 08時02分、ブリーフィングルームの演壇に武とみちるが立ち、ヴァルキリーズと向かい合っていた。

「―――紹介しよう、香月副司令の下で特殊任務に従事している白銀武臨時中尉だ。
 本日より我々ヴァルキリーズは、この白銀中尉の特殊任務で立案、開発された、新戦術と新装備の実証試験を担当する事となった。
 この件に関しては、白銀が指揮権を持つ事となる。」

(ほほう、私達を試験部隊扱いか……いや、極秘計画だという事かな? 顔付きに未だ甘さが窺えるが、あの歳にしてはまあまあか。
 さて、遊び甲斐がある奴だと面白いんだが……)
(…………あら、可哀想に。美冴さんのお眼鏡に適ってしまったようですわね。程々になさるといいのですけれど……)

 みちるの言葉を聞きながら、目の端に面白げな光を讃えて武を見る美冴を、その楽しげな気配を察した祷子が、密かに横目で窺っていた。

「因みに、白銀は衛士としての実戦経験もある。腕もいいぞ。
 何しろ昨夜の模擬戦で、私と神宮司軍曹の2人を同時に相手取り、3戦して2勝1分けで一度も負けなかったんだからな。」

(え? 大尉と教官相手に勝ち越し?! 嘘でしょ? 一体どんな化け物よ……)
(うわ~、白銀中尉って、大尉よりも腕がいい衛士なんだ~。……水月、無茶しなきゃいいんだけど……)

 ヴァルキリーズ随一の腕を持つみちると、かつての鬼教官が2人がかりで負けたと聞いた水月は、内心の驚愕を押し殺して無理矢理不敵な笑みを形作った。
 親友の内面を良く知る遙は、この後確実に武に挑むであろう水月を案ずる。今回ばかりは相手が悪いのではないかと。

「―――ああ、神宮司軍曹だが、白銀の特殊任務の補佐も行うこととなり、特殊任務従事中は臨時中尉の階級となる。
 任務中に行動を共にする場合は、臨時中尉として遇するんだぞ?
 ―――では、白銀、挨拶をしろ。」

(((((((((((( えええええっ!!! 教官が……中尉ッ?! ))))))))))))

 話の途中で、ヴァルキリーズ全員に小さからぬ驚愕が走ったが、みちるは取り合わずに話を進め、そのまま武に挨拶をするように促した。

「白銀武臨時中尉です。
 特殊任務でBETAとの戦闘に於ける死傷者の低減を目指し、戦術と装備を立案、開発しています。
 ようやく実用に耐える成果が得られた為、ヴァルキリーズのみなさんに実証試験をお願いする次第となりました。
 新戦術及び新装備の致命的な欠陥が露呈しない限り、以降の実戦に於いて、みなさんにはそのまま新戦術と新装備を運用していただく事になります。
 実戦証明の無い装備や戦術に不満はあるかと思いますが、予想通りの効果が発揮できれば、実戦に於ける死傷率が画期的に減少すると自負しています。
 今後のBETA大戦の行方がかかっていますので、何卒ご協力ください。」

(え~っ、新戦術にぃ新装備? なんだかめんどくさそぉ~ね~。けど……死傷率が減るならぁ…………)
(死傷率が減るの? それなら、絶対に実用にしてみせる!)
(あ……珍しい。姉さんと葉子さんが、揃ってやる気になってるわ。なら、私も頑張らないとね……)

 武の説明に、怠惰の虫が騒ぎながらも、そのもたらす効果にやる気を掻き集める葵。その隣では葉子も決意を固め、そんな2人の様子を察した紫苑が覚悟を決めた。
 一方、みちるに促されて挨拶をしていた武は、生真面目な表情と張り詰めた雰囲気をここで緩め、やや砕けた調子で言葉を続ける。

「―――てなとこで、香月副司令から、A-01では堅苦しい言動は無用と聞いてることですし、ここからは、ざっくばらんにいかせてもらいますね。
 オレは一応臨時中尉ってことになってますけど、実は正規の衛士訓練課程を経ていないので、現在第207衛士訓練小隊B分隊に訓練兵として所属しているんですよ。
 そして、卒業した後は、このA-01に新任少尉として配属される予定です。
 ですから、オレの事は新任少尉か訓練兵として扱ってもらって構いません。」

(207Bって事は、千鶴たちと一緒って事? 総戦技演習直前で編入だなんて―――そっか実戦経験があるなら、腰掛か……)
(ふ~ん……白銀武ねぇ……衛士訓練課程抜きで戦術機乗って実戦を生き延びた? あはは、ふつーはあり得ないよねえ……)
(あ……あんまり怖い人じゃないみたいね~。良かった~。)
(おっ! 結構話せる奴見たいじゃんっ! 女の園に男が来て面倒になるかと思ったけどさっ、なんか面白くなりそうだねっ!)

 207と聞いて、以前の仲間を思い出し、武の裏事情を察する茜。晴子は外見上はにこやかに、内心では武の粗探しに精を出していた。
 智恵は、くだけた調子の武に、内心の緊張を解き、月恵は単純に好感を持った。
 武は、ここで軽く一礼して、ヴァルキリーズを見回す。各々の様子を窺って、少なくとも強い反感を持たれていない事を確認した後、武は再び鋭利な気迫を帯びて声を発する。

「ただし―――オレの特殊任務は洒落でも冗談でもないので、特殊任務に関する命令や要望を軽視するような事だけは、断じて容認できません。
 ですから、その辺りのケジメだけはきちんと付けてくださいね。
 ―――偉そうな事を言いましたが、オレ自身は若輩者の身ですので、よろしくご指導願います。」

 そして、最後に再び雰囲気を和らげ、深々と頭を下げて、武は挨拶を締め括った。
 その後は、ヴァルキリーズの簡単な紹介を経て、早速シミュレーターデッキで試作OS慣熟訓練を行う運びとなり、その場は一旦解散となる。

(う~ん……白銀中尉って、茜ちゃんの好みだべか? もじそうだど、あだしど茜ちゃんの関係さぁ危なくなるっぺや! ど、どないしたらいいっぺ?!)

 人気の無くなったブリーフィングルームに、腕組みをして悩んでいる多恵が独り取り残されていたが、慌てて駆け戻ってきた茜が頭を引っ叩いて再起動させ、ドレッシングルームへと引っ立てていくのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 08時48分、シミュレーターデッキは、激しい騒音で満たされていた。
 合計13基の戦術機シミュレーターが、性能の限界を試すが如くに暴れ回り、その動きに相応しい駆動音を周囲に振りまいている。
 あまりに激しい動きに、フレームは軋み、油圧アームから今にも油が噴出してきそうな有様であった。
 そして、それらの騒音からシャットアウトされている筈の制御室であったが、中では、また異なる騒音―――いや、絶叫らしきもので満ち満ちていた。

「ちょっ! これっ! ひどっ!!」「う~ん……う~~~ん……」「どひゃぁああ~~~~ッ!!!」「や、これは、き、きつい……かな。」「み、みんな! し、しっかり―――んがっ!!」「くっ―――う……」「ね、ねえさん……だ、だいじょう……ぶ?」「う……くぅ……」「し、しお―――いだっ! ひ、ひたか―――んぎゃっ!」「ッ―――これはこれは……」「あんたたちっ! 歯ぁ、喰いしばってなさいよっ!」「そう……だな……舌を噛むぞ……注意しろッ!」

 制御室で独り通信回線をモニターしている遙の頬を、冷や汗が一筋流れ落ちる。

(み、みんな大丈夫かな? こんな無茶苦茶な機動、見た事無いよ……バイタルをしっかりチェックして、いざとなったら直ぐに止めなくちゃ……
 あ、けど、築地少尉のバイタル、興奮はしてるけどあまり乱れていないわね……もしかして、水月よりもましなんじゃ……)

 横浜基地で最強と謳われるヴァルキリーズの戦域管制を勤め、その洗練された機動を見慣れている遙をして、現在シミュレーターで繰り広げられている機動は常識外れだった。
 13機のシミュレーターは、その全てが全く同じ凄まじい挙動をしており、それらの中には武とヴァルキリーズが搭乗しているのである。
 ヴァルキリーズの古参までもが余裕を失う様を、初めて目の当たりにした遙は、その心身にかかる負担を想像して恐怖すら感じていた。
 一応現状では、全員のバイタルモニターの数値は、許容範囲内に納まってはいる。
 しかし、1人を除き、全員が過度の興奮状態にある事は間違いなかった。
 そして、この事態は、そのたった一人によって引き起こされていたのだ。

「もう少しで『広間』を抜けて『横坑』に入ります。そうすれば暫くは主脚走行になりますから、頑張ってください。」

 武はヴァルキリーズの皆を励ましながらも、ハイヴの壁を、時には天井を蹴って、主脚の跳躍力を極力利用しながら、犇めく(ひしめく)BETAの隙間を縫って、ハイヴの『広間』を突破していく。
 途中、天井から落ちてくる突撃級を噴射跳躍ユニットを僅かに噴かして躱し、要撃級を近接戦闘長刀で斬り払い、進路を塞ぐ、密集した戦車級で出来た壁を砲撃で崩し、推進剤と弾薬を極力節約しながらも、武は試作OS搭載型『不知火』を操ってハイヴを疾風の如くに駆け抜けていった。
 随伴機は一切皆無。無補給の『不知火』1機で、武はヴォールクデータのフェイズ4ハイヴ突入シナリオに挑んでいた。
 そして、その武の操る『不知火』の機動を、ヴァルキリーズは連動するシミュレーターで追体験させられていたのである。

(霞の組んでくれた統合フィードバックシステムのお蔭で、葵さんと葉子さんも、なんとかオレの機動に耐えられてるみたいだな。
 オレの強化装備のフィードバックデータも、みんなのフィードバックデータを参照しながら、高効率でデータ蓄積が出来てる筈だ。
 一挙両得だな。ほんと、霞のお蔭で助かるよ。)

 武が曲芸のような3次元機動を行いながらも、ヴァルキリーズ全員のバイタルをチェックしてそんな感想を抱いていると、遙の戦域管制が耳に飛び込んできた。

「―――こちらヴァルキリー・マム。白銀中尉、間もなく『広間』の端に到達します。前方の『横坑』を索敵した結果、1km以内には100体を超えるBETAの集団は感知されませんでした。
 後方からは『広間』に存在するBETAだけで、千体を超えるBETAが追撃を開始していますが、現在過密状態による玉突きなどが発生しており、侵攻速度は時速70kmにも達していません。
 よって、暫くは大規模なBETAとの接触は無いと思われます。」

「白銀、了解。それでは、主脚走行で距離を稼ぐ。―――みんな、今の内に体調を整えておいてください。
 かといって、いつ『偽装横坑』からBETAが飛び出すか解らないんで、気構えだけはしっかりしといてくださいね。」

『『『 ―――りょ、了解…… 』』』

 ヴァルキリーズの息も絶え絶えな応答を聞いた武は、主脚走行で時折遭遇するBETAの小集団をやり過ごしながら、ハイヴの更に奥深くを目指す。
 以前の経験から、単機では『主立坑』に溢れるBETAの大軍を突破するのは不可能と判断した武は、中階層から深層部へと下っていくルートを選択した。
 とは言え、幾つもの『広間』を、そこに犇めくBETA群をあしらいながら越えた結果、とうとう推進剤が切れてしまう。
 かくして、次の『広間』ではBETA群を噴射跳躍で飛び越える事が出来ず、応戦する内に弾も切れ、長刀が折れたところで遭えなく自爆する事となった。

「ヴァルキリーマムより、総員に告ぐ。現時刻を以って状況を終了。
 最終到達地点、フェイズ4ハイヴ第22階層。深度は816mでした。」

「まあ、単機じゃこの辺りが限界ですね。みなさん、お疲れ様でした。15分休憩して、次はBETA上陸地点での防衛戦を行います。」

『『『 了解…… 』』』

 演習が終わり、武を除く全員がシミュレーターから這い出てくる。降りた後も、手摺にすがらずに立てているのは、みちる、水月、美冴、紫苑の4人だけであった。
 尤も、何故か多恵だけは、茜が降りてくる直前には、茜のシミュレーター前に辿り着いてへたり込んでいた。
 多恵のシミュレーターと茜のシミュレーターの間には、柏木の乗っていたシミュレーターがあるにも拘らず、である。
 どう考えても、あの位置にあのタイミングで居るには、シミュレーターを飛び降りてダッシュしなければ間に合わない。
 多恵に余程の余力があったか、尋常でない執念の賜なのか……みちるは敢えて追究はせずに、心の中の閻魔帳に記しておくに留めた。

「な、なにもんよ、あいつ……」

 遙が運んできたアイソトニック飲料を一気に飲み干し、続けて文字通り一息吐いた水月は、未だに一基だけ動き続けているシミュレーターを睨みつけて吐き捨てた。

「…………衛士として、腕利きなのは解りますが、だとしても戦術機の反応が良すぎます。只の『不知火』とは到底思えませんね。」

 水月の言葉を受けて、美冴が呼吸を整えてから意見を述べて、みちるの方を見る。

「ああ、後で白銀から説明があるだろうが、恐らく白銀の特殊任務で開発された新型OSが搭載されているはずだ。
 私も昨夜試してみたが、従来と全く同じ機体が、凄まじいまでの機動を実現できるようになる。
 熟達すれば、新型OSを搭載した『撃震』で『不知火』を撃破することも可能かもしれん。」
『『『 えええッ?! 』』』

 美冴のもの問いたげな視線に応じたみちるの言葉が信じ難く、その場の全員が驚愕の叫びを上げる。
 如何に改良に改良を重ねられているとは言え、第1世代戦術機である『撃震』と第3世代戦術機である『不知火』の性能の差は、それ程に隔絶していたからである。

「ふ……信じられんのも無理は無いが、貴様らがついさっきまで体験した機動も信じ難いものだった筈だ。
 しかも、今頃は、我々の『不知火』への新型OS換装作業が開始されている。
 明日には実機で確かめる事もできるだろう。
 白銀は確かにBETAとの戦闘を一新出来るだけの物を生み出したんだ。
 そして―――我々がそれらを実用に押し上げる!
 総員、血反吐を吐こうとも、必ずや白銀の新装備に陽の目を見させるぞっ!!」
「血反吐……う゛……は、吐きそう……ぐ…………う………………」
「ね、姉さん、落ち着いて! ほら、ちょと手を出して!!」

 みちるの言葉に刺激されたのか、葵が吐き気を催して騒ぎ出す。
 紫苑が急いで葵に駆け寄って両手を取ると、両腕の内側、手首の付け根の中央から肘の方に指3本ほどずれた場所を、両手の親指で押した。
 そのまま暫くすると、何とか落ち着いたのか、涙目になって、ぜいぜいと息を吐きながら、葵が涙を溜めた双眸でみちるを見上げる……

「む……水代、済まなかったな。少し言葉を選び損ねたようだ。」

 みちるが、右の眉を跳ね上げて、やや顔を引き攣らせて詫びた。
 葵はこくりと頷いて涙を拭い、葉子の差し出すコップを取って一口飲むと、壁にもたれて身体を休める。
 その葵に、心配そうに紫苑と葉子が付き添うが、葉子自身も未だに顔色が悪いままであった。

「確かに尋常な機動ではありませんでしたわね。まあ、だからこそ、単機でフェイズ4ハイヴの中階層突破を果たせたのでしょうけれど。」
「そうだな。しかも、22層でやられたのも、推進剤が切れた為だしな。あの白銀という衛士自身には、まだ余裕があったと見て良さそうだ。」
「そうね……最後の最後、文字通り矢尽き刀折れて尚、可能な限りBETAを誘引して自爆に巻き込んでいたしね。実際大したもんよ。」

 騒ぎが落ち着くのを待って、祷子がみちるの言葉に同意を示した上で感想を述べる。
 すると、それに美冴と水月が言葉を重ねるが、言えば言うだけ武の印象が化け物染みていく。
 新任達など、尊敬し目標とする先任達が手放しで褒める様を、目を丸くして見ている事しか出来なかった―――1人を除いては……

「確かに変態的な機動でしたけど、あれって、大尉の仰った新型OSがあれば、私たちでも出来るんですかね?」
「変態的?……柏木、確かに言いえて妙ではあるが、後々自分に降りかかってくるぞ?
 何しろ、貴様ら全員に、あの機動を身に付けてもらう予定だからな。」
「うへぇ……じゃあ、私たちもそう遠くない内に変態の仲間入りですね。」
「ちょ、ちょっと晴子! 変な事言わないでよっ! 私は変態だなんて言われるのは嫌よ!!」
「あ、あだしは、茜ちゃんと一緒なら……」
「多恵~~~ッ!!」

 新任5人の中で、もっとも精神的に安定している晴子が、質問に紛らせてさらりと微妙な表現を口にした。
 それをしっかりと聞きとがめた上で、みちるが質問に応じると、晴子は苦笑を浮かべながら軽口で応じる。
 後は、茜が食いつき多恵に連鎖し、その場に笑い声が広がった。

 その後、ヴァルキリーズは再びシミュレーターに乗り込み、BETAが続々と上陸してくる沿岸部での防衛シナリオに挑む武の機動を、再び味わう事となった。
 仮想現実に過ぎないとは言え、不気味なハイヴの密閉空間と違い、青空の下での戦闘であった所為か、葵と葉子の体調は先程よりは、幾らかましな様ではあった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 12時28分、ヴァルキリーズに割り当てられたPXで、昼食を終えたみちるは一人考え込んでいた。
 脳裏に浮かぶのは武の姿、思案するのはヴァルキリーズに与えられた任務についてであった。

(白銀臨時中尉か……為人は悪くはなさそうだし、有能なのも確かだろう。
 ヴォールクデータでのフェイズ4ハイヴ中階層突破を単機で果たすわ。
 連隊規模を超えるBETA群の上陸地点で、単独陽動を果たすわ。
 尋常な能力ではないな、確実に死線を幾つも潜っている筈だ。)

 午前中に体験させられた、武の戦闘機動を思いだし、みちるは確信を深める。
 BETA上陸の防衛線で、武は最初の補給の際に、補給コンテナの武器弾薬を端から取り出して辺りにばら撒いていた。
 あれは、実戦でちゃんとした補給を行う余裕が無い時に、落ちている装備を1つでも拾って戦い続ける為の『保険』だろうとみちるは思う。
 しかも、武の戦い方は、BETAの撃破自体よりも、如何に多くのBETAを陽動するかの方に重点を置いた戦い方であった。
 シミュレーターでは実施されなかったが、支援砲撃が行われる場合、戦術機の主たる任務はBETAを陽動し、侵攻を遅滞させることだ。
 つまり、武の戦い方は実戦に即しているという事になる。

(しかも、衛士としての腕だけではなく、あの新型OSの発案者だという。
 確かにあのOSの性能は画期的だ。
 あれが実用になるだけで、戦術機の戦闘能力は飛躍的に向上する事は間違いない。
 あれが完成して広く前線部隊に配備されるようになれば、BETAとの戦いも相当楽になるはずだ。
 故に、試験運用任務には全力を傾注し、必ずや実用に漕ぎ着ける。
 それはそれでいい。死力を尽くして任務にあたるのは、我らヴァルキリーズの隊規だからな。
 問題は、白銀の3次元機動だ。
 一体全体、何処からあんな発想を持って来たんだ?)

 みちるが受けた説明によると、武は1998年から夕呼の下で、極秘の特殊任務として実験部隊に所属していたという。
 A-01連隊の発足は1997年であるから、すでにオルタネイティヴ4直属の機密部隊が存在していてもおかしくはない時期だ。
 1999年の明星作戦で、A-01と同様に壊滅的損害を出して、以降そこで得た戦訓による研究・開発が主になったのかもしれないと、みちるは思う。

(―――だとしてもだ。レーザー属種のいる戦場で上空に飛び上がらないのは、衛士にとっての鉄則だ。
 何処の部隊でもこれだけは必ず叩き込まれる。
 空中格闘戦なんぞ、国内にBETAの侵攻を受けていない国で、対人戦闘の訓練でもしない限りやらない筈だ。
 にも拘らず、白銀は飛び上がり、レーザーの照射を受ける前に噴射降下する事で、照射を逃れて平然としている。
 何処でそんな技を身に付けた? そもそも、シミュレーターでは損害を被らなかったが、実戦でも同じ結果になるという補償などあるのか?
 もし、あの結果が、シミュレーターのプログラムのバグか、ロジックのミスだったなら、あの機動を実戦で行った途端に、レーザー照射で叩き落される事になりかねん。
 そんな事で、みすみす部下を失うなどご免被る!
 しかし、現状ではシミュレーターが正しい可能性もある以上、あの機動の有効性に疑念を述べても受け入れられないだろうな。)

 現在シミュレーターに入力されているBETA行動特性は、実際の戦場で観測されたBETAの行動を解析して割り出したものである。
 それ故に、通常行われないような戦術に対してBETAがどのような反応をするかに付いては、残念ながら何の保証もなかった。
 そもそも、BETAの行動が完全に把握できていたならば、人類は此処まで追い詰められたりはしていないのである。

(なのに、白銀はあいつ独特のあの3次元機動を、ヴァルキリーズの全員にマスターさせろと言う。
 あの機動は、今までの平面機動を主体とした機動とは、全くの別物だ。
 当然だな、従来の戦術機の機動は基本的に人間の動作の延長だ。
 人間に噴射跳躍ユニットが装備されていない以上、どうしても跳躍能力は過大になるのだから。
 それ故に、噴射跳躍時の機動は戦闘機などの機動を参考とし、主脚で行う戦闘機動とは異なる副次的な、移動を主としたものとして捉えられて来たのだ。
 それを、主脚で機体を裁くのと同じ次元で噴射跳躍を用いて、立体的な機動を取りつつ戦闘を行うなど……)

 通常、戦術機の噴射跳躍は、阻害地形を飛び越えたり、飛行による高速移動を行ったりするものであり、戦闘は地上に立って行われるのが主流であった。
 空中での戦闘機動など推進剤の無駄遣いとされ、空中に留まったままでの機動砲撃戦など、帝国軍では一顧だにされていない程だ。
 高速で3次元機動を行いながらの砲撃など、遠距離砲戦を指向する米国の影響を受けでもしない限り、そうそう思い付かないものなのである。
 にも拘らず、武はレーザー属種の存在する戦場で、3次元高機動近接格闘戦を行う。こんな無茶は、米国ですら罷り通らない筈だった。

(一つ間違えば、跳躍中にバランスを崩して墜落し、自滅しかねないぞ?
 新型OSにより、自律制御能力が向上しているとは言え、衛士による操縦の自由度を向上させた結果、自律制御による機動の優先度は下がっている。
 OSが転倒墜落を自律制御で回避しようとしても、衛士がそれを拒否する入力を行ってしまったなら、そちらが優先されてしまいかねない。
 危険だ。あの機動は実戦で使用するには、あまりに危険だ。
 ―――しかし、もし、もしもだ。シミュレーターの処理が正しく、午前中に白銀が行った機動を多くの衛士が身に付けてBETAに対したならば……
 そう、その場合は、人類はBETAを押し返せるかもしれない。
 これは、正に今後のBETA大戦の趨勢を占う任務だ。我が身を差し出してでも、実戦で効果を確かめざるを得ないか…………)

 みちるの悩みは深かった。
 未だ嘗て無い新しい機動概念と新戦術。
 それを証明するには、自身と部下の身命を以ってしか成しえないという認識。
 部隊指揮官であり、任務の達成と部下の安全との狭間でみちるは悩む。
 その悩みが、武に訊ねさえすれば、容易に氷解する事とは知らず、悩みはなかなかみちるの脳裏を離れなかった……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 16時46分、国連軍横浜基地、歩兵部隊用演習場付属のドレッシングルームに程近い廊下に、斯衛軍装を身をまとった4人の女性衛士の姿があった。

「―――ではお前達、冥夜様の警護、抜かり無く務めるのだぞ。」
「「「 はいっ! 真那様ッ!! 」」」
「真那様、道中お気を付けて。」「もし隊の連中に会えたら、よろしく言っといてくださいね。」「お土産……は、この時間じゃ無理ですわね~。」

 言わずと知れた、斯衛軍第19独立警備小隊の月詠以下、神代、巴、戎の4人であった。
 この夜、真那が一旦帝都に帰参する為、冥夜の警備を引継ぎ、暫しの別れを告げていた。

 と、その時、ドレッシングルームから警護対象であり、各々が心中で主と慕う冥夜が、207衛士訓練小隊の女性訓練兵3名と連れ立って姿を現した。
 冥夜を離れた位置から遠巻きに見守るのが、月詠たちの警護方針である。
 周辺の安全確保には全力を尽くし、それとなく人払いなども行っているが、いざという時に駆け寄るまでに時間のかかる現在の警護方法は、月詠たち4人全員にとって不本意なものであった。

 しかし、国連軍の所属であるこの横浜基地では、斯衛軍衛士である自分達は異物であり、周囲の耳目を集めてしまう存在である。
 その為、国連軍の訓練兵である冥夜の側に自分達が寄っては、冥夜に不要の衆目を引き寄せてしまう可能性が高かった。
 斯衛からしてみれば綱紀の緩みきったこの基地だったが、それでも軍だけあって相応の規律は保たれている。
 その上で、冥夜の行動範囲内での安全確保の行動を、基地憲兵隊と基地司令部から黙認され許容されている以上、冥夜の立場への影響も考慮して現在の警護方針に甘んじるしかなかった。

 その場に残る月詠に敬礼し、神代、巴、戎の3人は、冥夜の警護をする為に移動を開始する。
 この時は、神代が冥夜の姿を見失わぬ程度に離れて追従し、巴と戎は先回りして安全確保を行う。さすがに半年以上に亘って駐留し行ってきた任務だけあって、その動きに迷いは無かった。

 その姿を見送った月詠は、冥夜達の使用していたものとは別のドレッシングルームから出てきて、そのまま壁に寄りかかって所在無げにしていた男、武へと歩み寄る。
 本来、歩兵用演習場のドレッシングルームは、衛士強化装備を装着するドレッシングルームと異なり、男女共用である。
 それを、わざわざ男女で分けて、武だけ別のドレッシングルームでシャワーで汗と汚れを落とし着替えているのは、実を言えば月詠の要請によるものであった。
 表立って警護できない月詠としては、監視の行き届かないドレッシングルームの中で、武が冥夜に不埒な行いに及ぶ可能性を許容できなかったのである。

「月詠中尉、お手数をおかけします! 帝都までの同行、よろしくお願いいたしますっ!」

 歩み寄った月詠に対して、武は敬礼して挨拶を述べた。
 そう、武はこの夜、帝都城に招聘されていたのであった―――




[3277] 第80話 帝都城に吹きし一陣の風 +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:03

第80話 帝都城に吹きし一陣の風 +おまけ

2001年10月25日(木)

 17時54分、帝都城内にある斯衛軍総司令部内の一角、来賓室に於いて、武は政威大将軍煌武院悠陽殿下と非公式の謁見を果たしていた。
 同席しているのは斯衛軍副司令官紅蓮醍三郎大将と、情報省外務二課課長鎧衣左近の2名。
 木目の美しい瀟洒(しょうしゃ)なテーブルを挟み、武は悠陽と紅蓮の2人と向かい合う形でソファーに腰掛けていた。
 鎧衣課長は、ソファーには腰掛けず、入り口近くの壁際に立って控えている。

「殿下、此度は畏れ多くも謁見の栄誉を拝し奉り、恐悦至極に存じます―――」

 武はソファーに腰掛けたまま、深々と頭を下げてそう言上した。そして、早々に頭を上げてしまうと、悠陽の顔(かんばせ)を正面から見ながら、頭をかいて照れくさそうに笑って言った。

「―――えっと、月詠さんに最初の挨拶だけ教わったんですけど、こんなんでよかったですかね?」

 その様子に、双眸を僅かに見開いた悠陽が、口元に繊手を当てて笑みを含んだ声を上げる。

「―――あら? さて、どうでしょうね、紅蓮?」

「文言はさておき、合格点はやれぬでしょうなあ。
 白銀、そのような言上を述べる際には、一旦席を立ち床に拝跪して述べるものだ。
 そして、殿下のお許しが出るまで頭を上げずに待つのが礼儀よな。それくらい弁えておかんか、粗忽者が。」

 悠陽の言葉を受け、武の作法に駄目出しをして叱り飛ばす紅蓮だったが、その瞳には面白そうな光を湛えていた。
 一方、叱責された武の方も、紅蓮の言葉に恐縮する様子もなく、悪びれずに応じる。

「いや、礼儀作法なんて縁が無いもんで、申し訳ありません。どうしてもと仰るのでしたら、これからでも何とか身に付けてみますけど……」

「くすくす……幼き男子のような者ですね……此度は内々の席ゆえ許しましょう。それよりも―――早く本題にお入りなさい。」

 小さく笑い声を零して、武の不調法を許した悠陽だったが、笑みを収め、表情を真剣なものに改めると武を促した。
 それに頷きを返し、武も表情を改めて今回の謁見の本題を話し始める。

「―――解りました。まず、これから申し上げる事は、香月博士の第四計画で得られた成果であり、如何に荒唐無稽に思えようとも、博士の提唱する『因果律量子論』に基づいて得られた結果である事をご承知おきください。
 『因果律量子論』に於いては、同一の状況から複数の事象が発生する可能性がある場合、世界はその各々の事象が発生した世界に分岐するものと考えます。
 これを『多世界解釈』といい、これにより分岐した世界群を確率分岐世界群と呼称します。
 『量子論』でよく言われるシュレーディンガーの猫の例であれば、箱を開けた時点で中の猫が死んでいる世界と生きている世界に分岐して、猫が死んでいた確率分岐世界と、猫が生きていた確率分岐世界が派生することになります。
 よって、我々が生き、観測している世界も、それらの確率分岐世界の一つに過ぎず、こうしている間にもどんどんと確率分岐世界が派生しているという事になります。
 そして、そうやって発生した無数の世界の間を、因果情報という情報が相互にやり取りされます。
 その因果情報に基づいて、分岐した後の世界の間でも似た様な事象が発生し、世界は相互に影響を与え合い乖離し過ぎずに済む訳です。
 つまり、ある分岐によって分かたれた世界であっても、僅かな差以外は殆ど同じ経過を歩む世界が、無数に存在することになります。
 ここまでは、よろしいですか?」

 武の確認に、悠陽と紅蓮は頷きを返す。それを受けて、武は更に話を続けた。

「そこで、香月博士は異なる確率分岐世界の因果情報を収集し、第四計画の推進に役立てることが出来ないか、本計画の合間にですが研究を重ねてきました。
 その結果、飽く迄も偶発的に得られた成果であり、再現性に乏しいものの、有用な情報を得ることに成功した訳です。
 その成果とは、他の確率分岐世界群に存在する同位体、つまり自分ではない自分の記憶を有するオレという存在です。
 オレは、この世界とは異なる複数の確率分岐世界の、しかも僅かな期間ではありますが、未来の時点までの記憶を持っているんですよ。」

「なんと!」
「……異なる世界の記憶、しかも未来の記憶を持っていると言うのですか?」

 さすがに驚愕する紅蓮と、武の言葉を吟味する悠陽。そんな2人に頷きを返しながら、武は現実味を増す為に具体的な話をさわりだけ述べる。

「実は、3年前のBETA横浜侵攻の折に、BETAと遭遇しながらもオレは奇跡的に生き延びて五体満足で救出されたんですが、その時には既に精神が破綻してしまっていたらしいんです。
 殆ど全ての記憶と自発的精神活動を喪失していたそうで、生きる屍状態だったと聞いています。
 とは言え、BETAに生身で遭遇しながらも生き延びたという点が、因果律に影響を与えてより良い未来を引き寄せる力、因果律干渉能力に当たるのではないかと考えた香月博士が、身柄を引き取ってくれたんだそうです。
 まあ、その際、表向きは死亡したという事にされた訳ですけどね。」

(なるほど、白銀武を死亡扱いにしたという事は、倫理的に問題のある実験の被検体にする意思が、香月博士にあったということかな? 倫理とは所詮、人類社会における道徳的規範に過ぎず、人類社会自体が崩壊の淵に―(以下略)―)

 武の言葉の切れ端から、夕呼の思惟と武の置かれた立場を類推しようとする鎧衣課長だったが、その表情からは内面は全く窺い知れない。
 一方、武はなんでもない他人事のように語っているのだが、その内容に護り切れなかった横浜の、いや、BETA日本侵攻で失われた膨大な民の犠牲に思いを馳せた悠陽は、哀しげにその双眸を伏せていた。
 が、それには気づかぬ素振りで、武は話を続ける。

「それから、様々な治療法が試みられ、精神を健全に戻し、あわよくばBETAの情報を得ようと試みられたそうですが、残念ながらオレの精神は戻らなかった。
 そこで、元の記憶や人格の復元を諦めた香月博士は、謂わば精神活動を半ば以上放棄して空洞と化したオレを柄杓と見做し、他の確率分岐世界の情報を掬い上げる事を思い付いたんですよ。
 無数の確率分岐世界の狭間に存在し、因果情報がやり取りされる虚数空間に、空っぽの容器になったオレを投げ込んで中に入り込んだ因果情報ごと引き上げようとした訳です。
 技術的には、オレという存在を外部の観測から一時的に遮蔽し、この世界の存在として認識されないようすることでその実在を曖昧にする手法が取られました。
 そうして、何処の世界にも属さないが故に、何処の世界にも属し得る状態にして、異なる確率分岐世界のオレの因果情報―――つまり記憶を空っぽになったオレという存在に収め、回収する。
 この実験が上手くいって、オレは記憶と人格を取り戻した訳ですが、それは失われたこの世界のオレの記憶ではなく、他の確率分岐世界の、しかも複数の世界の記憶と人格が融合されたものだったって訳です。
 なにしろ、投網漁みたいなもんですからね、何が網に掛かるかは選べないんですよ。
 ところが、香月博士は見事に大当たりを引き当てました。この世界と近似の世界の記憶と、BETAに対するより効率の良い戦術や装備を確立しつつあった世界の記憶です。
 まあ、BETAが全く存在しない、平和ボケした日本で暮らす、平凡な学生としての記憶だなんて、役に立たないものもあった訳ですけどね。」

 武の言葉に、紅蓮の瞳が鋭利な光を帯びる。

(BETAに対するより効率の良い戦術と装備だと? それが実用になるのであれば、確かに貴重な情報では在る。
 だが、それだけならば、殿下に謁見を求める必要など無い筈。ならば、本題は近似世界の記憶とやらか!)

「で、近似世界の記憶の方なんですが、現時点までの記憶を検証した結果、今後同じ事象が発生する可能性が高いと香月博士は判断しました。
 そこで、得られた情報を有効に活用すべく、殿下に事情をお知らせして、ご協力を仰ぐという方針が定まった訳です。
 ですから、近似世界でこの先発生した事象の中で、帝国にとって重要な出来事の情報をお知らせし、第四計画を完遂する為にも、殿下並びに斯衛軍と協力体制を確立させていただこうというのが、今回謁見を願い出た理由なんですよ。」

「つまり、これから起こる可能性の高い事件に対し、先手を打って対処しようというのですね。」
「そして、それと引き換えに、我ら斯衛に助力せよというのか? ん?」

 悠陽が武の言葉を要約し、それに続けて、紅蓮が野太い声で恫喝を加える。

「別に無理強いはしませんし、殿下や斯衛軍が第四計画の完遂を妨げる理由もありませんから、この件に関してはあくまでこちらの要望です。
 今回の謁見は、香月博士の意思よりもオレの希望によるものですから、香月博士からは第四計画の妨げにならない範囲で、ある程度の裁量権を許されています。
 失礼ですが、今回の件がどう転んだとしても、第四計画が致命的な影響を受ける事はありません。
 ただし、帝国が安定していて、現状険悪な斯衛軍や帝国軍と横浜基地の関係が改善された方が望ましいので、オレの我侭が許されているだけなんですよ。」

「っ!……香月博士は本当に、第四計画の完遂のみに邁進されているのですね。」
「くっくっく……帝国の大事と言いながら、飽く迄も貴様の我侭が通る程度の事と言い切りおるかっ!」

 オルタネイティヴ4の前には、帝国を揺るがす事柄も、小事に過ぎないと言い切る武に、悠陽は夕呼の眼中に帝国の興廃がない事を確信し、紅蓮は臆面も無く言って退けた武を賞賛するように笑みを漏らした。

「あ……済みません。第四計画側の判断を説明しただけで、オレ個人としては帝国には安泰で居て欲しいですし、帝国軍将兵が無為に失われない事を望んでいます。
 だからこそ、香月博士を説得して、ここにやってきているんで、その辺は出来たら信じてください。
 で、大分話が脇に逸れてしまったんで、本題の近く起こる可能性のある事態について申し上げますね。
 まず、来月の11月11日早朝、佐渡島ハイヴから旅団規模を超えるBETA群が侵攻を開始し、新潟沿岸部に上陸します。
 これに関しては、オレの持つ記憶の中に、帝国軍第12師団が壊滅し、絶対防衛線を脅かされたケースと、水際で極軽微な損害を受けただけで撃退したケースの、2通りの記憶が在ります。
 損害が軽微だったケースでは、この世界では未だ確立していない戦術と装備が運用された訳ですが、この戦術と装備の研究開発はすでに横浜基地で始められています。
 ですから、装備や戦術の提供も可能なんですが、もう1つの事態が絡んでくる為、現状では帝国軍への供与は難しい状態です。
 そのもう1つの事態が、帝都守備連隊を中核とした帝国軍の一部将兵達によるクーデターです。」

「なっ―――!」「む、なんとっ!」

 武の話の内容に、驚愕する悠陽と紅蓮。しかし、武は取り合わずに話を続けた。

「鎧衣課長、帝都防衛第1師団第1戦術機甲連隊所属の沙霧尚哉大尉を中心に、超党派の勉強会として『戦略研究会』という集まりが、結成もしくはその準備段階にある筈です。
 その情報を把握していませんか?
 米国の工作員や、米国の影響下にある政治家や軍部高官が便宜を図っていると思うんですけど。」

「なるほど、私を同席させたのはこの為だったのか、シロガネタケル。
 確かに君の言うような動きは存在する。現政権に不満を持つ若手士官を中心に、意見交換が活発化すると共に、彼らを支援する存在が居ることも事実だ。
 若手士官達の殆どが米国の干渉排除を叫ぶ国粋主義者であるのに対して、支援者等の背後に米国の影が見え隠れしているのも確かだな。
 いやはや、情報省の内部でも最近になってようやく上がってきたばかりの情報を把握しているとは、どういうカラクリにせよ大したものだな、シロガネタケル。」

 目を丸くして惚けた表情を浮かべた鎧衣課長は、やれやれと首を振り呆れたように応じた後、表情を消して情報を開示してみせる。
 そして、鎧衣課長は最後にニヤリと獰猛な笑みを浮かべ、武の持つ情報が如何に入手困難な情報であるか明かした。
 その鎧衣課長の言葉に、目を細めて思いを巡らせながら、悠陽が確認の問いかけを行う。

「では、この者の言う事は、真実である可能性があるのですね? 鎧衣。」

「はい。このまま事態が推移すれば、1年以内に彼らは決起することでしょう。
 ですが殿下、彼ら若手士官達は、必ずしも殿下に不忠をなす者達ではありません。どちらかと言えば、殿下にこそ忠誠を誓う者達です。
 彼らの決起を契機として、帝国の安寧を築き上げることも可能かと存じます。」

 悠陽の問いに対して、鎧衣課長は軽く会釈をして答える。しかし、その内容に対して紅蓮が吼えた。

「ぬぅっ……鎧衣! その者達を生贄とせよと申すか!!」

「現政府に対する憤懣は、帝国軍内部に既に充満しております。此度の決起を潰したとしても、いずれ近い内に似たような騒ぎが起きる事でしょう。
 ならば、ガス抜きをかねて彼らに決起させ、そこから得られる限りの国益を得るべきだと申し上げているのです。
 ですが、この場はそこのシロガネタケルに見解を尋ねてみるべきでしょうなあ。
 香月博士がわざわざこの席を手配したのですから、相応の見解を持ってきていると思いますよ?」

 紅蓮の追究は柳に風と受け流しておいて、鎧衣課長は武に策がある筈だと仄めかす。
 自然、悠陽と紅蓮の視線は武へと向かい、武が今の会話に何を思っているのかを窺おうとした。
 武は鎧衣課長の手口に苦笑しながらも、悠陽に向って話し出す。

「オレの知るクーデターで首謀者だった、沙霧大尉の言い分を聞く限りでは、概ね鎧衣課長の言う通りです。
 彼らは、現政権―――特に首班である榊首相を、国政を壟断(ろうだん)し国民を蔑ろにする奸臣、国賊であるとし、これを誅殺して殿下に大権を奉還するとの大義を掲げていました。
 そして、決起の当初に於いて榊首相を初めとする政府要人を多数誅殺し、帝都城を除く帝都の重要施設を悉く掌握したのです。
 しかし、米国の影響下にある政治家たちは事前に帝都を逃れており、仙台に臨時政府を樹立して、米軍に派遣要請を行って決起軍の鎮圧を図りました。
 米国の筋書きでは、米軍によるクーデター鎮圧により、帝国に於ける親米政権の樹立と、米国の発言権の確保。
 その上、国民に慕われる殿下を、あわよくば弑逆するか、影響力を削ぐ事を画策していたと思われます。
 尤も、オレの知る記憶では、香月博士や鎧衣課長の干渉と、何よりも殿下の御英断により決起軍は帝都より引き摺りだされ、米軍の関与もありましたが、斯衛軍と国連軍横浜基地所属部隊によってクーデターは鎮圧され、その後は殿下の復権が実現されました。
 そして、鎧衣課長の思惑通り、このクーデターにより、帝国国内の意思統一が成され、挙国一致態勢が達成されたんです。」

 ここまで話した所で、武は語調こそ変えなかったものの、眼光を強めて言葉を続けた。

「ですが、このクーデターにより、多くの有為の将兵達が喪われました。
 殿下のご英断により、帝都の市民達の犠牲こそ最小限で押さえられましたが、この事件での損害により、後のBETAとの戦いで帝国軍は苦戦を強いられる事となったのです。
 ですから、オレはクーデターを未遂に終わらせるべきだと考えます。
 ただし、鎧衣課長の仰るように、帝国軍内部のガス抜きも必要ですし、米国の影響も可能な限り排除すべきだと考えます。
 ですから、近く結成される『戦略研究会』を餌に、彼らを利用しようとする輩を炙り出し、この際一網打尽にした上で殿下の成された事として国内外に知らしめるべきだと思います。
 また、これに合わせて、先程申し上げたBETA新潟上陸を、殿下の御親征によって撃退し、この2つの成果をして現政府より殿下へと大権を奉還させたらどうでしょうか。」

「なっ! 白銀、貴様、BETAの侵攻までもを奇貨として、殿下の御偉業と成すというのか!!」
「…………なるほど、これより先に起こる事の行く末を詳らか(つまびらか)に知っているが故の発想ですね。鎧衣、白銀の策、どう考えますか?」

 武の策に唸る紅蓮。悠陽は武の意見を受け入れつつも、その実現性について鎧衣課長を問い質す。

「……正直、私の手にはいささか余りますが、白銀の記憶と香月博士の助力しだいでは、可能かも知れません。
 尤も、人間相手のクーデターならばいざ知らず、BETAの迎撃に関しては私の力の及ぶ範囲ではありませんがね。」

 悠陽に対しては、幾らか真面目に応じた鎧衣課長だったが、言葉の終わりで紅蓮を見やり、ニヤリと笑みを浮かべて肩を竦める。
 紅蓮は、眉を上げて鎧衣課長に呆れたような目を向けた後、顎をごつい右手で擦りながら発言した。

「ふむ……無論斯衛を投入するとなれば、BETAは撃退してご覧に入れましょう。されど、そ奴の言うほどに被害を減らせるかどうか……」

「殿下、紅蓮大将。これを見てください。BETA新潟上陸を迎撃する戦術案と、それに使用する装備の詳細です。
 こちらの記憶媒体には、装備の要求仕様書と基礎モデルが収められています。
 もっとも、多くの装備で中核を担う、戦術機用新型OSのプログラムと、それに必要な高性能並列処理コンピューターのデータは含まれて居ません。
 その部分だけは、第四計画の技術を使用していますから、香月博士の管轄になるんで、どうかご理解下さい。」

 従来の戦術ではどうやっても被害を覚悟しなければならない為、言葉を濁した紅蓮の様子に、武は頃合と見て持参した資料と記憶媒体を差し出す。
 半信半疑に資料を手にとった紅蓮だったが、次第に文面を読み進める目が真剣なものへと変わっていった。
 悠陽も、目をやや見開いて、相当な速さで資料を読破していく。

「ぬう―――確かに、これならば将兵の被害は極僅かに抑えられよう。よく練られた作戦だな、白銀。
 が、先程の話では、香月博士の協力なくして我らが独力で開発できるのは、自律地雷敷設機と、後は精々『自律移動式整備支援担架』くらいか……」

 資料を読み終えて、大きく息を吐いて感心した紅蓮だったが、新型OS抜きで開発運用可能な装備が、ほぼ自律地雷敷設機のみであると気付き、不満気に顔を顰めた。
 そんな紅蓮に、武は苦笑して言葉を添える。

「いえ、地中設置型振動波観測装置は、運用でCP(コマンドポスト)の大型コンピューターに解析処理を委ねれば一応の性能は発揮しますし、随伴輸送機は従来OSでも相応の働きはすると思いますよ。
 それに、実戦での実証試験になりますから、香月博士も新型OSの供与自体には応じるつもりのようですしね。
 実際、横浜基地からの調達だけじゃ、帝国内の企業も少数しか生産ラインを確保してくれないので、斯衛軍にも調達を決定して欲しいんですよ。
 それと、自律地雷敷設機や『自律移動式整備支援担架』の搭載コンピューターは、従来型戦術機搭載コンピューターを流用出来るように考えてあります。
 新型OSに換装して取り外したコンピューターや、生産済みの在庫を有効活用できますよ。」

 武の言葉に、悠陽は即座に紅蓮に訊ねる。それは、前線で戦う将兵の身を案じての問いであった。

「そうですか……紅蓮、その作戦案を実施した場合、将兵らの多くは死なずに済むのですね?」

「は、この戦術が図に当たれば、BETA大戦の流れを変える歴史的勝利となりましょう。
 そ奴が申す通り、クーデターに乗じようとする奴原を暴き、BETAを相手にこれ程の戦果を治めたとなれば、殿下の復権を押し留める事の出来る者など、最早居らぬでしょうな。」

 悠陽の将兵に対する想いに目を細めながらも、紅蓮は敢えて大局に立って返事を返した。
 それを聞いた悠陽は、眦(まなじり)を決して紅蓮に命を下す。

「そうですか。ならば紅蓮、なんとしてもその作戦案を実現すべく、あらゆる手配りをなさい。
 他の事はさておき、帝国軍将兵を無為に死なせること罷り成りません。よいですね?」

「はっ! 確と(しかと)直命承り(うけたまわり)ました。万難を排して、BETA共を蹴散らしてご覧に入れましょう。
 ―――とは言え、さすれば殿下におかせられましては、この者の策をお採りになられるおつもりですかな?」

 悠陽の命に承服した紅蓮は、続けて武の策を全面的に受け入れるつもりなのかを、悠陽に問うた。
 悠陽は紅蓮に静かに頷きを返すと、淡々と己が意を述べる。

「そのつもりです。鎧衣がこの者をわたくしに引き合わせた以上、相応に信頼が置けると判断しての事でしょう。
 策の内容はよくよく吟味するとしても、捨て置くにはあまりに大事に過ぎましょう。
 白銀。良くぞ策を献じてくれました。此度はそなたの献策を用いる事といたします。
 鎧衣と紅蓮に最大限の助力を命じます故、どうかこの国をより良き行く末へと導いてください。」

 悠陽は僅かに頭(こうべ)を下げると、武に助力を請う。
 武は深々と頭を下げて、悠陽に応えた。

「勿体無いお言葉です。非才の身ですが、少しでも多くの人々が幸せになれるよう、粉骨砕身して力を尽くさせていただきます。」

 かくして武の献策は悠陽の容(い)れるところとなり、武はこの件に関する主導権を委ねられたのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時42分、武と鎧衣課長が辞去した後の来賓室では、その場に残った紅蓮と悠陽が、武の残した資料を読み返していた。

「紅蓮、そなた、あの者をどう思いますか?」

 来賓室に降りていた沈黙の帳を破り、悠陽が不意に紅蓮に訊ねた。

「ふむ……そうですな。外連味が強く、胡乱な話も多々ございましたが、少なくとも大筋では嘘は申しておらぬと見ました。
 恐らくは性根の真っ直ぐな者ではなかろうかと。されど、あの歳にしては些か多く修羅場を潜ってきたようですな。
 一方ならぬ気概を感じましたぞ。」

 紅蓮は、悠陽の問いに答えながらも、先程見(まみ)えた武の様子を思い返す。その無骨な顔に、いつしか野太い笑みが自然と浮かび上がっていた。

(白銀武か……面白そうな奴よ。おどけて礼儀作法に縁がないと言っておったが、その割に殿下の御前に出て憚る(はばかる)ところが欠片もありはせなんだ。
 まるで、身分の差など感じてもおらぬ様子で、飄々としておったわ。まさに泰然自若といったところか。
 異なる世界を、そしてこの先起こる事々を知っていると言い放ち、国の行く末をも揺るがす策を献じて尚、全く気負うところが見られなんだ。
 あ奴の言う、異なる世界に於いても、香月博士の下で似た様な事をしていたのやもしれぬな。
 本業は衛士だと申しておったな。一度、場を設けて試合って見ねばなるまい……)

 紅蓮の笑みを一瞥し、その言葉に頷いた悠陽も、先の謁見での己が所見を口にする。

「紅蓮もそう思いましたか。わたくしも、あの者からは邪気を全く感じませんでした。
 あの者は、わたくしと向かい合いながら、気負いもせず、媚びもせず、ただ在るがままに対峙しておりました。
 打算は些か巡らしていたように見受けられましたが、それとて私欲から出た物にしては、澄んでいたように思います。
 あの者は心底より、この国の……いえ、人類の行く末を案じておるのでしょう。
 さすがは、香月博士が差し向けただけの事はありますね。」

「はっ。香月博士は愛国者とは言い難き為人ではありますが、第四計画に注ぐ執念は凄絶の一言に尽きましょう。
 我が帝国の権益を顧みぬ姿勢も、計画への諸外国からの圧力を減じ、少しでも計画を妨げるものを除く為かと。
 女人(にょにん)の細腕で、よくぞと申したき所ですが、あまりに形振りを構わぬが故に、些か痛々しくもありますな。」

 悠陽の言葉を受けて、夕呼の行いを評する紅蓮。しかし、夕呼の真意を理解するが故に、己が身を切り刻むが如きそのやり様に、眉を顰めずにいられなかった。
 そんな紅蓮を、悠陽が窘める。

「紅蓮。香月博士は成し得る限りを成しているのです。安易な憐憫は、あの方の誇りを貶めますよ。」

「む、然様ですな。この危急の時にあっては、手段を選ぶ余地はありませぬからな。
 女人も男も等しく、成しうる限りを尽くさねばならぬ時節でございましたな……」

 悠陽に窘められて、素直に紅蓮は考えを改めたが、どうしても紅蓮には、男子が婦女子を護っていられた時代の思いを捨てられない。
 それが紅蓮の世代の矜持であったのだから、今の世相を悔いること甚だしいものがあった。
 それでも存亡の危機にあって、最早形振り構わず国難に立ち向かい、BETAに必ずや打ち克たねばならない。紅蓮はその思いを新たにするのであった。

「そうです、紅蓮。最早わたくし達には術を選んでいる余地が残されておりません。
 如何に荒唐無稽な話であろうと、藁にもすがる思いで検討せねばならぬでしょう。
 白銀の策は、わたくしには良きものと思えます。然れど、そなたが信用を置けるものから幾人(いくたり)かを選び、外に漏れぬように内々に検討させなさい。
 事は国の―――人類の行く末に係わる大事。些かなりとも遺漏があってはなりません。よいですね?」

「はっ! おまかせあれ。万全を期して、遺漏なきように務めましょうぞ。」

 深々と頭を垂れて応じる紅蓮に頷きを返すと、悠陽は資料を手に席を立った。

「では、後はよしなに。私は部屋に戻ります。」
「ははっ!」

 来賓室を出て、斯衛の警護の下、帝都城城内の回廊を進みながらも、悠陽は武の為人を掴もうと思いを凝らしていた。

(白銀武―――正直、茫漠としていて掴み難い為人と言えましょう。
 純真な、誠意ある人柄と思えますが、第四計画の中枢近くにあって、純朴なままで居られるとは思えません。相当な汚濁を垣間見ている筈です。
 人類の置かれた絶望的な状況を切実に感じ、それでも尚、互いに助け合う事が叶わぬ人類の業を知り、香月博士でさえ絶望の淵でもがいている様を目の当たりとしている事でしょう。
 なのに、あの者は未来に希望を抱いているようにしか見えませんでした。
 確かに絶望を知り、汚濁に浸かり、それでも尚未来を信じ、諦念を持たず、焦る事無く、着実に歩みを進めんとする覚悟が垣間見えたように思います。
 些か性急に事を進めようとする素振りこそありましたが、焦燥は感じられませんでした。
 わたくしと同じ年と聞きましたが、あの大度(たいど)は生半なものではありません。
 複数の異なる世界の記憶を持つと言っておりましたが、それは即ち幾度もの人生を歩んだという事と同義なのでしょうか。
 それ故に、あの者は悟りの境地に達したとでも…………いえ、覚者(かくしゃ)と言うには、あの者は感情が豊か過ぎます。
 実に不思議な男(おのこ)ですね。)

 ふと、歩みを止めた悠陽は、回廊の窓から夜空を見上げ、中天を過ぎたやや太った半月を見詰めた。
 夜空に在って、陽の光をその身に映し、光と影に相半ばして分かたれた月の姿に、悠陽は横浜の地にある己が半身に想いを馳せる。

(…………冥夜―――そなたには、あの者はどの様に見えているのですか?
 人の世の汚濁に曝されて、わたくしは素直に人を信じる事が、すっかり為し難くなってしまいました。
 ―――そうですね。月詠に、冥夜のあの者に対する所見を知らせてもらいましょう。
 冥夜なれば、わたくしに代わり、あの者の心根を正しく見抜いてくれるやも知れません。
 冥夜……わたくしは、そなたに手を差し伸べることが叶いませんが、そなたの幸せをいつも願っておりますよ……)

 僅かな間だけ、私人としての想いに身を委ねた悠陽に、一陣の風が吹き寄せ髪を揺らし、そのまま回廊を流れ去った。
 風が去るのと共に、双眸を開き、公人としての己に立ち返った悠陽は、自室に向って再び歩み始める。
 その夜、悠陽が再び月に視線を投げかけることは、終ぞ無かった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時07分、シミュレーターデッキに集合したヴァルキリーズの前に、みちると並んで1人の女性衛士の姿があった。

「すでに知らせてあるとおり、特殊任務従事中につき臨時中尉となられる神宮司中尉だ。
 無論、訓練校で散々世話になった貴様らが、神宮司中尉を忘れている訳がないな?
 今日から、新型OSの慣熟を目的として、神宮司中尉が我々の夜間シミュレーター演習に参加される事となった。
 それに際して、私の方から、階級には目を瞑っていただき、至らぬ点があった場合は厳しく指導していただけるよう、無理を言ってお願いしてある。
 実戦を離れて長いとは言え、蓄積された経験の量では我々では足元にも及ばない。この機会に、積極的に教えを請うように。
 各員、嘗ての恩師を失望させないよう、気合を入れて演習に望め! いいなッ!!」

「「「「「「「「「「「 了解ッ!! 」」」」」」」」」」」

 みちるによる紹介が終わり、まりもが一歩前に出て話し始める。
 その所作は端然としながらも、気迫に満ちて芯の通ったものであり、自然と対面しているヴァルキリーズの各員も、その姿勢を正すのであった。

「神宮司まりも臨時中尉であります。本日より、新型OS慣熟の為、皆さんのシミュレーター演習に加わらせていただきます。
 当基地駐留戦術機甲部隊の最高峰とされる、皆さんの演習に加わる事を許され、誠に光栄であります。
 先程、伊隅大尉が仰られた通り、差し出がましくも意見させていただく事もあるかと思いますが、その点中尉の皆様方には何卒ご容赦ください。
 それでは、本日より、よろしくお願いいたします!」

 かくして、まりもを加えたヴァルキリーズの夜間シミュレーター演習が開始された。
 先任達の緊張感に溢れる表情に比べ、つい先日まで訓練兵として練成を受けていた元207Aの茜達5人は、分不相応としか思えなかった階級の逆転も解消され、再び教えを請える事に、表情が喜びで満ちていた。

 ―――のだが。
 演習が開始されて20分ほど経つと、元207Aの顔色は真っ青に変わり果てていた。

「こ、怖いよ~。教官、こんなに怖かったっけ~。」「知らないよおっ! 教官、厳しかったけどさっ、もっとほんわかと優しかったよねっ!!」「ひょわわぁあ~~~、茜ちゃぁあ~~~ん!」「すっ、凄い…………速瀬中尉が押されてるっ!」「あ、あはははは……私らの年は、大分手加減されてたらしいよ? 以前はそれはもう伝説的な鬼教官だったって話だからね。」

 まりもの叱咤は主に中尉達へと向けられており、少尉たちはそれ程まりもの指導に曝されずに済んでいたのだが、傍で見聞きしているだけで、元207Aの5人がすっかり怯えてしまうほどに苛烈な指導であった。
 5人の中で、事前に噂を聞き及んでいた晴子だけが、一応平静そうに取り繕い笑顔を見せていたが、その額には冷や汗がしっかりと浮かんでいた。

「速瀬ぇッ!!! 貴様、それでもヴァルキリーズの突撃前衛長か!? 新型OSの持ち味は変幻自在の機動だぞっ! 馬鹿みたいに一直線に突撃するとは何事だッ!!
 牽制の動作を組み込んで、移動中も砲撃を行わないかっ! このOSならば容易なはずだぞっ!
 宗像は足を止めすぎだっ! 如何に正確な砲撃を心掛けているとしても、砲撃の合間に位置取りを行い、より優位な位置に移動し続けないかっ!!
 戦場は刻々と変化するものだ、貴様は小隊長として戦場を把握して、部下を指揮する立場だろう!
 風間に分析を任せっきりにせず、自分自身でも周囲を掌握できるように、常に異なる視点から戦場を俯瞰しろっ!!
 葵ぃッ!!! 貴様は未だに回避後に転倒しているのかッッッ!!! もう一度訓練兵から出直すかっ?!」
「す、すいません教官、どうかぁお許しくださいぃ!!」
「誰が教官だッ! 何時までも訓練生気分で居るんじゃないッ!!」
「ひやぁあ~~~。」

 この日、夜間演習が終わる22時過ぎまで、シミュレーターデッキにはまりもの怒声が繰り返し響き渡る事となった―――



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**** 06月08日香月夕呼誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話19 ****
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どこかの確率分岐世界
2013年11月30日(土)

 15時28分、国連太平洋方面軍第11軍横浜基地のB19フロアにある夕呼の執務室を、戦場から帰還したばかりの武が訪ねていた。

「夕呼先生、戻りましたよ。A-01の派遣部隊は全員無事に帰還しました。
 まあ、装備はいくらか失いましたけどね。
 よ、霞。ただいま。元気にしてたか?」

 執務室に入り、ドアが閉まるなり敬礼もせずに、執務机に腰掛けた夕呼に向けて捲くし立てた武は、視線を応接セットのソファーに座る霞に移すと、手を上げて声をかけた。

「……おかえりなさい。お疲れ様でした、白銀さん。」

 地球上に残された最後のハイヴ、甲7号目標―――スルグートハイヴ攻略を果たして横浜基地に帰還した武に、霞がソファから淑やかに立ち上がって応えた。



 攻略作戦開始時点では、甲7号目標には地球に残る全てのBETAが犇めき(ひしめき)、ハイヴも拡張されてフェイズ6まで成長していた為、その規模はかつてのオリジナルハイヴに匹敵するものとなっていた。
 その攻略にはソ連軍を中心に、米国、統一中華戦線、EUなどの大国から、大規模な派兵が行われた。
 地上最後の大規模ハイヴ攻略に参戦し、そのアトリエから得られるG元素の割り当てを得ようとする国家指導者達により、多数の将兵と兵器が投入されたのである。
 各国の思惑がぶつかり合った挙句の合同作戦ではあったが、攻略作戦の作戦立案はオルタネイティヴ4に委ねられており、各国の実戦部隊はその作戦計画に従って、整然とハイヴ攻略作戦を遂行した。

 オルタネイティヴ4から派遣されたのは、A-01所属衛士の約半数にあたる3個大隊であり、派遣将兵の中での最高位は大佐に過ぎない武である。
 当然の如くに、名目上の最高司令官にはソ連軍の将官が着いていたのだが、2001年以来行われてきたハイヴ攻略作戦に於いて、オルタネイティヴ4の作戦計画が歪めて運用される度に、多大な損害が発生した経緯から、オルタネイティヴ4の作戦案からの逸脱は国際的にも禁忌とされていた。
 その為、武が作戦案を最高司令部に伝えると、最高司令部は唯々諾々と、その作戦に沿って指揮運用を行うしかなく、武も余程の事がない限り最高司令部を蔑ろにはしなかった為、表面上は円滑に作戦は実施された。

 かくして、作戦は地上に於ける、陽動と殲滅から開始された。
 地上に出て来たBETAが掃討される毎に、ハイヴ内へと陽動部隊が進攻し、再び地上へとBETAを引き摺り出しては殲滅する。
 それが、ハイヴ内の残存BETAが減少するまで、繰り返し繰り返し実行された。
 その後、数次に亘る各『大広間』への波状攻撃による陽動で残存BETAを拘束し、『主縦坑』内のBETAを排除し、底にバンカーバスターで破口を開けて、反応炉爆破部隊が突入する。
 突入した部隊は首尾よく反応炉を破壊して、地球上に於けるBETAとの戦いに終止符を打った。
 地球最後の反応炉が破壊されると同時に、全ての残存BETAは行動を停止し、作戦はその時点を以って終了した。

 莫大な装備と弾薬が消費され、動員された総兵力からすれば極僅かであっても、決して少なくはない人命を喪って、それでも地球はBETAから奪還された。
 その知らせに全世界の人々は喜び、涙し、喝采を上げた。
 ついに人類は、40年に及ぶBETAとの戦いに勝利し、BETAを地上から追い出すことに成功したのであった。



「―――白銀。ご苦労だったわね。
 これで、ようやくオルタネイティヴ4は、その目的を完遂できたわ。
 これも、あんたが確率分岐世界の狭間を超えてもたらしてくれた情報のお蔭よ。
 そして、人類を救い、BETAから地球を取り戻させてくれたあんたに、改めて感謝するわ。
 ありがとう、白銀……」

 夕呼は、武も初めて見る穏やかな笑みを浮かべて武に語りかけ、軽く頭を下げた。
 武は目を丸くして、そんな夕呼の姿に目を奪われてから、頭を掻いて苦笑しながら夕呼に言葉を返した。

「―――や、やだなあ。止めてくださいよ、夕呼先生。
 BETAから地球を奪還できたのは、純夏と夕呼先生のお蔭じゃないですか。
 純夏がオレを因果導体として再構成してくれて、そんな突拍子も無い存在のオレを、夕呼先生が受け入れてくれたからこそ、人類はBETAに打ち克てたんです。
 純夏が、BETAに捕まった後も頑張り続けたから。
 そして、先生がオルタネイティヴ4を推し進めて、オレの情報を活かせるだけの下地を作っていたから。
 だからこそ、オレは世界の情勢に関与できたんです。
 純夏と夕呼先生、どちらが欠けても、オレの存在は無意味になってた筈ですよ。
 オレがオルタネイティヴ4の完遂に役立ったって言うなら、それは夕呼先生の功績です。
 オレの方こそ、先生に感謝してますよ。我侭も沢山聞いてもらいましたしね。」

 夕呼は、武の言葉を、表情を消して、珍しく茶々も入れずに聞いていたが、武が語り終えると視線を執務机に乗る端末へと移し、素っ気無く応じた。

「そ。あんたがそういうなら、それでいいわ。
 A-01の全員に、2交代で1週間ずつの休暇をやるから、あんたと伊隅も交代で休暇を取んなさい。
 それが終わったら、次の仕事に取り掛かるわよ。」

「オルタネイティヴ6ですか! いよいよ、足元を固めて、目の上のたんこぶに取りかかれますね。」

 夕呼の言葉に、武は笑みを浮かべて威勢よく応える。
 そんな武を夕呼は呆れた様な顔をして、窘める。

「そんな簡単にいく訳ないでしょ。まずは国連の石頭達を納得させるとこからやり直しよ。
 一応、オルタネイティヴ4の遂行中に影響力を行使して、オルタネイティヴ6予備計画の承認と、地球奪還の達成を条件に、オルタネイティヴ6の本計画への格上げを決議させてあるけどね。
 それでも、オルタネイティヴ4から引き継ぐ人材や機材、資金を除けば、オルタネイティヴ6の実態は絵に描いた餅よ。
 これから、国連の馬鹿どもをその気にさせて、協力させていかなきゃなんないんだから嫌になるわよね~。
 あんたにも、交渉材料を集めてもらう事になるからそのつもりで居なさい。
 ―――10年以内に、月からBETAを叩き出すわよ。」

「了解! とは言え、暫くは政治絡みの駆け引きですか……
 まあ、月面攻略用の基礎研究は、大分前から進めてますけど、月面攻略部隊の装備・人員の、建造・生産・練成には時間がかかるでしょうし、月面のBETAに対する受動的情報収集活動の方が先ですからね。
 どうみても、2、3年は準備に必要ですか。」

 威勢よく返事をしたものの、武は直ぐに肩を落としてうんざりした顔をする。
 どう考えても、これから数年の間は、しち面倒臭い国際政治の世界に、どっぷりと浸からなければならないと理解したからだった。
 しかし、夕呼はそんな武に更に追い討ちをかける。

「甘いわね。A-01だけならその年数で済むけど、権益争いや影響力の確保に面子の問題とかで、各国の部隊が参加するに決まってるでしょ。
 その癖、大半の国家はBETAから奪還した国土の再建に国力を取られてるから、あれこれ言って実施を先延ばしにして自国の国力を回復させようとするに決まってるじゃないの。
 結局、あちこちから足を引っ張られて、目先の事しか考えられない連中に、やれ金の無駄遣いだとか言われるに決まってるのよ!」

 夕呼の追い討ちに、武は両手で頭を抱えて蹲る。

「げ……本気で嫌気が差すような未来予想図ですね。
 …………そうなると、まずは復興支援策を考えて、各国にちらつかせた方が、最終的には早く済みそうですね。
 BETAバイオプラントで、土壌改良用の微生物や小動物でも生成しますか?」

 が、武は僅かな時間で素早く対応策を立てて、夕呼に告げた。この辺りは、00ユニットの面目躍如である。

「まあ、そんなとこでしょうね。
 結局のところ、BETA大戦で人類は疲弊しすぎたわ。
 火星はおろか、月を攻めるのにも、明日のお飯(おまんま)を確保しなくちゃ、喧嘩も出来ないって事よ。」

 武の意見に同意して、夕呼は情け無い事この上ないが、現時点の人類の実情に即した例えを告げる。
 その言葉に肩を竦めながらも同意して、武は話題を切り替えた。

「あ、そうだ、夕呼先生。
 今年のクリスマスイヴは、盛大に祝いましょうね。」

 唐突な話題の転換に、夕呼が胡散臭げな顔を武に向ける。

「はぁあ? あんた、何言ってんの?
 戦勝パーティーでもしたいわけ?」

 心底呆れたといった口調で言い放つ夕呼に、武はニヤリと笑みを浮かべて応える。

「違いますよ。夕呼先生が人類の聖母になったお祝いですよ。
 オルタネイティヴ4を完遂して、人類をBETAによる滅亡から救ったんですから、盛大にお祝いしなきゃ。
 ―――実は、スルグートハイヴを落とした後に、オレにとってのオルタネイティヴ4ってなんだったのか、改めて考えてみたんですよ。
 その時、オレにとってのオルタネイティヴ4って、最初に再構成された確率分岐世界群の、クリスマスイヴが始まりだったんだなあって思いましてね。
 オルタネイティヴ4が凍結されて、ぐでんぐでんに酔っ払って、聖母になりそびれたって泣き喚いてた夕呼先生が、オレが一番最初に触れたオルタネイティヴ4だったんですよ。」

 武の言葉を気だるげに聞いていた夕呼だったが、身に覚えの無い醜態を語られて、慌てて怒鳴り散らした。

「な、なによそれっ! いくら他の世界のあたしだからって、そんなみっともない姿曝すなんて、なにやってんのよ!!
 白銀っ! 今すぐ忘れなさいッ!」

 そんな夕呼の剣幕にも怯まず、ニヤニヤ笑いを続けたまま、武は話を続ける。

「嫌ですよ。オレにとっての原点の1つなんですから。
 そんな状態の夕呼先生と別れて、その晩の深夜にラダビノッド基地司令からオルタネイティヴ4の凍結とオルタネイティヴ5への移行を知らされて、オレはその時初めて自分の努力の不足を思い知ったんです。
 だから、2度目の再構成の後で、オルタネイティヴ4を完遂させようと躍起になってたのは、今にして思うと二度とあんな情けない醜態を、夕呼先生にさせたくないって想いが強かったんじゃないかと思うんですよね。
 なにしろあの頃は、冥夜や、委員長、彩峰、たま、美琴……みんなと恋人として過ごして、別れを経験したって記憶が失われてましたからね。
 だから、こうしてオルタネイティヴ4が完遂されてみると、皆を護り抜けた事も嬉しいですけど、夕呼先生が挫折せずに信念を貫き通せて、しかもその手伝いをオレが出来た事も、同じくらい嬉しいんですよ。
 ―――てことで、夕呼先生。盛大にクリスマスパーティーをしましょう!」

 夕呼はしみじみと語る武を、何故かやり込める事ができず、進退窮まってパーティーの許可を出す事で追い払いにかかった。

「わ、解ったわよ! 許可してやるから、今日はもう帰んなさいっ!!
 予算は捻出したげるから、鑑と京塚のおばちゃんに言って、精々豪勢な料理を作ってもらうのね!
 ―――もうっ! これで満足でしょ!?」

「了解です! 許可を頂き、ありがとうございましたっ!!
 夕呼先生が主役ですからね、必ず最初から最後まで参加して下さいよ?」

 武は夕呼に礼を述べると、最後に念を押して執務室を出て行った。
 霞も武に付いていき、執務室には拗ねた様な顔をした夕呼だけが残される。

「―――聖母ねえ。あたしが聖母なら、あたしが生み出した救世主って、白銀って事になるじゃないの。
 あいつ、解ってて言ってんのかしら?
 ―――ま、一度死んで復活して、おまけに人ならざるものになってる訳だし、一応救世主の端くれって事でもいいかしらね。
 未だに、ガキ臭い所が抜けないけどね………………」

 夕呼の独白は、誰の耳に入ることも無く、執務室に拡散して消える。
 そして、BETAとの戦いは続く―――しかし、そこには確かに、燦然と輝く希望があった。




[3277] 第81話 銀の蜘蛛は巣に武士(もののふ)を絡めんとす
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/09/28 17:51

第81話 銀の蜘蛛は巣に武士(もののふ)を絡めんとす

2001年10月25日(木)

 21時13分、B19フロアのシリンダールームを、武は訊ねていた。

「よっ! 霞。おそくまで頑張ってるな。」

 入室するなり、右手を上げて、武は霞に声をかける。
 霞は、武が入ってくる前から既に、端末を乗せた事務机の前から立ち上がり、ドアの方を向いて武の入室を待ち構えていた。

「白銀さん……お帰りなさい……」

「ああ、ただいま。この基地と帝都城をヘリで往復しただけなんで、悪いけど土産はないんだ。
 けど、代わりって言ったら何だけど、あやとり紐を持って来たから、少し遊ばないか?」

 武は霞に歩み寄りながら、ポケットからあやとり紐を取り出して霞に見せる。
 霞は、近付いた武の顔をじっと見上げて言った。

「想い出作りですね……嬉しいです……
 ―――あ、あの…………おはじき……持ってますね?」

「う……お、おはじきか? あ、ああ、一応持ってきてるぞ。
 けど霞。まさかもう、たまにおはじき教わったのか?」

 霞の言葉に、武は『前の世界群』での出来事を思い出す。
 武は、壬姫のおはじきの技をリーディングでマスターした霞に、何度もボロ負けを繰り返していたのだ。
 しかし、霞は首を横にフルフルと振って否定し、武に精一杯の想いを伝えようとする。

「教わってません……白銀さんと一緒に……練習して、上手くなります……
 一緒に、頑張って……もっともっと……上手くなりましょう……」

 武はそんな霞をじっと見詰めて、『前の世界群』で00ユニットになる前に、霞に頼んでおはじきばかり繰り返した日々の事を思い出した。
 00ユニットになれば、努力の必要も無く、計算と身体制御で必然的におはじきの技量は上がる。
 だからこそ、生身の間に技量を上げる努力を武はした。
 結果はあまり伴わなかったかもしれないが、武自身はその事を後悔したことはない。
 恐らく、その想い出も、霞は既にリーディングしていたのだろう。そして―――

「―――そっか。今回は、あんまり日にちが無いからな。
 霞、気を使ってくれてありがとな。
 よしっ! じゃあ、一緒に頑張って、おはじきの腕を磨いて、いつかたまをぎゃふんと言わせてやろうな!」

 霞の言葉に何かに思い当たったように武は頷き、霞に礼を言うと、壬姫よりも上手くなるぞと気焔を吐いた。
 そんな武に、霞は大きく頷いて応える。

「……はい。」

 その後、武と霞は、持ち運び式端末を退けた事務机の上におはじきをばら撒き、真剣な顔でおはじきを繰り返した。
 そんな2人に、純夏の浮かぶシリンダーの青白い光が、降り注いでいた……

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年10月26日(金)

 08時33分、シミュレーターデッキで、武は真那を相手に1対1の模擬戦闘演習を行っていた。
 条件は、武と月詠の双方が従来OS搭載型『不知火』に搭乗して行うというものであり、武の提案により推進剤の搭載量を満載時の5分の1とし、兵装は74式近接戦闘長刀と65式近接戦闘短刀のみとされた。

「こら~っ! 逃げてばっかいないで、真っ当に戦えーっ!」
「そうだそうだーっ! まともに勝負して、さっさと真那様に負けちゃえーっ!!」
「そうですわ~! さっさと、負けておしまいなさい~!!」

 制御室で武と真那の模擬戦を観戦している、神代、巴、戎の3人は、好き勝手に武に野次を飛ばしていた。
 模擬戦開始当初に、月詠に煩いと叱られた為、それ以来3人は、制御室側のマイクをオフにして野次りまくっていたのだった。

「でもぉ~、あの白銀って男、よく真那様の攻撃を凌げますわね~。」

 野次の途切れたところで、戎がふと思い至ったように、人差し指を唇に当てて呟くと、巴と神代もうんうんと頷きながら話し出す。

「うん……確かに、あの機動は尋常じゃないよな!」
「あいつ、噴射跳躍ユニットの使い方が異様に上手いんだよね。」

 そんな2人の意見に、さらに戎が見解を加える。

「それだけじゃありませんわ~。どうやら、あの男、真那様の攻撃を予測している節がありますわ~。」
「うん。そうなんだよな。」「でもさ、真那様の攻撃が読めたとして、そうそう避け続けられると思うか?」
「「「 う~~~ん…… 」」」

 3人は、真那の技量を良く知るが故に、目の前で繰り広げられる模擬戦の展開が信じられず、腕組みをして悩み始めてしまった。



 一方、月詠は不敵な、それでいて何処か満足気な笑みを浮かべて、『不知火』を駆り、武を追い立てていた。

「ふんっ! 中々どうして、しぶといではないか、白銀。
 しかし、逃げてばかりでは私には勝てんぞッ!!」

「いやあ、月詠中尉に勝てるだなんて、欠片も思ってないですけどね。
 それでも、そうそう簡単には落とされませんよ? せめて、オレの諦めの悪さくらいは、お見せしないと……ねっ!」

 武は最早もどかしく感じてしまう従来OSに梃子摺りながらも、月詠の行動を先読みして、紙一重で攻撃を凌ぎ続ける。
 噴射跳躍ユニットを瞬間的に吹かす事で、機体の挙動を千変万化としながら、舞うように月詠の斬撃を躱して、市街地の中を主脚走行で移動し続けていた。
 設定上、BETAレーザー属種の存在しない戦場であったが、従来OSで本格的な跳躍などしようものなら、月詠に着地後の隙を突かれかねない為、武は噴射跳躍ユニットの使用を、最低限に留めて立ち回っていた。
 過去の数多の世界群で月詠と対戦し、必死になって逃げ回った経験が、武にそれを可能とするだけの先読みを許していた。

「確かに、貴様の諦めの悪さは大したものだが……何の策も無しに逃げ回っているだけではあるまい!
 何を狙っている?」

「買い被りすぎですよ……月詠中尉っと! うわ、危ね~っ! 油断も隙も……あったもんじゃ…………」

 目を細めて、武を問い質しながら、同時に月詠は武の『不知火』に連撃を放つ。
 しかし、武は月詠への返答を途切れさせながらも、辛うじてその連撃さえも避け切って間合いを空ける。
 即座にその後を追って間合いを詰めながら、月詠は密かに思いを巡らせた。

(新戦術と新装備を開発するプロジェクトの責任者だと聞いたが、此奴、衛士としても生半な技量ではないな。
 私の連撃まで避け切るとは、先読みだけではないか。
 それに加えて、恐らくは斯衛軍戦術機操縦作法と同様に、戦術機の機動操作を細切れにして行っているに違いない。
 斯衛軍衛士から学んだか、何処(いずこ)かで盗んだか……よもや自力で練り上げたという事は無いであろうが……)

 月詠の連撃は、初撃に対する相手の機動に応じて、第2撃が変化する。
 それ以降も、3撃、4撃と、相手の躱す方躱す方へと、長刀を返して斬撃を続け様に放つものだ。
 長刀の届かぬ位置へと相手が逃げ切れぬように、計算し尽くされた斬撃を放ち、追い詰めて止めを刺す技なのだが、武はその4連撃を全て躱し切って見せたのだった。

(が、それだけではないな。
 やはりあの噴射跳躍ユニットの用法が、奴の機動を変幻自在と化さしめているに違いない。
 主脚や重心移動などによる機体の機動に、噴射跳躍ユニットの加速を加えて、こちらの想定を上回る奇抜な機動を行う事で、私の殺傷圏から、間一髪逃れているのだ、
 しかも、直線的な加速だけではなく、左右の噴射を逆にする事で、瞬時に転回して見せたりもする。
 人としての体捌きを基本としていては、思い付けぬ機動だ。
 だが、その分推進剤を多く消費している筈―――そうか! 当初の推進剤を5分の1にして始めたのは、決着を徒に遅らせぬためかっ!
 つまりは、推進剤が切れない限り、私の斬撃は避け切れると思っているのだな。おのれッ!!)

 武に侮られたと感じた月詠は、凄まじい気迫で武の『不知火』に急迫する。
 今まで以上に苛烈な月詠の猛撃に、堪りかねたかのように、武は噴射地表面滑走(サーフェイシング)で逃走し、T字になったビル街の角を右に曲がって、月詠の視界から逃れた。

(ふん……角の向うで止まったな? ようやく仕掛けて来る気になったか!)

 センサーの情報から、角の向うに姿を消した武の『不知火』が、曲がって100m程の所で停止している事に気付き、月詠は獰猛な笑みを浮かべる。
 そして、両主腕で保持した長刀を大上段に振りかぶり、武の反撃を一刀の下に斬り伏せる心構えを済ませ、月詠はT字の角へと『不知火』を跳躍させた。
 空中で機体を捻った月詠の『不知火』は、T字路の中央に降り立った時には、既に右に機体を向けており、武の『不知火』をその真正面に捉えていた。

「来るかっ! 白銀ぇッ!!」

 そして月詠の目は、噴射跳躍ユニットを最大出力で噴射して、突進してくる武の『不知火』を捉える。
 武の『不知火』は、突進しながら左主腕の長刀を、柄頭を前にしたまま槍の様に投じた。
 しかし、月詠の『不知火』の頭部―――センサーを狙ったのであろうその長刀はやや右上に逸れ、月詠の『不知火』が構える長刀の左脇を飛び去ってしまった。
 それを見切った月詠は、『不知火』を微動だにさせなかった―――いや、動かす訳にはいかなかった。
 何故なら、投じた長刀を追う様にして、右主腕に保持した長刀を、空いた左主腕を柄頭に添えて突き出し、武が機体ごと月詠の『不知火』に突きを放ってきたからであった。

 しかも、武の突きは平突きであり、刃を寝かせて右に向け、向って左―――つまり月詠の『不知火』の右半身を狙って突いてきている。
 それ故に月詠は、右に避けるには時間が足りず、さりとて左に避ければ、武は突いた長刀をそのまま右に払って斬撃を浴びせられる状況へと追い込まれていた。
 何れにせよ武の渾身の一撃を避け切る事は難しいと悟り、月詠は武の長刀が僅かに右へと逸れている事により生じた隙、僅かに垣間見えている武の『不知火』の右主腕を狙い、平突きが届く寸前に己が長刀で両断する事を選んだ。

「ふッ!!」

 彼我の距離、速度を瞬時に見切り、月詠は最適のタイミングで長刀を振り下ろす。
 しかし、振り下ろした長刀が、武の『不知火』の右主腕に届く寸前、既に全力噴射していた筈の武の『不知火』がつんのめる様にして、僅かではあるが更に加速する。

「な、なに?! ぐっ!!」

 その結果、武の長刀は月詠の『不知火』の右主腕に食い込み、武の『不知火』の右主腕を狙っていた月詠の長刀は、距離が詰まったが故に武の『不知火』の胸部に吸い込まれる。
 ―――そう、突き刺さるのではなく、管制ユニットがベイルアウトされ、ぽっかりと穴の開いた部分へと、月詠の長刀は吸い込まれていたのだった。
 武の『不知火』の加速は、ベイルアウトの反動を利用したものであった。
 そして、2機の『不知火』は激突し、武の『不知火』の運動エネルギーに押される形で、月詠の『不知火』は後ろへと押しやられる。
 その直後、月詠の視界は暗転し、損傷を告げるメッセージが表示された。

「なに?! 背後からの攻撃で管制ユニットに致命的損傷だと?………………これは!」

 損傷の内容を確認した月詠が、最終局面の仮想映像を再生させると、武の『不知火』に押された自身の機体が、武が投じ、月詠が背にしていたビルにあたり、地に落ちようとしていた長刀に、自ら飛び込むようにして貫かれる場面を見せ付けられる事となった。
 そして、驚愕に最後まで再生を終えて静止画となった映像を、身動きも儘ならずに見据える月詠の耳に、武の能天気な声が飛び込んでくる。

「―――なんとか引き分けに持ち込めましたね。
 ベイルアウト後の追撃判定で、逃げ切れるかどうかだと思ってたんですけど、正直、戦闘不能にまで追い込めるとは思いませんでした。
 どうやら、運が味方してくれたみたいですね。
 投げた長刀は、どっかに中れば御の字程度に考えてましたから。」

 その武の声に、月詠は自失状態を脱し、必死に自制しながらも問い質した。

「―――では、最初から、ベイルアウトして逃げ切る事を目標にしていたというのか?
 敵を前にして、機体を捨てて逃げ出すなど、貴様には衛士としての誇りは無いのか!」

 月詠の、意図的に放った挑発も、武は全く気に留める事も無く、軽く肩を竦めて応じる。

「いや、さすがに少しでも勝てそうな相手だったら、オレだって逃げたりしませんけどね。
 ただ今回は、守備対象も無いですし、月詠中尉相手じゃ刺し違えるのも難しい。
 ―――それに、月詠中尉言ってましたよね、この模擬戦で、オレの性根を見定めるって。
 だから、オレの目指す戦い方、最後の最後まで足掻いて生き残るってやつをお見せしたんですよ。
 本当は、月詠中尉と1対1でやり合わずに済むように立ち回るべきなんですけど、それは今回は言っても始まりませんからね。」

 武の口調に卑しさを感じられなかった為か、その言葉は月詠の心にすんなりと入ってきた。
 必要とあらば、己が命を捧げる事に寸毫の迷いも持たない月詠であったが、斯衛の衛士たる者、将軍家守護を全うする為には、軽々しく命を捨てる事は許されない立場でもある。
 それ故に、強敵と見えて(まみえて)敵わぬと悟った時点で、命を拾って再戦を期そうという武の言い分は、月詠にとって正に不屈を意味していた。
 その解釈は、月詠の主観によってやや美化されたものであったが、何れにせよ、武が己と引き分けたという事実と、武が一目を置くに価する衛士であるようだという認識は、渋々ながらも月詠の認めるところとなった。

「―――そうか。失礼な事を言ったな。失言を詫びよう。
 生き足掻いて戦い続ける。それが貴様の信念なのだな。
 しかし、BETAの群れを前に、背に国を―――護るべきものを負って、尚敗れ続けることは許されん。
 貴様の新戦術とその装備が、生存率の向上だけではなく、勝利を得る為のものかどうか、確と見定めさせてもらうとしよう。
 ―――時間を取らせて済まなかったな。
 新型OSとやらの、教導、よろしくお願いする、白銀中尉。
 神代、巴、戎! 直ちにシミュレーターに搭乗しろっ!」

「了解しました。精一杯務めさせてもらいます。
 この試作OSだけでは難しいですが、必ずやBETAに打ち克ち、人類に勝利をもたらしてみせます。
 ですから、こちらからも、改めてよろしくお願いします。」

 月詠は差し当たり、武を認めて教導を受ける覚悟を決めた。
 無論、昨夜帝都城で、紅蓮より直接命じられた新型OSの評定任務を、月詠が拒否する事は許されない。
 しかし、教導に当たるというのが、若年の怪しげな男子では、月詠としては愉快とは言い難い。
 やはり自分が師事する以上は、一廉(ひとかど)の人物であって欲しと、月詠は教導に先立って武の実力と性根を計る為に模擬戦を所望したのであった。

 その結果は思いの外良いものであった。
 衛士としての実力は、斯衛の熟練の衛士と比べても見劣りしない。
 性根も中々に据わっているように見受けられ、挑発にも動じなかった。
 正直、冥夜の身辺警護が疎かと成りかねないこの任務が不満であった月詠だったが、この模擬戦の結果を受け、月詠は武に一応の合格点を与え、素直に任務を受け入れる事とした。

「ん? 神代! 巴! 戎ッ!! 返事はどうしたッ!!!」
「「「 は、はははははいぃっ! りょ、了解ですっ、真那様ぁッ!! 」」」

 実はちゃんと復唱していた神代達だったのだが、生憎と制御室のマイクを切っていたことを忘れていた。
 その為、復唱は月詠には届かず、怒鳴られる羽目になった神代達は、慌てて衛士強化装備の音声を有効に切り替え、改めて返事をする。
 いずれにせよ、こうして斯衛軍第19独立警備小隊は、冥夜の身辺警護と平行して、武の対BETA戦術構想とその装備群の教導を受け、評定を行う運びとなった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時03分、B5フロアの『病棟』の廊下で、武が彩峰を呼び止めた。
 夕食後に、207Bの全員で美琴を見舞いに行った帰りだったので、他の皆も聞き耳を立てる。

「なあ、彩峰、この後ちょっと話があるんだけど、時間貰えないか?」
「ばかな!……白銀は幼女にしか欲情しないはずッ!!」

 武の問いかけにすかさず彩峰のカウンターが入り、武は脱力し、他の3人はつんのめるようにバランスを崩す。

「はぁ……彩峰、真面目な話なんだ。特殊任務絡みの話で、機密にも係わるからブリーフィングルームを押さえてある。
 一応、命令じゃないんだが……駄目か?」

「特殊任務ならしょうがないね、いいよ。」

 特殊任務関係で真面目な話と聞いて、さすがに彩峰もふざけるのを止めた。

「でも白銀……訂正しないんだ、幼女趣味。」

 ほんの一瞬だけであったが……



 そして、ブリーフィングルームに移動した武と彩峰は、椅子に腰掛けて向かい合っていた。
 彩峰は無表情で武の言葉を待っている。
 武は、何かを思い切るかのように大きく息を吸って、気合を入れるとようやく話し始めた。

「まず、最初に謝っておくけど、これからする話は彩峰にとって愉快な話じゃないと思う。
 けど、帝国の為にも、そして、余計なお世話かもしれないけど、彩峰にとっても良い結果に繋がるとオレは信じている。
 だから、我慢して聞いて欲しい。頼む。」

 そう言って、武は深々と頭を下げた。
 そんな武に向って、彩峰は淡々と応じる。

「しょうがないって言った。続けて……」

 不機嫌とも取れる口調であったが、武は下げていた頭を上げて笑うと、礼を言って本題を切り出す。

「ありがとな、彩峰。
 で、本題なんだが、実は近々―――そうだな、来週辺りかな。
 特殊任務の一環で、帝国本土防衛軍、帝都防衛第1師団、第1戦術機甲連隊の沙霧尚哉大尉に会いに行く事になったんだ。」

(尚哉?!……なんで、白銀が尚哉と?)

 内心の驚愕を必死に押し殺し、彩峰は殊更無関心を装う。
 その甲斐あってか、武は言葉を止める事も無く話し続けた。

「単に、腕利きの衛士としての意見を聞きに行くとか、戦訓を教わりに行くとかだったら良かったんだけど、残念ながらそんな穏便な話じゃない。
 実は、沙霧大尉はクーデターを目論んでいるらしい。
 しかも、沙霧大尉やその仲間達の殆どは、帝国の為に自分達の身を捨てて、国政の建て直しをするつもりなんだけど、それを裏で操ろうとしてる連中が居る。
 このまま事態が進行すると、帝国軍が相打つ事態になった挙句、裏で糸を引いてる連中が得をするだけなんて結果にもなりかねない。」

(クーデター?! なんで尚哉が……違う、尚哉『だから』だ。
 父さんを救えなかった事を未だに悔やんでいる、不器用で、真っ直ぐな尚哉。
 尚哉なら、国の為に汚名を着てでも大義を成そうとするよね。
 けど……そんな尚哉を道具にしようとする奴等が居るなんて……許せない!)

 やや眉を顰め、何処となく哀しげではあるものの、彩峰の心中で吹き荒れる激情は、その殆どが心の奥深くに隠されていた。

「まあ、それだけなら、帝国の問題なんでオレの出る幕なんか無いんだけど、沙霧大尉は榊首相を初めとした現政権の閣僚その他を、国賊と断じて誅殺するつもりらしいんだ。」
「え?!」

 しかし、武の言葉に、ついに彩峰の防壁に穴が空き、驚愕が声となって漏れる。

(尚哉が榊首相を―――榊のお父さんを殺そうとしている?!
 国賊だがら? それともまさか………………父さんを……処刑したから?!)

 彩峰の心中では、底無し沼のような疑惑が渦巻いていた。
 彩峰自身も、榊首相を恨んでいた時期が確かにあった。
 最近でこそ、ようやく父の一件、『光州作戦』とその顛末に蓋をして、思い悩む事も少なくなった彩峰だったが、沙霧が一時も忘れなかったであろう事は、彩峰には確かめるまでも無く解る。
 それに、一度足りとも返事を認めた(したためた)事さえないにも係わらず、沙霧が毎月1度、欠かさず彩峰に便りを送ってくる事も、沙霧が未だに後悔し続けている事の証左であるように彩峰には思える。

 彩峰は、沙霧が私怨のみにて他者を殺めるような人間ではないと信じている。
 しかし、それでも尚、因縁のある榊首相を沙霧が討つと聞けば、彩峰もそこに仄暗い怨恨の存在を疑わずには居られなかった。

「帝国臣民の米国嫌いは徹底してるからな。
 国連軍への風当たりが厳しいのも、国連軍が米軍と同一視されてる所為だし。
 そんな世論の中で、榊首相は米国との友好的な関係を保とうとしているから、反米論者からしたら国賊呼ばわりされる事も多いだろうな。
 実際、BETAと戦い続け、国民を護り続けるには、米国の支援を仰がなくちゃならない事も少なくないご時勢だ。
 オレからすれば、榊首相は現実を見据えて、堅実な舵取りをしていると思うんだけど、どうも帝国じゃ榊首相の評価は低いらしいな。
 まあ、それはともかく、せっかくもう少しでBETAに勝てる戦術と装備が実現するってのに、ここで榊首相の現政権に倒れられて、新政権に茶々入れられちゃ堪んないんだよ。
 そこで、クーデターを起こされる前に沙霧大尉に接触して、クーデターを未然に防ぎ、ついでに要らん事を目論む連中を排除しようと思う。」

「……身柄を拘束しないの?」

 彩峰は、再び表情を取り繕うと、言葉少なに訊ねた。
 武は、意外な事を聞かれたといった風に目を見開き、首を傾げて応える。

「なんでだ? 確かに思い違いはしているみたいだけど、危険思想の持ち主って訳じゃないし、帝国への愛国心も豊かだ。
 今回はその愛国心が豊か過ぎて、暴走しかけたみたいだけど、説得すれば協力してくれるんじゃないかと思ってるんだけどな。
 で、浅からぬ因縁の彩峰に、おまえが触れられたくないと思ってるのは承知の上で、沙霧大尉の為人や物事の捉え方を教えて欲しいんだよ。」

 武は当たり前だと言わんばかりの口調だが、彩峰にとっては非常識以外の何ものでもなかった。

(ありえない。軍は造反しようとした者を許容したりしない。
 どんな理由があろうと、叩き潰す筈。
 いくら未遂で、協力させるからといって、クーデターを計画したものをそのままにはしない。
 軍上層部は、自分達に都合の悪い人物からは、全てを奪っていく。
 白銀はそれを隠している? それとも、軍の上層部を押さえるだけの手蔓をもってる?
 白銀の真意が読みきれない……けど、クーデターが発覚している以上、何もしなければ尚哉は拘束されて罰せられる。
 また、私の大切なものが軍に…………)

 彩峰は、思考が迷走しかけている事に気付き、自制した。
 そして、目を細めて、武の真意を探ろうと、彩峰はさらに訊ねる。

「それだけ?」

「ん? まあ、他にも沙霧大尉の信用を得るために、紹介状でも書いてもらえたら助かるかな……
 あとは―――そうだな、おまえに是非頼みたい事がある。
 実は、沙霧大尉に会いに行く前に、もう一つ片付けなくちゃならない任務があるんだ。
 2日も掛からない任務なんだけど、命の危険が無いとは言い難い任務なんだよ。
 まあ、軍人だから命懸けなのは仕事の内なんで仕方ないんだけどさ。」

(死ぬかもしれない? 白銀が?…………そうか、白銀は現役の軍人だった……
 それに、任務で死ぬ覚悟なら、わたしだって済ませてる。
 慌てるような事じゃない……慌てるような事じゃ……)

 何の気負いも無しに自らの死の可能性を告げる武の態度に、ふと焦燥感を覚えた彩峰だったが、現役の軍人としては相応しい態度だと思いなおす。
 表情に大きな変化は見られないものの、瞳が微かに揺らいでいる彩峰を、正面からじっと見詰めて武は言葉を続けた。

「まあ、そう簡単に死ぬ気はないし、飽く迄も万が一に備えての事なんだけど―――
 いざとなったら彩峰、オレの代わりに沙霧大尉を説得してくれないか?」

「………………」

 彩峰は、武の問いかけに言葉を返せなかった。
 彩峰の心の中では言葉にならない想いが渦巻き、思考の全てが混沌としていた。
 武は、彩峰が黙り込んだのを、判断に苦しんでいるのだと思い、追加の判断材料を告げる。

「これは、オレの希望であって命令じゃない。だから、嫌なら断ってもいいんだぞ?
 その場合は、帝国情報省の人間が接触する事になると思うけどな。
 勿論、引き受けてくれるんなら沙霧大尉を納得させられるように、それなりの材料は渡す。
 一応、帝国上層部の承認も得られる見込みだし、政威大将軍殿下からの親書も賜れるかもしれない。
 殿下の親書があれば、事が事だから沙霧大尉は納得してくれるとは思う。
 必ずしも、おまえでなければならない理由は無い……んだけどさ。
 それでも、オレはおまえが沙霧大尉を説得しに行って、しっかりと話し合った方が良いと思うんだよ。」

「なんで?」

 未だに思いは乱れているものの、何とか武の言葉を聞き取った彩峰は、武の判断理由を訊ねた。
 武は両手を頭の後ろで組み、天井を見上げるようにして応える。

「う~ん、なんでかなぁ。そうだな、おまえが過去に捉われて、真っ直ぐに未来に進めてない感じがするからかな。
 沙霧大尉もそんな感じがする。確証が無いからおまえに話を聞こうとしている訳だけど、多分間違いないだろうな。
 今回、クーデターという手段を決意した根幹にも、その想いがあるんじゃないかな。
 だから、彩峰と沙霧大尉が話し合って、クーデターを考え直す課程で、過去の呪縛と向き直れるんじゃないかと…………
 う~ん、ごめん、ちょっと見通しが甘すぎるよな。」

「過去に捉われてなんかいない!」

 彩峰は、押さえた声で、しかし強い意思をこめて反駁(はんばく)した。
 しかし、武は彩峰を真っ直ぐに見て、柔らかな声音で諭す。

「なあ、彩峰。過去から目を背けて、忘れよう忘れようってもがいて逃げ回るのは、未だに呪縛されてるって事だと思うぞ。
 オレの知り合いにさ、尊敬していた父親が汚名を着せられて、手の平を返した周囲の人間から一斉に非難を浴びせられて、結局失脚させられたって奴が居たけど、そいつがおまえとそっくりなんだよ。
 そいつは自分の中で折り合いを付けて、父親の事には決着を付けたって思ってたみたいだけど、行動や判断の端々に、親父さんの事件の反動が、傍目に解るほど出てた。
 親父さんの話が出る度に、ぴりぴりしてたしな。
 で、優秀な軍人だったのに、周囲との間に壁を作ってしまって、上手く連携を取れずに苦しんでいたよ。
 あれは多分、親父さんの一件で、周囲の人間を信じ切れなくなっていたんだろうな。」

 出合ってほんの数日の武に解ったような事を言われて、彩峰は怒りのあまり思考能力が復帰していた。
 しかし、武の話しを聞くと、彩峰もその人物が確かに自分に似ていると認めざるを得なかった。
 そうなると、武の言葉を頭ごなしに否定する事も出来ない。
 それに、その人物がどうなったのかが、彩峰は気になって仕方がなかった。

「その人、どうなった?」

 つい、彩峰は武に訊ねてしまったが、武は特に疑問に思う様子も無く、素直に応じる。

「ああ、散々周囲とぶつかったけど、ちゃんと仲間を信じて連携するようになったよ。
 オレさ、そいつにもお節介焼いたんだけど、あれが切っ掛けになったのかどうかも解らないしな……
 おっと、話が大分逸れちまったな。
 で、どうだ、彩峰。オレの頼み引き受けてくれるか?」

 武の問いに、彩峰はしばらく黙考した後、何事かを思い定めた顔で応えた。

「いいよ……そのかわり…………」

 彩峰は武の頼みを了承する代わりに、条件を1つ武に突き付けた。
 武はその条件と引き換えに、沙霧の情報、沙霧への紹介状、万一の時の代役という、3つの要求を彩峰に呑ませる事に成功したのであった。




[3277] 第82話 追い風を受けて、踏み出す一歩 +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/07/05 17:13

第82話 追い風を受けて、踏み出す一歩 +おまけ

2001年10月27日(土)

 08時17分、国連軍横浜基地の第二演習場に、『不知火』13機と、何やら改修パーツを追加された『陽炎』が3機並んで屹立していた。

「―――ということで、本日はこの、『陽炎』改修型遠隔陽動支援戦術機『時津風』を使用した実機演習を行います。
 『時津風』はベースは『陽炎』ですが、無人機にする事で、搭乗者への負担を気にせずにかなり無茶な機動が取れるようにしてあります。
 『不知火』の相手が十分務まる性能ですので、そのつもりで演習に臨んで下さい。
 今日の所は、オレと伊隅大尉で複座型『不知火』に搭乗し、『時津風』3機を加えて小隊として運用します。
 演習内容は、オレと伊隅大尉の小隊と、ヴァルキリーズA、B、C各小隊との市街戦です。
 A小隊の指揮は、伊隅大尉の代わりに宗像中尉にお願いします。
 近い内に、ヴァルキリーズの皆さんにも『時津風』の運用に習熟してもらいますので、そのつもりでいてください。
 伊隅大尉、オレからは以上です。」

 簡単に実機演習の内容を説明した武に続き、伊隅大尉が演習開始を告げる。

「よし! まずはA小隊からだ。他の者―――特に速瀬は『時津風』が如何に手強いか良く見ておけ!
 実質4対2だとか、所詮『陽炎』の改修機だとか、そんな考えで油断したら承知しないからな!!」

「いやあ、さすがに大尉相手で油断なんてしませんって。大尉と白銀の手並みをじっくり見せてもらいますよ。
 宗像! 茜! あんたら前衛なんだから、しっかりやんなさいよっ!!」

「はいはい……瞬殺されない程度には頑張りますよ。」
「はいッ! 頑張りますッ! 速瀬中尉。」

 かくして、実機演習が行われたのだが…………



「あ~~~~ッ!! もうっ! なんなのよあれッ!!!」

 2戦して、2戦とも完敗してしまった水月は髪を掻き毟っていた。

「そう言えば速瀬中尉、初戦で接敵直後に瞬殺されていましたね。
 油断しましたか? 私は速瀬中尉の激励のお蔭で、なんとか瞬殺は免れましたが……」

「あーうるさいっ! どうせあたしは瞬殺されたわよッ!!」

 実機演習は6戦行われ、A、B、C各小隊が2戦ずつ戦った。
 結果は『時津風』運用小隊の全勝。武闘派筆頭である水月の機嫌は最悪であった。



 『時津風』運用小隊の戦術は6戦とも基本は変わらず、3機の『時津風』を前線に配置し、『不知火』を後方に置いた状態で、『時津風』から断続的に、最大出力でアクティヴセンシングを行うというものであった。
 当然、アクティヴセンシングを行った『時津風』は位置を暴露し、各小隊はその機体に襲いかかった訳だが、強襲しようと、極静穏モードで接近しようと、的確に捕捉されて狙撃を受けた。
 狙撃を掻い潜って接敵を果たしても、『時津風』は搭乗者が居ないのをいい事に、無茶苦茶な機動を行って『不知火』を寄せ付けない。
 近接戦闘に入った『時津風』を狙撃しようとしても、初弾を撃つか撃たないかの内に位置を特定されて、後方の狙撃担当機が砲撃を受ける。
 一番マシだったのが、B小隊4機が一丸となって強襲した時だった。

 葵が狙撃を察知して、遮蔽物を利用しながら先導して目標に接近し、4機で一斉に襲い掛かったのだ。
 しかし、『時津風』は反撃しながらしぶとく逃げ回り、ようやく追い詰めて撃墜したと思った次の瞬間、3方向からの砲撃を雨霰と浴びせられて、B小隊は全滅した。
 終わってみれば、撃墜した『時津風』が囮となって、砲撃ポイントにB小隊を誘導したのは明らかであった。
 こういった罠には敏感な葵だったが、囮の『時津風』の攻撃を避けるのに精一杯で、察知した時には間に合わなかったのだ。

 A、C小隊は遠近のバランスが取れているが、それだけに前衛と後衛に分かれるのがセオリーとなる。
 しかし、後衛が支援砲撃や狙撃を行おうとすると、逆に狙撃に曝されてしまう為、却って各個撃破される事となってしまった。
 そして、4機が一丸となって強襲するには、B小隊程の攻撃力を保持していない。
 どうやってもジリ貧であった。



「さて、それでは実機演習の講評を行う。―――白銀。」

 機体をハンガーに戻し、ハンガーに隣接するブリーフィングルームに移動した武とヴァルキリーズは、椅子に腰掛けて演習の講評を行っていた。

「―――はい。では、『時津風』を運用するに当たって使用した戦術に付いて、説明します。
 今回オレの『不知火』と『時津風』には、試作OSの新機能として索敵情報統合処理システムが搭載されていました。
 これは、複数の機体、装備のセンサー情報を―――」

 武はまず、索敵情報統合処理システムについて説明した。
 3機の『時津風』を移動可能なレーダーサイトとして使用し、その索敵結果を時系列上で統合処理して、詳細なセンサリングマップを作成していたのだと。
 それによって、接近してくる前衛は勿論、後方で隠蔽していた機体までその所在が割り出されていたと聞き、みちるを除くヴァルキリーズに驚愕が広がる。

「―――と言う事で、こちらは狙撃担当機に対して、効果的に狙撃し返す事が可能でした。
 そして、アクティヴセンサーを全開にする事で『時津風』を囮とし、誘き寄せられた機体を、分散している場合は各個撃破、集中している場合は、ノーマークの『時津風』を側方または後背に回り込ませて攻撃した訳です。
 搭乗者が居ない事により、加速Gを気にせずに無茶な機動が行える事と、撃破される覚悟で囮として運用できるのが『時津風』の強みと言えます。
 おまけに、自律行動による戦闘も従来OSよりも格段に良くなってますし、必要に応じて遠隔操作と自律行動を切り替えることで、複座型『不知火』を含めて4機の機体を、オレと伊隅大尉の2人で効率良く運用出来たって訳です。」

 水月は、自身の驚愕を押さえ込みながら、周囲の反応を窺った。

(どうやら、賛否両論、違和感や反感を感じているのも何人か居るわね。
 となれば、ガス抜きも兼ねて、反論させておいた方が良いか。
 さて―――それじゃあ、突撃前衛長として、切り込むとしますか!)

 ヴァルキリーズの中に、感情的な内圧の高まりを感じ取った水月は、その感情を解放させるべく率先して武に異議を唱える事を決意した。

「ちょっと! なにそれ?! えらい卑怯じゃないのっ!
 新兵器でこっちの位置を洗い出しといて、自分達は安全な後方に居座って、無人機であたしらをいたぶったってわけ?」

 水月の言葉に引き摺られるようにして、何人かが続けて発言する。

「そうですよねっ! 無人機だからって貴重な戦術機を、簡単に囮にして危険に曝すのは、間違ってると思います!」
「まあ、無人機を囮にして、有人機を温存する是非は置くとしても、無人機の遠隔操縦で勘が鈍ったりはしないんですか?」

 まずは茜が水月に同調し、続いて紫苑が自身の疑問を提示した。

「う~ん、私もさっ、実際に乗ってない機体を操縦するってのがピンとこないけどっ。でも、衛士の犠牲は減るんじゃないのかなっ。」
「そ、そうだよね~。でもさ~、やっぱり衛士が乗ってない戦術機って~、何か不自然な気がしない? ねえ、多恵。」
「あ、あだしに振らないでけろっ!」

 しきりに首を傾げながら、月恵が発言し、智恵が自身の考えをまとめきれずに多恵に振った。
 多恵が慌てて訛ってしまうと、それに笑みを零しながらも、祷子が懸念を口にする。

「確かに画期的で、有効な戦術だとは思いますわ。けれども、果たして前線の衛士達に受け入れられるかどうかが、問題なのではないかしら?」
「……反発は強いと思う……けど……効果を知れば、受け入れるしか……」
「え? え? 危ないとこを無人機が代わってくれるんでしょ? 何が不味いの?」
「別に不味くはないですよ、葵さん。ただ、今までの常識じゃ考えられない発想なので、みんな戸惑ってるだけなんじゃないかな?」
「まあ、確かに突飛な発想ですけど、私はいいと思いますけどね。」

 祷子の懸念を認めながらも、その効果故に受け入れざるを得ないと言う葉子。
 葵は、何が問題なのか解らないようで、きょろきょろと周囲を見回し、それを遙がやんわりとフォローした。
 最後にそれまで黙って皆の発言を聞いていた晴子が、美冴の様子を窺ってから、『時津風』に好意的な意見を述べた。
 そうして、全員が一通り発言したところで、美冴が総括にかかる。

「―――そうですね、祷子と葉子さんの言う通り、導入には抵抗があるでしょうね。
 ですが、実際に運用が始まってしまえば、その有用性故に使わざるを得なくなる。
 衛士の矜持は、無人機を運用して後方で安穏とする事を嫌うでしょうが、実戦の苛酷さを知る者ほど有り難味が解るでしょうね。
 殊に、部下を死なせた事のある指揮官で、これの価値が解らない者などいる筈がない。
 ―――だが白銀。何故、今になってこんな物が仕上がってくる?
 もっと早くに実用化できなかったのか?」

 美冴は、最後に睨み付ける様な、それでいて縋る様な眼差しを武に向けて言う。
 武はその言葉と眼差しに、顔を顰めて応じた。

「勘弁して下さいよ、宗像中尉。オレだって、最初は新兵だったんです。
 香月副司令直属の実戦部隊で2年間。それが何を意味するかは、先任の皆さんは良くご存知じゃないんですか?
 オレだって、仲間を喪ってきています。もっと早くに実用化できてれば、思い付いていれば、そう考えるのは解りますけど、過去は……過去は変えられないんですよ。」

(そうだ。オレにも10月22日よりも前の出来事は変えられない。
 起きてしまった事は、取り返しが付かないんだ…………)

 武が僅かにではあるものの、悲痛な表情を浮かべたのを見て、美冴も矛先を収める。

「―――そうだな。済まない白銀、言っても仕方のない事だった。許してくれ。」

「いえ、お気持ちはオレにも幾らかはわかると思いますから……ただ……
 ただ、これだけはこの機会に言っておきます。
 オレは、オレの対BETA戦術構想とその装備群で、BETAとの戦いでの死傷者を激減させて見せます!
 そして、戦闘を生き延びて経験を蓄積した熟練兵を揃えていけば、何時か人類はBETAに勝利できると信じています。
 だから、実用化に向けて、ヴァルキリーズの力を貸してください!」

 武は美冴の謝罪を受け入れ、続けて自分の信念を告げ、頭を深々と下げるとヴァルキリーズに協力を要請した。
 唖然として武を見詰める部下達に代わり、みちるが武の言葉に応じる。

「勿論だ、白銀。任務だからじゃない。BETAと戦ってきた軍人にとって、お前の戦術と装備は紛う事無き希望だ。
 我々ヴァルキリーズは死力を尽くして、対BETA戦術構想を実現して見せるぞ!」

「は! ありがとうございます! 伊隅大尉。」

 直立不動で感謝する武を見ながら、みちるは内心で己の不明を恥じていた。

(どうやら私は、白銀武と言う男を見誤っていた様だな。
 実戦証明もされていない新型OSに夢中になって、新しい機動概念を押し付けてきているのかと疑っていたが……私の思い違いだったか。
 白銀は、BETAとの戦いの中で、偏執的なまでに将兵を生き残らせようと画策している。
 そして、それこそが人類に勝利をもたらすと信じて疑っていない。
 ならば、その実証部隊であり、尖兵たる我々を無駄に損なったりはしないだろう。
 ―――それに、宗像に答えた時のあの顔。戦場で仲間を多く喪った者の顔付きだった……
 徴兵年齢の早い男とは言え、新任の涼宮達と同じ歳で相当な修羅場を潜ってきたようだな。
 無理も無いか、香月副司令直属の実戦部隊の任務が過酷でない訳がない。
 それは、我々A-01の生き残りが一番良く知っていることだからな……)

 みちるの内省を他所に、武はヴァルキリーズに対して、対BETA戦術構想の根幹となる理念を語り、現時点で想定されている戦術と各種装備について説明を行っていた。
 BETAに対してその動向を徹底的に監視し、極力先手を打つ形で対応し、最も危険で損耗を覚悟せざるを得ない役割は、可能な限り自律兵器や遠隔操縦の陽動支援機を用いる。
 可能な限り、将兵を損なわず、経験を積んだ将兵を蓄えることで、柔軟な戦術行動によってBETAの数に質で対抗するという思想である。

 最初は戸惑いが隠せなかったヴァルキリーズの各員も、武の語るその内容に次第に引き込まれていく。
 現役の衛士としては、例え話半分にしても、BETAとの戦いが画期的に変革されるであろうその内容に、興味を持たない方が不自然であった。



 武の説明を、葵は珍しく真剣に理解しようとしていた。

(えーと……技術的なところは良くわかんないけどぉ、部隊の仲間が今までみたいにぃ簡単に死んじゃったりしないってぇことだよね?
 本当にそうなったらぁ嬉しいな……もう、仲間を喪って生き残るのはぁ嫌だものね。
 そりゃあ、生き延びて佐伯先生と再会してぇ幸せになるのが夢だけど……
 それでも……哀しい想いを背負い続けるのはぁ疲れたよ……)

 表面上は普通の顔をして、そんな事を考えている葵は、A-01の要員を育成する為に設立された、衛士訓練学校の第3期生である。
 同期の入隊者50名の内、今尚生き残っているのは自分を合わせて葉子、水月、遙の4人だけ。
 しかし、それでも同期生が4人も生き残っているのは葵達の第3期生だけである。

 第1期生の生き残りはみちるのみ、第2期生は全滅。
 第4期生は美冴と紫苑の2人、第5期生は祷子だけである。
 そして、死んでいった仲間達の殆どが、大学に4年間通ってから志願した葵にとっては年下であった。

 死んでいった仲間達は、皆、葵よりも衛士としての才能に溢れていた。
 衛士としての適性が最低限しかない葵は、部隊の作戦行動に付いていくのがやっとのありさまで、葵に次いで適性の低い葉子と2人で、いつも置いていかれないように必死になっていたものだった。
 そんな状態だったので、射撃が上手い訳でもないのにポジションは後衛―――制圧支援(ブラスト・ガード)だった。
 撃ちっ放しの自律誘導弾なら、得て不得手はあまり関係ないだろうとの判断からである。

 そんな、真っ先に死ぬのが当たり前の様な葵だったが、明星作戦の地獄の戦場もかろうじて生き延び、その後の苛酷な任務にも耐えて、今尚現役を続けている。
 葵は、戦術機の操縦は自分でも嫌になるほど下手だったが、その代わりに妙に勘が鋭かった。
 明星作戦では、葵の勘を信じたみちるによりA-01は全滅を回避し、それ以降は、隊の仲間からは、生きた危険感知器と呼ばれるようになった。
 それでも、明星作戦ではA-01所属衛士の8割以上が喪われ、それ以降も着任してくる新任達や明星作戦の生き残りが、次から次へと戦死していった。
 葵が危険を察知しても、その危険から逃れ、尚且つ任務を達成するには、仲間達の犠牲が必要不可欠だったのだ。

 葵はシミュレーター演習でも、実戦と変わりなく危険を察知する。
 以前夕呼に、ある種の推論能力なのだろうと言われたことがあったが、仮想現実で襲い来る危険であっても、葵にとっては現実と殆ど遜色がなかったからだ。
 演習では、例え撃破されても行動が禁止され、データリンク上から表示が消えるだけである。
 にも拘らず、その度に葵の耳には死んでいった仲間達の末期の悲鳴が響き、自身が撃墜される時には死の恐怖が襲い掛かってくる。
 その度に、佐伯の面影を想い出して必死に耐えてきたが、葵はこの所限界を感じ始めていた。

 妹の紫苑が入隊し、影に日向に支えてくれていなかったら、自分はとっくに諦めて戦死していただろうと葵は思う。
 幸か不幸か、紫苑との連携が認められて、現在のポジションは突撃前衛であった為、次に隊が危地に陥った時は自分が犠牲になる覚悟を葵はしていた。
 無論、佐伯の事を想うと、葵には未練がある。それでも、いくら明るく振舞ってみても、最早精神は限界に近かったのだった。

(でも……これでみんな、生き延びられるかもぉ知れないわね……
 そうしたら、佐伯先生にぃ再会できるかも知れない……
 そうねぇ、もう少しだけ頑張ってぇみようかな……)

 葵は武の説明を聞きながら、透明な笑みを浮かべていた。
 それを見て葉子は小さく頷き、紫苑は目を細める。

(よかった……葵ちゃんが希望を見つけられたみたいで……)
(姉さん……姉さんは私が必ず護るからね。だからお願い……生き抜く事を諦めたりしないでね……)

 葵を深く知り案じるが故に、深い安堵を得た葉子と紫苑であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 18時02分、1階のPXで、夕食を終えた千鶴が、武に声をかけた。

「ねえ、白銀。この後もし時間があったら、また聞きたい事があるんだけど……」
「駄目! 白銀は私の物……」

 が、言葉の途中で、意地の悪い笑みを浮かべた彩峰に言葉を遮られてしまう。

「ッ!!―――彩峰?! 白銀が貴女の物って一体どういうことなのかしら?」

 途端に柳眉をキリキリと吊り上げて、千鶴が彩峰を問い質す。
 それに、彩峰はふふんと鼻で笑い飛ばし、ニヤリと笑みを更に深めて言う。

「言葉通りの意味。……白銀は私のだから、榊の相手はさせない……」
「貴女一体、何の権利があって―――」
「た、たけるさん! 彩峰さんと、お、お付き合いしてるんですかぁ?!」
「ん? お付き合い? なんの付き合いだ?」

 彩峰の言葉に、更に怒りのボルテージを高めた千鶴が怒鳴りかけるが、異様に興奮した壬姫の言葉に遮られてしまう。
 脇で静観していた冥夜は、壬姫の言葉に首を傾げるが、誰もそれには応えず、自然と皆の視線が武に集まる。

「はぁ……あのなあ、彩峰。なんでおまえはそういう紛らわしい物言いをするんだ……
 委員長、悪いけど、今日はこの後、彩峰と約束があるんでまたにしてくれ。
 それからたま、たまの言うような意味でのお付き合いはしてない。期待外れで悪かったな。
 冥夜、頼むから今の一件はあまり深く追究しないでくれるか?」

 武は、最初の彩峰の発言から、机に突っ伏して世を儚んでいたが、なんとか上体を起して事態の収拾に乗り出した。

「この方が、絶対面白い……」
「ああ、そういう事ね。解ったわ、白銀。忙しいでしょうけど、近い内に時間が空いたらお願いね。」
「え? あはは……期待外れだなんて……えっと、わたしの方こそ済みませんでした、たけるさん。」
「む?……そうか? まあ、タケルがそう言うのであれば、詮索はすまい。」

 彩峰は確信犯の笑みを浮かべて答え、その言葉にこめかみを揉みながらも千鶴は一応納得した。
 壬姫は照れくさそうに笑って謝罪、冥夜は腑に落ちない顔付きながらも武の願いを聞き入れる。

「ありがとな、みんな。さて、じゃあ彩峰、オレの部屋で良いか?―――よし、じゃあとっとと行くぞ。」
「じゃ、またね……」

 武はこのタイミングを逃せば、また騒ぎが起こると考え、即時撤退を敢行した。
 彩峰も素直に従い、PXには他の3人が残される。
 武と彩峰を見送った後、妙な雰囲気の中で静寂が続いたが、その場の空気に耐えかねた壬姫が、冷や汗を垂らしながら引き攣った笑顔を作って発言する。

「あ、あはは……なんだか、たけるさんと彩峰さん、妙に親しげでしたねー。」
「む……そうであったか? タケルは誰にでも親しげ……というより、馴れ馴れしいと思うのだが……
 それよりも、どうやら彩峰から武に約束を持ちかけた様だが、あの者が誰かに頼み事をするなど珍しいな。
 さて、どの様な用事であったのか……」
「御剣、詮索はしないんじゃなかったの?」

 壬姫の言葉に、首を傾げつつも冥夜は応じ、その言葉尻を捉えて、千鶴が茶々を入れた。
 が、冥夜は千鶴の茶々には動じる事無く、武に倣ってこの所心掛けている信念を述べる。

「ん? ああ、そうであったな。だが榊、これは詮索ではない、彩峰の―――仲間の心情を慮っているのだ。
 隊の結束の為には必要だと思うのだがな。」
「―――そうね。彩峰の考えは捻くれてて理解し難いけど、御剣の言う事にも一理あるわ。
 それに、確かに彩峰が誰かに頼み事だなんて、青天の霹靂だわ。―――昨日、やっぱり何かあったのかしら。」

 千鶴も、冥夜の言葉は受け入れたものの、彩峰の行動に関しては意外の念が湧くばかりで、原因など想像も付きはしない。

「う~ん、彩峰さんの考えって、そんなに捻くれてるかなあ? 鎧衣さんの方が突拍子もないと思うんだけど……」
「そうだな珠瀬、彩峰は口にする言葉は捻じ曲がっているが、性根は素直だと私も思うぞ。
 鎧衣の方は、何をどう考えているのか、想像すら叶わぬ事が間々在るな。」
「性根が真っ直ぐねえ、本当にそうなのかしら……」

 話はそこから微妙にずれ始め、雑談へと移り変わっていく。
 千鶴は嘆息して、視線をPXの出口の方へと投げたが、既にそこには彩峰の姿はなかった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 18時21分、B4フロアの武の部屋で、彩峰は椅子に、武はベッドに腰掛けて向かい合っていた。

「さて、と……昨日の件で良いのか? 彩峰。」

「うん。白銀がどんなお節介焼いたか教えて……」

 武の問いかけに、彩峰はこくんと頷いて応えた。
 昨日武は、特殊任務への協力と引き換えに、彩峰に似た境遇の知人だと誤魔化した、他の確率分岐世界の彩峰と武の話を、交換条件としてせがまれていた。
 その為、武は前置きをしつつも、素直に話し始める。

「う~ん……ま、約束したからな。けど、つまんなくても文句は言うなよ?
 元々は、部隊内の演習で、オレとそいつと、よりによって部隊でそいつと一番折り合いの悪い奴の3人で、同じ班を組まされたのが切っ掛けだった。
 この二人が犬猿の仲って言うのも生易しいくらいでさ、演習の最中に口喧嘩を始めちまうほどで、もうどうしようもなかったんだよ。
 で、オレが事情も知らないのにそいつのとこ行って、面と向かって問い詰めたってわけだ。」

「白銀最低。デリカシー皆無……」

 即座に彩峰から突っ込みが入ったが、武はめげずに続けた。

「勘弁してくれよ、オレだって演習が上手く行かなくて、追い詰められてたんだ……
 で、しばらく押し問答になったんだけど、ふと、そいつがオレの親の事聞いてきてな。
 オレがBETAの横浜侵攻以来会ってないって言ったら、悪い事聞いたからその代わりにって、親父さんの話を聞かせてくれたんだよ。
 どうも、隊の人間の中で、その話全然知らなかったのオレだけだったみたいでさ、鈍いって言われたよ。」

「……白銀、両親は……」

 彩峰は言葉を発してしまってから、後悔の念に目を逸らした。
 その様子に、武は手を軽く振って、宥める。

「ああ、気にすんなよ、今時珍しい話じゃないだろ?
 で、話の続きだけどさ、そいつの親父さんの話聞いてたら、そいつ、親父さんが許せない、信じられない、親父さんの所為で何もかも失くしたって、そう言うんだよ。
 だけど、オレにはそいつが、それでも親父さんの事を信じてやりたいんだなって思えた。
 子供なんだから親の事、信じてやればいいじゃないかって、そう言っちまった。
 オレって、あんまり面倒な事考えないで、ついついその場の勢いで物言っちまう考え無しだからさ。」

「白銀が考えなし? あり得ない……」

 彩峰がわざとらしく驚いて見せて武の言葉を否定するが、武は頭を掻いて否定する。

「うるせえよ。今は頑張ってあれこれ考えるようにしてるけど、オレは元々そっちが素なんだよ。馬鹿で悪かったな!
 まあいいや、で、そっから話の流れで、仲間の事も信じてやれって話になって、それでも駄目だと思ったら、その相手に駄目だと思った点を教えてやれって言ったんだ。
 今にして思うとさ、そんな事、そいつだって自分で解ってたんだろうし、同じ様な忠告も何度も受けてたと思うんだよな。
 けど、それから暫くして、そいつは少しずつ仲間を信じるようになって、何時の間にか、ちゃんと連携出来るようになってた。
 話はこれでお仕舞いだ。そいつが変われたのが、オレの所為かは…………ま、それはどうでもいい事だな。」

「そう…………」

 彩峰は、武の話を聞き終えた後、少し俯き加減で聞いた話を反芻しているようだった。
 そんな彩峰に、武はそっと話しかける。

「なあ、彩峰。お前も親父さんの事、信じたいけど信じられないんじゃないか?
 でもって、忘れたいけど、忘れられないんじゃないか?
 軍人になる為に訓練してても、軍の上層部に、そこから下る命令に不信感を拭えないんじゃないのか?
 それでも、軍人になって戦おうとするのは、親父さんの言葉に従ってるからか?」

「……白銀、知ってるの?」

 俯いたまま、顔を上げずに彩峰は言葉を搾り出した。

「ああ。『人は国のためにできることを成すべきである。そして国は人のためにできることを成すべきである』だったよな。
 いい言葉だと思うぞ。まあ、オレは国よりも先に人類全体を考えちまうけどな。」

「―――じゃあ、白銀は、見返りを期待してないって事?」

 武の言葉の何処が琴線に触れたのか、彩峰はようやく顔を上げて問いかけた。
 武はそれに苦笑を浮かべて応える。

「ん? ああ、『国は人の為に―――』って件(くだり)の事か。
 確かに人類は、個人の貢献に報いてはくれなさそうだよな。けど、その解釈は間違ってると思うぞ。
 人は国に貢献して、国はその貢献に報いるべきだって解釈してんじゃないのか? 彩峰。」

「……違うの?」

 真剣な目で武を見て問う彩峰に、武は頷きを返した。

「そうだな。オレがそう思ってるだけかもしれないけど、違うと思う。
 オレの解釈だと、人と国っていうのは、判断する時の立場や基準だと思う。
 人って言うのは個人としての立場でいいよな。けど、国って言ったって、その方針を決めるのは結局人間だろ?
 政府の役人や政治家にしろ、政威大将軍殿下にしろ、突き詰めて考えたら人に他ならないよな?
 それって、結局その務めに応じた立場で、個人として『国のためにできること』を成しているだけなんじゃないか?」

 そして、武は彩峰中将の言葉を紐解いていく。
 『人として国のためにできること』の多様さに付いて、そしてそれが集約されたものが『国の力』になるのだと。
 そして、そうやって人々が成した事を集めた『国の力』を、それら個々の人々の集合体である『国』の為に『できることを成す』。
 その時に、『国』の根幹である個々の『人』の都合を忘れないように、戒めとして『人のためにできることを成す』と言ったのではないかと。
 その上で、『国』として何事かを成すのは結局は『人』―――個人であると武は断じた。
 『成すべき時に成すべき人が成す』―――国家指導者やその補佐をする高官達、そして、時には『国』に成り代わって何事かを『成す』べきだと感じ、信念に従って『成す』人がおり、彩峰中将がこの一人だったのではないかと武は彩峰に語った。

 愕然とする彩峰に、武は『光州作戦』について語り、彩峰中将が自身の信念に基づき、『国』として断固として成すべきと信じて、避難民の保護を優先したのではないかと告げた。

「―――けどさ。軍人である以上、命令に逆らう事は断じて許されないことだよな。
 それが許されたら、誰も死守命令なんて守らなくなる。軍が崩壊しちまうよな?
 軍人として承服できない命令に対して出来るのは、意見具申と、精々が命令を拡大解釈するくらいだよな。
 『人』としての彩峰中将は軍人だから、命令に従わなくてはならなかった。
 けれども、日本帝国という『国』の力の一端―――つまり帝国陸軍の部隊を率いる司令官として、彩峰中将は『国』として避難民を護り抜くべきだと判断してこれを成した。
 オレも、その判断は間違ってないと思う。けれど、何度も言うけど、それは命令違反であり、軍人としては許されないことなんだ。
 だから、彩峰中将は、『国』として『できること』を成した後、当然『人として国のためにできること』を成す覚悟をしていたと思う。
 それはつまり―――」

「軍事裁判にかけられて、責任を取ること?」

 顔から表情が洗い流されたように消えてしまっている彩峰に、武は頷いて話を続けた。
 それはその後の顛末であった。
 彩峰中将に合流を命じた帝国陸軍派遣軍司令部の考え。そして、不幸にして壊滅に至った経緯。
 帰国した彩峰中将への世論の非難。ここぞとばかりにその失脚を狙う者達の暗躍。
 処刑後も高い大東亜連合軍での声望。彩峰中将の行いによって日本が得た国益。
 そしてなによりも、自らの身命を投げ打って、『国』として『できること』を成し遂げた彩峰中将への尊敬の念を、武は懇々(こんこん)と彩峰に語った。

「―――だからさ、彩峰。親父さんの事を誇ってやってくれ。
 そして、過去に捉われて、自分を縛るのはもう止めにしないか?
 臨機応変がおまえの持ち味だと、オレは思う。
 なのに、自分で自分をしばってちゃ、切れ味が鈍るばっかだぞ?
 でもって、石頭の委員長に、臨機応変の何たるかを教えてやれ!
 けど、おまえも仲間を少しは信用して、ちゃんと連携をとるんだぞ?
 じゃないと、折角の臨機応変も、敵に付け込まれる隙になっちまうからな。」

 武は精一杯の想いを込めて、彩峰を諭す。
 しかし彩峰は応えぬままに、席を立って背中を向けると、僅かな沈黙の後で声を漏らした。

「………………白銀、熱く語りすぎ……今日はもう帰る。」

「ぐはっ! や、やっぱり恥ずかしかったか!
 オレもそうじゃないかと思ってたんだよ……ごめんな彩峰、変な話しちゃって……」

 途中から、熱くなり過ぎた自覚があった武は、両手で頭を抱えて羞恥心に悶えながらも、彩峰に詫びる。
 彩峰は黙ってドアを開けて廊下へと歩み出て、去り際に横顔を見せて呟いた。

「……けど、少しは考えてみる……」
「へ? 彩峰?」

 彩峰の去り際の声に、武は慌てて視線を投げるが、既に頬を染めた彩峰の横顔は無く、そこには閉まったドアしか見えなかった。



 B4フロアの廊下を自室へと歩きながら、彩峰は武の言葉を思い返していた。

(父さんの事をあんなに熱く語るだなんて、もしかして白銀は熱狂的な信者?!
 …………だなんて、誤魔化してる場合じゃないね。
 父さんの言葉、あんな解釈があっただなんて……しかも同じ歳の他人から指摘された、屈辱。
 けど、凄く納得できたのも事実。父さんを非難するだけの人とも、讃えるだけの人とも違う。
 きっと、白銀は父さんに共感してたんだと思う。だから、白銀も父さんと同じ位の覚悟で、きっと何事かを成そうとしてる。
 悔しいけど、自分の事で精一杯だったわたしじゃ、今は敵わない……
 だから、今は白銀の言葉に従ってみるべき。白銀の手伝いをして、行いを見て、何時かは白銀を…………)

 脇目も振らずに早足で自室へと歩く彩峰は、途中で通り過ぎたT字路の先に、壬姫が居た事に気付かなかった。
 その為、真っ赤に高揚した横顔を目撃した壬姫が、大急ぎで千鶴と冥夜に御注進に及ぶのを、阻止しそびれてしまったのであった―――



*****
**** 06月26日天川蛍誕生日のおまけ、何時か辿り着けるかもしれないお話20 ****
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どこかの確率分岐世界
2002年02月20日(水)

 12時28分、国連太平洋方面軍第11軍横浜基地のB6フロアにある、医療部付属、第0研究室の衛生兵詰め所に、穂村愛美と星乃文緒の姿があった。
 彼女等は、もう1人の衛生兵である天川蛍を加えて3人でチームを組んでおり、設立したばかりの第0研究室に所属する、軍医3名の補助を務めていた。

 第0研究室には未だ担当する患者が居ない為、衛生兵も比較的暇なのだが、詰め所を空に出来ない為に交代で昼食を取っている。
 今は、丁度蛍が昼食を取りに医療部の食堂に行っており、愛美と文緒が資料や備品の整理を行っていた。
 と、無駄口を利かずに黙々と作業を続ける愛美に、文緒が唐突に話しかける。

「ね~、穂村ぁ~。ちょっとさぁ、あんたに言っておきたい事があんだけど、今いい?」

 文緒に声をかけられた愛美は、手を休めるとやや上目遣いに文緒を見て頷く。

「じゃあ、天川が戻る前にぃ、手短に済ますわよぉ。
 天川の事なんだけどさぁ、実はあいつ、身体に爆弾抱えてんのよねぇ。
 ……不治の病っていうかさぁ、遺伝子に欠陥があってぇ、心肺機能に障害が出んだってさ~。」

 髪の毛を右手で掻きながら、文緒が気だるげに告げた言葉に、愛美は目を丸くして唖然とする。

「ほんとはさぁ、入院加療で安静に療養してるべきなんだけどぉ、天川本人のたっての願いで、香月せんせ~の治療を受けながらぁ、看護婦として働いてたのよね。
 しかもぉ、香月せんせ~の臨床試験の被験者って扱いだったりするんだよねぇ。
 あの小学生みたいな体格もぉ、この持病と治療による副作用の所為らしいわぁ。」

「な、なんで……どうして、そんな大事な事を、わ、私に…………」

 愛美が唇を震わせながらようやく口を開くと、文緒はつかつかと愛美に歩み寄って、その胸倉を荒っぽく掴んだ。

「それはね! あんたがあたし等のチームの人間だからよ!!
 あたしが居ない時、天川が無茶しないように見れんのはあんただけだから。
 天川が発作起した時に、あんたが事情を知らない所為で、手遅れにしない為に話してんのよっ!
 あんたが、仲良しこよしが苦手なのは解ったけど、医療に携わる人間なんだったら、ちゃんと弁えて行動できるわよねっ!!」
「も、もちろんですっ!!
 衛生兵として、病人を前にして醜態なんか晒しませんっ!」

 文緒の言葉に、愛美は文緒の手を振り払い、睨み付けるようにして言い返した。
 文緒は意外そうに目を丸くしていたが、ニヤッと笑うと、髪の毛を掻いて体裁悪そうに言葉をかける。

「ごっめ~ん。あんたがあんまり無愛想なもんだからさぁ、ちょっと心配になっちゃったのよぉ~。
 でもまぁ、その様子なら安心できるわぁ~。あたしの事は嫌ってくれていいからさぁ~、天川の事だけはホントに頼むわぁ。
 ね、このと~り!」

 文緒は両手を合わせて、愛美を拝むようにしながら頭を下げる。
 愛美は、そんな文緒に溜息を付きながらも、返事を返した。

「もちろん、出来る限りの事はします。
 けど、ひとつだけ教えてください。どうして、天川さんはそこまでして、衛生兵を続けるんですか?」

「それかぁ~。まあ、気になるよねぇ。
 天川さぁ、5歳くらいまでずぅ~~~っと病院で、何時死ぬか解らないって言われながら育って、今まで生きてこれたのは医学のお蔭だって……
 一生懸命頑張ってくれた医師(せんせい)や看護婦さんのお蔭だって、いっつも言ってんのよねぇ。
 だから、自分もそうなって誰かの為に頑張りたいんだってさ。
 医者は無理だから、看護婦になって恩返しだって…………
 そういう奴なんだよ、天川は…………だからさぁ、穂村ぁ、あいつの事ホントに頼むよ……」

 愛美は、文緒を真っ直ぐに見詰めて、大きく頷いたのだった。



2002年05月29日(木)

 21時32分、B6フロアの第0研究室付属病棟の廊下で、武が大声を上げていた。

「誰かっ! 軍医か衛生兵は居ませんかぁッ!!」

 その声に、衛生兵詰め所から大急ぎで愛美が姿を現す。

「ど、どうしました?……ッ!!」
「穂村衛生兵か、至急ストレッチャー(医療用担架)を持ってきてくれ!
 天川衛生兵が人事不省だ! 気道の確保は済んでて自発呼吸もあるが、不整脈の疑いがある。
 既に携帯通信機で香月軍医には連絡してある、集中治療室への搬送を頼む!!」

 愛美は、しゃがんでいる武の足元に、小柄な衛生兵の姿を見て息を飲んだ。
 しかし、武の言葉を聞くと、即座に踵を返し搬送用寝台車(ストレッチャー)を取りに行く。

 その後、武と愛美の2人で蛍を集中治療室に運び、駆けつけたモトコによって蛍の治療が行われた。



2002年6月6日(金)

 12時04分、B6フロアの第0研究室付属病棟5号室に、昼食を配膳に来た愛美の姿があった。

「はい、吉田さん。お昼ですよ。」

「おお、ありがとうなぁ、穂村衛生兵。……ところで、天川衛生兵の具合はどうかな?
 あの娘の顔が見えないと、どうも元気が出なくてなぁ。」

 昼食を受け取りながら、左目を初めとして、左半身の多くの部位を喪ってしまい、擬似生体の移植もままならない患者、吉田曹長が蛍の容態を案じて訊ねる。

「……容態は安定しています。天川衛生兵も、吉田さんの容態を心配していましたよ。」

「そうかぁ、早く元気になって、顔を見せてくれと伝えてくれ。
 だが、無理をせんで、自分の心配だけしておけと、言っておいてくれるか?」

 右半面だけの笑顔を見せて言う吉田に、愛美は笑顔で快く頷いた。

2003年6月26日(木)

 09時36分、B6フロアの病室から、ストレッチャーに乗せられた蛍が運び出された。
 行き先は、機密ブロックへ直通となるエレベーターであり、ストレッチャーを押していた愛美と文緒は、エレベーターに乗ることを許されなかった。

「じゃあ、後は頼んだわよ。何かあったら、館花軍医に指示を仰ぎなさい。」

 モトコはそう言うと、蛍を乗せたストレッチャーと共に地下深くへと降りていく。
 既に閉まっているエレベーターのドアを暫し見詰めた後、愛美と文緒は後ろ髪を引かれる思いで、第0研究室へと戻った。



 そしてその日の午後、物言わなくなった蛍の遺体が、密かに焼却された…………



2002年、6月27日(金)

 21時12分、B6フロアの第0研究室にある、香月モトコ軍医の部屋に武の姿があった。

「―――で、研究結果の方は如何ですか?
 昨日、手術が実施されたと聞きましたけど。」

 モトコは火の付いてないタバコを咥えたままで、武に視線を投げて応える。

「昨日の手術。私のところで長いこと働いてた天川さんのだったの。
 実は、鑑純夏よりも、あの娘の方が面倒な症例でね。
 先天的な遺伝子障害を抱えてたから、生体を補填する方式の再生医療じゃ、症状が根治しないのよ。
 だから…………天川さんの遺伝子を操作して、遺伝子障害を排除した上で、その遺伝子を天川さんの身体に移し、障害のある遺伝子と置き換える方法を模索してたんだけど、容態が急に悪化しちゃってね。
 のんびりしてらんなくなって、緊急手術に踏み切ったのよ。」

 モトコはふと視線を上げて天井を見る。
 武は、先週の出来事を思い出して頷いた。

「ああ、天川衛生兵だったんですか。やっぱり、あの後回復できなかったんですね……」

「元から、何時死んでもおかしくないと言われ続けてたからね。
 その上、本人が自分の身体を労わってやってないから、どうしても無理が祟ちゃうのよ。
 それでも、気力で持たせてたみたいなんだけどね。
 ―――で、しょうがないから、天川さんの補修した遺伝子を基に作成したクローン体に、人格転移手術を行ったの。
 一応、天川さんは健康体になったけど、あれを救ったと言っていいのかしらね……
 私が何年もの間付き合ってきた天川さんの身体は、間違いなく生命活動を停止したわ。
 新しい天川さんは、本当に今までの天川さんと同一人物なのかしら。」

 天井に視線を彷徨わせたまま、モトコは問うでも無く言葉を吐き出す。
 それに対して、武ははっきりと答えを告げた。

「人格転移手術が成功した場合、少なくとも世界は同じ因果情報を持った存在として、転移先の個体を認識します。
 クローン体に宿った天川さんは、以前の天川さんから因果情報を継承した、立派な同一人物ですよ。」

「それにしても、補修した遺伝子から再生したっていうのに、どうして後天的な成長の結果である筈の、お子様体型がそのままだったのかしらね?
 歳相応の身体になってもおかしくなと思うんだけど。」

 訝しげに漏らしたモトコの言葉に、武が応える。

「天川さんはそういう存在だという、因果律の干渉があったんだと思いますよ。」

「―――全ては、夕呼の言う因果律量子論の予測どおりって訳ね……まあいいわ。
 事情を知っている私以外、誰もあの天川さんが本人じゃないなんて夢にも思わないだろうし。
 私以外の全て―――世界までもが、あの存在が天川さんだっていうんなら、間違いなく天川さんなんでしょうね。
 白銀君。今回の天川さんの臨床例で、再生医療技術としては一応の完成を見たわ。
 ついに、鑑純夏の再生に取り掛かれるわよ。」

 武の言葉に頷きを返し、モトコは視線を武に戻して告げた。
 武は、大きく頷いて、モトコを見詰める。

「―――純夏を……純夏をよろしくお願いします、モトコ先生。」



2002年6月30日

 15時05分、B6フロアの第0研究室付属病棟で、入院患者の間を元気に飛び回る、蛍の姿があった。

「何かありましたらっ、天川さんにご用命くださいねっ!!」

 そしてその周囲には、笑顔が溢れていた…………




[3277] 第83話 人事を尽くして……
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/10/14 17:48

第83話 人事を尽くして……

2001年10月27日(土)

 19時52分、B4フロアの自室で、千鶴は椅子に腰掛けて机に肘を突き、珍しくぼーっと取り留めのない思いを反芻していた。
 そこへ、ドアをノックする音が響いた為、千鶴は反射的に入室を促してしまう。

「どうぞ―――って、白銀っ?! な、なななな、何しに来たの?!」

「何しにって……オレが訪ねてきたら不味かったか?
 じゃあ、手短に用件だけ話すから、勘弁してくれよ、委員長。」

 何気なく入室を許可して、入って来たのが武であった為、千鶴は軽くパニック状態になる。
 その様子に、武は驚くのとしょげるのが混ざったようなへんてこな顔をして、質問と言い訳を混ぜたような事を言った。

「あ、いえ、そういう訳じゃないのよ……その……ほらっ、今までうちの分隊は女性だけだったから、いきなり男性の白銀が入ってきたんで慌てちゃったのよ。」

 千鶴は、慌ててしどろもどろになりながらも、武に弁明をしたが、実は慌てた理由は他にもあった。
 ついさっきまでこの部屋には壬姫が訪ねてきていて、顔を真っ赤に染めた彩峰を目撃したという話を、妄想混じりに振り撒いていったのだった。
 そして千鶴は、壬姫が帰った後もその件を頭の中で弄んでいた為、彩峰恋人疑惑の当事者である武の来訪に慌ててしまった、というのが実情であった。

「ああ、なるほどな。今まで207は女の園だったんだもんな。
 悪かったな、委員長。次からはノックだけじゃなくて、声もかける事にするよ。」

「そ、そうね。そうしてくれると助かるわ。で、何の用事かしら?」

 千鶴は荒れ狂っている動悸を懸命に宥めながら、武に用件を尋ねる。

「えっと、じゃあ比較的急ぎの方から話すぞ。
 余計なお世話かもしれないけど、明日、香月副司令の使いで榊首相に会いに行く事になったんだ。
 だからさ、委員長。手紙かなんか今日中に書けば、明日直接手渡せると思うぞ?」

 千鶴は父の名前を聞くなり、反射的に眉を顰める。
 が、先日の武との会話を思い出して、習い性となった自分の仕草に苦笑を浮かべた。

「―――そうね。別に急いで伝えなきゃならない事も無いんだけど。
 白銀に言われた事もあるし、いい機会だと思って手紙を認めて(したためて)みる事にするわ。
 明日の朝、手渡せば良いのかしら?」

「ああ、それでいいよ、委員長。―――ちゃんと仲直りできるといいな。
 で、もう一つの用事は、彩峰との約束が終わったから、委員長に時間があればと思って来たんだけど、時間あるか?」

 武のその言葉に、千鶴はPXで武に時間が空いたら聞きたい事があると言った、自分の言葉を思い出した。

「あ……え、ええ。じゃあ、これから少し良いかしら?
 そうね、わざわざ貴方の部屋に行くのもなんだから、今日は私の部屋で良いわよね。」

 千鶴はそう言って椅子から立ち上がると、武に座るように促して、自身は合成玉露を入れる為に流しへと向った。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 21時25分、B19フロアのシリンダールームで、武は霞とおはじきに興じていた。

「白銀さん……上手です……」

 武が幾つか連続でおはじきを取るのを見て、霞が言った。
 実際、一昨日はお世辞にも上手とは言えなかった武だったが、この2日ほどで見違えるほどに腕を上げていた。

「そういう霞だって、上手になったじゃないか。」

 武はそう応じたが、霞はふるふると横に首を振って言う。

「私は、白銀さんのイメージを、リーディングしています……私が上手くなったのは……白銀さんのお蔭です……
 白銀さんの中に、おはじきを取るイメージが……たくさん、たくさん、溢れています……すごいです……」

 武が急速に上手くなった理由、それは、『前の世界群』で00ユニットになった後、1度だけ試したおはじきの経験によるものだった。
 新しい自分に慣熟する為もあり、00ユニットの能力をフルに使った武は、おはじきの最後の1つを取るまでの攻略パターンを含めた、弾き方の諸要素―――ベクトルやそれを達成する為の指の制御など―――を徹底的にシミュレートして、独りで黙々とおはじきを弾いた。
 今の武には、その行為を再現する能力は無いが、感覚的なイメージは蓄積されており、この3日おはじきを続けるうちに、それらが徐々に関連付けられて蘇ってきたのだった。
 その結果、理想的なイメージが確立している為、武も霞もそれに従っておはじきを続けた結果、格段の進歩を遂げるに至ったのであった。

「う~ん……なんか、ずるしているような気がするんだよな……」

 しかし、武はどうにも腑に落ちない様子でぼやく。
 自身の努力による成長であるという実感が、どうしても湧かないためだ。
 が、そんな武に霞が話しかけた。

「白銀さん……私がリーディングを使うのも……ずるですか?」

 武は、霞の唐突な言葉に慌てて応える。

「な……いや、そんな事は無いと思うぞ。
 望んで得たかどうかはともかく、それは霞の能力の1つだ。
 自分の持つ能力や才能を十全に使ったからって、それはズルにはならないと思う。
 まあ、思考を競うゲームで相手の考えを読んだらズルかもしれないけど、おはじきは違うだろ?
 対象がオレだってのがなんだけど、本や映像資料、上手い人を参考にしてやってるようなもんじゃないか。」

 武がそういうと、霞は一つ頷いて言葉を返す。

「白銀さんも……同じだと思います……」
「あ……」

 霞に言われて武は唖然とした。
 自分が霞に言った事は、そもそも自分にも当てはまる事であったからだ。

 00ユニットとしての能力は人間の能力を隔絶したものだが、一時とは言え自分が望んで得たものに違いない。
 そして、ずると言うならば、因果導体であるという現在の自分の状態自体が、掟破りの最たるものであった。
 だが武は、自分に支配的因果律の打破という目的を果たす事を可能としてくれている、因果導体であるという状況を喜んで受け入れ、それを授けてくれた純夏に感謝すらしている。

 なのに、武からの情報提供があったとは言え、努力と考察の積み重ねによって、夕呼が苦心して作り上げた00ユニットの能力を、自身が忌避する理由は無いのだと武は気付いた。
 問題となるのはその能力が如何に常人を隔絶しているかではなく、その能力を如何に活かすかなのだと武は再認識する。
 例えば、霞を負かし自尊心を満たす為だけに振るうのならば愚劣だが、霞と共に、お互いの技量を高めていくのであれば決して悪い事ではないように思えた。
 親しい人々の幸せの為に、人類の為に、因果導体である事を―――純夏の願いを利用してまで、支配的因果律に干渉し続けるように、00ユニットの能力も、より良い結果を導く為に十全に活用するのならば、何等恥じる事は無いのだと武は改めて認識した。

「―――そうか……そうだな、霞。どうやら、00ユニットの性能の凄さに、気後れしちゃってたみたいだ。
 00ユニットになっても、人間のままでも、確率分岐世界を渡り歩いたって、オレはオレだよな。
 オレ自身が恥じる行いをしなければいいんだよな。」

 武が自身に言い聞かせるように語ると、霞はコクリと頷いて言う。

「そうだと思います……力自体は善でも悪でもない……何の為に使うかだと言われました……」

 恐らく夕呼に言われたのであろう言葉を告げる霞を見て、武は力強く頷いた。

「そうだな。―――霞、ありがとな。
 霞におはじきの相手をしてもらったお蔭で、また一つ大事な事に気付けたよ。
 もう霞も知ってるかもしれないけど、さっき、夕呼先生の所に寄って来て聞かされた。
 明日の夜、人格転移手術を行うってさ。
 だから、生身のおはじきは今日で最後になっちまうけど、00ユニットになってからも、たまには一緒に練習しような。」

 そして、感謝の思いを込めて、武は霞に優しく語り掛ける。
 霞は、微かに頬を赤らめて頷く。

「……はい……約束です……」

 そんな霞に、武は必ず果たして見せるのだと、強い意思を込めて応える。

「ああ……約束だ、霞。」

 そして、純夏の浮かぶシリンダーに視線を移して武は思った。

(もう直ぐ、また話せるな、純夏―――)

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年10月28日(日)

 08時38分、朝食を終えた207Bの面々は、B5フロアの『病棟』507号個室に全員で出向いていた。
 この日は、訓練校の休養日であり訓練は無く、丁度美琴がこの朝に退院するという事で、全員で迎えに来たのであった。

「いやぁ、退院って言っても、荷物は自習用の資料くらいしかないんだけどね~。」

 退院前のバイタルを衛生兵に計ってもらいながら、美琴は満面の笑顔で仲間達に告げる。
 そして、衛生兵のお許しを得て解放されると、じんべい型をした患者衣の襟元に手を当てて、武をちろっと上目遣いで見る。

「な、なんだよ、美琴……」

 武が少しうろたえて言うと、美琴は頬を染めて応える。

「タケル……ボクの着替え見たいの? ボクとタケルの仲だから、見せてあげない事もないけど……
 みんなが居る前じゃ、恥ずかしいよ……」
「な! 何言ってるんだっ!! き、着替えるなら着替えるってさっさと言えよ!
 オ、オレは一旦外に出てるからな!!」

 美琴の発言に、狼狽した武は、自身の発言で美琴の言葉を押さえ付けて、即座に踵を返した。
 が、部屋を出ようとした武の背中に、冷たい視線と共に絶対零度の声が投げかけられる。

「白銀。詳しい事情は、あとでじっくりと聞かせてもらうわね。」

 その声に、ビクッと身体を震わせた武は、がっくりと肩を落として個室を後にするのであった。



 退院の仕度を済ませた美琴と共に『病棟』を後にした一行は、階段室に武を連れ込むと、先ほどの一件で心行くまで武を弄り倒した。
 何とかトイレに放置されるまでには至らなかったが、当事者の片割れ―――もとい、全ての元凶である筈の美琴までもが武を弄る側に居たのが、武にはどうしても承服し難い出来事であった。
 その後、美琴の全ての荷物を持たされた武は、それを美琴の部屋まで運ばされる事となり、とぼとぼと廊下を歩いていた。

「いやあ、これで明日から、ボクもタケルと一緒に訓練できるんだね~。
 ホントにこの日が待ち遠しかったよー。」
「ん? 明日は多分オレは居ないぞ、美琴。」

 武は美琴の言葉を即座に訂正するが、妄想に突入している美琴は華麗にスルーして続ける。

「あ~、本当に楽しみだなーっ! 明日の訓練はなんだっけ?
 いまさらラペリングは無いだろうけど、格闘訓練とかだったら、タケルと1対1でやって見たいなあ。
 まあ、彩峰さんと互角なんだったら、ボクじゃ敵わないかも知れないけど……
 あああっ! 駄目だよタケルぅ、寝技だなんて……しかもしかも! そんなところに手を…………」

「完全に、聞いてないな……」

 歩きながら、目をぎゅっと瞑って、捲くし立てる美琴に、武が疲れ果てたような声を上げると、残りの4人がうんうんと頷きを返した。



 ともあれ、美琴の復帰を以って、207B所属訓練兵6名全員が、ようやくにして揃う事となった。
 荷物を運び終えた後、自習用の資料をまりもの下に返却し、6人は1階のPXで寛いでいた。
 そして、全員が人心地ついたところで、榊が皆に話しかける。

「―――みんな、ちょっと聞いて。
 もう11月も目前だわ。総合戦闘技術評価演習まであと1ヶ月程度の筈よ。
 準備は……間に合う?」

「全然問題ないよ。」「うん。」「……うん。」「私も!」

 千鶴の問いかけに、口々に問題はないと応える4人。
 しかし、武は暫し口篭った後、申し訳無さそうに告げる。

「あー、本来ならこれは神宮司教官から告げられる事なんだが……この話の流れで黙ってるのもなんなんで言うけどさ。」

「……なによ?」

 煮え切らない口調の武に、榊が不審げに問い返す。
 武は頭を掻きながら、言葉少なに告げる。

「5日後……」

「5日後?」「その日がなんだと言うのだ? タケル。」「あー、もしかして!」「あはは、そんなぁ~。」「総戦技演習?」

 口々に問い返した面々は、最後の彩峰の言葉で、彩峰自身も一緒に凍りつく。
 そんな5人に向って、武は重々しく頷いた。

「大当たりだ、彩峰。おまえらの総戦技演習は、5日後に実施される。
 明日からは、総戦技演習に備えた特別メニューが行われる。
 机上演習が主体になるが、精神的に負荷のかかる特殊な訓練科目もある、頑張れよ、みんな!」

 なまじ1月後と思っていただけに、総戦技演習まで1週間も無いと知らされた5人の衝撃は大きい。
 その気も知らぬ気に、あっさりと説明した武に、彩峰からの問いが投げかけられた。

「……白銀、他人事?」

「ん? まあな。明日から総戦技演習までのカリキュラムは、実戦を経験しているオレにとっては今更な内容だし、総戦技演習でもオレは積極的な行動はしない。
 まあ、オブザーバーとでも思っておいてくれ。
 けど、総戦技演習前なら、相談には乗るから頼ってくれていいぞ?
 ―――そんな顔するなよ、おまえらなら大丈夫だって……委員長と彩峰が演習中に喧嘩でも始めれば別だけどな。」

 彩峰の問いをあっさり認めて、武は総戦技演習に於いて自分は実戦力とはならない事を告げる。
 そして、悪戯っぽい笑みを浮かべて、最後の言葉を口にしたのだが……

「大丈夫よね? 彩峰。」「勿論。」

 実は、昨夜の武の来訪の後、千鶴は彩峰の部屋を訊ねていた。
 そこで何が話し合われたかはさておき、2人は任務に関する場合に限り、互いを尊重しあうと約束するに至っていた。
 それ故の息の合った返事だったのだが、あまりに予想外な出来事に武は目を丸く見開いて、千鶴と彩峰の顔を交互に見比べる。
 そんな武を見て、2人は満足気な笑みを溢すのであった……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 10時12分、横浜基地の講堂近くに設けられた第6鍛錬場―――通称『斯衛道場』を、武は冥夜に連れられて訊ねていた。
 室内には既に巴を除く、斯衛軍第19独立警備小隊の面々が、道着に身を包んで正座していた。

「月詠! タケルがそなたに用があると言うので連れて来た。
 稽古の前に、少し時間を割いてはやれぬか?」

 道場の中に、斯衛以外の人影がない事を確認して、冥夜は月詠に呼びかける。
 その背後では、武が深々と一礼していた。
 過去の経験から、斯衛の面々が、道場に於いてはより一層の礼儀作法を要求すると知っていた為である。

「冥夜様がそう仰るのでしたら構いませんが、私をお呼びにならずに、此処へ連れていらしたのは何故でしょう?
 もしや―――」

 月詠が、すっと立ち上がり、冥夜と武を道場に招きいれながら応じると、冥夜は得たりと笑みを浮かべて頷く。

「うむ。タケルも特殊任務などで多忙であろうが、今後は機会があれば、タケルに剣術の鍛錬をつませようと思ってな。
 夜の鍛錬の時間に、私が指南しようとも思ったのだが、そなたらにも協力してもらおうと思い連れて来たのだ。
 始めはタケルをそなたらに紹介するつもりであったが、既に面識があるそうだな?」

 月詠は表情を変える事無く冥夜の言葉を聞いていたが、その背後に控える神代と戎の表情は険しく、神聖な道場へと武を招き入れる事への反発が、如実に表れていた。
 それを視界に収めた武は、内心で苦笑しながらも、月詠に視線を向け軽く一礼する。

「―――然様ですか。冥夜様のお言葉とあらば、我らが冥夜様に代わり、その者に指南するといたしましょう。
 さすれば、冥夜様よりは、我らの方が時間の都合が付きます故、今後はその者への指南は我らに御一任下さい。」

 月詠は、冥夜に一礼して武への指南を引き受け、それを口実として、冥夜が武に直接指南しない方向へと話を運ぶ。
 冥夜は、微かに訝しげな顔を見せたが、莞爾と笑って嬉しそうに答えた。

「ん?……そうか。それもまた道理だな。
 タケル、良かったな。月詠の指南を受ければ上達間違いなしだぞ。
 では月詠、今日の所は、タケルの用事とやらを聞いてやってくれ。
 私は道着に着替えて来るとしよう。」

 冥夜はそう言い置いて、奥の更衣室へと姿を消す。
 その直後、遠巻きに冥夜の警護をしていた巴が道場に姿を現し、武を睨みつけてから、やはり更衣室へと入っていった。
 その様子と、未だに正座したまま武を睨み続ける神代と戎の姿に、武は溜息を付いて零す。

「―――オレは、大分嫌われてるみたいですね。」

「仕方あるまい。そなたから受けている新型OSの教導で、大分自尊心を傷付けられているからな。
 それで、用件とはなんだ? まあ、教導絡みではあろうが……それとも、帝都に伝言でもあるのか?」

 武の言葉に、月詠は怜悧な笑みを浮かべて応え、用件を訊ねた。
 武も真面目な顔を取り繕って用件を告げる。

「実は、今日明日と、特殊任務で横浜基地を離れる事になりました。
 この後出かけて、午後に一度戻りますが、恐らく今日はもう、お話しする機会は無いと思います。
 状況次第では、帰還は明後日か、最悪戻らない可能性もあります。
 ですので、教導に関する説明と資料をお渡ししておこうと思いましてね。」

 武の言葉に一瞬眉を動かした月詠であったが、武を促して、小隊の待機室にしている小部屋へと移動した。
 小部屋には情報端末や、施錠可能な資料棚や金庫などがあり、事務机と椅子が備えられていた。
 武は早速記憶媒体を取り出し、月詠に手渡す。
 月詠は、即座に情報端末を立ち上げ、記憶媒体を挿入して内容を確認し始めた。

「まず、オレが居ない間の訓練ですが、これは提示済みのカリキュラムをこなして貰えればいいと思います。
 その記憶媒体に、昨日までのみなさんの訓練結果への所見も入ってますので、参考にして下さい。
 それから、試作OSに慣熟した後で構いませんが、遠隔陽動支援機の運用カリキュラムに移行して下さい。
 これ以降は、複座型戦術機に搭乗し、複数の無人戦術機を遠隔操作と自律制御によって運用してもらいます。
 将来的には、遠隔陽動支援機以外にも、多種多様な装備群を運用してもらう予定です。
 そちらに関しても、何種類かの仕様と、運用案が入っています。
 そこまでは、オレが居なくても、なんとか習得してもらえる筈です。
 それ以降は、神宮司軍曹が、臨時中尉として引き継いでくれると思いますよ。」

 武の言葉を聞きながら、月詠は起動した情報端末を操作して、記憶媒体に収められた情報を確認していく。
 そして、その中から遠隔陽動支援機に関する物を発見し、画面に表示させる。

「む―――これは…………貴様、我ら斯衛にこのような代物を運用しろというのか!
 衛士の乗らぬ戦術機など、戦場で物の役に立つものか!」

 陽動支援機の構想を読み進めるに従って、徐々に表情を険しくした月詠は、ついに武を怒鳴りつける。
 しかし、武は肩を竦めて、平然と応じた。

「役には立ちますよ。BETAは通信妨害をしませんし、通信ラグも極々僅かなものです。
 それに、何も全ての戦術機を無人化しようという訳じゃありません。
 ―――いいですか? BETAの圧倒的な物量に対抗する為には、最初から衛士の命を賭けていたら間尺に合わないんです。
 まずは、相手の勢いを削ぎ、可能な限り人命を温存して奴等の数を減らす。
 命を賭して挑むのは、最後の最後で十分だということです。
 何もBETAの一山幾らの物量戦に、命がけで付き合ってやることはないんです。
 斯衛の衛士の命は、そんな簡単に捨てられるものではない筈ですよ?」

 月詠は武の言葉に、先日の会話を思い出して得心する。

「―――そう言えば、生き足掻いて戦い続ける事こそが、貴様の信念だと言っていたな。
 ―――なるほど、確かに我ら斯衛は命を安売りする訳にはいかぬ。
 将軍家縁の方々を御守りするには、生きておらねばならんからな。
 確かに貴様の言う通り、命を賭けるのは最後の最後であるべきだ。
 それに…………このような代物でも、大層喜ばれる御仁も居られるだろう。」

 月詠は自身が所属する本隊である、斯衛軍第6連隊の指揮官である斉御司大佐の容貌を思い浮かべて言った。
 常日頃から、前線での戦働きを望んで止まないあの五摂家の御曹司ならば、無人機とは言え自身の操る戦術機でBETAと矛を交えることを望むだろうと月詠は思った。
 そう考えるならば、戦場で士気を鼓舞する将軍家縁の方々を警護するにも、より安全を確保できる術とも言える。
 少なくとも、試してみるだけの価値はあると、月詠は考えを改めた。

「……よかろう、詳しい説明を聞こうか。」

 武は、嬉しそうに頷くと、対BETA戦術構想第1期装備群の説明を始めた。

 その後、月詠は武の発想に一応の理解を示し、武を喜ばせた。
 この日は説明だけで時間が無くなってしまい、武は慌ただしく『斯衛道場』を後にしようとしたのだが、別れ際につい冥夜を呼び捨てにしてしまい、斯衛の4人が激昂する一幕が勃発する。
 結局今回も、冥夜の執り成しにより武が冥夜を呼び捨てにする事は不問とされ、月詠以下斯衛の4人が引き下がる事で事態は収拾された。
 しかし、この件で時間を浪費してしまった武は、次の予定に間に合わせる為に、基地内を全力疾走する羽目になった……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 12時07分、帝都は内閣府の一室にて、武は日本帝国内閣総理大臣である榊是親卿との会食に臨んでいた。
 一応天然素材を用いているようではあるが、献立としては極々質素な仕出し弁当と緑茶が、武と榊首相の前に置かれている。

 料理が不味くなる話の前に、まずは食事をという榊首相の言葉に従い、弁当に手を付けた武だったが、早々に食べ終えてしまい、茶をすすりながらも榊首相を興味深く観察していた。
 榊首相は、蔵相として高く評され、内閣総理大臣も勤めた曽祖父の榊是清卿に似たと称される、ダルマのようなふくよかな容貌をしている。
 しかし、曽祖父とは異なり苦虫を噛み潰したような渋面をしている事が多く、さながら怒った達磨さんといった風情の容貌であった。

「さて、それでは話を聞こうか。白銀武君でよかったかね?」

 落ち着いた、深みのある声であった。武は気圧されないように腹を括って頷きを返す。

「はい。国連軍横浜基地司令部直属、白銀武臨時中尉です。
 もっともこの場では、香月博士の第4計画の手伝いをしています、と名乗るべきでしょうね。」

 榊首相は、鋭い視線を武に向けて、言葉を返す。

「極秘計画に携わるには、随分と若いようだが―――まあいい、社霞の例もある。
 香月博士が使いに寄越すのであれば、問題ないのだろう。
 しかも、此度は止ん事無き筋からも、御紹介いただいている事だしな。」

(確かに若い……千鶴と同じ歳の少年とはな……
 だが、性根はしっかりと座っている様ではあるし、なにより殿下と紅蓮閣下より紹介状を頂戴している。
 しかし、この少年の名は、今まで一度足りとも耳にした覚え(おぼえ)がないな。
 香月博士は如何なる意図を以って、この少年の存在を隠してきたのだろうか……)

 榊首相の思いを他所に、武はあっさりと頷いて話し始めた。

「じゃあ、早速本題に入らせていただきますね。まずは―――」

 武は榊首相に対して、悠陽への大権奉還を実現する為のシナリオを説明しだした。
 まず、悠陽の発案により、予てより斯衛軍と横浜基地で共同研究が行われており、その成果として、新たな対BETA戦術並びに装備が実用化されたとする事。
 その上で、来る11月11日に予想されるBETAの新潟侵攻に於いて、政威大将軍親征の下で新戦術と新装備を運用してこれを撃退。
 それに先立ちクーデターを指嗾(しそう)する者達を洗い出し、証拠を押さえた上で、これも殿下の功績として一掃する。
 その2つの功績を以ってして、政威大将軍に大権を奉還し、悠陽の下に挙国一致体制を確立して、内憂外患を一掃すると語った。

 また、この策で用いる未来情報、戦術、装備は、オルタネイティヴ4の実験で得られた、異なる確率分岐世界の情報を基にしており、その信頼性は夕呼のお墨付きである事も告げる。
 日本にオルタネイティヴ4を誘致し、便宜を図り続けてきた榊首相は、武の言葉を受け入れた上で、それでも憂慮を見せる。

「なるほど、君の言う事は信じよう。そして、策の有効性も認めよう。
 しかしだ。如何に国政が切迫しているとは言え、政威大将軍殿下の御威光に縋り、全てを殿下の双肩に負わせ奉るは、臣として容認しかねるな。
 私は、我が身命を捧げ、殿下より賜りし信任に応え、最後の時まで責を負う覚悟でおる。
 よって、君の献策は到底受け入れられるものではないな。」

 榊首相は、目を細め、眉を寄せ、苦渋の表情でありながら、武に淡々と告げる。

「政威大将軍煌武院悠陽殿下の直命は既に下されていますが、その上で敢えて受け入れられないと言うんですか?」

 武は悠陽の名を出して、翻意を迫るが、榊首相は頑なに拒む。

「殿下には、畏れ多き事ながら、今一度お考え直しいただけるよう、誠心誠意、御意見仕る所存だ。
 殿下に責を委ねるは最後の術。なればこそ、一秒でも長く殿下の御出座を遅らせる事こそが、我が務めであると思い定めておる。」

 武は榊首相の決意が固いと見て、一切の配慮を捨てざるを得なかった。

「―――首相の決意の程は、確かに受け賜りました。
 ですが、それでは国民や、将兵に甚大な被害が生じてしまいます。
 殿下は何よりもそれを良しとはなさらないでしょう。」

「む―――それは!」

 武の言葉に、榊首相が目を見開く。

「国とは民の心にこそあるもの―――そう仰る殿下が、徒に国民を苦難に落すことを良しとされる訳がありません。
 ましてや、この策は、国土奪還、大陸反攻へと繋がる転機となるものです。
 その策の根幹となる大権の奉還が成らぬというのであれば、帝国は今後の時勢の変化に追従できないでしょう。
 挙国一致を成しえず、内憂外患を抱え、BETAとの戦い、諸外国との勢力争いに疲弊し、国土奪還を成し得たとしても、国際社会における地位は低迷するに違いありません。
 そもそも、現状で軍部に燻る憤懣を醸造してしまったのは、突き詰めれば首相の執政に端を発します。
 米国等の影響を色濃く受けた、政財界の有力者が台頭したのもそうです。
 今が、それらの内憂外患を逆手にとって、帝国を立て直す好機なんです!
 榊首相、殿下を思われる首相のお気持ちは解りますが、これが災い転じて福と成す最後の機会です。
 殿下と、殿下が何よりも大事にされている民の為、国家100年の大計の為にも、殿下の御意思に従ってください。」

 武は、ここぞばかりに力説した。
 その内容の正しさは、榊首相も認めざるを得ず、暫し黙考する。

(殿下のお言葉、御心の内を語り、更には国家の行く末を読み、内閣首班たる私の落ち度を指弾するか。
 その上で、国家の大計を献じ、私に判断を迫る。
 なるほど、どこまでがこの少年自身の考えかは知れぬが、その言葉には一理ある。
 殿下の御心も、この少年の語るとおりであろうし、ここで起死回生の一手を講じねば、帝国は衰退の一途を辿るやも知れぬ。
 だが、それでも、今はまだ殿下の御手を煩わせる訳にはいかぬ。
 それには、香月博士の第4計画の進展を待たねばならんのだ。
 ―――いや、まて……もしや、香月博士は既に計画の完遂を視野に入れているのではないか?
 もし、そうであるならば……)

 榊首相は、武に鋭い視線を投げかけ、第4計画の進捗への懐疑を匂わせてみた。

「全人類の存亡すら危ぶまれるこの時勢に、国家100年の計を論じるか……
 しかも、現状維持ではなく、反攻に打って出るとはな……
 だが、第4計画は未だに成果を出せずにいる筈、時期尚早なのではないのかね?」

 武の言い分は、榊首相も認めるところでは在った。
 しかし、日本を、人類を救うべく誘致した第4計画は、未だ明確な成果を出せていない。
 A-01はその犠牲と引き換えに、目を見張る活躍を見せたが、00ユニットの素体適合者という、ある種のエリートを集めた部隊であれば当然とも言える。
 しかも、A-01の衛士達の真の価値は、00ユニットとなってこそ発揮され、そうでないならば単に優秀な衛士であるに過ぎず、戦略的な価値を持ち得ない。

 ある意味、今回武を通じて得た、未来情報や新戦術とその装備こそが、初めての成果とさえ言えるのだ。
 そのような第4計画の現状を鑑みると、現状を維持して時間を稼ぐしかなく、反攻に転じるなど榊首相には夢物語としか思えないのである。
 だが、00ユニットの稼動が間近であるならば話は異なる。
 それ故に、第4計画の進捗に疑念を匂わせたのだが、そんな榊首相に武は笑顔で応えた。

「大丈夫です、榊首相。第4計画は近日中に予てより目指していた成果を出します。
 それが故の、反攻開始です。」

 武のその言葉に、ようやく榊首相も愁眉を開いた。

「おお……では遂に香月博士はやり遂げたのだな?
 ―――そうか、ならば、その後で良ければ、私は潔く身を引こう。
 我が政権で推し進めた第4計画の責は、私が一身に背負わねばならん。
 然る後、大権を政威大将軍殿下に奉還仕る事を、最後の勤めとしようではないか。」

 榊首相はそれまでの頑なな態度を一気に和らげ、大権の奉還を容認した。
 その条件は、00ユニットの稼動後である事……そこから武は、00ユニット稼動に至る経緯に、榊首相が罪の意識を抱いていると悟った。
 そしてその罪を、榊首相は己が一身に背負い、後進に―――ましてや悠陽には継がせない算段をしていたのである。
 だが武は、敢えてその点を指摘せずに、首を傾げて榊首相に告げた。

「どうですかね? 殿下はまだまだ榊首相を必要とされると思いますよ?
 でもまあ、それはオレがどうこう言う事じゃありませんね。
 大権奉還を容認してださって、ありがとうございます、榊首相。
 これで、大掃除に取り掛かることが出来ますよ。
 で、その為にもちょっとお願いがあるんですが。」

「なんだね? 君の献策を容れた以上は、大抵の事は受け入れる覚悟だが?」

 訝しげに問い返す榊首相に、武は悪戯っぽく笑って言った。

「米国から、旧式のF-15を、中古で構わないので600機ほど購入して欲しいんですよ。
 そして、それを議会に諮らずに強行して、1両日中に発表して欲しいんです。程好く騒ぎになるようにね。」

 さすがに目を丸くする榊首相に、武は意図する所を説明し、了承を取り付けると、そうそうに内閣府を辞去した。
 その際武は、ふと思い出したように封書を取り出し、悪戯っぽい笑みと共に榊首相に手渡して言った。

「色々と思われるところもおありでしょうけど、もう少し、お互いの意思疎通を図った方がいいと思いますよ?
 同じ訓練部隊の仲間として、お嬢さんにはもう少しゆとりを持ってもらいたいんで、余計なお世話でしょうが、いい機会だと思って、手紙を預かってきました。
 では、今日の所は失礼します。」

 そう言い置いて立ち去る武を、やや呆気にとられて見送った榊首相は、手渡された封書の署名を見る。
 そこには、1年近く目にする事の無かった、娘の手跡で『千鶴』と名前が綴られていた―――

  ● ● ○ ○ ○ ○

 18時32分、B27フロアの一室に武の姿があった。

「白銀~。ちゃんと内臓綺麗にしてきたぁ?」

 その武に、夕呼が楽しげに目を眇めて訊ねる。
 武はげっそりとした表情で、夕呼に応えた。

「はい……帝都から戻って直ぐに、医療部にいって下剤をたっぷり飲んで、空っぽにしてきましたよ。
 はぁ…………今回は、晩飯抜きかよ……」

「白銀さん……」

 とほほと項垂れる武に、霞が心配そうに声をかけるが、夕呼が手を振って無用と告げる。

「ほっときなさい、社。そもそも、こいつが面倒な事言い出した所為なんだから。
 折角人が、最後の晩餐させてやろうと思ったのに……」

(そうよ。心配してやる必要なんて、欠片もないわ。
 自分の生死もチップにして、勝ちと負けと両方とも総取りする気の大馬鹿者なんだから。
 少しは残されるものの身にもなれってのよ、まったく……)

 内心で毒付き、口をへの字に曲げて、拗ねた様に装う夕呼に、武は力なく微笑んで応える。

「仕方ないじゃないですか、夕呼先生。
 オレは今まで2回もODLの所為で活動停止に追い込まれてるんです。
 生体反応を停止したこの体を保存しておけば、いざとなったら駄目元で、00ユニットからこっちの身体に、人格転移手術を行えますからね。
 そうすれば、貴重なデータも取れますし、上手くいけばODLの問題が解決してから、再度00ユニットに戻ることも不可能じゃありません、
 まあ、何事も無ければ無駄になりますけど、万一に備えた保険ですよ。」

「まあ、頼まれたから一応はやってみるけどね~。
 あ、一応言っとくけど、BETA由来の代謝低下酵素を使用して、冷凍保存するだけだから、蘇生確率は高くはないわよ?
 まあ、あんたの事だから、可能性が0でなければ、成功した確率分岐世界でデータが取れるとか思ってんでしょうけどね。」

 夕呼は武に投げやりな調子で応えながら、機材の最終確認を進める。
 武も慣れたもので、手術着に着替えてベッドに横たわった。
 人格転移手術に際しては、本来は衣類を着替える必要は無いのだが、今回武は術後に遺体の冷凍保存を依頼しているため、手術着のみに着替えていた。

 霞は、武に装着させるBCU(ブレイン・キャプチャー・ユニット)の準備をしていたが、何度か心配そうな目を武に向ける。
 武はそんな霞に声をかける。

「大丈夫だ、霞。オレの経験からすると、それほど成功率は低くないから。
 霞が大丈夫だと、成功すると信じてくれれば、その分成功率は上がるから、だから成功すると信じててくれ。
 オレも、絶対に目を覚ます、00ユニットになってみせるって、そう強く意識するからさ。」

 霞は、武の言葉に髪飾りをピクンと跳ねさせてから、横たわる武をじっと見詰めて、真摯に返事を返した。

「……はい……信じます……」

(信じますから、白銀さん。私を置いて行ってしまわないで下さい。
 純夏さんも待ってます。00ユニットになって、私にも純夏さんと話をさせてください。
 お願いです、白銀さん…………)

 霞の内心での想いを他所に、じっと見つめ合う2人に、からかうような夕呼の言葉が投げかけられる。

「はいはい、お別れは済んだかしら?
 言っとくけど白銀。あんたあたしに、あんだけあれこれと仕度させといて、あの世に逃げ出したりしたら承知しないわよ?
 死んでも化けて出るくらいの覚悟で居なさい、解ってんでしょうね?」

「解ってますよ、夕呼先生。00ユニットになって、先生に恩返しを必ずします。
 楽しみに待っててください。」

 武の返事に、夕呼はニヤリと満足気な笑みをみせる。
 それを見ながら、武は内心で思う。

(一応、オレが稼動できなくても、『甲21号作戦』まではなんとか成功にもっていけるだけの手筈は整えた。
 けど、純夏の調律が困難だと判明している以上、オレが失敗したらヴァルキリーズから素体が選ばれる事になっちまう。
 それに純夏の治療も無理だな。例え、肉体を再生できても、純夏の心を癒すのは因果導体のオレじゃないと難しいだろうし……
 失敗する可能性がある以上、まず間違いなくそっちの確率分岐世界も派生する。
 それは、理論的に間違いない。―――けど、そんな事は知ったこっちゃない!
 ふざけんな、そんな世界認められるもんか! 絶対、必ず成功してみせる!!
 純夏を、みんなを、人類を……00ユニットの能力の限りを尽くして、絶対に幸せにするんだッ!!!)

 武は、自らが死亡する事態に備えて、人事を尽くして万全の備えを行った。
 しかし、武は大人しく天命を待つつもりなど欠片もなかった。
 己が意思の力で、望んだ未来を掴み取る―――それこそが、武の目指す道なのだから……

 ―――そして、武にとって3度目となる、人格転移手術が開始された。




[3277] 第84話 白銀の残光・その4 +おまけ
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:04

第84話 白銀の残光・その4 +おまけ

  ● ● ○ ○ ○ ○
  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

 武は夢と現の狭間で、世界を隔てた懐かしい人々を想っていた……

(―――夢を見た……希望を捨てず、必死に戦い続ける人々の夢を……夢を見た……残された願いを継いで、護るべきものの為に、戦い続ける人々の夢を……
 夢と現実の境界は……自分の力で道を……切り開けるかどうかだけだ。それを悔やんでみても、夢が現実に戻る事はないんだろう。
 だから……オレは……出来る限りの事をしていこう……と思う。この世界に、オレが生きている意味は……そこにあるんだと思う。
 これが、望まれた運命じゃなかったとしても……この世界で……オレだけが出来ることなら……
 悲しい別れも……人類の運命も……そして、自分の運命も……オレには変えられるはずだと信じる。
 護りたいものを……本当に護るという強い意思を……常に持ち続けたなら……オレには、誰にも出来ないことが、出来るはずだ……そう信じる。
 だから……だから……せめてこれから……生きて……生き足掻いて……少しでも多くが生き延びられるようにしたいと思う。
 みんなが生きる、この星を、守り抜きたい……そう思う。
 残された人々に……残された想い出に……そして……愛する人の願いに……全てを捧げて応える。
 オレは……必ず出来るはずだ……その力があるはずだ……
 人類は負けない……絶対に負けない……オレがいるから……オレが、いるから……みんなが、いるから……)

  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
  ● ○ ○ ○ ○ ○

第3ループ確率分岐世界群基準世界
2004年12月26日(日)

 09時32分、国連太平洋方面第11軍佐渡島基地、第4演習場に於いて実施される、国連軍A-01連隊と斯衛軍第5連隊による実機演習の為、多くの人々と装備がこの地に集っていた。

 極東国連軍と帝国斯衛軍が合同で行う冬季大演習は、2002年より毎年12月26日に実施されており、今年で3回目の実施となる。
 今回は、対BETA戦闘のみではなく、対人類戦の演習が組み込まれるという事で、多くの関心が寄せられていた。

 連隊同士の模擬戦と言っても、A-01の所属衛士は現時点で63名しかおらず、衛士の数は斯衛軍の6割に満たない。
 そこで、政威大将軍御名代である御剣冥夜大尉の警護を名目として、斯衛軍第16大隊の衛士36名が加わり、108名対99名で対戦する事となっていた。
 だが、実際に演習場に展開している戦力は参加衛士の総数を大きく上回り、両軍ともに有人複座型戦術機、遠隔陽動支援機合わせて216機ずつと、さらに同数の随伴輸送機を揃えていた。
 これは、2001年にこの地で行われた、『甲21号作戦』に投入された戦術機の総数に比して、2分の1に迫る大戦力である。
 戦術機の他にも、各種自律装備群等が投入されており、如何にJIVESを使用し、実弾を消費せずに行なうとは言え、莫大な経費を投じた大演習であった。

 日程的にも今年の総決算とも言える演習であり、参加衛士達の士気は高い。
 しかも、この演習は政威大将軍殿下の御前試合でもあり、斯衛軍衛士達は弥(いや)が上にも昂ぶっていた。
 だが、今はまだ指揮官級ミーティングの最中であり、演習場で待機する衛士達は、データリンクを経由してシミュレーターに接続しての模擬戦を行う事で、無聊を慰めている。
 無論先任衛士達はその様な浮付いた事はしない。昂ぶりを自制しきれない新任同士で仕合をさせ、それを観戦させて講評を下す事で、訓練の一環としていた。



「う~ん、斯衛軍の新任衛士の人達も、1人当たり3機の運用に慣熟してるみたいだね~。」
「うん。去年までは、遊んでる機体が多かったけど、今年はちゃんと扱い切れている感じだよね~。」
「恐らく~、斯衛軍衛士訓練学校の訓練課程改革が完了し~、軌道に乗ったのではないでしょうか~。」
「まあっ、なんにしてもっ、一緒に戦う身としては、頼もしいことだよねっ! 多恵もそう思うよねっ?」
「茜ちゃあ~~~ん! 早く帰って来てぇえ~~~~~~~~…………」

 新任衛士達の模擬戦を眺めながら、A-01の中堅衛士である美琴、壬姫、智恵、月恵、多恵の中尉5名は、のんびりと会話を交していた。
 任官した2001年から3年強の期間を、ただ1人の例外を除いて喪わずに来たA-01部隊第6期生は、この5名を除いて全員が小隊長以上の指揮官となっていた。
 その為、2001年の『甲21号作戦』で脚光を浴び、当時の中隊識別呼称から、今尚『イスミ・ヴァルキリーズ』と呼ばれる18名の衛士の中でこの場に居合わせるのは、他には葵と葉子の2名だけしか居なかった。



 現在行われている模擬戦は、分隊(エレメント)同士の対戦で、複座型有人戦術機1機、衛士2名で、遠隔陽動支援機2機と随伴輸送機3機の、合計6機を運用するものである。
 これは、遠隔陽動支援機運用戦術機甲部隊に於ける、1個分隊の定数となっているからだ。

 更に言えば、1個小隊は従来の2個分隊から3個分隊に改められ、更に従来の1個中隊を3個小隊から2個小隊に編制が改められている。
 よって、1個小隊は3個分隊で衛士6名18機、1個中隊は2個小隊で衛士12名36機、1個大隊は3個中隊で衛士36名108機となる。
 衛士の定数で言えば、中隊以降は従来の戦術機甲部隊と同じだが、運用する戦術機の定数は3倍となり、1クラス上の部隊規模となっていた。
 これにより、遠隔陽動支援機運用戦術機甲部隊の1個中隊とは、従来型の複座型有人戦術機甲部隊半個中隊が、遠隔陽動支援機部隊1個中隊と随伴輸送機1個半中隊、更には各種自律支援部隊を統合運用する形態となっている。

 無論、この編制は従来の衛士に比べ、数倍の負担を所属衛士に強いる事となる。
 自身の搭乗している機体の運用だけを気にしていれば済む従来型戦術機甲部隊とは異なり、遠隔陽動支援機運用戦術機甲部隊では所属衛士の3倍を超える装備群を、多角的且つ柔軟に運用しなければならない。
 小隊定数が、従来の2個分隊衛士4名から3個分隊衛士6名に改められた理由がここにあった。

 有人機の安全を確保しつつ、前線で激しい陽動を実施しながら多数の装備の運用を行い、場合によっては、疲労の蓄積を軽減する為に部隊内でのローテーションまで行う。
 そうなると、1個小隊の定数が4名では心許ないとの判断が下されたのであった。
 尤も、2001年の『甲21号作戦』当時、所属衛士18名で編制されていた『イスミ・ヴァルキリーズ』が、既に衛士6名による小隊編制を行っており、この時得られた戦訓が今日になって正式に採用されたとも言える。



「ふぁあぁ~~~、退屈だねぇ~、葉子ちゃん……」
「葵ちゃん……小隊長の紫苑くんが……居ないからって……だらけすぎ…………」

 相方の居ない複座型管制ユニットに搭乗した葵が大きなアクビをして愚痴るが、同じ中隊に所属する葉子に窘められた。
 中隊内とは言え、オープン回線上での会話である。指揮官不在の現状で、最先任となる2人の片割れである中尉が言っていい言葉ではない。
 と、そこに外部からの通信が入る。

「やれやれ、相変わらずだな、水代中尉は。桧山中尉もフォローが大変そうだな。」
「へ?―――さ、さささささ、沙霧大尉!!」
「……第13中隊も……演習に……参加されるんですか?」

 通信の主は、A-01部隊の員数外。後方の司令部より、多数の遠隔陽動支援機を戦場に配置し、火消しを主たる任務とする第13中隊の指揮官にして唯一の所属衛士、沙霧尚哉大尉であった。
 A-01に於いて、年齢、軍歴共に上回る唯一の相手の登場に、だらけ切っていた葵が慌てる。
 葉子はそれを放置しておいて、沙霧に演習への参加の是非を問うた。

「いや、観戦だけだ。お偉いさん向けの解説もさせられるようだがな。
 まあ、今日は言ってしまえば演習自体がおまけのようなものだ。
 あれこれ、理由を付けて多くの人が、この地を訪っている。私もその口だ。」
「…………そうですよねぇ、だってぇ今日は…………」

 苦笑を浮かべて葉子の問いに応えた後、沙霧はどこか遠くを見るような眼差しで言葉を続ける。
 その言葉に、葵も網膜投影されている外部映像に映る青空を見上げて、言葉を溢した。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時06分、ついに国連軍A-01連隊と斯衛軍第16大隊の合同部隊と、斯衛軍第5連隊との間で対人類戦を想定した実機演習が開始された。

 佐渡島第4演習場は、佐渡島の南東の沿岸部から、旧市街地までの広大な範囲であり、北東から南西にかけて最大35km弱、北西から南東にかけて最大11km弱の広さを持つ。
 植生の回復はまだ行なわれておらず、野草が荒地を覆い始めている程度で木々は存在しない。
 しかし、地形はある程度の起伏が残っており、最低限の隠蔽地形が存在していた。
 演習の規定で、データリンクを阻害する通信妨害などの電子攻撃が禁止されている為、お互いが索敵情報統合処理システムにより、相手の進攻をほぼ把握できる状況下で模擬戦闘は推移するものと予想されていた。

 演習の状況開始を受けて、みちるは麾下の各部隊に指示を下す。

「よし、グラズヘイムズ(第5中隊)を中心に、有人機で遮蔽地形を活用した防御陣を構成するぞ。
 クレスト1(斉御司久光大佐)、クレスツ(第16大隊)には後方に展開していただきます。
 ドラウプニルズ(第3中隊)で左翼、ブリーシンガメンズ(第4中隊)で右翼、グラムズ(第2中隊)が左翼前方に、ミョルニルズ(第1中隊)が右翼前方に展開しろ、正面は私のヴァルキリーズ(第9中隊)が固める。
 ブリーシンガメン1(涼宮遙少佐)、陽動支援機、随伴輸送機の展開と、戦線構築を開始しろ。対空地雷の設置もだ。」

「グラズヘイム1(御剣冥夜大尉)了解した。グラズヘイム2(鑑純夏中尉)、他隊の展開に適した位置を割り出してくれ。」
「え? あー、うん。その位ならいっか。―――グラズヘイム2(鑑純夏中尉)了解したよ。」

「クレスト1(斉御司久光大佐)了解。後方は任せてもらおう。クレスト2(月詠真那大尉)!」
「はっ、直ちに…………クレスト2(月詠真那大尉)よりクレスツ(第16大隊)各員、マーカーの指示に従い……」

「ドラウプニル1(風間祷子大尉)了解。ドラウプニルズ(第3中隊)は移動を開始して下さいね。」
「ブリーシンガメン1(涼宮遙少佐)、了解。ブリーシンガメンズ(第4中隊)は右翼だよ。前席(副操縦士)の各員は、陽動支援機と各種装備の展開指示をするよ。」
「グラム1(宗像美冴少佐)了解です。グラムズ(第2中隊)、ドラウプニルズ(第3中隊)の前方を固めろ。速瀬中佐のミョルニルズ(第1中隊)に遅れをとるなよ? 後がうるさいぞ?」
「ミョルニル1(速瀬水月中佐)了解! さぁ~て、ミョルニルズ(第1中隊)、さっさと配置に付いて、ブリーシンガメンズ(第4中隊)から陽動支援機の制御を分捕るのよっ!」
「こちらヴァルキリー2(彩峰慧中尉)、ヴァルキリーズ(第9中隊)は移動を開始して。」

『『『 了解! 』』』

 みちるの指示に、第16大隊と各中隊の指揮官が即座に応じ、所属戦術機及び装備の展開を開始した。
 各級の指揮官達は、指揮下の衛士達に指示を下し、防衛陣を築き上ていく。それと同時に、遙の指揮の下で陽動支援機を初めとする装備群が展開を開始し、戦線を速やかに構築していった。
 遙が指揮する第4中隊には、視野が広く、戦域管制に適性のある衛士が多く配属されており、A-01連隊全体の装備群の運用を担当する事が多かった。
 その為、中隊の有人機の展開は後席の主操縦士に任せ、残る6人で手分けして、各種装備を自律制御で手際よく展開させていく。
 その手際は斯衛軍第5連隊を上回っており、戦線の構築で先手を取る事が出来た。

「む……さすがに展開が速いな。涼宮少佐の手際の良さには敵わないか……
 純、カイザーズ(第15大隊)に最優先で制圧砲撃を行って、向こうの戦線構築を遅滞させてくれ。
 砲弾が勿体無いが、他に手が無い。
 こちらは戦線を手近で構築した後、偵察部隊を配置すると同時に、スティールズ(第13大隊)で打って出るぞ。
 絶人君、ヘルムズ(第14大隊)には、偵察と後詰を頼む。左右両翼の敵の動きと、本陣の護り、それからスティールズの突撃支援を任せるぞ。
 スティールズ(第13大隊)が突撃を開始したら、カイザーズ(第15大隊)に戦線を押し上げさせてくれ。」

「了解よ暮人。―――スティール2(焔純大尉)よりカイザー1(皇城(すめらぎ)中佐)、120mm短砲身速射砲コンテナ装備の『満潮』12機に『朱雀』6機を護衛に付けて、敵が構築中の前線へと制圧砲撃を実施されたし。
 敵の戦線構築の遅滞を目標とし、戦力の温存を優先せよ。
 スティール2(焔純大尉)より、スティールズ(第13大隊)各員、『朱雀』36機、『満潮』36機で敵戦線へと強襲を仕掛ける。
 各員、『武御雷』の2次制御をヘルムズ(第14大隊)に委ねておけ。」

「解ったよ暮人さん。時間稼ぎの攻勢は任せた。
 けどよ、本気で攻める時には、オレに行かせてくれよな!」

 麻神河暮人大佐の指揮の下、戦線構築で後塵を拝した斯衛軍第5連隊も、状況を打開すべく行動を開始する。
 暮人の意を受けて、的確な指示を出していく焔純大尉。
 突撃が3度の飯よりも好きだと日頃から豪語する麻神河絶人中佐も、今回は粘り強い戦闘継続が肝要と大人しく後詰を引き受けた。
 かくして演習は、斯衛軍第5連隊の制圧砲撃と、それに続く強襲によって始まった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 10時41分、戦線中央に強襲を仕掛けてきた斯衛軍第13大隊を迎え撃ったA-01は、敵の攻勢を阻止し戦線突破を許さなかったものの、敵戦力の漸減を果たせずにいた。

「さすがに麻神河大佐は手堅いですね。強攻に打って出ながら、損害を僅少に抑えている。
 それでいて、こちらの戦力を拘束し続けるんだから大したものだ……」
「そうだね……戦線も大分押し上げられて、最初に奪った優位も大分失っちゃったよ。
 こっちも左右両翼をいくらか押し上げたけど、中央を押さえられちゃってるから、これ以上は難しいね。」

 戦況を見ながら、見解を述べる美冴と遙に、水月が焦れたように反論する。

「あ~もうっ! 左右両翼を押し出せたんなら、半包囲して押し潰せばいいじゃないのっ!」
「そう簡単にはいかないだろうが……そうだな、そろそろ向うも疲れてきたところだろう。
 ミョルニルズ(第1中隊)とグラムズ(第2中隊)で、両翼から突撃しろ。深追いはせずに、一当てしたら戻って来い、いいな!」
「「 了解! 」」

 みちるの命を受けて、右翼からは水月率いる第1中隊が、左翼からは美冴率いる第2中隊が、各々12機ずつの『満潮』を伴って、『時津風』12機ずつで中央部に突出している斯衛軍第13大隊への突撃を行った。
 第1中隊は、水月直率のA小隊と涼宮茜中尉が率いるB小隊で構成されており、築地多恵中尉以下中隊員全てが突撃前衛と言われるほどに、近接戦闘を得手とする衛士が集められている。
 対して、美冴の率いる第2中隊は、美冴直率のA小隊に桧山葉子中尉を擁し、水代紫苑中尉を小隊長とするB小隊には水代葵中尉を擁し、『イスミ・ヴァルキリーズ』の中でも古参が多く配属されている。
 突破力と格闘戦能力では第1中隊に劣るものの、執拗で粘り強い攻勢に於いては勝っていた。

 今回の攻勢は一当てのみ―――つまりは、一撃して圧力をかけるだけなので、第2中隊には些か向いていない任務となる。
 美冴は水月と相談の上で、攻撃開始時間にタイムラグを設け、先に第2中隊で攻勢を仕掛けた後、反対側から第1中隊が突撃し、タイミングを合わせて同時に引くという作戦を立案した。
 先に第2中隊が攻撃を開始する事で、攻撃時間を多く確保すると同時に、あわよくば斯衛軍の注意を誘引して、続く第1中隊の攻撃をより効果的にしようという作戦であった。

「わっ! 無理無理ッ!! これ以上進んじゃぁ駄目~!」
「む……索敵情報によると戦術機が隠蔽しているとは思えないな。
 よし、前方500から1500まで、制圧砲撃を行え!」

 突然騒ぎ出した葵によって、第2中隊の進撃が停止する。
 続けて発せられた美冴の命令によって、制圧砲撃が一見何も無い地域へと撃ち放たれた。

「……地雷の……誘爆を確認……」
「よし、更に2500まで制圧砲撃を行え! 急げ。」

 葉子の報告に、地雷原の存在を確信した美冴は、更に制圧砲撃の範囲を拡大するように命じた。
 一通り制圧砲撃が行われた後、美冴は改めて葵に訊ねる。

「葵さん、どうですか?」
「う~ん、大分ぅマシだけど、まだちょっとぉうずうずするかな~。」
「……なるほど、総員、狙撃に注意しながら前進!」

 第2中隊は、葵をセンサー代わりに活用しながら着実に前進し、ついに第13大隊の戦術機を捕捉することに成功した。
 美冴は、相手との距離を取っての中距離戦闘を選択。半包囲してこようとする、第13大隊の両翼に攻撃を集中しながら攻撃を続けた。



「よぉおっし! それじゃあ、突っ込むわよ!
 『満潮』を4機先行させて、地雷原を掃討させながら、一気に罠を食い破って後背を突くわっ!!
 ミョルニルズ(第1中隊)の攻撃力の凄まじさを教えてやんなさいっ! ミョルニルズ(第1中隊)、吶喊ッ!!」
『『『 了解ッ!! 』』』

 第2中隊の敵戦術機甲部隊捕捉を受けて、第1中隊はNOEによる猛烈な速度での突撃を開始。
 先行させた『満潮』4機の内3機を失ったものの、地雷原の対空地雷から発射される対空ミサイルを掻い潜り、第2中隊と接敵している敵部隊のさらに後方に展開していた支援部隊へと、その後背から襲い掛かる。
 さすがに敵部隊に含まれた直衛の『瑞鶴』は素早く迎撃態勢を取るが、部隊の大半を占める『満潮』は退避行動を取るのがやっとといった有様であった。

 後退しながら迎撃を行う6機の『瑞鶴』をナイフの切っ先とするかのように、『満潮』はその両側へと退避していく。
 第1中隊は『瑞鶴』を追撃しながらも、左右に分かれた『満潮』に砲撃を行うが、少数を撃墜するに留まった。
 とは言え、後退していく『瑞鶴』も1機撃墜し、第1中隊は敵機甲部隊を分断突破に成功しようとしていた。

「ん?…………あっ、不味いっ! 全機方向転換! 右側の『満潮』に喰いついて乱戦に持ち込みなさいッ!!」

 水月に指示に従い、第1中隊所属各機は即座に進行方向を右に転じて、自律制御による退避行動を継続する斯衛軍の『満潮』へと急接近する。
 それとほぼ同時に、後退していた『瑞鶴』が左右に離脱し、開いた隙間を縫って120mm砲弾の水平砲撃による弾幕が、凄まじい勢いと量で降り注いできた。
 しかも、続けて上空からは自律誘導弾が降り注いでくる。
 幸い、『満潮』との乱戦に突入していた第1中隊は、間一髪120mm砲弾を浴びずに済み、自律誘導弾もIFF(敵味方識別装置)によって自軍の『満潮』の至近では起爆しなかった為、損害は軽微で済んだ。

「ちっ! ガトリング(120mm回転式多砲身機関砲)を据え付けてたのね?
 ミョルニル2(涼宮茜中尉)! ミョルニル3(築地多恵中尉)と2人で、ガトリングを潰して来なさい!!」
「えええええ~っ! そ、そんなの無理で―――」
「ミョルニル2(涼宮茜中尉)了解! いくよ、多恵っ!」
「は、はいぃっ! あ、茜ちゃんとなら、何処だってぇえッ!!」

 状況を把握した水月は、斯衛軍第5連隊が据え付けたと思われる、120mm回転式多砲身機関砲の破壊を茜と多恵に命じた。
 弾雨の中に飛び込むにも等しい命令に、思わず悲鳴を上げた多恵だったが、茜が即座に命令を受諾すると、条件反射的に茜の『時津風』に追従した。
 2人の『時津風』は、NOEによる背面水平飛行で、戦闘機の様な機動を行い、左右へとバレルロールによる回避を繰り返しながら、ぐんぐんと距離を詰める。
 そうして、距離を稼いだところで、茜と多恵は両肩の自律誘導弾コンテナから全弾を一斉発射し、更に36mmの連射を放つ。
 合計4基据え付けられていた120mm回転式多砲身機関砲の砲架は、給弾を担当していた『満潮』4機と共に破壊された。

 しかし、砲架の破壊に成功した茜と多恵の『時津風』に、今度は対空地雷から多数の自律誘導弾が発射され襲い掛かる。
 2機の『時津風』は必死に回避と迎撃に務め、可能な限り多くの対空地雷の分布を暴露させた後、敢え無く撃墜された。

 水月は2人の犠牲を無にせず、直ちに制圧砲撃を行って地雷原を排除する。
 そして、茜と多恵に健在な『時津風』を割り当てると、さらに前進を続けた。
 しかし、この時点で第13大隊は後退を開始。
 後方からの制圧砲撃によって追撃を阻害しながら、後詰の第14大隊の防衛線を超えて撤退していった。

 この時点で、双方の戦線構築がほぼ終了し、お互いの攻撃発起点の真ん中から2kmほど斯衛軍よりにずれた地点で、互いの戦線が向かい合う形となった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 11時26分、戦線の構築を終えた斯衛軍第5連隊は、再び強攻策に打って出る。
 この演習では、防御側も攻撃側も定められていない為、構築の終わっている戦線への強攻は不利なのだが、第5連隊には持久戦を選択し得ない事情があった。

「…………このままでは、向うの切り札が発動してしまうな。
 その前に、戦況をこちらに有利にしておかなければ…………よしっ、絶人君、本気で攻めよう。
 ヘルムズ(第14大隊)で突撃、その後に続いてスティールズ(第13大隊)も追随する。
 カイザーズ(第15大隊)には戦線の守りと、突撃に先立っての制圧砲撃を任せよう。」

「よっしゃぁあ~! その言葉を待ってたぜ暮人さん!!
 いよぉお~し! いっちょ暴れてくるぜッ!!」
「絶人くんったら……」

 暮人の決定に、大喜びではしゃぐ絶人。
 その様子に、お目付け役の夕見早矢花大尉が、額を押さえて嘆いた。

 ともあれ、方針は定まり、第5連隊から見て左翼、海沿いから強行突撃が開始された。
 まずは、戦線全域で『満潮』による制圧砲撃が開始しされ、攻勢に打って出る方面を欺瞞しながらも、地雷原を限定的ながら排除する。
 続いて『満潮』を露払いとして、第14大隊が突撃を開始。
 地雷原を突破したところで、砲撃を受けて先行した『満潮』4機が全機撃墜される。

 第14大隊は『満潮』を撃墜した戦術機甲部隊へと襲い掛かるが、その先頭に見えた機体は―――

「げっ! よりによって、青、赤、白の揃い踏みかよ! くっそお―――いいか! 相手が斉御司大佐だからって、手加減するんじゃねぇぞ!
 解ってるなッ!!」
『『『 了解ッ! 』』』

 最悪に近い状況に、泣き言を言いそうになった絶人は、慌てて部下達に発破をかける。
 とは言うものの、状況が厳しい事に変わりは無く、さすがの絶人も内心で嘆かずに入られなかった。

(……どっちかって言うと、問題なのは月詠大尉の方なんだが、それは言うだけ無駄だからな…………
 ついてねえぜ。よりによって、第16大隊とかち合っちまうとはな……
 だが、ここは刺し違えてでも、暮人さんの突破口を開いて見せるぜ!)

 腹を括った絶人は、色鮮やかな『朱雀』目掛けて突進していった。



「ほほう! 威勢がよいな。麻神河絶人中佐の直率と見た。
 どうやら此度は本気で攻めてきたと見える。」

「はっ、間も無く第四計画の切り札も封印を解かれて稼動いたしましょう。
 その前に、戦況を傾けんが為の強攻と思われます。」

 戦線深くに突入してきた『満潮』を撃墜し、後続を押し留める為に斯衛軍第16大隊は戦闘態勢に入った。
 その指揮官である斉御司大佐は、機嫌良く麾下の第2中隊指揮官である月詠に声をかけ、月詠も冷静にそれに応じた。

「良くぞ、我らの守る所へと攻め込んでくれたものよ。
 他所に攻め込まれては、我らはその地に配された陽動支援機を操る事は叶わぬ故、手を拱く事しか出来ぬ所であったぞ。
 だが、逆にこの地に攻めて来たとあれば、存分に迎え撃つことが出来ると言うものだ。」

「はっ! されど、この部隊の後続には麻神河暮人大佐が続いておられる筈。
 そちらまでは、我が隊独力では阻止し切れぬかと……」

 演習開始以来、割り当てられた戦域を守るのみで、戦闘に参加できていなかった斉御司大佐は、自らの担当戦域へと進行して来た第14大隊を歓迎して満足気な笑みを浮かべる。
 その上官に対して、月詠はこの戦闘の後に生じるであろう状況を読み解き、意見具申した。
 しかし、斉御司大佐は第14大隊の『瑞鶴』と撃ち合い回避しながらも、月詠の進言を退ける。

「構わぬ。我らは、第14大隊を拘束すればよい。
 第13大隊の相手はA-01がするであろうよ。」

「御意。さすれば、我らは第14大隊の撃滅に全力を傾けましょう。
 クレスト2(月詠真那大尉)よりクレスツ(第16大隊)各員に告ぐ、緩やかに中央部へと退きながら敵を誘引し殲滅せよ。
 敵が陣深くへの突入を選びし場合は、追撃を禁ずる。その場合は敵の後続を迎え撃つぞ。
 逆に、敵の後続が突破を図った場合も、そのまま抜けさせろ。我らは敵戦力の殲滅のみを目指す!」

『『『 承知! 』』』

 月詠の指示により、第16大隊は緩やかに陣の右翼、海岸寄りを開き、戦線中央部を背に雁行陣を形成する。
 後続の第13大隊の戦線突破を目標とする第14大隊は、相手の策と知りつつも、開いた突破口を維持する為に第16大隊に果敢に攻撃をしかけた。
 この状況に、戦場に到着した第13大隊は、第14大隊を押さえに残して更に敵陣への突撃を敢行。
 通り過ぎていく第13大隊を他所に、第16大隊と第14大隊の激戦が続けられた。

「ん? あれはッ!―――よぉし! 巴! 戎! いくよっ!!」「おおっ!」「解りましたわぁ~」
「「「 必殺! 噴射気流殺ッ!(ですわ~。) 」」」

 絶人の操る黄色く塗装された『朱雀』を捉えた神代達は、3機で連なり、一陣の風となって突撃を敢行する。
 さすがの絶人も神代たち3人の連携を凌ぎ切る事は難しく、撃墜こそ免れたものの機体を損傷してしまう。

「くそっ! 月詠のところのちびっ子どもか!!―――ッ! やべぇっ!!」

 痛撃を与えた後、止めに拘泥せずそのままの勢いで戦場を離脱していく神代達に、つい気を取られてしまった絶人は、赤い『朱雀』の接近を許してしまう。

「危ないっ! 絶人くんッ!!」

 絶人の危機に気付いた早矢花が間に割って入ろうとするが、牽制の砲撃で早矢花の足を止めて、月詠の『朱雀』はするりと絶人の『朱雀』との間合いを詰めた。
 そして振り下ろされる74式近接戦闘長刀。慌てて受け太刀する絶人だったが、その長刀を軽く擦るように月詠の長刀が引かれ、切っ先がすり抜けた直後に放たれた鋭い突きが、絶人の管制ユニットを貫き撃墜した。
 月詠は一撃を放った後、直ちにその場を離脱。早矢花の追撃を躱しながらも、途中で1機の『朱雀』を屠って自陣へと下がってしまった。

「やれやれ、やっぱ月詠大尉は鬼の様に強ぇなあ……」
「…………そうね……」

 直ちに部下の『朱雀』を引き継ぎ、戦場に復帰した絶人が呆れたような、感心したような調子で愚痴る。
 絶人を護り切れず、追撃さえも振り払われた早矢花は、悔しげに口を引き結んで同意したが、頭を軽く振ると気分を入れ換えて戦闘を続行するのであった。



「さて、戦線を突破したのはいいが、どうせ直ぐに包囲されるな……いや、既に包囲されていると見るべきか……
 ならば、迎撃される前に目的を果たさせて貰う!
 『満潮』に敵の本陣と思しき一帯に制圧砲撃を行わせろ!
 自律制御で構わん。弾が尽きるまで撃たせるんだッ!
 陽動支援機は周囲に展開し、『満潮』を護り抜け!」

『『『 了解! 』』』

 戦線の奥へと突破を果たした第13大隊は、敵本陣を制圧砲撃の射程内に収めることに成功し、直ちに制圧砲撃を開始した。
 A-01本陣も、砲撃に対する防御は固めていると思われたが、運良く有人機を撃破出来れば相手の戦力を一気に削ぎ落とせる。
 そこまでは望めなくとも、有人機の安全確保を優先すれば、第14大隊と戦闘中の第16大隊に隙が生じる可能性は十分にあった。

「暮人! 敵本陣からの応射を確認!! 制圧砲撃が来るわッ!!」
「なに?! 敵本陣から?…………しまった! 有人機は既に移動しているのか?!
 全機反転! 第16大隊の後背を突き、ヘルムズ(第14大隊)と挟撃して殲滅するぞッ!!」

『『『 ッ―――了解! 』』』

 純の報告に、本陣への強襲を読まれていたと判断した暮人は、直ちに作戦を変更。
 先程擦り抜けてきた第16大隊へと、矛先を転じる。
 命令一下、直ちに転進する第13大隊各機だったが、その後背を突く者が存在した。



「風間大尉、あまりやり過ぎないで下さいね。追い詰め過ぎないようにお願いします。」
「了解ですわ、涼宮少佐。程好く削りながら罠に追い込んで見せますわ。
 大丈夫よね? 榊中尉。」
「はい、隊の皆には、『満潮』を主に狙うように徹底してあります。
 『朱雀』を撃墜するよりは、危機感は募らせないのではないかと考えます。」

 第13大隊追撃を担当しているA-01第3中隊指揮官である祷子に、遙が念の為、確認の言葉をかける。
 それに応じて、作戦意図を的確に返した祷子は、続けて細かい采配を委ねた麾下のB小隊を率いる榊千鶴中尉に話を振る。
 千鶴は、自身の下した指示と判断を淡々と告げる。通信画像の中で眼鏡が管制ユニット内の微かな光源を反射して光った。

「大丈夫そうね。それじゃあ、柏木中尉。お出迎えの準備を頼むわね。」
「了解です、涼宮少佐。珠瀬中尉にもちょっと手伝ってもらいましたから、準備はばっちりですって。
 第16大隊を巻き込んだりはしませんよ。」
「そう、それなら安心ね。」

 千鶴の説明を聞いた遙は、今度は自身の麾下で、B小隊を指揮する柏木晴子中尉に話しかける。
 晴子はにんまりと笑みを浮かべると、楽しげに準備万端だと告げた。
 遙は晴子の答えに満足して、無垢な微笑を浮かべるのであった。



 荒野を噴射地表面滑走で駆け抜ける第13大隊。
 後背からの砲撃に、戦力を少しずつ削られながらも、第16大隊のみを目指して、脇目も振らずに突進する。
 多くの所属衛士は、自身の操る機体に損傷が無い事に安堵していたが、『満潮』の運用を担当している一部の衛士達や指揮官らは、急速に脱落していく『満潮』に危機感を抱いていた。

 しかし、今は第16大隊の後背を突くのが何よりも優先される。
 近接戦闘に於いて実戦力となる『朱雀』が温存できている事は、明るい材料ではあった。

 が、そこに、突如として雨霰と制圧砲撃の砲弾が降り注ぐ。
 慌てて回避機動を取ろうとする衛士達を、暮人の叱咤が押し留める。

「全機最大加速! 避けようとしても避けきれるものではない!
 第16大隊に近接すれば砲撃は止む! 今は一刻も早く砲撃威力圏内を突破せよッ!!」
『『『 しょ、承知! 』』』

 一瞬隊列を乱し、減速しかけた第13大隊だったが、逆に速度を上げて、放たれた矢のように一直線に第16大隊に急迫する。
 回避機動をかなぐり捨てたその突撃は、結果的には制圧砲撃による被害を押さえ、戦力を保ったまま第16大隊へと襲い掛かった。

「ふっ……さすがは麻神河暮人大佐だ。あれだけの迎撃を掻い潜って尚、戦力を維持している。
 さて、どうしたものかな? 月詠。」
「予ねての予定通り、乱戦を避けて突撃をいなすが上策かと考えます。
 さらに中央部に向けて後退し、戦線右翼の守りは、第13大隊を追撃しているドラウプニルズ(第3中隊)に委ねるべきかと。」
「うむ、ではそうするとしよう。では月詠、皆にその旨を伝えよ。
 私は、A-01に連絡しておく。」
「了解いたしました。クレスト2(月詠真那大尉)より―――」

 第14大隊と第13大隊に挟まれる形となった第16大隊は、両側からの圧力に押し出されるかの様に、するりと戦線中央方面へと部隊を後退させる。
 先程まで、第16大隊が占めていた場所で合流を果たした第13大隊と第14大隊は、そのまま第16大隊を急追。
 今まで以上に苛烈な攻撃を行う。
 さすがの第16大隊も、これまでの戦闘による損耗もあり、倍近い戦力に一斉に襲い掛かられては支え切れない。
 反撃しながらも後退に後退を重ねて、損害を限定する事しか出来なかった。

 しかし、損害を抑えながら、第13大隊と第14大隊を一手に引き受けて拘束した第16大隊の働きは、この直後一気に報われることとなる。



「暮人! 向うの動きが活発になったわ。時間切れよ!」
「く……第16大隊に梃子摺り過ぎたな。
 スティール1(麻神河暮人大佐)より総員に告ぐ! A-01の切り札が封印を解かれた。
 これより、我ら斯衛軍第5連隊は総力戦を展開する! 各員最後まで全力を尽くせッ!!」

『『『 ―――承知ッ!!! 』』』

 暮人の激により、斯衛軍第5連隊の衛士達は一層奮い立ち、総力戦に向けて戦支度を整えていく。
 第5連隊は、A-01と轡を並べて幾度も共に戦い、A-01の切り札の恩恵を、数多く受けてきている。
 それ故に、全力を尽くして尚、抗する事の難しさを良く知っていた。

 が、それ故に、ここで干戈を交える事をこそ本懐とするのが、斯衛の衛士であった。
 武人としての矜持を刺激され、斯衛軍第5連隊の戦意は異様なまでの高まりを見せていた。



「よし、これよりA-01は攻勢に出る。
 相手は斯衛軍第5連隊だ。こちらの手の内を嫌と言うほど知っている。
 易々とやられてはくれないからな! 気を抜かずに着実に与えられた任務をこなしていけ!
 ―――総員、解ったな!」

『『『 了解ッ! 』』』

 みちるの命に、A-01所属衛士達の意気も上がる。
 A-01にとっても、斯衛軍第5連隊の精強さは良く知るところである。
 しかし、各々の衛士の表情には、昂ぶりよりも、下される命令への信頼。そして、それによってもたらされる落ち着きがあった。

「ヴァルキリー1(伊隅みちる大佐)より、グラズヘイム2(鑑純夏中尉)。A-01並びに斯衛軍第16大隊の全指揮権を委譲する。
 あとは頼んだぞ。」

「こちらグラズヘイムズ2(鑑純夏中尉)、了解です。
 以降、指揮伝達を音声からテキストに変更します。
 総員、着信アラームを確認して下さい。―――それじゃあみんな! 勝ちに行くよぉっ!!」

『『『 おーっ!! 』』』

 そして、A-01及び斯衛軍第16大隊の残存する全戦術機と装備群は、瀑布となって斯衛軍第5連隊へと襲い掛かっていった―――



*****
**** 7月7日鑑純夏誕生日のおまけ、何時か叶うかもしれないお話 ****
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どこかの確率分岐世界
2001年12月18日(火)

 01時12分、白陵大学原子力関連研究施設の警備員室で、夕呼と武が拘束され、警備員数名に監視されていた。

「おい、ようやく引き取りに来たらしいぞ。」
「やっとか! まったく、今夜は偉い騒ぎだったな……ついてねぇぜ。」

 警備員室に新たに入ってきた警備員が、夕呼たちを監視していた警備員達に告げる。

「あら、ようやくお迎えが来たってわけね。
 手錠をかけられるなんて、初めての経験でワクワクしちゃうわ~。
 …………白銀ぇ、あんたはどうせあたしに強要されて手伝っただけなんだから、大した事にはなんないわよ!
 パトカーに乗れるいいチャンスだと思って、もっと落ち着きなさいよね~。男でしょ?」

「…………先生―――」

 ケラケラと笑いながら嘯く夕呼に、警備員たちが苛立たしげな視線を突きつけるが、夕呼は歯牙にもかけない。
 その隣では、白陵柊の制服を着た武が、疲れた表情で肩を落としていた。
 その後、2人は身柄を引き渡されて、研究施設から連れ出される事となった―――



2002年07月07日(土)
 19時03分、白銀家の隣地に聳え立つ御剣家別宅―――通称御剣御殿の庭で、武は雲ひとつない夜空を見上げていた。

「雨の降ってない七夕だなんて、この町に引っ越してきて以来、初めてだよ…………なあ、純夏……」

 武は、満天の星空から目を見つめながら呟いた―――



 去年の12月17日、武は何時の間にか白陵大学原子力関連研究施設の原子炉制御室に侵入しており、不法侵入者として夕呼と共に警備員に取り押さえられる羽目にあった。
 この時点で、武は過去数日間の記憶が曖昧になっており、夕呼が武に強要して自身の実験を手伝わせたと証言したこともあって、責任を問われずに済んだ。
 武自身の記憶によれば、武はこの数日の間、見知らぬ施設の一室で監禁されていた筈だった。
 夜自室で寝た記憶の後、既に監禁された状態で目覚め、その後は軍人らしき人々に監視されたまま、武は悶々とした日々を過ごしていた。
 そんなある日、ようやく部屋から出されたと思えば、今度は変な機械に押し込められて、なにやら視界が歪んで気を失い、目覚めた時には原子炉制御室だった。
 それは、武本人にとっても、白昼夢を見ていたとしか思えないような記憶であった。

 それだけでも、動顚するには十分な経験だったのだが、家に戻ってみれば、幼馴染の純夏は重態で病院に入院しており、しかも記憶が曖昧な数日の間に、担任のまりもが死亡していたと知らされて、武には突然世界が暗闇に飲み込まれたかのように感じた。
 それでも、B組の友人達や、旅行から急遽帰国した両親、御剣家の支援などを受けて、武はなんとか精神の失調を脱し、純夏の見舞いの傍ら、無事白陵大学付属柊学園を卒業する事が出来た。
 そうして、純夏の入院から半年以上が過ぎ去り、迎えた今年の七夕―――純夏の誕生日は、武と純夏が出合って以来初めての、雨の降っていない七夕となったのであった。

「え~? そんなことないよ~、今までだって、晴れてた七夕あったじゃんさ~っ!」
「だから、それはお前の妄想だって!…………って、まあ、日記にそう書いてあったんじゃ、しょうがないか。
 今のお前にとって、それが記憶のほぼ全てだもんな。」

 傍らから不満たらたらで投げかけられた声に、武が声の主を見下ろすと、そこには超高級全自動車椅子に腰掛けた純夏の姿があった。
 入院時には、四肢や多くの重要器官に壊滅的な損傷を受け、意識障害まで併発していた純夏だったが、車椅子に座る純夏の姿は武の記憶どおりの五体満足な姿であった。
 武は、不満げな表情で見上げてくる純夏に、呆れたような、それでいて喜びで満ち溢れた表情を向ける。
 そんな2人に、すぐ近くで並んで星空を見ていた2つの人影の片方から声がかけられた。

「ははは、あの日記は壮観であったな。私も読ませてもらったが、大した物であった。」
「めいやぁ、なに? なんのはなしをしているの?」

 武と純夏に声を投げかけたのは冥夜、その冥夜を見上げて舌足らずに手を引いて訊ねるのは、純夏の物よりも更に高価な装飾が施された車椅子に腰掛ける、同年代の少女であった。
 その少女の姿は、冥夜と瓜二つであり、非常に近しい血の繋がりを想起させるに十分であった。
 少女の名は御剣悠陽。3歳の時に事故に遭い、以来最近に至るまで『無動性無言症』という意識障害で、所謂植物人間として治療を受けていた冥夜の双子の姉であった。
 3歳の頃より認知障害が続いていた為、その精神年齢は未だ3歳のままであるが、生得の高い知性が垣間見える少女である。

「冥夜、あまりあの日記に書いてある事を鵜呑みにするなよ、気象庁の記録を調べれば、大嘘だって直ぐに解るからな。
 あー、悠陽ちゃんは、あんな妄想日記読むんじゃないぞ? 純夏の馬鹿がうつっちまうからな。」
「ひっどぉ~い!! 妄想なんかじゃないもんっ! タケルちゃんのぉ~、馬鹿ぁあ~~~っ!!」
「うべしっ!」

 悠陽に優しく話しかける武の言葉に、純夏がオグラグッディメン顔をして文句をいい、車椅子に座ったまま胸の前に両拳を構えると、右ストレートを繰り出した。
 純夏のパンチを受けた武は、大げさにひっくり返り、地面を転がって盛大に苦しむ。

「えっと……めいやぁ、タケルおにいちゃん、だいじょうぶかな?」
「大丈夫ですよ、姉上。タケルも純夏も巫山戯ているだけです。」
「ほんとう?」
「ええ。ほら、タケル! 姉上が心配しておられる故、早く立ち上がらぬか!」

 そんなタケルの様子に、目を丸くして、きょときょとと辺りを見回した悠陽は、やはり頼りになる妹に縋って、心配を告げた。
 冥夜は、笑顔で悠陽を宥めると、武に命令口調で声をかける。
 武は頭を右手で掻きながら、笑顔で立ち上がる。
 が、左手でパンチが当たった腹の辺りを抑えているところを見ると、どうやら演技だけでもなかったらしい。

「純夏も、リハビリが未だ済んでいないのだから、あまり無茶をするでないぞ?」
「……わかったよ、冥夜。でも、今のはタケルちゃんが悪いんだからねっ!」
「うふふ……スミカおねえちゃん、へんなおかお~。」

 冥夜に窘められた純夏は、大人しく同意したものの、武に向ってべぇ~っと舌を出して剥れて見せた。
 その様子に、悠陽もようやく安堵して笑顔を見せる。
 その後も、4人はあれこれと会話を交しながらも、七夕の夜を楽しむのであった。



「香月教諭……いえ、香月博士。お骨折りありがとうございました。
 お蔭様で、悠陽様もあの通り元気になられ、冥夜様とも仲睦まじく……」

「ちょっと、やめてよぉ~。鑑と悠陽お嬢様を治療したのはモトコ姉さんでしょ。
 あたしはちょっとあれこれ智恵を貸しただけじゃない。
 ……それに、まりもの件で御剣には借りを作っちゃったからね。」

「いえ……神宮司教諭の件は、武様のご要望で当家が手配したことですから。」

 庭先で語らっている4人を遠目に見ながら、夕呼は月詠に給仕をさせて、超高級酒を嗜んでいた。

「ちょっと、夕呼ぉ~。あたしにも少しは飲ませてよぉ~~~。」
「駄目よ、まりも! あんたはとんでもなく酒癖が悪いんだから。」
「夕呼の、意地悪ぅ~~~。」

 そんな夕呼を羨ましげに見ながら、拗ね捲るまりもに、月詠がデザートの乗った皿を、にこやかに差し出す。
 まりもは、未だぶちぶちと愚痴を呟きながらも、酒を諦めてデザートを摘む。
 そして、そのあまりに素晴らしい味に、大きく見開いた目に星を浮かべると、目の幅もあろうかという感動の涙を滂沱と流すのであった。



 全ての事の起こりは、去年の10月23日の昼過ぎであった。
 白銀邸の近所の土地を買収するべく、交渉を指揮する為に白銀邸で待機していた月詠の下に、学校に居る筈の武がふらりと姿を現したのだ。
 武は、自分はこの世界とは別の世界から来たと言い、その証拠に学校に自分がもう1人居る筈だと月詠に告げた。
 同時に、自分が偽者で無い事を証し立てる為に、髪でも血液でも採取して構わないと言うので、月詠は髪を一房採取した。
 月詠が無線で、白陵柊で冥夜の側に控えていた神代に連絡を取ると、確かに学校にも武が居ると言う。
 事ここに至り、月詠は条件付きながら、なんらかの異常事態が発生していると認識した。

 だが、武は更に非常識な話を始める。
 この先、未来に発生しうる事態に付いて述べ、それに対処する為の方法を提示したのだ。
 しかも、その癖それらの事態を事前に回避してはいけないのだと語る。
 月詠は半信半疑ながらも、武のもたらした情報を書き留め、そしてとあるレポートを受け取った。

 デジタル媒体ではなく、紙にぎっしりと印刷されたそれは、画期的な再生医療に関する技術文献なのだという。
 武は、もし純夏が大怪我をして四肢を失うような事になったら、その医療技術を用いて治療して欲しいという。
 その代わりに、その医療技術に関する諸権利は、御剣財閥に譲渡すると。

 月詠は、御剣家の最先端医療を研究する病院で、未だに悠陽の治療方法が研究されており、しかしながら有効な治療法を確立できずにいることを知っていた。
 従来の医学では、頭部外傷から一年間が経過しても尚、『無動性無言症』の症状に改善が見られない場合、ほぼ回復は見込めないとされている。
 しかし、御剣家医師団は御剣家当主雷電(らいでん)に、悠陽を献体として医療技術の発展に役立てたいと申し出て、以来10余年に亘って治療と研究を続けてきていた。
 無論、献体云々は方便であり、当主直系の悠陽を救わんと決意しての事であった。
 月詠は、武のもたらした治療技術を研究させる事で、悠陽の脳障害も治癒可能になるのではないかと考えた。

 武が言うには、月詠と話している武は二度とこの世界には来ないのだという。
 その武から見て、過去の武がこの後現れた場合、先に述べたような諸々の事態が発生し、その時には今回武がもたらした情報と指示が、有用になると言う。
 月詠は、全ては武が言うような前兆が現れた後、指示に従うかを決めれば良いと判断し、その場は武の言葉を受け入れる事にしたのだった。
 その後武は、御剣御殿の使用していない一室を借り受け、その部屋へと篭った。
 それから3日が経過しても武が部屋から出てこず、何の音沙汰も無かった為に月詠が中を覗いたところ、部屋は何時の間にか無人と化していた。

 そして11月が過ぎ去り、12月10日。
 月詠は、武が予言していた通りの事態を体験する。
 早朝に珍しく早起きしてきた武の言動が常とは異なり、体付きまでもが逞しく変化していたのだ。
 この一件で、月詠は武の言葉通りの事態が発生する可能性が高いと判断する。
 武のもたらした情報が真実ならば、冥夜の記憶の一部が失われる可能性まであるという。
 月詠はこの日から、真剣に対応策を検討し始めた。

 武の出した指示に依れば、一通りの事態が進展し、異なる世界から来訪した武が帰還するまでは、武とその周辺の人物に干渉してはならないとの事であった。
 下手に干渉した時点で歴史が変わり、取り返しが付かなくなる可能性があると言う。
 冥夜の安全を第一に考える月詠には、冥夜が危害を受ける事を座視する事は、断じて受け入れ難い事ではあった。
 しかし、自身の冥夜への想いと同様に、純夏を大切に思っているであろう武が、純夏が負傷する事態を許容している事と、理論上は失われた記憶も事後に補填可能であると言われた為、断腸の思いで冥夜への干渉を思い留まった。

 そんな武が唯一干渉を依頼したのが、まりもの死を回避する為の一手であった。
 それは、ある意味偏執的なまでに綿密に計画されたものであったが、最も肝要な事は、まりもの生存を知る人物を如何に限定するかなのだと武は語った。
 まりもと、犯人となる川本実を監視し、犯行に及ぶ直前で確保。
 然る後に、現場に偽装工作を行い、実際に犯行がなされたように装い、可能であれば川本実自身にも、自らが犯行を行ったと誤認させる。
 報道も、全て犯行が行われ、まりもが死亡したものとして行われるように誘導し、まりも自身は昏睡状態に留めた上で身柄を確保する。
 可能な限り多くの人々が、まりもが死んだと認識する事で、まりもが死亡するという因果をやり過ごす。
 それが武の考えた手段であった。

 武の知るとおりの展開となれば、最終的な事態は白陵大学原子力関連研究施設への、武と夕呼による不法侵入と占拠で幕を閉じるという。
 そうでなくとも、武の体格が元に戻れば、それ以降致命的な事態が発生する可能性は激減するらしい。
 その後であれば、武がもたらした情報を夕呼に知らせれば、理論的な解説や、事後の処理など、様々に協力してくれるだろうと武は言った。
 そして、結局のところ、全ては武の言葉通りに推移したのだ。

「…………そう言えば、原子炉不正使用の時には世話になったわね。
 あの馬鹿の伝言やら、まりもの件やらで、礼を言うのをすっかり忘れてたわ。」

 恐らくは、去年の年末からの事を思い返していたのだろう。
 夕呼は、武達から目を逸らさないままで、月詠に礼を言った。

「いえ、礼には及びません。あの後、香月博士にご協力頂いたお蔭で、悠陽様は無事回復なさり、ああして冥夜様と笑って過ごすことが叶ったのでございますから。
 御剣の者が礼を述べる事こそあれ、香月博士がその様に仰る必要はございません。」

「そ、なら、あたしは踏ん反り返って、御剣家の饗応を心ゆくまで味わえるってことね。」

 月詠の言葉に、夕呼はニヤリと不敵に笑うと、言葉通り偉そうに踏ん反り返って見せた。
 月詠は、そんな夕呼に満面の笑みを浮かべて頷きを返すと、まりもに新たな皿を差し出す。

「はい。然様でございます。ささ、神宮司教諭、こちらのドルチェもお召し上がりになりませんか?」

「あ、ありがとうございます。うわー、これもすっごく美味しそうだわ~。
 ―――あ、夕呼。白銀君からの伝言って、なんだったの?」

 涎を垂らさんばかりになりつつも、律儀に月詠に礼を述べたまりもが、ふと思い付いた問いを口にした。
 すると、夕呼は口をへの字に曲げて、忌々しげに吐き捨てる。

「人が折角情け心を出して嘘まで吐いて、白銀の背負う重荷を軽くしてやろうとしたってのに、あの馬鹿、それを無にして向こうで足掻いてるんだってさ!」

 夕呼は、視線を転じて星空に願う。
 自分と親友の教え子であり、苛酷極まりない道を一歩でも先に進もうと足掻いているであろう武に、少しでも多くの安らぎが与えられる事を。
 武を向うの世界に送り返す時、夕呼は武の苦しみを少しでも軽くしようと、因果の根を絶つ事で世界への干渉の結果は消滅する―――無かった事になると嘘を吐いた。
 その上で更に、武がループの深みに嵌らないように、一刻も早く因果導体から解放されねば、50億もの人間が死んでしまうと吹き込んだ。

 しかし、月詠を経由して届いた手紙には、確率分岐世界は新たに発生する事はあっても、一旦発生した事象が無かった事になったりしないと知った事。
 それを承知の上で、可能な限りループを繰り返し、支配的因果律に干渉して、人類にとってより望ましい因果律を支配的にしようとしている事。
 そして、嘘を吐いてまで、武に苛酷な道を歩ませまいとした夕呼への感謝と、それを無にした事を詫びる言葉が綴られていたのだった。

 夕呼は思う、武は馬鹿だと。人の身には余りある負債を背負い、人の限界を超えて尚、武が足掻く必要などないとも。
 しかし、武は足掻きの中で、まりもを死の因果から救い、純夏をも回復させる術を見つけ出して、それを実現して見せた。
 もし再びあの武に会う事が叶うのならば、夕呼は褒め、讃え、心からの感謝を告げたいと思う。
 何故なら、こうして夕呼がまりもとのんびりとしていられるのは、武のお蔭であったのだから。



 あの日、研究施設への不法侵入、占拠、原子炉不正使用の一件は、御剣財閥の力によって調停され、夕呼は無罪放免となった。
 翌日には、まりもも昏睡状態から解き放たれ、長期間の昏睡で衰えた身体に戸惑ってはいたものの、五体満足で健康な親友と夕呼は再開する事ができた。

 その後、御剣財閥の医師団が梃子摺っていた再生医療法確立に、夕呼の補佐と推薦を受けたモトコが従事し、治療法が確立されたのが5月の末。
 幾例かの臨床試験が極秘裏に行われ、悠陽と純夏が再生医療を受けたのが6月の末近くであった。
 施術後、2人は直ぐに意識を取り戻したが、能力障害の症状が見られ、身体を思うように扱えなかった為、リハビリのプログラムが組まれた。
 これは、3歳当時の体が、18歳まで成長してしまった悠陽に於いて顕著であった。
 反面、能力障害は軽度であった純夏の方は、武に関連する膨大な記憶の消失と、それによる情緒の乱れが問題となった。

 悠陽は能力障害克服の為のリハビリを行いながらも、冥夜や月詠との交流を深めていき、純夏は自身が記録していた大量の日記を読み、見舞いに来た武に話を聞きながら記憶の補填を行っていった。
 実を言えば、冥夜も昨年末に武に関する記憶を全て失っていた。
 しかし、武の指示で、月詠が可能な限りの記録を映像や音声も込みで確保していた為、比較的短期間で記憶を補填する事が出来ていた。
 尤も災い転じて福と成すと言うべきか、一時的且つ限定された内容とは言え、冥夜の記憶が失われた事や、悠陽の治療法確立に冥夜を通じて夕呼の助力を仰いだ事などを受け、冥夜の柊町滞在期間が延長され、冥夜は現在も本家に戻らず御剣御殿で暮らす事が許されている。

 そして、純夏の誕生日である七夕の今日。
 純夏と悠陽は目出度く病院を退院し、今後は御剣御殿で御剣家医師団の診療を受けながら、在宅で療養する事となったのであった。
 そして、この日の晩餐は退院祝いの祝宴となり、満腹になった武と純夏、冥夜と悠陽の4人は、庭へと出て満天の星空を眺めていた。
 静かな、それでいて満ち足りた世界が、そこには確かに存在していた。

「なあ、純夏……ちょっといいか?」
「なに? タケルちゃん。」
「あのな………………すまん、おまえの誕生日プレゼント、用意し忘れた……」

 額に一筋汗を垂らし、そっぽを向きながら武が言うと、地の底から響くような純夏の唸り声が陰々と響く。

「たぁ~けぇ~るぅ~ちゃぁあぁ~~~~ん?」
「すまん! 本当に悪かったっ! 明日、明日必ず買ってくるから!!―――「いいよ。」―――へ?」

 純夏の声に脅えた武が、手を合わせ、頭を深々と下げて必死に詫びる。
 が、その言葉を純夏が柔らかい声音で遮る。
 きょとんとした顔を上げる武に、純夏は満面の笑みで告げる。

「いいよ。今年はプレゼント無くても許したげるよ。
 今年は、タケルちゃんが側に居てくれれば、それでいい…………うん、それでいいよ。」

 純夏の笑顔に視線を釘付けにされて、顔を真っ赤に染める武。
 そんな2人を、苦笑を浮かべ、それでも何も言わずに見守る冥夜と、眩しげに眺める悠陽。
 その傍らには、立派な笹が立てられ、さらさらと風に葉をそよがせており、そこには4枚の短冊が下がっていた。

『姉上と純夏が、一刻も早く快癒いたしますように―――冥夜』
『めいやと、ずっとなかよくくらせますように―――ゆうひ』
『みんなで楽しく笑って暮らすぞ!―――武』
『タケルちゃんと、ずーっと、ずぅう~~~~っと、一緒に居られますように―――純夏』



 ―――これは、無数にある確率分岐世界群の中の、どこかの世界で叶ったかも知れない、そんなお話である。




[3277] 第85話 白銀の残光・その5
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:04

第85話 白銀の残光・その5

  ● ● ○ ○ ○ ○
  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

 武は夢と現の狭間で、世界を隔てた懐かしい人々を想っていた……

(―――夢を見た……希望を捨てず、必死に戦い続ける人々の夢を……夢を見た……残された願いを継いで、護るべきものの為に、戦い続ける人々の夢を……
 夢と現実の境界は……自分の力で道を……切り開けるかどうかだけだ。それを悔やんでみても、夢が現実に戻る事はないんだろう。
 だから……オレは……出来る限りの事をしていこう……と思う。この世界に、オレが生きている意味は……そこにあるんだと思う。
 これが、望まれた運命じゃなかったとしても……この世界で……オレだけが出来ることなら……
 悲しい別れも……人類の運命も……そして、自分の運命も……オレには変えられるはずだと信じる。
 護りたいものを……本当に護るという強い意思を……常に持ち続けたなら……オレには、誰にも出来ないことが、出来るはずだ……そう信じる。
 だから……だから……せめてこれから……生きて……生き足掻いて……少しでも多くが生き延びられるようにしたいと思う。
 みんなが生きる、この星を、守り抜きたい……そう思う。
 残された人々に……残された想い出に……そして……愛する人の願いに……全てを捧げて応える。
 オレは……必ず出来るはずだ……その力があるはずだ……
 人類は負けない……絶対に負けない……オレがいるから……オレが、いるから……みんなが、いるから……)

  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
  ● ○ ○ ○ ○ ○

第3ループ確率分岐世界群基準世界
2004年12月26日(日)

 12時00分、国連太平洋方面第11軍佐渡島基地、第4演習場に於いて行なわれている、国連軍A-01連隊と斯衛軍第5連隊による実機演習は、佳境を迎えていた。

 所属衛士が63名に留まるA-01は、連隊定数の108名を満たしている第5連隊との差を埋める為に、A-01に、政威大将軍御名代である御剣冥夜大尉の警護を名目として、斯衛軍第16大隊の衛士36名が加わり、実質的にはA-01・第16大隊混成部隊となっている。
 演習開始以来、果敢に攻める第5連隊に対し、堅実に戦線を守り抜いてきたA-01・第16大隊混成部隊は、遂に切り札である戦術立案ユニットを投入した。

 国連直轄の極秘計画である、オルタネイティヴ4で開発された戦術立案ユニットは、戦況分析とそれに対応した作戦立案を、極めて短時間で行う事が可能な超高性能コンピューターユニットであるとされている。
 演習開始以来、その使用を禁止され能力を封印されてきたそれが、演習終了間近の12時00分を以って使用許可が下り、A-01・第16大隊混成部隊の残存全戦力は、戦術立案ユニットの作戦に従って一斉に反撃を開始したのであった。

 表向き戦術立案ユニット専属オペレーターとされている純夏は、00ユニットとしての高速演算能力を全力発揮し、直ちに戦況を把握すると残存戦力の運用計画を瞬時に策定した。
 続けて非接触接続によりデータリンクにアクセスした純夏は、運用計画に基づき作成した大量の命令文を、第4中隊の副操縦士12名に送信する。
 それらの命令は、自律制御による移動指示が殆どであり、戦域管制や部隊運用に適正の高い12名によって、差し当たって人間による遠隔操縦を必要としない機体や装備群に、速やかに移動命令が設定されていった。

 純夏は第4中隊への命令送信と同時に、他の作業も何の問題も無くこなしている。
 斯衛軍第5連隊の進攻部隊と交戦している、斯衛軍第16大隊とA-01第3中隊への、迎撃作戦の通達。
 さらには、待機中のA-01の衛士の中からリストアップした、壬姫を筆頭とする狙撃特性の高い上位6名への狙撃指示。
 その他、多数の処理を猛烈な速度でこなしながらも、純夏個人としての思考も行っていたりする。

(珠瀬さん、葉子さん、頑張ってね。―――あ、でも頑張りすぎて、早めに全滅させちゃうと不味いか~。
 程好く戦線を押し上げた後に全滅が理想だよね、うん。)



「よし、第16大隊総員ッ! 後退せよっ!!」

 斉御司大佐の命令一下、噴射地表面滑走で急速後退する、第16大隊の陽動支援機と随伴輸送機。
 逃さじと第16大隊をさらに追い立てようとする、斯衛軍第5連隊の第13大隊及び第14大隊に、第16大隊と入れ替わる様に飛来した自律誘導弾が降り注ぐ。
 砲弾と違い、追尾機能を持つ誘導弾を無視する事はさすがに出来ず、速度を落としての誘導弾迎撃を強いられる第5連隊進攻部隊。
 そして、その後背からは、第3中隊の砲撃が襲い掛かり、さらには第16大隊と距離を詰める事で一度は振り切った筈の、120mm砲弾による制圧砲撃までもが再び降り注ぐ。

 そのまま、弾雨の中に消え去るかと思えた第5連隊進攻部隊であったが、誘導弾の迎撃を他の衛士に委ね、弾雨を突き抜けて来る19機の『朱雀』があった。
 支援に回った機体は、降り注ぐ弾雨に穿たれて、次々に機能を停止していく。
 しかし、無尽蔵とも思えた自律誘導弾は、それらの機体の犠牲と引き換えに、突撃していく19機の『朱雀』には1発足りとも到達する事は出来なかった。

「なんとしても、1機でも多く敵に損害を与えておくんだ!」
「どうせ退路はとっくにねえっ! 刺し違えてかまわねえから、盛大にやりやがれッ!!」
『『『 ぅぉおおお~っ!! 』』』

 暮人と絶人の檄に、突撃に参加している精鋭達が雄叫びで応える。
 突撃砲から36mm弾をばら撒きながら、全速力で突き進む19機の『朱雀』。
 しかし、その内の1機が唐突に失速して落下し、突撃の慣性により猛烈な勢いで地面を転がった。
 JIVESの仮想映像と知っていても尚、それは凄惨な光景であった。

 そしてそれを皮切りに、第16大隊に追い縋れるかに思えた『朱雀』が1機、また1機と撃墜されていく。
 絶人が、苦渋に満ちた表情で叫ぶ―――

「―――くそっ! 狙撃かッ!!」



「よし、当たりましたっ!……ええと、次は……S0901(第9中隊所属『不知火』1番機)―――伊隅大佐の機体ですねぇ。
 ……遠隔操縦接続切替……完了、目標確認…………えいっ!! 自律制御に移行、次の狙撃ポイントへ移動っと。
 あ、当たったけど肩部装甲かぁ……しょうがない、次は……S0405(第4中隊所属『不知火』5番機)ですねぇ……」

 テキストで送られてくる狙撃指示を読みながら、壬姫は次々と遠隔操縦の接続先を切り換え、既に狙撃態勢を取っている有人の複座型『不知火』を操って、自律制御で予備照準済みの目標を狙撃していく。
 狙撃態勢の『不知火』の左には随伴輸送機の『満潮』がおり、可搬式砲架に展開式の防盾が取り付けられている、03式狙撃支援用追加装甲を保持して、敵の砲撃から有人機を守っていた。
 『不知火』は膝射の狙撃姿勢で、02式120mmライフル砲を追加装甲の砲架に載せて狙撃を行うと、着弾を待つ事無く次の狙撃ポイントへと自律移動を開始する。
 展開していた防盾を格納位置に収納した『満潮』も、03式狙撃支援用追加装甲を両主腕で保持して『不知火』に追従した。

 壬姫や、狙撃特性の高い他の衛士達が行うのは狙撃の最終段階のみであり、戦術立案ユニット(純夏)からの狙撃指示に従って、次々と機体を切替ながら続け様に狙撃を行っていく。
 かくして、発射地点を毎回変えながらも、途切れる事無く継続された狙撃により、斯衛軍第5連隊の進攻部隊は、その過半数が第16大隊に到達できずに散っていった。

「くそっ! みすみす戦力を喪っただけかよ!」
「悔やんでいる暇はないぞ、絶人くん。既にこちらの前線は大分押し込まれている。
 これでは、こちらの有人機が捕捉されるのも、そう遠い事ではないぞ!」
「なんだって?! もう?!」

 第16大隊に切り込みはしたものの、とうとう撃墜の憂き目に遭ってしまった絶人が、屈辱に唇を震わせる。
 しかし、そんな時間もあらばこそ、暮人が冷静に、しかし深刻な戦況を知らせてきた。
 驚いた絶人が戦域マップを拡大表示させると、既に各所でA-01の攻勢を受け、第5連隊の戦線は相当押し下げられてしまっていた。
 第16大隊と第3中隊、そして狙撃特性の高い衛士6名を投入して行った、第5連隊進攻部隊殲滅と並行して、A-01は残る衛士達で、第15大隊が守る第5連隊側の戦線に対し、全面攻勢を仕掛けていたのだった。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 時は遡って12時01分、国連軍佐渡島基地のレセプションルームでは、今回の演習を観戦に来た来賓達が、大型スクリーンに表示される臨場感たっぷりの仮想映像や戦況図を眺めていた。

「む……A-01の全ユニットが突然活発に動き出しましたな。」
「戦線突破に成功した第5連隊の排除に向うのでは…………っと、いや、戦線を押し上げようとしているのか?」
「第16大隊への支援は、第3中隊の他には、陽動支援機からの自律誘導弾斉射と、有人機による狙撃ですか。」
「おお……誘導弾を発射した陽動支援機は、そのまま戦線へと向かっていますな。」
「これは―――沙霧大尉。A-01は戦線内部への突破を果たした第5連隊の部隊を排除しつつ、同時に戦線を押し上げようというのかね?」

 急に目まぐるしく動き出した戦況図を眺めながら、今回の演習に招待された各国武官を中心に、口々に状況を分析する声が上がった。
 そして、その中の一人に名指しで尋ねられた沙霧は、解説役としての任務を全うする為に説明を始める。

「そのとおりです。先程より、A-01は総力を挙げて全面攻勢を開始しております。
 第5連隊進攻部隊の排除とともに、戦線を全域で押し上げ、敵本隊の殲滅を企図しております。」

 大型スクリーンに分割表示された画面では、国連カラーの『時津風』が噴射跳躍を繰り返し、有人の複座型『不知火』が狙撃を行い、『満潮』が120mm短砲身速射砲コンテナを連射し、自律移動式整備支援担架が各種装備や補給物資を満載して何処かへと運んでいく、それらの映像が映し出されていた。
 それらは、A-01の―――いや、第16大隊に所属する者も含めた―――全戦力が同時に運用されている事を、如実に知らしめていた。
 沙霧の説明を聞き、戦況を再度確かめながら、武官達は再び意見を交し合う。

「―――しかし、それは些か無謀ではないのかね? まずは第5連隊進攻部隊の殲滅を優先するべきだろう。」
「いや、戦況図を見たまえ。進攻部隊の殲滅も、戦線の押し上げも、同時に行いながらも全く破綻をきたしていないですぞ?」
「うむ、確かに。A-01側の全ユニットが、同時に作戦行動を行なっている為ですな。比べて第5連隊側は、遊兵と化している兵力が多い。」
「なるほど、本来双方共に、同規模の戦力を保持している筈ですが、確かに兵力の均衡が崩れていますな。」
「第5連隊に遊兵が生じているのは、運用する衛士の手が足りておらぬからだろう。戦術機だけで衛士の3倍以上、それ以外にも多数の装備群があるのだ。扱いきれんだろうよ。」
「ですが、A-01は全てを遺漏無く運用しておりますぞ? どういう事か説明してくれんかね? 沙霧大尉。」

 沙霧は要請を受けて、再び話し出す。

「先程、12時00分を以って、A-01の擁する戦術立案ユニットの使用許可が下りました。
 それにより、A-01及び第16大隊の全戦力は、同ユニットの指示に従って作戦行動を展開しております。
 各戦術機及び自律装備群は自律制御モードに移行し、同ユニットの運用計画に基づき、A-01第4中隊の12名によって運用されています。」

「しかし、自律制御では、能力が発揮し切れんはずだ!」

 沙霧の説明に、武官の一人が声を上げる。
 沙霧はそれに頷きを返し、説明を続ける。

「おっしゃるとおりであります。しかしながら、戦術立案ユニットは衛士の運用をも効率化しております。
 必要な場所に、必要な期間、目的に沿った適性を持つ衛士を、必要とされる数だけ割り振り、適宜遠隔操縦を行なわせる事で、戦力を均衡させ―――いえ、優勢に傾けます。
 敵の攻撃力の大きい地点には守勢に強い衛士を割り当て、敵の防御の薄い地点には攻勢に長けた衛士を、罠の存在が疑われる地点にはそれらを看破する技能に長けた衛士を割り振ります。
 適材適所を徹底し、その上で、自律制御の無人機による作戦行動を連携させます。
 補給は勿論、敵を誘引して殲滅する為の地雷や砲架の後方への設置、敵の地雷原の排除、ある程度精度は下がりますが支援砲撃なども自律制御で十分事足ります。
 全ての装備と衛士を効率的に運用する事で、衛士の実数の倍以上の効果を発揮しているとお考えください。
 そして、それらの運用を、刻々と変化していく戦況に適合するように修正していく。
 それだけの能力を、戦術立案ユニットは有しているのです。」

 沙霧の説明にどよめきが上がる。
 戦争は生き物だとはよく言う言葉であるが、実際、練りに練った作戦であっても、戦闘が開始されてしまえば、その瞬間から想定外の事態に悩まされる事になる。
 それ故に、変化していく戦況に上級指揮官は対応しようと苦慮するのであり、中級指揮官が対応策が定まるまでの時間を稼ごうと奮闘し、下級指揮官が現場で臨機応変に対応する事となるのだ。

 だが、沙霧の説明を信じるならば、A-01の擁する戦術立案ユニットは、連隊規模―――いや、運用している戦術機の数からすれば旅団規模の戦闘に於いて、戦況の変化に追従して、常に対応策を立案し、あるいは作戦を修正し、高い効率で部隊を運用し続けるというのだ。
 しかも、遠隔操縦の特性を活かし、各々の衛士が担当する機体を変更する事で、瞬時に部隊が必要とする能力を付与する事も可能だという。

 戦術立案ユニットによって立案される作戦が、どの程度的確なものであるかは、綿密に分析してみなければ解らない。
 だが、そもそも戦術に最適の解答などありはしないのだ。
 巧緻よりも拙速を以って良しとする、ある程度の整合性さえ取れているならば、戦況の変化に即応できるというこのユニットの価値は計り知れないものだということになる。

 そして、戦術立案ユニットの立案する作戦の有効性は、観戦者達の眼前で正に実証されようとしていた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 時はまたもや遡って12時04分、第3中隊と狙撃任務に従事する6名の衛士を除くA-01は、戦線を押し上げるべく全面攻勢を開始していた。
 とは言え、対する斯衛軍第5連隊は、第13大隊と第14大隊が、A-01側の戦線を突破して第16大隊に猛攻をかけている真っ最中であり、差し当たって守勢に回って時間を稼ぐ事に集中している。
 その為、未だに大々的な戦闘は行われてはいなかった。

「……ピョンピョン、ピョンピョン、飛び跳ねてばかり…………いい加減飽きるね……」
「まあ、そう言うな、彩峰。それ、我らの策敵によってまた敵が発見されたようだぞ?」
「でもさっ、暇そうに見えて、たま~に狙撃されたりするからっ、気が抜けないよねっ!」
「彩峰もさあ、れっきとした小隊長なんだから、もう少しビシッと格好つけた方がいいんじゃないの?」
「ダイジョブ……ちゃんと弱みは握ってある……」
「こわっ!」

 最前線の各所で『時津風』に噴射跳躍を繰り返させて、アクティヴセンサーを全力で発信しながら索敵を繰り返す、彩峰、冥夜、月恵、茜の4人は、軽口を叩きながらも警戒を緩めない。
 月恵の言葉ではないが、既に何度か狙撃を受けているのだ。
 わざわざ機動特性の高い4人に遠隔操縦をさせているのは、『時津風』を撃墜させない為だ。
 そして、A-01でも格闘戦闘の適性では上位に位置する4人を投入した索敵は、次々に成果を上げて、斯衛軍第5連隊の戦術機の所在を暴いていく。

 発見された戦術機には、直ちに戦線後方に位置する120mm短砲身速射砲ユニットを装備した『満潮』が制圧砲撃を行う。
 大抵は着弾前に逃げられてしまうのだが、その分だけこちらの戦線を押し上げることが出来るから構わない。
 本格的な戦闘が発生するまで、今しばらくバッタの真似事を続ける事を、4人は内心で覚悟した。
 ―――因みに、機動特性では月恵に勝る多恵が割り当てられなかった理由は、集中力を維持できるかが疑問視された為であった。

「茜ちゃぁあ~~~~ん、気を~つけてねぇえ~~~~!」



「あ、また見ぃ~つけたっと! そことそこ……あそこもか……う~ん、この配置と地形だと……設置範囲はこの辺りかな。
 純夏さんに報告送って……あ、次の機体がもう通達されてきたよ~。これじゃあ、休む暇もないや……」

 ぼやきながらも美琴は指示に従って、遠隔操縦の接続先を切り換える。
 自律制御に切り替わった『時津風』の前方に制圧砲撃が実施され、地雷原が誘爆したのはその直後であった。

 美琴や葵を初めとして、地雷原などの敵の仕掛けを察知する事に長けた衛士が、進攻ルートの安全確保に従事していた。
 索敵情報統合処理システムと制圧砲撃で敵戦術機を追い払い、置き土産の罠を吹き飛ばし、A-01は着実に戦線を押し上げていった。



「ふむ。上手くいっているのはいいが、少し暇だな。」

「仕方ありませんよ、伊隅大佐。指揮権を移譲したとはいえ、立案ユニットに支障が出た場合には、我々が即応しなければならないんですからね。」

「ま、それもしばらくの辛抱よ。そろそろ、第16大隊に喰らい付いてる部隊が全滅するわ。
 そうしたら、向うも本腰入れて反撃してくるでしょ!」

 自身が搭乗している戦術機の制御すら取り上げられ、戦況の推移を見守るしかない立場にあるA-01トップ4の内3人は、暢気に会話を交わしていた。
 トップ4残りの1人は遙だが、現在A-01所属機を運用する為に多忙を極めている。
 3人の乗る複座型戦術機も、遙とその部下の運用で先程からこまめに作戦行動を繰り返していた。

「確かに速瀬の言う通りだな。攻めて来た数からして、今までは恐らく第15大隊が後詰で守備を担当していたんだろう。
 だが、撃墜されて、遠隔操縦する機体が無くなった手隙の衛士が多数出ているからな、そろそろ相手の守りも固くなる。」

「こちらに攻め込んできた機体を失って、大分身軽になった筈ですから、恐らく一丸となって突撃してくるでしょうね。
 そうなると、こちらは戦力を分散させている分不利ですが……」

「何言ってんのよ、宗像! 部隊運用なら、こっちの立案ユニットの方が上手でしょ。
 幸い防衛対象も、後方への突破判定も無いんだから、演習場を隅から隅まで引き摺り回して、戦力を磨り減らしてやればいいじゃないの。」

 3人の会話は続き、今後の展開について検討を重ねる。暢気な風でいて、内容は、実に真剣な話であった。
 が、水月の言葉に、美冴が片眉を上げて茶化すように言う。

「おやおや、戦闘快楽症の速瀬中佐らしくも無い事を。
 相変わらず部下の聞いてない所では、慎重派ですね。」

「わるかったわね!」

「速瀬をからかうな、宗像。しかしな速瀬、悪いがそういう堅実な戦術は今回は取らない。
 正面から受けて立って、力づくで叩き潰す事になるぞ。」

 みちるの言葉に、水月が口をへの字に曲げて渋々と頷く。

「―――ああ、今回は演技指導が入ってましたね。ま、精々それらしく暴れてやりますよ。」
「さすが速瀬中佐。私は後方から支援に徹させていただきます。」
「んなこと許される訳ないでしょっ! あんたも付き合いなさいっ!!」
「やれやれ……」

 真面目な話は終わったとばかりに、軽口の応酬を始める2人に、みちるは軽く頭を振って呆れた。

  ● ○ ○ ○ ○ ○

 12時15分、斯衛軍第5連隊は残存戦力を再編し、最後の反撃に備えていた。

 当初、432機を数えた戦術機も既に半減し、戦線も相当押し込まれ、何時本隊に制圧砲撃が降り注いでくるか知れない状況に追い込まれていた。
 しかし、それでも所属衛士108名は全員健在であり、操る戦術機も十分残っている。
 武器弾薬も十分ある為、第5連隊所属衛士の意気は軒昂(けんこう)であった。
 そして、反攻作戦の通達も終わり、作戦発動を前に、連隊指揮官からの激が飛ぶ。

「―――さて、それでは最後の仕上げだ。盛大に仕掛けるぞっ!」
『『『 ―――応ッ! 』』』

 暮人の言葉に気勢を上げる、第5連隊の衛士達。

「いいかぁっ! 接近戦に持ち込めればこっちのもんだ! 気合入れていけよッ!!」
『『『 了解ッ!! 』』』

 続けて絶人も発破をかける。

「…………………………」
『『『 ――― 』』』

 何か言うかと連隊所属衛士全員が注目する中、皇城中佐はいつも通り、瞑目して何も語らなかった。
 が、その振舞いにも、第5連隊所属衛士達の士気は下がりはしない。
 皆、どこか満足気な笑みを浮かべると、各々が与えられた任務を果たす為に、準備を始める。
 皇城中佐は、寡黙ではあるが、皆に愛される大隊長であった。

 そして、有人機である『武御雷』までも投入した、斯衛軍第5連隊の反撃が開始される。
 まずは、アクティヴセンサーを全力発信する4機の『朱雀』を先頭に、時速40km程のゆっくりとした速度で進撃を開始。
 制圧砲撃で一網打尽にされることを嫌ったのか、放射線状に多方面へと進撃していく。

 A-01側も、第5連隊側も、索敵情報統合処理システムで相手を捕捉し、互いに制圧砲撃を交し合う。
 互いが互いを撃ち合う砲撃戦の様相を呈しているため、一射毎に砲撃位置を変えざるを得ず、散発的な砲撃に留まる為あまり効果は得られなかった。
 しかし、斯衛軍第5連隊は砲撃を代わる代わる行いながら前進する交互躍進を行い、じわじわと前進し続けた。

 その結果、互いの距離は徐々に詰まっていき、第5連隊の索敵担当機が敵戦線に到達しようとしたその時、第5連隊の動きが一気に早まる。
 戦線中央から、射程の許す限り敵陣奥深くに向けて、ありったけの制圧砲撃が行われ、無数の砲弾が降り注ぐ。
 この制圧砲撃により、砲撃威力圏内の地雷や砲架などが排除され、そうして開かれた突破口に、第5連隊の戦術機が殺到する。
 扇状に展開されていた戦術機が、突破口に吸い上げられるように突入していく。

 その先鋒は索敵担当の『朱雀』を除いて『満潮』で構成されていた。
 『満潮』は、突破口の左右に対して両主腕で保持した02式120mmライフル砲から榴弾を盲撃ちする事で、A-01の仕掛けの排除を試みる。
 その後に続くのが、『朱雀』と『満潮』に囲まれた『武御雷』である。

 しかも、108機の『武御雷』の半数は、追加オプションにより陽動支援機仕様となっている。
 現時点で尚、実戦に投入されている陽動支援機の中では、世界最高峰の機動性能を誇る機体である。
 残る半数は有人機であり、連隊の中枢であり弱点でもあるが、その戦闘能力はやはり大きい。
 正に、第5連隊は残存している全戦力を上げての総力戦に打って出たのであった。



「制圧砲撃きます。自律誘導弾多数。迎撃には『満潮』をあてます。」
「よし、全機最大戦速! 一気に間合いを詰めるぞッ!」

(馬鹿の一つ覚えに見えるだろうがな……)

 純の報告を受けて、暮人は最大戦速での突撃を命じる。
 そうしながらも暮人は、内心では自嘲にも近い苦笑を浮かべていた。

 第5連隊の突撃に対して、A-01・第16大隊混成部隊は、敵攻勢の正面に位置する部隊を後退させ、その左右後方からの狙撃と制圧砲撃で第5連隊を漸減する。
 それに対して、第5連隊は自陣内に残してきた、自律移動式整備支援担架に搭載し固縛した、120mm短砲身速射コンテナや、自律誘導弾連射コンテナからの応射を行う。
 『朱雀』と比してさえ、機動力で劣る『満潮』を突撃に組み込むに当たり、第5連隊は積載量を減らし、砲戦装備を自律移動式コンテナに積載して運用する事で、『満潮』の機動力確保と、砲戦能力の保持を両立させている。
 反攻開始当初の進撃速度が遅かった理由がここにあった。
 当初は自律移動式整備支援担架に、進行速度を合わせざるを得なかったのである。

 思わぬ方向からの砲撃に、制圧砲撃を行っていた『満潮』に損害を出したA-01・第16大隊混成部隊だったが、即座に対応して第5連隊の砲撃戦力を殲滅していく。
 しかし、A-01側の砲撃がそちらに裂かれた事により、第5連隊はA-01・第16大隊混成部隊の前衛に喰らい付く貴重な時間を稼ぎ出した。
 戦力を磨り減らしながらも、第5連隊は目標と定めた24機ずつの『時津風』と『満潮』で構成された部隊を、遂にその顎に捉えようとしていた。



「ッ―――! さすがに、狙撃だけじゃ、止め切れないよぉ~……」

 第5連隊が突進する部隊の左翼に配置された『時津風』から、02式120mmライフル砲で狙撃を続けていた壬姫が、唇を噛んで弱音を漏らす。
 神がかりとも言える壬姫の狙撃技術を以ってしても、戦闘機動を行っている最中の戦術機に狙撃を命中させるのは困難を極める。
 かといって、榴弾では戦術機の装甲を打ち破るには心許ない。
 せめて、制圧砲撃が行われているのであれば、付け込む隙もあったのだが…………

 それでも壬姫と狙撃を担当した衛士達は、『朱雀』を主として20を超える戦術機を撃墜して退けた。



 『満潮』は自律誘導弾迎撃の際に殆ど全てを失い、さらには狙撃により、外周を固めた『朱雀』も落とされ、陽動支援機仕様の『武御雷』にさえ損害を出しつつも、遂に第5連隊は近接戦闘可能な距離まで間合いを詰めた。
 事此処に至り、後退を続けていたA-01の部隊は、遮蔽地形となる丘陵の影に『時津風』24機を留め、『満潮』のみを更に後退させて、第5連隊を迎え撃つ態勢をとった。

「それじゃあ、第5連隊の足止めをお願いしますね。
 第一目標は、その地点に敵部隊を拘束する事です。
 その間に、包囲殲滅する準備をしますから、何とか時間を稼いでください。
 敵の撃墜は二の次ですからね。
 ―――あ、速瀬中佐、今回は『おかわり』(撃墜後の陽動支援機の再割り当て)はありませんからね。」

「鑑っ! あんた、余計な事は言わないでいいのよッ!!」

 既にテキストで作戦概要の通達は終わっている為、純夏の音声通信は単なる激励に過ぎない。
 それでも、純夏の妙に惚けた、戦場とは思えないのんびりとした口調と、水月との滑稽なやり取りに、僅かに存在した作戦参加衛士達の緊張も霧散していく。

 A-01・第16大隊混成部隊の衛士達は、新任を除けばいずれもハイヴ攻略経験を持つ猛者達である。
 それでも、緊張を拭い去れないのは、これから相手取る敵部隊との戦力差の所為であった。

 『時津風』24機で迎撃するのは、100機近い『武御雷』である。
 近接格闘戦闘に於いて、『時津風』は黒の『武御雷』にほぼ拮抗できると言われている。
 しかも、第5連隊の『武御雷』の約半数を占める、陽動支援機仕様の『武御雷』相手では劣勢は否めず、それを考慮に入れずとも、相手の数はこちらのほぼ4倍である。
 撃墜されずに交戦を引き延ばし、この地点で相手を拘束すればいいとは言え、やはり厳しい戦いとなるのは確実であった。

「大丈夫ですよ。立案ユニットは、迎撃部隊が包囲網完成前に壊滅する可能性を2割以下と予想してるから。
 落ち着いて、焦らずに、みんなの実力を発揮してくださいね。
 それじゃ、頑張ってね!」

 純夏の言葉が終わった後、丘陵を飛び越えるようにして第5連隊の『武御雷』が姿を現す。
 A-01の迎撃部隊は、自ら最大加速で突撃を敢行し、一気に乱戦へと持ち込む。

「いいかっ! 敵集団の外側に出るんじゃないぞ! 蜂の巣にされるからな!!」
『『『 ―――了解っ! 』』』
「あはは、こっちは、外側に向って、遠慮なくぶっ放せますけどね。」
「柏木、大丈夫だとは思うが、IFFは切ってないよな?」
「やだなぁ、伊隅大佐。味方だけ撃ったりしませんって。」

 斬りかかってくる『武御雷』の長刀を受け流しながら、みちるが指示を飛ばすと、A-01所属の迎撃作戦参加メンバーの応えが即座に返る。
 その応えに満足して頷いたみちるに、砲手(ガンナー)として、みちると同じ『時津風』を遠隔操縦している晴子が、分隊内データリンクで軽口を叩く。
 そんな晴子に、一抹の不安を感じて問いかけたみちるだったが、晴子の応えは不安を助長するようなものであった、
 みちるは呆れながらも、例え痩せ我慢の類にせよ、この厳しい状況下で軽口を叩き、尚且つ的確な砲撃をして見せる晴子に感心した。

 4倍の敵、しかも近接格闘戦を得意とする斯衛軍第5連隊の懐に敢えて飛び込む事で、数の差が大きく影響する砲撃を、味方―――殊に有人機を巻き込む危険性から、第5連隊が諦めざるを得ない状況を現出させる。
 それこそが、第5連隊の有人機投入を逆用した、A-01側の迎撃作戦の骨子であった。
 そしてさらに、作戦に投入する機体が『時津風』24機と少ない事を逆手にとって、選りすぐった衛士を2名ずつ割り振って、近接格闘戦を得手とする主操縦士と、援護能力に長けた副操縦士を組み合わせる事で、1機当りの戦闘能力を底上げしていた。
 そのお蔭か、第5連隊の猛者相手に近接格闘戦を挑みながらも、4対1の劣勢にも拘らず迎撃部隊は善戦する事ができていた。



「美冴さん、左っ!」
「くっ! しまっ―――」
「たぁあーーーッ!…………ちょっとぉ、宗像。あんた鈍ったんじゃないのぉ?」
「……いやいや、助かりましたよ、速瀬中佐。好きこそ物の上手なれって奴ですかね。」
「ッ―――あんたねぇ~!」
「…………っ!! 速瀬中佐、2時と4時から2機!」
「え? 了解っ! 葉子さん、4時の方に牽制砲撃を!」
「了解……」

 美冴と祷子の操る『時津風』に襲い掛かる『武御雷』陽動支援機仕様。
 その長刀を跳ね除けて、水月が窮地から掬い上げる。すかさず追撃しようとした水月だったが、そこは相手も手練れ、仕留めかけた獲物に拘泥せずに離脱する。
 追撃を諦めた水月は、その分の鬱憤も合わせて、美冴に憎まれ口を叩くが、感謝と共に皮肉も返されて瞬間湯沸し機のように頭に血が上る。
 しかし、副操縦士の葉子が、新たに2機の接近を告げたため、即座に戦闘へと意識を切り換えて迎え撃つ態勢を整えた。
 そしてその頃には、美冴と祷子の『時津風』も、既に新たな敵と交戦を開始していた。



「なんだかぁ、葉子は大変みたいだねぇ……」
「姉さん、他人事じゃないよ。周り中敵だらけなんだから、もう少し真剣になってよ。」
「あ、紫苑、そっちやめて左のぉ方行こ~。」
「…………わかったよ……」

 部隊内データリンクのオープン回線から聞こえた水月と美冴の会話に、葵が暢気な感想を口にした。
 殆ど1人で戦闘を切り抜けている様な状態の紫苑が、さすがに苦情を申し立てたが、葵は気にもせずに進行方向の嫌な感じを避けるべく提案を述べる。
 姉の言葉に唯々諾々と従いながらも、精神的な徒労感と戦う紫苑であった。

 そして、紫苑が向っていた方向では、黄色と白の『武御雷』2機ずつ、合計4機に取り囲まれて、1機の『時津風』が進退極まっていた。

「あああああ、茜ちゃぁあああ~~~ん! ど、どうしたらいんだべ?!」
「くっ―――このままじゃ、やられるっ!!」
「茜ッ!! 今よ!」
「涼宮、あんたはあっち行って…………」

 窮地に陥った茜と多恵の『時津風』を救ったのは、彩峰と千鶴の『時津風』であった。
 黄色の有人機と思われる『武御雷』に、背部兵装担架に保持した突撃砲を連射ながら急迫する。
 その気迫に白い『武御雷』陽動支援機仕様が包囲を解いて間に割って入り、茜はその隙を突いて噴射跳躍ユニットを噴かして離脱する。
 彩峰も茜機の離脱を確認するや反転し、離脱を図ろうとするが、さすがに相手も甘くは無い。
 茜機は追わずに、今度は彩峰と千鶴の『時津風』を4機の連携を崩さぬままで囲みに掛かった。

「榊、ひと呼吸遅い……お蔭で離脱できなかった……」
「何言ってんのよ! 彩峰が突っ込むのが早いのよっ! けどまあ―――」
「こっちに来たなら、わたしらの勝ち―――」「よね。」

 散発的に砲撃をしながら逃げる『時津風』を追い立てる黄色と白の『武御雷』4機。
 特に白い『武御雷』の機動は驚異的で、あっという間に『時津風』の左右を抑えてしまう。
 このままでは、先程の茜と多恵の『時津風』の二の舞かと思われたその時、左右の白い時津風に斬りかかる2機の『時津風』がいた。

「つぇえいッ!!」
「でりゃぁ~~~っ!」

 裂ぱくの気合を上げて斬りかかったのは、斉御司大佐と神代であった。
 それぞれ、パートナーには戎と巴が付いている。
 そして、そのまま真っ直ぐに駆け抜ける彩峰と千鶴の『時津風』と擦れ違うようにして前に出る1機の『時津風』。

「月詠さんっ!」「頼むね……」
「―――承知!」

 月詠の操る『時津風』は、そのまま前進して、黄色の『武御雷』へと突進する。
 逃れる事は叶わないと悟った2機の『武御雷』は、呼吸を合わせて月詠の『時津風』に左右から斬りかかった。

「くそっ! この動き、月詠大尉か?!」
「焦ってタイミングを外すなよ、絶人くん!」

 黄色の『武御雷』を操る暮人と絶人の麻神河兄弟は、眼前に立ち塞がる『時津風』に全力で斬りかかる。
 その斬撃は、しかし『時津風』の振るう左右の長刀によって華麗に受け流されてしまう。

「くっそぉ~~~!! 2人がかりで『時津風』相手でもこれかよ!!」
「構うな、このまま離脱するぞ! 純! 早矢花さん!!」
『『 了解っ! 』』

 黄色の2機の『武御雷』は、そのまま勢いを殺さずに『時津風』の両脇を擦り抜け、白い2機の『時津風』をそれぞれ相手取っている『時津風』を追い散らし、4機で連携したまま離脱していった。



「うわわわわっ! ちょっと、4機がかりはきついってっ!!」
「こないで~、来ないで下さい~っ!!!」
「くっ、待っておれ、今助けにゆくからなっ!」
「冥夜さんッ!! 無理だよッ!!!」

 黒とは言え、『武御雷』4機に囲まれ、代わる代わるに斬りかかられて、最早風前の灯となった月恵と智恵の『時津風』。
 それを救いに駆け付けようとする、冥夜と美琴の操る『時津風』の前に、更に3機の『武御雷』が立ち塞がった。
 美琴が眉を顰めて冥夜を諌め、冥夜が悔しげに唇を噛み締めたその時―――

「大丈夫! 鎧衣さん、悪いけど交代してね―――」
「え?」「純夏か?!」

 美琴の視界が暗転し、その代わりにA-01迎撃部隊の残存する『時津風』13機を操る全ての衛士の視界に、半透明の矢印で誘導マーカーが表示される。
 誘導マーカーは2種類あり、色と長さと向きで機体の目指すべき進路を示すマーカーと、優先攻撃目標を示すターゲットマーカーが表示されていた。

「おっ待たせ~! 戦闘支援(コンバット・サポート)開始だよッ!!」
「月恵ッ!」
「う、うんっ! 信じたからねっ!! 鑑―――」

 マーカーが表示され、純夏の弾むような声が耳に飛び込んだ直後、月恵はマーカーの指示に従って『時津風』を跳躍させた。
 だがしかし、その方向には、1機の『武御雷』が長刀を振り上げて待ち構えている。
 月恵の『時津風』が正面から飛び込んでくるのに対し、『武御雷』が1刀を振り下ろそうとした瞬間、その『武御雷』は左後背から120mm砲弾の直撃を受けて、機能停止に追いやられた。
 その120mm砲弾は、冥夜の操る『時津風』の、背部兵装担架に保持された87式突撃砲から放たれたものであった。

 つい一瞬前まで、冥夜機の前は3機の『武御雷』によって塞がれていた。
 しかし、純夏によって左脇の下からこれ見よがしに突き出される突撃砲。
 そこから120mm砲弾が発射される寸前、眼前の『武御雷』は弾かれるように左右に回避し、月恵の離脱を阻もうとしていた『武御雷』へと射線が通った。
 回避する『武御雷』に構わず放たれた120mm砲弾は、そのまま真っ直ぐに左後背を向けている、長刀を高々と構えた『武御雷』へと吸い込まれ、そのまま撃墜して退けたのだった。

「冥夜っ!」「承知ッ!!」

 純夏の声に、冥夜もマーカーの矢印に従って右へと『時津風』を跳ねさせる。
 眼前には、先程120mm砲弾を左に跳んで回避した『武御雷』。
 その機体に向けて冥夜が振るった一刀は躱され、その『武御雷』は後方へと跳び退る。
 ―――が、その『武御雷』に後方から長刀が突き付けられ、腰部を貫かれた『武御雷』は、撃墜判定を受けてその場にくずおれた。
 その背後で長刀を構えなおして即座に移動を再開するのは、月恵と智恵の操る『時津風』であった。

 純夏の砲撃で崩れた包囲を抜けた後、月恵がマーカーの指示通りに進路をやや右にとった直後、目の前に『武御雷』の後姿が飛び込んで来たのだった。
 反射的に繰り出した突きは見事に『武御雷』の腰部を貫き、撃墜したと判定された。
 あまりにあっさりと撃墜できた事に驚くよりも早く、月恵は向きを変えたマーカーに従って、左へと『時津風』を跳躍させる。
 次の瞬間、寸前まで月恵の機体が在った空間を貫いた36mmの連射が、月恵を追ってきた『武御雷』に降り注ぐ。
 撃墜こそ出来なかったものの、損傷を受けて2機の『武御雷』が、追撃を諦めて離脱していく。

「遅くなってごめんね~。包囲網構築の手筈がやっと終わったんで、立案ユニットは迎撃部隊の戦闘支援に全力を尽くすからね!
 それじゃあ、反撃を開始しようかーっ!!」

 迎撃部隊の残存全機に対して、オープン回線越しに話しかけられる純夏の声。
 それを聞き、今まで只管に撃墜されない事だけを目指し、度重なる攻撃をやり過ごしてきた衛士達が獰猛な笑みを浮かべる。
 そして、今まで狩られる立場であった『時津風』が、一斉に牙を剥き反撃に転じた。

 いままで、時折数機で連携を取る事はあっても、基本的には個別に戦場を駆け巡り、第5連隊の戦術機を撹乱し拘束し続けていた迎撃部隊が、00ユニットである純夏の戦闘支援の下で、高度に統率された動きを見せ始める。
 それは例えば、離脱する為の機動が、敵の後背に急迫する機動となるような。
 或いは、こちらの進路上に、敵が自分から無防備に飛び込んでくるような。
 まるで敵も味方も、同じ傀儡師の操り糸で操られているかのような動きをし始める。

 00ユニットの能力を発揮して行われる、戦闘支援。
 それは、極限定された戦場に於いて、個々のユニットの動きを予測し、味方の行動によって敵側の行動すら誘導する事で、容易に戦況をひっくり返す。
 最早、迎撃部隊は1つの群体として行動していると言え、第5連隊各機はその動きに翻弄されていた。

 そして、冥夜と、美琴と交代した純夏の操る『時津風』は、戦場の中心で縦横無尽に踊り続ける。
 冥夜はマーカーの指示に従って『時津風』を操り、進路上に現れる機体へと斬撃を放つ。
 斬撃は時に相手を斬り裂き、時に敢え無く回避されるが、冥夜はいずれにも拘泥せずに戦場を駆け抜けていく。

 そして、冥夜の獅子奮迅の戦闘機動の最中、純夏は断続的に砲撃を行う。
 一見、手近な機体へと放たれたように見える砲弾は、『武御雷』に回避されすぐ傍を虚しく擦り抜ける。
 しかし、その先には、他の『時津風』と交戦している『武御雷』がおり、砲弾はその機体に命中した。
 さらに、冥夜の斬撃を間一髪躱した『武御雷』の多くが、安堵の溜息を漏らす暇も無く、何時の間にか後背に居合わせた敵の攻撃を受け、ある者は撃墜され、またある者は九死に一生を得ながらも、機体に損傷を負っていった。

 そうして、数と性能に勝る斯衛軍第5連隊を散々に掻き回した後、迎撃部隊は四方八方へと一斉に離脱して行く。
 そして、代わりに降り注ぐ制圧砲撃の豪雨。
 斯衛軍第5連隊の周囲は、何時の間にか第16大隊所属の陽動支援機仕様『武御雷』と『朱雀』18機ずつ、そしてA-01所属の『時津風』100機によって完全に包囲されており、更にその背後には、砲戦装備の『満潮』が砲口を連ねて展開し、全力で制圧砲撃を行っていた。
 最早、第5連隊は囲みを脱する事すらも不可能となっていた―――

 かくして、A-01・第16大隊混成部隊による包囲攻撃が行なわれ、それを掻い潜った20機に満たない『武御雷』が、包囲部隊に挑んだ近接格闘戦を最後の花と添え、午前の演習は終了した。




[3277] 第86話 白銀の残光・その6
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2009/07/21 18:22

第86話 白銀の残光・その6

  ● ● ○ ○ ○ ○
  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

 武は夢と現の狭間で、世界を隔てた懐かしい人々を想っていた……

(―――夢を見た……希望を捨てず、必死に戦い続ける人々の夢を……夢を見た……残された願いを継いで、護るべきものの為に、戦い続ける人々の夢を……
 夢と現実の境界は……自分の力で道を……切り開けるかどうかだけだ。それを悔やんでみても、夢が現実に戻る事はないんだろう。
 だから……オレは……出来る限りの事をしていこう……と思う。この世界に、オレが生きている意味は……そこにあるんだと思う。
 これが、望まれた運命じゃなかったとしても……この世界で……オレだけが出来ることなら……
 悲しい別れも……人類の運命も……そして、自分の運命も……オレには変えられるはずだと信じる。
 護りたいものを……本当に護るという強い意思を……常に持ち続けたなら……オレには、誰にも出来ないことが、出来るはずだ……そう信じる。
 だから……だから……せめてこれから……生きて……生き足掻いて……少しでも多くが生き延びられるようにしたいと思う。
 みんなが生きる、この星を、守り抜きたい……そう思う。
 残された人々に……残された想い出に……そして……愛する人の願いに……全てを捧げて応える。
 オレは……必ず出来るはずだ……その力があるはずだ……
 人類は負けない……絶対に負けない……オレがいるから……オレが、いるから……みんなが、いるから……)

  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
  ● ○ ○ ○ ○ ○

第3ループ確率分岐世界群基準世界
2004年12月26日(日)

 18時06分、国連軍佐渡島基地の一角に設えられた『甲21号作戦メモリアルホール』に、50人ほどの人々が集まっていた。

 国連軍からは、ラダビノッド佐渡島基地司令、香月夕呼同副司令、同司令部直属神宮司まりも臨時大尉、同イリーナ・ピアティフ中尉、A-01連隊より、連隊長伊隅みちる大佐を筆頭に『イスミ・ヴァルキリーズ』の18名と鑑純夏中尉、A-01連隊第13(独立)中隊指揮官沙霧尚哉大尉、そして佐渡島基地司令部預かりの軍属である社霞の姿があった。
 また、日本帝国斯衛軍からは、政威大将軍煌武院悠陽殿下、斯衛軍副司令官紅蓮醍三郎大将、第2大隊指揮官神野空王大佐、第16大隊指揮官斉御司久光大佐、第13大隊指揮官麻神河暮人大佐、第14大隊指揮官麻神河絶人中佐、そしてさらに、月詠真那大尉、焔純大尉、夕見早矢花大尉、神代巽中尉、巴雪乃中尉、戎美凪中尉の6名が参加していた。
 それ以外にも、日本帝国内閣総理大臣榊是親卿、珠瀬玄丞斎国連事務次官、日本帝国陸軍富士教導団・第1教導戦術機甲連隊指揮官草薙香乃大佐、同第2大隊指揮官佐伯裕司中佐らの姿もあった。

 彼らは、ホールの奥に位置する奥行きのある演壇に上がり、演壇の更に奥の上部に、神域の如く設えられた露台を囲んで集まっていた。
 この集いは、極東国連軍・帝国斯衛軍合同冬季大演習後の夕食会と、表向きの名目はされている。
 しかし、この場に居る人々を除く多くの賓客、演習参加者が参加している賑やかな集まりとは異なり、このホールにはある種静謐な空気が満ち、皆がそれを共有しているようであった。
 人々の見つめる先、周囲を防弾ガラスで覆われ、有事には床から隔壁がせり上がる様になっている露台の中には、1本の桜の木が植樹されていた。

 この桜の木は、佐渡島基地が稼動を開始した折に、国連軍横浜基地正門前の桜並木より移植された桜である。
 そして現在では、この桜は第4計画直属の実験部隊、A-01連隊の英霊達が宿るとされる桜として、国内に広く知られるようになっていた。
 横浜基地に代わり、第4計画本拠地とされた佐渡島基地への移転に際し、A-01の戦死者と共に、この佐渡島の地で散った将兵をも祀る象徴として、この桜が移植されたのであった。

 2002年にオルタネイティヴ4は機密の一部が解除され、国連直轄の対BETA戦術開発研究計画としてその存在が公表された。
 国連直轄の第4特殊戦術開発研究計画、略して第4計画という計画呼称で発表され、最前線国家であり、唯一ハイヴ攻略が成功し、G弾の実戦運用がなされた日本に於いて、BETAの行動特性の研究と、有効な戦術及び装備の研究開発が行なわれていた、とういうのが、表向きの説明である。
 そして、2001年には、政威大将軍煌武院悠陽殿下の英断により、斯衛軍と第4計画の共同研究が開始され、その成果は年末に実施された『甲21号作戦』に於いて結実し、佐渡島ハイヴの攻略を成し遂げたとされた。
 一部機密解除による公表は、この成果を上げた為とされ、直属部隊のA-01連隊の存在と、同隊が多くの犠牲を出しながらも、計画推進の為に貢献し続けてきたという功績も広く知られるようになったのである。

 そして、その第4計画に於いて、新戦術構築を主導したとされる衛士、白銀武中佐(死後二階級特進)の悲劇的な事故死と引き換えに、政威大将軍煌武院悠陽殿下の名代として、『甲21号作戦』の前線で作戦参加将兵を鼓舞した御剣冥夜少尉を擁する、A-01第9中隊の18名が、『イスミ・ヴァルキリーズ』の名と共に称揚されるようになった。
 当初は、武と冥夜の英名に与って(あずかって)いただけのA-01であったが、その後の大陸反攻作戦ではハイヴ攻略の最先鋒として活躍し、名実共に人類の希望と見做されるようになり、その声望は今尚高まり続けている。

 その『イスミ・ヴァルキリーズ』と共に、2001年当時にオルタネイティヴ4と白銀武に関わった、国連と帝国の人々が集い語らい、丁度3年前のこの日に亡くなった白銀武を偲んでいるのであった。



「―――白銀が逝って早3年。あの者が残してくれた戦術と装備により、帝国を脅かすハイヴも数を減じ、国土の復興すら叶うに至りました。
 大陸反攻に於いて、第4計画と歩を一にし、斯衛軍を派遣して諸国に貢献を果たす意思を示した事で、帝国の国際的な評価も高まっています。
 ですが、わたくしたちは、あの者が残してくれたものに恥じないだけの行いを成せているのでしょうか……」

 悠陽が、証明で照らされた桜を見ながら、その宸襟(しんきん)を僅かに開示してみせる。
 すると、脇に侍っていた榊首相が、すかさず悠陽を励ました。

「殿下におかれましては、国家万民のみならず、広く世界の人々をも救うべく、御尽力なされています。
 恐らくは、白銀も満足している事でありましょう。」

「殿下、あ奴は努力を欠かさなんだ者に、けちを付けるような事は致しますまい。
 殿下は、殿下に能う限りの事を為されれば良いではありませぬか。
 それで尚、足りぬところがあれば、我らが助力仕りましょうぞ。」

 榊首相に続いて、紅蓮も笑みを浮かべて意を述べると、悠陽も憂いを潜めて笑みを浮かべた。
 そして、衛士達と共に語り合っている冥夜に視線を転じて、首肯する。

「―――そうですね。白銀は、全てを自身で成そうとはせず、皆の為に道を示して逝きました。
 それ故に、残された者は白銀という明星を失った後も、迷わず歩み続ける事が叶ったのでしたね。
 わたくしも、あの者に倣って、広く万民に道を示す事を目指すと致しましょう。」

 榊首相と紅蓮は目配せを交し合って、心中で安堵の吐息を漏らす。
 そして、あまりに息の合った紅蓮と榊首相の振る舞いに、紅蓮に付き従っていた神野大佐の出る幕は欠片もないのであった。



「沙霧大尉、観戦武官たちの反応は如何様であった?」

 斉御司大佐の問いに、沙霧が軽く会釈をして応える。

「は。戦闘に於ける技量に関しては、十分な感銘を与えたものと思われます。
 また、第4計画の擁する戦術立案ユニットの能力には、驚嘆しておりました。」

「あれの性能は凄まじいからな! ちっとばかし腕や戦力に差があっても、あっという間にひっくり返されちまうしなあ……」

 沙霧の応えに、絶人が悔しげな言葉を漏らす。

「まあまあ、絶人くん。敵に回せば恐ろしくとも、あれには幾度も救われてきているんだ。
 そう悪し様に言うものではないぞ。
 それよりも、だ。俺達が猿芝居をした甲斐があったかどうかを、是非とも聞かせて欲しいものだな。
 斉御司大佐が聞かれたのも、恐らくはその辺りの事の筈。―――然様ですね?」

 絶人を宥めながらも、暮人が斉御司大佐の問うた意図をより限定し、正否を尋ねると斉御司大佐は頷きを返した。
 そして、みちるもまた、その問いに興味を示して、沙霧に応えるよう重ねて促す。

「そうだな、沙霧。その辺りは私も知りたい。どうだった?」

「そうですね。主に米国に縁の深い武官達には、今回の演習を軽視する素振りが見られました。
 そもそも演習の想定が、連隊から旅団規模の戦術機同士の野戦であると説明した折から、失笑を漏らしておりました。」

 沙霧がそう述べると、その場に居合わせた者は顔を見合わせて苦笑した。

「ちょっと、露骨過ぎたでしょうか? 伊隅大佐。」
「む……確かに対人類戦の想定では、表向き敵対勢力はテロリストだからな。
 連隊規模を超える戦力を持ち、国外から進攻して来る様なテロリストはそうは居ないだろうな。」

 心配そうに問いかける遙に、みちるは苦笑しつつ同意する。
 しかし、その言葉には、斉御司大佐が異を唱えた。

「されど、それは所詮表向きに過ぎぬ。対人類戦が他国からの軍事干渉に対する備えであるのは、自明の事であろう。
 そもそも、此度の演習は、我が国と第4計画が、他国の軍事干渉に対しての備えを怠っておらぬ事を知らしめる為のもの。
 それを思えば、些か露骨であっても支障はあるまい。月詠もそうは思わぬか?」

「然様に存じます。ですが、此度の真意は他国を牽制する以上に、油断させる事にあったと承知しております。
 その辺りの仕儀は如何でしたでしょうか。」

 斉御司大佐の問いに、傍らに付き従い警護を担っていた月詠が応え、さらに沙霧に問いかけた。
 沙霧は頷きを返して、更に説明を続ける。

「まず間違いなく、こちらが他国の軍事干渉に備える意思を持つことは、各国に伝わったものと考えます。
 また、有事の際に我らの戦術機甲戦力と、戦術立案および運用能力を軽んじる事ができないという事も認識したでしょう。
 しかし、その上で尚、米国を中心とした幾つかの国の武官は、我らを脅威と見做してはいない様子でした。」

「じゃあ、俺達の猿芝居の効果があったって訳だな?」
「絶人くん、話の腰を折らないの!」

 沙霧の説明に、勢い込んで絶人が茶々を挟み、それを小声で早矢花が叱る。
 そんな2人に頷きを返して、沙霧は更に詳細を述べる。

「演習中の折々の様子を窺った結果、米国と縁(ゆかり)の国々が興味を示したのは、索敵能力と、中長距離戦闘能力でした。
 データリンクを阻害する、通信妨害などの電子攻撃が禁止であると説明した折には、大分露骨に不満を顕わにしていましたから、恐らく間違いないと考えます。
 そして、両部隊が共に攻勢に際して、間合いを詰めての近接格闘戦闘に拘る様に、呆れていたようです。
 最終局面が終わった時など、どうして包囲を広く取り、砲撃戦でけりを着けなかったのかと聞かれました。
 武士の情けですと応えたところ、そのまま素直に引き下がりましたが、仲間内で何やら笑い話の種にしていたようです。
 引き下がらなければ、我が国の砲弾備蓄量が乏しい事や、包囲の網が荒くなる事で逃亡を許す恐れに付いて言及する心算だったのですが、必要ありませんでしたね。」

「ふ―――そうか、それはご苦労であったな、沙霧大尉。
 彼の者等は、我が国は未だに侍の時代から脱却出来ていないのだと、さぞや信じ込んでくれた事であろう。」
「は、ありがとうございます。」

 沙霧の説明に、斉御司大佐が労いの言葉をかけ、その場の皆が満足気な笑みを浮かべた。

「それにしても、白銀の奴は、一体何処まで見通していたんだろうな。
 あいつの対人類戦用の戦術構想は、ステルスや電子妨害によるデータリンク阻害に対する対策だけじゃなかった。
 航空兵力の復活まで想定されてたし、如何に守りきるかに主眼を置いて、嫌ってほど事細かに構想されてたからな。
 核やG弾の大量投入でもされない限り、完璧なんじゃねえのか?」

 まるで愚痴るように絶人が言うと、みちるが頷いて言葉を継いだ。

「そうですね、完璧は言いすぎでしょうが、遠隔陽動支援機を考案したのは白銀ですから、恐らく弱点に関しても相当研究していたのでしょう。
 第4計画に反対する勢力の存在も気にしていたようですから、いずれ対人類戦が避けて通れないことも覚悟していたのでしょうね。」

「そうですか……対BETA戦術構想と名付けた戦術が、人類を相手に振るわれる日を思うことは、さぞ無念だったでしょうね―――」

 みちるの言葉に、純が悲しげに告げた。
 純の言葉が途切れたのを受け、沙霧が仕切り直すように話し出す。

「―――何れにせよ、白銀はBETA大戦の終焉が近付くに連れて、大国が覇権を狙って軍事紛争を起す危険を懸念していたようです。
 そして、その意図を挫き、BETAとの戦いに専念させるべく、対人類戦の戦術を練り、そして今回の謀略を用意して残していった。」

「うむ。対人類戦に於いて、ステルスと高い電子戦能力を背景に、高度な火器管制機能による中長距離砲撃で戦域を支配しようというアメリカの戦術構想。
 それ故に、米国は近接格闘戦闘を軽視する傾向が強い。
 これを逆手に取って、第4計画と日本帝国が対人類戦の戦術構築に失敗していると思わせる、か―――
 気付く者も居るやも知れぬが、人は己が見たい物を見る。それに、こちらの手の内が漏洩せねば問題はあるまい。
 今回の策、米国には有効だとして、他の大国にはどうかな?」

 暮人が、今回の演習で、大々的に対人類戦を行い、なおかつ対BETA戦と同様に、最終的には近接しての殲滅戦を演じて見せた目的に言及し、疑問を提示する。
 高い戦闘能力を見せ付けつつも、対人類戦の戦術構築に失敗していると思わせ、抑止効果を得ながらも脅威とは思わせない。
 そして、いざ大国による軍事干渉が発生した場合には、速やかに介入して鎮圧することで、軍事干渉の芽を潰す。
 何時でも圧倒出来ると思わせておく事で、対抗策を研究させず、有事には初動を制して軍事干渉という手段の有効性に疑問を持たせる。
 さすがにその後の対策までは武も言及しては居ないが、数年は対BETA戦争に専念出来るだけの効果を期待できる筈であった。

 それ故に、対人類戦の本当の訓練は、A-01と斯衛軍の一部でしか行なわれていない。
 抜かずに済む事を祈りながら、武の残した伝家の宝刀を、密かに鋭く研いで備えているのであった。

「ふむ。涼宮、お前はどう思う?」

「そうですね。いずれにせよ、データリンクに対するジャミングに対抗可能だとばれさえしなければ、問題ないのではないでしょうか?
 一番不味いのは、他国でこちらが隠している対抗策を開発されてしまい、発表される事だと思います。
 そうですね。近接戦闘の有用性に着目している国家は、全てBETAに占領されているか、前線を接していた国です。
 いずれも衛士の減少に悩まされてきましたから、戦力維持の為、遠隔陽動支援機を導入しています。
 それらの国々では、遠隔陽動支援機の対電子戦に於ける脆弱性は十分認識しているでしょうから、大国であれば、国土復興に伴い出産を奨励して衛士を増やし、陽動支援機を再度有人機に戻しての運用を考えるのではないでしょうか。
 ジャミング対策を研究してまで、遠隔陽動支援機に拘るとも思えません。」

 みちるの隣に控えていた遙が、暮人の疑問に応える形で意見を述べると、斉御司大佐も条件付で同意する。

「そして、大国でない国家では、中々技術開発も儘ならないであろうな。
 いずれにせよ、最初に事を起さんとするは米国で間違いはなかろう。
 それ以外の国が事を起しても、恐らくはしたり顔で米国が鎮圧するであろうよ。
 なれば、今回の策は無駄とはなるまい。
 また、この策で足りぬのであれば、我らが智恵を絞れば良いだけの事。
 何から何まで、白銀頼りでは、些か情け無き仕儀と言えような。」

 斉御司大佐の言葉に、その場の皆は大きく頷き、今一度桜へと視線を投じるのであった。
 後を継いだ者としての、先達への誓いを胸に。



「―――タケルが逝ってもう3年になるのだな……
 タケルの残してくれた対BETA戦術構想のお蔭で、大陸反攻も進展し、帝国もBETAからの直接的な脅威には曝されなくなった。
 帝国に暮らす人々も、さぞや喜んでいることであろう。
 だが、我らはタケルが残した恩恵に相応しいだけの行いを、この3年で果たせているのであろうか……」

 桜の木へと視線を投げかけたまま、冥夜は訥々と心中を語る。
 冥夜の近くに居た者は、皆その問いかけを耳にしたが、即座に応じる事の出来る者はいなかった。
 皆が皆、周囲の者を窺う中、おずおずと言葉を発したのは壬姫であった。

「えっと……わたし、たけるさんにはとってもたくさんのものを貰いました。
 色々と、大切な事を教わって、たくさん励ましてもらって……国とか、世界とか、そういうのは余り実感が湧かないですけど。
 わたしはたけるさんに貰ったものを大事にして、一生懸命頑張ってきました。
 たけるさんに褒めてもらえるように……ううん、自分でちゃんと自信を持てるように、頑張ってきました。
 それで、いいんじゃないでしょうか?」

「う~ん、タケルってさぁ、底無しって言うか、限度を知らない所があったからね~。
 どれだけ頑張っても、満足なんてしなさそうなところがあったと、ボクは思うな~。」

 真っ直ぐな視線を冥夜に向けていた壬姫は、冥夜の返事よりも早く、背後から投げかけられた美琴の言葉に、肩を落す。
 が、美琴の言葉にはまだ続きがあった。

「けどさ、それはタケルがとっても遠くの目標を追いかけてたからだと思うんだ。
 頑張っても頑張っても、簡単には辿り着けない様な、そんな遠い目標だよ?
 だから、タケルは達成できた成果に満足するよりも、頑張り続けて、目標に向かって進み続ける事を、とても大切にしてたんじゃないかな~。
 ―――うん、だから壬姫さんは、胸を張っていいと思うよ………………あ、そう言えば壬姫さん、また胸が大きくなってない?
 羨ましいなぁ~、ボクなんかぜんぜん……」

 しょんぼりとした表情になりかけていた壬姫は、美琴の話の続きを聞いて、首を傾げ、うんうんと両手を握って頷き、満面の笑みを浮かべた後、顔を真っ赤にして胸を隠した。
 そこで、美琴の話を断ち切るように、千鶴が話し始める。

「胸の事はさておき―――「自信ないんだ……」―――彩峰! 話の腰を折らないで頂戴っ!!
 こほん、確かに白銀にはそんなところがあったわね。
 私達が想像も出来ないような事を次々に成し遂げておいて、その癖全然満足せずに、何時もその遥か先を見て、道を探し続けているようなところがあったわ。」

 千鶴は話し出してそうそうに茶々を入れた彩峰を威嚇して、それでも脇道に逸れずに話し続けた。
 それに頷きを返して、美冴が同意を示す。

「そうだな。確かに白銀は先を見通して、様々な構想を練っていた。
 今回の対人類戦演習もあいつの仕込みだそうだし、我々が使っている戦術は、BETA相手も人間相手も、未だに白銀の構想を継承しているに過ぎない。」

「そう考えてみると、白銀中佐は、本当に得難い才能をもってらしたのね。
 今も生きていらしたら、一体どれほど素晴らしい成果を上げていらしたことでしょうか。」

 美冴の言葉に、祷子が続き、武の早世を惜しんだ。
 その言葉を聞いた皆が、再び桜に視線を転じる。
 各々が、在りし日の武に想いを馳せる中、投じられた言葉があった。

「………………う~ん、なんかタケルちゃんばっか評価が高いなあ。
 やっぱ、ゲーマー脳じゃないと駄目なのかなあ?」

((( ゲーマー脳? )))

 む~っと、口をへの字に曲げ、腕組みをしながら純夏が漏らした言葉に、その場の全員が脳裏にハテナマークを浮かべた。

「ねねねっ! 純夏、純夏っ! ゲーマー脳って、何?」
「……ゲーマーって、トランプとか~、チェスとか~、外国の遊戯を遊ぶ人の事ですよね~。」
「う~ん…………もしかしてさ、何事も遊戯感覚で考えて、突飛な着想を得られる、ある意味規格外の頭脳ってことかな?」

 疑問が即座に質問という行動に直結した月恵が、純夏に質問をぶつける。
 それに、聞き取った言葉から内容を推測しようとする智恵の言葉が続き、さらに晴子が、それらしい推論を述べた。

 この3人は、武が死んだ後、晴子の発案で『白銀武研究同好会』を設立し、多くの人々から証言を集め、様々な角度から研究してその理解し難い人物像に迫ろうと、日々努力し続けていた。
 その為、純夏が時折漏らす言葉は貴重なデータソースなのだが、理解に苦しむ内容も多く、オルタネイティヴ4の機密に阻まれることも少なくない為、白銀武研究は遅々として進んでいなかった。

「へ?……あ、え~と……そ、そうだね、柏木さんの言ってる事で、大体当たってるよ!
 ほ、ほら! タケルちゃんて、いい加減で、お調子者で、不真面目だからさ!
 何やるにしても、遊び気分が抜けないんだよね。アハハハハ……」

 そんな3人の言葉を受けて、誤魔化そうとしているのが丸解りな態度で純夏が応じると、今度はその内容に彩峰が反応した。

「それ、子供の頃の白銀?―――あたしの知ってる白銀と違う。
 けど……解る気もする。
 白銀は、発想が常識外、人外、妖怪?」

「なんで彩峰は、そこで疑問系で終わるかなあ。
 でもまあ、確かに人間離れしたところはありましたよね、速瀬中佐。」

 彩峰の物言いに呆れながらも、大筋で同意した茜は、尊敬する先達である水月にも同意を求めた。

「え? あ、そ、そうね。
 けど、白銀のお蔭で部下達が大勢死なずに済んだ事は、感謝してるわ。
 自分だけさっさと逝っちゃった所は、許せないけどね!
 ……勝ち逃げするだなんて、論外よ、ロ・ン・ガ・イ!―――って、聞いてないし……はぁ。」

「あ、あああ、茜ちゃんは、人間離れした人が好みなんだべか!! したら、あだしは―――」
「あたしの好みの話はしてないって!!」

 何やら物思いに耽っていた水月は、急に話を振られてどこか慌てた様に応えたが、問いかけた茜は、何時もの如く何やら勘違いした多恵にしがみ付かれて、必死に宥めていた。
 その様子に溜息を付いた水月は、みちると共に、斯衛軍指揮官達と歓談している遙へと視線を投じる。
 それに気付いた遙がにっこりと笑みを浮かべると、水月は一つ頷いて皆に視線を戻し、皆が心配そうに自分を注視しているのに気付いた。

「な、何見てるのよ! えっと……あ、あたし、ちょっと飲み物取ってくるわ!!」

 水月はコップに半分以上残っていた炭酸飲料を一気に飲み干すと、そそくさとその場を離れていった。
 何処か遣る瀬無い、微妙な雰囲気に取り残された一同だったが、美冴がそんな雰囲気を一掃するように話し出す。

「まあ、何にせよ。我々は全力を尽くしている。それだけは、胸を張って言える事だ。
 訓練校の後輩達が入隊してきて、部隊もだいぶ賑やかになった。
 私達は、白銀の残した物を、しっかりと後進に伝えていき、自分達の全力を尽くせばいい。
 そうじゃないか? 御剣。」

「……はい。宗像少佐の言われるとおりだと思います。
 些か、感傷的になっていたようです。ご教授、痛み入りました。」

 美冴の総括するような言葉に、冥夜は素直に頭を下げた。
 どことなく厳粛な空気が場を包んだが、続けて冥夜を励まそうとした純夏の発言で、一気に陰鬱な雰囲気へと転じる。

「そうそう。ハイヴだってこの3年で6つ落としたし、大陸反攻作戦も順調だしさ!
 …………あー、もっとも、26号と19号では大勢死んじゃったんだっけ……」

 2002年の『甲20号作戦』に続く『甲26号作戦』―――エヴェンスクハイヴ攻略作戦は、最終的には反応炉の破壊に成功したものの、多大な犠牲を払う事となってしまった。
 『甲21号作戦』、『甲20号作戦』と、立て続けにフェイズ4ハイヴの攻略が成功し、しかも攻略に際しての人的損害が、画期的に減少した上で成し遂げられた為、世界的に楽観的なムードが漂い始めた中で実施された、フェイズ2ハイヴ攻略作戦であった。

 しかし、この作戦ではソ連が作戦実施前に間引き作戦と称して単独攻略を実施、失敗して戦力を損耗してしまう。
 作戦失敗の原因には様々な要因があったのだが、主力と見做されていたソ連軍の戦力低下は、一時『甲26号作戦』の中止すら検討されるほどであった。
 慌てたソ連は、必死の外交努力によって、統一中華戦線及び米国からの増派を引き出す事に成功し、『甲26号作戦』は実施される事となった。

「『甲26号作戦』には、A-01から2個中隊と凄乃皇弐型、斯衛軍から第16大隊と第15大隊、帝国陸軍からは戦術機甲1個連隊と機甲1個連隊、後は連合艦隊第3戦隊と輸送船団の派兵だったよね。
 事前協議では、第4計画主導で行われる事になってたのに、作戦が始まってみたら、ソ連軍の大将が勝手始めちゃってさ……
 BETA引き連れたソ連軍が、こっちに逃げてきた時なんか、本当に一緒に焼き払ってやろうかと思っちゃったよ。」

 純夏が呆れたように言う通り、作戦終了後に厳罰に処されたとは言え、ソ連軍の作戦指揮官は好き勝手に振舞った。
 まず、作戦中盤、オルタネイティヴ4から提示された作戦案を一部無視する形で、ソ連軍単体によるハイヴ強攻が行われた。
 その挙句、BETAの反撃を受け脆くも壊乱したソ連軍戦術機甲師団は、BETAを引き連れたまま逃げ惑い、事もあろうに凄乃皇弐型の下に逃げ込もうとしたのであった。
 この時は、ソ連軍戦術機甲部隊の有人機を、A-01の陽動支援機で救援して射線上から退避させ、BETA群の主力を荷電粒子砲で焼き払った後、A-01、斯衛軍、帝国軍で残敵を殲滅した。

 その後も、ハイヴ突入部隊をソ連軍、統一中華、米軍のみから抽出して行い、多数の犠牲を出した。
 純夏がリーディングし直した『地下茎構造』のマップや戦力配置の情報を提供していなければ、間違いなく反応炉破壊に失敗していたと思われる。
 米中ソの3カ国は、十中八九間違いなくG元素の一部隠匿を画策していた筈だが、純夏がリーディングによって得たG元素の保有量を、ハイヴ突入開始後にマップや戦力配置と共に公開してしまった為、不首尾に終わった。
 なぜなら、マップと戦力配置の情報精度の高さがハイヴ突入部隊からの情報で検証されてしまった為、誤差とみなされる範囲でしかG元素を隠匿できなかった為である。

 いずれにせよ、大国の指導者達の思惑により、前線で多くの将兵が無為に命を散らす結果となったのは確かである。
 純夏の恨み節はまだ続く。

「それでも、『甲26号作戦』では、第4計画の実績が少なかった所為だと思うことも出来たけど、懲りもしないで、今年の甲19号でもおんなじようなことするしさー。
 ほんと、懲りないよねー。
 甲26号の時とは違い、対BETA戦術構想とその装備群に熟達した! とか大口叩いてさー。
 国連の協力は不要だ! とか言っちゃって、大見得切ったのに大損害出して、最終的には、米軍が持ち込んだG弾使って、国際的な非難を浴びたんだよねー。」

 米軍は、横浜ハイヴとオリジナルハイヴでのG弾運用データから、レーザー属種を排除した上で投入軌道を調整して起爆すれば、反応炉とG元素を無傷で入手可能と判断していた。
 しかし、結果は失敗。最下層を含む『地下茎構造』は崩壊し、反応炉は機能停止、G元素も僅かな量を回収出来たに過ぎなかった。

「その点、欧州や中東、東南アジアは良かったよね。
 中東はちょっとむさいオジサンが多くて怖かったけど、欧州じゃ下にも置かれない扱いだったし、大東亜連合軍とはもう仲間って感じだよ。
 沙霧さんも、陽動支援機部隊の教導と作戦当日の全般支援に加わったけど、概ね友好的に迎え入れてくれたって言ってたよー。」

 実際には、欧州や中東では、純夏が言う程に問題がなかった訳ではない。
 当然、下級兵士の中には偏見も多く、色々と鬱屈した感情なども渦巻いていたのだが、それらは全て、祖国防衛、国土奪還という目的によって、なんとか押さえ込まれていたので目立たなかっただけである。
 尤も、大東亜連合の方は『甲21号作戦』以来の共同作戦により、オルタネイティヴ4と日本帝国に対して、一兵卒に至るまで非常に友好的であったが。

 何はともあれ、結果的には甲12号(リヨンハイヴ)、甲9号(アンバールハイヴ)、甲17号(マンダレーハイヴ)の3つのハイヴが陥落し、英国、アフリカ、東南アジアの各国に対するBETAの圧力は大幅に減じ、欧州西部と中東、東南アジアでは国土の奪還が成された。
 これにより、フェイズ5ハイヴに対しても、オルタネイティヴ4の戦術構想は有効である事が実証された。
 しかも、大量の物資を消耗したものの、作戦参加将兵の死者が10%にも達しなかった事から、オルタネイティヴ4は国連加盟諸国より高い評価を得る事となった。

 来年、2005年には甲11号と甲13号が攻略予定であり、これにより、欧州から地中海、スエズ運河、インド洋を経由してアジア・オーストラリアへと至る海上輸送路の安全確保を目指す。
 さらに2006年には甲25号、甲16号を攻略して、ユーラシア大陸の東西及び南方の沿岸諸国を奪還し、BETAに対する包囲及び間引きの態勢を確立する予定であった。

「うむ。さすがに欧州や中東への派兵に際しては、斯衛軍2個大隊と輸送並びに護衛の為の海軍艦艇を派遣するのが精一杯であったがな。
 私がA-01の衛士として海外へと派兵される折にも、政威大将軍の名代として、日本帝国の諸国への友誼の証たれとの殿下のお言葉があり、必ず斯衛より警護の部隊が派遣されることとされたからな。
 誠にありがたくも光栄な事ではあるが、毎回派遣される斯衛軍第16大隊の者たちには、殊更苦労をかけて誠に済まぬと思っている。」

「お気にされる事などございません、冥夜様。」「そうです! 冥夜様の赴かれる地とあれば、」「例え地の果てであろうとお供いたしますわ~。」

 純夏の言葉に、ユーラシア大陸西部へと派遣された時の事を思い出し、冥夜が斯衛軍将兵を気遣うと、傍らで警護に当たっていた神代、巴、戎の3人が恐懼(きょうく)した。

「そうか。そなたらの忠勤に感謝を。」

「「「 ありがたきお言葉です、冥夜様~。 」」」

 3人の言葉に冥夜が頷いて感謝の意を表すと、3人は感激して滂沱と涙を流した。
 その脇では、美琴が腕組みをして、何やら思い出しながら、しきりに感心している。

「あ~っ! 今思い出しても、正規空母で過ごした航海は感動物だったなあ!
 軍艦で、あそこまで快適に過ごせるだなんて思わなかったよ~。
 士官室での食事には給仕が付いてたし、飛行甲板でやった焼肉パーティーも楽しかったよねえ。」

「あー、あれは楽しかったですねえ。けど、『甲20号作戦』の時の戦術機母艦は、狭くて窮屈で大変でした~。」

 何時もの調子で、言いたい事を垂れ流す美琴だったが、話の後半に壬姫が反応すると、そこに晴子が注釈を加えた。

「あはは……『甲21号作戦』の時と一緒で使える船をかき集めたそうだからね。
 けど、『武御雷』は本来国外での運用は考えられていなかったから、海外派兵には苦労したって話だよ?」

「あー、整備環境が整ってないと、あっという間に性能や稼働率が落ち込んじゃうってやつね。
 おまけに、補修部品も沢山要るって話でしょ?
 その所為で、ちょっとした基地並みの整備機能がある正規空母に載せて派遣したって聞いたわよ。」

 晴子の注釈に、そう言えば―――と、茜が相槌を打つ。
 そして、今度はそれに千鶴が何処かで聞いてきた話を取って付ける。

「おまけに、これまた白銀が、『武御雷』の海外派遣を睨んで、戦術機の整備支援システムを開発してたらしいわ。
 私も余り詳しくないけど、いざとなったら他の戦術機を整備ガントリー代わりにするプログラムまで組み上げてたって話よ。
 まあ、部品管理や、各種検査の自動化が主体で、最終確認や、故障の修理、最終調整とかは、やっぱり斯衛軍の熟練整備兵じゃないと無理らしいけどね。」

「へ~っ! 白銀って、そんなとこまで手を廻してたんだっ。」
「ここまでくると~、感心するより、呆れちゃいますよね~。」
「ほんとだね~。」

 千鶴が、斯衛軍の海外派遣にまで武が係わっていたと話すと、月恵、智恵、多恵の3人が、呆れたように顔を見合わせた。

「まあ、タケルちゃんなりに、無い智恵絞ってたって事だよ。
 わたしたちも、負けないように頑張らないとね!」

 そんな3人の様子に、純夏は茶化すように応じる。
 すると、冥夜が決意を新たにして、仲間達に語りかける。

「うむ。今はまだタケルの域には及ばずとも、私たちとて皆で互いを高めあえば、タケルの後継足り得るであろう。
 精進あるのみだな!」

「そうね。」「そだね……」「頑張りますっ!」「うん、頑張ろうね。」
「え~と、良く解んないけど……せーの、」「「「 冥夜様! 私達も頑張りますっ! 」」」

 即座に同意するのは元207Bの4人と便乗する神代、巴、戎の3人。
 その様子に互いに頷きを交して、茜が元207Aの音頭を取る。

「よーし、私たちも、負けないわよーっ!」「「「「 おーっ! 」」」」

 そして、そんな後輩達を、美冴と祷子が暖かい笑みを浮かべて見守る。
 と、その直後に素っ頓狂な声が上がった。

「あれえ? ねえねえ、みんなで気合入れちゃって、どうかしたの?
 ちょっと宗像、笑ってないで教えなさいよ! ねえってばっ!」

 飲み物を取って戻ってきた水月が、話の流れからすっかり取り残されてしまっていた。



「―――ねえ、夕呼。例年の極東国連軍・帝国斯衛軍合同冬季大演習に、今年から新たに盛り込んだ対人類戦演習なのに、あれで本当にいいの?
 折角鳴り物入りで公表した戦術立案ユニットだって、対人類戦では対応が早いだけで碌な作戦を立てなかったって言われかねないわよ?」

 まりもが、周囲を憚って小声で夕呼に話しかける。
 この時、まりもと夕呼の周囲に居るのは、霞とピアティフ、そしてラダビノッド基地司令の3人だけであった。

「いいのよ~。飽く迄もオルタネイティヴ4はBETAを殲滅し、地球を取り返す為の計画。
 対人類戦だなんて、そんなの知ったこっちゃないわよ。
 そうですわね? 司令。」

 まりもの言葉に、軽く手を振って応えた夕呼が、話をラダビノッド基地司令に振る。
 夕呼に問いかけられたラダビノッド基地司令は、腰の後ろに手を組んで直立したまま、目だけをまりもの方に向けると重々しく話し始めた。

「うむ。博士の言う通りだ。人類全体に貢献すべき我々国連軍の極秘計画に従事する者が、防衛以外で人類に牙を剥くなど論外。
 今回の演習も、飽く迄もテロリストによる大規模襲撃などと言う、非常事態に備えての事。
 所詮演習に過ぎんのだよ、神宮司臨時大尉。」

「はっ! 了解いたしましたっ!!」

「解ればよろしい。私はオルタネイティヴ4が必ずや人類を救い、BETAを殲滅してくれると信じている。
 白銀中佐を初めとして、多くの若者の命を礎としてきたこの計画だ。
 残された我々は、彼らの犠牲が無為ではなかったのだと、証明する責務があるのだよ。
 ……まあ、神宮司大尉には釈迦に説法ではあろうがな。
 さて、私は少々珠瀬事務次官と話をしてくるとしよう。では、博士、暫く失礼させてもらおう。」

 直立不動となって応えるまりもに、ラダビノッド基地司令は頷きを返すと、桜へと視線を戻して力強く言葉を告げる。
 そして、目を数回瞬かせると、まりもを労わるように声を和らげ、暫し席を外すと夕呼に告げた。

「はい、司令。珠瀬事務次官に『よろしく』お伝えください。
 ピアティフ、司令のお供をして頂戴。
 ……………………駄目じゃないの、まりも。
 ラダビノッド基地司令は、国連軍からのお目付け役なんだから、折角瞑ってくれている目の前で、変な事を聞かせちゃ駄目でしょ?」

 夕呼は、珠瀬事務次官と話しに行くというラダビノッド基地司令に、何やら含みのある返事をして見送ると、十分距離が相手からまりもを軽く叱責した。

「え? 薄々そうじゃないかとは思ってたけど……でも、もうすっかりこちら側に付いて下さっているのだとばっかり……」

「司令は軍人よ。抗命が如何に重い行為か、あんたなら良く知ってるでしょ?
 司令には、ああして見ざる聞かざるを徹底してくださるのが、精一杯の協力だという事よ。
 ―――で、対人類戦演習の件だけど、あまり圧倒的な力を見せ付けすぎると、脅威論者が元気になっちゃうのよね~。」

 夕呼はそう言って、純夏の方を目線でまりもに示す。その傍らでは、目を伏せて霞が話に聞き入っていた。

「どうせうちの『ユニット』の演算能力の高さは知る人ぞ知る事実って奴だから、それを見せ付けるのは構わないわ。
 嘗められたら堪んないしね~。
 けどね、第4計画が許容されているのは対BETAの計画だからよ。
 BETAを殲滅するには鋭利であっても、人類相手じゃ鈍らな(なまくらな)方がいいの。
 ま、国連だなんていってみても、加盟各国が自国の国益を追求する場だしね~、出る杭は叩かれちゃうってわけよ。
 ―――だから、対外的に見せる能力としては、あの程度で十分ってわけぇ。まりも~、解った~?」

「…………衛士の練度、十分な装備、圧倒的な部隊指揮運用能力。
 けれども、戦術構想は対BETAに傾倒していて、対人類戦の研究は出遅れている……
 そう、そういう印象を取り繕うのね。」

 まりもは、夕呼の言葉を咀嚼して、陰鬱な表情になる。
 そんなまりもを心配そうに見上げて、霞が言葉をかけた。

「白銀さんは、人類同士が争わずにいられない事を、とても悲しんでいました。
 ―――それでも、争いを出来るだけ避け、いざという時には、沈静化する為の方法まで、残してくれました。
 そして、人類が何時か、互いに協力し合って、みんなが笑って過ごせる世界を作れるように、BETAを退ける為に力を尽くしてくれたんです。
 私は、白銀さんの願いを叶えて、恩返しをしたいです。」

「……そうね。折角BETAに滅亡させられるっていう絶望から這い上がったんだもの。
 新しい絶望に陥るには、まだ早すぎるわよね。
 白銀が折角紡いでくれた未来ですもの、胸を張って誇れるような、素晴らしい未来にしなくちゃ。
 そうして、何時か、白銀の墓前にみんなで報告をしましょう。」

 霞を見下ろして、まりもが笑みを浮かべてそう言うと、霞は嬉しそうに頷いた。
 そんな2人の様子に、夕呼が何処か不機嫌そうに言葉をかける。

「まりも~、すっかり『お母さん』みたいな顔付きになってるわよ~。
 駄目よ~。旦那が捕まえられないからって、霞でシングルマザーごっこなんてしたら。
 大体、あんたにはもう山ほど『子供達』がいるでしょ~?
 来年になれば、また訓練校に新しい子たちが入ってくるし、良さそうな子がいたら、つばでも付けてみたら~?」

「そんなこと、するわけ無いでしょ!
 でもまあ、最近ようやく、訓練学校の生徒たちに、少しでも長く戦い続ける為の方法じゃなくて、戦い抜いて生き残る方法を教えてるんだって思えるようになったわ。
 A-01に任官してからも、リタイアする子は殆どいなくなったし……
 これも、白銀のお蔭ね…………」

 まりもは桜に向って笑みを浮かべる。
 だが、その笑みには、何処か拭い去れない悲しみや寂しさが透けて見えていた。
 それは、BETA大戦が一つの終わりへと向い、平和が直ぐそこまで来ているように見えてはいても、次の戦乱の黒雲が、何処からともなく湧き上がる機会を狙っているという事を、承知しているが故だったかもしれない。



「白銀武か―――彼が居なければ、俺達はとっくに鬼籍に入っていたかもしれないな。
 思えば、俺は彼に失礼な事しか言った記憶が無い。
 もう少し、知り合う時間が欲しかったな……」

 桜を見上げて、感慨深げに佐伯が呟く。
 それを耳にして、葵が脇に立って声をかける。

「えぇ? 佐伯先生、白銀君と仲良かったんじゃぁないんですか?
 『甲21号作戦』の前辺りにぃ白銀君、よく佐伯先生の話を聞かせてぇくれましたよ? ねえ、葉子ちゃん。」

「……はい……間違いないです…………」

 葵の確認に、葉子も頷きを返す。
 と、そこで佐伯と葵の間に割って入るようにしながら、草薙がぼ~っと桜を見上げながら話し始めた。

「そりゃあ、あれだな。ようやく互いの消息が知れた思い人の話を、少しでも聞かせて元気付けてやろうって気遣いだな。
 そう言えば、私の所にも来て、A-01が機密解除になったら近況報告の手紙くらいはやり取りさせてやってくれと言っていたな。
 すっかり忘れていたが……」

「わ、忘れないで下さいよぉっ!」「…………うん。」

 すかさず草薙に講義するものの、何処か腰が引けている葵。
 葉子に至っては、恨めしげに草薙を上目遣いで見ながら、小さく葵に同意するだけであった。
 実はこの2人、大学時代に草薙と張り合おうとしては軽くあしらわれ続け、以来大の苦手としている。

「すまんすまん……いやしかし、確かに生き延びられたのは白銀中佐のお蔭だな。
 私はようやく振り解いた実家のしがらみが、また煩くなってしまったが、BETA相手の戦いで死なずに済んだし、今や天下の富士教導団で戦術研究に勤しめばいい身分だ。
 余程の事がない限り、生きて退役出来るだろう。いや、全くありがたい事だ。
 幾ら感謝してもし足りないな。」

 淡々と言葉を口にする草薙は、言葉に反して欠片も感謝している様には見えなかった。
 しかし、口を開いている間中、草薙の視線は桜をこゆるぎもせずに見詰め続けていた。

「白銀はそんな事を言い残していたのか。
 それじゃあ、俺の所に来なかったのは、俺があいつに苦手意識を持っていた事を察したからか。敵わないな……」

 草薙の言葉に、佐伯も桜を見上げながら呟く。
 その、2人の妙に通じ合ったような会話に、葵が無理矢理話題を転換する。

「でぇ、でも! 富士教導団ってぇ言ったら、帝国軍のエリート部隊じゃないぃですか!
 佐伯先生だって、凄いぃですよ~。」

「エリートと言っても、今では教導するのは対BETA戦術構想が主だからな。
 単に、帝国軍で一番最初に白銀から教導を受けた事と、佐渡島での実戦運用の経験を買われただけだ。
 そもそも、A-01こそ、世界各国の軍に対BETA戦術構想の教導を行っていただろう。
 エリートだと言うなら、お前達の方がエリートだろうに。」

 が、葵の努力も空しく言葉のボールは佐伯に届く前に、草薙にインターセプトされて投げ返されてしまう。
 次の一手を思い付けずに、口を閉じたり開いたりする葵。
 そこに、新たな声が割り込んできた。

「確かに部隊はエリート部隊ってことになってますけど、姉さんの才能は一点集中ですからね。
 少なくとも衛士としては、他の人に教導できるような腕じゃないですから。」

「水代紫苑中尉か。確か、速瀬中佐の下で小隊を任されていたな。
 いや、水代―――紛らわしいな、葵でいいか。
 葵の才能は貴重だ。多少衛士として腕が劣るとしても、十分に補いがつくほどにな。
 自分を卑下する事は無いぞ、葵。」

 姉を擁護するとも、貶すとも取れる紫苑の言葉に、右の眉を上げて面白そうに紫苑を見て応じる草薙。
 最後に葵に声をかける時にも、視線は紫苑に据えたまま動かさない。
 その視線は、興味深い素材を見る研究者の目であった。

「草薙大佐と、佐伯中佐の才能こそ素晴らしいと聞き及んでいます。
 その卓越した心理的アプローチによって、教導効率を相当向上させたそうじゃないですか。
 まあ、それはともかくとして、佐伯中佐―――いえ、佐伯先生にお話があるのですが、よろしいですか?」

 葵が大学に通っていた頃、紫苑も何度か大学に顔を出した事があり、佐伯とも何度か言葉を交していた。
 紫苑が佐伯に『先生』と呼びかけるのは、その頃に葵に倣ってしていた呼び方であった。

「ん? ああ、構わないが……なんだ?」

「ありがとうございます。
 佐伯先生は、昨年制定された『拡大婚姻法』をご存知ですか?
 暫くは、姉も葉子さんも退役は叶いそうにありませんが、何とか生き延びられそうな情勢になってきましたし、良かったらご検討いただけませんか?
 ああ、勿論草薙大佐と……出来たら僕も一緒でお願いします。」

「紫苑?!」「紫苑くん……」「―――なんだって?」

 佐伯から了承を取って、草薙の割り込みを封じておいて、紫苑は一気に用件を語り切った。
 その内容に、葵と葉子、そして佐伯が驚愕する。
 と、そこに楽しげな声が発せられた。

「あはははは。なるほど、それは面白い。
 いいじゃないか、佐伯『先生』。是非検討してやりなよ。
 BETA大戦を生き残る為の、何よりの励みになるじゃないか。
 いやいや、私は然程独占欲の強い方じゃないから、何の問題も無いぞ。
 是非とも、4人纏めて面倒を見るだけの甲斐性を発揮してくれたまえ。
 うん、紫苑くん。私は君が実に気に入ったよ。末永くお付き合い願いたいものだ。」

 それまで、どこか気だるげだった草薙が、大笑いしながら快活に述べると、紫苑に向かって右手を差し出して握手を求める。
 紫苑は恭しく握手に応じると、何処か鋭さを含んだ笑みで応じた。

「光栄です、草薙大佐。こちらこそよろしくお願いします。」

 佐伯先生の操縦を―――とは、声を潜めて草薙にだけ聞こえるように紫苑が付け足した言葉であった。
 その呟きを、しっかりと聞き取った草薙は、破顔大笑して大きな頷きを返した。
 佐伯の意思を意図的に排除したところで、既にその将来は確定されようとしていた…………



 『イスミ・ヴァルキリーズ』の皆と話しながらも、純夏はその場に満ちる皆の想いを感じ取っていた。
 対象を絞り込んだリーディングは起動していないが、それでもここに集まった人々の、武に向ける感情の色は十分に把握できる。
 武が成した事が、如何にこの場に集った人々に感謝されているか。
 この場に集った人々が、如何に武の早世を惜しみ、悼んでいるか。
 この場に集った人々が、武のもたらした恩恵に対して、どれほど真摯に応えようとしているか。

 純夏はそれらの想いを受け止めて、武とした約束を、必ず果たすのだと決意を新たにする。

(タケルちゃん……タケルちゃんが護りたかったみんなは元気だよ。
 タケルちゃんの想いを継いで、今もBETAや世界に溢れる悪意と戦ってるよ。
 わたしもタケルちゃんの代わりにみんなを護って、でもって、タケルちゃんの想い出を分け合って、みんなと支え合って生きてるよ。
 嫌な事もあるけれど……寂しい思いもするけれど……それでもわたしは、この世界でタケルちゃんの代わりに頑張るからね。
 タケルちゃん―――)

 その想いは限りなく強い意思で発せられ、それ故に世界の狭間を超えて、武の下へと届いたのかもしれない。

  ● ○ ○ ○ ○ ○
  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年10月29日(月)

 04時04分、国連軍横浜基地B27フロアにある一室の、幾つもの測定機器に囲まれたベッドの上に、国連軍のC型軍装を着た1人の男が横たわっている。

 無表情であったその男の顔に、微かな笑みが浮かぶ。
 夢に遊ぶ時は過ぎ去り、目覚めの時が近づいていた―――




[3277] 第87話 振付師の帰還
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:05

第87話 振付師の帰還

2001年10月29日(月)

 07時01分、1階のPXのいつもの席で、武を除く207Bの面々が朝食を食べていた。

 黙々と食べる皆の中で、美琴だけは先刻からPXの入り口の方を、食事をしながら何度も何度も振り返っている。
 そうこうする内に朝食を食べ終えてしまった美琴は、今度は椅子に横向きに座りなおすと、本格的にPXの入り口を監視し始めた。
 そして、その口から言葉が零れ落ちる。

「う~ん、タケル、今日は朝御飯食べないのかなあ?
 ボク、折角楽しみにしてたのにな~。」
「この時間に来てないんだから、今日は朝食抜きなんじゃないの?
 あ―――そう言えば昨日、今日は居ないとか、白銀が言ってなかったかしら?」
「む……確か、鎧衣が今日の訓練が楽しみだと言った折に、その様な事を言っておったな。」
「あ~、そう言えば、鎧衣さんが全然聞いてないって言って、肩落としてましたねえ。」
「あれぇ~、そんな事あったっけ? じゃあ、タケルは今日は特殊任務なのかなあ?」
「ッ!!―――」

 鎧衣の疑問に、やれやれといった感じで千鶴が応え、先日の武の言動を曖昧にだが思い出して言及した。
 それに冥夜と壬姫が同意した為、美琴が首を傾げながら残念そうに言う。
 と、その言葉に含まれた『特殊任務』という単語に、彩峰が唇を噛んで俯く。

 その様子に気付いた冥夜が、訝しげに目を眇めたが、続く美琴の言葉でその場は追究せずに終わってしまった。

「ちぇ~っ、ボクも生で見たかったな~、あ~ん。」
「あはは、そっちが目当てだったんですね~……」
「毎朝の事なんだから、どうせ、近いうちに見れるわよ。ねえ、御剣?」
「ん?…………あ、ああ、そうだな。」
「………………先、行くね。」

 千鶴に振られて、冥夜が意識を逸らした途端、彩峰は席を立つと足早にPXから立ち去ってしまう。
 その場は彩峰の後姿を見送る事しか、冥夜には出来なかった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 08時01分、国連軍横浜基地、衛士訓練校の教室で、武を除く207Bの全員が教壇のまりもの言葉に傾注していた。

「白銀から既に聞いているそうだが、貴様らの総戦技演習の日程が決定した。4日後の11月02日だ。
 また、総戦技演習の内容が大幅に改定された結果、可哀想だが南の島へのバカンスは中止、総戦技演習は当基地施設にて行われる。
 まあ、貴様らは夏に一度行っているから構わんだろう。
 本日より4日間の間に、総戦技演習の予備課程ともいえる特別な訓練科目も行われる。
 既に総戦技演習が始まっていると思って、気合を入れて臨め。―――解ったな?!」

「「「「「 ―――了解ッ! 」」」」」

 まりもの言葉に、真剣な面持ちで応じる207Bの5人。
 彼女らの顔を一通り見回して満足気に頷いた後、まりもは付け足しの連絡事項のように告げた。

「尚、白銀は、昨夜より特殊任務に従事している為、本日の訓練には出られないそうだ。
 今夜には帰還予定だそうだが、明日以降にずれ込む可能性もあるとの事だ。
 連絡事項は以上だが、何か質問は…………彩峰、発言を許す。」

 まりもは、珍しく勢い良く手を上げた彩峰に、発言を許可した。
 すると、彩峰は真剣な、何処か縋るような眼差しでまりもを見据えて言葉を発する。

「教官。白銀の特殊任務とは、実戦でしょうか?」

 まりもは、彩峰の態度と、質問の内容に腕組みをして右の眉を上げる。

「ん?…………そうだな、特殊任務の内容は私も聞いていないが…………彩峰、白銀から何か聞いているのか?」

「………………命の危険があると。」
「「「「 ―――ッ!! 」」」」

 視線を机に落とし、暫し逡巡してから彩峰が漏らした言葉に、他の4人が驚愕する。

「―――そうか。確かに、その様な話は私も聞いている。
 万一の時に備えて、貴様らの任官までの練成を私1人でも全う出来るように、白銀はご丁寧にも引継ぎをしていったからな。
 ―――だがな、白銀は軍人だ。よって任務が命懸けなのは当たり前の事だ。
 訓練中でさえ、死者は出る。
 貴様らとて、既にその覚悟は済んでいる筈だぞ。
 まあ、ある意味でいい機会だ。仲間の身を案じる際の心理的圧迫というものを、しっかりと経験しておけ。
 これは、白銀からは万一の時にと言付かっていた言葉だが、貴様らが新衛士訓練課程を全うして、白銀の新戦術と装備群を使いこなす事を信じ、期待していると白銀は言っていたぞ。
 死地に赴く仲間を見送る事と、後事を託される事、その意味と重さをしっかりと感じ、各々でその受け止め方を見付けるんだな。
 午後の訓練が始まるまでには、各自折り合いをつけておけ。
 午後の訓練は、精神的負担が大きい内容だからな。
 他に質問はあるか?―――よし、それではこれより総合模擬演習を行う。
 総員起立! B5フロアの第3多目的端末室までかけあーし、進めッ!!」

 未だ心中に渦巻く想いを整理できないまま、それでも身体はまりもの命令に反応し、教室から駆け出して行く5人であった。
 その後に続いたまりもは、心中で呟く。

(このタイミングで、死の身近さってものを実感させるだなんて、出来過ぎね。
 白銀がわざとやったとは思えないけど……あの娘達にとっては、良い方に働きそうだわ。)

 まりもは、脳裏に武の姿を思い浮かべ、無事に帰還するよう祈りを捧げた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 08時12分、国連軍横浜基地の最深部に近い、B33フロアの反応炉制御室に、武と夕呼、霞の3人の姿があった。

「―――これが、横浜ハイヴの反応炉よ!」

 耐圧ガラス越しに見える青白い光をまとった反応炉を右手で指し示し、夕呼が大仰な身振りで武にもったいぶって告げる。

(『前の世界群』でもやってたよなあ、夕呼先生。
 あ、そう言えば、最初に純夏をオレに見せたときも似た様なノリだったっけ……趣味なんだな、きっと。)

 武がのんびりとそんな感慨を抱いていると、夕呼が訝しげな顔をして訊ねてきた。

「ちょっと、どうしたの? ボーっとしちゃって。
 まさか、この期に及んで、どっかの機能にトラブルでも出てんじゃないでしょうね?」

「あ、すいません。『前の世界群』でも似た様な事があったもんですから、ちょっと思い返しちゃってました。
 で、反応炉のリーディングですよね?
 次の活動期は何分後ですか? ODL交換装置は……ああ、これですね。
 前回はリーディング終了とほぼ同時にODLの異常劣化で自閉モードになりましたから、自閉モードになった時点でODLの交換をお願いします。」

 夕呼に言われる前に、てきぱきと準備を始める武に、不満げな顔をしながらも、夕呼は素直に応じた。

「次の活動期は9時過ぎの筈だから、まだ大分時間はあるわ。
 それよりも、折角備蓄したODLも1回分しかないんだから、きっちり結果を出しなさいよね。」

「解ってますよ、先生。リーディングは前にも成功してますし、ODLの異常劣化も恐らくは精神的な衝撃を受けて動揺した所為ですからね。
 今回も自閉モードまで行くとは限りませんから、飽く迄も念の為ですよ。
 それじゃあ、量子電導脳の処理能力を最大限に確保する為に、最低限の機能維持用を除いて全プロセスを休止させますから。
 何か、指示を出したいときにはデータリンク経由でお願いします。」

 武はそう言うと、コンソール前に据え付けられた作業椅子に腰掛け、ピクリとも動かなくなってしまった。

「ふん……なんだか、お気楽に安眠してるみたいで、見てて腹が立ってくるわね。」

「香月博士………………」

「―――冗談よ、冗談。頼むからそんな目で見ないで頂戴、社。」

 そんなやり取りを最後に、反応炉制御室から言葉が途絶える。
 傍らで結果を待つだけの夕呼と霞にとっては、長い待機時間が始まった―――



 ―――そして、09時08分、大容量記憶媒体へのデータ転送を知らせるアラームが鳴って約1分後、作業椅子から武が上体を起した。

「リーディング終了しました。なんとか、ODLの劣化は活動可能なレベルで収まっているようです。
 それじゃあ、夕呼先生、予定通りBETA反応炉の同位体通信ユニット排除作業を開始して良いですか?」

 武が、ODLの劣化が問題ないレベルである事を告げ、続けて反応炉がオリジナルハイヴとの通信に使用している、生体ユニット排除作業の許可を夕呼に求める。
 この通信ユニットの排除を行う事で、新しい通信ユニットをBETAが再設置しようと襲撃してくる可能性と引き換えに、ODLの浄化を行っても人類の情報が反応炉を通じてオリジナルハイヴに流出せずに済むのであった。

「いいわよ、さっさとやんなさい。
 それが終わんないと、安心できないじゃない。」

 この、通信ユニット排除手順には、『前の世界群』で横浜ハイヴのリーディングデータから解析した、通信ユニット交換用のコマンドトリガーを使用する。
 プロジェクションにより、コマンドトリガーを受け取ったと反応炉に誤認させ、現在の通信ユニットを排除させた上で、新しい通信ユニットを与えずに交換作業を終了させる。
 この手順は、『前の世界群』の佐渡島ハイヴの反応炉で既に試行済みの手順の為、夕呼の許可を得た武は落ち着いてプロジェクションを行った。

 すると、反応炉の基部に近い部分に亀裂が走り、花弁が開くように外壁部分が開口し、中から直径3m程の粘液に塗れた塊が転がり出てきた。
 武は、反応炉ブロックに配置しておいた『撃震』を非接触接続で制御して、その塊を用意しておいたコンテナに格納し、代謝低下酵素を注入する。
 暫くすると、開いていた開口部が閉じ、反応炉は以前と全く変わらない姿に戻ったが、オリジナルハイヴとの通信機能は既に失われていた。

「…………成功したの?」

「ええ、大丈夫そうです。
 後は、この事がBETAの行動に、どう影響を及ぼすかですね。」

 武が心配そうな顔でそう応えるが、夕呼は呆れた顔になって言葉を返した。

「何、気に病んでんのよ、白銀~。
 この件はもう、散々検討したでしょ~。
 『前の世界群』であんたが佐渡島ハイヴの反応炉をリーディングした結果、11月11日のBETA侵攻は、横浜ハイヴの再占領を前提とした強攻偵察だったのよね?
 その情報を基に、BETAは横浜基地侵攻の準備をしようとしてたんだから、11日の侵攻まではBETAの行動が変わる理由が無い。
 変わるとしたら、情報流出を防ぐ事によって、『甲21号作戦』実施前にBETAによる横浜基地侵攻が発生する可能性があるくらいでしょ。
 だから、00ユニット早期稼動の方がメリットが大きいって判断して、あんたの人格転移手術を実施したんじゃないの。
 いまさら、深刻ぶったって、どうにもなんないって。」

「……そうですよね。
 すみません、夕呼先生。今までBETAの行動に影響を与えるような行動を、これ程早くに取った事がないもので、ちょっと不安になってたようです。
 それじゃあ、反応炉への対処も済んだ事ですし、その……もし良ければ…………」

 夕呼の言葉に、武は不安を振り払って謝罪した。
 そして、なにやら言い難そうにしながら、夕呼の様子を窺う。
 そんな武に夕呼は、鬱陶しそうに手を振って投げやりに言う。

「鑑でしょ? いいわよ、会いに行って。
 メンテナンスベッドもシリンダールームに設置してあるから、興奮しすぎてぶっ倒れても大丈夫よ~。
 社、念の為、白銀に付いててやんなさい。ここの片付けはいいから。」

「んなっ! 純夏如きに興奮なんかしませんよっ!……でもまあ、ありがとうございます、先生。」
「はい……ありがとう……ございます。」

 武は顔を真っ赤にしながら、霞は髪飾りをピンと立てて夕呼を見上げながら、それぞれが礼を述べると、連れ立って反応炉制御室を後にした。
 2人が立ち去って、ドアが閉まったのを確認すると、夕呼は独り満足気な笑みを浮かべる。

「図星を突かれたからって赤面するだなんて、正に人間そのもの。我ながら大したもんを作ったもんよね。
 ―――さて、これで勝負に必要な手駒は一通り揃ったわ。
 ようやく、ブラフ以外で勝負が出来る…………今度こそ、あたしの真価ってもんを世界中に教えてやるわ。
 うふ、んふふ……アハハハハハハハハッ!!」

 その頃、反応炉制御室を出て、エレベータに乗ろうとしていた武と霞は、原因不明の悪寒に襲われていたという。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 09時26分、B19フロアのシリンダールームで、武はメンテナンスベッドに横たわり、傍らに立つ霞を見上げていた。

「霞、これから純夏に、BETAの居ない世界群でのオレの記憶をプロジェクションしようと思う。
 そうする事で、向うの世界の純夏から失われた記憶の流入を誘発するんだ。
 そして、BETAに襲われたこっちの純夏の記憶を封印して、精神活動を安定させる。
 悪いけど、オレのバイタルをモニターして、自閉モードになっちまったら、ODL浄化装置を作動させてくれるか?」

「はい……任せてください……」

 霞の応えに、武は横たわったまま右手を上げて霞の頭を撫でる。
 顔の前に覆い被さるように手が伸びたため、少し首を竦めるようにした霞を、武は暫く優しく撫でてから右手を戻して語りかける。

「霞も、早いとこ純夏と話してみたいだろうけど、今日はちょっと荒療治になっちまいそうなんだ。
 だから、今日はリーディングしないで、我慢しててくれるか?
 その代わり、オレも頑張って、なんとか今回だけで、粗方の封印を済ませちまうからさ。」

 武の言葉に、霞はこくんと1つ、頷きを返す。

「はい……白銀さん……純夏さんを助けてあげてください……」

「ああ、絶対に助けてやるさ! 霞と純夏が笑って話せるように、絶対にしてみせる。
 霞、楽しみにしててくれな。」

 武はそう言うと、瞳を閉じて、純夏へのリーディングとプロジェクションに集中する。
 その唇が僅かに動き、微かな声が空気を揺らす。

「純夏……待ってろよ、必ず笑わせてやるからな…………」

 その言葉が途切れるのを待って、霞は武のバイタルデータが表示されているモニターへと視線を移す。
 モニターの薄明かりに照らし出された霞の真摯な表情は、敬虔な祈りを捧げているかのように見えた。



 武はまず、『元の世界群』での自分と純夏の記憶をプロジェクションする事から着手した。
 プロジェクションされたイメージの中の武に、純夏は即座に反応し、その反応が虚数空間に流出した、数式回収の際に武が干渉した世界群の純夏が失った記憶の流入を誘発する。
 純夏は、それらのイメージと記憶を、猛烈な勢いで貪欲に吸収していく。
 そして、武のイメージから連想する形で、BETAに関連する記憶まで浮かび上がってくる。

 すると、途端に喜びと幸せの明るい色で満ちていた純夏の精神が、悲しみと恐怖、そしてBETAへの憎しみの暗く混沌と渦巻く色に塗り潰されていく。
 既に一度ならず触れているとは言え、目を背けたくなる純夏の悲惨な体験を、武は必死に自制しながらリーディングしていく。
 武が激昂してしまうと、目まぐるしく多様に変化する感情が、莫大な情報差分としてODLの劣化を加速してしまう。
 それを回避し、今回で純夏の哀しい記憶を全て把握して葬り去る為に、武は自身の感情が暴れだしそうになるのを押さえ込み、純夏が狂気の淵へと進んでいくのを手を拱いて、いや、時にはプロジェクションで後押しさえして観察し続けた。

 そして、純夏の記憶がようやく一通り噴出し終えた所で、武はプロジェクションによる催眠を開始し、BETA横浜侵攻後のBETAに関する純夏の記憶に封印を施していく。
 封印の作業が終わると、武は純夏の催眠状態を解除し、慎重にBETA関係のイメージをプロジェクションしてみたが、今度は純夏はなんの関連付けも起さず、全く反応しないままでプロジェクションを認識しなかった。
 そこまでの確認を終えて初めて、武は限界まで張り詰めていた意思を僅かに手放し―――



「ッそぉおおおおおーーーーーッ!! ふざけんな、BETAめッ!!! 殺すッコロすッブッコロ―――」

「ッ!―――白銀さん!…………あっ!!」

 突然メンテナンスベッドの上で跳ね起き、頭を抱えて叫び始めた武に、傍らで待機していた霞が弾かれたように振り向く。
 その直後、武のバイタルデータをモニターしていた装置からアラート音が鳴り響き、ほぼ同時に武の上体が力を失ってぐったりと横倒しになる。
 そのままメンテナンスベッドの外に転がり出そうになった武を、なんとか支えた霞が、必死に中へと押し戻す。
 乱れた呼吸を整えた霞がモニターの表示を確認すると、そこには急激に異常劣化していったODLのデータと、00ユニットが自閉モードに移行した旨が表示されていた。

 霞は、目を2、3度瞬かせると、ODL浄化装置を作動させる。
 透明なカバーがメンテナンスベッドの上部を覆い、内部がODLによって満たされていき、武の姿を青白い光によって覆い尽くした。

 ODL浄化装置による浄化は、00ユニットの体内を循環するODLを、全て入れ換えてしまう方式と異なり、反応炉から供給され循環するODLに浸す事で、00ユニット体内のODLと00ユニットを包むODLとの間で、情報とエネルギーの受け渡しを発生させる。
 その結果、反応炉から供給されたODLは、エネルギー保有量が高く、逆に情報保有量が少ない為、体内のODLからは情報が流出し、逆にエネルギーが補充される。
 この状態に数時間置くことで、00ユニット体内のODLは活性化し、活性レベルが安定した時点で浄化処置終了となる。

 霞は、ODL浄化装置が安定動作を開始したことを確認すると、夕呼に報告する為に、シリンダーとメンテナンスベッド、2箇所から漏れる青白い光に照らされた部屋を後にした。
 ―――この日、武が2度目の目覚めを果たすまで、6時間を超える浄化が必要であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 12時19分、1階のPXでは、207B女性陣が昼食を終え、談笑―――と言うには些か真剣な表情で話し合っていた。

「午前中の訓練だけど、みんなどう思った?」

 千鶴が、全員の顔を見廻して問いかける。その、意図的に抽象化された質問に、壬姫などはどう答えたものか戸惑っている。

「うむ。机上演習は今までにも何度かあったが、戦術機甲小隊を指揮してのBETA侵攻に対する防衛戦というのは初めてであったな。」
「BETAの行動特性は機密だった、演習になる訳ない……」

 冥夜が何やら考えながら千鶴に応じると、彩峰が即座に要点だけの指摘を返す。

「ああ、なるほど~、それは確かにそうですねー。
 敵の情報が秘匿されてたんじゃ、演習の意味がないですよねえ。」

「そっかー、BETAの行動特性に関する機密が閲覧出来るようになった今だからこそ、あの演習が出来るようになった訳だね。
 どうりで、今までの訓練で、対人類戦の戦術ばかり習ってた訳だよ~。
 まあ、勿論人類が得てきた戦訓によって現代の戦術論は構成されている訳だから、兵站などに関しては………………」

 彩峰の指摘に壬姫が感心したように同意し、続いて美琴がようやく納得出来たと言わんばかりに応じた後、例によって脱線して薀蓄を語り始める。
 それを無視して、千鶴が皆に頷いて話を続ける。

「そういう事ね、そして私達の情報閲覧レベルが上げられたのも、白銀の新衛士訓練課程に沿っての事。
 4日後に行われるという総戦技演習の予備訓練で、新たに開示された情報を用いた机上演習が行われているって事は……」
「総戦技演習も、対BETA戦絡み?」
「うむ。しかも、恐らくは戦術機甲部隊の指揮運用が含まれるのであろう。」

 千鶴の言葉に続いて、彩峰と冥夜が午前の訓練が行われた理由を読み解き、そこから総戦技演習の内容を類推していく。
 しかし、その内容に、壬姫と美琴は目を丸くして驚きの声を上げた。

「え~! そんな、わたしたち、まだ戦術機操縦課程にすら進んでないんですよ?」
「そうだよー、今のボクらが戦術機甲部隊を指揮運用できる訳ないじゃない。や、やだなあ、冥夜さん。」

 だが、冥夜は2人の言葉を易々と論破する。

「確かに、今の我らでは戦術機の操縦は出来まい。
 しかし、机上演習で戦術機甲部隊を含む部隊運用は経験済みだし、何よりこの1週間で戦術機の性能や運用に関する知識も相当詰め込まれている。
 意のままに戦術機を操る事は叶わぬにせよ、戦術機甲部隊の運用方法を論じるに足りるだけの知識は与えられていると言えよう。」

「どうやら、新衛士訓練課程では、戦術機甲部隊に求められる役割を熟知して、それに応えられる人間だけを衛士にする方針のようね。
 従来のように、戦術機を操縦する適性のある人間を全て衛士にするという方針ではないと思うわ。」

「使えない人間は落とされる…………」

「「 えええええ~~~っ! 」」

 冥夜の言葉に、千鶴、彩峰が続き、その内容に今回の総戦技演習が、従来よりも数段難しくなったように感じた壬姫と美琴が情けない悲鳴を上げた。
 それに苦笑しながら、千鶴は壬姫と美琴を宥める。

「まあ、2人共落ち着きなさいよ。
 落とされる人間が増えたとしても、それは衛士に相応しくない人間を除くためよ。
 理不尽に合格率だけを下げて足切りするって訳じゃないわ。
 それに―――私達は、既に発案者の白銀のお眼鏡に適っているじゃないの。
 自信を持って、今まで培ってきた知識を活用すれば、きっと大丈夫よ。」

「そうだな。後は皆で力を合わせて切り抜けるだけだ。
 その辺りは、従来の総戦技演習と何も変わりはせぬ。」

「でも、白銀の所為で偉い苦労。許せない―――」

 千鶴は壬姫が、緊張しすぎて萎縮してしまわないように言葉を尽くした。
 冥夜もそれに同調し、分隊全員で力を合わせれば良いと告げ、壬姫が独りで抱え込まないように配慮する。
 彩峰もおどけた発言で場を和ませようとしたのだが、珍しく話題を選び損ねてしまった。
 彩峰の言葉に、皆が一様に武の事を思い出し、同時にその身を案じてしまった為、ぱたりと会話が途絶えてしまう。

 が、暫しの沈黙の後、咳払いをした千鶴が、思い出したように口を開いた。

「―――そ、そう言えば、白銀は総戦技演習前ならば、幾らでも協力すると言っていたわよね。」
「そ、そうであったな。さすがに総戦技演習の内容や意図するところについては聞く訳にも行かぬであろうが―――」
「質問攻めにして、出し殻にしてやるよ……」
「い、いいですね~。ぜひそうしましょ~。」
「やだなあ、みんな、何でそんなに楽しそうに笑ってるの?」

 その話題に即座に冥夜が応じて、彩峰も今度は話題を選び損ねずに、場の雰囲気を和やか―――と言うよりは過激な方向に誘導する。
 壬姫が深く考えることも無くその場のノリで賛成し、美琴も満面の笑みで同調する。
 些か、八つ当たりめいた企みに、どこかどす黒い雰囲気を内包しているとは言え、5人の顔に笑顔が戻った。一応は…………

  ● ● ○ ○ ○ ○

 17時32分、1階のPXでは配膳が始まっていたが、何時もの席でぐったりと突っ伏している207B女性陣の前に、夕食は未だ置かれてはいなかった。

「おいおい、大丈夫か?」

 訓練兵が疲労困憊するのは珍しくないとは言え、尋常ではない有様に、心配そうな声が投げかけられた。
 しかし、常日頃であれば、虚勢を張ってみせる冥夜ですら、精根尽き果てたという風情で応じるのが精一杯で、他の4人に至っては反応すらしなかった。

「済まぬが、放って置いては貰えぬで―――タケル?!」
「「「「 ええ?! 」」」」

 が、構い立て無用と告げかけた冥夜の発した名前によって、他の4人も弾かれたように上半身を跳ね上げる。
 その5人の注目を浴びて立つ武は、心配そうであった顔に笑みを浮かべて、応じる。

「よっ! どうやら、大分きつかったようだな。
 けどまあ、今日のはまだ序の口だから、頑張ってくれよ?」

「じょ、序の口ぃ? あ、あれで?」

 武の言葉に素っ頓狂な声を張り上げてしまう美琴。その斜向かいでは壬姫が真っ青な顔色で絶句している。
 美琴の言葉に武は応えようとしたのだが、その前に千鶴から声が投げかけられた。

「それよりも、まずはお帰りなさい、白銀。」
「うむ―――よくぞ戻ったな、タケル。」
「おかえり……」
「そ、そそそそ、そうでした! おかえりなさい、たけるさん。」
「タケルぅ、無事そうで良かったよー。神宮司教官が命にかかわるって言うから、ボク、もう二度とタケルに会えないかと―――」
「あー、神宮司教官から聞いたのか……」
「そうそう……」
「彩峰! 惚けないで頂戴!! 発端は貴女でしょ?」
「ボケてるのは榊の方……」
「あ~や~み~ね~ッ!!!」
「もしタケルが死んじゃったりしたら、ボクは、ボクは~~~~~ッ!」
「………………あ、あはははは……でも、本当にご無事でよかったですよ、たけるさん。」
「うむ。珠瀬の言う通りだ。それで、任務は完了したのか? タケル。」

 千鶴の言葉から、皆口々に武に挨拶を告げる。
 ところが、何時にも増して異様なほど急速にテンションが上がっていき、やいのやいのとあっという間に騒がしくなっていく。
 が、その喧騒も、冥夜が任務について訊ねた途端にピタリと止み、そのテンションの乱高下にさすがの武も目を丸くした。

「あ、ああ。まだ事後処理やらなんやらが残っているけど、任務自体は一応けりがついてる。
 つっても、この後直ぐ事後処理を始めないとならないんだけど、今日の訓練でおまえらがどうなったか心配で顔出したんだ。
 けどまあ、思ったよりは元気そうで良かったよ。」

「タケルぅ~、タケルもボクの事、心配してくれてたんだねぇ~~~! ボク、感動で涙が止まらないよぉ~。」

 武の言葉をどう聞き取ったのか、目の幅の涙を流して喜ぶ美琴。
 そんな美琴をさらりと無視して、千鶴がメガネを光らせて武を追及し始めた。

「ふ~ん。一応、心配してはくれてた訳ね。
 つまり……危ないのは承知の上で、あんな訓練科目ねじ込んだって事かしら?」
「うむ……正直先程の訓練には些か圧倒されるものがあった。あれが序の口と言うのなら、確かに心的外傷を被る危険が考えられるな。」
「あれはヤバイよ……危険。」
「たけるさん…………わたし、わたし耐えられるでしょうかぁ~。」

 千鶴の追及に、冥夜、彩峰、壬姫も追従する。
 その様子に、武も笑みを引っ込めて真面目な顔になって応じる。

「まあ、確かに『対BETA心的耐性獲得訓練』は、PTSDを発症する可能性のある危険な訓練だ。
 全訓練課程が終了した後で、専門医による心理検査が行われて、その結果次第では衛士としての道が断たれる事さえある。
 けどな、今までの大方の衛士は、初陣でもっと凄惨な経験をして、そしてその大半がそれっきりになっちまうんだ。
 さっき、今日のは序の口って言ったけどさ、実戦じゃそんな手加減はあり得ない。
 耐えられなければ、まず十中八九死んじまうんだ。
 だから、この訓練に耐えられないのなら、何時か実戦で苛酷な状況に遭遇した時、そいつはまず間違いなく戦死する。
 しかも、酷い時はそれを引き金に小隊や中隊が壊滅し、戦線が崩壊する可能性すらある。
 この訓練は、訓練兵の将来の戦死を避けるだけでなく、より大きな被害を抑止する為に必要なんだよ。」

「白銀……」「タケル……」「……そだね。」「たけるさん……」「え? なに? 何の話?」

 武の真摯な言葉に、自身の妄想に浸っていた1名を除いて、真剣な覚悟を秘めた顔で皆が頷く。
 それに、満足気に頷いて、武は再び笑顔を浮かべて太鼓判を押した。

「けどな、おまえらなら大丈夫だよ。耐性獲得訓練も、総戦技演習も、気持ちをしっかりと保てさえすれば、問題なく合格できるさ。
 だから、自信を持って、さっさと片付けてくれ。
 その為にも―――しっかりと、晩飯を食うところから始めないとな!
 さあ、晩飯取りに行って、明日の為の活力を養おうぜ!」

「そうね。」「うむ。」「食べちゃう?」「はい!」「え? そ、そうだね!」

 武は、207Bの皆と再会できた喜びを胸に、2日ぶりの食事を堪能するのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 20時12分、帝都某所に、帝国陸軍に所属する若手士官らが十余名集い、盛んに憤りを口にし、意見をぶつけ合っていた。

「おのれ榊めが、今度と言う今度は絶対に許せんっ!
 とうとう斯く迄も露骨に、米国に利権を与えんとするとは言語道断ッ!」

「おおよ、正に彼奴こそ奸賊の名に相応しき奴原。
 今こそ彼奴を首魁とし、国政を壟断する奸臣共を取り除き、御国を正しき道へと復さねばならぬ時だッ!!」

「む―――貴君等の憤りは十分に解る。されど、同志を集め、万全を期すには今少しの時を要する。
 未だに、『戦略研究会』の立ち上げすら出来ては居らぬのだぞ?」

「確かに、我らの志が如何に崇高であろうとも、彼奴等には不遜ながらも兵権がある。
 我らの手勢が少ないと見れば、何の躊躇も無く兵を繰り出し、悪戯に友軍相打ち後に禍根を残すは必定。
 我らが帝国の行く末を案じるのであれば、極力万全を期し、禍根は予め断たねばなるまい。」

 飛び交う言葉の大半は、現政権に対する不満と憤りであり、彼らを断罪するべきだと訴えていた。
 中には、冷静に状況を分析し、慎重に計画を進めるべきとの声も上がりはするが…………

「しかし! しかし、だ。
 去りし日のBETA侵攻の傷も癒えず、国土を護る為の軍費捻出さえも滞り、家や土地を追われ、疎開した民衆にさえ塗炭の苦しみを耐え忍ばせている現状を見よ!
 この上、売国奴の手によって、我が国の財が米国へと無益に放出されるのを、指を咥えて見過ごしておられようか!!」

「うむ! 此度、榊めが強攻せし蛮行は、国内にても生産可能な『陽炎』の劣悪なる中古を、米国中より600余りも買い漁るという正に愚考!
 『不知火』の改良、次期主力戦術機の開発も儘ならず、『不知火』『吹雪』の配備も滞っているというのに、米国で持て余している旧式機などでどうしようと言うのだ!
 前線で御国の為に命を散らして戦っている衛士に、米国の手垢の付いたお下がりで戦えとでも言うつもりか!
 ええいっ! 我らを虚仮にしおって、断じて許せんッ!!!」

「そうだっ! このまま手を拱いていては、我が国土を護る余力さえ失われてしまう。
 例え我らが儚く散ろうとも、彼奴ら売国奴共を根絶やしとし、奸賊佞臣の非を広く暴き立てさえしたならば、我が帝国は必ずや再起してBETAとの戦いに邁進するに違いない。
 今は、巧緻よりも拙速を以って、我らが大義を世に高く掲げるべきなのだッ!!」

 それでも積もりに積もった憤激のエネルギーは凄まじく、慎重論はその場の熱気に押しやられてしまう。

「ぬぅ……た、確かに此度の榊のやり様は看過し難いが……ぬぅう…………」

「おのれ、貴様ッ! よもや今更、臆したのではあるまいなッ!」

「なにぃっ! 貴様、小官を侮辱するかッ!!!」

 激論に継ぐ激論、この日の午後に行われた、内閣総理大臣榊是親卿の記者会見に於いて発表された、米国よりの戦術機大量一括調達計画は、彼ら若手士官の間に激震をもたらした。
 度重なるBETAの侵攻を命懸けで跳ね返し、国土を護る御国の盾としての誇りを胸に、日々過酷な訓練と戦いに身を投じている彼ら帝国軍若手士官である。
 彼らにとって、ようやくの思いで先達らが国産に漕ぎ着けた戦術機を、横浜へのG弾投下以来敵にも等しい米国から、しかも大枚を投じて調達するなど利敵行為にも等しい行いであった。

 しかも、調達するのは国内でも生産されている、『陽炎』の基となったF-15の旧式機、しかも中古であるという。
 その様な機体を用いて戦うなど、彼らの誇りが決して許さざるところなのであった。
 しかも、政威大将軍殿下が常日頃から心を痛めておられる、民衆の助勢に充てる予算も事欠く有様で、一体何処からその様な予算を捻出するというのか。

 以前より、米国に対する弱腰外交と、前線将兵に対する装備の供給不足等々、政威大将軍殿下の御意思を軽んじ国政を壟断する政治家官僚達に、激しい憤りを溜め込んできた彼らは、この一件により我慢の限界へと一気に押しやられようとしていたのであった。
 そして、限界まで高まった内圧は、とうとう同志である筈の仲間に対しても噴出し、互いに傷付けんとするに至っていた。

「―――待て! 待ってくれたまえ、諸君。
 我々は、崇高なる大義を掲げる仲間ではないか。
 各々が、慎重論、強攻論に分かれて論じ合ったとしても、それは大義をより良く為さんとするが故だ。
 決して互いを侮辱しあうなどある訳が無い。
 諸君が先程より論じているように、我が国は今まさに岐路に立ち、道を過たんとしている。
 それを正しき道へと導かんとする我らが、互いに争って論を尽くせぬのでは、何を以って我らが依って立つ大義を証し立てる事が出来様か。
 諸君、危急の時であるからこそ、冷静さを失ってはならない。
 今一度、自身が何を成し得るか、何を成すべきなのか、冷静に考えて欲しい。」

 喧騒を、一喝の下に収めたのは、理知的な面差しの青年将校、沙霧尚哉大尉であった。
 帝都防衛第1師団第1戦術機甲連隊所属の名高い衛士であり、その腕前は富士教導団にさえ一目置かれ、しかも高潔な為人によって広く人望を集める傑物であった。
 そして沙霧に同調する者達は、軍に於ける階級では彼よりも高い地位にある者であっても彼を盟主と仰ぎ、同志を募って勢力を拡大し、国の行く末を正しき道へと復す手段を日々真摯に模索し続けているのであった。

 その甲斐あってか、近日に至ってようやく同志の充実を見ることが叶い、実力によって世直しを断行する事も、選択肢として浮かび上がってきた。
 彼らが見るに、政界、財界、軍上層部の腐敗は著しく、帝国は最早内憂外患に瀕死となっているかのように思われた。
 可能な限り、穏健な手段を模索するように指導し続けた沙霧も、事ここに至っては激しい痛みを伴おうとも、一気に患部を切除し内憂を取り除いて外患に備えざるを得ないとの見解に傾いていた。
 その矢先に起こったのが、今回の一件である。

 最早気の早いものは決起の為の勢力拡大、戦術研究にまで手を染め始めていたような所で発表されたのが、今回の調達計画である。
 この計画は、正に御国を裏切り、民衆を見捨て、米国に媚びるが如き行いであり、血気盛んな若手士官らを激発させるに十分すぎる火種となった。
 沙霧は、内心では十分な準備が整わぬ内に、彼らを激発させようとの謀略ではないかとも疑っていたが、このタイミングで仕掛けられては、最早押し留めたとしても、ようやくの思いで結集した同志達が分裂してしまうであろう事は明らかであった。
 よって、沙霧は断腸の思いで決起を断行すると決めた。
 後は、出来る限り最良の成果を得るべく、全力を傾けるのみと思い定めたのである。

「諸君等が理性の下、冷静に判断できると信じるが故に、私はここに方針を告げようと思う。
 2週間以内に我らは決起する!
 目的は帝都を一時的に制圧し、君側の奸を討ち、政威大将軍殿下のご威光を広く世に示して、御国の行く末をお導き頂く事である。
 能う限りに於いて、友軍、民衆を悪戯に損なう事無く、我らが大義を果たせる策を、諸君等は熟慮の上で練り上げて欲しい。
 いいか! 我らは万骨枯れるとも、必ずや御国に光を取り戻そうぞッ!!」

『『『 おおおおおーーーーーッ!!! 』』』

 雄叫びを上げる同志達を眼に映しながら、沙霧が脳裏に思い浮かべているのは、恩師彩峰萩閣の在りし日の姿と教え、そして、政威大将軍殿下の顔(かんばせ)であった。
 さらにもう1人、今では縁遠くなってしまった少女の姿が浮かびかけたが、沙霧は強固な意志の力でその面影を、胸の奥深くへと押し込めるのであった。




[3277] 第88話 光と影の狭間で
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/09/28 17:55

第88話 光と影の狭間で

2001年10月29日(月)

 18時43分、1階のPXで、夕食を殲滅し終えた207Bが、そのままミーティングに突入していた。

「―――と、いう訳で、オレの対BETA戦術構想は、そういう従来の過酷で悲惨な戦闘状況を改善する事が目的なんだが、そういった危機的状況が0になる訳じゃあない。
 そして、なまじ普段が楽になる分、それが当たり前だと思っちまって、危機感が欠如しちまうかもしれない。
 なによりも、従来の苛酷な戦場を知らないと、対BETA戦術構想の本質や理念抜きで、表面的な戦術だけを身に付けるようになっちゃいそうでさ……
 そしたらこの先、対BETA戦術構想がオレの手を離れた後、変な方向に変わっちまうような気がするんだよ。
 てことで、多少危険があったとしても、『対BETA心的耐性獲得訓練』は新衛士訓練課程には必須だと思うんだよな。
 大変だろうけど、頑張って耐え抜いてくれ!」

 207B女性陣に多大な精神的ダメージを与えた『対BETA心的耐性獲得訓練』の必要性について、武が熱弁を振るった。
 が、即座に無条件の同意が獲られるほど、『対BETA心的耐性獲得訓練』は甘いものではない。

「簡単に言うね……白銀、加虐趣味。変態?」
「しょ、正直、今晩うなされそうです~。………………タ、戦車(タンク)級が、戦車級の波が~~~。」

 彩峰は冷たい視線を武に向け、壬姫は涙をうっすらと浮かべて弱音を吐くと、続けて衝撃的な場面を思い返してしまったらしく、頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまった。
 その様子に、武はこめかみを人差し指で掻くと、敢えて彩峰をスルーして話しだした。
 彩峰が舌打ちをするが、武は断固無視して話を進める。

「だ、大丈夫か? たま。―――けど、今日は1回目だろ?
 ヘッドセット着けて、網膜投影と合成音声で、戦術機がBETAに撃破されるシチュエーションを、続け様に体験しただけだよな?
 まあ、文字通り手も足も出せないで、延々とやられ続けるのはきついだろうけど、それだけだろ?
 明後日の第2回に比べたら、何てことない筈だぞ?」

「明後日って…………きょ、今日よりもきついのがあるって事?!」
「え~っ! そんなぁ~っ!!」

 武の言葉に、千鶴が引き攣った顔で慌てて聞き返し、美琴も情けない悲鳴を上げる。
 が、武は何を当たり前の事を、と言わんばかりに頷く。

「え? 神宮司軍曹から日程の説明無かったのか?
 明日1日空けて、明後日に『対BETA心的耐性獲得訓練』の第2回、そして総戦技演習が最終回だ。」

「なに?! タケル、今度の総戦技演習は、『対BETA心的耐性獲得訓練』の総仕上げを兼ねると言うのか?」

 武の説明に、今まで自制を重ねて無言を通していた冥夜が、血相を変えて訊ねた。
 他の4人は、既に真っ青になって、表情を引き攣らせている。
 武は肩を竦めると、冥夜の問いに応えた。

「ん? まあ、そういうことになるかな。
 通常、総戦技演習は、心身共に極限状態に追い込んで、その状況下での判断力、行動力、団結力を評価するだろ?
 今回は、基地内での仮想演習になるし、日程的にも半日しか行わないから、身体的には大分楽だ。
 まあ、衛士強化装備を装着して、擬似的に身体的負荷をある程度再現するけどな。
 で、その分心理的負荷が大きく設定されていて、それが『対BETA心的耐性獲得訓練』の総仕上げを兼ねているって訳だ。」

「「「「「 …………………… 」」」」」

「今日の『対BETA心的耐性獲得訓練』でも気付いたと思うけど、やられる前に結構BETAを倒しているシチュエーションが多かった筈だ。
 例外は、突撃級の突進をもろに受けて押し潰されるケースだろうけど、それ以外は大抵倒しても倒しても、後から後から湧いて群がってくる、BETAの数に圧倒されてやられていたんじゃないか?
 戦術機は大抵の場合、単体のBETAなら圧倒できるだけの戦闘能力を持っているんだ。
 だから、BETAの恐ろしさは、生理的嫌悪感を刺激される外見でも、その人間を遥かに超えた戦闘能力でもない。
 強いて言うなら、際限の無い物量なんだけど―――本当に恐ろしいものはその先にある。」

 意味ありげに言葉を切って、皆を見回す武。
 その武を、他の5人は固唾を呑んで見詰める。
 その5人に、武は真剣な表情になって言葉を続けた。

「―――本当に恐ろしいのは、仲間が喪われていく事だ……
 BETAの圧倒的な物量の前に、部隊の仲間が1人欠け、2人欠け……しかも、その度に悲鳴と怒号が、悲しみと憎しみが吹き荒れて、その場に居る者を呑み込んでいく。
 その、阿鼻叫喚の雰囲気に呑まれ、我を失った者が次に犠牲になり、更に混乱が拡大する。
 そうして、混乱が拡大していった結果、部隊が壊滅し、戦線が壊乱するんだ。
 衛士は、その恐ろしさを知って、その上でそれに耐えて、戦闘を維持できなければならない。
 その悲惨さを心に焼き付け、それを可能な限り避ける為に、全力を尽くすべきなんだ!」

 武は、一旦言葉を途切れさせて目を閉じると、戦場に散っていった多くの衛士達に思いを馳せた。
 そして、決意と共に目を見開いて、自身が護りたいと思っている仲間達に、力強い視線を投じて話を続ける。

「―――だから、オレは総戦技演習に『対BETA心的耐性獲得訓練』を組み込んだ。
 総戦技演習の合否とは別に、『対BETA心的耐性獲得訓練』後の心理検査が行われ、心理的耐久力に欠けると判断されたものは、個別に弾かれて不合格となる。
 BETAとの戦いでは、BETAと同じくらいに平静心を失った仲間が恐ろしい敵になるからだ。
 確かに厳しいかもしれない。衛士を目指して頑張ってきたお前達……いや、今後の衛士訓練兵達には過酷な試練になるかもしれない。
 けれど、それが実戦での戦死者の減少に、延いては人類の勝利に繋がっているとオレは信じている!
 大丈夫だ、おまえらはこのくらいの事で挫けたりするほど柔じゃない!
 『対BETA心的耐性獲得訓練』を、総戦技演習を乗り越えて、戦術機操縦課程に進むんだ!!
 そうしたら、『対BETA心的耐性獲得訓練』でBETAに苦戦していたのが嘘と思えるほどの力を、おまえらに見せてやる。
 BETA共を駆逐して、地球を取り戻す為の刃は既に用意してある!
 後は、その刃を振るうに相応しい衛士が居ればいい。
 そして―――おまえらが、その刃の担い手になるんだ!!」

「わ、解ったわ!」「うむ、必ずや試練に打ち克って見せよう。」「絶対になるよ……」「が、頑張ります~!」「う~ん、なんか、わくわくしてきたよ~。」

 武の言葉に、207B女性陣は、各自なりの決意を込めた答えを返す。
 その瞳には、真剣で確固とした意志の光が宿っており、武は喜色を浮かべて皆に頷きを返した。

「ああ、おまえらなら、絶対に総戦技演習に合格して、世界に誇れる衛士になれる!
 頑張れよ! みんな!!」

「「「「「 了解! 」」」」」

 一斉に上がった応答に、PXに居合わせた周囲の視線が集まるが、部隊ミーティングがPXで行われる事自体はそれ程珍しくない事と、声の主が訳有りとして知られる衛士訓練兵達だった為に、視線は直ぐに離れていく。
 そして、周囲の視線など気にもせずに、207Bは次の懸念事項へと話題を移していた。

「―――ところで白銀、戦術機甲部隊の小隊運用と戦術、実戦での留意点について教えてほしいんだけど。」

「ん? ああ、今日の午前中にやった総合模擬演習の話か。
 前に話したかもしれないけど、実戦に於ける命令系統はHQからのトップダウンではなく、前線の部隊指揮官に多くの情報と権限が与えられ、高度な判断を要求する逆ピラミッド型で運用される。
 つまり、戦略的な判断や要求事項をHQが下し、現場での個々の部隊の運用は、それに沿った形で前線の部隊指揮官が判断して実行しなけりゃならない。
 だから、小隊を率いる小隊長は、自身の小隊が求められている役割と、周辺部隊全体で果たすべき戦術目標、戦況、戦略的指針を基にして、命令を如何にして果たすかを考えなければならない。
 何処で、どうやって、どの程度の時間、どれだけの損害を覚悟して、戦うのか。
 刻々と変わる戦況に目を配り、部下の状態を把握し、折々に適切な指示を出しながら、自身も戦い続け、可能な限り生き延びなければならない。
 何故なら、指揮官が戦死するという事は、指揮系統の混乱を意味し、部下の安全と、作戦の達成を脅かすからだ。
 だから、指揮官はまず何よりも、自身の安全を確保しなければならない。
 通常、小隊長の装備が盾―――92式多目的追加装甲を装備する、迎撃後衛(ガン・インターセプター)装備になるのは、少しでも生存率を上げる為だ。」

「…………盾持ちなら、突撃前衛(ストーム・バンガード)装備も同じ?」

 武の言葉に、彩峰が口元に拳を当てながら、なにやら勘案するように訊ねる。
 武はそれに頷いて応える。

「まあ、一応そうなってるな。けど、所謂ストームバンガード―――突撃前衛小隊は、中隊編制に於ける切っ先だ。
 攻撃力を優先して87式突撃砲を2門装備する、強襲前衛(ストライク・バンガード)装備を選択する衛士も多いぞ。
 最近の近接格闘戦闘では、回避に重点が置かれる所為もあるんだけどな。
 ああ、そういう意味では、同じ小隊長でも突撃前衛長だけは、安全策じゃなくて、その圧倒的な戦闘能力で生き残るのを身上にしている人も多い。
 部隊の先鋒を担う突撃前衛小隊では、最も打撃力のある指揮官が、先頭に立って切り込むのが基本だからな。」

「そうか。突撃前衛小隊は損耗も激しいと聞く。なればこそ、指揮官が先陣に立って士気を鼓舞するのだな。」
「ふえぇ~~~。す、凄いんですねえ~。」
「う~ん、近接格闘戦闘も、部隊指揮も、戦況把握まで同時にこなさなきゃならないなんて、人間業じゃないよ~。」

 武の説明に、冥夜が腕組みをして頷きながら言葉を発し、壬姫と美琴が感想を述べた。

「まあ、そこまで何でも出来る人間はそうは居ない。だからこそ、中隊編制で3個小隊の内突撃前衛小隊は1個小隊だけで、他の2個小隊の支援を受けるんだ。
 突撃前衛長も、多少は戦況把握を他の2人の指揮官に委ねる事が出来るってわけさ。
 で、指揮官が戦況を判断するに当たって注意すべき事だけど……」

 武の説明は、実践的なケーススタディーに移って行く。
 それは、基本戦術ではなく、判断に迷い易いシチュエーションの説明と、その際の選択肢や判断基準であった。
 207B女性陣は皆真剣な顔をして、武の話を一言一句聞き漏らさぬように、耳をそばだてていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年10月30日(火)

 08時23分、B19フロアの中央作戦司令室に、香月夕呼副司令が1人の若者を伴って入室してきた。

 夕呼は、司令室に詰めていたCP将校達に、軽く手を振って構わないで良いと伝えると、さっさと指揮官席に座ってしまう。
 何か作業でもするのかと思われたが、特に何をするわけでもなく、連れて来て背後に立たせていた若者と世間話を始めてしまった。
 相変わらず傍若無人な振る舞いだと司令室に居合わせた者達は思ったが、何時もの事ではあるので誰も拘わろうとはしなかった。

「ちょっと白銀ぇ~、そんなおのぼりさんみたいにきょろきょろすんの止めなさいよね~。
 あんた、今はあたしの従卒扱いなんだから、びしっとしてなさいよ、びしっと~。」

「いや、そうは言いますけど、中央作戦司令室だなんて、オレ初めてですよ!
 なんか、良く解んないけど、凄え、凄ぇ格好いいですよ!!」

「あ~はいはい……ったく、連れて来るんじゃなかったわ……」

 そんな暢気な会話に聞き耳を立てながら、男は心中で苦笑した。

(―――まったく、機密も何もあったもんじゃないな。
 まあ、香月博士にしてみたら、此処の情報になど大した価値は認められないのだろうな。
 何しろ、自分が統括している第4計画の防諜体制は、実にしっかりと構築しているのだから。
 全く、あんな調子で少しはいい加減にやってくれれば、私の任務も楽になるのだが……
 ―――それにしても、あれが207に配属になったという白銀武か…………なんて能天気な若造だ。
 あれで本当に実戦経験があるのか? いや、表向きの軍歴など当てにならんか。
 香月博士なら、何とでも出来るだろうし、実際白銀の個人情報は1998年以降の裏付けは殆ど取れなかったしな……)

 CP将校としての仕事に集中しているように見せながら、その男は夕呼と武の会話を一言一句漏らさずに聞き取っていた。
 内容は実に下らない事柄であったが、そういった会話からでも、時に貴重な情報の手掛かりが掴める場合もあるし、何よりもプロファイリングには役立つ。
 当面、男の最大の敵手たる夕呼の内面は、中々に窺い難く混沌としており、その高い知性と能力もあって現状難攻不落と言わざるを得ないのであった。

 結局、夕呼はラダビノッド基地司令に用があったらしいのだが、10分ほどその場で武をおもちゃにしている内に、ピアティフが呼びに来て司令室から退室していった。
 有力な情報を得られなかった事に落胆しつつも、男は記憶の中のメモ帳に、白銀武の為人と、夕呼との関係に関する考察を書き加えた。



「で、上手くいったの? 白銀。」

「ばっちりですよ、夕呼先生。
 それじゃあ、さっきリーディングした情報と、『前の世界群』で収集した情報を基に、横浜基地の各部署を虱潰しにしてきますね。」

 司令室を後にした夕呼と武は、ピアティフと別れて夕呼の執務室に来ていた。
 先程まで武は、中央作戦司令室での3文芝居の傍ら、プロジェクション能力を使用した催眠誘導を実行し、米国のオルタネイティヴ5推進派に属する上級工作員から情報をリーディングしていた。
 帝国に潜伏している工作員の中でも最上位に近い『男』に催眠誘導を施し、彼の知る限りの諜報組織の情報を、武は全て読み取った。
 そして、催眠誘導を解く前に、武と夕呼の会話を盗み聞きしていたという擬似記憶を植えつけてきたのだった。

 そしてこれから武は、手がかりと言うには広範かつ精密に過ぎる入手情報を基に、国連軍横浜基地内各所に潜伏している工作員達から、同様に情報収集を行うつもりであった。
 『前の世界』でみすみす横浜基地の反応炉と、少なからぬ人員の生命を失った事態の二の舞を、武は演じる気はさらさらなかった。
 クーデターを勃発させようと、帝国の政財界と軍部で暗躍する者達と共に、武は横浜基地からも工作員を一掃してしまうつもりでいる。

「そうね、邪魔臭いネズミは、この際ちゃっちゃと退治しちゃおうかしらね。
 あ、そうそう白銀、あんた、方面軍司令部に巣食ってる親ネズミどもの尻尾もついでに掴んでくんのよ?
 さもないと、また子ネズミを送り込んで来るに決まってんだから。」

「了解です。じゃあ、何とか今日中に目処をつけてきますね。なるべく午後の訓練には顔出したいですし。
 あ、なるべく人目には付かない様にしますけど、どうしようもない場合には夕呼先生の名前を出させてもらいますからね。
 先生怒らして罰ゲームで基地中あちこち走らされてるって言えば、大抵誤魔化されてくれるでしょうから。」

「なによ、その変てこな理由は!―――まあ、いいわ。
 それじゃあ、さっさと行きなさい!
 ―――あ、ちょっと待ちなさい。うっかり忘れてた事があったわ。
 ………………白銀ぇ、あんた今朝、鑑に興奮して失神したんですって?」

「んがっ!」

 今にも部屋を出て行こうとした武を呼び止めた夕呼は、実に楽しげに、嫌らしい笑みを浮かべながら言葉を放つ。
 その言葉に武は頭を殴られたかのように揺らして、呆然とした顔を夕呼に曝した。

「あんた、鑑如きに興奮なんかしないとか言ってなかったぁ?
 今朝は霞が付いてたから何とかなったけど、ちゃんと自重しなさいよねぇ。
 ―――出先で、ふらふら失神なんてするんじゃないわよ?」

「わ、解りましたよっ! じゃ、じゃあ、行ってきますね。」

 夕呼の、からかう様な言葉の真意が、ODLの異常劣化による自閉モードに陥るなとの注意と解るだけに、武は反論さえも儘ならずに執務室から逃げ出した。



 かくして、武はその日の午前中を、横浜基地の各部署を往来して過ごす事になった。
 横浜基地の要員の配置情報を基に、監視映像も参照しながら、ブラックリスト上に上がった人物を虱潰しに調べていく。
 基地のセキュリティーは00ユニットに対しては無力どころか、武が自身の行く手に人が居ないかを確認する手段と化し、武は殆ど人目に触れる事無く移動していく。
 目標の人物の付近―――隣室や、人気の無い通路、排気ダクトやメンテナンス用の空間などを使って、1人当り数分のプロジェクションによる催眠誘導と情報のリーディングを続けていく。

 移動時間もあるので、1時間で調べられるのは4~5人。
 武は午前中3時間、昼休み1時間、午後2時間を費やして38名を調査した。
 昼食時の1時間の間に、PXを効率よく回る事で、15名調査できたのが大きく、38名の中には『前の世界群』で衛士を唆して冥夜に文句を付けさせようとした者や、憲兵隊に潜伏していた者達も含まれている。
 ブラックリストの人名は、調査によって数を増したが、様々な取引、脅迫などで協力させられている者や、基地の中に存在しない者などを除くと、粗方の調査が終了した。

 一応の調査を終えた武は、207Bの受けている訓練に合流すべく、第3多目的端末室へと急いだ。
 第19独立警備小隊や、ヴァルキリーズの訓練状況も気になるのだが、特殊任務から無事帰還した事だけは昨日の内に一応伝えておいた為、総戦技演習を目前に控えた207Bの方が、今の武には気になっていた。
 殊に、今回は過密なスケジュールの為に、207Bと共に過ごせる時間も少なく、『対BETA心的耐性獲得訓練』と総戦技演習を組み合わせた事もあって、武は心配で仕方がなかったのだ。

 今日の予定では、午前中は近接格闘訓練で汗を流し、午後には机上演習で、昨日の午前中に行われた総合模擬演習のお浚いをしている筈だった。

 総合模擬演習は、新衛士訓練課程で学んだ戦術機の知識や従来の対BETA戦術を、様々な状況に合わせて的確に応用出来るかが問われる机上演習だ。
 内容は、207Bの各員が小隊長として、戦術機甲部隊を指揮するものとなっている。
 戦術機の操縦こそしないものの、小隊各機のステータス情報や、詳細な地形情報、襲い掛かってくるBETA、刻々と変化していく周辺状況。
 それらにリアルタイムで対応して部隊を運用しなければならない、実戦さながらのシミュレーター演習である。

 今日の机上演習では、昨日の総合模擬演習と同じ状況を、HQの視点から捉えなおしてより広範な部隊を運用させる事で、先日自分達が命じられた作戦行動が、全体の中でどのような意味を持っていたのかを追認出来るように考えられていた。
 前線での局地的、戦術的な判断と、戦場全体を俯瞰した上での判断を共に経験させる事で、戦場で戦いながらも戦略的な意図や要求を的確に把握できるようにする為の訓練であった。

 明日はまた昨日と同様に、総合模擬演習と『対BETA心的耐性獲得訓練』が行われ、明後日の午後にはまた、机上演習が行われる。
 そして、明々後日が総戦技演習の当日となっていた。
 いや、武自身が207Bの皆に言った通り、2回行われる総合模擬演習や『対BETA心的耐性獲得訓練』自体が、総戦技演習の予行のようなものであり、この段階で問題が発生しているようでは、総戦技演習の合格は覚束ないのである。

 武は祈るような思いで、ようやく辿り着いた第3多目的端末室の扉を開けた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 18時17分、1階のPXの何時もの席で、207B所属訓練兵6名は夕食後の歓談を行っていた。

「それにしても白銀、午後の訓練まで途中参加だなんて、特殊任務は終わったんじゃなかったの?」

 千鶴に問いかけられて、武は唇をへの字に曲げて、眉を寄せて愚痴る。

「それだよそれ! 聞いてくれよ委員長。
 昨日、命懸けの任務から戻って報告上げたばかりだってのに、早速、副司令から山の様に仕事を押し付けられたんだよ!
 今晩もこれから基地の外に出かけなきゃならないし、総戦技演習直前の訓練兵に何やらせるんですかって文句言ってみたんだけどさ……」

「え~~~っ! タケルぅ、それって自殺行為じゃない~。
 この基地で、副司令に逆らうだなんて、そんな馬鹿なことする人いないよ~?」

 武の言葉に美琴が驚愕の声を上げ、壬姫も両の拳を顎の下に添えてうんうんと頷く。
 しかし、口では心配そうな美琴も、そして壬姫も、何やら瞳を輝かせて武の言葉の続きを、楽しげに待っている。

「そしたらさ、副司令ときたらさ、『あんたにとっては総戦技演習だなんて今更でしょ? 他の訓練兵たちが必死に頑張ってる分、あんたも必死に働きなさい。』だなんて、思いっきり舌なめずりしそうな笑顔で言うんだぜ~。
 まったくもうっ! 勘弁してくれよお……オレが、何かしたってのかよ~~~。」

 そう言って、頭を抱えて机に突っ伏してしまった武に、彩峰が冷笑とともに放った言葉が突き刺さる。

「ふっ……無様……まだまだ若造ですよ……」
「あがぁ~~~~っ!!」

 彩峰の追い討ちに身悶えする武。
 そんな武を、さすがに笑みを浮かべて見ながらも、冥夜は一応のフォローをした上で問題点を指摘した。

「まあ、そう言うな、彩峰。
 しかし、総戦技演習を前にタケルに教えを請いたい事は幾らでもある。
 そういう意味では、タケルの多忙は我らにとっても他人事ではないな。」

「そうね。御剣の言う通りではあるけど、どうせ訓練中は大した相談もできない事だし、白銀は私達の訓練記録を閲覧できるんだから、夜の空いた時間にでも相談に乗ってもらえば何とかなるわよ。
 てことで白銀。仲間として、私達の為に時間を作ってくれるわよねえ?」

「なるほど、確かに榊の言う通りだな!」「……そだね。2、3日なら寝なくたって死なないし。」「たけるさ~ん、壬姫嬉しいです~。」「わぁ~、タケルぅ~、ボク感激だよお~~~!」

 冥夜の言葉に同意はしたものの、千鶴は人差し指を立ててにやりと人の悪い笑みを浮かべると、名案とばかりに解決策を述べる。
 そして千鶴は、何故か挑戦状を突きつける様な迫力で、武に同意を迫った。
 他の4人も、武の応えを待たずに口々に同意や感謝の言葉を述べる。

「お、おまえらまで、オレに仕事を押し付ける気なのか………………
 く、くそぉおっ! 解った、解ったよっ!!
 明日も明後日も、睡眠時間削って時間作ってやればいいんだろっ!!!
 その代わり、絶対に総戦技演習に受かれよなっ!」

「何言ってんのよ、あたりまえでしょ?」「白銀、馬鹿?」「が、頑張りますね!」「ひっど~い、タケル、ボクらを信じてくれてないの~?」

 やけ気味に叫び声を上げた武に、口々に応じる千鶴、彩峰、壬姫、美琴の4人。
 内容の殆どが文句でも、全員が一様に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
 そして最後に、莞爾とした笑みを浮かべた冥夜が、武に誇らしげに語りかける。

「我らを見縊るでないぞ、タケル。我らの望みは最早総戦技演習に合格する事ではない。
 我らは既にその先に眼を向けている。
 他ならぬ、そなたが我らに教えたのだ。
 怨敵BETAを打倒し、地球を取り戻すと言う希望をな。
 我らは必ずや衛士となり、そなたのもたらす力で、BETA共を討ち果たしてみせるぞ!」

「冥夜……それに、おまえらも!」

 この日の調査で武は、人の心の闇の中で尚、黒々とわだかまる汚泥の様な欲望や愚行、他者を落し入れ悦に入る下劣な品性などに触れていた。
 その為、それらの汚泥が、身体中に纏わり付いたかの様な不快感を感じ続けていたのだが、皆の言葉に不快感が一掃されたような心地になった。
 人類は確かに追い詰められ、人々の中には希望を失い自制をかなぐり捨てて、己が安逸や悦びのみを追い求める者も増えているのは確かだろう。
 しかし、未だに理想を追い求め、滅私の心で力を尽くす存在も少なくは無いのだと、武は改めて実感した。

 武は、自分が護ろうとしていた彼女らが、今までの数多の世界と同様に、自身を励まし活力を与えてくれている事に深く感謝を捧げる。
 そして、彼女らの輝きを曇らせない為にも、ありとあらゆる手段を尽くして、より良い未来を掴んで見せるのだと、武は改めて決意するのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 23時05分、横浜基地の来客用駐車場の通用口に、武が独り姿を現した。

 すると、近くの駐車スペースに止まっていた大衆車のエンジンが動き出し、ライトを点灯して武の前に滑り込んできて停車する。
 武は躊躇する事無く助手席に乗り込み、ドアを閉めた。
 車はそのまま速やかに走り出し、基地のゲートを抜けると夜の闇へと走り去っていった。



「鎧衣課長が、自分で来てくれるとは思いませんでしたよ。」

 助手席に座った武が、前を見たままでそう告げると、車中にも拘らずパナマ帽を被りコートを羽織った姿で、ハンドルを握る鎧衣課長が、ニヤリと何処か獰猛な笑みを浮かべて応じる。

「なに、部下には残業を命じてしまってね。私しか身体が空いてなかったのだよ、シロガネタケル。
 機密回線で、午後に送られてきた情報は読ませてもらった。
 情報省でも察知できていなかった情報もあり、ちょっとした騒ぎになったよ。
 ああ、安心してくれたまえ、情報を閲覧したのは私の直属の部下だけだ。
 上司にすら報告は上げていないさ。
 何しろ、当の本人の名前がリストに載っていたのではねえ。」

「リストに載っていたとは言え、相手との駆け引きの為の繋がり程度じゃないんですか?
 まあ、今回の事が済むまでは、その上司の方には休暇でも取ってもらった方が良さそうですね。」

 饒舌な鎧衣の言葉に、武は早くもうんざりしながらも応えた。
 すると、鎧衣課長は得たりと頷きを返して、更に滔々と語り始めるのであった。

「うむ。私も君と同じ意見だったのでね。
 上司を説得して、情報省の地下に密かに用意されている福利厚生施設で、激務の疲れをたっぷりと癒してもらう事になったよ。
 いやいや、情報省という所は中々に人使いの荒いところでねえ。
 滅多に長期休暇など取れないところなのだよ。
 ああ、なんと羨ましい事だろう。私などは、激務の合間を縫って、世の美しき方々の為に更に身を粉にして尽くす毎日だというのに。
 いや、無論、美しき方々に尽くす事に不満などないとも。
 私はその為にこそ生きているといっても過言ではないのだからね。
 そもそも、美しき存在とは外見の美醜のみにて論ずるべきものではなく、その存在の―――」

 武はリーディング機能を起動すると、鎧衣課長の良く回る口の更に何倍もの速度で展開する思考を読み取る。
 その中から、薀蓄を取り除き、鎧衣課長の部下の配置状況、この後の行動予定など、鎧衣課長が薀蓄の影で巡らす様々な段取りを抽出した。
 その段取りは十分に練られたものであり、武がわざわざ口を挟む必要も無さそうであった為、武は遠慮なく覚醒レベルを落として眠ってしまう事にしたのだった。



 そして、約1時間後。
 車は、帝都の繁華街に程近い路地裏に到着していた。

「着いたぞ、シロガネタケル。さっさと起きたまえ。
 まったく、運転手をほったらかしにして眠ってしまうとは、君は助手席に座るもののマナーと言うものを知らないのかね?
 そもそも、我が国に於いて車の運転席の隣を助手席と言うのは、車の乗り降りを助け…………」

「その話はオレも知ってますよ。助手が乗っていたから助手席って呼んだって話ですよね。
 それよりも、案内を頼みます。というか、オレ、国連軍のC型軍装なんですけど……」

 覚醒レベルを活動レベルまで上げた武は、鎧衣課長の薀蓄を遮って、話しかける。
 鎧衣課長は、眉を上げて感心したような顔をすると、後部席に頭をひょいと傾けて武に告げた。

「ほう……見かけによらず、意外と物を知っているようだな、シロガネタケル。
 後部席の袋の中に服を用意してある。それに着替えたまえ。
 靴から帽子まで、黒一色の一揃え………………を、用意したかったのだが、却って目立ってしまうのでね。
 残念ながら、極普通の服を用意させてもらった。
 尤も、拵えはともかく、生地は昨今なかなか手に入らない天然物だ。
 古着ではあるが、それがまた程好い味わいを…………」

 武は鎧衣課長の薀蓄を聞き流しながら、助手席を降りて後部席に乗りなおす。
 そして、手早く軍装を脱いで、袋の中の衣服を身に着けていった。



 数分後、帝都の住民―――さほど裕福ではないものの、生活には困っていない家の若者、しかもこのご時勢に大して苦労もした事がないような、どこかお気楽な雰囲気を纏った武が後部席から姿を現した。
 田舎から上京してきたと言う設定なのか、武は大きな旅行鞄を手に提げている。
 そして、息子を甘やかす父親のように、楽しげな笑みを浮かべた鎧衣課長も運転席から姿を現し、二人連れ立って繁華街へと歩いていく。
 暫し後、鎧衣の部下が姿を現すと、車に乗り込んで何処かへと走り去っていくのであった。

 一方、武と鎧衣課長は繁華街へとやってきたのだが、現在帝都は戦時統制化にある。
 大通りでさえ薄暗く、高い塀が料亭の中の灯りや喧騒を遮り、僅かに入り口の近くが提灯や電灯の明かりで照らし出されているだけであった。
 とは言え、深夜であるにも拘らず、人の往来は途絶えては居らず、店の小者や出入りの業者が、所要を片付ける為に早足に行き交い、また身なりの良い客らしき人々も稀に姿を垣間見る事ができた。

「ああ、ここだここだ。さあ、尊人、遠慮せずに入りたまえ。
 私とて、そうは利用できない高級料亭だが、息子が出来た祝いだ。たまには贅沢もいいだろう。
 いや、実は私は以前から逞しい息子が欲しくてねえ………………まあ、逞しさは些か物足りないが、れっきとした男には違いない。
 ああ、うれしいなあ。」

「最後のところだけ、なんで棒読みなんですか?
 大体、尊人って……いや、まあいいですけどね……」

 そんな会話をしながら料亭に姿を消した武と鎧衣課長。
 武の偽名は、美琴が男だったら名付けようと思っていたという『尊人』にされていた。
 『元の世界群』の尊人を知る武としては、何とも言えない感慨があるのだが、反論はせずに素直に受け入れる事にした。

 この料亭に着くまで、そして運ばれた料理を食べている間に、鎧衣課長の様子を窺いに忍び寄ってきた人間は十指に余った。
 武はそれらの人物の表層意識をリーディングして、その目的や素性を割り出していく。
 一旦思考を特定してしまえば、多少離れていようが、間に遮蔽物があろうが、大体の位置は感知できる。
 盗み聞きをしに来た者に対しては、武は催眠誘導を仕掛ける余裕すらあった。

 横浜基地での調査により、米国の息がかかった工作員の拠点のひとつと判明した料亭で、武と鎧衣課長は暫しの時を過ごし、特に何事も無く食事を終えて店を後にした。
 その二人の後をつけて来る者達もいたが、それらの相手は鎧衣課長の部下が足止めし、尾行者を振り切った2人は帝都の闇へと姿を消した。
 店内に潜むCIA現地工作員統括者から、大量の情報が得られた為、高い食事代を支払っただけの価値は十分あったと思う武であった。



 その後も、休憩や移動を挟みつつ、翌日の夕方まで2人は帝都の各所を巡り、武は数多くの工作員や、政界、財界、軍部の協力者達に密かに接近し、彼らの秘密を収集していった。
 これらの情報は、鎧衣課長の部下達が総動員されて裏付け捜査を行い、可能な限りの証拠が集められた。
 上司である鎧衣課長と国連軍人が派手に動き回って陽動するとあり、部下達は常にも増して精力的に活動を行った。
 その成果は夜を徹して纏められ、翌々日―――11月01日には武の手元へと届けられる事となっていた。

 因みに、武によってもたらされた情報は、鎧衣課長とその部下が1年に亘って収集してきた情報をも、軽く凌駕するものであったという。




[3277] 第89話 未明に在りて曙光を求めん
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:05

第89話 未明に在りて曙光を求めん

2001年10月31日(水)

 17時59分、1階のPXでは207B女性陣が、のろのろと夕食を咀嚼していた。
 顔色も悪く、表情は陰鬱で、生気がゴッソリと削げ落ちたその様子に、周囲に居合わせた者達までもチラチラと様子を窺っていた。

 しかし、彼女達の様子はその直後に一変する。

「あ! たけるさんだ……」
「あ、ほんとだ!」「なに?!」「!!」「白銀?」

 夕食を突きながらも、時計とPXの入り口に時折視線を投げていた壬姫の言葉に、全員の視線がPXの入り口の方へと一斉に向く。
 そして、その視線の先では、武が配膳口で京塚のおばちゃんと話を交していた。

 武の姿を確認した207B女性陣は、各々のやり方で自身に活を入れていく。
 冥夜は3秒ほど目を閉じて瞑想すると、目を見開いた時にはいつも通りの覇気を身にまとっていた。
 千鶴は口をへの字に引き結び眉を寄せて集中し、ふっと力を抜くけばそこにはいつも通りのゆとりが見受けられた。
 彩峰は眉を寄せて数回深呼吸をすると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてから、猛然と夕食に挑みかかった。
 壬姫はすーはーすーはーと、肩を上下させて息をすると、両手を胸の前でぎゅっと握り締めて気合を入れた。
 美琴は天井を見上げてなにやら妄想を始め、徐々に顔が笑み崩れていく。そして顔を下した時には、既に上機嫌でニコニコと笑みを浮かべていた。

 そうして、彼女らが態勢を整え終えた所に、夕食の乗ったトレイを手にして武がやって来る。

「タケル!」「白銀。」「……」「たけるさ~ん!」「タケルぅ!」

 約1名、脇目も振らずに夕食と対峙する者がいたが、5人に迎えられて武はいつもの席に着いた。

「よう! みんな、思ったよりも元気そうだな!
 今日は耐性獲得訓練の2回目だったろ? あれは、熟練衛士にも堪えるような内容なのに、大したもんだぞ!」

 武は、この時間になっても残っている夕食を見て、5人が虚勢を張っているに過ぎない事を察していたが、それには気付かぬ素振りで、皆を盛大に褒め倒す。
 実際、『対BETA心的耐性獲得訓練』の2回目を終えた直後に、虚勢を張ることが出来るだけでも大した精神力であると言えた。

「む……確かに、友軍衛士等が倒れていくのを目の当たりにしながら、手を拱いているだけというのは些か堪えたがな……」
「そうね、BETA相手の実戦の厳しさは、今までもそれなりに認識していたつもりだったけど、あれほど凄惨な状況だとは、ちょっと想像が付かなかったわ。」
「そうだねー。ボクも、あれほど悲鳴や怒号が飛び交っているとは思わなかったよ~。しかも、連続して山ほど見せられたからね~。」
「はわわ……ま、まだ、悲鳴が耳にこびりついてる様な気がします~。」
「やっぱり、白銀は加虐趣味……」

 武の言葉に、5人は顔を顰めて口々に感想を述べる。
 『対BETA心的耐性獲得訓練』の2回目では、BETAとの交戦によって部隊が壊滅状態となった際の状況を、機体のレコーダーからデータを吸い上げて再構成したものを、延々と3時間に亘って体験するという地獄巡りにも等しいものであった。
 画像は記録されていたデータから再構成された仮想映像だが、音声―――殊に衛士達の会話は、一部固有名詞を差し替えただけでそのまま流されている。
 BETAへの怒りや憎しみに満ちた怒号、BETAに打ち倒された衛士の上げる絶望や苦痛に満ちた悲鳴、仲間を失う悲しみと焦りに満ちた叫び、そして、それでも尚、己を犠牲にしてもBETAを倒そうとする衛士達の凄絶な戦い。
 強烈な意思と想いが混沌と渦巻いて吹き荒れる最中、次々にBETAの数に飲み込まれ押し潰されていく衛士達の姿は、傍観する事しか出来ない身には酷く堪えるものであった。

 BETAとの戦いが厳しいものである事は、207B女性陣とて話に聞いて解っていたつもりだった。
 しかし、それは無味無臭の希薄な概念でしかなく、目を閉じ耳を塞ぎたくなるような凄惨さとは無縁のものであった。
 『対BETA心的耐性獲得訓練』は、BETA相手の実戦の過酷さを、彼女達に容赦なく突きつけたと言える。

 先日の『対BETA心的耐性獲得訓練』1回目では、BETAの恐ろしさ、手強さを思い知らされたが、あの時は嫌悪感と恐怖にさえ耐えればよかった。
 己を鍛え上げさえすれば、このような事態には陥らない筈だと、自身を奮い立たせる事さえできた。
 しかし、今回の訓練では、問題は自分の内にだけあるのではないのだと、切実に思い知らされる事となった。

 戦場を飛び交う衛士達の感情のこもった叫びに、彼女達は冷静を保つ事すら出来なかった。
 互いの様子を確認する余裕すらなかったが、全員が一度は目前で繰り広げられる悲劇から逃避しようとしては、まりもの怒声によって引き摺り戻されていた。
 まさに狂気と紙一重まで追い詰められていたのではないかというのが、5人に共通した認識である。
 しかし、それでも尚―――彼女らの、衛士となってBETAと戦うという意思が折れる事はなかった。

「でも、白銀が必死になって対BETA戦術構想を考え出した気持ちが、私にも少しは解った気がするわ……」
「そだね……」
「うむ、あのような陰惨な状況は、断固として打破せねばなるまい。タケルの取り組んでいる事が如何に重要か、改めて思い知ったぞ。」

 そして、実戦の凄惨さを実感した事をバネにして、彼女達は自身の意欲を更に押し上げる。
 あの凄惨な状況を打破するのだと、その為の方策は既に確立しているのだと、武が自分達に語った言葉を信じ、彼女達は、ただ只管にその希望へと手を伸ばし掴み取ろうとしていた。

「たけるさん! 私達が新衛士訓練課程をやり遂げれば、あんな悲劇を減らせるんですよね?」
「ああ、減らせるとも! オレが保証してやる。」
「よぉお~~~しっ! ボク、俄然やる気が湧いてきたよ~」

 武は皆の顔を見回すと、微かに瞳を潤ませて思う。

(凄ぇ、凄えよ、おまえら……おまえらなら総戦技演習合格間違いなしだ!
 そしてきっと……衛士になってBETA共と戦うんだな……
 オレ……お前らがリタイアして衛士になれなくてもいいかもしれないって、前に思っちまったこともあるよ……
 けど、生きてりゃいいってもんじゃないもんな!
 どう生きたかが……おまえらが自分の生き様に納得出来るかが大事なんだよな?
 オレは、おまえらが望みどおりに衛士になって、BETA共をぶちのめして、生き残って勝利を味わえるように、全力を尽くしてやるからな!!)

 今や、彼女達は『対BETA心的耐性獲得訓練』程度では、決して挫けはしないのだと武は確信するに至った。
 いや、過去の数多の記憶から、とっくに知っていたと言ってもいい。
 そして彼女らは、自らの資質と意思を、明確に証し立てて見せた。
 武はその意思に応えて、彼女らが死なずに戦い続けられるような環境を確立して見せるのだと、その決意を新たにするのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 23時13分、B19フロアの夕呼の執務室を武は訪ねていた。

「おっそ~~~い! 白銀~、あんたねぇ、あたしん所に来るのを一番最後に回すって一体どういうつもりなわけ?」

 執務室に入るなり、夕呼に文句を言われた武は、目を丸くして驚くと、自身の行動を思い返す。
 昨夜からこの日の夕方にかけて行った帝都での諜報活動から、武が横浜基地に帰還したのは18時00分前後である。
 部屋に戻って訓練兵の制服に着替えた武は、その足でまずPXに向った。
 そして、夕食を取りながら207Bの皆の様子を窺った後、207Bの訓練記録を閲覧してくると称して皆と別れた。

 実際には、207Bの訓練記録はPXに辿り着く前に既にデータ分析を終えてしまっていた為、武はそのままB19フロアのシリンダールームに直行。
 純夏に対するプロジェクションを行い、その後は霞とあやとりをして過ごした。
 19時30分頃には、ヴァルキリーズの夜間シミュレーター演習に顔を出し、みちると遙から進捗状況の聞き取り。
 20時00分からはPXで再び207Bと合流し、この日の訓練内容に関連した勉強会を行った。
 時折脱線しながらも、3時間近くに及んだ勉強会がお開きとなって、それからようやく武は夕呼の下に出頭したのである。

(………………なるほど、確かに後回しにしちゃってるよな……
 どうせ、基地に戻ってからのオレのテレメトリデータを見れば、何処で何やってたかは察しが付くだろうし……まずったなぁ……)

 自身の、基地帰還後の行いを振り返って、武は夕呼の言う事も尤もだと思った。しかし―――

「来るのが遅れてすみませんでした!―――けど、報告はメールで送付しておいた筈ですよ?
 もしかして夕呼先生、気付かなかったんですか?」

「んな訳ないでしょ! とっくに読んであれこれと対策まで練っちゃったわよ。
 けどね、それとこれとは話が別よ。
 白銀ぇ、あんた、このあたしを後回しにするだなんて、もしかしてあたしの事を嘗めてんじゃないでしょうね?」

 追い詰めたネズミをいたぶる猫のような夕呼の様子に武は、これは実害があったというよりは、拗ねた挙句の言いがかりに近いものだと納得し、自分の置かれた境遇を泣く泣く受け入れる事にした。

「あ~、済みません、夕呼先生。
 早い時間だと、先生は忙しいんじゃないかと思ったんですよ。
 それに、先生って夜昼無いような仕事ッぷりだったじゃないですか。だもんでつい……
 わ、悪気は無かったんですよ? 信じてくださいッ!」

「あんたねぇ。あたしが好きで夜昼無い暮らしをしてたと思ってんの?
 研究が大忙しだった所為で、仕方なくああなってただけよ。
 そうでもなけりゃ、誰が美容に悪い夜更かしなんかするもんですか!
 とは言え、夜間に睡眠時間を確保出来るようになったのもあんたのお蔭だから、今回は特別に許してやるわ。
 どうせ、今晩はこの後1時っから、国連本部と通信回線越しの会議があるしね。」

 武が両手を合わせて頭を下げて、平身低頭して謝罪すると、一応満足したらしい夕呼は矛先を収めた。

「うわ……深夜に会議ですか……大変ですね。
 まあ、時差がある以上、仕方ないんでしょうけど……」

「―――てことで、あたしは会議に備えて英気を養わなきゃなんないから、さっさと要点だけ話しなさい。」

 国連本部のあるニューヨークの、現地時間で午前11時からの会議と聞いて、武は夕呼の苦労を慮った。
 が、夕呼は一頻り文句を言って満足し、仕事モードに切り替わったのか、用件をさっさと済ませろと素っ気無く武をせかす。
 武は昨夜から今夕にかけての成果の中から、今後重大な影響を及ぼしそうな点に絞って、報告と自身の見解を述べていくのであった。



「―――ふうん、それじゃあ大筋では事前の予測どおりね。
 けど、さすがに国内で収集できる情報じゃ、方面軍司令部の将官を破滅させるにはちょっと足んないわね。
 でもまあ、ネタは上がってるんだから、鎧衣課長に言って証拠集めでもさせようかしら。
 ………………わかったわ。じゃあ、諜報活動の報告はこれでいいとして、明日の行動も予定通りってことね?
 明日の仕度は補給部に言って手配させてあるから、あんたは輸送部隊と同行して、07時45分に出発しなさい。
 じゃ、今日はもう行っていいわよ。」

「はい。それじゃあ、失礼します。」

 武が執務室を退出すると、夕呼はソファーへと移動して横になる。
 1時間ほど仮眠を取るつもりだったが、武が横浜基地へとやって来る前には当たり前だった、体の芯に染み付いたような疲労は既に然程感じなくなっていた。
 このところ、夕呼は1日6時間以上の睡眠を確保できていたし、武のもたらした情報と00ユニットの起動成功により焦燥感も影を潜めている。

(正直、大分楽になったわよね。
 白銀の『仕掛け』が一段落するまで2週間ばかりか……それまでは、精々英気を養わせてもらうとしましょうか。
 そのあとは………………このあたしが世界中を引き摺り回してやるわ―――)

 夕呼は目蓋を閉じると、近い将来に備えてあれこれと思いを巡らしていく。
 数分後、安らかな寝息を立てている夕呼の口元には、満足気な笑みが浮かんでいた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月01日(木)

 08時47分、斯衛軍旧川崎演習場の正面ゲートを、国連軍横浜基地所属の輸送部隊が車列を連ねて通り過ぎて行く。

 この日、国連軍横浜基地から斯衛軍に対して、試作OS及び対BETA戦術構想装備群の、試験供与が行われる事となった為である。
 車列を構成するのは2台の自律移動式整備支援担架と数台の輸送車であり、その貨物は、斯衛軍所属衛士達がこの旧川崎演習場に於いて、試作OSと各種装備を試用できる環境を整える為のものであった。

 そして、ハンガーへと向う輸送部隊と別れ、本部棟前で下車した武は、出迎えの斯衛軍少尉の案内で正面玄関をくぐる。
 この後、ミーティングルームで対BETA戦術構想とその装備群、殊にXM3と遠隔陽動支援機に付いて説明を行う予定であった。

「なのに、なんでオレは戦術機の管制ユニットに座ってるんだろうなあ……」

 が、武は挨拶もおざなりにしただけなのに、衛士強化装備を装着し、輸送部隊が運んできた戦術機に搭乗する羽目になっていた。
 それというのも、この旧川崎演習場の第2演習場で、実機による模擬戦を強いられたからである。しかも―――

「何をぐずぐずと言っておるか。
 武人たるもの、言葉をもって対峙するよりも、実際に矛を交えた方が余程に早いわ!
 先日帝都城で見えて以来、わしは一日千秋の思いでこの日の手合わせを待ち望んでおったのだ。
 白銀、わしを失望させるでないぞ?」

「紅蓮大将、期待するのは勝手ですが、オレもそれ程暇ではないので、条件を付けさせてもらっていいですか?」

 実に愉しげに通信を送ってくる紅蓮に、武は諦め半分で頼んでみた。

「ほほう。なんだ? 言ってみろ。
 無論、手合わせの意味は解った上での提案であろうな?」

「制限時間は5分。お互い対峙しての近接戦闘でどうですか?
 ご期待に添えないかもしれませんけど、オレが紅蓮大将に勝てるとも思えないんで、5分間凌げるかどうかで勘弁して下さい。」

 武の言葉に、紅蓮は顎を右手で扱いて考え込んだが、やや不満げな表情ながらも頷きを返した。

「よかろう。それだけの時間があれば、貴様の力量も十分に解るであろうからな。
 しかぁあしッ!! そういう事であれば一切の手加減はせん!
 初手から全力でかかる故、易々と倒れるでないぞ?」

「……まあ、何とかやって見ますよ………………はぁ。」

 この会話は、2人の仕合を観戦している斯衛軍将兵の下にも流されており、武の気概の無さや、紅蓮に対する無礼な態度などに憤る衛士も少なくなかった。
 所詮は国連軍のへな猪口衛士と、武を見下すものもまた少なからずおり、彼らの多くは初手で武が紅蓮に斬り倒されるものと確信している。
 例外は大隊を預かる指揮官やその腹心達であり、彼らや彼女らは紅蓮があれだけ立ち合いに意欲を見せる以上、一廉(ひとかど)の衛士であろうと踏んで、武の機体の挙動を見逃すまいと真剣な視線をディスプレイの映像に注いでいた。

 この日、斯衛軍が擁する18の大隊と参謀本部から、任務に支障をきたさない範囲ではあるものの、多数の実力派の衛士達が旧川崎演習場に招集されていた。
 その中には、五摂家に名を連ねる斉御司峰久(みねひさ)、久光の両大佐や九條大佐、退役したとは言え今も紅蓮大将と並び称される神野志虞摩翁の子息である、神野空王、陸王(りくおう)、海王(かいおう)の3兄弟や、斯衛軍切っての実戦派と目される麻神河暮人、絶人の兄弟などの姿が見られる。
 実に錚々(そうそう)たる顔触れであった。

 それらの面々が注視する先にある、国連軍カラーに塗装された機体は、一見した限りでは『陽炎』のように見受けられた。
 しかし、各所に姿勢制御スラスターとカナード翼が増設されており、高機動型の改修を受けたと思しき機体であった。
 そして、その機体の正面、100mほど間を置いて対峙するのは、赤く塗装された『武御雷』であり、斯衛軍でも比類する者なき衛士である紅蓮醍三郎大将が搭乗する愛機であった。
 一応『武御雷』の背部兵装担架には87式突撃砲1門と74式近接戦闘長刀1振りが保持されてはいたが、右主腕に保持した1刀だけで勝負が決するものとその場の殆どの者が考えていた。

「状況開始10秒前です、7、6、5、4、3、2、1、始め!!」
「―――づぇりゃッ!!」

 開始を告げられた直後、紅蓮は主脚の踏み切りに、噴射跳躍装置の加速を加えて一気に間合いを詰めながら、機体側面に垂らしていた長刀の切っ先を、右下から左上へと持ち上げるようにして突きを放ってきた。
 武はその切っ先の向きから、後方や左への回避は続け様の斬撃を受けると判断し、機体を右へと移動させる。
 が、その直後には既に、武は自分の判断が甘かった事を悟っていた。
 なぜならば、直前には左上へと持ち上げられていた長刀の切っ先が、切っ先を持ち上げる動作はそのままに、刃先が何時の間に正面に向いて立っており、手首を支点に更に右上へと弧を描いていたからである。

「くっ……」

 このままでは、右袈裟斬りにされてしまうと判断した武は噴射跳躍ユニットを噴かして、軌道を変更。
 右への移動から、紅蓮の機体の右側を擦り抜ける軌道へと、武の機体が押し出された。
 互いに加速しての高機動である。
 あっという間に距離は詰まり、互いに擦れ違うかと思われた時、紅蓮の機体が噴射跳躍ユニットの推力を上方に傾け、右主脚を地面に突き立てると、それを支点に機体を右側へと旋回させた。
 紅蓮の機体の左側面を抜けようとする武の機体に対して背中を向ける動きだったが、背部兵装担架の突撃砲は微動だにしなかった。
 その代わり、右上へと切っ先を上げていた長刀が巨大な肩部装甲シールドの上を抜けて、宙に浮いて足場を失っている武の機体めがけて、右肩越しに突き出されてくる。

「ほう……」

 しかし、その切っ先は、武の機体を捕らえる事無く虚しく空を貫き、紅蓮が感心したような声を漏らした。
 武の機体が両主脚を蹴り上げると同時に、その反動を使って上体を倒し、くの字型に身を折って長刀の殺傷範囲から逃れた為である。
 しかも、その状態から、武は背部兵装担架で保持した突撃砲を紅蓮の『武御雷』に向けて、36mm砲弾を放つ。
 紅蓮は右主脚を素早く屈伸させると、機体を右回りに回転させたまま、機体を強引に左へと跳ねさせた。

 この時点で紅蓮の機体は右回りにほぼ反転しており、丁度武の機体へと機体前面が向こうとしていた。
 紅蓮はその時点で武の機体を噴射跳躍ユニットの噴射により追撃し、背後から右肩に背負う形となった長刀で斬りつけるつもりであったが、武の砲撃を回避しなければならなかった為、追撃の機会を失ってしまう。
 ここで、攻守は入れ替わり、今度は武の砲撃を紅蓮が躱す番となった。

「まだまだッ!」

 武は叫びながらも兵装担架を操って、火線を右へと振って紅蓮の機体を追う。
 紅蓮は機体を右に旋回させたままで前へと上体を倒していき、武の機体に対する投影面積を小さくしていく、そして左へと跳躍した紅蓮の機体を追って武の火線が振られた次の瞬間、仰向けになった紅蓮の機体の右主脚が右後方へと振り下され、地面を蹴って機体の右旋回を止め、機体を逆方向に旋回させながら上方へと跳ね上げる。
 武の砲撃は、その紅蓮の機動に追従できずに機体の下方を通り過ぎてしまい、1発たりとも命中しなかった。

 そのまま武の機体が前進した事で距離は開き、2機は互いの位置を入れ換えて、再び対峙する事となった。

「やるな白銀ッ! まずは見事と褒めてやろう。
 だが、これならどうだッ!!」

 そして、再び紅蓮が仕掛け、互いが目まぐるしい機動を繰り広げて、演習場を疾風迅雷の如く駆け巡った。



 ―――そして5分後、武は紅蓮の猛攻を凌ぎ切り、模擬戦は終了となった。
 しかし、そこで斯衛軍の衛士達は、己が目を疑うこととなる。
 模擬戦が終わり、ハンガーへと向かう武の機体の管制ユニットが前方へスライドし、無人のコクピットを曝け出したのである。

「なっ! 無人だと?!」「馬鹿な! あの機動が自律制御だったとでも言うのか?!」「白銀と言う衛士は何処へ行ったのだ!!」

 仕合を観戦していた衛士達の叫びによって、ミーティングルームは喧騒で満たされていく。
 が、それはディスプレイに3機目の戦術機、国連軍カラーに塗装された『不知火』が姿を現わした事で、一旦収まる。
 そして、再び紅蓮と武との会話がミーティングルームに流れる。

「遠隔陽動支援機は、如何でしたか? 紅蓮大将。」

「おう、中々に歯ごたえがあって気に入ったわ。
 しかし、あの動きを続けるのはわしでもちと辛いのう。
 貴様の方は加速に曝されてはおらぬのだから、あのまま続けておればわしが負けておったやもしれぬな。」

 紅蓮の言葉通り、2機が5分間の間に繰り広げた機動は常軌を逸した凄まじいものであった。
 急激な加減速や旋回、尋常な衛士であれば1分と持たずに目を回していたと思えるほどである。
 高い衛士特性と、鍛え上げた肉体によって紅蓮は見事に耐え抜いたが、武の機動は紅蓮の機動をすら上回っていた。
 その無茶苦茶な機動に、何故内部の衛士が耐えられるのか、斯衛軍衛士達は不審に思っていたのだが、何の事はない、確かに無人であるのなら衛士の負担は考慮せずに済むであろうと皆が納得した。

「―――しかし、遠隔操縦と聞いて、動きが鈍るかと思っておったが、却って挙動は早くなっておるのではないか?」

「ああ、それは新型OS用の高性能並列処理コンピューターのお蔭ですよ。
 操縦に対する即応性が3割向上している上に、通信データの圧縮展開速度も滅茶苦茶速いんです。
 タイムラグは確かに発生してるんですが、それでも従来型OSよりも即応性は上がっていますね。
 後は、搭乗衛士にかかる負担を気にせずに機体を振り回せますから、結果的に機動性は向上します。
 どうせ、相手が完全に動くのを見てからじゃ対応が間に合いませんから、ある程度先読みして機体を動かしていますしね。
 それより、紅蓮大将の機体が従来型OSだって事の方が、信じられませんよ。
 まったく硬直時間が無い上に、挙動が途中で切り替わるんですからね。」

 紅蓮の問いかけに応えた後、今度は武が紅蓮の機動に言及する。
 紅蓮の戦術機操縦は、斯衛軍戦術機操縦作法を極限まで極めたものであった。
 刀の斬撃のみならず、機体全体の挙動を全て細切れにして、非常に煩雑な操縦を行っているのである。

 通常であれば転倒と見做され、衛士の操縦を逸脱した挙動としてOSが自律制御で受身をとるような動きであっても、紅蓮の場合倒れる過程でさえ機体各部の挙動を指示し続けている為、OSは紅蓮の制御下で機体が挙動を行っていると判断し、その操縦に割り込みを行わない。
 その結果、紅蓮の戦術機機動にOSの介入による硬直時間は存在しない。
 しかも、機体の挙動を全て細切れにしている為、動作が終わるまでの待ち時間も非常に短い。
 常に動作を入力し続けねばならないため、戦闘時に心身にかかる負担は尋常ではないが、その代わりに流れるように自然に挙動を変化させる事を可能としていた。

 さらに凄まじい事に、紅蓮は機体の挙動をイメージすると同時に、生身の手足がその挙動に対応する細分化された個々の操縦を、半ば無意識に行う境地に至っている。
 さすがにこの域にまで達している現役衛士は斯衛軍の中にも紅蓮しかおらず、その機動は余人を隔絶していた。
 紅蓮の高弟と目される、月詠などの一握りの衛士達でさえ、型に合わせて挙動を変化させるのが精々であり、通常に比べれば極僅かではあるが硬直時間もあり、挙動の変化も各動作の切れ目を待たねばならない。
 しかも、機体の挙動を操縦へと変換する際にも無意識でとはいかない為、おのずと幾つかの得意な変化に集約されていく事にもなる。

 紅蓮が到達している領域は、それ程尋常ならざる境地であり、正に人機一体と化していると言えた。

「ふむ。武術では得物も自らの身体の延長として捉えるという思想がある。
 わしは、その思想に則って戦術機を操っているに過ぎぬのだがな。
 尤も、噴射跳躍ユニットの扱いだけは、今ひとつ勝手が掴みきれん。
 どうも、屁を噴いて身体を動かしているようで、尻の穴がむずむずしよるわ。かっかっか!!
 ところで白銀。折角搭乗しているのだ。
 そちらの機体でもどれほど動けるものか、もう1度、手合わせしてはくれぬか? ん?」

 結局、断り切れなかった武は、『不知火』に搭乗して再度手合わせをする羽目になり、3分粘ったところで紅蓮に撃破された。
 にも拘らず、斯衛軍衛士の武に対する評価は却って高まる事となった。
 それは、実際に搭乗していても尚、武の機動は凄まじく激しいものであり、加速Gに対する耐性に限れば、10代の若さにして長年鍛え抜いた紅蓮に匹敵、もしくは凌駕する事を証明して見せたからであった。

 この日、旧川崎演習場に集められていた斯衛軍衛士達は、国連軍衛士白銀武臨時中尉と、その提唱する対BETA戦術構想及びその装備群を、敬意を持って受け入れる事となった。
 それは、政威大将軍煌武院悠陽殿下より賜った直命であったからではあるが、紅蓮と武との試合の影響も決して小さなものでははなかった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 14時52分、帝都城内の斯衛軍総司令部、その一室に、帝都防衛第1師団第1戦術機甲連隊所属、沙霧尚哉大尉の姿があった。

 上等なソファーに腰掛けながらも、沙霧は折り目正しい姿勢で背もたれに寄りかかる事無く、背筋をピンの伸ばして座していた。
 斯衛軍より、有事の際の帝都防衛と、その際の斯衛軍と帝都防衛にあたる帝都防衛第1師団との協力態勢に関して諮問したいとの理由で、沙霧は登城を命じられていた。
 そうして待つ事暫し、防音性の高いぶ厚いドアが開き、2人の人物が室内に滑り込んで素早くドアを閉めた。

(なに?! 鎧衣課長だと? 何故この場に姿を現すのだ?)

 立ち上がって入ってきた人物に敬礼をしようとした沙霧であったが、入室してきた人物の片方が帝国情報省外務二課課長の鎧衣左近であると知って動きを止め、不審げな視線を投げかけた。
 鎧衣課長は、沙霧にとっても決して知らぬ人物ではなかったが、この場で互いに見識があると明かしていいものか、実に悩ましい関係であった。
 沙霧が鎧衣課長から帝国内部の様々な情報を非公式に聞き出していたからであるし、鎧衣課長が沙霧等が決起を目論んでいる事を知っている為でもあった。

 しかし、鎧衣課長はそんな沙霧の逡巡など全く気にもせずに、にこやかな笑みを浮かべて沙霧に歩み寄ると気軽に話しかけてきた。

「これはこれは、沙霧大尉。一瞥以来ですなあ。
 このところ、帝国も何かと騒がしいですが、大尉は何事もお変わりなくお過ごしですかな?」

「ッ―――私は、斯衛軍のお招きで参じたのですが、これは一体どういったことでしょうか?」

 自身の配慮をぶち壊しにするような鎧衣課長の挨拶に、沙霧は内心の動揺を押し隠すと、鎧衣課長を伴った斯衛軍の衛士に訊ねる。
 すると、その男性衛士―――階級章を見る限りでは斯衛軍少尉となっていた―――は、申し訳無さそうに頭を後ろ手で掻くととんでもない事を言い放つ。

「あ、済みません、沙霧大尉。
 斯衛軍に頼んで沙霧大尉を呼び出してもらったんですが、本当の用件は別なんですよ。
 ついでに、この場所や軍装も借りましてね。実はオレ、国連軍の訓練兵なんです。
 ―――っと、失礼いたしました。私は、国連太平洋方面第11軍、横浜基地衛士訓練学校、第207衛士訓練小隊所属、白銀武訓練兵であります!」

 最後のところだけ、姿勢を正し敬礼して名乗る武。
 しかし、沙霧は語られた言葉の中身に、武の態度を云々するどころではなくなっていた。

「なに?! 横浜基地の207―――訓練兵だと?!」

 横浜基地衛士訓練学校の第207衛士訓練小隊―――恩師であり尊敬する上官であった彩峰中将の忘れ形見が所属するその部隊の名は、沙霧には聞き流せないものであった。
 が、それと同時にクーデターを決意している自分と彩峰との接点は、出来る限り少ないほうが望ましいとの認識が沙霧にはある。
 それ故に沙霧は、目の前の白銀と名乗る人物が訓練兵であるということに驚いたかの如くに言葉を取り繕った。

「そうです。で、こちらが、同じ隊に所属している彩峰慧訓練兵に書いてもらった紹介状です。」

 が、そんな沙霧の思いも空しく、暢気な調子で武が差し出した封書を、沙霧は血の引く思いで受け取った。
 武は封書を差し出すと、沙霧に対面する形でソファーに座り、沙霧が紹介状を読み終えるのを待つ。

(くっ……私と慧との関係など、先刻承知と言う訳か!
 …………鎧衣課長が向こうに付いているのであれば無理も無いが……だとすると、決起の詳細すら把握されてしまっていると考えるべきか?
 済まない、慧……私は君を巻き込んでしまうかもしれない……)

 が、何とか無表情を保ってはいるものの、内心穏やかではない沙霧の様子に、武は少し苦笑を浮かべて言葉を足した。

「ああ、そんなに警戒しないで下さい。
 オレにとっても彩峰は大事な仲間です。彼女に害が及ぶような事にはしませんから。
 それに、沙霧大尉にとっても、悪い話じゃないと思うんで、まずはその紹介状を読んでもらえますか?」

 しかし、武の言葉に沙霧の緊張は更に高まる。
 武の言葉は、沙霧の知人であるという事で、彩峰の身に害が及びかねないと考えていると、そういう意味にも取れるからだ。
 とは言え、こうなっては、沙霧は紹介状とやらを大人しく読む以外には、取り得る選択肢が殆ど存在しない。
 沙霧は、久しく目にしていなかった、懐かしい手跡で自身の名が記された封書の口を丁寧に開き、書状を取り出して目を通す。

 文面や筆の運びに乱れが見当たらなかった事に安堵して、次いで沙霧は書状に記された内容に思いを巡らす。
 書面で彩峰は、時候の挨拶の後、沙霧からの便りに一切返信しなかった事を謝し、今回武の願いによってこの紹介状を認めたと記していた。
 そして、白銀武という訓練兵が、実戦経験のある衛士でもある事、高い技量と見識を持っている事、正規の任官を経ていない為再訓練の最中にある事、そして、国連軍横浜基地副司令である香月夕呼の下で、対BETA戦術の研究開発などに特殊任務として従事している事などが書き連ねられていた。
 その上で、些か珍奇な為人ではあるが相応に信頼の置ける人物であるとの人物評で、紹介状は締め括られていた。

 少なくとも、彩峰が武に一応の合格点を与えて、信頼を寄せているであろう事を、沙霧は紹介状から読み取る。
 長らく会ってはいないものの、以前より彩峰の聡明さに一目置いていた沙霧としては、その人物評を受け入れるに吝かではなかった。
 だが、自身の置かれている時と場所が、沙霧に頑なな態度を取らせる事となる。

「それで、国連軍の訓練兵―――いや、臨時中尉が私に何の用だと言うのだ?」

 沙霧の物言いに、またもや苦笑を浮かべた武だったが、姿勢を正して真面目な顔で沙霧の問いに答えた。

「沙霧大尉に、是非とも御協力頂きたい事があるんですよ。
 最終的に目指すのは政威大将軍殿下への大権の奉還と、帝国軍部並びに政財界に於ける米国の影響力の軽減です。
 この2つは、沙霧大尉が決起によって達成しようとしているものでもある筈ですよね?」

(―――やはり、我らの決起に関しては把握されているか……
 しかし、言うに事欠いて、国連軍の―――しかもあの牝狐の手下風情が政威大将軍殿下の大権に言及するか!
 ましてや、米国の傀儡である国連軍の分際で米国の影響力の排除などと……馬鹿にするにも程がある!)

 沙霧は、武の言葉には一言も応じる事無く、双眸に強い光を湛えて睨み返す。
 そんな沙霧の様子に、武は溜息を吐いて更に言葉を連ねた。

「どうやら、信じてもらえないようですね。
 どうせ、国連軍など米国の手先のくせに何をふざけた事を、とか考えているんでしょうけど……
 仕方ない。オレなんかにあれこれ言われたくはないでしょうけど、自業自得と思って我慢して下さいよ。
 ―――沙霧大尉。あなたは大きな間違い―――判断ミスを犯しています。
 あなたは、あなたが知り得た範囲の情報のみで情勢を判断し、大義と信じてとんでもない愚挙を行って、道化を演じようとしているんですよ!」

「なに?!―――いや、貴様の言う事になど興味は無いな。
 話を聞く筋合いも無い様だ、これで失礼させてもらおう。」

 武の言葉に激発しかけたものの、即座に怒りを制御した沙霧は、そう言って席を立とうとする。
 が、入り口を塞ぐように立った鎧衣課長が、沙霧を制止する。

「まあまあ、急いては事を仕損じると言いますよ、沙霧大尉。
 聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥―――いやいや、末代までの恥とも言いますからな。
 このご時勢、一生などと言ってもどれだけあるかも定かならぬものですが、末代までの恥ともなれば、係累縁者知人にとっても恥となりかねませんなあ。
 ここは、是が非でも、一通り話だけでも聞いていかれては如何です?」

 惚けた表情と口調で滔々と語りかけた鎧衣課長は、最後にニヤリと獰猛な笑みを一瞬だけ浮かべた。
 その様子に、やはり大人しく帰してはもらえぬと悟り、沙霧は言われるままに再び腰を下すのであった。

「沙霧大尉。軍ではよく『Need to know』などと言いますが、必要の無い事や機密は一々説明されたりはしないものです。
 それ故に、情報を与えられない末端の兵士達は、上層部の戦略を理解出来ずに、命令に反感を持ったりもしますよね。
 しかし、沙霧大尉も不満を持つまではともかく、抗命まで是とする訳ではありませんよね?」

(ふん……軍での上意下達を正当化する際の常套句だな……
 理屈としては正しいが、必ずしも上層部の判断が正しいという保証などないものを……
 にも拘らず、誤りを正した者が断罪される……その様な不正義が許されてはならないのだ……)

 沙霧の脳裏を、死刑に処された恩師、彩峰中将の面影がよぎる。
 飽く迄も頑なな沙霧の態度に、武は深く嘆息して続けた。

「……はぁ……どうやら、この辺りから手を着けなきゃならないようですね。
 いいですか、沙霧大尉? あなたがここで誤った判断に基づいて反乱を起したら、口さがない連中は、彩峰中将まで引き合いに出して侮蔑しますよ?」

「なんだと?」

 彩峰中将の名を出され、沙霧は殺気すらまとわせた鋭い眼光を放つ。
 その眼光は、今にも武を射殺さんとしているかのように苛烈であった。




[3277] 第90話 愛国者、其は如何なる者か?
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/09/28 17:56

第90話 愛国者、其は如何なる者か?

2001年11月01日(木)

 15時06分、帝都城内は斯衛軍総司令部の一室に於いて、入り口の前に立つ鎧衣課長を他所に、沙霧が武に鋭い視線を投げかけていた。

「貴様、今なんと言った?」

 今一度、同じ問いを繰り返した沙霧は、地獄のような戦場を潜り抜けてきた猛者ならではの、凄まじい殺気を放って武を威圧しようとする。
 彩峰の名前を出し、仲間だと自称する眼前の男が、彩峰中将を侮蔑するような物言いをした事が、沙霧を酷く猛らせていた。
 が、そんな沙霧の威圧を、武は何処吹く風でやり過ごし、平然と言葉を続ける。

「オレは、彩峰中将の判断は決して間違ったものだとは思いませんが、あなたが誤った判断に基づいて勝手をすれば、彩峰中将の行いまで同列として語られると言ってるんです。
 いいですか? 問題は、あなたの判断が誤っている事にあるんです!
 勝手に被害者意識を振り回さないでください。あなたは自己満足できても、後で彩峰がどんな思いをするか、ちゃんと考えてるんですか?!」

「―――私が一体、何の判断を誤ったと言うのだ……」

 武に彩峰を引き合いに出された沙霧は、殺気を雲散霧消させ、一転して表情を苦悩に歪め、言葉を搾り出した。

(―――万一、此奴の言が正しいとすれば、私は慧に不要の悲嘆を味わわせる事になってしまう!
 その様な事は、看過し得ぬ……まずは、此奴の言い分を聞くしかあるまい…………)

 沙霧の思いを他所に、武は素っ気無く頷くと講釈を始めた。

「そもそも、あなたが知り得た情報は元から不十分だったんです。
 まあ、知り得なかった情報は極秘計画に関する機密事項ですから、無理も無いんですけどね。
 オレが知っているのは、その計画に属しているからですし、鎧衣課長は……まあ、職務上って事にしておきましょうか。
 政威大将軍殿下、紅蓮大将、榊首相もご存知……と言うよりは、計画を推進する立場でしょうね。
 軍部の最高幹部や、政界の中枢近い人はある程度は知っているでしょうし、その周辺でも何かあるとは察しているでしょう。
 いいですか、沙霧大尉。これは機密の中でも最高レベルのものです。
 くれぐれも他言無用に願いますよ?」

「……機密情報を軽々しく漏らしたりはせぬ。」

 渋い顔をしながらも、沙霧は武の念押しに応じた。
 武は1つ頷いて話を続ける。

「国連軍横浜基地で、香月副司令……いえ、香月博士の下で1つの極秘計画が進められています。
 それは、日本が提案し、国連の承認の上で誘致された、人類がBETAに打ち勝つ方策を確立する為の計画です。
 そして―――この計画が国連で承認されたのは、G弾の使用を前面に押し立てた、米国発案の対BETA戦略に対抗する為なんですよ。」

「くっ! G弾だと?!」

 武のもたらす情報を、その真偽を推し量ろうと、武の細やかな所作に至るまで全神経を傾注して聞いていた沙霧が、G弾と言う単語に不快気な声を漏らす。
 そんな沙霧に、武も大きく頷きを返した。

「そうです。明星作戦で、米軍が十分な通達も無く、独断で使用した新型爆弾です。
 確かに、G弾はBETAの殲滅には有効な手段であり、ハイヴ攻略に於ける戦死者を激減させるでしょうが、使用した地域の周辺に重力異常をもたらし、それが動植物に与える影響は未だに判明していません。
 国連軍横浜基地は、G弾影響下での人体への影響に細心の注意を払っていますが、現時点では未だ十分なデータが集まっていません。
 BETAに国土を奪われ、ハイヴを建設された国家群にとって、米国の推奨するG弾大量投入を前提とした戦略は、容認し難いものでした。
 その為、代案が求められ、加盟各国が独自案をコンペにかけた結果採用されたのが、日本案だったという訳です。
 ―――つまり、あなたが米国の手先と見做す国連軍横浜基地は、国連内に於ける米国の専横に抗う為の牙城なんですよ。
 そして、その日本案を策定して国連に提示し、国内に誘致したのが榊首相です。
 計画誘致により、国連軍戦力の常駐を果たし、BETAの国内への侵攻に際しての戦力増強をも狙った布石でした。
 残念ながら、BETAの日本侵攻に際しては、それでも関東までの侵攻を許し、佐渡島と横浜にハイヴ建設を許してしまいました。
 ですが、横浜ハイヴ攻略作戦である明星作戦が、あれほど早期に実施されたのは、国連極秘計画の要請としてハイヴ確保の必要性を訴え、国連で承認されたお蔭でもあります。
 極論すれば、帝都が今も無事なのは、榊首相によって、日本に国連極秘計画が誘致されていたからだとも言える訳です。
 ―――つまり、あなたが米国の手先、親米派の国賊と断じているのは、国際的に米国に対抗しようとして日夜対BETA戦略の研究に勤しんでいる横浜基地と、日本を滅亡の淵から救い、人類に勝利をもたらそうとしている有為の政治家なんです!」

(な……なんだと?
 横浜基地が、対BETA戦略を研究する国連極秘計画を推進しており、米国のG弾濫用を抑止する為の牙城だった?
 そして、榊がその計画を策定して誘致し、それが日本を崩壊の危機から救っていただと?
 もし、それが真実だというなら………………いや、その様なこと、そうそう簡単に信じられるものか!
 それに、もしそうだとしても、榊が殿下の御意思を蔑ろにし、民を苦しめ米国におもねっているのは紛れも無い事実の筈だっ!!)

 武の指摘に、沙霧は苦渋の表情を浮かべて煩悶したが、反論の糸口を見出して口を開く。

「もし! もしそれが真実だとしても、榊が米国に対する弱腰外交を展開し、更には日本国民に対して用いるべき財を、米国に投げ与えようとしている事に変わりはない!
 それに、その国連極秘計画とやらが、何らかの成果を上げたと言う話など無いではないか!!」

 しかし、沙霧の反論に対して、武は肩を竦めて何の気負いも衒いも無しに告げる。

「ああ、沙霧大尉が言っているのは、中古のF-15を米国から一括調達する国策の事ですね?
 あれを榊首相に依頼したのは、オレです。」

「なっ!―――何だと貴様! あのような愚作を何故献じた!?」

 武の言葉に激昂し、腰を浮かせかける沙霧に、武は持参した持ち運び式端末をテーブルに置き、全く動じる事無く告げる。

「あれは、沙霧大尉達に決起を急いで貰う為に撒いた餌ですよ。
 燻っていた熾火に、気化燃料をかけた様な騒ぎになったんじゃありませんか?」

「ッ―――そうか、我々は体良く踊らされたという訳か……」

 悔しげに呟き、三度ソファーに腰を下す沙霧には頓着せずに、武は端末を起動してとある情報を画面に表示させる。

「まあ、そうなりますね。
 ですが、それだけじゃありませんよ?
 これがオレの提唱する、対BETA戦術構想の1つです。
 米国から調達する600機の旧式F-15は、殆どこれに改修します。」

「遠隔……無人機……『時津風』だと?
 正気か貴様! こんな絵に描いた餅の為に、国庫から大金を投じさせたというのか?!
 衛士が搭乗して、命を賭して戦って尚苦戦しているBETA相手に、遠隔操縦機で対抗出来るなど、夢を見るのもいい加減にしろッ!!
 こんなものが、物の役に立つ訳があるかッ!!」

 武が見せた、『時津風』の仕様や運用構想を流し読みした沙霧が武を一喝する。
 が、武は沙霧の反応を予測していたが如くに端末を操作し、とある映像を表示させた。

「役に立ちますよ? その映像を見てください。
 『時津風』と赤の『武御雷』の実機演習の映像です。
 今日の午前中に、斯衛軍の旧川崎演習場で行われたもので、『時津風』を遠隔操縦しているのはオレで、『武御雷』に搭乗しているのは紅蓮大将です。
 制限時間を5分と限っての立ち合いですが、それだけの動きが出来る機体が、実戦で役に立たないわけが無いですよね?」

 武の言葉を聞き、紅蓮大将の名に眉を動かしたものの、沙霧の視線は端末の画面に釘付けとなっていた。
 そこに映っている2機の戦術機は、いずれも従来の常識を遥かに逸脱した機動を行っていた。
 片方の『武御雷』の機動は、搭乗衛士が紅蓮大将だと言うのであればまだ信憑性はあった。
 しかし、『陽炎』改修機と思しき機体の機動を、眼前の若者が行っているなど断じて信じられない事であった。
 いくら実際に搭乗していないが故に、加速Gに曝されずに済んでいるとしても、あれほど高度な機動を10代にして身に付けるなど、到底在り得る事とは思えなかった為だ。

「因みに、『時津風』がそれだけの機動を可能としている理由の1つに、香月博士の計画で開発された新型OSの性能があります。
 従来の戦術機のOSと換装するだけで、即応性が30%向上し、それ以外にも3次元機動の新概念が反映されていますし、先行入力、キャンセル、複合動作のパターン登録など、多彩な機能が盛り込まれています。
 現在、国連軍横浜基地で試作型OSが十数機の戦術機とシミュレーターに実装されて、実証試験の最中です。
 そして、斯衛軍の旧川崎演習場にも、試験供与が今朝から開始されました。
 対BETA戦術構想は、政威大将軍殿下より香月博士に内々に共同研究の依頼があり、若輩ながらオレが中心となって構築したものです。
 近く斯衛軍に試験導入されて、運用試験が行われる予定になっています。
 どうですか? 極秘計画の成果から派生した、対BETA戦術構想とその装備群。
 これでもまだ足りませんか?
 この新戦術と装備群が導入され、所定の効果を発揮すれば、BETA相手の戦闘に於ける死傷者は激減しますよ?
 そして、衛士が搭乗せず、BETA相手の矢面に立って、損害を一手に担う役割の機体に改修するからこそ、安価に調達できる米軍の中古F-15を使用するんです。
 それから、近々対BETA戦術構想とその装備群は、実戦に於ける成果と共に世界に発表される予定です。
 取らぬ狸の皮算用になりますが、そうなれば、それらのライセンス料などの収入が見込めますから、今回の一括調達に必要な予算も補填可能だと思いますよ?」

 武の言葉に、模擬戦の映像に目を奪われながらも、沙霧は掠れた声で問い返す。

「貴様……そんな先の事まで考えているというのか…………いったい何ものだ?
 その歳にして、これだけの操縦技術を持ち、その上新戦術や新装備を考案し、政略や謀略にまで通じているだと……
 貴様のような若造が、一人で成し得る事では、決してないぞ?!」

 沙霧の、血を吐くような叫びに、武は即座に同意を返した。

「あたりまえじゃないですか。勿論香月博士を初めとした多くの人々の、助力の賜物ってやつですよ。
 ですが、沙霧大尉。ここまでの話は、あなたに用件を聞いて貰う為の前振りです。
 オレの言っている事の真偽はともかく、少なくともあなたの知らない所で、様々な事が図られ成されている可能性くらいは実感してもらえましたよね?
 その上ではっきりと言いますけど、あなた達の大義の是非はともかく、あなた達を利用しようとしている勢力が存在します。
 あなた達を支援し、榊首相を排除して、横浜基地の研究成果を接収した上で計画を頓挫させ、更には決起したあなた方を鎮圧する事で、帝国内での影響力を拡大しようとする勢力が、です。」

「馬鹿な……一体何ものがそんな途方もない事を画策し、実行するというのだ……」

 ようやくにして、繰り返し再生されていた模擬戦の映像から視線を離し、武へと投げかけた沙霧が問いかける。
 その瞳からは、既に覇気が失せかけており、心中の迷いに揺れていた。

「このご時勢にそんな事を目論む勢力なんて、そうそういやしませんよ…………米国です。」

「なっ!?…………なん、だと……」

 沙霧の表情が驚愕に歪む。
 自身がこの国を、その影響下から解放せんとしていた米国。
 その米国が自分達を支援し、道化のように躍らせて利益を得た上で使い捨てにしようとしていた―――沙霧にその様な事を認められよう訳が無かった。
 もしそれが真実だったとするならば、この会談の当初で武がいみじくも語った通り、沙霧達は道化であり、大義によって成される壮挙と考えていた行いは、正しく愚挙と堕してしまうであろう。

 無論沙霧の中で、未だに武への不信感は強い。
 また、自分達が米国に踊らされ利用されているなどと、沙霧は決して認めたくは無かった。
 しかし、武の主張に例え一欠けらでも真実が含まれているとすれば、それは断じて見過ごしにしてよいものではないと、沙霧は思った。
 それ故に、沙霧は武との対話を続ける事を選び取る。

「―――詳細を、聞かせてもらえるのだろうな。
 そうそう容易に信じられる事ではないぞ?」

 沙霧の葛藤を承知の上で、武は頷きを返すと、滔々と説明しだした。

「まずは、帝都防衛第1師団への沙霧大尉の配属からして、既に米国の干渉下での出来事でした。
 沙霧大尉の人事を職掌した人物に、沙霧大尉が有能で如何に忠誠心に溢れているかを説き、彩峰中将との縁故に閑職に飛ばすのは惜しいと主張する人物が複数いました。
 これらの人物には特に疚しい所は無く、正に自身の信ずる所を述べているだけでしたが、そもそもそれらの人物に沙霧大尉の話をし、何とかしてやれないものかと相談していた人物が更に多数存在しました。
 これらの人物は、相応の能力や実績、立場等を持った人々でしたが、何かしら弱みや悪癖を持ち合わせた人物が多数含まれていたんです。」

 武は話しながらも、沙霧を痛ましげに一瞥した。
 これらの事は、沙霧自身は全く与り知らない筈の事だからである、

「そして、それらの弱みや悪癖に働きかけて、沙霧大尉の人事に働きかけるように要請した人々がいます。
 こうした、依頼の痕跡を入念に辿ると、その多くは途切れ、中には彩峰中将を尊敬する大東亜連合の将兵や、沙霧大尉と懇意で本心から案じていた人物へと行き着くものもありました。
 ですが、幾重にも人を介して辿り着いた中には、米国の工作員や、その影響下にある人物も少なからずいたのです。
 そして、それらの場合、帝都の防衛に当たらせるべきとの意見が必ず付帯していました。」

 武の言葉に、沙霧は堅く目を閉じ、両手の拳を力の限りに握り締める。

(去る年、帝都防衛の任を命じられた時、私は喜び勇躍して部隊へと赴任した。
 それから今日に至るまで、全身全霊を尽くして任務に精励し、周囲の輩(ともがら)と交流を深めてきた。
 だというのに……それすら米国の策謀によるものだったというのかッ!!)

 そんな沙霧を他所に、武の説明は尚も続く。

「そして、任官した大尉の交友範囲にある多数の人々に対しても、同様の手段によって情報が振りまかれました。
 榊首相が如何に親米派であるか、如何に政威大将軍の意に背いた政治を為しているか、現行の政権から米国が如何に大きな利益を上げているか等々。
 あなたを中心に、現政権に対する隔意が高まるように、意図的に偏向された情報が流布されたんです。
 そして、そのうちに、あなたがより詳細な情報を欲するようになると、人伝ではあるものの幾つかの情報源が現れて、信頼性は低いながらも政権内部の情報などが伝わるようになった筈です。
 無論、これらの情報源の背後でも、米国の工作員が策動していました。
 また、この頃から、現行政府に隔意を持つ立場ある人々からの接触が増え、あなたを中心とした緩やかな人脈が構築されていきましたね?
 これらの人々も、あなたと同様に米国の工作機関によってリストアップされ、要所々々へと配属された人々です。」

 武に言われて、沙霧は人伝に紹介された多くの同士の顔を思い浮かべた。
 いずれも、帝国軍の中で相応の責任ある立場に着いている将校だった。
 彼らもまた、自身と同様に現政権に対して隔意を持っているという事に、自らが力付けられた事を思い出し、沙霧は顔を顰めた。

「そして、その人脈を通じて、あなたの為人や技量、見識などが広まっていき、様々な葛藤や意見があなたの下に寄せられるようになった。
 やがて、それらの個々の意見の中に、現政権を打倒すべきとの一つの潮流を見出したあなたは、彼らの暴走を抑止すると共に、いざ進退極まった際にはある程度統制された形で事が成されるようにと、個々の意見を調整し、具体的な行動指標の確立を行うための場として、超党派勉強会『戦略研究会』の設立を構想した。
 資金の提供や、関係各所への根回しなど、様々な協力をしてくれた人々がいますね?
 彼らの中にも、米国の影響下にある人々が含まれています。
 そうして、米国はあなたの判断の礎となる情報を偏向させ、思想を誘導し、実際に米国にとって有益な人々の安全を確保した上で、帝国で内乱を発生させ、都合の悪い人々を排除し、得られる限りの利益を得ようとしたんです。
 これらの情報の調査は、鎧衣課長の部署で行われたものです。そうですよね? 鎧衣課長。」

「ん? さて、誰が調べたかはともかく、私の手元にそれらに関する情報が存在するのは否定できないな。
 沙霧大尉。菓子折りに詰めておくから、よかったら、帰りに土産に持って帰るといい。
 菓子折りと言えば紙や薄い木板を折り曲げて作った折箱の事だが、より正確に言うならば、菓子折りとは菓子を入れた折箱と言う意味になるのだよ。
 それゆえ、今回私が用意した菓子折りは中身が資料であるからには資料折りとでも…………」

「ああ、続きは無視してこちらの話を進めさせてもらいますね。」

 鎧衣課長の立つ位置が離れているのをいい事に、武が沙霧を相手に話を続行する。
 鎧衣課長は、きらりと目を光らせたものの、言葉を途切らせる事も声量を大きくする事も無く、そのまま薀蓄を続けた。

「まあ、資料を見たところで、事の真偽はそうそう判断付かないでしょうが、無いよりは信用してもらえますかね?
 それはともかくとして、重要なのは、米国の工作機関があなたを首魁とした決起に、相当な労力を費やしているという事です。
 あなた方への干渉以外にも、あなた方の決起から米国にとって有益な人々を逃す為の行動や、あなた方を鎮圧する為の下準備など、実に多方面への働きかけが必要となります。
 これらの動きを監視すれば、国内に張り巡らされた米国の諜報網や人脈を、十把一絡げに摘発し、首根っこを押さえる事ができます。
 そして、それらの摘発が殿下の主導によって成された物である事を広く内外に知らしめ、殿下の内政における功績とします。
 さらに、対BETA戦術構想とその装備群を実戦にて運用し、所定の成果が発揮されたならば、これもやはり殿下の主導により成された軍事上の功績であるとして発表します。
 この2つの功績と、米国の影響下にある要人の排斥を以って、政威大将軍殿下に対する大権の奉還を実現し、有事下の日本国内を殿下の下で一致団結させて、国難を跳ね除ける事の出来る態勢を実現するんです!」

 武は、何時の間にか拳を握り締めて熱弁を振るう。
 その姿は、沙霧の目にも、信念を感じさせるに足るものであった。

「しかし、その為にあなたの決起を起させては、帝国軍は有為の人材を……いえ、少なからぬ将兵や装備をも失う事になります。
 しかも、決起に参加した将兵は、例え生き残っても罰さなくてはなりません。
 それを避ける為に、あなたには是が非でも協力してもらわなくてはならないんです!!
 沙霧大尉には今日お話した事を、誰にも漏らさずに決起のその日まで準備を進め、決起の直前になって全てを明かし、決起軍の中に潜む米国の手先を捕縛してもらいたいんです。
 全ては、殿下からの密命によるものとされますから、決起軍に賛同し参加していただけの将兵は罪を問われません。
 逆に、事前に殿下の密命を受けて、工作員の洗い出しに協力していたものとして、殿下からお褒めの言葉を賜れる手筈になっています。
 米国の手先となった者についても、私利私欲で協力したもの以外―――例えば恐喝されていた場合などは、情状を酌量されます。
 それでも、沙霧大尉は同志から恨まれるかもしれません。
 少なからず立場を失う人も出るでしょう。
 それでも尚、沙霧大尉には是非とも協力してはもらいたいんです。
 何故なら、オレが考え付く限り、これが最も不幸になる人が少ない筋書きなんですから!」

 武が話し終えた後も、沙霧は沈思黙考を続けた。

(此奴の求めるものが、我々の情報で無い事や、決起を未然に防ぐ事ではない事は明確だ。
 既にこの場で語られた事だけでも、我らの動向は殆ど知られていると解る上、向うには鎧衣課長が付いている。
 この場で協力を固辞したところで、私は身柄を拘束され、同志たちも捕縛されてしまうだけだろう。
 つまり、協力を断った時点で、我らの決起が成し遂げられる可能性は消滅する。
 では、言葉の上だけでも協力を約した場合はどうだ?
 ―――駄目だ……相手は鎧衣課長だ。騙し合いでは敵う訳が無い。
 となれば、誠に無念だが、既に我らの決起が成し遂げられる可能性は皆無となった。
 後は、此奴に協力するか否かだが…………)

 沙霧は目を薄く開けると、剃刀のように鋭い一瞥を、鎧衣課長と武に向けた後、再び瞑目した。
 沙霧にとって、鎧衣課長は一度信頼し、その信頼を裏切られた人物である。
 その鎧衣課長を伴っている武を、無条件に信じる事は出来なかった。

(―――されど、鎧衣課長が誠に殿下の復権の御為に働いていたのであれば、私の寄せる信頼など全くの些事に他ならない。
 そもそも、私に接近し、情報を流していたのも、決起に際して殿下の御身を安んじる為だけであったとしても、何もおかしくはないのだからな。
 鎧衣課長と白銀と名乗るこの者が、真実殿下の御為に行動しているのであれば、私が協力せぬ理由はない。
 その結果、殿下の復権が成されるのであれば万々歳だ。
 しかし、実は榊の手の者で、この機会に政敵を一層する為の謀略である可能性も否定できぬ。
 斯衛軍の協力を得ている時点で、身の証としては十分なのかもしれないが、ここはやはり畏れ多くも殿下か、せめて紅蓮大将からの保証を賜りたいところか……)

 沙霧はようやく目を見開くと、武を真っ直ぐに見て口を開こうとした。
 ―――が、口を開く直前に、沙霧の脳裏を彩峰の姿がよぎる。

(ッ!!―――そうか……慧、君はこの者を信じるに価すると、文を認めてくれたのだったな……
 よし……既に、米国やこの者の策に踊らされたこの身だ。
 慧、君の言葉を信じることにしよう……)

「いいだろう。協力を約束する。」

「本当ですか?! 沙霧大尉!!」

 沙霧の返事を聞いた途端に、武は満面の笑みを浮かべて叫んだ。
 そして、頭を深々と下げて、沙霧に礼を述べる。

「ありがとうございますっ! 沙霧大尉!!
 正直言って、オレの言葉だけで信用して貰えるとは思ってませんでした。
 本当に、ありがとうございますっ!
 誓って―――オレの大切な仲間達と、身を捧げて死んでいった先達に誓って、必ず大尉の尽力に応えてみせますっ!!」

 身を乗り出し、テーブルに両手を付いて嬉しそうに言葉を連ねる武。
 その年相応の素振りに、却って沙霧の方が面食らってしまった。

「ちょ、ちょっと待て、白銀中尉……先程までのふてぶてしい態度は何処へやった?!」

「ふ、ふてぶてしいって……やだなあ、オレは歴戦の猛者である沙霧大尉に押し負けないように、必死で取り繕っていただけですよ。
 それよりも、本当に嬉しいなあ。鎧衣課長と2人だし、絶対信じて貰えないと思ってましたよ。」

「相変わらず失礼な物言いだな、シロガネタケル。
 君の要請で同席し、資料の用意までした私に対して、些か感謝の念が足りないのではないかね?」

 沙霧の言葉に、如何にも傷付いたかのような顔をして見せる武と、その武の言葉尻を捉えて嫌味を言う鎧衣課長。
 そんな2人に、沙霧は自分では到底勝てない戦をしていたのだと、切実に思った。

「いや、だって、鎧衣課長は沙霧大尉の信頼を裏切った形になるじゃないですか。
 情報の信憑性を増す為に同席してもらいましたけど、信頼を得るにはマイナスだと思ってましたからね。
 絶対に、殿下か紅蓮大将の保証を求められると思ってましたよ……」

「なに?! 最初から、そこまで読んでいたのか?!
 では、何故無用な手間をかけたのだ?
 それとも、あれだけ大言を吐いておいて、紅蓮閣下の保証すら得られないとでも言うのではあるまいな!?」

 武の言葉に、自身の心中を見透かされた気がして、沙霧は武を追及した。
 が、武は実にあっさりと種を明かす。

「いえ、元々、この後で沙霧大尉には、非公式にですが殿下との謁見に臨んでもらう手筈です。」

「なにっ?! わ、私が殿下に拝謁する栄誉に浴せると?」

 武があまりにも何気なく言った為に、沙霧は却って動揺してしまう。
 自身で可能であればと望んでいながらも、沙霧は決して拝謁は叶わないと思っていた所為であった。

「ええ。殿下も沙霧大尉には心労をかけてしまったから、是非労いの言葉をかけたいって仰ってましたからね。」

「なんと! 殿下が………………
 いやまて! 殿下に拝謁が叶い、直命を受けるとあれば、私がそれに異を唱える事などあろう筈もない。
 なのに、何故に貴様は私を説得しようとしたのだ?」

 沙霧の言葉に、武はようやく腑に落ちたとでも言うように眉を上げると、ニヤリと笑みを浮かべて言ってのける。

「そりゃあ、沙霧大尉には殿下の直命だからって理由じゃなくて、納得ずくで協力して欲しいからですよ。
 それに……殿下に謁見する前に、これだけは沙霧大尉に言っておきたかったからです。
 沙霧大尉―――国を神聖視しないでください。」

「なに?!」

 表情を真剣な物に改めて語った武の言葉に、沙霧が困惑の表情を浮かべて問い返す。
 御国の為に戦い、身命を捧げる。
 それは帝国軍人としては常識であり、誉れでもある。
 そして、それは日本帝国を愛し、称揚し、誇りに思っているからであり、正に信仰にも近い想いを抱いているからこそであった。
 そんな帝国軍人の中でも、忠誠心に溢れ、愛国の士であると称揚されるほどの沙霧に対し、武は国を神聖視するなと言ったのだ。
 それは、沙霧に己が立脚点を捨てろと言うにも等しい言葉であった。

「いや、なにも愛国心を捨てろとか、国や殿下への忠誠心を捨てろって言ってるんじゃないですよ?
 ただ、『国』ってものの実態とは何なのか、もう一度しっかりと考えてみて欲しいんです。
 帝国の屋台骨が揺らいでいる。だからこそ、政威大将軍殿下にお出まし願って、今一度帝国を立て直していただこう。
 その為に障害となるものは、一命を賭してでも、例え汚名を被ろうとも、自分達が排除して、殿下の歩まれる道の露払いを済ませておく。
 沙霧大尉の掲げる大儀って言うのは、要するに、そんな感じですよね?」

「あ、ああ……」

 武の言葉は、沙霧が仲間達にも敢えて言葉にしては語らなかった想いまでも内包して、見事に要約されていた。
 それ故に、沙霧は相槌を打つ事しか出来ない。

「でもですよ、大尉。それって要するに、事が成った後の国の行く末は、全て殿下に委ねるって事ですよね?
 それって、無責任じゃないですか?
 下拵えだけして、後の事は全部殿下に押し付けて、自分達は退場ですか?
 沙霧大尉にとって、殿下はどういう存在なんですか?」

「なに? 何を言っているのだ。
 貴様とて、国連軍所属とは言え日本人だろうに!
 殿下とは即ち、皇帝陛下より全ての政務を委ねられ、御国の要として臣民をお導き下される尊いお方だぞ?
 BETAの侵攻は確かに脅威ではあるが、現在御国が揺らいでいるのは、全ては殿下の御元に在るべき大権が、政治家や官僚の手に渡っている為なのだ!
 それ故に、大権を殿下の御元へと奉還奉れば、即ち国は定まり、国難に対しても一丸となって立ち向かう事が叶うようになるのだ!!」

 沙霧は武に対して、常識とすら思える信念を熱く語った。
 しかし、武はそれを聞いて、呆れたような顔になり、首を横に振る。

「やれやれ。それじゃあ、政威大将軍殿下の下に万民が集えば、国は定まり、万難をも排して帝国は不滅の栄光に輝くって訳ですね?
 沙霧大尉には、国と政威大将軍殿下が不可分にして、殆ど同一の物のように見えているんじゃないんですか?」

「…………貴様には違うように見えているとでも言うのか?」

 沙霧は最早、武を異端者か、人外を見るような目で見ていた。
 武はそんな沙霧の態度に小さく笑いを漏らすと、話し始める。

「不遜だと叱られそうですけどね。オレには政威大将軍殿下は、オレと同い年の女の子にしか見えませんよ。
 まあ、尊敬したくなる位の才媛で、オレなんかじゃ足元にも及ばないほどの人格者で、しかも責任感も強いし意志だって強固なんでしょう。
 それでも―――それでもオレには、1人の女の子だとしか思えません。
 政威大将軍と言う重責を担っている、努力家の女の子―――1人の人間以外の何だって言うんです?
 そんな女の子に、寄って集って重荷を背負わせて、崇めるばかりだなんて、恥ずかしくないんですか?
 勿論、殿下は御自分の意思で、政威大将軍という職責を果たそうとしています。
 だから、オレだって手助けをしようとは思いこそすれ、邪魔をしたり、職責を取り上げたり、放棄させたりするつもりはありません。
 でも、殿下にさえ委ねれば安心だなんて、そんな無責任な思考停止は絶対したりしませんね。」

「な、何を言っているんだ、白銀中尉!!」

 沙霧は武の語調に押されて、混乱気味な思考を必死に制御しようと試みていた。
 武の言葉は素朴で真っ直ぐであり、その内容は、沙霧にも極々全うなものであるようにも思えた。
 しかし、同時にその言葉は不遜であり、臣民の分を超えたものであり、沙霧には決して受け入れられないものであるようにも感じられるのだ。

「いいですか? 沙霧大尉。
 『人は国のためにできることを成すべきである。そして国は人のためにできることを成すべきである』―――彩峰中将の言葉ですね?
 政威大将軍の成すべき事は、『人』としての『できること』ですか? それとも『国』としての『できること』ですか?」

「無論、『国』として『人のためにできることを成』されるのに、決まっているではないか!」

 武は、沙霧が間髪置かずに応えた言葉に頷いて続ける。

「確かに、そうでしょうね。だけど沙霧大尉。オレは、煌武院悠陽殿下は『国』なんかじゃなくて『人』―――即ち1人の人間だと思うんですよ。
 これは以前殿下からお聞きした言葉ですが、国とは民の心にこそあるものであり、将軍とは民の心にある日本を写す鏡のようなものなのだそうです。
 そして、各々の民の心にある千変万化する多様な姿を映して、為しうる限りそれらに沿った道へと国を導くのが務めであるとも仰っていました。
 オレは、この言葉をお聞きした時、国に実体だなんてものは無いんだなって思いましたよ。
 殿下は、政威大将軍としての務めとして―――つまり、『人』として出来る限りの事を、『国』に成り代わって『人のために』成しているんだなってね。
 そして、それは殿下に限った事じゃないんじゃないかと思いますよ?
 榊首相も、国政の中枢にいる政治家や官僚達も、そして、光州の戦いでの彩峰中将も、職責に従って『人』として出来る限りの事を、『国』に成り代わって成しているんじゃないでしょうか。
 まあ、光州では極限状況であるが故に、彩峰中将は職責を超えて『国』として成すべき事を成してしまったんだと思いますけどね。
 そして、だからこそ―――職責を超えてしまったが故に、『人』として処罰を甘んじて受けたんじゃないでしょうか。
 でもその一方、『国』に成り代わって彩峰中将が成した事は評価され、大東亜連合の人々から感謝され、帝国の国益となっているんだと思うんです。」

「……………………」

 武の言葉に、沙霧は黙して語る言葉を持たなかった。
 彩峰中将が刑死して以来、心中に刻まれていた深甚な亀裂に、武の言葉が慈雨が染み入るが如くに、沙霧には感じられた。
 武の想像は、彩峰中将の為人や覚悟に相応しいように思え、悲嘆にくれるばかりで、師の真意を顧みる事すら成し得なかった己が未熟を、沙霧は只々恥じ入るばかりであった。

「だから沙霧大尉。政威大将軍だからと言って、無謬の存在だと崇め奉らずに、『人』として出来る範囲で構いませんから、支えとなって働く気持ちを忘れないで下さい。
 『国』とは、『国』に成り代わって、懸命により良い方向へと導こうとする『人』の努力の結晶に過ぎないと思うんです。
 政威大将軍と言う重責を担っている事に対する、尊敬や崇拝の念は構いません。
 ですが、『国』という実体の無いものや、政威大将軍という象徴を崇めて、全てを委ねるような真似はしないで欲しいんです。
 『国』が全ての民の心の中にあるものを理想として追い求めると言うのなら、その原動力もまた『人』の成した事の総和に過ぎないんです。
 後は、役割の差だけ。
 個々人の出来る事を懸命に成す事が主となるか、そうして『国のために』成された事を束ねて、『国』に成り代わって如何に『人の為にできることを成』すかに思い悩むのが主となるか、その違いだけじゃないかと思うんです。
 沙霧大尉は、『人』として『国のためにできるかぎりのことを成』そうとしていると思います。
 けれど、最終的な舵取りは『国』に委ねればいいと考えているようにも思えるんです。
 けれど、それを委ねられる立場の人々の事も、ちゃんと考えてから、殿下に拝謁して欲しかったんですよ。」

「……………………」

 武は伝えたい思いを全て言葉にして、沙霧の反応を待った。
 しかし、沙霧は黙して何も語らない……
 暫し時が流れ、武は諦めの溜息を吐いて言葉を発した。

「済みません、沙霧大尉。今言ったのは飽く迄もオレの考えに過ぎません。
 押し付ける気はありませんから、気にしないで下さい。
 沙霧大尉は、大尉の信じるとおりに―――「待て!」―――はい?」

「済まない、白銀中尉。貴様の言葉を整理し、己が物とするのに少し手間取っていただけだ。
 未だ、貴様の言葉の全てが理解できたとは言えぬが、傾聴に値する言葉であるとは思う。
 だから、自身の言葉を早計にも貶めるような発言をする必要は無い。
 幾つか、今までの自身の蒙を啓かれたかの如くに感じる言葉もあった。
 貴様の言葉を咀嚼する猶予を、今暫く与えてはもらえぬだろうか。」

 武の言葉を遮って、沙霧が告げていく内容を聞く内に、武の表情から徐々に諦念が消えていき、代わりに喜びが満ちていく。
 そして、沙霧が話し終えると、武は照れくさそうな笑みを浮かべて、沙霧に応えた。

「オレなんかの言葉を、真剣に受け止めてくれてありがとうございます、沙霧大尉。
 もう、それだけでも十分なくらいですよ。
 所詮、オレはオレの考えを口にしただけです。
 もし、そこに価値があるように思えたのなら、沙霧大尉に見えないものが、立場の違うオレには偶々見えた所為なのかもしれません。
 逆に、オレには見えないものが、沙霧大尉には見えているかもしれません。
 何時か、落ち着いて言葉を交せる時が来たら、その時は沙霧大尉の意見を、じっくりと聞かせてください。」

「我ら衛士が、落ち着いて言葉を交せる時か…………その様な時を迎えられれば良いな。」

 この日、武と出会ってから初めて、沙霧の顔に素直な笑みが浮かんだ。
 武は、そんな沙霧に自信満々に言い放つ。

「何言ってるんですか、沙霧大尉。
 BETAを地球から追い出して、幾らでも、心置き無く言葉を交せる時間を―――平和な世界を取り戻そうじゃないですか!」

 そう言って笑みを浮かべる武を、沙霧は眩しげに見やるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時28分、国連軍横浜基地のシミュレーターデッキでは、ヴァルキリーズが演習を行っている真っ最中であった。

「―――ぎゃああああああああッ!?」「―――でやがったなこの野郎ォォォォッ!!!!」「―――バカ野郎! 撃つなッ、同士討ちに―――」「―――ひぃィィィィッ!!!!」「―――死ねェバケモノッ!!」「―――クソッ! きりがねえッ!」「―――ぐああッ!」「―――02ッ!?」「―――構うな! オレは大丈夫だッ!」「―――うおおおおッ!!」「―――危ないッ!!」「―――ぐあううッ!!」「―――やめろぉぉぉッ!!」「―――くっそッ! 調子に乗りやがっ―――ッ!?」「―――04どうしたッ!!」「―――うっ……動かないッ!! 動かないッ!?」「―――バカ野郎! 早く緊急射出(ベイルアウト)しろッ!」「―――いぃ……ッ……ひいッ……!!」

 そして、ヴァルキリーズのオープンチャンネルの中を、怒号と悲鳴が飛び交っていた。
 シミュレーションのシナリオは、BETA侵攻に対する迎撃戦の最中、後方に避難民がいる状況下に於ける遅滞戦闘である。
 既に砲兵部隊は壊滅または撤退した後であり、支援砲撃もほぼ受けられない状態で戦術機甲部隊のみが踏み止まり、陽動を以ってBETAが避難民の下へと到達しないように足掻いているという末期的状況であった。
 レーザー属種の存在も確認されている状況下で、尚も奮戦する戦術機甲部隊であったが、BETAの物量の前に戦線は崩壊寸前であった。

 通常のシミュレーター演習と異なり、『対BETA心的耐性獲得訓練』の最終段階を兼ねているこの演習では、仮想部隊の衛士達が生々しい音声で、その凄惨な戦いぶりを過剰なまでの臨場感で彩っていた。
 そんな戦場に於いて、ヴァルキリーズに与えられた任務は、複座型『不知火』7機と部隊内配備の『時津風』26機を運用した全戦域支援任務であった。
 作戦目的は、BETAの侵攻遅滞を最優先に、レーザー属種の排除、友軍部隊の支援となっている。

 無論、ヴァルキリーズの保有する戦術機33機で全てのBETAを押し留める事が出来るはずも無く、通常編制の友軍を支援して戦線を維持する以外に有効な手段は無い。
 しかも、全ての部隊を支援することもまた不可能であり、どの部隊を支援―――いや、切り捨てるのかを判断する事も任務の一環に含まれていた。
 そして、このヴァルキリーズの演習に、帝都での特殊任務を終えて横浜基地に戻ってきていた武が、久しぶりに参加していた。

「ヴァルキリー・マム(涼宮遙)より、ヴァルキリー07(風間)……いえ、ヴァルキリー08(涼宮茜)、NW(北西)0302エリアの光線級を排除して下さい!
 ヴァルキリー07(風間)は、F006部隊を狙撃支援して―――「涼宮中尉! 陽動支援優先ですッ!」―――ッ! ヴァルキリー07(風間)、訂正します、F006部隊に対して陽動支援を行ってください……」

 戦域全体から集められた情報を分析し、危機的な戦域をピックアップして指示を出す遙に、武の駄目出しが入った。
 そして、それは遙に限った話ではなかった。

「くっ! ヴァルキリー・マム(涼宮遙)、こっちに小隊規模のBETAが接近しているぞっ!!
 ヴァルキリー02(速瀬)! 迎撃しろっ! 近寄らせるなッ!!」
「―――了解っ! あんたらっ! 直ぐにあの世に送って―――「速瀬中尉! 機体を直衛の『時津風』に切り換えてッ! 有人機は危険に曝さないで下さい!」―――りょ、了解……」

「伊隅大尉、指示する際には使用機体を明確に指定して行ってください。」
「―――む、了解した。―――ヴァルキリー06(水代紫苑)、ヴァルキリー04(水代葵)と2人で、T12(『時津風』12番機)を操縦してW(西)0611エリアのBETA群を足止めしろ。友軍はほぼ壊滅状態だ、長丁場になるからそのつもりでいけッ!」

「麻倉少尉! 陽動支援ではBETAの撃破は二の次です。攻撃は散発的な砲撃と自機の防御に留めて、もっと多数のBETAを陽動して下さい!」
「りょ、了解だよッ!」

「築地少尉ッ! その戦術機の救出は断念して、陽動を実施して下さい。
 戦線の維持と、その部隊の残存戦力を下げて補給と再編を行わせるのが優先事項です。その1機を救っている間に、戦線が崩壊しますよ?」
「ひゃわ?!―――わ、わかりましたッ!」

「柏木少尉、もう少し南西に移動して、そっちのBETAも陽動できますか?」
「了解、こいつ等をあの群れまで引っ張ってって、合流させるんだね? やってみるよ。」

 ヴァルキリーズは部隊の有人戦術機を待機させる比較的安全な場所すら確保できず、BETAの攻撃に有人機が何時曝されるかも解らない状況下で、有人機の防衛戦闘と前線への支援を同時にこなさなければならなかった。
 そんな中、遙を主体にみちるが補助する形で、各員への指示が矢継ぎ早に出されていく。
 その指示に従い任務に従事するヴァルキリーズの面々だったが、ある任務が一段落するなり直ぐに次の任務が割り当てられ、文字通り戦域全体の激戦区を転戦し続ける羽目になっていた。
 しかも、支援に向う先では、大抵そのエリアを担当している部隊が損害を出し、必死に防衛戦闘を行っている真っ只中である。
 戦車級にたかられ、悲鳴を上げる衛士がいても、周辺のBETAを陽動する事が最優先とされ、救助は二の次とされる。
 理性では、その方が犠牲を軽減できると解ってはいても、実際に悲鳴や助けを求める声が聞こえる以上、皆が身を切られる思いをしていた。

 そんな極限状況の最中であるにも拘わらず、制御室でモニターしている武からは、引っ切り無しに厳しいチェックが入る。
 遙とみちるの指示よりも、武の小言の方が圧倒的に多いほどであった。

 今まで、自身が搭乗する機体のみを運用してきたところへ、搭乗機体と『時津風』を切り換えながら運用する事を強いられ、しかも搭乗機体は極力危険に曝してはならないと命じられる一方で、『時津風』は最前線で盾となり、BETAを引き寄せて友軍部隊を支援しろと命じられる。
 おまけに、従来であれば、個々の適性を活かして近接戦闘や火力支援を分担できていたものが、『時津風』での陽動支援では押し並べて、脅威度を上げるための散発的な砲撃とBETAを陽動する為の回避機動を強いられる。
 試作OSと新概念の3次元機動により、ヴァルキリーズでは葵に次いで機動の苦手な葉子であっても、その回避機動は従来OS搭載機に乗ったベテラン以上の生残性を発揮している。
 それでも従来のスタイルを崩され、精神的にも切迫した環境下での戦闘は、皆の精神に過度の負担となって圧し掛かっていた……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時46分、シミュレーターデッキの待機室で、武とヴァルキリーズがシミュレーター演習の講評会を行っていた。

「―――と、言う事で、初めてですから無理はありませんが、皆さん陽動支援戦術機の運用概念が身に付いてないですね。
 陽動支援機は、基本的に打撃力を発揮する為の機体ではありません。
 BETAを陽動して誘引し、自機に引き付けて遅滞するのが主たる役割であり、BETAの殲滅は状況が許した場合に、従来型の有人戦術機甲部隊の支援砲火によって効率的に殲滅する程度に過ぎません。
 BETAに対する攻撃は、自機の脅威度を上げる場合や危険を排除する為の防御的な使用に留めてください。
 これは可能な限り長く、陽動を継続する為にも重要な事です。
 また、陽動支援に赴いた先で、窮地に陥っている機体が存在しても、僚機がいて陽動を任せられる場合を除き、救出は諦めてください。
 冷酷なようですが、陽動の確立を後回しにすれば、その間にも戦線の崩壊や、被害の拡大へと繋がります。
 例外は、速やかに一撃を加える事でその機体が窮地を脱する事が出来そうな場合ですが、まずそんなケースは無いでしょう。
 BETAを誘引した時点でのS-11による殲滅は非常に効果的ですが、極力使用は避けてください。
 積極的に使用するのは、多数の光線級を纏めて殲滅できる場合や、損傷を受けて自機が撃破されそうな場合だけです。
 陽動支援機も貴重な装備です。安易に失わないように、注意して運用して下さい。」

 ヴァルキリーズの各員は、心身の疲労を色濃く残してはいたものの、真剣な視線を武に向けて、一心にその言葉を聞き取っていた。
 先程の演習で、自分達が十分に陽動支援機を活用できなかった事や、にも拘らず、絶望的な状況に於いて、戦線崩壊を相当遅らせる事ができたと言う事実が、貪欲なまでの向上心を芽吹かせていた。

「そして何よりも、実際に搭乗している有人機の安全確保を徹底して下さい。
 陽動支援機を部隊内運用する場合の弱点は、偏に有人機にあります。
 複座型有人機を1機失えば、衛士が2名戦闘不能になります。
 ましてや戦死させてしまった場合、人的資源を温存して、高度な能力と経験を持つ将兵を育成し、BETAの物量に質で対抗すると言う対BETA戦術構想の基本理念からすれば、最悪の事態といえます。
 陽動支援機とそれを運用する衛士が、どれだけの支援を従来型戦術機甲部隊にもたらすかを考えれば、安全確保が最優先となるのは理解していただけると思います。
 最悪の場合は、陽動支援機の運用を全て放棄してでも、有人機の安全を確保して下さい。―――速瀬中尉、どうぞ。」

 武の説明に、水月が挙手して発言を求めていた。
 武に促されて、水月が挑発するかのように発言する。

「―――つまり、自分達の搭乗機体を護る為なら、友軍なんか放って置けって意味よね?」

「そうです。その方が最終的には、損害が減らせる筈ですからね。
 ―――いいですか? 陽動支援機運用部隊の衛士が減るという事は、陽動支援機の活動機数が減るということです。
 それはつまり、従来型戦術機甲部隊の有人機が矢面に立つ戦域が増えると言う事なんです。
 自分の身を護る事ができて初めて、友軍の支援が出来ると思ってください。
 そして、優先的に生き延びる事を引け目に感じるのなら、その分自身の技量を高めて、そういった扱いに相応しい衛士になってください。」

 水月の問いにあっさりと頷いた武に、ヴァルキリーズの幾人かが、怒りや不快感を浮かべた。
 しかし、武が皆を見回してから続けた言葉に、感情的になった者は考えを改め、そうでなかったものも含めて、決意を新たにしていく。
 それを確認した武は、笑みを浮かべ、声音を柔らかなものに変えて話を続ける。

「―――大丈夫ですよ。有人機の安全確保用の対策―――主に早期警戒システムになりますが、そういった手立てもちゃんと用意してあります。
 ですが、まずは有人戦術機と陽動支援機を、しっかりと使い分けできるようになってください。
 運用してもらう装備も、習得してもらいたい戦術も、まだまだ沢山ありますからね。
 それらを縦横無尽に操れるようになった時、BETAに立ち向かう友軍将兵を、死の淵から引き摺り上げる事が可能になるはずです。
 ですから―――頑張ってください!」

「「「「「「「「「「「「「 了解ッ! 」」」」」」」」」」」」」

 ヴァルキリーズの全員が声を揃えて武に応じ、それを機に、講評会は解散となった。
 訓練再開は20分の休憩後とされ一旦解散となったのだが、元207Aの5人が武の元へと集まってきた。

「あの、白銀中尉。少しよろしいですか?」

「涼宮少尉? 5人揃ってきたって事は、B分隊の事ですか?」

 遠慮がちに声をかけた茜に、武は理由を推測しながら応じた。

「は、はい。あの……『対BETA心的耐性獲得訓練』を千鶴達も受けてるって聞いたんですけど………………」

「ああ。第2回目まで終わって、明日3回目を総戦技演習の一環として受ける事になってますよ。」

 武の返事に、月恵、智恵、晴子が続け様に声を上げる。

「そ、総戦技演習の一環って……それじゃっ! 下手したら衛士になれないじゃないですかっ!」
「え~、みんなが配属されるの~、楽しみにしてるのに~。」
「うっはー、只でさえきつい『対BETA心的耐性獲得訓練』が総戦技演習に組み込まれてるだなんて、B分隊は災難だね~。」

 茜も何やら思い詰めたような表情で視線を武に投げかけており、築地はそんな茜を心配そうに両手を揉みながら見ていた。

「高原少尉、麻倉少尉、柏木少尉……それから、涼宮少尉に築地少尉も。
 そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。
 あいつらなら、ちゃんと合格しますから、きっと。」

 そんな元207Aの5人を見た武は、皆を安心させようとしたのだが、茜は却って不信感を目に閃かせて食い下がってきた。

「中尉は、どうしてそう思われるんですか?
 安請け合いなら、しないで欲しいです。」

「安請け合いなんかじゃないですよ。
 まだ2週間も経ってないけど、今までのあいつらの頑張りを見てきて、そう思えるんです。
 確かに、『対BETA心的耐性獲得訓練』には参っていたけど、それでも明日の総戦技演習に備えて夜遅くまでオレに喰らい付いてきて、あれこれ勉強していたくらいだし。
 今晩も、この後、勉強会をする予定ですしね。
 仲間として、自信を持っていえますよ。必ず合格するに違いないってね。」

 武は茜の態度の裏に、元の仲間達を真剣に案ずる想いを感じ取り、誠意を込めて応じた。
 それが伝わったのか、茜の表情が和らぎ、少しはにかんだ感じで武に話しかける。

「そっか……変な事言って済みませんでした、中尉。
 中尉にとっても、千鶴たちは同じ部隊の仲間なんですね。」

「もちろんですよ。途中配属の上、特殊任務でフラフラしてるオレを、ちゃんと受け入れてくれてますしね。
 ―――それより、涼宮少尉。オレの戦時階級は飽く迄便宜上のものですから、良かったら名前を呼び捨てにしてもらえませんか?」

「そんな―――訓練でもあれこれ指導してもらってるのに、そんな事できませんよ。
 中尉こそ、私たちに丁寧語を使うことないと思いますっ!」

 思わず睨み合いになった武と茜に、脇から楽しげな笑みを浮かべた晴子の合いの手が入る。

「そしたらさ、お互い階級抜きで、丁寧語なしの同期生ってことでどうかな?
 あたしらは先に任官しちゃったけど、白銀中尉だって、同期の207訓練小隊の一員なんだしさ。」

「ちょ、晴子! そんな訳には―――」
「お、いいな、それ。じゃあ、そういう事でよろしく頼むよ。
 涼宮、柏木、築地、高原、麻倉!」
「あはは……思い切りも早いみたいだね。じゃあ、よろしくね、白銀!」
「え~と~、ほんと~にいいんでしょうか~?」
「いいんじゃないの? じゃっ、よろしくねっ! 白銀くんっ!!」
「え~と、白銀君、よろしく…………って、あ、茜ちゃん?! ま、まずかったべか?」
「………………いいわよ、もうっ! ―――じゃあ、よろしくねっ! し、白銀。」

 晴子の提案を却下しようとした茜の言葉に被せるように、武は強引に同意の言葉を述べると、早速態度を改めて5人に挨拶した。
 晴子はその変わり身の速さに笑い声を上げて応じ、智恵は急展開に戸惑い、月恵は武とハイタッチを決めた。
 多恵も周囲に合わせて挨拶をしたのだが、その後で茜が恨めしそうに見ているのに気付いて大いに慌てた。
 が、そんな茜も拗ねたような呟きを漏らしたのを最後に、態度を改めて武に手を差し出す。
 武が茜と握手を交していると、残りのヴァルキリーズが近付いてきた。

「なになに? 茜、あんた、なんだって白銀と握手なんかしてんのよ?」
「速瀬中尉、小耳に挟んだところによると、今後、白銀は新任共と同期生として付き合うことになったそうです。」
「あらあら……美冴さんたら、何時の間に小耳に挟んだのかしら?」

 水月が物珍しげに武と握手する茜を見て事情を訊くと、美冴が聞き耳を立てて察知していた事情を話す。
 そんな美冴に、くすくすと、右手で口元を隠して笑いながら祷子が茶々をいれた。

「へ~。茜、白銀中尉と仲良くなったんだね~。うん、いいんじゃないかな?」
「……大尉……いいんですか?」
「葉子ちゃんは心配性~だねえ。ほら、仲良き事は美しき事哉って昔から~言うじゃないの。」
「姉さん。問題は階級に関することだから……」

 遙は、茜の照れたような困ったような顔を見て、のほほんと笑うと満足気に頷く。
 それを聞いて、戸惑いを浮かべてみちるの見解を窺う葉子に、葵がお気楽な見解を告げ、紫苑がそれを窘めようとした。

「いや、いいだろう。元から白銀は階級に関しては色々と訳ありだしな。
 どうせ、暫くすれば少尉としてこの部隊に配属になるはずだ。
 そうなれば、同じ訓練小隊の5人と一緒に、茜達の同期として扱うつもりだったからな。
 ―――だが、こと特殊任務に関する事柄では、白銀の意見は私よりも優先される事だけは忘れるなよ?」
「「「「「「「「「「「「 了解っ! 」」」」」」」」」」」」

 が、話を聞いて暫し考え込んでいたみちるが、顔を上げて事態を許容する旨を述べる。
 それに全員が返答し、武の隊内での扱いが定まる事となった。
 そんな展開に、嬉しそうに満面の笑みを浮かべている武を見て、茜は思った。

(自分の階級を低く見積もられて喜ぶなんて、変な奴…………でも、それでいて優秀な衛士なんだから嫌んなっちゃうわよね。
 ま、偉ぶらないのは、好印象だけどさ……)

 そんな茜の思いを他所に、武はようやくヴァルキリーズに仲間として受け入れてもらえた気がして、喜びを噛み締めていたのだった……




[3277] 第91話 仮初の地にて試練の時-前編-
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/09/28 17:57

第91話 仮初の地にて試練の時-前編-

2001年11月01日(木)

 20時19分、国連軍横浜基地のシミュレーターデッキ、その待機室に武とみちるの姿があった。

 講評会の後の休憩時間も終わり、みちる以外のヴァルキリーズは既にシミュレーター演習を再開している。
 みちるだけが残ったのは、武にここ数日の申し送りをする為であった。

「じゃあ、ヴァルキリーズの方の『対BETA心的耐性獲得訓練』も、特に問題は無さそうなんですね?」

 実は、207Bが『対BETA心的耐性獲得訓練』を行うよりも1日早い日程で、ヴァルキリーズでも『対BETA心的耐性獲得訓練』の1回目と2回目が実施されていた。
 こちらは、新任の元207Aの5人だけではなく、先任も揃って参加していた。そう、遙も含めてである。

 その影響を案じた武の問いかけに、みちるは頷きを返して応じた。

「ああ。新任共は大分辛そうにしてはいたが、問題なく乗り越えたようだ。
 尤も、色々と個人差が出たのが、中々に興味深かったな。」

「へえ。参考までに教えてもらってもいいですか?」

 武の要請に応え、みちるは思い返しながら語り始める。

「まず、第1回の時だが、こちらは先任にとっては今更な内容だったな。
 ああ、涼宮―――遙の方は、相当精神的に打ちのめされていたか。
 新任の方だと、築地と高原が相当衝撃を受けたようだ。
 あと、柏木も平気な風を装っていたが、あれは無理してそう振舞っていた様だな。」

「そうですか、涼宮中尉が……
 涼宮―――茜の方と、麻倉は負けん気が強いですからね。
 戦術機を操縦できれば、やられる前にやっつけてやるのに。とか言って、悔しがっていませんでしたか?」

 武は、遙の様子を訊いて心配そうな顔をしたが、次いでニヤリと笑うと冗談半分に予想を口にしてみせる。
 すると、みちるは首を横に振りながらも、ニヤリとやはり人の悪い笑みを浮かべて応じた。

「さすがに、涼宮も麻倉も、そこまでの元気は無かったな。
 その代わりに、ほぼそれと同じ台詞を、速瀬が叫んでいたぞ。
 で、第2回の方だが…………こちらは、ある意味新任よりも先任の方が苦しんでいた。
 殊に、水代と桧山が意気消沈してしまってな……
 速瀬や宗像、風間なども、気丈に振舞ってはいたが…………やはり、失った戦友たちの事を思い返してしまうのだろう。
 私も、正直相当に堪えた。」

 今までに戦場で喪ってきた部下達を思い出したのか、視線を落としたみちるの顔を陰鬱な影がよぎった。
 しかし、直ぐに頭を上げると、みちるは話の続きを再開する。

「尤も、遙は殆ど堪えなかったようだ。さすがにCP将校ともなると、ああいった通信内容にも幾度と無く触れてきたのだろうな。
 新任の中でも柏木だけは、早々に割り切った様子で、結構落ち着いていたな。
 あとは、紫苑もそれほど辛くは無さそうだったか……
 新任は、柏木以外は大同小異だな。やはり、人間の死に際の感情の発露には、免疫がなかったようだ。
 尤も、実感も余り湧かないようだから、まだあの程度で済んでいるのだろうがな。
 いずれにせよ、今日の第3回で曲がりなりにも作戦行動が取れているのだから、合格と言っていいのではないかな?」

「確かに、さっきの演習でもちゃんと戦えていましたからね。
 ―――じゃあ、後は対BETA戦術について学んでもらって、徐々に装備群を扱えるようになってもらうだけですね。」

 武の言葉に相槌を打ったみちるは、やや躊躇いがちに言葉を続けた。

「そうだな。
 ―――ところで、白銀…………運用評価試験の予定は決まっているのか?」

 みちるの言葉に、改めて武が視線を向け直すと、みちるは視線を床へと落としていた。
 武は暫く逡巡した後で、みちるに真実を告げる。

「―――はい。11月11日を予定しています。
 ………………BETA相手の実戦になる筈です。」

「………………そうか。
 ―――では、それまでに、装備群を使いこなせるように、奴等を鍛えておこう。」

 それ以上詳細を訊こうとせずに、視線を上げて武に真っ直ぐな視線を返すみちるに、武は頭を下げる事しか出来なかった。

「―――よろしく、お願いします。大尉。」

 みちるは、強い決意を湛えた瞳で頷くと、シミュレーターデッキへと立ち去っていった。
 来るべき実戦に備えて、部下達を鍛え上げる為に…………

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月02日(金)

 07時59分、国連軍横浜基地の機械化歩兵用シミュレーターデッキ、その待機室でまりもが207Bの6名にブリーフィングを行っていた。

「いいか! 08時30分(マルハチサンマル)より、貴様らの総戦技演習を行う。
 内容は機械化歩兵装甲を装着した上でのシミュレーション演習だ。
 別に機械化歩兵として戦えとは言わないから安心しろッ!
 機械化歩兵装甲を装着させるのは、ベイルアウト後の貴様らの挙動をシミュレーターに反映させる為と、戦術機搭乗時の身体的負荷を支障の無い範囲ではあるが再現する為だ。
 演習中の糧食や水分の補給以外は、殆ど意識しなくていいはずだ。」

 そこまで話したところで、まりもは武を除いた訓練兵達を見廻す。
 いきなり機械化歩兵装甲を装着しろと言われ、やや動揺の見られた訓練兵達も、まりもの説明で落ち着いたように見受けられた。

「さて、肝心な総戦技演習の内容だが、貴様らには戦術機甲小隊の小隊長として、3名の部下を率いてBETA迎撃作戦に参加してもらう。
 貴様ら6名で6個小隊、合わせて2個中隊が編制される。
 第1中隊の中隊長は榊、第2中隊の中隊長は御剣とする。
 よって、この演習の仮想現実内では、中隊長は臨時大尉、小隊長は臨時中尉の階級となる。
 残り4名の配置は、榊と御剣で話し合って決めろ!
 演習終了予定時刻は、本日19時00分(ヒトキュウマルマル)だ!
 迎撃作戦のブリーフィングなどは、演習の仮想現実の中で行われる。
 ただし、機体への搭乗、着座調整、戦域までの移動などの非戦闘行動は省略される。
 場面展開が唐突になる場合があるので、予め覚悟をしておけ!
 また、戦術機の操縦は音声や視線、手による指示でシミュレータが自律制御で行う。
 貴様らの技量や特性は、生身のデータを基にある程度反映されているので安心しろ。
 では、さっさと各ブースの機械化歩兵装甲を着用しろ! 急げッ!!」

「「「「「「 了解ッ! 」」」」」」

 207Bの各員は待機室から駆け出して、シミュレーターデッキの壁際の、セパレーターで区切られたブースへと駆け込んでいった。
 各ブースには、衛士強化装備も着用した事のない訓練兵の為に、横浜基地所属機械化歩兵部隊の兵士が待機しており、装着の補助と糧食や水分の摂り方などの説明を行う。
 一人で的確に装着していく武には遅れたものの、女性陣も兵士の助けを借りながらではあったがなんとか装着を完了した。

 機械化歩兵装甲を装着した面々は、各ブースで空中に懸架された状態で待機していた。
 待機とは言いながらこの時間を使って、既に確立している部隊内データリンク経由で、網膜投影の通信画像を見ながら部隊編制に付いての話し合いが行われている。
 その結果、千鶴の下に彩峰と壬姫、冥夜の下に美琴と武を配置する事となった。



 ―――そして08時30分。総戦技演習が開始された。

 既に戦術機の管制ユニットに搭乗した状態で演習は始まり、HQからの通信により作戦内容の確認が為された。
 佐渡島ハイヴからのBETA侵攻に対して、新潟で迎撃戦を展開するというのが作戦の趣旨である。
 戦術機甲部隊は海岸線からやや内陸に入った地点で戦線を構築し、後方に展開する機甲部隊にBETAが辿り着かないように、戦線を維持しながらBETAの侵攻を遅滞・拘束する事が作戦目的とされた。
 作戦当初、戦線に展開する戦術機は1個連隊108機、この戦力で後方に展開する機甲4個連隊432両を防衛する事となる。

 制圧砲撃によってBETAを殲滅するのが機甲部隊の役割だが、一旦BETAに接敵されれば逃れる事は難しい。
 そして、機甲部隊が蹂躙されてしまえば、戦術機の火力だけでBETAを殲滅し切るのは困難である。
 なんとしても、戦線をBETAに抜かれる訳にはいかなかった。

「我々2個中隊が担当するのは、戦線中央の凡そ20kmになるわ。
 24機で散兵線を敷くとすると、1機当りの担当は800m強。
 でも、これじゃあ敵の主力正面で、突撃級の突破を押し留める事は難しいわ。
 そこで、火力の集中と、機動防御によって敵の戦力を誘引した上で拘束し、遅滞漸減する戦術を取ります!」

 千鶴は、作戦案を淀み無く述べていく。
 それは、武から教授されたBETAの行動特性や、戦術機甲部隊に於ける損害の出易い状況などの知識から、予め考案してあった運用案の一つであった。

 ―――5分後、ブリーフィングを終えた2個中隊24機は、千鶴の作戦案に従って、戦闘準備に追われていた。
 207Bの6名が指揮する各小隊にはラジオコールが割り振られており、千鶴のグラス小隊、彩峰のトルネード小隊、壬姫のバレット小隊、冥夜のナイト小隊、美琴のライアー小隊、武のシルバー小隊となっていた。
 仮想人格である部下達は、小隊のラジオコールに02から04までの番号を負荷されたラジオコールで呼称される……のだが……

「あ~あ~、これから糞野郎共と一戦交えようってのに、まずは補給物資の集積からっすか?」「しかも、こんなにミサイルコンテナばっかり集めちゃって……他所は大丈夫なんですか? 隊長」「でもさ、いざって時に補給できないよりはマシよね。」
「え?……あ、ええと……作戦を継続する為に必要な事なので、よ、よろしくお願いします~。」
「ぎゃははははは。」「よろしくって……隊長可愛すぎ!」「ちょっと! あんたたち、隊長からかうのもいい加減にしなさいよ!」

(プログラムによる仮想人格の筈なのに、なんだか本当に人間相手に話してるみたいです……)

 壬姫は、戦線の後方数箇所に、92式自律誘導弾システムのミサイルコンテナを中心に補給物資を集積する作業を、部下の仮想人格と共にこなしながら、その人間味溢れる無駄口に目を丸くして驚いていた。

「隊長~、ミサイルコンテナは、最初にぶっ放してぇ、直ぐに投棄しちゃっていいんですよね~?」「ああ、こんな重いもん付けたまま、近接戦闘をするのは御免だな。」「だが、こいつである程度の足止めは出来る。」
「発射後の投棄は許可する……ただし、勝手に先走って発射するな。」
「わかってますよ~、隊長。」「了解です。」「早く奴らにぶっ放したいぜ。」

(本当に良くできてる……やっぱ、白銀は加虐趣味……)

 小隊所属全機が92式自律誘導弾システムを装備している彩峰のトルネード小隊は、制圧砲撃予定区域の手前に展開していた。
 BETAが姿を現すまでの一時を、無駄口を叩いて紛らわす架空の部下達に、彩峰は武の狙いを察知して顔を顰めた。
 一昨日の、『対BETA心的耐性獲得訓練』の内容からして、部下の仮想人格に親しみを感じさせた上で、激戦の中で喪う痛みを体感させようという狙いが、彩峰には容易に予想できる。
 だが、それでも部下達の軽口を聞いていると、その存在が例え僅かであっても、自身の中で大きくなっていく事を自覚せざるを得ない彩峰であった。



「―――こちらグラス・リーダー(千鶴)。グラシーズ、トルネードズ、ナイツ、ライアーズの各員に告ぐ。
 そろそろ突撃級が、制圧砲撃を抜けてくるわ。
 自律誘導弾の一斉発射で、奴等の足を鈍らせるわよ!
 その後の行動は、作戦どおり。
 無理はしないで、極力近接格闘戦闘は避けるのよ!」

『『『 ―――了解! 』』』

 前線に展開する4個小隊16機の前方では、制圧砲撃により土煙がもうもうと立ち込めていた。
 その土煙の中から、制圧砲撃を耐え抜いた突撃級が姿を現す。
 まるで、制圧砲撃など無駄だと言わんばかりに、次から次へと姿を現す数十体の突撃級。

 時速100kmを超える速度で迫ってくる、幅200m程の突撃級の壁に対して、グラス、トルネード、ナイト、ライアーの4個小隊から各機32発、合計512発の自律誘導弾が放たれた。
 自律誘導弾の弾種は対突撃級用のクラスターミサイルであり、弾体の通過後に後方に向かって小弾頭をばら撒くタイプである。
 数千発の小弾頭が突撃級の先頭集団に後方から降り注ぎ、その装甲殻に護られていない柔らかな尻へと突き刺さる。
 突撃級の先頭集団はたちまち屍を曝す事となり、後続を塞き止める防波堤となった。

「グラス・リーダー(千鶴)よりグラシーズ各機、左翼に向うわよ!」
「よし、我らは右翼の策敵掃討に向かうぞ。ナイツ全機、続くがよい!」
『『『 了解! 』』』

 千鶴と冥夜の命令に従い、グラス、ナイトの両小隊は、空になったミサイルコンテナを投棄すると、そのまま戦線の左右両端を目指して、噴射地表面滑走で飛び去っていく。
 BETAの主力から離れて、戦線を浸透突破するBETAがいないか捜索すると同時に、その殲滅もしくは敵主力の方への誘引を行うのが目的であった。

「……トルネードズ各機、後続が抜けてくるよ……陽動開始……」「ライアー・リーダー(美琴)より各機。殲滅が目的じゃないから、砲撃は程々にしなきゃ駄目だよ?」
『『『 了解 』』』

 そして、その場に残ったトルネード、ライアーの両小隊は、彩峰と美琴に率いられて陽動を開始。
 仲間の死骸を避け、あるいは乗り越えてきた突撃級へと散発的な砲撃を行いながら、担当戦線の中央付近へとBETA群を誘引していく。
 当初は、仲間の死骸に阻害されて速度を時速30km以下にまで落としていた突撃級も、徐々に速度を上げて来る。
 突撃級を陽動しながらも、進行方向の左右に回り込んで砲撃を行い、ある程度蛇行させる事で侵攻速度を抑えようとはしているものの、それでも速度は上がり続けてついに時速100km近くに到達してしまう。

「またせたわね。」「今戻ったぞ!」

 そこへ、左右両翼から索敵掃討を追えた千鶴と冥夜率いるグラス、ナイトの両小隊が相次いで戻り、トルネード、ライアーズの両小隊が誘引している突撃級に左右から横撃を浴びせながら合流し、陽動任務を交代する。

「……トルネードズ、交代して補給。」「よーし、それじゃあライアーズは、一旦下がるよ~。」

 彩峰と美琴の命令で、陽動をグラス、ナイトの両小隊に引継ぎ、トルネード、ライアーズの両小隊が後退すると、入れ替わりにバレット、シルバーの両小隊が来援した。
 そして、2個小隊8機が装備している92式自律誘導弾システムから、クラスターミサイル合計256発を一斉に放つ。

「バレット・リーダー(壬姫)よりバレッツ。索敵掃討に向かいます。えと、左翼ですね。」「足止めは済ませたぜ! 後は任せる! シルバーズは右翼だ、行くぞっ!」

 全弾を発射して空になったミサイルコンテナを投棄して、壬姫と武に率いられたバレット、シルバーの各小隊は、左右に分かれて飛び去っていく。
 その場に残ったグラス、ナイトの2個小隊は、千鶴と冥夜の指揮の下、再び速度の落ちた突撃級の集団に対する陽動を続行した。

 千鶴の立てた作戦は、戦線に足を止めて突撃級を迎撃し侵攻を押し留めるのではなく、突撃級の強みである速度を、先頭集団をクラスターミサイルで潰し、速度を低下させる事に主眼を置いている。
 その上で、後退しながら陽動し誘引する事で突撃級の集団を制御下に置いて侵攻速度を抑止し、さらに戦線左右からの浸透防止と側撃による漸減、補給とクラスターミサイルによる攻撃を1周ほぼ8分間のローテーションで繰り返す。
 作戦は今のところ図に当たっており、戦線は緩やかに後退してはいたものの、乱戦を極力避けながら突撃級の集団を拘束し、着実に数を減らしていた。



 しかし、戦闘開始から約10分後にBETA本隊の上陸が開始され、制圧砲撃がレーザー属種の迎撃を受け始めて効果を減衰し、前衛の突撃級の集団に要撃級と戦車級を主体とする第2陣が合流しだした辺りから戦況が悪化し始めた。
 制圧砲撃は、前線の戦術機を光線級の照射から守る為もあって、AL弾頭に切り替えられていた。
 発生した重金属雲のお蔭で海岸沿いの山地を越えてくるレーザー属種からの照射は受けなかったものの、制圧砲撃によるBETAの撃破数は激減してしまう。

 それでも、207Bは奮闘を続け、なんとか担当戦線に押し寄せるBETA群を拘束し、漸減し続けてはいた。
 両翼に比して戦線中央のみが押し込まれる形にはなっていたものの、索敵掃討―――いや、既にBETAの数が増大した為に、索敵陽動と化していた―――が、戦線中央と左右両翼との間を往復する機動防御によって、BETAを戦線中央に誘引し集約する事には成功していた。

 とは言え、最大到達速度こそ突撃級に劣るものの、俊敏で機動力に優れる要撃級や戦車級は、進路上に横たわる突撃級の骸をあっけなく越えて来る為、それらを迎撃する為の砲撃により、陽動時の弾薬消費が飛躍的に増大した。
 その為、千鶴はローテーションのサイクルを早める為に、2個小隊単位のローテーションを小隊単位のローテーションに改め、4分毎に1個小隊が任務を交代するようにし、左右両翼への索敵陽動任務は分隊毎に左右に分かれて実施するようにした。
 これにより、左右両翼には時間差で2個分隊が索敵と陽動を行う形となり、BETAの浸透をより防止出来るようにはなったが、反面、火力が半減した為中央に誘引するのが精一杯となり、殆ど撃破は望めなくなってしまった。

 また、彩峰の提案により、補給に下がった小隊が補給物資の中から、予備弾倉を陽動担当部隊の下へと運ぶようにして、弾薬の消費増大にも対応した。
 大分余裕がなくなってきたとは言え、千鶴の作戦により、戦術機甲2個中隊でよく戦線を支えていたと言える。
 しかし、崩壊の鐘の音は、戦線左翼―――旧柏崎市方面から響いてきた……



「こちらバレット・リーダー(壬姫)! 左翼方面を侵攻する、大隊規模のBETA群を発見しました!
 幸い、レーザー属種、要塞級などの姿は見られません。
 でも、一応陽動を試みているんですけど、数が多すぎて2機では誘引し切れそうにないんです!!」

 左翼方面へ索敵陽動任務に出ていた壬姫から、半ば悲鳴のような報告が入る。
 大隊規模であれば、中型種の数だけで50体を優に超え、戦車級を含む小型種は300以上に昇る。
 場合によっては、数体とは言え、重光線級や要塞級まで含まれている事もある規模であった。

「なんですって?! 左翼の戦術機甲部隊は、まだ戦線を維持している筈なのに…………そうか、BETAを拘束し切れていないんだわ……」
「榊、あたしの小隊をローテーションから外して!……左翼のBETAを陽動してくる!」
「なっ!?―――解ったわ……頼んだわよ、彩峰っ!」
「任せて……」
「グラス・リーダー(千鶴)より、バレット・リーダー(壬姫)へ。そのBETA群の陽動にはトルネードズを派遣するから、無理しないで任務を続行してちょうだい。」
「バレット・リーダー(壬姫)、了解です!」

 壬姫の報告に、千鶴は戦況判断を速やかに修正する。
 そこへ、彩峰からの通信が入り、千鶴は一瞬躊躇したものの、即座に許可を出して彩峰に対応を一任した。
 続けて千鶴は壬姫に対して、ローテーションの維持を優先するように指示を出す。

 彩峰のトルネード小隊が抜けた事により、6個小隊によるローテーションは5個小隊による変則ローテーションに変わり、陽動任務を担当する戦力が減少する。
 今まで2個小隊で行っていた陽動が、半分の1個小隊になる上、彩峰の小隊が任務を成功させれば、大隊規模のBETAが追加される事になる。
 このままBETAを拘束し続けられるかどうか、難しい所に差し掛かっていた。

 幸い、師団の半数近い戦力が投入されていた右翼では、損害を出しながらも上陸したBETA群の殲滅に成功しつつあった。
 それまで何とか凌ぎきれば、右翼の残存戦術機甲部隊が来援する可能性もある。
 千鶴はなんとかそれまで凌ぐ為に、方策を練り始めた。



 ―――結論から言えば、右翼の残存戦力が来援するよりも、左翼が壊滅する方が早かった。
 左翼の戦線が崩壊した結果、大隊規模を超えるBETA群が左翼戦線を突破。
 左翼後方に展開していた機甲部隊を飲み込み、あっという間に全滅させてしまったのだ。

 右翼の戦術機甲部隊は、戦線を突破したBETAの追撃に廻され、207Bの指揮する戦術機甲2個中隊は、彩峰が陽動を成功させた大隊規模のBETAを加えて、連隊規模近くにまで増大したBETA群を、2個中隊24機の戦術機で拘束する羽目となった。
 しかも、戦線中央の後方に展開していた機甲部隊は、左翼を突破したBETAを再捕捉した場合に備えて移動を開始。
 右翼に展開していた機甲部隊も、未だに砲撃地点への移動中であった為、制圧砲撃が完全に途絶えてしまった。

 右翼の機甲部隊の移動完了と、砲撃態勢への移行まで約20分。
 それだけの時間、BETAをこの場に拘束し続けねばならない。
 しかも、後数分も経てば重金属雲の濃度が低下し、レーザ-属種の照射が効力を完全に発揮するようになる。
 そうなれば、機動防御は危険が高く、近接戦闘に切り替えるしか選択肢が無い。
 とうとう戦術選択の自由さえも、失われようとしていた。

「グラス・リーダー(千鶴)より、各員に告ぐ。
 現在行っているローテーションを以って、左右両翼方面への索敵陽動を中止。
 以降は、全戦力を集中して、現在対峙しているBETA群の誘引拘束を実施する。
 ライアー・リーダー(美琴)及びバレット・リーダー(壬姫)は、5000(m)後方の、旧成願寺町奥の渓谷に補給物資を可能な限り集積して頂戴。
 最終的にそこまで緩やかに後退しながら、BETA群を誘引し、そこの渓谷の入り口にこもって戦うわ。」

『『『 了解ッ! 』』』

 かくして、ライアー、バレットの2個小隊を先行させた上で、残りの4個小隊は近接戦闘を行いながら、徐々に南東に向って後退していった。

「これ、まさか……」「どうした? む、これは……いかん―――」「え?! なに―――きゃぁあっ!!」

 彩峰の呟きに気付いた冥夜が眉を顰めた直後、警告を発しようとする。
 だが、時既に遅く、冥夜に僅かに遅れて、千鶴が彩峰の言葉に反応した時には、既に眼前のBETAの群れが左右に分かれて移動しており、レーザー属種からの射線が一直線に開かれた後だった。
 途端にレーザー照射警報が鳴り響き、機体の乱数回避が自律制御によって始まる直前、千鶴の機体は脇から急加速して飛び込んできた武の機体によって抱えられ、射線上から押し退けられていた。
 その直後には、レーザーが最大出力に達し、射線上の物体や粒子が蒸発して発光現象を起こす。

 そして、その眩い光が途切れた時、千鶴は自身の小隊から2名の部下が喪われた事に気付いた。

「ま、02と04が…………」「委員長、しっかりしろッ! 直ぐにBETA共が押し寄せてくるぞッ!!」
「あ……そ、そうね。03、私と二機連携を組んでちょうだい! 02と04の敵を取るわよッ!」「ッ!!―――了解!!」

 急展開に、呆然自失しかけた千鶴であったが、武の叱咤に我を取り戻し、唯一残った小隊員のグラス03に指示を出して戦線に復帰した。
 武も千鶴が立ち直ったと見るや、直ぐに自身の小隊に指示を飛ばす。
 今のレーザー照射により、武の小隊でも1機が消滅しており、もう1機が中破の損傷を被っていた。
 武は中破した部下に支援砲撃に徹するように指示して、自身は僚機とBETAに対する陽動を再開する。

 生身の武のデータが反映されている為、武の機体の機動力は2個中隊24機の中で最も高い。
 それでも、自身で操縦しているよりも反応は鈍く、先程の千鶴の救出は危ない賭けであった。
 成功率は五分五分と思っていたが、この状況下で司令塔である千鶴を失えば、最悪2個中隊が全滅する可能性すらあった。

 武は、レーザー属種と自分達の位置関係や、周辺の地形、眼前のBETA群に突撃級が含まれていない事などから、早期にレーザー照射の可能性を警戒していた。
 しかし、今回の総戦技演習で、武は作戦立案や戦況判断への積極的な関与を禁じられている。
 命令に基づいた1人の衛士としての行動と、仲間を精神的に支える為の言葉をかける事しか許されていなかったし、00ユニットとしての高速演算も封印していた。
 それ故に、武は5割の成功率に賭けて千鶴を救う事を選び、そして見事に成功したのであった。

 しかし、つい先程まで陽気に軽口を叩いていた仮想人格3名が、遂に戦死してしまった。
 仮想人格のモデルを作成したのも、人間味を増す為の仮想人格プログラムを作成したのも武である。
 この総戦技演習で、ほぼ確実に失われると承知の上で、BETAとの戦いで散っていった先達を原型に作り上げた架空の衛士達。
 武は自身が作り上げた衛士達とその原型とした先達に許しを請い、彼らの死が207Bとその後に続く新世代の衛士達の糧となり、実戦の過酷さに耐えられる心の強さを身に付けさせるようにと、真摯な願いを捧げるのであった。



 ―――5分後、幸いレーザー照射による3名の犠牲を出したのみで、21機に減った戦術機達は渓谷の入り口で合流を果たした。
 ここにこもれば、渓谷の出口方向以外からのレーザー照射は地形によって遮られ、僅かとは言え平地よりはBETAの横移動も制限される。
 その上、ポイントが制限されるものの、眼前に押し寄せるBETAの頭越しに、後方のレーザー属種や要塞級への狙撃も一応は可能であった。

 ここでもう暫く粘りさえすれば、右翼の機甲部隊の再展開が終わり、渓谷の出口に群がったBETA群への制圧砲撃を要請できる。
 そして、重金属雲の濃度が十分な値に達すれば、レーザー属種に強攻を仕掛けることも不可能ではなかった。
 無論損害は出るだろうが、レーザ-属種の殲滅には危険を冒すだけの価値が十分にある。

「もう少しよ! あと少しで制圧砲撃が再開されるわ!!」
「……なんだろう、嫌な予感が……あ、この振動波は! 千鶴さんッ!」

 そう言って、千鶴が皆を励ました直後であった。
 美琴の呟きと、それに続く叫びに重なるように、渓谷に展開する戦術機達の足元や、すぐ近くの地面から、水柱のように土砂が噴き上がった。

「うわわわわ!」「ちッ!……」「いかん! これはッ!!」

 そう、BETAの地中侵攻であった。
 噴き上がった土砂に続いて、要撃級や戦車級がわらわらと湧き出ると、手近な戦術機へと突進する。
 そこから先は、阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

「―――ベッBETAだぁッ!!」「―――死ねぇぇぇ!」

 足元から続々と湧いてくるBETAを、各戦術機の衛士達が迎え撃つ。しかし―――

「―――だッダメです! 地面という地面から次々にBETAがッ!!」
「―――後ろにも前にも―――うッうわあああーーーーッ!!」
「―――くそッ! こいつら数が多すぎるッ!!」
「―――ダメだ! こっちに構うな! 後は頼―――」

 圧倒的なBETAの数に半ば飲み込まれてしまった彼らは、連携をずたずたにされ、組織だった抵抗も出来ずに苦戦を強いられる。
 中には、我が身を犠牲にして、戦友の為に時間を稼ぐ者も居るが、それも然したる効果を及ぼさない。
 そして、彼らを指揮するべき207Bの面々も、事態の急変に有効な対応策を見出すことができずにいた。

「―――要塞級まで……要塞級まで出てきやがッた!!」
「ぐぁああああああ~~~っ!!!」
「―――11時方向150に要塞級2ッ!! その下の穴から……BETAがどんどん出てきやがる!!」
「―――ぐあああぁぁぁッ!―――熱ッ―――熱いッッ!! ひぎゃあぁぁぁッ!!」
「―――クソッ! バレット4が要塞級の衝角にやられたッ!」

 指揮官である壬姫の狙撃に同行して、部隊の後方、渓谷よりに位置していたバレット小隊は、その脇に出現した要塞級と接敵し、あっと言う間に2機を喪う。
 壬姫は、展開のあまりの速さに、言葉を口にする事さえできずに見ている事しか出来なかった。

「あう……あう…………あ………………ッ!!
 ―――フ、要塞(フォート)級を避けて、た、退避します……つ、ついて、きて……」

 それでも壬姫は、2機を喪ったところで我に返り、残った唯一の部下に指示を下すと、要塞級を避けるように渓谷の奥を目指して退避を開始した。

 そんな中、前衛で戦っていた冥夜、彩峰、武の指揮するナイト、トルネード、シルバーの3小隊は、武の指揮により即座に後退を開始したシルバー小隊に引き摺られるように、噴射地表面滑走で後方への離脱を図ろうとしていた。
 だが、突如として冥夜指揮下の1機が、編隊から脱落する。

「―――うああッ!!―――跳躍ユニットがッ!!」
「どうしたっ、ナイト3ッ!!」
「構わず行って下さいッ!!―――うわああああッ!!」

 跳躍ユニットのトラブルによって、速度を落とし、地上を走らねばならなくなったナイト03を、あっと言う間にBETAが取り囲んでいく。

「ナイト3ッ! どうした、応えよッ!!」
「主脚をやられましたッ! たすッ―――助けてっ!」
「くっそおっ! 機体を放棄しろッ! ベイルアウトだッ!」

 そして、主脚をやられて転倒したナイト03に、無数の戦車級が群がっていく。
 戦友の危機に、ナイト02がベイルアウトを進める。だが―――

「―――嫌ですッ! ここから出たら奴らに喰い殺されるっ!
 ―――あひッ―――助けて隊長っ! 奴らが喰い破って……助けてええェェェッ!!!」
「くっ!……待っておれ、今助けに―――」
「―――来るなあッ!!―――助けて隊長ォォォ! いひいいいいいィィィ……ぎゃあああッ!!!」
「ッ―――」
「―――くっそぉぉぉぉぉッ!!」

 ナイト03は、ヒステリックな叫びを上げてベイルアウトを拒否し、泣き喚きながら助けを求める。
 その声に、冥夜が機体を反転させようとするが、その間すらなくナイト03の末期の絶叫が通信回線を満たした。
 その絶叫に、冥夜は歯を食いしばり、戦友を失ったナイト02が悔しげな叫び声を上げた。



 一方、なんとか比較的BETAの少ない地点を確保し、体勢を立て直そうとしていた美琴だったが、指揮下の1機が要撃級の前腕の一撃を受けて地に転がってしまう。
 美琴は、援護射撃を小隊に命じたが、転倒した機体は一向に立ち上がらない。

「ライアー2! 早く立ってッ!!」
「―――駆動系がッ!! 駆動系がいかれましたッ!!」

 ライアー02の言葉に、美琴の思考が一瞬空白になる……どうしたらいい? と、自問する僅かな間に、ライアー02の機体に更に要撃級の打撃が加えられる。

「―――きッ機体が……!! 激突の衝撃で……機体がゆがんで……ッ!!―――たッ……たすけ―――ひぃぃぃッ!!!!」
「―――この野郎ォォォッ!!―――があぁぁぁッ!!」

 ライアー02はベイルアウトを試みたようたが、要撃級の打撃により胸部のフレームが歪み、管制ユニットの射出に失敗。
 機械化歩兵装甲を装備して、内部から脱出口を開く間も無く、群がった要撃級の打撃が続けざまに叩き込まれた。
 その有様に、ライアー03が長刀を保持して、ライアー02に群がった要撃級に斬りかかったが、自身も要撃級に囲まれて叩き伏せられてしまう。

「ッ―――ライアー4、後退するよ、ついてきて……」
「りょ、了解……」

 美琴は残った1機を伴って、更に後退する事しかできなかった……



 そして、惨劇は彩峰の率いるトルネード小隊にも襲い掛かった。
 噴射地表面滑走で、市街地を駆け抜けていたトルネード小隊の1機に、ビルの壁面に張り付いていた戦車級が降りかかるように飛び付いたのだ。

「―――うわあぁ!! 機体に戦車級が飛び付きやがったッ!」
「―――今ナイフで落としてやる! 一旦着地しろッ!!」
「駄目! 今速度を落したら……」

 戦車級に飛び付かれたトルネード04と、その戦車級を斬り払おうとするトルネード03が速度を落として着地した。
 彩峰が慌てて制止するが、その時には2機は制動を終えて着地してしまっていた。

「くっ……02着地して援護!」
「02、了解……くそっ! 勝手な事しやがって……」

 かくして、トルネード小隊は移動を中止し、2機ずつが距離を置いて着地した。

「―――くそおッ!! 早くッ! コイツ装甲を囓ってやがるッ!」
「―――待てッ! 動くなッ!」

 04にたかった戦車級を短刀で斬り払おうとした03だったが、04が主腕を振り回す所為で手間取ってしまう。
 そして、そんな2機の直ぐ脇の路地から、更に多数の戦車級が這い出して襲い掛かった。

「―――うわあああッ! ―――こッ、この野郎ォォォッ!!!」
「―――隊長ッ! 隊長ォーーーーッ! 戦車級が―――戦車級がッ!」
「―――うわあああッ! ―――やッ、やめろこの野郎ォォォッ!!! うわああああッ!」
「―――ひいいッ! 喰われるッ、喰われるッ……やめッ―――がああああッ! 痛てえええッ!」

 そして、とうとう管制ユニット内にまで、戦車級に進入されたトルネード03は、錯乱して背部兵装担架の突撃砲を乱射してしまう。
 トルネード03の乱射した36mm弾の射線が、辺り一帯に飛び交う。

「―――やめろトルネード3ッ! 射撃をやめ―――」
「02ッ!?」
「―――うぎゃあああーーーー痛てえええよぉぉぉッ!」

 そして、トルネード03を制止しようとしたトルネード02がその流れ弾を胸部に受け、運悪く搭乗していた衛士に直撃。
 戦友を死に追いやったトルネード03だったが、彼と最初に戦車級にたかられたトルネード04も、最後の時を迎えようとしていた。

「―――ひぎィィィィィッ……!」
「―――いでぇぇぇーーーー痛てえええよぉぉぉッ! 脚があぁぁぁッ!!」

 既に、戦車級で覆い隠されてしまい、戦車級で出来た丘か塔の様になってしまった2機の内部から末期の悲鳴が聞こえてくるが、彩峰はその悲鳴を振り切るようにして機体を反転させ、千鶴が指定してきた合流ポイントに向った……



「みんな、なんとか合流ポイントまで、辿り着いてちょうだいよ……
 そこでなんとか体勢を立て直して―――」

 途中、レーザー属種の照射で3機を喪ったとは言え、なんとか統制の取れた迎撃を行ってきていただけに、千鶴にとって地中侵攻によって一気に戦況をひっくり返された衝撃は大きかった。
 しかし、それでも一縷の望みをかけて合流地点を指示し残存戦力を結集して、なんとか再起を図ろうとしていた。
 千鶴は小さく願いを呟きながら、機体を合流地点へと急がせた。



 ―――数分後、合流地点ではたった1機の戦術機が、周囲に群がるBETAを相手に孤軍奮闘し続けていた。

(―――冥夜も落ちたか……さすがに、オレももう持たないか……
 例え演習でも、仲間を―――特に207Bを喪うってのは、堪えるな…………)

 かくして、207B率いる戦術機甲6個小隊は、奮闘も空しく全滅を遂げた。
 時刻は09時54分。演習開始から84分、BETAとの交戦開始から69分後の事であった―――




[3277] 第92話 仮初の地にて試練の時-後編-
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:06

第92話 仮初の地にて試練の時-後編-

2001年11月02日(金)

 09時54分、国連軍横浜基地の機械化歩兵用シミュレーターデッキでは、暗転した視界の中、武を除く207Bの全員が押し寄せる悔恨と絶望に必死の思いで耐えていた。

「演習開始から全滅まで90分といったところか。
 最初に言った通り、総戦技演習の終了予定時間は19時00分(ヒトキュウマルマル)だ。
 まだ、9時間ほど残っているが……どうする? 貴様らにとっては最後となる総戦技演習だ。
 時間一杯、味わっておきたいと言うなら続きをさせてやってもいいが、もうご免だという者はシミュレーターから降ろしてやるぞ?」

 そんな207Bの面々に、まりもの冷たい声が投げかけられた。
 日頃の、熱意に溢れる口調ではなく、無価値なものに気紛れに投げかけるようなその口調に、207B女性陣は心が急速に冷えていく思いであった。

「……………………続きを、させていただけるのですか?」

「あの地獄を、まだ味わい足りないというのなら、満足するまで味わっていくといいだろう。
 無論、終了予定時間までの話だがな。」

 決して短くは無い沈黙の後、声を搾り出すようにして問いかけた冥夜に、まりもはどうでもいい事のように応じる。
 しかし、冥夜の心の奥深くにある熾火を掘り起こすには、それで十分であった。

「ならば! 是非演習を継続させてくださいッ!!」

 未だに暗転したままの視界の中、聞こえてきた冥夜の叫びに、残りの4人も垂れていた頭を上げる。

「私もお願いしますッ! 教官。」「やります……」「わ、わたしにもやらせてくださいっ!」「うん、そうだね。ボクだってまだまだやれるよっ!」

 冥夜の叫びに続き、千鶴が、彩峰が、壬姫が、美琴が声を上げた。
 すると、先程よりは幾らか柔らかな、しかし呆れたようなまりもの声が、彼女らに応える。

「ふん? そうか、物好きな奴等だ。
 では、演習を再開してやろう。各機が撃破された際に、ベイルアウトに成功していたと仮定して再開だ。
 ―――そうだな、おまけで白銀を強制参加させてやろう。いいな? 白銀。」

「了解です、教官。」

 まりもの声に武が応え、207Bは6名全員で総戦技演習を再開する事となった。
 演習開始後90分も経たずに全滅した。
 その結果は既に確定してしまっていたが、207B女性陣は、このまま総戦技演習を終わらせてしまう気にはなれなかった。
 例え衛士になる道は閉ざされたとしても、彼女達は今までの努力の総仕上げとして、この総戦技演習から得られる限りのものをもぎ取っていくつもりであった。

「よし、それでは再開するぞ、ベイルアウトの衝撃に備えろッ! 3、2、―――開始ッ!」

 途端に殴られたような加速―――そして、体中を振り回されるような衝撃が何度も続き、その後ようやく静かになる。
 レーザー属種に迎撃されない為に、上空への射出を避け地面とほぼ水平に射出された管制ユニットが、エアクッションを展開して地表に軟着陸―――と言うよりは落下して転げまわった為であった。
 幾らか割り引いてあるとは言え、三半規管を痛めつける衝撃に、207B女性陣は暫し呆然自失してしまう。

 と、そこに、外から叩かれるような音が生じる。

「「「「「 ? 」」」」」

 未だ衝撃から覚めやらぬ彼女達の耳に、続けて武の声が飛び込んできた。

「こちらシルバー・リーダー。管制ユニットから離脱。これより師団司令部の仮設陣地を目指して移動を開始します!
 邪魔だッ! てめぇら、退きやがれッ!!」

「くっ! いかん!!」「し、しまった!」「不覚……」「え? あああああッ?!」「あ……ま、不味いよこれ!!」

 武の声に正気に戻った冥夜、千鶴、彩峰、壬姫、美琴は、すぐさま89式機械化歩兵装甲の装着を開始する。
 しかし、その時には、既に管制ユニットの外装が殴られ、齧られ、引き千切られる音が発生し始めており、装着を終える頃には外の光と共に、醜悪なBETAの姿が裂け目の隙間から見えるまでになっていた。
 ―――その結果、207B女性陣で、管制ユニットを離脱できた者は皆無であった。

 眼前に醜悪なBETAが群がり、ボロボロにされた管制ユニットの外装越しに行われた、機械化歩兵装甲の主腕を用いた攻防の後、再び彼女等の視界は暗転した。

「随分と早いお帰りだな。まあ、機械化歩兵装甲など扱った事もないのだから、一応は仕方ないと言ってやろう。
 しかし、機械化歩兵装甲は貴様らの体の動きをトレースするシステムだ。
 なけなしの機関銃を発射するのと、対象物を掴む動作以外は殆ど感覚的に動かせる筈だ。
 機械化歩兵装甲の簡易マニュアルを送信しておいたから、白銀が頑張っている間に読んでおくんだな。
 ―――ああ、止めたくなったらいつでも言え、シミュレーターから降ろしてやるからな。」

 武は、5分ほどBETA群から逃げ回った後戦死の判定を受けた。
 そして、全員でベイルアウトからやり直しとなる。


  ● ● ○ ○ ○ ○

 11時22分、未だに総戦技演習は継続されていたが、207Bは撤退の渦中より逃れる事が出来ずにいた。

「退けッ! 退かぬかっ!!」「あなた達の、相手をしてる暇は、ないのよッ!」「邪魔……煩わしい……」「はわわ、はわわわわ~~~!」「えっと……あっち、かな?」

 闘士級や兵士級が散見される山中を、207Bが機械化歩兵装甲で駆け抜けていく。
 ベイルアウト後、全員が離脱できるまでに2回。その後、撤退中に3回。
 それだけの回数全滅を繰り返して尚、207B女性陣は1人として欠ける事無く、総戦技演習を続行していた。

 殆ど武装らしきものを装備しておらず、しかもジャンプユニットも無い89式機械化歩兵装甲では、例えBETA最弱と言われる兵士級が相手でも、戦う事は難しい。
 戦って撃破する事だけなら容易なのだが、相手が素早い為交戦時間が長引くと、1体倒す間に数体のBETAに囲まれてしまうのである。
 よって、必然的にBETAの合間を縫って、山中を強化された脚力によって踏破するしかないというのが現状であった。

 撤退も、当初は各個に分散して行い、例え1人でも逃げ切る事を目標としていたのだが、それではどうやっても逃げ切れないと悟った千鶴が、今回は全員で連携しての撤退戦を試みていた。
 まず、比較的安全な撤退ルートを察知する感覚に長けた美琴に先導させる。
 美琴は、1人で撤退していた時にも、比較的安全なルートを選択していたのだが、判断に迷ったりしている内に、後方から迫るBETAに追いつかれてしまっていた。

 そこで、千鶴は自身を司令塔に、武、冥夜、彩峰の3人を殿(しんがり)に配置し、後方から迫るBETAの足止めと、陽動した上での各個撃破を行うことにした。
 近接格闘戦闘に長けた3人が共同で各個撃破する事で、短時間にBETAの個体を無力化する事を狙ったのだ。
 さらに、近接するBETAの動向を千鶴が把握し、3人に的確な指示を出す事で連携をより確実なものにしていた。

 その上で、美琴と殿の距離が離れすぎないように、間に壬姫を配置して撤退のペース配分を調整すると共に、側方からBETAに接近されて分断されないようにしていた。
 壬姫は、美琴に置いて行かれないように注意しつつ、両側面を監視しながら山中を移動していた。

(―――これでも、遠距離の敵を見つけるのは得意です!
 狙撃銃もないし、固定武装の軽機関銃も、管制ユニットから離脱する時にほとんど打ち尽くしちゃってるけど……
 いざとなったら、たけるさん達がきっと何とかしてくれます。
 ミキ1人で逃げてた時は、逃げ切る事も出来ないでやられちゃってたけど、今はミキ1人じゃないもん……
 たけるさんが言ってくれたように、今自分が出来る精一杯をやって、全員が生き延びられるようにがんばるんだもん!)

 壬姫は、自分が出来ること、成すべき事を、自身に必死に言い聞かせる。
 どうしても管制ユニットから離脱できなくて、武や冥夜にBETAを引き付けて貰って、ようやく離脱できた事。
 1人で撤退している時に、2回とも真っ先に喰い殺されてしまった事。
 そして今回、美琴と殿の間で、まるでみんなに護られている様な配置になった時、壬姫は自分が皆の重荷になっているのだと感じて落ち込んでしまった。

(―――けど、たけるさんが教えてくれたんです。
 生き延びてさえいれば、何時かみんなの役に立てる時が来るって……
 それまでは、出来る限りの事を頑張ってこなしていればいいって……
 諦めちゃったらそこでお終い。諦めないで生き延びていればこそ、何時か自分が必要とされた時に、みんなの役に立てるって……
 だから……だからミキは諦めません!
 今は、みんなのお荷物だとしても、なるべく役に立つお荷物で居るんです!
 重くて嵩張る対物ライフルだって、頑張って運搬していれば、何時か役に立つ時が来るかもしれないんです!!)

 壬姫は、無意識の内に、戦術機に乗っていない自分が、BETA相手に最も能力を発揮出来る装備を脳裏に思い浮かべながら、自身を鼓舞し続けた。
 そして、ベイルアウト後の状況を繰り返す事6回目にして、ようやくまりもは演習を新たなる段階へと進行させた。



「はぁ、はぁ、はぁ……よ、鎧衣さんは……あっちですね……あれ? もしかして友軍部隊でしょうか?」

 肉体的と言うよりも、精神的な疲労から荒い息を吐きながら移動していた壬姫は、先導している美琴の現在位置を確認する為に戦域マップを見て、驚きの声を上げた。
 美琴を表すマーカーの近くに、幾つもの友軍マーカーが存在していたからだ。
 先程見た時には存在しなかった為、どうやら先方も移動している最中であったらしい。

「よ、よかった……これで―――ッきゃぁあッ!!」

 壬姫が安堵の吐息を漏らしかけた所に、戦域マップに気を取られている間に接近してきたのであろう、2体の大柄な影が恐ろしいほどの速度で飛び込んできた。
 機械化歩兵装甲の発した警報に、壬姫が反射的に振り向いた先では、闘士級が腕を振り上げて今にも振り下ろさんとしていた。
 ―――と、そこへもう1体の影が飛び込んでくる。

 激しい激突音と、その直後に炸薬の炸裂音が鳴り響く。
 そして、壬姫の盾になるかのように立ち塞がった97式機械化歩兵装甲の向こう側で、近接戦用爆圧式戦杭(パイルバンカー)の鉄杭を胸部に打ち込まれた闘士級が、地面に吹き飛ばされてくずおれた。

「よう、衛士の嬢ちゃん……じゃなかった、中尉殿ご無事であらせられますか?」

 闘士級の一撃を受け止めてひしゃげてしまった、左手に固定していた追加装甲(盾)をパージした97式機械化歩兵装甲は、壬姫の方に振り向くとそう話しかけてきた。
 壬姫は、間一髪この戦域を巡回していた機械化歩兵中隊の曹長に救われたのであった。



「―――なるほど、後4人、衛士が近くに居るって事だね?
 広域(ロングレンジ)の戦域マップはBETAのマーカーで埋まっちまってて、衛士のマーカーを見落としちまってたよ。
 よしっ! 第1小隊からB分隊とC分隊を出しなっ! 衛士様をお迎えに行くんだ。
 第2、第3小隊はこの場で、防御陣形を張れ!
 第1小隊A分隊は、衛士様方を後方に送る準備をするんだ。重機や自動擲弾銃をたっぷりと持ってくんだよッ!!
 ……っと、あんた、名前は?」

 先に合流していた美琴から、仲間の衛士達が後に続いていると聞いていた、機械化歩兵中隊の指揮官である女性の大尉は、壬姫にも情報の確認を取るとすぐさま隊に指示を下した。
 そして、それから改めて壬姫の方に向き直ると、片眉を上げて名を訊ねた。

「た、珠瀬壬姫訓れ……っと、臨時中尉です。あの……助けていただいて、ありがとうございました!」

 官姓名を訊かれた壬姫は、つい訓練兵と言いかけてしまって、慌てて今回の演習上で与えられている小隊長としての階級で応えなおした。

「野戦任官で小隊長殿って訳かい? 衛士は損耗が激しいって言うからね……
 あ、いや、あんたらにゃ、他人事じゃなかったね。悪かったよ……
 ―――あー、それで、あんた達には師団司令部の仮設陣地に下がってもらう。
 うちの連中に送らせるけど、そうそう戦力を割く訳にもいかないんで、あんたらのお仲間が合流するまで少し待ってておくれ。」

「あ、はい。わかりました。」「よろしくお願いします、大尉殿。」

 大尉の言葉を了承した壬姫と美琴は、その場に所在無げに佇む事になった。
 手持ち無沙汰になった2人は、直通回線を開いて会話を交す。

「この人達も仮想人格なんだよね? とてもそうは見えないよね~。」

「うん……もしかしたら、ボク達みたいに、誰かがシミュレーター経由で演習に参加しているんじゃないかと思っちゃうよ。」

「あー、それはあるかも~。―――あ! 対物ライフルだ……あれって、機械化歩兵装甲用だよね?
 わたしにも、扱えるかな?」



「しっかし、よくまあ、ジャンプユニットも付いてないその機械化歩兵装甲で、BETA共から逃げ回れたもんだ……」

 分隊長を務める軍曹が感心したような、呆れたような言葉を漏らす。
 千鶴、冥夜、彩峰、武の4人と合流した機械化歩兵2個分隊は、4人の周囲を囲み、近寄ってくるBETA小型種を返り討ちにしながら山中を駆け抜けていく。
 兵士級や闘士級のBETA小型種は重武装の機械化歩兵の敵ではなく、数さえ大挙して押し寄せない限り苦戦する事は無かった。

「なんとか、3人がかりで、各個撃破に、も、持ち込みました……」

「ははあ、なるほどなあ……けど、運も良かったんだろうな。
 あの手合いには遭遇しなかったんだろ?」

 息を切らしながらも、律儀に軍曹の問いに答えていた千鶴は、続けて発せられた軍曹の言葉と、そこに含まれた剣呑な雰囲気に、慌てて周囲の状況を確認する。

「ッ!!―――こ、これは…………」

 何時の間にか、11時の方向150mに100体近いBETA小型種の群れが迫っていた。
 2個分隊、24名の機械化歩兵で相手にするには、少しばかり多い個体数であった。
 しかし、ジャンプユニットを装備していない千鶴達を護衛している為、戦闘を回避する事も難しい。
 状況を素早く確認し、B分隊長である軍曹は素早く決断を下した。

「おい、悪いが足止めを頼む。本隊でも奴等には気付いてる筈だ。
 暫く持ち堪えれば、必ず応援が来るからよ。」

 その決断は、兵力の半数―――C分隊を以ってBETAを迎撃・拘束し、残るB分隊が護衛対象である衛士4名を護衛して本隊に合流するというものであった。
 C分隊長も、即座に頷きを返すと、部下達をBETAにけしかけるように、命令を下した。

「ああ、了解だ。―――野郎共! クソBETAを地獄に叩き落しに行くぞッ!」

「待ってましたっ!」「よっしゃぁーっ!」「やってやるわよー」「んふふふふ」「ぶっ殺してやる!」「ああっ、腕が鳴るぜぇ!」

 C分隊の機械化歩兵達は、分隊長に威勢よく気勢を揚げて堪えると、10倍近いBETAに立ち向かっていく。
 危地へと遊興に繰り出すかのような気軽さで向うC分隊に、呆気に取られていた千鶴、冥夜、彩峰の3人だったが、その行為が自分達の安全を確保する為の行為である事を思い出して愕然とした。

「む―――いかん、我らの為にむざむざと死なす訳にはいかぬぞ、榊!」「戦うなら、私たちも……」「そ、そうね!」

 3人とも思うところは一緒であり、部隊内通信で瞬時に意志の統一を見る。
 千鶴は、武が何か言わないかと暫し待つが、この演習中に限っては、武は仮想人格よりも寡黙であり、表情からも何を考えているのか読み取る事はできなかった。
 そこで、代表して千鶴が軍曹に話しかける。

「軍曹、私達も多少なら戦えます。BETAを足止めするなら、2個分隊の全力で臨むべきではないですか?」

 千鶴がそう言うと、軍曹は困ったような、それでいて嬉しそうな顔をしてにやりと笑うと、千鶴の問いに答えた。

「あの連中を足止めして、殲滅するのが任務ならそうするとこですがね。
 生憎、我々の任務はあんたらを本隊まで無事に連れ帰る事なんでさ。
 あの連中だって、時間を稼ぐだけで、こっちが本隊に合流さえ出来れば、ケツに帆をかけて逃げてきまさあ。
 てことで、連中の為にもちょっくら我慢してもらいたいんですが、構いませんかね?」

「え? ええ! 彼らの負担が軽減されるなら、何でも!!」

 軍曹の言葉に、一瞬戸惑った千鶴だったが、即座に了承を返す。
 すると軍曹は、ニヤリと人の悪い笑顔を浮かべると、千鶴に礼を言うなり、部下達に命令を告げる。

「ありがてえ! よしっ、おまえら、衛士様方が荷物扱いを許してくださるそうだ、2人1組で衛士様を支えてジャンプユニットで一気に距離を稼ぐぞッ!
 衛士のみなさんは、大人しく変に力まないようにしててくださいよ?
 ―――準備はいいな? よしっ、行くぜぇえッ!!」

「え? あ、ちょ、ちょっと、軍曹!」

 千鶴が抗議する頃には、機械化歩兵達は千鶴達の両脇に1人づつ付いて89式機械化歩兵装甲の肩部を保持し、ジャンプユニットを全力で噴射させる。
 これにより、B分隊と千鶴達の移動速度はそれまでの倍近い速度となった。
 しかし、千鶴達の運搬に8人の機械化歩兵が掛かり切りになってしまった為、周囲のBETAへの迎撃戦力は機械化歩兵4人にまで激減してしまう。
 そして、本隊まであと2km程まで辿り着いた時、右側面からこの期に及んで30体程のBETA小型種が現れ、今度はその4名が足止めに赴かねばならなくなってしまう。

「よおしっ! ここまで来れば、本隊は直ぐだ、お前らはそのまま飛び込め、この連中は俺達がぶちのめして行くからよっ!」

「「「「「「「「 了解ッ! 」」」」」」」」

「ぐ、軍曹―っ!」「くっ、そなたらに感謝を……」「武運を……」

 千鶴、冥夜、彩峰はせめてもと言葉を残して、荷物に徹する。
 さすがに3人は、この場では荷物に徹する事が、最も軍曹の負担にならない行動であると理解していた。
 その場から機械化歩兵中隊の本隊までは1800m程であり、本隊からも援護射撃は行われている。
 しかし、BETA群と機械化歩兵4名の距離が詰まってしまうと、誤射を恐れて射線は疎らとなってしまった。

「―――ちっ、ちっとばかり、数が多いか!
 てめぇら! 腹ぁくくれよッ!!」

 自分達の射線を掻い潜り、数体の闘士級が急迫してくるのを目にした軍曹は、覚悟を決めて部下を鼓舞した。
 が、次の瞬間―――

「なっ! 狙撃か?!」

 最も接近していた闘士級が、横から蹴飛ばされたかのように吹き飛ぶ。
 しかも、その胴体には大きな貫通口が開いていた。
 そして、続け様に、2体、3体と肉薄しようとしていた闘士級が狙撃によって無力化される。

「よしっ! 時間稼ぎは十分だっ!! オレ達も本隊に飛び込むぞッ!!!」

 その機を逃さず、軍曹は部下3人を引き連れてジャンプユニットを噴かし、その場を離脱する事に成功した。
 こうして、B分隊は無事本隊との合流を果たした。そして―――

「ああ?! あ、あんたが狙撃してたってのかあ?!」

「え? えっと……そ、そうですけど……」

 本隊に合流して直ぐに、狙撃手に礼を言いに行った軍曹は、中隊狙撃手ではなく89式機械化歩兵装甲を装備した小柄な衛士を前に愕然としていた。

「こらこら、軍曹! 命の恩人になんてこと言ってんだい!」

「あ、ちゅ、中隊長! じゃ、じゃあ、この娘っ子―――っと、衛士様が本当に狙撃を?
 ―――も、申し訳ありません、中尉殿っ! 危ない所をご助勢頂き、誠に有り難くありましたッ!!!」

 中隊長が自身の問いかけに大きく頷くのを見た軍曹は、直立不動になって壬姫に謝罪と礼を述べた。
 機械化歩兵用対物ライフルを持ったままの壬姫は、嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべて言った。

「いえ、わたしがお役に立てたんなら、嬉しいです。えへへ。」

 そんな壬姫を、文字通り荷物になる事を甘受するしかなかった千鶴、冥夜、彩峰、武の4人が誇らしげに見ていた。



「―――さて、それではこれから衛士諸君には、我が隊から抽出する2個分隊の護衛の下、師団司令部へと後退して貰う。
 申し訳ないが、予備のジャンプユニットは諸君らに提供できるほど潤沢にはない為、諸君には荷物になって大人しく運ばれてもらう事になる。
 1個分隊が諸君を運び、1個分隊が護衛となるが、最悪の場合、諸君には自力で撤退してもらう可能性もある。
 まず大丈夫だとは思うが、覚悟だけはしておいて欲しい。」

 防御陣形の中央付近で、207Bの6人が、機械化歩兵中隊指揮官の説明を受けていた。

「了解です。もともと、自力で撤退する覚悟でしたから、それは構いません。
 しかし大尉、貴官の中隊は撤退なさらないのですか?」

「ああ、我が隊の任務はこの戦域を巡回し、BETA小型種の浸透を阻止し、貴官らのような撤退中の衛士を救出する事だからな。」

 事も無げに言う中隊長だったが、現状はそれ程容易いものではなくなっていた。
 先刻、足止めに残った機械化歩兵の第1小隊C分隊は、6名の戦死者を出して2名が重傷となっていた。
 重傷者の2名は、機械化歩兵装甲を自律制御とし、207B護衛部隊に随伴して師団司令部に後送する事になっている。

 これにより、機械化歩兵中隊120名の内、分派24名、死傷8名となり、合計32名が抜け、戦力が27%近く減少してしまう。
 しかも、既に前線の戦術機甲部隊は壊滅し、何時中型種が侵攻してきてもおかしくない戦況である。
 最早、この機械化歩兵中隊の任務は、BETA小型種の浸透阻止よりも、BETA中型種の侵攻を早期発見する為の索敵が主任務となっており、状況からして任務を全うして尚生き延びる事は困難であろう事が、話を聞いている207Bにも察せられた。

 その様な苛酷な状況で自分達の為に戦力を割かせてしまう事、さらには、この窮地を招いたのが自分達の戦術機甲部隊が壊滅した所為である事が、207Bの女性陣に重く圧し掛かってきた。
 しかし、そんな衛士達を見て、中隊長はからからと笑うと、気にする事はないと激励する。

「あっはっは! そんなしょぼくれた顔をしなさんな!
 あんたらが前線でBETA共を引き付けて戦っていた間、あたしらは僅かな小型種相手に十分楽をさせてもらってたんだ。
 あんたらは只逃げてきた訳じゃあない。
 BETA共相手に戦い抜いて、戦術機を失って尚、戦う気概を失わないでここまでやってきたんだ。
 だったら、今度はあたしらが、あんたらをもう一度戦術機に乗れるように助けてやる番さね。
 師団司令部に辿り着けば、運が良ければ予備機があるかもしれない。
 もし、あたしらの心配をしてくれるなら、あたしらが無事なうちにその予備機に乗って戻ってきて、もう一度BETA共を陽動してくれりゃあいいさ。
 そうすりゃ、あたしらも次の戦いに出れるってもんだ!―――っと、どうした?」

 中隊長の言葉に、自分達の役割を思い出した207B女性陣の瞳に、徐々に決意が漲ってきた。
 衛士は人類の盾。前線で戦術機を駆り、BETAを押し留めるのが本領なのだと、207B女性陣は今一度自身が果たすべき役割を再確認していた。
 が、そこで中隊長に部下から通信が飛び込んでくる。

「―――そうか、解った。第3小隊に地雷を設置させろ! 第2小隊は、陽動だ! 第1小隊C分隊は中隊本部に合流して待機だ。
 いいか! ここでなんとしても時間を稼ぐんだ! 兵共が簡単に地獄に逃げ出さないように、しっかり面倒を見てやるんだぞ?
 よし、では直ぐに取り掛かれ! 衛士様方には直ぐに出立してもらう。―――ああ、解った。
 ―――すまないが、衛士諸君には直ちに出発してもらう。
 こちらに向ってくる突撃級が確認された。
 地雷を使って何とか足止めを試みるので、一刻も早く師団司令部へ後退してくれ。
 では、武運を! 戦術機が残っている事を願っているぞ!」

 そう言うと、中隊長は足早に立ち去り、代わりに第1小隊A分隊の曹長が部下を連れて207Bに近付く。

「では、早速移動を開始します。両肩を左右から保持して運びますから、余計な力を入れないようにして身を任せてください。
 ―――準備はいいか?―――よし、行くぞっ!」

 かくして、後ろ髪を引かれながらも、207Bは小型種相手の防衛戦を行っていた今までよりも、更に慌しさを増した防衛陣地を後にするのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 12時26分、207Bの面々は、ようやく再び衛士として戦術機を操る立場に返り咲いていた。
 現実では既に4時間近くも演習を行っているが、仮想現実内では戦闘開始からようやく100分が経過したに過ぎない。

「―――と、いう訳で現在残存している戦術機甲2個中隊は左翼を突破侵攻したBETA群を再捕捉すべく行動中。
 機甲部隊は1個連隊が左翼後方へ移動中で、残る2個連隊も我が師団を救援する為に急行中の師団と合流すべく移動中だ。
 幸い、当司令部には8機の戦術機が予備機として存在している。
 諸君にはその8機を運用して、司令部及び随伴部隊の撤退を支援してもらう。
 既に移動可能な部隊から撤退を開始している為、後20分間此処より南東へBETAを侵攻させないでくれればいい。
 つまり―――向う20分は死守だ……」

 師団司令部の整備部隊の下に予備機として残されていた、戦術機8機を受領した207Bの6人は、師団長から直々に任務を言い渡されていた。
 こうしている間にも、師団司令部の周囲では、護衛の歩兵部隊が接近してきたBETA小型種を相手に戦闘を繰り広げている。
 そこには、本隊への帰隊を禁じられ、司令部随伴部隊へ臨時編入された機械化歩兵2個分隊24名も加わっていた。
 しかし、もしここに中型種が1体でも姿を現したならば、司令部が壊滅的な打撃を受ける事は必至であった。

「―――了解いたしました、閣下。
 しかし、1つだけ意見具申をお聞き入れ下さい。」

 師団長から達せられた死守命令を、千鶴は太い眉毛を微動だにさせずに受領すると、続けて意見具申の許可を求める。

「―――いいだろう、意見具申を許可する。言ってみたまえ、中尉。」

「はっ! ありがとうございます。
 小官は、戦術機運用の真髄は機動防御によるBETA侵攻の遅滞にあると考えております。
 防衛に於いて、戦術機の能力を十全に活用するにはある程度の縦深が必要となります。
 その為、死守地点より前方の戦域へ進出した上で、遅滞戦闘を展開する許可をいただきたいと愚考する次第であります。」

 千鶴の意見具申に対し、鋭い視線を向けた師団長だったが、口元を僅かに緩め、目元を和らげると口を開いた。

「そうか。貴官は防衛線の中央で、戦術機甲2個中隊を指揮してBETA侵攻を押し留めていたのだったな。
 良かろう、貴官の思うように作戦指揮を取りたまえ。
 撤退する部隊の安全確保と、BETAに対する触接さえ保てるのであれば、死守命令も厳守せずとも良いぞ。」

「ッ!?―――あ、ありがとうございますっ!!」

 破格と言っていい、師団長からの言葉に、千鶴は最敬礼で応えた。
 その千鶴に答礼すると、師団長は更に言葉をかける。

「榊臨時中尉。可能であれば、機械化歩兵中隊を救ってやってくれ。
 一刻を争うだろう、直ぐに行動に移れ。頼んだぞ―――」

 そう言って師団長が回線を切った為、通信画像が消えた後を一瞬呆気に取られて見ていた千鶴だったが、即座に意識を切り替えた。

(そうよ、一刻も早く救援に赴かないと!―――にしても、こっちの考えはお見通しって訳か。
 この演習の仮想人格って、本当に出来が良すぎるわね。)

 そんな考えを弄びながらも、千鶴は仲間達へと命令を告げていく。
 207Bの6名は、無人の2機を自律制御で追従させて、BETA中型種を相手に遅滞戦闘を継続している機械化歩兵中隊の元へと急ぐのだった。



「バレット・リーダー(壬姫)は、随伴の無人機2機とこの場で待機。狙撃で支援して頂戴。
 ナイト(冥夜)、トルネード(彩峰)、シルバー(武)の各リーダーはBETA中型種に近接格闘戦を仕掛けて撃破して!
 相手はたかだか9体よ、あなた達なら出来るわ!
 ライアー・リーダー(美琴)は私と小型種を砲撃で殲滅しながら、機械化歩兵の後退を支援よ!」

「「「「「 了解ッ! 」」」」」

 戦域に到達した各機へと、千鶴により命令が下される。
 壬姫は、随伴させた無人機2機と速度を落として着陸すると、87式突撃支援砲を両主腕で構えて狙撃態勢をとる。
 随伴した無人機2機は、主腕で保持して運搬していた補給コンテナから、中身を次々に取り出し周辺の地上に自律制御でばら撒いていった。

「あなたたち、いい加減地獄に行きなさい!」「ちょっと駆除させてもらうからねっ!」

 千鶴と美琴は更に進んだ後、BETAの密度が低い地点を探して確保。
 両主腕と背部兵装担架に保持した、4門の87式突撃砲をフルに使って周囲のBETA小型種を掃討していく。

「おのれ! 自侭に振舞いおって!!」「許さない……」「もうてめぇらの好きにはさせねえぞッ!」

 更に突撃を継続した冥夜、彩峰、武の3機は、それぞれ3手に分かれて機械化歩兵の残存戦力と交戦中のBETA中型種に襲い掛かった。
 冥夜は長刀で要撃級に斬りかかって忽ち2体を斬り捨てた。
 彩峰は突撃級の背後を取って36mmを撃ち込み、武は要撃級に斬りかかると同時に、背部兵装担架で保持した突撃砲から突撃級に砲撃を行って、その進路を機械化歩兵から逸らした。

 この時点で尚、生存していた機械化歩兵は僅かに8名。
 207Bの護衛に付いた者を除いてこの場に残った88名の内、1割にも満たない人数であり、中隊長も既に戦死してしまった後だった。
 機械化歩兵中隊は、4体の突撃級に対して遅滞戦闘を試み、地雷を仕掛けた上で突撃級を誘導するという戦術で2体を撃破する事に成功していた。
 しかし、更にBETA中型種が姿を現すに至り、その後は嫌がらせの様に砲撃を行ってその注意を引いては逃げ回るという、消極的な戦術しか残されてはいなかった。

 それでも、彼らは師団司令部を中型種に襲わせない為に、勇敢に遅滞戦闘を継続し、見事にBETAをこの戦域に拘束し続けたのであった。
 そして、僅か12体の中型種BETAを十数分拘束する為に、80名の機械化歩兵が喪われたのである。

 しかし、207Bによって8名の機械化歩兵は命を取り留め、無人の戦術機が保持する空の補給コンテナの内部にしがみ付く形で、撤退中の司令部へと後送された。
 その後も、207Bは自律制御の無人機も活用しながら、司令部の撤退を完了させるべく、たった8機の戦術機のみで後衛戦闘を繰り広げた。




[3277] 第93話 下された評価
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2011/11/01 18:06

第93話 下された評価

2001年11月02日(金)

 13時37分、国連軍横浜基地の機械化歩兵用シミュレーターデッキでは、未だに207Bの総戦技演習が継続されていた。

 師団司令部とその随伴部隊を撤退させる為に、8機の戦術機のみで後衛戦闘を展開した207Bは、粘り強くBETA群を陽動・拘束し続ける事に成功した。
 そして、来援した師団の戦力と共同して、新潟に上陸し防衛線中央部に侵攻したBETA群を殲滅する事に成功する。
 総戦技演習はここで新たな状況設定へと進む。
 時間軸を巻き戻し、左翼を突破侵攻したBETA群の追撃を命じられた、作戦開始時戦線右翼に展開していた戦術機甲2個中隊。
 207Bはその指揮官として、今度は失探したBETA群を再捕捉を目指すこととなる。
 仮想現実の内部時間では、戦闘開始から60分が経過した辺りであり、防衛線中央ではBETA群が旧成願寺町周辺に陽動・拘束されていた頃である。

 そして今、207Bの指揮下にある追撃部隊は、左翼の機甲1個連隊が展開していた砲撃地点に辿り着いていた。
 そこには、BETA中型種の死骸と、直射可能な砲を搭載した戦車や自走式対空砲の残骸が散乱し、その合間を埋めるように存在する血の海に、BETA小型種と機械化歩兵装甲、そして人間の破片が無数に浮かんでいた。

 恐らくは、機甲部隊の一部と随伴していた機械化歩兵が、他の近接戦闘能力の無い車両と歩兵を逃がす為に、ここで後衛戦闘を展開して全滅したものと察せられた。
 そして、車両の残骸の多くには、破壊された後に更に踏みつけにされた痕跡が認められる為、阻止し切れなかったBETA群が更に侵攻を続けた事も明らかであった。

「ここで後衛戦闘を行った部隊が壊滅したなら、BETA群は撤退していった部隊を追撃した可能性が高いわね。
 総員、痕跡を追うわよ!」

『『『 了解ッ! 』』』

 千鶴は、戦闘の跡をざっと検証した後、更に追撃を指示した。
 そして、数分後には、機甲部隊の残りと随伴の歩兵部隊がBETA群に追い付かれ、壊滅したと思しき場所に遭遇した。
 ここで見受けられるBETAの死骸は、その殆どが小型種のものであり、しかもその小型種の死骸よりも、圧倒的に多数の人間の肉片が辺り一面に散乱している。
 また、自走砲やMLRS、弾薬給弾車等の残骸も多数見受けられた。

 ここでも、千鶴は時間を費やさずにさらなる追撃を下命。
 さらにBETA侵攻の痕跡を追った後、今度は比較的高速での移動が可能であるHIMARS(高機動ロケット砲システム)や装甲車、兵員輸送車等の車両の残骸を発見する。
 そして、それらの残骸の付近には、BETAが地中に潜ったと思われる痕跡が散見され、BETA侵攻の痕跡はここで途絶えてしまっていた。

「―――不味いわね。地中侵攻じゃ、振動波を拾えでもしない限り発見は難しいわ。
 しかもそろそろ…………」

 千鶴がそう言った直後、盛大な砲撃音を外部聴音センサーが拾った。
 防衛線中央のBETA群に向けて、左翼に展開していた機甲2個連隊が制圧砲撃を敢行した音である。
 戦域マップを確認すると、旧成願寺町周辺で陽動を行っていた戦術機甲2個中隊が壊滅していた。

 どうやら、防衛線中央の戦況推移は207Bが演習で行動したとおりに推移しているようで、制圧砲撃を生き延びたBETAが侵攻を再開する事になるのは、どうやら間違い無さそうであった。
 そこで、千鶴はBETAが地中侵攻を行った跡を最後に、痕跡が途絶えてしまった事を師団司令部に報告した。
 しかし、師団司令部からの命令はさらなる索敵の続行であった為、207Bはあてども無くBETAの捜索を行わねばならない状況に追いやられてしまう。

「―――困ったわね。何かいい方法を思い付いた人はいないかしら?」

 千鶴はオープン回線でそう訊ねるが、思案顔が並ぶばかりで何の発言も無かった。
 千鶴は視界の中に映し出されている、武の通信画像を盗み見る。

(あの顔付きだと、多分、白銀は何か打開策を持っているようね。
 けど、今回の演習では白銀は積極的に作戦立案や意思決定に加わる事を禁じられてる。
 私達が自力で思い付くしかないのよね……)

「う~ん、やっぱり各方位に分散して、振動波を確認しながら索敵するしかないんじゃないかなぁ。」

 腕組みをして首を捻りながら美琴がそう発言したのに続き、武がぼそっと呟きを放った。

「中央のBETA群の所で、重金属雲濃度が上がったみたいだな。」

「重金属雲?」「タケル、今はそれよりも、如何に姿を消したBETAを見出すかだ!」

 武の言葉に何やら考え始める彩峰と、武を窘める冥夜。
 その2人、特に彩峰の様子が、千鶴の気を引く。

(彩峰は何を考え込んでいるのかしら……鎧衣の意見について?
 いえ、考え込んだのは白銀が呟いた後だったわ。
 中央のBETA群の周辺で重金属運の濃度が上がっても、私達の捜索対象にレーザー属種が含まれる可能性が高い以上、関係はない筈。
 ……ちょっと待って、なら、なんで白銀はあんな発言を………………
 重金属雲の濃度が上がって、中央からの照射の危険性が下がったからって、一体何が―――ッ!!)

 千鶴が何かに思い至って目を見開いた時、ほぼ同時に彩峰も傾げていた頭を上げた。

「榊っ! 中央のレーザー属種からの照射がないなら―――」
「ええ、私も気付いたわ。今なら、照射があるとすれば、それは十中八九、私達の探している左翼を突破したBETA群からよ。
 だから、照射があれば、その照射源に私達の探すBETA群が居る事になるわね。」

 彩峰の言葉を引き継ぐように、千鶴は自身の考えを説明した。
 それに頷きを返しながらも、冥夜は問題点を指摘する。

「なるほど、確かに榊の言う通りであろう。しかし、どうやって照射を誘う気だ?
 こちらに割り当てられている機甲部隊は現在移動中故、砲撃態勢を整えた頃には重金属雲の濃度も下がってしまうのではないか?」

「ええ。だから、機甲部隊の砲撃には頼らないわ。
 ―――私たち自身を囮にするのよ。」
「え~~~~っ!!!」

 千鶴の言葉に、壬姫が盛大に驚く。
 しかし、壬姫を除く5人は、一様に覚悟を決めた面持ちになった。

「確かに、それなら相手の位置を特定できそうだよね。
 後は、一網打尽にされないように、方位と時間をずらして噴射跳躍すれば万全かな?」

「鎧衣の言う通りよ。BETAを捕捉出来ても、陽動・拘束できるだけの戦力を失っては意味がないものね。
 それに、地上に出ているとも限らないから、振動波の観測も必要よ。
 そして、噴射跳躍中に照射を受けてしまえば、その機体と衛士が無事で済む確率は低いわ。
 だから、この作戦への参加は志願を―――『駄目ですっ!』―――珠瀬?」

 先程の壬姫の叫びを聞いて、この作戦が如何に冷酷な物かを再認識してしまった千鶴が、作戦参加者を志願者のみとしようとすると、壬姫がそれに異を唱えた。

「駄目ですっ! 榊さんが―――指揮官が部下の覚悟を疑うような事を言っちゃ駄目ですよ……
 わたし、本当に怖いですけど、でも逃げたりしません! みんなきっと同じです。
 それよりも、榊さんは囮になんかならないで、BETAを見つけた後に、確実にやっつける方法を考えておいてくださいっ!!」

「―――そうね。解ったわ、珠瀬。じゃあ、私と御剣を除いた22機で噴射跳躍による強攻偵察を実施するわ。
 時間が無いから、直ぐに始めるわよ。…………白銀、あなたから飛んで頂戴。
 方角と距離は―――」

 壬姫の言葉に頷き、千鶴は指揮官として部下を危地に送り出す覚悟を決めた。
 そして、中隊指揮官である自分と冥夜を除く所属衛士の中から、照射を受けても生還する可能性が僅かでも高い順に、偵察任務を割り振っていく。
 真っ先に武を指名するに際して、自身の心中に強い抵抗を自覚した千鶴だったが、なんとかそれを押し殺し冷静に言葉を発する事に成功した。

 そして5分後―――ナイト03の犠牲と引き換えに、207BはBETA群を再捕捉して退けた……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 14時42分、国連軍横浜基地の機械化歩兵用シミュレーターデッキの待機室で、207Bの6名がまりもの前に整列していた。

 しかし武を除く5人の顔は一様に暗く悔しげなものであり、自責の念に駆られている事が如実に窺えるものであった。
 そんな教え子達の様子を、一欠けらの感情も窺わせない瞳でゆっくりと時間をかけて見回した後、まりもはようやく口を開いた。

「さて、まず先に明日の予定を言い渡しておく。」

 その言葉に、明日にも衛士訓練学校を放校されるのだと悟り、皆が顔を青褪めさせた。
 そんな207B女性陣の様子など、一個だにする事なくまりもは続ける。

「08時00分に、B4フロアの医療ブロック第8診察室に出頭せよ。
 心的外傷の有無を、徹底的に検査する。
 その結果、衛士として致命的な心的外傷を負っていると判断され、治療効果が見込めないと見なされた場合、当該人物は207訓練小隊より除隊となる。
 検査後は午前中は自習とするので、教室にて本日の演習を振り返って講評と分析を行え。
 その後昼食を挟み、13時00分より戦術機適性検査を行うので、11時00より早めに昼食を取って体調を整えておけ。
 集合場所は第205ドレッシングルームだ。白銀は別行動で衛士強化装備を装着の上、シミュレーションデッキの待機室で待機していろ。
 明日の予定は以上だ。何か質問はあるか?」

 207B女性陣は、直立の姿勢を崩さずぬようにしながらも、視線を左右に振って必死に互いの様子を窺いあった。
 その結果、皆の気配に押されるようにして、千鶴がおずおずと手を上げる。

「榊か、発言を許す。なんだ?」

「あの……私達は、総戦技演習に合格できなかったのではないのでしょうか?」

 千鶴の言葉に、まりもは片眉を吊り上げると、興味深げに問い返す。

「ほう? 何故そう思うんだ? 榊。」

「は、はい……私達は、総戦技演習に於いて戦闘開始後70分を経ずに指揮する部隊を全滅させ。
 また、その後も数度に亘り全滅を繰り返しました。
 ですから、当然不合格となるものと覚悟しておりました。」

 千鶴は、悔しげに唇を引き結びながらも、自分達の醜態を列挙した。
 しかし、まりもはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、武に向かって話しかける。

「なるほどな。しかし、あの演習内容で、全滅したら不合格となるとしたら、一体どうなってしまうのかな?
 白銀―――いや、白銀臨時中尉。演習を組み立てた張本人としての見解を窺いたいのだが?」

「あー、あの演習を仮想人格のみでシミュレートすると、戦闘開始後30分を越えた辺りで、迎撃に当った師団が壊滅しますね。
 そして、当横浜基地の所属戦術機甲部隊の衛士にも試してもらいましたが、2個小隊8名の衛士が戦術機のシミュレーターに搭乗し、戦術機甲2個中隊の中核となった上で防衛線中央の迎撃に当っても、平均36分で師団が壊滅しています。
 最も粘った場合でも、BETAの突破を阻止できず、戦闘開始後60分も経たずに師団司令部が壊滅し、以降増援の師団が戦場に到着するまで、組織的抵抗は皆無となっていますね。
 あのな、みんな。悪いけど、あの演習内容は現役衛士がやっても師団の全戦力が壊滅するのが普通なんだ。
 エースクラスの衛士でも、自身や所属部隊を生き延びさせる事は出来ても、師団司令部や他の部隊を生き延びさせることは難しいんだよ。
 ―――って、ちょっと、そんな顔して睨むなよ! ちゃんと理由があるんだから!!」

 武が演習の難易度について説明するにつれて、207B女性陣の表情がどんどんと険しくなっていく。
 今にも視線で殺されてしまいそうな気がしてきた武は、慌てて演習の意図を説明する。

「えっと、ほら、あれだ…………確かに任務成功の可能性は限りなく低いんだけどさ、実際にああいった状況は発生しているんだよ。
 そして、現実に多くの将兵と装備が喪われてるんだ。
 だから、そういった現実を仮想現実とは言え体験して、それでも挫けないで戦い続ける気概を持てるかどうかが、衛士としての重要な資質の一つだとオレは思う。
 それを計る為の総戦技演習として構想した結果が、この演習内容なんだよ。
 だから―――その―――つ、辛かったよな? ごめん!!」

「相変わらず口が上手いわね、白銀。理論武装もしっかりしてるし。」
「その癖、最後に潔く頭を下げるが、あれは何らかの作為に則って行っているのか?」
「へたれなだけ……白銀は突っぱねるだけの根性が無い……」
「でも、なんとなく、怒りの矛先が逸らされちゃうんですよね~。」
「う~ん、タケルはその辺が絶妙だよね~。ボクは計算じゃなくて天然だと思ってるんだけどさ。」

 5人揃って半目になった、207B女性陣の視線と言葉に滅多刺しにされて、武は少なからぬ痛手を負った。
 しかも、まりもはそんな武を放置して、話をさっさと進めてしまう。

「白銀の説明どおり、あの状況で師団が壊滅を免れる可能性は非常に低い。
 よって、演習に於ける評価は、絶望的な戦況推移の中で、貴様らがどれだけ戦意を継続し得るかが最大の評価項目となっていた。
 また、実戦で発生し得る様々な状況を体験させる事で、それらに対する適応能力も計らせてもらった。
 白銀の積極的関与が厳重に禁じられていたのは、その辺りの要項を設定したのが白銀自身だったからだ。
 試験を考案した教師が、生徒と共に試験を受けているようなものだからな。
 不正を行えないように、白銀と話し合った上で決定した制約事項だったのだが……」

 と、そこでまりもは言葉を切って、武に冷たい視線を向けた。

「白銀。貴様、地下侵攻してきたBETAが出現した後に、率先して自分の小隊を撤退させる事で、御剣と彩峰の撤退を誘発したな?
 それから、左翼を突破侵攻したBETA群の痕跡を見失った際にも、ヒントを出しただろう。
 これらの影響は決して小さいとは言えんからな、その分評価は下げさせてもらったぞ?」

 まりもの言葉に、武は苦虫を噛み潰したような顔になったが、大人しく謝罪した。
 まりもは、謝罪を受け入れると、総戦技演習の講評を始める。

「では、第207衛士訓練小隊B分隊の総戦技演習の講評を言い渡す。
 前述のような、限りなく不正に近い行為も見られたものの、少なくとも貴様らの継戦意欲は甚大であり、苦境に挫ける事無く能くその戦意を維持し、しかも創意工夫を忘れずに苦境を打破すべく努力し続けた事は評価に価する。
 また、その結果として、壊滅必死とされた状況に於いて、師団戦力の半数近くを生残させ、増援の師団との連携を可能とせしめ、その結果上陸侵攻したBETAの速やかな殲滅を可能たらしめた事は、特筆に価する。
 よって、貴様らの総戦技演習は終了予定時刻を待たずして、14時27分(ヒトヨンニイナナ)、演習内での戦闘開始から110分が経過した時点を以って、BETAをほぼ殲滅したものと認め、総戦技演習を完遂したものと判断した。
 貴様らは優秀な成績で総戦技演習に合格した。
 いいか? BETAとの戦いに於ける戦術機の果たさねばならぬ役割の重さ、そして戦術機甲部隊の後方で戦う友軍部隊の存在を決して忘れてはならない!
 その事を心に刻み込み、今回の演習で発揮したその強靭な意志の力で、今後も弛まぬ鍛錬を重ねる事を期待するッ!!
 今日はゆっくりと疲れを癒すといい。―――以上、解散!」

「「「「「「 ありがとうございましたッ!! 」」」」」」

 まりもは、敬礼した後、仲間同士で合格の喜びに沸いている207Bに、一瞬だけ柔らかい笑みを向けると、そのまま踵を返して待機室から立ち去って行くのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 17時48分、1階のPXのいつもの席で、207B所属訓練兵6名が再び顔を揃えて夕食を食べていた。
 が、いつもであれば、真っ先に食べ終えてしまう武が、今日に限って殆ど食事が減っていない。その理由は…………

「凄え、凄えよおまえら!! 普通、ちゃんと任官した衛士だって、あんなにしっかりと部隊運用できないぜ!
 ほんと、凄えよ…………」

「も、もう止めてくださいよたけるさ~ん。」

 全員が顔を揃えてから、途切れる事無く続く武の賛辞に、壬姫が顔を真っ赤にして武を押し留めようとする。
 壬姫以外の面々も、顔を真っ赤にして俯き加減で食事に専念する振りをしているものの、気も漫ろ(そぞろ)であるためかその速度は遅く、未だに半分も食べ終えてはいなかった。

「たまは特に、機械化歩兵の窮地を救った狙撃が凄かったよな!
 重光線級も1体仕留めてたしな!! ほんと凄えよ!!!」

 だが、壬姫の必至の行動も、武の賛辞に更なる薪をくべる事にしかならず、207B女性陣は更に20分ほども、羞恥に身悶えする事となるのであった。

 その様子を、PXに居合わせた者達は微笑ましく見遣り、訓練兵達が無事難関を越えたに違いないと囁きを交し合うのであった。
 ―――が、横浜基地所属衛士達にとって、この日の出来事はそれだけでは済まず、大きな波紋となって広がっていく事となる。



 20時12分、士官用レクリエーションルームの一角に据え付けられた大型ディスプレイの前に、数人の衛士達が集まってとある映像に見入っていた。

「おいおいおい、んなところで雁首そろえて、何見てんだ? んん?」

「うっさいね奴だね。要閲覧の連絡が回ってた映像だよ。このバカっ!」

 バカ呼ばわりされたにも拘らず、ドレッドヘアの男性衛士は、ニヤついた笑みを消さなかった。
 バカ呼ばわりした小柄なアジア系の女性衛士も、相手の顔を見もしないで、その代わりに腰をずらして隣に座るスペースを空ける。
 何も言葉を交さないままに、ドレッドの衛士はアジア系女性衛士の隣に腰掛けた、
 交した言葉に反して、2人の間には気安い雰囲気があり、恐らくは気心の知れた中であろう事が容易に見て取れた。

「で? 映像ってのがこれか? なんだ、BETAとの戦闘映像じゃねぇか。
 大分ちょこまかと動いてっけど、これがどうしたってんだ?」

 ディスプレイに映っている映像を覗き込んだドレッドの男性衛士が問いを放つと、今度はアジア系女性衛士の向うに腰掛けている、サンディーブロンドの前髪を白いヘアバンドで押さえている女性衛士が応えた。

「ほら、こないだやらされた新潟防衛線のシミュレーター演習があったろ?」
「あの、仮想人格がやたらと生々しい奴な。」

 ヘアバンドの女性衛士に続けて、その更に隣に座る、金髪を短く刈りそろえた逞しい男性衛士が言葉を足した。
 すると、ドレッドの男性衛士は笑みを消して唇を歪めて言う。

「ああ、あの悪趣味な奴か……
 あん時は苦労したよなあ。なんとかBETA共をあしらってたら、先に師団司令部がやられちまいやがってよ。
 大体、あれだけのBETAを2個中隊の戦術機で拘束できるわけねえっての。」

「それを、こいつらはやってのけてんだよ。
 しかも、このシミュレーション映像は、この基地の衛士訓練兵が、総戦技演習としてやらされた時の映像だってよ。」

 盛大に文句を吐き捨てるドレッドの男性衛士を押さえ付ける様に、アジア系女性衛士が言葉を被せた。
 ドレッドの男性衛士は、一瞬呆気に取られた後、恐らくは同じ小隊なのであろう3人の衛士の顔と映像を交互に見比べる。

「う、嘘だろ? 大体、総戦技演習っていったら、戦術機操縦課程の前段階じゃねぇか。
 だのに、戦術機を操れるわけがねえ! おまえらオレをかつごうとしてんじゃねえだろうな?」

「それがさあ、自律制御モードの戦術機に、行動指示出してやってんだってさ。」

「なのに、こいつらはオレ達よりも上手くBETA共をあしらってる。」

「おいおい、ジョークじゃねえのかよ?」

「うっさいね! そこで大人しく腐りかけの目ん玉見開いて、自分で見てりゃいいだろッ!
 驚くんなら、最後まで見てから、まとめて驚くんだね! あたしは2度目だけど、耳元でぎゃあぎゃあ騒いで邪魔したら承知しないよッ!」

 アジア系女性衛士の一喝でその場は納まり、それ以降は何人かが時折呟きを漏らすのみで、恐らくはダイジェストなのであろう映像に見入った。
 そして、1時間ほどの映像が終わると、1人の衛士が問いかける。

「な、なあ、あんたらエースから見て、こいつ等って、どうなんだ? 教えてくれよ。」

 問いかけられた4人は一瞬顔を見合わせてから、口々に応えた。

「悪い夢みてぇだが、こいつらただもんじゃねぇな。」
「発想が普通じゃあないね。どこからこんな戦い方を思い付いたんだか。」
「ベイルアウトした後の映像を見ると、こいつら、生身でも相当やるようだね。」
「でもって、あんだけやられてもやられても戦い続けている。たいしたガッツだぜ。」

 そして、4人は再び顔を見合わせると、一斉に席を立った。

「なあ、今晩使えるシミュレーターデッキってあったか?」
「確かファルコン小隊が夜間訓練をしてるから、空いてる奴を借りればいいだろ?」
「そうだね。それがいい。でさ、あの演習プログラムって、使えんだっけ?」
「なんだ、おまえこそちゃんと通達読んでねえんじゃないか。今日の午後から公開されてるぜ。訓練兵の総戦技演習が終わったからだろうさ。」

 そして、言葉を交しながらレクリエーションルームの出口へと向う4人。
 その4人に、映像を見ていた衛士が訊ねる。

「おい、あんた達、急にどうしたんだよ?」

「まだ卵から孵ってもいないヒヨッコ未満に、あんだけのものを見せられたんだ。」
「最前線国家の基地とは言え、実戦から遠ざかって鈍った勘を取り戻すのさ。」
「あんなのが任官してきたら、うかうかしてらんないからね!」
「おまえらも、ちっと鍛えなおした方がいいんじゃねえのか? ぎゃははははッ!」

 そう口々に言い残すと4人は立ち去り、その場に残された者達も、何やら議論を始める。
 その騒ぎに、レクリエーションルーム内に居合わせた他の衛士達も加わっていき、映像を見直す者、シミュレーターデッキの使用許可を取ろうとする者、声高に意見を戦わす者、仲間を呼びに走る者と、行動は様々ではあったが横浜基地の衛士達の間で、総戦技演習の映像にまつわる動きが広がっていった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時03分、斯衛軍第19独立警備小隊に割り当てられたシミュレーターデッキの待機室で、武は月詠と向かい合っていた。

「―――と言う事で、既にお聞き及びでしょうけど、冥夜を初めとして第207衛士訓練小隊B分隊は、全員が総戦技演習に合格し戦術機操縦課程に進む予定です。
 まあ、明日の心理検査で重度の心的障害が発見されなければ、ですけどね、でもまあ、こっちはまず大丈夫だと思いますよ。」

「そうか―――これで、冥夜様の国連軍衛士への任官も時間の問題となった訳だな。」

 武の話を聞いた月詠は、喜んでいるというよりは、思い悩んでいるかのような反応を見せた。
 とは言っても、その表情からは感情が排されており、そこから武が心情を慮れたのは、過去の世界群の記憶があったればこそだったかもしれない。

「大丈夫ですよ、月詠中尉。冥夜の扱いに付いても、殿下にある提案をさせていただいています。
 少なくとも、国連軍衛士として任官したからと言って、斯衛軍と縁が切れるような事にはならないと思いますから、安心して祝ってやってください。」

「なっ! 白銀貴様っ、そんな事にまで首を突っ込んでいたのか?!
 僭越にも程があるぞッ!!」

 今度こそ、驚きを顕わにして武に詰め寄る月詠。
 しかし、武はそれを両手で何とか制して話を続ける。

「ちょ、ちょっと落ち着いてください。
 別に理由も無く首を突っ込んだ訳じゃあないんですから!
 …………ふう。あのですね、対BETA戦術構想を、政威大将軍殿下の諮問により横浜基地で考案したと言う名目にする以上、その試験運用を行っているA-01や207Bは、今後対外的に露出させざるを得ないんです。
 おまけに、今後は対BETA戦術構想の斯衛軍や帝国軍への導入に絡んで、将兵が相互に行き交うようになります。
 そうなると、どうしたって冥夜が殿下のお姿に瓜二つだって事は噂になりますよね?
 ですから、冥夜の素性に関しては、ある程度公にする必要があるんですよ。」

 武は、何とか月詠を制止して一息付くと、一気に理由を説明し切った。
 その言葉を、月詠は半信半疑で勘案するが、その内容自体には頷かざるを得ない。
 いずれにせよ、御剣の屋敷にこもっていた今までと違い、外に出て活動している以上、外部への公的な説明が必要になるのは必然でもあった。
 国連軍の所属と言え、その素性を疑われずに済ますには、国外の任地に赴くか、表に出ることの少ない裏向きの部隊に所属するくらいしか、元から冥夜には選択肢が無かったのだ。

(―――冥夜様は悠陽様のお力になる事を望んでおられる。
 それ故に、例え表に出られぬ立場であろうとも、国内に残って活動する事を望まれるだろう。
 そうなれば、日陰を人知れず歩まれる人生となってしまう。
 それ故に、私は冥夜様の国連軍への任官に反対し続けてきたのだが…………)

「―――白銀。それで、具体的にはどういったお立場を、冥夜様にと考えているのだ?」

 それ故に、政略が絡んでいる事は百も承知で、冥夜を陽の当たる場所に立たせようと言う武の策に、月詠は期待を抱かずには居られなかった。
 そして、武は内密に、と前置きをして構想を語った。

「冥夜には、政威大将軍殿下の名代として、戦場で斯衛を含む帝国軍将兵の象徴となって戦場に立ってもらおうと思います。
 外見が殿下に酷似している言い訳は、御剣家の御当主が殿下の影武者として、冥夜を幼い頃から人目に付かないように育てた結果と説明します。
 それを不憫に思われた殿下が、この国難に立ち向かうに際して、前線に赴けない自身の名代としての立場を冥夜に託して、公的な立場を与えるというのが筋書きになります。」

 真剣な顔をして語る武の目には、計算ではなく、冥夜の将来を案じるが故の暖かみがあるように、月詠には見て取れた。
 自身が分を弁えて足踏みをせざるを得なかった事を、遠慮会釈の欠片も無く無人の野を行くかのように切り拓いていく武に、月詠は妬みにも近い思いを抱く。
 しかし、冥夜や悠陽の事を思えば、明らかに2人にとってより良い状況が招かれるならば、それは月詠にとっても非常に喜ばしい事である。
 それ故に、月詠は自身の感情を押さえ込み、武の言葉に頷きを返す。

「―――そうか。些か外聞の悪い点もないではないが、その筋書きであれば粗方の者には美談として受け入れられるであろうな。
 後は、殿下がその策を是とされるか否かだが、それは私の預かり知るところではない。
 今の所は、その策が現実のものとなる事を願いつつ、貴様の言う通り冥夜様の精進の成果を、心よりお喜び申し上げる事としよう。」

「そうしてもらえれば、冥夜も喜ぶと思いますよ。
 ―――それでですね、月詠中尉。冥夜の合格祝い代わりに、ちょっとお願いしたい事があるんですが……」

 月詠の返事を聞いて、満面の笑みを浮かべた武がそう言うと、月詠は渋い顔になって文句を叩き付けた。

「調子に乗るなよ? 白銀ッ! 如何に極秘計画に携わっているとは言え、貴様のやっている事が僭越である事に相違は無いのだからな!!」

 ―――が、それが照れ隠しでもある事を察した武は、意に介さずに言葉を続ける。

「まあまあ。それでですね、戦術機操縦課程に進んだ冥夜に、207B共々夜間にシミュレーターを使わせてやりたいんですよ。
 で、もしよかったら、月詠中尉。このシミュレーターデッキでの自主訓練を207Bに許してやってもらえませんか?
 それで、ついでで構わないんで、あいつらを鍛えてもらえるとありがたいんですが、無理ですかね?」

 月詠は、武の言葉に片眉を上げて応じる。

「ほほう。考えたな、白銀。
 夜間訓練で冥夜様に我らと共に過ごしていただく事で、我らの鍛錬と冥夜様の警護の双方を万全とするつもりか。
 その上で、我らに207Bの指導もさせて、技量の底上げを図る気だな?
 ―――ふむ、いいだろう。
 だが条件があるぞ白銀。貴様にも極力夜間演習に参加してもらおう。
 その条件を飲むのであれば、貴様の願いをかなえてやる。」

 僅かに笑みを浮かべた後、月詠は武に挑むかのように応じた。
 武の要請の理を読み取り、狙いを看破し、その上で更なる利を得ようとする月詠に、武は苦笑して応えた。

「まあ、オレも207Bの一員ですからね。
 可能な限り自主訓練には参加しますけど―――提供したシミュレーター演習用のプログラムだけじゃ物足りませんでしたか?」

「演習用プログラム―――新潟BETA上陸迎撃シナリオと佐渡島ハイヴ攻略シナリオに、ハイヴ機動突破シナリオ。そして、『白銀武エミュレーションプログラム』か。
 どのシナリオも、展開がよく練られているようで、戦況の推移に現実味があるな。
 おまけに、『白銀武エミュレーションプログラム』を併用する事で、貴様の3次元機動の有効性もよく理解できる。
 貴様が考案した装備群のデータも入っているから、その有効性も一応は確認できた。
 だがな、手本をなぞっているだけでは、本質の理解は難しいぞ?
 発案者である貴様から、直に学べる事はやはり大きいと思うのでな。」

 月詠の言葉に、武は両手を上げて降参した。

「解りましたよ。じゃあ、そういう事で、ひとつよろしくお願いします、月詠中尉。」

「いいだろう。貴様もうかうかしては居られぬ様にしてやるからな、白銀。覚悟しておく事だ。」

 そう言って、獰猛な笑みを浮かべる月詠であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 21時09分、B19フロアは夕呼の執務室を武は訪ねていた。

「―――以上が、207Bに関する所見です。」

 207Bの総戦技演習合格に関する報告と所見を武が告げるが、夕呼は然程興味もなさそうな様子で、幾度か相槌を打つだけであった。

「そ。まあ、207Bが落ちるようじゃ、今後の衛士訓練兵が受かる訳がないんじゃないの~?
 何しろ、毎晩あんたが個人授業を繰り返して鍛え上げたんでしょ?
 それで合格できないようじゃ、目も当てらんないわよね~。」

 あまりと言えばあまりな夕呼の態度と言い草だったが、内容自体は否定もできないものだったので、武は特に何も言い立てなかった。
 そんな武を片眉上げて詰まらなそうに見遣った夕呼は、微妙に話を変える。

「で? その207Bの総戦技演習の画像を、要閲覧の通達付けてこの基地所属の衛士達に流したんでしょ?
 そっちの反応はどうなのよ?」

 夕呼の問いに、武は非接触接続で基地内のネットワークに接続し、基地内各所の衛士の動向をチェックした上で、手持ちの情報と併せて夕呼の問いに答えた。

「ああ、え~と……現時点で閲覧済みの衛士は3割程度ですね。
 閲覧した衛士の反応は、戸惑っているのが過半数で、刺激されて向上意欲を刺激されたと思われるのは3割程度ってとこですか……
 でも、今現在、衛士達の間に総戦技演習の話が、物凄い勢いで浸透していってますね。
 この分だと、明日中に閲覧率は9割超えるかもしれませんよ。」

 夕呼は武の返事にようやく満足気な笑みを見せた。

「そう。これを機に少しは気合を入れてもらいたいもんよね。
 使えない手駒は、居ても邪魔になるだけだから。」

「また先生はそんな事言って……要は使い方ですよ。
 それに、道具を手入れするのも使い手の仕事の内ですって。
 部隊の練度が気に食わないなら、ちゃんと鍛えてやればいいんですよ…………って、なんですか?」

 そんな武の言葉に、最初だけ眼を丸くした夕呼だったが、直ぐに邪悪な笑を満面に浮かべて弄るように武を眺めた。
 そんな夕呼の様子に不穏な気配を感じた武だったが、時間は巻き戻りはしない。

「ふうん。一端な口をきくじゃないの~。
 そっかぁ~、部下の出来が気に食わなかったら、ビシバシ扱いて鍛え上げればいいのね~。
 ―――白銀ぇ。あんた、自分で言ったんだから、後で文句は言わせないわよ?」

「いや、あの、その…………………………はい…………」

 夕呼の言葉にようやく自分で自分の首を絞めた事に気付いた武だったが、既に首にかかった縄は引き絞られた後であり、言い訳する事さえ出来ずに項垂れるのであった。
 その武の様子に、一頻り笑って溜飲を下げた夕呼は、今後の懸案事項に付いて真面目な口調で問いかける。

「あっはっはっはっは……あんたのそのしょげっぷり、傑作ね~。
 くっくっく………………はぁ。さて、と。
 で、国内の情勢はほぼあんたのシナリオ通りって事で良いとして。国連本部や米国の方はどうなってんの?
 あんたが向うに飛べば簡単なんだろうけど、今は国内から離れらんないし、もう今からじゃ間に合わないでしょ?」

 夕呼の問いに、武は何とか気力を奮い起こすと、背筋を伸ばして応える。

「はい。ですから、米国の方で動ける人材を鎧衣課長に手配してもらいました。
 この前、沙霧大尉の説得で帝都に行った時に頼んでおいたんで、そろそろ実働可能になる頃じゃないですかね。
 で、オレはネット経由で洗える限りの情報を洗って、幾つか監視対象を絞り込んであります。
 後は、珠瀬国連事務次官の行動日程が決定すれば、そこから向こうが工作を仕掛ける対象を絞り込めますから、向こうの行動を監視する事でその尻尾を掴む予定です。
 今回は大元を告発できる所までは手繰れないでしょうけど、相手に警告を与え、今後の行動を抑止する事は十分出来ると考えています。」

「そう。精々赤っ恥をかかせてやんなさい。
 証拠なんて掴めなくて良いわ。仕掛けた奴等の関与を匂わせた上で、こっちの方が格が上だと知らしめてやれば、そいつらは周りから見放されるから。
 白銀。あんたが前の世界群から持って来た情報や、この世界でリーディングした情報だけで、地球上のBETAの方は何とでもなるわ。
 これからは、一番気を抜けない敵は人間よ。ビシバシ扱いてやるから、ちゃんとあたしの役に立ちなさいよね。」

 武に真っ直ぐな視線と共に、言葉を投げかける夕呼。
 その視線と言葉を、正面から受け止めて武は応える。

「勿論ですよ。例え相手が人間だからって、オレ達の邪魔をさせたりするもんですか!」

 極東は横浜の地の底で、人類存続の為、より良い未来を得る為に、魔女とその使い魔は今正に人間を敵と見定めて、戦いを告げる角笛を吹き鳴らした。




[3277] 第94話 語られる虚構
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/03/23 17:30

第94話 語られる虚構

2001年11月04日(日)

 22時04分、B19フロアのシリンダールームで、武はこの日も純夏に対するプロジェクションを行おうとしていた。

 00ユニットとして目覚めて以来、幾度となく行った行為だというのに、武の表情には緊張の色が見られた。
 そんな武に寄り添っていた霞が、武を見上げながら言葉をかける。

「……白銀さん…………」

「ああ、大丈夫だよ、霞。ごめん、心配かけちゃったよな。
 純夏の奴、馬鹿の癖に妙に勘が良い時あってさ、嘘言って騙そうとしても生意気にも見破りやがんだよ。
 だから、嘘を見破られないようにと思って、ちょっと気合が入りすぎただけだ。
 霞のお陰で余分な力も抜けたし、始めるとしようか。」

「はい……頑張ってください……」

 そして、武はメンテナンスベッドに、霞は最近になって武が持ち込んだソファーに横たわり、2日前から始まった仮想現実による純夏のメンタルケアが今日も開始された。



「よう、純夏。さっさと起きろよ、今日はちょっと真面目な話があんだからさ。」

 武が『元の世界群』の自分の部屋をイメージした仮想現実で、武のベッドで寝ている純夏の肩を揺すって声をかける。
 比較的寝起きの良い純夏は、すぐに薄眼を開いて武の顔を視界に収めると、途端にぱっちりと目を開いて満面の笑みを浮かべる。

「あ! タケルちゃん!! おはよー……って、なんでわたしタケルちゃんのベッドで寝てんの?!
 まさか、タケルちゃんがわたしにヤラシー事を!!」

「……純夏さん…………」

 起き抜けからハイテンションにしゃべり倒す純夏に、呆れた様な冷めた視線と言葉を、霞が投げかけた。

「純夏、おまえなあ。仏の顔も三度までって言葉知ってるか?」

「え? えっと……あ、あはははは…………ごめんなさい……」

 そして、霞に続けて武が半目で睨むようにして告げると、3日続けて同じネタを繰り返した純夏は、冷や汗を流しながら誤魔化し笑いをして頭を下げるのであった。

 武が00ユニットとなり、純夏に暗示ブロックを施してから今日で6日目。
 半覚醒状態に留めた純夏に対して『元の世界群』のイメージをプロジェクションし、記憶流入の誘発と情報の欠落を補完する作業が一通り終わり、総戦技演習の終わった一昨日の夜から仮想現実による純夏のメンタルケアが開始されていた。

 一昨日と昨日は、仮想現実に純夏を慣れさせる為に、仮想現実である事、現実の純夏の身体が重傷である事など最低限の説明と、霞の紹介だけに留め、後は取り留めのない会話やゲーム、気分転換に近所の公園や白陵柊の丘に場所を移したりして過ごした。
 瞬時に場所を移した時や、マジックのように様々な物が出現する様に純夏がはしゃいだりしたが、概ねゆったりとした平穏な時間を3人で過ごしていた。
 そして、この2日で純夏の精神状態が安定している事を確認した武は、今日こそ純夏に『事情』を説明しようと決意していたのだった。

「大体だなあ。一昨日はともかく、昨日からは、お前が自分の部屋で寝ている所をオレに起こされるのは嫌だって言うから、オレのベッドに寝かした状態で起こしてやってるんだろうが!
 それを、飽きもせずにオレが色情狂のような事を言いやがって……終いには、ランドマークタワーの天辺に立たせた所から始めるぞ?」

「ランド…………そ、それはとても涼しそうだねぇ、あはははは…………」

 300m近い高さを誇る、横浜ランドマークタワーの吹き曝しの天辺に立った自分を想像してしまい、純夏の冷汗は更に量を増した。
 それを見た武は、一応反省したものと見做して本題を切り出す事にする。

「まったく。オレは今更何とも思わないけど、あんまり霞を幻滅させるような事はすんなよな~。
 折角、おまえなんかに懐いてくれてるんだから。
 で、真面目な話、始めていいか?」

「あ、う、うん。いいよ、タケルちゃん。」

 純夏が霞と並んでベッドに腰掛けるまで待ち、武は逆向きに座った椅子の、背もたれに腕を乗せて話し始める。
 その武の真剣な顔を見て、純夏も両手を握り締めて表情を改めた。

「まあ、真面目な話って言っても、まずは現状の説明からだな。
 今、こうして話しているのが仮想現実―――言ってみればおまえの見ている夢みたいなもんで、現実のおまえは意識を取り戻せないほどの重症だってこと。
 そして、現実の世界は、前にオレが話したBETAって言う宇宙から来た化け物共と戦ってる世界で、オレは何故かこの世界でループを繰り返してる。
 この世界じゃ、夕呼先生が人類に勝利をもたらす為の国際的な計画の責任者で、オレや霞は夕呼先生の手伝いをしてる。
 ここまでは、話してあったよな?」

「う、うん。ちゃんと覚えてるよ。けどさ、タケルちゃん。
 なんでわたしまでこっちの世界にいるの?
 大体、タケルちゃんは、こっちの世界から戻ってきたんじゃなかったの?」

 現在、純夏の人格の中核を占めているのは、『元の世界群』から派生した、武が数式回収に赴いた『干渉世界群』の純夏から流出した記憶を基に再構成された人格である。
 その為、純夏にとっては、武と相思相愛になった喜びを噛み締めて眠りについて、目が覚めたら唐突に武からこの世界は仮想現実で、自分の身体は武が語ったBETAとの戦いに明け暮れる世界で、重傷を負って昏睡状態だと聞かされた形になっている。
 純夏としても、武と何故か自分に懐いてくれる霞という少女の2人と過ごした時間は楽しいものだったが、ずっと心の内に抱えてきた疑問が、一抹の暗い影を落としていた事は否めなかった。

 そして、精神状態が安定していると確信できるまではと、説明を待たされていた純夏は、ようやく抱え込んでいた疑問を武にぶつける事が出来たのであった。

「そうだよな。やっぱり気になるよな。
 じゃあ、向こうの世界でえっと……その……キ…………じゃない、オレの誕生日に公園で話した日の翌日から―――「タケルちゃんがわたしに、キスしてくれた日だね!」―――そ、そうだ、その翌日から説明するぞッ!!」

「白銀さん……顔が真っ赤です……」

 どもった揚句に、上手い事言い直して誤魔化そうとした武だったが、純夏の直球にその意図を阻まれ、しかも赤面した事を霞に冷静に指摘されてしまった。
 武は思わず全てを投げ出したくなったが、なんとか気を取り直して話を続ける。

「でだ、あの日の翌朝、あれだけ絶対忘れないって言ってた癖に、オレの事を殆ど忘れたお前が、体育館の天井から落ちてきたバスケットゴールの下敷きになって重傷を負ったんだ。」
「えッ! 嘘ッ!! わたしが武ちゃんの事忘れるなんてありえないよおッ!!!」
「そっちかよッ! 普通、重症になった自分の事に驚くだろッ!!」
「だって、絶対、ぜえったい! あり得ないんだもん!!
 わたし、確かに細かい所は幾つか忘れたりしちゃってたけど、日記を読み返して全部思い出したもん!!!
 それに、もしそれでも万一忘れちゃっても大丈夫なように、ちゃんと日記に―――」
「んなこと言ったって、忘れたもんは忘れたんだよッ!
 おまえなあ、朝んなっておまえに会った途端に『白銀くん』って呼ばれた時に、オレがどれほどショックだったと思ってんだよッ!!」
「知らないよ、そんな事ッ! 大体、わたしが武ちゃんに『白銀くん』だなんて話しかける訳ないでしょッ!!」
「だ~か~ら~ッ!! オレの事殆ど忘れて、只のクラスメイト扱いにしやがったんだよ! お・ま・え・は!!!」
「だからそんな事はあり得ないって言ってるじゃんさ!!」
「ぐぬぬぬぬ~~~ッ!」「うううううううう~ッ!!!!」

 あっという間に言い争いをヒートアップさせた武と純夏は、お互い言葉を忘れた獣の様に唸り声をあげて互いを威嚇しあう。

「あ……あの……白銀さんも、純夏さんも…………そ、その……お、落ち着いて……ください……」

 睨み合いはその後も暫く続いたが、霞の必死の仲介で、なんとか互いにそっぽを向いて頭を冷やす事になった。
 そして、色々と過酷な経験をしてきた分だけ、精神的に強くなっていた武が先に自制心を取り戻し、出来るだけ純夏を刺激しないように言葉を紡ぐ。

「……悪かったよ、純夏。お前には覚えの無い事なんだよな……
 けど、本当に起こった事なんだ……それで、オレ……本当にショックだったんだよ…………
 あのまま記憶の流出が進行して、お前にまでオレの事を知らない人間を見るような目で見られたらと思うと、もうそれ以上話しかける事も出来なくってな……
 もう、これ以上みんなに忘れられない内に、オレの事を知ってる人が誰も居ないとこに行くしかないって、そう思いながら授業受けてたら…………
 体育の授業中に、体育館でお前が大怪我しちまったんだよ…………」

「―――タケルちゃん……」

 視線を逸らしたまま、ぽつりぽつりと話す武の声音に何を感じたのか、純夏が武を案じるような視線を向けた。
 それに気付いたものの、武は敢えて純夏に向き合う事無く話し続ける。
 それは、今目の前にいる純夏ではなく、あの世界で目覚めぬ眠りに囚われ続けているであろう純夏に対する懺悔だったからかもしれない。

「オレの所為でお前に取り返しの付かない大怪我をさせちまって、オレはいっその事死んで詫びようとさえ思ったよ。
 いや……贖罪ですらないか……オレがあの厳しい現実に耐えらんなくなって、また逃げようとしただけだな……
 軍人のまりもちゃんが死んで、こっちの世界から逃げ出して、逃げ出して戻った世界でもまりもちゃんが死んで……
 親しい人間には忘れられ、おまけにおまえにまで大怪我させちまって……
 もう、逃げる所は何処にも無かったから、自殺してでも逃げようとしただけだ……
 尤も、自殺したって、またこっちの世界の10月22日で目覚めるだけなんだけどな。
 今思い出したけど、本当に自殺しちまった記憶も、ちゃんと持ってるよ、オレ……
 危なかったよなあ……夕呼先生に止めてもらった確率分岐世界群が無かったら、オレ、何も出来ずに死んでは10月22日に戻る事を繰り返して、その内、気が狂ってたかもな…………」

「タケルちゃん…………」

 武の自らを心底蔑んでいるような様子に、純夏の腕がそろそろと武に向かって伸びていく……
 そして、武の様子に悲しげな顔をしながらも、霞は黙って2人の様子を見つめていた。

「本当に、夕呼先生には世話になりっぱなしだよ。
 オレの所為で親友のまりもちゃんが死んじまったのに、まりもちゃんから預かった教え子を無駄死にさせらんないって……
 こっちの世界から戻ったオレに精神を乗っ取られた、あの世界のオレまで巻き添えで殺す気かって、そう言われたよ……
 おまけに、あの世界のまりもちゃんや純夏にとっては、オレがこの世界のBETAみたいなもんだって言われちまってさ……」

 武がそこまでを言葉にした時、ついに堪え切れなくなった純夏は、武に駆け寄って思いっきり抱き締める。

「タケルちゃん! そんな事、そんな事ないよッ!! たとえどんなタケルちゃんだって、わたしには大切なタケルちゃんだよッ!!!」

「―――ありがとな、純夏……
 でな。その後、夕呼先生がそれ以上あの世界にオレが悪影響を及ぼさないように、オレをこっちの世界に送り返してくれたんだ。
 しかも、こっちの世界に戻ってから絶望して無気力にならないように、オレが何度もこっちの世界で同じ時間を繰り返す理由とか、色々と教えてくれてさ。
 このままだと、あの世界の人間の内、こっちの世界で死んじまってる50億人も次々死んでいきかねないけど、オレがこっちの世界で頑張れば、お前の怪我もまりもちゃんの死も、無かった事にできるって言って励ましてくれたんだよ。
 だから、オレはあの世界や、こっちの世界でしでかしちまった事に償いをするって夕呼先生に誓って、こっちの世界に戻ってきたんだ…………
 けど、それだって、なんの犠牲もなしでできた訳じゃない。
 オレをこっちに送り返すためには原子炉の大電力が必要で、オレと夕呼先生で原子炉に忍び込んじまったからさ。」

「げ、原子炉お~っ?!」

 武の言葉に驚き、抱擁を解いてまじまじと武を見詰めてしまう純夏。
 そんな純夏の様子に、武は微かに笑みを浮かべて頷きを返す。

「ああ。つっても、白陵大付属の研究用原子炉らしいけどな。
 オレはこっちに帰ってきたけど、向こうの世界に残った夕呼先生とオレは、十中八九犯罪者だよ。
 ほんと、オレの所為でいい迷惑だよな。
 けど、オレはこっちの世界に戻って、こっちの世界のまりもちゃんは無理でも、向こうの世界のあれやこれやを全部なかった事にしてやるって、本気で決意してたんだ。」

「してた……って…………今は、違うの?」

 再び笑みを消して話す武に、純夏は不安げな視線を投げて尋ねる。

「それがさ。あの世界の夕呼先生が言ってた事は、オレの主観からすれば真実でも、それぞれの世界に生きる人間にとっては全くの嘘だって、こっちの世界の夕呼先生に言われちゃったんだよ。
 結局、起きちまった事は取り消しなんてきかないんだって、そう言われたよ。
 それでオレは、オレがしちまった取り返しの付かない事の償いをしようと必死になって考えた。
 そしてオレにしかできない事に気づいたんだよ。」

「タケルちゃんにしか……出来ない、こと?」

 武の口調は明るくなり活力が戻ってきていたが、純夏の不安はそれに反して強まるばかりだった。

「オレはこの世界に囚われていて、死んでも何度でも10月22日に戻されちまう。
 けど、その時から死ぬまでにこの世界で成し得た事は、無にはならないんだよ。
 しかも、オレは死ぬまでに蓄えた知識や経験を、次のループに持ち越せる。
 そうやって、ループを繰り返して、夕呼先生の計画を手助けして、人類を勝利に導いて、純夏や他にも大勢の知り合いが欠けちまってる世界だけど、せめて生きている人達だけでも幸せにしようって、そう決めたんだ。」

「え?……ちょっと待って、タケルちゃん……それって…………」

 武の言葉に、不安げな声を挿む純夏だったが、武はそれに構わずに話を続けた。

「でさ、それからオレは、夕呼先生に頼み込んで、色々と後押ししてもらって頑張った。
 けど、そうそう物事上手くいく訳がないよな。
 なんとか、少しは人類が勝利できる可能性が見える程度まではもってけたけど、オレが死ぬまでだけでも、沢山の犠牲が出ちまったんだ。
 それで、死んだ後、10月22日に自分の部屋でまた目覚めたら、隣の純夏ん家があった所で、おまえが瓦礫の下敷きになってたんだよ。」

「え?!……もしかして、それがわたし?」

 突然自分が話に出てきて、不安も忘れて驚く純夏。
 武は純夏の問いに、首を傾げて応えを返す。

「いや、それは前の世界群のお前なんだけど……でも、ある意味では今のお前と同じなのかな?
 どう思う? 霞。」

 武はここまで、大人しく黙って話を聞いていた霞に話を振る。
 すると、霞は耳飾りをピンと立てて、静かな口調で見解を述べた。

「―――白銀さんは、この世界の10月22日を起点として、過去のループで得た記憶などの因果情報を保持したまま、再構成されているというのが、香月博士の仮説です。
 ですから、本来白銀さんが再構成された時点に於ける世界の状態は、全く同一のものであり、変化するのは再構成された白銀さん自身だけという事になります。
 しかし、今のお話だと、1、2回目の再構成で存在しなかった純夏さんが3、4回目では存在したという事になりますから、純夏さんは白銀さんの再構成に付随する存在だと思われます。
 その場合、白銀さんが再構成される際に、一時的に存在する白銀さんの『元の世界』の部屋が、白銀さんが立ち去った後で廃墟に戻ってしまうにも関わらず、持ち出した物品に関してはそのまま存在し続けた事などから類推するに、純夏さんもこれらの再構成に付随して実体化した後、その存在がこの世界で安定化したのだと思われます。
 そうなると、純夏さんの追加を除き、現状4回観測された再構成に於いて、3回目の純夏さんの存在を除いて前回との差分が確認されていない事から、白銀さんの再構成に付随して構成される存在は容易に変動しないと考えられます。
 以上の考察から、現時点でこの世界に存在する純夏さんは、『前の確率分岐世界群』と同じ存在であると考えられます。」

「え? あれ? えと…………そ、そうなんだ! 説明してくれてありがとうね、霞ちゃん。」

 霞の説明に頭がこんがらがってしまっていた純夏は、霞の話が終わると、暫く首を傾げた後、解った振りをして礼を述べた。
 が、そんな純夏に、霞って解説とかだと流暢に話せるんだな、などと思いながらも武は透かさず突っ込みを入れる。

「そんな事言って、ほんと理解できてないだろ! なに解った振りしてんだよば~か。」

「う、ど、どうせタケルちゃんだって解かんないんでしょ?
 タケルちゃんだって馬鹿の癖に! 大体、馬鹿って言う子が馬鹿なんだよ~っだ!!」

 ムキになって言い返す純夏だったが、武はふふんと偉そうに鼻で笑って応じた。

「ふん! オレを以前と同じオレだと思うなよ、純夏。
 伊達に夕呼先生の手伝いを続けてきた訳じゃないんだぞ?
 これ位の話は理解できるようになってるんだ。どうだ、恐れ入ったか!!」

「え?……ほんと? ほんと~~~に、理解できたの?
 ………………ムキーッ! タケルちゃんの癖に生意気~~~~ッ!!!
 生意気、生意気、生意気、生意気、生意気~~~ッ!
 よく解かんないけど、生意気に謝れッ! あ~や~ま~れ~~~~ッ!!!!」

 武の自信満々な言葉に、一旦は疑うものの、それが真実だと感じ取った純夏は、あまりの悔しさに逆切れして武に食ってかかった。

「だ~れが謝るか! それより、ほら! 話を戻すから、落ち着け純夏。
 ―――ふう。でだ、霞の考察によると、その時の純夏とお前は同じ存在の可能性が高いらしいが、今話してるのは、オレが経験した3度目のループ。
 オレが逃げ帰った、あの世界でお前と出会ったループの次のループでの話だ。
 因みに、今は4回目のループな。
 で、お前がいきなり死にかけてたもんで、応急手当だけして、オレは横浜基地に大急ぎで向かって、夕呼先生にお前を回収してもらったんだ。
 尤も、この騒ぎは機密扱いになってるから、他所で話しちゃ駄目だからな!」

「う、うん……分かったよ、タケルちゃん。―――それで?」

 真剣な目で口止めする武に、純夏は頷きを返して先を促す。
 だが、武は難しい顔になって直ぐには話を再開せず、暫く沈黙してから重々しく話を切り出した。

「―――結局、お前は一命を取り留めたけど、人類の技術じゃ生命維持も難しい状態でさ。
 BETAが捕虜にした人類を、脳髄だけにして生かしていた技術を使って、何とか死なないようにしてるってのが実情なんだ。
 つまり―――今のお前は脳味噌と背骨だけしかない。」

「うわっ!! な、なんだか気持ち悪いよ、タケルちゃん……」

 現実での自身の姿を想像したのか、顔を青くした純夏が、呆然と呟く。
 武は、そんな純夏の様子に、慌てて話を進める。

「ま、まあ、そんな状態でも肉体的には安定しているから、安心しろ!
 ただな、この方法で長時間放置されると、外部からの刺激が無くなった人間の精神は崩壊しちまうんだ。
 実際、救い出されたBETAの捕虜になった人達は、全員が精神的に死んだ状態になっていたそうだ。
 今こうやって仮想現実でおまえと話したりしてるのは、おまえがそうやって精神的に死んじまわないようにする為ってことだな。
 お前の存在自体、今の所機密扱いだから、事情を知っている数少ない人間である霞が協力してくれてるんだ。
 感謝しろよ? 純夏。」

「うん! ありがとうね、霞ちゃん。」

「い、いえ……純夏さんと話せて……嬉しいです……」

 頬を微かに染めて応える霞の愛らしさに、純夏が身悶えするのを他所に、武は話を続ける。

「で、オレの過去の世界群での経験や知識、夕呼先生への全面的な協力と引き換えに、夕呼先生がお前をBETAから救い出された捕虜の一人って事にして、おまえの戸籍まで偽造してくれたって訳だ。
 で、前の世界群では人類の勝利を目指す以外にも、お前を生かし続ける為に必死になって戦ってたんだけど、結局2002年にならない内に死ぬ羽目になっちまった。」

「え? なんで? どうして死んじゃったの? 痛くなかった? 苦しくなかった? ねえッ! タケルちゃんってばッ!!!」

 武の死んだという言葉に反応し、純夏は武の両肩を揺するようにして問いかける。
 今更心配しても、仕方ないのになあと思いつつ、武は苦笑を浮かべながら、純夏を宥めた。

「大丈夫、怪我もしないで眠るように死んだから。
 思い残す事はあったけど、痛くも苦しくもなかったから落ち着けって。」

「本当に? そっか、良かったぁ~……って、タケルちゃんが死んじゃったんだからいい訳ないじゃん!
 …………でも、苦しんで死ぬよりはいいよね?」

 苦しまなかったと聞いて思わず安堵した純夏は、武が死んだ事に安堵してしまった自分に愕然としたが、それでも結局は安らかな死を許容する事に落ち着いたようであった。
 本当は、苦しみ抜いて死んだ確率分岐世界もあったけどなと、心中で呟きながらも武は頷いて見せた。

「ああ。本当だよ、純夏。それにもう済んだ事だから今更何言っても始まらないしな。
 で、期間は短かったけど、BETA関する重要な情報を入手できたし、何よりも純夏、おまえの身体を元通りにする方法も見つかったんだ。
 つっても、それにはBETAの拠点―――ハイヴってのを占領しなきゃなんないんで、今直ぐって訳にもいかないんだけどな。
 だから、最低でも後半年はかかると思うけど、霞とオレとでこうやって会いに来てやるから、我慢してくれよな。」

「え? う、うん……今のところ、そんなに不自由はしてないし、1日の内3時間位しか起きてないから、あんまり退屈もしてないけどさ~。
 でもタケルちゃん、軍人になって、ロボットに乗って戦ってるんだよね? 危ないんじゃないの?」

 前の世界群での武の死に関しては、一応納得した純夏だったが、今度は今話している武の身が案じられてきたらしい。
 武は今度はそっちかよという顔をしたものの、純夏を安心させるように言い聞かせる。

「大丈夫だって。前の世界群で色々と戦い方とかも工夫したんで、従来よりも遥かに死傷率は下がっているからさ。
 まあ、戦争だから、絶対安全とはいかないけど、みんなも居るから大丈夫だって。」

「みんなって誰の事?」

 静かな口調で合いの手を入れた純夏に、武は深く考えずに応える。

「ああ、前にも話しただろ? 冥夜に委員長に彩峰にたま、それから美琴だな。
 あ、美琴ってこっちの世界じゃ女の子なんだぞ、信じらんないだろ?
 最初はえらいびっくりしちゃってさ。おっかなびっくり付き合ってたら、武はボクの事嫌いなの~とか、涙目で言いやがってさ。
 あとは、おまえの知ってる奴だと、柏木だろ、それからほら! D組の学級委員長の涼宮茜な、委員長の親友で水泳部のエースだった。
 他にも築地に高原、麻倉って、やっぱりD組の生徒だった3人が居るぞ。
 もっとも、柏木から後の5人は、今はもう衛士訓練兵じゃなくて、一足先に実戦部隊に任官してるんだけどな。
 でさ、それでその実戦部隊が女の人ばっか13人の部隊なんだけど、涼宮のお姉さんやその友達とかもいてさ、あそこの人って殆ど白陵柊の先輩たちなんじゃないかな…………って、純夏、おまえ、なんか目が据わってるぞ……」

「ふ~~~ん。相変わらず、女の子に囲まれてるんだ~。
 ―――タケルちゃんのエッチ! スケベッ!! 浮気者ぉッ!!!」

 両手を拳に握り、お腹の前に揃えた純夏は、身体をくの字に折って力の限りに怒鳴り散らした。
 近距離で怒鳴られた武は、耳を押さえながら椅子から立ち上がり、純夏に文句と反論をぶつける。

「なっ! 耳元で怒鳴んなよなっ! それに、女の人ばっかなのはオレの所為じゃねえ!
 BETAとの戦争で年頃の男はみんな端から戦死しちまってて、元々人数が少ないんだよ。
 …………そ、それに、浮気者ってのは、な、なんなんだよ……」

「へ~んだ! そんな事しらないもんね~~~~っだ!!
 それに、浮気者は浮気者だよ! タケルちゃん、私と想いを打ち明けあって相思相愛になったじゃんかさー。
 なのに、他の女の人と仲良くするなんて、浮気だよ浮気ッ!!」

 純夏がぷんぷんと怒りながらそう言った直後、武は悲痛な表情を浮かべた。
 が、その表情をすぐに消して、強がる振りをして言葉を続けた武だったが、純夏はその一瞬の表情を見逃しはしなかった。

「相思相愛だって? 甘いな純夏! オレはあの時お前に一言だって、好きだとか愛してるなんて言ってないぜ。
 そ、そりゃあ、まあ、キ、キスしたのは認めるけど、あ、あれはあの場の雰囲気で、その、ああなっただけだし、それだって翌日お前がオレの事すっかり忘れたことで帳消し……だ…………って、こら純夏、泣くのは卑怯だ……ぞ?」

 武は、言葉の途中で、純夏が悲しげな顔になって、涙を目に一杯に湛え始めたのを見て狼狽えた。

「…………タケルちゃん、何があったの?
 どうして本当の事言ってくれないの? また、わたしを振り払ってどっか行っちゃう気なの?!
 ねえ、タケルちゃんッ!!!」

「べ、べつに何処にも行かないっていうか、任務で出かけはするけどちゃんと戻ってくるって……
 あっ……お、おい……どうしたんだよ、純夏……」

 純夏の様子に、武は純夏をそれとなく遠ざけようとしていたのも忘れて、案ずる言葉を投げかけてしまう。
 そんな武の胸に飛び込んで思いっきり抱きしめた純夏は、そのまま武を見上げるようにして言う。

「タケルちゃん、あの日と同じような顔してる!
 寂しい癖に、わたしを遠ざけようとしてたあの日と!!
 今度はどうしちゃったの? わたしは現実じゃ酷い状態らしいけど、タケルちゃんが元通りにしてくれるんでしょ?
 そうしたら、わたしと一緒に幸せに暮らせるようになるんじゃないの?
 ねえッ! 何とか言ってよ、タケルちゃんッ!!!」

「―――純夏、おまえ…………」

 涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らし、それでも自分から決して視線を逸らさない純夏に、武は誤魔化す事を諦めた。
 元々、この言い訳は駄目元で、純夏が納得する確率は低いと承知していたのだが、こうも簡単に見破られるとは武も思っていなかった。
 いずれにしても、こうなってしまっては、言わずに済めばと願った事実を突き付けるしかない。
 武はそう決意して口を開いた。

「ごめん……ごめんな、純夏……
 オレ、おまえの想いには応えてやれないんだ……
 人類がBETAに勝利するまでは、浮ついた事なんてしてらんないって事もある。
 お前に全て話したあの日には、まだはっきりと思い出せていなかったけど、実は最初のループで派生した確率分岐世界群で、冥夜や委員長、彩峰、たま、美琴……あいつらと結ばれていたって事もある。
 けど、何よりも、今のオレは…………もう、人間じゃないんだ。
 人間のオレはもう死んでる。今のオレはBETAと戦う為の兵器―――機械なんだよ。
 だから、おまえの―――おまえたちの想いに応える資格がないんだ……」

「え?…………兵器? 機械?…………もう死んでるってどういう事なのッ! タケルちゃんッ!!!
 さっき、自分で戦争で死ぬ危険は減ってるって言ったばかりだよ?
 なのに死んで……兵器になってるってどういう…………」

 純夏は武の言葉に動顛してしまう。
 自分の身体が脳髄だけになっている事や、後半年は元の身体に戻れない事、その間武の周囲に戦友として恋敵達が生身で寄り添っている事など、純夏にとって辛い事実は山のようにあった。
 それでも、武とこうして話せる事、近い未来にまた現実で触れ合い、助け合って生きていけると思えば、純夏は十分に幸せだと信じる事が出来た。
 しかし、武が今また、自分から距離を置こうとしている事に純夏は衝撃を受けた。
 そして、その上、武は自分が既に死んでいて、今は兵器だか機械だかに過ぎないと言うのだ。

「これは、最高機密だから、もし生身になっても、誰にも言っちゃ駄目だぞ純夏。
 もし漏らしたら、最悪死刑になっちまうからな?
 オレは、BETAを地球上から追い出す為に、夕呼先生が研究していた対BETA用の兵器の素体に志願したんだよ。
 オレの心……人格を機械の身体に移して、BETAの情報を奪取して解析できる能力を与えられたんだ。
 前回のループでもそうだったけど、この身体の能力を十分に活かせば、人類はBETAに勝利できる。
 けど、この身体―――00ユニットに心を移した人間は死んでしまうんだ。
 オレは、今までしてきた事の償いをしなくちゃならない。
 それに、オレなら、いや、オレだからこそ、00ユニットとして得た知識や経験を次のループに持ち越せる。
 オレがやらなければ、どうせ他の誰かが犠牲にならなきゃならなくなる、それ位なら、オレがなるのが一番なんだ。
 解かってくれよ、純夏。
 そして、おまえの想いに応えてやれなくて……ごめん…………」

「う……うわぁああああんっ! タケ、タケルちゃん、タケルちゃぁあ~~~ん!!」

 純夏は動顛した揚句、とうとう武の胸に顔を埋めて号泣し始めてしまう。
 自分の胸で泣く純夏の髪を、武は優しく撫でてやった。
 そんな2人を、霞は悲しげな表情で黙って見守る事しかできなかった。




[3277] 第95話 飛躍の始まり
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/09/28 17:58

第95話 飛躍の始まり

2001年11月04日(日)

 22時09分、B19フロアのシリンダールームでは、純夏に対する仮想現実でのメンタルケアが続けられていた。



「だからね、タケルちゃんがどんな武ちゃんだって、わたしにとっては同じタケルちゃんなんだよ!
 けど、タケルちゃんが気にしちゃってるってことも、人類の為に戦うのに一生懸命で、今は恋愛なんてしてらんないって、そう思ってるってことも解かったから、今は保留でいいよって言ってるの!
 これはわたしが決めたことなんだから、タケルちゃんには関係ないのッ!!」

 武の胸で号泣する事10分超過。その後も、激しさは減じたものの、涙が収まるまで更に10分近くの間、純夏は武の胸で泣き続けた。
 そして、ようやく涙が収まった純夏は、武から離れて照れくさそうに笑った後、武が兵器でも機械でも関係ないと、爆弾発言をしたのであった。

 それから更に数分間の間、武と純夏は互いを説得しようとしたのだが、依然として埒が明かず、とうとう純夏が前述の一方的宣言を武に押し付けるに至ったのである。
 武にしても、純夏の想いが解からない訳ではない。
 純夏の言う武への想いは、00ユニットになった純夏に対して抱いた武の想いの鏡映しだったからだ。

 結局、武と純夏は互いの主張を譲らない形で膠着状態となり、その件については済し崩しに保留となった。
 そして、話の流れは、武の近況へと移り、武の横浜基地での生活や、純夏にとっても気になる存在である207Bの話になった。



「でさ、そのPXを仕切ってるのが、京塚のおばちゃん―――京塚志津江臨時曹長って人なんだ。
 この人がまた、肝っ玉母ちゃん的な人なんだけど、料理の腕は鉄人級でさ。
 合成食材の料理は不味いのが相場なんだけど、これが京塚のおばちゃんの手にかかると、ちゃんと美味い料理になるんだよ!
 まあ、さすがに元の世界の御馳走とまではいかないけどな。
 純夏も、身体が元通りになったら、弟子入りしてみたらどうだ?」

「へ~。鉄人ってTVでやってた『調理の鉄人』だよね? 出でよ! スティール・シェエ~~~~ッフ!! って奴。
 じゃあさ、じゃあさ、もしかして腕組みして仁王立ちしたりとかしてる?」

「い、いや……それはないけど…………」

「京塚さんは……人間です…………鉄人じゃないです…………」

 さすがの霞も、TV番組の内容まではリーディング出来ていなかったようである……



「ふ~ん。じゃあ、そのそ~せんぎえんしゅ~ってのに合格して、御剣さんたちはロボットの練習を始めたんだ~。」

「ロボットじゃなくて戦術機な。あと、練習じゃなくて訓練。
 でもって実際に訓練を始める前に、戦術機適性検査ってのがあってな。
 遊園地の体感アトラクションが超本格的になったようなシミュレーターに乗ってさ、戦術機が歩いたり走ったりした時の感覚を体験させるんだよ。
 これがまた、歩いてる時はちょっとごつごつ揺れる程度で、全速力で走ったり曲がったりしてようやく良い感じの揺れになる程度なんだ。」

 武が戦術機シミュレーターの乗り心地を説明すると、純夏が興味深げに瞳を輝かせて身を乗り出した。

「え? なになに、そんな面白そうなのがあるの?」

「あ~、そういや純夏はジェットコースターとか、絶叫系マシーン好きだもんなあ。
 でな、オレもそうだけど、お前でも楽勝程度にしか揺れないんだよ。
 ところが、この世界じゃ絶叫系マシーンに馴染みが無い所為か、あの冥夜や彩峰でさえ、ふらふらになっちまったんだ。」

 武は『元の世界群』で、純夏と遊園地に行った時の事を思い出す。
 純夏に引き摺られて、絶叫マシーンを梯子したのも、今となってはいい想い出だ。
 ところが、そんな平和な世界の過去をしみじみと思い出していた武の耳に、純夏の優越感に溢れた耳障りな笑い声が飛び込んでくる。

「へっへ~~~ん。タケルちゃんで調度良いくらいなら、わたしだったらお茶の子さいさいだね!
 てことは~、もしかして、わたしって天才的パイロットになれたりするかも?!
 そっかぁ~。遂に、つ~い~に! わたしがタケルちゃんを打ち負かして、悔し涙を流させる時が来たのね!!!」

「ふ~ん……おもしれえ事言うじゃないか、純夏。
 確かに、おまえの三半規管は腐れ落ちてるみたいだけどな!
 衛士をなめると痛い目にあうぞ?」

 純夏の言葉に、武は唇を引きつらせながらも、無理やり笑みの形に吊り上げて純夏に言い返した。
 が、純夏がそんな武の言葉で大人しくなる訳もなく……

「へ~んだ! 何時かわたしがそのシミュレーターに乗れば、わたしの才能の凄さがタケルちゃんにも解かるよ!
 その日、タケルちゃんは自分の見る目の無さに愕然として、わたしに謝って崇めるようになるんだよ!!」

 自信満々に言い放つ純夏に、武の堪忍袋の緒が紙縒りのようにあっさりと切れる。

「誰がおまえなんか崇めるもんかっ! 良いだろう。
 おまえがそこまで言うなら、今直ぐシミュレーターに乗せてやろうじゃないか。」

 早くも勝負に勝ったかのように嘯いていた純夏だったが、武の言葉に顔を引きつらせる。

「え? い、今直ぐって……わ、わたし、操縦方法も知らないし……
 だ、大体この世界にそんなシミュレーターなんてある訳…………」

「仮想現実をなめるんじゃねぇぞ、純夏。
 大丈夫だ、操縦はオレがやってやる。おまえは只座席に座ってしっかり目を開いてりゃあ良いんだ。
 戦術機適性検査だなんて、温い事は言わないさ。オレに出来る限りの極限機動って奴を味あわせてやる!」

 慌てて武を宥めようとする純夏だったが、武は眼を据わらせてしまっており、不気味な笑みを消しはしなかった。
 そして、純夏は周囲が唐突に暗くなり、いつの間にか自分が大きめの椅子の様なものに腰掛けている事に気付く。
 周囲にあるスイッチ類の放つ薄明かりが、純夏の着ている強化服をぼんやりと照らし、それを目にした途端に、純夏は盛大に悲鳴を上げると、膝を引き寄せ両手も動員して胸元を隠した。

「きゃ~! な、なんなの? このエロスーツッ!!!」

「そいつが、衛士強化装備だ。けど、どうせ網膜投影で直ぐに見えなくなるから気にするな!
 じゃあ、始めるぞ!!」

 武の姿を探して背後を振り向こうとした時、純夏の視界は急に明るくなり市街地の光景が目に飛び込んできた。
 しかしその光景は、視点の高さがどう見てもビルの5階位の高さにある。
 恐々と下を見下ろしてみると、車道に置き去りにされたらしき車の残骸が、おもちゃのような小ささで視界に収まった。
 そして、武の声が終わると同時に、視界と共に身体が大きく揺さぶられる。

「わっ! ちょ、ちょっとなに? きゃあッ! お、落ちる、落ちちゃうってばタケルちゃん!!
 わわわっ! こんどは早い、早過ぎッ! ぶ、ぶつかるぶつかるって……ひゃぁ~ッ!!!
 と、飛んだ、うわわっ! さ、逆さま、逆さまだってば!
 ぎゃぁ~~~~、回る、回る、回る、回る、回るう~~~ッ!!!………………」



「さて、どうだった? 純夏。」

「ご、ごめんなさいタケルちゃん、謝るから、もうかんべんして~。」

 武の問いに、武のベッドに横たわり、ぐったりとした純夏が弱々しい声で答える。
 たっぷり5分以上の間、武の変態機動を味わわされた純夏は、既にグロッキーであった。
 揺れや身体に加わる加速Gは、衛士強化装備による補正もあって、純夏にとって決して耐えられないものではなかった。
 しかし、問題はリアル過ぎる映像であった。直ぐ目の前をビルが掠め、頭上と足元を地表が行き交い、高速でビルの合間を飛び抜けて、横っ跳びにビルの側壁に着地して反転跳躍する。
 その目まぐるしく移り行く光景と、身体が宙に浮いているかのような視覚情報が、純夏の精神を痛め付けていた。

「よしよし、許してやろうじゃないか純夏くん。
 ―――まあ、今おまえにやったのと同じ事を初日の冥夜達にやったら、まず間違いなく失神するだろうしな。
 なにしろあいつら、最初の内は、揺れに耐えるだけで精一杯だったもんな。
 結局今回も、衛士訓練校の伝統を担ったのはオレだったし……
 けどな純夏。『統合フィードバックシステム』でオレの蓄積データを反映したり、加速酔いを起こさないで操縦方法に習熟できるように、有人機仕様のシミュレーター演習と、遠隔陽動支援機仕様のシミュレーター演習を交互にして、みっちり訓練させたから、あいつらの習熟速度は驚異的なんだぞ?
 しかも、オレの操縦を体感させる為の有人機仕様のシミュレーター演習じゃ、『並列仮想統合フィードバック』プログラムってのを使って、オレの操縦とフィードバック情報を、207Bの5人が同時に受けられるようになってるんだ。
 この『並列仮想統合フィードバック』プログラムも、『統合フィードバックシステム』も、両方とも霞が作ったプログラムなんだぞ!
 どうだ、凄いだろう? 純夏。」

 満足げな武は、偉そうな態度で純夏に許しを与えてから、あれこれと207Bの訓練について語りだした。
 そして、段々と説明に熱が入ってきた武は、純夏が目を回しているのも忘れて捲し立てる。
 精も根も尽き果てた純夏には、愛想笑いを浮かべて応えるのがやっとであった。

「……え? あ~……え~とお~……か、霞ちゃんが凄いのは解かったよ~。―――はぁ……」

 そして、がっくりと力尽きてベッドに倒れ伏す純夏であった。



「大丈夫ですか?……純夏さん…………
 白銀さん……やり過ぎです…………」

「あ、うん、なんとかね。霞ちゃん、ありがと。」
「あー、確かに少しやり過ぎた。……反省してます。すみません……」

 霞の甲斐甲斐しい看護を受けて、純夏はようやく活力を取り戻していた。
 純夏は霞に礼を述べ、武も素直に反省の意を表明する。
 そして、純夏が何やら思い付いたように武を見上げて話し出した。

「ねえ、そう言えばさ、なんでわたしって、大怪我した状態だったのかな?
 健康体だったら、今頃タケルちゃんやみんなと、一緒に居られたかもしれないのに。
 なんか、すっごく不公平だよ~!」

「あ~、それはきっと、オレの意識の中でお前が大怪我した時の姿の印象が強い所為だと思う。
 おまえが存在するのは、オレの無意識の影響だと思うから、一番印象的な姿で再構成されちまったんじゃないかな。
 まあ、夕呼先生にとっては、他の確率分岐世界の人間だってだけで、十分研究対象なんだろうけどさ。」

 武は頭を掻きながら、適当にそれらしい言い訳をする。
 適当で出鱈目な推論なのだが、前提条件が事実ではないだけで、決して嘘ではない為、純夏もいい加減な返事をされたとしか思わなかった。

「……タケルちゃん、また適当な事言ってるでしょ……
 ―――いいよいいよ、わたしはこのまま半年、寂しくここから出られる日を待ってるよ…………って、タケルちゃん! 研究対象ってなんなのさ!!」

「いや、この世界の夕呼先生も因果律量子論って言う独自理論を研究しててさ。
 オレや純夏の存在は、その理論の仮説を実証するに足る存在なんだと。
 でもって、この世界の人間や国家は、今現在はBETAに追い詰められているから、確率分岐世界間で人間が行き来できるだなんて思われたら、碌でもない騒ぎになりかねないんだとさ。
 だから、オレやお前の素姓は、機密扱いって訳なんだよ。」

「碌でもない騒ぎって?」

「―――オレ達のBETAの居ない世界に、移住とか避難って名目で侵略しようとしかねないとさ。」

 武の応えに、純夏は眼を丸くして絶句するのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 22時36分、B19フロアのシリンダールームでは、武と霞がそれぞれメンテナンスベッドとソファーに横たわっていた。

「……ふう。霞、今日はなんだかんだで忙しなかったろう、疲れちまったか?」

「いえ、大丈夫……です……」

 メンテナンスベッドから起き上がった武が声をかけると、ソファーに横たわったままの姿勢で、霞が目を開いて応えた。
 それでも、ソファーから起き上がらずに目を瞬かせている所を見ると、少し目眩がしているようであった。

 仮想現実で3時間ほど過ごしても、現実では30分強の時間しか経過していない。
 現実に比して、凡そ6倍の高密な情報に浸かっていた為、霞の時間感覚が正常に戻るまで暫しの時間を必要とした。

「……もう、大丈夫です……」

「そっか。じゃあ、先に仕事を片付けて、それから少し遊んで寝る事にしようか。」

「はい……」

 00ユニットになって以来、武は横浜基地に居る夜は、このシリンダールームで過ごしていた。
 就寝時間中にODLの浄化処置を行い、異常劣化により自閉モードへ移行する危険を極力減らす為である。
 武はODLの劣化状況によっては、昼と夕方の休憩時間にも浄化処置を受けることも考えていた。
 横浜基地に居る限り、いざという時にはODLの交換も可能なのだが、未だ十分な量の備蓄が出来ているとは言えない為、安全策を取っているのである。

 その為、夜はこの部屋のメンテナンスベッドで眠り、翌朝霞に起こしてもった後、共にB4フロアの自室に向かい、点呼を受けてから朝食を共にして別れる。
 これが、最近の武の生活パターンであった。

「よし、この位にするか。
 悪いな霞。あれこれプログラムを作らせちゃって。
 オレが00ユニットの能力で作ると、なんか解析不能なヘンテコなプログラムになっちまうんだよな~。
 一瞬で出来るんだけど、外に出すと00ユニットの存在が露見するから不味いんだってさ。」

「……大丈夫です……デバッグを白銀さんに担当してもらって……開発効率はとても上がっています……」

 武の言葉にコクリと小さく頷きを返すと、霞は眼をゆっくりと瞬きさせて、武に応えた。
 その後、武と霞はおはじきの特訓をしてから就寝することとなった。
 武は、BETA反応炉から流れてくるODLに身を浸したまま、翌日の予定に思いを馳せた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月05日(月)

 07時37分、第207衛士訓練小隊に割り当てられた16番整備格納庫(ハンガー)に、朝食を終えた武が姿を現した。

 今朝は、武と霞がPXに着いた時には207B女性陣が勢揃いしていた為、武は霞に少し待ってもらって皆が食べ終わる頃を見計らった上で席に着いた。
 前日にまりもから通達のあった、訓練用戦術機の搬入作業を一刻も早く見に行こうと、皆はいつもの倍以上の速度で朝食を流し込んでおり、彩峰などは武への挨拶は片手をしたっと上げただけで済ませ、食べ終わるなり飛び出すようにPXから駆け出して行ってしまった。
 それに千鶴、美琴、壬姫の三人が慌ただしく続き、さらに少し遅れて冥夜が目礼をして立ち去ったのだが、右手で隠した口の中では、未だに最後の一口を咀嚼しているのが窺えた。
 そんな冥夜が立ち去るのを見届けてから、武はようやく霞との朝食を開始した。

 かくして、今朝も霞から手ずからおかずを食べさせてもらう場面を、207Bの皆に目撃される事を回避できた武だったが、食事を始める時間が遅くなった為、いつもより多くのPX利用者に目撃されてしまった。
 そのような、些か計算違いもあったものの、ゆっくりと朝食を済ませてから霞と別れハンガーへとやってきた武だったが、搬入作業は未だ完了してはいなかった。

「あ、たけるさん! 『吹雪』、搬入されてますよ~!!」

 ハンガーへと入ってきた武に気付き、足早に駆け寄ってきた壬姫に頷きを返したものの、武はそのまま歩みを止めずにハンガー2階部分の搭乗デッキの端へと向かう。
 搭乗デッキの端は、ハンガーの1階を見下ろせる手摺になっており、その手前には壬姫と武以外の207Bが並んで立っていた。
 4人とも、今は武の方を振り向いているが、つい先程までは手摺越しに搬入作業や、既にガントリーに格納された戦術機を熱心に眺めていた。

 16番ハンガーは最大16機の戦術機が格納できる。
 背中合わせに4機ずつ合計8機が横並びに格納されるガントリーの列が2本あり、そのガントリーの間に搭乗用のキャットウォークが配されていた。
 壁際にはコンテナが多数積み上げられており、ガントリーとコンテナの間を、大小様々な車両と整備兵が駆け回って搬入作業に勤しんでいた。
 また、キャットウォークの上も忙しげに整備兵が行き交っている為、207Bの女性陣は機体に近づく事も憚られて、キャットウォークへと通じている搭乗デッキに佇んでいたのである。

「よう! みんな。まだ搬入作業は終わりそうにないか?」

 武は壬姫を伴って、もの問いたげに自分の方を見ている仲間達へと歩み寄った。
 その背後には、既に格納済みの『吹雪』が3機、その雄姿を並べている。
 武の位置からでは殆ど見えなかったが、ガントリーの向こう側、こちらから見える3機の『吹雪』と背中合わせに、もう3機の『吹雪』が格納されているであろう事を、武は事前の搬入計画から知っていた。

「―――搬入作業はそろそろ終わりそうよ。
 それよりも白銀。『吹雪』が6機搬入されているのは解かるけど、向こうの機体はなんなのかしら?」

 笑顔で挨拶がてら問いかけた武に対して、千鶴は武の問いに答えた後、肩越しに左後方を1本だけ立てた左親指で指して尋ね返した。
 そして、その言葉に他の者も口々に同意を示す。

「うむ。この横浜基地で、よもや『不知火』を目にしようとは思わなんだぞ、タケル。」
「しかも、国連軍塗装……」
「あ、そういえばそうですねー。ここは国連軍なのに、どうしてあるんでしょう?」
「それよりも、向こうに並んでる6機の改修機の方が問題だよ!
 『陽炎』の改修機みたいだけど、あの胸部の厚みからすると、多分複座型だよ?」

 自分を取り囲むようにして、次々に意見を述べる仲間達を、武は両手で押さえるようにして宥める。

「まあまあ、搬入作業が終わったら、その辺はまとめて説明するからもう少し待っててくれ。
 ほら、最後の1機が格納されるぞ。」

 武の言葉に、全員の視線が手前に位置するガントリーの列、その一番奥へと注がれる。

「「「「 た、武御雷ぃ?! 」」」」

 目を丸くして驚いた冥夜と武以外の4人は、つい冥夜の顔を見詰めてしまう。
 その視線の先で、驚きの声に唱和しなかった冥夜が、感情を押し隠した顔で鋭い視線を放ち、格納作業中の紫色の『武御雷』を刺し貫いていた。



 そして数分後。搬入作業がほぼ片付いた所で、武は皆を引きつれて搭乗デッキから1階へと階段を下りて移動した。

「さて、それじゃあ説明するぞ。まず、この『不知火』2機は……」

 16番ハンガーの左右2列、合計16基のガントリーの内、右手のガントリーの並びの前で、武は207B女性陣に向かって説明を始めた。
 今立っているのはガントリー4機が横並びになっている中央付近であり、眼前のガントリー側壁の両側に異なる機種の戦術機が格納されていた。

 武の説明は、向かって右側に格納されている『不知火』から始まった。
 帝国軍の誇る第3世代型戦術機である『不知火』は、この横浜基地で開発が進んでいる試作OSの搭載実証試験のテストベッドとして納入されたものであり、第207衛士訓練小隊では2機を運用する。
 主に操縦を担当するのは教官であるまりもと、現役の衛士資格を保持している武であるが、2機とも複座型管制ユニットに換装されており、武かまりもの同乗の元で207Bが操縦を行う事も予定されていると武は語った。

 次に向かって左側に格納されている『陽炎』改修機の説明が行われる。
 既にシミュレーター演習で導入されているとおり、武の提唱する対BETA戦術構想では遠隔操縦による無人の戦術機―――遠隔陽動支援戦術機が構想の中核をなしている。
 シミュレーター演習では207Bの混乱を避ける為に、有人機仕様、無人機仕様のいずれもが『吹雪』の機体データを使用している為、加速Gが再現されるか否かしか異ならないが、実際には遠隔陽動支援戦術機は無人機である事を活かした高機動特化型の仕様となる。
 その為、この『陽炎』改修型遠隔陽動支援戦術機『時津風』では、機体各所に姿勢制御スラスターとカナード翼が増設され、関節部などの可動部に外力に対抗する為のロック機構が増設されている。
 この機体は合計6機が搬入されており、眼前のガントリーの反対側には『時津風』4機が格納されている、などの説明が武から行われた。

 ここまで説明した所で、武は真剣な中にも、好奇心や興奮の色が見受けられる207B女性陣の横を回り込むようにして、今まで説明していたガントリーの列の通路を挟んだ反対側、左手のガントリーの列の側に移動する。
 武の歩みを追うように、左回りに半回転した207B女性陣は、武の背後に屹立する3機の『吹雪』に向き直る形となった。
 ガントリー自体は4基並んでいるのだが、向かって右端の1基は空いており、そこには6基の複座型管制ユニットが、臨時に組まれたフレームに格納されていた。

 武は、一呼吸おいてから説明を再開する、今度は『吹雪』についてであった。
 もっとも『吹雪』自体は、衛士訓練兵が標準的に使用する事になっている高等練習機であり、一昨日の衛士適性検査の後に行われたシミュレーターによる慣熟演習―――これは、武が動作教習課程を一通りこなす過程を、『並列仮想統合フィードバック』プログラムで体感しながら、各課程の要注意点を武とまりもから口頭で説明される演習である―――以降、全てのシミュレーター演習に於いて搭乗機体として使用している為、既に馴染み深い機体となっている。
 その為、武の説明は主に『吹雪』の主機出力が練習機仕様として低く抑えられている事や、今後カリキュラムが進んでいくに従い、管制ユニットを複座型に換装したり、主機を実戦機仕様のものに換装する可能性もあることなどが伝えられた。

 その後、武は皆を促してガントリーを反時計回りに回り込もうとしたが、複座型管制ユニットの近くに差し掛かった時、キャットウォークの上から声が投げかけられた。

「あら、白銀じゃない。朝っぱらから女何人も引きつれてお盛んね~。」

 急に声をかけられた事とその内容に、207B女性陣に動揺が走るが、リーディング機能の副次効果で周囲の思考波を察知できる武は、キャットウォークで手摺にもたれかかっている夕呼を、欠片も動じる事無く見上げた。

「香月副司令、何か御用ですか?」

 千鶴が慌てて号令をかけようとするのを、武は身振りで止めて夕呼にこの場にいる理由を訊ねた。
 無論、武は夕呼がこの場に居る理由に察しが付いている。しかし、それについては触れずに夕呼の話を促したつもりだったのだが……

「別にあんたに用なんて無いわ。
 管制ユニットの保護用ビニールを破きに来たに決まってるじゃないの!
 まあ、この件に関しては白銀、あんたを褒めてあげるわ。
 管制ユニット合計20基、保護ビニール破り放題なのよ~。
 これも、新品の戦術機の納入が間に合わないって言われて諦めかけてたあたしに、戦術機は無理でも管制ユニット、特に需要の少ない複座型管制ユニットならば新品が手に入るだろうって、あんたが教えてくれたお陰だわ。
 あんまり嬉しかったもんだから、工場の出荷チームと整備班に圧力かけて、今日の午後から実機演習が出来るように手配しといたげたわよ~。
 整備は出荷前に完了させてあるから、後は試作OSに載せ換えてるだけって訳よ。」

 上機嫌にケラケラと笑いながら言い放つ夕呼に、207B女性陣は眼を丸くして呆気にとられている。
 副司令でありながら、横浜基地の影の最高権力者であると噂される夕呼には、無数の風評が真しやかに語り継がれている。
 殆ど他の要員との接点が無い207B女性陣でさえ、複数の噂がその耳に届いている程である。
 まあ、その殆どが夏の総戦技演習前に、当時の同輩であった柏木晴子訓練兵が仕入れてきた話であったのだが。
 それでも、実際に面と向かってその奇矯振りを見せ付けられると、受けた衝撃は思いの外大きかった。

「それじゃあ、白銀。お仕事、頑張ってね~。」

 夕呼はそう言うと、キャットウォークから複座型管制ユニットの中へと潜り込んでいった。
 よく見ると、フレームに格納された複座型管制ユニットには、外部から電源供給ケーブルが接続されている。
 数日は使用する予定の無い複座型管制ユニットなので、夕呼がビニールを破る時に内部照明を使用する為だけに接続されたのではないかと、武は推測して呆れてかえってしまった。

(あ~あ、『吹雪』の整備も急かしたみたいだし、後で整備班に頭下げに行った方がよさそうだな~。
 まったく、先生も最近はそんなにストレス貯め込んでない筈なのに……ほんっとうに、好きなんだな。ビニール破り。)

 心中密かに頭を振り、武は背後を振り返ると、未だに衝撃冷めやらぬ207B女性陣が棒立ちしていた。

「あ~、解かっているとは思うけど、今の女性が当横浜基地の誇る副司令にして天才科学者である香月夕呼博士だ。
 オレの特殊任務絡みで、今後顔を合わせる機会も増えるかもしれないけど、今の所は気にしないでいいぞ。
 ただ、敬礼とか堅っ苦しい儀礼を嫌う人だから、機嫌を損ねないように気を付けてくれよな。
 ―――ってことで、こっちに来てくれ。」

 武の声に、正気に戻った皆は、顔を見合せながらも無言の内に武に付いて移動を再開した。
 次に武が立ち止ったのは、複座型管制ユニット6基が格納されていたガントリーの反対側で、そこには紫色の『武御雷』が格納されている。
 そして、その足元には斯衛軍第19独立警備小隊4名が整列して待ち受けていた。

 207B女性陣は、既に一昨日より夜間に動作教習課程の自主訓練を行っており、その際に武の助言により、独立警備小隊に割り当てられたシミュレーターデッキを間借りしていた。
 未だ面識があるのみで、親しいとは言い難い間柄ではあるが、互いに会えば挨拶を交わすくらいにはなっている。
 冥夜に対して一礼する独立警備小隊一同に、冥夜を除く一同は多少ばらついたものの全員が敬礼した。

 武が号令をかけなかったのは、月詠の嘆願により207B以外の国連軍将兵が居ない場では、冥夜は主筋としての言動を取るとの約束が交わされた為であった。
 当然冥夜は拒否しようとしたのだが、武が同行した時の『斯衛道場』での冥夜の振る舞いや、月詠の心情、今後夜間の自主訓練などで、207Bの皆と共に独立警備小隊の面々と顔を合わせる機会が増大する事などを理由に、武に説得された結果渋々と同意している。

 そして、頭を上げた後で、改めて冥夜以外の面々に答礼をした月詠に、冥夜が厳しい顔で口を開こうとした。
 しかし、それを押し留めるように武が話しだす。

「みんなも既に知っているとおり、月詠中尉以下第19独立警備小隊は、冥夜の身辺警護を任務として当横浜基地に駐留している斯衛軍部隊だ。
 そして、今後はこの紫色の『武御雷』の警備保全も、第19独立警備小隊の任務となる。
 ただし、この『武御雷』を運用するのは我々第207衛士訓練小隊であり、搭乗する衛士は冥夜に努めてもらう。
 この『武御雷』が当基地に搬入された理由は、試作OSを搭載し、完全に動作するように仕上げる為だ。
 それだけなら、態々訓練小隊で運用したりはしないんだが、この機体は『特別』だからな。
 めったな人間を搭乗させる訳にはいかないし、月詠中尉も恐れ多いと言って固辞されたくらいだ。
 で、色々と調整した結果、冥夜に白羽の矢が立った。
 冥夜が選ばれた理由は、赤を賜る御剣家の息女である事、斯衛軍で正式採用されている剣技である無現鬼道流を修めている事、訓練兵ながら国連軍横浜基地に所属している事などだな。
 これは正式な依頼を受けて、当基地司令部が受諾した事案となる。
 だから、悪いけど冥夜には拒否権はない。詳細は後でちゃんと説明するから、大任だとは思うけどやり遂げてくれ。」

 後半、右手を顔の前に立て、冥夜を拝むようにして告げる武に、冥夜は背筋を伸ばして莞爾と笑みを浮かべて応える。

「タケル。任務とあらば私に異存のあろう筈が無い。
 そなたがそのように頭を下げる由もないであろう。
 月詠。そういう次第であれば、私は全身全霊を傾けてこの『武御雷』を万全としてみせよう。
 そなたも多忙ではあろうが、未熟な私に助勢してくれるな?」

「はっ、この月詠、及ばずながら冥夜様をお助けして、精一杯務めさせていただきます。」

 冥夜の言葉に喜色を満面のみならず、全身から発して、月詠は深々と頭を下げて冥夜に応えた。
 その背後では、神代、巴、戎の3人が嬉しそうに目線を交わし合っている。
 そしてそんな冥夜と月詠を、武と207Bの皆が暖かい視線で見詰めていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時59分、横浜基地衛士訓練学校の教官控え室に、武とまりもの姿があった。

 様々な資料や書籍が端末の周囲に積み上げられた机の前に、事務用椅子と折り畳みのパイプ椅子を向かい合わせに置いて座り、武とまりもは207Bの訓練状況と今後の方針について話し合っていた。

「それにしても、夜間に自主訓練をしているとは言え、正味2日で動作教習応用課程Fまでクリアするとは思わなかったわ。
 しかも全員よ? 最短記録は鎧衣の18時間で、部隊内最長の珠瀬でさえ20時間を少し超えた程度。
 歴代最高記録を半分近くにまで縮めた事になるわ!」

 まりもはこの日の午前中までに、207Bの全員が戦術機操縦課程のシミュレーター演習である、動作教習応用課程Fまでをクリアした事に喜びを隠さなかった。
 まりもには既知の事であったが、横浜基地衛士訓練学校に配属となる訓練兵は選り抜きの逸材であり、全員がなんらかの優れた才能を秘めていた。
 それ故に今までにも、幾つかの記録がこの衛士訓練学校の訓練兵によって更新されている。
 それでも、所属衛士5名全員が歴代最短記録を大幅に更新するなどという事態は前代未聞であった。

 そして、まりもがここまで手放しで喜ぶ理由もまたそこにある。
 極数人の優秀な訓練兵が記録を更新したのではなく、全員が記録を更新したという事は、武の提唱した新衛士訓練課程に則った訓練を施せば、来期以降の訓練兵の多くに同水準の錬成速度を期待できるからである。

 従来の、機体の揺動に身体を慣らしながら強化装備にフィードバックデータを蓄積していき、心身に蓄積する疲労回復の為のインターバルをおきながらの訓練と異なり、新衛士訓練課程では熟練衛士のフィードバックデータを統合フィードバックで反映しながら戦術機の挙動を体感し、各自のフィードバックデータがある程度蓄積された状態で動作教習課程に臨む。
 そして、シミュレーターの揺動による疲労が過大にならないように、各動作教習課程毎に操縦手順が身に付くまでは、無人機仕様で揺動が全くない状態で演習を行わせた。
 その結果、訓練兵は集中して長時間シミュレーター演習を続けることが可能となり、画期的な成長を見せたのであった。

 最後に残った不安要素は、この新しい手法で学んだ技能で、ちゃんと実機を操縦できるかであったが、この日の午後に行われた実機演習では問題の欠片も見られず、全員が初めて戦術機に搭乗したとは思えない手際を見せたのである。
 武の話では、207Bがこの所毎晩行っている夜間自主訓練も、今夜からは斯衛軍第19独立警備小隊の月詠中尉が厚意により技術指導を請け負ってくれるという。
 これは、207Bの訓練兵にとって願ってもない事であり、その技能を著しく向上させるものと思われた。
 その分、今後の207Bの錬成速度は来期以降の参考にはならなくなってしまうが、武が207Bに望んでいる役割は一刻を争うものであるとの事なので、これについてはまりもも諦めざるを得なかった。

 そして、207Bの特異性は、翌日の訓練予定に如実に表れていた。
 その為、まりもと武の間で交わされる会話も、必然的にその点について触れることとなる。

「それで白銀。明日は本当に珠瀬にあれを試射させるの?」

 少し上体を前屈みにさせ、武の目を覗き込むようにしてまりもが尋ねると、武は背もたれに僅かに預けていた背筋を伸ばして、真剣な表情で頷いた。

「はい。現時点で、あの装備の試射を行って、有用なデータを叩き出せる衛士はたま―――珠瀬訓練兵しかいません。
 そして、詳細は軍機なので言えませんが、早急に試射を行いデータを収集する必要があるんですよ。」

 武の言葉に含まれた軍機の一言に、僅かに右眉を跳ね上げながらもまりもは大人しく了承した。

「―――そう。それじゃ仕方ないわね。
 それと、御剣の方だけど、差し当たっては『吹雪』への慣熟を急がせればいいのね?」

「はい。御剣訓練兵には『武御雷』の運用試験を行ってもらいますけど、こちらもそれほど時間的余裕がないんですよ。
 1日も早く、戦術機の操縦に慣れて、『武御雷』に搭乗してもらわないと。
 それに、御剣訓練兵の錬成を急げば、他の訓練兵にも良い影響が出ると思いますよ。
 あいつら、相当な負けず嫌いですからね。」

 最後の言葉のところで、207Bの一員の顔に戻った武に、まりもは柔らかな笑みを浮かべる。

「あなたは、珠瀬の試射も発奮材料として見込んでるんでしょうね。
 それにしても、1200mmOTHキャノン(超水平線砲)とは、大層な物を持ち出したわねえ……」

 事前に目を通した資料の内容を思い出し、その現実離れした性能緒元に呆れ顔を隠せないまりもであった。




[3277] 第96話 明るい明日を手にする為に
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:07

第96話 明るい明日を手にする為に

2001年11月05日(月)

 19時08分、斯衛軍第19独立警備小隊に割り当てられたシミュレーターデッキの待機室に、武と冥夜の姿があった。

 2人とも衛士強化装備を装着しており、椅子を向かい合わせに置いて腰掛けている。
 シミュレーターデッキでは、2人を除く207Bの4人と斯衛の4人が先にシミュレーター演習を始めており、シミュレーターの駆動音が待機室にまで響いてきていた。
 とは言え、会話に支障の出るほどの音量ではない為、武と冥夜はごく普通の声量で会話する事が出来た。

「―――てことで、今晩のシミュレーター演習から、冥夜は紫色の『武御雷』に搭乗してくれ。」

 このところ毎晩恒例となっている207Bの夜間自主訓練で、シミュレーター演習を始めようとした冥夜を武は呼び止め、待機室で紫色の『武御雷』の運用テストに関する説明を行っていた。
 試作OSを初めとする対BETA戦術構想が、表向き悠陽からの諮問に応える形で練り上げられた成果として発表される事。
 そしてその有効性が実証された段階で、斯衛軍と帝国軍に本格的に導入される予定である事。
 既に、斯衛軍の一部に試験導入されており、実証試験が行われている事。
 そして、6日後の11月11日に、斯衛軍の実弾演習が行われ、その場で対BETA戦術構想が披露される事。
 その際に、試作OSが搭載された紫色の『武御雷』に悠陽が搭乗する予定である事。
 等々、国連軍所属の武が特殊任務で推進してきた対BETA戦術構想の関係で、紫色の『武御雷』に試作OSを搭載した上で、稼働状態にまで仕上げなければならなくなった経緯について、武は冥夜に告げた。

(なんと……6日後に斯衛軍の演習で披露するとは…………タケルの対BETA戦術構想とは、既にそこまで完成されたものであったのか!
 しかし、日程が短か過ぎる。殿下が搭乗あそばす機体だ、万全にも万全を期さねばならぬものを……)

 冥夜は、武の説明から日程の余裕の無さについて思いを巡らし、懸念を述べる。

「ふむ。となると、私は6日―――いや、移動に1日見込むとして、最長でも5日で御『武御雷』を仕上げねばならぬのだな?
 しかし、その日程では何らかの障害が発生した折には、改修が間に合わぬのではないか?」

 口を引き結び、眉を寄せているその様子から、冥夜がこの懸念を如何に深刻な物としてとらえているかが窺い知れる。

 この時、冥夜は腕組みをしていた為、その豊かな胸が両手で持ち上げらる形となり、その存在を強烈に主張している。
 ところが、冥夜は割と良く腕組みをする癖がある為、透明度の高い訓練兵用の衛士強化装備であっても、武にとっては既に見慣れた風景に過ぎなかった。
 その為、武は全く意識すらせずに、スルーしてしまっている。

 また、冥夜に限らず207B女性陣も、僅か3日目にして早くも衛士強化装備に対する抵抗感を薄れさせている。
 当初は強い羞恥心を抱いていた女性陣だったが、思いの外武が動揺しなかった事や、ハードな訓練に疲労困憊となった結果、武の視線を意識する余裕など皆無であった為、既に全員が取り繕う事も放棄してすっかり居直ってしまっていたのだ。
 それ故に、武も冥夜も、余計な事に気を取られる事も無く、真面目に話を進めていく。

「いや、障害に関しては、ほぼ発生しないと思っていい。
 実は、試作OSの『武御雷』への搭載に関しては、既に月詠中尉の隊で10月26日から実証試験を行ってもらっているんだ。
 紫色の『武御雷』は、月詠中尉の赤の『武御雷』よりもさらに高度な調整が施されているけど、基本的な構造はいっしょだからな。
 冥夜はあの『武御雷』に慣熟して、ちゃんと扱えるようになる事を最優先に試験項目をこなしていってくれ。
 11月11日までには、一通りの戦術機動が出来るようになってもらいたいから、頑張ってくれ。」

 武の説明に、冥夜は表情を緩めて頷きを返した。

「そうか。ならば、私は余計な事は気にせずに、与えられた課題を着実にこなして見せよう。
 しかし、機体が万全に仕上がったとしても、殿下が実機に慣熟される時間が十分にご用意できないのではないか?」

 小首を傾げるようにして、冥夜が疑問を呈すると、武は得たりと頷いて口を開く。

「それなんだけどな、冥夜。ここから先の話は、11月11日までは207のみんなにも漏らさないでくれよ?
 実は、紫色の『武御雷』の管制ユニットは複座型に換装されている。
 そして、11月11日の実弾演習では、冥夜は臨時少尉として斯衛軍に出向した上で、殿下と一緒に御『武御雷』に搭乗して、主操縦士を担当してほしいんだ。」

「なに?! タケル、そなたは国連軍の、しかも未だ訓練兵に過ぎぬ私に、斯衛の将兵らを差し置いて御『武御雷』に乗れと言うのか?
 しかも、恐れ多くも殿下と同乗仕るなど―――「冥夜」―――む……」

 武の言葉に動揺し、腰を浮かせて両手を思わず武に差し伸べてしまう冥夜。
 その両手は武を押し留めようとするようでもあり、同時に武の言葉に怯えているようでもあった。
 そんな冥夜の言葉を名を呼ぶ事で中断させ、落ち着いて腰かけるようにと手で示した武は、柔らかな口調で諭すように語りかける。

「心配しなくても大丈夫だって。冥夜の事情はオレもちゃんと弁えてるからさ。
 その上で、殿下とも相談して決めた事なんだよ。
 殿下は、今回の対BETA戦術構想の公開と共に、帝国の戦略方針をBETAに対する反攻へと転換するご意志を示される。
 そして、BETAに対する反攻に於いて、帝国軍将兵の士気を鼓舞する為に、紫色の御『武御雷』を実戦に投入されるおつもりなんだ。」

 しかし、武の柔らかな口調にも係わらず、その内容に冥夜は弾かれた様に立ち上がり、必死の形相で異を唱えた。

「ならぬ! 断じてならぬぞ、タケル!!
 殿下はこの国にとってなくてはならぬお方だ!
 自ら戦場に赴かれて、将兵の範足らんとされる殿下の御心は尊いものではあれど、御身は掛け替えのない存在であらせられる。
 それを、可惜(あたら)危険に曝すなど、あってはならぬ事だぞッ!!」

 今にも武に掴みかかろうとするかのように、前傾姿勢で言い募る冥夜を、椅子に腰かけたままの武は、欠片も動じる事無く見上げて言う。

「解かってるから、落ちつけよ、冥夜。
 殿下には、帝都で国をまとめてもらわなければならないし、無用の危険を冒してもらう訳にはいかないよな。
 けど、乾坤一擲の反攻作戦で、帝国軍将兵の士気を鼓舞するのに紫色の御『武御雷』が最上の存在だって事も間違いない。
 そこで、殿下はご自身の名代を立てられる事に同意されたんだよ。」

「……名代だと? 殿下のか?」

 未だ立ち上がったままではあるものの、悠陽が戦場に出る事は無いと諭された冥夜は、身体から余分な力を抜き、平常心を取り戻そうとしながらも武の言葉に首を捻る。
 その様子を見上げながら、悪戯を仕掛ける悪ガキのような笑みを閃かせた武が核心を告げた。

「そうだ。日本帝国国務全権代行、政威大将軍煌武院悠陽殿下の『御名代』だ。
 戦場に殿下に成り代わって立ち、帝国軍将兵の模範となって士気を鼓舞する者。
 赤を賜る御剣家の息女、御剣冥夜。お前が殿下の御名代になるんだ。」

「な?!―――」

 武の思いもよらない言葉に、冥夜はその場に愕然と立ち尽くした。
 頭の中では武の言葉が木霊し続けているものの、冥夜はその意味を理解する事が―――否、受け入れる事が出来ずにいた。
 そんな冥夜に、さらに武の言葉が投げかけられる。

「御剣家現当主、御剣雷電殿は、孫娘である御剣冥夜を幼い頃より煌武院悠陽殿下の影武者とするべく密かに育成し、有事の際に備えていた。
 それをご存じだった殿下は、此度の反攻作戦に於いて、己が影として育てられた御剣冥夜の存在を公のものとし、紫色の御『武御雷』を貸し与え、名代として帝国軍将兵の先陣に配する事を決意なされた。
 そして、BETAに対する反攻の切り札となる、対BETA戦術構想と共に、11月11日の実弾演習でおまえを名代に任ずる事も明らかにされるご予定だ。
 ―――冥夜。殿下は、お前の事を実の妹の如くに想っていると言ってらしたぞ。
 殿下のお気持ち、真意が何処にあるか……解からないおまえじゃないよな?」

 呆然と、天井を見上げるようにして武の言葉を聞いていた冥夜の双眸が閉ざされ、目尻から一筋の涙が零れる。

「……あね……うえ…………」

 感涙に咽び泣く冥夜が微かに漏らした呟きを、武は聞かなかった事にして、冥夜が落ち着くのを静かに待った。
 そして、落ち着きを取り戻した冥夜に、事の次第は既に御剣雷電翁に伝えてある事、実弾演習でこそ悠陽が同乗するものの、それ以降の実戦に於いては、冥夜と月詠が搭乗する予定である事などを、武は伝えていく。
 また、帝国軍将兵が多数参加する攻勢作戦などでは、冥夜の身分は斯衛軍に出向した国連軍将兵となり、階級は国連軍での階級がそのまま据え置かれるものの、殿下の名代として斯衛軍派遣部隊筆頭衛士の称号が冠せられ、斯衛軍派遣部隊指揮官の後見の下で全軍を率いる象徴として任に当たる事なども説明された。

 説明を聞くに従って、冥夜の眼光は鋭さを増し、自身に課せられた責任の重さを汲み取り、それを完遂する覚悟を確立していく。
 それは、冥夜が身に纏っていく覇気から、容易に感じ取る事が出来た。
 そんな冥夜の様子に、武は内心で深く頷き、この献策が冥夜と悠陽にとってより良い未来をもたらす事を、心の底から強く願うのであった……

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月06日(火)

 12時32分、1階のPXのいつもの席では207Bの全員が揃い、昼食後の会話を楽しんでいた。

「それにしても、戦術機操縦課程に進んでたった3日で実機演習に進めたのは、自分達の頑張りが評価されたからだって喜んだけど……
 その翌日に、機種転換やら特殊装備の試射やらをさせられるってのは、さすがにどうかしらね?」
「無茶苦茶……常軌を逸してる…………でも、白銀だからしょうがない…………」
「あはははは! タケルだもんね~。」
「だもんねぇ~!」
「そなたら、タケルにも何か考えがあるのであろう、そう責めるでないぞ?」

 武を斜に構えて睨め付け(ねめつけ)て、千鶴が呆れた様な言葉を述べると、続けて顔の前に右手の平を翳した彩峰が武を扱き下ろした。
 それに大笑いして美琴が同調し、満面に楽しげな笑みを浮かべた壬姫も追従する。
 言葉の上では武を擁護している冥夜ですら、意地の悪い笑みを浮かべており揶揄するような声色であった。

 昨日の午後に、初めて『吹雪』の実機に搭乗し、実機演習を大過なくこなした207Bであったが、この日の午前中に、まりもの指導の下『吹雪』への慣熟訓練を行ったのは、千鶴、彩峰、美琴の3名だけであった。
 冥夜は、斯衛軍第19独立警備小隊の協力の下、昨夜に続きシミュレーターにて試作OS搭載型である紫色の『武御雷』の慣熟訓練を行い、壬姫は武と共に1200mmOTHキャノンの試射を行っていた。
 HSST打ち上げ用リニアカタパルトの最上部から、太平洋上に向けて行われた超大口径砲の試射は、横浜基地の地上部全域にその砲声を轟かせて、基地要員の度肝を抜いていた。

「あ~、その点については、オレの特殊任務の都合でタイトなスケジュールになっちまってるから、頭を下げるっきゃないな~。
 無理言って悪いけど、みんな何とか頑張ってこなしてくれ! この通りだ、頼む!!」

 仲間達の言葉に、素直に頭を下げて白旗を上げる武。
 しかし、武があまりに素直に頭を下げた為、却って他の5人の方が面喰ってしまった。

「しょ、しょうがないわよね。特殊任務の都合なら……」
「榊、軽率…………」
「ちょ! さっきは貴女だって同調してたじゃないのッ!!」
「え?……そうだった?」
「ま、まあまあ、榊さんも、彩峰さんも、落ち着こうよ~。たけるさんも、頭なんて下げないでください~。」
「そうだよ、タケルぅ~。そこは黙ってオレについてこいって、胸を張る所だよ?」
「タケル、私はそなたの判断を信じておる故、案ずる事は無いぞ?」

 口々に先の発言を有耶無耶にすべく口を開く5人に、武は嬉しそうに微笑んでから両手で押さえるようにして騒ぎを鎮めた。

「まあまあ……ちょっと話を聞いてくれよ…………ありがとな。
 それでだ。良い機会だから、今後の訓練方針について説明しとこうと思う。
 従来の戦術機操縦課程で行う訓練は、『吹雪』への慣熟訓練を主体に、戦術機に関する知識や、対BETA戦術について習得していくものだった。
 けど、今回おまえたちに課せられるのは新衛士訓練課程のカリキュラムだ。その内容としては……」

 真剣な表情になって傾聴する207B女性陣に、武は今後の新衛士訓練課程の方針を説明していく。

 まず、第3世代高等練習機『吹雪』に対する慣熟訓練は、今後も継続して行っていくものの、対BETA戦術構想の戦術や装備群に関する訓練が大量に盛り込まれる事。
 その過程で、『不知火』や遠隔陽動支援戦術機『時津風』等の『吹雪』以外の戦術機の操縦にも慣熟し、従来に無い多様な装備群を戦術機と同時に運用可能な作戦実施能力の習得する事を目指す。

 戦術機の操縦に関しては、基本動作などは衛士強化装備がマン・マシン・インターフェイスとなって補正してくれる為、機種が変わった所でそれまで蓄積したデータが活かされて、ある程度の操縦は問題無く行える。
 しかし、機種毎に出力、即応性、機動力などの挙動が異なり、CNIシステムの性能によって捕捉目標数や、敵味方識別、脅威度設定などにも差が生じ、遠距離攻撃能力に於いては大きな違いとなる。
 また、機種毎に可能な戦術機動の種類も異なり、例え同一機種であっても装備の選択や増減によっても変化するのだが、殊に『時津風』の様に高機動用の追加装備を持つ機体ではその差が顕著になる。
 一口に戦術機動と言っても、主脚による走行や跳躍、噴射跳躍ユニットの推進力による飛行から、主腕主脚の慣性質量を使用した姿勢制御、果ては四肢や頭部の空力抵抗を利用した制御まで多岐に亘る。
 『時津風』ではそれらに加えて、無人機故の加速Gに対する制約の緩和と、姿勢制御スラスターやカナード翼による多彩な機動が可能となっているのだから、その差は歴然としている。

 これらの事実は、戦術機だけをとっても、複数の機種に慣熟し、その性能を十全に発揮する事が如何に困難かを示しているが、にも拘らず、対BETA戦術構想に於いては、衛士は多種多様な装備群を運用する事を要求される。
 よって、新衛士訓練課程に於いては、『吹雪』のみならず、多彩な装備群とその運用法、そして各種戦術に習熟し、柔軟性と即応性、応用力を兼ね備えた衛士となる為の基礎を構築する。
 従来の衛士訓練課程の水準を大きく逸脱し、幅広い技能を習得させる事で、将来の拡張性が高い新任衛士を育成する。
 それこそが、新衛士訓練課程の目指す方針なのだと、武は滔々と長広舌を振るった。

「ってことで、偉い大変な思いをするだろうけど、おまえらならきっと出来るから頑張ってくれよな。
 ―――ん? どうした? みんなして鳩が豆鉄砲くらったような顔してさ。」

 武が説明を終えて視線を巡らせると、207B女性陣は揃って目を大きく見開き、唖然としたような表情で武を見詰めていた。
 が、武に声を掛けられると、一斉に呪いが解けたように気を取り直し、頻りに視線を左右に泳がせながらも武が語った内容を咀嚼しようと試みる。
 その様子に笑みが浮かびかけたのを必死に堪え、武は皆が情報を吟味し終わるまで大人しく待った。

「つまり―――白銀は私達に専門家ではなく、多彩な技能に熟練した汎用性の高い衛士になれと言うのね?」

 情報処理能力に関しては部隊内で1番の千鶴が、真っ先に解釈を告げてきた。
 しかし、その額には汗が浮かんでおり、武の要求を如何に達成困難なものだと考えているかを如実に表していた。
 そんな様子に、武は軽く笑うと、千鶴の言葉を訂正する。

「いや、必ずしもそうじゃないんだよ、委員長。
 個々人の適正に従って、特定の技能を伸ばす事は悪い事じゃない。
 ただ、それ以外何も出来ないようじゃ困るってだけだよ。
 万能なんてまず無理だろうから、特化型でも、バランス型でも構わないけど、裾野は広く構えてもらって、いざという時に最低限一通りこなせるように努力して欲しいってとこかな。」

「簡単に言うね……」
「うむ。彩峰の言うとおり、そう簡単に成し得る事ではないが、タケルは心構えとして目指すべき理想について述べておるのではないか?」
「そっかー。タケルは幅広い技能を習得する事で、致命的な隙を減らせって言いたいんだね。」
「え? え~と……つまり、狙撃にばっかりかまけて、接近されたら手も足も出ないようじゃ駄目だって事ですか?」

 武の補足説明を受けて、彩峰、冥夜、美琴、壬姫が自分なりの意見を述べる。
 彩峰はニヤリと挑発的な笑みを浮かべて、武の提示した難問に挑む意思を示し、冥夜も幾度も頷きながら、高い目標を掲げる事に異論はない様子であった。
 美琴は、ポンと右拳を左の掌に打ち付けて一人納得し、壬姫も武を上目遣いで見つつ、自分なりの解釈をおずおずと提示した。

「まあ、たまの言ってるのも間違いじゃないけど、要するに、専門馬鹿にはなるなってことだな。
 あまり専門にばかり偏ると、能力を発揮できない場面で潰しが効かないからさ。
 尤も、長所を伸ばすのも大事だぞ。それも強力な武器になるからな。」

「う~ん、難しいですね~。」

 武の言葉に首を捻って思い悩む壬姫。
 そんな壬姫に武は更に言葉を足す。

「そうだなあ。この間の総戦技演習でもさ、たまは狙撃特性を生かせる場面では圧倒的な活躍を見せたよな?
 けど、それ以外の場面でも、もう少し色々な事が出来れば、もっと隊に貢献できると思わないか?」

「あ! そういう事ですか…………解かりました、たけるさん!
 ミキは狙撃以外も、今まで以上に頑張って努力します!!」

 壬姫は総戦技演習で、自分が皆の足手纏いになったかのように感じた事を思い出した。
 あの時武は、自分を卑下して否定する事は無いと励ましてくれたが、だからと言ってそれは欠点を克服する努力をしなくて良いという事ではないのだと、壬姫は改めて納得した。
 そして、やる気を出し、両手を拳に握って胸の前に揃え、奮起する壬姫に武の意外な言葉が投げかけられる。

「よし、やる気になった所で、たまにちょっと頼みがある。
 特殊任務絡みで、たまと打ち合わせしておきたい事があるんだけど、夕食の後で時間を貰えないか?」

「え? と、特殊任務? わ、わたしにですか?
 ―――じゃ、じゃあ、夕飯の後でわたしの部屋に来てもらってもいいですか?
 ちょうど、たけるさんに見てもらいたいものがあるんです!」

 特殊任務と聞いて、緊張した壬姫の脳裏に、ふととある事柄が浮かび上がる。
 そこで、唐突だとは思ったものの、壬姫が自室での打ち合わせを提案すると、武は二つ返事で同意した。

「そっか、たまの部屋だな。じゃあ、夕食後にちょっとお邪魔させてもらうぞ。」

 武の了承に、なんとなく頬を上気させた壬姫だったが、そこに美琴の声が割って入る。
 武が右脇を見やると、上目遣いで瞳を潤ませた美琴が、隣の席に座っている武をじぃっと見上げていた。

「いいなあ、壬姫さん。―――ううん、壬姫さんだけじゃないよ。
 千鶴さんも慧さんも前に自分の部屋でタケルと二人っきりで過ごしてるじゃない。
 冥夜さんだって、昨日待機室で二人っきりで話してたし……
 ボクだけ、全っ然そんな事ないよね! ねえ、タケルぅ。もしかして、ボクの事嫌いなの?
 酷いよタケル! 二人で数々の冒険を繰り広げて培った絆は、一体どこにやっちゃったのさっ!」
「「「 ………… 」」」
「いや、ちょっと待て美琴。おまえと出会ってからこっち、おまえはこの基地から一歩も外に出てないだろ?!
 その冒険ってのは、一体全体何の話だ?」
「鎧衣の妄想……気にしたら負けるよ?……」

 美琴の言葉に、恥じらい半分呆れ半分で言葉の出ない壬姫、千鶴、冥夜の3人。
 武も美琴の語る内容に、身に覚えのない事柄が含まれていた為、つい突っ込みを入れてしまうが、そんな武に美琴の言動に全く動じていない彩峰から、身も蓋もない助言が投げかけられた。
 その助言に一理あると認めた武は、即座に避退行動を試みる。

「あ、悪い……ちょっと飲み物買ってくる。」

 唐突な発言に、皆が呆気に取られている内に、武はそそくさと席を立って配膳口の方へと足早に歩いていく。
 そして配膳口の前あたりで、武は恐る恐る背後を振り返ってみたが、皆はなにやら別の話で盛り上がっているようで、幸い誰も武の方は見ていなかった。
 と、そんな武に背後からいきなり声が投げかけられる。

「おい、そこの訓練兵。」
「あんたらの隊はあそこに居るので全部だよね?」

(な?! この展開は、『武御雷』の搬入で冥夜に絡んできた衛士共か?
 嘘だろ? 今回はちゃんと手を打って、工作員に圧力かけてあるんだぞ?!)

 武は内心動揺する。
 『前の世界群』の経験から、冥夜に不愉快な思いをさせない為に、衛士を唆して207Bに探りを入れようとした、整備兵として潜入している工作員に、武は事前に対策を講じていた。
 憲兵隊にも工作員が潜入している事を承知の上で、基地憲兵隊に下っ端工作員のリストを流し、監視態勢を強化するように手配したのだ、
 当然、監視態勢が強化される前に、憲兵隊に潜む工作員からリストに挙がった工作員達へと警告がなされたが、憲兵隊上層部に別途それら憲兵隊内部の工作員のリストも流してあった為、逆に工作員である証拠を憲兵隊上層部が押さえる結果となった。

 現在、夕呼を通して憲兵隊上層部には工作員と判明した基地要員達を、拘束せずに泳がせておくように厳命を下してもらってある。
 とは言え、監視態勢の強化は既に『武御雷』の搬入前に成されており、整備兵の工作員が動く筈が無いと武は判断していた。
 にも拘らず、『武御雷』が搬入された翌日に、訳ありとされ、他の基地要員から忌避されていると言っても過言ではない207Bに接触を図る者が存在する。
 その事実に、細心の注意を払って進めてきた横浜基地内の防諜計画に、遺漏があった可能性を武は検討せざるを得なかった。

 いずれにしても、ここは現状を把握しなければならないと武は思い定め、声の主達に向き直り直立不動で敬礼する。

「はっ、中尉殿! 私と、あちらの席に居る5名で衛士訓練学校第207訓練小隊所属の訓練兵は全てであります!」

 武は相手の階級章に素早く視線を走らせて、女性衛士の問いかけに応えた。
 そして、眼前に立つ4人の衛士達の顔を見るなり、一瞬呆気に取られてしまう。

(え? この人達って、2回目の再構成から派生した確率分岐世界群で、XM3トライアルの仮想敵部隊(アグレッサー)をやってたエース達じゃないか……
 冥夜に絡んだ衛士達じゃないってことは……『武御雷』とは関係ないのか?
 じゃあ、一体全体、何の用があるって言うんだよ……)

「ちょっと聞きたいんだけど、午前にカタパルトの上で、でかぶつぶっ放してたのって、あんたのお仲間じゃないの?」
「そうだそうだ、初心(うぶ)な坊ちゃん嬢ちゃんがぶっ放すにゃ、ありゃあちょっとでか過ぎんじゃねえか?
 でかすぎて壊れちまっても知らねえぞ? ぎゃははははは!」
「うっさいね! 黙んないとあんたのその下品な口を、塞いじまうよ!?」
「実はな、たまたまオレ達が居た演習場から、カタパルトの上が覗けてな。
 望遠で覗いてみたら、あのどでかい大砲をぶっ放してる戦術機がタイプ97フブキだったんで驚いたぜ!」

 敬礼した武に、おざなりな答礼を返しながら、ヘアバンドをした女性衛士が問いかけた。
 そこへ、ドレッドヘアの男性衛士が茶々を入れ、それを透かさず小柄なアジア系女性衛士が毒舌と肘鉄で黙らせ、最後に逞しい体躯で金髪を短く刈り揃えた男性衛士が説明を加えた。

 その後も、脇道に逸れ、下品なジョークと毒舌を挿みながらも古参衛士達4人は交互に事情を説明していく。
 それによると、先日の総戦技演習の映像を見て以来207Bに興味が湧いていた所に、今朝のOTHキャノンの試射まで訓練兵がやっていたと知った為、件(くだん)の訓練兵をその目で確かめる為にわざわざこのPXまで足を運んだとの事だった。

 念の為、武はリーディング機能を起動して4人に探りを入れてみたが、本当に興味本位で来ただけで悪意も打算も無いと解かった為、4人に請われるままに支障の無い範囲で質問に答えていく。
 幸い、古参衛士達は武1人を問い詰めるだけで満足し、207Bの5人も、武が特殊任務絡みの知り合いと話しているのだと思って放っておいてくれたので、十分程の質疑応答だけで武は解放された。

 古参衛士達の質問は、いっそ無邪気と言ってしまってもいいほどに興味本位な物だったので、武は却って拍子抜けしてしまった。
 しかし、古参衛士達の興味の根底には、自分達の技量向上に対する意欲や、戦場で生き延びる為の飽くなき意志が感じ取れた為、口々に礼らしき言葉や励ましを述べて立ち去ろうとする彼等を、武は呼び止めずには居られなかった。

「お待ちください、中尉殿。
 ―――私たちが学んでいる新戦術は、近い将来に公開され、人類に新たな力をもたらすと聞かされております。
 僭越ながら、今しばらくのご辛抱ではないかと愚行いたします!」

 武のその言葉に、楽しげな笑みを浮かべた古参衛士達は、武を撫でたり叩いたりして親しみを示すと、そのまま連れだって立ち去って行った……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 18時35分、B4フロアの壬姫の部屋を訪ねた武を、少し浮かれた感じの壬姫が出迎えていた。

「いらっしゃい、たけるさん! わざわざ来てもらってごめんなさい。
 けど、たけるさんに見てもらいたい物があったから……」

 開いた自室のドアを押さえながら、壬姫は上気させた顔に満面の笑みを浮かべて、武を迎え入れる。
 壬姫の様子にちょっと気押されながらも、武は素直に壬姫の部屋へと足を踏み入れた。
 室内の中央やや左よりには、ベッドに向かい合うようにして椅子が置かれており、ベッドの奥側―――机と壁に挟まれた間には、きちんと畳まれた掛け布団と枕が重ねて置かれていた。
 207B所属の訓練兵に与えられている士官用個室は、間取りも備品も同じである。
 その為、個々の部屋で異なるのは私物位のものなのだが……

(たまの部屋って言えば、セントポーリアの鉢植えだよな。
 たしか、ベッド脇の机の上に……)

 武は椅子に向って歩きながら、室内をさりげなく見回して、小柄な植木鉢を探す。
 過去に幾度か見た記憶と同じく、机の左隅―――卓上ライトの下にその植木鉢はあった。

「あっ……たま! あれ―――」

 目にしたものに驚いた武が背後の壬姫を振り向くと、壬姫は嬉しそうに笑うと、顔の横に右手の人差し指を立てて少し自慢げに話し出した。

「えへへ……おどろいた? たけるさん。
 今朝、ようやく咲いたんですよ~。セントポーリアっていうお花なんです。
 パパに種をもらって、もう半年以上育ててたけど、花を咲かせたのは今日が初めてなんです!
 ここは地下だし、途中で病気になったりしてねー、ほんとは最近は少し諦めちゃってた……
 でも、たけるさんに頑張り続ける事の大切さを教わって、それから今まで以上に頑張って面倒見たら、やっと咲いてくれたんだよ。
 ―――だから、真っ先にたけるさんに見て欲しかったの!……教官には、点呼の時に見られちゃったかもしれないけど……」

 そう言って、少ししょんぼりする壬姫だったが、武の声に頭を上げる。

「凄いじゃないか、たま! この横浜基地は、米軍が投下したG弾の影響で、植生が回復しないって言われてるんだぞ?!
 なのに、たまはこうやってちゃんと花を咲かせたんだ。
 一生懸命、面倒見たからだと思うぞ! 本当に凄いよ!!」

 机の上の植木鉢では、薄紫色の小さな花が、幾つも寄り添うようにして花を咲かせていた。
 それを見て手放しで誉めちぎる武に、壬姫は照れくさそうな笑みを浮かべて応える。

「えへへ……そ、そうかな……
 あ、でも、半分はたけるさんのお陰です。たけるさん、ありがとう!
 ミキが見せたかったのは、このセントポーリアだったんだ~。
 だから、後はたけるさんのお話だね。」

 机に歩み寄ってセントポーリアの花を間近で見ていた武は、壬姫の言葉に上体を起こして振り返った。

「あ、そうだったな。―――じゃあ、座って話そう。
 ………………ん~、何処から話すかな……やっぱり本題からか。
 実は、たまにHSSTを、極超長距離狙撃で迎撃して欲しいんだ。」

「え?!………………」

 武の言葉に、満面に浮かべた笑みを引き攣らせ、壬姫は硬直した……



 壬姫が驚愕からパニックへと転がり落ちない内に、武は手早く事情を説明していく。
 昨日までの訓練記録から、壬姫の狙撃特性が驚異的な数値を示しており、少なくとも極東では比肩する技量の衛士が居ない事。
 それを踏まえて行われた今朝の1200mmOTHキャノンの試射でも、その狙撃特性の高さは実証された事。
 OTHキャノンの試射自体が、極超長距離狙撃でHSSTの迎撃が可能か否かを検証する為のものであった事。
 ―――そして、狙撃対象のHSSTは、横浜基地で進められている極秘計画の反対派が、横浜基地を訪問する珠瀬玄丞斎国連事務次長諸共、横浜基地を壊滅させようとして放ってくる物である事。

「えええ? 極秘計画? パパ? 特攻?!」

 混乱し、目をぐるぐるさせながらも、何とか武の言葉を理解しようとして、壬姫は気になる言葉をオウム返しに口にしていた。
 そして壬姫は、自分が口にした言葉に衝撃を受けて、一気に正気に戻る。

「パパ?! た、たけるさん、パパがこの基地に来るの?!」

 ベッドに腰掛けて武と向かい合わせになっていた壬姫は、飛び跳ねるように立ち上がると、胸元に両拳を引き寄せて不安げに武に訊ねた。
 武はそれに真剣な表情で頷きを返す。

「ああ。珠瀬国連事務次官は、横浜基地の視察に来る予定になっている。
 そして、それを狙って爆薬満載のHSSTを、地球周回軌道上から再突入させて、最終的にはフルブーストでこの基地に突入させようとする企みがある事が発覚したんだ。
 このまま放置すれば、この基地は壊滅し、基地要員1万人以上が死亡する事になる。」

 武の話に、壬姫は真っ青な顔で、必死に頭を捻って解決策を探しだす。

「えと……えと……あ! じゃ、じゃあ、そのHSSTを降下前に阻止すれば!」

 やっと見つけた打開策を、壬姫は武にぶつけたが、武は首を静かに横に振る。

「阻止は可能だけど、出来る事ならしたくないんだ。
 じゃあ、次はその辺の事情を説明するぞ―――」

 半分涙目になっている壬姫に、武は懇々と諭すように説明していく。
 相手が企みで使用しようとしているHSSTは特定済みで、止めようと思えば不可能ではない事。
 しかし、問題のHSSTは北米総司令部の所属であり、その飛行を差し止めるには国連GHQを通じて要請を出すしかない事。
 その要請を出すには、こちらの諜報機関が入手した情報を提示するしか無く、飛行差し止めと引き換えにこちらの諜報能力を暴露してしまう結果になる事。
 今回の企みは、国連上層部に存在する反対派によるもと考えられており、飛行差し止めの要請を行った場合、国連GHQで判断が下される間に証拠隠滅を図られてしまう可能性が高い事。
 そして、そうなった場合、今後も手を変え品を変え同様の妨害工作を行ってくる可能性が高い事などを、武は語った。

 それでも壬姫は危険を回避できるなら、止むを得ないのではないかと思ったが、壬姫が口を挿む間も無く武は続けて語りだす。
 次に武が語ったのは、HSSTの飛行を差し止めず、迎撃を行った場合のリスクとメリットについてであった。

 HSSTの飛行を差し止めない場合、こちらの諜報機関は、相手側の工作員の活動を漏れなく追跡し記録する事が可能である事。
 未遂ではなく、実際に破壊活動を行ったという事実が残り、相手側の責任を追及しやすくなる事。
 HSST迎撃に成功した場合、横浜基地の危機対応能力の高さを知らしめる事ができ、今後の同様の妨害工作を抑止できる事。
 今回の場合、1200mmOTHキャノンと狙撃特性に優れる壬姫の存在によって、迎撃に成功する可能性が高い事。
 リスクとしては、横浜基地が壊滅し要員1万人以上が死傷する可能性がある事。
 そして、横浜基地への直撃を避けられた場合でも、帝国本土に本体または破片が落下することで、帝国に物的人的被害が生じる可能性がある事。

 2つのリスクについて述べた所で、武は僅かに眉を寄せた。
 それは、武が自身の感情を抑えつけた為に表れたものだったが、情報の大河に押し流されかけていた壬姫には気付く事は出来なかった。

「ようするに、今後の損得を考えて、基地要員と帝国国民の人命を危険に曝すって事になるな。
 一応、たまの狙撃に頼らなくても、気化弾頭を連射すればなんとか横浜基地直撃は回避できる。
 けど、それだと帝国本土への落下までは阻止し切れない。
 さすがにその条件だとオレも実行を躊躇っちまうんだけど……それでも後々の事を考えれば、今回は迎撃を試みた方が得―――いや、試みるべきなんだと思う。
 ところが、香月副司令の所の高性能コンピューターでシミュレートしたら、たまの能力なら9割以上の確率で、破片の本土落下すら回避可能だって結果が出たんだ。
 他の衛士じゃ、良くて4割程度でしか、破片の本土落下は避けられそうにない。
 だから、頼むよたま! 責任重大になっちまうけど、狙撃を引き受けてくれ!!」

 両手を膝に付いて肘を曲げ、武は壬姫に向かって深々と頭を下げて頼み込む。
 壬姫は慌てて武に頭を上げさせようとしながら、懸命に武の意図を理解しようとしていた。

(はわわわわ……た、たけるさんがミキに頭を下げるだなんて……
 命令すれば、ミキには選択の余地なんて無いのに、どうしてこんな事を………………
 も、もしかして、たけるさんはミキに無理やり責任を押し付けないために?
 う、うれしいけど、でもこんなのミキこまっちゃいますよぉ~っ!!
 …………でも、どうしよう……こんな重大な役目、ミキなんかでいいのかなぁ?
 あ、駄目! 今の無しです!!
 ミキ『なんか』じゃなくて、ミキの今までの頑張りが評価されたからこそ、たけるさんが頭を下げてまで頼んでるんだ……
 今のミキだからこそ、たけるさんはそうやって頼んでくれてるんだよね?
 ミキなら出来るって、それだけの評価をしてくれてるんだよね?
 ……だったら、ミキは頑張ってみます! 本当は失敗した時の事を考えるととっても怖いけど……
 たけるさんの期待に、絶対、応えて見せるから……)

 壬姫は心中で、一人覚悟を決めた。
 そして、ようやく顔を上げた武に、壬姫は決意を顕わにした瞳で口を開く。

「わかったよ、たけるさん。ミキが……ううん、ミキにやらせてくださいッ!」

「たま?………………ありがとう、たま!」

 壬姫の返事を聞いた武は、頭を上げさせようと自分へと差し伸べられていた壬姫の両手をしっかりと掴み、壬姫の瞳を真っ直ぐに見つめて感謝の言葉を告げる。
 間近から真摯な視線を注がれ、両手を握り締められている為に逃げる事も出来ない壬姫が、顔を真っ赤にして目を回すのは、ほんの数秒後の事であった……



 その後、壬姫が回復するのを待って武はそれとなく話を振り、壬姫が珠瀬国連事務次官宛ての手紙に書いたあれこれを聞き出した。
 その上で武は、珠瀬国連事務次官に事前に訂正しておいた方が良いとか、207Bの皆には自分の口で謝罪しておいた方がいいとか、自分自身の事はくれぐれも控えめに、極力触れないでおいてくれとか、壬姫に色々と吹き込む。
 武の言葉を助言と受け取り、真剣な表情で何度も頷きながら聞き入れた壬姫は、早速武の端末を借りて父親宛ての電子メールを送信し、207Bの仲間達にもその日の内に謝罪すると武に語った。
 しかし、武に関する話は既に前回の手紙に大量に書いてしまった後だと壬姫から知らされ、武は蒼白になって支配的因果律を打ち破る為の対策を練るのであった。

 珠瀬国連事務次官の来訪は、この時より2日後となる11月08日。
 武にとっても息を継ぐ間すらないような、激動の日々が眼前に迫っていた。




[3277] 第97話 当方に迎撃の用意あり!
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2009/11/03 17:27

第97話 当方に迎撃の用意あり!

2001年11月06日(火)

 21時29分、程良く汚れ、くたびれたような印象が演出された大衆車の中で、武は助手席におさまっていた。

 街灯の明かり1つない暗闇の中、廃墟の中をライトだけを頼りに、土埃を巻き上げて車は走る。
 しかし、ハンドルを握る鎧衣課長の運転は確かなものであり、軍用車両以外は行き交う事も無い道であるにも係らず、慣れている様子が窺えた。

「―――それじゃあ、今晩の予定はそういう事でお願いします。」

 この後の予定を確認し終えるなり、武は助手席のシートをリクライニングさせようとした。
 が、それを横目で見た鎧衣課長は、眉を跳ね上げて口を開く。

「シロガネタケル。ドライブの最中に、助手席で寝入ってしまうのは、マナー違反だと教えた筈だが忘れてしまったのかね?
 目を瞑っていてもかまわないから、せめて話し相手くらいは努めてもらいたいものだな。」

 鎧衣課長の言葉に、武は眼を閉じたまま薄っすらと笑って応える。

「話し相手ですか? 聞き手じゃなくて? 鎧衣課長の蘊蓄を聞かされるだけでは、話し相手とは言えないんじゃないですかね?
 それとも、逆にオレが蘊蓄を披露しましょうか?
 兵器関連の技術や運用方法、開発時の苦労話あたりなら、結構語れる自信がありますよ?」

「君は無粋な男だな、シロガネタケル。知識と言うものは知ってさえいればいいというものではないのだよ。
 その知識を如何に活用するかが問題なのであり、実務的な方面のみならず、思考遊戯として知識を弄ぶ事こそが至高の形なのだ。
 この愉しみが理解できないとは、まだまだだな、シロガネタケル。」

 目を半眼にして眉を垂らし、さも嘆かわしいといった風に嘆いて見せる鎧衣課長に、武は口元の笑みを苦笑に変えて応えた。

「まあ、オレはまだまだ若造ですからね。
 やらなきゃいけない事、やりたい事をこなすだけで精一杯ですよ。
 てことで、差し当たってオレが首を突っ込んでいる件に関連した話なら、会話に応じてもいいですよ?」

 武の応えに、鎧衣課長はやれやれと首を横に振ったが、パナマ帽を左手で被り直すと、それでも口を開いた。

「なんとも潤いの無い事だな、シロガネタケル。どうせ情報を得るだけならば、会話などという手法は効率が悪いとでも思っているのだろう。」

「会話を否定している訳じゃありません。会話というコミュニケーションには様々な付帯情報が含まれていて、情報の伝達以外にも様々な影響を相互に及ぼしますからね。
 それは解かってるんですけど、鎧衣課長の蘊蓄を聞いたところで、情報の伝達以外に得られる物が想像できないだけですよ。
 それよりも、只の情報だけでは知る事の出来ない、諜報活動の専門家としての知見の一端でも明かしていただけると、オレとしてはありがたいんですけどね。」

 鎧衣課長との会話に応じながらも、蘊蓄に限っては聞く耳持たないと繰り返し強調する武。
 しかも、ずうずうしい事に、諜報員としての心得を教授しろと言いだした武に、鎧衣課長は鋭利な刃物のような鋭い眼光を瞳に宿して窘める。

「ずいぶんと厚かましい男だな、シロガネタケル。そんなに簡単に、専門家の知見を聞きだせるとは思わない事だ。
 それに、私の授業料は高くつくぞ? シロガネタケル。」

 切り付けるように放たれた鎧衣課長の言葉に、武は返す言葉を無くしたのか沈黙する。
 そんな武を一瞥もせずに、鎧衣課長はそのまま言葉を続けた。

「情報を得るに当たって、対価が生じるのは当然の事だ。
 それは金銭であり、物品であり、情報の交換や、待遇、生物―――殊に人間が対価となる事が多い。
 諜報の世界に於いて、人間とは普遍的な資源であり、概ねその平均的な価値は低い。
 故に、如何に人間という資源を有効に活用し、効率よく工作を成功させるかが重要となる。
 個人の生命も尊厳も、重視される事は無く、目的達成のためにはありとあらゆる行為が正当化される。
 それを躊躇う者に、諜報畑を歩く資質など無い。」

 些か唐突に語られた鎧衣課長の言葉は、前言に反して諜報活動に関する教えであった。
 しかも、端的に語られたその言葉は、鎧衣課長の常とする冗長な言葉遣いですらない。
 そこにどのような意味を見出したのか、武は自嘲するかのような笑みを浮かべて口を開く。

「軍でも似たようなもんですけどね。
 どちらも目的達成が至上とされ、支払われるコストは評価の材料にしかならない。
 大丈夫ですよ、鎧衣課長。犠牲を忌避する心算はありません。
 ですが、犠牲を最小限にする事でさらなる利益が得られるのであれば、例えその利益が僅かであっても、得る価値があると思っているだけです。
 今日だって、本当はオレ一人で行動できれば良かったんですけど、課長の部下の方の監視もありますし、例え味方であってもオレの情報を漏らす訳にもいきませんからね。
 課長の時間は貴重でしょうけど、殿下に僅かでも瑕疵を残さない為にも、ここはやっておくべきでしょう。
 大丈夫ですよ。無理を言う心算はありませんから。
 幸い、今回は対処する必要がある案件は帝都周辺だけで済みました。今晩一晩で対処できるでしょう。
 米国の方は、現地の協力者に無理の無い範囲で善処して貰えれば十分です。」

 武は鎧衣課長の問い掛けですらない言葉に、謎かけの様な言葉を返す。
 しかし、鎧衣課長にとっては、それで意味が通じたらしく、僅かに顎を引いた。

「ならば、いいだろう。
 米国の方も、拉致された者の殆どは命を失わずに済む見込みだ。
 普段なら、そこまで面倒は見切れないのだが、今回は君のお陰でより効率化が図れたからよしとしよう。
 それにしても、香月博士も恐ろしいモノを世に送り出してくれたものだよ。
 知らずに敵に回した者達には、些か同情の念を禁じ得ないな。
 ―――では、次は如何にして敵対勢力から協力を引き出すかだが……」

 その後も、鎧衣課長の講釈は続き、武と鎧衣課長を乗せた車は、夜を徹して帝都の周辺部を踏破する事となった。
 湾岸部の倉庫街、帝都近郊の山林、BETA日本侵攻当時の多摩川絶対防衛線陣地跡、そして、帝都内の繁華街。
 それら複数の目的地に着く毎に、武は車を降りて姿を消し、僅かな時間を置いて再び車上の人となると、次の目的地へと移動する事を繰り返した。

 それら全ての場所が、鎧衣課長の部下によって監視されている今回のクーデターに関連した工作員や協力者の拠点であり、そこにはクーデターをコントロールする為の脅迫材料として、拉致された人々が監禁されていた。
 武はそれらの場所を1ヶ所ずつ丹念に回り、00ユニットとしての機能をフル活用して、秘密裏にとある工作を行っていく。

 監視装置を非接触接続による遠隔制御で欺瞞し、見張りの存在をリーディング機能で察知した上で、プロジェクション機能も併用して気付かれる事無く潜入を果たす。
 その後は壁越しにプロジェクション機能を使用した催眠誘導を行い、拉致された人々の心理的圧迫を軽減する為の暗示をかけると同時に、それらの人々が過度に虐げられる事の無いように、監禁している側の人間にも暗示を仕掛けていく。
 さらに、その場に居合わせなかった者に対しても、ある程度の抑制を働きかけるように暗示をかけると、武は拉致された人々の無事を願ってその場から人知れず離脱するのであった。

 本音を言えば、武はそれらの人々を即座に救い出したかった。
 しかし、クーデターに関与している工作員を一網打尽にし、後顧の憂いを無くす為には、この時点で手出しをして警戒させる事は出来ない。
 無論、クーデターを未然に防ぐ際には、これらの拠点も速やかに制圧し拉致された人々を救出する手筈になっている。
 それでも、それまでの時間で、取り返しのつかない被害を受ける人が出るかもしれない。
 それを極力避ける為に、武は時間を割き、自身が00ユニットである事を知る鎧衣課長のみを伴って、夜の帝都とその周辺を駆け巡る事にしたのだった。

 表向き、殿下の主導で行われるクーデター阻止に於いて、犠牲となる者を減らすという名目を掲げてはいる。
 実際にそれは真実であり、十分な理由でもあるが、結局は救える者を見捨てたくないという、自分の甘さに起因する行動であると武は自覚していた。
 この時点では、米国に於けるHSST突入に至る敵対勢力の工作も、武は監視に留めて一切の干渉を禁じている。
 その結果として、武の手の届かない所で犠牲になる罪の無い人々が居る事も承知した上で、武はそれらの計画を立案していた。

 武は、それらの判断を下した自分を、傲慢であり冷徹だと感じ、嫌悪感を覚えてしまう。
 しかし、同時にそれらの判断が誤ってはいないとも思う。
 それは、武が現在成し得る上で、最もより良い未来に繋がる行いであると信じているからだ。
 『自らの手を汚すことを、厭うてはならないのです。』
 武は、自分と同い年でありながら一国を背負う運命を受け入れ、己を厳しく律している煌武院悠陽という一人の少女から受けた教えを胸に、自らの心の折り合いを付けようと苦心していた……

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月08日(木)

 13時44分、1階のPXにまりもが姿を現し、全員揃って会話を交わしている207Bの姿を認めて声をかけた。

「榊訓練兵。」

「はい! ここにいます!」

 その声に、PXの入口に対して背を向けて腰かけ、仲間達と談笑していた千鶴が、声を張り上げて応じながら、素早く立ち上がって敬礼した。
 他の5人も千鶴に続いて立ち上がって敬礼し、それを確認した後に答礼したまりもは要件を告げる。

「そろそろ事務次官を乗せた駆逐艦が到着する時間だ。
 私と一緒に来い。
 ―――貴様達は待機だ。
 珠瀬。現時点より、事務次官が当基地を離れられるまで、榊に代わり、分隊長代理を命じる。
 事務次官がお見えになるまでに、少しはそれらしい態度が出来るようになっておけよ?
 以上だ! 榊、行くぞ。」

「「「「「「 はい! 」」」」」」

 一同は敬礼を交わし、まりもと千鶴はPXを足早に立ち去っていった。
 PXに残った5人は、窓際に歩み寄って空を見上げながら言葉を交わす。

「さてどうする?」「そうだなあ……ここは珠瀬分隊長に決めてもらうべきだな。」「分隊長、指示を」「え゛っ!? え゛え゛っ!?」「あはは。そんなんじゃあ、いざという時に困るよ?」「えええええ~っ!?」

 口々に発する言葉は、父親である珠瀬国連事務次官に対する案内役として、分隊長代理に任命された壬姫をからかう物であり、壬姫は顔を真っ赤にして他の4人の動揺しまくり、良い様に玩具にされていた。
 そうこうする内に上空からHSST(再突入型駆逐艦)が降下して来ると、緊張が増した壬姫は更に言動が怪しくなっていく。
 少し落ち着かせようかとも考えた武だったが、珠瀬国連事務次官の来訪まで未だ1時間以上あった為、壬姫以外の仲間達から暇潰しの材料を奪うのは止めておいた。

 その代わりに、壬姫弄りは皆の会話に合わせて口を挿む程度に留め、データリンクに非接触接続して、鎧衣課長から送られてくる米国に於ける工作の経過報告を読む事にする。
 今に先立つ12時04分、米国エドワーズ空軍基地より、1機のHSSTが打ち上げられた。
 このHSSTこそが、国連上層部に存在する、バーナード星系への移民を推進する一派の企みにより、爆薬満載で横浜基地へと突入するように仕掛けがなされたHSST『バートン』であった。

 HSSTの周回軌道投入完了を待って、鎧衣課長は打ち合わせ通り米国に確保している協力者達に行動開始を指示。
 これまでの監視や追跡等の受動的行動から一変して、相手側の工作員の身柄拘束、拉致監禁されていた人質の身柄確保、様々な証拠や証言の取得、拘束した工作員の尋問などを手際よく進めていた。
 さすがに鎧衣課長が手配しただけあり、その行動は水際立って優れたものであったが、相手側が作戦中止を判断する余地が無くなる時点まで行動を開始しなかった為、やはり幾つかのケースでは相手側の証拠隠滅を阻止できなかった。
 その結果、脅迫されて協力させられた人物や、脅迫材料とされた人質の中に死傷者が少なからず出てしまっていた。

 尤もこれらの被害者が発生する事は、作戦を立案した時点で見込まれており、武も既に覚悟を決めていた事だ。
 ―――いや、武自身は覚悟していた心算だったのだが、実際にその結果を前にして、動揺を完全に抑え込む事が出来ず、武は暗鬱とした心情を表に出さないようにするのがやっとであった。
 鎧衣課長などは、恐らく眉一つ動かさず、心に漣(さざなみ)一つ立てずにやり過ごせるのだろうかと考えた瞬間、武の脳裏に先日鎧衣課長と交わした会話が浮かび上がる。

「いやいや、米国の諜報機関相手の場合は、これほど簡単にはいかないものだが、今回は相手側も外様だからね。
 尤も、向こうは根回しをした結果、黙認を取り付けている分だけ割と自由に動けるようだ。
 こちらはそれなりの苦労を強いられる訳だが、まあ、ここは手応えがある分、遣り甲斐があるとでも言っておこうか。」

 そう言って笑った鎧衣課長は心底楽しげだった……と、回想に耽りかけた武は、脳裏に浮かぶ鎧衣課長の姿を振り払った。
 未だに作戦は完了してはおらず、ここから先の仕上げには、武も深く係る事になっている。
 武は、現実逃避も後悔も、少なくとも今の自分に許す気は無いのだった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 15時09分、B4フロア訓練施設エリアの外れに位置するゲートが開き、珠瀬国連事務次官が案内の士官に伴われて姿を現した。

 出迎えたのは、まりも、霞、壬姫と、壬姫の付き添い役である武の4名であった。
 まりもによって、案内役として壬姫が紹介され、シミュレーターデッキなど訓練施設の視察が開始される。
 まりもは視察には同行せずにゲートで一行を見送り、武は壬姫のフォローと設備の説明を担当した。
 霞は、本来は技術的な質問に答える役割を表向き担っていたのだが、本来は衛士訓練学校自体がオルタネイティヴ4の直轄であると言う事を明示する為に同行しているに過ぎない。
 その為、今回は武に説明役をほぼ一任しており、黙って同行するに留まっていた。

 尤も、視察を行っている筈の珠瀬国連事務次官が注目しているのは愛娘であり、会話も質疑応答では無く娘との交流が殆どであった。
 その為、珠瀬国連事務次官の親馬鹿振りに、少なからぬ精神的疲労を感じたものの、既に幾度も経験した事でもあり、データリンクからもたらされる最新情報に気を配る余裕が、武には残されていた。

 そして、視察の最中に、武の待ち望んだ報告が横浜基地にもたらされる。
 それは、日本帝国航空宇宙軍所属の再突入型駆逐艦『夕凪』が、航法システム等の異常により暴走したHSST『バートン』から脱出した、乗員達を救助したとの報告であった。

(よし! さすが鷹嘴さん―――いや、一文字艦長だな。
 これで、乗員の身柄も確保できたぞ。)

 駆逐艦『夕凪』は、日本帝国への帰還する途上にあったが、15時04分に突如通信途絶した『バートン』と軌道要素が近かった為、『バートン』を追尾する軌道に遷移した。
 そして、『バートン』の再突入を阻止する事は出来なかったものの、制御を離れて暴走した『バートン』から、命辛々脱出した乗員達を回収する事に成功したのだった。
 乗員を回収した『夕凪』は、予定よりも2周余分に地球を周回しながら軌道を遷移させた後、3時間ほどの遅れが生じるものの、当初の予定通り日本帝国へと帰還する事となった。

 無論、『夕凪』が『バートン』と近似の軌道上に居たのは偶然ではない。
 武の要請で、斯衛軍から帝国宇宙軍に働きかけてもらった結果であった。

 『バートン』の管制システムには出発前に時限プログラムが仕掛けられており、艦内の空調システムにも猛毒が噴出するような仕掛けがなされていた。
 猛毒は再突入の最終シーケンスに入る暫く前に噴出するようになっており、宇宙服の気密閉鎖前に乗員を死亡させるように目論まれていた。
 武は管制システムにハッキングを行い、この毒ガスの噴出直前に空調システムが閉鎖されるようにし、毒ガスが艦内に拡散しないように手を打っていた。
 それ以外にも、隔壁が全て緊急閉鎖されるように仕掛けられたプログラムも解除し、駆逐艦から乗員が容易に脱出できるようにしている。

 その結果として、艦の制御が失われ、司令部との通信すら行えなくなった『バートン』艦長は退艦命令を出すに至り、乗員達は運を天に任せて真空の宇宙へと身を投じたのであった。
 そして、『夕凪』に救助された乗員の中には、家族の身と引き換えに脅迫されて、積み荷が爆薬である事を報告しなかった下士官がいた。
 後に彼は、拉致され無事救出された家族と日本国内で再会し、脅迫に関する供述を行う事となる。

 乗員が無事救助された事で安堵の息を漏らした国連軍GHQの要員達であったが、『バートン』への対策は一向に功を奏さなかった。
 武が珠瀬国連事務次官の視察に同行している今この時も、遠隔操作、自爆コード、ハッキングなど、ありとあらゆる対策が試されているが、武はその全てが失敗すると知っていた。
 このまま事態が『予定通り』に推移すれば、15時40分頃には横浜基地全域に防衛基準態勢2が発令される筈である。
 武は、各方面から入ってくる情報を検証しながら、珠瀬国連事務次官の視察に同行し続けた。

 そして、視察は順調に進み、第207衛士訓練小隊の兵舎である、B4フロアの士官用居住区の視察となる。
 士官用居住区の壬姫の部屋が面している廊下に、武と壬姫を除く207Bの4名が並んで珠瀬国連事務次官を待ち受けていた。
 前日に武と行った予行演習の成果か、壬姫が透かさず発した号令により、207Bは一糸乱れぬ敬礼で事務次官を出迎える事が出来た。
 その後、珠瀬国連事務次官は千鶴、美琴、冥夜、彩峰と、一人ずつ順に言葉をかけていく。
 事前に武がヤキソバを餌に説得しておいた為、彩峰も余分な発言はせず、和やかな空気のままで時間が過ぎて行った。

 そして、人の良さそうな笑顔で鋭い視線を隠しつつ、珠瀬国連事務次官が武へと振り向く。

「……君は……白銀武君だね?
 先程から見ていたが、うむ、なかなかの好青年だ。顔も悪くない、性格も良く、冷静で頼り甲斐があると聞いている。
 おまけに既に実戦を経験した優秀な衛士であり、臨時中尉の戦時階級を持ちながら、正規任官を目指して訓練兵として自己鍛錬に勤しんでいるそうだね。
 今のご時勢で、君ほどの男はそうそう居まい。」

 幾度も頷きながら、目を細めて武を誉めそやす珠瀬国連事務次官。
 しかし、武にとって、その言葉は被告人に死刑を言い渡す裁判官の言葉にも等しかった。
 武にとっての正念場が、今正にやってこようとしていた。

「君ならば……うむ、よかろう。たまをよろしく頼むよ。傍で支えてやって欲しい、今までも、そしてこれからもね。」
「はっ! 光栄であります、珠瀬事務次官殿!!
 非才の身ではありますが、珠瀬訓練兵のみならず、207小隊の仲間達全員の為とあれば、この身を惜しまず成し得る限りの全力を尽くさせていただきます。
 ですから、どうぞご安心ください!」

 武は珠瀬国連事務次官の言葉の切れ目に合わせて、絶妙のタイミングで言葉を挿み込む。
 その言葉に続けようとしていた言葉を阻まれ、珠瀬国連事務次官は僅かに言い淀んだ。
 しかし、珠瀬国連事務次官も、それしきの事で諦めるような人物ではない。
 強引に話を自分のペースへと引き戻そうと試みる。

「む…………そうか。それは実に頼もしい限りだ。
 しかし、小隊の仲間全員かね。私としては、特にたまの事を公私に亘って君に委ねたいと思っているのだが、どうかね?
 いやぁあ! そろそろわしも、孫の顔が見たくてね、ま、ご、の、か、お、が、な! わははははははは……」
「申し訳ありません、事務次官殿!
 私はBETA共をこの地球から駆逐するその日まで、この身を戦いに捧げると固く決意しております!
 それ故、軍人として仲間の為に尽力する事はお約束できますが、私人としてお嬢様をお預かりする事は、何卒ご容赦ください。」

 珠瀬国連事務次官の言葉に、その場を不穏な空気が包みかけたが、即座に告げられた武の言葉で、207B女性陣の心身が一気に引き締まる。
 武の決意表明に浮ついた感情を吹き飛ばされ、各々が心中でBETAと戦い抜く決意を新たにしたのだ。
 珠瀬国連事務次官は、そんな少女らと愛娘の顔を見回すと、一瞬だけ目尻を下げて嘆息すると、自身も表情を引き締めて武の肩に右手を添えて口を開いた。

「そうか。見事な覚悟だな、白銀君。
 そして、たまだけでなく、彼女らもまた、君を高く評価し慕っているようだ。
 君達の様な若人が居る限り、人類の希望が潰える事は無いだろう。
 娘可愛さに、詮無い事を言ってしまったようだ。どうか、忘れてくれたまえ…………今の所は、だがね。」

 武の左肩を、右手でぎりぎりと握り締めながら、珠瀬国連事務次官は穏やかに満面の笑みを浮かべながら言葉を告げ、最後の一言だけを、声を潜めて武にしか聞こえないように囁く。
 自らの思いを笑顔に隠し、互いに刃を突き付けあっても、それを表情には表さない。
 それは正に、国家の行く末を弁舌によって切り開く、海千山千の外交官の姿であった。

(―――たまの親父さん、結構握力強いな。事務方かと思ってたけど、相当鍛えてるみたいだ。
 人は見かけによらないって奴だな……にしても、いくらたまが可愛いからって、もうちょっと自重して欲しいよな、まったく……
 それでも、どうやらこの場は引いてくれるらしい……まずは一安心ってとこか……
 時間も、調度頃合いだしな……)

 そんな珠瀬国連事務次官に、負けじと笑みを浮かべて武が見返した時、第1ラウンド終了を告げる鐘の如くに警報が鳴り響き、横浜基地全域に防衛基準態勢2が発令された。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 15時50分、第2ブリーフィングルームには、夕呼によって呼集された207Bの6名と、まりも、ピアティフ、そして夕呼自身と、ブリーフィングの最中に断りも無く入り込んできた珠瀬国連事務次官の姿があった。

 既に夕呼による状況説明が終わり、HSST『バートン』が暴走し、爆薬満載の上、最大加速で横浜基地へと突撃してこようとしている事が語られていた。
 このような状況が発生すると事前に聞かされていた壬姫も含めて、207Bの女性陣は緊張に蒼褪めた顔色で、夕呼の説明に聞き入っている。
 それを人の悪い笑みを浮かべて見回した後、夕呼は腕組みをしたまま踵を返してプロジェクターに向き直ると、今度は迎撃作戦の説明を開始する。

 先日試射を行った、1200mmOTHキャノンによる、距離500kmの極超長距離狙撃。
 それが、夕呼の語る迎撃作戦の要旨である。

 使用する1200mmOTHキャノンは3門で、OTH01、OTH02、OTH03と呼称。
 内2門はリニアカタパルトの先端に固定した整備デッキに『吹雪』とセットで配備。
 残る1門は整備デッキの側面に固定した、遠隔制御式の砲架で保持して運用する。

 それぞれのOTHキャノンに装填されている弾種は、OTH01が4発全て徹甲弾。
 OTH02は3、4発目が気化弾頭弾で、残り2発が徹甲弾。
 OTH03が4発全て気化弾頭弾となっていた。
 ただし、砲身寿命の関係で、暴発の恐れなしに撃てるのはそれぞれ3発目までである。

 3門共に、初弾で試射を行い弾道測定を行った後、HSST本体の軌道を予測してOTH01、OTH02、OTH01の順で狙撃を3回実施。
 この3射の弾種は徹甲弾となり、砲撃は20秒間隔で行われる為、初弾の弾着確認は第2射の発射後となる。

 この時点でHSST本体に命中弾が得られなかった場合、OTH03、OTH02、OTH03と5秒間隔で気化弾頭弾を連射し、HSSTの予測軌道上に弾幕を張る事でHSSTの軌道を捻じ曲げて横浜基地直撃を回避する。

 最初の3射で命中弾が得られた場合は、HSST残骸の飛散軌道を予測し、帝国本土に被害を与える可能性の高い物を、OTH03とOTH02の気化弾頭弾3発で迎撃し、帝国本土への落下を極力回避する。
 以上が迎撃作戦の概要であった。

「―――って事で珠瀬。どれだけ被害を抑えられるかは、あんたの腕にかかってるって訳よ。
 余程の事でも起きない限り、この基地への直撃は避けられるわ。
 けど、帝国本土の居住地域への落下を阻止するには、あんたの狙撃特性が必要になる。
 どうする? 引き受けるのが嫌なら、運を天に任せて引き籠ってたっていいわよ~?」

 迎撃作戦の説明を終えた夕呼は、壬姫にからかうような笑みと共に作戦参加の意思を問う。
 その視線の先では、俯き加減で口元に右手を当て、一人ブツブツと呟く壬姫の姿があった。
 そんな壬姫の様子に、仲間達が心配そうに声をかける。

「珠瀬……」「珠瀬、そなたなら……」「珠瀬……聞いてる?」「壬姫さん……」

 それらの声を遮るように、武が静かに手を上げる。
 不審げな表情を隠せないままで、それでも千鶴、冥夜、彩峰、美琴の4人は口を噤んで武に注目した。
 武は、その視線に対して、黙って壬姫を指し示す事で応える。

(……うん。大丈夫、きっと出来る。ううん、やってみせます!)

 皆の声も届かないほどに集中していた壬姫は、頭の中で迎撃作戦の内容をイメージし、必ず成功して見せるとの決意を固めた。
 そして、再び集まった皆の視線の先で、壬姫は俯いていた顔を上げると、力強い視線を夕呼に向ける。

「はい! 珠瀬訓練兵、迎撃任務を受諾いたします!
 必ずや、帝国本土への落下を阻止してご覧にいれますッ!!」

「「「「 っ?!! 」」」」

 壬姫の決意の籠った宣言に、目を丸くして驚く4人。
 まりもですら、眉を上げて驚きを顕わにし、珠瀬国連事務次官は娘の様子に何を感じたのか、夕呼と武に鋭い視線を放った。
 それらに対して、夕呼と武は得たりと満足げな笑みを浮かべる。

「……そうか。それだけの決意があるならばいいだろう。
 この基地と、帝国国民の命運を貴様に託す…………
 珠瀬、直ちに迎撃準備にかかれ!」

 驚きを瞬時に押し隠したまりもは、壬姫の前に歩み寄って命令を下す。
 その、激励の意を込めた言葉に、敬礼してまりもを見上げた壬姫は、勢いよく応えた。

「はいっ! 珠瀬訓練兵、直ちに準備にかかりますっ!」

「ちょっと、まりもぉ~。盛り上がってるとこ悪いけど、準備にかかれって……あんた準備の説明してないじゃないの~。
 珠瀬、白銀と2人で、16番ハンガーに行きなさい。
 狙撃用に邪魔な装甲を除装した『吹雪』を2機、補助用の『吹雪』を2機、出撃態勢で待機させてあるわ。
 自分の搭乗する機体以外の移動は、白銀に任せなさい。いいわね?」

 そこへ、夕呼の気の抜けるような言葉が投げかけられ、羞恥に頬を赤く染めたまりもを除き、場の雰囲気は一気に和んだ。
 そして、仲間達に見送られて、壬姫と武は、ブリーフィングルームを駆け出していく。
 HSST迎撃作戦の開始予定時刻まで、既に10分少々の時間しか残されてはいなかった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 16時04分、リニアカタパルトの先端部に固定された整備リフトの上で、武はOTHキャノンやFCSセンサー、砲架等の最終チェックを行っていた。

「よし、たま。最終チェック完了だ。
 F-02(『吹雪』狙撃仕様2号機)の遠隔操縦に問題は無いか?」

「大丈夫です、たけるさん。こちらではなにも問題はありません。」

 武の確認に、落ち着いた様子の壬姫の声が応える。
 第1リニアカタパルトには、壬姫の搭乗したF-01(『吹雪』狙撃仕様1号機)と武の搭乗する『吹雪』、そして伏射姿勢のF-01が構えるOTH01が配備されていた。
 第2リニアカタパルトには、遠隔操縦のF-02と同じく遠隔操縦の『吹雪』、そしてF-01と同じく伏射姿勢のF-02が構えるOTH02、さらには整備リフト側面に遠隔制御の砲架が固定されており、その砲架にはOTH03が設置されていた。

「そっか。じゃあ、試射を済ませておくか。
 こちら20706(白銀)。HQ、これよりOTH01より03の初弾弾道測定を行いたい。許可を求む。」

「こちらHQ、試射の許可を与える。
 20705(珠瀬)は、HQの管制に従って砲撃を実施せよ。
 データリンクによる照準補正開始。ダミーターゲット表示。
 OTH01、初弾装填……OTH02、初弾装填……OTH03、初弾装填……」

 迎撃作戦の管制を担当するピアティフは、武の要請に許可を出し、続けて初弾弾道測定のシーケンスを淀みなく指示していく。
 壬姫も、ピアティフの管制に従って、ほんの僅かな遅滞もなく手順をこなしていった。
 まずは自身が搭乗するF-01を操縦してOTH01の初弾を装填し、続けてF-02を遠隔操縦してOTH02に、最後に砲架を遠隔制御してOTH03に初弾を装填する。

 HSST迎撃作戦のHQとなっている、B19フロアの中央作戦司令室に立つピアティフは、3門のOTHキャノンの全てで初弾が装填されている事を確認すると、ラダビノッド基地司令の隣に立つ夕呼に振り向き、目線だけで許可を求めた。
 夕呼は、ピアティフを見ると、頷き返す事で許可を出す。
 それを確認したピアティフは、壬姫に対して初弾弾道測定の砲撃シークエンスを再開する。

「OTH01、トリガータイミング同調10……9……8…………」

 ピアティフのカウントダウンに合わせて、壬姫はOTHキャノンのトリガーを三度引き、初弾弾道測定を完了させた。
 あとは、HSSTを待つばかりとなり、壬姫は大きく深呼吸をして、緊張を解す。

「珠瀬? 初弾弾道測定の結果、3発ともダミーターゲットに命中したわ。
 一昨日の試射の成果がでてるみたいね。
 訓練校校舎の屋上に、まりもとあんたの仲間達が居るから、本番までおしゃべりでもして待機してなさい。」

「はいっ! ありがとうございます、副司令っ!」

 壬姫は、決して長いとは言えない待機時間を、武やまりもを含む207衛士訓練小隊の面々と会話して過ごした。
 初めての実戦とも言える狙撃を前にして、また、その狙撃の結果如何では少なからぬ人々が命を失いかねないと承知しているにも関わらず、壬姫は穏やかな心境にあった。

(ミキ、どうしちゃったんだろう。
 以前だったら、失敗したらどうしようって、頭の中でグルグル考えて必死に落ち着こうとして、余計にグルグルしちゃってたのに……
 なんだが、今日は凄く落ち着けてる……
 失敗どころか、欠片一つさえ、日本に落としたくない……ううん、落としてたまるかって、そんな気持ちになってる。
 総戦技演習の時は、無我夢中で緊張する余裕も無かったけど、今日みたいに落ち着けてたわけじゃなかったとおもう。
 以前は、期待されるのが辛かった……失敗するのが怖かった……
 だけど、たけるさんに自分の努力を信じる事と、いつ来るか解からない『その時』に備えて努力を欠かさない事を教わって……
 ほんの2週間位だけど、一生懸命頑張ってきた事で、凄く気持を強く持ててる……
 たけるさんは、実戦では悩んでいる余裕なんか無い、全力を尽くして、例え失敗しても、それに縛られる事無く次善の結果を求めて行動し続けなくちゃ駄目だって言ってたよね……
 今なら、ミキは全力を振り絞れる気がします…………だから……たけるさん……みんな…………ミキを……見ててくださいっ!)

「目標、60秒後に電離層を突破。」

 遂に迎撃作戦の開始時刻が目前に迫った事を、ピアティフの冷静な声が告げた。
 全員が沈黙して固唾を飲んだその時、夕呼の声が通信回線に流れる。

「いよいよね。
 お父様も隣でご覧になっているわ……いいとこ見せなさいよ、珠瀬分隊長代理。」

「―――はいっ!!」

 夕呼の、今から正に遊戯を始めるかのように楽しげな口調に、一瞬だけ目を見張ってから、壬姫は満面の笑みで力強く応えた。
 自分の努力の成果を、自分の全力を、仲間に、まりもに、父に……そしてなによりも、武に見てもらえる。
 そう思い至った時、壬姫は喜びに胸が躍るのを感じた……

「OTH01、砲弾装填……よし。OTH02、自律行動にて砲弾装填。OTH01、照準……よし!」
「OTH01、砲弾の装填を確認。トリガータイミング同調10……9……8…………5……4……3……2……1」

 壬姫が手順を声に出して確認すると、ピアティフが追認した後、カウントダウンを開始する。
 そして、直径1200mm近い巨大な砲弾は、壬姫の必中の想いを込めて、轟音と衝撃波を残し、凄まじい勢いで大空の彼方へと真っ直ぐに飛び出していった。

「OTH02、砲弾装填……よし。OTH01、砲弾装填! OTH02、照準……よし!」
「OTH02、砲弾の装填を確認。トリガータイミング同調10……9……8…………5……4……3……2……1」

 そして1発目の着弾を待たずに、第2リニアカタパルトのOTH02から第2弾が発射される。

「OTH01、砲弾装填……よし。OTH02、自律行動にて砲弾装填……よし。」

 第3射の準備を終えた壬姫は、第1射の結果を待つ。

「第1射弾着まで……5……4……3……2……1…………―――命中! 目標の爆散を確認!」

 冷静なピアティフの声の向こうで、中央作戦司令室で上がった歓声が壬姫の耳にも届いた。
 しかし、壬姫が喜びを顕わにする事は無かった。
 平静を保って、壬姫は次の狙撃の準備を進める。

「OTH02、セイフティーロック……よし。OTH03、砲弾装填……よし。」

「そうだ、たま。ここからが本当の勝負どころだぞ!
 OTH01のマガジンを、気化弾頭弾を装填した予備マガジンに交換しておくからな。
 これで、4回砲撃が出来る。落ち着いていけよ、たま!」

 初弾でのHSST本体撃破に浮かれる事無く、飛散するであろう破片の迎撃準備を冷静にこなす壬姫に、武が言葉をかける。
 そして、壬姫に言葉をかけながらも、武は00ユニットの高速演算能力を発揮して、爆散したHSSTの破片の軌道解析を迅速に行い、中央作戦司令室のメインコンピューターに解析結果を転送した。
 それを待ち受けていたピアティフが、透かさず処理して壬姫に伝える。

「破片の飛散軌道解析終了。脅威度1位の目標に対する照準データを、OTH03に送ります。」

 その声を、準備万端で待ち構えていた壬姫は、再び狙撃態勢に復帰し、即座に新たな目標に狙いを付ける。
 今度は矢継ぎ早に異なる目標を狙って狙撃しなければならない為、緊張から操縦桿を握る手に力が籠ってしまったが、それに気付いた壬姫は深呼吸を一つして緊張をほぐす。
 壬姫は雑念を払い、狙撃のみに集中していく。

「20705(珠瀬)了解! OTH03、照準……よし!」
「OTH03、砲弾の装填を確認。トリガータイミング同調10……9……8…………5……4……3……2……1
 脅威度2位の目標に対する照準データを、OTH02に送ります。」
「OTH02セイフティー解除……よし。OTH03、砲弾装填! OTH02、照準……よし!。」
「OTH02、砲弾の装填を確認。トリガータイミング同調10……9……8…………5……4……3……2……1
 脅威度3位の目標に対する照準データを、OTH03に送ります。」
「OTH03、砲弾装填……よし。OTH01、砲弾装填! OTH03、照準……よし!。」
「OTH03、砲弾の装填を確認。トリガータイミング同調10……9……8…………5……4……3……2……1
 脅威度1位の目標に対する再度の砲撃を要請。照準データを、OTH01に送ります。」
「OTH01、砲弾装填……よし。OTH03、砲弾装填! OTH01、照準……よし!。」
「OTH01、砲弾の装填を確認。トリガータイミング同調10……9……8…………5……4……3……2……1
 脅威度4位以降の目標が、帝国本土に落下し、重度の被害を与える可能性は1%未満です。
 砲撃の評価が出るまで待機してください。」

 HSSTの爆散により生じた無数の破片の中から、大きさと軌道要素から脅威度が割り振られ、脅威度の高いものから順に、壬姫が狙撃で軌道を捻じ曲げていく。
 脅威度1位から順に3回の砲撃を実施し、脅威度1位の運動エネルギーを相殺し切れなかった事により、再度の砲撃を行った所で、帝国本土に対して看過しえぬ脅威目標は差し当たり皆無となった。
 ピアティフは、これまでに実施された砲撃結果が判明するまでの待機を壬姫に命じた。

「20705(珠瀬)了解。OTH03、セイフティーロック……よし。」

 続けざまに4射した壬姫は、集中を解くと大きく息を吐いた。
 この時点で、砲身寿命を気にせずに撃てる砲弾は既に残っていない。
 これ以降は、暴発覚悟で4発目を撃つしかない。
 それ故に、壬姫は祈る思いで解析結果を待つ。

「―――破片の飛散軌道解析終了。
 HSSTの破片が帝国本土に落下し、重度の被害を与える可能性は1%未満です。」

「状況終了! 防衛基準態勢を4へ移行。
 作戦目標は完遂されたわ。よくやったわね、珠瀬。」

 ピアティフの報告に続いて夕呼が迎撃作戦の終了を宣言すると、通信回線に歓声が響き渡る。
 それは、中央作戦司令室のCP将校達の声であり、207Bの仲間達の声であった。
 そして、歓声が一段落するのを待って、まりもが壬姫に声をかける。

「よくやったな、珠瀬。
 訓練兵の身で、未だに実戦を経験していない身で、よくぞ重責に耐え、任務を全うした。
 私は教官として、貴様を誇りに思う。だから………………絶対予定通りに卒業するんだぞ? 私を失望させるなよ?」

 まりもの絶賛とも言える言葉に、感動して涙を溢れんばかりに湛えていた壬姫だったが、最後の言葉に愕然とする。

「きょ、教官?!………………あ、あんまりですぅ~~~っ!」
「じ、神宮司教官……そ、それはちょっと…………ぶははははは……」「ぶっ! くくくくく……」「ふ……ふははははは……」「ぐふっ!……た、珠瀬…………ぶぷっ!」「壬姫さん、その顔、面白過ぎだよ~! あはははは……」
「み、みんなまで……ひどい、ひどすぎです~っ!」

 当初の感動の涙とは異なる涙を、目の幅で流しながら壬姫は抗議したが、その情けない様子に、武を含めた仲間達は堪え切れずに爆笑してしまった。
 数分後、すっかり拗ねてしまった壬姫を、207Bが総がかりで宥める姿が、16番ハンガーで目撃された……らしい。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 18時22分、B4フロアの男子トイレに、力尽きて倒れ伏す武の姿があった。

 HSST迎撃作戦を完遂し、珠瀬国連事務次官を無事送り出し、武は達成感に浸っていた。
 その為か、はたまた無意識の内に、相手の存在を無条件に許容してしまっているのか、武が気付いた時には周囲を207B女性陣に囲まれてしまっていた。
 戸惑う武はそのまま身柄を拘束されて連行され、壬姫との交際疑惑について、執拗な―――拷問に限りなく近い尋問を受けた。

 女性陣の不興の原因は、珠瀬国連事務次官が残していったメッセージカードにあるらしく、その内容が207B女性陣を甚く刺激したというのが真相であった。
 そこまでは、言葉の端々から理解出来た武だったが、最後まで理解できなかったのが、尋問する側に壬姫が加わっていた事である。
 壬姫以外の4人が、武が壬姫を相手に不埒な言動を示していなかったかの追及に終始していたのに対して、壬姫だけが武の心情を掘り下げて自分に好意を抱いていないかを追及しようとしていたのが、武には印象的であった。

 そして、壬姫に涙目で問い詰められる度に、壬姫を悲しませる事が出来ずに、好意を持っているとも取れる曖昧な対応を武が繰り返した結果、尋問は果てしなく長期化してしまった。
 これにより、きつく絞られたボロ雑巾の様に疲れ果てた武は、身体に気絶した状態を擬態させる事でなんとか尋問から解放された。
 その結果、武は男子トイレに放り込まれたあげく、精神的に虚脱状態となり、力尽きて倒れ伏したが如き状況に甘んじているのである。

 だが、今の武に、心と体をゆっくりと癒す暇は与えられていない。
 既に想定されている次の事態が、武の対応を必要としていた。
 極々短い休息を中断し、武は疲れ果てた心身を鞭打って、再び立ち上がる。
 そして、次の勝利を掴み取る為、ドアを押し開いて前へと一歩を踏み出し…………眼前に居並び、冷たい視線を投げかけてくる仲間達の姿に危うく絶望しかけてしまう武であった……

「な、なあ……もう、勘弁して……くれないか?」
「駄目ね。」「駄目だな。」「論外……」「駄目です。」「駄~目っ!」
「やっぱり駄目なのか……………………あ、あはははは……はぁ……」

 武の身柄は、再び拘束の憂き目をみるのであった……




[3277] 第98話 忠義と陰謀の行方
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/06/22 17:13

第98話 忠義と陰謀の行方

2001年11月08日(木)

 18時48分、B19フロアの夕呼の執務室では、武が疲労困憊の様子でぐったりとソファーに凭れ込んでいた。

「なによ、随分と草臥れちゃってるじゃないの。
 もうちょっと、シャキッとしなさいよ、シャキッと。」

 夕呼は武の向い側のソファーに腰掛けると、武を叱咤する言葉の内容とは裏腹に楽しげな笑みを浮かべる。
 男子トイレを出た所で、207B女性陣に再度捕獲されてしまった武だったが、非接触接続で連絡を取り、霞に迎えに来てもらう事で何とか自由の身となった。
 しかしその時点で、時間を相当失ってしまっていた為、大急ぎで夕呼の執務室にやってきたものの、気疲れからソファーに倒れ込んでしまったのである。

「―――いやまあ、肉体的疲労はなんて事無いんですけど、精神的にちょっと…………
 ですけど、演算能力は低下しないですからね。情報分析は終わってますよ?」

 武はそう前置きすると、今回のHSST騒動の現時点での総括と今後の展望を述べる。
 元来、横浜基地の保有する戦力は決して小さなものではない上に、人数こそ少ないとは言え高い練度と装備を誇るA-01の存在もあり、地上戦戦力は高い評価を受けていた。
 強いて言うならば弱点とも言えた対空兵装の欠如も、今回の一件で飽和攻撃でも行わない限り効果は薄いと評価される事だろう。
 この事から、現状では外部からの力押しで横浜基地に致命的な損害を与えよう等と考える者は、出てこないだろうという結論に武は至っていた。

 その上で、今後警戒すべきは潜入工作員による破壊活動などになるが、こちらも、HSSTが落ちてくる前に基地から逃げ出そうとした者については既に捕縛済み。
 未だに基地に潜入している工作員も、クーデターの騒ぎが一段落した所で一掃する予定なので、防諜体制も十分に再構築する事が出来る。
 また、移民推進派によって米国で行われた工作は、ほぼその全容を抑える事に成功しており、推進派の命を受けて工作を指揮した、各国在米大使館の諜報員までは関与の証拠を確保してある。
 これらの証拠は珠瀬国連事務次官暗殺未遂の証拠として国連本部に提出され、同時に、オルタネイティヴ4に対する妨害工作でもあるとして国連安保理にも提出される。

 さすがに国連上層部に所属する者の身辺までは及ばないものの、実際に関与した諜報員や工作員、協力者などは一網打尽となり、移民推進派の動員した米国内の諜報組織は、半ば壊滅的な打撃を被ると予想されていた。
 国連上層部の移民推進派達も、関与の証明こそされなかったものの、状況証拠は彼らの関与を確信させるに十分な物であり、彼らの今後の影響力を著しく減衰させる事となった。
 また、米国諜報機関が彼等の行動を黙認していたと疑うに足るだけの証拠も存在していた。
 この疑惑を払拭する為にも米国諜報機関は、早々にトカゲの尻尾切りで身内を処罰し、更には移民推進派の工作にかかわった諸組織の残党摘発等に、積極的に協力せざるを得なかった。
 その上、国連太平洋方面第11軍司令部に所属し、なんやかやと横浜基地に妨害工作や嫌がらせを仕掛けてきていた、反オルタネイティヴ4派閥の将官を一掃できるだけの証拠も揃い、こちらは既に国連軍総司令部に提出済みであった。

 今回の件で、反オルタネイティヴ4各勢力に与えた抑止効果は絶大であり、今後は同様の工作を実施するにあたって、躊躇させるに十分であると武は分析した。
 また、珠瀬国連事務次官の発言力も相対的に増し、しかも、これまではオルタネイティヴ4と日本帝国政府、国連本部との調整に専念し、常に中立を旨として行動していた事務次官が、オルタネイティヴ4寄りのスタンスを明確に取るようになった事も大きな収穫であった。
 尤も、珠瀬事務次官がオルタネイティヴ4寄りとなったのは、今回の視察に際して、夕呼が年内に十分な成果を上げて見せると確約した事が、最大の要因であろう。

 総じて評価するならば、オルタネイティヴ4は、その成果を全世界に知らしめるまでの期間に於いて、主導権を維持できるだけの状況を獲得したと言える。

「―――とは言うものの、CIAは今更クーデターの計画を放り投げる気は無いようです。
 そもそも、珠瀬国連事務次官の視察が今日になったのだって、CIA側から提示された日程通りのようですしね。
 HSST突入が上手くいけば、横浜基地が壊滅したその翌日にクーデターが発生し、日本に来航していた米国第7艦隊が、国連軍に臨時編入の上で指揮権を握り、帝国臨時政府の依頼によりクーデターを鎮圧する。
 そして、クーデター鎮圧後は、横浜基地復興の為に駐留し、横浜基地最深部の破壊を免れた各種施設及び物資、情報を接収する。
 CIAのシナリオはそんな所だったんじゃないですかね。
 今日の一件でHSSTが撃墜されたせいで、第7艦隊がハワイにUターンしてしまうかもと思ったんですが、どうやらそれもなさそうなんで、一安心ですよ。
 珠瀬国連事務次官も視察の後、米国の要請で国連本部に帰還せずに、第7艦隊旗艦に向かわれましたしね。
 クーデターが発生した時に、横浜基地への米軍受け入れを、事務次官に仲介させようって腹なんだと思いますよ?」

 武の説明を、夕呼は魔女の名に相応しい妖艶な笑みを浮かべ、上機嫌で聞いていた。
 右手を口元に当て、妖しく光る目を細め、夕呼は既に手にした物と、これから手にする物、そしてそれらの使い道に思いを巡らして愉悦に耽っていた。

「そう。それじゃ、明日の予定は変更せずに済みそうね。
 あはははは…………この分なら、明日の夜には大掃除を完了して、忌々しい軛(くびき)を粗方排除できるわね。
 それじゃあ、あたしはこの後、国連安保理の非公式協議の準備があるから、明日のクーデターの方はあんたに一任するわ。
 水に落ちた犬は叩けって言うし、明日は盛大に追い打ちをかけてやんのよ?」

 心底嬉しそうな夕呼の様子に、武も笑みを浮かべて頷きを返そうとしたが、ふとある行動を思い付いた為、その場のノリでつい実行してしまった。
 ソファーから立ち上がり、右手を気取った風に胸に添えた武は、外連味たっぷりにお辞儀をして応える。

「お任せください香月博士。必ずやこの白銀が、ご期待に応えて見せましょう。」

「―――はあ? なによそれ。あんた、ぜんっぜん似合ってないし、到底見れたもんじゃないわよ?」

 容赦の無い夕呼にぼろくそに貶されてしまい、武は深刻な自己嫌悪に暫時苛まれる事となった……

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月09日(金)

 02時34分、帝国本土防衛軍・帝都守備隊司令部指揮所の先任司令官席に、沙霧尚哉大尉の姿があった。

 沙霧は99式衛士強化装備を身にまとい、軍刀を両足の間の床に付き、その柄頭に両手の平を乗せて毅然としたその姿を周囲に示していた。
 そうしながらも、網膜投影に秘匿回線を経由して送られて来た機密ファイルの情報を表示させ、その内容に思索を巡らす。
 決起予定時刻まで残り1時間弱となり、指揮所に詰め掛けた同志達の意気も徐々に高まりつつあった。

(白銀と鎧衣課長は、夜陰に紛れて帝都を脱出しようとした政財界の要人をほぼ捉えたようだな。
 早くから帝都を離れた者達の捕縛の手筈も順調…………水も漏らさぬとはこの事か。
 そして、こちらが我ら決起軍に潜り込んだ輩の最終リスト…………
 やはり、高級将校が多いな…………私などよりも階級の高い方々が、若輩の身を立てて下さった事に感極まった事もあったが……
 何の事は無い、私に責任を被せ、自身は後方に身を置いて安泰を図る為であったのか…………)

 心中の思いは一切表に出さずに、沙霧は最終確認を淡々とこなしていく。

(そして、こちらは恐喝されて意に染まぬ行動を強いられている者達のリストか。
 こちらは、圧倒的に兵卒が多いな。
 最新情報では、人質の身はほぼ損なわれていないとの事だ。
 この者らが惑わぬ様に、慰撫する必要もあるな。
 む―――これが、同志達に直命を知らせる際の、データファイル送信プログラムか。
 送信先の将兵の配置から近い捕縛対象を、リストの上位に自動的に変更した上で送信する仕掛けとは、芸の細かい事だ。
 その上、奸物共に送られるデータファイルは、そ奴自身の名をリストより削除した上で送信するというのだから呆れてしまう。
 偏執的なまでに、手抜かりが無い。
 白銀武か……敵には回したくない男……いや、あのような者が殿下の御為に尽くしている事を喜ぶべきか……)

 全ての手筈を事も無げに整えて見せた武に対する思いから連想し、沙霧は過日に叶った謁見に於いて、悠陽より賜った御言葉を脳裏に思い浮かべる。
 図らずも叶った謁見に恐懼感激した沙霧は、自らが危うく成さんとしていた愚行を恥じていた事もあり、頑ななまでに頭を上げなかった為、悠陽の尊顔を拝する事は無かった。
 それでも―――否、だからこそか、初めて直に拝聴した、悠陽の玲瓏にして淑やかでありながら、凛とした強い意志を感じさせる美声は、今も沙霧の脳裏に鮮やかに蘇る。

「沙霧尚哉と申すそうですね。わたくしは政威大将軍煌武院悠陽です。
 奸計を巡らす者達の暗躍を許し、徒にそなたらを惑わせ心労を負わせる事と成りしは、全てはわたくしの至らなさに起因せし事、誠に不甲斐なく思っています。
 此度、そなたらが起たんとせし事、また、斯くの如く思い定めし経緯、全て仔細に聞き及んでいます。
 武威を以て起ち、他者の非を責めてこれを処断せんとした事は、誠に短慮であり過ちに他なりません。
 然れど、そなたらが私心なく、国の行く末を真摯に憂いたが故に、此度起たんと思い定めたる事も事実でありましょう。
 そなたらの心根、その忠義は、誠に気高く尊いものです。
 なればこそ、わたくしはそなたらに可惜(あたら)道を過たせんと画策せし者等を許し難く思うとともに、斯様な行いを許すに至った己が不徳を恥ずかしく思うのです。
 此度、白銀の献策に依って、そなたらが道を過つ前にこうして正す機会を得られし事は、誠に僥倖でありました。
 わたくしは斯様に不甲斐なき将軍ではありますが、どうか、国の為、民の為に、そなたらの力を役立ててはくれぬでしょうか?」

 あの折、悠陽は沙霧らの心労を労い、己が力の不足を認め、その上で沙霧らの過ちを指摘した。
 しかも過ちを諌めた後、沙霧等の想いを汲み取り、命に服するよう強いる事無く、与力を望むに留めた。
 全ての責を一身に負い、万民を慈しみ、進むべき道を指し示して、共に歩まんとするその在り様は、沙霧の夢想していた政威大将軍の在るべき姿に完全に合致していた。

(……謁見に先んじて、白銀の言葉を聞いておらねば、私は殿下に心酔し、只々畏まるだけであっただろう。
 それほどに、殿下は政威大将軍としての在り様を、余すところなく体現しておられた。
 殿下の輝かしい御稜威(みいつ)に触れし者は、等しく畏まり、殿下を崇め奉る事しか適いはすまい。
 …………しかし、殿下も人の子で在らせられると断じる白銀の言も一理ある。
 然すれば、殿下はどれほど過酷な修練を御身に科してこられた事であろう……
 なるほど、政威大将軍で在らせられるという一事を以て崇め奉る事で、如何に多くの事柄を見逃してしまうことか……)

 悠陽から賜った御言葉を思い返すと共に、武の不遜とも思える言葉も鑑みて、沙霧は崇拝の念が如何に自儘で他力本願な思いで在るかを痛感した。
 政威大将軍の導きの下、帝国臣民が一丸となって国難に立ち向かい、現状を打破すべきであるという信念は、未だに沙霧の中で揺ぎ無く屹立している。
 それでも、無思慮に全てを委ねて良しとはせず、成し得る限りを尽くして、殿下の政道を支える事こそが肝要なのだと沙霧はようやく思い至った。
 そしてそれは、彩峰中将の教え―――『人は国のためにできることを成すべきである。』―――に立ち戻ることでもある。

 今正に、悠陽より賜った直命を果たさんとするこの時に当たり、沙霧は自身が正道に立ち返った事を確信した。
 それ故に沙霧は、直命を果たし、同志達をもまた正道へと立ち返らせる事を決意する。
 帝国に立ち込める暗雲を払い、必ずや安寧を取り戻すのだ、と。

「―――同志諸君ッ! 私は沙霧尚哉大尉だ。」

 時刻を確認し、先任指揮官席よりすっくと立ち上がった沙霧は、自身を仰ぎ見た通信担当のCP将校に指示して、決起参加将兵全員に呼びかけるべく回線を繋がせ、声を発した。
 帝都守備隊司令部で、帝都及びその近郊の駐屯地で、そして、富士の麓に位置する富士駐屯地を初めとする関東周辺の駐屯地に於いて、決起に加わらんとする多数の将兵が沙霧の言葉を傾聴していた。

「まずは、本日の決起に賛同し、我らが大義の下に集ってくれた諸君に対して礼を述べたい。
 よくぞ、国の行く末を正す為に、身を捨てる覚悟で馳せ参じてくれた!
 諸君こそ、真に国を憂い、政威大将軍殿下に忠誠を捧げし、忠勇の士であるッ!
 それが故に、八百万の神々は諸君らを嘉(よみ)し賜うたに違いない。
 何故ならば、決起に先立つ今正にこの時、私は諸君に吉報をもたらす事が叶うからである。
 過日私は―――政威大将軍煌武院悠陽殿下に拝謁を賜り、畏れ多くも殿下より直に御言葉を授かる栄誉に与った!
 そして、殿下は諸君らの忠義を称揚なさり、勿体無くも我らに直命をお下しになられたのだッ!」

 沙霧の言葉に、決起に参加せんと集った将兵が驚愕と歓喜に沸き立つ。
 我が身を捧げ、その手を友軍の血に染めてでも成し遂げんとした決起の目的。
 その内の一つにして、まず叶う事は無いと思われていた、政威大将軍殿下への拝謁が成ったと言うのだ。
 しかも、殿下に忠義を認められた上で、更には直命まで授かったとなれば、賊軍、反乱軍との汚名を着せられる事も無い。
 正に、この上ない朗報と言えた。

「我らは畏れ多きことながら、殿下に大権を復し奉り、政(まつりごと)を正し、殿下の御采配の下、国民が一丸となって未曾有の国難に立ち向かう、在るべき姿へとこの国を導かんと決起せんとしていた。
 されど、それは我らの驕りに過ぎなかった。
 英邁なる殿下の深謀遠慮は我らの及ぶ所ではなく、既にして殿下は御国の為に方策を講じておられたのだ。
 近く、殿下は万民の歓呼の中、大権をその手に復される事であろう!
 そして、殿下は我らに直命を御下命あそばされ、その壮挙の一端を担う栄誉を賜われたッ!!。」

 歓喜のどよめきも冷めやまぬ内に、続けて告げられた沙霧の言葉は、更なる歓喜―――否、最早狂喜に近い狂騒を呼び起こした。
 御国の窮状を憂い、持てる全てを擲ってでも求めんとした御国の在るべき姿。
 それが殿下御自らが成される大業により、近く叶うというのだ。
 その喜びたるや、将兵らの中には、感極まって感涙に咽ぶ者まで現れる程であった。

 決起に参集した将兵は決起に至らずして宿願が叶った喜びに沸いていた―――極少数の例外を除いて、ではあったが。
 各駐屯地の司令部で、あるいは後方支援を担う部隊の司令部で……在る者は愕然と、在る者は忌々しげに、また在る者は歓喜の仮面を被りながらも瞳にのみ凍えた光を宿して、自らの望みと異なる方向へと転がった事態に、内心密かに憤っていた。

「諸君、直ちに機密ファイル011109007を閲覧し給え。
 そこに、我らが賜わりし直命が記されている。
 暗証コードは1216、繰り返す―――1216だ。読み終えた者より、直ちに行動を開始せよッ!」

 沙霧の言葉を聞くなり、真っ先に機密ファイルを開き、内容を確認したのはそれら極少数の例外に属する者達であった。
 彼らは不安に急き立てられるまま、大慌てで内容を表示させ、その内容に顔色を蒼褪めさせたが、リストに己が名が記されていない事を確認し、一様に安堵の吐息を零した。

「其処に挙げられし者達は、米国に内通した売国奴であり、我らが大義を汚す者たちであるッ!!
 殿下はそ奴らの身柄を拘束し、背後関係を詳らかとする事をお望であらせられる。
 既に殿下の御下命により、決起に呼応していない軍部並びに、政財界の内通者らも次々に捕縛され取り調べを受けている。
 我らも、殿下の壮挙の一端を担う以上は、些かなりとも遺漏があってはならぬ!
 例え直属上司であろうと構わぬ! 総員、迅速に奸賊共を捕縛せよッ!!」

 だが、リストに最後まで目を通し、安堵の吐息を漏らした者達は、周囲から寄せられる鋭い視線に、自身が危地より逃れる時間が既に失われてしまった事に、ようやくにして気付く。
 決起の計画に於いて、根拠地の守備や、補給路や通信経路の確保などの後方支援に当たる部隊指揮官達に多く存在した内通者達は、憎々しげな眼光を放ちながら詰め寄ってくる部下達に、力無くその身を委ねる事しかできなかった。
 こうして、決起に賛同した振りをして潜り込んでいた内通者達は、速やかにその身柄を拘束されていった。

 その一方、直命を果たさんと勇み、一歩でも売国奴に詰め寄らんと駆け巡る同志の最中で、呆然と立ち尽くす兵卒らの姿があった。
 彼らは何よりも大切な人々を質に取られ、意に染まぬ役割を強いられた者達であった。
 己が矜持を捨て、苦衷を抱え込み、万策尽き果てて同志を裏切る決意をしたにもかかわらず、彼らは最早強いられた役割を果たす事も出来ず、大切な人々が解放される望みさえ断たれて、只々無力感に苛まれていたのであった。
 しかし、そんな彼らにも、救いの手は差し伸べられる。

「また、卑劣なる米国の手先に脅され、意に染まぬ行動を強いられた同志諸君に告げる。
 現在、殿下の御高配を賜り、彼奴等の手に落ちた人質達は、救出されつつある筈だ。
 殿下は有難くも御厚情を示され、脅されて内応を強いられた諸君らの責は問わぬと仰せられた。
 諸君らは、道を過つ前に正道に立ち返る機会を与えられたのだ。
 殿下の御心に感謝を捧げ、初心に戻って再び忠義を尽くすがいい!」

 沙霧の言葉を耳にして、その場に泣き頽れて殿下に感謝しする者達。
 その姿に、戦友の苦境を察する事の出来なかった我が身を悔いながらも、肩を叩いて慰める者達の姿が散見された。
 内通者達の捕縛は、いっそ呆気なく完遂され、各所からの報告を受けていた沙霧が、再び同志等に呼びかけた。

「―――さて同志諸君、奸賊共は1名たりとも逃す事無く、全てが拘束された。
 ここに、殿下より賜りし直命は完遂された! 諸君、誠に御苦労であったッ!!
 ――――――同志諸君、今少し私に耳を傾けて欲しい。
 直命を果たせし今、我らが成すべきことは何か、諸君には今一度考えて欲しいのだ。
 我らは大権奉還を成し遂げ、政道を正し、挙国一致の態勢を整える為に決起を決意した。
 しかし、我らが望みは、勿体無くも殿下の御手により成就したと言えよう。
 事此処に至り、我らは帝国軍将兵としての本分に、速やかに立ち返るべきではないだろうか。
 これより我が国は、政軍共に殿下の御采配の下、一致団結して国難に立ち向かう事となろう。
 然すれば、我らが成すべき事は何か?!
 そう、御国の為に戦い抜き、怨敵を討つ事であるッ!
 今こそ、私は決起を呼びかけし者として、最後の命を諸君らに下そう。
 殿下より賜りし大恩を忘れず、速やかに原隊に復帰し、より一層軍務に精勤せよッ!!」
 政威大将軍殿下に敬意を表し、万歳三唱ッ!!!」

『『『 政威大将軍殿下、バンザーイ! バンザーイ! バンザーイッ!!
 ―――ぅおおおおおおおおおおおおおおッ!』』』

 沙霧の檄に、将兵らは、腕を、銃を天に向けて突き上げて喉も枯れよと万歳を斉唱し、万感を込めて雄叫びを上げた。
 それは、再び未来に希望を見出す事が出来た彼らの、勝鬨であったのであろう。

 ―――かくして、沙霧尚哉を首魁として集った将兵達は、1発の銃弾すら放つ事無く、政威大将軍殿下の直命を完遂した達成感を胸に、原隊へと戻って行ったのである。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 10時22分、帝都城内にある斯衛軍総司令部内の一角、貴賓室に集う人々がいた。

 木目の美しい自然木から削り出したテーブルを中心に、ソファーに座して向かい合うのは、政威大将軍煌武院悠陽殿下、斯衛軍副司令紅蓮醍三郎大将、内閣総理大臣榊是親卿、情報省外務二課課長鎧衣左近、そして国連軍横浜基地司令部直属、白銀武臨時中尉の5人であった。
 上座に悠陽が座し、紅蓮はやや後ろに退いて悠陽の左に、その2人から時計回りに、テーブルの右手に榊首相、下手に武、左手に鎧衣課長が座を占めていた。

 この錚々たる面々を前に、それでも武は委縮する事無く、この日の未明に実施されたクーデター阻止作戦の結果報告を行っていた。
 クーデター自体は未遂に終わり、決起に参加せんとしていた将兵は、悠陽の直命によって行動していた事とされた為、クーデターが企図されていた事自体、現時点では公にはされておらず、それと知る者も然程多くはない。
 クーデターを誘発せんとした米国の謀略は、拘束した者達を取り調べた結果を踏まえて、数日の内に発表される予定であった。
 この朝、帝都の様子は、捕り物が多数行われた事を除けば、概ね平穏であったと言える。

「―――と言う事で、事前に判明していた政界、財界、軍部の捕縛対象者は数名を除いて身柄を拘束。
 尋問により、新たに判明した捕縛対象者に関しては、鎧衣課長を通じて情報省と公安部の要員を投入して、順次身柄を拘束しています。
 また、帝都並びにその郊外に巣食っていた工作員と非合法の下部組織は一斉検挙。
 検挙に先立ち、拉致拘禁された人質が存在する場合は、その救出を最優先とした結果、全員が無事に救出されてますね。
 多少の衰弱が見られる人もいましたが、心身に重い障害を負った人は幸いいませんでした。
 現在も尚、一部の工作員や下部構成員の身柄を拘束できずにいますけど、米国大使館の職員以外は、今日中に粗方拘束できるんじゃないかと思いますよ。」

 武の報告に、悠陽は僅かに目を細め、満足げな笑みを浮かべて小さく顎を引いた。

「拉致された者達が、無事解放されたのは喜ばしい事ですね。
 これも、白銀の尽力によるものでしょう。鎧衣も、この数日の働き大儀でした。」

 悠陽の労いに、鎧衣課長はパナマ帽を右手で脱ぐと、胸に当てて一礼して見せた。
 その後、再びパナマ帽を被る鎧衣課長に、剣呑な視線で一瞥し、榊首相が重々しく口を開く。

「いずれにせよ、大捕り物でございましたな、殿下。
 とは言え、我が国もこれで大分風通しが良くなりましょう。
 然れど、議員よりこれ程多くの捕縛者が出るとは、誠に嘆かわしい限りでございます。
 これも、全ては我が不徳の致すところ、やはり身を慎み職を辞させて頂くが相応しき処遇かと愚行致しまする。」

 榊首相は、国外からの利益供与に与る議員が多数出た事を理由に、自らも引責辞任すべきであるとの見解を述べるが、悠陽は首を横に振って許さなかった。

「なりません。是親には今まで以上にわたくしを支えてもらわねば困ります。
 そもそも、責任を感じると申すのであれば、勤めに精勤して贖うがよい。
 そなたが職を辞したとて、わたくしの負担は増すばかり。
 然様な事は決して許しません。よいですね?」

 悠陽は厳しい言葉の内容とは裏腹に、目を細め駄々っ子を優しく叱るような口調で榊首相を諌める。
 すると、榊首相は謹厳な達磨の様な顰め面の口元を一文字に引き締めると、深々と頭を垂れて首肯した。

「かっかっか! 楽隠居などさせるものか。
 これより後は、生き馬の目を抜く国際社会で、老獪な狐狸妖怪共を相手取らねばならぬのだ。
 わしの様な武辺者では何の助けにもならぬ故、榊や鎧衣にはこれまで以上に、身を粉にして働いてもらわねばな!」

 その神妙な様子に、紅蓮が呵々大笑し、榊首相と鎧衣課長を一絡げにして、より一層忠勤に励めと嗾ける。

「やれやれ、閣下から身を粉にしてなどと言われると、本当に擂鉢で骨まで粉にされてしまいそうですな。
 あな、恐ろしや、恐ろしや。
 何より、私の様な出涸らしよりも、搾り甲斐のある若者がいるではありませんか。
 そうだろう? シロガネタケル。
 殿下の御為ならば、身を粉にして尽くすになんの不足もありはすまい。
 むしろ、これに勝る喜びはないのではないかね?」

 さすがにこの面子で交わされている会話に、徒に口を挿む気にはなれなかった為、黙って大人しく拝聴していた武であったが、鎧衣課長の発言に飛び跳ねるように立ち上がると口を開いた。

「ちょ―――ちょっと待って下さいよ、鎧衣課長!
 そりゃあ、殿下の為に働きたいのは山々ですが、オレにだって都合ってものが……」

 慌てて言い繕おうとする武に、くすくすと小さく笑い声を零した悠陽が、口元を右手の平で隠したまま、鈴の様な声をかける。

「案ずる事はありませんよ、白銀。
 そなたの勤めの重要性は、ここに居る者全てが存じております。」

「うむ。なにより、白銀が本分は衛士!
 明後日(みょうごにち)は、貴様と第4計画専任部隊の働きに期待しておるぞ?」

 悠陽の取り成しに紅蓮も続き、明後日に迫ったBETA新潟上陸に触れる。
 ニヤリと野太い精悍な笑みを浮かべた紅蓮は実に楽しげであり、その時が来るのを待ち侘びるているかのようであった。
 武が心底疲れた様な溜息を吐くと再びソファーに腰を下ろす。
 僅かに言葉が途切れた、その機を逃さず、渋面を浮かべて静観していた榊首相が口を開いた。

「紅蓮大将、鎧衣課長、心得違いは程々になされよ。
 白銀は国連に属せし者なれば、この者が先ず以って成さねばならぬは人類全体への貢献に他ならぬ。
 如何に白銀が優秀であろうと、帝国が利益の為だけに白銀を用いてはなりませんぞ。」

「そうでしたね、是親、よくぞ諌めてくれました。そなたに感謝を。
 然れど、招致国である我が国の安寧は、第4計画の利益にも繋がる筈です。
 また、第4計画が国連にて主導権を確立する為にも、我が国の国力が充実し、国連に於ける影響力が高まる事は好都合でありましょう。
 それ故、白銀は我らに十分な手助けをしてくれる筈です。そう、此度の如くに、です。
 そうですね? 白銀。」

 榊首相の諫言に、素直に感謝の念を伝えながらも、悠陽はオルタネイティヴ4の利益の為に、武は帝国への助力を惜しまぬ筈だと看破して見せた。
 そして、それは正に武の―――そして夕呼の計画に合致していた為、武は笑みを浮かべて頷きを返すのであった……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 22時07分、国連軍横浜基地、中央集積場のメインゲート前に、夜間自主訓練を終えた207Bと斯衛軍第19独立警備小隊の全員が集まっていた。

 メインゲート脇の壁際に、冥夜を中心に207Bの残り5人が輪になって集り、それを少し離れた所に控えた、第19独立警備小隊の4人が見守っている。
 また、メインゲート前には、87式自走整備支援担架5台と兵員輸送車3台、そして大型輸送トラック2台が並んでおり、各車両の運転席には斯衛軍の兵士が搭乗していた。
 87式自走整備支援担架に搭載されているのは、横浜基地に搬入されていた5機の『武御雷』であり、輸送トラックに積載されているのはその関連部品等、兵員輸送車に搭乗しているのは斯衛軍所属の整備兵と衛兵達であった。

 これらの車両に搭乗している将兵は、第19独立警備小隊に随伴して横浜基地に駐留していた部隊であり、これより帝都城の斯衛軍総司令部に赴き、明朝に帝都を発つ予定の斯衛軍長岡野外演習参加部隊に合流して、演習に同行する予定となっていた。
 そして、この斯衛軍将兵らに、特殊任務として斯衛軍に出向となる御剣冥夜臨時中尉が同行する為、207Bの面々が見送りに来ているのである。
 その中には、クーデターの後始末を済ませて、日が沈んでから横浜基地に帰還した武の姿もあった。

「それじゃあ、御剣。国連軍衛士として、精一杯、頑張ってきて頂戴。」
「うむ。未だ訓練兵の身ではあるが、国連軍の名を汚さぬ様に努めよう。」

 真剣な表情で告げる千鶴の激励に、冥夜もまた生真面目に応える。
 そして、それを契機に他の面々も一言ずつ言葉をかけていく。

「御剣なら出来る…………よね?」
「って、オレに振るなよ!」
「ふふっ……彩峰に気遣われると言うのも面映ゆいものだな。」
「御剣さん、すごいです! 任官前に特殊任務だなんて……しかも斯衛軍に出向ですよ~!」
「いや、先日の珠瀬の活躍には及ぶまい。とは言え、精一杯務めて来よう。」
「う~ん、斯衛軍って、格式とか礼儀とか、色々と煩そうだよね~。冥夜さん、大丈夫?」
「ん? ああ、そうだな…………まあ、月詠も同行してくれる事ではあるし、大事なかろう。」

 真剣な顔で断言しておいて、直後に自信無さげな顔になって武に訊ねる彩峰、我が事の様に興奮し顔を真っ赤に染めて誉めちぎる壬姫、そして普段の冥夜を見ていれば出てこない様な、ピント外れな心配をする美琴。
 それらの仲間達に、冥夜は律義に返事を返していった。
 そして、一通り言葉を交わした所で、冥夜は武に向き直る。

「―――私は、タケルも同行するものだと思っていたのだがな……」

「あ~、言ってなかったっけ?
 対BETA戦術構想装備群の実証試験をやってる、横浜基地所属の実戦部隊があってな。
 その部隊も演習に参加するんで、オレはそっちと一緒に行動するんだよ。
 だから、新潟で会えるかもしれないけど、基本的には別行動だな。
 けど、冥夜の方は月詠さん達がいるから大丈夫だろ?」

 腕組みをして、やや睨む様にして問いかけた冥夜に、武は頭の後ろに右手を当てて、誤魔化すように告げる。
 周囲の冥夜以外の4人も、初耳だとばかりに冷たい視線で武を滅多刺しにし、武の額に冷や汗が流れた。

「―――まあいい。別に遊びに行く訳ではないからな。
 タケルも、国連軍の恥を晒さぬよう、しっかりと努めるのだぞ?」

「へいへい。」

 散々武に冷や汗をかかせてから、冥夜は深く溜息を吐くと武に言わずもがなな苦言を呈した。
 武はようやく解放されるとばかりに、いい加減な返事をする。

「まったく、そなたという男は……
 それでは、これより私は特殊任務に赴く! 皆の見送りに感謝するッ!!」

 武の態度に再び嘆息した冥夜だったが、踵を返して月詠等の方へと数歩進んで仲間の輪から出ると、皆に向き直って敬礼し感謝の念を述べた。

「御剣冥夜訓練兵の任務完遂を願って―――敬礼ッ!」

 冥夜の敬礼を受けて、千鶴が号令をかけ、一同揃って敬礼を返す。
 冥夜は皆の答礼を受けると、不敵な笑顔を浮かべてから踵を返して月詠の下へと歩み寄り、2、3言葉を交わした後、兵員輸送車へと乗車していく。
 月詠以下、神代、巴、戎の4人も、敬礼したままの207Bに答礼を返してから、冥夜に続いて兵員輸送車へと乗車した。

 その後、暫くしてメインゲートが開いていき、斯衛軍の車列は次々と基地の外へと走り去っていった。
 それを見送りながら、美琴が腕組みし首を傾げて、目を伏せてしみじみと言葉を漏らす。

「う~ん。実はさぁ~、ボク、冥夜さんばっかりズルいって思ってたんだよね~。
 ほら、『武御雷』の実機訓練に入ってから、冥夜さん、斯衛軍の零式衛士強化装備を装着してたじゃない、しかも正規兵用の赤の。
 ボクらは相変わらず訓練兵用なのに贔屓だと思ってたんだけど…………訓練兵用を着て、斯衛軍には出向できないもんね~。
 あの透け透けの強化装備で紫色の御『武御雷』から出てきたりしたら、偉い騒ぎに―――「美琴!」―――ん? どうしたの? タケル。」

「その辺で止めておいてくれ……頼むから…………」

 正に、美琴の言うような事態を避ける為に零式衛士強化装備を手配した武は、疲れ切った表情で美琴の言葉を遮る。
 その脇では、訓練兵用の強化装備姿で『武御雷』から姿を現す冥夜を想像してしまった千鶴、彩峰、壬姫の3人が、目を大きく見開いた驚愕の表情で硬直していた……




[3277] 第99話 武士(もののふ)、陽の下に集いたり
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/04/13 17:19

第99話 武士(もののふ)、陽の下に集いたり

2001年11月10日(土)

 11時17分、横浜基地から出発した車列の中程、兵員輸送車の後部乗員席に武と水月、そして元207Aの面々、合わせて7人の姿があった。

 車列は大規模なものであり、87式自走整備支援担架50台、大型輸送トラック10台、兵員輸送車4台に護衛の高機動車6台で構成されている。
 兵員輸送車の1号車と2号車にはヴァルキリーズが分乗しており、1号車にはみちる以下先任達が乗車し、水月を指揮官として武と新任達は2号車に乗車していた。

 装輪式装甲兵員輸送車の、圧延鋼板製の車体で蔽われた後部乗員席は、外部視察用の小さな窓にさえブラインドが下ろされており、閉塞感に満ち溢れている。
 左右両側面に設えてある、垂直な壁と床から少し高くなった座面に申し訳程度のマットを付けただけの座席。
 そこに、武達7人は左右2列に分かれ、向かい合わせに腰かけていた。
 内蔵バッテリーの電力消費を防ぐために、99式衛士強化装備の上に外部バッテリ-ユニットでもあるCウォーニングジャケットを装着し、有事の際には速やかに戦術機に搭乗できる状態を保っている。
 車内のヒーターは入っておらず、車内は防寒コートの様な外見のジャケットが相応しい温度ではあったが、衛士強化装備の体温調節機能のお陰で、特に寒さに震えるような事は無い。

「そう言えば、新任のみんなは任務で出動するのは初めてだって?」

 左側後部乗員席の一番前に座った武が声をかけると、向かい合わせの右側乗員席に座る茜が頷く。
 左右の座席は4人掛けで、仕切りや肘掛けなどの無い、長椅子の様な作りをしている。
 そして、右側座席には前から水月、茜、多恵が座り、左側には武、晴子、智恵、月恵の順で並んでいた。
 武の問いに、全員の興味が寄せられるが、差し当たって言葉に出して応じたのは茜であった。

「そ、未だかつて出動経験は皆無。あ~あ~、珠瀬に先を越されちゃった~。
 正規兵を差し置いて、訓練兵が実戦参加するだなんて、まずあり得ないって。
 ねえ、晴子もそう思うでしょ?」

 肩を竦めて両掌を天井に向けた、お手上げのポーズで首を左右に振りながら愚痴る茜。
 しかし、言葉を終えて見開いた瞳は活力に満ちて輝いており、同期の訓練兵でもある壬姫の活躍を、競争心を燃やしながらも喜んでいる事が窺えた。
 そして、そんな茜の発言を受けて、透かさず晴子が口を開く。

「ん~、まあねえ。でもさ、珠瀬に限らず207Bは普通の訓練兵とは思えないってさ。
 PXのおばちゃん達から聞いた所じゃ、この所、基地内はこの話題で持ち切りなんだって。
 今の衛士訓練部隊は、何やら新機軸のエリート教育でも受けてるんじゃないかとか、奇天烈なのだと、実は生体強化兵(バイオニックソルジャー)なんじゃないか―――なんて話まで、あるらしいんだ、これが。」

 晴子は片目を瞑って笑みを浮かべると、仕入れた噂を披露する。
 すると、茜の台詞に相槌を打ちそびれてしょげていた多恵が、がばっと顔を上げて素っ頓狂な声を上げる。

「うひゃ! せ、生体強化兵って、まさか、か、改造人間?!」
「ちょっと多恵っ、何言ってんのっ!……なんとかライダーじゃ、あるまいしっ……」
「あはは。いくらなんだって~、改造人間は、無いよね~。」

 多恵の発言に、上体を前に折り曲げてズッコケて見せた月恵が、伸ばした両手をひらひらさせながらも多恵を窘める。
 その隣では、智恵が口元を押さえて笑みを隠しながらも、月恵に同意を示していた。

「そ、そうかな~。207Bの人達って、なんかやたらと能力高くなかった?
 ね、ねえ、茜ちゃんもそう思うよね?」

 月恵と智恵に笑い飛ばされた多恵は、唇を尖らせて拗ねると、茜に縋り付く様にして同意を求めた。
 多恵に縋りつかれた茜は、右手をちょいちょいと振って即座に否定する。

「ないない、それはないって! 多恵だって、207Bとは春から夏まで一緒に訓練してたじゃないの。
 確かに珠瀬の狙撃とか、彩峰の投げ技とか…………そ、そう言えば御剣の剣技はちょっと尋常じゃなかったかも…………
 って、そ、そんな事あり得ないって!……あ、あはは……は……」

 しかし、訓練兵として共に過ごした日々に目撃にした、壬姫の神業級の狙撃や彩峰の重力を無視した様な投げ技、そして、冥夜が一度だけ見せた斬鉄などの、常軌を逸した光景を思い浮かべる内にだんだんと表情が引き攣っていく。
 そんな茜の横顔を見た水月が、実に楽しげに脅しにかかる。

「茜~。その辺りは、白銀を問い質してみないと解かんないんじゃないのぉ~。
 下手したらあんた達や私だって、実は知らない内に改造されちゃってるかもしんないわよ~。」

 水月の無責任な言葉に、武は内心で呻き声を上げた。

(げっ! 速瀬中尉、なんて微妙なネタフリをするんですかっ!!)

 そんな武に、元207Aの面々が、揃って疑わしげな視線を投げかける。尤も、晴子の視線は興味深げな視線だったが。
 無論A-01の現役衛士を改造してなどいないのだが、横浜衛士訓練校に00ユニットの素体適合者が集められていると知り、その上、自身が00ユニットに『改造』されてしまっている所為で、武はつい口ごもってしまった。
 そして、そんな武の様子を、目聡い晴子が見逃す筈がない。

「あれえ~? 白銀、いま即答できなかったよねえ。
 あっやしいなあ~、実は何か怪しげな実験とか行われてたりする?」

 透かさず晴子の指摘を受けた武は、なんとか誤魔化そうと頭を捻る。

(ぐぁあ~っ! 柏木は相変わらず鋭いとこ突いてくるよな~。
 なんとか、上手い事言い訳しないと…………ん? これを口実にすれば……)

 幸いにして、量子電導脳の能力を活用すれば、多少考え込んだ所で実時間は0.1秒にも満たない。
 普段は、ODLの劣化速度低減の為にも思考速度を人並みに抑制している武だったが、こういう場合には瞬時に対抗策を練る事が出来る。
 ここに至るまでの会話を振り返り、武は言い訳を脳裏で組み立ててから、晴子の言葉に応じて見せた。

「え? あーっと、改造人間だっけ? ないない、A-01の貴重な戦力にそんな事出来るわけないって。
 そんなんじゃなくてさ、ほらさっき、涼宮が冥夜の名前を出してたろ?
 だもんで、今頃斯衛に出向した冥夜が、どうしてる頃かなーとか考えてたから、それで返事が遅れちまったんだよ。
 ―――速瀬中尉。話し中に、他の事に気を取られちゃって失礼しました。」

 茜が発言の中で冥夜に言及していた事に託けて、武は冥夜絡の事を考えていた所為で反応が遅れたのだと言い抜けた。
 そして、発言の中にさり気なく入れておいた、冥夜の斯衛軍への出向という情報に、即座に茜が食いつく。

「え? 御剣って、斯衛軍に出向してるの? 訓練兵なのに?」

 武に聞き返す茜だったが、その表情には、どことなくホッとしている様子が窺えた。
 どうやら、207Bの素姓を疑うような先程の自分の発言に、茜は少なからず気まずい思いをしていたらしい。
 若干目が泳いでいて白々しくはあったが、茜は武の言葉尻を捕らえて訊ね返す事で、話題を逸らそうとしたようだ。
 その辺りの機微に感付いているらしい晴子は、そんな茜を見てクスリと笑みを漏らしていたが、特に追及する事も無く、他の皆と一緒に話題に乗って武に注目する。

「あれ、言ってなかったっけ? 冥夜も今回の斯衛軍野戦演習に参加するんだよ。
 香月副司令からの特殊任務って扱いで、階級は臨時少尉になってる。
 それから……本当は今晩のレセプションまでは秘密なんだけど、冥夜は今後、帝国軍の参加する大規模作戦などに際して、政威大将軍殿下の御名代として、紫色の御『武御雷』に搭乗する事になってるんだ。
 その時も、今回みたいに斯衛軍に出向って扱いになる筈だから、今後は結構頻繁に行ったり来たりするかもな。」

 武の言葉に、驚き半分、納得半分といった表情で、互いに視線を交わし合う元207Aの面々に対し、水月だけは一人納得のいかない表情を浮かべる。
 同じ訓練小隊の訓練兵として顔を合わせていた新任達と違い、ヴァルキリーズの先任達は訓練兵との接触を徹底的に避けてきた。
 その為、水月は冥夜を遠目にすら見た事が無く、その顔立ちが悠陽に瓜二つである事を知らない。
 それ故に、水月は武に疑問をぶつけた。

「ちょっと白銀! なんだってそんな事になってんのよ。
 今の話からして、何時までも臨時少尉じゃ外聞が悪いわよねえ?
 て事は、近い内に訓練課程を切り上げて任官させる心算なんじゃないの?
 207Bは任官したらうちの隊に来るって決まってるのに、まさかあんた、斯衛にくれてやったりしないでしょうね!」

 現在、ヴァルキリーズは何とか中隊定数を満たしてはいるが、本来連隊規模である筈のA-01としては衛士の補充は急務である。
 それ故に、水月は冥夜が他の部隊に配属になるのではないかと案じ、武を問い詰めた。
 武はそんな水月の言葉を受け、一瞬キョトンとした表情を見せたが、ポンと左手に右拳を打ち付けて事情を説明する。

「ああ、そっか。速瀬中尉は冥夜―――御剣訓練兵と面識がありませんでしたね。
 御剣訓練兵は、煌武院家分家筆頭、御剣家の直系なんですよ。」

「煌武院家って―――じゃあ、政威大将軍殿下のご縁戚?!」

 武の説明に目を丸くして驚いた水月が、素っ頓狂な声を上げた。
 武はその様子に笑みを浮かべながらも、頷きを返して説明を続ける。

「そうです。他にも色々と訳ありでして。
 警護リストにも名を連ねているもんで、斯衛軍の警備小隊がわざわざ国連軍の横浜基地に駐留してますしね。
 その辺りの事情は、今晩のレセプションで殿下が明かされると思いますから、それまではオレの口からは言えません。
 どうして斯衛軍に入隊せずに国連軍に所属しているのかも、その時多分解かると思いますよ。
 まあ、そんなこんなで、殿下に近しい素姓の持ち主だから、殿下の御名代として抜擢されることになった訳です。
 で、早期任官については、御明察ってところですね。207B全員揃って、遅くとも12月初旬までには任官させる予定です。
 勿論、配属先は全員揃ってA-01ですから、そちらの方も安心してください。」

 淡々と説明する武に、水月の表情が驚きから呆れへと変化していく。
 武の説明が終わると、水月は大きな溜息を吐いて、両手を上げると首を振って言葉を漏らした。

「はぁ~……なんか、あんたの話聞いてると、頭がくらくらしてくるわ……
 うちに新人がちゃんと配属されてくるってのは良いとして……
 前々から、訳ありの部隊だって噂は聞いてたけど、207Bって本当にとんでもないのが揃ってたのね。」

「そうなんですよ、速瀬中尉! 一緒に訓練受けてても、なんかこう、空気からして違うんですよね。
 一生懸命負けないように頑張って、夏の総戦技演習に合格して、一足先に任官できたってのに……
 白銀が配属された途端、なんかもう、正規兵とか、訓練兵とか、そんな枠組み関係無しになっちゃってるし!
 おまけに、実績で言ったら、珠瀬の一件で完全に逆転しちゃってますよ……こないだの総戦技演習だって…………」

 水月の言葉を受けて、茜は右手の親指を噛み微かに焦燥を浮かべて訴える。
 言い募る内に、だんだんと思考に迷い込んでしまった茜に、晴子がある意味で追い打ちをかけた。

「あー、あれねー。あの娘らの総戦技演習って、凄かったよね~。
 あたしらがヴァルキリーズで受けた『対BETA心的耐性獲得訓練』よりも、よっぽどきつい内容だよね、あれ。
 よくもまあ、途中で放り出さなかったもんだと思うよ。みんなだってそう思うよね?」

 そう言って、晴子は智恵、月恵、多恵の3人に順繰りに視線を巡らせて呼び水を向ける。
 急に話を振られた3人は、その場の思い付きで晴子に応えるが、それだけに本音に近い意見となった。

「あ~、あれはちょっと~、厳し過ぎだと思いますね~。私だったら~、下手したら~合格できなかったかも~。」
「あーあれねっ、無理無理ッ! あれって絶っ対、任官前にやるような演習じゃないって!」
「ふひゃっ? あ……えっと……うん。あ、あたしじゃ、あんなに上手く出来ない、です。」

 そうして出てきた3人の感想は、総戦技演習の内容は厳し過ぎるという見解で一致していた。
 それは即ち、その総戦技演習に合格した207Bと自分達の間に、力の差を感じているという事でもある。
 それ故に、そんな感想を聞いた茜は、未だに親指を噛み視線を床に落としたまま、静かに武に問いかける。

「そうだよね。最後まで諦めなかったのも凄かったけど、それ以前に作戦指揮や部隊運用が、従来の戦術とは根本的に変わってた……
 夏と違って、チームワークも完璧だったし……
 ―――ねえ、白銀。あれって千鶴が自分で考えたの?」

「う~ん……まあ、一応そうだな。
 ただ、訓練課程も新衛士訓練課程に変わってたし、基本的な考え方や手法、対策は、オレが事前に大分教えといたんだよな~。
 だから、涼宮達の総戦技演習の時とは、前提条件がまるっきり別物なんだけどな……
 ―――それでも、総戦技演習中の作戦立案や部隊運用には、オレは殆ど口出していないから、委員長―――榊が自分で考えてやり遂げたって事になると思うぞ?」

 茜の問いに、武は少し説明を挿みながらも、概ねその通りだと告げた。
 あの作戦や部隊運用は、千鶴の努力の成果ではあるが、茜達の総戦技演習の時点とでは、事前の与えられている情報が違い過ぎて比較対象にならない。
 それ故に武は、単純な肯定を返さず、訓練前の状況説明を加えたのだが、それを聞いた茜は更に深く黙考する。

(―――つまり、総戦技演習前に、白銀の戦術構想を学んでいたって事よね?
 ……白銀の提唱する対BETA戦術の根幹は、戦術機をBETAの陽動に特化させる事と、遠隔操縦の装備群にリスクを肩代わりさせて、衛士の損失を可能な限り避ける事……
 総戦技演習で千鶴に与えられた部隊は従来型の戦術機甲部隊だから、出来るのは陽動に専念しつつ危険を可能な限り避ける事よね。
 そっか、だからBETAを戦線で阻止する事を捨てて、機動防御戦術を選んだのね。
 そして、レーザー属種の出現で機動防御が困難になった時点で拠点防御に……
 ベイルアウト後の避退行動は置いとくとして……
 最後の広域索敵は犠牲が出るのを覚悟した上で、それを最低限に留める為に……)

 茜は、武の言葉から、総戦技演習に於ける千鶴の思考を紐解いていく。
 そんな茜に皆の心配そうな視線が集まったが、茜は突然がばっと顔を上げる。
 その顔には、晴れ晴れとした笑顔が浮かんでおり、その口から出たのは、この場には居ない親友兼ライバルへの賛辞であった。

「そっか……うん、さすが千鶴ね。良く考えてあるじゃないの!」

 茜の様子をじっと見守っていた水月だったが、茜の明るい表情からマイナス思考に陥らなかった事を確認すると密かにほっと溜息をつく。
 そして、一つ相槌を打つと、207Bの総戦技演習に対する先任としての評価を披露する。

「うん、実際あれは大したもんだったわ。
 伊隅大尉や遙も感心してたし。
 あたしも、地中侵攻くらうまでは、あのまま上手い事殲滅させるかと思ってたからね。
 尤も、その後の展開が悲惨だったわね。
 確かに実戦では良くある事だし、あの辺が演習の味噌だったみたいだけど……白銀、あんた、ちょっと趣味悪過ぎよ。」

 水月の評価を自分が褒められたような顔で嬉しそうに聞いていた武だったが、行き成り趣味が悪いと決めつけられてしまうと、途端に情けない顔になって抗弁する。

「趣味ってなんですか?! 速瀬中尉ッ!!
 変な事言わないでくださいッ!!!」

 しかし、この場にいるのは、『対BETA心的耐性獲得訓練』で愉快とは到底言えない体験をさせられた面々である。
 有効性や、必要性は理解していても、感情的にそれを考案した武に対する心情は悪い。

「あはははは……言われちゃったね、白銀。
 でもさ、大丈夫だよ? 207Bだけじゃなく、私達も含めて心配してくれたが故の、愛の鞭だって事は解かってるからさ。
 ―――まあ、白銀の趣味については、色々と意見の分かれる所だろうけどね!」

 それ故に、透かさず晴子の追い打ちが入り、武の気力を根こそぎ奪って凹ませる。

「そうそう、白銀、幼女趣味なんだって?」「ひょえ?! 珠瀬さんとか、鎧衣さんのこと?」「あははっ、あの2人はちっちゃいからね。」「でも~、晴子さんの話では~、銀髪の可愛い女の子と毎朝いちゃいちゃしてるそうですよ~。」「で、オマケに加虐趣味ってわけね。白銀、あんたサイテー!」

 そして、凹んだ武に他の面々も追撃戦を展開し、36mmチェーンガンの弾幕も斯くやと言わんばかりの口撃が、続け様に叩き込まれる。
 最早、武は気力も尽き果て、恨み事を呟く事しかできなかった。

「くっそ~、言いたい放題言いやがって……もう、勝手にしろよ! はぁ~……」

 防戦を放棄して、座席からずり落ちそうになって呟く武の姿に、同乗している面々は大笑いしながら更に追い打ちをかけていく。
 斯衛軍長岡野外演習露営地までの道程には、未だ決して短いとは言えない時間が残っている。
 彼女等にとって、お楽しみは、まだまだこれからのようであった……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 13時08分、斯衛軍長岡野外演習露営地の外れに複数設けられた大テントの1つ、そこに多数の斯衛軍衛士らが集まっていた。

 そのテントは観覧席として用意された物であり、現在は設置された機材のテストを兼ねて、眼前の演習区画で今正に行われている、2機の戦術機による模擬戦の様子を大型スクリーンに映し出していた。
 演習区画に立つ2機の『武御雷』はそれぞれが赤と白に塗装されている。
 いずれも、武家出身の斯衛衛士でなければ搭乗を許されない機体色である為、実戦経験の多寡はともかく、相応の腕前の衛士が搭乗しているものと察する事ができた。

 模擬戦は丁度始まった所で、2機の『武御雷』は1km程の距離を置いて対峙している。
 周囲には然したる遮蔽物も無く、砲撃戦を行うのであれば十二分に距離は詰まっていると言えた。
 しかし、白い『武御雷』は背部兵装担架に保持した突撃砲を構えもせずに、右主腕に74式近接戦闘長刀を保持したまま、悠然と主脚歩行で間合いを詰めていく。

「愚か者めが! 相手の技量を測りもせん内から侮りおって……」

 背後で上がった忌々しげな声に、模擬戦の様子を肉眼と大型スクリーンの映像で観戦していた衛士達の殆どが、慌てて振り返って敬礼する。
 その視線の先には、赤い斯衛軍の軍装に身を包んだ偉丈夫―――紅蓮の姿があった。
 紅蓮は無造作に答礼を返すと、続けて腕を払うようにして、自分に構わず観戦を続けよと命じる。
 その意を受けて観戦に戻る衛士達であったが、背後で腕組みをしている紅蓮の存在に、無意識の内に直立不動の姿勢を取り、すっかり気も漫ろ(そぞろ)となってしまっていた。

 そんな衛士等を他所に、紅蓮に歩み寄る者達が居た。
 斯衛軍第16大隊隊長である斉御司大佐と、この演習中に限って原隊である第16大隊に復帰している月詠以下、神代、巴、戎の4人である。
 その5人が、紅蓮の前に立って敬礼すると、紅蓮は先程よりは幾らか気の入った答礼を返して、斉御司大佐に話しかける。

「片方が月詠の『武御雷』に乗った冥夜である事は聞き及んでいるが……
 久光。あれはどの隊の衛士だ?
 些か、相手を侮り過ぎているようだな!」

 紅蓮が顎で示す先を、斉御司大佐は振り返る。
 2人の視線の先では、十分に間合いが狭まった2機が、共に長刀を構えて近接格闘戦を始めんとしていた。
 上段に構え、斬りかかる隙を窺う白い『武御雷』に対し、赤い『武御雷』は左腰部に右主腕のみで保持した刃を寝かせ、鍔元に左主腕のマニピュレーターを沿えており、その様は居合を思わせる構えであった。

「恥ずかしながら、我が連隊の者です。
 後刻、あの者の慢心は、厳しく叱責し鍛え直す所存でございますれば、この場は何卒ご寛恕を……」

「ふん! 配下を抑えられぬ貴様ではなかろう。
 大方、冥夜の技量を知らしめると共に、配下の慢心を引き締める所存なのであろうが。
 然れど、あれでは話にならん! 選りにも選って太刀のみでの立ち合いとなれば、冥夜に及ぶ筈があるまい。
 久光、貴様わざと配下に教えなんだな?」

 斉御司大佐は紅蓮に対して深々と頭を下げて、寛恕を請う。
 それを鼻先であしらいながらも、紅蓮に斉御司大佐を責める様子は無かった。
 とは言え、視線の先で続けられている模擬戦の内容には満足しかねている様で、紅蓮は更に重ねて斉御司大佐を問い質す。

 2人が会話を交わす間にも、演習区画では白い『武御雷』が、赤い『武御雷』に斬りかかる隙を見出せぬのか、左右に位置取りを改めるのみで、一向に斬りかかれないという醜態を晒していた。
 否、不用意に斬りかからず、尚且つ冥夜に付け入る隙を見せていないだけ、相応の剣技を持っていると言うべきかもしれない。

「此度の事は、あの者には良き教訓となりましょう。
 己が未熟を悟れる程度の器量は、あの者にも備わっておるかと。
 然れど、立ち合いに先んじて冥夜殿が無現鬼道流が免許皆伝者であると知らせては、悪癖たる慢心の出る余地がございますまい。
 それでは、あの者を矯め直す機を逸してしまいますゆえ。」

 涼しげに語る斉御司大佐だったが、その言葉を聞いた周囲の斯衛軍衛士達に驚愕が走る。
 斯衛軍衛士達は皆、無現鬼道流を修めんと鍛錬に励んでいる身であるが、免許皆伝など夢のまた夢。
 にも拘らず、国連軍所属の年若い衛士が皆伝を得ているなど信じ難い話であった。

 驚愕を辛うじて押し殺しながらも、動揺を隠し切れない衛士達を一瞥すると、紅蓮は鼻で嗤って聞えよがしに告げる。

「冥夜は、幼き頃よりわしが手ずから鍛えた雷電の孫娘よ。
 生半な者が太刀で敵う由など、ありはせぬわッ!」

 その言葉に、居並ぶ衛士達が不明を恥じた時には既に、隙を見出せぬままに斬りかかった白い『武御雷』が、冥夜が擦り抜けざまに放った一閃により、胴を斬られて大破の判定を受けるに至っていた。



「紅蓮閣下っ! 御無沙汰しております。
 御壮健で在らせられた御様子でなによりです。」

 管制ユニットを機体前方へとスライドさせ、赤い零式衛士強化装備をまとった身を翻し、搭乗タラップを駆け降りてきた冥夜は、紅蓮の前に立って最敬礼すると声を弾ませた。
 それに満面の笑みを返しながら、紅蓮は答礼して話しかける。

「うむ。冥夜も壮健でなによりだ。
 戦術機の扱いも一通りは身に付けたようだな。
 先の立ち合いで、皆そなたに一目置いた事であろう。
 今宵は、大役が控えておろう。夕刻まで暫し心身を休めるがいい。
 ―――月詠、後は任せて良いな?」

「はっ! 御配慮、忝く存じますッ!」
「はっ! お任せください、紅蓮閣下。」

 冥夜と月詠の応えを聞くと、紅蓮は上機嫌で踵を返した。
 そのまま整備格納庫を立ち去って行く紅蓮を見送った後、冥夜は月詠に視線を向ける。

「それでは、お部屋に御案内いたします。
 どうぞ、こちらへおいで下さいませ、冥夜様。」

 月詠は一旦身を引くと、冥夜を差し招き、先導していく。
 その後に続く冥夜の後背に、神代、巴、戎の3人が付き従って護りを固めた。
 そうして、威風堂々と整備格納庫を後にする一行を、居合わせた斯衛軍将兵達が見送っていた。



「―――冥夜様、お見事でございました。
 これで、他の者等も徒に異論は差し挟めぬ事でしょう。」

 冥夜を先導しつつ、通路に人気の絶えたのを見計らって月詠が口を開く。
 その口元には笑みが浮かび、誇らしげで柔らかな表情をしていた。

「いや、長刀での立ち合いで助かった。
 正直、砲撃戦ともなれば、私では些か経験が足りぬであろう。
 そうなっておれば、果たして何処まで躱し切れたものか……」

「そんな事はございません!」「冥夜様の技量は一際優れたものでございます!」「斯衛とは言え、並の衛士では到底敵いませんわ~。」

 先刻の実機を用いた模擬戦を振り返って冥夜が応えるが、その言葉には自戒の色が強かった。
 それを聞いた神代、巴、戎の3人は、口々に冥夜を褒めそやす。
 しかし、冥夜は静かに首を横に振ると、そんな3人を諌める。

「此度の演習で、私は殿下が御搭乗なされる御『武御雷』を操るという大任を賜っている。
 殿下を御守りする立場の斯衛が、私の技量を案ずるのは当然の事だ。
 そして、如何に研鑽を重ねようと、私が戦術機に乗り始めて1月にもならぬ弱輩である事は事実に他ならぬ。」

 今朝方、今回の斯衛軍長岡野外演習に参加する斯衛軍部隊に合流した冥夜だったが、五摂家に所縁のある者はともかく、それ以外の将兵からはあまり歓迎されているとは言い難い立場にあった。
 冥夜が国連軍の所属である事、臨時少尉の階級を持つ事から正規に任官した衛士ではない事、にも拘らず紫色の御『武御雷』の改修に携わり、あまつさえこの演習に於いて、政威大将軍殿下と御『武御雷』に同乗する事になるのだと、斯衛軍の演習参加将兵全員が事前に通達を受けている。
 それ故に、合流前から冥夜の事をやっかむ者達が後を絶たなかった。

 それでも冥夜の顔立ちを間近に垣間見た者や、御剣の家名に大凡の素姓を察した者などは軽率な言動を控えたが、そうではない者達、殊に衛士の中に疑念を声高に言い募る者達が多かった。
 そしてそれらの声が、今回の演習参加部隊の主幹となる斯衛軍第6連隊の連隊長でもある斉御司大佐の耳にまで届いた結果、大佐の発案によって実機による模擬戦が執り行われる運びとなったのである。

 斯衛軍の至宝とも言うべき紫色の御『武御雷』を殿下以外の、あまつさえ斯衛軍の衛士ですらない者が操るという事への憤懣。
 昨今繰り返し鍛錬を強いられている対BETA戦術構想が、斯衛軍ではなく国連軍横浜基地発祥である事への抵抗感。
 なまじ、新OSや新装備、そして新戦術が優れていると実感出来るからこそ、余計に斯衛軍衛士らは国連軍―――殊に横浜基地に対する鬱憤を溜め込んでいる。
 そしてそれらの鬱憤が、横浜基地より唯独り斯衛軍へと出向してきた冥夜へと、今にも噴き出さんとしていたのだ。

「ですが冥夜様。紫色の御『武御雷』は本来、唯一殿下のみが搭乗する事を許された特別な機体です。
 斯衛にも、殿下お一人を除けば、真っ当に搭乗し操った経験を持つ者などおりませぬ。
 また、例え万に一つ試乗の任に抜擢されたところで、あまりに畏れ多きこと故、その任をお受けする者とてそうはおりますまい。
 であるならば、今現在、斯衛に冥夜様よりも試作OSを搭載した御『武御雷』を巧みに操れる衛士はまず存在し得ないのです。
 また、冥夜様のご事情や、殿下の御心を慮れる者にとっては、冥夜様以上にこの任に相応しき者がおらぬ事もまた自明の理なのでございます。」

 月詠は、淡々と冥夜よりも相応しい立場の者など居ないのだと告げる。
 それを受ける冥夜は、感情を押し隠し視線を前方に据えたまま、無言で歩みを進める。
 そんな冥夜の様子を察しているのか否か、月詠は更に言い募った。

「幸い、先の模擬戦に於いて、冥夜様は十分な技量をお示しになられました。
 また、立ち合いを観戦していた者らの目を覚ます為に、紅蓮閣下も一芝居打たれております。
 今宵、殿下から賜わるお言葉も合わせれば、明朝には斯衛の将兵は須らく冥夜様を迎え入れている筈でございます。
 それ故、どうぞご案じ召されますな。」

 そう言って、月詠が軽く頭を下げると、冥夜は苦笑を浮かべて言葉を返した。

「月詠。私は何も案じてなどおらぬぞ。
 此度の勤めは、非才の身なれど私自身の意思でお受けしたものだ。
 ならば、私は全力を尽くして務めを果たすのみ。今更、我が身を案ずる事などありはしない。
 先に申したのは、斯衛の将兵の心の内を慮ったに過ぎぬ。
 またそれすらも、私自身の振舞いと、私を認めて下さる方々の御高配、そしてそなたらの尽力によって、いずれ口の端に乗せる必要もない、瑣末な事柄となろう。」

 冥夜はそこまで語ると瞳に宿した輝きを強め、莞爾と笑って言葉を続けた。

「私も、斯衛の将兵も、殿下の御為にただ只管に忠勤に励めば良いだけの事だ。
 殿下の御為に力を尽くす喜びに比すれば、如何なる艱難辛苦とて然したることではあるまい。
 月詠。私は生まれてきてこの方、今ほど幸せだと思った事は無いぞ!」

 月詠は、冥夜の言葉に「詮無き事を申し上げました。」と一言詫びると、後は無言で冥夜を先導していく。
 その身に喜びと、戦場に於いて主の先駆けとして、万難を排して道を切り開かんとするが如き覇気を宿して……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時37分、斯衛軍長岡野外演習露営地の一角に設えられた宴会場では、セレモニーに引き続いて夕食会が催されていた。

 対BETA戦術構想とその装備群を披露する事を目的とした今回の野外演習には、帝国軍のみならず、大東亜連合軍や米軍さえも招かれていた。
 その中には、帝国軍の精鋭たる帝都防衛隊や富士教導隊、鋼の槍連隊や、帝国軍との演習の為来航していた米国第7艦隊に所属する、米国陸軍第66戦術機甲大隊などの、各部隊から招かれた衛士らの姿が含まれている。
 立食パーティーの形式で執り行われた夕食会もたけなわを過ぎ、政威大将軍殿下を初めとした斯衛軍首脳部は既に退室し、比較的肩肘を張る必要の無い、和やかな場となっていた。

 会場に残る者達の間で交わされる話は、先んじて行われたセレモニーに関するものが殆どであった。
 政威大将軍殿下と瓜二つの顔(かんばせ)を持ち、新たに設けられた『御名代』と言う大任に任ぜられた、格式の高い武家である御剣家令嬢の身で国連軍横浜基地に所属する御剣冥夜臨時少尉に関するもの。
 ―――幼少の頃より、影武者としてその存在を秘されて育成され、それ故に斯衛に任官する事を避けて国連軍に身を投じたという逸話は、それを断行した御剣雷電翁の忠誠と共に、多くの者の胸を打った。
 あるいは、戦術機用の新型OSが搭載された『武御雷』によって行われた模擬戦に関するもの。
 ―――殊に、紅蓮大将と、斯衛軍退役大将である神野志虞摩翁の一騎打ちは、志虞摩翁が用いた戦術機用の薙刀の目新しさもあり、両者の神業の域にまで達した技量の冴えを以て、衛士達に尽きせぬ話題を提供していた。
 とは言え、それすらも凌駕して、最も多く語られたのは、悠陽が語ったBETAを圧倒できると言う新戦術に関してであり、年内に守勢から攻勢へと転じるとの方針についてであった。

 新戦術―――対BETA戦術構想の基幹技術であると言う新型OS搭載機の機動性能には目を見張るものがあったが、搭載された戦術機は帝国最強の誉れも高い『武御雷』であり、模擬演習を行ったのは精鋭揃いの斯衛軍衛士等である。
 紅蓮と志虞摩翁の立ち合いがあまりに常軌を逸していた事もあり、所詮はデモンストレーションならではのものではないかとの憶測すら囁かれていた。
 となれば、やはり最も気になるのは、翌日のJIVESを使用した、対BETA戦闘を想定した演習となる。
 この場に残る斯衛軍以外の皆が、未だに明らかにされない新戦術と新装備に興味を掻き立てられていた。



 そんな夕食会の会場から、夜の闇へとするりと抜け出す人影があった。
 暫し星空の下で夜気に当たって火照りを冷ます素振りをしていたその人物は、人目が絶える隙を窺って宴会場を離れ、闇へと姿を溶け込ませた。
 その人物は、光の当たらぬ所を選びながらも、極自然な歩調でゆったりと進む。
 その悠然とした態度は、何憚る事も無く、単に散策に興じているかのようであった。

 時折薄明かりを反射する金髪に彩られた姿が、とある整備格納庫に近づいた所でふっと消える。
 素早く物陰に身を隠したその人物は、周囲の気配を慎重に探った後、整備格納庫の内部を窺おうと身を起こした。

「そちらから動いてくれて、手間が省けましたよ。イルマ・テスレフ少尉。」

 今正に斯衛軍の整備格納庫へと潜入しようと画策していたイルマは、突然背後から投げかけられた声にビクッと身体を震わせて立ち竦む。
 そして、恐る恐る背後を振り向いたイルマは、何時の間に近付いたのか2mと離れていない場所に立つ、年下と思われる少年―――国連軍C型軍装を身にまとった武の姿を見出したのであった―――




[3277] 第100話 悠久たる陽の光、暗澹たる戦場を照らし―――
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/01/26 17:16

第100話 悠久たる陽の光、暗澹たる戦場を照らし―――

2001年11月11日(日)

 06時20分、未だ黎明に沈む、斯衛軍長岡野外演習露営地に非常警報が鳴り響く。

「―――総員戦闘配置! 総員戦闘配置!
 演習司令部より総員に告ぐ。佐渡島ハイヴより出現した、旅団規模のBETA群が南下を開始。
 新潟に上陸するものと推測される。
 総員戦闘配置にて待機せよ! 尚、これは演習にあらず!―――繰り返す。これは演習にあらずッ!!」

 警報とそれに続く放送に、露営地内は一気に喧騒に包まれた。
 演習の観戦に招かれた一部の高級士官や参謀達を除き、戦闘部隊に所属する全将兵が戦闘配置に着くべく露営地を駆け抜け、整備兵は担当する機体に取り付いて、出撃態勢を整えていく。
 そして、戦闘配置がほぼ完了しようとした頃、露営地全域に涼やかな声が響き渡った。

「斯衛軍長岡野外演習露営地に在る全ての方々、暫しこの放送に耳を傾けていただけないでしょうか。
 わたくしは、政威大将軍煌武院悠陽です。
 先の放送で周知とは思いますが、今正に怨敵BETAが我らが国土へと侵攻せんとしております。」

 露営地の各所で、多くの人々が悠陽の落ち着いた玲瓏な声を傾聴する。
 場を満たしていた喧騒が去り、静寂を取り戻した露営地に悠陽の言葉が流れる。
 ―――が、続く悠陽の言葉に、抑え込まれたどよめきと共に、場の空気が一気に高揚した。

「これより、わたくしは斯衛を率いて戦陣に立ち、我が国土を侵さんとするBETAを迎え撃つ所存です。
 人類に勝利をもたらすに相違なき、新戦術とその装備群を披露せんとしていた正にこの日に、BETAの侵攻が重なりし事は天の配剤に他なりません。
 わたくしは、新戦術によってBETAを打倒し、以って人類が得し新たなる刃の力の証しといたしましょう。」

 政威大将軍殿下の直率によるBETAの迎撃―――即ち親征を行うとの宣言が、悠陽の言葉を聞く全ての者達を高揚させる。
 斯衛軍の将兵は、親征の一翼を担うという栄誉に浴する事への喜びに。
 演習を観戦しにきた者達は、政威大将軍が親征を行ってまでその力を示そうとしている、新戦術への期待に。

「今日、これより用いられる新戦術は、BETAとの戦いで流された多くの血と、人類の勝利を信じて捧げられし数多の御魂を引き換えとして得られた、貴重な時の内に育まれ、鍛えられし刃に他なりません。
 今こそ、我らはその刃を振るい、英霊達の献身に報いねばならないのです!
 ―――斯衛軍の衛士らよ。
 新たに鍛えられし刃もて、怨敵BETAをば討ち滅ぼさん。
 我が国の興亡、人類の命運はこの一戦にあり。
 そなたらが武勇、示すは今ぞ!
 我が忠勇なる斯衛よ―――いざ、共に参らんッ!!」

『『『 ―――ぅぉおお応ッッッ!!! 』』』

 露営地の全域が、斯衛軍将兵の上げる雄叫びにビリビリと震えた。
 その雄叫びも収まらぬ内に、悠陽の言葉を継いで紅蓮が陣立てを申し渡す。

「先陣は久光、そなたの第6連隊に任せる。見事、突撃級どもを塞き止めて見せよ!」

「承知ッ! 第6連隊、出陣!―――参るぞッ!!」

 斉御司久光大佐の操る青い『武御雷』を先頭に、斯衛軍第6連隊の戦術機が噴射跳躍ユニットを噴かして露営地より出陣していく。
 一群の『武御雷』の後に、補給コンテナを抱えた『時津風』と『満潮』が追従し、更にその後を追うように各種物資を満載した『自律移動式整備支援担架』の車列が土煙を上げて追走していった。

「第1大隊には本陣として後詰を命じる。ただし、第1大隊第1小隊は、殿下の直衛特務小隊と共に陽動支援機にて先陣に出る!
 本陣の護りを固め、BETA共を1匹足りとて近付けるでないぞ。よいなッ!」

『『『 はッ! 』』』

 斯衛軍第1大隊の戦術機は車列を護るようにその周囲を囲み、主脚走行で出陣していく。
 その後方から、紫に塗られた機体を先頭に、7機の遠隔陽動支援機が匍匐飛行で追い抜き、先行した第6連隊の後を追う。
 そして、それらの部隊とは別に、想定される戦線全域を目指して、各方位へと散り散りに飛び去る国連軍塗装の『満潮』21機の姿があった。

「む……既に先兵を動かしておるか。さすがに手早いな。
 国連軍横浜基地所属、A-01連隊には独自の判断で遊撃を担ってもらおう。
 新戦術に関してはお主らこそが本家本元、噂に違わぬ活躍を期待しておるぞ!」

「了解ッ! 全力を尽くします。」

 紅蓮の言葉にみちるが応じ、A-01本隊も露営地より出撃する。
 人員こそ衛士13名にCP将校1名を加えた、増強中隊規模に過ぎないA-01であったが、第1大隊と同様に多くの車両を伴って主脚走行で進撃する戦術機は20機を数えていた。
 先発させた『満潮』21機を加えれば総勢41機となり、大隊定数を上回る。
 そして、衛士の数よりも戦術機の総数が上回っているのは斯衛軍の各隊も同様であった。

 BETAを迎撃すべく露営地より出撃した戦力は、増強中隊規模のA-01と、斯衛軍第6連隊に斯衛軍第1大隊を加えた4個大隊と政威大将軍直衛特務小隊である。
 全ての衛士を数え合わせたならば、4個大隊の定数を上回る162名に上る。
 さらに、有人戦術機に、無人機である遠隔陽動支援機と随伴輸送機を加えれば、戦術機の総数は269機となり、2個連隊の定数を優に超す数の戦術機が投入さていることになる。
 これは、帝国本土防衛軍の師団編制に含まれる戦術機甲部隊の定数、1個連隊108機を遥かに上回る数であった。

 とは言え、師団戦力の基幹となる4個機甲連隊432両を初めとする機械化歩兵部隊や航空支援部隊を伴わない、戦術機甲部隊と補助装備のみの編制であり、果たして総数5000体を優に超えるであろうBETAを殲滅し切れるのであろうか。
 露営地に留まる観戦武官らは、迎撃態勢が着々と整えられていく様子を、データリンク越しに固唾(かたず)を飲んで見守っていた。



「―――冥夜……」

 戦場へと向かう紫色の御『武御雷』の複座型管制ユニットの中、悠陽は前席に同乗する冥夜に対して躊躇いがちに声をかけた。
 現在、御『武御雷』を操っているのは冥夜である。
 本来は副操縦士の席である前席に着いてはいるが、XM3搭載機となった機体への慣熟では冥夜に一日の長がある為、操縦の一次優先権は冥夜に設定されていた。

「はっ! 如何なされましたか? 殿下。」

 そして、即座に返った冥夜の、しかし臣下としての応答に、悠陽は悲しげに眉を寄せると網膜投影に冥夜の通信画像を表示させる。
 音声を通信回線に乗せこそしないものの、これならば冥夜の表情を窺いながら話が出来ると、心中で一つ頷いた悠陽は、冥夜の態度を責めるようにとくとくと言葉を紡いだ。

「冥夜。わたくしは昨日のセレモニーに於いて、そなたを実の妹の様に想っていると、此度の演習に集いし方々に告げました。
 それはそなたもしかと聞いていた筈。にも拘わらず、その様に遜った(へりくだった)物言いをするとは……わたくしは悲しくてなりません。
 もしや、そなたはわたくしの名代に任じられし事が意に沿わず、命を下したわたくしを恨んでおるのでしょうか?
 ……いえ、それ以前に、わたくしとそなたの間には、恨まれるに余りある因縁がありし事を失念しておりました。
 そなたがわたくしを恨むのも当然。そなたの心情も慮らずに、詮無き事を申しましたね。」

 悠陽はそう語ると、悲しげに細めて見せた双眸の奥から、動顛する冥夜の表情を透かし見る。
 敬愛の対象である悠陽から、あらぬ意趣を疑われてしまった冥夜は、常の怜悧な表情を崩し、目と口を大きく開いて滑稽なほどに動揺を曝してしまっていた。
 悠陽はその様子が通信網に乗らないように、冥夜の通信画像をデータリンクより遮断する傍ら、画像データを自身の強化装備に保存する。

(まあ……冥夜のこのような姿を目の当たりに出来る日が来ようとは、夢にも思いませんでした。
 全ては白銀の献策あっての事。あの者に尽きせぬ感謝を……)

 悠陽が悲しげに装った顔(かんばせ)の裏で、些か質の悪い喜びを噛み締めていると、ようやく落ち着きを取り戻した冥夜が、真剣な眼差しで言上した。

「畏れながら殿下に申し上げます。
 私が殿下をお怨み申し上げるなど、断じてあり得ぬ事でございます。
 例え如何様な勤めであれ、殿下のご意志とあらば、喜び勇んでお受けする所存にございます。
 何卒、我が忠心の程、お察しくださいませ。」

 因みに、このような会話を交わしながらも、悠陽は遠隔陽動支援機を危な気なく操り、匍匐飛行で前線へと急行させている。
 そして、その陽動支援機の二次優先制御権もまた、冥夜に設定されていた。
 冥夜は必死に悠陽の誤解を解こうとしながらも、御『武御雷』と悠陽の操る遠隔陽動支援機に問題が生じないように、気を配らねばならなかった。

 切々と訴える冥夜の言葉に、悠陽は愁眉を開くと透かさず畳みかけるようにして告げる。

「冥夜、その言葉に相違ありませんね?
 なれば、そなたに命を下します。
 今後公のしかるべき場を除いて、そなたにはわたくしに対して努めて親しげに振る舞う事を命じます。
 故に、その堅苦しい物言いも改めなさい。
 わたくしの名代であるそなたが、わたくしと昵懇な間柄であると広く知らしめる事は、そなたが名ばかりの名代なのではないかとの疑念を晴らす事に繋がります。
 然すれば、そなたと戦場を共にする将兵も、より大きな誇りと栄誉を感じ、奮い立つに相違ありません。
 ですから冥夜…………これより後は、何憚る事無くわたくしに親しく振舞って良いのですよ?」

 政威大将軍としての感情を抑えた物言いで、冥夜に命を下した悠陽だったが、最後の言葉だけは、慈愛の籠った笑みを浮かべて語りかけた。
 それは上位者の慈愛と寛容を装いながらも、そこに籠められた真意は切なる願い。
 煌武院家の為来り(しきたり)によって、双子である事を忌まれ、引き裂かれてしまった姉妹の絆を取り戻さんと欲する、悠陽の想いが溢れていた。

 その望外の言葉に目を大きく見開いた冥夜だったが、すぐさま頭を垂れると、恭しく悠陽の命を奉じる。

「畏れ多くも在り難きお言葉を賜わり、恐悦至極に存じます。
 さすれば、御下命に従い、物言いを改めさせていただきます。
 ………………姉上……と……そう、お呼びしてもよろしいでしょうか?」

 躊躇いがちに押し出された、万感の想いに掠れた冥夜の言葉に、悠陽は大きく頷きを返すと、玲瓏な笑みを満面に浮かべて語りかけた。

「無論です。そなたに姉と呼ばれるのは、大層心地良き事ですね。
 冥夜、今日この時より、仮初とは言えそなたと姉妹として、幾久しく時を重ねる事をわたくしは強く願います。
 ―――ですから、その願いを成就させる為にも、まずはこの戦いに完勝して見せねばなりませんね。」

 悠陽の言葉に、喜びに目を潤ませていた冥夜であったが、戦いに言及されるや即座に意識を切り替えた。
 そして、これより臨まんとしている戦への戦意を横溢させると、冥夜の双眸に鋭利な光が宿る。
 冥夜は鋭い眼光と漲る戦意をそのままに、莞爾とした笑みを佩いて悠陽に応じる。

「はい、姉上。
 ですが、ご安心ください。タケルの―――白銀中尉の対BETA戦術構想を用いるならば、必ずやBETAに圧勝する事が叶いましょう。」

 悠陽は、冥夜の自信に満ち溢れた言葉を聞くと、目を見開いて言葉を発した。
 その内容は―――

「あら……冥夜は白銀を名で呼んでいるのですね。
 もしや、そなたはあの者を憎からず思っているのですか?」

 ―――その内容は、戦に臨む緊張も心構えもどこかに吹き飛ぶような、実に興味本位なものであった。
 実に楽しげに、ころころと笑い声を零す悠陽に、冥夜は容易く動顛させられてしまう。
 頬を赤く染めた冥夜は、動揺を隠せぬままに悠陽に言葉を返す。

「あ、姉上!……その様な不謹慎な事を話している場合では、あ、ありませぬぞ!
 そろそろ、BETAの先陣が上陸する頃合いです!!
 姉上! 聞いていらっしゃるのですか? 姉上…………」

 しかし、その冥夜の必死な言葉にも、悠陽はころころと笑い続けるだけであった。
 ―――尤もそれも、BETAが上陸してくるまでの僅かな間の事に過ぎなかったのだが。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 06時37分、BETAの先陣たる突撃級が3手に分かれて上陸してきて、既に2分が経過している。
 斯衛軍第6連隊は、第17大隊を左翼、第18大隊を右翼に配し、中央は第16大隊に悠陽以下8名の衛士によって操られている遠隔陽動支援機7機を加えて、BETAと対峙していた。

 上陸地点となった海岸から、そのまま平野へと繋がっている右翼では、既に上陸した突撃級100体余りの殲滅を、既にこの時点でほぼ完了していた。
 上陸直後に自律地雷敷設機によって設置された地雷原により、最大の武器である速度を殺された突撃級は、その後も数機の遠隔陽動支援機に振り回され側面を曝した所を、有人機である複座型『武御雷』を主力とする第18大隊の本隊から砲撃されて、いっそ呆気なく数を減らしていったのであった。

 念の為にと敷設させていた地雷原の第二陣を使う事も無く、損害も皆無であった為、そのあまりの容易さに所属衛士等の多くが拍子抜けしてしまう程であった。
 その気の緩みを叱り飛ばし、BETA本隊の上陸に備えて、随伴補給機からの弾薬補給と更なる地雷原の敷設を進めさせる第18大隊指揮官らであったが、彼らもまた、自身らが成した戦果に些か信じ難い思いを禁じ得なかった。

 一方、上陸地点から山間を超えねば平野に至る事の出来ない左翼と中央では、ようやく最初の地雷原に突撃級が到達し、山越えでなまじ速度が上昇していたが故に玉突き状態となり、そこへ斯衛軍の遠隔陽動支援機が正に襲いかからんとしている所であった。
 昨日の悠陽の発表により、XM3の名を冠する事となった新型OSの配備に追われ、『瑞鶴』の遠隔陽動支援戦術機への改修に手間取った斯衛軍は、今回の演習では『時津風』と『天津風』を配備・運用して凌いでいる。
 この2機種であれば、横浜基地から提供された改修手順がそのまま流用出来た為である。

 また、改修元となる戦術機も、『撃震』はともかく、国内配備数の少ない『陽炎』の調達は困難であった為、内密に横浜基地からF-15Cを調達して『時津風』に改修していた。
 F-15Cは横浜基地においても主戦力となる機種であったが、武の要望で『時津風』への改修用にF-15を追加調達した事と、横浜基地でも有人戦術機の複座型への移行が開始され、配備定数が半減していた事で、30機ほどを調達できた。
 この30機は、帝国が米国より一括調達する予定のF-15の中から、状態の良い機体を返還して補填する事となっている。

 今回斯衛軍が配備した遠隔陽動支援機は76機。
 その内、30機が『時津風』で、45機が『天津風』であった。
 いずれも、近く帝国陸軍と本土防衛軍に払い下げる予定である。
 そして、残る1機が―――

「なるほど。突撃級が、面白いように横腹を曝しますね。
 これならば、第18大隊が容易く殲滅を成し遂げたのも頷けます。
 志虞摩、そなたはどう思いますか?」

 ―――唯1機、配備が間に合った紫色の『瑞鶴』改修型陽動支援戦術機『朱雀』であった。
 その『朱雀』を操り、突撃級へと劣化ウラン弾を放ちながらも、悠陽は右脇に控える『時津風』を操る、直衛特務小隊の長たる神野志虞摩斯衛軍退役大将に語りかけた。

「御意。然れど、これでは射的の的を射るも同然の児戯に等しき行いですなあ。
 かと言って、紅蓮めがやっておるように、飛蝗(バッタ)の如く飛び跳ねてばかりおるのも、まっこと滑稽極まりなき様。
 確かに戦法としては、良く練られておりますが、わしの様な時代遅れの爺としては御免蒙りたいものですなあ。」

「ほざくな爺(じじい)が! 貴様の様な隠居と違って、現役のわしは部下を生き延びさせねばならんのだ。
 好き嫌いで戦術を選り好みなど出来るかッ!
 まあ良い。爺はそこでしっかりと殿下を御守りしておれ。」

 悠陽の問い掛けに、志虞摩翁が顔を顰めて応えると、それを耳にした紅蓮が透かさず憎まれ口を叩いた。
 志虞摩翁は、両頬だけに蓄えた真っ白な髭を、両耳の真横まで剣の切っ先の様に逆立てるという、信じ難い特徴を持った老人である。
 禿頭に剃り上げていながら、後頭部にのみ残した金髪を、左右に3束ずつ雄牛の角の様に跳ね上げているという、これまた奇矯な髪形である紅蓮と並ぶと、その容貌の異様さが相乗効果で非常に際立つ。
 しかし、この2人は、数年前の斯衛軍で双璧と呼ばれた剛の者であり、年長の志虞摩翁が大将、紅蓮が中将として斯衛軍の衛士等を苛烈なまでに鍛え上げていた両雄でもある。
 幸いにして今の所、この2人の武勇に肖ろう(あやかろう)と、奇抜な髪形にするような斯衛衛士は出ていない。

 いずれにしても、この2人は年齢や階級、立場も超えて、同格の武人としての友誼を結んでいる。
 憎まれ口を叩き合うのも、その友誼の表れなのであろう。

 悠陽の政威大将軍就任に伴い、斯衛軍を退役して帝都城守護職として悠陽の身辺を警護している志虞摩翁であったが、此度の演習には斯衛から引き抜いた直属の部下と共に、悠陽を警護する直衛特務小隊として一時的に古巣の斯衛軍に出向し、演習に加わっていた。
 これは、新型OS搭載機の試験運用に際して、紅蓮が助力を要請した流れから、此度の演習に於いても『武御雷』に搭乗して悠陽に侍ると、志虞摩翁が強く主張した結果であった。
 そして、その志虞摩翁が伴った直属の部下と言うのが―――

「真那。志虞摩翁の仰せの通り、かなり滑稽で笑える姿だぞ?
 貴様には、道化の様なその戦法がお似合いね。」

 そう嘯いて、月詠を嘲笑する女性衛士の名は月詠真耶。
 斯衛軍退役大尉であり、帝都城守護職として志虞摩翁直属の部下として働く、月詠の同年の従姉妹に当たる女性であった。
 従姉妹だけあって、月詠に実によく似た面立ちをしている。

「―――ふん。実戦での戦術に見栄えなど何の関係も在りはすまい。
 そのような瑣末時に感けず(かまけず)に、しっかりと殿下と冥夜様を御守りしろよ、真耶!」

 真耶の嘲笑に、右の眉を僅かに引き攣らせたものの、月詠はなんとか平静を保った。
 それでも、忌々しげに真耶へと言い返した月詠だったが、その言葉に続けて発言した者があった。

「ははは。滑稽で道化の如き戦法か。言い得て妙やもしれぬな。
 されど、如何に見苦しき戦法であろうと、斯うして我が手でBETA共を懲らしめる事が叶うのであれば、なんら痛痒は感じぬな。
 そうであろう? 月詠。」

 月詠達の言い争いに、上機嫌で口を挿んだのは、紅蓮や月詠と共に『時津風』を操って突撃級を誘引し、右往左往させていた斉御司久光大佐であった。
 五摂家直系の御曹司の言葉に、その御曹司も含めて悪し様に評してしまった事に思い至り、真耶が顔を蒼褪めさせる。

「はっ。まったくもって、その通りにございます。」

 澄ました顔で斉御司大佐に応えた月詠は、唇の右端だけを吊り上げて、真耶の通信画像を一瞥した。
 慌てて弁明しようとした真耶だったが、そこへ悠陽がおっとりと割って入った為、これまた慌てて口を閉ざす。

「久光殿、真耶が失礼を申し上げました。
 されど、久光殿の言は誠に尤もだとわたくしも思います。
 政威大将軍として、衛士としての鍛錬を為しつつも、こうして我が手で怨敵を打ち倒す事など、到底叶わぬものと諦めておりました。
 それが、こうして叶いし事は、この上なき喜びに相違ありません。
 わたくしは、明日より後、再び戦場に立つ事は叶わぬでしょうが、わたくしの代わりに、冥夜が戦場にて我が国将兵を奮い立たせ、必ずやBETAを討ち滅ぼしてくれる事でしょう。
 冥夜、頼みましたよ。」

「はっ、全力を尽くして務めさせていただきます!」

 直衛特務小隊の所属となっている冥夜は、第1大隊と共に本陣に控える御『武御雷』の操縦と並行して、悠陽の操る『朱雀』の動向にも気を配っている。
 いざ悠陽の『朱雀』が窮地に陥った場合、2次優先権限により操縦に介入する役目も負っている為だ。

 その冥夜が、生真面目な表情で悠陽に応える様子に、紅蓮はもとより、斉御司大佐や志虞摩翁までもが温かな眼差しを向ける。
 皆、冥夜の出生の秘密を知っており、その行く末を案じていた為だ。
 表向きは仮初の姉妹であろうとも、こうして悠陽と冥夜が寄り添い言葉を交わす姿は、彼らの胸に温かい思いを抱かせるに足るものであった。

 このような会話を交わしながらも、突撃級への攻撃は一切の容赦も無く継続されている。
 遠隔陽動支援機は、噴射跳躍ユニットを断続的に用いて、突撃級の突進を容易く避けながら跳躍を繰り返す。
 遠隔陽動支援機には生体反応欺瞞用素体が搭載されている為、BETAには有人機として認識される。
 有人空間飛翔体を優先破壊序列とするBETAの行動特性に従って、突撃級は幾度躱されようとも遠隔陽動支援機に向き直っては愚直に突進を繰り返していた。
 その横腹や後背に、第16大隊本隊からの砲撃が突き刺さり、突撃級は次々に撃破されていく。
 戦線中央に向かってきた突撃級は3手に分かれて上陸してきたBETA群の中で最も個体数が多く、200体近くにも達していたが、今やその数は既に30にも満たないところまで、撃ち減らされていた。
 そしてそこへ、白銀からの通信が届く。

「こちらスレイプニル0(白銀)。
 これより、A-01は戦術立案ユニットの運用評価試験を開始します。
 これにより、BETAは当該ユニット搭載機に極めて強く誘引されるものと予測されています。
 BETAの反応を観測する為、斯衛軍各機に対し、戦闘の中断と一時後退を要請します。」

  ● ● ○ ○ ○ ○

 06時40分、戦線中央で突撃級を迎撃していた斯衛軍第16大隊の許へ、戦線後方より急接近する1群の戦術機があった。

 国連軍塗装の『不知火』を中心に、11機の『時津風』が周囲を円型壱陣(サークル・ワン)の陣形で取り囲み、一糸乱れぬ匍匐飛行で戦場を目指す。
 他にも14機の『満潮』が随伴していたが、こちらは遙の制御下で後方500mの距離を保って追従していた。

「―――スレイプニル0(白銀)よりヴァルキリーズへ。
 斯衛軍の了承が得られましたので、これより戦術立案ユニットを全力稼働し、運用評価試験を開始します。
 以降は、データリンク経由での作戦指揮に従ってください。
 よろしいですね? 伊隅大尉。」

 11機の『時津風』に護られた『不知火』の管制ユニットの中から、武はヴァルキリーズに作戦立案ユニット運用評価試験開始を告げた上で、A-01の指揮官であるみちるに最終確認を取った。

「白銀、しつこい様だがもう一度だけ確認するぞ。どうしても貴様が乗った機体を前線に出さねばならないんだな?」

「はい。このユニットは処理能力が高過ぎるので、データリンクにモニタリング情報を乗せきれないんですよ。
 だから、有線で直接モニターしないと制御し切れないんです。
 その上、全力稼働するとBETAを引き寄せちゃいますから、後方に置いておくと戦線や陽動を無視してBETAが殺到してきかねません。
 なので、前線で陽動に使用するしかないんです。
 まあ、危なくなったら、演算機能を休止状態にして逃げ出しますよ。」

 みちるの問いに、何の気負いも無く応える武。
 その内容は、武の搭乗した有人機を前線に投入する事を示唆していた。
 互いに時間が然程残されていない事を知っている為、早口で言葉を交わし終えると、みちるは不満げに口を引き結びながらも頷いて了承を返す。

「解かった。白銀、指揮権を貴様と作戦立案ユニットに移譲する。」

「―――了解!」

 次の瞬間、本隊の後退を円滑に進める為に、突撃級を相手に陽動を継続していた斯衛軍衛士と、データリンクの戦域マップを注視していた者は、揃って信じ難い光景を目の当たりにした。
 未だに残存していた全ての突撃級が一斉に動きを止めると、寸前まで執拗に追い縋っていた遠隔陽動支援機を無視して、ある一点に向き直ると猛烈な勢いで突進し始めたのである。
 戦域マップを見ていた者は、突撃級がまるで強力な重力源に引かれたかのように、ある一点に向かって引き寄せられていく事を示す、放射線状の予測進路が表示されるのを目の当たりにした。
 今や、全ての残存BETAが、ある一点―――即ち戦術立案ユニット搭載機である、武の搭乗する『不知火』に殺到ししようとしていた。

 戦術立案ユニットの全力稼働とは何か。
 それは、武が普段からODLの劣化抑制の為にかけている、00ユニット量子電導脳の演算能力に対するリミッターを全て解除する事を意味していた。
 これにより、艦隊旗艦や野戦指揮所などに備えられた高性能コンピューターなど比較にもならない性能が発揮される。
 その量子電導脳の演算能力に着目し、BETAを引き寄せてしまうであろう00ユニットの存在を欺瞞する為に与えられたコードネームが、戦術立案ユニットなのである。

 そもそも、然したる量ではないとはいえG元素が組み込まれている00ユニットは、BETAを誘引し易い。
 それにリミッターを解除した量子電導脳の桁違いの演算能力が加われば、誘蛾灯に蛾が集るが如くにBETAを引き寄せる事は間違いない。
 その現象は隠しようも無かった為、武の搭乗する戦術機には、BETAの行動解析及び効率的な作戦立案用の、超々高性能コンピューターである戦術立案ユニットが搭載されているとして、欺瞞したのであった。

「ふむ。予想通りとは言え、全てのBETAが殺到して来るとは、空恐ろしい物があるな。
 ―――よし、作戦指示が来たぞ。全員指示に従って行動を開始せよ!」

 既に20体を幾らか超える程度の数でしかないが、その全ての突撃級が脇目も振らずに突進してくると言う状況に、みちるでさえ何某かの思いを口に上らせずには居られなかった。
 しかし、ほぼ同時にデータリンク経由の作戦指示が発令された為、みちるは余計な思考を振り棄てて、部下達に行動開始を指示する。

『『『 了解ッ! 』』』

 武の『不知火』と3機の『時津風』は逆噴射で行き足を殺しながら着地し、そのまま主脚歩行へと移る。
 残る8機の『時津風』はそのまま匍匐飛行を続け、2機ずつ4個分隊に分かれると突進してくる突撃級に向かって、4手に分かれて陽動を試みた。

「なに?! こちらを無視するのか?」「速度さえ落としませんね。美冴さん、反転して追い縋ってみましょう。」
「なによこいつッ! 私なんかには目もくれないってわけ?!」「あ、あああああ、茜ちゃん、お、落ち着いてぇ~!」
「…………反転して、陽動を試みる……」「了解! 砲撃は控えた方が良いんですよね? 桧山中尉。」
「あっれえっ? 無視されちゃったよっ。どうする? 智恵。」「反転して~、倒さない程度に~砲撃しましょお~。」

 匍匐飛行のまま、擦れ違いざまに装甲殻に砲撃を加えた4個分隊の『時津風』だったが、有人空間飛翔体からの攻撃という、BETAの行動特性上優先目標となる条件を満たしているにも関わらず、8機の『時津風』には全く反応を見せず、速度さえ緩めずに、突撃級はただ只管に武の『不知火』を目指す。
 自らの陽動が全く効果を示さなかったと知り、美冴、祷子、茜、多恵、葉子、晴子、月恵、智恵の8人は、慌てて『時津風』を反転させると、擦れ違ったばかりの突撃級を追った。
 情報収集の為にも、BETA本隊の上陸までは、残存BETAは撃破しないとの方針が示されている為、突撃級が柔らかい後背を曝しているのに、劣化ウラン弾を叩き込む事は出来ない。
 陽動が効果を及ぼさなかった事によるフラストレーションは、威嚇砲撃で紛らわす位しかやり場が無かった。

「あっちゃ~。こっちは地上、向こうは空中だってのに、脇目も振らずにこっちに来るわね~。
 突撃級ならなんとでもなるけど、レーザー属種までこの調子だと、ちょっときつそうですよね~、大尉。」
「そうだな。せめて、BETAを盾にしてさえいれば、照射は無いと信じたいところだが……」
「うわぁ。紫苑~、なんかぁみんな、こっちにぃ来るよ? なんで、陽動ぅ効かないの?!」
「多分……戦術立案ユニットの脅威度が、BETAにとってそれだけ高いんだと思うよ、姉さん。」

 武の『不知火』に直衛として付いた3機の『時津風』を操る水月、みちる、葵、紫苑の4人は、地上目標を空間飛翔体よりも優先して見せた突撃級に、脅威を感じざるを得なかった。
 陽動が効果を及ぼさないとなれば、後は先手を取って撃破するしか直衛の任を果たす手段は無い。
 しかし、レーザー属種が上陸してきた状況を想定すると、護衛対象の周辺のBETAを全て排除してしまっては、今度はレーザー照射を誘発してしまう可能性が高い。

 二律背反の状況に、みちるでさえ打開策を見いだせなかった。
 せめてもの救いは、武の機動特性の高さをもってすれば、十数体のBETAに囲まれたところでそう簡単にやられはしないだろうという事だったが、有人機である以上何らかのアクシデントの発生は即座に武の身命にかかわってくる。
 従来の戦闘では当たり前であった事だが、武の提唱した対BETA戦術構想により、戦死の危険が低減された状況下で、提唱者の武だけが生身でBETAに挑まねばならないという状況に、みちるは皮肉を感じざるを得なかった。

「スレイプニル0(白銀)よりヴァルキリー・マム(遙)。
 当機の優先破壊序列が有人空間飛翔体を上回るとBETAに判断されたものと仮定して、以降の運用評価試験を継続します。
 『満潮』を戦術立案ユニットが直接制御する場合が想定されますので、留意しておいてください。
 占有マーカーが表示された『満潮』は、直接制御下の機体となります。陽動支援機の支援には使用しないでください。」

 脇目も振らず突進してくる突撃級に、今後の作戦行動では『満潮』の運用が重要性を増すと判断した武は、『満潮』14機の運用を一手に担っている遙に通信を繋いだ。
 『凄乃皇』に対するBETAの過剰とも言える脅威判定の高さは、過去の経験から予想できていた武だったが、00ユニット単体で戦術機に搭乗している場合に、どれほどの優先破壊序列とされるかは事前の検討だけでは確信が得られなかったのだ。

 BETAの行動特性プログラムでシミュレートした結果では、ある程度距離が詰まると有人戦術機がすぐ脇でホバリングして砲撃してきていても、それを無視して00ユニットの搭乗した機体を優先目標とするとの結果が出た。
 このある程度の距離というのを、実測するのも今回の運用評価試験の重要項目の1つとなっている。
 そして、最大の問題となるレーザー属種の照射だが、こちらはBETAを盾にしている限りは照射は免れると推測されていた。
 その代わり、レーザー属種を直撃する恐れのある空間飛翔体を除けば、全ての目標種別よりも00ユニットの搭乗した戦術機が優先されると思われる為、常時照準を張り付けられてしまう状況が予想される。
 その場合、BETAの盾から出た途端、レーザーの初期照射が開始されると予想され、照射出力が上がるまでの僅かな時間で、次のBETAを盾にしなければならないというのが結論であった。

 正直、ここまで優先破壊序列が高くなると、レーザー照射を逃れる術などBETAを盾に取る以外、皆無に等しい。
 残る僅かな可能性は、AL弾により重金属雲を発生させる事位であり、武は、最悪AL弾を満載した『満潮』を照射の盾にして、一気に高濃度の重金属雲を発生させる心算であった。

「ヴァルキリー・マム(遙)了解。白銀中尉、質問があるの、いいかな?」
「―――少しならいいですよ。」

 遙が質問の許可を求めて来た為、武は少し間をおいて了承した。
 戦術立案ユニットの監視並びに制御で多忙を極めるとして、武は会話を自粛すると宣言していたのだが、遙ならば、質問の内容は今後の作戦実施に於ける問題提起か提案に違いないと考えたからだ。
 案の定、遙の質問はレーザー属種対策についての確認であり、その全てが的確な予測と判断に基づいたものであった。
 武がそれを告げると、遙は最後に1つの提案をしてきた。

「それなら、ね。直衛の大尉や水月達に言って、BETAの脚部を狙って攻撃してもらったらどうかな?
 生かさず殺さずって言うの? 幸いBETAは要塞級の衝角を除けば近接攻撃しか持たないでしょ?
 だから、足さえ鈍らせてしまえば、盾として有効に使えるよね?」

 それは、武も一度は考慮した方法だった。
 しかし、混戦の中で、それを行う衛士にかかる負担を考えた結果、武は採用しなかったのである。しかし―――

「どうせ、直衛機は、白銀中尉の機体のお陰で、殆ど攻撃されないだろうから、その位の余裕はきっとあるんじゃないかな?」
「え?……」

 遙の言葉に、武は慌ててシミュレートし直す。
 つい、従来の感覚で、直衛機も至近のBETAからの攻撃に曝されるものと思い込んでいたが、00ユニット搭乗機の周辺では、移動可能なBETAは攻撃を受けない限りは直衛機への攻撃よりも00ユニット搭乗機への接近を優先すると言う結果が出た。
 例外は、移動力をほぼ喪失した個体の攻撃範囲内に踏み込んだ場合と、00ユニット搭乗機に対する接近を妨げた場合で、これにさえ留意すれば衛士の負担は十分許容範囲内に収まると思われた。

「は、はい、大丈夫みたいですね……」
「ほんと? 良かった~。それじゃ、接敵する前に大尉達に教えてあげてね? 私からは以上だよ?」

 にこにこと無垢な笑みを浮かべる遙の通信画像を見ながら、武は内心で二重の意味で冷や汗を掻いていた。
 1つは、自分の思い込みによって、万全の対策を取りそびれていた事。
 もう1つは、BETA相手とはいえ、かなりえげつない戦法を提案しながらも、遙の笑みが全く崩れなかった事に対してであった……

(そう言えば、何時だったか伊隅大尉が怖い女だって言ってたっけ…………)

 遙との通信を切った武が、みちるに作戦案を説明した所、一瞬虚を突かれた様な顔をした後、みちるは苦笑いを浮かべて納得していた。
 BETAの移動力を削ぐ事はみちるも考えたらしいが、武同様危険過ぎると判断して採用しなかったとの事であった。
 武は内心で、戦場に立たずに後方からの作戦指揮に徹するCP将校の冷徹な判断力に、畏れ交じりではあるが深く感心していた。
 危険を忌避せずに費用対効果を判断し、利があると信じるならば危険を承知で断行する事を厭わない。
 最前線の地獄で戦う将兵とはまた一味違った、CP将校の底力を武は垣間見た気がした。

 いずれにしても、現在残存している突撃級には、この後上陸して山越えをしてくるレーザー属種との距離を詰める為の、生きた盾として役立ってもらわねばならない。
 それ故、移動力を削ぐにしても、それはレーザー属種と接敵した後の事だ。
 武は次々に迫る突撃級を、軽々と飛び越える事で実にあっさりとやり過ごすと、主脚走行でBETA本隊の予想侵攻ルートを逆走し始めた。

 BETA本隊の上陸は既に目前に迫り、先んじて上陸した突撃級を除いて尚、4000を優に超えるBETAが武目掛けて殺到すると予想される。
 00ユニットの利点と弱点を洗い出し、『甲21号作戦』の作戦立案に役立てる為には、それらのBETAを相手取らねばならない。
 武にとっての正念場は、正にこれから始まるのであった。




[3277] 第101話 ―――怨敵をば光射す世より無に帰したり
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:08

第101話 ―――怨敵をば光射す世より無に帰したり

2001年11月11日(日)

 06時55分、多宝山と角田山の間を抜ける県道55号線沿いの山間部に、遂に上陸を果たしたBETA本隊が姿を現していた。
 しかも、3手に分かれて侵攻していた筈のBETA群の左右両翼までもが、進路を変えて中央寄りに上陸し、海岸線沿いに中央のBETA群に合流しようとしている。

 戦況は、現状でさえ、あまり芳しい状況とは言えない。
 山間部から平野部にかけての斜面には、重光線級と光線級合わせて50体程が陣取って、照射粘膜をてらてらと光らせながら照射の機会を窺っており、その手前の平野部は、要撃級、戦車級、その他小型種合わせて総計2000体を超えるBETA群によって埋め尽くされていた。
 しかも、平野部から山間部の裾野にかけて、要塞級20体ばかりが、レーザー属種を護るかのように巨体を並べ、近寄る者に衝角を繰り出さんと控えている。

 それだけでも十分過ぎるほど重厚な布陣であるにも拘わらず、山嶺の向こうからはさらにほぼ同数のBETA群が殺到しようとしているのだ。
 後続も合わせれば、その総数は5000体近くに及び、要撃級だけでも400体を超える陣容となっていた。
 しかも、その様な状況下でありながら、A-01所属各機はBETAに対して積極的な攻撃を行っていない。

 武の乗る『不知火』を翼の合わせ目として、鶴翼複参陣(フォーメーション・ウィング・ダブル・スリー)で広範囲に散会し、BETA群に対峙していた。
 鶴翼陣の前列に『時津風』、後列に『満潮』を配し、『時津風』各機はデータリンク経由で送られてくる戦術立案ユニットの指示に従い、跳躍や形ばかりの攻撃、そしてBETAの進路の阻害などを繰り返す。
 時にはレーザー照射を浴びる事すらあったが、速やかに着地し、最寄りの『満潮』から対レーザー防御手順に従って自動的に放たれたAL弾へと、レーザー照射を誘引する事で難を逃れていた。
 今の所、損傷した機体は皆無だったが、綱渡りにも等しい際どい戦況と言える。

 作戦に投入されているのは陽動支援機である為、例え綱渡りであれ命綱が付いていると言う事も出来るが、最も多くのBETAを誘引している武に限っては、有人機である為命綱すらない状況である。
 遙が進言したBETAの移動力を削ぐ作戦も、現時点では、情報収集のサンプルが減少する事を嫌った武によって禁止されてしまっている。
 現状許されているのは、脅威度を維持する意味も兼ねて、小型種の数を減らす事くらいである。
 そんな状況が続いた為、ヴァルキリーズの各員からすれば、自身が操る『時津風』よりも、武の乗る『不知火』の方が余程案じられてならないのであった。

「白銀っ! もういいでしょっ! これ以上は危なすぎだってば!!」

 遂に堪え切れなくなったのか、茜がオープン回線で声を張り上げる。
 その表情には焦燥が満ち溢れており、今にもフォーメーションを崩して武の『不知火』に駆け寄らんばかりであった。
 そんな茜を、透かさず水月が叱り飛ばす。

「茜ッ! 今すぐ黙んなさい! これはお遊びじゃないのよ?
 必要があってやってんだから、黙って着実に任務をこなしてなさいッ!!」

「で、でも―――「涼宮。」―――え?」

 尊敬する水月から叱られて尚、茜は反駁しようとしたが、武の落ち着いた声に遮られた。
 目を見開いて、武の通信画像に見入る茜。
 その視線の先で、武は視線をあちこちに走らせ、忙しく両手を動かしながらも、口元に不敵な笑みを浮かべて言葉を続けた。

「心配してくれてありがとな。けど、オレはこの位じゃやられねえよ。
 戦術立案ユニットの、BETA挙動予測機能の精度も上がってきてる。
 実際、まるっきり未来予知でもしてるみたいな、的確な指示が出るよ。
 これも、みんなが頑張って情報収集に協力してくれてるお陰だ。
 それに、そろそろ必要な情報も揃ってきてる。
 もう少しの辛抱だから、我慢してくれよ、な?」

 優しく言い聞かせるように語りかけた武の言葉に続き、みちるも言葉を添える。

「涼宮―――あまり白銀に手を焼かせるな。逆効果だぞ。
 それにな、少しはそいつを信用してやれ。間違っても自暴自棄になったりはしない、しぶとい奴だぞ?」

「そうですよね! 白銀って、何度殺したってしぶとく蘇って来そうですもんね。」
「そぉいえば、そんなぁ感じだねー。」「ほう、柏木、中々上手い事を言うじゃないか……」「よみが……って、ゾンビだべか?!」「うはーっ! ゾンビだと加速Gでさっ、あちこちもげちゃうんじゃないの?」「強化装備で~拘束してるから~意外と大丈夫かも~。」「あんた達、結構余裕あんじゃないの。」「本当、頼もしい限りですわね。」「やれやれ。」「……危ないのは…………目玉?」

 みちるに続いて晴子がちゃかすと、それを引き金に寄って集ってあれこれと言いたい放題言い放つヴァルキリーズの面々。
 にも拘らずBETA相手の戦闘機動に乱れが生じない事を賞賛するべきなのか、はたまた、戦闘中にこんな会話を繰り広げる様に呆れるべきなのか。
 いずれにせよ、少なくとも茜の表情からは焦燥が姿を消し、僅かながらも口元に笑みが戻っていた。
 そして、そうこうする内に、武が必要としていたデータも集まる。
 武は、通信回線を通して、ヴァルキリーズが待ちに待った言葉を告げる。

「スレイプニル0(白銀)より、ヴァルキリーズへ! 情報収集完了ッ!
 これより、戦術立案ユニット運用評価試験の第2段階を開始する。
 ―――BETA共をきりきり舞いさせてやるぞッ!!」
『『『 ―――了解ッ! 』』』

 そして、BETA殲滅に向けて、戦況は一気に流れ出した。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 06時59分、斯衛軍長岡野外演習露営地の外れ、演習観覧用に用意されていたテントへと、斯衛軍野外演習に招かれた武官らが集まっていた。

 その中には、衛士強化装備に身を包んだ斯衛軍以外の衛士等の姿も散見される。
 彼らは、この演習に戦術機を伴ってやってきていた者達であり、非常警報と共に愛機に飛び乗り、いざとなればBETAとの戦いに身を投じようと待機していた。

 しかし、データリンクを通じて知らされる戦況は、圧倒的優勢の内に斯衛軍がBETA前衛をほぼ壊滅状態とし、残存する突撃級の殲滅すら後回しにした上で、国連軍横浜基地所属部隊による新型装備の試験運用が行われるという予想外の展開を見せた。
 その為、ハンガーで待機していた彼等に出撃要請が成される事はなく、代わりに、戦術機を伴った衛士以外の武官が戦況見守っている、演習観覧席への移動を演習司令部から勧められた。
 それを受け入れた衛士等が、いざとなれば即座に出撃できるようにと観覧席に面する演習場の一角に戦術機を駐機して、観覧席で礼装に身を包んだ武官らと共に、大型スクリーンに映し出される映像や情報を注視していたのだった。

 そして、それらの衛士の中に、米国陸軍第66戦術機甲大隊指揮官であるアルフレッド・ウォーケン少佐の姿があった。

「む……これは……戦闘に参加している戦術機の連携が滑らかになったな。
 あれだけの数のBETAが、完全に拘束されて侵攻が停滞している。それに―――」
「それに、光線級のレーザー照射が、ほぼ無力化されてますね。
 あの戦術は、遠距離砲戦を主たる戦術とする我が軍にとっても有効ですよね。」

 戦況を見ながら、独語したウォーケンの言葉を、隣に並んで立っていた部下が受けた。
 些か非礼とも言える部下の行いを、しかしウォーケンは咎めるでもなく、更なる意見を求める。

「その通りだな、テスレフ少尉。
 ついでに、あの国連軍の特殊装備機についても聞いておこう。
 BETA誘引性能には目を見張るものがあるが、あれ程大量のBETAを引き寄せてしまうのでは危険と引き換えだと思うのだが、そのあたり、貴官はどう考える?」

「データリンク経由で公開された情報によれば、国連軍の特殊装備はBETAの挙動予測と、対処戦術の立案及び指揮統制能力を兼ね備える、高性能コンピューターだそうです。
 BETAが異常なまでに誘引されるのも、その桁外れの演算能力によるものだとのコメントも付けられてますね。
 つまり、逆に言えば、多少余分にBETAを引き寄せてしまった所で、統制下にある友軍ユニットがあれば、対処も容易いと言う事なのでは?」

 上官の問いに、視線をスクリーンに向けたままで、イルマは淡々と応える。
 イルマに視線だけを向けて、ウォーケンは更に問いを重ねる。

「それにしては、つい先程まで大分苦戦していたようだったが?」

「あれは、恐らくは特殊装備機のBETA誘引性能を検証していたのでしょう。
 つまり、BETAとの実戦の最中に、性能試験を優先して行えるだけの余裕があったということではないかと。」

 イルマとは逆の方から返ってきた応えに、ウォーケンがそちらに視線を転じると、99式衛士強化装備に身を包んだ1人の帝国軍衛士が立っていた。

「君は確か帝都防衛隊の―――」

「―――失礼。昨夜ご挨拶させていただいた、帝国本土防衛軍帝都防衛隊の沙霧尚哉大尉であります、ウォーケン少佐。」

 訝しげな視線を投げて記憶を探るウォーケンに、それなりに滑らかな英語で挨拶し敬礼する沙霧。
 米国嫌いの国粋主義者であった沙霧だったが、国際協調無しではBETAに対抗する事が困難である昨今でもあり、また、敵を知る事も重要であると考えた結果、沙霧は英会話も相応に修めていた。
 しかし、敬称が抜けているのは不慣れな為か、はたまた故意か。

「うむ、沙霧大尉だったな。
 母国へのBETA侵攻を目の当たりにしながら、戦場に赴けぬとは、貴官も辛い立場だな。
 しかし、貴官の言う程に余裕があるとするならば、政威大将軍殿下が推し進められた新戦術は素晴らしい出来栄えだな。」

 ウォーケンは、沙霧の言葉選びや何処となく漂う不遜な雰囲気を、一切咎めずに会話に応じる。
 その様子を、視線を向けこそしないものの、イルマは興味深げに聞いていた。

「はっ! 『陽炎』改修機と、かの特殊装備搭載機である『不知火』の機動を見るに、新型OSであるXM3による機動性向上も相当なものと考えます。
 それに加えて、あの、BETAの挙動を読み切ったかのような戦術機動が可能なのであれば、今日より後、BETAとの戦いは一変するに違いない―――
 一刻も早く、あれらの装備群が配備される事を願って止みません。」

「そうか。貴官の愛機も『不知火』だそうだな。その貴官が言うのであれば、間違いないのだろう。
 私から見ても、あのF-15系列の改修機は、最新型のF-15E(ストライク・イーグル)の機動をも、軽く凌駕しているように感じられるからな。
 どうやら、政威大将軍殿下は、貴国国民のみならず、遍く人類全体にとって重大な貢献を果たされたようだ。
 あのように年若く清楚可憐でありながら、優れた見識と武勇を兼ね備えた英邁な国家指導者に仕える事が出来るとは、貴官らは本当に幸せだな!」

 沙霧の言葉に同意すると、ウォーケンは何処か憧憬の念を滲ませながら悠陽を讃え、悠陽に仕える立場の沙霧を寿ぐ。
 その言葉に、僅かに目を見開いた沙霧だったが、背筋を殊更に伸ばすと、誇りと喜びを精一杯込めて応えた。

「はっ! 殿下にお仕えする事が叶いしは、我が誉れであります。」

 その後も、沙霧とウォーケンは、時折イルマの発言も交えつつ、BETAに対する新戦術の有効性などを検証しながら観戦を続けた。
 表面上、無礼にならない程度の威儀を保ちながらも、沙霧は心中で思いを巡らせていた。

(白銀に言われて話しかけてみたが…………
 なるほど確かに、如何に米国の行いが卑劣で許し難きものであったとしても、その国民や将兵には見るべき人物もいるということか。
 少なくとも、このウォーケンという少佐は知日家ではあるらしい。
 我が国の臣民の中にも、下劣な者もあれば、高潔な者もいる。
 米国の一部が成した行いを以って、全国民を非難し敵視するのは御門違いという事だな…………
 私も、これより後は、視野を広く保たねばな。)

 白銀の言葉やウォーケンの態度を元に、自らを戒めつつも、戦場に馳せ参ずる事の出来ない歯がゆさを堪え、政威大将軍殿下の親征の行方を見守る沙霧であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 07時03分、戦場ではBETAに対する斯衛軍、国連軍合同による包囲網が構築されつつあった。

 戦術立案ユニット運用評価試験の第2段階実施前に、武は斯衛軍に対して戦術立案ユニット運用評価試験への参加要請―――詰まる所が、指揮権の委譲を要請し、遠隔陽動支援機とそれに随伴する随伴補給機並びに対BETA戦術構想装備群の自律兵器のみに限定されたはしたが、その指揮権を譲り受けるに至っていた。
 ただし形式としては、A-01が政威大将軍の指揮下に一時的に組み込まれた事とした上で、特殊装備運用者である武に対し悠陽が部隊指揮の一部権限を委ねたという形になっている。
 これは、間違っても政威大将軍が国連軍衛士の指揮下に入るなどという事例を残さない為の方便である。
 頑として戦場から退く事を由としない悠陽に、武が斯衛軍に対して提示した妥協案であった。

 ともあれ、そうした経緯で武が事実上手にした戦力は、『不知火』1機、『朱雀』1機、『時津風』41機、『天津風』30機、合わせて73機の戦術機と、随伴輸送機である『満潮』48機であった。
 尚、この中には、斯衛軍が投入している全ての『時津風』が集められている。
 2個大隊規模の戦術機と、4個中隊規模の随伴輸送機、そして自律地雷敷設装置や『自律移動式整備支援担架』など多数の自律兵器が、戦術立案ユニット―――即ち武の指揮で統合運用される事となったのである。

 そして、00ユニットである自身が搭乗した戦術機に対する、BETA挙動特性情報を収集し終えた武は、満を持して包囲網を形成し始めた。
 まず、斯衛軍第17、18大隊所属の『天津風』を主力とする陽動支援機18機ずつを、左右両翼から海岸線沿いにBETA群の後背へ回り込ませる。
 これに『満潮』、『自律移動式整備支援担架』とそれに搭載した自律地雷敷設機を後続させて、海岸線沿いに地雷原を構築させる予定である。
 この時点で、既に左右両翼のBETA群は、中央に上陸したBETA軍に追いついており、最後尾も間もなく山間部へと入ろうとしていた。

 残る半数の戦術機の内、斯衛軍第16大隊の『時津風』12機を左翼へ、残る6機と紫色の『朱雀』、そして『朱雀』の直衛である『時津風』6機の計13機を右翼へ展開させた。
 そして、度重なる侵攻と防衛戦で荒れ果てた、旧新潟市の廃墟を埋め尽くすようにして迫るBETA群の真正面には、武の乗る『不知火』を中心に、左右にヴァルキリーズの『時津風』11機が展開して、総数5000体に迫るBETA群の侵攻を押し留めようとしていた。
 その包囲網のさらに外側では、地雷敷設機達がせっせと地雷原を構築し、包囲網が破られる事態に備えている。

「スレイプニル0(白銀)より直衛各機。
 もう一度前に出ます。退路確保の為に、適当に間引いておいてください!」
「「「「 了解! 」」」」

 武の声に、武の乗る『不知火』を直衛している3機の『時津風』を操る、みちる、水月、紫苑、葵の4人が即座に応える。
 だが、応えが返る前に、既に武は『不知火』を噴射跳躍で空中へと踊り上がらせていた。
 その直後、『不知火』の管制ユニットにレーザー照射警報が鳴り響く。
 照射源は重光線級10体を主力に光線級多数。
 初期照射だけでも、蒸散塗膜加工を施された装甲が溶融しそうであった。

 しかし、武は慌てる事無く匍匐飛行を続行し、要撃級の前腕がぎりぎり届くか届かないかの高度で飛び越していく。
 山間部に陣取る重光線級は、射線が撃ち下ろしになる為、地表のBETAが射線に入ってしまった為、照射を中断。
 平野部に進出していた光線級も、ビルの残骸に張り付いた戦車級や、地形の起伏によって射線を遮る位置に存在するBETA群によって、照射中断を余儀なくされる。
 これらは、BETAの位置情報を詳細に把握している武が、そうなる様な飛行経路を割り出した結果であった。
 さらに、武の機体の上空を追い越すようにAL弾の砲撃が『満潮』から放たれ、未だ照射に至っていなかった光線級の照射を誘発して、武への更なる照射リスクを低減する。

(よし、量子電導脳の全力稼働で、最優先破壊序列にされたって言っても、思ったよりも付け入る隙があるな。
 結局の所、BETAは破壊序列と至近の未来で各目標が攻撃可能かどうかを勘案して、数秒から数十秒後に攻撃可能な目標の中から、最も優先される目標を優先するだけなんだ。
 最初の突撃級が、陽動を無視したのも、突撃級の前方から後方へ抜ける航過中の攻撃だったからだ。
 突撃級の攻撃可能範囲は進行方向に細長い扇型を描くから、その範囲外に抜ける陽動じゃ、進路上にあるオレの機体よりも上位の目標にならなかったんだな。
 もし、斜め前方に留まって砲撃してたら、陽動に成功してたはずだ。)

 武の進行方向やや右手に、折り重なるように戦車級と小型種が密集している一角があった。
 そこへ、武の左右後方から試製50口径120mmライフル砲から放たれ、数発の炸裂弾によってその場のBETAを一掃して武に着地点を提供する。

「09(柏木)、11(高原)、サンキューな!」
「お仕事だからね、気にしなくって良いよ!」「くれぐれも~お気を付けて~。」

 データリンク経由で下された砲撃指示を、的確にこなして見せた晴子と智恵に礼を言い、武は『不知火』をBETAが一掃された場所へと着地させる。
 武はそのまま勢いを殺さずに、両主腕に保持した74式近接戦闘長刀を振るいながら、前方のBETA群の真っ只中へと斬り込んでいく。
 砲撃を行った晴子と智恵の機体に、近くにいたBETAが目標を武から2機へと変更して襲いかかるが、それらはあっという間に2機の両脇を固めていた美冴、茜、多恵、月恵の4機が殲滅してしまう。

「ほらほら、こっちに来るんじゃないよ!」「あんたたち、どこ行くつもりよッ!」「茜ちゃんと、柏木さに近付くでねぇッ!」「駄目駄目ッ! 智恵のとこにはっ、行かせないよッ!!」

 強襲掃討装備の茜と月恵が36mm劣化ウラン弾や120mm炸裂弾をばら撒き、それでも近付いてくる個体を美冴と多恵が斬り捨てていく。
 反転して晴子と智恵に襲いかかってきたBETA群を殲滅した所で、武の『不知火』に迫ろうと十重二十重に囲んで密集しているBETA群へと、6機は空いてしまった間合いを前進して詰める。
 襲ってくるBETAの数が減った辺りから、間合いを詰めるまでの間に、数回のレーザー照射を受けたが、全て随伴する『満潮』が自動で発射したAL弾に誘引された為、回避行動を取る必要すらなかった。

 一方武は、BETAを倒す事よりもその真っ只中に在り続ける為に、周囲のBETAの挙動を読み切り、絶妙な間合いでその襲撃を擦り抜けやり過ごし、多数のBETAとレーザー属種の照準を『不知火』1機に誘引し続ける。
 その最中にも武は、斯衛軍各機の配置及び移動状況、ヴァルキリーズの戦闘経過、BETAの分布や行動、更には地雷原の敷設状況等々、ありとあらゆる戦域情報を把握し、指揮下にある各機に対し必要な指示を発し続けていた。
 それらの膨大な処理を行いながらも尚、武には思考を弄ぶ余裕がある。

(―――優先目標を捕捉したBETAは、攻撃されるか進路を妨害されない限り目標以外は無視するから、この挙動特性を逆用すれば、続け様に攻撃するか進路を塞ぐかしない限り、直衛機はBETAから攻撃されるリスクを相当に減らせる。
 レーザー属種の方は、攻撃範囲が広いから、地形の陰にでも隠れない限り、他の機体に照準が移る事はなさそうだな。
 だけど、周囲にBETAがいる状況だったら、その挙動を予測して射線に被さる様に仕向けてやれば、照射を中断に持ち込むのは簡単だよな。
 重光線級は120mm程度の砲撃よりは、こっちを優先しそうだけど、防御の薄い光線級は、直撃コースの砲撃だったら迎撃を優先するから照射を誘発できる。
 オレの機体を優先して照準するって事は、逆に言えば他の戦術機が光線級の照射を受けるリスクが減るって事だ。
 さっきの宗像中尉達のように、オレを照射できない位置に居合わせた光線級が、たまたま他の戦術機を捉えて散発的に照射したところで、AL弾の自動発射で十分対処可能だから心配無いしな。)

 武が前方に進出した事で、それまで武を取り囲んでいたBETA達も反転してその後を追おうとする。
 それを放置してしまえば、武の退路に無数のBETAが犇めく事態になってしまう。
 それを避ける為に、『不知火』の直衛であるみちる達が砲撃を行い、武に置き去りにされたBETA達を誘引して引き寄せる。

「悪いが、少しは私達にも付き合ってもらうぞ。」
「そうそう、ちょっとこっちに来なさいよ―――ってね!!」
「あまり、撃ち過ぎないようにね、姉さん。」「う、うん……えいッ!!」

 十数体の要撃級と、戦車級がほぼ半数を占める200体弱の小型種を陽動した直衛機は、そのまま地雷原の方へと引き摺り込むと、それらを地雷と砲撃を併用して忽ち殲滅してしまう。
 武の前進と、ヴァルキリーズによる掃討により、BETA群は武を追って500m程後退する形となった。
 武の周囲は無数のBETAに幾重にも囲まれているが、直衛機の陽動の結果、その後方だけは比較的数が少なく密度も低かった。
 こうして戦線を押し戻した武は、BETAをあしらいながら、今度はゆっくりと後退を開始する。

 武の退路となる後方は、BETAの密度が低いだけではなく、脚部を撃ち抜かれて移動力を消失した突撃級も点在している。
 それらが射線に被さる様に計算すれば、噴射跳躍で後退しても照射を中断させる事は容易い。
 その為、後退を開始した武の陽動難易度は一気に低下する事となった。

(涼宮中尉の助言のお陰で、後退時は大分楽が出来るな……
 00ユニットでの陽動も、それなりに形になったか。
 後は、レーザー属種が健在な状況で、地形による遮蔽も無い戦場で接近する時の問題だけど、こっちは接近するまで演算能力にリミッターをかけておけば何とかなるか……
 よし、『運用評価試験』はこの辺で良いだろう。後はあいつらが来るまで、もう少し粘ればいいかな……)

 武は背後から迫った要撃級が高々と振り上げた前腕を『不知火』へと叩きつけようとするのに、するりと機体を翻して避けると要撃級の左脇から背後へと回り込む。
 ここで、長刀を一閃すれば、目前の要撃級は確実に倒せる。しかし、武は『不知火』の右主脚で要撃級を蹴り飛ばし、他の要撃級と衝突させるに留めた。
 既に情報収集も終え、『運用評価試験』も終わりだとしながらも尚、武が待つものとは果たして何か……

  ● ● ○ ○ ○ ○

 07時08分、旧新潟市の戦場には、遂に左右両翼のBETAまでもが戦場に雪崩れ込み、後続に押し出される形で当初山間部に陣取っていた重光線級までもが、平野部へと押し出されるに至っていた。
 ここに至るまでに、武は3度に亘って前線を押し戻し、BETAの侵攻を停滞させて包囲網の内部に抑え込み続けていた。
 武が陽動で掻きまわしているBETA前方集団にこそ幾らか間隙が空いているものの、中央から最後尾にかけては隙間がないどころか、BETAどうしが上下に重なり合って、互いに押し合い圧し合い乗り越え乗り越えられるといった状況で、少しでも武に近付こうとするBETAで過密状態が現出していた。

 この何層にも積み重なったBETAの壁が押し出してくれば、さすがに武を以てしても後退するしか術は無くなるであろう。
 そして、その時は目前に迫っているように思われた。

「ッ! 来たか?………………よし、こちらスレイプニル0(白銀)、05(桧山)、07(風間)、砲撃準備を!
 また、戦術立案ユニットの指揮下にある全衛士に告ぐ。作戦最終段階の開始に備えよ!
 最終段階開始まで、10、9、8、…………3、2、……開始ッ!」

 自身のカウントダウンに合わせて、武は噴射跳躍ユニットを全力で噴かし、後方へと猛スピードで飛び退る。
 途端にレーザー照射警報が鳴り響くが、その時にはBETAの後方―――日本海沿いの方面も含めて、全方位から総計46機の『満潮』からAL弾が雨霰と打ち出され、レーザー属種へと降り注いでいた。
 これにより、光線級の照射の殆どが、AL弾に誘引されて武の『不知火』から外れる。

 残る重光線級の照射を避ける為、武は2機の『満潮』を『不知火』と入れ違うように前方へと匍匐飛行させると、その陰に『不知火』を隠す。
 そして、照射出力が上がり、2機の『満潮』の装甲を溶かそうとした瞬間に、地上に叩き付けるように『不知火』を着地させる。
 着地したのは、未だに生きてはいるものの、足を全て潰され身動きが取れなくなった突撃級のすぐ脇であり、その装甲殻の陰に『不知火』しゃがませて照射から逃れた直後、地上と空中で複数の爆発が発生する。

 幾つものレーザー光が照らす空を背景に、空中から地上にかけて叢雲を発生させた2つの爆発。
 それは、『不知火』の盾となり重光線級の多重照射を受け、瞬く間に蒸発し爆散した2機の『満潮』であり、叢雲は、それに伴い2機が満載していたAL弾が気化して発生した、高濃度の重金属雲であった。

 そして、低高度で発生し地上にまで噴き付けた重金属雲の陰で、地下で複数の爆発が発生したかの様に、土砂が幾つも水柱の様に噴き上がり重金属雲を押し退けた。
 それらの位置は、つい寸前まで武の『不知火』が存在した場所の周辺であり、その中から地中を這い寄って来ていた、無数のBETAが飛び出してくる。
 その飛び出してきたBETAを、再び地下に押し戻そうとでもするかのように、武に誘引されていたBETA群が圧し掛かる。

 地下から飛び出したBETAと地上を侵攻していたBETAが犇めく最中、先程の『満潮』の爆散など、比較にならない大規模爆発が発生する。
 未だに4000体を超えるBETA群の中央上空に打ち込まれた、4発の227mm自律誘導ロケット弾に搭載された、S-11弾頭が一斉に起爆したのだった。

 この自律誘導ロケット弾は、葉子と祷子が操る制圧支援装備の『時津風』から、2発ずつ発射されたものだった。
 この2機の『時津風』は、92式多目的自律誘導弾システムの代わりに、本来はHIMARS(高機動ロケット砲システム)に搭載されているMLRS用ロケット弾発射機を戦術機用に改修した、試製01式ロケット砲システムを装備していた。

 試製01式ロケット砲システムは、その大きさから肩部装甲シールドへの装着を諦め、主腕で運用する方式を採用している。
 言葉を飾らずにその外見を描写してしまえば、長さ4mを超える長方形の断面をもつ箱に、左右両主腕で保持する為の取っ手を2つ付けただけの代物である。
 この箱型のランチ・ポッドと呼ばれる発射機の中に、ロケット弾コンテナが収まっており、その中には227mm自律誘導ロケット弾6発が格納されている。
 全弾発射後はコンテナを交換すれば再発射可能となるが、戦術機での運用では使い捨てを前提としていた。

 唯でさえ過密状態であったBETA群に、地下から新たに出現したBETA群が加わった所へ、4発のS-11弾頭の爆発により、激烈な熱と衝撃波が襲いかかる。
 レーザー属種による迎撃を避ける為に、4発のS-11弾頭は高濃度重金属雲の中で起爆した為、その殺傷圏はレーザー属種までは及ばなかった。
 しかし、爆風が巻き上げた破片は後方に位置していた要塞級やレーザー属種にも襲いかかり、小型種で防御力の低い光線級を少なからず殺傷する。

 光が収まり、爆風が去った爆心地には、小山の様に犇めいていたBETAの姿が綺麗さっぱりと無くなっていた。
 爆心地から幾らか離れた周辺一帯には、爆風に吹き飛ばされたぼろ屑の様なBETAの死骸が、あちこちに吹き溜まっていた。

 中型種こそ爆心近くでしか撃破できなかったものの、地上に存在した小型種の内7割近くの殲滅に成功している。
 さらに、爆風は起爆地点から外に向けて残存BETAを吹き飛ばし、後方に位置したBETA群は、山裾に吹き寄せられ、それ以外の方向では地雷原の近くまで吹き飛ばされた個体まで存在した。
 武の『不知火』は、『満潮』が爆散し重金属雲が発生した直後に、再び噴射跳躍ユニットを全開にして後退していた為、S-11の影響圏内からは計算通り間一髪逃れる事が出来ていた。

 同様に、武のカウントダウンに合わせて、包囲を解いて後退して逃れていたヴァルキリーズと斯衛軍各機は、爆風が収まるなり反転して強襲を開始する。
 間に山嶺があった為、後退する必要が無かった斯衛軍第17及び第18大隊は、山間部を超えて重光線級に背後から迫り、第16大隊と悠陽の操る『朱雀』及びその直衛機も、レーザー属種を殲滅するべく左右から山裾沿いに匍匐飛行で突撃を開始した。

「地下侵攻してきたBETA群が地上に再び姿を現す前に、レーザー属種を殲滅するのですッ!
 全機、突撃なさいッ!!」

 悠陽が高揚を隠せないままに檄を飛ばす。
 紫色の『朱雀』を先頭に、直衛を務める12機の『時津風』と10機の『満潮』が追従し、匍匐飛行で脇目も振らずにレーザー属種を目指す。
 しかし、山肌の陰から重光線級が姿を現した直後、悠陽と冥夜を初めとする衛士14名は、レーザー照射警報を耳にする事となった。

「っ! これは―――」「殿下、御免ッ!」

 初陣に、やはり完全には平常心を保てなかったものか、レーザー照射を受けた悠陽は、ほんの僅かな時間ではあったが、身体を硬直させてしまった。
 悠陽の網膜投影画像の中で、データリンク経由で送られてきた噴射降下を指示するマーカーが点滅するが、今の悠陽は指一本動かせずにいた。
 それを察した冥夜は、即座に『朱雀』の操縦に介入すると、全力を振り絞った噴射降下で無理やり地表に着地させる。
 その際、着地点に居合わせた要撃級は、冥夜が長刀で幹竹割り(からたけわり)に斬って捨てた。

 それにほんの僅かな時間を空けて、3機の『時津風』が『朱雀』の左右と後方に降り立つと、周囲のBETAを長刀と薙刀で薙ぎ払う。
 その後方にも次々に『時津風』が降り立つが、唯1機だけ着地しないどころか、高度を上げる『時津風』がいた。
 『時津風』の後方を追随していた10機の『満潮』が、噴射降下しながらAL弾を発射するのと同時に、最高出力に達した複数の光芒が、上昇した『時津風』を爆散させる。

 その後、光芒は上下左右に各個に振られ、『満潮』から放たれたAL弾を薙ぎ払う。
 それによって、重金属雲が発生するその下を、噴射地表面滑走で『朱雀』と11機に減った『時津風』が、BETAの合間を縫うようにして疾走していた。

「クレスト10―――見事であった。そなたの挺身、決して無にはいたしません。
 皆の者、『満潮』の砲撃を隠れ蓑として、一気に間合いを詰めてレーザー属種を落とすのです。
 クレスト10の挺身に応えて見せるがよい!」

 噴射降下で着地するまでのほんの僅かな時間で、悠陽は自身の失態に気付き、羞恥も動揺も力ずくで抑え込むと、再び政威大将軍としての態度を取り戻す。
 そして、自身の操る『時津風』を犠牲にして、レーザー照射を誘引して見せたクレスト10(第16大隊第1小隊衛士)の挺身を悠陽は讃え、残る者達を駆り立ててレーザー属種殲滅に執念を燃やす。
 クレスト10は、悠陽より労いを賜わるという栄誉に感動すると共に、あの瞬間自分に高度を上昇させ、囮となる様に指示を与えた戦術立案ユニットに感謝を捧げるのであった。

 1機の『時津風』を失ったものの、斯衛軍の強襲により、山間部から平野部にかけて展開していたレーザー属種は速やかに殲滅された。
 その陰には、適切な指示により速度と安全を秤にかけて、効率良く目標へと各機を導いた戦術立案ユニット―――武の活躍がある。
 しかし、実際に多数のレーザー属種を倒してのけたのは、悠陽と共に要塞級の衝角を掻い潜り、真っ先にレーザー属種の懐に殴りこんだ11機の『時津風』の衛士達であり、その活躍が無ければ殲滅には今しばらくの時を要していたに違いなかった。
 悠陽に随伴した選りすぐりの衛士達11名―――それは、紅蓮、志虞摩を筆頭に、斉御司大佐、月詠家の真那と真耶、神代、巴、戎と紅蓮の直属となる第1小隊の衛士3名であった。

 かくしてレーザー属種を殲滅した斯衛軍は、そのまま山間部の掃討戦を開始する。
 一方平野部では、爆風により地雷原の方へと吹き飛ばされた残存BETA群に、ヴァルキリーズが巧みな陽動を仕掛けて、地雷と砲撃によって次々と掃討していく。

 しかし武は、残存BETAの掃討をヴァルキリーズに任せ、みちるの操る『時津風』と2機の『満潮』のみを伴って、再びS-11の爆心地を目指していた。
 途中、斯衛に打倒されんとしている重光線級の生き残りから照射を受けたが、照射源がいずれも単体であった為、地形や後方で水月や紫苑に足を潰され地面に転がされたBETAを利用して照射から逃れる。
 そして、残る最後の敵、地中を侵攻してきたBETAの生き残りが、飛来した武の『不知火』に誘引されて地表にその姿を現す。

 武は水柱の様に噴き上がる土砂の合間を擦り抜け、地面に空いた穴の底からBETAを一匹残らず吸い上げようと、徐々に大きな円を描く様に、螺旋状の軌道を地表面滑走で描き、地上に現れたBETA達を引き摺り回した。
 突撃級、要撃級に無数の小型種―――戦車級、闘士級、兵士級が、周囲を高速で回り続ける武の『不知火』を追って右往左往する中、遂に光線級が穴から姿を現す。

「まってました!」「あ~、晴子に~先越されちゃった~。」

 しかし、姿を現すのとほぼ同時に、晴子が120mm炸裂弾が光線級に放っていた。
 狙い違わず散弾は光線級に降り注ぎ、武を照準に捉える暇すら与えずに、穴だらけにして打ち倒しす。
 その後も、晴子と智恵は地下から光線級が顔を出す度に狙撃して倒していく。
 しかし、光線級の出現速度が狙撃による撃破を上回り、とうとう照射を受けるようになった為、狙撃の続行を断念して後退した。
 一方武は、狙撃の開始を契機に地表滑走を中止すると、主脚走行に切り替えて緩やかに後退を開始していた。
 地下から這い出してきたBETA達は、一塊となって武を追って移動し始める。

 狙撃が中止された後は、『満潮』が散発的にAL弾を発射し、残存する10体程の光線級の照射を誘って足を止め、武を追うBETA群から孤立する様にしむける。
 そして、とうとう地下から姿を現すBETAが途切れる時がやってきた。
 この時点で残存BETAの総数は800体程に過ぎず、その内、中型種は100体をやや超える程度しか存在しなかった。
 地下に潜むBETAが殆ど地上に出現したと見定めて、美冴、茜、多恵、月恵の操る4機の『時津風』が、『満潮』によるAL弾の援護の下、主脚走行で孤立した光線級に突撃する。

「ふっ、上ばかり見上げていると、足元が疎かになるぞ?」「宗像中尉、忠告してやったって、どうせ理解する頭なんてないですよ―――っと!」「ふえ?! あ、茜ちゃん、ど、どういうこと?」「多恵っ! そんなの、戦闘終わってから聞きなよっ!―――それっ!!」

 孤立し、周囲を固めるBETAが存在しない光線級に対し、砲撃可能な射点を確保した4機の『時津風』は、無数の36mm弾を4方向から浴びせると、あっさりと光線級の殲滅に成功する。
 幸い地中侵攻してきたBETAには、重光線級や、要塞級は含まれていなかった為、殲滅は容易であった。

 それを確認した武は陽動を中止し、匍匐飛行に切り替えると全速力で後退を開始。
 それと入れ代る様に、葉子と祷子が227mm自律誘導ロケット弾を1発ずつ撃ち込み、S-11弾頭でBETA群を一気に薙ぎ払う。
 これにより、残存BETAは中型種を中核とする50体ほどにまで減少した為、ヴァルキリーズが総出で駆逐して戦闘は終息した。
 時に07時21分の事であり、悠陽と第6連隊、そして政威大将軍直衛特務小隊は、未使用に終わった地雷の回収などを第1大隊に任せ、斯衛軍長岡野外演習露営地へと凱旋していった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 08時33分、BETAの侵攻を受けて行われた戦闘の終了が宣言されてから1時間以上が経過した旧新潟市に、未だに戦場跡を行き来するA-01の姿があった。

 ヴァルキリーズと斯衛軍が、残存BETAの掃討を始めた時から今に至るまで、武は執拗なまでにBETAの生き残りを探し続けていた。

 地中設置型振動波観測装置の観測データを統合処理し、微かな振動波さえ見逃さずに、武は地中に残存するBETAを探す。
 BETAの上陸に先立って、武はみちるに進言し、21機の『満潮』を先遣して、地中設置型振動波観測装置を戦域の各所に予め設置していた。
 これらの観測データを統合処理する事で、武は地上のBETA侵攻の陰に隠れ、地中を侵攻してきていた連隊規模のBETA群を早期に補足。
 量子電導脳の全力稼働による誘引効果を使って、地上を侵攻するBETA群と同じ場所に誘き出し、S-11弾頭でひとまとめに消し飛ばす事に成功した。

 今回用意できた数少ないS-11弾頭搭載・自律誘導ロケット弾を無駄にしない為に、武は様々な手を尽くした。
 自身を囮とし、さらに『満潮』2機を犠牲にしてまで局所的に高濃度の重金属雲を発生させ、レーザー属種の側面及び後背から全戦力の大半を投入して強襲を仕掛け、地下から出現する光線級を『満潮』のAL弾に照射を誘引して足止めし、その上で孤立させて殲滅する。
 そこまでしてS-11弾頭を使用したのは、偏に『甲21号作戦』に備えて砲弾の消費を抑えながらも、小型種に至るまでBETAを1匹残らず殲滅する為であった。

 今回、武は最初から、小型種1匹でさえ逃さずに討ち果たすつもりだった。
 『甲21号作戦』の実施まで、対BETA戦術構想の情報をオリジナルハイヴに知られたくなかったからだ。
 しかし、戦術機の兵装で小型種を全て掃討するには無駄があまりに多過ぎたし、掃討に要する時間も長くなると思われた。

 かといって、後方で待機させていた、帝国本土防衛軍第12師団の機械化歩兵を展開させる訳にもいかない。
 そもそも、武は兵士を前線に送って危険に曝す気が無かったし、展開させるとなれば時間がかかり、BETAに時間を与えてしまえば、地中に逃れる個体が出てしまうかもしれないからだ。
 また、従来の制圧砲撃では精度が粗すぎるし、着弾の衝撃に地中を侵攻するBETAの振動波が紛れて、BETAを見逃す恐れさえあった。

 それらの条件を全て勘案した上で武は、BETAを地上の一角に誘引して密集させた上で、ひとまとめに殲滅する事を思い付き、その為の火力としてS-11弾頭搭載型自律誘導ロケット弾とその運用システムを考案した。
 無論、00ユニットによる誘引効果の詳細が判明していなかった為、作戦の細部は戦いながら集めた情報を基に修正を重ねていたし、最悪戦術機による飽和砲撃を用いた掃討戦も覚悟していた。
 しかし、蓋を開けてみれば、結果は上々であり、武目当てに殺到し、過密状態になったBETAをS-11で一気に消し飛ばす事が出来た。
 しかも、その直後に戦術機で掃討を行えた為、殆ど撃ち洩らしも無かった。

 それでも武は万一に備えて、取り逃がしたBETAがいないか、執拗に捜索し続けた。
 リーディング機能も使用し、戦場を隅から隅まで移動して、地中に残存するBETAを見つけては、佐渡島ハイヴに帰還可能な状況か否かを判定していく。
 なんと、武は地中のBETAを倒す為に、掘削用の道具や、そこから投下する気化爆薬まで用意していた。
 この武が指揮し、ヴァルキリーズを総動員した地道な作業によって、十数体の残存BETAが発見された。
 しかし、幸いそれらのBETAは武が近付くだけで、自ら地上に這い出て襲いかかって来た為、労せずに撃破する事が出来た。

 そして、ようやく武が作戦の完了を宣言し、みちるに指揮権を返したのは、斯衛軍第1大隊が未使用の地雷を全て回収し終えて、露営地に帰還してから更に30分以上が経過した、08時55分になってからの事であった。

「あー、みんな腐るんじゃないぞ? こういった地道な作業も任務の内だ。
 くれぐれも―――いいか? く、れ、ぐ、れ、も、後で白銀を玩具にして、不満を解消したりするんじゃないぞ?」

『『『 ………………………………了解ぃ~。』』』

「―――伊隅大尉、ありがとうございますッ!!」

 露営地へと帰還する道中、無言の内に皆の非難に曝されていた武は、みちるの配慮に額を地に擦り付けんばかりに感謝するのであった。




[3277] 第102話 明るい明日への道
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/05/31 17:16

第102話 明るい明日への道

2001年11月11日(日)

 12時13分、帝都の目抜き通りに、威勢のいい掛け声が響き渡った。

「ごうが~いッ! 号外だよ~ッ!!
 政威大将軍殿下が、斯衛軍の精鋭を率いて、新潟でBETAの大群を全滅させたよ~ッ!
 しかも! なんと、我が軍の死傷者0っていう、歴史的快挙だよ~~ッ!!
 ごうが~いッ! 号外だよ~ッ!!」

 30過ぎの恰幅の良い女性が、号外の新聞紙を詰め込んだ袋をたすき掛けにして声を張り上げると、あっという間に周囲に人だかりが出来た。
 最初は手渡ししていた女性だったが、切が無いと思ったのか、号外を束で抜き取ると、人だかりの向こうへと思いっ切り投げ上げる。
 年々冷たさを増す木枯らしに号外が吹き散らされるが、その冷たい風に身を竦ませる事さえ忘れて、帝都の人々は風に舞う号外を追い回し、争う様に手に取った。
 そして、首尾よく号外を手にした者の周囲にも人が集まり、縁もゆかりも無い間柄にも拘わらず、顔を寄せ合って号外に記された記事を貪る様に読んでいく。

 号外には、『政威大将軍殿下、御親征にてBETAの大群を殲滅!!』『歴史的大勝利! 我が軍将兵に死傷者皆無!』『年内に反攻作戦実施!』などの見出しが躍っている。
 記事の本文にはまず、この日の早朝、新潟に上陸した推定1万弱に及ぶBETAの大群を、折しも新潟の地に居合わせた政威大将軍殿下が随伴していた斯衛軍精鋭部隊を直率し、見事全滅させたと記されていた。
 また、戦勝後の殿下の声明にも触れており、殿下の御采配で確立された新戦術により、人類は遂にBETAを圧倒する事が可能となったと仰せられた事や、年内にBETAが跋扈する佐渡の地を取り戻す為に反攻作戦を実施すると明言された事などが記されていた。

「すごいっ! さすが殿下でいらっしゃるわ!」「ほんとね~。特に、BETAを1万も倒して、死傷者0だなんて信じらんない!!」「おい、ここを読んでみろ! 殿下はBETAとの戦いで失われる将兵に、長きに亘り心を砕かれ、打開策となる新戦術の策定をお命じになったと書いてあるぞ。」「じゃあ、今回の歴史的大勝利は、その新戦術の成果なのね!」「凄いわっ! これなら国土奪還も夢じゃないわよッ!!」「ああ、殿下のお陰だ! 煌武院悠陽殿下、万歳ッ!!」
『『『 ―――殿下、万歳ッ! 斯衛軍、万歳ッ! 日本帝国、万歳―――ッ! 』』』」

 帝都の彼方此方で人々は集い、寒風をも吹き飛ばすほどに熱気を噴き上げ、悠陽を讃える声や歓喜の声が諸所でひっきりなしに上がり、帝都中が喜び一色に染まる。
 BETAの本土侵攻以来、何処か鬱々とした影が付き纏っていた帝都の住人達だったが、この日は皆が喜びと興奮と、なによりも希望に顔を綻ばせ、目を輝かせていた。

 一昨日に報道された、政界財界に属する多数の政治家、高官、財界人らの一斉検挙。
 そして、その続報で彼等の大半が贈収賄の罪、或いは、利権や不道徳な行為に関する違法行為などの罪を問われていると知り、帝国臣民の間には失望と怨嗟が蔓延した。
 中には、一斉検挙が政威大将軍殿下の御尊名をもって断行された事を拠り所に、一斉検挙後の人事刷新に期待する者も居た。
 しかし予てより、殿下の御尊名を騙る政治家達が、欲しい侭に振舞っているのではないかとの憶測が囁かれている昨今、所詮は政治家同士の権力争いに過ぎないのではないかとの、悲観的な意見が大勢を占めていた。

 しかし、此度の御親征に関しては、そういった疑義を差し挟む余地が圧倒的に少なかった。
 なによりも、BETAの大群を相手取って死傷者を皆無とするなど、未だ嘗て国の内外を問わず誰も成しえなかった快挙である。
 なればこそ、殿下以外の何者がこれを成し得るであろうか?
 悠陽を慕い、信奉する臣民らにとって、此度の戦勝は悠陽であったればこそ成し得る偉業であり、悠陽以外には何者であろうとも成し得ぬ事でなければならなかった。

 さらに号外には、今宵、政威大将軍殿下が放送を通じて、国内外に対し声明を発せられるとの記載があった為、政府が虚報を発したのではないかと疑う余地はさらに減少した。
 号外の内容を知った帝都の人々は、久しく忘れていた明るい表情を取り戻して、各々の職場や家庭へと戻って行った。
 そして、運良く号外を手にした人々は、それを丁寧に折り畳むと、大事そうにしまい込んで持ち帰るのだった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時12分、横浜基地1階のPXに、2日ぶりに207Bの6人が顔を揃えて談笑していた。

 結局、BETAの侵攻により、斯衛軍野戦演習は中止となり、露営地に凱旋した悠陽が、来賓に対する挨拶を兼ねた声明を行うとそのままお開きとなった。
 結果的には、演習で披露される筈の新戦術とその装備群は、旅団級BETA相手の実戦に於いて、死傷者皆無での完全殲滅を成し遂げるという、驚異的な戦果を上げた。
 その為、国内外より招かれていた来賓達は、新戦術を確立させた悠陽の英明を讃え、各々が見聞したものを一刻も早く報告する為に、興奮冷めやらぬ内に急ぎ帰って行ったのだった。

 演習参加部隊も、順次露営地より撤収して帰還する運びとなり、A-01と冥夜を擁する斯衛軍第19独立警備小隊及びその随伴部隊も横浜基地へと帰還する事となった。
 尤も、未だ所属衛士の機密解除がなされていないA-01と冥夜を会わせる訳にもいかない為、A-01が一足先に露営地を発った。
 かくして、武も冥夜も無事夕方には横浜基地に帰還し、武は夕呼に、冥夜はまりもに帰還報告を行った。
 その後、自室で疲れを癒した2人は、夕食の場で207Bの居残り組と合流したのだった。

「くぅ~っ、今の殿下の声明、ほんっっっと~~~~~に、凄いよ!
 正に歴史の転換点! 今日を境に帝国の歴史は一気に動くんじゃないかなぁ~。
 ボク、この時代に生きられて、ほんと~に良かったよぉ~!」

 夕食後、そのままPXに残った207Bは、テレビで19時から放送された悠陽の声明を聞いた。
 その内容は今朝のBETA迎撃から今後の対BETA戦略に始まり、国内情勢、国際情勢へと、幅広く現状の分析と今後取るべき方針について述べられたものであった。
 そして、声明が終わるなり、なにやら興奮した様子の美琴が、目をぎゅっと力いっぱい閉じて、胸の奥から振り絞る様に前述の言葉を吐きだしたのである。

「はわわ、よ、鎧衣さん、ど、どうしちゃったの?」
「さすが鎧衣……歴史にまで耽溺してた?……やるね……」

 なにやら感動に打ち震えている美琴に、壬姫が心配そうに、彩峰がやや驚いた様子で言葉を漏らす。
 対して、千鶴はと言うと、美琴の振舞いはあっさりと無視して、声明の内容を吟味し始める。

「今の殿下の御声明では、従来になく具体的な方針が言及されていたわ。
 これまでの、具体的な施策には踏み込まず内閣や大本営に一任してこられたものとは、一線を画すものだったわね。
 内容も、実に多岐に亘っていたわ。
 今朝の御親征での戦果を示された上での、佐渡島奪回の宣言。
 一昨日の政財界一斉検挙が御自身の指示によるものであると明言された上での、国内体制刷新の宣言。
 今後のBETAに対する国際的な反攻開始を睨んだ上での、挙国一致体制の確立と国際協調の推進。
 これらの全てが、展望を述べられただけでなく、その端緒を既に殿下御自身がお開きになった上で、具体的な方針までお示しになられている…………
 そう言えば、送検された被疑者親族に対する迫害防止の呼びかけまでなさってらしたわね。
 此処まで言及なされたという事は、殿下は今後国政を掌握し、慈愛を以って、御自ら政権を担われるおつもりなのではないかしら?」

 自問自答するかのように、眼鏡を光の反射で白く染め上げて淡々と語り終えた千鶴は、答えを知っていそうな人物である武へと、鋭い視線を投げかけた。
 その視線の鋭さに、身を退き、いくらかおののきながらも、武は努めて軽い調子で応じる。

「まあ、そうなんじゃないか?
 今の声明を聞く限りじゃ、ちゃんと下拵えも済んでるみたいだし、少なくとも悪い方には転ばないだろ?」
「……他人事?……違うね、白銀は関係者……間違いない……」

 他人事のように応えた武に、武が沙霧と接触し、クーデターを阻止したと知っている彩峰が突っ込みをいれる。
 そしてそれに呼応するかの様に、千鶴が透かさず同意した。

「そうね。白銀は首相―――私の父にも、会いに行ってたものね。」
「「「「「 ―――ッ! 」」」」」

 その言葉に、千鶴以外の5人全員が驚愕して千鶴を凝視する。
 それは、悠陽の声明に関する事ゆえに、立場上聞き役に回っていた冥夜も、そして武も同様であった。
 あれほど触れられるのを嫌っていた父親に、千鶴が自ら言及する―――それは207Bに対して天変地異にも等しい衝撃を与えた。

 とは言え、千鶴と榊首相の関係を修復しようとしている武にとっては、嬉しい事態でもある。
 武は、気を取り直して意味ありげな笑みを浮かべると、千鶴に話しかけた―――のだが……

「―――おいおい、委員長。誤解を招く様な事を言わないでくれよ。」

 武の苦情に、千鶴は少し首を傾げると、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべて口を開く。

「誤解?―――そうねえ。
 でも、白銀。あなたが、私の父親に『私的な挨拶』に行ったとしても、別に『誤解』なんて招かないんじゃないかしら?
 私もあなた(みたいに毛色の変わった人)は、是非父に引き会わせたいと思ってたし。
 (この国の)将来についての事とか、じ~っくりと、話し合って来てくれたんでしょ?」
「ほほう、将来についてか。」「……それって……白銀と榊の……だよね?」「ま、まままま、まさか親御さんにご挨拶に?!」「え~! いきなり、婚約とかしちゃってないよねえっ?!」

 そして、投下された千鶴の爆弾発言に、透かさず他の4人も食い付き、口々に発言していく。
 冥夜は、腕組みをし目を眇めて武を見ながら。
 彩峰は、俯き加減で口元にこぶしを当てて上目遣いで。
 壬姫は、胸元に握りこぶしを並べて顔を紅潮させながら。
 美琴は、目と口をまん丸く開けて。
 その意気の合った連続口撃に、武はテーブルに打ち倒されたが、重しが乗せられた様な気がする頭を、両手を突き力を振り絞って持ち上げると、5人を順繰りに見廻し忌々しげに抗議する。

「お、おまえら……解かってて言ってるだろッ!」

 そんな武の様子に、207B女性陣は会心の笑みを浮かべて武を見たが、その視線の先で、武があらぬ方を見て顔を歪める所を目の当たりにする事となった。
 一斉に武の視線を追った5人は、テレビ画面の中に冥夜の顔を見出す。
 画面には前面に開放した紫色の御武御雷の管制ユニットのハッチに立ち、零式衛士強化装備用のCウォーニングジャケットを羽織った悠陽が、脇に拝跪して控えた冥夜の肩に手を当てて、周囲の歓呼に応え微笑みながら繊手を嫋やかに振る姿が映し出されていた。

 それは、悠陽の声明に続いて放送されていた報道特集であり、政威大将軍の『御名代』に任ぜられた冥夜が取り上げられていた。
 先の映像に重なって、冥夜の素姓等について説明が、アナウンサーによって語られていく。
 その中で、冥夜が国連軍横浜基地所属の訓練兵である事が言及されると、PXにざわめきが広がって行く。
 それと共に居合わせた基地要員等の視線が、急速に冥夜へと集約する。

 PX中からの視線を浴びた冥夜は、頤(おとがい)をきっと上げ、静かに瞑目して衆目を堂々と受け止める。
 その態度に、ざわめきは次第に収まり、PXからは喧騒が去った。
 しかし、周囲の視線は一向に冥夜から離れず、釘付けとなったままであった。
 しわぶき一つさえ聞こえなくなったPXに、テレビのアナウンサーの声だけが淡々と流れる。

「御剣……」「御剣さん……」「冥夜さん。」

 そんな状況の中、千鶴と壬姫、美琴が冥夜を案じて小声で呼びかける。
 その声に、冥夜が薄らと目を開けた時、ガタンと勢い良く椅子を鳴らして、席を立つ者が居た。
 それは武―――と、彩峰であった。
 2人とも、冥夜を庇って周囲を威圧しようとしたのだが、打ち合わせも無しに全く同時に立ち上がる結果となってしまった為、互いの意図を量り切れずに2人とも動きを止めてしまう。
 それをまた、興味津々で見つめる基地要員達。
 状況はこのまま膠着してしまうかに見えた。

「―――冥夜ちゃん! あんたっ、凄いじゃないのっ!!」

 大声を発しながら、周囲の空気などお構いなしに、PXを横切る巨体―――もとい、恰幅の良い女性。
 彼女は、満面に笑みを浮かべ豪快な笑い声を響かせながら、大股で歩み寄ると冥夜の前で足を止める。
 冥夜は驚いた様子で椅子から立ち上がると、その女性を迎えて名を呼ぶ。

「京塚曹長……」

「聞いたよ冥夜ちゃん。あんた将軍殿下の御名代に抜擢されたんだってねえ。
 生まれだって、武家の名家だそうじゃないか。
 なのにあんた、このまま国連軍衛士として任官して、全人類の為に貢献する道を選んだんだって?
 偉いっ! あんた偉いよ、冥夜ちゃん!!
 国連軍と帝国軍を行ったり来たりになって大変だろうけど、頑張って日本と在日国連軍の懸け橋になっておくれ!」

 戸惑う冥夜は置いてきぼりで、京塚のおばちゃんは大声でまくし立てる。
 それを聞いていた武は、冥夜が国連軍衛士として任官するという件(くだり)を聞いて疑問に思う。
 先程のテレビの内容では、近く斯衛に転出するのではないかとの憶測が、報道されていたからだ。

「京塚のおばちゃん、もしかして、ゆ……香月副司令から、何か話を聞いたんですか?」

「ん? おや、タケルじゃないか、あんたも新潟行ってたんだってね、御苦労さん!
 夕呼ちゃんも、訓練兵だってのに、ちょっと便利使いが過ぎるよねえ。
 今度、アタシから一言意見しといてやるよ。」

 武に声をかけられて、初めて気付いたのか、京塚のおばちゃんは武に視線を移すと、やはり満面の笑みで労いの言葉をかける。
 が、武の問いは何処かへ行ってしまったようで、内容は斜め上の方向に脱線している。
 周囲では、冥夜を初めとして207B女性陣が、何か妙な事を聞いたかのように、眉を寄せて目を泳がせている。

「いや、冥夜はともかく、オレの事は今のまんまで良いですって。
 それより副司令から、何か聞いてないですか?」

「ああ! そういやそんな話だったっけ。悪かったねえ、タケル。
 いや実はさ、夕呼ちゃんが今朝方珍しく、霞ちゃん連れてふらりとこのPXに顔出してね。
 あの子は普段は良い物食べてる癖に、たま~にアタシの料理を食べに来てくれるんだよ。
 だもんで、ちょっと話しこんでたら、佐渡からBETAが攻めて来たっていうもんで、アタシはすっかり仰天しちまったよ。
 だけど、夕呼ちゃんが心配いらないって言うのさ。」

 夕呼がPXで合成食を食べたと聞いて、武は最初のループの11月11日を思い出した。

(あの時、オレが寝坊して8時過ぎになってからPXにきて、京塚のおばちゃんと話してたら夕呼先生と霞が来たんだよな。
 でもって、飯食いながらのんびりと世間話をしていたら、BETAが横浜基地に侵攻して来るかもしれないってんで警報が鳴ってさ。
 あの時は、帝国本土防衛軍第12師団が壊滅して、北関東絶対防衛線が突破されそうになったんだよな。
 オレなんか、すっかりビビっちまって…………
 結局、帝国軍が多大な犠牲と引き換えに、なんとか殲滅してくれたんだっけ…………)

「そっから、タケルと冥夜ちゃんが新兵器抱えて新潟行ってる。
 おまけに、斯衛軍の精鋭と一緒に戦って、BETA共をコテンパンにしたっていう話になってね。
 正直、BETAをコテンパンにしただなんて眉唾だと思ったんだけどさ、後で速報聞いたら、死傷者0で全滅させたって言うじゃないか。」

 京塚のおばちゃんの話を聞いていた武だったが、『死傷者0』というフレーズに微かに眉を顰めた。

(『死傷者0』、か……たしかに、斯衛軍にもヴァルキリーズにも戦死者は勿論、怪我人さえ出なかった。
 何も出来ずに震えていた最初のループから、4回繰り返してようやく戦死者を0に出来たって訳だ。)

 武は『前の世界群』のBETA新潟上陸で戦死した斯衛軍衛士等を思い出し、今回遂に戦死者を出さずに済んだ事を思う。
 しかし、武の心は、思っていた程には晴れなかった。

(けど……報告では、後方の防衛線構築の為に進軍しただけなのに、帝国本土防衛軍第12師団で重傷者2名を含む怪我人が出ている。
 軍隊を実戦で運用する以上、どうしても安全が二の次になる所は出てくるって事だよな。
 その辺りを思えば、『死傷者0』って言葉が独り歩きするのは気に食わないけど、これも国威高揚や対外交渉の材料になるから仕方ないか。
 ―――いや、戦闘が無くたって、人間社会で死傷者が出ないなんて事は在り得ない。
 こんな事まで考えてたら、何も出来なくなっちまうぞ!)

 武は陰鬱な方向へと迷い込みそうになった、自分の思考を叱り飛ばした。

「―――こんなに景気の良い話は、ここんとこさっぱりだったから、えらい嬉しかったねえ。
 で、冥夜ちゃんの詳しい話は、そん時に夕呼ちゃんから聞いたんだよ。」

 思考に没頭していても、話を聞き洩らしたりしない00ユニットの性能に感謝しつつも、武は心底嬉しそうに笑顔を見せる京塚のおばちゃんに相槌を打った。

「あ~、なるほど。やっぱりそうでしたか。」

 武は、京塚のおばちゃんに頷きを返しながらも、心中で夕呼の配慮に感謝する。

(そうか……夕呼先生は、今回の件の報道で、遅かれ早かれ冥夜が基地要員の衆目を集めるって気付いてたんだな。
 だから、そうなった時に、緩衝材になってくれるだろう京塚のおばちゃんに、詳しい話を予めしておいてくれたんだ。
 さすが夕呼先生だな。それに比べて、オレはまだまだだ…………)

「ま、そんな訳で冥夜ちゃん。アタシも出来る限りあんたを応援するからさ。
 基地の連中の為にも、頑張ってやっておくれよ。」

 再び、武から冥夜へと視線を移した京塚のおばちゃんは、冥夜の方に大きな手のひらを乗せて、顔を覗き込むようにして話しかける。
 冥夜は、その言葉に、ハッと正気を取り直したように表情を改め、素直にうなずくと、凛とした声ではっきりと答えを返す。

「はい! 全力を尽くし、帝国臣民と国連軍の懸け橋となるべく勤めましょう。」

「ありがたい。これでアタシらも、肩身の狭い思いをしなくても済むようになりそうだよ。
 あんたらだって、嬉しいだろ? ねえ?」

 冥夜に礼を言った京塚のおばちゃんは、振り返ると周囲の基地要員達に声をかける。
 すると、基地要員達は、互いに視線を交わしたが、直ぐに調子のいい男が声を張り上げる。

「ああ、その通りだよおばちゃん。そうなりゃ、休暇で帝都に遊びに行っても気兼ねなしに過ごせるってもんだ。」
「そうだねえ、帝都じゃ随分と白い目で見られたからねえ。」
「そうだぜ、女も全然寄ってこねえどころか、目も合わせずに逃げてっちまうしよォ。」
「バァ~カ、そりゃあ、てめえの見てくれが悪いせいだろうがッ!」
「ちげぇねぇや、ぎゃははははは!!」
「それよりも、本当に死傷者0でBETAをやっつけたのか? 一体全体どうやったんだ?」
「よっぽど新兵器が凄いのかねえ。さもなきゃ、衛士の腕かもしれないねえ。」
「腕ってお前、斯衛はともかく、あいつらは訓練兵じゃ……」
「ばぁ~か! てめぇはこないだの連中の演習内容見てねぇのかよ! てめぇよか、よっぽど筋が良いぜ?」
「そういや、そうだね! あんた、頭下げて一緒に訓練させてもらった方が良いんじゃないかい?」
「そりゃ、いくらなんでも酷すぎますよ、隊長ォ~。」

 それを機に、PXの雰囲気は一気に変わり、冥夜に、そして時折武にも声が投げかけられ、在日国連軍のイメージ向上を頼まれたり、新潟に上陸したBETAの撃退を褒められたりと、ちょっとした騒ぎになった。
 頃合いを見て、手を叩いた京塚のおばちゃんによって、騒ぎは瞬時に収められ、京塚のおばちゃんが立ち去るのに合わせてPXは普段通りの佇まいを取り戻す。
 それ以降は、今まで通り207Bは敬して遠ざけられ、過干渉を免れる事になったが、時折、何時にも増して温かな視線が注がれていた。

「はぁ~……凄い騒ぎでしたね~。」

 周囲を少し首を竦めて窺うようにしながら、壬姫が小声で発言した。
 それに、目を伏せて、平然とした顔をして千鶴が応える。

「そうね。けれど京塚曹長のお陰で、今だけじゃなく今後も大分楽になるわ。
 今日明日中に、さっきの噂が流れて、御剣に関する騒ぎは早期に鎮静化する筈よ。」

「おばちゃんに逆らえる奴はいない……基地最強……」

 千鶴の言葉に、珍しく彩峰が素直に同意したので、武も言葉を足すことにする。

「そうだな。神宮司教官や香月副司令でさえ、おばちゃんにかかれば『まりもちゃん』に『夕呼ちゃん』呼ばわりだからな。」

 武の言葉に、先程から自分の耳を疑っていた207B女性陣は、頭痛を堪えるかの様に弱々しく頭を振りながら口々に感想を述べた。

「え?! じゃ、じゃあさっきのは聞き間違いなんかじゃなくって……」
「やはり、あれは香月副司令の事だったのか……」
「食を征する者は基地を征す?…………」
「あ、あはははは……副司令にちゃん付けって、ちゃん付けって……」
「う~ん。あれはちょっと真似できないなぁ~。」

 武はその様子にうんうんと頷くと、腕組みをして解説する。

「実際に聞いても、なかなか信じらんないだろ?
 実は、2人とも高校生の頃に、おばちゃんに世話になったらしいんだ。
 その所為で、未だに頭が上がらないらしいぞ。
 勿論、おばちゃんの人徳の賜物でもあるけどな。」

「うわ~っ! 基地司令よりも実権があるって言われてる副司令なのに……
 おばちゃんって、凄いんだね~、タケルぅ。」
「……やるね、影の支配者?」
「だから、質問形は止めなさいよ、彩峰。」
「ほ、本当に凄いんですね~。」
「うむ……私も、京塚曹長には頭が上がらなくなりそうだな。」

 武の解説に、京塚のおばちゃんが如何に凄いか実感し、5人は言葉を交わし合う。
 その様子を楽しげに見ていた武だったが、話題を変える為に口を開く。

「まあ、いずれにしても、冥夜の特殊任務は無事完了した訳だ。
 明日から冥夜には、通常の訓練課程に戻ってもらう。
 機体も『不知火』をメインにして、連携訓練を主体にこなしてもらうぞ?」

「ああ、やっと、皆と共に鍛錬する事が叶うな。」

 武の言葉に、冥夜は嬉しそうに腕組みをして応えたが、武が見せつける様に腕組みをしているのに気付くと、少しムッとした表情を見せ、急いで腕組みを解く。
 そんな冥夜の素振りを、武は遠慮なしに笑い飛ばす。

「そうですねー。ここ数日、御剣さんは斯衛の方達と一緒でしたからね~。」
「これでやっと207B勢揃いだね。ボクちょっと寂しかったよ~。」

 武に笑い飛ばされて、冥夜は口をへの字に引き結んで武を睨みつける。
 それを笑って見守りながら、壬姫と美琴は冥夜の復帰を歓迎する言葉を告げた。

「……白銀が居ないと、鎧衣は寂しい?」

「こら、彩峰、変な方に話を振るな!
 あ~、でも冥夜はともかく、オレの方は相変わらずあれこれあるからな~。
 まるっきり一緒って訳にもいかないだろうな……」

 そこへ、彩峰が悪戯っぽい笑みを浮かべて、茶々を入れるが、武が透かさず話題を修正してしまう。
 ところが、今度は千鶴が武の言葉を捉えて茶化す。

「ふっ―――白銀が居たり居なかったりなんて、最初っからじゃないの。今更よ。
 それにしても、御剣は一足先にBETA相手の初陣、死の8分を切り抜けたのね。
 本当に、良く無事で帰って来てくれたわ。」

 とは言え、さすがに千鶴は茶化しっ放しにはせずに、自身で話題を真面目な方向に切り替えた。

「うむ。言われてみれば、そういう事になるな。
 殿下の御身を、そして御『武御雷』や『朱雀』を御守りする為に必死で、今の今まで気付きもしなかった。
 もしや、これが斯衛の強さの秘訣やも知れぬな。」

「へぇ~、それじゃあ冥夜さんは、あんまり緊張とかしなかったの?」

 千鶴の言葉に、冥夜は首を傾げて、自問自答するように応じた。
 そこへ、今度は美琴が問いかけると、冥夜は首を横に振って応える。

「いや、緊張はしたな。だが、BETAがどうこうで、という事は無かったように思う。
 確かに、通信を通じて感じる、斯衛の衛士等の気迫は演習などとは比べ物にならないものだったが、精神的重圧という点では総戦技演習の時の方が、厳しかったやもしれぬ。」

「……効果覿面?」

 今度は彩峰に問いかけられて、冥夜は忙しない事だと心中で零しながらも、彩峰に向き直って話す。

「そうだな。確かに効果覿面であったと思うぞ、彩峰。
 もっとも、それらは全て、実際に搭乗した戦術機では接敵せず、遠隔陽動支援機での戦闘に終始していた故かもしれぬ。
 実際に、間近にBETAが迫れば、また話は違うかもしれぬな。」

「それでも、やっぱり凄いですよ~。
 でもそういう事なら、私達の初陣も少しは安心できるかもしれませんね、たけるさん。」

 そこまで、黙って冥夜と皆の一問一答を聞いていた武だったが、壬姫に上目使いで問われると、腕組みを解いて応える。

「あたりまえじゃないか。『対BETA心的耐性獲得訓練』は伊達じゃないぞ。
 おまえらだって、ちゃんと沈着冷静に初陣を戦い抜けるさ。
 でもって、みんなで地球をBETAから取り戻そうぜッ!!」

「ええ!」「うむ!」「やるよ!」「はいっ!」「頑張ろうね、タケルッ!」

 口々に応じる5人の表情に、自信と覇気を見出し、武は安心して頷いた。
 そして、心中密かに独白する。

(―――次は、XM3のトライアルか。時間が無いけど、みんな、頑張ってくれよな!)

 武のそんな思いを知る由も無く、207B女性陣は朗らかな笑顔を浮かべて、楽しげに会話を交わしていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月12日(月)

 09時04分、帝国海軍横須賀軍港に寄港し停泊している、米国海軍空母『セオドア・ルーズベルト』のタラップを、並んで降りてくる男女の姿があった。

「ウォーケン少佐、帝都まで送ってもらえて助かるわ。」

 そう言って、3階級も目上の上官であるウォーケンに対する言葉としては、些か砕け過ぎた言葉遣いで感謝の意を伝えたのは、私服姿のイルマであった。
 しかし、今日は共に休暇であり、任務中では無い事もあってか、やはり私服のウォーケンは細かく咎めたりはせずに応じた。

「なに、気にすることはないぞ、テスレフ少尉。
 私は、たまたま足(車)を借りる手配をしておいたからな。
 帝国国内では、未だに反米感情が強いと聞いている。
 貴官―――いや、君は厳密には米国の国民ではないが、そこまで暴漢が事情を斟酌してくれるとは思えないからな。」

「ふふふ……心配性なんですね、ウォーケン少佐。」

 一昨日からの斯衛軍野外演習出向から戻ったウォーケンとイルマは、大急ぎで斯衛軍と国連軍横浜基地の戦術機甲部隊が運用した、新戦術と新装備に関する報告書を書き上げた。
 そして、それを昨夜遅くに提出した結果、今日1日を休暇として与えられ、上陸も許可されていた。
 尤も、休暇の予定は、演習に出立する前からのものであり、それ故にウォーケンは帝都へと出かける為の足として、車を手配する事が出来たのだが、予想外のBETA侵攻により、報告書の緊急度が高まり、危うく休暇が取り消される所であった。

 一応部下達には隠しているものの、実はウォーケンは知日家であり、日本の伝統や風物に対して強い憧憬を持っている。
 その為、今回の休暇では1日かけて帝都の名所を見て回る計画を立てていたウォーケンは、休暇取り消しをなんとしてでも回避したかった。
 そこで、演習に同行していた小隊副官でもあるイルマに協力を要請し、大急ぎで報告書を仕上げ提出する事で、何とか予定通りの休暇をもぎ取ったのであった。
 その礼も兼ねて、やはり休暇を利用して帝都に赴くというイルマを、ウォーケンは車に同乗させて送って行くことにしたのだ。

「随分と気楽だな。本当に気を付けるんだぞ?
 まあ、君ならば、そんじょそこらの男には負けないとは思うが……」

「了解。全力を尽くして、警戒任務に当たります少佐!」

 イルマがおどけて敬礼して見せると、ウォーケンも苦笑いを浮かべて答礼し、この話題はそれで終了となった。



 その後、借り受けた輸入乗用車に乗り込んだウォーケンとイルマは、横須賀鎮守府のメインゲートを外出許可証を提示して通り抜けた。
 横須賀鎮守府は、BETAの帝国本土侵攻により殆ど更地にされてしまった施設群の内、軍港と海軍工廠、海軍病院、海軍学校などを中心に再建されたものである。
 往時は軍都と呼ばれ、横須賀市と一体化して賑わっていたが、今では鎮守府の敷地を出るなり、道路の他は一面荒れ地と廃墟ばかりの惨状である。
 僅かに、高地を中心に木々が残り、ようやく植生が回復しつつあるようではあるが、やはり寒々しい光景である事に違いは無かった。

 そんな荒れ地と海に挟まれた旧国道16号線―――横須賀街道を暫く走り、旧船越町を越えて海岸沿いを外れ山間へと入った所で、ウォーケンの運転する車は前方の道を数台の国産乗用車によって塞がれてしまった。
 幸い、少し手前で道を塞がれている事に気付けた為、ウォーケンは余裕を持って速度を落とす事が出来た。
 すぐさまUターンして横浜鎮守府へと引き返そうとしたウォーケンだったが、後方からも数台の車が走り寄って来るのに気付き、即座に車の放棄を決断した。

「テスレフ少尉! 車を捨てて逃げるぞ、急げッ!」

 ウォーケンはイルマに声をかけると、護身用にと持ってきた45口径を助手席のグローブ・ボックスから取り出して、車から飛び出そうとした。
 しかし、そのウォーケンの右腕を、イルマがそっと押さえる。

「落ち着いて下さい、ウォーケン少佐。
 黙っていて悪かったけど、あの人達は私の迎えなの。」

「なにっ?! どういう事だ?―――テスレフ少尉、君は一体……」

 愕然とした表情を浮かべ、イルマを見詰めるウォーケン。
 米国陸軍第66戦術機甲大隊が発足して以来、直属の第1小隊で副長として自分を支えてくれた部下が、行き成り見知らぬ人間に入れ替わってしまったかのような、薄ら寒い喪失感がウォーケンを襲う。
 そんなウォーケンの表情を見たイルマは、くすりと寂しげな笑みを浮かべると、ウォーケンを安心させるように言葉を紡ぐ。

「事情は許される限り話しますから、暫く大人しくして下さい。
 直ぐに戻りますから、そのまま待ってて下さいね。」

「おいっ! テスレフ少尉!!」

 ウォーケンの呼びかけに応えず、助手席のドアを開けて車外へと降り立ったイルマは、両手を上げて前方を封鎖している車の方へと歩いていく。
 こうなっては、イルマを置いて逃げ出す訳にも行かず、ウォーケンは運転席で大人しくして居るしかなかった。
 手を拱いているしかない自分の不甲斐なさに歯を食い縛るウォーケンの視線の先で、前方の車に辿り着いたイルマが、窓越しに後部席に座る人物と会話を交わしている。
 イルマの陰になっている為、はっきりとは判らなかったが、その人物は車内だというのに帽子を目深にかぶり、コートの襟を立てている様にウォーケンには見えた。

 幾何(いくばく)かの時が経過すると、イルマがウォーケンの乗る車へと戻って来て、運転席側の車外で立ち止り、窓ガラスを右手でノックした。
 ウォーケンは、窓ガラスを開けて、周囲を警戒しながらイルマに話しかける。

「どういうことか、説明して貰えるんだな? テスレフ少尉。」

「ええ。先に大筋だけを説明してしまうと、私が日本帝国に亡命を希望したので、彼らが迎えに来てくれたんですよ、ウォーケン少佐。」

「亡命だと?! 何故だ、テスレフ少尉ッ!」

 イルマは、ウォーケンに自身の事情を説明する。
 自分が米国の難民収容施設に居る家族達の安泰と引き換えに、CIAに工作員として協力させられてきた事。
 今回の米国陸軍第66戦術機甲大隊の訪日に際しても、幾つかの任務を命じられていた事。
 ただし、帝国国内の情勢が予想外の展開を見せた為に、今回予定されていた任務は全て実行されなかった事。
 一昨日の夜、斯衛軍野外演習のレセプションの後、当初予定になかった情報収集を命じられたイルマは、ハンガーに潜入しようとした所で発見されてしまった事。
 その時点で、イルマの立場と背後関係は既に把握されてしまっており、その上で米国に対する手札として亡命を求められ承諾した事。
 そして、今日横須賀鎮守府を出る前に、帝国情報省に繋ぎを取り、こうして迎えに来てもらった事。
 イルマは、これらの事情を、淡々とウォーケンに語った。

「ッ―――そうか……くそっ! ラングレー(CIA)め、私の部下になんて事を!
 ………………そう言う事情なら止むを得ないだろう。
 君が自分の意思で行くんだ、止めはしないから好きにするといい。」

 ウォーケンが、ダッシュボードに右手を激しく叩きつけて吐き捨てた後で、イルマの亡命を容認すると、イルマは眼を丸くして笑みを浮かべた。

「ウォーケン少佐、米国の不利益にならないようにって、私を射殺しないんですか?
 私の家族は、既に日本の保護下にあるそうですから、私が死んでも家族は日本が引き取ってくれます。
 だから、ウォーケン少佐になら、殺されたって文句は言わないですよ?」

「別に休暇中の亡命は、軍規違反でも敵前逃亡でもないぞ?
 この後の君の行い次第では、訴追されるかもしれないがな。
 それに、君が亡命するまでに追い詰められたのは、我が国の組織の所為だ。
 私には、君を射殺する資格など無いさ。」

 そんなウォーケンの言葉を聞いたイルマは、くつくつと身体を折って笑った後、目尻に浮かんだ涙を拭うとウォーケンに敬礼を捧げた。

「ウォーケン少佐! 貴官は、大隊所属衛士の殆どが難民出身者で占められた我が大隊を、公平無私な姿勢によって見事に掌握なさっていました。
 私は、隊発足のその時から、隊を欺いてきた女ですが、少佐は得難い上官でした。
 隊の皆は、少佐の度量と人格を高く評価しています。
 勝手に隊を離れる私が本来言える事ではありませんが、隊の皆を今後もよろしくお願いしますッ!
 お世話になりました、ウォーケン少佐殿ッ!」

 どこか疲れた表情で、イルマの言葉を聞いたウォーケンは、それでも答礼を返すと別れの言葉を告げる。

「私は、部下の悩みにさえ気付けない無能な上官に過ぎないようだ。
 だが、私は部下を決して見捨てないと約束しよう。
 イルマ・テスレフ少尉。例え道を違えようとも、一時部下であった君が実り多き人生を歩む事を祈っている。
 ―――さあ、君の道を行きたまえ。」

「はッ! 失礼します。少佐も、どうか御壮健で!」

 そう言うと、イルマは身を翻して、前方の国産大衆車の1台へと歩み寄り、車中へと姿を消した。
 その後、前後を塞いでいた車両は全て走り去り、ウォーケンの乗る輸入乗用車のみが路上に残される。
 暫しそのまま瞑目していたウォーケンだったが、大きく溜息を吐きだすと、ハンドルを握り帝都に向けて車を発進させた。

(よしんば一部組織の暴走であったとしても、為した事の責任は負わねばなるまい。
 それだけの度量が、我が母国にある事を願っておこう。
 今は、日本の風物に触れる事で、このささくれた心を癒しておくか。
 こんな事になるのだったら、テスレフ少尉に日本文化の素晴らしさを教えておくんだったな……)

 ウォーケンは、自身の心のしこりを誤魔化す為に、瑣末な思考を弄びながら、断固として休暇を楽しむ事を決意した。
 明日からはまた、母国に忠誠を尽くす一軍人に戻る為にも……




[3277] 第103話 万難を排して征旅に挑む
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/04/13 17:21

第103話 万難を排して征旅に挑む

2001年11月12日(月)

 23時03分、国連軍横浜基地B19フロアの執務室で、夕呼は執務机の端末越しに機密回線による通話を行っていた。

「おはよう、ミス香月。朝から君の様な美しい人と挨拶を交わせるとは、今日は良い日になりそうだ。」

 通信画像には、朝日の差し込む星条旗の飾られた部屋を背景に、整った中にも愛嬌のある顔立ちをした壮年の男性が映っており、満面に朗らかな笑みを浮かべて夕呼に挨拶を述べていた。
 その男の声音、表情、そして態度の端々に至るまでの全ては、完璧なまでに友好的な印象を醸し出している。
 しかし、その笑顔の陰に、現地時間の朝9時きっかりに事前の約束も無しで通信に呼び出された事に対する、男の憤怒が隠されているという事を、夕呼は相手の為人から十二分に承知していた。
 だからこそ、夕呼は相手に調子を合わせ、嫣然とした笑みを見せ付ける様に浮かべて応じた。
 この場では、笑顔で応酬する言葉こそが、互いが振るい合う刃なのだから。

「おはようございます、大統領閣下。
 早朝から約束も無く通信を差し上げた事をお詫びいたします。
 御忙しい大統領の朝のスケジュールを乱してしまった以上、今日が大統領にとって良き日となる事を、私も切に願ってやみませんわ。
 ですが、こちらでも大変困惑する事態が発生しておりまして、そちらの執務開始を御待ちするのが精々でしたの。
 その辺り、事情を汲み取っていただけると助かりますわ。」

 夕呼の女性らしい物言いを、目を細めて聞いていた米国大統領だったが、その内容に僅かに目を開いて眉を顰めると、憂慮を滲ませて問い返した。

「なんと。オルタネイティヴ4を統括する貴女が困惑してしまう様な事態とは、穏やかではありませんな。
 そういった事態であれば、人類共通の急務ともなり得ましょう。
 どうぞ、遠慮なく用件を仰ってください。」

 如何にも相手を重んじた様な言葉を並べては居たが、要は早く要件を言えと急かしているに過ぎない。
 そう解釈した夕呼は、笑みをやや揶揄するものへと変化させて言葉を紡ぐ。

「ありがとうございます。では、早速本題に入らせて頂きますわね。
 実は、先日我が国連軍横浜基地を標的とした、HSSTによる自爆攻撃未遂事件の折に、我が基地に移民推進派の工作員が複数潜入していた事が判明いたしました。
 国連の極秘計画を擁しているにも拘わらず、工作員の潜入を許してしまった事は、誠に慙愧に堪えない事でしたけれど、それを契機に基地内の防諜体制を強化・刷新し、再発防止に尽くす事に致しましたの。
 その結果、当基地内に未だ潜伏している工作員を粗方洗い出す事が出来たのですけれど、その中に貴国のCIA(中央情報局)所属と思われる人物が含まれておりまして―――」

 夕呼が本題を切り出すと、大統領の顔色が一変し、ゆとりのある笑顔は消え去った。
 厳しく引き締まった表情に鋭い眼光を浮かべて、急ぎ口を開こうとする大統領だったが、夕呼はその機先を制して続け様に言葉を放つ。

「もちろん大統領閣下も御存じだとは思いますが、国連直轄の極秘計画であるオルタネイティヴ4を擁する当基地に、国連加盟国が独自に工作員を送り込んだとなれば、国連に対する背信行為とも取られ兼ねない危うい行いとなります。
 私としても、こうして明らかになってしまった以上、この件を国連本部に報告しなければなりません。
 しかし、この件が国連内で明らかになれば、例え確証はなくとも米国は国連加盟各国から非難を受けてしまう事でしょう。
 ですが、聡明且つ賢明であられる大統領がこのような事をなさるとは到底思えず、私も困惑してしまった揚句、こうして直にお訊ねしている次第ですの。
 無論、大統領閣下には、覚えの無い事でございますわよね?」

 当初、証拠の有無などを問い質し、逆に安易に嫌疑を申し立てたものとして非難し返す心算であった大統領だったが、夕呼に畳み掛けられた結果、まずは自身が関知していないとの表明をつい優先させてしまった。

「無論だ。私はその様な内偵行為を命じていない。
 第一、その工作員がCIA所属だという確たる根拠は在るのかね?」

「各種状況証拠が揃っているのですが、巧妙に偽装が施されている為、確証とまでは参りませんでしたわ。
 ですが、一つだけ。上手く使ったならば言い逃れの効かないものがありましたの。」

 大統領が自身の正当性を主張する事を優先した為に、追及がやや甘くなった所を狙い、夕呼は思わせぶりに切り返す。
 主導権を思う様に獲れない事に苛立ちながらも、大統領は夕呼の言葉を無視できずに問い返す。

「なんだね? それは。」

「CIA長官への直通機密回線ですわ。
 実は、大統領閣下に通信を繋がせて頂くのと並行して、当該工作員に当方で用意した欺瞞情報をリークいたしまして、その直通機密回線でCIA長官に報告するように仕向けておりますの。
 折良く、昨日の帝国斯衛軍野戦演習観戦の為に来日されていた、欧州連合と大東亜連合軍の将官並びに外交官の方々を当基地にお招きしてあったので、その工作員の行動を逐一ご覧頂いておりますわ。
 今頃は、通信を終えて当基地憲兵隊に身柄を拘束されている頃合いですわね。」

 と、夕呼がそこまで言った時だった。
 大統領の執務机の上で、緊急の来訪者がある事を示すランプが点く。
 視線を僅かに動かし、そのランプを確認した大統領の仕草を見逃さず、笑みを深めた夕呼は追い打ちをかけた。

「オルタネイティヴ4が遂に収集に成功したBETA情報により、G弾に対する対抗策がBETAによって確立されつつあり、遅くとも今月中にはその対応策が地球上全てのハイヴに反映される―――と、まあ、そのような情報を流しましたの。
 どうやら、貴国のG弾ドクトリン崩壊の知らせに狼狽した方が、御注進に駆け付けてこられたようですわね。
 私は暫くこのまま待たせて頂きますから、どうぞ先に相手をして差し上げてはいかがですか?」

 目を細め、今にも舌舐めずりをしそうな夕呼の笑顔に、顔色と共に言葉を失った大統領は、ようやく頷きを返すと通信を保留して席を立った。



 通信保留のまま10分以上が経過した頃、ようやく保留が解除され大統領の上半身が再び通信画面に映し出された。
 待ち時間を無駄にせず、オルタネイティヴ4の関連データに目を通していた夕呼は、書類から視線を上げて通信画面へと向き直る。
 そこには、10分前と比べて明らかに憔悴の色を浮かべた、米国大統領の姿が映し出されていた。

「誠に申し訳ない事をした、ミス香月。
 神に誓って私の知らない事ではあったが、CIA長官が独断で工作員を送り込み、オルタネイティヴ4を内偵させていたそうだ。
 我が国の犯した過ちであると認め、ここに深く謝罪する。
 今後は、二度とこのような事の無い様に徹底させると約束しよう。
 その上で聞き入れて欲しいのだが…………この1件は飽くまでもCIA長官の独走であり、我が国政府の総意によって、国連に対する背信行為を為したのではないという、その一点だけはどうか理解してもらえないだろうか?」

 大統領は夕呼に対し頭を下げて謝罪し、伏せた端整な顔を苦渋に歪ませる。
 CIA長官による独断であるとしながらも、大統領が米国として行った事には違いないと認め謝罪の意思を明確にしたのは、夕呼から国連にこの件を提訴される事態を避ける為だった。
 もしそのよう事態になれば、工作員の監視に立ち会ったという欧州連合と大東亜連合の将官からの報告を元に、国連加盟諸国が国連安保理や総会などで米国を弾劾する動きへと発展しかねない。

 何としても、この場でオルタネイティヴ4統括責任者である夕呼に謝罪し納得させ、この件の提訴を断念させて国連で米国が弾劾されるような事態を回避せねばならないと、大統領は思い定めた。
 国連での米国の立場を可能な限り悪化させない為に、国連極秘計画の統括責任者とは言え、黄色人種の一科学者に過ぎない夕呼に対して、大統領は頭を下げて謝罪し懇願して見せた。
 政治的立場への配慮からひた隠しにしているものの、白人至上主義者である大統領にとってこれは屈辱以外の何物でもない。
 しかし、米国の指導者として、国益を守る為に大統領は敢えて謝罪する事を選び、実行して見せたのである。

「ご安心ください大統領閣下。その点は十分に理解出来ますし、CIA長官がG弾運用派の主要人物の1人であり、その立場からオルタネイティヴ4を敵視していた事も存じております。
 今回の件は、賢明な大統領閣下のご意志では無かろうと、最初から信じておりましたわ。」

 大統領が白人至上主義者である事を以前から承知している夕呼は、寛容な微笑みを浮かべたその奥で、密かに嘲笑を浴びせながらその謝罪し懇願する姿を堪能しながらも、大統領の願いを許容する言葉を告げる。
 その言葉に、大統領は喜色を抑えきれずに視線を上げたが、夕呼はそこへ提案と言う形の要求を突き付けた。

「それに大統領。貴国がオルタネイティヴ4に対して十二分に協力的であると、国連上層部に印象付ける良い手段がありますわ。
 予てより、00ユニットの機能拡張構想に於いて使用が検討されている貴国のXG-70ですが、これを早期に当方へ引き渡していただければ、貴国の協力的な立場は明確なものとなる事でしょう。
 ついでに、表向き日本帝国の政威大将軍の成果とされていますが、オルタネイティヴ4で収集したBETA内部情報を元に構想された、新たなる対BETA戦術構想の実証に役立つ物資として、F-15Eを20機ほど融通してくだされば、更に効果的だと思いますわ。」

「………………XG-70はともかく……F-15Eは輸出対象機ではないのだが…………」

 夕呼の要求に、歯軋りせんばかりになりながらも、言葉を絞り出す大統領。
 しかし、夕呼は歯牙にもかけずに、勝手に話を推し進める。

「オルタネイティヴ4では、既に部分的ではあるもののBETAの内部情報を収集・解析する事に成功しています。
 それによれば、既にG弾の―――いえ、G元素を使用した兵器に対するBETAの優先破壊序列は最高位に設定されておりますわ。
 この為、レーザー属種による極度に集中された照射や、地上に於けるBETAの過剰誘引を誘発するものと想定されておりますの。
 先日の新潟に於ける、我がオルタネイティヴ4の試作装備が発揮した異常なほどに高い陽動性能。
 今年の8月にカムチャッカで発生した、BETAによるソ連軍Ц-04前線補給基地襲撃の際に観測された、日本帝国が運用試験の為に持ち込んだ試製99型電磁投射砲に対する、BETAの過剰集中。
 両ケースのいずれもが、その傍証となりますわ。
 G弾が完全に無効化されたとは申しませんが、既にその実戦に於ける運用は困難さを増しているとお考えください。」

 未だ1度しか実戦に投入されていないG弾が、既にBETAに対応されており、その戦略的価値が低下していると知らされた衝撃は大きく、大統領は驚愕を必死に押し殺さねばならなかった。
 既に、今回の通信では十分に失態を犯してしまったと自戒している大統領は、自身の矜持に賭けてこれ以上の醜態を晒すまいと努める。
 残念ながら、大統領の努力は夕呼の洞察力の前には無力だったのだが、夕呼もわざわざそれを指摘するほどには暇では無かった為言葉を続けた。

「我がオルタネイティヴ4では、これらの点を踏まえ、極力G元素に依存しない対BETA戦術を確立しつつあります。
 オルタネイティヴ4が、当初より最大目標としている00ユニットの完成も目前となっておりますし、貴国のG弾使用に偏った軍事ドクトリンを再評価する為にも、私どもの計画は有用なものとなるに違いありませんわ。
 貴国の対BETA戦術を見直される、契機ともなる選択だと思うのですが、如何でしょうか?」

 夕呼が真実を話しているという保証は無い。
 しかし、もたらされた情報は、大統領にとって無視するには重大に過ぎた。
 提示された情報が真実であれば、オルタネイティヴ4に協力しておく事は米国の利益ともなるだろう。
 逆に、もしオルタネイティヴ4が完遂する様な事になった時、そこに至る経緯に於いて米国が非協力的立場を取っていたとなれば、国際社会における米国の威信に傷が付いてしまう。
 素早く思考を巡らせた大統領は、速やかに判断を下した。

「解かった、ミス香月。我が国はオルタネイティヴ4に協力を惜しまない。
 早速XG-70の供与と、国連軍横浜基地に対するF-15E、20機の配備を実現させよう。
 ただし、F-15Eの運用は、米国籍の国連軍衛士かオルタネイティヴ4直属部隊の衛士のみに限らせてもらいたい。」

 夕呼の案を承諾しながらも、大統領は更に思考を巡らしていた。

(倉庫で埃を被っているだけの役立たずと、主力機とはいえ戦術機の20機で満足するというのなら呉れてやろうではないか。
 それで、今回の件を背信行為として提訴されず、しかも将来の米国の立場に利する事ができるのならば安い物だ。
 XG-70に搭載済みのG元素は些か惜しいが、こうなっては諦めるしかあるまい。
 それにしても、CIA長官の先走りのお陰で大層失点が嵩んでしまったものだ……くそっ! あいつめ、どうしてやろうか……)

 そんな大統領の心中を知ってか知らずか、夕呼が言葉を投げかける。

「本当に、部下の独走には悩まされますわね。
 私の方でも、先日部下が勝手に貴国の衛士に亡命を勧めてしまいまして。
 まあ、貴国の最新鋭機であるF-22Aの乗り逃げまでは唆さなかったので、まだましだとは思っておりますけれど。」

「は?…………今、なんと言ったのかね? ミス香月。」

 半ば自身の思考に気を取られていた大統領は、話題の急変に追従できず即座には内容が理解できなかった為、夕呼に再度言葉を促す。
 それに、夕呼はしたり顔で頷いて応じた。

「貴国が帝国で演習を実施させる為に派遣していた陸軍戦術機甲部隊の衛士が、やはりCIAの密命を帯びた工作員だったそうですの。
 一昨日、斯衛軍野外演習の露営地で、その衛士が諜報活動を行おうとした所を、私の部下が発見したとの事でしたわ。
 ところが、部下が事情を聞いてみた所、母国をBETAに奪われて貴国に難民として受け入れられたものの、生活に困窮して市民権を得る為に軍に志願したのだとか。
 しかも、難民収容施設に残している母と妹を質に取られて、CIAに協力を強いられていたそうですわ。
 その話を聞いて、同情してしまった私の部下が、手を回して家族ごと日本に亡命できるように取り計らうと約束してしまいましたの。
 御存じありませんでしたか?」

「いや……その……一衛士の進退まではなかなかに気が回りませんので…………ですが、またもやCIA絡みですと?」

 正直衛士の1人や2人亡命した所で、大統領にとっては然したる問題とも思えなかったのだが、これもCIA絡みと聞いて嫌な予感に襲われた大統領は、恐る恐る問い返した。
 すると、途端に夕呼が、唇をニィっと歪め、瞳を妖しく輝かせ、上唇を舌で一舐めしてから徐に口を開く。

「それがですね、大統領。
 彼女―――その衛士は女性だったんですが―――が言うには、ハワイを出港する前にCIAから受けたという任務の内容が、実に興味深いものですのよ。
 帝国で発生するで『あろう』クーデターに、米軍が介入して反乱軍を鎮圧するに際し、事態を可能な限り長引かせ、米軍が十分な功績を上げる前に事態が沈静化しない様に努めよ、との内容だったそうです。
 しかも、当横浜基地に駐留する機会があった場合には、潜入工作員の指示に従い情報及び物品を受け取り、米国に持ち帰る事との内容もあったそうですわ。
 この情報は、現在彼女の身柄を保護している帝国情報省からのものですから、帝国側は未遂に終わったとは言えクーデターに対するCIAの関与を裏付ける傍証として、彼女の証言を重要視しているかもしれませんわね。」

 そう言いながら、妖艶な笑みを浮かべてころころと笑う夕呼の声を耳障りに感じながら、大統領は目眩を覚えていた。
 つい先日、事前にクーデターの企みを察知した日本帝国の政威大将軍が、これを未遂に終わらせるだけでは満足せずに、それを逆手にとって、クーデターに関与していた者達を一網打尽にした事は既に各国諜報部によって察知されており、大統領の手元にも複数の報告書が上がってきていた。

 その中には、中央情報長官として米国情報機関を統括するCIA長官を通さずに、NSA(アメリカ国家安全保障局)から非公式なルートでもたらされたものも含まれていた。
 それによると、CIAや在日大使館の武官の影響下にある協力者達が多数身柄を拘束されたとあり、CIA長官からは帝国に於けるクーデター発生の可能性を示唆されていただけの大統領にとっては、寝耳に水の情報であった。
 つい先刻まで、CIA長官をその道のエキスパートとして信頼していた大統領は、実情の把握と状況分析、今後の対応策の立案を命じただけで済ませたが、今となってはCIA長官が自身の独走を隠す為に情報を揉み消していたのに違いなかった。

 大統領にとっては不幸以外の何物でもなかったが、夕呼によってCIA長官の独走が明らかとなった今では、NSAによってもたらされた情報は、明らかに重要性が増していた。
 日本国内の協力者達の多くが身柄を拘束されたのは、CIAがそれだけ積極的にクーデターに関与していた為である可能性が、此処に来て一気に現実味を増したからだ。

 昨日の夜―――米国東部標準時の未明に行われた、新潟に上陸したBETA群撃退後の日本帝国政威大将軍による声明は、地球全土を時差をも超越して駆け巡っていた。
 その後も繰り返し報道で取り上げられたその声明は、今では路傍のホームレスでさえも知っている程である。
 その声明の中にも、綱紀粛正の為、帝国政財界の贈収賄などに係わった人間の身柄を多数拘束させたとの発言があり、タイミングがNSAの報告に合致する事から、クーデターに関係して国外勢力の影響下にあった人物らを拘束した事についての発言だと察せられる。

(―――なんということだ!
 あの声明を聞いた時には、上手い事クーデターの計画を逆手に取ったものだと感心しただけだったが、こうなるとCIAの関与を疑われて―――いや、この場合は見破られてか?―――いずれにしても、帝国から抗議や非難を受ける事になるかもしれないではないか。
 そこへ持ってきて、今回の横浜基地潜入工作員の件が、表立っては問題にならなかったとしても、国連加盟各国の知る所となった状態では、我が国のクーデターへの関与を疑わぬ国などありはすまい。
 そうなれば、各国は我が国に疑念を抱き、距離を置く事になるだろう。
 なんということだ!! CIA長官の独走の所為で、ここまで我が国の立場が悪化するとは!)

 愕然とした表情を最早隠し通す気力も無く、思考に囚われて呆然とする大統領の姿に、夕呼は満足気に笑うと声をかける。

「とは言え、政威大将軍殿下は国際協調を推進すると明言なさっていますから、事を荒立てるお心算は無いかもしれませんわね。
 一度、直接話してご覧になる事をお勧めいたしますわ。
 ―――あら、御多忙でいらっしゃいますのに、少々無駄話が過ぎたようですわね。
 貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。
 では大統領、良い日をお過ごしになれますように、心より願っておりますわ。」

 そう言うと、半ば上の空な状態の大統領が生返事を返したのを確認するなり、夕呼は通信を切ってしまう。
 夕呼の通信画像が消え去った後も、燦々と朝日が差し込むホワイトハウスの執務室では、大統領が逞しい両手で頭を抱えて独り呻吟していた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 23時58分、国連軍横浜基地のB19フロアに在る夕呼の執務室には、もう直ぐ日付も変わろうかという時間にも拘わらず煌々と明かりが灯され、2人の人物が会話を交わしていた。

「あ~、面白かった。
 これで大分溜飲が下がったわ。あの大統領、前からあたしの事を出来の良い美術品でも見る様な眼をするもんだから、ずっと気に食わなかったのよね~。
 まあ、今回はあんたが調べたとおり、本当に関与してなかったみたいだけど、頭も下げさせたし、そこそこ満足できたわね。」

 執務机に着き、満足気な笑みを満面に浮かべて語る夕呼。
 その前に立ち、話相手を務めているのは武だった。
 夕呼の執務室へは、夕呼と米国大統領の通信が終わるほんの少し前に着いたばかりの武だったが、通信内容は機密回線で交わされていたにも拘わらず全ての内容を把握している。
 果たしてこの事を00ユニット脅威論者が知ったら、一体何と言って騒ぐ事であろうか。

「夕呼先生。CIA長官の件ですけど、上手くいくと思いますか?」

 武は、今回の件で最も気になっていた点について夕呼に訊ねる。
 今回、行動を促す相手である大統領に対して、武は間接的な手法でアプローチする事しか出来なかった。
 事前に心理分析の手法を用いたシミュレーションを繰り返し、心理誘導を練り上げ、可能な限り成功率を高めた上で、武は今回の計画を実行している。
 それでも、自身の経験に基づいた判断ではなく、00ユニットの演算能力に依存した今回の計画を信じ切れず、武は夕呼に成否の予想を訊ねねばいられないほどに、不安を抱いていた。

 00ユニットとしての機能を使いこなしつつあり、莫大な情報を参照・活用可能であり、思考に要する時間も格段に短縮されている武は、様々な方面に於いて生半な経験など歯牙にもかけない程の能力を発揮できる。
 それは武も理解しており、実際に様々な機能を活用して熟練者の域を超えた成果を出してきた。
 しかし、それでも武は、未だに自身の能力を信じ切る事が出来ない。

 例えば交渉事や駆け引きを例にとると、悠陽や紅蓮、月詠、榊首相、沙霧―――武は今まで、これらの人物を相手に様々な交渉を行ってきた。
 事前に状況分析を行い、彼我の求めるもの、説得に使えそうな材料などを調べ上げ、武は思い付く限りの準備を行い、強い決意を以って臨んでいた。
 しかし、それでも尚、自分の交渉が空回りしていないかという不安を常に伴っていた。

 00ユニットの機能任せの分析結果に誤りは無いのか?
 自分は、何か重要な事を見落としてはいないか?
 相手が考えている事が知りたい、推論では不安が収まらない、それでもリーディングは使いたくない。
 そんな葛藤を、武は繰り返してきた。

 心理分析の手法や、リーディング、プロジェクションを使用した暗示など、相手の反応を予測したり、読み取ったり、操ったりする能力を00ユニットとしての武は所持し活用できる。
 しかし、それらの能力が活用しきれない、または活用したくない場合やなど、なまじ00ユニットの機能が高度である分余計に、武は自分だけの力や経験で出来る事の限界を感じ、自信を喪失してしまいそうになる。
 未だに武の自意識に於いては、自分という存在は人間としての白銀武であって、00ユニットの機能は搭乗している戦術機の機能の様な、外付けのものとして認識されているにすぎないのかもしれない。

 また、00ユニットの機能を活用する場合に於いてさえ、武は結果が出るまで万全の自信を持つ事が出来ない。
 00ユニットの機能が魔法の様に処理している部分に、目隠しをされているかのような不安を抱くのだ。
 機能を使って結果を、答えを出す事は出来る、しかし、その結果や答えがどのようにして得られたかが理解し切れず、自分の経験で検証できない怖さを、武は処理し切れずに抱え込んしまう。
 それ故に、明瞭な結果が得られない場合、武は自身の知る限り最も的確な判断を下せそうに思える夕呼に、つい縋ってしまうのである。

 それが自分の心の弱さであり、克服すべきである事は武も自覚している、それでも感情の問題である以上破綻しないように気を付けながら、徐々に改善していくしかない。
 そして、武が00ユニットとしての能力を可能な限り発揮する事を、今の情勢は必要としている。
 不安に押しつぶされる訳にはいかないのだと、そう自分に言い聞かせて、武は夕呼に縋る自分を叱咤しながらも許容するのだった。

 そんな、武の心情を薄々感付いていながら、夕呼は素知らぬ顔で武の問いに応えて見せる。

「大丈夫じゃないの~?
 大統領も大分イラついてたみたいだし、CIA長官職の罷免まではいかなくっても、中央情報長官として米国の全情報機関を統括する人からは外されるでしょ。
 ま、情報操作して、大統領相手に隠し立てしてたのが致命的よね~。
 正直、G弾運用派のCIA長官が米国の情報を全て統括していた所為で、今まで交渉がやり難くて苦労してたのよ。
 これで、米国政府内でのあいつの影響力も低下して、大分風通しが良くなるわ。
 大統領は、偏見持ちの嫌な奴だけど、政治家としては無能じゃないしね。」

 武は夕呼の言葉に、やっと心底安心したように笑みを浮かべる。
 夕呼の執務室に来る前に、武は欧州連合と大東亜連合軍の武官らの立ち会いの下、情報工作に従事してきていた。
 前回のループで苦肉の策として用いた、横浜基地司令部に潜入していた工作員の緊急連絡用秘匿回線を通じた報告を、今回は欺瞞情報を流し、CIA長官の足元を崩す材料として使用したのだ。

 欺瞞情報を掴まされ、プロジェクションで焦燥感を煽られた工作員は、大慌てで欺瞞情報をCIA長官に伝え、その後横浜基地憲兵隊に拘束された。
 無論、プロジェクションの事は武官らには知らせず、単に工作員に欺瞞情報を掴ませたとだけ伝えてある。
 事の一部始終を目撃した武官らは、今頃は見聞した情報を自勢力に報告し、情報機関に裏付け調査を開始させているだろう。
 その結果、最低でも米国の関与は限りなく黒に近いという結果が出るに違いない。

「これで、国連内での米国勢力も掣肘(せいちゅう)する事が出来たし、大統領にも貸しを作れたから今後はあれこれ上手くいくわね。
 こっちがCIA長官の独走の責を問わなかったんだから、米国も例の亡命させた工作員にあんたが関与してたって、煩く言ってはこれないでしょ。
 彼女、帝国情報省での聞き取りが終わったら、うちで身柄を引き取るのよね?」

「はい。現状、帝国では外国人は住み難いですからね。
 その点、横浜基地なら人種の坩堝ですから。」

 武はイルマに亡命を進めるに際して、家族の身柄を確保した上で、日本国への移民として受け入れ、BETAの支配から母国を解放するまで、イルマ自身を国連志願兵として横浜基地に受け入れ、家族ともども衣食住を保証すると約束した。
 米国での冷遇が身に染みており、難民上がりの将兵を使い捨てにするような米軍の有り様に、イルマは密かに反感を募らせていた。
 そこでイルマは、武が構築したという対BETA戦術構想の有効性を新潟の地で確認出来た事もあり、CIAとの縁を切る為、そして母国奪還を少しでも現実に近付ける為には、武の所属する国連軍横浜基地に身を寄せた方が良いと判断したのだ。
 尤もその実イルマが何よりも重要視したのは母と妹の処遇であり、生活水準の向上とCIAの手の届かない環境に移せる事こそが決め手となっていたりする。

 そういった経緯がある為、いずれイルマの身柄は横浜基地所属となり、亡命に横浜基地が関与しているとの疑いは必ず生じるに違いなかった。
 その際の摩擦を軽減する為に、夕呼は大統領にわざわざ釘を刺したのである。

「精々感謝しなさいよ? あたしに尻拭いさせたんだから、只じゃ済まさないからね。
 それはそれとして―――そうねえ。その娘には、ピアティフの手伝いでもさせようかしら。
 衛士として使う気は無いのよね?」

 何やら半分悪巧みでもするかのように、楽しげにイルマの処遇を思案する夕呼に、武は心中でイルマに両手を合わせて詫びながらも、夕呼に頷く。

「はい。少なくとも暫くは、戦闘要員としては使わない方がいいと思います。
 戦場で暗殺される危険も皆無ではありませんし、夕呼先生の言う様に司令部直属となれば、オルタネイティヴ4が身柄を手札として押さえているって印象を米国に持たせられますしね。」

「ま、実際には切る心算のない手札だけどね。
 じゃ、その件はそれで良いとして、現状と今後の対応について、ちゃっちゃとまとめちゃうわよ?」

 夕呼は、それまでの悪戯半分のニヤニヤ笑いを引っ込めると、真面目な表情になって武と本格的な打ち合わせを始めた。

 横浜基地内の工作員の摘発状況と、背後関係や過去に果たしてきた工作内容を踏まえた今後の対応策の検討。
 横浜基地の工作員摘発による欠員の補充と、HSST自爆未遂事件で排除した国連軍太平洋方面第11軍の司令部の後任に対する、オルタネイティヴ4としての人事案の提示。
 XG-70の受け入れ後に行う、整備計画の概要策定。
 『甲21号作戦』の構想と、そこに至るまでの事前準備のリストアップ。
 それらの細々とした点に至るまでを網羅した事項を、武と夕呼は尋常でない速度でこなしていく。

 その処理速度は、00ユニットである武により関連情報の検索・参照が瞬時に行われ、決定された事項の記録も非接触接続で瞬時に済んでしまうお陰だとは言うものの、夕呼の思考速度の速さを如実に物語っている。
 そうして異常なほど濃厚な情報密度での打ち合わせが、2時間近くぶっ続けで行われた頃、膨大な懸案事項の大半が処理され、ようやく打ち合わせの終わりが見えてきた。

 夕呼にとっても、量子電導脳のお陰で思考能力が人間の域を脱している武にとっても、精神的に疲労困憊してしまう程に濃い2時間であった。
 それでも、武が再構成から22日間―――3週間強に亘って成し遂げて来た成果によって、オルタネイティヴ4を取り巻く環境は著しく改善されている。
 それ故に、2人の顔には疲労感よりも高揚が色濃く表れていた。

 国連を米国と同一視しがちな帝国の世情により、誘致国である帝国との連携に問題を抱えていたオルタネイティヴ4だったが、政威大将軍の諮問に応えて、新戦術並びに新装備を開発し帝国に大勝利をもたらしたと喧伝された事により、横浜基地及び在日国連軍に対する帝国内の感情は、一気に好意的な方向へと改善された。
 また、国連内部でもオルタネイティヴ4に掣肘を加えて来た反対勢力を押さえ込む事に成功し、横浜基地に巣食った工作員達を一掃した上で上級司令部人事への介入すら行い、今やオルタネイティヴ4は計画完遂に向けて全力を傾注できる環境を手に入れつつある。
 その上、計画本来の目的であった00ユニットの稼働とBETA情報の収集という2大目標は既に達成しており、後はそれらの成果を如何に活用するかと言う段階にまで、オルタネイティヴ4は到達している。

 この時点でオルタネイティヴ4完遂を宣言しても、十二分な評価を得られるであろう。
 しかし、夕呼にはここで満足して手を引く気などさらさらなかった。
 BETAを地球上から、いや、太陽系から追い出すまでは、オルタネイティヴ4統括責任者としてBETAとの戦いを主導する。
 それこそが、夕呼の望みであり、自分自身に課した義務であった。

 ほんの一月前までは、夢想に過ぎない只の言い訳だと自嘲する事さえあった望みであり義務だったが、夕呼の眼前にいる男―――白銀武が現れ、瞬く間に全てを劇的に変えてしまった。
 今や、夕呼の行く手を遮れるような要因など、皆無に近いとすら思えるほどである。
 後は、辿り着ける限界まで突き進むだけだと、夕呼は自身に発破をかけた。

「じゃあ、XM3のトライアルはそんな感じで良いわね。
 一応、あんたの言うとおり、表向きの功績は殿下に譲ったけど、全てはオルタネイティヴ4の成果であるって事はしっかりとアピールしとかなきゃね。
 後は………………もう一度確認するけど、『甲21号作戦』は凄乃皇抜きでの占領を目指すって事でいいのね?」

「はい。凄乃皇の威力は強力ですが、所詮は量産の効かないBETA由来技術を使用した兵器に過ぎません。
 人類は、可能な限り自分達自身の力でBETAに打ち勝つべきです。
 『甲21号作戦』に投入するG元素使用兵器は、オレ自身とBETA誘引用の『Gパーツ』だけで十分です。」

 夕呼の問いに、一瞬だけ表情を強張らせた武だったが、強い意志を込めて決意を述べた。
 そんな武を一瞥した夕呼は、僅かな時間瞑目した後、武を真っ直ぐに見詰めて口を開く。

「そう。人的物的被害が増大する危険を冒しても、可能な限り人類由来の兵器だけでBETAに勝って見せるというのね。
 ―――そうね。そうでなくては、『超兵器』や『英雄』への信仰が生まれるだけで、人類自身の自信には繋がらないものね。
 解かったわ。帝国軍に対BETA戦術構想とその装備群を浸透させる時間的余裕もあるし、その方針を容認するわ。
 凄乃皇は、オリジナルハイヴ攻略用に取っておくって事ね。
 それじゃあ、さっさとオルタネイティヴ4の後ろ盾である帝国を安定させて、大陸反攻を開始するわよ!」

「はい! さっさと佐渡島を取り返して、BETAを地球から追い出しましょう、夕呼先生。
 今度こそ―――今度こそ、オレは途中退場無しで、ユーラシア大陸奪還まで戦い抜いて見せますよッ!」

 夕呼と武は瞳を輝かせて決意を交わす。
 絶望に満たされた暗闇の中で、希望の光を求め足掻き続けた2人は、今ようやくにして、求め続けた希望の光射す世界への道を歩み始めたのだと、喜びを胸にそう確信していた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月13日(火)

 この日の午後、臨時招集された帝国議会に於いて、内閣総理大臣榊是親の奏上により、第二次世界大戦終結以来、長く有名無実化されてきた政威大将軍の国務全権代行たる大権が、悠陽の元へと奉還された。
 この報と併せ、夕刻に行われた悠陽による声明は、一昨日の新潟BETA撃退後の声明に続き、国内外に広く報じられる事となった。

 声明の内容は、国土奪還に向けた挙国一致体制確立の呼びかけ、BETA侵攻の脅威に曝されている窮状を打破する為の国際協調と互助行為の奨励、避難民の窮状に対する慰撫などであった。
 年若く瑞々しい玲瓏な顔(かんばせ)で情理を尽くして信念と決意を語り、民の窮状に心を砕きながらも国土奪還の悲願の為に忍苦を請う悠陽の姿は、見る物の心を打ち崇拝の念を掻き立てるに十分なものであり、目にした者を魅了した。

 帝国国内の政威大将軍復権に沸き立つ国内の反応も激しい物であったが、国外に於いても一昨日の報道の余韻も収まらぬ内に第二報が飛び込んできた事で、悠陽に対する関心が爆発的な高まりを見せる。
 また、その声明の中で、悠陽が自国のみならず、人類全体のBETA殲滅にかける悲願達成の為、帝国は可能な限り尽力すると明言していた事が殊更強調されて報じられた結果、先の新潟BETA撃退に於ける画期的な戦果と相俟って、悠陽が統べる日本帝国軍に対しても多大な関心と期待が寄せられ始めていた。

 米国の内政干渉や各種工作に関しては、悠陽は箝口令を引き外部への情報流出を最低限に抑えた。
 しかし、その一方で情報省の人員が軍部や公安に出向き、精力的に尋問や聞き取りを行い、微に入り細に穿って情報を収集してもいる。
 悠陽はそうして得られた情報を、今後米国の干渉を跳ね退けつつも、協力態勢を確立していく為の糧であり武器とする心算であった。

 また、悠陽の復権を待っていたかのように、米国大統領からの直接通話の要請があり、これに応じた悠陽と米国大統領との間で対談が行われたが、その内容が詳らかとなる事はなかった。
 しかし、第二次世界大戦終戦後、政威大将軍の有名無実化を推進していた米国は、政威大将軍を政治的指導者として認めた上で交渉を持とうとした事は皆無であり、日本の政治的主導者は内閣総理大臣であるとの立場を固持してきている。
 その為、米国大統領が今回その態度を改め政威大将軍に対して通信とは言え直接対話を求めた事実は、帝国にとって新たな時代の訪れを感じさせる一つの兆しともなった。

 また、この日の朝、国連軍横浜基地より要請のあった、対BETA戦術構想の中核装備である戦術機用新型OS、XM3公開トライアルの実施も即日承認された。
 新潟に於ける帝国の新戦術及び装備群に興味を示している諸外国に対し、帝国としても武官らをトライアルに招く事を決定。
 XM3トライアル実施は5日後の18日とされ、希望する諸国に対しては、戦術機甲部隊派遣も受け入れる事が定められた。
 トライアルは日本帝国政威大将軍の承認の下、国連軍横浜基地の主催として実施されるものとされ、直ちに諸外国にその旨が伝えられた。

 かくして、悠陽は国内を掌握し、国土奪還、BETA殲滅と言う悲願を果たすべく、その第一歩を踏み出した。
 そしてその歩みは、世界へと大きな波紋となって広がり、多くの人々を揺り動かす。

 BETAからの祖国奪還を願う者達、BETA防衛に心身を疲弊させて尚戦い続ける者達、BETAの直接被害を受ける事無く繁栄を謳歌する者達、BETAの脅威に意気を挫かれ保身にのみ汲々としている者達、立場や思惑は違えども極東の帝国は今や全世界の注目をその一身に集めていた。




[3277] 第104話 優しい追い風を集めて
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/09/06 20:54

第104話 優しい追い風を集めて

2001年11月14日(水)

 08時05分、16番整備格納庫のブリーフィングルームに、207Bとまりもの姿があった。

「昨日、政威大将軍殿下の承認が得られた為、来る11月18日、当横浜基地に於いて戦術機用新型OS『XM-3』のトライアルが、国内外から参加者を招いて実施される事となった。
 先のBETA新潟上陸時の迎撃作戦に於いて、その有用性が国内外から注目されている白銀の対BETA戦術構想。
 その装備群の中核をなす装備が、当基地で開発され貴様等が戦術機操縦課程に進んで以来お世話になっている戦術機用新型OSだ。
 今回のトライアルは、その新型OSの量産型である『XM-3』のトライアルという事で、国内外から多くの熟練衛士が参加する事となるだろう。
 そして、そのトライアルに貴様等第207衛士訓練小隊も参加する事となった。」

「「「「「 ―――ッ!? 」」」」」

 衛士強化装備を装着した207Bの6人を、ブリーフィングルームに並べられた椅子に腰かけさせた上で、まりもが演壇に立って207Bのトライアル参加を通達すると、武を除く207Bの5人が一斉に息を飲んだ。
 訓練兵でありながら、熟練衛士達と肩を並べてトライアルに参加しろと言われた為だ。
 しかし、まりもは彼女等の戸惑いを見てとりながらも、そのままトライアルの説明を進める。

 トライアルの具体的な内容は、大きく2つに分かれている事。
 1つ目は、機体の反応速度及び機動制御の測定試験。
 2つ目は、小隊同士で行われる模擬戦形式の連携実測。
 測定試験では、主脚走行中に設置された標的への射撃を行う事で反応速度を計測。
 機動制御は旧市街に設置されたコースを、主脚走行、噴射跳躍、NOE等全ての移動遮断を用いて如何に素早く走破するかで計測。
 ただし、この際コースは光線級数体の被照射領域であるとの設定が成されており、対レーザー蒸散塗膜装甲の耐久力を超えた照射を受けた場合は機体損害判定がなされ、その影響が以降の機動に反映された上で減点が科せられる。

 そして、連携実測は…………

「連携実測は仮想敵部隊を相手に、統合仮想情報演習システム(JIVES)を用いた模擬戦を行う。
 仮想敵部隊は、当横浜基地教導部隊から2個小隊、当基地所属衛士の中から出撃20回以上の熟練衛士を選抜して4個小隊、そして、謂わばゲストとして帝国斯衛軍より1個小隊の計7個小隊が担当する。
 使用機体は、それぞれ『不知火』2個小隊、『陽炎』2個小隊、『撃震』2個小隊、そして『武御雷』1個小隊となる。
 この内、選抜小隊の衛士等は、トライアル前日に初めてXM3搭載機に搭乗し、1日の慣熟を行った上でトライアルに臨むが、教導部隊と斯衛部隊の衛士等は、既にXM3搭載機による実戦経験を持つ猛者達だ。」

「え? 教導部隊……ですか?」「実戦経験のある斯衛衛士? 月詠らか!」「教導部隊? 初耳……」「え? え? え?」「国連軍なのに『不知火』が配備されてるなんて凄いや!」

 まりもの説明に、各々口の中で思う所を呟きながらも、5人は真剣な表情で説明に聞き入っている。
 そんな教え子達を一通り見廻した後、まりもは説明を再開した。

「いずれの試験項目も、従来OS搭載機、XM3搭載機、いずれの機体を使用しても臨む事が可能となっている。
 自身が普段より使用している戦術機を持ち込んだ者は、当然その機体で試験を受ける事が出来る。
 また、トライアル当日は、XM3搭載機の慣熟用シミュレーターや『陽炎』及び『撃震』のXM3搭載機も多数用意されており、これらを用いて試験に参加する事も可能だ。
 ただし、斯衛軍の仮想敵部隊との対戦に限っては、教導部隊の『不知火』小隊のいずれかに1度以上勝利している事が条件となる。
 先程も言った通り、教導部隊と斯衛軍衛士を除けば、XM3搭載機にトライアル以前より慣熟しているのは、貴様らだけだ。
 よって貴様等の任務は、白銀の考案した新衛士訓練課程の有効性を全参加者に知らしめる事となる。
 如何に訓練生とは言え、貴様等は最初からXM3搭載機に搭乗する為に最適化された訓練を受けてきている。
 例え熟練衛士であれ、当日初めてXM3搭載機に乗った衛士等や、従来型OSを搭載した戦術機に後れを取る事は許されない。
 最低でも上位に名を連ねて見せろ。いいな!」

「「「「「 …………………… 」」」」」

 軍隊組織に於いて上官の命令は絶対であり、それに対しては即座に承諾を返すのが原則である。
 にも拘らず、207B女性陣は絶句してしまい、復唱はおろか頷く事すら出来ずにいた。
 本来であれば、雷を落とすべき所ではあるが、まりもは呆れたように首を振ると、心持ち柔らかな口調で教え子達に問いかける。

「なんだ。貴様等、熟練兵相手に勝てる自信が持てないのか?
 まあ、訓練兵に過ぎないひよっこが、実戦の荒波を潜り抜けて来た先達に勝つなど、本来は妄想にも等しい事ではあるからな、無理も無いか。
 よし。貴様等、何か言いたい事があるなら言ってみろ!」

 まりもの何時に無く優しげな―――どこか、教え子達の境遇に同情しているかのような態度に、戸惑いを隠せないまま207B女性陣は顔を見合わせる。
 ちらちらと、時折横目で武を見ながらも、手短にアイコンタクトを交わした後、結局皆を代表して千鶴が挙手し疑念を表明する事となった。

「神宮司教官。確かに我々はXM3搭載機に最適化された訓練を受けています。
 しかし、その訓練期間は、戦術機操縦課程の開始より10日しか経過しておりません。
 トライアル前日まで訓練を繰り返したとしても、訓練期間は2週間に満たない事になります。
 その様な状況で、これまで鍛錬を欠かさず繰り返してきた練達の衛士である先達に伍する事が出来るとは、私には残念ながら思えません。」

 千鶴は太い眉を寄せ、切々と訴える。その表情には、恩師であるまりもの期待に応えられない自分に対する悔しさが溢れていた。
 それでも、千鶴にとって訓練兵と熟練衛士との間に広がる障壁は、高く越え難いものとしか思えなかったのである。
 武は、そんな千鶴の様子を見て、これが実戦を経験していない影響なのかなと、のんびりと考えを弄んでいた。

(2回目の再構成から派生した世界群じゃ、クーデターで実戦を潜り抜けた事や、任官を果たしていた事からか、みんなトライアルに殆ど不安を見せなかったよな。
 けど、あの時のトライアルだって、戦術機操縦課程に進んでから実はたった17日しか経ってなかった。
 しかも、あれこれあった所為で訓練に集中できてたわけでもない。
 美琴なんかクーデター後は、憲兵隊に連行されちまって全然訓練出来て無かったし…………
 その点、前回―――3回目はたっぷり訓練期間があったよな。
 11月04日に操縦課程に進んで、トライアルは12月09日だっけか…………
 こっちは、実戦経験はなかったけど、訓練期間が長かった所為か、みんな自信に満ち溢れてたっけ…………)

 武のそんな思考を他所に、まりもが千鶴の懸念を晴らす為に言葉を連ねていた。
 207Bの抱える思いは極当り前なものであり、常識と言って良い。
 それを覆しているのは、武と夕呼によって構築された非常識な現状なのであり、教え子達に非はないとまりもは考えていた。
 それでも、トライアルで成果を出させる事は、まりもに課せられた任務でもある。
 それ故に、この場で教え子達の懸念を解き、士気を高揚させるのがまりもの務めとなる。

「榊。従来の衛士訓練課程であれば、貴様の言う事は正しい。
 しかし、貴様等の受けている錬成は、白銀の考案した新衛士訓練課程だ。
 そもそも、非常識の塊である白銀が考案した訓練を受けている以上、既に常識は適用できないものと思え。
 実際、貴様等の錬成の進捗速度は、従来の衛士訓練課程と単純に比較しただけでも優に2倍を超える速度で進んでいる。
 更に付け加えるならば、夜間の自主訓練で斯衛軍第19独立警備小隊の指導を受けている成果もある。
 はっきり言って、今の貴様等の錬成状況は、戦術機への慣熟に限っても任官後の新兵教育を完了した衛士の域を超えている。」

 まりもの言葉に聞き入る207B女性陣は、まずは武が係わった以上常識は無効との言葉に納得し、次いで、自分達の錬成が想像を遥かに超える域に達していた事に驚愕した。
 まりもの言葉とは言え、正直半信半疑である5人の中で、それでも実際に新潟で実戦に参加し、斯衛軍衛士との模擬戦に勝利している冥夜だけは、その体験を振り返って幾らか納得できるものを感じる事が出来た。

「その上、貴様等が習熟しているのは、XM3搭載機に最適化された白銀の機動概念に則った物だ。
 事実上、XM3搭載機での戦闘機動について、貴様ら以上に習熟している衛士など、世界中を探したところで何人も居ない。
 比較的早期にXM3搭載機の導入を決定し、慣熟訓練を開始した斯衛軍でさえ貴様らよりも数日早い程度に過ぎない。
 貴様ら以上に慣熟訓練を行っているのは、開発直後から実証試験を担当していた当基地教導部隊と、当基地に駐留していた関係で先行して試験運用を開始した斯衛軍第19独立警備小隊だけなんだぞ?」

 まりもの懇切丁寧な説明が、着実に207B女性陣に対して浸透していく。
 驚愕に染められていた顔に理解が、次いで実感と喜び、そして充実感が満ちていく。
 それを確認したまりもは、教え子達に今一度問いかける。

「解かったか? ならば、改めて命を下すぞ。
 トライアルに参加し、貴様等の力を見せ付けろ!
 例え熟練衛士が相手でも決して後れを取るな。解かったな!!」

「「「「「 ―――了解ッ! 」」」」」

 一斉に立ち上がり、敬礼して応える207B女性陣。
 しかし、武は自身の思考に耽っていた事もあって出遅れてしまい、慌てて立ち上がって敬礼する。
 そんな武に、まりもと仲間達の呆れを含んだ視線が集中していた。
 ―――武の成した偉業への、隠しきれない尊敬の念と共に。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時32分、武が確保したブリーフィングルームに、武、まりも、みちるの3人が集まり、資料に目を通していた。

「伊隅大尉、神宮司中尉、手伝いをお願いして済みません。
 オレは現役衛士の噂とか殆ど知らないもんで、全然判断材料がないもんですから……」

「気にするな白銀。任務とあれば否応も無い。
 私も、それほど帝国軍衛士を知っている訳ではないが、何人かは知り合いがいるし、そいつらから噂も聞いている。
 それに、そういった繋がりならば、神宮司中尉が十分持っておられるだろう。
 何しろ、元は富士教導団に所属しておられたのだからな。」

 武はトライアルに招く帝国軍衛士のリストアップの補佐を、みちるとまりもに依頼していた。
 人事データだけではなく、衛士の間での噂や評価を加味して、周囲への影響力や能力を帝国軍で広く認められた高名な衛士を招こうと考えた為だ。
 快く依頼に応じてくれた2人だったが、武は申し訳なさそうに2人に詫びた。
 それに、みちるが応えたのだが、話の内容はまりもの経歴に触れるものとなる。

 国連軍へと移籍し、教官として実戦に出なくなってはいるものの、まりもは女性衛士の先がけの一人として、今尚帝国軍で語り継がれる衛士なのである。
 みちると武の視線が自分に集まっているのを感じ、資料に落としていた視線を上げたまりもは、やや困惑した様な表情を浮かべて応じる。

「伊隅大尉、敬語はお止め下さい。
 それに、私が教導団に所属していたのは、もう何年も前の事です。」

「お断りします。部下や事情を知らない兵が居る場ならいざ知らず、恩師であり高名な先達であられる神宮司中尉に敬意を示すのは当然の事ですから。
 それに、教導団に所属していたのが何年前の事であれ、少しは当時の同僚と交流を保っておられるでしょう?
 幸い、教導団の衛士は前線での任務が少なく、代わりに全国の戦術機甲部隊と模擬戦を繰り返している筈です。
 昔の伝手であっても、多くが残っているでしょうし、各部隊の腕利きについても噂を聞く事が多いのでは?」

 ニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべて、みちるはまりもの言葉を否定する。
 どことなく、楽しげなその様子に、武はみちるのまりもへの想いを見た気がした。
 ―――それと共に、夕呼の影響をも見出してしまったが……

「確かに、腕利きの噂は幾つか聞き及んでいますが、故人も多いですからね……
 富士教導団の現役と、帝都防衛第1師団に第7師団、後は第12師団の鋼の槍連隊に……
 中部方面軍の第21師団の戦術機甲連隊が変わった部隊運用を行ってるって話と、西部方面軍の第8師団に守勢に定評のある中隊がいたはず……
 ああ、これかしら。第21師団の草薙、佐伯、両大尉と、第8師団の緑川仁中尉ですね。
 この3人が各々の部隊で、重要な役割を果たしていると聞いています。」

「ああ、草薙大尉と佐伯大尉は既に召致対象に選ばれてます。」
「え? 緑川仁中尉ですか?」

 まりもが資料の中から3名の人事データを抜き出して見せると、武とみちるがそれぞれの人物に反応を示す。

 草薙と佐伯は『前の世界群』で、帝国軍陽動支援戦術機甲連隊の初代連隊長と副長を務めてもらった人物であり、武は今回も同様の役回りを用意するつもりであった。
 その為、2人は既に召致が決定していたのだが、その2人の名がまりもからも上がった事で、判断の妥当性が裏付けられたと武は思った。

 対して、みちるの反応は、思いもかけない名前を聞いたといった、戸惑いが主となったものである。
 その反応に、今度は武とまりもの視線がみちるへと向かう。
 視線に促され、みちるはやや口籠りながらも言葉を足した。

「あ……いえ、特にその人物の実力について言うべき事がある訳ではないのですが……その…………
 宗像の陸軍高等学校時代の先輩で……なんというか……互いに想い合っている相手だと聞いた事がありまして。」

「ああ! 宗像中尉の思い人って人ですね? 九州戦線で戦っているって聞きましたが、この人が…………
 よし、この際だしこの人も招きましょう。小隊を組めるように同じ部隊から後3人ほど招いて、第8師団は決定としますね。」

 みちるの言葉に、武は嬉々として話を進めていく。
 その様子に、まりもは呆れ、みちるは予想外の展開に慌ててしまう。

「し、白銀。それは公私混同だぞ!」

「いいじゃないですか。招くに値する人物なんです。ちょっとした付加価値ってもんですよ。
 あ、そう言えば、伊隅大尉の妹さん達も、その候補者リストに入ってますよ。
 後は、第6師団の日比野(ひびの)大尉って人も、大尉の従姉妹に当たるそうですね。」

 武の軽挙を咎めるみちるだったが、武は気にもせずに更に公私混同を重ねていく。

「滅多に会う機会も無いでしょうから、この際うちの基地までご足労願おうじゃないですか。
 神宮司中尉も、知り合いがそのリストに入ってたら、言ってくださいね。
 別に浮ついた話だけじゃなく、帝国軍と在日国連軍の関係改善化に一役買って貰うって事で何の問題もありませんから。」

「し、しかしだな、白銀。―――ッ!!」

 しかも、理論武装して大義名分まで用意して見せる武に、それでもみちるは反論しようとしたが、武が示した日比野照子(しょうこ)大尉の書類の下からはみ出していた異なる人物の書類に視線が釘付けとなる。
 その人事データは、日比野大尉の部下である小隊長のものであり、そこにはこう官姓名が記されていた。
 ―――『前島正樹(まえじままさき)中尉』と。

「ん? どうしました、伊隅大尉…………前島正樹中尉ですか? おや? 本籍地が伊隅大尉とほぼ同じですね。
 ………………あ! まさか、伊隅大尉の幼馴染の人ってこの―――」
「ッ!―――白銀ッ! だ、黙れ。―――いや、黙ってくれ、頼む。
 …………しかし貴様、一体誰からその話を聞いた? いや、ヴァルキリーズの先任なら皆知ってはいるか…………」

 みちるは武の発言を遮った後、軽く睨みつけながら情報の流出元を探ろうとして、だがすぐに諦めた。
 女性衛士ばかりでやってきたヴァルキリーズでは、恋愛絡みの話は盛んに行われており、配属されたばかりの新任でもなければ知らない方がおかしい程だったからである。
 一方、武の方は表面上平静を取り繕いながらも、内心で笑みを浮かべずには居られなかった。
 なにしろ、武に姉妹揃って幼馴染に想いを寄せていると話したのは、他の確率分岐世界だとは言えみちる本人なのだから。

 武は、2度目の再構成から派生した世界群の『甲21号作戦』前夜、佐渡島へと向かう戦術機母艦『大隈』の上甲板で星空の下みちると交わした会話を懐かしく思い出す。
 そして、今回こそはみちるがこの前島正樹と言う幼馴染と結ばれるのを見てみたいものだと思い、可能な限りの協力を惜しまないと決めた。

「じゃ、前島中尉と日比野大尉も決定ですね。妹さん達はどうしますか?」

「む…………そ、そうだな。もし良ければ呼んでやってくれ。
 対BETA戦術構想は今後の主流となる筈だ、早めに触れておくに越した事は無いからな。」

 武の言葉に、説得は無駄と諦めたのか、はたまた正樹に会いたいという己の願望に屈したのか、みちるは武を諌めるのを止め、暫く逡巡した後、妹達も召致して欲しいと頼んだ。
 そんなみちるに、武は悪戯っぽい笑みを浮かべ重ねて問いかける。

「いいんですか? 大尉。前島中尉と2人っきりの方が良いんじゃないんですか?」

「いや、照子ネェ―――こほん……日比野大尉が同行するなら2人っきりは無理だろう。
 それに、妹達とも会いたいしな。公私混同で申し訳ないが、よろしく頼む。」

 そう言って、みちるは武に頭を下げる。
 そんな2人を、まりもは呆れた様な、それでも温かな視線で見守り、一言も反対する事は無かった。
 もしかしたらまりもも、過酷な任務に従事しながらも、機密部隊であるが故に報われる事の少なかったみちるに対して、少くらいなら融通を利かせてやりたいと思っていたのかもしれない。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月18日(日)

 09時00分、国連軍横浜基地の演習場に隣接して設けられた、トライアル観戦会場の大型スクリーンに4人の人物が映し出された。

「おはようございます。本日はぁ戦術機用新世代OS、XM3のぉトライアルにお越しくださいまして、当横浜基地を代表してぇお礼申し上げます。」

 その4人の内の1人、葵が挨拶の口上を述べて頭を下げると、左隣に座る葉子も合わせて頭を下げた。
 そして、2人揃って頭を上げると、再び葵が話し始める。

「本日の司会進行ぉその他を担当させてぇ頂きます、わたくし、水代葵と」「桧山葉子です。」「何卒ぉよろしくお願いぃ申し上げますね。」

 2人は名乗って再び軽く会釈をした。そして、今度は葉子が話し始める。

「……また本日は……帝国本土防衛軍第21師団より……草薙香乃大尉と佐伯裕司大尉を……ゲストとしてお招きしております……」

「草薙香乃です。」「佐伯裕司であります。」

 紹介を受けて、頭を下げる草薙と佐伯。
 悠然と笑みを浮かべる草薙に対し、清楚な葵、地味な印象ではあるが整った顔立ちの葉子、怜悧な美貌の草薙と、美女3人に囲まれる形となる佐伯の表情は、生真面目に引き締められていたものの、その奥から諦念の色が滲み出していた。

 草薙と佐伯が自身で戦術機を縦横無尽に操って戦うタイプで無いと知っている武が、一計を案じて司会を行う葵や葉子に引き合わせようと、ゲストという役回りを草薙に提示し、面白がった草薙が二つ返事で受けた結果がこの状況である。
 草薙は佐伯の隠してはいるが押さえきれない辟易とした気配にご満悦であり、葵と葉子も任務をこなしながらとは言え、佐伯と同席しているだけで有頂天に近いほど喜んでいる。

 佐伯がゲストになると聞いた葵などは、急遽会話二人羽織を取り止め、一夜漬けでXM3の技術情報などを必死になって暗記した。
 普段はのんびりのほほんとしている葵だが、大学在籍中は才媛として鳴らしていたほどなので、昔取った杵柄で相当な量の知識を補充してこの司会に臨んでいる。
 葉子の方も、言葉を差し挟むだけではなく、苦手な長台詞を話す羽目になってしまったのだが、やはり佐伯の同席に奮起して普段よりも声を張り上げて司会に臨んでいた。

「さて、それではぁ只今より、XM3慣熟用ぉシミュレーターを稼働いたします。
 希望されるぅ衛士の方々は、小隊毎にぃ受け取った整理券の順で、シミュレーターをご利用ください。
 反応測定ぃ、機動制御測定も、整理券のぉ順に行われます。
 連携測定のぉ対戦相手は、反応測定とぉ機動制御測定の結果にぃ従って決定されます。」

「―――要するに、相応の腕前の相手としか対戦させないって事だね。
 随分と厳しい事だ。」

 葵の説明に、草薙が言葉を差し挟む。

「連携測定の……仮想敵部隊は6個小隊です。
 その内……『撃震』『陽炎』の4個小隊は……昨日XM3搭載機に初めて搭乗し……慣熟訓練を1日行っただけですが……『不知火』を操る2個小隊は……XM3の実証試験を担当してきた……横浜基地教導部隊の衛士です。
 相応の……戦闘能力が無くては模擬戦になりませんので……どうぞご容赦ください。
 ただし……教導部隊を相手に勝利できた場合……ゲストとして参加して頂いてる……斯衛軍の誇る……XM3搭載型『武御雷』の小隊と……対戦できます。
 連携測定に挑む……衛士の皆さんの奮闘に……期待致します。」

 草薙の言葉に応じて、葉子が仮想敵部隊について補足し、事情を説明するが、半ば意図的な挑発となっている。
 余程の腕が無ければ、XM3搭載型『不知火』には手も足も出ないと宣言している様なものだからだ。
 そして、『武御雷』との模擬戦と言う餌もぶら下げて見せた。

「ほう。殆ど門外不出に近い『武御雷』と手合わせ願えるとは、又と無い機会だな。
 しかし、教導部隊は、伊隅戦乙女中隊と言うそうだが、それほど腕が立つのかな?
 皆、20代から10代にかけての女性衛士ばかりのようだが。
 尤も、如何に政威大将軍殿下の御意志によって進められた開発計画の実験部隊とは言え、未だ前線にさえ行き渡っていない『不知火』を中隊定数配備された部隊だ。
 所属衛士の腕も相応でなければ、帝国軍衛士の怨嗟を浴びかねない。
 ましてや、今後帝国軍にXM3が導入されれば、帝国軍への教導にも当たる部隊の筈。
 こうしてどうどうと出してきた以上、国連軍も教導部隊の練度には相当な自信があると見える。」

 葉子の説明に佐伯が感想を漏らし、疑念と期待を告げる。
 すると、葵が嬉々としてその問いに応じた。

「若いからって、馬鹿にしたぁもんじゃないですよ?
 中隊長、突撃前衛長を中核とした『不知火』A小隊はぁ勿論、新任衛士4人でぇ構成された『不知火』B小隊でも、衛士のぉ腕は当横浜基地のトップクラスです。
 その上、XM3搭載機にぃ慣熟し、XM3考案者の革新的なぁ機動概念を習得しています。
 そうそう簡単に勝てるとはぁ思わないでくださいね。」

「随分と、自信満々じゃないか。
 君達2人も教導部隊所属だろう。何故連携測定に参加せずに司会などやってるんだ?」

 胸を張って言ってのけた葵に、口元に手を当てた草薙が茶々を入れる。
 痛い所を突かれた葵は動揺し、葉子は羞恥に頬を染める。

「う……わ、わたしは、どうせ下手ッぴ~ですよ!」「未熟者で……すみません……」

「ま、まあまあ、司会も大事な任務に違いない。気を落とさないで頑張るんだな。
 ……ちょっと、草薙大尉、少し苛め過ぎです……」

 そんな2人の様子に、慌てて佐伯がフォローに入り、小声で草薙に苦言を呈する。
 が、草薙は悪びれる様子も無く、逆に呆れ顔で佐伯を窘める。

「何を真に受けてるんだ、佐伯大尉。
 こんな事言ってるが、2人とも先の新潟迎撃戦では、しっかりと活躍してるんだぞ?」

「え? そ、そうなのか?…………す、済まない! そうとは知らず、失礼な事を……」

 草薙の言葉に、今度は佐伯が動顛してしまい、慌てて葵と葉子に頭を下げる。
 草薙の言葉は事実ではあるが、妹の紫苑と二人三脚でないと、到底活躍など出来ない葵は否定も肯定も出来ずに窮してしまい、佐伯と葵を落ち着かせる為に、葉子が事態を収拾しようと声を絞り出す。

「え? や、あの、その……」「佐伯大尉……その事はもう結構ですから……その、司会を続けないと……」
「あ、そ、そうか、重ね重ね申し訳ない!」

 そんな3人の様子は、十二分に滑稽なものであった為、トライアル観戦会場では期せずして笑いが湧き上がっていた。
 その声は、トライアル会場内の一室に設けられた放送室にまで届いたため、草薙がニヤリと人の悪い笑みを浮かべて口を開く。

「あっはっは……佐伯大尉ももう少し場を弁えないとね。まあ、観戦会場の皆さんには好評のようだ。
 君達は、芸人の素質も豊かなようで、結構なことだな。」

 止めに、草薙にまでからかわれ、佐伯は顔を真っ赤に染めたが、それでも俯く事無く恥辱に耐えた。
 因みに、この4人を一同に会させた立役者である武は、後刻夕呼からお褒めの言葉を賜わる事となる。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 13時02分、第二演習場東エリアでは、『不知火』A小隊と、横浜基地が用意したXM3搭載型『陽炎』を借用した、帝国国土防衛軍第6師団選抜衛士の小隊との間で、連携測定の模擬戦が始まろうとしていた。

 『不知火』A小隊は、みちる、水月、美冴、祷子の4人で構成されており、遠近攻守に隙の無い小隊となっている。
 午前中に並居る挑戦者達を片っ端から返り討ちにし、昼休みにはトライアル参加者全員に配られた、京塚曹長謹製の仕出し弁当で鋭気を回復した為、水月等は勢いに乗って常にも増して絶好調となっていた。
 他の3人は、そんな水月を呆れ半分、頼もしさ半分で生温かく眺めている。

 対戦相手である第6師団選抜小隊は、午前中に愛機である従来OS搭載型『不知火』で『不知火』B小隊に挑んだものの、敢え無く撃墜機数1対4と言う結果で敗れてしまっていた。
 そこで雪辱を果たすべく執念を燃やした第6師団選抜小隊は、XM3慣熟訓練を受けた後、XM3搭載型『陽炎』に乗り換えて反応測定と機動制御測定を受け直し、見事『不知火』A小隊への挑戦権を獲得したのだった。
 斯衛軍を除けば最高の敵手に挑戦できるとあり、選抜小隊の男性衛士等3人は大いに盛り上がったが、小隊長である照子―――日比野大尉だけは浮かない顔をしていた。

「どうしたんですか? 照子さん。
 我々の実力が認められて、『不知火』A小隊とやりあえるんじゃないですか。
 オレ達の力を、今こそ示す時です! 気合入れていきましょうよ。」

 そんな照子に、第6師団では照子の指揮する中隊で突撃前衛長を務める前島中尉―――正樹が興奮気味に声をかける。
 しかし、照子は冷めた目で正樹を見返すと、溜息を吐いて口を開いた。

「はぁ~……正樹ィ、あんた達、頑張り過ぎなのよ。
 午前中に相手した、『不知火』B小隊に雪辱を果たせればそれで十分なのに、なんだって態々自分らでハードル上げてんのよぉ。
 相手が『不知火』B小隊だって、勝てれば斯衛軍の小隊への挑戦権は手に入るの。
 だったら、楽な相手の方が良いに決まってるでしょ~?」

 熱血馬鹿の相手は疲れると言わんばかりの調子で、照子は正樹に言い聞かす。
 それを聞いた正樹は、少し考え込んでから応じる。

「なるほど、一理ありますね。さすが照子さん、要領が良いと言うか、目の付けどころがせこいと言うか。
 いやあ、さすがですね。はっはっはっ…………ですが、答えはNOです!
 眼前に立ち塞がる強敵を蹴散らしてこその勝利です。
 男なら、危険を顧みず、戦わなくてはならない時がある! そうだな? お前達。」

 照子の言葉に、うんうんと一度は頷いて見せたものの、正樹は胸を張って空笑いした後、照子の言葉を否定。
 更には適当な事を言って小隊の残り2人である男性衛士に同意を求める。
 そうだそうだと、正樹に唱和する部下2人を見て、こめかみを押さえ辟易とした様子で大きな溜息を吐く照子。
 照子は、調子に乗ってあれこれと適当な事を言って、男性衛士2人の士気を鼓舞している正樹を、襟首引っ掴んでハンガーの脇へと連れて行くと、顔を間近に寄せて囁く。

「な~に、調子こいてんのよ! 相手はあのみちるちんなのよ?
 楽に勝てる訳ないでしょうが!」

 照子はみちるよりも2つ年上の従姉妹で、伊隅家には何度も遊びに行った事があったが、みちるの生真面目な所がどうにも性に合わなかった。
 みちるをからかって遊ぶのは面白かったが、逆に年下のみちるに説教され、やり込められる事もあった為、照子はみちるに対してやはり幾何かの苦手意識も持っていたのである。

 その辺りの事情。そしてみちるの性格や能力に関しては、伊隅家の近所で生まれ育ち、伊隅四姉妹の幼馴染として育った正樹も良く知っている筈だ。
 だからこそ、照子には正樹がみちる相手であるにも拘らず、然して警戒していない事の方が不思議でならなかった。

「やだなあ、照子さん。オレと照子さんはみちるの性格を熟知してるんだから、逆手に取ってやれば何とかなりますよ。
 末岡チーフ……じゃない、連隊長だって、敵を知り己を知れば100戦危うからずだって、何時も言ってるじゃないですか。
 オレ達は、みちるを知り、自分達の実力も知っています。大丈夫、必ず勝てますよ。そう信じましょう。」

(駄目だこいつ……自分にすっかり酔っちゃってる……)

 自信満々な正樹の様子に、照子は説得を諦めて首を横に振る。
 いずれにしても、既に『不知火』A小隊との対戦は避けられない。照子は覚悟を決めるしかなかった……



「嘘でしょッ! こっちが索敵情報統合処理システムを使ってんのを逆手に取られるなんて!」

 照子が悲鳴の様な叫び声を上げながら、眼前に迫り立て続けに斬り付けてくる水月の『不知火』から、必死で回避行動を取る。
 午前中は従来OS搭載機で、XM3搭載機の索敵情報統合処理システムで位置を把握され、良い様に包囲殲滅されてしまった為、今回照子は索敵情報統合処理システムを最大限に活用して模擬戦に臨んでいた。
 その為照子は、自身の機体を後方に温存し、CPU能力の大半を統合処理に注ぎ込んでいたのだ。

 しかし、それを察知したみちるは、小隊全機で選抜小隊の前衛をオーバーラップ。
 一気に照子の機体へと殺到する。
 これに慌てた選抜小隊の前衛3機は、即座に反転してオーバーラップしようとする機体を追撃。

 だが、それを見越していた『不知火』A小隊では、最後尾に位置していた祷子が、水月を追撃しようとした選抜小隊の『陽炎』の未来位置を予測して後方に遷移。
 射線へと飛び込んできた『陽炎』を、狙撃により撃墜した。
 この結果、フリーになった水月の『不知火』は照子の機体へと突進。
 祷子は美冴の機体のフォローに向かった。

 かくして、4対3となってしまった選抜小隊は、照子対水月、正樹対みちる、男性衛士の生き残り1名に美冴と祷子の2人掛かりという現在の構図となり、既に事実上の勝敗は決してしまっていた。
 それでも一矢報いたい照子は水月の猛攻をいなしながらも機会を窺い、正樹もみちる相手に善戦している。

「あッ! 03(選抜小隊3番機)が撃墜された?!
 ―――くそ、とうとう残りはオレと照子さんだけか!!
 みちるの奴、向こうの2機が来るまで護りに徹する気だな?
 本気で攻めればオレなんか撃墜できる癖に、安全確実な戦法を取りやがって!
 くそお、完璧主義は相変わらずかよ。
 つけ込む隙も逃げ出す隙もないぞ?!」

 毒突きながらも、正樹はみちるに対する猛攻を続ける。
 その全てが避けられ、或いは92式多目的追加装甲で受け止められ、どうしても有効打を与えられない。
 かと言って、離脱して照子の救援に赴こうとすれば、一転して激しい砲撃を受けて妨害される。
 正直、正樹にとって現状は手詰まりであった。
 と、その時正樹は、脳裏にキュピーンと効果音(アラーム)が鳴り響いたかの如くに、猛烈に嫌な予感を感じた。

(右主腕の長刀を強制排除!
 ―――刹那、主脚、噴射跳躍ユニットの全出力、同一ベクトルに開放!
 視界にスターボウ!)

 直感に従い、脳裏で自身を鼓舞するかのように言葉を思い浮かべながら、正樹は力任せな回避機動を機体に取らせる。
 その直後、正樹の機体が寸前までいた空間を、祷子の放った36mm弾が貫いた。
 正樹は冷や汗を流しながらも、自信満々に言い放つ。

「はっはっはっ。このパターンは仲間の犠牲と引き換えに見せてもらいましたからね。
 もう喰らいませんよ!―――って、うわぁあッ!!!」

 祷子の狙撃を回避して、鼻高々に笑い声を上げた正樹に、横合いの建物の陰から飛び出した美冴の『不知火』が斬りかかった。
 慌てた正樹は、無我夢中で回避しようとしながら、同時に駄目元で左主腕と背部兵装担架の突撃砲を乱射しようとした。

「な?! ななななな、なんだぁあッ!!!」

 突如として、正樹の機体は噴射跳躍ユニットを全力で噴射し、上下左右に急激なスピンを始め、正樹は悲鳴の様な驚愕の叫びを上げる。
 機体は勝手に無茶苦茶な機動を続け、左主腕と背部兵装担架の2門の突撃砲から36mm弾を乱射し、近接していた美冴の機体を中破に追い込んだ。
 美冴は砲撃が襲いかかる最中に、素早く建物の蔭へと飛び込んだ為、辛くも撃墜を回避出来たのだが、そうでなければ撃墜の判定を受けていた事だろう。

 この機動は、正樹の咄嗟の操縦が、武が登録したまま残っていたコンボを、偶然起動してしまった結果であった。
 しかし、正樹にとっては意図して行った機動ではない為、本人も動顛してしまって、慌てて機動をキャンセルする。
 そして、なんとか地上に着地した所を、追加装甲で正樹の乱射を凌いだみちるの連射と、遠距離から放たれた祷子の狙撃が襲い、正樹の機体を撃墜した。

 それを確認した照子は、それまで行っていた全ての努力を放棄し、あっさりと白旗を上げてしまう。
 模擬戦終了の勧告を受け、開始地点へと戻る最中、みちるは額に手を当てて呟きを漏らす。

「正樹の馬鹿……お調子者…………でも、あいつにしては頑張った方かな…………」

 みちるの口元には、微かに笑みが浮かんでいたが、それに気付いた者は居なかった。




[3277] 第105話 ここから始まる未来へ
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/08/24 17:19

第105話 ここから始まる未来へ

2001年11月18日(日)

 11時42分、トライアル観戦会場に設けられた各測定結果成績表示専用スクリーンの前に、1人の帝国軍衛士の姿があった。

「や、七瀬少佐。なにこんな所でたそがれてるの?
 まさか、午前中の自分の成績が振るわなかったのを悔んでるとか?」

 その帝国軍衛士―――七瀬少佐に、突然背後から声がかけられた。
 一応周囲に注意を払っていたにも拘らず、接近に気付けなかった事に悔しがりながら、七瀬少佐は背後を振り返ると渋面で口を開いた。

「……趣味が悪いですよ、日高少佐。わざわざ気配を殺して近付くだなんて。」
「ふふっ。ちょっとした演出よ。気に入ってもらえた?
 で、成績表がどうかしたの? まさか、本気で自分の成績が不満だったりする?」

 悪戯を成功させた子供のような笑みを浮かべる帝国軍女性衛士―――日高少佐の問いに、七瀬は再び成績表示用スクリーンに視線を投じる。
 そこには仮想敵部隊の衛士等が前日に叩き出した成績と共に、今朝からトライアルに参加している多くの衛士達が行った全ての計測結果が、評価の高い順に並べられ繰り返し繰り返しスクロール表示されていた。
 その成績表の中に、七瀬少佐の名前は2つ。片方はリストの中堅どころに、もう一つは上位の後ろの方に載っている。

「―――従来OS搭載の『陽炎』で中堅、XM3搭載の『陽炎』で一応上位に着けたんです。
 これで文句を言ったら、俺よりも順位の低かった衛士に申し訳ないでしょうね。
 もっとも、俺よりも上には、仮想敵部隊所属衛士の過半数と、高等練習機『吹雪』で訓練兵6名が叩き出した成績がずらっと並んでますけどね。」

 七瀬少佐が、肩を竦めてそう応じると、日高少佐が口をへの字に曲げてから、面白く無さ気に口を開く。

「なによ、それは私の方が順位が下だった事への当て付けかしら?
 それに、207訓練小隊だっけ? あの子達は別格でしょ。
 なにしろ、XM3搭載型『不知火』に乗った横浜基地最精鋭と称する教導部隊の直ぐ下に、XM3搭載型とは言え『吹雪』で着けてるんだから。
 XM3搭載型戦術機と、こないだのBETA新潟侵攻で運用されたって言う新戦術に合わせて考案されたっていう、新衛士訓練課程の成果でもあるんだろうけど、あの子達の素質も生半可なもんじゃなさそうね。」

「……そうですね。そうでなければ、これ程の成績は収められないでしょうね。
 殊に、御剣訓練兵の成績はその訓練兵達の中でも2番手に着けています。
 これだけの腕前があるなら、政威大将軍殿下の御名代として、御『武御雷』に搭乗する資格は十分にあるでしょうね。」

 日高少佐の苦情交じりの問いは聞き流し、七瀬少佐は207Bに関する話題にのみ応じて見せた。
 先の政威大将軍殿下の声明に於いて、殿下の御名代として指名された冥夜は帝国軍将兵の注目の的である。
 しかし冥夜は、先の斯衛軍野外演習で斯衛軍衛士を下した時と同様に、衛士としての実力を示す事で、自らが『御名代』と言う地位に相応しい資質を持っていると証し立てて見せた事になる。

 それ故に、七瀬少佐の声や表情に、冥夜に対する忌避感は一切なかった。
 それよりも、眩いものを直視しているかのような、憧憬を含んだ感情が色濃く滲んでいた。
 七瀬少佐の言葉に頷きながらも、日高少佐はそれに誤魔化される事無く、話を大本へと戻す。

「御名代様についてはその通りだけど、七瀬少佐があれ見て考えてたのは別の事でしょ?
 …………やっぱりあれ? 教導部隊の衛士の名前かしら?」

 成績表上位10名の内、6枠を占めるXM3搭載型『不知火』による教導部隊衛士達のスコア。
 そこには、その成績を叩き出した衛士の官姓名も明記されていた。

「ええ。2月のBETA侵攻の時、多数のレーザー属種が出現してうちの師団が壊滅寸前になりましたよね?
 あの時来援して、奇襲部隊を編制し、側面迂回してのレーザー属種殲滅を主導した碓氷(うすい)大尉。
 彼女の中隊で運用していたの戦術機は、国連軍カラーの『不知火』でした。
 しかも、当の本人がその口で、国連軍横浜基地所属だとも言っていた。
 彼女が居なかったら、俺達は今頃九段の桜になってたでしょうね。」

「……そうね。あの後、神田中佐が礼を言おうと横浜基地に問い合わせたらしいけど―――そんな衛士は居ないとの一点張りだったらしいわ。
 恐らくは、何らかの機密に属する部隊だったんでしょうね。」

 七瀬少佐の言葉に同意すると、日高少佐も成績表の上位に並ぶ教導部隊所属とされる衛士等の官姓名を見てしみじみと語った。
 七瀬少佐と日高少佐、そして上官である神田中佐は、日本帝国防衛軍第12師団に属する戦術機甲連隊、通称『鋼の槍(スティールランス)』連隊の衛士である。
 神田中佐を連隊長とし、麾下の3個大隊の内、直属以外の2つを七瀬少佐と日高少佐が率いている。

 その鋼の槍連隊と、所属する第12師団、更には東部方面軍に属する他師団所属部隊までが投入されて尚、壊滅しかけるという事態があった。
 それが、今年の2月にあったBETA侵攻である。
 先だってのBETA新潟侵攻と同様、佐渡島ハイヴからの侵攻と見做されているが、数波に分かれて侵攻してきたBETAの総数は優に師団規模を超えていた。

 本来、戦力の逐次投入は愚策であるが、BETA側が波状攻撃を行って来た為、その都度対応戦力を増派する事となり、結果的に被害が増大してしまったのである。
 反面、段階的に出現したBETA群を逐次殲滅する事が出来た為、侵攻範囲自体は極狭い範囲に限定出来た。
 しかし、一連の戦闘の中盤で大量に出現したレーザー属種により、支援砲撃を無効化された局面があり、その時帝国軍の戦線は正に崩壊の危機に曝される状況となった。

 その時に来援した在日国連軍部隊の中に、国連軍に配備されていない筈の『不知火』を運用する中隊が存在した。
 その中隊の指揮官が、碓氷大尉と名乗る女性衛士だったのである。
 碓氷大尉は、戦術機部隊を側面迂回突破させる事で、BETA群後方に位置していたレーザー属種の殲滅を企図し、迎撃に参戦していた戦術機甲部隊から精鋭を抽出、自ら陣頭に立って作戦を実施したのだった。
 その作戦は功を奏し、支援砲撃によりその時点で存在が確認されていたBETA群の40%を掃討。
 帝国本土防衛軍は、辛うじて戦線崩壊の窮地を脱する事が出来た。

 しかしその後、更に地中侵攻してきたBETAが出現する事態となり、混戦の最中碓氷大尉の率いる中隊の消息は途切れてしまう。
 戦域データリンクのログを確認しても、レーザー属種奇襲時の位置情報及び通信記録以外の情報がほとんど残っておらず、その安否はようとして知れなかった。
 命の、そして帝国の恩人とも言える碓氷大尉の部隊に対する、鋼の槍連隊所属衛士の衛士等の感謝の念は強かったが、今日に至るまで雲を霞と消えてしまった彼の(かの)部隊の手掛かりは一切得られなかったのだ。

 ところが、先日のBETA侵攻に於いて、同じ新潟の地でBETAを蹂躙する、国連軍所属の『不知火』を運用する部隊があったのだ。
 生憎、第12師団は先の迎撃戦では後方待機の後詰であった為、直接目にする事は叶わなかったが、戦域データリンクの部隊情報では、やはり国連軍横浜基地所属となっていた。
 しかし、所属衛士の官姓名は秘匿されていた為、碓氷大尉の消息は得られなかったのだが、今回のトライアルに於いて彼女の消息に触れられるのではないかという、淡い期待を七瀬少佐は抱いていた。

「そうでしょうね。―――そして、この教導部隊と称する仮想敵部隊の衛士の中にも碓氷大尉の名前はありません。
 教導部隊は中隊であるとの事ですから、恐らくはこの『不知火』A小隊の3人が部隊のトップ3。
 少なくとも現時点では碓氷大尉は所属していないんでしょうね。」

「そうね。できたら直接会って御礼を言いたかったわね……
 それにしても、あの時と言い、今回の新戦術と新装備と言い、横浜基地様々よね。
 もう、足を向けて寝られないかしら。」

 だが、どうやらその願いは叶えられそうにないと、七瀬少佐と日高少佐は悟るしかなかった。
 予てより横浜基地の香月副司令を、『横浜の牝狐』と嫌悪して呼ぶ高級士官は帝国軍に数多存在する。
 それが例え誹謗中傷であったとしても、そう呼ばれるに至る相応の原因が存在するのだろう。
 その、前線で戦いに明け暮れる佐官には窺い知る事すらできない原因の中へ、碓氷大尉の消息は消えてしまっている様に2人には思えた。

「―――そうですね。
 場合によっては、帝国だけでなく、全人類が横浜基地に感謝を捧げる日が来るかもしれませんよ。」

 七瀬大尉は、右の眉を上げて、少しおどけてそう言った。
 言った本人も、この時点では然程信じていなかった言葉だったが、数年の時も要さずにその言葉はほぼ実現する事になる。
 そして、その頃にはオルタネイティヴ4の情報開示により、七瀬少佐は碓氷大尉の消息を知る事が叶っていた。

 ―――碓氷大尉。国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、A-01連隊第7中隊指揮官。
 ―――2001年2月、新潟防衛戦に於いて戦死。

 2001年2月の新潟防衛戦。
 それは、連隊規模で発足して以来その構成人員を失い続けたA-01が、遂に伊隅戦乙女中隊を残すのみとなった戦いであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 13時06分、トライアル観戦会場の大スクリーンに映し出される模擬戦を眺めている、米国陸軍所属衛士4名の姿があった。

「失礼ですが、アルフレッド・ウォーケン少佐殿はおられますか?」

 その4人に歩み寄り、声をかける国連軍衛士が居た。
 その声に応え、進み出たウォーケンは名乗る。

「私がウォーケンだ。―――貴官は?」

「はっ!国連軍太平洋方面第11軍、横浜基地司令部直属、白銀武臨時中尉であります!」

 ウォーケンを訪ねて来た国連軍衛士は武であった。
 武は、直立不動で所属及び官姓名を名乗ったが、それを聞いたウォーケンは右の眉を上げて、やや当惑した様な表情を見せる。

「司令部直属の臨時中尉? しかも衛士徽章を着けていてその年ならば現役衛士ではないのかね?
 ―――いや、余計な詮索だったな。済まない中尉。君の用件を聞こう。」

「はっ! ありがとうございます、少佐殿。
 実は、小官は少佐殿宛ての信書を預かっております。
 もしご都合がよろしければ、お渡ししたくあります!」

 武の所属に疑念を覚えたウォーケンだったが、好奇心を押さえて相手の用件を訊ねた。
 しかし、武の返答を聞いたウォーケンは、更に困惑を深める事となる。

「む―――心当たりが無いのだが…………
 良かろう中尉。その信書を受け取ろう。今、手元にあるのかね?」

「はっ! こちらであります。」

「うむ。―――ッ! これはっ!!
 中尉、貴官はこれをどのようにして受け取ったのかッ!!」

 受け取った信書の封筒に記された差出人の署名を見たウォーケンは、途端に驚愕し、声を荒げて武に詰め寄る。
 対する武は、表情も変えずに直立不動のままウォーケンの問いに応えた。

「はっ! ご本人より、直接お預かりしました。
 ウォーケン少佐には、くれぐれも謝罪の念をお伝えして欲しいとの事であります!」

「中尉。済まないが、少し詳しい話を聞きたい。いいかね?―――そうか、すまんな。
 ジョニー。悪いが少し席を外す。暫く此処で待っててくれ。
 さて、中尉。どこか、落ち着いて話せる場所はないかね?」

 ウォーケンは、武の同意を得ると、部下達にこの場で待つように指示し、武の案内を請うて会議室へと場を移した。
 武が予め確保していた会議室で、ウォーケンはイルマの亡命に至る経緯を、ある程度ではあるが武の口から説明され、今後の処遇などについても知る事が叶った。
 淡々と、ある意味ふてぶてしいとも言える態度で語る眼前の若者に、ウォーケンは得体の知れ無さを感じるが、話の内容から特務に携わっているであろう人物と判断し、大人しく与えられた情報を享受する事にした。

 武は、一通りイルマの情報を伝えると口を閉ざし、ウォーケンもそれ以上の情報を求めなかった為、今回の2人の邂逅はそれまでとなった。
 後日、オルタネイティヴ4直属部隊の指揮官であり、対BETA戦術構想の考案者として武の名が広く知れ渡った頃になって、ようやくこの時の邂逅を思い出したウォーケンは、あの機会にあれこれと聞き出すべきであったと後悔する事になるが、完全に後の祭りであった。

 この日、ウォーケン達は『不知火』A小隊に『ラプター』を以って挑み敗れていたが、トライアル会場を出て横須賀軍港に寄港している母艦『セオドア・ルーズベルト』に帰還するウォーケンは、甚く上機嫌であった。
 それは偏に、トライアルの閉会近くに再生された悠陽からの映像付きメッセージで、その麗姿と美声に触れられた事に起因している。
 悠陽からのメッセージに、普段は厳格な上官であるウォーケンが、表情をだらしなく弛緩させる様に、同行していた部下達は己が目を疑ったと言う。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 17時51分、16番整備格納庫に、207Bの6人が揃っていた。

「みんな。着座調整は終わったわね?
 白銀の言葉が本当なら、この連携測定には私達の任官がかかっているわ。
 なにがなんでも、勝ちに行くわよっ!」
「無論だ!」「やるよ……」「勿論だよ、千鶴さん!」

 『吹雪』に搭乗し、着座調整も終えた冥夜、彩峰、美琴の3人に向けて千鶴は檄を飛ばす。
 呼びかけられた3人も即座に応じ、4人共気合は十分であった。
 そこへ、『吹雪』には搭乗していないものの、衛士強化装備を着用し、部隊内データリンクに接続している壬姫と武が声援を送ってくる。

「みんなぁ、頑張ってくださいね! あ、でも怪我しない程度にしてくださいね。 あ、でもでも、やっぱり頑張ってください。って、これってもしかして、ミキの我儘? はうぅ~~~…………」

「たま、怪我の心配なんてしてないで、力いっぱい応援してやれ!
 おまえら、本当に頑張れよっ!
 オレとたまは、午後からやったエキシビションマッチで、複座型の『吹雪』と3機の『時津風』で挑戦者を軒並み返り討ちにしてきたんだからな。
 後は、おまえらが『不知火』A小隊相手に、互角以上の勝負をして見せれば任官確定だぞ。
 相手は強敵だけど、向こうの手の内は、午前中からの模擬戦を参考にして研究済みだろ?
 向こうはおまえらの事は、涼宮達元207Aから聞いた程度で、詳しくは知らない筈だ。
 付け入る隙は十分にあるからな!」

 武の言葉に、美琴が素っ頓狂な声を上げる。

「あ~っ!! それで思い出した!
 酷いよ、タケルぅ~。茜さん達が教導部隊に所属してるって知ってた癖に隠してたでしょ!
 今日になって、成績表で名前見つけて、ボク本当にびっくりしたんだよぉ!」

 唇を尖らせて、武に苦情を捲し立てる美琴。
 そんな美琴に、笑みを浮かべながらも、冥夜が武を庇って言い聞かせる。

「む。そう言えばそうであったな。
 しかしな、鎧衣。同じ基地の部隊に配属されて居ながら、涼宮達は一度も我らに会いに来なかったのだ。
 何らかの理由により、接触が禁じられていたに違いない。
 タケルにしても、涼宮達との接触は特殊任務中の事であろう。
 機密が絡んでいるならば、タケルを責める事は出来ぬぞ。」

 しかし、武を庇う冥夜を他所に、千鶴と彩峰の口撃が冷たい視線と共に武を襲う。

「確かに、御剣の言う事は正論だわ。
 けど、今日のトライアルで機密が一部解除されたのなら、今まで黙っていた事について、白銀は自分から私達にそう申し開きするべきじゃないのかしら?
 もし、その手間を惜しんだと言うなら、それは白銀の落ち度よね。」

「それに……白銀は機密絡みだとすら言って無い……」

 武は、態勢が不利だと判断し、話を逸らす事を選択した。

「あ、そろそろ演習場の方に移動しないと駄目なんじゃないか?
 その話は、後でも良いだろ。この模擬戦の結果次第で、話せる内容も少し変るしさ。」

「そうね。この場は見逃してあげるわ。―――みんな、行くわよ。」

 武の言い逃れを、一応この場では受け入れて、千鶴は共に戦う3人を促し移動を開始する。
 『吹雪』4機を縦1列に並べて通路を主脚歩行で移動させながら、4人の間では尚も言葉を交わされる。
 この時点で、武と壬姫は部隊データリンクから排除されていた。
 これは、模擬戦中にアドバイスなどを受けられないようにとの規定がある為だ。

「うむ。それにしても、涼宮達とも手合わせしてみたかったな。」
「そうだね~。今のボク達と、先に任官した茜さん達とで、どの位の差が付いてるか確かめてみたかったね。」
「向こうも白銀の指導を受けてる……腕は上がってるね……」

 冥夜、美琴、彩峰の3人が、夏の総戦技演習までは自分達と肩を並べて訓練に勤しんでいた、元207Aの面々を意識した発言をする。
 元207Aの多恵を除く4人も、仮想敵部隊『不知火』B小隊として模擬戦を多数こなしていたのだが、『不知火』A小隊対策を練り上げる為、寸暇を惜しんでいた千鶴達4人は『不知火』B小隊の模擬戦を見る暇が無かったのだ。

「そうね。茜達とはいずれ腕を競ってみたいけど、今日は彼女たちを遥かに超える強敵が相手よ。
 実戦経験で圧倒的な場数の差がある上に、機体も練習機仕様の『吹雪』と『不知火』では相当な差があるわ。
 こうなると、後は午前中から練り上げて来た作戦が上手くいく事を祈るしかないわね。
 作戦の成否は貴女達の力にかかってるわ。
 私は皆の足を引っ張らないように努めるから、頑張って勝利をもぎ取って頂戴。」

 仲間達の言葉に千鶴も同意したものの、今は自分達の対戦相手に集中するべきと、話題をすり替える。
 自身の衛士としての技量に、他の仲間達の様に突出したものが無いと自覚している千鶴は、残る3人にかける期待を素直に表明して見せた。

「榊が珍しく、殊勝な事言ってる……」

 そんな千鶴の発言に、彩峰が目を閉じ、唇の右端だけを吊り上げる笑みを見せて千鶴を揶揄する言葉を漏らす。
 いつもであればここで千鶴が噛みついて言い争いになるのだが、今回は美琴が間に割って入り、更に冥夜のフォローも間に合った。

「あはは……そんな事言ったら可哀想だよ、慧さん。」
「任せておけ、榊。必ずや勝利をこの手に奪い取って見せようぞ。」

 とは言え、千鶴の通信画像を見る限り、千鶴は怒りを顕わにしてはおらず、その唇には笑みさえ浮かんでいた。
 そして、仲間達の声が途切れるのを待って、千鶴が口を開く。

「普段なら腹が立つ言い草だけど、今だけは却って頼もしいわね。
 じゃあ、みんな………………勝ちにいくわよっ!」
「応ッ!」「任せて……」「うんっ!」

 この時、4人の心は勝利に向けて確かに1つになっていた。



 ―――そして、ついに模擬戦が開始された。
 『不知火』に搭乗するみちる、水月、美冴、祷子の4人に対して、練習機仕様の『吹雪』に搭乗する千鶴、冥夜、彩峰、美琴の4人。
 機体性能、戦闘経験、いずれも圧倒的に不利な207Bが、武仕込みのしぶとさで難敵に挑む。

 まず207Bは、4機を横一線に並べて前進。
 これは、この時点で衛士を特定させない為である。
 勿論、アクティヴセンサーは最大出力で発信している。
 索敵情報統合処理システムの負荷を、4機に均等に分散し、相手の動きを暴き出す。

 それに対して、207Bの陣容から、最優先ターゲットとしていた冥夜を割り出す事が出来なかったみちるは、水月を先行させて相手の動きを誘った。
 猛烈な勢いで突進して来る水月の『不知火』に、慌てたように2機の『吹雪』が後退し、残る2機が水月を挟撃しようとする。
 しかし、水月は機体性能の差を活かして、強引に迫る2機の間を擦り抜け、最後方へと下がった機体を目標に据えた。
 水月は最後方に下がった『吹雪』を207Bの司令塔である千鶴と判断。
 まずは司令塔を潰すと共に、機体数を4対3として一気に勝負を有利に持って行こうと考えた。

 水月を挟撃しそびれた2機の『吹雪』は、残る3機が自分達に狙いを定めた事に気付き、互いに援護可能な距離を保ちながらも3機による包囲から逃れようとする。
 突撃前衛としての素質十分と聞いていた冥夜と彩峰にしては、消極的な行動だとは思ったものの、『不知火』相手に3対2で『吹雪』が勝てるとも思えない為、水月を千鶴と美琴の2機で倒すまでの時間稼ぎを狙っているのだとみちるは判断した。

 それならば、逆に水月が2機の『吹雪』を相手取っている間に、3機で2機の『吹雪』を落とすまでだと、みちるは美冴と祷子に指示を出す。
 祷子に後方からの援護を任せたみちるは、自分と美冴で冥夜と彩峰を追いたてる。
 そして、相手が距離を詰められ、機体性能の差から逃亡を諦め近接戦闘に応じて来た所で、近接格闘戦で相手を拘束して祷子の狙撃で撃墜するというのが、みちるの立てた作戦であった。
 更に、みちるは水月であれば、千鶴と美琴を同時に相手取っても然して苦戦しないと考えていた為、下手をしたら水月が2機を撃墜する方が早いかもしれないとさえ考えていた。

 かくして、『不知火』が3機掛かりで『吹雪』2機を追い回し、1機の『不知火』が最後方に下がった『吹雪』に突撃、残る1機の『吹雪』が最後方の『吹雪』を護ろうとするという状況が現出したのである。
 3対2と言う数の不利だけでも十分であるのに、更に機体性能の差によって、移動速度で『不知火』に負けている2機の『吹雪』が逃げ切るのは困難極まりなく、その努力が実るか否かは、偏に後方に下がった『吹雪』2機が水月の『不知火』を撃墜出来るかにかかっている。
 しかし、水月も伊達にヴァルキリーズで突撃前衛長を務めている訳ではない。
 その攻撃力はヴァルキリーズでも1、2を争う。はたして機体性能で劣る『吹雪』で、2対1とは言え倒せるかどうか。

 状況の変化は、まず水月の進行方向前方で発生した。
 水月が、自分の後方に回り込んで挟撃を狙うと予想していた『吹雪』が、案に相違して最後方の『吹雪』と自機の間に割り込んできたのだ。
 しかも、その場で立ち塞がる事はせず、後退してもう1機の『吹雪』との距離を詰める。
 2機で連携して、正面から立ち向かおうとでも言うのだろうか?
 そう考えて、水月は獰猛な笑みを浮かべて叫ぶ。

「上等じゃないっ! 2機まとめて蹴散らしたげるわッ!!」

 そして、水月の機体が後退を続ける『吹雪』と散発的な砲撃を交わしながら距離を詰め、近接格闘戦に移行可能な間合いに迫った頃、水月の視界に、最後方で動かずにいた『吹雪』の姿が映し出された。
 その『吹雪』は右主腕に74式近接戦闘長刀を持ち、左肩を水月に向けて半身となり、肩部装甲シールドの陰に身を隠すかのようにやや前傾姿勢で立っていた。
 その『吹雪』を見た途端に、水月は自分の考え違いに気付く。

「大尉ッ! あたしが相手にしてるのは御剣と彩峰です!
 そっちの2機が榊と鎧衣で間違いありません!!
 こっちはちょっと手こずるかもしれないので、そっちの2機を落として下さい!」

 今にして思えば、白銀譲りとは言え、自分の砲撃を躱していた『吹雪』の機動に切れがあり過ぎたと、水月は臍を噛む。
 相手が鎧衣であるなら、そこまで機動特性は高くない筈だったのに、水月はついその点を見逃してしまった。
 ついつい小癪な敵を追い回すのに夢中になったのが、水月の敗因となる。

 水月が通信に僅かに気を取られた瞬間。
 それまで後退し続けて来た『吹雪』が、一転して前に出てくる。
 そして、その振り上げた右主腕には74式近接戦闘長刀。
 水月は反射的に、自分も右主腕に保持している長刀を振り上げて相手の長刀を受け流そうとする。

 しかし、次の瞬間、予想していたよりも早いタイミングで、やはり予想よりも遥かに軽い衝撃が水月の機体に発生した。
 そして、続け様に水月の機体に猛烈な回転モーメントがかかる。
 不覚にも、水月はこの時点では、自機に何が起こったかさえ理解できていなかった。

 その一連の動きを捉える事が出来た一部の熟練衛士達は、自らの目を疑った。
 動きは何とか追えたものの、常識を逸脱した事象が発生した為だった。
 唯一、例外であったのが武であり、武はその映像を見て右手を握り締めると小さく呟く。

「彩峰の奴、とうとうやりやがった!」

 長刀を振り上げていた彩峰の『吹雪』は、長刀を振り下ろすと見せかけて長刀を手放し、末端重量から解放された右主腕のみを高速で振り下ろすと、受け太刀しようとした水月の『不知火』の右主腕を捉えて引っ掴んだ。
 続いて、彩峰は自機の噴射跳躍ユニットを左右逆方向に全力噴射して、機体を時計回りに回転させる。
 同時に、右主腕で捉えた水月の『不知火』の右主腕を左肩部に担ぐようにして引き寄せ、水月の機体の長刀を振り上げる力と突進してきた行き足、そして自機の回転モーメントに右主腕、そして腰部、主脚部の全出力、それら全ての運動エネルギーを利用して、彩峰は水月の『不知火』を見事に『投げ飛ばした』のである。

 これが、彩峰が戦術機を操って初めて成功させた投げ技であった。
 武が『STA(スペシャル・トルネード・アヤミネ)』と呼ぶ、受け身さえ取れない投げ技には遠く及ばず、只単に前方から迫る機体を後方へと投げ飛ばすだけの技であったが、戦術機が戦術機を投げ飛ばすと言う稀に見る光景がここに展開されたのであった。

「御剣ッ! 後は任せた!!」「応ッ!!」

 事態を把握する余地さえ無く、自身の機体を対戦相手の戦術機に投げ飛ばされるという稀有な体験をした水月であったが、自機が冥夜の長刀の間合いに入る前に、原因や経緯は兎も角、状況を把握し自機の制御を取り戻す事に成功していた。
 しかし、その時には冥夜の機体は間近に迫り、冥夜の操る『吹雪』が右主腕に保持した長刀を左肩の装甲シールド越しに突き出しくる。

 水月が自機の制御を取り戻すのが、後少しでも遅かったなら、その長刀は水月の『不知火』に致命的な損傷を与えていただろう。
 しかし、水月はぎりぎりのタイミングで未だに右主腕で保持していた長刀を捌き、冥夜の長刀を逸らす事に成功した。
 管制ユニットの中で、水月は不敵な笑みを浮かべる。
 予想を遥かに超えて楽しませてくれる彩峰と冥夜、この2人と更に戦い続ける事が出来る―――それが心底楽しかった。

 が―――次の瞬間、水月の『不知火』は撃墜判定を受けてしまい、水月の視界は闇に閉ざされてしまう。
 撃墜原因は、水月の『不知火』右側面への74式近接戦闘長刀による斬撃。
 その長刀は、直前に水月が左へ逸らした筈の、冥夜の『吹雪』が右主腕に保持していた長刀であった。

 冥夜が放った片手突きは、そもそも牽制に過ぎず、本命はそこから繰り出す一閃にあった。
 突き出し逸らされた長刀を、右主腕のみならず機体ごと右に、猛烈な勢いで独楽の様に1回転させる事で360度近く横一文字に振り切って、冥夜は水月の機体の右側面に長刀を叩き込み、管制ユニット完全破壊と言う判定を勝ち取ったのである。

「月の輪・改……まだまだ研鑽の余地があるな……」

 冥夜はそう呟くと、JIVESに機体制御を奪われ、緩やかな動きでその場にうずくまる水月の『不知火』を置き去りにして、噴射地表面滑走を開始する。
 それに、直ちに彩峰の『吹雪』も追従し、3機の『不知火』に追われている千鶴と美琴の援護に向かう。
 3対4となった優位を失わない内に、勝敗を決する事が出来ない限り、207Bに勝ち目は無かった。

 一方、2機の『吹雪』を追いたてていたみちるは、動きの鈍い方の『吹雪』を間近に捉えようとしていた。
 先行する『吹雪』が右に進路を転じ、ビルとビルの間に滑り込む。
 やや遅れて追従していた『吹雪』もそれに続き、その僅かに後方にみちるの『不知火』が続いた。

 そのみちるの機体に、僅かに先行してビルの向こうに姿を消していた『吹雪』が、背部兵装担架を起動して後方に87式突撃砲2門による砲撃を行う。
 角を曲がろうと飛び出した途端に砲撃に曝されたみちるだったが、砲撃を想定していたみちるは噴射跳躍ユニットを噴かして前傾姿勢を取る事で砲撃を回避し、更に距離を詰めようとした。
 しかし、その瞬間、みちるの機体に衝撃が続け様に走る。
 それほど強い衝撃ではなく、被害判定も小破に過ぎなかったが、噴射地表面滑走の最中で、しかも無理な前傾姿勢を取っていたみちるの『不知火』がバランスを崩すには十分な衝撃と判定された。
 なんとか失われかけた機体の制御を取り戻し、転倒だけは回避したみちるの耳に、水月からの通信が飛び込んできたのはこの時である。

「大尉ッ! あたしが相手にしてるのは御剣と彩峰です!――――――」

 先程、みちるの機体に衝撃を与えてバランスを崩す要因となったのは、上から降り注いできたビルの外壁の破片であった。
 先行していた『吹雪』を操る美琴が、後続する千鶴の『吹雪』の、後方射撃を囮として放った120mm滑空砲の砲撃が、ビルの上層の外壁を粉砕し、みちるの機体に破片の雨を降り注がせたのであった。
 演習用の弱装弾である為、実際には小さな破片しか降り注がなかったが、JIVESは120mm砲弾の破壊力から、降り注ぐ破片による影響を判定し、みちるの『不知火』に小破の判定と、機体バランスの喪失という結果を与えた。

 これにより、千鶴は再び追手との間の距離を確保する事が出来た。
 さすがの美琴も、高速で逃げ回る片手間にトラップを仕掛ける事は出来なかったが、地形を読み追手の不意を打てるポイントを幾つも割り出していた。
 速度の差により、徐々に距離を詰められる中、それらのポイントの一つにタイミング良くみちるを誘い込んだ結果が、先程の結果に繋がっていた。
 慎重を期して、着実に距離を詰めてくるみちるや美冴の行動を見越しての作戦であり、もし追手が水月であったとしたならば、小細工を弄する暇すら無いままに撃墜されていたかもしれない。

 ここで稼いだ貴重な時間の間に、冥夜が水月の『不知火』を撃墜。
 美琴は、あと1回はトラップに陥れなければ合流までの時間を稼げないなと考えながら、冥夜と彩峰に合流するコースを割り出しにかかった。



 結局、その後千鶴と美琴は善戦空しく撃墜されてしまうのだが、その間に冥夜と彩峰も祷子を撃破。
 2対2となって、みちると美冴を相手に、冥夜と彩峰が健闘したが、冥夜が捨て身の攻撃により美冴を相討ちに持って行くまでが限界であった。
 みちるとの一騎打ちとなった彩峰は、僚機を全て落とされた途端に、追加装甲を投げ捨てたみちるによる猛攻を受け、格段に激しさと切れを増したみちるの攻撃に、一溜まりも無く撃破されてしまう。
 惜敗を喫した207Bであったが、この1戦はこの日行われた連携測定の模擬戦に於いて、間違いなく最も白熱した1戦であり、観戦していた衛士達は興奮と共に、これほどの名勝負を繰り広げた訓練兵の技量に末恐ろしいものを感じていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 18時07分、衛士訓練学校の校舎屋上に、1組の男女の姿があった。

 トライアルも既に終了し、今は懇親会と称する宴会が希望者のみの参加で行われていた。
 ならば、この2人は喧騒を嫌ってこの屋上にやってきたのであろうか。
 夜空を見上げる女性に、男性が拒絶される事を恐れてでも居るかのように、注意深く声をかけた。

「慧……その……連携測定の模擬戦は惜しい事をしたな。
 伊隅大尉だったか。彼女が守りを捨てずに戦い続けていれば、或いは君にも勝機があったかもしれないが、守りを捨てた彼女の攻撃力は凄まじかった。
 あれだけの攻撃を受けては、私でも凌ぎ切れるかどうか……」

 切々と訴えかけるように話す声を、女性―――彩峰は遮る様に相手の名を呼んだ。

「尚哉―――そんな話がしたいんじゃないよね。」

「ッ―――慧。私は君に―――「謝罪の言葉なら受け取らないよ。」―――くっ!」

 沙霧は、再び彩峰に言葉を遮られ、しかもその言葉の内容に口を噤むしかなかった。

「謝罪は聞かない……そんなのは、あたしは要らない……
 だから……あれから今日まで、尚哉が何を考えてきて……
 そして、白銀に会ってから考えがどう変わったか聞かせて……
 その内容次第で、あたしは今の尚哉を認めて上げられるかもしれないから……」

 慧の言葉に暫し黙考した後、沙霧は求めに応じて言葉を紡いだ。
 夜風に紛れてしまったその言葉を聞いた者は彩峰唯一人。
 そして、そこで沙霧が語った言葉を、両者は誰にも漏らさなかった。

 しかし、その後も時折、横浜基地を訪ねて来た沙霧が、この屋上で彩峰と言葉を交わす姿が見られるようになったのは確かな事実であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 18時42分、横浜基地トライアル懇親会会場となっている講堂には、国連軍、帝国軍、斯衛軍等に属する衛士等が多数集っていた。

 当初、帝国国内の対国連感情の悪さから、帝国軍将兵の参加が危ぶまれていたのだが、蓋を開けてみれば多数の帝国軍衛士等が参加していた。
 国連軍、帝国軍以外にも、大東亜連合軍、欧州連合軍、ソ連軍、統一中華戦線などの各勢力から派遣された衛士等も混ざっており、立食形式のパーティーは賑やかに行われていた。
 会場内のあちこちに、数人から十数人の集まりが出来、グループ毎に歓談が行われ、そのグループの間を人が行き来し、面子を入れ換えながらも盛んに意見交換や情報収集、論争などが行われている。

 それらの人だかりの中で、殊更に盛り上がっているグループの中心には、横浜基地教導部隊―――ヴァルキリーズや、207Bに所属する衛士の姿があった。
 尤も、冥夜と彩峰は懇親会が始まって直ぐに何処かへと姿を消しており、会場内には姿が見当たらなかった。

「ん? 白銀じゃないか。1人でどうしたんだ?
 私など、あちこちの衛士から引く手数多でようやくの思いで逃げ出して来たというのに、何故貴様がそうして安穏として居られるのだ?」

 教導部隊の指揮官として周知されてしまったみちるは、会場内を歩く度にあちこちの衛士等から話しかけられ、その応対を強いられていた。
 その為、すっかり疲れてしまい、会場内に居る筈の正樹にも出会えずささくれてしまった想いを、武への厭味という形でぶつけてしまう。
 一方、武は207Bの訓練兵としてトライアルに参加していたが、現在彼が着用しているのは国連正規兵のC型軍装であり、階級章は臨時中尉のそれである。
 その為、訓練兵唯一の男性衛士として印象付けられた面識のない衛士等は、武を見かけてもそれと認識できず、武は煩わされる事無く会場内を闊歩出来た。
 つまりは、用意周到に面倒を回避したという事であり、武の姿を見て一目でそれを理解したが故のみちるの嫌味であった。

「まあまあ。オレも色々とやる事があるんで、多少自由に動き回れないと不味いんですよ。
 それよりも、207Bとの模擬戦と斯衛軍の『武御雷』小隊―――第19独立警備小隊相手のエキシビションマッチ、連戦お疲れさまでした。
 殊に、独立警備小隊は出番が無くて元気が有り余っていましたから、相手をするのは大変だったでしょう。」

「元気が有り余っていて、申し訳ない事をしたな、白銀。」

 笑顔で言い訳と、みちるを労わる言葉を告げる武。
 しかし、その武の言葉に応えたのはみちるではなく、武の背後からの声であった。
 無論、00ユニットである武が背後からの接近に気付かぬ訳も無く、それと承知した上での誘い水としての武の発言である。

「え?!―――っ! 月詠中尉!!
 ―――ええと……エキシビションマッチ、お疲れさまでした。
 ご存じでしょうが、こちらが当基地教導部隊の指揮官を務める伊隅みちる大尉です。
 伊隅大尉、こちらが冥夜―――御剣訓練兵の警護の為に横浜基地に駐留されている、斯衛軍第19独立警備小隊指揮官、月詠真那中尉です。
 月詠中尉は、原隊である第16大隊では第2中隊を指揮される大尉でもあられますから、何かと話が合うと思いますよ?」

 しかし、武は不自然にならない程度に驚いて見せると、背後の月詠に振り向いて月詠とみちるを引き合わせる。
 月詠は冥夜の警護という役目がら、オルタネイティヴ4に関するある程度の情報公開を受けている為、ヴァルキリーズがオルタネイティヴ4直属部隊であり、その指揮官であるみちるについても承知していた。
 対して、みちるの方は、横浜基地に駐留する斯衛軍の小隊が存在する事は知っていたが、それ以上の詮索はしなかった為、月詠に対して初対面の対応をする。

 神代、巴、戎の3人は、警護対象の冥夜がより警備態勢の整った場所に赴いた為警護任務を解かれ、今は原隊である第16大隊の衛士等と歓談していた。
 そこで、1人武の姿を目に止めて歩み寄ってきた月詠が、武の誘い水にまんまと釣られてしまい、みちるを含めた3人で会話を交わす事となったのだ。
 会話の内容は、『不知火』A小隊と『武御雷』小隊で交わされたエキシビションマッチに関して、互い称賛を交わしあう事から始まり、次いで207Bと『不知火』A小隊で交わされた模擬戦に関するものへと移っていく。

「実際、207Bにはしてやられました。
 この白銀の同輩であるという事実を、もっと真剣に評価するべきでした。」

「いや、それでも貴殿等は冥夜様達を見事に撥ね除けてお見せになられた。
 今日の一戦を糧に、冥夜様方はより一層強くなられる事でしょう。」

 みちると月詠の会話は穏やかに交わされ、しばし歓談した後、月詠は一礼して斯衛軍衛士等の許へと戻って行った。
 武は、今後接点が増えるであろう、月詠とみちるを上手く引き合わせられた事と、みちるの憤懣を上手く逸らせた事に満足して月詠の後ろ姿を見送った。

「さて、それじゃあ伊隅大尉、案内しますから付いてきて下さい。」

 武はそう言うと、踵を返して歩き出す。
 みちるは、夕呼が呼んでいるか、オルタネイティヴ4関係の用件でもあるのだろうと考え、特に説明も求めずに武の後に付いていく。
 しかし、武が導いた先に自分の部下である葵と葉子、紫苑の姿を認めて目を丸くする。

「あ! 伊隅大尉に白銀君。今日はお疲れさまでした!」
「―――お疲れ様です……こちらのお二方は……帝国本土防衛軍、第21師団の佐伯大尉と草薙大尉でいらっしゃいます……」
「お二方とも、姉さんと葉子さんの大学時代の恩師でいらっしゃるんです。その頃に、ボクも面識がありまして。」

 近付いてきた武とみちるに葵が気付き、葵が手を胸の前で軽く振って挨拶すると、葉子と紫苑が続けて佐伯と草薙を紹介する。
 草薙よりも佐伯を先にする辺りに、葉子の想いが透けて見えていた。
 みちると武、草薙と佐伯は互いに挨拶を交わし、話題はXM3や対BETA戦術構想の話から、武と壬姫が3機の『時津風』を運用して臨んだ、『武御雷』小隊とのエキシビションマッチ第2戦で使用した『戦術立案ユニット』へと移り変わる。

「しかし、午前中には『ラプター』や『タイフーン』の小隊も退け、今日1日並みいる挑戦者を悉く返り討ちにした『不知火』A小隊。
 それを下した『武御雷』小隊を、衛士2人だけで倒して見せるとは生半な実力ではないな。
 実際、あれは何処までが君と珠瀬訓練兵の実力なんだい? 白銀中尉。」

「珠瀬訓練兵の狙撃の技量は、現役衛士と比べても群を抜いています。
 また、複座型『吹雪』はともかく、3機の『時津風』は無人機特有の高機動性能により、『武御雷』に伍す事が可能です。
 それでも、『武御雷』小隊相手に優勢に事を進める事が出来たのは、狙撃地点の確保と『武御雷』を狙点に誘導する為の連携機動を、同時に並行して行う作戦を『作戦立案ユニット』が弾き出してくれたお陰ですね。
 しかも、遠隔陽動支援機ですから、珠瀬訓練兵の遠隔操縦の接続先を切り替える事で、狙撃担当機が入れ代ります。
 此処まで条件がそろえば、翻弄されるのも無理はないでしょうね。」

 草薙の求めに応じて、武が解説すると、葵を除く全員が興味深げに耳を傾ける。
 葵は武の話に興味を示さず、1人佐伯の方へと身を傾ける。
 だが、佐伯は葵のそんな素振りも、少し酔いが回ったのかと思うに留まり、葵の肩を軽く支えて姿勢を真っ直ぐに戻してやると、武に対して話しかけてしまう。
 その隣では、折角寄せた身を押し返される形となった葵が、両頬を膨らませていたのだが、生憎紫苑以外には誰もそれには気付かなかった。

「なるほど。それでは『作戦立案ユニット』が果たした役割が大きいと言う事でいいのかな?
 まあ、衛士2人で4機を操って、熟練衛士4名に挑むんだ。
 そうでもなければ、自律制御で反応の鈍った機体を真っ先に撃破されてしまう筈だよな。」

 佐伯の言葉に皆が同意し、この話題は一区切りついた。
 そのタイミングを逃さず、武は1つの提案を切り出す。

「あ、そう言えば、葵さんや葉子さんと大学で同期入学って経歴の衛士が、今回のトライアル参加者にいるんです。
 伊隅大尉の従姉妹に当たられる方で、日比野照子さんと仰る方ですが、もしかして面識がおありじゃないですか?」

 みちるの恋路を応援する事を決意した武は、正樹に関して情報を集める過程で、照子についても調査の手を伸ばしていた。
 彼女の男性遍歴が派手であった事と、その恋愛沙汰に、彼女が普段から親しげに振舞っている正樹が何度か巻き込まれているとの情報があったからだ。
 正樹自身も惚れっぽく流され易い傾向が見受けられたが、どうやら不思議と照子とは深い関係にはなっていないらしい。
 それでも、一応照子の素姓を調べた結果、葵や葉子と大学で同じ学部の同期生であるらしいと判明したのだ。

「えぇ? 日比野さん?」「あの人が……大尉の従姉妹……?」
「ほほう、あの日比野くんが衛士にねえ。や、確かに覚えがあるよ、白銀中尉。
 ―――ほら、在学中に、君に何度も言い寄ってた娘だよ。少し派手目な娘。
 まあ、言い寄ろうとしてたのは彼女だけじゃないが……」

 武の出した名前に、葵と葉子が眉を顰めて反応し、続けて面白そうに眼を細め笑みを浮かべた草薙が応じる。
 そして、未だにはっきりと思い出せないらしい佐伯に草薙が言葉を足すと、ようやく佐伯が反応した。

「あー、そう言えば居たなあ。まだ薄らとだけど、ようやく思いだせたよ。」

 その佐伯の反応の鈍さに、ほっとした様な、うんざりした様な視線を葵、葉子が投げかけるが、佐伯は一向に気付かない。
 そして、草薙の言葉を聞いたみちるは、従姉妹に対する人物評に恥ずかしそうに頬を染めると、瞼を半分閉じた上で更に視線を横へと逸らしていた。

 その後、照子が北関東絶対防衛線の一翼を担う中隊を率いて戦っており、中々に優秀な戦績を誇っていると伝えると、みちるを除く全員が意外そうな顔をして、折角だから顔だけでも見ておこうという流れになる。
 佐伯は心底どうでもいいといった顔をしていたが、女性陣に反対する事は無かった。

 そうして、今度は男性2人、女性5人と言う大所帯になって、懇親会の会場を武の先導で移動していく。
 みちるは、最初に武と出くわしてから経過した時間を顧みて、どうして行き先を迷う事無く先導できるのかと疑念に思った。
 しかし、雲行きが怪しくなってはきたものの、これがオルタネイティヴ4に関する事なのであれば、武は携帯用通信機を装着しているので、何らかの情報を得ているのに違いないと推測する。
 そして、武の行く手に5人ほどの、しかし人数の割にやけに賑やかな集団が現れる。

 それを目にした途端、みちるは頭痛に襲われ、こめかみに手を当ててしまう。
 そこには、1人の男性を取り囲む4人の女性の姿があった。

「あっ! みちるちゃんだ!! おーい、みちるちゃーん、こっちこっち~~!!」
「ちょ、ちょっとあきら~、恥ずかしいから大声出すのやめてよもう~~。」
「あら~、ほんとうにみちるだわ~。こっちに来るわね。」

 大声を出し、右手を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねながら、みちるを呼ぶあきら。
 そのあきらの振舞いを、恥ずかしそうに頬を染めて必死に止めようとしながら苦情を申し立てるまりか。
 そんな2人に全く動じることなく、のんびりと右手を頬に当て、小首を傾げてみちるの方を眺めるやよい。
 この3人がみちるの血を分けた姉妹であり、上から順に長女のやよい、次女のみちる、三女のまりか、四女のあきらと続き、伊隅四姉妹の勢揃いとなる。
 このご時世に女性ばかり4人を子に持ったみちる達の父は、喜んでいるか、はたまた、嘆いているか……

「へぇ~、みちるちんが来たの?
 間違いなく今日の殊勲賞ってとこよねぇ。
 どれどれぇ……って、なんか大人数でこっち来るわね~。
 え? あれ、まさか佐伯せんせえ~? ―――ってことは、まさか?!」

 伊隅家の3人が上げた声に、振り向いてみちるの姿を確認した照子は、みちると共に近付いてくる集団に、見覚えのある顔を見つけて意外そうな顔をした。
 しかし、その直後には表情を驚愕に強張らせてしまう。
 その隣では、散々4人に振り回されていた正樹が、藁にも縋る思いでみちるに視線を向けたが、同行者に2人も居る男性に気付き胡乱な視線を投げかけていた。

「あきら―――いえ、伊隅あきら少尉。少し言動を慎みなさい。
 懇親会と言う事で、一応は無礼講とされてはいても、節度を失って良いという事ではないわ。
 まりかも、あきらに好き放題させてないで、もう少ししっかりと振舞わせて頂戴。
 こほん―――失礼しました。一応、この5人は全員私の縁者ですので、私から紹介させて頂きます。
 こちらが、第6師団で中隊長を務める日比野照子大尉、そしてその下で突撃前衛長を務める前島正樹中尉。
 こちらは私の姉で、伊隅やよい。内務省に勤務しています。
 そして残る2人が私の妹で、こちらが三女で第23師団所属の伊隅まりか中尉。
 こちらは四女で末っ子になる、第22師団所属の伊隅あきら少尉です。
 では、続けて皆さんの紹介を務めさせていただきます。
 こちらが…………………」

 みちるは、足早にあきらの許に歩み寄ると、厳格な口調で有無を言わさず黙らせる。
 そして、連れ立って歩いてきた6人が近付いてきた所で、紹介の労を取る。
 みちるに叱り飛ばされたあきらを初めとして、全員がみちるの言葉に耳を傾けた。

 そして、紹介も終わり、総勢12人となり一頻り挨拶が交わされた後、皆は歓談に入ったのだが……

「あ、あはは……草薙先生に佐伯先生、御無沙汰してますぅ~。葵ちゃんと葉子ちゃんもお久しぶり~。」
「確かに音沙汰の一つも無かったな。まあ、これはこのご時勢だし止むを得ないだろう。
 私も佐伯大尉も大学を退職して軍に志願してしまったしな。」
「そ、そう言ってもらえると助かりますぅ~。」
「しかも、大尉にまでなって、中隊を指揮して戦っているそうだな。
 昔の君からすると、ちょっと信じられないが立派なもんじゃないか。
 今じゃ、僕等と同じ階級なんだからな。」
「あ、あはははは…………」

 照子に対して草薙と佐伯が前に立ち、その両脇―――佐伯の右に葵と葉子が、草薙の左に紫苑が並び、照子を反包囲する様な形で会話が交わされている。
 葵と葉子は何処となく照子に警戒感を抱いて観察している様な所があり、照子は予想外の邂逅に冷や汗を垂らして応対していた。
 本来ならば、照子はその破天荒な性格で我が道を行き、権威者には上手に取り入って懐柔するのだが、若い頃の行状を把握されているだけに勝手が違い難儀している。

 そんな照子を横目で見ながら、伊隅四姉妹は顔を寄せ合って言葉を交わしている。

「やったぁ~! テルちゃんが正樹ちゃんにべたべたするもんで、ちょっと腹立ってたんだ~。」
「正樹ったら、照子姉ちゃんが腕に抱き付くたんびに、でれ~っとするんだもん。だらしないったらないよう!」
「そうねぇ。照子さんは昔から、男の子を誘惑するのが上手だったものね。」
「ふ~ん。正樹、良かったわねぇ。部隊でも照子ネェのお陰で、相当楽しく勤務出来てるみたいじゃないの?」

 妹達や、姉の言葉を聞いたみちるは、脇に立って安堵の溜息を漏らしていた正樹に、冷たい視線と言葉を投げかける。
 途端に寒気に襲われた正樹は、慌てて弁解を始める。

「ま、まてっ! 待つんだみちる。
 それは早計というもんだぞ? オレはいっつも照子さんの尻拭いで大変な思いをしてるんだ!!
 確かに照子さんは部下から慕われて強い結束力を発揮し、それを戦果へと繋げている。
 けど、何をどう細工したのか、このご時勢に照子さん以外11人全員男性衛士っていう人員構成が続いてる所為で、他の連中からは逆ハーレム中隊と陰口叩かれ、あれこれと騒ぎが絶えないんだ!
 しかも、何故か毎回その後始末がオレに回ってくるんだぞ? みんなからも何とか言ってくれよ!!」

「ちょっと、失礼~―――正樹ィ、全部聞こえてるわよぉ?」

 必死になって熱弁を振るう正樹だったが、照子が草薙や佐伯に一言断って踵を返し、背後からドスの利いた声で囁くと、正樹は直立不動となって口を噤んだ。
 照子は直ぐに佐伯らの許へ戻って会話を再開したが、正樹が緊張を解いて後ろを恐る恐る振り返ったのは数秒が経過してからであった。
 そんな正樹の醜態を、伊隅4姉妹は、上から順に困惑の視線、絶対零度の視線、軽蔑の視線、呆れた視線と多彩な視線をたっぷりと投げかける。
 やよいののほほんとした視線には癒しを感じる正樹だったが、残りの3人の視線で相殺されるどころか、収支はすっかりマイナスとなり、精神的ダメージを負ってしまう。

 がっくりと肩を落とす正樹に、伊隅4姉妹が声をかける。

「あらあら、正樹くん大丈夫? 疲れてるなら、あっちに椅子が……」
「姉さん、甘やかさないでいいから。これしきの事で立ってられない様じゃ、軍人なんて勤まらないわ。」
「それは……確かにそうだよねえ。大体、正樹は照子姉ちゃんの尻に敷かれ過ぎなんだよう!」
「ほんとだよッ! 正樹ちゃん、ちょっと情けなさ過ぎ!!」

 なんやかんやと、正樹を凹ませる様な言葉をぶつけながらも、みちるを初めとして伊隅四姉妹は誰1人として正樹の傍を離れようとはしなかった。
 正樹も、何を言われようとも逃げ出そうとはせずに、いい加減な言い逃れであろうと、必死に言い訳をして4人の幼馴染を宥めようと努力を欠かさない。
 そんな光景を見た武は、照子がすっかり草薙の玩具になっている事を確認すると、この場でこれ以上自分が何をする必要も無いなと、最寄りのテーブルから料理を取ってきて味わう事に専念すると決めた。
 この懇親会が終わったら、純夏の所に顔を出そうと思いながら……



 しかし、料理を取り皿に取ろうとした武は、自分に向けられた複数の視線に貫かれ、その場で硬直する羽目になる。
 そして、諦めの境地で目を閉じた武の背後に4つの気配が近付いてきて、武の右肩に手がかけられる。

「白銀? 自分1人だけ、正規軍の軍装を着て、随分とお気楽のようじゃない?」
「酷いよたけるさん! ミキ、『時津風』や『作戦立案ユニット』の事、大勢の人に質問されて、困っちゃたんだよぉ!」
「そうだよタケルゥ! こういう時に、苦楽を共にしてこその戦友じゃないかぁ。自分だけゆったりと料理を味わおうだなんてズル過ぎだよッ!」
「白銀、食べ物の恨みは怖いよ……許して欲しければ、焼きそばを10人前用意するんだね……」

 武の背後から、次々に言葉をぶつける千鶴、壬姫、彩峰、美琴の4人。
 武は言い訳はせずに、この後4人に散々に詰られる覚悟を決める。
 と、そこへ折良く冥夜が直ぐ近くのドアから入ってきて、直ぐに武達に気付くと、歩み寄って声をかけた。

「ん? みな集まってどうしたのだ?」

 きょとんとした表情で問いかける冥夜に、武は一筋の光明を見出した。
 上手く話を運べば、この窮地を脱する事が出来るかも知れないと。

「ああ。解かったぞ、タケル。
 そなた、1人だけ正規兵の装いをして、正体を誤魔化して居ったのだな?
 それで皆に責められておるのだろう。
 そう言う事であれば、私からも言う事があるぞ?」

 冥夜の言葉に、武はがっくりと肩を落とした。
 しかし、それでも逃げ出そうという気持ちが湧かない事に気付いた武は、先程目の当たりにした正樹の姿を思いだし、自分も傍から見れば同じなのかと、空虚な笑みを浮かべるのであった。




[3277] 第106話 祭りの後、様々な想い
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/05/31 17:16

第106話 祭りの後、様々な想い

2001年11月18日(日)

 19時24分、国連軍横浜基地のB19フロアにある貴賓室に、武の姿があった。

「―――白銀。そなたの献策により、わたくしは国政と統帥権を掌握するに至りました。
 改めて、礼を言います。そなたに万謝を。
 国政の細々とした事は今まで通り是親に委ねておりますが、統帥に関しては大本営を設置し、陸・海・宙・防・斯衛の5軍を統合運用する体制を確立いたしました。
 今後は、わたくし直属の最高統帥機関として、紅蓮を初めとする斯衛の将官、参謀を中核に、帝国の全将兵を統帥する事となるでしょう。」

 表向きには来駕されていない事となっていた悠陽だったが、斯衛軍の衛士等が多数訪れた事に紛れて、お忍びで横浜基地を訪問していた。
 警護は無論水も漏らさぬ態勢で行われ、横浜基地に到着後はこの貴賓室でトライアルの進行状況を見守っていたのだ。
 各種測定のライヴ映像や測定データのみならず、観戦会場の衛士等の反応に至るまで、詳細かつ膨大な情報に触れながら悠陽はこの1日を過ごしている。

 そしてトライアルが終了した今、呼び寄せた武を向かいのソファーに座らせ、紅蓮を脇に控えさせた悠陽は、今後の方針を定める為に帝国の現状を武へと伝えるに至る。
 かくして、悠陽は政威大将軍として己が大権を掌握した現状を淡々と口にした。
 その気負う所の無い態度は、自身の復権など飽くまでも目的達成の為の環境作りに過ぎず、掌握した大権によって何を成すかこそが肝要なのだと言外にはっきりと告げていた。

「少なくとも、次の大戦(おおいくさ)で大敗でもせぬ限り、わたくしの命に表立って逆らう者は出ないでしょう。
 是親が米国と交わした戦術機大量一括調達計画は既に先の閣議にて追認し、東南アジアに避難している各造兵廠にも、米国からの機体受け入れと遠隔陽動支援機への改修を行う為に、必要とされる仕度を為すよう要請してあります。
 それに先行して、香月博士にご提供いただいた技術資料に基づき、XM3用高性能並列処理コンピューターユニットの生産ライン確立も進めております。
 近日中に、生産されたXM3ユニットが横浜基地に搬入される筈ですので、ブラックボックスに対する最終措置を施していただきたいと存じます。」

 続けて悠陽が語ったのは、『甲21号作戦』に投入される帝国軍と大東亜連合軍に、可能な限り多くのXM3と遠隔陽動支援機を配備する為の態勢作りに関する事柄であった。
 『甲21号作戦』に投入される在日国連軍戦術機甲部隊への配備程度であれば、夕呼のオルタネイティヴ4統括者権限で何とか調達可能だったが、帝国軍や大東亜連合軍までとなってはさすがに不可能である。
 また、今後世界各国からの調達要請に対応し安定供給する為にも、生産ラインの早期確立は最優先事項であった。

 しかし、大量生産態勢を整えてしまえば、やはり機密保持は困難となってしまう。
 その為、未だXM3という交渉カードを手放す気のない夕呼は、XM3用高性能並列処理コンピューターユニット―――略称XM3ユニットにブラックボックスを組み込み、非接触接続によって起動コードを書き込むという対策を取った。

 しかも、この起動コードが無くても一応システムは起動するが、部隊内データリンクを通じて非正規のXM3ユニットの運用データを収集蓄積し、正規のXM3ユニットとデータリンク接続した時点で運用データを転送。
 その後、時間経過と共に機能障害を起こしていくという、悪辣なトラップが仕掛けられていた。
 もちろん、ブラックボックスを開封もしくは解析しようと試みれば、自壊するようにもなっている。
 現状00ユニットの非接触接続機能無しには、ブラックボックス内部の回路に起動コードを書き込む手段は無い為、工場出荷後全てのXM3ユニットが横浜基地に搬入され、最終処置を施される事となっていた。

「解かりました。搬入及び搬出に関するデータのやり取りを緊密に行えるよう、対応窓口を互いに設置する事にしましょう。」

 武は、一体何千基のXM3ユニットに起動コードを書き込む事になるのかと思い一瞬気が遠くなったが、なんとか気を取り直すと悠陽に了承の意を示した。
 悠陽は軽く頷くと、XM3以外の対BETA戦術構想装備群の生産態勢についても順調であると述べた後、僅かに身を乗り出すようにして次の話題に移る。

「―――と、こちらも順調に推移しており、甲21号作戦までには十分な量が備蓄できると思われます。
 また、『雷神』を中核とする自律飛行船群も、6個群の完成を目指して計画を進めておりますし、完成後は、国外で建造する4個群に、試験を兼ねて太平洋上を本土まで自律飛行させる手筈です。
 各種装備群の生産態勢に関してはこのような仕儀となっており、そなたの要望に十分沿った進行状況と言えるでしょう。
 ―――最後に、これは帝国政府からの要請となりますが、斯衛軍、帝国軍、そして大東亜連合軍の戦術機甲部隊に対する教導に関しては、万全の態勢を敷いていただきたいと存じます。」

 斯衛軍は元より、帝国軍、大東亜連合軍へのXM3や対BETA戦術構想装備群の導入に当たって、横浜基地に各軍の部隊を受け入れた上で、教導を行うとの方針が定まっていた。

 斯衛軍からは、『甲21号作戦』への参加が内定している第13大隊より第16大隊までの4個大隊が、1個大隊ずつ交代で横浜基地に駐留し、A-01連隊との連携演習を行う。
 また、その他の斯衛軍各隊に対する教導は、この4個大隊が担当する事となっている。

 帝国本土防衛軍は、陽動支援戦術機甲連隊を発足させ、同連隊を横浜基地に駐留させた上で教導を受けさせ、その後陽動支援機を導入する各部隊へ、同連隊所属衛士を出向させて教導に当たらせる。
 陽動支援戦術機甲連隊は陽動支援機の運用を主任務とし、所属衛士はXM3トライアルに招かれた衛士等を中核として編制。
 2個大隊は遠隔陽動支援機の運用に特化するが、1個大隊はハイヴ突入部隊とし、対BETA戦術構想装備群各種の運用も習得した上で、A-01連隊との連携演習にも参加する。

 大東亜連合軍に対しても、まずは教導の任に当たる部隊を連隊規模以下で編制した上で、横浜基地に部隊を派遣するよう提案がなされている。
 部隊を受け入れ、教導に当たるのは国連軍の横浜基地であるが、日本国内への部隊派遣となる為、提案は日本帝国政府から悠陽の名の下に行われており、最大戦術機甲1個大隊までの部隊派遣を受け入れるとの通達が成されていた。

「大東亜連合軍からの部隊派遣日程が定まるのは後日となりますが、3軍合わせて最大で5個大隊の部隊が横浜基地に駐留し、教導を受ける事になるかと存じます。
 横浜基地の皆様には、一方ならぬ苦労をかける事となりましょうが、『甲21号作戦』の趨勢がかかっております。
 遺漏無き様、努めていただきたいと存じます。」

 話し終えて軽く会釈する悠陽に、武は力強く頷くと、応えを返す。

「望むところですよ、殿下。
 『甲21号作戦』での犠牲を少しでも減らす為にも、オレは努力を惜しみません。
 殿下には、帝国の総力を傾けて『甲21号作戦』実施の環境を整えていただいています。
 オレも―――いえ、第四計画も総力を上げて、必ずや『甲21号作戦』を成功に導いて見せます!
 そして、『甲21号作戦』に投じられる、人員、装備、物資に報いる為にも、必ずや大陸反攻、そして地球奪還へと繋いで見せますッ!!」

 暫く前の情勢であれば、良くて大言壮語、悪ければ戯言(ざれごと)にしか聞こえなかったであろう武の言葉であったが、この日の悠陽と紅蓮にとっては、実に頼もしく且つ十分に実現し得る言葉として耳に届いた。
 武が悠陽の下に招聘され謁見してから未だ1月にも満たないが、悠陽と紅蓮の2人が武に寄せる信頼は確固たるものとなっている。

 1月前、日々BETAの脅威に曝され、戦力を、物資を、何よりも将兵の命、国民の希望を削り取られ、暗澹たる斜陽の日々に帝国は埋没せんとしていた。
 必死に戦況を転換する術を模索し、臣民に希望を取り戻させようとしながらも、それが叶うとは信じられずにいた。
 しかし、突如として現れた白銀武と言う人物が、強固な信念と明確な展望に裏付けられた方策を示し、半信半疑ながらもその献策を容れた結果、帝国の情勢は一挙に改善されて今日に至っている。

 今や、悠陽には、そして紅蓮にも、帝国の国土奪還、地上からのBETA殲滅という目標が、十分に手の届く未来として捉える事が出来るようになっている。
 今となっては、武の献策に国力を傾ける事に、一片の躊躇いすら悠陽が抱く事はない。
 国家の行く末を、否、人類の未来を左右する大事を成そうとしているにも拘わらず、武には夕呼と同じく我欲という物が感じられない。
 乾坤一擲。正に白銀武と言う人物は、帝国の存亡を賭けるに相応しい者であると、悠陽は確信を持って断言する事ができた。

 しかも、悠陽は私人としても、武により冥夜との距離を一気に近しい物とする事が叶っている。
 つい先だって別れたばかりの実妹の笑顔を思い浮かべ、悠陽は心中で武に深く感謝を捧げるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 20時03分、悠陽との謁見を終えた武は、斯衛軍の警護部隊に守られて上層へのエレベーターに乗る悠陽を見送った後、貴賓室と同じフロアにある夕呼の執務室を訪ねていた。

「ん~? 白銀じゃないのぉ~。ヒック……なんのようよ~。」

 執務室のドアを潜った武は、泥酔しているかの様に、ぐんにゃりとだらしなくソファーに上体を預けている夕呼を見て、一瞬オルタネイティヴ4が凍結されたクリスマスイヴの夜を思いだしてしまう。
 血相を変えて、夕呼を問い質そうとした武だったが、それを実行に移す寸前で夕呼が心底上機嫌である事に気付く事が出来た。
 その為、気持ちを落ち着かせながら、ゆっくりと夕呼の許に近付き、武は声をかける。

「夕呼先生。随分と酔ってますね。どうかしたんですか?」

 未だに脳裏をちらつく挫折の記憶に、緊張を解けないまま真剣な表情で見下ろす武。
 それを見上げた夕呼は、キョトンとした不思議そうな顔で応じる。

「べっつにぃ~? どうもしやしないっての。
 あんたこそ、どうかした? やけに真面目くさった顔してんじゃないの。」

 さすがと言うべきか、弛緩していた夕呼の顔付きがあっという間に引き締まり、素面(しらふ)の時と同じ怜悧なものへと変わっていく。
 口調もしっかりとしたものになり、武の内面を見透かすが如き鋭い視線を放ってきた。
 そんな夕呼の様子に、武もようやく緊張を解き、折角上機嫌だった夕呼に水を差してしまった事を詫びる。

「すいませんでした、夕呼先生。ちょっと、昔の嫌な記憶を連想しちゃっただけです。
 折角気分良く酔っていた所を邪魔しちゃって、ほんと、済みませんでした。
 けど、先生がそんなに酔っぱらうなんて、珍しいですね。」

 武の言葉に、右手をひらひらと振って、夕呼は謝罪をうけいれる。

「あっそ。問題が発生したんじゃないならどうでもいいわ~。
 あたしがぁ~、酔っぱらってんのは……久しぶりに、気分良く飲めた酒だったってだけよ~。
 ま、相手は碌でもない狐狸ばっかだったけどね~。
 今日ばっかりは、連中もあたしの機嫌取るのに必死で、こっちの足元を掬うつもりもないみたいだったから、ついつい飲み過ぎちゃったってわけよ~。」

 再び、酔いに身を任せて、ぐんにゃりとする夕呼。
 精神力1つで酩酊状態から素面に近い状態に戻り、更に再び酩酊状態に戻ると言う、夕呼の変幻自在な様子に武は唖然とする。
 確かに、これなら多少の飲み過ぎなど、問題になるどころか、他者を謀る(たばかる)術にすらなるんだろうなと武は思った。

「なるほど。国連上層部や、各国政府のお偉方の相手をしながら飲んでたんですね。
 夕呼先生、お疲れさまでした。
 けど、そんな連中相手なのに、それでも気持良く酒が飲めたって事は、トライアルの反応は上々だったって事ですね。」

 夕呼の言葉から、状況を推測して武は夕呼を労った。
 トライアル期間中、夕呼はラダビノッド基地司令と共に、オルタネイティヴ4の進行状況を査察する為にやってきた、国連上層部や加盟各国の高官の相手をしていた。
 武も午前中に幾度か、彼らが一堂に会していたトライアル観戦会場貴賓室に近付き、リーディングによる諜報活動を行っている。
 貴賓室ではトライアルが行われている最中からアルコール飲料も振舞われていたが、恐らくはトライアル終了後そのまま酒宴と化したのであろう。

 リーディングの結果から判断するに、夕呼が相手をしていた高官達は、当初はXM3や対BETA戦術構想を、これと言った結果を出す事の出来ないオルタネイティヴ4を延命する為の、苦し紛れの方便であろうと考えていた。
 ところが、トライアルが進行して、その価値が明らかになり、しかもオルタネイティヴ計画の本来の目的である、BETA情報の取得さえ限定的とは言え達成したと知らされて、態度が一変したに違いない。
 そんな武の推測を裏付けるように、夕呼は上機嫌に話しだす。

「そ~ゆ~ことぉ~! 伊隅達も良くやったけど、効果的だったのはあんたと珠瀬のエキシビションマッチね。
 あたしが相手してた連中は、全員00ユニットの仕様を知ってるもんで、『作戦立案ユニット』が00ユニットの完成一歩手前の転用品か、さもなきゃ完成品だって想像できたんでしょうね~。
 おまけに、あたしが限定的ながら、BETA情報の取得に成功したって大見得切ったもんだから、そっから手の平返したように態度をころっと変えちゃって……
 その後は、情報を探ろうとしたり、今後自国への支援を少しでも多く得ようとしたりで、殆ど全員総出であたしを持ち上げにかかったってわけよぉ~。
 やっぱ、女は傅(かしず)かれてナンボよね~。」

 武は夕呼のその言葉と、酔いに身を任せている様子から、XM3トライアルが所定の目的を十分に達成した事を確信する。
 そして、トライアルの成果を確信できた武は、酔いに身を任せる夕呼に暇を請うと執務室を後にした。
 トライアルの様子などを純夏と霞に見せて、他愛のない会話やゲームなどをしようと考えながら、武はシリンダールームへと歩を進める。
 それは、トライアルの成功に対して、武が自分自身に与えた報酬だったのかもしれない。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月19日(月)

 07時12分、ヴァルキリーズが割り当てられているPXに、武の姿があった。

「皆さん、昨日はお疲れさまでした。
 お陰で、XM3トライアルは十分な成果を上げる事が叶いました。感謝します。」

 武はそう言って、ヴァルキリーズの面々に頭を下げる。
 この朝武は、207Bと顔を合わせるのを避け、ヴァルキリーズを労うという大義名分でこの場に来ていた。
 昨夜の懇親会で207Bの面々に捕まってしまった武だったが、冥夜が貴賓室の賓客―――要するに悠陽―――に武が呼ばれていると告げた為、本格的に吊るし上げられる前に解放される事となった。
 それをいい事に、悠陽との謁見が済んだ後も武はB19フロアで過ごし、純夏へのプロジェクションの後は、『甲21号作戦』に向けた教導計画に用いる演習プログラムの作成などをこなすと、そのままメンテナンスベッドに入ってしまったのだ。

 その為、今朝PXで207Bと顔を合わせれば、あれこれと言われる事になるのは目に見えていた。
 そもそも、昨日のトライアルでの模擬戦の後、武は207Bの面々と真面に話をしていない。
 元207Aの件や任官の件など、207B女性陣にとっては一刻も早く知りたい事も多いだろう。
 それを承知の上で、武は午前の訓練開始まで207Bとの接触を避ける事を選択していた。

 因みに、霞との朝食は、また別のPXで手早く済ましてから、武1人でこのPXにやってきている。
 いつものPXでは無かった所為で、周囲から寄せられる物珍しげな視線が武には痛かったが、ヴァルキリーズに目撃されるよりは増しとの判断であった。

「そうか。トライアルが目的を達成したのであれば喜ばしい限りだ。
 例え、内容に不満があったにせよ、我々の任務は完遂されたという事だからな。
 ―――だから速瀬、そう不満げな顔をするな。」

 武の言葉に、ヴァルキリーズ13名を代表してみちるが応え、隣に座る水月を横目で見て言葉をかける。
 その視線の先では、水月が親の仇を見る様な眼で武を睨みつけ、歯を剥き出して唸っていた。
 『前の世界群』でのトライアルでは、自身が仮想敵部隊となって挑戦者を返り討ちにする事を望んで叶えられなかった水月だが、今回その願いが叶ったにも拘らず、一夜明けた今朝の機嫌は最悪の様である。
 その理由に心当たりのある武は、降参するように両手の平を水月に向けて肩の辺りに上げ、なるべく刺激しないように注意深く話しかける。

「速瀬中尉。207Bとの模擬戦の内容に関しては、オレは無関係ですよ?
 彩峰の投げ技にしろ、冥夜―――御剣の斬撃にしろ、あいつらの努力の結晶であってオレが教えた訳じゃないんですから。」

「そんなの解かってるわよッ! けど、207B関係者で今目の前に居るのはあんただけなんだから、あんたを睨んで何が悪いってのよッ!!」

 だが、相変わらず水月は論理を超越し、武の至極尤もな言葉など歯牙にもかけずに噛みついてくる。
 そこへ、水月の隣からのほほんとした言葉が発せられた。

「消化に悪いんじゃないかなあ? ほら、水月、さっさと朝ご飯食べちゃおうよ。
 お腹空いてると余計怒りっぽくなるし。」

 発言者は言わずと知れた遙である。
 水月の言葉を真に受けて、にっこりと笑みを浮かべた遙は思う所を述べると、自身のはしで水月の朝食を指し示す。
 そこに透かさず美冴が茶々を入れた。

「そうそう。速瀬中尉が唸っていると、今にも喰いつかれそうで落ち着いて食事も出来ませんからね。
 なあ、祷子………………っと、相変わらず目にも止まらない速さだな。」

「お、おほほほほ……そ、それよりも、昨夜の懇親会で伊隅大尉や水代、桧山両中尉が親しく歓談なさっていた方々は、どなたでしたのでしょう?
 司会進行のゲストをしておられた、草薙、佐伯両大尉は存じ上げていたのですけれど。」

 水月の反論を逸らす為に、いつもの癖で祷子に話を振った美冴だったが、祷子の前に置かれた綺麗に完食された食器を見て、ようやく振った話題が悪かった事に気付く。
 目にも止まらぬ早食いの妙技でとっくに食べ終えていた祷子は、ばつの悪そうな顔をする美冴に、口元を押さえて笑って誤魔化す。
 さらに、祷子は話題を無理矢理すり替える事で、この場を切り抜けようとした。
 その言葉に、昨夜から何処か夢見心地だった葵が、たった今目覚めたかのように目をぱちくりと瞬きさせると、続けてぽんと手を打って言葉を漏らす。

「そういえばぁ、大尉の思い人のぉ正樹さんに会ったんでした。
 ちょっとぉ意外だったけど、良い人みたいだったよねぇ、葉子ちゃん。」
「うん……大尉のお相手にしては……その……愛嬌のある方だったと…………
 あと、大尉のご姉妹のお三方も……個性的でした…………」

 葵が漏らした言葉と、同意を求められた葉子がもたらした情報に場が沸き上がり、皆が身を乗り出して耳をそばだてる。
 ところが、頬を赤く染めたみちるが、葵と葉子を叱り飛ばすように割って入って話を妨害する。

「こら! 水代、桧山、余計な事は言わなくていい!」
「あ~、隠しちゃ駄目ですよ~、大尉ぃ。大尉の幼馴染やご姉妹には、みんな興味津々なんですからぁ!」

 しかし、水月がにやにやと興味本位な笑みを浮かべて、みちるの妨害を阻止しようとする。
 ところが、そこで美冴がみちるの援護に入り、水月をからかって意識を逸らす。

「おやおや、速瀬中尉はもう白銀には飽きてしまったんですか?
 相変わらず、目先にぶら下げられた餌には、喰い付かずにいられないようですね。」

 ところが、この発言が思わぬ方向へと話を展開させてしまう。
 今回のトライアルでは、教導部隊としてではあるがヴァルキリーズはその所属を公開され、大手を振って帝国軍衛士と接触する事が可能となっていた。
 今まで、家族相手の便りすら自粛する様な、機密指定から解放されたと言っていい。

 そんな千載一遇の機会を座視したかのような美冴に、水月は思う所があった。
 以前より、相思相愛の癖に積極的に距離を縮めようとしない美冴の姿勢に、じれったさを感じてならなかった水月は、その為つい過剰に反応してしまい美冴を詰り始めてしまう。
 酔っても居ない癖に変なスイッチが入ってしまい、どんどんとヒートアップしていく水月に、美冴は諦念と共に天を仰ぎ、みちるも遙も、他のヴァルキリーズも呆気にとられて見守る事しか出来なかった。

「む~な~か~た~ッ! あんた、そんな事言って澄ましてるけど、あんたの相手はどうしたのよッ!
 折角の機会だったんだから、無理言ってでも呼べば良かったのよッ!!
 ほんっと~は、会いたくてしょうがない癖に、なんだってあんたはそう―――「待って下さい、速瀬中尉。」―――白銀?」

 しかし、そんな水月の発言に武が待ったをかける。
 美冴を思い人に会わせてやりたいと思っていたのは武も同じだった。
 思わぬ理由で、それが叶わなかった事は武にとっても残念な事だったのと、水月が孝之と死別した過去に捉われてしまい感情を昂ぶらせていると気付いた為、事情を説明してなんとか水月を落ち着かせようと武は試みる。

「実は、ちゃんと招待してたんですよ。ええと、第8師団の緑川仁中尉でしたよね?
 ところが、生憎先達ての作戦で負傷されていて、回復は順調とは言え模擬戦は無理との事だったんです。」

「え? そ、そうだったの?……宗像、悪かったわね。」
「まあ……美冴さん、それは残念でしたわね。」

 武が事情を説明すると、水月は一瞬唖然とした後、自分がヒートアップしてしまっていた事にようやく気付き、即座に謝罪した。
 それと前後して、目を大きく見開いた祷子が、美冴を慰めようと自身の左手を美冴の右手にそっと添える。
 話題の中心でありながら、ここまで一言も発する機会の無かった美冴は、苦笑を浮かべると普段と変わらず至って気軽な口調で応える。

「いや、気にしないでくれ、祷子。確かに仁さんには会えなかったが、代わりに同じ部隊に所属しているお蘭が来ていたよ。」
「お蘭って誰よ?」

 美冴の言葉に、気恥かしげにしていた水月がぶっきらぼうに訪ねる。
 それが、水月の照れ隠しであると気付いた美冴は、笑みを浮かべて水月の問いに素直に応えた。

「仁さんの妹でね。緑川蘭子中尉と言って、仁さんと同じ中隊で突撃前衛長をやっているそうだ。
 私よりも背が高くてね。私と同学年だったんだが、陸軍高等学校時代には2人して大勢から告白されたものだよ。
 今となっては良い想い出だな……相手は全て女子だったが……」
「まあ、美冴さんは昔から同性を惹き付けてらしたのね。」

 美冴がこの話はこれで終わりと言わんばかりに落ちを付けると、祷子が透かさず相槌を打ち、この話題はそれまでとなった。

 昨夜より、模擬戦で207Bに撃墜された水月を除き、ヴァルキリーズの先任達の纏う雰囲気はほんのりと温かなものとなっており、元207Aの新任達もそれを感じ取っていた。
 新任達も自分達の同期である207Bの活躍を目の当たりに出来、またもう1つもたらされた朗報もあって、何処となく楽しげである。
 普段なら、1つや2つは茶々を入れている晴子までが、大人しく先任達の会話を見守っていたのは、その辺りの場の空気を察しての事だったかもしれない。

(……あたしだって、伊隅大尉や葵さん、葉子さんとかが幸せそうにしてたら嬉しいわよ。
 けど、先任が全員温い態度取ってちゃ、隊が引き締まらないじゃないのッ!)

 そんなある人物の抱いた思いを、果たして理解していた人物が居たかどうかは、定かではない。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 09時53分、国連軍横浜基地の講堂は、つい先程まで100人近くの賓客を迎え、賑々しく行われていた『国連太平洋方面第11軍横浜基地衛士訓練学校第207衛士訓練小隊解隊式』の余韻も既に消え去り、静かな佇まいを取り戻していた。

「―――神宮司中尉。オレの特殊任務で大分苦労させたと思いますが、本当に御苦労さまでした。
 たった1月にも満たない期間で、よくあいつらをここまで鍛え上げてくれました。本当に感謝しています。」

 講堂の出口で、訓練兵としての教官への礼を終え、数歩外へと踏み出した武だったが、しかし、少し離れた場所で待つ仲間達の許へは向かわずに、その場で踵を返して再びまりもに言葉をかける。
 それは、夕呼の下で特殊任務に従事する白銀武として、特殊任務の協力者であった神宮司臨時中尉に向けた感謝の言葉であった。

「白銀中尉…………それは私には過ぎた言葉です。
 207Bの錬成がこれほどの高みに達したのは、偏に白銀中尉の新衛士訓練課程が優れていたが故です。
 しかも、彼女らが抱えていた精神的な問題を解決に導き、隊の結束を強固とし、彼女らの精神的支柱となったのも貴官です。
 私の成し得た事など、それに比べたら微々たるものです。
 この1月、貴官の特殊任務をお手伝いで来た事は、私の生涯の誇りとなるでしょう。
 至らぬ身ではありますが、貴官の生み出した新衛士訓練課程を万全に運用し、来年度も優秀な衛士を育て上げて見せます!
 衛士訓練学校教官の職にある者として、優れた訓練課程を生み出していただいた事に感謝いたします!」

 まりもにとっても、武と出会って以来のこの1月弱の日々は、実に感慨深いものであった。
 その為か、普段であれば自在に使い分ける口調が、この時だけは直前に交わしていた、軍曹として新任少尉に対して応じる上級者への口調そのままの言葉となって発せられた。
 特殊任務に従事する際は、互いに同格として敬語抜きで言葉を交わすと約していたが、まりもはこの1月で、武のもたらした成果と能力に対して尊敬の念を抱くに至っている。
 或いは、口調が敬語のままであったのは、そういった想いの表れであったのかもしれない。

「神宮司中尉。実は本日09時00分の時点で、オレの臨時中尉の階級は返上しているんです。
 ですから、今現在オレの階級は、例え特殊任務従事中でも少尉って事になります。
 神宮司中尉の階級は臨時中尉のままですから、階級が逆転した事になりますね。
 ―――ああ、そうなると、オレも話し方を変えないとな~。
 おほん……失礼いたしました、神宮司中尉殿!
 小官は少尉に過ぎませんので、丁寧な言葉をお使い戴くに当たりません。
 って、これでいいですかね?」

 しかし、武はそんなまりもの真摯な想いを、ふざけた軽口で粉々にしてしまう。
 まりもは、目を閉じ、拳を握り締めて、腹の底から声を絞り出す。

「………………色々と、台無しにしてくれたな、白銀…………」

 そんなまりもの様子に、武はまりもの逆鱗に触れてしまった事を、ようやくにして悟る。
 慌ててまりものご機嫌を取ろうとするものの、上手い方法を思い付かず、連絡事項を伝達するのが精一杯な武であった。

「あ、いやその……すみません、調子に乗り過ぎちゃいましたか?
 えっと…………あ、そ、そうだ。もう1つ言っとく事がありました。
 ええと、新衛士訓練課程の試験運用は完遂されましたが、神宮司中尉にはもう暫く特殊任務にご協力いただく事になりました。
 本日20時00分に教官室をお訊ねしますので、2時間ほど打ち合わせの時間を空けておいてください。
 …………と、い、以上です。」

 そして、武の言葉が途絶えた所で、底光りのする視線を武に据えて、まりもが獰猛な笑みを浮かべて拳を顔の前に翳して言う。

「なるほど、了解した。それでは白銀少尉。
 任官祝いに、上官からの鉄拳制裁と言う物を味会わせてやる。
 気をぉ~付けぇえ~~~! 腕を後ろに組み、歯を食いしばれッ!
 ―――行くぞッ!!」

 まりもの怒気に気押されてしまい、武は言われるがままに直立不動となって両手を後ろで固く組み、目を瞑り歯を食いしばって襲い来るであろう衝撃に備えた。
 ところが、顎か頬に来ると思われた衝撃の代わりに、額を軽く小突かれた様な感触があった為、武は恐る恐る目を開ける。
 すると、眼前には悪戯っぽい笑みを浮かべるまりもの顔があり、武が目を開けたのを確認すると、まりもが優しげな口調で語りかけて来た。

「……冗談よ。まさか解隊式終わったばかりの新任少尉の門出を、鉄拳制裁で台無しにする訳にはいかないでしょ。
 これからも、よろしく頼むわね、白銀少尉。」

「き、肝が冷えましたよ。じゃ、じゃあ、今晩の件よろしくお願いします。
 とは言え、この後の諸手続きの説明も、神宮司軍曹が担当なんでしょうけど。」

 先程までまとっていた怒気が綺麗さっぱりまりもから消え去っている事に、ほっと胸を撫で下ろした武は、まりもに正直に己が胸の内を語った。
 そんな武に笑みを深めたまりもだったが、態度を改めると207B女性陣の集まっている方へと視線を向けて、武に声をかける。

「了解いたしました。ところで少尉殿、あちらで皆さんがお待ちかねの様ですが、よろしいのでしょうか?」

「げ、なんか、偉い睨まれてるぞ?! あッ、なんで踵返して行っちまうんだよ!
 お~い、待ってくれよみんな~!」

 まりもに教えられて、仲間達の方に振り向いた武は、自身に向けられた冷やかな視線にたじろいでしまう。
 一旦挨拶を終えた後で、尚もまりもと親しげに話す武の姿に、すっかり気分を害してしまった207B女性陣は、無言のまま踵を返しすと武を残して立ち去ってしまう。
 武は、理由も解からないまま、慌てて5人の後ろ姿を追った。
 駆け去っていく武を見ながら、まりもは心底楽しげな笑みを零す。

 夕呼に引き抜かれて教官となって、今まで多くの訓練兵を鍛え上げて来たまりもだったが、今期の207B程印象の強い訓練部隊は居なかった。
 トライアルで証明した衛士としての能力で、急遽任官となったが、本当の理由は政治的な思惑にあるとまりもは夕呼に知らされている。
 冥夜が殿下の御名代となった以上、何時までも訓練兵としておく訳にはいかず、かと言って冥夜だけを任官させるには、他の訓練兵の生い立ちが特殊過ぎた。
 それ故に、急遽解隊式が行われ、トライアルに集まった賓客をそのまま招き、盛大に解隊式を執り行う事となった。

 本来ならば、このような経緯で錬成を切り上げる事はまりもの容認し得ない事だ。
 しかし、今回は完全に話は別である。
 そもそも、精神的に抱え込んだ問題点を除けば、能力的には207Aと共に任官していてもおかしくない能力を、207Bは持っていた。
 その上で、武が早期任官を最初から目論んだ上で、207Bを新衛士訓練課程によって鍛え上げている。
 まりもも、それに協力し、十二分な手応えを得ている為、今回の任官に対しては何の不安も不満もありはしなかった。

 そう、全てはあの白銀武と言う人物の、望んだ通りの展開なのだ。
 如何に国連極秘計画の統括者である夕呼の直属とは言え、武の成している事は一衛士の職掌を遥かに逸脱している。
 しかし、その能力や実績の大きさにも拘わらず、何処か間の抜けた所のある武の在り様が、まりもには好ましく映る。
 あの人間味の溢れる武の考案した対BETA戦術構想と新衛士訓練課程ならば、人類を兵器として消耗させてしまう事無く、現在の苦境から救い上げてくれるに違いないと、まりもは心の底からそう信じる事が出来たのである。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時05分、B19フロアのシリンダールームで、武は霞を伴って純夏と会話を交わしていた。

「うん! 結構いい卒業式だったじゃん!
 卒業生の人数が少ないのは寂しいけど、沢山の人が祝ってくれてたし、言葉使いが難しくってよく意味が解かんなかったけど、祝辞がうちの校長先生なんかよりも断然カッコ良かったよ~。
 みんなも緊張してたみたいだけど、式が終わった後は嬉しそうだったし、何より講堂出る時の神宮司先生との挨拶が感動ものだったよね!」

 プロジェクション機能で純夏の脳裡に構築した、仮想空間である『元の世界群』の武の自室で、207B解隊式の映像を見終えた途端に、純夏が目を潤ませ両手を胸の前で握り締めて捲し立てた。
 見ている最中にも、再三再四騒いだりしていたのだが、全篇見終わった所で内容を反芻して興奮しているらしい。

 今回は武の00ユニットとしての一次入力情報だけではなく、夕呼と諮って撮影機材なども設置していた為、内容的にも充実している。
 その上、多少手間をかけて編集した成果か、『前の世界群』で見せた時よりも純夏の反応が遥かに良かった。
 武はその事に満足しながら、温かな視線を純夏へと投げかけていた。

「あ~! わたしも卒業式出たかったな~。
 年が明けて、冬休みが終われば直ぐだったのにな~。」

 純夏が何気なく零した言葉に、武の思考が凍りつく。

 数式回収の後、武が逃げ出した『干渉世界群』では、武が持ち込んだ『重い因果』の所為で、まりもは死亡し純夏が重傷を負ってしまった事を思い出してしまったからだ。
 純夏は四肢や多くの重要器官に壊滅的な損傷を受け、意識障害まで併発し、寝たきりになってしまったと向こうの世界の夕呼が武に告げている。
 当然、高校は休学。卒業はおろか復学も―――それどころか、『この世界群』での純夏の状態が精神崩壊寸前であった事を思えば、意識が戻るかどうかすら危うい。

 武にとって、今の自分の起点となる原罪であり、少しでも償う為に武は日々身を粉にして成せる限りを尽くしてきた。
 しかし、こうして改めて思い出してみると、無意識に罪と正面から向き合う事を避けていたのではないかと、武は自らの行いに疑念を抱いてしまう。
 殊に今回のループでは、様々な事柄が順調に推移している事に、自分が浮かれていたのではないかと、武は自省する。

(オレは―――いや、今は考えるな! 純夏に感付かれる!!)

 純夏が何気なく零した言葉に、武は多大な衝撃を受けたが、何とか自身の思考を律して純夏に話しかける事が出来た。

「卒業ねえ……それって期末試験で良い点取れればだろ?
 純夏の事だし、落第して留年するって可能性だってあったよなあ?」

「ひどッ! 酷過ぎだよタケルちゃんっ!! わ、わたしだってやるときはやるんだから~!!」

 武の努力が功を奏したのか、特に何事も気付く事無く、純夏は顔を真っ赤に染めて武に抗議する。
 しかし、霞は何かを察知したのか、心配そうな顔で武の顔を見上げていた。
 武は、そんな霞の疑念をリーディングで読み取ると、純夏をあしらいながらも、霞に笑いかけて安心させるように振舞う。

「解かった、解かったから落ち着け純夏。
 冗談だよ、おまえもたまも、委員長が上手い事試験勉強で下駄を履かせてくれたって。」

「そ、そうだよね! 榊さんに教えてもらえば……って! そんなんじゃなくて、自力で合格できるよ、タケルちゃん!!
 ていうか、どうしてそこで、壬姫ちゃんまで出すかなあ! 壬姫ちゃんに謝れ! あ~や~ま~れ~~~ッ!!!」

 霞は、それでも尚暫くの間心配そうな顔をしていたが、武と純夏が何時もの様にじゃれているのを見て、ようやく表情を緩めた。
 武は純夏に感付かれなかった事、そして、霞が一応安心したのを確認し内心で安堵する。
 そして、武は純夏を宥めにかかった。

「悪かった、たまには謝る。だから落ち着けって。
 ……そうだな~。お前の身体が治ったら、快気祝いをやってやるからそれで我慢しろよ。」

「身体? 快気祝い?………………あ、そっか。現実じゃわたし重病人だったっけ。
 うん。じゃあ楽しみにしてるね、タケルちゃん。
 ところでさ……なんで、タケルちゃんが神宮司先生に挨拶する所抜けてんの?
 さすがに撮影しながらじゃ失礼だから?」

 快気祝いと言われて、ピンとこなかった純夏は眉を寄せたが、やっと自分の置かれている状態を思い出すと、ばつが悪そうに舌を出して笑って見せた。
 そして、照れくさそうに武に頷いて見せたかと思うと、今度は首を捻って武に疑わしげな半眼を向け問いかける。
 その問いに、直前に『まりもの死』を思い出していた事も作用して、武は即答する事ができなかった。

「あれ? なんかバカな事言っちゃって、それ隠してるとかじゃないの?
 も、もしかして、何か深刻な事? ねえ! タケルちゃんッ!!」

 眉を寄せて口を噤んでしまった武の様子に、純夏は嫌な予感に背筋を震わせる。
 こうして武や霞と話をしていると忘れていられるが、純夏も自分が今居る世界が油断のならない状況にある事を理解している。
 その認識は、純夏に常に落とし穴の上に立っているかのような危機感をもたらしていた。
 その為、嫌な予感に急き立てられるまま、純夏は切迫した声を上げてしまった。

「ん? ああ、ごめん純夏。そんな大事じゃないから安心しろって。
 心配させちまって悪かったな。ちょっと、自分でも整理できてなかったから考えこんじまっただけだよ。」

 純夏の様子に、武は心配をかけてしまった事を詫びる。
 しかし、武の表情は晴れやかとは言い難く、未だに何事か悩んでいる様子であった。
 その為か、武の言葉に安堵した純夏は、今度は良いアイデアを思い付いたとばかりに表情を明るくさせると、胸を叩いて武に自信満々に提案する。

「ほんとに?…………うん。解かったよ、タケルちゃん。
 ―――あ、そうだ。そしたらさ、わたしが相談に乗ったげるよ!
 だから、何が気になってるのか話してよタケルちゃん。
 ほら、霞ちゃんだっているしさ。」

「おまえに相談~? なんだってそんな無駄な事しなきゃなんないんだよ!
 そりゃあ、純夏と違って霞は当てになるだろうけどな!」

 しかし、武は純夏の提案を聞くなり途端に顔を顰めて見せると、即座に却下する。
 が、その際に、霞を引き合いに出した為に、事態は武の思いと異なる方へと進展した。

「わ、私ですか?……ええと……その…………が、頑張ります…………」

 武の言葉に驚いた霞は、それでも暫し逡巡した後、真剣な顔で耳飾りをピンと立ててコクンと頷き、武の期待に応えて見せると宣言した。
 霞にそう言われてしまっては、武も相談する気が無いとは言えなくなってしまい、結局自分の思考を整理しながら相談する事となってしまう。

「ん~。2人とも知ってる事だけど、オレはまりもちゃんには本当に世話になったと思ってるし、感謝してるんだよ。
 そりゃあ、この世界のまりもちゃんとは、出会って1月も経ってないけどさ。
 オレにとっては、どうしても同じまりもちゃんだって思っちまう所があるんだよな。
 けど、まりもちゃんにとっては、オレは1月前にいきなり出てきて、自分の訓練小隊をあれこれ引っかき回した相手な訳でさ。
 だから、オレがまりもちゃんにどれだけ感謝してるって言っても、なんか、こう……上手く伝わってる気がしないんだよな。」

 解隊式が終わった後に、まりもと交わした会話を思い起こしながら、武は自分の内面を覗き込むようにして言葉を紡ぐ。
 そうしている内に浮かんでくるのは、『前の世界群』でまりもにした『与太話』だった。

「『前の世界群』でも似た様な事を感じてさ。
 結局、オレが異なる確率分岐世界の記憶を持ってるって、与太話だって誤魔化しながら話しちゃったんだよ。
 けど、まりもちゃん、その後暫く、何かと考えこむようになっちゃって…………
 最終的には、飽くまでも与太話として『元の世界群』で英語教師をしてるまりもちゃんの話を訊ねて来たから、オレも調子に乗ってあれこれ話しちゃったりしたけど……
 あれって、結局オレの甘えだと思うんだよな……だから、今回は変な話はしないどこうと思ってるんだけど……
 なんかこう……すっきりしなくってさ。」

 武の話を真剣な顔をして聞いていた純夏と霞だったが、聞いている内に、純夏が徐々に呆れたような顔へと変わっていく。
 そして、とうとう我慢しきれなくなったのか、純夏が武の独白に割って入る。

「言っちゃいなよ、タケルちゃん!
 そんな風にうじうじと考え込むなんて、タケルちゃんらしくないよ!
 それに……タケルちゃんは、神宮司先生を見損なってるね。」

「オレが、まりもちゃんを見損なってる?」

 じれったくてしょうがないという風に力説する純夏に、武は意表を突かれた様な顔をして問い返す。
 それに対して、純夏は思いっきり勢い良く頷きを返した。

「そうだよッ! そりゃ、わたしはこの世界の神宮司先生は良く知らないけどさ。
 わたしの知ってる神宮司先生は、ちょっと頼りないとこはあったけど、生徒の相談には何時だって真剣に乗ってくれたよ?
 だから、タケルちゃんが突拍子もない事言い出したって、ちゃんと最後まで聞いて、親身になって受け止めてくれるよ!!」

 純夏の言葉に、自分が逃げ出した『干渉世界群』で、泣き付いた自分に膝を貸し、優しく受け止めて根気良く話を聞いてくれたまりもの声と表情が、武の脳裏に蘇る。
 あの後、まりもの突然の死や純夏の大怪我などで、どん底に突き落とされた武だったが、確かにあの時はまりもによって救われたのだと武は思う。
 更に思い起こせば、最初の再構成後の確率分岐世界群でBETAに対するトラウマに苦しみ悩んだ時も、2度目の再構成後のXM3トライアルでBETAに撃破された恐怖に挫けてしまった時も、まりもは武に優しく真摯に話しかけて、武の心を癒してくれていた。

 武は、自分に対して如何にまりもが救いの手を差し伸べて来たか。
 そして、それによって自分が如何に救われてきたかを、今更ながらに再認識して愕然とする。
 口では感謝していると言いながら、自分は本当にどれだけの恩を受けて来たのか、ちゃんと認識していたのかと、この時になって武は自問せざるを得なかった。

「私も……神宮司軍曹は、受け止めてくれると思います……」「霞?」

 武が半ば自失している所に、霞の発した声が耳を打った。
 反射的に問い返した武に、霞は言葉を足す。

「神宮司軍曹は、私に対しても、温かい感情を向けてくれます……
 訓練兵に対しては厳格に振舞っていますが……優しく、温かで、包容力のある女性(ひと)です……
 白銀さんの気持ちも、きっと、受け止めてくれます。」

 霞がとつとつと告げる言葉を聞いて、武は真剣に考え込む。
 その脇で、思考に沈み込む武を見守る霞に、純夏が小声で、しかし慌てたように話しかける。

「か、霞ちゃん! ちょ、ちょっとそれは言い過ぎだよ!」「え? 何処が、ですか?」「あ~もう! そうじゃなくてねえっ!」「何か、間違ってますか?」「だから、ちょっと神宮司先生を褒めすぎ! あの先生だって危ないんだから。」「危ない? 確かに、戦闘力は高いです。」「そうゆ~意味じゃなくって~!!」

 そんな会話を聞き流しながら、武はようやく決断を下すに至る。
 神宮司まりもは、武にとって素晴らしい恩師であり、導き手、理解者であった。
 今も、今までも、これからも、恐らくは全てのまりもは、等しく武にとってそのような存在に違いないと武には思えた。
 だから、例えそれが甘えであっても、自分がより良い選択を行えるように、素のままの自分をぶつけてみようと武は決めた。

「霞、純夏。ありがとうな!
 うじうじ悩まないで、まりもちゃんに話せる範囲でぶちまけて、相談にのってもらうよ。
 その方が、オレ一人で悩んでいるより、よっぽど上手くいくよな!」

 武は先程までとは一転して、晴れ晴れとした表情で霞と純夏に礼を言う。
 そんな武を見て、霞は純粋に役に立てた事が嬉しそうに、純夏は失敗したなあといった表情をする。
 しかし、大きく溜息をひとつ吐くと、純夏も微笑みを浮かべて武を見る。
 何だかんだ言っても、やはり武が悩み事を抱えている状態よりは、よっぽどマシだと思う純夏であった。




[3277] 第107話 己が港に錨を下ろし、然れど船は彼方を目指す
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/09/28 17:59

第107話 己が港に錨を下ろし、然れど船は彼方を目指す

2001年11月19日(月)

 20時04分、国連軍横浜基地衛士訓練学校校舎1階の教官控え室で、武はまりもの淹れた合成玉露を一口啜って口を開く。

「―――さて、お忙しい所、お時間を頂戴して申し訳ありませんでした、神宮司中尉。」

 飽くまでも下級者として感謝の言葉を発した武に、来客用の椅子に腰掛けた武と向かい合わせになる形で、事務机の前の椅子に座っているまりもは、軽く笑いを含んだ声で応じる。

「別に敬語を使わなくていいわよ。確かに今の白銀は少尉なんでしょうけど、特殊任務中の指揮権は白銀にあるんだし、配属先を見る限り近い内に昇進するんでしょ?」

 今日で訓練兵と教官としての関係も終わり、特殊任務中こそまりもが臨時中尉、武が少尉となるが、そもそもまりもの正規階級は軍曹。
 しかも、特殊任務中には今まで通り武が主であり、まりもはその補助に過ぎない。
 この状況下で、さすがに階級を振りかざす気になれなかったまりもは、今までの拘りを捨てて本来の自分の口調で武に話しかけた。
 そんなまりもの言葉に、武は嬉しそうに笑うと、手に持った湯呑みを側机に置いて頭を下げた。

「そう言ってもらえると助かります。
 ところで、昼には2時間くらいって言っちゃいましたけど、この後、神宮司中尉は何か予定を入れてますか?」

 武のいきなりの問い掛けに眉を上げて怪訝な顔をしたまりもだったが、特に真意を質す事もせずに素直に応えた。

「別にないわよ? そうねえ、教官としての残務が残ってるくらいかしら。
 今日中にやらなきゃならないって訳でもないし、特殊任務が継続するって聞いたから、極力時間を開けられるようにしてあるわよ?」

「さすがですね。―――じゃあ、特殊任務の打ち合わせの前に、ちょっとした打ち明け話に付き合ってもらえますか?」

 まりもが特殊任務に備えて環境を整備していたと聞いて、武は感心した様な顔をして目を丸くしたが、その後すぐに視線を伏せると恐る恐るといった風に切り出す。
 そんな、ある意味らしくもなく殊勝な武の様子に、まりもは一体何事かと緊張と心配を混ぜ合わせた様な表情になったが、直ぐに表情を柔らかなものに改めて口を開いた。

「いいわよ。どんな話かしら?」

「………………そうですね……オレの過去の―――記憶の話です。
 一部機密に抵触する部分もありますけど、夕呼先生には許可を取ってありますから安心してください。
 無論、他言無用ですけど、これは言うまでも無いですよね。」

 武が言葉を選びながら告げた内容に、まりもは双眸を軽く見開く。
 眼前に腰掛ける白銀武と言う人物に対して、まりもは多種多様な想いを抱いているが、その中にはその経歴に対する強い疑念が含まれている。

 18にもならない年齢にそぐわない技術と知識、そして強固な意志。
 それらが、如何なる経歴によって培われた物なのか。
 なまじ親友の夕呼に招かれて教官となり、オルタネイティヴ4の機密部隊であるA-01に衛士を送り込んできただけに、まりもには、現在夕呼の直属となっている武が、過去にどれほど過酷な環境に曝されていても不思議は無いと解かっていた。

 例え武が自分よりも遥かに優れた衛士であろうと、まがりなりにも教え子であったからには、年長者として支え導いてやりたいとまりもは思う。
 その為にも、興味本意では無く、武の心身を案じるが故に、まりもはその過去を知りたいと願う。
 それ故に、まりもは武の申し出に一も二も無く頷きを返した。

「もちろん誰にも漏らさないわ。是非聴かせてちょうだい。」

 まりもの返事を聞くと、武は眼を瞑ってしばらく口を閉ざした後、ようやく意を決したように話し始める。

「大分突拍子もない話なんで、ちょっと前置きが長くなりますけど、勘弁して下さい。
 神宮司中尉は、夕呼先生が国連直轄の極秘計画を任されている事は知ってますよね?
 その主目的は、BETAの情報を収集蓄積して、BETAとの戦争に寄与する事です。」

 武の言葉に頷きを返しながらも、まりもは思う。
 あの夕呼の事だ、情報を得たならばBETAを殲滅する事に目的をすり替えて、主導権を握り続けようとするだろうと。
 そんなまりもの思いに気付いたのか、武も笑みを返して力強く頷きを返す。

「勿論、オレも夕呼先生も、情報収集だけで終わらせるつもりなんて無いですけどね。
 まあ、それはともかく、研究されていた情報収集の手段の一つに、夕呼先生の提唱する因果律量子論に基づいて、他の確率分岐世界の情報を得ようってものがあったんです。
 例えば、BETA相手に有効な戦術を確立した確率分岐世界があって、その戦術に関する情報を得る事が出来れば……
 さもなきゃ、上手い事BETA情報を入手した確率分岐世界から、その情報自体や、入手方法を得られれば……
 そういった発想の下行われた実験の、オレは被験者だったって訳です。」

 あり得る話だ、とまりもは武の話を聞いて思った。
 因果律量子論は、夕呼が学生時代から提唱していた理論で、まりもは当時、耳にタコが出来るくらい聞かされている。
 繰り返し聞かされた所為で、理屈は今一つ理解し切れていないものの、内容は今でも殆どそらんじる事が出来る。
 その知識からしても、そういった手法を夕呼が試みる可能性は十分にあると、まりもには思えたのだ。

「でまあ、その実験は一応の成功を収めて、夕呼先生は他の確率分岐世界の情報を限定的ながら得る事が出来た訳です。
 問題は、その情報を得るための手段です。
 精神が破綻してしまい、自我や記憶が失われた状態の人間を、この世界のありとあらゆる観測から遮蔽した状態に移行させて、虚数空間を通じて他の確率分岐世界のその人物の記憶を流入させる。
 記憶や人格と言う中身を失った、人間と言う空っぽの容器を、虚数空間と言う井戸に放り込んで、その容器に合う中身で満たして引き摺り上げる。
 例えて言えば、そんな感じの実験で、オレはその容器だったって訳です。」

 まりもは、武が至極あっさりと告げた言葉の内容を理解して悲痛な表情を浮かべる。

「白銀……精神が破綻って…………それじゃあ、あなた……」

「はい。オレ自身にはその時の―――いえ、この確率分岐世界で生まれ育った記憶は一切ないんです。
 夕呼先生の話じゃ、1998年のBETA横浜侵攻の後に、殆ど全ての記憶と自発的精神活動を喪失していたものの、奇跡的に生存していたオレが救出されたそうです。
 で、そんなオレに実験の被験者としての適性を見出した夕呼先生が身柄を引き取ってくれたそうです。
 まあ、その辺りの記憶は全然ないんで、オレには全くの他人事なんですけどね。」

 1998年のBETA日本侵攻では、多くの軍人・民間人が犠牲となった。
 人と言わず、物と言わず、ありとあらゆる物を食い散らかすBETAの侵攻に飲み込まれて尚、生き残る事が出来たと言うのなら確かに奇跡的な出来事と言える。
 精神が破綻してしまったという武の話から、どれほど凄惨な経験をしたのかと、まりもは想像しようとして止めた。
 所詮、想像が事実に追いつく事などあり得ないだろうと、そう考えた為だ。

「てことで、今のオレを構成している人格や記憶は、他の世界のオレ自身の記憶を元に再構成されたものだって事になります。
 で、夕呼先生の実験でオレが得た今の記憶には、大きく分けて2系統の確率分岐世界の記憶があるんです。
 片方は、この世界のオレと同様、夕呼先生の実験で記憶と人格を再構成されたオレの記憶。
 それぞれの世界毎に、持ってる記憶の内容もバラバラですけど、概ね2001年の10月以降、この国連軍横浜基地で始まる記憶です。
 もう1つの系統は、BETAの地球圏への侵攻が発生していない世界の記憶です。」

 BETAが進行してきていない世界、そんな夢の様な世界があると言うのか。
 そんな想いを抱いたまりもは驚愕に目を見開くが、声を押し殺して武の話に耳を傾ける。

「どうも、こっちの系統の世界は第二次世界大戦後に復興を遂げて平和を謳歌している所為か、物的・情報的に過度に豊かな環境で刺激が多いんですよ。
 その所為で、BETA横浜侵攻以前の、普通の子供として生活していた筈のオレの記憶は、こっちの系統の世界群の記憶で搔き消されちゃっているみたいなんです。
 つまり、BETAの脅威に曝されている世界でのオレの記憶は、夕呼先生の被験者として精神活動を再開した後の記憶しかないって事になります。
 しかも、今覚えてる限りじゃ、どの世界でもBETA相手に苦戦していて、一番長生きした時でも2004年辺りまでしか記憶がありません。
 さすがに、国連軍に所属してBETAと戦う日々の記憶は強烈なもので、こんどは逆にBETAの居ない世界の記憶が2001年の年末辺りを最後に、それ以降の記憶が搔き消されています。
 つまり、生まれてから2001年一杯の平和な世界の記憶と、2001年10月からの軍人としての記憶が、今のオレが持っている記憶の全てって事になりますね。」

 武の言葉にまりもは思惟を巡らせる。
 言葉通りならば、武はBETAの存在しない平和で繁栄した世界での記憶を主として人格を形成している事になる。
 その上で、4年と生き残る事の出来ない過酷な戦争に身を投じた記憶を持ち、今も尚その戦争に従事し続けているというのだ。

 それは、この世界しか知らずに、己が信ずる者の為にただ只管に戦い続けるよりも、辛いのではないだろうかとまりもは思う。
 そんな、まりもの思いを他所に、武は話を続けていく。

「国連軍の軍人としての記憶では、夕呼先生は勿論、207衛士訓練小隊B分隊のみんな、そして神宮司教官と、毎回必ず出会っています。
 そして、平和な世界で高校に通っているオレも、今言ったみんなと出会ってるんですよ。
 その世界では夕呼先生と神宮司中尉はオレの通っている高校の教諭で、207Bのみんなは同級生でした。」

 その言葉に、まりもは得心する。
 武が、207Bへの配属後、即座に207Bに馴染み、訓練兵達の為人や抱えている問題を見抜き、適切に対処できたのはこのお陰だったに違いない、と。

「他にも、元207Aの柏木も同級生でしたし、クラスは違いましたけど涼宮茜なんかも同じ高校の同学年に在籍してましたよ。
 神宮司中尉は英語を担当していて、オレ達のクラスの担任でした。
 神宮司中尉みたいな凛々しさや厳しさはありませんけど、優しくて包容力のある先生でした。
 オレやクラスの男子は、―――まりもちゃん……って、愛称で呼んで…………」

 ここで武は一旦言葉を切ると、溢れそうになった涙をぐっと堪えると、精一杯の笑みを浮かべて楽しげに、そしてどこか誇らしげに話を再開する。
 そんな武の様子に、まりもは衛士の流儀を見出し、武が幾つかの世界で自分の死に触れているのだと察した。

「すみません。そうそう、まりもちゃんって愛称で呼んでたんです。
 尊敬できる先生って言うよりは、親しみのもてる人柄で、気の弱い所や、おっちょこちょいな所もありましたけど、オレも含めて、教え子みんなが慕っていたと思います。
 その点、夕呼先生は物理教諭でしたけど、強引で我儘でやりたい放題してたんで、生徒には畏怖されていましたね。
 まりもちゃん―――っと、その、英語教師の神宮司教諭の事ですから睨まないでくださいって……
 こほん。まりもちゃんも夕呼先生にからかわれたり、無理矢理勝負事を吹っかけられては負けて落ち込んだり、2人して相当オレ達の学生生活を刺激的なものにしてくれていましたよ。」

 武の語る、平和な世界で念願かなって教師となった自分の様子に、まりもは羞恥に頭を抱えたくなってしまう。
 しかし、反面軍事教育を受けて居ない自分であれば、そんなものかなとの思いもあり、また夕呼との関係は学生時代のそれを彷彿とさせるものだったので、実に現実味がある様にまりもには感じられた。

「てことで、オレが香月副司令を夕呼先生って呼ぶのは、現在も色々と教えてもらっているって事もありますけど、この記憶がある所為なんです。
 そう言えば、記憶流入の後で目覚めて、夕呼先生と初めて会った時に、つい何時もの癖で『夕呼先生』って呼びかけたら、『あたしは先生じゃないわ。』なんて言われちゃったりもしましたっけ。
 結局、事情を説明したら何も言われなくなりましたけどね。
 で、そんな調子でオレはどちらかっていうと、突拍子もない事してはまりもちゃんを困らせたり、逆に夕呼先生がまりもちゃんに悪戯しかけて来た時には助勢したりしてたんですよ。
 けど、一度、オレがとても大きな悩みを抱え込んで押し潰されそうになった時、まりもちゃんはオレの訳解かんない話を根気良くずーっと聞いてくれて、オレを励ましてくれたんです。」

 夕呼が破天荒とは言え教師という職に甘んじている事に何処となく可笑しさを覚えながらも、まりもは情けないながらも生徒の―――殊に武の支えに成れた事が嬉しかった。

「そう……あたしもね、軍に志願する前は教師志望だったのよ。
 例え他の世界の話でも、例え……その……ちょっと頼りない教師でも、生徒に愛される教師に成れたあたしが居るって聞いて、ちょっと嬉しいわね。
 それに、その世界のあたしは、白銀の役に立てたのね。羨ましいわ。」

 まりものこの発言は、今眼前に居る武の完成度が高いと感じるが故に、自分が大して役に立っていないと言う自覚から出た言葉であった。
 しかし、その言葉を聞いた武は、実に不本意そうに捲し立てる。

「それですよ! なんで、神宮司中尉はオレの役に立ててないって思っちゃうんですか?
 オレが世話になったのは、平和な世界群のまりもちゃんだけじゃありません!
 BETAの脅威に曝された世界群でだって同じです!!
 夕呼先生の実験で得られる知識には、毎回偏りがあるんです。
 中には、平和な世界での記憶だけしか持ってなくて、全然知識も経験も、覚悟もないオレだって居ました。
 そんなオレを、207Bのみんなと一緒に鍛え上げてくれて、たった2ヶ月で曲がりなりにも任官出来る所まで錬成してくれたのも神宮司教官なんですよ?」

 力説する武だったが、まりもはと言うと、衛士訓練校の教官をしている他世界の自分でも、武の力に成れたのだと知って喜びを感じるよりも、衛士としての技量を全く持たない武という概念に呆気にとられてしまう。

「なにも知らない白銀?………………到底、想像できないわね。」

「何言ってるんですか。初歩的な軍事教練さえ経験してなかったんですよ?
 取り立てて運動だってして無かったから、身体だって全然鍛えられて居なかったから、ランニングすら真面に付いていけなかったんです。
 207Bのみんなからも、すっかり呆れられちゃったくらいでしたからね!」

 胸を張り、何故か誇らしげに、如何に自分が軍人として情けない状態だったかを語る武に、まりもは呆れ顔で言葉を返す。

「……なんだか、えばってるような物言いだけど……言ってて悲しくならない?」

 まりもに自身が語っている内容の情けなさを指摘されて、一旦怯む武だったが、些か自棄気味に再度胸を張って言い張る。

「ぐっ……いえ、それでも、その時の錬成があればこそ、今のオレがある訳ですから、良いんですよッ!
 ともかく、大事なのはこの世界でオレが衛士としてちゃんとやれてるのも、神宮司教官に錬成して貰ったお陰だって事です。
 それだけじゃありません。この世界のオレが精神を破綻させた時の事を身体が覚えてたのか、BETA相手のトラウマまで抱えてたんです。
 戦術機適性検査の最後にシルエットを見ただけで、動悸が止まらなくなっちゃうような有様で。
 ほんと、我ながら情けないんですけどね。」

 僅かではあるが肩を落とし、情けなさそうに告げる武に、まりもは意外の念を覚えた。
 トラウマは深刻な問題である。
 催眠治療や暗示など、様々な対処方法が用意されてはいるが、どうしても克服できずに退役する将兵は後を絶たない。
 場合によっては、所属する部隊に多大な損害を与えかねない症状であるトラウマを、武が抱えていたというなら大きなハンデだったに違いない。

「そんなこんなで、落ち込んでたオレを神宮司教官が励ましてくれたんです。
 怖さを知っている人は死に難くなる、人は生きて為せることがあるならそれを最後までやり遂げるべきだ。
 そして、臆病でもいいから、何十年でも生き残って、ひとりでも多くの人を守り、最後の最後に人としての強さを見せて、力の限りを尽くして何にも恥じない死に方をすればいいって。
 ―――他の世界でも、戦術機の操縦に自信を持って、必ずBETAを殲滅するんだって息巻いていたオレが、初陣で戦術機をBETAに撃破され、鼻っ柱を折られて死の恐怖に押し潰されそうになった時にも、やっぱり励ましてもらいました。
 さっきの教官とは別の世界の教官なのに、やっぱり臆病でもいいから生き残れって同じ事を言ってくれて……
 それから、さっき神宮司中尉が言っていた先生になるのが夢だったって話とか、自分の初陣の時の話、その後死に物狂いで戦った事、そして、教官になってひとりでも多くの衛士を、1秒でも長生きさせる為に経験を活かすつもりだって教えてくれました。」

 武の言葉に、確かに自分の信念は世界が異なっても変わらないのだなとまりもは思う。
 同時に、武が経て来た成長の過程を垣間見て、武も数多の試練を乗り越えて今の技量に達したのだと納得もする。
 そして、自身の信念が、武の中に根付いている事を、まりもは何よりも嬉しく感じていた。

「解かりますか? この教えがあったからこそ、オレは対BETA戦術構想に辿り着けたんです。
 勿論、仲間達や、夕呼先生、それに霞、色んな人々や、嬉しかった事、悲しかった事、喜ばしい事、悔しかった事、それらの記憶の全てが今のオレを形作っています。
 それでも神宮司中尉―――いえ、全ての世界のまりもちゃんに、オレは大事な事を教えられ、挫けそうな時には励まされ、そしてそれを支えにして頑張る事が出来たんです。
 幾つもの世界の記憶を持ち、その全ての世界で同じ人達と過ごした記憶を持つオレには、本当は別の人だって解かっていても、それでもその本質が同じだと感じる分だけ、どうしても同じ人としか思えないんです。」

 武は、縋るようにそして祈るように、自身の想いを込めて懸命に語りかける。
 どうしてもまりもに伝えたい思い。
 まりもに対して抱いている贖罪の念はともかく、尽きる事の無い感謝と尊敬の念だけは、何としても伝えたいと武は言葉を想いと共に吐き出す。

「だから、神宮司中尉もオレにとっては掛け替えの無い恩師に違いないんです。
 解隊式の後で、オレが教えるまでも無く優秀だったって言ってくれましたよね?
 けれど、そんな今のオレの基礎を鍛え上げてくれたのは、間違いなく神宮司教官なんです。
 これまで、挫けずに頑張ってこれたのも、神宮司教官やまりもちゃんの教えや励ましがあったからです。
 例え、他の世界の教官やまりもちゃんでも、その本質は貴女と何も変わりません。
 だから、昼間は受け取って貰えなかった謝辞を、もう一度言わせてください。
 今までに出会った、全てのまりもちゃん達への感謝を捧げさせて下さい。
 ―――オレは、貴女たちの錬成を受けた事を、生涯の誇りとして決して忘れません。
 今のオレがあるのは、貴女たちのお蔭だと心から思っています。
 そして―――オレは心の底から貴女たちの教えに感謝しています。
 ―――本当に……本当にありがとうございました!」

 真っ直ぐな眼差しをまりもに据えて、思いの丈を全て吐き出した武は、まりもに対して深々と頭を下げた。
 まりもはそんな武の真摯な態度に、照れや戸惑いを感じて動顛してしまう。
 しかし、やがて落ち着くにつれて、その表情は優しさへと純化されていき、柔らかな声で未だに頭を下げ続ける武に言葉を返した。

「解かったわ、白銀。あなたのその態度は、あたしがあなたに何を為せたかではなく、あたしという存在に対するものなのね。
 ありがとう白銀。
 あたしは、あなたのその言葉を受け取って、その言葉に恥じる事の無い存在として、これからも全力で生きていくわ。
 だから、もし今後、あたしの助力や支えが必要になったら、遠慮しないでいらっしゃい。」

 微笑みと共に告げられたその言葉に、武は頭を上げてまりもをじっと見つめて思う。

(やっぱり、まりもちゃんはどの世界でも優しいな。
 オレも、まりもちゃんに受けた教えに恥じない存在として、これからも頑張っていくぞ!)

 心中で決意を新たにした武は、再び勢い良く頭を下げて自分の想いを受け取ってくれた事に感謝を捧げる。

「ありがとうございます、神宮司中尉!
 これからも、よろしくお願いします!!」

 そんな武に、まりもは悪戯っぽい笑みを浮かべて告げる。

「ねえ、白銀。一度試しに、あたしの事をまりもちゃんって呼んでみてくれない?
 平和な世界のあたしを呼んでたみたいに、ね。
 あ、あと、神宮司先生って呼び方も捨て難いわね。」

 勿論、武に異論があろう筈は無かった。
 武は今まで押さえて来た万感の想いを込めてその言葉を口にする。

「―――まりもちゃん。…………また、こう呼べて、本当に嬉しいです。」

 その後暫く、教官控え室を温かな空気が満たし、武とまりもを包みこんでいた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月20日(火)

 07時59分、ブリーフィングルームに、ヴァルキリーズの先任達が揃って入室して来た。

「よし、新任共は全員揃って居るな?
 私が貴様等が配属となるA-01連隊の最先任指揮官となる伊隅みちる大尉だ。
 連隊指揮官なのに階級が大尉止まりな理由は、この場に居る先任達の人数を見れば想像が付くだろう。
 我が連隊は1997年に戦術機甲連隊として発足したが、常に極限の任務を課せられる中、多くの衛士等を喪い我が第9中隊を残すのみとなっている。
 貴様等は、先のトライアルでの情報から、我が隊を教導部隊として捉えているかもしれないが、飽くまでもそれは表向きに過ぎない。
 我々A-01連隊は、国連直轄の極秘計画であるオルタネイティヴ計画直属の特殊任務部隊だ。
 オルタネイティヴ4統括責任者である香月副司令の直属部隊として、BETAを地球から駆逐する為の先鋒として、身命を賭しあらゆる犠牲を厭わずに任務を遂行しなければならない。
 任務の内容は全て軍機とされるので、家族であっても口外を禁じる。
 任務は過酷きわまるものだが、それだけにBETAとの戦いの趨勢を左右しかねない遣り甲斐のある任務だ。
 新任諸君には誇りを持って任務に邁進し、人類に貢献して欲しい。
 ―――A-01部隊へようこそ。貴様等を歓迎する!」

「「「「「「 は! 只今を以って着任いたします! 」」」」」」

 先任達をブリーフィングルームの入口側の壁沿いに立たせ、只1人演壇に登ったみちるは、ブリーフィングルームの中央に整列し、直立不動の姿勢で先任達を迎え入れた新任等に対して着任を歓迎する訓示を簡潔に行った。
 それに対して、新任衛士―――元207Bの6名が一斉に敬礼し着任報告を返す。

 元207Aの面々が揃って教導部隊に配属されていた件について、トライアルの日に207B女性陣から問い質されていた武だったが、実を言えばこの時に至るまで言を左右して全く語る事は無かった。
 唯一言い訳交じりに漏らしたのが、前日の解隊式の後、任官で離れ々れになるのだと寂しそうにする仲間達に、全員同じ部隊―――しかも、元207Aも全員配属されている教導部隊への配属となるとの情報である。
 それ以外に関しては、配属されれば全てが明らかになるからと、武は皆の追及を躱し続けていた。

 そして、追及されて尚、武が頑ななまでに口を閉ざした理由が遂に明かされたと、武を除く元207Bの5人は精神を高揚させる。
 国連極秘計画直属の特殊任務部隊。
 それは、人類への貢献を強く望む元207Bの面々にとっては、例え異常なまでの人員消耗率を知らされようとも、欣喜雀躍するに価する配属先である。
 配属先がその様な特殊任務部隊であったのならば、武が口を閉ざしたのも当然と、武を追及した自身の振舞いを恥じながらも、歓喜と今後課せられる任務への期待に身を震わせる元207B女性陣であった。

 そんな武を除く5名の新任達を一瞥した後、みちるは返礼して話を続ける。

「よし、まず貴様等にひとつ言っておく。
 この隊では、堅っ苦しい言動をする必要はない。
 副司令から、無意味な事はするな―――との命令だからな。
 それに、貴様等の同期が揃って配属されている事からも、薄々感付いているかもしれないが、我が部隊の衛士は全員、同じ訓練学校を卒業している。
 この基地の訓練学校は、A-01部隊の衛士を錬成する為に設立されたものだからだ。
 従って我々は全員、神宮司軍曹の子供であり、家族のようなものだ。
 そういった意味でも、肩肘張った言動を取る必要は無い。」

 そこまで言った後、みちるはにやりと笑みを浮かべると、武を一瞥して言葉を放つ。

「因みに、貴様ら同様、我々先任もXM3、対BETA戦術構想に関しては白銀の教導を受けている。
 神宮司軍曹が母親なら、白銀は父親と言えるかもしれないな。」

「ぶっ!」「お父さんか~。」「ふむ、白銀が父親ですか……」「伊隅大尉、それは少し……」「あはは、お父さんなら甘えてもいいかなあ?」「姉さん……」「葵ちゃん……」

 みちるの言葉に、ヴァルキリーズの先任達が口々に感想を述べながら失笑する。
 先任扱いである元207Aの面々は、一応口は閉ざしているものの、噴き出すのを堪えるのに必死な様子が明らかであり、それは武の横に並ぶ元207B女性陣も同様であった。
 武は賢明にも、顔を真っ赤にしながらも沈黙を守り、笑いの波が通り過ぎるのを辛抱強く待つ。

「トライアルでは貴様等の実力もしっかりと見させてもらっている。
 即戦力として大いに期待しているぞ。」

「「「「「「 ―――は。ありがとうございます! 」」」」」」

 未だに直立不動で緊張しているものの、幾分硬さの取れた新任達の様子に満足して、みちるは注意事項を告げる。

「さて、先程も言った通り、我が隊はCP将校1名衛士12名で1個中隊を構成していた。
 しかし、今日貴様等6名の新任の配属を受けて、従来の編制を改める事となる。
 まず、新たに第13中隊を設立するが、これに所属するのは白銀少尉のみだ。
 残り5名は第9中隊への配属となる。
 これは、白銀の提唱する対BETA戦術構想に基づく遠隔陽動支援機運用部隊の編制に従った結果だ。
 従来の分隊2名、小隊4名、中隊12名、大隊36名という構成を改め、小隊を3個分隊6名とし、中隊を3個小隊18名とする。
 尚、大隊は2個中隊36名とし、所属衛士の定数は大隊に於いて従来と同様となる。
 ただし、運用する戦術機の総数は従来の3倍に増大する。
 1個分隊に対して、複座型戦術機1機、遠隔陽動支援機2機、随伴補給機3機が配備され、その他にも各種自律装備群を必要に応じて運用する事となるからだ。
 1個中隊で、衛士の数からすれば従来の半個大隊に相当するが、運用する戦術機は1個半大隊相当となる。
 これだけの戦力を委ねられる我々が、如何に大きな期待を寄せられているかを身に染みておくんだな。」

 ここで、一旦言葉を切ったみちるは、新任達が何やら物問いた気にしているのに気付き眉を寄せる。
 が、直ぐにその理由に思い至り、苦笑を浮かべながらも説明を追加した。

「―――そうか、CP将校を除いて衛士18名なのに、何故白銀が異なる中隊に配属になるかが気になるんだな?
 これも従来の編制では無い事だが、多数の自律装備を運用する為に、我が中隊ではCP将校も戦術機に同乗して部隊に随伴する事となっている。
 よって、CP将校1名、衛士17名で、陽動支援機運用戦術機甲中隊の定数18名とする。
 幸い、XM3の統合フィードバック機能により、戦術機特性が従来の基準に僅かに達しない者であっても、複座型への同乗が可能となっている。
 多数のユニットを統合運用する事に長けたCP将校の随伴により、我々は与えられた多数の装備をより効率的に運用可能となる。
 これは、先のBETA新潟上陸の際に既に実証されている。解かったか?」

「「「「「 解かりました! 」」」」」

 武が異なる中隊への配属となり、残念そうな表情を隠せないながらも、武を除く新任5名は声を揃えてみちるの確認に応諾した。
 それに満足気に頷きを返すと、みちるは先任達と新任達を引き合わせるべく向かい合わせに立たせる。

「よし、では新任の紹介から済ませるとしよう。白銀、貴様から新任達を紹介しろ。―――」

 みちるの指名を受けて、武は一歩前に出て仲間達の紹介を始めた。
 前の世界群でも似た展開となった為、半ば諦めと共に適度に笑いを取りながらも仲間達を紹介していく武であった。
 5人の紹介が終わった後、みちるから武が臨時中尉の階級を返上した事が告げられ、続けて武が自己紹介を済ますと、今度は先任の紹介となる。

 先任を紹介しようと遙に歩み寄ったみちるだったが、その場で顎に手を当てて暫し何か考え込む素振りを見せる。
 が、直ぐに顔を上げると、遙の脇に立って口を開く。

「そうか―――ふむ、私も何か気の利いた紹介をしてみるか。」

 と、そう言ったみちるは、次の様な内容で部下達の紹介を進めていった。
 ―――涼宮遙中尉。ヴァルキリーズの陰の実力者。怒らせたが最後、死の頬笑みによってあらゆるものを圧倒する。CP将校。
 ―――速瀬水月中尉。強い衛士に戦いを挑む事が三度の飯よりも好物。一度や十度負けた所で決して諦めない不屈の闘志の持ち主。突撃前衛長。
 ―――宗像美冴中尉。火の無い所に煙を立て、周囲を煙に巻いた上で、自分は安全圏にするりと逃げる掴み所の無い女。C小隊隊長。
 ―――水代葵中尉。ヴァルキリーズの生きた危険感知器。ただし、危険の無い所でも機体を損傷させるおっちょこちょい。天然要素強し。明星作戦従軍者。
 ―――桧山葉子中尉。軍人とは思えないほど大人しやかな女性で影も薄い。ただし苦境にあっても殆ど動じる事の無い後方支援担当。明星作戦従軍者。
 ―――水代紫苑少尉。葵の妹であり、姉のフォローに奔走する苦労人。やや他者に冷淡な所あり。姉とコンビを組めば水月をも上回る近接戦闘能力を発揮。
 ―――風間祷子少尉。早食いの魔術師であり、美冴のストッパー。物当たりの柔らかい態度で緩衝材と見せながら、時に辛辣な発言あり。
 ―――涼宮茜少尉。遙の妹で、負けず嫌いなオールラウンダー。もう少し視野を広げてゆとりを持てれば尚良し。好意を素直に出せないタイプ。
 ―――柏木晴子少尉。スリルとゴシップをこよなく愛し、希求する求道者。視野は広く判断力も高い。後方支援の一翼を担う。
 ―――築地多恵少尉。理性では無く感性で戦術機を動かす女、三次元機動に対する適性は高い。ただし、詰めが甘過ぎ。
 ―――高原智恵少尉。おっとりのんびりマイペース、その癖何処か落ち着きが足りない。ただし、案外計算高く、立ち回りが上手い。
 ―――麻倉月恵少尉。元気印の単細胞。考えるよりも先に行動してしまうのが、短所であり長所。細かい事には気を配れない女。
 そして、途中部下達が上げる抗議や苦情を素知らぬ顔で受け流し、みちるは全員の紹介を終える。

 その後は武も合わせてヴァルキリーズの隊規を斉唱した後、小隊毎に分かれてのミーティングとなった。

 A小隊。伊隅みちる大尉を指揮官として、涼宮遙中尉、水代葵中尉、桧山葉子中尉、涼宮茜少尉、榊千鶴少尉の6名。
 中隊全体の運用管理と中距離支援を担当。

 B小隊。速瀬水月中尉を指揮官として、水代紫苑少尉、築地多恵少尉、麻倉月恵少尉、御剣冥夜少尉、彩峰慧少尉の6名。
 従来通り突撃前衛小隊として近接格闘戦闘を担当。

 C小隊。宗像美冴中尉を指揮官として、風間祷子少尉、柏木晴子少尉、高倉智恵少尉、鎧衣美琴少尉、珠瀬壬姫少尉の6名。
 中・遠距離支援を担当。

 中隊フォーメーションも、従来のB小隊を前衛とし、A、C両小隊が左右両翼を占める陣形から、B、A、Cと各小隊が前方から後方へと両翼を広げる傘型陣形に変更となった。
 ただし、従来とは異なり、様々な戦局に合わせて適材適所を徹底し、陽動支援機や有人戦術機の操縦担当者の変更も含めて、柔軟な運用を行う物とされた。
 この結果、自分と分隊を組む相手や、小隊の仲間だけでなく、中隊所属衛士の誰とでも臨機応変に連携を取る事が要求される事となる。

 A-01の今後の訓練予定では、まず小隊毎に求められる各々の適性にあった戦術行動が取れるようにし、その後は中隊内での様々なチーム分けによる連携演習が予定されていた。
 それ故に、実際にシミュレーターや実機に乗って訓練するに先だって、ミーティングを通じて互いの個性を知ろうと、穏やかながら真剣に会話や質疑応答が交わされていく。
 武はそんなヴァルキリーズの様子を暫し眺めた後、みちるに敬礼をして独りブリーフィングルームを後にする。

 表向き教導部隊としてその存在を公表されたヴァルキリーズだったが、今後横浜基地に派遣されてくる帝国軍と大東亜連合軍のXM3教導任務に当たるのは、武とまりもの2人である。
 ヴァルキリーズと甲21号作戦投入予定である斯衛軍第13~第16大隊には、対BETA戦術構想の粋とも言える柔軟な部隊運用に熟達して貰わねばならない。
 その為、教導によりその時間を減らす事の無いようにと、武が配慮した結果であった。

 ヴァルキリーズは、武にとって家族にも等しい戦友達であり、彼女等と共にある時、武は確かに安らぎを感じる事が出来た。
 しかし、今は甲21号作戦を可能な限り少ない犠牲で完遂する為に力を尽くさねばならない時なのだ。
 そう、自分に言い聞かせた武は、安らぎの場に背を向け、独り教導任務の準備を整えに向かう。

 せめてもの救いは、教導任務の準備を霞とまりもが手伝ってくれる事か。
 そんな自身の思惟を顧みて、武は如何に自分が彼女達に依存しているかに気付いて苦笑を浮かべる。
 それでも、武は彼女等に依存する自分を忌避する事無く肯定し、自身の彼女らへの想いを活力に変えて、目標へと邁進する活力とする事を選んだ。

 ―――それが、彼女等を含む、人類全体の為になるのだと信じて。




[3277] 第108話 忙中、閑話あり
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:08

第108話 忙中、閑話あり

2001年11月21日(水)

 06時26分、1階のいつものPXに霞を伴ってやってきた武は、右手奥のA-01専用とされたテーブルに、元207Bの5人を除くヴァルキリーズが勢ぞろいしているのを目にして嘆息した。

(またか………………それにしても、今回は早かったなあ。
 前の世界群じゃ12月18日だったから、1月近く前倒しに出来てるって証拠……なのか?)

 少しでも前向きに捉えようと、前の確率分岐世界群で今日と同様にヴァルキリーズに待ち伏せされた日にちを思い出し、自分の行動の成果なのだと思いこもうとした武だったが、さすがに無理があった為再び深い溜息を吐く。
 そんな武をその横に大人しく連れ添っている霞が、心配そうに無言で見上げていた……



「えーと、おはようございます。
 配膳始まりましたから、みなさんも取りに行ってきたらどうですか?」

 武は、昨夜の夕食の時に割り当てられた自分の席に腰掛けながら、自分に視線の集中砲火を浴びせているヴァルキリーズの先任達に、何気ない風を装って話しかける。
 その折に、一通り全員の表情を窺ってみると、全員が興味津々といった様子であり、その中でも晴子の顔が一際期待に輝いていた。
 その様子から武は、今回も晴子の噂話が発端なのだろうと当たりを付ける。

「ああ、白銀か。毎朝こんなに早くから食べに来ているのか?
 まあいい。私達の事ならもう暫くゆっくりしてから取りに行くから、遠慮せずに先に食べ始めていいぞ。
 折角の温かい朝食を冷ましてしまうのも勿体無いからな。」

 と、白々しく言って退けたみちるに、武は抗弁を諦めると、腹を括りなんでもない行いであるかのように、武の左隣に腰かけた霞と朝食を食べ始める。
 勿論、互いにあ~んをしながらである。

「む……これは……」「うわ~、ほんとにやってるよ遙!」「霞ちゃん、可愛いわね~。」

 真面目な表情を崩さずに、それでも瞳を爛々と輝かせて見つめるみちる。
 その隣では、水月が視線は武に釘付けのまま、顔を遙に寄せて聞えよがしに声を上げる。
 対する遙は、蕩けそうな笑みを浮かべて、霞の仕草に目を奪われていた。

「ふむ。祷子、今度私とやってみないか?」「いやですわ。美冴さんたら冗談ばっかり……」「いいなぁ~、私も何時か佐伯先生と……」「うん…………うん……」「姉さんだと、本当にやりかねないからなあ。」

 美冴と祷子は何時も通り何処まで本気か冗談か曖昧な会話を繰り広げ、葵は自分の願望を重ね、その言葉に葉子がこくこくと何度も頷きを返す。
 そんな葵の向かい側では、紫苑が額に手を当てて嘆息していた。

「うっひゃ~、本当にお互いにあ~んしてるよ。」「あ、茜ちゃん、わ、わたしにも後であ~んを……」

 武と同じ並びで間に紫苑、みちる、水月、遙と4人も挟まっている為に、座席を後ろにずらして首を伸ばすようにしていた茜が、驚きの声を上げる。
 そんな茜の右手に縋るようにして、懸命にねだる多恵だったが、茜は断固として無視していた。

「晴子の情報は、相変わらず確かだねっ!」「そうだね~。私、ちょっと羨ましいかも~。」「あはははは、やりたかったら、まずは相手を見つけてこないとね!」

 距離は最も離れているものの、武とは斜向かいとなる絶好のポジションで、月恵は情報を仕入れて来た晴子を褒める。
 月恵と晴子の間に座っている智恵は、頬に右手を当ててほぉっと溜息を吐きながら羨ましげに呟き、それを聞いた晴子はからりとした笑い声を上げると、まずは相手を見つける事だと智恵を嗾けた(けしかけた)。

 そんな雀が集ってチュンチュンと囀っている様な状況であるにも拘らず、武と霞は顔色一つ変えずにマイペースで食事を進めていた。
 武と霞が、幾ら揶揄されようと一向に恥ずかしがる素振りすら見せない所為で、ヴァルキリーズのテンションも次第に治まっていく。
 このまま騒ぎは沈静化するかと思えたが、何時も通りにハイペースで食事を進める武が、あっという間に半分ほどを食べた所で、状況に変化が訪れた。

「おはようございます。まだ朝食を召し上がっていないのですか?
 ちょうどよかった、実は………………タ、タケルッ!!
 そなた、何をしているっ!!」

 武の左後方から、突然かけられた声が、冷静で丁寧な口調から、戸惑い、驚愕、叱咤と目まぐるしくその声色を変化させる。
 その声の主は冥夜であった。
 内心の恥ずかしさを全力で押さえ込み、必死で何気ない素振りを演じていた武は、冥夜を先頭に元207B女性陣と、斯衛軍第19独立警備小隊の4人が近付いてくる事に、気付きそびれてしまったのだ。

 無論、00ユニットのリーディング機能の一部であり、常時起動されている周辺思考波の感知機能は、彼女等の接近をしっかりと捕捉していた。
 しかし、それらの思考波が武にとって馴染み深いものであった事から、情報の重要度が低く設定されてしまい武の表層意識はその微弱な反応を見落としてしまったのである。
 その為、突如として冥夜の声で叱り飛ばされた武は、霞の差し出す鯖の切り身を食べようと、大きく口を開けた姿勢で凍りついてしまう。

「え? なになに? って、なあんだ。冥夜さん、タケルのあ~んだなんて、今更じゃない…………って、えええええ~ッ!」
「ど、どうしたんですか? 鎧衣さん。たけるさんが一体…………あ~ッ! た、たけるさんが、あ~んしてもらってるぅ!」
「な、なんですってぇッ?!」「……それは許せない!」

 冥夜の声に、武の様子を覗き込んだ美琴が、いつもの見慣れた光景に見えて、武と霞の立場が逆転している事に驚愕し、その叫びに心配そうに武の様子を窺った壬姫も続け様に叫び声を上げる。
 その内容に、千鶴は眼鏡を光らせキリキリと両眉を吊り上げて、彩峰は眉を寄せ唇をへの字に結んで、2人肩を並べて武へと猛然と突進する。
 そんな騒ぎの脇では、口を開きこそしていないものの、月詠以下、神代、巴、戎の斯衛軍衛士4名が、絶対零度の視線を槍の穂先の如く尖らせて、見下げ果てた奴だと言わんばかりに武を刺し貫いていた。

 この集中砲火に、武が懸命に展開していた防壁は脆くも崩壊し、羞恥に顔を真っ赤に染めた武は元207B女性陣と言い争いを繰り広げるに至り、一連の大騒ぎはヴァルキリーズの先任達を大いに楽しませ、満足させる事となった。



 ―――そして数分後。
 武は未だに強い眼光を向けてくる元207B女性陣の視線を浴びながら、霞と互いにあ~んをしながら朝食を再開していた。
 これまで、武が霞に食事を食べさせる事については、幼い霞の面倒を武が見ているものとして、元207B女性陣は微笑ましげに看過してきていた。
 しかし、武が霞からおかずを差し伸べられ、それを『喜んで』食べて居る光景を目にしてしまうと、一転して、どうにも恋仲の男女が惚気ている様にしか捉えられなくなってしまう。

 そうなると、霞の年齢もあり、あまりにも背徳的な気がして到底看過など出来なかったし、なによりも心の奥底から全力で眼前の行為を阻止しろと叫ぶ声が脳裏を吹き荒れるのだ。
 とは言え、さすがに霞に矛先を向けて惚気るなとは言えず、代わりに、いい年をして自分1人で食事もできないのか―――やら、純真な霞を騙してやらせているのではないのか―――やら、口々にあれこれ言いたてて武を責める元207B女性陣であった。
 そのあまりの激しさに、とうとう武は反論を放棄して頭を抱えてしまったのだが、そこへ状況を一切無視した霞が「白銀さん、あ~んです……」と言っておかずを差し伸べたのを契機に事態は一気に終息へと向かう。
 元207B女性陣は、5人がかりで霞を説得し、あ~んを止めさせようとしたのだが、霞はこれを断固として拒否。

「私が、白銀さんにお願いしている……事です……」
「白銀さんが……相手なら……私は構いません……」
「白銀さんが、いいです……」

 ―――等々、霞の途切れがちながら、きっぱりとした発言に説得を跳ね返されて、とうとう元207B女性陣は根負けするに至る。
 かくして、あ~んを断行する権利を獲得した霞は、誰憚る事無く心の赴くままにあ~んを行っているのだが、それに付き合う武の心情は針の筵なのであった。

「あの、冥夜様。そろそろよろしいでしょうか?」

 と、腕組みをして、鋭利な視線で武を滅多斬りにしていた冥夜に対して、月詠が控えめに声をかけた。
 すると、憑き物が落ちたかのように冥夜の表情から険が取れ、羞恥に頬を微かに染めて腰かけていた席から立ち上がる。

「む?!―――す、済まぬ、月詠。
 そなたらを先任の方々に紹介するのを、すっかり失念してしまっていた。
 ―――伊隅大尉。朝の忙しない時間に申し訳ないのですが、少々時間を頂戴し、これに控える斯衛の者等を紹介させて頂く訳には参らぬでしょうか。」

 そして、背後の月詠に小声で詫びた後、みちるに向かって問いかけた。
 すると、みちるも武から視線を外して席を立ち、冥夜に向き直って頷きを返す。

「ああ、かまわないぞ、御剣。
 御名代でもある、貴様の警護に着いておられる斯衛軍独立警備小隊の方々だな?」

「はっ、斯衛軍第19独立警備小隊の者達です。―――月詠。」

 みちるの確認の問い掛けに、冥夜は応えを返すと、月詠を促す。
 冥夜の背後から一歩斜め前に踏み出し、冥夜の脇へと進み出ると、月詠はみちるを初めとするヴァルキリーズ全員に向けて敬礼する。
 ヴァルキリーズの先任達も揃って立ち上がり、月詠に対して答礼してその言葉に耳を傾ける。

「第19独立警備小隊を預かる月詠真那中尉だ。冥夜様警護の命を授かっている。
 今後、私と部下の3名は、訓練及び任務中を除き、冥夜様の身辺警護の為最低1人はお傍に控えさせていただく事となった。
 無論、貴隊の立場はある程度理解している。何らかの差し障りがある場合は、席を外すので遠慮なく要請して頂きたい。
 神代、巴、戎。ヴァルキリーズの方々に御挨拶させていただけ。」

「神代巽少尉です。」「巴雪乃少尉だ。」「戎美凪少尉ですわ~。」

 月詠は名乗りに続け、自身らに課せられた任務について説明すると、部下の3人に挨拶をするように命じた。
 それに応えて、神代、巴、戎の3人が敬礼と共に官姓名を名乗って挨拶に代える。
 それに対して、みちるがヴァルキリーズを代表して応える。

「横浜基地司令部直属戦術機甲教導第9中隊、通称ヴァルキリーズ指揮官、伊隅みちる大尉だ。
 私を含め、部下達の官姓名に関しては既に御存知だろうから、紹介は省かせてもらう。
 御剣に対する警護の件は、既に香月副司令から聞き及んでいる。
 我々も、貴官らの任務には最大限の配慮を行うつもりなので、こちらからもよろしくお願いする。
 また、御剣を初めとするうちの新任達を鍛えていただいた事に、深く感謝する。
 お陰で、即戦力として期待できる程の練度を持つに至っているようだからな。」

「なに。冥夜様を初めとして、皆才能豊かな者達だ。
 我らが相手をせずとも、遅かれ早かれ上達していたに違いない。
 礼を言われるには及ばないが…………我々も、未だに白銀の対BETA戦術構想を扱い切れてはいない。
 今日より1週間、横浜基地に駐留する我らの原隊である、斯衛軍第16大隊と共に、貴隊と連携演習を行う事を楽しみにさせていただく。
 冥夜様には、御名代として第16大隊に加わって頂く事もあろう。
 その際には、神代を冥夜様の代わりに貴隊にお貸ししたいと思うので、よろしく願いたい。」

 みちるは、任官前に新任達を鍛えてもらった事に対して礼を述べ、月詠は原隊である第16大隊の横浜基地駐留や、冥夜と神代の相互出向について触れた。
 互いに、儀礼と実務的な話題に触れた所で、みちるが1つの要請を行う。

「了解した、月詠中尉。
 こちらからも、1つお願いがある。
 我が隊では身内に対しては、堅苦しい礼儀は無用という事になっている。
 今後は、何かと言葉を交わす事も増えるだろう。その辺り、差し障りの無い範囲で我らの流儀に合わせてもらえると助かる。」

 暗に、月詠ら4人を身内に準ずるものとして受け入れるとの意志を示したみちるに、月詠は笑みを深めて応える。

「なるほど。了解した。
 極力、配慮させて頂こう。」

 飽くまでも配慮を約すのみで、流儀に合わせるとは明言しない月詠に、みちるは唇の右端だけを吊り上げる笑みを浮かべたが、無理強いはせずにこの場は頷いて引き下がった。
 それを最後に、第19独立警備小隊とヴァルキリーズの顔合わせは終了となり、ヴァルキリーズの先任達はさすがに列が伸びて来た配膳口へと向かい、朝食を受け取る事となった。
 その頃には武は自身の食事を終え、後は霞に食べさせるばかりになっていたので、後半注目を浴びずに済んだ事に感謝しつつ、密かに安堵の溜息を吐くのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年11月26日(月)

 13時21分、横浜基地のシミュレータールームに、大東亜連合軍横浜基地派遣戦術機甲大隊―――通称横浜派遣大隊の衛士等の姿があった。

 XM3や遠隔陽動支援機を初めとする、対BETA戦術構想の習熟を目的とするこの派遣部隊は、この日の午前に横浜基地に到着したばかりであったが、早速午後から教導を受ける事となった。
 そして、教導の任に当たる指導要員として壇上に立った年若い衛士―――武は、自分とまりもの自己紹介を終えるや否や、シミュレータールームに移動して模擬戦を開始したのである。

「なるほど。まずは手合わせをして自身が教導に当たるに相応しいと周知させてから、という訳か。
 年若い割にやり口が手馴れている…………いや、年若いが故に手馴れずには居られなかったのか?」

 横浜派遣大隊を率いる趙智星(チョ・チソン)少佐は、衛士強化装備の網膜投影に表示される模擬戦の推移を見守りながらそう呟いた。
 すると、そんな趙少佐に背後から声が投げかけられる。

「一別以来御無沙汰しております。御健勝で在られた御様子、誠に重畳です。趙少佐。」

「おお。沙霧大尉―――いや、その階級章は少佐だな?
 こうして面と向かって言葉を交わすのは久しぶりだが、貴官も壮健そうで何よりだ。
 貴官は、首都の守りについているとの事だったが、此処へはやはり教導を受けに来ているのか?」

 趙少佐に声をかけたのは、やはり衛士強化装備に身を包んだ沙霧であった。
 その沙霧に対し、大陸で轡を並べて戦った事のある趙少佐が懐かしげに応じる。
 実際にこうして面と向かって話すのは、沙霧が大陸で戦傷を負って、内地へと後送されて以来だが、これまでも文や人伝で連絡を取り合う仲でもあった。

「ええ。私は3日前から教導を受けています。
 帝国本土防衛軍の全戦術機甲部隊から選抜された衛士を集めて、新たに発足した部隊で大隊長に任じられまして、それに伴っての少佐昇進です。
 今日は、大東亜連合軍横浜基地派遣戦術機甲大隊の教導開始に当たり、教導を円滑足らしめる為に呼ばれました。
 白銀大尉は、年に似合わずこういった手配りを欠かさない人物です。
 無論、衛士としても優秀ですし、そもそもXM3にしろ、対BETA戦術構想にしろ、彼の発案によるものだと聞きます。
 年齢にさえ目を瞑れば、彼以上に教導に相応しい者はいないでしょう。
 私も彼の教導を受ける身ですが、中々に的確且つ効率的な教導を行う人物です。」

 沙霧は、彩峰中将の麾下にあって、大陸での戦いに参じていた折、多くの大東亜連合軍将兵と知り合った。
 そして、光州作戦の悲劇により彩峰中将が亡くなった後、その遺志を継ぐものとして、大東亜連合軍の彩峰中将を惜しむ将兵らから懇意にされている。

 大東亜連合軍は、国連軍の指揮下で戦う事が多いものの、元々は国連軍直属として指揮下に完全に組み込まれ、いいように使い潰される事を警戒して成立した多国籍軍である。
 それ故に、軍事同盟を結んでいる日本帝国への派遣とは言え、国連軍基地である横浜基地に対しては猜疑の念を拭い切れていない部分もある。
 そんなところへ、未だ10代に過ぎない自分が教導要員として姿を現しても、容易に受け入れてはもらえないだろうと武は考えた。
 そこで武は、先頃より横浜基地に駐留し、対BETA戦術構想の教導を受けている日本帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊に所属する沙霧に間を取り持ってもらう事と、何よりも先に模擬戦を通じて自分とまりも、そしてXM3や陽動支援機の力を実感してもらう事にしたのだった。

「ほほう、対BETA戦術構想も彼の発案なのか。
 発案者自らが教導に当たってくれると言うのならば、願っても無い話ではあるな。
 おまけに、貴官がそこまで褒めるのならば一廉(ひとかど)の人物なのだろう。
 よろしい、それは解かった。衛士としての腕前は先程からの模擬戦でしっかりと見せてもらっているし、この後の予定を聞けば、XM3や陽動支援機の威力も実感させてもらえるのだろう。」

 そう沙霧に語った趙少佐は、模擬戦の開始に先立って、武が説明した今日の予定を思い出して顎を撫でた。

 まずは、現在行われている大東亜連合軍衛士との従来型OS搭載型F-4(ファントム)による2対2の模擬戦を4戦。
 次に、従来型OS搭載型F-4に搭乗した大東亜連合軍衛士1個小隊と、XM3搭載型『撃震』に搭乗した武とまりもの分隊による模擬戦を3戦。
 最後が従来型OS搭載型F-4に搭乗した大東亜連合軍衛士1個中隊を、XM3搭載型『撃震』複座型に搭乗した武とまりもが、『撃震』改修型遠隔陽動支援機『天津風』3機を運用して相手取る模擬戦である。

 使用する戦術機をF-4系列機に統一したのは、大東亜連合軍に馴染み深い機体を選んだ結果である。
 わざわざ日本の横浜まで足を運んでまで習熟しようというXM3と陽動支援機であるから、多少の性能差が無ければお話にもならないとは、派遣大隊の衛士等も思っている。
 それでも、戦術機の機体数で3対1、衛士の数では6対1で相手取るとの武の発言に怒りを覚えないものは皆無であった。
 年下の生意気な小僧の鼻をへし折ってやるとばかりに、派遣大隊の衛士等は高い戦意を以って模擬戦に臨んでいる。

 にも拘わらず、1戦目の模擬戦では1機も撃墜出来ずにあっと言う間に敗退。
 現在行われている模擬戦も、武とまりもの連携に主導権を握られっぱなしであった。
 この時点で少なくとも、武とまりもの衛士としての技量が只ならぬものである事は、誰の目にも明らかとなっていた。

「だから、それはいいとして、沙霧少佐。貴官はあの神宮司中尉を知っているかね?
 どうも、何処か聞き覚えのある名前なんだが、どうにも思い出せなくてね。」

 自身の目で見て尚、半信半疑であった武の技量に対する思いを、沙霧の言葉によって納得させて、趙少佐は興味の矛先をまりもへと転じる。
 その問いに応じて、沙霧も自身の知り得る限りを語る。

「神宮司中尉ですか。私も彼女の教導を受けていますが、衛士としての手腕が優れているのは勿論、他者を教え導く事に熟達した人物です。
 趙少佐は先日この横浜基地で行われたXM3トライアルについては、どの程度ご存知ですか?」

「トライアルか。我が大東亜連合軍の観戦武官が持ち帰った記録映像を全て閲覧したが、なかなかに見応えがあったな。
 ん? そう言えばあの折に、陽動支援機を運用したエキシビションマッチで活躍していた訓練生も、白銀と言う名ではなかったか?」

 まりもの説明を始めて直ぐに、趙少佐に問いを放つ沙霧。
 しかし、趙少佐はこの後の説明に係わるのだろうと素直に応えながら、トライアルの見どころを思い返して眉を顰める。

「あの白銀訓練兵と白銀大尉は同一人物です。
 白銀大尉は、戦地徴用で軍人―――しかも衛士となった為、横浜基地の香月副司令の下で対BETA戦術構想の構築に当たりながらも、正規の任官を果たしていなかったのだそうです。
 その為、正規任官する為に再訓練を受ける事となった白銀大尉が、対BETA戦術構想に対応した新衛士訓練課程の実証試験を兼ねながら錬成したのが、あのトライアルで活躍した207訓練小隊の5名―――いえ、白銀大尉も含めて6名と言う訳です。」

「そうか、そういう事だったのか。
 あの訓練小隊には、彩峰中将の御息女もおられたな。
 彼女のトライアルでの投げ技は痛快だったし、貴国の御名代殿の剣技も素晴らしかった。
 白銀大尉は言わずもがなだが、彼と共に陽動支援機で狙撃を行った者も、他の2人も、何れも優れた衛士になるだろう。」

 趙少佐の疑念を沙霧は晴らし、207訓練小隊について明かす。
 それを聞いた趙少佐は、トライアルでの訓練小隊の活躍を思い起こし、彩峰中将の息女たる彩峰がその才能を開花させた事を寿ぐ。
 その言葉に沙霧は軽い会釈で応えると、話を再開した。

「その、訓練小隊の錬成を、白銀と共に行ったのが、神宮司まりも軍曹。
 特殊任務として教導の任に当たる間、臨時中尉の階級を与えられている神宮司中尉です。」

「なるほど、彼女の本職は衛士訓練学校の教官か。
 ならば、教導に慣れているのも頷けるな。」

 沙霧の説明に納得の表情で頷く趙少佐。
 しかし、沙霧の説明は更に続く。

「はい。実に有能な教官であるようです。
 そして、国連軍に教官として転出する前は我が日本帝国の陸軍の富士教導隊に所属する衛士であり、我が国の女性衛士の草分け的存在です。
 しかも、教導団に配属となる前には、大陸でBETAを相手に1993年より翌年にかけて転戦し、相当な戦果を上げたと聞き及んでいます。」

 そして、その説明を聞いていた趙少佐が、突然右手を上げて沙霧の言葉を遮る。

「ちょっと待て、93年に大陸で転戦した帝国陸軍の女性衛士だと?………………それだ!
 そうか、あいつが噂に聞いた『狂犬』か…………」

 沙霧の言葉を遮って、暫し黙考した趙少佐は、何事かに思い至ったのか顔を上げて言葉を漏らした。
 沙霧はその言葉に、怪訝そうな表情を浮かべて問い返す。

「『狂犬』ですか?…………そう言えば、陽動支援部隊に富士教導団から選抜されて来た衛士が、同じ言葉を漏らしていたな……
 ―――趙少佐、よろしければ詳しい話を聞かせてもらえますか?」

「ああ。―――尤も俺も人伝に聞いた話だぞ?
 重慶ハイヴの建設が始まる前後の戦いで、防衛戦に駆り出されて何とか生還した先達から聞いたんだが、なんでも帝国陸軍に凄まじい戦いぶりの衛士が居たんだそうだ。
 防衛戦って言っても、BETA相手じゃ物量に押されて最終的には撤退戦になっちまう。
 そんな戦いの最中、その衛士は、真っ先に切り込んでBETA共を引っ掻き回し、撤退になっても最後の最後までしぶとく戦い続けてBETA共をぶっ殺していたらしい。
 只それだけなら、大勢いる死にたがり、無茶と無謀を履き違えた大馬鹿野郎だが、そいつは無茶ではあっても無謀ではなく、必ず最後の一線で踏み留まって生還したらしい。
 BETAを見ると見境なく猛然と吠えかかり、その癖自身は傷を負わないように上手く立ちまわるその戦いぶりが、まるで戦いに狂った猛犬のようだってんで、ついた渾名が『狂犬』だそうだ。
 当時じゃ珍しい女性衛士って事で、盛りの付いた野郎共が最初は眼の色変えて粉かけるものの、噂を知るなりすごすごと引き下がってたって話も聞いたな。
 そうか……俺が前線に出た頃には、すっかり噂を聞かなくなってたんで戦死しちまったのかと思っていたが……国連軍に引っこ抜かれて教官をしていたとはな…………」

 そう言った切り趙少佐は黙り込み、何処か懐かしげな顔をすると、模擬戦で手堅く的確な行動で僚機を支援する『撃震』を見詰めた。
 その隣では、思わぬ所で、思わぬ話を聞いてしまった沙霧が、なにやら考え込んでいる。

(『狂犬』と口走った奴は、私が問い返すなり、蒼褪めて口を噤んでいたな。
 問い詰めても、一切口は割らなかったが…………ふむ。どうやら、この件は忘れるか、少なくとも心の奥底に沈めた方が良さそうだ。)

 優秀な衛士に相応しい危機回避能力を発揮した沙霧は、まりもについて知り得た情報を他者に語る事は無かったという。

 この日の模擬戦は、従来OS同志の模擬戦で武とまりもが2戦を完勝、2戦を2-1で勝利し、従来OS搭載機の小隊をXM3搭載機の分隊で相手取った模擬戦では3戦とも圧勝した。
 そして、従来OS搭載機の中隊に、XM3搭載の複座型1機と陽動支援機3機で臨んだ模擬戦では、臨機応変縦横無人な機動で相手を翻弄し、機体数で3倍、衛士の数で6倍という圧倒的な差をものともせずに勝利し、以降、武とまりもは大東亜連合軍横浜基地派遣戦術機甲大隊の衛士達から一目も二目も置かれる事となった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年12月02日(日)

 13時22分、天元山山間部に位置する旧天元町の空き地に設営された大型仮設テントに、近隣に散在していた住民ら14名全員が集まっていた。

 現在、この付近一帯には天元山噴火の予報に伴い、退去通告が出されている。
 いや、それ以前にBETAの占領下にあった中部から関東甲信越地方は、第1種危険地帯に指定され居住が禁止されている地域である。
 幾度も成されている退去通告にも応じずに、未だに居住を続けているこの場の14名は、所謂不法帰還民と呼ばれる人々であった。

(年寄りばかり、それに男性は4人だけか……)

 テントの中に並べられたパイプ椅子に、大人しく腰掛ける不法帰還民達を見て、武はそう思った。
 テントは側面にも幕が張られ暖房も焚かれている為、外部の厳しい寒気は大分和らげられている。
 それでも、14名全員が言葉も交わさず、不満も零さず、居住まいを精一杯正しているのには理由があった。

「政威大将軍殿下の御名代であらせられる御剣冥夜殿、御入来!」

 テントの入口に下げられた幕を捲り上げた月詠が声を張り上げると、不法帰還民らは一斉に身を折るようにして深々と頭を垂れる。
 テントに踏み入り、その様子を一望した冥夜は、駆け寄るようにして不法帰還民らの下に近付くと、頭を上げるようにと語りかけた。

「御一同、どうか顔をお上げください。
 今日は、私共の呼びかけに応え、こうして参じてくださり有難き限りです。
 どうか、私の―――そして、政威大将軍殿下の御言葉に耳を傾けていただけないでしょうか。」

 誠心誠意、心を込めて語りかける冥夜だったが、その言葉に従って不法帰還民らが頭を上げたのは、それから5分以上が経過した後であった。



 この日、武を含むA-01の新任6名は、連続稼働演習との名目で、単座型『不知火』に搭乗した上で横浜基地を未明に発し、途中補給を受けながらも匍匐飛行を続けてこの天元山へと至っていた。
 また、冥夜の警護名目で第19独立警備小隊も単座型『武御雷』で同行。
 さらには、随伴輸送機『満潮』4機を伴っていた。

 悠陽からの直命を受けた冥夜や月詠らは無論の事、ヴァルキリーズに配属となっている千鶴、美琴、彩峰、壬姫の4名も、甲21号作戦を前に、長時間戦術機に搭乗し続けると言う経験を積む為に参加を命じられていた。
 悠陽の命とは言え、表向きには一部の不法帰還民を優遇する訳にはいかない為、飽くまでも国連軍の演習と言う名目での活動となっている。

 武が随伴するに当たっては、今更連続稼働演習を受ける必要も無く、大東亜連合軍への教導任務や、ヴァルキリーズと斯衛、帝国陸軍陽動支援部隊の連携訓練の評価指導等、多忙な中での参加となった。
 まりもに無理を言った上での参加であり、他の任務参加者らが首を捻る程の強引さであったが、武は断固としてこの任務への参加を押し通したのである。

 天元山に着いた後は、武と冥夜を大型仮設テントの設営に残し、月詠、神代、巴、戎の4人に、千鶴、美琴、彩峰、壬姫の4人が1人ずつ同行し、4手に分かれて旧天元町周辺の不法帰還民に集まるように呼びかけを行った。
 今回の演習指揮官は、大尉となった武だったが、テントの設営は武が主として行い、冥夜は周辺監視を担当した。
 これは、武が月詠達に気を使った結果である。

 一方、不法帰還民への呼びかけの内容は、次の様なものであった。
 天元山噴火の予兆が強まった事に関連し、政威大将軍殿下の名代として御剣家息女、御剣冥夜が、殿下の御言葉を授かって参じている。
 ついては、旧天元町北部のテントまで参集されたし。

 この呼びかけを、『武御雷』より対人センサーで不法帰還民の存在を感知した上で行った結果、世代的にも政威大将軍殿下への崇拝の念が強い不法帰還民達は、斯衛軍衛士の呼びかけに一も二も無くテントに集まってきたのである。
 実姉である悠陽の名代として、不法帰還民らの尊崇の念を浴びせられた冥夜は、当初は戸惑いを隠せずにいたが、不法帰還民らが頭を上げ個々人の顔を見定める事が叶う様になると、ようやく戸惑いを修め御名代としての勤めに専念する事が出来るようになった。
 冥夜は不法帰還民らを一通り見廻すと、胸を張って威儀を正し、悠陽から授かってきた言葉を告げる。

「それでは、御一同へと政威大将軍殿下より授かりし御言葉を申し上げるので、御傾聴ください。
 ―――天元山の周辺に居住される我が国国民の皆様。
 我が国土へのBETA侵攻により、多くの命を喪ったのみならず、生き延びた方々の多くに故郷を離れる事を強いてしまった事をお詫び申し上げます。
 また、侵攻より3年の月日が経過したにも関わらず、未だに我が国土よりBETAを一掃する事も出来ず、みなさまを故郷に帰還せしめる事が叶わぬ事をお詫び申し上げます。
 私の力が至らぬばかりに、皆様を、望郷の念故に政(まつりごと)に逆らって帰郷するまでに困窮せしめた事、誠に慙愧に堪えぬ思いでおります。
 斯くの如く苦衷にあられる皆様に対し、天災の故とは申せ、今再び故郷の地より立ち去っていただきたいと願うは誠に心苦しき仕儀ながら、何卒、今一度その地を離れ、危難を避けては頂けないでしょうか。
 日本国を預かる政威大将軍として、曲げて要請する次第でございます。
 ―――以上が、政威大将軍殿下より授かりし御言葉となります。」

 冥夜の口から語られる、政威大将軍殿下より賜った御言葉を傾聴していた不法帰還民の間から、押し殺した呻き声が漏れる。
 彼等は自分達が勝手に故郷に戻り居住し、剰え(あまつさえ)今回の退去通告にも応じずこの地に留まろうとしている事が、御政道に背く事であると十分に理解していた。
 それは無論、自らの中で抑え切れない想いが募って行っている事ではあるが、飽くまでも自分達の行いが、この国難の時にあって責められ詰られる(なじられる)だけの行いである事も承知していたのだ。

 それ故に、今回斯衛軍の、しかも武家の衛士等によって政威大将軍殿下御名代の名で招集された以上、叱責を受け国民としての心構えを諭される事を覚悟していた。
 如何に叱責を受け、非国民と詰られようと、既に己が人生に疲れ切り、最後の望みを抱いてこの地に帰郷した老人達である、今更この地を離れるつもりは毛頭なかった。
 それでも、万に1つでも、自分達の抱える心の内を、政威大将軍殿下に御承知いただければとの願いを抱きつつ、不法帰還民らは召集に応じて居たのである。

 だが、政威大将軍殿下の御言葉を聞いた今、不法帰還民らは自分達の思い違いに気付き、自責の念に押し潰されんばかりの心情であった。
 彼らとて、現在日本帝国が置かれている状況が、如何に切羽詰まった情勢であるかは解かっているのだ。
 その情勢下で、自分達の様な少数の者の我儘を忖度(そんたく)している様な余裕が政府に無い事さえも弁えている。
 それ故に、彼等は政府に願い出る事無く、己が力のみで帰郷を果たし、自分達の我儘を捨て置いてもらえる事だけを願っていたのだ。

 しかし、政威大将軍殿下はその御言葉をお下しになっただけでなく、自分達取るに足りない下々の者の心情を汲み取り、畏れ多くも御自身に責任のある事とまで仰せになられた。
 政威大将軍殿下を心底崇拝し敬愛している老人達にとって、その御言葉は勿体無くも有難い授かりものであると同時に、自分達の行いにより政威大将軍殿下の御宸襟を煩わせてしまうという、畏れ多い行いを成してしまったという事の証左でもあった。
 それ故に、老人達は殿下より下された温情に感謝を捧げると同時に、自分達が成してしまった罪の重さに呻吟しているのである。

 そんな、不法帰還民らを心底案じながら、冥夜はその様子をじっと窺っていたのだが、彼らが何時までも感謝と自責の念に滂沱と涙を流すばかりであった為、宥めるように声をかける事とした。

「御一同、殿下より授かりし御言葉にもあったとおり、この地は天災という逃れ難い危険に曝されております。
 どうか、一度この地を離れ、危険が去るのをお待ちいただく訳には参らぬでしょうか。」

 そんな冥夜の言葉に、不法帰還民らの間に動揺が走る。
 既に自分達は殿下より過ぎるほどの温情を示して頂いた。
 ならば、この上更に我を押し通さんとするのは、あまりに不敬なのではないだろうか。
 そんな想いが、不法帰還民の間に広がっていく。

 これならば、避難勧告に応じてもらえるかもしれない。
 冥夜はそう安堵しかけたが、テントの脇の方に無言で立つ武が、じっと1人の老婆を見詰めているのに気付き眉を寄せた。
 すると、冥夜の視線と共にその注意が逸れるのを待っていたかのように、腹の底から絞り出した様な声が、件の老婆から発せられる。

「お、畏れながら……畏れながら……なにとぞこのおいぼれの願いをお聞き届けくだせえ。
 まっこと、もったいないお言葉を殿下よりちょうだいし、そのうえ願い事をするなんぞ、あつかましい限りっちゅうことは承知の上でごぜえます。
 それでも、どうか―――どうか、お聞き届けくだせえッ!!」

 椅子から身を投げ出し、地に伏して懇願する老婆に、慌てて冥夜が歩み寄る。

「ご老人、お話はお聞きしましょう。
 ですから、どうか顔をお上げください。」

「おお……ぉおお! お聞き届けくださるか! ありがたや……ありがたや………………」

 冥夜は、感涙に咽び泣く老婆を両手で支え、椅子へと戻らせて正面から老婆と向かい合う。
 そんな2人の姿を他の不法帰還民らが、様々な想いのこもった眼でじっと見つめていた。
 そんな中、ようやく気を静めた老婆がぽつりぽつりと語り始める。

「あたしゃ、ここで生まれ育ったふたりの愚息達を、此度の戦に送り出しとります。
 そん時、あたしゃここで待つと言って送り出したんでございます。
 いつまでも待っとるから、安心して戦って来いと…………
 愚息達は、今もお国の為に精一杯戦っとるに違いねえのです。
 そして、いつか帰ってくる愚息達を、あたしゃこの地で迎えてやりたいのでごぜえます!」

 老婆の言葉を耳にして、冥夜は微かに眉を顰める。
 老婆がこの地から子息らを戦場に送りだしたのなら、それはBETAの侵攻により、この地を占領される前に違いない。
 しかも、老婆の年齢からして、子息らの年齢や軍歴もそれなりになると思われる。
 しかし、老婆が今こうして不法帰還民としてこの地に居られると言う事が、その行いで立場を損ないかねない現役の軍人が、既に親族にいないと言う事を暗示していた。
 ならば、老婆の2人の子息は、既に戦死しているのであろうと冥夜は察した。
 老婆が今も精一杯戦っていると言ったのは、死して尚、英霊としてお国の為に尽くしていると、そういう意味で言っているのだと……

 そんな冥夜の思いを他所に、老婆は言葉を続ける。

「……今ここを離れたら……ここに戻ってこれるって保証はありゃしません……そしたら、あたしゃ死んでも死にきれんのでごぜえます!
 あたしらは、お山の恵みに授かって、ここで生まれ育ってきたんです。
 そのお山に命を奪われるってんなら、それは仕方がないことでごぜえます……
 そんときゃ、この地の土に還って……愚息達の帰りを待っててやりてえのです。
 ここはあたしらのふるさとなんです。
 ここで生まれたもんは、みんな、死ぬんだったらここでって思っとります。
 どうか……どうかそれだけは奪わないでくだせえ!
 殿下の御心を煩わせ、あなた様方のお手を煩わせましたことは、まっこと恐縮でごぜえますが、なにとぞ……どうか……あたしの願いをお聞き届け下せえ!!
 なにとぞ……なにとぞ……」

 老婆は、そう言い終えると、再び折れんばかりに身を畳み、膝に摺り付けんばかりに頭を下げた。
 そんな老婆の言葉の最中、周囲の不法帰還民らも涙を零し、幾度も幾度も頷いて同じ思いを抱いている事を示し、老婆と共に冥夜に対して深々と頭を下げるのであった。
 冥夜は、老婆達の想いを真摯に受け取るべく、暫し瞑目した後口を開いた。

「御一同、どうかお顔をお上げください。
 御一同のお気持ちは確かに伺いました。
 私は、何事も成し得る立場にはありませんが、御一同のお気持ちは確かに殿下にお伝えいたします。」

 その冥夜の言葉に、感謝に目を見開き、拝むように手を合わせる不法帰還民達。
 しかし、そんな帰還民達に、それでも冥夜は告げなければならない言葉があった。

「されど私も務めで参っております。
 只御一同のお気持ちを伺うのみで、帰参する訳には参りません。
 どうか、今度は殿下のお考えをお聞きください。
 これは授かってきた御言葉ではありません。
 中には畏れ多き事ながら、私が勝手に斟酌した事もはいっております。
 それと、承知の上でお聞きください。」

 冥夜の真摯な言葉に、不法帰還民らは、居住まいを正して耳を澄ませる。
 冥夜はそんな彼等に軽く会釈をすると再び語りだした。

「殿下は、この国の為、その身を戦いに投じ、更には命を捧げた英霊の方々に報いる事を常に願っておられます。
 今、この国は長き苦難の末、ようやくにして佐渡に巣食った怨敵を討ち滅ぼすという希望を手にしております。
 殿下は、その宿願を果たす為、臣民が一体となった挙国一致の態勢を以って、佐渡島の奪還に臨まれようとしておられます。
 そしてそれが故に、今この時、御一同の苦衷に対して多くを成せない事を残念に思われておられます。
 されど、年内にも予定されている作戦により、佐渡島の奪還が成された後ならば事情が異なります。
 佐渡島を要塞化し、大陸より押し寄せる怨敵に対する防波堤たらしめたなら、関東甲信越、そして中部、近畿―――中国地方以西は、未だ朝鮮半島からの侵攻に備えねばならぬので難しいでしょうが、近畿以東の地域は復興が開始される筈なのです。」

 冥夜の佐渡島奪還の話を、その後の復興の話を聞き、不法帰還民らが目を見開く。
 やはり、隠れ住む様に暮らす身では、情報が十分に得られていなかったのだろう。
 大半が、佐渡島奪還作戦を知らず、知っていた者も、然して本気には取っていなかったようであった。
 冥夜は自分に注がれる視線に、力強い頷きを返して話を続ける。

「殿下は、我が国将兵の奮戦に報いるに、国土の奪還、そして復興こそが最大のものであるとお考えになっておられます。
 そして、殿下がお考えの復興とは、その地に再び居住できるようにするばかりではなく、その地の風物を成し得る限り以前のものに近付ける事ではないかと拝察しております。
 さすれば、復興が現実となった折、肝要なのはその地で生まれ育たれた、御一同の様な方々です。
 此度の戦いでは多くの命が失われました。
 国土を取り戻しても、その地で生まれ育った方がどれほど生きておられるか……なればこそ、今現在生きておられ、荒らされてしまった故郷の地の想い出を抱いていらっしゃる方は貴重なのです。
 戦いに身を投じ、国の為にご尽力いただいている御一同の親しき方々も、その様な復興をこそ願っておられるのではないでしょうか。」

 冥夜はその命を散らした人々を悼む様に、暫し言葉を途切らせて瞑目する。
 その後、不法帰還民の各々を見廻した後、意志を込めて話を続けた。

「此度、御一同に避難をお勧めするに当たり、殿下はこの地にほど近い地に、周辺地域の復興拠点建設を佐渡島奪還に先だってお進めになられる事を決せられました。
 御一同には、どうかその復興拠点建設にご協力願い、その地に設けられた住居にて復興開始の日をお待ちいただきたいのです。
 復興開始の暁には、御一同も大手を振ってこの地にお戻りになる事が叶います。
 また、そうなれば多くの人々が、復興の手伝いにやって来る事でしょう。
 それらの人々に、どうか御一同の知る故郷の風物を語り継いで頂きたいのです。
 こればかりは、政府が上から命ずるだけでは決して成し得ぬ事です。
 長年、国の為に尽くしてこられた御一同に、重ねてお願いするのは心苦しき限りではありますが、どうか、今一度、考えなおしていただけませんか?」

 冥夜はそう言うと深々と一礼し、不法帰還民らに相談を促すと後ろへと下がった。
 先程の老婆を中心として、不法帰還民らが集まって盛んに言葉を交わす。
 その姿には、先程までは絶えてなかった明日へと向けられた活力が、確かに蘇っている様に冥夜には見えた。



「良かったな、冥夜。ばあさん達が退去を受け入れてくれて。」

 話し合いが終わり、不法帰還民が退去を受け入れた結果、後日退去を手伝う為に歩兵部隊を派遣すると約して、集会は解散となった。
 テントの撤去も終わり、資材を『満潮』のコンテナに格納し、後は帰還するばかりとなったところで、旧天元町の集落を目に焼き付けるように見廻している冥夜に武が声をかけた。
 その声に冥夜は振り向くと、満足気な笑みを浮かべて大きく頷きを返す。

「うむ! 本当に良かった。
 此度の対処も、そなたが姉上に献策した結果だと聞いたぞ。
 そなた、この地に住まうご老人達のお気持ちを、よくぞ察する事が出来たな。」

「いや、別に察する事が出来た訳じゃねえよ。
 以前、似た様な境遇のばあさんから話を聞いた事があったんで、それを思い出してな……」

 武は、最初の再構成後の分岐世界で、冥夜と共に出会った老婆を、そしてその言葉を思い返した。
 そして、2度目の再構成後の分岐世界で、天元山の噴火が治まった後、この地に戻れるように悠陽に依頼したとは言え、十分な説得もせずに強制的に退去させた老婆に心中で詫びる。
 そして今回こそ、ようやく老婆の願い、そして想いに応える事が出来たのだろうかと武は自問する。
 急に考え込んだ武を、心配そうに見る冥夜だったが、そこへ千鶴、彩峰、壬姫、美琴の4人が、Cウォーミングジャケットを羽織った姿で駆け寄ってきた。

「ねえねえ、タケル、冥夜さん、見てよこれ~。」
「あの家のおばあさんがね、こんなものしかありませんがって言って、下さったんですよ~。」

 真っ先に駆け寄ってきた美琴が武と冥夜に弾んだ声をかけ、続いて壬姫が両手で持った包みを見せた。
 その手には古新聞で包まれた大きめの円筒形の包みがある。

「自家製のお漬物ですって。この地で採れたものを漬けたそうよ。」
「天然もの……合成じゃないよ……」

 何事かと包みを見る武と冥夜に、遅れてやってきた千鶴と彩峰が言葉を足して説明する。
 それを聞いた武が、慌てた様に集落の方を見ると、家の前に立つあの老婆がお辞儀をするのが見えた。
 武はそれへとお辞儀を返しながら、ようやく自分の成した事が、老婆に心から受け入れられたのだと確信する事が出来たのであった。




[3277] 第109話 武の居ない日曜日
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/08/16 17:23

第109話 武の居ない日曜日

2001年12月16日(日)

 13時02分、横浜基地衛士訓練学校の教室にヴァルキリーズ所属衛士ら17名の姿があった。

「ふふ……たった、1月ほど前までは、毎日此処で色々と学んでいたのに……なんだか懐かしいわね。」

 自身が使っていた席の傍らに立ち、机の表面を右手で撫でて、千鶴は微笑みながら懐かしげに言葉を漏らす。
 そんな千鶴の背後をわざわざ横切りながら、目を糸の様に細めた彩峰がぼそりと呟く。

「総戦技演習の後じゃ……殆どこの部屋使わなかったけどね…………」
「あ、彩峰貴方! なんでそう一々突っかかって来るのよ?!」
「なんで?」
「きぃ~~~~~ッ!」

 それを切っ掛けにあっと言う間に始まる口喧嘩を、壬姫と美琴が呆れたように笑いながら眺めていた。

「相変わらずだよね~、千鶴さんと慧さん。」
「だね~。でも、なんだか以前と違って、空気が尖ってないような気がするんだよね~。」
「あはは……そうかもしれないね~…………あ、冥夜さんだ。
 冥夜さ~ん、どうだった~?」

 壬姫と話していた美琴が、教室後部の引き戸を開けて、月詠を後ろに従えた冥夜が姿を現した事にいち早く気付くと、そちらに向かって声を張り上げた。
 その声に、言い争っていた千鶴と彩峰、壬姫、そして、教室のあちこちに幾つかのグループに分かれて歓談していた、その他のヴァルキリーズの視線も冥夜へと注がれる。
 冥夜は教室内に入ってきたが、月詠はお辞儀をすると廊下側から引き戸を閉めて立ち去り、そのまま周辺警戒へと向かう。

「―――うむ。鎧衣、残念ながらタケルは来れないそうだ。
 伊隅大尉―――タケルは、大東亜連合軍第3次横浜基地派遣戦術機甲大隊への教導の仕上げとして、本日の夜間訓練終了まで時間が取れないとの事です。」

「―――そうか。白銀は休日返上で休む間もないようだな。
 解かった。白銀の合流は諦めよう。ご苦労だったな、御剣。」

 みちるは冥夜の報告に頷きを返すと、武の都合を確認しに赴いた冥夜を労う。
 それを受け、冥夜はみちるに軽く会釈を返すと、元207Bの下へと歩み寄った。
 そんな冥夜に対して、まだ諦めきれないらしい美琴が重ねて訊ねる。

「ねえ、冥夜さん。タケル、夕食の時間も合流できないのかな?」
「うむ。どうやら、食事の合間にも、教導に関する質疑応答を行うとの事だ。
 横浜派遣大隊の指揮官から要請があったと申していた。」

 この日はヴァルキリーズの休養日であり、部隊内の連携もそれなりに満足のいくレベルに達した事に鑑み、衛士としてだけでなく、私人としての親交を深めるという目的でヴァルキリーズの全員が集まっていた。
 現在、訓練校に在籍する者はいない為、使用されていない教室の使用許可をみちるが取り、こうして此処に集まっている。
 この施設が開設したのはこの年の初めであり、先年度の訓練兵である祷子達の同期生は全員が昨年10月に任官した為、この施設で学んだのは今年任官した11名のみであった。

 しかし、横浜基地の衛士訓練学校と講堂等の地上施設は、BETA侵攻で灰燼と帰した帝国陸軍白陵基地の衛士訓練学校の施設そっくりに再建されている為、白陵基地で学んだ第1期生のみちるから第3期生の水月や遙までの世代にとっては、何処となく懐かしい風情があった。
 夏の総戦技演習で不合格となり、10月に任官出来なかった水月や遙は、BETA侵攻によって帝国軍三沢基地を経て、仙台基地へと移って訓練を続ける事となった。
 その為、それ以降の入隊となる美冴、祷子、紫苑の3人は仙台基地の訓練学校施設で学んでいた為、物珍しげに教室内や窓からの眺めを眺めてる。

 母校訪問めいた集まりでもある為、この訓練校の卒業生と言う事で、武も招こうとみちるが考え、冥夜が都合を聞きに行く事となったのである。
 そこには、ヴァルキリーズではないが、同じA-01の一員であり、来る甲21号作戦では、最重要護衛対象とされる戦術立案ユニット搭載機の搭乗者ともなる武と、より親交を深めようとの考えもあった。
 しかし生憎武は、今日を以って実質的な教導を終え、明日には日本を出国する大東亜連合軍横浜派遣大隊にかかり切りとなるらしく、合流は難しいとの返答であった。
 しかも、訓練の合間の食事の時間すら派遣大隊に拘束されるとの冥夜の言葉に、冥夜を除く元207Bの面々は揃って不愉快そうな表情を浮かべる。

「あのばばあ、気に食わない……」
「ちょっと、彩峰! 仮にも少佐殿にそんな事言っちゃまずいでしょ!」
「ばばあは、ばばあ……それに、白銀を狙ってる……」
「そ、それは!―――た、確かに教導を受けに来ている身で不謹慎よね……」

 思いっ切り顔を顰めて吐き捨てる彩峰に、早速小言を言う千鶴だったが、彩峰が当該女性少佐が武を誘惑しようとしている事を指摘すると、戸惑いを見せて逡巡した後、彩峰に同調するかのように呟く。

「ミキもあの女性(ひと)は好きになれません~。」
「本当だよ! もう、さっさと帰れ~って感じかな!」
「そ、そなたら、仮にも友軍の佐官に対し……その……失礼なのではないか?」

 壬姫や美琴までもが件の女性少佐に対して抱く蟠りに言及すると、御名代としての対外的な立場も負わねばならない冥夜が、口籠りながらも窘める。
 尤も、冥夜の表情には困惑が顕れており、冥夜自身もあまり好感を抱いていない事が如実に表れていた。

「なになにっ?! なんの話をしてるのかなっ?」
「む、麻倉か……いや、その……た、大した話ではないのだ……」
「白銀が、大東亜連合軍の少佐殿に誘惑されてるのが、気に入らないんだってさ。」
「な―――ッ! 柏木、そなた……」

 そこへいつの間にか近寄って来た月恵が口を挿み、冥夜が慌てて誤魔化そうとしたが、即座に晴子に暴露されてしまった。
 そしてそれを機に、元207Aの面々が、続々と会話に参加して来る。

「ええ?! 白銀君が~、誘惑されてるって噂、本当だったの~?」
「なになに? 智恵、随分と心配そうじゃない。ははぁ~ん、さてはあんた……」
「や、やめてよ茜~。」「わ、私は茜ちゃんひとす―――『多恵は黙っててっ!』―――は、はいぃい~~~。」
「高原、今の話について、ちょっと聞かせてもらえるかしら?」「逃がさないよ……」「うむ、相互理解が必要なようだな。」「えへへへへ、こっちですよ~。」「大丈夫、時間はそんなにかけないからね!」

 晴子の発言に、驚愕する智恵。その様子に、からかう様な笑みを浮かべて詰め寄る茜。
 慌てて茜の発言を逸らそうとする智恵に、茜への尽きる事の無い想いを告げようとして、発言を叩き潰される多恵。
 そこまでは、智恵にとっての日常の延長だったのだが、涙ぐむ多恵に笑みを浮かべたところで、何時の間にやら自分が千鶴、彩峰、冥夜、壬姫、美琴の5人に、半包囲されている事に気付く。
 しかも続け様に声をかけられたのだが、柔らかな口調の陰に、断固とした意志が垣間見えて非常に強圧的であった。

「まあまあっ! 智恵だって、別に何したって訳じゃないしさっ! そんな色めき立たないでよっ!」
「ほらほら、睨まない睨まない。それにしても、白銀も休み無しに働き通しで、良く体がもつよね~。ねえ、茜?」
「え?! そ、そうだね……そ、そう言えば、白銀は先々週の休養日も、天元山の退去通告で出動してたんじゃ無かった?」
「「「「「 …………………… 」」」」」

 そのまま問答無用で何処(いずこ)かへと連行されそうになった智恵を、親友の月恵が間に割って入って救い出す。
 それに晴子が続けて発言し、話題を武のオーバーワークにすり替えた上で茜に投げる。
 急に話を振られた茜だったが、少し戸惑っただけで先々週の話を記憶から引っ張り出す事に成功する。
 そんな展開の末出てきた話題に、元207Bの5人は、何やら真剣な表情で物思いに沈む。

 先々週の天元山退去通告には元207Bの6名は全員加わっていたので、武が休日返上であった事は間違いない。
 問題は、武以外の5人は、翌日の午前中を休養に充てる事を許されたのだが、果たして武はどうだったのであろうかと、5人は疑問を抱く。
 確か、天元山に赴く為に、まりもに皺寄せがいったから、基地に戻ったら穴埋めをしないと―――といった趣旨の話を武から聞いたような記憶があった。
 そうであれば、基地に戻ってから多忙になる事はあっても、休養を取れたとは思い難い。

 いや、そもそも、休養日の筈なのに天元山に赴く為に、まりもに負担がいったという事自体が、武にとってあの日も任務があったと言う事である。
 こうして改めて思い起こしてみると、武が207Bに配属となって以来、武が丸1日休養していた日があっただろうか?
 そう思って、必死に記憶を掘り返しても、5人には該当する記憶が一切なかった。

「嘘でしょ?」「働き過ぎ……」「尋常ならざる事態だな。」「たけるさん、大丈夫かな~。」「し、死にはしないとは思うけど~。」

 ―――と、なにやら深刻な表情を寄せ合う5人に、茜と晴子は話題を選び損ねたかと、顔を合わせる。
 ところが、月恵に庇われていて、そんな5人の様子に気付きそびれた智恵が、窮地を逃れた安堵と共にのんびりと発言する。

「天元山と言えば~、先週の月曜にとうとう噴火しましたね~。退去が間に合ってよかったです~。」
「―――ああ。住居から運び出す最後の物資運搬が済んだ翌々日の事だったそうだ。」

 智恵の言葉に、頭を巡らした冥夜が、一旦瞑目して気分を一新すると、晴れやかな笑顔を見せて智恵に応える。
 冥夜が説得を行った後、天元山の不法帰還民達は退去の準備を開始し、退去支援を命じられ派遣された歩兵部隊の力を借りて、仮住まいとなる復興拠点建設地へと退去した。
 後の復興の為に、可能な限りの物資を持ち出した為、退去が完了したのは12月08日になってからであり、その翌々日の12月10日03時頃には天元山が噴火した事になる。

 天元山が噴火する日時を、武が事前に思い出しておいた為、元より退去完了は12月09日までに完了する様にと、歩兵部隊から不法帰還民らに伝えられる手筈が整えられていた。
 しかし、そんな事とは知らない者達は、ぎりぎりで退去が間に合ったと肩を撫で下ろしていたのである。

「なになに? 天元山の話? そう言えば、あの漬物美味しかったわよね~!」
「もう、水月ったら食いしん坊なんだから……」
「まあ、滅多に味わえない天然物だったからな。汚染が酷くなくて幸いだった。」

 天元山の不法帰還民等の顔を思い浮かべていた冥夜に、明るさ満点デリカシー僅少な水月の声が投げかけられる。
 それを窘める遙と、同意しながらも、食欲が減退しかねない感想をさらっと述べるみちる。

 天元山の老婆から土産に持たされた天然物の漬物は、基地に帰還した後、タルごと防疫部に預けられ、汚染状況を調べられた。
 その結果、BETA由来の汚染も、重金属や放射性物質などの含有率が危険値を下回っている事が確認された後、武達の元に返還された。
 その漬物は、ヴァルキリーズの食卓に添えられる事となり、野趣の味覚で全員を楽しませる事となったのだ。

「なんだか、素朴でぇ懐かしい味だったよね。あ~っ、もう少しぃ早ければ佐伯先生にも食べてぇもらえたのにな~。」
「うん……残念……」
「姉さんと葉子さんはそればっかりだね。」

 みちるや水月、遙達と一緒に近付いてきていた葵も、漬物の味を思い出して蕩けそうな顔をする。
 おまけに、つい2週間程前までこの横浜基地で教導を受けていた佐伯の顔まで思い出して、別の意味でも蕩けそうな顔をした。
 その発言に同意する葉子の顔も似た様なものであり、そんな2人を呆れ半分微笑ましさ半分で揶揄する紫苑の姿は、この所良く見かけられるようになった光景である。

 中佐に昇進した草薙を連隊長として、帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊、通称陽動支援部隊が発足したのが11月22日であり、発足式は国連軍横浜基地の講堂で執り行われた。
 発足式には、国連軍横浜基地司令官パウル・ラダビノッド准将を初めとして、政威大将軍御名代である御剣冥夜少尉や、斯衛軍第16大隊指揮官でもある、五摂家の一つである斉御司家直系二男である斉御司久光大佐など、錚々たる顔触れが揃って臨席していた。
 その日から11日間―――教導開始は発足式の翌日からだったので正味9日間の教導を受ける間、草薙指揮下の陽動支援部隊所属衛士108名は横浜基地に駐留する事となり、その中に少佐に昇進し第2大隊指揮官に任じられた佐伯も含まれていたのだ。

 草薙も居るとは言え、葵や葉子にとっては夢の様な日々であり、充実した日々を嬉しそうに過ごす2人の様子に、それを見守る紫苑もまた嬉しそうであった。
 何しろ、訓練は別だとは言え、同じ基地に佐伯が居るので空いた(空けた?)時間をフルに使って、佐伯に会いに行っていたのである。
 さすがに連隊副隊長でもある佐伯は、訓練時間以外にも職務に追われる身であり、なかなか多忙な日々を送っていたが、葵と葉子、紫苑の3人は機密に触れない範囲で佐伯の職務を手伝ってまで、出来る限り佐伯の傍で過ごしていた。

 しかし、陽動支援部隊は、武や冥夜達が天元山に赴いた12月2日を以って、第3大隊所属衛士36名を除き、横浜基地を去って帝国各地の帝国本土防衛軍戦術機甲部隊の教導任務に赴く事となっていた。
 横浜基地で武とまりもから教導を受けて習得したXM3や遠隔陽動支援機の運用技術を、今度は彼らが甲21号作戦参加予定の戦術機甲部隊を中心に教導していく事になっているのだ。
 草薙と佐伯は、未明より天元山に赴いた6名を除くヴァルキリーズの面々と、佐渡島での再会を約し横浜基地から去っていったのである。

「まあ、顔が緩みっぱなしの葵さんと葉子さんも、10日も見続ければ新鮮味が無くなってしまっていましたからね。
 良い頃合いだったんじゃないかな。」
「あら、美冴さんは背の君が横浜基地に派遣されてこなかったものだから、拗ねて居らっしゃるのかしら。」
「祷子……君が居てくれるのに、私が拗ねる訳がないじゃないか。」

 結局、美冴の思い人である緑川仁中尉は、陽動支援部隊に選抜されず横浜基地にやって来る事は無かった。
 幸せ一杯の葵や葉子を微笑ましげに見る美冴の表情に、一抹の寂寥感を見出していた祷子が、案ずる気持を込めてからかうように問いかけたのだが、美冴の返答は常の如く周囲を煙に巻く様な応えであった。
 そんな2人の様子を見て、声をかけようとしたみちるだったが、そのまま声を発する事無く口を閉じてしまった。

 葵と葉子ほどではないにしろ、みちるも同じ期間の間、正樹やまりか、あきら、そして照子らと職務の合間を縫って面会しに行っていた為だ。
 職務に悪影響を及ぼさない限り、葵と葉子が佐伯の傍に纏わり付く事を妨げなかった草薙と異なり、みちるは正樹に会いに行く度に、照子にはからかわれ、まりかやあきらには牽制されていた為、期待した程には甘い時間は過ごせなかった。
 しかし、それでも美冴の心情を考えると、自分にはあれこれ言う資格はないのではないかという引け目から、みちるは口を噤んだのである。
 そして、そんな上司の心情を見逃さない優秀な部下達が、勇んで代役を買って出る。

「でも、本当に残念だったわね、宗像中尉。」
「いいのよ遙。宗像ったらね、こないだPXの売店で1時間もかけて便箋選んで買ってたのよ?
 機密が一部解除されて、前よりも私信を出せるようになったもんだから、文通から始める気に違いないわ!」

 遙が美冴を労わるように声をかけると、それを帳消しにするかの様に、水月が美冴に挑発的な言葉をぶつける。
 その言葉に祷子が申し訳なさげに眉を垂れ、美冴は一瞬苦笑を浮かべた後、挑発を正面から受け止めるように不敵な笑みを浮かべて見せた。

「速瀬中尉の仰せのとおりですが、それが何か?
 なにしろ、私はこれでも人並み以上に文才がありますからね。
 ん? そう言えば……私は速瀬中尉が報告書や始末書以外に文字を書いている所を見た事がありませんね。」
「あはははは……水月はあんまり文才はないかも~。」
「は、遙! あんた何言ってんのよッ!」

 美冴を挑発したものの、あっと言う間に言い負かされてしまう水月。
 しかも、遙による追撃も喰らい、周囲にこぼれる笑い声の中、がっくりと肩を落として見せる水月であった。
 そんな最中、みちる、遙、水月、美冴、祷子の5人の視線が交錯する。

 みちると美冴は感謝を込めた視線を、祷子は自身の失敗を詫びるかのような視線であった。
 いつもと同じ素振りを演じる美冴が隠す寂しさに気付き、つい慰めようとしてしまった祷子であったが、慰めるにせよ2人きりの時にするべきだったと反省していた。
 C小隊の隊長を務める美冴は、極力弱さを見せまいとしていたのに、自身がそれを暴いてしまったのだと祷子は既に気付いていたからだ。

 それに気付きそれでも介入を躊躇してしまったみちると、遙と水月の機転で場の雰囲気を一新できた美冴は、遙と水月に視線で感謝を告げる。
 水月はそれに僅かに笑みを浮かべて応えたが、遙は小首を傾げて戸惑う様に笑みを浮かべるだけだったので、もしかしたら彼女は計算抜きで振舞っていただけだったのかもしれない。
 いずれにせよ、ここらで話題を変えるべきだとみちるは判断を下した。

「よし。全員聞いてくれ。
 今日は休養日で、この集まりは任務ではないが、少し趣旨の説明をするからな。
 まず、11月21日より始まった、斯衛軍及び帝国陸軍との連携演習だが、皆良く頑張ってくれた。
 部隊内での連携は勿論、他部隊の衛士との教導任務も潤滑に行えるようになったと思う。
 まあ、我が隊はその特性上、他部隊と協同して任務に当たると言う事が少なかったからな。
 この点が最も案じられていたのだが、先方の態度が好意的であったとは言え、上手く言って何よりだった。
 まあ、これについては、白銀と御剣によるところが大きいな。」

 みちるは、全員に注意を呼び掛けると、ここひと月ほど行ってきた演習の総括めいた話を語り始める。
 A-01に新任が任官した翌日、斯衛軍第16大隊が横浜基地へと派遣されてきて以来、7日ごとに入れ代り立ち代わりで、第13大隊、第14大隊と大隊単位で斯衛軍が派遣され、現在は第15大隊が駐留し、ヴァルキリーズとの連携演習に勤しんでいる。
 さらに、12月05日からは帝国軍陽動支援戦術機甲連隊第3大隊も連携演習に加わり、A-01としては明星作戦以降殆ど経験の無い、大隊規模以上の部隊編制での戦闘演習を繰り返してきた。

 他部隊との連携の経験を持つものがみちるしか居ない現状で、しかも指揮系統が複雑怪奇に絡まった部隊連携が、それでもなんとか形になったのは、みちるの言うとおり武と冥夜の存在と、トライアルで見せたヴァルキリーズの技量に拠るところが大であった。
 甲21号作戦では、斯衛軍から第13~第16大隊の4個大隊、帝国陸軍からは陽動支援部隊の第3大隊、そしてA-01として半個大隊相当のヴァルキリーズに武1人を加えた衛士199名の大所帯が連携して、佐渡島ハイヴ攻略の中核戦力となる事が既に決定している。

 この合同部隊の中で最高位の階級を有するのは斯衛軍の斉御司大佐と麻神河暮人大佐であり、その下には第14大隊の麻神河絶人中佐と第15大隊の皇城中佐がおり、その次は新編制の実験部隊と言う扱いで大隊長でありながら少佐の階級に留まっている沙霧となる。
 対するに、A-01の最先任士官は大尉であるみちるに過ぎず、階級的には相当下位となってしまう。
 つまり、階級による指揮権の優先順位に於いて、A-01はほぼ完全に指揮下に組み込まれる立場なのだ。

 しかし、反面、ハイヴに対する攻勢作戦に於いては国連軍が指揮優先権を有するという取り決めがあり、HQには夕呼が同行し、大佐の階級に過ぎないにも拘らず実質的な指揮権を有する。
 しかも甲21号作戦は、公にはされていないものの、国連極秘計画であるオルタネイティヴ4の要請により実施される作戦である。
 国連加盟国であり、オルタネイティヴ4の誘致国である帝国は、夕呼の要請を最大限に叶えなければならない義務を負っていた。

 よって、その夕呼の直属部隊であるA-01の作戦への影響力は大きい。
 しかも、今回A-01所属の武が運用する新装備である戦術立案ユニットは、BETAの行動を予測して前線の部隊を効率良く運用する為のユニットであり、その機能を十全に活かす為、HQの介入が無い限り前線における指揮優先権を与えられる事になっている。
 更に言及するならば、今回の作戦自体が武の考案した対BETA戦術構想に基づいて立案されている以上、武以上に戦況の変化に即応できる人材は居ないとの判断が下されているのだ。
 これらの諸事情により、合同部隊全体の運用指揮権は、ほぼA-01に帰する事となり、前述した階級による指揮優先権を逆転させてしまうのである。

 通常、この様な指揮権の逆転現象が生じれば、指揮下に置かれる形となる斯衛軍や帝国陸軍の部隊に、不満が蓄積し円滑な連携など望むべくもない状態となってしまう。
 しかし、今回はそういった軋轢が最小限しか存在しなかった。
 対BETA戦術構想の熟練度に於いて、考案者である武を擁するA-01が隔絶している事。
 合同部隊を構成する全部隊が直接間接に武の教導を受けている事。
 そして、政威大将軍殿下御名代として形式的にせよ斯衛軍と帝国軍が最上位者として仰いでいる冥夜の所属部隊である事。
 これらの事情と、各部隊指揮官の実力重視の姿勢により、連携演習は順調に推移し、練度を日に日に向上させていたのである。

「中隊内での動的人員運用に於ける連携も、十分満足できる水準に達し、対BETA戦術構想の各種装備群の運用にも熟達してきた。
 有人機が戦闘状態となった際の生残性向上を目的として、部隊編制に固執せず、機動特性の高い者と低い者を同乗させるという方式も確立出来た。
 後は、3日後の12月19日から行われる、斯衛軍第13~第16大隊及び帝国軍陽動支援部隊第3大隊との合同連携演習で最後の仕上げをするだけだ。
 この合同連携演習には、XM3教導任務を終えた白銀も合流する。
 演習期間は5日しかないが、作戦に向けて不安要因を事前に潰して置く為にも、全力を以って臨め。」

『『『 ―――了解ッ! 』』』

 打てば響く様に、即座に返った部下達の声に、みちるは満足そうに頷くと口調を和らげて話を続ける。

「と、そんなわけで、演習の上では貴様等は満足すべき成果を上げている。
 そこで、演習によって培われる側面以外を補強する為に、今日は貴様等に集まってもらった。
 実戦と言う極限状況下での連携に於いて、最後に物を言うの仲間としての一体感であり、相互の信頼だ。
 技術的な信頼ならば演習で培う事も出来るが、人間的な信頼は中々構築し難い。
 1日でどうこうなるものでもないだろうが、今日は互いの為人を可能な限り知ることで、少しでも絆を深めて欲しい。
 まあ、先程は信頼と言ったが、信頼できない所が何処かを知っておくのも重要だという事でもある。」

 みちるは唇の右端を吊り上げると、ちらりと葵の方を見る。
 それにつられるように、周囲の全員から注目された葵は、顔を真っ赤にして抗議した。

「え? えええ?! な、なんでみんあぁ私の事見るの?!」

「水代の機動の下手さ加減や自損率の高さは群を抜いているからな、信頼出来ないどころか、常に心配しなければならないレベルなのだから、仕方ないだろう。
 しかし反面、部隊に迫る危険を真っ先に察知してくれるのも水代だ。
 ようするに、互いの長所と短所、得手不得手、性格的な傾向などを事前に把握しておく事で、実戦での連携をより確実なものに出来ると言う事だな。
 方法は個々人に任せる。恋愛関係の話に花を咲かすも良し、各種遊戯に興じるも良し、特技を披露できるものは披露するのもいいだろう。
 既に昨日の内に、風間には私からヴァイオリンを演奏してもらえるように頼んである。
 音楽に興味の無い者も、一度聞いてみると良い。
 風間はなかなかのヴァイオリニストだぞ?
 ああ、最後にもう一言だけ言っておく。
 普段親しい者だけで固まる事のないようにしろ。
 繰り返しになるが、今日は休養日であり、これは厳密には任務ではない。
 気楽に楽しい時間を過ごして、鋭気を養ってくれ。」

 一通り語り終えたみちるが手近な椅子に腰かけると、今度は遙がほんわかと喋り出す。

「じゃあねえ、PXからもらってきた飲み物とおやつが、教室の後ろに置いてあるから、みんな自由に取ってね。
 色々と忙しくて、新任のみんなの歓迎会も出来なかったから、それも兼ねて楽しい集まりにしよう?」

 遙のその言葉を合図に、みちるの近くに集まっていた一同は、先陣を切って移動を開始した水月に率いられる様にして、教室後方へと移動を開始する。
 そんな面々の後ろ姿を、後に残ったみちると遙、美冴の3人は見送ろ、そして互いに視線を交わし合う。
 武の対BETA戦術構想によって、戦死の危険が軽減されたとはいえ、実戦では何が起こるか解からない。
 それ故に、大作戦を前に配属されたばかりの新任達―――この場合は10月に一足早く配属された元207Aを含む―――の事を、少しでも多く知っておく。
 多くの仲間や部下を、過去の作戦で喪ってきたみちるの想いを、遙も美冴も、そして陽気に振舞って周囲を沸かせている水月も、身に染みて熟知しているのだった。



 お茶会の様な、懇親会の様な集まりが始まって暫し時間が経過した。
 最初は新任達が少しぎこちなかったものの、先任達があれこれと話しかけたりする内に、場の雰囲気は和やかなものへと移り変わり、新任達も肩の力が程良く抜けて来ている。
 そして、何時の間にかヴァルキリーズは4つのグループに分かれて歓談していた。

 分かれているとは言っても、互いの距離が離れている訳でもなく、互いの話声も十分に聞き取れる状況である。
 その中の1つ、みちるを中心とするグループでは、千鶴が武への不満をぶちまけていた。

「―――確かに、白銀は優秀な能力を持っています。
 様々な面で、尊敬に値する人物―――の筈なんです。なんですけど―――その、何処かいい加減と言うか、間が抜けているって言うか……」
「ふむ。つまり榊は白銀の事を尊敬したいのに、性格的な面から尊敬できないのが歯痒い訳だな?」
「な?! べ、別に尊敬したいって訳じゃ……」
「あははははっ! 榊が照れてるっ!」「図星みたいですね~。」

 千鶴の不満を聞いたみちるの言葉に、千鶴は頬を染めて目を細めると、脇に視線をずらして俯き加減になる。
 そんな千鶴を見て、月恵と智恵が囃したてたが、それにより、今度はみちるの照準を引き寄せてしまう。

「そう言えば、高原と麻倉は、なんでも柏木と一緒に白銀武研究同好会とかいうのを立ち上げたそうだな?
 そんなに白銀の事が気になるのか?」
「げっ! た、大尉、その話っ、一体何処から……」「月恵~、そんなの晴子からに決まってるよ~……」
「まあ、その通りだな。だがな麻倉。柏木が私に話を通しに来たのは、白銀が機密に深く触れていると考えたからだ。
 奴も他の中隊とは言え同じA-01の仲間だ。深く知りたいと思う事は悪くは無いが、分を弁える事も大事だぞ?」
「は、はい……」「さすがに晴子は良く弁えてるわね~。」

 にやりと笑みを浮かべて切り込んだみちるだったが、途中で表情を真面目なものに切り替え、月恵と智恵、に釘をさす。
 月恵と智恵も、機密に触れる事になりかねないと指摘され、少しは考え直したようではあったが、活動を止めるつもりは無さそうである。
 そして、そんな2人を上目遣いで窺いながら、千鶴は疑念を抱いていた。

(白銀武研究会? 噂好きの柏木はともかく、なんだって高原と麻倉が?
 それに、どれくらいの情報を集められたのかしら…………ちょっと、気になるわね……)

 何だかんだ言いながらも、武の事となれば、気にせずには居られない千鶴であった。

 そして、そんな会話を耳聡く聞き取った人物がいた。

「あら。白銀武研究同好会だなんて、柏木さん、あなた面白そうな会を設立なさったのね。」
「あはははは。立ち上げたのはあたしじゃなくて、智恵ですって。
 あたしは、情報集めが楽しそうなんで手伝ってるだけですよ、風間少尉。」
「同好会って……そんな活動まで認められてるんですか?」
「同好会は……認可制じゃないわ……単に……同好の士を募りたい時に……自称するだけ……」

 端然と座して居るだけに見えて、周囲の状況把握に遺漏の無い祷子は、聞き取った内容をそのまま晴子に問いとしてぶつけてみた。
 それを笑顔でさらりと流し、飽くまでも自分は中心人物ではないと主張する晴子。
 そんなやり取りに、壬姫が現役衛士の間では同好会の活動が、上層部によって奨励されているのかと勘違いしかけてしまう。
 実情は、現役将兵のストレス発散の為に、軍規を乱さず任務に支障をきたさない範囲での、私的な活動が黙認されているだけなので、葉子が注釈を入れた。
 葉子は終始俯き加減で、言葉も途切れがちにぼそぼそと話すのだが、これでも新任達と親交を深める為に、頑張って口数を増やした結果だったりする。

「へ~、そうなんですか。じゃあ、私もたけるさんと彩峰さんを誘っておはじき同好会でも作ろうかな~。
 そしたら、霞ちゃんも入ってくれないかなあ。」
「あら、おはじきもいいわね。」
「………………おはじきなら……私も……」
「おやあ? 珠瀬も白銀狙いなのかな?」
「そ、そんなんじゃ、ないですよお!」

 おっとりと、壬姫の発言を奨励するかのように告げる祷子に続き、おはじきならば自分も好きだと告げようとした葉子だったが、晴子にからかわれ顔を真っ赤に染めて否定する壬姫を見て、途中で断念してしまった。
 そして、そんな騒ぎに背を向けたまま、ぽそりと呟きを発する人物が一人。

「情報が古いね……最近白銀が凝っているのはあやとり……」

 何故かニヒルな笑みを浮かべて、呟く様に壬姫への突っ込みを入れた彩峰だったが、その、誰に聞かせるつもりも無い発言を聞き取った美琴のスイッチが入ってしまう。

「あやとりっていいですよね~! あ、そういえば、前にあやとりの取り方が突然頭にパーっと浮かんだ事があったんですよ!
 あの時は、神様が授けてくれたと思って、目を瞑ったまま指が導くままに作り上げたんです、『踊る蝶々』を!!
 あ~、あれはすっごく良い出来だったな~。」
「確かにあれはいい出来だった……転んで崩したのが惜しまれるね……」
「でしょう?! あんな凄いの、もう2度と作れないよ~!! それにね―――」
「ふ……涼宮、お前の同期は他人と会話する気があるのか?」
「す、済みません宗像中尉。この二人は、その、なんていうか、マイペースで……」

 目を瞑り、両手を胸の前で揉み合せるようにしながら、楽しげに捲し立てる美琴と、それに頷きを返して同意する彩峰。
 そして、彩峰の同意を得た美琴は更にヒートアップして、マシンガンの様に言葉をばら撒き続ける。
 その様子を面白そうに眺めながら、美冴が皮肉めいた質問を茜に投げかけると、茜は羞恥に顔を染め、なんで私がと思いながらも謝罪と取り成しをしようと苦労する。
 そんな茜の様子に、これまたスイッチが入ってしまった多恵が、必死に声を張り上げて茜を庇う。

「あ、茜ちゃんは、そんなことないですからっ!」
「築地……別に涼宮は疑われてない……」
「ふむ―――彩峰は少なくとも周囲の話は聞いているようだな。」
「勿論……」
「うんうん、築地さんは茜さんの言う事しか聞いてないよね~。」
「あ、あんだに言われたくねっぺさァッ!!」
「済みません、宗像中尉。こんなんばっかで、ほんっと~に、済みません。」

 ところが、茜を庇った多恵の発言を彩峰がちゃかすと、それまで繰り広げていた独演会をピタッと止めて、美琴までもが多恵に呆れかえったかのような発言をする。
 そんな2人の発言に多恵が切れ、訛り丸出しで大声を出す。
 腹を抱えてけらけらと笑う美冴に、茜は耳まで真っ赤に染めて、米つきバッタのように繰り返し頭を下げて誤り倒すのであった。

「遙、今年の新任達は個性的で飽きないと思わない?」
「そうかなあ、みんないい子だとおもうけど?」
「あはははは……そう言えば、私達のぉ世代も先任に似た様な事ぉ言われてたわよ~。勿論、水月ちゃん達もぉ含めてよ。」
「ぐ……」「そ、そうだったんですか?」
「ね、姉さん! いくら同期だからって、もう少し言い方ってものが……」

 そんな茜達の騒ぎを傍から眺めて、水月が楽しげな笑みを浮かべながら遙に同意を求めるが、遙はほんわかと笑って首を傾げた。
 そんな2人を、訓練学校の同期でありながら、夏の総戦技演習に合格したが故に、明星作戦と言う死の坩堝を体験する羽目になった葵が、にっこりと笑いながら懐かしそうに昔を思い出して発言する。
 その言葉に、水月は言葉に詰まり、遙は恥ずかしげに肩をすぼめた。
 如何に同期生で先に任官したとは言え、隊内の指揮序列では上位となる水月と遙に、新任の前だと言うのに遠慮会釈の無い発言をする葵。
 そんな葵に、慌てて紫苑が注意を促した。

「ん? 水代中尉は、速瀬中尉、涼宮中尉と同期でいらしたか。
 私は第2期生でおられるのかと、愚考しておりました。」
「ほら、私とぉ葉子ちゃんは、大学に進学したぁ後に志願入隊したから、訓練校のぉ3期生なのよ。
 だから、水月ちゃんやぁ遙ちゃんとは同期だったんだけど、任官時期は私達のぉ方が先だったの。」
「「「 ……………… 」」」

 小首を傾げて、自身の誤りを修正しようと問いかける冥夜に、葵はおっとりと笑顔で応える。
 そんな葵の言葉と態度に、しかし、水月と遙、そして紫苑の表情から感情の色が一瞬だけ拭い去られる。
 それをしっかりと目の端に捉えた冥夜は、恐らくそれが明星作戦参加の分かれ目になったのだと悟り、それ以上の追及を断念し話題を変える。

「―――なるほど。しかし、私の同期達はそれほど個性的でありましょうか?」
「何言ってんのよ、御剣。そんなの、あったりまえでしょうが!」
「ね、ねえ、水月……あのね、私も私達先任と比べて、そこまで違うかなって、その、思うんだけど……」
「ま、まあ、涼宮の言う事にも一理あると僕も思いますよ、速瀬中尉。」
「そうでしょ? 紫苑もそう思うよね?」

 話題を逸らそうと、自分達の同期の話に話題を引き戻した冥夜に、水月が自覚が無いのかとばかりに言葉を返す。
 しかし、そんな水月に遙が困った様な笑みを浮かべて異論を提示し、紫苑も個性派の代表格の様な姉を見ながら、遙の意見に同意する。
 そんな妹の気持ちも知らずに、葵は嬉しそうにそんな紫苑の言葉を受け入れる。
 殆ど四面楚歌の様な状況に追い込まれた水月は、脳裏で同期の個性派代表と見做している孝之の顔を蹴り飛ばしたが、その途端にどこか似た雰囲気を持つ武の顔を連想し、そのお陰で反論を思い着く事が出来た。
 思い立ったが吉日とばかりに、水月は席を立って胸を張り、自信満々に大声を張り上げて、思い着いた反論をぶちまける。

「な、何言ってんのよ! あんたらの同期には白銀がいるでしょうが!!
 あんな変な奴、前代未聞に決まってるわよ!!!」

 ―――そして、言い終えた次の瞬間に、水月は全員の注目を浴びている事に気が付くのであった。

「ふむ。確かに、白銀は色々な意味で前代未聞かもしれないな。宗像、貴様はどう思う?」
「まあ、あんな奴がそうそうそこらに転がっていたら、堪った物ではありませんが……」
「あら、美冴さん。白銀大尉が大勢いたら、人類は一気に優勢に立てるのでは?」
「ふん! あんなの1人いれば十分よ! 私達が白銀の成果を十分に役立てれば、BETAなんか蹴散らしてやれるわ!!
 大体、あいつは、18にもなんない癖に生意気なのよ!」
「う~ん……確かに年に似合わない面も多いよね……茜達はどう思うかしら?」

 水月が大声で叫んだのを機に、みちるは武の人物評に話題を意図的に移した。
 現状でさえ、A-01に於ける武の存在は大きいが、その存在の重さは今後増大するばかりであろうとみちるは考えている。
 それ故に、みちるはこの機会に部下達の腹蔵の無い意見を聞いておくべきだと判断したのだ。
 それと察した美冴、祷子、水月が、話の流れを作り、その流れを受けて遙が妹の茜に意見を述べるように促す。
 名指しされた茜は、少し口ごもった物の、きっと顔を上げて発言した。

「白銀は確かに優秀ですけど、言動が突飛で風変わりすぎます!
 既に、大尉に昇進して、A―01の次席指揮官になったんですから、もう少し自覚を持つべきだと思います!」
「そ、そうだよね。何時までも新任気分でいられたら困るよね、茜ちゃん。」
「確かに、白銀はもう少し自分の立場ってものを弁えて行動すべきだとは、私も思うわ。」

 茜は出会って以来抱え込んでいる、武に対する競争心から生じた、自分の理想に合致したライバルであって欲しいとの想いを、理論武装した上でぶち上げた。
 それに、茜の言う事には常に賛成、とばかりに多恵が追従し、茜と似た思考を持つ千鶴も茜の意見に同調する。

「そ、そんな事はないんじゃないかな~。白銀君の言動は確かに突飛で風変わりだけど~、だからこそ、従来にない発想ができるんじゃないかな~。」
「そうだそうだっ! 智恵、良く言ったっ!!」
「白銀は確かに規格外……だけど、それが長所でもある……」
「そうだね~、確かにタケルの規格外な所を抑圧したら、却ってタケルの長所を打ち消しちゃうかもしれないね~。」
「たけるさんは、今のままのたけるさんで良いと思います。」

 武への厳しい意見に対し、椅子を蹴るように立ち上がった智恵が、懸命に武擁護の発言をする。
 それを月恵が応援し、彩峰も千鶴を睨み付けるようにしながら反論を展開。
 美琴も腕組みをしてうんうんと頷きながら、もっともらしい発言をしてみせ、壬姫は全面的に武を肯定して見せた。

「そなたら、少し待つが良い。
 タケルは決して、自らの階級に相応しい振る舞いが出来ぬ訳ではないぞ?
 その場その場に合わせて、例え風変わりな流儀であっても、相応な態度で接していると私は聞き及んでいる。」
「うん。白銀は、あれで結構自身の言動を計算して振舞っている所があると、僕も思うな。」
「佐伯先生や、草薙先生も、白銀君のぉ教導は褒めてましたよ? ねえ、葉子ちゃん。」
「うん……」
「白銀は、やれば出来る子……」

 そこへ、悠陽や紅蓮、月詠などから、武に対する人物評を聞いている冥夜が、対外的に見せる武の振舞いについて証言する。
 すると、紫苑が考え考え意見を述べ、葵と葉子も佐伯や草薙の武に対する評価を披露した。
 それに、何故かしたり顔で彩峰が呟く。

「でも、それは相手が偶々寛容だっただけかもしれないでしょ?」
「あんたは頭が堅過ぎ……」
「なんですって~!!」
「こらこら、榊、彩峰。議論は良いが、口論は後にしろ。」
「ッ! 済みません、大尉。」「……了解…………」

 彩峰の発言に、千鶴が噛みつき、いつもの言い争いに発展しかけた所で、みちるが割って入って未然に防ぐ。
 そして、千鶴と彩峰が矛を収めた所で、美冴がこれまでの意見を総括する。

「つまるところ、白銀の言動は常軌を逸している所が見受けられるが、それは長所ともなっているし、本人もある程度自覚して制御している節があると、そんなところかな?」
「でも、宗像中尉! 白銀の思想や判断基準が同じ日本人とは思えないほど乖離してます!
 あれでは、帝国内で不要な反感を受ける可能性もありますッ!」
「そんなの、別にかまわないじゃないの~。私達は~、国連軍の所属なのよ~。」
「うむ、それにタケルはあれで、帝国臣民の想いについても深く理解している節もあるぞ。」
「でも、郷に入っては郷に従えって言うでしょ? 国連軍所属でも、私達は帝国民だし、次の作戦では帝国軍と協同して戦うんだよ?」

 美冴の総括を聞き、武の無軌道さが長所として看過されようとしていると考えた千鶴は、語調を荒げて発言する。
 それに対して、智恵が即座に反論し、そんな智恵の様子に意外そうな顔をしながらも冥夜が言葉を足す。
 そこで茜が千鶴の援護に乗り出した事で、事態は再び議論が紛糾する方向へと加速する。

「まあ待て、榊や涼宮だって白銀を案じて言っているんだ。高原もそうむきになって反論するんじゃない。
 それに、我々国連軍は帝国以外の各国軍とも共同で任務に当たる可能性は高い。
 それほど、帝国風の価値観に拘る必要も無いだろう。
 ところで柏木、貴様だけ発言して無いのだが、貴様は白銀をどう思っているんだ?」

 しかし、そこに美冴が仲裁に割って入り、双方を宥めた後、話を晴子に振った。

「え? 私の意見ですか? そうですねえ~………………
 白銀は、ただひたすらにユニーク(唯一無二)って事でいいんじゃないですか?
 多少周囲から浮いたって、白銀なら実力と実績で有無を言わせない事もできるようになると思いますしね。」

 事態の推移を興味深げに傍観していた晴子は、突然の指名を受けて少し考え込んだが、にっこりと満面に笑みを浮かべるとそう言い切った。
 その言葉を受けてみちるは立ちあがり、手を叩いて全員の注意を集め事態の収拾にかかる。

「そうだな。今の所は、白銀によって状況は明るい方向へと推移している。
 従って、少なくとも差し当たっては柏木の言うとおりで構わないだろう。
 別に白銀を無批判で受け入れろと言っている訳じゃないぞ?
 見習うにしろ、反面教師にするにしろ、白銀はなかなかに得難い教材だ。
 白銀が我々の前に現れてから、未だ2カ月と立ってないんだ。
 今はまだ、奴の発想や言動をじっくりと見定めていれば十分だろう。
 少しばかり、この話題は盛り上がり過ぎたようだな。
 この辺りで、風間のヴァイオリンでも聞かせてもらうとしよう。」

 みちるの発言により、一旦歓談は中断される事となり、机や椅子を移動して、即席のステージが作られる事となった。
 みちるの指示に素直に従うヴァルキリーズの面々だったが、智恵は些か不完全燃焼といった感じで、不満げな表情をしている。
 そして、そんな智恵から視線を外せずにいるのが、冥夜、千鶴、彩峰、壬姫、美琴の5人であった。

(いつも穏やかな、高原らしくない態度であったな。あれほどタケルを庇うとは、何かあったのであろうか?)
(私も少しむきになってしまったわね。高原には悪い事をしてしまったかも……でも、なんだって高原はあんなに白銀の事を擁護したのかしら……)
(どうやら、高原には要注意だね。意外な所に伏兵が居た。油断できない……)
(高原さん、一生懸命たけるさんを弁護してたよね。でも、壬姫だってたけるさんへの想いなら負けないんだから!)
(う~ん、やっぱりタケルは人を惹き付けるんだなあ。でも、ボクとタケルの絆は共に乗り越えた数々の冒険で鍛え上げられてるんだから、慌てる必要はないよね?)

 武に向けられる周囲の視線は、その数と密度を次第に増しつつあった。
 その視線の向こうにある想いに、果たして武は気付いているのであろうか……




[3277] 第110話 年上の女性(ひと)
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/03/23 17:32

第110話 年上の女性(ひと)

2001年12月16日(日)

 21時42分、国連軍横浜基地のシミュレーターデッキに於いて、大東亜連合軍第3次横浜基地派遣戦術機甲大隊が、教導の仕上げともいえる最後の演習を行っていた。

「くそっ! またやられちまったッ!!」

 また1人、大東亜連合軍の衛士が、操っていた遠隔陽動支援機を撃墜されて毒吐く。
 しかし、その直後には戦線後方で待機する新たなる陽動支援機を割り当てられ、その衛士はもう何度目とも知れない地獄へと噴射地表面滑走で舞い戻って行った。

 シミュレーターの仮想空間の中、荒野の先に聳え立つのは『甲20号目標』―――鉄源ハイヴの『地上構造物(モニュメント)』。
 そして、その手前の荒野に無数に存在する『門(ゲート)』からは、無尽蔵にBETAが湧き出してきていた。
 それらのBETAの狭間で、小刻みに噴射跳躍を繰り返してBETA群の陽動を果たしながら、機会を捉えてはレーザー属種に肉薄し撃破していく38機の遠隔陽動支援機達。
 また、戦場には遠隔陽動支援機以外にも、随伴輸送機の姿もあり、犇めくBETAの合間を縫う様にして陽動支援機に武器弾薬を届けていた。

 シミュレーションのシナリオはBETA総数無制限、遠隔陽動支援機数無制限―――つまり、演習の制限時間一杯まで何度落とされても終わる事のない過酷な演習であった。
 その演習で、未だ1度も撃墜される事無く、BETA達を翻弄し続ける2人の衛士が居た。
 それは、大東亜連合軍の衛士等を教導する立場にある、武とまりもの2人である。

 2人は、苦戦している衛士の許に駆け付けては、最低限の砲撃と断続的な空中機動を繰り返し、周囲のBETAを誘引しては苦境に陥った衛士が態勢を立て直す猶予を作り出す。
 そして、二言三言アドバイスを告げては、更に次の激戦地へと転戦していくという事を繰り返していた。
 その最中にも、2人はレーザー属種の位置を把握し続け、機会を見出しては周囲の陽動支援機を抽出し、強襲部隊を編制してレーザー属種の数を削りに行く。

 推進剤や燃料が尽きそうになれば、速やかに戦線後方へと機体を下げ、自律制御で補給拠点まで帰還可能な状況に持って行くと、予め戦線近くへと移動させておいた補給済みの陽動支援機に速やかに操縦を切り替えて、即座に前線へと舞い戻る。
 未だ教導を受けて1週間に過ぎない大東亜連合軍の衛士達にとって、目指すべき高みを体現して見せる武とまりもの姿がそこにあった。

 そして、無数のBETAの最中で縦横無尽に舞い踊り翻弄し続けながらも、まりもは大陸で戦った日々を思い出していた。

(ふう……あの頃とは、段違いに楽ね……)

 自分一人生き残ってしまったあの初陣の後、まりもは大陸で我武者羅にBETAと戦い続けた。
 初陣の惨劇により、まりもはBETAに対する恐怖を心の底まで刷り込まれてしまっていた。
 BETAのおぞましい姿を思い浮かべる度に、体が震え、恐怖に負けてまりもは全てを投げ出したいという強い誘惑に駆られてしまう。

 しかし、その度に恐怖と共に―――いや、恐怖さえも焼き尽くすが如くに沸いてくるのは、仲間達をまりもから奪い去ったBETAへの怒りと憎しみ。
 訓練で、そして実戦でBETAに相対すれば、恐怖は怒りと憎しみで吹き飛ばされて、まりもはBETAに襲いかからずにはいられなかった。

 上官からは、度重なる独断先行を叱責された事もある。
 しかし、当時の大陸での戦いは、BETAと接敵してしまえば即座に混戦へと転じてしまい、BETAの物量に押し切られて敗走に移るまでどれだけ時間を稼げるかどうかといった悲惨なものであった。
 その最中でまりもは、先陣を切り、時には上官の静止すら振り切ってBETAの群れに飛び込んで行くのだが、その行為は自暴自棄とは最後の一線を隔したものであった。

 BETAが憎かった、姿を見れば襲いかからずには居られなかった―――しかし、まりもがなによりも恐れたのは、仲間達の―――殊に訓練校時代に好敵手であった新井の犠牲と引き換えに生き延びた自分が、BETAに殺されてしまう事であった。
 自分が戦死してしまえば、仲間達の死が無駄になる―――自分は仲間達の分までBETAと戦う義務がある―――まりもは、まるで強迫観念の様に頑なにそう思い続けていた。
 それ故に、BETAと戦いながらも、常に自身の退路を探り、確保し、BETAの死の顎(あぎと)を擦り抜ける事だけは決して忘れなかった。

 撤退戦の時、殿(しんがり)で戦い続けたのさえ、レーザー属種の照射が恐ろしかったからであった。
 初陣でレーザー属種の照射の恐ろしさを知ったまりもは、新たに配属された部隊で先任達を捕まえては、レーザー属種に対抗する方法をしつこい位に訊ねて回った。
 その結果、友軍誤射を決してしないレーザー属種の照射を免れるには、BETAの群れの中に身を投じるのが最善との結論に達したのである。

(―――でも、接地機動だけでBETA群の中を逃げ回るのは大変だったわね。)

 上空に飛び上がれば即座に照射を受けて撃墜される―――それは当時の―――いや、極最近までの常識であった。
 それ故に、BETA群の最中に身を投じた上で尚生き延びる為に、まりもは周囲のBETAの動きを逐一把握し、常に退路を確保しながら戦うという、秒単位で神経を擦り減らすような戦い方を身に付けた。
 当時の上官は、まりものそんな戦い方にさじを投げ、囮にしていた節さえある。

(今にして思うと、陽動支援機と似た様な役回りだったのかもしれないわね。
 けれど、XM3と3次元機動がある今なら、あの頃よりも格段に楽だわ。
 ―――まあ、最初は照射警報を聞く度に機動を止めそうになっちゃったけど……)

 XM3の前身である試作OSの慣熟訓練を始めた頃、まりもは武の3次元機動を模倣してレーザー照射警報を受ける度に身が竦んでしまっていた。
 恐らくは、みちる達ヴァルキリーズの先任達も同じだったであろうと、まりもはそう推測している。
 従来OS搭載の戦術機でBETAと戦ってきた者にとって、レーザー照射警報とは死の宣告とほぼ等しいものだったからだ。

 しかし、XM3の導入と、噴射跳躍と反転噴射降下による小刻みな跳躍により、レーザー照射を周囲のBETAを盾として振り切るという戦術が可能となった今、それは既に過去のものとなっている。
 今では、噴射跳躍を開始した時には、既に反転噴射降下から着地に至るまでを、コンボとして先行入力を済ませておくのがセオリーとなっている。
 しかも、そのコンボは分岐コンボとなっており、状況の変化に応じて初期設定の着地点を、XM3が自動的に割り出した他の着地点候補に切り替えたり、着地点確保の為の攻撃を組み合わせたりする事まで可能となっている。
 大陸で戦っていた当時、攻撃も回避も、周辺BETAの把握から退路確保まで、全て自分の頭一つでやらねばならなかった事を思うと、まりもは衛士にかかる負担の少なさに驚愕せざるを得なかった。

(従来の戦術が染みついた衛士では、XM3を使った白銀の3次元機動を習得するには、どうしても抵抗感が付きまとうでしょうね。
 となれば、戦術機に乗り始めた時から、XM3と白銀の機動概念で鍛え上げた衛士の方が、より容易に高い練度に達する事が出来る筈……
 来年度以降の衛士訓練兵への教導、今まで以上に力を入れなきゃならないわね。)

 大東亜連合軍の衛士等が、必死で集中力を掻き集めて喰い下がっている演習の最中、まりもの思考は既に来年度の衛士訓練学校での錬成へと向かっていた。
 如何に湧き上がってくるBETAに限りが無くとも、たかだか3時間程度の演習で陽動を続ける事など、武は元よりまりもにとっても大して困難な事では無くなっている。
 大東亜連合軍衛士等が、畏怖と羨望の視線を浴びせる中、最後の教導となる演習は幕を閉じた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 23時02分、まりもは自室で武の訪いを待っていた。

 大東亜連合軍への最後の教導を終えた後、一旦武と別れたまりもはシャワーを浴びて汗を流し、合成玉露を淹れる準備を整えていた。
 事前に、教導が終わった後で相談があると武から聞いていた為であるが、武と2人で帝国陸軍や大東亜連合軍の衛士等の教導を行う様になって以来、武をこうして自室に招く事は珍しい事ではなくなっている。
 教導に関する相談や打ち合わせなどをする機会が増え、最初の頃こそ、武がブリーフィングルームを抑えていたのだが、打ち合わせはどうしても夜間訓練の済んだ後の、夜も遅い時間となってから―――しかも教導以外の武の任務が済むのを待ってからという形になる事が多い。
 その為、まりもの待機時間が長くなってしまいがちだったので、自然とまりもは自室で過ごしながら武が時間が空き次第訊ねてくるのを待つ方式へと変わっていったのであった。
 尤も、それも教導が終わってしまった以上、今日を境に途絶えてしまうのかと思うと、まりもの心に寂寥感が滲みだしてくる。

「白銀です。神宮司中尉、入ってもいいですか?」

 まりもが寂寥感に苛まれそうになった時、ノックと共にドア越しに武の声が投げかけられた。
 武の声にまりもは応じながら立ち上がり、ドアを開いて武を室内へと招き入れる。
 武は礼を言いながら、慣れた様子で室内の椅子に腰かけ、まりもは合成玉露を手際よく淹れて湯呑みと急須を盆に載せると、自身もベッドに移動して腰掛ける。
 何時もの打ち合わせでは、ベッドと椅子の間に置かれた折り畳み机に資料やら端末やらが置かれるのだが、今日の武は手ぶらであった為、そこには茶器しか置かれていなかった。

「えっと、まずは教導任務、お疲れさまでした。
 手伝って貰えて本当に助かりました。」

 そう言って頭を下げる武に、まりもは同様に頭を下げながら応える。

「どういたしまして。白銀大尉こそお疲れさまでした。
 教導の経験があるとは聞いていたけど、なかなか堂に入った物だったわよ。
 で、今日の用事は何かしら?」

 まりもが、やんわりと笑みを浮かべて問いかけると、武は少しすまなさそうな顔をして用件を切り出す。

「教導が終わったばかりで、疲れている所なのに悪いんですけど、ちょっと個人的に相談に乗って欲しいんです。
 夕呼先生に相談すると、からかわれるのが目に見えている内容なんで、まりもちゃん意外に頼る相手が思い浮かばなくて……」

「個人的に相談ねえ……白銀君にしては歯切れが悪いわね。
 まあ、いいわ。あたしでよければ相談に乗るから、遠慮しないで話してちょうだい。」

 まりもが武と共に教導任務に従事するようになって、既に1カ月近くが経過している。
 長年唯一の衛士訓練学校教官として、実質的に同僚無し、上司は夕呼のみといった環境で過ごしてきたまりもは、長期に亘って誰かと同じ任務に着くという事が絶えてなかった。
 それに加えて、武は夕呼の為人にも詳しく、オルタネイティヴ4にもまりも以上に深く関与していると知れている。
 おまけに武は、まりもが諦めた夢である教職に就いた自分と言う、実に魅力的な話題を提供してくれる人物でもあった。

 武の希望で任務中以外の2人きりの場では、階級抜きでの付き合いをという約束になっていた事もあり、この1カ月の間に、まりもの武への態度はだんだんと砕けていき、生来の振舞いへと近付いていった。
 そして、夕呼の傍迷惑な行いの数々についての愚痴を零し、教師になった自分の話を聞き、そこでも夕呼に振り回されている事を知って涙し、武に『神宮司先生』と呼ばせて悦に入ったりしている内に、すっかり自身を鎧っていた軍人としての仮面を取っ払ってしまい、神宮司まりもと言う1個人として接するに至っていた。
 『白銀君』という呼び方も、教師となった自分がそう呼んでいたと聞いてふざけて真似てみたのが始まりであったが、階級抜きで接するに際しては意外と的確な呼称であった為、そのまますっかり定着してしまっている。
 まりもも武も、任務中には態度をしっかりと切り替え公私を混同する事が無かった上、任務中以外でもまりもの評判に配慮した武が、第三者の居る場では必ずまりもに敬意を払って接して見せた為、まりもの問題意識が刺激される事も全く無かった。

 かくして今では、武はまりもにとって夕呼よりも気兼ねなく、素の自分で接する事の出来る貴重な人物となっていたのである。

「実は、教導も今日で実質的に終わりましたし、作戦も近いですから明々後日からはオレもヴァルキリーズと合流して、斯衛軍や帝国陸軍との合同連携演習に参加する事になってるんです。
 まあ、演習に参加するのは全く問題ないんですけど、必然的にヴァルキリーズと終日行動を共にする事になっちゃうんですよね。」

 思案顔でそう言う武に、まりもは不思議そうな顔をして訊ね返す。

「それがどうかしたの? 白銀君は任官前からヴァルキリーズとは顔合わせしてたし、任官後は教導任務で別行動してたけど、食事やヴァルキリーズの演習状況の確認で何度も顔合わせしてたんでしょ?
 それを一体、なんだって今更気にする事があるの?」

「確かに今更なんですけどね……」

 まりもの言葉に同意を示す武だったが、頭を垂れて深々と溜息を洩らすその姿は、言葉に反して心痛の種を抱えていると如実に語っていた。
 そんな武の様子に、まりもは重たくなった場の空気を変えようと、軽口を叩いてみたのだが―――

「あ、解かった! 白銀君、ヴァルキリーズの誰かに告白でもして振られちゃったんでしょ~。
 なんだったら、あたしが優しく慰めてあげるわよ?」

 まりもは、自分の言葉に武が赤面して反論して来ると予想していた。
 が、武は正に図星を突かれたかのように両肩を落とすと、先程よりも更に深い溜息を吐く。

「はぁ~~~~~……あー、いやオレは告白なんてしてませんよ?
 ただ、どうもこのままいくと、間もなく告白されそうなんで困ってるんです。
 何故分るかって言うと、他の確率分岐世界の記憶で『甲21号作戦』の前夜に告白された事があるんですけど、どうもその時と告白してきた相手の素振りが似てるんですよ。
 でもって、これがまりもちゃんに相談に乗って貰いたい本題なんですけど、どうやって断ったら一番相手を傷付けずにすむんでしょう。
 ………………えっと、まりもちゃん、ちゃんと聞いてます?」

「え?!…………あ、ああ、なるほど……そ、そういう事な訳ね……
 そ、そっか……白銀君に告白する娘がいたんだ…………あ、でも白銀君、大東亜連合軍の女性衛士達の誘惑は上手く受け流してたじゃないの。
 わざわざあたしに相談しなくても、上手く対処できるんじゃないの?」

 武の予想外の言葉に、呆然としていたまりもだったが、武に呼びかけられると慌ててそれらしい受け答えを捻り出した。
 しかし、武は首をゆるゆると横に振り、力無く反論する。

「大東亜連合軍の女性(ひと)達とは、全然事情が違いますよ。
 あっちはどうぜこっちに派遣されてくる前に、色仕掛けで誘惑して少しでも情報を聞き出せとでも言われて来たんでしょうからね。
 そうと解かっていれば、別にオレだって真剣に悩んだりしませんけど、ヴァルキリーズの衛士ともなれば、オレにとっては家族も同然の仲間です。
 なるべく穏やかに、極力悪影響が出ないようにしたいんですよ。
 だけど、オレはこっちの世界の恋愛事情は、全く理解できてませんし……」

 武のその言い草に、まりもは内心密かに溜息を吐いた。

(そりゃあ、最初は確かに白銀君の言うとおりだったけど、途中から彼女達全員本気だったわよねえ。
 はぁ~、夕呼から聞いてはいたけど、これは筋金入りの鈍感ね~。
 いまどき若い男性は貴重なのに……はっきり言って、女の敵よね。
 なんだか、少し腹が立って来たかも……)

 ほんの僅かな時間だけであったが、武から視線を逸らして思いに耽ってしまったまりもが、ふと視線を戻すと自分をじっと見つめている武とばっちり目が合ってしまう。
 慌てて自らの思考を振り払って、まりもは言葉を見繕う。

「そ、そうねえ……あ、でも家族同然だって言うなら、告白を受け入れて付き合っちゃってもいいんじゃないの?」

 家族同然なのだったら、兄弟だろうが夫婦だろうが大差ないだろうと、苦し紛れに暴論を展開するまりもだったが、その言葉を聞いた武は、脱力して折り畳みテーブルに上半身をぐったりと伏せてしまう。
 そんな武の頭の辺りから、弱々しい声が絞り出される。

「無茶言わないでくださいよ~。それに、オレの記憶通りなら2人同時に告白して来るんですよ?
 どっちか選んだって、もう片方は断らなきゃなんないじゃないですか……それに―――」

 と、そこまで話した所で、ほとんど泣き事の様な口振りで話していた武が、ゆらりと上体を起こすとそれまでとは打って変わって真剣な表情で言葉を続けた。

「―――それに、オレは誰とも付き合う気はありません。
 いえ、付き合う訳にはいかないんです。」

 まりもは、そう言い切った武の瞳を正面から覗き込み、そこに苦悩と後悔と覚悟と信念を見出した。
 それ故に、武の意志が揺るがないと確信したまりもだったが、それでも理由を問い質す。

「どうして、誰とも付き合えないの?」

「今のオレにとって、他の確率分岐世界での記憶はオレ自身の根幹を成すものです。
 それらの記憶はオレ自身の過去であり、オレはその延長線上に存在している……
 だから、悪い言い方をするならオレはそれらの記憶に捉われています。
 その記憶の中で、オレは大切な人達―――仲間達を幾度も喪って、とても―――とても大きな、過ちも犯してしまってるんです。
 だから今のオレは、そんな過ちや悲しい出来事を繰り返したくない一心で、他の事に割ける心のゆとりなんてないんですよ。
 ましてや、恋愛だなんて……」

 まりもの問い掛けに応え淡々と説明する武だったが、まりもは、そんな武の表情の微かな揺らぎから、武の自虐的とすら思えるほど強い自責の念を嗅ぎ取る。
 そんな自分の感触に眉を顰めたまりもだったが、即座に表情と声色を取り繕うと、武に対して慎重に探りを入れた。

「そう……確かに、白銀君の取り組んでいる事は人類全体に影響を及ぼす重要な案件よね。
 でも、それならはっきりそう説明して、BETA相手の戦いが一段落するまで待って貰ったらどうかしら?
 そうなれば、白銀君だって、自分の恋愛に時間を割く事だって出来るんじゃない?
 まあ、相手の娘がそれまで待っててくれるかまでは、解からないけど……」

 極力何気ない風を装って、まりもは武に留保案を提案し、将来の可能性を提示して見せる。
 しかし、それに対する武の反応は、まりもが恐れた通りの否定的なものだった。

「それじゃ駄目です。オレは―――オレはもう、二度と誰かを恋人にするつもりはありませんから。」

「どうして? 何故白銀君はそんなに頑なに拒否するのかしら?
 今は余裕が無くても、将来余裕が出来たなら、恋愛くらいしたって良いじゃないの。
 ―――それとも、そうしたくない……もしくは、そうできない理由でもあるの?」

 静かに首を横に振る武に、まりもは更に慎重に問いを投げかける。
 武は僅かに逡巡した後、息をひとつ吐いてから、再び口を開く。

「―――そう、ですね……1つには、生意気に聞こえるかもしれませんけど、恋愛はもうたくさんだって気持ちもあります。
 オレの記憶の中には、断片的で曖昧にですけど、何人かの女性と結ばれて相思相愛になった記憶もありますからね。
 あ、一度に複数って事じゃないですよ? 各々の確率分岐世界で違う人と…………だと、思います。
 曖昧なんで、その辺断言できないですけど……」

 まりもに説明しながら、武は『恋人達』との記憶を思い返す。
 それらの記憶の中で、実感を持てるのは『干渉世界群』で純夏と想いを交わした事くらいで、それ以外の記憶は主に記憶流入のフラッシュバックによって取り戻した断片的なイメージだけであり、武はそれらにあまり感情移入できずにいる。
 しかし、最初のループのオルタネイティヴ5が発動した世界での、『恋人達』との記憶にはどうしても拭い去る事の出来ない、強烈な悲しみの感情が伴っている。
 『干渉世界』で、想いを交わし合った筈の純夏が記憶流出で武の事を忘れてしまい、更には大怪我を負ってしまうという悲惨な結末に終わってしまった事もあり、武はすっかり恋愛に臆病になっていた。

 ましてや、『干渉世界群』で武と想いを交わした記憶を持つ『この世界』の純夏の想いを、受け入れられないと拒絶している身の武である。
 他の女性から如何に想いを寄せられたとしても、武は到底受け入れる気にはなれなかった。
 そして、何よりも―――

「それに、まりもちゃんにだから言えますけど、オレに他の確率分岐世界のオレの記憶が流入したように、『この世界』のオレの記憶が他の確率分岐世界のオレに流入する可能性もあるんです。
 今の所、『この世界』はオレの記憶の中のどの世界よりも、事態が順調に推移してます。
 だから、この記憶をオレはできるだけ他の確率分岐世界のオレに届けてやりたいんです。
 ところが、さっきも言った通り、何故か恋人を得ているオレの記憶は断片的で曖昧極まりないものになってしまいます。
 それも、恋人との記憶だけじゃなく、その前後を含めた期間の全ての記憶が曖昧化してしまうんです。
 多分、恋愛感情を強く抱く事で、客観的な記憶が塗りつぶされているのかもしれません。
 その割に、恋人と過ごした記憶自体も曖昧なんですけどね……」

 ―――何よりも、武が再構成の際に記憶を継承する為の条件である、純夏以外の誰とも結ばれない事。
 支配的因果律を改変する為、再構成を可能な限り繰り返し、より良い確率分岐世界を多数発生させる為に、この条件を武はなんとしても固持する覚悟だった。
 そして、因果導体で無くならない為には、武は純夏とも結ばれてはならない。

 武自身にとっては既に覚悟を済ませている事柄であり、今更この件で迷ったり苦しんだりはしないのだが、大切な仲間達がこの件で傷つく事は、可能な限り避けたいと武は思う。
 それ故に、武はこうしてまりもに相談しているのである。

「まあ、そんな仮説はともかく、そういった経験則からして、オレの記憶を可能な限り明瞭に届ける為にも、オレは今後一切恋愛をする気がありません。
 なもんで、下手に期待させないできっぱりと断りつつ、なるべく相手を傷付けない方法が無いか悩んでるんですけど、なにか、良い方法ってないですかね?」

 ようやく本題を語り終え、武は一息吐くとまりもの応えを待つ態勢になった。
 そんな武に、まりもは最後の確認と言うべき問いを放つ。

「でも―――白銀君、ほんとにいいの?
 それじゃあ、君の人生があまりに無味乾燥なものになってしまうんじゃないかしら?」

 まりもが武の真意を測る為に投じたその言葉に、しかし武は至って何でもないように、無造作に応える。

「オレの事なんてどうでもいいんですよ。
 オレは、ヴァルキリーズのみんなや、霞、そして、まりもちゃんや夕呼先生、他にも知りあって大切だと思えた人達が、この戦いを生き延びて幸せになってくれればそれで十分なんです。
 だからこそ、オレなんかを想って、時間を無駄にして欲しくないんですよ。」

 武のそんな応えを聞いて、まりもは自分の懸念が的を射ていた事を確信した。
 そして、武の問いの答えを模索する振りをしながら、全く別の事柄を思案する。

(ッ!―――やっぱり……白銀君は、自分自身の事はすっかり放り出してしまって、仲間の幸せだけを追い求めてるんだわ。
 人類に勝利をもたらす為のあれこれも、きっと仲間達が平和に暮らせる世界を作る為なのね……
 多分、あたしが訓練校の同期達への贖罪を忘れられないように、白銀君も決して捨てられない想いを抱いてるんだわ。
 でも……だからって、そこまで何もかも投げ出してしまわなくたっていいのに…………
 それに、白銀君は仲間が幸せなら自分も幸せだから、それで十分だと思っているようだけど、白銀君自身の幸せも仲間達の幸せに含まれるかもしれないって事を見落としているわ。
 けど……そうね……それを指摘するには、まだ時期が早いかもしれない……
 もう少しBETAとの戦いが優勢に傾けば……うん、白銀君はまだ若いんだから、それからでもきっと間に合うわ……)

 武の抱えている問題に気付いたものの、現時点で武にそれを指摘した所で、武が為している大事の前では些事として片付けられてしまうと判断し、まりもはこの件を今は心中奥深くに仕舞っておく事にする。
 そして、武の相談に応えるべく、状況をまとめようと口に出して要点を確認していく。

「―――なるほどね。白銀君は今も未来も、自分に寄せられる想いに答える心算は無い。
 だから、相手にその点をしっかり伝えて、相手が時間を無駄にしたりしないようにしたい。
 けれど、今後一切恋愛をしない理由は、夕呼のトンデモ理論に基づいてるから説得力が無い。
 おまけに、出来る事なら相手をなるべく傷つけたくない……こんなとこかしらね?」

 まりもが言葉を切って武を見やると、武は黙って頷きを返す。
 それを確認したまりもは、大きく溜息を吐くと、武に言い聞かせるように話を続けた。

「でもねえ、白銀君。
 今のご時勢、帝国の男性がBETAとの戦いで大勢喪われてしまっているって事は知ってるでしょ?
 そんな中、君はすこぶるつきの優良物件なのよ?
 衛士としての腕は優秀、階級だってその歳で既に大尉だし、その上BETA大戦の趨勢をも左右する様な新戦術や装備群の発案者。
 おまけに顔立ちもそれなりに整っていて、性格が破天荒過ぎるとは言え基本的に優しくて面倒見がいい。
 これだけ好条件の揃った10代の日本人男性なんて、まず居ないのよ?
 周りの女の子達が放って置く訳がないでしょ?」

「そんな! 人を好きになるのに、条件の善し悪しなんて二の次じゃないんですか?!」

 まりもの言葉に異論を唱える武だったが、同時に『前の世界群』で智恵と月恵、そして柏木から似た様な意見を聞かされた事を思い出していた。
 あの時、この世界の女の子の恋愛事情について聞いたからこそ、武は今こうしてまりもに相談しているのである。
 しかし、結局あの世界では、武は『甲21号作戦』終了後彼女等と再び会う事は無かった為、実感も湧かなければ心の整理も出来ないまま、今回のループの再構成へと至ってしまっていた。

 実際、この手の問題となると、武は正直お手上げである。
 リーディングでも使えば別だろうが、武としてはそれだけは極力避けたいと思っている。
 こういった件では夕呼が今一つ信頼出来ない以上、まりもが最後の頼みの綱なのだが、どうも話の流れは武の希望と異なる方へと流れているようで、武は不安に駆られてしまう。
 そんな武を、少し微笑ましく思いながらも、まりもはこの機会に武をもう少し鍛えておく事にする。

「まあ、一目惚れを否定する心算は無いけど、結局は恋愛って相手を好きか嫌いかって事よね?
 最初は打算でも好奇心でも運命的な出会いでも、そこから相手と自分の気持ちを秤にかけて、最終的に好きか嫌いかを判断する訳じゃない?
 それって詰まりは、条件判断も一緒に済ませてるってことでしょ?」

 まりもの言葉に、不本意ながらも一応の理解を示し、武は大人しく聞き入っている。
 その様子に、内心で笑みを浮かべながらも、真面目な顔でまりもは話を続ける。

「それにね、白銀君―――幾ら君が頑張って死傷率を下げる方法を考案したとは言っても、今までこの世界で育ってきた人間は、死の匂いを間近に嗅いで育ってきているの。
 自分が何時死んでしまうか解からないからこそ、自分に繋がる証しを求める気持ちを強く持っているわ。
 実際、世情も政府も、それを奨励―――いえ、半ば強制していると言っても過言じゃない位にね。
 今のご時世じゃ、理由もないのに20代後半で子供が居ない独身男性だなんて、非国民の一歩手前よ?
 そして、若い男性は数が少なくて、自分の相手を選好みする余裕なんて、今の若い子には殆ど無いのよ。
 まあ、年下の男の子に期待をかけるって方法もあるけど……」

 そこまで話した所で、不満げなしかめっ面を浮かべた武に、まりもは恐らくは自分の初恋の対象であった、訓練校の同期生であり初陣で自分を庇って死んだ、新井の顔を連想して思い浮かべてしまう。
 そう言えば、新井も故郷に婚約者を残して入隊していたのだったかと、まりもは思い出して顔を顰める。
 自分の男運の悪さは、夕呼に度々からかわれている事ではあるが、それを差っ引いても一定水準以上の男性には、既になんらかかの唾が付けられているのが普通である。
 古来よりの、親同士が良い交わす婚約者とという風習も、ここ数年で盛んに行われるようになっているという噂もあり、未婚女性が良い相手を得られる可能性は激減の一途を辿っているのである。

(年下か~。夕呼はよく教え子だからって遠慮しないで食べちゃえとか言うけど…………
 ………………そうねえ……白銀君なら…………って、あたしったら、何考えてるのよ?!
 ついさっき、恋愛なんてする心算は無いって、白銀君自身の口から聞いたばっかりじゃない!!)

 思わず変な方向へと流れてしまった自身の思考に、まりもは慌てて自身を心中で叱咤して思考を断ち切る。
 そして、空咳をひとつ吐くと、自分用に淹れた合成玉露を一気に飲み干し、何事も無かったかのように話を続ける。

「と、ともかく、過当競争だって事はみんな覚悟の上だから、ゆっくり悩んだり吟味してる余裕もないって訳。
 そんな事を悠長にしてたら、あっと言う間に脇から掻っ攫われてもおかしくないもの。
 それに、何だかんだ言って、白銀君はヴァルキリーズや207Bの娘達に、親身になって接したでしょ?
 それだけでも、好意を抱き始めるには十分な切っ掛けになるわ。
 詰まり、君の自業自得でもある訳ね。」

 まりもがそう言って、一旦言葉を終えると、武は深々と溜息を吐いて項垂れてしまった。
 そのへこたれように、些か罪悪感を刺激されたまりもは、急いで話を続ける。

「まあ、白銀君のした事はあの娘達の為になってると思うから、その行い自体は責める気は無いわ。
 それに、白銀君の気持ちや事情も十分理解できるから、上手い言い訳を考えてあげる。
 ………………そうねえ、過去の恋人を裏切れないって言うのが良くある良い訳だけど、これも今のご時世だと、折角生き延びている者が過去に縛られて未来を捨てるなど何事だー! とか言われて翻心を迫られかねないし…………
 ―――ああ、さっき白銀君、複数の恋人の記憶があるって言ってたわね……
 じゃあ、過去に複数の恋人と死に別れてしまった所為で、もう誰かを愛する事自体受け付けられないって理由はどう……かし……ら………………って、どうしたの?!」

 ようやく苦しいながらも、なんとか通用しそうな言い訳を捻り出したまりもだったが、無言で大人しく聞いていた武の瞳から、突然涙が零れ落ちるのを目撃してしまい腰を浮かせる。
 ところが、涙を零しながらも、武は普段と変わらない顔付きで、訳が解からない様子で、背後を振り返ったりしながらまりもに訊ね返す。

「え? どうかしたんですか?」
「どうかって……白銀君、あなた泣いてるわよ?」
「へ?!」

 まりもに言われてようやく気がついたのか、武は自身の頬を手で拭って涙を拭きとる。
 そして、頬を僅かに染めて慌てたように、武は言い訳を始める。

「え、えっと……別に泣く心算は無かったんですけど……くそっ、どうしちゃったんだ、オレ?
 えっと、さっきも言った通り、過去の恋人関係の記憶は断片的で曖昧なんですけど、BETAと戦ってる世界でのその手の記憶って、はっきり覚えてない癖に妙に強い悲しみを伴ってるんですよ。
 だもんで、うっかり思い出しちゃったせいじゃないかと…………あんまり実感ないんですけど、なんかこう、条件反射って言うか…………」

 普段の武らしからぬ、拙い言い訳を聞いたまりもは、優しい笑みを浮かべ、労わりを視線に籠めて、武を諭すように言葉を贈る。

「いいのよ、白銀君。泣くのは決して恥ずかしい事じゃないわ。
 衛士の流儀は、あれはあれで大事な事だけど、互いを思いやり、支え合っていく為の流儀だもの。
 時と場所を弁えさえすれば、感情を完全に押し殺してしまう必要は無いのよ。」

 その言葉に、武は顔を上げると、照れくさそうに笑って頭を下げた。

「ありがとう、まりもちゃん。
 なんかオレ、まりもちゃんには慰めてもらってばかりのような気がします。
 でも、まりもちゃんの言葉は不思議な位、すとんと心に落ちてくるから、本当に何時もすっごく励まされるんだよな。
 本当にありがとうございます。それと―――さっきの言い訳も使わせてもらいます。
 やっぱり、まりもちゃんに相談して、良かった…………」

 そんな武の心からの言葉を聞いて、まりもは心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
 その瞳の奥深くに、武を案ずる気持と、微かな寂しさを隠して…………

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年12月17日(月)

 08時07分、国連軍横浜基地、中央集積場のメインゲート前に、大東亜連合軍第3次横浜基地派遣戦術機甲大隊及び同隊随伴部隊の車両群と将兵が帰国の途に就こうとしていた。

「いやあ、すっかり世話になったねえ、白銀大尉。
 あんたに教わった事は、しっかりと他の部隊の連中に仕込んどくよ!」

 50台を優に超える車両の脇で、派遣部隊の衛士等が教導に当たった武とまりもに別れを告げていた。

「ええ、早ければ、来年の春にも甲20号を攻める事になりそうですから、それまでにしっかりと慣熟するようにお願いします。
 甲20号では、今度は大東亜連合軍が主力になりますからね。
 勿論、『甲21号作戦』での少佐達の働きにも期待してますよ?」

「へ~、来年の春ねえ……こりゃあいい事聞いたよ。これを聞けば、みんな目の色変えて訓練に夢中になるだろうさね!
 まあ、それはそれとして……神宮司中尉が居たんじゃ、年上趣味だとしてもあたしじゃあ太刀打ちできないとして……それでもうちの娘達まで揃って袖にするとはあんたも憎い男だねえ。
 それともやっぱりあれかい? 女にゃ興味無い口かい?」

 武の肩を小突いて、伝法な口調で語りかけているのは、大東亜連合軍第3次派遣部隊の指揮官であるリタ・アナンタ・アズラ少佐である。
 その近くにはアズラ少佐の他に、5人の女性衛士等が武を取り囲むように立っているのだが、全員タイプは異なるものの実に魅力的な20歳前後の女性ばかりであった。

 その場に居る6人の中では最年長となるアズラ少佐ではあったが、それでも年齢は27歳であり、その伝法な口調にそぐわないすらっとしたプロポーションの理知的な美女であった。
 甲16号目標―――重慶ハイヴが建設された翌年、1994年に20歳で軍に志願入隊し、1996年の大東亜連合軍の設立に伴って転属、その後はマレーシア防衛戦で数多の戦いを生き延びた熟練衛士である。
 将来の女性衛士の増加を睨んで、女性中堅指揮官の育成を急いだ大東亜連合上層部に白羽の矢を立てられたアズラ少佐は、転属直後に小隊長に任ぜられ、それからわずか数年で大隊指揮官にまでなった逸材でもある。

「いや、オレは男色の趣味は全くありませんからっ!
 少佐も、少佐の部下の皆さんも本当に魅力的ですよ?
 けど……こっちに来て教導が始まってからの1週間。
 疲労困憊している女性衛士を目の当たりにしちゃえば、教導担当官としては自室でしっかり休めとしか言えないじゃないですか。」

 武のそんな反論に、ぐっと言葉に詰まり、苦虫を噛み潰した様な表情になるアズラ少佐。
 彼女の部下である女性衛士達も、恥ずかしげに頬を染めている。
 横浜基地に派遣されるに当たり、彼女等には大東亜連合軍上層部から教導担当官である白銀武大尉と『親交』を深めて、対BETA戦術構想やその装備群について、可能な限りの情報を取得せよとの特命が下っていた。
 派遣期間は8日―――実質的に教導を受けたのは6日―――であったが、その内、大東亜連合軍の衛士等が心身共に余裕を保てていたのは、派遣初日と教導期間中の最後の2日程度に過ぎなかった。

 武とまりもによる短期集中型の教導プログラムは、最初の2日間は問答無用でXM3搭載機の極限機動を続け様に体験させて、高機動環境に身体を無理矢理慣れさせるというものであった。
 その為、丸2日の間シミュレーターで高機動漬にされて、これでもかと言うほどに振り回された大東亜連合軍衛士等は、心身共に疲労困憊し、食事ものどを通すのが辛いという有様。
 それでも、義務感から武にアプローチをかけた女性衛士らであったが、武にすげなく休養を取れと言われてしまい、すごすごと自室に戻らざるを得なかった。

 その後は、実機演習とシミュレーション演習を組み合わせ、自力で様々な戦況におけるBETA陽動の慣熟訓練を行ったのだが、これも有人機を想定した機動演習であった為、高機動を繰り返す事による肉体的疲労に加え、一瞬一瞬の判断を素早く下す事を要求された為に精神的疲労が大きく、精も根も尽き果てる有様であった。
 教導最後の2日間は、陽動支援機を想定した陽動演習であった為、高機動に伴う加速Gこそ免れたものの、過酷な戦況下での何時果てるともしれない陽動演習で、思考能力を限界まで絞り取られる事となった。
 この頃になると、武を籠絡しようと義務感から気力を振り絞っていた女性衛士等も、武の能力とさり気ない気遣いに武への好感度が鰻登りとなっていた。
 その為、武への攻勢も熾烈を極めたのだが、武は教導以外の任務を理由になんとか2日間逃げ切る事に成功したのであった。

「ま、あんたも原隊じゃ女性衛士ばっかりに囲まれてるらしいし、今回はちょっとばかしこっちの旗色が悪かったかねえ。
 もし、国連軍に嫌気が差したら、何時でも大東亜連合軍においでよ。
 悪いようにはしないからさ。あっはっは―――」
「そうそう、南国リゾートでゆっくり相手したげるよ?」「誠心誠意、お持て成しいたしましてよ?」「下にも置かない待遇を約束しよう。」「大東亜連合も~、結構住み心地良いですよ~。」「もっと、ゆっくりとぉ、お話したかったわぁ~。」

 さすがにこの後は帰国するだけとあって、アズラ少佐もこの期に及んで足掻く気は無いらしい。
 それでも、大東亜連合軍をアピールして、今後の布石を駄目元で打つと豪快な笑い声を上げた。
 それに追従するように、他の女性衛士等も口々に武に声をかける。
 正に趣の異なる花が競って咲き誇るかのような情景であったが、その中心に身を置いた武は、苦笑を浮かべてアズラ少佐と交わした会話を思い返していた。

 アズラ少佐は、部下達を息子、娘と呼び、まるで40過ぎの肝っ玉母ちゃんであるかのように振舞う。
 未だ20代の、若々しい整った美貌と、そんな振舞いのギャップは甚だしいものであり、当初は武も内心で面喰ってしまった。
 しかし、教導期間中に様子を窺う限りでは、選抜された衛士で臨時編制されたばかりの大隊であるにも拘わらず、アズラ大佐は部下達に慕われ、高い求心力を発揮していた。

 そこで、機会を見て、武はアズラ少佐に部隊の人心掌握について訊ねてみた。
 武に時間を割いて欲しいと言われ、ようやく誘惑が効を奏したかと内心で喜んでいたアズラ少佐は、用件を聞いてがっくりと肩を落としたものだったが、それでも武の教導に少しでも報いる事が出来るのならばと、自身の手法について快く語った。

 22歳で中隊長に抜擢されてしまった当時のアズラ少佐は、未だに男性衛士が殆どであり、損耗の激しさから気性の荒い者が多い中隊を、どうやって掌握するかに苦悩する羽目に陥った。
 幸い、衛士としての技量が抜きん出ていた為、アズラ少佐自身が軽んじられる事はなかったが、いざ窮地に陥った時に指揮統率を維持出来るかと言えば、甚だ怪しいとアズラ少佐は思わざるを得なかった。
 あれこれと思い悩んだアズラ少佐は、最終的に上から押さえつける手法を捨て、自分が女性である事を武器に、母性によって部隊を掌握するという手法を試みるに至る。

 荒くれ者揃いの部下達を息子と呼び、部隊を家族と見做して、自身を家庭を切り盛りする母親に見立てたのである。
 半ば破れかぶれで試みた手法だったが、これが思いの外上手く機能した。
 戦いに疲れ、ささくれ立った心を抱えた衛士達は、年若い中隊長が懸命になって自分達を気遣い、一家としてまとめ上げようとする姿勢に救いを見出したのだろう。
 未だ経験の浅い中隊長を、部下達は全員で支え、中隊の結束力を強めると共に、アズラ少佐を有能で経験豊かな指揮官へと育て上げていった。

 かくして、見事に中隊をまとめ上げる事に成功したアズラ少佐は、25にして大隊長の辞令を受け、大東亜連合軍でも異色の女性指揮官として、高く評価されるに至ったのである。
 その過程で、荒くれ者揃いの部下達に影響されて、どんどんと口調が荒っぽくなり、何時の間にやら肝っ玉母ちゃんの様な言動が身に付いてしまったのというのは、まあご愛嬌と言うものであろう。
 この話をアズラ少佐と2人きりで聞いた武は、何時もの伝法な口調が鳴りを潜め、流麗な言葉使いで懐かしそうに当時の話を語るアズラ少佐の姿に、またもや意外の念を抱いてしまった。

 しかし同時に武は、みちるや水月、宗像、そして戦域管制をする時の遙等ヴァルキリーズの首脳陣が、一様に素の自分と異なる振舞いをしている事を思い出した。
 そこから、部下を率いて戦場に身を投じなければならない前線指揮官という立場が、如何に重いものであるかという事を、この時武は垣間見た気がしたのであった。

 武が回想から覚めるた後暫くして、まりもの周囲に集まって別れを惜しんでいた、大東亜連合軍の男性衛士等と女性衛士の半数も武の下へとやってきて、アズラ少佐の号令で一糸乱れぬ敬礼をして見せた後、『甲21号作戦』での再会を約して横浜基地を出立していった。
 それは、『甲21号作戦』を8日後に控えた、良く晴れた朝の出来事であった。




[3277] 第111話 『甲21号作戦』前夜・恋愛戦線
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/07/06 17:12

第111話 『甲21号作戦』前夜・恋愛戦線

2001年12月24日(月)

 19時07分、直江津港東埠頭地区のガントリークレーンにほど近い荷揚げ場に、一人佇む武の姿があった。

 旅客ターミナルビルでの最終ブリーフィングを終え、独り埠頭沿いに歩いてきた武は、散在するコンテナの一つに上りその端に腰掛けていた。
 そのまま、港に犇めく『甲21号作戦』参加艦艇から漏れる明かりを武が眺めていると、『前の世界群』での出来事をなぞるかのように、智恵と月恵が武を見つけて話しかけてくる。
 2人の用事は、やはり前回の世界と同じく武に対する告白だったのだが、その話に辿り着く前に武が幾つかの話題を振った為、本題に至るまでに幾何かの時間が費やされてしまっていた。

「そ、その、も、ももももも、もしいないのでしたら~、わ、私とお付き合いしていただけないでしょうか~。」
「あ~っ! 智恵っ!! 抜け駆けは無しだって約束したでしょっ! はいっ! はいはいはいっ!!
 私も立候補するっ! ねっ、白銀、こんなご時勢だけど、任務中以外は、面白おかしくハッピーに過ごそうよっ!!」
「ぬ、抜け駆けじゃないもん~。」
「はいはいっ。解ったから拗ねないのっ! で、白銀っ、返事は如何にっ!?」
「や、やっぱり~、もう誰か心に決めた人が~…………」

 ああ、やっぱりこうなるのか……と、武が内心で呟いた時、武がさり気なく稼いだ時間が効を奏して、ヴァルキリーズの面々が姿を現す。
 とは言うものの、武と共に居る智恵と月恵の他にも、半数ほどの姿が欠けている。
 葵と葉子、紫苑、水月、遙、茜、多恵、晴子、彼女達8人が同行しておらず、残る8人が一団となっていたのだが、武達の姿を認めるなり、元207Bの5人が慌てた様に駆け寄ってくる。

「まずっ! し、白銀君、返事っ! 早く、早くぅっ!!」「あ~あ~……見つかっちゃったぁ~。」

 こちらに駆け寄って来る5人に気付き、慌てて武の返事を急かす月恵に、既に諦め顔の智恵。
 そこへ疾風の如く駆け付けた千鶴、冥夜、彩峰、美琴、壬姫は、続け様に智恵と月恵に言葉を放つ。

「ちょっと、貴女達なにしてるの?!」「高原、麻倉、そなたら我らを謀ったな?」「白銀と何を話してた? 怪しい……」「酷いよ、智恵さん、月恵さん。初陣なんだからって先任に話を聞けだなんて言って、あれは時間稼ぎだったんだね~。」「うん、わたしも、ちょっとどうかと思います!」

 興奮気味の5人を、武がなんとか宥めた頃、残りの3人―――みちる、美冴、祷子も武達の許へと辿り着く。
 と、そこにしれっとした顔をして、コンテナの陰から晴子が姿を現した。
 如何にも騒ぎを聞きつけて来たと言わんばかりの登場の仕方だったが、武と智恵、月恵の3人で話している頃から、コンテナ脇に潜んでいた事を武は察知している。
 しかし、そんな事は欠片も匂わさず、晴子は開口一番、罪の無い笑顔でこの場を混乱へと叩き気落とす発言をぶちかました。

「あっれ~? なんか賑やかだと思って来てみたら、みんな揃ってどうかしたんですか?
 あ、もしかして作戦前に愛の告白タイムでもしてるのかな? さっすが白銀、モテまくりだね。
 それじゃあ、あたしも便乗しちゃおうかな~。」

 そして、柏木のその言葉は、一瞬の空白をおいて、S-11も斯くやという絶大な威力を発揮して、その場に喧騒を出現せしめる事に成功する。

「こ、告白?! た、高原ッ! 麻倉ッ!! そ、そなた達―――」「ふ、不謹慎よ、不謹慎よ、不謹慎だわッ!!!」「榊、煩い……」
「べ、べつに~、私達が告白したからって~、別にいいじゃないですか~。」
「よ、よよよよよ、よくないですよぉ~っ!」「そ、そうだよっ! ボク達の足止めをしてる以上、やましい所がある証拠でしょ?!」
「別にっ、あ、足止めした訳じゃないよっ! 一応、初陣のあんた達を心配してっ、忠告してやっただけだってっ!!」

 柏木の発言に、顔を真っ赤に染めた冥夜と千鶴が声を張り上げて非難し、彩峰が智恵と月恵に鋭い視線を投げながらも、わざとらしく片方の耳を押さえてぼそりと呟く。
 しかし、千鶴がその彩峰の呟きに反応する前に、智恵が珍しくむきになって反論し、それに更に壬姫と美琴が抗議を重ねる。
 その発言に、とうとう月恵までも参戦した為、7人の言い争いは際限なく加熱していくかと思われた。

「ふむ。つまり、高原と麻倉が白銀に告白したのは間違いないんだな? となると次はお前の番だな、柏木。」
「美冴さん、いくらなんでもこの騒ぎの中じゃ……」
「風間少尉、いいじゃないですか。これも一興って事で。
 ―――ぁ~あ~、ん、んん…………白銀くん……わたし、最近あなたの事を想うと、夜寝られないの……
 わたしの事……キライ?」

 その様子を楽しげに眺めていた美冴が、何時の間にか自分の隣でのうのうと騒ぎを観戦している晴子に告白しろと嗾ける。
 さすがにこの喧騒の中ではと、祷子が美冴を窘めるものの、言われた当人である晴子は、至って気軽に受けて立つと、声音を作り長身を屈め、武を斜め下から上目遣いで見上げておずおずと尋ねる。
 その、普段の晴子とのあまりの落差に武は強い衝撃を受けて動揺したが、晴子に何度もからかわれている経験から、辛うじてその言葉に隠された罠の存在に気付く事が出来た。

「ぶっ!…………か、柏木?! お、おまえっ、なんなんだよその口調はっ!!
 大体おまえ、何気に思わせぶりな事言ってるだけで、実は告白してねえじゃないかっ!!!」
「あはははは! さっすが白銀、良く気付いたね~。ちぇ、失敗しちゃったか~。」
「「「「「「「 失敗しちゃったかじゃないッ!!! 」」」」」」」

 武に罠を看破され、悪びれもせずにからからと笑い声を上げて残念がる晴子に、言い争っていた智恵、月恵、冥夜、千鶴、彩峰、壬姫、美琴の7人が声を揃えて突っ込んだ結果、言い争いが途切れ一時的に静寂がもたらされた。
 そこで、透かさずみちるが発言し、事態の収拾を図る。

「貴様等、いい加減に落ち着け。確かに、大事な作戦を控えて告白など不謹慎だという榊の様な意見もあるだろう。
 しかし、命を賭してでも成し遂げねばならない作戦を目前にしているからこそ、思い残す事の無い様にという心情も十分に共感できる筈だ。
 それを温かく見守るならまだしも、非難して言い争うなど、それこそ明日の作戦に禍根を残しかねない行いだぞ?
 尤も、抜け駆けの様な高原と麻倉のやり口を考えると、非難を受けるのも仕方のない事ではあるな。
 どうせならもっと堂々と、仲間全員に宣言してから衆目の前で告白する位の事はして見せろ。
 その方が、私等も気兼ねなく楽しめるからな。」

 一応、争いの当事者である7人それぞれを叱責した上で、みちるは人の悪い笑みを浮かべて茶化して見せる。
 それは、この件を深刻な諍いとして取り上げず、水に流すという意思表示を兼ねていた。
 叱責された7人は、その言葉に胸を撫で下ろしたが、どうせなら衆目の前で告白しろと言われた智恵と月恵は真っ赤に顔を染めて俯いてしまう。
 どうやら、2人には晴子の様な厚顔な真似は難しいようである。

「さて、伊隅大尉のお墨付きももらえた事だ、柏木に続いて白銀に告白する奴はもう居ないか?
 折角の機会だぞ?………………そうか、居ないか。
 残念だな、白銀。差し当たって貴様に告白するほどに想いを寄せているのは3人だけの様だ。」
「3人って、さっきの柏木も数に入ってるんですか?!」
「突っ込む所はそこなのかしら……」

 みちるの言葉が7人に受け入れられた所で、美冴が場を掻き回し―――もとい、仕切り始める。
 武に告白する者を更に募るが、さすがに名乗りでる者は無く、美冴は武の肩をポンと叩いて慰めるように言葉をかける。
 それに、噛みつく様に言葉を返す武だったが、その内容に苦笑した祷子が疑問を誰にともなく呟く。
 これで一段落かと胸を撫で下ろしかけた武だったが、美冴はまだまだ獲物を逃す心算は毛頭無かった。

「さて、それじゃあ白銀。告白された以上は、ちゃんと返事をするべきだと思わないか?
 私達がしっかりと見届けてやるから、安心して寄せられた想いに応えてやれ。」

 面白半分の様な口調で武を嗾ける美冴だったが、その視線は鋭利な光を奥に隠して、当事者である武、智恵、月恵、晴子、そして元207Bの5人の様子を窺っている。
 先程はみちるが茶化して終わりにしたが、色恋沙汰から隊の結束が揺らぐ事は決して無い話ではないのだ。
 このままなし崩しにして、明日の作戦に影響を出してしまわないように、冗談に紛らせてもう少し着地点を探っておくべきだと美冴は考えた。

 そんな、美冴の考えを察し、祷子は武に当たり障りの無い逃げ道をさり気なく提示する。

「白銀大尉? 寄せられた想いに応えるべきだとは私も思いますわ。
 けれど、拙速が求められるべき事柄でもないのではないかしら。
 まずは、彼女達の想いを受け取って上げて、返事は時間をおいて落ち着いてからでもいいのよ?」

 この意見を武が受け入れて、返事を保留にすれば、当面明日の作戦に大きな影響は及ぼさずに済む。
 それが祷子の考えであったが、案に相違して、武は些か異なる言葉を発した。

「―――そうですね。確かに大事な作戦前にするべき話じゃないかもしれません。
 けど、いい機会ではありますから、オレの事情を少し話しておきたいと思います。
 みんなも、ちょっと聞いてくれるか?」

 武はそう前置きすると、その場に居合わせた全員を見廻してから言葉を続ける。
 まず武は、まりもに示唆された説明を元に、過去に複数の恋人と死別してしまった体験から、恋愛自体に忌避感を抱いているという話をする。
 その話を聞いて、痛々しげな視線を向けてくる仲間達に、武は申し訳ない様な思いを抱いてしまうが、敢えてそれには目を瞑って話を進める。
 そして、そんな悲劇を繰り返したくない一心で、親しい人々を戦いの中で失わずに済む方法を確立し、平和な人生を謳歌出来る未来を取り戻す為に、人生を捧げる覚悟だと語った。

 武の言葉に、強固な決意と、その様な決意を固めるに至るだけの悲しみを垣間見たヴァルキリーズの面々は、武にかける言葉を見失い沈黙してしまう。
 そんな仲間達を見た武は、真剣な表情を和らげ、意識的に軽い口調で話を戻す。

「まあ、そんな訳だからさ、高原、麻倉、でもって一応柏木も、こんな根暗なオレにかまけてないで、もっと明るい男を捕まえろよ。
 気持ちだけは、有難く受け取って置くからさ。
 でもって都合のいい願いかもしれないけど、明日の作戦や、その先の、平和を取り戻す為の戦いでも、戦友としてオレに力を貸してくれないか?
 代わりに、オレ以外に良い男見つけたら、全力で応援してやるからさ。」

 武に笑顔でそう告げられて、智恵は思わず涙を流してしまった。
 それを慌てて拭った智恵は、なんとか笑顔を浮かべて武に応える。

「う、うん……勿論手伝うよ! ね、月恵?」
「もちろんっ! 白銀の願いはあたし達の願いでもあるからねっ!」

 月恵も、智恵に同調して、普段の明るさを取り戻して武に笑顔を見せた。
 しかし、晴子は真剣な眼差しで武を見詰めるだけで、一向に口を開かない。
 みちる、美冴、祷子の3人が静観する中、他の同期生達は案じるように武と晴子の間で視線をさまよわせる。

「ぁ~……やっぱり、都合が良過ぎる言い草だったか? 柏木。」

 そんな空気を何とかしようと、肩を落とし、しょげた風を装って武は晴子に声をかける。
 すると、晴子は唇を尖らせて。ようやく不満そうな声を上げる。

「ちょっと白銀、なんであたしだけ一応なのか聞いても良いかな?
 その辺、大変不愉快なんだよねぇ。」

「問題、そこなんだ……」「さすが晴子さん、拘る場所が一味違うよね~。」「よ、よかった~。何事かと思いました~。」
「いや、だっておまえ、ちゃんとした告白しなかっただろ?!」
「やだなあこの人、あたしの溢れんばかりの想いが、全然伝わって無いよ?」
「貴女達、いい加減にしたら?」「全く、そなた達は……」

 唇をへの字に曲げて言い放った晴子の言葉に、彩峰がじと目で突っ込み、美琴が感心し、壬姫が安堵に胸を撫で下ろす。
 それを機に場の雰囲気は一気に和み、一頻り騒いだ後、話題はこの場に居ないヴァルキリーズ7名の話へと移り変わった。

 とは言っても、葵と葉子、紫苑の3人は例によって例の如く、佐伯詣でに出かけたのだと容易に察する事が出来る。
 気になるのは水月と遙、茜と多恵の4人である。
 先任達によると、出撃が近付くと、水月と遙は時折2人きりでふらっと姿を消す事があるとの事で、今回はそれに茜が付いて行き、その茜に更に多恵が付いて行ったという事らしい。
 そんな予想を披露するみちるの表情を見るに、どうやら茜と多恵は今回は邪魔者以外の何物でもなさそうだと、武は思った。

 その後も暫くの間、取り留めの無い会話を交わした後、戦術機母艦『大隅』に乗艦する者はそちらへと向かう事となった。
 明日の作戦開始時に、『雷神』による砲撃を行う予定の美冴、祷子、葉子、壬姫の4人で構成されるS臨時小隊は武と共にヘリで帝国軍高田基地へと向かい、一夜を過ごす予定になっている。
 よって、『大隅』に向かう者とヘリポートに向かう者の2手に分かれる事になるのだが、分かれ際に武がみちるを呼びとめた。

「あ、そうだった……伊隅大尉、少しだけお時間いただけませんか?
 みんなは、先に行っててくれ。そんなに時間はかかんないと思うからさ。」

「ん? 分派行動中の確認事項でもあるのか?
 いいだろう、全員白銀の言うとおり先に行っていろ。
 柏木、速瀬達と合流するまで、『大隅』に向かうグループは一応お前が指揮を取れ。間違っても迷子なんか出すんじゃないぞ?」

「りょ~かいです、大尉! じゃ、みんないこっか。」

 晴子の掛け声で、全員が移動を開始する。
 周辺警戒を行っていた月詠達第19独立警備小隊も合流し、一同は夜の闇へと姿を没していった。

 かくして、夜の埠頭に残る人影は、武とみちるの2人のみとなる。
 武の言葉を待つみちるに、武は頭を掻きながら、躊躇いがちに口を開いた。

「伊隅大尉……前島中尉の所には行かなかったんですね。」

 みちるは、そんな武の言葉を聞いて、右の眉を跳ねあげると、獰猛な笑みを浮かべる。

「なんだ? 白銀。さっきの仕返しか? いい度胸だな、受けて立つぞ?」

「いや、そんなんじゃなくて……えっと、その…………
 教導期間中も、伊隅大尉はあまり思う様に前島中尉に会えなかったようですし、同じ部隊に配属になった妹さん達に大分水をあけられちゃったんじゃないかと思ってですね。
 えっと……済みません、余計なお世話でした!」

 伊隅の言葉に恐れをなした武は、慌てて弁明した上で、策に窮して平身低頭して謝罪する。
 そんな武に、みちるは堪え切れずに噴き出してしまい、口に手を当ててくつくつと笑う。

「じょ、冗談だ……どうやら、心配させてしまったようだな、白銀。
 まあ、確かに妹達に後れを取ってしまったかもしれないが、なに、正樹の鈍感さ加減もお前といい勝負だ。
 そうそう急展開を見せる事も無いだろう。
 それに、連絡一つまともに取れなかった頃に比べれば、正樹や妹達の消息が知れているだけでも十分過ぎるさ。」

 そう言って武を落ち着かせたみちるは、深呼吸をして笑いの衝動を押し殺すと、少し真面目な表情になって武に真っ直ぐな視線を向ける。

「私の私事にまで気を配らせてしまい、済まなかったな、白銀。
 その気持ちには感謝するが、貴様の双肩にかかっているのは人類の未来だ。
 間違っても、些事にかまけて支障をきたす事のない様にしてくれよ。
 ―――そうだな、これは言わずに置こうと思っていた事だが、やはり話しておこう。
 先程の告白の対応を宗像が急かした件だが、別にあれは興味本位でやっていた訳ではないんだ。
 部隊内での恋愛問題は、実戦に於ける連携に致命的な支障をきたす原因となり易い。
 恋愛感情は―――とても強い感情だからな……」

 そう言うと、みちるは目を半眼にして伏せ、自嘲するかのような笑みを浮かべたが、大きく息を吸うと真面目な表情に戻って話を再開する。

「如何に普段から感情を抑制するよう心掛けていても、戦場で恋人が危機的状況に曝されれば心が揺らぎ判断を誤りかねない。
 そこから部隊の連携が崩れ、大きな痛手を負ってしまう恐れも決して小さくない。
 ましてや、指揮官と直属の部下の間での恋愛ともなれば、相手の生殺与奪を握っているだけに、実戦では常に理性と感情の板挟みとなってしまうだろう。
 誰しも、恋人を死地に送り込みたくはないだろうからな。
 そういった訳で、実戦部隊では部隊内恋愛、特に上司と部下の間柄での恋愛は禁忌とされる。
 国連軍では自由性交渉制度があるから、部隊内で肉体関係を結び、性衝動を発散する行為は良く行われるが、それは恋愛感情とは一線を画した行為として行われるのが通例だそうだ。
 もし、恋愛感情を育んでしまった場合には、当人達か部隊長の判断で転属もしくは退役手続きを取り、片方が隊を離れるのが慣例となっている。
 この辺りの事情は、肉体関係の頻度を除けば帝国軍でも同様だ。
 だからな、白銀。貴様にヴァルキリーズの衛士が懸想したともなれば、これは隊にとって一大事なんだ。
 なにしろ、我が隊の衛士は他所の部隊に転属させる訳にはいかないからな。」

 みちるの言葉に、武は真剣な表情で頷きを返す。
 それを満足そうに受け取ったみちるは、肩をすくめて話を続ける。

「幾ら中隊が異なっているとは言え、共同作戦が殆どとなる現状では許容する訳にもいかない。
 せめて人員が補充されて連隊規模となり、異なる大隊の所属となれば……いや、それでも無理か。
 その頃には、恐らく貴様が…………
 ―――まあ、先程の話で、貴様の側に想いを受け入れる心算がないと解かったので、正直、隊としては助かった。
 女所帯に、毛並みの良い男が1人だけ放り込まれたんだ、どんな騒ぎが起こるかと正直危ぶんでいたんだが、なんとか杞憂で済みそうだ。
 それに、貴様の方でもそれなりに気を配っているようだしな、もし手に負えなくなりそうだったら私や宗像に相談しろ。
 ああ、それからこれは余談だが、正樹と妹達の件も同じ理由で、同部隊に配属されている間は本人達も周囲の仲間達も、深い仲にならない様に抑制するだろうから心配無用だ。
 なまじ休暇中に、私人として接される方が危ない位だ。」

「そ、そうでしたか……結果的に大尉のお役に立てたようでなによりです……」

 みちるの浮かべた笑みに、なにやら黒い気配を感じた武は、引き攣った笑みを浮かべて応えた。
 そんな武の醜態に苦笑したみちるだったが、一転して悩ましげな表情となって心情を吐露する。

「本当は、貴様にもあいつらにも、思うがままに恋と言わず人生を謳歌させてやりたいのだがな……
 指揮官とは因果なもので、部下を縛り付けるばかりだ。貴様も何れ部下を持つ身だ、覚悟しておくのだな。
 ん? そう言えば、貴様は小隊長の経験があったのではなかったか?
 指揮官教育は……」

「いえ、正規の指揮官教育は受けてませんから。
 本当に、飽くまでも臨時で小隊長に任じられただけなんで……」

 何故か直立不動で答える武に、呆れた様に目を見開くとみちるは聞えよがしに嘆いて見せる。

「やれやれ……明日になれば貴様は、2個連隊規模の精鋭部隊を実質的に運用する立場だって言うのにな。
 まあいい。ヴァルキリーズでも今話した様な慣例について知っているのは、涼宮、速瀬、宗像……後は風間くらいだろう。
 お前の態度が先程の発言の通りなら、差し当たってはそれで良い。
 それにしても、今回の件で貴様の特別さが良く解かった。
 貴様の戦う理由が、人並み外れて強固なのだとな。」

「え? それってどういう……」

 急に目を伏せ、しみじみとした口調で語り始めたみちるに、武は驚いて問い返す。
 そんな武にみちるは自身を顧みる(かえりみる)様な口調で言葉を続ける。

「―――人は、戦いに身を投じる時、多くは大義名分を理由とする。
 国の為、残してきた大切な者の為―――だが、そういった建前や理想は、実戦の過酷さの中であっと言う間に形骸化していってしまう。
 そうして、過酷な戦場で戦い続ける内に、兵士はより身近な戦う理由を見出し、それに縋るようになる。
 70年代に米軍が学術調査した結果では、BETA大戦でも、それに先立つ2つの世界大戦でも、前線で戦う兵士達の戦う理由の中で最も多かった理由は、仲間の為……というものだったそうだ。
 そこから大きく差が空いて、次点は敵に対する恐怖だったらしい。」

 みちるの話を聞きながら、武は懐かしさを感じていた。
 2回目の再構成後の確率分岐世界で、初めて参加した『甲21号作戦』前夜に佐渡島に向かう『大隅』の甲板でも、同じ話をみちるから聞かされていた事を思い出したからだ。

「私も結局は……仲間の為に戦っているな。
 隣で戦っている戦友を、1秒でも長く生かす為に……
 戦いに身を投じた頃、私は正樹に生きて会い続ける為に、必死に戦っていた。
 その想いは今も確かにあるが、実戦を重ねる度、仲間を殺さない為にという理由が強くなり、今ではそちらの想いの方が勝ってしまった。
 なのに、指揮官としての職責を全うする為には、部下達を死地へと送り込む事に躊躇する事は許されない。
 正樹が同じ部隊で、部下に居たらと思うと正直生きた心地がしないだろうな……」

 みちるの言葉に、武は先程聞いた、部隊内での恋愛を忌避するという慣習の重さを実感する事が出来た。
 そして、それと同時に、この世界では恋人となってはいなくても、同じ位に大切に思っている仲間達を、自分は場合によっては死地へと誘わねばならないのだと、今更ながらに痛感する。

 同時に、自分が対BETA戦術構想で、偏執的なまでに衛士の生存率を向上させてきたのは、仲間達を死地へと送り出す事に自身が耐え難かったが故だったのだと、武は思い至る。
 人類が勝利する為といいながら、結局の所は大切な仲間達を守りたいという想いが、自分の決断によって仲間を喪いたくないという想いが、唯一にして絶対の理由だったのだと武は改めて自覚した。

 そんな武の思いに気付いているのかいないのか、みちるの話は続けられる。

「その点、貴様の戦う理由は、建前や理想といった大きな理由、そして、仲間の為といった身近な理由、そういった域をとっくに通り過ぎてしまっているようだ。
 私が見るに、貴様の戦う理由を簡単に言えば、『自分の為に』と言う事になるな。
 だが、これまでの貴様の言動からは、極端な利己性は感じられない。
 自分の為に戦いながら、結果的に他者をも救おうとし、最終的には人類に勝利と平穏をもたらそうとしている。
 貴様の中で恐らくは、大儀や理想も、仲間を案じる気持ちも、全てが混然一体となって、自分の為と言う戦う理由に集約し包括されているんだ。
 普通は、そこまで大きな理想や想いを、自身の存在と同一視できないものだとおもうのだが……それでも不思議とそう思わせる貴様は―――やはり特別なのだろうな。」

「―――買被り過ぎですよ、大尉。
 オレはそんな立派な人間じゃありません。取り返しのつかない大馬鹿をしでかして、罪の重さに追い詰められて、自棄になって我武者羅に足掻いてるだけなんです。」

 みちるの真摯な眼差しに耐えきれず、武はつい弱音を吐いてしまう。
 しかし、みちるはふっと笑みを浮かべると、そんな武に語りかける。

「そうか……しかし、例え貴様の言うとおりだとしてもだ。
 それでも貴様のお陰で、多くの将兵が救われる。その家族達もだ。
 貴様には、これからも戦い続け、より一層の活躍をしてもらわねばならん。―――『貴様自身の為に』な。」

「―――そうですね。例え情けない理由が原点だったからと言って、オレも今更逃げる気はありません。
 生ある限り最善を尽くしますよ。」

 武がヴァルキリーズの隊規の一節を借用して応えると、みちるは右頬を吊り上げてニヤリと笑う。

「そうだ、それでいい。貴様は自分の想いのままに、死力を尽くして進めばいいんだ。
 貴様の想いが叶った時、人類は少なくとも今より遥かにましな未来を手にしているだろう。
 我々も、その為に全力を以って協力しよう。
 ―――さて、貴様に呼び止められたのに、私ばかりが話し込んでしまったな。
 貴様の用事はなんだ?」

 そう言って、みちるは話を強引にまとめてしまうと、今更のように武の用事を訊ねて来た。
 言われて武が時刻を確認してみると、少なからぬ時間が過ぎ去ってしまっている。

「あ、はい…………えっと、余計なお世話かもしれませんけど、大尉が妹さん達に水をあけられちゃってたら不味いと思って、大尉の想いをアピール出来る方法を考えてみたんですけど……」

 みちるに促されて武は用件を切り出したが、先程までのみちるの真面目な話の後なので、語調はどうしても弱いものとなってしまう。
 幸いみちるはそんな話題を持ち出した武を叱りはしなかったが、大きな溜息を吐いて呟きを零す。

「…………アピールねえ……
 そんな事で、あの正樹が想いに気付いてくれるようなら、私も苦労はしないんだがな。
 折角心配してくれたのに悪いが、正樹の鈍感さ加減にはちょっとやそっとの事では通じないんだ。
 貴様の気持ちだけ、有難く頂いておくとしよう。
 そんな事よりも、明日の『甲21号作戦』の事をしっかりと頼むぞ!」

 そう言うと、みちるは敬礼をしてその場を立ち去ろうとする。
 が、過去の記憶でみちるが自分の話に喰い付いた事を知っている武は、悪戯心を起こし、みちるの後ろ姿に聞えよがしに声を投げかける。

「……そうですか……オレみたいな若輩者じゃ、やっぱり大尉の力にはなれませんよね……
 残念です……折角大尉の置かれた状況を鑑みて、『幼馴染の鈍感男を振り向かせた』って方法を仕入れて来たのにな~。」

 と、その途端、みちるの歩みがぴたりと止まる。
 みちるはそのまま、振り返りもせずに言葉を漏らす。

「白銀……貴様、今何て言った?」

 釣れた―――武はニヤリと笑みを浮かべると、素知らぬ風でみちるの問いに応える。

「知り合いで、幼馴染が好きになったものの、自分の想いになかなか気付いてもらえなかったんで、ちょっと強引な方法なんですけど、ある方法で相手に想いを伝えるのに成功したって娘がいまして……
 大尉の参考になるかと、その話をなんとか思い出してみたんですけど、余計なお世話でしたか……」

 消沈した風を装って、ぐだぐだと言葉を連ねる武に、みちるは瞬時に反転して武に詰め寄る。

「―――ちょっと待ちなさい! その話、詳しく聞かせてちょうだい……じゃない、聞かせてくれないか?」

 顔を赤く染め、口調も怪しくなってしまい、慌てて言い直すみちるを、武はこっそりと堪能しつつ更に焦らす。

「いや、詳しくって言われても、オレも聞いた話ですしね……
 ちょっと、その……本人に確認するって訳にもいかないんで…………」

「な、なによ―――自分から思わせぶりな事言っといて、それはないでしょ?
 いいから、聞いたこと全部、さっさと話しなさいよッ!!
 ―――あっ……いや、その……す、すまないっ! つい……」

 あっさりと、武の策に嵌り、素の自分を曝け出し(さらけだし)、思わず武の肩に掴みかかって数回揺するという蛮行に出てしまったみちるは、羞恥に唇を噛みながらも即座に武に謝罪する。
 その様子に、武は内心で笑みを浮かべ、過去の記憶そっくりのみちるの姿に懐旧の念を新たにした。

「いや、いいですよ、気にしないでください。
 ええと……確か一緒に温泉に行って………………」

 素のみちるを垣間見る事に成功した武は、それ以上焦らすのを止めて、自分に対して『元の世界群』の純夏が強行した『温泉作戦』―――温泉の家族風呂に一緒に入り、純夏が武の背中を流してくれた時の事を、如何にも伝聞の様に取り繕って披露した。
 そして、『甲21号作戦』が完遂されて、年が明けた後、1月の末頃になって情勢が落ち着いたなら、夕呼に掛け合って休暇を取れるように協力すると約束する。

 その後、武と別れて『大隅』に向かうみちるの足取りは、弾んでいるかのように軽やかであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 22時03分、横浜基地B27フロアの90番格納庫に、霞とまりもの姿があった。

「なによこれ……如何にも夕呼が好みそうな施設じゃないの。
 秘密基地でもないでしょうに、こんなだだっ広い格納庫で一体何を―――ッ!! これ……は……」

 夕呼から、『甲21号作戦』期間中の90番格納庫警備任務を命じられたまりもは、冬季野戦装備一式を担ぎ、霞に案内されて90番格納庫に足を踏み入れていた。
 そして、その広大な格納庫の規模に唖然とし、周囲に視線を巡らした後、ある『もの』に気付いて絶句してしまう。

 最初に目にした時には、それはまりもの目には何らかの備え付けの施設としか思えなかった。
 何故なら『それ』は、独立稼働するとは到底思えないほどに巨大な機体だったからである。
 まりもは知らない事だが、『それ』の全高は130mを超える。
 その高さは、ビルで言えば30階建を超えており、太平洋戦争中の大型駆逐艦の全長にも相当する。

 そんな巨大構造物がすっぽりと収まるほど巨大なガントリーに鎮座している光景は、遠近感を喪失させるのに十分過ぎる光景であった。
 初めて目にする『凄乃皇弐型』の雄姿に、まりもは言葉を喪って立ち尽くし、只々その巨体を見上げるだけであった。
 そんなまりもの隣には、霞がひっそりと佇んでいたが、その視線は『凄乃皇』には向けられもしない。

「…………あ、あれって……」
「戦略航空機動要塞『凄乃皇』です。」
「航空機動要塞?! まさか……あんな巨大な機体が空を飛ぶって言うの?!」

 呆然自失していたまりもが、ようやく掠れた声を絞り出すと、霞が目を伏せたまま淡々と『凄乃皇』の名称を口にする。
 それを聞いたまりもは、その名称から眼前の巨大な機体が飛行を前提とした機体であると察して、再び驚愕の叫びを上げて霞を見下ろす。
 それに対して、霞はコクリと頷く事で応えた。

「こんなでか物をどうやって…………ま、まあいいわ。
 例え、夕呼のおもちゃだとしても、この格納庫と此処に収められた機材を守るのが、私の任務なんだから。
 霞ちゃん、作業員用の待機室があるって聞いたんだけど……」
「……こっちです。」

 霞に先導されて、待機室に向かうまりもだったが、その然して長いとは言えない行程の中で、更なる驚愕に襲われるとは想像だにしなかった。
 『凄乃皇・弐型』ですら、常軌を逸した巨大さだと感じたというのに、それを上回る全高200m近い『凄乃皇四型』を目の当たりにしたまりもは、暫しその場で呆然と立ちつくすのであった。



 途中、まりもの足が数分間止まってしまうというハプニングはあったものの、案内を終えた霞は、90番格納庫の整備員控え室にまりもを残し、B27フロアの90番格納庫に隣接して設けられた一室にやってきていた。
 その部屋の中央には、高さ3m程のコンテナが置かれており、そのコンテナの側面には着脱式の太いチューブが数本接続されている。
 そのコンテナに霞は静かに歩みより、側面に両手と右の頬を当てて目を閉じる。

「純夏さん、私の想いは届いていますか?…………白銀さんは、きっと佐渡島ハイヴの占領を成し遂げてくれます。
 人類の為、帝国の為、そして……何よりも純夏さんの為に……
 私は、白銀さん達の無事を願う事しかできません。
 だから……一緒に願いましょう…………白銀さんが元気で帰って来てくれるように…………」

 コンテナの内部―――衝撃緩衝材で保護されたシリンダーの中で、ODLの青白い光に包まれて、純夏は微睡んでいる。
 武の催眠誘導によって、深い眠りについている純夏に、霞のプロジェクションは届いたのであろうか……




[3277] 第112話 『甲21号作戦』序盤・無血上陸
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/09/28 18:02

第112話 『甲21号作戦』序盤・無血上陸

2001年12月25日(火)

 04時05分、茨城県と栃木県の境となる三王山の上空高度2900mから、地平線の彼方に存在する佐渡島に向けて、直径1.2mの巨弾が4発、続け様に発射された。

 音速の50倍近い速度を与えられた巨弾は、10秒ほどで佐渡島上空へと到達し、弾頭内に搭載された数百発の榴弾を、佐渡島の地表に散在するBETA群へと、雨霰と降り注がせる。
 この砲撃に先だって行われていた、帝国連合艦隊第2、第3戦隊より放たれた索敵砲撃をレーザー照射で迎撃した事により、その位置を自ら暴露したレーザー属種を中心に、多数のBETAが超音速の圧倒的な運動エネルギーを保持している榴弾によって、その存在を消し飛ばされていく。

 その砲撃を行ったのは、航空狙撃用硬式飛行船『雷神(らいじん)』4隻を中核とする自律飛行船群であった。
 それらは、150km以上離れている帝国軍高田基地からの遠隔操縦に従い、搭載する旋回式多連装200口径1200mm超水平線砲を撃ち放ったのである。

「―――初弾弾着ッ! 照準誤差微調整…………よし、第2射まであと10秒……8、7、6……」

 高田基地に設けられた一室に、武の声が響く。
 その部屋には武の他に、可搬式遠隔操縦端末を前にした美冴、祷子、葉子、壬姫の4人と、『雷神』の運用を見学する帝国陸軍砲術士官らの姿があった。
 4人の眼には、網膜投影により、照準補正が施された砲撃目標の映像が映し出されており、各人が武のカウントダウンに従って第2射を行うべく狙いをつける。

 4人の照準情報を非接触接続により同時にモニターした武は、壬姫、祷子、葉子、美冴の順で、照準が目標からずれている事を確認した。
 ずれているとは言っても、大した量ではないのだが、美冴がほぼ正確に目標を照準しているのに対して、壬姫の場合は目標の周囲を付かず離れず彷徨う様に、照準が常に僅かずつ動き続けている。
 そして、数秒後放たれた、第2射の着弾位置を評定してみれば、壬姫がほぼ誤差無しとなり、最も大きな誤差を生じたのは美冴という結果となった。

(今回は『前の世界群』とは違って、事前に試射も行い、照準システムの微調整も済ませてある。
 その上で、リアルタイムに諸条件で照準補正した画像で狙っているっていうのに、たまや、祷子さんはどうやってそれ以上に狙撃精度を上げてるんだ?
 あ、でもよくよく考えたら、オレも射撃の時には適当に狙って撃ってるな……宗像中尉ほど正確に照準してないや。
 もしかして、これも00ユニット素体適性の一部って事なのか?
 ―――まあいいか……宗像中尉の砲撃でも十分精度は発揮出来てるし、これならオレが照準補正プログラムを弄らなくても、十分効果が期待できるだろう。)



 ―――『雷神』による砲撃開始から20分が経過。
 この時点で、『雷神』の砲撃可能圏内からはほぼ全てのレーザー属種が掃討されるに至っていた。
 それを確認した武は、美冴に対して声をかける。

「宗像中尉。それじゃあ、オレは予定通り一足先に佐渡に向かいますので、後の事を頼みます。
 それじゃあ、後ほど、佐渡で会いましょう。」

「ああ、地上に引き摺り出してくれさえしたら、私達がこいつで片付けてやる。だから、陽動の方をしっかりと頼むぞ。」
「白銀大尉、十分に気をつけて下さいね。」「また後で……」「たけるさん……ミキ、頑張りますから!」

 口々に別れを告げてくる4人に、武は笑顔で敬礼すると部屋を後にする。
 その足でそのまま格納庫に向かった武は、増槽を装備した『不知火』に搭乗し、佐渡島近海に位置する戦術機母艦『大隅』を目指して、独り飛び立っていった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 07時04分、作戦旗艦『最上』のHQでは、作戦第2段階への移行を前に戦果評定が行われていた。

「―――第2戦隊並びに第3戦隊、海底に展開するBETA群を誘引しつつ、北西海域へと移動を開始しました。」

「ふむ。海底に展開しているBETA群も含めて、2万5千程度が残存しておりますな。
 しかし、当初より地上に展開していた4万のBETAに、第1次、第2次増援4万ずつを加えて12万を超すBETAを、既に5分の1近くまで撃ち減らした事になります……
 これが地上戦力を投入せずに上げた戦果だとは、実際にこうして目の当たりにしておらねば到底信じられぬ戦果ですな。」

 HQに響いたCP将校の報告に、作戦開始以来の戦果が表示されたディスプレイを注視していた小沢提督が、ふと顔を上げると夕呼に視線を転じて話しかける。
 話しかけられた夕呼はというと、ディスプレイからは視線は逸らす事無く、それでも自信を垣間見せる声音で小沢提督の言葉に応じて見せる。

「当然ですわ。既にBETAの行動特性は、その殆どの解析が完了しております。
 相手がどう反応するかが解かりきっている以上、作戦が順調に推移するのは当たり前の事ですわ。」

「そうでしたな。ですが、BETA大戦が勃発し航空機が無力化されて以来、人類がこれほどに優勢であった試しなど絶えてなかった事。
 BETA情報の取得然り、XM3の開発然り、対BETA戦術構想の立案然り―――長らくBETAと戦いながら、人類が願って得られなかった、正に希望の光と呼ぶに相応しい成果であると言えましょう。
 既にその一端である、『雷神』とBETA情報は十分な威力を発揮しております。
 ですが、第四計画の成果の内、現時点までで投入されているものは未だ極一部に過ぎませんな。
 残る成果も、謳い文句に違わぬ威力を発揮してくれるものと期待してますぞ。」

 04時00分の作戦開始から3時間の間に達成した戦果に、小沢提督は十分に満足しつつ、未だその一端しか投入されていない、夕呼率いるオルタネイティヴ4の成果に対する期待を表明する。
 それに、薄く笑みを佩いた唇を開き、夕呼は自信と共に言葉を放つ。

「お任せ下さい提督。必ずや今作戦を境に、人類を勝利へと導いてご覧にいれますわ。」

 そう言い切った夕呼の視線の先、戦力配置図が表示されたディスプレイの中で、1つのマーカーが戦術機母艦『大隅』に重なって表示されていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 07時30分、戦術機母艦『真鶴(まなづる)』の格納庫で、複座型『武御雷』の管制ユニットに搭乗した斯衛軍第16大隊の衛士達が、HQからの通信に勇躍し一斉に出撃準備を開始していた。

「こちらHQ、現時刻を以って作戦は第2段階に移行。―――繰り返す、現時刻を以って作戦は第2段階に移行。
 斯衛軍第16大隊は遠隔陽動支援機を以って、上陸を開始せよ。繰り返す、遠隔陽動支援機を以って、上陸を開始せよ」

「御名代殿―――」

「承知―――皆の者、出陣せよ! 我に続くが良いッ!!」

 HQからの指示に続き、第16大隊指揮官斉御司大佐に促され、政威大将軍名代として第16大隊へ出向となっている冥夜は、第16大隊の衛士等に出撃の命を下した。
 それとほぼ同時、佐渡島南東の海岸近海に、事前に展開を終えていた『自律式簡易潜水輸送船』が浮上。
 自律誘導弾の一斉射撃に続けて、内部に格納していた陽動支援機『朱雀』を射出する。
 目指す上陸地点周辺には、帝国連合艦隊第3戦隊の制圧砲撃が降り注いでおり、『朱雀』が飛び立った海面下では、帝国海軍第17戦術機甲戦隊の『海神』が、やはり上陸地点を目指して海中を進撃していた。



 10分後、上陸地点は軍第17戦術機甲戦隊―――スティングレイ隊によって確保され、その支援砲火の下、斯衛軍第16大隊の陽動支援機が戦線を押し広げつつあった。
 そこへ、海上から1群の戦術機が、NOEで飛来する。

「む―――来たか、タケル!」

 それに気付いた冥夜が呟きを洩らすと、それに応えるかのようにオープン回線から武の声が流れ出す。

「―――こちらスレイプニル0(白銀)、我々はこれより佐渡島ハイヴに向けて進撃し、ハイヴ内のBETAに対する陽動を開始する。
 貴隊は、後続の斯衛軍第5連隊、帝国陸軍陽動支援部隊と協力し、地中設置型振動波観測装置の敷設を急がれたい。
 貴隊の健闘を祈る!」

 あっと言う間に接近し、紫色の『朱雀』の上空を飛び越して行く、国連カラーの『不知火』に率いられた21機の『時津風』と22機の『満潮』。
 戦域マップの上で、急速に離れていく武を表すA-02のマーカーを見ながら、冥夜は心中で密かに武に語りかける。

(タケル……そなたこそ、気を付けるのだぞ……)

 佐渡島内陸への進撃路を切り開く為に、佐渡島ハイヴの『地上構造物(モニュメント)』に向けて押し上げられる制圧砲撃を追って、武が搭乗した『不知火』はあっと言う間に飛び去っていった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 07時52分、ヴァルキリーズと武の操る『時津風』21機は、手元に残した4機の『満潮』を殿に、武の搭乗する『不知火』を中心とする円型壱陣(フォーメーション・サークル・ワン)で、佐渡島の荒野を噴射地表面滑走で駆け抜けていた。

「ヴァルキリーズ1(伊隅)より各機、投擲地雷各1発を投下せよ。
 突撃級の足を鈍らせるぞ。」

「「「「「「「「「「「「「 了解! 」」」」」」」」」」」」」

 みちるの命令に、『雷神』による砲撃任務の為に、今も尚、帝国軍高田基地に分派されているS小隊の4名を除く、13名の部下達が応じる。
 そして、遙が制御している4機の『時津風』を含めて、17機の『時津風』が装備していた投擲地雷を投下する。
 それらは、地表すれすれを滑るように『時津風』が駆け抜けた後に残され、A-01の戦術機群を追って迫りくる突撃級に対して牙を剥いた。

 17発の地雷により、先頭を突進していた突撃級が、頭部や腹部、そして脚部などを傷付けられ、転倒したり、速度を落としたりした。
 これにより、後続の突撃級も衝突を回避する為に速度を落とす事となり、A-01は突撃級との距離を広げる事に成功する。

 武と、武の直衛を担っているヴァルキリーズを追っているのは、G元素を使用している00ユニットである武に誘引されて、佐渡島ハイヴから出現した軍団規模の第3次BETA増援であった。
 ハイヴと言う巣穴から這い出し、荒野に犇めいて迫って来る4万を超えるBETA群。
 その最後方に位置するレーザー属種の照射を免れる為、A-01各機は突撃級を敢えて振り切らないままで、旧上新穂から旧立間に至る渓谷に逃げ込もうとしていた。

 この時点で、佐渡島南東の海岸の沿いの、BETAによって山頂を大分均されて(ならされて)しまったとは言え、未だに高台として存在する旧山脈地帯全域に対する、地中設置型振動波観測装置敷設作業は既に完了している。
 これは、斯衛軍第13~第16大隊と、帝国軍陽動支援戦術機甲連隊の合計7個大隊が、総力を上げて当該地区の残存BETAを殲滅と並行して設置作業を行った成果である。
 上陸地点を確保していたスティングレイ隊の『海神』は、既に佐渡島南東海岸線沿いの海中哨戒に当たっており、斯衛軍第15大隊を渓谷近辺の確保に残し、その他の6個大隊は既に洋上の戦術機母艦へとNOEで帰還していた。

 まるで、上陸作戦に失敗し、撤退しようとしているかにも見える状況だが、これで所定の通りの作戦行動なのであった。
 地上に展開するBETA群を壊滅させても尚、ハイヴに潜み地上に出てこないBETA群を、00ユニットである武を餌に引き摺り出すのが、今次上陸のそもそもの目的であったからだ。
 この後、A-01各機が海岸線に到達した時点で、帝国海軍第1~第3戦隊からのAL弾による飽和砲撃が行われ、重金属雲を発生させて、海上をNOEで離脱するA-01と斯衛軍第15大隊の被照射リスクを軽減する。
 同時に、レーザー属種の位置を特定し、『雷神』による制圧砲撃を開始。
 レーザー属種の掃討後は第1~第3戦隊の制圧砲撃によって、残存BETAを殲滅する手筈となっていた。

 そうして、地上に誘引したBETA群を殲滅した後は、再上陸を行って、武による陽動を繰り返す。
 2度目以降の再上陸の時には、地中設置型振動波観測装置の敷設が完了している。
 その為、上陸に際して残存BETAの存在位置が感知できる為、支援砲撃を実施せず陽動支援機の武装のみで残存BETAを掃討し、再上陸を果たす事が可能であると予測されていた。

 武がリーディングデータを解析した結果によれば、00ユニットによる陽動で地上にBETAを誘引できるのは第5次増援まで。
 そこまでは『雷神』と帝国海軍の砲撃によってBETAを殲滅する予定である。
 この段階までのBETA推定撃破数は、17万体を超えると算定されている。

 だが、武のリーディングによって得られたフェイズ4ハイヴ所属BETA個体数は40万体前後。
 それだけのBETAを倒して尚、佐渡島ハイヴには23万体ものBETAが残っている計算になる。
 今回の『甲21号作戦』は、通常兵器のみによる全BETAの殲滅が目標だ。
 戦いは未だ序盤に過ぎなかった―――

  ● ● ○ ○ ○ ○

 10時26分、旧上新穂に設けられた補給拠点で、武は『不知火』の予備機への複座型管制ユニット積み換え作業を行っていた。

「随分と、用心深い事だな、白銀。」

 自らの直衛機として使用している『時津風』の複座型管制ユニットに一時的に移り、『満潮』をガントリー代わりにして管制ユニットの換装作業を行わせている武に、みちるが話しかけて来た。
 それに、僅かに苦笑を浮かべながらも武は応じる。

「まだ、機能障害が出るほどじゃあないんですけど、戦術立案ユニットを万に一つも危険にさらせませんからね。
 そういう意味じゃ、確率論でしか管理できない機能障害とかの方が、ある意味BETAよりも始末に負えないですよ。
 例えばほら、『雷神』の内、2隻が実戦投入できなかったじゃないですか。
 しかも、その内1隻は運用テスト中に、局地的に発生した雷雲の所為で、落雷を受けて墜落。
 もう1隻は、昨日になって最終調整中に整備員の人的ミスで、自律制御ユニットが全損ですからね。
 落雷対策はちゃんと施してあったのに上手く機能しませんでしたし、自律制御ユニットだって予備部品はあったんで、昨日の今日でなければ調整も間に合って作戦に投入できた筈なんです。
 なのに、結果的には建造した6隻中4隻しか実戦投入できなかった……結局、九州方面と北海道方面への派遣予定は中止。
 佐渡島への砲撃任務を完了した4隻の内3隻を九州方面へ、残り1隻を北海道方面へ移動させる事になっちゃいましたからね。」

 『前の世界群』では、オルタネイティヴ4の権限だけでは建造枠を2個群分しか確保し切れなかった『雷神』だったが、今回は悠陽の命により帝国軍と協同で建造する事が出来た。
 お陰で、支援飛行船を含めて6個群の『雷神』飛行船群が完成したのだが、肝心の『雷神』2隻が何れもトラブルによって実戦投入できない状況へと追いやられてしまった。

 武は、この事態を受けて、支配的因果律による干渉が『前の世界群』よりも強まっていると判断し、自身の搭乗する戦術機にトラブルが発生するリスクを極力回避する為に、作戦途中での機体変更をまめに行う事にしたのである。
 その為、後半、ぼやきになってしまった武の言葉に、今度は水月が発言する。

「『雷神』が移動中って事は、宗像達もこっちに向かってる筈よね?」

「うん。戦域マップで見る限りだと、後10分位で『大隅』に着艦するんじゃないかな?」

「あー、速瀬中尉。S小隊の4人には、『大隅』に着いたら1時間以上仮眠を取って貰って下さいね。
 砲撃開始から6時間近く経過してますから。」

「解かってるわよ!」

 『雷神』を運用する為に、帝国陸軍高田基地に残っていた美冴率いる祷子、葉子、壬姫の4人で構成されたヴァルキリーズS小隊も、最後となる砲撃を終えて、現在は海上を『大隅』目指してNOEで移動している最中であった。
 それを訊ねた水月に、透かさず遙が答え、2人に仮眠をと武が言葉を足す。
 武の言葉に、何処となく不満気な水月がぴしゃりと応えると、今度は茜が口を開いた。

「そう言う、白銀自身は大丈夫なの?」

「―――オレはほら、『大隅』まで自律飛行で飛んでる最中と、『大隅』に着いてから出撃するまでの間に、仮眠してただろ?
 だから、大丈夫だよ涼宮。
 もし眠気が襲ってきたとしても、委員長に叱り飛ばしてもらえば、あっと言う間に目が覚めるって。」

 S小隊の砲撃開始に立ち会い、それから『大隅』まで単身『不知火』を駆って移動し、僅かな待機時間を経ただけでそのまま佐渡島に上陸し、ハイヴに潜むBETAの地上への誘引・陽動を繰り返す武。
 そんな武の身を案じた茜の言葉に、疲れを見一切感じさせない笑顔で武は応える。
 実は仮眠など一切取っていない武だったが、00ユニットはこれ位の作戦行動では、全く支障をきたさないのも事実であった。

 武は茜に心配無用と告げた後、さらに記憶の中の数多の世界群でみちるや水月、美冴らがしていた様に、皆をリラックスさせようと軽口を叩く。

「―――私、少尉に叱り飛ばされる大尉って言うのも、どうかと思うんだけど……」
「榊にはお似合い……」
「あはははは。でも考えてみれば、千鶴さんは、訓練生の事から臨時中尉だった武を叱り飛ばしてたよね。」
「ぷっ……そりゃ、確かにっ、ある意味凄い話だねっ!」
「確かに~、そうですね~。」
「ま、少尉に叱り飛ばされて喜ぶ大尉なんて、白銀くらいだとは思うけどね~。」
「晴子~、なんだかその言い方だと、変態っぽく聞こえるよ?」

 それは功を奏し、武に名指しされた千鶴を先頭に、彩峰、美琴、月恵、智恵、晴子、多恵―――今年任官した若手が続け様に笑みを浮かべながら楽しげに発言する。
 この辺りの反応の良さは、武ならではと言えるだろう。
 みちるや水月、美冴の発言では、今年任官したばかりの面々は軽々に口を挿めない―――茜や晴子は、それでも結構発言するが……
 戦場で作戦遂行中に交わされているとは、到底思えない様な和やかな雰囲気に、冥夜の代わりにヴァルキリーズに出向している神代が、何処か訝しげな顔をして聞いていた。

「おしゃべりはその辺にしておけ、帝国軍の陽動支援連隊が地上に残存していたBETAを掃討してくれたとは言え、いつ地中から姿を現すかも知れんぞ。
 振動と音紋に気を配りつつ、速やかに敷設作業を進めるんだ。
 戦術立案ユニットの予測通りなら、そろそろ地中侵攻が開始される筈だ。
 それまでに、少なくとも『土竜』の敷設を完了させるぞ!」

「「「「「「「「「「「「「 了解ッ! 」」」」」」」」」」」」」

 程良く力が抜けた所で、みちるが現在遂行中の任務に意識を戻させる。
 ヴァルキリーズの面々は、一斉に応答すると任務に集中した。

 そうこうする内に、複座型管制ユニットの『不知火』予備機への換装も完了し、武は『時津風』から『不知火』へと移乗する。
 着座調整を、非接触接続で済ませながら、武はODL交換用チューブを脚部コネクトプロテクターに接続する。
 脚部コネクトプロテクター部に接続する方式としたのは、通信画像に映る上半身を避けた結果である。

 表向き、戦術立案ユニットが搭載されていると説明している武の乗る複座型管制ユニットだったが、実は後部席にあたるスペースに搭載されているのは、予備のODLと簡易型浄化システム、そしてリーディングデータのレコーダーであった。
 『凄乃皇』と違い、ML機関の制御を行わない為、量子電導脳の負荷は少ない。
 飽くまでも、ODL異常劣化による自閉モードへの移行リスクを、極限まで減らすための措置であった。

 武は、非接触接続で戦域データリンクに接続し、最新情報を次々に脳裏に浮かべ心中で呟く。

(―――よし、『地上構造物』に対する設置作業も完了してるな。
 これで、あれに対する備えも済んだ。
 揚陸も順調のようだし、海底に展開していたBETA群も、オレに釣られて地上に戻って来た所を殲滅したしな。
 このまま―――このまま上手くいってくれよ―――)

 武は、4機の『時津風』、5機の『満潮』を伴って、乗り換えた『不知火』の移動を開始させる。
 目指すのは、佐渡島ハイヴ外縁部の『門(ゲート)』であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 10時38分、佐渡島の地表各地では、遠隔陽動支援機と随伴輸送機が展開し、地中設置型振動波観測装置と地中埋設式気化爆弾『土竜』の設置が完了しようとしていた。

 既にこの時点で、地上に残存していたBETAは全て掃討を完了。
 現在は、戦術立案ユニットを搭載した武の『不知火』が、佐渡島ハイヴ南東外縁の『門』に侵入し、随伴する『満潮』に付着式振動波観測装置とデータリンク中継システム搭載気球を敷設させている。
 無論、これはBETAを誘引する事が主目的である為、ハイヴ内のBETA侵攻が察知された段階で即時撤退する予定となっている。

「んったくっ、なんだって俺達斯衛の精鋭が、こんな土方作業みたいな真似をやんなきゃなんねえのかねえっ!」
「絶人君ッ?! 今、通信中―――ッ!!」
「げっ! やべえ?!」

 斯衛軍4個大隊の中隊長以上全員が接続しているオープン回線に、第14大隊指揮官である麻神河絶人中佐の声が流れ、直後に慌てた様な同第2中隊隊長である夕見早矢花大尉の声が続く。
 絶人は慌てて黙るが既に時遅く、僅かな間を置いて、直属上司となる斯衛軍第5連隊指揮官であり、義兄でもある麻神河暮人大佐の、鋼の刃(やいば)の如き言葉が回線を流れる。

「―――麻神河中佐。実に不見識な発言だな。
 御名代殿が、何故御自らこの任務をお引き受けになられたと思っている?」

 普段の、やんちゃな義弟に対する温かみを完全に排除した暮人のその言葉に、第5連隊の面々が背筋を震わせる。
 任務に支障をきたしさえしなければ、大抵の事であれば聞き流す暮人が、ここまで冷徹に言い切るという事は、完全に逆鱗に触れたという事の証しであった。

「す、すまな―――いえ、小官の失言でありました。
 現在遂行中の任務の重要性を軽んじるが如き発言、伏してお詫び申し上げます。」

「―――地中設置型振動波観測装置の敷設は、現在上陸を開始している地上部隊の命運をも左右しかねない重大な任務だ。
 例え戦闘任務でないとは言え、決して軽んじて良い物ではないぞ? それを―――」

「その辺で良いであろう、麻神河大佐。
 麻神河中佐とて、タケルの対BETA戦術構想は十分理解しておろう。
 頭で理解していたとて、戦いを前にして裏方の仕事を割り当てられれば、武人の血が疼くのも無理無き事だ。
 任務の遂行が滞った訳でもないのだから、その程度で許してやるが良い。」

 暮人の叱責に、常の伝法な態度を改め、神妙に謝罪する絶人。
 その暮人の謝罪を聞いて尚、義弟の誤った点を説き聞かすが如くに叱責を続ける暮人であったが、それに冥夜が言葉を差し挟んで叱責を押し留める。

「しかし、御名代殿。折角御名代殿がこの任務の重要性を周知せんと成されたというのに、そのお考えを無に帰しかねぬ発言。
 許し難き仕儀と存じますが?」

「よいと言っている。麻神河中佐に限らず、斯衛の多くの衛士等が心中に抱いている想いであろう。
 それを承知で、この任務を皆に強いたのは私だ。
 僅かに心中を漏らしたからとて、それを咎め立てたりせずとも良い。
 だがな、麻神河中佐。解かっているだろうが、全ては戦場に立つ兵士らの身命を出来る限り安堵する為の任務だ。
 1人足りとて無駄に将兵を散らせたくないとお考えであろう、政威大将軍殿下の御心に沿う為、そして延いては国の為にも、この任務の重要性を示しておかねばならぬのだ。
 それだけは、斯衛の大隊を預かる者として、弁えてくれるな?」

 冥夜は、重ねて絶人の非を鳴らす暮人の言葉を容れず、絶人の―――多くの斯衛軍衛士等の心中に燻ぶる想いを汲み取って見せる。
 その上で、それと承知で敢えてこの任務を買って出た自身の想いを告げ、理解を求めた。
 情理を尽くした冥夜の言葉に感銘を受け、絶人はその言葉を真摯に受け取り、汚名返上の機会を望み願い出る。

「はっ! 御名代殿のお言葉、心の髄まで刻み込ませて頂きます。
 此度の不始末、必ずや雪いで見せます故、何卒御照覧下さいますよう、伏して御願い奉ります。」

「うむ。良い覚悟だ。期待しておこう。
 ん?―――これは……斉御司大佐?……承知。
 ―――さて、皆の者、戦術立案ユニットの予測通り、地中侵攻が始まったようだ。
 急ぎ、所定の配置に着くが良い。」

 冥夜は、絶人の願いを莞爾と笑って受け入れたが、直後に眉を顰めて斯衛軍派遣部隊の実質的な最上位者である斉御司大佐に伺いを立てる。
 そして、通信画像で斉御司大佐が頷きを返すのを確認した冥夜は、地中侵攻に対応すべく、所定の作戦行動に従った命を斯衛軍派遣部隊に対して下した。

 正にこの時、南東の海岸では、粛々と地上部隊の揚陸が成されている。
 戦火を交えない揚陸と言う、夢想にも等しい現実に、どこか呆然としながらも地上部隊は所定の配置へと展開していく。
 だが、彼らがその力を振るう時はすぐそこまで迫っていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 10時41分、『前の世界群』と同様に、『横坑(ドリフト)』の地中終端部から3手に分かれて地中侵攻して来るBETA群が、統合索敵システムによって感知された。

「―――よし、『下北』から『Gパーツ』を6基搭載して、緊急展開用ブースターユニットを射出!
 渓谷を抜けて新穂ダム跡まで運ばせるんだ。
 そこから先は、B小隊に『土竜』まで運んでもらう。
 地中侵攻中のBETA群が辿り着く前に設置するんだ。後、起爆後の回収も頼む。」

「「「「「「 ―――了解! 」」」」」」

 武の指示に従い、遙は戦術機母艦『下北』に搭載された『満潮』を操作し、『Gパーツ』6基を甲板上で待機させていた緊急展開用ブースターユニットに搭載。
 『満潮』を退避させると同時に、緊急展開用ブースターユニットを直ちに発艦させる。
 続けて、武に『Gパーツ』の運搬を委ねられたヴァルキリーズB小隊の6名、水月、紫苑、多恵、月恵、神代、彩峰が、担当する『時津風』を旧上新穂補給拠点から、新穂ダム跡に向けて移動を開始させた。

 『下北』を発艦した緊急展開用ブースターユニットは、海面上10mの超低空を時速600kmで突進する。
 その進路上の揚陸部隊は、HQからの指令により全て退避し、まるで巡航ミサイルの様に波飛沫と土煙を残して渓谷へと姿を消していく、円錐を半分に割った様なリフティングボディーを見送った。
 そして、新穂ダム跡を指呼の間に捉えた緊急展開用ブースターユニットは、6機の噴射跳躍ユニットを逆噴射させて速度を落とし、装甲の施されたボディーで地表を削りながら軟着陸する。
 そこへ、先に到着し待機していた6機の『時津風』が駆け寄り、自動的に展開されたカーゴユニットから、直径30cm程のボール状の物体を1つずつ取り出すと、旧長石より旧目黒町、旧上新穂を経由して旧田ノ浦へと至る第1次防衛線の前方に配置された、20基を超える『土竜』の内の指定された6基を目指して飛び去った。



「ふっふ~ん、余裕余裕。後はこいつをセットして……」

 自分の担当する『土竜』の設置点に到達した水月は、右主腕に保持した『Gパーツ』を、地上に垂直に突き出した後、地表に水平になるように緩やかなカーブを90度描いている筒の中に押し込む。
 そして、筒の端部近くにあるスイッチを押すと、網膜投影に『土竜』の概略図が表示され、『Gパーツ』が筒を通って『土竜』本体へと移動していく様子が示される。
 水月は『Gパーツ』が『土竜』本体に格納された事を確認すると、地上に飛び出した筒の端部が向いている南東方向へと『時津風』を退避させるのであった。

 ほぼ同時刻に、他の5か所の『土竜』設置地点でもヴァルキリーズB小隊の『時津風』各機が、同様の作業を行って『Gパーツ』を『土竜』に格納し、その場から退避していく。
 そして、それに前後して、地中侵攻中のBETAの進路が微妙にずれる。
 やがてその進路は、6基の『Gパーツ』の内3つへと収斂していった。

 『Gパーツ』とは、『前の世界群』で使用した『土竜』に搭載されていたG元素を、『土竜』の地中埋設後に適宜格納できるように分離したものである。
 これは、G元素を初期搭載した『土竜』では地中埋設前からBETAを誘引してしまう為、運用に難があった事と、地中侵攻するG元素回収モードのBETA群を誘引する為に、陽動支援機に簡易搭載可能なG元素搭載装備の必要性を感じた事から、その双方で運用可能な共用パーツとして考案された装備である。
 陽動支援機に搭載する場合は、専用のケースで機体腹部に固定する方法と、主腕で保持する簡易搭載の2通りが用意されている。

 今回の作戦では、『Gパーツ』を佐渡島に搬入してしまうと、その地点にBETAの侵攻を誘発しかねない為、海上の艦艇に搭載しておき、必要に応じて緊急展開用ブースターユニットで輸送するという方法が採用されていた。



 数分後、『Gパーツ』に誘引された地中侵攻BETA群の先頭に位置する要撃級が、『土竜』の外殻を突き破った。
 その直後、内圧の低下に連動し、信管がサーモバリック爆薬を起爆。
 爆発的な個体から気体への相変化に伴う圧力を利用し、『Gパーツ』が地上へと延びる筒に設置されたレールに沿って射出される。
 『Gパーツ』通過後、筒は何重にも封鎖されて複合爆鳴気を逃がさない。
 そして、複合爆鳴気は唯一の逃げ道である外殻の貫通坑から、地中侵攻してきたBETAが犇めくトンネルへと噴出し拡散。
 直後に発生した爆燃により、閉鎖空間に犇めくBETA群を殺傷した。

 更に数分後、最初の爆発から生き延びたBETA群が、最初に起爆した『土竜』から約50m後方に設置された『Gパーツ』格納済みの『土竜』に接触し、合計2度の気化爆薬の爆発により、地下侵攻してきたBETA群は当初の7割にも及ぶ個体が殲滅される事となった。
 その後は、『土竜』から射出された『Gパーツ』を回収して装着した『時津風』6基と、武の搭乗する『不知火』によって、残存BETAが地上へと誘引され、地上で待機していた斯衛軍4個大隊が『Gパーツ』搭載機と武の『不知火』を照準しようとするレーザー属種を各個に殲滅。
 残りは展開を終えて、出番を手ぐすね引いて待っていた、機甲部隊の制圧砲撃によって掃討される事となった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 11時15分、作戦旗艦『最上』のHQでは、『甲21号作戦』第3段階の戦果評定が行われていた。

「―――全作戦艦艇の弾薬補給が完了。各戦隊、所定の海域へと移動を開始しています。」

「むぅ……」

「如何なさいました? 提督。」

 作戦開始から、現在までの戦果、損害、弾薬消費等のデータが表示されているディスプレイを見て、引き結んだ口から唸り声を洩らした小沢提督に、近くに立っていた夕呼が声をかける。

「いや、失礼した。
 恥ずかしながら、あまりに事前の作戦案通りに推移している現状に、思わず息を飲んでしまっていたのです。」

「そうでしたか。」

 夕呼の声をかけられ、そちらに向き直った小沢提督は、己が心中を明かす。
 この時、夕呼を見る小沢提督の眼には、崇拝にも近い光が宿っていた。
 それに気付いているのかいないのか、夕呼は腕組みをして素っ気なく応じると、視線を戦況ディスプレイへと転じてしまう。
 そんな夕呼に対して、小沢提督は現状が如何に驚嘆すべき状況であるかを語り、夕呼のもたらした成果を称賛する。

「作戦開始より7時間半、時間と弾薬こそ相応に費やされてはおりますが、殆ど人的損耗を出す事無く、20万を超えるBETAを撃破し、無血上陸を果たしたという現実……驚嘆するほかありますまい。
 ―――しかも、此処に至るまでのBETAの援軍や侵攻に至る諸所の行動が、大筋において事前に想定されたものに実に見事に合致しております。
 先程の地中侵攻の際など、如何に想定内とは言え、地中侵攻してきた1万5千のBETA群の生き残りと地上戦を繰り広げているその最中に、更に1万のBETA群が地中侵攻してきた時には肝を冷やしました。
 しかし、それすらもテストプランの通り。
 第1次地中侵攻で使用しなかった『土竜』に『Gパーツ』を設置する事で、見事にその侵攻を停滞させ、残存BETAを地上へと誘引してしまわれた。
 予測不可能とまで言われていたBETAの行動を、これ程の精度で解析し対処して退けるとは……
 オルタネイティヴ第4計画は、実に素晴らしい成果を上げられましたな。」

「お褒めに与り光栄ですが、これまでの作戦段階では、地上に展開させる戦力を最低限に限定し、こちら側の変動要素を極力限定した結果に過ぎません。
 地上部隊を上陸させ、展開させてしまった以上、これ以降はBETAの行動も多様化し、戦術立案ユニットの能力を以てしても万全の予測は叶いません。
 未だ佐渡島ハイヴには、当初の半数近いBETAが残存している筈です。
 不測の事態に備えなければならないのは、これからですわ。」

 しかし、小沢提督の称賛に一応謝辞は述べたものの、夕呼は素っ気なく現状は然るべき配慮によってもたらされたものに過ぎず、これからが本番なのだと告げる。

 そして、夕呼の言葉に呼び寄せられたかの如くに、ピアティフが声を張り上げる。

「副司令!―――国連宇宙総軍総司令部より緊急電です。
 地球周回軌道上で定時連絡を絶っていた再突入型駆逐艦6隻が、極東地区を目標とした再突入回廊への軌道に遷移したとの事です。
 再突入型駆逐艦は何れも軌道爆撃装備! 注意されたし、との事です!!」

 ピアティフの声に、愕然とするHQの要員達。
 しかし、その中にあって夕呼だけは全く動じる事無く毅然とした立ち姿を保っていた。
 そして、人知れず夕呼の口元に、冷然たる笑みが一瞬だけ浮んで消えた―――




[3277] 第113話 『甲21号作戦』中盤・鎧袖一触
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/04/13 17:24

第113話 『甲21号作戦』中盤・鎧袖一触

2001年12月25日(火)

 11時24分、再突入型駆逐艦『ボックスカー』の操縦席で、今となっては唯1人の乗員となった人物は、通信封鎖を自ら解いて回線を『甲21号作戦』戦域データリンクへと接続した。

「―――こちらは、国連宇宙総軍所属、再突入型駆逐艦『ボックスカー』艦長、ポール・ウィーニー中佐だ。
 『甲21号作戦』総司令部並びに作戦参加将兵に告げる。
 これより私は、G弾2発による佐渡島ハイヴに対する軌道爆撃を敢行する。
 G弾に先行し、AL弾並びに再突入殻12機による爆撃も実施する為、予想爆撃威力圏内からの速やかな退避を勧告する。」

 ウィーニー中佐は、既に完了している再突入の準備や、戦隊を構成している再突入型駆逐艦5隻の自律航行プログラムの確認などをこなしながら、淡々と『勧告』を行っていく。
 国連軍のオープン回線を通じての『勧告』は、『甲21号作戦』に参加する全将兵の許に戦域データリンクを通じて届いている筈である。
 通信回線は送信のみとしている為、先方の反応を窺い知ることはできないが、ウィーニー中佐としては自身の信念をこの最後の機会に例え一方的にであろうと告げずにはいられなかった。

「―――このG弾による軌道爆撃は、国連軍の正規の作戦行動ではない。
 私個人が信念に基づき、軍規に反して断行するものであり、軍人として許されざる行いである事は、十分に承知している。
 しかし私は、『甲21号作戦』実施に当たり、BETAに対して高い効果を発揮する攻撃方法であるG弾による爆撃を、確たる検討すら行わずに選択肢より排除し、貴君ら作戦参加将兵の生命を悪戯に危険に曝さんとする、頑迷な作戦司令部の行いこそが、より許されざるものであると確信している。
 現時点までの作戦推移に於いては、彼等の新機軸が効を奏して死傷者を出さずに済んでいるようだが、作戦司令部が危険を軽視し地上部隊の上陸を命じた以上、私はこれ以上彼等の傲慢を看過する事は出来ない。
 私の行いは、神誓って貴君ら作戦参加将兵の犠牲を減らす為のものに他ならない。
 これより行われる爆撃が、諸君らの助けとなり、人類の希望の光とならん事を切に願っている。―――以上だ。」

 言葉を切り、通信回線を切断したウィーニー中佐は、ヘルメット中で僅かに首を傾げると独り呟きを洩らした。

「…………もう少し、話しても良かったか?―――いや、所詮言葉では真意は伝わるまい。
 帝国軍将兵は上層部の意識誘導によって、G弾に対して偏見にも近い見解を有しているとの事だからな。」

 その直後、ウィーニー中佐の呟きに応じるが如くにスピーカーから声が発せられた為、ウィーニー中佐は驚愕に目を見開き、その身を凍らせたかの様に硬直する事となる。

「そうですね。確かに、帝国軍の将兵を中心に、中佐に対する怨嗟の声が上がっていますよ?」

「なっ! 貴様、何者だ?!」

 一瞬の硬直から立ち直ると、ウィーニー中佐は誰何と共に、両手を素早くコンソールに走らせ、無線封鎖とハッキング防止の防衛システムのチェックを開始する。
 その結果、通信システムの制御が一部相手側に奪われていると判明し、ウィーニー中佐はこれ以上の侵入を防ぎ、相手を排除する為の対抗手段を矢継ぎ早に繰り出していく。
 そんなウィーニー中佐の反撃に全く動じる気配も無く、通信相手は悠々と名乗りを上げる。

「国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、白銀武大尉です。
 まあ、オルタネイティヴ5の要員である中佐には、オルタネイティヴ4直属と申し上げた方が早いでしょうね。」

「―――そうか、横浜の魔女の手先が、私に何の用だ?
 悪いがそう易々とは邪魔はさせんぞ?」

 ウィーニー中佐は、電子防壁の動作を確認し、これ以上の侵入を防ぐ事に成功したようだと一息吐いたが、未だに通信回線の制御は取り戻せずにいた。
 しかし、通信回線の制御だけならば、あと3分も経たない内に大気圏突入となる為、そうなれば自然と通信途絶し問題は解消すると判断する。
 僚艦である5隻の再突入型駆逐艦の制御さえ奪われなければ、このまま通信回線に干渉され続けても何も問題は無いと、ウィーニー中佐は自身に必死で言い聞かせる事で平静を保ち、武に対して牽制の言葉を放った。

「―――確かに、中佐を止める事は出来そうにありません。
 ですが中佐、G弾は効果を発揮できませんよ?
 G弾の軌道爆撃戦術は、既にBETAに対処されています。
 地上に展開しているBETA群にすら、殆ど被害を与えられないでしょうね。
 それが、『甲21号作戦』でG弾を運用しない理由の一つなんです。」

「ふん! 出鱈目を言った所で、私を騙す事など出来はしないぞ?
 G弾は、BETAに対して初めて圧倒的な効果を発揮した兵器だ。
 私はG弾の威力を、『明星作戦』で目の当たりにして確信した。
 あれこそは人類が手にした希望の光、神より賜わりし聖なる剣だ!
 もし、貴様の言うとおり、万一BETAに対処されてしまったのだとすれば、人類は一度手にした神の恩寵を、みすみす無に帰してしまったと言う事になるのだぞ?!
 もしそれが真実ならば、それは貴様等オルタネイティヴ4を首魁とする無知蒙昧な輩が、G弾の運用を禁じ無為に時を費やした所為ではないか!
 素直にG弾の威力を認め、速やかに反攻作戦を実施するべきだったのだ!!」

 武の言葉に、ウィーニー中佐は鼻を鳴らして応じ、G弾の運用に反対した勢力を扱き下ろす。
 それに対しては、武も冷やかな声で応じる。

「なにを言ってるんですか。
 そもそも、事前にちゃんとした同意形成もせずに、G弾投下を強行なんてするから反発を招いたんです。
 オルタネイティヴ5の失策以外の何物でもないじゃないですか。
 それに、そんな結果論を振りかざすなら、そもそも『明星作戦』が失敗して帝国が陥落寸前になるまで、オルタネイティヴ5は静観してれば良かったんです。
 そうすれば、誘致国の凋落によりオルタネイティヴ4は自然消滅し、大手を振ってオルタネイティヴ5が主導権を取れたでしょうよ。
 結局の所、G弾の実証試験を行うと共に、ハイヴ攻略と言う成果を欲して横車を通した末の自業自得じゃないですか。」

 武の切り返しに、ウィーニー中佐は眉を顰める。
 確かに武の言うとおり、結果だけを見れば『明星作戦』に於けるG弾投下の強行は、オルタネイティヴ5にとっては痛手となった。
 しかし、あのG弾投下によって多くの将兵が救われ、日本帝国が滅亡の淵から立ち直ったのも間違いの無い事実なのだ。
 なのに、日本帝国もオルタネイティヴ4も、G弾を危険視するばかりで正当な評価を下そうとしない。
 ウィーニー中佐は、そんな反論を敢えて語らず飲み込んで、水かけ論となるに違いない議論を断念する。

「くっ―――まあいい、いずれにせよ、結果は後数分もすれば明らかになる。
 幸い、地上に蔓延っていたレーザー属種は、貴様等の新兵器で掃討済みではないか。
 如何にBETAが対策を講じて居た所で、現状でG弾を阻止できるものか。
 後は、私がG弾で『地下茎構造(スタブ)』に潜むBETAを大幅に殲滅してやる。
 その後で、激減した残存BETAを地上戦力で掃討すると良い。
 貴様等の勝利に貢献してやるのは業腹だが、無為に将兵等を犠牲にしない為だ、それ位は勘弁してやるさ。」

 皮肉な笑みをこれ見よがしに浮かべて、ウィーニー中佐は豪語して見せた。
 それに対して、武は溜息を吐いて応じる。

「―――確かに地上にレーザー属種が存在しない現状でなら、G弾も効果を発揮するでしょう。
 ですが、その代わりに帝国は横浜に続いて、佐渡島まで重力効果の異常に侵される事になってしまいます。
 それは、国土を愛する帝国国民の望みに反するんですよ。
 それに、『明星作戦』に続いて、『甲21号作戦』でもG弾投下を行う事で、G弾を使用しないハイヴ攻略の実績を作らせない事こそが、オルタネイティヴ5の目的ですよね?
 こっちに下準備をさせておいて、美味しい所だけ持っていこうだなんて、ちょっと虫が良過ぎまするんじゃないですか?」

「なにを言っているのか理解できんな。私は確かにオルタネイティヴ5に属していたが、今回のG弾投下は私の独断だ。
 貴重なG弾を奪った重罪人として、今頃上官達は気も狂わんばかりになって私を呪っている筈だぞ?」

 オルタネイティヴ5の命に従っているのだろうと示唆する武をせせら笑いながらも、ウィーニー中佐は時間を稼ぐ為に会話に応じて見せる。
 今の所、相手のハッキングを排除する事こそ出来ていないが、通信回線以外への侵入は電子防壁で完全に防げている為、ウィーニー中佐は心に余裕を取り戻していた。

「なるほど、飽くまでもオルタネイティヴ5上層部は無関係だと主張する訳ですね。
 まあ、それでも責任は追及できますから構いません。
 ―――で、時間も無いので本題に入りますが、中佐のG弾投下に対して、こちらは対抗手段を取らせて頂きます。
 レーザー照射を受けて焼き尽くされたくなければ、駆逐艦は再突入させずに低位周回軌道に復航する事をお勧めします。
 そうすれば、G弾が既に運用し難い兵器となってしまっている事が、中佐にも解かって頂けますからね。」

「そして、貴様等に身柄を拘束されて、良い様に手駒にされるという筋書きか。
 御免だな。私はこの身を捧げて、G弾と運命を共にするよ。
 我が艦の制御を奪えなくて残念だったな、白銀大尉。
 しかし、貴官等の考案したあの『雷神』とかいう兵器は中々のものだ。
 あれとG弾があれば、ハイヴ攻略に於ける将兵の犠牲は遥かに少なくて済むようになるだろう。
 貴官らが、G弾に対する謂れの無い反感から解き放たれる事を願っているよ。」

 あと僅かで通信が途絶する事を確認し、ウィーニー中佐は本心からの願いを口にした。
 ウィーニー中佐とて、全人類が団結してBETAに対するべきだとの信念に於いては、武となんら異なる所は無い。
 しかし、この時の武とウィーニー中佐の間には、G弾を是とするか否とするかと言う大きな断絶が横たわっており、武の言葉がウィーニー中佐を翻意させる事は叶わなかった。

「―――中佐っ! 死んだらそれでお終いじゃないですか!!
 良くも悪くも、生きて経験を活かすべきです! 中佐ッ!!!」

「多数の将兵の命を救い、人類に希望の光をもたらす為だ。
 私一人の命など、その為なら惜しくはないさ。さらばだ、大尉。」

「中佐ッ!! 待って下―――」

 武の悲痛な叫びを最後に通信は途絶し、スピーカーから暫くノイズが流れた後、全ての音が途絶えた。
 大気圏との摩擦による微細な振動に曝されながら、ウィーニー中佐は武の言葉を思い返す。

(白銀武大尉か―――彼もまた、将兵の犠牲を減らしてBETAに打ち勝つ方法を真剣に追求しているのだな。
 今回の件で、彼らがG弾の威力を認めてくれると良いのだが……
 しかし、言うに事欠いて、BETA共がG弾に既に対処しているなどと不吉な事を言いおって……
 だが、万に一つそれが真実であったとしても、今回の私の爆撃でそれが明らかになれば、後は皆が対策を練ってくれるに違いない。
 『明星作戦』の地上部隊として、壊滅の危機に曝されていた我が隊を救ってくれたG弾と共に逝くのだ。
 何を恐れる事があるものか…………お前達、私もようやくそちらに行くからな―――)

 ウィーニー中佐は、コンソールの端に貼っておいた、色褪せた家族写真を一瞥すると、そのまま静かに瞼を閉じる。
 僚艦である5隻を含め、戦隊に属する6隻全ての爆撃行動は自律制御任せとなっている。
 自分を除く6隻全ての乗員を脱出させている以上、この後ウィーニー中佐が自ら行える事はほぼ残されていない。
 ウィーニー中佐は、万に1つもG弾が起爆前に迎撃されない様に、『ボックスカー』を盾としてそのまま佐渡島ハイヴに突っ込む覚悟であった。

 ウィーニー中佐は、静かに全てが決する時がやって来るのを待つ。
 その表情は何の憂いも無く、安らかであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 11時26分、作戦旗艦『最上』のHQは騒然としていた。

「―――軌道上の再突入型駆逐艦5隻からの突入弾分離を確認ッ!
 佐渡島ハイヴ周辺への弾道を確認しました。」

「A-02(戦術立案ユニット)より、佐渡島南東沿岸部への全地上部隊の退避勧告が出されました!
 また、第5段階での実施が予定されていたテストプランMを即時発動させるとの事ですッ!」

 CP将校らの報告が飛び交い、情報ディスプレイ上に低位地球周回軌道上の再突入型駆逐艦6隻とそれに付随する突入弾や再突入殻等の情報が表示されている。

「ぬう…………おのれ、またしても我が国土に対してG弾を投下しようと言うのかっ!」

 憤怒の表情を浮かべ、歯軋りと共に言葉を絞り出す小沢提督に、夕呼が歩み寄り耳打ちをする。

「第5計画上層部から、当該駆逐艦の艦長が、G弾軌道爆撃演習と称してG弾の実弾2発を模擬弾とすり替えて奪取したとの弁明がありましたわ。
 あと、国連宇宙総軍からは、当該駆逐艦の撃破も止む無しとの言質を取りました。」

「む……姑息なトカゲの尻尾切りですな。
 斯様な弁明で、こちらが引き下がるとでも彼奴等は思っているのですかな?
 いや失礼、今はG弾に対する対応が最優先でしたな。
 しかし……軌道爆撃の態勢を取った駆逐艦を迎撃するなど、可能でしょうか?」

 夕呼の言葉に、眉を顰めて不快気に吐き捨てた小沢提督だったが、即座に表情から感情の色を拭い去り、眼を炯々と光らせて対応の可否を夕呼に訊ねた。
 それに対して、夕呼は嫣然とした笑みを浮かべると、自信ありげに応える。

「お任せ下さい、提督。既に白銀が策を講じておりますわ。」

「既に策を?―――おお、そう言えば、先程テストプランMを発動させると言っておりましたな……
 しかし、それがG弾迎撃にどのような…………いや、時間がありません。
 この場は、香月博士の懐刀たる白銀大尉と戦術立案ユニットに事態を委ねると致しましょう。」

 そう言うと、小沢提督は視線で射落とせるものならばと言わんばかりの眼光で、情報ディスプレイ上に示された再突入型駆逐艦のマーカーを睨みつけるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 11時27分、旧上新穂補給拠点周辺で、A-01、斯衛軍、帝国軍陽動支援戦術機甲連隊に所属する、陽動支援機他の戦術機を主体とする装備群は、遮蔽地形の陰に分散して衝撃波の到来に備えていた。

「―――よし、プランMを実施する! S-11起爆ッ!!
 A-02(戦術立案ユニット)より、連合艦隊第2、第3戦隊に告ぐ、斉射開始せよ!」

 自ら搭乗している複座型『不知火』を丘陵部の陰に伏せさせた武は、陽動支援機に試製01式追加装甲を構えさせて盾とすると、予めヴァルキリーズに設置させておいたS-11を所定のタイミングで連鎖的に起爆した。
 武の現在位置である佐渡島ハイヴ『地上構造物』の東南東方向からでは陰になって視認できないが、『地上構造物』の西側上端から中程にかけて、幾つもの爆発が連なる。
 振動波の解析によって割り出したハイヴ『地上構造物』の低強度部位に設置されたS-11が、上方から順に起爆し『地上構造物』にV字型の亀裂を穿って行く。

 そこへ、連合艦隊第2第3艦隊からの砲撃が降り注ぎ、更に留めとばかりに何発ものAL弾が着弾した。
 地表と言わず、『地上構造物』と言わず、全くと言っていいほど迎撃を受けなかったAL弾によって、無数の穴が穿たれ土煙を上げる。
 その着弾範囲の僅かに外側、第1次防衛線の『土竜』の爆発をも生き延びたBETA群が、退避を優先した為に回収されなかった『Gパーツ』に誘引されて地上へと姿を現していた。
 その中には、重光線級を含むレーザー属種が存在したが、何故かAL弾も『Gパーツ』も無視して、西方の上空を指向したまま一切の動きを停止させていた。

 そして、そのまま暫しの時間が過ぎ去り、西方の遥か彼方の高空に大気摩擦によって、火の玉のようにも見える再突入型駆逐艦が姿を現すと、第1次防衛線付近の地上と、『地上構造物』を包む土煙の中から、空気中の粒子の蒸発により眩い光を放つ光芒が、再突入型駆逐艦に―――いや、その後方の再突入殻に搭載されたG弾へ向けて数十本照射される。
 AL弾が迎撃されなかった為に重金属雲は発生していない。
 その上、S-11、艦砲射撃、軌道爆撃のAL弾と、3重の攻撃を受けて遂に崩落するに至った『地上構造物』の西側側壁の巨大な裂け目により、『主縦坑(メインシャフト)』内部に展開していたレーザー属種が、G弾を迎撃可能となっていた。
 『主縦坑』の東側の側面上部に、びっしりと貼り付いたレーザー属種が揃って照射を行っていた。

 100体を超えるレーザー属種の一点集中照射を受け、ウィーニー中佐の乗る再突入型駆逐艦『ボックスカー』は、極短時間だけ照射に耐えた後爆散して大空に散った。
 そして、起爆高度に遥かに及ばない高空に於いて、ラザフォード場すら発生させていなG弾2発は、再突入殻ごと焼き尽くされて消滅してしまう。

(くそっ!―――オレは、みすみすウィーニー中佐を死なせちまった……
 いくら、オルタネイティヴ5の要員だからって、あの人だって人類の勝利を願っている、同じ国連軍の軍人だってのに…………
 いや、悔むのは後でも出来る! 今は中佐の死を最大限に活かさないと!!)

 通信途絶直前に、ウィーニー中佐が駆逐艦の周回軌道への復航を拒否した時、武は反射的に駆逐艦の制御を奪い取ってしまいそうになった。
 しかし、それでは00ユニットの能力を暴露してしまう事となりかねない為、武はウィーニー中佐を説得できなかった自身の力不足に歯噛みしながら、『ボックスカー』の再突入を許容せざるを得なかった。
 そして、予想通りに『ボックスカー』が爆散するのを確認する事となり、苦悩に眉を顰めた武だったが、己を叱咤してウィーニー中佐を悼む想いを振り払い、作戦指示に集中する。

 AL弾の着弾と前後する頃から、武は矢継ぎ早に作戦コードを幾つも発信していた。
 音声による指示では間に合わない為、武は想定される作戦行動を、プランM参加各員に戦域データリンクを通じて事前に送信しておいた。
 そして、作戦指示に対応する作戦コードを発信する事で、対象となる相手毎に個別の作戦指示が下されるように準備してあったのだ。

 表向き、戦術立案ユニットによる統合運用と称している、00ユニットの量子電導脳の演算能力を投入した、高効率高精度の部隊運用法である。
 多数の人員が、個々に作戦目的と装備を与えられ、並行して各々に課せられた役割を果たしていく。
 そして、全体を俯瞰してみれば、個々の独立した行動は複雑に絡み合った連携を構成し、複数の戦術目標の効率的な達成という成果へと集約していくのだった。

 この時、AL弾が着弾する寸前に『地上構造物』に対して行われた艦砲射撃もその一部であった。
 AL弾の着弾とほぼ同時刻に、第1次防衛線周辺のレーザー属種に時速600km超の匍匐飛行で突進し、機首から翼端にかけて装着されたカーボンブレードによって、進路上の多数のBETAを斬り裂いた緊急展開用ブースターユニット3機も。
 その緊急展開用ブースターユニットから切り離されて、残存したレーザー属種を殲滅した3機の『朱雀』も。
 第1次防衛線周辺のレーザー属種の排除と連動して、ハイヴ『地上構造物』の根元へと突進した18機の緊急展開用ブースターユニットも。
 それらの到着直前に起爆した『地上構造物』北側地表付近に設置され、その指向性の爆発により『地上構造物』を深く穿った3発のS-11も。
 緊急展開用ブースターユニットから飛び降り様に、長大な自律誘導式気化弾頭弾発射装置からS-11搭載弾頭弾を、『地上構造物』北側側面に穿たれた穴へと正確に打ち込んだ『時津風』も。
 S-11搭載弾頭弾によって遂に貫通された『地上構造物』北側側面の穴から、自律誘導弾を続け様に撃ち込んでいく4機の『満潮』も。
 そして、AL弾により地表に穿たれた穴へと飛び込み、『地下茎構造』を経由する『主縦坑』への進入ルートが使用可能か調査していく7機ずつの『時津風』と『満潮』も。

 これら全ての行動が3分にも満たない期間に並行して実行された為、個々の人員の大半は全体の状況を把握する余裕も無いままに、己に下された任務にのみ集中し全力で遂行するしかなかった。
 そして、G弾2発がレーザー照射を受けて爆散した時点で、『主縦坑』内には撃ち込まれた多数の自律誘導弾によって撃破されたBETAの骸と、浅い階層の『地下茎構造』を通って『主縦坑』への侵入に成功し、橋頭保を築こうとする『時津風』と『満潮』、そして先行した『時津風』と『満潮』が確保した『主縦坑』への進攻ルートへと突入せんと、今正にその場に到着したばかりの『朱雀』『時津風』『満潮』ら合計72機の姿があった。

「いいですか? レーザー属種さえ殲滅すれば、『主縦坑』は放棄して構いません。
 どうせ、下層からまだまだ幾らでも湧いてくるんです。今は『主縦坑』上層に誘き寄せられたレーザー属種を殲滅出来れば十分です。
 あ、涼宮中尉、北側側面に空けた貫通坑の充填封鎖も行って下さいね。
 速瀬中尉、あまり深追いしないでくださいよ?! それから―――」

 『主縦坑』への進撃が達成された時点で、戦術立案ユニットによる統合運用は解除され、『主縦坑』でのレーザー属種殲滅が個々の衛士の判断で遂行されていた。
 武は、自身の搭乗する機体は旧上新穂補給拠点に留めたまま、音声による指示に切り替えて、今度は『主縦坑』を放棄して撤収するタイミングを計り始める。

 テストプランMは、『主縦坑』内に展開する無数のレーザー属種と、その直衛となるBETA群を殲滅する為の作戦案であった。
 『地上構造物』の西側側壁の上部を崩落させ、そこへ艦砲射撃を集約する事で『主縦坑』内のレーザー属種の照射を誘発し、インターバルを使用して北側側面に穿った射入口から自律誘導弾を『主縦坑』に撃ち込む。
 わざわざ『地上構造物』の西側側壁を崩壊させるのは、そこを通して西方海域からの艦砲射撃を迎撃可能な位置―――即ち『主縦坑』東部側面の上部へとレーザー属種を誘引する為である。
 同時に、それまでの陽動により、ほぼBETAが存在しない浅い階層の『横穴』を経由する『主縦坑』への進攻ルートを確保し、データリンク中継システムを設置。
 そこから、『主縦坑』に陽動支援機と随伴輸送機を突入させ、『主縦坑』内のレーザー属種を漸減するのが当初のプランであった。

 武はこれを応用して、『地上構造物』の西側側壁を崩す事で『主縦坑』内部のレーザー属種がG弾を迎撃出来る様にした上で、レーザー属種がG弾を最優先としている間に一気にプランMを推し進めてしまったのである。
 この攻勢は、中層部のBETAが動き始めた時点で速やかに中断、撤収が成されたが、それまでに『主縦坑』に存在した重光線級と光線級合わせて700体を超えるレーザー属種の内、実に8割を殲滅するという戦果を達成した。

 また、地中侵攻の後、『Gパーツ』に誘引されて地上に出現したBETA群は、レーザー属種を殲滅された後、陽動支援機に陽動され散々に引き摺り回された末に、G弾消滅の報を受けて再展開を終えた機甲部隊の制圧砲撃と、有人戦術機甲部隊の包囲攻勢によって殲滅された。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 11時41分、作戦旗艦『最上』のHQは落ち着きを取り戻していた。

「さすがですな、副司令。
 BETAのG弾に対する対抗手段を逆手に取りG弾を迎撃させた上に、その機会を逃さず第5段階で実施する予定であったテストプランMを実施してしまうとは……
 いや、正確にはテストプランMに於ける艦砲射撃の代わりを、G弾に押し付けたといったところですかな。
 よくぞ、あの短時間に作戦を立案し、装備人員を運用できたものです。
 戦術立案ユニットの威力たるや、凄まじいものですな。」

 小沢提督は、夕呼に対して感嘆の言葉を告げる。
 G弾に関連する一連の事態の推移を振り返ると、それが国連宇宙総軍からの緊急電に端を発してから、僅か20分足らずの短時間の内で全てが決していた事に、多くの者は愕然とせざるを得ない。
 いきなり降って湧いた様な事態の急変に、凡庸な指揮官であれば状況を把握するのが精々で、対策を立てる間もなく全てが決していたであろうと小沢提督は思う。
 小沢提督自身であれば、G弾の予想威力圏内からの戦力退避と、G弾起爆後の戦線の再構築を行うのが精々であろうとも。

 しかし、第4計画の戦術立案ユニットは、第1報から5分と経たない内に対策を立案し、全地上部隊の退避勧告とプランMの即時発動を宣言している。
 しかも、退避勧告には分隊単位での退避手順まで添付されており、退避中の事故発生を避ける為に精密に調整された退避ルートまでもが指定されていた。
 今回の作戦に於いては、戦術立案ユニットからの直接命令の優先度はHQに次ぐものとされており、HQからの訂正が無い限り即座に命令に従えとの通達が、念入りに成されている。
 その為、地上部隊の将兵等は、個別に下された指令に半信半疑ながらも即座に従い、結果として突発事態に対する対応としては驚異的なほど潤滑に退避行動は成され、たった3分という時間で可能な範囲で最大限の対応を取る事が出来た。

 結果的にはG弾が迎撃された事で退避行動自体は無駄になってしまったが、今度は同様の手法によって、部隊再展開の指令が通達され、先程の退避行動を巻き戻すかのように滑らかかつ迅速に部隊の再展開が達成された。
 しかも、その退避・再展開と並行して、プランMを元に修正された『主縦坑』強襲計画が実施され、現時点までに事前計画の目標値を上回る戦果を上げ、既に投入された部隊の撤収をまで終えている。
 また、再展開を終えた機甲部隊と戦術機甲部隊も、BETA第8次増援を殲滅している。
 全地上部隊と海上の連合艦隊第2第3戦隊が矢継ぎ早に発せられる作戦行動に奔走したが、現時点では全部隊の配置はほぼ事態発生当初の状態へと復帰している。
 しかし、その僅かな期間の作戦行動により、G弾の迎撃と地中侵攻してきていたBETA第8次増援の殲滅、『主縦坑』に展開するBETA群の漸減という、3つの戦果が達成されているのだ。

 臨機応変などという次元に納まる話ではないと、小沢提督は唸らずにはいられなかった。
 しかし、夕呼はそんな小沢提督に、事も無げに応じる。

「当然の結果ですわ。
 このような突発事態に対応し的確な部隊運用を行うのは、戦術立案ユニットの得意分野であり、それを活かす為に認めていただいた戦術立案ユニットの指揮優先権なのですから。
 戦域全体の情報を把握して瞬時に対策を案出する事までならば、才能の突出した人間にも可能かもしれませんが、その成果たる対策を周知徹底するにはどうしても相応の時間が必要となります。
 作戦の立案から各部隊に対する膨大な指令の作成・伝達。
 さらには、その後の状況推移に対応した、作戦の修正とそれに伴う発令。
 これらに費やされる時間を極限まで短縮し、即時対応する―――それを可能とするのが、戦術立案ユニットなのです。」

 と、そこまで語った所で夕呼は言葉を一旦切ると、皮肉な笑みを浮かべて話を再開する。

「尤も、それは余芸に過ぎません。
 全ては戦術立案ユニットの高度な処理能力によるものですが、これは本来BETAの行動特性に状況を当て嵌めて、行動を予測する為のものです。
 BETAの行動特性を解析したと言っても、それは膨大な判断基準と対応する行動が複雑に絡み合った、巨大なプログラムの様なものです。
 第4計画でシミュレーション演習用のBETA行動プログラムを改修した際には、シミュレーターに搭載されたCPUの処理能力に納まるように簡素化しなければならなかったほどです。
 人間がそれを記憶し、BETAの実際の行動や周辺状況に照合し、BETAの行動を予測・対応し続けるのは非常に困難と言えるでしょう。
 それを達成する事こそが、戦術立案ユニットの真価なのですわ。」

 一通りの説明を終えて、夕呼は内心で自嘲の笑みを浮かべる。
 『戦術立案ユニット』などという架空の存在の意義について、空虚な解説を行ってしまった自身の行為を嗤ったのだ。
 しかし、現状で00ユニットの真価を漏らす訳にはいかない以上、止むを得ない行いでもあった。
 そんな夕呼の真意に気付ける筈も無く、小沢提督は幾度も相槌を打ちながら言葉を返す。

「なるほど、予測不能とまで言われたBETAの行動に対応し、的確な部隊運用を成す為の装備だと言う訳ですな。
 間もなく移行する第4段階では、ハイヴ中階層への有人戦術機の投入が予定されております。
 副司令のおっしゃる通りであれば、戦術立案ユニットの真価が発揮されるに相応しい状況ですな……」

 ―――12時00分、『甲21号作戦』は第4段階に移行し、ハイヴ中階層に潜むBETA群に対する陽動・殲滅が開始された。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 15時33分、佐渡島ハイヴSE84『門』を半包囲する様に、大東亜連合軍増強戦術機甲連隊所属の戦術機が展開していた。

「ようやく出番が回ってきたね。
 上陸からこっち、ハイヴ攻略戦だって言うのにBETA共にゃろくすっぽ出くわしてないってんだから、随分と変わったハイヴ攻略戦だよねえ、趙(チョ)大佐。」

「有難い事ではないか、アズラ中佐。
 横浜の白銀大尉の新戦術が、机上の空論ではないと証明されたという事なんだからな。」

 戦域マップを注視しながら、アズラ中佐と趙大佐はオープン回線で一見暢気な会話を交わしていた。
 しかし、2人が注視する戦域マップには、ハイヴ突入部隊とそれを追う1万近いBETA群を示すマーカーが表示され、まるで濁流の様に『地下茎構造』を逆流してきていた。
 このままならば、間もなく目前のSE84『門』から、一万弱のBETA群が一気に噴き出してくるのは間違いないという状況である。

「まあ、そうなんですけどね。
 けど、折角佐渡島までやってきて、お客さんのままで帰る訳にもいかないでしょ?
 いっちょ、恩返しも兼ねて実戦経験を積ませてもらおうじゃないですか。」

「うむ。甲20号では私達もハイヴに突入する事になるだろうからな。
 ―――しかし、ハイヴに突入して、一機も喪わずにBETAを陽動し、途中で5千体近くも殲滅して来るとはな。
 小型種が大半とは言え大したものだ。」

 趙大佐とアズラ中佐は、横浜基地での教導を終えた後、『甲21号作戦』派遣部隊の最精鋭として正式に編制された大東亜連合軍増強戦術機甲連隊の連隊長と大隊長に任命され、階級を大佐と中佐に改めてこの佐渡島の戦場へとやってきていた。
 それは無論、日本帝国と大東亜連合軍との間で交わされた軍事同盟による派兵であったが、『甲21号作戦』の成功を前提として策定されている『甲20号作戦』の中核戦力に、新装備運用の実戦経験を積ませる事が主たる目的であった。

 趙大佐の率いる増強戦術機甲連隊は、帝国本土防衛軍の『甲21号作戦』派遣戦術機甲部隊と同じく、編制が一部改められている。
 その結果として、所属各中隊の突撃前衛小隊の乗機が複座型戦術機とされ、さらに陽動支援機4機と随伴補給機2機が配備された。
 これにより、中隊は単座型戦術機8機、複座型戦術機2機、陽動支援機4機、随伴補給機2機の合計16機という4個小隊規模の戦術機を運用する事となった。
 部隊名称である増強戦術機甲連隊の『増強』という単語は、ここに由来している。

 『甲20号作戦』までには、大東亜連合軍も作戦に投入する全戦術機甲部隊をこの増強戦術機甲部隊の編制に改め、その上で陽動支援機を重点配備した帝国軍陽動支援戦術機連隊と同等の部隊を新設する予定であった。
 その際には、趙大佐の連隊が新設される部隊の基幹となる事が内定している。
 その日に備えて、趙大佐もアズラ中佐も、得られる限りの戦訓をこの戦いで学びとって行く心算だった。

 その為にも、これから目前に飛び出してくる、BETA群を上手くあしらってやる必要がある。
 それすら成し得ずに、おめおめと逃げ帰る事など出来はしない。
 その事は、2人のみならず、連隊所属衛士等全員が弁えており、士気は著しく高かった。

「よしっ! 各突撃前衛小隊は、陽動支援機を遠隔操作して、制圧砲撃の威力圏内を突破して侵攻して来るBETAを陽動し、足を止めろ。
 他の者は、主に陽動支援機に誘引されたBETAを狙い撃て。
 レーザー属種は、帝国陸軍陽動支援部隊の狙撃に任せておけばいい。
 戦車級より大型の個体は1体足りとも、包囲網をぬけさせるんじゃないぞッ!」

「あんた達っ! 趙大佐の命令はちゃあんと聞いたね?
 ドジこいて母ちゃんに恥かかせんじゃないよ?
 あたしらだって、ちゃあんとBETA共を掃除できるって、白銀教官に見せてやるんだ。
 準備は良いね? ベイビーズッ!!」

『『『 了解ッ! 』』』

 連隊長である趙大佐と、連隊次席指揮官であるアズラ中佐の檄に、大東亜連合軍増強戦術機甲連隊所属衛士は声を揃えて応える。
 その直後、SE84『門』から斯衛軍第14大隊とA-01部隊の戦術機群が、武の乗る複座型『不知火』とその直援機を殿として飛び出してきた。
 そのまま匍匐飛行で旧上新穂補給拠点を目指して飛び去る戦術機群に続き、地中から吹き上がる間欠泉のようにBETA群が噴き出してくる。
 さらにその直後には南東の高地に展開した機甲部隊からの制圧砲撃が降り注ぎ、地上に這い出たBETAを叩きのめしていく。

 大東亜連合軍増強戦術機甲連隊は、砲撃威力圏外にしぶとく這い出てくるBETAを相手に、手際良く陽動し包囲殲滅していった。

 やがて、BETA群の最後尾に位置するレーザー属種が地上に出現すると、機甲部隊は散発的な索敵砲撃に切り替え、所在を確認されたレーザー属種を斯衛軍第15大隊の陽動支援機が、試製50口径120mmライフル砲で狙撃し殲滅していく。
 制圧砲撃が止んだ事で、残存BETAは雪崩を打って侵攻を再開し、それらの陽動と侵攻遅滞を大東亜連合軍増強戦術機甲連隊は一手に引き受ける形となった。
 一気に何倍にもなった負担にも良く耐え、大東亜連合軍増強戦術機甲連隊は、レーザー属種の掃討が完了するまで包囲網を維持する事に成功する。

 そして、レーザー属種の掃討完了の一報と共に、大東亜連合軍増強戦術機甲連隊は包囲網を解いて一気に後退し、取り残された残存BETAに再び機甲部隊の制圧砲撃が降り注ぐのであった。
 この迎撃により、1万5千前後と測定されたBETA第12次増援は制圧砲撃と大東亜連合軍増強戦術機甲連隊による包囲により全滅するかに思えたのだが……

「HQよりシングン(神弓)、マトリニアル・クラン(母系氏族)、サダカ(自由喜捨)の各大隊に告ぐ。
 佐渡島西方海底を侵攻する、師団規模のBETA群が確認された。
 約180秒後に上陸するものと推定。
 その後、レーザー属種の上陸が確認され次第、制圧砲撃は中断され索敵砲撃に切り替えられる。
 シングン、マトリニアル・クラン、サダカの各大隊は、BETA侵攻の激化に備えよ。
 尚、海底を侵攻するBETA増援は、貴隊の担当戦域には到達しないものと推測される。
 貴隊の奮戦を祈る―――以上だ。」

 もう少しで殲滅出来るという所で、海中からのBETA増援が迫っているとHQからの通達を受け、大東亜連合軍増強戦術機甲連隊所属衛士等の顔に緊張が走る。
 しかし、アズラ中佐はからからと笑い声を上げると、豪快に言い切って見せた。

「あっはっは! 今更来たって遅いってのさ。
 あんた達、慌てんじゃないよ? 幸い増援はこっちにゃ来ないってんだ。
 ちょこっと多めに平らげちまえば、それで済む話じゃあないか。
 横浜基地での教導の仕上げに比べりゃ、どうってこたぁないだろ。ええ?
 解かったら、気合入れてくんだ、いいねっ!」

『『『 イ、イエス・マム! 』』』

 アズラ中佐に発破をかけられて、慌てて応答する所属衛士達。
 そんなやりとりを聞いて、自分の出る幕は無いなと考えながら、趙大佐は独り呟きを洩らす。

「確かに、今更師団規模の増援が来たとて大勢に影響はあるまい。
 そう言えば、2時間ほど前に九州にもBETAが上陸してきたと言っていたな。
 となると、こっちに来たのはそいつらの別働隊か?
 しかし、いずれにしても未だにハイヴに潜むBETAの数は多い。
 ハイヴ下層から地上まで引き摺り出して殲滅するのは、手堅いが時間がかかるからな……
 ふむ、今日中に作戦が完了すると良いが―――」

 7分後、BETA第12次増援は、大東亜連合軍増強戦術機甲連隊の奮戦によりほぼ全滅する事となった。
 数十体の小型種が包囲網を抜け、後方の機甲部隊に向かって侵攻していったものの、自走式高射砲部隊と機械化歩兵部隊の迎撃によりあっさりと掃討された。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 17時29分、荒涼とした佐渡島の地表に、一陣の風が吹き渡る。
 地上での戦闘は途絶え、佐渡島ハイヴ『地上構造物』の周辺の地上には、風の吹き荒ぶ音を除き全ての音が途絶えている。
 諸所に設置された振動波観測装置やデータリンク中継システムを除けば、人類の兵器も存在せずBETAの死骸が散見されるだけの光景は、既に戦闘が終了したかのような風景であった。

 この時点で、ハイヴ突入部隊によるハイヴ内に残存するBETA軍の陽動により、第9次増援から第13次増援に至る約10万体のBETAが、地上に引き摺り出されて殲滅されていた。
 海中より上陸したBETAも、レーザー属種を中心に7千体近くが殲滅された為、ハイヴに辿り着いたのは8千体程度に過ぎない。
 この8千体も含めて、現在、佐渡島ハイヴに残存するBETAは約9万体。

 佐渡島ハイヴの最終防衛戦力となるこの9万体は、決してハイヴを出てこないとリーディングデータの解析結果により推定されている。
 今、満を持して『甲21号作戦』第5段階―――佐渡島ハイヴ『地下茎構造』内掃討作戦が開始されようとしていた。




[3277] 第114話 『甲21号作戦』終盤・大願成就
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:09

第114話 『甲21号作戦』終盤・大願成就

2001年12月25日(火)

 20時22分、佐渡島ハイヴ最下層の『大広間(メインホール)』中央に座す、BETA反応炉の青白い光を受けて、5機の戦術機がBETA群の中を縦横無尽に駆け巡っていた。

 中央の1機を追加装甲を装備した4機が護るように囲み、殺到する5千を超えるBETAへと牽制の砲撃を行いながらも、5機はまるで見えない糸で繋がっているかの様に、互いの相対位置を崩さない。
 そして互いの相対位置を保ったままで、支離滅裂とさえ見える唐突な方向転換や跳躍を伴う高機動を繰り返し、殺到して来るBETA群を散々に翻弄していた。
 その結果として、中央の戦術機は勿論の事、20m程の距離を空けて四方に展開する4機にさえ、BETAの攻撃が届く事はなかった。

 中央の機体目指して前腕を振り上げて急迫するBETA群の内、先頭に位置する1体の要撃級が、眼前に立ち塞がる盾持ちの機体へと前腕を振り下ろす。
 しかし、その眼前の機体は攻撃が命中する寸前に噴射跳躍ユニットを噴かして跳躍し、前腕の届かない空中へと逃れてしまう。
 同時に、そもそもの目標であった中央の戦術機も、機を一にして空中へと飛び上がっていた。

 獲物に自身の攻撃が届かない空中へと逃げられたにも拘わらず、要撃級は飽くまでも目標に負い縋る事を諦めはしない。
 しかし、空中へと飛び上がった目標を追って進路を変えた要撃級へと、上空から36mm劣化ウラン弾が驟雨の様に降り注ぎ、周囲の個体と共にその活動を強制的に停止させる。
 しかし、然したる間も置かず、新たなBETA群がそれらの死骸の上を続々と踏み越えて行くのであった。

 一方、空中に逃れた5機の戦術機であったが、2つの脅威が迫りつつあった。
 1つは『大広間』の天井に貼り付き逆しまになって突撃し、自らを空中へと投げ出して攻撃を行おうとするBETA群。
 そしてもう1つの脅威は、約50mの射程を持つ、要塞級の衝角であった。

 その2つの脅威の内、5機の戦術機を目指して天井を突進するBETA群の一角に対し、正確無比な砲撃が叩き込まれる。
 砲撃を受けた個体は、ある者は撃破され、そうでなくとも着弾の衝撃によって、強制的に天井から引き剥がされて落下を余儀なくされる。
 砲撃を放ったのは、5機の戦術機が暴れまわる戦場から400m程南東へと離れた、ES1『横坑』の開口部付近に展開する5機の複座型『不知火』であった。

「このぉっ! たけるさんには近付けませんよぉ!!」
「そうそう、あんた達には地べたを這いずりまわってるのがお似合いだよッ!」
「邪魔……よ……」

 壬姫が、晴子が、葉子が、強い必中の意志を込めて、試製50口径120mmライフル砲を撃ち放っていた。

「え、えっと、次、次の目標は……」
「高原少尉、落ち着いて狙いなさい。大丈夫、焦らなくとも間に合いますわ。」

 智恵は、網膜投影で撃っても撃っても次から次へと表示される狙撃目標に、強迫観念を刺激されて焦燥に駆られてしまう。
 そんな智恵に、自身も次々に目標を撃ち落としながら、祷子は冷静かつ穏やかな声を投げかけて宥める。
 その言葉に、智恵は肩の力を抜いて軽く一息付くと、再び平常心を取り戻して狙撃を続行するのであった。

 5人の狙撃により、ほぼ全方位の天井から迫るBETA群の包囲に穴が空き、5機の戦術機―――武の乗る複座型『不知火』と直衛の『時津風』4機は空中で同時に機体を捻ってそちらへと進路を転じる。
 しかし、その方向には第2の脅威である要塞級3体が、巨体を揺すって迫ってきていた。
 そして、遂にその衝角の射程に5機を納めようとした、その時―――

「やらせないわよッ! いけるわね? 14(神代)、16(彩峰)ッ!!」
「任せてもらおう!」「やる……」

 水月、神代、彩峰の操る『時津風』が疾風の如き素早さで3体の要塞級へと肉薄しながら、120mmAPFSDS弾(装弾筒付翼安定徹甲弾)を頭部に叩きこみ、続けて10本の要塞級の槍の如き足の間を擦り抜けながら、今度は74式近接戦闘長刀を一閃させて、衝角のある尾部を両断した。
 急接近から擦り抜け様に要塞級を1体ずつ撃破した3機の『時津風』だったが、今度はその3機へと要塞級の周囲に群がっていた戦車級が、何重にも積み重なる事で、高さ15mを超える津波如き形に盛り上がって襲いかかる。

「―――各機、雑魚を掃除するぞ。」
「「「「「 了解ッ!! 」」」」」

 しかし、みちるの落ち着いた声が通信回線を流れると、美冴、紫苑、月恵、多恵、美琴の5人が即座に応答し、36mm弾を雨霰と撃ち放って、3機の『時津風』に襲いかかろうとしていた戦車級のみならず、その周囲に存在した要撃級や突撃級まで十羽一絡げに撃破していく。
 戦車級や要撃級のみならず、突撃級までもが36mm弾で呆気無く撃破されたのは、愚直なまでに武の機体に進路を定める突撃級の後背を、5人の操る『時津風』が突いているからだった。
 そうして切り開かれた安全地帯へと、武の乗る『不知火』と4機の直衛機が降り立ってくる。
 その時には、ヴァルキリーズの操る9機の『時津風』は既に次のポイントへの移動を開始していた。

 『大広間』掃討作戦は、武の乗る複座型『不知火』と、同期コンボによってその機動を複座型『不知火』に連動された4機の『時津風』、この5機による陽動を主軸として実施されていた。
 『大広間』に残存するBETA群の大半を武が操る5機に誘引し、その陽動が破綻しない様にヴァルキリーズの半数が『時津風』による近接戦闘で退路の確保を行い、その頭上、天井から迫るBETA群の排除は、狙撃に適性のある5名が複座型『不知火』によって担当していた。
 そして、ヴァルキリーズの進攻ルートとは、反応炉を挟んで『大広間』の反対側に位置するNW1『横坑』からは、斯衛軍第13~第16大隊が攻め込んでいた。

 『大広間』掃討の主戦力となるのはこちらの斯衛軍の部隊であった。
 斯衛部隊の第14、第16両大隊は、武の陽動により誘引されたBETA群後背を、『大広間』の外周伝いに時計回りと反時計回りの二手に分かれて強襲し、後背からの砲撃により次から次へと掃討していく。
 残る第13、第15両大隊は反応炉の周辺に展開するBETA群を包囲すると同時に、BETA生産プラントや保管庫エリア、そして進攻ルート以外の『地下茎構造』に通じる『横坑』の開口部を封鎖して、『大広間』北西エリアの確保を担当していた。

 絶人の指揮する第14大隊にBETAの掃討を命じたのは、先達ての失言を挽回する機会をそれとなく暮人が与えようとした為であろう。
 それを知ってか知らずか、絶人率いる第14大隊は鬼神の如き猛攻で、BETA群を猛烈な勢いで掃討していき、それと張り合うかのように第16大隊もその攻勢を更に強めるのであった。

「伊隅大尉、お待たせしました。現時点を以ってデータリンク中継システムの『大広間』内への展開をほぼ終了。
 以降は、搭乗有人機との距離を気にせずに戦闘して頂けます。
 尤も―――」

「その辺りは戦術立案ユニットの指示任せだからな。
 我々は指示に従って、転戦し白銀の退路を確保するだけだ。」

 ヴァルキリーズの搭乗する複座型『不知火』9機はSE1『横坑』の開口部付近に留まっており、その守備に当たる『時津風』や、陽動支援機との通信を確立する為にデータリンク中継システムを搭載した『満潮』の展開・運用、付着式振動波観測装置とデータリンク中継システム搭載気球の敷設などは、遙が一手に引き受けていた。
 そんな遙からの報告に、みちるは素っ気なく頷きを返すと、その言葉を引き継ぐ。
 態度こそは素っ気ないみちるだったが、その口元には満足気な笑みが浮かんでいる。
 通信阻害の激しい『大広間』内での戦闘に於いて、最も憂慮されるのが通信途絶により陽動支援機運用に支障をきたす事であり、その心配がほぼ無くなったという遙の報告は憂いを払うに足るものであった。

「上からの指示通りに、馬車馬みたいに働かされるってのは気に入らないけど、確かに効率はいいわよねっ!」

「我々の最大の使命は、戦術立案ユニットの安全確保ですからね。
 あっちの都合に合わせて動くのは止むを得ないでしょう、速瀬中尉。」

「そうですわ。それに、指示はこの上なく的確ですもの。逆らう理由がありませんわ。」

 この時、『大広間』掃討作戦に従事する全ての衛士に対して、戦術立案ユニットによる戦闘支援(コンバット・サポート)が実施されていた。
 殊に、戦術立案ユニット搭載機とされている武の乗機を支援する立場のヴァルキリーズに対しては、次から次へと事細かな指示が発せられ、陽動に対する障害の排除が効率的に達成されている。

 尤も、水月は指示通りと言っているが、多種詳細な情報の提供と短期的な戦術目標が頻繁に示されるだけであり、戦闘行動自体は個々の衛士や指揮官に委ねられている。
 これは全てを事細かな指示によって制御下に置く事で、衛士の士気を下げてしまう事を避ける為であったが、武が各衛士の独自の判断力に期待しているという側面もあった。
 現状戦闘支援は上手く機能しており、美冴や祷子の発言の通り、武の乗る『不知火』とは距離を置き謂わば先行する形で行動しているにも拘らず、陽動とその退避先兼次期陽動エリアの確保はハイペース且つ効率よく達成されていた。

「でもさっ! 忙しないけど、助かるよねっ!
 周囲に群がるBETA共の、脅威度や攻撃対象がはっきり表示されるからっ、回避、迎撃、援護射撃、何するにしても判断が楽だよっ!」

「んののっ! た、確かにそうだけど、指示が矢継ぎ早過ぎて、ちょ、ちょっと焦っちゃわない?」

「あはは、多恵さんは少し肩の力抜いてもいいんじゃないかなあ。
 そんなに焦んなくても、ちゃんと戦術目標は達成されると思うよ?」

 ヴァルキリーズの『時津風』9機によってBETAが掃討されたエリアで、自らに誘引されて殺到して来るBETA群相手に陽動を繰り広げる武の『不知火』を背に、次の掃討ポイントへと『時津風』を主脚歩行で移動させながら、月恵は多恵と美琴を相手に言葉を交わしていた。
 月恵の網膜に投影される映像の中では、戦域マップに周辺BETAの進行方向と速度が半透明の矢印によって示され、自機がその予想進路と重なる個体のマーカーは強調表示されている。
 また、前方視界の映像では、自機や僚機にとって脅威度の高い個体の攻撃範囲が、明るい水色の立体的な網目で表示されていた。
 天井に貼りつくBETA等の場合、この攻撃範囲はつららの様に天井から下に向かって伸びており、まるで鍾乳洞の天井の様に見えた。

 現時点では後方に脅威度の高い個体は存在しないが、近接戦闘中などに背後に自機を目標とする個体が居れば、視界の隅に距離と方角を含めた警告が表示される。
 また、脅威度がある程度以上高い場合には推奨対処方法が表示され、さらに緊急性が高い状況では迎撃や退避の行動勧告が攻撃対象となっている機体と、援護が可能な機体に下されるという念の入り様である。
 戦術立案ユニットによる戦闘支援により、状況に合わせて多彩な情報が提供され、BETAに対する個体単位での行動予測の正確さと相まって、戦闘時の判断が遥かに容易に下せるようになっていた。
 通常時とは比較にならないほど至れり尽くせりな環境に、月恵は鼻歌を歌いだしたくなるほどに上機嫌であった。

 そんな月恵の前方視界の中、進路上に横たわる突撃級の死骸に、脅威度を示す網目が表示された。
 一見死骸に見えた突撃級だったが、どうやら活動停止には至っていなかったようだ。
 とは言え、損傷により既に移動する余力も無くなりかけているのか、その攻撃範囲は本体の前方周辺に、弱々しく極僅かに伸びているに過ぎない。
 油断して、その鼻先を横切ろうとでもしない限り問題は無さそうだと判断した月恵は、その突撃級の側面から後方を抜けながら74式近接戦闘長刀を一閃させて止めを刺した。

 ―――と、突然月恵の耳に警告音が鳴り響き、視界に回避勧告と方向指示が表示される。
 『甲21号作戦』前に繰り返し行われたシミュレーション演習によって、戦術立案ユニットから発せられる勧告の緊急性と信頼性の高さを熟知させられていた月恵は、瞬時に回避勧告に従って回避機動を開始する。
 その直後、先程月恵が止めを刺した突撃級の尾部を突き破るようにして、要撃級の前肢衝角が月恵の操る『時津風』へと背後から襲いかかった。
 間一髪、月恵の操る『時津風』は重心移動とそれに続く噴射跳躍によって難を逃れ、突撃級の死骸を引き裂いて躍りでて来た要撃級は、戦術立案ユニットからの支援勧告に従った紫苑と多恵の操る『時津風』からの砲撃によって即座に撃破される。

「麻倉、止めを刺すにしても、不用意に接近せずに砲撃で仕留るべきだよ。」
「紫苑~、そこはまずぅ月恵ちゃんに怪我は無い? ってぇ聞くとこでしょ。大丈夫だった? 月恵ちゃん。」
「きゅ、急に攻撃勧告さ来で、まんず驚いたっぺや!」
「りょ、了解です、水代少尉。水代中尉、何とか無事ですっ! 多恵も、援護ありがとうねっ!」

 損傷したものの活動停止に至っていなかった突撃級の下敷きとなり、行動不能になっていた要撃級が、月恵によって活動停止に至った突撃級を力尽くで排除しながら、月恵の操る『時津風』に向かって襲いかかったというのが、一連の状況の実情であった。
 行動不能となっていた要撃級の脅威度は当然低く、完全に突撃級に隠れていた為に事前に月恵が気付く筈も無く、突撃級に止めが刺された時点で要撃級は即座に攻撃行動を開始した為、回避勧告が無ければ月恵の操る『時津風』は腰部から脚部にかけて重大な損傷を負っていたであろう。
 改めて、戦術立案ユニットによる戦闘支援の有難みを噛みしめながら、月恵は紫苑と多恵、そして多恵に僅かに先んじて砲撃を放った、紫苑の操る『時津風』の砲撃手を務める葵に対して礼を述べるのであった。

 そんな一幕が無事終わったのを見届けて、ほっと胸を撫で下ろした茜は、同じ複座型『不知火』に同乗している水月に気付かれない様に、自分と同じ有人機直衛任務に就いている千鶴に対して分隊内通信回線を通じて声を押さえて語りかける。

「ねえ、千鶴……あたし達、やる事無いよね……」

「何言ってるの、茜!
 涼宮中尉の運用する『時津風』の防衛線が破られたら、私達が有人機を護る最後の盾なのよ。
 中隊のみんなの命を預かってるんだからしっかりしなきゃ。」

 一応、任官順位によって茜がたった2人っきりの分隊指揮官となっているのだが、部下の筈の千鶴は遠慮会釈無しに茜を叱咤する。
 その勢いに首を竦めてしまった茜だったが、そんな事は十分解かっていると反論しようとするも、千鶴にけんもほろろに重ねて叱り飛ばされてしまう。

「わ、解かってるけど……」

「解かってるなら、文句言わない!
 ………………仕方ないじゃないの、これだって重要な任務なんだから……」

 気不味そうに黙り込む茜を見ながら、千鶴は消え去りそうな小声で呟きを洩らす。
 千鶴とて、自分の手でBETAを蹴散らしてやりたいとは思う。
 しかし、何よりも人的損害の回避を優先しようとする武の想いに応える為、千鶴は逸る自分を押さえ込んで頑ななまでに周囲の警戒に傾注するのだった。

 指揮官としての適性が高いにもかかわらず血気に逸りがちな茜に、後方での状況把握という忍耐を学ばせる為に、敢えて千鶴と2人だけで後方に控えさせたみちるの判断は、どうやら狙い通りの効果を上げそうであった。



 その後、『大広間』掃討作戦は順調に進行し、斯衛軍により武に誘引されたBETAの大半が討ち果たされた所で、作戦は全面的な掃討戦に移行。
 データリンク中継システムが十分に展開されていた事もあって、斯衛軍も含めた全有人機の守備が陽動支援機群を運用する遙に一任され、残る衛士全員の総力によって残存BETAの駆逐は呆気無いと言っていいほど速やかに達成された。

 青色の『朱雀』を存分に駆り、『大広間』に巣食うBETA群を散々に討ち果たした斉御司大佐は、その端整な面差に満足げな表情を浮かべて心情を吐露すると、今回の戦いでは冥夜と共に紫色の御『武御雷』に搭乗し、後方で控える事の多かった月詠を相手に、からかうかの様に語りかけた。

「ふむ、些か呆気無き仕儀ではあったが、新潟での戦いに続き、此度も存分にBETAを討ち果たした故、長年の鬱憤も晴らす事が叶い、実に爽快極まりなき事よ。
 佐渡島奪還という我が国の悲願を達成せし事と言い、まっこと白銀には感謝してもしきれぬな。
 月詠、そなたも最後の最後で、戦働きが叶い清々としたのではないか?
 御名代殿の御身を護る為とは言え、後方でじっと控えておるだけでは、己が覇気を持て余したであろう?」

「その様な事は御座いませぬ。私は冥夜様の御身を御守りするお役目に、何一つ不満など感じませぬ故。
 それよりも冥夜様、皆に御下知を……」

 自らが耐え忍んできた想いを、幾許かでも感じたであろうと、月詠に問いかける斉御司大佐であった。
 しかし、そんな斉御司大佐の言葉にも、眉一つ動かさず生真面目な表情を欠片も揺るがす事無く応じて見せた月詠は、冥夜に斯衛軍衛士等に対する下知を請うた。

「む……斉御司大佐、よろしいでしょうか?―――了解しました。
 ―――斯衛軍将兵に告ぐ、これより第5連隊は所定の指示に従い、帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊と協同して残存BETAの掃討に当たれ!
 第16大隊は戦術立案ユニット搭載機を警護しつつ、地上に帰還する。
 皆の者、直ちに取りかかるが良い。」

『『『 ―――承知ッ!! 』』』

 こちらもまた、月詠同様に生真面目な表情で冥夜は斉御司大佐に確認を取り、斯衛軍の衛士等に次なる任務を命じる。
 一斉に応答した斯衛軍衛士等は、それぞれの勤めに従って速やかに行動を開始する。
 斯衛軍の動きだすタイミングを見計らっていた武も、直ちに第16大隊に合流し、ヴァルキリーズのみを『大広間』に残して多数の戦術機が『横坑』へとその姿を消していった。

 『大広間』掃討作戦が完遂された今、帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊によって同時に並行して遂行されていた、最下層から上層に向けた残存BETA掃討作戦へと戦力の増援が速やかに為されねばならなかった。
 『大広間』の確保とBETA生産プラントから出現する個体の排除の為にヴァルキリーズを残し、斯衛軍の第13~第15大隊が帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊の増援として、上層に行くにつれて幾何級数的に規模を増していく『地下茎構造』の掃討に加わる。
 掃討作戦が進むに従って、データリンク中継システムと振動波観測網が敷設されていき、『大広間』を中心とした『地下茎構造』の安全を確立するのが目的であった。

 一方、戦闘支援を終了させた武と斯衛軍第16大隊は、一旦地上へと急ぎ舞い戻る。
 既にHQにはデータリンクを通じて『大広間』掃討完了の報告は成されていたが、作戦参加将兵全員に向けて政威大将軍名代として、冥夜が『大広間』占領を宣言する事となっていた為だ。
 佐渡島ハイヴの『門』を出たばかりの地に、背後に斯衛軍第16大隊所属の戦術機群をずらりと並べ、『自律移動式整備支援担架』10台の照明によって照らし出された紫色の御『武御雷』の、前面に開放した管制ユニットの搭乗ハッチに立ち、冥夜は威風堂々と『大広間』占領の宣言を発した。

「『甲21号作戦』参加将兵に告ぐ。私は政威大将軍殿下より名代に任じられた御剣冥夜だ。
 私は、皆に吉報をもたらす事が叶い、大変喜ばしく思っている。
 ―――本日20時48分、我等ハイヴ突入部隊は佐渡島ハイヴ『大広間』に立て篭もるBETA群の掃討を完了した。
 我々は、遂に佐渡島ハイヴの反応炉を制圧したのだッ!」

 事実上の佐渡島ハイヴ陥落を意味する冥夜の宣言に、作戦参加将兵は歓喜し口々に雄叫びを上げる。
 佐渡島ハイヴの建設以来、残された国土の喉元へと突き付けられた匕首にも等しいこのハイヴの脅威から、帝国軍は多大な犠牲を払って残された国土と国民を守り抜いてきた。
 佐渡島が占領された時から今日に至るまでに、犠牲となった者達への哀悼も相まって、帝国軍将兵はこの上なく昂ぶっていた。

 そして、興奮の度合いこそ帝国軍将兵には劣るものの、大東亜連合軍将兵の歓びもまた凄まじいものであった。
 今回の『甲21号作戦』は、BETAの完全掃討によるハイヴ最下層の反応炉を含めた全機能を保全した状態での占領である。
 それに比べれば、彼等の悲願である『甲20号』、そして『甲17号』の反応炉破壊による攻略は、より容易に成し遂げられる筈であった。
 それ故に、佐渡島ハイヴ『大広間』制圧の報は、大東亜連合軍将兵に祖国を脅かすハイヴの排除と、奪われた国土の奪還を約束する出来事として熱狂的に受け止められたのである。

 冥夜は作戦参加将兵等の歓喜の声を満面の笑みで受け止め、将兵等の興奮が僅かなりとも納まる時を待ち、再び声を発した。

「―――皆、今少し私の話に耳を傾けてくれぬであろうか………………
 『大広間』の制圧は、確かにこの佐渡島に巣食うBETA共の組織的反攻の終焉を意味している。
 然れど、我らがこの佐渡島の地を完全に奪還したと誇るのは、BETAの最後の一匹までも駆逐した後でなければならぬ。
 未だ、佐渡島ハイヴの広大な『地下茎構造』を虱潰しに掃討し、全てのBETAに引導を突き付けてやるという大仕事が残っているのだ。
 私は作戦参加将兵の皆に願う。今は一度歓喜を納め、最終的な勝利―――『甲21号作戦』の完遂に向けて今しばらくの尽力を果たしてもらえぬであろうか。
 今や我らの勝利は九分九厘揺るぐ事はあるまい。
 然れど、最後の最後まで気を緩めず、この歴史的な勝利をより完全なものとするべく、各々の任を全うして欲しい。
 そして、作戦が完遂された後、今一度皆で勝鬨を上げようではないか!」

『『『 ぅおおおおおお~~~~ッ!!! 』』』

 この後実施される作戦第6段階のハイヴ内残存BETA掃討作戦完遂までの、更なる献身を将兵等に願う冥夜に対し、帝国軍、大東亜連合軍の所属に拘わらず、全将兵は熱狂的な雄叫びを以って応えた。
 こうして、政威大将軍名代としての冥夜の言葉に使命感を燃え滾らせた作戦参加将兵等によって、佐渡島ハイヴ完全占領に向けた『甲21号作戦』最終段階は開始される事となった。

 時に、20時55分。
 既に陽は完全に没し、満天の星空を移したかのように、諸所に人口の光を散見するのみの佐渡島は、深い闇の中に戦いに傷付いたその身を静かに横たえていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 23時52分、作戦旗艦『最上』のHQでは、小沢提督が気難しげに顔を顰めて作戦の進捗状況を睨みつけていた。

 作戦自体は順調に推移している。
 ウィーニー中佐によるG弾投下未遂、九州へのBETAの侵攻、作戦中盤の大陸からのBETA増援など、幾つか波乱と呼べる出来事はあったが、全て作戦を破綻させる事無く乗り越える事が出来た。
 ハイヴ最下層に立て篭もるBETA群の殲滅も、陽動支援機を主戦力としたハイヴ突入部隊による波状攻撃の末、『大広間』制圧が成された。

 作戦は既に残敵掃討と言うべき最終段階であり、20時55分の第6段階移行から既に2時間近く、斯衛軍第16大隊、大東亜連合軍増強戦術機甲連隊、そして帝国陸軍戦術機甲6個大隊の合計10個大隊に及ぶ戦術機甲部隊と、機械化歩兵1個連隊を主幹とした佐渡島ハイヴ掃討作戦が遂行されていた。
 しかし、水平到達半径10km、最大深度1200mのすり鉢状の範囲内に張り巡らされた、フェイズ4ハイヴの広大な『地下茎構造』の『主縦坑』を含めた全域から、BETA小型種すら見逃さずに掃討を行うのは容易な事では無かった。

 掃討が進むにつれて振動波観測網が整っていき、そのデータから残存BETAが移動しさえすれば位置は把握可能であった。
 しかし、中型種の死骸の下や、土中に潜伏する小型種を発見するのは困難であった為、武はこの2時間の間、推進剤の補給を繰り返しながら乗機である複座型『不知火』を駆って、掃討が完了した筈の地上や『地下茎』を飛び回り、見落とされたBETAの捜索に万全を尽くそうとしていた。
 活動停止していないBETAの存在自体は、5km程離れていてもリーディング機能によって感知できるのだが、機械化歩兵や戦術機による掃討を指示する為には、詳細な位置と場合によっては掘削作業の指示が必要となる場合があった為、武は発見したBETAにマーカーと対処方法の指示を付けて戦域データリンクにアップロードしながら、最終的には数百体に及ぶ残存BETAの所在を全て巡る羽目になる。

 そんな武の尽力により、真っ先に捜索を行った地上部分では、軌道爆撃や『土竜』によって損傷を受け、土中に埋伏しているBETAが多数発見された為、戦術機が92式多目的追加装甲をドーザーブレードとして使用して、土砂を掘削する姿が散見される事となった。
 対象の埋伏しているBETAが小型種であった場合などは、作業を進める戦術機の周囲に機械化歩兵が配置され、土中に潜むBETA小型種の逃走を阻止しようと待ち構える様なケースもあった。

 更に、佐渡島ハイヴの『地下茎構造』の内部では、陽動支援機や随伴補給機に主腕やワイヤーなどで死骸を撤去させ、その下敷きになっているBETAを捕捉撃滅する為に、戦術機や機械化歩兵が手ぐすね引いて待ち構えるという形に落ち着いた。
 この方式では、死骸の撤去に当たる陽動支援機や随伴補給機に、流れ弾による物を含めて少なからぬ被害が発生したが、幸い人的被害は殆ど発生しなかった。
 最終的には全ての死骸を地上に運び出し、焼却処分にしなければならないのだが、安全確保を優先する為にも現時点では死骸はそのまま放置されている。

 最も掃討が困難であろうと予想されていた『主縦坑』に於いても、レーザー属種以外のBETAがハイヴ最下層の防衛に動員されて撃破されていた為、『主縦坑』の最深部付近から進攻した帝国軍陽動支援戦術機甲連隊による掃討が功を奏し、損害らしい損害を出さない内に完了する事となった。

 この様に、至極順調に推移している佐渡島ハイヴ掃討作戦であったが、それでも広大な『地下茎構造』全域からBETAを完全に駆逐するには2時間では足りず、12月25日が終わろうとする現時点に至って尚、未だ『地下茎構造』の4割に相当する範囲が手付かずの状態であった。

「むう……どう見ても、後1時間はかかるな……」

 独り呟きを洩らした小沢提督の脳裏には、大本営の総司令部に於いて作戦完遂の報を待っているであろう悠陽の姿がちらつていた。
 今になって、『大広間』占領の段階で、作戦完遂を宣言するべきであったかとの思いが小沢提督の脳裏を過るが、戦闘が完全に終息していない段階での作戦完遂の報など、殿下が許容される訳も無いと思い返す。
 僅かなりとも、聞き及ぶ悠陽の為人を思うに、作戦開始より現在に至るまで悠陽が身を休める事も無く、大本営の指揮所から座を移さずにいる事は容易に想像出来た。
 最早作戦の完遂は揺るがない以上、小沢提督は一刻も早く殿下に御身を労わって頂きたかった。
 と、そんな小沢提督に声をかけてくる人物が居た。

「提督。そろそろ『甲21号作戦』の完遂を宣言なされては如何でしょうか?」

 小沢提督が振り向くと、その視線の先には嫣然と微笑む夕呼の姿があった。
 『地下茎構造』の掃討作戦に移行した時点で、仮眠を取ると宣言してHQから立ち去っていた夕呼だったが、何時の間にかHQに戻ってきていたのだった。

「副司令。そうは仰いますが、未だ戦闘は続いております。
 現状での作戦完遂の宣言は、些か時機尚早ではありませんかな?」

「いえ、我が国はともかく、キリスト教圏に於いては12月25日は宗教的な意味合いの深い日です。
 この日の内に、『甲21号作戦』の完遂を宣言する事を第四計画として、正式に要請します。
 お聞きいれ下さいますね? 提督。」

 夕呼の言葉に、反射的にその真意を推し量ろうとした小沢提督であったが、『甲21号作戦』に於ける最終決定権は夕呼にある。
 その要請が小沢提督にとっても渡りに船である以上、詮索する必要を感じなかった。

「よろしいでしょう。
 未だ掃討作戦に従事する将兵等には済まない仕儀となりますが、作戦完遂の宣言を発する事にいたしましょう。」

 小沢提督はそう言って頷くと、日本帝国大本営への直通回線を接続させ、『甲21号作戦』完遂を宣言した。
 時に2001年12月25日23時56分、『甲21号作戦』司令部は佐渡島ハイヴの完全占領を宣言し、佐渡島の奪還と防衛態勢への移行を宣言する。

 これを受けて、政威大将軍煌武院悠陽は即座に全世界に向けて勝利宣言発した。
 この放送により、深夜であるにも拘らず日本全土各地で歓呼の叫びが木霊し、明かりが煌々と照らされて夜を徹してのお祭り騒ぎが多発する事となった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年12月26日(水)

 03時12分、作戦旗艦『最上』の艦載機デッキ近くに用意された機密ブロックで、武と夕呼が会話を交わしていた。

「―――てことで、喪失した装備や、射耗した弾薬の量は相当な量に上ったけど、装備の損失は『明星作戦』と比べても遥かに少なかったし、弾薬の消費も2倍に達しなかったわ。
 『甲21号作戦』と『九州防衛戦』の人的被害は、それぞれ死者が36名と19名、重傷者が147名と81名。
 『九州防衛戦』の方は浸透を許したBETA小型種との戦闘による損害が半分以上を占めるけど、『甲21号作戦』の方は殆ど直接戦闘に拘わらない損害よ。
 せっかくあんたが無い知恵絞ったのに、BETAとの戦闘以外でこれ程の犠牲が出るとはね。
 やっぱり、これも支配的因果律の影響って事になるのかしらね。」

 どこか興味深げな夕呼の言葉に、武は眉を顰めながら非接触接続により人的損害の要因を確認する。
 『甲21号作戦』で出た人的損害の殆どは、事故による死傷者であった。

 大規模な事故を幾つか挙げるならば、次の様なものがある。
 戦闘を伴わない揚陸であったにも拘らず、上陸用舟艇(LCAC)同士が衝突事故を起こし一方が大破沈没。
 積載していた機甲部隊の車両を失い、死者2名重傷者8名を出した。

 帝国海軍第3戦隊に対する砲弾の洋上補給の際にも、戦艦『大和』に対して補給を行おうとした補給艦の操舵に、直前になって障害が発生して『大和』の右舷に衝突。
 幸い補給艦は中破に留まり沈没する事無く砲弾の補給も行われたが、衝突の衝撃で固縛が破れた46cm砲弾の下敷きとなって2名が死亡し、13名が重傷を負った。
 ちなみに、『大和』の方には損害らしい損害は発生しなかった。

 また、機甲部隊の支援砲撃の最中に、自走砲の砲身内で榴弾が爆発する事故も発生し、しかも飛散した榴弾が機甲部隊の守備を担っていた機械化歩兵部隊を直撃、死者3名重傷者9名を出した。
 これが普通科歩兵部隊や整備兵部隊などであれば、死傷者は数倍に膨れ上がっていたと思われる。

 他にも細々とした事故も発生しており、ウィーニー中佐の軌道爆撃に対応する為に緊急退避と再展開を行った際に、機甲部隊に随伴していた歩兵が轢かれるという事故も数件発生。
 作戦に従事する整備兵や輜重兵に、作業中の事故による人的損害も発生している。
 また、人的損害には殆ど直結しなかったものの、BETAとの戦闘中に障害が発生した戦術機も少なからず発生しており、従来であれば衛士の損耗に直結しかねない状況であった。

「可能性は高いですね。
 BETAとの戦闘による損害が多過ぎた所為で、陰に隠れていた部分が今回目立っているという面もあるかもしれませんけど、オレの方で徹底的に注意していたハイヴ突入部隊の方でも、機能障害に繋がりかねない不調が散見されていました。
 その度に該当する機体を後方に下げて再整備させてましたけど、ちょっと多過ぎると思います。
 柏木なんて、狙った様に噴射跳躍ユニットばかり、2度も交換する羽目になってましたからね。」

「そう、さすがに全部隊の事故抑止なんて、やってらんないわよね。
 ま、動員数を考えれば、この程度の損害なんてかすり傷にもならないわ。
 あんたも諦めて受け入れなさい。」

 データの検証を行う事で、犠牲者を悼む気持ちを押さえ込む武に、夕呼はわざと素っ気なく言い聞かせる。
 武は俯いていた顔を上げると、夕呼に頷きを返して話題を変えた。

「―――はい。実戦に人員を投入する以上、人的損害が皆無である訳が無いって事は覚悟してましたしね。
 具体的な対策が思い付けない以上、現時点で悩んでも仕方ないですよね。
 支配的因果律の干渉だとしても、この程度で済んだって事はオレの因果律干渉も効果を現してきたって事かもしれませんし。
 それに、犠牲になった人達には申し訳ないですけど、正直オレにとってはウィーニー中佐の件の方が堪えてますよ……」

「ウィーニー中佐ね……あっちは、あんたとあたしで死に追いやった様なもんだから、無理も無いか。
 G弾の投入を阻止できず、止むを得ずにプランMを援用して迎撃したってシナリオを貫くには、再突入型駆逐艦の制御を奪う訳にはいかなかった……あんたにとっては、不運だったわね。
 けど、自爆攻撃までするとは、G弾推進派にも結構骨のある奴が居たじゃないの。」

 皮肉気ではあるものの、夕呼はまんざらでも無い笑みを浮かべてウィーニー中佐の覚悟を評価した。
 『甲21号作戦』を実施するに当たって、武は夕呼と協議し鎧衣課長の協力も得た上で、米国のG弾推進派を相手に情報戦を仕掛けていた。
 国連への報告を通じて、オルタネイティヴ5上層部に対して、BETAがG弾に対処している可能性を示唆。
 さらに、収集したBETA情報の解析により、G元素生成技術を解明・取得できる可能性があるとの風聞を、米国の情報筋に意図的に漏洩した。

 『甲21号作戦』がG弾を用いずに、フェイズ4ハイヴである佐渡島ハイヴの完全占領を目指している事は、国連に提出済みの作戦要綱にも明記されており、この事も合わせてG弾不要論が台頭する事をG弾推進派が恐れる様に仕向けたのだ。
 特に、『グレイ・イレブン』生成技術研究名目で莫大な予算を得ている、ボーニング社やロクスウェル社が受けた衝撃は深甚であった。
 国連内部の反対勢力により、G弾の使用を事実上禁止されている現状で、もし『甲21号作戦』が成功すればG弾運用を前提として構築してきた米国の戦略も、G弾関連技術に傾倒してしまったボーニング社やロクスウェル社の経営基盤も、共に砂上の楼閣となって崩壊する。

 それに伴って、現在の地位や既得権益を失う事を恐れたG弾推進派は、『甲21号作戦』で再びG弾の威力を誇示し、ハイヴ攻略にはG弾が必須であるとの印象を保持せんと図るに至る。
 G弾の投入に際しては、日本帝国に於けるクーデターへの関与が発覚して以来、G弾推進派と距離を置いている大統領の協力は得られないとの判断により、オルタネイティヴ5が主体となって実施する事と決まった。
 無論、この一連の流れには、鎧衣課長と武の仕掛けた情報戦による誘導が影響を及ぼしている。
 唯一計算外だったのが、実行者に選ばれたウィーニー中佐と言うある意味で狂信的な人物が、G弾投入の責を一身に負って自爆攻撃を断行するという筋書きを思い付いた事であった。

「―――そうですね。
 オレ達が嗾けなければ、G弾推進派も手を拱いていた可能性が高かった訳ですから、ウィーニー中佐を死に追いやったのはオレ達って事になるんでしょう。
 でも、今回の作戦でG弾がBETAに対処されていると実証して、オルタネイティヴ5の権威を低下させる必要があった以上、オレはこの結果を受け止めますよ……
 そしてウィーニー中佐を犠牲にした以上、その死を無為なものにしない為にも、最大限有効に活用するだけです。
 夕呼先生、交渉材料は揃えました。後は頼みます。」

「任せておきなさい、白銀。
 折角、作戦立案の最終検討段階でプランMを捻じ込むような真似までして、G弾をBETAに迎撃させる手筈を整えたんだから、最低でもオルタネイティヴ5のG弾大量運用による反攻作戦だけは凍結させてみせるわ。」

 苦渋を滲ませながらも、決意に口を固く引き結んで後事を託す武に、夕呼も真剣な表情で請け負って見せる。
 再突入型駆逐艦や臨界状態に達していないG弾を迎撃する事は、『雷神』の性能と壬姫の狙撃能力をもってすれば十分に可能であった。
 それを、わざわざBETAに迎撃させたのは、G弾の有効性に深刻な疑惑を生じさせるという目的故だった。
 その為にこそ、武と夕呼は情報戦を仕掛けまでしてG弾推進派を激発させ、『甲21号作戦』にG弾を投入する様に仕向けたのである。

 その結果として、武はウィーニー中佐の死という重荷を背負う羽目になったが、『甲21号作戦』は表も裏も所定の目的をほぼ完全に達成する事に成功した。
 それによって得られた交渉材料を駆使し、国連安全保障理事会という戦場で、次の目的を達成するのは夕呼の仕事となる。
 アメリカ東部標準時で2001年12月25日の14時00分、日本時間で04時00分から安全保障理事会の極秘緊急会合が予定されている。
 夕呼が作戦の完遂を待たずして仮眠と称してHQを立ち去っていたのも、国連安保理に備えて資料を整理し論戦に備える為であった。
 夕呼にとって正念場とも言える戦いが火蓋を切られるまで、既に1時間も残されてはいなかった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

アメリカ東部標準時:2001年12月25日(火)(日本時間:12月26日(水))

 アメリカ東部標準時:14時13分(日本時間:04時13分)、米国マンハッタンの国連本部ビル内のとある会議室に、極秘裏に招集された国連安全保障理事会の各理事国代表と、緊急召致されたオルタネイティヴ5統括責任者であるウィルバー・ウェイトリィ中将が集まっていた。

 機密回線を通じて夕呼も参加しているこの席に於いて、ウェイトリィ中将は米国も含めた全参加者による弾劾を受けていた。
 無論弾劾の内容は、国連の承認を得ずして『甲21号作戦』にG弾が投入された件に関してである。

「―――ですから、何度も申し上げている様に、今回の件はウィーニー中佐による個人的な暴走であり、管理責任を免れる事こそ叶いませんが、組織的な関与に関しては全面的に否定させて頂きます。」

 憔悴した表情を浮かべながらも、ウェイトリィ中将は断固として組織的関与を否定する。
 オルタネイティヴ5の上層部による関与を疑わせる傍証として、ボーニング社やロクスウェル社の役員との会食や、『甲21号作戦』直前に行われたG弾の管理システムの変更、ウィーニー中佐の転属から演習実施許可が下るまでの不透明な経緯などへの言及がなされたが、ウェイトリィ中将の主張が揺らぐ事は無かった。

 退屈そうな表情の裏で、仇敵とも言えるウェイトリィ中将の窮状を十分に堪能した夕呼は、繊手を軽く上げて開会直後に行った情報提供以降、初となる発言を求めた。
 発言を認められた夕呼は、ウェイトリィ中将には一瞥もくれずに、各国の代表に対して淡々と語りかける。

「皆さん、オルタネイティヴ5が、今回の暴挙に組織的に関与していたかどうかは重要ではありませんわ。
 何よりも重要なのは、オルタネイティヴ5が主張してきたG弾運用戦術の有効性が揺らいだ事です。
 そして、オルタネイティヴ5上層部が真実今回の件に関与していないのであれば、所属要員と貴重な装備であるG弾に対する管理能力の欠如を指摘せざるを得ません。
 以上の2点から、オルタネイティヴ4統括責任者として、私はオルタネイティヴ5の保有するG弾全てのオルタネイティヴ4への移管を要請します。」

「な?! 何を言っているのだッ!!
 散々G弾を非難してきた癖に、今更に何故G弾を欲する?
 何を考えている、香月博士ッ!」

 夕呼の言葉に激昂し、弾劾される立場である事も忘れて喚くウェイトリィ中将。
 しかし、その発言は議長によって窘められ、表情を歪め崩れ落ちる様にして席へと身を沈める事となる。
 そんな醜態を曝したウェイトリィ中将へと冷たい一瞥をくれた後、会合に参加している各理事国の代表たちは、夕呼の真意を探ろうと口々に話しかける。

「G弾の有効性やオルタネイティヴ5の管理能力に関しては、香月博士の指摘が正鵠を射ておるでしょうな。」
「しかし、ウェイトリィ中将の言ではありませんが、香月博士がG弾の管理権を欲するのは何故でしょうか。」
「確か、オルタネイティヴ4の次なる作戦は鉄源ハイヴ攻略だった筈。」
「完全占領を目指した佐渡島ハイヴとは異なり、反応炉の破壊を目標とする以上、作戦難易度は今回よりもかなり低いのでは?」
「もしや、またもや無用の茶々を入れられぬようにとの用心ですかな?」

 夕呼は各国の代表らが一通り発言し終わるまで待つと、玲瓏な笑みを浮かべ優雅に会釈して話し出した。

「皆さんが疑問を持たれるのも御尤もです。
 実は、現在鋭意解析中の『甲21号』より収集したBETA情報の内容次第ではありますが、それが予想に反さない内容であった場合、オルタネイティヴ4は『甲20号作戦』に代わる作戦案を提案し、作戦実施を強く要請したいと考えております。
 G弾の移管を願い出た理由は、御明察の通り今回と同じような騒ぎを抑止する目的もありますが、次期作戦で不測の事態が発生した場合に、最悪G弾の大量運用による作戦目的の完遂を企図しているからです。
 G弾に対する、BETAの対処戦術の解析も既に進めております。
 それと並行して、大量のG弾を同時に緻密な計画の下投入する事で、BETAの対処能力を飽和させる戦術も研究しております。
 我々オルタネイティヴ4であればこそ、G弾を有効に活用する事も不可能ではないと確信しておりますわ。」

「な、なんですと?! 香月博士、あなたはG弾の使用に反対し続けていらしたではないですか?!」
「なんと……よりによって香月博士がG弾の大量運用などと発言されるとは……」
「いや、香月博士は最悪の場合と仰っている。それほどの覚悟で臨まれる作戦とは何か? そちらの方が気になりますな。」
「ふむ……言われてみれば、確かに。鉄源ハイヴ攻略に代えて実施を急ぐほどの作戦となると……」
「香月博士、一体どのような作戦をお考えなのですかな?」

 夕呼の発言に各国代表、事にG弾反対派に属する国々の代表が動揺し発言が相次いだが、話題は速やかに夕呼の真意を窺う方向へと集約されていく。
 夕呼は浮かべていた笑みをかき消すと、真剣な眼差しで各国代表の問いに応えた。

「オルタネイティヴ4が次期作戦として提案するのは―――オリジナルハイヴ攻略作戦です。」

『『『 ―――ッ!! 』』』

 夕呼の簡潔な応えに、その場の全員が驚愕して言葉を失う。
 それは、ウェイトリィ中将も同様であった。
 G弾推進派であり、明日にも反攻作戦を開始すべきだと唱え続けて来たウェイトリィ中将にして尚、オリジナルハイヴの攻略は反攻作戦の最終目標であり、まずはユーラシア大陸外縁部のハイヴから攻略するのが当然であると考えていた。
 それを、ようやく2つ目のハイヴを落としたばかりに過ぎない現時点で、オリジナルハイヴを攻略するなど常軌を逸しているとしか思えない。
 それは各国代表達も同じであり、狂気の沙汰としか思えなかった。
 痛い程の沈黙のみが場を支配した後、今度は驚愕を押さえ込む事に成功した者から先に、口々に叫び声が上がる。

「―――む、無茶だ……」「な、何を仰るのですか、香月博士!」「何故です?! 何故急にそのような―――」「あ、あまりに拙速過ぎる!!」「いくら佐渡島ハイヴを占領したとは言え―――」「正気ですか?」

 夕呼はそれらの発言に対して眉一つ動かさず、すっと右手を翳す事で静粛を訴え、それが叶えられると静かに言葉を発した。

「無論、オリジナルハイヴ攻略をこの時点で実施せねばならない、相応の理由があります。
 まずはそれについて説明いたしますので、どうか御清聴ください。
 『甲21号作戦』開始以前に収集したBETA情報から、BETAハイヴ間の戦術情報伝播モデルがオリジナルハイヴを唯一の頂点として、全てのハイヴがその直下に位置する箒型構造だとの解析結果が導かれています。」

 その場に居合わせた者達の多くは、無論従来主流とされた仮設がピラミッド型の戦術情報伝播モデルであると知っていたが、その仮説が覆される事の重要性までは即座には理解できなかった。
 その為、戸惑いを主成分とする空気がその場に揺蕩ったが、続く夕呼の言葉で再び驚愕に染め上げられる事となる。

「つまり、人類の戦術に関する情報は、全てオリジナルハイヴの超大型反応炉に集約されるのです。
 そこで必要に応じて対策が検討された後、対処案の実効性を判断する為の情報収集が配下のハイヴに命じられ、その結果を反映しつつ対処案をシェイプアップしていく。
 そして、約19日が経過しシェイプアップが完了した時点で、対処案のテストが試みられ、その結果が良好であれば全ハイヴに対してオリジナルハイヴが対策を即時伝達する。
 これこそが、BETAの情報伝播モデルであると考えられるのです。
 現在、佐渡島ハイヴで収集されたBETA情報を解析し裏付け調査を行っていますが、これが事実であるとするならば、一度実戦で使用した戦術は、オリジナルハイヴが健在である限りBETAに対処される可能性が常に残ってしまうという事になります。
 よって、今回人類初の通常戦力によるハイヴ占領を達成した戦術も、オリジナルハイヴが健在である以上いつ何時対処されてしまうか解からないという事になります。」

 ようやく手にしたと思った希望の光が、オリジナルハイヴと言う敵の本拠地が健在である限り、何時無効化されるか解からない砂上の楼閣であると知らされた各国代表は、言葉を失ってある者は背もたれに倒れ込み、またある者は頭を抱えて机に肘を突いて項垂れた。
 しかし、その中のある人物が、何事かに気付いたかのように項垂れていた顔を跳ね上げ、夕呼の通信映像に縋る様な眼差しを向けて問いかける。

「こ、香月博士! 君はオリジナルハイヴ攻略作戦を提案すると言ったな。
 せ、成功率は―――成功率はどの程度あるのかね?」

 その問い掛けに、ウェイトリィ中将を含めてその会議室にある全ての人物の眼差しが夕呼に集中した。
 それらの眼差しに、夕呼は嫣然とした笑みを浮かべて応える。

「ご安心ください。
 作戦は既に立案済みであり、『甲21号作戦』でその信頼性が実証されたBETA情報を元にシミュレーションを行った結果、作戦成功率は8割を超えております。
 オルタネイティヴ4に御一任いただければ、必ずやオリジナルハイヴを攻略してご覧にいれますわ。
 ただし―――先程要請いたしましたG弾の移管を含め、国連宇宙総軍と米国戦略宇宙軍の全面的な協力を受けた上で、14日以内の実施が条件となります。
 佐渡島ハイヴから収集したBETA情報の解析結果による裏付けが取れるまで、凡そ8時間を予定しております。
 皆さんには、その間に各国政府との調整をして頂けますでしょうか?」



 ―――アメリカ東部標準時:21時02分(日本時間:11時02分)、国連安全保障理事会は全会一致でオルタネイティヴ5の権限を移民宇宙船の建造のみに縮小し、保有するG弾全てのオルタネイティヴ4への移管を決定。
 更に、オルタネイティヴ4より提案されたオリジナルハイヴ攻略作戦―――作戦呼称『桜花作戦』の実施を許可し、その為に必要な権限の全てをオルタネイティヴ4統括責任者香月夕呼国連軍大佐に委ねた。

 香月夕呼大佐はこの決定を受け、『桜花作戦』の実施日程を2002年01月07日と定める。
 斯くして、長きに亘ったBETA大戦の事実上の決戦となる戦いは、極東の魔女と呼ばれた女性に委ねられる事となった。




[3277] 第115話 散りし桜花に報いる為に
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/08/24 17:20

第115話 散りし桜花に報いる為に

2001年12月26日(水)

 13時06分、国連太平洋方面第11軍横浜基地の講堂には、多数の将兵が集っていた。

「昨日、佐渡島に置いて実施されたハイヴ攻略作戦―――『甲21号作戦』は、人的損耗を殆ど出す事無く、勝利の内に幕を閉じるに至った。
 長く苦しいBETAとの戦いに置いて、斯くも圧倒的な勝利を得た事は無く、これは人類初となる歴史的快挙である。」

 講堂に、ラダビノッド基地司令の声が、朗々と響き渡る。
 上級司令部からやってきた来賓の将官達に加え、横浜基地の手隙要員等がこぞって押しかけた為、講堂の外にまで人が溢れ出す有様となっていた。
 講堂後部の出入り口は端から全開にされており、そこから漏れ出すラダビノッド基地司令の声に、講堂の外に立ち並ぶ将兵全員が直立不動の姿勢で真摯に耳を傾けていた。

「その余りにも少ない損害による勝利は、それを知った多くの将兵に、従来の戦いで散っていった数多の輩(ともがら)の犠牲が、果たして避け得ぬものであったのかとの、疑問すら喚起してしまう事だろう。
 だが、諸君は既に各々の胸の内に、その疑問に対する答えを持っている筈である
 今回採用された新戦術は、確かに画期的なものであった。
 しかし考えてみたまえ、その戦術は何故(なにゆえ)に確立できたのか?
 ―――それは、人類の勝利を疑わず、全ての力を振り絞ってBETAに戦いを挑んだ者達の、その雄姿に学んだが故だ。
 我等は、何故(なにゆえ)に新たなる戦術を構築する時間を得る事ができたのか?
 ―――それは、絶望的な戦況にも打ちひしがれる事無く、敢闘の精神を以って戦い続け、人類の生存の為にその身を捧げた、多くの者達が居たが故だ。
 我等は、彼等高潔なる輩(ともがら)の犠牲により、貴重な戦訓と掛け替え無き時間とを与えられ、今日、遂にBETAを撃ち滅ぼす為の刃を手にする事ができたのだ。」

 そして、講堂の前方中央に、講壇に立つラダビノッド基地司令に対面して、整列する将兵の一団があった。
 その数、127名。
 それは、横浜基地より『甲21号作戦』に派遣された、戦術機甲1個連隊とA-01に所属する衛士らであった。
 最前列に、武とヴァルキリーズの面々が横一列に並び、その背後には大隊毎に3つの集団に分かれ108人の衛士等が居並ぶ。
 その全員が、国連軍第2種礼装に身を包んで一糸乱れず整列し、ラダビノッド基地司令の訓示を謹聴していた。

「数多の犠牲によって鍛えられし刃を手にした今こそ、我等は彼等の悲願に報いねばならない。
 貴官等はその先陣となり、見事に作戦を勝利に導き、人類に眩い希望の光をもたらした。
 貴官等は、我が基地の、そして国連軍の誇りである!
 尚も続く、BETAとの戦いに於いても、その力を遺憾なく発揮し、地球奪還の魁足らん事を切に願う。
 殊に、我が横浜基地教導部隊A-01所属衛士の諸君は、新戦術の確立とその普及に努めたのみに留まらず、此度の作戦に於いてはハイヴに突入し、その制圧に多大なる貢献を果たした。
 中でも、新戦術を考案し新たなる装備の数々を実用化した、白銀武大尉の功績は絶大である。
 よって、彼の功績に対し、国連太平洋方面第11軍総司令部は少佐の辞令を以って、その功績に報いるものである。」

「国連軍太平洋方面第11軍、横浜基地教導部隊A-01第13中隊所属、白銀武大尉、前へッ!」

「はッ!!」

 式次進行を委ねられている大尉の声に、武は一歩前に進み出し、促されるまま壇上へと上がってラダビノッド基地司令の眼前に立った。
 ラダビノッド基地司令は、武と敬礼を交わすと、少佐を示す階級章を武の礼装に付ける。

「貴官に少佐の階級を与えると共に、本日只今を以って横浜基地教導部隊A-01の指揮官に任命する。
 白銀少佐、貴官の成した貢献は、我ら国連軍のみならず、人類全体に勝利への希望をもたらした。
 今後はA-01を率い、貴官の類稀なる発想を更に推し進め、人類の悲願達成に向けさらなる貢献を果たしたまえ。」

「はッ、全身全霊を尽させていただきます!」

 ラダビノッド基地司令と再び敬礼を交わすと、武は促されて身を転じ講堂に居並ぶ将兵へと向き直る。
 武は、ヴァルキリーズに、『甲21号作戦』派遣部隊の衛士等に、そして講堂に集まった将兵等に対して鮮やかに敬礼して見せると、そのまま上体の向きを左右へと巡らせる。
 会場内の全将兵も起立し敬礼して武に応え、武が腕を下ろすと同時に、歓喜の叫びが講堂を揺らした。
 極東最大の国連軍基地と称されながらも、同時に帝国軍の後方で安逸を貪っていると言われ続けた国連軍横浜基地に、『英雄』が誕生した瞬間であった―――

  ● ● ○ ○ ○ ○

 13時46分、横浜基地のブリーフィングルームで、A-01の各員は夕呼から直々に『甲21号作戦』のデブリーフィングを受けていた。

「―――これが現在の佐渡島に於ける戦力配置図よ。
 帝国本土防衛軍の2個師団が守備部隊として駐留。
 佐渡島北西沿岸には、水際防衛の為の地雷原や無人砲台の敷設が進められているわ。
 近海海底への警戒網の敷設も進められ、今日中には差し当たっての防衛態勢は確立される予定よ。
 BETAのハイヴ奪還を侵攻よりも優先する行動特性を逆用し、佐渡島は要塞化されて、日本帝国のBETAに対する盾としての役割を担う事になるわ。
 この横浜基地からも、戦術機甲1個大隊と機械化歩兵1個中隊を派遣して駐留させ、佐渡島ハイヴの最下層の警備に当たらせているわ。
 最終的には佐渡島ハイヴも基地化して、オルタネイティヴ4の出先機関を置いた上で、反応炉及び関連施設を管理する事になるわね。
 『甲21号作戦』は、帝国にとっても私達オルタネイティヴ4にとっても大成功。
 あんた達の働きも、諸外国から高い評価を得ているわ。
 ―――で、休む間も無く申し訳ないけど、12日後の1月7日に次の作戦が発動するわ。」

『『『 ―――! 』』』

 夕呼の言葉に、作戦完遂の歓びに綻んでいたヴァルキリーズの表情が、一気に引き締まり緊張が漲る。
 そんなヴァルキリーズを、一切の表情を消した顔で一瞥し、夕呼は話を続ける。

「作戦内容は、『甲1号目標』―――オリジナルハイヴの攻略よ。
 あ、今回は占領じゃなくて反応炉の破壊が目的になるわ。
 さすがに、オリジナルハイヴの全所属BETAを一掃し、その後も占領し続ける様な戦力は今の人類にはないからね。
 そして、オリジナルハイヴに降下し攻略に当たる人員は―――あんた達A-01の19名と、社霞の合計20名のみ。
 作戦には国連宇宙総軍と米国戦略宇宙軍の軌道戦力の大半を投入するけど、オリジナルハイヴの攻略自体はオルタネイティヴ4の要員だけで行うわ。」

 淡々と語る夕呼の言葉に、新任達は無論の事、ヴァルキリーズの先任達でさえ驚愕し、表情を引き攣らせ、悲愴な面持ちへと変わっていく。
 みちるなどは、とうとう恐れていたA-01消滅の日がやってきたかと、一瞬ではあったが諦念を浮かべてしまう程であった。
 夕呼は、そんなヴァルキリーズの面々を見廻し、それでも尚、与えられた任務を忌避しようとする者がいない事を確認すると、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべて言葉を続ける。

「そんな顔しなくったって大丈夫よ。
 ちゃんとそこの白銀が、生きて帰れる様な作戦を立案してるわ。
 さすがに生還の保証は出来ないけど、余程の事が無い限り全滅はしない筈よ。
 ―――とは言え、『甲21号作戦』とは比較にならないほど危険な作戦である事には変わりはないわ。
 訓練状況が順調だったら、ご褒美に三が日に外泊許可を出してあげてもいいわよ?。
 だから、思い残す事が無い様に年始の休暇を取りたかったら、精々年末までの訓練に精を出すのね。
 ああ、今更だけど、作戦の事は最重要機密だから誰にも漏らさない様に。
 あたしからは以上。―――では司令。」

 夕呼の言葉に、ヴァルキリーズの表情に生気と希望が蘇ってくる。
 武に対する信頼に加えて、年始の外泊許可という餌の効果か、現金なもので意欲までもが復活していた。
 そんなヴァルキリーズを他所に、夕呼は話を締めくくると、ラダビノッド基地司令に場所を譲る。
 夕呼と入れ代りに演台に立ったラダビノッド基地司令は、講堂に引き続き再びヴァルキリーズと対面して口を開いた。

「諸君―――『甲21号作戦』での働き、ご苦労だった。
 今回の作戦は、我々オルタネイティヴ4にとって、正に飛躍の契機となる重大な作戦であった。
 これを完遂せしめた事により、我々は計画の完遂に向け大きな一歩を踏み出す事ができた。
 諸君等、A-01にとっても、その任務が公式記録に残る初めての活動ともなり、感慨も一入であろう。
 しかし、我々は今回の成功に酔い、歩みを緩める事を許されてはいない。
 先程香月博士が明かした通り、既にオリジナルハイヴ攻略という、人類にとって乾坤一擲となる大作戦が控えている。
 オリジナルハイヴ攻略作戦の呼称は、『桜花作戦』である。
 人類の未来を救わんと、その身を捧げた先達の為に。
 ―――何よりも、オルタネイティヴ計画に名を連ねる者として人知れずその身を散らして逝った、A-01所属衛士等の挺身に報いる為に。
 必ずや本作戦を、成功させて見せねばならない。」

 ラダビノッド基地司令の言葉を聞き、ヴァルキリーズの先任達の脳裏に、横浜基地正門前の坂道に植樹された桜並木の姿が浮かぶ。
 先に逝ってしまった仲間達に想いを馳せて、ヴァルキリーズの先任達は、作戦完遂に向け闘志を燃え滾らせるのであった。
 ラダビノッド基地司令は、その眼光を僅かに和らげ目を細めると、自らの無能を恥じるかの如き口調で言葉を続ける。

「―――地球上で最大となるBETAの拠点攻略に際し、諸君等のみに重い責務を担わせる事となり、本当に済まないと思っている。
 しかしそれは、この作戦は諸君でなければ成し得ないと判断すると共に、諸君であれば必ずや成し遂げてくれると確信しているからこそでもある。
 人類の勝利を確実たらしめ、地球をBETAの手から奪還する為にも、諸君のより一層の奮戦に期待する。―――以上だ。」

「―――敬礼―――っ!」

 武の号令により、武自身とヴァルキリーズは敬礼を捧げ、ラダビノッド基地司令は唇を固く引き結んだ表情で答礼すると、踵を返してブリーフィングルームから退出していった。
 その後に続いて、夕呼とピアティフ中尉、そして現在ピアティフ中尉の補佐を務めているイルマ・テスレフ国連軍少尉が退出していく。
 退出間際に、武に一瞬だけ向けられたイルマの瞳には、溢れんばかりの好奇心が湛えられていた。

 直立不動で敬礼し、前方に視線を固定したままで武を初めとしたA-01総員は4人を見送り、扉が閉まった所で武の号令が発せられて敬礼を解く。
 武はその場でヴァルキリーズの方へと向き直ると、少し戸惑う様な間を空けた後、躊躇いがちに口を開いた。

「―――お疲れ様、みんな楽にしてください。
 えっと……急な話だけど、香月副司令が言った通り年明け早々にオリジナルハイヴ攻略作戦が発動されます。
 作戦の詳細は、現時点では明かせないけど、基本的には今までの訓練の延長線上で十分対応できる筈です。
 全員揃って横浜基地に帰って来る為にも、全力で訓練に臨んで下さい。
 後は……今日は訓練は行いませんから、ゆっくり体を休めて疲れを癒してください。
 夜には、1階のPXでA-01だけの祝勝会を、京塚のおばちゃんが開いてくれるそうです。
 20時からだそうですから、各自PXに集まって下さい。
 ―――っと、こんなとこかな? 以上です。」

『『『 ……………………………… 』』』

 ところどころで自問自答しながら、伝達事項を伝え終わった武に対し、ヴァルキリーズ全員の呆れた様な視線が注がれる。
 その視線に、武は自分が何か間違いをしでかしただろうかと、助けを求める様な視線をみちるへと投げかけた。
 そんな武の情けの無い顔に、みちるは首を軽く左右に振ると、溜息を一つ吐いて口を開いた。

「白銀少佐、僭越ながら申し上げます。
 あなたは、我がA-01部隊の指揮官になられたのですから、もう少し威厳を持たれては如何でしょうか。
 これは、隊の士気にも関わる重大事であると考えますが?」

「うわっ、止めて下さいよ伊隅大尉。
 作戦中や訓練中ならともかく、無意味に堅苦しいのは抜きって事になってる筈じゃ…………あ、まだ解散してないか。
 えーと、通達事項は伝えたから…………よし、通達事項は以上、総員楽にしてください。敬礼もいりませんからね。
 さて、それじゃあこっからは非公式ミーティングとするので、参加も強制しません。
 その代わり、隊の決まりに従って堅苦しいのも抜きでお願いしますよ、大尉。あ、出来たら階級も抜きで。」

 みちるは呆れ果てたという様に天井に視線を彷徨わせた後、渋々武に視線を戻して会話に応じる。

「仕方ないな…………白銀、いいか? 既に貴様は我がA-01部隊のトップなんだ。
 部下が安心出来る様な態度を示すのも、指揮官の務めの内なんだぞ?
 百歩譲って部下に対して丁寧語なのは見逃すとしても、自信無さ気な態度を見せるな。」

「ああ、なるほど…………言われてみると、その通りですね。
 それじゃあ、今後は気を付けますから、丁寧語は見逃してもらう方向で……」

 みちるの言葉に、武は暫し自身の言動を思い返した後、納得して頷きを返した。
 そして、素直に反省の意を表すると同時に、丁寧語に関しては有耶無耶の内に認めさせようとする。
 しかし、そんな武に即座に水月が喰ってかかった。

「見逃せる訳ないでしょッ?! 男なんだから、もうちょっとシャキッとしなさいよ、シャキッと!!
 昨日の作戦中は、それなりにビシッと出来てたじゃないの!」
「ちょ、ちょっと、水月……いくら非公式ミーティングだからって、上官に向かってその態度は…………」

 水月の上げた怒声に、遙が慌てて窘める。
 しかし、水月に怒鳴られた武は嬉しそうに笑って、遙を押し留めた。

「あ、涼宮中尉、その手の気遣いは結構です。
 速瀬中尉には、身内の場では階級抜きで先輩後輩として接して貰うって約束になってますしね。
 で、シャキッとしてないって話ですけど、オレが今更肩肘張ってカッコつけたって、とっくに本性なんてばれちゃってるじゃないですか。
 指揮官になったからって、今更ですって。」

 そんな武の様子に、新任達を中心に周囲から投げかけられる視線の温度がどんどんと下がっていく。
 まるで、この被虐趣味の変態が! と、言わんばかりの雰囲気であった。
 しかし、そんな雰囲気を緩和する様に、真剣に聞こえる口調で美冴が発言する。
 尤も、口元に当てた握り拳の陰では、唇が楽しげな笑みを浮かべていたが……

「ふむ。確かに白銀の言うとおり今更かもしれませんね。
 大尉、白銀が偉ぶる事を忌避するのは、今に始まった事ではありません。
 佐官になり、A-01の指揮官になってもそれが変わらなかっただけ、という事でいいのではないでしょうか?」

「幸い、白銀少佐は、必要な時には相応の態度を取れる方ですし。
 内々の場でなら、多少砕け過ぎていてもよろしいのではないかと思うのですけれど。」

「…………そうだな。部下の掌握方法をどの様なものにするのかも、指揮官の職掌の内だ。
 それを部下があれこれと心配するなど、僭越かもしれんな。
 どうせ、直ぐに次の大仕事が控えてるんだ。白銀の指揮官としての手腕は否が応でも見せてもらえるだろう。
 極論すれば、副司令と我がヴァルキリーズの間の指揮系統に、白銀が正式に割り込んだだけだ。
 白銀からあれこれと指図を受ける事自体は、今までと然して変わらないしな。
 ―――よし、そういうことだから貴様等は今まで通りに振舞って、白銀の手際を見守っておけ。いいな?」

『『『 了解! 』』』

 美冴に続き、祷子からも武の希望を許容する発言があった為、みちるは少し考えた後、武の手際を見守る事を選択する。
 そして、その旨を部下達に告げると、全員が揃って応答したが、同時に武が情けない顔をして苦情を申し立てた。

「ちょっと、伊隅大尉! そういうのは、当の本人を目の前にして言う事じゃないんじゃ……」

「まあまあ、気にしたらぁ負けだよ? 白銀君。
 君は、君らしく隊をまとめてぇいけばいいんだから、ね?」
「……葵ちゃん…………気楽な方が良いだけなんじゃ……」
「姉さんだから、どうせそんなとこでしょうね……はぁ……」

 みちるの言葉にしょげる武を葵が励ますが、即座にその真意を葉子が看破し、紫苑もそれに同意して溜息を吐く。
 それを機に、皆に笑いが広がり、その場はそれを機に解散となった。
 その後、みちるが武を呼び止め今後の打ち合わせを求めた為、他の面々は2人を残して次々にブリーフィングルームを立ち去って行く。

 先程の冷たい雰囲気こそ緩和されたものの、元207Aを含むヴァルキリーズの新任達が、やはり何処となくきつい冷めた視線を投げかけながら、声もかけずに退室していくその様子に、武はがっくりと項垂れる。
 そんな武に、やれやれと首を振ったみちるが声をかける。

「自業自得だぞ、白銀。
 それに、どうせこんな展開になるのは承知の上で、態と情けない態度を取ったんだろうが。
 演技はもう良いから、シャキッとしろ。」

「―――ばれてました?」

 みちるの指摘に、項垂れていた顔を上げて、武がばつの悪そうな表情を浮かべ、恐る恐る訊ねる。

「当たり前だ。今まで我々が、何度貴様から任務上の説明を受けて来たと思っている。
 部隊指揮官になって気が抜けたにしろ、途端にあれ程自信無さげになる訳がないだろう。
 他の者ならともかく、貴様の様に図太い神経の奴が、指揮官になった位でそうそう変わるものか。
 まあ、今はその件は良いとして、明日の訓練について幾つか聞いておきたい。
 貴様と御剣は、帝国の式典に参加する為、明日の訓練には参加しない筈だな?―――」

 みちるは、右眉を上げて心底呆れた様に自身の所感を告げた後、オリジナルハイヴ攻略に向けた訓練について武に問い質す。

 『桜花作戦』の実施については、今日に至るまでみちるも聞かされていなかった為、部下の手前、先程はなんとか平静を取り繕ったものの、準備期間の短さも相俟って一度は部隊の全滅を覚悟した。
 周辺ハイヴを攻略していない現時点でのオリジナルハイヴへの降下は、到底生還を期し難い作戦としか思えなかった為である。
 しかし、その憂慮も武が作戦立案に噛んでいると聞いた事で一掃された。

 武が生還可能な算段を付けたというのであれば、後はそれを信じて、全員が無事生還できるように鍛え上げるだけだとみちるは割り切った。
 それだけの実績を、武は今日までに積み上げてきたのだから。
 みちるは、現時点で開示可能な範囲で、可能な限りの情報を武から聞き取り、短い訓練期間を如何に有効に活用するかの打ち合わせに没頭するのだった。



「―――なるほど、今日の所はここまでだな。
 明日の夜、貴様等が帰還するまでの訓練については、任せておけ。
 支障の出ない範囲で、限界まで扱いておいてやる。
 ―――ところで白銀、話は変わるんだが……実は貴様には礼を言わねばならないと思っていたんだ。」

 20分程ではあったものの、高密度な打ち合わせを済ませたみちるは、不敵な笑みで翌日の訓練指揮を請け負って見せた後、真摯な表情になって武を正面から見つめて言った。
 唐突に変わったみちるの雰囲気に、武は気遅れの様なものを感じながらも応じる。

「礼って……オレ、なんかしましたっけ?」

 思い当たる節が無いと言いたげな武に、みちるは真っ直ぐな眼差しを据えたままで淡々と語る。

「貴様自身は、礼を言われる様な事ではないと考えているのだろうと解かってはいるのだがな……それでも、こちらとしては言いたくなるんだ。
 BETA新潟上陸に際しての迎撃作戦に続き、『甲21号作戦』でも、部下全員が1人たりとも欠ける事無く無事生還できたからな。
 A-01連隊発足以来の激しい損耗率を考えるなら、これは信じ難い快挙なんだ。
 全ては貴様のお陰だ、白銀。
 ―――だから、基地に戻って落ち着いたならば、きちんと礼を言っておこうと思っていた………………の、だがな―――止めた。」

「へ?」

 それまでの真剣な表情がまるっきり嘘であったかのように、ニヤリと笑みを浮かべて言い放ったみちるの最後の一言に、武が間抜けな声をあげる。
 してやったりと、笑みを深めたみちるは、透かさず言葉を継いだ。

「何しろ、今となっては貴様はA-01部隊の指揮官殿だからな。
 部下達は勿論、私自身の生殺与奪も、白銀―――指揮官である貴様の職掌の中だ。
 その貴様に、部下である私が皆の生還を感謝するのは僭越と言うものだろう。
 だから―――礼を言うのは止めた。
 貴様が有難い事に、この上なく部下思いの上官になるだろう事は容易に想像がつく。
 だから、私も安心して貴様の指揮に従う事が出来るが…………これだけは、弁えておけよ?」

 みちるは、再び真剣な表情に戻り、武を諭すように言葉を紡ぐ。

「結局の所、指揮官の職務を突き詰めれば、部下に死を命ずる事へと行き着く。
 貴様の様に、部下に思い入れを抱き過ぎると、指揮官を続けるのは辛い事になるぞ?
 覚悟などとっくに済ませているとは思うが、いざとなったら私を頼ってくれていい。
 貴様の副官として、微力を尽くして支えていってやる。
 だから、精々頑張って良い指揮官になってくれ。期待してるぞ、白銀。」

「―――はい、大尉。オレはオレ自身の為に、みんなを喪わずに任務を達成する道を見つけてみます。
 幸い、理解のある上官に恵まれてますから、なんとかしてみせますよ!」

 みちるの言葉に、武は笑顔を浮かべて宣言する。
 A-01の任務の重要性を思えば、所属衛士の生命よりも任務の達成を優先しなければならない事は明らかである。
 しかし、武は作戦の立案に参画している以上、可能な限り生還率の高い作戦を立案するつもりであった。

 人事を尽くして尚、何時襲い来るか解からない喪失に怯えながらも、武は戦い続け、足掻き続ける道を歩むと決めた。
 武の仲間達は、自身の身命を人類の未来に捧げる覚悟を固めており、自らの力でその為に貢献する事を望んでいる。
 それを熟知する武は、彼女等の幸福を願うが故に、その願いと生存を両立させる為に、自身の心血を注ぐつもりだった。

「―――さて、少し長くなってしまったな。
 外で待っている連中も、そろそろ痺れを切らしている頃だろう。
 ―――ん? 何を意外そうな顔をしているんだ? 白銀。
 貴様の猿芝居に、私よりも貴様との付き合いの長い新任共が、気付かない訳が無いだろうが。
 しっかりと絞られて、少しでも理想的な指揮官になってくれよ。」

 みちるの言葉に、武は冷や汗を流しながら、壁越しに通路の反応をリーディング機能で探る。
 そこには、ヴァルキリーズの新任達10名全員が、精神的内圧を高め、爆発した時の威力を刻一刻と増しながら、勢揃いしているのが察知できた。

 武は、救いを求めてみちるに縋る様な視線を向けたが、みちるは突き放すように断言した。

「どうせ、ここで逃げても拗れるだけだ。覚悟を決めて、立ち向かうんだな。」

 1時間後、ズタボロになった精神を自室で休めながら武は思った。
 それでも、最後に男子トイレに放り込まれずに済んだだけ、扱いがマシになったのだろう、と…………

  ● ● ○ ○ ○ ○

 15時32分、B19フロアのシリンダールームを、武は訪れていた。

 ブリーフィングが済み次第、此処にやって来るつもりであった武だったが、ヴァルキリーズの新任達に、ボロ雑巾の如く徹底的に絞り上げられた所為で、精神的疲労から回復するのに少なからぬ時間を費やした結果、この時間になってしまっていた。

「白銀さん……おかえりなさい。」

 シリンダールームに足を踏み入れた武に、何時もの様に青白い光を放つシリンダーの横に立つ霞が声をかける。
 武はそんな霞に、何よりも喜ばしい報告を、満面の笑みで告げる。

「ただいま、霞。ヴァルキリーズ全員、1人も死なせずに無事帰って来る事ができたよ。」

「……よかったですね。」

 そんな武の様子を上目遣いでじっと見詰めながら、霞も笑みを浮かべて応えた。
 武は、力強く頷いて、『桜花作戦』へと向けた抱負を語る。

「ああ、次の作戦でも1人も死なせない様にかんばるよ。」

「次は……私も行きます。」

 しかし、霞の返事に、武の顔から笑顔が消える。
 眉を寄せ、唇を引き結び、武は済まなさそうに表情を歪めて言葉を絞り出す。

「……済まない、霞。とうとう、お前まで戦場に連れてく事になっちまうな……」

 だが、霞はふるふると、頭を横に数回振ると、先程よりも更に大きな笑みを浮かべて、武に精一杯の想いを告げる。

「……うれしいです…………私……やっと役に立てます……
 だから……とても……うれしいです……」

「そうか………………よし! 一緒に頑張ろうな、霞!!」

 霞は、オルタネイティヴ3の人工ESP発現体として生み出され、兄弟姉妹とも言える他の人工ESP発現体達が戦死していくのを目の当たりにしながら、実戦に投入される事無く生き延びてきている。
 そして、オルタネイティヴ4に移ってからも、自分はこれといった貢献を果たせていないと霞は考えている。
 その結果、霞が周囲に対して強い引け目を感じているという事を、武は数多の確率分岐世界で出会った霞の言動から察していた。

 それ故に、戦いに赴ける事を喜ぶ霞に、複雑な感情を抱きながらも武はそれを押さえ込んで、霞の想いを受け入れる。
 そもそも、作戦に霞を組み込んだのは武自身である。
 霞の決意と想いを前に、武にはそれを受け入れる以外の道は存在していなかったのだ。

 その後、武と霞は仮想空間で純夏と共に過ごし、凱旋式の映像を見たり、ゲームをしたりしてゆったりとした時間を過ごした。
 武のA-01指揮官就任を知って、純夏が「タケルちゃんが指揮官じゃ、みんなも苦労するね~。」などと言った為、武と喧嘩になったりもしたが、現実時間では1時間にも満たない時間で、武の精神はすっかり活力を取り戻す事が出来た。

 その活力で、祝勝会の始まる20時まで、武は霞に手伝って貰いながら『桜花作戦』に向けた様々な準備を推し進める。
 武にとっても、『桜花作戦』までに残された時間は決して長いものとは言えなかった。



 その日の祝勝会は、武にとっても楽しい時間となった。
 武の知らぬ間に、祝勝会は武の昇進と指揮官就任も合わせて祝う事になっており、武は皆から散々からかわれながらも、心からの祝いの言葉を受ける事となった。

 祝勝会には、霞とまりもも招かれていた。
 霞はXM3や訓練プログラムの開発に携わった少尉相当の技術士官として、まりもは『甲21号作戦』参加部隊への教導官を務めた臨時中尉としての参加であった。

 例によって、夕呼は最初の挨拶だけして立ち去ってしまい、その後は些か騒がしくも和やかな時間が流れていった。
 武にとっては、まりもが居たお陰で、密かに持ち込まれていた酒が封を開けられる事無く封印され、他の確率分岐世界で経験した、酔っ払いが続出し大騒ぎになって絡まれるという展開を避けられた事が有難かった。
 そしてなによりも、まりもの内に潜む獣が解き放たれなかった事が。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2001年12月27日(木)

 11時46分、帝都城外苑南側の内堀にかかる祝田橋の袂(たもと)に、伊隅家四女である伊隅あきらが佇んで物想いに耽っていた。

(―――『甲21号作戦』。明星作戦以降、最大規模の対BETA作戦。
 帝国軍と大東亜連合軍の総戦力の半数近くを投入した大反攻―――か。
 帝国の悲願と言われた佐渡島ハイヴの攻略が、あんなにあっさりと成功してしまうだなんて、今でも信じられないよな……)

 あきらは、自分がつい先刻まで居た、斯衛軍帝都城内閲兵場の方へとに視線を投げかける。
 そちらには、多くの制服軍人らが往来する姿が見られたが、あきらの待ち人の姿は見当たらなかった。

(あれだけの将兵が動員されて、フェイズ4ハイヴからBETAを完全に掃討した上で占領したにも拘らず、戦死者は40名足らず、重傷者を合わせても200名に届かなかったんだから、人類の歴史的大勝利って言葉には嘘の欠片もありはしない。
 そしてつい先程まで、その、人類に『歴史的勝利』をもたらした将兵等を讃える、凱旋式典があの閲兵場で行われ、ボクもそれに参加していた。
 政威大将軍殿下の御前に整列して、直に御言葉を賜わっただなんて、今でもまるで夢だとしか思えないや。)

 凱旋式典に於いて、帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊は、陸軍の集団の最前列に居並ぶ将官達の直ぐ後ろに配置されていた。
 『甲21号作戦』参加将兵の全てはさすがに閲兵場に入りきらない為、大抵の部隊は中尉以上の将校のみの参加とされていたが、ハイヴ突入部隊であった斯衛軍と帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊の衛士は、全員が式典参加を許されていた。
 あきらは、凱旋式典で壇上より御言葉を述べられる殿下の御姿、そして、貴賓として招かれた御名代殿と白銀少佐の姿を脳裏に思い浮かべた。

(殿下は、『甲21号作戦』に参加した全将兵の労をねぎらって下さった。
 けれど、今回の作戦の本当の立役者は、国連軍横浜基地の白銀大尉―――あ、少佐に昇進されたんだっけ―――だと思う。
 その証拠に今回の式典で、白銀少佐は殿下より斯衛軍栄誉大尉の階級を下賜されている。
 ボクみたいなひよっこ衛士が、今もこうして無事に生きて居られるのは、白銀少佐の新戦術のお陰に間違いない。
 今後は、あの新戦術が全世界に広まって、BETAとの戦いで犠牲になる将兵もぐんと減るんだろう。
 『甲21号作戦』から帰還した将兵はみんな、これで人類はBETAに勝利できるって確信し興奮していた。
 あんまり興奮したものだから、殆ど丸一日に亘って繰り広げられた大作戦の疲れさえ、すっかり何処かに吹き飛ばされたみたいだった。
 斯く言うボクも、撤収中も興奮が冷めなくて、中々寝付く事が出来なかった。)

 佐渡島から帰還する途中、戦術機母艦の中で同じ部隊に配属されていた姉のまりかや幼馴染の正樹と、熱に浮かされたように熱く語り合った時の事をあきらは思い返す。
 あの時ばかりは、普段はぽやーっとしている姉のまりかも、何時もより何倍も口数が増えていた様にあきらには思えた。
 式典終了後に待ち合わせをしているまりかと正樹の姿を、あきらはもう一度探したが未だにその姿は見当たらなかった。

(―――佐渡島が奪還され、東日本は差し当たってBETA侵攻の脅威から解放された。
 これも国連軍からの情報だそうだけれど、なんでもBETAは侵攻よりも既存のハイヴの奪還を優先するとの事だ。
 だから、反応炉が稼働している佐渡島は要塞化されて、大陸からのBETA侵攻に対する盾として機能する事になるらしい。
 佐渡島の復興と住民の帰還は大分先になるらしいけれど、その代わりに神奈川県東部を除く中部から関東甲信越にかけての第1種危険地帯指定地域が、指定解除されて復興の途に着く予定だそうだ。
 後は『甲20号』さえ排除すれば、日本はG弾の影響下にある東神奈川の一帯を除いて、全ての国土を復興させる事が出来るんだ。
 帝国の国土を奪還する為の大作戦が、国連軍の主導で行われた点は残念だけど、そのお陰で極僅かな犠牲と引き換えに佐渡島ハイヴを排除できたんだから、満足してこの輝かしい勝利を受け入れるべきなんだと思う。)

 あきらの思いは、帝国の今後の復興に対するものから、今度は『甲21号作戦』前の横浜基地派遣期間の記憶へと移り変わる。
 帝国軍から国連軍の教導部隊へとスカウトされて、横浜基地所属となっていた姉のみちるも交え、正樹やまりかと共に過ごした日々は、訓練漬けではあったが今思えば実に楽しく充実した日々であったとあきらは思う。
 そしてその日々の中で、あきらはみちるの部下であるA-01の衛士等と知り合った。

(国連軍は、米国の傘下組織に過ぎないと思ってきたけど、横浜基地で教導を受けて、ボクは実はそんな事ないんじゃないかと思い始めた。
 実際、白銀少佐や御名代殿、そしてA-01の衛士の人達は、真剣に日本や人類の未来を考えてくれていた。
 だから、少なくとも、あの人達だけは信じても良いんじゃないかと思う……)

「―――ら? あきらってば! もう、なにぼーっとしてんのよう!」

「あ―――まりかちゃん?」

 何時の間にか、あきらの傍らにはまりかと正樹が揃って立っており、まりかの呼び声によってあきらは物思いから覚めた。

「どうした? 疲れちまったか? あきら。
 悪かったな、知り合いに捕まっちまったもんで、こっちに来るのが遅くなっちまった。」

 正樹の言葉に、あきらはもう1人の待ち人である長女のやよいの姿を探しながら、正樹に応じる。

「え? ああ、いいよいいよ、正樹ちゃん。どうせ、やよいちゃんもまだだし……っと、あ、あれ、やよいちゃんじゃない?
 ―――お~~い! やよいちゃぁあ~~~~ん!! こっちこっちぃ~~~~!!!」

「あ、あきら~、恥ずかしいから大声出すのやめてよもう~~。」

 そこで、丁度自分達の方へと歩み寄って来るやよいの姿を見つけたあきらは、大声を上げて右手を高々と伸ばし大きく振った。
 途端に、周囲の注目を浴びる羽目になり、羞恥に顔を赤らめたまりかが止めようとするが、あきらには欠片も効果を発揮しない。

 その後、合流した4人は、その場で立ち話を始める。
 その内、話題が正月の長期休暇を如何に過ごすかに移り変わっていった。
 やよいは内務省の勤務なので、余程の事が無い限り正月三が日は休みになるし、他の3人は『甲21号作戦』に参戦したという事で、特別に長期休暇が与えられる事になっていた。
 そうなると、次女のみちるさえ休暇を取れれば、久しぶりに伊隅家の家族全員で正月を迎える事が出来る。

 国連軍の所属とは言え、みちるも『甲21号作戦』に参戦していたので、正月ぐらいは休暇を与えられるのではないかと、話は盛り上がった。
 しかし、その時やよいだけは、眉を寄せて憂い顔を覗かせたのだが、幸か不幸かそれに他の3人が気付く事はなかった。
 何故なら、正にその瞬間に、素っ頓狂な声が投げかけられたからだ。

「ん~……た~いへ~んグッド! みんないい顔してるねメ~ン。」

 憂いに眉を顰めていたやよいも含めて、4人全員が声の主を見やると、そこには金髪をオールバックにした上、伸ばした後ろ髪を首の後ろで1つに括った痩身の男性が、欧州連合軍の礼装に身を包みカメラを手にして立っていた。
 それを見て、キョトンとした表情になる女性3人だったが、正樹一人が驚愕と共に相手の名前を叫ぶ。

「あっ! ヘ、ヘ、ヘルムート少佐!!!!」

 ヘルムート・ニュートンジョン少佐は、欧州連合軍の現役衛士でありながら、世界的に有名な写真家でもあり、正樹の憧れの人物である。
 正樹は軍属となった後も趣味の写真を細々と続けており、写真の師である香月ミツコにより、日本帝国に駐在武官として来日していたヘルムートに引き会わされ、その時彼に才能を見出されている。
 それ以来、実際に会う機会こそなかったものの、正樹とヘルムートは時折メールのやり取りを交わす間柄であった。

「「 少佐?! 」」

 驚きながらも、慌てて直立不動になり敬礼するまりかとあきら。
 一方やよいは、前屈みになってヘルムートの胸元の階級章をマジマジと見る。

「あら、本当だわ。欧州連合軍の少佐でいらっしゃるみたいね。」

 一方、ヘルムートの方は答礼すらせずに、フットワークも軽やかに4人の立ち位置を正し、矢継ぎ早にポーズに注文を付けていく。

「ん~、ちょっと構図が弱いんだが……もう少し、右によって……そ~そ~! エクセレンツ!!
 ああ、とってもビューティーな君。そう、君。
 もっと微笑んだ方が素敵だソ~キュウ!
 YO~キューティ~ガ~、君はその元気な表情が一番……いいね2U。
 ヘイ! マサーキ! だめだろう? もっとこう、繊細な綿毛が津波で押し寄せる感じでファ~ンク。
 OK! テイク・ワン!!」

 まりかを一歩横へと動かし、やよいとあきらに語りかけ、正樹に駄目出しをすると、ヘルムートは徐(おもむろ)にカメラを構えファインダーを覗き込む。

「ヘルムート少佐、何言ってんですか! なんでこんな所で貴方が記念写真なんて……」

 そんなヘルムートに正樹が異を唱えようとするが……

「1たす1は……?」

「「「「 にーッ! 」」」」

 ヘルムートのふざけた問い掛けに、つい4人揃って応えてしまった。
 シャッターが軽やかに切られた直後、自身の行いに気付きがっくりと項垂れる正樹。
 そんな正樹に、写真を撮り終えてご機嫌なヘルムートが歩み寄って肩を抱き、耳元に口を寄せて呟く。

「ヘイ、マサーキ。
 ここだけの話だがな……メ~ン。
 正月の休みは、国連軍横浜基地の幼馴染と仲良く過ごしておいた方が……いいぞ。」

「え? ヘルムート少佐?」

 ヘルムートに耳打ちされた内容の意外さに正樹が問い返すが、ヘルムートはそんな正樹に一瞥もくれずに背を向けて歩きだしてしまう。
 そして、3mほど離れた所で半身になって振り返り、右手を高々と翳して声を張り上げる。

「マサーキ、Uの周りは何時もワンダホ~なレディー達が囲んでいて、シャッターチャンスに事欠かないねソ~クー。
 では、メ~ン、CU!」

 そう言い放つなり、ヘルムートは再び踵を返して足早に立ち去ってしまう。
 正樹は、その後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。
 そんな正樹を、後方から伊隅家の姉妹3人が半包囲する。

「ねえ、正樹くん……ちょっとお話をききたいのだけれど、いいかしら?」
「正樹って、何時も女の人侍らせてるんだぁ……ふ~ん……」
「正樹ちゃんのスケベーッ!!」

 その後、正樹は伊隅家の3人に人気のない辺りへと引き摺られていき、たっぷりと絞り上げられる事となった。
 全てが終わった後で、みちるの不在を天に感謝した正樹だったが、後日、みちると再会した際にこの話題が再燃する事になるとは、神ならぬ身では知る由も無かった。



「む? あれは……欧州連合軍のヘルムート少佐か?」

 正樹を地獄に叩き落す爆弾発言を放った後、颯爽と歩むヘルムートの姿を、やはり凱旋式典に参加していた1人の衛士が見咎め歩みを止めた。
 それに合わせて、共に歩んでいた人物らも立ち止り、その場で言葉を交わす。

「ほほう……恐らくは、『甲21号作戦』の驚異的な戦果を見て、急遽情報収集に動いているのだろう。
 斯衛軍の上層部か、彼ならば写真家としても著名だから、五摂家の人間と面会する約束があるのかもしれないな。」

 最初にヘルムートを見咎めたのは沙霧であり、それを受けて、言葉を発したのは草薙であった。
 草薙の隣には、当たり前の様に佐伯が従っており、これでこの場には帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊のトップ3が揃っている事になる。
 そして、その沙霧と草薙の発言を聞いて、同行していた海軍の礼装に身を包んだ4人の男達が次々に口を開いた。

「ほほう。欧州連合もとうとう本腰を入れて来たという訳ですかな。」

「小沢提督。『甲21号作戦』の戦果を知ったならば、BETA共に故国を侵されている国々は、これを看過しえません。
 即座に新戦術の導入を図るのは当然。むしろ今から動くのでは遅過ぎると考えます。」

「安倍君、それを言うのは少し酷というものだ。
 我等とて、『甲21号作戦』の作戦案を初めて知らされた時には、絵に画いた餅―――机上の空論としか思えなかったではないか。
 むしろ、作戦の完遂に備えて、事前に使者足り得る人物を来日させていただけ、新戦術の可能性を真剣に捉えていた証拠だろうよ。」

「はっはっは……何れにせよ、佐渡島を無事奪還できたのは目出度い事だ。
 少々、弾を撃ち過ぎたきらいはあるがな。」

 顎に拳をあてて、思慮深げに目を細める小沢提督に対し、生真面目な表情で安倍艦長がやや批判的な言葉を述べる。
 それを田所艦長がやんわりと窘め、井口艦長は豪快に笑い飛ばした後、ぼそりと懸案事項を口にした。
 欧州連合を初めとする、ユーラシア大陸のBETA被占領国の立場や対応については、ほぼ彼らが語った通りである。

 彼等帝国海軍将兵にとってより深刻なのは、井口艦長が言及した今作戦に於ける連合艦隊の弾薬消費量であった。
 今回の『甲21号作戦』と九州防衛戦に於いて、帝国海軍は砲弾備蓄総量の7割近くを射耗する結果となっていた。

 ロケットコンテナを搭載する火力支援艦であれば、その弾薬は共通規格の弾薬を国連軍などから融通して貰う事も可能である。
 しかし、世界に類の無い46cm砲や、50.8cm砲を主砲として搭載している連合艦隊の主力戦艦では、その主砲弾は帝国以外では備蓄はおろか生産すら行われてはいない。
 これらの主砲弾については、国内生産により再度備蓄するしか方法が無かった。

「うむ……このままでは、『甲20号作戦』が発動された際に、戦艦は思う様に働けんな。」

「なんと……しかし、『甲20号作戦』は我が連合艦隊の戦艦がその力を発揮できる最後の働き場となりかねません。
 是が非でも、砲弾を融通して一暴れも二暴れもしてやりたい所であります。」

「そうだな。今回助太刀に来てくれた、大東亜連合軍に借りを返してやらねばならんからなあ。」

 『雷神』により、レーザー属種を効率的に排除した事で、『甲21号作戦』に於ける支援砲撃の効果評定は、BETA大戦史上最高に近い数字を叩き出していた。
 それでも、佐渡島ハイヴに所属していた全てのBETAを掃討するには、莫大な砲弾を消費してしまったのだ。
 その結果として、連合艦隊の誇る戦艦群は、防衛作戦に備えるのが精一杯であり、大規模反攻作戦を行うだけの砲弾備蓄を確保できていなかった。

 それを知りつつも、安倍、田所、井口の艦長達3人は、口々に『甲20号作戦』への参加に意欲を示す。
 それは、大陸へと戦場が移っていく事で、海軍の活躍の場が失われる事への忸怩たる思いであり。
 また、佐渡島奪還に加勢してくれた大東亜連合軍への恩返しをせねばならないとの思いでもあった。

「既に、政威大将軍殿下よりの御下命を受けて、主砲弾の増産は始まっている。
 今日明日にとはいかずとも、一戦(ひといくさ)出来るだけの弾薬は何とかなるだろう。
 それより、今日は『雷神』について話を聞く為に、陽動支援部隊のお三方に時間を融通して貰ったのだ。
 まずはその話を進めようではないか。」

 そんな艦長達3人に、小沢提督はすでに砲弾備蓄の為の手配が済んでいる事を明かし、今はそれよりも優先すべき話題があると指摘した。
 そして、その優先すべき話題とは、『甲21号作戦』で活躍した『雷神』を帝国海軍の管轄で運用しようという計画に関してであった。
 今後、大陸での反攻に於いて、『雷神』が大いに活躍する事はまず間違いが無かった。
 そこで、海と空との違いこそあれど、船団の運用については一家言のある海軍が『雷神』飛行船群の運用に名乗り出ているのである。

 今回の凱旋式典には、斯衛、陸、海の3軍が合同で執り行った為、この機会に横浜基地で武から直に教導を受けた陽動支援部隊の指揮官達から、『雷神』に関する情報を聞き取ろうというのが小沢提督等の意図するところであった。
 しかし、元より『雷神』の運用を実際に行う予定が無かった草薙、佐伯、沙霧の3人は、今後に備える為に一応一通りの説明と教導を受けただけであり、『雷神』の運用に関する詳細には明るいとは言い難かった。
 その為、草薙が代表して小沢提督に苦言を呈する。

「―――小沢提督はそう仰いますが、私達ではシミュレーター演習や座学を通じて、通り一遍の説明を受けただけですのでね。
 最終的には、横浜基地の白銀大尉―――いや、少佐でしたか。彼に聞いてみるのが一番ですよ。」

「ふむ―――それは、解かっているのですが…………今は彼も多忙ではないかと思うのですよ。」

 草薙の述べる正論に、しかし小沢提督は難しげな表情になって言葉を濁す。

 この時点で、軍部の高官や一部の政治家、高級官僚達の間では、間近に迫った乾坤一擲の大作戦に関する情報が流れ始めていた。
 しかし、その作戦の重大さから、最大限の機密保持が求められていた為、それを知る物の多くは口を噤むのに少なからぬ労力を強いられる事となっていたのである。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年01月01日(火)

 07時09分、横浜基地正門前から続く坂道の中腹に、A-01所属衛士19名とまりもの姿があった。

 A-01部隊の戦没者を弔ってきた桜の木に、初日の出を拝んだ後、皆で詣でようと武が言い出した結果である。

「A-01の先達に対し―――敬礼ーーっ!」

 そして、武の号令により全員が揃って桜に敬礼を捧げる。
 この桜に眠る者達を全て見知っているのは、この場にいる中ではまりもしかいない。
 A-01連隊の設立時から所属しているみちるでさえ、連隊に所属した衛士全員の顔は覚えていない。
 いや、覚える暇も無く、戦死者が続出したとも言える。

 前年に任官した新任達11名に至っては、基本的に1人も顔見知りは居ない筈である。
 しかし、先任達から語り継がれた想いが、新任達を真摯な祈りへと導いていた。

 武にとっては、この桜は他の確率分岐世界で喪った戦友達の眠る墓であったが、それらの戦友等と同じ顔が自身の横に整列している状況である。
 その為、武は内心微妙な心持ちになりながらも、過去に経験した数多の確率分岐世界で死に別れた戦友達に、心の内で語りかける。

(―――みんな、遂に『甲21号作戦』を、本当の意味でやり遂げ、新年を迎える事ができたよ。
 ヴァルキリーズの誰も死なせず、横浜基地も損害を受けず、オレ自身も機能停止の恐れも無く、万全の態勢でオリジナルハイヴの攻略に取りかかる事が出来るんだ。
 これも、全てはみんなが命がけで任務に精励してくれたお陰だ。
 オレの力が足りないばっかりに、幾度も失敗を繰り返してきたけど、今度こそ…………今度こそ、必ず成功させて見せるからな!
 そして、勿論一人も喪わずに、この基地に帰還させて見せる!!
 みんな、どうか見届けてくれよな。)

 武が支配的因果律の改変を志して以来、初めて浴びる2002年の陽射しは、身を切るような寒さを押し退けて武に温もりを与えていた。
 武には、その陽射しが、過去に自分が救えなかった仲間達の、激励であるように感じられたのであった。




[3277] 第116話 御正月を写そう!
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/06/22 17:18

第116話 御正月を写そう!

2002年01月01日(火)

 07時36分、横浜基地正門前から続く坂道の中腹、A-01の戦没者等が眠る桜の前で、武とまりもが言葉を交わしていた。

「―――ここには、あたしの教え子達が眠っているけど、白銀君にとってはあなたの戦友達が眠っている場所なのね。」

「ええ。同じ顔した面々が、今頃基地で外出の支度をしてる筈ですけどね。」

 腕を組んで桜を見上げ、我が子を思い出し慈しむ様な頬笑みを浮かべながら、呟く様に語りかけたまりもに、武も笑みを浮かべて応える。

 桜への初詣を済ました後、ヴァルキリーズの面々は帝都へと出かける支度をする為に基地の自室へと戻っている。
 猛訓練を潜り抜け、正月三が日の外泊付き休暇を勝ち取ったヴァルキリーズは、この日帝都城に招聘されている冥夜と武に便乗する形で、全員揃って帝都へと出かける予定となっていた。
 外泊許可を申請しているヴァルキリーズとは異なり日帰りの予定である武は、既に着用している第2種礼装のまま出かけるだけなので、特に仕度を必要としない。
 一方まりもはと言うと、イルマと共にヴァルキリーズが殆ど出払ってしまう間の即応要員となる為、正月休暇は4日からという事になっている。

 その為、武とまりもは、2人だけでのんびりと言葉を交わす時間を得ていた。

「そう……他の世界じゃ、あたしの墓は何処にあるのかしらね。―――知ってる?」

「………………いえ、知りません。―――けど、横浜基地所属の軍人として亡くなってしまわれた後とかだと、ヴァルキリーズのみんなでこの桜の木に眠るまりもちゃんに報告しに来てましたよ。
 オレの知る限り、ヴァルキリーズにとってまりもちゃんは間違いなく―――家族なんだと思います。」

 武がまりもの後ろ姿を見詰めながら、静かにそう語りかけると、まりもは振り返って嬉しそうに笑う。

「そうだったら、嬉しいわね。
 ―――ねえ、白銀君。あの娘達の事、頼むわね。」

 笑みを浮かべたまま、武の目を真っ直ぐに見詰めて、ごくさり気なく告げたまりもだったが、武はその瞳の中に真剣な光を見出して笑みを消す。

「夕呼先生から、聞いたんですか?」

「まあ、ね。それとなくだけど。
 『甲21号作戦』の時に地下格納庫の留守番をして、『あれ』を見てるしね。」

 武は、その言葉でまりもが『桜花作戦』について、多少なりとも夕呼から知らされていると悟った。
 ならば、先程のまりもの言葉の重みも変わって来る。
 それは、新たなる戦場へと赴く教え子達の身命を案じるまりもの、精一杯の言葉だったのだろう。

「そうですか―――任せて下さい、まりもちゃん。
 一人も失わない様に、全力を尽くしますから。」

 まりもの心情を汲み取って、武は笑顔を見せてそう言い切る。
 が、そんな武の顔を見て、まりもは何かを案じる様な表情を浮かべて言葉を返した。

「―――白銀君? 貴方自身も、ちゃんと生きて帰って来なきゃだめよ?」

 武は、そんなまりもの言葉に、微かな苦笑を浮かべて応えると、そのまま踵を返して基地の正門に向けて歩き出す。

「解かってますって。犬死には御免ですからね。
 それじゃあ、そろそろみんなが来そうなんで、オレも基地に戻りますよ。」

 まりもは、先程よりもやや深刻そうな表情を浮かべていたが、立ち去って行く武の後ろ姿を只見送るだけであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 10時23分、靖国神社の境内、大鳥居近くの参道に水月を初めとするヴァルキリーズ12名の姿があった。

 境内には多くの人々が参拝に訪れており、その過半数が帝国軍の軍装に身を包んでいた。
 とは言え、私服の連れと共に歩いている者も多く、家族なのか子供連れも少なからず存在する。
 戦時中と言う事で、過度に華やかな装いの者は少ないが、私服の者はそれなりに粧し込んでおり、佐渡島奪還の戦勝祝賀ムードも冷めやらぬ中、華やかで明るい雰囲気を醸し出していた。

 しかし、人が多く集まれば、中には場の雰囲気を壊す輩も出てくるのは世の定めである。

「おうおう、兄ちゃん! 綺麗所仰山侍らせて、良い御身分じゃのう!」

 肩を怒らせ、赤ら顔でそう言い募る男は、仲間らしき連れを5人程引き連れ、参道の脇から歩み出てヴァルキリーズの行く手を遮った。
 どう見ても泥酔一歩手前にしか見えない男達は、身にまとう軍装からして本土防衛軍の将校らしく、周囲の人々も多くがその醜態に眉を顰める。

 横浜基地から同行した一行は、帝都に着いた所で武、冥夜、みちる、祷子、葵、紫苑、葉子の7人と別れており、残りの12人で連れ立ってこの靖国神社へと初詣にやってきていた。
 真っ先に拝殿へと向かう人並みに加わって参拝を済ませた後、境内を巡って奉納舞や獅子舞を観たり、おみくじを引いて御守りを買い、振舞い酒を貰ったり屋台を巡ったりして、ヴァルキリーズの面々は正月気分を満喫して上機嫌であった。
 そこへいきなり罵声を浴びせられて、水を差され気分を害する面々の中で、水月と美冴の2人だけは獰猛な笑みを浮かべており、まるで獲物を前にして舌舐めずりする猛獣の如き様子である。

 昨年末から改善されてきているとはいえ、国連軍の軍人に対する帝国民の感情に配慮して、この場にいるヴァルキリーズは皆私服姿であった。
 中でも、美冴は男装と言って良い様な出で立ちであり、傍目には美男子が個々に趣は異なるものの十分に人目を惹くに値する女性に囲まれている様に見えていた。
 如何に男性比率が減少し、世相が外見よりも内実を重視する様になっていても、世の女性の審美眼は廃れてはいない。
 あまりに煌びやかな光景を見せ付けられれば、僻む男は幾らでも存在した。

 それでも英霊達が眠る神域であるこの靖国神社の境内で、不要の諍いに及ぶ者はいなかったのだが、とうとう酒精に理性を侵食されて暴挙に及ぶ輩と出くわしてしまったらしい。
 大村益次郎の銅像を背に、境内を出ようとしていた矢先であったのに、ヴァルキリーズの面々は最後の最後で厄介な連中の目に止まってしまったのである。

 辺りに居合わせた者の中には、連れと視線を交わし、軍の誇りを貶めかねない困った同輩を押し留めようとする向きもあったのだが、それよりも一歩前に出た水月と美冴が啖呵を切る方が早かった。

「なによ、あんたち僻んでるの?
 軍人が民間人に絡むんじゃ、あまりに情けなさ過ぎるから名乗ってやるわ!
 あたし達は、国連軍横浜基地所属教導部隊A-01の衛士よ。
 女だからって舐めてると、火傷するから気を付けんのねっ!」

「それに、どうやら目も悪い様だな。
 私はれっきとした女だぞ? 妙齢の女性を捕まえて兄ちゃん呼ばわりとは、なんて失礼な奴だ。」

 如何にも喧嘩上等といった様子で水月は啖呵を切り、美冴はそれに続けて相手を愚弄して挑発する。
 気持ち良さ気に言葉を吐き出した美冴だったが、ふと物足りなげに左右を窺うと、「そうか、祷子は居なかったな。あいつの毒舌がないと今一つ……」などと呟く。
 そんな2人に呆れた視線を投げかける部下達だったが、茜、月恵、彩峰辺りは既に臨戦態勢に入っており、じりじりと前へと出始めている。

 予想外の展開に、毒気を抜かれキョトンとした表情になった酔漢達だったが、目を眇めて美冴を見て驚いた様な納得した様な、気の抜けた声を上げる。
 そんな気の抜けた反応に水月は忌々しそうに唇を歪め、美冴は自身に向けられる遠慮のない視線に嫌悪の表情を浮かべた。
 どうやら、荒事に持ち込んで短期決戦で片付けるには、追い打ちをかけるしかないかと腹を決め、水月が口を開こうとした所で酔漢達と水月の間に割って入る者が居た。

「貴官等、酔いに任せて狼藉に及ぶのもいい加減にしたらどうだ?
 このまま大人しく引くならよし、引かぬとあれば我等が相手になろう。」

 割って入ったのは、本土防衛軍の軍装に身を包んだ3人の将校達であったが、その物言いが酔漢の怒気を却って煽る事になる。
 酔漢達の先頭に立つ男は、割って入った男達を睨め回した後、急に胸を逸らすと自分の胸元に指を突き付け、厭らしい笑みを満面に浮かべて言い放つ。

「……なんだと?! 貴様、中尉如きが偉そうに上官に楯突こうってのか!」

 その言葉に、酔漢を諌めた男は相手の指さす大尉の階級章を確認して微かに舌打ちを漏らすが、それでも引きさがる事無く弁舌を振るう。

「(ちっ)…………失礼いたしました! しかし、大尉殿にはご再考いただきたく申し上げます!
 先程、こちらの女性はA-01の所属衛士であると名乗られました。
 国連軍横浜基地所属のA-01部隊は、我が帝国軍に新戦術と装備をもたらし、先の『甲21号作戦』に於いては御名代殿と共にハイヴへ突入して、大功を上げられた部隊であります。
 大恩ある彼の部隊に所属する彼女等に、帝国軍将兵が礼を失する訳には参りません。
 何卒、この場はお納めください。」

 酒に濁った頭で、言い放たれた諫言を捻くり回す大尉だったが、言葉の意味を汲み取るのが面倒になり相手を一喝するという暴挙に出た。
 背後では、比較的酔いの浅かった部下であろう連れ達の2人程が、事態をようやく把握したのか慌てていたが、上官を止めるには間に合わない。

「煩いッ! 賢しげにほざきおって生意気な!!
 所属と官姓名を名乗れ! 後日必ず後悔させてやるから覚悟しておくんだなッ!!」

 その言葉に、割って入った男達は何か思い定めた顔付きとなり、水月は彼らを巻き添えにしない為に実力行使に及ぼうと身を前に傾ける。
 一触即発の空気も全く弁えずに、言いたい事を言い放ち満足気にふんぞり返る大尉に、怜悧な声が投げかけられた。

「―――そう言う貴官こそ、所属と官姓名を名乗ったらどうかな?
 どうやら、貴官は星の数にものを言わせるのが流儀の様だ。
 ならば、不本意だが貴官の流儀に合わせてやろうじゃないか。
 私は、帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊指揮官、草薙香乃中佐だ。
 我が帝国に、歴史的大勝利をもたらした彼女等に難癖を付けようというのならば、私だけではすまないぞ?
 この場に居合わせる多くの将兵等を、諸共に相手にする覚悟で臨むのだな!」

 まるで鋭い刃物のような声に、大尉が慌てて視線を投げかけると、そこには佐伯と葵、葉子、紫苑を連れた草薙が腕組みをして立っており、佐伯の背中から顔を覗かせた葵がべ~っと舌を出して酔漢を睨みつけていた。
 更には、その背後や左右―――いや、酔漢達の周囲をぐるりと取り囲むように、何時の間にか帝国軍将兵等100人程が集まって人垣を作っており、酔漢達へと怒りや侮蔑を込めた視線を投げかけていた。

 そんな状況に、酔漢達はあっと言う間に意気地を挫かれ、大尉などは腰を抜かしてその場にへたり込んでしまった。
 余りの醜態に顔を顰めた草薙の指示により、酔漢達は速やかにその場から連れ去られ、退場を強いられる事となる。
 その鮮やかな幕引きに周囲のヤジ馬達が大いに沸いて歓声を上げ、場を納めた草薙や、ヴァルキリーズを讃える。
 暴れ損なって残念な様な、賞賛を浴びて照れくさい様な、複雑な表情を浮かべる水月とその他のヴァルキリーズは、歓声に応えながら悠々と先導する草薙に続いて、靖国神社の境内を後にした。



「それにしても、帝都の衆人環視の中で喧嘩を買うとはまた、随分と思い切ったものだね。」

 帝都の靖国通りを東京駅に向かって歩きながら、ヴァルキリーズの新任達は草薙に纏わり付いて口々に礼を述べていた。
 それを少し後方で見守りながら歩く水月、遙、美冴の3人。
 その更に後方を、左右後方それぞれを葉子、葵、紫苑にがっちりと固められた佐伯が歩く。
 そして、前述の言葉は佐伯が前を歩く水月に対して、声量を抑えて投げかけた言葉であった。

 佐伯の言葉に、水月は佐伯に振り向くと、そのまま後ろ向きに歩きながら応えを返す。

「そうですね。去年だったら国連軍に対する悪感情の所為で、こっちが袋叩きにされてたかもしれないですね。
 ―――けど、新年早々隊の士気を下げたくなかったものですから。」

「『甲21号作戦』が終わったばかりだし、それほど士気を気にしなくてもいいと思うがね。
 とは言え、今や佐渡島奪還の先鋒を務めた君達は、顔こそ然程知られていないものの英雄扱いだ。
 先程、所属を明言したのはその辺りを計算しての事かな?」

 士気を気にして喧嘩を買ったと言い切る水月に、佐伯は眉を上げて驚いて見せ、続けて状況と水月の心理を分析にかかる。
 その左右では、葵と葉子が視線を合わせて、穏やかな笑みを交わしていた。

「それは買被りというものですよ、佐伯少佐。
 速瀬中尉は、買える喧嘩は借金をしてでも買う質なんです。」

 佐伯の言葉に、何と返したものか水月が口籠った所に、美冴が透かさず口を挿んだ。
 それに即座に水月が喰ってかかるが、そこへ遙が追い打ちをかけた事で一気に話がなし崩しになる。

「む~な~か~た~~~っ! あんたねえ―――」
「あはは……それはちょっと、私も否定してあげられないかな。
 少し、控えようね、水月。」
「ちょっ! 遙まで何言ってんのよッ!!」

 そんなヴァルキリーズ上層部を成す中尉達の様子を眺めながら、佐伯は心中で己が感じ取った違和感を追究していた。

(―――『甲21号作戦』が完遂された以上、彼女等が投入される次の作戦は、我が隊にも内示のあった『甲20号作戦』の筈だ。
 まだ4カ月以上の期間があるにしては、少し過剰な反応の様な気がするな……
 となると、教導任務以外の……香月副司令の直轄部隊としての機密任務か?
 ならば、聞くだけ無駄なんだろうな…………白銀少佐が無下に部下を殺すとも思えないが、死なないでくれよ?)

 佐伯は自身の右手に抱きつく葵と、左手にそっと手を添える葉子、そして3歩後を静々と歩む紫苑の身を案じるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 12時32分、帝都城奥の院の一室で、悠陽と冥夜、そして武が食事を共にしていた。

「白銀、こちらで招いておきながら、長く待たせてしまいましたね。」

 料理を口に運ぶ所作を休めて、悠陽が武に言葉をかける。
 それは、この朝、帝都城に登城してから3時間以上もの間、1人放置された武への労わりの言葉であった。
 武も食事の手を休めて、悠陽の労いに応える。

「いえ、気になさらないで下さい。お陰で久しぶりに、ゆったりとした時間を過ごせましたよ。」

「うむ。それは良い事だと思うぞ。
 タケルは少々働き過ぎなのではないか?
 その双肩に多くを負っている事は解かるが、身体を壊してしまっては却ってまずかろう。
 姉上もそう思われませんか?」

 武の言葉に、満足気に頷いた冥夜だったが、続けて眉を顰めると武の過重労働疑惑をぶちまける。
 そして、姉に助勢をねだる様に話を向けるが、悠陽は口元を右の掌で隠して目を細めるばかりであった。

 この日の朝、9時を僅かに回った頃に帝都城に入った冥夜と武だったが、武はそのまま奥の院の客間へと案内され、奥女中が茶を供したりとなにくれとなく世話を焼いてはくれたものの、話し相手すらないままに時を過ごす羽目になっていた。
 無論、武はその時間も無駄にはせず、量子電導脳の有り余る演算能力を駆使して、『桜花作戦』の作戦案の検討等を行っている。
 その為、実を言えば暇を持て余したりはしていないのだが、悠陽だけならばまだしも、冥夜の居る場でそれを明かす訳にはいかなかった。

 そして、その間の冥夜はと言うと、政威大将軍名代として悠陽の傍に侍り、元枢府を構成する五摂家の当主並びに直系親族や、三権の長、帝国議会の代議士ら、そして各国大使などと対面して祝賀を受け、皇帝陛下の詔(みことのり)を代言する新年祝賀の儀に同行していた。
 各国大使や、代議士らとは個々に言葉を交わす様な事は無かったが、三権の長―――殊に榊首相とは僅かな時間ではあったが、冥夜も加わって会話が交わされた。

 また、五摂家衆との対面の場では、非公式ながら冥夜は五摂家直系とほぼ同等の扱いとなり、各家の当主から親しく言葉をかけられる事となった。
 当初は恐縮して身を慎んでいた冥夜であったが、言葉をかけられれば遜り(へりくだり)つつも毅然としてそれに応えた為、当主衆にもいたく気に入られる事となった。
 無論その中には斯衛軍第16大隊指揮官でもある斉御司久光大佐もおり、『甲21号作戦』に於ける冥夜の振舞い等を披露して大いに場を盛り上げていた。

 五摂家衆との対面に殆どの時間を費やされながらも、午前中一杯で新年祝賀の儀は滞りなく済み、ようやく武と合流しての昼食となったのである。
 武の扱いは表向き冥夜の随従の様な扱いであったが、悠陽にとっては『桜花作戦』を目前に控え、武と言葉を交わしておかねばならぬと思い定めての招聘であった。
 そして、和やかな会話を挿みながらも食事は進み、昼食を終えた所で悠陽は奥の院の庭園へと所を移し、人払いをして武へと問いかけた。

「さて、白銀。人類にとり天下分け目となる『桜花作戦』について、そして、その後の国際社会の歩むべき道程について、そなたの思う所を聞かせては貰えないでしょうか?」

 悠陽は、『桜花作戦』に於いて、武が不帰となる事態に備え、その見識を聞き取っておこうとしていた。
 たかが1人の軍人とは言え、武の存在によって歴史の奔流は大きくその流れを変えたと悠陽は判断している。
 それ故に、その独特な着眼点や展望を、武と言う存在が失われた後も活かす為に、叶う限り己が血肉と変えようと考えたのである。

 その想いを悟ってか、飽くまでも個人的な思い付きに過ぎないと断りつつも、武は淡々とした語調で、悠陽の求めるままに多くの言葉を紡いだ。
 散文的ではあるものの、多岐にわたる話題が交わされ、時はあっと言う間に過ぎ行き、武は夕食を共にした後、横浜基地へと独り帰還して行った。
 冥夜は帝都城に一泊し、翌2日の一般参賀でも悠陽の隣に侍って帝国臣民の祝賀に応える事になっている。

 そしてその夜、悠陽の身辺警護を一手に引き受ける月詠真耶の特別の配慮により、悠陽と冥夜は寝所を共にし、余人を挿まず2人きりの姉妹として、親しく語り合う時間を得る事となる。
 政威大将軍として困難窮まるオリジナルハイヴ攻略と言う作戦へと、実の妹を赴かせねばならない苦しみを今この時だけは忘れ、悠陽は1人の姉として冥夜との絆を深める事に専心する。
 そして、そんな悠陽の振舞いに、冥夜はこれまで以上にその身を捧げて、実姉である悠陽の為、帝国の為、そして人類の為に働く決意を強固にしていくのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 17時21分、ニュー・イヤー・コンサートの会場となった帝都オペラシティーからやや離れた喫茶店に、伊隅四姉妹と正樹、そして祷子の姿があった。

「あら、どうやら美冴さんがいらしたようですわ、大尉。」

 上品にティーカップを摘まんでいた祷子が、喫茶店の入口の方に視線をやると、そう言ってカップをそっと優雅に皿の上へと戻した。
 祷子は、上官であるみちるが頷くのを確認すると、他の4人に暇を告げて席を立ち、喫茶店の外で待つ美冴の下へと向かう。
 祷子と合流した美冴は、幾つか言葉を交わした後、通りに面したガラス越しにみちる達へと敬礼して見せると、祷子を伴って喫茶店の前から歩み去る。
 そして、2人は予め予約してあったレストランへと移動し、窓から望む帝都の夜景を眺めながら、2人で夜食を楽しむ運びとなった。

「それで、コンサートは楽しかったかい?」

 この日の朝帝都に着いた後、祷子はみちると共に皆と別れて伊隅家の両親姉妹に正樹を加えた6人と合流していた。
 そして、僅かな時間ではあったが、尊敬する音楽家である伊隅家の両親と言葉を交わす機会を得た。
 その後、伊隅家の親達がコンサートの準備の為に一足早く家を後にすると、伊隅四姉妹や正樹と共に午前中を過ごし、昼食を共にしてから、伊隅家の父が指揮を執り、母がフルートを奏でるニューイヤー・コンサートに出かけたのだった。

 コンサートの途中で正樹が舟を漕ぎかけるという一幕もあったが、祷子は素晴らしい演奏を満喫し、先程まで伊隅四姉妹と感動を分かち合っていたのだった。
 みちるからは、休暇の許可が得られた折に、もしよければ正月を伊隅家で過ごさないかと誘われはしたのだが、みちるを初めとする伊隅四姉妹の正樹への想いを知る祷子は、誘いを丁重に断って休暇の残りを美冴と過ごす事を選択した。

「ええ、とても素晴らしい演奏でしたわ。美冴さんもいらしたらよろしかったのに。
 ああ、そう言えば、初詣の方は如何でしたか?」

 祷子は、うっとりと陶酔するかのように美冴の問い掛けに応え、美冴が同行しなかった事に不満を漏らしたが、美冴がクラッシック自体には然程興味が無い事を知っている為、話題を初詣へと切り替えた。

「さすが大尉のご両親のコンサートだけはあって、楽しめたようでなによりだ。
 初詣の方は、実に盛況だったよ。あれだけ大人数で行くとまた独特の趣があるな。
 尤も、引率者としての苦労も少なからず味わったがね。
 なにしろ、最後に一騒動あってね―――」

 美冴は、自身の行いは過小に申告しながらも、危うく大立ち回りとなる所であった出来事を面白おかしく語って聞かせる。
 目を大きく見開きながら、祷子は美冴の話に耳を傾けて相槌を打ち、所々でコメントを差し挟んだ。
 その後も話題は様々に移り変わりながらも、2人はコースメニューの料理と会話を楽しみ、食後はやはり予約して押さえてあったホテルの客室へと向かった。

 美冴も祷子も、既に両親とは死別しており、外泊許可が出た所で身を寄せる親戚の家も無かった為、美冴の提案でホテルに宿泊して三が日の休暇を帝都で優雅に過ごす事にしていた。
 2人とも、任官以来の給与を何に使うでもなく貯め込んでいた為、2日程度であれば多少散財しても問題は無かった。

 美冴が想いを寄せている緑川仁が九州戦線に配備されていなければ、美冴も仁と過ごせたのだろうが、さすがに九州の前線基地まで私用で押し掛けるのは不可能に近かった。
 祷子も、『桜花作戦』の前に与えられたこの休暇で、会っておきたかった人物が居た。
 それは、中学生の頃に、父親の経営する会社が新設した軍需工場の爆発事故で、視察に赴いていた両親が揃って死んでしまった後、祷子に経済的援助をしてくれた恩人であった。

 祷子の父に生前世話になったと称する祷子の支援者は、素姓を一切語らず、折に触れて手紙をやり取りするだけの間柄である。
 国連軍の衛士として任官し、経済的に自立した今でも手紙のやり取りは続いていたが、ヴァルキリーズに配属となって以降、機密に抵触しない様に最低限の内容しか書き綴れなくなってしまっていた。
 それを祷子は気に病んでおり、この機会に直に会ってしっかりと感謝の想いを伝えておきたいと便りを出したのだった。

 しかし、何時もの様に届いた、紫のバラの描かれた便せんには、やんわりとではあるが拒絶の言葉が綴られていた。
 願いが叶わなかった祷子は、自身の支援者に宛てて書いてある遺書に、精一杯想いを込めたヴァイオリンの演奏を録音したテープを同封し、万一の際にはせめてそれが相手の手元へと届く事を望んだ。
 何時の日か、自身の支援者に会うという望みを、祷子は決して諦めはしない。
 それでも任官以来の一年間で、如何に人の命が儚いかを思い知ってしまったから、祷子は自身の死に対する備えを欠かさなかった。

 美冴も祷子も、『桜花作戦』を前にして願いを叶えられずに燻ぶっている。
 しかし、それでも2人は笑みを浮かべ、貴重な休暇を満喫していた。
 なぜなら、作戦を完遂させて尚生還し、何時の日か望みを叶える希望を抱く事ができているからである。

 オリジナルハイヴの攻略―――しかも、たった20人で…………誰かから聞かされたとすれば、気違い沙汰か冗談としか思えないであろう荒唐無稽な夢物語。
 それでも、美冴も祷子もその夢想を現実で成し遂げて尚、生きて帰る心算であった。
 強い意志を以って願いを追い求め、自身の願いと人類の未来、その二つながらを共に手にする為に。
 今は、心身を休め鋭気を養う時だと、美冴も祷子も心得ていたのだった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 21時15分、帝都の山の手からやや外れた地区に立てられた邸宅―――涼宮家の2階、遙の部屋に4人の女性が集まっていた。

「いや~、悪いわねえ、遙、すっかり厄介になっちゃって。
 でもさすがに一流企業の社長宅は違うわね~。軍の整備士やってるあたしん家とじゃ偉い違いだわ。」

 そう言って、水月はからからと笑い声を上げる。
 そんな水月に苦笑を浮かべながら、遙は水月に話しかけた。

「また水月ったら、そんな事言ってぇ~。
 でも、本当にうちに泊っちゃって良かったの?
 おじさまとおばさま、水月と一緒に過ごされたかったんじゃないかしら?」

「あ、私は速瀬中尉に泊っていただけて嬉しいです!
 っていうか、日中はともかく今日明日の夜だけでも、お願いしますから泊ってってください~。」

 おっとりと、水月の両親を気遣う遙の言葉に、四角いガラス張りのテーブルを水月や遙と共に囲み、長毛の絨毯に直接座り込んでジュースを飲んでいた茜が、勢い込んで発言する。
 そんな茜の左手には、多恵がしがみ付いて幸せそうに眼を閉じて懐いていた。

 正月の休暇を実家で過ごすという涼宮姉妹の話に、水月が冗談半分に居候の希望を述べた所、それを真に受けた多恵が暴走し、実家が遠隔地であるが故に帰省も儘ならず、かと言って横浜基地で過ごすのももったいないし何より寂しいと茜相手に言い募り、最後には「あがねぢゃんど、三日(みっが)も会わねっだら、おら死んぢまうだ~ッ!」と泣き叫んだ。
 この多恵の狂乱状態に根負けした茜は、とうとう居候を認めてしまったのだが、そうなると今度はさすがに考え過ぎだとは思うものの、自身の貞操が不安になってしまった。
 そこで、茜は水月に頼み込んで、水月に多恵と一緒に客間に泊って貰い、多恵の暴走を抑止しようと考えるに至る。

 事の起こりが自身の冗談交じりの言葉であった事や、涼宮家の居心地と食事の豪華さを知っていた水月は、遙の同意も得られた為に茜の願いを快諾し、かくして水月と多恵は涼宮家に2泊する事になったのである。
 初詣を終えた後、仲間達と別れた4人は涼宮家に移動。
 日中は遙を審判にして羽根突きやら凧揚げをして過ごし、果てには水月が物置にあった投げゴマを引っ張り出して来て、芸を披露するに至った。
 独楽を回す際に手元に引き寄せて手に乗せたり、綱を渡らせたり、多彩な芸を繰り出して水月は他の3人を魅了した。

 最後には夢中になった多恵が、回転する独楽を注視し過ぎて目を回すという騒ぎでお開きとなり、夕食を済ませた後は4人で遙の部屋に集まってのんびりと過ごしていたのだ。
 日中は煩い位にはしゃぎ回っていた多恵だったが、さすがに疲れたのか、今では茜にひっついているだけで満足し、猫が日溜まりで昼寝でもしているかのように大人しくしている。
 このまま大人しく寝てくれればと、内心強く願っている茜だったが、今こうして大人しくしているのも夜に備えて体力回復を目論んでいるのではないかという、強迫観念に捉われていた。

 結局、水月と多恵は涼宮家に2泊し、3日目は4人で水月の家に寄ってから横浜基地へと帰還する事となった。
 夜中には、茜と多恵の間で、水月を巻き込んで熾烈な攻防が繰り広げられたらしいのだが、3人がその件について語る事は無かった。
 2日と3日、寝不足気味で日中欠伸の絶えなかった水月、茜、多恵の3人に対して、相当な騒ぎにも拘わらず只一人安眠を貪っていた遙は、常に朗らかであったという。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 23時48分、帝都は渋谷区松濤に建てられた水代邸のリビングでは、アルコールの空瓶がテーブルの上を席巻していた。

「いやあ、中々美味い酒が揃ってるじゃないか。このご時世にこれだけの酒が飲めるとは有難い事だ。
 なあ、佐伯先生。そう思わないか?」

 頬を朱に染めて、常にも増して大人の色気を醸し出しながらも、尚も怜悧な表情と口調を崩さずに草薙は佐伯に同意を求める。

「だから佐伯先生は止めてくれよ……」
「い~え! ィック……しゃえきせんせ~は、さえきちぇんせ~でぇ~……い~のれすッ!」
「……異議なし…………」

 その、草薙の発言に含まれていた、自身に対する既に何年も前の呼称に異を唱える佐伯だったが、草薙と向かい合う席で顔を真っ赤に染め上げ、呂律も回らなくなってきた葵の言葉に搔き消されてしまう。
 そんな葵の隣では、右手にブランデーがなみなみと注がれたコップを手に、俯き加減の為、眼鏡が光の反射で白く染まって見える葉子が、言葉少なに葵に賛同している。
 一見素面かと思えるほど、葉子の顔色は変わっていないが、佐伯の見る所発言内容が普段から乖離し始めており、相当酔いが回っていると思われた。

「はい、おつまみの追加です。
 佐伯先生も草薙先生も、お酒お強いんですね。」

「お、すまないね、紫苑君。
 ―――ところで……葵君は少し飲み過ぎなんじゃないのかな?
 葉子君も相当酔いが回っている様に思えるんだが……」

 4人の酔っ払いが座るテーブルに、キッチンで手早く拵えた料理を運んできた紫苑に、佐伯は礼を述べると共に問いかける。
 その言葉に苦笑した紫苑は、肩を竦めて何でもない様に佐伯の問いに応える。

「そろそろ限界でしょうね。
 もう暫くしたら、2人とも寝てしまうでしょうから、済みませんけどベッドまで運んでやってもらえると助かるんですが、お願いできますか? 佐伯先生。」

「おやおや、恩師であり、帝国陸軍少佐である佐伯先生を扱き使おうとするとは、なかなかどうして君は大物だね。」

 それなりに飲んでいる筈なのに、一向に危な気の無い佐伯に対して、紫苑が姉達が酔い潰れたら寝室まで運んで欲しいと頼む。
 それを聞いて笑みを濃くした草薙は、大仰な仕草で両手を上げて紫苑に語りかける。
 紫苑は、そんな草薙に挑戦的な光を湛えた視線を向け、一見無邪気な笑みを浮かべて言い放つ。

「本来なら、お客様にお願い出来る事ではないんですが、父が出かけてしまっている以上、佐伯先生が唯一の男性なのでお願いしてみたのですが…………
 そうだ。いっそ、草薙先生も酔い潰れてしまって、佐伯先生に運んでいただいたら如何ですか?」

「な……紫苑君、何を言って―――」
「うん、それは名案だな。
 よし、それじゃあ残った敵(酒)は、私と君で平らげてしまおうじゃないか。
 君と私、どちらが潰れずに残るか勝負しよう。」

 紫苑の言葉にそれ位なんでも無いと頷きながら聞いていた佐伯だったが、お終いの方で何やら風向きが怪しくなってきた事を察知して、紫苑を問い質そうとする。
 しかし、その言葉は上機嫌で話し出した草薙によって遮られ、話は佐伯を無視する形で進められる。
 諦め顔で、この一連の会話の間に机に突っ伏してしまった葵と葉子を寝室に運ぶ為に、酔いが急に回らない様に慎重に立ち上がる佐伯。

「その勝負受けました。
 けど、よろしいんですか? 草薙先生。
 既に大分酔いが回られている様ですが?」

「構わないさ。君とは年季が違うからな。
 この位ハンデが無くては、勝負にならないだろう?」

 お互いに笑みを浮かべながら、怜悧な視線で鍔迫り合いを演じている草薙と紫苑をその場に残し、佐伯は葵を抱え上げると寝室へと運び始めた。
 水代邸にお邪魔して直ぐに、客間よりも先に葵の部屋を教えられた為、場所は改めて聞かずとも解かっている。
 隣室が紫苑の部屋であり、葵の部屋を挿んで反対側の客間が葉子に割り当てられた部屋である事も。
 何しろ、佐伯自身と草薙の泊る客間に案内されたのは、そのさらに後の事だったのだから。

 草薙が酒豪である事は佐伯の良く知る所ではあったが、それ故に草薙が既に相当酩酊している事も解かっている。
 対して、紫苑は今まで殆ど酒を摂取していない。
 かと言って、紫苑が酒に弱い訳でもなさそうなので、どちらが先に潰れるかは五分であろうと佐伯は睨んでいる。

 どうやら、空瓶や食器を片付けるのは自分になりそうだなと、内心で覚悟を決めて佐伯はリビングを後にするのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年01月02日(水)

 10時01分、帝都の赤坂に立つ実家の屋敷に設えられた茶室で、千鶴は父親と対峙していた。

(半年前の私だったら、父を前にしてこれ程心静かに対峙する事なんて、到底出来なかったでしょうね。
 白銀の言葉がどれ程当たっているかは解からないけど、父の言葉を聞き真意を推し量りたいとは思えるようになったわ。)

 自身を顧みて浮かんできた想いに、千鶴は微かに笑みを浮かべて雑念を振り払うと、茶を点て繊手を伸ばして実父是親の前に茶碗を置き会釈した。
 榊首相は無言のまま、娘である千鶴の点てた茶を口に含み飲み干す。
 そのまま暫し余韻を楽しむが如くに目を閉じた後、榊首相は茶碗を拭いそっと畳へと戻した。

 榊首相は黙したまま、茶碗を下げ茶道具と共に清めて片付けていく、千鶴の姿を静かに見つめていた。
 そして、全ての片づけを終えた千鶴が、実父に向き直ってお辞儀をすると、榊首相は初めてその口を開く。

「成長したな、千鶴。
 最早私から、お前にあれこれと指図をする様な事はすまい。
 お前はお前の信じる通りに生きるといい。
 だが、お前が私の娘である事には、何の変わりも無い。
 何事か窮する事があれば、遠慮せずに私を頼りなさい。
 私人として成し得る限りの助勢を、父として約束しよう。」

 そう言い残して、榊首相は茶室から静々と立ち去って行った。
 その後ろ姿が消えたところで、千鶴はお辞儀を解き、正座したまますっと背筋を伸ばす。
 そのまま茶室の中の静寂を味わうかのように僅かに首を傾げていた千鶴だったが、一つ頷くと笑みを浮かべて自身も茶室を後にするのであった。

 言葉を交わした訳でも無く、父が一方的に述べた言葉を聞いただけであったが、家を飛び出す前に怒鳴り合った時よりも、何倍も父と解かり合えた様に千鶴には感じられた。
 未だに、親しく言葉を交わす事の出来ない、不器用な父と娘であったが、その心は再び互いに向き合おうとし始めていた。

 千鶴は、三が日の間をこの屋敷で静かに過ごし、横浜基地へと戻って行った。
 自身の信じる道を切り開く為に。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 10時49分、横浜基地1階のPXで、壬姫と美琴がテーブルに突っ伏していた。

「ひま~。」「ひまだねぇ~。」

 壬姫も美琴も、昨日の元日こそ帝都で過ごしたものの、夜には横浜基地へと帰還しており外泊する事は無かった。
 壬姫の場合は、父である珠瀬国連事務次官が米国マンハッタンの国連本部ビルを離れられなかった為。
 美琴の場合は、父である鎧衣課長と何時もの如く全く連絡が取れなかった為に、家族と正月を過ごす事を諦めていた。
 実は、彩峰も昨夜から横浜基地へと帰還しているのだが、明日また何処かへと出かけるとの事で、今日は自主訓練で汗を流すと言って、壬姫と美琴とは別行動中である。

 壬姫も美琴も、暇だ暇だと言ってはいても、退屈を持て余している訳では無かった。
 元来のんびりとした所のある2人は、こうしてゆったりと何もせずに過ごせる時間を、ある意味で満喫しているのである。
 思い起こしてみても、去年の春に訓練小隊に配属されて以来、このように心の底からのんびりと過ごせた記憶が、2人には殆どなかった。
 今とて、普通ならば目前に迫っている『桜花作戦』が気になって、こんなにのんびりできない筈なのだが、時折不安に思う事があっても不思議と直ぐに武の事が頭に浮かんできて不安が払しょくされるのであった。

「うば~~~~~~~~、です……」
「えっ?!」「なになに?! あ、霞さんじゃない。あとテスレフ少尉も。」

 突然背後からかけられた声に壬姫が驚いて跳ね起き、何事かと顔を上げた美琴が壬姫の背後の人影を見て名を呼んだ。
 壬姫の激しい動きに、目を大きく見開いてぱちくりと瞬きを繰り返していた霞だったが、直ぐに普段の無表情に戻って軽く頭を下げると、言葉を紡ぐ。

「退屈な時に……言う言葉だそうです………………うば~~~~~~~~……」
「え? え? な、なんなんですか? それ。」
「あ、ボク解かっちゃったよ~。それ、武が言ったんでしょ、霞さん。」

 霞の言葉は、壬姫が驚いて勢いよく跳ね起きた所為で途切れていた言葉の続きであった。
 その言葉の微妙な内容と霞の真面目な表情のギャップに、壬姫は動顛してしまうが、美琴は突然眼を見開くと、天啓を得たかのように語り出した。
 その美琴の言葉に霞はこくこくと頷きを返し、それを見た壬姫が納得したように笑みを浮かべる。

「なるほど~、たけるさんなら言いかねないですね~。
 よし、やってみますね。うば~~~~~~~~」

 壬姫は、拳を両肩の前で緩く握ると、目を半目にして棒読み風に唸り声とも奇声ともつかない声を上げる。
 そして、それを見た美琴までもがその真似を始めた。

「うば~~~~~~~~
 ………………うん! 正に暇してますって感じだよね。さすがタケルだよ~っ!」

 そんな2人と、何かをやり遂げたように満足気な霞を、イルマが苦笑しながら眺めていた。

 『桜花作戦』を前に、作戦に参加する霞は改めてヴァルキリーズに紹介されていた。
 シミュレーション演習にも何度か参加しており、ほんの数日の間にマスコットの様に皆に可愛がられるようになっている。

「折角のニューイヤーズブレイクなのに、あなた達は基地から出かけないの?」

「え? あはは……えっと、あたし達は家族が捕まらなかったもので、外泊しないで帰って来ちゃったんです。」

「壬姫さんはまだ良いよ~。お父さんとは通信回線で新年の挨拶出来たんでしょ?
 ボクなんか、完全に音信不通なんだよ~。ほんとに父さん、どこいってるんだろ。ボルネオ辺りかなあ?」

 小首を傾げたイルマの問いに、壬姫はどこか恥ずかしそうな笑みを浮かべて事情を説明した。
 その言葉に、美琴が壬姫を羨む様に言葉を続け、自分の境遇を嘆くが如くに両手の平を広げて力無く首を横に振る。
 そんな様子を笑みを浮かべて見ていたイルマは、美琴を励ますべく口を開く―――脳裏に鎧衣課長の喰えない顔を思い浮かべて。

「そう。でもきっと元気で過ごしていらっしゃるに違いないわ。
 ほら、こういうのって確か、日本じゃ便りの無いのは元気な証拠って言うのよね?」

「わ~、日本語の言い回しまでよく知ってますね~。
 確か、イルマ少尉は国連軍に来る前は、米国陸軍の所属だったんでしたよね?」

 イルマが流暢に日本語を操って慰めると、美琴が感心したように応じた。
 イルマが帝国に亡命して国連軍に志願したという事は、ピアティフの補佐になった時に夕呼が行った紹介で明らかにされている。
 その為、どういった事情があったのかは知らないものの、イルマが米軍の衛士であった事は、壬姫も美琴も把握していた。
 それ故にさらりと何時もの調子で気軽に問いかけた美琴に、イルマも笑みを浮かべたままあっさりと応える。

「ええ、そうよ。でも、私は元々戦災難民なのよ。
 生まれはフィンランド。でもほら、私の国、もう無くなちゃったから。」

「あ……あの……私、なんていったらいいか……」

 取り立ててなんでもない事の様に語ったイルマだったが、その内容に、壬姫がすまなさそうに言葉を紡いだ。
 そんな壬姫を、イルマは軽く右手を上げて宥める。

「ああ、別にいいのよ。気にしないで。
 あの地獄の様なヨーロッパから、生きて逃げ出せただけでも運が良かった方だと思うわ。母と妹も一緒だったし。
 結局、日本に亡命する事になっちゃったけど、ちゃんと米国の難民キャンプから家族を呼び寄せる事も出来たしね。
 前から、日露戦争で祖国フィンランドの宿敵だったロシアを負かした事のある日本には、1度来てみたいと思ってたのよ。
 家族とは、基地の官舎で一緒に暮らせるようになったし、本当に感謝してるわ。」

「そうですか。……あ、でもそれじゃあ、お父さんは…………」

 イルマの説明を聞きながら、その苦境に同情したり、家族の話に安堵したり、日本に来てよかったと考えている節に喜んだりと、表情を目まぐるしく変えていた壬姫だったが、そこでハタと気づいてつい訊ねてしまった。
 その問いに、さすがにイルマの笑みが少し寂しそうなものへと変化したが、それでも笑みを絶やさずに壬姫の罪悪感を刺激しない様に、イルマは優しく話しかける。

「父は国軍に志願して、北カレリア戦線で行方不明……たぶんもう、死んじゃってると思うわ。
 でも、こんな話、今時珍しい話じゃないんだから、いちいち気にしないでいいのよ?
 家族4人のうち、3人助かっただなんて奇跡なんだから。」

 と、そこまで語った所で、イルマの声に熱がこもる。
 相変わらず笑みを浮かべたままでありながら、目には強い決意の光が湛えられていた。

「それにね、今は副司令のお手伝いをする事で、BETAをヨーロッパから追い出して、一日も早く祖国を再建出来るように頑張ってるの。
 父が命懸けで守ろうとしたフィンランドを。
 今度の作戦は、あなた達に戦いを委ねなければならないけど、何時か、祖国の地を取り返す時には、私も前線に立って戦いたいと願っているわ。」

 そう言って、イルマは壬姫、美琴、そして霞へと視線を巡らせた。
 その視線を受けた3人は、決意を込めて頷きを返すのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 12時32分、先祖代々受け継いできた武家屋敷である自宅の広間で、晴子はうんざりとした表情を隠さずにいた。

(まったく……予想はしてたけど、付き合い切れないのよね。)

 広間には柏木家の親類一同が集まっており、『甲21号作戦』で活躍したと言われる部隊に所属しているという一事を以ってして、晴子を上座に据えて宴会をしながら褒め称えている。
 上は80過ぎの老人から、下は生まれたばかりの従姉妹まで、30人を超える親戚が年賀を兼ねて柏木本家である晴子の実家に押し掛けてきているのだった。

 つい先日まで、国連軍に入隊したという一事を以って、晴子は一族の鼻つまみ者であった。
 柏木家は代々続く武家の家系ではあったが、家格は底辺にほど近く、父の世代から斯衛軍に任官出来る者はすっかり絶えてしまい、帝国陸軍に属してBETAとの戦いに身を投じている。
 今では晴子の父を初めとして叔父たちや年長の従兄弟たちも殆どが戦死してしまい、今日集まっている顔触れを見ても、男は老人か子供だけであった。

 男尊女卑の思想が蔓延っている一族ではあったが、さすがに時流には勝てず女子であっても立派な武人―――軍人となって功を上げ、柏木家を再興すべしと老人達が唱える様になっていた。
 そんな中、体格も良く健やかに育った柏木本家の長女である晴子は、大きな期待をかけられていた。
 にも拘らず、帝国軍ではなく国連軍の訓練学校に入隊した晴子に対し、親類たちは遠慮会釈無しに非難の声をぶつけて来た。

 実を言えば、晴子は帝国本土防衛軍に志願したのであり、それがどこでどう間違って国連軍に変わってしまったのか全く解っていない。
 しかし、親類一同は、晴子が前線を恐れて後方勤務の多い国連軍に志願したと決めつけ、言いたい放題罵詈雑言を晴子に叩きつけて来た。
 元から親類たちの思想に疑問を抱いていた晴子は、そんな親類たちにさっさと見切りをつけ、訓練校入隊をいい事に親類達と交流を絶った。
 それまでは、それなりに中の良かった2人の弟達ともぎくしゃくした間柄になってしまったのは残念だったが、晴子は新しい環境に溶け込み、国連軍の衛士候補生として厳しい訓練漬けの生活ではあるが、精神的には悠々自適な生活を送るに至っていた。

(―――それが、ちょっと部隊の任務が表に出て勲功を上げたと聞いたら、途端に手の平を返して下にも置かない扱いだって言うんだから、我が親類ながら呆れ果てて抗う気も起きないよね。
 まあ、弟達との仲が改善されたのは嬉しいから、悪い事ばっかでもないか……)

 晴子は、親類共を適当にあしらって、弟達と楽しい正月休暇を過ごす方法を思案し始める。
 恐らく、弟達が自分の後に続けるように、休暇を有効に使って錬成するとでも言えば、この連中は諸手を上げて迎合するだろうと晴子は考え、その策略を実行して退ける。
 晴子は見事に親類達を手玉にとり、2日の午後から3日の昼過ぎまで、満足できる休暇の過ごし方を実現した。

 現役衛士から訓練を付けてもらえると期待に胸をふくらましていた弟達は少し拍子抜けしていたようだが、2人も概ね楽しく自分との時間を過ごしていた様に晴子には思える。
 翌3日の午後、晴子は十二分に満足して横浜基地へと帰還して行くのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 14時58分、多摩川沿いの帝都の外れに立つ一軒家で、智恵と月恵は休暇を楽しんでいた。

「智恵~、月恵ちゃん、今度は福笑いしましょ~?」

 2人にそう呼びかけるのは、智恵の母親であった。
 娘同様おっとりとした雰囲気の人物であり、娘とその友人と触れ合えるのが楽しくてしょうがない様子である。

 現在智恵と月恵が滞在しているこの家は、智恵と月恵の母親達が共同で借りている借家であり、高校で知り合った智恵と月恵が3年時に同じ横浜基地衛士訓練学校への配属となったのを機に、引っ越してきた家であった。
 高原家も麻倉家も共にBETAとの戦いで父親が戦死してしまっており、遺族年金と母親達が働いて得た僅かな収入で家計をやりくりしてきた。
 両家とも、元々は神奈川県に住んでいたのだが、BETA侵攻の際に疎開して何とか難を逃れはしたものの、その折に家財の殆どを失い居留地暮らしであった。

 そこで、娘達の配属を機に、横浜基地にほど近い多摩川沿いに引っ越してきたのである。
 帝都の多摩川沿いの地方は、1998年から翌1999年の夏にかけて、絶対防衛線が構築され激しい戦闘が繰り広げられた地である。
 BETAに蹂躙され占領下となった神奈川県よりはマシではあったが、多くの建築物が損傷し今に至るも完全に復興したとは言い難い状況である。

 そんな地域であった為、廃屋一歩手前と言う酷い状況ではあるものの、安価な物件を見つける事が出来、高原、麻倉両家の母親2人は、旧川崎の斯衛軍や帝国軍の演習場での清掃業務に従事しつつ、2001年の春からこの家で細々と暮らしていた。
 折角訓練校の近くに越してきたのに、娘達は殆ど家に戻れず、無事任官して任地へ赴く事になればまさか赴任先に付いていく訳にも行かず、母親2人は互いに支え合って暮らすしかないと覚悟していた。
 しかし、案ずるより産むが易しとの諺の如く、娘達は揃って横浜基地所属部隊への配属となり、先の『甲21号作戦』に従軍したにも拘らず怪我一つせずに戻り、正月休暇を利用して泊まり込みで帰宅してくれた。

 この喜ばしい事態に、母親達2人はすっかり舞い上がってしまい、蓄えを切り崩して手に入る限りの食材で御馳走を作り、朝昼晩と娘達を片時も離さずに過ごしていた。
 母親達の過剰な愛情表現に、智恵と月恵は少なからずうんざりとしてしまうのだが、2001年中は厳しい訓練に感(かま)けて母親達を顧みずに過ごしてしまった為、罪滅ぼしと思って母親達の望むままに相手を務めている。
 元々大人しく、屋内で過ごす事の多かった智恵と違い、活動的で一つ所に留まる事が苦手な質であった月恵には、不満の多い休暇となってしまったが、それでも軍人として鍛え上げられた忍耐力で、然したる苦も無く安逸な時間を過ごしていた。

 こうして2人は、貴重な休暇を殆ど親孝行で費やし、横浜基地へと帰還する事となった。
 尤も、別れ際に見せた母親達の満足そうな笑顔こそが、2人にとっては何よりの土産であったかもしれない。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年01月03日(木)

 10時54分、帝都郊外のとある霊園の一角に、彩峰と沙霧が立っていた。

「父さん……今まで一度も墓参に来なくってごめん……」

 そう、ぽつりと呟きを零した彩峰の前には、表面に何も刻まれていない墓標が存在した。
 国民の多くから怨嗟を浴び刑死した彩峰中将は、それでも尚崇拝の念を抱く部下や同輩達の手によってこの地に眠らされていた。
 墓標に何も刻まれていないのは、心無い者達に荒らされる事を避けるためであり、彩峰中将の死後、心労が祟って後を追う様に亡くなった彩峰の母も共に永久の眠りについていた。

 彩峰は、敵前逃亡罪で投獄され処刑された父に対する複雑な想いを拭えないまま、その死から今日まで4年近くの時間を過ごして来ていた。
 それ故に、父が埋葬されたその日も、それ以降も、彩峰は一度足りとてこの墓標の前に足を運んだ事は無かった。

「私、父さんの事を信じられなかった……ちゃんと父さんの事を考えないで……逃げてたんだと思う……
 敵前逃亡罪に問われた父さんを恥ずかしいと言いながら、私こそあの事件から、そして世間から逃げようとしていた。
 けど、そんな私に、父さんを信じてあげろって……そう言ってくれた人がいたの。
 そして、父さんの言葉……その意味を私に言い聞かせてくれた。」

 物言わぬ墓標を前に、彩峰はぽつりぽつりと言葉を連ねていく。
 最初は懺悔をするかの如き、自らの行いを心底悔む表情だったが、次第にその表情が和らぎ、口元に微かではあったが笑みが浮かぶ。
 墓標をじっと見詰めたまま、彩峰は更に言葉を続けた。

「その人のお陰で、私は目を覚ます事が出来た……自分の心から目を背けて逃げるのを止めて、ちゃんと周囲と向き合う事が出来るようになった。
 そしてその人は、父さんを信じ崇拝する余り、道を違えそうになった尚哉も、諭して正道へと戻してくれた。
 私は、その人と仲間達と一緒に、父さんも戦ったBETAを地球から追い払う為に、戦いに行くの。
 ちょっと気に食わない奴も居るけど、死力を尽くして、必ずやり遂げて見せる。
 だから―――母さんと一緒に、見守っていて。―――父さん…………」

 真摯な祈りを捧げる彩峰を、沙霧は距離を空けて見守っていた。
 それ故に、彩峰の言葉は沙霧の下へは届かない。
 沙霧は、彩峰を尊敬する恩師の忘れ形見を、その墓前へと誘う事がようやく叶い、肩の荷が少しだけ軽くなった気がしていた。

 沙霧は知らない。今目の前に立つ彩峰が、数日後に僅か20名の寡兵を以ってオリジナルハイヴに挑む事を。
 死して護国の英霊となった彩峰中将がもしこの場にいたならば、娘と実子の如くかわいがり目をかけていた部下、自身の後を継ぐべき2人を前に何を思うのであろうか。

 木枯らしの吹く墓地から2人が立ち去るまでには、未だ短からぬ時が行き過ぎるのを待たねばならなかった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 12時57分、伊隅家のリビングに正樹とみちるの2人の姿があった。

「う~ん、やっぱりオレは軍用の撮影機材よりも、一眼レフのカメラの方が好きだな……」

 正樹は、みちるが休暇に合わせて持ってきた軍事用携帯撮影機を、掘り炬燵に置いて弄りながら独り言を言っていた。
 そんな正樹と2mほど離れた畳の上では、みちるが俯せになって上体を起こし、両肘をついて文庫本を読み耽っている。

 伊隅家の両親は今日もコンサートがある為に出かけており、あきらとまりかを連れてやよいも買い物に出かけている。
 折角正樹がいるのにと、ごねる妹2人を宥めすかして、やよいは珍しく強引に2人を連れ出して出かけて行った。
 正樹とみちるも同行しようかと言ったのだが、やよいはみちるが横浜基地に帰還するまであと何時間も無い事と、帰りが遅くなった時の留守番を正樹に務めて欲しいと言って断った。

 その為、現在伊隅家にはみちると正樹の2人っきりであり、静かで穏やかな時間の流れる中、2人は殊更何を話すでもなく共に過ごしていた。
 ……と、長時間同じ姿勢でいるのに飽きたかはたまた疲れたか、みちるが身体を起こして横座りになる。
 そして、炬燵の上へと身を屈めて撮影機材に夢中になっている正樹の背中に、ぼんやりと視線を投げかけた。

「………………のわっ! ―――な、なんだみちるか。
 いきなり寄っかかってくんなよな~。驚くだろ。
 ―――どうした、何かあったのか?」

「―――別に……寝っ転がってるのに疲れたから、少し背もたれになってよ。
 それくらいいいでしょ?」

 いきなり背中に圧力と温かみを感じて驚く正樹だったが、直ぐにそれがみちるが背中合わせに寄りかかってきた所為だと気付いて文句を言う。
 それでも、みちるの唐突な行いに気遣いを見せる正樹だったが、みちるは素っ気ない口調で背もたれになれと告げる。
 正樹はそんなみちるに肩を竦める事で応え、再び撮影機材を手の取って弄り始めた。

 しかし、その手付きは先程よりも遥かに緩やかなものとなっており、手を伸ばす折にも極力背中を揺らさない様にそっと伸ばしていた。
 そんな正樹の気遣いを、凭れかかった背中を通して感じ取り、みちるは嬉しそうな笑みを浮かべて本の続きを読み始める。

 今晩、基地に戻ればまた、常に気を張り詰めて完璧な指揮官を演じる日々をみちるは過ごす事になる。
 ゆったりと、気を張る事無く自然体で、のんびりとした時間を過ごせる事が、みちるにはとても嬉しかった。
 姉のやよいに対してコンプレックスを持ち、姉妹の前でも気を抜けないみちるだからこそ、正樹と2人っきりの時間がありがたい。
 今回の正月3が日の休暇の中で、今がもっともみちるが寛ぐ事の出来る時間であった。

 背中に感じる正樹の体温に頬を薄っすらと染めながら、みちるは姉の顔を思い浮かべる。
 強行に妹達を買い物に連れ出したやよいの行為は、常の彼女らしからぬものだった。
 そして、この休暇の間になにくれとなくみちるを気遣う時のあの瞳。
 それらから、内務省勤務のやよいが『桜花作戦』について聞き及んだのだと、みちるは悟った。
 今過ごしているこの貴重な時間は、オリジナルハイヴ攻略に向かうみちるへの、やよいからの贈り物なのだと―――

「……ありがとう、姉さん…………」

「ん? みちる、何か言ったか?」

「ううん、別に…………もう暫く、このままで居ていいよね? 正樹。」

「あ、ああ……好きなだけそうしてろよ。みちる。」

 みちるにとって、至福と言える優しい時間、しかしそれは後ほんの数時間で終わる。
 そしてその後には、人類の命運を賭けた大作戦へのカウントダウンが始まるのだ。

 背中に感じる正樹の存在を記憶に焼き付け、みちるは『桜花作戦』完遂に向けて闘志を燃やすのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 22時13分、B19フロアのシリンダールームでは、武が霞と共に純夏にプロジェクションを行って、仮想現実を共有していた。

「うわ~! 今度は福笑いか~。
 それにしても、羽根突き、独楽回し、百人一首にいろは歌留多、それから双六だっけ?
 こっちの世界じゃ、家庭用ゲーム機とかないから、なんだか懐かしい遊びが多いね~、タケルちゃん。」

「そうだよな~。
 トランプもあるけど、あんまり一般家庭じゃ遊ばれないみたいなんだ。
 金持ちとかはカードだビリヤードだって、色々やってるらしいんだけどな。
 オレも、こっちの世界に慣れるまでは、おはじきとか、剣玉とか出されてびっくりしたよ。
 でもまあ、遊び甲斐や多様性なら、やっぱ家庭用ゲーム機には敵わないよな。」

「家庭用ゲーム機……面白いです…………」

 仮想空間内に構築された『元の世界群』の武の部屋で、武と純夏、霞の3人はテレビで様々な映像を見て言葉を交わしていた。
 それは、靖国神社の初詣の様子であり、コンサート会場のロビーですごす伊隅四姉妹の着飾った姿であり、その他にも帝都城一般参賀に集まった人々や、帝都の街並みを行き交う人々、そして家族と様々な遊戯を楽しむヴァルキリーズの姿だった。

 これらの映像は、ヴァルキリーズが正月の休暇に出立するに当たって、武が貸し出した軍用携帯撮影機に録画されていた映像である。
 武は、自身や霞が実質的に休暇を取れない事を理由に、ヴァルキリーズに休暇中に貸し出した機材で映像を録画してきてくれるようにと頼んでおいた。
 霞を可愛がっているヴァルキリーズは全員がこれを快諾し、基地の外はおろか地上施設にすら滅多に出てこない霞の為に、一生懸命映像を撮影して来てくれたのである。

 武としては、こちらの現実を目にする機会の無い純夏の存在が念頭にあった為、少し後ろめたい思いもしたが、実際こうして霞も映像を見て楽しんでいるのだからと居直った。
 これらの映像は、武の方で記録媒体に複写して、後日ヴァルキリーズに配る約束にもなっている。
 ヴァルキリーズにとっても良い記録となるであろう。

 純夏は、『元の世界群』に比べると、どこかレトロな帝都の街並みや人々の服装や遊戯の数々に、目を丸くして見入っていた。
 そして、これらの映像が目新しいのは霞も同じようで、目を大きく見開いたまま視線がテレビに釘付けになっている。

 一通りの映像を見終えた純夏の感想は、まずはレトロな遊戯の数々についてであった。
 羽根突きであれば、子供の頃に武と遊んで、顔を真っ黒にされた苦くも甘い想い出を純夏はもっている。
 しかし、暗記物が苦手な純夏は百人一首は勿論、いろは歌留多すら殆どした事が無い。
 百人一首で、和歌の最初の出だしを聞いた途端に手が伸びて、札の叩き(はたき)合いになる様子などは、信じ難い思いで眺めていた。

 純夏の言葉には、武も似たような感慨を覚える。
 殊に最初の再構成から派生した確率分岐世界群で、こちらの遊びが全くと言って良い程出来ずに、207Bの仲間達に笑われた記憶は未だに色褪せてはいない。
 それ以来、暇を見つけては修練を怠らなかったお陰で、今ではそれなりの腕前になってはいるが、やはりあの記憶は武にとって忘れ得ぬ屈辱なのである。

 一方、霞は仮想現実の中で、幾つかのコンシューマーゲームをプレイしている。
 その内容は、武の記憶を元にある程度いい加減に再現された物なのだが、それでも霞にとっては鮮烈な印象を与えた様である。
 武は、霞が最近暇を見ては、情報端末でゲームらしきプログラムを自作している事を知っていた。

「そうだな。これからは、こっちの世界も平和になってくるだろうし、パソコンゲームとかあってもいいよな。
 モトコ先生の研究が順調に進めば、遅くても年内には純夏も五体満足に戻れる筈だし、ちょっとその辺も考えてみるか。」

「ほんと?! やったぁ~ッ!! えへへ~、タケルちゃん、ありがと~~~ッ!!!」

 武の言葉に、その内容よりも、純夏の為に武が何かをしてくれるという事自体に感動し、純夏が満面の笑顔を浮かべて抱き付いた。
 その脇で、並んでベッドに腰掛けていた霞が、小さな拳をギュッと握って、武を真剣な表情で見上げて呟いた。

「私も協力します、白銀さん。」

「ああ、よろしく頼むよ、霞。」

 その為にも、『桜花作戦』を成功させて、みんなで無事に帰ってこなくちゃな―――と、武は心中で密かに続けた。
 そんな武の想いに、抱き付いている純夏は気付かない。
 武の事に関してならば、時折超能力者染みた勘の良さを発揮する純夏だが、さすがに感極まって抱き付いている最中では気付き様がないのか、それとも他に何か要因があるのか―――

 いずれにせよ、この日のプロジェクション中は、明るい雰囲気が陰る事はなかった。

 そして、正月気分を払拭し、人類の未来を賭けた大作戦へと、オルタネイティヴ4の全要員は総力を傾注していく事になる。
 『桜花作戦』まで残す所3日となった日の夜であった―――




[3277] 第117話 桜、花開く時
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/08/02 17:19

第117話 桜、花開く時

2002年01月06日(日)

 19時07分、B19フロアの通路を、夕呼の執務室へと武が歩を進めていた。

 執務室の前に辿り着いた武だったが、眼前でドアが開いた為、少し慌てて立ち止る。
 そして、室内から姿を現した霞に声をかけた。

「ん? ああ、霞か。先生に呼ばれていたのか?」

 霞の方も、武の存在に少し驚いた様子で、ピンッと髪飾りが跳ねさせる。
 そして、動きをピシッと凍らせた霞だったが、一拍置いて視線を移して武の顔を見上げる。

「…………白銀さんは、打ち合わせですか?」

「ああ。この後、メンテナンスベッドでODLの浄化措置に入るからな。
 その後は、一足先に宇宙に上がる予定だし、今の内に最終確認を済ましとこうと思ってさ。
 霞も、しっかりと寝ておくんだぞ?」

 武の問い掛けに、霞は答えではなく問いを返す。
 武はそんな霞に何の疑問も抱く事無く、言葉を返すと執務室へと入って行く。
 そんな武にコクンと頷きを返しながらも、霞は武の姿がドアの陰に隠れるまでじっと見詰めていた。



「ようやく来たのね。出撃準備は万全って事かしら?」

 執務室の室内に入った武を、夕呼の声が迎える。
 夕呼は珍しくソファーに横になって休んでいたらしく、手を後ろ手に付いて上体を起こした所だった。
 武はそちらへと歩み寄ると、向かい側のソファーへと腰を下ろす。

「はい。再突入型駆逐艦とロケットブースター、それと資材運搬ロケットの最終チェックも完了しました。
 この後、オレはODLの浄化措置を行ってから、資材運搬用ロケットの打ち上げに紛れて『凄乃皇』で宇宙に上がります。
 あまり、『凄乃皇』を衆目に曝したくはありませんからね。
 ―――それで、夕呼先生の方は、この期に及んでまだ揉めてるんですか?」

 夕呼の問いに応えた武は、続けて疲労が色濃く浮かび上がっている夕呼を案じるように問い返す。
 それに、うんざりした様な表情を浮かべて髪を掻き上げたものの、それでも笑みを浮かべて夕呼は応える。

「ったく、あの連中ときたら、しつこいったらありゃしないわ。
 お陰であたしは正月無しよ。まりもの奴は昨日まで骨休めに出かけてたってのに……
 ―――米中ソの3国が、最後の最後まで自国衛士を参加させろってごね続けたのよ。
 XM3と対BETA戦術構想の教導を済ませていない部隊なんて、邪魔だって言って一蹴してやったけどね。
 どうせ、オリジナルハイヴ攻略っていう極上の戦功をあたしらに独占させたくないのと、00ユニットや『凄乃皇』の情報収集、後はあわよくばG元素の隠匿でも狙ってるんでしょ。
 これだから、欲ボケした大国意識丸出しの連中って嫌よねえ。」

 武は年明けから昨日までの、国連安全保障理事会特別部会で続けられた交渉の推移を思い返す。
 オリジナルハイヴ攻略の為に、オルタネイティヴ4が接収したG弾の全てと、国連宇宙総軍及び米国戦略宇宙軍の大半を投入するという方針は、昨年末の段階で承認済みであった。
 それを基にオルタネイティヴ4で立案した作戦案が、安保理並びに国連統合参謀会議と米国統合参謀本部に提出されたのが1月1日。
 『甲21号作戦』以前から既に骨子は組み上がっていたにも係わらず、作戦案の提出がここまで遅れたのは、作戦案に妙な修正を加えられないように夕呼が故意に提出を遅らせた為である。

 そして、国連宇宙総軍と米国戦略宇宙軍の軌道戦力の殆どを投入しながら、それにも拘わらず僅か20名の、しかもオルタネイティヴ4直属要員のみを降下させるという作戦案に、当然の如く反対意見が殺到した。
 しかし、夕呼はそれらの反論を、数日かけたとは言え、次々に蹴散らしてきた。
 武が用意した数々の資料とシミュレーション結果、そして夕呼自身の弁舌を以ってして、さらには各種の裏交渉まで駆使した上での成果である。

 オリジナルハイヴの攻略自体については、G弾の大量集中運用によってほぼ100%達成可能であるとの予測。
 その上で、オリジナルハイヴ攻略による機能停止に至る前に、超大型反応炉からのBETA情報収集を試みなければならないと提言。
 横浜及び佐渡島のBETA反応炉から収集されたBETA情報から、オリジナルハイヴの超大型反応炉の特異性は明らかであり、この機会を逸すれば月面のハイヴ攻略まで同レベルの情報入手機会が失われる事。
 そして、現状超大型反応炉からBETA情報を収集可能なのは、オルタネイティヴ4の特殊機材のみである事。
 G弾投入に先立つ降下作戦は、地上に展開するBETAの漸減を伴う為、G弾による軌道爆撃の効果をより高めると予測される事などなど。
 これらの点を夕呼は指摘し、G弾によるオリジナルハイヴ攻略に先んじて、オルタネイティヴ4専任部隊による降下作戦を了承させた。

 次に問題とされたのは、降下作戦に投入される人員と戦力に関してであった。
 国連安保理の各理事国はまず、軌道上に蓄えられた戦力―――殊に軌道戦術機甲兵力と軌道爆撃用のMRV(多弾頭突入体)、そして再突入殻(リエントリーシェル)の殆どを投入する事に難色を示した。
 そして次に、投入人員の僅か20名という非常識なまでの少なさに対して、作戦遂行の可能性低下や、戦術機甲2個師団を超える戦力が遊兵化して無為に失われる事、この2点への懸念を表明したのである。
 その裏には、オリジナルハイヴ攻略の戦功をオルタネイティヴ4に独占させまいとする意図や、『桜花作戦』が失敗に終わった後の作戦行動への影響を案ずる意図が見え隠れしていた。

 しかし、これらの反論をも夕呼は論破していった。
 既に軌道ステーションに対してXM3換装ユニットの搬入が進んでおり、作戦当日までに軌道降下兵団所属戦術機の内、3分の1に当たる600機以上がXM3搭載機となる予定である事。
 従来OS搭載機2機を、XM3搭載機が間接制御する事で、その自律戦闘能力が向上可能である事。
 オルタネイティヴ4先任部隊A-01の衛士達は、自律制御機の多数同時運用訓練を重ねており、それら装備群を有効に活用できる能力を保持している事。
 既に収集解析されたBETA情報から、オリジナルハイヴ所属BETAの個体数は約1500万体であり、反応炉破壊以外の方法でのハイヴ攻略は不可能である事。
 BETA情報の収集完遂後、『凄乃皇』によるハイヴ突入反応炉攻略を目指すが、戦況の推移によってはG弾による軌道爆撃に移行する事。
 G弾の投入に至った場合、降下人員が多数に及ぶと軌道上への撤退が困難となり、地上に残存する友軍将兵を見殺しにしてしまう事。
 『凄乃皇』による超大型反応炉破壊が成功する可能性は決して0ではない為、戦況が上手く推移すれば局所的重力異常を伴う事無くハイヴを攻略し得る事。
 万一、『桜花作戦』が完遂されなかった場合でも、先日『甲21号作戦』でその実効性が証明された対BETA戦術構想により、軌道爆撃なしでも十分BETAに対抗可能である事。

 夕呼はこれらの点を理路整然と説き聞かせ、膨大な資料を提出した。
 国連安保理特別部会は、夕呼の発言内容を検討する為に一時休会となり、その解析検討に2日を費やす事となる。

 この2日の間も、夕呼は国連安保理理事国首脳部に対して様々な駆け引きを個別に行い、『桜花作戦』後の支援などを交渉材料に、欧州や東南アジア各国を中心に支持を取り付けていった。
 その結果、国連安保理特別部会が再開された時には、夕呼の発言内容の的確さが確認された事もあり、作戦案容認の方向に大勢が傾いていた。

 にも拘わらず、強硬に作戦案の修正を求める理事国が存在した。
 オリジナルハイヴの所在地が自国領土である事から、強固に自軍派兵を主張する統一中国。
 多大な軌道戦力を供出する事と引き換えに派兵を主張する米国。
 そして両国に同調して自国も派兵すると主張するソ連の3カ国であった。

 ここまでが、武の知る国連安保理特別部会に於ける1月1日から5日にかけての経緯である。

「一蹴したって言っても、相手も只じゃ引き下がらなかったんじゃないですか?
 交換条件は、どうなりました?」

 憂慮に眉を顰めてそう問いかける武に、夕呼は呆れ顔で吐き捨てる様に応えを返す。

「作戦終了後の、旧喀什(カシュガル)への駐留権よ。
 当該地は明らかに統一中国の国土であり、奪還後その区域を防衛するのは集団的自衛権の範疇であり統一中国の権利である。
 拠って、国連の干渉を受ける謂れは無い。
 米国とソ連は統一中国の防衛に協力を約し、3国共同で当該区域の防衛態勢を確立する―――ですって。
 要するに、オリジナルハイヴで残り物を漁りたいって事よ。
 ―――だから白銀。無理はしなくていいけど、可能な限り『桜花作戦』中にアトリエを制圧してG元素の回収と、設備の破壊を達成しなさい。
 あんなハイエナ共に、下手な物渡すんじゃないわよ?」

 夕呼は眼光を鋭くして武に命じる。
 『桜花作戦』中に回収したG元素等の鹵獲品に対しては、米国が主張し国連加盟国に認めさせたバンクーバー協定に含まれている、ハイヴ鹵獲品を国連管理下に置くという規定が適用される。
 夕呼は、この規定を用いる事で、『桜花作戦』後に降下する米中ソの3カ国が、有用な物品を取得できない様にしろと言っているのであった。

 夕呼の言葉に頷きを返す事で了承しつつも、武が愁眉を晴らす事は無く、逆に一層憂慮が深まってしまう。
 その憂慮故に、言っても無駄とは知りつつも、武は夕呼に対して問いかけずには居られなかった。

「夕呼先生―――国連安保理に提出した資料には、『桜花作戦』後にオリジナルハイヴから撤退する残存BETAによる、周辺ハイヴへの影響予測も入ってましたよね?
 オリジナルハイヴから撤退し周辺ハイヴに到達したBETA個体数の30~60%が、オリジナルハイヴ周辺に戻って来るって予測を載せておいた筈なんですけど……」

 武の言葉に、夕呼は眼を半眼に閉じ、そっぽを向いた上で唇を尖らせて嘯く。

「ちゃんと資料読んでないんじゃないの~?
 さもなきゃ、こっちの予測を信じてないか、自軍将兵の損害なんて気にもしてないかね。
 軍人が幾らでも湧いて出てくる、打出の小槌でも持ってんのかしらねえ。」

 惚けた顔で茶化す様に言って退けた夕呼だったが、その半ばまで目蓋に隠れた双眸に湛えられた侮蔑を武は見出していた。
 そこから、武は夕呼が『桜花作戦』の環境を整える為に、不本意ながら妥協した結果であると察し、黙ってこの決定を受け入れる事にする。

 しかし、この件は後日、武と鎧衣課長の手で出所不明の噂として世界中に流布され、人命を著しく軽視した行いであるとの非難を浴び、各国世論に多大な影響を及ぼす事となるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 19時12分、1階のPXではヴァルキリーズの面々が、夕食を終えて寛いでいた。

 翌朝にオリジナルハイヴ攻略作戦への出撃を控えているにも拘らず、彼女等の顔に緊張の色は見られない。
 ―――いや、出撃前の緊張とは異なるものの、新任達10名が肩を寄せ合い何やら眉を顰めて真剣な表情で語り合っていた。

「―――やはり、涼宮と築地は参加せずとも良いのではないか?」

「そうね―――茜、何も私達に付き合う事は無いわよ?」

 冥夜と千鶴がそう言うと、智恵、月恵、壬姫、美琴の4人も茜に向かって何度も頷きかける事で同意を示す。
 晴子は薄らと笑みを浮かべて、彩峰はやや眉を顰めて、この2人は浮かべる表情は異なれど、どちらも同意は示さずに黙って事態の推移を見守る。

「止めてよ千鶴。御剣もだけど、私は同期のみんながやるっていうなら、自分だけ仲間外れなんて真っ平御免よ?
 まあ、私も多恵まで付き合う事ないとは思うけど―――」
「あ、あだすは、茜ちゃんとどごまでも一緒だべっ!」
「―――って、言ってるしね。
 それに、みんなの言う事も解かるし、意味のある行いだと思うから、参加する価値は十二分にあると思うわ。」

 心配そうな表情で自身を見詰める仲間達に、茜は笑顔で多恵と共に参加の意思を表明する。

「でも茜―――」
「榊、無理強い良くない…………只の自己満足……」

 それに対して、更に言い募ろうとする千鶴に彩峰が口を挿む。

「そうそう。理由はどうあれ、あたし達の考えに賛同して参加するって言うんだから、茜の意志を尊重して上げたらどうかな?
 多恵の方は、茜から離れる訳がないよね。」

 彩峰に、自分の感情に由来する考えを押し付けていると指摘され、千鶴が唇を噛んで黙ってしまうと、晴子が場の空気を和ませようと口を挿む。
 多恵は「んだんだ」とそれに頷き、茜もこの機を逃さず、仲間達の気遣いに対して感謝の念を述べる。

「あはは。さすがに晴子は良く解かってるね。
 みんなが私の事を心配してくれてるってのは良く解かったよ。それには感謝してる。
 けど、私だって、みんなの事を心配してるし、それに、この計画に遣り甲斐を感じるってのも本当だよ?。
 だからさ、一緒に頑張ろうよ。ね?」

 そんな茜の言葉に、周囲の面々は暫し考え込んだ後、各々が自身の思いに決着をつけると、表情を和らげて歓迎の意を表明した。
 話が一段落着いた所へ、丁度タイミング良く霞がやってきて、冥夜と千鶴に話しかける。
 何やら手に持った封書を差し出しながら、二言三言会話を交わすと3人は立ち上がり、少し離れた席で団欒している先任達の方へと歩み寄った。
 そして、みちるに対して、何やら説明を始める。



「―――なるほどな。貴様等の考えは解かった。
 確かに貴様等の言う事には頷ける節もあるし、対策としても効果は見込めるだろう。」

 眼前に立つ冥夜と千鶴、そして霞へと視線を巡らせると、みちるは主に千鶴によって説明された内容についてそう所感を告げた。
 みちるのその表情は話を真剣に受け取っている事を窺わせるに十分なものであり、冥夜と千鶴は確かな手応えを感じる事が出来た。
 しかし、かと言ってそのまますんなりと話が受け入れられるとは思えない為、2人が表情を緩めずにみちるの言葉を待つ。
 霞の、常態とも言える感情を排した表情も合わせて、3人の生真面目な様子を見ながらみちるは言葉を続ける。

「だがな、白銀少佐に課せられた使命は、人類の命運を左右する重大なものだ。
 貴様等の行動如何では、少佐の負担が増大し、その重大な使命の達成に悪影響を及ぼす可能性も決して低くはない。
 それは承知の上だな?」

 みちるの問い掛けに、その前に立つ3人は神妙に頷きを返す。
 それを見て、みちるはニヤリと凄みのある笑みを浮かべると言葉を続ける。

「よし、ならば言うが、私としても、貴様等の案には十分行うに足る価値があると思う。
 しかし、我等の指揮官は白銀少佐だ。その命令に逆らう事は許されない。
 そうである以上、最終的な判断は少佐が下す事になるから、貴様等の意見具申が認められる可能性は低いと思うぞ?」

 そう言って眉を寄せるみちるに、霞が手にした封書を差し出す。
 それを受け取り、中の書類に目を通したみちるは、してやられたといった笑みを浮かべて言葉を漏らす。

「なるほど、社が一緒に居たのはこの所為だったんだな?
 いいだろう、これなら貴様等を止める理由はないな。
 だが、こうなると貴様等だけにやらせる訳にもいかないか。―――速瀬。」

 みちるが声を賭けると、即座に水月の返事が返る。
 脇で話を聞いていた水月は、やる気満々といった様子であり、今にも腕まくりしそうな勢いであった。

「勿論やらせてもらいますよ、大尉。
 ばっちり引率して見せますから任せて下さい。」
「―――私も参加します。」
「え、遙?!」

「―――そうか。涼宮が参加してくれれば、白銀少佐も重宝するだろう。頼めるか?」

 勢い込んで請け負った水月の隣から、静かだが決意の込められた声で参加を表明する遙。
 突然の遙の発言に動揺する水月だったが、みちるは至極冷静に判断を下すと1つ頷いて遙の意を容れた。
 そんなみちるに、遙は胸に繊手を当て花が咲いた様な笑みを浮かべて応える。

「はい。任せて下さい。必ず白銀少佐のお役に立って見せますから。」

「速瀬中尉、涼宮中尉! これは我等の勝手な願いによるものです。
 お二方が参加なさらずとも―――」
「御剣。この件は既に、貴様等新任少尉達だけに任せておける話では無くなったんだ。
 この書類を用意した以上、それも覚悟の上で見せた筈だな?
 ならば、諦めて速瀬と涼宮の指揮を受け入れろ、解かったな?」

 水月と遙の参加表明に、慌てて口を開いて翻意を促そうとした冥夜だったが、みちるによって言葉を遮られ2人を受け入れる様に諭されてしまう。
 その言葉に、冥夜も千鶴も唇を噛み締めながらも首肯し、そんな2人に遙と水月が声をかける。

「御剣少尉、榊少尉、気にしないでいいよ? これは、私達A-01にとっても、人類にとっても重要な事なんだから。」
「そうそう、こんな面白そうな事をあたし抜きでやろうだなんて、百年早いってのよ!」

 そう言うと、水月と遙は、冥夜、千鶴、霞の3人を伴って新任達に合流する。
 その後ろ姿を見送ったみちるは、まるで祭りの打ち合わせにでも出かけるようだなと思う。

 近くで話を聞いていた先任達も、一様に何事かを託すような視線を、新任達を中心とした集団へと向ける。
 『桜花作戦』を翌日に控えた夜、武の知らない所で仲間達の想いが、具体的な行動へと昇華しようとしていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年01月07日(月)

 06時54分、黎明を間近に控えた横浜基地シャトル打ち上げ施設の発射塔に、4機の再突入型駆逐艦を搭載したロケットブースターが据え付けられ、打ち上げの時を静かに待っていた。

 空が微かに白み始め、闇が追い払われようとする正にその時、ラダビノッド基地司令の淡々としながらも強い意志の籠った声が、横浜基地全域に響き渡る。

「―――思えば、長く険しい戦いの日々であった。
 月面に於ける遭遇戦に端を発したBETAとの戦いの最中、奮戦虚しく、多くの人命と国土が失われ、正に人類は精も根も尽き果てんばかりの窮状に追いやられてしまった。」

 未だ陽が差し込まず、夜陰に沈む第2滑走路に、多くの人影が林の如く静かに立ち並んでいた。

「だが……死力を尽くして尚終わりの見えぬ戦いの最中、それでも尚、我等は勝利への希望を捨て去りはしなかった。
 多くの隣人を、家族を失い。
 多くの先達を、戦友を失い。
 それでも尚、深淵たる無明の闇に閉ざされし日々の中、我等は決して諦める事無く、勝利へと至る一筋の光を只管に探し求めて来たのだ。」

 だが、日の出に先んじて明るさを増す空からの照り返しによって、滑走路に集う人々の顔から、徐々に夜陰が追い払われていく。

「我等を突き動かすものは何か。
 多くの犠牲を払い、満身創痍の我等人類が、何故戦い続け得るのか―――
 それは、全身全霊を捧げ絶望に立ち向かう事こそが、生ある者に課せられた責務であり、人類の勝利に殉じた輩への礼儀であると心得ているからに他ならない。」

 晴れ渡る大空に―――

「―――空(宙)に散った者達の無念を聞け。」

 基地より東に臨める海原に―――

「―――海に果てた者達の祈りを聞け。」

 BETA侵攻の傷跡を残す旧市街に―――

「―――大地に眠る者達の願いを聞け。」

 闇を駆逐する温かな光が徐々に広がっていく―――

「…………今こそ、彼等の挺身に報いる刻が来た。」

 そして、遂に完全に陽が昇り、闇が追い払われて明らかになった、再突入型駆逐艦を見上げる人々の眼(まなこ)には、期待と願いと、そして希望の光が灯っていた。

「長き苦闘の末、我等は遂に希望の光をこの手に掴んだ。
 BETAに対し、致命的な一撃を与える術を見出すに至ったのだ。
 人類に勝利をもたらす起死回生の一撃、だがそれは、決して容易に成し得る業ではない。
 しかし、それでも尚、若者達がその難事に挑まんと旅立つ。
 鬼籍に入った輩と、我等の悲願を一身に背負い、人類に勝利をもたらさんと、孤立無援の敵地に赴こうとしているのだ。
 我等は決して忘れてはならない。
 この横浜の、死せる大地に在っても尚、逞しく花咲かせし正門の桜の如く、人類に希望の光を与えんとする彼等を。
 その若々しい命を、惜しむ事無く人類に捧げようとする彼等の高潔を。
 ―――我等の魂に刻み付けるのだ。」

 人類の未来を背負い、『桜花作戦』に出陣しようとするヴァルキリーズを見送る為、基地機能を維持する為の最低限の要員を残し、残る全ての要員がこの第2滑走路に集まっていた。
 その中には、上級司令部からやってきた将官等から、京塚特務曹長率いる食料班の軍属達に至るまで、階級の上下を問わず唯一つの願いを胸に、一心にヴァルキリーズの乗る再突入型駆逐艦を見上げていた。
 朝日に照らし出された再突入型駆逐艦に搭乗するヴァルキリーズと霞の許にも、外部映像を通して、陽の光と共にラダビノッド基地司令の声が届けられる。
 そして、それはデータリンクを通じて、既に地球周回軌道に上がっている武の許にも届けられていた。

「……旅立つ若者達よ。
 諸君等はその優れた力故に、人類の希望を担う事を強いられた。
 諸君等はその高き志が故に、人類の先鋒足る事を強いられた。
 敗北を重ね人類を窮地へと追いやり、諸君等に戦いを強いざるを得なかった我等を許すな。
 人類の未来を賭けた決戦を、諸君等の一身に負わせる我等の無能を許すな。
 ……願わくば、諸君等の挺身により、若者を戦場に送る事無き世を共に迎えられん事を。」

 ラダビノッド基地司令の訓示が終わり、カウントダウンの表示が0を示すと同時に、ロケットブースターが点火され、轟音と共に噴煙を巻き上げる。
 あたかもそれが号令であったかの如くに、滑走路に集う人々が一斉に敬礼を捧げた。

 その中には、ピアティフとイルマ―――そして、月詠と神代・巴・戎ら斯衛軍第19独立警備小隊の姿もあった。
 彼女等の脳裏に、冥夜と、そして冥夜の警護任務を通して、また『甲21号作戦』に備えた合同演習を通して知り合った、ヴァルキリーズの衛士等の面影が浮かぶ。
 そしてヴァルキリーズの、何よりも冥夜の生還を願う時、些か不本意ながらも彼女等の脳裏には、武の姿が否応なく浮かんでくるのであった。



「まりも、あんたの子供達が征くわよ。」

 衛士訓練校の校舎裏にある丘の上、武の言う『伝説の木』の根元近くに立つ夕呼が、傍らに並ぶまりもに声をかけた。
 その表情にはこれから実施される作戦の重要性を思えば、不遜と言える程に不敵な笑みが浮かんでいる。
 青く澄みきった空へと昇っていく4つの希望の光をじっと見詰めながら、まりもは柔らかな笑みを浮かべて応えた。

「―――大丈夫。あの子達なら、きっとやり遂げてくれるわ。」

 そして、まりもは心中で教え子達に語りかける。

(みんな揃って、無事戻ってらっしゃい。
 ……………………みんなの事、頼むわね。白銀君―――)



 同時刻、4つの光が上空へと昇って行くのを、帝都城の露台から悠陽と紅蓮が見上げていた。

「―――いよいよですな。」

 紅蓮が眩しげな視線を光へと向けたまま、やや無念を滲ませてそう零すと、悠陽は微かに笑みを浮かべて言葉を返す。

「あの者達のみに、重き荷を担わせる仕儀となりし事、誠に慙愧に堪えません。
 されど、今後の国際政治を鑑みるならば、我が国がこれ以上の関与を成しては後に禍根を残す事となりましょう。
 今はただ、あの者等が無事任務を完遂する事を願うに留めねばなりません。
 誠に、歯痒き事ですね。紅蓮。」

「はっ―――」

 己が心中を語る様でいて、紅蓮を諭す言を述べた悠陽に、紅蓮は深々と一礼して己が覇気を抑える。
 それを一瞥しながら、悠陽は心中に密かな願いを浮かべる。

(白銀。―――どうか、冥夜の事を―――)



 今はまだ極一部の者しか知る由も無き事ではあったが、人類の命運を一身に背負い、戦乙女達は戦場に放たれた矢の如く、一直線に天空へと駆け上がっていった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 10時11分、地球周回軌道上には、無数の再突入型駆逐艦が艦隊陣形に従い、整然と翼を連ねていた。

「こちらA-04。日本時間10時15分(ヒトマルヒトゴ)を以って『桜花作戦』第1段階を開始する。
 各艦は航行プログラムの作戦開始時刻を設定せよ。
 A-04は軌道爆撃第一陣と共に先行して再突入するが、電離層突破後広域データリンクに復帰する予定である。
 通信断絶中は、プログラムに従って行動して欲しい。
 万一、当機が撃墜された場合は、横浜基地総司令部の指示を仰げ。―――以上だ。」

 武は通信を終えると、作戦開始時刻に向けてカウントダウンを続けている数字を他所に、外部映像に目を向ける。
 ヴァルキリーズ各機にも、データリンクを経由して配信されている映像の中では、青い地球が雲を纏って輝いていた。
 こうして宇宙から見て居る限りでは、地上でBETAと繰り広げられている凄絶な戦いなど、想像だにできない。
 しかし、視線を転じてみれば、周囲には無数の駆逐艦が星空を背に浮かんでおり、これから開始される人類の存亡を賭けた、乾坤一擲の一大作戦に投じられた戦力の大きさを見せ付けていた。

 『凄乃皇・四型』の周辺を固める、国連宇宙総軍第1艦隊の駆逐艦には、当然乗員が搭乗している。
 しかし、余りに多数の艦を集中運用している為、その軌道遷移はA-04から送信された航行プログラムによって、緻密に制御され事故が発生する可能性を極限まで抑えられていた。
 第1艦隊に遅れる事僅か300秒の軌道には、米国戦略宇宙軍第1艦隊が続き、その更に後方にも殆ど数珠繋ぎの様に低軌道艦隊が追従している。
 正に過密と言うしかない配置であった。

 『桜花作戦』第1段階。国連宇宙総軍と米国戦略宇宙軍に所属する全低軌道艦隊の9割が軌道爆撃及び、軌道降下部隊の投入を敢行する。
 そのタイムスケジュールは、初弾の再突入開始から僅か30分の間に低軌道艦隊3個艦隊による軌道爆撃と、低軌道艦隊1個艦隊による軌道降下部隊の投入を完了させるという、常軌を逸した過密スケジュールであった。
 しかも、各艦隊の所属艦数は定数の倍以上で構成されており、この短時間に投入される物量は、通常の軌道爆撃の優に12倍に達する。
 オルタネイティヴ4の立案による『桜花作戦』の第一手は、波状攻撃を排した、一航過による超過密飽和爆撃であった。

 武の搭乗する『凄乃皇・四型』は、軌道爆撃第1陣と共に再突入し、電離層突破後オリジナルハイヴ上空に滞空、データリンクを通じて後続のMRV(多弾頭突入体)の突入軌道を微調整する予定である。
 過剰なまでの物量で実施される軌道爆撃であったが、その微調整を00ユニットである武が行う事で、最大限の効果を発揮させる事が可能となる。
 無論、上空に滞空する間、地上に展開するレーザー属種からの照射は避けられない為、軌道爆撃第1陣でその大半を殲滅する必要があった。

 武は、膨大な数に上る作戦参加艦艇のテレメトリデータを確認しながら、静かに再突入に備えた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 10時17分、武の乗る『凄乃皇・四型』は電離層突破を目前にしていた。

 その『凄乃皇・四型』のコクピットに、レーザー照射警報が鳴り響く。
 それは計画立案時より予測していた事であり、対策も十分に練られている事態である。
 それ故に武が動揺する筈が無かった。しかし―――

(ぐっ! なんだ、これは?!)

 ―――レーザー照射警報が鳴り響いた直後、武の脳裏が圧倒的な密度のフラッシュバックで埋め尽くされる。



≪オリジナルハイヴへの軌道を降下していく多数の再突入型駆逐艦。
 それに対して襲いかかる無数のレーザー照射。
 駆逐艦は次々に爆散し、大空に散華していく。
 そして、強い意志と共に迸る叫び―――

 『―――貴艦らはコースを維持しろッ!』
 『―――い……一文字ッ!』
 『―――ここは我等に任せてもらおうッ!』

 ―――未だレーザー照射を浴びずに残存し先行していた駆逐艦が、その機体を翻してレーザー照射を遮る軌道へと遷移する。
 その背後には『凄乃皇・四型』の雄姿があった。
 しかし、盾となった駆逐艦は僅かな時間と引き換えに爆散してしまう―――

 『―――人類をッ―――頼むぞ……ッ!!』
 『―――全艦再突入殻分離ッ! 最大加速でA-04の前に出るッ!』
 『『『 ―――了解ッ! 』』』

 ―――次々と先行していた駆逐艦が盾となって爆散する最中、『凄乃皇・四型』の後方に位置していた駆逐艦達までもが、搭載していた再突入殻を分離して加速。
 『凄乃皇・四型』の前方へと遷移して盾となる―――

 『―――貴様等を無傷でオリジナルハイヴに連れて行く事が我等の任務……!』
 『―――人類反撃の切り札となる決戦部隊を運んだ事は、駆逐艦乗りにとっては最大の名誉だ!!』
 『―――その名誉を汚させはせんッ! そして貴様達にも手出しはさせんッ!』
 『―――フランスを―――ユーラシアを取り戻してくれッ!!』

 ―――口々に叫びを残し、爆散していく駆逐艦達。
 武の胸中に、悲壮な想いが溢れ吹き荒ぶ。
 そうして駆逐艦が爆散していくその彼方に、遂にオリジナルハイヴの『地上構造物(モニュメント)』が姿を現す。
 地上を目指して降下していく無傷の『凄乃皇・四型』。
 その背後には、再突入殻が分解し、内部から飛び出して強硬着陸(ハードランディング)の態勢を取る5機の『武御雷』の姿があった。≫



 時間にしてみれば、0.01秒にも満たない時間。
 しかしその刹那に凝縮されたイメージと感情の奔流に、武は意識を押し流されてしまいそうになる。

(これは―――『菊花作戦』の時の情報か? いや、『菊花作戦』で投入されたのは『凄乃皇・弐型』だ。
 それに、あの『武御雷』は―――いや、今はそんな事を気にしている場合じゃない!!)

 00ユニットとしての処理能力の高さに救われ、武が自失していた時間は0.1秒にも満たない極僅かな時間に過ぎない。
 それでも武は、自身の迷いを振り切る為に叫びを上げ、意識を切り替える。

「来やがったな! けど、そうそう思い通りにはさせねえぞッ!!」

 武はそう吐き捨てながらも、『凄乃皇』を減速させると共に、後続するAL弾を満載した再突入殻300機の内、先頭に位置する一群の軌道を変更し、『凄乃皇』への照射を遮る盾とする。
 無数のレーザー属種の高出力照射を受け、次々に爆散していく再突入殻。
 しかし、その結果重金属雲の回廊が形成されるやいなや、武は『凄乃皇』を再加速してその回廊へと突入させる。

 回廊を突破すると『凄乃皇』は再び照射を受けるが、武はまたもや再突入殻を盾にして照射を回避。
 これを3回ほど繰り返した時点で、別軌道を突進していたAL弾と制圧用多弾頭弾が地表に到達。
 地上に展開するBETAごと、地表をほじくり返し噴き飛ばしていく。

 半数近くにまで減った照射源の位置を確認しながら、武は随伴の再突入殻を突入させていく。
 その数は100程にまで減少していたが、その殆どが地表に激突して水柱の様な激しい土煙を吹き上げる。
 それでも尚、『凄乃皇』に対するレーザー照射は止まない。
 しかし、武は不敵な笑みを浮かべて嘯く。

「へっ! この『凄乃皇』の『ラザフォード場』を突破できると思うなよ、なんたって―――」

 大幅に数を減じたとはいえ、それでも重光線級数十体が焦点を合わせてレーザーを照射してきた。
 その大半は次元境界面でその進路を歪曲され、大空へと消え去っていく。
 しかし、照射された総量の2割にも満たず、重力偏差により拡散されて収束を失っているとは言え、十分な威力を保った光芒が『凄乃皇』へと襲いかかる。

 しかし、それらは新たな次元境界面にその進路を遮られ、今度はいっそ呆気無い程あっさりとその進路を曲げられてしまう。

「―――こっちは『ラザフォード場』の3重防御なんだからなッ!!」

 遂に力尽きて光芒が途絶えた後には、『凄乃皇・四型』を中心に『凄乃皇・弐型』を左右に侍らせ、3機の『凄乃皇』が陽の光を浴びて燦然とその雄姿を大空に浮かべていた―――




[3277] 第118話 桜、舞う
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/08/02 17:19

第118話 桜、舞う

2002年01月07日(月)

 日本時間10時22分、中国新疆ウイグル自治区旧喀什(カシュガル)市に建設されたオリジナルハイヴの周辺では、激しい爆撃と光芒の応酬が交わされていた。

 上空より絶え間なく降り注ぐ軌道爆撃により、オリジナルハイヴの『地上構造物』の周囲半径40km以内の地表はくまなく土煙で覆い隠されている。
 だが、その土煙の中からは、未だにレーザーの光芒が幾筋も放たれ、上空に滞空している3機の『凄乃皇』に襲いかかる。
 未だにしぶとく残存する、重光線級からの照射であった。

「ふん! そんなばらけた照射で、この『凄乃皇』が墜ちるもんか!!」

 しかし、武の言葉通り、その光芒は呆気無い程あっさりとその射線を捻じ曲げられ、『凄乃皇』に命中する事無く空しく無窮の空へと消え去って行く。
 軌道降下直後に受けた、重光線級数十体が焦点を合わせて行う一点集中照射ならばいざ知らず、10体以下の同時照射程度であれば、『凄乃皇』の『ラザフォード場』は小揺るぎもしない。
 しかも、低出力初期照射の段階でその射線を特定した武は、その個々の射線に対して鋭角となる様に『ラザフォード場』の次元境界面を展開し、極僅かな負荷でレーザーの射線を逸らす事に成功している。
 その上、逸らしたレーザーの射線上に、人工衛星や、低軌道艦隊などの空間飛翔体が存在しない事まで確認する余裕さえ、この時の武は持ち合わせていた。

 そして、残存BETAによるレーザー照射が空しく跳ね返されている間にも軌道爆撃は続けられ、遂にオリジナルハイヴの地表にハイヴ防衛を目的として初期配置されていたBETA群12万体は完全に殲滅される事となった。
 しかし、軌道爆撃は未だに止みはしない。
 とは言え、決して無駄弾を撃っている訳ではなかった。
 初期配置のBETA群殲滅を目的とした、多数の小質量弾による広範囲への爆撃から、ハイヴ『地下茎構造』の破壊・分断を目的とした、大質量弾による精密爆撃へと、目的と手法を変えて軌道爆撃は続けられていたのだ。

 事前のBETA情報で明らかとなっている、オリジナルハイヴ『地下茎構造』。
 そこから『地下茎構造』の上層部を分断するのに効果的な爆撃ポイントを割り出した武は、音速の20倍近い速度で飛来する無数の質量弾(AL弾)を誘導し、着弾誤差を極力小さいものに抑えていく。
 そうしてオリジナルハイヴの地表をAL弾によって掘り返す内に、軌道爆撃の仕上げとなる、1000機を超える再突入カーゴと再突入殻約2000機が飛来した。
 そしてその後方には、再突入殻から分離した戦術機群が、強硬着陸(ハードランディング)の態勢を整えて降下する姿があった。

「よし、みんな無事だな? それじゃあ、軌道爆撃の総仕上げといくか!」

 広域データリンクの情報で、ヴァルキリーズの各員を初めとする軌道降下部隊の戦術機群に欠落が無い事を確認した武は、満足気に呟くと軌道爆撃最終段階の誘導作業に取り掛かった。

 無数のAL弾により、『地上構造物』から11km圏内の地表は掘り返され、強固な『地下茎構造』の外殻さえも各処で崩壊してさえいる。
 例外的に、『地上構造物』から1km圏内のリング状の地域はその凄まじい爆撃から除外されてはいたが、西側に位置する全周の8分の1に相当する部分だけは、徹底的な爆撃に曝されていた。
 そして、未だに崩落を免れているオリジナルハイヴ上層部に向けて、武は再突入カーゴをその保持する莫大な運動エネルギーを以って突入させ、『地下茎構造』を完膚なきまでに破壊してのける。
 その上で、カーゴに続いて落着する再突入殻の残骸が、崩落した『地下茎構造』の上に周辺の土砂を幾重にも被せていった。

 これにより、オリジナルハイヴの第1層から第5層にかけての『地下茎構造』は、『地上構造物』から11km圏内に置いてその大半を分断される事となった。
 その結果、この圏内で健在な『門』とそこに至る『地下茎構造』は、西側を除く『地上構造物』の周辺1kmの範囲内―――NW(北西)エリアから時計回りにSW(南西)エリアへとかけて存在する、左右逆転したC型の地域のみにしか存在しなくなっていた。

 軌道爆撃の最中にさえ、地上へと這い出ようとしていたBETA第1次増援36万体の内、4万体前後の個体もこの『地下茎構造』分断を目的とした爆撃に巻き込まれている。
 それでも残る約32万体のBETA群は、健在な『地下茎構造』を伝って地上を―――そして『凄乃皇』を目指し、健在な『門』を求めて蠢き(うごめき)続ける。

 現在地表を目指しているBETA群の各個体は、『地下茎構造』の破損状況が把握できていない為、その侵攻は混乱をきたしハイヴ内各所で停滞していた。
 しかしその妄動は、やがて大きく分けて2つの流れとなって、地表へと噴き出そうとしていた。
 1つは、『地上構造物』周辺に残存する、崩落を免れた『門』を目指す流れ。
 もう1つは、『地上構造物』から11km以上離れた地域の『門』を目指す流れである。
 それ以外にも、崩落した『地下茎構造』を掘削し、経路を復元しようとするBETA群も存在するが、それは全体からみれば極少数でしかなかった。

 それでも、当初より侵攻していた『地下茎構造』を寸断されなかったBETA群を中心として、万を超えるBETAが次から次へと地上に湧き出して来る。
 その結果、軌道降下部隊の戦術機群が着陸を終える前の段階であるにも拘わらず、『地上構造物』周囲の地表は既に、一度は完全に掃討した筈のBETA群に再び埋め尽くされつつあった。
 またそれと同時に、『地上構造物』から11km離れた『門』を目指して『地下茎構造』内を侵攻する、膨大な数のBETA群が今にも地表に姿を現さんとしていた。

「さ~て、お次は『地上構造物』周辺の掃除だな。
 ついさっき綺麗に片付けたばっかだってのに、わさわさと性懲りも無く湧きやがって!
 だがな―――今更、2万や3万程度の数で、圧倒出来ると思うなよ?!」

 再びBETA群によって埋め尽くされつつある地表に向けて、武はそう嘯きながら『凄乃皇』の巨体を、抗重力機関ならではの滑らかな機動で降下させる。
 軌道爆撃の終了と、軌道降下してきた戦術機の高度が十分下がった事を受け、オリジナルハイヴ周辺一帯に残存するレーザー属種に対する高高度への照射誘引の任から解き放たれた『凄乃皇』は、遂にBETA第1次増援に対して牙を剥き攻勢へと転じた。

 高度を下げながら『凄乃皇・四型』は脚部(バウ)を前方へと展開させ、尾部と左右脚部の先端3点で着地する着座姿勢をとる。
 その左右には直径4mを超える接続用電纜(アンビリカル・ケーブル)数本で接続された『凄乃皇・弐型』2機が左右に従っているが、3機の相対位置は勿論、ケーブルさえも強固に固定されているかの如くに揺るぐ事が無かった。
 3機の『凄乃皇』は、『地上構造物』に東側から対峙する形で、1200mほど離れた地点へと急速に降下。
 そして、地上10mまで降下した所でピタリと停止すると、艦船で言えば船首(バウ)に相当する左右先端底部―――四型では脚部の先端―――に装備している120mm電磁投射砲による掃射を開始した。

 『地上構造物』周辺に残された健在な『門』から湧き出したBETA群は、突撃級を先頭に地表近くまで降下してきた『凄乃皇』に向かって殺到する。
 それを迎え撃つ120mm電磁投射砲6門は、地上10mの高度から地表とほぼ水平に、眩い灼熱の光条を放つ。
 チェーンガン並みの発射速度で絶え間なく吐き出される、その身に与えられた圧倒的な弾速により灼熱化した弾頭は、突撃級の装甲殻すらものともせずに貫き、飛散させ、押し寄せるBETA群を次々に肉片へと変容させていった。

 ほんの数秒の掃射により、『凄乃皇』に殺到していたBETA群の内1万体近くが肉片と化して散乱した。
 にも拘らず、『地上構造物』周辺の『門』からは、ぞくぞくとBETAが湧き出し続ける。
 無尽蔵と形容されるBETAの物量は、このオリジナルハイヴに於いては、正に文字通りの現象を顕現させていた。

 しばし、砲身を休めて居た武は再びBETA群との距離が縮まり、その陣容に厚みが戻るのを見計らって120mm電磁投射砲6門の掃射を再開する。
 これは掃射目標となるBETA群の陣容が薄いと、貫徹力に優れる120mm電磁投射砲の砲撃の効果が薄れる為である。
 その結果、左右の両端を侵攻するBETA群に対する掃射は効率が悪化する為、両端に対しては120mm電磁投射砲は掃射されていない。

 しかし、120mm電磁投射砲の掃射を免れたからと言って、両端に位置するBETA群が無事だった訳ではない。
 それらのBETA群に対しては、地表に対する俯角の問題で貫徹力を発揮できないと考えられた為、その口径を120mmから36mmに縮小し、代わりに搭載弾数を大幅に増加した、36mm電磁投射砲群の単射が断続的に襲いかかっている。
 砲塔を小刻みに移動させて、次々に目標を変更しながら放たれる36mm電磁投射砲の砲弾は、1発毎に1体のBETA中型種を着実に撃破していく。
 『凄乃皇・四型』の両腕部先端と腰部前面に2門ずつ、そして両肩側面に1門ずつ設置された36mm電磁投射砲計8門は、00ユニットの精密照準ならではの精度と速度で砲弾を放ち続け、次々にBETAを撃ち倒していった。

 『凄乃皇・四型』は他にも120mm速射砲を搭載している。
 それらの内、腰部前面2門、腰部側面左右2門、胸部前面上端1門の計5門が、電磁投射砲が撃ち洩らしたBETA小型種を炸裂弾で一掃する。
 『凄乃皇・四型』の装備する武装群と、本来荷電粒子砲以外の武装を持たなかった『凄乃皇・弐型』に増設された120mm電磁投射砲により、BETA群の突撃は防波堤に散る波飛沫よりも儚く潰えていくのであった。

 『凄乃皇』が『地上構造物』周辺のBETA群を掃討している間に、軌道降下してきた戦術機甲部隊2個師団強の戦術機2000機と、後続の物資運搬用装甲カプセルが強硬着陸を完了していた。
 『凄乃皇』がレーザー照射を誘引していたお陰で、全機が撃墜される事無く強硬着陸を果たした戦術機群は、直ちに所定の作戦行動を開始する。
 しかし、その直後、噴射地表面滑走で地表を駆ける戦術機群の上空を、無数の光芒が貫く。

 それらの光芒は、『地上構造物』から11km以上離れた『門』から、遂に地上に姿を現したレーザー属種が『凄乃皇』に向けて放った物であった。
 『地上構造物』周辺から湧き出てくるBETA群を掃討している『凄乃皇』に対して、ほぼ全方位からのレーザー照射が襲いかかる。
 軌道降下から現在に至るまで、全てのレーザー照射を上空へと逸らし続けて来た『凄乃皇』だったが、今回は照射されたレーザーを跳ね返した証しである、天空へと延びる光芒を唯の一筋たりとも見当たらない。
 無数の光芒は、『凄乃皇』の存在した空間を中心として、放射線状にその光芒を空間へと焼き付けるのみであった。

 眩い光芒により、『凄乃皇』はその姿の殆どを覆い隠されてしまい、その状態は外部からは窺い知れない。
 しかも、照射はそのまま50秒近くの長きに亘って続いた。
 重光線級の連続照射時間30秒の2倍近いその時間は、『凄乃皇』に対して如何に多くのレーザー属種が代わる代わる照射を行っていたかを示していた。
 そして、ようやくレーザーの照射が途切れ、光芒に埋め尽くされていた大空がその蒼穹を取り戻した時、戦場には凄惨かつ異様な光景が現出する。

 ―――それは、レーザー照射を受けて無残な骸を曝す、無数のBETA群の姿であった。
 決して友軍誤射をしないと言われてきたBETA。
 しかし、紛れも無くこの戦場の其処彼処(そこかしこ)で、高出力レーザーの照射を浴び、その体躯の殆どを焼き尽くされた突撃級や要撃級の残骸が散見された。
 比較的大きな残骸が残っているのは要塞級であり、それ以外の小型種などは跡形も無くその姿を消失せしめている。

 そして、全方位から多数の照射を受けていた『凄乃皇』はと言えば、レーザー照射を浴びる前となんら変わる事の無い雄姿を、空中に泰然と浮かべていた。
 ハイヴ外周側の全方位から照射されたレーザーを、武は精密に調整された『ラザフォード場』によって最低限だけ屈折させる事で、外周から『凄乃皇』へと地上を殺到して来るBETA群へと跳ね返したのである。
 その結果、外周から殺到して来ていたBETA群6万体以上が、味方である筈の、決して友軍誤射をしない筈の、レーザー属種の光芒に焼かれて、その無残な躯を曝す事となった。

「どうだ! 初めて味わうレーザーの味はッ!!
 何時までも、一方的に殴れると思うなってんだッ!!!」

 『凄乃皇・四型』のコックピットで武が吼える。
 BETAの地球侵攻以来、人類を焼き続けてきた劫火が、BETA大戦史上初めてBETA自身へと跳ね返され、その身を傷付けるに至ったのである。
 武は、自ら放ったレーザーを屈折させられた事をレーザー属種が察知し、照射を中断してしまわない様に光学的欺瞞措置も実施している。
 これが効を奏したのか、その後もレーザー照射は幾度にも亘って繰り返される事となった。
 『凄乃皇』はその全てを跳ね返し、無尽蔵に湧き出してくるBETA群へと叩き付けて、莫大な戦果を築き上げるのであった。



 『凄乃皇』がその圧倒的な能力を十全に発揮し、何十万と言うBETA群を翻弄し続ける。
 その激しい戦いの最中、ヴァルキリーズの各員は自分達に与えられた任務を着実にこなしつつあった。

 この時点で、ヴァルキリーズに与えられた任務は大きく分けて3つ。
 1つ目は、『地下茎構造』が分断された地域に対する、地中設置型振動波観測装置の敷設。
 2つ目は、『地上構造物』周辺に残された『門』から湧き出てくるBETA群の迎撃。
 そして最後の1つが、『地上構造物』の根元西側への拠点構築であった。

 ヴァルキリーズの搭乗する9機の複座型『不知火』が、9機の複座型『不知火』予備機と、38機の『時津風』を随伴して拠点構築に向かっていた。
 有人機である9機の『不知火』を除き、残る戦術機全機が物資を抱えての行軍であった。
 それらの物資の約半数は補給コンテナだが、それ以外にも様々な装備群が存在する。
 それらの中でも、最も目立つのは3機の再突入殻であった。
 未使用と思われる再突入殻3機を、1機当たり3機、合計9機の『時津風』が主腕で保持して運搬している。

 やがて目標地点である『地上構造物』の西側根元付近に到達した戦術機群は、軌道爆撃で地面を掘り返され渓谷の様な地形に変じたその場所に、簡易式の発射塔3基をやや距離を空けて設置し、そこに再突入殻を慎重に据え付けていった。
 その作業と並行して、再突入殻と発射塔を覆い隠す様に、剥離型対レーザー蒸散塗膜装甲防循を、まるで3つの砦を築くかのように周囲に設置していく。
 そして、防循で築かれた砦の周辺には、可搬式120mm電磁投射砲台が配備された。

 可搬式120mm電磁投射砲台は、防楯が電磁砲の砲架と一体化しており、上部左右両端が戦術機が保持する為の保持架となっていた。
 電磁投射砲に設置されたドラムマガジンからは、さらに給弾ベルトが伸びており、すぐ脇に設置された補給コンテナを転用した大型弾倉へと接続さている。
 試製99型電磁投射砲の運用試験の結果から、戦術機に装備しての運用が戦術機の機動性―――殊に近接格闘戦能力を大きく損ねる事が実証された。
 その為、『凄乃皇』に搭載する砲台型の電磁投射砲を転用し、戦術機による運搬設置が可能な可搬式120mm電磁投射砲台が開発されたのである。

 様々な作業に従事する『時津風』を他所に、18機の複座型『不知火』は、6機ずつに分かれて3つの砦の中へと入っていく。
 そして、中央に位置する砦の中では、再突入殻に設けられた搭乗ハッチの前で、みちるの乗る複座型『不知火』1番機が管制ユニットの搭乗ハッチを開放していた。
 殆ど触れ合わんばかりの距離で向かい合わせとなり、跳ね上げ式の橋梁の様に殆ど一繋がりとなった2つの搭乗ハッチ。
 その上に、大小2つの人影があった。

「体調に問題は生じていないか? 社。」
「大丈夫です……行きます……」

 片方の人影はみちるであり、もう1つの―――小さい方の人影は、衛士強化装備に身を包んだ霞であった。
 霞は、地球周回軌道上で人員輸送用のHSSTから複座型『不知火』に移乗して以来、ずっとみちるの膝の上に乗せられ、簡易固定ジャケットと4点式ハーネスによって支えられて、この地まで荷物の様に運ばれてきた。
 そうしてまで自身に求められている任務が、再突入殻の中―――そこに格納された装甲連絡艇の中でしか果たせないと熟知している霞は、みちるによって再突入殻のハッチまで届けられると、脱兎の如き素早い身のこなしでハッチの奥へと駆け込んで行った。

 それを見送る時間すら惜しみ、みちるも素早く身を翻して『不知火』の複座型管制ユニットに戻る。
 ヴァルキリーズの任務は、これからが本番であった。



 拠点構築と並行して、『地上構造物』周辺の『門』では熾烈な戦闘が開始される。
 既にBETA第2次増援も地上に向けて殺到してきており、『門』からは決壊した堤防から濁流が噴き出すが如くに、猛烈な勢いでBETAが湧き出していた。
 しかし、その直径400mを遥かに超える巨大さ故に、如何に上下左右全ての壁面をBETAが埋め尽くそうと、その中央には必ず空隙が穿たれている。

 その『門』の空隙に向けて、2機の僚機に援護されたF-15Cが、自律誘導式気化弾頭弾発射装置を構えて近付き、気化弾頭弾を撃ち込むと素早くその場から後退する。
 一拍置いて、『門』の内部で爆発した気化弾頭弾の爆風により、多数のBETAが開口部より外へと吹き飛ばされて宙を舞う。
 極短時間の飛翔を終え、地面へと叩きつけられたBETAには、周囲に展開していたF-15Cからの砲撃が降り注ぎ、速やかに殲滅されていく。

 その間を擦り抜ける様にして、3機のF-15Cが自律誘導式気化弾頭弾発射装置を抱えて『門』の中へと飛び込んでいく。
 『門』の外へとBETAが強制排除された『横坑』を噴射跳躍で進撃していくと、やがて先程の気化弾頭弾により奥へと押し返されたBETA群の反応が戦域マップに表れる。
 F-15C3機は噴射跳躍を中断し、『横坑』の床に3機揃って着地すると、その内の1機が両主腕で保持した自律誘導式気化弾頭弾発射装置を構え、即座にハイヴの奥に群がるBETA群に向けて発射した。

 気化弾頭弾を数発撃ち込む事でBETAをハイヴの奥へと押し戻し、過密状態となったBETA群をS-11搭載弾頭弾で殲滅する。
 それを幾度も反復する事で、10万を優に超えるBETA群が殺到する出口である複数の『門』を封鎖するのが、ヴァルキリーズに与えられた任務の1つであった。

「さーて、水道管に詰まったゴミを押し流さなきゃね。」
「そうそう、あんたらBETAは巣の奥に引っ込んでりゃいいのよッ!」
「あ、あかねちゃんの言うどおりだっぺや! あんだらさっさど、いんでくんろッ!」
「貴様等に陽の光は過ぎた恵みだ、地の底で滅びるがよいッ!」
「さすが御剣、上手い事言うじゃない! ほらほらほらッ! 性懲りも無く湧いてくんじゃないってのッ!!」

 各々1つの『門』を担当した、晴子、茜、多恵、冥夜、水月の5人は口々にBETAへの戦意を迸らせながら、断固としてその侵攻を押し返していく。
 言葉こそ発しないものの、その他のヴァルキリーズも戦意に於いて、彼女等に劣る所は無い。
 代わる代わる、新たなF-15Cに自律誘導式気化弾頭弾発射装置を抱えさせて『門』へと突入させ、車懸り(くるまがかり)の戦法の様に、途切れることなくBETA群へと攻撃を加え、その侵攻を押し留めるのであった。

 当初、『地上構造物』周辺に残存した『門』は14か所存在した。
 その全てを力尽くで押し返すのは難しいと判断したみちるは、その内6か所を崩落させる事を決定。
 その任をみちるは、壬姫と美琴、そして千鶴と彩峰の4名に託す。

「鎧衣さん、BETAは私が押さえておきますから、S-11の設置をお願いしますっ!」
「うん、任せて壬姫さん。直ぐに終わらせるからね。」

 壬姫の的確な砲撃タイミングにより、幾度も気化弾頭弾に押し返され、完全に侵攻を押さえ込まれるBETA群。
 そして、美琴は『横坑』を崩落させる為、手早く的確に外壁の低強度部位へとS-11を設置していく。

「彩峰! さっさと済ませてよね! そうそう何時までも抑えとけないわよ?!」
「やってる。あんたは気が早い。」
「そっちがのんびりし過ぎてんのよ!」

 一方、盛んに言い争いをしながら任務に当たる千鶴と彩峰。
 しかし、2人とも自身の作業に全神経を集中しており、相手の様子を気にかける素振りは一切ない。
 言葉とは裏腹に、それは互いの任務遂行能力に対する信頼の深さこそが、為せる業であった。

 みちるの命を受けた4人は、『門』の封鎖を担当する仲間と交代しながら、『門』に続く『横坑』を1つずつ崩落させていった。
 そうして崩落させた『門』の数だけ、ヴァルキリーズの手が空く事となる。
 みちるは、その手の空いた人員を、『地上構造物』周辺と、外周方面との緩衝地帯へと割り振る。



 現在、『地上構造物』から1km以上11km以内のドーナッツ状の範囲は、軌道爆撃により『地下茎構造』を寸断され、爆撃により起伏に富んだ地形となっている。
 そのドーナッツ状の地域の内側半分―――幅5kmの範囲を緩衝地帯と定めて、凡そ1000機のF-15Cが展開している。
 それらの任務は、当初は地中設置型振動波観測装置の敷設であったが、それが完了した今では、『凄乃皇』の迎撃を擦り抜けてきたBETAや崩壊した『地下茎構造』から這い出て来るBETAの掃討へと任務内容が変化していた。

 凡そ1000機のF-15C、その殆どは遙の管制下で運用されており、自律制御でBETA掃討に当たっていたが、掃討対象となるBETA群の規模が大きくなると、自律制御では些か心もとなくなってしまう。
 そのような場合に備えて、みちるがこの緩衝地帯へと割り振ったのは、葵と紫苑、月恵と智恵の4人だった。

「う~ん、ねえ紫苑~。なんか、この辺、危なそぉだよ~。」
「え? ここら辺だと、地上に出てきそうなBETAは居ないんだけど……あ、近くの土中に空隙の多い所があるよ、姉さん。
 もしかしたら、BETAの地中侵攻の影響で地崩れを起こすと、そこからBETAが一気に湧き出して来るかも……」

 緩衝地帯に展開するF-15C各機へと、次々に接続を切り替えては周囲の様子を窺っていた葵が、眉を顰めて紫苑に曖昧な予感を告げる。
 それを受けた紫苑が周辺状況を精査すると、地下に脆弱化した地盤が存在し、それにより『地下茎構造』への開口部が発生する可能性がある事を察知された。
 紫苑は、自律誘導式気化弾頭弾発射装置を速やかに配備するように手配。
 数分後、『地下茎構造』への開口部が開き、BETA群が湧き出て来ようとしたが、速やかに押し戻した上で、周辺の地盤を砲撃で崩落させて開口部を再び埋没させる事に成功した。

「ヴァルキリーマム(涼宮遙)より、ヴァルキリー11(高原)、12(麻倉)に要請。
 ポイントNW(北西)12Z及びSW(南西)12Aに展開するF-15Cを運用して、地上侵攻中の師団規模BETAを殲滅せよ。」
「「 ―――了解! 」」

 『地上構造物』が障害となってしまい、『凄乃皇』が撃退し切れなかったBETA群が、西側から大挙して侵攻してきた。
 それを察知した遙は、直ちに智恵と月恵に迎撃要請を出す。

 遙からの要請を受けた智恵と月恵は、後方の物資備蓄拠点から試製01式ロケット砲システムと可搬式120mm電磁投射砲台を指定されたポイントへと自律制御で運搬するように、20機ほどのF-15Cに指令を出した。
 地形を確認し、迎撃対象となるBETA群の進路を想定。
 その両脇に試製01式ロケット砲システムを装備させたF-15Cを配置。
 その上で、可搬式120mm電磁投射砲台をBETA群の予想進路上に配置した。

「よおっし! 120mm電磁投射砲、発射ッ!! うっひゃ~、派っ手だねー、これっ!」
「もう~。 月恵~、調子に乗って、F-15Cまで攻撃しないようにね~?………………よ~し、頭を押さえられてBETAが密集したわね~。ロケット砲、発射ッ!」

 月恵が可搬式120mm電磁投射砲台をF-15Cに操作させ、侵攻して来るBETA群の先頭集団を火力で押し留め、後方集団が玉突き状態になり過密状態となった所へ、智恵が複数のS-11搭載227mm自律誘導ロケット弾を発射した。
 レーザー属種はその全てが『凄乃皇』に誘引されており、侵攻して来るBETA群には全く含まれていない。
 その上、『凄乃皇』の優先破壊序列が圧倒的に勝るが故に、ロケット弾はその全てが迎撃される事無く飛翔を終え、指向性の爆発によりBETA群を薙ぎ払った。
 同じ戦法を、後退しながら2度ほど繰り返した結果、師団規模BETAはその全てが掃討されるに至った。



「どうやら、今の所は作戦通りに進んでいるようですね、大尉。」

 部隊内データリンクのオープン回線を通して、美冴がそうみちるに語りかけた。
 現在、みちる以下、美冴と祷子の3人は、再突入殻3機を擁する拠点の防御任務に従事している。
 とは言え、実際には時折はぐれて近付いてくるBETAを、可搬式120mm電磁投射砲台で吹き飛ばす位しか戦闘は発生していない為、ヴァルキリーズ全体の戦況把握と、緊急時に備えた予備戦力的な位置付けとなっている3人であった。

「そうだな。しかし、実際にこうして目の当たりにして見ると、『凄乃皇』の性能は凄まじい物があるな。」

「そうですわね。あれならば、ハイヴ単独攻略が可能と言う話も頷けますわ。」

 祷子が相槌を打つ姿を通信画像越しに見ながらも、みちるは思考を巡らしていた。

(出撃前に行われたシミュレーター演習の時には、あまりに桁外れな性能の高さに、なんらかの機密情報を欺瞞する為の偽装だと思っていたのだが、まさか全て実機通りの性能だったとはな……
 余りに生還の可能性が低い作戦故に、私達が逃げ腰にならない様に心理誘導する為の欺瞞かとも疑ってしまった自分が、今となっては馬鹿らしい。
 副司令がその様な生半可な小細工をする訳など、ありはしないというのにな。)

 みちるは、シミュレーター演習で示された『凄乃皇』の余りに非常識な性能の高さ故に、事前に提示された作戦案すら絵に描いた餅に過ぎず、より過酷な作戦に従事させられるという事態を懸念し、密かに心構えを済ませていた。
 しかし、蓋を開けてみれば、作戦はほぼシミュレーター演習通りに推移し、疑念の元となっていた『凄乃皇』の性能も額面通りである事が判明し、みちるは自身の過剰反応を自嘲せずには居られなかった。

(これならば、作戦通り生還の望みも十二分にあるだろう。
 しかし、それ故に副司令と白銀がもたらした、この異常なまでの革新が空恐ろしい物に感じられてしまうな。
 A-01連隊が発足して以来、ずっと任務に従事していた私からしても、白銀が第四計画に名を連ねて以来の急激な革新の速度には唖然とさせられてしまう。
 副司令の能力の高さは疑い余地も無いが、それにしても余程画期的なブレイクスルーが成されたと考えるべきだな。)

 A-01連隊が発足して以来の戦いの日々を振り返り、第四計画に捧げた仲間達の犠牲の多さと、到底それに見合うとは思えない遅々とした第四計画の進展速度を思うと、みちるにはこの数カ月で達成された第四計画の躍進が異常に感じられてならなかった。
 無論、みちるにとってその躍進は喜ぶべき事であり、今まで捧げて来た仲間達の献身が無為でなかった事の証明でもあった。
 しかし、知る事を許されていない機密情報であるからと繰り返し自身を戒めてみても、みちるはその躍進を引き起こした要因について思いを巡らせる事を自制し切れなかった。

(この所の急激な革新は、白銀をその核としている様に感じられる。
 もしかすると、白銀の存在自体が第四計画が遂に達成した重大な成果なのではないかと思えるほどに……
 以前、正樹が言っていた、米軍が極秘裏に進めているというSES(スーパーエリートソルジャー)育成計画。
 絵空事だと思って馬鹿にしていたが、あながち的外れではないのかもしれんな。
 ―――いや、今は作戦を遂行することに集中すべきだ。
 生きて帰りさえすれば、思索を巡らす事も、事によっては機密を開示される事とてあるかもしれないのだから。)

 みちるは、思索に耽りそうになった自身をようやく押し留め、作戦へと意識を集中させる。
 全ては生還して後の事だと、そう自身に言い聞かせて―――



 ヴァルキリーズが戦いを繰り広げている間、霞は独り装甲連絡艇の中で、自身に与えられた任務に従事していた。
 打ち上げ態勢にある装甲連絡艇の座席は、現在ベッド状に変形し、背もたれからフットレストまでがフラットになったその上に、霞は静かに横たわっている。
 まるで寝入っているかのように目を閉じている霞だったが、頭部の耳飾りとケーブルによって接続された、隣の座席を排除したスペースに設置された装置は、作動状況を示すランプを盛んに明滅させていた。

 現在霞が装着している耳飾りにはバッフワイト素子が組み込まれており、霞の脳裏に浮かぶイメージを高精度で読み取っては、接続された外部記憶装置へと送信し逐次記録し続けていた。
 それは、夕呼の記憶をバックアップするのに使用されていた、イメージバックアップシステムの改良型であり、刻々と移り変わる霞のイメージを録画するデジタルビデオの様な機能を果たす。
 そして、現在記録しているイメージこそが、霞がその身をこの戦場に曝してまで記録しなければならなかった情報―――オリジナルハイヴのリーディングデータであった。

 無論、霞には直接オリジナルハイヴのBETA反応炉から情報を読み取る程の能力はない。
 霞の脳裏に浮かぶイメージは、現在も戦闘を継続していながらも尚、リーディングを敢行している武から、プロジェクションによって送られたイメージであった。
 イメージとは言いながら、霞の脳裏に浮かび上がるのは、極彩色のドットが無数に並んで構成される画像である。
 それが高速で移り変わっていく様は、到底人間がそこに含まれている意味を認識できるような映像ではなかった。

 それは、オリジナルハイヴのリーディングデータを武が圧縮したデジタルデータであり、高密度情報の塊であった。
 本来であれば、プロジェクションは受け手に受容体となる思考や関連付けが無ければ意識すらされない。
 しかし、霞は武が純夏に行うプロジェクションによる仮想現実に何度も参加している。
 その為、自身に受容体となる思考が存在しないイメージであっても、仮想現実の中でテレビを見たり食事をしたりする事で、五感による知覚情報としてイメージを受け取る事に慣れていた。

 しかも、仮想現実に於ける時間経過が、通常の物理的伝達速度の制約から解放されていた為、純粋な思考速度のみに依存し高速でやり取りされる情報にも慣れている。
 その為、霞の時間当たりの情報許容量は常人の十数倍にまで向上していた。
 無論、受け取った映像を霞が詳細に把握できる訳ではない。
 しかし、霞の脳裏に浮かびあがったその映像は、イメージバックアップシステムによって、情報欠損を殆ど生じないままデジタルデータ化されて、外部記憶装置へと記録される為、それ自体は何ら問題とならない。

 通常の無線通信による情報伝達速度を遥かに超える速度と安定性を確立しつつ、霞は武のリーディングデータを記録していく。
 そして、この任務こそが、武が霞を『桜花作戦』に参加させた理由であった。

 オリジナルハイヴでのBETA情報収集―――これこそが、『桜花作戦』の最大の目的である。
 しかし、収集自体は武の00ユニットとしての能力によりほぼ確実に成し得るのだが、問題は収集した情報を如何に確実に持ち帰るかであった。
 武が異なる確率分岐世界群で行った『菊花作戦』では、『凄乃皇・弐型』から、記憶装置を搭載した装甲連絡艇をオリジナルハイヴ『主縦坑』の底から射出したが、あの方法では『主縦坑』内で落下して来るBETAに衝突するなどの危険が付きまとう。
 その為、成功率が低過ぎるというのが武の出した結論であった。

 幸い、ハイヴの地表からであっても、『地上構造物』の周辺―――超大型反応炉の直上付近であれば十分にリーディングが可能な圏内であった。
 地上からならば、射出後の進路上に障害は無く、しかも武が解析したBETA行動特性によれば、脅威目標として認識されていない大気圏外への軌道投入物は、レーザー属種の照射目標となり難い。
 トライアッド演習に於いては、宇宙から地表へと向かう再突入体の検証が行われその安全性が確認されたが、宇宙へ向けて打ち上げられる軌道投入物等も含めて、どうやらBETAは宇宙と地上を往還する物体に対する攻撃行動が抑制されているようであった。

 それを踏まえた上で、武はリーディングを地上で行い、『凄乃皇』が損傷した時点での装甲連絡艇の緊急射出という方法を採用した。
 その上で、それすらも間に合わない場合に備え、『凄乃皇』からリーディングデータを転送し予備の記憶装置へと記録した上で、戦闘に参加していない連絡艇に搭載して地上より打ち上げる方法を併用しようと考えた。
 しかし、リーディングデータを転送する際に無線データリンク等を使用した場合、機密漏洩と通信障害によるデータ欠損のリスクがある為、代替となる転送手段として、武が霞にプロジェクションを行うという方法が採用されたのだ。
 武と霞は、出撃前の演習期間中にプロジェクションによるデータ転送の訓練を繰り返し行っており、その結果十分な信頼性を確保するに至っている。

 全ては、BETAに最優先破壊序列と見做されるであろう『凄乃皇』が、リーディング完了以前に破壊される事態に備えた対策であり、ヴァルキリーズの任務は、リーディングに必要な時間を稼ぐ事と、霞―――ひいてはリーディングデータ・バックアップ・システムの直衛であった。
 同時に、装甲連絡艇はヴァルキリーズの脱出手段でもある為、その防衛は彼女等の生死にも直結していた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 日本時間11時09分、武はオリジナルハイヴの超大型反応炉―――戦略呼称『あ号標的』に対するリーディング、霞に対するリーディングデータのプロジェクション、オリジナルハイヴ外周方面から侵攻して来るBETA増援の迎撃、この3つの作業を並行してこなしながら、その上さらに戦況の分析までも行っていた。

 全方位から照射されるレーザーの射線を個々に解析し、武は射線を極僅かに屈折させるだけで照射可能となるBETA群を瞬時に割り出していく。
 その上で、初期照射が終わり最大出力照射が開始された後は、照射を屈折させる『ラザフォード場』の次元境界面を微細に変化させる事で、BETA群を薙ぎ払うように射線を移動させる事で戦果の拡大に成功していた。
 さらに、目標を割り出す際には、照射源であるレーザー属種の、現時点での残存数や振動波から予測した近未来での出現数を勘案し、レーザー属種の個体数が過大にならない様に間引く事さえ忘れない。

 如何に『凄乃皇』3機を投入した『ラザフォード場』の3重防御であっても、4桁単位の光線級からの照射や、重光線級数百体による照射を受けては、損傷を受けないという保証はない。
 支配的因果律の干渉を考慮に入れ、3機のML機関に障害が発生し、『ラザフォード場』が発生できなくなる事態すら武は視野に入れていた為、『凄乃皇』が瞬時に消滅させられてしまうという事態まで想定していた。

 かと言って、レーザー属種の個体数を減らし過ぎれば火力が不足し、今度は十万単位で押し寄せてくるBETA群を押し留める事が出来なくなる。
 『凄乃皇』3機の荷電粒子砲を以ってしても、全方位から侵攻して来る十万単位のBETA群は、到底迎撃し切れるものではなかった。
 それ故に、武は危うい均衡を保ちながら、『凄乃皇』の安全と、BETA群の迎撃を両立せざるを得なかったのだ。

 それだけ複雑かつ精密な演算を行い、ぎりぎりの戦闘を繰り広げている身でありながら、武の思考はいっそのんびりしていると評してもよい程に冷静であった。

(今の所、戦況の推移は想定内に納まってるな。
 『地上構造物』周辺のBETA増援は、ヴァルキリーズが上手く抑え込んでくれてる。
 尤も、既に崩落させた『門』も累計で10か所が突破され、そこからBETAが再侵攻して来ているから、ローテーションで逐次『門』を崩落させ続けてはいるとは言え、そろそろ限界が近いよな。
 緩衝地帯の開口部も即座に塞ぎ切れなくなってきてるし、こちらもそろそろBETAの大群が溢れ出しそうだ。)

 『凄乃皇』という、BETAを陽動・誘引するのに最適な存在により、有利に戦闘を展開してきたヴァルキリーズだったが、度重なる増援により累計百万近くにまで達したBETA群をこのまま抑え続けるのは不可能であり、この時点で既に限界が見え始めていた。

 地上での戦闘を開始するに当って、BETA増援が自由に出現するに任せていたならば、、極短時間の内に遠近取り混ぜ広範囲に亘ってBETA群が溢れかえり、空中に浮かぶ『凄乃皇』はまだしも、戦術機群は混戦に巻き込まれる事となっていただろう。
 もしそうなってしまっていれば、運用している衛士が18名しか存在しない以上、あっと言う間に戦術機群は物量に押し潰されて壊滅してしまったに違いない。

 それ故に、戦術機を展開させる『地上構造物』周辺への出現個所を限定し、増援を極力ハイヴ内に押し留め、或いは外周方面の『門』へと誘導する必要があったのだった。
 『地下茎構造』を分断する事で、BETA増援が一斉に地表に出現しないようにするという戦術は、現時点に至るまで高い効果を示しているが、それもそろそろ破綻する時が近付いている。

 ハイヴ内上層部に、出口を求めて殺到したBETA群が過密状態となってしまった為、行き場を失った群れが寸断された『地下茎構造』を掘削により復元し始めているのだ。
 今の所、それらのBETA群により開口部が発生する度に、攻撃を加えてBETA群を押し返した上で再度崩落させて塞いでいるが、それもそろそろ間に合わなくなるだろう。
 このままであれば、あと数分で『地上構造物』周辺の地表にBETAが溢れかえる事になり、そうなれば緩衝地帯から内側を戦術機群が、外周方面のBETA群を『凄乃皇』が迎撃するという分担態勢は崩壊し、戦術機群は壊滅的打撃を受けてしまうと武は判断を下さざるを得なかった。

 また、現時点に至るまで難攻不落を誇り、外周方面より迫るBETA群を蹴散らしてきた『凄乃皇』だったが、こちらも全く問題を抱えていない訳ではなかった。
 レーザー照射を正面から受け止めず、次元境界面が照射に対して鋭角になる様に展開する事で、武は少ない負荷によってレーザー照射を屈折させて、侵攻して来るBETA群の殲滅とレーザー属種の間引きという戦果を達成していた。
 しかし、それでも決して短いとは言えない時間照射に曝され続けた事で蓄積してしまった負荷は、『ラザフォード場』を発生させるML(ムアコック・レヒテ)機関の燃料であるグレイ11の消費量増大と、ML機関の精密制御をおこなう武―――00ユニットの量子電導脳の稼働に必須となるODL劣化速度の増加という対価を、武に強いている。

 この内、グレイ11は佐渡島ハイヴ占領時に1トンほどの量が確保されていた為、未だ残量に不足は無い。
 ODLの方も、武が再構成されて横浜基地に姿を現したその日以来、備蓄し続けていた全量を搭載してきているし、様々な劣化対策も用意されていた。

 ODLにエネルギーを再充填して活性化させる簡易浄化装置の搭載。
 リーディングデータを即時解析せずに外部記憶装置と霞に転送し、量子電導脳の記憶領域からデータ削除する事による、ODLの劣化を加速する情報差分の抑制。
 そして、やはりODLの劣化に繋がる情報差分を生じる要因となる、武自身の感情振幅の抑制。

 これらの対策の内、感情振幅の抑制に関しては、軌道降下中に発生したフラッシュバックにより一時的に破綻をきたしており、無視できない程のODL劣化が発生していた。
 あの時武の体内を循環していたODLは、他のODLとの相互干渉を恐れて隔離してある程だ。
 ODLのストックもグレイ11同様、現時点では未だに十分な量が存在するが、現在の高負荷環境を維持し続ける事には不安が付きまとってしまうのであった。

(よし、後1分でリーディングは切り上げて、霞とヴァルキリーズを離脱させよう。
 離脱が終わるまでの間に、リーディングデータから『あ号標的』ブロックの情報を抽出して攻略作戦を策定し、みんなの離脱を見届けたら『凄乃皇』で一気に攻略を開始すれば……)

 軌道爆撃及び戦術機甲部隊の軌道降下を行う第1段階、そして、『地上構造物』周辺地域を確保しBETA情報を収集する第2段階に続く、『桜花作戦』第3段階。
 『凄乃皇』単独侵攻によるオリジナルハイヴ攻略へと、武の思索は既に重点を移している。
 BETA情報の収集と言う目的さえ果たしてしまったならば、それ以降の作戦には自分1人の命を賭ければ十分だと武は考えていた。



 幸い、武が設定した1分という時間が過ぎ去る前にリーディングは完了し、武は第3段階への移行を宣言した。

 『凄乃皇・四型』から、リーディングデータを格納した記憶装置が密封されたコンテナが投棄され、それを回収・運搬した『時津風』が無人で打ち上げられる予定の装甲連絡艇0番機へと格納する。
 その後、垂直発射装置から射出されたAL弾頭弾搭載のミサイルを露払いとして、装甲連絡艇0番機、少し時間を置いて1番機が噴煙を上げて離床し、天空へと駆け上がって行った。
 ところが続いて離床する筈の2番機が、一向に離床しない。
 その為、装甲連絡艇2番機のステータスを確認しようとした武だったが、まさにその瞬間、データリンクのオープン回線を通じて、既に破棄されている筈の複座型『不知火』2番機から通信が入る。

「やっほ~、白銀。この後の作戦プランを教えて貰おうじゃないの。
 ほらほら、さっさとオリジナルハイヴに引導渡してやるわよっ!」

 通信が入ると同時に、複座型『不知火』2番機のステータスを確認した武は、搭乗者である水月と遙のバイタルデータが、未だに2人の搭乗を示している事に愕然とした。
 それとほぼ同時に、残りの予備機を含めた複座型『不知火』17機のステータスを確認した武は、水月と遙の他にもヴァルキリーズの新任達10人全員と、こともあろうに1番機に搭乗していた筈の霞までもが地上に残留している事を知った。
 武は内心頭を抱えながらも、水月に食ってかかる様に言葉を返す。
 同時に、現在の状況から取り得る最善の行動を策定すべく、量子電導脳の演算能力を振り絞っていた。

「何言ってんですか速瀬中尉! それに何だって、13人も残ってるんです?!
 装甲連絡艇は10人乗りなんですよ? 衛士強化装備を装着してたって、座席なしでの打ち上げは危険すぎます!!」

「大丈夫だよ、白銀少佐。
 『凄乃皇』に乗って帰ればいいんだし、いざとなったら、『凄乃皇・四型』にも装甲連絡艇が搭載されてたよね?」

 今度は遙が通信回線に加わり、おっとりとした口調で武の指摘した問題点に対する対策を提示する。
 しかし、遙が提示した方法は、これから『あ号標的』の破壊に挑む『凄乃皇・四型』に、最低でも3名が同行するという事を意味していた。
 如何に武が仲間達の意志を尊重したいと思っているにしても、この先の作戦行動に彼女達を同行させる気には到底なれなかった。

「解かりました。それではA-01の指揮官として命じます。
 速瀬中尉、涼宮中尉、社臨時少尉の3名は直ちに『凄乃皇・四型』に移乗。
 他の10名は装甲連絡艇2番機に速やかに搭乗、『凄乃皇』に移乗した3名も搭載装甲連絡艇に搭乗。
 全員の搭乗が終わり次第、連絡艇を―――「はい、却下―っ!」―――っ、速瀬中尉、抗命は認めませんよ?」

「んっふっふ……抗命じゃないんだなー、これが。はい、これ見なさい!」

 武の言葉に割り込んだ水月に、武は命令に従うようにと告げたが、水月はニヤリと唇を吊り上げキランと瞳を光らせると、通信画像越しに手にした書面をかざして見せる。
 それを一瞥した武の脳裏に、鼠を甚振る猫の様な笑みを浮かべた夕呼の姿が浮かび上がった。

「解かったぁ? ―――速瀬中尉以下ヴァルキリーズ所属衛士12名並びに社霞臨時少尉は、『桜花作戦』第3段階以降に於いて、白銀少佐に同行しその生還を確実ならしめる為、全力を尽くせ! ってね。
 香月副司令からの、最優先命令よ~。」

 書類の陰から、水月の満足気な声が発せられる。
 それに続いて、ヴァルキリーズ残留組と、霞が口々に武に話しかけた。

「あはは……そう言う事だから、潔く諦めてね、白銀少佐。」

 ほんわかと笑みを浮かべて遙が。

「白銀さん……一緒に帰りましょう。」

 大きく見開いた双眸に、強い意志を宿らせた霞が。

「首に縄つけても連れて帰るからね!」
「んだ! 茜ちゃんの言う通りだっぺや!!」

 何処か照れたような顔で、視線を横に逸らした茜と、それに透かさず同調する多恵が。

「あはははは、白銀も年貢の納め時だね。」

 心底楽しそうな笑みを浮かべ、あっけらかんと晴子が。

「白銀君、一緒にがんばろ~。」
「そうそう、力を合わせればさっ、全員無事で帰れるってばっ!」

 両手を胸の前で握り締めて、真剣な表情を浮かべる智恵と、お気楽な笑みを満面に浮かべる月恵が。

「大体、一人でやろうだなんて無茶なのよ。」

 両手の平を両肩の前で広げ、心底呆れかえったという様に千鶴が。

「無茶は白銀の持ち味……だけど、今回は許さない……」

 千鶴の言葉に即座に難癖を付けた後、眉を寄せて武を睨み付ける様にして彩峰が。

「たけるさん、ミキ達の事も信じて下さい! 足手纏いにはなりませんから!!」

 口をぎゅっと結び、真剣な眼差しを注いでくる壬姫が。

「タケルぅ~、ボクと2人なら、どんな危機だって切り抜けられるよ。だから安心してね!」

 どこか夢見がちな瞳を、きらきらと輝かせながら美琴が。

 それぞれが、言葉や態度こそ違えども、不退転の意志と、生還への意欲だけは同じくして、己が意志を武にぶつける。
 そして、皆が語る間、じっと瞑目して聞いていた冥夜が、静かにその頭を下げて口を開いた。

「―――タケル。我等の力ではなく、我等の存在こそが、そなたを生還させる力となる。
 私には、どうしても、そう思えてならぬのだ。
 ―――この通りだタケル。我等の願い、我等の想い、曲げて聞き届けては貰えぬであろうか。」

 その言葉に、一同が固い意志を込めた頷きで同意を示し、武に決断を迫る。
 武は、13人全員の想いを受けて、腹を括った。

「くそっ! わかったよ!!
 全員揃って生還できる作戦を立案すればいいんだろッ!
 やってやるよ! やってやるから―――その代わりこっから先は、素直に指示にしたがってくれよな!」

『『『 ―――了解ッ!! 』』』

 乱暴な言葉の陰に、万感の想いを隠して武が告げると、霞を含めた全員が一斉に声を揃えて応答した。

 仲間達の言葉に耳を傾けていた時間すら有効に活用し、武は既に今後の作戦を立案し終えていた。
 攻略目標とするのは、地球上に存在する全BETAの統括を担う超大型反応炉。
 その即応能力を初めとして、詳細を把握し切れていない不安要因も幾つか残ってはいたが、武は欠片も不安を感じはしなかった。

 なぜなら、自分1人で為そうとしていた時とは比べ物にならない程に強い意志の力が、自身の心の奥底から、それこそ無尽蔵に湧き上がってくるのが実感できたからだった。
 その意志の力さえあれば、今の自分ならば、そして―――仲間達の支えがあれば。
 ―――支配的因果律の軛をも振り払って、今度こそ悔いの無い勝利を手にする事が出来るに違いないと、武は信じる事が出来た。

 作戦を通達し、各員に指示を下しながら、武は心の裡で仲間達に告げていた。
 ―――ありがとう、と。
 それは武の心からの、感謝の言葉であった。




[3277] 第119話 桜花爛漫
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:09

第119話 桜花爛漫

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 トラウマ回避勧告:『ヒロイン戦死シーン』
 今回作中で描写されるフラッシュバックの中で、マブラヴオルタネイティヴの『桜花作戦』に於ける、ヒロイン5名の戦死シーンが描写されております。
 当該シーンにより強い精神的苦痛を誘発される恐れのある方は、当該部分を避けて拙作をお読みいただけるようお願いいたします。
 尚、フラッシュバックの内容は原作の『桜花作戦』の抜粋ですので、概略どの場面かさえ判読なされば、読み飛ばしても話の内容はご理解いただけると思われます。
 拙作第119話をお読みいただく際には、上記の点にご注意の上、御一読願えると幸いです。
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2002年01月07日(月)

 日本時間11時16分、オリジナルハイヴ『地上構造物』周辺の地表は、三度(みたび)BETAによって埋め尽くされようとしていた。

 ヴァルキリーズの先任達6名が地球周回軌道へと離脱し、人員が減少した結果は即座に戦況を傾ける。
 まず、真っ先に『地上構造物』から6km圏内に設定された緩衝地帯の封鎖が破綻。
 その地域から溢れ出したBETA群は、『凄乃皇』目がけて地上を侵攻し始めた。
 これを受けて、遙は武の指示を待たずに、残存戦力である戦術機843機を、BETA群の侵攻に飲み込まれる前に『地上構造物』根元西側の拠点へと撤収させる。

 次いで、『地上構造物』周辺の『門』を全て封鎖し切れないと遙は判断し、これに対する対処を行う。
 『地上構造物』東側の『門』6か所の封鎖を解除し、残る『門』8か所に対する圧力を軽減した上で、拠点に近い西側4か所の『門』に戦力を集中した。

 この時点で、ようやく武がヴァルキリーズ12名及び霞の残留並びに攻略作戦への参加を容認し、今後の作戦指示が簡潔に下される事となった。
 つまり、武を説得し、判断を迫るその間にも、ヴァルキリーズ残留組はBETAとの戦いを継続していたのである。

「よし、それじゃあ、指示を出します。
 霞は装甲連絡艇2番機に移乗。速瀬中尉以下、涼宮中尉、涼宮―――っと、茜の方な、それと築地は装甲連絡艇と拠点の守備に当たってください。
 ハイヴ突入後でも、オレと霞は装甲連絡艇に搭載されている特殊装備で連絡が取れますからね。
 残りは『凄乃皇』と共にハイヴに突入して貰う。
 ハイヴ突入組は、搭乗している『不知火』の他に、各自3機の『時津風』に補給コンテナを運ばせた上で、『凄乃皇』直下に速やかに集結しろ。
 集結が完了し次第、『ラザフォード場』効果圏内に収容する。
 以降、拠点防衛部隊の作戦呼称をα1臨時小隊、ハイヴ突入部隊をα2臨時中隊とし、榊以下、彩峰、鎧衣、珠瀬をA小隊、御剣以下、柏木、高原、麻倉をB小隊とする。
 ―――詳細と質問は行動しながらだ、直ちに行動に移れ!」

『『『 ―――了解ッ! 』』』

 武の指示に応答を返すと、ヴァルキリーズは即座に行動を開始した。
 茜は自身の搭乗する複座型『不知火』を、拠点に唯一残された装甲連絡艇2番機に近付け、互いの搭乗ハッチを舷梯(タラップ)代わりにして霞を装甲連絡艇に移乗させる。

 装甲連絡艇に移乗した霞は、速やかに2番機に搭載された予備のイメージバックアップシステムを起動。
 リーディングデータの記録は完了している為、イメージバックアップ機能自体は必要ないのだが、システムに組み込まれた思念波通信補助機能が有用である為、霞は自身の耳飾りとシステムを接続する。
 後は、武からのプロジェクションとリーディングに備えて待機し、必要に応じて武にプロジェクションを試みたり、武からの指示を水月達に伝えたりするのが、霞の仕事となる。
 霞は自身の内面に集中し、武からのプロジェクションを見逃さない為に、静かに目蓋を閉じて座席に横たわるのだった。

 一方、拠点防衛の為に、残存戦術機群を集結させているα1臨時小隊に対し、武は作戦のあらましを伝える。
 そうしている間にも、『凄乃皇』はレーザー照射に曝され続けているのだが、武はこれ幸いと照射を跳ね返してBETA群の殲滅を継続している。
 しかし、殲滅対象は先程までと異なり、地上侵攻して来るBETA群よりも、レーザー属種が主体となっており、『凄乃皇』への照射は見る見る内にその数を減らしていく。

「―――さて、拠点防衛って言っても、『凄乃皇』がハイヴ内に突入すれば、殆どのBETA群は『凄乃皇』を追ってハイヴ内に引っ込む筈です。
 α1は戦闘行為を最低限に留めて、拠点防衛に当たってください。
 そして、地上に展開するBETA群が十分減少した時点で、地中設置型振動波観測装置を出来るだけ広範囲に敷設。
 これは、反応炉の破壊に成功した後の、追撃戦に備えての準備です。
 最後に、拠点直下からのBETA地中侵攻が察知される等、拠点防衛が困難となった場合は、速やかに装甲連絡艇に移乗して軌道上に離脱してください。」

 α1臨時小隊に属する霞を除く4人は、真剣な表情で武の説明に耳を傾けていた。
 BETAが殺到してきている状況での拠点防衛と言う事で、厳しい戦いを覚悟していた4人だったが、武の説明でハイヴ突入後も『凄乃皇』の陽動が機能し続ける事に気付かされる。
 その途端に、水月と茜の顔が不満げになるのを見て武は苦笑を洩らしそうになったが、なんとか衝動を押さえ込んで説明を続ける。

「追撃戦は、最終的には可搬式120mm電磁投射砲台を、運搬しながら運用する事になると思います。
 オレとα2は反応炉破壊後、ハイヴ最下層でBETA由来の特殊物質回収と施設破壊に当たるので、初期の追撃戦はお任せします。
 他のBETA種は見逃してしまってもかまわないので、レーザー属種と要塞級を狙い撃ちにして撃破してください。
 てことで、追撃戦の準備の方もお願いします―――っと、α2が集結し終えたようなので、これよりハイヴに突入します。
 以降、何かあれば霞に伝えてください。
 それじゃあ、速瀬中尉、後は宜しくお願いします。」

「了解しました。α1臨時小隊は拠点防衛任務並びに追撃準備に当たります!
 ―――留守番みたいでちょっと面白くないけど、社を守んなくちゃなんないから、大人しく引き受けてやるわっ!
 その分、追撃戦で思う存分鬱憤晴らしてやるんだから、さっさと反応炉をぶっ飛ばしなさいよね、白銀。」

 きっちりと真面目な顔で敬礼して復命した水月だったが、直ぐに不貞腐れた様な表情になって、武に対して不平を漏らして見せた。
 武はそんな水月に対し、苦笑して答礼を返すのみだったが、水月の眼だけが表情と裏腹に、真剣な光を宿している事に気付いてもいる。
 武は、武自身とα2臨時中隊の8人を案じる水月に対して、強く頷きを返してから通信を切ると、『凄乃皇』3機と28機の戦術機を上空へと浮上させる。

 28機の戦術機は、3機の『凄乃皇』と一体の物として武が認識し易い様に、各機体の上部に上体を屈めて片膝と両主腕のマニピュレータを着いた着座姿勢で取り付いていた。
 24機の『時津風』は、2機の『凄乃皇・弐型』に分乗し、胸部や両肩、そして船首(バウ)から後部へと延びる浮舟(フロート)の様な双胴部分の上部に、α2臨時中隊の8名が搭乗する複座型『不知火』4機は、『凄乃皇・四型』の胸部上面に着座している。
 何れも、『凄乃皇』各機の装甲に接触しているだけであり、一切固定措置などは施されていないのだが、武の認識により『凄乃皇』と一体化している物として扱われている為、相対位置は固着されたかのよう微動だにしなかった。

 戦術機各機の固定が順調である事を一応念の為に確認した武は、『ラザフォード場』内の重力偏差を調整し、上向きの重力加速を3機の『凄乃皇』と28機の戦術機全体へと作用させる。
 激減したとは言え、未だに襲い来るレーザー照射を跳ね返してBETA群へと叩きつけながら、『凄乃皇』は重力の腕(かいなを)を振り切ってその巨体を上空へと軽々と踊らせた。

 2機の『凄乃皇・弐型』は、『凄乃皇・四型』を中心に横並びになる様に、互いの腹部から伸びる接続用電纜(せつぞくようでんらん・アンビリカルケーブル)で接続されている。
 向かって左から順に、『凄乃皇・弐型R』の腹部左側面から伸びた接続用電纜が『凄乃皇・四型』の腹部右側面へ、そして、反対側の腹部左側面から伸びた接続用電纜が『凄乃皇・弐型L』の腹部右側面へと、4本ずつが接続されている。
 この接続用電纜は、互いのML(ムアコック・レヒテ)機関で生じた莫大な電力を融通する為の物であり、また同時に有線での制御信号を送受信する通信ケーブルとしての役割も担っていた。
 尤も、有線による通信制御システムはサブに過ぎず、メインの制御はバッフワイト素子を用いた思念波通信増幅システムによってなされている。

 また、この接続用電纜を通して互いに電力を供給しあう事で、荷電粒子砲や電磁投射砲の発射に必要となる電力を3機で分担可能としている。
 これにより、荷電粒子砲の量子加速を担う電磁加速装置をより高出力で運用可能となり、『ラザフォード場』による量子収束と機体の防御・機動・姿勢制御等も3機で分担可能な為、併せて荷電粒子砲の発射間隔短縮が可能となった。
 その結果、単機の運用では4分であった発射間隔が、3分にまで短縮されている。
 更に、発射シークエンスを交互に行う事で、3門中2門の荷電粒子砲を交互に発射する交互発射の場合には、90秒毎に1発の間隔での連続発射が可能となる。
 ただし、3門同時に斉射した場合には、『ラザフォード場』の防御出力を最低限に下げた上で、単機運用時と同様に4分間の再充填期間が必要となる。

 いずれにせよ、3機を有機的に連携させる事で、単機運用時の弱点を補った『凄乃皇』は、正に攻防一体の能力を発揮可能となっていた。

 徐々に速度を上げながら、その高度を順調に上げていくその最中、『凄乃皇・四型』の左右下方に位置していた『凄乃皇・弐型』が相対位置関係を滑らかに変化させていく。
 『凄乃皇・弐型L』は、緩やかに下向きの弧を描く接続用電纜を伸長しながらも『凄乃皇・四型』の前方へ。
 逆に、『凄乃皇・弐型R』は、後方へとその位置を移した。
 その結果、『凄乃皇・弐型L』を先頭に『四型』、『弐型R』と縦並びとなった『凄乃皇』3機は、雌伏の時を終えた臥龍が天へと昇るかの如く、その身をくねらせて優雅な飛翔を遂げて、地上1kmの高さに聳え立つ『地上構造物』の先端部へと到達した。

 次の瞬間、爆発的な光芒が『地上構造物』自体を巨大な砲身と化さしめたかの様に、その先端部から天へと迸る。
 光芒の余りの眩さの為、周囲は晴天の日中であるにも拘らず、まるで陽の光が陰ったかの様に薄暗く感じられるほどであった。

 その光芒は、莫大な熱量を以って『凄乃皇・弐型L』を消滅させようと襲いかかる。
 しかし、3機の『凄乃皇』が『ラザフォード場』生成能力の限りを振り絞って展開した次元境界面は、多重展開した最外殻の次元境界面こそ突破されたものの、莫大な熱量を秘めた光芒全てを天空へと逸らす事に成功した。

(くそっ! 『凄乃皇』が最初の照射を跳ね返してから、まだ1時間も経ってないってのに、もう対応しやがったのか!
 『菊花作戦』の時に受けた照射よりも、出力が2倍以上に跳ね上がってやがるぞ?!)

 武は内心で毒づきながらも、冷静に照射が途絶える時を待った。
 ―――そして、遂にレーザー照射が途絶えた瞬間、今度は先程とは天地を逆しまにした光芒が、『地上構造物』の中央に穿たれた『主縦坑』へと放たれる。

 レーザー照射が途切れるその時を、発射口を開いたまま満を持して待ち受けていた『凄乃皇・弐型L』が、荷電粒子砲を撃ち放ったのだ。

 イオン化され加速・収束を繰り返されて、極限まで運動エネルギーを高められ眩い光を放つ微細粒子。
 それらが、胸部砲口部に備えられた重力場形成装置によって形成された重力場によって最終収束され、内包する莫大な熱量と衝撃波を解き放つ方向を、やはり重力場によって形成された砲身によって定められる。
 しかも、今回の発射に際しては、射線周辺に発生する電磁波並びに磁界が、『地上構造物』近くに存在している霞やα1臨時小隊に被害を与えない様に、限界まで収束率を高めての発射であった。

 そしてようやく解き放たれた荷電粒子は、熱と衝撃波となって射線上の空気をプラズマ化させながら『主縦坑』を突き進み、そこに存在したBETA群を全て焼き払い、遂には全長4kmにも及ぶ『主縦坑』の最深部―――『あ号標的』ブロックとの間に立ち塞がる隔壁を直撃して噴き飛ばすに至った。

 『主縦坑』から噴き上がって来る爆風と、『凄乃皇・弐型L』に生じた荷電粒子砲発射の反動に敢えて逆らわず、武は『凄乃皇』を一旦上空へと後退させる。
 そして、続いて発生した吹き返し―――空気の逆流現象と共に、一気に『主縦坑』の中へと『凄乃皇』を突入させるのであった。

『『『 す、凄い…… 』』』

 網膜投影により、まざまざと描き出される戦術機の外部映像を見ていたα2臨時中隊の8名は、その圧倒的な光景に愕然としてしまう。

 自動調光機能により光量が限界まで絞られていたにも拘らず、それでも尚目を焼く苛烈なまでの光の応酬。
 地の底へと続く『主縦坑』の奥より放たれた眩い天空を刺し貫く光の柱と、一転して暗闇に沈んだ地の底へと突き立てられる灼熱の剣。
 そして、その衝撃から立ち直る暇もなく、今度は全く体感加速度を感じないにも拘らず、周囲の光景が猛烈な速度で動きだす。
 光の応酬が終わり、代わりに吹き寄せて来た爆煙が後方へと流れ去ったかと思うと、今度は辛うじて崩壊を免れた『主縦坑』の開口部が急速に迫って来る。
 そして、内壁が視界に覆い被さってきたかと思えば、その壁面が周囲を後方へと流れ去っていくその速度で、自身が如何に高速で落下しているのかを否応無しに味わわされた。
 なまじ加速Gを感じない分余計に恐怖を煽られ、悲鳴を上げそうになるのを必死で堪えるα2臨時中隊の耳朶を、武の冷静な声が打つ。

「あと62秒で『あ号標的』ブロックに到達する。
 到達後、α2は各自1機の『時津風』を遠隔操作して『凄乃皇』の直衛に当たれ。
 ヴァルキリー14(御剣)と16(彩峰)は『凄乃皇』の前面を担当。
 他の6名は、『凄乃皇』の左右側面に展開し、荷電粒子砲威力圏外より支援砲撃を担当しろ。
 『あ号標的』の攻撃手段は、先端部に衝角を備えた長射程の触手状器官だ。
 おまけに、この触手は先端部に『ラザフォード場』と同質の重力偏差領域を、小規模ながら発生させる事が可能だと推測される。
 その重力制御により、高速かつ自在に飛来するし、先端部への攻撃は無効化される恐れが高い。
 触手への迎撃は、先端部を避けて触手本体を狙え!
 ―――よしっ! 『主縦坑』の底を抜けるぞッ!!」

『『『 ―――ッ!! 』』』

 武の言葉を耳にして、千鶴の、冥夜の、彩峰の、美琴の、壬姫の―――そして、晴子、智恵、月恵の瞳から動揺が消え去り、代わりに強い戦意が満たされていく。
 そして、『主縦坑』の底に穿たれた破孔を『凄乃皇・弐型L』が通り抜けた瞬間、8機の『時津風』が8人の意志を体現する存在として、オリジナルハイヴ最下層『あ号標的』ブロックへと、噴射跳躍ユニットを全力噴射して跳び出した。

 一方、『凄乃皇』は『主縦坑』の底を抜け『あ号標的』ブロックに侵入するなり、速やかに相対位置を縦列から横列へと変化させ、充填作業―――粒子加速と収束―――を終えた状態の『凄乃皇・弐型R』が、荷電粒子砲前面を保護する装甲を左右に展開して砲口を開く。
 武が、荷電粒子の最終収束を行いつつ、荷電粒子砲を撃ち放って跡形も無く吹き飛ばしてしまうその前に、憎んでも憎み足りない人類の―――そして純夏の仇敵たる『あ号標的』を一目見ようと、外部映像を拡大する。
 そして、『あ号標的』頭頂部に存在する、巨大な眼球を3対縦に並べた様な異様な器官を目にした、その瞬間―――

(くそッ! またフラッシュバックがッ!!)

 ―――武の思考を押し流そうとするかのように、土石流の如く凄まじい勢いで渦巻くイメージが、フラッシュバックと共に武を襲った。



≪BETA反応炉特有の青白い薄明かりを照り返す、外から内へと徐々に小さくなっていく、3枚の平皿を重ねた様な『あ号標的』ブロック中央部の床。
 一見、3重になった花冠の様にも見えるその床の中心には、雌蕊(めしべ)状の柱が屹立しており、その最上部に横浜や佐渡島の反応炉を十数倍に巨大化した様な、卵型の超大型反応炉が安置され青白い光を放っている。
 その超大型反応炉の更に頭頂部には、大小無数の触手状器官が生え、不気味に蠢いていた。

 それらの触手群の中でも、一際太く魁偉な触手が中央にその膨れ上がった頭部状器官を擡げ(もたげ)ており、その皺だらけの先端部には巨大な目玉状の器官が6つ、2列3段に並んで備わっている。
 恐らくは感覚器官と思われるその頭部状器官に、威嚇的に掲げられた攻撃用の触手とは異なる、ほっそりとした1本の触手がその先端部を近付ける。
 それと前後して何処からともなく聞こえてくる、無機質な合成音声(マシンボイス)の様な霞の声。

 『 『兵士級』に再利用される最新の標本を提供する。証明せよ―――
  ―――『これ』が生命体である訳がない。証明せよ―――』

 そして、まるで顔の前に手でつまんだ物を掲げる様にして、作業用であろう細い触手の先端部にぶら下げられた1つの死体。
 ―――無残にも破損し、ぼろぼろになった衛士強化装備をまとい。
 ―――特徴的な髪形は、力無く崩れて垂れ。
 ―――半開きの口と鼻孔から血を流し、だらりと全身を弛緩させている。

 ―――壬姫の死体であった。≫



 武の心中を、強い怒りと悲しみが吹き荒れる。
 それはフラッシュバックに付随する感情か? それとも、知覚したイメージに対する武自身の感情なのか?
 それすらも、判別できない武に、さらなるフラッシュバックが立て続けに襲いかかる。



≪左肩に突き刺さった『あ号標的』の攻撃用触手と、腹部に突き立てられた己が74式戦闘用長刀によって、『凄乃皇・四型』の胸部に無残にも縫い止められている紫色の『武御雷』。
 『武御雷』は既に右足と噴射跳躍ユニットを失い、更には攻撃用触手が突き刺さった右主腕はその制御を半ば奪われ、機体の各所を削り取られた上にBETAの返り血によって汚された、満身創痍の姿を晒している。
 しかも、『凄乃皇・四型』までもが『ラザフォード場』の守りを失い、荷電粒子砲の左右装甲扉にまで2本の攻撃用触手を突き立てられていた。

 絶体絶命―――万策尽きたとしか思えないその状況に、冥夜が渾身の力を振り絞った叫びを放つ―――

 『……っ……この……私がッ……
  …………貴様の……言いなりになるとッ……思うでないぞ……ッ……」
  ………………人類をッ…………なめるな……ッ……
  ―――人間をなめるなあぁぁぁぁぁっ!!』

 血を吐く様な雄叫びを上げた冥夜は、『武御雷』を縫い止めている触手を一時的に制御を取り戻した右主腕で、右主腕に突き刺さる触手を左主腕で握り締めると、力尽くで引き千切った。
 次いで、腹部に刺さる長刀に手をかけ、引き抜こうとする『武御雷』だったが、その暇すら与えず、間髪入れずに襲いかかった数本の攻撃用触手が『武御雷』を襲い、左右両主腕と頭部までもをもぎ取ってしまう。
 最後の力を振り絞った行動すら無為に潰え、これまでの戦闘で傷を負ったのか苦しげな冥夜の言葉が響く。

 『……タ……ケル…………』

 そこへ、更に追い打ちをかけるが如くに、止めとばかりに放たれる6本の攻撃触手―――しかし、それらの触手は、『凄乃皇・四型』と『武御雷』に突き刺さっていた触手ごと、発光現象を伴う程の出力で展開された『ラザフォード場』によって弾かれる。

 冥夜の成した行いがなんらかの奇跡を呼んだのか、この時『凄乃皇・四型』は『ラザフォード場』という盾と、荷電粒子砲という矛とを取り戻していた。
 それでも尚、繰り返し触手が放たれ叩きつけられるが、『凄乃皇・四型』の『ラザフォード場』は小揺るぎもせずにその全てを跳ね返し続ける。
 その攻防の最中、武へと語りかける冥夜の言葉が響く。

 『―――タケル……撃つのだッ……!
  ―――奴らの対処能力を……侮るなッ!!
  ―――この勝機を……逃すでない……ッ!!
  ―――愚か者……ッ! ―――何を躊躇っておるのだッ……ッ!!
  ―――そなたには……そなたには、私達が背負っている者たちの姿が見えぬのか……ッ!』

 激痛に襲われているのか、息を切らし、途切れ途切れの言葉の端々に、押し殺された苦悶の声が混じる。

 『……私達に未来を託し……先に逝った者たちの願いが……
  我らを信じて……道を拓いた者たちの……
  笑って命を差し出した者たちの想いが…………
  ―――そなたには届かぬのかッ!?
  ―――うッ―――うああああぁぁぁぁっ!!!』

  遂に押し殺し切れずに上げた冥夜の絶叫と共に、首から下を無数の触手によって浸食された冥夜の姿が浮かぶ。
  己が身体を侵す、怖気を振るう感覚を少しでも抑える為に、冥夜は鎮静剤を自身に投与して、尚も武に語りかける。

 『―――なんのためにッ……皆がそなたを……ここに……導いた……ッ!!
  ……頼む…………撃ってくれ…………タケル……
  ……影として…………影としての生を受けた私が……
  ……斯様な死に場所を得る事は……身に過ぐる栄誉だ……
  ……今ここで果てるに……何の迷いがあろう……
  ……お願いだ……タケル……
  ……今わの際の我儘……どうか……聞き入れてくれ……
  ……せめて……ッ……せめて……最後は……ッ!
  …………愛する者の手で……
  ―――そなたに撃たれて逝きたいのだ……ッ!!」

  常に毅然とした姿を崩さない冥夜が、この時ばかりは己が感情を縛り上げて来た縛鎖を緩め、その双眸から滂沱と涙を流して切々と訴えかける。

 『私の生涯が……例え……
  影としての生でしかなかったとしても……
  ……そなたが……そなたが生き続け……
  ……私という人間が存在した事を……
  ……御剣冥夜がこの世に在った事を……覚えていてくれさえすれば……
  …………私は……幸せなのだ……
  …………墓まで持って逝く……つもりだったのに……ッ……
  ……私の弱さを…………ゆるせ……鑑……ッ……
  ―――あぁぁぁぁぁぁぁぁっ―――撃ってくれタケルッ……!!
  ……私を……奴らの慰みものにっ……するでない……ッ!』

 そして、遂に放たれる『凄乃皇・四型』の荷電粒子砲。
 その光芒は、『武御雷』を―――そして、そこに搭乗している冥夜を真白き光で包み、現世の鎖から解き放つと共に、汚らわしき侵奪者、人類の仇敵、BETAの首魁たる『あ号標的』を消し飛ばす。
 その、人類の希望が、人類の願いが、人類の想いの全てが込められた聖なる光の刃に包まれて、全ては無へと帰していく……

 一つの、儚く清らかな想いを残して……

 『……姉……上…………』 ≫



 2つのフラッシュバックに立て続けに襲われた武は、愕然として全ての行動を放擲してしまった。
 幸い、『凄乃皇』と『不知火』、そして『時津風』を包む『ラザフォード場』の制御だけは、無意識下で保持されていた物の、発射寸前であった『凄乃皇・弐型R』の荷電粒子砲は、発射されないままで放置される事となってしまった。

 最終収束がなされながらも、一向に発射されない荷電粒子が発する内圧を保持し切れず、荷電粒子砲の緊急停止装置が作動。
 荷電粒子の収束が緩められ、徐々に運動エネルギーが緩和されていく。
 かくして、荷電粒子砲の発射は未発のままに終わってしまった。

 その様な事態にも拘わらず、武の思考はその全てをフラッシュバックの内容に占められていた。

(―――な、何なんだ、今のはッ!?
 オレが……このオレが冥夜を殺したってのか?! それも……『凄乃皇』の荷電粒子砲で?
 ―――バカなッ!! そんな、そんな事があってたまるかッ!!!
 それに……あの、たまの死体だって……一体、何処の確率分岐世界の因果情報だっていうんだ?!)

 武が呆然自失する間に、『あ号標的』はその防衛機構である攻撃用触手を『凄乃皇』目がけて放って来た。

 猛烈な勢いで迫る触手―――しかし、その触手を迎え撃つ2振りの刃があった。
 74式近接戦闘長刀の鋭い斬撃が3度放たれ、6本放たれた触手の内3本を見事に断ち斬る。
 噴射跳躍によって『時津風』を宙に躍らせて、触手を分断して退けたのは、冥夜と彩峰であった。
 冥夜が2本、彩峰が1本を断ち斬ると、2機の時津風は『凄乃皇』を背に負う形で着地し、次の攻撃に備えて長刀を構える。

 残る3本の触手がそれでも『凄乃皇』へと迫るが、その内2本を、壬姫が続け様に放った、試製50口径120mmライフル砲の砲弾が貫いて分断。
 残る1本も晴子が指切り連射で放った、試製01型電磁投射砲の灼熱の光を放つ36mm弾がズタズタに引き裂く。

 試製01型電磁投射砲は、試製99型電磁投射砲が120mm砲弾を採用した結果、戦術機の搭載火器としては運用に難があった事を受け、『凄乃皇・四型』に搭載されている36mm電磁投射砲を転用して試作された兵装であった。
 口径が36mmに縮小された事で、電磁投射砲本体の重量が軽減され、さらには装弾数も2000発に留めた結果、87式突撃砲の2倍程度の重量に過ぎない。
 全長も87式突撃砲の6割増し程度で納まり、高初速故の反動も両主腕で保持する事で吸収可能なレベルに抑えられていた。

 今回、『桜花作戦』に投入された『時津風』の凡そ半数が、この試製01型電磁投射砲を装備しており、α2臨時中隊の残り4人が操る『時津風』も両主腕でこの電磁投射砲を保持し、油断なく次なる攻撃に備えている。

「タケルッ! そなた何を呆けているのだ!!
 荷電粒子砲はどうしたッ?!」

 『あ号標的』からの次々に襲い来る触手を、縦横無尽に跳び回りながら長刀を振るって撫で斬りにしつつ、冥夜が武を叱咤する。
 すると、思考の迷宮に捉われていた武が、冥夜の声に反応し、慌ててその安否を問う。

「冥……夜……?
 冥夜! 無事か? 無事なんだな?!」

「そなた、何を寝ぼけておる!
 一刻も早く、荷電粒子砲を撃つが良いッ!」

 未だにフラッシュバックの悪夢から醒め切っていない武は、冥夜から荷電粒子砲を撃てと言われて躊躇してしまう。
 しかし、そんな武の背をやんわりと押す、壬姫の言葉が投げかけられた。

「たけるさん、落ち着いて撃てば大丈夫だよ。
 だって、ミキが―――私達がここに居るよ?
 みんなで、たけるさんの事をちゃんと信じてるから―――
 だから、絶対―――絶対に大丈夫だから、自分を、私達を信じて、自信を持って撃って下さい……たけるさんッ!」

 壬姫の言葉に、武は周囲の状況を再確認する。
 すると、即座に感じられたのは自身のすぐ傍―――『凄乃皇・四型』の胸部上面に着座している複座型『不知火』に搭乗する仲間達の放つ、8つの温かな思考波であった。
 冥夜が、壬姫が、そして、千鶴、彩峰、美琴、晴子、智恵、月恵―――α2臨時中隊に属する8人の、健やかで何物にも侵されていない思考波が、確かな輝きと共にそこに存在していた。

 悪夢の中で喪われた冥夜と壬姫、そして、その他6人の仲間達の存在が、武の精神を現実へと立ち返らせる。
 正気に返った武は即座に状況を把握すると、緊急停止装置が起動してしまった『凄乃皇・弐型R』の荷電粒子砲発射を断念。
 しかし、『主縦坑』突入に際して荷電粒子砲を発射した『凄乃皇・弐型L』の再充填が完了していた為、これを即座に発射した。

 眩い荷電粒子砲の光芒が、『凄乃皇』の前方で触手を迎撃していた2機の『時津風』を瞬時に蒸発させ、そのままの勢いで『あ号標的』に襲いかかる。
 そして、爆発的な光芒が途切れ、辺りを席巻している余波の衝撃波や爆風が徐々に納まっていく。
 遂に放たれた荷電粒子砲の威力を目の当たりにして、作戦の完遂を確信したα2臨時中隊の8人は、笑顔を浮かべる。

 ―――しかし、武は表情を緩める事無く、『凄乃皇・四型』の荷電粒子砲を発射態勢に移行させる。
 視界を爆煙に塞がれはしても、武のリーディング能力が、未だに『あ号標的』が消滅していない事を察知していたのだ。
 そして、時間稼ぎに小型VLS4基から、各4発ずつ計16発の通常弾頭ミサイルを斉射しながら、武は忌々しげに吐き捨てる。

「―――触手の小規模な重力偏差領域を束ねて、荷電粒子砲を逸らしやがったな?
 地上から突入する時に荷電粒子砲を使って見せていたとはいえ、随分と大した対処能力じゃねえか。
 けどな、その有様じゃ、もう防ぎ切れねえよなあ…………このくそったれが、喰らいやがれッ!!!」

 爆煙を貫いて着弾した通常弾頭ミサイルの爆発により、視界を遮っていた煙が吹き飛ばされて『あ号標的』の姿が露わになる。
 触手の殆どを吹き飛ばされて失い、超大型反応炉も所々欠損してはいたが、それでも尚、屹立し続ける雌蕊状の姿は、未だに『あ号標的』が健在である事を示していた。
 16発のミサイル直撃も、然して応えたとも思えぬ『あ号標的』だったが、武の攻撃はこれからが本命であった。

 『凄乃皇・四型』の砲口が開き、最終収束を開始すると、途端に武の脳裏に先程の冥夜の死に様が蘇る。
 しかし、武は自身の心の内を喰い荒らそうとする獰猛な感情を抑え込み、明鏡止水の如き静かな心を取り戻すと、『あ号標的』目がけて荷電粒子砲を撃ち放つ。
 『凄乃皇・四型』が放った荒れ狂う熱と衝撃波は、神の刃と化して『あ号標的』を斬り刻み、今度こそ跡形も無く消滅させたのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 日本時間11時31分、地球周回軌道に乗った装甲連絡艇1番機の艦橋の中で、オリジナルハイヴ反応炉の停止を、広域データリンクからの情報で知ったヴァルキリーズの先任達が喜びに沸いていた。

 しかし、満面に笑みを浮かべ、喜色を顕わにする5人を他所に、唯1人、葉子だけは身じろぎもせずに硬い表情を浮かべ、網膜投影される広域データリンクの情報画面を見詰め続けて居た。
 未だにその身にまとっている衛士強化装備は、広域データリンクとの接続を維持しており、本来であれば『桜花作戦』の進捗状況を逐一把握できる筈であった。
 にも拘らず、現在、広域データリンクを経由して葉子達が得られる情報は極僅かな物に過ぎない。

 反応炉停止の情報とて、『桜花作戦』の戦況推移として知らされた訳ではなく、オリジナルハイヴの活動を監視している衛星データの解析結果から知り得ただけであった。
 現在、『桜花作戦』の戦況情報の全ては最重要機密事項に指定されており、戦場で戦っている武達を除けば、横浜基地のオルタネイティヴ4直属の要員しか閲覧出来ない様になっている。
 『桜花作戦』参加要員として、閲覧資格は与えられているみちる達6人であったが、機密保持の観点から現時点では戦況情報の閲覧を禁じられていたのであった。

 その様な状況下で葉子が見詰め続けているのは、現在搭乗している装甲連絡艇の航宙スケジュールと、周辺空域の空間飛翔体情報であった。
 地上に残された装甲連絡艇が打ち上げられれば、もしくは、『凄乃皇』が軌道上へと上がってくれば、葉子が監視している情報に何らかの変化が見られる筈であった。
 そんな葉子に気付いた葵が、そっと葉子の肩に手を添えて語りかける。

「葉子―――地上に残ったぁみんなが心配?」

「うん…………」

 ようやく俯き加減だった視線を上げた親友を、少しでも安心させようと葵は満面に笑みを浮かべて告げる。

「大丈夫だよ。みんな、元気でぇ帰って来るって。
 白銀君が他のぉみんなを死なせるぅ訳が無いし、白銀君自身は、あの娘達のぉ想いがきっと守ってぇくれるよ。」

「………………うん。そうだよね……」

 ほんの少しではあったが、葉子が唇の端に笑みを浮かべるのを見た葵は安堵し、葉子の隣の座席に着いて取り留めのない世間話を始める。
 余計なお世話かもしれないとは思いながらも、人一倍生真面目で、ともすれば悲観的な想いに捉われがちな親友を、案じずにはいられない葵なのであった。

 オリジナルハイヴの反応炉が停止しても尚、A-01の『桜花作戦』は未だに作戦継続中であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 日本時間11時32分、『あ号標的』を消滅させた武は、反応炉の機能が完全に停止したかを判別する為、周囲を精密探査している最中であった。

「―――タケルぅ、ボク、なんだか嫌な予感がするんだ……
 今すぐに、此処から動いた方が良い様な気がするんだけど、まだ、此処に留まらないと駄目?」

 そこへ通信回線を通じて告げられた美琴の言葉に、武はすぐさま霞にプロジェクションを行って、地上の戦況推移を問い合わせる。
 既に、反応炉破壊の通達と追撃開始の指示をプロジェクションで行ってあった為、想定通りであればオリジナルハイヴから撤退するBETA群の第一陣を、α1臨時小隊が把握し追撃している筈であった。

 霞の応答を待つ間に、武はODLの残量を念の為確認する。
 『あ号標的』ブロック突入後に発生したフラッシュバックの所為で、武のODLは自閉モード直前にまで劣化してしまっていた。
 武が自閉モードに入らずに済んだのは、ODL簡易浄化システムと体内のODL循環経路を直結して、常時循環させていたお陰であった。

 簡易浄化システムから劣化していないODLが体内へと供給されていた為、なんとか自閉モードに移行せずに済んだのである。
 それでも、フラッシュバック中に体内を循環していたODLは劣化が激しく、再利用出来ないどころか他のODLに影響を与えない様に隔離しなければならない程であった。
 その為、手付かずのODL残量が大幅に減少してしまったが、武は劣化ODLの全てを予備のODLへと交換する羽目になっていた。

 今回と同レベルのフラッシュバックがあと2回も発生すれば、予備のODLも底を突いてしまうだろうと、武は予想せざるを得ない。
 その為、武がフラッシュバックに対する対策の検討に移りかけた所へ、霞からプロジェクションで応答が入る。
 霞のプロジェクションでは情報量に難があるので、プロジェクションは準備完了を知らせるだけのものである。

 武は直ちに霞に対するリーディングを行い、地上の状況を把握する。
 その結果、地上では撤退を開始したBETA群に対して、試製50口径120mmライフル砲による攻撃を行い、レーザー属種と要塞級のみを狙った各個撃破を開始していた。
 それと並行して、追撃戦の主力となる可搬式120mm電磁投射砲台のハイヴ外周方面への運搬も行われている。

 この戦況を見る限りでは、状況は予測通りに推移している。
 少なくとも地上では何ら変事は発生しておらず、反応炉停止を裏付ける情報しか得られなかった。
 しかし、武は美琴の予感を重視して、それに極力沿う行動方針を立案する。

 次の作戦目標は、『い号標的』―――G元素精製プラント、通称『アトリエ』の占拠である。
 予定では、『い号標的』への侵攻ルートを遮断している、『あ号標的』ブロック西側の門(ゲート)級BETAに、プロジェクションを行うか開放促進物質を補給導管に注入して、隔壁を開放させる事になっていた。
 だが、門級の隔壁開放速度は、殊に開放促進物質を使用した場合には緩やかな物となってしまう為、相応に時間を失ってしまう。
 それでは、美琴の言う即時移動という提案は満たせない―――ならば、最も速やかに進路を確保するには…………

「よし、閉鎖されている西側門級の隔壁を破壊して突破する。
 α2は『時津風』で後方を警戒。『主縦坑』からのBETA侵入に備えてくれ。」

 武は指示を出すと同時に、『凄乃皇』を西側門級隔壁から1500mの地点まで移動。
 左右両腕部に搭載された、超超大口径砲である2700mm電磁投射砲の照準を門級の隔壁へと定める。
 弾種は炸裂弾。
 照準は、右腕を隔壁の上部、左腕を下部に合わせ、そこから時計回りに6連射、計12発を続け様に叩き込んだ。

 凄まじい弾速で打ち出されたトレーラーサイズの炸裂弾は、砲口を出た直後に炸薬を起爆して拡散を開始しているにも拘らず、1500mの砲撃距離では直径150mまでしか散布界が広がらない。
 しかし、武は精密照準により、その120mm砲弾よりも遥かに大きな散弾を撒き散らす砲撃を、隔壁中心から直径300mの円周上に正12角形を描く様に着弾させた。

 砲撃終了後、武は『凄乃皇』を速やかに前進させながら、砲撃で描いた正12角形に合わせて『ラザフォード場』を突出展開。
 砲撃によりボロボロになっている門級の隔壁に接触させると、重力偏差によって接触部分を完全に崩壊させた。
 その結果、20秒足らずの短時間で門級の隔壁には、直径300mの円に内接する正12角形の形に、『凄乃皇』が潜り抜けられるだけの破口が穿たれる事となったのである。

『『『 ……………… 』』』

 あまりの荒技に、α2臨時中隊の8人は唖然として言葉を失ってしまう。

 しかし、武は当然の様な顔をして、『凄乃皇』を『四型』『弐型L』『弐型R』の順に縦列に並べ直すと、南西側『主広間(メインホール)』へと続く『横坑』へと進入させてしまう。
 ちなみに、接続用電纜の長さに制限がある為、『弐型L』が上に、『弐型R』が下にずれたへの字型の縦列となっていた。

「2700mm電磁投射砲は、もともとハイヴの内壁を壁抜きする為の兵装なんだ。
 さっきのは炸裂弾だったけど、隔壁貫通弾頭(バンカーバスター)もあるから、ある程度の厚さの壁でもぶち抜く事が可能とされている。
 勿論、ハイヴ内で遭遇したBETA群を殲滅するのにも使えるけど、近距離だと弾速が速すぎて散布界が狭いから費用対効果が悪いのが難点だな。」

 仲間達に、2700mm電磁投射砲の蘊蓄を語りながら、武は『横坑』前方―――『主広間』方向の探査を行う。

「―――なるほど、美琴の予感の原因はこれか。
 α2各員に告げる。前方より『主広間』に配置されていたと思われる、20万体を超えるBETA群が侵攻してきている。
 先鋒を気化弾頭弾で押し戻した後、『凄乃皇・四型』の荷電粒子砲で吹き飛ばして強行突破する。
 現在『凄乃皇』から離れている『時津風』は、直ちに着座位置に復帰せよ。」

『『『 ―――了解! 』』』

 探査の結果から武は、現在進行している『横坑』の『主広間』側にも存在している門級の隔壁が開きつつあり、そこからBETA群が『あ号標的』ブロックに向け、この『横坑』を侵攻し始めている事を察知した。
 美琴の予感に従い、速やかに『あ号標的』ブロックを離脱したお陰で、未だに門級の隔壁は開き始めた所であり、『横坑』に侵入してきているBETA群は数千体に留まっている。
 武は、小型VLSの気化弾頭弾で先鋒を押し返した後、『凄乃皇・四型』の荷電粒子砲で『横坑』へと殺到してきているBETA群を殲滅し、突破口を開く事を選択した。

 もしも、美琴の予感に従わずに『あ号標的』ブロックに留まっていたならば、恐らくは四方に位置する4つの『主広間』から合計100万体近いBETA群が殺到して来ていたであろう。
 そうなれば、さすがの『凄乃皇』でも撃退は難しく、『主縦坑』への撤退を余儀なくされたに違いない。
 武は美琴に内心で感謝しながら、『凄乃皇』を『主広間』へと前進させ、指向性気化弾頭弾を発射しながら『主広間』強行突破の障害となりそうな要因が無いか思案を巡らせる。

 その結果、純戦闘能力的には『凄乃皇・四型』の保有する火力のみで十分突破可能との結論が即座に出た。
 残る不安要素は、やはりフラッシュバックの問題になるであろうと武は判断し、対策を講じる。

 感情の振幅が激しくなった時点で発動する後催眠暗示がその対策であり、フラッシュバックを入力一次情報として記録しながら、その内容に関しては情緒が連動しない様にするという内容の暗示であった。
 この対策により、フラッシュバックで流入する因果情報自体に感情が付随している場合、その情報によるODL劣化は避けられないが、それに武の感情が揺さぶられて更なる劣化を誘発する事は回避できる。
 後は、ODLの急速な劣化に連動して、劣化ODLの隔離と循環ODLの予備への交換が自動的に行われる様にして、武は自閉モードへの移行が阻止される様に計らった。

 それらの措置を施している内に、『凄乃皇』は『横坑』端部付近に到着し、前方に密集した20万超のBETA群に対して、最終収束後に形成される重力場による砲身を複数形成し漏斗状配置する、拡散モードで荷電粒子砲を発射。
 無数に積み重なり分厚い壁の様になって立ち塞がっていた、BETA群の中央付近に存在した個体が噴き飛ばされ、リング状に床や天井、側壁に張り付いているだけとなったその空隙へと、武は『凄乃皇』を突進させた。

(ッ―――やはり来たか!)

 門級の残骸と化した隔壁を潜り、『主広間』へと進入を果たした所で、またもやフラッシュバックが武を襲う。
 しかし、後催眠暗示が発動し、武は現実とフラッシュバックの両方を同時に知覚しながら、現実の戦況に着実に対応し続ける。
 天井方面に残存するBETA群に対して、『凄乃皇・四型』の頭部に搭載された120mm電磁投射砲と、小型VLSの広域制圧弾頭弾による攻撃を行い、ごっそりと天井から削ぎ落として進攻路上方の安全を確保しながら、武はフラッシュバックを認識していた。



≪戦域マップの中で、旅団規模のBETA群が1200mの地点にまで迫っていた。
 しかし、まるで奇跡の様に周囲に全くBETAが存在しない『主広間』の一角、門級の補給導管の上で2機の白い武御雷が門級隔壁の閉鎖作業を行っていた。
 その上空を、美琴から第二隔壁―――『あ号標的』ブロック側の門級隔壁―――の開放準備作業を依頼された冥夜が乗る、紫色の『武御雷』がフライパスしていこうとしていた。
 それを戦域マップに表示されるマーカーで確認しながら、秘匿回線越しに会話を交わす壬姫と美琴。

 『―――鎧衣さん……これで良いんだよね……?』

 『―――うん、そうだよ。これが一番良い方法なんだ……!
  冥夜さんがここを通過したら、壬姫さんも付いて行くんだよ?』

 『―――うん……』

 何か迷いを抱えているかのように、歯切れの悪い壬姫に対して言い聞かせるように言葉を重ねる美琴。
 しかし、それでも壬姫の表情が晴れない事に、美琴は愁眉に顔を曇らせながらも、壬姫を説得しようと言葉を連ねる。

 『―――壬姫さん、さっき約束したじゃないか……!
  ―――それに、こういう時の勘には……結構自信あるんだ。
  ―――1回目の総戦技演習の時……結果的にボクの勘、当たってたでしょ?
  ―――もうあの時みたいに遠慮しない……
  ―――だって今、ボク達はスタンドアローンで、臨機応変な行動が求められているから……
  ―――変に遠慮したせいで、僕が好きな人達が不幸になるの……嫌だしね。
  ―――お願いだから……ボクを信じて……ね?』

 その美琴の真摯な想いが通じたのか、壬姫は力ない物ではあったが小さく笑みを浮かべて美琴に応える。
 それを見て、美琴も愁眉を開いて笑顔を浮かべた。

 『―――……信じます。
  ―――私も、大好きな人達が幸せになって欲しいから……
  ―――だから、自分のできること……精一杯やるって決めたから……』

 『―――大好きな人……か……』

 『―――うん……』

 2人共に、笑みを浮かべて暫し感慨に耽る。
 美琴も壬姫も、はっきりと口にはしないものの、心中に誰かの面影を思い浮かべている様子であった。

 『―――なんか……なんだかんだ言って、みんな……結構気があってたんだね……』
 『……えへへ、そうだね……好みは同じだったって事だもんね……』
 『―――あはは。千鶴さんと慧さんもそうだってわかった時は、びっくりしたけどね。』
 『―――あははは……』

 2人は、『桜花作戦』出撃前夜に交わした会話を思い出すと、温かな気持ちになって満面に笑みを浮かべた。

 『―――鎧衣さん……
  ―――任務……絶対成功させようね!』
 『―――うん!』

 そして、決意を込めた頷きを交わす壬姫と美琴。
 だが、その表情は、2人の言う『任務』が『桜花作戦』とは似て異なる物を指しているように思えるものであった。

 同じ場所、同じ白い2機の『武御雷』、しかし、間近に迫るBETA群と、それを懸命に迎撃する壬姫の様子が、先のイメージから時間が経過している事を物語っている。
 その、緊迫した空気の最中、美琴が弾んだ声を上げる。

 『―――よし……! これで作動するはずだ……!
  ―――やったぁッ!!
  ―――壬姫さんやったよッ! 閉鎖装置が動いたよッ
  ―――もういいから下がって!』

 『―――でも……御剣さんが言っていた2万の敵が、予想より早く接近中なんですっ!
  ―――今ここを放棄したら……鎧衣さんが『脳』を破壊できなくなっちゃうよ……!!
  ―――やっぱり駄目だよっ!
  万が一失敗したら、BETAが『横坑』に進入しちゃう。』

 閉鎖装置の修理を終え、閉鎖促進物質の門級補給導管への注入開始を確認した美琴は、壬姫を『横坑』へと下がらせようと声をかける。
 しかし、壬姫は迫りくるBETA群の危険を盾に、その言葉に抗う。

 『―――壬姫さん! それじゃ約束が違うじゃないかっ!
  ―――さっきだって、冥夜さんについて行くはずだったのに……勝手に残ったじゃないか!!』

 壬姫の意外なまでの頑なさに、美琴は焦燥に駆られて声を荒げ、壬姫と交わした約束を持ち出して後退を強いようとする。
 常の壬姫であれば、従っていたであろう強い語調の美琴の言葉に、しかし、壬姫は謝罪と言う形ではあったが、はっきりと拒絶の意思を告げる。

 『―――鎧衣さん、ごめんなさい……!
  ―――私はもう、他人に合わせて波風立てないようにするのはやめたんです!
  ―――私の大好きな人達を守る為に……!
  ―――完全閉鎖の直前まで……ここを守りますッ!』

 壬姫の決意を聞いた美琴は、自身の乗る白い『武御雷』を噴射跳躍させる。

 突然自機の横に着地し、支援砲撃を始めた美琴の『武御雷』に、壬姫が驚愕の表情を浮かべる。
 そんな壬姫に、美琴は簡潔に支援に来た理由を告げた。

 『―――第一隔壁が完全に閉まるまで『脳』は破壊できない!
  ―――半開きのままになっちゃうからね!
  ―――完全閉鎖の直前まで、ここをふたりで守ろう。
  ―――純夏さんや霞さん……そして、ボク達が大好きなタケルを守るんだ!』

 『―――はい!』

 2人で力を合わせて、BETAの侵攻から閉鎖剤注入装置を守る壬姫と美琴。
 その甲斐あってか、門級隔壁の完全閉鎖は目前となっていた。
 しかし、そこで2人の乗る『武御雷』を巨大な振動が襲う。

 『―――な……なに?』
 『―――! これは…………』

 震源に目をやった壬姫と美琴が目にしたのは、地下トンネル掘削用のシールドマシンの先端部を思わせる、胴体直径170mはあるBETA未確認種の先端部であった。
 『主広間』の内壁を、その円筒形の先端部表面にびっしりと生えている、無数の牙状突起で削りぶち破って、その超巨大BETA未確認種は『主広間』へと進入を果たしていた。
 そして、円筒の端面がナマコの口の様に開き、そこから要塞級を含む無数のBETA群が続々と吐き出されてきたのである。

 『……あんな巨大な生物が……なんで今まで……?
  ―――っ!? ―――あぁッ……壬姫さんッ!? ―――隔壁がぁ……ッ!!』

 突然出現した巨大BETAに、驚愕し自失していた僅かな時間が仇となる。
 その僅かな間に、門級の隔壁が完全に閉鎖してしまった事に気付いた美琴は、悲痛な叫びを上げた。
 しかし、壬姫は隔壁の完全閉鎖には欠片も動じることなく、美琴に『脳』の破壊を急がせる。

 『―――鎧衣さんッ! ―――早く『脳』を破壊してッ!!
  ―――鎧衣さんッ……早くッ!
  あんなのがここまで来たら……隔壁が壊されちゃうッ!! ―――鎧衣さん!』

 切羽詰まった壬姫の叫びに、美琴は慌てる事無く、しかし沈痛な面持ちで応える。

 『―――『脳』さえ壊せば……時間は稼げる……!
  ―――壬姫さんごめん……! もう『横坑』には……ッ』
 『―――そんなのわかってる! ―――私は前に出て援護するから早く『脳』をッ!』

 だが、壬姫は自身の退路が塞がった事など歯牙にもかけず、噴射跳躍ユニットを噴かして迫りくるBETA群の方へと飛翔する。
 美琴も、それ以上言葉を重ねる事はせず、36mmチェーンガンの連射を、門級の『脳』を守る脳殻へと至近距離から精密一点射で叩き込む。
 それを確認した壬姫も、BETA群の迎撃に集中して、噴射跳躍を続けながら87式支援突撃砲を続け様に発砲する。

 『―――うわああああああッ!?』
 『―――壬姫さんッ!?』

 しかし、突如壬姫の搭乗する白い『武御雷』の左噴射跳躍装置が煙を噴き出し、そのままバランスを崩した『武御雷』は『主広間』の床へと叩きつけられてしまう。
 突然の事態に壬姫の名を叫ぶ美琴に、墜落の衝撃の所為か呼吸こそ荒いものの、なんら動揺を含まない壬姫の言葉が返る。

 『―――大丈夫です……ッ! 気にしないで……ッ!!
  ―――こうなる事は……わかってたから……!
  ―――私、あの爆発の閃光を見た時……咄嗟に利き腕をかばっちゃったんだ……!!
  ―――だから当然、左後ろから衝撃波をもろに受けて……!!
  ―――跳躍ユニットと主脚に深刻な被害が出ちゃったんだ……!
  ―――あと少しだからって思って、騙し騙しやってた……けどっ!
  ―――最後までちゃんと保ってくれるなんて―――さすが武御雷だよ……!』

 迫りくるBETA群を前に、しかし壬姫は笑みさえ浮かべて事情を告げ、『武御雷』の健闘を讃えた。
 壬姫の無事を確認した美琴は、最後の36mm弾倉を87式突撃砲にセットして、門級の脳殻に対する砲撃を再開する。

 『―――だからボクの言う事を……聞いてくれなかったんだね……。』

 『―――だって、私が変なよけ方をしたせいで……こんな状況になっちゃったのに……!
  ―――鎧衣さん……独りで残るなんて言い出すんだもん!!』

 ようやく、壬姫が見せた頑なさに納得がいった様に美琴が呟くと、壬姫もようやく隠し事から解放された所為か、今まで堪えていた想いを爆発させる。
 その言葉を聞いて、美琴は全てを察したかのように瞑目して告げる。

 『―――そうか……データリンク情報もなにもかも……』

 『―――でも、恨みっこなしだよ?
  ―――鎧衣さんだって
  ……たけるさんやみんなを安心させるために、データを誤魔化してたんだから。
  ―――御剣さんも秘匿回線使ってたね……』

 2人は互いに迫りくる確定した死を眼前にしながら、欠片も動じることなく、今の自分に成し得る最善を尽くしつつ、穏やかに言葉を交わしていく。

 『―――千鶴さんも慧さんも……そうしてくれていたんだろうね……』

 『―――みんな同じ事を考えて……同じ様な行動をとったんだね……』

 『―――ボク達……何の相談もしなかったのにね……
  同じ目的に向かって……それぞれが自分のやれる事を精一杯やったんだ……』

 『―――私達……本当のチームになれたんだね……!』

 迫りくる、質量共に圧倒的なBETAの大群。
 しかし、それでも尚、2人は満足気な笑みを浮かべていた。

 『……うん……!
  ―――ッ!? …………うぅッ!』

 しかし、無情にも響く36mmチェーンガンの空打ちの音に、美琴の笑みが搔き消される。
 美琴の87式突撃砲の残弾が尽き、発射煙が晴れた後には、傷付き弾痕を穿たれながらも、尚も貫通を拒む門級の脳殻が姿を現す。
 その想定外の堅固さに、美琴は思わず悔しげな唸りを上げてしまう。
 しかし、美琴は即座に戦意を振り絞ると、65式近接戦闘短刀を逆手に保持し、両主腕で力の限りに弾痕目がけて振り下ろす。

 『―――このぉぉぉぉッ!!
  ―――ぐぅッ! ―――ぐぅッ!! このッ!!!
  ―――割れろッ! ―――割れろッ!! ―――割れろォッ!!!』

 繰り返し、繰り返し、幾度も短刀を叩き付ける美琴だったが、脳殻は一向に貫けなかった。
 それでも諦める事無く、短刀を叩きつけようとする美琴を、壬姫の鋭い声が制止する。

 『―――鎧衣さん動かないでッ!!』

 美琴を制止した壬姫は、主脚が破損した為に、『武御雷』を『主広間』の床に横這いにさせた姿勢から、87式支援突撃砲を矢継ぎ早に撃ち放つ。
 その、必中の信念が込められた砲弾は、その全てが門級の脳殻に穿たれた弾痕の、しかも同じ1点に皆中を果たした。

 『―――す……凄い……!!
  ―――弾着点が……全くずれてない……ッ!!
  ―――あんな状態の機体で……!!』

 思わず感嘆の念を漏らす美琴―――しかし、その神業の様な砲撃は唐突に途絶えてしまう。

 『…………ごめんね、鎧衣さん
  …………もう弾切れだよ……
  ……あとは……おねがい…………』

 自らの成し得る全てを成し得たからか、静かにどこか満足気な壬姫の声が響く。
 その直後、迎撃を中止して脳殻への砲撃を行っていた壬姫の『武御雷』は、後方から突撃してきた突撃級の体躯の下へと姿を消した。

 『―――うくぅ……ッ!!!
  ―――壬姫……さん……ッ……!!
  ―――あり……がとう……ッ……
  ―――うおぉぉぉぉぉ~~~~~ッ!!』

 壬姫のマーカーが戦域マップから消失するのを確認した美琴は、涙を飲んで雄叫びを上げると、壬姫が穿った弾痕へと短刀を叩き付ける。
 そして、壬姫と美琴の執念が遂に実ったのか、短刀は脳殻を貫通し、門級の『脳』へと突き刺さった。

 しかし、それは同時に美琴にも死をもたらす一撃でもあった。
 『脳』に流れる高圧電流が、短刀を通じて『武御雷』へと流れ、搭乗している美琴共々、機体をその高電圧で焼き切ってしまったのである。
 そして、弁慶の大往生の様にその場に立ちつくす美琴の『武御雷』も、壬姫の『武御雷』同様、押し寄せるBETA群に飲み込まれてその姿を没した。≫



 自己暗示により、感情を揺さぶられる事こそなかったものの、フラットな思考の中で武は壬姫と美琴の見せた敢闘に尊崇の念を抱く。
 更には、冥夜が、壬姫が、美琴が―――そして、恐らくは千鶴と彩峰までもが、自分に寄せてくれていたのであろう想いを、武は認めない訳にはいかなかった。
 今、自分が仲間達を大切に想い、何としても守ろうとしている様に、何処かの確率分岐世界で、それも、恐らくは人類の未来を背負う戦いの中で、それでも5人が自分を守ろうと力を尽くしてくれた事を、武は知った。

 自分以外の仲間達は、如何に強い想いを抱き、如何に奮戦してその命を気高き礎としたとしても、その記憶や経験、そして想いを他の世界へと繋いでいく事は出来ない。
 僅かに、その意志と行いが確率分岐世界の狭間に広がる虚数空間を通じて、因果情報となって広大な砂漠の中の一粒の砂の如く積もるだけである。

 しかし、自分はその想いを抱えて、数多の世界を渡る事が出来るのだと―――それこそが自身に与えられた使命だと、武は強く心に刻みつける。
 今まで武は、自身の想いに従い、自身の想いだけに目を向けて、幾つもの世界で我武者羅に戦ってきた。
 しかし、その想いの中には大切な仲間達と過ごした時間が大きな割合を占めており、自身の想いは純夏やまりもを初めとした仲間達の存在があったからこそ抱くに至ったものなのだと、改めて武は認識した。

 ならば、これからは、自分自身の想いだけではなく、仲間達の想いも抱えて世界を渡ろう。
 仲間達を幸せにしたいという自身の願いだけではなく、仲間達の願いをも叶える為に力を尽くそう。
 この、オリジナルハイヴと言う、地球上におけるBETAとの戦いの発祥となった地に焼き付けられたのであろう、仲間達の切実なる想いに触れて、武は誓いを新たにするのであった。

 武は、フラッシュバックをやり過ごし、想いを新たにするその最中にも、並行して戦闘行為を続行している。
 フラッシュバックによって、仲間達の奮戦を知ったからこそ余計に、自身も無様な戦い様を見せる訳にはいかないと武は強く思う。
 拡散発射モードで行った荷電粒子砲の砲撃によって確保された空隙を抜け、天井にへばりつくBETA群を叩き落とし、『凄乃皇』は遂に今尚10万体を遥かに超えるBETA群を突破する。

 現時点に於ける最優先行動が『あ号標的』ブロックへの移動となっているのであろう、残存BETA群は『凄乃皇』に突破されても向きを変える事無く、前へ前へと押し進む。
 しかし、武はそれら残存BETA群を見逃すつもりは無かった。

 武は『ラザフォード場』を漏斗状に展開し、『主広間』の断面を完全に封鎖する様に広げた。
 同時に小型VLSからS-11搭載弾頭弾を発射。
 漏斗状に展開した『ラザフォード場』の中心点近くにミサイルが到達した所で、起爆信号を送信してS-11を起爆。
 戦術核相当の威力を持つ爆発エネルギーが、『ラザフォード場』によって指向性を高められてBETA群を襲う。
 その苛烈なまでのエネルギーの奔流に、10万体を超える残存BETAも、門級の『脳』も、跡形も無く消し飛ばされていった。

 既に殆どのBETAが姿を消した『主広間』を、『凄乃皇』は悠然と飛翔する。
 予定では、この後『地下茎構造』を辿り、第53層SW44『広間』から分岐する『横坑』に入り、『い号標的』に到達。
 然る後にG元素を全て回収して施設を破壊。
 その後は、一旦『あ号標的』ブロックまで戻った後、『う号標的』―――BETA生産プラントの破壊を実施する。
 そこまで済めば、後は『主縦坑』を通って地上に戻り、オリジナルハイヴから撤退するBETA群を追撃して、可能な限り撃破するだけであった。

 『主広間』のBETA群が、撤退せずに『あ号標的』ブロックに殺到したのは武にとっても予想外であった。
 恐らくあの行動は、『あ号標的』の構成物質の中にG元素等の希少物質が含まれており、それの回収が目的だったのだろうと武は推測している。
 もしそうだったとしても、荷電粒子砲の直撃を受けた『あ号標的』の構成物質がどれだけ回収可能なのかは、怪しいものだろうと武は判断した。

 それよりも、反応炉停止後に、そういった回収行動が設定されていたとすれば、これから赴く『い号標的』にも、BETA群が殺到している可能性がある。
 G元素の回収を優先するならば、『い号標的』を傷付ける訳にはいかない為、荷電粒子砲は勿論、電磁投射砲でさえ使用が制限される可能性が高い。
 戦術機を主力として、母艦級を排除する算段を武は練り始めた。

 そうこうする内に、『凄乃皇』は『主広間』を通過し、『横坑』へと到達した。
 その途端に、またもやフラッシュバックが武を襲う。

 自己暗示の効果により、急速に劣化が進みはしたものの、先のフラッシュバック時に武の体内を循環していたODLは、未だ十分な活性度を維持していた。
 その為、武は自動行われた隔離処置と循環ODLの交換処置を中断し、再び体内循環ODLとして再利用している。
 そのODLが、再び発生したフラッシュバックにより、今また急速に劣化していく。
 正直、このタイミングでフラッシュバックに襲われるとは想定していなかった武は、不意を撃たれて内心で毒吐く。

(―――くそっ! なんだって、『主広間』の入り口なんかでッ!!
 今度は、一体なんだってんだ……まさか―――委員長と彩峰か?!)



≪『主広間』の門級とは反対側に位置する『横坑』の開口部付近で、侵攻して来るBETA群を掃討しようと奮戦する2機の『武御雷』。
 赤と白、各1機の『武御雷』は、砲撃を繰り返してBETAを次々に撃ち倒していくが、全体からみればほんの端数に過ぎない。

 『―――もうすぐ……敵の本隊が……ッ!
  ―――十数万のBETAが押し寄せて来るって言うのに……ッ!」

 『―――敵の流れが―――途絶えないッ……!!
  ―――それにこいつら……こっちにはお構いなしだ……!」

 激しい戦闘の最中、千鶴と彩峰の言葉が交わされる。
 しかし、2機の奮戦にも拘わらず、BETAは見向きもせずに、続々と『主広間』目がけて突進していく。

 『―――凄乃皇の臨界運転につられてるのよ……ッ!」

 『―――じゃあ白銀達はまだ無事って事だ……!
  ―――けど、このままじゃ……!」

 『―――彩峰ッ ―――チェックシックスッ!
  ―――何やってるのッ! もっと周りを見てッ!!」

 白い『武御雷』の後方に迫る、2体の突撃級に気付いた千鶴が声を荒げる。
 しかし、叱責された彩峰は、動じもせずに素早く機体を移動させて突撃級の突進を避けると、悪びれもせずに嘯く。

 『―――後ろはあんたに任せてある!
  ―――だから安心……!』

 彩峰の思いも寄らぬ言葉に、己が耳を疑ったのか、一瞬動揺する千鶴。
 しかし、すぐさま常の調子を取り戻すと、彩峰に文句と当面の目的を告げる。

 『―――だっ―――だからって……!
  ―――だからって好き勝手にやられちゃ……困るのよッ!
  ―――こいつらを……掻き分けてッ……!!
  ―――ここを吹っ飛ばすんだからねッ……!』

 千鶴の声に、彩峰は作戦概況図に示された2か所のポイントを一瞥して応える。

 『―――わかってるッ……!』

 千鶴と彩峰は、2か所の目標ポイントを確保する隙を窺いながら、戦闘を続行する。
 しかし、その機会が訪れない内にとうとう87式突撃砲の残弾が尽きてしまう。
 その為、2機は2か所の目標ポイント付近に分かれ、74式近接戦闘長刀を振るっての近接格闘戦闘を強いられてしまう。

 『―――うわぁぁぁぁッ!
  ―――早くッ! ―――早くしないとッ……!!
  ―――間に合わなくなるッ……!!』

 雄叫びを上げ、次から次へとBETAを斬り伏せていく千鶴と彩峰。
 しかし、20万を超えるBETA増援本体が間近に迫っている戦域マップをみた千鶴は、焦燥に満ちた呻きを上げた。
 その直後、同じく焦燥に駆られた彩峰は、叫びと共に要撃級に渾身の一撃を見舞う。

 『―――邪魔するなぁぁッ!
  ―――ぐぅぅっ!!! ―――ぅぐぁぁっっ!!』
 『―――彩峰ェェッ!!?』

 しかし、一体の要撃級を斬り倒す代わりに足場を踏み外し、白い『武御雷』は並行して突進して来た2体の突撃級に突き飛ばされてしまう。
 損傷し、転倒してしまった白い『武御雷』に、多数の戦車級と要撃級が圧し掛かる。
 その様に、助けに行こうとする千鶴を、彩峰の叫びが押し留める。

 『―――来るな榊……ッ!
  ―――ふざけるなぁぁっっ!!
  ―――おまえらなんかに……ッ!
  ―――おまえらなんかにやられないッ!!
  ―――私は……まだ……ッ!
  ―――なにひとつ返していないんだァァッ!!』

 機体各部に損傷を負い、BETAに埋め尽くされようとしていた白い『武御雷』が、戦車級の頭部を握り潰し、押し寄せるBETAを数体まとめて斬り払う。
 その管制ユニットの中には、額と口から血を流しながら、尚燃え盛る戦意を炯々と瞳に湛えた彩峰の姿があった。
 しかし、彩峰の奮闘も空しく、更に押し寄せるBETAに、白い『武御雷』は遂に保持していた長刀ごと右主腕を奪われてしまう。
 それでも尚、彩峰の叫びと共に、白い『武御雷』は機体をBETAの体液で真っ赤に染めながら周囲のBETAを払い除け、もぎ取った要撃級の頭部を左主腕で引っ掴み、仁王立ちとなって辺りのBETAを睥睨する。

 そして、彩峰の奮戦を他所に、千鶴もまた窮地へと陥っていく。
 莫大な数のBETA群が急迫して来る戦域マップに、千鶴がほんの一瞬だけ注意を奪われたその隙に、赤い『武御雷』へと背後から近付いた要撃級が、前腕衝角を振り上げて襲いかかる。

 『―――ッ!!
  ―――ぐあああああッ……!!
  ―――ぐううううッ……ちくしょぉぉぉっ!!
  ―――こんな所でッ……こんな所で……ッ!!』

 左主腕を吹き飛ばされ、更に襲いかかって来るBETA群に揉みくちゃにされ、千鶴は無念の叫びを上げる。
 最早、両機共に移動も困難な状況に在り、先程より搭乗員脱出準備勧告が鳴り響いている。
 それでも2人は決して諦念に身を任せる事無く足掻き続けるが、BETA増援本体は直ぐそこまで迫って来ていた。

 『―――離れ……ろ……ッ!
  ―――おまえら……ッ……そこを……どけえ……ッ!!』
 『―――彩峰ェ……ッ!』
 『―――榊……ッ!?』
 『―――敵の本隊が……ッ……1400まで迫ってるわ……ッ!!』
 『―――大丈夫……ッ……
  ―――爆破地点は……確保している……!』

 危急を告げる千鶴の声に、しかし彩峰は血に塗れた唇に笑みを浮かべると不敵に断言して退けた。
 その彩峰の言葉を聞くなり、全ての焦燥を消し、いっそ穏やかとさえ言える表情になって笑みを零す千鶴。

 『―――ふ……ふふふ……』
 『―――何が……おかしい……』

 そんな千鶴に彩峰が不審そうに問い返すと、千鶴も打てば響く様に応えを返す。

 『―――初めてね……考えている事が……一致するの……』
 『―――ふっ……』

 2人が互いの意思を確認し、共に笑みを浮かべるのと前後して、自決装置作動警告が鳴り響く。
 喧しい程に警報音が鳴り響く中、2人は気にする素振りも見せず、穏やかな会話を交わし続ける。

 『―――タイミング……合わせなさいよ……!?』
 『―――榊はいつも……一呼吸遅い……』
 『―――ふ……あなたが……早いのよ……!』
 『かも……ね……』
 『……最後……ぐらい……
  ……最後ぐらい……息を合わせて……
  ……白銀達を……驚かせてやりましょうよ……』
 『……う……ん……
  ……そ……だね……』

 自決用のS-11を起動した2人は、静かに互いの呼吸を合わせていく。
 顔を突き合わせれば、言い争わない時の方が少ない程に、自他共に認める犬猿の仲である千鶴と彩峰が、この時ばかりは互いが心中に抱く、己が命よりも大切な1つの同じ想いを縁(よすが)とし、心を一つに重ねていった。

 『…………来たわ……
  ―――彩峰ッ―――いくわよッ!?』
 『―――うわぁぁぁぁぁぁッ!』
 『―――うおぉぉぉぉぉぉッ!!』

 そして、寸分の狂いも無く、全く同時に2人は自決装置の起爆スイッチを叩き割る。

 『横坑』側壁の左右上部に、千鶴と彩峰の魂が眩い輝きを放って散ると、その切なる想いに屈したかの如く、大規模崩落が生じてBETA増援の侵攻を見事に阻止したのであった。≫



 武がフラッシュバックに襲われている間にも、『凄乃皇』は順調に移動を継続しており、α2臨時中隊の8人には何の異常も察知できはしなかったであろう。
 しかし、武は今回のフラッシュバックによって、異なる世界で行われたのであろうオリジナルハイヴ攻略戦のあらましを、大筋理解する事が出来た。

 恐らくは、『凄乃皇・四型』に00ユニットとなった純夏、そして霞と武自身が純夏の補佐として搭乗し、搭乗している『武御雷』の色からもまず間違いないが、千鶴を指揮官とした元207Bの5人が、『凄乃皇・四型』の直衛についていたのであろうと、武は判断した。
 そして、進攻路の背後から迫るBETA増援を押し留める為に、『主広間』の手前で『横坑』を崩落させる為に千鶴と彩峰が戦死。
 『あ号標的』ブロックを目指す『凄乃皇・四型』の安全を確保する為に、門級の隔壁閉鎖を確実たらしめようとして壬姫と美琴が戦死。
 それだけの犠牲を払って『あ号標的』ブロックに到達したものの、荷電粒子砲を撃ち放つ前に『あ号標的』ブロックの触手によって先手を打たれ、唯一残った冥夜もろとも危機に陥り、最終的には冥夜を犠牲にして『あ号標的』を倒したのであろう―――

 武は、そこまで考えて慄然とした。
 まず間違いなく、『凄乃皇・四型』か00ユニットである純夏のいずれか……いや、恐らくはその両方が万全の状態ではなく。
 ヴァルキリーズも欠員を出して、実戦投入可能な人員が元207Bの5人だけとなり。
 それでも尚、オリジナルハイヴの攻略を強行しなければならないという、絶望的な状況であったに違いないと思い至ったからだ。

 思い当たるのは、00ユニットのODL浄化処理に伴う情報流出だった。
 恐らくはその所為で、00ユニットや『凄乃皇』を初めとする各種兵器や装備、そしてあらゆる既存戦術の情報が流出し、BETAに対応されてしまう前に、何が何でもオリジナルハイヴを攻略しなければならなかったのだろうと、武は推測した。
 そして、冥夜が悠陽から託されたのであろう紫色の『武御雷』に乗り、他の4人が恐らくは月詠達の『武御雷』を借り受けて搭乗していたのも、少しでも作戦成功率を上げる為の窮余の一策だったのであろうと……

 そこまで考えて、武は1つの疑問を覚えた。
 純夏が00ユニットとして稼働していて、自分が衛士になっている以上、それは武が因果導体となって再構成され続けるループの中で派生した確率分岐世界の筈だ。
 しかし、フラッシュバックで因果情報が流入するまで、武はそんな確率分岐世界の記憶は一切持っていなかった。
 単に、因果の弱い派生確率が低い世界の因果情報だった為、他の世界の記憶に紛れてしまっていたのだろうか?
 いや、それは考えにくいと武は自身の仮説を否定する。

(―――あんなに強い感情を揺さぶられる出来事なんだ。 他の記憶に紛れちまう訳が無いよな。
 てことは―――冥夜の想いを知った所為で、再構成時に記憶が削除されちまったのか?
 いや、だとしても、そこに至るまでの記憶が残っている筈だ……一体全体、どういう事なんだ?)

 武がフラッシュバックに関する考察を繰り広げている内に、『凄乃皇』は第53層SW44『広間』に到達していた。
 『主広間』での戦闘の後、BETAとの遭遇は全く発生していない。
 しかし、此処に至って、『凄乃皇・四型』に搭載された高精度非接触式振動測定器が、ハイヴ内壁に伝わる特異な波形を捉えた。
 その波形を認識した武の脳裏に、フラッシュバックの中で見た、巨大な円筒形をしたBETAの姿が蘇る。

 感知された波形は、『桜花作戦』に臨むに当たり、第2ループ確率分岐世界群で発生した横浜基地防衛戦のデータの中から武が掘り起こした、とある波形と合致する。
 その波形とは、横浜基地に侵攻してきたBETA群の、大深度地下侵攻時に高崎と秩父で観測された波形であった。
 そしてそれは、佐渡島ハイヴの反応炉からリーディングしたデータに存在していた、大深度地下侵攻用のBETA超大型種―――報告を受けた夕呼によって母艦(キャリアー)級と名付けられた―――の特性から、横浜基地侵攻への投入を疑った武が、母艦級の固有振動波候補として抽出した振動波の1つでもある。

(―――そうか! 『アトリエ』のG元素回収に出向いてきたって訳かよッ!!
 よりによって、母艦級か―――くそっ、体内奥深くでのS-11起爆くらいっきゃ、確実に仕留める方法が思い付けねえ……
 2700mmじゃ、射線次第で『アトリエ』ごとふっ飛ばしちまうし、仕留め損なって暴れられても面倒だ……)

 観測された振動波から、『い号標的』へと向かう母艦級の存在を察知した武は、対策を練りながらもα2臨時中隊に対して状況の急変を知らせる。

「―――α2各員に告げる。戦術立案ユニットにより、どうやら『い号標的』周辺で、BETA超大型種である母艦級との戦闘が発生する可能性が高いとの予測が成された。
 そして、『い号標的』に存在するBETA由来特殊物質を回収する為には、極力これを損傷させない様に戦闘を行う必要がある。
 そこで―――」

 武は、急遽立案した作戦をα2臨時中隊各員に通達していく。
 人類が初めて遭遇するであろう、BETA超巨大種との戦闘が、武達の行く手に待ち受けていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 日本時間11時41分、母艦級の振動波を感知した直後から進攻速度を限界まで上げた武は、なんとか母艦級の出現に先駆けて『い号標的』ブロックへと到達していた。

「いいか?! 母艦級出現まで、10、9、8―――3、2、総員噴射跳躍ッ!!」

 武の叫びと共に、α2臨時中隊の8人が操る『時津風』8機が噴射跳躍ユニットを噴かして空中へと飛び上がり、同時にハイヴの床を突き破って巨大な円筒形の物体―――母艦級BETAの先端部が姿を現す。
 空中に退避していた『時津風』は、母艦級の出現位置を確認すると、その上空近くへと接近する。

 それに気付いていないのか、はたまた気にもかけて居ないのか、母艦級はその牙状突起の生えた前面を、側面へと順繰りに手繰り寄せる様にして、その口を開く。
 ぽっかりと空いた空洞の中に潜むのは無数のBETA群。
 正に、移動式ハイヴとでも呼びたくなる存在であった。

 しかし、母艦級の中からBETA群が這い出るよりも早く、待ち構えていたα2臨時中隊の攻撃が開始される。
 母艦級の口を囲む様に宙に浮かんでいる、千鶴、冥夜、彩峰、壬姫、美琴、柏木ら6人の操る6機の『時津風』が、空中から試製01型電磁投射砲を連射して、母艦級から溢れ出ようと待ち構えていたBETA群を肉片へと変えてしまう。
 その威力は強力だったが、連射し続けた為にあっと言う間に弾倉が空になってしまった。

 しかも、体内に無数の傷を負ってはいるものの、母艦級の本体は未だに健在の様であった。
 それでも、口から覗ける範囲の体内からは、BETAは一掃された。
 その、傷付けられた内壁から体液を吹き散らす母艦級の体内へと、月恵の操る『時津風』が74式近接戦闘長刀を両主腕に構えて飛び込んでいく。

 母艦級の体内に生える、試製01型電磁投射砲の洗礼を逃れた触手が襲い掛かってくるが、月恵は長刀で斬り払いながら更に奥へと突入する。
 やがて、母艦級の体内に潜んでいたBETA群の死骸が積み重なり、これ以上奥へと進めない所まで月恵は到達した。

 そして、そんな月恵の『時津風』に、200m程の距離を空けて、智恵の操る『時津風』が続いていた。
 その役目は、先行する月恵の『時津風』が制御不能とならない様に、データリンクの中継を行う事と―――

「―――よおっしッ! 起爆地点に到達~っ! カウント3で行くよ智恵!!
 ……3、2、1―――起爆ッ!!!」
「起爆~ッ!!!」

 月恵のカウントダウンに合わせ、僅かにずらした絶妙なタイミングで、智恵は『時津風』に搭載された指向性S-11を起爆する。
 その智恵の『時津風』から母艦級の体内方向へと放たれた爆風と、更に奥深くで起爆した月恵の『時津風』に搭載された無指向性S-11の爆風が衝突し、母艦級の体内で爆発エネルギーが逃げ場を失って吹き荒れた。
 その莫大な衝撃波によって、さすがの母艦級もその巨体をズタズタにされ、体内に籠った熱エネルギーによってその肉を焼失させられていく。

 しかし、母艦級の躯体という覆いを突き破って尚、2発のS-11の爆発エネルギーは更なる猛威を振るおうとする。
 その大半は、母艦級の尾部方向に存在する、母艦級が掘り進んできた地下坑へと吹き込んだが、残りは『い号標的』ブロックへと噴出する。
 自爆した2機の『時津風』を除く、6機の『時津風』は、月恵と智恵が母艦級に突入するのと同時に、『凄乃皇』の『ラザフォード場』圏内へと退避していた。

 そして、強靭な盾である『ラザフォード場』を展開する『凄乃皇』は、『い号標的』の前面に陣取っている。
 『凄乃皇』はα2臨時中隊の戦術機群と『い号標的』を丸ごと取り込む状態で『ラザフォード場』を展開し、S-11の爆風衝撃波を完璧に遮断する。
 S-11の爆風が納まった時、その場には既に戦闘可能なBETAは1体たりとて存在していなかった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 日本時間12時36分、オリジナルハイヴ地上Sエリア外縁部に、荷電粒子砲の光芒が昼尚眩い光を放つ。

 見渡す限り遥か彼方まで、びっしりとBETAによって埋め尽くされた荒野。
 BETAに喰い荒らされ、植生を完全に失い、地形すら平坦に均されてしまったその荒野を、そこに犇めくBETAごと荷電粒子砲の2筋の光芒が焼き払う。
 『凄乃皇・四型』の左右前方に並んだ2機の『凄乃皇・弐型』が、射線軸を左右に僅かにずらして各々の荷電粒子砲を同時に撃ち放つ。
 その、奥行き20km、最大幅10kmにも及ぶ漏斗状の砲撃威力圏内では、熱衝撃波と電磁波の猛威に地表すら掘り返されて長大な傷跡が刻まれ、諸所に跡形も無く蒸発する事を免れたBETAの断片化した骸が散乱していた。

 その光芒に焼き尽くされ、あるいは吹き飛ばされて撃破されるBETAは、1回の斉射で総数12万体余りにも上る。
 これは、オリジナルハイヴ南方に位置する甲13号目標―――ボパールハイヴを目指して撤退していく、密集隊形のBETA群に対し、後方より近接し荷電粒子砲の威力圏内に最大限の個体を納めて発射した結果得られた戦果であった。

 荷電粒子砲の砲撃を終えた『凄乃皇』は、『弐型』2機を荷電粒子砲の再充填に専念させながら、『四型』のML機関によって更に前方へと進出し、先程の砲撃を免れたBETA群を掃討する為、新たな砲撃地点を確保する。
 そうして砲撃と移動を繰り返しながら、凡そ45分、300kmにも及ぶ追撃戦を行った『凄乃皇』は、都合15回の砲撃を敢行し、ボパールハイヴ方面へと撤退する300万体を超えるBETA群の内、6割近い180万体超過を撃破するに至った。

「これ以上進むと、ボパールハイヴ所属のBETA増援勢力圏に入っちまうな……追撃はここまでか……
 ―――こちらA-04(白銀)、ヴァルキリーズ各員に次ぐ、現時点を以って追撃戦を終了し、オリジナルハイヴの地上の拠点へと帰投せよ。
 その際、『不知火』、『時津風』、及び各種電磁投射砲以外の全装備を破棄。
 破棄対象となる戦術機並びに兵装は、自律制御にて運用し、BETA追撃を続行する様に設定。
 それらの装備群は、オリジナルハイヴ攻略に於いて損失した物とする。―――以上だ。」

『『『 ―――了解! 』』』

 ODLの残量が心許なくなっていた事もあり、レーザー照射を受けるリスクを嫌って、武は追撃戦の完了を通達した。
 ヴァルキリーズの応答を確認した武は、『凄乃皇』の進路を北へと転じながら、追撃戦の戦果評定を行う。

(追撃戦と言う最高の条件下で、これだけ荷電粒子砲の砲撃を繰り返しても、半数近くを取り逃がしちまうってのか……
 やっぱ、BETAの物量ってのは凄まじいぜ。
 それと―――速瀬中尉達が残ってくれてたのが、結構助かったな。
 『凄乃皇』がハイヴから出てきて追撃に移るまでの間、撤退しようとするレーザー属種と要塞級を仕留めてくれた。
 ボパールハイヴ以外のハイヴへと向かったBETA群への追撃も、効率よくこなしてくれたし……)

 『凄乃皇』とα2臨時中隊がハイヴへと突入した後、地上に存在したBETA群の殆どは『凄乃皇』を追って『地下茎構造』へと潜ってしまった。
 そのお陰で、防衛する拠点へと襲いかかるBETAは殆どおらず、α1臨時小隊は追撃戦の準備に専念する事が出来た。
 しかし、それも僅か10分にも満たない時間に過ぎず、霞を通して超大型反応炉の破壊成功と、追撃開始の命令が伝えられた。

 その後は、オリジナルハイヴの四方、東西南北に位置するハイヴ―――甲14号目標・敦煌ハイヴ、甲02号目標・マシュハドハイヴ、甲13号目標・ボパールハイヴ、甲06号目標・エキバストゥズハイヴの4つ―――を目指して撤退しようとするBETA群への追撃戦をα1臨時小隊の4名で担う事となった。
 とは言え、ハイヴ突入部隊が戻り、『地下茎構造』内のBETA群が粗方地上に出現し切るまでは、試製50口径120mmライフル砲による、レーザー属種と要塞級を対象とした各個撃破に限定されている。

 遙の戦域管制により、試製50口径120mmライフル砲を装備したF-15Cが、彼方此方の『門』から地上へと這い出すレーザー属種と要塞級の出現地点へと派遣される。
 そして、対象を攻撃圏内に納めた順に、残る3人がF-15Cへの接続を次々に切り替えて操縦を担当し、的確な砲撃を加えてはレーザー属種や要塞級殲滅して行く。
 突撃級や要撃級、光線級以外の小型種などは、炸裂弾の巻き添えを除けばこの段階では全て看過された。

 そんな戦闘が彼此1時間程継続された頃、『凄乃皇』とα2臨時中隊がハイヴ内から帰還して合流を果たし、本格的な追撃戦が開始された。
 南方、ボパールハイヴは、ユーラシア大陸外縁部に位置し、人類の対BETA防衛線にも程近いハイヴである。
 そして、『桜花作戦』発動に先駆けて、武が行ったオリジナルハイヴ所属BETA群の撤退シミュレーションに於いて、ボパールハイヴの定数を超過して溢れたBETA群は、オリジナルハイヴ周辺地域と、アンバールハイヴ、そしてマンダレーハイヴへと向かうと予想されていた。

 アンバールハイヴとマンダレーハイヴは、BETAがをユーラシア大陸に封じ込める事を目的とした、対BETA防衛線の要衝たる紅海方面とマレーシア方面を脅かす存在である。
 その為、ボパールハイヴに撤退し到達したBETA群の4分の1前後の規模で、1週間以内に紅海方面とマレーシア方面への侵攻が発生すると想定される。
 殊に、紅海方面はボパールハイヴ経由の侵攻よりも先に、マシュハドハイヴ方面へのBETA群撤退に誘発された侵攻が発生すると予想されている為、大規模な侵攻が続け様に発生する恐れが高い。

 この撤退シミュレーションの結果から、武はボパールハイヴ方面へ撤退するBETA群を極力漸減する為、この方面の追撃に『凄乃皇』を当てた。
 残る3方面は、それぞれ可搬式120mm電磁投射砲台を4基ずつ割り当て、砲撃地点を移動させながら戦術機による追撃を実施。
 可搬式120mm電磁投射砲台による追撃は、補給コンテナを転用した大型弾倉を用いる事で、1基当り平均15万体前後のBETA群を殲滅した。

 それでも、1方面当り60万体程度を漸減したに過ぎず、その他の戦果を加えてみても、200万体を遥かに超えるBETA群が、東西及び北方の各ハイヴへと到達すると予測される。
 追撃戦の戦果評定を終えた武は、嘆息せずにはいられなかった。
 事前のシミュレーションよりも遥かに大きな戦果を上げたにも拘わらず、オリジナルハイヴに所属していたBETA群約1500万体の内、殲滅出来たのは半数にも満たなかったからだ。

 ここで取り逃がしたBETA群のツケは、対BETA防衛線を守る各国将兵等が、血と弾薬と装備で贖う事になるだろう。
 その戦闘で喪われる命が少しでも減る様に、武もあれこれと手を打ってはいるが、それでもやはり憂いは残った。

 そんな武へと、通信が入る。

「タケル、済まぬが少々時間を貰えるであろうか。」

「―――冥夜か。ああ、今なら大丈夫だ。どうかしたか?」

 緊急性の高い話では無さそうではあったが、通信画像で冥夜が真剣な眼差しで問いかけるのを見た武は、即座に時間を割く事に決めた。
 実際、オリジナルハイヴの拠点に集結し軌道上に上がるまで、特に急いで成さねばならない用事も無い。
 追撃戦の実情を、米中ソの3カ国で構成される旧喀什駐留部隊に把握されたくない為、『桜花作戦』完了の宣言も軌道上に離脱した後に行う予定になっている。

 武の反応をじっと窺っていた冥夜は、一つ息を吸うと神妙に語り始める。

「うむ―――此度の我らの残留についてなのだが。
 あれを言い出したのは私だ。
 決して武の立案した作戦に異を唱えようとした訳では無く―――」

 切々と語る冥夜だったが、その言葉を遮る様に千鶴が割り込み、それを契機として彩峰、そして霞までもが口々に発言し始める。

「ちょっと、御剣! 一人で何言い出してるの?
 この話は、私と貴女の2人で伊隅大尉に提案した事でしょう?!
 まさか貴女、自分1人で責任を―――」
「榊、煩い……そもそもあんたは―――」
「あ、あの…………白銀さん……あの……私も香月博士に―――」
「こらこら!……あんた達、そうゆーのは横浜基地に帰ってからにしなさいッ!」

 あまりの混乱ぶりに、事態を納めようと水月が苦笑を浮かべながら発言すると、一応全員が口を噤んだ。
 それを確認した武は、水月に感謝を告げてから、地上に残留したヴァルキリーズ有志12名と霞に、柔らかな口調で語りかける。

「速瀬中尉、ありがとうございます。
 けど、良い機会だと思うから、オレからみんなに一言言っておきたい。
 みんな、残ってくれてありがとう。正直助かったよ。
 みんなが居てくれたお陰で、当初の作戦予想よりも、遥かに多くのBETAを殲滅出来た。
 それに、オレ一人で『あ号標的』に挑んでいたら、生還は覚束なかったかも知れない。」

 武が何を語るのか、神妙な顔をして耳をそばだてるヴァルキリーズの新任達10人と霞だったが、武が礼を述べると一様に驚きを浮かべる。
 そんな新任達を、水月と遙は、笑みを浮かべ温かい眼差しで見守っていた。

「オレは、少しばかり、戦術立案ユニットと『凄乃皇』の力に驕っていたと思う。
 人間1人で出来る事なんて高が知れてる、そう言いながら、自分1人で何でも出来る様な気に、何時の間にかなっちまってたんだろうな。
 みんなのお陰で、こうしてオレも死なずに済んだし、何よりも『桜花作戦』を無事完遂出来た。
 本当に、ありがとうな!」

 武は、生真面目な表情で反省の弁を述べると、一転して満面の笑顔になり、再び礼を述べて頭を下げる。
 そんな武に、他の面々は心底嬉しそうな、充実感と達成感に顔を輝かせるのであった。

 武は、『あ号標的』ブロックでの戦闘と、オリジナルハイヴの最下層で流入したフラッシュバックにより、自身の過ちに気付いていた。
 自分は、例え死んでしまった所で其処までに成し得た事が、決して無にならない事に良い気になっていたのだと。
 無駄死にでは無いからと、自身の死を安易に受け入れてしまっていたのだと。
 そして、それは自分を支え、生かそうとしてくれている仲間達の想いを、無碍にするに等しい行為なのだと思い至った。

 武自身が、自身を犠牲にしてでも仲間達を救いたいと思っている様に、有難い事に仲間達も自分に対して同じような想いを抱いてくれているのだ。
 フラッシュバックで流入した因果情報により、仲間達が命を捨ててまで至らない自分を守ってくれたと知った時の懊悩。
 自分はあのような辛苦を、仲間達に安易に嘗めさせる所だったのだと、武は大いに反省していた。

 同時に、事前の打ち合わせ抜きで、騙し打ちの様なヴァルキリーズの残留を許可した、夕呼の考えにも思い至っている。
 出撃前にヴァルキリーズの残留を提示された場合、武は準戦術的な観点から、ヴァルキリーズの存在が足手纏いとなって作戦の成功率を引き下げると主張しただろう。

 実際、ヴァルキリーズが同行した事により、武は1000機を超える無人戦術機群を直接制御下に置いて行う、大規模統制戦闘を実施できなくなった。
 それは、余りに桁外れな能力である為、例えヴァルキリーズ相手であっても無力感を覚えさせてしまいかねないからだ。
 そしてまた、『凄乃皇』が破壊される危険と引き換えに地上での戦闘を継続し、オリジナルハイヴ所属BETA群を、可能な限り漸減するという選択肢も奪われた。
 混戦必至なこの戦法を取った場合、戦術機に搭乗した衛士が生き延びる余地は無く、『あ号標的』の対応次第では、『凄乃皇』の『ラザフォード場』の内部でさえ、どこまで安全を確保できるか予断を許さなかった為だ。

 武が、00ユニットの演算能力を背景に、そう予測を述べて反対すれば、夕呼は恐らく提案を引っ込めただろう。
 武の言い分を認めてではなく、無理強いする事で武に精神的な負荷をかけ、作戦により重大な支障をきたす事を恐れるが故に。

 しかし、00ユニットの素体候補者としてより良い未来を引き寄せる素質を持つ、ヴァルキリーズの複数の人間が『桜花作戦』の最終段階への残留を求めた事は、夕呼にとって少なからぬ意味を持っていた。
 また、まりもから、武が自身の生命を軽視する傾向にあるのではないかとの懸念を告げられていた事もあり、夕呼は有用な手札である武と言う存在が、『桜花作戦』から生還する可能性を向上させる手段として、ヴァルキリーズの残留を容認した上でぎりぎりまで武には秘匿するようにとの指示を出したのである。

 まりもが夕呼に懸念を伝えていた事こそ知らなかったが、それ以外については、武はほぼ正確に洞察する事が出来た。
 そして、生き延びさえすれば、まだまだ人類の為に―――そして、仲間達の為に多くの事を成し得るにも拘らず、生還への執念を失いかけていた自分を武は恥じる。

 オリジナルハイヴを攻略した今こそ、遂に人類の悲願であった大陸反攻作戦が開始される。
 今度こそ、自分自身と仲間達の力でその大陸反攻作戦を推し進め、BETAに脅かされない平和な暮らしを取り戻し、仲間達が笑顔で過ごせる世界に辿り着くのだと、武はオリジナルハイヴの『地上構造物』を照らす、太陽の輝きに誓うのであった。



 ―――日本時間14時02分、霞とヴァルキリーズ残留組12名は、装甲連絡艇2番機と『凄乃皇・四型』に搭載された装甲連絡艇へと分乗し、一足先に地球周回軌道へと離脱した。
 武はその後、『凄乃皇』に可搬式120mm電磁投射砲台と試製01型電磁投射砲を積載し、『ラザフォード場』を用いて『不知火』と損失を免れた『時津風』を『凄乃皇』の装甲表面に固定する。

 既に、激しい戦闘が繰り広げられた戦場には、ばら撒かれた補給コンテナと極稀に戦術機の残骸らしきものが、無数に積み重なったBETAの死骸の中に見出せるだけとなっている。
 未だ、自律制御での追撃戦を指示された戦術機群は戦闘を継続しているのだろうが、この後ここへと降りて来る米中ソ3カ国合同の駐留部隊の衛士等は、ハイヴ攻略を巡る攻防の最中で喪われたと考える事だろう。

 オリジナルハイヴの強硬攻略は、2000機の戦術機と航空機動要塞3機を投入して尚、多大な損害と引き換えに辛うじて成功を収めた。
 少なくとも表向きにはそう認識されなければならない。
 横浜基地へと戻れば、また忙しくなるなと考えながら、武はオリジナルハイヴ周辺の光景を一瞥し、『ラザフォード場』の出力を上げて『凄乃皇』を地球の重力という軛から完全に解き放つ。

 『凄乃皇』3機は、互いの相対位置を僅かなりとも変える事無く、緩やかに上方に向けて加速して行く。
 その様子は、まるで天に向かって、逆しまに、一直線に落下していく様であった。
 加速度こそは緩やかではあったが、『ラザフォード場』の次元境界面の展開形状を、空気抵抗を極力低減する形状にしている事もあり、『凄乃皇』の速度はどんどんと向上していく。
 やがて、高度が上がるにつれて大気が薄くなり、空気抵抗が無視できるようになって暫くすると、『凄乃皇』はトランスファ軌道へと到達した。

 武は、青く輝く地球と漆黒の宇宙に輝く星々の狭間に位置する『凄乃皇』の中から、人類の実質的な勝利宣言となるオリジナルハイヴ攻略作戦の完遂を宣言する。
 時に、2001年1月7日、日本時間15時00分の事であった。

 その『凄乃皇』に向けて、3機の装甲連絡艇がランデブーを果たすべく、軌道を遷移して近付いて行く。
 装甲連絡艇に搭乗するヴァルキリーズは、網膜投影される機外映像に映る『凄乃皇』の雄姿を目に焼き付けながら、笑みを浮かべ、或いは喜びに涙し、声を弾ませて互いに言葉を交わす。
 そんな中、霞は独り瞑目し、一見疲労から寝入っている様にも見受けられたが、その実、密かに武と思念による会話を交わしていた。
 その会話の中で2人は、横浜基地の地下深くで自分達の帰りを待つ、純夏へと想いを馳せるのであった。

 『桜花作戦』に投入され、見事その任務を完遂した国連軍横浜基地部隊総勢20名は、1人たりとも欠ける事無く、今再び結集し、眩い太陽の光を浴びながら地球への凱旋を果たそうとしていた。
 ―――基地正門前の坂道に立つ、あの桜の許へと。




[3277] 第120話 祭りの後に来たるもの
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/05/31 17:17

第120話 祭りの後に来たるもの

2002年01月07日(月)

 日本時間15時06分、無音の宇宙空間を滑る様に飛翔する3機の装甲連絡艇。

 眼下に望むは、陽光に照らされ青く輝く母なる地球の姿。
 その、温かな輝きは、3機の装甲連絡艇とそこに乗る者達を、優しくその腕(かいな)で招き入れようとしているかのようであった。

 そして、宇宙からは静謐とすら見える地球であったが、その実、『桜花作戦』完遂の宣言を受けた、各国首脳による緊急声明に地球全土が湧き返っていた―――



「我が英国国民の皆さん、私はこの良き日にこの素晴らしき報告を行える事を大変嬉しく思います。
 先刻、国連軍より報告がありました。
 それによると、昨日深夜より総力を上げて実施されたオリジナルハイヴ攻略作戦が、成功裏に完遂されたとの事でした。
 つまり―――我等人類は、遂に、悪辣なる侵略者達の本拠地を陥落させる事に成功したのです!―――」

 早朝、現地時間で6時であるにも拘らず、テレビやラジオで英国首相の声明に触れた英国の民衆たちは、未だに眠りの中にある者達を叩き起こし、勝利の喜びを分かち合った。



「我が勇猛なる戦士らよ。汝らの勇戦は遂にアッラーの嘉(よみ)し賜う所となった!
 アッラーの思し召しにより、我らが仇敵たる悪魔共の本拠たるオリジナルハイヴは陥落し、これより我らが聖戦(ジハード)は攻勢へと転じる事となる! 聖地奪還の日は近い! 奮い立つのだ、我が戦士達よ!
 『神は偉大なり(アッラーフ・アクバル)』ッ!!」

 現地時間の朝8時、アフリカ大陸北東の紅海沿岸部に位置する対BETA防衛線の前線基地群に於いて、決して忌む事無く聖戦に従事し続ける、不屈の戦士たる中東連合軍の将兵等は、帝政イラン皇帝(シャー)の演説に応え、神を讃える叫びを熱狂的に唱和して、拳を天へと繰り返し突き上げるのだった。



「今日、長き戦いを経て、我が国は歴史的転換点へと至った。
 我らが父祖の地を取り戻す為の戦いが、今日より遂に始まるのだ。
 BETAの総本山たるオリジナルハイヴが陥落したからには、我が国の悲願が達成される日は近い。
 今こそ、捲土重来(けんどちょうらい)を果たす時がやってきたのだ。―――」

 中華民国(台湾)総統による、静かな語り口の中にも熱の籠った声明が、午後の台湾各地でテレビやラジオから流れ出している。
 この声明は、表向き統一中華戦線全体に向けた声明とされていたが、その実態は、中華民国国内向けとなっていた。
 大陸で戦い続ける中華人民解放軍将兵らは、上層部の将官らを除けばこの声明を聞かされる事は無く、単にオリジナルハイヴが陥落し、奪還された旧喀什一帯を確保する為に駐留部隊が派遣されるとの通達が為されたのみだったのだ。
 その通達だけでも、中華人民解放軍将兵等が歓呼するには十分なものであった。
 しかし、中華民国国民―――殊に年配者―――の喜びようは、それに数倍勝るものであり、熱狂的とさえ言えるものであった。
 かくして台湾全土は、1月以上早く、春節が来たかの如きお祭り騒ぎ一色へと染まっていくのであった。



「我が勇敢なる同志諸君。諸君らの弛まぬ敢闘により、我らは遂にオリジナルハイヴを陥落させるに至った!
 これより、我らは一大攻勢へと転じ、不当にも奪われた国土を奪還するであろうッ!
 同志諸君よ、奮起せよッ! 栄光ある祖国の為に立ち上がるのだッ!! 『我らが祖国、万歳(ナシュ・ウラー)』ッッッ!!!」

 アラスカの租借地より、ソビエト連邦共産党書記長の声明が発せられ、極東の最終防衛線に配備されたソ連軍将兵の許へと届く。
 その演説に、熱狂的かつ勇猛に応える将兵らの姿を、政治士官らが冷徹な視線で睥睨していた。



「我が親愛なる米国国民の皆さん。
 本日私は、この、大変喜ばしい報告を皆さんに伝える立場にある事を、神に感謝したいと思います。
 先程、我が国戦略宇宙軍の全面的な支援を受けて実施された、国連軍のオリジナルハイヴ攻略作戦がその目的を達成し、BETA最高司令部を壊滅させる事に成功いたしました。
 この成果により、今後BETAは弱体化し、攻勢へと転じた我ら人類は、必ずや勝利を手にし、地球を奪還するに違いありません!―――」

 アメリカ東部標準時の深夜1時過ぎ、重大発表が予定されているとの事前の報道により就寝を遅らせていた米国民達は、その内容に驚愕し、興奮のあまり眠気すら跡形も無く消し飛ぶ事となった。
 殊に、BETA被占領国の出身者やその子孫達は、この望外の吉報に狂喜する。
 米国に在住する者達の多くにとって、BETAとの戦いは切実さに欠けるものではあったが、それでも尚、未来に重苦しい陰りを落とすには十分な影響力を持っていた。
 それ故に、米国へと逃れて来た戦災難民達ばかりに限らず、大多数の国民が喜びに打ち震え、全米各地で高らかに歓声を上げるのであった。



 こうして、地球上の人類支配地域の全域で、BETA大戦史上最大となる人類の大勝利が報じられ、その報に接した者の殆どがこれを歓迎し、歓呼の声を上げていた。
 国ごとの声明によって、扱いの大小こそ異なったものの、このオリジナルハイヴ攻略作戦が国連軍によって実施された事は、事前の申し合わせにより必ず言及されている。
 そしてその中で、オリジナルハイヴ攻略作戦の立案から実行に至るまでを主導したのが、極東に位置する国連軍横浜基地に本部を置く、『対BETA戦略及び戦術研究策定計画』―――通称『オルタネイティヴ4』である事も発表された。
 極秘計画としてのその本質は未だ機密指定により隠されてはいるものの、オルタネイティヴ4の存在が、初めて公に明かされる事となったのである。

 この日を境に、オルタネイティヴ4の存在と、『対BETA戦略及び戦術研究策定計画』の枠内に収まる活動に関する情報は、過去に遡って機密指定を解除され、公表を許される事となった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 16時06分、オリジナルハイヴ陥落に沸く地球へと、ヴァルキリーズと霞を乗せた3機の装甲連絡艇が、今まさに帰還を果たそうとしていた。

 国連太平洋方面第11軍横浜基地の地上施設各所では、手隙の基地要員等が立ち並び、夕陽に染まる西の空へと目を凝らしていた。
 そして、西の高空に飛来した飛翔体が眩い光を反射するのを認めた者達が、我先に叫び始めると次々に歓声が伝播していき、やがては横浜基地地上施設全域へと轟き渡る。
 その歓声に応えるかのように、基地内からも更に多数の要員が姿を現し、人数を増やしながらも大きな流れとなって、互いに興奮した声を掛け合いながら、第2滑走路へと押し寄せて行くのだった。

「おい、帰って来たぞっ!」「見ろっ!、3機いるぞ!」「本当に、本当に、帰って来たのね!」「やりやがった……あいつら本当にやりやがったんだ。」「これで地球は……人類は救われるぞぉー!」「ありがとう、ありがとう!」「よくやった……よくやってくれた!」「お帰り……お帰り……」「着陸態勢に入った!」「英雄たちの凱旋だぁ! 派手に祝ってやろうぜえっ!」「滑走路までお出迎えだっ! みんな、行くぞぉーッ!」「ええ、いきましょうっ!」

 彼らの向う第2滑走路は、A-01の帰還を待ちかねていたかのように、その全域を空けて装甲連絡艇の着陸に備えていた。
 その滑走路へと、安全確保の為に時間を空けて、3機の装甲連絡艇が次々に着陸して行く。
 そして、十分に速度を落とし、タクシングを行って駐機スポットへと移動した装甲連絡艇に、作業車が走り寄って機体の冷却及び浄化作業を開始する。

 3機全てが無事着陸を果たし、駐機スポットにその姿を並べた所へ、1群の戦術機が飛来し一糸乱れぬ機動で着地を果たすと、装甲連絡艇の搭乗員達を出迎えるが如くに、整然と居並んでその威容を誇示した。
 総計18機に及ぶ戦術機の最前列中央では、紫色の『武御雷』が夕陽に染められながら屹立しており、その左右には青い『武御雷』と赤い『武御雷』が1機ずつ、そして後方には白い3機の『武御雷』が控える。
 その更に後方には、『武御雷』と同じ機体色の『朱雀』6機が並び、最後列には間隔を広く空けて黒い『朱雀』6機が並ぶ。
 それらは、斯衛軍第16大隊を中核として選抜された、中隊規模の政威大将軍直衛部隊であった。

 それら18機の戦術機と向かい合う様に、搭乗タラップが装甲連絡艇へと接続されると、周辺一帯が点灯されたサーチライトによって煌々と照らし出される。
 その様子を、横浜基地の要員達と、帝国の報道陣が遠巻きに取り囲み、固唾を飲んで見守っていた。
 そして、衆目の集まる中、遂に装甲連絡艇の搭乗ハッチが開かれる。

「―――A-01連隊第9中隊、駆けあーしっ!」

 みちるを先頭に、3機の装甲連絡艇から地上へと降り立ったヴァルキリーズ18名は、みちるの号令に合わせて疾走を開始し、紫色の御『武御雷』の正面へと駆け寄る。

「総員ーっ、整れーつッ!……政威大将軍殿下に対しー、敬礼ッ!!」

 そして、速やかに整列すると、ヴァルキリーズは一斉に敬礼を捧げた。
 すると、それに応える様に紫色の御『武御雷』の複座型管制ユニット胸部搭乗ハッチが開放され、そのハッチの上へと斯衛軍仕様のCウォーニングジャケットを纏った悠陽が、その凛とした立ち姿を現す。

「此度の任務、誠に大儀でありました。一同楽になされるがよい。
 そなたらは怨敵BETAの本拠地に挑み、見事陥落させし栄えある勇士です。
 政威大将軍として、まずはそなたらの働きに感謝し、その勲功を讃えるものです。
 此度のオリジナルハイヴ攻略作戦―――『桜花作戦』に於いては、孤立無援となる敵地へと、2000を超す戦術機を投入しての、熾烈な戦いであったと聞き及んでおります。
 ―――多くの犠牲を払って達成した勝利ではありましょうが、今はその戦いをも越えて、そなたらがこうして無事生還した事を寿ぎたいと思います。」

 悠陽は、ヴァルキリーズの働きを讃えた後、犠牲者を悼むかの如くに暫し瞑目する。
 しかし、再び眼を開くと温かな笑みを浮かべ、ヴァルキリーズの1人1人へと視線を合わせ、その生還を寿ぐ。

「昨年中の新潟BETA上陸、そして佐渡島奪還を果たした『甲21号作戦』に於いても、そなたらは見事な働きを示し、我が国の勝利に貢献してくれました。
 そして、此度は我が国のみならず、人類全体に対してそなたらは絶大なる貢献を成したのです。
 そなたらの所属せし、国連直轄の『対BETA戦略及び戦術研究策定計画』―――通称『オルタネイティヴ4』が達成した成果により、人類は地球奪還に向けた道を切り開く術を手にする事が叶いました。
 今日(こんにち)より人類は一丸となり、BETAを地球上より排除する為の戦いへと、邁進する事となるでしょう。
 これより後も、BETAとの戦いは続き、地球奪還が果たされるまでの道程は、長く険しいものとなるに相違ありません。」

 悠陽は、此処で再び瞑目し、今後も続く戦いへと想いを馳せるかの様に暫し口を閉ざす。
 然る後、悠陽は眦を開くと共にその繊手を鋭く横へと払い、凛然とした口調で言葉を繋ぐ。

「然れど、そなたらの活躍により、人類は勝利へと通じる希望を既に見出しております。
 必ずや、道程の果てに在る、万民の願いへと到達するに相違ありません。
 そなたらが、その長き道程の最中、更なる働きにより希望の光を弥増してくれる事を切に願います。
 ―――最後に、重ねてそなたらの働きに万謝致します。
 誠に―――誠に大儀でありました。」

 悠陽は最後に軽く会釈をすると、その身を翻して紫色の御『武御雷』の内へと姿を消した。
 複座型管制ユニットの搭乗ハッチが閉鎖されるのを待ち、みちるの裂帛の号令が響き渡る。

「総員っ! 敬礼―ッ!!」

 その号令に合わせ、一糸乱れぬ敬礼を捧げるヴァルキリーズ。
 それに応え、『武御雷』と『朱雀』は、背部兵装担架より74式近接戦闘長刀を右主腕で抜き放ち、高々と天に向けて掲げる事で応えた。
 この光景は、翌朝の報道各紙の1面を大きく飾る事となり、また、テレビでも繰り返し映像が流れる事となるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 17時00分、ブリーフィングルームにヴァルキリーズ18名と、夕呼、ピアティフ、イルマ、そしてラダビノッド基地司令の姿が揃っていた。

「それじゃあ、『桜花作戦』のデブリーフィングを始めるわね。
 白銀は、『凄乃皇』の機密保持の為に夜になってからの帰還になるから、先にあんた達だけで進めさせてもらうわ。
 戦闘詳報は白銀に出させるとして、まずはご苦労だったわね。」

 上機嫌でヴァルキリーズを労わる夕呼。
 珍しく満面に笑みを浮かべて、夕呼は更にヴァルキリーズの働きを褒めるが、その言葉や素振りはどこか自画自賛しているかの如き印象を内包していた。

「今回の作戦の結果は、想定出来る限り最上に近いものよ。
 榊と御剣の意見具申を認めてやった事が、この結果を導いたと言っても過言じゃないわ。
 あんた達は掛け値なしで素晴らしい戦果を上げた、この事は誇ってもいいわよ。
 尤も―――あまりにも素晴らし過ぎたもんで、あんた達にはもう一働きしてもらう事になっっちゃったけどね。
 ―――司令、お願いします。」

 もう一働き、との夕呼の言葉に、微かにではあるがざわめきを漏らすヴァルキリーズ。
 その様子を悪戯っぽい笑みを浮かべて眺めた夕呼は、しかし取り合う事無くラダビノッド基地司令に発言を譲る。
 夕呼と入れ代りに、ヴァルキリーズの前に立ったラダビノッド基地司令は、重々しく口を開いた。

「諸君―――敵陣の真っ只中への強攻という至難の任務を見事に果たし、しかも、一兵たりとて欠ける事無く、良くぞ無事生還してくれた。
 諸君は私の―――そして国連軍の誇りである。」

 ラダビノッド基地司令の賛辞に、ヴァルキリーズの背筋が伸びる。
 その様子に微かに目を細めながらも、ラダビノッド基地司令の言葉は続く。

「また、諸君の今回の働きにより、我々オルタネイティヴ第四計画の機密指定が一部解除され、その存在を公とする事が許される運びとなった。
 これは、今後の我々オルタネイティヴ計画の任務が、大陸侵攻に向けた各国将兵らへの支援へと、その主軸を移したものとなる為である。
 今日に至るまで、過酷な任務にその若き命を捧げた者達の尊い挺身が、今回の機密指定解除により公に認められる運びとなった事は、実に喜ばしい限りだ。
 未だに機密指定とされる事項は多く、諸君らも多くの責を担っていく事に変わりは無い。
 しかし、今後はオルタネイティヴ計画の要員として、陽の光の下、胸を張って任務に従事して貰う事となる。
 オルタネイティヴ4の名の下、人類の未来の為に、諸君がより一層の活躍を果たしてくれるものと確信している。」

 ラダビノッド基地司令は、その風雪によって磨かれた巌の如き静謐な容貌に、極微かにではあるが笑みを浮かべてそう告げた。
 しかし、言葉を一旦休め、ヴァルキリーズの各員を見廻したラダビノッド基地司令は、その表情を引き締めて再び言葉を発する。

「―――本来であれば、諸君にはゆっくりと休養をとり、今作戦での疲れを癒してもらいたい所ではあるが、『桜花作戦』が完遂され、更には諸君が万全の状態で帰還したが故に、私は諸君に新たなる任務を命じねばならない。
 オリジナルハイヴの超大型反応炉が破壊された事に伴い、オリジナルハイヴに所属していたBETA群が周辺のハイヴへと撤退した。
 最新の予測では、その数は凡そ800万体に及ぶと推定されている。
 このBETA群の流入により、周辺ハイヴが飽和し、連鎖的に所属BETA群の移動を誘発。
 最終的には、各方面への大規模侵攻が多発するとの予想が成された。
 その侵攻規模は、20万体から最大100万体を超える恐れがある。
 ユーラシア大陸へとBETAを封じ込めている、対BETA防衛線―――ここに配備されている各方面軍に対する通達は、『桜花作戦』の実施に先立ち既に成されてはいる。
 しかし、過去に例のない大規模侵攻となる事が予測される為、このままでは多大な犠牲を払う事を覚悟せねばならない。
 その犠牲を、少しでも軽減する為に、諸君には各方面軍への支援部隊として赴いて貰う事となった。」

 ラダビノッド基地司令から告げられる新たな任務の内容に、ヴァルキリーズ各員の表情は自ずと引き締まり、真剣に耳を傾けるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 21時47分、B17フロアの夕呼の執務室に武は出頭していた。

 夜陰に紛れて横浜基地への帰還を果たした武は、3機の『凄乃皇』を90番格納庫の台座へと固定したその足で、夕呼の執務室を訪ねていた。
 オリジナルハイヴリーディングデータのバックアップが記録されている、外部記憶装置を搭載した装甲連絡艇0番機や、電磁投射砲などの各種装備も、『凄乃皇』各機に積載したままという慌ただしさである。
 この後、深夜0時より国連安保理の非公式協議が開催される事になっている為、武は寸暇を惜しんで夕呼の執務室へとやってきたのである。

「夕呼先生、今戻りました。」

「はいはい、ご苦労さん。―――それじゃあ時間も無い事だし、さっさと始めましょうか。」

 武の挨拶を至極あっさりと流した夕呼は、執務机に着き端末のキーボードを叩きながら、武に報告を促した。
 最初に『桜花作戦』の戦況推移をざっと流し、その後、00ユニットと『凄乃皇』の運用評価へと話は移る。

「―――じゃあ、ODLの劣化があそこまで進んだのは、その因果情報の流入によるものだって訳ね。
 グレイ11を900kg以上も消費した、ML機関と『ラザフォード場』の高度運用による負荷でさえ、ODLの劣化に関しては十分許容範囲だったってことか……
 グレイ11の消費量は、事前に想定した量の2割増しってとこね。
 なのに、オリジナルハイヴで入手できたグレイ11は3トンに満たない。
 オリジナルハイヴのアトリエなら、もっと大量に入手できるかと思ってたんだけど……」

 やはり、00ユニットと『凄乃皇』を運用するに当たって、最も問題となるのはODLの劣化とML機関の燃料であるグレイ11の消費量であった。
 『凄乃皇』の運用を続ける為には、グレイ11を補充する方法を確立せねばならない。
 その為、話題はどうしてもG元素に係わるものとなる。
 自問するかの様に考え込む夕呼に対し、武が最新の情報を告げる。

「ああ、その辺の事情は、軌道上で待機している間に、今回得られたリーディングデータから優先的に解析しておきました。
 どうやら、フェイズ5以上のハイヴではG元素の貯蓄量がある程度以上になると、発射体に搭載して射出してしまうようなんです。
 なので、G元素のハイヴ備蓄量は、フェイズ6でも概算で50トン辺りが上限となるみたいですね。
 G元素の総量に対してグレイ11の占める割合は8%程度ですから、最大でも4トン程度までしか備蓄されない訳です。
 それから、2001年に地球上で生成されたG元素の総量も大体解かりました。
 これも概算ですが、400トンを少し超えた程度の様です。
 しかも、この内、約160トンが4つの発射体によって打ち上げられていますね。」

 武は夕呼の執務机に乗っている端末を非接触接続で操作し、画面上に関連情報をグラフや表で表示しながら説明する。
 暫し、それらの情報を眺めながら何やら吟味する夕呼だったが、割とあっさりと思索を切り上げて顔を上げた。

「BETAは、ユーラシア大陸のそこいら中を掘り返してるってのに、年間たった400トンしか生成されてないっての?
 1トン生成するのに、何億トンの地面を掘り返してんのよ。
 ま、いいわ。どうせ、大陸反攻作戦で『凄乃皇』を運用する予定はないんだから。
 安保理や、被占領国の連中を黙らせるには、調度良い材料になるでしょ。
 今回の『桜花作戦』も、公式発表では戦術機2000機以上と、対BETA戦術構想の新型装備群を投入した結果としか発表してないしね。
 作戦投入人員が20名だけだったなんて情報は、真っ先に最高機密に指定してあるから、安保理理事国の国家指導者とその周辺数名しか知る事は出来ない。
 それ以外の人間は、戦略航空機動要塞が複数投入されたって情報に触れるのが精一杯よ。
 最終的には、戦略航空機動要塞まで投入したのに、多数の犠牲を払ってようやく反応炉を破壊したってとこに落ち着かせるわ。
 鎧衣課長には既に依頼してあるけど、あんたも明日から早速、情報操作に加わって貰うわよ?」

 夕呼は―――そして武もであるが、ハイヴ攻略が例え2000機の戦術機や、膨大な量の再突入弾頭等を投入した上だとは言え、僅か20名で達成された―――しかも、死傷者0でだ―――などという情報を公開するつもりは欠片もなかった。
 何故ならば、これ程圧倒的な戦果を将兵等が知れば、自身の生命を賭して戦う意味を見失い、依存と無気力へと向かってしまう恐れがあるからである。
 無論、BETA被占領国の将兵らの中には、母国奪還を他者の手に委ねる事を由とせず、自ら戦い続ける道を選ぶ勇士らも少なからずいるだろう。
 それでも、長く続いた過酷なBETA大戦に、多くの将兵等は疲れ果てており、何かの切っ掛け一つでその戦意が喪失してしまう恐れは決して低くはないのだ。

 これから先、ユーラシア大陸に残存する23のハイヴを攻略し、被占領地域を奪還して行くに当たって、その広大な戦線を維持するには多くの将兵等が必要となる。
 しかも、ハイヴの陥落の後には、そのハイヴから撤退したBETA群によって、周辺ハイヴで所属BETA個体数の飽和が発生し、大規模侵攻を誘発してしまうという問題もある。

 ハイヴと言う拠点の攻略、しかも反応炉の破壊という目的の達成だけの問題ならば、00ユニットである武が『凄乃皇』を効率よく運用しさえすれば可能である。
 しかし、奪還した地域の防衛や、対BETA防衛線の維持など、更には復興や、それに携わる人々の安全確保や治安維持などにも、多くの将兵の力を必要とするのである。
 それを考えるが故に、夕呼と武は00ユニットと『凄乃皇』という、現用兵器とは隔絶した性能を持つ超兵器に極力依存する事無く、地球奪還を成し遂げるべきだと考えるに至ったのだ。

 無論、その結果として、多くの将兵等が傷付き、場合によっては命を落とす事は明らかである。
 それらの犠牲を思う時、武は自身の決意が揺らぐのを自覚しているが、長期的な視野に立った場合、例え犠牲を払ったとしても人類全体の利益となると信じる事で、自身の感情を抑え込んでいた。
 そして、その決意をしているが故に、武は自分自身よりも大切に想う、仲間達を危地へと送り出さざるを得ない。

 オリジナルハイヴから周辺ハイヴへと撤退したBETA群の波及効果により、BETA大戦史上でも過去に例の無い大規模侵攻が対BETA防衛線の各所で、短期間の内に連続して発生する。
 この大規模侵攻を撥ね退け、対BETA防衛線を守り抜く為に―――
 そして、この戦いに於いて、可能な限り犠牲を減らす為に―――
 そして何よりも、今後の大陸反攻作戦に於ける、対BETA戦術構想と、オルタネイティヴ4による作戦指揮の有効性を知らしめる為に―――

 武は『桜花作戦』実施に先立ち、『桜花作戦』後にヴァルキリーズを、対BETA防衛線の要衝へと分散派遣する作戦案を、夕呼に提出していたのである。

「で、A-01の分散派遣は、『桜花作戦』前に提出されているプランAの通りでいいのね?」

 右の眉を跳ね上げて、表情を消した夕呼は武にそう確認する。
 それに対して、武は微かに苦悩を滲ませながらも、はっきりと頷きを返す。

「はい。それで構いません。
 各方面への装備群の輸送も上手くいっているようですし、A-01の派遣が実現すれば相当な戦力強化になる筈です。」

 武の返事を聞きながら、夕呼は端末を操作して武のテレメトリデータを表示させ、人間の頭脳に於いて感情を司るとされる大脳辺縁系に相当する、量子電導脳の活動データをチェックする。
 その結果、感情の振幅が発生してはいるものの、理性を司るとされる前頭前野に相当するデータでより大きな振幅が発生しており、感情を十分に抑制していると判明した。
 その様なチェックをしている事など、一欠片も窺わせる事無く、夕呼は話を続ける。

「本当にいいのね? プランAだと、あんたと同行するのは鎧衣だけよ?
 他の連中に焼き餅焼かれちゃって、大騒ぎになるんじゃないの~。」

 実に楽しげな笑みを浮かべて、武をからかう夕呼。
 しかし、武は真面目な表情を崩さない。

「本当は、ソ連への派遣はオレだけにしたい位なんです。
 けど、それじゃあ流石に人手が足りません。
 00ユニットとしての能力を、ソ連軍の目の前で十全に発揮する訳にはいきませんからね。
 そして、不足の事態に備えるなら、美琴の同行は必須です。」

「―――つっまんないわねえ。ちょっとは動揺して見せなさいってのよ。
 ま、確かにあんたの言う通りね。
 今回の派遣先で、最も危ないのはソ連。
 密かに、鎧衣課長にも現地に飛んで貰って、バックアップの手筈は整えてあるわ。
 勿論、ソ連だけじゃなくて、ヴァルキリーズの派遣先は全て、鎧衣課長のコネクションと、国連軍情報部のエージェントを通じてバックアップ態勢を整えて貰ってあるわよ。
 悠陽殿下の御高配で、斯衛も動いてくれてるしね。」

 今回、ヴァルキリーズは6つの分隊に分かれて、対BETA防衛線の要衝各地へと派遣される。
 アフリカ防衛の要衝、スエズ戦線へと派遣されるのは、千鶴をこの派遣期間のみ臨時中尉とした上で指揮官とし、茜、多恵、壬姫を加えた4人で構成されるA分隊。
 東南アジア防衛の要衝、マレーシア戦線へと派遣されるのは、美冴を指揮官とし、祷子と彩峰を加えた3人で構成されるB分隊。
 統一中華戦線が大陸沿岸部に橋頭保を保持している中台戦線へ派遣されるのは、水月をこの派遣期間のみ臨時大尉とした上で指揮官とし、遙と葉子を加えた3人で構成されるC分隊。
 九州地方を脅かす朝鮮半島戦線へと派遣されるのは、名目上は葵を指揮官とし、紫苑、智恵、月恵を加えた4人で構成されるD分隊。
 欧州戦線へと派遣され、甲11号目標―――ブダペストハイヴに対して敢行される漸減作戦を支援するのは、みちるを指揮官とし、晴子と冥夜を加えた3人で構成されるE分隊。
 そして、E分隊には政威大将軍名代でもある冥夜の護衛として、欧州への派遣経験を持つ斯衛軍の麻神河暮人大佐と、焔純大尉が同行する。
 最後に、佐渡島防衛と共に、アラスカへのBETA侵攻を食い止める要衝―――カムチャッカ戦線には、美琴を伴った武がF分隊指揮官として赴く事となっていた。

 それぞれ、派遣先で発生すると予想されている戦闘の激しさや、派遣先の駐留部隊を構成する国家や連合に対する印象などを考慮した分派案であった。

 中東連合を基幹とする国連軍が守るスエズ戦線に対しては、日本帝国首相の1人娘である千鶴を指揮官とし、戦線の広さやオリジナルハイヴに近い事から激戦となる事を見越して、最も『雷神』の運用に長けた壬姫を派遣する事とした。
 また、新任のみとは言え、人数も4人と多く、千鶴と茜のコンビによる指揮能力は先任にも決して見劣りしないであろう。

 大東亜連合軍を主力とするマレーシア戦線に対しては、大東亜連合軍内部に於ける故彩峰中将への尊崇の念を考慮して、彩峰を含む3名とした。
 また、彩峰に美冴と祷子を加える事で、指揮、分析、遠近、攻守、様々な点でバランスの取れた分隊となっている。

 統一中華戦線の大陸橋頭保防衛に対しては、臨時大尉の階級となった水月以下、遙、葉子の中尉2名と、階級上位者が固めている。
 葉子の沈着冷静な砲撃と、遙による多数の遠隔陽動支援機の運用は、拠点防衛に於いて効果的に機能するであろう。
 また、比較的反日感情の強い統一中華戦線への派遣となるが、この3人であれば物怖じせずに対処可能と判断された。

 朝鮮半島戦線は帝国軍が主力となっている為、昨年来の極東国連軍に対する好感情の醸成に伴い、最も派遣に伴う摩擦が少ないと思われる。
 葵以下、紫苑、智恵、月恵の4人で構成される分隊は、他の分隊と比較すると、やや能力的に突出する所の無い分隊ではあるが、遠近、攻守に亘って手堅い編制となっている。

 欧州連合軍と協力し、大規模侵攻に対する迎撃作戦ではなく、ブダペストハイヴに所属するBETA群に対して、積極的に漸減作戦を展開し、地中海戦線と英国本土への侵攻を未然に防止する任には、みちる以下、冥夜と晴子、そして斯衛軍の衛士であり、欧州派遣経験を持つ暮人と純が赴く。
 能動作戦故に、最も困難な作戦となる事が予想されている為、高い能力を持つ人材が揃えられていた。

 そして、ソ連軍との共同作戦となるカムチャッカ戦線である。
 ソ連軍上層部は、恐らくは相当高い確率で、大規模侵攻に対する防衛すら二の次としてでも、表向き戦術立案ユニットと呼称されている00ユニットの、情報収集ないしは奪取を目論むであろうと推測された。
 武と美琴は、その謀略を躱しつつ、大規模侵攻を撃退しなければならない。
 幸いにして、派遣先から帝国本土までの距離が近い為、帝国海軍の艦艇を本拠として活動する方向で調整が行われている。
 予断は許されないものの、美琴の予見能力と、00ユニットとしての武の能力があれば、十分任務は達成可能であろう。

「そうですね。事前に思い付ける限りの対策は全部打ってありますし……
 それに、オレが側にいさえすれば安心できるだなんて、傲慢な自己満足以外の何物でもないですしね。」

 武は夕呼にそう答えながら、各方面への装備の輸送状況及び現地での備蓄状況を、非接触接続によるデータリンクを通じて確認する。

 『桜花作戦』の実施前から、『桜花作戦』後の大規模侵攻発生に備えて、武は夕呼と悠陽に依頼して、ヴァルキリーズ派遣先への対BETA戦術構想装備群の輸送と、現地における自律地雷敷設機及び地雷の生産備蓄を手配して貰っていた。
 『甲21号作戦』に投入された『雷神』飛行船群4個群と、人的ミスで投入できなかった1個群の計5個群が、スエズ戦線、マレーシア戦線、中台戦線、朝鮮半島戦線、欧州戦線へと既に派遣されている。
 また、帝国では落雷によって喪失した『雷神』を再建しており、これに残存していた支援飛行船群を加えて新たに飛行船群を編制し、佐渡島防衛並びにカムチャッカ戦線を担当させる事になっていた。
 その他にも、『時津風』や『満潮』、『緊急展開用ブースターユニット』、『土竜』、『Gパーツ』等も、数こそ限られる物の既に輸送が完了している。

 後は、それらの装備を効率的に運用できるヴァルキリーズが到着しさえすれば、それらの装備群は戦局を好転させるに十分な働きを示すだろう。
 未だ、対BETA戦術構想を導入しているのが極東国連軍と日本帝国、そして大東亜連合軍しか存在しない現状では、ヴァルキリーズの派遣無しでは、それらの装備群を十全に活用する事は難しい。

 対BETA防衛線の将兵等の犠牲を減らすのと引き換えに、仲間達を各戦線へと分派し、危険に曝す事は武にとっては辛い決断であった。
 しかし、それでも尚、人類に貢献したいと願う仲間達の強固な意志と、今後の大陸反攻作戦に与える影響を鑑みると、武としては断行せざるを得なかった。
 『桜花作戦』のテストプランに於いて、ヴァルキリーズを早期撤退させる予定であったのも、この派遣計画がその一因となっていたのだ。

 いずれにせよ、既に方針は下されている。
 武の正直な心情としては、出来る事ならば危急の際には駆け付けて、仲間達を守ってやりたいところではある。
 しかし、今回は、仲間達を信じて送り出すしかない武であった。

「そうよね~、報告を聞く限りじゃ、今こうしてあんたが生還出来てるのだって、あの娘達のお陰だしねえ。
 あんだけ心配されて、実際に助けてももらってる身で、守ってやるも何も無いってもんよ。」

 夕呼はそう言って武の意気込みをからかう。
 ところが、夕呼の意に反して、武は恥じるでも反発するでもなく、真剣な顔で一瞬躊躇った後、おずおずと切り出した。

「その事なんですけど、夕呼先生。安保理の下準備に必要な話は大体終わったようですし、ちょっと相談にのってもらえませんか?
 ………………その、『桜花作戦中』に流入した因果情報なんですけど……
 あれはやっぱり、オレの再構成から派生した世界の因果情報ですよね?
 てことは、記憶の関連付けに失敗していたってことなんでしょうか……」

 武の問い掛けが、内容が自身の提唱する因果律量子論に関するものだっただけに、夕呼はそこそこ本気で検討を始める。
 ぶつぶつと呟きながら思索する夕呼に、こうなったら声をかけても届かないとし熟知している武は、大人しく結論が出るのを待つ。
 『凄乃皇・四型』の投入、00ユニットとして稼働している純夏、たった5人にまで激減したヴァルキリーズの戦力、無理に無理を重ねていると如実に察せられる作戦展開、それらの情報を勘案して夕呼は仮説を構築して行く。
 何よりも注目したのは、オリジナルハイヴ『主広間』を巡る因果情報に於ける武の不在と、全ての因果情報に共通して存在する武―――もしくは『凄乃皇・四型』への強い想いであった。
 そして、以前に武から報告のあった、人格転移手術後に00ユニットとして起動するまでに見たという、『夢』の話。
 白銀武と言う特異な因果導体に対する理論モデルの仮説を軸に、夕呼は考察を深めていく。

「―――白銀、あんた前に自分が死亡した後の世界の出来事を、00ユニットとして起動する前に夢に見たっていってたわね。
 今回、あんたに流入した因果情報も、それと同じであんた自身の記憶と関係無しに、他の確率分岐世界の情報が流入したと考えられるわ。
 何れも、あんたに向けられた強い想いが要因となって、虚数空間を通じて因果導体であるあんたへと流入したんでしょうね。
 そして、あんたに流入した情報から考えると、確かにあんたの再構成後に派生した確率分岐世界の出来事としか思えない。
 悔しいけど、あんたを通じて人格転移理論の数式を入手しなければ、00ユニットの稼働はまずあり得ないでしょうし、もし万一独力で成功したとしても、鑑と共にBETAに捕らわれ死亡した筈のあんたが居る説明が出来ないからね。」

 ここまで一気に説明した夕呼は、言葉を切って武に視線を向ける。
 武も、ここまでは自力で辿り着いていたのか、冷静に受け入れている様子だった。

「問題は、2回目の再構成以降の記憶を、積極的に保持し続けているあんたの記憶にないって事よね……
 状況的には、あんたから聞いた2回目、3回目の再構成後に発生したっていう、ここの反応炉停止が発生した後って感じだけど……
 ヴァルキリーズが5人しか残っていなかったから、2回目のループの横浜基地BETA襲撃で相当な打撃を……
 ―――ッ?! もしかして…………そうね、それなら……けど…………」

 話を再開した夕呼だったが、何やら新しい仮説でも思い付いたのか、再び思索に耽ってしまう。
 そんな夕呼を武がじっと見詰めていると、何かに気付いたのか、夕呼が急に眼を見開いて顔を上げる。
 そして、そのまま視線を宙に彷徨わせた後、瞼を閉じ腕組みをして感情を排した静謐とさえ見える表情で動きを止めた。
 武が息を飲んで夕呼の言葉を待っていると、夕呼は瞼を閉じたまま口を開く。

「―――白銀、どうしても知りたいかしら? 後悔するかも知れないわよ?」

「夕呼先生?! ―――教えてください、一体全体、なんだっていうんですか!」

 武の切羽詰まった声音に、夕呼は薄く眼を空けると、感情を完全に排除した冷徹な視線と口調で話し始める。

「―――そう、ならいいわ。教えてあげる。
 これは、飽くまでも仮説に過ぎないから、そのつもりで聞くのね。
 どう見ても、因果導体となったあんたが、時空因果律干渉を試み始めた後に派生したとしか考えられない確率分岐世界の記憶。
 なのに、あんたの記憶には残っていない。
 なら―――考えられる事は一つしか存在しない…………白銀、あんた―――誰かとエッチしちゃったんじゃないのぉ?
 誰としたのかしら~? 御剣? 鎧衣? 珠瀬を無理矢理? まさか榊と彩峰をセットで?!
 あー、案外、まりもなんてのもあるかもしれないわねぇ~。」

「な、ななななな…………何言ってるんですかっ、きゅ、急に…………」

 固唾を飲んで真剣に耳を傾けていた武は、話の急展開に付いて行けず、しかも不意を打たれた所為か顔中を真っ赤に染め上げてしまう。
 そんな武の様子を、鼠を甚振る猫の如き満足気な笑みを浮かべた表情で夕呼は眺め、その醜態を十分堪能してから話を続ける。

「だってぇ~、あんたが恋愛禁止ってループ条件忘れて、誰かに手を出した挙句に記憶を喪失したとしか考えらんないじゃないのぉ~。
 良かったわねえ、白銀。その周回丸毎記憶を消されたり、因果情報を抹消されたりしなくって。
 あんた、実は記憶にないだけで、結構彼方此方の確率分岐世界で、状況に流されてしちゃってるんじゃないの?」

「そ、そんな―――そんな筈ありませんッ!
 大体、もしそうだとしたって、状況に流されずに踏みとどまった記憶が残る筈ですよねッ!
 そこで確率分岐が発生したなら、流される直前までの記憶が…………いや、記憶の喪失は決定的な状況の発生から時間を遡って曖昧化するのか?
 だとしたら………………って、絶対にあり得ませんッ! あって堪るかッ!!!」

 反射的に反駁した後、論理構築しようとして生じた疑問から自問自答に、疑心暗鬼に陥りかけた武は、最終的に激高した感情任せの完全否定へと到達した。
 そんな武を実に楽しげに眺めた後、息を切らして肩を上下させる武に対し、夕呼は笑いを噛み殺しながらも宥める様に話しかける。

「くくくっ……だから、仮説に過ぎないって言ってるじゃない…………ぷっ……
 で、でも……一応この仮説なら、説明できるって事は……あ、あんただって認めるでしょ?
 ま、まあ……あんまり気にしないで、これまで以上にストイックに貞操を守ればいいんじゃないのぉ?
 ……………………あー、可笑しかった。
 ―――さてと、その件はこれで一旦置いといて、あんたにはもう一つ聞いておきたい事があるのよ。
 オリジナルハイヴへの駐留部隊についてなんだけど、軌道上で情報収集に成功した?」

 笑いの衝動を漸く抑え込んだ夕呼は、真面目な表情に戻ると、武に一つの問い掛けを行う。
 米中ソの3カ国が共同で行うオリジナルハイヴ駐留部隊の派遣。
 これに関する情報は、国連安保理における駆け引きの材料として、無視しかねる重要性を持っている。
 しかも、この件に関して、武と夕呼は幾つかの布石を打っている為、その効用を推し量る為にも情報は少しでも多く必要としていたのだ。

「ああ、その件がありましたね。
 まず、駐留部隊の装備ですが、通常の軌道降下兵団と殆ど変わらないんですよ。
 違うとこって言ったら、再突入殻での強行突入じゃなくて、米国が増産して打ち上げた物資輸送用再突入カーゴを使って降下するって事位ですね、
 一応、補給用コンテナの逐次投下による補給計画はある様ですけど、人員を撤退させる為の手段が殆ど用意されていません。
 部隊と一緒に軌道降下させる脱出用の装甲連絡艇も2機だけでしたし、あれじゃあ、事実上の死守命令ですね。
 事前に策定されている作戦も、戦術機甲3個連隊の兵力を2つに分けて地上でのBETA群迎撃と、ハイヴ内の調査を分担するって方針が決まっている程度で、BETA群に対する防衛計画も杜撰な物です。」

 武は、苦々しげな表情で、それでも淡々と語る。
 しかし、心中ではこの無謀な派兵を決定し、衛士等を使い捨てにしようとしている、米中ソ3カ国の軍上層部に対する怒りが燃え盛っていた。

「なにしろその防衛計画ってのが、オリジナルハイヴの外縁部を防衛線として、機動防御を実施するって内容なんですけど、半径1000kmもある外縁部を高が2個連隊程度の戦術機甲部隊で防衛できる訳がありません。
 まあ、駐留部隊の方から積極的に接触しなければ、資源収集を目的とするBETA群はオリジナルハイヴの外縁部より内側には入って来ないでしょうけどね。」

 武がBETA情報を解析した結果によれば、オリジナルハイヴからの撤退と入れ違いに、オリジナルハイヴ周辺にやってくるBETA群は、オリジナルハイヴ陥落前に増援として派遣された群れと、オリジナルハイヴ陥落後に資源収集を代行する為に派遣される群れの2種類が存在する。
 この内、増援として派遣されたBETA群は、所属していたハイヴがオリジナルハイヴから流入したBETA群によって飽和状態となる為、オリジナルハイヴ陥落後も人類を排除する為に侵攻を続ける。
 武が追撃続行を命じて残してきた戦術機群は、最終的にはこのBETA増援と衝突して撃破されると予測されていた。

「―――でもなあ、迎撃を担当する指揮官達の様子が、なんだか戦功を上げたくって仕方ないって感じで、凄く危なっかしい感じだったんですよ。
 その所為で、それと正反対に怜悧で落ち着いた物腰をした、ハイヴ突入部隊の指揮官達が凄く印象的でしたね。
 恐らくは、ハイヴ突入部隊の中核は、情報将校か情報機関の関係者ですね。
 その辺の10人ばかりが、情報を持ち帰れば十分だ―――そんなとこでしょう。」

 武の説明を、詰まらなそうな表情で聞いた夕呼だったが、一転してニヤリと笑みを浮かべて嘯く。

「ふうん―――やっぱそんなとこなのね。
 駐留部隊の衛士達は可哀想だけど、せめてあたし達の為に有用な交渉材料になって貰うとしましょうか。
 ―――白銀? あんた、変な仏心を出して、要らない知恵付けてこなかったでしょうね?」

 片眉上げての夕呼の問い掛けに、武は苦笑を浮かべて応える。

「一応、駐留部隊のデータリンク内に、現状のオリジナルハイヴで有効そうな防衛計画を幾つか仕込んできました。
 でも、こっちから暗号解除キーを教えてやらない限りは、解読できない筈です。
 場合によっては、オレ達で連中を助けるって展開もあり得ますからね。」

「そ。―――仕込みだけならいいわ。
 じゃあ、あたしは安保理の準備を始めるから、あんたは帰って良いわよ。
 あ、そうそう、まりもがあんたの事心配してたから、後で顔を見せてやって頂戴。
 まりもったら、『桜花作戦』前に、あんたの生還に対する意欲が薄過ぎるって、あたしに態々警告してきてたわよ?
 あんまり、いつまでも恩師を心配させんじゃないっての。
 じゃ、まりものとこへ行くなり、鑑のとこへ行くなり、好きにしていいわよ~。」

 そう言って、しっしと手を振る夕呼に、武は軽く一礼すると執務室から立ち去った。
 夕呼はそれを見送りもせずに端末を操作していたが、執務室のドアが閉まると、ついっと視線を上げて閉じたドアを見詰める。
 その瞳は、鋭利な光を湛えていた。

 そして、何を見るでもなく視線をドアに固定したまま、夕呼は独り言葉を漏らした。

「―――そう言う事…………鑑、あんたもあんな奴の為に、御苦労な事ね…………
 でも、悪いけど、あたしはあんたに協力は出来ないわよ。
 例え仮説上矛盾点が無いとしても、確証が得られない以上、あいつには今まで通り足掻いて貰わないと、ね―――」

 そこまで独白した夕呼は、自分らしくも無い感傷に自嘲の笑みを浮かべると、視線を端末へと戻して作業を再開した。
 オリジナルハイヴを陥落させ、BETAの対応能力を封じた以上、人類がこれまで以上に苦戦する事はあり得ない。
 しかし、地球奪還までの戦いを、どれだけ効率的に推し進める事が出来るかは、これからの夕呼の交渉にかかっていると言っても過言ではなかった。

 今後行われる大陸反攻作戦に於いて主導権を握る為に、夕呼は情報と言う名の武器の刃を、より先鋭に研ぎ澄ませていくのだった。




[3277] 第121話 築かれる階(きざはし)、其は高みを目指して
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:10

第121話 築かれる階(きざはし)、其は高みを目指して

2002年01月07日(月)

 22時58分、横浜基地B8フロアの自室で、まりもは端末を操作して、2002年度版衛士訓練学校のカリキュラム見直しを行っていた。

 消灯時間はとうに過ぎ去っていたが、横浜基地衛士訓練学校唯一の教官としての任に当たっている時には、睡眠時間が3時間以下になる事等ざらにあったので、まりもにとってこの時間は未だ宵の口といった感覚であった。
 端末に2001年度のカリキュラムと、武の考案した新衛士訓練課程の資料を表示しながら、まりもは未だ見ぬ2002年度の訓練兵達に想いを馳せつつ、如何なる訓練を施すかを考案していく。
 と、そこへノックの音に続いて、ドア越しに声が発せられる。

「夜分済みません。白銀ですけど、神宮司中尉、まだ起きてらっしゃいますか?」
(白銀君ッ?!)

 その声を聞いた途端に、まりもは跳ね上がる様に椅子から立ち上がり、通常であれば機密保持の為に落とすディスプレイの電源も放置して、声を張り上げながらドアへと突進した。

「はッ! 只今参りますッ!!」

 そして、辿り着くなり即座にドアを引き開けると、その向こうには何処となくばつの悪そうな顔をした武の姿があった。
 今日一日、その身を案じ続けていた相手の無事な姿を見て、安堵の溜息を洩らしかけたまりもだったが、自分を胸中密かに叱咤すると、姿勢を正して敬礼した。

「白銀少佐、凱旋おめでとうございます!」

 そんな毅然としたまりもの態度に、武は息を大きく吸って背筋を伸ばすと、答礼と共に謝辞を述べる。

「ありがとう、神宮司中尉。我が隊は、1人も欠ける事無く作戦を完遂し、全員無事に帰還を果たした。
 流石は、貴官が手塩にかけた衛士達だけあって、作戦遂行にも大いに寄与してくれた。
 もし顔を合わせる事があったら、褒めてやってくれ………………
 ―――っと、この辺で、肩肘張った挨拶は止めてもいいですよね?」

 表情を引き締め、部隊指揮官としての口上を述べる武を、感慨深く堪能していたまりもだったが、それはほんの数十秒で儚い幻の如く消失してしまい、眼前に残ったのは何処か頼りなげな元教え子の姿であった。
 まりもは、敬礼していた手を下ろし、肩を落とすと深い溜息を吐く。
 そして、苦笑と共に顔を上げると、武の望む通りに砕けた口調で話しかけた。

「仕方ないわねえ。けど、こうして無事帰って来てくれたんだから、今日は大目に見てあげるわ。
 それで、何か用事でもあるの?」

「ええと……任務絡みじゃないんですけど…………少し時間を貰えませんか?
 こんな時間に押しかけといて、申し訳ないんですけど……」

 心の底から済まなそうに尋ねる武に、まりもは少し悩んだものの、自室へと招き入れる事にした。
 正直、この時間に自室に男性を招く事に抵抗が無かった訳でもないまりもだったが、武が多忙である事を思えば出直させる気にはなれなかった。

 そして、武を来客用の椅子に座らせ、その前に折り畳み机を移動させたまりもは、合成玉露を淹れると、急須からその机に置いた茶碗へと注ぐ。
 自身の茶碗にも合成玉露注いだまりもは、武と向かい合う位置に置いた椅子へと腰を下ろし、武の言葉を促す様に視線を投げる。
 その視線に、少し口籠りながらも、武はようやく口を開く。

「…………その……夕呼先生から聞いたんですけど、大分心配をかけちゃったみたいで済みませんでした。
 …………具体的な作戦内容は軍機になるので言えないんですけど、作戦中に冥夜達の存在に助けられて、自分の心得違いに気付けたんです。
 作戦目的を達成した上でみんなを守り抜けさえすれば、オレ自身はどうなったって構わないって……内心そう思ってました。
 けど、それじゃあ自分の背負っている物を放り投げて、自己満足に浸る事にしかならないって……
 しかも、その上オレを認めてくれている人達を、嘆かせてしまう事になるんだって……ようやく気付いたんです。」

 冒頭で、頭を下げて詫びた武は、その後も伏し目勝ちにぽつりぽつりと言葉を重ねていく。

「オレがみんなを守りたいように、オレの事を守ろうとしてくれる人もいて、オレの想いだけを押し付けても、それじゃオレが満足するだけで……オレを守ろうとしてくれてる相手を、却って傷付ける事になりかねない…………
 だから、これからは……オレ自身も含めて、成し得る限り少ない犠牲で目的を達成できるように、今まで以上に頑張る事にします!」

 しかし、言葉を重ねるうちに、その声には徐々に意志が籠っていき、最後にはしっかりと背筋も伸ばした武は、真っ直ぐな視線をまりもに向けてそう言い切った。
 そんな武の様子を、まりもは黙って慈しむ様に見守りながら、静かに耳を傾け続ける。

「―――このところ、あれこれ上手く言ってたもんで、オレ、ちょっと調子に乗って天狗になっちゃってたみたいで……
 オレ一人で頑張ってる気になっちゃってました。
 けど、これからは、ちゃんとみんなにも協力して貰って、それでどこまで出来るか挑戦してみようと思うんです。
 ―――さっき、夕呼先生の所に報告に行って、ヴァルキリーズのみんなだけじゃなくて、まりもちゃんにも心配をかけちゃってたって聞いて、オレって本当にみんなに心配かけちゃってたんだなって…………
 だから、これからは性根を入れ換えて精一杯生き足掻く事にしますから、これからも力を貸して下さい!」

 そう言って、武は深々と頭を下げる。
 夕呼から話を聞いて、自分では気付けなかった武自身の危うさをまりもが察し、この身を案じてくれたと武は知った。
 それ故に、武は『桜花作戦』で気付いた自身の思い違いと新たにした決意を告げる事で、尊敬する恩師に心配をかけた事への謝罪としたのだ。

 そして、そんな武の精一杯の告白を―――そこに籠められた真意を、まりもはしっかりと受け止める。

「―――そう。自分で気付いて正す事が出来たんなら、もう、大丈夫ね。
 じゃあ、今の白銀君なら頭で理解するんじゃなくて、ちゃんと心で共感して貰えそうだから、少し昔話を聞かせてあげるわ。
 あたしが、初陣の時に衛士訓練部隊から持ち上がりで編制された戦術機甲中隊を指揮して、仲間達を全員死なせてしまった話は知ってるのよね?
 でも、その後の、大陸で戦っていた頃の話は知らないんじゃない?」

 武の言葉に、嬉しそうな笑みを浮かべたまりもは、ひとつ頷くと、今度は少し寂しげな表情と共に武に問いかけた。
 唐突に変わった話題に戸惑いながらも、武はまりもの問いに応える。

「え? えっと……まりもちゃんが、1人だけ生き延びたって話と、その後大陸で死に物狂いで戦ったって話、それから教導団に引き抜かれたって事は聞きましたけど。
 詳しい話は殆ど聞いてません。」

「そう。じゃあ、やっぱりこの話は初めてなのね。
 あたしが初陣を生き延びた後、新しい部隊に配属されてからの話なんだけど。
 あの頃のあたしは、喪った仲間達の仇を取りたい一心で、それしか頭に無かったのよ。」

 武の返答に、またひとつ頷きを返したまりもは、昔の自分を少し恥じるかのように苦笑を浮かべて言葉を続けた。

「配属後、初めての戦闘で……あたしは連携もせず、上官の制止すら無視してBETAに単機で突っ込んで行ったわ。
 無我夢中でBETAを倒しまくって、その癖、妙に思考だけは冴え渡ってて、退路とか立ち回りとか残弾とか、そこら辺だけは他人事みたいだけど冷静に計算してるの。
 その癖、上官や先任達の言葉は、聞こえているのに意味を成さずに頭を通り過ぎるだけだったわ。
 戦闘終了後、中隊長にぶん殴られて叱責を受けたけど、あたしは次の戦闘でも同じ事を繰り返したの。
 この2度の戦闘で、隊に犠牲が出なかったのは奇跡に近かったと思うわ。」

 まりもの言葉に、武は僅かにではあったが目を見張り、2重の意味で感じた驚愕を押し殺した。
 如何に昔の事とは言えまりもが、それほど迄に激情に任せて無茶をしたと言う事と、配属されたばかりの新任がそんな無軌道な行動をしたにも拘わらず、隊内に犠牲者を出さなかった事、何れも武には信じ難い話であった。

「尤も、それは大隊長が、最初からあたしを戦力じゃなくお荷物として認識した上で、突発事態にも対処できるように予め先任達に周到な命令を下してくれていたお陰だったんだけどね。
 で、2度目の戦闘の後、その大隊長に呼び出されたあたしは、尋問じゃないかと思う程に根掘り葉掘り問い質されたわ。
 そして、その結果、あたしは次の戦闘から、単独でBETAに突っ込んで引っ掻き回す囮役に任じられたの。
 所属は、大隊長直属中隊の突撃前衛小隊。
 あたしは1トップで二機連携を組まず、他の3機が変則の分隊を組んで連携してたわ。」

 子供の頃の悪戯を告白するかの様に、軽い口調で語るまりもだったが、その内容は決して軽いとは言い難い物であった。
 事実上の命令違反に等しい独断専行を行ったとは言え、まりもに対する扱いは勝手に死ねと言わんばかりのものだったからだ。
 しかし、それを気にする様子は欠片も無く、まりもは笑みさえ浮かべて言葉を続ける。

「大隊は、あたしに引き摺られたBETAへの追撃と、補給物資の確保や補給時の援護はしてくれたけど、それ以外の支援は全くなし。
 命令だって、補給を促す物と、大隊の後退や帰投を告げる物だけだった。
 要するに、あたしはすっかり大隊長から見放されて、使い捨ての囮にされちゃったのよ。
 だけど、あたしにとってそれは、願ったり叶ったりの扱いだったわ。
 あたしは戦闘で思う存分にBETAを倒す事が出来たし、あたしの無茶の所為で、同じ部隊の衛士が犠牲になる恐れも無くなったんだもの。」

 そして、まりもはそんな扱いが、当時の自分にとって望む所であったと言って退けた。
 それだけでは無く、まりもは更に続けて、当時の自分自身の心情を曝け出す。

「その頃のあたしは、死なせてしまった衛士訓練学校の同期生達の分まで、BETAを殺し続ける事しか頭になかったけど、その為にも生き延びて戦い続ける事だけは忘れなかった。
 いえ、自分があっさりと死ぬなんて、絶対に許されないって思ってたの。
 だから、単機で突っ込んで暴れ回っていても、退路の確保だけは忘れなかったし、補給の機会を与えてくれて継戦能力を高めてくれる大隊長には心から感謝してたわ。
 そして、あたしは無謀とも言える単機での突撃を繰り返しながら、それでも撃墜される事無く戦い続けた。
 あたしを囮にする事で、大隊全体の戦果も上がり、損耗率も抑えられる結果になったわ。」

 まりもの語る内容は、対BETA戦術構想に於ける陽動支援機の役回りを、まりもが旧OSの『撃震』で、しかも事実上接地機動のみで行っていたと言うに等しかった。
 その、容易には信じられないまりもの活躍を聞いて、武はまりもに纏わる1つの渾名(あだな)を思い出す。

「出撃回数が2桁になった頃には、あたしは『狂犬』なんて呼ばれるようになってたけど、あの大隊長の部隊に配属されてなかったら、『死神』か『味方殺し』って呼ばれる衛士達の仲間入りをしてたでしょうね。
 あの大隊長は今思うと相当な傑物でね、過酷を極めた大陸での戦闘の最中に、部下達を可能な限り死なせない為に、ありとあらゆる手管を使っていたのよ。
 あたしの扱いも、その一環だったのね。」

 この世界に於ける『狂犬』という渾名の由来を語り、それすらもまだ増しな結果だったのだとまりもは語る。
 そして、ここからが本題と告げるかの様に、まりもは真剣な眼差しを武に向けた。

「―――ねえ、白銀君。あなたなら、人間の強い想いってものが、戦場では時に凄まじい戦果をもたらすって事を理解できるわよね?
 あの大隊長は、BETAへの復讐心に駆られたあたしの想いと、連携も何もかも無視して好き勝手に突っ込んでいく身勝手な新任に対する先任達の反感って想い、その双方を上手く利用して大隊の戦果を向上させたのよ。
 そして、それはこの上なく上手く機能したわ。」

 強い想い―――意志の力は世界にすら影響を及ぼす。
 それは夕呼の提唱する因果律量子論の仮説の1つであり、武はそれを信じて因果律干渉を試みている。
 そして武は、過去に経験してきた数多の戦いの中で、多くの意志のきらめきを目の当たりにしてきてもいる。
 それ故に、まりもの言葉に異論があろう筈も無く、武はすんなりと受け入れる事が出来た。

「そうこうする内に、無茶な戦い方を続けていたにも拘わらず、しぶとく生き延び続けたあたしの戦闘機動に軍上層部が目を付けて、教導部隊への転属を命じて来たわ。
 それでも尚、前線で戦い続ける事を望んだあたしに、大隊長が頭を下げて詫びて来たの。」

 まりもは、当時の帝国軍では数少ない女性衛士であった。
 それ故に、帝国軍上層部がまりもの所属部隊の戦功の高さに気付くのは必然とも言える。
 そもそも、まりもの存在に当初から注目していたからこそ、上層部はまりもを有能な大隊長の指揮する部隊へと配属したのだ。
 そんなまりもが、渾名まで付けられるほどの活躍を示したとなれば、軍上層部がその存在に価値を見出し、内地へと転属させようとするのもまた当然であり驚くには価しない。

 しかし、内地への転属を命じられた部下に上官が詫びたとなれば、これは尋常な話では無かった。
 余程、本国に知られたくない弱みを握られているのでもない限りは。
 だが、まりもの話によれば、件の大隊長はそんな奸物とは思えない為、武は疑問を感じる。

「―――自分は貴様を使い捨てるつもりだった。
 これは政威大将軍殿下より部下を預かる指揮官として、許し難い行いであると弁えている。
 貴様には、本当に済まない事をした。
 にも拘らず、囮として碌な支援も受けずに戦い続け、今日まで生き延びたのは貴様の技量が―――戦い方が優れていたからだ。
 貴様のその戦い方が、誰にでも真似出来る物とは到底思えない。
 しかし、それでも貴様から何かを学び取り、少しでも長く生き延びて戦い続ける者達が出るかもしれない。
 だから、貴様は教導部隊に転属し、その戦闘技術を広める事に務めてくれ―――ってね。」

 なるほど、と武は納得した。
 まりもに詫びたのは、傑物であったが故か、と。

「あの大隊長は、あたしを矯正して隊に馴染ませる為に、他の部下達から犠牲を出す事が容認できなかったのね。
 だから、あたし1人を使い捨てる事で、他の部下達を生き延びさせる事を優先した。
 それを許されない行いと承知して尚、自身の心情を圧殺して、それが最良と信じて行ったのよ。
 そして、偶々あたしが生き延びた事で、結果的に大隊が上げる事になった戦果を、高く評価される事を厭うていたわ。」

 まりもの話は、武の判断を裏付けていく。
 非情ではあるが、過酷を極めた当時の対BETA戦闘を思えば、許容できない話ではない。
 しかも、その結果手にした戦果を誇らず恥じていたと言うならば、さぞや高潔な精神を持ち合わせていたのだろう。

「でも、実を言えば、あたしが生き延びられたのも、そんな大隊長の心情を汲んだ、大隊所属の中隊長や小隊長達が、あたしが少しでも生き延びられるようにと、ありったけの技術と知識を叩きこんでくれたお陰だったと思うわ。
 あの大隊は、大隊長の部下への想い、身勝手ではあったけれどもあたしの強い想い、そんなあたしへの所属衛士達の想い、そして大隊長を慕う下級指揮官達の想い、それらの想いが上手く相乗効果を現して、最良の結果を導いたんだと思うのよ。」

 まりもは語る。
 それは多くの想いが重なったが故に成し得た事なのだと。
 そして、それを導いたのは、部下達の想いを束ねて戦い抜く力へと昇華させた大隊長なのだと。

「凡庸な指揮官は戦意を維持したり高揚させるのが精々で、部下たち一人一人の想いにまで関わっている余裕なんて、中々ないと思うわ。
 それに、白銀君の対BETA戦術構想が広まれば、今後はそこまでしなくても損害を限定する事が出来るのかもしれない。
 けどね、白銀君。あなたは既にあなたの部下になった彼女達から、強い想いを委ねられているわ。
 あなたがそれを望んでいないとしても、その想いを無為にしてしまわずに、上手く束ねてより良い結果をもたらす方向に向けてあげて欲しいのよ。」

 そしてまりもは願いを告げる。
 武もまた、部下達の想いを束ねて力へと昇華させる事の出来る指揮官たれと。

 まりものその願いに、暫し逡巡した武だったが、やがて大きな頷きと共に応えを返す。

「―――わかりました、まりもちゃん。
 何処まで出来るか解かりませんけど、みんなの想いを出来る限り拾い上げて、良い方向へと向かう力に変えられる様に頑張ってみます!」

 武の応えを聞いて、まりもは少なからぬ達成感を感じていた。
 訓練部隊に配属になった当初から有能であり、教えるよりも教わる事の方が多かった教え子に対して、ようやく自身が成長の手助けを出来たと思えたからであった。

 またまりもは、武に想いを寄せている教え子達が、自身が気付かぬ内に想いを寄せていた訓練兵同期の新井を、初陣で喪った時の様な思いをせずに済む事を願う。
 自分の大切な人が、自身を守って先に逝くのは、身を切られる程に辛い事なのだから。

 そして、後日武は、まりもの言う『あの大隊長』が、この世界に於ける師岡教諭―――『元の世界群』での白陵柊学園進路指導担当教諭であったと知る事になる。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年01月08日(火)

 08時21分、ブリーフィングルームに何故か休養中である筈の、ヴァルキリーズ所属衛士全員が顔を揃えていた。

「―――て事で、今回の分派では、対BETA防衛線の堅持と、将兵及び装備の損害軽減、そしてオルタネイティヴ4の提唱する戦術の有効性を知らしめる事が目的となります。
 ただし、自分達の安全確保は最優先で行って下さい。
 万一、防衛線が崩壊した場合でも、みんなが健在でありさえすれば、防衛線の再構築も容易になりますからね。
 くれぐれも、自身を犠牲にして、防衛線を死守したりしないようにして下さい。」

 演壇に立った武は、対BETA防衛線に対するA-01分派に関する説明を終えて、ヴァルキリーズの面々を見渡した。
 昨日のデブリーフィング終了後から本日18時00分まで、ヴァルキリーズは休養を言い渡されている。
 派遣先によって出撃日時は異なるものの、先発となるA分隊―――スエズ戦線派遣部隊は本日19時00分に再突入型駆逐艦での出撃となっており、他の分隊もそれに続く形で逐次出撃となる予定となっていた。

 にも拘らず、軌道上で別れたきりであった武の姿を、今朝の朝食時に見かけたヴァルキリーズは、全員一致でブリーフィングの実施を要請した。
 武はこの要請を受け入れた上で、ブリーフィングルームを確保。
 かくして、A-01所属衛士全員揃ってのブリーフィングとなった訳である。

「え~と、戦線が崩壊ぃしても、部隊を再編してぇその後の反攻で中核にぃなる為に、対BETA戦術構想装備群のぉ運用能力を温存しろって事ぉだよねえ?」

「そうだね、姉さん。でも、僕達が派遣される朝鮮半島戦線は、帝国軍が主力となっているから一番手堅いと思うよ?」

 武の説明を反芻する様に葵が言葉を発すると、紫苑がそれに頷きながら同行する智恵と月恵を安心させる為か、派遣先の好条件に言及する。
 その言葉を聞いて、安堵する智恵と月恵だったが、今度は派遣先の条件の格差を指摘して、水月が愚痴り始めた。

「ほんと、派遣先次第で偉い差があるわよねっ!
 A分隊とB分隊、それからE分隊は異国情緒溢れる派遣先で羨ましい限りだわ!
 あたしらのC分隊なんて、日本帝国を目の敵にする統一中華で針の筵(むしろ)よ?
 ちょっと、白銀ッ! あんたあたしに何か恨みでもあるっての?!」
「ちょっと水月、落ち着いて。ね?」

 ヒートアップして武に噛みついた所を、水月は遙に窘められて言葉を飲み込む。
 それでも尚、鼻息荒く武を鋭い視線で睨め付け続ける水月に、武は慌てて釈明する。

「とんでもない! 怨む所か感謝してますって。
 でも、速瀬中尉達を派遣しなかったら、誰を派遣すればいいんですか?
 同行する美琴には悪いですけど、表面上友好的でもソ連の方がよっぽどキナ臭いんですよ?」

 所が、今度は武の言葉に美琴が反応して、妄想塗れの妄言を垂れ流した。

「あはは。タケルと一緒ならボクは何処にだって喜んで行くよ~。
 あ、でもでも……同じベッドの中で朝までとか言われたら…………だ、駄目だよタケルぅ~!!」

 ぎゅっと両目を力いっぱい瞑り、胸の前で両手を揉み合せるようにしながら満面の笑みを浮かべる美琴に、周囲の冷ややかな視線が突き刺さるが、美琴は全く気にも留めずに有らぬ事を口走り続ける。
 しかし、そこで透かさずみちるが発言した事で、美琴も現実へと復帰を果たし、事態は混乱の一歩手前で収拾された。

「まあ、そうくさるな速瀬。
 それぞれの適性を見た上での分派だ。
 これ以上のプランを具申出来ないなら、黙って受け入れるんだな。
 正直、榊や紫苑には、苦労をかけるだろうが、上手く分隊をまとめてくれ。」

「了解です。」「はッ!」「………………あれ? なんでぇ紫苑? 分隊ぃ指揮官って私だよねえ…………」

 みちるの言葉に即座に紫苑と千鶴が応じ、その脇では首を傾げて呟く葵の肩を、葉子が慰める様にぽんぽんと叩いていた。
 そんな葵を見て、みちるは微かに苦笑を浮かべたが、他に質疑が無いか確認した上で話題を転換する。

「―――さて、今回の分派に関して他に質問がある者はいるか?
 ―――よし、居ないようだな。では、白銀少佐。『桜花作戦』最終段階の戦況推移についてご説明願えないでしょうか。
 私以下先任6名は、軌道上で聾桟敷(つんぼさじき)にされてしまいましたので、是非少佐の口から伺いたいのですが。」

 みちるのその言葉に乗じて、美冴、祷子、葵、紫苑、葉子の5人も、武へと強い意志の籠った視線を投げかける。
 無言の圧力に屈した武は、先任達が軌道上へと撤退した後の戦況推移を、的確に要約しつつ説明する。
 そして、『主縦坑』への突入から、あ号標的ブロック到達後まで話が進んだ所で発言する者がいた。

「―――なるほどねえ。あ号標的ブロックに突入した時に、妙に手間取ったと思ったらそんな事が起きてたんだ。」
「荷電粒子砲の~発射シーケンスの最中に~制御システムの機能不全ですか~。」
「それじゃあっ、仕方ないよねっ!」

 武の説明に割り込んだのは晴子であり、それに続いて智恵と月恵が、千鶴の方を横目で見ながら聞えよがしに発言した。
 取り沙汰されている話題は、武が戦況推移を説明する中ででっち上げた、あ号標的ブロック突入直後に『凄乃皇』に発生したトラブルに関してである。
 武は、フラッシュバックについての説明を避ける為に、『凄乃皇』3機をまとめて制御していた戦術立案ユニットに機能障害が発生し、それを一刻も早く修復する為に、作業に集中せざるを得なかったのだと偽ったのだ。

「はわわわわ……そ、そんな事があったんですか?!
 あ、あたしはてっきり、たけるさんが緊張しちゃって躊躇ってたんだとばかり…………
 ―――へ、変な事言っちゃってごめんなさいーーーっ!!」

 武の説明を聞き、ぶるぶると小刻みに身体を震えさせていた壬姫が、とうとう耐え切れずに跳ね上がる様に席を立つと、武に向かってぺこぺこと頭を下げながら、顔を真っ赤に染め上げて謝罪した。
 あの時壬姫は、自身の体験から人類の命運がかかった局面で、武が精神的圧迫から緊張してしまったのだと思い込んでしまった。
 そこで、上がり症だった自分に武が送ってくれた教えを元に、精一杯の想いを込めて武を励まし返そうとしたのだ。

 しかし、それが自分の勝手な思い込みであったと知った今、小柄な体が恥ずかしさで一杯になってしまった壬姫は、半泣きになって身体全体でで謝り倒す。
 だがそれも、武から言葉を投げかけられるまでの事であった。

「何言ってるんだよ、たま。
 事情は少し違ってたけど、あの時オレが精神的に追い詰められてたのは確かなんだ。
 実際、たまの言葉のお陰で大分落ち着きを取り戻せたんだぞ?」

 武の柔らかな声に、米搗きバッタよろしく忙しなく上下し続けていた壬姫の頭がピタッと止まり、そろ~っと上げられた真っ赤な顔から、涙で潤んだ上目遣いで武を窺う壬姫。

「…………ほ、ほんとうに?」

 恐々発した問い掛けに、笑みと共に武が頷きを返すと、壬姫は体中の力が抜けてしまったかのように、椅子へとへたり込む。
 そんな壬姫を他のヴァルキリーズは微笑ましげな視線を向けていたが、今度は冥夜が腕組みをして瞑目すると、然も納得がいったと言わんばかりの口調で話し出す。

「―――うむ。あの折、タケルの様子が怪しかったのには、その様な事情があったのだな。
 私の叱咤にこちらの身を案じたのも、データリンクの情報すら見るゆとりが無かった故であったか。
 となれば、私もあの折にしてしまった叱責を詫びねばならぬな。」

 その、冥夜の善意に満ち溢れた解釈に、武は慌てて頭を下げようとする冥夜を押し留める。

「い、いや、詫びなんていらねえって、冥夜。
 あー、あの時は荷電粒子砲の不発だけじゃなくて、『ラザフォード場』の制御も甘くなってたからさ。
 もしかしたら、触手に『ラザフォード場』を破られてたかもしれない状況だったから、冥夜達が迎撃してくれて助かったよ。」

「……誤魔化してる?」
「確かに、ちょっと不自然な態度ね。」

 動揺を隠し切れない武に、彩峰と千鶴が続け様に突っ込みを入れる。
 そのまま、武への追及が始まるかと見えたその時、脇から発せられた発言で一気に流れが変わる。

「おやおや。榊は白銀に謝罪せずに誤魔化そうとしているようだぞ、祷子。」
「美冴さん……白銀少佐がいらっしゃらない所での事ですし、必ずしも本心からの発言とは限らないのですから……」

 千鶴の方を横目で見ながら、聞えよがしに発せられた美冴と祷子の会話に、千鶴の表情が途端に凍り付く。
 彩峰と千鶴のとことん追及しようという態度に押され、腰の引けていた武だったが、美冴達の言葉に首を傾げた。

「あはは……実は昨日、デブリーフィングの後にハイヴ突入に同行したみんなからも、一通り話を聞いたんだよ。
 その時に、あ号標的ブロックに突入した時の白銀の行動について、あれこれと意見が出たんだけど―――」
「あ、茜ッ!!」

 そんな武に、制止しようと叫びを上げる千鶴を他所に、あっさりと親友の失言を暴露する茜。

「―――千鶴ったら、白銀の事だから、調子に乗って一気に『主縦坑』を突破した所為で、目でも回したんじゃないかって言い出してね。
 で、それを聞いた、智恵と月恵が本気にして怒っちゃって、ちょっとした騒ぎだったんだよ?」

 楽しげに言い切った茜の隣では、多恵がうんうんと繰り返し頷く事で同意を示しており、すっかり暴露されてしまった千鶴はばつが悪そうに身を竦ませた。
 それを智恵と月恵が、ようやく支え(つかえ)が取れたようなすっきりとした顔付きで胸を張って睥睨している。

 昨夜、千鶴が発言した折にも、3次元機動であれ程無茶な高機動をこなす武が、あの程度の機動で目を回すなどあり得ないとの意見が大勢を占めており、実を言えば千鶴自身、何故そんな発想に至ったのか疑問に思っていた程であった。
 それ故に、無かった事にしたかったのだが、こうして暴露された以上謝るしかないと千鶴が思い定めた時、意外な発言が発せられる。

「あ……そう言えば、オレって遊園地のジェットコースターとかって苦手だったんだよな。
 特に隙間に突っ込む様なタイプが…………
 そう考えてみると、ハイヴ突入とか、オレ良く平気で居られるなあ……なんでだ?」

 『元の世界群』で純夏に煽られて意地を張り、同乗させられたジェットコースターでの悪夢を思い出して、心底不思議そうな顔で自問する武。
 その独り言の内容に、ヴァルキリーズ全員が仰天する。

「……びっくり…………白銀にも神経ってあったんだ。」

「ジェットコースターって、娯楽園遊園地のやつだよね?
 タケル乗った事あるんだ、いいなあ。
 1995年で国内の遊園地は全部営業自粛になっちゃったから、ボク華屋敷のロケットコースターにしか乗った事無いんだ~。
 まあ、あれはあれで、味わい深い物だって、父さんは言うんだけどね。でも、ボクとしては…………」

 武の言葉に目を丸くして即座に突っ込んだ彩峰に、憤然と反論しようとした武だったが、続けて発せられた美琴の発言に、こちらの世界での遊園地事情を知らない事に気付いて、慌てて口を閉ざしてしまった。
 ところが武以外は、美琴の発言などどこ吹く風であった為、突如判明した意外な事実に喧々諤々の質疑応答並びに議論が勃発する。

 元々、このブリーフィング自体が、分派前のレクリエーションを兼ねた物であった為、武は勿論の事、みちるも騒ぎを収拾しようとはしなかった。
 その為、30分程の間、思う存分に騒いだ後、戦況推移の説明に戻って追撃戦完了まで辿り着いた時には、既に9時半近くになっていた。
 そこで、そろそろ頃合いと判断した武は、総括に入る事とした。

「―――ちょっと聞いて下さい。
 『桜花作戦』の話も大体終わったみたいですし、今日の所はこれで解散にします。
 最後に、分派について少しだけ言わせて下さい。」

 とても指揮官の発言とは思えない武の言葉に、しかしヴァルキリーズの総員は即座に無駄口を止めて傾聴する。
 そんな部下達の反応に、みちるは密かに満足気な笑みを浮かべた。

「今回の分派では、たった19人しかいないA-01が、少人数に分かれて世界各地へと分散する事になります。
 恐らくはA-01の創立以来例の無い事だろうし、殊に新任のみんなは不安に思うかもしれない。
 だけど、これは『桜花作戦』の後始末で、しかも今後必ず実施される大陸反攻作戦の趨勢を占う任務です。
 ヴァルキリーズの隊規の通り、死力を尽くして任務を達成してください。」

 武はここまでを真面目な口調で語ったが、にやりと夕呼譲りの悪戯っぽい笑みを浮かべると、わざと軽い口調で言い切る。

「オレも、広域データリンク越しになるけど、出来る限りのバックアップをしますから、さっさとBETAの侵攻を阻止して、『桜花作戦』の戦勝祝いと洒落込みましょう!
 京塚のおばちゃんには、料理を作ってもらえるように、既に頼んでありますからね。
 おまけに帰還後には、今度こそ長期休暇が待ってるから、みんな、くれぐれも元気で帰投して下さい。」

 そんな武の言葉に、ヴァルキリーズは歓声を上げて応えるのだった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年01月19日(土)

 09時21分、日本帝国海軍の重巡洋艦『最上』に設けられた戦術機格納庫に、2機の複座型『不知火』が格納されていた。

 この戦術機格納庫は、『甲21号作戦』後に急遽改装されて設けられた設備であり、戦術立案ユニット搭載戦術機の運用を前提としたものであった。
 作戦旗艦として通信機能を強化されている『最上』に、戦術立案ユニットを搭載した戦術機を格納し、その管制ユニットと『最上』の通信システムを直結する事で、遠隔管制や作戦指揮を円滑たらしめる事を目的としている。
 帝国の本土防衛並びに、来る『甲20号作戦』に於ける戦術立案ユニット運用時の安全確保の一環として、帝国海軍内で計画された改装計画であった。

 実を言えば、この改装計画はオルタネイティヴ4への装備提供の一環として、夕呼の要請により成されたものである。
 帝国の今後の方針としても、オルタネイティヴ4主導で地球奪還を推進し、帝国の国際影響力を高める狙いがある為利害は一致している。
 それ故に、『最上』改装案も、A-01分派に際しての物資輸送並びに後方支援を目的とした、大西洋への空母『龍鳳』の派遣も、共にすんなりと了承された。
 これには、『甲21号作戦』以来、帝国海軍上層部に於いて、オルタネイティヴ4への好意的な雰囲気が醸成されていた事も寄与している。

 また、『最上』には第18駆逐隊の駆逐艦4隻が護衛として随伴しており、更には戦術機母艦『大隅』と『下北』の2隻も伴っていた。
 これら合計7隻が、武と美琴のカムチャッカ戦線派遣に伴い、帝国海軍より派遣されている。
 大盤振る舞いと言って良い待遇であったが当然見返りは必要であり、『最上』には『雷神』飛行船群の運用を学ぶ為の海軍士官らが同乗していた。
 彼等に対して、武は作戦の合間を縫って『雷神』運用の手解きをする事になっている。

 ともあれ、派遣期間中をずっとソ連軍に囲まれて過ごす必要が無くなった為、武にとっては願ったり叶ったりの環境ではある。

(そろそろ、侵攻が始まりそうな気配だな。
 オホーツク海の大陸側沿岸部に、大規模なBETA群が集結し始めてる。
 ソ連軍太平洋艦隊の部隊が、作戦通りに行動してくれれば良いけどな…………)

 広域データリンクから得られる情報を元に、武は作戦開始を提言するタイミングを推し量っていた。
 それと同時に案じられるのは、共にBETAを迎え撃つ立場―――いや、防衛戦闘である事を考慮するならば、紛れも無い主役であるソ連軍の動向であった。
 ソ連軍に拘らず、今回のA-01分派に於いて最も懸念されたのは、派遣先の駐留部隊との合同作戦が、円滑に機能するかであった。

 欧州連合と大東亜連合に関しては、元より日本帝国に対しても、オルタネイティヴ4に対しても、比較的友好的な勢力である為、然程懸念されてはいなかった。
 しかし、中東連合に関しては女性軍人の増加に伴い、その地位が向上しているとは言え、やはり女性ばかりの派遣部隊がどこまで受け入れられるかが案じられた。
 ましてや、統一中華戦線に至っては、第2次大戦以来の反日感情が未だに根深く存在している。
 その為、トラブルの発生は避けられないものと予測されており、そのトラブルを極力軋轢が生じない様に収拾する為のバックアップ態勢が整えられていた。

 ところが、いざ蓋を開けてみれば、中東連合群の将兵達は、オリジナルハイヴ完了後に発表された、BETA撃破数700万超過というA-01の戦果を讃え、一流の戦士として遇してきた。
 その後、実戦に於いてA-01部隊A分隊(スエズ戦線派遣部隊)が、戦況に大いに貢献した事もあり、その評価は確立したようである。
 統一中華戦線に派遣されたA-01部隊C分隊(中台戦線派遣部隊)は、高級将校にこそ歓迎された物の、やはり到着早々に統一中華戦線衛士等から難癖を付けられてしまった。
 しかし、この騒ぎの折に、水月が大見得を切った結果、敬して遠ざけられる事となり以降衝突は発生せずに済んでいる。

(報告書が届いていたけど、速瀬中尉らしいよなあ……)

 日帝の支援など無用だと言われた水月が、即座に反論して自分達は『桜花作戦』で取り逃がした獲物の後始末をしに来ただけだと言い放ち、更には700万じゃ喰い足りなかったから、この戦線でも自分達に喰い荒らされたくなければ訓練の一つでもして腕を磨けと挑発。
 そして、訓練と称して統一中華戦線衛士等と対戦しては、片っ端から薙ぎ倒して武威を誇って見せた結果、以降難癖を付けて来る者は絶えたと言う。
 そして、累計30万近いBETA群との2日に及ぶ戦闘に於いて、押し寄せるBETAを翻弄する陽動支援と、水平線の遥か彼方からの的確な砲撃で、レーザー属種を含む多数のBETAを殲滅すると言う戦果を上げ、実力で反感を抑え込むに至った。

 何れも、事前に整えたバックアップ態勢によるフォローに帰する所も大きいのだが、やはり衛士としての高い技量と、対BETA戦術構想の効果を実際に見せ付けた結果であろう。
 他の戦線に於いても、A-01派遣部隊は対BETA戦術構想装備群を縦横無尽に運用し、空前の規模で迫るBETA群を翻弄して見せた。

 『桜花作戦』の追撃戦に於いてレーザー属種と要塞級を優先して撃破した為、侵攻して来るBETA群に於ける構成比率は従来と大きく異なっていた。
 レーザー属種と要塞級の個体数は統計値の1割以下にまで減少しており、その代わりに突撃級の比率が増大していたのだ。

 侵攻規模が最も大きかったスエズ戦線に於いては、1回の侵攻での個体数が3個軍団規模にまで膨れ上がった。
 しかも、その先鋒である突撃級の構成比率増大により、殺到してくる突撃級の個体数は2万近くに達する有様である。

 これに対して、効果の薄い砲撃を控え、紅海を渡って来た突撃級を敷設した地雷原に誘引したものの、余りに多い個体数の前には所詮焼け石に水であった。
 しかし、地雷原が突破された時点で、Gパーツを装備した『時津風』が陽動を開始し、突撃級の中央集団を中心に過半数を反転させる事に成功。
 『時津風』の陽動を逃れた左右両翼の個体に対しては、中東連合軍の戦術機甲部隊が側面から砲撃する事で、漸減すると共に中央部へと誘引し、『時津風』の陽動効果圏内へと引き摺り込んだ。

 こうして、突撃級を陽動により反転させる事で再び戦線を押し上げ、再確保した戦線後方地域に自律地雷敷設機を用いて地雷を再敷設。
 その後、『時津風』を後方へと下げる事で、再び地雷原による漸減を行った。
 要撃級を主力とする本隊に対しては、紅海に展開した艦船からの索敵砲撃と共に『雷神』による砲撃を敢行し、紅海の渡海前にレーザー属種を中心とした漸減を実施。
 この『雷神』の砲撃を免れて渡海して来たBETA本隊は、前衛である突撃級に合流させた上で、『時津風』による陽動と、誘引されたBETA群に対する追撃、更には再敷設した地雷原へと『時津風』で誘引してと、戦線を何度も前後に動かしながらBETA群の地上侵攻を押し留めた。

 これとは別に、地下侵攻により戦線を突破するBETA群も存在した。
 しかし、こちらのBETA群は、戦線より更に後方の戦域に埋設した『土竜』へと誘き寄せて迎撃。
 その後、Gパーツによる地上への誘引を行った上で、戦術機甲部隊によるレーザー属種の排除、機甲部隊による制圧砲撃、『時津風』による地雷原への誘引と、多段階に展開した攻撃によって殲滅を図った。

 不慣れな戦術行動を強いられた中東連合軍将兵であったが、A-01の早期派遣により、対BETA戦術構想に対する慣熟演習を三日間に亘って実施出来た為、作戦中の混乱は軽減する事が出来た。
 スエズ戦線での防衛戦は、散発的にではあるが5日間に亘って行われ、将兵を疲労の極致へと追い込んだが、辛うじて防衛線を守り切った。

 マレーシア戦線は、スエズ戦線に比べれば数も少なく、防御に適した地形にも恵まれ、しかも大東亜連合軍衛士に対する対BETA戦術構想の教導も進んでいた為、然したる混乱も無く防衛を完遂した。

 中台戦線に於いても同様の戦術が展開されたが、統一中華戦線―――というよりは中華人民解放軍の戦力が、数こそ揃っているものの装備の状態が低水準であった為、諸所で戦線崩壊の危機に瀕する事となった。
 しかし、崩壊の危機に襲われた戦域には、遙によって自律制御の『時津風』部隊が指し向けられ、綻びを繕う様に防衛線を再構築していった。
 過酷な戦闘の最中、水月達の支援を受けて辛うじて戦線を維持していた中華人民解放軍将兵等に、反日感情を発露させる余裕など皆無であった。

 一方、攻勢作戦となった欧州戦線と朝鮮半島戦線に於いても、戦況は順調に推移した。

 上陸後は『満潮』による索敵砲撃と『雷神』による砲撃を組み合わせたレーザー属種の排除。
 その上で、Gパーツを装備した『時津風』を先行突出させて残存BETAを誘引し、その後急速後退させた上で『雷神』もしくは海上打撃艦隊の砲撃で漸減。
 尚も残存するBETA群に対しては、『時津風』の陽動と戦術機甲部隊の追撃を組み合わせて掃討。
 この戦術を繰り返す事で、BETA掃討区域を拡大していき、ハイヴ周辺のBETAを掃討区域へと誘引しては、更に掃討を繰り返す事で大規模侵攻を抑止して退けた。

 掃討完了区域を防衛せずに、逐次放棄しては転戦を繰り返して遊撃に徹する事で、包囲下に陥ったり退路を断たれたりしない様に留意した。
 その上で、4日間に亘って作戦を継続した結果、欧州戦線では累計25万体、朝鮮半島戦線では累計30万体の掃討を達成するに至った。

 そして、佐渡島の防衛は、A-01部隊F分隊(佐渡島防衛及びカムチャッカ戦線派遣部隊)による大陸沿岸部での漸減と、帝国軍による佐渡島での迎撃戦の双方が行われた。
 対BETA戦術構想装備群を配備し活用出来る帝国軍の守りは固く、武と美琴による渡海前の漸減の効果も相俟って、BETAの侵攻は完全に阻止される事となった。

 かくして各方面のBETA大規模侵攻は撃退もしくは抑止され、残るはカムチャッカ戦線を残すのみとなった。
 大量の弾薬を消費し、多くの将兵が犠牲となりはしたが、それでも損害は侵攻してきたBETAの個体数を考慮するならば画期的に少なく済んだ。
 戦闘の矢面に立つ戦術機甲部隊に限定しても、死傷者の数は従来からすればの1割以下で済んだとの評価が下されており、基本的に近接戦闘を行わない砲兵部隊や支援部隊等では、大半の部隊が無傷とさえ言える状況となっている。

(ヴァルキリーズのみんなも頑張ってくれたからな。
 心身共に無理をさせちゃったけど、これでオルタネイティヴ4存続への道筋が出来る……)

 今回のA-01分派に先立ち、国連安全保障理事会の決議により、ハイヴ攻略戦ではなく防衛戦であるにも拘わらず、例外的にオルタネイティヴ4の指揮権優先が承認された。
 この決議に基づいて、各戦線での作戦立案はオルタネイティヴ4―――即ち武によって成され、分派されたA-01所属衛士等によって主導され、画期的な成果を上げた。
 更には今日に先立つ2日前となる01月17日には、米中ソの3カ国合同で派遣されたオリジナルハイヴ駐留部隊に対する、救出作戦までもをオルタネイティヴ4は達成している。

 オリジナルハイヴ周辺に進出してきたBETA群に対して、積極的な攻撃を仕掛けた結果、駐留部隊はその戦力を大きく損なってしまった。
 しかも、オリジナルハイヴ周辺地域へのレーザー属種の再展開を許してしまった為、各種補給物資の投下すら儘ならないという事態を招いてしまう。
 その結果、オリジナルハイヴの調査結果を携えた一部将兵等だけが、装甲連絡艇によって軌道上へと脱出したものの、約150名の衛士が取り残され孤立してしまった。

 この事態を受け、駐留部隊の派遣前より、この計画に対する否定的な見解を表明していた米国大統領は、駐留計画を進言し推進した大統領補佐官を初めとしたスタッフを罷免。
 彼らの判断を信用し許可した事こそが誤りであったとして、全力を上げて駐留部隊の救出に取り組むとの声明を出した。

 米国大統領は、直ちに米国統合参謀本部に救出作戦の立案を命じると共に、オルタネイティヴ4にも計画立案を依頼。
 米国統合参謀本部が有効な作戦案を策定できない中、オルタネイティヴ4から提出された作戦案を検討させた上で採用し、救出作戦の実施を国連安保理並びにオルタネイティヴ4へと依頼した。
 これを受けて、武は駐留部隊のデータリンク内に保存しておいた、オリジナルハイヴ『地下茎構造』を利用した塹壕戦術の実行を指示。
 軌道上で、装甲連絡艇10機と、打ち上げ用ブースター代わりとなる再突入殻を確保し、『凄乃皇・弐型』2機を陽動に用いた上で、それらをオリジナルハイヴへと届けた。

 オリジナルハイヴ駐留部隊の生存者らは、こうして届けられた装甲連絡艇に搭乗し、無事軌道上へと離脱。
 オルタネイティヴ4は存続に関して、米国大統領の賛同を取り付けるに至る。
 この件もあり、夕呼が提出したオルタネイティヴ4第2期活動計画案が一際現実味を帯びる事となり、安保理で是非が論議される事となった。

(一時的かもしれないけど、米国世論を動かして、大統領からの支持を取り付けられたからな……
 衛士達の命を交渉材料にしたのは後味が悪いけど、それでも助けられただけ良かったと思うべきか……)

 その結果、今回のBETA大規模侵攻阻止の結果次第で、BETA情報の収集と言う当初の目的を完遂したとも言えるオルタネイティヴ4が、今後も存続し大陸反攻作戦に於ける主導的役割を担うか否かが、決定される事となった。
 現状、BETA大規模侵攻阻止作戦は十分な成果を上げており、残るカムチャッカ戦線で余程の失態を演じない限りは、オルタネイティヴ4は存続を認められ、BETA情報を活用して地球奪還を達成する事を、新たな活動目的とする事を許されるであろう。
 それ故に、武はソ連が政治的・軍事的な策謀を仕掛けてこないか、警戒を強めざるを得なかった。

 ここでソ連に足を掬われてしまえば、『桜花作戦』実施前から密かに米国大統領に策を献じて、オルタネイティヴ4存続への協力を取り付けた事も水泡に帰してしまうのだから。

(何れにしても、BETAの侵攻を阻止するのが最優先だ。
 警戒し過ぎて、侵攻を阻止しそこなったら、元も子もないもんな。
 ―――よし、そろそろ頃合いだな。)

「こちらスレイプニル01(白銀)、HQに作戦開始を提言します。
 テストプランに従い、索敵砲撃の実施を待って、『雷神』の砲撃を開始したいと考えます。」

 武の予測によれば、甲26号目標―――エヴェンスクハイヴからの大規模侵攻は累計25万に達すると想定されている。
 BETAの物量とソ連の策謀、その双方を相手取っての武の戦いが始まろうとしていた。




[3277] 第122話 旧き呪縛を超えて
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2010/09/14 17:54

第122話 旧き呪縛を超えて

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 独自設定告知:ソ連軍ESP発現体の能力に関する設定
 今回の内容に含まれるソ連軍ESP発現体の能力や育成に関する記述は独自設定に基づくものです。
 拙作をお読みいただく際にはご注意の上、ご容赦願えると幸いです。
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2002年01月19日(土)

 13時02分、ソビエト社会主義共和国連邦カムチャッカ州コリャーク自治管区の西部海岸付近に広がる平野部に於いて、武は自身が搭乗する複座型『不知火』を駆ってBETA群に対する陽動を敢行していた。



 累計25万にも達すると想定される、甲26号目標―――エヴェンスクハイヴからの大規模侵攻。
 その第一陣となる、軍団規模のBETA群が侵攻を開始した当初より、武は日本帝国海軍の重巡洋艦『最上』に搭載された複座型『不知火』から、『雷神』を遠隔操作してレーザー属種の殲滅を担当していた。
 その間、各戦域を転戦し、BETAを陽動して戦線を押し上げる任務は、美琴がやはり『最上』からの遠隔操作でGパーツ搭載『時津風』を操って担当し、それは正に東奔西走縦横無尽、殊勲賞ものの大活躍であった。

 元来、カムチャッカ戦線は2001年の後半に至るまで、レーザー属種が侵攻に加わる事がなかったという戦域である。
 その原因は、エヴェンスクハイヴに所属するレーザー属種の個体数が、最近になるまで充足されていなかった為であると、武の収集解析したBETA情報から今では明らかになっている。
 それは今回の大規模侵攻にも影響を及ぼしており、侵攻に加わっているレーザー属種の個体数は比較的少なく、『雷神』によるレーザー属種の掃討は比較的早期に達成されていた。
 その後武は、『雷神』による砲撃の対象を、オホーツク海の大陸側沿岸部に展開し渡海侵攻しようとするBETA群へと切り替えた。
 同時に侵攻開始以来、砲撃と並行して行ってきた自律地雷敷設機の運用も継続しており、美琴の陽動と連動しながら地雷原を幾度にも亘って再構築している。

 ソ連軍も武による提言を素直に受け入れた上で作戦を遂行しており、オホーツク海に展開する海上打撃艦隊からの索敵砲撃、そしてレーザー属種掃討後にはBETAの先陣である突撃級を無視して、その後方に続く要撃級を主力としたBETA本隊への制圧砲撃を実施。
 ソ連軍戦術機甲部隊も、美琴の陽動と連携しながら地雷原を突破してきた突撃級を迎え撃ち、戦線を良く堅守していた。

 地中設置型振動波観測装置の戦域への配置は作戦開始前に完了しており、BETA地中侵攻は早期に察知した上で、Gパーツ搭載『時津風』で地上に誘引。
 その上で、『雷神』、ソ連軍海上打撃艦隊、ソ連軍支援砲撃部隊、ソ連軍爆撃機部隊の内、状況に適した部隊が砲撃を行い、然る後に戦術機甲部隊が残存BETA掃討を担当した。
 また、カムチャッカ半島への渡海ルートをとらず、カムチャッカ半島迂回ルートで陸地伝いに東進するBETA群に対しては、侵攻してきたレーザー属種掃討完了の後、ソ連軍爆撃機部隊が襲いかかって殲滅している。

 正に鉄壁と言える布陣であり、対BETA戦術構想に対する理解が不足しがちなソ連軍戦術機部隊に損害が発生してはいるものの、それでさえ従来に比べれば十二分に軽微と呼べる程度に過ぎなかった。
 BETA大規模侵攻の第一陣である軍団規模BETAの迎撃も終わらぬ内に、後続として更に軍団規模のBETA群が第二陣として侵攻してきたが、これも事前に予測されていた為、作戦は何ら支障をきたす事無く順調に推移していた。
 そして、これもまた事前に予測されていた事ではあったが、『最上』に留まっていた武が前線へと出撃しなければならない状況が、午後になって現出する。

 『最上』を旗艦とする帝国海軍派遣艦隊は、オホーツク海を遊弋していたのだが、BETA侵攻開始より時を経るに連れて周辺海域の海底にBETA群が押し寄せその個体数は増加の一途を辿っていた。
 護衛の第18駆逐隊による爆雷攻撃を実施しながら、『最上』は比較的水深の深い海域を、BETA群を韜晦するような航路を選んで遊弋。
 従来の投下式から投射式の爆雷に換装された第18駆逐隊の各艦は、BETAの反撃を受ける事無くその任務を遂行し続けたが、海底を侵攻するBETAに対する爆雷攻撃は元来効果が薄い為、増加率の低減に僅かに貢献するに留まっていた。

 これらのBETA群は、00ユニットである武に誘引されてきたものであり、これ以上『最上』に留まった場合、帝国海軍派遣艦隊所属艦艇に損害が発生すると判断した武は、事前に提案済みの作戦案の実施を決断。
 戦術立案ユニット搭載機によるカムチャッカ半島に於ける陽動を発動する事とした。
 ソ連軍作戦司令部もこれを了承し、作戦区域となるコリャーク自治管区西部海岸周辺に展開する支援砲撃部隊による支援と、誘引されたBETA群の掃討を担当する戦術機甲連隊の派遣を約してきた。

 『最上』を出撃した武は、予定通りの戦域へとBETA群を陽動し、事前に設置しておいた地雷原で突撃級を漸減し、次いで上陸してきた要撃級を主力とするBETA群の誘引を開始。
 と、ここまでは事前に想定された作戦案の通りに推移したのだが……



「―――ようよう、国連軍の英雄殿は、逃げ足しか取り柄がないみてえだぜ?」
「―――ヘッ、オリジナルハイヴ帰りつっても、どうせ逃げ回って震えてただけなんじゃねえの?」
「―――陽動だか何だか知んないけどさ、BETA倒すのは人任せってんだから、良い身分よね?」
「―――他人に尻拭かせておいて英雄扱いだってんだから、まったく良い御身分だぜ。」
「―――おらおら、ちったあ自力でBETA共をぶっ倒してくれよぉ、え? 英雄さんよお!」

 支援担当部隊との意思疎通を図るために確立された、部隊内オープン回線を満たす悪意と侮蔑と嘲笑に満ちた声。
 それらは、武の支援を担当するソ連軍戦術機甲連隊の衛士達が発するものであった。
 彼等はみな一様に年若い衛士達であり、定数にはやや欠けるとは言え、連隊所属衛士の過半数―――60名強が十代前半という若さであり、最年長者でさえ20を幾つか超えているに過ぎない。
 彼らの若さ故の暴走を抑止するのは、連隊長である壮年の中佐の役割であったのだろうが、生憎と彼はついさっき武の目の前で戦死してしまっている。

 ソ連軍戦術機甲連隊の指揮官は、戦場に到達するなり部下達を罵倒し嘲り挑発する様な言葉を発すると、武の制止をも無視してBETA群に対して突撃を敢行。
 当初は追従していた部下達も、自暴自棄とも言える指揮官を見限っていき、やがて孤立した指揮官は戦車級の山に飲み込まれる様にして姿を消した。
 それと前後して、ソ連軍作戦司令部とのデータリンクが突如途絶して指揮系統が破綻。
 少年少女と呼んで何ら差し支えのないソ連軍衛士等は、その抑圧された憤懣を武を捌け口と定め、若さに任せて噴出させたのである。

 武に誘引されているBETA群を側背より攻撃し殲滅するという任務を放擲し、武が搭乗する『不知火』を遠巻きにして罵詈雑言を浴びせて来るソ連軍衛士等に、それでも武は怒気を向ける気にはなれなかった。
 何故ならば、彼らの行動は恣意的に誘導された結果であると、武には明白であったからである。

(ったく……よりによってなんてえげつない事しやがるんだよ。
 心理誘導で追い詰めておいて、全ての責任はこいつらにおっ被せようってのか……)

 先刻、ソ連軍戦術機甲連隊指揮官が無茶な突撃を行った時、武は通信越しに制止すると同時にリーディング機能を使ってその真意を推し量ろうと試みていた。
 その結果解かったのは、武の支援を命じられたソ連軍戦術機甲連隊が、過去の戦闘で損害を受けて半壊した戦術機甲部隊の生き残りを寄せ集めて再編されたばかりの部隊であるという事。
 しかも、それらの部隊で指揮を執っていたロシア人衛士等は、全員後方に引き抜かれた上で連隊指揮官のみが新たに派遣され、それ以外の部隊指揮官は指揮官教育すらまともに受けていない、所謂ソ連被支配民族出身衛士が持ち上がりで任じられていた。

 ソ連軍部隊は、その所属兵等を同一民族で編制する事により、隊に対する帰属意識を民族意識によって増強させ、戦友を『同族』『家族』として認識させる事で高い戦意を保持させている。
 しかし、この部隊は様々な民族に属する衛士を雑多に集め、頭数だけを揃えた物に過ぎず、しかも連隊長は中央での政争に敗れて左遷されてきたばかりの、差別的言動を隠しもしない指揮官であった。
 そもそも、部隊の規律が保てる様な環境では無かったのである。

 その上、左遷されてきた連隊長は、極秘の指令―――いや、取引を持ちかけられていた。
 政争に敗れ、後ろ盾となる人物からも切り捨てられ、政敵に暴露された全ての不正行為の責任を負わされた中佐は、そのままであれば人民に対する許し難く重大な背任行為を行ったとして、国家反逆罪に問われ即決裁判の末に銃殺される運命であった。
 しかし、そんな彼に持ちかけられたのが、とある謀略を全うして戦死する代わりに、名誉と死後の家族の安泰を保証するという取引であった。

 既にその身が破滅している事を十分に認識していた中佐は、その取引を受け入れて、この戦場へと身を投じていた。
 彼が果たすようにと言い含められた謀略とは、指揮下の臨時編制の戦術機甲連隊に武に対する反感を醸成した上で、自身は戦死を遂げて指揮系統を破綻させる事であった。
 無論この謀略は、支援を失った武がBETAに撃破されるなり、損害を被るなどする事を期待してのことである。
 この事情をリーディングで読み取った武は、深く嘆息した上でこの連隊指揮官を救う事を諦めた。

 現状、戦域に存在するBETA群は全て武の機体に向かって殺到している。
 これが、もし他の戦域や、カムチャッカ半島東岸に向けて侵攻を開始したならば、ソ連軍衛士等もBETA殲滅の為に行動するのだろうが、現状が続く限りは事態を静観し武に罵詈雑言を思うが侭に叩き付けるのみだろう。
 本来ならば、彼らを叱責して指揮系統を回復すべき作戦司令部は、恐らくは意図的に通信を絶っており当てにはならない。

 美琴に他の戦域での陽動を中断させる事が出来ない以上、武に可能な対処方法は支援砲撃を要請する事くらいであった。
 無論、『時津風』を12機ばかり呼び寄せ、その半数程の『満潮』に補給支援を行わせた上で、直接制御下に置いて殲滅戦を展開すれば、この場に存在する5000体ばかりのBETA群など容易に殲滅出来る。
 しかし、武は現状は未だにこちらの手の内を見せる段階ではないと判断し、相手の更なる失点を誘う為に、敢えてソ連軍支援砲撃部隊に対する支援要請を行った。

 同時に武は支援任務を命じられていた筈のソ連軍戦術機甲連隊に対して、支援砲撃の要請を行った事を告げた上で戦域からの退避を勧告し、自身も機体を匍匐飛行させて急速離脱を図る。
 しかし、武の支援要請に対し、大半のソ連軍支援砲撃部隊は作戦司令部との通信途絶を理由として要請を拒否。
 要請を受諾したのは、とあるロケット砲連隊のみであった。

 急速離脱しながらソ連軍部隊との通信を絶った武は、薄昏い笑みを浮かべながら『雷神』の砲撃準備を進める。
 そして、支援砲撃を敢行したロケット砲連隊の攻撃が、自身の機体位置を示すマーカーを中心とした周辺地域に着弾するのを確認。
 武は即座に誤射に対する苦情を申し立てると同時に、支援要請を撤回する。

「こちらスレイプニル0(白銀)、当機は現状に鑑み、ソ連軍作戦司令部並びに諸部隊に対して深甚なる遺憾の念を示し、強く抗議するものである。
 また、かかる状況を打破するに当たり、ソ連軍諸部隊への協力要請を全面的に撤回。
 国連軍横浜基地第4計画直属部隊の独力を以って、当戦域残存BETA掃討を実施する。
 これに当たり、周辺地域に展開するソ連軍部隊に於かれては、誤射を回避する為に被害予想圏内からの速やかな撤退を勧告する。
 ―――以上だ。」

 この武の一方的通告に対し、当然ソ連軍各部隊からは非難や苦情が殺到する。
 この煽りで、美琴に迷惑をかけるだろうなと思いながらも、武はそれらの非建設的な通信の一切を黙殺した。
 しかしそこへ、とあるソ連軍中尉からの申し入れが飛び込んでくる。

「―――スレイプニル0(白銀)、こちらはソビエト陸軍中央戦略開発軍団実験開発小隊の指揮官を拝命する者であります。
 貴官に対し、友軍部隊の非協力的態度をお詫びすると共に、我が隊のエースが現在貴官を支援する為に急行中である事をお知らせします。
 なに、御心配には及びません。
 我が隊は本作戦に協力する為に派遣されてはおりますが、指揮命令系統は半ば独立しており、作戦司令部の指示がなくとも独自の作戦行動をとることが許されております。
 そちらに向かったのは戦術機1機に過ぎませんが、優に戦術機甲大隊に相当する戦力であると自負しております。
 作戦司令部も間もなくデータリンクに復帰し、指揮能力を取り戻す事でしょう。
 ここは、小官に免じて、今暫くの猶予を頂戴したいのですが如何でしょうか。」

 低姿勢での申し出を装いながらも、滔々と語るその言葉は自負心に満ち溢れていた。
 ソ連軍では、中央戦略開発軍団に属する将校は、1階級上の階級として扱われるのが通例となっている。
 それでも大尉に過ぎないその指揮官の発言は、十分越権行為に相当しかねない筈なのだが、中央の権威を慮ってか各部隊指揮官からの抗議は一切なかった。

 武は昏い陰鬱な笑みを隠すと、その中尉からの通信に応えた。

「―――こちらスレイプニル0(白銀)。いいでしょう。貴官の申し入れに従い、もう暫く陽動を継続します。
 ただし、10分が経過した後も状況に変化が無い場合、先程の通告通り『雷神』の砲撃を以って、当該戦域のBETA群を殲滅します。
 その際は、こちらで提示した被害予想圏内に於けるソ連軍部隊の損害は、一切関知いたしませんのでその旨ご承知置き下さい。
 作戦司令部との通信途絶と言う事態に理解は示しますが、小官としては任務上BETAの殲滅を優先せねばなりません。
 その点、悪しからずご承知置き下さい。」

 武はそう言いながら、急速離脱直後から欺瞞している自機マーカーの位置へと、『不知火』と直衛の『時津風』4機を移動させる。
 当該地点には、マーカーの識別信号を入れ換えた『満潮』5機を派遣してる。
 幸いにして、その内損害を被ったのは2機に過ぎず、他の3機はロケット砲弾の回避に成功していた。
 彼の中尉の言う『エース』よりも先に、囮にした『満潮』と入れ代っておかねばならない。
 武は心中で呟きを発しながらも、匍匐飛行を続ける機体を増速させた。

(……そろそろ、鎧衣課長が動いてくれる頃合だな。
 この『エース』とやらが何を目的としているかは解からないけど、これを凌げば暫くはBETAとの戦闘に集中出来るだろう。)

 そう考える内に、武は囮にした『満潮』との合流を果たし、00ユニットに誘引されて来るBETA群が辿り着くまでの時間を利用して推進剤の補給を終える。
 然る後、武は自身に向かって殺到して来るBETA群に向かって反転急接近し、陽動を再開した。
 それと前後して、1機のソ連軍戦術機が進路上に存在するBETAを切り刻みながら、猛烈な勢いで接近してくる。

(……複座型のSu-47『ビェールクト』か。どうやら改修機みたいだな。
 いくらBETAがオレに陽動されてるとは言っても、従来OSであの撃破ペースは凄まじいな。
 なるほど、あの機体をオレの支援によこした理由の一つは、高い戦闘力を誇示する為か……)

 武は、BETAを鎧袖一触で次から次へと近接格闘戦闘で撃破して行く『ビェールクト』に、内心で感心しながら通信回線を開く。

「こちらスレイプニル0(白銀)。接近中の『ビェールクト』に告げる。
 当機周辺のBETA群は、その進路上を塞がない限り、当機以外を攻撃対象とする可能性は低い。
 無理に近接格闘戦闘を行わず、側背からの砲撃を推奨する。」

 支援に赴いた筈の『ビェールクト』に対して、武は助言を行った。
 しかし、それに対する返答として、武の干渉を全面的に拒否する言葉が叩きつけられる。

「―――うるさい。
 私達のやり方に口を出すな!
 貴様に纏わり付いているBETA共は、全て排除してやる。
 それで文句はあるまい!」

 そう言うなり、『ビェールクト』の衛士は通信を切り、武の機体を中心に渦を巻く様な機動で、周囲のBETA群を切り刻みながら接近して来た。
 時折、背部兵装担架に保持したA-97突撃砲による砲撃で、背面に迫るBETAを撃破してこそいるものの、大半のBETAは両主腕のモーターブレードや機体各所に装備されたスーパーカーボン製ブレードベーンによって撃破されていく。
 正に、BETAの海を力尽くで切り開いて押し進むが如き戦闘機動であり、その神がかった動きはまるで、周囲に存在するBETA全ての動きを掌(たなごころ)にしているかのようであった。

 そうして『ビェールクト』は徐々に武の機体への距離を縮めていき、直衛の『時津風』とほぼ同距離にまで近付いてきたが、その途端に機動を僅かに鈍らせる。
 幸い、それまでの戦闘により、周辺に残存するBETAの殆どが殲滅されていたおり、しかも残存BETAは愚直なまでに武の搭乗する『不知火』だけを目指していた為、『ビェールクト』が攻撃を受ける様な事態にはならなかった。
 しかし、その僅かな機動の乱れを武は見逃さず、その機を狙って『ビェールクト』に搭乗する2人の衛士に対してリーディングを仕掛ける。

(……なるほどな。片方だけかと思ったら、両方ともESP発現体。
 しかも、衛士としての適性に特化されてるって訳か。
 それならさっきの戦闘機動も頷けるな。
 幾らBETAが自らを生命体じゃないと認識してみた所で、リーディング能力の前では生物と何ら変りはしない。
その思考波は、完全に察知可能だからな。
 全周360度、死角無しの上、相手の行動もある程度先読み出来るって訳だ。
 おまけに、どうやら搭乗しているESP発現体2人の思考を融合させて、処理能力を向上させられるような調整もしてあるみたいだな。
 けど、そんなことしたら、個々の人格が曖昧化して下手したら人格が崩壊しちまうだろうに……)

 其処まで考えた所で、武はオルタネイティヴ3の研究成果を受け継いだ者達が、そんな人道的見解など然して気にはしないであろうという事に思い至り、無為な思考を中断した。
 このリーディングにより、先程の『ビェールクト』の戦闘機動が鈍った原因も確定した為、武は薄らと笑みを浮かべる。
 実を言えば、今回の派遣に際して、武と美琴に対してESP発現体がリーディングを試みる事は予想済みであった。

 その為今回の作戦では、武と美琴はリーディングを阻害する為に、自身の日常の思考波を記録したものを、常時多重発信する思考波バラージとでも言うべきシステムを装備している。
 リーディング能力は、複数の思考波が混在している状況下でも、特定の思考波のみをピックアップする事が可能だが、この思考波バラージでは同じ思考波が多重発信されて各々の思考が混濁し、有意情報を判読困難にしてしまう効果があった。

 先程『ビェールクト』が機動を鈍らせたのは、十分に距離を詰めた所でESP発現体達が武をリーディングしようとして、思考波バラージで混濁した思考波を受信し混乱したからに違いなかった。
 例えるなら、盗聴を試みた者が、一斉に何十人もの人間の声が混ざり合った音を聞かされて、その言葉を聞き取ろうとするようなものだろうか。
 しかも、リーディング能力は一旦イメージとして受信してしまえば、それは既に自身の思考の中に厳として存在してしまっている状態となる。
 イメージの流入を途絶させる事は出来ても、一旦読み取った分のイメージが過度に混沌としている場合、スタングレネードの影響を被ってしまった時の様に、リーディング能力を行使した対象に酩酊症状を引き起こす可能性は十分にあった。

 00ユニットの様に、リーディングした情報を一旦1次情報として保存して、後から解析にかける事が可能であれば、断片的な有意情報を読み取る事も可能かもしれないが、ESP発現体ではそれは不可能に近い。
 とは言え、戦闘機動への影響を極々軽微に抑え込んだあたり、『ビェールクト』に搭乗するESP発現体達の能力と自制心の高さは大したものであった。

 流石にその1回で対策を講じられていると理解したのか、それ以降はリーディングを断念したようである。
 その後、『ビェールクト』はBETA群の殲滅に集中し、5分程の間に中型以上のBETAを100体以上、戦車級などの小型種まで含めれば1000体近くのBETA群を撃破するに至った。
 00ユニットの存在に誘引されてBETA群が過密状態に在ったとは言え、単機の撃墜数としては驚異的な数である。

 その時点で尚、00ユニットに引き寄せられたBETA群は3000体以上残存してはいた。
 しかし、ここでようやくソ連軍作戦司令部がデータリンクに復帰し指揮系統の混乱を収拾した為、武に対する支援が正常に行われる事となり、『ビェールクト』は原隊へと合流すべく武の許から去っていった。
 丁度その時、脂汗を滲ませた作戦総司令官であるソ連軍中将が、通信回線越しに少佐に過ぎない武に対して必死で弁明を行っていた為、武は去りゆく『ビェールクト』を黙って見送るのみであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年01月25日(金)

 15時51分、国連太平洋方面第11軍横浜基地、B19フロアの夕呼の執務室を、カムチャッカ戦線から帰還したばかりの武が訪ねていた。

「あんたが送ってきた報告書(レポート)は一通り読んどいたわ。
 それ以外に何かあるなら、簡潔に言いなさい。」

 テーブルを挿んで武と向かい合わせにソファーに腰掛けた夕呼は、開口一番にそう告げた。
 武は苦笑を浮かべながらも、首を横に振って夕呼の問いに応える。

「一応報告書の暗号化は、オレの組んだ解読用プログラムじゃないと解けないでしょうから、機密事項も含めて一通りの情報は入力しておきました。
 ですから、特にオレから付け加える事はありませんよ、夕呼先生。」

「そ、じゃあ、あたしの方から幾つか質問するわよ。
 まずは、ソ連軍の作戦総司令官相手に鎧衣が―――って、今回は娘も居たわね、めんどくさい―――鎧衣課長が行った工作について教えなさい。」

 武の言葉を素っ気なく受け流した夕呼は、自分の望むがままに話を進める事にしたらしく、早速武に質問をぶつけてきた。
 その内容に、武は目を丸くして意外の念を表しながら言葉を返す。

「え? それに関しては、鎧衣課長から聞いた方がいいんじゃないですか?
 一応オレもカムチャッカでの作戦終了後に、『最上』を訪ねて来た課長から聞いてはいますけど、所詮伝聞になっちゃいますよ?」

 武の返した言葉は正論であったが、うんざりとした表情を浮かべた夕呼には欠片も通用せず、その繊手の一振りで一蹴されてしまう。

「馬鹿言わないでよ。
 あの鎧衣課長相手に、1から聞き取っていたら幾ら時間があったって足りっこないでしょ。
 だから、あんたから概略だけでも聞いといて、あの有り余るほど潤滑な口を噤ませなくちゃやってらんないってのよ。
 てことで、事情が理解できたならさっさと教えなさい。」

 『最上』で鎧衣課長と会った折には、作戦終了後の待機期間で殆どの懸案事項が片付いていた為、武は鎧衣課長の蘊蓄交じりの長広舌に、一切止め立てする事無く付き合っていた。
 その為、夕呼の言い分をまざまざと実感できた為、武は納得して自身の知り得る情報を報告する。

 ソ連軍が戦術立案ユニットと武のカムチャッカ派遣に際して、オルタネイティヴ4の機密奪取を目論んでいる事は、鎧衣課長の諜報活動と武の情報分析により事前にその兆候を察知していた。
 その結果、謀略の統括者となる人物がソ連軍作戦総司令官であるとの目星も付けており、その首根っこを押さえ暗躍を抑止する為に、ソ連軍作戦司令部へと鎧衣課長が直々に潜入していたのだ。
 そして、BETA大規模侵攻が始まった初日の午後、武が『最上』を離れて陽動を開始した時、ソ連軍の謀略が早々に発動された。

 作戦司令部の通信途絶は事後に、ソ連軍に対する反体制派勢力による妨害工作により、通信設備が破壊された為との公式発表が成されている。
 しかし、実を言えば通信機器は破壊等されておらず、表向き通信途絶を装いながら秘匿回線によりデータリンクとの接続を保持していた。
 その上で、事前に仕込んだ戦術機甲連隊の謀略が効を奏さなかったと見てとると、今度はロケット砲連隊指揮官に誤射を装って武に対する砲撃を行う様に指示するに至った。
 作戦司令部に潜入していた鎧衣課長が行動を開始したのはこの時点であり、不敵にも作戦総司令官の前に姿を現すという暴挙に出た。

 無論即座に拘束させようとした総司令官ではあったが、今回の謀略で成果を上げて出し抜こうとしていた中央での政争の相手との繋がりを鎧衣課長が仄めかした為、鎧衣課長の望むままに密室での会談を受け入れてしまった。
 そうなれば後は鎧衣課長の独壇場であり、事前に揃えた交渉材料の数々とあの捉え所のない話術で総司令官を雁字搦めとし、以降の作戦中に於ける謀略を断念させるに至ったのである。
 武は謂わば自身を囮として、鎧衣課長が相手の首根っこを押さえる為の決定的な行為を誘発していたのであり、鎧衣課長も武も互いの役割を十全に果たしたと言えた。

「―――って事で、一見あっさりと片が付いた様に思えたんですが……」

「最後の最後で、あの亡命希望者が現れたって訳ね。
 ま、あれが本命で、その総司令官てのは只の道化でしょうね。」

 鎧衣課長が果たした役割を説明し終えた武が、淡々としていた表情を忌々しげに歪めて言葉尻を濁す。
 すると、その意を過たずに察した夕呼が、的確に言葉を継いだ。

 夕呼の言う亡命希望者とは、カムチャッカ戦線での戦闘を終え、BETAの侵攻が終息したと確信できる迄2日間の待機期間を終えた武と美琴、そして帝国海軍派遣艦隊上層部がソ連軍の慰労会に招かれた折に現れた人物の事であった。
 その、外見からすると10代前半と思しき少女は、帝国海軍の警備の合間を縫って連絡艇に密航し、『最上』に到着する寸前になって自らその存在を暴露すると、帝国に対する亡命を希望したのである。

 しかもその上で、武に対して自身がESP発現体であるとのプロジェクションを行い、可能であれば第4計画の庇護を受けたいとのメッセージまで送ってくる始末であった。
 その為、武は帝国海軍派遣艦隊の司令官である小沢提督と相談の上で、この少女に対する聴取を担当する事とした。
 少女は、武と2人だけとなった時点で一転して饒舌となり、武の装備している思考波バラージシステムに一頻り苦情を申し立てた後、自身がソ連で如何に非人道的な扱いを受けて来たかを滔々と語った。

 武は少女が長広舌を振るうに任せながらも、リーディング能力とプロジェクション能力による暗示や思考誘導をフルに活用して、少女の内面を走査。
 少女の精神を土足で踏み荒らす様な行為に、自己嫌悪に陥りそうになった武ではあったが、それでも徹底的な捜査を行った結果、少女の記憶や人格が人為的操作を受けている事が判明するに至った。
 少女自身はその事を自覚してはおらず、飽くまでも自身の人格はこれまでの人生で培われたものであると疑ってすらいない。

 少女は武に対して、自身は第3計画の技術を活用した人工ESP発現体であり、諜報員としての育成を受けながらも、自身に対する非人道的な扱いへの反感を長年に亘って隠しおおせた上で、今回の千載一遇の機会を逃さずに亡命を果たしたのだと、鼻高々に自慢する始末であった。
 無論、武はソ連の諜報組織がそんなに甘い物だとは思っても居ないので、少女本人の意思と記憶の外で何らかの謀略が存在している事を確信した。
 少女が謀略の駒として良い様に扱われている事に内心で憤激しながらも、武は少女への聴聞を切り上げると、鎧衣課長に連絡を取った上で自身もデータリンクを通じて情報収集を開始した。

 ソ連のオルタネイティヴ3関連情報に関する防諜態勢は堅固なものであり、中々手掛かりを掴む事が出来なかった武だったが、米国諜報機関のレポートという予想外の場所から、少女に関する情報を入手するに至った。
 そのレポートは、数年前にソ連の諜報機関が行っていた諜報員育成計画に関する報告書であった。
 そこで触れられていたのは、オルタネイティヴ3で高度に発展した人工ESP発現体の技術を推し進め、リーディング能力の効果範囲を拡大し諜報活動に役立てようと言うプロジェクトについてであり、その被検体の中に今よりも幾分幼い面影の少女の姿が含まれていた。

 そのレポートの記述によれば、少女には一卵性双生児の姉妹が複数存在しており、同一遺伝子を保持するESP発現体どうしの自己同一性を人為的に高め、互いの距離を超越したリーディングの確立を目指して育成された実験体であった。
 数年前に作成されたそのレポートの時点では、数組育成された中で少女とその姉妹の内1人だけが、有望な結果に到達していたと言う。
 そして、ソビエト共産党政府の首都であるセラウィクと、ペトロパブロフスク・カムチャッキー基地との間で行われた長距離リーディング実験に於いて、少女の姉妹は少女が経験した出来事の5割以上の情報をリーディングして退けたと言うのだ。

 武の聴聞に対して、少女は自身の非人道的な扱いに憤懣を述べていたが、そのレポートを読んだ武は、その少女の姉妹の置かれた環境の方が遥かに陰鬱且つ悲惨なものであると知った。
 少女は諜報員としての過酷な教育を受けてはいたが、それでも諜報活動に於いて社会に潜伏できるように、人間として破綻しない程度の情操教育や、実地体験、日常生活等を与えられていた。
 しかし、少女の姉妹の方は、外界からの情報を殆ど遮断された密室に監禁され、まるで植物状態の患者でもあるかのように、最低限の生命維持処置を施されるだけの環境を強いられていた。

 半覚醒状態で、外部刺激の殆どを遮断された少女の姉妹は、夢現の内に少女に対するリーディングを誘発され、そこから得られる情報をほぼ唯一の外部刺激として生かされ続けていた。
 彼女にとって、少女の体験は自身の体験とほぼ等しい物となり、それを渇望する彼女のリーディング能力はより先鋭化していき、遂には距離の障害を克服するに至ったと言うのである。

 米国諜報機関のレポートは、その最後でこのタイプの人工ESP発現体が量産され、潜入工作員として実用された場合の脅威について警告していたが、同時に、レポートが作成された時点では彼女達1組しか実用可能なレベルに到達した実験体は存在せず、量産技術の確立は困難であろうとの所見が添えてあった。

 武は翌日、『最上』が横浜港に入港する前に鎧衣課長と再び連絡を取り、情報を交換し裏付けを取った上で少女を一旦情報省の預かりとする事とした。
 情報省の施設で、外部との接触を限定された環境下で暫く過ごさせ、リーディング能力の使用を限定する手段を講じた上で、ソ連に対する意図的な情報漏洩源として試用する事にしたのだ。
 因みに、鎧衣課長によって少女に与えられた秘匿名称(コードネーム)は『仔熊のミーシャ』である。

 武は、少女のリーディング能力を制限する方策を夕呼と検討すると鎧衣課長に確約し、少女の身柄を委ねて横浜基地へと帰還したのであった。
 ここまでの情報は、帰還前に『最上』艦上より武が送信した報告書に記載してある為、夕呼も既に知っている事である。

「それにしても、オルタネイティヴ3の連中も、随分と悪趣味な研究を続けてるもんね。
 しかも、自己同一性を高めて情報共有する手法だなんて、BETAの通信ユニットそっくりじゃないの。
 ま、いいわ。あんたの方でこの娘のリーディング能力に暗示で封印をかけて、発動条件を設定すればそれなりの利用価値はあるでしょ。
 鎧衣なら上手く使うだろうし、なによりもソ連の有力な手駒を1枚減らした事にもなるしね。」

 面白くも無さ気な顔で、しかしESP発現体達の悲惨な境遇なぞ一顧だにする素振りも見せずにソ連の研究者を貶した夕呼は、あっさりとESP発現体である少女の処遇を決した。
 鎧衣課長の下でならば、然程酷い扱いは受けないだろうとの淡い期待を抱きつつ、武は夕呼に頷きを返すと今回の派遣で感じた事を夕呼にぶつけてみる。

「―――今回の派遣で感じたんですけど、ソ連はオルタネイティヴ3で培われたESP発現体に関する技術を活用する事に、相当力を入れているようですね。
 オレ達オルタネイティヴ4から、貪欲なまでに情報や技術を奪おうとする姿勢は、先生がオルタネイティヴ4を立ち上げる時にオルタネイティヴ3の技術を接収した事に関係があるんでしょうか?」

 真剣な表情でそう問いかけた武だったが、夕呼は白けた表情で繊手を振ると真っ向から否定して退けた。

「そんな深い考えなんてないわよ。
 あの国は、情報や技術、権勢、国土―――何でもかんでも常に貪欲に求めているわ。
 そうして、他国からだろうと、自国の競争相手からだろうと、奪い取った物を自身の功績として成り上がっていく嫌な連中が巣食った国って訳よ。
 ま、あの国を相手にする時は、くれぐれも気を抜かない事ね。」

「―――解かりました。
 で、カムチャッカや各戦線へのヴァルキリーズ分派の件はそんな所でいいですか?
 オレとしては、オルタネイティヴ4の今後の役回りがどうなるのかが気になるんですけど。」

 夕呼からうんざりとした口調で語られた内容をしっかりと噛み締めた武は、話題を国連安保理に提出したオルタネイティヴ4第2期活動計画案の可否へと移す。
 すると夕呼はニンマリと笑みを浮かべて、満足気に応えを返す。

「バッチリよ。そっちの方は文句なしで満足できる結果になったわ。
 あんた達が各戦線で十分な戦果を上げてくれたお陰で、地球奪還までの大陸反攻作戦に於いて、オルタネイティヴ4の主導権が認められたわ。
 オリジナルハイヴ駐留部隊救出作戦で、米国大統領を味方につけられたのも効果的だったわね。
 統一中華とソ連が、00ユニットの情報開示を要求してきたけど、米国の取りなしで有耶無耶にできたわ。
 欧米としては、なまじ情報開示なんてされて、中ソにその技術が渡る方が嫌なんでしょうね。」

 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、思い通りに運んだ安保理の非公式会合を思い出している夕呼に、内心溜息を吐きながら武は応じる。

「人工ESP関連技術を夕呼先生に接収されたソ連は、それこそ煮え湯を飲まされた気分でしょうね……」

「くくくくく……あの時のソ連理事の顔は見物だったわ~。
 ―――ま、これで地球上の全てのハイヴを攻略し終えるまでの時間は稼げたわ。
 装備弾薬を世界的に生産備蓄しながら、年に2つのハイヴを攻略しつつ、奪還した土地を再生させていくという基本方針は、国連安保理も承認済みよ。
 中ソは独自にハイヴ攻略を進めたがっていたけど、バンクーバー協定は各国の勝手なハイヴ攻略戦の実施を禁止しているし、あの2国はそもそもBETA地球侵攻初期に、国益を優先させようとした所為でBETAの勢力拡大を許してしまった件があるから、一応今回は自制したみたいね。」

 一頻り愉しげな嗤いを零した後、夕呼は大陸反攻作戦の基本方針が承認されたと告げる。
 そして、ここで表情を真剣なものへと改めた夕呼は、その双眸に灼熱の意志を滾らせて、武に言葉を放つ。

「―――白銀。これで向こう10年はオルタネイティヴ4を存続させる事が出来るわ。
 この間に、地球の継戦能力を回復させて、月攻略の目途を立てるわよ!」

「はい、夕呼先生! BETA共に人類の底力を思い知らせてやりましょう!!」

 夕呼と武は、ようやく開けた未来への展望の下、遥か天空の彼方に佇む月奪還をも視野に入れて、計画を推し進める誓いを交わすのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年02月01日(金)

 20時33分、栃木県日光市にある、とあるホテルの駐車場に1台の乗用車が停車した。

 前照灯(ヘッドライト)に続いて尾灯(テールランプ)も消され、エンジンが止まり周囲に静寂が戻っても尚、その車からは一向に人が降りて来る気配がなかった。
 よくよく見れば、運転席と助手席の窓が僅かに開けられており、どうやら降車する前に周囲の気配を探っているらしき節が窺える。

 そのまま、5分程が経過した所で、そろりと助手席のドアが開かれ、音も立てずに車から滑り出た人影が、車体に隠れる様に身を屈めたままで周囲を窺う。
 その人影は、乗用車の後部と前部で1度ずつ、車体から頭部だけを極短時間だけ突き出してより広範囲の確認を行った後、ようやく満足したように立ち上がると、車体を軽く握った右拳で3回ノックした。

 それを待ち兼ねていたかのように、直後に運転席側のドアが開かれ、新たな人影が姿を現す。
 そして、先に降りて周囲を確認していた人物に、やや呆れた視線と共に言葉を投げかけた。

「―――いや、幾らなんでも警戒し過ぎなんじゃないか? みちる。」

 その声に、未だに周囲の警戒を怠っていなかった人影―――国連軍横浜基地A-01連隊第9中隊指揮官、伊隅みちる大尉は真剣な表情を崩さずに緊迫した言葉を返す。

「冗談じゃないわ。あたしはもうさっきの二の舞はごめんよっ!
 ほら正樹! アンタも周囲に気を配りなさいよっ!!」

 しかし、みちるに叱咤された人影―――帝国本土防衛軍第6師団所属前島正樹中尉は、大きく溜息を吐くとみちるに言い聞かせるように話しかける。

「―――あのなぁ、これからこのホテルに泊まろうってんだから、どうしたって誰にも会わずに済む訳ないじゃないか。
 大体みちる、おまえ、ここの予約本名で取ってるんじゃないのか?」

「あっ―――」

 正樹の言葉にみちるは、不覚にも言葉を失って棒立ちになってしまうのであった。



 駐車場でのやりとりから小一時間が経過し、チェックインが遅くなってしまったにも拘らず、ホテル側の好意で夕食が供される事となり、みちると正樹は小懐石の体裁を整えた料理に舌鼓を打った後、食後の充足感を満喫していた。
 ホテルとは言え、みちるが予約した客室は和室とベッドルームの2間続きとなっており、和室でゆったりと2人きりで食事を取る事が出来た。
 このホテルに来るまでにちょっとした騒ぎがあった為、衆目に曝される事に過敏になっているみちるにとっては、何よりも有難い事である。

「いや~、美味い料理だったなあ。もしかして天然食材も混ざってたりしてな!」

「それはどうかしら。けど、美味しかったのは確かね。
 それにしても、ここに来るまでの騒ぎから、ようやく解放されたって感じだわ。」

 満足気な正樹の様子に、微かにではあるが柔らかな笑みを浮かべていたみちるだったが、ここに至るまでに遭遇した騒ぎを思い出してしまい、片眉を跳ね上げて憮然とした顔付きになる。
 実を言えば、みちると正樹は電車とバスを乗り継いで、このホテルに辿り着く予定だったのである。

 帝都の東京駅で落ち合ったみちると正樹は、特急列車に乗って日光を目指した。
 2人とも軍装を身に纏っており、こうすれば傍目には任務中に見えるだろうとみちるは考えていた。
 確かに帝都では少なからぬ視線を感じはしたものの、特に何か言いがかりをつけられるでも無く、何の問題も発生しなかった。
 しかし、帝都を離れ幾つかの停車駅を過ぎた辺りで、周囲の視線の質が変わったのである。

 視線の数自体は間違いなく減っているにも拘らず、個々の視線に込められる意志がその強さを高めていたのだ。
 不審に思ったみちるが周囲に視線を巡らせると、1つ前の停車駅で乗り込んで来たらしき1人の少女と視線が合わさる。
 その少女は、車内に空席が十分にあるにも拘らず、吊革につかまって通路に立ち、みちるに対して熱っぽい視線を真っ直ぐに照射していた。

 みちると視線が合わさると、その少女は一瞬息を飲んだものの、自身に何か言い聞かせるかの如く一つ力強く頷くと、列車の揺れもものともせずに、断固たる足取りでみちるの許へと歩み寄ってくる。
 その最中にも、少女は蓋を開いた通学鞄へと右手を突っ込み、何やら中に入っている物を探る。
 もしや、銃でも取りだすのではと、みちるは念の為に警戒し、護身用に携帯してきた拳銃の銃把を握るべく、腰の後ろへと右手を密かに廻した。

 そして、もし銃撃戦ともなれば、回避も困難となるであろう必中の距離まで近づいた少女は、興奮に赤らんだ顔で通学カバンから勢い良く右手を引き抜く。
 反射的に拳銃を引き抜き発砲しかけたみちるだったが、鞄から引き抜かれた少女の右手が、真新しいノートを掴んでいる事に気付いて、すんでの所で自身を制止する事に成功する。
 右手を後ろ手にしたままの姿勢で、思わず安堵の吐息を吐いたみちるに、少女の元気な声が降りかかってきた。

「あのっ! こ、国連軍横浜基地所属、ヴァルキリーズの伊隅大尉殿でいらっしゃいますね?!
 わ、私、来年から帝国軍衛士訓練学校への編入が内定しているんです!
 せ、僭越ながら、伊隅大尉殿を敬愛させて頂いております!!
 ぶ、不躾なお願いだとは承知してはおりますが、そ、その……さっ、サインを頂戴できませんでしょうかっ!!」

 車内に響き渡る様な声量で、一気に捲し立てたその少女は、右手で鞄から引き摺り出したノートとサインペンに両手を添え、みちるへと突き出すようにしながら深々と頭を下げたのであった。
 少女の勢いと熱意に流されたみちるは、その願いを聞き入れてサインに応じてしまったのだが、直ぐにそれが致命的な失策であったと気付く。
 何故なら、少女へのサインを書き終わりもしない内に、みちると正樹の座るボックス席の周囲には、あっと言う間に人垣が出来てしまい、感謝や褒め称える言葉を投げかける者、サインを願い出る者などで、しっちゃかめっちゃかの騒ぎになってしまったからである。

 先の『桜花作戦』から帰還した時の映像が放送されてから早1月弱の時が流れており、みちるは欧州へと派遣されていた事もあって、既にその報道の影響は薄れていると考えていた。
 しかし、あにはからんや実情は全くの逆であり、この3週間の間帝国の報道機関はヴァルキリーズの情報を掻き集め、幾度も特集を組んでは情報を繰り返し茶の間に届け続けていたのである。
 オリジナルハイヴ陥落と言う、佐渡島奪還に続く人類の大勝利に帝国は湧き返っており、しかもヴァルキリーズが両方の作戦に於いて活躍したと知らされるに至って、最早ヴァルキリーズは国民的英雄として偶像視される迄になっていたのであった。

 みちるが、帝都で感じた視線の理由も、少女にサインを求められた理由も、突き詰めるならばこの一点に尽きる。
 さすがに帝都の人々は、軍装のみちるを目にしても、軍務を妨げまいと敬して遠ざける節度を保っていた。
 しかし、そんな配慮も帝都を離れた事で薄れ、特急列車に乗り合わせた少女の衝動的な行動を契機として、一気に箍を失った人々の熱狂と言う形でこの騒ぎを引き起こしたのであった。

 それでも、引き攣る笑顔をなんとか保持しながら応対を続けていたみちるであったが、さすがに堪え兼ねて次の停車駅に着くなり、正樹を引き摺る様にして列車から飛び降りてしまった。
 ホームに佇み、荒い息を落ちつけようとしたみちるであったが、ふと気付くとホームに居合わせた人々の視線が一身に集中している。
 それらの視線に頬を引き攣らせたみちるだったが、なんとか平静を装ってホームから立ち去り、駅の改札を出る事が出来た。
 駅の改札を出てしまったのは、周囲の視線から逃れたい一心によるものであり、この時点でみちるの頭にはこの後の明確な行動計画は存在していない。

 所が、駅を出ても尚、周囲の視線は変わらず自身を追いかけてきているかの様にみちるには感じられた。
 強迫観念に駆られたみちるの頭脳は、打開策を求めて暴走気味にその能力の限りを振り絞る。
 その結果みちるが採用したのが、公共交通機関の利用を断念し、レンタカーを使用して目的地まで移動すると言う苦肉の策であった。
 憐れ暴走気味のみちるに引き摺られる様にして、レンタカーの店まで連れて行かれた正樹は、運転手としての重役に任じられて長距離運転を強いられる事となったのである。

「さ~て、そしたら腹も落ち着いた事だし、そろそろ温泉に浸からせてもらうかな~。
 みちるはどうする?」

 回想に耽っていたみちるは、正樹のその言葉で正気に戻ったが、その一瞬後には動悸が高鳴り、頬の熱さを自覚する。
 必死に言葉尻が震えない様に自制しつつ、みちるはなんとか普段通りの言葉を絞り出した。

「あ、言い忘れてたけど、この部屋貸切露天風呂が付いてるの。
 ちょっと贅沢かと思ったけど、昼間の騒ぎからすると、大正解だったわね。
 あたしは後でいいから、正樹が先に入って良いわよ。」

 正樹に背中を向けたまま、いっそぶっきらぼうと言って良い程そっ気のない、何時も通りの語り口で言葉を告げたみちるに、正樹は何ら気負う事も無く、扉を開けると貸切露天風呂の脱衣所へと姿を消した。
 ここ、日光湯元温泉はBETA日本侵攻以前から長く湯治場として発展してきた温泉地であり、既に歴史は1000年を超える。
 当然温泉を売り物にしたホテル、旅館は多数存在し、みちるが予約したこの部屋は、貸切露天風呂と和室、ベッドルームがセットになった和洋混合の客室であった。

 正樹の気配が消えると、みちるは恐々と肩越しに背後を振り返り、正樹の姿が消えている事を確認する。
 続けて、みちるは武から教授された温泉作戦を基に、幾度もシミュレートを重ねたテストプランを心中で再確認しだした。

 そして、とうとう震える両足を踏みしめて立ち上がると、みちるは装備を整えた上で、正樹が先行している貸切露天風呂へと、断固たる覚悟で進撃を開始するのであった。



「ま、正樹、いる……わよね?」

 大きめのタオル1枚だけを装備とし、前面装甲よろしく胸元から腰の辺り迄を防御させたみちるは、震える声を何とか絞り出しながら、貸切露天風呂へとその身を滑り込ませた。
 間が良いのか悪いのか、その時丁度髪を洗っていた正樹は、耳元を流れるシャワーの水音の所為で、みちるの言葉も気配も察知しそびれてしまう。
 しかし、そのお陰で、今にものぼせそうな程に激しく脈打つ自身の動悸を、少しだけとは言え落ち着かせる時間を得られたみちるは、そのままそっと正樹の背後へと足音を忍ばせて近付いて行く。

 そしてみちるは、正樹の背後、シャワーの飛沫が降りかかる程に近い位置へと、両足を揃えて右側に出す横座りの姿勢で腰を下ろした。
 そして左手で上体を支えながら、右手をそっと正樹の背中に伸ばし、背筋に添わせるように触れる。
 その途端、正樹は動きをピタリと止め、薄眼を開けて眼前の壁に設えられた鏡を覗き込む。

「………………みちる……なのか?
 え……えっと、どうかしたか?
 も、もし待ち切れなかったんなら、オレ、さ、先に上がらして貰うからっ!」

 そう言うなり、慌ててシャンプーの泡を流し始める正樹。
 そんな正樹を落ち着かせようと、みちるは右手を正樹の背中から、髪を掻き回す正樹の右手へと移す。
 そんなみちるの行為に、再び動きを止めた正樹の耳元へ、そっと唇を寄せたみちるは、勇気を振り絞って囁きかけた。

「いいの……正樹……その……嫌じゃなかったら、背中を流してあげようか?」

 その言葉に、正樹の背中が一瞬震えたが、直ぐに収まる。
 そして、シャワーを左手で止めた正樹は、静かになった浴室の中、妙に良く通る声でみちるに語りかける。

「みちる……冗談じゃ…………ないんだよな?」

「………………うん……」

 みちるが僅かな逡巡を押し流す為の間を開けて、自分でも意外な程しおらしいと感じる声で応えを返す。
 それ切り、暫しの間、2人の間に沈黙の帳が下りた。
 時折天井から滴り落ちる水滴の音だけが、時が過ぎ去っていく証しとなり、それさえ無ければ、まるで時が止まってしまったかのように感じられる時間であった。

「―――みちる! みちるぅうっ!!」

 と、いきなり感極まったかの如くにみちるの名を叫ぶと、正樹は振り返り様に膝立ちとなり、そのままみちるへと覆い被さってきた。
 突然襲いかかって来た正樹に、みちるはつい反射的に反撃に移り、正樹を床に抑え込み―――そうになった。
 この時、みちるは辛うじて紙一重で反撃を自制して退けた自分に、後々安堵する事となる。

 その結果、如何なる事態となったかについてはここでは敢えて触れないが、翌朝のみちるの機嫌がすこぶる良かった事だけは確かな事実であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年02月17日(日)

 10時41分、国連軍横浜基地の正門ゲート前に、武の姿があった。

 先の『桜花作戦』後に成された情報開示により、今では横浜基地内で武の名を知らない者は存在しない。
 が、意外とその容姿に関しては知られておらず、今の所基地内で過度の注目を浴びる事は無かった。
 ―――朝食の時のPXとか、完全に素姓がばれている開発部に居る時などを除けば……ではあるが。

 とは言え、武の背後の正門ゲートには、今となっては懐かしい、武が再構成後に初めて横浜基地を訪れる際に、決まって門番を務めている警備兵のコンビが立っている。
 どうやら2人は、昨年の10月22日に、訓練学校の制服を身に纏って正門にやってくるなり、香月副司令を名指しして謎めいたやり取りをした少年の、姿と名前をしっかりと覚えていたらしい。
 あの日の件に関しては、厳重な箝口令が敷かれてはいるのだが、さすがに横浜基地を訊ねてから僅か3ヶ月余りの期間で少佐の階級に若くして駆け昇り、しかもオリジナルハイヴ攻略部隊の指揮まで担うに至ったともなれば、興味を持つなと言う方が無理であった。

 それでも、背後の2人から注がれる興味津々な視線を黙殺する事十数分、武の前に1台の乗用車が停車した。
 大分荒っぽい乗り方をしているのか、それとも所有者の運転技術が余程稚拙なのか、車は彼方此方が凹み、塗装が禿げ、バンパーに至っては何時脱落してもおかしくない様な有様の車であった。
 そして、運転席の窓が開かれると、咥え煙草の女性が上目遣いで武を見上げて問いかける。

「あなたが、白銀少佐?
 顔写真位は確認済みだと思うけど、私は香月モトコ。
 後ろの2人はあたしが引っ張ってきた看護婦よ。
 そちらからお呼ばれしたんだから、勿論、待遇は期待していいのよね?」

 武がモトコの言葉に、ボロボロの乗用車の後部席を見ると、そこには既に気絶して意識を失っている小柄な少女と、本来であれば活発な気性なのだろうと思わせる容貌を真っ青にした女性の姿があった。
 武はどうやら今はこの2人の様子に言及しない方がよさそうだと判断すると、モトコと運転を交代して正門ゲートを潜り、基地内へと乗用車を乗り入れていった。
 車の運転免許を持たず、教習すら受けていない武だったが、00ユニットとしての有り余る能力が堅実な運転技能を武に付与していた。
 武は車を基地職員用駐車場に止めると、基地警備本部にモトコ以下2名を案内し、ID発行手続きなどに立ち会った。

 因みに、小柄な少女に見えた女性は、武よりも年上であると判明。
 車からよろける様に降りた彼女は、もう一人の看護婦だと言う女性の手を借りながら、それでもふらつきながらも自力で歩いて警備本部まで辿り着く事が出来た。



 各種手続きに1時間程かかった為、PXで昼食を共にした後、武は3人をB6フロアに用意された区画へと案内した。
 大小複数の部屋を内包するその一画は、香月モトコ医師改め、香月モトコ軍医中佐に与えられた研究室―――国連軍横浜基地医療部付属第0研究室の占有区画として確保された区画である。
 ここでイルマと合流した武は、一等衛生兵に任ぜられた元看護婦2名の居室への案内をイルマに任せ、自身はモトコの居室への案内を買って出た。
 モトコの居室はB18フロアに存在し、このフロアにはオルタネイティヴ4直属の要員達が、多く居室を与えられている。

 そして、モトコは居室に私物を置いた後、そのまま武に案内されてB20フロアの研究棟、機密ブロックに用意されたもう1つの研究室へと足を運ぶ。
 机や椅子、収納戸棚などの他は、なんの設備も存在しなかったB6フロアの研究室とは異なり、その部屋には情報端末と各種最先端医療機器等が既に設置されていた。
 何処か満足気にそれらの設備を眺めるモトコに、武は声をかける。

「モトコ先生。こちらの部屋は機密ブロックとなりますので、衛生兵の同行は認められませんが機密資料の閲覧や各種実験が行えます。
 どうしてもこの部屋での作業で助手が必要な場合は、オレか夕呼先生に申し出て下さい。
 オルタネイティヴ4直属要員の中から、誰かを助手として派遣できるように取り計らうと、夕呼先生が言ってました。」

 武の言葉に、視線は相変わらず室内の設備に向けたまま、モトコは返事を返す。

「機密資料ね……BETA由来技術関連情報と、BETAが人間を研究した際に収集したデータ。
 それと、BETA由来の酵素などか……
 BETAは極短時間の内に、人体を遺伝子レベルで改変して、変容させる事が出来たって聞いたけど、間違いないわね?」

「はい。間違いありません。
 心肺機能の強化や、神経や細胞の増殖、元来存在しない器官の発現。
 内分泌系まで、自在に操っていたようです。
 そして、脳幹のみとなった状態で、人間の生命活動を維持する事も……
 脳幹だけとなった状態からの身体再生は、状況証拠から可能だったのではないかと推測しているのみですが…………お願いしますモトコ先生!
 純夏を……BETAの人体実験の末に脳幹のみにされてしまった犠牲者を、真っ当な人間に戻してやって下さい!!」

 モトコの問いに淡々と答えていた武だったが、遂に堪え切れなくなったのか、語調を強めてモトコに縋りつかんばかりになって願いを告げる。
 そんな武に、半眼に細めた瞳から醒めた眼差しを注ぎつつ、モトコは口を開く。

「はいはい、感情的にならない。
 協力する意思があるからこそ、看護婦まで引き連れてこの基地に来てるのよ。
 今更断る筈が無いでしょう?
 私の抱えている患者の中に、遺伝子レベルでの身体再構成を行わない限り、完治を望めない患者がいるのよ。
 だから、私にとっても今回の話は渡りに船だったって事ね。
 それに、現行の医療技術を遥かに凌駕する再生医療の確立も、私への依頼の一部だったわね?」

 モトコに諌められた武は、深呼吸して波立った感情を落ち着かせると、モトコの問いに応える。

「はい。BETA由来技術を解析して、従来の医学の延長線上で、欠損した四肢や内臓、各種器官の再生が可能な治療方法を確立して貰いたいんです。
 BETA由来技術のままでは、機密扱いで極一部の人間しか恩恵にあずかれませんから。」

「―――そう。解かったわ。
 私の力の及ぶ範囲で、依頼に全力を尽くすわ。
 ……時間の流れるままに任せて、悲しみが風化するのを待つだけじゃ、医者の出る幕がないものね。」

 何処か遠くを見詰める様な眼差しをして、呟く様にそう告げるモトコに、武は深々と頭を下げるのであった。

 この日より、横浜基地医療部付属第0研究室―――通称モトコ研の活動が開始された。
 翌々日には、以前より横浜基地で衛生兵の任に就いていた、穂村愛美一等衛生兵が配属となり、モトコに連れられて横浜基地へとやって来て、やはり一等衛生兵に任じられた天川蛍、星乃文緒を加えた3名が、香月モトコ軍医中佐の配下となった。
 まずは設備の手配から始め、横浜基地医療部の軍医として患者の受け入れ態勢も整えねばならない。
 追々人員も増やしていくにせよ、差し当たっては4人で初動態勢を確立していく事となる。

 たった4人で発足した第0研究室ではあったが、後年この研究室からは、新機軸の医療技術が数多く発表され、殊に再生医療と遺伝子治療の分野で多くの功績を築き上げていく事になる。
 その設立が、とある一個人の切実な願いによるものであったという事実は、語り継がれる事も無く時の流れの中へと埋もれていくのであった。




[3277] 第123話 再会に臨む者、再会を望む者
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:11

第123話 再会に臨む者、再会を望む者

2002年03月01日(金)

 20時52分、国連軍横浜基地のシミュレーターデッキに併設された待機室では、ヴァルキリーズが夜間訓練後のミーティングを行っていた。

 本来であれば、訓練後に行うのは講評会や検討会なのだが、この所みちるは早めに訓練を切り上げ、より砕けた雰囲気の中で新任達も気楽に発言できる場として、ミーティングを週に2回程行う様にしていた。
 これは、『甲21号作戦』、『桜花作戦』、そしてBETA大規模侵攻防衛戦と、立て続けに激戦を掻い潜って来た新任達を1人前の衛士と認めた事によるものだった。

 その上でみちるは、新任達も含めて自由な発言させる事で、隊の結束をより強固にすると共に、対BETA戦術構想の部隊運用方法等を改善し、更に高度なものへと昇華させる事を目論んでいた。
 これはみちるが、今後の大陸反攻作戦に於いて、主導的立場を担う事となったオルタネイティヴ4直属部隊として、対BETA戦術構想の運用レベルで常に他部隊をリードし続ける必要があると考えているためである。

「―――それにしても、昨年の佐渡奪還からオリジナルハイヴ攻略、そして世界各地での大規模侵攻撃退とこれだけ立て続けにこなしたばかりだと言うのに、早くも次は『甲20号作戦』発動ですか。
 白銀が現れて以来、激務が随分と目白押しですね。
 まったく、これでは気の休まる暇すらないな。」

 ここ数日の訓練に関する意見が大体出尽くした所で、美冴がやや唐突に話題を転換した。
 言葉の内容は激務をぼやく様なものであったが、美冴の口元には不敵な笑みが浮かんでおり、現状をゆとりを持って受け止めている事を窺わせた。

「美冴さんが、そうおっしゃっるのも無理は無いですけれど、長期休暇も2度も頂いている訳ですから、気が休まらないのは自己管理の問題と言われてしまいそうですわね。
 それと……重要な作戦が続いている件ですけれども、やはり今後に向けた第四計画の足場固め、と言う事なのでしょうか?」

 そんな、ある意味わざとらしい美冴の言葉を受けて、微かに苦笑を滲ませながらも祷子が発言する。
 2人の発言が、部隊内の認識を摺合せ一致させる為のものだと理解したみちるは、少し思案した後状況の解説を始めた。

「む……確かに風間の言う様な意味合いもあるだろうが、白銀が言うには『甲20号作戦』が来月早々に発動されるのは、先の朝鮮半島への攻勢で設置した振動波観測網が十分に機能している内に実施したいからだそうだ。
 また、『甲20号作戦』の主力となる大東亜連合軍と帝国軍が、早期に対BETA戦術構想導入を開始した為、熟練度が高い事も作戦実施時期を早める事が出来た要因だと言っていたな。」

 みちるは、武から説明された内容を反芻しながら、『甲20号作戦』早期実施の背景を語っていく。

「他にも、『甲20号目標』を攻略し、朝鮮半島に防衛拠点を構築する事で、大陸からの帝国に向けたBETA侵攻を朝鮮半島と佐渡島基地、そしてカムチャッカ半島の3カ所で防ぐ態勢を確立し帝国本土の安全を早期確立したいという理由もあるそうだ。
 反面、『甲21号作戦』と先の大規模侵攻防衛戦で帝国軍の弾薬備蓄が底を尽きかけているという問題もあるが、こちらの方は国連を通じて世界各国から提供されるので心配はいらないとの事だった。
 まあ、ようするに、何時もの如く白銀が細部に至るまで検討に検討を重ね、万事手配した上で策定されているという事だな。」

 みちるの解説が終わると、ヴァルキリーズの面々がその内容を斟酌する中、水月が腕組みをして目を瞑り、幾度か頷いた後で口を開いた。

「ま、それでも『桜花作戦』とかと違って、作戦準備期間が2カ月あるだけましってもんよね。
 一緒に作戦に従事するのも、気心の知れた帝国軍と大東亜連合軍だし。
 統一中華が出しゃばってきたらどうしてやろうかと思ったわよ。」

 最後の統一中華の件(くだり)で、ふんっと鼻息を荒くした水月に、遙が呆れた様に呟く。

「水月ったら、あれ以来すっかり反中にそまっちゃったわね~。
 ほんと、しょうがないなあ、もう……」

 その遙の言葉を他所に、やはり腕組みをしてうんうんと頷きながら、美琴がうんざりとした口調で言葉を発した。

「う~ん、ソ連も大分組み難い相手だったけど……いずれはまた、共同作戦に従事する事になるんだよねえ?」

「あはは……鎧衣さんも、大分懲りたみたいですねぇ。」

 その様子を見て、壬姫がやや引き攣った笑いと共に、宥める様に声をかける。
 しかし、他方では、美琴の発言に深甚な怒りを誘発された者達が居た。

「―――白銀をハメようとした……許せない……」

 すっと目を眇めて彩峰が怨嗟の言葉を吐き捨てると、それを受けて智恵が発言する。
 その表情は一見すると笑顔に見えるものだったのだが……

「そうですよね~、ぜぇ~ったいに~、許せないです~。」

 そのにこやかな表情の裏から滲みでる、おどろおどろしい怨念の如き雰囲気に、隣に座っていた月恵が上体を逸らし、身を引く様にしながらも声を上げる。

「ちょ、ちょっと智恵っ! その笑顔怖いって、笑顔っ!!」

「うんうん。智恵は涼宮中尉の後を継ぐ素質がありそうだね!」

 そんな智恵の様子を、こちらは心から楽しんでいるかの如き満面の笑みを浮かべてそう晴子が評すると、透かさずこちらは何処か凄みのある笑みを浮かべた遙が、小首を傾げながら訊ねた。

「柏木少尉? それってどういう意味かな?」

 そんな遙の様子に、近くに座っていた水月と茜が反射的に身を竦ませるが、晴子は満面の笑みを欠片も崩す事無く、飽くまでもにこやかに言葉を返す。

「あはははは、やだなぁ涼宮中尉、その笑顔の継承者に決まってるじゃないですか。
 あはははは…………」

「私の笑顔が、どうかしたの? ねぇ、柏木少尉? うふ、うふふふふ……」

 晴子と遙、同じ笑い声でありながら、通常の笑い声とは一線を画す声、しかも互いに異なる質のものが2つとぐろを巻くかの如くに混じり合い、付近の面々を圧倒した。

「あ、あの遙に張り合うなんて……柏木、結構やるわね……」
「お、お姉ちゃんにまでちょっかい出すだなんて……晴子の怖い物知らず……」

 そんな2人の様子に、微かに怯えと畏敬を滲ませながら、水月と茜が呟く。
 その微かな呟きに、直ぐ脇で応酬されている晴子と遙の鬩ぎ合いを一顧だにしていなかった多恵が、茜の額に浮かぶ冷や汗を認め、小首を傾げて心配そうに訊ねる。

「んののっ?! 茜ちゃん、凄い汗かいてるけど……どうかした?」

 そんな、混沌と化してきた場に小さく溜息を洩らした後、千鶴は頭を上げると良く通る声でみちるに対して問いを放った。

「―――はぁ……まったく…………
 ―――伊隅大尉、鎧衣の疑問は私も気になる所なんですが、実際はどうなんでしょうか?」

「む……そうだな…………大陸反攻作戦の主導的役割を我ら第四計画が担うと定まった以上、白銀とその直属となる我が隊は、ほぼ全てのハイヴ攻略作戦に参加する事になるだろう。
 となれば、ソ連や中華との共同作戦は避けられんだろうな。
 なにしろ、この2カ国の領土内に在るハイヴは全体の過半数にも達するのだからな。」

 千鶴の問い掛けに、みちるも視線を遙から引き剥がし、千鶴に向き直って問いに応える。
 その内容は自明の事ではあったが、あまり積極的には受け入れたくない現実だと、千鶴をして思わせるに十分な答えであった。
 しかし、そんなみちるの答えに対して、フォローが入る。

「その辺りは如何ともし難いだろうな。
 しかし、我々が白銀をしっかりと守り抜けば済む話だ。
 余計な先入観を抱き過ぎる方が問題になりかねないぞ? 榊。」

「そうですわ、榊少尉。
 その辺りは、実働部隊である、私達の関与するレベルを超えてしまっているのだから。ね?」

 美冴と祷子がそう言って、千鶴を励ますように告げたのだが、その言葉が今度は水月を刺激してしまった。

「白銀だって、ほんとはその実働部隊の人間じゃないのっ!
 なのに、何であいつは地下に籠ってばっかで、演習に参加しないのよッ!!」

 憤懣遣る方ない様子で、そう吐き捨てる水月を、今度はみちるが宥める。

「最近放置されているからといって、そう剝れるな速瀬。
 現状、A-01の編制は白銀を除けば、我がヴァルキリーズだけだからな。
 白銀も、大陸反攻作戦の開始を前に、香月副司令の手伝いで多忙を極めるのだろう。
 中隊を私に一任して貰えているのは、信頼されている証しだと思っている。
 だから、不満があるなら、私に言え。」

 そう言いながらも、みちるは心中で自問自答していた。

(とは言ったものの、最近、副司令から任務や部隊運用に関して説明を受ける機会が激減しているな。
 そういった説明は、全て白銀から受ける様になった。
 A-01の指揮官である白銀が副司令から説明を受け、それを私に伝えていると考えるのが妥当なのだろうが、説明の大半が伝聞ではなく白銀自身の考えに立脚している様に感じられる……
 やはり、白銀は第四計画の意思決定にまで参画しているのだろうか……)

 武の公的な立場は実働部隊A-01の指揮官となっているが、対BETA戦術構想の立案や、各種装備の開発、オルタネイティヴ4最大の成果であるとされる戦術立案ユニットの実戦運用など、受け持っている内容は実に多岐に亘る。
 基本的に、部下達を纏めて鍛え上げ、下される任務の遂行に黙々と全力を尽くしてきたみちるにとって、武は自分が指揮官として成してきた立ち位置とは、また異なる場所に立っているように感じられて仕方がないのであった。

 そんなみちるの思索を他所に、武に関する話題から、武と美冴と言う珍しい組み合わせでの出向が間近に迫っている事を思い出し、祷子が隣に座る美冴へと確認する様に問いかけた。

「そう言えば……白銀少佐は、美冴さんと京都要塞へとお出かけになられるんでしたわね?
 確か……明後日でしたかしら?」

「ん? ああ、そうらしいな。まったく、なんだって私がお伴をしなくちゃならないんだ……」

 祷子の問いに、あまり気乗りがしないと言わんばかりの口調で、美冴が小声で応える。
 しかし、その言葉を耳聡く水月が聞き咎め、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべて大声を張り上げた。

「まぁあたまたっ! 宗像ぁ―――あんた、ほんとーは嬉しい癖に、痩せ我慢してんじゃないわよッ!」

 急に大声を張り上げた水月に、笑い声と言う名の心理的な盾と矛の応酬を交わしていた晴子と遙や、思索に耽りかけていたみちるを含めて、その場の全員が注目する。

「さて、何の事でしょう、速瀬中尉。
 全く、心当たりが無いのですが…………ははあ、さてはとうとう妄想と現実の見境が付かなくなりましたか。」

 注目を浴びてしまった事に内心で舌打ちをしながらも、美冴は心当たりが無いと惚けて見せ、更に水月を挑発する。
 しかし、水月は挑発には乗らずに不敵な笑みを浮かべると、晴子を自身の傍へと招く。

「んな訳ないでしょっ?! 惚けたってネタはもう割れてんのよ―――柏木っ!!」

「はいはい……えっと、どのネタですか? 速瀬中尉。」

 遙との心理戦の疲れなど、微塵も感じさせない鉄壁の笑みを浮かべて、晴子は水月の招聘に応じる。

「全部よ全部っ!」

 そして、水月の勢いに乗った威勢の良い答えを聞くと、1つ頷いて滔々と言葉を連ねて語り始める。

「了解です! まずは、今回の京都要塞出向は、そもそも『甲20号作戦』参加衛士等に対する対BETA戦術構想の教導という名目になっています。
 が、実の所重きを置かれているのは、教導後に予定されている帝国軍高級将校等に対する質疑応答にある模様です。
 で、どうして宗像中尉が選ばれたかに関しては、まず階級的に少尉を除外した後、実力順に派遣を検討していった結果、白銀少佐の不在中に隊をまとめる伊隅大尉は除外、速瀬中尉も言動が喧嘩っ早いので外された模様です。」

 最初は満足気にその言葉を聞いていた水月だったが、その内容が自身にとって耳の痛い内容になった為、顔を顰め慌てた様子で声を荒げる。

「そ、そこは良いから飛ばしなさいッ!!」

 しかし、そんな水月の剣幕も晴子はさらりと流して話を続けた。

「もう言っちゃったあとですので、悪しからず。
 ―――で、残る中尉の中で衛士としての実力的に、速瀬中尉に次ぐ実力の宗像中尉に決定したって事になっているようです……が……
 実はこれは表向きの理由で、速瀬中尉が宗像中尉とその思い人である男性衛士を再会させようと、白銀少佐にセッティングを強要した結果だと思われます。」

 晴子の話を聞いた美冴は、片眉を上げて水月を睨め付けると、殊更に抑揚を抑えた平坦な口調で語りかける。

「ほほう、速瀬中尉、そんな事をなさったんですか。」

「ちょと、柏木っ! あんた、なんだってあたしの都合の悪い事ばっかばらしてんのよッ!!」

 そんな美冴から極力視線を逸らして、水月は晴子に怒鳴り散らす。
 しかし、晴子は一向に応えない様子で受け流し、しれっとした顔で水月に応える。

「そりゃあ、全部のネタを話せって言われたからですよ。」

 ぬけぬけとそう言って柏木が浮かべた満面の笑みを見て、その余りの図太さに、周囲の面々は呆れるやら感心するやら、いずれにしても晴子の強かさを再確認するヴァルキリーズであった。

「か~し~わ~ぎぃ~!」

 今にも掴みかからんばかりとなった水月が晴子に迫るが、晴子は水月には取り合わずに言葉を続ける。
 どうやら、未だ話は途中であったようだ。

「でですね。速瀬中尉の証言によると、白銀少佐はあっさりと要求を飲んだそうです。
 京都要塞には既に帝国本土防衛軍第8師団所属の戦術機甲部隊が駐屯してるってのも確認しましたから、宗像中尉が長年想いを寄せている相手―――緑川仁中尉と4年越しで再会できるって事は、まず間違いないですね。」

 ようやく一通り話し終えたのか、晴子はこれでどうです? と言わんばかりの表情で水月に視線を投げかける。
 それを見て、水月は渋々と晴子から視線を外すと、空咳を1つして気を取り直すと、唇の左端をを吊り上げてニヤリと凄味のある笑みを浮かべ、本来の獲物である美冴に向き直り、胸を張って正面から口撃を叩き付ける。

「―――って訳よ! 宗像ぁ~、あんたは遂に、長年想いを寄せ合っていながら、BETAとの戦いの日々に間を割かれ続けた愛しい人と、感動の再会が叶うって訳よっ!
 わかったら、気合入れていきなさいよねっ!!」

 まるで自分のお陰だと言わんばかりの水月に、美冴は首を振り仕方ない人だ態度で示しつつ、水月に言い聞かせる様にして応える。

「―――速瀬中尉。私は任務で赴くんですよ?
 大体、日帰りの強行軍なんですから、そんな時間が取れるかどうかさえ疑問です。」

「うっわ~! 宗像中尉、全然動じてないよ~。
 あの、クールでありながら何処か退廃的な雰囲気が、宗像中尉の最大の魅力なんじゃないかとボクは思うな~。」

 そんな美冴の態度を見て、美琴が胸元で両手を揉み合せながら、両目を輝かせて放言する。
 それを横目に見ていた祷子は、美琴の言葉が途切れる瞬間を待って、透かさず言葉を差し挟んだ。

「―――でも、美冴さん。白銀少佐はその辺りの手回しはお得意の様ですから、了承した以上、既に手配りを済ましていらっしゃるのではないかしら?」

「―――祷子、またお前はそういう要らない事を……」

 美琴の妄言で話題が有耶無耶な方向へと転じないかと密かに期待していた美冴は、的確な状況分析に基づいた祷子の予測と、話題がずれる前に元へと引き戻す効果を兼ね備えた発言に、右手を額に当てて呻きを上げる。
 そんな祷子と美冴のやり取りに力を得たのか、水月は嵩にかかって美冴を攻め立てる。

「そーゆー事よっ! 宗像、この機会に、あんたもきっちり想いを遂げてくんのよ!!
 長年燻ぶり続けていた伊隅大尉でさえ、こないだの長期休暇できっちりと戦果を上げて来たんだから、あんたが後に続かないでどうすんのよっ!」

 が、勢いに乗って立て板に水と言葉を連ね、36mmチェーンガンの劣化ウラン弾掃射の如くに攻撃していた水月に、背後から冷やかな口撃が致命的な一撃となって襲いかかる。

「―――速瀬……ここで私を引き合いに出すとはいい度胸だ。
 そんなに貴様が居残り訓練をしたいとは知らなかったぞ。
 仕方が無い、3時間だけ付き合ってやろう。
 涼宮、すまないが、シミュレーターを再起動してくれ。」

 目を閉じ、眉を引き攣らせながら言葉を絞り出したみちるによって、一気に形勢は逆転し、水月は劣勢に追い込まれた上に退路すら断たれてしまう

「は、はい。伊隅大尉。
 ―――水月………………がんばってね?」

 愕然とする水月に、憐憫の情を込めた視線を投げつつも、遙はみちるの命を果たすべく待機室から退室して行く。
 そして、落ちた犬は叩けとばかりに、美冴も水月に対する追撃を開始する。

「伊隅大尉、そういう事なら、戦闘狂の速瀬中尉の為に私も一肌脱ぎましょう。
 御剣、彩峰、お前達も参加しないか?」

「承りましょう。」「―――了解。」

 美冴の誘いに、承諾の意を告げる冥夜と彩峰。
 2人にとって、直属の上司であり、突撃前衛長である水月は追いつき追い越すべき目標である。
 それ故に、睡眠時間が多少削られるとしても、この機会を逃すつもりは無かった。

 また、軽口を好まず、発言を控えて瞑目していた冥夜であったが、先任や仲間達の言葉は全てしっかりと聞き取っていた為、状況は十二分に把握していた。
 それ故に、水月に悪意が無かったにせよ、自ら仕掛けて破れた以上―――しかも原因は己が失言である―――敗者にかける同情の余地無しとの判断を冥夜は下していた。

「ふむ。珠瀬はどうだ?」

 が、続くみちるの発言には冥夜も瞠目し、水月に対する同情の念を抱かずには居られなかった。
 遠中近全ての間合いで高い水準の戦闘能力を発揮するみちると美冴に加え、近接戦闘で水月に迫る程の実力を付けている冥夜と彩峰、この4人だけでも水月の苦戦は必至であるのに、そこに更に狙撃に関しては最高峰に近い実力を持つ壬姫を加えると言うのだ。

「ちょっ、伊隅大尉っ! 珠瀬の狙撃は洒落になりませんって!
 や、ちょっと、お願いですから勘弁して下さいっ! こらっ! 宗像っ!!
 あんた何腕掴んでんのよっ!! 離しなさいってば………………」

 これにはさすがの水月も顔色を変え、必死に抗議し嘆願するが、その隙に何時の間にか背後に回っていた美冴に両腕を押さえられ、そのまま出口の方へと引き摺られていく。
 必死にもがく水月だったが、今度は更に彩峰に両足を持ち上げられてしまい、そのまま待機室から運び出されていった。

 その後を追いかけて、他の面々に解散を命じたみちるも待機室を出ていく。
 水月を心配した茜と、その茜から断じて離れまいとする多恵も飛び出して行き、待機室の人口は激減した。

「あらら~。速瀬中尉、連れてぇいかれちゃったね……」

「うん……『エンドレスマッチ』かな……」

 そんな賑やかな情景を、待機室の一角から遠目に生温かい目で見やった葵がのほほんと発言すると、水月の境遇に同情したものか、やや顔色を蒼褪めさせた葉子がそれに応えを返した。
 恐らくは、葉子の顔色が悪いのは、以前に葵の巻き添えで『エンドレスマッチ』をさせられた時の経験を反芻した結果であろう。

 ここで言う『エンドレスマッチ』というのは、みちるの考案になる訓練形式の1つであり、シミュレーションによる模擬戦に於いて、互いに使用する戦術機を含む装備群の増援を無尽蔵と設定し、搭乗機体が撃破されても即時増援として出現した戦術機に再搭乗して模擬戦を継続すると言う形式の通称である。
 しかも、ヴァルキリーズで行う訓練では、衛士1人が搭乗機体の他に複数の陽動支援機や随伴補給機、そして各種対BETA戦術構想装備群を運用する事になる。
 その為、補給コンテナを初めとして、陽動支援機や随伴補給機に至るまで、喪失する度に同種の装備が増援として戦域に再度投入されるのだが、多数に及ぶそれらを掌握して運用し続けるのは決して容易な事ではない。
 おまけに搭乗機体を撃破された場合には、その時点で戦域に展開していた陽動支援機と随伴補給機は同時に喪失したものとして扱われ、戦域に再投入されたものを使用しての状況再開となる。

 こうして、撃破してもされても規定時間が経過するまで延々と戦闘が終了しない事から、誰ともなく『エンドレスマッチ』と言う通称がヴァルキリーズ内で確立するに至っていた。
 まだ分隊や小隊でこの訓練を行う際には、戦術機の戦闘機動や装備群の運用などの役割を分担する事もできるのだが、単独でこれらの装備群を運用しながら戦術機での戦闘機動まで1人でこなすのは完全にオーバーワークとなる。
 これだけでも十分過酷な訓練なのだが、今回の水月の様に単独で訓練を受けさせられた上に、大抵の場合複数の衛士を相手取る羽目になるのが通例であった。
 常々、模擬戦形式の訓練を好んで見せる水月でさえも、この多対1の『エンドレスマッチ』だけは別であるとみえた。

「あの5人相手じゃ、殆ど何もさせてもらえないんじゃないかなあ。」

 今回、水月が落とされた境遇を、紫苑の呟きが端的に表していた。
 近接格闘戦闘の技量に於いては、ヴァルキリーズでも屈指の腕前を誇る水月であったが、XM3の申し子とも言える冥夜と彩峰は、急速に水月との技量の差を詰めつつある。
 しかも、各種装備群の運用能力となれば水月ではみちるや美冴には到底及ばず、これに壬姫の神がかった狙撃まで加わると、索敵に引っかかった時点で撃破されるのは時間の問題と言って良い。
 後は、撃破されるまでに相手を捕捉して損害を与えられるかが唯一の勝負所となるのだが、大抵は包囲殲滅されてしまい、運良く近接戦闘に持ち込んだとしても、冥夜と彩峰の2人を同時に相手取るとなれば相討ちにさえ持っていけない。

 そうと解かっていても尚、水月は突撃前衛長の誇りにかけて足掻き続けるだろう。
 そして、その足掻きによって更に自身の技量を向上させ、直属の部下である冥夜や彩峰、そして紫苑、多恵、月恵らB小隊員の上にトップとして君臨し続ける事であろう。
 みちるとしては、自身の意趣を晴らした上で隊の技量向上も見込める懲罰であった。

「そうだね。………………ところで、話は変わるんだけどぉね、葉子ちゃん。
 やっぱり伊隅大尉のぉ完遂した温泉作戦は魅力的だとぉ思うの~。
 わたし達も、佐伯先生と草薙先生を誘って温泉にぃ行かない~?」

 そんなみちるの考えも、水月の苦境さえもあっさりと振り払い、葵は話題を急転させる。
 その瞳には夢見る様な陶酔感が見え隠れしており、既に葵が温泉に行った気になっている事を如実に示していた。

「それは!…………でも、佐伯先生にもご都合が……」

 そんな葵の提案に、珍しく意気込んで反応してしまう葉子。
 しかし、それでも尚、まずは冷静に問題を検討しようとしてしまうのが葉子の性分である。
 その結果、直ぐに佐伯の事情を斟酌してしまい、口籠った。

 しかし、そんな葉子の気鬱を吹き飛ばす様に、明るい笑みを満面に浮かべながら葵が言い放つ。

「大丈夫だってば~、草薙先生が上手く取り計らってくれるわよ~。
 ねえ、紫苑?」

「ま、まあそうだろうね……
 ―――じゃあ、来週には帝国軍陽動支援戦術機連隊が再結成されて、対BETA戦術構想装備群の追加教導を受けにくる筈だから、その時にでも草薙先生に話してみようか。
 『甲20号作戦』が終わった後なら、休暇も取りやすそうだしね。」

 葵の発言によって佐伯が被る心労を思い、僅かに口籠った紫苑だったが、それでも今回は姉の思い付きを制止するつもりは無いらしく、実施時期も含めて具体的な行動プランを提示した。
 その言葉に、温泉旅行には及ばないものの、数日後には佐伯と実際に顔を合わせて過ごせる日々がやって来る事を思い出し、葵と葉子はほんのりと微笑みながら、期待に胸を膨らませる。

「―――そっか、来週から、また暫くぅ佐伯先生達と一緒に訓練出来るんだね。」

「…………楽しみ……」

 そんな3人の様子を、未だに待機室に残って智恵や月恵となにやら言葉を交わしていた晴子が、少し離れた場所からさり気なく見ていた。
 その表情は実に楽しげなものであったが、その視線に勘付いた紫苑に目で窘められる。
 晴子は悪戯を見つかった子供の様に少し舌先を出してばつの悪そうな顔を見せたが、直ぐに頭を軽く下げて謝意を示すと、視線を先任達3人から外すのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年03月03日(日)

 18時44分、帝国軍京都要塞の通路を、帝国本土防衛軍の衛士に案内されて歩く美冴の姿があった。

「さて、君にこの京都要塞を案内して差し上げろと上から命じられたんだけど、生憎と僕も最近この京都要塞にやってきたばかりでね。
 おまけに、君はすっかり注目の的の様だし、何処へ連れて行ったものか正直迷うよ。」

 美冴を先導する様に先に立って歩きながら、本土防衛軍第8師団第2連隊所属衛士である緑川仁中尉が、肩越しにそう語りかけて来た。

 この日、美冴は武に随伴し、『甲20号作戦』に投入される予定の帝国軍戦術機甲部隊に対する、対BETA戦術構想とその装備群の教導を実施する為にこの京都要塞へと赴いて来ていた。
 そして、駆け足ではあったが一通りの教導が終わり、夕食を済ませた武が高級士官向けの会合と称する作戦検討会へと向かってしまった為、美冴は1人PXに取り残される形となってしまう。
 しかも、その時点で『桜花作戦』の英雄を一目見ようと、PXには野次馬が雲霞の如く押し寄せてきており、憲兵隊員が野次馬を阻止していたとは言え、迂闊に席を立てる状況ではなかった。

 正直辟易としていた美冴だったが、憲兵中隊の指揮官に案内されて野次馬達の包囲網を脱し、以降の案内を任じられたと言う仁と引き合わされた。
 美冴にとって陸軍高等学校時代の先輩であり、仄かな想いを抱き続けている相手でもある仁の登場に、美冴は先日水月と晴子から聞かされた話が、武によって実行に移された事を悟らざるを得なかった。

 とは言え、面と向かって水月や武に何と言ってみた所で、仁とこうして4年越しで面と向かって再会できた事が嬉しくない訳が無い。
 思わず舞い上がってしまいそうになる自身の心を、任務中なのだからと衛士訓練校に入隊して以来培ってきた自制心と演技力を総動員して抑え付け、美冴は何とか冷めた言葉を口にしようと努める。
 しかし、その努力が実を結ぶ前に、無粋な声が横合いから挟まれてしまう。

「―――ならば、オレが代わってやろうじゃないか。え? 中尉。」
「なんだって国連軍の奴がこっちの区画に来ているんだ? ここは国連軍区画じゃないんだぞ。」
「いいじゃないか、結構美人だぞ?」
「ああ、確か国連軍は国連軍でも、横浜基地から教導とか言って来た奴じゃないですか?」
「ああ、あれか。新戦術とか言って、無人機で陽動だけして前線に出てこない臆病者向きの戦術だったな。」
「我等誇り高く勇猛な帝国軍衛士には、本来不要な戦術なのだが、それを有難がる臆病者も皆無とは言い難いのが嘆かわしいな。」

 声をかけて来たのは帝国本土防衛軍の大尉らしき男であり、その取り巻きらしい4人の帝国軍男性衛士等と共に、美冴と仁の応答も待たずに好き勝手に言葉を連ねる。
 その内容の愚劣さに美冴は眉を顰めるが、仁の立場を慮って口を噤んだ。

「―――失礼ですが、大尉殿。
 こちらの国連軍中尉をご案内するのは、要塞司令官閣下より私に下命された正式な任務となっております。
 ですので、大変申し訳ありませんが大尉殿のご要望には沿いかねます。
 それでは、任務を続行してもよろしいでしょうか?」

 男性衛士等の発言内容に一々かかずらわずに、仁は最初に投げかけられた大尉の提案ともとれる発言に絞って言葉を返す。
 その返答に要塞司令官という文言が含まれていた事で、やや鼻白んだ様子を見せた大尉だったが、それでもすんなりと身を引きはしなかった。

「む―――、いや、中尉。では、我らで貴様の任務を手伝ってやろうではないか。
 貴様は、我等と同行すれば良い。それならばきちんと任務を果たした事になろう。」

 と、尚も厚かましく言い募る大尉の耳に、聞えよがしな言葉が飛び込んできた。

「なんでぇなんでぇ、折角の雛祭りだってぇのに、随分とまた耳障りな五人囃子じゃねえか!
 なぁ、お前もそう思うだろ? お蘭よぉ。」

 それは愛らしい声色であるにも拘わらず、伝法な口調で放たれた言葉であった。
 美冴が新たな声の主へと視線を巡らせると、そこには見知った2人の女性衛士と共に、小柄な見知らぬ女性衛士の姿があった。
 どうやらこの、不敵な笑みを浮かべ腕組みをした上でこれ見よがしに首を捻って見せている、小柄な女性衛士が先程の伝法な台詞を発した人物であるようだった。

「―――なんだ貴様、脇からしゃしゃり出てきて、随分と失礼な物言いではないか中尉!
 む……共に居るのは竜崎(りゅうざき)大尉と緑川中尉ではないか。
 竜崎大尉、この人物は貴官の部下ですかな?
 先頃、貴官は陽動支援戦術機甲連隊へと選抜されていた様ですが、些か部下の躾が緩んでいるのようですな。
 ―――いや、案外と貴官やそこの緑川中尉も、選抜衛士などと呼ばれてもて囃された所為で、腑抜けてしまわれたのやもしれませんなあ。」

 先程投げかけられた言葉が余程癪に障ったのか、表情を歪めて小柄な女性衛士を叱責した大尉だったが、同行者の素姓を認めると一転して嫌味をくどくどと言い立て始めた。
 どうやらこの男性大尉は、陽動支援戦術機甲連隊や、対BETA戦術構想に対して鬱積した想いを抱え込んでいるらしく、言葉の端々にその思いが滲んでいた。
 その言葉に竜崎大尉と呼ばれた女性衛士は秀麗な顔(かんばせ)の口元に冷笑を浮かべたものの、特に反論を言い立てて男性大尉の言葉を遮る事はしなかった。

「―――大尉殿、あいつは小倉基地で特命憲兵に任じられている大上(おおがみ)です……
 上級者相手でも、全く弁えずに噛みついて来る、狂犬の様な奴ですからご留意ください……」

 そんな男性大尉に、取り巻きの部下らしき男性中尉が耳打ちする。
 しかし、男性大尉は取り巻きの忠告を鼻で笑って一蹴し、尚も言葉を連ねていく。

「特命憲兵?―――ああ、あれか。小倉基地の基地司令が特別に憲兵としての職権を委ねたとか言う奴か……
 ふん! そんな肩書、この京都要塞に来てまで通用するものか!
 それよりも今日こそ、竜崎大尉と緑川中尉に帝国軍衛士としての、あって然るべき心得と言うものを教示してやるのだ。
 選抜衛士だなどと言って、小賢しく戦場で逃げ回り、自身の身の安泰ばかりを図る事に慣れ、慢心した揚句に腕を鈍らせた愚か者共に、教訓を垂れ正しい道へと導いてやらねばな!」

 何やら傲慢な態度で嘯く男性大尉に対して、女性陣4人と仁の視線の温度は急降下を続ける。
 しかし、そんな視線に気付きもせずに、かの男性大尉の長広舌は尚も続いた。

「竜崎大尉、緑川中尉、『甲20号作戦』実施を前に先日行われた、第8師団合同シミュレーション演習での貴官らの撃破数(スコア)、あれは一体何の冗談だ?
 陽動支援戦術機甲連隊へ出向する前の貴様等のスコアとは、到底比べ物にならない為体(ていたらく)ではないか。
 貴重な戦術機を何機も預けられていながら、あの程度の戦果しか上げられぬとは、実に情けない限りだな。
 少しは貴官らが遊んでいた間にも切磋琢磨し続けて、以前の3倍以上のスコアを叩き出せるまでになった我らを見習ってはどうだ?
 大体からして、衛士足る者が自身の身の安全のみを求めて、後方に身を置き無人機で戦おうなどと言う発想自体が、貴官らの様に堕落する衛士を生み出してしまうのだ…………」

 対BETA戦術構想と陽動支援戦術機甲連隊に選抜された2人を、延々と悪し様に扱き下ろす男性大尉を他所に、美冴は仁と小声で言葉を交わしていた。

「……要するに、この大尉が言っているのは、XM3に換装した戦術機で、対BETA戦術構想に基づいて実施されたシミュレーション演習についての話なんですね?
 その演習で、しかも陽動支援下で自身が多数のBETAを撃破したにも拘らず、陽動支援を担当していたお2人が大してBETAを撃破していなかった事をあげつらって、腕が鈍った証拠だと指摘しているという訳ですか。」

「……恥ずかしながら、そう言う事になるね。
 従来の、敢闘精神を図る為に目安とされた、演習における撃破数至上主義の風潮が未だに強く残っているんだ。
 その上で、演習における上位者の多くが陽動支援戦術機甲連隊に選抜されて、『甲21号作戦』後、原隊に戻って対BETA戦術構想の教導を行った。
 その成果を図る為に行われた演習だったんだが、そこで出たスコアで選抜された衛士が陽動支援を担当した為、選抜されなかった衛士の撃破数を押し並べて下回ったものだから、なにやら自分に都合のいい勘違いをしてるんじゃないかと……」

 男性大尉の矛先が自分達から逸れているのを良い事に、状況を把握する為の意見交換をしていた美冴と仁だったが、それを男性大尉の取り巻きの一人に気付かれてしまう。

「―――おい、貴様等、何をこそこそと喋っているっ!
 大尉殿のお話を傾聴しないか!!」

「うるせぇ、うるせぇなぁ……おうおう、人が折角大人しく聞いててやれば、ピーチクパーチク囀りやがって。
 くだらねぇ、全く以ってくだらねぇぜっ!!
 これ以上、てめぇの勘違いをぶちまけたいなら、便所にでも行って続きをしろってんだ!
 どうあってもこれ以上『緑川中尉』に絡むって言うなら、任務遂行を妨害したってぇ廉(かど)で、オレの特命憲兵としての職権でしょっ引くぜ?」

 しかし、取り巻きの叱責を切っ掛けに、今度は今まで目を閉じて眉をひくひくと引き攣らせ、不愉快な表情を隠そうともせずにいながら、それでも沈黙を守っていた小柄な女性衛士―――大上中尉が、堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりに立て板に水と威勢良く捲し立てた。
 その勢いに圧倒され、腰が引けてしまった男性大尉であったが、何とか気力を掻き集めて反論する。

「―――き、貴様……上官に向かってなんだその物言いは!
 それに特命憲兵だと? そんな肩書は小倉基地でのみ認められたものだろうが!
 この京都要塞で通用する訳が………………なんだと? 通達が?」

 しかし、そんな男性大尉の反論は、取り巻きの1人が急いで囁きかけた言葉で途切れてしまう。
 唖然とした表情で、その取り巻きと大上中尉の顔を交互に見る男性大尉。
 その素振りを見て、ふんと鼻で笑った後、大上中尉はニヤリと得意げに笑って言葉を続ける。

「ところが通用しちまうんだなぁ。
 何を思ったのか、この京都要塞に着いたその日に、要塞司令官殿から直々に特命憲兵としての任命状を頂戴してるからよぉ。
 通達も回ってた筈だが、てめぇは見てなかったらしいなぁ。」

 大上中尉は、以前に小倉基地で女性衛士等に性的嫌がらせを頻繁に行っていた上官らを、配属されたばかりであるにも拘らず告発し、基地から放逐した事があった。
 その後も、未だに立場の弱かった女性兵等を中心に、弱きを助け強きを挫くと言う言葉を地でいく行動を積極的に繰り広げた。
 この行いが、当時の小倉基地司令官に気に入られ、特命として憲兵としての職責を委ねられる運びとなったのである。

 その後、大陸への派兵、BETA日本侵攻を経て、『明星作戦』後に再建された小倉基地に再度配属となると、新たな基地司令から特命憲兵に再び任じられたのである。
 この、新任少尉の無茶とも言える行いが、権力によって踏みにじられずに済んだのは、衛士訓練校時代に所属分隊の分隊長を務めていた草薙香乃との縁故が大きく寄与していた。
 因みに、この後数年をかけて、草薙は帝国陸軍及び本土防衛軍内部での女性軍人の地位向上に努めている。
 そういった意味からすれば、大上中尉は草薙の尖兵であったとも言えるだろう。

 大上中尉は、すっかり委縮してしまった5人の男性衛士等を、ここぞとばかりに追い詰める。

「てめぇら、第1連隊所属の反撥(そりばち)大尉に、中尉4人は大鼓(おおつづみ)、小鼓(こつづみ)、笛鳴(ふえなり)、謡(うたい)の4人だろ?
 そっちの素性は確りと押さえさせてもらってるからな、こちとら何時だって出るとこ出てもいいんだぜ?
 ―――解かったらとっとと尻尾巻いてけぇりなっ! ここで大人しく帰りゃあ、今回はお客人に免じて見逃してやらぁ。」

 と、大上中尉に大見得を切られた男性大尉ら5人は、すごすごとその場から立ち去って行く。
 その後ろ姿が消えるのを待ち、竜崎大尉、緑川中尉と呼ばれていた女性衛士達2人が美冴の方に向き直る。

「すっかり御無沙汰してしまいましたわね、宗像中尉。
 『桜花作戦』以降のご活躍は、報道等でかねがね伺っておりますわ。 
 伊隅大尉以下、ヴァルキリーズの皆さまも揃ってご健勝の様でなによりです。」

「美冴、うちの師団の馬鹿共が絡んで不愉快な思いをさせたわね。
 あいつら、師団司令部付の直衛部隊だとか言って、実戦じゃあろくすっぽ戦わなかった連中なのよ。
 先だっての朝鮮半島での戦いでも後方を動かなかったもんで、対BETA戦術構想の有り難味が解かってないんだ、勘弁しておくれよ。」

 この2人、竜崎麗香(れいか)大尉と緑川蘭子中尉は、帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊に選抜され、横浜基地に駐留して教導を受けていた時期にヴァルキリーズと面識を得ていた。
 中でも、仁の妹でもあり陸軍高等学校時代の美冴の同窓生でもある蘭子は、美冴を通じてヴァルキリーズと交流する機会が多かった。
 その折に、蘭子が幾度か原隊での上官である竜崎大尉を伴っていた事があり、それもあって美冴も竜崎大尉とは相応に親しくなっていたのである。

「お2人とも、お元気そうでなによりです。
 先程の大尉の件に関しては、後ほど改めて伺いたい事があるのですが、先にそちらの方を―――確か大上中尉と呼ばれていらしたようですが―――よろしかったらご紹介に与れませんか?」

 その為、美冴も和やかに挨拶を交わし、続けて件の男性大尉の件を後回しにした上で、面識の無い女性衛士の紹介を請う。
 すると、その人物―――大上中尉と同行していた2人ではなく、仁が美冴の問いに応じて紹介の労を取った。

「ああ、大上については僕の方から紹介しよう。
 衛士訓練校での同期生で、同じ分隊だった大上律子(りつこ)中尉だ。
 任官以来、同じ部隊の釜の飯を食っていて、今じゃ中隊こそ違うが同じ大隊の小隊長同士って事になるね。
 昔から妙に人望のある奴で、最初に配属された小倉基地でちょっとした騒ぎを起こした結果、基地司令に気に入られて特命憲兵なんて役職に任じられている。
 まあ、やってることは、今じゃ基地要員に対する相談役って感じだけれどね。」

「オレは大上律子。宗像中尉、あんたの噂はかねがね聞き及んでいるぜ。
 ま、よろしくな。」

 相変わらず威勢良く言葉を発すると、律子は右手を出して握手を求めて来た。
 それに応える美冴を見ながら、仁が更に言葉を続ける。

「ああ、宗像。大上は触り魔だから油断しない様にね。しかも相手は男女問わずって猛者だ。
 それから、大上。さっきは随分と強引だったじゃないか。
 僕に絡んで執拗に引き止めれば確かに任務妨害だけれど、お蘭に絡んだって任務妨害にはなりはしない。
 わざと『緑川中尉』と言って、相手の言質を取るか、お蘭も僕と同じ任務を拝命していると誤認させようとしただろ?」

「まあな! 尤も、それが上手くいかなかったとしても、奴らは最初、宗像中尉の素姓に気付いて無かったみてぇだったからな。
 対BETA戦術構想の教導をサボるかなんかしてたに違ぇねえから、そっちで攻めても良かったしよ!」

 律子は左手を腰に当て、右手を握り拳にすると、満面の笑顔を浮かべて自信満々にそう言い放つ。
 その様子に頭痛を振り払うかのように首を力なく振ると、仁は嘆く様に言葉を発する。

「はぁ……どうやらその言いっぷりからすると、事の始まりから見ていたんだね。
 となると、運良く通りすがってくれた訳でもないようだし、一体私達に何の用なのかな?」

「あ!…………いや、それはだな…………お、お蘭!」
「いきなり振らないでおくれよ、律子…………済みません、竜崎隊長、此処は一つ…………」

 にこやかな笑顔を浮かべて居ながら、何処か威圧感のある空気を身に纏って問い詰める仁に、律子と蘭子が音を上げてしまう。
 妹であり幼い頃に厳しい躾を受けた事のある蘭子も、無茶をやっては何くれとなくフォローして貰う事の多かった律子も、仁に問い詰められると弱い一面を持っているのだ。
 そんな2人の様子に、竜崎大尉は呆れた様に溜息を吐き、仁に向き直って事情を説明する。

「実を言うと、貴方が連隊長から宗像中尉の案内を命じられる所に、お蘭が居合わせたそうですの。
 それで、どうせ気の利いた案内等出来はしないだろうから、自分達でフォローをしてやろうと言いだしまして。
 それを聞いた大上さんが例によって乗り気になられて、そこから先は何時もの如しですわ。
 私は……御目付半分、興味本位半分といったところかしら。おほほほほ……」

 何食わぬ顔で、事情を説明した後、自身も興味半分で首を突っ込んでいると暴露した竜崎大尉は、上品な笑い声を洩らして煙に巻こうとする。
 それに残る2人も唱和して、京都要塞の通路に女性3人の趣の異なる笑い声が響き渡った。



 数分後、美冴と仁にお蘭、竜崎大尉、律子の3人を加えた5人は、京都要塞の室内運動場に場を移していた。

「―――で、これが気の利いた案内なんですか?」

 そう言って、人気の無い室内運動場を見廻す仁。
 その室内運動場には人工芝が張り巡らされており、硬式テニスのコートが3面設えられていた。
 京都要塞の中ではあっても、国連軍区画内ならではの施設である。
 帝国軍の施設では軟式テニスのコートにもなる、各種球技の兼用コートはあっても、硬式テニス専用コートのある施設は極少数に留まる。

 国連軍区画の施設だけあって、帝国軍の所属衛士には使用許可はおろか、立ち入り許可さえもなかなか下りない筈であるのに、何処をどうしたのか律子が使用許可を取って施設を押さえたらしい。
 その効果は抜群であり、帝国軍の野次馬達は完全に排除できたし、国連軍区画では帝国軍の軍装を纏った仁達4人の方が目立つ為、美冴の存在は過度の注目を浴びずに済んだ。

 その点では狙いは的を得ていると言えるが、これが京都要塞を案内すると言う自身の任務に相応しいと言えるのかどうか、仁としては些か悩む所である。
 とは言え、あんな不逞の輩が絡んできた以上、これも止む無しと仁は内心で割り切った。

「え? いや、ほら……どうせ、帝国軍の縄張りじゃあ、宗像中尉は注目の的で気の休まる暇もねえだろ?
 かと言って、京都要塞の外に連れ出す訳にも行かねぇし、となると国連軍区画くれえしかないじゃねえか。
 その点、ここなら時間一杯テニスで時間を潰せるしな。
 仁も宗像中尉も、陸軍高等学校時代にテニスやってたんだろ?
 そう聞いたからこそ、わざわざ苦労してここを確保したんだぜ?」

「だ、そうだよ。宗像、君さえ構わなければここで時間を潰すって事でいいかな?」

 自身にこれ以上の代案が無い以上、律子の配慮を受け入れるべく、律子自身の口から事情を説明させた後、仁は美冴の判断を仰いだ。
 美冴にとっても、仁と2人切りで無くなったと言う点で不満はあれど、久しぶりにテニスに興じる事が出来るのであれば不満は無かった。
 それ故、了承するに吝かでは無かったのだが……

「お気づかい、感謝します。
 ですが、その前に先程の一件に関して、少し伺いたい事が…………
 いえ、苦情がどうこうではなく、対BETA戦術構想に関する帝国軍衛士の意識に関してです。
 まずは―――」

 美冴はそう切り出すと、帝国軍衛士等の中に対BETA戦術構想が浸透して行くに従って発生している諸状況について、4人から事細かに聞き出していく。
 武が対BETA戦術構想の導入に際して、現場衛士等の反発について案じていた事を美冴は熟知していた。
 それ故に、ここで聞ける話の内容が、武にとって価値のある情報となるであろう事を確信し、私情を一時棚上げし、武の部下として情報収集に励む事を選択したのである。

 その結果、実際に実戦で陽動支援の恩恵を受けた経験の無い衛士等の間で、対BETA戦術構想を軽視する風潮がある事。
 それでも政威大将軍殿下のお墨付きが効を奏しており、正面切ってその実効性を疑問視したり、導入を妨害しようとする輩はまず存在しない事。
 従来のシミュレーション演習における個人撃破数を、戦績評定で重視する風潮が残っている為、陽動支援担当衛士等の働きが十分に評価され難い事など、幾つかの問題点を美冴は知る事が出来た。

 ここで美冴が知り得た情報は、横浜基地に帰還した後、武へと伝えられる事となる。
 その情報を基に、帝国軍のみならず諸国軍に導入する際の訓練課程にも修正が加えられ、対BETA戦術構想の効果がどの様に発揮されるかがより明確に認識できるような内容に改善される事へと繋がる。
 帝国軍衛士の実情について、十二分な情報を得た美冴は、その後は気心の知れた3人に律子と言う新たな知人を加えて、テニスを心行くまで楽しむ事にした。

 5人は、仁と美冴の2人がペアを組み、残りの3人がペアと審判を交代しながら、ダブルスの試合を繰り返しプレイする。
 交わす言葉は少なくとも、互いの呼吸を計りながら、仁と共にプレイしたその時間は、美冴にとって充実した時間であった。
 鋭い洞察力と、男性ならではの身体能力で仁が鉄壁の防御を引き、美冴が隙を見て鋭い一撃を加える。
 離れて過ごした長い時間など超越し、2人は見事な連携を見せて他の3人に苦笑いを浮かべさせた。

 一心不乱にプレイする美冴の心中に響く1つの言葉。
 それは、プレイを始める時に仁から告げられた、極短い懐かしい言葉。

「宗像、エースだ。エースをねらえ!」

 陸軍高等学校時代にも、仁から度々聞かされたその言葉が、今また美冴の心の中へと鮮やかに蘇っていたのだった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年04月20日(土)

 22時23分、国連軍横浜基地B20フロアの一角に設えられた研究室に、香月モトコ軍医中佐と武、そして霞の姿があった。

「霞ちゃん、白銀君、あなた達に手伝って貰ったおかげで、ようやくBETA調整用バイオプラントの機能と、炭素系生体制御技術の概略を解析し終えたわ。
 この2ヶ月間、御苦労さまだったわね。」

 一通りの作業が完了し、休憩用のソファーに深々と腰掛けたモトコは、深々と吸った煙草の紫煙を吐き出すと、満足そうにそう言って霞と武を労った。
 横浜基地医療部付属、第0研究室を立ち上げて以来約2ヶ月間。
 モトコは、機密レベルの高いこの研究室に殆ど籠り切りとなって、BETAバイオプラントの機能と、武のリーディングデータに含まれていた、BETAの人類に対する生体実験で行われた生体制御の解析に専念してきた。

 その間、第0研究室の環境整備等の雑務は3人の衛生兵に丸投げし、必要な時だけ連絡を取らせるという徹底ぶりである。
 それ故に、この基地に来てから部下となった穂村愛美衛生兵等は、配属された後1度顔を合わせて挨拶したきり、以降1度も面と向かって会っていない程であった。

 そして、このB20フロアの研究室で扱っているデータは、その機密指定レベルの高さから作業を手伝える人材も限られてしまい、この2ヶ月間を通じて主に助手を務めたのは霞であった。
 霞の情報閲覧レベルは、この基地に於いて夕呼とラダビノッド基地司令に次ぐ高さであり、凡そ接する資格の無い情報の方が少ない程である。
 その上、本人が強く共感している存在である純夏の生体再生が、この研究の成否にかかっている為、本人の強い希望もあってモトコの主任助手としての地位を確立したのである。

 その為か、時折大した用も無いのに夕呼がこの研究室に姿を現し、姉であるモトコに邪魔者扱いされて追い出されると言う珍事まで多発していた。
 そして、そんな霞に次いでモトコの助力となったのが武である。

 武は夕呼の腹心としての任務や、A-01指揮官としての務め等もあり、また去る2002年04月08日に『甲20号作戦』が実施された事もあって、実際にこの研究室に詰めていた時間は然程長くはなかった。
 しかし、殊BETA情報の詳細については武よりも詳しい者は無く、モトコの居合わせる場での作業効率こそ人並みに押さえていたものの、他の任務の傍らに作成したと称して詳細な資料を武は多数送り付けていた。
 そして、モトコの研究の進展に、これらの資料は少なからぬ貢献を果たしている。

 これらの資料作成は、オルタネイティヴ4最大の成果である戦術立案ユニットの余剰能力を活用したものであると武は説明し、戦術立案ユニットは大元のBETA情報の収集にも一役買っているのだと知らされるに至っては、モトコはその言を信じるしかなかった。
 そもそも、戦術立案ユニットの機能に関する情報自体、機密情報の最たるものである為、モトコの情報閲覧レベルでは事の真偽は判断できないのだ。
 なにか誤魔化されているとは感じながらも、モトコ自身の研究とは直接の関係が無かった為、差し当たって利はあっても害は無いと判断し、敢えて追及しなかった。

 そうして、2人の他にピアティフ中尉など、オルタネイティヴ4に深くかかわっている人々が数人入れ代り立ち替わりで助手を務める中、約2ヶ月の期間が過ぎ去った今日、ようやく一通りの解析作業が完了したのであった。

「―――それで、解析結果からすると、先の見通しはどんな感じですか?」

 モトコが身を沈めるソファーの傍らに立ち、武が恐る恐るそう訊ねる。
 それに、片眉を上げたモトコは気だるげな視線を投げかけると、煙草を一口吸ってから徐に口を開いた。

「そうね……明日から、今日までの解析結果を基にして、人類の医療技術への転用方法を探っていく事になる訳だけど……
 正直言って、人類の最先端医療技術と比較しても尚、レベルに差があり過ぎるわね。
 現状の人類の生体制御技術は、iPS細胞(人工多能性幹細胞)から移植用の細胞を培養したり、特定遺伝子を基に受精卵を作成し促成培養して生体を誕生させたりするのが精々。
 後は、強いて言えば戦傷で四肢や各種臓器を喪った兵士に、迅速に代用器官を移植する為に開発された、拒絶反応を誘発し難い疑似生体臓器の生成技術位ね。
 要するに、ある特定の機能に分化した細胞を基に、異なる種類の細胞を培養したり、受精卵の発育を促進する事は可能。
 だけれど、既に分化済みの細胞から、各々の機能に特化し分化を遂げた複数種の細胞で構成された臓器へと分化誘導したり、成長過程をすっ飛ばしていきなり成体を生成したりはできないのよ。」

 と、ここまで一気に話したモトコは、2人の聞き手が話に付いてこれているかを確認するかの様に、言葉を切って視線を上げる。
 本来であれば、ちんぷんかんぷんであったであろう武だったが、00ユニットとしての情報検索能力のお陰で、一応話の筋道程度は理解できている。
 この2ヶ月間、伊達に助手を務めて来た訳ではないと言う事もある。
 一応大丈夫そうだと判断したのか、モトコは視線を下げて話を続ける。

「つまり、例えば白銀君の髪の毛の細胞から、白銀と同じ遺伝子構造をもつ受精卵を生成し、人工環境の中で成長を促進して赤ん坊を経て通常の数倍の速度で成長させ、3分の1から5分の1の年月で20歳前後の成体にまで成長させる事は可能よ。
 勿論、成長に伴って得る筈の知識や経験、身体的な訓練過程なんかは全てすっ飛ばす事になるから、白銀君と同じ遺伝子を持ってはいても、知的発達が未熟で筋肉なんかも衰えきった人体が出来るだけ、だけどもね。
 ところが、BETAの生体制御技術では、機能設計された遺伝子を生成した後、その遺伝子を基に最初から成長した状態の成体へと分化誘導を果たす事が出来るのよ。
 この際、最初の遺伝子を白銀君の細胞にすれば、今の白銀と同年齢でも、他の年齢でも、更には筋組織の発達レベルまでも詳細に設定した通りに生成して、生成終了後即座に全力発揮可能な状態で分化誘導可能なの。」

 モトコの話を聞きながら、武は霞の方を横目で見る。
 それに気付いた霞が、大丈夫だと知らせるかのように、コクンと小さく頷いて見せた。

 ここでモトコが言っている人工環境下に於ける受精卵の成長促進は、霞達人工ESP発現体の誕生に際して常用されていた技術である。
 霞の属する第6世代に於いてこそ技術が確立したものの、初期に於いては育成不良によって多くが誕生前後に廃棄されたと言う。
 それを知っている武が、霞を案じ、それを察知した霞が、武を安心させようとしたのであった。

 しかし、それは置いておくとしても、モトコの言う成長過程を経ずして成体を即時稼働可能なレベルで生成できると言う話は、尋常ではない話である。
 人間は誕生後に多くの時間を経なければ身動きさえままならない。
 動物であれば、誕生後すぐに立ち上がる事が可能な種も居るが、それでさえ胎内で少なからぬ期間を成長に当てている。

 BETAの個体が生成されるのに必要な時間は、各個体の大きさによって異なるものの、小型種の数分から大型種でも10時間前後辺りまでである。
 詰まり、人間サイズの小型種であれば、数分間で受精卵以前の細胞の状態から、赤ん坊を通り越して成人した肉体にまで成長した状態の身体が生成されると言うのだ。

「ただし、ハードウエアは完全に生成できても、知的発達だけは別の様ね。
 だから、BETAの各個体はBETA調整用バイオプラントで生成された時点では、一切の自発的活動能力を持っていないわ。
 ところが、そこを補うのがODLって訳。
 ODLを通じてBETAは行動特性、要するに疑似的な状況判断並びに対処能力を付加されて、それに従って生み出された直後から行動を開始するのよ。
 例えるなら、工場で組み立てた直後の真っ新のコンピューターに、即座に演算プログラムをインストールし、直後から演算を開始させる様なものね。
 特定の臓器を生成する場合も基本的には全く同じ。
 単に、人体を丸ごと生成するか、一部臓器だけで生成を終えるかだけ。
 その辺りは匙加減一つって訳よ。」

 モトコの話を聞いていて、武は自身の現在の身体である00ユニットの素体との類似性に苦笑を浮かべかけて押し隠す。
 素体自体は完全でも、人格転移手術を経なければ決して稼働する事の無い00ユニットの素体が、ODLによる行動特性付加まで自発的活動能力を持たないと言うBETAの個体と同類であるかの様に感じたのだ。
 そんな武の思いを漠然と感じ取ったのか、その傍らでは霞が心配そうに武を見上げていた。

「で、これだけでもいい加減呆れる位だって言うのに、更に凄まじいのが、実際に活動している生体の特定細胞に干渉して、遺伝子組み換えや分化誘導を行って、臓器を増殖させたり生体組織を変容させられるって事ね。
 良く言えば、例えば右腕を失った患者の切断面周辺の細胞に干渉して、そこから分化誘導して喪った右手を完全に再生させる事が出来る。
 しかも、この際に筋組織や神経組織の発達レベルを調整すれば、喪う前の鍛え上げた腕よりも更に逞しい腕を再生する事すら可能よ。
 ただし、逆に悪く言うと、健全な肉体を変容させて、化け物染みた存在へと変容させてしまう危険性も同時に孕んでいるのよ。
 だから、基本的には、遺伝子の情報に任せた偶発的な細胞形成に任せた方が無難って事ね。」

 モトコの説明に武が僅かに身を乗り出す。
 喪った右手を残っている身体部位から完全に再生させる。
 その技術の延長線上にこそ、純夏の生体再生があるからだった。

 しかし、その後に続いたモトコの言葉は、1つ間違えば純夏の身体が、人ならざる奇形へと変容してしまう危険性を告げていた。
 それ故に、現在モトコが論じているのが概論的なものである事を承知の上で、武は純夏に対する処置の可能性を訊ねてしまう。

「ええと……要するに、BETA由来の生体制御技術を使用すれば、純夏は元の身体を取り戻せるんですね?」

 拙速とも言える武の問い掛けに、薄らと笑みを浮かべながらも、モトコは上目遣いに武の眼を見て応えた。

「―――随分と直截に聞くのね。
 さっきの概念論じゃ安心できないって訳かしら?
 いいわ。はっきり言ってあげるけど、BETA由来技術でなら、鑑純夏の生体再生は十分可能よ。」

「っ!!」
「ほ、本当ですか?!」

 モトコの言葉に息を飲み目を見張る霞と、喜色を満面に浮かべて声を躍らせる武。
 しかし、モトコは目を伏せると、2人を見ずしてそれには満たさねばならない条件があると告げる。

「―――ただし……それにはODLに対する命令を的確に設定できれば、って条件が付くのよね。」

「え?」
「……ODL?」

 先程もモトコの話に上がった筈の、武と霞にとっては嫌という程聞き慣れた名称が登場し、2人は唖然とする。
 十分に知悉しているつもりであったODLの名が、何故ここで出てくるのか理解できなかったからだ。
 そんな2人の顔を見て、モトコは説明を加える。

「ほんと、ODLってのは良くできててね、調べれば調べる程感心しちゃうわ。
 BETAの生体制御技術における分化誘導を制御しているのも、実はこのODLの一種なのよ。
 まずは、ODLを経皮吸収や経口摂取等によって体内に吸収させた上で、ODLに含有されている多機能複合酵素を干渉したい細胞群へと浸透させる。
 その後、ODLから細胞分化を促進する為のエネルギー供給を兼ねて電磁波が発せられて、目標である細胞内の多機能複合酵素が活動を開始。
 その結果、その細胞はODLにプログラムされた通りの細胞へと分化誘導されて細胞分裂が始まるって訳。
 この際、細胞核の中で厳重に保護されている筈のDNAさえ、改変可能だって言うんだから凄まじいわよね。」

 モトコはBETAの生体制御技術に於ける、ODLが果たす役割について語る。
 それは正に、生体制御の中核を担うに等しい、重要な役割であった。
 そして、続けてモトコは、制御に失敗した際のリスクについて告げるのだった。

「けど、逆に言えば、全てはODLに的確な分化誘導行動がプログラムされていればの話。
 それが出来ない限り、ODLを投与しても何にも起きないか、最悪分化誘導が暴走して、どんな結果に至ってしまうかさえ想像もつかないのよ。」

「…………」

 理論上は可能だと判明したが、実施する目途は全く付かないと言外に宣言されてしまい、霞は言葉を失ってしまう。
 しかし、そんな霞とは逆に、武は勢い込んでモトコに訊ねる。

「じゃ、じゃあ、もしも……もしもですよ?
 そのODLへの命令を的確に下す方法さえ見つかれば…………」

「そう……ね、それが見つかりさえすれば、その翌日にでも生体再生は可能ね。」

 そんな武の態度に、意外そうに片眉を上げ目を見開いたモトコだったが、直ぐに気だるげな空気を身に纏い、それならば直ぐにも可能であると断言した。
 しかし、それでも尚、そんな事は些少な事に過ぎないと、自身が目指すものはより遠大なものであると、モトコは静かに告げる。

「けれど、それはBETA由来技術による治療であって、人類の医療技術によるものではないわ。
 あなた達が御執心の鑑純夏はそれでいいとしても、私は明日から、BETA由来の技術に依らずに同じ結果を導く方法を模索しなければならない。
 それには、一体どれほどの時間がかかるか知れない……
 そう言う意味では、先行きは完全に見通せないわ。
 ま、進むべき方向だけでもはっきりしているだけ、暗中模索よりはましなのだけれど、ね。」

 そんなモトコの言葉に、興奮を冷や水でも浴びせられたかのように一気に冷ました武が、暫し黙考した後、静かに力無く呟く。

「…………………………そう、ですか……」

「白銀さん…………」

 そんな武を霞が案じて見上げるが、武は何かを思い付き真剣に検討しているかのように、自身の思惟へと沈みこんでいく。
 武の様子を上目遣いで見詰めていたモトコは、溜息をひとつ吐くと、武を宥める様に声をかける。

「そんなに落ち込まなくたっていいわよ。
 人類の医療技術への転用を研究する傍ら、BETA由来技術の活用方法もちゃんと研究してあげるから。
 差し当たって、鑑純夏の再生に関しては、BETA由来技術の使用許可も夕呼から出てるからね。
 どうやら、ODLへの命令を設定する方法については、白銀君の方で心当たりがある様だから、そっちは任せるわ。
 なんらかの結果が出たら教えてちょうだい。」

 しかし、声をかけられた武の方は、思ってもみなかった言葉をかけられたかのように目を瞬きさせる。
 それでも、武はモトコの提案を素直に受け入れると、モトコに激励の言葉を返す。

「はい、解かりました。
 モトコ先生。今更ですけど、オレだって純夏さえ助かればそれで満足だなんて思ってません。
 大勢の人々に救いをもたらせるように、これからも研究を頑張ってください!」

 誰でも見知らぬ他人よりも、自身の身近にいる大切な人の安寧を優先するもの。
 そんな例を嫌と言うほど見て来たモトコは、僅かに瞳を見開いて武に意外そうな視線を向けた。
 それでも、この場では問いを重ねる事はせずに、モトコは解散を告げて最後に再び武と霞を労う。

「言われなくたって、殺されでもしない限り、この研究を放り出す気は無いわ。
 さ、今日の所はこれでお終いにしましょ。
 明日からは、暫く上の研究室の方に通うから、助手はうちの娘達で足りると思うわ。
 今日まで、本当に御苦労さんだったわね。」

 武と霞は、モトコのその言葉に深々と頭を下げると、揃って研究室を後にする。
 その足で2人が揃って向う先は唯1つ。
 B19フロアのシリンダールーム―――純夏の居る、あの部屋であった。




[3277] 第124話 カササギが身を以って天河(てんが)に架ける橋
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/01/13 17:38

第124話 カササギが身を以って天河(てんが)に架ける橋

2002年04月25日(木)

 17時32分、国連軍横浜基地、B6フロアにある医療部付属第0研究室の衛生兵詰め所に、遠慮がちな声が投げ込まれた。

「すいません。モトコ先生はいらっしゃいますか?」

 その声に、業務の申し送り中であった3人の衛生兵が、即座に声の主へと視線を向ける。
 その直後、衛生兵の一人が、悲鳴のような叫び声を上げてその人物の名を驚愕と共に呼ぶ。

「はい―――ッ!! し、白銀少佐ッ?!」

 叫び声を上げたのは、穂村愛美衛生兵であった。
 眼鏡の奥で瞳を張り裂けんばかりに見開いて、血の気の引いた顔で恐怖に慄いている。
 正に、この世の終わりか、地獄で獄卒に出くわしたかの如き怯え様であった。

 そんな愛美に、小柄な衛生兵―――天川蛍がいきなり上がった叫び声に驚きながらも、その尋常ではない様子を案じて愛美へと問いかける。

「わわわっ! ど、どうしたんですか? マナマナ。」
「耳痛ぁ~、いきなり叫ばないでよねぇ、穂村ぁ~。けど、へぇ~、あれが噂の白銀少佐かぁ~。」

 その傍らでは、背が高く気だるげな雰囲気を身に纏っていた衛生兵―――星乃文緒が、それまでと一転して生気を漲らせると、蠱惑的な視線を武へと注ぎながら、騒がしい同僚2人の陰で秘めやかな呟きを発していた。

 急に叫び声を上げ、あまつさえ怯えている様子の愛美に、少し腰が引けてはいたものの武は3人へと歩み寄る。

「ええと……オレの事は知ってるみたいだから、モトコ先生に……」

 そして、用件を告げようとした武であったが、その発言は思いっ切り深々と頭を下げながら発せられた、愛美の大声によって遮られてしまう。

「―――も、申し訳ありませんでした、白銀少佐殿ッ!!
 せ、先だってお会いした折、御無礼を働いてしまった件、どうか、どうかお許しくださいッ!」

 平身低頭しながら、必死に謝罪し許しを請う愛美の様子に、武はきょとんとした顔を浮かべ、蛍は目を丸くして、共に愛美を凝視する。
 そんな2人とは異なり、文緒は興味本位である事が明らかな表情を浮かべると、愛美に対してからかい混じりで声をかける。

「へぇ~、穂村ぁ、あんたもう少佐に唾付けてたのぉ~? 結構あんたもやるじゃ~ん。」

 その言葉に、武への謝罪も忘れた愛美は、頭を跳ね上げて文緒へと食ってかかる様に反論した。

「そ、そんな話じゃありませんっ!
 私が言っているのは、以前少佐殿が見舞いに見えた折に、ちょっとこご―――あっ、えっと、その……と、とにかく、茶化さないでくださいっ!
 私は今少佐殿に謝罪を…………あああああっ! も、申し訳ありません少佐殿ッ!
 か、重ね重ね失礼を致しましたっ! ま、誠に申し訳なく…………」

 しかし、その途中でなにやら口籠った挙句に言葉を探しあぐねると、愛美はそれを機に武への謝罪を中断して頭を上げてしまった事に気付いたらしい。
 大慌てて頭を深々と下げ直すと、謝罪の言葉を再び連ね始める。
 そんな愛美を呆気にとられて見ていた武だったが、先程の愛美の発言にあった見舞いと言う言葉でようやく愛美が何を謝罪しているのかに気付く。
 それは、武にとっては全く以って当然の行いだったのだが、確かに軍と言う階級社会に於いては相手次第でとんでもない目に遭いかねない出来ごとではあった。

 それ故に、武は慎重に、愛美を過度に刺激しない様に注意しながら語りかける。

「穂村衛生兵。もしかして、鎧衣少尉―――当時は訓練兵でしたけど―――彼女の病室で騒いでしまった時の事で謝罪しているんですか?
 もし、その件だったら謝罪は不要です。
 当時はオレも訓練兵だったし、何よりもあの時のあなたは職務を忠実に果たしただけじゃないですか。
 本当に全然気にしてませんから、謝罪なんて止めて顔を上げて下さい。」

 今回の確率分岐世界で武が愛美に初めて出会ったのは、横浜基地にやって来た翌日の2001年10月23日に、訓練中の負傷で横浜基地医療部の『病棟』に入院していた、美琴を見舞いに行った時の事であった。
 当時207Bに所属していた美琴を除く4人と共に、武はこの確率分岐世界では初対面となる美琴を見舞い、自己紹介を兼ねて自身に与えられた特殊任務―――対BETA戦術構想と新衛士訓練課程の試験運用―――について、その場の全員にまとめて説明したのだ。

 自己紹介と、任務や武自身の特殊な事情等についての説明自体は上手くいったのだが、その後が問題であった。
 最初は和やかに始まった歓談は、しかし話題が二転三転する内に何やら武にとってキナ臭い展開へと転がって行き、最終的には全員に武が責め立てられる形となっていた。
 『前の確率分岐世界群』でも似た様な事になっていた為、武は内心この騒ぎが支配的因果律と化している可能性に恐怖していたのだが、仲間達の口撃に耐えかねてとうとう絶叫するに至ってしまった。

 その大声を聞き付けて病室に現れ、騒ぎの中心が武であると即座に看破し、きつ~い説教を断行したのが愛美であった。
 武は当時訓練兵として行動していたし、実際に騒いでしまって医療部に迷惑をかけてしまったという自覚もあった為、臨時中尉としての階級を持ち出す事も無く、大人しくかつ神妙に説教を受けた。
 武にしてみれば、仕事熱心な衛生兵だよなと感心した程度の出来ごとに過ぎなかったのだが、考えてみれば愛美にとっては恐ろしい記憶と化していたのかもしれないと、この時になってようやく武は思い至る。

 愛美の立場で考えたなら、当時訓練兵であったとは言え、今や武は少佐という遥か上位の階級へと任じられている身である。
 しかも、訓練兵であった時から僅か半年にも満たない期間で少尉任官からあっと言う間に3階級を駆け上がり、その上横浜基地の最高権力者と目される夕呼に重用されているとも噂され、更には佐渡島ハイヴ攻略、オリジナルハイヴ攻略、そしてBETA大規模侵攻の撃退と立て続けに戦功を上げたA-01部隊の指揮官でもある。
 最早、横浜基地でも知らぬ者が居ないという英雄に対して、通路に正座させた上で延々と説教をした記憶ともなれば、愛美が自身の行いに恐怖し、何時か齎されるであろう報復に怯えてしまっても仕方のない事であろう。

 実際に、衛生兵はその階級の低さから、自身の階級を笠に着た士官に無理を強いられることも少なくない。
 衛生兵として短からぬ期間勤務してきた愛美は、実際にそういった目に何度も遭ってきたのであろう。
 武は自身の身近で起こっているにも拘らず、多忙にかまけて見過ごしてきた事象へと想いを馳せながらも、愛美を落ち着かせようと誠意を込めて説得を続け、蛍の助けもあって暫くすると愛美もようやく落ち着きを取り戻すのであった。



「へ~、それじゃあ少佐ぁ、あなたホントに半年前まで、訓練兵だったんだぁ~。
 なんか、めちゃくちゃスピード出世ってぇ感じぃ?」

「はやや、凄いですねっ。天川さん、尊敬しちゃいますっ。」

 愛美が落ち着きを取り戻した後、武はモトコは出かけているが直ぐに戻る予定だと聞き、モトコの帰りを衛生兵詰め所で待たせてもらう事にした。
 もてなしの合成玉露をすすりながら、3人の衛生兵らと言葉を交わす武だったが、蛍と文緒は噂に聞く若き英雄に興味津々であり、また軍属になったばかりである為か、少佐という階級にも全く物怖じせずに積極的に武へと話しかけている。
 さすがに愛美はそこまで馴れ馴れしくはなれなかったが、それでも武の人当たりが柔らかい事に安堵したのか、なんとか過度の緊張は解けていた。

 既に申し送りも終わっている為、本来であれば今日の夜番である愛美を残し、蛍は翌朝8時まで、文緒は翌日17時からの夜勤開始までは勤務時間外となっている。
 にも拘わらず、2人は滅多にない機会を逃すものかとばかりに、この場に居残って武との世間話に興じているのであった。

 現在の所、この第0研究室で担当している入院患者は居ない為、本来であれば衛生兵が24時間態勢で勤務する必要性は低い。
 しかし、モトコが研究室に泊り込み、徹夜で研究したりする事も少なくない為、日中は2人夜間は1人が常に衛生兵詰め所で待機する態勢をとっているのである。

 3人が交わす会話の内容は、武に関する話題に終始していた為、武はやや辟易としつつも苦笑いを浮かべて問い掛けに応じていた。
 が、そうこうする内に、大分気安い口調になって来ていた文緒が、婀娜めいた(あだめいた)流し目を武に向けると、どこか蕩けるような笑みを浮かべて語りかける。

「ところで少佐ぁ~、この後用事が無いんだったらぁ、私と良い事して遊ばなぁ~い?」

 横浜基地にやってくる以前から、複数の男性等と親密な関係を持っていた文緒は、配属後は滅多に基地を離れられなくなってしまった事もあり、基地の男性将兵を見繕っては、自由性交渉制度を積極的に活用していた。
 若くして少佐にまで上り詰めた優秀な衛士の癖に、どこか年相応に純情そうな武の様子に、文緒の狩猟者としての本能が猛烈に刺激されたのであろう。
 しかし、武は文緒から発している扇情的な雰囲気を浴びると、深い溜息を吐いてから言葉を発した。

「……はぁ~…………ええと、先に忠告しておきますけど、オレ相手に親密な親交を求めたりすると、情報部に身元を詳細に調査されて、親族から交友関係まで洗い浚い調べ上げられちゃいますよ?
 これでも、一応重要機密に触れている立場ですから。」

 実を言うと、武は『桜花作戦』以降、今の文緒と似たり寄ったりのお誘いを、横浜基地の女性将兵から幾度となく持ちかけられていた。
 真剣な交際を望んできた智恵と月恵さえ袖にしている身である以上、武が遊びで女性と関係を持つ訳も無く、言い寄る女性達を端から袖にする事となった。
 その際に、武が脅し半分に常用する様になったのが、この機密保持を理由とした身辺調査への言及である。

 武とのアバンチュールを望む様な、複数の男性との親しい交流を楽しむ女性達の多くは、身辺調査についての警告が武の婉曲な拒絶であると察し、それを理由に興醒めした素振りを装って身を退いていった。
 そうすれば、自身の矜持を傷付けられずに済むと悟っての行いである。
 それでも尚、前言を翻さずに強引に迫って来る女性もいるのだが、露払いと考えるならば十分に有効な手法であった。

「身元を詳細に、ねぇ……それってぇ、なんか今更って感じよねぇ…………
 モトコ先生に付いて来るって決めた時にもぉ、身辺調査が入るって言われたしぃ、何て言うかぁ、手遅れって感じぃ?
 それとも少佐ぁ、その年で夜のお遊びからは引退しちゃってるって話ぃ、本当なのぉ?」

 しかし、内容が限定されるとは言え、最高機密の一角であるBETA生体制御技術を研究するモトコに付き従って軍属となった文緒は、既に国連軍情報部の身辺調査を受けた身であった。
 その為、武の忠告など今更であり、なんら気にもかけないと、あっけらかんと言い放つ。
 そしてその上で、最近になって横浜基地要員の女性達の間で囁かれている、とある噂を口に上らせた。

「ちょ、ちょっと星乃さん! 少佐に対して非礼が過ぎますッ!!」

 文緒の言葉を聞いた愛美は、慌てて文緒を窘める。
 それは、文緒の言動を非難する形をとってはいたが、実を言えば、あまりに階級差を気にしなさ過ぎる文緒が、上官侮辱罪等に問われないようにと配慮し、庇おうとした結果であった。
 そんな愛美と文緒の間に座る蛍はと言えば、話題に取り残された子供の様に、文緒と愛美を交互に見ながら、目を丸くして物問いたげな表情を浮かべている。

「いや、オレは別にかまいませんよ、穂村さん。
 でも、星乃さんはもう少し、階級を気にして話すようにしないと、質の悪い士官に絡まれるかもしれませんよ?
 軍は極度の階級社会ですからね。」

 しかし、武は愛美に笑いかけると、自分は気にしていないから問題ないと告げ、しかし文緒に対しては不要なトラブルの元にはなると危険性を指摘する。
 ところが、文緒は武の言葉さえもケラケラと笑い飛ばしてしまう。

「解かってるって、少佐ぁ。
 私だって、士官のお姉さま方にはちゃぁんと敬語使ってるから大丈夫よぉ。
 でもぉ、エディーもスティーブも、男友達はみんな揃って、階級なんか気にするなって言うのよねぇ~。
 それよりぃ、さっきの噂って本当なのぉ? ねぇ、少佐ぁ~。」

 恐らくは横浜基地に来てからの男友達であろう人物等の言を上げながらも、一応相手に合わせた対応を心掛けていると文緒は告げ、再び好奇心に目を輝かせながら話題を武に関する噂の真偽へと戻した。
 ここで文緒が言っている噂とは、武が勃起不全であり性交渉に臨めないという噂であった。

 実を言えば、この噂の発信源は武自身であり、身辺調査をちらつかせても尚、強引に関係を迫って来る相手に対して用いた方便が大元である。
 中には武の言葉を信用せずに、半裸になって迫った豪の者も居たのだが、武は内心の動揺を押し隠して、自律神経系を直接制御して不随意反応を抑止した。
 同時に表情も制御下に於いた為、相手は自身の性的魅力が武に全く通用しなかったと思い込み、憤激しつつも撤退を選らばざるを得なかったのである。

 さすがにそこまでの事態は何度も起きはしなかったが、女性将兵等の願望によって繰り返し否定され続けながらも、噂自体は広く知られる状況となっていた。
 武としても羞恥心を強く刺激される噂ではあったのだが、ループ条件がある以上、武は誰とも性交渉を持つ意志が無い為、結果的には同じ事だろうと自身を無理矢理納得させている。
 強引な相手を諦めさせるにしろ、そういった誘いを抑止するにしろ、武にはこれに勝る手段が思い付けなかった為、断腸の思いで採用するに至っていた。
 その為、文緒の問いに対しても、武は恥ずかしげに、それでもはっきりと噂が真実であると告げる。

「う……まあ、隠し立てしても仕方ないですね。
 確かにオレは性機能障害を抱えています。ですから、星乃さんのお誘いはお断りしますね。」

 武の言葉に、文緒は眉を寄せ、実に残念そうな表情を浮かべて言い放つ。

「うわぁ~、天は二物(にもつ)を与えずって言うらしいけどぉ、いくら才能があるからって、一物(いちもつ)が役立たずなんじゃねぇ~。
 ほんっとぉ~にぃ、もったいなさ過ぎるわぁ~。」

 そんな文緒の言葉にも、武は苦笑を浮かべるだけであったが、蛍は必死に事態を改善させようと、左右の腕を振り子のようにぱたぱたと交互に体側へと振り出しながら言葉を紡ぐ。

「えっと、えっと……文緒っち、今の諺、読み方、間違ってますよ?
 ―――そ、それから、白銀少佐もあまり気に病まないでくださいねっ!
 天川さんだって、胸とかっお尻とかっ、い、色々と悩みはありますけどっ……か、欠片も気にしてませんから!
 ほ、ホントですよ? う、嘘じゃないですよっ?!」

 そして、武を慰める為の言葉を発しながら、なぜか涙目になっていく蛍。
 そんな蛍を他所に、愛美は生真面目な表情で文緒を諌める。

「星乃さん、その物言いは、衛生兵として少し配慮に欠けるのではないですか?」

「あ~、はいはい、解っかりましたぁ。
 少佐ぁ、ちょっと言い過ぎちゃったみたいぃ。ごめんなさいねぇ~。
 でもさぁ、そういう事なら、モトコ先生に相談すればばっちり治っちゃうかもしれないわよぉ~。」

 蛍と愛美の反応に、さすがに言い過ぎたと思ったのか、文緒は少し不満げな様子を見せはするものの、それでも武に謝罪した。
 そして、最後に何の気なしに付けくわえた言葉に対し、詰所の入口から応えが返る。

「―――そうね。自律神経系の損傷が原因だと言うのなら、根治の可能性はあるわ。
 でも、心因性の場合は専門外よ?」

「「「 ―――先生っ?! 」」」

 突然投げかけられた声に、3人の衛生兵が視線を向けると、そこには詰所の入口に気だるげに寄りかかったモトコの姿があった。
 驚愕する3人を他所に、モトコの接近を事前に察知していた武は、席を立って挨拶する。

「モトコ先生、お邪魔してます。少しお時間を頂けますか?」

「いいわよ、白銀君。用件は奥の研究室で聞くわ。
 あ、穂村さん。あなた、慌てて呼び出し用の通信機のスイッチ入れちゃってるみたいよ。
 だもんで、ここに戻るまでの間、あなた達の話し丸聞こえだったわ。
 ―――じゃ、白銀君、行きましょ。」

 そう言って、衛生兵詰め所を横切り、奥の扉から自身の研究室へとモトコは歩を進める。
 武はそれに追従しながら、3人の衛生兵へと笑顔で謝礼を告げる。

「お茶、御馳走さま。相手してくれてありがとな。」

 そう言い残して研究室へと姿を消した武を追った3人の視線は、扉が閉まった後も暫くの間、そのまま釘付けになっていた。



 研究室に入り、密閉扉を閉鎖した上で防諜システムを作動させたモトコは、どこか夕呼を連想させる笑みを浮かべて振り返ると、武へと問いを放った。

「で? 勃起不全の相談だったかしら?」

「違いますっ!! あれは不本意ながら興味本位で近付いて来る女性相手の方便です!
 ……普通に断るだけだと、プライドを刺激されるのか、素直に引き下がってくれないんですよね……」

 顔を真っ赤に染めて、武は即座に否定する。
 そして、情けなげな表情で愚痴る様に告げて肩を落とした。
 そんな武の様子に失笑を隠せないモトコは、からかうような言葉を投げかける。

「ふふふ、あなたも苦労してるみたいね……
 でもまあ、若き英雄ともなれば言い寄る女も星の数ってとこでしょう?
 下手な言い訳なんてしないで、後腐れの無さそうな所を見繕って、少しは遊んでみたら?」

 そんなモトコの発言に、武は苦虫を噛み潰したかの如くに顔を顰めて応じる。

「冗談は止めて下さいよ。
 1人と関係をもったが最後、なし崩しになってくのが目に見えてるじゃないですか。
 それに……オレはBETAを地球から追い払って、平和な世界を取り戻すまで、色事には手を出さないって誓ってるんです。
 真剣に交際を申し込んでくれた相手さえ断ってるのに、遊びでなんて絶対にしませんよ……」

 モトコは武の表情を見て、その言葉の裏に潜む堅固且つ深甚な決意を読み取る。
 それは、ここ数年の間に、妹である夕呼の瞳に垣間見られるようになった物と同質であるように、モトコには感じられた。
 とは言え、眼前に立つ人物は未だ10代の少年である。
 その年にしては、抱え込んでいる覚悟はあまりにも重すぎるのではないかと、モトコは危惧した。

 それ故に、モトコは憂慮に眉を顰めて武に問いかける。

「そう………………どうやら、からかっていい事柄じゃなかったみたいね。
 ―――でも大丈夫なの?
 あなただって若いんだし、木石で出来てるって訳でもないでしょう?
 我慢できるの?」

 モトコに木石と告げられた所で、一瞬自嘲する様な笑みを浮かべた武だったが、即座に笑みを消すと心底疲れ果てたといった様子を取り繕って言葉を返す。

「そうですね……でもまあ、なんとかしますよ……
 ―――それより、今日お邪魔したのはODLに生体制御プログラムを設定する方法に関してです。
 BETAから取得した情報の中にあった…………」

 そして、武はその話題から逃げる様に、話をBETA生体制御技術に関する物へと転じ、現状では自由自在とはいかないものの、生体再生に転用可能と思われる手法に関して報告を始めた。
 モトコの目には、未だに武を案じる様な光が宿っていたが、それでも話題を元へと戻す事無く、武の語る手法について検討を重ねていくのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年05月01日(水)

 20時23分、国連軍横浜基地、B19フロアの夕呼の執務室を、武は訪ねていた。

「―――てことで、日本での生活に慣れる為という名目で、鎧衣課長と繋がりのある家庭に居候させた上で、必要に応じてリーディング能力を活かして情報省の諜報活動を手伝わせているそうです。」

 この日、帝都に出向いて、悠陽や鎧衣課長と会談して情報を交換してきた武は、その内容を口頭で夕呼に報告していた。
 夕呼はその報告を気だるげな様子で聞いていたが、返す言葉は的確であった。

「ふうん。一応亡命後1カ月の監視機関を置いた後、リーディング能力の実効性を測定。
 然る後に、試用期間を経て本採用って筋書きな訳ね。
 一般家庭に寄宿させたのは、情報省の要員との接触を最低限に抑えて、情報の漏洩を避ける為か……
 それにしても、千里望(ちさと・のぞみ)だっけ?
 名前だけは日本人らしいの付けたみたいだけど、あの容姿じゃ外人だって丸解かりなのに、良く引き取ってくれる所があったわねえ。
 よっぽど、謝礼を弾んだのかしら。」

 『桜花作戦』の後処理が終わってからこっち、夕呼は明らかに精神的な余裕を取り戻していた。
 国連相手の調整や、中長期的な方針の策定、多方面に及ぶ阻害要因の予測と割り出し、BETA情報の評価・分析など、相変わらず多忙な生活をおくっている夕呼だったが、それでも以前の様な切迫感は薄れている。
 何を行うにしても、最近では時間的な余裕が取れる為、不要不急の事柄に対しても夕呼が興味を示す事が増えていた。

 この時も、ソ連から亡命してきたESP発現体―――千里望と名づけられた少女の引き取り手に対して興味が湧いたらしく、わざわざ言及してきている。
 武も労を厭わず、自身が聞いてきた範囲で、夕呼の好奇心に応える。

「いえ、それが、どうやら身寄りのない子供や、親が不在がちな子供達を預かって、私設の孤児院みたいな活動をしている家みたいなんです。
 本業は雑貨店で、越野商店と言うそうです。
 年配の父親と娘さんとでやりくりしてるようですけど、やっぱり懐事情が厳しいみたいで、鎧衣課長が商品や資金を幾らか融通してるみたいですね。
 まあ、民間協力者って奴なんでしょう。」

「このご時世に奇特な事ねえ。
 それで? 諜報活動でリーディング能力を使わせているって事は、ソ連向けの情報欺瞞も始めてるってことでしょ?
 そっちの方はどうなの?」

 一応いくらかは好奇心が満たされたのか、夕呼は本題に戻って望の活用状況を確認して来る。

「一応、今の所は米国の協力者を調べさせて、対象の中に米ソ双方に情報を流していた人物を混ぜた上でリーディングさせた結果、その後、ソ連がその人物との接触をそれとなく減らした事を確認したそうです。
 然程支障のない範囲で、ソ連にとって有用な情報も混ぜながら、ソ連での望ちゃんの情報価値を高めていくって鎧衣課長は言ってましたよ。」

 淡々と鎧衣課長から聞き取って来た状況を説明する武だったが、内心では望を道具として利用する事に、未だに抵抗を感じている。
 今回鎧衣課長から聞き取った内容に、情報省の仕事をしていない時の望が、帝国一般家庭の子供に準ずる暮らしをしており、現状に満足しているらしいという情報が含まれており、それが武にとって僅かなりとも救いとなっていた。
 武としては、現状到底手の及ばぬ深い闇の中に捉われている望の姉妹が、望の経験している極普通の日常によって少しでも慰められている事を願うばかりであった。

「そ、ようするに、使い物になりそうだって事ね。じゃ、そっちはそれでいいわ。
 ―――次は大陸反攻作戦に関してね。
 国連安保理から提出された大陸反攻作戦の作戦案は、一応国連総会でも承認されたわ。
 作戦呼称は『希望作戦』(オペレーション・グレート・ホープ)。
 年間ハイヴ攻略数を2か所に限定するって内容に対するBETA被占領各国の反発が強かったんだけど、こないだの『甲20号作戦』とその後の波及侵攻防衛で消耗された装備弾薬の量を見て、渋々納得してたわ。
 ハイヴの攻略が進んで、対BETA防衛線が押し上げられ人類の勢力圏が広がったところで、復興が終わらない内は負担が増える一方だしね。
 世界各国で装備弾薬を生産して、ハイヴ攻略作戦と対BETA防衛線の維持に必要な量を賄う事になったわ。」

 そんな武の懊悩を知ってか知らないでか、夕呼は望に関する話題を切り上げると、国連に於ける大陸反攻作戦承認へと話題を移す。

 去る04月08日に実施された『甲20号作戦』は、大東亜連合軍、極東国連軍、帝国軍が一致団結して作戦を遂行した事で順調に推移し、陽動と殲滅を繰り返した末に、ハイヴ突入部隊による速攻により反応炉の破壊に成功。
 更には、撤退していくBETAを追撃してレーザー属種を中心に多数のBETAを殲滅する事に成功した。
 装備弾薬の消耗を抑える為に、ハイヴの占領ではなく反応炉破壊を選択した『甲20号作戦』であったが、にも拘らず消耗された装備弾薬は莫大な量となった。

 それでも戦死者100名未満という犠牲の少なさから、オルタネイティヴ4の作戦立案並びに指揮能力は高く評価され、その戦術に基づいて今後の大陸反攻作戦を実施するという方針が定められたのである。
 国連安保理が総会に提出した作戦案は、こういった経緯から策定されたものであり、一刻も早く自国領土の奪還を望むBETA被占領下にある諸国も、実戦から得られたデータの前には反論も低調な物とならざるを得なかった。

 そんな経緯を、まるで他人事のように語る夕呼であったが、承認に至るまでには、国連各国に対する根回しや会議などに相当な時間と労力を費やしていた。
 しかし、そんな事はおくびにも出さずに、夕呼は説明を続ける。

「各国へのXM3の輸出も本格的に始まるし、対BETA戦術構想の導入も順次行われる予定よ。
 次のハイヴ攻略作戦は、甲26号目標―――エヴェンスクハイヴ。
 ソ連軍が素直にあたし達の作戦案に従うかどうかは怪しいけど、少なくとも実戦部隊への対BETA戦術構想の導入には、熱心に取り組む筈よ。
 とは言え、向こうに出向いて教導なんてしようものなら、不測の事態が多発しかねないから、こないだの不祥事を盾にして日本に教導を受けに部隊を派遣させるわ。
 この基地に駐留させて、こそこそと嗅ぎまわられるのも鬱陶しいから、川崎の演習場にでも間借りさせられないか帝国軍と調整中よ。」

 互いに隙を窺い、あわよくば足を掬おうとする国際社会の中でも、ソ連は強引な手法を用いる事が多い国家である。
 その為、夕呼としても様々な予防線を張り巡らせた上で対峙しようとしていた。

「ああ、その件なら内諾を貰って来ました。
 悠陽殿下は、『甲26号作戦』に限らず、大陸反攻作戦への帝国軍派兵を積極的に実施するお考えのようです。
 教導を受けにくるソ連軍実戦部隊と、事前に交流出来る良い機会だと仰ってました。」

 夕呼が帝国に依頼していた件の返答をたまたま預って来ていた武は、それに絡めて悠陽が抱く今後の展望の一端を語る。
 悠陽の方針を聞いた夕呼は、その前途を計りオルタネイティヴ4への影響を慮った。

「そ、じゃあソ連軍への教導はそれでいいわね。
 帝国軍の大陸反攻作戦への積極派兵に関しては、いくら政威大将軍殿下でも国内の意思統一には暫く時間がかかるでしょうね。
 『甲26号作戦』は帝国北方の国防に直結しているから、派兵は問題なく認められるだろうけど、さすがに欧州や中東までとなるとねえ。
 あまり出しゃばり過ぎると、今度は米国辺りが煩いだろうし……
 白銀、たしかあんたそっちの方も鎧衣と何かやってたわよね?」

「ええ、国際世論を味方に付ける為に、悠陽殿下に関する情報を各国に流布して、好意的な印象を醸成してます。
 悠陽殿下が復権されて以来、半年近く継続的に行ってきてますから、大分浸透してきてると思いますよ。
 大陸反攻作戦への派兵も、道義的側面を強調した上で行うおつもりのようですから、米国の世論もある程度は誘導できると思います。」

 夕呼の問いに応えて、武は昨年中から行っている、情報操作の成果について報告する。
 人類に対する多大な貢献を成したオルタネイティヴ4の誘致国として、世界的な注目が日本帝国へと注がれている事に乗じ、国家指導者でありながら若く美しい少女でもあり、優れた素養を多く備える悠陽と言う稀有な人物の魅力を、武と鎧衣課長は各国メディアを通じて流布していた。
 それにより、悠陽の思想や人柄について周知させ、今後成されるであろう悠陽の施策が、世界各国の世論に好意的に受け止められる下地を整えて来たのである。

「昨年中から打ってきた布石が、漸く生きて来るって訳ね。
 白銀―――事実上、帝国の御膝元だった『甲20号作戦』と違って、『甲26号作戦』がオルタネイティヴ4主導による大陸反攻作戦の試金石になるわ。」

 武の説明に頷きを返し、夕呼は帝国軍の派兵に関して容認する事とした。
 その上で、先程から話題に上がっている、次期大規模作戦である『甲26号作戦』に関して夕呼は言及する。
 その表情は冷徹極まりないものであり、武の思考の機微に至るまで全てを読み取ろうとするかのように、鋭く鋭利な視線を武へと突き立てていた。

「あんたが00ユニットとして起動する際に見たって言ってた、『前の世界群』から流入した因果情報によれば、ソ連軍は相当勝手をしたらしいじゃないの。
 それならなまじ無理矢理押さえ込むより、いっそ暴走させた上で混乱を収拾して見せて、こちらの作戦指揮能力の高さを誇示するのも1つの手よ。
 あんたが犠牲を嫌うのは解かるけど、長期的にはその方が犠牲を減らす事が出来る筈よ。
 ―――未だ時間的余裕はあるから、じっくりと考えときなさい。
 後は……大陸反攻作戦用の新装備の開発ね。一応進行状況を聞いとくわ。」

 武に対して問題を提起した夕呼だったが、この場で返答を強いる事なく話題を転じる。
 即断を要求される代わりに、熟慮を求められる様になった事に、時間的余裕が得られる様になった変化を感じつつ、武は夕呼の下問に従って装備開発状況に関して説明していく。

 前線移動司令部や、陽動支援機の部隊内運用を前提とした有人戦術機の構想から始まり、物資輸送や拠点設営の効率化、『雷神』飛行船群の内陸部での運用方法などに至るまで、武が想定し研究開発している内容は多岐に亘る。
 それらの概要は既に夕呼には説明済みである為、最近になって修正や進展があった件についてのみ武は説明して行く。
 時折、夕呼から助言や指摘を受けながら武が説明を終えたのは、それでも尚、短からぬ時間が経過した後の事であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年05月29日(木)

 21時22分、国連軍横浜基地、B6フロアの第0研究室付属病棟の通路を武は歩いていた。

 光量を押さえられた夜間照明の薄明かりに照らされた通路を、第0研究室を目指して通り抜けようとしていた武は、通路の側壁に凭れかかる様にしてうずくまっている、小柄な人影を見つけて歩み寄った。

「ふぅ……うぅ……う、うぅう……」

 近付きながら視覚情報の解像度を増幅した武は、、その人影が蛍であり、びっしりと冷や汗をかいた真っ青な顔をして蹲り、呼吸不全に陥っている事に気付く。
 即座に足を速めて駆け寄った武は、蛍を抱え込むようにして耳元で呼びかける。

「天川さん! どうしたんですかっ?!」

 しかし、蛍はその小さな背中をがくがくと小さく震わせるだけで、一向に明瞭な言葉を返しては来ない。

「うぐぅ……っ! は……はぐっ……」

 既に、意識すら朦朧としてしまっていると見てとった武は、非接触接続で緊急扱いのメールをモトコに送ると同時に声を張り上げた。

「誰かっ! 軍医か衛生兵は居ませんかぁッ!!」

 その後、第0研究室衛生兵詰め所から駆け付けた愛美の助力を受け、武は搬送用寝台車(ストレッチャー)で蛍を集中治療室へと運びこんだ。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年06月02日(日)

 19時09分、B20フロアの研究棟の1室、BETA生体制御技術の研究用に用意された部屋に、モトコと武の姿があった。

「この部屋で会うのも久しぶりですね。何の用ですか? モトコ先生。」

 モトコに呼び出された武は、なにやら作業中だったモトコが一段落するのを待って声をかけた。
 その声に、とある密封容器を実験装置から取り出したモトコは、それを手に持って振り返る。

「白銀君、この容器に入っている細胞から、人体を再生させて欲しいの。
 お願いできるかしら?」

 モトコのその言葉に、武は訝しげな顔を見せたが、それでも頷きを返す。

「え?……ええまあ、それは出来ると思いますけど……
 でもそれだと、精神活動が伴わない抜け殻の人体が出来るだけですけど、いいんですか?」

「ええ、それで構わないわ。
 後は私の方で処置するから、白銀君は再生処置と再生後の生体保存処置の設定だけしてくれるかしら。
 保存期間は……そうね、3週間ほどでいいわ。
 確か生体保存処置後は、ODLで満たされた容器に浸けておくのよね?
 再生された人体の精密検査を行いたいんだけど、短時間ならODLから出しても大丈夫だったわね?」

 先月の初め頃、武はモトコと共にODLへの生体制御プログラムの設定方法を一応確立していた。
 その後、武はモトコの要請を受けて佐渡島基地へと赴き、BETA反応炉の同位体通信ユニットに対して、とある一連のデータとコマンドトリガーをプロジェクションした。
 プロジェクションしたのは、横浜ハイヴ反応炉から取得した情報を基にしたものであり、横浜ハイヴで人類に対する生体実験が行われた際に使用された、人類を対象とした生体制御用ユニットの生成を指示するデータ及びコマンドトリガーであった。

 このプロジェクションによって、無事生成された生体制御用ユニットを武は横浜基地へと移設。
 これにより、生体制御に必要となる人類用ODLや多機能複合酵素等の生成が可能となっている。
 この生体制御用ユニットに、『桜花作戦』後に横浜ハイヴのBETA反応炉へと再接続した同位体通信ユニットを通じてプロジェクションを行い、生体制御処置を実行させる事で、モトコの要請は十分達成可能であった。

「……はい、その通りですけど、何故急にそんな事をするのか、理由を教えてもらえませんか?」

 眉を寄せて、そう問いかける武に、苦笑を浮かべてモトコは応える。

「あら……そう言えば、理由を説明してなかったわね。
 BETA生体制御技術を人類の確立している技術へと転用する研究は、外部から多機能複合酵素へとエネルギーと命令を発信する装置の設計並びに開発で躓いてしまっているの。
 このままだと、基礎研究が可能になるまででさえ、どれだけかかるか見込みが立たなくなってしまったのよ。
 だから、BETA由来技術の実用化の研究を先行して推し進めて、鑑純夏の再生に取り掛かれるだけの基礎技術の確立を優先する事にしたの。」

 純夏の名前を出されて、武は僅かに身じろぎした。
 しかし、言葉に出しては何も言わずに、武はモトコの説明に集中する。

「いきなり、鑑さんの脳幹から再生を開始して取り返しのつかない事になると不味いから、まずは人体の細胞から全身を再生してみて、その経過と再生された人体を詳細に調査しようと思ってね。
 今回の生成で満足の出来る結果が出なかった場合、問題点を洗い出したうえで再度同様の処置をお願いする事になると思うわ。
 そういう訳なんだけど、頼めるかしら?」

 武はモトコの説明をじっくりと吟味した後、説明された内容に関しては問題は無いと判断した。
 人類の確立した医療技術で純夏の再生を行いたいとのモトコの意志を受け入れて、武は純夏の早期再生を断念したという経緯がある。
 そんな武からすれば、人類の医療技術への転用研究が行き詰った結果、BETA由来技術の実用化を先行する方向への方針転換を決断してくれた事は、正直有難い事であった。

 それ故に、やや唐突な申し出であると感じながらも、武はモトコの要請を受諾し、人体細胞の再生処置を実施した。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年07月05日(金)

 08時23分、B20フロアのBETA生体制御技術研究室に、武とモトコ、そして霞の姿があった。

「それじゃあ、この通り実行するって事でいいんですね? モトコ先生。」

「―――そうね。現状で判明している限りでは、これ以上手を入れる所はないわ。」

 真剣な表情で問いかけた武に、情報端末に表示された内容を検討していたモトコが、目を細めて応える。

 先月の末頃、約1月に及んだ手術を含む療養の末、蛍は衛生兵としての職務に復帰していた。
 手術内容の詳細に関しては本人にさえ一切明らかにされてはいなかったが、文緒や愛美を初めとする同僚である衛生兵達、そして第0研究室付属病棟に入院している患者等も、そんな事には関係なく全員揃って蛍の復帰を喜んでいた。

 実を言えば、蛍に対して行われた手術は、00ユニットの稼働手順でも行われる人格転移手術であり、人格の転移は蛍の遺伝子障害に侵された元々の肉体から、遺伝子から障害を取り除いた細胞から新たに再生された肉体へと行われていた。
 武にBETA由来技術の実用化を進める為として依頼した、生体再生で使用された細胞こそが、蛍の遺伝子を操作した細胞だったのである。

 無論最初から上手くいく訳も無く、数回に亘って行われた生体再生は、最終的にはBETA由来技術によって、蛍の体細胞の核内DNAを改変したものを基に、生体再生を行う事で人格転移手術に使用可能なレベルの肉体が再生されるに至った。
 そして、術後の蛍の検査結果を踏まえ、遂に純夏に対する生体再生処置が実施される運びとなったのである。

 モトコの言葉を聞いた霞は、武と視線を合わせてはにかむ様な笑みを浮かべると、嬉しそうに話しかける。

「……白銀さん…………ようやく、純夏さんが……元の身体に戻れるんですね?」

「ああ、ようやくだ…………よし、さっそく純夏の所に行くぞ、霞!
 それじゃあモトコ先生、ありがとうございました。
 再生処置が終わったら、純夏の検査データを送信しますから、チェックの方をお願いします。」

 霞の言葉に力強い頷きを返した武は、モトコに礼を述べると、霞を引き連れて足早に研究室から立ち去って行った。
 その忙しない退場に、モトコは呆れた様な、それで居て温かみのある視線を投げかけるのであった。



 ―――それから約8時間後、B19フロアの通路では、シリンダールームのドアを前にして霞と武が睨み合っていた。

「駄目です…………」

 霞にしては常に無く大きな声でそう言って、両手を広げ武の進路を塞ぐかのように立ち塞がる霞に、武は困惑して声をかける。

「ど、どうしたんだ? 霞……」

「駄目ですっ……」

 しかし、霞は同じ言葉をより強い口調で繰り返すだけで微動だにしない。

 先程、ヴァルキリーズの演習中に純夏の生体再生完了を知らせる信号を受信した武は、以降の演習をみちるに委ね、大急ぎでB19フロアへとやって来たのだ。
 しかし、武がシリンダールームへと到着する直前に、中から飛び出してきた霞がドアの前に立ち塞がってしまい、斯くの如き状況が形成されるに至っていた。

「なあ……」「駄目です……」
「いや、あのさ霞……」「駄目ったら……駄目です……」
「……何が駄目なんだ?」「駄目駄目駄目駄目……駄目ーっ……です……」

 テンポが緩い為に気付くのが遅れはしたが、武はようやく霞の言葉が純夏の模倣である事に気付く。

(あー、この同じ単語の羅列からそこはかとなく感じ取れる馬鹿さ加減……どうやら、原因は純夏に在るみたいだな……)

 武が内心でそう呟くと、霞の髪飾りがピクッと動く。
 よくよく見てみると、霞は真剣―――と言うよりは必死な形相を浮かべているが、頬がやや色付いており、動揺しているのか視線も定まらずきょときょとと小刻みに動きまくっていた。
 武は長期戦を覚悟すると、非接触接続でシリンダールーム内に設置された自動検査システムを作動させ、秘匿回線で純夏の詳細な生体情報をモトコの情報端末へと送信する。

(よし、これで純夏に何か異常が見つかった場合は、モトコ先生が何か連絡をくれるだろう。)

 武がそう考えて一息つくと、霞はじーーーっと何かを見透かそうとするかのように、武を見上げる。
 それに気付いた武は、霞も少し落ち着いたのかと再び声をかけるのだが……

「なあ、霞……」「だから駄目です……」
「だから、理由をだな……」「とにかく駄目です……」
「説明位してくれたっていいだろ?!」「な、なにがなんでも駄目です……」
「おまえ、純夏の悪い影響受け過ぎだぞ?」「ぜ~ったい……ぜぇえ~~~ったい…………駄目ぇ~……です……」

 霞と武の、この不毛なやり取りは、その後も夕呼が通り縋るまで続いた。
 霞は夕呼の問い掛けにも真っ当な受け答えをしなかったが、夕呼がシリンダールームへと入室しようとしても、何故か妨げようとはしなかった。
 そして、シリンダールームの中を覗いた後、再び通路に姿を現した夕呼の言葉によって、この膠着状態はあっさりと解消される事となる。

「水着でも着せたら?」

 その一言を聞いた霞は、暫し考え込んだ後、コクリと頷いて武に水着の手配と、それを純夏に着せる為にピアティフ中尉を呼んで欲しいと要請。
 それを聞いた武は、ここに至ってようやく、生体再生された純夏が、何も身に纏わぬ全裸でODLの中に浮いている状態であろう事に思い至る。
 途端に顔を真っ赤に染めた武は、大慌てでピアティフ中尉に通信を繋ぐのであった。



 かくして一連の騒動の後、武は00ユニットとなり自閉モードに閉じこもってしまった純夏と別れて以来、実に久方ぶりに現実世界で純夏の姿を目の当たりにする事が出来た。
 とは言え、現時点では未だに純夏の精神は、武の催眠誘導によって深い眠りへと落とされたままである。
 このまま問題が発見されなければ、今日の残りと明日1日かけて、武のプロジェクションを用いた催眠暗示による身体機能の確認を経て、翌々日には純夏を眠りから目覚めさせる予定になっている。

 武は両目に滲んで来た涙を右手の袖で拭うと、霞を見下ろして語りかけた。

「ありがとな、霞。純夏の記憶から、オレに裸を見られたら恥ずかしがると思って、必死にオレを止めてくれたんだな。
 けどなあ、霞。頼むから純夏の言動をそのままなぞろうとするのだけは、止めてくれ……な? 頼むよ霞……」

 武の言葉を霞は嬉しそうに聞いていたが、武の懇願には首を傾げるだけで、とうとう頷く事はなかったという。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年07月07日(日)

 19時07分、国連軍横浜基地、衛士訓練学校校舎の屋上には、30前後の人影が集っていた。

「いやぁ、七夕だなんて高校の頃以来だわ~。
 去年なんて、存在自体忘れてたわよ!」

「あはははは、去年は生憎と雨が降ってて天の川も見えなかったしね。」

 夜風に揺れる笹の葉と、そこに吊り下げられた短冊がざわめく中、晴れ渡った満天の星空を見上げながら水月と遙が言葉を交わしていた。

「私が聞いた話では、去年どころか、ここ10年以上この辺りでは、七夕の日は決まって雨が降っていたそうですよ。」

「「 神宮司軍曹?! 」」

 突然背後から投げかけられた言葉に、水月と遙は反射的に背筋を伸ばして視線を向ける。
 その視線の先では、柔らかな笑みを浮かべたまりもが、軽く会釈をして詫びる。

「失礼しました。驚かせてしまいましたか?
 今夜は無礼講との事でしたので、配慮が少し足りなかったようです。申し訳ありませんでした。」

 そんなまりもや水月、遙達の周囲には、ヴァルキリーズと斯衛軍第19独立警備小隊の面々、そして2002年度横浜基地衛士訓練学校第207衛士訓練小隊に所属する訓練兵らが、共に夜空を眺めたり笹に飾られた短冊を読んで笑みを零したりして、思い思いに過ごしていた。
 訓練兵の中には、鬼教官として不動の地位を確立しているまりもが、柔らかな笑みを浮かべているのを目の当たりにしてしまい、目を擦ったり、頬をつねったりする者が続出していた。

 この日の夜、横浜基地では有志による七夕の行事が、基地内各所にて行われていた。
 その多くは、笹飾りを肴に酒を酌み交わすだけの、風流とはほど遠い集まりであったが、思いの外多くの基地要員達が物珍しげに笹飾りの周りに集っている。
 これは、訓練兵達の激励を兼ねて七夕の行事を行おうと発案し笹の手配を請け負った武が、ついでとばかりに基地内に七夕の行事についての情報を流布し、笹と短冊の入手希望者を募った結果であった。

 横浜基地に所属してるとは言え、戦時統制の中、日本古来の風習に触れる機会の少なかった基地要員にとって、武が流布した七夕の行事は大いに興味をそそられる物であったらしい。
 この日、変わった所では、B19フロアの中央作戦司令室にまでラダビノッド基地司令によって笹飾りが飾られており、寡黙な顔に何処か満足気な色を滲ませたラダビノッド基地司令が、外部モニターに映し出される星空を眺めていたりもしている。
 それはともかく、衛士訓練学校の訓練兵達にとっては、憧れの的であり目標でもあるヴァルキリーズと直に言葉を交わす機会を得られた事は僥倖であり、緊張にぎこちない挙動になりながらも、勇気を振り絞って懸命に語りかける姿が、屋上の其処彼処で散見された。

 しかし、訓練兵達に取って残念な事に、この催しの発案者であり、XM3や対BETA戦術構想の発案者である武の姿は、この場には見当たらなかった。
 その事に、内心物足りなさを感じている者はヴァルキリーズの中にも少なからずおり、時折視線を夜空から下ろすと階段室へと続く扉へと視線を投げかけていた。
 と、その時、屋上の片隅で発せられた言葉が、然程大声とも言えぬ声量であったにも拘らず、雷鳴の如くに屋上に響き渡った。

「あれぇ~? あそこにいるのって、タケルと霞ちゃんじゃない?」
「え?! 鎧衣さん、ど、何処ですか?!」

 美琴の声に、隣にいた壬姫が慌てて視線を巡らす。

「ほらあそこだよ! 武が前に言ってた伝説の木の根元。」
「あ、本当だ……でも、もう1人誰かいますね……香月副司令じゃないし、ピアティフ中尉? テスレフ少尉?」
「違う……きっと新しい女……」

 壬姫の問いに応えて、美琴が指差す先には、確かに3つの人影が見受けられた。
 壬姫は必死に目を凝らすが、星明かりだけでは武と霞をそれと認めるのが精一杯であった。
 そんな壬姫の隣に、何時の間にか姿を現していた彩峰が、ぼそりと呟く。

「えええええ?! そんな~、白銀君に限ってそんな事……」
「あ~っ、こっからじゃ良くわかんないよっ!」

 その呟きを、慌てて駆け寄って来た智恵と月恵が聞き咎め、屋上のフェンスに齧り付く様にして視線を投げかけながら、悲鳴の様な声を漏らす。
 そこへ、背後から果断な声が発せられる。

「―――よし、ならば近くによって確認すれば良いのだ。月詠、済まぬが動くぞ。」
「はっ、どうぞご随意に……」

 冥夜の下知を受け、月詠が一礼すると同時に、神代、巴、戎の3名が安全を確保する為、一足先に屋上から駈け出して行く。
 それに遅れじと、冥夜、彩峰、壬姫、美琴、智恵、月恵、そして千鶴の7人が動き始めようとしたが、自らも移動を開始しながら晴子が発した一言に、全員が絶句して凍りついたかのように動きを止めてしまう。

「いやぁ、白銀も中々隅に置けないね~。もしかして七夕の催しを発案したのって、陽動だったのかもね。」
「「「「「「「 ―――ッ!! 」」」」」」」

 その驚愕から一足先に復帰した千鶴は、みちるの許に駆け寄って、暫し席を外す旨申告を行う。

「申し訳ありません、伊隅大尉。暫く席を外させて頂きます。」
「ふっ……解かった。席を外すのは構わんが、あまり羽目を外し過ぎて、我らが指揮官殿を再起不能にしない様にな。」
「はっ、極力留意させて頂きます。では!」

 みちるは笑って千鶴の申告を了承し、ほどほどにしておけと釘を刺したが、千鶴は返答もそこそこに身を翻し、既に屋上から駈け出そうとしている仲間達の後を追った。

「おやおや、折角の風流な趣が、一気にぶち壊されてしまったな。」

「美冴さん、そんなおっしゃりようをなさらなくても……あの程度なら、微笑ましいものではないですか。
 とは言え、白銀少佐も罪作りな事をなさいますね。」

 ニヤリと笑みを浮かべた美冴が、傍らの祷子に視線を落として嘆いて見せるが、祷子は軽く窘めて視線を校舎裏の丘の方へと向ける。
 そんな会話を他所に、訓練兵達は突如として発生した騒ぎに目を丸く見開いて驚く事しかできずにいた。



 その後、猛烈な勢いで階段を駆け下り、グラウンドを全速力で駆け抜けた8名の戦乙女達が、校舎裏の丘を一気に頂上まで上り詰める。
 しかし、伝説の木の根元に辿り着いた彼女等が目にしたのは、夜風に揺れる笹とそこに飾られた短冊だけであり、人影は跡形も無く消え去った後であった。

 その場に残された笹に飾られた短冊は3枚。
 そこには、それぞれ次の様な言葉が記されていた。

 『1日も早く平和な時代に辿り着けますように』
 『想い出が一杯出来ますように』
 『どうかタケルちゃんと幸せに暮らせますように』

 満天の星空が見下ろす中、願いを込められた短冊が、ひらひらとただ夜風に舞っていた。




[3277] 第125話 織姫が地上に織りし恋模様
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/01/13 17:39

第125話 織姫が地上に織りし恋模様

2002年07月07日(日)

 19時32分、国連軍横浜基地、衛士訓練学校校舎の屋上に集う人々の間に、なにやら呆れと驚愕の入り混じった雰囲気が醸成されていた。

「まったくっ、後輩である訓練兵達の前だってのに、慌てふためいた姿曝してくれちゃって!
 あいつら、明日は思いっ切り扱いてやるわッ!」

 まるで小型台風の様に屋上を席巻し、階下へと駆け抜けていったヴァルキリーズの新任8名+αがもたらした、何とも言えない雰囲気の中、水月が忌々しげに吐き捨てる。
 しかし、その口元には優しげな微笑みが浮かんでおり、それを見て取った遙は、自身もほんわかとした笑みを浮かべて水月へと話しかける。

「あはは。でも、あの娘達の願いはちゃんと叶って欲しいよね。
 私と水月の願いは…………叶わなかったもんね……」

 遙のその言葉に、水月は暫し遙と視線を合わせた後、黙って夜空を見上げる。
 3年前の七夕の夜、水月と遙は今日と同じように2人揃って星空を見上げていた。
 BETA本土侵攻という事態を受け、任官と配属が延期されていた水月と遙は、一時的に仙台へと移設されていた衛士訓練学校に留め置かれていた。

 近く行われると言う大作戦の噂もあり、水月と遙は一足先に任官して行った同期の訓練兵達―――殊に2人して共に想いを寄せている鳴海孝之の無事を星に願った。
 しかし、その願いが叶う事は無かった。
 念願かなってようやく任官を果たし配属されたA-01部隊に於いて、孝之を初めとする同期訓練兵達の殆どが先の大作戦―――『明星作戦』に於いて戦死してしまった事を、水月と遙は無情にも知らされる事となったのだ。
 それ以来、去年も一昨年も、2人は七夕の事は努めて忘れた様に振舞い、悲しい想い出を封印してきた。

 今日も、訓練兵への激励を兼ねてという名目が無かったならば、なんやかやと言い訳して参加していなかったかもしれない。
 それでも、こうして参加し今年の訓練兵らを目の当たりにすれば、自分達が訓練兵であった頃に抱え込んでいた悲壮感の代わりに、未来への明確な希望と熱意を抱いている様子が見て取れた。
 それを見た水月と遙は、悲劇が増産されていく時代がようやく終わり、今までに支払われた悲劇の代価を得ていく時代になったのだと―――これからは終焉を押し留めるのではなく、再生を目指す時代へと入ったのだと実感する事が出来た。

 なればこそ、今宵、短冊に記された願いこそは、是非とも叶って欲しいものだと、2人は一際強く思うのであった。
 ―――が、そこまで考えた所で水月は、悪戯っぽい笑みを浮かべて遙に問いかける。

「でもさ、遙。あの娘達の願いって、誰か1人しか叶わないんじゃないの?
 白銀は1人しかいないんだし。」

「え? う、う~ん……そっか、そうなんだよね…………でも、全員の願いが叶って、幸せになって欲しいよね……
 なんとかならないのかなあ……」

 水月の言葉に真剣に悩み始める遙。
 その姿を微笑ましげに見やる水月は、それらの願いの障害となる事柄が、他にも少なからず存在する点を敢えて指摘せずにおいた。
 武の意志が言葉通りであるならば、武を慕う少女らの想いは叶わずじまいとなるかもしれない。
 また、例えそうでないとしても、少なくとも部隊指揮官と直属の部下と言う関係である間は、好意を寄せ合う程度ならまだしも恋慕で判断を誤りかねない様な関係は望ましくない。
 想いが叶う可能性は現状低く、叶ったとしてもその後に問題を生じる茨の道。
 にも拘らず、部隊の新任達の8割がその道を選び、断固として進軍しようとしている。

 それと知って尚、戦火の中で自らが選び歩んでいた道を絶たれてしまった水月としては、例え茨の道であろうと歩み続ける事が出来る後輩達を羨むと共に、遙ではないが応援したくもなるのであった。
 この夜より、遙は武へと想いを寄せる後輩達を何くれとなく応援する様になり、結果として武の悩みが増える事となる。

 一方、そんな遙と水月の様子を、少し離れた場所に立つ茜がそれとなく窺っていた。
 とは言っても、茜はその傍を片時も離れない多恵と共に数人の訓練兵達に囲まれており、彼女らが口々にかけてくる言葉や問いに応えながらであった為、時折視線を投げる程度の事ではあったが。

 本来であれば、茜は水月を尊敬し慕っている為、水月と遙の許へと行き言葉を交わしたかった。
 しかし、この七夕の催しが始まった当初から、茜は訓練兵達に取り囲まれたままである為、どうやらその願いは叶えられそうにない情勢であった。

 訓練兵達にとって紛う方なき英雄であるヴァルキリーズは、恐れ多くて話しかけ辛い事この上ない存在であった。
 それでも、まりもがヴァルキリーズの新任達全員が、去年この衛士訓練学校を卒業した先輩であると語った事で、新任達であればまだ話しかける余地もあると訓練兵らも考えるに至る。
 しかし、ここで障害として立ち塞がったのが、新任達のまとう雰囲気であった。

 新任達の多くが、武の不在に対して不満を感じており、あからさまにと言う程では無いものの、少なからず不機嫌な雰囲気を纏っていたのである。
 そうなると、訓練兵達が声をかけられそうなのは、茜と多恵、そして笑顔の陰に自身の感情を完全に押し隠している柏木の3択となる。
 そして、多恵は茜から離れない為1セットであり、対して柏木は、不機嫌な新任達の中でも殊更それが顕著に表れている智恵と月恵が一緒であった。
 この時点で、訓練兵にとって取り得る選択肢は事実上1つだけに絞られてしまったのである。
 かくして、茜は訓練兵達の相手を、一手に引き受ける羽目となり、行動の自由を奪われたのである。

 とは言うものの、茜が時折向ける視線の先で、水月と遙は余人の近寄り難き雰囲気を醸し出していた。
 少し前の、まりもと会話を交わしていた頃であればまだしも、今となっては水月を好んでからかう事の多い美冴でさえ、遠巻きにして近付こうともしない。

 『明星作戦』の後、水月と遙は2人だけでいる折に、時々今の様な空気を纏う様になった。
 恐らくは、『明星作戦』で戦死したのだという、2人が共に想いを寄せていたという男性(ひと)を偲んでいるのだろうと茜は想像している。
 2人は未だにその相手への想いを忘れられずにいる様であったが、その所為か他人の恋愛を応援したり冷やかしたりする事はあっても、自分達の新しい恋を探す事には消極的になっているように、茜には感じられる。
 出来る事ならば、なるべく早くに、2人には喪われてしまった過去を振り切ってもらい、今度こそ幸せな恋を成就させて欲しいと、茜は星に願わずにはいられないのだった。

 訓練兵達の言葉に的確な応えを返しながらも、そんな事を内心で考えている茜。
 その横では、さり気なく右手を茜の左手に絡めながら、多恵が訓練兵の言葉には碌に返事も返さずに、幸せそうな笑顔を浮かべていた。



「あ~らら~。白銀君、あの娘達の動きにぃ気付いちゃったみたいだね~。
 ほら~、丘の反対側のぉ方に下りてくよ? 葉子ちゃん、見える?」

 一方、屋上を慌ただしく後にした新任達が取り付いて騒いでいたフェンス際に、入れ代る様に歩み寄った葵が、傍らに伴なっている葉子へと話しかけた。
 その視線の先では、つい先程まで武の言う所の伝説の木の根元に立ち、海の方を向いていた3つの人影が、丘の向こうへと姿を消そうとしていた。
 それを、眼鏡越しの視線で確認した葉子は、静かに頷いて葵に言葉を返す。

「うん、見えるよ、葵ちゃん。……あの娘達……間に合いそうにないね。」

 今頃必死であの丘を目指して疾走しているであろう新任達8人を思って、葉子は気の毒そうな表情を浮かべている。
 しかし、葵はと言うと、子供のやんちゃを苦笑を浮かべて見守る母親の様な面持ちで言葉を漏らす。

「それにぃしてもあの娘達を見てると、若さを感じるわぁよね~。
 けど、何分割ぅされたとしても、0よりはましだぁって、早く気付くと良ぃいのにね。」

 その何処か達観した様な言葉に対して、葉子とは反対側から紫苑の声が発せられる。

「まあ、姉さんの場合は、佐伯先生を一回手放しちゃった訳だから、透かさず行動を共にして、苦楽を共にした草薙先生の方が圧倒的に有利だったからね。
 草薙先生が寛容な性格をしていなかったら、折角佐伯先生に再会した後だって、取り付く島もなかったかもしれないよね。」

 如何にも酸いも甘いも噛み分けた大人の女性っぽい発言をしたと、内心自画自賛していた葵だったが、紫苑の身も蓋も無い言葉に頬を膨らませると、憤然と苦情を申し立てる。

「し、紫苑~~~~っ! それは言わないぃ約束ってものでしょ~っ。」

「草薙先生には、感謝……」

 そして、そんな葵の脇では、葉子が目を伏せて、草薙に素直な感謝を捧げていた。

 昨年、佐伯と共に草薙とも再会した葵達であったが、その折に草薙があっさりと彼女達を受け入れ、佐伯の傍へと寄らせた事に3人は内心驚きを隠せなかった。
 草薙が、葵達の佐伯への恋情を歯牙にもかけないのでも無ければ、自身が身を退く訳でも無く、只々自然体で許容して見せたからである。

 これには、草薙の出生が関係していた。
 実を言えば、草薙は五摂家の当主が妾に産ませた妾腹の生れである。
 しかし、父も、本妻の子である兄達も、唯一の女児であり末子である草薙を溺愛し、五摂家衆の集まる場にも好んで伴っていた。
 また、本妻と草薙の母や他にもう1人いた妾との関係も良好であった為、草薙は1人の男性が複数の女性を愛する事に嫌悪感を抱く事なく育っている。

 その後、分家筋からのやっかみなどもあり、高校卒業を機に自身の意思で家を出た草薙は、母の姓である草薙を名乗って大学へと入学し、そのまま教鞭を執る事となったのである。
 大学進学以降の草薙は、その美貌に言い寄る男達を遠ざける為に、中性的と言うよりは男性に近い言動で振舞っており、色目を向ける事無く同僚として接してきた佐伯とは、性別を超えた友人としての友誼を育んでいた。
 その為、大学に在籍していた時期に、佐伯に対して葵や葉子、そして紫苑が交流を深めていった時も、戸惑う佐伯の様子を微笑ましげに傍観しているだけであった。

 草薙が、佐伯への友誼を慕情として表す様になったのは、佐伯が大学を退職して軍へと志願する事を決意した後であった。
 自身が背を向けてきた、国を守る為に戦に赴く武門の世界へと佐伯が身を投じると知った時に、草薙は初めて自分が佐伯に対して女としての執着を抱いている事に気付いたのである。

 それ故に、草薙は自身も佐伯と共に軍へと志願し、軍務に於いて佐伯が悪戯に損なわれる事がない様に、全力で守る事を決めた。
 その為に草薙は、家を出て以来連絡を控えていた父や兄達の支援も仰いだし、自身も必死になって軍人としての実力を身に付けていった。
 そして、そんな草薙を佐伯も良く助け、2人は軍の中で頭角を現す事となったのである。

 葵や葉子、そして紫苑は、大学時代の佐伯と草薙の淡白な関係しか知らなかったが故に、再会した時の2人の親密さに驚き、脅威を感じる事となった。
 しかし、再会から今日に至るまで、幾度かの交流を経て佐伯のみならず草薙とも親しくなった葵達は、再会に至るまでの狂おしい日々の記憶が故か、差し当たって現状に十分満足し幸せだと感じている。

 そんな葵達からすれば、恐らくは初めてであろう慕情を、一心に相手へと向ける新任達が初々しくも眩しく感じられはしたものの、慕う相手を失ってしまう可能性から目を背けているとしか思えない性急な行動に、一抹の危惧を覚えてしまうのである。
 とは言え、自分達の抱いている諦念とも呼べる感情が、世間一般とは乖離したものであるとの認識もある為、敢えてその利を新任達に説く気にもなれない。
 結局の所、葵達に出来るのは、可能な限り新任達が傷付かずに済む事を、星に願う事くらいのものなのであった。



「伊隅大尉。お初にお目にかかります。
 私は207衛士訓練小隊A分隊の七瀬凛(ななせ・りん)と申します。
 先程、先輩方が急ぎ何処かへと向かわれましたが、何事か変事でも発生したのでしょうか?
 もし、差し障りが無いようでしたらお教え下さい。」

 みちるの前に、つかつかと律動的な歩みで近付いてきた訓練兵の少女が、背筋をピンと伸ばした綺麗な姿勢で立つ。
 言葉を発する前に、右手が上がりかけて即座に下ろされた所をみると、敬礼しかけたものの今夜の催しが無礼講とされている事を思い出して抑制したようである。
 左右の耳の後ろで、ボンボン付きのゴム紐でまとめられた2筋ずつの細い髪の束が、彼女の上半身と頭部を守る触手か何かでもあるかのように、大きく上下に跳ねているのが印象的であった。
 みちるへと真っ直ぐに向けられている眼差しは涼やかで、美琴と同じ程度の身長に清冽な気迫を漲らせた、名前の通り凛とした雰囲気の少女である。

「ほほう。私の前に立つ気概のある訓練兵が、どうやら1人はいたらしいぞ、宗像。」

「誠に重畳ですね、伊隅大尉。
 折角の無礼講だと言うのに、遠巻きに眺められるだけなので、動物園の珍獣にでもなってしまった気分でしたよ。」

 屋上へとやって来て以来、初めて訓練兵から話しかけられたみちるは、右眉を上げるとニヤリと笑みを浮かべ、凛の問いには応じずに傍らに立つ宗像へと話を振る。
 それに応えた美冴の口元にも、楽しげな笑みが浮かびあがっている。
 そんな2人の様子を前に、凛のこめかみに冷や汗が浮かぶ。

 しかしそこで、そんな凛にとって救いの手となる発言が発せられる。

「伊隅大尉も、美冴さんも、折角勇気を振り絞って話しかけて来た七瀬さんをそっちのけで言葉を交わすだなんて、少し可哀想ですわ。」

 祷子のその言葉に、美冴は苦笑し、みちるは眼だけを祷子へと向けた。
 そして、みちるは凛へと視線を戻すと、笑みを幾分柔らかなものに改めて、詫びと共に先程の問いに応える。

「―――確かに風間の言うとおりだ。すまなかったな七瀬。
 で、先程の問いの答えだが、別に緊急事態が発生したとかそういった深刻な事情はまったくない。
 単に、この催しを企画しながらすっぽかした白銀少佐が、他所で女連れで過ごしていたのを見つけた新任共が、文句を言いに行っただけだ。」

「何しろ白銀少佐はモテるからな。あいつらが嫉妬に駆られ、多少暴走してしまうのも無理はないと思わないか? 七瀬。」

 何事か緊急事態でも発生したのかと懸念し、半ば義務感に駆られてみちるへと話しかけるに至っていた凛は、みちると美冴の語る話の内容に体中の力が抜けていく思いであった。
 凛はげっそりとした表情になると、目を糸のように細め、取り出したハンカチを右のこめかみに当てて汗を拭きとる。
 言葉にこそしないものの、明かされた事実に呆れ返ってうんざりしているのが、傍目にも良く解かった。

「は、はあ―――そ、そうですか、つまり恋の鞘当と言う訳ですね。
 ま、まあ確かに、先輩方もそういったお年頃ではあられるのでしょうけれど……」

 恐らくはオリジナルハイヴを攻略した武とヴァルキリーズを、人類の英雄として偶像視していたのであろう凛が、現実を知らされてその落差に戸惑っている様子を、みちると美冴、そして祷子の3人は微笑ましげに見つめる。
 この会話の後、凛はみちる達3人からあれこれと質問攻めにあう事となった。

 その中で、日本帝国防衛軍第12師団に属する戦術機甲連隊、通称『鋼の槍(スティールランス)』連隊で大隊長を務める七瀬少佐が凛の実兄である事。
 そして、その実兄に対して過剰な程の兄弟愛を抱いている事まで看破されてしまった凛は、精根尽き果てるまで精神的に弄り倒されるのであった。

 そんな教え子達の交流を、独り遠巻きに眺めながら、まりもは星へと願いをかける。
 毎年、雨天続きのこの地でも欠かさずに―――いや、七夕の夜に限らず日々願い続けたにも拘らず、殆ど叶う事の無かった変わらぬ願いを。
 教え子達が戦いの最中命を散らす事なく、少しでも長く生き続けますように―――教官となって以来、変わる事のないその願いであったが、今年は必ずや叶うに違いないとまりもは信じる事が出来た。

 まりもがこの地で訓練兵を鍛えるようになって以来、初めて晴れた七夕の夜空―――しかし、その夜空を見上げるまりもの脳裏に浮かぶのは、織姫と夏彦ではなく武の姿であった。



 多少騒がしくはあったが、それでも人々を優しく包む七夕の夜は、地上を見守る星々が傾いていくのにつれて、緩やかに更けていくのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年07月08日(月)

 05時55分、A-01への任官に伴ってB8フロアへと移った武の部屋のドアを、大小2つの人影がノックもせずに押し開き、欠片も躊躇する事なく室内へと押し入っていった。

「さ、霞ちゃん元気よく行ってみよー!!
 タケルちゃーん、朝だよ~っ!!」
「……白銀さん、朝です……起きて下さい……」

 朝から能天気な大声を叩きつけられた武は、毛布を跳ねのけて慌ててベッドから飛び起きる。
 だが、次の瞬間、声の主の姿を目にした武は、途端に脱力してベッドへとひっくり返るのであった。

「なんだ、純夏かよ~。朝っぱらから大声出すなよな~。
 何事かと思ったじゃねぇか。」

 ベッドにひっくり返ったまま、心底疲れ果てたと言わんばかりに力の抜けた声で文句を言う武。
 その言葉に、純夏は両頬を膨らませ、左右の拳を握り締めて悔しがる。

「ムキーッ! なんだってなんだよ~。
 ふ~んだ、せっかく張り切って起こしに来てあげたのに、そ~いうこと言うんだ……」

 そして、目を半眼に閉じ、上半身を前傾させた上で、唇を尖らせて拗ねた様にぐちぐちと言葉を連ね始める純夏。
 そんな純夏の脇を通り越し、霞はベッドに仰向けに倒れ込んだ武の傍まで歩み寄ると、膝の辺りをゆさゆさと揺すりながら声を上げる。

「……白銀さん、朝です……起きて下さい……」

「「 ……………… 」」

 霞のその行動により、朝っぱらから繰り広げられようとしていた幼馴染同士の大喧嘩は、未然に回避される運びとなった。



 その後、着替えを手早く済ませた武は、リーディング機能の精神波探知まで活用したお陰で、誰にも見とがめられる事なく1階のPXまで純夏と霞を伴って辿り着く事が出来た。
 着替えの最中も、純夏や霞を通路に出しておくと誰に目撃されるか判らない為、武は2人を室内で待たせたまま着替える事を選択した。
 いきなり服を脱ぎ出した武に、何を勘違いしたのか純夏が真っ赤になって騒いだとか、両手を目に当てて目隠ししたのは良いが、指と指の間の隙間が大き過ぎて目隠しの用を成していなかったとか、あれこれ騒動が起こってはいたが、この時点までは概ね武にとって満足できる展開であった。

 人間として復活を果たした純夏の扱いについては、夕呼と武で話し合った結果、京塚のおばちゃんに預けて食料班見習いとして様子を見る事に決まっている。
 霞が懐いていて離れたがらない事、武が人間でなくなっていると明かしてしまった事、BETA由来技術による再生処置を受けている事等々、夕呼と武が純夏を横浜基地に留めようと考える要因は十分過ぎる程に揃っていた。
 そこで、基本的に純夏の所属はオルタネイティヴ4とし、居室は霞と同室でB18フロアで起居する事となった。
 とは言うものの、霞と違ってオルタネイティヴ4の活動で純夏が役に立てる事は皆無だった為、日中は食料班に配属してみようと言う話になったのである。

 現在の純夏の知識や能力、そして人格は、『元の世界群』の2001年末頃の純夏と殆ど変りない状態である。
 その為、『元の世界群』ではそこそこであった料理の腕も、こちらの合成食材中心の料理に慣れるまでは不安が残る。
 そこでまずは、その辺りの見当を付ける為にも、見習いとして様子を見る事になったのであった。

 既に昨夜の内に、武は純夏と京塚のおばちゃんを引き合わせており、この日の朝食から純夏は食料班の手伝いをするという事で話はまとまっていた。
 そして、その折に霞の強い要望と言う事で相談した結果、夜の仕込みを手伝う代わりに、朝食時の仕事始めを7時からとして貰い、起床から朝食を終えるまでの間も純夏は霞と共に過ごせる事となった。
 そのお陰で今まさに、純夏は霞と共に武の左右両隣りの席を占め、一緒に朝食を摂っているのである。

「あーん……です……」
「はいタケルちゃん、こっちもあ~ん!」

 そして、武の眼前へと左右から差し出される、合成さばの切り身とご飯。
 切り身は霞、ご飯は純夏によって差し出されていた。

「………………」

 武は観念したかのように、何も言わずに黙々と差し出されたそれらを食べ、合間に自分の手で汁物を啜る。
 武達は、朝食の配膳が開始される06時30分以前からPXにやって来て、配膳開始直後に真っ先に朝食を受け取って食べ始めている。
 これは、純夏が食料班を手伝わなければならなくなる7時までに、食事を済ませなければならないと言う理由もあったが、実を言えば霞と共に摂る朝食をあまり大勢に目撃されたくない武が、去年の内から続けている習慣でもあった。
 しかし、逆に言うならば、武と霞が配膳開始直後から朝食を摂るという事は、既に知る人ぞ知る常態となっているという事も意味している。
 よって、全体的にみれば未だに閑散としているPXではあったが、物好きな一部の基地要員達がそれと承知した上で、今朝も早朝からPXに座を占めていたりもする。

「くっそぉ~っ! マイスウィ~トエンジェル・カスミだけでは飽き足らず、他の女まで!
 しかも2人同時にダブルAHHHN(あ~ん)だと?!」
「もげろ! 白銀少佐めっ、もげてしまえっ!!」
「あ、そう言えば、もげてはいないらしいけど、白銀少佐のあれって役に立たないって噂が……」
「げ……ホントかよ……そうか、それであんなに女侍らしてんのに、がっついた感じがしないんだな……」
「そっか……その所為で却って女が集まるのかもな……だとしたら何て不憫な…………」

 彼等―――そう、朝っぱらから男性のみ数人で構成された集団は、武達3人から遠からず近からずの席に、横一列に並んで朝食をもそもそと食べながら、頻りに言葉を交わしている。
 その声は小さく抑えられた物ではあったが情感に満ち満ちたものであり、視線は一様に武達3人―――主に霞へと向けられていた。

 横浜基地はG弾の後遺症による、局所的重力異常に曝されており、それによる人体への悪影響が懸念されている。
 その為、基地要員は原則として単身赴任とされ、更には衛士訓練学校等の例外を除き、未成年者の配属は極力回避する事と定められていた。
 そんな横浜基地に於いて、10歳前後に見える幼く整った容姿の霞の存在は、機密ブロックで殆どの時間を過ごしていた頃より、香月副司令の直属であるとの情報と共に広く周知されていた。

 そんな霞が昨年の末頃より、地上施設や浅い階層の一般区画で頻繁にその姿を見かけられるようになると、本人にその意思が全く無いにも拘らず、その愛らしい容姿も相俟って多くの基地要員を魅了する事となった。
 単身赴任であるが故に家族と離れている者、長く続いた戦火の中で家族を喪った者、そういった背景を持つ要員を中心に、単純に可愛い物を好む女性要員迄もを巻き込んで、霞に精神的な癒しを求める者達が増大していったのである。
 そんな者達にとって、ほぼ確実に霞の姿を目撃できるこのPXの朝食時は、貴重な機会として認識されていた。

 京塚のおばちゃんが直に取り仕切るこのPXが、以前から利用希望が殺到している事もあって、ローテーションで利用者を厳密に制限していなかったとしたならば、今頃は7時を待たずして満席となる事態を招いていたであろう。
 実際一時期は、PXの周辺通路に芸能人の出待ちよろしく人だかりが出来た事があり、憲兵隊の取り締まりにより一掃されるという事態まで発生している。
 そんな事情により、数こそ然程多くはないものの、霞と朝食を共にする武に注がれる視線は、相応の圧力を伴っているのであった。

 それでも、今日からは霞と純夏の2人掛かりで食べさせられる分、自分の食事は今まで以上に早く食べ終わる事が出来そうだと、武はそう考えて自身を慰めていた。
 にも拘わらず、そんな武のささやかな希望すら打ち砕く気配が、背後から着々と近付いて来る事に、武は嫌々ながらも気付いてしまう。
 内心を諦観で埋め尽くされながらも、武はこれから起こるであろう騒動を、甘んじて受け入れる覚悟を決めるのであった。

「ひどい……白銀君、ひどいよ~。私達には昔の恋人達が忘れられないって言ってたのに~!」
「そうだよっ! 別に他の娘選ぶななんて言わないけどさっ! それならそれで、一言くらい言ってよねっ!!」

 武の許へと歩み寄り、口々に苦情を申し立てるのは智恵と月恵であり、2人の視線は武の隣に座る純夏へと向けられている。
 その背後では、晴子がいつもの笑みを浮かべ、傍観者よろしく事態の推移を窺っていた。
 タイミング的に、少し前に純夏にせがまれてさばの切り身をあ~んで食べさせてやった場面も、恐らくは目撃されているに違いない。
 そして智恵と月恵は、その行為を目の当たりにしたが故に、純夏を武の恋人と断定したのだろうと武は察した。

 とは言うものの、現状やそこに至る諸事情こそ把握できてはいても、武に現状を打破する方策はなかった。
 そもそも、こうして純夏と霞の両方を相手にあ~んをする羽目になる事自体、武は全く予想すらしていなかったのだ。
 武が事前に予想していたのは、霞1人を相手にあ~んをしてやる自分を見て、純夏が拗ねてごねるんだろうな―――程度の予想に過ぎず、後は希望的観測として、純夏に遠慮した霞があ~んを諦めてくれると良いなと思った程度であった。

 ところが、PXの席に着いてみたところ、純夏と霞がご飯とおかずを分担して同時にあ~んしてきたのである。
 どうやら、昨夜の内に純夏と霞の間で準備万端万事調整済みであったらしい。
 これは完全に武の想定外であり、こうなっては純夏を叱り飛ばして止めさせようにも、霞の視線が痛すぎてそれも儘ならない。
 仕方なく、この状況を受け入れて、今後の対策を練っていた武だったが、この上よもや早々にヴァルキリーズのメンバーに目撃されるとは、まさに思ってもみない急展開であった。

 ここ半年の統計を見ても、ヴァルキリーズの面々が朝食を摂りにPXへとやってくるのは、7時近くなってからが殆どであった。
 にも拘らず、今朝に限って7時まで15分以上あるこの時間に3名も揃ってやって来たのは、十中八九晴子の差し金であろうと武は判断した。
 ならば、他の面々も遠からずこの場にやってくる可能性が高い。
 そういった手配りに関しては、晴子は並々ならぬ主腕を発揮するからだ。

 そんな自身の思考が、さらに武を追い詰め切迫させていく。
 武は00ユニットの超高速思考すら活かせず、堂々巡りの無為な思考の迷路に迷い込み、殆ど思考停止に近い状態へと陥っていた。
 その時、絶句している武に代わって、能天気な声が発せられた。

「えーと、あなた達、高原さんと麻倉さんだよね? それと、後ろに居るのは柏木さんでしょ?
 初めましてだね、わたしは鑑純夏。
 ヴァルキリーズのみんなの事は、タケルちゃんからよく話を聞いてるよ~。
 いつもタケルちゃんがお世話になってます!」

 武の口元に差し出していたご飯を引っ込め、ご飯茶碗に戻してテーブル上のトレイに置いた純夏は、にこにこと能天気な笑顔を浮かべて智恵と月恵、そして晴子に話しかけた。
 如何にも武と親しげなその発言内容に、智恵と月恵は眉を顰め、背後の晴子は純粋に驚いたかのように目を丸める。
 しかし、臨戦態勢に入りかけた智恵と月恵も、続いた純夏の言葉に毒気を完全に抜かれてしまう。

「―――確か、2人とも、タケルちゃんに告白して振られちゃったんだっけ?
 私も一回振られちゃったから、一緒だね~。
 タケルちゃんは、一旦決心しちゃうと頑固だから、長期戦間違いなしだけどさ、お互いめげないで2回戦を頑張ろうね!」

 自分も振られちゃったと言いながらも、純夏は欠片もめげた様子を垣間見せずに、満面の笑みで智恵と月恵に握手を求める。
 智恵と月恵が武に告白したと―――そして今も尚想いを寄せていると知った上で、敵愾心を向けもせずに激励すらしてみせる。
 そんな純夏に、気勢を完全に削がれた智恵と月恵は、状況に流されてそのまま武達3人と向かい合う席へと、力なく腰を下ろすのであった。
 それを見届けた純夏は食事―――詰まる所が武相手のダブルあ~んである―――を、何のてらいもなく再開する。

 智恵と月恵は、霞だけが相手だったが故に黙認出来たあ~んを、自分達と同年齢に見える純夏が眼前で堂々と行う様を、唖然として傍観する事しかできなかった。
 が、そこへ、何時の間にかカウンターに移動していた晴子が、3人分の朝食を1人で器用に運んで来る。
 そして、トレイを智恵と月恵、そして自分の前に置いて晴子が席に座るのを見た純夏は、悪戯っぽく眼を細めて告げる。

「あれ~? もしかして、興味あるのかな?
 ―――な、なんだったら、高原さん達もタケルちゃんにあ~んする? それともしてもらう?」

 多少どもりながらも、あっけらかんとそう告げた純夏に、智恵と月恵は動揺を隠せずに視線を泳がせてしまう、が、こういった好機を決して逃さない女傑がこの場には居た。

「え? ホントにいいの? それじゃあ、お言葉に甘えて白銀君にあ~んしてもらおっかな~。」

 純夏の言葉に、即座にそう切り返した晴子は、上半身をテーブル越しに武の方へと伸ばす。
 そして、片目を瞑って口を大きく開いたのだが、与えられたのはおかずではなく、小さいながらも決然とした声であった。

「だめです…………朝食は、私と純夏さんの時間……既得権益を主張します…………
 どうしてもしたければ…………昼食か夕食の時にして下さい……」

 じ~っと、晴子へと視線を真っ直ぐに向けたまま、そう言って退けたのは霞であった。
 そんな霞を武は驚いて見詰め、純夏はほっとしたような、どこか後ろめたい様な表情で、胸元に右手を当てて聞いていた。
 智恵と月恵までもが息を飲んでその場の推移を見守る中、霞と視線を合わせていた晴子が、降参でもするかのように両の手の平を肩の前に掲げると、上体を引き戻して苦笑を浮かべた。

「はいはい。解かったよ霞ちゃん。もうこれ以上は邪魔しないってば。
 約束するから、睨むの止めてくれないかなあ。」

 そして、霞を宥める様にそう告げた晴子に、霞も会釈を返すと真摯に謝罪し理由を告げる。

「ごめんなさい……でも、純夏さんは朝ご飯しかご一緒出来ないんです……」

「……霞ちゃん…………」「霞……」

 そんな霞に対して、純夏と武は感謝と共に、霞に気を使わせてしまった事への自責の念を滲ませた声で名を呼んだ。
 純夏は、昨夜霞から2人であ~んをしたいと言われ了承した時から、遠からず武に想いを寄せる女性から非難される事を覚悟していた。
 そして、そうなった時には、武の立場が悪くならない様に自分が既に振られている事を告げ、相手によっては自分が身を退くか、自分と同等の立場へと相手を引き寄せる事を心に決めていたのだ。

 そして、早くも予想が現実になり、しかも現れたのは自分と同様、武に一度告白して交際を断られている智恵と月恵であった。
 純夏は武を独占したいと言う気持ちを必死に押し殺し、智恵と月恵に友好的に話しかけ、果てにはあ~んまで勧めると言う暴挙にまで出たのである。
 しかし、そういった純夏の心中を全て、霞はリーディングによって察知してしまっていた。

 それ故に、霞は彼女らしくも無く強硬な物言いで、純夏の本心を代弁した。
 武を庇おうとする純夏を、霞もまた自身が盾となって庇うつもりだったのだ。
 そして、ここに至ってやっと2人の心情を悟り、武は自責の念に駆られていた。

 晴子は、そんな3人の様子を黙って興味深げに見つめ、智恵と月恵は予想外の展開が連続した為、思考と感情が上手くまとまらずに視線を泳がせている。
 期せずして、その場に沈黙の帳が下り、どことなく沈鬱な雰囲気が醸し出される。
 気まずい思いをしながらも、それを甘んじて受け入れる覚悟の純夏と霞、状況の推移を見守るだけの晴子、未だに困惑を隠せない智恵と月恵、何れも状況を打破する意志と行動力に欠けていた。

 それが解かるが故に、多少無理をしてでも自身の力で状況を打破しようとする。
 それが、良くも悪くも白銀武と言う男であった。

「―――ん? おい、純夏! お前さっさと食っちまわないと、時間が無いぞ?
 ほら、食わせてやるから口開けろ。」

「へ? あ……う、うん! じゃあ、タケルちゃん、あ~ん……」

 PXの時計に目を走らせた武が、少し慌てた様に純夏に声をかける。
 突然話を振られた純夏は、間の抜けた返事を返すが、言葉の内容を理解するなり、笑顔になって口を大きく開けた。
 それを見た武は、おまえには恥じらいってもんが足りてねえ! と、内心で突っ込みを入れながらも、予想通りの純夏の行動にほくそ笑み、純夏の口にご飯を放り込む。

「―――っ?! もがっ! ごげがごごぐぎぐごっ!!!」

 一方、武の側からのあ~んを目を閉じて待ち侘びていた純夏は、不明瞭な呻き声の様なものを上げる。
 霞は、そして智恵も月恵も、目を見開き仰天しながらも、純夏の方を凝視していた。

「あ、あはははは、な、なにやってんの、白銀君? ……あはは、おっかし~……」

 そんな中、1人晴子だけは、お腹を抱えて爆笑していた。
 そして、武はと言うと―――

「ほらっ、これもいっとけ!―――よし、噛んでいいぞ純夏…………ん? 多過ぎて口が閉じれない?
 なら手伝ってやんよ、ほらっ!」

 最初のご飯を放り込む段階で、ご飯茶碗の3分の2程の量を一気に放り込み、純夏が驚いて呻いている隙に、おかずのさばの切り身まで詰め込んだ武は、更に両手で純夏の顎と頭頂を挟み込むようにして無理矢理口を閉じさせる。
 すると、純夏は半泣きになりながらも、何とかもそもそと咀嚼を始め、暫くしてようやく大量のご飯を飲み込むと、口を開いて―――

「な、なにすんだよ、タケルちゃんっ! いっぺんにあんなにたくさん―――「ほら、純夏、あ~ん。」―――え?
 あ、あ~ん……っ?!!!!」

 ―――文句を言いたてようとした純夏だったが、その途中で武にあ~んと言われると、つい何も考えずにまた口を大きく開けてしまった。
 とは言え、純夏もその直後には、はっと気付いて口を閉じようとしたのだが、純夏が咀嚼していた間に準備万端整えていた武は、ご飯の残り3分の1にさばの切り身まで乗せた状態で、素早く純夏の口へと投入してしまう。
 その為、純夏は悔しさと恥ずかしさに咽び泣きながらも、再び大人しく咀嚼せざるを得なかった。

 生体再生を受けるに先だって、仮想現実で武からこの世界の常識をあれこれと教え込まれた純夏は、食べ物を粗末にするなど以ての外な食料事情であると理解していた為、武を怒鳴り付けるよりも口の中の食料を飲み込む事を優先せざるを得ない。
 純夏は突如として咀嚼しながら席を立つと、トレイを持って霞を挟んで武と反対側の席へと移動した。
 そして、武が何か仕掛ける前に食事を済まそうと、猛然と自分自身の手で残ったおかずと汁物をかっ込むのであった。
 そんな純夏を霞は同情の眼で見つめ、晴子はテーブルに突っ伏して笑い転げ、智恵と月恵は顔を見合わせて囁きを交わした。

「ち、智恵……あたしさっ、ああいう『あ~ん』ならっ、い、いらないかもっ!」
「―――そ、そうだね~、ちょ、ちょ~っと、私達には早いかもだね~…………」

 そんな囁きをしっかりと聞き取りながら、武はしてやったりと満足気な表情で、急いで朝食を掻き込んでいる純夏を眺めている。
 武も、純夏が懸命に自分を庇ってくれた事には深く感謝している。
 ―――間違いなく感謝してはいるのだが、仮想現実で純夏と再会したばかりの頃と違って、最近の武はすっかりと『元の世界群』での純夏との関係を取り戻してしまっていた。
 それすらも、純夏の心配りではないかと思いながらも、純夏に合わせて『元の世界群』でのやり取りを再現している内に、素直に純夏を気遣ったり、感謝したりするのに抵抗を感じる様になってしまった。

 今も、半泣きでおかずを喉に詰まらせてしまい、合成玉露で無理矢理流し込んでいる純夏を眺めつつ、武は純夏につれない態度をとってしまう自分を内心で詫びながらも、そんな『元の世界群』と同様の自分と純夏の関係に安堵を覚えていた。

「ひどいよ、ひどすぎるよ、タケルちゃんっ!
 この恨みは、絶対、ぜぇ~~~ったいっ! 忘れないんだからね~っ!!!」

 大急ぎで朝食を平らげた純夏は、顔を真っ赤に染め頬を膨らませて武を怒鳴り付けると、トレイをもって厨房の方へと立ち去ってしまった。
 それを心底嬉しそうに笑って見ている武を見上げ、霞が責める様な眼差しを向ける。

「白銀さん……酷いです…………」

「ぐはっ……わ、悪かった、霞。
 あ、後で純夏にも謝るから、そんな目で見ないでくれ。」

 今の今まで満足気だった武は、しかし霞の一言に罪悪感を掻き立てられると、すぐさま平身低頭して謝罪し懇願し始める。
 そんな武を、智恵と月恵、そして晴子の3人は呆れた様子で眺めるのであった。



 その後、みちるを先頭にヴァルキリーズの残り15名がやってきて、朝食を摂りながら晴子から事の次第を聞き始める。
 どうやら武の予想通り、晴子は智恵と月恵だけでなくみちるにも情報を流していたようで、晴子と智恵、月恵の3人は先遣隊としての任を帯びていたらしい。
 みちるを初めとしたヴァルキリーズの全員が晴子の話に傾注する中、武は敢えてそれには拘わらずに、霞にあ~んで食事を摂らせていく。
 因みに武自身の食事は、純夏が立ち去った直後には食べ終えていた。

 晴子は事実に自身の所感を混ぜつつも、軽妙に報告と言う名の噂話を提供して行く。
 その内容に虚偽は全くないのだが、晴子の所感とやらの所為で、ある事ない事言い触らされているかのような感覚を武は味わう羽目になった。
 その途中、純夏の第一声の内容を晴子が語った折に、冥夜、千鶴、彩峰、壬姫、美琴の5人がなにやら過度に反応していた事に気付いた武だったが、藪蛇になりそうな気配も感じたため見過ごしている。
 その隣では、霞が髪飾りをピクンと跳ね上げていたが、本人はただ静かに目蓋を伏せて瞑目するだけであった。

 そうこうする内に、晴子の報告もヴァルキリーズの食事も終わり、そろそろ午前中の訓練の支度にかからねばならない時刻が近付いた頃、ちらちらと視線を武に投げかけつつも決して話しかけようとしない部下達の様子に、苦笑いを浮かべながらみちるが口を開く。

「―――さて、白銀少佐。
 社が親しく接した上で庇ったとなれば、私達が悪戯に触れて良い人物か否か判断に迷う所なのですが、今後どう接すればよいものかご説明いただけるでしょうか?」

 口調は丁寧ながら、剣呑な光を視線に籠めてにこやかにそう告げるみちるに、武は首を竦めて応える。

「この後のミーティングでヴァルキリーズのみんなに、正式に紹介するつもりです。
 その上で、質疑応答も受け付けますから、それで勘弁して下さい。」

 武のその言葉に、満足気に頷くみちる、水月、美冴のヴァルキリーズ3巨頭。
 そして、その他のヴァルキリーズもまた、興味津々である事を明確に表しており、この後のミーティングを思って頭痛を感じざるを得ない武であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 08時08分、ブリーフィングルームの演壇に武と純夏が並んで立ち、ヴァルキリーズと向き合っていた。

「―――と言う訳で、こいつはオルタネイティヴ4の中枢近くに居た要員だったと考えてください。
 情報開示レベルは伊隅大尉よりも上なので、機密情報を話してしまっても構いませんが、その場合事後でも良いので、当該情報が機密であると明言して下さい。
 そうすれば、純夏の暗示ブロックが作用して、その情報は完全に外部に漏らせなくなります。
 ただし、機密指定情報のチェックと機密解除の処置を、オレや霞が定期的に行ってます。
 なので、機密指定した事実と指定対象となる情報は、全てオレと霞の知る所になりますから、オレや霞に知られたくない場合は機密指定すると逆効果ですので気を付けてくださいね。」

 武は、純夏をオルタネイティヴ4の要員であり、機密ブロックで夕呼の研究に被験者として協力してきた人物だと、ヴァルキリーズに説明していた。
 また、武は現時点で明かせる情報として、幾つかの情報を告げている。
 BETA横浜侵攻に遭遇している事。
 『明星作戦』後に夕呼の下に身柄を移され、以降その存在自体が機密とされた事。
 その為、BETA横浜侵攻時の行方不明者の1人とされていた事。
 BETAと遭遇した時に心的外傷を受け、その後遺症で強い妄想を抱く事で現実逃避するようになった事。
 最近になってようやく精神は安定したが、時折、妄想と現実を誤認して突拍子もない話をしだす事。
 純夏が被検体となっていた研究が一段落した為、機密指定が緩和され行動許可範囲が横浜基地全域に広げられた事。
 原則として、横浜基地からの外出は禁止されており、外出には夕呼の許可と外出先での警備態勢確立が条件となる事。
 武とは隣家に生まれた幼馴染であり、BETA横浜侵攻の際に互いの消息が途切れてしまっていた事。
 そもそも、武が夕呼に呼び寄せられたのも、純夏を通じて武の存在を夕呼が事前に知っていた事が理由の1つである事。
 やはり機密ブロックで過ごす事の多かった霞とは、親しい間柄である事。

 淡々と告げられた事実と、その背後に匂わされた陰鬱な香りに、ヴァルキリーズの表情は固く強張っていた。
 A-01連隊の異常なほど高い損耗率以外にも、オルタネイティヴ4という計画に仄暗い側面がある事は、ヴァルキリーズの面々も予てより薄々感じている。
 そもそもが、部隊の存在からそこに所属する衛士の氏名に至るまでを秘匿していた事自体、やましい事があるか外聞を憚る事情があるとしか思えないからである。

 ましてや、先任達の中には実際に外聞を憚る任務をこなしてきている者もいる。
 人類を救い、BETAに打ち勝つ為には、手段を選ぶ余裕など皆無だったのである―――ほんの少し前までは。
 そして、その手段を選べない程に切迫した情勢を、一気に好転させた立役者であると目される武だけでなく、その幼馴染までもがオルタネイティヴ4に深く関与していたと言うのだ。
 一体全体、武はどれほどの機密をその身に抱え込んでいるのだろうかと、ヴァルキリーズの各員は感慨に耽らずにはいられなかった。

 しかし、そんな陰鬱な雰囲気は、武に代わって純夏が挨拶を始めると、その余りの能天気さにあっと言う間に霧散してしまった。

「えっと、初めまして! 鑑純夏です。
 皆さんの事はタケルちゃんからたぁ~くさん聞かされてるし、写真や映像も見せて貰ってるんで、初めて会ったって気が全然しないです。
 仲よくしてくれると嬉しいな。宜しくお願いしま~す。」

 まるっきり、転校生の乗りで挨拶する純夏に目を丸くするヴァルキリーズ。
 階級など欠片も気にかけている様子の無いその言動に、みちるは頭痛を堪える様な表情で片手を上げ発言を求める。

「白銀少佐。お訊ねしてもよろしいでしょうか―――ありがとうございます。
 鑑さんの紹介に階級が含まれておりませんでしたが、何らかの階級をお持ちなのでしょうか?」

 みちるのその問いに、武は苦笑を浮かべて応える。

「純夏は、特に階級を得ていません。
 以前の霞の様なもので、香月副司令の直属である、オルタネイティヴ4計画要員となります。
 おまけに、ずっと香月副司令の下に居た所為か、軍人社会に全く馴染めてないんです。
 それもあって、多少言動がおかしくっても基地要員に難癖付けられ難いように、京塚曹長に預かって貰う事にしたんです。
 てことで、みんなにも頼んでおくけど、バカのやる事だと思って純夏の非礼はなるたけ勘弁してやってくれ。」

「あーっ! タケルちゃん今、あたしの事バカって言った~!
 バカって言う方がバカなんだかんね~っ!!」

 たけるは、猛然と文句を言い立てる純夏を無視すると、ヴァルキリーズに頭を下げる。

「―――ふむ……上官である白銀少佐に頭を下げられてしまっては、あまり煩い事も言えないな。
 まあ、食料班に所属し京塚曹長の預かりとなるならば、確かに問題も少ないだろう。
 それに、白銀少佐と親しいという噂が広まれば、手出しをする者もいなくなるか……
 どうせ、今朝食事を共にして見せたのも、そういった意図があったのでしょう?」

 みちるは、武の言葉を斟酌しながら、純夏の言動を容認する方向で見解を述べた。
 これにより、武が望み、みちるが容認する形式が成り立った為、少なくともA-01の隊内に於いては純夏の言動は容認される事となる。
 そんな事情には欠片も気付かない純夏は、みちるの言葉に目を丸くすると、心底驚いた様な表情で武を見て言葉を漏らす。

「へ~っ! そんな意味があったんだ……凄いよ、タケルちゃん!
 普段のタケルちゃんからじゃ想像もつかないけど、色々と考えてるんだね~。
 わたし、感心しちゃったよ、うん。」

 そう言って、心底感心したという風に幾度も頷く純夏に、武は肩を落として応じる。

「あのなあ、純夏。一応オレは、ここにいるみんなの指揮官なんだぞ?
 オレがそんなに考えなしだったら、みんな安心して戦えないじゃないか。」

「あー、そう言えばそうだったねー。あはは……タケルちゃんらしくもない話だったから、実感がなかったよ~。」

 武の言葉で、その立場を思い出したのか、純夏が冷や汗を垂らしながら、乾いた笑みと共に本音を零す。
 そんな2人の掛け合いに、このままでは切りが無いと思ったのか、みちるがやや強引に言葉を挟んだ。

「白銀少佐、もしよろしければ質疑応答に移らせていただきたいのですが。」

 みちるの言葉に、慌ててそちらに向き直った武は、先任達と晴子の生温かい眼差しと、晴子以外の新任達から向けられた驚愕の眼差しと冷たい眼差しの、合計3種類の視線を浴びる事となった。
 それらの視線の中には、指揮官に対する敬意等という要素は欠片も含まれていないと気付いた武は、がっくりと先程よりも更に肩を落として力なく応じた。

「あー、はい。質疑応答ですね、許可します……」
「じゃあ白銀っ!あんたその娘とど~ゆ~関係なのか、今すぐ詳しく答えなさい。3、2、1―――はい!」

 力無く告げた質疑を許可する武の言葉に、間髪いれずにに被せる様に水月が叫ぶ。
 前にもどこかで聞いた様な質問だなあと、脱力し切った武が記憶の検索も行わずにぼんやりと考えていると、なぜか純夏が胸を張って応えてしまう。

「あ、わたしとタケルちゃんは、子供の頃からの幼馴染で~す。
 でもって、ついこないだタケルちゃんがわたしの事抱きしめてキスしてくれて……
 わたしも盛り上がっちゃって、『大好き』って言ったから、これで幼馴染は卒業―――」
「ちょっと待て純夏ッ!! おまえなに言って―――」

 当初は、水月の相手は面倒くさいからと、純夏に任せる気で黙っていた武だったが、話の内容が怪しくなってきたのに気付くと、慌てて立ちあがって言葉を挟む。
 しかし、何時の間にやら水月と美冴に左右の腕を確保され、純夏に近寄る事も許されない。
 そして、武の声を純夏は大音声で打ち消すと、はぁ、と溜息をついて一転消沈した様子で話を続ける。

「―――してぇっ!…… 晴れて相思相愛の恋人になれたと思ったら……タケルちゃんに全部わたしの妄想だって完全否定されるし……
 おまけにその話の流れで、わたしはタケルちゃんに袖にされちゃって散々だったよ…………
 ―――でも! わたしはタケルちゃんを射止めるまでぜぇ~ったいに諦める気ないからね!
 みんなみたいに、戦場でタケルちゃんを守る事は出来ないけど、それでも負けないもんねっ!!」

 肩を落とし項垂れて、しょんぼりとした様子で語る純夏だったが、両手で拳を作って胸元に引き寄せると、キッと視線を前に向けて力強く不撓不屈の精神を歌い上げる。
 何故か、拳を握って真剣に純夏の話に耳を傾けていたみちるが、貰い泣きして潤んだ瞳で、純夏の熱弁に同調したかのように何度も繰り返し頷いていた。
 純夏よりも、そんなみちるの方を苦笑しながら見ている先任達を他所に、純夏は『元の世界群』でクラスメイトだった6人と、智恵、そして月恵へと視線を巡らせると、満面の笑みを浮かべて語りかける。

「―――あ、でもねでもね、差し当たっての最大の敵はタケルちゃんなんだよね~。
 生意気にも、恋なんてしてる暇はないとか言ってカッコつけちゃってるから、まずはそっちを何とかしないとねっ!
 てことで、高原さんも麻倉さんも、他にもタケルちゃんが好きな人がいたら、一緒に共同戦線張らない?
 どうせ暫くは、頑固なタケルちゃんを何とかするだけしかできないからさ、その間ず~っと喧嘩するのも馬鹿らしいでしょ?
 でもって、最終的に、誰がタケルちゃんのハートをゲットしても、お互いに文句言わないって事でど~かなあ?」

「いいよ! 面白そうだし、私はそれで異論はないかな。」
「うん! 上等だよっ!」「そ、そうですね~、わかりました~。」

 純夏が話し終えると、即座に晴子が提案を受け入れて見せる。
 それに月恵と智恵が続き、純夏は3人に駆け寄って挨拶すると、残る5人の方へと向き直る。
 それに晴子、智恵、月恵の3人も倣い、視線を向けられた冥夜、千鶴、彩峰、壬姫、美琴の5人が僅かに気圧されたようにたじろぐ。
 しかし、この窮地に於いて、素早く機転を利かした千鶴が、顔を引き攣らせながらも声を振り絞った。

「し、白銀の事はともかくとして、鑑さんと友誼を結ぶ分には、い、異論はないわ!」
「そだね……」

 その千鶴の返事は完全に純夏の問い掛けからの逃避であったが、この場で白黒付ける覚悟が済んでいない彩峰は、即座にその言葉に同意する。
 そうして開かれた突破口に、珍しく視線を泳がせながらも、冥夜が斬り込み、囲みを破る。

「そ、そうだな。タケルにも京塚曹長にも日頃より世話になっている事ではあるし、鑑、そなたを友として歓迎しようではないか。
 どうだ? 珠瀬も鎧衣も異論はなかろう。」

 冥夜が水を向けると、壬姫も美琴も即座に同調して、脱出口へと駆け込んでいく。

「そ、そそそそそ、そうですね~。鑑さん、よろしくおねがいしますぅ~。」
「そ、そうだね~。武の願いでもあるし、ボクとしても異論はないよ!
 す、純夏さん、よろしくね。」

 そんな5人を、晴子は楽しげに、智恵と月恵はやや冷めた視線で、そして純夏はやや苦笑に近い笑みを浮かべて聞いていた。
 5人が一通り話し終わり、口を閉じて純夏の応えを待つ。
 ほんの僅かな、しかし、その場の5人にとっては長く感じる時間が過ぎた後、純夏は満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。

「―――うん! みんなと友達になれてうれしいよっ!
 これからもよろしくね、榊さん、彩峰さん、御剣さん、み……珠瀬さん、鎧衣く―――じゃなかった、鎧衣さん!」

 心の底から嬉しそうに弾んだ声を上げる純夏。
 ついつい『元の世界群』通りの呼びかけをしそうになるのを、すんでの所で訂正した純夏だったが、壬姫はともかく美琴はしっかりと聞き咎めて文句を言う。

「あーっ! もしかして今、ボクの事くん付けで呼ぼうとしたでしょ!
 ひどいよ~! ボクだってれっきとした女の子なんだよ~!!」
「え? 嘘!……」
「慧さんまでーっ!」

 涙を流して苦情を申し立てる美琴に、彩峰が目を見開いて驚愕の表情で呟く。
 するとそれを切っ掛けに美琴を除く全員が笑い声を上げ、美琴の叫びがそれに唱和した。

 そんな9人を少し離れた所で、先任達と共に眺めていた武は、安堵したかのように大きく息を吐いた。
 先程は水月と美冴によって取り押さえられていた武だったが、純夏が『元の世界群』での話を妄想として話した辺りで抵抗を止めた為、腕に拘束を解かれている。

 水月と美冴はニヤニヤと笑みを浮かべながら、いつもよりも動揺の激しい武の様子を楽しげに眺めており、そんな2人を遙と祷子が苦笑を交わしながらも後ろから見ていた。
 少し離れた所では、みちるが他の先任達―――葵、葉子、紫苑の3人に囲まれており、何やら言葉を交わしている。
 どうやら、みちるの頬がやや赤い所を見ると、先程の振舞いを指摘されている模様だ。

 このミーティングに先だって武は純夏に、『元の世界群』での記憶に付いて話してしまった場合には、妄想の結果として言い訳する様にと説得していた。
 わたしは精神病患者じゃないよっ! と、憤然とする純夏だったが、そういう設定にでもしておかないと、本当の気違い扱いされるんだぞっ! と、武が説得して押し切っている。
 まさかそれを逆手にとられるとは、武にも完全に予想外の事であり、先程は正真正銘命が縮む思いがした武であった。
 その原因の半分は、あの時ヴァルキリーズの半数程から放たれた殺気の所為ではあったのだが。

 とは言え、何だかんだ言って、ヴァルキリーズの新任達には受け入れてもらえたようだなと、そう思った所で武はふと周囲を見回し、純夏の近くに見当たらない新任2人を探す。
 すると、自分の右側、水月の姿に半ば隠れる様にして、どこか所在無げに佇む茜の姿があった。
 茜は視線を同期達へと向けたまま、なにやら唇を不機嫌に曲げて隣に立つ多恵に話しかける。

「ねえ、多恵……私達、なんか疎外されてない?」

「そっかなあ? あたしは茜ちゃんの傍にいられれば、な~んにも問題ないよ?」

 茜の隣に立ち、左手に手を添えている多恵は、心底幸せそうに笑っており、それを横目で見た茜は深~く溜息を吐くのであった。

 このミーティングの後、純夏はA-01に於いて霞に準ずる立場とされ、非公式に準隊員として扱われる事と決まった。
 これは、機密の関係上ミーティングなどから排除される、月詠ら斯衛軍第19独立警護小隊よりも格上の扱いなのだが、武を玩具にする為の格好の材料を、ヴァルキリーズの先任等は手放すつもりが欠片も無かった。
 武はそこまでしなくてもと反論したのだが、そうすれば霞も交流の機会が広がるのではと言われ、また、そうでないのならばA-01の指定席であるあの席での朝食も容認できないと言われては、折れるしかなかった。

 純夏を擁護して熱弁を振るうみちるに、茜と多恵、晴子を除く新任達は不安げに視線を交わし、彼女等を応援するつもりの遙は困った様な笑みを浮かべていた。
 この日、武が密かに案じていた白銀武弾劾裁判等の吊るし上げは一切行われず、その夜、武は思いの外穏便にすんだなと胸を撫で下ろした。
 しかし、この日を境に、武を取り巻く恋模様は大きくその図柄を変えていく事となる。

 そして、模様を織り成す多彩な糸は、時に互いに絡み合いながらも、繊細で複雑な動きを以ってして武を絡め取って行くのであった。




[3277] 第126話 オン・ユア・マークス!(前編)
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/01/25 17:09

第126話 オン・ユア・マークス!(前編)

2002年07月13日(土)

 12時08分、国連軍横浜基地1階にあるPXに座る武の眼前に、合成中華丼が1口分差し出されていた。

「はい、あーん。」

 ご飯の上に適度な量の具が載せられた状態のそれは、差し伸べられたはしの上で小揺るぎもしない。
 武は諦念と共に、大きく口を開けてそれに食いつく。

 口に入れた中華丼を咀嚼しながら、武は視線のみを動かして周囲を窺う。
 正面では満面の笑みを浮かべた晴子が目を細めており、武の左右を占める智恵と月恵も柔らかな笑みを浮かべている。
 ここまでであれば、武を囲んで仲睦まじく昼食を共にしていると評する事が出来よう。

 しかし、武から見て晴子の右手に並んで座る冥夜、千鶴、壬姫、彩峰、美琴の5人の存在が、昼食の場とは到底思えぬほどに緊迫した雰囲気を醸し出していた。
 瞑目し黙々と食事を咀嚼する冥夜は最もマシな部類であり、千鶴などは食事の合間に光を反射して白く輝く眼鏡越しに、突き刺すような視線を武へと投げかけて来る。
 壬姫は壬姫で、もそもそと食事を突きながら時折武の方を恨めしげな上目遣いで見やっているし、彩峰と美琴に至っては責める様な詰る様な視線を武へと注ぎ続けていた。

 純夏が武や霞と共に朝食を食べるようになって5日。
 武にとって食事の場は、以前にもまして針の筵と化していた。



 純夏をヴァルキリーズに紹介した翌日の朝から、武と霞、そして純夏の朝食に合わせて、晴子、智恵、月恵、そして冥夜、千鶴、壬姫、彩峰、美琴の合計8人が、欠かさず席を共にするようになった。
 晴子や智恵、月恵の3人は武や霞、そしてなによりも純夏と言葉を交わしながら、和気あいあいと朝食を摂っている。
 純夏も『元の世界群』でクラスメイトだった晴子だけではなく、智恵や月恵ともすぐに打ち解けて楽しそうである。

 しかし、今朝に至っても、純夏が『元の世界群』で親しくしていた千鶴、壬姫、彩峰の3人や、見た目は尊人と全く変わらない美琴、期間は短くとも武を間に挟んで親密な付き合いをしていた冥夜の5人は、ぎこちない空気を払拭できずにいた。
 冥夜は終始沈思黙考し、千鶴と彩峰は打開策を探りながらも態度を決めかね、美琴はどこか不満げな気配を滲ませる。
 そして、壬姫はそんな仲間達と純夏の様子を、気まずそうに交互に窺うだけであった。

 折に触れて、晴子や純夏などが話を振れば、無視したりせずにきちんと応じはするものの、言葉少なにやり取りが交わされた後、直ぐに会話が途切れてしまう。
 純夏に対して悪感情をぶつける様な事は無く、5人共どうにも自身の感情を持て余しているように武には見受けられた。
 そんな5人に、純夏は微かに悲しげな様子を滲ませたりもするものの、概ね明るく陽気に振舞っていた。

 それでも朝食時には表面上荒立つ事の無い感情的な凝りに留まっていたが、昼食時や夕食時には武へと吹き荒れ叩きつけられる事が多かった。
 その原因となっているのが、晴子が面白がって毎日繰り返すあ~んである。

 霞が既得権益と主張し、朝食時のあ~んを自分と純夏に限定したその日の昼食。
 晴子は早速、武とあ~んをしたいと強く主張。
 なんとか霞と純夏以外とのあ~んを免れようとした武だったが、霞はともかく純夏だけを特別扱いするのかと詰め寄られて返答に窮した。
 その上で晴子が、あ~んで互いのオカズを食べさせれば、献立が2種類楽しめるからお得だよねとあっけらかんと言い切ったあたりで、抗戦の気力を削がれた武は白旗を上げた。
 それでも交渉の末、席を共にする機会の多い昼食を中心に1日1回、しかもお互い3~5口程を交換するだけという条件が定められた。

 条件交渉と最初の2日ほどは、智恵や月恵も参加していたのだが、実際に試した結果、2人は衆人環視下のあ~んに羞恥心が耐えきれず、実際にあ~んを敢行して満足した事もあって戦線を離脱。
 以降は今の所、あ~んを強請る事はなくなっている。
 ところが、晴子だけは周囲の視線や、冥夜を初めとする5人の微妙な感情を逆撫でするが如くに、これ見よがしに毎日あ~んを繰り返し見せつけたのである。

 千鶴や彩峰、美琴などが何度か晴子に苦言染みた文句等を言ったのだが、晴子は笑みを崩さず柳に風と受け流し、一向に態度を改めようとしない。
 それどころか晴子は、自分は純夏同様、武に想いを告げた上で振り向かせようとしているのだから、邪魔するのは止めて欲しいとまで言い切る始末で、これには千鶴達も反論できずに引き下がるしかなかった。
 斯くして晴子によって掻き乱され逆撫でされた感情は、概ね武を捌け口として噴き出す事となったのである。

 それでも今の所は、キツイ言葉や不機嫌な態度を向けられる程度で済んでおり、訓練時には武が指揮官として毅然とした態度を取っている事もあって、個人的な問題として黙認されてはいる。
 しかし、これ以上感情的な凝りを残しておけば、いずれは連携に悪影響を及ぼす可能性が高い為、甲26号作戦が目前に迫ろうとしている今、なんとか事態の収拾を計らねばならないのが部隊指揮官としての武の立場であった。
 また、個人的にも冥夜達5人には純夏と親交を深めて欲しいというのが、武の願いでもある。
 今日まで5日の間、状況の推移を静観してきた武だったが、そろそろ自身が事態打開の為に動かねばならないと考えるに至っていた。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年07月14日(日)

 10時23分、横浜基地地上施設の一画、講堂のほど近くに設けられた第6鍛錬場―――通称『斯衛道場』に付属する1室で、冥夜が月詠と向かい合わせに座していた。

「冥夜様、どうぞ。」

 月詠は静々と一礼しつつ、自ら点てた濃茶をそっと、畳の上を滑らせるようにして冥夜の前へと差し出す。
 この1室は、茶室として最低限ながら設備が整えられており、それらを用いて月詠が冥夜をもて成していた。
 斯衛の者―――殊に武家の者達は、茶道を礼儀作法として修めており、鍛錬の一環として茶を嗜む事が慣例となっている。
 これは、警護対象に随伴した茶会などで、無作法をする訳にはいかないからでもある。

 扉1枚で隔てられた鍛錬場から漏れ聞こえてくる、神代と巴が打ち合う音が鹿威し代わりに響く。
 そんな中、冥夜は茶道の作法に則って差し出された茶椀を手に取ると、茶を味わい、続けて茶碗をじっくりと拝見する。
 然る後、そっと茶碗を下ろすと、視線を上げて口を開いた。

「―――時に月詠。タケルの事だが………………
 御剣家に婿として迎える殿御として見るに、何か不足はあるであろうか。」

 茶碗を引き寄せ、手入れを始めようとしていた月詠は、冥夜の言葉に寸時その動きを止めた。
 しかし、直ぐに動作を再開すると、冥夜の問いに対して淡々と応えを返す。

「白銀少佐は、今や一際輝かしい武勲を上げられた武士(もののふ)でいらっしゃいます。
 確かに教養や作法、気質に難はありましょうが、武家の入り婿としてならば御剣家の家格に比して尚、十分な資格があると申せましょう。
 然れど冥夜様、此度の御下問は如何様なお考えあって為された事か、伺ってもよろしいでしょうか?」

 敢えて視線を合わせずに平坦な口調で応えを返す月詠に、冥夜は両の眼を閉じ腕を組んで告げる。

「―――私は幼き頃より姉上に身命を捧げ、影として一生を終える覚悟をして生きて来た。
 それ故、良人(おっと)を迎える事はおろか、誰か特定の男(おのこ)を慕う事さえないものと―――そう、思っていた。
 しかし、それが今では姉上の名代として表舞台に座を与えられ、御剣家の嫡子として公に認められる身ともなった。
 昨年までは思いもよらぬ事ではあったが、斯くの如き仕儀となれば、御剣家の継承も考慮せねばなるまい。」

 冥夜は御剣家に託され、その家名を名乗りながらも一方でその存在を秘されてきた。
 一朝事あらば悠陽の影武者としてその身を呈し、また万一悠陽が儚くなる事があれば、悠陽に成り代わって混乱を未然に収めるのが己が務めと、冥夜は自身を厳しく律して生きて来たのだ。
 しかし、武の献策を悠陽が容れた事により、冥夜の立場は一転し、武家の名門である御剣家の嫡子として、悠陽の名代として、そして悠陽より親しく接する事を許された寵臣として、公の場で引き立てられ公式に認められる身となった。

 己が在り様の急変に、冥夜も困惑を感じずにはいられなかったが、しかし当時の情勢は冥夜に躊躇う暇を与えなかった。
 急ぎ自身に与えられた新たな役割を学び、懸命に務めを果たす内に時は矢の如く過ぎ去り、気付けば桜花作戦を経て冥夜の立場は帝国国内に於いては盤石に近い物にまでなっていた。
 以来半年余りをかけて、冥夜は自身の新たなる立場への理解を深めて来た。

 先の冥夜の発言は、それを踏まえてのものであり、ただ一点を覗けば月詠にも異論のない事であった。
 ―――そう、相手として白銀武を想定してさえいなければ。
 それ故に、月詠は僭越だとは思いながらも、更に冥夜へと問いを重ねる。

「確かに冥夜様の仰せの通りでございます。
 然れど、何故殊更に白銀少佐の名をお挙げになられたのでございますか?」

 そんな月詠の問いに、冥夜は顎を逸らし莞爾とした笑みを浮かべると、明朗な声音を以って応えを返す。

「月詠。そなたであれば、問わずとも解かっておろう。
 私があの者を―――武を慕っているが故だ。」

 そう、明言して見せた冥夜に、月詠は歓びと懸念を共に胸の内へと隠しおおせると、黙したまま瞳を伏せて一礼するのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年07月15日(月)

 11時57分、横浜基地のドレッシングルームで訓練後の着替えを終えて退出した冥夜は、通路に佇む武の姿を認めると、そちらへ歩み寄って声をかけた。

「―――む、タケルではないか。
 丁度良かった、昼食の後で些か時間を貰えぬであろうか?
 そなたに話したき仕儀があるのだが。」

 歩み寄って来る冥夜に対し、寄りかかっていた壁から背中を離し、片手を上げて笑みを浮かべた武だったが、投げかけられた言葉の内容を聞くと、眉を寄せて申し訳無さそうな表情を浮かべた。

「う~ん……急ぎの用事か?
 夕食の後なら都合が良いんだけど、それじゃあ駄目か?」

「いや、火急と言う程の事はない故、夕食後でもよい。
 そなたが多忙である事は承知しているからな。
 ならば、今宵の夕食は皆と共に食せるのか?」

 済まなさそうに告げる武に、冥夜は朗らかな笑みを浮かべると快諾して見せた。
 最近の武は、午前と午後のヴァルキリーズの訓練に続けて参加する事が多く、その折には大抵昼食を共にしている。
 しかし、午後の訓練は途中で抜けてしまう事も多く、大抵夕方以降は訓練以外の任務に従事する為、武が夕食を共にする機会は然程多くはない。
 その為、冥夜としては夕食後に合流方法について、怠りなく武に確認を取ったのである。

「あー、夕食は別々になりそうだから、悪いけど部屋で待っててくれないか?
 なるべく早くに、訪ねる様にするからさ。
 ―――っと、彩峰! ちょっと話があるんで待っててくれ!
 あ、悪い冥夜、それで良いか?―――じゃ、そういう事で頼むな!」

 冥夜の案じた通り、やはり武は夕食を共に摂れないらしく、冥夜に自室で待っていて欲しいと告げる。
 と、丁度そこに強化装備を除装した彩峰が、ドレッシングルームから姿を現す。
 すると、武は彩峰に呼びかけてその場に引き留めると、冥夜に忙しなく確認を取った後、足早に彩峰の方へと立ち去って行く。
 そんな武の後ろ姿を無言で見送る冥夜であったが、中途半端に差し伸べられた右手に、武を引き留めたいという偽らざる想いが表われていた。

 しかし、武はそんな冥夜に気付く事なく彩峰に歩み寄って話しかける。
 そして、幾つか言葉を交わした後、2人は一旦PXに立ち寄ったものの、席に座る事無くそのままPXから立ち去って行くのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 12時08分、横浜基地衛士訓練校の校舎屋上に、武と彩峰の姿があった。

「ウソや冗談だったら、許さない……」

 屋上のフェンス際に立ち、向かい合う武と彩峰。
 彩峰は、眉を寄せた真剣な表情で武を真っ直ぐに見詰めてそう告げた。

「ウソでも冗談でもないって。
 絶対におまえを満足させて見せる。
 その代わり………………解かってるよな?」

 不敵な笑みを浮かべてそう言い放つ武に、彩峰は一つ頷くと一歩武へと歩み寄る。
 武はそんな彩峰の様子に笑みを深めると、右腕を彩峰へと伸ばし…………ラップに包まれた細長いシルエットの物体を1つ手渡すと、高らかに宣言する。

「これこそ、ヤキソバを超える逸品―――ヤキソバパンだッ!!」

 武の叫びなど一顧だにせず、彩峰はそれを奪い取るかのようにかっさらうと、武に背を向けていそいそとラップを半分剥がした。

(コッペパンにヤキソバが挟んである……
 ヤキソバのはみ出し具合がいい感じ。
 紅ショウガの漬け汁もしっかりきってある……
 こんがり焼き色の合成豚肉も良い仕事してる。
 そして青のり……やっぱり、これだよね。
 …………京塚のおばちゃん良い腕してる。さすがだね……)

 彩峰はラップを剥がす前から薄らと嗅ぎ取っていたヤキソバの芳しい香りを、大きく息を吸って胸一杯に吸い込む。
 そして、香りを堪能した彩峰は、そ~っとヤキソバパンの端の方を口にした。

(―――っ!?
 キャベツの甘みとソースの甘み、豚肉の歯ごたえと麺の食感…………どれも絶品!!
 包まれたラップの中に閉じ込められた湯気で、コッペパンがしっとりとした食感に変わってる。
 この絶妙な蒸らし加減、正に匠の技。特許取れるよ。)

 彩峰は口にしたヤキソバパンの絶妙な味に目を見開くと、それまでの慎重な振舞いが嘘であったかのように、バクバクとヤキソバパンに喰らいつき、あっと言う間に完食してしまう。
 そして、目を閉じて最後の一口が喉を下っていく感触を、そしてその後に残る余韻を余す所なく味わい尽くす。

(ありふれた素材が生み出す、究極の贅沢。
 材料を生かすも殺すも料理人の腕次第。
 腕があってこそ生まれる究極。
 料理人と素材の魂の連携攻撃。
 ヤキソバ最高―――毎日食べたい。
 ヤキソバパン、究極、至高の世界。)

 余韻が全て過ぎ去ってしまった次の瞬間、彩峰は踵を返して武と向き合うなり、右手を差し出して宣ふ(のたまう)。

「白銀、おかわり……」

 間近で向かい合う形となった彩峰の、熱に浮かされたが如き潤んだ瞳を認めた武は、ニヤリと笑うと左手で後ろ手にしていた紙袋を胸の前に掲げる。

「勿論用意してあるぜ、彩峰。
 だが、これが欲しいというのなら、明日から―――いや、これを食べ終えたその瞬間から、おまえには純夏の親しい友人に生まれ変わって貰うぞ?!
 それでもいいなら、これを―――って、もう持ってってるしっ!!」

 高らかに宣言する武の言葉が終わるのさえ待たずに、彩峰は紙袋をひったくると中に安置されていた5個のヤキソバパンを次々に取り出し、続け様に胃の腑へと納めていく。
 そして、全てを食べ終えると、頬を染め身体を震わせ、うっとりとした目を薄く開き、熱い吐息と共に言葉を絞り出す。

「白銀…………好き……大好き…………愛してる……」

 それは、実に情熱的な告白であった。
 その告白を突然ぶつけられた武は、彩峰の何とも言えない色っぽい表情を目の当たりにした所為もあって、顔を真っ赤にして一歩後退る(あとずさる)。
 そして、そんな武に反駁する暇さえ与えずに、彩峰は畳みかける様に更に言葉を紡いだ。
 彩峰が口を開くのを見て取った武だったが、動顛の余り心身共に身構えて続く言葉に備えるのが精一杯であった。

「私は―――ヤキソバパンを愛してる!」

「はぁ?!」

 武は彩峰が放った言葉に間抜けな声を上げると、全身の力が抜けて屋上へとへたり込んでしまう。
 そんな武を見下ろすと、彩峰は双眸を半目に閉じて、抑揚のない口調で言い放つ。

「がっかりした?」

「い、いや―――そんな事は……ないぞ。」

 そんな彩峰の言葉に、上体を起こし何とか震える声を押さえつつ絞り出す武。
 しかし、彩峰はニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、即座に追撃を放つ。

「ふっ……無理してるね……顔、真っ赤だし。」
「う、うるせぇっ! 大体なんで、おまえがヤキソバパンを愛してると、オレががっかりすんだよ!」
「え? なんで?」
「聞いてんのはオレだろうが!」
「そうなの?」
「おまっ………………」

 彩峰の言葉につい翻弄されてしまった武だったが、反論の無力さを悟って口を閉ざすと、肩で息をし呼吸を整えようと試みる。
 しかし、彩峰は武に態勢を整える暇すら与えはしなかった。

「安心して……白銀の事も好き。」
「ばっ! あ、安心出来るか! お、おまっ、何言って……」
「結婚する?」
「けっ―――す、する訳ないだろ?!」
「無理すんな……」
「してねえよっ!」
「……うわ、生意気。」
「生意気じゃねえよ、訳、解かんねえぞ?!」
「……反抗期?」
「こんな無茶振り反抗しない訳ないだろ!」
「……倦怠期?」
「なんだよそれっ!!」

 突然飛び出した突拍子もない単語に、武が頭を掻き毟って叫びを上げると、彩峰は右手の平を前に翳し、武を押し留める様な仕草で静かに言葉を発した。

「……次、考えてる、待って。」
「言葉遊びかよっ!!!」

 しかし、彩峰の発した言葉によって、武は却って憤りを激しくし、叩きつける様に言葉を放つ。
 ところがその叫びにも彩峰は言葉を返し、2人の掛け合いは更に続く事となる。

「……やっぱり、白銀はわたしと結婚すべき。」
「考えてんのそっちかよ!」
「……結婚、イヤ?」
「イヤとかイヤじゃないとか、それ以前になんだって急に結婚なんだよ?!」
「……なんで?」
「だから聞き返すなって!」
「……白銀、我儘だね。」
「どっちがだよっ!」
「ん……白銀?」
「結局オレかよっ!」

 彩峰に翻弄され続け、武の語調がついつい荒くなっていく。
 そんな武に、彩峰は右手の平を向けて押し留める様な身ぶりを示すと、ぽつりと単語を告げる。

「……特許。」
「はあ?」

 何の脈略も無く告げられた単語に、気勢をそがれた武は肩を落として間の抜けた声を漏らす。
 そんな武に、彩峰は1つ頷きを返して説明を述べた。

「……結婚したら、ヤキソバパンの特許は半分わたしのもの。」
「なんねえよ! それにそもそも特許なんて取らねえよ!」
「バカな!」
「バカはおまえだ!! 大体そんなんで結婚なんて持ち出すんじゃねえ!」
「…………結婚したいのは、好きだから。」
「―――え?!」
「………………白銀が……好きだから。」

 仄かに頬を染め、視線を逸らした彩峰がポツリと零した言葉に、不意を打たれた武が絶句する。
 そんな武をちらりと横目で見た彩峰は、突然身を翻すとフェンスの上に腰掛けて空を見上げる。
 真夏の空には眩い太陽が輝いており、見上げる様な入道雲が真っ白な姿を誇らしげに浮かべていた。
 そんな青空を日除け代わりの手を翳して彩峰は見上げ、武はそうしている彩峰を眩しげに見上げる。

 言葉が途絶えた屋上に風が吹き渡り、彩峰のスカートを靡かせた。
 そして、その風に背を押されたかのように、彩峰が再び口を開く。

「……白銀。
 ……本当は、もっと前に気が付いてたよね。
 なのに……ずっと、見ないようにしてた……
 ……まだ、ごまかすの?」

 視線を青空から武へと下ろし、彩峰は静かに言葉を告げていく。
 そんな彩峰を見上たまま、武は大人しくその言葉を聞く事しか出来なかった。

「……違う?……何か間違ったこと言った?
 ……ホントのこと言うと、白銀は困るよね……だから、これ以上言わないで上げる……
 ……話、終わったよ。……ヤキソバパン美味しかった。
 ……だから、約束は守るよ……鑑とはちゃんと友達になるから……じゃあね。」

 そこまで淡々と告げた後、彩峰は口を閉ざし、再び青空を見上げる。
 武はそんな彩峰にかける言葉も無く、只々立ち尽くして彩峰を見上げ続けた。

 ―――そして、そのまま2人は時が止まったかのように動きを止め、吹き寄せる風が揺らす髪や服だけが時間の経過を主張する中、十数分の時が過ぎ去って行く。
 その間、飽きもせずに、かと言って言葉の一つも投げかけられずに、ひたすら自分を見上げ続ける武に、遂に焦れたのか彩峰が再び視線を向けて、苛立たしげに言葉を発した。

「まだいたの?
 ……いいよもう……白銀のことわかったから……全然、その気ないのわかった。
 それに、白銀のそこにあの娘がいるって事もわかった……鑑純夏……あの娘は特別なんだね。」

 沈痛な表情で彩峰を見上げ、神妙に話を聞いていた武だったが、純夏の名前が出た途端にその表情が強張る。
 それを認めた彩峰は、またもや視線を空へと向けて独白の様な言葉を連ねていく。

「……去年のクリスマスイヴに、白銀言ってた。
 ……過去に死に別れた相手が忘れられないって……もしかして、鑑もその一人?
 ……死に別れたと思ってて……でも実は―――とかね。
 ……鑑の事、気になるよ。……けど……やっぱ、いいや……もういい。
 ……独りにして……お願い…………」

 再び武と彩峰の間に静寂の帳が下りる。
 しかし、今度は僅かな逡巡を挟んだだけで、武が意を決して彩峰に語りかけた。

「―――そうだな。彩峰の言う通りだ。
 オレは確かに、おまえや、他のみんながオレに好意を向けてくれてるかもしれないって、そう思った事が何度もある。
 けど、誰かを愛したりする事に臆病になってるオレは、それを考えまいとして目を背けちまったんだと思う。
 そうやって自分を誤魔化して、お前たちや、ちゃんとオレへの想いを告げてくれた高原や朝倉、それに柏木が向けてくれる好意から逃げていたんだ。」

 武は真剣な眼差しを彩峰へと真っ直ぐに向けて、己が過ちを認める言葉を連ねる。
 その声音には真摯な想いが籠っていた。

「おまえらから好意を向けて貰えているんだとしたら、それ自体はオレにとってとても嬉しい事だ。
 それだけは、掛け値なしにホントだぞ?
 けど、嬉しいからこそ、その想いに応えられない事が辛いし、その想いに応えてしまう事が恐ろしいんだよ。
 そしてそれは、純夏に対してだって同じなんだ。」

 武は今、彩峰が明かした本心に精一杯応える為に、可能な限り偽らない自身の想いを言葉にしていた。
 それでも、自分が目指す因果律干渉に関する話を明かす気はない為、彩峰達の想いに応えられない本当の理由を、武は誤魔化して伝えている。
 そうして告げた言葉の中で、それでも彼女等の想いに対する自身の心情に偽りはないと武は思う。
 だが、結果的に自身の想いが、彩峰達を傷付けずにはいられない事が、武には心底悔しく悲しかった。

「確かに、純夏とは長い付き合いだし、オレにとって特別な存在かもしれない。
 けどな、おまえらだって、オレの中ではやっぱり特別な、何があっても喪いたくない存在なんだぞ?
 だからこそ、オレはおまえらを傷付けたくなくて臆病になってしまうんだ。
 ―――ごめん、彩峰。何て言ってみても言い訳にしかなんないよな……
 ………………オレ、もう行くよ。
 こんな事言えた義理じゃないんだろうけど……訓練にはなるべく影響しないように頑張ってくれるか?
 ごめんな……どうしたらいいか真面目に考えるから、ちょっと時間をくれよ……」

 彩峰の想いに応えられない自分自身を内心で罵倒しながら、指揮官としての最低限の配慮からくる言葉を最後に告げると、武は肩を落として彩峰に背を向けた。
 しかし、自身の情けない態度に気付いた武は、その場で姿勢を正し自身を叱咤すると、しっかりとした足取りになる様に気合を入れて足を踏み出す。
 武はせめて、見送っているかもしれない彩峰に、情け無い姿は見せたくなかった。

 ―――と、そんな武の背中に、彩峰の声がかかる。

「……許して欲しい?」

 その言葉に、一歩目を踏み出したばかりの武の歩みが止まる。
 しかし、武はそのまま背後を振り返る事無く、背を向けたままで首を横に振る。

「いや、許して貰える様な事じゃないだろ。
 オレが背負うべき罪を免れる気はないよ。」

 そう言って、歩みを再開しようとした武の背中を、何処か焦りの滲む彩峰の声が叩く。

「……短慮はいけない。
 優秀な指揮官なら、最後まで打開策を探るべき……」

 再び投げかけられた言葉に、武は眉を寄せ困惑の表情を浮かべながら背後を振り向く。
 するとそこには、フェンスから飛び降りた彩峰が、冷や汗を垂らし、目を糸のように細め、右の手の平を真っ直ぐに武へと向けて立っていた。
 そんな彩峰の様子に訝しげな視線を投げかける武へと、彩峰は更に言葉を告げる。

「……白銀は独りで出来る事なんて高が知れているって言った。
 ……だったら、なんでも独りで背負い込まずに、わたし達に頼るべき。
 ……わたしが白銀を許す可能性も無いとは言えない。」

 抑揚を極限まで抑え込んだ、平坦な口調で言葉を連ねる彩峰に、武は胡散臭そうな眼を向けながら、それでも水を向けてみた。

「へー。まだオレが許して貰える余地があったとは意外だったな。
 けど、まさか何の埋め合わせもせずに許して貰える程、生半可な話じゃなかったよなあ。
 どうしたらいいっていうんだ?」

「ヤキソバパンで贖うべき!
 あれは至高の逸品、人類は毎日ヤキソバパンを食べるべきだと思う!!」

 武の問いに、即座に返る彩峰の応え。
 それを聞いた武は、脱力してその場にしゃがみ込んでしまった。

「はぁ……あんだけ深刻な雰囲気出しといて、結局それかよ……
 なあ、彩峰……ヤキソバパンが食いたかったら、今度から純夏に言った方が早いぞ。
 なんたって、そのヤキソバパン作ったのは純夏だからな。」

「バカな!!」

 力無く告げられた武の言葉に、彩峰は眼を限界まで見開いて驚愕する。
 珍しく、本当に驚いているらしい彩峰に、武は苦笑を浮かべて話しかける。

「いや、本当だって。
 良かったな、彩峰。純夏を上手く煽てれば、ヤキソバパン食い放題も夢じゃないぞ?」

 この日で、純夏が食料班を手伝うようになってから、早くも1週間が経過している。
 この1週間で、純夏はすっかり食料班に馴染み、見習いではなく正規の食料班員となっていた。

 『元の世界群』での料理の記憶を持つ純夏は、最近の若者には珍しく本物の味を知っていると、食料班のおばちゃん達から高い評価を受けた。
 大陸でBETAの東進が始まった1990年代前半あたりから、難民の受け入れを開始した帝国に於いても食料事情が圧迫され始めている。
 その為、武家や裕福な家の子供でもない限り、武や純夏の年代は10代になった辺りから食事の質が低下し始めていたのだ。

 ましてや純夏は太平洋戦争以降平和を享受し、消費文明を謳歌して食文化が発展した『元の世界群』での味覚に慣れている。
 その水準は、この世界での一流には達していなくとも、十分上流に匹敵する水準に達していたのだ。
 しかも、純夏は合成食―――悪く言えばもどき食品の創作に才能を示した。

 純夏のそんな評価を聞いた武は、『元の世界群』で冥夜が転校してきた翌日より、数日に亘って純夏と冥夜の間で繰り広げられたお弁当競争を思い起こした。
 毎日飽きもせずに、手を変え品を変え、互いに用意した昼食を並べ、武にどちらを食べるか選択を迫ったメニューの中に、純夏の手になる『マンガ肉』があった事に思い当たったからだ。
 純夏曰く苦労して入手してきたと言っていたが、純夏の経済状況から考えるなら何らかの食材を加工して、あの独特の形状と食感を再現したに違いなかった。

 その過程に、恐らくは合成食材から、既存の料理に似せた合成食を創作する手順に通ずるものがあったのだろう。
 とにかく純夏はその才能と経験、そして『元の世界群』でも近所のおばちゃん達に可愛がられた家庭的な一面によって、京塚のおばちゃんを初めとする食料班に受け入れられていた。
 それ故に、武は自分と同様にヤキソバパンのなんたるかを知っている純夏に依頼して、武自身がでっち上げるよりも遥かに上等な合成ヤキソバパンを作らせたのであった。

 そんな事情を知る由も無い彩峰は、武の言葉に再び目を細めて表情を隠すと、右手を胸の前に翳して即座に切り返す。

「……でも白銀の贖いは別。」

「ったく……解かったよ、今度また食わせてやるよ。
 それでいいんだろ? それじゃあ、オレは下に戻るからな! 訓練遅れるなよっ!」

 そう言って再び背を向けて立ち去って行く武。
 しかしその足取りは、先程と比べるべくもない程に軽快なものであった。
 立ち去る武を見送った彩峰は、再びフェンスの上に腰かけると、青空を見上げて心中で独り呟く。

(白銀はホントにおバカさんだね。
 打たれ弱いから、フォローが面倒……
 ……でもくじけずに立ち向かおうとするところが………………)

 何処か満足気な表情を浮かべる彩峰の、微かに赤らめた頬を、一陣の風が優しく撫でていった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 20時01分、B8フロアの冥夜の部屋を、昼食前の約束に従い武が訪ねていた。

 武が訪ねた時には室内に月詠が居り、茶の支度をしてくれたのだが、その後冥夜の命を受けて退室していた為、現在室内に居るのは武と冥夜の2人きりであった。

「これでも、出来るだけ急いで来たんだけど、遅くなっちまって悪かったな、冥夜。」

 月詠が退出した事で、冥夜と2人切りで向かい合う形となった武は、まずは改めて訪問が遅くなった事を詫びた。
 武の謝罪に、冥夜は瞳を閉じ薄っすらと笑みを浮かべると、謝罪は無用と言い切り早速本題を切り出した。

「いや、そなたが多忙である事は承知していると昼にも言ったであろう。
 故に気遣いは無用だ。
 ―――それよりも、そなたに時間を割いて貰ったのは他でもない、そなたに是非とも受け取って貰いたいものがあるのだ。」

 冥夜はそう言うと、手を事務机の上へと伸ばし、小ぶりな桐箱を手に取った。
 そして、それをそのまま武の眼前―――折り畳み机の上へと置くと、蓋をそっと外して中に折り畳まれていた袱紗(ふくさ)を外へと捲る。
 すると、袱紗に包まれていた黄金色の円盤状の物体が姿を現す。

 中央に細長く涙滴型の穴が空き、その周囲に飾り彫りが施されてるその物体は、刀の鍔であった。
 刀剣に対する造詣など殆ど持ち合わせのない武だったが、冥夜が差し出してきた事と、如何にも貴重な品であると匂わせる仕舞い方から、それが宝刀『皆琉神威』の鍔であろうと検討が付く。
 しかし、それを何故冥夜が自分に託そうとするのか、それが解からない―――解かりたくない、と条件反射の様に考えてしまった武の脳裏に、この日の昼休みに彩峰と交わしたばかりの言葉が蘇る。

(ッ!―――そうだよな……何時までも逃げてちゃ、目を逸らしてちゃ駄目だよな、彩峰……)

 武は一旦瞼を閉じると、瞼の裏に浮かび上がる彩峰の姿にそう語りかけて覚悟を決めた。
 そして、見開いた眼(まなこ)を冥夜へと据えて、武は真摯に語りかける。

「冥夜。もしかしてこれは、無現鬼道流剣術免許皆伝の証し、宝刀『皆琉神威』の鍔なんじゃないのか?」

 武のその問いに、冥夜は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、直ぐに不敵な笑みを浮かべ腕組みをすると、武に向かって頷きを返した。

「!?―――ほほう。良く解かったなタケル。
 それにしても、『皆琉神威』の事まで知っているとは、一体どうやって調べたのだ?
 いや、その件は今はよい。これが何か知っていようと知らなかろうと、それは些細な事に過ぎぬ。
 これをそなたに託す事にこそ、意味があるのだからな。」

 この時、武の脳裏には記憶流入によるフラッシュバックが発生していた。
 フラッシュバックの中では、シミュレーターデッキを背景に、訓練兵用の衛士強化装備を装着した冥夜が、真剣な眼差しで何かを語りかけてきていた。

 しかし、武はそのフラッシュバックを即座に思考から排除する。
 今は、他の確率分岐世界で起きた出来事よりも、今目の前に居る冥夜を優先すべきだと考えたからだ。
 そして、武は冥夜に重ねて問いを放つ。

「これをオレが預かる事に、そして冥夜がオレに託す事に、どんな意味があるのか聞いても良いか?」

「む、や、やはり説明せねばならぬか?
 そ、そうだな、きちんと説明せねば私の独り善がりとなろう。
 し、しかし、なんと言ったものか…………察しては……くれぬであろうな、そなたでは……」

 武の問いに、冥夜は頬を染めると、視線を武から逸らして呟く様に声を漏らす。
 その小さな声を武はしっかりと聞き取り、冥夜の想いと正面から向かい合う覚悟を決めた。
 彩峰の時の様に、相手の想いから目を逸らす様な行いをしては、相手をより多く傷付けると思った武は、自意識過剰と言われかねないと承知の上で、自分から話を切り出す事を選ぶ。

「なあ冥夜、もしかしてオレの思い上がりかもしれないけどさ……
 その…………オ、オレの事を……あー、ええと、その……に、憎からず想ってくれてて……
 その証に……とか、そ、そういう事だったりするのか?」

 覚悟はしたものの、いざ口にするとなると動揺を抑えきれず、武は真っ赤な顔でなんどもどもり、迷い、つっかえながらも、それでもなんとか伝えるべき内容を口にした。
 何故かバクバクと鼓動を強める人工心臓や、今にも破裂するんじゃないかと思う程に腫れぼったく熱く感じる頬に、人間の身体機能を再現するにしてもやり過ぎなんじゃないのかと、武は00ユニットの精妙な作りに内心で八つ当たりして気を紛らわす。
 その一方で、こんなに恥ずかしくも大変な思いを、智恵や月恵、そして彩峰はしたのかと思い至る。

 この時、武の脳裏に純夏と晴子の存在は浮かばない。
 晴子に関しては、飄々とした冗談交じりの告白の裏に隠されたその本心が、武には到底計り難く実感も湧かなかった所為である。
 しかし、元祖温泉作戦まで敢行した純夏まで思い浮かばないのは憐れと言うべきか、それともそれだけ武にとって特別なのだと言うべきなのか。
 いずれにしても、因果律干渉を続ける為に己に恋愛を禁じて以来、恋愛問題から目を逸らし続けて来た武が、ここに至ってようやく真っ向から相手の想いに向かい合おうとしていた。

 そして、自身の言葉に対する反応を待ち受ける武が、恐々視線を上げて冥夜を窺うと、そこには驚愕の表情を浮かべ、自身の身を守ろうとするかの様に手を前に翳して上体を仰け反らせる冥夜がいた。
 冥夜のそんな様子を見た武は、背筋凍ったかのような激しい悪寒を感じる。
 もしかすると、自分はとんでもない勘違いをした上で、凄まじく恥ずかしい事を言ってしまったのではないか―――武はそんな思いに全身を硬直させた。

 が、武にとっては永劫とも感じられた数秒が過ぎ去った後、漸く冥夜が発した言葉によって、武の硬直はなんとか解消される事となった。

「―――なんと…………そなたが私の胸の内を汲み取ってくれようとは、夢にも思わなかったぞタケル。
 私は、生半な行いでは、そなたに想いが通じる事などあり得ぬと思っていた。
 どうやら、そなたを見誤っていたようだ、すまなかったなタケル。」

 驚愕に染まっていた表情を、花が綻ぶように笑みへと変えて告げられた冥夜の言葉に、武はほっと胸をなでおろして息を吐く。
 この時、武は羞恥心の余り、いっそ部屋から飛び出して敵前逃亡を計ろうかとまで思い詰めていた。
 指揮官失格と詰られても仕方のない行為を成す直前で、武はギリギリで救われる形となった。
 しかし、冥夜の言葉を反芻した武は、ばつの悪そうな顔をして頭を掻いて口を開く。

「いや、冥夜に謝ってもらうような事じゃねえよ。
 昨日までのオレだったら、きっと冥夜の言う通りの反応だったと思うからな。
 実は昼に彩峰に言われちまったんだ。
 向けられている想いに気付かない振りをして、目を逸らしてるってさ。
 ―――そのお陰で、さっきも危うく自分を誤魔化しそうになったんだけど、なんとか踏み留まれたんだよ。」

 武の説明に、真剣な眼差しで聞き入っていた冥夜だったが、一瞬苦笑めいた笑みを浮かべた後、腕組みをして頭を逸らした。

「ふむ、どうやら彩峰に感謝せねばならぬようだな。
 だがなタケル、切っ掛けが彩峰の指摘にあったとしても、そうやってそなたが自らの行いを正したのであれば十分ではないか。
 少なくとも、私にとっては……その、なんだ……ぼ、望外の喜びであったのだぞ?」

 得々と言い聞かせるように告げる冥夜であったが、最後に言い淀んだ辺りになると、頬が薄らと赤味を帯びていた。
 ちらりと武を窺った冥夜の瞳が、嬉しい様なくすぐったい様な表情を浮かべた武を捉えると、その頬の色は鮮やかさを増す。
 冥夜は慌てて目を瞑ると、密かに動悸を抑え呼吸を整えた後、言葉を続ける。

「―――は、話を元に戻すぞ。
 これは言わずにおければと思っていた事ではあるが、事ここに至っては隠し立てしたとて致し方あるまい。
 少々長くなるが、構わぬか?」

 そう武に問いかけ、薄く眼を見開いて窺う冥夜に、武は真剣な表情でしっかりと頷きを返した。
 それを認めた冥夜は、一つ深呼吸をすると平静を装って語り出す。

「そなたの申した通り、その『皆琉神威』の鍔をそなたに託すのは、私の想いを証し立てる縁(よすが)として貰う為だ。
 そもそも、そなたと出会って此の方、私はそなたに返し切れぬ程の恩義を受けた。
 訓練兵であった頃、私の身分や正体を知って尚、なんら態度を変えずに接してくれたそなたのお陰で、隊の皆からも私に対する固さがなくなっていった。
 そなたは礼儀知らずである故だとか、自然に振舞っているだけだとか申すのであろうが、私にはそれこそが紛れも無く救いとなったのだ。
 ましてや、今の私は、そなたのお陰で姉上の名代となり、誰憚ることなく公の場で言葉を交わせる立場にまでなれた。
 姉上の影となるべく生きていた頃には、望むべくも無かった事だ。
 そなたには本当に感謝している。」

 冥夜はそう言うと、深々と頭を垂れた。
 そして、武に促されてその頭を戻すと、武に真摯な視線を向けて話を続ける。

「そうして、そなたの行いや存在そのものに救われる日々を過ごす内に、私の心の内でそなたへの想いが知らず知らず育っていたのだ。
 そして、『甲21号作戦』前夜の一件を経て、『桜花作戦』が迫る日々の中で、私は遂にそなたへの想いを自覚するに至った。
 だが、私はそなたが『甲21号作戦』前夜に告げた言葉を聞き、そして其処に籠められた決意や想いの重さを感じるが故に、自身の想いをそなたに告げようとは思えなかった。」

 武は過去の経験から、仲間達から恋愛感情を向けられる可能性を案じ、それを回避しようと自身が告げた言葉を思い返す。
 必ずしも虚偽ではないが、本心とも言い難い言葉。
 それが、これ程までに重く受け取られていたのかと思うと、武は罪の意識に苛(さいな)まれずにはいられなかった。

「そなたが過去に喪ったと言う者達へと向ける想いについては、私には想像する事しか出来ぬ。
 しかし、そなたがその過去に押し潰されず、人類全体の為に崇高な目的を抱き、全身全霊を尽くして邁進している事は、僅かなりとて理解できていると思う。
 私は、そんなそなたの力となりたいと願っているし、私事でそなたに負担をかけるなど以ての外と、そなたへの想いを封じると決めた。」

 冥夜はここで一旦言葉を切り、その双眸を伏せると、首を横にゆるゆると力無く振る。
 そして、常に無く弱々しい声音で、言葉を絞り出す様にして話を続けた。

「―――だがな、タケル……この1週間、そなたと鑑が共にある姿を見るにつけ、私はどうしても考えてしまうのだ。
 ……そなたは……何を見ているのだ? 誰を見ているのだ? 何が大切なのだ?
 最近、そなたの顔を見れば……そんなことばかり考えてしまうのだ。
 そして……考えれば考えるほどに……わからなくなる……不安になる。」

 恐らくは自責の念であろう苦渋の色を漂わせて告げる冥夜に、武は眉を顰める。
 しかし、武には冥夜に返す言葉が思い浮かばなかった。

「私には、そなた自身の在り様が、眩く輝かしいものに見えてならない……
 ……それだけに羨ましいのだ……そなたが目を向けている者……
 そなたの心の奥底で……そなたを捉えて離さない、鑑純夏という者がな……
 何にも捉われないそなたと共にある者は、さぞ悠然と生きられよう……私は……それが羨ましい……」

 悄然として其処まで告げた冥夜であったが、己が惰弱を振り払おうとするが如くに、勢い良く頭を振ると背筋をピンと伸ばして姿勢を正した。
 そして、少しだけ自嘲の笑みを浮かべた後、武へと意志の力を取り戻した視線を据え直し、再び言葉を続ける。

「許すが良い、タケル。つい、詮無い事まで口にしてしまった。
 私は、そなたの意志も、決意も、決して軽んじたりはせぬ。
 そなたの助けになりこそすれ、重荷となる事など断じて為したくはない。
 然れど、鑑を受け入れるに際しては、如何しても自身の気持ちに何らかの区切りをつけねばいられなかったのだ。」

 そう言うと、冥夜は折り畳み机の上に置かれた、『皆琉神威』の鍔―――それが納められた桐箱に右手を添え、柔らかな視線を其処へと落として静かに語る。

「それ故に、せめて私の想いの証しとして、この『皆琉神威』の鍔をそなたに託そうと思ったのだ。
 私の想いがそなたに伝わらずとも、これがそなたと共にありさえするならば、それを以って我が想いがそなたに届いたも同然と、そう見做す事も出来よう。
 然すれば、鑑と相対したとて、私は心を乱さずに接する事が叶うのではないかと―――そう思ったのだ。」

 武は冥夜の己への気遣いに、深い感謝の念を込めた視線を投げかける。
 が、その視線の先で、冥夜は突如莞爾として満面の笑みを浮かべる。

「しかし、だ。案に相違して、そなたにすっかりと胸の内を明かしてしまう運びとなったな。
 これは私にとって僥倖だったが、そなたは何も思い悩まずとも良いぞ、タケル。
 そなたの決意は既に聞いておる故、返事も不要だ。
 これで私も鑑や柏木、高原や麻倉と同じ場所に立つ事が叶った。
 今後は気兼ねなくあの者等と接する事が出来よう。」

 胸を張ってそう言い切った冥夜に、武は安堵の混じった溜息を一つ吐くと、肩を竦めた後、言葉を告げる。

「そっか……随分と気を使わせちまったみたいだな、冥夜。
 おまえの気配りにも、オレに向けてくれた想いにも礼を言うよ。
 ―――ありがとうな。」

 武も冥夜も、笑みを浮かべて互いに眼差しを向け合う。
 最早2人の間には朗らかな雰囲気だけしか存在せず、一時落ちていた陰りはすっかりと払拭されていた。
 そして、そんな空気の中、軽い口調で武が言葉を発する。

「じゃ、話を更に戻すけど、そう言う事ならこの鍔は受け取らなくてもいいよな。」

「ん?―――そうだな、想いを告げてしまった故、どうしてもとは言わぬが……
 何故、受け取ってくれぬのだ?」

 武の言葉に、首を傾げて問い返す冥夜。
 そんな冥夜に、武は照れくさそうに告げるのであった。

「だってさ……『皆琉神威』は冥夜の分身みたいなもんなんだろ?
 だったら、万全の状態で居て貰った方が良いに決まってるじゃないか。」

 そんな武の言葉に、冥夜も笑みを深くして頷きを返し、『皆琉神威』の鍔を仕舞うのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年07月16日(火)

 06時44分、1階のPXで朝食を共にしている純夏と霞に、話しかける人物がいた。

「―――と、言う訳で、私もタケルに想いを告げるに至った。
 これで立場は同じだな、鑑。」

 ふんふんと、頻りに頷きを返す純夏に、冥夜が昨夜のあらましを告げていたのだ。
 すると、純夏の対面の椅子に腰かけた冥夜の後ろに、何時の間にか移動していた彩峰がニヤリと笑い、右手の平を立てて淡々と告げる。

「……御剣やるね……あたしもしたけど。」

「あ、彩峰! あなた今何て―――!!」

 必死に平静を装いながら、冥夜の話に聞き耳を立てていた千鶴が、両目を極限まで見開いて叫び絶句する。
 それにフッとバカにした様な笑みを返すと、彩峰は腕組みをしてフィニッシュブローの如き一言を千鶴へと放つ。

「……あたしも告白した……まいった?」

 彩峰の言葉に、千鶴はパクパクと口を開け閉めするだけで言葉が出ない。
 そんな千鶴の代わりとばかりに、晴子が興味深げに言葉を発する。

「へー、2人とも同じ日に告白したんだー。
 急にどうしたのさ。2人で励まし合ったにしたって、御剣と彩峰って組み合わせは珍しいよね。」

「たまたま……」

 目を細めて、平坦な口調で応える彩峰に、冥夜が言葉を足す。

「うむ。全くの偶然だ。
 そもそも彩峰の場合は、武の方にこそ何らかの用件があったようだぞ。
 それが、何故に彩峰の告白へと繋がったかは知らぬがな。」

 冥夜のその言葉に、周囲の視線が彩峰に集まる。
 そして全員の疑問を代弁するかのように、首を傾げていた壬姫が、誤魔化す様な笑みを浮かべて上目遣いで訊ねる。

「え~と~、彩峰さん、たけるさんの用事ってなんだったの?
 それと、どうして告白する事になったんですかあ?」

「……内緒だよ?……実は………………」

 そう言ってテーブルに身を乗り出す彩峰に、周囲の殆どが身を乗り出して耳を澄ませる。
 智恵や月恵は勿論の事、武に対する恋愛感情を持ち合わせていない茜や多恵までもが、興味本位で加わっている。
 例外は我関せずと味噌汁を啜る霞と、興味の無い素振りで聴覚を全開にしている千鶴だけであった。

 現在、この場にはヴァルキリーズの新任達10名と純夏に霞を加えた12名が揃っており、ヴァルキリーズの先任達は未だに姿を現していない。
 そして昨夜より、ソ連軍派遣部隊へのXM3教導を目的として斯衛軍川崎演習場へと出向している為、武も同席していなかった。

 武が居合わせてダブルあ~んをしている時には、ピリピリとした緊張感に満ちた空気が漂うのだが、この日の様に武が居合わせない時には、朝食の場は実は至って和やかなものである。
 既に純夏との顔合わせから1週間が経過しており、それなりに友好的な関係が構築され始め、夜間訓練の無い日などには純夏や霞を交えたヴァルキリーズの面々が、PXで会話や遊戯に興じていたりもする様になっていたのだ。
 しかし、そこに武と言う刺激物が関与してしまった途端、態度がぎこちなくなる者が数名居た為、武は未だに純夏がヴァルキリーズに馴染めていないと思い込んでいる。
 しかし実際には、周囲の面々と共に興味津々で顔を寄せ合っている純夏は、すっかりと馴染んでしまっていたりする。

 ―――と、身を乗り出していた面々が、つんのめる様にしてテーブルへと一斉に倒れ込む。
 幸いにして、未だに残っていた朝食が下敷きになったり、ひっくり返される事はなかった。
 さもなくば、全員揃って京塚のおばちゃんに説教される羽目になっていたことであろう。

 そして、倒れ伏す仲間たちを他所に、唯一人、悠然と身を起こした彩峰が言い放つ。

「だから……最初から言ってる…………内緒だって……」

「ここまで引っ張っといて、それはないよ~慧さん!」

 テーブルへと身を投げ出して脱力したまま、美琴が彩峰に苦情を投げかける。
 根こそぎ気力を削がれたらしく、力無く上体を起こす面々も、皆同意の頷きを繰り返すばかりであった。

 そんな惨状を、彩峰に対して意地を張り素知らぬ振りを装っていたが故に、醜態を晒さずに済んだ千鶴が、呆れた様に両手を広げ、肩を竦めて眺めていた。
 そのこめかみを伝って落ちた、一筋の冷や汗に気付いたのは、味噌汁の碗をトレーに戻した霞だけであった。




[3277] 第127話 オン・ユア・マークス!(後編)
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/02/08 17:16

第127話 オン・ユア・マークス!(後編)

2002年07月20日(土)

 18時17分、B8フロアの通路を、ソ連軍派遣部隊へのXM3教導から、数日ぶりに帰還した武が歩いていた。

 ODL交換装置を初めとした機密機材の類は、既にB18フロアへと格納してきた為、武が持っている荷物は、衣類等の身の回り品を詰め込んだバッグ1つだけであった。
 それを右手にぶら下げた武は、早いとこシャワーを浴びてさっぱりしようと、自室を目指し足早に歩く。
 そして久しぶりにありつける筈の京塚のおばちゃん謹製の料理を思い浮かべると、気苦労の多かった教導任務での疲労も抜けていく様で、更に足取りが軽くなる武であった。

「え? あれ……もしかしてタケル!?」

 しかし、突然投げかけられた声によって、武はその歩みを止められてしまう。
 声の発信源に向かって振り返った武は、視線の先に駆け寄って来る美琴の姿を認め、左手を軽く上げてその場で待つ。

「ん? ああ、なんだ美琴か、何驚いてるんだ?」

「なんだだじゃないよ、タケルぅ。
 いやー、久しぶりだね~。もう随分会ってないような気がするよ。
 あ……背伸びた?」

 自身の問い掛けには全く応じずマイペースに言葉を連ねる美琴に、武は苦笑を浮かべながらも会話に応じる。
 鎧衣課長と話す機会が多くなった所為か、以前に比べて美琴の言動程度では動じないようになった自分を、武は染み染みと実感していた。

「伸びてないって。それより、なんか用か?」

「あーっ! そうそう、大事な用があったの忘れてたよっ!
 ねえねえ、タケルぅ、これからちょっと時間ないかなあ?
 実はさあ、さっきもそろそろタケルが帰って来るんじゃないかと思って、様子見に来たとこだったんだー。
 そしたら、ホントにタケルが歩いてたもんだから、ボクもうびっくりしちゃったよ~!
 でも、これってやっぱりタケルとボクの絆がそれだけ深いって…………」

 武の都合を尋ねこそしたものの、美琴はそのまま妄想に突入してしまい、自問自答のような言葉を延々と連ねていく。
 武は苦笑して肩を竦めると、そんな美琴の言葉を適当にあしらいながら、自室への歩みを再開した。
 そして、美琴を自室へと招き入れて椅子に座らせ、荷物を放り出すと自身はベッドに腰を下ろす。

 この期に及んでも、美琴は何やかやと訳の解からない妄想と思われる話しを続けていた。
 その中には武と2人だけで、無人のマグロ漁船で太平洋を漂流するという話しまであった。
 その奇抜さに興味を惹かれないでもない武だったが、夕食を逃したくなかった事もあり、美琴の暴走を止めるべく口を開く。

「―――美琴ッ!……で、大事な用事って何なんだ?
 さっさと話さないと、夜間訓練が始まっちまうぞ?」

 美琴に、武は大きめの鋭い声を発して名前を呼ぶ。
 いきなりの大声に、驚いた美琴は眼を大きく見開いて口を閉じる。
 それを見極めて、武が透かさず話しかけると、美琴は時刻を確認して慌て始める。

「うわわ、ほんとだっ!
 こまったなぁ…………こ、こうなったらもうあれしかないよねっ……
 ―――タケルぅっ!!」

 時間の不足を指摘された美琴は、常にも増して挙動不審となり、視線を左右に泳がせながらぶつぶつと呟き始める。
 だんだんと俯き加減になっていき、最終的に視線を床へと落としてしまった美琴だったが、急にキッと頭を上げると武へと真っ直ぐ突き刺さる様な視線を注ぐ。
 そして、徐に武の名を呼びながら椅子から飛び出し、そのまま身を投げ出すようにして武の胸元へと飛び込んだ。

「うわっ! きゅ、急に、なにしてんだよ?!」

 咄嗟に回避しそうになった武だったが、そうしてしまうと美琴がベッドを飛び越えて壁に激突すると予測した為、回避を中断。
 衝撃を軽減できるように、なるべくそっと小柄な美琴の身体を受け止める。
 その結果、武は半ば美琴に押し倒される様な姿勢になり、自分の頭を壁にぶつけてしまった。
 しかしその甲斐あって、上手く美琴を受け止める事に成功し、大事には至らずに済んだ。

 とは言え、何時にも増して突飛な美琴の行動に、武は顎を引く様にして視線を下ろすと、自身の胸元に抱きつく形となっている美琴を窺う。
 すると、間近で潤む、美琴の大きな双眸と、視線がばっちり合わさってしまった。
 武の胸板からほんの少しだけ上体を浮かせ、見上げる様にして武の顔を見詰める美琴。

 そのフライトジャケットに身を包んだ美琴の姿に、一瞬だけではあったが、武の脳裏に浮かんだ一糸まとわぬ美琴の裸身が重なる。
 それは、最初の再構成から派生した確率分岐世界群に於ける、総戦技演習での記憶。
 衛士訓練兵としては、素人に毛が生えた程度の能力しか身に付けていなかった武が、発熱を蛇の毒の所為と誤認した時の記憶。
 美琴が身を以って、武を温めようとしてくれた時の想い出であった。

 その時の、月の光を浴びてほの白く浮かび上がる肌の色を、武は瞬きをして脳裏から消し去ると、今まさに眼前に居る美琴へと意識を集中する。
 しかし、その結果直視してしまった、美琴の熱に浮かされた様に潤んだ瞳の上目遣いと儚く切なげな表情に、武の鼓動は早く、そして強く脈打つ。
 生体の不随意反応を忠実に模倣する、00ユニットの機能に心中で毒づきながら、武が直接制御で脈動を抑えようとしたその時、それを阻止しようと意図したが如き絶妙なタイミングで、美琴の震える声が武の聴覚へと飛び込んできた。

「ねえ、タケルぅ……ボクって、そんなに魅力ない?」

 その一言で、武の思考は呆気無く凍り付き、鼓動は更に速度を増していく。
 武は、そんな美琴に何とか言葉を返したが、その声はしゃがれ、動揺に震えていた。

「―――な、なに言ってんだよ、美琴。」

 そして、その言葉を聞いた美琴が、悲しげに眉を寄せたのを目にした武は、強い後悔に苛まれ絶句した。
 そんな武の耳朶に、悲しげで、にも拘らず熱を伴った美琴の声が届く。

「ボクだって……ボクだって女の子なんだよ? タケル。
 まさか、ボクの事、男の子だなんて思ってないよね?
 ―――ねえ、どうなの? タケルぅっ!」

 小声でありながら、身を切るかの如く切実な美琴の声音に、武は息を呑んでから慎重に応じる。

「美琴の事を男だなんて思ってないって。
 それに……魅力が無いだなんて、そんな事だってないぞ。」

「ホントに?」

 小首を傾げて上目遣いで問い詰めて来る美琴に、武は上擦りそうな声を懸命に抑えて応える。

「あ、ああ。本当だ。―――だから、美琴、いい加減離れてくれないか?
 こ、このままじゃ、ちょっと落ち着いて話せそうに―――」

 そして、なんとか美琴を説得して、この体勢から逃れようとした武の言葉を、しかし美琴は首を激しく振って遮る。

「タケルは何もわかってないッ! ボクのこと…………何もわかってないよね。
……やっぱり、タケルはボクのこと嫌いなんだ……そうなんだよね? タケル……」

 武の胸に顔を押し付けた美琴は、その胸の奥へと直接しみ込ませようとするかの如く、切々と涙声を絞り出す。

「嫌いだなんて、そんな訳ないだろ?
 美琴、おまえはオレにとって大事な仲間だ。」

 武のその応えに、美琴はピクッと肩を震わすと、顔を上げて泣き濡れた双眸を武へと向ける。
 そして、僅かに逡巡した後、美琴は感情を抑え込んだ、平坦な口調で武に問いを放つ。

「―――じゃあさ、タケルは純夏さんの事をどう思ってるの?」

 突然ぶつけられたその問いに、武の表情が強張る。
 それを見た美琴は、辛そうな切なげな笑みを浮かべて言葉を連ねる。
 武はそれを、只々聞く事しかできなかった。

「ボクだってね…………気にするんだよ。
 タケルが純夏さんと居るのを見る度…………気になるんだよ?
 後ろめたいから、動揺するんでしょ? タケル、ボクの目を見れる?」

 美琴の言葉に、そして真っ直ぐに見詰めて来る瞳に、武の視線が僅かに揺らぐ。
 そして、その揺らぎを、美琴は見逃しはしなかった。

「…………いいんだよ。無理しなくて……別にボクは…………
 ボクは別に……その……タケルが……誰を好きだって…………
 タケルが誰を好きだって、誰も受け入れなくたって、そんなのはどうでもいいんだ!
 でも……ボクってこういう性格だし…………ボクが本気だってこと、タケルにちゃんと伝わらないと思うから。
 今じゃないと、きっともうだめだから……
 日常に戻ったら、きっとまたバカやっちゃうから…………
 だから、ボクの本気に、今だけでもいいから、ちゃんと答えて。」

 美琴は一旦言葉を切ると、武をじっと見詰めたまま大きく息を吸った。
 そして、真摯な眼差しを武へと据えたまま、儚げな笑みと共に想いを告げる。

「タケル……好きです……大好き……もちろん、女の子としてだよ?
 だめ? ボクじゃ、だめ?
 タケルがイヤならいいんだ。タケルのことはあきらめるよ。
 だけど、タケルにはちゃんと知ってほしかったんだ。
 ごめんね? タケル―――」

 そう言い終えると、美琴は寂しげな笑みを浮かべながら身を起して武から離れる。
 そうして微かに震える足で立ち上がった美琴が、後ろへと一歩下がろうとしたその時―――武の右手が伸びて美琴の左手を掴んだ。

「っ!!―――タケル?」

 距離を置こうとした美琴を、ベッドから素早く身を起こした武は引き留め、精一杯の笑みを浮かべて見上げる。
 小柄な美琴ではあるが、ベッドに腰掛けた武よりは流石に視線が高くなる。
 普段は見上げるばかりなのに、今は見下ろす形となった武の顔に、優しげな微笑みを認めて美琴の胸は高鳴った。
 そして、そんな美琴に武の柔らかな声が投げかけられる。

「あやまんなよ、美琴。
 悪いのはオレの方だ……オレの事、好きだって言って貰えたのは本当に嬉しいよ。
 だから、謝ったりしないでくれ。
 おまえや純夏、高原に麻倉、それから柏木もか……おまえらの想いを受け入れてやれないのは、オレの勝手な都合なんだからさ。」

「―――冥夜さんと慧さんもだよね?」

 透かさず挟まれた美琴の言葉に、武は言葉に詰まる。
 茶々を入れた美琴の方は、悪戯っぽい笑みを浮かべてはいたが、その実、胸の鼓動は激しく脈打っていた。

「うっ……あ、ああ、そうだな。あいつらもだ……
 揃いも揃って何でオレをって思うけど、お前らの気持ちは本当に嬉しいんだ。
 なんてったって、恋愛感情じゃないにしろ、お前らはオレにとって大切な存在―――掛け替えのない仲間だからな。
 純夏は……あいつは仲間って訳じゃあないけど……ガキの頃からの幼馴染で、家族同然の奴だからさ……
 なんていうか―――」

 ほんの数日前の事が既に知られている事に慄いた武だったが、それでも美琴を極力傷付けないようにと、懸命に言葉を連ねる。
 時空因果律干渉を続ける為に、記憶抹消のトリガーと推測される恋愛関係の構築を忌避する武であったが、自身へと想いを向けてくれる仲間達を、必要以上に傷付ける事も本意ではないのだ。

 しかも、こうして面と向かって好意を向けられると、武の心の中で彼女等と結ばれた記憶が疼く。
 それは一度は記憶抹消によって失われ、その後のフラッシュバックや記憶流入によって思い出した曖昧な記憶ではあったが、それに伴う熱くて強い想いは、武の心に深く根を張っていた。

 だがその時、武の心中の疼痛と懸命に紡がれる言葉を、やんわりと告げられた美琴の言葉が遮る。

「いいよタケル。ボクの気持ちを聞いてくれて、嬉しいって言ってくれただけで十分だよ!
 最初っから、武は恋愛なんてする気は無いって言ってたんだから、今はボクの気持ちをちゃんと聞いてくれたってだけで嬉しいよ。
 純夏さんの事だって、武にとって特別な女性(ひと)だったとしても、少なくとも今は恋人として見てないって武の言葉を信じるから……
 だから、今はこれで十分。―――でもねタケル……ボクは……ううん、ボクだって絶対諦めたりはしないんだからね!!」

 美琴の、恐らくは武を精一杯気遣い、不安や不満を押し隠しているのであろう言葉。
 武はそれに救いを感じると共に、美琴に気を遣わせてしまった自分の不甲斐なさを悔まずにはいられなかった。
 しかも、そんな不甲斐ない自分への想いを、美琴は尚も抱き続けると言う。

 想いを受け入れる事の出来ない自分が、果たしてこの想いに如何に応えられるのか―――
 答えを見出せぬまま、迷いを振り切れぬままに、それでも武は口を開いた。

「………………そうか……ありがとな……………………ところで美琴。」

 武に礼を告げられ、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた美琴は、即座に問い返す。

「え? なにかな、タケル?」

「―――時間いいのか? もう50分過ぎてるぞ?
 夜間訓練19時00分(ひときゅうまるまる)からじゃないのか?」

 告げられた武の言葉に、美琴の笑顔が引き攣り、瞬間冷凍されたかの如くに凍りつく。
 そのまま、数秒が過ぎ去った後、美琴の首から上だけが錆びついた機械の様にぎこちなく回り、事務机に置かれた置時計を視界に納める。
 しかし、その動作の間も、首から下の身体と、首から上の顔の表情等は凍りついたままであり、美琴は大層不気味なオブジェと化してしまっていた。

「え゛!?………………………………あーっ!! ほ、ほんとだ、大変っ、遅刻しちゃう!!!
 じゃ、じゃあ、ボクはこれで行くから、ま、またねタケル!」

 置時計で時刻を確認した美琴は、その場で飛び上がって地団駄を踏むと、大慌てで叫び声を上げながら部屋から飛び出す。
 そのくせ、もう一度閉まりかけたドアを押さえて顔だけ出すと、大急ぎで武に暇を告げて、今度こそ大慌てで走り去っていく。
 猛スピードで遠ざかっていく足音を、遮るかのように閉じたドアに向かって、武は苦笑と共に安らいだ言葉を返すのであった。

「ああ……またな…………美琴。」

  ● ● ○ ○ ○ ○

 20時23分、B19フロアの夕呼の執務室を武が訪ねていた。

「―――と言う事で、『甲26号作戦』での投入を前提として、ソ連軍に優先供給されたXM3は、全て対BETA戦術構想の教導を受けた部隊より接収され、アラスカ軍管区へと輸送された模様です。
 XM3の教導を受ける為に派遣されてきたソ連軍派遣部隊3個大隊は、全て極東軍管区の所属であり、派遣終了後はペトロパブロフスク・カムチャッキー基地に駐留し、『甲26号作戦』に備える予定となっていました。
 確かに、教導を終えて帰還した2個大隊はペトロパブロフスク・カムチャッキー基地に駐留していますが、教導中に配備されており日本でXM3が搭載された『Su-37UB(複座型チェルミナートル)』36機と、陽動支援機及び随伴輸送機、そしてシミュレーターへの搭載用であるXM3ユニット合計216基は、全て取り上げられてしまったようです。
 帰還後は、従来型OSによる訓練を強いられているみたいですね。」

 報告する武の声音は淡々としたものであったが、その表情は渋面としか言いようのないものであり、ソ連軍上層部に対する忌避感が如実に表れていた。

「本日帰還したソ連軍派遣部隊も、帰還後は装備を接収される事が予想されますね。
 ただし、今回派遣されてきたソ連軍衛士の中には、派遣前に急遽転属してきたロシア人衛士が含まれていませんでしたから、帰還後に衛士を引き抜かれる事はないと思われます。
 第1次派遣部隊と第2次派遣部隊は大隊の内1個中隊の指揮官3名が、まるまる転属してきたロシア人衛士で置き換えられていましたからね。
 彼ら6名は派遣終了後、接収された機体やXM3ユニットと共に、再びアラスカ軍管区へと転属していった模様です。」

 夕呼は何時もの如く詰まらなそうな表情で、執務机の上に置かれた端末を操作して、別の作業をしながら武の報告を聞いていた。
 その態度自体が、現在武の行っている報告を、夕呼がさほど重要視していない事を示している。

「この6名に関しては、情報省の嘱託扱いとなっている千里望による派遣部隊衛士のリーディング結果により、XM3と対BETA戦術構想に習熟する事を目的として、急遽派遣部隊に転属された衛士である事が判明しています。
 しかも、第1次派遣部隊として来た3人は、ロシア人特権階級で構成される中央戦略開発軍団の所属でしたよ。
 尤も、機密情報に接する事すら許されていないペーペーでしたし、帰還後のXM3接収の予定すら知らされていませんでしたけどね。
 第2次派遣部隊の3人は、首都であるセラウィク防衛に当る戦術機甲連隊の所属で、こちらは前の3人よりも更に機密とは縁遠い面子でした。
 第2次派遣部隊では、第1次派遣部隊に随伴してきた諜報員も居なくなりましたから、鎧衣課長は千里望を使用した牽制が上手く機能したんだろうって評価してましたよ。」

 武は、ソ連の謀略により、帝国へと亡命してきたESP発現体の少女―――日本名千里望の顔を思い浮かべて笑みを浮かべる。
 本人は知らぬ事とは言え、オルタネイティヴ4に対する潜入工作員として送り込まれた彼女だったが、それを看破した武はその身柄を情報省の鎧衣課長に託した。
 その千里望と、武は今回の教導任務中に、思考波バラージによるリーディング防止対策を行った上ではあるが、会話を交わしている。
 思考波バラージの所為で、鬱陶しそうに顔を顰めた望だったが、その表情は亡命してきた時と比べて明らかに明るく豊かになっていた。
 それを見て、武は彼女の身柄を鎧衣課長に預けて良かったと、初めて確信を持つ事が出来たのである。

 鎧衣課長は、彼女のリーディング能力を活用し、要人に対する諜報活動等に適宜投入しているが、彼女の得た情報はその殆ど全てが、彼女の姉妹による長距離リーディングによってソ連側に漏洩してしまう。
 鎧衣課長はそれを逆用してソ連に対する諜報戦を仕掛けており、今回はソ連軍派遣部隊を隠れ蓑とした工作員の活動を牽制する為に、千里望を投入していた。

 本来、リーディングによる情報収集のみが目的であれば、教導に当たった武だけでも十分であった。
 にも拘らず千里望を投入したのは、リーディングによる情報収集が行われているとソ連に察知させ、諜報活動を自粛させると共に、武のリーディング機能による情報収集をカモフラージュする為である。
 そういった意味では、今回の3次に亘るソ連軍派遣部隊に対する千里望の投入は、十分な効果を上げたと言える。

「で、第3次派遣部隊が帰還すれば、また装備の接収が行われて、アラスカへの輸送が行われると予想されますから、鎧衣課長に追跡調査をするように依頼してあります。
 データリンクを通じて入手した、ソ連軍の輸送部隊や人員の動きを分析した所、何基かのXM3ユニットはソ連軍とパイプを持つノースロック・グラナン社のエージェントに渡された可能性が高いとの結果が出てます。
 それと、2週間後にデータリンク経由での、XM3アップデートが予定されてます。
 ソ連軍は接続情報を欺瞞して来るでしょうけど、この時に各XM3の位置情報や運用データを取得できると思います。」

 ここで、それまで途切れることなく続いていた、夕呼の指がキーボードを打つ音が途切れた。
 そして、キーボードから離した手を顎に添えた夕呼は、にんまりと笑みを浮かべて言葉を漏らす。

「そう。世界中の国家からオーダーが殺到して、年内希望納入数の1割すら満たせない状況にあるXM3。
 それを、ハイヴ攻略作戦に必要だからという理由で、最優先で供給されながら隠匿するだなんて、ソ連も馬鹿な手を打ったもんよねえ。
 まあ、隠匿の事実自体を隠蔽する為にも、どうせ他にも何か良からぬ事を企んでるんでしょうから、そっちも見逃すんじゃないわよ?」

 そう言って、視線を投げかけて来る夕呼に対し、武は頷きを返す。
 それを確認した夕呼は、寸時思考を巡らせた後、再び口を開いた。

「―――そうねえ。米国の企業も絡んでるようなら、それを口実に米国にも調査させるのがいいわね。
 幸い、大統領には貸しがタンマリあるし、あいつもいい加減、事が明らかになってから冷や汗掻いて釈明するのにも飽きたでしょうからね。
 米国の調査でも同様の結果が出ていれば、ソ連もぐうの音も出ないでしょ。
 今晩にでも、大統領をせっついておくわ。
 あんたも、鎧衣と上手く連携して、今後のソ連の動きに目を配っといてちょうだい。」

 武は、早朝から夕呼の口撃に曝されるであろう米国大統領に同情しつつ、了承の意を込めて夕呼に大きく頷いて見せた。
 XM3を前線部隊から取り上げて、中央のエリート部隊で運用するというソ連の行為は、前線で戦う将兵等の生命を軽視しているとしか武には思えない。
 その、生命軽視の傾向が、ソ連の次なる策謀の方向性を暗示している様に思えて、武は暗欝たる表情を浮かべるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年07月21日(日)

 09時23分、B8フロアの自室で、事務机に置かれたセントポーリアの鉢植えを、壬姫が真剣な眼差しで見詰めていた。

「たま、居るか~?」

 ドア越しの為か、うっかりと聞き逃してしまいそうな程小さな声が、室内へと届く。
 長時間根を詰めて考え事をしていた所為で、ぼーっとしていた壬姫は幻聴かと疑ってしまい、ぼんやりと閉まったままのドアの方へと視線を向けるだけであった。

「あれ? 居ないのか? 部屋で待ってるって言ってたよな?
 お~い、たま~~~。」

 しかし、その視線の先のドア越しに、愛猫を探すかの如き能天気な声が先程よりは大きく響き、壬姫に現実を突き付ける。

「え………………………………あれ? ひひひひょっとして! たたたたけるさんですか?
 ど、どどどどどどうぞっっっ! どどどどうしたの~~~!?」

 武の呼びかけに反応こそしたものの、疑問の声を上げた壬姫はしばし呆然とした後で、大慌てで立ち上がる。
 腰かけていた椅子を蹴倒し、躓いて転びそうになりながらも、壬姫は何とか辿り着いたドアを勢い良く開く。
 開かれたドアの外に居た武を招き入れる壬姫だったが、その言葉はどもりまくっており動揺を顕わにしていた。

「とりあえず落ち着けって、たま。」

 壬姫に室内へと招き入れられた武は、蹴倒されて床に転がっている椅子を目に止めると、密かに苦笑を浮かべた。
 そして、壬姫を落ち着かせようと声をかけたのだが、壬姫は何故か直立不動の最敬礼で応じる。

「だだ大丈夫! んもう全然落ち着いております!」
「微妙に言葉遣い変!」

 そんな壬姫に、即座に突っ込みを入れる武。

「あうあうあ……」

 壬姫はと言えば、顔を真っ赤に染め、涙を一杯に溜めた大きな瞳を潤ませて、ひたすら狼狽えるばかりであった―――



 ―――それから数分が経過し、ようやく落ち着きを取り戻した壬姫は、武に椅子を勧めると向かい合うように自身も腰を下ろした。

 この日は、ヴァルキリーズの休養日に当る為、壬姫は武の時間が空くのを自室でのんびりと待つつもりであった。
 だからこそ朝食の折に、武に都合のいい時に自室を訪ねて欲しいと頼んでおいたのだが、武を待つ間にあれこれと物思いに耽ってしまったのが良くなかった。
 思いの外早くに訪ねて来た武に対し、動顛しまくった結果が先程の醜態である。
 なんとか落ち着きこそしたものの、未だに壬姫の頬は羞恥に赤く染まったままであった。

「それで? 用があるって言ってたけど、どうかしたか?」

 壬姫はまだ、自分から用件を切り出せるような状態ではないと見て取った武は、そう言って壬姫に発言を促した。
 すると壬姫は、上目遣いで武に視線を向けて、おずおずと話し始める。

「……ええとぉ……あ、あのですね、た、たけるさんに、花を貰って欲しくって…………」

「花っていうと、そのセントポーリアのことか?
 けどさ、その花、たまの大切なものだろ?」

 武は事務机の上に置かれた、ラッピング済みの鉢植えを見てから、壬姫へと視線を戻して問いかける。
 そんな武に対して、壬姫は大きな双眸で真剣な眼差しを武へと向けると大きく頷く。

「は、はい…………」

「親父さんから種を貰って、一生懸命育ててたんだろ?
 そしたら、オレがもらっちゃまずいだろ?」

 壬姫の言葉の中に、僅かな逡巡を見て取った武は、更に重ねて問いかける。
 どうして急に壬姫がこんな話をしてきたのかについて、武には予想がついてはいたが、まずは外堀から埋めていこうと考えた結果の問いかけであった。

「……う、ううん、そんなことないよ。
 一生懸命育てた成果だから……だから、たけるさんに持っててほしいって思ったらだめかな?
 それにね、今年になって株分けも出来たの。だから、貰ってくれると嬉しいんだけど……」

 迷いの感じられる言葉運びではあったが、一生懸命に言葉を返して来る壬姫に、武は眉を寄せて黙考し始める。
 そんな武の反応に、不安を感じてしまった壬姫は少し焦った様な表情を浮かべ、重ねて武に答えを迫った。

「た、たけるさん? ど、どうしたのー?
 も、貰ってくれるよね?」

 しかし、武はわざと韜晦する事で、壬姫に水を向けてみることにした。

「けど、オレだとちゃんと育てられるかどうか……枯らしちゃまずいし……」

「も、もしよければ…………その、私が…………お世話しに行っても……いいけど?」

 武の迷っているかのような言葉に、壬姫は上目遣いでおずおずと―――しかし、明らかに期待を滲ませた言葉を返す。
 その態度に確信を得た武は、腹を括って話を切り出す事にした。

「―――なあ、たま。
 オレにそのセントポーリアを渡したいってのは、花言葉が『小さな愛』だからか?」

 武の言葉に、目を真ん丸く見開いて驚きを露わにした壬姫は、苦笑と共に吐息を一つ漏らすと、しょんぼりと肩を落とすと首をゆるゆると振った。

「…………たけるさんには敵わないなぁ。
 花言葉まで知ってるんだもんね~。」

 すっかりと意気消沈してしまった壬姫に、武は胸の痛みを感じながらも、出来るだけ軽い口調を装って語りかける。
 その脳裏を過る(よぎる)のは、セントポーリアの花言葉を―――そこに込められた想いを武へと告げる、否、叩きつける誰かの言葉。
 それは恐らくは1人ではないのだろう、曖昧な記憶の残滓に過ぎないそのイメージは、武を責める感情を伴っていた。

「やっぱりそういう意味か。いや、花言葉知ってたのは偶々だぞ?
 前に誰かから聞いたのを、たまがその花を育ててるって聞いた時に思い出したんだ。
 けどさ、そう言う事なら、やっぱオレが貰ったらまずいだろ?
 たまの気持ちは嬉しいけど、オレはその気持ちを受け入れて2人で育ててくつもりがないんだからさ。」

 恐らくそのイメージは、最初の再構成の折に、やはり壬姫からセントポーリアを贈られ、それが意味する想いから目を背けた事を、誰かに痛烈に指摘された時の記憶なのだろうと、武は推測する。
 そして同時に、複数の人物から指摘されたらしい事から、そんな行いを幾つもの確率分岐世界に於いて行ったのであろう自分に嫌気がさす。
 だからこそ、せめて今回は、壬姫の想いを正面から受け止めようと武は決意した。

「お花を受け取ってくれるだけでよかったのに……だめなんだね……」

「ごめんな、たま。」

 それでも、壬姫の想いを受け入れると言う選択肢は武にはない。
 武が壬姫へと返せる言葉は、謝罪の言葉だけであった。

「ううん。受け取って貰えないのは残念だけど、お花が大切なものだってわかってくれただけでいいよ。
 けど、代わりにわたしの気持ちをはっきり言ってもいいですか?」

 精一杯の笑みを浮かべ、真っ直ぐな眼差しで武を見詰めながら告げられた壬姫の願いに、武は頷きを返す事で応えた。
 す~っと、息を深く吸い込んだ壬姫は、ぐっと両の拳を握りしめて口を開く。

「たけるさんは大切な仲間だし、色んな事たくさん教わって、感謝してるし尊敬だってしてるよ。
 だけど、それだけじゃ……ないの。
 いっぱい考えちゃうんだよ。一緒にいないとき、誰と何を話してるんだろう、って。」

 言葉を紡ぎだすに連れて、壬姫の眉が顰められ、瞳に悲しみの色が滲みだして来る。
 武はその様子を、目を逸らさずに見詰め続けた。

「たけるさんの周りにはいつもたくさんの人がいて、わたしは近くにはいても、もっとそばに別の誰かがいるの……
 たけるさんはわたしに色々教えてくれたけど、わたしだけを見てたわけじゃなかったよね。
 それに…………
 …………たけるさんに嫌われると思うから、言いたくなかったけど……たけるさんは、鑑さんの事が好き……だよね?」

 そんな事はないと、壬姫の問いを即座に否定しようとして―――武はそのまま何も言わずに口を閉ざした。
 例え口では否定してみた所で、今目の前に居る壬姫には、決して通用しないだろう。
 武は沈黙を以って、壬姫の問いを肯定せざるを得なかった。

「初めはね……たけるさんが鑑さんと居るのを見ても、あんまり気にしてなかったんだよ。
 だけど、いつからだろ…………たけるさんは鑑さんの事どんな風に思って、何を話して過ごしてきたのかなって……
 鑑さんといっぱい、い~~っぱい、笑って過ごしてきたんだろうなって……」

 そう言う壬姫の表情は、心底羨ましげなものであった。
 そこからは、自分も武とそういう時間を過ごしたいという、心からの願いがはっきりと見てとれる程に。

「そんな風に思う自分がイヤだったけど、止められなかった。
 考えると、どんどん進んでいっちゃって、こんなの意味がないって思っているのに、やめられなくて
 隊の誰かなら、我慢出来たと思う…………応援できたと思う……
 だけど、鑑さんは…………ごめん、ごめんね、たけるさん……」

 大人しく、壬姫の言葉を聞いていた武だったが、壬姫が涙を零して謝るに至って、口を開く。
 壬姫の想いに応えられずとも、出来る限りその心痛を和らげたいと、武は切実な願いを込めて言葉を連ねていく。

「たま……確かに好きか嫌いかで言ったら、オレは純夏の事は好きだ……と思う。
 けどな、純夏が恋人だとか、恋人にするとか、そんな事は考えてないぞ?
 それに……その……恋愛感情じゃなくでよければだけど……たまの事だって好きだしとても大切に思ってる!
 それじゃあ……だめか?」

 涙をぽろぽろと零しながらも俯いてしまっていた顔を、壬姫はそろそろと上げる。
 そして、微かな希望に縋りつく様な表情で、つっかえながらも武への問いを口にした。

「………………じゃ、じゃあ……たけるさんにとって、わたしも鑑さんも、同じ位……その…………す、好きだってこと?」

「あ、ああ……」

 壬姫の真摯な眼差しと直截な問い掛けに、赤面しながらも武ははっきりと頷いて肯定する。
 その応えに、ぐしぐしと袖で涙を拭った壬姫は、更に問いを重ねた。

「たけるさんの事だから、隊のみんなもだよね?」

「そ、そうだな……」

 泣く子には勝てない―――と、果たして武が思ったかはともかく。
 壬姫の纏う雰囲気に圧され気味になりながらも、武は頷きを返す。
 そして、そこに透かさず壬姫が追い打ちをかける。

「ほんとうに?」

「本当だって!」

 何故か窮地へと追いやられたような心境となり、それを振り払う様に語気を強めると武は断言した。
 すると、途端に壬姫はニコッと笑みを浮かべると、左右の拳を胸元に掲げ、躊躇いを振り払う様に力強く宣言した。

「だったら…………だったらわたしも頑張りますっ!」
「へ?」

 そんな壬姫の予想外な発言に、間の抜けた声を上げる武。
 そんな武を上目遣いで見上げながら、壬姫は訥々と語り出した。

「わたしは……鑑さんは応援できなくても、たけるさんなら応援できるから……だから、たけるさんが鑑さんを好きなんだったら、あきらめて応援しようと思ってました……
 けど、たけるさんが鑑さんの事も恋人として考えてないんだったら、わたしだって諦めなくてもいいですよね?」

 最初こそ視線を左右に彷徨わせながら、躊躇いがちに心情を吐露していた壬姫だったが、次第にその視線が定まっていき、強い意志の光が瞳に湛えられていく。

「鑑さんはたけるさんの事、絶対あきらめないって言ってたし、高原さんだって麻倉さんだって、柏木さんに御剣さん彩峰さん……それにきっと…………
 だから、たけるさんが誰かを選ぶまでは、わたしも自分の気持ちを諦めないで、たけるさんに選んでもらえるように頑張りますっ!
 ―――たけるさんには迷惑かもしれないけど……これくらいなら、我儘いってもいいですよね?」

 その笑顔は少し強張っってしまってはいたが、それでも壬姫は自分の気持ちを伝え切った。
 そんな壬姫を、武は眩しげに見た後、嘆息してから肩を竦め苦笑を浮かべる。

「…………しょうがないな。わかったよ、たま。
 けど、これだけは言っとくぞ? オレは誰も選ぶ気ないから、オレよりもっと良い男見つけたら、迷わずそっち選べよ?」

 冗談で軽口を叩いているようでいて、そう言う武の目には真剣な光が宿っていた。
 それに気付いていながらも、のほほんとした笑顔で壬姫は惚けてみせる。

「え~、それはどうかな~。
 これからもよろしくおねがいしますね、たけるさん。えへへへへ……」

「―――ああ、よろしくな、たま。」

 2人とも、将来への不安を胸に抱いてはいたが、それでもこうして共に過ごせている時間を心地よく感じていた。
 それは、ささやかな幸せに過ぎなかったが、明日へと歩み続けるに十分な活力足り得ると2人は思う。
 それ故に、より良い明日を目指して、2人は今後も弛まず歩み続けて行く事を決意するのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 22時11分、B8フロアの武の部屋、そのドアに面した通路に千鶴の姿があった。

 ドアへと歩み寄っては何事か躊躇ったあげく、そのままドアに背を向けて離れる。
 その癖、そのまま立ち去りもせずに立ち止り、挙句にまたドアへと歩み寄る。
 明らかに挙動不審なその行動を、千鶴は既に10分以上繰り返していた。

「よう、委員長。なんかオレに用か?」

 と、急に投げかけられたそんな声に、ドアに向かって逡巡していた千鶴は、電流でも流されたかの如くにビクッと瞬間的に背筋を伸ばす。
 そして、恐々と声の主へと視線を向けると、そこにはB19フロアでのODL浄化処置を終え、自室へと戻って来た武の姿があった。

「し、白銀ッ?! ぁ、しょ、少佐。
 は、はい。少々お時間を頂戴出来ますでしょうか?」

 面と向かい合う踏ん切りがつかずに逡巡していた、当の相手の姿を認めた千鶴は、驚愕の叫びを上げてしまったその後で、ようやく今居る場所が公共の場である事に気付く。
 それ故千鶴は、慌てて武の階級を続けて取り繕い、口調も形式ばったものへと改める。
 そんな千鶴に、武は苦笑を浮かべながら手を振って言う。

「そんな形式ばった口調で話さなくっても、辺りには誰も居ないって。
 オレの時間なら大丈夫だから、部屋にでも入って話すか?」

 そう言うと、武は自室のドアを解錠し、押し開いて千鶴を室内へと招き入れた。
 そして、千鶴に椅子を勧めて自身はベッドへと腰を下ろしながら、昨日の晩もこんな事をしていたなと、美琴と過ごした時間を思い返す。
 そして、まあ、千鶴ならそんな事はないかと思いながらも、再び立ち上がると念の為にベッドと椅子の間に折り畳み机を置き、合成番茶を淹れ始める。

「で、何の用なんだ? 委員長。」

 茶を淹れながら投げかけられた武の言葉に、その姿をぼーっと見詰めていた千鶴は、はっと気を取り直して背筋を伸ばす。

「え? あ、ああ、用件ね。用件は……んんっ……ま、まずは確認しておくけれど、あなたに御剣と彩峰が告白したって本当なのかしら?」

 空咳を1つ吐いて冷静を装った千鶴は、眼鏡を白く光らせるとそう切り出した。
 問われた件に関しては、既に美琴と壬姫が知っていた事から、千鶴に指摘されても武に動揺はなかった。
 しかし、千鶴の訪問の理由を想像するに、美琴と壬姫の件も話してしまうべきか否か、武は僅かに逡巡した後口を開く。

「………………まあ、一応告白って言えば言えるんだろうな。
 2人のオレへの気持ちは確かに聞いたよ。
 それから、美琴と昨日の夜に、たまと今朝話をして、2人の気持ちも聞いた。
 ―――もしかして、委員長もおんなじ用事なのか?」

「―――なっ!! そ、そんなわけないでしょっ?!
 わ、私は隊の規律への影響に配慮して、し、白銀の考えを聞こうと思って来たのよ!
 へ、変な事言わないで、ちょうだい…………」

 視線を逸らし頬を真っ赤に染め上げながらも、武の言葉をけんもほろろに否定する千鶴。
 そんな千鶴の言葉を真に受けた武は、顔を羞恥に真っ赤に染め上げると、両手を眼前で合わせ拝むようにして謝罪の言葉を吐き出す。

「ぐぁっ! ご、ごめん委員長。ちょ、ちょっとここんとこ、こう言う話が多かったもんだから、ちっとばかし自意識過剰になってたみたいだ……
 ごめん、ほんっとうに、ごめん!」

「そ、そんなに必死に謝らなくても……いいわよ……
 ―――そ、それよりも、私の質問に答えてちょうだい。
 彼女達の想いを知って、白銀はどう応えるつもりなのかしら?」

 平身低頭で平謝りする武に、バツの悪そうな表情を浮かべ、取り繕う様に言葉を漏らす千鶴。
 しかし千鶴は、即座にキッと唇を引き締め、頤(おとがい)を上げ、強めの口調で武を詰問する。
 武は詰問されるまで頭を下げ続けていた為、千鶴のバツの悪そうな表情を目にする事はなく、審問官よろしく威丈高な様子の千鶴と向かい合う事となった。

「…………そっか、心配させちまったみたいだな、委員長。
 大丈夫だ。オレも、実戦部隊の上官と部下が恋愛関係に陥る事の危険性は承知してるよ。
 まあ、それが無くても、同一の指揮系統に属さない純夏も含めて、恋愛関係を成立させる気がオレには無いしな。
 あいつらが、オレの事を憎からず想ってくれているのは正直嬉しいけど、オレはその想いに応えてやるつもりがない。」

 そう言って、武は一瞬だけ眉を寄せて辛そうな表情を浮かべる。
 しかし、武は素早くその表情を隠し、話を続けた。

「けど、オレに出来る範囲でだけど、あいつらの気持ちは尊重したいと思うんだ。
 もう、気付かない振りも、見て見ぬ振りもしない。
 ちゃんと正面から向き合って、出来るだけ上手い着地点を探っていこうと思う。」

「ふ、ふうん……つまり、好意を寄せられても恋人には出来ないけど、相手の意志を出来るだけ尊重して、お互いに納得出来るように努力するってとこかしら?」

 飽くまでも他人事の様な素振りで要約してみせる千鶴だが、その実どこか浮ついた雰囲気が滲みでている。
 しかし、自身の思考の方に気を取られている武は、そんな千鶴の様子には気付かない。
 千鶴の要約を一通り検討した後、やや首を傾げつつも同意する。

「ま、まあ、そんなとこ……なのかな?」

「なんで疑問形なのよっ! あなたの意志なんでしょ?!
 しっかりしてよね、まったく。
 ―――そんなんだから、気になってしょうがないんじゃないの……」

 いい加減な返事を返した武を、即座に叱り飛ばした千鶴だったが、その後、頬を微かに染めて小声で呟く。

「委員長、ごめん! 悪かったって。
 一応ちゃんと考えようと思ってるんだけど、こういった事には慣れてなくってさ……」

 以前の発言からして、恋愛沙汰に慣れてない訳ないだろうにと、疑いの目で武を睨みながら口を開く千鶴。

「慣れてないって……恋人何人も居たって―――あ、ご、ごめんなさいっ!」

 しかし、去年のクリスマスイヴに武が語った内容が、何人もの恋人と死に別れたという重いものであった事を、遅ればせに思い出した千鶴は、慌てて武に頭を下げた。
 そんな千鶴に、武は一瞬きょとんとした表情を浮かべる。
 何人もの恋人と死に別れたと確かに言いはしたし、ある意味それは事実ではあったが、幸か不幸かそれらの記憶は、再構成時に抹消されたもので曖昧にしか残っていない。
 フラッシュバックなどで得られたイメージは断片的で、強い感情―――事に悲しみを伴うものが多かったが、それに言及されて即座に心が揺れる程ではなかった。

 それよりは、因果律干渉を目指し記憶抹消を回避した後に経験した、ヴァルキリーズのメンバーとの死別の方が、武にとっては余程辛い記憶となっている。
 とは言え、その死別の時点で恋愛関係に無かった事を除けば、恋人になった事のある仲間達と何度も死別した事に変わりはない。
 だから、まあ、あながち嘘とは言えないから勘弁して貰うか―――と、そう考えた武は苦笑を浮かべて千鶴を宥める。

「いや、委員長、そんなに気にしないでくれよ。
 確かにそれが一因となって、折角想いを打ち明けてもらっても、それを受け入れる気になれないんだけどさ。
 それでももう、気持ちの整理は出来てる事なんだ。」

 その言葉に、千鶴は顔を上げて武の顔を注視する。
 平然としている様に見えるその表情は、しかし千鶴には武が無理をしている様に見えた。
 まるで、桜花作戦に於いて、武がオリジナルハイヴに単独突入しようとした時の様に、独りで何もかも抱え込もうとしているのだと、千鶴にはそう思えたのだ。

 そんな武に寄り添い、支え、そして助けたいという想いが、千鶴の心中を大きなうねりとなって掻き乱す。
 それ故に、つい、千鶴は口を滑らしてしまった。

「そ、そう―――いずれにしても、ちゃんと考えてはいるみたいね。
 そういうことなら、隊の規律も問題なさそうだし、わ、私の想いも告げても―――っ!!」

 自分の失言に気付き、慌てて口を閉じる千鶴。
 しかし、こんな時に限って、武はその発言をしっかりと聞き取っていた。

「委員長、今さ、想いを告げるとか何とか言わなかったか?
 さっき、冥夜達と同じ用事かって聞いたら、そんな訳ないとかっていってたよなあ?」

 意地の悪い笑みを浮かべて、ここぞとばかりに追及する武。
 その言葉に、千鶴は顔中を真っ赤に染めて絶句する。

「おやあ? 顔が真っ赤だぞ? 委員長。
 まさか、さっきのは照れ隠しで、本当の用事は告白でしたとか、今更言わないよな?」

「―――こ、告白って言うなぁっ!」

 更なる武の追及に耐えきれず、声を荒げる千鶴。
 半ば涙目になって威圧する千鶴に、武は苦笑すると大人しく矛先を収める。

「はいはい。」

「わ、解かればいいのよ。
 ―――大体、あなたって人は、能力は高いし、大きな功績も上げている癖に、言動が軽すぎるのよ。
 だ、だから……だから、どうしても……気になっちゃうじゃないの……
 危なっかしくって見てらんないから、つい―――わ、私が傍で支えてあげなきゃって……そう思っちゃうじゃないの……」

 この時千鶴は、武を助けたいという強い想いに流されていた。
 また、千鶴は高い自負心を持つが故に、自身の想いが武の助けになりこそすれ、重荷になるなどとは思ってもみない。
 それ故に、決壊した堤防から水が噴き出すように、千鶴は思いの丈を武へと真っ直ぐにぶつけてしまう。

「だのに、白銀は何時も独りであれこれ抱え込もうとするし、私を―――私達を頼ってもくれない。
 そりゃあ、任官して1年も経っていない新任だし、頼る甲斐も無いかもしれない。
 けど、私達を仲間だと思ってるって……そう言ったのはあなた自身じゃないの。
 白銀にとって、仲間って守るだけの存在なの?」

 千鶴のその言葉は、痛烈な指摘となって武に突き刺さる。
 桜花作戦以降、武は仲間達の意志を尊重し、適材適所で各々が力を発揮出来るように心を砕いてきた。
 しかし、それは力を発揮できる環境を用意しただけであり、任務に必要な事柄ならばいざ知らず、武個人の問題への助力を求めたりする事はなかったのだ。
 それが、自身の傲慢さの表れであるかのように感じた武は、自責の念に捉われてしまう。

 そして、武を消沈させる言葉を放った千鶴もまた、苦しげな顔をして言葉を紡いでいた。

「それに、鑑の事だって、どうしても気になって仕方がないのよ。
 ……白銀と鑑は幼馴染だって言うけど、それだけだなんて思えない……
 本当はどういう関係なのかはわからないけど……初めはどうでもよかったけど……気になるよ…………胸が痛くなる…………どうしてだろうね?
 あなたは……誰を見てるの? 誰を見るの? 私の知ってる人? 知らない人?
 あなたの大切な人は誰? 私じゃ……私じゃ駄目なの?」

 メガネのレンズ越しに見える千鶴の瞳が、微かに潤んでいた。
 それを見て、痛みを堪える様な表情になりながらも、武は千鶴の意に沿わないと解かり切った答えを告げる。

「委員長…………ごめん、オレはもう、大切な人をたくさん持ってる。
 委員長もその一人だし、ヴァルキリーズのみんなや、純夏、霞、神宮司中尉―――京塚のおばちゃんだってそうだ。
 みんな大切で、絶対に喪いたくない存在なんだよ。
 ―――けどオレは、純夏も含めて、誰か1人を愛する気にはなれない。
 それに、今までに喪ってしまった人達の事も忘れられないし、オルタネイティヴ4に関わった者として、人類全体の未来の事だって気になる。」

「白銀……」

 武の言葉に、悲しげに小さく名を呼ばわる千鶴。
 その声が聞こえなかったのか、武は構わずに話を続ける。

「そんなんだから、オレは自分自身の個人的な事なんてどうだっていいんだ。
 ―――いや、違うな…………もう悲しい想い、辛い想いをしたくないだけか……
 オレは結局、喪う事に臆病になった自分を守る為に、我武者羅に足掻いてるだけの、余裕の無い、情けない人間なんだよ……」

 と、武がそこまで話した所で突然、千鶴は眉をキリリと吊り上げると、憤然として武を一喝する。

「な―――なに、情けない事言ってんのよっ!!
 我武者羅に足掻いて、あれだけの成果を上げたって言うなら、臆病だっていいじゃないの!
 大体、20にもなってない癖に、後ろ向きになってどうすんのよ!!
 戦場で喪われる命を減らすんでしょ? これからは喪われる事が当り前な日々じゃなくすんでしょ?
 だったら、それを成し遂げてから、改めて自分の未来を見直せばいいじゃないのっ!!」

 憤然と言い募る千鶴に、武は圧倒されて仰け反ってしまう。

「い、委員長―――」

 弱々しく、呼びかける武だったが、千鶴は一顧だにせず言葉を連ねていく。

「私はあなたを尊敬してて、憧れてさえいるのに、なんであなたはそんなに自信無さ気なの?!
 そんなに自信ないなら、独りで抱え込まないで、仲間を―――私を頼りなさいよっ!
 その方が、私だってみんなだって嬉しいんだから―――解かったの?! 返事ッ!!」

 そして、一気に言いたい事を告げ切った千鶴は、武に返答を強要する。
 武はその勢いに押されるままに、宥める様に返事をしてから、言われた内容を咀嚼してどこか納得した様な表情になる。

「わ、解かったよ、解かったってば。
 ―――そっか……相手を嫌ってるんでもなけりゃ、頼られれば嬉しかったりもするよな。」

 しかし、そんな武に返されたのは、したり顔の千鶴が告げる、釘をさす様な言葉であった。

「ま、まあ、限度ってものもあるけどね。
 今の白銀は頼らな過ぎだけど、ほどほどにしなくちゃだめよ?」

「な!……自分から頼れって言っといて、そのくせほどほどにって……なんだよそれ。」

 言を左右するかのような千鶴の言葉に、ついぐちぐちと文句が口を衝いて出てしまった武。
 そんな武を、間髪いれずに千鶴の言葉が鞭打つ。

「うるさい! 口答えするなぁ!」

 反射的に口を閉ざした武は、今度は熟考した上で口を開く。
 そして、千鶴の様子を窺いながら、今後の方針を告げると共に、協力を仰いだ。

「…………解かったよ。
 様子見ながら、少しずつ直してくようにすればいいんだろ。
 そしたら、委員長。
 ―――これからも、よろしく頼むな!」

 毅然とした上辺を取り繕いながらも、千鶴は自分が赤裸々に語ってしまった事柄に、内心では羞恥に身悶えしていた。
 そこに、武から満面の笑みと共によろしくと言われた事で、返す言葉を探した千鶴の思考回路が暴走しとんでもない言葉を引き摺りだす。

「え?! あ……ふ―――ふつつかものですが、よろしくお願いしますっ!」

「ぶっ! な、なんだよそれ?!
 ふ、ふつつかものって―――」

 千鶴の言葉に、目を丸くした後、思いっきり噴き出し大笑いする武。
 自分でも珍妙な返答をしたという自覚のある千鶴は、顔を真っ赤にすると涙目で怒鳴り返す。

「わ、笑うなぁっ!!」

 そんな千鶴の様子に、武は更に笑みを大きくし、千鶴の羞恥と怒りも弥増して行く。

 その後も暫く、武の部屋では2人の賑やかなやり取りが続く事となった。
 部屋の外まで漏れだしたその声を、耳にする者が居なかった事は、2人にとって幸いだったであろう。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年07月22日(月)

 12時33分、横浜基地衛士訓練校の屋上へと、眩い日差しに目を細めながら武が歩みでた。

「―――お、やっぱここに居たか。
 彩峰、ちょっと話があるんだけどいいか?」

 右手を庇の様に目の上に翳して辺りを見廻した武は、フェンスの上に腰掛けて青空を見上げている彩峰を見つけると、そう声をかけた。
 声をかけられた彩峰はと言うと、青空から視線を下ろしもせずに、ぽつりと答を返す。

「……いいよ。手短にね。」

「そ、そうだな。午後の訓練始まっちまうしな。
 ―――あーっと、出来たら、場所を移したいんだけど……」

 彩峰の素っ気ないながらも一応の了承を得た武は、階下へと続く階段室の方をちらりと見ながら提案する。
 しかし、彩峰は相変わらず視線を青空へと向けたまま、興味無さ気に応じる。

「手短にって言ったよね……」

 その応えに、武は交渉を諦めると、フェンスの上に腰掛ける彩峰を真っ直ぐに見上げ―――風にはためくスカートに慌てて視線を逸らした果てに、ようやく口を開いて用件を告げる。

「解かった……じゃあ、用件に入るぞ…………
 先週さ、ここでおまえと話した時、オレはお前の気持ちにちゃんと応えられなかったと思うんだ。
 あの時は、今にして思えばおまえに気を使わせちゃって、しかもそれに甘えちまってたよな。
 それに、あの時のおまえの言葉があったお陰で、その後他のみんなと話した時には少しはマシな対応が取れた……と思うんだ。
 それがなかったら、おまえにしちまったのと同じような失敗を繰り返してたと思う。
 だから、改めて、おまえの想いに答えさせてくれ。」

「今更だね……」

 真剣な表情で彩峰に語りかけた武だったが、彩峰の言葉には取り付く島もない。
 だが、武はめげることなく、彩峰の言葉に大きな頷きを返して言葉を続ける。

「まったくだ。―――自己満足に過ぎないと解かっちゃいるけど、それでも言わせて貰うぞ。
 彩峰、オレの事を想ってくれてありがとうな。
 正直、本当にうれしいよ。
 オレも、お前の事は大切な仲間だと思っている。
 ―――けど、それでもオレは、おまえの想いを受け入れる事は出来ない。」

 笑顔を見せて照れくさそうに、それでも明朗に言葉を紡いでいた武。
 しかし、その表情は一転して強張った物へと変わり、武は自らの事情を、心情を、誠意を込めて語っていく。

「オレは、おまえやヴァルキリーズのみんなや、純夏や霞、他にも沢山いる大切な人達を喪わない為に、懸命に足掻いている。
 オレにとってはそれが何よりも大事で、他の事に割ける余裕が無いんだよ。
 だから、せめておまえの―――おまえらの想いを真摯に受け止めて、ちゃんと向き合った上で、それでも築く事の出来る関係があるなら、それを見つけたいと思う。」

 ここまでずと武に視線を向けずにいた彩峰が、すっと視線を下ろして武を見詰める。
 そんな彩峰の視線を正面から受け止め、武は真っ直ぐな視線と共に真摯な言葉を紡いでいく。

「独り善がりで調子の良い事を言ってると自分でも思うけど、オレにはこれが精一杯なんだ。
 ごめんな、そして、本当にありがとう。
 こんなオレでも良かったら、これからも仲間として宜しく頼むよ、彩峰。」

 告げたい言葉を語り終えた武は、彩峰から視線を逸らす事なく応えを待つ。
 そんな武の様子に、彩峰は何処か獰猛な笑みを浮かべて応じた。

「……勝手だね。
 ―――なら、私も勝手にする…………絶対、諦めないから……覚悟して……」

「彩峰…………」

 彩峰の言葉に、少し困った風な顔をして名を呼ぶ武。
 それを無視するかのように、フェンスからしなやかな身のこなしで飛び降りた彩峰は、武の脇を通り過ぎながらポツリと言葉を漏らす。
 ポーカーフェイスを保ち、素知らぬ素振りを保ってはいたが、鮮やかに色付く彩峰の頬は、その心中を暴露していた。

「……もう一人、いるよね…………解かってる?」

 間近を通り過ぎた彩峰の、その横顔を追う様にして振り向いた武は、頭を軽く掻きながら言葉を返す。
 自身に向けられた想いに対して、未だに正面から向き合う事が出来ていない、もう一人の仲間の名前を乗せて。

「……柏木―――の事だろ?
 …………はぁ~、しょうがないな―――出てこいよ柏木。
 どうせ、聞いてるんだろ?」

 そして、武は彩峰を間に挟んだその先、階段室のドアに向かって呼びかける。
 すると、そのドアが軋みと共に開き、バツの悪そうな笑みを浮かべた晴子が姿を現す。

 この屋上に来る前、昼食を終え、一足先にPXを後にした彩峰を追う様にして、武もPXを立ち去っていた。
 そして、そんな武を追いかけた晴子は、会話の始まる前から階段室の中で聞き耳を立てていたのである。
 武は当初から晴子の存在に気付いていた為、場所を移そうとしたのだが、彩峰にすげなく却下されて諦めていた。

 会話の内容を考えると、生で聞かれるのは正直照れくさかった武ではあったが、取り立てて隠し立てする気も無かったので晴子はそのまま放置していたのだ。
 しかし、こうなってみると、彩峰は恐らく、武の要件の内容を予測した上で、晴子の存在にも気付いていたのであろう。
 そして、自身のペースで話を終えた彩峰は、その存在を暴露された晴子へとツカツカと歩み寄っていく。

「あ、あはははは……ばれてた?」

「じゃ、あたしは行くから……」

 てへっと、舌を出して誤魔化そうとする晴子の、その長身をするりと擦り抜けて、彩峰が階段室のドアを潜る。

「ああ、また後でな、彩峰。」
「ちょ、ちょっと彩峰!」

 それを予想していたのか、全く動じずに言葉をかける武と、目を丸くして振り向く晴子の前で、ドアは完全に閉じられる。

「じゃね……」

 その向こうに、意地の悪い笑みを浮かべた彩峰の姿を隠すかのように。
 そうして、その彩峰と入れ代りに屋上に残された晴子へと、背後から武の声が投げかけられた。

「さて、柏木。
 情報通なおまえの事だから、大体把握してると思うけど、ここ1週間の間に冥夜、彩峰、美琴、たま、そして委員長から想いを打ち明けられててさ。
 それで、オレもさすがに色々と思う所があった訳なんだよ。」

 ついさっきまで行っていた盗み聞きを揶揄するかのような武の言葉に、冷や汗を一筋ながしながら晴子は振り向く。
 その身を隠して、2人の逢瀬を堪能しようとした晴子だったが、どうやら今回は彩峰の掌(たなごころ)の上で上手く転がされてしまったようだ。

「へ、へぇ~、そうなんだ?
 さすがは横浜基地が世界に誇る白銀少佐。もてもてだねえ。」

 そして、武をからかう様な言葉のジャブを放つが、武は苦笑するだけで軽くいなしてしまう。

「正直ちょっと参ってたりもするんだけどな……まあ、それはいいとして、だ。
 高原と麻倉もオレの事を想ってくれてるってのは、去年の告白で解かった。
 けどさ、悪いけどお前の告白に関しては、オレにはいまいちピンと来ないんだよな。
 おまえ一流の韜晦なのかもしれないけど、あれじゃあ冗談で言ってるのか、本心から言ってるのか、オレにはわかりゃしないって。」

 離れていた距離を歩みを運ぶ事で詰めながら、武は少し情けなさ気な顔をすると、お手上げのポーズで白旗を上げる。
 そして、晴子まで残り1m程の距離で歩みを止めると、真っ直ぐに晴子の眼を見て話を続ける。

「だから―――さ。今だけで良いから誤魔化さないで応えてくれないか?
 あの告白―――内容的には告白になってないんだけど―――あれって、本気なのか?」

 武の真摯な言葉に、晴子は僅かに目を見開いた後、誤魔化すようにへらへらっと笑って言葉を返す。

「う~ん。やだなあ、そこまで直球で来られるたら、さすがに茶化せないじゃない。
 …………そう、だね。白銀君が真面目に向き合ってくれようとしてくれてるんだし、仕方ないか。
 ―――んん……私は、白銀君の事が気に入ってるし色々と感謝もしてる。
 だから、本気で好きだと思うよ。」

 そして晴子は、赤く染めた頬を人差し指で軽く掻きながら、本心を偽らずに武へと告げる。
 そんな晴子に、武は生真面目に礼を述べる。

「そっか、ありがとな、柏木。
 色々と感謝ってのは、弟さん絡みの話しか?」

 しかし、武が謝辞に続けて弟について言及した為、晴子は不思議そうに小首を傾げる事となった。
 武にとっては、晴子の家族―――殊に弟達への想いは印象深い事柄だった為、今回の再構成後は、まだその話を晴子から聞いていない事を失念してしまったのだ。
 自身の迂闊な発言に、内心動揺する武だったが、晴子は勝手に武の事情を忖度(そんたく)して納得してしまう。

「あれ? 白銀君に弟達の話ししたっけ?
 もしかして、家族構成だけじゃなく、相当細かい事情まで把握されてるのかな?
 ―――まあ、いいや。白銀君なら興味本位じゃないだろうしね。
 うん。それもあるんだ。
 弟達の軍への志願自体は避けられそうにないけど、白銀君のお陰で戦死する危険は大分減ったからね。
 でも、それ以外にも、訓練校の同期の事とか、一々挙げてくのか面倒になる位にはあるんだよね。」

 そして、あっさりと武の疑問を肯定し、晴子はそれ以外にも、武に感謝している事は多いとあっけらかんと告げた。
 その後、腕組みをして少し考え込む様な素振りをした晴子は、考え考えといった風に再び言葉を捻りだす。

「けどね―――私は確かに白銀君が好きだけど……あんまり独占したいとかって思わないんだよねえ。
 特に、他の娘を押し退けて、奪ってまでって気には全然なんなくてさ。
 それ位なら、他の娘の応援がてら弄って楽しみたいって思っちゃうんだ。」

 そして、武への想いは本当だが、然して競争意欲は強くないのだと晴子は言い切る。
 晴子の言葉に武は然程間をおかずに頷きを返すが、その表情は幾らか思案気なものへと変わっている。

「なるほどな。物事に執着しない柏木の性格なら、本当にそう思ってそうだな。
 けどさ、それって柏木が諦め上手なだけじゃないのか?
 オレの事はともかく、何でもかんでも諦めてばっかじゃ、不味いんじゃないか?」

 晴子の心理的傾向を案じる武に、その心配を笑い飛ばす事で晴子は応えた。

「あはは。大丈夫大丈夫。
 さすがにあたしでも、何でもかんでも諦めちゃえるって訳でもないから、ね。
 でも、そうやってちゃんと私の事を理解してくれてるって辺り、指揮官としても仲間としても―――もちろん異性としても白銀君ってポイント高いんだよね。
 だから、相思相愛になれたらいいな、とは思ってるけど、それ程がっついてないから私の事は後回しでいいよ。
 今回こうやって向き合ってくれただけで十分だからさ。」

 そして晴子は、武の気遣いを有難く受け止めた上で、労いを返す。
 そんな安定感すら感じさせる晴子の態度に、素直に感心してしまった武は、尊敬の念すら込めて名を呼ぶ。

「柏木―――」

 だが、武が更に言葉を継ぐ前に、晴子はさっさと身を翻し、ドアを開きながら肩越しに言葉を発する。

「ま、そんな訳なんで、これからもあたしを楽しませてよね、し・ろ・が・ね・く・ん!
 じゃ、お先に~。」

 そう言って、武に背を向けた晴子は、手をひらひらと振ると、一陣の風の如く鮮やかに屋上から姿を消してしまった。
 武はそんな晴子の後ろ姿を見送りながら、呆れた様に―――それでもどこか、重荷が軽くなったとでもいう風に、軽快にひょいっと肩を竦めて、晴子の後に続く。
 『甲26号作戦』―――エヴェンスクハイヴ攻略作戦に向けた、訓練を行う為に。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年07月24日(水)

 20時32分、B8フロアのまりもの部屋に純夏の姿があった。

「―――で、そんな感じで、とうとう冥夜達5人もタケルちゃんに告白しちゃったんですよ!」

 再生措置が終わった後、純夏は週に1回を目安として、食料班の業務の空いている夜にまりもの部屋を訪ねるようになっていた。
 まりもも教官業務で多忙ではあったのだが、武から『元の世界群』の話しを聞いていた為、純夏の抱える世界観のギャップを埋めるカウンセリング役を委ねられたのだ。
 無論、武や霞も純夏のフォローは行っているのだが、武は性別の差から、霞は経験の不足から、どうしても手の届かない部分がある。
 そこをまりもに補って貰おう―――とまあ、そういう運びになったのである。

 まりもとしても、武が『元の世界群』と呼ぶ世界で、自身の昔の夢が叶った姿とも言える、女性教諭としての神宮司まりもを知る純夏の相手は、決して悪い気はしなかった。
 しかも、『元の世界群』での記憶しか持たない純夏は、まりもの事を『神宮司先生』と呼んで無邪気に慕ってくれる。
 訓練学校での鬼軍曹としてのまりもを全く知らない純夏は、まりもにとって十分に癒したり得たのである。

「あらあら、それじゃあ白銀君も大変ね~。
 折角予防線張ってたのに、とうとう強行突破されちゃったのねえ。」

 楽しげに語る純夏に、まりもは苦笑を浮かべながら相槌を打つ。
 脳裏に、しょんぼりと肩を落として落ち込む武の姿が浮かび上がり、まりもは危うく噴き出しそうになってしまったが、なんとか堪える事に成功した。

「柏木さんが、相当挑発してくれたみたいなんで、その所為もあるんじゃないかな?
 どうやら、最初に告白しようと決めたのは冥夜だったみたいなんですけど、タケルちゃんを捉まえる前に彩峰さんに先を越されちゃったみたいで……」

 うんうんと、頷きながら純夏の話を聞いていたまりもだったが、ふと気になって疑問を挟む。

「あら? 鑑さん、何時から御剣さんを名前で呼ぶようになったの?
 しかも、呼び捨てだったわよねぇ。」

 まりもがそう問いかけると、純夏は、はにかみながらも嬉しそうに微笑む。

「冥夜が武ちゃんに告白したってみんなに報告した後で、これからは対等に競い合う間柄だから名前で呼び合いたいって……そう、冥夜が言ってくれたんです。
 その時はまだ、榊さんや壬姫ちゃん、それから鎧衣君もまだ告白して無かったんですけど、冥夜はみんなにも同じ事を言ってました。」

 純夏は冥夜がそう言った時の騒動を思い起こして、苦笑を浮かべる。
 その表情で、どんな騒ぎになったのか、大体の予想がついたまりもも、苦笑を浮かべて応じる。

「そうだったの。でも、他の子達は大騒ぎだったでしょうね~。
 あ、それと、また鎧衣さんの事を君付けで呼んじゃってるわよ~。」

「え? ホントですか? どうしても癖が抜けないんですよね~。
 あはははは、まずいなあ……気を付けないと、ま~た鎧衣さんに泣かれちゃうよ~。
 ―――え~と、なんの話でしたっけ?」

 まりもの指摘に、純夏は慌てた様に口を押さえると、誤魔化すように乾いた笑い声を上げる。
 『元の世界群』で同じクラスの男子学生だった、鎧衣尊人に対する呼称がなかなか直らない純夏は、男の子っぽい自身の見かけが結構深刻な悩みとなっている美琴を、ここ数日で幾度か泣かせてしまっていた。
 他にも、壬姫の事も何度か『壬姫ちゃん』と呼んでしまったりもしているのだが、こちらの方は本人の同意を得てその呼称のまま定着する事となった。

 何れにしても、滂沱と涙を流して詰め寄って来る美琴の相手には純夏も辟易としており、その情景をまざまざと思い出してしまったが為に、純夏は今までの会話の内容をうっかり失念してしまった。
 そんな純夏を微笑ましく見詰めていたまりもは、訓練校での教え子達との緊張感溢れる時間と違って、肩肘張らずに穏やかに過ごせるこの一時を堪能している。
 それ故に、声を荒げる事も無くにこやかに話を元へと誘うまりもだったが、ヴァルキリーズがこの様子を目にしたならば、その穏やかさに皆等しく眼を疑った事だろう。

「御剣さんが、名前で呼び合いたいって言ったって話よ。
 大騒ぎになったでしょ?」

 しかし、純夏の知るまりものイメージは、穏やかな年上の女性といったものである為、違和感など欠片も感じてはいない。
 その為、素直にまりもの導きを受け入れると、純夏は話題の軌道修正を果たす。

「あー、はいはい。なんだか、みんなして騒いで勘弁してくれ~って感じでした。
 名字で呼び捨てにするのは平気なのに、なんであんなに騒ぐんでしょうね。
 動じてなかったのは、元から名前で呼んでた鎧衣く……さんだけで、柏木さんまで苦笑して断ってました。
 あ、でも鎧衣さんはニコニコ笑って快諾してたけど、その割にさんづけが取れてなかったような……」

 未だに、この世界の感覚を理解し切れていない純夏は、心底不思議そうな顔をして首を捻る。
 そんな純夏の様子と、語られた内容の双方に、まりもはくすくすと笑みを零した後で、純夏の感性のずれを矯正にかかった。

「それは、鎧衣さんらしいわね。
 けど、無理も無いわ。こっちの世界じゃ、御剣さんの身分は格別だもの。」

 まりもの言葉に、今までに習ったこの世界に関する知識を手繰り寄せて、純夏も自身の感じた違和感をまりもへと伝えようと試みる。

「えーと、政威大将軍殿下の御名代……でしたっけ?
 総理大臣だっていう、榊さんのお父さんよりも偉いんでした……よね?
 冥夜は、『元の世界群』でも大財閥のお嬢様で、世間離れしてましたけど、どうもピンとこなくて……」

「政威大将軍殿下は、帝国臣民の精神的支柱なのよ。
 現人神であらせられる皇帝陛下より全権を委ねられて、臣民の安寧を守護して下さるお方。
 帝国臣民の大多数が崇拝している精神的支柱。
 御剣さんは、その政威大将軍殿下の御名代なのだから、やっぱりどこか畏れ多く感じてしまうのよね。
 私も、教官として接していた時は、結構気苦労が絶えなかったもの。」

 知識は覚えていても、どうしても感覚的に腑に落ちないと言う様子の純夏に、まりもは丁寧に言葉を連ねてこの世界での常識的な感覚を伝えていく。
 しかし、純夏は首を捻るばかりで、まりもの努力は一向に実を結びそうになかった。

「そんなもんなのかなあ?
 そりゃあ、冥夜は色々と出来過ぎな人だとは思うけど…………」

「まあ、生まれた世界での価値観の相違だから仕方ないわよ。
 白銀君も、やっぱりあまり気にしてないみたいだし、御剣さんにとってはそれが嬉しかったみたいだもの。
 あなた達はそのまま、在るがままでいればいいわ。」

 それでも、一応は理解しようという意志を純夏から感じ取ったまりもは、今日の所はそれ以上の矯正は行わない事にした。
 そもそも、まりもは武や純夏のこの殺伐とした世界ではなかなか身に付けられない、独特の柔らかな雰囲気をどちらかと言えば貴重だと思っている。
 それは、今後武によって先導され、何れ辿り着くであろう戦後の平和な世界に於いては、純夏の感性こそが相応しいと感じているからだ。

 それでも、やはりこの世界の人間と付き合うに当たって、過度の摩擦が生じない程度には、言動を装えるようになる必要がある。
 その為に、まりもは純夏の気性を歪めないように、細心の注意を払ってこの世界に馴染ませようとしているのであった。

 そんなまりもの配慮を知ってか知らないでか、純夏は自身の在り様を肯定された事に、真っ直ぐな喜びを露わにすると、勢い込んで話し出した。
 そしてその頭上では、癖っ毛が1房、尻尾の様に左右に勢いよく揺れている。

「ですよね! 冥夜が呼び捨てにしてくれって言うんだから、それでいいや!
 ―――っと、そうそう。思いっきり話がずれちゃいましたけど、元に戻しますね。
 まあ、なんやかんやで、これであたしを初めとして、9人がタケルちゃんに告白したって事になる訳です。
 おまけに、彩峰さんが寄せられる想いから目を逸らすな! って、びしぃっ!! っと言ってくれたんで、タケルちゃんもちょっと性根を入れ換えたみたいなんです。」

 そして、そもそも今日まりもに話そうと思っていた、メインの話しを思い出した純夏は、話題を修正して武包囲網の現状を嬉々としてまりもに告げる。
 一方、その話から、武の窮状を察したまりもは、視線を泳がせ頤(おとがい)に右手を当てると、引き攣った笑みを浮かべながら武の身を案じた。

「え~、退路まで断たれちゃって、大変じゃないの~。
 ―――白銀君、大丈夫かしら?」

「あはは……ちょっと無理してるかも~……
 でもでもっ、あの位で調度いいんですよっ!
 大体さ~、タケルちゃんの癖にカッコ付け過ぎなんだよっ!
 独りで抱え込んじゃって、タケルちゃんのエーカッコシーッ!!」

 まりもの言葉に、冷や汗を一筋垂らしながら応じた所を見ると、純夏も少しやり過ぎたとは感じているようだ。
 それでも、純夏は即座にぶるぶると首を横に振ると、拳を握りしめて武に対する弾劾を始める。

 憤然として武の態度に憤る純夏を、まりもは苦笑を浮かべながらも温かな視線で見守った。
 純夏の言葉を聞き、自分と似た様な懸念を、武と親しいこの少女も感じていたのかと、まりもは安堵にも似た思いを抱く。
 同時に、自身を顧みず、仲間の為に犠牲にして悔いる事の無い武の在り様を、やはり何とかして矯正せねばとの思いをまりもは強くした。

 そんなまりもに対して、一通り憤懣を吐き出した純夏は、醜態を恥じるかのように頬を赤らめると、語調を緩めて言葉を発した。

「―――そんな感じで、いい感じにタケルちゃんも煮詰まって来てるんですけど、ちょっと決定打に欠けるんですよね……
 何だかんだ言っても、冥夜達は軍務優先とかいって、結局はタケルちゃんに甘いし……
 そこで相談なんですけど! 神宮司先生も協力してもらえませんか?」

 言葉尻を濁しつつ、俯き加減でぶつぶつと独り言の様な言葉を発した後、純夏はいきなりがばっと身を起こすと、勢い良くまりもへと詰め寄った。
 その勢いと、言葉の内容に、まりもは虚を突かれて動顛しつつも、純夏の真意を確認する。

「えーっ?! そ、それって―――まさか鑑さん……あ、あたしにも告白しろって言ってるの?!」

「…………はい、そうです。
 ―――ホントの事言うと、神宮司先生はなんか手強そうなんで嫌なんです。
 でも、すっごく効果もありそうなんで、できたらお願いします。
 なんか、タケルちゃん見てると、神宮司先生の事をえらく気にしてるみたいだし……
 でも、まずはタケルちゃんの決心を鈍らせないとだから…………」

 まりもの悲鳴の様な問いに対して、複雑そうな面持ちで逡巡した後、純夏はコクリと頷きを返した。
 そして、続けてどこか拗ねたような表情になると、上目使いにまりもに視線を投じながら、自身の心の内を明かす。

 その、自身の恋愛成就よりも、武の現状を打破する事を目的とした純夏の想いに、まりもは自身の動揺を抑え込んで熟考する。
 自分が武を、一人の男性として好意的に捉えている事は、まりもも暫く前から一応自覚はしていた。
 しかし、曲がりなりにも教え子である事。
 そして何よりも、過去に自身が犯した罪への自覚が、自身の個人的な幸せを忌避する、強い感情となって渦巻いている事。
 この2点が、まりもの中で武への想いを封じるべきだと、強く主張する要因となっていた。

 また、一心に武の事を案じる純夏の想いも理解できるものの、まりもにとっては過去の贖罪の為に、己の全てを擲ってでも、一心不乱に足掻かずにいられない武の想いもまた、身に染みて良く解かるものであった。
 タケルの若さとその将来を思えばこそ、自身も抱えている妄執とも言える贖罪の念から、武は解き放たれるべきだとまりもは考えている。
 しかし、それでも尚、現状で武を逃げ場の無いままで追い詰めてしまう事には、危機感を抱かずにはいられなかった。

 恐らく、純夏には武の抱えている想いの強さが把握し切れていないのだろうと、まりもは思う。
 自身が常に焦がされている想い。
 恐らくは、武が抱えている想いも、同じかそれ以上の強さで武の心中に巣食っているだろう事を、まりもは感じ取っている。
 その想いは、武を駆り立て、共に戦場を駆ける仲間達を守り、人類を勝利へと導こうとしている。
 しかし、一歩間違えば、その想いの強さ故に、武は自身の心を壊しかねないという恐れもまた、まりもは抱いていた。

 それ故まりもには、武の為に良かれと思って行っているとはいえ、純夏の行動は性急に過ぎるものに感じられる。
 しかし、この事を言葉で伝えようとしたところで、純夏には共感し理解できるだけの経験が無いだろうともまりもは思った。

 武からまりもが聞いた所によると、純夏の記憶は平和を甘受している世界のもので、事故や病死を除けば死に接する事すら稀な日常を過ごしたものだと言う。
 実際、武と純夏から聞かされる、教職に就いているという自分の言動等を顧みると、あまりに平和ボケした振舞いに本当に自分なのだろうかと疑ってしまう程なのだ。
 ならば、大切な存在と死に別れ、自身が生き残ったという事すら憎み、それでも自身を生かした存在への想い故に、生き足掻く事を放擲する事すらできない人生等、純夏には到底実感できないであろう。

 そう結論付けたが故に、まりもはその件については触れぬまま、軽い口調を装って純夏に答えを返す。

「そんなわけないでしょ? 鑑さんの思い違いよ、きっと~。
 それに、その様子じゃ白銀君の味方って全然居ないみたいだから、あたしは白銀君を慰める方を選んでおくわ。
 ごめんなさいね、鑑さん。」

「あ~っ! 神宮司先生、そんな事言って、タケルちゃんの好感度上げるつもりなんじゃ…………
 ―――やっぱり、神宮司先生が最大の敵かも……
 こんなことなら、やっぱ誘わなきゃよかった……あーっ、わたしのバカバカバカァ~~~~ッ!!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて、鑑さん。
 大丈夫よ、白銀君狙ったりなんてしないから。
 ね、お願いだから話しを聞いて…………鑑さん、正気に戻ってぇ~!!」

 その後しばらくの間、まりもの部屋を、主の動揺も顕わな呼びかけと、なにやら鬱々とした少女の呟きが席巻したのだが、幸い外にこの件が漏れる事は無かったという。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年09月27日(金)

 12時47分、国連軍横浜基地衛士訓練学校校舎の階段を、紙袋を手にした武が昇っていた。

(やっぱ、屋上に居るな。
 彩峰って屋上が好きだよな。『元の世界群』でもよく屋上に居たし……
 けど、A-01の機密解除がされてなかったら、訓練校の施設には出入りできなくなってた筈だよな。
 もしそうなってたら、あいつストレス貯め込んだりとかしてたかもな~。)

 00ユニットの機能の1つである思考波感知機能により、校舎の屋上に彩峰が居る事を確認した武は、心中で頷きつつも屋上を目指して歩を進める。
 純夏と晴子が主導的役割を果たした企みにより、ヴァルキリーズの中で武を憎からず思っていた全員が武に告白する事となった、あの7月から既に二月。
 最初の頃こそ、武を挟んで突発的な諍いも頻発したものの、ヴァルキリーズの指揮官達を初めとする先任達の仲立ちもあって、最近ではある程度平穏な日常が構築されるに至っていた。

 武自身は、下手に干渉すると余計に周囲の反応が過激になるので、ひたすら流れに身を任せる事が多く、任務中を除けばすっかりヘタレとして認定されるに至ってしまった。
 一方、純夏はと言えば、すっかりヴァルキリーズに馴染んでしまっており、ろくでもない事を思い付いては霞やヴァルキリーズを巻き込んで、武に様々なモーションを仕掛けて来ている。
 こちらの方は、みちるや水月、宗像までもが、レクリエーション代わりとばかりに悪乗りしてしまう為、武としては堪え凌ぐ以外に術が無い。
 そうして貯め込んだストレスを解消する為に、まりもの許へと通って愚痴を聞いて貰うのもまた、武の日常と化していた。

 何れにせよ、武に告白した女性陣は、積極的に武と共に過ごそうとするようになった為、食後の休憩時間や夜間訓練が無い日の自由時間、そして休養日などには、武は誰かしらに声を掛けられて共に過ごす事が多くなった。
 相変わらず多忙な武ではあったが、ヴァルキリーズとて余暇がそれほどある訳でもない為、武も極力時間を調整して遊戯や談笑などの場を設ける様に心がけている。

 来月になれば、2002年度夏季総戦技演習に合格した衛士訓練兵達が新任として配属になる為、A-01の再編も検討し始める必要がある。
 新任達の相手もしなければならなくなる為、気心の知れたヴァルキリーズの18人と、気兼ねなく過ごせるのも今の内であろうと、武は考えていた。
 尤も、新任達の任官予定日から数日後には、『甲26号作戦』が控えている為、新任達は作戦終了後まで先任達とは別行動とし、訓練漬けの日々を用意してあるのだが。

 ともあれ、新任の配属や、『甲26号作戦』は未来に予定されている出来事に過ぎない。
 今日もついさっきまで、武は昼食からそのままの流れでヴァルキリーズと共に、歓談していた。
 武としては、思う所があってタイミングを見計らっていたのだが、そこに部外者が歩み寄り声をかけて来たのである。

 A-01は機密解除されたとはいえ、夕呼直属の特殊任務部隊として基地要員からは一目置かれており、用も無く近づく者は皆無に等しい。
 その為か、この時やって来たのは横浜基地要員ではなく、外部から訪れている人物であった。
 その人物とは、日本帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊、第3大隊指揮官沙霧尚哉少佐である。

 陽動支援連隊は、『甲26号作戦』への派遣が決まっており、同様に派遣される斯衛軍第6連隊と共に、横浜基地に駐留してA-01との共同演習を実施していた。
 『甲26号作戦』では、ソ連軍がオルタネイティヴ4の作戦案に素直に従うか否かが疑問視されている。
 その為、オルタネイティヴ4の直接指揮下に組み込まれ、練度も高い帝国軍戦術機甲部隊こそが、危地に陥った際の趨勢を決定づける戦力であると目されていたのだ。
 それ故に、午前の演習にも共に参加していた沙霧が、何らかの意見交換を求めて話しかけて来る事は、必ずしも不思議な事ではない。

 しかし、沙霧は言葉少なに幾つか会話を交わした後、彩峰と2人連れ立ってPXを立ち去ってしまった。
 彩峰に用があり、話しかける切っ掛けを探していた武は、暫し黙考したものの結局2人の後を追う事にした。
 無論その際には、PXに残っていた面々からの厳しい追及があったのだが、武は正直に彩峰への用向きと自身の考えを告げ、皆の承認を得る事に成功した。

 斯くして、武は校舎屋上へと続く階段室のドアを目前としていたのだが、生憎と未だに彩峰と沙霧はなにやら言葉を交わしている真っ最中の様であった。
 沙霧の用件が何であれ、武はその邪魔をする気も、内容を盗み聞きする気もありはしない。
 それ故に、武は故意に聴覚の感度を下げ、ドアの前で思案に暮れる事となった。

 ところが、武が結論を出す間もなく、ドア越しに察知している彩峰の思考波が、急速に武へと迫って来た。
 急な事態の展開に驚いた武は、盗み聞きをしていたと勘違いされる可能性を悟ると、それを回避する為に慌ててドアノブへと手を伸ばす。
 しかし、ほんの僅かな時間の差で、武の手がノブを掴むよりも先に、彩峰によってドアは勢い良く開けられる事となった。

 眩い陽光を背景に、自身へと強い眼差しを向ける彩峰の姿に、武は動揺を押し隠しつつ口を開く。

「よ、よう。彩峰……
 ちょ、丁度良かった、おまえを探してたんだよ。今日って、おまえの誕生日だろ? 京塚のおばちゃんに頼んで……」

 懸命に弁明を試みる武だったが、彩峰の白刃の如き眼光が襲いかかる。
 その気迫に、武は、口を閉ざさざるを得なかった。
 そして、彩峰の口が開かれ、武の命運を左右する言葉が告げられる―――



 ―――数分後、武は五体無事な姿で、校舎の階段を下っていた。

(あー、危なかった……彩峰にとっちめられるかと思ったけど、何とか助かったな。
 ヤキソバパンのお陰か? っていうか、そもそも勘付かれたのって、もしかしてヤキソバパンの所為だったりしないか?
 ヤキソバが絡むと、彩峰は何しでかしてもおかしくないって気がするよな……)

 校舎屋上、階段室の内と外で彩峰との対面を果たした時、武は甘んじてSTA(スペース・トルネード・アヤミネ)をかけられる覚悟をしていた。
 無論、00ユニットとなった武にとって、彩峰の技量が訓練兵の頃よりも更に上がっているとは言え、STAを回避する事は容易い。
 しかし、武がここ2ヶ月間で学習した所によると、この手の過激な肉体的コミュニケーションを回避すると、大抵はその後余計に事態が拗れてしまう場合が多かった。

 最近食料班での仕事で筋力が付いてきたとはいえ、純夏のパンチ等は蚊に刺されたほどにも感じはしないが、水月や彩峰、月恵に茜あたりの武闘派の打撃は何気に威力が大きい。
 本気で奥義を出されると、命に関わりかねない冥夜が自粛してくれているのがせめてもではあった。
 そんなこんなで、その後の面倒を嫌った武は、最近は大人しく甘んじて攻撃を受ける事にしている。
 ―――武としては、彩峰や月恵はともかく、水月や茜の攻撃に関しては、本当は受ける筋合いはないんじゃないかと思わないでもなかったのだが。

 そういった事情で、STAの1つも覚悟していた武だったのだが、彩峰への誕生日プレゼントとして用意してきた、京塚のおばちゃん謹製のヤキソバパンの御利益か、何の御咎めも無く、しかも彩峰が珍しく礼まで言うという、予想外の展開となった。
 因みに、純夏ではなく京塚のおばちゃんにヤキソバパンの作成を頼んだのは、誕生日のプレゼントがどれ程好物であっても恋敵の手になる物では彩峰も気分が悪かろうと、珍しく武が気を回した結果である

 その後、ヤキソバパンの入った袋を手に、さっさと屋上から立ち去った彩峰に取り残された武と沙霧は、会話を交わす事となった。
 その結果、沙霧が彩峰に誕生日の祝いを贈ろうとして、素気無く(すげなく)断られてしまった事を武は知る。
 色々と少なからぬ懊悩に苦しんでいるらしい沙霧に対して、幾つか助言らしき言葉を駆けて励ました後、武も沙霧を残して屋上を後にしたのだった。

 そうして、今現在、武は独り階段を下りているのだが―――

(……沙霧さんのあの包み……指輪なんじゃないか?
 はっきりとは言わなかったけど、プレゼントを受け取って貰えなかったって言うよりは、沙霧さん、求婚(プロポーズ)して振られちまったって感じだったし……
 けどなあ、だとすると……………………だーっ! やっぱ気になるっ!!)

 武は歩みを止めると、階段の上で踵を返し再び屋上を目指す。
 すると、階段を登りきらない内に、屋上から降りて来た沙霧と早々に再会する事となった。

「ん? 白銀少佐、どうかなされたか?」

 先に降りて行った武が、再び昇ってきた事に僅かに目を見開くと、沙霧は不審気に訊ねる。
 そんな沙霧を見上げた武は、眉を寄せて逡巡しながらも言葉を発した。

「―――ほんとは、オレなんかが訊ねる様な事じゃないんでしょうけど……
 それでも、仲間として彩峰の事が案じられるので、不躾の段は勘弁して下さいね、沙霧さん。
 沙霧さんが、彩峰を大切に想い、気にかけているってのは、傍から見てても解かります。
 でも―――」

 躊躇い勝ちにここまでの言葉を紡いだ武だったが、腹を括ったのか一転して表情を引き締めると、眼光を強めて沙霧を詰問する。

「―――沙霧さんが見てるのは、本当に彩峰慧っていう1人の女性ですか?
 沙霧さんにとって、恩師であると同時に悔恨の源泉である彩峰中将の、その忘れ形見として捉えてしまっていませんか?」

 急変した武の態度と気迫、そして放たれた問いに沙霧の表情が強張る。
 それを目の当たりにした武は、更に言葉を紡いでいく。

「もし、彩峰中将の縁者としてしか彩峰の事を見れないのならば、申し訳ありませんけど彩峰の事は放っておいてやってくれませんか?
 彩峰は、親父さんの事で誹謗中傷を受け、その娘であるという一事を以って不当な評価を下され続けて来たそうですね。
 沙霧さんにとって、彩峰中将がとても大きな存在だって事は解かります。
 でも、彩峰を1人の独立した個人として見てやれないなら、あいつを傷付ける前に身を引いて下さい。」

 武の放った問いに、沙霧は自身の背筋が凍る様な思いをしていた。
 沙霧は今まで、自分は彩峰を慈しんで―――愛していると思っていた。
 彩峰中将の没後、自身が無力感から立ち直るまでの間、部下に過ぎなかった自分よりも世間の強い非難に曝されていたであろう彩峰とその母に、何の助力も成し得なかった事は、沙霧にとって慙愧の念に堪えぬ失態である。

 それ故に、自身の過ちを諭され、再会を果たす事が叶った今こそ、彩峰に対して成し得る限りの償いを果たしたいと沙霧は願っていた。
 そして、その願いと共に思い起こされたのが、在りし日の彩峰中将がふと何かの折に沙霧に告げた、娘を娶る気があるかとの問いであった。
 当時は若輩に過ぎなかった沙霧は、真っ当な応え(いらえ)を返せず狼狽するだけであったが、そんな沙霧を笑みを浮かべて眺めていた彩峰中将には、その本心は容易に見通す事の出来るものであったのだろう。
 それ以来、沙霧は彩峰中将の自宅に招かれる事が増え、彩峰との親交も徐々に深まっていったのである。

 今日、彩峰の18の誕生日に合わせて、勇み足とも言える拙速な求婚を為そうとしたのも、彩峰中将の遺志を一刻も早く果たしたいと思ったからではないか。
 そう、自問するに至った沙霧は、自分が彩峰という1人の女性を想う前に、その父である彩峰中将に想いを馳せて求婚へと至った事に気付かざるを得なかった。
 そして、もしそうであるのなら、自身の為した行いは、武の言う通り彩峰本人の人格を軽視した行いに違いない。

 ならば、聡明な彼女がそんな自分の考えを見抜けぬ筈もない―――沙霧はそう考えて自嘲の笑みを浮かべた。

(―――なるほど、斯くの如き醜態を晒したとあらば、慧に素気無く(すげなく)されたのも宜(うべ)なるかな。
 また一つ、白銀少佐に過ちを正されてしまったか……)

 沙霧はそう、胸の裡にて思いを巡らせると、武と同じ段まで階段を下り、深々と頭を下げる。
 そして、彩峰の上官として―――さらには戦友として、この白銀武と言う得難い武士(もののふ)が居てくれる事に、敬意と感謝の念を抱いた。

「白銀少佐、誠に忝い(かたじけない)。
 私はまた、過ちに気付かず道を違えてしまう所であったようだ。
 貴公の言葉を胸にしかと刻み付け、慧を悪戯に傷付ける事の無き様、配慮すると誓おう。
 私はまずは、己が心と向き合わねばならぬようだな。
 今後も、慧の事をよろしくお願い申し上げる。どうか、慧を見守ってやっていただきたい。」

 恐らくは、彩峰を巡る恋敵であろうと思いながらも、沙霧は武に対し真摯に感謝を捧げ、彩峰の心身を委ねる。
 今はまず、自身が彩峰に相応しい者足りうるか否か、自身を見詰め直し至らぬ点を矯め直すが先決と、沙霧がそう思い定めたが故であった。

 ここにも1人、己が想いのスタートラインに位置を定めた人物が居た。




[3277] 第128話 大国の威信にかけて
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/02/08 17:17

第128話 大国の威信にかけて

2002年10月25日(金)

 09時53分、『甲26号目標』―――エヴェンスクハイヴ外縁部に於いて、地上を制圧確保していた戦術機甲部隊が崩壊の危機に直面していた。

「―――だから、『雷神』で光線級共を黙らせろといっとるのだッ!
 さっさとやらんかッ!!」

 データーリンク越しの通信回線に、作戦総司令官であるベルガーニン少将の怒声が響く。
 ベルガーニン少将は、ソ連軍より『甲26号作戦』の総指揮を執るべく国連軍へと出向した将官であり、その忠誠心は国連憲章ではなく、母国ソ連へと捧げられている。
 とは言え、ソ連軍を主力とする今回の作戦に於いては、それ故に名実共に絶対的な権力者であるとも言えた。
 にも拘らず、その作戦総司令官の怒声を浴びせられた人物は、寸毫たりとも委縮せず、いっそ冷徹とさえ言える冷やかな言葉を返す。

「ですから、先程からの繰り返しになりますが、『雷神』による砲撃を行うにあたっては、まず有人戦術機部隊を後退させていただきたいと申し上げているのです。
 『雷神』の着弾誤差範囲内、並びに砲撃威力圏内に将兵等が居る以上、『雷神』による砲撃は出来ません。」

 その頑なな主張に、ベルガーニン少将は更に激昂して言い募る。

「何を言うかっ! 事は一刻を争うのだぞ?!
 戦術機を後退させては、戦線が崩壊してしまうではないかッ!」

 事実この時、レーザー属種を擁してハイヴより出現したBETA増援により、噴射跳躍を制限され動きの鈍ったソ連軍戦術機甲部隊へと、2万にも届こうかというBETAの群れが雪崩を打って襲いかかろうとしている。
 現状を打破し、前線の部隊を窮地から救う為には、寸秒を争う状況であるのは確かであった。
 しかし、ベルガーニン少将に反論している人物とて、何の対策も無しに戦術機甲部隊の後退を要請している訳ではなかった。
 例えそれが、このような状況下に陥る以前より、幾度も重ねて進言し、その度に却下され続けた策であろうと。

 その言葉の端々に諦念を滲ませながらも、それでもその人物は再度同じ策を進言しようとする。
 しかし―――

「ですから、有人戦術機の後退と入れ代りに、遠隔陽動支援機を―――」
「ッ!―――ES(東北)2512エリアの地雷原にて爆発発生!
 当該地区に押し込まれた戦術機甲部隊で混乱が生じています!
 ―――あっ! 噴射跳躍で飛び越えようとした戦術機3機が、レーザー照射により大破!
 衛士の脱出は確認できませんっ!!」

 ―――進言を遮る様にオペレーターの悲鳴一歩手前の叫びが上がる。
 先んじてBETA軍と接敵した戦術機甲部隊が、BETAを誘引する為に後方に敷設されていた地雷原で誤爆に巻き込まれ、混乱が生じてしまったのだ。
 ハイヴ外縁部の北北東から南南西にかけて、半円状に取り囲む様に構築した防衛線の後背に、地雷原を設置するという作戦案は、オルタネイティヴ4が立案したテストプランの通りである。

 しかし、それは防衛線でBETA陽動を実施し、遅滞行動を担当するのが無人機である遠隔陽動支援機である事が前提となっていた。
 万一誤爆や誘爆が発生しても、無人機であれば人的損害も無く、パニックに陥る衛士も然して出ないだろうとの見込みの下に立案された作戦であった。
 だが、今現在、防衛線を構築し守りについているのは有人戦術機ばかりとなっている。
 その為、迫りくるBETA群と地雷原に挟まれた戦術機甲部隊は心理的に過酷な緊張を強いられる事となっていた。

「むっ!―――ええいっ! 貴様等第4計画が動かぬと言うのであれば、最早頼みにはせんッ!!
 我が国の威信にかけ、独力にてハイヴを攻略してくれるわッ!!!」

 急報に接し、忌々しげに舌打ちを1つ洩らしたベルガーニン少将は、怒鳴り付けるようにして通信相手を罵倒すると、自身が掌握している部隊へと指令を下す為に総司令部のオペレーターに向けて声を張り上げた。

「―――軌道上の再突入型駆逐艦『ネウストラシムイ』へ下命!
 直ちに、エヴェンスクハイヴへの軌道爆撃を実施せよ。
 ―――繰り返す、軌道爆撃を実施せよッ!!」

 戦術機を以ってしても回避不可能と言われる軌道爆撃は、通常地上部隊の展開後には実施されない。
 軌道爆撃は精度を重視しない絨毯爆撃による面制圧であり、周辺に展開する部隊が壊滅的な損害を被る可能性が高い為だ。
 その危険性は『雷神』による狙撃とは比べ物にならない程高く、しかもハイヴ『地下茎構造(スタブ)』を上層のみとはいえ崩落させ、オルタネイティヴ4が入手した『地下茎構造』マップの信頼性を低減させてしまう。
 他にも、地上部に設置した振動波観測網も寸断されてしまうだろう。

「なっ!? そんな事をしたら、前線に展開している部隊が―――」
「問題無いな。我が軍の勇猛果敢な将兵等は、国土奪還の為には死すら厭わぬのだからな!」

 あまりの暴挙に驚愕の声を漏らした人物―――武を冷ややかに一瞥したベルガーニン少将は、ニタリと嫌らしい笑みを浮かべると、その言葉を叩き斬る様に言い放つ。
 前線で戦い続ける将兵達の身命を軽視する、暴虐極まりないその発言に、武は唇を噛んで押し黙る。
 作戦総司令部の通信画面に映し出された武の画像、その視線がちらりと脇へと逸らされたが、すぐさま元へと戻された為ベルガーニン少将は気にも留めなかった。



 『甲26号作戦』は、オルタネイティヴ4の主導により立案された作戦ではあったが、発動に至るまでに政治的駆け引きが繰り返された末、作戦総指揮はソ連軍から派遣されたベルガーニン少将の手に委ねられる事となっていた。
 それでもベルガーニン少将は、作戦発動前の図上演習(シミュレーション)等では、オルタネイティヴ4で立案したテストプランに従って淡々と指揮を執った。
 しかも、作戦内容についても熱心に質問を繰り返すなど、その勤勉な態度に武などは、もしかしたら何の問題も起こさず作戦を遂行してくれるのではないかと、一縷の希望を抱いたほどであった。
 しかし、そのような態度は『甲26号作戦』の前段階である予備作戦の発動を機に一変した。

 予備作戦では、カムチャッカ半島の付け根に位置するペンジナ湾近辺より、エヴェンスクハイヴへ向けて、北東ソビエト最終防衛線を西方へと押し上げ、突出させる事となっていた。
 そうして確保した防衛線の突出部に拠点を設け、そこを『甲26号作戦』に於ける攻撃発起点とするのが目的である。

 『甲26号作戦』の前々日より実施されたこの予備作戦と、それに続く突出部の防衛戦並びに周辺地域のBETA掃討に於いて、オルタネイティヴ4直轄部隊は『雷神』飛行船群を除いて、実戦参加を禁じられる事となった。
 ベルガーニン少将の主張は、オルタネイティヴ4直轄下にある部隊は『甲26号作戦』に於ける重要な決戦戦力である為、その戦力を温存すべしというものであった。
 防衛線の押し上げと、その後の維持はソ連軍が責任を持って実施するとまで言われた武は、ベルガーニン少将の主張を入れて待機に甘んじた。

 ソ連軍の妄動や暴走を警戒した武と夕呼により、オルタネイティヴ4直轄部隊に関しては、武とみちる、そして斯衛軍第16大隊指揮官である斉御司大佐の3人に、命令拒否権が与えられている。
 その為、意に沿わぬ出撃を強制される事はないのだが、作戦指揮を乱す恐れから無許可での出撃は躊躇われるという現在の状況を招く結果となったのだ。

 それでもソ連軍には早期より300基を超えるXM3が供与され、その他の対BETA戦術構想装備群も生産配備されていた為、防衛線の押し上げと維持に対する不安を武は抱いてはいなかった。
 実際、ソ連軍は対BETA戦術構想装備群をそれなりに活用し、予備作戦を完遂してみせた。
 しかし、ソ連軍はオルタネイティヴ4直轄部隊のみならず、自国のXM3搭載戦術機の全てを温存し、従来型OS搭載戦術機のみを用いて作戦を敢行してしまったのである。

 従来OSでは、遠隔陽動支援機としての運用は搭載コンピュータの処理能力不足などから困難である為、これらの戦術機は全て有人機であった。
 その為、対BETA戦術構想に基づいた作戦とは言え、その根幹を成すBETA陽動を担当するのが従来OS搭載の有人戦術機では、その能力に不足が生じるのは避けられなかった。
 ソ連軍は、その不足を衛士の血と生命、そして装備弾薬を以って贖う事となった。

 無論、これらの状況は武も作戦発動直後には察知していた為、オルタネイティヴ4直轄部隊の遠隔陽動支援機の出撃も含めて、損害低減の為の献策、意見具申を繰り返した。
 しかし、ベルガーニン少将はその全てを却下し、『雷神』によるレーザー属種の排除を除き、ソ連軍の独力による作戦遂行に固執したのである。
 武は広域データリンクから入って来るソ連軍の損害に、愁眉を曇らせながら2日間を過ごす事となった。

 そして、慙愧の念に苛まれる中、ようやく迎えた『甲26号作戦』の発動。
 武はオルタネイティヴ4直轄部隊を投入し、自身のみならず直轄部隊に所属する全員の鬱憤を晴らすかの如く、遠隔陽動支援機を縦横無尽に運用し、『雷神』による砲撃と、ソ連軍砲撃部隊の支援砲撃とを連動させてエヴェンスクハイヴ周辺地域のBETA掃討を行った。
 そうして作戦開始時点に地上展開していたBETA群は元より、第1次から第5次増援に至る総計7万体近いBETA群を蹴散らした。

 しかしその後、作戦第3段階に移行した時点で、ベルガーニン少将よりオルタネイティヴ4直轄部隊に対して後方待機が命じられた。
 それ以降、武の指揮によって設置された振動波観測網と、戦域各地に集積された対BETA戦術構想装備群や弾薬を活用して、進出したソ連軍戦術機甲部隊がハイヴ周辺地域を確保し、ハイヴ突入が開始された。
 その作戦行動自体は、確かにテストプランに沿ったものではあった。

 しかし、問題は次の4つの点において、テストプランとは異なる独自の運用が、ベルガーニン少将によって成されていた事にあった。
 第1に、作戦第3段階に於いては、ハイヴへの突入撤退を繰り返してハイヴ内部の残存BETAを地上に誘導し撃破する予定であったにも拘わらず、この段階に於けるハイヴ突入で反応炉破壊を一気に達成しようとした事。
 第2に、ソ連軍に供与された300基超のXM3の内、戦術機に搭載されてこの作戦に投入されたのが110基のみであり、1個戦術機甲連隊相当分でしかなかった事。
 第3に、ソ連軍は遠隔陽動支援機や随伴輸送機を採用せず、全てのXM3搭載戦術機を有人機として運用した事。
 第4点、しかもその上、ソ連軍は作戦に投入したXM3搭載戦術機の全てをハイヴ突入部隊とし、地上を確保する戦術機甲部隊には1機も配備しなかった事である。

 これらの内、第2、第3に関しては、戦域データリンク上に作戦参加部隊の詳細データが出揃った作戦発動直後、即座に武の知る所となった。
 それ以降、武はBETA掃討作戦を指揮する傍ら、数度に亘って問い合わせや警告、事態を改善する為の意見具申等を行ったが、予備作戦実施中の頑なな態度から予想された通り、ベルガーニン少将は全く聞き入れはしなかった。

 ベルガーニン少将は武の問い合わせに対して、ソ連軍に供与された以上XM3はソ連軍の装備に他ならず、その作戦への投入はソ連軍の裁量によってなされるべきものであると主張。
 この点については、ソ連軍のこれまでの動向から、入手したXM3の温存を図るだろうと、事前に予測していた武にとっては既に織り込み済みの事ではあった。
 しかし、続けて遠隔陽動支援機と随伴補給機に関して、貴重なXM3搭載戦術機を無人機として使い捨てるなど言語道断であり、XM3は有人機として活用する事でより一層高い戦果を得る事が出来るとベルガーニン少将が主張した時には、武は強い衝撃を受けた。
 その発言は対BETA戦術構想の基本理念を否定し、ソ連軍衛士等の身命を軽視したものとしか思えなかった為である。

 これに対して、武はBETAの優先破壊序列の関係上、無人機を用いた随伴輸送機に比べ、有人戦術機による輸送は被撃破率が飛躍的に高まる事を指摘。
 その点からXM3搭載戦術機部隊への補給が滞る危険を訴えたが、ソ連軍衛士の技量を以ってすれば問題ないと一蹴されてしまった。

 この問答から、ベルガーニン少将の基本的な構想が将兵の人命を消耗品扱いし、その犠牲の上で如何に多くの戦功を立てるかという点に集約されている事に、武は遅まきながら気付く事となった。
 実際に面と向かって言葉を交わす機会さえあれば、武は00ユニットのリーディング機能により、ベルガーニン少将の為人や思惑を事前に察知する事も可能であっただろう。
 一応、武は事前に、帝国情報省からベルガーニン少将に関するレポートを入手しており、一応の経歴や人物評価などには目を通していた。
 しかし結果的には、今回はソ連による謀略を警戒する余り、情報収集の機会を逃した事が祟ってしまい、武は強く後悔する事となった。

 今となっては、エヴェンスクハイヴの間近に設けられた総司令部に武が出向いては、00ユニットの誘引効果によってハイヴから総司令部へのBETA侵攻を誘発してしまう危険性が高い。
 その様な事態を回避する為には、オルタネイティヴ4直轄部隊によるハイヴ突入に至らない限り、武は日本帝国海軍より今作戦中貸与されている重巡洋艦『最上』で待機し続けるしかなかった。

 その様な事情もあり、第1及び第4については、ベルガーニン少将が徹底して情報の秘匿に努めた結果、武が把握できたのは作戦第3段階への移行が宣言され、実際に部隊が動き出してからであった。
 しかも、ハイヴ突入部隊の編制や携行している補給物資の種別や量から、反応炉破壊を目論んでいる事が予想されるにも拘らず、この期に及んで尚、オルタネイティヴ4直轄部隊への作戦参加要請が下されない。
 さすがにこの事態を看過出来ず、これまでの経緯から効果が期待できないと予想しつつも、武はオルタネイティヴ4直轄部隊の随伴か、陽動による支援を提案した。

 しかし、ベルガーニン少将は予想に違わずこれを拒否。
 ソ連軍単独によるハイヴ攻略に自信を見せ、言葉にこそ出さなかったものの、その関与を事実上封じられた武を嘲る視線を投じて来た。
 自身に対するベルガーニン少将の軽侮などには、何ら痛痒を感じなかった武だったが、その作戦指揮によって犠牲となるであろうソ連軍衛士等の事を想うと、ベルガーニン少将に対する深刻な憎悪が湧き上がって来るのは抑え切れなかった。
 こういった事態に陥る事も事前に想定したケースの1つであり、夕呼と検討した結果一応の『保険』はかけてあったのだが、この時点では残念ながらそれは未だ効力を発揮しなかった。
 斯くして、武からすれば無謀としか思えない作戦第3段階冒頭に於ける、反応炉破壊を目的としたハイヴ突入が敢行される事態となってしまったのである。

 ―――そして、予想が的中しないで欲しいとの武の願いも空しく、ハイヴ攻略は無残な失敗を遂げる事となった。



 ソ連軍ハイヴ突入部隊が地下へと姿を消した13分後、突入部隊から途切れ途切れに通信が届いた。
 その内容は、BETAに対する陽動部隊の誘引効果が事前予測の1割にも満たず、ハイヴ突入部隊本隊は『地下茎構造』内にてBETA群の重包囲下に陥ったというものであった。
 その一報を伝えると共に新たな指示を受ける為、自身もBETA群の包囲を突破してきた陽動部隊は、1個中隊12機の内9機を失いながらも、なんとか通信可能圏まで這い上がって来たのである。

 ベルガーニン少将は、ソ連軍部隊のみでのハイヴ攻略に絶大なる自信を持っていた。
 その自信の背景にあったのは、オルタネイティヴ4より提供されたBETA行動特性シミュレーターによる、演習結果であった。
 このプログラムに於いて、オルタネイティヴ4の擁する戦術立案ユニット搭載機が発揮する、異常なまでに高いBETA誘引効果。
 ベルガーニン少将とその幕僚たちは、この誘引効果に着目した。

 そもそも、その誘引効果を活用し、ハイヴ突入部隊の『大広間(メインホール)』到達を容易足らしめるという作戦案は、オルタネイティヴ4が立案したテストプランの1つとして存在した。
 その誘引効果に着目した参謀の1人が、通常の戦術機の緒元(スペック)を操作し、搭載コンピュータユニットの演算性能を向上させた上で、同じシナリオをシミュレートした。
 その結果、戦術立案ユニットの誘引効果には及ばなかったものの、ソ連軍が有している最高性能の戦略シミュレーターレベルまで緒元を上げた結果、ある程度同じ傾向のシミュレート結果が得られたのである。

 このシミュレート結果を知ったベルガーニン少将は、ソ連最高峰のコンピュータユニットとシミュレーターに登録されていた戦術立案ユニットの緒元の差を確認させた。
 その結果、その性能差が然程離れていないと知ったベルガーニン少将は、参謀に戦術立案ユニットの緒元と同じ値まで性能を向上させたデータでシミュレートを行わせた。
 ところが、緒元上の値では同性能のコンピュータユニット搭載機を用いたシミュレートの結果を見ても、BETA誘引効果は戦術立案ユニット搭載機には遥かに及ばないという結果が出たのだ。

 これを知ったベルガーニン少将は、オルタネイティヴ4が自らの擁する戦術立案ユニットの価値を過剰に演出する為に、シミュレーターのプログラムに細工をしているという結論に至る。
 もしそうであるならば、その細工は誘引効果を過剰に判定する物ではなく、戦術立案ユニット以外のコンピュータユニットの影響を過小に判定するものであると、ベルガーニン少将は断定した。
 何故ならば、誘引効果を過剰に判定していた場合、そのテストプランが実施された際に、作戦の成功が覚束なくなってしまうからである。

 この結論へと至った時から、ベルガーニン少将はソ連軍単独によるハイヴ攻略という功績を、狂熱的に求める様になった。
 その日までに、ソ連軍高級軍人として、そして『党』中枢の一角を占める主戦派の一員として培ってきた伝手を総動員し、最高性能のコンピュータユニットを戦術機の背部兵装担架(パイロン)に搭載可能なコンテナに納めさせた。
 更には、有効な利用方法が判明していないものとはいえ、微量のG元素まで米国企業より入手し搭載するという念の入れようであった。

 オルタネイティヴ4は、『甲26号作戦』第4段階に至っても尚、ハイヴ内の残存BETAを十分に漸減出来ていなかった場合に備えて、戦術立案ユニット搭載機とその直衛部隊を陽動とした上でハイヴ攻略部隊を強行突入させると言うプランを立案していた。
 ベルガーニン少将は、このプランを作戦第3段階に於いて、ソ連製戦略コンピュータユニット搭載機を用いて実施し、完遂しようと目論んでいた。

 無論、独断ではなく、自身の属する派閥の領袖に計り、許可と協力を得た上での事である。
 これが成功した暁には、自身が戦功を上げるのみならず、オルタネイティヴ4が行った隠蔽工作を暴露し、またオルタネイティヴ4に依存せずともハイヴ攻略が可能であると示し、更には国際社会におけるソ連軍の評価をも押し上げる事が可能となるのだ。

 その、欲して止まない栄光が、指呼の間にあると信じて疑わずにいたベルガーニン少将は、ハイヴ突入部隊からの悲痛な報告に接し、その予想外の事態に自失してしまう。
 よもや、オルタネイティヴ4がシミュレーターに施した偽装が、戦術立案ユニット―――即ち00ユニットの量子電導脳の演算性能を、過小な値として偽ったものであるとは思いもしなかったが故の悲劇であった。
 作戦中であるにも拘らず、思考を放擲してしまったベルガーニン少将が無為に時間を浪費しているその間に、陽動部隊の生き残りである3機の複座型Su-47『ビェールクト』が、機体をBETAの体液塗れにした姿を陽光の下へと現す。

 3機の『ビェールクト』が噴射跳躍で飛び出してきた『門(ゲート)』。
 その周囲を確保していたソ連軍戦術機甲部隊の衛士達は、激戦を戦い抜いた事が明らかであるその雄姿を畏敬を込めた雄叫びをあげて迎えた。
 しかし、それと同時に、彼らの搭乗する機体の武装は、たった今3機の『ビェールクト』を吐き出した『門』へと向けられ微動だにしない。
 何故なら、あの3機の『ビェールクト』をその暴食の顎に飲み込み損ね、猛り狂ったBETA群の奔流が、直ぐそこにまで迫っていたからである。

 ハイヴ突入部隊が危機的状況に陥ったとの一報と前後して、振動波観測網はハイヴ中階層以下より這い上がって来る、師団規模のBETA群を感知していた。
 当初は、陽動部隊に誘引されたBETA群の移動だと思われていたそれが、この期に及んでようやく、地上を目指していると推定されたのだ。

 だが、その推定も遅きに失し、的確な迎撃態勢が構築されない内にBETA増援が地上へと噴出してきてしまう。
 しかも、そのBETA群の中にはレーザー属種も含まれており、地上を確保していたソ連軍戦術機甲部隊はそれまでと一転して、苦しい戦いを強いられる事となった。

 一度は思考停止に陥ってしまったベルガーニン少将も、なんとか気力を掻き集めると、自己保身の為にも事態を打開すべく、必死の形相で再び指令を下し始める。
 死に物狂いで生き残る為の戦いに終始する前線の衛士達と、補給を手早く済ませ、彼らが苦戦する中を駆け抜けてBETA群を蹂躙する陽動部隊の生き残り―――3機の『ビェールクト』の鬼気迫る奮戦は、戦線崩壊を辛うじて食い止めてベルガーニン少将に失地回復の策を練る時間を与えた。

 その貴重な時間を費やして、ベルガーニン少将が捻りだした策とは―――前線で死闘を繰り広げる戦術機甲部隊共々、地上に出現したBETA群を殲滅するというものであった。

 ベルガーニン少将はこの時、BETA群殲滅の手段として、今回の作戦に投入されている『雷神』6個飛行船群の砲撃を用いる方法と、念の為に予備戦力として軌道上に待機させてあったソ連航空宇宙軍戦略軌道部隊による軌道爆撃を用いる方法の2つを検討していた。
 そして、オルタネイティヴ4の手を借りる事に対する抵抗こそあったものの、レーザー属種に対する効果の高さと、周囲に与える被害の規模、効力発揮までに要する時間の短さから、断腸の思いで『雷神』による砲撃を要請したのである。
 にも拘らず、オルタネイティヴ4直轄部隊の指揮権を有する白銀少佐なる小僧は、ベルガーニン少将の命令に異を唱えた。

 極少数の例外こそいるものの、現在ハイヴ周辺の地上で戦っている衛士達は、その殆ど全てがソ連衛生国家に属する劣等民族共ばかりだ。
 ならば、そんな連中の命に拘泥して、大局を失うなど愚劣極まりない事だと何故解からんのか。
 ベルガーニン少将は、そんな内心の叫びを抑え込みながら尚も武の説得を試みたが、一向に従う気配の無い武に痺れを切らすと、遂にもう一方の手段である軌道爆撃の実行を下命したのであった。
 そして、通信機の画面に映る武の通信画像に対して、劣等民族と見下す相手への侮蔑を込めた視線を投じると、ベルガーニン少将は心中で満足気に愉悦の笑声を漏らした。

 だが、その優越感に満ち溢れた表情は、直後に強張り狼狽を露わにする事となる。

「―――いやいや、それは大問題ですよ、ベルガーニン国連軍少将。
 ハイヴ攻略作戦に於いて、我々国連統合軍の指揮権が優先するとバンクーバー協定で謳われているのは、一体どうしてだと思っているのですか?」

 突然通信回線に割り込んで来た男性。
 50歳前後の、幾らか白いものが混じり始めた髪を綺麗に撫で付け、小ざっぱりと整えられた口髭を蓄えたその人物は、国連軍中将の階級章と軍装を身に着けていた。
 通信に割り込んで来た相手を怒鳴り付けようとして睨みつけたベルガーニン少将だったが、相手の通信画像を見るなり顔面を蒼白とさせ言葉に詰まってしまう。

 そんなベルガーニン少将に、片眉を上げた視線を投じ微かに唇の端を吊り上げたその中将は、しかし何事も無かったかのように悠然と講釈を始める。

「それはですね、ベルガーニン少将。
 貴官の出身国やその同盟国が、人類全体がBETAに対抗する為の貴重な戦力を、後先考えない戦争行為で激減させてしまった過去の過ちを繰り返さない為なのですぞ?
 まあ、無論それは一要因に過ぎない訳ではありますが、要因の一つである事もまた明確な事実に他ならないのです。
 さて、前置きはこの程度にさせていただいて、用件に入らせて頂きましょうか。
 ベルガーニン国連軍少将。今作戦に於ける貴官の作戦指揮を検証させていただいた結果、国連統合参謀会議の名に於いて、現時点を以って貴官の指揮権を剥奪する。」

 中将の言葉に、憎々しげな視線を向けながらも、ベルガーニン少将は唇を引き結び一言も反駁しなかった。
 それもその筈、通信回線に割り込んだのは国連統合参謀会議に名を連ね、今回の『甲26号作戦』の実施を観閲する立場にある、国連軍へと派遣されたベルガーニン少将にとっては直属の上官にも等しい相手であったからだ。
 指揮権剥奪を言い渡されたベルガーニン少将は、肩を落とし手近な席へとへたり込んでしまう。
 つい先刻まで横溢していた覇気は霧散し、その姿はまさに敗残の将という言葉を体現している。

「以降の作戦指揮は、第4計画直属部隊A-01の指揮官である白銀少佐に委ねるものとします。
 ベルガーニン少将は、今作戦終了後、速やかに査問委員会を開催しますのでそのおつもりで。
 不服がある様であれば、その場で申し出るんですな。
 ああ、一つ言い忘れておりましたが、貴官の母国の国連安保理理事閣下も、今回の処分には同意なさっておられますので悪しからず。
 憲兵、ベルガーニン少将の身柄を保護させていただくように。
 くれぐれも、間違いの無いように頼みますよ。」

 中将のその言葉と前後して、作戦総司令部へと国連軍憲兵が姿を現し、丁重にではあるものの有無を言わさずにベルガーニン少将はを連行して行った。
 そして、その後も数人が総司令部に残り、その場の要員達を睥睨する。

「―――さて、白銀少佐…………と、既に指揮権を発動している様ですね。
 さすがに素早い事で。いや、結構結構。
 その調子で、『甲26号作戦』を見事完遂して下さい。期待していますよ。
 それでは、総司令部の諸君も、白銀少佐を助けて作戦完遂の為に全力を尽くして下さい。
 全ては、諸君の国土を奪還する為です。―――よろしいですね?」

 その言葉を最後に、中将は通信回線を切断し姿を消した。
 通信回線への割り込みが成された直後より、この時に至るまで、武が中将の通信画像に意識を向ける事は一切なかった。
 武にとっては、中将が通信に割り込んだ時点で、ベルガーニン少将と中将に関しては全てが既定事実と化していたからだ。
 故に、それよりも現在刻々と戦況が変転している、『甲26号作戦』の立て直しの方を優先していたのである。

 中将が通信を終えた時には、『ネウストラシムイ』を旗艦とするソ連軍軌道爆撃艦隊に爆撃中止を下命し、オルタネイティヴ4直轄部隊の遠隔陽動支援機の前線投入と入れ替えに、前線で奮戦していたソ連軍戦術機甲部隊に一時後退と補給、さらには必要な部隊に対しては再編制の指示すら完了していた。
 この中将の介入こそが、武と夕呼が事前に用意していた『保険』であった。

 『甲26号作戦』実施の許可を得るに当たり、夕呼は、武を初めとするオルタネイティヴ4直属部隊と『雷神』飛行船群、そしてXM3と対BETA戦術構想に習熟した戦術機甲部隊を武の直轄とする事と引き換えに、作戦総司令官をソ連軍派遣将校に委ねる駆け引きを行った。
 これは、ソ連軍の謀略を回避すると共に、作戦に重大な支障が生じても尚、事態を打開する戦力を武の手元に残す為の方策であり、同時にソ連軍派遣将校に好きに振舞わせる事で、軽挙妄動を誘うという計略でもあった。
 しかし、この場合ソ連軍派遣将校の指揮権を掣肘する事は困難となる為、暴走を始めた折にはその指揮権を剥奪できるよう準備を整えていたのである。

 予備作戦の発動以降、ベルガーニン少将により下された命令とそれに伴う戦況推移、そしてそれに対する武―――即ちオルタネイティヴ4の警告及び意見具申の詳細は、全て国連軍統合参謀会議へと送られており、先程の国連軍中将とその部下達がリアルタイムで検証を行っていたのだ。
 中将は英国の出身であり、国連軍上層部でもオルタネイティヴ4に好意的な人物であった。
 武としては、もう少し早い段階での指揮権剥奪を期待していたのだが、恐らくは国連安保理のソ連理事を同意させるのに手間取ったのであろう。

 いずれにせよ、これでハイヴ周辺地域に展開していたソ連軍戦術機甲部隊が、軌道爆撃により壊滅的打撃を被る事態は回避された。
 だが、軌道爆撃の脅威を免れた衛士達は、今も尚BETA群の物量に圧倒されつつある。
 彼等を完全に危地より救い、生き伸びさせる事が出来るか否かは、偏に武の采配にかかっていた。

「レフ(ライオン)1より大隊各員に告ぐ。
 大分焦らされちまったが、ようやく戦友共を助けに行けるぞ野郎どもッ!
 アラスカからのこのこ出て来たクソ野郎は罷免された、これで思う存分戦えるぜ。
 オレ達の仕事は囮で壁だッ! BETA共を振り回して、切りきり舞いさせてやれッ!! レフ大隊総員突撃ッ!!!」
『『『 ウラーッ!!! 』』』

 エヴェンスクハイヴ外縁部東南東より、国連軍塗装を施された1個大隊36機のSu-27『ジュラーブリク』が、ハイヴ外縁部で戦い続けるソ連軍の下へと、噴射地表面滑走で平坦に均された荒野を疾走して行く。
 いや、他にも国連軍塗装の『ジュラーブリク』が2個大隊おり、合計すれば102機もの『ジュラーブリク』が扇状に進路を分散させて、北北東から南南西迄の半円状の戦線を構築し維持する為に前線へと急行していた。
 彼等は、ほんの数か月前まではソ連軍アラスカ軍管区に所属しており、XM3の教習を受ける為に日本帝国へと派遣された衛士達であった。

 約1カ月前、ソ連軍はエヴェンスクハイヴ所属BETAの個体数が増大した事を理由に、『甲26号作戦』の完遂を期する為と称して大規模な間引き作戦を敢行していた。
 通常行われる沿岸地域に対する砲撃のみならず、内陸部にまで戦術機甲部隊を進攻させ、周辺地域のBETA群を誘引殲滅。
 然る後、状況が許せば振動波観測網の設置までもを視野に納めた、意欲的な作戦であった。
 また、この作戦には『甲26号作戦』を前に供給され配備されたばかりの、XM3搭載戦術機を擁する部隊の実戦演習を兼ねるものとされ、実際に従来OS搭載機を遥かに凌駕する生残性の高さを証明する事となった。

 ―――というのが、表向き発表された内容である。
 実を言うとこの間引き作戦は、ソ連軍が供与されたXM3隠匿の事実を偽装する為に目論んだ作戦であった。
 BETA個体数の増大自体、前回実施されたエヴェンスクハイヴ所属BETA群に対する間引き作戦で、故意に撃破数を抑制した結果であり、『甲26号作戦』を控えたこの時期に独自の軍事行動を取る機会を意図的に作り出していた。
 ソ連軍上層部はこの作戦に乗じて、XM3搭載戦術機を接収し代わりに従来OS搭載機を配備した、武よりXM3教習を受けた戦術機甲3個大隊を投入し、意図的に全滅させようとしていた。
 その事実を以って、戦術機の性能を飛躍的に高めると評される、XM3の効用に疑念を生じせしめると共に、供与されたXM3が戦闘で失われたものとして、隠匿の事実を隠蔽しようと企図したのである。

 しかし、ソ連軍によるXM3隠匿を早期に察知し、何らかの隠蔽工作が行われると事前に予測し警戒していた武と、その依頼を受けて内偵を進めていた鎧衣課長によって、この謀略は事前に暴かれる事となった。
 これを知った夕呼は、予てよりソ連軍によるXM3隠匿の事実確認を依頼していた米国大統領に協力を要請。
 国連安保理非公式協議に於いて、XM3隠匿の事実並びに隠蔽工作疑惑をぶちまけた。

 この告発に接し、一刻も早く自国軍へのXM3配備を望みながら、オルタネイティヴ4主導の大陸奪還作戦スケジュールにより、『甲26号作戦』の主戦力となるソ連軍への供給を優先され、試験導入用の僅かな量しか供給されていなかった各前線国家の反発は凄まじいものとなった。
 なにかとソ連と共同歩調を取る事の多い中国や米国も、この件に関してはソ連を厳しく非難。
 進退窮まったソ連理事に対して、夕呼が『甲26号作戦』完遂こそが急務であるとした上で、事態を収拾する為の妥協案を提示した。

 その内容は、要約するならば3点で構成されていた。
 第1に、日本帝国に派遣されXM3教習を受けたソ連軍戦術機甲部隊の所属を国連軍へと移し、ソ連はその装備として戦術機及び関連物資人員を提供する事。
 第2に、ソ連軍に対して供給されたXM3に関しては、これをソ連軍の装備として保持運用を認めるが、『甲26号作戦』発動に際しては、ソ連軍は最低1個連隊のXM3搭載戦術機甲部隊を投入する事。
 そして第3は、今回のソ連の隠匿行為に対する制裁として、『甲26号作戦』に続く新たなる旧ソ連領ハイヴへの攻略作戦実施が承認されるまでを期限とした、XM3供給の完全停止措置であった。

 『甲26号作戦』の完遂、今後暫くではあるもののXM3争奪からのソ連脱退、ソ連は現時点で保有しているXM3の確保、各勢力共に思う所はあるものの、この妥協案は受け入れられ承認される事となった。
 この非公式協議の結果に従って、レフ大隊他2個大隊は国連軍へと派遣され、国連太平洋方面第11軍の所属となったのである。
 その後、ソ連軍より供与された戦術機は、国連軍横浜基地技術部の監修により改修され、複座型戦術機60機、遠隔陽動支援機120機、随伴補給機180機として、同部隊へと配備される事となった。

 斯くして環境の激変に翻弄されたソ連軍衛士達は国連軍衛士となり、政治将校の監視からも解放され、『甲26号作戦』実施に向けて猛訓練に明け暮れて来たのである。

 元より、ロシア人特権階級を除くソ連軍の前線勤務将兵等は、生後間もない子供を親元から引き離し、軍事教育施設で民族ごとに集た上で、親の顔も見せずに育成するという国策を強いられている。
その為、家族との面会はおろか面識すらない者が殆どであり、しかも彼等は日本への派遣から帰還した後、何処となく冷遇され何やらキナ臭い事態に巻き込まれている事をそれとなく感じ取っていた。
 それ故に、国連軍の所属となってからの環境に彼等は不満を感じておらず、国連軍衛士として過ごす日々を概ね好意的に受け入れていた。

 駐留する基地こそ横浜基地では無かったものの、在日国連軍の基地に大隊ごとに分かれて駐留し、時にはA-01や帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊、斯衛軍第6連隊など、『甲26号作戦』に於いて共に武の直接指揮下に組み込まれる各部隊との共同演習に従事し、次第に胸襟を開きあっていった。

 そして、遂に迎えた『甲26号作戦』であったが、元の戦友達が予備作戦の激戦で少なからぬ損耗を出す中、それを傍観する事しか許されず憤懣遣る方ない思いを彼らは必死に堪えて来た。
 自分達が身につけた技術と、現在与えられている装備さえあれば、戦友達の犠牲を激減させる事が出来るという思いがあるが故に、彼らは自分達を命令で雁字搦めに縛り付ける総司令官に対し深甚な怒りを抱いていたのだ。

 それが今、全ての鎖から解き放たれ、武より元の戦友達を窮地より救い出せと命じられた事で、彼等は奮起勇躍してBETA群を翻弄し、戦線を速やかに再構築していく。

 それと機を一にして、帝国軍陽動支援戦術機甲連隊と斯衛軍第6連隊は南北へと戦線を押し広げ、後方の地上部隊へのBETA浸透防止に努めた。
 同時にA-01は緊急展開用ブースターユニットを用いて、戦域の各所に点在し、他のBETA群に幾重にも守られたレーザー属種を強襲し掃討。
 投入された10機の遠隔陽動支援機『時津風』の内3機を失ったものの、レーザー属種の殲滅に成功。
 これにより戦況は、態勢を立て直したソ連軍戦術機甲部隊と砲撃部隊による、BETA群の掃討戦へと移行していった。

 混乱の収拾に成功し、再び地上に於ける優勢を確立した武だったが、この混乱の間に失われた戦力は決して小さなものではなかった。
 混乱の最中、前線を突破し後方へと突破浸透を果たしたBETAもおり、それらの掃討も行わねばならない事を考えると、ハイヴ内の残存BETAを順次誘引して殲滅するには、既に戦力が不足がちとなってしまっていた。
 また、最も深刻なのは、砲弾備蓄量の不足である。

 元々、第3段階でのハイヴ攻略を目論んでいたベルガーニン少将は、砲撃部隊の弾薬を最低限しか備蓄していなかった。
 武はその点も指摘していたのだが、ベルガーニン少将は後方より輸送中との一点張りで、全く埒があかなかったのである。
 その心許ない弾薬も、先程の混乱の最中乱射された揚句にレーザー属種に迎撃され、無為に消耗してしまっていた。

 これらの状況から、武はハイヴ内残存BETAの漸減を断念。
 奇しくもベルガーニン少将が成そうとしていた、ハイヴ強行突入による反応炉破壊を策定した。
 そして武は、オルタネイティヴ4直轄部隊よりハイヴ突入部隊を編制し、自身も陽動部隊を直率してハイヴへと突入する事と決めた。

 ハイヴ突入に際しては重巡洋艦『最上』に霞を残し、地上との通信は思念波通信補助システムを運用する霞を経由して行う事が可能であった。
 その為、武は霞にプロジェクションで今後の指示を出しつつ、『最上』の戦術機格納庫へと急ぐ。
 格納庫には両翼を折り畳んだ緊急展開用ブースターユニットと、その胴体部分に『不知火』が格納されていた。
 その周囲では、国連軍横浜基地所属の機械化歩兵が警備任務に従事している。

 武が『不知火』の管制ユニットに搭乗すると、『最上』の艦載機デッキが左右に展開し、格納庫の天井ごと開いていく。
 続いて緊急展開用ブースターユニットを固縛しているハンガーがリフトアップ。
 『最上』の後部甲板上に、緊急展開用ブースターユニットがその姿を現した。

 武はブースターユニットに搭載された噴射跳躍ユニットの向きを調整すると、『最上』の艦上構造物に損傷を与えないように慎重に噴射させ、垂直離陸で高度を稼ぐ。
 その下を、『最上』が前進し擦り抜けた所で武は水平飛行に移行。
 陽光を展開した翼に反射させると、搭載された6基の噴射跳躍ユニットを全力で噴射させ、一路エヴェンスクハイヴ目指して飛び去って行った。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2002年10月29日(火)

 19時23分、国連軍横浜基地B19フロアの夕呼の執務室に、『甲26号作戦』から帰還したばかりの武と霞の姿があった。

「先生。今戻りました。」

 入室してすぐに武が挨拶をすると、夕呼は執務机に置かれた端末の画面から視線を上げた。
 そして、フッと何処か皮肉気な笑みを浮かべると、武と霞を迎える言葉を投げる。

「おかえり。―――あ、そうそう、社、初めての船旅は楽しかった?
 船酔いなんてしなかったでしょうね?」

 ほぼ1週間ぶりに見た霞の姿に、ふと出かける前の事を思い出して、夕呼は船旅について気まぐれに尋ねてみた。

「はい、楽しかった、です……海は色と香りが、凄かったです……」

「なにそれ……汚かったとか、臭かったってって事?」

 夕呼の問いに、淡々とした声で答える霞。
 その声音にも表情にも、霞の喜怒哀楽はあまり起伏をもたらさない。
 そんな霞をからかう様に、夕呼は敢えて悪い方に取って見せた。
 すると、霞は眼を大きく見開くと、フルフルと必死に首を左右に振って言葉を補う。

「とても綺麗で……不思議な匂いでした……」

 そんな霞の懸命な様子に、珍しく優しげな笑みを浮かべると、夕呼は霞に頷きかけた。

「そ、なら良かったじゃないの。誕生日祝いって事だったのよね?
 機密保持や警護の関係上、A-01と一緒の船じゃなくて残念だったわね。」

「はい……でも、良い想い出に……なったと思います……」

 何時か平和になったら、一緒に海を見に行こう―――武がそう霞と約束したのは、この確率分岐世界群での事ではない。
 今回、霞の誕生日だという10月22日が『甲26号作戦』の移動日に重なった為、武は『最上』の上甲板に出る許可を取り、2人で海を眺める時間を設けた。
 『最上』の機密ブロックに格納した資材だけではなく、霞自身もオルタネイティヴ4の重要な機密の一つである為、海を眺める2人の周囲を数名の機械化歩兵が警護するという物々しい環境の下ではあったが、武はようやく霞と2人で海を眺める事が出来た。

 未だ、平和になったとは言い難い情勢の下、霞の機密指定もまだまだ解除されないだろう。
 『最上』の乗組員達にも不自由をさせてしまっただろうし、警護の機械化歩兵達も内心では呆れていたかもしれない。
 それでも、横浜基地から殆ど外に出る機会の無い霞の為に、今回無理を通して良かったと武は思っていた。

 霞の事を想っているのは夕呼も同じなのか、優しい笑みを浮かべたまま、夕呼は満足気に首肯して見せた。

「そう、良かったわね………………と、待たせたわね、白銀。
 それじゃ、『甲26号作戦』の総括を始めるわよ?」

 そして、霞との会話を一段落させた夕呼は、表情を何時ものめんどくさそうなものへと改めると、仕事の話題へと切り替えた。
 それに頷きを返し、武は自身が赴いた『甲26号作戦』について、端的に報告を行う。

「はい。
 『甲26号作戦』はソ連軍の将兵並びに装備を多数失う結果となりましたが、反応炉の破壊に成功しエヴェンスクハイヴの周辺地域を奪還。
 今後、ソ連軍は最終防衛戦を徐々に押し上げていき、順次防衛拠点を構築していく予定です。
 ハイヴより鹵獲(ろかく)したG元素は、現在『最上』が横浜港目指して輸送中です。」

 詳細な戦闘経緯や、最終的な損害報告などは、既に前日の内にデータリンク経由で夕呼宛てに送付済みであった為、主な内容は武の所感となる。

「途中ベルガーニン少将の更迭という事態となりましたが、作戦終了後もソ連軍将兵の対応は概ね良好でした。
 やはり国土の奪還が達成された事と、ハイヴに突入し反応炉を破壊した部隊が、ソ連軍から国連軍へと派遣された部隊だった事が大きかったんでしょうね。
 ああ、そう言えば、ソ連軍のハイヴ突入部隊ですが、生き残ったのは陽動を担当して、地上に生還した3機に搭乗していた6名のみでした。
 それでも、『地下茎構造』内で包囲下に陥った部隊は、最下層まで到達した痕跡がありましたから大したもんですね。」

 無謀な行いと判断していたソ連軍戦術機甲部隊単体でのハイヴ突入ではあったが、予想以上に惜しい所まで辿り着いていた事に、武は感嘆すると共にその奮戦に敬意を表した。
 しかし、夕呼はそれを鼻であしらうと、ハイヴの規模が小さかったお陰だと扱き下ろす。

「ふん。まあ、エヴェンスクハイヴはフェイズ2だから、そんなもんじゃない?
 とは言うものの、あの生き残った『ビェールクト』の内1機の機動は、ちょっと次元が違うみたいね。
 あんたが前に、カムチャッカ戦線で出くわした奴かしら?」

 しかしそんな夕呼も、A-01の戦闘機動すら凌駕するのではないかとすら思える機動を見せた、ソ連軍のXM3搭載戦術機『ビェールクト』に関しては興味を抱いているらしい。
 夕呼の問い掛けに、カムチャッカ戦線で出くわした『ビェールクト』の機動を脳裏に再生した武は、『甲26号作戦』での『ビェールクト』の機動との間に類似する癖を見出して応えた。

「多分そうでしょうね。
 少なくとも、あの3機の『ビェールクト』のお陰で、少なからぬソ連軍衛士達が生き延びたのは事実です。」

 ただし、『甲26号作戦』であの機体が見せた戦闘機動は、カムチャッカ戦線の時とは比べ物にならない程に凄まじいものであった。
 恐らくは、搭乗者であるESP発現体である衛士2人の思考を融合させ、処理能力を向上させるという手法を使用していたのではないかと武は考えている。
 恐らくは、ハイヴから生還した時点で、既にその手法を発動していたのだろうし、そうでなければ生還は覚束なかったのであろうというのが、武の出した結論であった。
 武としては、ESP発現体である衛士達に、酷い後遺症が出ていない事を願うのみである。

「それもXM3があったればこそ。外向きではそういう顔をしてなさいよ?
 まあ、それはともかく、『甲26号作戦』に関しては、概ね想定の範囲内ってとこね。
 じゃあ、後はこっちの話しをするわね。」

 そんな武の思考をその表情から読み取ったのか、夕呼が武に釘をさす。
 ソ連がESP発現体の能力を用いてまで、自国戦術機の優秀性を主張したがるのと同様に、オルタネイティヴ4としてはXM3の優秀性を喧伝した方が都合がいいのだ。
 夕呼にとって、XM3はあくまでもついでに過ぎないのだが、世間の耳目を00ユニットから逸らすには、有効な手駒の一つではあるのだから。

 その言葉に、武が頷くのを確認した夕呼は、国連安保理で話し合われた内容に関して話し始める。

「まず、ベルガーニン少将だけど、ソ連軍が彼をあっさり見捨てたもんで、査問委員会を経て軍法会議にかけられたわ。
 アラスカに彼の親玉が居るんだけど、見捨てられたにも拘らず、あくまでも自分の独断だと言い張ってるそうよ。
 何れにしても、今回の作戦で生じた損害は、その殆どがベルガーニン少将の不適切な作戦指揮に起因するものと判定されたわ。
 この事から、今後のハイヴ攻略作戦じゃ、あいかわらず総司令官は主戦力を担う軍から派遣された高級将校を任ずるって事だけど、オルタネイティヴ4直属部隊指揮官の提言には原則的に従うって方向で話は纏まったわ。」

 今回の失策の責任を取らされて失脚したベルガーニン少将の事情を、夕呼は鼻で笑い飛ばすかの如くに話す。
 所詮、夕呼にとってベルガーニン少将は、自身の掌の上で思うが侭に踊ってくれた生贄に過ぎないのであろう。
 無論、自身の野望の末の破滅であり、自業自得に他ならないのではあるが。

「これで、次からはあんたも、少しはやり易くなるわよ。
 国連統合参謀会議での、作戦中の査察も定例化する事になったしね。
 ま、これで名実ともに、大陸奪還作戦に於けるオルタネイティヴ4の主導態勢が確立されたって事よ。」

 今回の『甲26号作戦』でベルガーニン少将―――ひいてはソ連は失策を犯し、それと引き換えにオルタネイティヴ4は、今後の大陸奪還作戦に於ける主導権を強化できた。
 その陰で流されたソ連軍将兵等の血の多さを思い、武は悄然とした面持ちで、それでも未来への願いを込めて応じた。

「―――そうですね、今後は今回みたいに大勢の戦死者を出さずに、地球奪還に漕ぎ着けられると良いんですけどね。」

 しかし、そんな武に冷めた一瞥を送ると、夕呼は武の願いを一蹴してしまう。

「馬鹿ね、そんなの無理に決まってるじゃない。
 白銀、あんたもいい加減目を逸らすのは止めなさい。
 あんたがオリジナルハイヴでリーディングしてきたBETA情報の解析で、BETAの行動特性は全て判明してるわ。
 おまけに、あんたがハイヴ周辺に到達すれば、BETA側の最新情報は粗方手に入る。
 敵を知り己を知れば百戦危うからず―――てな事言った人がいるらしいけど、BETA相手の戦いではあたし達は敵の情報はほぼ全て手の内に出来るわ。
 にも拘らず、どうして戦況推移が流動的なのか、それは自軍を構成する人間の行動が、BETAみたいに確定的じゃないからよ。」

 BETAを相手にした戦いに於いて、オルタネイティヴ4が確立した絶対的な優位性。
 しかし、それを以ってして尚儘ならない戦況推移。
 それは、味方である筈の人間こそが、大きな変動要素となっている所為だと夕呼は説く。

「人間の感情、願望、欲望、そしてそれらが凝り固まって捻じれ捲くった国家と言う化け物の意思。
 それらが、シミュレーションでは完璧な作戦を、あっと言う間に流動化させて思いもよらぬ方向へと押し流して行くの。
 おまけに、人間は戦況が好転すれば油断して、それまでしなかった様なポカをしかねない。」

 その上で、個々人の、そして国家と言う集団の感情や意志が、さらには人間である以上逃れ得ぬ錯誤が、完璧な筈の作戦を破綻させかねないのだと夕呼は告げた。
 武が如何に人を守ろうとしても、戦場の主役が人である以上、犠牲は避け難いものなのだ。
 しかも、犠牲が減ったなら減ったで、人間という生き物は新たなる犠牲を生みだす。
 そう、夕呼は続けた。

「それに、BETAの脅威が低下すれば、いずれまた人間同士で争い始めるに決まってるわ。
 大体、さっき話したベルガーニン少将が見捨てられた件だって、鎧衣が言うにはソ連中枢の勢力争いで、主戦派の発言力を削るって思惑が絡んでたらしいわ。
 未だBETAから奪還できた地域は極一部に過ぎないのに、今から戦後に軍部が振るう影響力を危惧してるんですって。
 所詮人類社会なんて、そんな妄想交じりの杞憂や妬みで、足の引っ張り合いが横行するようなしろもんに過ぎないのよ。
 だから白銀―――あんた、犠牲を減らそうだなんて綺麗事ばっかり気にしてると、あっさり足元掬われかねないわよ?
 それが嫌なら、人間をもっと警戒しなさい。いいわね?」

 今回の『甲26号作戦』で、武はソ連軍将兵の死傷者を可能な限り減らす為に、思い付く限りの策を献じ、警告を発し、ベルガーニン少将に翻意を促そうと努力した。
 しかし、武の努力はベルガーニン少将とその背後で画策する人間達によって妨げられ、無為に多くの将兵が犠牲となった。
 無論、オルタネイティヴ4の主導態勢を確立し、今後の死傷者を軽減する為、今回の作戦ではある程度失策を誘発させる予定であったし、その結果生じる犠牲を武も覚悟しているつもりでいた。

 しかし、実際に作戦を終えてみれば、武の心中には悔悟の想いが溢れている。
 だが、武は夕呼の言葉を聞き、力強く頷きを返した。

「―――はい。わかりましたよ、夕呼先生。」

 人が人に害を成し犠牲を生む。
 確かにそれは真実なのかもしれない。
 しかしそれは、必ずしも察知し避ける事が出来ないものだとは限らない筈だ。
 ならば、自身はより努力を重ね、人が人を害せないように努めるのみだと、武は夕呼の言葉に決意を新たにする。

 そして、その為にも、自らの足元を掬われないように、これまで以上に留意しなければならないのだと、己が心に刻みつけるのであった。

「―――白銀さん…………」

 まるで、自らの限界を超えて尚、全てを背負おうとする武の横顔を、どこか悲しげに、不安げに揺れる眼差しで、霞が静かに見上げていた。

 『明星作戦』以来、人類が攻略したハイヴは5つを数えるに至った。
 反撃の狼煙は確かに人類に希望をもたらし、BETAを地上より駆逐しつつあったが、その道程は未だに長く、しかも濃く渦巻く霧が立ち込めているのであった。




[3277] 第129話 陽の照らす道
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/03/08 17:13

第129話 陽の照らす道

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 お知らせ:おまけとのリンク告知
 今話の内容は、拙作第54話に含まれるおまけ『何時か辿り着けるかもしれないお話13』とリンクしております。
 もし気が向かれましたら、そちらもご参照願えると幸いです。
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2002年12月16日(月)

15時28分、帝都城内来賓室を訪った悠陽は、静々と頭(こうべ)を巡らせて室内に集う面々を見渡した。

 悠陽の誕生日であるこの日、帝都城では生誕祝賀会が開かれ多くの要人らが集っていた。
 悠陽が政威大将軍となって以来例年の事ではあったが、この生誕祝賀会に於いて悠陽は直命を発し、この日を国土奪還記念日とすると共に、式典も国土奪還祝賀会へと改めるとの意向を示していた。

 今年の式典には国連軍横浜基地より、夕呼とオリジナルハイヴを攻略したA-01所属衛士らも招かれていた。
 ただし、冥夜は政威大将軍名代として招かれた為、斯衛軍筆頭衛士として参列しており、更に番外として悠陽の意を受けた月詠が内々に純夏を招いている。

 そして、祝賀会終了後に極短時間ではあるものの、何とか時間を捻出した悠陽は、冥夜と武、そして純夏の3人を帝都城内の庭園に招き、親しく歓談する席を設けたのである。
 暫し歓談を楽しんだ後、その席を立った悠陽は、その足で夕呼が持て成されているはずの、この来賓室を訪っていた。
 帝都城内には、未だにA-01の衛士らが滞在し持て成されており、共に帰途に着く予定である夕呼もまた、未だに貴賓室で席を温めていると悠陽は予想していた。

 しかし、室内で談笑していたのは紅蓮斯衛軍大将、榊首相、珠瀬国連事務次官、鎧衣情報省外務二課課長の4人のみであり、揃って畏まると悠陽へと頭を垂れた。
 それを他所に、悠陽に同行していた帝都城守護職の一員である月詠真耶が、静々と席を整えて悠陽を誘う(いざなう)。

「―――どうやら、既に香月博士は帰ってしまわれた後の様ですね。」

 真耶の誘いに応じ、腰を下ろしながらそう呟く悠陽に、紅蓮が武骨な顔に野太い笑みを浮かべて応える。

「香月副司令は、疾うの昔に帰ってしまわれました。
 なんでも、無駄な時間は費やしたくないなどと、臆面も無く言い放っておりましたぞ。」

 夕呼の傍若無人な物言いを気に入っているのか、豪快に笑い飛ばしながら紅蓮はそう告げる。
 その言葉に薄くニヒルな笑みを浮かべながら、鎧衣課長が口を挟む。

「そこらの軍人なんかと違って、あたしは忙しいのよ―――などと仰って、急遽高速ヘリを仕立てるよう要求なさりまして。
 いやはや、警護態勢やら何やらで、斯衛軍の皆さんはてんてこ舞いだったようで、御苦労な事です。
 尤も、香月博士の御本心はリスクの分散でしょうなあ。」

 何気なく紡がれた鎧衣課長の言葉に、悠陽は思慮深げに首を優美に傾げると、頤(おとがい)にそっと繊手を当てて呟く。

「―――リスクの分散……なるほど、どうやら香月博士は白銀を、既に後継者として見定めておられるようですね。」

 その呟きに、大きく頷きを返しながら榊首相が言葉を添える。

「御意。最近になって届きました第四計画からの定期報告書にて、自身に万一の事あらば白銀武少佐に後事を託すべしと、その様に記されておりました。
 既にラダビノッド司令の内諾も得ているとか。
 まあ、些か世慣れておらぬので、脇を支える人材を要するとも書かれてはおりましたがな。」

 そう言って、横目で自身へと視線を投げかける榊首相に、珠瀬事務次官は好々爺の如く朗らかな笑みを浮かべる。

「ほっほっほ。確かに私の方にも、その様な事態に陥った折には、白銀少佐の力となって欲しいと―――あの香月博士には珍しく、真摯な言葉を頂いておりますな。
 その折に、第四計画は自分か白銀のどちらかが居れば完遂できると―――そうも言っておられました。」

 悠陽は、珠瀬事務次官の言葉に頷きを返すと、暫し瞑目して思慮に耽る。
 そして、玲瓏な双眸と共にその唇を開いた。

「そうですか…………紅蓮、香月博士の護衛は厳重に致しましたね?―――結構です。
 これは言われずとも承知の上でありましょうが、敢えて厳命しておきます。
 白銀が香月博士の後継足りうる事は、極力悟られぬよう気を配りなさい。
 あの者は既にその名が巷間に流布してしまいましたが、前線指揮官故、駒の一つとしか思わぬ向きも少なくないでしょう。
 成し得る限り、そういった見解を助長するのです。」

 まずは紅蓮に対する問いを放ち、是とする答えを得た悠陽は、続けてその場にいる全員へと直命を下した。
 それは武を夕呼の後継者と目した上で、その重要性を可能な限り秘匿すべしと言う命であった。

 その命にその場の全員が異論も無く首肯する。

「そうですな。実際、昨年末より、我が国に利益を齎したは白銀でしたからな。
 香月博士は長らく第四計画統括者の任に就いておりますが、帝国一国の利益など一顧だにせぬでしょう。
 それ故、あれこれと行き届いた配慮を成したは、やはり白銀の意志でありましょうなあ。」

 紅蓮が野太い声で唸る様にそう言うと、榊首相もその見解に同意する。

「確かに。香月博士は情や愛国心などを、全て切り捨てた怜悧な意志を以って第四計画を推進してこられました。
 それに比べれば、甘いとさえ評せる程に、白銀少佐は我が国に何くれと無く配慮してくれますな。
 お陰で、今年の政権運営は相当楽を致しました。」

 夕呼は何かとソ連への利益誘導を図ったオルタネイティヴ3を反面教師とし、オルタネイティヴ4を統括するに当たって、帝国との協調路線を敢えて取らず、飽くまでも国連直轄の計画として推進してきた。
 その結果、夕呼の存在を知る帝国内の軍人や政財界の人々の多くから、蛇蝎の如く嫌われる事になったのだが、夕呼はその様な事は些事として一顧だにしなかった。

 それが一変したのは、XM3と対BETA戦術構想の確立後、帝国との折衝に武が加わってからだ。
 夕呼自身の方針や態度は然して変わっていないのだが、武が配慮する分には鷹揚にそれを黙認する立場を取った為である。

「それも偏に、御名代殿や榊首相のご息女が、帝国の行く末を憂いていらしたお陰でしょうなあ。
 何しろ、あの男自身には然したる愛国心はなさそうですしね。
 ―――いや実際、色々と得体の知れぬ男ですからなあ、シロガネタケルという人物は。」

 この場に居合わせる者の中では、最も多く接触し、職業柄もあって武の為人を把握している鎧衣課長が、自身の所感を交えてそう述べた。
 情報省の腕利き諜報員である鎧衣課長をして、得体が知れないと言わしめるなど尋常な事ではないのだが、それを警戒する様な向きは全く生じはしない。
 それ程に、この1年と少しの期間に、武が成した帝国への貢献は多大なものであった。

「―――得体が知れずとも良いではありませんか。
 我が国は既にして多くの助力をあの者より与えられております。
 この上何を望むものでもないでしょう。
 それに、我が国が酷く道を違えぬ限り、あの者が敵となる事はないと考えます。」

 それ故に悠陽は斯くの如き発言を以って、武を擁護するのであり、周囲もそれを容認する。
 とは言え、それは公人としての立場からの見解であり、私人としてはまた別の思いもあるようで、珠瀬事務次官がチクリと毒を含んだ発言を、好々爺然とした笑声と共に漏らして見せる。

「経歴の一部が秘匿されている事を除けば、国連軍士官としては何の瑕瑾もありませんな。
 まあ、一女の父としては思う所もありますがね。ほっほっほ―――」

「がっはっは。まあ、あの男振りでは致し方あるまいて。
 冥夜―――御名代殿も、憎からず想うておると聞き及んでおりますぞ。
 娘を預けておる父親としては、榊首相も、鎧衣も、心安からぬものがあるのではないか? んん?」

 それを受けて、紅蓮までもが榊首相と鎧衣課長を揶揄するかの如き発言をするが、自身も穏やかとは言い難い険を双眸に隠している辺り、冥夜が想いを寄せている事に何か含むものがあるのやも知れなかった。
 そうして脱線しかけた話の流れを、苦笑を浮かべながらも悠陽がやんわりと修正する。

「紅蓮、その程度にしておきなさい。
 今少し、真面目な話があります故。
 では、白銀の事は一度置くとして―――本日の式典にて公言せし『報恩』に関し、そなたらの思う所を聞かせるがよい。」

 そうして話題は、数刻前の国土奪還祝賀会に於いて悠陽が行った、自国の復興と共にBETA被占領国の国際支援を推進するという、今後の国策に関する検討へと移っていく。
 悠陽の下問に対して、まずは榊首相が帝国政府内首班として奏上する。

「帝国政府と致しましては、事前に殿下より御下問頂いておりました故、万事その方向にて調整を進めておりますれば、既定の事にございます。
 民衆の反応に関しましても、昨年までの陰鬱な風潮より解放され、未だに明るい予兆を慶ぶ世情が続いております故、今暫くは不満も表面化致しますまい。
 問題は、奪還せし国土の復興が著しく遅れた場合と、生活水準の向上がはっきりと認識できぬ様な状態に留まった場合です。
 いずれの場合も、国内を軽視し他国に媚を売っているなどと、民衆を煽りたてる者達が出現し、世情の悪化は避けられぬものと愚考致します。」

 榊首相は政府内の諸問題よりも、主に国内の世情について述べ、現状はいざ知らず近い将来の禍根となりかねないという展開予測に言及した。
 それを受けて、今度は紅蓮が斯衛軍のみならず、帝国陸海宙軍をも含めた4軍の状況について総括する。

「軍としては、BETAによる直接侵攻の危険性が、著しく減りましたからな。
 佐渡島要塞も順調に機能しておりますれば、動員態勢を緩め、民間へと人材を放出する事も出来ましょう。」

 大陸からのBETA侵攻を、稼働状態を維持されたBETAハイヴへと誘引すると言う戦略に則って、奪還された佐渡島は要塞化されていた。
 そしてその誘引効果は、『甲20号作戦』と『甲26号作戦』後のBETA波及侵攻が佐渡島に集中した事で完全に実証された。

 佐渡島要塞は、近海海底に武の考案による海底埋設型機雷『伏竜(ふくりゅう)』、海岸線に構築された地雷原、その内側に設けられた蛸壷と呼ばれる遠隔陽動支援機地下格納庫、そしてハイヴの『地下茎構造(スタブ)』をそのまま転用した地下要塞と、海軍の1個艦隊に本土上空に待機させた『雷神』1個飛行船群という布陣となっている。

 この内『伏竜』は、その埋設位置直上をBETA大型種が通過する事で発動し、水圧をも利用して劣化ウランの先端を持つ槍を内包した発射筒を突き出す。
 その発射筒がBETA大型種の外殻に激突した衝撃で、発射塔内部の炸薬が起爆し、射出された槍がBETAの外殻を突き破り、内部で弾頭が起爆するという仕組みとなっている。
 この『伏竜』によって上陸前の時点で、重光線級や要塞級の漸減を企図しているのだ。
 尚、『伏竜』の設置に際しては、『海神』が海中作業機として転用され活躍している。

 BETA前衛である突撃級は地雷原にて漸減し、突破する数が過大な場合は、蛸壷に潜んだ遠隔陽動支援機が後背を突いて殲滅。
 後続の本隊はレーザー属種のみを『雷神』と遠隔陽動支援機で殲滅した上で地下要塞へと引き込む。
 その上で地下要塞内に配置された自動化砲兵陣地が、気化弾頭弾、S-11搭載弾頭弾、大口径砲、機関砲等と、随伴機械化歩兵部隊でBETAを迎え撃ち殲滅する。

 この戦術は十分に効力を発揮し、数度に亘るBETA大規模侵攻を、易々と撃退して見せたのである。
 これを受けて、帝国軍の国土防衛はその殆どを佐渡島要塞に一極集中する事が可能となり、昨年までの本土防衛線維持に要した戦力が、大幅に削減可能となっていた。

「また、海外へと援兵を出す件とて、装備人員の手当ては何とでもなりますな。
 強いて問題を上げるとあれば、『武御雷』の海外運用環境確保を如何に果たすかと、軍費が嵩む事ですかな。」

 それ故に、人材装備に余裕はあったが、海外派兵となると問題も幾つか存在した。
 因みに、帝国の国際支援が威信を賭けた真剣な行いである事を示す為にも、斯衛軍の派遣が前提となっている。
 それ故紅蓮は、斯衛軍の主力戦術機である『武御雷』の海外運用の困難さと、国外派兵に要する財政支出について苦言を呈した。
 しかしこの内の財政支出に対しては、珠瀬事務次官が国連の立場から支出の分担について示唆する。

「第四計画主導の大陸奪還計画に付随する派兵であれば、軍費には国連より予算が付きましょう。
 国連といたしましても、国際協調を進めるに当たり、殿下の『報恩』という行動方針は歓迎できるものですからな。
 問題は、この『報恩』という概念を、如何に素早く諸国首脳に浸透させ受け入れさせるかですが―――」

 更には、帝国の方針を契機として、国連加盟国内部に国際協調の風潮を醸成しようとする意志を垣間見させる。
 その発言に、打てば響くかの如き間の良さで、鎧衣課長が太鼓判を押す。

「そちらに関しては、お任せを。
 既に諸外国のマスコミを通じて行っている情報発信に載せて、民衆レベルより周知を進める準備が整っておりますれば。
 殿下のお人柄や、帝国の文化に対する諸国民の関心を煽って来たのが、ここにきて遂に効力を発揮いたしますな。
 白銀とA-01の活躍や、XM3、対BETA戦術構想など、民衆の興味を引く素材には不自由しておりませんからなあ。
 情報発信には、この上ない好環境と言えるでしょう。はっはっは……」

 既に国際社会の民意を誘導する為の、大々的な情報操作を実施する準備が整っていると暴露し、軽快な笑声を上げる鎧衣課長。
 そんな不遜な態度に、苦笑を浮かべた悠陽が、その件に対する武の関与に言及する。

「それとて、半分は白銀の献策でありましょう。
 実を言えば、先程あの者より預かったものがあります。
 紅蓮これを。」

 そして、武から託されたと述べた上で、とあるものを紅蓮へと手渡す。

「む―――これは、記録媒体ですな?
 はてさて、中身は一体どのような…………」

 悠陽より記憶媒体を拝受した紅蓮は、楽しげな野太い笑みを口元に浮かべる。
 武と知見を得てから1年と少ししか経ていない紅蓮ではあったが、この様な形で武からもたらされた記録媒体の内容が、只の報告や意見などといった尋常なものであった例(ためし)がなかった。
 それ故に、此度はどれ程のものを提示して来たのかと、自身の期待感が弥増すのを紅蓮は感じている。

 そして、その期待感は今回もまた、十二分に満たされる事となった。

「戦術機を初めとする軍の各種装備品を整備する際に、整備兵の労力を軽減する為の整備支援システムの構想についてだと、白銀はそう申しておりました。
 万全の状態にまで整備するに当たり、相当な労力と技量を要する『武御雷』の海外運用を、容易足らしめる事を念頭に考案したとの事です。
 横浜基地には昨年来、斯衛軍第19独立警備小隊を初めとして、斯衛軍の『武御雷』が多数駐留しておりますから、その折に整備に要する問題点の洗い出しを進めていたとも申しておりましたよ。」

「なんと―――」

 先程、紅蓮が悠陽の下問に対する奏上で触れた問題点に関する改善案が、正にその内容であると聞き紅蓮は唸り声を上げる。

 武の考案した整備支援システムは、部品の状態判定や在庫管理、整備時の運搬や保持、工具類の運用補助などを、自律整備支援システムによって可能な限り機械的に分担させ、整備兵の負担を軽減するという構想である。
 高度な自律機能を確立するためにXM3と同レベルの高性能コンピューターユニットを用い、基本プログラムは武が00ユニットの能力を活用して組み上げたもので、個々の整備兵の癖に合わせて自己学習し最適化する機能まで完備されている。

 超高品質で仕上げられた部品を厳選して用い、熟練した整備兵による微細な調整を行うことで、その高い性能を担保する『武御雷』は、兵器というよりは工芸品に近い。
 それ故に、十分な整備環境を確保できない環境下では、数日に亘って運用し続けることは困難であった。
 武はこの問題に対し、熟練整備士の負担を軽減する為に、部品の目利きも最終確認に限定した上で、整備に機械的補助を極力導入する事で解決しようと考えたのである。

 それは正に、紅蓮の頭を悩ましていた難問を、一挙に解決し得るシステムであった。

 しかも、悠陽は更に新たなる記録媒体を、その繊手で今度は榊首相へと差し出す。

「それだけではありません。
 是親、そなたにはこれを―――」

「ははっ…………殿下、これも白銀の手になるものでございましょうか?」

 恭しく悠陽より記録媒体を拝受した榊首相が、悠陽に確認の伺いを立てると、悠陽は嫋やかにその頤を引き肯定の意を示した。

「そうです。BETAより奪還せし国土の復興に関する意見書―――と言うよりは、指南書に近いものですね。
 国土防衛の為に多数調達された軍の備品を、国内の工業基盤が平時に合わせたものへと移行するまでの過渡期の間、復興用重機として転用する為のプログラムや補助装備の試案。
 更には、佐渡島のBETA施設を転用する事で可能となる、土壌開墾用微生物の生成や、植樹用樹木の加速育成方など、復興速度を著しく加速し得る手法について記してあると、そう申しておりました。
 但し、これらの手法に関しては、今後第四計画主導の大陸奪還計画に於いて、奪還した地域の復興に用いる為の試験運用を兼ねるとの条件が付帯しております。」

 恐らくは、既に武から説明を受けたのであろう悠陽が、記録媒体の内容に関して滔々と語っていく。
 その内容は、帝国の復興を速めるに十分な対策の数々であった。
 オルタネイティヴ4考案による新手法の試験運用という体裁を取りつつも、これは事実上帝国への復興支援とも言える内容であった。
 悠陽の言葉を聞き、暫し黙考した榊首相は、重々しく頷くとその効用を認める。

「―――なるほど、軍用装備の復興用重機への転用であれば、大陸の奪還地域であっても十分援用可能でありましょう。
 また、BETA由来設備を用いた有機資材の調達も、我が国で前例があれば諸国も受け入れやすいでしょうな。」

 それを受けて悠陽は、更に言葉を足す。

「それだけではありません。
 それらの有機資材を復興に着く諸国へと比較的安価にて提供する事で、軍事面以外の国際協力としてはどうかと、白銀はそうも申しておりました。」

「国土の奪還は、ハイヴ攻略作戦で一気に進みますが、その後の復興には根気が要りますからなあ。
 白銀はそこまで第四計画で補ってしまうつもりという事ですか。
 さては、第四計画だけでは手が足りない為、我が国を引きいれようと言う策ですかな?」

 正に万事周到に配慮の行き届いた武の手回しに、鎧衣課長がニヤリと凄みのある笑みを浮かべて論評する。
 口で言う程には、武の本意を疑ってはいない様子ではあったものの、悠陽は即座にその発言を窘める。

「いえ、それは思い違いというものですよ、鎧衣。
 国連軍の計画としてその存在を公表された以上、第四計画は大手を振って国連の組織を動員し、我が国を含む加盟諸国に協力を要請できます。
 そうではなく、我が国の自発的国際協力という形を取れる様に、配慮してくれたのでしょう。
 第四計画の誘致国として影響力を増しつつある我が国は、それと引き換えに妬心や警戒心をも集めてしまっております。
 それを軽減せよと、白銀は暗にそう言っているのでしょう。」

 そうして悠陽が語ったのは、国際社会における帝国の立場に対する配慮までもを武が成した上で、今後の対応への示唆が含まれているのではないかという内容であった。
 そして、珠瀬事務次官も悠陽が語った方針に賛同する。

「確かに、国連内での帝国の立場は、より良いものとなるでしょうな。」

「その上、国外派兵と我が国の国土復興に要する予算の確保にも繋がりますな。
 無論、暴利を貪る訳にはいかぬでしょうが、後方諸国の既存の有機資材よりも需要は高くなりましょう。」

 珠瀬事務次官に続き、榊首相も賛意を述べ、国際的な需給予測とそこから得られる収益について触れた。
 それらの発言に頷きを返し、悠陽は更に自身の見解を述べる。

「無論、不要に後方諸国の恨みを買う事も避けねばなりません。
 それ故、折り合う点を見出すのは難しいでしょうが、少なくとも後方諸国が暴利を貪る事の無い程度には、我が国の介入で復興資材の調達価格を引き下げたいと考えています。
 我が国は、大国として国際社会に覇を唱えるのではなく、国際協調の旗印となって大国の横暴を抑止し、制御して、中小各国が不当に利を貪られる事の無い時代を築く事を目指すのです。
 白銀は以前、BETAに対して人類は一丸となり、協調して対抗すべきだと申しておりました。
 これは、我が国が白銀と言う個人から与えられた恩義に報いる術でもあると、そう心得るがよい。」

 それは、国際協調を重視すると共に、国連を通じてその権勢を思うが侭に振るおうとする大国を牽制し、少数の大国の意向に振り回される事の無い国連の在り様を目指すという壮大な方針であった。
 そしてまたそれは、BETA大戦に勝利し、人類社会の復興を目指す為に、人類全体が一丸となって協調するという、武の抱く理想を実現する為の方策でもあると悠陽は告げる。
 それが個人より余りある恩義を受けた帝国が『成すべき事』であるとして、悠陽は命を下した。

「「「「 ―――御意。 」」」」

 その下知を、4人の忠臣達は謹んで拝命するのであった。



「それでは殿下、これにて御前失礼仕ります。」

 既に今後の国家戦略に関する検討は終わり、榊首相と鎧衣課長は早々と辞去した為、部屋に残っているのは悠陽と紅蓮、そして珠瀬事務次官の3人であった。
 強いて言うならば、給仕と悠陽の警護を兼ねて真耶もいるのだが、その気配は見事に隠蔽されており3人の意識に上る事は殆どなかった。
 そして、暫し歓談した後、遂に珠瀬事務次官も腰を上げて辞去の意を示すに至ったのである。

「玄丞斎、そなたには国連と帝国の狭間にて、困難な勤めを強いてしまっておりますね。
 ですが今後の国際情勢に於いて、そなたの勤めは更に重要性を増す事でしょう。
 我が国の―――いえ、人類全体の為に、そなたにはより一層の奮励を望まざるを得ません。
 どうか身体を厭うて、激務に蝕まれる事の無きよう務めるのですよ。」

 普段より米国マンハッタンの国連本部に駐在し、国内へと帰国する機会も限られる珠瀬事務次官に対し、悠陽は労いと共にその忠勤を願う言葉をかけた。
 それを、言葉の上では恐縮しつつも、泰然として受けた珠瀬事務次官は、続けて楽しげに言葉を連ねる。

「これはこれは、私には過ぎた御言葉を頂戴し恐悦至極でございます。
 しかし、昨年来より、私は外交官として、国連職員として、これ以上は望むべくも無い高揚感に満たされておりましてな。
 誠に本懐ともいうべき思いで、日々の務めに精励させて頂いております。
 昨年の中頃までは、夢物語としか思えぬ計画を、藁にも縋る思いで推し進めるばかりの日々でした。」

 計画の有望性よりも、強引且つ性急な米国案を掣肘するという側面によって、採択された感の強いオルタネイティヴ4。
 その完遂を願いながらも、非炭素系疑似生命の開発と言う、現実から乖離する事甚だしい計画の内容は、珠瀬事務次官をしてその実現性に疑問を抱かせるに十分なものであった。
 それ故に、国連内部での調整に奔走し、可能な限り良好な環境を整えようと奮闘していた、珠瀬事務次官の心身にかかる労苦は甚大なものとなった。

 事に昨年末にかけて、オルタネイティヴ5推進派からの圧力がこの上ない高まりを見せ、オルタネイティヴ4の凍結すら阻止できないのではないかと、珠瀬事務次官は絶望しかけてさえいたのである。
 しかし、状況は急変し、それまで然したる進展を見せていなかったオルタネイティヴ4は、次々に成果を出して遂にはオリジナルハイヴを攻略すると共に、地球奪還へと至る道程を具体的に描き出して見せたのであった。

「しかし、遂に香月博士によって、夢物語は悪夢にも等しき現実を斬り捨てる刃となりました。
 それからは、すっかりと胸の閊え(つかえ)も取れ、天にも昇る心地で務めに励んでおるのですよ。
 国連に於いても、欧米諸国の大使や職員などには、2001年の聖誕祭に完遂された『甲21号作戦』を千年紀の奇跡と呼ぶ方々もおりましてな。
 中には、香月博士を聖母と崇める方までいるほどです。
 この年になってお恥ずかしい事ではありますが、我が人生に於いて今ほど仕事に遣り甲斐を感じた事など、とんと記憶にありませんな。」

 オルタネイティヴ4の快進撃が開始されてからは、珠瀬事務次官の職務環境は劇的に改善された。
 今や米国でさえ、表立ってはオルタネイティヴ4に賛意を示し褒め称え、BETA被占領各国の大使達に至っては、頻々とご機嫌伺いに訪れて来るようになった。

 キリスト教の思想である千年紀―――キリスト生誕以来3度目の千年紀の元年であった2001年。
 その正に神聖なる日である、生誕祭に達成されたハイヴ攻略。
 しかも、限りなく僅少な人的損耗しか生じなかったその勝利は、キリスト教を信奉する人々にとって正に福音と呼べる出来事であった。

 それまでは、傲岸不遜で悪辣とも言える容赦の無い駆け引きを駆使した事で、『横浜の魔女』と異名を取っていた夕呼であったが、この日を境にその功績を讃える者が日に日に増して行き、最近では信奉する者まで少なからず存在するに至っている。
 その様な状況下で、思うが侭に手腕を振るえる日々は、珠瀬事務次官の長い職歴の中でも、嘗てない程に充実した日々となっていたのである。

 それ故に真情に溢れた珠瀬事務次官の言葉に、悠陽は嬉しそうな笑みを浮かべて首肯した。

「―――然様ですか。意気軒昂な様子でなによりですね。。
 それでは玄丞斎、今後ともよしなに。壮健に過ごされますよう。」

「ははっ、それではこれにて―――」

 最後に深々と一礼し、珠瀬事務次官は悠陽の御前を辞去して行った。
 斯くして、部屋に残ったのは悠陽と紅蓮、そして真耶の3人。
 悠陽にとっては、例えどの様な事を漏らしたとて、何の問題も生じないと信ずるに足る腹心のみとなった。

 それを待っていたのか、紅蓮が悪戯小僧の如く双眸を光らせて、その分厚い唇を開く。

「―――ところで、殿下。
 少々戯れにお尋ねしてもよろしいですかな?」

「紅蓮? 構いません申してみなさい。」

 急に何事であろうかと、その優美な眉を僅かに上げながらも、悠陽は紅蓮に許しを与える。
 それを受けて紅蓮は、探りを入れる様なやや不躾な視線を悠陽へと投じながら、問いを放つ。

「先程、冥夜の想いについて述べましたが、殿下はあの白銀と申す者を、如何様にご覧になっておられるのですかな?」

 その問い掛けと、そこに隠された真意を看破しつつ、悠陽は己が心情を包み隠さず吐露して行く。

「―――そうですね。中々に得難き良き男(おのこ)と思います。
 冥夜が懸想するのも無理はないと思いました。
 私とて魅かれるものが無くもありませんが…………煌武院の婿には取れぬでしょうね。」

「はっ、惜しむらくは出自が些か……
 御剣家の婿であれば、相応の武家に養子に入れば問題は無いのでしょうが、五摂家ともなればちと難しいかと……」

 思いの外、直截な応え(いらえ)を得てしまった紅蓮は、些か動揺しつつ、悠陽の意に染まぬであろう言葉を並べて行く。
 とは言え、それは悠陽や紅蓮の生きる世界に於いては、容易には覆せない厳然たる現実でもあった。
 苦渋を飲み込むかのように口籠る紅蓮に、しかし悠陽は却って慰めるかの如き言葉をかける。

「その様に悩む事はありませんよ、紅蓮。
 元より解かっている事です。それに―――」

「それに?」

 悠陽の心情を案じて、逆に慰めの言葉を受けてしまった紅蓮は、悲嘆にくれる所か、何処か楽しげな笑みを見せる悠陽に、怪訝な表情で問い返す。
 しかし、それに対する悠陽の応え(いらえ)は、謎かけめいた含みの多いものであった。

「是親に申し付けた法案が発布され、来年の春より施行されます。
 BETAとの戦果にて疲弊した我が国の国力を、成し得る限り早期に回復させる為の法案ですが、少々思う所があるのですよ。
 それもあって、香月博士に協力を仰ぎたき仕儀があったのですが……またの機会を待つと致しましょう。」

 そう語る悠陽の様子に、重ねて問うても無駄であると悟った紅蓮は、内心で首を傾げながらもこの場は追究を断念する事としたのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 20時02分、国連軍横浜基地1階のPXに、A-01所属衛士等と夕呼、霞、ピアティフ、イルマ、まりもの5人、そして脇に控える形ではあったが月詠以下、神代、巴、戎ら4人の姿があった。

「はい、お待ちど~さん。これで料理は全部だよ!」
「あ、これはこのまま覆いをかけておいてね。
 じゃ、早速始めよっかぁ~!」

 幾人かずつの塊に分かれて歓談していた面々の許へと、調理場からワゴンを押してきた京塚のおばちゃんと純夏が、声を上げながら合流する。
 そして、ワゴンをA-01に配属されたばかりの新任に預けた純夏が、配膳口の前に設けられたひな壇へと武を招く。
 PXに集まった、40人近い人々からの拍手に照れながら、武は壇上へと上がった。

 そして、ひな壇の横に立ち、壇上の武を見上げるようにした純夏が、嬉しそうに大声を上げる。

「それじゃ~御唱和くださいね~!
 せ~の―――」
「たけるちゃん!」「「「 タケル! 」」」「たけるさん!」『『『 白銀! 』』』『『『 白銀くん 』』』『『『 白銀少佐! 』』』
「…………白銀さん……」

 純夏の掛け声に合わせて、その場にいる全員が思い思いの呼び方で武の名を呼ぶ。
 そして、一呼吸空ける様に皆が口を閉ざした所に、一泊遅れておずおずと発せられた霞の声が響く。
 その後、純夏の合図に合わせて、全員が前後2つのグループに分かれて、続け様に唱和した。

『『『 誕生日おめでとうッ! 』』』
『『『 ―――誕生日おめでとうございますっ! 』』』

 それは、極一部を除いて事前の打ち合わせ通り、ぴったりと息のあった唱和であった。
 壇上の武は、精一杯気張った敬礼でその声に応えると、満面に笑みを浮かべて叫び返す。

「みんな、ありがとうなッ!!」

 こうして、武の誕生日を祝う宴は始まったのであった。

 実を言えば、武は自分の誕生日を祝うのではなく、冥夜の誕生日を祝おうと考えていた。
 しかし、自分の誕生祝賀会への出席を、A-01次席指揮官であるみちるから早手回しに要請されてしまい、それならば冥夜も共にと主張するに至った。
 ところが、これも冥夜自身から武の誕生日を『皆と共に祝う』機会を逃したくないとの強い要望を告げられて断念。
 斯くして、武1人の誕生祝賀会が執り行われる次第となっていた。

 夕呼は冒頭で、軽く祝辞とは言い難い微妙な言葉を述べて、早々にPXから退出した為、それを機に祝賀会は一気に砕けた雰囲気となった。
 そして、当然の如く幹事の立場を獲得していた純夏が、司会者の式辞進行よろしく声を張り上げながら、武を導く。

「それじゃあ、次はプレゼントの贈呈だよっ、タケルちゃん。
 まずは、伊隅大尉から―――」

 そうして武が導かれた先には、最前列にみちる、その後ろに2列横隊で居並ぶ遙、水月、美冴、祷子、葵、葉子、紫苑、茜、多恵の9人の眼前であった。
 そして、みちるが一歩前に進み出て、ワゴンに乗せた包みをワゴンごと武の方へと押し出す。

「白銀。これは、私とA-01の先任有志10名から共同でのプレゼントだ。
 受け取ってくれ。」

 そう言われた武は、簡潔に、それでも心の籠った謝辞を述べると、ワゴンの上の包みを解いて中身を確認した。

「これは―――防弾ベストと拳銃ですか?
 ショルダーホルスターに予備マガジン、それに弾まで…………」

 国連軍基地のPXと言う場と、其処に集っている軍人もしくは軍属という人種を思えば、日常的とも言える品々を見ながら、武は軽く首を傾げる。
 その前に居るA-01の先任有志10名は、揃って口元には笑みを湛えてはいるものの、妙に真剣な瞳を並べて武を見詰めていた。
 そして、どうも腑に落ちないと言った風情の武に向かって、みちるが再び口を開く。

「そうだ。武骨な実用品だが、品はそう悪くは無いぞ。
 副司令に頼んで調達して貰ったものだからな。拳銃の携帯許可も取って貰ってある。
 今後は、それを常に身に纏って、万に一つも貴様の身が損なわれないように気を配ってくれ。
 貴様はどうも、自身の重要性を十分に理解できていないように見えるからな。
 これは、A-01総員の願いだと思って、しっかりと心に銘記して欲しい。」

 最初、プレゼントの意味が腑に落ちず、きょとんとした眼でみちるを見返していた武だったが、みちるの話が進むにつれて、真剣な表情へと変わっていった。
 そして、みちるをジッと見つめた後、ゆっくりとA-01先任有志1人1人を見廻してから、深々と頭を下げて言葉を返した。

「―――解かりました。有難く使わせてもらいます。」

 武のその返事を聞いたA-01先任有志10名は、そこでようやく心からの笑みを浮かべたのであった。

「はい、タケルちゃん、次はこっちだよ~!
 月詠さん、お待たせしました! では、どうぞ。」

 純夏が武を引き連れて歩み寄り、そう声をかけると、月詠は細長い袋に仕舞われた日本刀を横手に持ち、武へと差し出した。

「これは、無銘ではあるが良い刀だ。
 貴様がこの刀に相応しい技量を修める事を願って、我ら斯衛有志一同より贈らせてもらう。
 この件に関しては、斯衛軍第5、第6連隊の指揮官ご一同にも、名を連ねていただいている。
 心して受け取るがいい。」

 そう言って、武に厳しい視線を投じる月詠。
 その言葉と視線の内には、冥夜に相応しい武人となれとの強い想いが込められていた。
 それを漠然とではあったが読みとった武は、真剣な表情で一礼すると、恭しく両手で日本刀を拝受する。

「ありがとうございます。斯衛のみなさんの御心遣いに感謝します。」

 その言葉を受けると、月詠は薄っすらと笑みを佩いて一礼し、背後の神代、巴、戎もそれに倣って神妙に頭を下げた。

「うわ~、なんか隣で見てるだけでも、緊張感がビッシビシ伝わって来たよ~。
 さてさて、それじゃあ、プレゼント贈呈の最後、こっからが本番だからね!
 愛情の隠し味がたっぷり効いた手料理の数々だよ~!!」

 そう言いながら純夏が武を連れて行った先は、立食形式の料理が置かれたテーブル群の一角であった。
 既に、斯衛の3人やら、水月、葵、茜、多恵といった面々は、早速料理に手を付け始めていたのだが、この一角では未だに覆いが取り払われずに料理と思しきものが並べられていた。
 そして、その周囲に居た人影の中から、小柄な人物が飛び出してくる。

「あ、タケルぅ~、遅いっ! 遅いよっ!!
 もうみんな待ちくたびれちゃってるよ?
 早く早くぅ~! ―――じゃ、まずはボクのからね、じゃっじゃ~~~んっ!!」

 飛び出してきた人物―――美琴は、口早に言い立てながら、武の手を取って件の一角へと引っ張って行き、さっさと覆いの一つを引き剥がした。

「純度100%の天然素材だよ~。
 今時、貴重品だよ。タケルぅ、嬉しいでしょ? 嬉しいよね?!」

 目をぎゅっと瞑って、自慢げにそう言う美琴の手が指し示す先には、1枚のトレイに乗せられて4つの器が置かれていた。
 量こそ少ないものの、唐揚げ、焼き肉、刺身にスープと、こじんまりとはしているが4品が個別の器に盛られている。
 その見た目や香りよりも、美琴の言葉から類推して武が呟きを発した。

「………………カエルか。」
「良く解かったねぇ、タケル! 冬眠してたカエルをこれだけ探し出すのは大変だったよ~!!」

 ちょっと微妙な武の口調も一顧だにせず、美琴は勝手に盛り上がると食べて食べてと武をせっつく。
 少し苦笑いを浮かべながらも、素直に料理を食べて行く武。
 お味の方はまずまずだったようで、御愛想で言った上手いという武の言葉にも、それなりに真実味があった。

「そ、それじゃあ、次はミキのをお願いしますですっ!!」

 ガチガチに緊張し、顔を真っ赤に染め涙目になった壬姫が、そう名乗り出る。
 試験じゃないんだから、と苦笑を浮かべる武を他所に、一際高さのあった覆いが壬姫によって取り払われた。
 そして、そこに現れたのは―――

 ダチョウの卵サイズのおにぎりに、無論合成食材ではあるが、串カツ、焼き鳥、おでん、焼きイカ、アスパラのベーコン巻、ソーセージ、ミートボールなど串に刺された料理が、その持ち手をおにぎりの上半分へと突き立てられて、放射線状にそそり立つ。
 串の持ち手の部分がおにぎりに完全に埋もれている為、串を引き抜く事も躊躇われるし、何よりも今にも崩れそうな不安定感を持つ威容であった。

 しかも、壬姫の解説によれば、おにぎりの中には薄焼き卵で幾重にも包まれて、あんかけスープが入っていると言う。
 一見して、何かの罰ゲームじゃないかとすら思わせる奇天烈な外見ではあるが、個々の料理の個性を壊さずに混然一体と化さしめた一品であった。
 味の方も、十分賞味に耐えるものであり、武に褒められた壬姫は心底嬉しそうに目を細めて笑顔を浮かべた。

 次は―――と、武が視線を巡らすと、覆いが翻って新たな料理が姿を現す。
 しかも、張り合ったのか偶然なのか、千鶴と彩峰が殆ど同時に各々の料理の覆いを取り払ったのであった。
 即座に千鶴が鋭い視線を彩峰へと投じたが、彩峰は何時もの如くどこ吹く風。
 千鶴も今は争うべきではないと思ったのか、深呼吸をすると武の方へと視線を戻す。

 2人揃って、何も言わずに真剣な視線を投げかけて来るだけなので、武は愛想笑いを浮かべて視線を料理へと移す。
 しかも、どちらを先に見たとかで諍いが生じそうな気配な為、伏し目がちに視線だけを左右に素早く投げる武であった。

 千鶴が用意したのは、お煮しめと肉じゃが。
 スタンダードな一品でありインパクトには欠けるが、お煮しめは前日から作り始めじっくりと味を染み込ませた逸品であった。

 そして、彩峰が用意したのは、純夏と京塚のおばちゃんの技法の全てを余さず会得し、更に独自の改良までをも加えた自信の一品―――ヤキソバパンである。
 見た目は一見普通だが、なんとパンも麺も粉から練って作ったと言う力作であり、彩峰も前日から仕込みを始めていた為、昨夜の調理場には異様な緊張感が漂っていたと言う。

 結局、武はわざとらしく迷う素振りをした後で、コインを弾いて順番を決め、2人から料理の説明を聞きつつ賞味した。
 些か周囲の視線に呆れが混じりはしたものの、その場は一応平穏無事におさまった上、味も上々だったので、武自身には満足のいく結果となった。

 さて、ここまできて、この一角にある覆いのかかった料理は残り1つ。
 高さは無い物の、相当大きな面積が覆われている。

 そして、この一角に居合わせて、自身の料理を披露していないのは、純夏に霞、冥夜、晴子、智恵、月恵の6人であった。

(ちょっと待て! 冥夜が混ざってんのか?!)

 思わず愕然として立ち竦む武。
 その脳裏に浮かんでいるのは、『元の世界群』で純夏に対抗意識を燃やした冥夜が、黒焦げのおにぎりを拵えるまでに起こした連続爆発事件の経緯である。
 どうして料理をするだけで爆発事件になるのか、また、焼こうとしなければ炊きあがったお米を握るだけの握り飯が、如何して炭化していたのか。
 そして、見かけはゴマ団子とも見紛うものであり、歯応えは煎餅の如く、あまつさえ何故か入っている卵の殻。
 上手いとか不味いとかとは別次元の問題であり、白銀家の台所は甚大な被害を受け、武は家屋倒壊の恐れすら抱いたという事件であった。

 それ故に、武は恐る恐る純夏に尋ねる。

「な、なあ、純夏。残ってる料理は1つみたいだけど、お前が作った奴だよな?」

 しかし、純夏は不思議そうな顔をして応える。

「え? 違うよ。
 柏木さんの提案でね。
 冥夜に柏木さん、高原さん、麻倉さん、それから霞ちゃんの5人で、一緒におにぎりを作ったんだよ。
 小さめのおにぎりで、色んな具材が入ってるんだから!
 味は食べてのお楽しみだよ~。」

 その言葉に、武は眩暈を感じつつ呻き声を上げた。

「お、おにぎり…………しかも、冥夜が料理………………
 あっ、す、純夏! 怪我人は出なかったか?! 設備の損害はどのくらい―――」

 衝撃の最中、なんとか状況を受け入れた武であったが、今度は動顛して、純夏に食ってかかる様にして問いかける。
 冥夜の料理=爆破テロ。そんな公式が武の心中で渦巻いていた。
 しかし、そんな武のヒートアップした心を、瞬時に凍てつかせる声が発せられる。

「―――タケル。話し中に済まぬが、少々問い正したき儀がある。よいな?」

 ギリギリギリ……そう軋む音が聞こえそうな程にぎこちなく、武が振り向いた先には剣呑な光を眼(まなこ)に湛えた冥夜の姿があった。

「さて、タケル。そなたの物言いを聞くに、私が料理をすると怪我人や施設の損壊が発生するかの如き言い様であったが……
 よもや、本気で斯くの如く考えているのではあるまいな?」

 冥夜の問い掛けは至って静かであり、口元には笑みさえ浮かんではいたものの、その声音は冷徹極まりないものであった。
 武は内心で冷や汗を流しながらも、つっかえつっかえ抗弁を試みる。

「あ、いやその……以前の知り合いに、おまえに似た感じの奴が居てさ……
 やっぱり剣術が得意で優秀な軍人だったんだけどな……
 何時だったか、料理を殆どした事がない癖に、急に思い立って無茶した事があったんだよ。
 そんとき、調理中に何故か爆発が多発してだな―――」

 しどろもどろになりながらも、虚実取り混ぜて説明する武。
 それを聞いている内に、冥夜の表情から険が取れ、呆れた様な表情へと変わっていく。
 そうこうする内、冥夜は腕組みをして首を傾げ、不思議そうに武に問い返すに至った。

「うむ―――何故その者は調理法について十分な下調べをせずに、想像のみで事を強行したのであろうか?
 それに、圧力鍋を使用した訳でもなかろうに、どうやれば爆発などと言う事態に陥るのだ?
 む、もしや粉塵爆発でも起こしたのであろうか?」

 心底不思議そうに自問自答する冥夜の様子に、武は胸を撫で下ろし、純夏は何やら納得したらしく、繰り返し大きく頷いていた。
 純夏は直接見聞はしていないものの、『元の世界群』で11月末の3日程、連日武の家から爆発音が鳴り響いた件は覚えている。
 今の武の話からそれが、冥夜が無理矢理料理しようとして起こした騒ぎだったという事に、今になって気付いたのであった。

 武は、これで上手く言い抜けられたかと思ったのだが、ところがそうは問屋が卸さなかった。

「確かに興味深い御仁の様ではあるな。
 だがなタケル―――その様な御仁と私を同一視するとは如何なることだ?
 確かに私は調理を得手とはしておらぬが、それでも飯盒炊飯程度は嗜むのだぞ?」

 そう言われて、武はハタと手を打った。
 この世界の冥夜は、軍人としての訓練を受けているのだ。
 当然野営などの訓練も受けており、野戦料理は元より、サバイバル訓練での食料調達摂取に至る経験すら皆無ではあるまい。

 思えば、最初と2度目の再構成後の派生確率分岐世界群に於ける総戦技演習は、食料も与えられない環境下での強行軍であった。
 体調を崩し余裕の無かった最初の世界群の時はともかく、2度目の世界群の総戦技演習では、冥夜も簡単な調理をしていたような記憶が薄らとあった。
 どうやら武は、『元の世界群』での記憶があまりに印象的であった為に、冥夜は料理が壊滅的に下手だと思い込んでしまっていたようである。

「ご、御免な冥夜。ちょっと以前の経験が酷かったもんで、つい慌てちまったみたいだ。
 これじゃあ、指揮官として問題あるよな。今後はしっかりと精進するから勘弁してくれないか?
 それにほら、他のみんなも待ちくたびれてるみたいだからさ。」

「そうそう。早く食べてよ、白銀くん。
 御剣も、白銀くんを尋問するのは、誕生祝賀会が終わってからでいいんじゃない?」

 平謝りに謝った挙句、武がおにぎり組の他の面々まで引き合いに出すと、透かさず晴子が合いの手を入れた。
 指揮官としての適正や他の仲間達の事まで持ち出され、しかも晴子にいざこざは宴の後に持ち越すべきだと諭されるに至り、冥夜も大人しく事を修めた。
 しかし、その眼元には未だ剣呑な光が残っており、武は後々の詰問を覚悟せざるを得ないのであった。

 それでも、ようやく最後の覆いが取り払われ、幾つも並べられている小ぶりなおにぎりが披露された。
 おにぎりはそれぞれに工夫が凝らしてあり、武は美味しそうに次から次へと頬張っては、誰が握ったものか当てたりして賑やかな時を過ごした。
 その結果、どうやら冥夜だけではなく、智恵や月恵も料理はあまり得意ではなく、それを知っていた晴子が多彩な具材を彩りにしたおにぎりと言う案を出したらしい。
 食べ比べてみた結果からしても、晴子が握ったものは、程良い握り具合で頬張ると米粒がほろほろと崩れる様な仕上がりであり、力いっぱい握りしめた様な他の物とは明らかに異なる出来栄えであった。

 中には外側一面に黒胡麻をまぶした物もあった為、武が恐る恐る手を伸ばすなどという一幕もあったが、周囲の笑いを誘う程度で収まった。
 そして、最後の1つ、大トリとして選ばれたのは、霞が握った兎型のおにぎりであった。
 雪ウサギの要領で本体をご飯で握り、小さな梅干しで赤い目を、綺麗に洗った葉っぱを耳代わりに飾り付けたものである。
 これは、純夏の発案で霞が奮闘した品であり、周囲にも好評を博していた。

 こうして、一通りの料理が披露され、武へのプレゼント贈呈は終了となる。
 実を言うと、誕生日を記念してプレゼントを贈るという行為が行われたのには、少々事情があった。

 事の起こりは、七夕に復活した純夏に武が、『元の世界群』で純夏が大事にしていたサンタうさぎを元にした、手作りのキーホルダーを渡した事にある。
 これは、さすがに元通りの素材で復元するのは難しかった為、形を模して木彫りで武が作成した。
 手造りではあるのだが、00ユニットの性能をフルに活用した結果、オリジナルそっくりの造形となり、塗装により色合いまでもが高い完成度で再現されていた。

 さらに破損防止のコーティングまで施され、キーホルダーの金具まで取り付けられたこの品は、2つ作られて霞にも同時に贈られている。
 そして、このサンタうさぎを純夏が見せびらかした事で、事態は燎原の火の如く一気に燃え広がったのである。

 まあ、この騒ぎで当時のヴァルキリーズの先任達は、大いに楽しむ事が出来た訳だが、結局条件付きで事態は収拾される事となった。
 その条件というのが、向こう1年の間にヴァルキリーズ18名が迎える誕生日に、武が何かしらプレゼントを行うというものであった。
 以来、この日までの間に武は月恵、水月、多恵、彩峰、晴子、みちる、茜、美冴、智恵、祷子の10人と、番外としてまりも、ピアティフ、霞の3人にもプレゼントを贈っている。

 そういった事情もあり、この日武への誕生祝賀会を開くに当たり、ヴァルキリーズの18人は示し合せてプレゼントを行う事としたのである。
 因みに、冥夜がプレゼントを贈る意志を示した為、月詠は独自にプレゼントを用意しようと、気を利かせて紅蓮に日本刀の手配を依頼した。
 ところが、この話が紅蓮から武と親交のある斯衛軍第5、第6連隊の指揮官達へと伝わってしまい、その結果斯衛軍一同からのプレゼントという形となってしまった。
 結果的には冥夜のプレゼントはおにぎりと決まった為、月詠がプレゼントを手配する必要も無くなり、幸いにしてこの件が問題となる事はなかった。

 武の方も、ちゃんと冥夜へのプレゼントは用意してあり、悠陽とお揃いのキーホルダーであった。
 これらは、帝都城での祝賀会が終わった後に、城内の庭園で語らった折に2人へと手渡してあった。

 キーホルダーの意匠が、薙刀(なぎなた)と太刀が交差したものであった為、薙刀『煌奉如月(こうぶきさらぎ)』の事を何処で耳にしたのかと悠陽が驚く顛末があった。
 各々に贈るプレゼントは全て既に決まっており、半数近くがキーホルダーとなっている。
 全て武の手作りであり、水月と茜にはイルカ、多恵にはネコ、晴子にはバスケットボール、祷子にはヴァイオリン、まりもには犬、霞にはうさぎ、智恵には眼鏡をかけたフクロウのキーホルダー、月恵にはボクシンググローブを着けたカンガルーといった意匠となっている。

 キーホルダー以外だと、遙にリボン、千鶴に眼鏡ケース、彩峰に黒いチョーカー、壬姫に小さい鈴の付いたペンダント、美琴にサバイバルナイフ、純夏にトレードマークの巨大なリボン、ピアティフには安眠枕といった品々となる。
 残りのメンバーである、みちる、美冴、葵、紫苑、葉子ら、想いを寄せる男性が存在する面々には、恋愛成就の御守りを武は選んだ。
 武はこれらの御守りを、鎧衣課長に依頼して調達している。

 また、この話を聞き付けた夕呼は、武に高性能ミシンを要求した。
 この時、ミシンを強請られた武はその用途を想像した結果、近い将来にまりもを襲うであろう悲劇を確信して瞑目したという。

 斯くして武は、総勢24人に対して、2002年から2003年にかけて誕生日のプレゼントを贈る羽目になった訳だが、この件が決定した後、武はまりもに忠告を受けている。
 A-01の2002年以降配属の衛士達には、原則としてプレゼントを贈らず受け取りもしない事、というのが忠告の内容であった。

 今後の予定では、A-01所属衛士は最低でも連隊規模まで増員する予定である為、その全員を相手にプレゼントのやり取りを行うのは各種の問題を生じやすい。
 かと言って、部下の待遇に不均等が生じるのは組織運営上好ましくない為、線引きとして武の同期入隊以前の衛士と、A-01の外部の人間に限定すべきだとまりもは主張したのだ。
 武はこの忠告を受け入れ、来年以降はプレゼントの授受ではなく、誕生祝賀会の主催という形で間接的なプレゼントに留める事とした。

 まりもも、それならばと頷いてはいたのだが、色々と面倒な立場になったものだと嘆息する武であった。

 まあ、その様な事情はさて置き、一通りの料理を食べ終えた武は、ふと純夏の方を向いて何気なく問いかけた。

「―――で、純夏。結局おまえからのプレゼントは無いって事か?」

 そう武が問いかけると、純夏は瞳を輝かせて右手の人差し指を立てると、意気揚々と高らかに叫ぶ。

「タケルちゃんの大好きなもの純夏スペシャルーーーー!!
 ―――を作ろうと思ったんだけど…………京塚さんに止められちゃったよ~。
 それに、全員向けの料理を作ったり、みんなの料理を手伝いつつ、食材が無駄にならないように監視したりするのに忙しかったんだよー。
 冥夜のお祝いも内輪でこっそりやったしね。
 だから―――強いて言うなら、この鍋がそうかなっ!」

 が、直ぐにしょんぼりして、計画倒れに終わったと告げると、それでも武の手を引いて少し離れたテーブルへと導いて行く。
 それに大人しく追従しながら、武は『元の世界群』で純夏から供された事のある料理を思い起こしていた。

 『タケルちゃんの大好きなもの純夏スペシャル』―――それは、お好み焼、スパゲッティー、カレー、ハンバーグ、ラーメン、麻婆豆腐、餃子、たこ焼き、これらてんでバラバラな料理の全てが、1つの皿の上で渾然一体―――いや、ごちゃ混ぜになって混沌と化した代物である。
 具体的に描写すると、カレールーと麻婆豆腐が一緒くたに盛られた皿の中央に、ハンバーグが配置され、その上にお好み焼きが重ねられている。
 さらに、そのハンバーグとお好み焼きの間からはスパゲッティーとラーメンが溢れ出し、その周囲を囲む様に餃子とたこ焼きが交互に土星のリングよろしく円を描いているのだ。
 そして、お好み焼きの天辺にはソースと辛子マヨネーズが格子状の模様を描き、中央には小さな日の丸の国旗まで飾られていた。

 あまりに強烈なインパクト故に、今尚、武の脳裏にその姿がありありと浮かんでくるほどの料理(?)である。
 味付けは四川風で統一したと純夏は言うが、はっきり言って発想からしてメチャクチャで、味もメチャクチャな代物なので、その実現を阻止してくれた京塚のおばちゃんに武は深く感謝し、安堵の溜息を吐―――きかけて、武は突然全身を硬直させた。
 そして、震える声で純夏に向かって問いかける。

「―――純夏……おまえ今、『鍋』っていったか?
 ま、まさかおまえ―――」

 武が回想から現実へと舞い戻った時、武はとあるテーブルの前に立っており、その対面では正に純夏が、卓上コンロの上でぐつぐつと音を立てている鍋の蓋に手をかけた所であった。
 周囲に並べられた料理は、既に半分近く消費されており、この鍋はある程度料理が減った時点で食べごろになる様に、時間差で調理されていたようである。
 鍋の前には調理中、触れるべからず―――と書かれた札が立てられており、そう気付いて見回せば、同様にコンロにかけられている鍋や、鉄板と生の食材なども散見された。

「え? 鍋がどうかした? タケルちゃん。
 あ! そっか、味付けが心配なんだね?
 大丈夫だってば。ちゃあんと、隠し味用のソースはここに用意してあるから!!」

 満面の笑顔で癖っ毛をハート形にした純夏は、武にそう答えると何処(いずこ)からか瓶を取り出し、その中に揺蕩う濃褐色の液体を、中身が程良く煮えて食べ頃の鍋へと一気に流し込もうとする。
 その行為に過去の記憶を刺激された武は、慄然として声を上げた。

「ま、待て純夏―――」

 鍋にソースを流し込むという純夏の暴挙を、慌てて制止しようとする武だったが、生憎と武と純夏の間にはテーブルがあり純夏までは手が届かず、辛うじて手の届く鍋はと言えば、卓上コンロに乗せられて煮え滾っており、危なっかしくて容易に動かす事も出来そうにない。
 声だけでは止められないと、悲劇が今また繰り返されるのを座視するしかないのかと、武がそう絶望しかけた正にその時―――

「純夏さん、駄目ッ!」「待つのだ純夏!」

 ―――何時の間にか純夏の背後に近付いていた美琴と冥夜が、透かさず純夏を拘束した。

「え? なになに? ちょ、ちょっと2人とも放してよ~!」

 癖っ毛をピンと針の様に尖らせて、苦情を申し立てる純夏だったが、その直後に京塚のおばちゃんに一喝されて大人しくなる。

「こらっ! 純夏ちゃん、あんた今、一体全体何やろうとしたんだい、ええ?
 鍋にソースだなんて、このご時世に大事な食材を台無しにするような真似は、御法度だって言っただろ!?
 まったく、なんだってあんたはたま~にそうやって奇天烈な味付けをしたがるんだろうねぇ。
 まあいい。冥夜ちゃん、美琴ちゃん、悪いけどその子をちょっくら厨房まっで連れて来てくれるかい?
 ―――すまないねえ。それがすんだら、2人とも料理をたらふく食っておくれよ?」

「え? えええ~?! た、助けてタケルちゃん、タケルちゃぁあ~~~ん!!!」

 悲鳴を上げながら、純夏は厨房へと連行され姿を消した。
 その様子を宴の余興でも見るかのように、笑顔で見ている周囲の面々を他所に、武はほっと胸を撫で下ろす。
 そして、ふと思い出したのは、『元の世界群』で純夏のソース投入事件に居合わせたのが、冥夜と美琴の2人であったという事実であった。
 先程の迅速な拘束劇は、潜在意識下への記憶の流入の成果だったかもしれないなと、武は1人思索に耽るのであった。

 その後は、やや遠巻きにしていた参加者達も武の許へと集まり、あれこれと言葉を交わしたりからかったり、玩具にしたりと、武の周囲から人気が途絶える事は無かった。
 本当に自分は祝われているんだろうかという疑問さえ浮かんで来た武だったが、宴の主役など騒ぐ口実にさえなればいいのだからこんなものかと、半ば無理やり納得して諦めた。
 他にも、美冴が持ち込んだ酒を成人した先任達の間で配った際に、まりもとピアティフ、イルマの3人にも勧めようとし、武が慌ててまりもの分を取り上げるという一幕があったりしたが、誕生祝賀会は概ね賑々しくも穏当に終了するのであった。

 解散後、一応主役という事で片付けを免除された武を、冥夜が襟首を引っ掴んでPXから連れ出していたが、その後どうなったかは定かではない。合掌―――




[3277] 第130話 春の訪れ
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:11

第130話 春の訪れ

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 お知らせ:おまけとのリンク告知
 今話の内容は、拙作第38話に含まれるおまけ『何時か辿り着けるかもしれないお話8』並びに第44話に含まれるおまけ『何時か辿り着けるかもしれないお話11』とリンクしております。
 また、本文中に出て来る『拡大婚姻法』に関しましては、第31話に含まれる『何時か辿り着けるかもしれないお話5』に詳細が記述されていおります。
 もし気が向かれましたら、そちらもご参照願えると幸いです。
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2003年、01月02日(木)

 08時13分、帝都に居を構える伊隅家邸宅のリビングで、前島正樹は肩身の狭い思いをしながらソファに腰を下ろしていた。

「さて、それじゃあ、伊隅家家族会議を始めるわよぉ。」

 一歩家の外に出れば、寒風吹きすさぶ年始だというのに、そう宣言した伊隅家長女であるやよいの声は、春の風の様に朗らかでほわほわとしたものであった。
 家族会議を始めると言うのに、伊隅家の人間でない正樹が居るのは不自然とも言えば言えるが、正樹は子供の頃から家族同然に伊隅家に出入りしている為、この場に居る者で不振に思う者はいない。
 それどころか、今更正樹がこの家に上がり込んだ所で、例え家族会議をしていようと肩身の狭い思いなどする訳がないのだが―――

「そうねぇ。最初の議題は―――正樹くんの女性問題からにしましょう。
 正樹くん? 勿論、異論があったら、自由に反論していいですからねぇ?」

 ―――そう、これから議題として扱われるのが正樹自身の問題であり、しかもこの後の展開上、会議参加者の感情が著しく錯綜し且つ激しく振幅すると、そう予想されるからに他ならない。
 内務省に勤務するやよいは、手慣れた様子で議事進行を務めており、その表情も表面上は柔らかな笑顔にしか見えない。
 しかし、子供の頃から何くれとなく面倒を見て貰い、時には叱られ躾までされた正樹には、その笑顔の下で渦巻くどす黒い想念が透けて見える様な気がして、背筋が凍るような悪寒に襲われていた。

「―――ただし! もしいい加減な、その場凌ぎの言い逃れなんてしたりしたら…………解かっているわよね? 正樹。」

 やよいの春の風の様な温かな声に続いて、真冬の極北の地で吹き荒れていそうな、ブリザードの如き声音が正樹の耳朶を打つ。
 声の主は、伊隅家次女であるみちるであった。
 オルタネイティヴ4直属部隊であるA-01の次席指揮官であるみちるだったが、昨年に続いて年始休暇の許可が下りた為、実家に里帰りをしていたのである。
 昨日は祷子を伴い、姉妹達や正樹と連れだって、父の指揮するニューイヤー・コンサートを堪能していた。

 今年は、ヴァイオリンを嗜む祷子に、楽団に所属する新進気鋭のヴァイオリニストである、冬馬巧(とうま・たくみ)と小鳥遊澪(たかなし・みお)の2人を紹介出来た為、自宅に戻ったみちるの機嫌は上々であった。
 しかし、それが一転したのは、夕食を終え風呂も済ませた後の深夜。
 1年ぶりに姉妹4人が揃ったのだからと駄々をこねたやよいに根負けし、4人揃って同じ部屋に布団を並べ、取り留めの無い話に花を咲かせていた時の事であった。

 2001年に新設された帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊に、共に所属する三女まりかと、四女あきらは、正樹の同僚でもあった。
 元々属していた原隊が異なっている為、さすがに同じ小隊とはいかなかったが、所属大隊はなんとか3人共同じ第2大隊である。

 略称陽動支援部隊に属する衛士達は、ハイヴ攻略作戦への派遣を控えた時期等を除けば、中隊、或いは小隊単位で帝国各地の基地へと派遣され、XM3や対BETA戦術構想の教導任務に当たる日々を送っている。
 その為、大隊所属衛士が一堂に会する機会はそれほど多くは無いのだが、昨年の年末に第2大隊合同演習が実施された。
 その演習の前後2週間程の期間、正樹、まりか、あきらの3人は同じ帝国軍基地の兵舎で過ごしたのだが、その際に正樹が女性衛士等から誘惑される場面を、まりかとあきらが各々数回に亘って目撃したと打ち明けたのだ。

 実際にその場に居合わせた2人は勿論、頬に繊手を添えてあらあらまあまあなどと困り顔を浮かべていたやよいですらも、心中は穏やかでなかっただろうが、みちるはそれどころではなく、普段の沈着冷静な態度をかなぐり捨てて、怒髪天を突く勢いで激怒した。
 そのまま、正樹の泊っている客間を強襲しようとするみちるを、何とか他の3人がかりで制止し、その後の話し合いに於いて今朝の家族会議開催が決定されたのである。
 ―――そう、これは家族会議と言う名を借りた前島正樹弾劾裁判なのである。

「―――そうねぇ、まずは、現場を目撃したまりかちゃんと、あきらちゃんのお話を聞きましょうね。」

 胸の前で両手を軽く合わせたやよいが、ほんわかとそう告げると、待ち兼ねた様にまりかが口を開く。
 これから話そうとする内容によるものか、その表情は少し拗ねている様な面持ちであった。

「じゃあ、私から話すね。
 えっとね、正樹って、結構顔立ちが整ってるよね?
 でもって、選抜衛士で構成された陽動支援部隊の所属だって事もあって、最近あちこちの女性将兵達から引く手数多(ひくてあまた)なんだよう!」

 そして、遂には軽く憤って叫び声を上げるまりか。
 その後を継ぐように、うんうんと激しく同意の頷きを繰り返しながら、こちらも憤然と語り出すあきら。

「そうそう! あいつらってば、正樹ちゃんの顔と肩書と身体目当てなんだよっ!
 なのに、正樹ちゃんてば鼻の下伸ばしちゃってさーっ!」

 そんな2人の証言に、みちるは半眼に閉じた双眸から、氷の如き冷たい視線を正樹へと投げかける。

「…………正樹、アンタ…………」

 しかし、まりかとあきら、2人の話はまだこれからが山場であった。
 みちるの反応を他所に、すっかりテンションの上がったまりかが、感情に任せて言い募る。

「ホントだよう! 正樹ったら、デレデレしちゃって、あんなの見てらんないよう!
 しかも、来る女性(ひと)来る女性、誰彼構わずなんだもん……」

 その言葉の内容に、聞き捨てならないものを感じ、物問いた気な視線をまりかへと転じたみちる。
 しかし、その視線への答えはあきらの口から語られる事となった。

「オマケにさあっ! 正樹ちゃんたら、来る者拒まずで端から手を付けちゃってるんだって!!
 ボク、ちゃんと正樹ちゃんの小隊の人から教えてもらったんだからね!!」

 前半は憤然と正樹を詰っていたくせに、後半は自慢げに言い放つあきら。
 切り替えが早いと言うべきなのか、感情が言動に直結してると言うべきなのか……
 しかし、あきらがさらりと語った言葉は、みちるに深甚な衝撃を与えた。

「ッ!!―――来る者拒まずって……」

 つい思わずといった風に、みちるが洩らした言葉を聞き止めたあきらは、更に言葉を継いだ。
 その言葉がみちるに如何なる衝撃を与えるかには全く気付かずに―――

「ちょっと誘われると、そのままホイホイと付いてって、朝帰りなんてざらだって言ってたんだからっ!」

 あきらの言葉に表情と思考を凍りつかせたみちるを他所に、やよいが頬に右手を当てて首を傾げ、慈母の如き微笑みを浮かべながら、やんわりと正樹に問いかける。

「まあ……正樹くん、本当なのかしら?」

 その、やよいの微笑みの陰に、粘度の高い黒々とした感情の渦を垣間見た正樹は、背筋を凍らせて言い淀む。

「え?! いや……えっと、まあ、その……」

 なんとか、やよいからの圧力を逸らそうと、冷や汗を流して悪戦苦闘する正樹を、横手から発せられたみちるの叫びが打ち崩す。
 暫時の思考停止から復帰したものの、その際にマイナス思考全開で演算を再開した為に、この時のみちるは、自身にとって最悪の予想を確信へと変え、すっかり信じ込んでしまっていた。

「―――正樹ッ! アンタまさかあたしの時もそんないい加減な気持ちで?!
 あたしは、あたしは恥ずかしいのを、一生懸命我慢して…………なのにっ!!」

 自分が正樹と過ごした、温泉での大切な想い出が、正樹にとっては行き摺りの情事に過ぎなかったのかと、みちるはその一念で正樹へと言い縋る。
 その勢いにたじたじとなりながらも、正樹は必死にみちるを宥めようとする。

「み、みちる…………いや、そんなんじゃない、そんなんじゃないんだって!
 オレはみちるの事を大切に想ってるし、あの日の事はとても嬉しかった―――あ…………」

 紛う事無くみちるを大切に想っている正樹は、誠心誠意を込めてみちるに自身の想いを伝えようと言葉を紡ぎ―――そこで遅まきながら、ようやく同席する他の三人の存在を思い出した。
 言葉を途切らせ、正樹が慌てて周囲を見回すと、揃って良い笑顔を浮かべたやよい、まりか、あきらの3人の姿が目に飛び込む。
 そして、口々に言葉を発するその3人からは、仄暗い怨念の如き感情が滲み出していた。

「あらまあ、やっぱりそうなっちゃってたのねぇ。うふふふふ……」
「ふうん、嬉しかったんだ…………よかったねえ。」
「やっぱそういうことになってたんだねー。
 2人で温泉って言ってたから、もしかしたらとは思ってたんだ~。」

 3人の視線に射竦められて、ヒキリと身体をこわばらせる正樹。
 その場の尋常でない雰囲気に、みちるもやや正気を取り戻して、悪寒に身を震わせる。

「え? あ……う……えっと………………ま、正樹ぃ……」

 自身の振舞い、正樹の対応を振り返り、それを間近で見聞きした姉妹の心情に思い至ったみちるは、思わず正樹の背後に縋る様にして身を隠す。
 無論、その行為は他の3人の感情を逆撫でするに十分過ぎるものだったのだが、この時はその怒りが全て正樹へと向けられる事となり、言葉の集中砲火が正樹を蹂躙する。

「ううううう……みちる姉ちゃんにまで手を出すなんて……
 正樹なんて獣だようっ!」
「正樹ちゃんのエッチ! 姉妹4人共だなんて、むちゃくちゃだよっ!」
「ふぅ……しょうがないわねえ。
 でも、想いが叶ってよかったわねぇ、みちるちゃん。」

 最早、何をどうしていいのかも解からずに、只管サンドバッグの様に言葉の乱打に耐え忍ぶ正樹。
 そんな正樹を、今度は背筋を刮げ落とす(こそげおとす)かの如き、憤怒に震える叫びが刺し貫いた。

「………………まさか―――まさか、やよい姉さんやまりか、あきらにまで手を出したの?!
 正樹、アンタ―――!!」

 背後に突然生じた凄まじい気配に、正樹は振り返る事さえできずに、それでも必死に弁明を試みる。

「ごめん! けど、やよいさんや、みちる、まりか、あきらの事は、ホントに大事に想ってるんだ!
 絶対に他の女性(ひと)と、一緒になんて―――」

 が、そのような試みが実を結ぶような段階は、とっくの昔に通り過ぎてしまっていたのだ。

「も・ん・ど・う・む・よ・うッ!」

「ギャァーーーッ!!」

 一度火が着き吹き荒れた猛火は、正樹を生贄として蹂躙し尽くすまで、その勢いを衰えさせる事は無かったのである―――



 ―――小半時もたっただろうか、怒り狂ったみちるによってズタボロにされた正樹は押入れへと押し込められ、ようやく落ち着きを取り戻したリビングで、伊隅四姉妹は揃ってやよいの淹れた紅茶を飲んで寛いでいた。

「―――ったく……変だとは思ってたのよ。
 あたしと正樹の2人旅に、みんなして然して反対もしなかったから。
 まさか、やよい姉さんはともかく、まりかやあきらにまで先を越されてるとはね……」

 やよいの淹れた紅茶は十分美味なものであったが、みちるは苦虫を噛み潰したような表情で愚痴を零す。
 そんなみちるの言葉に、あきらが少し照れたような笑みを浮かべ、頬を薄らと染めて話し始める。

「えへへ……ボクは甲21号作戦への参加が決まってすぐだったかな。
 大作戦だって話だったし、やっぱり死んじゃうかもしれないって思ったから……
 実際は、そんな危ない事なかったけどさ。」

「わ、私も初陣前に…………って、何恥ずかしい事言わせるのよう!
 あきらのバカぁっ!!」

 あきらの告白につられたのか、続いて告白てしまったまりかが、顔を真っ赤に染めてあきらに八つ当たりする。
 すると今度は、そんな騒ぎは我関せずと聞き流し、やよいが何処か染み染みと語り出す。

「私は……逆に正樹くんの初陣の前だったわねえ…………
 万一の事があっても、思い残す事が無いようにって、そう思ったんだけど……
 まさか、既に経験済みだったとは思わなかったわ。
 私は初めてだったのに…………」

 何だかんだ言って、3人の発言は、みちるにとっては惚気以外の何物でもなかった。
 そこはかとない敗北感を感じて、みちるは自嘲の言葉を漏らす。

「そ、そうだったの……
 じゃあ、あたしだけが、知らなかったのね。」

 常に凛とした態度を保とうとするみちるの、珍しく消沈した様子に、他の姉妹たちは慌てて慰めようと、口々に言葉をかける。

「別に隠してた訳じゃないんだよ? みちるちゃん。」
「そうだよう―――けど、みちるちゃんは、A-01の任務で忙しくしてたから……」
「みちるちゃん、こう言ってはなんだけど……あまり気に病まないでね。
 姉妹揃って、正樹くんを想ってた事は、あなたも薄々気づいてたでしょ?」

 だが、みちるを打ちのめしている原因でもある3人の言葉に、みちるは激高して叫ぶ。

「―――だからって! 姉妹4人揃って手を付けられて、泣寝入りしろって言うの?!」

 その怒声に身を竦めるまりかとあきら。
 しかし、やよいだけはほんわかとした笑みを浮かべて、ゆるゆると首を横に振り言葉を返す。

「とんでもないわ―――正樹くんには、ちゃんと責任を取って貰わなくちゃ。ね?」

「「「 え?! 」」」

 やよいの思いもよらない言葉に、他の3人の思考が混迷を来す。
 それはもしかして、やよいが正樹を自分だけのものにしてみせるという、決意表明なのだろうか?
 そんな思いが胸中に渦巻き、3人揃って恐ろしい化け物でも見る様な視線を、やよいへと投げかけた。

「だ・か・ら―――ちゃんと責任を取って、みんなでお嫁さんにしてもらいましょうよ。
 そうすれば、万事丸く収まるわ。」

 しかし、そんな視線も物ともせずに、やよいは更に笑みを深めると、手を合わせて3人にとっては完全に予想外な言葉を言い放つ。

「みんなでって……やよい姉さん、何を―――」

 さすがにその真意を汲み取れず、困惑も露わに問い返したみちるの言葉を、急に手を打ったまりかの声が遮る。

「あ!―――もしかして、やよい姉、それって今度施行されるって言う……」

 そんなまりかに、疑問を込めた視線を投げかけるみちるだったが、同じく話の主旨が理解できないあきらが騒ぎ、まりかの言葉を遮ってしまう。

「えーっ?! なになに? なんの話してるの? ねえってばあっ!!」

 そんなあきらを、仕方ないわねえといった感じで見やりながら、やよいが口を開いて落ち着かせる。

「はいはい。今説明するから、静かにしててね? あきらちゃん。」

 そうしてやよいが始めたのは、この年の4月―――3ヶ月後に施行されると言う『拡大婚姻法』の解説であった。
 概略を述べるならばこの法律は、複数の男女が1つの戸籍を持つ『多夫妻』という婚姻関係を結べるというものであり、やよいの提案は正樹と伊隅四姉妹の5人で、この『多夫妻』として結婚してしまおうというものだったのである。
 無論、様々な条件も付加されており、『多夫妻』には多産が義務付けられ、結婚後5年以内に『多夫妻』と同数の子供を儲けねばならないなど、細やかな規定も多い。

 この法律は、適齢期の男性人口が激減した現在の帝国に於いて、可及的速やかに人口を回復させる為に制定されたものであった。
 軍務で多忙を極めていたみちるは、国連軍所属と言う事もあって国内情勢に疎くなっていた為、この法律の事をすっかり失念していたのである。
 その点、直ぐに思い至ったまりかは、無意識にしろ、こういった決着の付け方も考えた事があったのかもしれない。

 しかし、沈着冷静で万事理性的な判断を下しているかのように振舞いながら、その実、豊かな感情を内に秘めた激情家でもあるみちるは、納得がいかない様子で反論を試みる。

「じゃあ、やよい姉さんは、その『拡大婚姻法』で4人揃って正樹と結婚しようって言うの?
 なんで、そんな打算的な事を―――」

 そんなみちるを、やよいはやんわりと制止すると、言い聞かせるようにゆっくりと語り始める。
 やよいに対して競争心と仄かな劣等感を抱いているみちるは、そんなやよいの態度に反発心を抱くが、この場は何とか自制してやよいの言葉に耳を傾けた。

「落ち着いて頂戴、みちるちゃん。
 私だって、もし叶う事なら、正樹くんに望まれて2人だけで結ばれたいって、そう思うわよ?
 でもね、まりかちゃんとあきらちゃんの話、みちるちゃんも聞いたでしょ?
 もし、うかうかとしてる間に―――」

「他所の誰かに、正樹を取られたらたまんないよう!」

 やよいの言葉に被せる様に発せられた、まりかの心からの叫びに、やや頑なになっていたみちるも心を揺すぶられる。

「ッ!―――そ、そう……確かにそれは我慢できそうにないわね……」

 確かに、まりかの語った未来予想図は、みちるにとっても断じて受け入れ難いものであった。
 そんなみちるの心情の揺れを知ってか知らないでか、あきらが率直な感情を乗せて言葉を発する。

「それにさ、みちるちゃん。
 ボクは、やよいちゃんや、みちるちゃん、まりかちゃんとだったら、上手くやってけると思うんだ。」

 そして、こちらはそんな打算を排したあきらの言葉に揺れる、みちるの心情をしっかりと把握しているやよいが、更に追い込みをかけて行く。

「みちるちゃん。あなたにも色々と思う所があるとはおもうけど……
 あまり、のんびりと構えていられる状況ではなさそうなの。
 任務も忙しいでしょうけど、少なくとも婚約までは漕ぎ着けておきたいのよ―――」

 その後も暫くの間話し合いが続けられた結果、遂にみちるも納得し、伊隅四姉妹の方針は『拡大婚姻法』による正樹との合同結婚へと意志統一されたのである―――



 ―――ようやく押入れでの監禁から解放された正樹は、何故かリビングの床に正座させられ、周囲を伊隅四姉妹に囲まれていた。

「―――と、言う事で、正樹くんには『拡大婚姻法』が施行され次第、私達4人と婚約して貰いたいの。
 もちろん、了承して貰えるわよね?」
「正樹……」「正樹ぃ……」「正樹ちゃん!」

 そして、やよいから伊隅四姉妹全員からの願いとして、『拡大婚姻法』による婚約を請われ、4人全員から切実な眼差しを向けられた正樹は、暫し逡巡したもののしっかりと頷きを返してその願いを受け入れた。
 やや気圧されて押し負けた様な風情であったのは否めないが、この結果は正樹にとっても望ましいものではあったのだ。

 正樹は本心からこの4人の幼馴染それぞれを愛しており、逆にその想いに優劣が付けられないが故に、どうしても無意識に一歩引いて接する事が多かったのである。
 それ故に、長年に亘って抱き続けた逡巡から解放され、正樹の心中はいっそ清々しいとさえ評せる様な心情であった。

「―――わ、解かりました……こ、これからもよろしく……」

 そうして告げられた正樹の言葉に、その真意を窺うように注視していたあきら、まりか、やよいの3人の顔に笑顔が浮かぶ。

「やったあっ! 正樹ちゃんと婚約だッ!!」
「もう、今度からは浮気は許さないよう! 覚悟してよね?」
「―――こちらこそ。不束者ですけど、よろしくね? 正樹くん。」
「………………」

 そして、口々に喜びの声を上げる3人を他所に、みちる1人が微妙な面持ちで無言を貫いていた。

「…………み、みちる?」

 そんなみちるの態度に、正樹は意を決して恐る恐る声をかける。
 すると、そんな正樹を苛立たしげな一睨みで黙らせた後、みちるは被りを振って言葉を発した。

「………………ああ、もうっ! わかったわよ。
 どうせ、あたしには分の悪い勝負だったんだし……」

 『拡大婚姻法』がどうこうというよりも、やよいの掌の上で踊らされた様な現状に、漠然とした不満を抱いて逡巡していたみちるだったのだが、そんな思いを振り切り自身を納得させようと試みる。
 オルタネイティヴ4直属部隊の指揮官として、軍務に精励せざるを得ないみちるは、武が上官に納まったとはいえ激務が今後も続く事は予想するに難くない。
 当然結婚など望める訳もなく、帝国軍に所属する正樹と休暇を合わせる事も儘ならない。

 正樹に対して自分が、ついつい意地を張ってしまい、キツイ言動を取ってしまう事も自覚しているみちるとしては、このまま競った所で何時か姉妹の誰かに正樹を奪われてしまうのではないかと、そんな恐れから逃れられた試しが無かったのだ。
 それ故に、今回やよいから提示され、正樹が受け入れた結末は、最善ではなくとも次善のものであろうとはみちるにも判断できる。
 だが逆に、そう思えるからこそ、そのお膳立てがやよいによってなされた事に、みちるは不満を抱いたのではあるが。

 そんなみちるの逡巡する様子に、正樹は自身の気持ちを信じて貰えてないのだと考え、懸命に言葉を紡ぎだす。
 正樹にとって、他の3人もそうだが、みちるは決して失いたくない存在なのであった。

「―――みちる……こんな形になっちゃったけど、おまえの―――おまえ達の事は、以前から本当に好きだったんだぜ。
 もっとも、4人共同じ位に好きだから、1人を選べなくってふらふらしちゃったってのもあるけどな。
 でも、もしおまえ達みんなと結婚出来るんなら、こんなに嬉しい事はない……
 結婚―――は、まだちょっと早いか―――婚約を受け入れてくれないか? みちる……」

 そして、その真摯な言葉は、自身の思考に耽っていたみちるに対して不意打ちとなり、多大な効果を発揮した。
 暫し呆然と投げかけられた言葉を斟酌した後、みちるは顔全体を真っ赤に染め上げると、慌てた様に言葉を連ねる。

「………………え?……う、受け入れない訳ないでしょ?!
 ―――嬉しいわ、正樹。あなたと結ばれるのが、昔からの夢だったのよ。
 ちょっと、思ってたのと違う形になったけど、それでも嬉しいわ。よろしくね?」

 顔を真っ赤にして素直な心情を語るという、常に無いみちるの風情に、正樹は感極まって言葉を放つ。

「―――みちる…………お、オレッ!!」

 そして、そのままみちるを抱き寄せようと、膝立ちになって手を伸ばした所で、やんわりとした、その癖、触れただけで切れるかと思える程に冷え切った言葉が、正樹の動きを止める。

「はい、そこまでにしてもらるかしらぁ?」

 やよいは相も変わらず笑顔であったが、それだけに恐怖が弥増す。
 これは、涼宮と良い勝負だなと、内心でみちるは呟いた。
 そして、そんな抑止効果満点のやよいの言葉に、あきらとまりかの苦情が続く。

「そうだよっ! なんで2人だけで良い雰囲気出してんのさ。」
「みちる姉、ずるいよう! 自分だけ思わせぶりして正樹の気を引くなんて……」

 2人が言い募る言葉に、自身と正樹の言動を振り返ったみちるは、更に顔を赤く染め上げながら、必死に弁解しようと言葉を絞り出すが、どうにも頭が茹だってしまって上手く働かない。

「え?……あっ! べ、別に気を引くつもりじゃ…………」

 そんな3人を他所に、やよいが正樹を相手に最後の追い込みにかかる。

「うふふ……お話が上手くまとまってよかったわぁ。
 じゃあ、そう言う事なんだから、正樹くんには今後は身を厳に慎んで貰うわね。
 正樹くん、いいですね?」

 先程の威圧から続け様に放たれたその言葉に、正樹はしどろもどろになりながらも、何とか抵抗しようと試みる。

「え? えっと、その……それは……」

 しかし、そんな正樹の態度など歯牙にもかけず、やよいは有無を言わさず畳みかけた。

「い・い・で・す・ね?」

 しかも、何時の間にか言い争いを止めたみちる、まりか、あきらの3人も、無言の笑顔で正樹へと圧力をかけて来ていた。

「―――はい……」

 やよいの有無を言わさぬ言葉と、伊隅四姉妹が揃って発する笑顔の奥の気迫に屈し、正樹は殊勝な顔をして頷きを返した。
 とは言え、その唇の端は心なし緩んでいたので、これはこれで1つの幸せの形であるのかもしれない。

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2003年04月01日(火)

 この日を以って、日本帝国に於いて発布された『拡大婚姻法』が、正式に施行され効力を持つ事となった。
 BETA本土侵攻、そしてそれに続く戦いの日々によって失われた人口を、早急に取り戻す為に施工されたこの時限立法による法律は、国内の男女比が女性の側に極端に傾いた現状に合わせ、多産の奨励と引き換えに複数の男女による婚姻を認めるものであった。
 これにより、男性人口の減少により、配偶者を得る機会が減少した独身女性の困窮を緩和せしめ、更には婚姻に依らない私生児の出産多発を回避するという効能までもが期待されていた。

 しかし、この拡大婚姻法の陰に隠れてしまい、同日に施行されたもう1つの新法に関する報道は慎ましやかなものとなった。
 ―――『独身出産並びに育児支援法』。
 拡大婚姻法と同時に発布されたこの法律は、独身者による育児を支援し、養子や非嫡出子とされた児童等の権利並びに育成環境の向上を図る為のものであった。
 しかし、この法律で最も特筆すべき点は、出産に先立ち、独身女性が単独親権者として届け出を行う事で、産児の親権を母親のみに限定する事を可能としている点である。

 これにより、血縁上の父親には産児に対する全ての義務と権利が生じないものと定められ、産児は出産者である母親にのみ帰属するものとされる。
 これは、婚姻に依らない妊娠出産を容易足らしめる為の規定であり、妊娠に至る手法として人工授精までもが認定されている等、社会通念上も革新的な法律であった。
 しかし、事実上の重婚を認可すると言う拡大婚姻法の趣旨が、絶大な社会的関心を得てしまった為、この法案については実際に利益を享受する立場となる一部の者を除き、然して認知されるには至らなかった。

 尚、余談ではあるが、拡大婚姻法と独身出産並びに育児支援法の施行により、血縁関係の曖昧化が将来発生しかねないとの懸念も発せられた為、婚姻法も一部改正され、婚姻に先立ちDNA鑑定による血縁関係の確認が義務付けられる事となった。

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2003年12月25日(木)

 11時12分、帝国軍佐渡島要塞のPXで、模擬戦を終えて一休みしていた美冴に、なにやら勝ち誇ったかの如くに上機嫌な水月が声をかけた。

「あ、いたいた! 宗像ぁ、あんた良かったわね!
 遂に念願叶って、想いが通じるかもしれないわよ!!」

 嫌らしい笑みと言うにはあと一歩のところで、ぎりぎり踏みとどまっている表情を浮かべた水月は、美冴に歩み寄るといきなりそう捲し立てた。
 捲し立てられた美冴はと言うと、面倒くさそうに水月を一瞥すると、バッサリ一言で斬って捨てる。

「―――また、いきなりこの人は妄言を……」

 こちらは暴言一歩手前の美冴の台詞に、何時もの如く傍に控えていた祷子が、目を丸くして苦笑を浮かべる。
 しかし、そんな美冴の切り返しにも、水月は上機嫌を崩さずに言葉を連ねる。

「妄言とは随分じゃないのっ!
 まあ、いいわ。それより飛びっきりのネタがあんのよ。
 さっき、京都要塞からの輸送機が着いたんだけど、それにあんたの男―――緑川つったっけ?―――そいつが乗ってんだって。
 良く解からないけど、京都要塞駐留の陽動支援部隊の連中に便乗させて、白銀が呼び付けたらしいわ。
 で、こっからが本題なんだけど、長年あんたを宙ぶらりんにしてたそいつを、白銀が吊るし上げるって話―――」

 と、そこまで水月が語った所で、美冴は常日頃のクールな振舞いをかなぐり捨て、水月に掴みかからんばかりとなって問い詰め始めた。

「なっ?! なんですって? 速瀬大尉、白銀は一体何処に居るんですか!?」

 その傍らでは、祷子が口に手を当てて、微笑ましげな視線を美冴へと注いでいた。
 無論、美冴にはそれに気づく様な余裕など、欠片も無かったのだが―――



 ――― 一方、武は佐渡島要塞のメインゲート内側に位置する中央集積場で、京都要塞から出向してきた一群の衛士等を出迎えていた。

「京都要塞から、遠路お疲れ様です。草薙大佐。」

 武が敬礼して労いの言葉をかけた相手は、一群の衛士等を率いる立場にある、帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊指揮官、草薙香乃大佐であった。
 草薙は、武に流れる様な答礼をすると、微かな笑みを浮かべて言葉を返す。

「なに、中には九州や北海道から飛んで来る者も居る。
 京都からなど近い方だ。
 なのにわざわざの出迎えとは、相変わらず腰が軽い様だな白銀中佐。
 それとも、『オマケ』が気になって来たのか?」

 この日、草薙が部下達を引き連れてこの佐渡島要塞を訪れたのは、明日から2日間の日程で実施される、帝国軍と在日国連軍が合同で行う冬季大演習に参加する為であった。
 この冬季大演習は昨年初めて実施され、今後も例年実施される予定となっており、今回はその2回目となる。
 国連軍横浜基地所属の第四計画直属部隊から新戦術を学ぶと共に、帝国軍がその熟練度を披露するという目的で実施される演習である。

 現在の帝国に於ける最前線でもある佐渡島要塞で行われる理由は、復興の進む帝国に於いて佐渡島の復興が凍結されており、島全域が演習場として使用できる事。
 そして何よりも、本物の『地下茎構造(スタブ)』を使用したハイヴ攻略演習が行える為であった。

 この時点で、甲22号、甲21号、1号、20号、26号、12号、09号と7つのハイヴを人類は陥落させてはいたが、未だ残存するハイヴは多数に上り(のぼり)、人類は大陸奪還に向けての橋頭保を、ようやく確保しつつある状況に過ぎなかった。
 国際支援を掲げ、ハイヴ攻略作戦への戦術機甲部隊派遣を欠かさず行っている帝国軍にとっても、ハイヴ攻略戦術の研究はその重要性を未だ低下させてはいなかった。

 斯くして、京都要塞に駐留していた草薙直率の帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊第1大隊所属の将兵達は、総出でこの京都要塞へとやってきたのである。
 1人の『オマケ』―――便乗者を伴って。

「ええ、まあ。
 表向きの召喚理由の他にも、ちょっとありまして。」

 わざわざ出迎えに来た真の目的は、便乗者の方であると悪びれる事も無く認め、武はあっさりと頷く。
 そして、何やら思わせぶりな物言いをしたが、草薙もまたあっさりと首肯して納得する。

「―――ああ、あっちの件か。葵や葉子から事情は大体聞いている。
 とは言え、表向きの理由―――嵐山の植樹実験の方も気になるな。
 私も幼い頃は京都住まいだったんでね。」

 そう言って、何かを懐かしむ様な視線を宙に投げかけた草薙だったが、直ぐに視線を周囲に経巡らせ、武が目的とする人物を探す。

「さて、竜崎か緑川が一緒だと思うんだが…………ああ、あそこに居た。
 おい、竜崎! 男の方の緑川中尉をこちらに連れて来い。
 白銀中佐がお探しだ。
 他の者は、速やかに割り当てられた兵舎へと移動しろっ! もたもたするなよ。」

 草薙の声に、やや離れた一角に居た女性衛士2人と男性衛士1人が連れ立って歩み寄って来る。
 他の衛士等は草薙の一喝により、きびきびとした動作で移動を開始した。
 やがて、武と草薙の間近までやってきた男性衛士は、姿勢を正し敬礼すると官姓名を名乗った。

「本土防衛軍第8師団第2連隊所属、緑川仁中尉であります!
 自律植樹システムの実証実験に関する報告と打ち合わせの為、参上致しました。」

 男性衛士は、美冴が予てより想いを寄せている仁であった。
 その背後では、行動を共にしていた竜崎大尉と蘭子―――仁の妹である緑川蘭子中尉―――の2人も武に向かって敬礼している。
 武は3人に対して答礼すると、仁に労いの言葉をかける。

「御苦労さまです、緑川中尉。
 畑違いの任務をお願いしてしまいましたが、あれは、今後の帝国やBETAより奪還の叶った諸国の復興には欠かせない重要な案件です。
 冬季合同演習の合間を縫って行う形となってしまいますが、宜しくお願いします。」

「ご丁寧なお言葉、恐縮であります。」

 武の言葉に、恐縮して却って畏まる仁だったが、背後の竜崎大尉と蘭子は笑みを浮かべて意味ありげに視線を合わせる。
 陽動支援部隊の衛士達は、A-01と交流する機会も多く、武の軍人にしては柔らかい言動に慣れている。

 ―――と、ここまでは真面目に言葉を交わしていた武だったが、何かに気付いたのか目を煌めかせると、厭味にならない程度の笑みを浮かべ、先程よりも更に砕けた口調で仁に話しかけた。

「―――とまあ、表向きの要件は、また時と場所を改めてって事で、ちょっと任務外でお願いしたい事があるんですよ、中尉。
 うちの隊の宗像美冴の件ですが、本気にしろそうでないにしろ、そろそろ白黒はっきり付けてやって貰えませんか?
 任務に支障をきたす様な事は無いんですが、上官としてあやふやなままにしおいて欲しくないんですよ。」

 その唐突な内容に、やや目を見開いてその真意を推し量ろうとする仁だったが、その視線を遮るかのように飛び込んで来た人影が声を発する。

「白銀中佐ッ! 何をなさっておいででしょうか!!」

 発した言葉自体は、軍律の許容範囲内ではあったが、その口調は上官に向かって発するには激し過ぎるものであった。
 それ故に、仁は動顛してしまう。

「美冴ちゃ――――宗像大尉? どうかなされましたか?」

 後ろ姿であろうと、決して見間違えはしない人物の乱入と乱行に、仁は私的な口調を慌てて公的な口調へと改めて呼びかけた。
 しかし、その呼びかけは武の発した問いによって打ち消されてしまう。

「何か急用ですか? 宗像大尉。
 そちらの緑川中尉と話している最中だったんですけど。」

 武の言葉は、部下の態度を責める所か、その事情を斟酌し案ずる様なものであった為、仁は心中で胸を撫で下ろした。
 一方、乱入した美冴の方は、仁を守るかの如くに武との間に割って入った位置を横へとずらし、慇懃無礼半歩手前の口調で武の問いに応じた。

「―――それは失礼いたしました。
 では、お話が終わるまで、お傍で待たせていただきます。」

 その視線は言外に、仁に対して下手な事はさせないとあからさまに語っている。
 常にクールを装い、その真意を悟らせない美冴らしからぬ態度であった。

「それは―――まあ、いいか。
 草薙大佐が人払いをしてくれたようだし、何時もの調子で構いませんよ、宗像大尉。」

 そんな美冴の態度に、首を竦めた武はなにか反論しかけて止めると、一応人目を気にして最低限の軍律に則った言動をする美冴に、気遣い無用だと告げた。

「そうか、それは有難いな。
 では聞くが白銀。貴様仁さんに何の話をしていた?」

 武の許可を受けて、隊内での日常的な物言いに改めた美冴だったが、それを聞いた仁は眼を丸くしている。
 それは到底、大尉が中佐に対して行う物言いではなかったからだ。
 しかも相手は只の中佐ではない。
 国土奪還の立役者であり、将官はおろか、畏れ多くも政威大将軍殿下までもが親しく声をおかけになる人物である。

「ちょっとしたお願いをしただけですよ、宗像大尉。
 で、返事を頂けますか? 緑川仁中尉。」

 しかし、武は当たり前の様に美冴の言葉を受け止めると、その詰問を軽くいなして仁へと先程の要望への応えを要求した。
 目を丸くして、自身の良く知る人物である筈の美冴と、その上官である筈の武のやり取りを傍観していた仁だったが、武に話を振られると、暫し目を細めて熟考した。
 そして、礼を失しない程度の時間で考えをまとめると、小さく呟いた後に視線を武へと真っ直ぐに据えて返答した。

「―――なるほど、どうやらお膳立てを整えていただいた様ですね。
 では、白銀中佐。行動を以って返事に代えさせて頂きます。」

 そして、一歩前に進み出ると身体の向きを変え、美冴を正面にしてその双眸へと真っ直ぐに視線を向けて言葉を発する。

「美冴ちゃん―――君が好きだ。
 僕と婚約して欲しい。
 任務上、直ぐに結婚は出来ないだろうからね。
 受けて貰えるかな?」

「―――受けますッ! 勿論お受けします、仁さん!!」

 温厚で慎重な常に似合わぬ、単刀直入な仁の告白に、強い衝撃を受けた美冴はぐらりと姿勢を揺らしながらも、脊髄反射でその告白に応えていた。
 多少状況や言葉が異なりはしても、長年夢にまで願ってきた仁からの告白である、例え意識が朦朧としていたとしても、ちゃんと応じる自信を美冴は抱いていた―――例え、事実ではなかったとしても。

「ありがとう。受けてくれて嬉しいよ、美冴ちゃん。」
「おめでとう! 美冴、仁。」
「良かったですわね、美冴さん。」

 そして、即答で了承を得る事が叶った仁は、笑顔を浮かべて美冴に礼を告げる。
 一部始終を目撃した竜崎大尉と蘭子も、口々に祝いの言葉をかける。
 しかし、既にこの時点で、美冴の意識は現実から遊離しかけていた。
 そして、その朦朧とした意識の最中、美冴の朱唇から音が漏れる。

「ゆ…………」

「ゆ?」

 その短音節を聞き止めた仁が優しく問い返すと、視線を宙に彷徨わせながら美冴はポツリと呟きを零す。

「夢みたい………………」

 そして、その言葉を最後に、以降暫くの間、美冴は誰が話しかけても反応しなくなってしまうのであった―――



 ―――その後、みちるや水月、祷子らを筆頭に、A-01の古参衛士が揃ってやって来ると、ようやく思考力を取り戻し、自身の醜態に頬を染める美冴を、竜崎大尉や蘭子、草薙らも交えて弄り倒し始めた。
 その様子をやや離れて眺めながら、武と仁は言葉を交わしている。

「本当に、お手数をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。白銀中佐。
 今回の件は、やはり嵐山の時のボイスレコーダーの記録からですか?」

 武に対して、深々と一礼した仁がそう問いを発すると、武は少し目を見張り、悪戯のばれた子供の様に照れくさそうな笑みを浮かべた。

「あー、それもあるんですけど、それ以前に自律植樹を担当していた『満潮』の映像記録に、お2人が所々映ってたんですよ―――」

 そう前置きをしてから、武は説明を始めた。
 美冴が仁へと嵐山自律植樹実証試験の引き継ぎを終え、横浜基地へと帰還した後、半日に亘って自律植樹を行った『満潮』全機のデータを武は検証した。
 そのデータには機体の各種ステータスと共に、植樹中の周辺画像の映像が高精度で記録されていたのだ。

 それらは、データリンクによって専用の大容量記憶媒体へと記録されており、その1つを美冴が横浜基地へと持ち帰っていたのである。
 因みに、今回佐渡島要塞を訪っている仁は、幾つもの大容量記憶媒体へと圧縮記録された、自律植樹実証実験のデータを持ち寄っている。
 そして、美冴が持ち帰った半日分とは言え莫大なデータを、00ユニットの処理能力に任せて全て閲覧した武は、複数の『満潮』の映像を統合した結果、長時間に亘って美冴が殆ど呆然自失していた事に気付いたのである。

 オルタネイティヴ4直属の要員が、被戦闘任務とは言え長時間自失すると言う事態は、防諜面から看過し得ない事態であった為、武はすぐさま美冴の装着していた衛士強化装備のボイスレコーダーを解析した。
 自律植樹システムの管制方法は、対BETA戦術構想装備群の遠隔運用システムをそのまま転用した物であった為、それらの管制用と万一の事故に備えた安全確保の為に、美冴と仁が衛士強化装備を装着していた事は、武にとって僥倖であった。
 そして、その結果判明した事実に、武は激しい脱力感を感じずにはいられなかったのだが、同時にそれを看過する事も出来なかった。

 ボイスレコーダーを解析した結果再現された仁の発言から、美冴が今までに幾度にも亘って、仁の告白をふいにし続けて来たであろう事が、容易に察せられたからである。
 こと恋愛事情に関しては自身の判断に自信が持てない武は、この件をみちるに相談する事にした。
 その結果、みちるが下した判断は、早期に何らかの手を打って、2人を結び付けるべきだと言うやや性急なものであった。
 この判断を下すに当たり、みちるの脳裏に、この年の年頭に期せずして知ってしまった、自身の思い人である正樹の女性遍歴の事例が過った事が、多大な影響を及ぼしたであろう事は想像に難くない。

 何れにせよ、みちるの判断に後押しされた武は、美冴を介して幾らかの面識がある竜崎大尉と蘭子に連絡を取った。
 そして、事情を説明すると、美冴と仁の2人を良く知る竜崎大尉と蘭子は、多少意外ではあるもののあり得ない話ではないとの見解を述べ、美冴と仁を結びつけようと言う武の計画に賛同したのである。

 斯くして、冬季大演習を好機として計画を実行に移し、こうして無事成功を修めるに至ったという次第を、武は機密に関する部分をぼかしつつも、仁に対して語った。

「―――て事で、竜崎大尉と緑川蘭子中尉にもご協力いただいた訳です。」

「竜崎にお蘭まで絡んでいたとは……
 しかし、竜崎とお蘭から話には聞いていましたが、白銀中佐は本当に部下思いでいらっしゃるようですね。
 今回も美冴ちゃんと僕に対して配慮していただき、感謝の言葉もありません。」

 武の説明に竜崎大尉と蘭子の関与を知り、唸り声を上げた仁だったが、続けて武の配慮に対する謝辞を述べる。
 その言葉遣いは、武の懇願によりやや砕けた私的なものへと変わっている。
 武のこの辺りの気性についても、恐らくは竜崎大尉や蘭子から聞き及んでいたのだろう。
 尤も、先程の美冴の言動に対する驚きようからすると、話し半分に聞いていたのであろうが。

「竜崎大尉と緑川中尉からですか?
 宗像大尉からは、なにも?」

「ええ。以前からの癖が抜けないのか、隊の内情に関しては、美冴ちゃんは殆ど何も話しませんから。」

 ふとした問いに対する仁の応えに、A-01が機密指定されていた頃の箝口令を思い出して、武は納得した。
 また、同時に、思い人との語らいに、上司とは言え他の男の話をする程、美冴は無粋ではないだろうという事に武は思い至り、詮無い事を聞いてしまったと内心で羞恥に身悶えする。
 すると、外見上は急に押し黙ってしまった武に、何を感じたのか仁が口を開く。

「正直に白状すれば、ボイスレコーダーから僕と美冴ちゃんの会話が漏れる事は念頭にあったんです。
 その結果として、何らかの状況変化を期待していなかったと言えば、嘘になるでしょうね。
 まさか、此処まで直截的な動きがあるとは思っても居ませんでしたが。」

 武の沈黙が何らかの不審を抱いたが故と思ったのであろうか、自身の他力本願な考えの一端を、仁は武に明かす。
 その言葉に、内面世界より帰還した武は、瞬時に聴覚の一時入力の記録から仁の発言を拾い上げ、その内容に納得して言葉を返す。

「―――なるほど、そう言う事でしたか。
 妙だとは思ってたんですよね。
 2人切りで過ごせるように計らっておいてなんですけど、緑川中尉―――仁さんは任務中に告白までする様な為人とは思えなかったんですよ。
 そこだけは疑問だったんですけど、そういうことなら納得がいきます。
 ボイスレコーダーから、間接的に告白の事実が宗像大尉の耳に入る事を期待したってところですか?」

 仁の発言から、武が仁の考えを再構築して見せるが、仁は苦笑を浮かべて、そこまで理路整然と考えていた訳ではないのだと弁明する。

「そこまで計画的にやった訳じゃありませんよ?
 荒れ果てて、往年の姿は影も形も無くなってしまった無残な風景とはいえ、美冴ちゃんと2人切りの時間を嵐山で過ごして、多少なりとも感傷的になっていたのも事実なんですから。
 その感傷に流されて、ばれても良いから告白してしまおう―――そんな風に踏ん切りを付けただけです。
 その影響については、後から考えて覚悟を決めていただけなんですよ。」

 そう言って、一旦言葉を切った仁は、少し恥入るようにポツリと告げた。

「―――実は、あの嵐山は、初めて僕が美冴ちゃんに告白した場所なんです。だからつい―――」

 武と仁の2人の視線の先で、仲間達の祝福と言う名のからかいを受けている美冴は、幸せそうに笑っていた。



 ―――幸いにして、仁がこれまで清廉に身を処してきた事により、美冴はそのような事態に巻き込まれる事は無かったが、この年の春以降に結ばれ婚約を発表したカップルの内、少なからぬ数がちょっとした珍騒動に巻き込まれる事となった。
 その珍騒動とは、婚約したカップルに対してそれまでの恋敵であった者達が、『拡大婚姻法』の適用を懇願するというものであり、後年に至っては婚約後の試練―――通過儀礼として広く認知される事となる。




[3277] 第131話 アヴェ・マリア
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/03/29 17:18

第131話 アヴェ・マリア

2004年04月08日(木)
 09時54分、国連軍横浜基地の第2ブリーフィングルームでは、シミュレーション演習中に急遽招集されたA-01連隊2001年在籍の古参―――通称『イスミ・ヴァルキリーズ』の18名が、衛士強化装備を装着したままの姿で勢揃いしていた。

「悪かったわね~、訓練中に呼びだしちゃって。
 伊隅、若手の訓練の方は大丈夫~?」

 そして、彼女等を前にして壇上に立ち、そう語りかけるのは夕呼であり、やや離れてはいるものの、その脇には何時もの如くピアティフが控えていた。
 ここまでは、武がA-01の指揮官となって以来減少傾向にあるとは言え、『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々にとっては馴染み深いブリーフィングの風景ではある。
 しかし、この日は更に2人、霞と純夏が同席していた。

 事前の連絡もなく突如招集された事により、何らかの緊急任務が言い渡されるのではないかと、『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々は緊張感も露わに急ぎ参集して来た。
 しかし、幾度も戦場を共にしたオルタネイティヴ4直属要員である霞はともかく、非戦闘要員である純夏までもが居合わせるとなると、招集理由が皆目思い当たらなくなってしまい、少なからぬ困惑を感じざるを得ない。
 しかし、その様な困惑は瞬時に棚上げし、みちるは夕呼に対して簡潔な応えを以って応じた。

「はっ、問題ありません副司令。
 訓練中の部下達には、部隊上層部が壊滅状態に陥ったとの想定の上で、残存兵力を以って反応炉破壊を完遂せよという演習を与えてきましたので。」

 A-01は、ハイヴ攻略作戦に於いて突入部隊となり、幾度にも亘って反応炉の破壊を完遂してきた。
 しかし、オリジナルハイヴ攻略にも参加した古参である18名がこの場に居る以上、訓練を続行しているのは2002年度以降に任官した25名のみ。
 人数こそ現時点でのA-01構成人員44名の半数を超えてはいるものの、その内実は任官1~2年の経験が不足している者ばかり。
 その上、小隊長すら存在しない指揮系統の破綻した状況下で、ハイヴ突入を続行し反応炉破壊を完遂するのはさぞや困難であろう。
 表情こそ全く変えはしなかったものの、夕呼譲りの過酷な試練を部下に平然と課すみちるに、ピアティフは内心でA-01の若手に同情を禁じ得なかった。

「ふ~ん、なかなか楽しそうな課題じゃないの。
 最近、楽な作戦ばかりだったから、気が緩まないようにそういう奴もどんどんやんなさい。
 私が許すわ!」

 しかし、そのようなピアティフの内心を知ってか知らないでか、夕呼は実に楽しげににんまりと笑うと、みちるに対して過酷な訓練を推奨して見せる。
 それを受けるみちるもまた、片頬を吊り上げるどこか妖しげな笑みを以てして応じる。

「はっ! 我が隊に相応しい衛士となる様、精々扱いてやります。
 …………ところで、副司令、僭越ながらそろそろ本日召集された理由をご説明願えないでしょうか?」

 それでも、やはり招集理由は気にかかっていたようで、みちるは慎重にではあったが夕呼に説明を請う。
 それに夕呼が応じようとしたその時、ピアティフが控えめな、しかしはっきりと聞き取れる音量で言葉を発した。

「副司令、始まるようです。」

「あら、良いタイミングじゃない。ピアティフ、回線開いて。
 ―――あんた達、まずはこれを見なさい。」

 そう言って夕呼が指し示したのは、TVの報道番組が映し出されたスクリーンであった。
 そこには城内相臨時記者会見とのテロップが表示されており、一同の視線が集中する画面の中で城内相が重々しく口を開いた。

「本日、重大かつ大変喜ばしき発表を成すに当たり、小職は慶賀これに極まれりと存ずるものであります。
 ―――政威大将軍、煌武院悠陽殿下が、この度目出度くも御懐妊なされました。」

 城内相がそう言い止して(いいさして)視線を巡らせると、暫しの沈黙の後、画面の内と外で驚愕の叫びが爆発した。
 そんな、慌てふためく『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々を見渡し、夕呼は悪戯に成功したかの如くに満足気な笑みを浮かべる。
 そして、視聴者の驚愕の波が引く頃を見計らって、城内相は言葉を継いだ。

「昨年末、殿下に置かれましては、清らかな身であらせられるまま、体外受精によって御子を身籠られ、昨日行われた医師の検診により、安定期に入られた事が確認されるに至りました。
 これを受け、殿下は御懐妊の事実を広く知らしめると共に、昨年施行された『独身出産並びに育児支援法』に基づいて妊娠出産を成される事を明らかにされ、合わせて国民へのメッセージを小職に託されませした。」

 城内相はここでまた僅かに言葉を止め、聞く者の理解が及ぶのを待って言葉を続ける。

「殿下にあらせられましては、同法並びに『拡大婚姻法』による独身者及び多夫妻の間に儲けられし子らは、先の凄惨な戦いによって失われし国民らに代わり、今まさに復興の途に着きし帝国の、その未来を担う国の宝であると仰せられました。
 また、それ故に、従来の慣習から外れた子らとその親権者に対しても、等しく見守り共に育んでいく社会足らん事を望むとの御言葉でありました。
 尚、殿下は、御出産の前後、僅かな期間を除き政務を御続けになられるとも仰せられ、今日現在、母子共に健やかにお過ごしであらせられます。」

「ピアティフ、もういいわ。」

 ピアティフに声をかけて映像を消させると、夕呼は実験結果を見定める科学者の目で観察を始める。
 夕呼とピアティフを除くその場に居集められた20名の女性達は、今耳にしたばかりの衝撃的な事実に各々思いを巡らせていた。

(へー、悠陽殿下がおめでたか~。
 子供のお父さんて誰なんだろ~。独身うんたら法ってどんな法律だっけ?)

 然程重大な事とも思わず、単純に悠陽の出産に感心しつつ、間の抜けた思考を弄ぶ純夏。
 そんな純夏に呆れる事も無く、霞は淡々と『独身出産並びに育児支援法』に関する解説を始める。

(うわ~、殿下、お母さんになられるんだ~。
 凄いな~、ミキと同い年だなんてとても思えないよ~。)

(う~ん、赤ん坊か~、可愛いだろうな~。
 僕も早くタケルの赤ちゃん産みたいなあ…………)

 壬姫は見開いた大きな両目を憧憬で揺らし、その隣では、瞳をキラキラと光らせた美琴が、身体をくねらせながら妄想の世界へと駆け上がって行く。

(殿下は、御自身の身を以って、独身出産者とその子供の立場を向上させようとされたのね。
 まだ、二十歳(はたち)になられたばかりだと言うのに…………)

(……これで、片親で生まれて来る子供への偏見が減るね。
 殿下、ナイス!)

 一方、千鶴は悠陽が独身出産と言う手段を選択した理由について想いを巡らし、彩峰はその影響によって救われるであろう子供達を想う。
 2人とも似たような事を考えていた訳だが、互いに言葉に出さなかったが為に気付く事は無かった。

(そうか、姉上は煌武院の血統を残すと言う勤めを、早くも果たされようというのか。
 しかも、新法の適用を受ける事で、様々な思惑の絡む夫の選定を回避されるとは。
 お見事です、姉上。
 しかし、御子の血統上の父親は一体どなたが―――ッ! まさか姉上…………)

 そして、腕組みをした冥夜は頻りに頷きながらも、悠陽を内心で讃えていた。
 しかし、何に思い至ったのか顔色を変えると、目を細め鋭い視線を虚空に放ち、真剣な表情で黙考し始める。
 だが、其処で投じられた夕呼の声が、その思索を打ち破り、雲散霧消させてしまった。

「はいはい、そこまで!
 訓練を中断させてまであんた達を呼んだのは、この会見発表を見させた上で、言っときたい事があったからよ。
 だから、まずはあたしの言う事を聞きなさい。いいわね?」

 その声に、妄想に突入していた美琴も現実へと復帰し、全員が夕呼の話を傾注する態勢を取る。
 それを満足気に見渡して、夕呼は再び口を開いた。

「あんた達と殆ど年の変わらない殿下が御懐妊と聞いて、色々と焦ったりするかもしれないけど、あんた達にはまだまだ働いて貰わなきゃなんないよね~。
 だから、せめて地球奪還の目途が付くまでは、出産は諦めてちょうだい。
 あ、鑑は別に産みたきゃ産んでも構わないけど、そん時の相手は白銀以外に限らせて貰うからそのつもりでね~。」
「あ、あたしはタケルちゃん以外の子供なんて、ぜぇ~ったい産まないもんね~っ!」

 打てば響く様に、間をおかずに即答した純夏に対し、夕呼は吠えたてる子犬でも宥める様に片手を翳すと話を続けた。
 その態度に、不満げに頬を膨らませたものの、逆らっても碌な事にはならないと思い、純夏は大人しく口を閉ざす。

「はいはい。それなら、鑑も我慢組みね~。
 まあ、その代わりっちゃあなんだけど、もし男を捕まえ損なって行き遅れそうになったらば、あたしのとこに来なさい。
 あんた達になら、活きの良い精子(たね)を調達してやんないでもないわよ~。」

 サラっと軽い口調で言われた夕呼の言葉であったが、その場に居合わせた何人かが即座に顔色を変える。
 それら数人は、真意を探るようにして夕呼を窺うが、それを察していながらも、夕呼は素知らぬ様子で妖しげな笑みを湛えるばかりであった。

「―――しッ、質問がありますッ!!
 女性同士のDNAから受精卵は出来ませんかッ?!」

 そこに突然上がった叫び声に、発言者へと本人を除く全員の視線が集まる。
 問いかけられた夕呼は、不規則発言を叱責するでもなく、その笑みを濃くしてからかうように言葉を返した。

「あら、築地ぃ。興味あるの~?
 それなら、医療部のモトコ姉さんのとこに行ってみると良いわ。
 案外、なんとかなるかもよ~?」

 その応えに瞬間沸騰機よろしく、瞬時に沸点を突破した多恵は、顔を真っ赤にして今にも鼻血を吹きだしそうな様相となり、訛りだか濁りだか解からない様な口調で妄想を垂れ流す。

「ほっ、本当ですかっ?!
 あ、あがねぢゃんどあだじのごども゛! あがねぢゃんどッ!!」
「多恵ッ! 落ち着きなさいよ、多恵ッ!! 多恵ってばッ!!!」

 そんな多恵を、こちらも顔を赤く染めながら、大慌てで取り押さえようとする茜。
 そんな2人の様子に、周囲に笑いの輪が広がった。
 尤も、一部の人間は多恵の直截な発言に触発され、自身の妄想へと突入したりしていたが。

 そして、この騒動は夕呼を十分に楽しませたようで、朗らかな笑声を上げると、上機嫌で付け足しの様な言葉を発する。
 しかし、夕呼の双眸に鋭い光が宿っていた事に、みちるを初めとするA-01上層部の数人は、しっかりと気付いていた。
 それ故に、夕呼の言葉を一言一句聞き逃さぬよう、耳を傍立てて注意深く傾聴する。

「あっはっは! 築地ってば、ほんと愉快ねえ。
 あ、それから一応釘刺しとくけど、『独身出産並びに育児支援法』適用産児の血縁上の父親に関しては、公開されないし詮索無用だからそのつもりでね。
 噂話に踊らされたり、根拠の無い憶測を巡らしたりしないようにすんのよ。解かった?
 ―――じゃ、これで解散! 伊隅、あんた達は訓練に戻って良いわよ~。おつかれ~。」

 最後にそう言うと、夕呼はピアティフを引き連れてブリーフィングルームを退出してしまった。
 何名か妄想の世界に突入してしまっていたのを叱咤して、みちるは部下達をシミュレーターデッキへと追い立てていく。
 たが、その際みちるは、純夏を案じる様な、意味ありげな視線を投げる。

 しかし、能天気な笑顔を浮かべて、霞と言葉を交わす純夏がその視線に気づく事はなかった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

 10時08分、帝都城に設けられた斯衛軍総司令部内の一室では、武が悠陽と内密に面会を果たしていた。

「良く来てくれましたね白銀。
 急に呼び立ててしまい、すまぬ事をしました。」

 穏やかな笑みを浮かべ、そう語りかけて武を迎えた悠陽に、ついその腹部へと視線を投げてしまった武であったが、慌てて姿勢を正して言葉を返した。

「いえ、大した事はありませんから、お気遣いなく。
 それに、斯衛軍と打ち合わせ事項があったのも事実ですから…………」

 しかし、目聡く武の視線の行方に気付いた悠陽は、含み笑いを漏らしてやんわりと告げる。

「ふふふ……どうやら、私の事情については香月博士から聞き及んでいるようですね。」

「あ、はい。この度は御懐妊おめでとうございます。
 香月副司令からも、無事御懐妊された事、慶賀の至りですとの言伝を託されております。」

 悠陽の言葉に、ようやく思い出したように祝いの言葉を述べる武。

「そうですか。香月博士にもわたくしが感謝していたと伝えて下さい。
 ―――さて、こうして他愛もない言葉を交わすのも楽しいものですが、恐らく今頃は城内相の会見で大騒ぎとなっている筈。
 大事ないとは思いますが、手短に用件を済ませた方が望ましいのでしょうね。
 さすれば紅蓮、少々席を外すが良い。」

 武と夕呼の祝意に謝意を示すと、悠陽は時間的余裕が然程無いと告げて、紅蓮に退出を促す。

「―――御意。」

 その言葉に、事前に打ち合わせてあった事柄であったのか、言葉短く応えると紅蓮は即座に退出していく。
 その間際に武に向けた紅蓮の一瞥に、なにやらこの後の展開に期待するかの如き輝きがあったのだが、武は気付く事が出来なかった。
 そして、突然悠陽と2人で部屋に残される事となった武は、動揺を露わにして悠陽に仔細を尋ねる。

「え? なんで紅蓮大将まで席を…………殿下? これは一体……」

「白銀、そなたを見込んで、内々に頼みたき仕儀があるのです。
 どうか私の願いを叶えてはくれぬでしょうか?」

 そんな武に、真剣な眼差しを向けた悠陽は、武に折り入って頼みがあると告げる。
 それに対して、武は了承の意を示すものの、急な事態の展開に不審を抱き、その語尾は不確かなものとなった。

「―――私に成し得る事であれば、勿論お受けしますが……」
「良くぞ申しました。その言葉に二言はありませんね?
 では、わたくしの願いを申しましょう。」

 だが、仔細構わず、悠陽は武の言質を取ると、即座に本題を切りだす姿勢を見せる。
 その手口に、武の不安は弥増して行く。

「そなたも知っての通り、此度私は子を身籠りました。
 天より授かりし子ではなく、わたくしの一存により宿した子です。
 亡国一歩手前であった国難を乗り越えたとは言え、そして、今後この国を復興するに当たって必要と信じて断行した政策とは言え、やはりこうして夫無くして身籠った1人の母の身となってみれば、また別段の想いも湧いてくるのです。」

 しかし、滔々と語り始めた悠陽の表情が、次第に悩ましげなものへと変化していくのを目の当たりにすると、武の想いは悠陽を案ずるものへと塗り替えられていく。

「己が一身に帰する我が子への責務。
 己が選択が故とは言え、共に子の誕生を望み支えてくれる殿方を欠いている事への不安。
 よもや子を宿すと言う事が、これ程までに心を掻き乱すとは思いもよらぬ事でした。」

 悠陽の語る心情に、武は痛ましげな表情で言葉を漏らす。

「殿下…………」

 武の声に、幾らか気を取り直したのか、伏し目がちとなっていた視線を戻し、悠陽は毅然とした態度で言葉を続ける。

「無論、わたくしは自身の選択を後悔してはおりません。
 また、わたくしには多くの者達が侍り、日々何くれとなく心を砕いてくれている事も承知しております。
 それ故に、わたくしが心細く思う必要などないと言う事も、十分に弁えてはいるのです。
 されど、それでも尚、この心の何処かしらが満たされぬまま、寒風の吹き荒ぶが如き寒々しい想いを封じ得ないのです。」

 そして、自らの心境を明かし終えると、悠陽は真っ直ぐな眼差しを武へと向けて、本題である願いについて述べる。
 その願いとは―――

「そこで白銀。筋違いである事は承知の上で、そなたに是が非でも頼みたき仕儀についてですが。
 ―――1人の殿方として、政威大将軍でも何でもない、只の年若き母に過ぎないわたくしに対して、身籠った子の父に成り代わって、励ましの言葉をかけては貰えぬでしょうか?」

「………………………………え?」

 ―――悠陽の語った願いの内容に、武の思考の全てが凍り付き、間の抜けた声だけが口から押し出された。

「え? ではありません!
 わたくしとて、この様な願いを告げるに当たっては、恥じらいを堪えて申しているのですよ?
 さあ、紅蓮さえも下がらせた以上は、この場での会話を耳にする者は居りません。
 わたくしとお腹の中の子を救うと思って、どうか励まして下さいませ。」

 そんな武に態勢を立て直す間を与えじと、悠陽は武に願いを叶える様にと言葉を連ねる。
 それに押し流されそうになりながらも、武はなんとか反論を試みる。

「―――えっと、いや、でも、その…………な、なんだってオレなんですか?!
 幾らなんだって、他に相応しい人が―――」
「ほほほほほ……これは異な事を。
 白銀、そなたでさえそれほどに躊躇する行いを、そなた以外の、何処の誰が承知してくれるというのですか。
 そなたであればと、見込んでの願いなのですよ?」

 が、それも空しく即座に悠陽の上げた笑声に撥ね退けられ、一刀両断に斬り捨てられる。

「な、なんだか、褒められてる気がしないんですけど……」

 悠陽の言い様に、拗ねた様な言葉を返す武だったが、却ってその態度を以って良しとするかの如くに、悠陽は手を打って満足気な頷きを返す。

「そう、その様な口応えが出来る男(おのこ)であるからこそ、そなたを見込んで頼んでいるのです。
 さあ、白銀。一言で良いのです。
 どうか、元気な子を産んでくれと―――そう語りかけてはくれませぬか?
 この煌武院悠陽、達ての(たっての)願いです。」

 そして、更に悠陽に畳み込まれると、武は自棄になった様に声を荒げながらも、悠陽の願いを渋々ではあったが了承した。

「わかりました…………解かりましたよっ!
 そこまで言われてはお断りできませんから、不肖ながらお引き受けします!」

「真ですか? 白銀、そなたに万謝を―――
 では、早速……」

 そんな武の言葉に、目を見開いた悠陽は、武の気が変わらぬ内にと催促をする。
 期待に目を輝かせ、自身を真っ直ぐに見詰めて来る悠陽。
 その上気した顔(かんばせ)に己が鼓動が高まるのを感じながらも、武は踏ん切りが付かずに悪足掻きの時間稼ぎを試みる。

「それじゃあ……えっと、い、いきますよ?」
「はい。」

 しかし、悠陽の応え(いらえ)は、打てば響く様な寸暇も置かぬ諾の一言。
 更に押し込まれた様な心持となりながらも、武は更に足掻く。

「こ、心の準備は、その、出来てますか?」
「万全です。」

 しかし、それもまた即座に返されて頓挫した武は、直ぐには次の手も思い浮かばず言葉に窮する。

「じゃ、じゃあ…………」

「ふふっ……白銀、その様に緊張せずとも良いではありませんか。」

 だが、そんな武の様子に、柔らかな笑みを浮かべた悠陽は、武の緊張をほぐそうとやんわりと語りかけた。

「そ、そうですね、じゃあ、肩の力を抜いて、深呼吸して…………」

 その言葉に、ぶつぶつと独り言を呟きながら、大きく肩を上下させる武。
 そんな武を、悠陽は暖かな視線で急かす事無く楽しげに見守る。
 やがて、ようやく落ち着いたのか、武は顔を上げると、悠陽へと真摯な眼差しを注いで口を開いた。

「どうか、身体を労わって、元気な子を産んでくれ―――頼んだぜ、悠陽。」

 極々短い、しかし、万感の籠った言葉であった。
 予想外に真摯な想いの籠った武の言葉に、悠陽は言葉を失い、只々武へと真っ直ぐな視線を投じるのみとなる。
 そのまま、2人は言葉を失い、見つめ合ったままの時が過ぎゆく―――

「げ……」

「げ?」

 ―――そして、その静寂を打ち壊すかのように、ふと漏れた武の声に悠陽が首を傾げると、武は突然頭を抱えて身悶えし始めた。

「げ、限界! もう駄目、恥ずかし過ぎるッ!!
 なんの罰ゲームだよ、これ?!
 どっか変でしたか? だったらそうはっきり言葉にして言って下さい!
 な、何やらかしたんだ? オレ!!!」

 武の言葉に心打たれ、その余韻に浸っていた悠陽を、自身の言葉に呆れているのだと思い込んだ武は、羞恥に今にも床を転げまわらんばかりとなっていた。
 そんな武に、つい抑えきれずに噴き出してしまった悠陽は、それでも誤解を解こうと言葉を苦労して紡いでいく。

「ぷっ……くくく…………し、白銀……お、落ち着くのです。
 べ、別にそなたの物言いに障りがあった訳ではありません。
 思いの外真摯な言葉が聞けた故、つい余韻に浸ってしまっただけなのです。
 そ、そなたの言葉は、期待以上のものでした。なんら恥じる事はありません。」

「―――そ、そんなに笑いながら言われても、なんか納得いかないんですが……」

 悠陽がなんとか紡いだ言葉によって、自身の思い込みに過ぎないと一応は納得した武だったが、悠陽があまりに可笑しそうに笑う為に、すっかり拗ねてしまった声で不満を漏らした。
 それにより、期せずして武の気分を害してしまったと気付いた悠陽は、なんとか真面目な表情を取り繕うと、武に心の籠った謝辞を述べる。

「んんっ……いえ、誠に白銀には感謝しているのですよ?
 そなたのお陰で、わたくしの寒々しい想いはすっかりと解け失せてしまいました。
 これで、安心して出産に臨む事が叶いそうです。」

「―――本当ですか? 出産に臨めるって言っても、半年も先の事じゃないですか。」

 心底不安が払拭されたかの如くに陰りの無い悠陽の様子に、武は内心で安堵しながらも、敢えて疑わしげな言葉を発した。

「大丈夫ですよ、白銀。
 もし心細くなる時が訪れようと、先程の言葉を想い起こせばあっというまに不安はいずこかへと失せてしまう事でしょうから。」

 しかし、そんな武の疑念を即座に否定して見せる悠陽の笑顔は、如何にも嬉しげなものであった為、武も内心で胸を撫で下ろす。

「―――つまり、それほど面白かったって事ですね。
 はあ…………何れにしても、これで殿下の願いには沿う事が叶ったと言う事でよろしいですか?」

 それでも悠陽の言い様は、武にとっては不本意なものであった為、深い溜息を吐いた武だったが、続けて悠陽の望みが叶ったか否かを確認した。

「ええ、そなたには重ねて万謝を。
 ―――白銀、此度はわたくしの我がままに付き合わせてしまい、すまぬことをいたしました。
 この上、重ねて願うのも心苦しき仕儀ではありますが―――どうか、この子の生きる世が幸せなものとなる様、これからも尽力を願えるでしょうか?」

 それに莞爾と笑みを浮かべた悠陽は、重ねて謝辞を述べた後、武に子の将来を託すが如き言葉を告げる。
 しかし、武はその言葉を額面通りに受け取ると、言われるまでもないと即座に頷きを返すのであった。

「もちろんですよ、殿下。
 それは、オレ自身の願いでもありますからね。
 言われるまでもありません。殿下も政務に打ち込むあまり、無理をなさらないようにお気を付けください。」

 そんな武を微かな失笑を浮かべて見た悠陽だったが、大人しく同意して武を労うとそれとなく退室を促した。

「そうですね。精々身体を労わる事といたしましょう。
 白銀、本当に此度は大儀でありました。
 紅蓮が外で待って居りましょう。打ち合わせの方も万事よろしく頼みましたよ。」

「はい。お任せ下さい、殿下。
 それでは、これで下がらせていただきます。」

 悠陽の言葉に、武も一礼して部屋から下がっていく。
 その姿を見送り、閉まるドアが武の後ろ姿を隠すと、悠陽は右頬に繊手を当てて満足気な吐息を漏らした。

「………………冥夜から聞き及んでは居りましたが、誠に白銀には驚かされます。
 よもや、名を呼んで貰えるとは思いもよらぬ事でした。
 しかも、これほど胸が躍るとは…………
 冥夜、そして鑑―――この様な形で抜け駆けの如き行いを成した私ではありますが、そなたらの想いが叶う事も、心の底より願っておりますよ。」

 悠陽は、横浜の地に居るであろう冥夜と純夏へとそう語りかけると、ソファーに置かれたクッションへと手を伸ばす。
 そして、その下に隠されていた録音機を取り出すと、大事そうにその繊手でそっと包み込むのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2004年08月29日(日)

 22時07分、横浜基地B8フロアのまりもの部屋に、なにやらげっそりとした雰囲気のまりもと武の姿があった。

「ごめんね、白銀くん。
 私が映像をあちこちに配っちゃった所為で、こんな騒ぎになっちゃって……」

 すっかりとしょげた様子で謝るまりもに、現状に辟易としながらも、『元の世界群』でのまりもの姿を想起した武は、幾らかやる気を取り直した。
 責任感の強いまりもは自身の責任であるかのように謝っているが、現在の状況は必ずしもまりもの責任に帰するとは言い難いものである。
 ならば、まりもが気に病まずに済む様に取り計らおうと、武は気力を掻き集めると背筋を伸ばして座りなおした。

「そんなに気に病まないでくださいよ、まりもちゃん。
 別にまりもちゃんの所為じゃないんですから。」

 そう言って、まりもを励ましながらも、武は今回の事の起こりを思い返す。
 そもそもの事の発端は、今月の10日―――まりもの誕生日に合わせて実施された『207訓練小隊機動連携演習』の映像記録であった。

 今年度の夏季総戦技演習に合格し、晴れて戦術機操縦課程へと進んだ訓練兵に対し、武が5日間かけて3次元機動の粋を指導した。
 その総仕上げとして行われたのが、件の『207訓練小隊機動連携演習』である。

 映像は、廃墟と化した都市部と、ハイヴの『地下茎構造』を舞台とした2部構成であった。
 都市部の映像は、周囲を埋め尽くす仮想敵群(BETAの実像を秘匿する為の類似モデル)の中で、主脚走行や噴射跳躍、姿勢制御を駆使し、互いに援護しながら縦横無尽に陽動を果たす『吹雪』の1群が映し出されたもの。
 ハイヴの映像では、犇めく仮想敵群の合間を縫って、順序を入れ換えながらも停滞する事無く、1つの濁流の如き勢いで突進していく『吹雪』の1群が映し出されている。

 いずれも、地上と空中を頻繁に行き交いながら、時にはビルやハイヴの壁面を蹴り、宙返りや、空中での捻り等を加えた、複雑な機動を交えて、時には衝突しそうな程の近距離ですれ違いながら、目まぐるしい戦闘機動を展開していた。
 そして、このシミュレーター演習の記録映像を武が悪乗りして編集し、BGMに解説まで付けた物を記録媒体に保存した上で、プレゼント代わりにまりもへと贈ったのである。

 その出来栄えは中々に秀逸なものであり、米軍ならばいざ知らず、生真面目な戦技模範演習ばかり行う帝国軍では、まず見受けられない程に娯楽性の高い映像に仕上がっていた。
 これを見て大いに喜んだまりもは、武に複製作成の許可を取って、その映像を知り合いの帝国軍訓練教官らに送付した。
 日頃から鬼教官として振舞ってはいても、訓練兵達を我が子の様に思っているまりもにとって、その映像は誇らしいものであったのだろう。

 しかし、まりもはこの映像の持つ影響力を、過小に評価していた事が後日判明する事となった。
 そもそも、横浜基地衛士訓練学校は武の提唱した新衛士訓練課程の実証試験を行い、更には最も早く正式に導入した訓練校である。

 その導入年度は2002年であり、横浜基地以外では最も早期に導入した斯衛軍でさえ、試験導入が2002年、全面導入は翌2003年からであり、帝国陸軍及び本土防衛軍では今年ようやく全面導入されたばかりであった。
 その為、帝国陸軍の訓練校では、XM3に習熟した教官は未だに数が少なく、新衛士訓練課程の運用に関しても、試行錯誤を繰り返している様な状況だったのである。
 そこにもたらされた『207訓練小隊機動連携演習』の映像は、新衛士訓練課程の目指すべき到達点として評価され、まりもが映像を送付した教官達から、あっと言う間に噂が帝国陸軍全体へと広まったのである。

 まりもは、映像を送るに当たって、複製厳禁との申し送りも行っていた為、複製映像が乱造される事こそなかったものの、それが返って映像の希少性を高めてしまい、横浜基地への問い合わせが殺到する結果を招いてしまったのだ。
 更には、この話が帝国軍将校から在日国連軍を統括する立場にある、国連軍岩国基地の司令部にまで伝わる騒ぎへと発展してしまう。
 その結果、これまでは新衛士訓練課程の導入に消極的であり、オルタネイティヴ4に作戦投入部隊などに対する教導を一任し、丸投げしてきた太平洋方面第11軍の総司令部までもが興味を示し、新衛士訓練課程の実施データと主に当該映像の提出を求めて来た。

 更には、帝国情報省が摘発したソ連軍と繋がりがあると思われる工作員が、この映像を複製し所持していたという報告までもが寄せられ、こうして武とまりもが顔を合わせて対応策に頭を悩ませる事態となっていたのである。
 新衛士訓練課程の資料を総司令部に提出するのは止むを得ないとしても、映像が散逸しては卒業後にそのままA-01への任官が予定されている、訓練兵等の技量や癖などが訓練課程中の物とは言え露出してしまう事となる。
 それ故に、映像の公開に関しては、武もまりもも二の足を踏んでしまうのであった。

「それにしても、工作員が収集する程の価値が、本当にあるのかしら?」

 新衛士訓練課程を導入している、訓練校の教材としての価値ならば理解できるものの、諜報機関が非合法に入手を試みる程の価値があるのだろうかと、まりもが自問自答する様に述べる。
 演習に取り入れられている機動技術は、確かに武が開祖と言われる3次元機動の粋を集め組み合わせたものではある。

 武の3次元機動は、従来の戦術機用の戦闘機動の内、飛行中に行われる空戦機動(エア・コンバット・マニューバリング)とは一線を画すものである。
 従来の戦術機の戦闘機動は、地上戦では平面機動、空中戦では空戦機動が主体となり、その何れかを指向して行われる。
 噴射跳躍や噴射降下、水平噴射跳躍、噴射地表面滑走など、両者の中間に位置する機動もあるが、これらは主に、緊急離脱や、高速移動、空中戦と地上戦を移行する際に行うものであり、飽くまでも補助的なものに過ぎない。
 つまりは、空中戦用の機動と地上戦用の機動とに大別されており、それを状況に合わせて交互に行う事はあっても、両者を組み合わせて融合させたりはしていなかったのだ。

 しかし、武の3次元機動は地上戦に於いても、常に高度と言う要素を活用し、主脚走行と噴射跳躍、空中での軌道変更や姿勢制御等を縦横無尽に組み合わせ、『飛ぶ』でも『走る』でも『滑る』でもなく、『跳ね廻る』という表現が相応しい、平面機動に頻繁な高度変化を組み合わせ、3次元空間に拡大した新しい機動概念で構築されているのである。
 これにより、長時間の滞空を前提としないが故に、レーザー属種の存在する戦場に於いても、地表に縛られずに立体的な機動を可能とし、更には噴射跳躍ユニットの使用を断続的とする事で推進剤の消費量を軽減させているのである。

 この2つの特徴が、地上戦に於いてBETAとの乱戦の最中に、長期に亘ってBETA群の真っ只中で陽動し続ける事と、推進剤の補給が困難となるハイヴ突入戦に於いて、進攻速度の向上と推進剤の消費低減と言う二律背反する条件を並立させる事を可能としているのである。
 無論、従来OSで武の3次元機動を行う事は至難である為、現時点では、3次元機動の実行を補佐し容易にするXM3とセットで、ようやく各国軍に普及し始めたに過ぎない。
 A-01も各国へと出向して教導に務めているとは言え、現時点に於ける3次元機動の教材としては、件の演習映像は集大成と見做されるだけの価値は十分にあった。

 とは言え、それらの機動技術は、XM3教導に於いて積極的に指導している内容に過ぎないのである。
 それ故に、武もまりもも、映像の価値を計りかねていた。

「まあ、ソ連軍はXM3に拮抗できる戦術機用OSの開発に、血眼になっているって話も聞きますから、その資料として欲しかったのかもしれませんが……
 とは言え、『吹雪』を使ったシミュレーション演習の映像を入手したからって、どれだけ参考になるか解からないってのに、よっぽど切羽詰まってるんですかねえ?」

 それに対して、武がソ連軍の内情に関して言及するが、その武でさえ映像の価値に関しては疑念を抱いている。
 すると、武の言葉に頷きをかえしながら、まりもが思考の迷路を振り払うかのように、ややこれまでとは異なる方向へと話題を転じた。

「そうよねえ、こないだ搬入された新型機の映像とかだったら、まだ解かるのにね。
 ―――確か『朧月(ろうげつ)』って言ったわよね?」

「ええ。尤も、その名前は制式化された暁に付けられる予定なんで、今は愛称って扱いですけどね。
 けど、新型機って言っても、コンセプトはともかく、使われている技術は既存の物ばかりですよ? あれ。」

 その話題は、大分本筋とは異なる物ではあったが、問題となっている映像の価値を相対的に見詰め直す為には役に立つかと思い、武もその話題に応じた。
 まりもの言う新型機―――『朧月』とは、難航していた『不知火』に代わる帝国の次期主力機開発計画に割り込むようにして依頼された、オルタネイティヴ4計画実働任務機として開発された戦術機の事である。

 この機体は対BETA戦術構想に基づき、陽動支援機を主力とする各種自律装備群を遠隔運用する衛士の生残性を高める為に、武が『不知火・弐型』で用いられた技術情報を基に基礎設計を行い、要求仕様を定めたものである。
 既存技術を基に、『不知火・弐型』の内装パーツを極力共用出来る様にと設計されたこの機体だが、外装は完全な新規設計であり、従来の戦術機には見られない様々な特徴を有していた。

 『朧月』の何よりも特異な点は、新規に設計された六座型管制ユニット関連の改修部分である。
 六座型管制ユニット自体は、従来の複座型管制ユニットに比して高さと幅、全長が1.5倍程となった、逆三角形の断面を持つ筒状を基本とした形状へと改められている。
 その内部に納められるコネクトシートは、直列複座型管制ユニットと同様のシート配置を1セットとして、3セットが配置されている。
 中央下部後方に配置された1セット2基のコネクトシートを基準として、その左右斜め上方よりほぼシート一つ分だけ前方にずれた位置に、片側1セットずつ計4基のコネクトシートが配置されている。

 この管制ユニットの大型化に伴い、従来の戦術機で採用されていた胸部装甲隔壁内に格納される形式も改められ、管制ユニット自体が装甲ブロックを形成し、戦術機の胸部フレームの一部となり構造材としての強度をも担う事となった。
 また胸部形状も様変わりし、従来の先細りとなる胸部形状から、従来に比して左右に幅広く前方へと張り出す、やや扁平な形状へと改められた。

 管制ユニットの装甲ブロック化に伴い、従来の胸部装甲隔壁内に供えられたガイドレールに沿って、機体前方もしくは後方へと管制ユニットを射出するベイルアウト(緊急脱出)機構が廃止された。
 その代わりに、頭部および両肩のブロックを爆発ボルトによって強制パージする事で、管制ユニットを機体より離脱可能とするシステムを採用。
 それに合わせて、腰部から背部へと装着位置を改められ、搭載機数も2基から4基へと増やされた噴射跳躍ユニットを管制ユニットに装着し、推進機として使用する事で匍匐飛行にて戦場より退避可能とせしめた。

 この方式は、従来の戦術機の戦闘データから、緊急脱出の必要性が高まる以前の戦闘で受けた衝撃等により、胸部フレームが歪んでしまい、ベイルアウト機構が動作しないケースが多発していた事などから、ベイルアウト機構に代わる脱出機構として採用された。
 噴射跳躍ユニット自体が損傷を受ける事も少なくないが、4基の内2基が使用可能であれば、戦場離脱に要すると想定される短時間の匍匐飛行は十分可能であると想定されている上、緊急用ロケットモーターも装備されて万全を期している。

 また、4基に増設された噴射跳躍ユニットは、『不知火・弐型』では肩部装甲シールドと腰部装甲ブロックに搭載されているスラスターモジュールの代わりとして、機動性向上の役割も担っている。
 戦術機背部に、四角形の4つ角に相当する配置で2列2段に装着された噴射跳躍ユニットは、逆噴射機構も併用しながら自由度の高い推進軸4つからなる合成推力を発生する事により、高い機動性を確保するに至っている。

 次に挙げられる特徴としては、可能な限り軽減された装甲である。
 殊に、肩部装甲シールドは必要最低限にまで小型化され、従来の左右に大きく張り出したフォルムは肩部を覆う小型の楯の如き形状へと様変わりしている。
 また、脚部の装甲ブロックや格納モジュールも廃止し、重量を大幅に軽減していた。

 前腕部には65式近接戦闘短刀ではなく、『武御雷』に採用されている00式近接戦闘短刀を装備しており、それに伴って前腕部格納モジュールの形状も手甲型に改められた。
 そして、上腕部には副碗が新設されており、これは削減された装甲を補う為、新規に設計された多目的追加装甲を保持する役割を担っている。

 この多目的追加装甲は、本来の盾としての役割の他に、兵装格納庫、補助推進機構、機動補助モジュール、更にはスーパーカーボン製ブレードエッジまで備えており、近接格闘戦用兵装としての役割までも担っている。

 追加装甲の内側には兵装担架が備えられ、長刀または突撃砲を搭載可能としている。
 補助推進機構としては、ロケットモーターを上下両端付近に1基ずつ計2基搭載しており、端部回転モーメントの発生や、飛行時のアフターバーナーの代わりとして使用される。

 機動補助モジュールとしての用法も多岐に渡り、空力抵抗を利用した補助機体制御から、リフティングボディー形状を疑似的に形成して揚力を得たり、更には通常時格納されているカナード翼を展開しての空力学的な運動性向上までも達成する。
 それ以外にも、追加装甲の保持を副碗から主腕のマニピュレーターに切り替える事で、慣性質量を使用した姿勢制御にまで効力を発揮するのである。
 両主腕に1基ずつ保持したこの新型追加装甲と、4基の噴射跳躍ユニットを組み合わせる事で、『朧月』は機動性と装甲、兵装搭載能力を高い水準で保有可能としているのである。

 最後に、4基の噴射跳躍ユニットと装着位置を交換し、可動兵装担架は腰部へと移設されている。
 この兵装担架は、突撃砲の保持に特化しており、ほぼ全周への砲撃を可能としている。

 これらの新規設計が成された結果、『朧月』は胸部、肩部、脚部の形状が従来型戦術機と比べ、遥かに女性的で優美なラインを描く事となった。
 新型追加装甲を両主腕に装備した状態では、左右の大盾に守られた戦乙女とも見紛うシルエットとなる。

 搭乗者が複座型の2名から6名へと増加した事により、衛士の安全確保に1名を専念させて尚、5名が遠隔運用装備による戦闘行為を行える他、危急の際には機動制御と砲撃、周辺状況監視等を複数人で分担する事も可能である。
 更には、追加装甲が破損した場合の破棄や交換、更には追加装甲を放棄して機動性を高めた上での回避機動、最終的には機体を放棄して管制ユニットのみでの戦域離脱まで、衛士の生残性確保を最優先に考えられた機体であった。

 今までにないコンセプトや、運用方法、機体制御を行うアビオニクス等、機構やソフト的には新機軸も多いが、確かに使われている工学的技術は全て既存の物に過ぎない。

「見た目も随分と様変わりしてたけど、敵を殲滅するよりも搭乗者が生き残る為の機体よね。
 白銀くんらしいわ。
 ―――まあ、あれが白銀くんなりの、第四世代戦術機って事になるのかしらね。」

 将来的には横浜基地衛士訓練学校の課程に組み込まれる可能性が高い事から、まりもも『朧月』の情報に目を通している為、仕様を思い浮かべながら感慨深げにそう呟いた。
 しかし、武はきょとんとした表情を浮かべると、首を傾げながらまりもの言葉を否定する。

「え? 第四世代なんかじゃないですよ?
 飽くまでも第三世代機の遠隔管制特化型って位置付けで考えてるんですけど……」

「でも、帝国陸軍も『朧月』の採用に前向きなんでしょ?
 大体、試作機の試験中には、既に制式化が内定してたって話よね?
 前代未聞なんじゃないかしら……
 まあ、帝国陸軍は完全に陽動支援機運用戦術機甲部隊を、編制の基幹とする方向で配備計画を見直しているから、力を入れるのも解かるけど……」

 武の発案になる新型戦術機の開発は、当初はオルタネイティヴ4独自の装備調達計画に過ぎなかった。
 しかし、それを帝国の戦術機メーカーに持ち込んだ所、帝国陸軍次期主力機開発計画の停滞や、戦局好転から開発計画自体の見直しが取り沙汰される状況から、この新型戦術機開発計画の存在が帝国陸軍側へと伝えられるという事態を招いた。

 オルタネイティヴ4の装備調達は、基本的には誘致国である帝国が賄う事になっている為、武は開発計画の情報を少なくとも帝国軍に対しては機密指定しなかった。
 それ故にこの件は機密漏洩には問われなかったが、帝国メーカーの厚顔無恥な行いには武も苦笑するしかなかった。
 そして、結果からすると、帝国陸軍はこの新型機に大いに興味を示し、次期主力機の開発計画を先送りし、完成の暁には制式化して相応数を調達配備するとメーカーに通達したのである。

「でもそれは、国土復興に向けて帝国軍の人員を削減するに当たって、戦力を維持しながら要員数を減らせるからで……」

 往生際悪く、ぐだぐだと弁明を続ける武に、まりもは苦笑しながらも透かさず反論して追い込んでいく。
 なんやかやと、世界情勢に多大な影響を与えてきたにも拘らず、武と言う人間は自身の行いを過度に評価される事を嫌う。
 それは美点ともなってはいるが、もう少し世間の評価をきちんと弁えた方がよいとまりもは常々考えていた。
 そうすれば、武が今よりも更に、自身の存在を大事にする様になるのではないかと、まりもはそう希望を抱いていたのだ。

「諸外国―――殊にBETA占領下にあった国々でも事情は大体一緒でしょ?
 となれば、白銀くんの発案になる『朧月』のコンセプトが踏襲される可能性は高いわよ?
 そうなれば、そのコンセプトに合致する機体群が、第四世代と呼称される可能性は十分あるじゃないの。」

 武の対BETA戦術構想は、今となっては戦術機甲部隊を基幹とした諸兵科連合教義(コンバインド・アームズ・ドクトリン)と化しており、無人化された各種自律装備群を配備する事で、機甲部隊や砲撃部隊、更には輜重部隊、工兵部隊等の代替とする事も可能であった。
 その為、整備に関する要員こそ削減できないものの、戦術機甲部隊以外の戦闘部隊に於いても要員を削減する効果が十分期待出来たのである。
 そうして削減された人員が退役して民間へと戻る事で、人材が払底し脆弱化した社会構造を再生する、原動力となると考えられていた。

 また、6名の衛士に対して、1機の『朧月』を配備して済むのであれば、高価な機体であっても調達数を抑える事が可能となる。
 そして『朧月』―――高価な有人機を部隊の根幹とする事で、主戦力となる無人の自律装備群は、基本的に搭乗者の保護を考慮する必要が無くなり、比較的安価な装備で代替する事が出来るのである。

 これにより、ハイ・ロー・ミックス構想が成立する事となり、人員の削減と合わせて軍事費の節約にもつながり、復興用の予算へと転用する事が可能となる。
 それ故に、前線諸国は武の考案した六座型戦術機に多大な興味を示すだろうと、まりもは考えている。

「そんな、大それた事を考えてた訳じゃないんですけどね……
 でもまあ、それで戦死者が減るならいいか。」

 まりもに立て続けに論破され、とうとう武は白旗を上げた。
 実を言えば、まりもに指摘された内容は、武も新型戦術機の構想を立案した時点で、既に考慮済みの事項であった。
 いや、可能な限り有用な計画とする為に、意図的にそれらの利点を盛り込んでいたのである。

 それでも、武がこの計画を立案した根幹は、戦死者を可能な限り減らしたい一心であった為、謂わば付け足しに過ぎない利点を過度に評価されている様で、素直に認め難く感じていただけであった。
 そして、そんな武の気持ちを、まりもも薄々察してはいた。

「白銀くんは、戦死者を減らしたい一念だものね。」

 まりもの一言に、得たりと頷きを返し、真っ直ぐな視線を向ける武。
 そんな武に、まりもも笑顔を浮かべ、視線を合わせる事で応じた。
 武もまりもも、衛士の―――ひいては戦いに赴く全将兵の犠牲を減らしたいと、そう強く願い行動してきた。
 それは、2人を強く結びつけている共通点なのである。

 言葉を交わさずとも、十分に伝わる想いを、今、武とまりもは確かに分かち合っていた。
 ―――が、そこで突然まりもの部屋のドアが勢いよく開けられ、遠慮会釈の欠片も無い言葉と共に、乱入者が現れてその場の雰囲気を木っ端みじんに吹き飛ばしてしまう。

「まりもぉ~! 新作の仮縫いが出来たから、早速試着してちょうだいッ!
 ―――って、もしかして逢引の途中だった?
 気にせずに続けてもいいわよぉ~?」

 乱入者は、この国連軍横浜基地の副司令にして、国連直轄の極秘計画オルタネイティヴ4統括責任者である、香月夕呼博士その人であった。
 第一声を聞いた途端に、武は脱力して肩を落とす。
 しかし、まりもの方は直属上司であり、旧来の親友でもある夕呼の言葉に反応せずにはいられなかった。

「そんなんじゃないって、解かって言ってるでしょっ?!
 ていうか、夕呼あなた、また変な服を作ったの?
 いい加減にしてよ~……」

 元々、夕呼の奇行に付き合わされる事が多かったまりもだったが、昨年来、夕呼が奇天烈な衣装を手縫いで仕立てて来ては、それを着る様に強制して来るのに辟易としていた。
 その為、心底嫌そうに苦情を申し立てるまりもだったが、夕呼はそんなまりもの抗議には欠片も頓着しない。
 そして、机に広げられている、各方面からの要望を印刷した書類を一瞥すると、夕呼はあっさりと話題を変える。

「ああ、何の話してるかと思えばこれね……
 なに? まだ対応策決まって無かったの?」

 そして、呆れた様にそうのたまう夕呼に、武は困惑を隠さずに事情を説明する。

「それが……この映像の機密レベルをどうするか、判断に迷ってるんですよ。
 どうしても、そんなに価値の高い映像とも思えないんで……」

 しかし、武の言葉を聞いた夕呼は、悩みもせずに即答して見せる。

「そうねぇ……只公開するんじゃ詰まらないから、PXで販売したら?
 通信販売込みで。」

「え?! そんな扱いで良いんですか?
 工作員の収集情報にまで含まれてたのに?」

 自分とまりもが散々悩んでいた問題を、あっさりと解決された武は、半ば唖然として夕呼に確認を取る。
 しかし、夕呼は今度こそ呆れ返ったと言わんばかりの調子で、一刀両断に斬って捨てた。

「ああ。あれで引っかかってた訳?
 ばっかねぇ―――あんなの、あんた達オルタネイティヴ4実働部隊の戦功を過大評価して、例え爪の垢でも喉から手が出るほど欲しくなった、どっかの馬鹿どもが妄動しただけじゃないの。
 精々、個人名と顔さえ出ないように気を付けさえすれば、後は公開しちゃっても問題ないでしょ。
 大体、所詮訓練兵の演習に過ぎないじゃないの。あんた達、気にし過ぎよ。」

「そ、そうですか……」

 一方、自分達の苦労を気にし過ぎの一言で片づけられた武は、すっかりと気が抜けてしまう。
 そんな武を見て満足気な笑みを浮かべた夕呼は、この問題にちゃっちゃとけりを付けにかかる。

「はい、それじゃあこの件はそれで決定!
 PXの方にはあたしの方から話を通しといてあげるわ。
 じゃ、まりもは早速この服に着替えなさいっ!」

 そして夕呼は、自身が抱えて来た荷物を広げて、まりもにじりじりとにじり寄るのであった。
 壁際に追い詰められたまりもの眼前に、夕呼の両手によって広げられているのは、『元の世界群』に存在した格闘ゲームに登場する、吸血鬼キャラのコスチューム。
 露出度の高いレオタードに蝙蝠の羽を付けた様な、紫と黒をベースカラーとした衣装であった。

 半ば呆れ、半ば懐かしげにそんなまりもと夕呼の様子を眺めていた武に、夕呼がからかう様な声をかける。

「あら白銀、あんたまだ居たの?
 はは~ん、なるほど~。あんたも男だもんね~。
 白銀ぇ~、まりもの生着替え見たいなら、このまま見学してってもいいわよぉ~?」

 そんな夕呼の言葉に、武は飛び上がる様にして席を立ち、機敏な動作で脱出口となるドアの前へと速やかに移動する。

「い、いえっ! 結構ですっ!!
 じゃ、夕呼先生、まりもちゃん、オレはこれで失礼しますッ!!!」

 そして、迅速に辞去を告げると同時に、武はドアを開けて廊下へと退避するのであった。

「え~~~~~っ! 助けてくれないの?!
 白銀くん~、見捨てないで~~~~~~。」

 そんな武の背中を、閉まりかけたドア越しに追いかけて来た、まりもの悲痛な声が叩く。
 しかし、武は敢えてその声を振り切ると、振り返らずにその場から立ち去る。

(ごめん、まりもちゃん!
 オレじゃあ、夕呼先生は止められないって!
 だからせめて、コスプレ姿をオレに見られないだけ、傷が浅くなるって事で勘弁してくれっ!!)

 夕呼のおもちゃにされるまりもに、心の中で手を合わせながら、武は足早にまりもの部屋から遠ざかっていくのであった。



 尚、『朧月』は2004年から2005年にかけて、A-01で運用試験が行われた後、05式戦術歩行戦闘機『朧月』として制式化され、A-01と帝国陸軍への配備が開始される事となる。
 また、後年『朧月』のコンセプトを基にした戦術機が各国で開発・配備され、『朧月』自体も少なからぬ数が複数の国軍や国連軍でライセンス生産され配備された。
 これにより、『朧月』は第四世代型戦術機の嚆矢として追認される事となる。




[3277] 第132話 アジアの曙光、遮る暗雲
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/05/03 17:17

第132話 アジアの曙光、遮る暗雲

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 お知らせ:おまけとのリンク告知
 今話の内容は、拙作含まれるおまけ『何時か辿り着けるかもしれないお話3』(第24話)並びに『何時か辿り着けるかもしれないお話9』(第39話)、『何時か辿り着けるかもしれないお話10』(第40話)、『何時か辿り着けるかもしれないお話12』(第51話)、『何時か辿り着けるかもしれないお話14』(第67話)とリンクしております。
 今回、数が多くて恐縮ではありますが、もし気が向かれましたら、そちらもご参照願えると幸いです。
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2005年06月02日(木)

 国連軍横浜基地、B1フロアに存在する01番整備格納庫(ハンガー)、その2階部分となる搭乗デッキに複座型『不知火・弐型』より衛士等が降り立つ。

「伊隅中佐! ブダペストハイヴ攻略、お疲れさまでした!!」

 そして、格納庫の出口へと向かう衛士達の先頭を歩くみちるに、活力に満ち溢れた声が投げかけられた。
 その声の主を一瞥すると、みちるは唇の端を吊り上げ、皮肉気な口調で応じる。

「速瀬か。わざわざ出迎えに来たのか?
 どうやら元気が有り余っている様で、羨ましい限りだな。」

 そんなみちるの言葉に応じたのは、当の水月ではなく、その隣に付き添っていた遙であった。
 遙は、右手を口元に当ててくすくすと笑うと、みちるの言葉に同意し、続けて労いの言葉を述べる。

「水月の元気が有り余ってるのは何時もの事ですよ、中佐。
 お帰りなさい。欧州への遠征、本当にお疲れさまでした。」

「なに、ハイヴ攻略作戦が実施されたのは1週間以上前の事だ。
 既に骨休めも済ませてあるさ。
 そう言うお前たちこそ、大陸のブラゴエスチェンスク戦線への派遣から戻ったばかりだろう。
 あっちはどうだった?」

 遙の労いに、既に休養は取っていると応じたみちるは、逆に水月と遙の近況を尋ねる。
 みちるが麾下の第2大隊を率いて『甲11号作戦』―――ブダペストハイヴ攻略作戦に参加している間に、水月の率いるA-01連隊第1中隊は、甲19号―――ブラゴエスチェンスクハイヴ攻略の後に、海岸線より押し上げられた対BETA防衛線であるブラゴエスチェンスク戦線へと派遣されていたのである。

 ブラゴエスチェンスク戦線は、ソ連領旧ハバロフスク地方トゥグロ=チュミカン地区から中国領旧北京へと至る総延長2,000Kmを優に超える対BETA防衛線である。
 往時のブラゴエスチェンスクハイヴが勢力圏としていた地域の内、沿岸部をBETA占領下より解放する為に、サハリン島と朝鮮半島を策源地として構築された防衛線だが、ハイヴ攻略後1年が経過した今でも尚、その戦線の長大さ故にBETAの浸透を完全には阻止できずにいる。
 それでも、広域索敵網の構築は完了して久しい為、大規模BETA侵攻に対しては、積極的に迎撃作戦を展開し効率的に撃退できる態勢は確立されている。

 ブラゴエスチェンスク戦線の防衛に当たっているのは、ソ連と統一中華戦線、日本帝国、そして大東亜連合に属する韓国の将兵達である。
 この内、本来防衛戦力の主体となるべきなのは、戦線が自国領土上に存在するソ連と統一中華戦線である。
 しかし、ソ連はこの戦線の他に、甲26号―――エヴェンスクハイヴ攻略後に構築されたエヴェンスク戦線の防衛も担当しており、この戦線に十分な戦力を派遣できずにいた。
 そして、統一中華戦線はと言うと、翌年2006年の10月に実施予定となっている甲16号作戦に向けたBETA漸減と広域索敵網の構築に戦力を割かれている。

 この様な情勢から、現在ブラゴエスチェンスク戦線の防衛は、帝国軍と韓国軍が主体となっており、戦線北側4分の1をソ連軍が、南側4分の1を統一中華戦線が担当するのみに留まっていた。
 そのブラゴエスチェンスク戦線に、『甲16号作戦』の実施を睨んで最新の対BETA戦術を教導すると共に、戦線防衛を支援する為に水月以下第1中隊の衛士等が派遣されていたのである。

 この時点で、A-01連隊は所属衛士を、2個大隊の定数にやや足りない64名まで回復していた。
 変則的ではあるが、みちるの率いる第2大隊直属中隊は第9中隊(ヴァルキリーズ)のままとされ、第2中隊と第3中隊を指揮下に編入して大隊定数を充足している。
 一方武は、第1中隊と第4中隊、そして中隊定数から溢れた自身を含む4名が所属する直率の第13中隊(スレイプニルズ)の2個中隊強の衛士で第1大隊を編制し指揮下に置いている。
 今回、水月と共にブラゴエスチェンスク戦線に派遣された遙は、本来であれば武の副官として第13中隊に所属している。

 第2大隊は、ハイヴ攻略作戦への派遣を主任務とし、麾下の部隊を随時入れ換えて編制を変えながらも、2004年以降大隊定数を充足した編制で、ハイヴ攻略作戦を完遂してきた。
 たった20名で完遂した『桜花作戦』―――オリジナルハイヴ攻略作戦の後、A-01連隊は甲20号、26号、12号、09号、19号、17号、11号と、7つのハイヴ攻略作戦全てに参戦し、毎回ハイヴ突入部隊の一角を担っている。
 その武勲は世界に冠たるものとなっており、オルタネイティヴ4の最高指揮官として、事実上の作戦総指揮から戦術立案ユニットや『凄乃皇』といった特殊装備の運用、更には最前線での陽動まで手掛ける武と共に、オルタネイティヴ4直属部隊であるA-01の前線指揮官として、今やみちるを初めとするA-01連隊部隊指揮官らの名も、知らぬものとてない程に轟いていた。

「戦線の方は、大規模侵攻とレーザー属種の浸透を抑え込むのが精一杯ってところですね~。
 まあ、白銀の言う通りなら、ハイヴの排除を行っていけば、自然とBETAの行動半径から外れた地域は安全地帯になってくって話ですから、あれはあれでいいんでしょうけど……」

「水月としては、BETAをきれいさっぱり殲滅出来ないかったのが、気に食わないのよね。」

 みちるの問いに、言葉尻を濁しながらも水月が応えると、苦笑を浮かべながら遙がその心境を代弁する。
 すると、みちるの背後に控えていた美冴が、ほとほと呆れ果てたと言った表情で口を挟んで来た。

「やれやれ、速瀬少佐の戦闘狂も相変わらずですね。
 涼宮大尉も、御目付役御苦労さまでした。」

「ちょっと、宗像! あんた何言って―――「あはは……私はもうなれっこだから。」―――って、遙! あんたも、なにちゃっかり認めちゃってんのよ!!」

 即座に美冴に食ってかかる水月だったが、その剣幕など何処吹く風と言った風情で、のほほんとしたマイペースで遙が発した言葉に、あっさりとその足元を掬われてしまう水月であった。
 憤懣遣る方ないといった様相を浮かべた水月を、みちるは手で押さえる素振りをして落ち着かせると、更に問いを重ねる。

「まあ、ブラゴエスチェンスク戦線とその後方地域は広大過ぎるからな。
 戦線の方はそれでいいとして、統一中華戦線への教導の方はどうだったんだ?」

 その問いが発せられると、水月は剝れていた表情を一転させ、視線をみちるの背後に居並ぶA-01第1大隊の面々へと向ける。
 それを見たみちるは、美冴と祷子をその場に残した上で、部下達に解散を命じた。
 本来であれば基地に帰還して直ぐに行うべき、帰還報告は夕呼から無用と言い渡されている。

 みちるはそのまま、水月、遙、美冴、祷子の4人を連れて、整備格納庫に付随するブリーフィングルームへと移動し、腰を落ち着けて話を聞く事にした。

「―――ってわけで、どうも統一中華戦線の内部で、中華人民解放軍と中華民国軍の間が妙にギクシャクしてるんですよ。」

 一通り、自分達が見聞きしてきた状況を、遙と2人で代わる代わる語った水月は、深刻な表情でそう話を締めくくった。
 それを聞いたみちる、美冴、祷子の表情も真剣なものとなっている。

「XM3搭載機が、中華人民解放軍に全く配備されていないとはね。
 ちょっと、あからさま過ぎるな。」

「そうですわね。財政上の問題から、中華人民共和国が配備に必要な予算を確保し切れない―――と言う事情もあるのかもしれませんけど……」

 水月と遙の話を聞き終えた美冴と祷子は、続け様に自身の所感を述べる。
 いずれの発言も、中華人民共和国の共産党政府が何らかの意図を以って、この状況をもたらしているのではと言う疑念を内包している。
 そして、それらの言葉を受けたみちるの言もまた、その疑惑を裏付ける物であった。

「いや、さすがに全く配備できないと言う事もないだろう。
 実際、中華人民解放軍陸軍の精鋭を集めた、第1集団軍の戦術機甲部隊にはXM3搭載機が配備されていた筈だぞ。」

 各国軍のXM3調達状況を、オルタネイティヴ4はそのほぼ全てを把握している。
 それ故に、みちるは中華人民解放軍のXM3配備情報を告げた。
 その発言に続けて発せられた水月と遙の話が、中華人民共和国に対する疑惑を更に補強する事となる。

「ですが中佐、前線の部隊には全く配備されてませんし、将兵達は中華民国軍が独占していると思っているようでしたよ?」

「ええ。それに、ブラゴエスチェンスク戦線の防衛部隊には、中華民国軍は配属されていないんです。
 広域索敵網のお陰で、多大な犠牲を出す事こそないですけど、旧式戦術機のみでBETA迎撃に当たる中華人民解放軍の戦術機甲部隊は、苦戦を強いられているようです。」

 みちるは、部下達4人の顔を1人ずつ順に見廻すと、重々しく頷いて言葉を発した。

「―――どうやら、間違いないようだな。
 中華人民共和国の共産党政府は、意図的に中華人民解放軍に、反中華民国の風潮を醸成しようとしているらしい。
 速瀬、この件は既に白銀中佐には報告してあるな?」

「はい。白銀は一足先に『凄乃皇』で帰還してましたからね。
 あたしよりも、白銀の方が先に戻ってたくらいですよ。」

 みちるの問いに、水月は即答する。

 武と夕呼はハイヴ攻略作戦に於いて、『凄乃皇』や電磁投射砲等のG元素を使用した装備群を、極力運用しないと言う方針を定めていた。
 しかし、沿岸部のハイヴであればいざ知らず、内陸部に位置するハイヴの攻略となると、海と言う安全な後背地を確保できない為、地上部隊の安全確保は困難を極めた。

 ハイヴ攻略中に側背を脅かされては作戦遂行に支障をきたし、多大な損害を生じる事にもなりかねない。
 かと言って、側背を守り切れるだけの戦術機甲部隊を配備しては、ハイヴ攻略に振り分ける戦力が不足する。
 長年に亘って苦闘を強いられ損耗を出し続けた人類には、BETAを完全包囲下に追いやり、安全な後方地域を確保するに足る、十分な兵力が存在しないのである。

 それ故に、武は夕呼の了承の下、内陸部のハイヴ攻略作戦の初期段階に限定して『凄乃皇』を投入する事とした。
 その結果、2003年の『甲09号作戦』に於いて、『桜花作戦』以降初めて『凄乃皇』(四型1機と弐型2機の3機セット)が実戦投入され、その圧倒的な戦闘能力と威容を全世界に知らしめる事となったのである。

 武はまず、作戦開始直後より『凄乃皇』を単独侵攻させ、ハイヴ周辺の地上に存在するBETA群を広範囲に亘って誘引し、その分布密度を高めた。
 同時に、『凄乃皇』に向けて放たれるレーザー照射から、レーザー属種の分布を割り出し、『雷神』戦隊と連携してレーザー属種を周囲のBETA群ごと殲滅。
 然る後、砲撃部隊の制圧砲撃によって、分布密度の高まったBETA群を効率的に排除していく。
 ハイヴから湧き出て来る第1次~第3次増援までを殲滅した後、『凄乃皇』を後方へと退避させ、武自身は戦術立案ユニット搭載型『不知火・弐型』を駆って戦場へと舞い戻った。

 その間にも、遠隔陽動支援機による陽動と敵中突破によるレーザー属種殲滅を繰り返し、ハイヴより出現する増援を数次に亘って殲滅。
 然る後、A-01部隊及び帝国斯衛軍派遣部隊を直衛に付けた武の戦術立案ユニット搭載機を、大規模陽動としてハイヴへと突入させる。
 陽動部隊は一端中階層まで突入した後、反転して地上を目指し、20万体を優に超える膨大な数のBETA群を地上へと誘き出した。

 その大規模陽動により、ほぼ空となったハイヴの上層部、中階層部を突破し、XM3搭載機を中核とした遠隔陽動支援機運用戦術機甲部隊が、ハイヴ最下層を目指して進攻。
 反応炉攻略の拠点を確保した。

 一方、地上へのBETA群陽動を果たした武達は、物資の補給を済ませて再度ハイヴ内へと突入。
 ハイヴ最下層に残った最後のBETA群を陽動し、ハイヴ突入部隊の反応炉破壊を支援し、作戦完遂へと導いた。
 その後は『アトリエ』の確保をA-01に任せ、武は『凄乃皇』に搭乗して一足先に横浜基地へと帰還したのである。

 この『凄乃皇』を使用したハイヴ攻略戦術は、その後も『甲19号作戦』―――ブラゴエスチェンスクハイヴ攻略作戦に於いて有効に機能し、つい先日実施された『甲11号作戦』―――ブダペストハイヴ攻略作戦に於いても同じ戦術が用いられ、作戦を成功へと導いている。
 『凄乃皇』が発揮した戦闘力の高さ故に、『甲09号作戦』後、『凄乃皇』の積極的活用を望む声が上がりはしたものの、その運用がG元素の大量消費と引き換えである事が明らかにされた為、必要最低限の運用に留めるといオルタネイティヴ4の方針が追認される事となった。

 『凄乃皇』が作戦に投入される場合、機密保持と残存BETAを誘引してしまうリスクを減らすという2つの必要性から、作戦完遂後武は速やかに帰還してしまう。
 その代わりに、オルタネイティヴ4最上位現場指揮官として隊をまとめ、作戦総司令部との折衝に当たるのもみちるの務めと化している。
 水月の言葉から、以上の様な事柄を漠然と想起したみちるであったが、水月の言葉に頷きを返すと、みちるは統一中華戦線に関する話題を切り上げにかかった。

「白銀中佐に報告が上がっているなら、この件は状況把握に留めておいて構わないだろう。
 いずれにせよ、来年の『甲16号作戦』か、その完遂後に一悶着起きそうだと言う事だな。
 これしきの情報で動揺が広がるとは思わんが、一応この情報は小隊指揮官以上に限定しておけ。
 では、他になければ解散としよう。」

 そう言って話を切り上げたみちるに、他の4人は頷きを返して席を立つ。
 そして、美冴と連れ立って待機室を後にしようとした祷子を、水月が声をかけて呼び止める。

「あ、そうそう。風間―――あんたの顔写真が、こないだ帝国の新聞各紙で一面にでっかく掲載されてたわよ~。」

「え?―――それは一体……」

 唐突に振られた話題の内容に、理解が追いつかずにキョトンとした表情で首を傾げる祷子。

「祷子。速瀬少佐の言葉を、一々真に受けてたら切りがないぞ。」

 そんな祷子に、悪戯っぽい笑みを浮かべて、美冴が水月を揶揄するかの如き言葉を発した。
 しかし、この時は水月が怒る暇すら空けずに、遙が事情を説明しだす。
 どうやら、遙もこの話題を心待ちにしていたらしい。

「あ、でも今回は、本当の話なんだよ?
 風間中尉、作戦前にヴァイオリンを演奏したんでしょ?
 その話が、外電経由で入って来て、帝国国内でも大きく報道されたの。」

「ミラノで見つけたってヴァイオリンも、イタリア政府から正式に贈与されたって報道されてたわよ?
 なんか、話によると超高級品だって話じゃないの。」

 そして、美冴を一睨みした水月も、遙に続いて祷子に報道が事実か否か訊ねる方を優先した。
 戦地から帰ったばかりの祷子は、そんな事になっているとは夢にも思っていなかった為、戸惑いながらも水月問いに応えていく。

「まあ、そんな事になってたなんて……
 あ、ええ。私には勿体無い様な品でしたわ。
 お返ししますと申し上げたんですけれど、イタリアの方が是非にと仰って……」

「あのヴァイオリンは、祷子と出会う為に戦火を越えて、ミラノでずっと眠っていたのに違いないさ。
 祷子が大事にしてやれば、あのヴァイオリンも喜ぶんじゃないか?」

 そんな奥ゆかしい祷子の言葉に、愛おしげな笑みを浮かべた美冴が、言葉を添える。
 すると、水月も珍しく美冴の言葉に同調するような言葉を、祷子へと投げかけた。

「そうそう、貰った以上あんたのもんよ!
 儲けもんだったじゃないの、風間。」

「もう、水月ったら、もう少し言い方ってものがあるでしょ?
 でも、それ程凄いヴァイオリンなんだったら、近いうちに是非聞かせてくれるかな? 風間中尉。」

 水月の身も蓋もない言い様に、天を仰いで愚痴を零した遙だったが、それでも気を取り直して祷子に演奏を請う。
 それに笑みを返すと、祷子は快諾を以って応じた。

「ええ、勿論喜んで弾かせて頂きますわ、涼宮大尉。」

「それはいい。私も楽しみにしているぞ、風間。」

 その応えを聞き、みちるまでもが期待の言葉を告げると、祷子ははにかみながらも、力強く頷きを返すのであった。

「はい。伊隅中佐。」



 その後、衛士強化装備を除装した祷子は、美冴とも別れ自室へと向かっていた足をふと止めた。
 祷子は、先程の、帝国国内で大々的に自身の事が報道されたという、水月と遙の言葉を思い返す。
 暫し黙考した祷子は、踵を返すと自室へと至る通路に背を向けて、基地内の郵便局へと足早に歩いて行く。

 戦地へと派遣されている間に届いた郵便物は、基地内の郵便局で留め置かれている。
 微かな期待に心を浮き立たせながら、郵便局に着いた祷子は郵便物を受け取る。
 そして、逸る気持ちを抑えて自室に戻り、個々の郵便物を確認した祷子は、望み通りの物を見出して喜びに瞳を輝かせた。

 それは、祷子の支援者からの封書。
 何時もの通り、紫のバラが描かれた便せんには、報道で祷子の活躍を知った事や、健勝である事を喜ぶ言葉などが、認められていた。
 それを祷子は、一文字一文字、丁寧に読み進めていくのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2005年08月27日(土)

 15時07分、シミュレーターデッキで、休暇を取って帝都へと繰り出している水月の代理で、第1中隊の訓練を指揮していた茜が、武の呼び出しを受けてシミュレーターから降り搭乗デッキへと姿を現す。

「訓練中に悪かったな、涼宮。」

 茜に歩み寄った武は、そう声をかけた。
 激しい戦闘機動訓練を行っていた為、若干上がってしまっている息を整え、茜は声をかけて来た武へと視線を向けて応じる。

「訓練は、多恵に任せて来たから別にいいけど―――なにかあったの?」

 訓練中ではあったが、他に聞いてる者もいない為、茜の武に対する言葉は気易いものであった。
 それでもそう問いかける茜の視線は鋭い光を宿しており、武の呼び出しに緊張感を持って応じている事を窺わせている。
 そんな茜に、武は少し眉を顰めながらも用件を告げる。

「実は、ついさっき連絡が入ったんだが、遙さんが帝都で自動車事故に遭ったそうだ。
 現在、救急車で帝都の病院に搬送されて―――」

 武の説明は続いているのたが、茜の思考は自動車事故の件(くだり)から急速に混迷し始め、直ぐに武の声は茜の意識から遠ざかってしまった。

(なっ―――自動車事故? またなの?!
 ようやく生身の両足を取り戻して、念願の衛士徽章を手に入れたばっかりだって言うのに、また―――
 お姉ちゃんっ!!)

 姉の遙が、衛士訓練生当時の総戦技演習に於いて、高機動車の暴走に巻き込まれて両足を失い、疑似生体を移植したものの神経結合の障害から衛士への道を諦めざるを得なかった事は、茜にとっても非常に衝撃的な出来事であった。
 その事は、茜が衛士として高みを目指してきた理由の中で大きな割合を占めており、訓練生の頃から姉の分もと茜は日々努力を重ねて来たのである。
 そして、武の対BETA戦術構想によって、共に戦術機に搭乗し肩を並べて戦場に臨む様になっても尚、衛士として戦術機を直接操縦できない事を気に病む遙を、茜は水月と2人で見守り支えて来たつもりだ。

 そんな遙が、医療部第0研究室―――通称モトコ研で新たに確立された再生医療技術の被験者として、両足の生体再生手術を受け、生身の両足を取り戻したのは今年の初めの事であった。
 それからリハビリを終えた遙は、寝る間も惜しんで水月とマンツーマンで戦術機の操縦課程履修に挑んだ。
 苛烈とさえ言える猛訓練だったが、遙はそれを泣き事一つ言わず、通常任務にも支障をきたさずに完遂し、晴れて衛士徽章を取得したのである。

 その後も、ヴァルキリーズのレベルに追い付く為に、高機動連携の訓練を続け、突撃前衛を務める近接格闘戦を得意とする者にこそ敵わないものの、智恵や壬姫と同レベルの高機動格闘戦をこなすまでになっていた。
 これでようやく一人前になれたかな―――そう言って照れくさそうに笑っていた姉の姿を脳裏に浮かべ、茜は絶望感に心を覆い尽くされて呆然自失してしまった。
 しかし、そんな茜を、武の声が現実へと引き摺り上げる。

「―――ずみや! どうしたんだ? しっかりしろよ、涼宮!
 遙さんは別に大怪我とかじゃないって言ってるだろっ! 聞いてんのかよっ、涼宮ってば!!」

「あ……え? 大怪我じゃ……ない?」

 両肩を掴んで強く揺すりながら、少し慌てた様子でぶつけて来た武の言葉に、茜は焦点を結ばない両目を彷徨わせながら、それでも反応を示す。

「そうだよっ! 念の為検査入院する事になったらしいけど、外傷は擦り傷と打撲ぐらいだって話だ。
 ただ、頭部を強く打ったから、数日様子を見るって事に―――」

 ようやく反応を示した茜に、武は遙の容態が深刻なものではないという点に、要点を絞って語りかける。

「ホント?! ホントにお姉ちゃん無事なの?
 また衛士適性を失ったりしない?!」

 今まで、力なく垂らしていた両手を瞬時に跳ね上げ、逆に武の両肩を鷲掴みにした茜は、絞殺さんばかりの形相で武に喰ってかかった。
 衛士強化装備で掴みかかられた武は、猛烈な勢いで揺さぶられながら、何とか言葉を絞り出す。

「ちょ……痛い、痛いってば、涼宮……
 今の所……念の為に検査入院としか……聞いてない……
 ―――っ! 強化装備で掴みかかるなぁっ!!」

 最後の方では、とうとう叫び声を上げた武に、茜はようやく正気を取り戻して両手を離した。
 そして、さも痛そうに両肩をさする武から、視線を逸らして謝罪らしき言葉を告げる。

「あ、ご、ごめん…………そっか、あはは……大したことないのか……」

 頬を染めて恥じ入りながら、頬を人差し指で掻いて空笑いを洩らす茜に、武は溜息を付いて再び指示を下した。

「はあ~。おまえ、よっぽど姉想いなんだなあ。
 でだ、一緒に帝都に行ってた速瀬少佐が病院で付き添ってくれてるから、入院に差し当たって必要そうな物持って迎えに行ってくれ。
 確か、車の免許もってたよな?」

「あ……りょ、了解!」

 斯くして茜は、訓練を切り上げて水月を迎えに行く事となったのである。



 数時間後、乗用車の運転席を水月に奪われた茜は、浮かない顔をして助手席から、窓越しに流れていく風景を何とは無しに眺めていた。

「どうしたのよ、茜。ぼんやりしちゃって。」

 そんな茜を横目で見た水月は、軽い調子を装って言葉をかける。

「え?……えっと、その……この辺りは相変わらず殺風景だなと思って……」

 天の邪鬼な妹分の言葉に笑みを浮かべて、水月は茜をからかう様な言葉を告げる。

「そんな事言ってぇ、本当は遙が心配なんでしょ~。
 けどまあ、確かに殺風景よね~。
 西日本の復興も進んで、九州だって植生が回復し始めてるもんね。
 今の日本で、ここまでBETA占領当時の傷跡が残ってるのは、ここと佐渡島くらいのもんだわ。」

 それでも、茜が懸命に捻り出した話題に乗ってやる辺り、水月なりに気落ちした様子の茜を気遣っているのであろう。

 帝国は、2003年より、BETA侵攻によって失われた植生の回復事業を開始していた。
 オルタネイティヴ4より提供を受けた、BETA由来技術による植生回復計画は順調に進んだ。
 核兵器を使用しなかったとはいえ、大量に使用された劣化ウラン弾やAL弾等から発生飛散した重金属粒子を、回収蓄積するミミズや、成長促進プログラムを組み込まれた植樹用樹木等により、土壌改良のレベルから植生回復の速度を画期的に向上させる手法が活用されていた。

 BETA由来技術が用いられていると言う事で、当初は嫌悪感を強く打ち出した報道等も多く、反対論も少なくはなかった。
 殊に、ミミズなどは、土壌に放たれると一定期間の間活動した後、回収容器へと帰還する習性まで持っていた為、BETAとの類似性が指摘され、拒否感を露わにする者も少なくなかった。
 しかし、それらの意見も、悠陽による毒を以て毒を制すとの声明により、慎重な監視態勢を整えると言う前提で実施される事となり、2年が経過した今年に入ってからは、急速に回復した植生を前に今や反対する声の方が少なくなっている。

 植生の回復以外にも、戦術機を重機代わりとした自律制御による作業システム等も効果を発揮し、今では戦術機では小回りの利かない部分を担当する自律作業機械の開発生産まで行われている。
 いずれにせよ、帝国は国土の復興を急速に成し遂げつつあった。

 近畿以東の地域では、既に都市部の建設が始まっており、復興事業関係者以外にも居住し始める者が現れている。
 ほぼ完全に失われてしまった居住環境を再建するに当たり、帝国では巨大構造体(メガストラクチャー)を積極的に導入し、建設敷地面積に対する居住者人口密度の向上と社会基盤施設(インフラ)の効率化を企図した。

 『緑溢れる国土』をスローガンとして、復興事業により回復した豊かな植生の中に、自然と共生し半ば埋没する様にして都市機能を内包した巨大構造体が点在する。
 それが、BETA大戦より復興した日本帝国のあるべき姿とされたのである。
 将来的には、歴史的構築物の復元事業なども予定されてはいるが、現時点では植生の回復に続く都市機能の再構築が優先されている。

 しかし、その復興事業から取り残され、未だに手付かずなままとなっているのが、横浜を中心とする神奈川県東部と佐渡島であった。
 佐渡島は未だに機能を保持しているハイヴを有する事から、神奈川県東部はG弾の影響による重力異常に曝されている事から、何れも軍事関連用途に土地利用を限定すると定められ、復興事業が凍結されているのである。
 その為、神奈川県東部では軍用大型車両が円滑に通行できるようにと、道路こそ整備されてはいるものの、演習場を兼ねている旧市街地の廃墟が、そのまま寒々しい姿を晒し続ける事となっている。

 茜の視線の先に存在していたのは、そんな荒涼たる風景だったのである。

「そうですね。でも、佐渡島の方は、それでも植生が回復し始めてるらしいですから、こっちよりはマシなんじゃないかな。」

 水月の気遣いのお陰か、ようやく何時もの調子を取り戻してきた茜に、水月は表向きは何気なく、その実、内心では地雷原に踏み込む様な心地で核心に触れる。

「いやあ、それにしても、総戦技演習の時と言い、今回と言い、遙もホント自動車とは相性が悪いわよねえ。
 あ、でもCP将校だった頃は、指揮戦闘車に乗ってたんだから、相性悪いってほどでもないか。」

 総戦技演習で受けた怪我の後遺症により、遙が衛士への道を閉ざされた件で、茜が長年思い悩んで来た事を水月は熟知している。
 それを考慮して尚、今回の事故により茜が受けた精神的衝撃は、大き過ぎる様に水月には感じられた。
 その原因を探る為に、水月は敢えて自動車事故の件に踏み込んだのであった。

 そんな水月の配慮を薄々感じたのか、茜も素直に内心を吐露する覚悟を決めた。
 茜は負けず嫌いで人に弱みを見せる事を嫌う。
 それ故に、この時も相手が水月でなければ、意地を張ってしまったに違いない。
 しかし、尊敬する先達であり、姉の親友である水月にならば、自身でもあやふやな心中を理解して貰えるのではないか?
 そんな希望を抱いて茜は照れ笑いを浮かべながらも語り始める。

「え? あ、そ、そうですよね。あはは……
 ―――なんででしょうね。お姉ちゃんが交通事故って聞いたら、なんだかすっごく酷い悪寒に襲われたんです。
 以前の、総戦技演習の時だって、世界の全てが崩壊しちゃうんじゃないかと思った位で……
 実際、そのすぐ後にはBETAの本土侵攻が始まっちゃって、京都も陥落して……
 でも、それはお姉ちゃんの事故とは関係ないし、どっちかって言うとそのお陰で2人とも生き延びる事が―――」
「茜! 悪いけど、その話は止めてくれる?
 あたしも遙も、例え十中八九戦死したに違いなくても、『明星作戦』に参加できなかった事だけは、今でも悔やんでるんだから。」

 しかし、今度は逆に、茜の方が水月の心中に潜む地雷原へと踏み入ってしまった。
 水月の鋭い声に、茜は反射的に口を噤むと同時に、自身の失態を悟った。
 水月と遙が、衛士訓練学校での同期生であり2人共に想いを寄せていた鳴海孝之を、『明星作戦』で喪ったという事は、美冴や紫苑よりも古参の『イスミ・ヴァルキリーズ』は全員が知っている。
 そして、遙の実妹である茜も、その苦しみ様を垣間見て、更には任官後に先任達から密かに聞かされ、良く知っていた。

 それ故に、茜は悔恨の念に押し潰されそうになりながら、それでも即座に謝罪の言葉を発する。

「あ―――ご、ごめんなさい、水月先輩……」

 眉を寄せ、厳しい眼差しを前方へと注いでいた水月だったが、茜の言葉に表情を緩ませ、悪戯っぽい笑顔を浮かべると、普段道理の軽妙な口調で話し始めた。

「ふふふ―――水月先輩か。久しぶりに聞いたわね~、その呼び方。
 最初に会った頃を思い出すわ~。まだ、訓練兵だったあたしに、自分も必ず衛士になりますから、先輩って呼ばせて下さい! とか言っちゃって―――」
「わーわーわーーーっ! は、恥ずかしいから止めて下さいってばッ!!」
「ど~しよ~っかな~~~。」
「速瀬少佐~~~~っ!!!」

 水月の選んだ話題は、茜にとっては大事な想い出でありながら、相手が水月とは言え指摘されたくない程に恥ずかしい記憶でもあった。
 それ故に必死になって水月の口を閉ざそうとする茜と、その慌てっぷりを堪能している水月との間で、その後しばらくの間他愛のないやり取りが続いた。
 茜の心中に潜んだ、トラウマにも等しい衝動は未だに解消されてはいない。
 しかし、水月との会話によって、少なくとも今の茜の心は十分に暖められており、心を喰い荒していた悪寒は既に欠片も残っていなかった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2006年11月05日(日)

 09時19分、国連軍横浜基地の1階にあるPX、その一画に華やかな一団が集い、一時の団欒を楽しんでいた。

「ねえねえ冥夜。そう言えばさ、悠陽殿下の娘さんって、先月で満二歳だったよね?
 こないだ、『甲16号作戦』の帰還報告で帝都城行ってたでしょ?
 お目にかかったりしなかった?」

 そう言って、きらきらと瞳を輝かせながら問いかけたのは純夏であり、周囲には武と『白銀武研究同好会』の会員たる妙齢の女性達が集まっていた。
 当初、智恵と月恵、そして晴子の3人で結成された『白銀武研究同好会』であったが、後に純夏が会員兼特別顧問として迎え入れられたのを機に会員が増加。
 純夏と共に入会した霞に続き、純夏の提唱した共同戦線―――所謂『タケルちゃん包囲網』に賛同した冥夜、彩峰、美琴、壬姫、千鶴の5人も済し崩しに入会し、以来10人が正規会員として所属している。

 それ以降は、正規会員の入会は認めないとの方針が定められ、逆に武に興味本位で言い寄る女性達を、排除阻害しようとする傾向まで現れ始めている。
 未だに武の守りを打ち破れずにいるものの、純夏の押しの強さから武と共に過ごす時間を積極的に確保しては、この日の様に皆で団欒の場を設ける様になっていた。
 この日はA-01連隊の休養日である為、周囲のテーブルでは同隊所属衛士等も少なからず寛いでおり、更にその外側の席では、たまたま時間が空いていた基地要員までもが遠巻きにして様子を窺っている。

 とは言え、既に恒例と化している上、無思慮に近付こうとした所で、即座に撃退される事が過去の事例から周知されている為、武を始めこの場にいる面々は、野次馬の事など既に気にかけてすらいなかった。

「うむ。殿下の御厚意に与り、お目にかかる事が出来たぞ。
 殿下に似て、白夜(はくや)姫は利発なお子でな、身のこなしも実に優雅であられた。
 だが―――ここだけの話だが、時折突拍子もない事を始めては、奥女中や周囲の者達を振り回しているらしいぞ。」

 冥夜はつい先日目の当たりにしてきた、白夜の愛らしい姿を思い浮かべると、目を細めて相好を崩しながらそう述懐した。
 白夜は、2004年の10月01日に生まれた悠陽の愛娘である。
 既に1人で歩けるようになって久しく、その愛らしい可憐な姿とは裏腹に旺盛な行動力で、帝都城内に騒動を量産し始めていた。

 紅蓮や志虞摩翁等は、すっかり爺馬鹿と化してしまい、白夜の魅力のとりことなっている。
 あの行動力はやはり父親譲りであろうかと、そう考えた冥夜が横目で武へと視線を投げた丁度その時、美琴が発した言葉に冥夜の表情が微かに強張る。

「へ~、意外と御茶目な一面も、持っていらっしゃるんだね~。
 その女中さん達って、きっと、タケルの言動に振り回されるボク達みたいな気持ちなんじゃないかなあ。
 親近感を感じちゃうよ~。」

「こら美琴! お前がそれを言うのかよっ!
 お前の言動の方が、よっぽど突拍子もないだろうが!」

 発言者の美琴は、満面の笑みを浮かべており、何の含みもなく、思った事をそのまま言葉にしたと言った風情である。
 その内容に憤然として喰ってかかる武であったが、その様子はごく自然な何時も通りの様子であり、殊更何かに気付いたような節は見受けられなかった。

「目くそ鼻くそを笑う……五十歩百歩……」

「彩峰にしては、良い事言うじゃないの。
 でも、正直言って、聞き流したり無視したりできない分だけ、白銀の方が質が悪いわね。」

「ひでぇ言われようだな!」

 そこに彩峰と千鶴の追い打ちが透かさず入り、打ちのめされた武が悪態を付きながらもがっくりと両肩を落とした。

「しょうがないよ。タケルちゃんの自業自得だもん。」
「自業自得、です……」

 純夏と霞のコンビによる絶妙なフィニッシュブローも入り、その場に陽気な笑いの輪が広がる。
 冥夜もその輪に加わりながらも、心中で密かに武の鈍感さに安堵していた。

 白夜の父親に関しては、『白銀武研究同好会』の面々は個々で程度の差こそあれ、数人の例外を除いて父親が武ではないかと疑っている。
 冥夜等は確信の域に達している程なのだが、悠陽懐妊の公式発表と同時に夕呼から釘を刺された事と、当事者である筈の武が、全く意識している様子を見せない事で、今の所この疑惑を口外する者は出ていない。
 美琴や壬姫などに至っては、ありのままに悠陽だけの子供として受け入れているようですらあった。
 そして、冥夜にとっては意外な事に、純夏もいい加減薄々勘付いている筈であるのに、妬心はおろか不満を抱いている様子すら見せないのだ。

 どうやら純夏は、そういった感情を隠しているのではなく、武自身が関与していないのであれば、悠陽の子供が武の血を継いでいても構わないと、そう思っている節が見受けられた。
 それどころか冥夜の見立てでは、武の子供かもしれないと思っているからこそ、白夜に好意的な興味を示している様にすら思える。
 その辺りの純夏の感性は、冥夜には今一つ理解し難いものではあったが、同時に、自身も悠陽と白夜を何の蟠りもなく受け入れている事から、純夏の感性に共感できるような気もしていた。

「タケルと比べられては、白夜姫もいい迷惑であらせられよう。
 まあ、何れにしても、健やかに御成長あそばしておられるようで何よりだ。
 それはさておき―――先日帝都城に登城した折、中華人民共和国の振舞いに関して殿下が御心を砕いておられてな。」

 そして、念の為に駄目押しを加えつつ、冥夜は異なる話題を切り出した。
 その話題は、オルタネイティヴ4実働部隊であるA-01連隊の衛士として、また、武の悲願を知りそれに協力しようとする者として、無視し得ない話題であった。

「えっと、それってさっ、中国とソ連が結んだ、軍事同盟の事かなっ?!」
「中国と―――ならまだ良かったんだけど~、中華人民共和国とソ連だから面倒なのよね~。」

 それ故に、冥夜の言葉に月恵が即座に喰い付き、続けて智恵が言葉を継いで補足する。
 智恵の補足は、問題の要点を的確に突いており、晴子は腕組みをしてうんうんと頷きながら、問題点をより詳細に述べ立てていく。

「そうだね~。『大亜細亜社会主義同盟』は、統一中華戦線を共に構成している中華民国の同意を得ずして、中華人民共和国の共産党政府が独自にソ連の共産党政府と結んだ同盟だからね。
 『甲16号』を攻略して、いよいよ取り戻した国土を復興し始めようとした中華民国にしてみれば、出鼻を挫かれた上に他所者を勝手に引き入れられたようなもんだろうね。」

「えっと、確か、統一中華戦線の内部では、経済力に勝る中華民国の発言力が年々強くなってるって、パパが言ってたよ~。
 なのに、そんな勝手な事しちゃって、中華人民共和国は大丈夫なのかなあ?」

 晴子の言葉に続けて、今度は壬姫が珠瀬事務次官からの伝聞を元に、心配そうに眉を顰めて疑問を呈する。
 その疑問に、即座に回答を披露する千鶴。

「それは逆よ、珠瀬。
 発言力が弱まって、取り戻した国土を中華民国に実効支配される事を避けたい共産党政府が、同じ社会主義国家であるソ連を後ろ盾として引き込んだのよ。」

「最悪、内戦になるね……」

 そして、間を空けずに彩峰が告げたのは、考えたくもない最悪の可能性。
 話題を振った身として、冥夜は重々しく頷いた後、中国を巡る情勢に言及する。

「そうだな。考えたくもない事だが、元々中華人民共和国と中華民国は共に東アジアの領有権を争っていたのだ。
 事実上の内戦状態であったと言っても過言ではあるまい。
 BETA地球侵攻直前の情勢では、中華民国は台湾に押し込まれ、国土の殆どは中華人民共和国の実効支配下にあった訳だが……」

 悩ましげに告げられた冥夜の言葉を、晴子が引き継ぐと、軽妙な語り口で深刻になりかけた場の空気を入れ換える。

「それがBETAの東進で中華人民共和国は、その国土のほぼ全てを失って、今じゃ台湾に間借りしている状況な訳よ。
 大逆転も良いとこで、このままいけば折角取り戻した国土も、経済力に勝る中華民国に持ってかれそうだって言うんで、共産党政府は大慌てって訳ね。」

「なるほどっ! それで、今のままじゃ喧嘩にならないと思った共産党が、ソ連って用心棒を雇ったって事かな、智恵?」

「そんな言い方すると~、任侠物の映画みたいに聞こえるけど~、大筋ではあってるんじゃないかな~。」

 晴子に続いて発せられた月恵の言葉は、それを受けた智恵の発言とも相俟って、何処か滑稽な印象さえ漂わせた。
 その場で話を聞いていた者の大半が、肩の力を抜いた所で、もっともらしく鹿爪らしい顔をした美琴が、腕組みをして憤然と言い放つ。

「折角19号、17号、16号とハイヴを排除して、ようやく東アジアの沿岸部で復興が始められるって言うのに、人間同士の勢力争いだなんて、冗談じゃないよね!
 ………………って、なんでみんなしてボクの事、唖然として見てるの?!」

 言葉を言い終えてふと気付くと、周囲の面々が目を丸くして、揃って自身を凝視している事に疑問の声を上げる美琴。
 それに対して困った様な笑みを浮かべ、視線を逸らしながら応じたのは壬姫だった。

「あ、あはははは……鎧衣さんが何時になく真っ当な事を言ったもんだから、ちょっとびっくりしちゃいましたぁ~。」

 額から冷や汗を垂らした壬姫の言葉に、一同がうんうんと幾度も頷きを返し、美琴の叫びが辺りに響き渡る。

「酷いよ、みんなーっ!」

「ははは―――まあ、実際、美琴の言う通り現時点で内戦だなんて、ホント、馬鹿らしい限りだぜ全く。
 殊に、大陸の状況は帝国と違って相当酷い状態だからな。
 核兵器による遅滞作戦で撒き散らされた放射性物質こそ、BETAが回収して除去してくれたものの、一緒に植生はおろか地形の起伏までごっそり持って行かれてるもんな。」

 帝国は幸い佐渡島のハイヴ周辺を除けば、それ程地形を均されずに済んでいた。
 殊に山岳部等では、植生すら残っている場所も多く、これらの状況は、BETAが資源の採取行動を妨げられていた事を如実に表している。
 そしてそれは、如何に帝国本土での戦闘が激しく、BETAに損耗を強い続けていたかを表していた。

 しかし、大陸ではBETAの資源採取行動を妨げる存在は、沿岸部を除けば皆無に等しく、一部の標高の高い山脈などを除けば、地形の起伏すら軒並み均されてしまっていた。
 そうなると、植生を回復した所で、雨水の流れる道筋が存在せず、一面沼沢地と化してしまう。
 その為、植生の回復に先立って、恐ろしく大規模な治水事業を行う必要があると推測されていた。

 国内の植生の回復が一段落した帝国は、大陸の復興支援事業に積極的に乗り出し、欧州や中東方面には技術者を、アジア各国には物資や機材を送って復興を手助けしている。
 それでも尚、対象となる国土の広さと相俟って、大陸の復興は困難を極めており、これが厳しい実情であった。
 それを切実に感じ取っているが故に、武は苦々しげに言葉を吐き出す。

「統一中華戦線の総力を上げたって、復興までの道程は困難を極めるってのに、復興の途にすら着いていない今から領土争いだってんだからな。
 おまけに、ソ連だって自国領土だけでも手一杯だろうに、よくもまあ中華人民共和国の話に乗ったもんだよ。」

 武の言葉に、冥夜もまた腕組みをすると、厳しい眼差しで情勢を分析して見せる。

「ソ連もXM3の登場以来、戦術機の輸出が不調となって、財政面にしろ、国際的な影響力にしろ、低下する一方となっているからな。
 少しでも影響力を向上させたかったのであろう。
 無論、中国が完全に中華民国の支配下となり、民主主義国となる事も避けたいのであろうが……」

「そうね。『甲16号作戦』でも、中華人民解放軍やソ連の派遣部隊が全然横槍を入れてこないから、少しは心を入れ換えたのかと思ってたんだけど……
 何の事はない、攻略後の戦力を温存する為だったって訳ね。」

 冥夜の分析に同意した千鶴が、肩を竦め両手を広げてお手上げといった風情で呆れて見せる。

「腐った性根は、そう簡単に変わらない……」

 そんな千鶴の言葉を、端的な表現と共に鼻で笑って見せる彩峰。
 憤怒の表情で睨み返す千鶴だったが、怒声を放つ前に晴子がやんわりと割り込んで発言した。

「そういうことだよね。
 『甲16号作戦』に参戦していたソ連軍は、そのまま居座って中華人民解放軍の増援と化しているしね。
 ハイヴ攻略作戦の完遂後の事だし、中華人民共和国の要請に応じたって形になるから、バンクーバー条約にも抵触しないからね。
 今回は、さすがの白銀くんも、すっかり裏をかかれたって感じかな?」

「ん? まあな。」

 晴子の問いに、言葉短く応え、武は暫し黙考する。
 『大亜細亜社会主義同盟』の成立を画策していると言う情報は、実を言えば事前に入手済みであった。
 しかし、武も夕呼も、甲18号(ウランバートルハイヴ)と甲14号(敦煌ハイヴ)の攻略さえ済んでいない内に、ここまで強硬な軍事的示威行為を行うとは思わなかったのである。

 それほど、中華人民共和国の共産党政府は、中華民国の主導による復興と、それに続く実効支配を忌避していたと言う事なのだろう。
 しかし、こうなってしまうと、実際に内戦が始まってしまったならともかく、そうでなければ復興援助を要請されれば断るに十分な理由も見つけられない。
 そうなれば、BETA占領以前に国土を実効支配していた、中華人民共和国の主導による復興も成立する余地が生じる。

 一方、中華民国が自身の主導による復興を強行しようとすれば、即座に内戦へと発展する可能性が高い。
 そうなれば、国際世論はBETAの掃討が完了していない以上、内戦状態の解消を強く求める事になるだろう。
 そしてそれは、中華民国と中華人民共和国に対して太い交渉ラインを保有している、米国とソ連の影響力を高める事に繋がる。

 恐らくは、米ソ両国の最終的な狙いはそこにこそあり、現時点では中国領土の帰趨は定まらないと読んでいるに違いない。
 最終的には、中国を二分して、東西両陣営の緩衝地帯と化す構想で、秘密協定が結ばれていてもおかしくないと武は思う。

 黙考を続ける武に、周囲の面々の真剣な眼差しが集まる。
 その場に居合わせた全員が、武から何かしらの打開策が告げられる事を期待しているのだ。
 否、この場でたった1人だけ、武に打開策を求めない人物がいた。

「―――ねえ、そんな国家レベルの事にまで、タケルちゃんが頭を悩ませなきゃいけないの?
 タケルちゃんは、BETAを退治する作戦だけ練ってれば、それで十分なんじゃないの?
 なんでもかんでも、タケルちゃんがどうにかしなきゃいけないのかな?」

 唇を尖らせ、更には太い眉を寄せ、癖っ毛をピンと突き立てた純夏が、そう不満げに言い放つ。
 その言葉を聞いた面々は、一瞬虚を突かれた様な表情を浮かべた後、皆、自身の行いを恥じるかのように視線を逸らす。
 何時の間にか、武の判断に全てを委ねようとしていた自分達の心を恥じたのである。

「何言ってんだよ、純夏。
 こんなの只の世間話だろ? オレなんかが何したって、国際情勢がどうにかできる訳ないって。
 要するに、机上の空論だよ。こうやって色々と考えておく事で、今後の状況の変化に備えてるだけだ。
 なんたって、内戦が起きるかもしれないとこに出張って、ハイヴ攻略をしなきゃなんないかもしれないんだからさ。」

 しかし、純夏の言葉を契機に沈んだ場の空気を一掃すべく、武が敢えて軽い口調で言葉を連ねる。
 純夏以外の面々は、その武の言葉が虚偽であり、今までも、そしてこれからも、武が国際情勢に多大な影響を与えるに違いないと確信している。

 ところが、純夏の抱く武に対する認識では、TVや新聞を通じて知らされる、BETA大戦の英雄としての姿以外には、夕呼の良く解からない実験の被検体にされている事や、原因不明の世界転移もどきに巻き込まれているくらいの印象しか存在しない。
 その為、武の影響力の大きさを、今一つ実感できない為、武の主張に疑惑を感じながらも、否定し切れずについつい思考が脇道へと逸れてしまう。

「ほんとかなあ? なんか、タケルちゃんだと、何でもかんでも抱え込んじゃうような気がするんだよね~。
 どうせ抱え込むなら、あたし達の気持を受け入れて、優しく抱え込んでくれればいいのにさ~。
 ねえ、霞ちゃん?」

「どうでしょう……白銀さんですから、難しいかもしれないです……」

 純夏の問い掛けに、目を伏せて淡々と応えた霞に誘導され、純夏はそのまま武への愚痴を連ね始める。
 上手く話を逸らしてくれた霞に感謝しながらも、なんとなく酷評された様な気になってしまって、密かに落ち込む武であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2007年04月13日(金)

 22時01分、B8フロアの晴子の部屋を、夜間演習後に、報告書の作成と提出を多恵に厳命する事で、ようやく1人で行動できる時間を捻出した茜が訪ねていた。

「そう言えば、晴子の弟が衛士訓練校に入隊したんだって?
 いきなり霞ちゃんをウサギ呼ばわりしたもんだから、変態かと思ったって鑑が言ってたわよ。」

 晴子に供された合成玉露を飲みながら、暫し歓談した所を見計らって、茜は先日純夏から聞いた話題を振ってみた。
 冗談交じりで話題にしている様に取り繕ってはいたが、茜は晴子が弟達に軍人になって欲しくないと願っていた事を知っている。
 その為、弟の衛士訓練学校への入隊で、晴子が悩んでいないかを気にして、茜は探りをいれてみたのであった。

「あ~、あれね~。
 あたしが霞ちゃんの見た目や言動を話してやってたら、テルの奴、すっかり夢中になっちゃってね。
 オレも横浜基地の衛士になって、生霞ちゃんを見るんだ~って…………
 はぁ~、まさか本当に志願するとは思ってもみなかったなぁ。」

 茜が注視する中、晴子は苦笑を浮かべると、ぼやく様に事情を説明する。
 それを見て、差し当たって問題は無さそうだと当りを付けた茜は、笑い声を上げて相槌を打った。

「あはは。随分と熱血な弟くんだね!」

「まあねえ。でも―――」

 と、ここで晴子はニンマリと、何かしら企んでいる事が明白な笑みを浮かべると、茜を横目で一瞥した。
 そんな晴子に、猛烈な悪寒を感じて椅子ごと後ずさる茜。

「―――どっかの誰かさんみたいに、初対面で姉の背後に隠れたり、大声で泣いちゃったり、話すらできなかったりしなかったのは、褒めてやってもいいかなあ。」

 晴子が例に上げたのは、姉の遙から聞いた水月の話に、茜がすっかり夢中になって憧れていた頃に、茜自身が曝した醜態の数々であった。
 顔から火が出るほどの羞恥に身悶えしながら、茜は事あるごとに同期にこの話を暴露して回った姉―――遙を心中で呪った。

「ぐっ……は、晴子ぉ~~~~!
 その話は忘れてって言ったでしょ?!」

「あはははは! 中隊長にもなって、後輩達には聞かせらんない話だよねえ、涼宮大尉殿?」

 茜が必死に懇願する姿を、呵々大笑していなす晴子。
 もしこの話が部下達にまで広まったら―――そう思っただけで悪寒に襲われた茜は、なんとか反撃しようとするが適当な台詞が思い付かない。
 結局茜が口にしたのは、出来の悪い厭味にしかならない言葉であった。

「晴子ッ! あんただって中隊長でしょ?!
 もう少し言動に気を付けた方がいいんじゃないの!?」

 勿論、晴子はこの程度の厭味では動じたりしない。
 軽く居直って見せると、そろそろ本題に移れと茜をせっつく。

「うちの中隊の連中は、これっくらい慣れっこだって。
 何しろ、次席指揮官が鎧衣だからね~。
 茜の所のみんなだって、いい加減、多恵の言動には慣れた頃なんじゃない?
 ―――まあ、冗談はこの辺にしといて、今日の本題は何?
 わざわざ多恵抜きで来たんだ、テルの話が本題じゃないよね?」

「う……えっと……ほら、こないだ頼んどいた、穂村衛生兵と館花軍医の件なんだけど……」

 完全に主導権を持って行かれた茜が、口籠った挙句に白旗を上げて用件を切り出す。
 すると、晴子は得たりと頷いて情報を提供―――

「ああ、あれね。一応新しいネタも仕入れてあるよ。
 例えば、最近『イスミ・ヴァルキリーズ』の誰かさんが、ちょくちょくモトコ研に顔を出してるとか……」

 ―――すると見せかけて、更に茜をからかって見せる。

「ええっ!? たった3回行っただけなのに、もう噂になってるの?!」

 それを真に受けた茜が、驚きの叫びを上げると、晴子はニヤリと悪魔の様な笑みを浮かべてのたまった。

「へぇ~、3回行ったんだ。
 これでようやく裏が取れたよ。
 実を言うと、茜が館花軍医とモトコ研で話してたって情報しか解かってなかったんだよね。」

「は~るぅ~こぉ~~~っ!」

 さすがにここまで良いように弄ばれては、茜の堪忍袋の緒も切れると言うものである。
 腹の底から絞り出した様な茜の声を聞いて、晴子はあっさりと態度を翻し茜を宥める。

「解かったってば、ほら、情報話すから落ち着きなって。」

「…………誰のせいよ、全く!」

 毒吐きながらも、晴子から情報を聞きたい茜は、渋々呼吸を整えて気を静める。
 それを見て取った晴子は、ようやく茜が欲しているであろう情報を語り始めた。

 事の起こりは、遙が交通事故の時に世話になった館花医師を、帝都で愛美―――穂村衛生兵が尾行していたのを、偶々茜が目撃した事であった。
 愛美の行動を不審に思った茜が、晴子に調査を依頼したのだが、暫くして愛美の奇行は納まったという話だったので、その後茜は興味を失っていた。
 ところが、暫く前になって、なんと横浜基地内で軍装を纏った館花医師と愛美が言い争っている所に、またもや茜は出くわしてしまったのである。

 その場で事態の収拾に動いた茜は、軍装を纏った人物が、遙を診療した館花医師の三つ子の弟であり、モトコ研に所属する軍医であると知る事となった。
 その場は、茜の叱責と、館花軍医の説得で愛美は引き下がったものの、茜は念の為に晴子に追跡調査を依頼していたのである。
 そして、晴子の追跡調査の結果はと言えば―――

「―――さて、穂村衛生兵の話だけど、どうやら彼女、相当思い込みの強いタイプらしくてね。
 館花軍医を昔好きだった人の、生まれ変わりかなんかだと思ってたみたいだよ?」

「生まれ変わりって……前世で好きだったとか、そう言うの?」

 しかし、茜はようやく出て来た情報の突飛さに、眉を寄せて不審気に訊ね返す。
 それに、疑問は尤もだと言わんばかりに頷きを返すと、晴子は更に説明を加える。

「その辺が凄くってね。『明星作戦』で戦死した衛士だって言うんだ。
 ―――あ、そんな顔しないでよ。
 どう考えても、その衛士と館花先生はほぼ同年代ってことになるから、生まれ変わりの筈はないって言いたいんでしょ?
 あたしだってそう思うけど、穂村衛生兵はそう思わなかったみたいなんだよね。
 だから、『凄い』って言ったんだよ。」

「どうかしてるわね。」

 とくとくと説明した晴子に対して、茜は呆れ返った様子を隠さずに応じた。
 そんな反応が返って来るのも折り込み済みだったのか、晴子は軽く流して話を続ける。

「まあ、霊魂が憑依したとか、そう言う解釈だったのかもね。
 で、その戦死した衛士ってのが、どうやら帝国陸軍白陵基地衛士訓練学校第207訓練小隊の卒業生だったらしくてね。」

 晴子の話に、半ば呆然として、呟きを発する茜。

「え? それって、お姉ちゃん達と同じ……」

 晴子が語ったのは、国連軍横浜基地衛士訓練学校が開校される以前に、A-01連隊の候補者を集めて訓練していた訓練校の部隊名であった。
 そしてそれは、遙と水月が入隊した部隊の名称であり、茜にとって忘れられない部隊名だったからである。

「そう、どうやらその衛士は、あたしらの先輩だったみたいなんだ。
 そこまで分かれば、十中八九、A-01連隊の衛士として『明星作戦』に参戦していた筈だから、詳細は軍機になってて追っかけられない。
 伊隅中佐や葵さん、葉子さん辺りに聞けば解かるかもしれないけど、興味本位で聞ける話じゃないしね。」

 そして、その部隊が自分達が入隊した訓練校の前身である事を、情報通である晴子も熟知していた。
 そこまで聞けば、その衛士に関する情報の半ば以上が、軍事機密の分厚い壁の向こう側に隠されてしまっているだろうと、茜にも容易に想像が付いた。

「そっか……それじゃあ、しょうがないね。」

 それ故に諦めの声を上げた茜に、晴子は得意げな笑みを浮かべて見せる。

「ちょっと茜、諦めるのが早過ぎるって。
 そこであたしは機転を利かして、駄目元で京塚のおばちゃんに話を聞いてみたって訳。
 そうしたら大当たり! 訓練兵時代から目立つ男性(ひと)だったらしくてね。
 京塚のおばちゃんが当時一緒に撮った写真を持ってたんだよ。」

 そう言って、晴子は色褪せた1枚の写真のコピーを取り出す。
 そこには、1人の男性訓練兵と、迷惑そうに眉を顰めながらも、そこはかとなく口元が緩んでいる、割烹着姿の京塚のおばちゃんが写っていた。
 その写真を見た途端に、茜は一切の動きを止め、その男性を凝視してしまったのだが、珍しく晴子はそれには気付かず、得意げに集めて来た情報を語り続ける。

「どうやら速瀬中佐や涼宮少佐と同期だったらしいよ。
 もう1人、別の男性衛士と4人で、ちょっとした騒動を起こす事が多かったから、良く覚えてるって京塚のおばちゃんが言ってたよ。
 名前は―――鳴海孝之って言うんだってさ。」

「ナルミ、タカユキ?」

 愕然とした表情で、オウム返しに呟きを発した茜に、今度こそ晴子も茜の様子がおかしい事に気付く。

「うん。―――まさか茜、知ってる人だったとか?」

 茜の様子を案ずるように、原因を慎重に探るように、そっと言葉をかける晴子。
 それに、夢から醒めたかのように、目を瞬きさせた茜は、言葉を濁しながらも応じて見せた。

「え? あっ―――うん。
 お姉ちゃんに届け物があって、面会に行った時にちょっとね…………そっか、あの人が……
 あ、ありがとう晴子。他にもなんかある?」

 途中、僅かな時間ではあったが、物想いに耽った後、茜は話を切り上げにかかった。

「え~と、後は―――茜が出くわしたって言う館花軍医との一件の後、穂村衛生兵は一時期落ち込んでたらしいんだけど、今じゃ立ち直ってて、でもって館花軍医の事は諦めたって話。
 ―――そんなとこかな。
 けど、茜、何か気になる事でもあった?
 なんか調子が変だよ?」

 茜の意図を察して、残りの情報を手短に伝えた晴子だったが、茜を案じて重ねて訊ねる。
 しかし、茜は顔の前で両手を拝む様に合わせると、頭を下げて晴子に追究を断念するよう頼み込んだ。

「ごめん、晴子! ちょっと今、自分でも整理できてないから聞かないでくれる?
 情報集めて貰っといて悪いんだけど、お願い!」

「―――ま、しょうがないか~。
 一つ貸しだよ? 茜。」

 そんな茜の様子に、今日の所は追究を諦めた晴子は、軽い調子であっさりと身を引いて見せた。

「うん、借りとく。
 本当にありがとうね、晴子。―――あ、このコピー貰っても良いかな?」

 そんな晴子に感謝しつつ、茜は写真のコピーを貰えないか尋ねる。
 晴子は即座にコピーを譲り渡すと、茜に自室に戻って休養を取るように勧めた。

「ああ、それね。上げるから、部屋に戻って落ち着きなよ。ね?」

「うん、そうするね。じゃ、またね、晴子!」

 茜は晴子の言葉に素直に応じると、大事そうにコピーをしまって、自室へと帰っていくのであった。



 そして、自室に戻った茜は、事務机の椅子に腰掛け、コピーに写っている、今となっては年下にしか見えない孝之の姿を見詰めていた。
 そこに写っている姿と殆ど変らない孝之に、当時の茜は2度程遭遇していた。

 水月に会いたい一心で、実姉遙への用事を捻り出し訓練学校まで面会しに出向いた茜は、姉を探している最中に孝之と初めて遭遇した。
 その時は、遙の居そうな場所までの道筋を教わるついでに、水月の話を強請ったのだが、当時の茜には悪口にしか聞こえない孝之の話に、脛を思い切り蹴飛ばして別れる顛末となった。

 次に会ったのは、総戦技演習で事故に遭い、入院した遙を見舞った帰りであった。
 前回の遭遇で、遙の妹であると知っていた孝之が、気落ちしている茜を見かけて励まそうと声をかけたのである。
 その時は、姉が衛士になれないなどとは思ってもいなかった為、孝之のしどろもどろな励ましの言葉でも大分気が紛れた事を、茜は今でもはっきりと覚えている。

 2度とも、名前も聞かずに別れてしまったのだが、その後、孝之は茜に汚い字とぶっきらぼうな内容ながら、何度か遙と水月の現況を知らせる便りをくれた。
 しかし、水月にからかわれるのを避ける為か、その手紙にも孝之は名前を記さなかったので、今日に至るまで茜はあの惚けた訓練兵が、水月と遙の片思いの相手とは気付かずにいたのだ。
 それが、今になって急に明らかとなり、茜は当時の自分を思い起こして、自分が孝之に仄かな好意を抱いていた事にも気付いてしまった。

 A-01連隊に配属となり、あの訓練兵も死んだのだと悟った時には、孝之を喪って悲嘆にくれた水月と遙を見ていただけに、それ程心が揺れなかった茜だったが、今になって思い返してみると喪失感が弥増すようにさえ思える。
 自分も結構鈍感だったんだな―――と、茜は思い。
 白銀の事を笑えないな―――と、寂しげな笑みを浮かべた。

 そして、もう一度写真のコピーに目をやった時、孝之の顔に武の顔がダブって見えた。
 ふと首を傾げた茜だったが、そういえば何処となく雰囲気が似ているなと、何とは無しに納得した。
 自分の相手をしながら、妙に腰の引けていた孝之と、女性相手でどうにも押しの弱い武に、類似点を見出したのだ。

 ―――と、そこで何故か館花軍医の顔が脳裏に浮かび、くすりと茜は笑みを零した。
 そう言えば、館花軍医も愛美相手に腰が引けていた事を思い出したのである。

 思いがけない情報に触れて、少し動顛していた茜だったが、何時の間にか気持ちが落ち着いてる事を、その時になって自覚した。
 何れにせよ、孝之の事は、自分にとっては過去の事だと、茜はそう自分に言い聞かせてコピーを引き出しにしまい込んだ。

 明日も訓練が待っており、1月後には『甲08号作戦』が実施される。
 中隊長として、部下達を鍛え、実戦に備えなければならない。
 茜は自身を鼓舞すると、就寝前に汗を流す為にシャワールームへと姿を消した。

 思いがけない過去との再会の余韻も、洗い流す為に。




[3277] 第133話 其は牙無き者の為に
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/05/31 17:19

第133話 其は牙無き者の為に

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 お知らせ:おまけとのリンク告知
 今話の内容は、拙作含まれるおまけ『何時か辿り着けるかもしれないお話3』(第24話)並びに『何時か辿り着けるかもしれないお話5』(第31話)、『何時か辿り着けるかもしれないお話9』(第39話)、『何時か辿り着けるかもしれないお話14』(第67話)、『何時か辿り着けるかもしれないお話17』(第71話)とリンクしております。
 今回も、数が多くて恐縮ではありますが、もし気が向かれましたら、そちらもご参照願えると幸いです。
 また、第132話と重複する話が多い為、前回ご参照願えた方は『~お話5』と『~お話17』の2話をご参照願えれば十分かと存じます。
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2008年09月17日(水)

 22時17分、国連軍横浜基地B8フロアに存在する遙の居室に、茜の叫び声が響き渡った。

「え~~~~~っ!! お姉ちゃんたち、婚約受けちゃったの?!」

 茜の声に、目をつぶり首を竦めた遙だったが、片目を薄らと開くとなにやら弁解らしき言葉を紡ぎ出す。

「う、うん……あ、でもね、もちろん結婚は早くても地球奪還後になるから、大分先になるって事は納得して貰ってるんだよ?
 それに―――」
「ちょっとまった、遙。
 茜、あんたちょっと反応が変じゃない?
 普通、相手が誰かとか、そっちの反応が―――」

 しかし、そんな遙の言葉に同席していた水月が割って入り、眉を顰めると不審気に茜を問い質す。
 が、問われた茜の方は、何を今更と言わんばかりの調子であっさりと応じる。

「え? だって、私お姉ちゃんと速瀬中佐の相手知ってるもん。
 館花先生―――お姉ちゃんが一郎さんで、速瀬中佐が二郎さんだよね?」

「え?」「あ、茜、なんであんたが!」

 そんな茜の応えに、驚愕で目を見開く遙と水月。
 1月ほど前の事になるが、遙と水月は3年越しの交際を経て、とある男性と想いを交わし結婚の約束をするまでに至っていた。
 その後、婚約の直前に至るまで、互いの交際相手が実の兄弟であったという事実に、全く気付いていなかった遙と水月は、状況把握や心境の整理、自分達の置かれた環境の分析と、直属の上官である武とみちるへの相談に1月の期間を費やした。
 その上で、なにはともあれ自分達の婚約という事実を、まずは茜へと伝える事にしたのであった。

 当然、寝耳に水の告白に茜が驚愕する事は織り込み済みであった遙と水月だったが、まさか茜が既に自分達の交際相手を承知しているとは予想だにしていなかった。
 それ故に、驚愕に声を失う遙と水月に、茜はまたもやあっさりと言い放つ。

「そりゃ知ってるよ。モトコ先生の研究室に所属してる館花軍医のお兄さんたちでしょ?
 館花軍医から、よくお姉ちゃん達の事聞かれるもん。
 そもそもは―――」

 実を言うと遙も水月も、自分達の交際相手である館花医師達の名前が一郎と二郎であったという事や、2人が三つ子であり残る1人―――三男である三郎がモトコ研に所属する軍医である事さえ、最近になるまで知らずにいた。
 我ながら間の抜けた話ではあると自覚があるだけに、自分達が見逃していた情報を茜が以前より知っていたという事実が、遙と水月には衝撃的であった。

 茜はそんな2人の心情を知ってか知らないでか、自身がひょんな事から穂村愛美衛生兵の館花医師に対する不審な行動に接し、そこから情報を集め、最終的には愛美が館花軍医相手に横浜基地内で愁嘆場を演じている所に出くわすまでの話を淡々と語る。
 その一件以来、愛美が館花兄弟に対する執着を失ったらしい事を告げて、一通りの説明を締めくくった茜だったが、最初は驚くばかりであった水月の視線が、徐々に鋭さを増して行くのに内心背筋が冷える思いであった。

 そんな水月の様子に怯える茜に、ほんわかとした笑みを浮かべた遙が、水月に先んじて言葉を発する。

「ふ~ん、なるほどね~。時々、一郎さんが妙に私の好みとか弁えてたのは、茜のお陰だったんだ?」

 おっとりと問いかける遙の笑顔の奥に、黒々とした想念を感じ取った茜は悪寒に身を強張らせる。
 しかも、そんな茜に対して更なる水月の追い打ちがかかる。

「茜―――つまりは、あ・ん・た・が! スパイだったって訳ね!?」

 遙の笑顔と水月の眼光に左右から圧迫された茜は、顔を引き攣らせながらも乾いた笑いを発して、なんとか反撃を試みた。

「あ、あはは……そ、それよりも、お姉ちゃん達が最近まで、館花先生達が三つ子だって知らなかったって方が驚きだよ。」

「「 ……………… 」」

 苦し紛れで放った茜の言葉であったが、思いの外相手の急所を貫いたらしく、遙と水月は羞恥に頬を染めて視線を外した。
 そんな2人の様子に、ほっと胸を撫で下ろした茜だったが、今度は腕組みをして何やら悩み始める。

「でもなぁ……そっかぁ~、婚約受けちゃったのかぁ~。
 う~ん……どうしようかなあ…………」

 そんな茜の様子と、先程からの発言内容から、おおよその事情を察した遙は、恐る恐る茜側の事情を確認しようと話しかけた。

「茜……もしかして、あなたも、その……館花軍医と…………」

 その問い掛けに、自身の思索を中断し視線を上げた茜だったが、遙の問い掛けの真意を察すると、即座に頬を染めて視線を横へと逸らす。
 そして、それでも照れくさそうに遙の問いに応えたのだが―――

「あ……そ、そっか……お姉ちゃん達が聞いてる訳ないよね……
 うん……えっと、去年ね、その……館花軍医からプ……プロポーズして貰ったんだけど、その……
 ―――断っちゃったんだ。」

「「 断った?! 」」

 ―――茜の言葉を聞いた遙と水月は、唖然とした表情で異口同音に声を発する。
 どう見ても、茜も館花軍医とやらを憎からず想っている―――それは、先程からの茜の話の端々に滲む想いから十分窺い知れる事であった。
 それ故に、茜がプロポーズを―――しかも自分達よりも遥かに以前に―――された上で、それを断っていた事に驚愕したのである。

「うん―――だ、だって、ほら!
 一昨年の『甲16号作戦』後から、統一中華戦線が何時内戦状態になっても不思議じゃない状態だったし……
 米ソに加えて、中東もキナ臭くなってたから…………」

 そんな2人の、茜としては過剰とも思える反応に、頬を人差し指で掻きながら、茜はプロポーズを断った理由を弁解じみた口調で語っていく。

 2006年10月の末、『甲16号作戦』完遂直後に声明が出された『大亜細亜社会主義同盟』。
 即ち、中華人民共和国とソ連の間で結ばれた軍事同盟の成立により、中華人民共和国は、中華民国とソ連の2カ国と同時に軍事同盟を結ぶ事となった。
 ただし、対BETA共闘と、中華民国から国土を失った中華人民共和国への、経済援助を柱とする統一中華戦線に対して、大亜細亜社会主義同盟の方は、アジア圏に於ける中華人民共和国とソ連の領有権堅持を目的とした軍事同盟である。

 元来、BETA大戦勃発以前の情勢では、中華人民共和国と中華民国は互いに主張する領有権を争っていた。
 その時点での情勢では、ソ連の支援を受けた中華人民共和国が優勢であり、中華民国は台湾島へと閉塞せしめられ国土の支配権をほぼ全面的に失っていた。
 しかしその後、BETAの東進により中華人民共和国が国土のほぼ全てを失った事で、BETAの台湾上陸を阻止したい中華民国と、国土奪還を切望する中華人民共和国との間で、統一中華戦線が成立する事となったのである。

 そして、国連主導による大陸奪還作戦が推進され、国土をBETA占領下より取り戻しつつある情勢に鑑み、中華人民共和国は経済力に於いて大きく水をあけられている中華民国に領土を奪還されない為に、再びソ連の支援を仰ぎ軍事同盟を成立させたのである。
 当然この動きは中華民国の強い反発を招き、中華民国は米国に対して支援を仰いだ上で、中華人民共和国との間で軍事的緊張を高めていった。
 しかし、その最中に出された日本帝国政威大将軍煌武院悠陽の声明により、内戦勃発直前まで悪化した情勢はやや沈静化する事となる。

 悠陽の声明の主文は、下記の様なものであった―――

「大陸に於けるBETA被支配領土の奪還を果たされた諸国に対して、我が国は全面的な支援を約しこれまでも成し得る限りを成してまいりました。
 そして、これより後もその方針に変わりはございません。
 とは言え、我が国の成し得る支援の総量に限りがある事は自明の理でございます。
 それ故、此度、統一中華戦線がアメリカ合衆国並びにソビエト連邦の2大国の支援を仰ぐに至った事は、誠に慶賀の至りであると存じます。
 何故ならば、2大国の支援を得た統一中華戦線は、その国土の復興を十全に成し得るに違いないからです。
 我が国は、前述の如き判断に基づき、統一中華戦線に対する支援を米ソ両国に委ね、それにより生じた余力により統一中華戦線以外の諸国に対し一層手厚い支援を行う事と定めました。
 米ソ両国の手厚い支援により、統一中華戦線が成し遂げられるであろう速やかなる復興に、その他諸国が後れを取る事の無きよう、我が国は今後も成し得る限りの支援を続ける所存でございます。」

 ―――この声明に於いて、悠陽は領土争いから内戦へと至ろうとしている統一中華戦線の情勢を、米ソ両国の手厚い支援により、統一中華戦線は速やかな復興へと至る環境を獲得したという強引な見解へとすり替えてしまった。
 そして、統一中華戦線の復興支援を米ソに完全に委ねてしまう事で、統一中華戦線の緊迫した情勢に対する帝国の不干渉を暗示した上で、支援の一方的な打ち切りまで正当化してしまったのである。

 国際政治の中で、統一中華戦線に対する影響力を誇示しようとしていた米ソ両国は、大国と持ち上げられた上で統一中華戦線の復興支援は両国だけで十分賄えるとの悠陽の評価を、内心はともかく表面上は追認せざるを得なかった。
 そして、米ソの台頭を望まぬ諸国はこぞって悠陽の声明に同調し、米ソを統一中華戦線の後見と見做す声明を発した。
 これにより、統一中華戦線の情勢に関して、米ソは不本意ながらも、今後の情勢に対して責任の所在を問われる立場へと追いやられる事となったのである。

 このような情勢下で、統一中華戦線で内戦でも勃発しようものなら米ソ両国は面目を失う事となってしまう為、両国は懸命に中華人民共和国と中華民国の仲裁を行う羽目になった。
 その甲斐あってか、統一中華戦線内部での軍事的緊張は未だ続いてはいるものの、内戦だけは回避され、2007年中頃より復興担当地域の策定交渉が開始され、今年―――2008年に入って遅まきながらようやく復興事業も開始された。

 米ソは、統一中華戦線に対する支援を行ってはいたが、広大な領土を持つ大国中国の再生は望んでいない。
 それ故に、統一中華戦線の主張する国土を南北に分断し、中華民国と中華人民共和国に分割統治させる事を望んでいる。
 中華民国と中華人民共和国はそれを察してはいるものの、米ソの何れかに手を退かれてしまえば、内戦を経て敗北へと至る道筋しか見いだせない為、米ソ両国の思惑に乗らざるを得ない立場へと陥ってしまった。

 斯くして、悠陽の声明により統一中華戦線を巡る情勢は、米中ソの3カ国の問題として国際情勢から切り離され、国連加盟諸国の冷ややかな傍観の中、軍事的緊張を孕みつつも綱渡りの如き復興に着手する事となったのである。

 とは言え、現状定まっているのは復興担当地域の分担だけであり、中華民国も中華人民共和国も、共に国土の領有権を取り下げてはいない。
 今は国土の復興と国力の充実を図っているだけであって、いつ何時領有権を争って内戦に突入してもおかしくない情勢である事に違いはなかった。

 また、内戦の火種が存在するのは統一中華戦線に限った事ではない。
 大陸奪還作戦の初期にハイヴが攻略され、国土奪還と復興が進んだ中東に於いては、君主制国家や君主制でなくとも比較的独裁色の強い各国の現政権に対し、宗教や民族運動を背景とした民衆による反政府活動が活発化している。
 また、国連の要請と、大陸奪還作戦に先立って国土を奪還した日本帝国の、対価を求めようとせずに行っている大陸復興支援の積極的な姿勢により、あからさまな振舞いや発言こそ控えられているものの、諸国の間で軋轢が生じ始めたのである。

 BETA侵攻の被害を被らず繁栄を謳歌している後方国家群と、BETA侵攻により国力を大幅に削られる事となった国家群の国力差から生じた軋轢。
 更には、国土をBETAに占領された国家同士の間でも、早期に復興に着手した国家群と、未だに復興に着手できない国家群で、対BETA戦争に対する熱意の差から生じた軋轢。
 それに加えて、人類滅亡と言う究極の脅威による圧迫感から脱しつつある事で生じた、開放感や安堵感に起因する様々な反動的な要望や各種運動。
 この時期、まるでBETAに向けていた敵意を、新たに振り向ける先を探すかのように、人類社会の中に多数の争いの種が芽吹こうとしていたのである。

 BETAハイヴの排除を主軸とする大陸奪還作戦こそ順調に進展していたとはいえ、この様な情勢下では何時人間同士の戦闘に巻き込まれてもおかしくない。
 既に相手の手の内を読み切ったとさえ言える対BETA戦と異なり、人間相手の戦闘ではこれまでの様な一方的に有利な戦況は望めないだろう。
 そして、なによりも、自身の手を人間の血で染める事になるかもしれない―――そう思ったからこそ、茜はプロポーズを断っていた。

 いや―――正確に言うならば茜は自身の想いに流され、はっきりと断るべきだと思いつつも、プロポーズに応えられるようになるまで待っていて欲しいと、そう我儘を言ってしまったのだと自分では思っている。
 その辺りの事情は、以前に夕呼から、大陸奪還作戦の目途が付くまでは退官させないと言い渡された姉達も同様だと、茜はそう思い込んでいた。
 それ故に、姉達がある意味あっさりと婚約を受け入れたと聞いて、驚いてしまったのである。

 だからこそ、殆ど同じ立場でありながら、自分と異なる答えを出した姉達に、茜は自身がプロポーズされた時に感じた不安を言い立ててしまう。

「ねえ、お姉ちゃん……婚約なんかしちゃって、大丈夫なの?
 明日にも人間相手の戦闘に、出撃する事になったっておかしくない情勢なんだよ?
 ある意味、今となってはBETAなんかより、ずっとずっと怖い相手との―――」
「茜―――BETAとばかり戦ってきたあなたが、不安に感じてしまうのは無理ないよ。
 でもね、その事は、出来るだけ割り切って考えた方がいいと思うな。」

 茜の言葉にやんわりと被せる様に、遙はゆっくりとした口調で妹に言い聞かせる。
 その声音は優しげでありながら、同時に悲壮さと厳しさをも、その内に宿していた。
 そして、そんな遙の隣から、茜をじっと見つめる水月の目にも、茜を案じる優しさの奥に、隠し切れない悲哀と冷厳さが湛えられていた。

 それを聞き、そして目の当たりにした事で、茜は2人が任官してから自分が任官するまでの僅かな期間に、軍人として歩んだのであろう過酷な道程を垣間見た様な気がした。
 そして、自身が如何に恵まれた環境下で戦ってこれたのかを悟ると共に、今後は今まで以上の覚悟を持って軍人としての務めを果たそうと決めた。
 茜の眼差しの中に、その決意を見出した遙と水月は、互いに視線を合わせて満足気な笑みを浮かべる。

 そして、茜へと視線を戻した水月は、不敵な笑みと共に言って退けるのであった。

「どうやら、解かったみたいじゃないの、茜。
 先の事なんて、くよくよ悩んだって仕方ないってね!
 どうせ、あたし達には逃げ道なんてないんだから、後は力づくで切り抜けて、未来を自力で掴み取るだけよ!
 だから茜、未来を恐れないで、自分の欲しいものは貪欲に求めなさい。」

 水月の言葉に、茜は力強く頷きを返し、そんな妹を遙が嬉しそうな笑みを浮かべて見守っていた。

 ―――茜が館花軍医の許を訪ねて、婚約を受け入れると告げたのは、この翌日の事であった。
 しかし、この時は未だ、茜は自身が『拡大婚姻法』の適用を申請する羽目になる等とは、欠片も予想していなかった。
 ましてや、3日後の多恵の誕生日に、貞操の危機に瀕する事など―――

  ● ● ○ ○ ○ ○

2009年11月12日(木)

 19時01分、国連軍横浜基地のブリーフィングルームに武と美琴の姿があった。

「―――美琴、これから話す事は、お前個人にとっても重大な話だ。
 だから、茶化さないで、しっかりと聞いてくれよ。」

 ブリーフィングルームで向かい合わせに腰掛けるなり、美琴の事を真剣な眼差しで見詰めた後、武は徐にそう切り出した。
 しかし、奇異な事に、この時ブリーフィングルームには武と美琴の2人しか居なかった。
 それもその筈、この日は非番の者を除き、A-01は夜間訓練の予定が入っている。
 今頃他の衛士等は、各中隊に分かれて訓練に励んでいる事であろう。

 その所為か、訓練を免除してまで、武が自分1人だけを呼び出して、こうして面と向かっている事に、美琴のテンションはこの上なくハイになっていた。

「個人的に大事な話?
 ―――タケル! もしかして、ボクにプロポーズしてくれるの?!」

 それ故に発せられた、妄想大爆発な台詞に、武は机を拳で叩いて怒鳴り声を上げる。

「茶化すなっていっただろっ?!」
「茶化してなんかないよ! 勘違いする様な事言うタケルが悪いんだよッ!!」

 しかし美琴は美琴で、欠片も怯むことなく即座に言い返し、剝れたような表情で腕を組み、視線を逸らした。
 そんな美琴の反応に、深く溜息を吐く武。
 この時、武は心中で、美琴を呼び出すに当たって、ブリーフィングルームを選択した自分を褒めていた。
 ブリーフィングルームでの会話でこの展開である、これが『伝説の木』の根元だったりしたら、どんな騒ぎになっていた事だろうか―――武はついそう考えてしまったが、慌ててその考えを振り払うと気を取り直して再び話し始める。

「はぁ…………オレの言い方が悪いってのかよ…………
 ―――解かった。まず最初にはっきりさせとくが、美琴、おまえに特殊任務について欲しい。
 今日、この場に来て貰ったのは、その件に関してだ。」

 任務と聞くなり、美琴は瞬時に視線を戻し、真剣な表情で武を見詰める。
 その切り替えの早さと集中力は、衛士として任官して以来8年に及ぶ軍歴と、中隊を任される指揮官としての立場に相応しいものであった。
 その様子に、満足気な頷きを返した武は話を続ける。

「オレが任官前からやってたみたいに、衛士としてA-01の任務をこなしながら、並行して特殊任務に従事して欲しい。
 任務の内容は、A-01のみんなにも秘密だ。
 当然激務になっちまうけど、デスクワークの方はオレがなるべくフォローしてやる。
 特殊任務の内容は引き受けて貰えない限り明かせないが、衛士としての軍務からはかけ離れているとだけは言っておく。
 どうだ? 引き受けてくれるか? 美琴。」

 特殊任務の内容は、軍機故に引き受けるまでは明かす事が出来ない。
 それ故に、内容も知らせずに判断を迫る自身の行いを、武は心苦しく感じていた。
 しかし、訓練兵の頃から武に信頼を寄せ、共に戦い続けて来た美琴にとっては、今更な質問であったと言えよう。

「勿論、引き受けるに決まってるじゃない。
 タケルが任官前からずっと特殊任務とA-01の任務を兼務してきたのを、ボク達はずっと見て来たんだよ?
 オルタネイティヴ4にとって、必要な任務なんだろうし、タケルの衛士として以外の仕事を少しでも減らせるんなら本望だよ!」

 それ故に、大した気負いもなく、美琴は即答した。
 それを聞いた、武は安堵に頬を緩ませ、美琴に礼を言う。

「そうか! 引き受けてくれてありがとな、美琴。
 この任務はA-01の中じゃおまえが最適だと思うんだ。
 それに……そろそろおまえも知っておいた方がいいだろうしな……」

 しかし、武は直ぐに、その眉を寄せて思案気な表情で言葉を濁してしまった。
 そんな武を、首を傾げ、覗き込むように上目遣いで見ながら、美琴は不審気な声を上げる。

「タケル?」
「おっと、その先は私の方から話させて貰おうか。シロガネタケル。」

 美琴の声に武が応じる間もなく、2人だけだと思っていた室内から発せられた声に、美琴は即座に席を蹴って立ち上がり、声の発信源から武を背後に庇うと、鋭い声で誰何した。

「誰っ?!」

 その右手は、先程まで腰かけていた椅子の背もたれにかけられており、いざとなったら美琴はそれを武器に立ち向かう覚悟であった。
 美琴に視線の先には、何時の間にかブリーフィングルームの角に位置する席にゆったりと腰かけていた、コートを羽織りパナマ帽を目深に被った男が居た。
 そして、その男はゆっくりと立ち上がり、芝居がかった仕草でパナマ帽を脱いで言葉を発した。

「私だ。我が息子よ―――」

 パナマ帽の陰から現れた実の父親の不敵な笑顔に、美琴は両の瞼を大きく見開いて驚愕の叫びを上げる。

「父さん?! 何で父さんがここに?
 やだなあ、驚かさないでよ~。暗殺者かと思っちゃったよ。
 あ、それから父さん、ボクはこれでもれっきとしした女の子なんだから、間違わないでよね?」

 そして、美琴は続け様に言いたい事を言い終えると、肩の力を抜き緊張を解く。
 そんな娘を前に、鎧衣課長は惚けた表情で自問自答する。

「ん? そうだったか?
 ―――ああ、息子の様な娘、だったな。いや、すまない、ついうっかりしてしまったようだ。
 まあ、今はそんな話はどうでもいい。
 美琴―――」

 しかし、そんな惚けた表情も束の間に過ぎず、きりりと表情を引き締めた鎧衣課長は、鋭い眼光を己が娘である美琴に向けてその名を呼ぶ。
 そんな父の様子に、再び緊張を漲らせた美琴は、固唾を飲んで言葉を待つ。
 緊迫した空気に、武も思わず身構えたのだが―――

「シロガネタケルとの挙式予定は何時頃だ?」

 ―――鎧衣課長の放った言葉に、思わず椅子から転げ落ちてしまった。
 そして、そんな武に追い打ちの様に、能天気な美琴の言葉が投げかけられる。

「う~ん、タケルも頑固だからね~。
 来年の春頃かなあ? それでいいよね? タケル!」

 その声に、反射的に床を叩いて上半身を起こした武は、美琴に向かって怒鳴り声を張り上げた。

「いいよね? じゃねえっ!!
 おまえらの想いは受け入れられないって、何度も言ってるだろッ!
 ……頼むからいい加減に諦めてくれよ…………」

 最後の方では泣きが入ってしまった武の言葉に、鎧衣課長は眉を寄せ、困惑したかの様な表情を取り繕って武を詰る。

「ふむ。折角私にも息子ができると思ったのだがな……
 老い先短い私のささやかな願いを打ち破るとは―――血も涙もないとはこの事か。
 嘆かわしい限りだな、シロガネタケル。」
「そうだよっ! 酷いよタケルぅ!!
 8年も待ったのに、まだ振り向いてくれないなんて!!」

 そんな鎧衣課長の言葉に美琴までもが便乗し、武を詰り始めた。

「あ~っ! うるさい、うるさい、うるさいッ!!
 美琴! 任務の話だって言っただろ?! 静かに聞けッ!!
 鎧衣課長も、仕事の話をして下さいっ!!!」

 2人の言葉を聞きながら、俯き加減のままふら~っと立ち上がった武は、両の拳を握りしめるとキッと顔を上げて叱声を上げた。

「ぶ~っ! わかったよ。」
「なんともまあ、融通の利かない事だな、シロガネタケル。
 だがまあ、仕方なかろう。今回は素直に退いておくとしよう。
 さて、我が娘よ、これまでお前にも語らずにきた、重大な秘密を今こそ明かそう。
 心して聞くがいい。」

 武の叱責に、不承不承頷く美琴だったが、再び真剣な表情となった鎧衣課長に、小首を傾げながらも視線を転じる。

「秘密? うん、わかったよ父さん。」

 大人しく話を聞く態勢になった娘を前に、鎧衣課長は姿勢を正すとフッとニヒルな笑みを浮かべて、朗々たる声で告げる。
 その声は、防音措置が施されているとは言え、廊下で誰かが聞き耳を立てていたならば、十分聞こえてしまいそうな声量であった。
 無論、武によって防諜態勢は万全とされている為、ここでの会話が他所に漏れる事はあり得ないのではあるが。

「うむ。お前にはずっと、私は商社勤務だと言ってきたが…………
 ―――貿易会社の営業課長とは世を忍ぶ仮の姿、しかしてその実体は!
 帝国情報省外務二課、課長!!
 政威大将軍殿下の為、日夜帝国を脅かさんとする謀略に立ち向かう、正義の僕だ!!!」

 そして、そんな父親の発言に、興奮も露わに美琴が問いを放つ。

「凄いっ! 凄いよ父さんッ!!
 それじゃあ、もしかして、殺しのライセンスも持ってるの?!」

「ふむ……我が娘よ、残念ながら、殺人許可証は架空の存在に過ぎない。
 無論、我が帝国に仇成す者を許しては置かないがね。」

 そのどこかずれた美琴の問いに、もっともらしい顔をした鎧衣課長が重々しく告げる。
 そんな親子のやり取りに、武は再び声を荒げて割って入った。

「いい加減にして下さいっ!
 そういう話は、真面目な話が終わった後、2人でゆっくりすればいいでしょうがッ!!」

「はぁ~……まったく余裕のない男だな、シロガネタケル。
 まあいい。話を続けるぞ、美琴。
 そして、我が帝国情報省外務二課は、オルタネイティヴ4発足以来、その活動を情報面で常に支えて来たのだ。」

 武の制止に、不本意そうな視線を投げ両肩を落とし、不平を洩らした鎧衣課長だったが、肩を竦めると真面目な表情で美琴に向き直って語り始めた。
 しかし、今度はその内容に、武が半ば独白する様に声を発する。

「ん? 改めて聞くと、オルタネイティヴ4発足が1995年ですから、足掛け14年ですか……
 2001年にオレが初めて鎧衣課長に会ってからでも、もう8年にもなるんですね。」

「うむ、その通りだシロガネタケル。
 だが、余りの激務故、私以外に務まる者が居なくてね。
 そろそろ、後進に任せて引退したいものだよ。」

 武の独白を聞き洩らさなかった鎧衣課長は、両手を肩の高さで広げると、気障な仕草で肩を竦めた。
 その言葉を聞いた武は、苦笑を浮かべながらも、やや慌てた様に言葉を紡ぐ。

「いや、そうそう簡単に鎧衣課長に辞められたら敵わないんで、勘弁して下さい。
 せめて、美琴が1人前になるまでは、ね。」

 武と父とのやり取りを、交互に視線を向けながら聞いていた美琴は、此処に至って目を丸くすると問いを放つ。

「え?! それじゃあ、タケルがボクに頼みたい特殊任務って……」

 そんな美琴に、武は重々しく頷くと特殊任務の内容を告げた。

「ああ、諜報活動だ。
 地球奪還まで、残すハイヴはあと7つ。
 ユーラシア大陸のBETA被占領国からも、復興が始まり国力を取り戻しつつある国々も出てきている。
 国際政治や、国内統制などで、様々な思惑が絡み合い、複雑な様相を呈してきている。
 地球奪還と速やかな復興、そして、その先に控える月奪還を達成する為にも、国際協調は欠かせない。
 間違っても、人類同士の戦いで、人命や装備、資源を浪費させる訳にはいかないんだ。」

 武の言葉に、美琴も真剣な眼差しで頷き同意を示した。
 その反応に満足気な笑みを閃かせて、武は話を続ける。

「今後はA-01の任務として、人類同士の紛争抑止や、最悪、勃発してしまった戦争行為の早期鎮圧などを行う可能性が考えられる。
 だからこそ、A-01独自の諜報要員を養成して、今後に備えようと思っている。
 その最初の一人、そして将来的には、その諜報要員達の指揮官を、美琴―――おまえに務めて欲しいんだ。」

 この時点で、未だに攻略されていないハイヴは、中国領の敦煌(ドゥンファン)ハイヴを除けば全てソ連領のハイヴである。
 そのソ連でさえ、極東を中心に全ての国土の3分の1以上が奪還されており、BETAに国土を占領されていた各国も奪還した国土の復興へとその軸足を移しつつあった。
 その為、大陸奪還作戦を主導するオルタネイティヴ4直属部隊として、A-01の任務内容も変化し、ハイヴ攻略作戦の中核戦力として派遣規模増大の他にも、対BETA防衛線の手薄な戦域への派遣や、復興支援を目的とした派遣も行われる様になっていた。

 中でも、復興支援に関しては、些か政治色の強い経緯が存在した。
 国土の復興に際して、多くの国家は生態系と市民生活の基盤、この2つの再生を優先して行った。
 しかし、ソ連や中華人民共和国等、幾つかの国々に於いては、首都や港湾都市等の一部を除き、採掘事業等の経済復興を民生に優先させると言う方針を打ち出したのである。

 国民生活の安定よりも、経済力の復興を優先するというこの方針は、国連に於いて様々な点から問題視される事となった。
 中でも殊更に問題視されたのは、人権問題と環境問題である。

 人権問題では、過酷な環境下で復興事業に当たる人々が被っている深刻な健康被害や、復興事業への参加を国家により強制されている事から人権侵害の疑い等の様々な点で、国際的な非難が湧き上がった。
 そして、環境問題に於いては、生態系の再生が後回しにされる事で、地球全体に於ける環境や気象の再生、更には食料自給率の回復が遅れる等の観点から、方針撤回を求める声があった。
 後者については、食料供給で大きな収益を得ている後方国家にとっては、必ずしも問題ばかりとも言えないのだが、既に始まっている爆発的な人口増加から、食料自給率の向上が急務である事は確かな為、生態系の再生優先との声に対する反論は極僅かに留まった。

 国連加盟各国の反対を、当初は内政干渉として拒否する姿勢を見せた中ソを代表とする国々であったが、食料自給率の向上に努めない場合、食料の輸出量を削減するとの生産各国の表明に、最終的には妥協する事となった。
 その結果が、国連組織―――具体的にはオルタネイティヴ4の主導による、自然環境復興事業の推進許可と、それに対する予算の拠出であった。
 つまるところ、金は出すから生態系の再生をやりたいならば勝手にやれという態度に出た訳である。

 差し当たって、この条件で国連内部の論争は一応の決着を見た。
 オルタネイティヴ4が多数の人材を必要としない、自律復興システムと、BETA由来技術によって生成された復興用動植物のノウハウを確立していた為であった。
 この役回りを、散々渋って幾つも条件を付けた上で、嫌々受けて見せた夕呼だったが、実を言えばオルタネイティヴ4が主導権を取れる様に事前に行った根回しが功を奏した結果であった。

 これにより、A-01を世界各地へと派遣し、紛争が発生しかねない地域に干渉。
 紛争抑止及び発生時の早期鎮圧が可能な状況を、整備する事が武と夕呼のそもそもの目的であった。

 現地での情報収集から、住民や反政府組織との接触とネゴシエーションなどは、現状では鎧衣課長の影響下にある人材に依頼して行っている。
 国連軍にも情報部は存在するのだが、国連加盟各国の思惑が複雑に絡み合っている為、信頼度と即応性でどうしても見劣りしてしまう。
 その為、夕呼と武は、鎧衣課長の協力の下、A-01の衛士を中核とした諜報要員と外部協力者を、育成確保するという方針を採用したのである。

 その第1号である美琴には、諜報要員としての訓練を積んで貰った後、現場要員兼作戦統括者として着任する予定となっている。
 作戦統括者となった美琴の下には、鎧衣課長と国連軍情報部、そして武が地球規模広域データリンク網から収集してきた情報や、世界各地で遂行または予定されている全ての諜報活動に関する情報が集約される。
 そして、それらを把握した上で、美琴自身の投入も含めて、新規の作戦の立案や、既存の作戦の優先順位の変更、作戦内容の修正などの職権を有する事となる。
 全体の運用は従来通り夕呼と武が行うので、厳密に言うのであれば、美琴の立場は指揮統括者と言うよりはオブザーバーに近いものと言えよう。

 ―――といった事柄を、武は美琴に説明した。
 すると、美琴は興奮を隠せない表情で、父である鎧衣課長に向き直ると、弾む声で語りかける。

「諜報要員としての訓練?
 じゃあ父さん! もしかして、また『鎧衣流』の修行をするの?!」

「ああ、もちろんだとも。
 それ以外にも、様々な知識を学ばせるが、まずは『鎧衣流』を学び直すが良い!」

 美琴の問いに、重々しく頷きを返すと、鎧衣課長はパナマ帽のつばを引き下げて目元を隠し、口元だけを覗かせてそう告げた。
 2人のノリに付いていける訳もなく、早くも徒労感に苛まれながらも、武は先程から2人が意味ありげに口にする単語について訊ねる。

「―――えっと…………『鎧衣流』って、何の事ですか?」

「えーっ?! 知らないの? タケル!
 『鎧衣流』ってのはね、ボクと父さんだけしかその存在を知らない、秘密の流派なんだよっ!!」

 そんな武に、両目を見開いて驚愕の度合いを強調した美琴は、『鎧衣流』に関して説明した―――内容的には、説明になっていなかったが―――
 そして、その説明に対して即座に怒鳴り返す武。

「だったらオレが知ってる筈ないじゃないかっ!!」

 武の怒りは当然なのだが、生憎とこの場に居合わせるのは鎧衣家の親子である。
 ぜいぜいと声を荒げている武に、蔑むかの如き視線を投じた鎧衣課長が、冷厳たる口調で窘める。

「騒がしいぞ、シロガネタケル。
 我が鎧衣家の秘中の秘を明かしているのだ、もう少し殊勝な態度を示して欲しいものだな。
 良く聞くがいい。鎧衣流忍道とは、古今東西の文献を紐解き、美琴が幼い頃に私と美琴で編み出した、忍びへと至る独自の流派なのだ。
 今では、私の部下達にも学ばせているがな。」

 そして、その重厚な口調とは裏腹に、その内容はこの上もなく下らないものであった。
 しかし、その余りの下らなさに突っ込みを入れる気力さえ失った武を他所に、美琴は嬉々として語り始める。

「ボクも、未だに全ての奥義を修めてはいないんだけど、それでも全ての奥義を諳んじているからね。
 だから、ボクはこれでも皆伝者って事になるんだよ、タケル!」

 そして、そんな娘の発言を受けて、楽しげに応じる父親―――鎧衣課長が居た。

「甘いぞ、我が娘よ。
 お前が我が許を去った後、鎧衣流忍道は更なる進化を遂げている。
 だが、お前であれば必ずや皆伝を得る事が叶うだろう。
 精進するのだな、娘よ。」

「父さん!」

 美琴と鎧衣課長の親子の語らいは、武をそっちのけに、どんどんとテンションを上げていく。
 それを呆れ果てて聞き流しながら、武は小さな呟きを、嘆息と共に吐き出すのであった。

「まったく、この親子は…………付き合ってらんないよ、まったく……」

 ―――何はともあれ、美琴はこの日、オルタネイティヴ4直属の諜報要員第一号となる事が確定した。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2010年06月06日(日)

 00時06分、グルジア・ソビエト社会主義共和国―――ソビエト連邦構成国の1つであり、黒海に面したこの国の荒れ果てた国土を、キンジャール(短剣)中隊に属する12機の戦術機が、土煙を巻き上げながら噴射地表面滑走で移動していく。

「―――大尉~、それにしても昨日は勿体無い事をしましたねえ。
 今生の別れに、楽しませてやろうとしたのに、あんな邪魔が入っちまうなんて。」

「―――まったくだぜ。お陰で前から目を付けてたってのに、これっきりになっちまうんだからなあ。
 折角可愛い顔に良い体してたって言うのに、堪能しそびれちまったじゃねえか、なあ?」

 データリンク越しの通信回線で交わされる会話。
 しかし、部隊内データリンクこそ繋がってはいるものの、広域データリンクと戦域データリンクのステータスでは、電波障害により接続不能という警告表示が点滅している。

 それもその筈、この部隊に所属する12機の内、1機の戦術機は電子戦仕様機であり、背部兵装担架に装着している電子妨害装置が強力なノイズ電波を放出してジャミング(電子妨害)を実施しているのだ。
 このジャミングにより、周辺地域一帯の通信は、刻々と変動する極狭い周波帯域を除き、完全に遮断されてしまっている。
 そして、唯一ノイズ電波が放射されていない周波帯域を利用する事で、キンジャール中隊は部隊内データリンクを保っているのだった。

 従来の技術では、広い帯域の全てに対して十分な出力のノイズ電波を送信する事は困難であった。
 しかし、ソ連の中央戦略開発軍団は、研究の末、遂に画期的な電子妨害装置の開発に成功した。
 これは、ステルス技術と、電子兵装の開発で米国に後れを取ってしまったソ連が、ステルス戦術機の優位を覆そうと暗中摸索の末に、なんとか日の目を見た苦肉の策であった。

 進攻して来るであろう敵のステルス戦術機を察知できないのであれば、レーダーによる索敵を放棄して広域バラージ・ジャミングを実施する事で、敵の電子的優位性を無効化し、またデータリンクの遮断により敵部隊の連携をも阻害する事で、ステルス性能の差を埋めようという苦し紛れの構想であった。
 ただし電子妨害という手法は、同時に遠隔運用を行う自律装備群の無効化にも有効である為、オルタネイティヴ4の方針に従って、自律装備群を多く配備している国々に対しても十分な効果を発揮すると考えられていた。
 今回、満を持して初の実戦投入となったこの電子妨害装置は、ソ連にとって切り札の1つとさえ言える秘匿兵器なのである。

 力任せに電波を撒き散らし、周囲一帯の電子索敵と通信を無効化してしまうという、実にソ連らしい粗暴な兵器ではあったが、少量とはいえG元素を使用している為、量産が利かないという欠点を持ち合わせていた。
 今回は、自国内での実証試験として、ソビエト陸軍中央戦略開発軍団実験開発戦術機甲大隊に所属するキンジャール中隊他2個中隊へと、1基ずつ合計3基が配備されており、今正にジャミングを実施しつつ攻撃目標に向かって3方向から進攻している所であった。

 既に、攻撃目標の周辺一帯は完全に電子妨害の傘で覆われており、その範囲内で何が発生しようと、目撃者さえ生き残らなければ、それが外部に漏れる事はあり得ない。
 最近、この地の劣等民族共の中に、小賢しくも共産党政府の方針に異を唱える、反乱分子が集まって何事か企てている奴らが紛れているらしい。
 欧米諸国等は、事ある毎に人権人権と煩いが、情報を秘匿できるこの状況下であれば、シンパである劣等民族ごと一掃してしまえる。

 楽な任務だ―――そう思いながら進攻していたキンジャール中隊は、想定に反して既にこの地を離れた筈の国連軍戦術機甲部隊に遭遇する。
 電子索敵を放棄していたが故に、目視距離でいきなり遭遇する形となってしまったその相手は、生意気にもキンジャール中隊の進路を妨害するかの様に、噴射地表面滑走で後退し相対速度を合わせながら徐々に距離を詰めて来る。
 その総数は18に及び、単純に機数を比較した場合、優に1.5倍にも相当する戦力であった。

 しかし、キンジャール中隊指揮官は、不敵な笑みを浮かべる。
 相手の殆どが、自律行動の無人機であると知っていたからである。
 プログラム任せの自律モードで動く戦術機等、自分達の敵ではないと確信しているからだ。

 キンジャール中隊は、第3世代戦術機であるSu-47『ビェールクト』12機で編制されており、XM3も搭載されている。
 しかも、その全てに衛士が搭乗している。
 戦術機の機数では1.5倍でも、衛士の数なら敵は恐らく一個小隊6名―――即ち半数に過ぎない。
 電子妨害を破られない為に電子戦仕様の1機は守りに徹したとしても、相手はデータリンクによる遠隔制御を妨害されている筈であり、勝機は十二分にあるとキンジャール中隊指揮官は判断を下した。

 と、そこに外部センサー経由で、音声による呼びかけが届く。
 通信が妨害されている為であろうが、外部スピーカーで増幅されたその声は、噴射跳躍ユニットの轟音に所々遮られながらも、十分内容は聞き取れる。
 優位を確信しているが故に、キンジャール中隊指揮官はその声に耳を傾ける―――それは、女性の発する凛々しい声であった。

「―――こちらは、国連軍第四計画復興支援部隊所属、A-01連隊第4中隊の御剣冥夜少佐だ。
 貴隊の所属と行動目的を明かされたい。
 我が隊は、貴隊が発していると思われる電波により、データリンクを乱され任務に支障をきたしている。
 それ故、説明を求めるに十分な権利を有すると信じるものである。」

 その声―――冥夜の問い掛けを聞いたキンジャール中隊指揮官は、唇を醜く歪ませた獰猛な笑みを浮かべる。
 元より、今回の任務は極秘とされており、目撃者は何者であっても完全に殲滅せよとの命令が下されているのだ。
 ならば、言葉を取り繕う必要もあるまいと、キンジャール中隊指揮官は下卑た言葉を吐き散らす。

「うるせえんだよ、このヤポンカ(日本人)が!
 他所の国までずうずうしく出張って来た上、偉そうな顔しやがって!
 劣等民族は、島国に大人しく引っ込んでやがれってんだ!!」

 冥夜を悪し様に罵るキンジャール中隊指揮官の声には、前日に街で偶然遭遇した冥夜から受けた、屈辱を晴らせる事に対する歪んだ喜悦が滲んでいた。

「む―――その声、貴官は昨日、街で女性に不埒な行いに及んでいたソ連軍の衛士だな?
 だが、私にその行いを咎められ妨げられたとは言え、まさかその仕返しをする為に部隊を率いて来た訳ではあるまい。
 行動目的を申すが良い!」

 冥夜は軽い挑発を兼ねて、重ねて行動目的を問いかけるが、実を言うとソ連軍の行動は事前に察知済みであった。
 そもそも現在の状況は、冥夜の率いる第4中隊と斯衛軍第19独立警備小隊が、今回この地へと派遣されてきたそもそもの目的の1つに関連している。
 その目的とは、内戦勃発の抑止であり、現地での情勢に鑑みるならば、反政府組織の武装蜂起とソ連軍による住民虐殺の阻止であった。

 幸いにして、グルジアの独立を目指す反政府組織への説得は効を奏し、武装蜂起は差し当たって見送られる事となった。
 それと引き換えに、この地に於けるソ連軍将兵の横暴な振舞いを、冥夜は派遣期間満了後に国連人権委員会に報告すると約束している。
 その為の情報収集の一環として、冥夜を初めとする復興支援部隊の衛士達は、派遣期間中この地に建設された街―――鉱員居住区を巡回していたのであった。

 鉱員居住区とは、BETAによって均されてしまった地表に露出した鉱床から、各種資源を露天掘りで採掘する採掘場で労働を強いられている人々の生活拠点である。
 しかし、居住区の設備はお粗末なものであり、最低限の居住環境を満たすかどうかといった程度の建物とインフラ(生活基盤)が用意されているに過ぎない。
 そこで人々は食料や生活必需品の配給を受けながら、抑圧された生活を強いられているのだ。

 日中は鉱員達が採掘場に出かける為、残っているのはその家族である女子供が殆どであった。
 そんな鉱員居住区で昨日、年頃の娘を数人で取り囲み、何処かへと無理矢理連れ去ろうとしていたソ連軍将兵に、冥夜は出くわした。
 そして、不埒な行いを窘め威を以って退けた相手が、どうやら今正に対峙している当の相手である事に冥夜は気付いた。

 現地での諜報活動を担っている諜報員から、ソ連軍による鉱員居住区襲撃が今夜実施されるとの報告を受け、進攻遅滞を目的として出撃してきた冥夜にとっては、因縁の相手が部隊指揮官である事は渡りに船とも言えた。
 一時は、武装蜂起を抑止した事で内乱も回避され、住民が虐殺されるような事態は回避されるかと思われた。
 しかしソ連軍は、冥夜達国連軍派遣部隊の撤収を受けて、見せしめを兼ねて鉱員居住区ごと全ての住民を殲滅するという、強硬手段に打って出たのである。

「人が黙って聞いてりゃあべらべらと……大人しく黙らねえってんなら、力づくで黙らしてやるぜっ!
 キンジャール1より各機、奴等を全機殲滅しろ!
 あの派手な色の3機は後回しでいい、UNカラーの地味な奴から潰して行け!
 ただし、キンジャール4だけは後方待機だ。貴様が作戦の要だ、ドジ踏んでやられんじゃねえぞ?
 ―――よし、全機攻撃開始ッ!」

 案の定、キンジャール中隊指揮官は私怨に駆られ、冥夜達の殲滅を優先するとの判断を下した。
 機密保持を厳命されている為、ここで冥夜達を見逃す訳にはいかないという事情があるにせよ、国連軍の派遣部隊に対する戦闘行為をしかける事への躊躇いが欠片も感じられない。
 ソ連のエリートであり、歪んだ選民意識に凝り固まったロシア人特権階級の者ならではの傲慢さで、他民族を見下しているが故の振舞いと言えよう。

「む……やはり仕掛けて来たか―――各機、回避行動を最優先として時間を稼げ!
 月詠、そなたらなれば、斯様な奴原(やつばら)など容易く一蹴できようが、済まぬが此度は堪えてくれ。」

 相対する敵手の動きから、戦意を敏感に感じ取った冥夜は、予定通りに防衛戦闘の開始を命じる。
 しかし、とある事情から、冥夜は反撃を禁じていた為、不利な戦いを強いられるであろう月詠達斯衛の衛士等を気遣った。

「その様なお言葉は無用にございます、冥夜様。
 私も部下達も、既に承知の上でございます故。」

 しかし、月詠は何の気負いも見せずに、冥夜に気遣いは無用と告げる。
 そして、通信画像の中で、第19独立警備小隊に属する衛士等4名も、はっきりと決意の籠った頷きを行う事で、月詠と気持ちを同じくしている事を示して見せた。
 それを見て取った冥夜は、心中で重ねて感謝を述べた後、月詠以下斯衛の衛士等の名を呼び、士気を鼓舞する。

「―――そうか、なれば、予定通りここで可能な限り時間を稼ぐぞ!
 月詠、神代、巴、戎、蔓(かずら)、易々と討たれるでないぞ!!」

「「「「「 ―――承知ッ! 」」」」」

 斯くして、キンジャール中隊を相手取った戦いの火蓋は切られた。



「くそっ! こいつら、本当に自律モードなのか?!
 ちょこまかと、動きやがってッ!!」

 ソ連軍衛士が悪態を吐きながら、突撃砲を乱射する。
 しかし、その砲火は一向に目標に損害を与える事が出来ず、ソ連軍衛士の苛立ちは弥増すばかりであった。

 戦闘は、一方的に攻撃を加えるソ連軍戦術機11機に対して、それを嘲笑うかの如き軽やかな回避機動で翻弄する、遠隔陽動支援機『太刀風(たちかぜ)』6機といった様相を呈していた。
 『太刀風』は『不知火』を遠隔陽動支援機仕様に改修した機体であり、日本帝国に於いても極少数が配備されているだけの機体である。
 今後、『朧月』や『不知火・弐型』の配備が進むにつれて、『不知火』の『太刀風』への改修が進められる予定ではあるが、現時点で実戦投入しているのはA-01のみとなっている。

 第3世代戦術機をベースにした遠隔陽動支援機、しかも実戦で運用可能なレベルでの自律戦闘や遠隔操縦を可能とした、XM3の総本山であり最も豊富な運用経験を持つオルタネイティヴ4直属部隊の機体であれば、その性能は世界最高峰ではあろう。
 それでも、有人のXM3搭載第3世代戦術機である『ビェールクト』を相手取って、自律モードでここまで優位に戦闘を繰り広げられるのには理由があった。

 戦闘開始以来、戦場から離脱する素振りを見せなかった事が効を奏し、冥夜らが乗る3機の有人戦術機―――紫色の『武御雷』と白の『武御雷』2機は、時折牽制の砲撃を受ける程度で済んでいた。
 否―――有人の戦術機であり、『ビェールクト』と同等以上の性能を誇る複座型『武御雷』を相手に、キンジャール中隊は手を出しかねていたのだ。
 『武御雷』相手に必勝を望むのであれば、3対1程度の数的優位を確保したい―――それがソ連軍衛士等の本音であった。

 それ故に、戦闘開始直後に、『武御雷』3機と『陽炎』改修型随伴補給機『黒潮(くろしお)』9機を、背後に庇うように突出してきた『太刀風』6機を2倍近い数である11機の『ビェールクト』で迎え撃ったのである。
 一方、3機の『武御雷』は、各機が分厚い装甲を持つ03式狙撃支援用追加装甲を両主腕で保持した、『黒潮』3機を直衛として随伴させ、戦闘には一向に参加してこなかった。
 それを怯えと見做したキンジャール中隊指揮官は、各個撃破の好機として『太刀風』に攻撃を集中した。

 しかし、『太刀風』はソ連軍衛士等の予想を超える立ち回りを見せ、一向に撃墜できないまま時ばかりが過ぎていく。
 時折『太刀風』を追い込む事に成功しそうになるのだが、その度に他の『太刀風』が目を見張る様な機動を見せて、後方に避退している電子戦仕様の『ビェールクト』であるキンジャール4を強襲しようとする。
 そうなると、ソ連軍戦術機はその機体の阻止を優先せざるを得ず、追い込んでいた『太刀風』を取り逃がしてしまうのであった。

 躍起になって、『太刀風』を追い回すソ連軍衛士らであったが、弾薬の消費量が馬鹿にならなくなった辺りで、キンジャール中隊指揮官がふと部隊内データリンクを確認して違和感を抱く。
 暫し攻撃の手を緩め、違和感の原因を探ったキンジャール中隊指揮官は愕然とした。
 それは友軍機の損害状況であった。

 これだけ激しい戦闘を続けて居るにも拘わらず、ソ連軍機の損害が全く生じていないのである。
 慌ててこれまでの戦闘の経緯を思い起こすと、後方で怯えていると思われた『武御雷』や『黒潮』はおろか、近接格闘戦を繰り広げている『太刀風』までもが、全く砲撃を行っていないのである。
 しかも、キンジャール中隊指揮官は今の今まで殆ど意識すらしていなかったが、紫色の『武御雷』は外部音声による停戦勧告の呼びかけを、断続的にではあるが戦闘開始以降も継続していたのだ。

 相手が手を抜いている事に、ようやく気付いたキンジャール中隊指揮官は激怒した。
 そして、その怒りのままに命令を発する。

「くっそぉ~、舐めやがって!
 ―――キンジャール2、キンジャール4のカバーに回れ!
 残る全機は攻撃目標をタイプ00に変更だっ!
 陽動支援機は無視していい! 何としてもあの紫の奴を落とせッ!!」

 キンジャール中隊指揮官の怒声を機に、10機の『ビェールクト』が周囲を飛び回る『太刀風』を無視し、冥夜と月詠の乗る紫の『武御雷』へと放たれた矢の如くに突進する。
 そして、集中された砲火の前に、遂に1機の『黒潮』が盾となって撃破されてしまう。

「くっ……さすがに、こちらの戦意が薄い事に気付かれたか……
 『太刀風』を電子妨害装置の破壊に差し向けろ!
 その後、『武御雷』と直衛の『黒潮』は全速で後退するッ!」

「「「「「 了解! 」」」」」

 03式狙撃支援用追加装甲の陰から、高速で明滅を繰り返すか細い光が、『ビェールクト』の周囲を飛び回る『太刀風』へと照射される。
 それを受信した『太刀風』は、事前に定められた回避機動を行い、その動きに同調して照射された光信号を受信。
 即座に目標を電子戦仕様の『ビェールクト』へと転じると、噴射跳躍ユニットを全開にして突撃していく。

 それと同時に、『武御雷』3機も更に1機が撃墜され7機に減った『黒潮』を引き連れて、噴射地表面滑走で後退していく。
 『太刀風』の行動に、僅かに躊躇した10機の『ビェールクト』であったが、すぐさま陣形を立て直して『武御雷』を猛追し始めた。
 その苛烈な砲撃は、1機、また1機と『黒潮』を撃破していく。

 一方、電子戦仕様機とその直衛に残った2機の『ビェールクト』へと突撃した『太刀風』は、半数の3機が撃墜されてしまったものの、2機が電子戦仕様機に取り付き、背部兵装担架に装着している電子妨害装置を、0距離砲撃で破壊する事に成功した。
 その後は、再び回避機動を行いながら、『武御雷』に合流すべく移動を再開する『太刀風』であったが、電子妨害装置を破壊されてしまい、怒り狂った2機の『ビェールクト』が追撃する。
 そして、電子妨害装置が破壊されたにも拘らず、広域バラージ・ジャミングの効果は継続していた。

「馬鹿がっ! 電子妨害装置が1機だけだとでも思っているのか?
 この辺りはとっくに、残り2個中隊のジャミング圏内にも入っているんだよ!」

 キンジャール中隊指揮官はそう毒吐くと、獰猛な笑みを浮かべる。
 大分足止めされてしまったが、攻撃目標の鉱員居住区には既に他の2個戦術機甲中隊が到達し、掃討を開始している筈だ。
 残弾も大分心細くなってしまったものの、このまま押し込んでいけば鉱員居住区付近で挟撃出来るだろうと、キンジャール中隊指揮官は判断した。

 その判断が正しいのであれば、距離が詰まった事で、友軍である2個戦術機甲中隊との部隊内データリンクが復活している筈であった。
 しかし、戦域マップには友軍マーカーは未だに表示されない、戦域マップの範囲内に攻撃目標の鉱員居住区が納まっているにも関わらずである。
 だが、キンジャール中隊指揮官は、狩りの獲物を追い込んでいく行為に夢中になり、その事実に気が付く事は無かった。

「くっ……大分押し込まれてしまったな……
 月詠、彩峰からの連絡は無いか?」

 冥夜の問いに、月詠は先程通過した進路付近に存在した、光通信中継ユニットから受信したメッセージの内容を要約して告げる。

「はっ、先程光通信で受信したメッセージによれば、既に住民の避難誘導は完了しているとの事です。
 恐らくは、既に他方面から進攻してきたソ連軍戦術機甲部隊を迎撃せんとしている頃かと。」

 ソ連軍の広域バラージ・ジャミングは確かに電波による通信及び索敵を妨害し、データリンクを妨げる事に成功していた。
 しかし、武が対BETA戦術構想の陰で密かに立案し整えて来た、対人類戦用の装備と戦術が今回の戦闘に於いて初めて実戦投入されていたのだ。
 その1つが、通信妨害の影響下で自律装備群の遠隔運用を、光通信網によって行う為の工夫であった。

 戦域に、光通信中継ユニットを設置し、光ファイバーケーブルやレーザー発振機と受光機の組み合わせを用いてデジタル通信網を確立。
 少なくとも、戦闘機動中等を除けばデータリンクを確立出来る様にした上で、戦闘機動中であってもレーザー発振と機体の機動を同期させることで、短時間の通信を可能とした。

 これにより、完全な遠隔操縦こそ出来ないものの、自律装備群に対する命令の変更や、条件分岐付きのコンボの発動、先行入力した一連の戦闘機動を送信して実行させる等の、細やかな運用が可能となった。
 6機の『太刀風』で11機の『ビェールクト』を翻弄していたのは、ほぼ停止状態にあった『武御雷』から、戦闘機動中の『太刀風』に対して、細やかな行動指示が行われていた為であった。
 無論、その前提として、2001年以来演習や実戦で収集されてきた、膨大な自律戦闘データの蓄積と、それを元に構築された高度な自律戦闘プログラムと豊富なコンボを初めとした戦闘機動パターンがあったればこそではあるが。

 そして、武の考案した対人類戦術が、こことは異なる戦場に於いてその真価を発揮しようとしていた。



 鉱員居住区を挟んで冥夜達とは反対側の方角へと、鉱員居住区の住民達を伴なった、彩峰を指揮官とするA-01連隊第4中隊が行軍していた。
 その進行速度は徒歩で移動する住民達に合わせている為、時速3キロという戦術機にとっては亀が這うような速度に過ぎない。
 しかし、その前方広範囲に亘って、既に『太刀風』や『黒潮』が先行しており、事前に設置された光通信中継装置を経由したセンサー群からの情報を元に、2方向から接近して来るソ連軍戦術機甲部隊を迎え撃つ為の布陣を整えつつあった。

 そして、布陣が完成した時点で、2方向より接近するソ連軍戦術機甲中隊の各々に対して『黒潮』が1機ずつ派遣され、匍匐飛行で接近し相対速度を合わせた上で、外部音声による呼びかけが行われた。
 電子妨害の中止と進撃の停止、行動目的の説明等の要請を、録音音声を繰り返し再生するだけの『黒潮』に対し、ソ連軍戦術機甲中隊は、双方共に砲撃を以って応じた。
 彩峰は更に、1機ずつの『黒潮』を派遣し、民間人を保護している事と、更なる戦闘行為を行った場合実力を以って対抗する旨を勧告した。
 しかし、ソ連軍はこれも即座に撃墜し、戦術機を展開して掃討戦の態勢へと移行する。

 これに対して、彩峰は遠隔操縦状態にある『太刀風』による狙撃を敢行。
 まずは03式狙撃支援用追加装甲を展開し、防盾を備えた砲架と化さしめた上で地面に設置。
その砲架に02式120mmライフル砲を設置して、殺到して来る『ビェールクト』に対して120mm榴弾を立て続けに撃ち放つ。
 狙撃を受けた『ビェールクト』は、電子戦仕様機を背後に退避させて、残る11機で狙撃を回避しつつ猛烈な勢いで『太刀風』へと殺到する。

 何機かの『ビェールクト』に対して、小破から中破の損害を与えた『太刀風』であったが、あっと言う間に距離を詰められ、03式狙撃支援用追加装甲も集中砲火によりあっと言う間にボロボロにされてしまう。
 ソ連軍衛士等が、『太刀風』の撃墜を確信したその時、『太刀風』に殺到していた『ビェールクト』各機の前後左右から、無数の自律誘導弾が発射され襲いかかった。

 ソ連軍の広域バラージ・ジャミングにより、レーダーによる中間誘導を受けられない自律誘導弾であったが、近距離から発射された事で赤外線画像誘導に『ビェールクト』を捉え追尾を開始する。
 慌てて回避機動を取る『ビェールクト』だったが、圧倒的多数の自律誘導弾を回避し切れず、近接信管で起爆する自律誘導弾により、繰り返し損傷を受けて行く。
 僅かな時間に、数え切れないほどの爆発が連なり、ようやくその爆発が途切れた時、無事な『ビェールクト』は後方に退避していた電子戦仕様機だけとなっていた。

 そしてその電子戦仕様機に向かって、自律モードの『太刀風』5機が襲いかかる。
 こうして、ソ連軍戦術機甲2個中隊は、一方的に掃討される事となった。

 彩峰は、狙撃を行った『太刀風』を囮とし、その周辺に設置した自律誘導弾コンテナを、光通信網による遠隔操作で発射し、飽和攻撃で殲滅へと追い込んだのである。
 敵対勢力の傍受・妨害を受け難い光通信網によるセンサー網と、事前に設置した自律兵器による迎撃網。
 そして、これらを短期間で戦域へと運搬設置する随伴補給機を初めとする自律装備群。

 更には、今回出番がなかったものの、戦術機の周辺地域に展開し、索敵と安全確保、敵性歩兵の掃討を担当する小型自律随伴索敵機『足軽』も、A-01及び帝国斯衛軍の一部部隊には正式配備されている。
 戦術機、航空機、機甲部隊、歩兵部隊による進攻を早期に発見し、その進路に緊急展開した自律装備群により効率良く迎撃して戦力を漸減する。
 それが武によって考案された対人類戦術の基本構想であった。



 時系列は遡り、ソ連軍戦術機甲2個中隊が殲滅される少し前、冥夜達は『武御雷』3機と『黒潮』4機までに撃ち減らされながらも、12機の『ビェールクト』を相手に未だ奮戦し続けていた。

「各員に告ぐ、これ以上後退しては、鉱員居住区に被害が及ぶ。
 ここが踏ん張りどころだ。
 この場で彩峰がジャミングを終わらせるまで堪え凌ぐぞッ!」

「「「「「 了解ッ! 」」」」」

 2倍近い数の『ビェールクト』の猛攻に曝されながらも、冥夜と月詠以下5名の斯衛軍衛士等の戦意は未だ旺盛であった。
 同期コンボによって、『武御雷』の機動に追随する『黒潮』を盾として、辛くも砲撃を回避し続ける冥夜達。
 しかし、それも遂に限界を迎えようとしていた。

 支援砲撃を掻い潜る様にして、急接近してきた2機の『ビェールクト』が神代と巴が乗る『武御雷』に同期する『黒潮』に対し、両主腕のモーターブレードを展開して切りかかる。
 辛うじてモーターブレードによる斬撃を、躱し、或いは追加装甲で受け止めた『黒潮』だったが、それと引き換えに背後に庇っていた『武御雷』との同期を乱されてしまう。
 『黒潮』による遮蔽を失った白の『武御雷』に、集中砲火が襲いかかる。

「神代ッ! 巴ッ!」

 2人の身を案じて冥夜が叫ぶが、その声は『武御雷』の激しい回避機動に、光通信用レーザー照射の照準が追従し切れない為届かない。
 しかし、何発かは被弾したものの、白の『武御雷』は態勢を立て直し、再び『黒潮』の遮蔽の陰に身を隠した。
 小隊内の連携が再び再構築されると、遮断されていたデータリンクが再接続される。

「神代、巴、大事ないか?」

 通信画像に映し出された神代と巴の姿に、安堵の溜息を吐き問いかける冥夜。

「はい、冥夜様。」「醜態をお見せしてすみません!」

 神代は即座に力強く頷き、巴は悔しげに唇を噛む。

「いや、私の我儘で皆にはいらぬ苦労をかけている。
 済まぬが、今少し堪えてくれ。」

 冥夜によって、反撃を禁じられてさえいなければ、拝領した『武御雷』に傷を付ける事もなく、一蹴できるだけの実力を神代も巴も持っている。
 それを、自らが強いた無理難題によって、窮地へと追いやっている事に、冥夜は心から謝意を示した。

「済まぬなどと仰らないでください、冥夜様。」

 しかし、神代は不敵な笑みを浮かべると、冥夜を諌める。

「此度のソ連軍の行い、正に人道に外れた行いです!」
「あのような非道を妨げる為とあれば、何程の事もありませんわ~。」

 そして、巴と戎が続けてソ連軍の行いを糾弾し、今なお続く窮状を事もなげに切って捨てる。
 そんな、3人の言葉を受けて、月詠が冥夜に滔々と斯衛一同の信ずる所を開陳する。

「冥夜様、我等は皆、無現鬼道流の剣士です。
 其は己が為の刃に非ず。ただ牙無き者の為たれとの教え、寸刻足りとて忘れた事は御座いません。
 ソ連軍の謀略より、力無き民を救う為なれば、この戦いは我らにとって本懐に他ならないのです。」

「さればこそ、一命を賭して悔む所はありません。
 どうぞ存分に、我らの命、お使いください冥夜様。」

 そして、月詠の言葉に繋げて、小隊定数を6名に改めた斯衛軍第19独立警備小隊に、新たに転属してきた斯衛衛士である蔓少尉が不敵な笑みを浮かべて言い切る。
 蔓と共に転属してきたもう1人の斯衛は、現在冥夜の代わりにA-01第4中隊に加わっている。
 自身を守る為に、この地へ同行し、自身の心に何処までも添おうとしてくれる斯衛達の決意を、冥夜は感謝と共に受け入れる。

 そして、身命を賭して信念を共に完遂せんとの決意を高らかに告げる。

「そうか。皆の覚悟、確かに受け取ったぞ。
 この戦いは、弱き者を虐げんとする巨悪を制する、その契機となる筈だ。
 今少しで目的は果たされよう、そなたらの命、私にくれ!」

「「「「「 御意ッ! 」」」」」

 冥夜の言葉に唱和する斯衛等の顔は、主に認められ尽くす事の出来る喜びに高揚していた。
 そして、遂に冥夜が待ちわびていた時が訪れる。

「―――答しろっ! キンジャール中隊! 誰でも構わん、直ちに応答しろッ!!
 こちらバトゥミ基地司令部、キンジャール中隊応答せよ!!」

 突如として、広域データリンクを経由した通信が、キンジャール中隊各機の許に届く。
 なにやら緊迫したその呼びかけに、キンジャール中隊指揮官は、慌てて応じた。

「こちらキンジャール1、HQどうぞ。」

「ようやく繋がったか! いいか、キンジャール1、直ちに戦闘行為を停止せよ!
 繰り返す―――直ちに戦闘行為を停止せよ!!」

 もう少しで『武御雷』を撃墜できるまでに追い込んだ所へ、急に下された停戦命令にキンジャール中隊指揮官は驚愕し、問い返す。

「な?! 小官は、作戦行動中であります、何か状況の変化があったのでしょうか?」

 その質問に対し、バトゥミ基地の司令官であろう男は、うんざりとした声で言葉を連ねてキンジャール中隊指揮官を詰る。

「―――状況の変化だと?
 ああ、嫌という程変化したとも。それも全て貴様等の所為でな!
 貴様等がA-01と接触して以降の、全ての行動は仔細漏らさず、一部始終が全世界に配信されていたのだぞ?!
 今や、我が司令部には、日本帝国や第四計画を初め、世界中からの批判が殺到しているのだッ!!
 これ以上、恥を晒すんじゃない! 解かったか?!」

「世界中に配信?…………そんな……馬鹿な…………」

 確かに現在は広域バラージ・ジャミングは効果を失っているものの、つい寸前までは有効に機能していた。
 なのに、一体何故、自分達が遂行していた極秘作戦の一部始終が、配信などされ得るのか?
 キンジャール中隊指揮官の脳裏は、そんな疑問で埋め尽くされた。

 しかし、応えの出ない問いを脇に置き、現在自身が置かれている状況に目を向けたキンジャール中隊指揮官は、絶大な喪失感に襲われる。
 中央戦略開発軍団で開発された機密兵器の実証試験。
 しかも、機密作戦に失敗して機密兵器を失ったばかりか、国際問題に発展するような戦闘行為を行ってしまい、尚且つそれを世界中に知られてしまったのだと、キンジャール中隊指揮官は悟った。

 回復した広域データリンクによれば、同じ大隊に所属し、今回の作戦に参加していた他の戦術機甲2個中隊は、既に全機が撃破されている。
 となれば、今回の作戦の全責任を負わされ、自分が犠牲の羊とされるのは、既に決定事項であろう。
 既に自分の人生は終わったも同然なのだと、キンジャール中隊指揮官は深甚な谷へと滑落していくかの如き絶望を感じた。

「キンジャール中隊全機は、直ちにバトゥミ基地へと帰還せよ。
 繰り返す―――キンジャール中隊全機は、直ちにバトゥミ基地へと帰還せよ。」

 冷徹な声で帰還命令を繰り返す基地司令に、キンジャール中隊指揮官の心の奥底で、抑え切れない激情が燃え上がる。

(くそっ! もうお終いだ!
 大人しく基地に戻ったって、査問にかけられて銃殺されるだけに決まっている。
 もう、何をどうした所で、オレの未来はなんともならない!
 くそっ! くそっ! くそぉおーーーっ!!!
 ―――そうだ、どうせ何をしても死ぬしかないなら……あいつも道連れに!)

 キンジャール中隊指揮官は、突然『ビェールクト』の噴射跳躍ユニットを全力噴射し、水平噴射跳躍で突撃砲を乱射しながら紫色の『武御雷』目がけて突進する。

「キンジャール1、何をしているッ!
 停戦命令を無視する気かッ?! キンジャール1ッ!!!」

 基地司令の慌てふためいた声に、キンジャール中隊指揮官は満足気な笑みを浮かべる。

(けっ、ざまあみやがれ!これで1つは憂さ晴らしが出来たぜ。
 後は、あのクソ生意気なヤポンカ(日本人女性)をぶっ殺せれば、ちったあ満足してあの世にいけるってもんだ。
 おらっ、死ね死ね死ね死ねっ! 死にやがれッ!!!)

 突撃砲の猛射に、遂に03式狙撃支援用追加装甲を撃ち破られて、『黒潮』がまた1機撃破される。
 その直後、とうとう残弾が尽きた突撃砲を振り棄てて、キンジャール中隊指揮官は、両主腕のモーターブレードを展開させて更に前進する。

 しかし、そんな『ビェールクト』に向かって、残骸と化した『黒潮』の陰から左右に分かれて、2機の白い『武御雷』が噴射地表面滑走を用いた流麗な機動で接近していく。
 そして、刹那の交錯の後、更に前に出た『ビェールクト』から、モーターブレードごと、両主腕の肘から先がボトリと落ちる。

 それでも尚、右肩のブレードベーンを正面の03式狙撃支援用追加装甲に突き立てるようにした『ビェールクト』は、肩を支点にして時計回りに回転し、足から『黒潮』の左側を抜けて紫色の『武御雷』の足元へと滑り込んだ。
 そして、尚も諦める事無く主脚を後ろへと引き、つま先のブレードベーンを『武御雷』に突き立てようと振り出す。
 しかし、『ビェールクト』の左主脚は、『武御雷』に届く事無く、明後日の方角へと飛んでいってしまう。

 後に残されたのは、両主腕、左主脚、左右の噴射跳躍ユニットと、そして運動エネルギーを失い惨めに地面に転がる『ビェールクト』と、74式近接戦闘長刀の一閃で、『ビェールクト』の左主脚と噴射跳躍ユニットの接合部を断ち斬って見せた紫色の『武御雷』の姿であった。
 そして、土埃の収まる暇も有らばこそ、再び振るわれた74式近接戦闘長刀が閃き、『ビェールクト』は主機を貫かれてその全ての活動を停止したのである。



―――同時刻、遠く離れた横浜の地、国連軍横浜基地のブリーフィングルームで、広域データリンク越しに送られて来る映像を見守る、2人の人物が居た。

「どうやら、終わったみたいだね、タケル。」

 美琴は、隣に立つ武の表情を窺いながら、そう話しかけた。
 だが、その表情は何を案じているのか、常に無く憂慮に満ちたものであった。

「そうだな……なんとか怪我人無しで済んだみたいで良かったよ。
 一時はホント、冷や汗が止まらなかったぜ。」

 そう言って美琴に応じた武はと言うと、こちらは安堵に頬を綻ばせている。
 ところが、そんな武に、美琴は更に眉を下げて悲しげな表情を浮かべた後、頭を振って表情を消すと、途中言葉に詰まりはしたものの、勇気を振り絞って語りかけた。

「―――タケル……ボクの事を……その……責めていいんだよ?」

 武は、その言葉に視線をスクリーンから美琴へと転じると、はっきりとした笑みを浮かべて言葉を返す。

「馬鹿言え、なんだっておまえを責めたりしなきゃなんねえんだよ。
 オレがおまえや冥夜、それから月詠さん達に言えるのは、感謝の言葉だけだ。
 オルタネイティヴ4が、民衆を守る為に身命を賭して臨む事、そして今回冥夜が、最後の最後まで戦闘行為の停止を呼びかけ続け、相手が命令違反を犯すまで反撃を行わなかった事。
 この2つの事実は、今後、オルタネイティヴ4の活動を大きく後押ししてくれる。
 幾ら感謝しても、し足りねえよ。
 だから―――今回の冥夜達の頑張りは、決して無駄にはしない。」

 今回の一連の戦闘は、本来であればソ連軍の作戦行動に対する、オルタネイティヴ4直属部隊の妨害行為とみなされる可能性が高かった。
 復興支援の為に派遣された部隊が、独自の判断で現地の国軍が行う作戦行動に異を唱え、武力を以って阻止するとなれば、内政干渉以外の何物でもないからだ。

 しかし、今回、冥夜がキンジャール中隊に対して、終始一貫して説明と停戦を訴え続け、しかもその間、殆ど攻撃らしい攻撃を行わなかった事で、自衛と民衆保護を目的とした戦闘であると主張する事が可能となった。
 彩峰の行った苛烈な攻撃についても、冥夜の説得が実を結ばなかった末に、民間人の人命を守る為であったという弁明が成り立つ。
 逆に、人道的に非難されるべき作戦を実施しようとした上、その場に居合わせた国連軍部隊を、問答無用で口封じしようとしたソ連軍は、国連加盟各国からの厳しい批判に曝された。

 殊に、政威大将軍の名代を勤める冥夜に対して戦闘行為を仕掛けられ、国威の象徴でもある『武御雷』を損傷させられた日本帝国と、復興支援の為に人員と装備を派遣したにも拘らず、装備に多大な損害を与えられたオルタネイティヴ4の抗議は熾烈を極めた。
 それに加えて、予てよりソ連政府の人権軽視を問題視してきた欧米各国が、ここぞとばかりに声高に非難声明を叩き付ける。
 似たような人権問題を抱える国々も、さすがに今回はソ連を庇い立て出来ず、ソ連は孤立無援の窮地へと追い込まれ、釈明に追われる事となった。

 そして、武はこの状況を、オルタネイティヴ4派遣部隊の権限拡大の機会として捉えていた。
 結果論になるが、いくらか装備を失ったものの、自軍側には戦死者も無く軽傷者が出た程度で済んだ為、オルタネイティヴ4にとってはこの上なく望ましい結果と言えた。
 欲を言うならば、武としてはソ連軍側の死傷者が、もう少し抑えられればと思わずにはいられなかったが、それを武は心中のみに留め、決して表に出す事は無かった。

「タケル…………でも、ボクはタケルには何も言わないで、冥夜さん達を危険に曝して―――」

 だが、例え表面上は喜び感謝を告げて見せた所で、美琴には武の真意が容易に察せられる。
 何よりも仲間を危険に曝す事を厭い、果ては敵対する将兵の犠牲さえも最小限に抑えようとするのが、美琴の知る武という人物である。
 それ故に、冥夜が危険を冒す事になる今回の案件について、美琴は敢えて武に詳細な計画や自身の予感を知らせなかった。

 美琴の判断材料となった情報は、全て武も知っている事ではある。
 しかし、美琴は彼女一流の感覚で、ソ連軍の行動と攻撃目標、更にはそれを阻止した上で、最も望ましい結果を得る手段として、当該地域への冥夜の派遣を武に提案したのであった。
 無論、この時美琴は、他の地域への派遣部隊の割り当て案の一環として、冥夜の派遣を提案しており、その派遣先が殊更危険であるとの情報は伝えていない。
 その為、美琴の理尽くめだけでは説明できない判断を評価している武は、派遣部隊の割り当てに関して美琴の案をそのまま採用したのである。

 派遣部隊の割り当て案が採用された後、美琴は冥夜と彩峰だけに自身の予想と、最適と思われる方針を告げ、冥夜も彩峰もそれを了承して任地へと赴いていた。
 当然、これは美琴の越権行為であり、美琴は事後に責を負う覚悟であった。
 それ故に、既に大まかな事情を察しているだろうに、自分を一言も責めない武に、美琴は罪悪感を抱いて言い募らずにはいられないのである。

 しかし、武はそんな美琴に、優しい眼差しを向けて、宥める様に語りかける。

「けどな、美琴。おまえはその方が良い結果に繋がると、そう信じてやったんだろ?
 冥夜だって、おまえの判断を信じて、最善の結果を得る為に命を賭けたんだ。
 彩峰だって、A-01の対人類戦闘能力が、決して軽視できない実力を保持しているって事を、はっきりと証明して見せてくれた。
 オレは、みんなの頑張りに感謝して、今後の為に最大限に活用するだけだ。」

 武はこれまでに、自身の願望と、仲間達の考えや願いが必ずしも一致しない事を、嫌という程学んできた。
 それ故に武は、仲間達の判断や行為を極力肯定的に捉え、それを如何に活かすかを考える様になった。
 だからこそ、武は今回の件を断行した美琴を褒める。

「だからな、今回おまえは、胸を張って自分のやった事を誇っていいと思うぞ。
 ―――けどな、美琴。
 頼むから、次からは事前にオレにも教えといてくれよな。
 今回みたいな、肝を冷やす様な思いは、もう御免だからさ。」

 それでも武は、美琴に次からは隠さないで欲しいと懇願せずにはいられなかった。
 美琴や冥夜、そして彩峰が、武の心労を少しでも軽くしようとして黙っていたのだという事は、武にも十二分に解かっている。
 知らされれば、危険を冒す仲間の身を案じ、何か出来る事は無いだろうかと、必死で頭を悩ます事になるだろうと、武は自分でもそう思う。

 それを、仲間達も察しているからこそ、武に余計な心労をかけまいとするのだと重々承知の上で、それでも自分が成し得る事は出来る限り行いたいと武は思う。
 そんな願いの籠った武の願いには、美琴も頷かざるを得なかった。

「うん―――解かったよ、タケル!」

 少し困った様な笑みを浮かべて、それでも了承して頷きを返す美琴に、武は情けなさそうな顔をしながらも謝意を告げ、更なる助力を請う。

「ありがとな。
 オレが何時まで経っても、情けないのが悪いってのも解かってるんだけどな。
 色々と、無理言うかもしれないけど、これからもよろしくな、美琴。」

 武がそう告げると、美琴もようやく憂いを払って満面の笑みを浮かべて応じる。

「こっちこそよろしくねっ! タケルぅ!!」

 そして、そう言うと同時に感極まった美琴は、武へと思いっ切り抱き付くのであった。

 ―――後日、国連安保理に於いて、オルタネイティヴ4直属部隊に対し、ユーラシア大陸の復興地域で活動する際に、武力衝突や虐殺行為の恐れがある場合に限り、治安維持活動を委ねる旨の採択がなされた。
 これにより、オルタネイティヴ4は、大陸の復興支援だけではなく、そこに携わる人々の安全保障の一端を担う権限を得る事となる。




[3277] 第134話 いざ世界に鳴り響け、祝福の鐘
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/05/31 17:19

第134話 いざ世界に鳴り響け、祝福の鐘

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 お知らせ:おまけとのリンク告知
 今話の内容は、拙作含まれるおまけ『何時か辿り着けるかもしれないお話16』(第71話)並びに『何時か辿り着けるかもしれないお話19』(第80話)とリンクしております。
 もし気が向かれましたら、そちらもご参照願えると幸いです。
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2013年11月30日(土)

 19時00分、国連太平洋方面軍第11軍横浜基地の1階にあるPXは、250名を超す人々で埋め尽くされていた。

「A-01の衛士諸君。
 私は人類の悲願を成し遂げてくれた諸君に対し、多くを語る必要を感じない。
 それ故に、私が諸君に告げるべき言葉は、極僅かである。
 しかし、それらの言葉の中で、何よりも先んじて語るべきは感謝だ。
 諸君等の献身により、我ら人類はBETAより地球を取り戻す事が叶った。
 諸君等は、私の、そして人類の誇りである。
 私は人類を、そして、BETA大戦で命を散らして行った者達全てを代表し、諸君等に心からの感謝を捧げよう。」

 整然と隊列を組むA-01の衛士達の下へ、ラダビノッド基地司令の朗々たる声が染み渡っていく。
 衛士達の表情は喜びと誇りに輝き、その多くが高揚を隠せずにいた。
 それも無理からぬ事であろう、何しろ、今この場で始まろうとしているのは、地球奪還祝勝慰労会なのだから。

「そして、次に告げる言葉は慰労である。
 諸君等は、己が全力を傾注して、地球奪還と言う難事を見事にやり遂げて見せた。
 諸君等の成した勲しは、古今東西如何なる戦功であろうとも、比ぶべくもなく偉大な行いである。
 その働きを讃え、今は諸君等に身と心を休める時を与えよう。
 明後日より2交替で、1週間の長期休暇を与える。
 心身を休め、新たなる活力を得て、再び軍務へと立ち戻るのだ。」

 大佐となり、6個大隊強にまで規模を拡大したA-01を率いる武を先頭に、地球最後のBETAハイヴを攻略した、『甲7号作戦』に派遣された3個大隊の衛士等が並び、更にその周囲を作戦に参加できなかった残留組の衛士達が囲む。
 PXの配膳口前に拵えられた演台にはラダビノッド基地司令が立ち、その向かって右脇に夕呼とピアティフ、反対側のやや離れた入り口近くには、まりもと霞、そして純夏と京塚のおばちゃんが立っていた。

「さらに、最後に告げる言葉は請願である。
 地球奪還と言う難事は見事に果たされた。
 しかし、それだけが国連軍将兵の成すべき任務の、全てではない。
 国際平和と秩序を守り、人類の負託に応え、盾となり刃となって、人類の未来を紡ぐ為の任務の数々が、英雄たる諸君の更なる奮起を待ち望んでいる。
 諸君等が、これより後も、国連軍将兵としての務めに精励し、人類の守護者足らん事を切に願う。
 繰り返しになるが、諸君等の貢献、誠に見事であった。―――以上である!」

「―――敬礼ッ!」

 ラダビノッド基地司令の訓示が終わり、武の号令によってA-01の総員が一斉に敬礼する。
 それを答礼したまま悠然と見渡したラダビノッド基地司令は、珍しく満足気な笑みを浮かべると、右手を下ろして演台から降りた。
 その後を継ぐように、面倒くさそうな表情をあからさまに浮かべながら、夕呼が壇上に上がる。

「あー、もう楽にして良いわよ~。
 私からは一言だけ、あんた達、良くやってくれたわ。
 これからの事は、あれこれうるさく言わないでおいてあげるから、自分の今後の身の振り方をしっかりと考えて決めなさい。
 って事で、今日の所は精々はしゃいで楽しんどくと良いわ。じゃあね~。」

 そして、投げやりな調子で手短に話を済ますと、ひらひらと右手を振りながら演台を降りてしまう。
 そんな夕呼に、小走りに駆け寄って、苦言を呈する勇者が居た。

「ちょっと、夕―――いえ、副司令!
 いくらなんでももう少し言い方というものが……」
「教官、煩い!
 白銀がどうしてもって言うから参加を認めただけで、あんたは所詮おまけなんだから、隅っこの方で大人しくしてなさい。
 教え子達を、怯えさすんじゃないわよ?」

 その勇者とは、当然と言うべきかまりもであった。
 しかし、その諫言はあっさりと遮られ、しかも釘まで刺されてしまう。

「う……わ、解かったわよ…………」

 夕呼の反撃に、口籠ってすごすごと引き下がるまりもを、ラダビノッド基地司令が口元を微かに緩めて、視線だけを向けた横目で見ていた。
 そして、会話が途切れた所で、ラダビノッド基地司令は夕呼と連れ立ってPXから立ち去って行く。
 その背後には、ピアティフ中尉が従ってはいるものの、そこにイルマ少尉の姿は無かった。

 何故ならば、イルマ少尉は中尉に昇進した上で、故郷であるフィンランドに出向し、国連第四計画の担当者として現地復興支援の取りまとめを行っている為である。

 2007年春の『甲2号作戦』―――ロヴァニエミハイヴ攻略作戦の後、欧州連合と東欧州社会主義同盟が担当する事となった、対BETA防衛線であるロヴァニエミ戦線に対して、ソ連は部隊派遣の申し入れを行った。
 この申し入れが、BETA侵攻前に衛星国としてソ連の事実上の支配下となっていた東欧諸国が結成した、東欧州社会主義同盟に対してソ連が以前の影響力を取り戻す為であるという事は明白であった。
 その為、東欧州社会主義同盟は、共にロヴァニエミ戦線を担当する欧州連合の同意を得た上で、ソ連軍の派遣を拒否した。
 拒否されたソ連は、慌てて硬軟取り混ぜた外交交渉を繰り広げたが、BETA侵攻後に東欧諸国を事実上切り捨てて、戦力温存を優先した過去が祟り、ソ連が交渉の中で行った恫喝は、却って東欧州社会主義同盟を欧州連合の側へと追いやるだけであった。

 その後、2009年末の『甲5号作戦』―――ミンスクハイヴ攻略戦が完遂されると、欧州に於けるソ連領土もBETA支配下から奪還され、ソ連軍が欧州に展開し、対BETA防衛線を担当する様になった。
 すると、対BETA防衛線が押し上げられた事により、国土の復興に着手する環境が整った東欧州社会主義同盟の各国は、復興事業にソ連が関与して来る事を嫌い、共同でソビエト連邦からの独立を宣言したのである。
 無論、ソ連はこの宣言に対して強烈な拒否反応を示し、一時は軍事的緊張が高まる事態とまでなった。

 しかし、極東に加えて欧州と中東にまで戦力を展開し、各方面の対BETA防衛線を維持しなければならないソ連軍は、東欧州社会主義同盟に対して十分な戦力を割く事が出来なかった。
 その為、米国と欧州連合が東欧州社会主義同盟の後ろ盾となった事もあって、ソ連は渋々独立を認める事となった。
 イルマがフィンランドに出向したのは、この頃の事である。

 その後、ソ連は極東や中東のソビエト連邦構成国に対する監視と統制を強化し、民族運動や独立運動等を繰り広げる反政府組織を、徹底的に弾圧するという方針を打ち出すに至った。
 しかし、2010年6月に、ソ連軍戦術機甲大隊が国連第四計画復興支援部隊に対して戦闘行為を仕掛けるという、衝撃的な事実が世界中に暴露された一件を契機に、ソ連共産党政府によるロシア人以外の民族に対する非人道的な弾圧行為に対して、国際的な非難が集中する事となる。

 その結果、それ以降の復興期には、第四計画直属部隊を初めとする国連加盟各国の派遣部隊が各地に駐留し、ソ連や中華人民共和国の共産党政府による民族弾圧抑止に努めた。
 この努力は一定の成果を発揮し、後のソビエト連邦解体へと繋がる契機ともなったが、そこに至るまでと至った後も、反政府活動に身を投じた人々を中心に、少なからぬ人々が共産党政府による弾圧により犠牲となる定めにあった。
 だが、それは将来の出来事であり、イルマは祖国復興の為に骨身を惜しまず働き続ける、充実した毎日を過ごしている。

 そんなイルマを偲び、壬姫がつい独り言を漏らす。

「―――イルマ中尉も、今頃はヘルシンキで地球奪還を祝ってるのかなあ……」

 壬姫にしてみれば、誰に聞かせるともなく口にしただけの言葉だったのだが、案に相違して透かさず応じた人物がいた。

「どうかしらね。イルマ中尉の実家はトゥルクだったわよね?
 なら、もうそっちに戻ってる頃かもしれないわよ?」
「世界各地じゃ、祭りはもう下火……」

 それは千鶴と彩峰の2人であった。
 相変わらず犬猿の仲でもある千鶴と彩峰ではあるが、その事に問題意識を持って改善を図っているのか、はたまた意地を張っているだけなのか、こういった場では何故か付かず離れずでいる事が多い。

「あ……そっか、そうだよね~。
 あたし達は、今日になってや~っと帰還できたけど、地球奪還の知らせは、もう何日も前に世界中に広がってるもんね。
 イルマ中尉も、トゥルクの実家に帰ってるかも知れないよね!」

 オルタネイティヴ4の要員となって以来、イルマはヴァルキリーズの面々に機会を作ってはよく話しかけていた。
 ピアティフ中尉の補佐をする以上、ヴァルキリーズと早目に打ち解けておいた方が職務をスムーズに遂行できると思ったのが、そもそもの始まりであった。
 しかし、元米陸軍の衛士であるイルマに対して、ヴァルキリーズの多くが、嫌悪感とまではいかないものの少なからず警戒感を抱いていた。
 そんな中、積極的にイルマとの会話に応じ、間を取り持とうとしたのが壬姫であった。

 その甲斐あってか、イルマは然程時を置かずにヴァルキリーズに受け入れられる事となったのだが、その後も壬姫とイルマは緩やかに親交を深めていった。
 そして2人は、イルマがフィンランドへと出向してからも、定期的に文を交わして互いの近況を知らせ合うまでの間柄となっていた。

 最初は1人でフィンランドに向かったイルマだったが、現地の復興が進むと、バルト海に面し西スオミ州の州都である港湾都市トゥルクの郊外に家を建て、母と妹を日本から呼び寄せた。
 それ以来、普段は首都であるヘルシンキを中心に活動し、休日には実家に戻るという生活をイルマはおくっている。

 イルマは壬姫に在りし日の故郷についてよく話して聞かせていたが、その時には必ず、フィンランドの事をフィンランド語での愛称である『スオミ』という名で呼んでいた。
 そして、そんな話の中で、壬姫はイルマから、トゥルク周辺はフィンランドでは『本来のスオミ』と呼ばれており、古くはこの地方を表す名称であった『スオミ』が、フィンランド全体の愛称となったのだとも聞かされている。
 トゥルクが再建され、その郊外に母や妹と暮らす家を持てたと知らせて来た時の手紙には、故郷であるトゥルクに対する想いが溢れんばかりに記されていた。
 そして、念願がかなって、BETA大戦で戦死した父の墓も建てる事が出来たとも……

 そんなあれやこれやを思い出しながら、壬姫は窓の外を見上げて再び独り言を漏らした。

「イルマさんの家に遊びに行くって約束、何時になったら果たせるかなあ……」

「―――そうだなあ、今回の休暇じゃまだ無理だけど、来年中には民間航空路線も復活するんじゃないか?」

 と、今度も透かさず応えが返ってきたのだが、応えを返した相手が先程とは異なっていた。

「た、たけるさん?!」

 急に声をかけられて、驚き慌てて振り向いた壬姫の視線の先に、純夏と霞、そして京塚のおばちゃんを連れて歩み寄って来る、武の姿があった。
 ラダビノッド基地司令と夕呼、ピアティフ中尉の3人を見送り、入り口近くに居た3人を連れて戻って来た所で、壬姫の独り言が丁度武の耳に入ったらしい。

 純夏達と共に居たまりもは、夕呼に言い負かされて少しへこんでしまい、そのまま素直に壁際へと引っ込んでしまった。
 そんなまりもの許には、凛を初めとした比較的任官の古い年代の衛士達が集まっており、あれこれと慰めの言葉を駆けている様子だ。
 任官して後、他の部隊の衛士達と接する機会が増えるにつけ、自分達が如何に素晴らしい教育を受けたのかが実感できると凛などは事ある毎に語り、日に日にまりもに対する感謝の念を強めてきている。
 最近では、尊敬して止まない『鋼の槍(スティールランス)』連隊の衛士である実の兄と、同じ位に尊敬できると公言しているほどだ。

 凛の兄である七瀬少佐は日本帝国陸軍の歴戦の猛者ではあるが、当の本人は大陸で異名を取った先達であるまりもに対して、畏敬の念を抱いている。
 それ故に、その七瀬少佐と同じ位という表現は、極度のブラザー・コンプレックスである凛ならではの言い回しであり、最大級の評価であると言えよう。

 なにはともあれ、教え子に励まされて少し決まり悪そうにしながらも、楽しげな様子の隠せないまりもの様子に、武はそのまま敢えて声をかけずに、残りの3人を連れて古参が固まっているこの一角へとやって来たのだった。
 因みにこの会場には、武が育てているAIを搭載した、武自身の影武者アンドロイドも参加しており、そちらにも部下達が多数集まっている。
 最近ではAIも大分完成度が上がっており、感情表現さえもモデルである武そっくりの反応を再現する程になっている。

 その為、古参に囲まれた武に近寄る程の度胸の無い者は、影武者の方に集まり、あれやこれやと思い思いの話題を話しかけているのであった。
 その会話の内容は、耳に装着した携帯通信機越しに武も聞いており、AIの受け答えが適切でなかった場合などは、その度ごとに無線機で信号を送信し、AIに発言を訂正させている。
 武がそんなマメな対応を行っていると知っている事もあり、武本人よりも気軽に話しかけ易い影武者アンドロイドは、何気にA-01の新任衛士達に好評なのである。

 そして、エネルギーの枯渇によって、地球上のレーザー属種が完全に活動を停止しさえすれば、物資や人間の輸送を担う民間航空路線も復活するだろうとの見込みを語る武の周囲に、『イスミ・ヴァルキリーズ』が集まって来る。
 すると、武の隣でPX全体へと視線を経巡らせていた京塚のおばちゃんが、相好を崩して辺りに響き渡る声を張り上げた。

「話が弾むのも解かるけどさ、あたしら料理班の心尽くしなんだ。
 みんなしっかりと、食べておくれよ?」

「勿論、早速頂戴してますよ、京塚曹長。」

 そう言って、手に持った紙皿を持ち上げて見せたのはみちるであった。
 その他の面々も、大抵が手に紙皿やコップを持っており、料理や飲み物が並べられているテーブルも、補給拠点よろしく手近な位置に移動させて確保済みであった。
 その様子に、満足気に頷く京塚のおばちゃん。
 と、そこに純夏がしゃしゃり出てきて、みちるに話しかける。

「みちるさん、味はどうかな? 美味しかった?」

 純夏のみちるに対する口調は親しげなものであり、下手をするとA-01の古参達よりも砕けている。
 鈍感な幼馴染に苦労させられているという共通点から、純夏とみちるは出会って間も無い頃より意気投合しており、それ以来、純夏がみちるの指揮系統に属していない事もあって、互いに階級抜きの付き合いをしている。
 それ故に、今も純夏とみちるは楽しげに会話を続けていた。

 尤も、みちるは既にその鈍感な幼馴染である所の前島正樹と、拡大婚姻法を適用した婚姻を結んでいる。
 それも、2005年の6月の事であるから、既に8年も前の話である。

 みちるは、軍務を優先して結婚後も徹底した避妊処置を取って来たが、結婚以来、やよいが長男、まりかが長女と次女、あきらが二男、三男、四男をそれぞれ出産している。
 その結果、今では7歳の長男を頭に、6歳の二男、5歳の長女と三男、3歳の四男と二女の、4男2女、合計6人の子を成している。
 拡大婚姻法の規定により、結婚後5年以内に多夫妻の人数と同数以上の出産を義務付けられている為、みちるの分まで姉妹達が子供を産まざるを得なかったのだ。

 あきらが第5子を出産した時点で、拡大婚姻法での規定出産数は満たす事となったのだが、その時点で既にまりかが第6子をお腹に宿していた。
 そこで、その第6子を最後に、後はみちるが妊娠を許される情勢となるだろう地球奪還までは、皆で避妊すると言う事で姉妹の意見がまとまった。
 斯くして、6人の子育てを軍を退官したまりかとあきらが担当し、正樹とやよい、そしてみちるが家計を担う事となった多夫妻は、円満な家庭環境を維持しつつ、8年の年月を過ごしてきたのである。

 『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々は、こういった事情を全て熟知している。
 それ故に、先程ラダビノッド基地司令が告げた長期休暇の話を聞いたその時から、とある話題を振りたくてうずうずしているのも無理からぬ事ではあった。
 だからこそ、純夏とみちるの話題が正樹の事に及んだ途端に、水月が透かさず割って入ったのも当然であったかも知れない。

「正樹さんって言えば大佐。
 今度の休暇に合わせて、正樹さんも休み取れそうなんですか?」

「ん? いや、まだ私もさっき初めて聞いたばかりだからな。
 後で連絡してみようとは思っているが……何故そんな事を気にするんだ? 速瀬。」

 小首を傾げながら、それでも律儀に返答を返したみちるは、逆に水月に問い返す。
 すると、水月は嫌らしい満面の笑みを浮かべて言い放つ。

「何故って、それは勿論、子作り解禁になった大佐が、思う存分仕込みが出来るかどうか気になってるに、決まってるじゃないですか~。」
「もう~、水月、ちょっと下品だよぉ。」

 そんな水月の言い様に、透かさず遙が苦言を呈したが、口から出た言葉が戻る訳も無く、しっかりと聞き咎めたみちるが目を細め片眉を上げて口を開く。

「ほほう……随分と余裕だな速瀬。
 しかし、結婚してもう何年も経つ私なんぞよりも、貴様こそ新婚の癖に碌に夫と一緒に過ごせなかった日々は辛かったんじゃないか?
 ああ、なるほどな。そうやって溜め込んだ分だけ、物言いに品が無くなっているのか。納得だな。」

「う゛……」

 みちるの冷たい視線と共に突き刺さって来る言葉の槍に、水月が胸を抑えて言葉に詰まる。

 涼宮遙と館花一郎、速瀬水月と館花二郎、そして、涼宮茜に築地多恵と館花三郎は、地球奪還を前にした今年の3月に合同結婚式を執り行っていた。
 茜は地球奪還後で良いと最後まで主張していたのだが、遙と水月がせめて茜だけでも20代の内に結婚させてやりたいと強硬に主張した為、『甲7号作戦』の準備が本格化しない春の内に挙式と相成ったのである。
 最後には、口では茜の為と言いながらも、水月と遙が自身の年齢に関して色々と思う所があるようだと察した茜が、渋々自身の主張を取り下げて挙式に応じる事となった。

 余談ではあるが、多恵の年齢を気にした者は、当の本人を含めて女性陣には1人も存在しなかった。
 その余りの放置ぶりに、多恵に拝み倒されて多夫妻となる事を了承した三郎は、本人の意思を尋ねてみた。
 尤も、多恵が即答した答えは、茜と結婚できるなら何歳でも構わないという趣旨だった為、三郎が近い未来の妻と義姉達の先見の明に感服するという顛末となった。

 みちるに一蹴された水月に、苦笑いを零した遙だったが、その後少し寂しげに眉を顰めると、溜息交じりに言葉を漏らす。

「あはは……水月ったら考えなしなんだから。
 あ、でも、私達の方はちょっと、長期休暇を取って貰うのは難しそうなんです。
 一郎さんも二郎さんも、病院の勤務シフトがありますから、急な話だと融通が利かなくて……」

 と、そこに脇から、急に発言が割り込んで来る。

「確かにそうですよね。でも、家で帰宅を待つって手があるじゃないですか。
 新居は病院の近所でしたよね? それなら、当直でなければ家には寝に戻れると思うんですけど。
 緊急呼び出しは諦めるとして、後は…………愛妻弁当を差し入れるとか……
 あ、茜と築地、おまえらの方は、館花軍医が同じ期間の長期休暇を取れる様に、既にモトコ先生に許可を貰ってあるから―――」

 急な割り込みに、声の主を確認したみちる、水月、遙が揃って相手の名前を呼ぶ―――

「「「 白銀? 」」」「んののののっ! 白銀さ! 今何ち言っただか!?」

 ―――が、その後に続く発言を押し潰すかの如くに、悲痛な叫び声が上がった。
 周囲の視線が集まる中、叫び声の主である多恵の横では、茜が顔に手を当ててがっくりと肩を落としている。

「つ、築地か……一体何を興奮してるんだ?
 館花軍医なら、おまえらに合わせて長期休暇を取れる様に―――」
「んなっ! なぁあんで、そったらよげぇなことすっだね!!
 せっがぐ、茜ちゃんとはぁふたりっぎりで過ごせっど思っでだに、全部ぱぁだべがッ!!!」

 武の説明も途中で遮り、その両肩を引っ掴んでがくがくと揺さぶりながら言い立てる多恵。
 逆らわずやりたいようにさせながら、興奮の度合いに比例して判読し難くなる多恵の言葉を解釈した武は、がくがくと揺れる視界に閉口して目を瞑ると、茜の為にも多恵を説得しようと口を開く。

「あー、そう言う事か……悪い、そこまで気が回らなかったよ。
 けどさ、築地の方は、普段茜と一緒に居られるんだから、たまの休暇くらい館花軍医を優先してやれよ。」

「んったらことねぇっぺや!
 茜ちゃんさ、休暇ん度にはぁ館花軍医っとこさ入りびだっで、おらがごどなんで相手さしてくんねえだよっ!」

 ところが、武の言葉で納得して鎮まるどころか、多恵の興奮は更に押し上げられて、とうとう号泣しながら前後左右に武の上半身をシェイクし始めた。
 それになんとか耐えながら、武は意外な思いを隠し切れぬ口調で茜に確認を取る。

「え? そうなのか? 茜。」

 すると、視線を横に逸らして微かに赤く染まった頬を右手の人差指で掻きながら、茜はてへっと舌を出して本音を漏らした。

「えっと、その……あ、あはは……その、あたしだってたまには多恵から解放されたいかな~って。」
「酷いッ! 酷いっぺやぁ、茜ぢゃん~~~~っ!!!」

 茜の本音に、武への八つ当たりを激化させる多恵だったが、さすがに武の身を案じ始めた月恵と智恵によって拘束され引き離された。
 それでも尚、じたばたと暴れる多恵に、月恵と智恵が苦情を言い立てる。

「もうっ、茜に当たれないからって、白銀くんにっ、八つ当りしないでよねっ!!」
「茜も茜だよ~。家庭内争議は~、ちゃんと当事者同士で片付けてよね~。」

「あはははは……ごめんごめん。」

 何だかんだ言いながらも、暴走し勝ちな多恵を抑え込んでくれる同期2人に、茜は素直に謝意を表す。
 もう1人の同期である柏木は、何時もの如く、楽しげに傍観に徹しているので、茜は全く当てにはしていない。

 それでもこれで、ようやく沈静化するかと思われたその時、収まりかけた火に油をくべる人物が現れた。

「ふむ。さすがに既婚者ともなると、惚気っぷりも一入(ひとしお)ですね。
 いや、もしかすると、羞恥心が摩耗していくのかな?」

 言わずと知れた美冴である。
 その手に料理が山盛りとなった紙皿を持っている事から、料理を取りに行っていた事が容易に想像できる。
 その地獄耳で、話の概要は把握していた様子だが、距離があった為水月をからかえなかったのが、ご不満のようだ。
 その為か、もう一度火種を掻き熾して、水月をからかおうという魂胆が良く解かる笑顔を浮かべている。

 ところが、この時は思わぬ方向からの奇襲を受けて、美冴は足元をすくわれてしまう。

「うふふ。美冴さんたら、またそんな事を仰って。
 地球奪還が成った暁には、結婚に応じさせて頂きますって、仁さんと約束なさったのでしょ?
 明日は我が身でしてよ?」

 さらりと、余人が知り得ない情報を漏らして見せたのは、祷子であった。
 軽々しく口外したりしないと信用して、祷子にだけ話した内容をあっさりと暴露された美冴は、苦虫を噛み潰したような表情で祷子を睨む。

「祷子ぉ~。おまえはまた、なんだってこのタイミングでそう言う話を……」

 しかし時既に遅く、美冴の窮地ともなれば、大抵の事は擲って喰い付く水月が、こんな御馳走を見逃す筈がない。
 美冴が逃げないようにがっしりとその左手を掴み、祷子に向かって矢継ぎ早に問いかけた。

「なんですってぇ?! それってホントなの? 風間っ!!」

「はぁ……やれやれ―――祷子、お前のお陰で、明日じゃなくて今から吊るし上げられる事になりそうだぞ?」

 水月が犬であったなら、千切れそうになるほど激しく尻尾を振っていそうだなと思いながらも、溜息を吐いた美冴は祷子に恨めしげな視線を投じた。

「あら、御免あそばせ?
 長年の片想いが、一向に報われない女のちょっとした嫌がらせですわ。」

 しかし、そんな美冴の視線を笑顔1つであっさりと躱し、ぽろりと毒を含んだ言葉を漏らす。
 そして、その内容に、周囲の面々が愕然として息を飲んだ。

「―――め、珍しいわねっ! 風間が自分の恋愛事情を明かすなんて……」
「そうだね。私、初めて聞いたよ。」

 水月が、ようやく言葉を絞り出すと、目を大きく見開いた遙も、瞬きしながら心底驚いたといった風情で言葉を発した。

「実は、このまま戦況が落ち着くようでしたら、少し本気で攻めて見ようかと思いまして。
 少し予行演習を兼ねて、景気付けですわ。」

 相変わらずの笑顔のままで、自身の発言に驚愕する人々を前に、飄々と告げる祷子。
 そんな祷子に、美冴がお手上げといった風情で、武に話しかける。

「だから、それに私を巻き込むんじゃない。
 白銀、頼むから祷子の片想いの相手を見つけてやってくれ、長い事文通ばかりで一目会った事すら無いんだそうだ。
 会った事も無い相手を一途に想い続けている癖に、こいつは私の事を純情だとか、純愛だとか言ってからかうんだぞ?
 酷い話だと思わないか?」

 そこから先は、目新しい祷子の恋愛話に花が咲き、みちるも水月、遙、茜に多恵、美冴までもが、自身の話題から解放された。
 それは、祷子一流の、解かり辛い配慮であったのかもしれない。
 そして、寄って集ってなされた追及を、笑顔一つではぐらかして見せた祷子の強かさに、その場の全員が舌を巻く事となった。

「いやはや、風間がこれ程の強者だったとは恐れ入ったな。
 普段から、ちょっとやそっとの事では動じない奴だとは思っていたが、ここまで強かだったとは。
 長年戦場を共にした上官としては、情けない限りだな。」

 祷子が殺到した追及を柳に風と躱し切った所で、みちるが感嘆とも嘆きとも言い難い重々しい口調で言葉を漏らす。
 それを慰める様に、美冴が言葉をかけた。

「無理もありませんよ、大佐。
 こいつの被っている猫が、特注品で頑丈過ぎるんです。
 なにしろ、S-11でも持ってこないと、吹き飛ばせそうにないですからね。」

 美冴の発言内容はかなり酷い貶しようであったのだが、それを隣で聞いている癖に祷子は笑顔を一筋も崩さない。
 それに感嘆の念を更に強めながらも、みちるは思考を切り替えると、視線を武へと向けて聞こえよがしに言葉を発した。

「隊の中でも、一番親しかったおまえがそう言うなら、間違いないんだろうな。
 しかし、そうなると、貴様の結婚にせよ、風間の求婚にせよ、今後の情勢が気になる所だな。」

「そうですね、そのあたりの見通しを、私も是非聞いておきたい所です。」

 それに美冴も同調し、更には周囲の面々も、興味津々な様子で武を注視する。
 唯一の例外は純夏で、唇を尖らせて、話題が小難しい国際情勢の話になる事への不満を、あからさまに表していた。
 そんな純夏を、霞と冥夜が宥めるのを横目で見ながら、武は渋々と国際情勢の解説と今後の見通しを話し始める。

「なにも、こんな席でしなくてもいい話だと思うんですけどね。
 ―――まあ、話題に上がった以上、しょうがないか。
 じゃあ、まずは近い所で中国ですけど、あそこは分裂しちゃいましたからね……」

 2010年末の、『甲14号作戦』―――敦煌 (ドゥンファン)ハイヴ攻略戦の完遂後、統一中華戦線を構成していた中華人民共和国と中華民国は、遂に軍事同盟を解消するに至ってしまった。
 それでも、対BETA防衛線維持の必要性から、米ソの仲介を受け入れ、一応は互いを独立国として認める事となった。

 その折、互いに取り下げていない領有権の主張については、地球上よりBETAが完全に排除されるまでは、係争問題として取り上げないとの合意が取り交わされている。
 また、統一中華戦線結成以来、中華民国が中華人民共和国に対して行ってきた経済支援については、統一中華戦線解消時点に於いて、中華民国が復興を担当し実効支配していた領土を、中華人民共和国が租借地として2030年まで20年に亘って領有権を認める事と引き換えに、中華民国が債権放棄する事で話が着いた。

 斯くして、中国と呼ばれた国家は事実上消滅し、中華人民共和国と中華民国の2つの国家に分裂する事となり、以来3年に亘って、両国の関係は冷え切ってはいるものの、戦端が開かれる事無く小康状態を保っている。

「中華民国の方は、欧米よりだからあたしらが派遣されても、結構待遇が良いのよね。
 けど、あの国は装備は整ってるし、精鋭部隊の練度もそれなりに高いけど、実戦経験が少ないのが悩みドコよね。
 殊に、戦術機甲部隊はともかく、BETA相手の実戦を中華人民解放軍に任せ切りにしていた、それ以外の陸軍各兵科なんてはっきり言って張り子の虎ね。」

 武の解説を受けて、中国方面へ度々派遣されていた水月が、腕組みをしながら発言する。
 それを補足する様に、遙も言葉を足した。

「中華人民共和国は、その点戦い慣れた古強者が多いよね。
 けど、どうしたって装備では中華民国に劣るし、何よりも中華民国の現支配地域の租借に応じちゃったから、自分達の側から侵攻する事は出来ないんじゃないかな?
 精々挑発して、中華民国側から戦争を仕掛けさせられれば、租借も無かった事にして領土をもぎ取れる、くらいは考えてそうだけどね。」

 2人の発言に、武は頷いて今後の見通しを語る。

「中華民国側も、租借期限の2030年までは、中華人民共和国側から侵攻し難い事は十分理解している筈です。
 だから、その間に国土の復興を推し進めて、国力と戦力を更に充実させて、中華人民共和国との差を広げるつもりでしょうね。
 中華人民共和国も、それを薄々感じているから、そうなる前に内戦状態に持ち込もうと、あれこれ挑発行動を繰り返すと思います。
 後ろ盾のソ連が、東欧州社会主義同盟の独立以来、国内の統制に手一杯になってる所為で、今一つ強気に出れないのがせめてもってとこですね。
 オレの見立てでは、後10年位は小競り合い程度で済むんじゃないかと思ってます。」

 武がそう言って見廻すと、その場にいる全員が真剣な顔で話を聞いていた。
 純夏は暫く前に、霞を連れてまりもの方へと立ち去っている。
 後で、機嫌を直すまでに、あれこれ我儘を言われそうだと、今から頭が痛くなる武であった。

「さて、次はユーラシア大陸の反対側、欧州の情勢です。」

 オルタネイティヴ4主導による大陸奪還作戦に於いて、欧州の解放と復興は比較的順調に推移した。
 欧州連合各国は終始一貫して協調姿勢を崩さず、東欧州社会主義同盟の独立を支援し、BETA大戦後の覇権を握ろうとする米ソに対抗して、徐々に往年の勢力を取り戻しつつある。

 しかし、欧州連合の国土が全て奪還され復興が始まると、国力の差から様々な軋轢が表面化し始める事となった。
 殊に、BETA大戦に於いてユーラシア大陸撤退以来、欧州連合の盟主であり続けた英国の国力は、他の欧州連合諸国を大きく引き離している。
 この様な状況により、近年は欧州連合内での勢力争いが活発化する事態となっていた。

「だがまあ、欧州各国はそうそう軽挙妄動はしないだろう。
 今後様々な外交交渉や駆け引きが繰り返されるだろうが、米国と言う巨大過ぎる障害が存在する以上、協調姿勢は崩さないだろうな。」

 みちるがそう纏めると、武も頷いて同意を示す。

「伊隅大佐の言う通りですね。
 オルタネイティヴ4としても、地球奪還と言う最大の目的を果たし、復興支援と治安維持活動と言う目的が残ってはいるものの、当初の目的を完遂したとして、活動凍結を決議される危険性が付き纏っています。
 一応、月面奪還を目的としたオルタネイティヴ6への発展的解消が内定してはいますが、これも今後の国連内での票の取りまとめに左右される可能性が残っています。
 ですから、オルタネイティヴ4に対して好意的な欧州連合各国には、国連に於ける影響力を内輪揉めで低下させて欲しくない訳です。
 この辺りは、欧州連合で復興の遅れている国を支援して国力の差を縮め、欧州連合内での軋轢を軽減する方向で検討しています。」

 武は、この辺りの話は、純夏が聞いていたならば、自身の関与を誤魔化す為に言葉を濁していた所だなと、内心で思った。
 そして、それを察して早い内に純夏をまりもの所へと誘導してくれた霞に、心中で手を合わせて感謝するのだった。

「じゃあ、次は中東情勢です。
 ここはある意味で一番厄介ですね。」

 中東諸国は、BETA大戦以前にその経済力の根源であった油田が、地層の奥深くに存在した為に殆ど手付かずのまま残されており、国土奪還後比較的早期に採掘を再開する事に成功した。
 これによって、巨額の資金を得た中東各国の政府であったが、BETA大戦期間中に軍人の発言力が増した事や、国民が欧米諸国の人々と接する機会が多かった為に生じた人権意識の向上などを鑑みて、その資金の多くを復興事業に当てて民生の充実と文化の西欧化を推し進めた。
 その結果、中東諸国の多くは急速な復興を遂げたが、それは同時に貧富の差をも拡大する結果となった。

 そして、西欧化に反感を抱くイスラム法学者(ウラマー)達が、イスラム主義を掲げて貧困層を主たる支持基盤として活動を活発化させた結果、イスラム国家樹立を目指す運動が隆盛した。
 それらの中には過激な反政府活動を行う武装組織まで存在し、欧米に阿って(おもねって)堕落した政府を打倒し、革命により欧米の干渉を排除するとの主張を掲げるものまで現れた。
 現時点では内戦にまで至っていないものの、小規模な武力衝突は多発し始めており、今後の治安悪化が懸念されている。

「あそこは宗教が絡んでいるからな。
 男女比率が傾いた事による、女性の社会進出も、イスラム法学者達を苛立たせているようだ。」

「女性蔑視の風潮が未だに強いお国柄ですものね。」

 美冴と祷子がそう感想を述べると、武は難しげに眉を顰めて言葉を足す。

「こればっかりは、文化的背景もあるから、必ずしも女性蔑視と決めつける訳にもいかないんですよね。
 ただ、過度の人権侵害に女性が曝される事例が多いのも事実なんで、国連としては現行政府の進める改革を推奨してるんです。
 問題は、急速に進められる改革に、国民の意識改革が追いついていない事と、富の寡占が起きている事で不満を抱く国民が多い事でしょうね。
 近い将来に、幾つかの地域で革命が成功し、イスラム国家が樹立されるのは避けられないと思います。
 後は、その時になるべく多くの人命が失われないようにしたいですね。」

 BETA大戦の終わりが見えた途端に、人類は互いの主張をぶつけ合い、理性ではなく暴力で己が正当性を押し通そうと妄動を始めている。
 人類が互いの垣根を越えて協調する事の大事さを、BETA大戦を通じて学べていないという事が、武には悔しくてならない。
 だがそれは、ある意味で武と夕呼が、地球奪還を容易たらしめた弊害であるとも言える。

 人類は、BETA大戦であれほど莫大な犠牲を払ったにも関わらず、そこから教訓を学びとれなかったのだろうか?
 否、教訓を学び、それを己が指針としている人は決して皆無ではない。
 事実、悠陽に導かれた日本帝国は、理性の柔らかな光に照らされた、融和と協調の道を歩んでいる。

 無論、非武装ではなく、理不尽は毅然として撥ね退けるだけの気概も持っている。
 しかし、それでも尚、武力に驕る事無く融和の道を探り、互いに助け合う余地を見出そうとする。
 この道を選択する国家が、今後増えて行く事となれば、人類の宿弊も改善される可能性は十分ある。

 武は内心で自身をそう鼓舞して、仲間達の待つ現実へと意識を復帰させた。

「インド大陸は順調に復興してますね。
 イスラム教徒の多い地域では中東と連動した、イスラム国家樹立を目指す運動が隆盛していますが、インドは比較的安定しています。」

 インドでは、BETA南進によりインド大陸から撤退する直前の時点に於いて、憲法で全面禁止が明記されているにも関わらず、カーストと呼ばれる制度に立脚する人種差別が未だに深く社会に根付いていた。
 子は親のカーストを継承し、生涯そのカーストのままで過ごし、子を成せば子もまた同じカーストとなる。
 そして人生を如何に生きたかによって、輪廻転生した次の人生に於ける自身のカーストが定まるとされる。

 それ故に、現生でのカーストは即ち過去生の結果であるから、素直に受け入れてカーストに相応しい人生を送るべきであるとされるのだ。
 そうした概念に基づいて、カースト制度では身分や職業を規定し、異なるカースト間での婚姻を禁じ、下位のカーストに属する者は、上位のカーストに属する者に従属するべきだとされる。
 その結果、下位のカーストに属する者は上位のカーストに属する者に奉仕する事で、来世の自身のカーストを上げようとし、上位のカーストに属する者は、自身の特権的地位は過去生に於ける自身の行いによるものであるから当然であると考える。
 よって、貧富の格差や雇用の不平等、人権の侵害などが助長されるという深刻な状態にあった。

 しかし、BETA侵攻により多くの犠牲者を出して人口が激減してしまった事で、このカースト制度は各カーストを構成する母集団の規模が、カーストを維持し得ない程に減少してしまった。
 また、国土奪還を目指す過酷な総力戦の最中では、カーストに拘るゆとりなどあろう筈も無い。
 その結果、国土を奪還し再建されたインドに於いて、カースト制度は完全に崩壊しており、国民は皆等しく復興後の繁栄を謳歌する事が出来た。

「これは、BETA大戦によって齎された、数少ない良き出来事の一つだと言えるかもしれませんね。
 勿論、過去から続いてきた文化が途絶えたと言う意味では、悲しむべき出来事なのかもしれません。
 でも、多くの人がその文化の所為で苦しんでいた以上、オレは現状を歓迎したいと思っています。」

「たけるさんは、他の人の苦しみを真剣に受け止めちゃうからね~。」

「そうだね~、多様な文化を許容するのは大事だけど、良かれ悪しかれ、文化が変遷していくのは歴史的にも自然な流れだと思うなあ。」

 壬姫が尊敬半分呆れ半分といった微妙な表情で武を評すると、続いて腕組みをした美琴がもっともらしい発言をする。
 壬姫の言葉にはその場の多くが共感し、美琴の発言は大半の人間にスルーされた。
 重大な局面での発言に関しては、A-01の中でも1、2を争う程に重きを置かれる美琴の発言だが、平時の発言はその殆どが聞き流される。

 えらく両極端な扱いではあったが、発言内容の格差も激しい為、殆どの場合周囲が判断に困る事は無い。
 美琴も、一々貶されたり反論されるよりは、聞き流される方が良いらしく、最近ではこの扱いが常態化してしまっている。
 そんな美琴に苦笑を浮かべて、武は更に話を続けた。

「ユーラシア大陸の情勢で残っているのはソ連と大東亜連合ですけど、ソ連は中国の所で言った通り、暫くは国内統制を維持して、ソビエト連邦の空中分解を回避するのに手一杯だと思う。
 そして、大東亜連合は、中小国の集まりだからか、互いに協調を重視して協議で方針を策定してます。
 日本帝国の方針に同調してくれる事も多く、国際協調に最も協力的な勢力であるとも言えますね。
 ただし問題は、オーストラリアの影響が強い事や、軍事力はともかく経済力は未だに発展途上だという事かな。
 そして、今の国際情勢に最も大きな影響力を保持しているのが、米国を初めとする後方国家群です。」

 人類がBETA大戦を戦い抜き、勝利を勝ち得るに当たって、米国を筆頭とする後方国家の、前線国家や退避国家に対する後方支援が、重要な役割を果たした事は否定し得ない事実である。
 よって、米国、オーストラリア、南米諸国、アフリカ諸国の影響力は、地球奪還を目前にして増大の一途を辿ってきていた。
 ただし、これらの国々の内、米国とオーストラリアを除く諸国は、米国か欧州列強の強い影響下にある為、それらの国々の影響力を強める結果に留まっており、独自の働きかけは殆ど行っていない。

 斯くして、BETA大戦によって疲弊したとは言え、常任理事国を初めとするBETA大戦以前の列強国は、その殆どが強い影響力を保持し、そこに新常任理事国であるオーストラリアと日本帝国が加わる情勢となった。
 殊に、大陸奪還作戦を主導したオルタネイティヴ4の誘致国である日本は、復興支援にも力を傾注した事もあり、強い影響力を有するに至っている。

 未だに社会主義国を名乗る国家は多数存在するが、その盟主たる位置を占めていたソ連と中華人民共和国は、BETA大戦によってその勢力を大幅に減じてしまっている。
 その為、1人勝ちに近い米国と、欧州の主導による民主的な価値観が、国連加盟諸国の中で大きな潮流となってBETA大戦後の世界を方向付ける形となっていた。

 一方、米国に次ぐ発言力を保有するに至った日本帝国であったが、自国の国土奪還より後、国益を過度に求めるが如き行動を厳に慎み、国際協調の象徴として模範的な行動に終始してきた。
 その結果、国家間や国連内での争議に際して、調停役を求められる事が増え、それらの調停に真摯に取り組む事で、更なる影響力の向上へと繋げている。
 米国の覇権を阻止しようとする勢力の、事実上の旗頭とされる事の多い日本帝国ではあったが、必ずしも反米一辺倒の立場は取らず、是々非々の姿勢を貫き場合によっては米国に協力する事も厭わなかった。
 その為、その存在を煙たく感じながらも、米国も日本帝国を粗略に扱えず、国際情勢は両国を天秤の重りとして、危ういバランスの上で曲がりなりにも国際協調と言う題目を演じ続けている。

「―――てことで、国連では主導権を握ろうとする米国と、飽くまでも加盟国の合議の結果で方針を定めるべきだとする帝国が、互いに影響力を競い合っているって情勢な訳です。
 で、オルタネイティヴ4は日本帝国が主導する計画だって事になっているので、これ以上日本帝国に影響力を付けて欲しくない勢力からは疎まれてしまうんですよね。
 そんな状態じゃ、人類の総力を挙げなくてはならない、月面奪還作戦の成功はおぼつきません。
なので、オルタネイティヴ6は特定国家の主導ではなく、本当の意味での国連直轄の計画とする方向で根回ししているんです。」

 そう言って、オルタネイティヴ4を巡る国連加盟諸国の思惑を語る武の表情には、呆れと諦念が滲みでていた。
 実際には、夕呼は日本帝国に主導権など握らせてはいないし、国益になる様な技術も最低限しか提供していない。
 飽くまでも、オルタネイティヴ4の目的に協力させるに当たって、交渉材料として提供してきた程度に過ぎないのだ。
 オルタネイティヴ4と日本帝国を同一視する国々は、自身が勝手に抱いた事実無根の懸念に踊らされているに過ぎない。

「上手くいけば、国連総会での決議によって、オルタネイティヴ6は国連加盟諸国の承認の下、全人類に奉仕する為の計画となり、オルタネイティヴ4は組織の殆どをオルタネイティヴ6へと継承した上で、発展的解消となる予定です。
 ただし、そうなれば、オルタネイティヴ4直属特殊任務部隊であるA-01も、より国際色の強い組織へと改編され、国連加盟諸国から優れた衛士を集めて再編制となる可能性が高くなります。
 現在のA-01所属衛士も、全員が配属されるとは限りませんから、退役するか帝国軍に転属する衛士も出て来るでしょうね。
 逆に言うなら、地球奪還が完遂された後、オルタネイティヴ6が正式に発動される迄の間に、自分達の今後の身に振り方をある程度自由に選べるって事なんです。
 さっき、夕呼先生がさり気なく言っていたのがこの事ですね。
 本当は、長期休暇が終わった後に、小隊指揮官以上を集めて説明するつもりだったんですけど……」

 武としては、部下達には難しい事など考えずに、長期休暇を満喫して欲しいと考えていた。
 しかし、夕呼の言葉と、仲間達の要望に応えたお陰で、結局種明かしをしてしまった。
 実を言うならば、現在2個連隊規模となっているA-01所属衛士の内、オルタネイティヴ6に転属となるのは半数程度だろうと武は予想している。

 それでも、事実上単一国の出身者が占める割合としては、破格の数字になるに違いない。
 しかし武には、例え非難を浴びようとも、苦楽を共にし、数多の経験を蓄積した戦友達をそうそう簡単に手放す気はなかった。
 とは言え、本人が退役を望み、一個人としての幸せを望むと言うのであれば、話は別である。

「そういうぅことなら、私達が寿ぃ退役しても大丈夫ぅよねえ。」
「あ、葵ちゃん…………」

 突然発せられた葵の発言に、その間の空気が瞬時に固まり、葵を窘める葉子の声だけが妙に良く響いた。
 葉子に窘められても、一向に悪びれる様子の無い葵に溜息を吐くと、紫苑は姉に変わって説明を買って出た。

「もう、姉さんときたら…………
 えっと、近々折を見て相談しようと思っていたんですけど、もし退役が許されるのであれば、僕達はそれを機に、佐伯先生や草薙大佐と結婚しようと考えています。
 お2人を随分と長く待たせてしまってますしね。」

「そうか……そうだなあ……来年の―――2月以降で良ければ多分大丈夫だと思いますから、その方向で進めてくれていいですよ。」

 紫苑の言葉に、最初こそ言葉を濁して考え込んだものの、武の答えは実にあっさりとしたものであった。
 全く慰留する気配すらないその言葉に、当事者以外の『イスミ・ヴァルキリーズ』が唖然とする。

『『『 え?! 』』』

「いや、元々、退役希望者は許可する方針が既に決まっているんです。
 ただ、来年の年始辺りは、地球奪還の祝賀関係の催しに呼ばれる事が多いと思うんで、1月一杯は所属してて欲しいかなと……
 ―――あ、葵さんや葉子さん、紫苑さんの御結婚は、勿論祝福させて貰いますよ?」

 そう言って、慶事を祝う武の表情は、心底嬉しそうなものであった。
 それ故に、心からの祝辞であると理解した葵、葉子、紫苑の3人は、口々に礼を述べる。

「ありがとうね~、白銀くん。」「ありが、とう……」「ありがとうございます。」

 それを面映ゆそうな顔で受けた武は、頭を右手で掻きながら告げる。

「オレは元々、仲間達が戦いから身を退いて、幸せに平和を謳歌して暮らせる世界にする事が目標の1つでしたからね。
 個人的には、そうやって退役して自分自身の幸せを享受して貰えると、凄く嬉しいんです。
 まあ、今となっては、本人の意志や決意を無視してまで、幸せのごり押しをするなんて、傲慢な考えなんだって思い知ってますけど。
 でもまあ、そんな個人的な幸せを優先できる状況にまで持ってこれたってだけでも、十分だって思う事にします。
 オレ自身、他人になんて言われたって、退役する気はない訳ですしね。」

 そう言って、周囲の仲間達を見廻す武。
 すると、冥夜が力強く頷きを返して、武の言葉に同意する。

「そうだな、タケルの言う通りだ。
 私も突然のこと故、些か動顛してしまいましたが、心よりお祝い申し上げます。
 幸せな家庭を築かれん事を、祈願いたします。」

 この冥夜の言葉を契機に、『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々が口々に祝意を告げて行く。
 それらの言葉を嬉しそうに受け止めながら、葵は幸せそうな微笑みを浮かべ、葉子は顔を真っ赤にして俯き、紫苑は1つ1つの祝辞に丁寧に礼を述べていた。
 そんなやり取りの最中、武は冥夜の顔を覗き見る。

 そして、冥夜が既に数年前に、衛士として戦い続ける事を事実上選択した時の事を思い返すのであった。

 当時、本来であれば御剣家の当主として、継嗣を産まなければならない立場の冥夜であったが、夕呼より地球奪還までは軍務を優先すべしとの命を受けた事と、武が頑なに恋愛関係の構築を忌避する姿に、自身の子を継嗣とする事を早々に諦めてしまった。
 そして2007年には、御剣家の分家筋に当たる家の三歳になる女子を養子とし、御剣家の嫡子と定めてしまう。

 とは言え、冥夜自身は軍務から殆ど御剣家の邸宅へは戻れぬ為、基本的に分家の実の両親に育てさせる事とした。
 そして、毎月数日の間だけ御剣本家に泊らせ、冥夜が悠陽の名代となった折に当主を退いたものの、未だ矍鑠(かくしゃく)としている御剣雷電翁による当主教育を受けさせている。
 冥夜自身も休暇の折などに、義理の娘に会いに行っているのだが、9歳となった今でも会う度に、真っ直ぐできらきらとした憧憬の視線を向けてくる娘に、面映ゆさを感じずにはいられない冥夜であった。

 それでも、請われるまま軍機に触れない範囲で、A-01や斯衛軍の戦働きや、名立たる衛士達の話を語ってやるのが常となっており、今の所親子仲は上手くいっている様である。

「ん? どうしたタケル。
 何か所要でもあるのか?」

 つい見詰め続けてしまった武の視線に気付き、冥夜がキョトンとした物問いた気な顔で尋ねて来る。
 この類の、無防備な顔は、30を近くになっても出会った頃と変わらないなと、武はふと思った。
 尤も、A-01の中で、最も顔付きが変わっていないのは、00ユニットとなり加齢が止まった武なのだが。

「あ、いや……今度の休暇で、冥夜は御剣の屋敷に帰るのかなと、ふとそう思ってな。」

「ふむ。一度は帰って義娘(むすめ)と過ごそうとは思っている。
 恐らく『甲7号作戦』の話を聞きたがっていると思うのでな。
 ん? そうだタケル、もし時間が取れる様であれば、そなた私と同行しては貰えぬか?
 義娘が以前よりそなたに会いたいと申しておってな、そなたが多忙であるは周知のこと故黙っていたのだが、地球奪還が成った今であれば、多少は時間が取れるのではないか?」

 武の言葉に、ふと義娘の予てよりの願いを思い起こした冥夜は、今の時期なら叶うかもしれないと、武に相談を持ちかける。
 武も、軽い気持ちで検討を始めたのだが―――

「あー、どうだなあ……なんとかなるかも―――」
「ずるい! ずるい、ずるい、ずっる~~~いッ!!
 冥夜さんばっかり贔屓するなんて、酷いよタケルぅ!!」

 ―――即座にしがみ付いてきた美琴の言葉によって、冥夜への返事が掻き消されてしまう。
 そして、あっと言う間に、壬姫、彩峰、柏木、智恵、月恵が押し寄せて来ると、我も我もと主張し始める。

「そ、そうですよおっ! ミキもたけるさんと帝都にお買い物に行きたいです!!」
「白銀……何時が良い?」
「休暇は7日ある訳だから、1日1人としても7人までは相手出来るよねえ―――し・ろ・が・ね・くん?」
「月恵~、私達は一緒でもいいよね~。」「えっ?! あ、そっか!! うんっ! 2人一緒で良いからさっ、その代わり7日の内1日はあたしと智恵に付きあってよっ!」「それならいいですよね~、白銀くん?」

 そんな騒ぎから、目を丸くして見ている冥夜、そして、騒ぎ事態に気付いていないのか、腕を組み眉を寄せて何やら考え込んでいる千鶴の2人が、弾き出されている。
 と、そこへ、大音量で雄叫びを上げながら、霞の手を引いた純夏が駆け寄って来る。

「待った待った、ちょぉお~~~っと、待ったぁあ~~~~~っ!!!
 何か良く解かんないけど、タケルちゃん絡みの大事な話してるでしょっ!?
 あたしも混ぜて? っていうか混ぜろッ! 混ぜなさぁあ~~~いッ!!!」
「す、純夏、さん……あ、危ない……です……」

 純夏の後ろに追従して走りながら、懸命に純夏に注意を促す霞。
 そんな様子を見て、大声を張り上げる人物がいた。

「ちょっとそこの暴走赤毛特急! 霞ちゃんに怪我させたら許さないからなッ!!」
「ちょっ! テル―――おまえ、よくあの純夏さんに喧嘩売れるなっ!?」

 言わずと知れた晴子の弟、照光が霞の危機に上げた叫びであった。
 その隣では、照光の同期生が、最近このPXの№2と言われており、京塚のおばちゃんの後継者と目される純夏を相手取って、畏れる様子も無く喧嘩を売る照光に、呆れ半分尊敬半分の視線を投げていた。

「おいおい、純夏。あんまり無茶すんなよな。
 霞、大丈夫だったか?」

 一方、ようやく武の許に駆け付けた純夏を武が叱る。
 その言葉に、自分だけではなく、霞にも無理をさせた事にようやく気付いて、慌てて霞を振り返る純夏。

「あ―――ご、ごめんね、かすみちゃん。大丈夫?」

「わ、私は、大丈夫、です。」

 純夏の突発的な奇行に、さすがに驚いたのかパチパチと瞬きを繰り返しながら、途切れ途切れに応える霞。
 そんな霞の姿を、頭のてっぺんから爪先までじっくりと見て、怪我ひとつないと知った純夏は胸を撫で下ろす。

 出会った頃とは異なり、今や霞の身長は純夏よりほんの少し低い程度まで伸びている。
 なのに体重で大きな差を付けられているのが、最近の純夏のコンプレックスである。
 尤も、体脂肪率で比べてしまうと、衛士である恋敵達に敵う筈も無い純夏なのではあったが……

「そっか、何処にも怪我が無くって良かったよ~。
 で、何の騒ぎだったの? 榊さん。」

 そして、たまたま一番近くに立っていた千鶴に、この場の状況を尋ねたのだが、その時になって初めて純夏に気付いたかのように、驚愕の表情を浮かべてると、千鶴は純夏から逃れる様に身を逸らした。
 千鶴のそんな振舞いに、傷付いた様な顔をした純夏だったが、文句は言わずに質問を繰り返す。

「だ・か・ら~! さっきまでみんな何を騒いでたの?
 タケルちゃん絡みだよね?!」

「―――え? 騒ぎって……ご、御免なさい、私ちょっと考えごとに夢中になってたから……」

 純夏の問いに、慌てて周囲の様子を探りながらも、千鶴は純夏に詫びた。
 そんな千鶴の様子に、純夏は案ずる様な視線を向けて、さらに尋ねる。

「え~っ? 榊さんが周りの事把握して無いだなんて、珍しいよね?
 大丈夫? どっか調子悪いの?」

 そんな純夏の気遣いに、笑みを浮かべて見せた千鶴は、大事ないと告げると、未だに女性陣に囲まれている武に向き直って声をかける。

「大丈夫よ、体調とかは特に問題ないわ。それより、白銀。ちょっと聞いて欲しい事があるんだけど―――」
「駄目っ! 駄目だよ千鶴さん!!
 タケルの休日占有権は早い者勝ちなんだ!
 だから、冥夜さんの次はボクで、タケルと一緒に温泉を掘りに行くんだから!!!」

 ところが、千鶴の発言の意味を勘違いした美琴が、千鶴の発言を叩き斬ってしまう。
 それに、呆れた様な溜息を吐いた千鶴だが、何時もの事と取り合わずに、再び武に話しかける。
 何処か真剣な千鶴の様子に、美琴も首を傾げて今度は大人しく言葉に耳を傾けた。

「温泉? また昼間っから夢みたいな事を言って……まあ、今はいいわ。
 白銀、私ね。退役して、政治家を目指してみようと思うの。
 ―――駄目、かしら?」
『『『 えええ~~~~ッ!!! 』』』

 途端に上がる驚愕の叫び。
 よりによって、指揮官特性が高く、A-01の指揮序列第10位であり、少佐の階級にある千鶴が、まさか退役を申し出るとは誰一人として思ってもみなかったのだ。
 みちるや遙までもが愕然とする中、武だけは眉一つ上げずに静かに千鶴を見詰める。

「そっか。親父さんの後を追っかけてみるのか? 委員長。」

「ええ。国連軍の方は、白銀が居て、みんなが居れば大丈夫よね。
 だから私は、いずれは悠陽殿下をお助け出来る様な立派な政治家になって、日本帝国の世情安定に僅かなりとも寄与したいと思うの。
 白銀は、どう思うかしら?」

 凛とした眼差しを武へと向けて、千鶴は驚愕する仲間達を他所に、淡々と己が意志を告げた。
 それに、にやりと満足気な笑みを見せた武は、大きく頷いて千鶴の決意を肯定して見せる。

「そうだな。良いんじゃねえか?
 別に軍人じゃなきゃ、人様のお役に立てないって事もないだろ?
 オレは応援するよ、委員長。」

「そこまで言われると嬉しいは嬉しいけど、ちょっとこそばゆいわね。
 でも、これで本当に踏ん切りが付いたわ。
 御剣、白銀が無茶しないように、しっかり見張っといてやってね?」

 思いの外優しい言葉を武からかけられた千鶴は、紅潮した頬を誤魔化すように、視線を冥夜へと転じて後事を託す。

「うむ。そなたの選んだ道に幸多からん事を。
 タケルの事は言われるまでもない。任せておくがよい。」

 既に落ち着きを取り戻し、千鶴の言葉を正面から受け止めて、激励の言葉を送る冥夜。
 しかし、他の同期生達は、傍観の態勢に入った晴子を除けば、未だに混乱の真っ只中であった。

「千鶴さん、本気なの?」「これからも一緒だと思ってたのに……」「千鶴、本当に後悔しない?」「んののっ、えっと、あの、その、えっと……」「本当にやめちゃうの~?」「考え直しなよっ!」

 武を取り囲んでいた面々や、それを眺めていた同期生達は、千鶴の許へと集まり、その本心を窺うように声をかけていく。
 事態の急変に、付いて行き損ねた純夏が、不安気に武の隣に立って身を寄せる。
 そんな純夏の頭に右手を乗せて、武はぽんぽんと、安心させるように頭を軽く叩いた。

 やがて、千鶴の決心が固いと知ると、同期生一同は、みなで千鶴の選択を受け入れ激励する。
 頬を染め、照れくさそうに応じていた千鶴だったが、そこへ、彩峰が突然拳を突き付けた。

「な、なによ?」

 不審気に問いかける千鶴に、拳を突き付けたまま彩峰はボソリと呟く。

「あんたとの勝負、未だ決着付いてないよ……」

 それを聞いた千鶴は、自身も右手を拳に握り、ガツッと音がしそうな勢いで彩峰の拳に押し付けて言う。

「べ、別に逃げるんじゃないんだからね?!」

「そっか……なら、いいや。」

 不敵な笑みを浮かべて千鶴をどこか満足気に睨んだ彩峰は、拳を退いてふいっと背中を向けてしまう。
 その頬が少し赤く染まっているのを見て、千鶴も周囲の仲間達も苦笑を浮かべた。

 その後、『イスミ・ヴァルキリーズ』が勢揃いして、退役の意志を示した4人を囲んで想い出話に花を咲かせた。
 結婚は望んでいるものの、美冴も祷子も退役する意思は無いと言う。
 既に結婚している、みちる以下、水月、遙、茜、多恵の5名も、衛士として任務を続ける意志を示した。

 尤も、拡大婚姻法の適用を受けている茜と多恵は、2人合わせて3人以上の子供を産み、育てなければならない。
 それ故に、いずれは出産・育児休暇を取得するつもりだと言う。
 まあ、この辺りは、他の既婚者達も然程変わらないだろうと、武は思っている。

 いずれにせよ、先程国際情勢に付いて話していた時とは異なり、皆将来の事を楽しげに話している。
 武はそんな仲間達の様子を目の当たりにして、ようやくじんわりと、達成感の様なものが湧き上がって来るのを感じた。

 多くの犠牲を払い、やっとの思いでここまで辿り着けた。
 これからは、仲間達の溢れる笑顔で、暖かな想い出を紡いでいこうと武は思う。

 辛い記憶は決して忘れたりはしない。
 今こうして存在し続ける事自体が、純夏の想いを踏み躙っているに等しいという事も。
 それでも、今目の当たりにしている笑顔を、成し得る限り増やしたという願いを、武は捨てる事が出来ない。

 せめて、今こうして一緒にいる純夏にも、沢山の笑顔で飾られた想い出を送ってやりたいと、武は強く思った。



 その後、武の休日を誰が何時、どれだけ占有するかという、熾烈な交渉が繰り広げられ、武の意志を完全に無視した行動日程が作成された。
 その一部始終を、諦念を浮かべて見守っていた武だったが、霞が武の手を握り案じる様に見上げると、多少引き攣ってはいたものの笑顔を浮かべて頷いて見せるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2013年、12月15日(日)

 02時33分、日本帝国陸軍、佐渡島要塞の地下深くに存在する、中央作戦司令部に警報が鳴り響いた。

「―――ッ!? コ、コード991(BETA識別警報)発令ッ!
 繰り返します、コード991発令! 佐渡島要塞直下の大深度地下より、BETAと思われる震源が急速に上昇してきます!
 ッ!!―――振動波の照合結果出ました! 震源は母艦(キャリアー)級!
 ヴァルキリー・データでその存在が判明した、BETA超大型種ですッ!
 それが個体数で20体、現在のコースのまま直進した場合、到達地点はBETA反応炉周辺、『大広間(メインホール)』です!!」

 当直に当たっていた先任指揮官は、即座に判断を下した。
 佐渡島要塞全域に回線を繋ぎ、退避命令を発する。

「こちら中央作戦司令部。佐渡島要塞の全要員に告ぐ。
 要塞地下施設の総員は、現在の持ち場を直ちに放棄し、所定の地上施設へ退避せよ。
 繰り返す、地下施設に居る総員は、速やかに持ち場を放棄して地上に逃げ出せっ!
 現時刻を以って、佐渡島要塞の地下施設はその全域を放棄するッ!」

 先任指揮官は発令を終えると、中央作戦司令部に詰めているCP将校を見渡すと、問いを放つ。

「要塞司令は如何なされたか?!」

「現在、地上施設の司令部へと向かわれています。」

 打てば響くが如くに返った応えに笑みを浮かべると、先任指揮官は野太い笑みを浮かべて最後の命令を発した。

「よし、『地下茎構造(スタブ)』に設置された隔壁を、20分後に自動閉鎖する様に設定しろっ!
 それが終わり次第、我々も脱出するぞ!
 後は地上司令部と、彼等に一任する。」

『『『 了解っ! 』』』

 その15分後、佐渡島要塞に駐留していた帝国陸軍の全将兵は、要塞地下施設を放棄して、全員が地上へと脱出を終えていた。
 地球奪還宣言が成されてから20日余り。
 再び人類とBETAとの間で戦端が開かれようとしていた。

 思えば短くも平穏な日々であった―――




[3277] 第135話 勝利の凱歌、弔いの哀歌
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:12

第135話 勝利の凱歌、弔いの哀歌

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 独自設定告知:母艦級BETAの設定及び横浜ハイヴの特異性に関する設定、FC-22『ダンシング・ラプター』の存在及び設定、F-35『ライトニング-Ⅱ』の設定、Su-59『ズベズダ』の設定
 今回の内容に含まれる上記に関する記述は独自設定に基づくものです。
 拙作をお読みいただく際にはご注意の上、ご容赦願えると幸いです。
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 お知らせ:おまけとのリンク告知
 今話の内容は、拙作含まれるおまけ『何時か辿り着けるかもしれないお話4』(第29話)とリンクしております。
 もし気が向かれましたら、そちらもご参照願えると幸いです。
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2013年、12月15日(日)

 02時52分、日本帝国陸軍、佐渡島要塞の地上施設に設けられた、臨時司令部では要塞司令官が戦域マップを睨みつけていた。

「ふむ。母艦(キャリアー)級は、間もなく『大広間(メインホール)』に到達するな。
 君、スレイプニル0に回線を繋いでくれたまえ。」

 そう言って、オペレーターに通信回線の接続を命ずる要塞司令官であったが、その厳めしい表情の裏では、襲い来る極度の緊張を懸命に抑え込もうとしていた。
 要塞司令官をここまで追い込む程の緊張をもたらしているのは、今この時も刻々と迫りくる20体の母艦級BETAと、その体内に搭載されているであろう、総計30万体にも及ぶBETA群では無かった。
 先程から、要塞司令官の意識の一部は常にその背後へと向けられており、その先には急遽設えられた席に端然と座す悠陽の存在が故のものであった。

「司令、スレイプニル0と回線が繋がりました。どうぞ―――」

「うむ。―――こちら佐渡島要塞司令官だ。
 これより後、我が佐渡島要塞駐留部隊は、『地下茎構造(スタブ)』を抜けて地上へと侵攻しようとするBETA群に対する掃討作戦に専念する。
 よって、最下層に出現するBETAへの迎撃並びに、反応炉他BETA由来施設の防衛は、その全てを貴官に委ねる。
 貴官であれば万に一つもしくじる事はあるまいが、しっかりと頼むぞ―――白銀大佐!」

 要塞司令官の言葉に、通信画像として映し出された武が、敬礼と共に簡潔に応じる。

「はっ、お任せ下さい。」

 それに満足気に答礼して見せた要塞司令官は、司令部全体を見渡して指揮権の移譲を宣言する。

「よし!
 現時点より作戦終了まで、国連太平洋方面第11軍、特殊任務部隊A-01連隊指揮官、白銀武大佐の指揮権を第2位と定める!
 総員、彼の指揮に従い全力を尽くせッ!
 ―――殿下、御言葉を賜りたく謹んで請願申し上げます。」

 そして、要塞司令官は機敏な動作で背後へと向き直ると、深々とその腰を折り、悠陽に向かって発言を請う。
 その願いに応じるべく、優雅な身のこなしで席を立った悠陽は、オペレーターが頷くのを確認して涼やかな声を発した。

「―――佐渡島要塞に在る、帝国軍並びに国連軍の全将兵の皆様。
 私は、政威大将軍煌武院悠陽です。
 現在、この要塞へと迫りしBETA群は、地球に残存する最後のBETA群であります。
 この敵を打ち破りし暁には、地上は名実共にBETAより解放される事となります。
 さあ、今こそ共に戦い、長きに亘り地上を席巻したBETAを、完膚なきまでに殲滅しようではありませんか。
 そして、必ずや勝利の凱歌を共に致しましょう!」

 次の瞬間、悠陽の言葉に応える雄叫びが、通信回線を蹂躙する。

『『『 ぅおおおおおおおおおおーーーーッ!!! 』』』

 帝国軍佐渡島要塞駐留部隊の将兵1万、そして、オルタネイティヴ4によって予告されていたBETA侵攻を迎撃する為に、A-01と帝国斯衛軍、そして帝国陸軍より選抜されこの地に集った猛者達が、戦意をこの上なく昂ぶらせて心の底から獅子吼(ししく)していた。
 地上に残された最後のBETA群を掃討、殲滅する。
 正に、地上に於けるBETA大戦の終尾を飾る戦いに加われる事への歓喜が、全ての作戦参加将兵等の心を満たしていた。

 そして、準備万端、満を持して待ち受ける佐渡島要塞の最下層、『大広間』の床を喰い破り、母艦級BETAの巨大な先端部が姿を現す。
 直径600m強の円形を描く『大広間』の床、その外周部分を壁面ごと喰い破り、180m近い直径の巨体を誇る8体の母艦級が、ほぼ同時に反応炉を取り囲む様に出現する。
 その出現ポイントは、『大広間』に繋がる『横坑(ドリフト)』の開口部を、器用にも全て避ける様に分布していた。

 そして、地下深くを掘り進み、トンネルを掘削するシールドマシンと呼ばれる掘削機を醜悪に歪めた様な姿の母艦級は、その先端部前面に生え揃った牙状突起を、側面へと順繰りに手繰り寄せてその口を開く。
 その口からは、下水管から噴き出す汚水が如きおぞましいBETA群が、途切れる事無く『大広間』へと溢れ出して来た。

 その凄まじい勢いに、『大広間』などあっと言う間に埋め尽くされてしまうかと思われた、その次の瞬間。
 母艦級から溢れ出すBETA群の数と勢いを更に上回る弾雨が、上方よりBETA群へと降り注いだ。
 その弾雨は、BETA小型種は無論の事、突撃級や要塞級の堅固な装甲殻すら容易く貫き、『大広間』の床にBETAの死骸を積み上げていく。
 否、それどころか、積み上がっていくBETAの死骸を更に粉微塵に磨り潰し、軟泥の如く変じせしめてさえいるではないか。

 その弾雨は、『大広間』の天井にびっしりと据え付けられた、総数200門にも及ぶ10式電磁投射砲から放たれていた。
 10式電磁投射砲には、甲型、乙型、丙型の3種が存在し、それぞれ口径が120mm、36mm、12.7mmとなっている。

 また、これは極秘事項とされており、オルタネイティヴ4の中枢に位置する者しか知らない事実であるが、10式電磁投射砲にはG元素が使用されていない。
 従来の電磁投射砲ではG元素を使用する事で、必要とされる性能を満たしていた機関部―――小型大電力の発電機―――と構造材の部分も、オルタネイティヴ4が独自に開発した新素材によって賄っているのである。

 これにより、10式電磁投射砲はG元素の保有量による生産数の制約を免れる事となり、本当の意味での量産が可能となった。
 だが、それ故に夕呼と武はこの情報を厳重に秘匿しており、その為実戦に投入されるのは今回が初めてであり、運用試験を兼ねている。
 そして、10式電磁投射砲は十分な性能を発揮し、今正に絶大な戦果を積み上げていた。

 200門の10式電磁投射砲の内訳は、12.7mmの丙型が100門、36mmの乙型が80門、120mmの甲型が20門となっている。
 この内、丙型の全てと乙型の60門が自律照準によって運用されていた。
 これらの各砲の自律照準システムは、割り当てられた範囲(エリア)内に無駄無く砲弾を掃射する事だけに特化している。
 殊に、丙型の照準システムは画像解析により、硬度の高い装甲殻を避けて砲撃を行う事で、無駄弾を減らす機能まで備えていた。

 これらの自律照準による砲撃で撃ち漏らした物や、乙型では十分なダメージを与え難い突撃級や要塞級を狙い撃つのが、支援砲撃や狙撃に優れた衛士達によって遠隔操作される、残りの甲型20門と乙型20門、合計40門であった。
 反応炉の直上を中心として、外側から甲型、乙型、丙型と、同心円を描く様にして設置された10式電磁投射砲群は、『大広間』の天井に、砲架の土台を兼ねて設置された弾薬庫からの潤沢な供給を受けて、途切れる事無く豪雨の如き弾雨を浴びせ続ける。

 そして当然の事ながら、『大広間』に配備された戦力は10式電磁投射砲だけではない。
 反応炉を背に直衛として円陣を描くのは、『不知火』改修型遠隔陽動支援機『太刀風』36機であり、その足元には120機の小型自律随伴索敵機『足軽』が小型種の浸透に備えて待機していた。
 更には、『陽炎』改修型随伴補給機『黒潮(くろしお)』72機も控えている。
 その上、反応炉の直上には駐機姿勢(ランディングモード)の『凄乃皇・四型』が滞空しており、最終的にはラザフォード場を展開して、BETA群の反応炉到達を阻む構えであった。

 また、『大広間』以外の最下層各所にも、多数の『太刀風』や『黒潮』、『足軽』、そして遠隔運用される各種砲台が配備されており、『大広間』に隣接する『広間(ホール)』へと出現した母艦級4体と、そこから湧き出るBETA群を相手取って戦闘を繰り広げていた。

 これらの戦力は『凄乃皇・四型』を除き全てが自律装備群―――無人機である。
 そしてそれらの自律装備群を遠隔運用し、BETA群を蹂躙しているのはA-01と帝国軍の粋とさえ言える、選りすぐりの衛士達であった。

 A-01からは、武と『イスミ・ヴァルキリーズ』を初めとして七瀬凛大尉、柏木照光中尉以下72名が。
 帝国斯衛軍からは、紅蓮大将を筆頭に斑鳩准将、神野空王大佐、斉御司峰久大佐、九條大佐、麻神河暮人大佐、斉御司久光大佐、大田鞍(おおたぐら)大佐といった高級将校達を初めとして、麻神河絶人中佐、皇城中佐、神野陸王(りくおう)少佐、神野海王(かいおう)少佐、焔純大尉、夕見早矢花大尉、月詠真那大尉、篁唯依大尉、雨宮中尉、神代中尉、巴中尉、戎中尉以下180名が。
 そして、帝国陸軍からは草薙大佐、佐伯中佐、沙霧中佐、竜崎麗香少佐、緑川蘭子大尉、前島正樹大尉、駒木咲代子(こまき・さよこ)大尉といった帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊の発足メンバーや、帝国本土防衛軍でBETAの侵攻を防ぎ続けた猛者達である神田中佐、七瀬少佐、日高少佐、緑川仁大尉、大上律子大尉等総勢70名が。

 更には、帝都城守護職である神野志虞摩退役斯衛大将と月詠真耶予備役斯衛大尉までもが加わり、総勢324名―――3個連隊相当の衛士達が参戦している。
 正に、BETA大戦に於いて名を馳せた、綺羅星の如き精鋭達であった。

 狙撃や支援砲撃を得手とする者達は、自律砲台を操って母艦級より湧き出て来るBETA群を弾雨の露と化し、近接格闘戦闘を得手とする者達は砲撃を抜けて来たBETA群を斬り捨てる。
 そして、指揮管制を得手とする者達は『足軽』や、衛士によって直接制御されていない遠隔支援機や随伴補給機を自律モードで的確に運用し、BETA群の侵攻を完全に押し留めて見せていた。

 そして、遂には母艦級から噴き出していた、BETAの濁流が途切れる時がやってきた。
 体内の全てのBETA群を吐き出してしまうと、母艦級は即座に開口部を閉じ始める。
 すると、その開口部へと『太刀風』2機と『黒潮』4機が噴射跳躍で飛び込んでいく。

 母艦級本体への砲撃は、極僅かな流れ弾を除けば一切行われていない為、母艦級体内に生える触手は無傷である。
 体内に侵入した異物を排除しようと襲いかかって来るその触手群を、戦術機仕様の10式電磁投射砲乙型で掃射し、あるいは74式近接戦闘長刀で切り払いながら、6機の戦術機は母艦級の体内奥深くへと進攻していく。
 その間に母艦級の開口部は完全に閉じてしまい、『大広間』へと先端部を突き出していた母艦級は後退を開始。
 その姿を再び地下へと埋没させてしまう。

 母艦級の体内へと侵入した戦術機の内『黒潮』2機は、大出力を誇るデータリンク中継システムを装備していたが、それでも母艦級が地下深くへと潜っていくに従って接続が途切れがちとなっていく。
 すると、その時点で6機の戦術機は自律モードに切り替わり、噴射跳躍ユニットを全力噴射して強行突入を開始。

 目指すは、母艦級の体内奥深くに存在する小型反応炉である。
 母艦級は、新たなハイヴを建設する際に、新たに生成された反応炉の運搬や、代謝低下酵素により休眠状態となったBETA群の長距離輸送等を主たる役割とするBETA種である。
 その特性上、母艦級は体内に小型反応炉を有し、自身の活動エネルギーと、僅かながら休眠状態の収容BETA群に対するエネルギー供給とを賄っているのだ。

 その為、全てのハイヴの反応炉を破壊したとしても、母艦級とそこに収容されたBETA群は活動停止には至らない。
 それ故に、武は佐渡島要塞の反応炉を餌として、母艦級の侵攻を誘発させたのである。
 尚、この時点で活動状態に在るBETA反応炉は、佐渡島と横浜の2つだけしか存在しない。

 ハイヴ再建を目的とする母艦級の侵攻は、横浜基地に対して発生する可能性は存在した。
 しかし、あ号標的に対するリーディングにより入手した、ヴァルキリー・データと呼称される情報により、母艦級の行動特性は完全に解析されている。
 そしてその解析結果によると、横浜は佐渡島の反応炉が稼働している限り、侵攻対象とはならないと判明したのだ。

 これは、横浜ハイヴが特殊な目的に基づいて建設されたハイヴであり、ハイヴ再建の優先度に於いて資源採掘を目的とした佐渡島ハイヴに劣る事に起因している。
 そもそも横浜ハイヴはあ号標的によって、BETA創造主以外の知的生命体の被創造物と推測されていた、人類に対する研究を目的として建設されていた。

 地球降下以来、人類の分布情報を収集し続けて来たあ号標的は、帝都に於ける人類の分布密度が非常に高いという事実から、帝都がBETAにとってのオリジナルハイヴに相当する人類の一大生産拠点であると推測するに至った。
 あ号標的はその推測に基づき、人類が異性起源の被創造物であるか否かを検証する為の研究拠点として、横浜ハイヴを建設したのである。

 研究目的のハイヴであるが故に、横浜ハイヴとそこに所属するBETAの行動特性は、他のハイヴとはやや異なる行動特性を与えられていた。
 『明星作戦』に於けるG弾投下後のBETA一斉退却も、徹底抗戦により反応炉の破壊を招いてしまうよりも、撤退により稼働状態の反応炉と研究素体が存続する可能性を優先したが故であった。
 斯くして、横浜ハイヴの反応炉は、非常に限定されてはいたものの、人類に接収された後も、人類に対する情報収集と上位存在であるあ号標的への情報送信を継続する事となったのである。

 何はともあれ、『桜花作戦』後にヴァルキリー・データの解析により母艦級の行動特性を知った武が、その殲滅を目的として策定したのが『佐渡島要塞決戦構想』であった。
 自国領土内のハイヴ攻略に当たって、殆どの国家が稼働状態の反応炉接収を望んだ。
 それを退け、横浜ハイヴと佐渡島ハイヴ以外の反応炉の完全停止を、大陸奪還作戦の要諦として認めさせる事が出来たのは、この母艦級の存在があったればこそであった。

 無論、稼働状態の反応炉を接収する為に必要とされる戦力と弾薬の増大や、接収後に稼働状態の反応炉を目指し集中して侵攻して来るBETA群を撃退する為に必要とされる防衛戦力の増大。
 そして何よりも、母艦級BETAによる侵攻が、どの反応炉を目的として発生するかの予測が困難となる事から、十全の迎撃態勢確立が困難となる事。
 これらの点から、国連安保理の会合に於いて、横浜及び佐渡島以外の反応炉を破壊するという方針が採択されるに至った。

 その結果として、『佐渡島要塞決戦構想』は今正に計画通りに遂行されているのである。
 そして遂に、母艦級の小型反応炉へと『黒潮』が取り付き、その時点で残存する全ての戦術機がS-11を起爆した。
 地中深くに潜っていた事で逃げ場を失い、母艦級の体内で起爆したS-11の全ての破壊力は、その全てが母艦級へと襲いかかる。
 斯くして、『大広間』に出現し撤退した8体の母艦級は、地下深くの土中にその残骸を埋没させる事となった。

 その後、『大広間』に隣接する『広間』に出現した4体の母艦級も同じ運命を辿る。
 更には、撤退した8体と入れ代る様にして『大広間』に出現した残り8体の母艦級も、同様の経緯を経て殲滅されるに至ったのである。

 斯くして全ての母艦級の殲滅を地下深くで行う事により、武は佐渡島要塞最下層に存在する、BETAバイオプラント等の施設に対する被害を最低限に留める事に成功した。
 これにより、人類は地球最後のBETA群に対して、完全勝利を収めたのである

 時に2013年、12月15日、03時47分。
 日の出を前にして、地上に於けるBETA大戦は人類の勝利によって幕を閉じる事となった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2014年、7月7日(月)
 20時15分(グリニッジ標準時)、地球近傍の重力場と遠心力が釣り合っている宙域である、ラグランジュ点に浮かぶ『マクロ・スペース』級恒星間移民船を改造した、『ギガロード』級航宙母艦の1番艦(ネームシップ)である『ギガロード』のラウンジを兼ねる士官食堂(ワードルーム)に、武と霞、そして純夏の姿があった。

「今年は、ちょっと寂しい誕生日になっちまったな。」

 武が純夏に向かってそう話しかけると、純夏は少し視線を泳がせてから言葉を返す。
 その視線の先には、地球を背景に数十隻の大型宇宙船が浮かぶ、宇宙空間が映し出されたスクリーンが存在していた。

「あはははは。ま、まあね~。
 でもさ、宇宙で誕生日を祝って貰えるなんて、あっちじゃ考えらんなかったよね~。」

 この日、目出度いかどうかは微妙な問題となってきている、31歳の誕生日を純夏は迎えていた。
 A-01の衛士達や、親しい人々の誕生祝賀会を、2003年以降、時には任務の都合をやりくりしてまで、欠かさず主催してきた武だった。
 しかし、昨年の12月24日にオルタネイティヴ6が本計画へと格上げされた事で、今後は武やA-01の面々は軌道上と地上とを行ったり来たりする事が増えると予想される。
 その為、誕生祝賀会を開いたとしても自身が参加できるかは難しくなっていくかもしれないなと、武はそう思っている。

 実際、今回の純夏の誕生祝賀会と称している集まりにしても、参加者は純夏本人を含めて3名でしかない。
 日程をずらして横浜基地に帰還してからという提案もしたのだが、武を独占する機会を逃すまいとした純夏の希望によって、こうして軌道上の航宙母艦の1室でつつましく行われる事となっていた。

「まあな。殊、宇宙と地上の往来に関してはこっちの世界は、向こうよりも遥かに進んでるからな~。
 今回の視察の結果、この『ギガロード』級航宙母艦が実用に耐えるって事になれば、今後はオルタネイティヴ6の目的からしても、軌道上が主たる活動の場になってくんだろうな。」

 武がそう言って、宇宙空間を映し出すスクリーンに視線を送ると、その発言を受けて霞がコクリと頷いて同意を示す。
 それを目に止めた純夏は、腕組みをして首を捻ると、しみじみと語り出す。

「そっかぁ~。そうなると、あたしもやっぱり、宇宙で食堂を切り盛りする事になるってわけだね~。
 まあ、さっき使ってみた感じだと、そんなに違和感なく料理出来たから何とかなると思うけどさ~。」

「なあ、純夏。おまえ、本当にオルタネイティヴ6の本部移転にくっついて、軌道上に上がるつもりなのか?
 横浜基地は、そうそう簡単には廃止されないから、あそこのPXで働き続けたっていいんだぞ?」

 純夏の発言を聞いた武は、眉を寄せてもう既に何度も繰り返した確認を、再度口に出さずにはいられなかった。
 確かに地球奪還後、国連の予算は対BETA戦力の保持から、奪還されたユーラシア大陸の復興へとその用途が移りつつあった。
 その結果、予算を削られた国連軍は常設部隊の解体を開始しており、各方面軍の基地等はその役割を終えた所から、順繰りに廃止されて駐留先の国家へと設備ごと移管されつつあった。

 在日国連軍等は真っ先に解体されており、現時点で既に残されているのは横浜基地と、佐渡島要塞の最下層区画だけとなっていた。
 尤も、この2拠点は、その特殊性からもオルタネイティヴ6の活動が継続している限り、廃止される事はあり得ないであろう。
 現在オルタネイティヴ6の本部が設置されている横浜基地などは、軌道上への本部移転後も重要拠点として活動を継続する予定となっている。

 それを知っているが故に、武は純夏にもう10年以上に亘って住み慣れた、古巣である横浜基地で生活し続ける事を繰り返し勧めているのであった。

「やだなあ、タケルちゃん。A-01の活動拠点が宇宙になるって言うんなら、その食生活を支えるあたしが宇宙に上がるのは当たり前でしょ?
 伊達に京塚さんから、A-01の食生活の管理を委ねられてないんだから!
 って、そう言えばさ、A-01ってオルタネイティヴ4直属特殊任務部隊とかって言ってたよね?
 それが去年のクリスマスイヴから、オルタネイティヴ6直属特殊任務部隊に変わったってのは解かったんだけど、なんでいきなり4から6に番号が跳んだの?
 もしかして、1~3とか、7以降とかもあったりするの? ねえねえねえ! ねえってばぁ~!!」

 話題を逸らそうとしているのか、純夏は身を乗り出して武に応えをせがむ。
 そんな純夏を、霞は眼を丸くして見詰めているが、純夏の質問は武と霞にとってはあまりに今更過ぎる問いであった。

 とは言え、オルタネイティヴ計画に関する情報は、未だに国連最高機密の扱いである。
 オルタネイティヴ4の―――今となってはオルタネイティヴ6に移行している訳だが、準構成員扱いである純夏が相手とはいえ、武が語れる事は限られている。
 それ故に、純夏に押し切られて口を開いた武の説明が、やや方向性の異なった内容へとずれていってしまうのも無理は無かったであろう。

「ん~、まあな。オルタネイティヴ計画ってのが本筋であってさ。
 1から順に始まって、2、3、4と移行してきてその4番目を夕呼先生が統括してたんだ。
 けど、オルタネイティヴ計画ってのは、結構大きな計画だから移行するって言っても事前準備をしておく必要があるんで、本計画に格上げされる前に、予備計画期間ってのがあるんだよ。」

 そこまで語って、武が純夏の様子を窺うと、純夏は身を乗り出してうんうんと熱心に頷きながら先を促して来る。

「でだ、オルタネイティヴ4の活動中に、その次期計画としてオルタネイティヴ5予備計画ってのがあったんだけど、オルタネイティヴ4が予想以上の成果を上げて、地球をBETAから奪還したもんだから、オルタネイティヴ5の前提が崩れちまってな。
 だもんで、オルタネイティヴ5をすっ飛ばして、夕呼先生が提唱したオルタネイティヴ6が繰り上げで本計画化されて今に至るって訳だ。
 それにしても、オルタネイティヴ4と5が凍結されて、オルタネイティヴ6に移行した日が去年のクリスマスイヴだったってのは、夕呼先生の仕業だったんだろうなあ。」

 事前にオルタネイティヴ6次期計画が、夕呼の提唱した計画となると知っていたにも関わらず、去年のクリスマスの前夜にラダビノッド基地司令からオルタネイティヴ4の凍結を伝えられた時には、一瞬身の凍る様な思いをした武であった。
 最初の再構成から派生した確率分岐世界群で、2001年のクリスマスイヴに実施されたオルタネイティヴ4凍結とオルタネイティヴ5への移行は、武にとってトラウマに近い記憶である。
 それを承知している癖に、わざわざあの日を選んでオルタネイティヴ6への移行を行わせた夕呼を、武は恨めしく思ったものであった。

 とは言え、夕呼の考えは武にも薄々想像が付いている。
 2度目の再構成後の派生確率分岐世界群で、夕呼が何とは無しに呟いたとある一言を、武は今でもはっきりと思いだせるからだ。

「まあ、悪くなる一方の状況に痺れを切らしたってとこなんでしょうけど……クリスマスプレゼントのつもりだったのかしらね?」

 オルタネイティヴ4の凍結に関して、夕呼は確かにそう感想を述べていた。

 それを聞いた時には、武は何てシャレになっていないブラックジョークだと、脱力感と共にしみじみと思ったものであった。
 そして、『前回の確率分岐世界群』でも、そして今回の再構成後の記憶でも、武は夕呼が似た様な言葉を述べるのを耳にしている。
 その度に、どうやらそこに込められていたであろうオルタネイティヴ5推進派の悪意に対して、夕呼には相当に想う所があるのだろうと武は感じ取っていた。

 それ故に、今回遂にオルタネイティヴ5を完全に叩き潰し、オルタネイティヴ6への移行を果たすに当たって、意趣返しとばかりに悪意に満ちたクリスマスプレゼントを送ってやったのに違いないと、武は実の所確信していたのである。

 そんな夕呼も、オルタネイティヴ6への移行に合わせて准将に昇進している。
 ラダビノッド基地司令も少将に昇進しているのだが、恐らく彼は今後も横浜基地司令の座に留まるだろうと武は推測していた。
 A-01も最終的には旅団となる予定であり、武もそれに伴って准将への昇進が予定されている。

 そうなると、軌道上の本部に於けるトップは夕呼となり、その補佐を行うのは、十中八九、武自身である。
 あまり有難くない未来予想図を頭から振り払うと、武は純夏の好奇心に釘を刺した。

「個々のオルタネイティヴ計画の詳細については、機密事項で教えらんないから、我儘言うんじゃないぞ純夏。」

「え~~~~~っ! ここまで話しといて、それはないよ~~~!
 タケルちゃんのケチケチケチケチ、ケチぃ~~~~ッ!!!」

 30も過ぎていると言うのに、両頬を膨らませて不満を爆発させる純夏。
 そんな純夏に、隣で見守る霞も若干呆れ顔であった。

「だから、駄々捏ねるなって言ってるだろ!
 まあ、その代わりって訳じゃないけど、お前の本部移転に伴う転属は手配しといてやるよ。」

 宥める様な武の言葉に、純夏は表情を瞬時に不満顔から満面の笑みへと一転させると、目を輝かせて問い返す。

「え?! ホント? ホントにいいの? タケルちゃん!」

 そんな現金な純夏の反応に苦笑を浮かべながらも、武は純夏にはっきりと頷いて見せた。

「ああ。この船の疑似重力区画も大分出来が良いしな。
 レクリエーション施設や、リラクゼーション施設もかなり良い出来だし、ここで暮らしてもそれ程問題ないだろう。
 まあ、予定通り国連宇宙総軍総司令部の方に移転しちまったら、ここほど居心地は良くないんだろうけど……
 そっちは未だ時間があるから、なんとかするさ。」

 照れ隠しなのか、居住環境に関する評価を口にする武だったが、純夏はそんな言葉はそっちのけで、霞と手を取り合って喜びを分かち合っていた。

「やったぁ~っ! これで、これからもタケルちゃんや霞ちゃん達と一緒だね!
 やった、やったぁ~~~ッ!! すっごく嬉しいよ、タケルちゃんっ!」

「は、はい……これからもずっと一緒です……私も、嬉しいです……純夏さん……」

 純夏の勢いに、幾らか圧倒されている様子ながらも、霞も嬉しそうに頬を高揚させていた。

 地球に続き、月を奪還するまでには、まだまだ排除しなければならない障害が無数に存在している。
 現在取り組んでいる課題だけを挙げて見ても、『マクロ・スペース』級恒星間移民船の『ギガロード』級航宙母艦への改装、月面のハイヴを攻略する為の装備開発と戦術の構築、攻略作戦に参加する将兵の訓練、国連内部での予算の獲得と、並べ挙げれば切りがない。

(それでも、そんなあれもこれもを全部乗り越えて、オレは人類社会をBETAの脅威から本当の意味で解放してみせる!
 そうすれば、『人類はBETAを圧倒する』という因果だって、幾らかは優勢になるに違いないんだ―――)

 そう思いながら、武はスクリーンに映し出された地球に視線を投じる。
 そこには、未だ荒れ果てた姿を晒しているユーラシア大陸が、横たわっていた。
 しかし、あの大陸に緑が戻る事にはきっと―――
 そう考え、決意を新たにする武であった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2018年、10月30日(月)

 22時12分、雲一つない晴れ渡った星空の下、中華民国江蘇省(こうそしょう)南京市(なんきんし)より南南東に50km程離れた地点に、武が搭乗した戦術立案ユニット搭載型『朧月』が屹立していた。

「スレイプニル0―――いや、白銀准将。
 貴官等は何故そこに布陣しているのかね?
 貴官等の任務は、民間人の安全確保だった筈だ。
 これより我々は南京に立て籠る敵軍に対して攻勢を行う。
 貴官等の出番は無いと思うのだがな。」

 網膜投影された外部映像の中で、星空の下に黒々と横たわる、再建された南京市をじっと見据える武に対し、通信回線を通じて多国籍軍の総司令官である米国陸軍中将が、明らかに気分を害した様子で詰問して来た。
 自身の指揮下に属さないオルタネイティヴ6直属任務部隊A-01が、突然南京市包囲網の一角へと割り込んで来た事実が、総司令官の気分をささくれ立たせていた。
 この日この時、武がA-01を率いてこの地に存在するに至った原因は、約1月程前に発生していた。



 この年の10月1日、中華人民共和国の建国記念日に相当する国慶節(こっけいせつ)に合わせて、中華民国の江蘇省と安徽省(あんきしょう)に於いて、武装反政府勢力が一斉に蜂起し省都である南京市と合肥市(がっぴし)を占拠した。
 江蘇省と安徽省は、2010年に中華人民共和国と中華民国の間で、暫定的に定められた国境線の東端に位置する2つの省である。
 この2つの省都を占拠した勢力は、革命による社会主義国家建国と中華民国からの独立を宣言し、その宣言の直後には中華人民共和国とソ連がその独立を承認。
 さらにその数時間後には両省と軍事同盟を締結した中華人民共和国とソ連は、国防を目的とした派遣要請に応じると称すると、国境線を越えて部隊を両省へと向かわせ、中華民国への侵攻を開始した。

 これに対して、武装反政府勢力排除を目的として攻囲作戦を展開すべく、国境線から部隊を抽出していた中華民国軍は、彼我の兵力差から国境線の防衛を断念し、南京市と合肥市の南方及び西方まで撤退した。
 その為、中華人民解放軍2個師団、ソ連軍1個師団からなる派遣部隊は一切の抵抗を受ける事無く南京市と合肥市に進軍。
 翌日には、両市を拠点として駐留し、中華民国軍と対峙した。

 中華民国軍は、自律装備群を多数備えた機械化部隊を主力としていたが、これは防衛すべき国土に対して、将兵の絶対数が不足しているという現状を打破する為の編制であった。
 中華民国は2009年当時、未だ共に統一中華戦線を構成していた中華人民共和国との間で、BETAより奪還した国土を分担して復興する事となった際に、人手の不足を補う為に自律装備群を多数導入し、担当地域の急速な復興を成し遂げる事に成功した。
 それに対して、経済力に劣る中華人民共和国は、自律装備群の導入費用が賄えず国土復興の速度に於いて、中華民国の後塵を拝する事となってしまう。

 しかし、中華人民共和国はBETA東進が始まった1990年頃より、戦力を保持する為の人口増加を国策としており、生殖補助医療技術を全面的に活用した多産政策を推し進めていた。
 この多産政策はソ連の政策に倣ったものであり、生殖補助医療技術もソ連より提供され、その中にはオルタネイティヴ3で培われた人工授精の技術も含まれていた。
 この政策により、中華人民共和国は過酷なBETA大戦を戦い抜く為の人口を保持し続け、2006年の甲16号―――敦煌ハイヴ攻略を契機に、人口は増加へと傾いた。

 それでも、国土の復興が軌道に乗るまでには、新生児達が育ち労働力となる迄の数年間を必要とした為、2016年頃までは民衆の多くは貧困に喘ぎ続けていた。
 その為か、統一中華戦線が解消され、中国が南北に分割された2010年以降、中華人民共和国より中華民国への亡命者が年々増加の一途を辿る事となったのである。

 自律装備群を導入し運用する事で、復興と国防に必要な人員の不足を補っていた中華民国にとって、これらの亡命者は十分な利用価値を有していた。
 国際社会に対して、自国の中華人民共和国に対する優位性をアピールする意味でも、年々開いて行く人口の差を縮める為にも、これらの脱北者を中華民国は自国民として積極的に受け入れていった。
 そうして脱北者を受け入れ続けた8年間が過ぎ去ると、中華民国内の総人口の過半数を、脱北者とその家族が占めるに至っていたのである。

 しかし、中華民国へと亡命してきた脱北者は、十分な教育を与えられていない場合が多く、往々にして単純労働に従事するのが精一杯というのが実情であった。
 また、潤沢な経済力を有していた中華民国本来の国民達は、安価な労働力として脱北者達を雇用し、その労働力により更に富を蓄える事に奔走した。
 その雇用関係は、脱北者達に中華民国で生活する為の経済力を与える事となったが、反面貧富の差はどんどんと拡大していく事となった。

 斯くして、脱北者とその家族を中心とした貧困層の中に、富裕層に対する不公平感が堆積していく事となった。
 そしてその、溜まりに溜まった不公平感に火を付けて社会主義革命を指嗾(しそう)したのが、脱北者に紛れて中華民国に潜入した中華人民共和国とソ連の工作員達であった。

 しかも、この工作に際して、ソ連は虎の子であるESP発現体まで投入していたのである。
 2009年に発生した、東欧州社会主義同盟諸国のソビエト連邦からの独立以降、ソ連は年々求心力を失いつつあった。
 それでも何とかソビエト連邦崩壊を免れているのは、ESP発現体による諜報活動によって、国内の反政府勢力の動静を早期に察知し、影響力が大きくなる前にその芽を摘む事が出来たからである。
 とは言うものの、求心力の低下は確実に進行しており、国際社会に於ける社会主義離れも年々深刻化し続けた。

 最早、国際社会に対する十分な影響力を有する社会主義国家は、ソ連と中華人民共和国のみと言っても過言では無く、他には中東や南米に幾つかの社会主義国家が存在するだけとなり果てていた。
 既にBETA大戦前の世界を席巻しかねないとさえ思えた社会主義革命の勢いは衰退し、このままではソ連崩壊も時間の問題ではないかとまで囁かれるに至っている。
 それ故に、ソ連は今回の中華人民共和国の工作を成功させ、社会主義陣営の拡大を果たし、今一度社会主義革命の炎を掻き立てようと目論んでいたのである。

 そして、その甲斐あってかこの工作は成功を収め、中華民国の領土内で社会主義国家の建設と独立を宣言させるに至った。
 後は、この独立宣言を既成事実化し、大亜細亜社会主義同盟の勢力を拡大していく事を、ソ連は目指していた。
 それ故に、国境線を越えて派遣した部隊が勢力圏を押し広げて行く現状に、ソ連は深い満足を感じていたのである。

 しかし、その満足も長くは続きはしなかった。
 大亜細亜社会主義同盟派遣部隊は、5個師団にまで増員され2週間に亘る散発的な戦闘を繰り広げた末、江蘇省と安徽省のほぼ全域を支配下に収める事に成功した。
 しかし、その2週間の間に、国際情勢は大きく動く事となったのである。

 今回の件に対して、国連加盟各国の内、ソ連と中華人民共和国の言い分を容認もしくは擁護する国は皆無に等しかった。
 国連安保理では、今回の件を大亜細亜社会主義同盟による侵略行為であると認定し、その行動を非難し、軍事行動の停止と軍の撤退を求める『大亜細亜社会主義同盟弾劾決議』が、米国を初めとするソ連以外の安保理理事国の連名によって発議された。
 だが、ソ連が拒否権を発動した事により、同決議案は廃案となった。

 しかし、ソ連の拒否権発動を事前に予測していた米国は、即座に国連総会に同様の議案を提出し、多数決によって議決に漕ぎ着けてしまう。
 そして、中華民国を支援し、実力を以って大亜細亜社会主義同盟軍を撤退させる為に、多国籍軍を編成して中華民国へと派兵したのである。
 社会主義陣営の拡大を脅威として捉える国々の多くが、この多国籍軍に部隊を派遣し、総戦力で3個師団にも及ぶ戦力が投入される事となった。

 実を言えば、ここまでの展開は全て米国のシナリオ通りの展開であった。
 米国は当初より、装備こそ最新鋭とは言えないものの、人間と言う名の融通の利く兵器を潤沢に保持している中華人民解放軍に対し、中華民国軍では対抗し切れないと予測していた。
 それ故に、その中華人民解放軍に、自国には及ばなくともそれなりに優れた装備を持ち、更には非人道的な手法ではあるものの効率的に兵士を量産し、戦力の増強に務めて来たソ連軍が加わるとなれば、米国と中華民国が共同で迎撃し勝利出来たとしても、自軍に無視しえぬ多大な損害を被ってしまうに違いないとの判断を、米国は下さざるを得なかった。

 それでは、ソ連が米国に対抗しうる大国であるとの認識を国内外に与えかねない上、何よりも多数の兵士を死傷させた事に対する国内世論の批判に政権が曝されてしまう。
 更には、ソ連と中華人民共和国が、不正規戦争の準備までもを着々と整えているという事実を、米国は事前の諜報活動に察知していた。
 であるならば、もし大亜細亜社会主義同盟軍から都市を奪還したとしても、その後に待つのはゲリラ活動や破壊工作、テロ行為による後方撹乱となる。
 そんな泥沼の様な戦争に巻き込まれるつもりは、米国には欠片も無かった。

 しかし、このまま座視していれば、中華民国は再び国土を失い、中華人民共和国が社会主義国家として台頭してしまう。
 それもまた、米国としては看過し難い事態であった。

 そこで、米国はまず自国以外の戦力を引き入れる可能性を検討し始めた。
 幸いにして、ソ連や社会主義陣営の台頭を好まない国家は多数存在する。
 ならば、上手く大亜細亜社会主義同盟を悪辣な侵略者に仕立て上げる事さえ出来れば、国際社会の敵として多国籍軍を編制し、戦力で優位に立てる可能性は十分に見込める。
 それになによりも、対人類戦で自国の保有戦力が何処まで有効か、試してみたいと考えている国家は決して少なくはないのだ。

 そして、奪還した都市での不正規戦争を封殺する手段についても、都市の治安維持を含めて丸ごと押し付けてしまうのに絶好の相手がいた。
 オルタネイティヴ6である。

 オルタネイティヴ6は、月及び火星をBETAから奪還する事を目的として、戦術や装備の研究と同時に、実働部隊の練成を目的とする国連直轄下の計画である。
 だが、その発足時にオルタネイティヴ4を殆どそのまま雛形として移行した為、オルタネイティヴ4が担っていた復興支援及び復興地域に於ける治安維持活動を、そのまま継承していた。
 ならば、江蘇省と安徽省は未だ復興途上にあると主張し、奪還した都市部の治安維持と称して、大亜細亜社会主義同盟の仕掛ける不正規戦争の火消し役も押し付けてしまおうと、米国はそう算段を巡らせたのだ。

 独立宣言と大亜細亜社会主義同盟軍の侵攻後、2週間に亘って消極的な戦闘に終始し後退を続けて来たのは、この紛争が侵略行為であると国際社会に印象付ける為だったのである。
 そしてそれは効を奏し、現在は欧州連合に属しているものの、以前は東欧州社会主義同盟に属していた東欧各国より、ソ連に対する強烈な非難声明を引き出す事へと繋がった。
 元東欧州社会主義同盟構成国にとっては、ソ連による強硬な支配の時代は未だに鮮明な悪夢とさえ言える出来事であった。
 それ故に、この様な横暴を許してしまっては、何時また自国が同様の策略の目標とされ、再びソ連の軛に繋がれるか知れない為、その非難声明は苛烈を極めた。

 それらの声明を契機として、国連内部ではソ連と中華人民共和国に対して非難が集中する事となる。
 そして、ソ連が安保理の弾劾決議に対して拒否権を発動させるに至って、国際世論は大亜細亜社会主義同を暴虐な侵略者として認定する事となり、続く国連総会での弾劾決議採択がなされるや否や、英国が多国籍軍への参加をいち早く表明したのである。

 英国は、今回の紛争でソ連の台頭を阻止すると共に、自国が米国に続く大国として、国連内部での影響力を増大させようと目論んでいた。
 それは欧州連合を構成している欧州各国も十二分に理解していた為、続々と多国籍軍への参加を表明すると共に、国家単位の参加では無く欧州連合軍としての派兵という形式へと、躍起になって軌道修正を試みていった。
 これは、英国が単独で多国籍軍に参加し、その上で多大な貢献を果たし、それを以って欧州連合の盟主として更なる権威を得てしまう事を恐れた為であった。

 結果として、英国は欧州連合軍の指揮統帥権と引き換えに、欧州連合軍としての派兵を受け入れる事となった。
 斯くして、欧州連合内部での権力闘争は未然に収められたが、結果的には米軍の派遣軍にも比する程の、統一運用された大規模戦力が派兵されるという結果を招く事となったのである。
 そして、欧州連合の他にも、オーストラリア、大東亜連合、そして中東諸国等が続々と多国籍軍へと参加を表明した。

 その様な情勢の中、日本帝国は多国籍軍への協力を輸送任務などの後方支援に限定し、大亜細亜社会主義同盟軍に対する停戦交渉窓口となって、紛争沈静化に向けた外交努力に傾注するとの声明を発した。
 その様な方針を示した日本帝国を、誹謗中傷する国家も存在したが、大凡の国家が理解を示した。
 多国籍軍とて、当面の目的は江蘇省と安徽省の奪還であり、その目的が果たされた後は停戦交渉を仲介する窓口が必要となるのである。
 ある意味、損な役回りでもある停戦窓口を、帝国が進んで引き受けると言うのであれば、それは大半の国々にとって文句を言う筋合いではないのであった。

 国連総会の決議によりその正当性を認められた多国籍軍は、臨時編成の国連軍部隊として編制され、その指揮権は米国に委ねられる事となった。
 一方、BETAからの地球奪還が完遂された2013年以降、国連軍の常設兵力は年を追う毎に削減されていき、この時点に於いてはオルタネイティヴ6直属任務部隊と、対宇宙全周防衛拠点兵器群『シャドウ』の保守並びに統括運用を行う部隊を除き、ほぼ全ての部隊が解体されてしまっている。

 現状、国連軍の主力となっているのは、国連加盟各国からの派遣戦力となっており、国連宇宙総軍や復興途上国に対する治安維持部隊などは、これらの非常設部隊によって辛うじて作戦行動を展開しているに過ぎない。
 元来、国連軍の常設部隊の殆どが、BETA侵攻により国土を失った避退国軍によって構成されていた。
 これらの国軍は、地球奪還以前より、国土が奪還されるに従い徐々に退役していく傾向がみられたのだが、地上に於けるBETA大戦の終了と共に、その構成員の大半が退役する事となった。

 更には、各国から対BETA作戦行動を遂行する為に派遣されていた部隊も、次々に引き上げられていき国連軍は組織を大幅に縮小しつつ、治安維持活動等の各作戦毎に編制される部隊の調整や、後方支援を主体とした組織へと改編されていったのである。
 最早、国連直轄部隊として常設されている実戦部隊は、オルタネイティヴ6のみと言っても過言ではない状況へと近付いており、『シャドウ』の統括運用や、恒星間移民船群の改装・保守・運用なども、オルタネイティヴ6へと統廃合していく事まで検討されている様な有様であった。

 その様な情勢下に於いて、国連総会での決議によって編制された多国籍軍より、奪還した地域の治安維持と民間人保護をオルタネイティヴ6に委ねたいとの申し出が成されては、事実上の国連軍実働部隊と化している以上要請を受け入れるしか選択の余地は無かった。
 この様な複雑な経緯を経て、武率いるオルタネイティヴ6直属任務部隊A-01が、中華民国と中華人民共和国の係争地帯へと派遣される事となったのである。



「確かに、総司令官殿の仰る通り、我々オルタネイティヴ6の任務は治安維持活動であり、非武装民間人の安全確保であります。
 多国籍軍の派遣より、今日に至るまで、幸いにして散発的な野戦が行われたのみで、市街戦を全く行わずに幾つもの都市を奪還する事が出来ました。
 それ故に、我が部隊も奪還された都市の治安維持活動に専念する事が出来ました。
 しかし、今回の攻勢では、南京市に集結した大亜細亜社会主義同盟軍に対する、攻囲戦を展開されるおつもりと拝察しておりますが、如何でしょうか?」

 前線にまで出しゃばらず、後方の治安維持とゲリラやテロリストの摘発だけしていろと言わんばかりの多国籍軍総司令官の言葉に、武は淡々と応じた。

 大亜細亜社会主義同盟軍の侵攻に対して、積極的な迎撃を行わず撤退し続けたのが中華民国と米国の策であったように、圧倒的な兵力を投入してきた多国籍軍に対して、支配下に収めていた都市群を然したる戦火も交えずに奪還させたのもまた、大亜細亜社会主義同盟軍による策略であった。
 大亜細亜社会主義同盟軍は、奪還させた都市群に潜ませた工作員や社会主義に賛同するシンパによる後方撹乱により、多国籍軍の動員能力を鈍らせ、兵力の差を縮めた上で南京市を拠点として徹底抗戦を繰り広げる予定であった。
 しかしこの策略は、事前に米国に察知され、後方撹乱の阻止を多国籍軍ではなくオルタネイティヴ6直属任務部隊が担当した事で、全く効果を発揮できずに終わってしまったのである。

 この策略には、数年がかりで脱北者の中にシンパを育成し、武装反政府組織を構築し、各種武器弾薬を隠匿し、更には破壊工作要員やESP発現体まで投入するという、この上ない程に入念な事前工作が行われていた。
 本来であれば、それらは多国籍軍を泥沼へと引き摺りこみ、半身不随に追い込んで、紛争を長期化させ、各国の世論を厭戦へと駆り立てる筈であった。

 しかし、オルタネイティヴ6はソ連のESP発現体にとって、天敵にも等しい存在であった。
 都市部全体を網羅する思考波バラージによって、ESP発現体はリーディング能力を阻害され、事実上その能力を封印されてしまう。
 それどころか、逆に武によってその存在を察知されたESP発現体は、成す術も無く身柄を確保されてしまう有様であった。

 同様に、破壊工作の計画も、オルタネイティヴ6直属任務部隊がやって来るなり、全て事前に察知され、隠匿していた武器弾薬もその全てが押収されてしまう。
 そうして、オルタネイティヴ6の本隊が立ち去った後には、武装らしき武装を根こそぎ奪われた名前だけの武装組織が残される事となったのである。

 無論、全ての破壊工作やテロ行為が事前に防げた訳では無かった。
 しかし、それらはオルタネイティヴ6や多国籍軍の存在しない場所で行われたものであり、多くの場合地域社会からの反発を招き、武装勢力の乖離や孤立を招く要因となった。
 武は可能な限り急いで主要都市を巡り、安全を確保した後、治安維持を担当する最小限の兵力を駐留させた上で、この南京市へとやってきたのだった。

 そうして、武が今後の方針を訪ねると、総司令官は当たり前の事をと言わんばかりに首肯した。

「当たり前だ。敵の主力は我が軍の完全な包囲下に在る。
 ならば、一兵も逃さずに殲滅するのみだ。」

 そう言い切った総司令官に対し、武は深々と嘆息を吐いて見せる。
 そのあからさまな態度に、総司令官の機嫌は更に傾くが、武はその様な些事など一顧だにしない。
 そもそも、この包囲網に参じた時より、この総司令官と事を構える覚悟は済ましてきているのだから。

「誠に失礼ながらお尋ね致しますが、その攻囲戦に於いて、南京市の民間人の安全は、如何に確保成されるおつもりでしょうか?
 先程総司令官殿が仰られた通り、我が隊の任務は非武装民間人の安全確保であり、その対象には南京市の民間人達も含まれております。
 南京市の市民の安全確保に関して、十全な対策を提示して頂けない以上、小官としては攻囲作戦の実施を座視する訳には参らないのです。」

 きっぱりと、そう言い切った武に、総司令官は苦虫を噛み潰したかの如き表情となって唸り声を上げた。
 総司令官とて、無辜の民間人に被害を与えたいと願っている訳ではない。
 しかし、敵軍が市街地に籠り陣を張っている以上、在る程度の損害は避け得ないものと考えていた。

 総司令官の立場からすれば、民間人の安否を慮って悪戯に包囲を続けては、大亜細亜社会主義同盟軍の援軍が差し向けられ、包囲網の内と外から挟撃される危険性が高まってしまう。
 しかも、その危険を冒して包囲を続けたとしても、籠城戦となった南京市の敵軍が、精神的な負荷や物資の調達などの点から、民間人に危害を加え始める事も懸念される。
 それらの点を考慮するならば、短期決戦で敵を蹂躙し壊滅させてしまう方が、結果的に民間人の犠牲を最小限に抑えられると考えたのであった。

 しかるに、後から遅れてやって来たこの若造は、賢しら口を叩いて何を言うのかと、総司令官は眼光鋭く武を睨み付けた。
 しかし、武はその眼光に怯む事も無く、飄々として総司令官の応えを待っている。
 そのふてぶてしさは、さすがはBETA大戦で軍功を重ねた人物ならではの貫録であると、総司令官も認めざるを得なかった。

「無論、民間人は極力巻き込まぬように、各部隊には通達を出してある。
 しかし、残念ながら市街戦に於いて、市民に犠牲者が出るのは避けられまい。
 さりとて、包囲を悪戯に長引かせれば、南京市に籠る敵軍が市民にいつ何時牙を剥かぬとも知れない。
 私に成し得る最善は、短期決戦により敵軍の戦意を砕き、市民の被害を最小限に抑止する事と信ずるものだ。」

 威儀を正し、総司令官は重々しく自身の見解を告げる。
 如何にBETA大戦の立役者と持て囃され、若くして将官に列せられた人物であろうとも、若造にこれ以上譲るつもりなど総司令官には欠片も無かった。
 これで尚も作戦に難癖を付けるというのならば、総司令官としての威を以って退けるつもりであった。

 そんな総司令官の態度に、武は再び嘆息して語りかける。
 この深夜近い時刻に総司令官が移動司令部で指揮を取っている事こそが、今夜夜襲が実施される事を暗示している。
 それ故に、南京市市民に犠牲を出さない為には、武としてもこの場で決着を付ける必要があった。

 故意に傲岸不遜とも見える態度を演じる武に、総司令官は叱声を発しかけたが、武の言葉の内容に唖然として声を飲み込む事となる。

「具体的な対策が無いのであれば、当方に策があります。
 我が隊にお任せいただけるならば、12時間以内に敵軍主力を南京市から退かせ、南京市を制圧してご覧にいれましょう。
 無論、この作戦案は戦術立案ユニットが、南京市市民の安全を最大限に確保するという前提で立案したものです。
 総司令官殿に具体的な策がない以上、民間人の安全確保を最優先とした場合、この作戦案が最上のものであると愚考するものであります。」

 武の発言内容は、大言壮語と言えた。
 しかし、毅然たる態度でそう言い切った武に対し、幾つかの質問を重ねた後、総司令官はオルタネイティヴ6直属任務部隊に南京市解放を委ねる事と決した。

 対BETA戦に於いて無謬を誇った戦術立案ユニットが、対人類戦闘に於いてどれ程の効果を発揮するのか。
 例え作戦が失敗に終わったとしても、非難の殆どを被るのはオルタネイティヴ6である。
 総司令官は、オルタネイティヴ6の手並みを、篤(とく)と見極める事を選んだのであった。



「南京市に駐留する大亜細亜社会主義同盟軍将兵に告ぐ!
 こちらはオルタネイティヴ6直属任務部隊A-01指揮官、白銀准将だ。
 我々は、南京市の市民等が戦闘に巻き込まれる事を望んでいない。
 これより北方の包囲を解く。
 4時間以内に、南京市からの撤退を開始すれば、追撃は行わない。
 貴軍の英断を期待する。
 繰り返す。これより北方の包囲を解く!―――以上だ。」

 満天の星空の下、大音量で発せられた武の言葉が、南京市の眠りを破る。
 南京市の外周1kmまで進出した、小型自律随伴索敵機『足軽』が装備したスピーカーから発せられた武のメッセージは、到達距離の差からエコーのように反響しながらも、南京市の隅々まで全域へと伝わった。
 そして、数回繰り返されたメッセージと共に、多国籍軍の北方に位置する部隊が移動を開始し、メッセージ通りに包囲を解いていく。

 突然の事態に、南京市に籠る大亜細亜社会主義同盟軍は臨戦態勢に移行した。
 しかし、重厚な迎撃態勢を取った後は、全く移動しようとはせず、南京市を立ち去る様子は欠片も見られない。
 そして、武の指定した4時間が静かに過ぎ去っていく。

「ま、本当に撤退するなんて、期待してはいなかったけどな。
 涼宮中佐、自律装備群の展開は完了していますか?
 たま、そっちの準備もいいか?
 ―――よし、それじゃあ空が明るくなる前にけりを付けるぞ。
 総員、民間人の犠牲を少しでも減らす為に全力を尽くせ! 作戦開始ッ!!」



 ソ連陸軍の戦車兵であり、対空自走砲に分類される96K6『パーンツィリ-S1』の車長は、運転席を降りて夜空を見上げていた。
 砲手は既に射撃体勢に入っており、敵の航空戦力か戦術機が飛来すれば、即座に砲撃を開始する筈だ。
 車長は単一砲塔にまとめて搭載されている、対空ロケットと30mm機関砲の何れが砲撃を開始しても、後方墳流(バックブラスト)等の被害を被らないように遮蔽されている運転席の陰から、雲一つない星空を見上げていた。

 車長とは言っても、彼は未だ14になったばかりの少年に過ぎない。
 それでも物心が付いた頃から、軍人として教育を受け、繰り返し苛烈な訓練を重ねて来た結果、今回の大作戦に参加する栄誉を与えられた。
 しかも、任せられたのは新型で高性能な車両である。

 必ずや党の期待に応え、敵戦術機を撃墜してやると決意も新たに夜空を睨みつけていたのだ。
 敵の戦術機はステルスにより、その接近を秘匿するというが、よもや噴射跳躍ユニットの爆音までは消す事は出来ない筈だ。
 それ故に、彼は車外に出て耳を澄ませ、瞳を凝らして、敵襲の予兆を少しでも察知しようと神経を研ぎ澄ましていた。

 しかし次の瞬間、彼は突然鼓膜を襲ったノイズに顔を顰める。
 通信回線が突如としてノイズで埋め尽くされ、擦過音で満たされてしまった為だ。
 データリンクの接続情報を網膜投影で確認しようとして、彼は唖然として眼を見開く。

 その視線は殆ど真上と言ってよい夜空の一点へと釘付けとなり、無意識に開かれた口から言葉が漏れた。

「星空(そら)が……星空が、裂けていく…………」

 その視線の先、ついさっきまで満天の星空で満たされていた夜空の一角に、細長い線が表れていた。
 そして、その線は扉が開く様に左右へと広がっていき、その四角い枠の奥に潜んでいた無数の筒状突起を覗かせていく。
 その突起が砲台であると気付いた瞬間、彼は我に返って力の限り叫び声を上げた。

「て、敵襲―――ッ!!!」

 しかし、彼の警告は何ら効果を発する事無く無為に終わった。
 何故ならば、彼が発見した空中に浮かぶ砲台からの砲撃が、次の瞬間には彼が任された96K6『パーンツィリ-S1』の砲塔を直上から貫き、続いて発生した爆風に彼自身も巻き込まれてしまったからである。



 それは、南京市に布陣していた大亜細亜社会主義同盟軍将兵にとって、悪夢のような出来事であった。
 突然南京市上空に出現した砲台は、露天状態で待機していた対空車両と戦術機、そして航空兵力を、超高速で放たれ灼熱化した弾頭によって次々に貫き、その絶大な運動エネルギーによって完膚なきまでに破壊していく。
 更には、上方を遮蔽物によって遮られている車両、戦術機、航空機にまで、姿なき襲撃者が襲いかかった。

 車両の機関部、足回り、航空機の推進機や回転翼、戦術機の脚部関節や跳躍ユニットなど、各機体の比較的脆弱でありながら重要な部分が、姿も見せずに忍びよった敵によって榴弾を放たれ、或いは爆薬を仕掛けられて破壊されていく。
 その上、上空の砲台を攻撃しようと、携帯式地対空ミサイルを構えた歩兵達や、対空火力を保有する機械化歩兵までもが、高圧電流によって無力化されたり、駆動部やバッテリーユニットを狙撃されて行動不能に陥っていく。

 しかも、上空からの砲撃開始直前より、ソ連軍の御株を奪う広域バラージ・ジャミングによって、無線によるデータリンクが妨げられ、更には有線データリンクすら時間経過と共に寸断されていくという状況が、大亜細亜社会主義同盟軍の指揮系統に致命的なダメージを与えていた。
 その結果、大亜細亜社会主義同盟軍の将兵等は、肉声による命令伝達が届く範囲の小集団毎に、個別の対応を迫られる事となった。
 それ故に、南京市には怒号にも似た声が諸所で響き渡る事となった。

「くそっ! 衛生兵! 衛生兵はいないのかッ!!」
「中隊長殿ッ! しっかりなさってくださいッ!」
「何処だっ! 何処に隠れてやがるッ!! くっそぉお~ッ!!!」
「駄目だッ! 完全に浸透されている! これじゃあ守り切れないぞ?!」
「対空部隊は何やってんだ!? あんなデカブツ1つ落とせないのか?!」
「そうだっ! 北だ!! 北からなら逃げ出せるぞ!? 北の包囲は解かれている筈だッ!!」
「誰か敵兵の姿を見た者はいないのか?! 空に浮かんでる奴以外でだッ!!」
「止むを得ん! このままでは各個撃破されてしまう! 都市(まち)を出て北方の郊外で部隊を再編するぞッ!!」
「も、もう駄目だーっ! これじゃ総崩れじゃないか?!」
「煩いッ! 武器を取って立ち上がれッ!! 党に忠誠を尽くさんかッ!!!」
「やってられるかッ! オレはもう逃げるぞ!!」
「そうだっ! 北だ!! 北からなら逃げ出せるぞ!? 北の包囲は解かれている筈だッ!!」
「待て、待たんかッ! 貴様、人民に対する反逆罪で―――ぐぁっ!…………」
「けっ! いちいちうるせえんだよ、このクソが!!」
「止むを得ん! このままでは各個撃破されてしまう! 都市(まち)を出て北方の郊外で部隊を再編するぞッ!!」
「ちっ、仕方ないか―――よしっ! 我が隊は南京市北方郊外へ移動して部隊を再編する!
 敵兵は何らかの手段で姿を隠匿している! 周辺警戒を怠らず、極力上部に遮蔽物のあるルートで移動するぞッ!!」
『『『 ―――了解っ! 』』』
「駄目だッ! 完全に浸透されている! これじゃあ守り切れないぞ?!」
「くそぉ~っ! なんだってこんな事に……」
「また、横浜の悪魔どもか……畜生! 好き勝手やりやがって…………」

 南京市の彼方此方で上がる叫びは、互いに影響を与えあって、集団心理を形作っていく。
 それらの叫び声の中に、彼等の心理を誘導する為の言葉が混ぜられているという事に、気付ける者は皆無に等しかった。
 そうして誘導された集団心理に導かれ、大亜細亜社会主義同盟軍の中に、徐々に南京市の北方を目指す動きが生じ始める。
 そして、一旦都市部からの撤退と言う選択肢を取る個人や部隊が出現すると、それは周囲を巻き込んで留め様も無く大きな潮流と化していった。

 大亜細亜社会主義同盟軍の司令部が、その様な状況を把握した時には、既に南京市に駐留していた兵力の3分の2が持ち場を離れて都市郊外へと離脱してしまっていた。
 自分達が南京市に取り残されつつあると、この期に及んでようやく把握した司令部は、南京市からの撤退と部隊の再編と言う方針を追認し、即座に護衛の部隊を掻き集めると大急ぎで南京市から逃げ出して行った。

 データリンクが寸断され、情報が錯綜する最中、それにも拘わらず司令部が南京市からの撤退を命じたと言う情報は、速やかに南京市に残留している部隊へと広がっていった。
 伝聞と言う、確度の低い情報ながら、周辺を索敵して知り得る状況もまた、友軍部隊の撤退を示唆していた為、最後まで持ち場に留まっていた部隊も、遂には撤退を選択した。
 斯くして、無力化され移動すらできなくなった装備人員を残し、大亜細亜社会主義同盟軍の全部隊は南京市から撤退していったのであった。



「―――『雷霆(らいてい)』の損害状況を確認してください。ラザフォードシールドの実戦運用は初めてですから、データはしっかりと記録しておいて下さいね、
 ―――『乱波(らっぱ)』の損害をチェックしてください。そろそろ消火活動に重点を移して構いません。
 ―――バラージ・ジャミングが解除され次第、『足軽』を直衛として『太刀風』を12機南京市に投入し、残存兵力と武装勢力の抑えにして下さい。」

 武自身は、相変わらず南京市の南南東に50kmの地点で、戦術立案ユニット搭載型『朧月』に搭乗したままである。

この機体の管制ユニットには、事実上複座型と化していた。
本来6座型である筈の管制ユニットのスペースは、2人分を除いて戦術立案ユニットと称しているブラックボックスによって占められている。
 そしてその管制ユニットに搭乗しているのは、武唯1人であった。

 そんな孤独な空間の中ではあったが、武は通信回線を通じて忙しく指示を下し続けている。
 とは言え、戦況は然程切迫している訳ではない為、武の語調は落ち着いたやや緩やかなものであった。
 そもそも、本当に切迫している戦況であれば、武は口頭での指示など下さず、全てデータリンク経由での命令文や作戦指示コードの送信に切り替えている。
 それ故に、武が口頭で指示を行っているのは、作戦が順調に推移している証拠なのだ。

 実際、世界に先駆けて実用化された熱光学迷彩を装備した、『雷霆』と『乱波』による南京市上空と市街への進攻は、何の問題も無く上首尾に終わった。
 敵に察知される事無く、配置に付いた『雷霆』と『乱波』は、広域バラージ・ジャミングの開始と同時に、光学データリンクによる遠隔運用により作戦行動を開始し、予定通り敵軍を南京市外へと撤退させる事に成功したのだ。

 『雷霆』は、熱光学迷彩とステルス性能を付与された大型飛行船であり、『雷神』が搭載する200口径1200mm超水平線砲6門の代わりに、対地狙撃用に10式電磁投射砲甲乙丙型をそれぞれ20門、60門、120門の合計200門搭載している。
 静音性の高い噴射整流式の推進機構を採用しており、攻撃地点到達後に複数の地上目標を狙撃する事を企図している。

 また、対空防御システムとして、『雷霆』にはラザフォードシールドシステムが搭載されている。
 ラザフォードシールドシステムは、グレイ・イレブンに対してエネルギーを供給し励起状態にする事で、重力偏差を発生させ斥力場を生成するシステムである。
 物理攻撃はこの斥力場によって逸らされるか跳ね返される事となり、ML機関と異なりグレイ・イレブンを消費しない事と、重力偏差の発生形態を斥力場の発生のみに限定する事で、重力偏差の制御に要する負荷軽減を達成している。

 この技術は、あ号標的の攻撃触手先端部の機構をヴァルキリー・データから解析し、汎用性を切り捨てる事で逸早く実用化に成功したものである。
 装甲としては重量に対する防御性能が著しく高く、物理的な反動が殆ど発生しないという特性を持っている。
 斥力場の任意の範囲に窓を開け、そこを通して砲撃を行う事も可能な為、運用面でも応用性に優れている。
 問題点は、斥力場の発生にエネルギーの供給が必須である事と、グレイ・イレブンの希少性から量産できない事であろう。

 今回の作戦では、南京市の上空に2隻の『雷霆』が投入され、格納庫のハッチを開き、内部に搭載された砲台により、露天状態の目標を狙撃し無力化していった。
 10式電磁投射砲の超高速弾による砲撃は、目標を撃破した後、貫徹した弾頭が地表に被害を与える事になり、事後の修復を要する事となったが、周囲の建築物等への被害は僅少であった。

 事前に、対空車両などの位置情報を多数入手済みであった事もあり、先手を打って対空火器を大幅に減らす事に成功した為、対空砲火は然したる量とはならなかった。
 場合によっては、再度熱光学迷彩を纏った上で、上空より緊急退避する事も検討されていたのだが、第3次砲撃までを問題無く実施し、何ら損害を被る事無く撤収する事が出来た。

 一方、市街地への浸透を果たした『乱波』は、熱光学迷彩と光学データリンク網の構築機能に特化した小型自律随伴索敵機であり、『足軽』の後継機である。
 厳密に言えば、『乱波』は複数の型式の小型自律装備群で構成される群体を示し、各々の個体が基本フレームに偵察、攻撃、通信、運搬等の目的別のオプションユニットを装着し、相互に連携して作戦行動を取る。

 今回の作戦では、兵装として40mm自動擲弾銃、7.62mm自動装填式狙撃銃、スタンロッド、スーパーカーボンナイフ、時限式指向性爆薬などを使用。
 『雷霆』からの射線が通らない攻撃目標や、歩兵や機械化歩兵と言った小型目標の無力化を担当した。
 また、光学データリンク中継ユニットや、パッシブセンサーポッド等を活用して、索敵や情報収集、浸透後の遠隔操作を円滑たらしめた上に、有線データリンクの切断や、外部スピーカーより音声データを発信する事で、敵兵に対する心理誘導までこなして見せた。

 大亜細亜社会主義同盟軍の南京市撤退という目的を早期に達成し得たのは、偏に『乱波』の活躍によるものと言っても過言ではないであろう。
 A-01所属衛士の中には、戦術機の出番が殆どなかった事に不満げな者も存在したが、南京市市民の安全確保が最優先である以上、仕方のない事であった。

 A-01の任務達成には、この後南京市内に残存或いは隠匿されている兵器や装備品、武器弾薬の押収が残されているだけである。
 武の予定では、それが完了するまで『乱波』による監視体制を続行し、有人戦術機は都市の外部に留める事になっている。
 捕虜や負傷兵、死体や瓦礫の撤去等は、『足軽』と『太刀風』に任せておけば問題は無い筈であった。

 幸い、市民の犠牲は極少数に留まり、死者は1桁、負傷者も100名をやや越えた程度で済んだ。
 一方、大亜細亜社会主義同盟軍の死傷者は、戦死者推定3000名以上、重傷者1500名弱、重傷者以外の捕虜742名であった。

 南京市に駐留していた、大亜細亜社会主義同盟軍の総数は4個師団―――約8万名であった。
 全体に比すれば、人的損害は5%をやや越えた程度に過ぎない。
 しかし、対空車両や戦術機、そして航空機といった、主力兵器の損害比率で見た場合、撃破された機数は全体の3割近い数字となっていた。

 そして、南京市から撤退し、何とか部隊の再編成を試みている大亜細亜社会主義同盟軍には、新たなる脅威が迫っていた。
 南京市の東方、南方、西方を包囲していた多国籍軍の部隊が進軍を開始したのである。
 そしてその先鋒となったのは、黄海を遊弋する米国海軍の航空母艦から発進した、無人戦闘攻撃機による爆撃であった。

 米国は、早期より空軍力の再編を進めており、対人類戦闘を前提として無人戦闘攻撃機の開発に力を入れて来ていた。
 そして、オルタネイティヴ4によって高度に実用化された、戦術機用の自律戦闘アルゴリズムとXM3用高性能並列処理コンピュータを解析し、そこから得られた技術を応用して自律戦闘可能な無人戦闘攻撃機を開発し、実戦配備していたのである。

 航空機にせよ、戦術機にせよ、遠隔運用可能な無人機の価値を米国は高く評価してはいた。
 しかし、ソ連の電波妨害装置開発等も念頭に置いた結果、前線に於ける有人機の価値も今後増大すると米国は判断した。
 その結果、米国はその有り余る国力を背景に、有人機部隊と無人機運用部隊の双方を、適宜投入し最大限の戦果を上げると言う軍事ドクトリンを採用するに至ったのである。

 その結果、無人機運用部隊は安全な後方に待機した将兵等によって遠隔運用され、作戦途中でデータリンクが遮断された場合でも、自動的に自律戦闘モードへと切り替わり作戦行動を続行可能な、無人戦闘攻撃機や無人戦術機を初めとした多種多様な無人機によって新たに編制された。
 その一方で、米国のその他の部隊は従来通りの有人機を運用する編制の部隊として残された。
 人的物的資源を潤沢に有する米国ならではの、良い所取りとも言える軍事ドクトリンであった。

 斯くして、高速で飛来した無人戦闘攻撃機は、そのステルス性能によって察知される事無く大亜細亜社会主義同盟軍へと襲いかかった。
 野戦陣地すらない状態で、部隊の再編成中を爆撃された大亜細亜社会主義同盟軍の機甲部隊は、精密誘導爆弾により多数撃破されるという惨状を呈した。
 対空車両と対空迎撃が可能な戦術機を南京市で失っていた事が、更に被害の増大を招いている。

 電子妨害を仕掛けるタイミングを逸したまま大損害を被った大亜細亜社会主義同盟軍へと、今度は多国籍軍の戦術機甲部隊が迫って来る。
 匍匐飛行にて各方面より急迫して来る戦術機甲部隊に対して大亜細亜社会主義同盟軍司令部は、歩兵部隊を最後衛として南方より迫る敵戦術機甲部隊への遅滞防御を命じ、機械化歩兵と機甲部隊を主力とし、戦術機甲部隊を遊撃戦力とした上で、北方への包囲網突破を下命した。
 詰まる所、歩兵部隊を捨てゴマにして逃げ出したのである。

 この動きを察知した多国籍軍は、塹壕すら存在せず野晒しとなった歩兵部隊に対して、砲兵部隊による制圧砲撃を実施した。
 これに対して、大亜細亜社会主義同盟軍歩兵部隊は可能な限り広範囲に散開し、損害を極力限定した上で多国籍軍戦術機甲部隊の進路を扼すべく、絶望的な機動戦を展開した。
 多国籍軍は無用の戦闘を嫌い、戦術機甲部隊を大きく迂回させた為、大亜細亜社会主義同盟軍歩兵部隊は攻撃を行う機会を失い、一方的な砲撃によってその屍を晒す事となった。

 しかし、戦術機甲部隊が迂回した事によって、大亜細亜社会主義同盟軍の本隊は貴重な時間を稼ぐ事に成功した。
 そして、大亜細亜社会主義同盟軍司令部は次なる犠牲の山羊として、戦術機甲部隊を差し出す。
 残存する全戦術機を左右に2分した上で、接近しつつある多国籍軍戦術機甲部隊の各個撃破を命じたのである。

 多国籍軍の戦術機甲部隊は、多方向から追撃していた事と、何よりも歩兵部隊を迂回した事によって、大隊規模の各部隊単位で相互の距離が開いてしまっていた。
 その為、大亜細亜社会主義同盟軍戦術機甲部隊に最初の攻撃目標とされた部隊は、1個連隊を超える敵と相対する事となる。
 この時、左翼で戦闘に入ったのは大東亜連合軍派遣部隊であり、右翼で戦闘に入ったのが中華民国軍派遣部隊であった。

「よし、陽動支援機を前面に押し立てて攻撃だ!
 数こそ多いが、遠からず他の部隊も駆け付けてくれる。
 そうなれば、あんな奴らは一捻りだぞッ!!」

 大東亜連合軍の大尉が、そう言って部下達を鼓舞する。
 数で圧倒されてはいても、遠隔陽動支援戦術機を突出させる事で、在る程度は身の安全が確保されている大東亜連合軍衛士等の士気は高い。

 大東亜連合軍だけではなく、中華民国軍戦術機甲部隊もまた遠隔陽動支援機運用戦術機甲部隊であり、遠隔陽動支援戦術機を前面に突出させて果敢に戦闘を挑んだ。
 しかし、この時点で大亜細亜社会主義同盟軍は、ソ連軍の虎の子であるG元素を使用した電子妨害装置による広域バラージ・ジャミングを実施したのである。

「くそっ! このタイミングでジャミングだと?!
 いかん! 至急陽動支援機を自律モードに切り替えろッ!!
 戦術モードは積極迎撃だ! 有人機は直ちに急速後退するぞ!! 友軍が来援するまで持ちこたえるんだッ!!!」

 大亜細亜社会主義同盟軍の電子妨害により、データリンクを阻害された中華民国軍の大尉は、即座に光学データリンクに切り替えた上で、遠隔陽動支援戦術機を自律戦闘モードへと切り替えさせた。
 大東亜連合軍と中華民国軍は、2010年のグルジアでの戦訓に学び、広域バラージ・ジャミングへの対策と、光学データリンクの開発及び導入に務めて来た。
 それでも自律モード任せの遠隔陽動支援戦術機では、3倍以上の最新鋭有人戦術機を相手取っては苦戦を強いられる事は避けられない。
 せめて、遠隔陽動支援戦術機が時間を稼いでいる間に、少しでも有人機を急速後退させて、距離を稼ぐしか対応策がなかった。

 自律戦闘モードへと切り替えられたF-4『ファントム』やF-18『ホーネット』、F-CK-1『経国』、J-10『殲撃10型』等を改修した遠隔陽動支援戦術機群は、果敢に大亜細亜社会主義同盟軍の有人戦術機甲部隊へと挑んだ。
 しかし、相手は歴戦の衛士等が乗ったJ-11『殲撃11型』やJ-20『殲撃20型』、Su-37『チェルミナートル』、そして、Su-47『ビェールクト』である。

 J-20『殲撃20型』は、中華人民共和国がF-22A『ラプター』に対抗するべく開発していた、第3世代型ステルス戦術機となる筈の機体であった。
 しかし、統一中華戦線の分裂後、中華民国の技術基盤を失った中華人民共和国はステルス技術の独自開発に失敗し、ソ連から供与された技術に依存した結果、準第3世代機であるSu-37『チェルミナートル』を幾らか上回る程度の性能しか発揮できない機体となってしまった。
 それでも、J-20『殲撃20型』は現時点で実戦配備が行われている中では、中華人民解放軍の最新鋭戦術機である事に間違いは無い。

 大亜細亜社会主義同盟軍は、中華人民解放軍のJ-11『殲撃11型』やJ-20『殲撃20型』を主力とし、それにSu-37『チェルミナートル』を加え、遠隔陽動支援戦術機に対して2対1となるようにした上で迎撃を開始。
 そして、Su-47『ビェールクト』を中心とした残り3分の1―――大隊規模の有人戦術機に、大東亜連合軍と中華民国軍の有人戦術機を急追させた。

「自律モードの無人機なんざ、射的の的だってんだよっ!
 おらおらおらっ! さっさと落ちやがれッ!!」

 遠隔陽動支援戦術機の迎撃に当たる中華人民解放軍の衛士が叫び、その叫びを耳にしたソ連軍の衛士が嘯く。

「所詮、無人機の陰で怯えるしか能のない臆病者どもだ。
 無人機の遮蔽(カバー)が無くなりゃ、こっちも射的の的にしかならんな。」

 広域バラージ・ジャミングの中、定められた周期で変位していく通信可能周波帯域を経由して、データリンクを確立している大亜細亜社会主義同盟軍は圧倒的優位を手にしていると言えた。
 しかし、幸いにして、Su-47『ビェールクト』と全力で後退する大東亜連合軍と中華民国軍の有人戦術機―――FC-22『ダンシング・ラプター』の移動速度には大きな開きはなかった。
 後方からの砲撃を警戒して、敵に背を向けた全力移動を行ってはいないとはいえ、F-22A『ラプター』譲りの巡航速度の高さは、容易に距離を詰めさせなかった。

 FC-22『ダンシング・ラプター』は、『朧月』を嚆矢とする遠隔管制特化型戦術機と同じコンセプトの戦術機を欲した国々のニーズに応える為に、米国が開発したF-22A『ラプター』派生型指揮管制戦術機である。
 『朧月』のライセンス生産を選択した、欧州連合等の戦術機生産技術基盤を保有した国々と異なり、中華民国や大東亜連合は生産国への発注による戦術機の調達を主としていた。
 当初、大東亜連合などは、『朧月』の調達を目指したのだが、帝国の生産ラインは自国に配備する分と、オルタネイティヴ4に配備する分でフル回転となっており、早期調達が困難であった。

 そこに割り込む形で売り込まれたのが、FC-22『ダンシング・ラプター』である。
 当時米国は、ソ連の電子妨害装置開発などを踏まえて、自律装備群の遠隔運用に特化した軍事ドクトリンへの不信感を抱き、無人機の運用と有人機の運用を完全に独立させる独自の軍事ドクトリンを模索していた。
 それ故に、当時も開発が続けられていた最新鋭のF-35『ライトニング-Ⅱ』ではなく、F-22『ラプター』を元にしたFC-22『ダンシング・ラプター』を開発し、主に第3国向けの輸出用機体としたのであった。

 いずれにせよ、事実上の実戦力であった遠隔陽動支援戦術機を失った大東亜連合軍と中華民国軍の両部隊は、只管逃げるしか取り得る選択は無く、襲い来る砲撃を回避する度に僅かずつその距離を縮められていくのであった。
 そして、遂には被弾し管制ユニットのみが離脱して、戦域を脱出する機体が出始めた。
 このままでは、然して長くは無い戦闘の後、大東亜連合軍と中華民国軍の部隊は全滅すると思われた―――その時。

「なにッ?! 砲撃だと―――どこからだッ!!」

 突然の砲撃に曝されて、追撃の手を緩めざるを得なかったソ連軍の少佐が、戦域マップに目を凝らす。
 しかし、射線から逆算された敵予想位置には、なんら敵の存在を示すマーカーは表示されていない。
 そして、その予想位置とは別の地点から放たれた更なる砲撃が、Su-47『ビェールクト』を主力とする部隊を襲う。

 懸命に、音源探知と光学索敵で敵を捕捉しようとする大亜細亜社会主義同盟軍だったが、途切れる事なく襲いかかって来る砲撃に妨げられ、一向に敵を捕捉する事が出来ない。
 追撃の続行も、敵を捕捉しての迎撃も、どちらも採り得ない大亜細亜社会主義同盟軍戦術機甲部隊は、その場で砲撃を回避する事に専念するしか成す術がなかった。

「ハッハーッ! 連中、目を回して逃げ惑ってやがるぜ。
 戦域支配戦術機と言われたこの『ラプター』の砲撃で、精一杯ダンスを楽しんで貰おうか。」

 そう嘯くのは、米国陸軍の戦術機甲部隊に所属する衛士であった。
 確かに、多国籍軍は大亜細亜社会主義同盟軍の広域バラージ・ジャミングによって、データリンクを寸断されレーダーによる索敵を封じられていた。
 しかし、実を言うならば、多国籍軍のデータリンクは完全には封鎖されてはいなかったのである。

 この戦域の上空各所には、光学データリンク中継システムを搭載した気球が、多国籍軍によって定置されていた。
 例え、戦闘機動中の戦術機からであっても、定められた位置を保持するこの気球に向けた光学データ送信は十分に可能であった。
 その為、大亜細亜社会主義同盟軍と接敵した多国籍軍の戦術機甲部隊の状況は、多国籍軍移動司令部にリアルタイムで伝わっていたのである。

 そして、戦況を把握した移動司令部から、戦闘機動を行っていない最寄りの戦術機甲部隊へと光学データリンク経由で命令が下され、米国陸軍と欧州連合軍の戦術機甲部隊が、大東亜連合軍と中華民国軍の戦術機甲部隊救援に向かったのである。
 大亜細亜社会主義同盟軍戦術機甲部隊の所在を、正確に察知していた米国陸軍と欧州連合軍の戦術機甲大隊は、砲撃有効射程ギリギリの距離を保ったまま、噴射地表面滑走によって地表ぎりぎりを高速で移動しながら、大亜細亜社会主義同盟軍戦術機甲部隊に対する砲撃を実施していた。

 敵の撃破を急ぐ必要を、彼等は感じていない。
 如何に、敵に捕捉されずに砲撃を続行し、一方的に殲滅できるかが、彼等にとっての達成すべき戦術目標であった。

 所属全機が有人機である米国陸軍戦術機甲大隊とは違い、欧州連合軍は陽動支援機運用戦術機甲中隊であった。
 遠隔陽動支援戦術機を含めて大隊規模となるこの中隊は、『朧月』2機に搭乗した12名の衛士によって運用されている。
 そして、この部隊の主力は、今回は『ラプター』には劣るもののステルス性能を持つ、『ラファールD』やEF-2000『タイフーン』等の第3世代型戦術機を改修した遠隔陽動支援戦術機群であった。

 欧州連合軍では、JAS-39『グリペン』改修型遠隔陽動支援戦術機も配備しているが、今回はステルス性能を重視した為、編制に含まれてはいない。
 それ故に、随伴補給機も同行させてはおらず、第3世代改修型遠隔陽動支援戦術機34機と言う、贅沢な編成となっていた。

 そしてなによりも、今正に大亜細亜社会主義同盟軍に対して雨霰と砲弾を浴びせ続けているのが、欧州連合軍が誇る中隊支援砲MK-57であった。
 57mm砲弾を最大毎分120発の発射速度で吐き出すこの中隊支援砲34門による砲撃は、大亜細亜社会主義同盟軍の戦術機甲部隊に対して、絶大な威力を発揮した。
 遠距離から自律戦闘モードで放たれた砲撃であったにも拘らず、その圧倒的な弾雨に曝された大亜細亜社会主義同盟軍の戦術機達は、次々に撃破されてその残骸を野に晒す事となるのであった。

「ふむ。自律戦闘モードであっても、MK-57の統制砲撃は十分な威力を発揮しているようですね。
 本来であれば、近接格闘戦闘に主眼を置いて開発された機体達ですから、この様な遠距離砲戦は本意ではないのですが、ジャミングなどと言う無粋な事をされたのでは、致し方ないでしょうな。」

 英国陸軍の大尉は、そう呟くと小奇麗に整えた口髭を軽く撫でつけた。
 現状では、米国陸軍の『ラプター』と比べても、僅かに撃破速度で欧州連合軍が勝っていた。
 その事実に満足気に目を細める、英国陸軍大尉なのであった。

 斯くして、各個撃破を目論んだ大亜細亜社会主義同盟軍に対して、多国籍軍は最初に接敵した戦術機甲2個中隊によって敵戦術機甲連隊2個強を拘束し、味方の有力な戦術機甲部隊を差し向ける事で囮となった部隊を救うと共に、大亜細亜社会主義同盟軍の戦術機甲部隊を一方的な砲撃によって殲滅しつつあった。
 そして、それと前後して、大亜細亜社会主義同盟軍派遣部隊の本隊に対して、戦術機としては驚異的な速度で接近する部隊があった。

「いいか諸君、これがこのF-35『ライトニング-Ⅱ』の初陣となる。
 従来の戦術機を凌駕する『ライトニング-Ⅱ』の性能を、今こそ世界に見せ付けるのだ!」

 米国陸軍少佐の訓示が、編隊飛行中である為、光学データリンクによって保持されている部隊内データリンクを経由して、大隊所属各機へと伝えられる。
 36機の『ライトニング-Ⅱ』は、従来の戦術機を遥かに凌駕する巡航速度を以って、大亜細亜社会主義同盟軍の本隊へと急迫しつつあった。

 F-35『ライトニング-Ⅱ』は、地球奪還後の世界戦略の中で主力となるべき戦術機として開発した、多用途性を備えたステルス戦術機であり、その汎用性の高さから統合打撃戦術機とも呼ばれる。
 従来の戦術機の特徴であった全領域展開能力に加えて、高速巡航能力までも発揮可能という野心的なコンセプトに基づいて開発された。

 元々は、欧州連合、アフリカ連合と共に国際共同開発が進められていた最新鋭第3世代戦術機であったが、『朧月』の実用化を受けて欧州連合が共同開発から離脱。
 その後は、対人類戦を前提とした米国軍事ドクトリンの一角を成す兵器として、この機体は『ラプター』の後継機となるべく更なる性能向上が図られる事となった。

 斯くして洗練されたステルス性能と、コンパクトな機体に備えられた新型噴射跳躍ユニットの大出力に任せて、『ライトニング-Ⅱ』は敵に気付かれる事無く、急速に距離を詰めていくのであった。

 そして、遂に敵を有効射程圏内に収めた『ライトニング-Ⅱ』36機は、満を持して攻撃を開始。
 北に向かって逃走を続ける大亜細亜社会主義同盟軍の本隊を、東西から挟み込むようにして二手に分かれて航過飛行(フライパス)しながら砲撃を加えて行く。
 そして、北方に追い抜いて行った後は、反転して今度は逆行しながらやはり砲撃を加えて行く。

 大亜細亜社会主義同盟軍の本隊から距離を保って航過飛行していく『ライトニング-Ⅱ』に対し、そのステルス性能故に捕捉できず一方的に叩かれる大亜細亜社会主義同盟軍。
 そして遂に、電子妨害装置が破壊され、広域バラージ・ジャミングが停止した。
 これにより、多国籍軍のデータリンクも完全に復活し、戦域マップが最新の索敵結果によって更新される。

 その直後、多国籍軍移動司令部にオペレーターの悲鳴の如き叫びが上がった。

「北方より超音速で急接近する飛行物体があります!
 数は4、我が軍本隊へ到達まで後7、6、5、4、……迎撃間に合いませんッ!!」

 オペレーターが報告した飛行物体は、再突入殻(リエントリーシェル)に酷似しており、音速超過による衝撃波を伴って北方より飛来した。
 そして、そのまま速度を落とさずに胴体着陸するかの様に高度を下げると、多国籍軍の車両ごと地表面を削り取って土砂を盛大に巻き上げて行く。
 それは、オルタネイティヴ4が実用化した緊急展開用ブースターユニットを参考にして、ソ連が作り上げた強行突入ユニットであった。

 そして、4機の強行突入ユニットが4本の長大な傷跡を、大地と多国籍軍地上部隊に刻んで停止した直後、上空から舞い降りた4機の悪魔が多国籍軍本隊を蹂躙し始める。
 それは、強行突入ユニットの落着直後に、巻き上げられた土砂を隠れ蓑に射出されていた戦術機であった。
 爪先、踵、脛から膝にかけて、肩、頭部と、隈なく設けられたスーパーカーボン製近接兵装と、両主腕の先端に突き出したモーターブレード、それらを縦横に駆使して周囲に斬撃の嵐を巻き起こし、同時に背部兵装担架に保持した突撃砲の砲弾を撒き散らす事も忘れない。

 正に、破壊の化身としか言いようのない4機の戦術機。
 それは、ソ連軍の最新鋭第3世代戦術機であるSu-59『ズベズダ』、その複座型仕様機であった。

 Su-59『ズベズダ』は、『ラプター』に対抗可能な第3世代型ステルス戦術機として、ソ連で開発された機体である。
 しかし、大陸奪還作戦の進展に伴い情報統制が強まった事等から、米国企業などからの技術流入が途絶えてしまい、ステルス性能に於いては『ラプター』に大きく溝を空けられる形となってしまった。
 それでもソ連軍戦術機の十八番と言うべき近接格闘戦能力と、高機動性能は高い水準で備わっており、ソ連軍最新鋭第3世代戦術機の名に相応しい機体となっている。

 そして、初めて実戦に姿を見せたその『ズベズダ』4機の最も悪魔染みた所は、全周隈なく存在する多国籍軍の車両や機械化歩兵、果ては歩兵達から放たれる攻撃の事如くを、まるで未来が見えるかの如き機動で全て回避してしまう所であった。
 そうして血路を開きながら、4機の『ズベズダ』はじりじりと多国籍軍の移動司令部である、戦闘指揮車両へと近付いて行く。
 最早、この4機を留め得る方法は無く、多国籍軍移動司令部の壊滅は目前に迫っているかのように感じられた。

 しかし、そこに直衛として本隊に留め置かれていた戦術機が乱入し、4機の『ズベズダ』へと果敢に挑みかかっていく。
 『ライトニング-Ⅱ』、『ラプター』、『タイフーン』、『ラフィールD』、『グリペン』。
 錚々たる第3世代戦術機達が、移動司令部を守ろうと次々に挑みかかっていくのだが、その攻撃の全てはいなされ反撃を受けて、あえなく撃破されて残骸を野に晒していく。
 そして、挑みかかった第3世代機の殆どが力尽き撃破された時、1機のF-15SE『サイレントイーグル』が、水平噴射跳躍で1機の『ズベズダ』へと果敢な突撃を開始した。

 その『サイレントイーグル』は、小刻みに乱数回避と思われる回避機動を繰り返しながら、猛烈な勢いで『ズベズダ』へと肉薄する。
 今までは、名立たる第3世代機を相手取っても、相手の避ける先が解かっているかの如き的確な砲撃で、然したる時間もかけず寄せ付ける事無く撃破してきた『ズベズダ』の砲撃だったが、この『サイレントイーグル』に限って撃墜出来ずに手間取っていた。

 続け様に放たれる必殺の砲撃を掻い潜り、遂に『ズベズダ』の指呼の間まで近付く事に成功した『サイレントイーグル』は、何故か近接戦闘用短刀すら構えずに、両主腕で『ズベズダ』へと掴みかかる。
 しかし、そのマニピュレーターが『ズベズダ』に届くか届かないかと言う所で、『サイレントイーグル』はモーターブレードの斬撃を受けて、管制ユニットを深々と切り裂かれてしまった。
 そして、その切り裂かれた装甲の奥、既に命を失った衛士の上半身が転げ落ちた瞬間、その一撃を放った『ズベズダ』の一切の動きが止まる。

 それを千歳一隅の好機として、戦車の主砲が、歩兵の携帯式ミサイルが、戦術機の突撃砲が―――多国籍軍のその場に存在する多彩な兵器群が、動きを止めた『ズベズダ』へと一斉に集中砲火を放った。
 そして、過剰に集中された砲撃によって生じた苛烈な爆発の中へと、『ズベズダ』は『サイレントイーグル』と共に飲み込まれ、儚く消えていった。

 ようやく1機の『ズベズダ』を仕留めた多国籍軍ではあったが、その間にも残る3機による被害は増大の一途を辿っていた。
 移動司令部である戦闘指揮車を守るのは、既に追加装甲を構えた数機の戦術機だけとなっており、その運命は正に風前の灯火であるかに思えた。
 しかし正にこの時、事態を打開する為の献策が、多国籍軍移動司令部へと齎されていたのである。

「そうです。その戦域に在る全ての自律装備群の遠隔操縦を、戦術立案ユニットに委ねて下さい。
 戦術立案ユニットによる統合運用でなら、敵機の回避機動を上回る事も可能です。
 司令部の戦闘指揮車と自律装備群を除いて、全将兵をその戦域から至急撤退させて下さい。」

 武の真剣な表情を、復活したデータリンク経由の通信画像で一瞥した多国籍軍総司令官は、ほんの一瞬逡巡しただけで、武の非常識とも言える献策を承認した。
 この時点で、多国籍軍本隊は既に混乱の極みに在り、しかるに多国籍軍移動司令部には事態打開の方策が1つとして存在しなかった為だった。

 このまま事態を放置したならば、数分と経たぬ内に戦闘指揮車ごと多国籍軍移動司令部は壊滅してしまうに違いなかった。
 それならば、ただ座して死を待つよりも、BETAから地球を取り戻した戦術立案ユニットと武に、全てを委ねる方がマシだと総司令官には思えたのだ。
 斯くして、多国籍軍本隊に所属する自律装備群の全てを指揮下に収めた武は、即座に『ズベズダ』に対する飽和攻撃を開始した。

 『ズベズダ』の神懸った回避機動を支えていたのは、搭乗する衛士の技量もあったが、何よりもその身に宿したリーディング能力と、『ブラーフカ』と呼称されるESP発現体でもある衛士2名の精神を融合させるという、人格崩壊の危険を伴う技術によって驚異的なまでに高められた情報処理能力の2つであった。
 しかし、武はこの内リーディング能力を、そもそも読まれる思考自体が存在しない自律装備群を主力とする事で無効化し、更には最大レベルで解放された『ブラーフカ』の情報処理能力も、量子電導脳の演算能力を以ってして易々と凌駕して見せた。
 その結果、いっそ呆気ない程簡単に、残り3機の『ズベズダ』は撃墜され、多国籍軍本隊の危機は辛うじて回避される事となった。

 その後は、多国籍軍による大亜細亜社会主義同盟軍派遣部隊に対する、追撃と掃討が順調に行われ、午後を待たずに戦闘は収束する事となった。
 多国籍軍本隊を救った後は、武が出しゃばる様な局面は発生しなかった為、武は南京市の治安維持に関する指示を出しながら、リーディング及びプロジェクション機能を使用して霞と会話を行っていた。

「なあ、霞……あの『ズベズダ』と『サイレントイーグル』の衛士なんだけどさ……」

「はい、知り合いだったようです。
 ですが……ESP発現体であったソ連軍衛士達は……洗脳されていました……」

 武の脳裏に、悲しげに瞼を伏せる霞の姿が浮かんで消えた。
 南京市郊外で待機している、オルタネイティヴ6の本隊と共に居る霞に届く程、『サイレントイーグル』を撃墜した『ズベズダ』の衛士達の悲嘆は強かったのだろう。

「それで、戦闘機械と化して『サイレントイーグル』の衛士を殺しちまったことで、それに気付いた衝撃から洗脳が緩み、思考が停止した結果後を追っちまったってとこか。
 きっと、浅からぬ因縁があったんだろうな……」

「はい。とても悲しい色が溢れていました。
 それに……『サイレントイーグル』の衛士も……『ズベズダ』の衛士達を救いたかったようです……」

 そして、伝わってきた『ズベズダ』の衛士達の悲嘆の中から、霞は彼女達がリーディングしていた、『サイレントイーグル』の衛士が抱いていた想いすら読みとっていた。
 武は霞に負担をかけていると自覚しながらも、自身の陰鬱な思考から逃れる事が出来なかった。

「そうか……悲しい出来事だな。
 それに、今回の作戦じゃ大勢の戦死者がでちまった。
 オレの命令が原因で死んだ数だけでも、えらい数だよ。」

「民間人を救う為です……仕方、ありません……」

 敵も味方も関係なく、死者が出る事を厭う武を想いやって、霞は精一杯励まそうと迷いの無い思念を送る。
 それに感謝しながらも、武は自身を騙して安逸に浸る事を良しとしない。

「それでも、やっぱり人間同士の命を秤にかけて、片方を切り捨てるのは気持ちの良いもんじゃないな。
 しかも、未だにオレなんかに付き合ってくれてる、大切な仲間達にまで片棒担がせちまってるしさ……」

「みなさん、覚悟の上です……
 白銀さんが、一番犠牲を出す事を避けたがってるって……みんな、知ってます……
 だから……自身の手を汚す事も……」

 自虐へと傾いて行く武の思考を、霞は何とか押し留めようと思考を連ねていく。
 武はその思考を遮る様に自身の想いを霞に送る。
 霞の想いを汲んで自虐的な思考を切り上げた武は、想いをこの先―――未来へと転じる。

「ああ、解かってるよ霞。解かってるんだ……
 みんな、オレなんかよりよっぽど覚悟が出来てるもんな。
 けど、オレはこれからも―――次の世界でも、絶対に諦めたりしないで、もっとマシな未来を掴み取って見せる。
 ああ、絶対に諦めたりするもんか!」

「―――白銀さん…………」

 武の堅固な意志を受け、それでも尚、その想いに悲壮さを感じてしまった霞の思考は、悲しげな色を纏う。
 それを読み取り、申し訳なく思いながらも、武は今後の方針―――特に次の世界での行動方針に想いを馳せた。

 起きてしまった悲劇は取り返しは付かない。
 しかし、今後起こる悲劇は必ず減らして見せる。
 武は心中に流れる弔いの哀歌を振り払い、そう決意を固めるのであった。
 己が意志を、懸命に奮い立たせて―――




[3277] 第136話 明かされた真実
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/07/05 17:14

第136話 明かされた真実

2020年12月08日(火)

 グリニッジ標準時:19時33分、オルタネイティヴ6の本部と定められて久しい、ラグランジュ点に浮かぶ航宙母艦『ギガロード』の1室に、武と夕呼、そして霞の3人が集っていた。

「それで、改『ギガロード』級の試験結果はどうだったのかしら?」

 この部屋―――オルタネイティヴ6統括責任者執務室―――の主である夕呼は、自身の執務机の椅子にゆったりと腰かけ、片肘をついた右手に顎を軽くのせるという寛いだ態度で、嫣然とした笑みを浮かべてそう武に問いかけた。
 既に50に手が届く歳となっている夕呼であったが、その美貌は未だに衰える事無く妖艶とも言える色香を身に纏っている。
 オルタネイティヴ4の統括責任者であった頃の苛烈で性急な態度は影を顰め、代わりに悠然としたゆとりのある態度を身に付けていた。

「全く、何の問題もありませんでしたよ。
 改『ギガロード』級航宙母艦『バトルロード1』から『バトルロード4』までの4隻で編制した、国連航空宇宙軍第1航宙機動戦隊は所定の試験項目の全てをクリアし、月周回軌道を3周した後本宙域へと帰還するという試験航宙を完遂しました。
 勿論、全行程を全て自律制御でこなしてます。」

 一方、武の方はと言うと、抑制は利いているものの、何処か興奮した様な熱の籠った力強い口調で夕呼に応じた。
 それに対して、夕呼は気怠げな態度で応える。

「そう、それじゃあこれでようやく、あんたの計画にも目処が付いたって訳ね。」

 そんな夕呼の態度に、武はばつの悪そうな表情を浮かべたが、深呼吸をして自身の熱を体外へと追い出してから、改めて問いを放った。

「―――どうやら、夕呼先生の方は上手く運ばなかったようですね。
 やはり、月奪還作戦は先送りされましたか。」

 武の溜息交じりの言葉に、夕呼の双眸がきゅっと細められ、その奥に怒りの炎がちらつく。
 しかし、夕呼はそのまま双眸を閉じて炎を瞼の奥に封じると、大げさに両手を広げ、おどけた口調で語り始める。

「そうよ、そうそう! あんたの予想通り、今回の国連安保理の会合でも月奪還作戦は先送りされちゃったわよ。
 まったく、自国の領土を取り返して守りに入ると、ああも情けなくなるもんなのね。
 月奪還に兵は出せない、その癖、自分達抜きで作戦を遂行されるのも気に喰わないだなんて、ほ~んと呆れ返っちゃうってもんよねぇ~。」

 武が第1航宙機動戦隊の試験航宙に赴いている間に開かれた、国連安保理の会合に夕呼はデータリンク回線を通じて出席していた。
 そして、その会合に於いて上がった議題の一つに、オルタネイティヴ6の目標の一つである月奪還作戦発動の可否が含まれていた。

 しかし、結果から言うとこの議案は否決され、来年度も少なくとも前半期に関しては、月奪還作戦の発動は見送られる事となった。
 反対したのはユーラシア大陸の復興国であり、欧州連合諸国を中心とする理事国達であった。
 彼等は、月奪還に必要とされる戦力―――殊に人員の派遣に難を示し、自国の復興が進展してからが望ましいと主張したのである。

 一方、米国やオーストラリア等のBETA大戦の被害を殆ど被らなかった大国は、復興国が不参加であっても作戦発動は可能であるとの主張を展開した。
 しかし、これに対しても、一部の大国に功績を独占される事を嫌った複数の理事国が、今となっては有名無実と化したバンクーバー条約のハイヴ攻略許諾制度まで持ち出して、強硬に反対したのである。

「なまじ、月からの飛来物を、ぜぇ~んぶきっちり撃ち落とせてるもんだから、あいつらすっかり安心しきっちゃってんのよ。
 おまけに、前に月でボロ負けしてるもんだから、すっかり怖気づいちゃってさ~。
 臭い物には蓋の精神で、問題先送りしようって腹が透けて見えてるってのよ、まったく。」

 国連宇宙軍が展開する対宇宙全周防衛拠点兵器群『シャドウ(SHADOW:Spaceward Hardwares for All-Round Defensive Ordnances and Warheads)』が稼働した1984年以来、月面のBETAハイヴから地球近傍宙域に向けて射出された飛来物は、その全てが迎撃され地球落下軌道から弾き出されて、宇宙の彼方へと飛び去って行った。
 飛び去ったとは言っても、その後は重力に捕まって太陽周回軌道に乗ったと推測されているのだが、その行く末を追尾する余裕は現在のところ存在しない。
 何れにせよ、稼働以来36年にも及ぶ運用期間内に於いて、『シャドウ』はその目的を完璧に果たしてきたと言える。

 その為か、2013年の地球奪還以降、奪還なったユーラシア大陸の復興に邁進する復興諸国にとって、月を占有するBETAの存在は然程脅威と感じられなくなっていたのである。
 その上、BETA大戦中に必要とされた資源を提供し続けた後方諸国に対して、地表の表面や山岳部は相当削り取られたものの、地下深くの資源が手付かずで残されていた事もあり、復興諸国はそれらの資源を元手とした急速な復興を成し遂げ、後方諸国に対抗できるだけの国力を得る事に夢中になってしまっていた。
 斯くして、2016年以降、月奪還と火星奪還を目的とするオルタネイティヴ6は、国連安保理に対して毎年月奪還作戦の作戦案を提出し作戦実施を訴え続けて来たにも拘わらず、復興を優先しようとする理事国達の反対によって延々と先送りされ続けて来たのであった。

「でもまあ、さすがに5年も足踏みさせられちゃあ堪んないからね。
 月奪還作戦の代わりに、火星軌道監視網と太陽系内監視網の構築許可をもぎ取ってやったわ。」

 夕呼は、殆ど投げ遣りにそう言い放ったのだが、その言葉を聞いた武は喜色を満面に浮かべると、即座に問い質した。

「え?! 本当ですか、夕呼先生!」

 すると、夕呼はさも不満げに表情を歪めると、喜び勇む武を睨みつけて忌々しげに吐き捨てた。

「本当よ。―――結局、どうやらあたしは地球に蔓延ったBETAには勝てたものの、人類の業には勝ち損ねたみたいね。
 これ以上足掻いても、どうにもなりそうにないから、白銀、あんたの計画に協力してやるわよ。
 自律制御の航宙機動戦隊と搭載装備群による、太陽系内索敵網の構築計画。
 こっちを、何時になったら発動できるか解からない、月奪還作戦に先立って実施する事に決めたわ。
 そして―――」

 そこまで告げた所で、夕呼は言葉を切って深々と息を吸い込む。
 すると、それに合わせる様に、今まで無言のまま夕呼と武の顔へと交互に視線を投じていた霞が、悲しげに瞼を伏せて俯く。
 そんな霞に気付きながらも、武は期待と共に夕呼の言葉を待ち受けるのであった。

 そして、僅かな時が過ぎ去り、夕呼は言葉の続きを吐き出す。

「―――あんたの望み通り、深宇宙探査計画も極秘裏に発動させるわ。」

 その言葉を最後に、暫し3者の間で言葉は絶え、静寂がその場を席巻した。
 そして、夕呼の憤懣、霞の悲嘆、そして武の勇躍―――各々が異なる想いを抱きながらも、3人は近く実現するであろう未来へと想いを馳せるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2020年12月17日(木)

 09時17分、国連軍横浜基地のブリーフィングルームに、武を初めとして、未だに現役を続けている『イスミ・ヴァルキリーズ』14名と、純夏に霞、そして2014年に退役し現在は野党選出の衆議院議員となっている千鶴、合わせて18名が顔を揃えていた。

「榊! 久しぶりだな。壮健であったか?」

 最後にやってきた千鶴に向かって、冥夜が歩み寄ると懐かしげに声をかけた。
 冥夜だけではなく、彩峰、壬姫、美琴といった、訓練校同期B分隊の面々もまた、千鶴の周りに集まっていく。

「ええ、まあなんとかね。」

 少し照れくさそうな笑みを浮かべると、千鶴は冥夜にそう応えながら久しぶりに再会した仲間達を見廻す。
 そんな千鶴に、これ見よがしに顔を歪めて不満気に表情を作り、舌打ちをする彩峰。

「ちっ…………」
「あ、彩峰さん……」
「あはは! 早速始めてるよ。慧さん、よっぽど嬉しいんだね。」

 壬姫は、そんな彩峰の態度に、慌てて場を取り成そうとしたが、美琴はと言えば動じた風も無くからからと笑い、相変わらずのマイペースで自身の思う所を言い放った。
 すると、以前であれば柳眉を逆立てて噛みついていた千鶴が、柔らかな笑みを浮かべたまま、やんわりと彩峰に問いかける。

「ふうん。そうなの?」

 何処か悪戯っぽい千鶴の問いかけに、彩峰は更に顔を顰めると即座に言葉を返す。

「ありえない……激否定……」

 しかし、以前と異なり、一向に言葉を荒げる気配も無かった千鶴の態度に、彩峰も何か思う所があったのであろう。
 それ以上千鶴に噛みつく事も無く、それ以降、彩峰は何処か興味深げな視線で千鶴を観察するのであった。
 そして、その後は楽しげに千鶴を囲んで歓談し始めた面々を、残る『イスミ・ヴァルキリーズ』10名が少し離れて眺めている。

「しかし、横浜基地も久しぶりだが、こうしてここに、これだけの面子が揃うのも久しく絶えて無かったな。」

 視線を千鶴とその仲間達4人から外し、ブリーフィングルームと長年共に戦い続けた部下達へと巡らせたみちるが、感慨深げにそう語ると、うんうんと幾度も頷きながら水月が心からの同意を示す。

「そうですね大佐、最近は軌道上(うえ)にいるか、紛争地帯にいるかのどちらかでしたからね~。」

 そして、そんな水月の言葉を即座に混ぜっ返す美冴。

「特に、速瀬大佐は機会がある毎に、率先して鉄火場に志願して降りてらっしゃいましたからね。
 硝煙の香りのしない地上は、さぞや久しぶりでしょう。」

「あら、美冴さん。速瀬大佐も休暇の折にはよく地上に降りてらっしゃいましてよ?
 何しろ、御自宅では、旦那さまとお子様が首を長くしてお待ちですもの。」

 そして、相変わらずの阿吽の呼吸で、美冴を窘める風を装って水月に追い打ちをかける祷子。
 美冴は嗜虐的な笑み、祷子は清楚な笑みと、笑顔の質は異なれども、からかわれている水月にとっては共に邪悪な悪魔の笑みにも等しい。
 毎度の事ながら、水月は顔を真っ赤に染めて怒鳴り散らした。

「う、煩いわよ、あんた達っ!」

「あはは……水月もそうかっかしないで落ち着きなよ。
 どうせその辺の事情は、宗像中佐だって同じなんだから。」

 突然上がった怒声にも動じず、のほほんとした笑みを浮かべて水月を宥める遙。
 ここまでのやり取りは、既に予定調和とも思える様式美を持つに至っていた。

 とは言え、ここから先の展開は千差万別。
 話題の傾向からして、自分に飛び火してくる可能性を敏感に感じ取った茜は、迅速な撤退を試みる。

「あ、あたしもちょっと、千鶴のとこに行って来ますね。」
「あああああっ! 茜ちゃん、あたしも~。」

 そそくさとその場から離れる茜とそれを追う多恵に、この2人の家庭事情をネタに矛先を逸らそうと目論んでいた美冴が小さく舌打ちした。
 その隣では、美冴の窮状を十分承知した上で、祷子がこの後の展開に期待している様な笑みを浮かべている。

 この時点で、みちる以下、水月、遙、美冴の4人は、それぞれ1人ずつ子を生(な)している。
 任務の性格上、1年の3分の1程しか家庭に戻れないものの、子供達は父親の下で健やかに成長しており、母親に対して子供らしい素直な愛情と憧憬を抱いているようであった。

 茜も1人、多恵は双子を1組出産していたが、実を言えば多恵の子供は茜と多恵の遺伝子を継承した、二卵性双生児の兄妹であった。
 3人の子供を男手1人で育てている館花三郎軍医の苦労たるや相当なものがあるのだが、今でも横浜基地の医療部に勤務している事もあって、モトコ研の蛍、文緒、愛美の3人を初めとする女性衛生兵達の助けを借りて、なんとか育児と研究の両立を達成していた。

 殊に、『独身出産並びに育児支援法』の適用を受けて、人工授精で子を生した愛美とは、互いの子を預けあったり育児に関して相談したりと、相応に親しい関係となっていた。
 以前に、愛美が三郎に恋愛感情を抱いていた事を知っている為、当初は茜が強い警戒感を抱いたりもした。
 しかし、飽くまでも同僚としての節度ある交流に留まり続けた事もあって、今では茜も愛美に対する隔意を捨てて和解し、親しい知人として交流するに至っている。

 武などは、実の子供を地球に残し、軌道上や地上の紛争地域での任務に明け暮れる仲間達を気に病んで、あれこれと気を揉んだりもしたのだが、最終的には各人の意志を尊重して余計な配慮は行わないようになった。
 なによりも、折に触れて目にする各家庭での母と子が楽しげに過ごしている記録映像や、幸せそうに子供の自慢をする仲間達の様子に、自身の懸念など杞憂に過ぎなかったのだと、武にも十分に実感できた事が大きい。

 それ故に、最近の武にとっては、自身への好意を打ち明けて以来20年近くもの長きに亘って、独り身を通している仲間達の方が心配の種となっている。
 そんな独り身集団である『白銀武研究同好会』の発起人でもある智恵、月恵、晴子の3人もまた、茜や多恵と共に千鶴を囲む集団へと合流を果たし、久しぶりの再会に嬉しそうにしていた。

「ねえねえ、智恵っ! 同期が全員揃うなんて、何年振りだろうねっ!」

 そう言って年甲斐も無く月恵がはしゃぐと、智恵は人差し指を唇に当てて首を傾げる。

「え~と~、4年ぶりくらいじゃないかなあ?
 宇宙に本部が移るまでは~、たまにみんなで会ってたよねえ~、晴子?」

 しかし、思い返しても記憶が曖昧だったらしく、智恵は情報の収集と管理に秀でている長年の友人を頼った。
 どちらかと言えば頭脳派であり、その名の通り豊富な知識を有する智恵だったが、雑事を端から忘れ去ってしまう傾向がある。
 そしてそれは、長年に亘って晴子に頼り切ってきた弊害であったかもしれない。

「そうだね。2017年の2月に行われた衆議院解散総選挙で、千鶴の当選祝いにみんなで祝勝に行った時以来だから、3年と10カ月ってとこかな。
 でも、葵さんや葉子さんに紫苑さん達も居たら、『イスミ・ヴァルキリーズ』勢揃いになったのにね。
 尤も、あの家庭(いえ)も子沢山で面倒見るのが大変そうだから、そうそう出ては来れないだろうけどさ。」

 友人の期待に応えて、今回もまた正確な情報を提供する晴子。
 そして、この場に居ない先輩衛士達3人にも言及した。

 晴子の言った通り佐伯家は子沢山であり、5つを頭に9人もの子供を儲けている。
 一家の大黒柱である佐伯自身の収入は、大佐としての俸給しかないのだが、草薙と葵や紫苑の実家が裕福である為、その生活は相当豊かなものとなっている。
 尤も、子供達の育成にはお金を惜しまない母親達ではあったが、生活水準自体は極々慎ましやかなものに留まっていた。

 こちらの一家は、美冴の夫であり宗像家に婿入りした仁や、その妹である蘭子、そして結婚して姓が変わった尾崎麗香や、『拡大婚姻法』の適用を受け多夫妻となった大上律子など、帝国軍衛士であった者の家族達と親しく交流している。
 そういった事情もあって、最近『イスミ・ヴァルキリーズ』が集まって話される話題は、子供に関するものが大半を占める様になっていた。

 そうして和気藹々と、楽しげに談笑する面々を、武は少し距離を置いて暖かな眼差しで見守っている。
 その傍らには何時もの如く純夏と霞が侍っているのだが、霞はこの部屋に入って以降、眼を伏せて常にも増して口数が少なくなっており、その態度に何やら不穏な空気を嗅ぎ取った純夏が、不安気に武と霞の様子を交互に窺っていた。

「ちょっとタケルちゃん、また―――何か良からぬ事を考えてたりしない、よね?」

 そして、遂に不安に押し切られる様にして、腰を折り武を下から覗き込むようにしながら問いを放つ純夏。
 それに対して、少し影のある苦笑を浮かべながらも、武は今暫くの猶予を請うた。

「良からぬ事って……まあ、もうちょっと待っててくれよ、純夏。
 どうせ、みんなにも説明するつもりで集まって貰ったんだ。
 ちゃんと説明するから、もうちょっとだけ、我慢してくれ。」

 そう言う武の瞳に、真剣な光を見出して、純夏は渋々と引き下がる。
 しかし、その胸中では不安が際限なく弥増していくのであった。



「―――さて、そろそろ本題に入っても良いですか?―――ありがとうございます。
 昨日の地球奪還祝賀会は公務扱いでしたけど、今日は本来は休みだって言うのに朝から集まって貰う事になっちゃってすみませんでした。
 委員長も、わざわざ呼び出す事になっちまって悪かったな。
 ちょっと個人的に、みんなに頼みたい事と話しておきたい事があったんで、無理言って集まって貰いました。
 中には軍機に触れる内容も含まれるんで、防諜上の理由から基地のブリーフィングルームになってしまった事も謝っときます。
 本当は、帝都のホテルでラウンジでも借り切りたかったんですけどね。」

 武が、謝罪交じりにそう言って話し始めると、集まった面々の大半が笑みを零した。
 あんた高給取りなんだから奢りなさいと水月が叫び、絶好の機会を逃したと美冴が笑う。
 そして、この会合が終わった後で、帝都に繰り出して御馳走して貰えば良いと、祷子と遙がそう話をまとめると、武は苦笑しながらも両手を上げて了承して見せた。

 そうして場が和んだ所で、武は表情を引き締めて話を再開する。
 通例の武が演台に立って説明する形式ではなく、ブリーフィングルームの中ほどに椅子を集めて車座に近い配置で全員が腰かけるという形式を取った為、ミーティングに近い和やかな雰囲気が純夏と霞を除く一同を包んでいる。
 みちるや冥夜を初めとする何人かは、純夏と霞の深刻そうな態度に疑問を感じてはいたが、それを問う間もなく武が話し始めてしまった。

「さてと―――まず、先に報告しておきますけど、どうやら月奪還作戦の実施は来年も見送られ、再来年以降の実施も正直期待できない情勢となっています。
 既にオルタネイティヴ6では、月面攻略作戦に要する装備群の開発と作戦案の立案まで済ませていますが、復興国を中心に多くの国々が人的経済的な負担を嫌って作戦実施に反対しているんですよ。」

 武がそう言うと、悔しげな呻き声が幾つも漏れる。
 月奪還を誓って、ここ数年に亘って日々訓練に勤しんできた皆にとって、武が語った情勢は痛恨の極みであった。

 2016年に、月面奪還作戦の第1案が定まって以来、A-01旅団は作戦の中核を担う部隊として、装備と戦術を最上のものへと磨き上げるべく、任務に精励し続けて来た。
 しかし、武の今の発言によって、その努力が実る事は少なくとも数年に亘って期待できないと判明した。

 如何に、地球上での紛争鎮定や、武装弾圧の抑止、武装反政府組織の鎮圧なども任務として行っているとはいえ、A-01の衛士達にとって主敵と目するのはやはりBETAに他ならなかった。
 そのBETAが目と鼻の先にある月で好き放題に活動していると言うのに、この上さらに数年に亘って指を咥えて見ていろというのか。
 ―――そう思うと、強い憤りに苛まれずにはいられない『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々であった。

「そこで、夕呼先生とオレは、月奪還作戦の早期実施を諦め、より長期的な方針を新たに定めました。
 今後、オルタネイティヴ6は、この新方針に沿って活動していく事となります。
 まずは火星に於けるBETAの動向を把握する為に、火星軌道監視網『ミド(MID:Mars Intruder Detectors)』を構築します。
 そしてその後数年をかけて、太陽系宙域監視網『エシッド(SSID:Solar System Intruder Detectors)』を太陽系内の要所に構築。
 太陽系内のBETA分布状況を把握し、最終的には太陽系からBETAを完全に排除する為の情報収集を目指します。」

 が、続いて語られた武の構想に、一同は虚を突かれて唖然としてしまった。
 月奪還すら実施予定が立たないと言ったその口で、太陽系からのBETA掃討と言う圧倒的なまでに規模の大きな目標をさらりと掲げて見せる武。
 その様子に、武の非常識な言動にはすっかり慣れたつもりであった面々も、言葉を失わずにはいられなかったのである。

 しかし、その言葉の意味に理解が追いついて行くに従って、呆然としていた面々の中に、悔しげな表情を浮かべる者達が現れる。
 そして、中でも逸早く表情を変えていたみちるが、暫し熟考した上でその右手を掲げると、武の許可を得て問いを放つ。

「―――つまり、現在のA-01部隊員による月奪還は断念し、次世代以降に委ねるという判断を下した。
 そういうことだな? 白銀。」

 一切の表情を消し去り、淡々と問うみちるに対し、武は暫し言葉を探した後、ようやく口を開いた。

「………………そうです、伊隅大佐。
 A-01の幹部指揮官は、皆30代半ばを超えており40代も少なくありません。
 数年も経てば、現役衛士としての適性を保つのが困難となり、世代交代が一気に進むでしょう。
 隊の練度が極端に落ちるとまでは思いませんが、現時点での練度を保つ事は難しいと考えます。」

 そのやり取りに、ある者は悔しげに、またある者は愕然と、中には悲痛な表情を浮かべる者さえ現れた。
 そんな中で、みちるや冥夜など数名は、その胆力を以ってして平静を保っていたが、残念ながらそれは極僅かな例外に過ぎない。

 BETA大戦が終わり、戦時体制から平時体制へと移行した結果、各国軍では現役衛士の年限を35~45歳の間で定め、以降は搭乗勤務を解き退役か管理職等への転身を選択させるのが習いとなっていた。
 この年みちるは既に42歳となっており、オリジナルハイヴ攻略と言う軍功がなければ、そして、所属部隊がA-01でなければ、既に現役を退いていておかしくない年齢となっていた。
 現在、A-01の中隊長以上を占める者は、最も若い者でも36歳であり、遅くとも後10年もすれば全員が現役を退いている筈の年齢となる。

 武と同期の9名ですら2028年には45歳に達するのだが、それまでに月面奪還作戦が実施されるかどうかさえ危ぶまれるというのが、武と夕呼の現時点での認識であった。
 否、それどころか国連加盟国の幾つかは、態と無為に時を費やさせた上で、夕呼や武をオルタネイティヴ6から勇退させて、新組織へと改編する事さえ目論んでいる可能性が高い。
 その様な懸念が故に、夕呼と武は権限を完全に掌握している現時点に於いて、将来に向けた布石を可能な限り打っておく事にしたのである。

 それはともかく、この場に集った『イスミ・ヴァルキリーズ』達は、既に退役している千鶴を含めてその殆どが、武の言葉に衝撃を受け消沈してしまっていた。
 そんな仲間達へと痛ましげな視線を投げると、武は皆を慰めようと語りかける。

「月奪還を目標に頑張ってきたみんなには、本当に申し訳ないと思っています。
 各国の紛争や武力闘争に積極的に介入し、人類社会の安定を図り、それによって早期の月奪還作戦実施を企図した夕呼先生とオレの戦略は、残念ながら失敗しました。
 しかし、それでもみんなが培ってきたものは、後の世代に継承されて決して無駄になる事は無いでしょう。
 また、既に形骸化が進み事実上解体状態にある国連軍に於いて、対BETA戦用即応戦力と言う名目とは言え、A-01という精鋭部隊が常設されている意義は大きいと考えます。
 人類社会の安定の為にその力を振るう事が出来るのであれば、それはA-01が今後も存続し続ける意義として十分なものではないでしょうか。」

 武は切々と、これまでの皆の努力と献身が無為に終わる事は無いと説き聞かせる。
 そして、皆の表情に僅かながらも明るさが戻ってきたのを確認すると、さらりと秘事を明かして見せた。

「それに―――夕呼先生もオレも、国家間の政治的駆け引きに振り回され、大事を見失った国連上層部に今後の対BETA戦略の全てを委ねるつもりはありません。
 言うまでも無く他言無用に願いますが、現時点での装備と戦力を中核として、独自に太陽系内のBETAを殲滅する為の態勢確立を目指します。
 無論、近い将来に於いて月奪還作戦が実施され、人類の総意によって対BETA戦が推進されるなら、それに越した事はありません。
 ですが、月奪還すら成されないまま、夕呼先生の意を汲まない形でのオルタネイティヴ6上層部の人事刷新や、オルタネイティヴ6自体の活動停止が成された場合、オルタネイティヴ6は独力で太陽系内BETA掃討作戦を発動します。」

 その秘事のあまりの壮大さに、武と霞、そして今一つ実感の湧かない純夏を除く一同は、先の太陽系宙域監視網構築構想を知った時以上の衝撃を受ける。
 月と火星の奪還だけではなく、未だその存在が可能性として論じられているに過ぎない、太陽系内に巣食っていると予想されるBETAまでもを、全て掃討しようと言うのである。
 『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々にしても尚、荒唐無稽としか思えない内容であった。

 しかし、その計画が妄想や夢想に類するものではない事を証し立てるかの様に、武は説明を続けて行く。

「勿論、これは国連軍の指揮系統からの逸脱であり、反乱と見做されるに十分な行いになります。
 ですから、この計画の実施は全て自律装備群に委ね、最悪責任が追及されるにしても、夕呼先生とオレまでに留め、他には累が及ばないようにします。
 大体、作戦発動時点でどんな人材が存在するかも想定できない訳ですから、そもそも計画に組み込む事さえ儘なりませんしね。」

 武の自身と夕呼が責任を負うと言う言葉に、『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々は揃って何か言いたげな表情を浮かべたのだが、武は発言の暇さえ与えずにどんどんと言葉を連ねて行く。

「そして、自律制御任せとなる戦闘でBETAに勝利する為の布石となるのが、年内にも出発する太陽系偵察航宙艦隊です。
 この艦隊は、改『ギガロード』級航宙母艦8隻を基幹とする自律装備群のみで構成される艦隊であり、火星軌道監視網『ミド』と太陽系宙域監視網『エシッド』の構築を主任務とします。
 『エシッド』構築が完了した後も、その保全を担って太陽系内を巡回し、BETAの動静把握に努める予定となっています。
 これにより、太陽系内に存在する全てのBETAを洗い出し、その情報を元に太陽系内BETA掃討作戦の具体的な立案作業も推し進める予定です。」

 改『ギガロード』級航宙母艦8隻という数字は、現時点で改装が完了している全ての改『ギガロード』級航宙母艦を、この作戦に投入するという事を意味している。
 これにより、地球近傍宙域に残されるのは『ギガロード』級航宙母艦4隻と、未だ改装途中である『マクロ・スペース』級恒星間移民船のみとなる。
 『ギガロード』級航宙母艦4隻では、月奪還作戦の後方支援としてはやや心許ない為、その意味でも月奪還作戦は断念せざるを得ない事となる。

「これと並行して、国連上層部に対しても厳重に秘匿した上で、BETAが存在しないと推測されているアステロイドベルト(小惑星帯)に生産施設を構築し、『凄乃皇』をベースとした戦略航宙機動要塞を量産します。
 無論、この量産と運用には大量のG元素を必要としますけど、それは太陽系偵察航宙艦隊にBETAが打ち上げた資源輸送用射出体を鹵獲させる事で、必要量を確保する予定でいます。
 戦術機では無く、戦略航宙機動要塞を主力とするのは、木星や土星などにBETAが存在した場合、ラザフォード場を展開出来る機体でないと、活動すら儘ならない可能性が高い為です。
 そうして、情報を集め、戦力を拡充し、数年がかりで太陽系からBETAを掃討する為の態勢を確立するという構想です。」

 最後に、武はG元素の確保と、戦力拡充の計画にまで言及して、オルタネイティヴ6の独力による太陽系内BETA掃討作戦の構想を語り終えた。
 武の語る気宇壮大な構想に、『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々は魅了され、この上なく高揚していく。
 自分達の手で月奪還作戦を実施できない事には、断腸の思いを禁じ得ないものの、太陽系内に蔓延るBETAを掃討する為の作戦が、相応に実現性の高いものであると知ったからである。

 自分達の―――そして、その身命を捧げたA-01の先達達の献身が、地球だけでなく太陽系全域からBETAを掃討するという、絶大な成果へと繋がる。
 その認識は、『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々に深い達成感を与えたのである。

「オレとしては、人類が尊厳を賭けてBETAに挑み勝利する事を願っていますが、それが成し得ないと言うなら自律装備任せになったとしても、オレ達の積み上げてきた成果でBETA殲滅を目指すだけです。
 とは言え、さすがに準備段階から全てが自律制御任せでは、計画に深刻な不備が生じる恐れを捨て切れません。
 なので、表向きは自律装備群のみの編制としていますが、オレがこの太陽系偵察航宙艦隊に秘密裏に同行する事にします。」

『『『 ―――ッ!? 』』』

 武の宣言に、今度こそ『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々、そして純夏までもが驚愕の余り絶句してしまう。
 『エシッド』の構築には、数年をかけると武は先に述べている。
 ならば、秘密裏に艦隊に同行した武が帰還するとしたら、早くとも『エシッド』構築が完了する数年後以降になるであろうと、容易に想像が付いてしまったからであった。

 しかも、今の武の言い様からは、武が自分独りだけで艦隊に同行するつもりである事も、容易に窺い知る事が出来た。
 それ故に、顔色を蒼白にして言葉を失う者が続出したが、逆に憤然として席を立ち発言の許しも得ずに、声高に言い募る者がいた。

「タケル! そなた、また自分独りで全てを背負い込むつもりなのか?!
 我等の助力を受け入れると申した、そなた自身の言葉を忘れたかッ!!」

 真っ先に立ち上がり、苛烈な声で武を叱責したのは冥夜であった。
 そして、そんな冥夜に千鶴と彩峰が続く。

「大体、なんだって艦隊に同行しなきゃなんないのかしら?
 冥王星の公転軌道まで行った所で、通信のタイムラグは数時間って所でしょ?
 別に白銀が同行しなくたっていいじゃないの!」
「でなければ……数名のチームで参加すべき……
 単独では……交代も分担も儘ならない…………」

 そうして先鞭が付けられてしまえば、後はもう決壊した堤防から噴き出す濁流の如くに、武に詰め寄る人間が連なる。

「そ、そうです! たけるさん、わ、わたしもその任務に志願しますッ!」
「あっ! ずるいっ! はいはいっ、私達だって志願するよっ! だよねっ? 智恵。」
「う、うん、志願します~。だから~連れて行って下さい~。」
「あ~、あんた達の気持も解かるけどさ、まずは白銀くんが単独で赴こうとしてるかの確認からなんじゃないの?」
「あはははは。晴子さんの言う事も尤もだけど、でもそこの所はもうみんな確信しちゃってるんじゃないかなあ?
 あ、勿論、ボクだって付いてくからね、タケル!」

 あっと言う間にテンションを上げて騒ぎだした同期達に、多恵は目を丸くして動揺する。

「み、みんなどうしちゃったのかな? ねえ、茜ちゃん。」

「多恵……あんた、ちゃんと白銀の話聞いてた?」

 武の選択に少なからず憤慨していた茜だったが、ある意味暢気な多恵の問い掛けに、すっかり気勢を削がれて脱力しながら問い返した。
 そんな茜に更に目を丸くして小首を傾げる多恵に、今度は茜を挟んだ反対側から水月が重ねて問いを放つ。

「例えばよ、多恵。あんた、茜が冥王星まで任務で出かけるって言ったらどうする?」
「も、勿論一緒に付いてきますッ!」

 水月の問いに、間髪入れず脊髄反射で応える多恵。
 それにやや悲しげな笑みを浮かべた遙が、言い聞かせる様に言葉を発した。

「それと同じ事よ。あの娘達は、白銀准将と離れ離れになりたくない一心なのよ。」

「とは言え、白銀の方の意志も固そうだな。」

 と、遙の発言を受けたみちるが、純夏が纏っていた不穏な雰囲気の原因に納得しつつも、そう言って口元に拳を当てる。

「そうですね。白銀は逆に長期遠征にあいつらを連れて行きたくないと思っているでしょう。」

「確かにそれもあるでしょうけど、私は何かそれ以上に何か理由がある様な気がしますわ、美冴さん。」

 みちるの言葉に美冴も相槌を打ったが、それに続けて語る祷子の表情は、事態の更なる悪化を恐れるかの様に蒼白であった。
 そして、その予感は予想外の方向ではあったが的中する事となる。

「あー、ちゃんと説明するから、みんなちょっと落ち着いてくれ!
 ―――ごめん、ちょっと言い方が悪かったみたいだな。
 確かに、艦隊にはオレ独りで同行するけど、冥夜、これはお前の言うような、自己犠牲がどうとか、助力を無下にしようとかそういうのじゃないんだよ。
 それどころか、みんなにはこの件に関連して、是非とも協力して欲しい事もあるくらいだしな。」

 武の自罰的な傾向を予てより案じ続けている冥夜は、武の冷静な言葉に一端矛先を収める。
 しかし、改めて武が単独での艦隊への同行を明言した為、冥夜を初めとした武の身を案じる女性陣は、神経を張り詰めて耳をそばだてた。

「艦隊への同行は、オレ独りで必要条件を満たすだけじゃなく、オレ以外が同行するとデメリットが大きくなりすぎるんです。
 実を言えば、その理由をみんなが納得出来るように説明したくて、今日は集まって貰ったんですよ。」

 武がそう言うのと同時に、ブリーフィングルームのドアが開けられ、何者かが無言で入室してきた。
 突然の来訪者に、『イスミ・ヴァルキリーズ』の鋭い視線が一斉に投げかけられたが、殺気交じりのその視線は即座に武に対する非難の視線へと転じる。

 何故ならば、何の断りも無しに入室してきたのが、武の若かりし頃の姿を元に作られたAI搭載アンドロイドであり、その存在にはオルタネイティヴ4の時代から、この場にいる全員が親しんでいたからであった。
 乱入者の正体が、武の制御下に在る筈のアンドロイドなのであれば何ら警戒する必要はなく、それ故に入室に先立ってなんの先触れもしなかった武に対して無言の非難が集中したのである。
 それらの視線に、気まずげな顔をして武が頭を下げる。

「あー…………驚かせちゃったみたいで、すみませんでした。
 説明するのに、こいつが居た方が解かりやすいと思ったもんですから…………
 ―――さて、これから話すのは、オルタネイティヴ4の頃からの最重要機密事項ですので、そのつもりで聞いて下さいね?」

 そして、咳払いを一つして武が真剣な表情でそう切り出すと、『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々は緊張しつつも真剣な眼差しを武に注ぐ。
 オルタネイティヴ計画直属特殊任務部隊の一員として、20年近く活動してきているにも拘らず、未だ明かされていなかった最重要機密と言われては、皆が真剣になるのも無理は無かった。
 そして、そんな空気を完全に無視する形で、アンドロイドは携帯してきたバックの中身を机に広げ、なにやら作業を開始していたが、その存在にも行いにもこの時点で気にする者は誰一人としていなかったのである。

「今回は、夕呼先生に無理を言って、この場にいる人間だけに対する情報開示の許可を貰って来ました。
 先に謝っておきますけど、機密だったとは言え、長年に亘ってみんなを騙す様な結果になってしまった事を謝罪します。
 本当に、すみませんでした。
 で、何を隠して来たのかと言うと、端的に言って人間としてのオレ―――白銀武は、みんなと出会った2001年の内に、既に事実上死亡していたって事なんです。」

 その言葉が発せられた直後、その場の空気は、多彩な感情の爆発で彩られる事となった。

 みちるや水月、遙、美冴、祷子といった面々は、動揺を強固な意志で自制し、全ての感情を己が身の内へと押し隠した。
 言葉の意味を受け入れる事すら拒みたいのか、泣き笑いの表情を浮かべ、半信半疑でいるのは壬姫、智恵、月恵の3人。
 冥夜、千鶴、彩峰、茜、柏木の5人は、鋭い視線を武に注いで、その真意を窺う。
 そして、言葉の意味よりも、周囲の―――殊に茜の纏う雰囲気の激変に驚き、挙動不審となり慌てて周囲を窺う多恵。
 そんな中、既にその事実を知っていた純夏と霞は悄然と頭を垂れ、美琴は認めたくなかった事実を改めて突き付けられたかのように、常の活力を失い諦念に塗りつぶされたかの如き虚ろな表情を浮かべていた。

 様々な感情が渦巻きながらも、誰一人として声を発する事が出来ない中に武が息を継ぐ音が響き、改めて現実を突き付ける言葉が発せられる。

「そもそも、オルタネイティヴ4は地球奪還、オルタネイティヴ6は月と火星の奪還を目的とした計画な訳ですけど、その為に必要となるBETA情報を如何にして入手するか。
 それこそが、オルタネイティヴ4開始時点での最大の課題だったんです。
 何しろ、あの頃はBETAの生態や思考形態は殆ど不明のままで、僅かに行動特性の分析だけが成果を上げていたような状況だったそうですからね。
 そして、BETAの圧倒的な物量に対して、戦術を用いた質で対抗できなければ勝機を見いだせなかった人類にとって、詳細なBETA情報を入手する事は最優先事項とされていたんです。」

 武は、20年近くもオルタネイティヴ計画直属の特殊任務部隊に所属していながらも、機密の名の下に殆どの情報を開示されずにきた仲間達に、オルタネイティヴ計画に関するあらましを説明していく。

「実を言うと、オルタネイティヴ4以前にも、BETA情報の収集を目的とした計画は幾つか存在し、十分な成果こそ得られなかったものの幾つかの事実らしき情報は得られていました。
 その中に、BETAが人類を生命体として認識していない事や、人間に代表される炭素生命体よりも無機物であるコンピューターに対して、より強い反応を示した事などが含まれていたんです。
 それらの情報を基にして、BETAとのコミュニケーションを確立するには、非炭素構造疑似生命体―――要するに機械仕掛けの人間が適材なのではないかという仮説が導かれたんです。
 そして、その仮説に従って非炭素構造疑似生命体の開発と、それを運用する事でBETA情報を収集し、有効な対BETA戦術を確立しようとした計画が、オルタネイティヴ4だった訳です。」

 荒唐無稽と揶揄された、オルタネイティヴ4の非炭素構造疑似生命体の開発。
 その方針が如何にして導き出されたのかを、武は淡々と語る。
 そして、その流れのまま、武はあっさりと問題の核心を告げた。

「で、ここまで言えば薄々解かっているとは思いますけど、オレは2001年中にその非炭素構造疑似生命体―――生体反応ゼロ、生物的根拠ゼロという特性から、00ユニットと呼称される存在に生まれ変わってたんです。
 生まれ変わったって言っているのは、人間の人格を00ユニットに移植する際に、元になった人体の生命反応が完全に停止してしまう為です。
 あ、ちゃんと明言しておきますけど、オレは事前に全てを承知した上で、自ら志願して00ユニットになっています。
 ―――オレにはそうすべき理由も、そうしなければならない理由も、共にありましたからね。」

 そう言って一旦言葉を切ると、武は顔を覆っていた特殊メイクを無造作に剥ぎ取り、次いで上半身に纏っていた衣服を全て脱ぎ捨てた。
 すると、特殊メイクを剥ぎ取った武の顔は、18歳当時―――20年近くも前と全く変わる事の無い若々しいものとなり、衣類の覆いが無くなり素肌を曝している上半身には、外装の継ぎ目を表すパーティングラインがくっきりと描かれていた。
 そして、その隣には特殊メイクを行ったAI搭載アンドロイドが立ち、30代後半という年相応の顔―――ついさっきまでの武の顔と瓜二つとなって並び立った。

 そうしてみると、先程までの武とアンドロイドが入れ代ったとしか思えず、その事実が2人の武が共に同等の存在―――機械であろう事を十分な説得力を以って皆に知らしめるのであった。
 その後、アンドロイドも再び特殊メイクと上半身の衣服を脱ぎ武と同じ格好となると、最早疑う余地がない程に瓜二つな存在が並び立つ事となった。
 さらに、武が自身とアンドロイドの外装を剥がしてメンテナンスハッチを露出させるに至ると、その場の全員が否応無しに、武が機械の身体と化しているという事実を信じざるを得なくなってしまう。

 それを見て取った武は、衣類を手早く身につけると、若い顔立ちのままで話を再開する。

「そして、オルタネイティヴ4最大の成果とされる戦術立案ユニットってのは、00ユニットの頭脳である量子電導脳の存在を秘匿する為のダミーに過ぎないんです。
 オレが対BETA戦に於いて、常に戦術立案ユニット搭載機に搭乗して陽動を担い続けた理由がここにあります。
 実はこの身体は素材の一部にG元素が使用されている上、世界最高性能どころか桁外れに高性能なコンピューターである量子電導脳を搭載している所為で、BETAを強烈に誘引してしまうんですよ。」

 そう言って武は、今の今までA-01に於いてさえ、最重要装備であるとされてきた戦術立案ユニットが、欺瞞目的の囮に過ぎないと暴露した。
 それを聞いている『イスミ・ヴァルキリーズ』の胸の内には、それぞれ複雑な思いが去来しているようであった。

「つまり、戦術立案ユニットを運用出来る要員がオレだけだったと言うのは表向きの理由で、実はオレ自身がBETAを誘引してしまうもんだから、戦術立案ユニットって言うそれらしい装備をでっち上げて、カモフラージュしてたって訳です。
 みんなには心配かけっ放しで悪かったですけど、ある意味では有人ではなかった訳ですし、勘弁して下さい。」

 そして武は、自分が常に最前線で有人機を駆って任務に従事していた為、仲間達に一際心配をさせ続けてきた事を詫びた。
 しかも、自分は人間ではないのだから、本当は無人だったのだと理由を付けて。

 すると、その言葉を聞いた途端に、片眉を跳ね上げたみちるが、猛然と席を立つと有無を言わせず話し始める。
 言葉遣いこそ、武の懇願により部下に対する物言いにしているものの、常に武を上位者として立てる事を忘れないみちるが、この時ばかりは発言の許可を求めさえしなかった。

「ちょっと待て、白銀。
 話の途中で悪いが、一つだけはっきりと言っておくぞ。
 貴様が人間だろうが機械だろうが、そんな事は貴様が我々の指揮官であり戦友である事に何の関係もない!
 人間じゃないから、有人じゃないから、危険を冒しても問題ない等と、そんな戯言は二度と言うんじゃない、いいな?」

 みちるの真摯な言葉を、そして、真剣な眼差しを受けて、武は眼を数回瞬かせる。
 心の奥深くを大きく揺すられた武は、暫し言葉を失った後で、ようやく掠れた言葉を絞り出す事に成功した。

「…………はい、解かりました。その…………ありがとう、ございます、伊隅大佐。
 ……………………ええと……どこまで話しましたっけ―――ああ、思い出しました。
 ま、まあ、そう言う訳で、戦術立案ユニットの能力ってのは、結局の所00ユニットであるオレの能力の一部で、しかもある程度BETAハイヴの近くに進出しただけで、ヴァルキリー・データの様な詳細なBETA情報を収集する能力まであった訳です。」

 みちるの予想外の言葉に、話の接ぎ穂を一端見失った武だったが、00ユニットならではの記憶力まで動員して、何とか話の道筋を元へと戻した。
 そして、00ユニットの概略まで説明を終えた武は、ようやく本題の1つへと辿り着く。

「で、そんなこんなでオレは人間じゃありませんから、太陽系偵察航宙艦隊に同行する事になっても、生命維持に必要なリソース(資源)を用意する必要がないんです。
 人間を同行させるって事になれば、循環系の維持や、食料品の生産等で多くのリソースを必要としますからね。
 今回の艦隊の真の目的は、太陽系内BETA掃討作戦の戦力構築ですから、例え僅かでも余分な物資を搭載して積載量を潰したくないんですよ。
 それに、火星や、その他に発見されたBETAから情報を収集する為にも、そしてその情報から作戦を立案する為にも、さらに言えば新たに得た情報を基に自律制御プログラムを修正するのにも、オレが居た方が都合が良いですし、オレさえいれば一通りの事は大体賄えるんです。」

 武の主張は理路整然としたものであった。
 例え、改『ギガロード級』航宙母艦が数十年の長期航宙を前提とした移民船であったとしても、人間を搭乗させ生命活動を保持させ続けるには、少なからぬエネルギーと設備、そして物資を必要とする。
 しかし、武が本人の言う通り、文字通り機械であるのならば、それらの生命維持環境の保全に要するリソースは殆ど必要ないのだ。
 しかも、人間でないのであれば休眠も必要無い為、交代要員すら無用となる。

 00ユニットを同行させる事で得られるメリットに対して、コストの少なさたるや実に微々たるものであった。
 ましてや、改『ギガロード』級航宙母艦には、複数存在するエネルギー源の1つに、佐渡島ハイヴで生成されたBETA小型反応炉が含まれている。
 それ故に、00ユニットの生命線であるODLの浄化も問題なく行えるという、実に至れり尽くせりの環境であった。

「だから、オレは艦隊に同行して、人類の将来の為に準備を整えます。
 もし、夕呼先生やオレの予想が外れて、人類が総力を挙げて月や火星のBETAを掃討する事になったら、喜んで装備や情報を提供し最大限の協力を申し出る予定です。
 しかし、もし逆に地球上での安寧に溺れて、目と鼻の先に在る月のBETAすら見て見ぬ振りをすると言うなら―――その時は、オレ達の力だけで太陽系からのBETA掃討を試みるだけです。
 当面、月のBETAは人類同士の争いに対する抑止効果を期待して、癪ですけど好きに活動させておく事にします。
 そして、A-01は人類社会の安定を確立して、人類全体の地力を底上げさせ、BETA掃討に取り掛かれる環境を醸成して下さい。」

 それは、A-01に対する、事実上の月奪還作戦断念を告げる言葉であった。
 その意味を噛み締め、無念の思いに胸を焦がされながらも、それを心中に抑え込んで、提示された内容に対する問を美冴が発した。

「それが―――人類社会の安定確立に努める事が、白銀、おまえが私達に頼みたいと言う事なのか?」

「それだけの筈ありませんわ、美冴さん。それだけでしたら、今までもこれからも、任務として遂行していく事に過ぎませんもの。」

 しかし、美冴の問いに対して祷子が口を挟み、そしてその発言の妥当性を武が追認して語り始める。

「風間中佐が正解ですね。
 宗像中佐の仰った任務は、これまで通り継続して貰いますが、今日わざわざ集まって貰ってまで頼みたかった事は別にあります。
 それは、こいつ―――AI搭載アンドロイドのフォローです。」

 武はそう言うと、何時もとは異なり無表情で微動だにせずに隣に立ちつくすアンドロイドを右手で指し示した。

「こうしてオレの反応パターンの模倣を中止させるとはっきりと解かると思いますが、こいつには人格は存在しません。
 普段は、オレの反応パターンを基にして、統計的に近似となる反応を類推してそれらしく振舞っていますが、独創的な発想なんて出来ませんし、類似データが全く存在しない状況では、独自の判断すら下せないんです。
 ですが、オレが太陽系偵察航宙艦隊と共に出発した事を隠蔽する為には、こいつをオレの影武者に仕立て上げて、数年以上に亘って周囲を誤魔化さないとならないんです。」

 そう言って、武は自分が長年改良を続けて来た、AI搭載アンドロイドを自分の影武者とし、後釜を務めさせると言う無茶なプランを提示して見せる。
 確かに、00ユニットである武が時間をかけて組み上げてきたAIの完成度は高い。
 しかし、それでもAIであるが故に限界があるのだが、それを誤魔化す為の方法を武は見出していた。

「ですから、今後はこいつが判断や振舞いに迷った時には、この場にいるみんなに可能な限り指示を仰ぐようにさせます。
 白銀武と言う個人として相応しい振る舞いが何かについては、同期のみんなや純夏と霞に。
 指揮官としての判断や作戦行動に関しては、伊隅大佐以下大隊長以上のみんなに。
 それぞれ思考波通信と言う特殊な回線で指示を仰がせますから、適宜フォローしてやって欲しいんです。」

 その方策とは、今まで武自身がAIの反応をチェックして、適宜修正し続けて来た方法を踏襲した上で、自身を良く知る仲間達によってその誤謬を正させるという方法であった。
 しかも、その際に用いられるのはリーディング機能とプロジェクション機能であり、事実上他者に傍受される可能性は低い。
 それでも、一応リーディングやプロジェクションは機密事項である為、武は一応の配慮を行い思考波通信と言うそれらしい単語を編み出して、機密事項を秘匿しつつもそれらしく説明していく。

「思考波通信は、人間の脳の言語中枢を直接刺激しますから、丁度幻聴が聞こえた様に感じると思います。
 ちゃんと思考波通信だと解かる様に、最初に定型文を付けさせますから、それで判断してください。
 応答は頭の中で応えを思い浮かべてもらえれば通じます。
 これに関しては、実際に繰り返して慣熟して貰えば、割と簡単に慣れると思います。」

 幸いにして、この段階で武の説明に疑念を抱く者は現れなかった。
 霞への気遣いもあって、それに安堵しながらも、武は話を続けて行く。
 それは事実上の指揮権移譲であった。

「そして、そう言う事情なんで、こいつのフォローと一緒に、A-01の事実上の指揮運用もみんなに委ねたいと思っています。
 書類作成や、事務手続きはこいつに任せて構いませんから、本当に意志決定だけですけどね。
 てことで、オレが居なくなった後、夕呼先生を、A-01を、オルタネイティヴ6を―――そして、人類をみんなに委ねたいんです。
 お願いですから、どうか引き受けてもらえませんか?」

 武が願いを告げ終えると、みちるが再び立ち上がって部下達を―――そして、純夏と霞を見廻して、各々の意志を確認する。
 その後、みちるは一つ大きく頷くと、胸を張って姿勢を正し、『イスミ・ヴァルキリーズ』を代表として武の問いに応えた。

「―――いいだろう。そういう事情ならば、貴様の願いは我々が引き受けよう。
 そもそも、貴様の目指す未来は、我々が望んでいる物に他ならないのだからな。」

 武は、その言葉に深々と頭を下げ、みちるを初めとする仲間達に感謝の言葉を告げる。

「ありがとうございます、伊隅大佐。
 ありがとう―――みんな。」

「何、礼には及ばん。
 だが、この影武者のフォローは何時まで続ければいいのか教えておいて欲しものだな。
 大体の予想で構わないから、何年で帰還する予定なのか教えて貰おう。」

 そんな武の態度に、微苦笑を浮かべながらも、みちるは武の帰還が何時になるかを問うた。
 しかし、返ってきた答えは、余りにも予想を外れたものとなる。

「それは―――オルタネイティヴ6にとって、白銀武という存在意義が無くなるまでです。
 オレは、まず間違いなく帰還しません。」

『『『 ッ!?――― 』』』

 武の応えに、霞を除く全員が、声無き叫びを上げて驚愕する。
 その驚愕をいち早く抑え込んだみちるが、息を整えてから、武に更なる説明を求めた。

「―――なぜそうなる、白銀。無論、ちゃんと説明して貰えるんだろうな。」

 その問いに武は頷きを返し、簡潔に理由を述べる。

「実は―――『エシッド』の構築が終わり、太陽系内BETA掃討作戦の立案も終わった時点で、オレはBETAの資源輸送用射出体の軌道を分析して、その行き先を探索しに行く予定だからです。」

『『『 なっ――― 』』』

 語られた内容の突飛さに、再び絶句する一同。
 視線を落とし、感情を完全に封じ込め、淡々と耳を傾けるのは、事前に全てを知らされている霞だけであった。

「地球に降りて来たBETA。そして恐らくは月や火星に存在するBETAは、資源採掘用の工作システムに過ぎません。
 しかし、人類の保有する機械に、民生用と軍事用がある様に、BETAにも戦闘用に特化したものが存在すると思われます。
 太陽系内のBETAを掃討したとしても、もし戦闘用BETAが存在し来襲してきたとしたら、今までのBETA大戦など児戯にも等しい熾烈な戦争が勃発する可能性が高いんです。」

 人類を滅亡の淵へと追いやったBETA。
 しかし、その本質は資源採掘用の工業システムに過ぎず、採掘時の障害打開の為の拡張機能こそ保持していたものの、戦闘用の機能など徹頭徹尾保有してはいなかったのだ。
 にも拘らず、そのBETAを相手に人類はあれほど熾烈な戦闘を繰り広げ、絶滅の寸前で九死に一生を拾い、地球奪還に成功する事となった。

 なのに、武はそのBETAに戦闘用に特化したものが存在し得ると語り、その脅威に備えなければならないと主張したのだ。
 BETAとの苛烈な戦闘経験を持つが故に、その言葉が『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々に与えた衝撃は甚大なものとなった。

「それに備える為には、太陽系外の探査が必須です。
 ヴァルキリー・データに含まれた情報によれば、射出体の目指す宙域は地球から凡そ10光年の距離に存在します。
 最低でもそこへ辿り着くまでには、改『ギガロード』級の最新型GS(Gravity-gradient Sailing)機関の重力勾配航行でも、片道20年を超える時間を要します。
 そこまで行って、無事折り返してきたとしても返ってきた時には40年以上。
 『エシッド』の構築にかかる年数も合わせれば、恐らく早くても50年は帰ってこれない。
 それに、場合によってはその20光年先の宙域から先に行く可能性もあるし、途中で戦闘用BETAに遭遇したら無事で済む保証もない。」

 そして、武が淡々と述べて行く深宇宙探査の内容は、武の無事な帰還を願う者達にとっては、余りに絶望的なものであった。

「ですから、この深宇宙探査は片道が前提で、可能な限り情報を収集して、それを地球に送信する事が目的なんですよ。
 エネルギーの供給さえ継続すれば、老化する事もないオレだからこそ成功する可能性のある作戦って訳です。
 繰り返しますが、この探査には人類の未来がかかっています。
 しかも、可能な限り早期に行う事が望ましい。御理解いただけますよね?」

 それだけでは飽き足らず、武は更に、その絶望的な計画が人類にとって如何に重要なものであるかまで説き聞かせ、聞く者の反論を封じてしまった。
 その揺らぐ事の無い武の意志を前にして、みちるに出来たのは、形ばかりの確認でしかなかった。
 それは、もしかしたら、みちる自身が納得する為に発した問い掛けだったのかもしれない。

「白銀―――貴様は、貴様自身はそれでいいのか?
 後悔は―――本当に後悔はしないんだな?」

「勿論ですよ。これはオレが望んで、オレが立てた計画です。
 むしろ、障害があれば断固として排除し、必ず成し遂げて見せますよ。」

 そんなみちるの想いを知ってか知らないでか、武は不敵な笑みさえ浮かべて、これこそが自身の望んだ事なのだと断言して見せた。
 その応えに、みちるはこれ以上の追及も説得も放棄して、悲嘆と共に残されるであろう部下への対応を武に示唆するに留める。

「―――そうか……ならば私はもう何も言うまい。
 しかし、そう言う話ならば、貴様は個人として通さねばならない筋がある筈だな?」

 そんなみちるの想いを汲み取ったのか、武はしっかりと頷きを返すと、みちるを初めとする7人に退室を乞うのであった。

「―――はい、解かっています。
 伊隅大佐、速瀬大佐、涼宮中佐、宗像中佐、風間中佐、茜、築地―――申し訳ないんですけど、ここから先は席を外して貰えませんか?」

 そして、ブリーフィング・ルームの残されたのは、武と武に想いを寄せる女性達10人であった―――



「さて、と……こっから先は白銀武って1人の人間―――まあ、正確には元人間な訳だけど―――として話すからな。
 でもって、まずおまえらにはもう一度謝っておく。
 今まで、長い事おまえらの想いに応えられずに来たのは、こういった事情があったからなんだ。
 つっても、勿論今まで何度も繰り返し言って来た理由だって、決して嘘じゃあないんだけどな。
 機密事項だった所為で、はっきり言う事が出来なくて、本当にすまなかった。
 お前らには、無駄に時間を浪費させちまったかもしれないな。ホント、悪かったよ。」

 武は砕けた口調ではあったが、誠心誠意、精一杯の想いを込めて謝罪の言葉を告げた。
 しかし、此処までの話しで溜まりに溜まった憤懣が噴き出したかのような、猛烈な勢いで返ってきた言葉は武が思ってもみなかった内容であった。

「ば、バカにしないでよ!
 時間を浪費しただなんて、そんなこと、思う訳ないよ~。」

 智恵が、普段の落ち着いた風情をかなぐり捨てて、憤然として叫べば、即座に月恵が言葉を継ぐ。

「そうだよ、白銀っ! 例え、想いを受け入れて貰えなかったからって、そんな事関係ないよっ!」

「そうそう、例え白銀くんがとっくの昔に人間止めてたとしたってさ。
 私達が自分の想いと一緒に育んで来た時間が、無駄だったとは限らないよ?」

 さらに晴子が武の思い違いを指摘すれば、その言葉を受けて冥夜が胸を張って自分達の想いを語り、武を叱責する。

「柏木の言う通りだぞ、タケル。
 我等はそなたの肉体を欲して想いを寄せたのではない。
 そなたの在り様を知って、想いを寄せたのだ。
 我等の想いを、軽んじるでないぞ?」

「まあ……見た目もそれなりに大事……
 ……年取って無いから、評価上げちゃう?」

 こんな場合でも、茶々を入れるのを忘れない彩峰に呆れた声を上げながらも、千鶴が武を擁護する言葉を発した。

「また、あなたはそんな事言って……
 まあ、それはともかく、白銀は最初から私達の想いには応えられないって明言してたんだから、理由の一端を隠してたからといっても気にする必要なんて無いわ。」

「そ、そうですよ、たけるさん。
 ミキは、たけるさんが人間じゃなくたって、平気です!」

 千鶴の擁護に壬姫が透かさず同意し、故意か天然なのか、美琴はどこまで本気か解からない妄言を吐き散らす。

「凄いよタケル~。人造人間? 改造人間? 新造人間? 新人類?
 あ~~~~っ! いっその事、ボクも改造してくれてたら、今回の作戦にも同行できたのに~~~っ!!!」

 自分の不義理を責められる覚悟でいた武は、各々が発した言葉の裏に、変わる事無く自身へと寄せてくれる想いを感じ取って、言葉を詰まらせ、胸を熱くする。
 そして、自分は最初の再構成からこの方、仲間達に支えられっ放しだと改めて実感し、感謝の言葉を告げるのであった。

「………………そうか…………悪いな、結局オレは最後の最後まで、おまえらに支えて貰いっ放しみたいだ。
 お前らの言葉が、凄く―――凄く嬉しいよ。
 お前らとの想い出があれば、オレは何十年独りで居たって寂しくなんかならない……ああ、寂しくなんてなるもんか!」

 そんな武に、今日ブリーフィング・ルームに入って以来、初めて視線を上げた霞は、武の心を満たす暖かな色を感じながらも、満面の笑みを浮かべた武の姿を、自身の大事な想い出の一つとして成し得る限り精密に焼き付けようと試みた。

「白銀さん…………」

 霞の万感の想いが籠った呟きに、じっと堪え続けた枷が遂に砕け散ったのか、話の途中ついぞ口を開く事の無かった純夏が言葉を漏らす。

「よかったね―――よかったね、タケルちゃん…………」

 それは、純夏自身の感情などとは関係なく、ただ只管に武の気持ちを慮った祝福の言葉であった。
 しかし、その言葉と共に流れ出している滂沱とした涙にこそ、純夏の心に溢れる想いが込められていたのかもしれない。




[3277] 第137話 どんなときでも ひとりじゃない
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/07/05 17:14

第137話 どんなときでも ひとりじゃない

2020年12月30日(水)

 20時55分、国連軍横浜基地衛士訓練学校校舎1階の教官控え室に、この部屋の主の如くに寛ぐ夕呼と、その夕呼に茶を供するまりもの姿があった。

「なにこれ~。あんた今時、なんでこんな安い茶葉つかってんのよ!
 もっと良い茶葉が幾らでも手に入んでしょ?」

 そして、供された緑茶を啜るなり、夕呼は眉を顰めて文句を言い放つ。
 そんな傍若無人な振る舞いにも、まりもは苦笑を浮かべこそすれ、然して気分を害した様子もなくあやすような応えを返した。

「はいはい。准将閣下のお口には合わないでしょうね。
 けど、一介の軍曹の俸給でそうそう高級品なんて買える訳無いでしょ?
 いきなり訪ねて来たんだから、そのくらい我慢してよ。」

 そんなまりもの言葉に、夕呼はフンと鼻を鳴らすと、腕組みをして即座に言葉を返す。
 まりもの手の内など、お見通しだと言わんばかりの態度であった。

「んなこと言って、あんた顔だけは広いから、あちこちから中元や歳暮で良いもん貰ってんでしょうが。」

「はぁ……だから、そんな良い品、この部屋に普段から置いとく訳ないでしょ?
 あらかじめ知らせといてくれれば、用意しとく事も出来たのに。
 自業自得よ、夕呼。」

 しかし、まりもは溜息を吐き、呆れ返ったと言わんばかりに視線を天井へと向けて肩をすくめると、事前に知らせも無くやってきた夕呼の自業自得だと言い聞かせる。
 さすがにこれには反駁し難かったのか、夕呼は1つ舌打ちをすると、今度は悔し紛れに違う方向から、親友に対する聞えよがしな厭味を並べ立て始めた。

「あ~あ~、これだから貧乏人はいやね~。
 あたしに一言言えば、中尉でも大尉でも、なんだったら少佐にだってしてやるって言ってんのに、若い子目当てで教官職を続けてるってんだから、どうしようもない女よね~。」

「もう、そんなんじゃないわよ!
 ―――それより、今日は一体何の用なの? 携帯情報端末まで持参して。」

 とは言え、夕呼のこの程度の厭味など日常茶飯事であり、とっくに慣れてしまっているまりもは、軽く否定するに留めると素早く話題を転換してしまう。
 その言葉に右の眉を跳ね上げた夕呼だったが、ちらりと持参した情報端末に表示された時刻に目を止めると、肩を竦めて本題を切り出すべくまりもを自身の傍へと招く。

「―――まあ、良い頃合いね。
 まりも、あんたもこっち来てこの画面見なさい。」

「―――これは……もしかして、恒星間移民船を改装したって言う航宙母艦?」

 そして、その情報端末の画面に映し出された映像を見たまりもは、暫し記憶を探った結果から弾き出された推測を口にした。
 それに一つ頷きを返すと、夕呼はまりもの推測を肯定して見せる。

「そ、改『ギガロード』級航宙母艦『バトル・ロード』の1号艦から8号艦よ。」

「改『ギガロード』級航宙母艦っていったら、月攻略用の主力母艦じゃないの。
 それじゃあ遂に―――」

 夕呼の言葉に、まりもはやや興奮した様子で言葉を連ねる。
 しかし、そんなまりもに冷や水をかけるが如くに、夕呼の怜悧な声がまりもの言葉を妨げる様にして投げかけられた。

「違うわ。月攻略は来年度も実施されない。
 この8隻は、これから火星に向かうのよ。」

「火星に? 月の奪還も済まない内に?
 ―――そう、監視網の構築を先行させる事になったのね……」

 夕呼の言葉に、僅かに頭を悩ませたまりもだったが、然したる時間もかけずに自力で真実へと辿り着いた。
 対する夕呼は軽く溜息を吐くと、肩を竦めてまりもの推測を肯定し、更に追加の情報を提供する。

「―――そう言う事よ。
 この航宙艦隊は、火星軌道監視網『ミド』を構築した後、太陽系内の主要惑星を巡って、太陽系内監視網『エシッド』も構築する事になってるわ。」

(―――そう……白銀くん、あなたは、これに乗っていくのね……)

 夕呼の言葉、そしてわざわざ地上に降りて来てまで、この映像を自分に見せていると言う事実。
 これらの情報に、まりもは2週間程前となる17日に、やはり突然自分を訪ねて来た武の言葉を重ね合わせ、公には語られないのであろう真実をも掌中に収めると、感慨深げな視線を旅立っていく航宙母艦群へと向けた。

 あの日、武はまりもに対して、極秘任務でしばらくAI搭載アンドロイドを影武者として、自身はオルタネイティヴ6本部を離れると打ち明けていた。
 苦笑しながら、まりもちゃんの愚痴に相槌を打つくらいだったら、アンドロイドのオレでも出来ますけどね―――と、おどけた調子で言っていた武の姿がまりもの脳裏に浮かぶ。
 太陽系内監視網の構築ともなれば、長期に亘って帰って来れないのだろうと容易に推測できたまりもは、艦隊の帰還予定を問う事で武の帰還が何時になるかを尋ねる。

「で、この艦隊は、何年位で帰還する予定なの?」

「帰還予定は―――ないわ。」

 しかし、夕呼から返って来たのは、簡潔にして予想外な言葉であった。
 その言葉の意味する事実に、さすがに動顛したまりもは夕呼に掴みかかる様にして問い正す。

「ない? 嘘でしょ!? 無補給で物資が持つ訳―――」

 だが、夕呼はそんなまりもを一顧だにせず、淡々と告げるべき言葉を連ねて行く。

「この艦隊は無人の自律艦隊だから、物資の補給は太陽系内の各宙域に存在するアステロイド(小惑星)で済ます予定よ。
 一々、地球圏まで戻らせてたら時間の無駄だからね。
 あとは―――そうね、中には太陽系の外まで飛んでく事になる艦(ふね)も出て来るかも知れないわね~。」

 そして、まりもにとっては、その言葉だけで状況を十分に察する事が出来た。
 いっそ、理解出来なかった方が良かったかもしれないとの思いが、一瞬まりもの脳裏を過りはしたが。

 理解すると同時に、まりもは瞬時に平静を取り戻し、大きく息を吸うと穏やかな口調で改めて夕呼へと話しかける。

「―――そう、壮大な計画なのね。
 そんな計画が存在して、しかも今日発動されるだなんて、思いもよらなかったわ。
 わざわざこれを見せる為に来てくれたのね。夕呼、感謝するわ。」

 伝えたいと思った内容をしっかりと理解した上で、全ての感情を内面へと押し隠し、自身への礼を述べるまりもに、夕呼は薄く笑みを浮かべると軽く右手を振って応えた。

「ただの気まぐれよ。気にする事ないわ。
 それより、しっかりと出航を見送って、あたし達の偉業を讃えなさいよね!」

 それから暫く、まりもと夕呼は互いに一言も言葉を発しないまま、静かに航宙艦隊の出航風景を見守るのであった。
 まるで、黙祷を捧げるが如くに―――

  ● ● ○ ○ ○ ○

2021年01月01日(金)

 12時47分、帝都城奥の院の一室で、昼餐会を終えた悠陽と冥夜が、この部屋で2人を待っていた武の影武者アンドロイドと合流し食後の茶を嗜もうとしていた。

「ところで、冥夜。今頃、白銀は火星に着いている頃でしょうね。」

 新年祝賀の儀を初めとする年賀の行事を済ませた後、例年に倣って内々に設けられている悠陽との歓談の場に臨んだ冥夜は、給仕の奥女中が席を外すなり開口一番で悠陽が告げた言葉に瞠目した。

「―――姉上、御存じでしたか。」

 武本人の不在を隠す為、例年であれば同行していた武の代わりに、AI搭載アンドロイドを伴って帝都城を訪った冥夜だったが、既に悠陽が情報を得ていると知るとアンドロイドに思念で指示を送り武の模倣を中断させた。
 それにより、つい今し方まで存在した人間味は一気に拭い去られ、アンドロイドはマネキンの如き無表情を晒して無駄な身動きを停止させる。
 それに対して、冷やかな一瞥を送った後、悠陽は冥夜に向き直って事情を語り出した。

「昨年の地球奪還祝賀会の折、そなたが席を外していた時に白銀から話は聞き及んでいます。
 オルタネイティヴ6は国連直轄故、我が国に機密を漏らす義理など無いでしょうに、それとなく知らせてくれました。
 本当に、あの者の人類への献身には、頭が下がる想いを禁じ得ませんね。」

 地球奪還祝賀会の折も、武と冥夜は今の様に内々に設けられた席で、悠陽と歓談する機会を得ていた。
 その最中、悠陽の許しを得た冥夜は、悠陽の娘である白夜に会う為に小一時間ほど席を外した為、悠陽と武が2人切りで歓談する事となった時間があった。
 悠陽は、武に個人的に白夜と見(まみ)える機会を与えようとはしなかった為、その様な仕儀となっていたのである。

 それは、白夜の出生に関する秘め事に、一向に気付く素振りもない武に対する、悠陽なりの気遣いであったのだろうと冥夜は思っている。
 それ故に、悠陽の心情に踏み込む事は控え、冥夜はその言葉に応じるのみに留めた。

「まことに、仰せの通りです。
 今頃は、火星軌道監視網の設置作業に入っている事でしょう。」

「そして、その後は更に先へと赴くのですね?」

 遠く、帝都城の壁も天井も全て見透かし、宇宙を越えた先を見据えているかの如き視線を悠陽は中空へと投じた。
 その視線に、そして言葉に込められた万感の想いに共感しつつも、冥夜は言葉少なに応じ微かに顎を引いて見せた。

「―――はい。」

 その、冥夜の僅かな言葉と所作に、自身と同様に渦巻く心情を感じ取った悠陽は、一つ頷きを返すと一先ず話題を転じる事とした。

「そうですか。では、白銀の武運長久を祈ると致しましょう。
 ―――ところで冥夜。話は変わりますが、午後の行事も一通り終えた後で、白夜に会ってやってくれますね?
 あの子は、そなたに強い憧れを抱いていますから、見える(まみえる)機会を楽しみにしているのですよ?」

 この年17歳となる白夜は、悠陽の薫陶の故か、冥夜を崇拝する者が多い斯衛の衛士等と接する機会が多い為か、冥夜を心の底より慕い強い憧憬の念を抱くようになっていた。
 最近では、冥夜と語らうだけでは飽き足らず、木刀を振るっての立ち合いまで請うようになっている。
 才能豊かとは言え、白夜の技量では未だに冥夜には遠く及ばないのだが、稽古を付ける機会も中々得られない冥夜は、白夜の請願に負けて立ち合いに応じる事が間々あった。

 恐らくは、会えば新年早々に、また立ち合いをせがまれるなと思いつつも、白夜の願いを無碍にするつもりなど冥夜には一欠片とて存在しはしなかった。
 とは言え、武の影武者として伴なったアンドロイドを単独で帝都城より帰す訳にもいかない為、冥夜は一旦帝都城を退く旨を悠陽に伝える。

「無論です、姉上。しかしタケル…………『この』タケルは先に横浜基地へと帰還しますので、私も一旦は共に帝都城より下がらせて頂きます。
 その後、仲間と合流してタケルを引き継いだ後で、今一度こちらに戻らせて頂きたいと存じます。」

「そうですか。その者も、人類にとって重要な意味を持つ存在故、そなたらも気が休まる暇がありませんね。」

 そんな冥夜の言葉に、武本人でないと知りながら―――否、知らされているからこそ、生き写しであるアンドロイドの面倒を委ねられている冥夜を初めとした女性達の心情を、悠陽は慮り(おもんばかり)労わる言葉を述べた。
 しかし、労わられた冥夜は莞爾とした笑みを浮かべると、己が信念に裏打ちされた言葉を返す。

「なに、この程度、大した事ではありません。
 我等はタケルに託された勤めを、全力を挙げて果たすのみです。」

「―――そなた達は…………
 それ程の想いを寄せられているとは、白銀はまことに果報者ですね。」

 だが、その想いが一途であると感じるが故に、悠陽は武への叶わぬ想いを抱き続ける女性達に、強い感銘を受け深く共感する。
 その想いを、何処まで察しているのかはいざ知らず、冥夜は誇らしげな表情を浮かべて武を嬉しそうに褒め称す(ほめそやす)。

「あの者は―――タケルは得難き男(おのこ)ですからね。
 我等にとっても、そして、人類にとっても……」

「そうですね……まこと、冥夜の言う通りです。
 ―――ところで、冥夜は子を生すつもりはないのですか?」

 冥夜の言葉に、素直に同感の意を示した後、悠陽はふとここ数年来の懸念を、思い立つままに冥夜へと問いかけてしまった。
 それは、自身の内に潜む疚しさが成さしめた事だったかもしれない。

「―――そうですね。御剣家の嫡子は既におります故、我儘を通そうかと思っております。」

 しかし、その問いに対する冥夜の応えは、悠陽をしてやや意外の念を禁じ得ない物であった。

「我儘―――ですか?」

「はい。恐らく、タケルは良い顔をせぬでしょうから。
 ですから、これは私の我儘なのですよ、姉上。」

 我儘とは、冥夜という人物には相容れぬと言って良い程に縁の無い言葉。
 そう思ったが故に、腑に落ちぬ思いを抱いた悠陽だったが、それも冥夜の言葉を聞いて氷解した。
 これは、冥夜ならではの惚気なのだろう―――そう思うと、悠陽の唇は自然と綻び、笑声がその口より漏れだすのを抑えられなかった。

「ふふ……なるほど、そうですか……
 そなた一世一代の、我儘なのですね、冥夜―――」

 そう言って、嫣然たる笑みを浮かべる悠陽に対し、強い意志を込めた頷きを返すと、冥夜もまた莞爾たる笑みを満面に浮かべるのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2021年01月15日(金)

 11時32分、帝都は赤坂に居を構える榊邸を、1人の客人が訪っていた。

「―――それにしても、貴女が私の家を訪ねて来るだなんて、思ってもみなかったわ。」

 日本庭園風に整えられた庭に設けられた茶室で、茶を立てている千鶴は視線を手元に据えたまま逸らさずに、静かな口調で客人へとそう語りかける。
 そして、茶碗をそっと差し出し楚々と一礼した後、ようやく視線を上げて客人を見据える。
 その視線の先で、客人は端然とした振舞いで茶を飲み干すと、作法通りに茶碗を返し一礼してから固く結んていた唇を開いた。

「―――ついでがあっただけ……」

 素っ気なく、呟く様に言葉を返す客人は、千鶴にとって衛士訓練校以来の同期にして戦友の一人たる彩峰であった。
 衛士訓練校時代より、犬猿の仲として事あるごとに角を突き合わせて来た間柄でもある千鶴は、彩峰の少な過ぎる言葉の裏に潜む真意を巧みに読み取り言葉を継いだ。

「―――ついで、ね。
 それで? その『ついで』のついでに、何か耳寄りな話でも持ってきてくれたんじゃないのかしら?」

 牽制のつもりで放った言葉を軽くいなされた彩峰は、軽く眉を寄せて不機嫌な表情を露わにしたものの、千鶴に伝えるべく携えて来た情報を口にした。

「………………『ミド』が完成した。
 ……艦隊は、火星周回軌道を離れて、アステロイドベルトに……
 それから…………社が、元気だったって、言ってた……」

 敢えて主語となる個人名を排除した言葉に、千鶴は視線を伏せると深く頷いて言葉を返した。

「そう。艦隊の方は順調の様ね。
 私も、根回しを少し急ぐとするかしらね。
 ところで彩峰、貴女とは勝負の決着が着いて無いから、一応事前に教えておくわね。
 この春に、結婚する事にしたわ。相手は新進気鋭の若手政治家で―――」

 やや唐突に変えられた話題の内容に、一瞬だけ目を見開いて意外の念を漏らした彩峰だったが、即座に勝ち誇った様な笑みを湛えると、得意げに言い放つ。

「そう……じゃあ、私の勝ちだね……」

 これにはさすがにカチンと来たのか、千鶴は反射的に語気を荒げて噛みつく様に否定する。

「違うわよ! そんな訳ないでしょっ!?」

 そんな千鶴の様子に、笑みを深めた彩峰は、更に挑発するかのような言葉を告げる。

「負け惜しみ……」

「だからッ!―――っと、落ち着け、落ち着くのよ、私―――
 ふぅ…………それは、少し早計というものよ? 彩峰。」

 彩峰の挑発に、更にヒートアップしかけた千鶴であったが、なんとか自制すると平静を取り戻す。
 そんな千鶴に詰まらなそうな表情を浮かべた彩峰は、目を糸の様に細めると手の平を千鶴に向けて半ば諦めながらも、からかい交じりの言葉を投げかけた。

「無理すんな……」

 しかし、しっかりと自身の心の手綱を取り戻した千鶴は、不敵な笑みを浮かべ腕組みし、眼鏡を白く反射させると悠然とした口調で言葉を返した。

「無理なんて、してないわよ?
 話を戻すけど、さっき言った結婚は完全に政略上の同盟みたいなものでね。
 相手とは、夫婦別姓の上で、互いの家の嫡子はお互い別に用意する事で合意してるのよ。」

 そして、自身の結婚が形だけの物に過ぎず、彩峰との勝負には影響しないと語る千鶴に、彩峰は汚らわしいと言わんばかりに表情を歪めて吐き捨てる。

「薄汚い……これだから政治家は碌でもない……」

 が、そんな彩峰の言葉等には取り合わず、千鶴は一方的に自身が伝えたい言葉を連ねていく。

「まあ、先方も熱烈に想っている方が居るみたいでね。
 でも、政治家として大成するには、家格が釣り合わなかったものだから―――
 そちらの方との間で生まれた子は、養子に迎える事になっているの。
 そして、私は―――香月博士に依頼して子を生す事にしたわ。」

 互いに相手の言葉を聞き流しつつ、言いたい言葉ばかりをぶつけ合う様な会話を交わしていた彩峰と千鶴だったが、千鶴が一拍置いて放った最後の言葉は、彩峰をして聞き流す事が出来なかった。

「ッ―――そう……」

 一瞬だけ、眉を顰めた後、何とも思っていないかのような表情を大急ぎで取り繕い、素っ気なく頷く彩峰。
 しかし、そんな彩峰に何処か案ずるが如き視線を投げると、千鶴はやんわりと問いかけた。

「彩峰、あなたは香月博士に頼んだりはしないのかしら?
 それとも、沙霧さんの想いを受け入れるの?」

 その問いに、彩峰はフッと溜息の様な笑声で応じると、即座に千鶴の最後の問いを否定する。

「ありえない……尚哉とはとっくに話が済んでる……
 けど、子供は………………」

 しかし、最初の問いに対しては、僅かに言い淀み悩む素振りを見せた彩峰に、千鶴は共感を抱いているかの様に、優しく悲しげな笑みを浮かべるとそっと言葉を紡ぎ出す。

「―――そう。それも一つの選択ですものね。
 私は、榊家を私の代で終わらせるのが忍びなかったから、産む事にしたけど……
 そうね、それがなかったら、私もあなたと同じ選択をしたかもしれないわね……」

「白銀は、今も……これからも、ずっと独り………………」

 常の2人の間柄ではありえない程に優しげな、互いの想いを共有するが如き一時の中で、千鶴と彩峰は今は遠く離れている武を想う。
 武への想いを共有する時に限り、千鶴と彩峰は互いを許容し共感を感じる事が出来るのかもしれなかった。

「―――そうね。
 でも、それくらいで挫ける様な白銀じゃないでしょ?」

「………………そう、だね……
 用は済んだ……帰る……」

 そして、2人が揃って想いを寄せる相手は、朴念仁の変人ではあっても、容易に信念を違える事の無い、強い意志を有する男性であった。
 それを2人して確認し合ったところで、一時とは言え馴れ合いを演じた自分を恥じるかのように、ぶっきらぼうな言葉で辞去の意を示した彩峰を、しかし千鶴がやんわりと押し留める。

「ふふっ、せっかちな女性(ひと)ねえ。
 折角来たんだから、お昼位は一緒に食べて行きなさいよ。
 もう、料亭に仕出しを頼ませてあるから、食べてってくれないと無駄になっちゃうわ。」

 そんな千鶴の言葉に何を感じたのか、彩峰は眉を上げて意外そうな表情を浮かべた後、一つ合点がいった様に頷くと、ニヤリと笑みを浮かべて千鶴の提案を受け入れた。

「……仕方ないね……食べたげるよ……」

「ふふふっ……ありがとう、と、言っておくわね。一応は。」

 そうして、この日の昼餉を2人は共にする事となった。
 尤も千鶴も彩峰も、向き合う互いの姿の向こうに、食事を共にする機会を永久に失った、共通の思い人の姿を透かし見ていたのかもしれない。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2021年02月26日(金)

 グリニッジ標準時:18時42分、ラグランジュ点、オルタネイティヴ6本部航宙母艦『ギガロード』内の展望ラウンジに壬姫と美琴の姿があった。

「え~と、こうして……あ、ほら壬姫さん、木星だよ!
 50分遅れの映像か~、『バトルロード』が手前に居れば映ってる筈なんだけど……」

 航路監視用の光学センサーを転用した展望サービスの機能を操作した美琴が、声を弾ませて壬姫を呼んだ。
 展望ラウンジのスクリーンには、美琴の操作の甲斐あって、木星が画面一杯に縞模様までくっきりと映し出されていた。
 そして、美琴の呼びかけに、その隣へと駆け寄り真剣な眼差しでその映像をじ~っと見詰めていた壬姫が、その1点を指差して声を上げた。

「あ! 鎧衣さん、これそうじゃないですか?!
 ここですっ!―――あ、やっぱりそうだぁ~。」

 縞模様の手前に浮かぶ、小さな点の様な物体を見つけ出した壬姫の指摘に従い、美琴が映像を拡大していく。
 すると小さな点に過ぎなかったものが、何処か武骨な人工物としての輪郭を徐々に明瞭にしていく。

「うん、間違いないね。改『ギガロード級』航宙母艦が3隻映ってるよ~。
 木星には5隻で向かった筈だから、この3隻に当りが含まれてるかどうかまでは解からないけどね。」

 それは昨年の末に、今壬姫と美琴が居るラグランジュ点を旅立っていった、航宙艦隊を構成する8隻の艦(ふね)、その内の3隻であった。
 壬姫と美琴がその映像に真剣な眼差しを注いでいるのは、その中の1隻に彼女達の思い人である武が、極秘裏に搭乗している可能性が高いからであった。

「でも、まだタイムラグ50分で通信が確立されてるんですよね?」

「うん。午後の定時報告では、木星の調査を終えたから、明日には土星に向けて出発するって……」

 とは言っても、現状では航宙艦隊―――武とはちゃんと通信が行われており、その安否は判明している。
 しかし、オルタネイティヴ6実働部隊の中核を成す『イスミ・ヴァルキリーズ』と呼称される14名の猛者であっても、その通信内容が逐一知らされる事は無い。
 A-01に於ける諜報要員の統括を担っている美琴であればこそ、その概略程度は知り得るものの、その内容は計画の進行状況を把握できる程度の情報に留まっていた。

 実際には、それに紛れて武からの私信とも言える、リーディングデータ形式の近況報告も含まれているのだが、これを解析できるのは霞しかいない。
 その為、霞以外の面々は、武の近況については、霞から入手方法の説明抜きで語られる話を、鵜呑みにするしかないのであった。

 それ故に、こうして航宙母艦の健在という安否情報の一端を自分達の眼で確認出来たともなれば、少しでも心が安らぐというものであった。
 それでも、美琴の語る情報は、2人が案じる武が更に遠くへと離れて行ってしまうという冷厳足る事実を突き付けて来る。

「BETAは木星の大型衛星にも存在したって聞いたんですけど……」

「うん。イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストの4衛星でハイヴの存在が確認されたって。
 さすがに、木星には存在しなかったらしいけどね。」

 しかも、武の安否情報だけではなく、人類の旧敵たるBETAが、既に知られていた月と火星以外にも存在している事までもが、送られた情報から判明してしまっている。
 地球上のBETAを排除するのにかかった年月と犠牲、そして、未だに月のBETAすら殲滅できていない状況を思うと、太陽系に存在するであろうBETAの総数が増えていくという事態に、寒々しい思いを禁じ得ない2人であった。

 とは言え、重力、気圧、温度と、いずれも過酷な環境である事が明白な木星の大気圏内に、BETAが少なくとも現状では存在しないと判明したのは一応明るい情報ではある。
 尤もそれは、他方では木星の大気圏内や中心核での戦闘までも視野に入れていた武の計画が、過剰な予測に基づいたものであるという結論にも結び付きかねない情報でもあった。

「じゃあ、たけるさんが木星の大気圏内での戦闘を想定して、戦略航宙機動要塞の量産を目指したのは、無駄に―――」
「しッ! 駄目だよ壬姫さん、迂闊な事言っちゃ。」

 それ故に、武の計画が被る影響についてつい所感を述べてしまった壬姫の言葉を、透かさず美琴が叱責して中断させた。

 戦略航宙機動要塞等と言う兵器もしくは装備は、国連軍には存在しない。
 しかし、その名称は大陸奪還作戦に於いて威力を発揮した、戦略航空機動要塞『凄乃皇』を容易に想起させる。
 その量産計画はおろか、存在自体が自分達の本来属する国連に対してですら極秘である為、容易に口に上らせてはならないのであった。

 美琴の言葉に、直ぐに自身の失言を悟った壬姫は、辺りを見回してから素直に頭を下げる。

「あ……ご、ごめんなさい。」

「一応、枝払いはしてあるけど、諜報戦は気を抜いたら負けだからね。
 けど、推進剤の噴射による反動推進に対する重力勾配推進の優位性は揺るがないから、あながち無駄にはならないんじゃないかな。」

 一応叱責したものの、実を言えば現状に於ける防諜態勢については、美琴は十分安全であろうと判断している。
 武に衛士と諜報畑の兼任を請われて以来、長年に亘って培った経験がその判断を支えていた。
 それ故に、壬姫に釘を刺した後は、曖昧な言い回しを選んではいても、壬姫の疑問に対する十分な応えとなる言葉を美琴は発する。

 その気遣いが効を奏したのか、少ししょげていた壬姫も気を取り直し、再び会話が弾み始める。

「そ、そうですよね!
 それに、たけるさんの事ですから、最新情報に合わせてちゃんと計画の刷新もしてますよきっと。」

「そうだね~。タケルってそう言う所、すっごくマメだからね~。
 それにしても、次は土星か~。タイタン辺りにはまず間違いなくいそうだけど、レアとかの直径1000から1500km辺りの衛星はどうかなあ。」

 とは言え、やはり気にかかるのはBETAが、何処にどれだけ存在するかに尽きる。
 否、何よりも気にかかるのは武の安否なのだが、それを口に出して明言する訳にはいかない以上、次点であるBETAに関する話題に終始しがちとなってしまうのであった。

「やっぱりBETAは、惑星や衛星のサイズによってハイヴを建設するかを選択してるんでしょうか~。」

「一応、ヴァルキリー・データに着陸ユニット射出先選定ロジックが含まれてたらしいんだけど、その辺りは未公開なんだよね~。
 火星で収集されたBETA情報―――マルス・データを分析して、内容照合が済んだら発表されるかもしれないけど……」

 地球、月のオリジナルハイヴに続き、武は火星のオリジナルハイヴからもリーディングデータの収集に成功していた。
 それらは既に夕呼の許に届いており、霞の協力を得て日々解析と照合が進められている。

「そっかぁ~、木星圏でもBETA情報を収集したんでしょうし、もうBETAに関して解からない事なんて無いかもしれませんね~。」

「ところが、それがそうでも無さそうなんだよ。
 ガスジャイアント(巨大ガス惑星)や、アイスジャイアント(巨大氷惑星)の大気回収用BETA種と思われる情報があるらしいんだ。
 少なくとも、現時点じゃまだそのBETA種は木星には存在しないみたいだけどね。」

 現状では解析作業が未だ完了していないが、木星圏では更に4つの大型衛星に存在したオリジナルハイヴからもリーディングデータが得られている。
 これら7種のリーディングデータの照合が終われば、ハイヴを建設した環境に左右されない、BETA行動特性の根幹となる基本行動特性の抽出が達成されると期待されていた。
 因みに、地球以外の火星や各衛星では、各々3つ存在するオリジナルハイヴの全てからリーディングデータが収集されているが、同じ環境下である場合は異なるオリジナルハイヴであっても、得られる情報には然したる差が生じていないことも判明している。

 そして、上位存在の保有情報に存在していながらも、現状ではその実在を確認できないBETA種に関する情報もまた、徐々に明らかになりつつあった。

「じゃあ、もしかしたら、土星や天王星、海王星辺りに行ったら……」

「うん。居るかもしれないんだよ。だから、そう言う意味でも計画の早期変更は無いんじゃないかな。
 あ、計画って言えば、智恵さんと月恵さんが長期休暇の申請を出してたけど、壬姫さんはいいの?
 確か、壬姫さんも独身出産するってこないだ言ってたよね?」

 そして、話の流れがやや深刻な方向に進んでしまった事を気にしてか、それとも美琴一流の単なる気紛れの所為なのか、理由は判別し難いものの、唐突に話題が卑近なものへと急転換されてしまう。
 その急激な話題転換に、やや振り回されながらも、壬姫は苦情を申し立てる事すらせず、真摯に応じる。
 それは、壬姫にとっても重要な事柄であり、そして武に対する申し訳ない様な想いを想起させる話題であった。

「え?―――う、うん……ホントはね? わたしはたけるさんに黙ってっていうのには、ちょっと抵抗あるんだ~。
 けど、パパがどうしても孫が欲しいって言うし、かと言って、他の男性(ひと)の子は嫌だから……
 でも、何も知らされないたけるさんが、ちょっと可哀想だよね……」

「うん。でも、しょうがないよ。香月博士が絶対に言っちゃ駄目だって言うんだから。
 けど、なんでそこまで秘密にしなきゃなんないんだろうね~。」

 地球奪還の後、夕呼は『イスミ・ヴァルキリーズ』を退役が決まっていた4人も含めて一堂に集めると、武に対しても秘密厳守と言い渡した上で、武を初めとする優秀な人材数名の遺伝子情報が提供可能である事を明かした。
 その上で夕呼は更に、異性間や同性間での遺伝子情報の組み合わせや、1個体の遺伝子のみを基にした受精卵の人工生成と、適度な遺伝子変異の誘発による個体差の形成までが可能となっていると語り、希望があれば『イスミ・ヴァルキリーズ』に対して、無償でその技術を提供する用意があると語ったのである。

 夕呼の話が事実であれば、雄性化因子を持つY染色体が存在しない女性同士や、女性単体の遺伝子を基に生成された受精卵であっても、遺伝子変異の誘発により男子が生まれる可能性が生じ、また、1個体の遺伝子のみを基に生成された受精卵であっても、遺伝子提供者と全く同じ遺伝形質とならずに済むという事になる。
 これは実に驚異的な話であったのだが、『イスミ・ヴァルキリーズ』の意識はそんな事よりも、武の遺伝子提供は本人に対する秘匿が絶対条件であるという夕呼の主張の方が重大事項であった。

 武に対する裏切り行為とも取り得るこの内容に、『イスミ・ヴァルキリーズ』の中でも激論が交わされる事となったのだが、最終的には個々人が自身で判断し、他の者はその決定に異論を唱えないと言う方針が採択されるに至った。
 因みに、この議論に対して多恵だけは参加せず、終始自身の脳内で繰り広げられる妄想で笑み崩れていたのだが、それを気に止めた者は茜も含めて1人も居なかった為、問題と見做される事はなかった。

「ホントに、どうしてなんだろうね~。」

 壬姫と美琴は顔を合わせて首を捻る。
 実はとっくに人間を止めて、00ユニットという機械仕掛けの身体に生まれ変わっていたのだと武から打ち明けられた時、壬姫は心底驚いた。
 しかし、どうやら武の秘密はこの期に及んで未だ何かありそうなのである。

 一体何処まで常軌を逸した存在なのだろうかと、壬姫は武の面影を思い浮かべながら、改めてそう想うのであった。

  ● ● ○ ○ ○ ○

2021年04月02日(金)

 グリニッジ標準時:18時42分、ラグランジュ点、オルタネイティヴ6本部航宙母艦『ギガロード』内の、士官用居住区に位置する晴子の個室を、智恵と月恵が訪ねていた。

「ねえ、晴子~。本当に~後悔しない?」

 室内に招き入れられ、椅子に腰かけるなり、開口一番で智恵はそう晴子に訊ねた。
 やや唐突な問い掛けであったが、既にこの話題の前振りは、この場のセッティングを行った時に済んでいた為、晴子は意味を取り違える事もなく的確な応えを返す。

「う~ん、何て言うか、あたしはさ、家(うち)の親族相手に大分嫌な思いをしたからね。
 あんまり、子供産んで育ててって、そんな気にはなれなくってさ。
 それに、子供は上の弟が5人もこさえてるしね。」

「上の弟さん? ああっ! そう言えば、まだ大陸反攻作戦の真っ最中にっ、結婚してたっけね!
 帝国本土の安全がっ、一応確保された頃だっけ?」

 晴子の言葉を聞いて、ふと思い出した記憶に月恵が話題の表通りを外れ、脇道へと突っ走って飛び込んでしまう。
 しかし、晴子は全く動じることなく、そんな月恵の脇道まっしぐらな問いにもしっかりとした答えを返した上で、話題をさり気なく元の方向へと修正する。

「そうそう、2006年ね。重慶ハイヴ攻略のちょっと前だったから、良く覚えてるよ。
 あの子がしっかりと柏木家の家を継いでくれたもんだから、あたしやテルは独り身でもなんとか肩身の狭い思いをしないですんでる。
 まあ、何にも言われないって訳じゃあないんだけどね。」

 だが、そんな晴子の気遣いも、智恵の天然によって無駄に終わった。
 何時の間にか大元の質問をした当の本人である智恵の興味は、晴子の下の弟である照光と霞の恋愛事情へと移ってしまっていたからだ。

「あ~、そう言えば、照光君も霞ちゃん一筋で、他の娘には目もくれないよね~。
 男女比率も~、照光君の年代だとあまり偏ってはいないけど~、それでも独身なのは勿体無いよ~。」

「うんうんっ! 照光君て結構モテるのにさっ。勿体無いよねっ!」

 そんな智恵の発言を受けた月恵の発言が、更なる話題の脱線を誘発する。
 しかし、そんな2人との付き合いも既に20年以上となる晴子は、全く気に病む事なく再び話題の軌道修正を試みた。

「ま、そうなんだけど、あたしは何か言える立場じゃないからね。
 なんたって、40間近で結婚どころか子供も産まないってんじゃね。」

 そんな晴子の努力が今回は見事に実を結び、話題は再び本題である子供の出産へと立ち戻り、智恵が白銀武研究会会員の選択結果に言及する。

「う~ん…………結局~、白研(白銀武研究会)の会員で子供産むって決めたのは、私と月恵に榊さんと珠瀬さんの4人だけか~。
 みんな淡白って言うか~、一途って言うか~、う~ん……」

 智恵としては、武という大黒柱が不在であっても、白銀武研究会の全員で夫不在の多夫妻の様に、大家族の様に暮らせるのではないかと、そんな想いを抱いていた為、現状には些かならず不満を感じていた。
 元々、月恵と共に武に告白したり、早期から純夏を引き摺りこんで共同戦線を展開したりしていた事もあり、智恵には武を独占したいという想いがかなり希薄である。
 その理由の一端には、他の恋敵達を敵に回して、自分が武を独占出来るだけの自信がないという、内心の不安も存在していたりする。

「まっ、しょうがないって! なんたって、白銀君と比べちゃったんじゃ、他の男なんて見劣りしちゃうもんねっ!」

 そんな智恵の想いとは関係なく、月恵の裏表の全くない発言に、智恵は自嘲を含んだ苦笑を浮かべる。
 とは言え、月恵の言っている内容には、全面的に異論の無い智恵であった。

「まあ、確かにそれはあるよね。
 軍人としての功績や能力だけでも同年代じゃ突き抜けてるのに、あの独特の為人を気に入っちゃうと、ちょっと他の男じゃ物足んないよね。
 その白銀君と、20年近くも親しく過ごせたんだから、それだけでもあたし達は運が良い方だと思ってるんだけどね。」

 そして、そんな感情優先の月恵の発言を、晴子の言葉が論理的に補強していく。
 しかし、その言葉の中には、諦めと言う要素が多分に含まれている様に、智恵には感じられてならなかった。
 とは言え、思い返してみれば、自分が月恵と共に武に告白した時点で既に、自身の心の中にはどっかりと大きな顔をして諦念―――絶望が居座っていたではないか。

「そうだよね~。白銀君と会ったばっかの頃なんて~、何時死んでもおかしくないと思ってたもんね~。」

 過去の自分の心境に想いを馳せながら、智恵がぽろりと洩らしてしまった独白紛いの発言に、月恵が何時もの軽いノリで同意して見せる。

「ほんとっ! 結婚だなんて、夢物語だと思ってたからねっ!
 甲21号作戦の前夜に告白した後なんてさっ、これで死んでも悔いは無い! とか、本気で思ってたしねっ!」

 そう言う月恵の言葉は明るく威勢のいい口調であったが、内容はとても明るいとは言い難いものである。
 精々が、空元気か、負け惜しみに類する内容であろう。
 しかし、それを聞いて智恵は思う。
 自分達は何時の間に、絶望を過去へと振り棄てて来たのだろうかと……

 少し、自身の物思いに沈む智恵を横目で見ながら、晴子は本音を少し洩らしながら、武の置かれている現状を簡潔にまとめて見せる。

「けどまあ、こうして離れてみると……ちょっと、寂しいかな。
 白銀君は、とうとう冥王星も越えて太陽系外縁天体の小惑星群を巡りながら、観測補給拠点を敷設してく段階に入ったからね。
 これから先は、何年かかけてエッジワース・カイパーベルトを飛び回って、事実上の太陽系外縁警戒網を構築するって言うんだから、壮大な話だよ。
 通信タイムラグも時間単位になっちゃってるし、これ以降は相互にデータを送信しあうだけになるってさ。
 しかも、重力勾配航行中は通信途絶しちゃうしね。」

「白銀くんの献身には頭が下がるけどさっ!
 やっぱ、取り残された感は否めないよねっ!」

 そんな晴子の話しの内容に、武との距離を再認識したのか、それとも最初に晴子が洩らした心情に共感したのか、月恵が少し拗ねたような物言いをした。
 それを聞いた智恵は、月恵の少し沈みこんだ気分を察し、親友を慰めようと言葉をかける。

「そうだね~。でも~、それは今更言っても、仕方ない事だから~……」

「そう言う事。どっちにしろ、あたし達は白銀君の居ない時間を精一杯生きるだけだよ。」

 世に、子は鎹(かすがい)と人は言う。
 例え離れてしまっていても、子供の存在があれば、武への想いを忘れずに済むだろうと智恵は考えている。
 しかし、それは同時に、鎹―――2本の木材を繋ぎ止める釘の様な存在が無ければ、自分は武への想いを忘れてしまうかもしれないと言う恐れの裏返しでもあった。

 人の心は遷ろうもの。
 何時かは武という輝かしい光の記憶も薄れ、自分の想いも揺らぐのではないか、そんな恐れを智恵は薄らと感じていた。
 だからこそ、子と言う絆を望まない晴子を案じると同時に、そんな証しなど必要としない強い想いに羨望を感じるのかもしれない。

 それでも、智恵は自分が武の血を引いた子供と言う鎹を求めた事で、一応の安堵を得る事が出来た。
 恐らくこれで、自分は武への想いを忘れる事は無いであろうと……
 そう思って、笑みを浮かべる智恵を、晴子が全てを丸ごと包み込むかの如き、暖かな視線で見守っていた。

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2025年10月24日(金)

 グリニッジ標準時:22時02分、ラグランジュ点、オルタネイティヴ6本部航宙母艦『ギガロード』内の、機密区画に位置する霞の個室に純夏の姿があった。

「そっか、とうとう……行っちゃったんだね……」

 霞の説明を聞き終えた純夏は、ポツリとそう言葉を漏らした。

「はい……既に『バトルロード1』は、重力勾配航行で……太陽系外に向けて出発しています……」

 そんな純夏を心配そうに見ながら、霞は時の流れの重さに思いを馳せる。
 昔、出会ったばかりの頃は、自分は純夏を見上げねばならなかった。
 そして、時間を作ってはその後を付いて回り、その言動の全てを余さず観察し、自身の心を少しでも純夏に近付けようと足掻いていた。

 しかし、今では身長も自分の方がほんの少しだが高くなり、以前と変わらず純夏を自分自身よりも大切に想ってはいるものの、それでも自分と純夏は別の人間なんだと、折に触れてそう感じるようになってしまった。
 昔の、自分と純夏との間に感じた一体感は、時を経るに連れて薄れていき、何時の間にか自分とは異なる個としての純夏をちゃんと認識できるようになっていたのだ。

 そして、そんな、何もかもを押し流し様変わりさせてしまう時間と言う濁流は、今も無慈悲に流れ続けているのだと、霞は純夏を案じながらそう実感していた。

「次に、タケルちゃんから通信が入るのって、20年後くらいの予定だっけ?」

「はい……21年と311日後を、予定しています……」

 そんな思考とは別に、純夏の問いに対して淡々と答えを返す自分を、霞は何処か他人事のように認識していた。
 果たして、純夏は―――そして自分は、無慈悲な時の流れに抗えるのだろうか。
 霞は、そんなどうしようもない不安で、結局あまり成長しなかった胸を一杯にしていた。

「え~と、22足して…………2047年、であってる?」

「……あってます……」

 足し算ぐらい、一々確認しなくても―――と、そう思いながらも、霞は純夏の問いに律儀に応える。
 同時に、純夏が無意識の内に出来る事ならば認めたくない事実に辿り着く瞬間を、少しでも後回しにしようと足掻いているのではないかという疑念を抱く。
 だが、もしそうだとしても、それは所詮悪足掻きに過ぎない。

 そして、純夏はとうとう、その事実へと辿り着く。

「うわ~、そしたらわたし、64歳だよ~。
 もうすっかりおばあちゃんだよね……」

「純夏さん……大丈夫です……私も60歳でおばあちゃんです……
 2人して長生きして……白銀さんとお話ししましょう……」

 武が地球圏を後にしてから、既に5年近くの歳月が過ぎ去っている。
 その間、それでも武の安否は通信によって、長くとも1週間程度の間隔で確認する事が出来た。
 しかし、武はとうとうこの日の夕方、太陽に背を向けて恒星間宇宙に位置する、とある宙域を目指して旅立ってしまった。

 その旅程は約10光年であり、太陽系からの航跡を察知されない為に韜晦航路をとる為に、光速の50%という速度を維持して尚、22年問という長期間に亘って音信を絶つ事となる。
 これまでの5年間でさえ、遠く離れた武を想い、心に悲しみの色を溢れさせていた純夏が、これから流れて行く22年間に耐えられるだろうかと思うと、霞は不安を抑え切れない。
 それ故に、霞は精一杯の慰めの言葉を口にしたのだ。

「うん、そうだね! 約束だよ、霞ちゃん!」

 すると、純夏は笑顔を浮かべて、嬉しそうに頷きを霞へと返す。
 それを嬉しく思いながらも、同時に霞はこの約束がある理由で果たされる事は無いと予想していた。
 武の発案により、香月モトコ軍医によって確立された高度再生医療技術によって、純夏も自分も余程の事がない限り22年後まで死ぬ事は無いだろうと霞は予測する。

 しかし、22年後に通信で武と言葉を交わすには、最低でもオルタネイティヴ6が存続しており、その中枢近くに自分が位置していない限り不可能に近い。
 それ故に、この約束が果たされる事は無いだろうし、最悪、今後はもう2度と武の安否が知れる事さえ絶えてないかもしれない。
 それでも―――否、それだからこそ、霞は純夏の言葉に頷きを返し約束を交わす。

「はい……約束、です……」

 例え、悪足掻きに過ぎないとしても、無慈悲な時の流れに純夏と共に、少しでも抗う為に―――



 一方、自身を案じているに違いない霞の視線を受け止めながら、純夏は呪文を唱える様に、一つの想いを繰り返し、繰り返し思い浮かべる。

(どんなときでも、わたしはひとりじゃない……どんな、ときでも……ひとりじゃないんだから……
 こうして、目を閉じれば、タケルちゃんが笑ってるから……
 どれだけ……どんなに果てしなく、遠くに行ってしまったって、わたしとタケルちゃんの絆は切れたりしない……
 例え、わたしが死ぬまで、もう二度とタケルちゃんに会えないとしても……
 わたしの人生っていう、時の流れがこのまま途切れる所まで辿り着いても……
 それでも、絶対、タケルちゃんは還って来るよね!
 それは、この世界の続きじゃないけど、きっとまた、あの懐かしいタケルちゃんの部屋に……
 そして、また……きっと会えるよね……タケルちゃん………………)

 その想いが、果たして時空を超えて武の許へと届く事はあるのだろうか。
 それは定かではないが、一つだけ確かな事があった。
 この想いを抱いている限り、少なくとも純夏は笑顔を浮かべる事が出来たのである。

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2051年12月15日(金)

 地球系換算グリニッジ標準時:04時08分、太陽系より約10光年離れた宙域に於いて、改『ギガロード』級航宙母艦『バトルロード1』は目標宙域に対し相対的に停止状態へと移行していた。

「―――さて、いよいよか……」

 その『バトルロード1』の艦長室で、ベッドに寝転んだままの武は、宙を睨みつつそう呟きを発した。

 2025年に太陽系宙域監視網『エシッド』の構築を終えて以来、武は主観時間で23年、地球系換算時間では26年にも亘る長い航宙を終え、ようやく目標宙域の直前まで辿り着いていた。
 思い返せば、地球圏を旅立った武は、まず最初に太陽系の火星を皮切りとして、木星そして土星とBETA着陸ユニットの飛来経路を逆に辿っていった。
 そして、太陽系内に存在する全てのBETAの所在地を巡り、監視網を構築し、それ以外にもエッジワース・カイパーベルトの彼方此方に監視・補給拠点を築き上げ、太陽系外への監視態勢を確立させた。

 その後、太陽系を後にした武は、目標宙域を真っ直ぐに目指す事は避け、韜晦航路をとって地球系換算時間で22年弱の航宙を行った。
 そして、光速の50%という巡航速度から減速し、一旦地球系に対する相対停止状態に移行した武は、『エシッド』構築期間に研究を重ねた試作型量子通信ユニットを通して、太陽系に残してきた『バトルロード2』への通信を試みた。
 BETA通信ユニットを参考に、夕呼の因果律量子論に基づいて開発された量子通信ユニットは、因果情報の関連付けが成された対となる量子を通じて、10光年という距離を無視して即座に通信を確立する事に成功した。

 その結果、太陽系を出港してから22年弱の間に太陽系で起きた出来事を武は知った。
 武と夕呼の予想通り、2030年にはオルタネイティヴ6の人事刷新が行われ、夕呼は統括責任者の任を解かれ米国の高級将校が統括責任者となった。
 その辞令が発効した直後、武の影武者アンドロイドは改『ギガロード』級航宙母艦の13番艦である『バトルロード13』を奪取して出奔。
 独自の判断による、太陽系内BETA掃討作戦の実施を宣言した。

 統括責任者の任を解かれた夕呼は、共謀を疑われて査問にかけられたが、証拠不十分により罪に問われずに済み、国連軍を退役して帝国へと居を移す事となった。
 CIA等による監視も行われたものの、その後夕呼が疑わしい行動をとる事も無かった為、監視は3年で打ち切られる事となった。

 そして、『イスミ・ヴァルキリーズ』の2001年度任官組と純夏は、2029年の春までに全員が国連軍を退役していた。
 これは、現役衛士からの引退を迫られる45歳ぎりぎりまでを過ごした後、後進に道を譲って退役していった為である。
 食料班の軍属であった純夏は、45歳で退役する必要など無かったのだが、夕呼から霞に民間人としての生活をさせてやりたいとの願いを託された為、退役して霞と共に帝国で暮らす事を選んでいたのであった。

 最終的に、影武者アンドロイドの出奔と宣言は、00ユニットの暴走として処理され、00ユニットと無人航宙艦群は遺失扱いとなった。
 その後も、これらの航宙艦隊と、アステロイドベルト等で極秘裏に量産されていた戦略航宙機動要塞による戦闘部隊は活動を続け、太陽系内BETA群の掃討を宣言通りに開始した。
 しかし、そもそも月以外のBETAの存在―――殊に火星以外のものについては特に―――を公開していなかった国連は、無人航宙艦隊が月の攻略を行う素振りを見せなかったのをいい事に、掃討作戦の存在自体を秘匿してしまったのである。

 斯くして、武の国連軍士官としての身分は剥奪され、表向きは退官したものとして発表される事となった。
 その代わり、夕呼や霞を初めとするオルタネイティヴ6中枢要員は、責任を追及されずに済んだ。

 一方、人事刷新後の新オルタネイティヴ6は、ラグランジュ点に残された『ギガロード』と改『ギガロード』級航宙母艦計8隻と、生産備蓄されていた自律装備群を掌握しようと試みた。
 殊に、人間の制御を振り切って事実上の暴走と目される、独自の行動をとっている00ユニットに脅威を感じ、自律制御プログラムの書き換えを最優先課題として対応を急いだ。
 しかし、この試みは当初より難航する事となる。

 如何に高性能並列処理型コンピューターという、2001年の時点に於ける従来型コンピューターとは異なる画期的なハード用に改造されていたとは言え、XM3の基本プログラムは従来の開発言語を基にしたソースコードで構築されていた。
 しかし、新オルタネイティヴ6で開発された自律装備群の制御プログラムは、00ユニット独自のコードで構築されており、その解析はおろか代替プログラムの開発すら思うように進まなかったのである。
 そうこうする内にも、無人航宙艦隊による太陽系内BETA掃討作戦はどんどんと進行し、火星がBETAより解放される事となった。

 その後、1年以上の期間をかけて新オルタネイティヴ6は、制御プログラムを再開発し、手元に残された航宙母艦と各種装備群を運用可能としたが、地球圏の護りを固める事だけに固執して、無人航宙艦隊の追討はおろか、月攻略すら行おうとはしなかった。
 この一因に、無人航宙艦隊の出奔以降も『エシッド』や『ミド』からの情報提供が継続していた事で、無人航宙艦隊が保有する戦略航宙機動要塞を初めとする独自装備の存在を、新オルタネイティヴ6が知った事があげられる。
 無論、これらの独自装備の情報を新オルタネイティヴ6は保有していなかった為、新開発の制御プログラムの処理能力が以前の水準に及ばなかった事もあって、無人航宙艦隊と事を構えるのを避けたのである。

 いずれにせよ、太陽系内のBETAが掃討される分には、国連にとっても新オルタネイティヴ6にとってもデメリットは無きに等しい物であった為、無人航宙艦隊の情報を秘匿する以外には何の手出しも行われなかった。
 斯くして、無人航宙艦隊の出奔以来17年に亘って、太陽系内BETA掃討作戦は着実に推進されているとの情報を、武は入手するに至ったのである。

 しかし、武にとって残念な事に、夕呼が任を解かれた2030年より後は、武にとって気がかりでならない仲間達に関する情報が殆ど含まれていなかった。
 これは、太陽系から10光年以上離れた武と通信する為の量子通信ユニットを装備している、『バトルロード2』に対してそれらの情報を送信し保存出来る人間が、オルタネイティヴ6に存在しなくなった為であった。
 それ故に、2030年以降の仲間達の詳報を、武は得る事が出来なかったのである。

 尤も、仲間達が2051年の末となった今も尚、全員生存している事を武は確信していた。
 それは、仲間達の存在と大雑把な精神状態を表す色だけであれば、10光年以上の距離を隔てて尚、武のリーディング機能は察知可能だったからである。
 これは、武にとっても良い意味で予想外であったが、かつての『元の世界群』に対する転移実験の際に、確率分岐世界間の虚数空間すら越えて、霞が武の存在を感知し続けた事を思えば、高が10光年程度の物理的な隔絶など大した問題ではないのかもしれない。

 いずれにせよ、仲間達の安否だけは察知出来ていた為、武は2030年以降の情報の途絶に関しては諦め、量子通信ユニットによる武側の時間で19年分、地球側の時間で22年分の情報交換を終えるなり、目標宙域への航宙を再開するのであった。
 そして、それから更に主観時間で4年ほどの航宙を経て、武は遂に目標宙域へと到達しようとしていた。
 目標宙域中心座標まで約3万km―――最後の一歩を踏み出す前に、武は最終確認を行っていた。

 量子通信ユニットによる最新データの送信、予備の情報伝達手段となる強力な電波発信能力を持つ通信連絡艇20機、各種観測システムに、遠隔リーディングを行う為のテレ・リーディング・ポッド10基。
 それらの確認が済むと、武は一度、ゆっくりと瞼を閉じる。

 そうして脳裏に思い浮かべるのは、遠く地球に残してきた大切な人々―――それも、今尚、武が最も強い印象を抱いている2001年当時の姿であった。
 純夏、霞、冥夜、千鶴、彩峰、壬姫、美琴、晴子、智恵、月恵、茜、多恵、そして、ヴァルキリーズの先任達にまりもと夕呼。
 武が全てを擲ってでも、幸せになって欲しいと願ってやまない大切な人々の姿であった。

 BETAとの戦いの最中、幾度も喪い、死に別れ、或いは、自身の死を前に後事を託してきた仲間達。
 今回の再構成後の確率分岐世界では、戦場で儚くなる事も無く、この年まで全員を生き延びさせる事が出来た。
 それは、武にとって嬉しい事ではある。

 しかし―――本当に彼女達は幸せな人生を送ったと言えるのだろうかと、武は深刻な疑念を抱いている。
 何故ならば、地球圏を旅立って以来、リーディングによって察知できた彼女等の精神には、悲しみの色が多く見受けられたからであった。
 殊に、武に想いを寄せてくれていた10人に於いて、その傾向は顕著であった。

 出会った頃から地球奪還までの期間であれば、彼女等の精神は燃える様な熱意と信念の色が主体となって、悲しみの色を圧倒していた。
 それが、何時の間にか熱意と信念の占める割合が減っていき、悲しみの色が徐々に占める範囲を広げてきたのである。
 それが、BETA殲滅―――地球奪還と言う、積年の目的が達成されたが故なのか、それとも武の選択に何か誤りがあったせいなのか……

 そこまで考えて、武は深々と溜息を吐くと肩を竦めた。
 何故なら武にとって、自分の選択がある意味で誤っている事など、元より承知していた筈であったからだ。
 純夏を初めとする、仲間達の想いに背を向けて、何よりも因果導体として記憶を継承し、支配的因果律を上書きする為に因果律に干渉し続ける事を選んだあの時から、彼女達に哀しい想いを抱かせてしまう事は避け得なくなってしまっているのだから。

 しかし、それでもBETAとの戦いで彼女達が傷付き倒れて行くよりはマシな筈だし、武は更により良い結果を得るべく因果律干渉を継続する覚悟を済ませている。
 願わくば、新たなる確率分岐世界群では、彼女等の悲しみの色がより少なくなるように、成し得る限りの努力をするだけだと武は自身を叱咤した。
 仮想現実に限りなく近い程に、明瞭に脳裏に浮かんでいる仲間達は、皆どこか呆れている様な、それでいて、武を案じつつ励ます様な表情を揃って浮かべていた。

 そして、脳裏に浮かぶ面影の中から、純夏が1人進み出て口を開いた。

「頑張れ―――頑張れ、タケルちゃん。諦めちゃ、駄目だからね!」

 そう言って、拳を胸の前で握りしめ、くせ毛をピンと立てる純夏の背後では、他の仲間達が同意する様に強く頷く姿を見せていた。
 それらの姿に力付けられ、武は目蓋を開く。
 そして、艦長室の執務机の席に腰かけ、背筋を伸ばして目標宙域へと到達する為の命令を、非接触接続で『バトルロード1』中枢制御ユニットに送信する。

 1G加速で重力勾配航行を開始した『バトルロード1』の状況を把握しながら、武はふと地球圏を出発する直前に純夏と交わした会話を思い返していた。
 あの時、航宙艦隊への武の同行を秘匿する為に、『バトルロード1』に搭乗する武を見送りに来たのは純夏と霞の2人だけであった。
 そして、武の右手を自分の両手でそっと包んで、純夏が語った言葉―――それは今でもはっきりと、武の記憶に刻まれている。

「タケルちゃん―――どんなときでも、タケルちゃんはひとりじゃないよ。
 どれだけ遠くに離れたって、今こうして繋いでる手は、繋がったままなんだよ?
 タケルちゃんの胸の中にはわたしや、霞ちゃんや、神宮司先生、冥夜とか、他のみんなだって一緒にいるんだから。
 だから、寂しくなんかなんないよね?
 わたしも、わたしの中の―――わたしの半分になってる武ちゃんと、これからもずっと、ず~っと、一緒なんだから!
 だから、またタケルちゃんが地球のあの部屋に還って来るまで―――また、こうして手を繋げる時まで……
 ちょっとくらい離れたって、だ、大丈夫なんだから…………だから―――頑張ってね! タケルちゃん。」

 そう言う純夏の瞳は潤んでいたが、最後まで涙を零さず、笑顔で武を見送った。
 そして、武は孤独な航宙の最中、その純夏の言葉通り、自身の想い出の中にいる大切な人々によって励まされ元気づけられてきたのだ。
 それは、自己催眠にも近い行為だったのかもしれないが、武にとっては、実際に大切な人々と触れ合ったのとなんら遜色のない効果があったのである。

 大事な記憶の一欠片を思い返して、武が笑みを浮かべた時―――目標宙域へと接近していた『バトルロード1』が全長1kmを超えるその巨体を、瞬時に跡形もなく消失させてしまう。
 そして、後に残るのは恒星間宇宙の、空虚で広大な空間だけであった―――



「早速お出ましか……全長1km強、この『バトルロード1』とほぼ同サイズだな……
 量子通信ユニットは、現段階では通信可能か。
 よし、テレ・リーディング・ユニットを射出して情報収集開始だな。」

 太陽系より10光年離れた恒星間宙域で消失した『バトルロード1』は、目標宙域に存在していた空間の歪を抜けて、1000光年以上離れた宙域へと転移していた。
 そして、そんな『バトルロード1』を包囲する様に接近して来る、円錐状に細長い巻貝の様な外観を持つ全長1km強の4体の航宙物体。
 それらは、『バトルロード1』を中心とした正三角錐の頂点を占めようと、毎秒100m/s以上の加速で迫って来ていた。

 武は、『バトルロード1』を停止状態に移行させると、それら4体に向けて各々1基のテレ・リーディング・ユニットを射出した。
 そして、遠隔リーディングによって、迫りくる4体の情報を得ようと精神を集中する。

「―――なるほど、やっぱり戦闘用BETA種の1つ、っていうか、群体みたいだな。
 本隊のデカブツの表面や体内に、何種類ものBETA種が搭載―――いや、共生して戦闘ユニットとしての各機能を確立してるのか……
 しっかし、加速度で完全に上回られてるから離脱は無理―――かと言って、勝ち目があったとしても現時点で戦闘行為を仕掛けるのも不味いよな……」

 武はぶつぶつと独り言を呟きながら、状況の分析と対応策の立案を進めて行く。
 現実では武の独り言に応じる者は1人も居なかったが、その脳裏では仲間達が意見を述べたり、武を励ましたりと、いっそ賑やかなくらいであった。
 そんな仲間達の様子に力付けられ、武は笑みを浮かべる。
 この戦いは、武にとっては孤独な戦いではなかったのである。

 武は、太陽系のBETAから収集した情報により、BETAの資源輸送用射出体が目指す宙域に、転移空間が存在し射出体はそこを通過して転移する様に設定されている事までは知り得ていた。
 それ故に、その先に存在するものを偵察すべくこうして遠路遥々やってきた武だったが、無論事前に転移先の状況予測も種々様々なケースについて検討を行っている。
 その中に、航宙能力を有する戦闘用BETA種の防衛網が存在する場合も含まれてはいたのだが、ここまで速やかに包囲された上で離脱さえ封じられるという結果は、想定した中でも最悪のケースに近い。

 ここで、戦闘行為を行って万に一つでも、戦闘用BETA種の早期地球進撃などを誘発してしまっては元も子もない為、逃げる事さえ出来ないとなっては武の取れる対応は極限られたものとならざるを得なかった。

「―――となると、後は相手に完全に包囲拘束されて、ODLの情報複写圏内まで近寄られる前に、あっちを巻き込まないように自壊するしかないか……
 まあ、強硬偵察だからやられちまうのも予想の内ではあったけどな……さて、それじゃあ、量子通信ユニットで送れるだけ情報を送るとするか……」

 武は苦笑を浮かべながらそう吐き捨てると、表情を完全に消してリーディングとその結果得られた戦闘用BETAのデータ送信に全力を上げた。
 これらのデータは太陽系に残してきた『バトルロード2』を経由し、『エシッド』のデータリンクを主とした、複数の手段を通じて地球の人類へと届けられる様に、武があらかじめ手配してある。
 余程の事がない限り、戦闘用BETA種の脅威は人類にも認識されるであろう。

 そうして、数10秒間に及ぶ決死の情報収集の後、『バトルロード1』は自らのGS機関を暴走させ、船体各部に高重力場を形成―――重力圧壊した後、爆散した。

 後に残された4体の戦闘用BETA種は、その表面から小型BETA種―――とは言っても10m近い全長であったが―――を何体も射出して僅かな残留物を回収した後、何事も起こらなかったかのようにその身を翻して待機状態へと戻っていくのであった。




[3277] 第138話 より良い未来を求めて―――
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/08/02 17:20

第138話 より良い未来を求めて―――

2001年10月22日(月)

 08時01分、ベッド脇のカーテン越しに射し込む日差しを浴びて、武は薄らと目を開いた。

「………………」

(ここは……どこだ?……今日って、何日だっけ……今、何時…………)

 武は薄目を開けて周囲を見回す……見覚えの無い……その癖、妙に懐かしい部屋であった。
 怪訝な表情で上体を起こした武は、周囲の状況を無意識の内にリーディング機能と非接触接続により察知しようとして、何の反応も返って来なかった事に愕然とする。

(なんだ!? 動作不良か? それとも妨害工作―――って、この部屋!!
 そう……か…………また、ここから始まるんだな………………)

 ベッドからゆっくりと起き上がった武は、『元の世界群』で自分が寝起きしていた室内の様子を見渡すと、まずは生身の体を慎重に動かし始める。
 そして、問題なく動ける事を確認すると、徐に白陵柊の制服を手に取って着替え始めた―――

(衛士訓練校の制服か……なんか懐かしいぜ―――って、違うか、これは、白陵柊の―――高校の制服の方なんだよな……部隊章も付いてないし……
 それにしても、思考の軸はすっかりこっちの世界に馴染んじまったな……おまけに、生身の身体ってこんなに不便なもんだったっけ………………
 ―――まあ、なんにしても、まずは記憶の関連付けからか……あれ、結構辛いからなあ……あんま効果ないけど、やっぱ鎮痛剤飲んどくか………………)

 武は、本格的な記憶の関連付けを抑止する為に、不用意に物事を思い出したり連想したりしないように気を付けながら、階下へと降りると鎮痛剤と水、厚手のタオルを用意して2階の自室へと戻った。
 そして、鎮痛剤を飲み下すと、深く深呼吸をした後タオルを咥えて歯で噛み締め、ベッドにうつ伏せとなり両手でベッドサイドを強く掴む。

(―――よしっ! それじゃあ、記憶の関連付けを始めるか!
 まずは……『前の世界群』で何処までいけたかだな―――ッ! 宇宙? 巨大なBETA? オレだけか? みんなは―――ぐッ!!! なんだこれ、引き摺ら……れ…………る………………?)

 記憶の関連付けに伴う強烈な頭痛に耐えていた武だったが、突如として身体を跳ね上げると噛み締めていたタオルも吐き出してしまうと、大声を上げて絶叫する。

「がぁああああああぁああああああぁあアアアアアアーーーーッ!!!!!」

 そのまま、ベッドからも転がり落ち、頭を両手で抱え込んで床を転げまわる武。
 その苦しみは、30分以上も続き、ようやく身動きしなくなった時には、武は疲労困憊して息も絶え絶えとなっていた。

「―――く、そう……強い後悔の感情に引き摺られて、一気に記憶の関連付けを進めちまった……
 けど、こんだけ苦しんで得た……情報が……女絡みばっかってなんなんだよッ?!
 しかも、罪の意識バリバリであんまうれしくないし!
 ―――はぁ~。こりゃあ、相当手子摺りそうだな…………くそっ、あちこち打撲だらけじゃねえか……」

 一頻り毒吐いた後、なんとか落ち着きを取り戻した武は、再びタオルを咥えベッドにうつ伏せになる。

(―――よし、今度は慎重にやるぞ……感情に流されずに、事実関係だけを探るんだ…………
 ―――ッ! 自爆―――戦闘用BETA種―――転移空間―――恒星間宙域―――太陽系内BETA掃討作戦―――自律航宙艦隊―――戦略航宙機動要塞―――オルタネイティヴ6
 ―――ッ!! くそッ、結局、米国に乗っ取られちまったのか……夕呼先生、さぞや悔しかったろうな…………
 しっかし、因果情報の密度が濃過ぎて、概略しか関連付けが出来ないぞ?
 過ごした時間も相当長いし、本格的な関連付けは、こりゃあ、00ユニットになってからじゃなきゃ無理だな…………)

 ―――その後、武は頭痛に耐え忍び、気力を振り絞って、大凡の概要に関しては記憶の関連付けを完了させたのであった。

  ● ● ● ○ ○ ○

 15時42分、国連軍横浜基地B19フロアに位置する夕呼の執務室のドアが、4時間を超える各種検査や手続きを終えた武の眼前で開く。

「ッ!―――なんか、すごく懐かしいな。特にこの散らかり具合が―――」
「はぁああ?! ちょっとあんた! 何バカなこと言ってんの?
 あたしを騙くらかそうだなんて思ったら―――あんた、どうなっても知らないわよ?」

 武はドアが開くなり、目に飛び込んで来た懐かし過ぎる風景に、目を細めて感慨深げに言葉を漏らした。
 当然、執務室の奥にある執務机の机に腰かける夕呼と、視線を合わせる以前のタイミングでの事である。
 そんな独白を漏らした武に、執務机を両手で叩き勢いよく立ちあがった夕呼の、苛立たしげな言葉が叩きつけられた。

 しかし、そんな夕呼の脅しめいた言葉にも、武は懐かしげな笑みを浮かべて目を細めてしまう。
 尤も、自分のそんな表情を目に止めた夕呼の柳眉が、きりきりと吊り上がるのに目敏く気付いた武は、精一杯真剣な表情を取り繕って口を開く。

「夕呼先生―――いえ、香月博士。
 オレみたいなガキに主導権を握らせる気なんて、端からないってのは解かってますけど、まずは時間節約の為にオレの話を一通り聞いて貰えませんか?
 それとも、あなたの貴重な時間を浪費する方を選びますか?」

 武の言葉に、むっとした表情を見せたものの、夕呼は寸時の黙考の後、さも嫌そうに口を開く。

「―――ふん! 解かったわよ、あんたの話とやらをしてみなさい。
 ただし、ちょっとでも下らない事言ったら、即座に営巣送りにしてやるからそのつもりで話すのねっ!」

 そんな恫喝めいた夕呼の言葉に、武はつい笑みを浮かべそうになる頬を引き締めると、この部屋に来るまでに頭の中でまとめておいた話を始める。

「まず、話を始める前に無駄を省く為に確認したいんですが、オレの思考を社霞にリーディングさせてますか?
 相当荒唐無稽な話なんで、霞に少なくともオレ自身は本当の事だと思っていると、そう裏付けをして貰いたいんですけど。」

 武の言葉に、夕呼の顔から一切の表情が消える。
 そして、完全に感情が排除された平坦な口調で、簡潔な言葉が夕呼から発せられた。

「―――それなら大丈夫よ。既に手配済みだから。」

 その応えに頷きながら、武は夕呼が本気で自分を警戒し始めたなと、そう思って身と心を引き締めた。

「解かりました。
 それじゃあ、まずはオレの存在が何かについて説明します。
 オレは、この世界では1998年のBETA横浜侵攻の際に鑑純夏と共にBETAに捕獲され、横浜ハイヴ内に囚われた後死亡した白銀武の、異なる確率分岐世界群に於ける同位体より抽出された因果情報から、因果導体として再構成された存在です。
 そして、2001年の10月22日―――つまり今日を起点として、死亡するまでの間に派生した全ての確率分岐世界の因果律情報を元に、幾度も再構成しなおされるというループ状態にあると推測されています。
 その結果、今までにオレは5回の再構成を経験していて、4回の再構成後に派生した、確率分岐世界群の記憶を不完全ながらも保持しているんです。」

 ここまで話した所で、武は一旦言葉を切って夕呼の様子を窺う。
 夕呼は、能面の様な感情を排した顔付きのままで執務机に乗せられた端末に視線を落とし、キーボードを打っては霞を相手に指示を出し、随時その答えを読み取っているようであった。
 武は素早くそれを見て取ると、無駄な時間を空けずに説明を再開する。

「その記憶の中で、オレはオルタネイティヴ4に所属し、A-01の衛士として、そして稼働した00ユニットとして活動した経験を有しています。
 そして、これが最も重要な情報ですが、最初の再構成後の確率分岐世界群に於いて、00ユニットの開発に失敗したオルタネイティヴ4は今年の12月24日を以って凍結され、オルタネイティヴ5が本計画に繰り上げられてしまいます。
 しかし、2回目の再構成後の確率分岐世界群で得られた、新たな人格転移術式の基となるブレインキャプチャー理論の数式をオレは記憶してますから、その数式を提供できますし、不完全ではありますが人格転移手術の成功率を上げる為の留意点も指摘できます。
 この数式は、オレの最初の再構成時に元になった、この世界とは異なる2001年度に於いてBETAの侵攻を被っていない確率分岐世界群で、物理教諭をしている夕呼先生が考案したものです。」

 淡々と語りながら、武は夕呼の様子を見守るが、相変わらず端末に視線を落したままキーボードを叩くばかりで、本当に聞いているのかさえ疑わしくなるほどに反応がない。
 そんな夕呼に、武はあの無表情の下で猛烈な勢いであれこれと考えを巡らせているんだろうなと、そして、衝撃的な内容だろうによくもまあ反応を抑え込んでるよなと、武はそんな考えを巡らせるのであった。

「ただし、この数式を得る事で00ユニットは完成しますが、稼働開始直後からBETAに対する重大な機密漏洩も発生してしまいます。
 00ユニットに用いられているODLが、00ユニットの知り得る全ての情報を収集し、それが浄化措置の際に横浜ハイヴのBETA反応炉を経由して、オリジナルハイヴの超大型反応炉に送られてしまうからです。
 ですが、この問題は00ユニットの稼働からODLの浄化が必要となるまでの期間に、横浜ハイヴ反応炉の通信ユニットを排除する事で回避が可能です。
 この排除方法に関しては、オレ自身が00ユニットとして行った経験を有していますが、オレ以外の00ユニットが同じ方法を試みた事例はありません。
 最後に、オレの目的についてですが、オレはループを繰り返して経験と知識を持ち越す事で、時空因果律への干渉を繰り返し、支配的因果律を覆して『人類はBETAを圧倒する』という因果を確立する事です。
 そして、明日の昼までに夕呼先生にオレの未来知識が事実だと確認して貰う為に、検証用の未来情報も幾つか調べてきました。
 最低限聞いて欲しかった事柄は、以上です。」

 そう言って姿勢を正すと、武は夕呼を真っ直ぐに見詰める。
 夕呼はそんな武にチラリと視線を投げかけたものの、再び端末へと視線を落とし、操作を続行し続ける。
 2人とも無言のまま、しばし時間が流れていった―――

「―――そう。どうやらあんたが真実を語っているって可能性も、一応はあり得るみたいね。
 その、数式とやらはこの場で書き出す事は出来る?」

 如何にも渋々といった風情で、武の主張を受け入れて見せた上で、夕呼は事の真偽を計る為の試験だとでもいうように、数式の提示を求めて来た。
 確かに、あの数式を見れば、少なくともそれが00ユニットの稼働に役立つという事を、夕呼は即座に看破する事だろう。
 それどころか、数式を見ただけでその発案者が他の世界の自分自身である事を、見抜き確信してしまう可能性すらある。

 武にとっては、あんな数式の何処にそんな個性があるのか全くの謎なのだが、恐らくはその発想の根幹が発案者の個性を垣間見せるのであろう。
 いずれにせよ、夕呼の信頼を少しでも上積みできるのであれば、武にとって有難い事なのは間違いない為、武は即答した。

「はい、出来ます。」

「じゃあ、直ぐにやんなさい。
 あ、その前に、今後のあんたの立場を如何して欲しいかを一応聞いてやるわ。
 その辺の手続きがあるから、さっさと言いなさい。」

 どうやら、武の齎した情報の真贋を見極める段階から、それらの情報と武自身を如何に活用するかを検討する段階へと進んだらしく、夕呼は時間の無駄を省くべく効率を重視し始める。
 その為、武が数式を書きだす間に、自身が何をすべきか判断する為の情報を、夕呼は優先して問い質した。

「じゃあ、遠慮なく。
 まず、可能な限り早期にオレを00ユニットにして欲しいんで、00ユニット用擬似生体の準備とODLの採取備蓄を最優先でお願いします。
 勿論、数式を確認した後で人格転移術式の確立と、必要な機材の準備も同様にお願いします。」

 それに気付いた武は、遠慮なく優先順位の高いものから順に要請していく。
 その内容を、双眸を閉じ鉄壁の無表情で思惟を押し隠しながら、夕呼は一言も口を挟まずに淡々と聞き取っていく。

「次に、戦術機の性能を一律に押し上げ、BETA戦に於ける衛士の生還率を画期的に向上させる、戦術機用新型OSの開発を許可して下さい。
 『前の世界群』ではプログラムの開発は霞がやってくれましたし、必要となる高性能並列処理コンピューターの基礎技術は、オルタネイティヴ4が保有している筈です。
 これだけで十分だとは言いませんが、この新型OSが導入される事で、戦術機甲部隊は従来を遥かに超える多様な装備と戦術を活用出来るようになり、『前の世界群』でのA-01は導入以降、損耗率を限りなく低減させ戦死者0という実績を上げています。
 それだけの可能性を秘めている、重要な要素だと思って下さい。
 無論、新型OSの完成後は即座にA-01に導入して、新戦術と新装備群を活用出来るようになって貰います」

 戦術機用OSなど、今までは夕呼にとって瑣末事でしかなかったが、確かに実際にBETAに対する反攻作戦を実施出来る段階ともなれば、戦力の拡充も必要であろうと思いなおす。
 それに、少なくとも十分な取引材料にはなると夕呼は判断し、その利用価値を検討し始める。

「後は、今後のスケジュールをこちらにとって有利に進める為に、207衛士訓練学校の訓練生で入院加療中の鎧衣美琴を早期退院させて欲しいんです。
 それと合わせて、衛士訓練学校の訓練課程を刷新した上で、207Bの早期任官を切望します。
 最後に、オレの扱いですが、対BETA新戦術とそこで用いる装備群の開発及び運用試験を担当する特務士官でありながら、正規の衛士任官を経ていないので、新衛士訓練課程の試験運用を兼ねて衛士訓練学校に配属と言う形を希望します。
 現時点で、希望する事項はそんな所ですね。」

 一訓練兵に過ぎない美琴の早期退院や207Bの早期任官が、どの様に今後に影響するのか。
 どうして、武自身が衛士訓練学校への配属を望むのか。
 それらに対する説明は一切なかったが、夕呼は未来情報を有する武の要望として、重大なデメリットが存在しない事を確認した上で、それらを丸呑みするという決断を下した。

「解かったわ。じゃあ、先にその戦術機用の新型コンピューターユニットの要求仕様を仕上げなさい。
 数式はその後でいいわ。あたしは、その間に関係各所に手配を進めとくから。
 ほら、紙とボールペン―――あらぁ? もしかして、鉛筆と消しゴムの方が欲しかったりする?」

 そう言って、紙とボールペンをひらひらさせつつ夕呼がニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて問いかけると、武は気不味げな顔をしながら渋々と口を開いた。

「―――鉛筆と消しゴムでお願いします……」

 そんな、対面してから初めて見せた武の外見年齢相応な反応に、してやったりと笑みを浮かべた夕呼であった。



「―――なるほどね。確かにこれなら人格転移が成功する可能性は十二分にあるわね。
 にしても、あたしも焼きが回ってたわね。
 因果情報の干渉が、人間の思考に対して重要な役割を果たしてるって可能性を、うっかり見落としてただなんて……
 これじゃあ、いくら正確な記憶の複写を行ったって、自発的な思考が発生しない筈だわ。
 従来の方式だと、完成まで漕ぎ着けても人格を模倣するエミュレーターかAIが精々だったって訳ね。」

 武が書き上げた数式に目を落としながら、夕呼はぶつぶつと独り言を呟いていた。
 それを聞き取った武は、『前の世界群』で手掛けていた影武者アンドロイドのAI開発の経験から、実感たっぷりな相槌を打つ。

「まあ、既存パターンに無い自律思考を誘発する外挿プログラムと、統計的判断ロジックを組み込めばかなり人間に近いAIにはなりますけどね。
 それでも、人間ならではの突飛な発想や思い付きは得られませんから、00ユニットの目的であるリーディングデータの解析は難しかったと思いますよ。」

 思ってもみなかった武からの合いの手に、夕呼は視線を上げると怪訝そうに問い返す。

「―――あんた、AIの開発まで手掛けてたの?
 まあ、00ユニットだったってんなら、ソフト開発なんて片手間か……
 いいわ。こうなったら腰を据えて付き合ってやるから、あんたの知ってる事を洗い浚い吐き出しなさい。」

 が、00ユニットの性能を思い出した夕呼は、自身でその問いに答えを出すと武に対して本格的な情報提供を求めた。
 どうやら、数式の出来栄えから、武の情報に対する価値判断が夕呼の中で相当に格上げされたらしい。
 その眼差しは、大好物の餌を前にした猫のようであった。

「多忙な中、時間を割いて貰ってありがとうございます、夕呼先生。
 でも、その前に一つだけ前置きを聞いておいて下さい。
 オレは、膨大な情報を提供できますけど、オレ自身の希望を述べる事はあっても、夕呼先生と主導権を争ったり、なんらかの駆け引きをするつもりは一切ありません。
 オレは、あくまでもループ状態に在る因果導体と言う特性を使って知識と経験を持ち越し、それを夕呼先生に提供する事でしか、因果律干渉の手段を持ち合わせていないんです。」

 しかし、武は夕呼が苛立つのを承知の上で、まず前置きから話を始めた。

「それに、過去の経験から人類同士の不和こそが、人類を苦境に追いやっていると言う事を身に染みて知っているんです。
 ですから、オレは夕呼先生の手助けをする事を最優先にして行動すると誓います。
 だから、直ぐに信用してくれとは言いませんが、過度の警戒や対抗策に時を費やさず、夕呼先生の目的を達成する為に全力を尽くして下さい。
 オレは、オレ自身の目的はその先で必ず達成されると信じて、全身全霊を尽くして夕呼先生に協力しますから!」

 武は、今回の情報提供によって、夕呼が『前の世界群』以上にストレスを感じ、不満を抱くに違いないと予想していた。
 何故ならば、この時点で夕呼が最大限達成可能と見込んでいたであろう目標すら、軽く上回る成果を上げた世界の知識―――即ち、そこに至るまでの手法が内容に含まれているからである。

 言ってしまえば、武は夕呼が懸命になって攻略している高難易度ゲーム―――所謂『無理ゲー』の攻略本の如き存在と化してしまっているのだ。
 それ故に、夕呼にとっては武の存在とその知識は、疎ましい事この上ないものであろう。
 しかし、同時に夕呼は無責任でも愚かでもない為、武の持っている知識と経験の重要性を完全に理解している。

 だからこそ、武を無視する事も、無碍にする事も出来ず、余計にストレスが蓄積されていくという悪循環を引き起こしかねないと武は案じている。
 そして、夕呼を苦しめ煩わせる事を全力で回避する為に、武はこの時、細心の注意を払って言葉を選んでいた。

「―――随分と、知った様な口を叩くじゃないの。」

 武が話し始めた当初こそ、苛立たしげな表情で今にも叱責しかねない素振りを見せた夕呼だったが、直ぐに武の意図を理解すると心底不満げな表情となった。
 それでも、武の前置きが終わるまで一切口を挟まずに大人しく聞き終えてから、口をへのじに曲げて悔しげな口調も露わに毒吐いた。
 そんな夕呼に、武は苦笑を浮かべながら、やや砕けた口調で宥める様に話しかける。

「そりゃもう、夕呼先生とは『前の世界群』では20年近い付き合いでしたからね。
 それ以前の世界群や、確率分岐世界群のバリエーションまで含めたら、どんだけの長さになるか。
 まりもちゃんと同じ位には、先生の事を知ってるって思いますよ?」

「ふうん。まりもと同じ位、ねえ……
 いいわ、じゃあ、さっさと情報を吐き出しなさい。」

 武の言葉に、双眸を半眼に閉じ、疑わしげな視線と共に言葉を投げかけた夕呼だったが、武が本当に言う程の因果情報を保持しているのであれば、情報量という点で圧倒的なアドバンテージを持たれている事に気付いて苛立ちを押し殺した。
 そして、情報格差を可能な限り埋めようと、獲物に跳びかかる猛獣の如き獰猛な視線と共に、武に再度情報提供を求めるのであった。

 その後、武は何時間もかけて自身の知り得る情報を、夕呼によって絞り出される事となった。
 その中で特筆すべき事柄としては、次の様なものがあげられる。
 ・以前の確率分岐世界群で得た、膨大な因果情報の全てを詳細に関連付けする為には、武が00ユニットになる必要がある事。
 ・地球奪還後も、国連の活動を低迷させない為の対策を講じ、人類が一丸となって太陽系の奪還に乗り出す術を確立する事。
 ・いずれ太陽系に飛来する可能性のある、戦闘用BETA種に対する備えを確立する事。
 ・転移空間から先の、BETA資源輸送網と、そこに存在するBETA種、そしてBETA創造主に関する情報収集の必要性。
 ・大陸の国土を奪還した後の、国家間紛争の抑止撲滅を達成する術の確立。

 武は、これらの『前の世界群』で達成できなかった目標や、積み残された課題などを提示する事で、夕呼の意識をそれらに対する対応策の検討へ向けようと考えていた。
 そうして、現時点での夕呼が雁字搦めにされている諸問題の解決方法を示唆する一方で、より難易度の高い目標を併せて提示する事で、夕呼の意欲を刺激しようと目論んだのであった。

 一通りの情報提供を終え、上記の他にも細々とした目標や計画、そして武自身の望みなども告げた頃には、武は精神的にすっかり疲労困憊してしまっていた。
 対する夕呼はと言うと、情報と言うエネルギー補給を済ませたとでも言わんばかりに活力に溢れた表情で、満腹になった猫の如き満足気な笑みを浮かべている。
 そして、出来のいい下僕を見る様な視線を武に向けると、御満悦な表情で言い放った。

「いいわ。あんたをあたしの手下に加えてあげる。
 明日から目一杯こき使ってやるから、そのつもりで今晩は精々ゆっくり休むのね。」

 恩着せがましくそう言ってから、夕呼はわざとらしく、ああ、と何か思い付いたかのような素振りをして言葉を続ける。

「でも、あんたのセキュルティーパスがまだ届いてなかったわね。
 しょうがないから、シリンダールームで社にXM3とかいう奴のソフトに関する説明でもしてなさい。
 その間に、ピアティフに届けさせるわ。
 部屋はあんたが言ってた、訓練兵時代の部屋を割り当てさせたから案内はいらないわよね?
 じゃ、さっさと行きなさい。あたしはこれから大忙しなんだから。」

 さも、武の所為で要らない仕事を抱え込んだと言わんばかりな夕呼に、武はがっくりと肩を落として応える。

「―――はい。解かりました……」

 実際、この後に片付けなければならない資料作成などのあれこれを考えれば、武とて今晩どれだけ寝れるか解かったものではない。
 しかし、それは自身が望んだ事に他ならない為、武は自分自身に気合を入れ直し踵を返そうとした。
 と、そこに夕呼から追い打ちの様に声がかかる。

「あ、白銀?
 ―――今回だけは、あんたの思惑に乗せられてやるけど―――次からこんな舐めた事したら、只じゃおかないからそのつもりでいなさい。いいわね?」

 端末を操作しながら、視線も上げずに投じられた声ではあったが、その夕呼の声音は武が首を竦めるのに十分過ぎる凄みが含まれていた。

「りょ、了解です!
 ―――やっぱり、夕呼先生には敵いませんね。
 それじゃあ、大変でしょうが諸事宜しくお願いします。」

 慌てた様にそう返すと、武はこれ以上夕呼を刺激しないように、そそくさと執務室を後にするのであった。

  ● ● ● ○ ○ ○

 20時12分、一時的にセキュリティーロックが解除されているシリンダールームのドアを潜り、オルタネイティヴ4の時代にはこの部屋にメンテナンスベッドが設置されていた為、第2の自室と化していた空間へと武は足を踏み入れた。

「ここも、随分と久しぶりだな……お、初めましてだな。
 知ってるだろうけど、オレは白銀武。そこの鑑純夏の幼馴染だ。
 まあ、この世界じゃ所詮紛いものだけどな。
 で、良かったら―――」

 そして、周囲を見回すまでもなく、純夏の脳髄が浮かぶシリンダーと、その脇に佇み霞を視界に収めた武は、軽い口調を取り繕って話しかける。
 そして、霞に名前を尋ねようとした武だったが、問いを放つ前に霞が小さく口を開いた。

「社霞……です…………霞、でいいです……」

 そうして返された言葉に満面の笑みを浮かべて、武は霞に歩み寄るとしゃがみ込んで視線を合わせる。

「お、今回も話が早いな。
 今までにオレが過ごしてきた、他の世界の霞との記憶も大分読み取れたか?
 この世界でも、よろしくな、霞。」

 霞は、眩しそうな、懐かしそうな、それでいて不思議そうな視線を、間近で微笑む武へと向けた。
 そして、武から読み取った自分自身に纏わる膨大な想い―――イメージに目を瞬かせながら、それでも結局、霞が口にしたのは純夏の名前であった。

「……はい…………えっと…………その……純夏さんを……」

 そんな霞の頭にそっと右手を乗せると、武は力強く頷いて見せる。

「ああ、解かってるよ、霞。
 この世界でも、必ず純夏を人間に戻して見せる。
 そうして、オレと純夏と霞の3人で―――いや、ヴァルキリーズのみんなや、これから入隊して来る連中とかとも一緒に、たくさんの想い出を作っていこうな。」

 すると、霞は武の右手の両脇に、ピンと左右の耳飾りを真っ直ぐに立てると、こっくりと頷きを返した。

「―――はい……想い出作り……楽しみです…………」

 そして、武の持つイメージの中の自分の様に、微笑もうとした霞だったが、それは贔屓目に見ても唇が引き攣っているとしか見えないものにすぎなかった。
 しかし、それでも武は嬉しそうに笑い返すと、視線をシリンダーの方に向け、立ち上がりながら霞に問いかけた。

「じゃあ、XM3の話をする前に、ちょっとだけ純夏に挨拶させて貰って良いか?」

「はい……」

 霞が武のその願いを断る訳もなく、小さく頷きを返したその隣で、武は真っ直ぐな視線を、シリンダーの中に満たされた青白い光を放つODLに浮かぶ、純夏の脳髄へと向けて口を開いた。

「―――純夏。必ず帰るって、そう約束したのは『前の世界群』でのお前とだけど……
 それでも、ちゃんとこうして戻って来たぞ。
 お前には、また悲しい思いもさせちまうかもしれないけど、それでもオレに出来る限りの事はするから……
 だから、それで勘弁してくれよな。
 近い内に、夢の中で会いに行くから、もう少し、もう少しだけ、待っててくれ…………」

 万感を込めてそう語りかけると、武は眼を閉じて『前の世界群』で最後に見た純夏を思い出す。
 あの純夏には二度と会えないだろうが、代わりに今眼前に居る純夏を少しでも幸せになれるようにするのだと、武は決意を新たにするのであった。

 その後、武はXM3用のプログラムの仕様と、以前の開発中に発生した問題点やその解決方法などについて、事細かに霞へと伝えていった。
 そして、途中で訪れたピアティフから受け取ったセキュリティーパスを手に、武はシリンダールームを後にする。
 霞と『またね』と、言葉を交わして―――

  ● ● ● ○ ○ ○

 23時33分、B8フロアの廊下を武は足早に歩いていた。

「うわ! 随分と遅くなっちゃったな。
 まあ、まりもちゃん―――じゃなかった、神宮司教官ならこの時間でも真面目に仕事してそうだけど……」

 迂闊にも『まりもちゃん』などと口に出してしまった武は、慌てて周囲を見廻して誰にも聞かれていないことを確認すると、わざわざ言い直して独白を続けた。
 そして、辿り着いたまりもの自室のドアを、控えめにそっとノックする。

「あの~、神宮司教官、御在室ですか~?」

 恐る恐るといった風情で発せられた武の小さめの声に、しかし即座に室内からの声が応える。

「はい。在室しております!
 ―――白銀臨時中尉殿でいらっしゃいますか?」

 そして、寸秒も空けずに開かれたドアの向こうから、ビシッと教本に載る様な見事な敬礼をしたまりもが、そう尋ねてきた。
 軍人としては立派な振舞いではあるものの、他人行儀この上ないまりもの態度に、武は少し悲しげな苦笑を浮かべたが、直ぐに背筋を精一杯伸ばして答礼を返す。

「はっ、自分が白銀臨時中尉で間違いありません、神宮司教官。
 しかし、同時に明日から教官殿の教えを受ける訓練生となりますので、敬語は無用に願います。
 ―――とか言っても、お互いに水掛け論になりそうですから、まずは中に入れて頂けますか?」

 まりもに合わせて、鯱張った(しゃちほこばった)答えを返した武だったが、最後に少しおどけてみせて提案を述べる。
 すると、一瞬だけ目を丸くした後、まりもは諦念を滲ませた苦笑を閃かせると、武の提案を受け入れて自室へと武を誘った。

「―――わかりました。どうぞお入りください、中尉。」

 そうして武を室内の事務椅子へと座らせると、まりもは合成玉露を供した後、自身は折り畳み机を挟んで武と向かい合わせに置いたパイプ椅子に腰かけた。
 そして、飽くまでも軍曹として中尉である武の発言を待つ姿勢を見せるまりもに、武は溜息を1つ吐くと自分から話を切り出す。

「―――じゃあ、時間も遅いですし、オレの方から手短に話させて貰いますね。
 香月副司令から聞いてると思いますけど、オレは副司令の下で特殊任務に従事している白銀武と言います。
 明日からは、その特殊任務の一環として、第207衛士訓練小隊に対して新たに考案された新衛士訓練課程を試験的に受けさせる、運用試験を実施してもらいます。
 そして、オレも国連軍衛士として正規任官する為に、運用試験の検証を兼ねて衛士訓練兵となって207に配属となります。
 神宮司教官には急な話だったでしょうし、オレの扱いとか、新衛士訓練課程の内容に対する懸念とか、色々と思う所がおありでしょう。」

 今回のループに於いて、武は自身の207Bへの関わり方について大分悩んだ結果、結局『前の世界群』での自身の行動を踏襲する事を選んでいた。

 新衛士訓練課程の運用試験だけであれば、まりもに一任しておけば相応の練度に仕上がった上で、今年中の任官も叶うかもしれない。
 しかしその場合、武が以前の世界群で知り出来る限りの助言をしてきた、彼女達が心中に抱えている問題が解消されるかどうかが心残りとなる。
 その上、珠瀬事務次官の来訪に合わせたHSST落下事の、壬姫による迎撃が上手くいくかが危ぶまれてしまう。

 もし、壬姫による狙撃が失敗した場合、武が00ユニット化している状況であれば、少なくとも横浜基地に被害が及ぶ事だけは回避できるだろう。
 しかし、日本本土への破片落下を回避する事は難しく、もし被害が出た場合、恐らく壬姫は自分を責めるあまり、折角の貴重な狙撃特性を眠らせてしまうような事態ともなりかねない。
 如何に武が、彼女達に自身に対する報われる事のない想いを抱かないで欲しいと思っているとしても、この方法はデメリットが大き過ぎると判断せざるを得なかった。

 何よりも、どうせ任官後はA-01で同じ部隊の戦友として過ごす事になるのだし、それならば晴子や智恵と月恵などと条件が同じになるだけなので、デメリットだけ発生した上メリットすら得られない可能性まであるのだ。
 ならば、せめて自分が出来る限りの助力を行い、彼女達が一日も早くその溢れんばかりの才能を開花させて任官出来る様に、同じ訓練兵として支えてやりたいと武は考えたのであった。

 そしてもう一つ、武は大きな判断を下していた。それは―――

「なので―――少々突飛な話になりますが、先にオレの特殊任務に関して情報を一部開示しようと思います。
 神宮司教官は、香月副司令の提唱する因果律量子論について御存じですね?」

 ―――武が異なる確率分岐世界群の記憶を保有していると言う情報を、この時点でまりもに対して開示するという決断であった。

「―――はい。一応概略は存じておりますが……正直内容を理解できているとは申し上げられません。」

 突然、因果律量子論などというまりもにとってはトンデモ理論に過ぎないものを持ちだされ、眉を顰めかけたまりもは慌てて表情を抑え込むと、何とか動揺を押し隠して応答した。
 そんなまりもの動揺を見逃さなかった武だったが、敢えてそれには触れずに話を続ける。

「概略で十分です。その中にエヴェレットの理論を基にした多世界解釈という概念が存在しますよね?
 世界は一つではなく、可能性の数だけ確率分岐した並行世界が存在し、互いに虚数空間を超えて因果情報をやり取りして相互に影響を与え合うって概念です。
 エヴェレットの理論からは大分乖離してますが、あちらは純然たる量子論に基づいた理論ですから、因果律量子論では意味合いが異なってしまうのも仕方ないですよね。」

 武はそう言いながら、まりもがこの話を真面目なものとして受け取ってくれているか、その表情を窺い見る。
 まりもの様子を一見したところでは、真剣に話を聞いてくれており話の内容もちゃんと理解できている様子だった為、武は内心で安堵しながら本題へと踏み込む事にした。

「まあ、平たく言うと、この世界の他にも無数の異なる確率分岐世界が存在し、その情報が因果情報としてこちらの世界に流入する可能性があるって事になります。
 で、オレはこの異なる確率分岐世界の因果情報を収集するという実験の被検体になりまして、偶々上首尾に事が運んで複数の確率分岐世界群の因果情報を得る事に成功しました。
 具体的に言うと、この世界同様BETAの侵攻に抗っている確率分岐世界に於ける2001年以降の記憶を、何種類か記憶として保有しているんです。」

 夕呼のトンデモ理論の話から、更に突飛な内容へと飛躍を遂げた武の話に、さすがのまりもも目を丸くして疑わしげな視線を武へと向ける。
 しかし、武は真摯な表情と口調を保ち、まりもを真っ直ぐに見つめ返すと更に話を続けていく。

「その記憶だと、オレは大抵の場合今回同様に香月副司令の実験の被検体になっているんで、余計に彼方此方の確率分岐世界の記憶がごちゃ混ぜになってるんですが、その中にはBETAに対して有効な戦術や装備を確立した世界も存在するんですよ。
 そして、明日から運用試験を行ってもらう新衛士訓練課程もそういった世界で実際に運用されていたもので、しかもその世界のオレと神宮司教官で数年かけて改良したものなんです。」

 そして、武が語ったBETAに対して有効な戦術や装備という言葉に、まりもの視線が真剣なものへと即座に転じる。
 それは長年に亘って人類が求め続けているものであり、如何に荒唐無稽な話であろうとも内容も確かめずに、可能性を捨て去る事など出来ないものであったからだ。

「新衛士訓練課程は、少しでも長く生き延びて戦い続けろっていう、神宮司教官の教えを基にオレが考案した、対BETA戦術構想に即した衛士を練成する為のものです。
 なので、その運用試験も今回同様に、オレが207に配属された状態で神宮司教官の手で進められ、目出度く採用されて次年度以降も改良を重ねられたって訳です。
 ですから、衛士としてのオレにしても、新衛士訓練課程や対BETA戦術構想にしても、大元は神宮司教官の衛士教育の賜物って事になりますね。」

 武が今回、この時点で異なる確率分岐世界群からの因果情報を得ているとまりもに語ったのは、新衛士訓練課程の運用試験を担当して貰うに当たって、少しでもまりもの心理的な負担を軽減しようと考えたからであった。
 長年に亘ってまりもが磨き上げてきた教導手法を改めさせ、出自も効能も明らかでない新手法を押し付けるのである。
 任務故に、余程の事がない限りまりもが異を唱える事はないであろうが、その分余計に訓練兵の身を案じるまりもは多大な心労を負って、万事に備えようとするに違いなかった。

 しかし、良くも悪くもまりもは、夕呼と言う鬼才の常軌を逸した実力を熟知している。
 それ故に如何に突飛な話であっても、そこに一縷の真実味を見出す事は出来る筈だと武は判断した。
 ならば、事の初めから、異なる確率分岐世界で実用化され、しかも効能が確認された手法であると告げておけば、まりもの負荷も軽減されより有益な方向に労力が向けられると武は考えたのである。

 そして、衛士としての自分を鍛え上げたのがまりもに他ならないのだと告げる事で、『前の世界群』の様にまりもが武の成長に寄与する事が皆無であったと嘆く様な事がないようにと、武はそう願ったのであった。
 その願いが通じたのか、未だ半信半疑ではある様子ではあったが、まりもの表情に嬉しそうな明るい色が滲んできていた。
 さらに、武が続けて話した言葉を耳にした途端、一文字に引き結ばれていたまりもの唇がふっと綻ぶと、薄らとではあったが笑みが浮かんだ。

「おまけに、オレの記憶の中には、BETAの侵攻が起きなかった平和な世界で、英語教諭のま―――神宮司先生と物理教諭の夕呼先生に教えられる高校生だったオレの記憶まであるんです。
 その記憶の印象が強いのと、BETA侵攻後の世界群でも色々と教えられた事もあって、公的な場以外ではオレは香月副司令を夕呼先生って呼ばせて貰ってます。」

 武がついでのように語ったその話に、まりもは望外の喜びを得ていた。
 自分が過去に捨て去った、教職に就いて子供達を教え導きたいと言う夢。
 それが他の世界での出来事とは言え、実現していたと聞いた時、まりもの心の内より暖かな想いが溢れ出て、軍人と言う現在のまりもを固く覆う殻を溶かしていく。

 そんなまりもの柔らかな表情を目の当たりにして、武も嬉しそうな笑みを浮かべると、口調を和らげて自身の願いを精一杯の想いと共に伝えるのであった。

「そういう事情なんで、神宮司教官にとってはオレは初対面の胡乱な男でしょうけど、オレにとっては神宮司教官も夕呼先生も、207Bのみんなも―――そして、霞や京塚のおばちゃん、伊隅ヴァルキリーズのみんなとか、他にも沢山いるんですけど、みんな掛け替えのない大切な存在なんですよ。
 なので、おいおいで構いませんから、神宮司教官とも肩肘張らない付き合いが出来る様になりたいとおもってます。
 夕呼先生に関する愚痴とか、幾らでも聞きますから、よろしくお願いしますね、神宮司教官。」

 そう言って武が口を閉ざすと、まりもは夢から覚めたばかりの様にぱちぱちと数回瞬きすると、軍人としての自分を掻き集めながら時間稼ぎでもするように問いを放った。

「―――他の世界の私は、そんなことまで中尉に話していたんですか?」

「ええ。オレも夕呼先生にはよく振り回されたり、からかわれたりしてましたからね。」

 そんなまりもの問いに、笑みを深くしながら武は頷きを返す。
 その僅かなやり取りの間に、まりもは自身をしっかりと律し軍人の手本の様な態度を取り戻すと、やや躊躇いがちに口を開いた。

「―――中尉のお話は、一応理解出来たと思います。
 ですが、内容が内容ですので、少々消化する時間を頂戴したいのですが、よろしいでしょうか?」

 情報を整理する時間を望む、そんなまりもの言葉に、武は安心させるように穏やかに頷くと言葉を返した。

「―――勿論です。ただ、明日以降は、オレに対する態度は特殊任務従事中を除いて、訓練兵に対する態度に切り替えて下さい。
 これは、新衛士訓練課程の運用試験を任されたする臨時中尉としての―――命令です。
 ちゃんと使い分けが出来るって事は、他の世界で実証されてますし、そもそも神宮司教官は教官職を離れて現役復帰すれば、最低でも大尉以上の階級になるのは確定してるじゃないですか。
 それを思えば、たかが臨時中尉如き、なんて事ない筈ですよ?
 まあ、教官として階級の持つ意味を体現して見せなければならないって事も、解かってますけどね。」

 そして、その代わりと言わんばかりに、自身に対する態度を訓練兵に対するものにしろと迫る武。
 しかも、他の確率分岐世界群の話まで持ち出して、まりもの逃げ道を塞いでしまった。

「―――解かりました。訓練中は、訓練兵として扱わせて頂きます。
 ただし、新衛士訓練課程に関連して指示や意見を仰ぐ際には、臨時中尉として扱わせて頂きます。
 それでよろしいでしょうか?」

 渋々と、ではあるものの、まりもは武の主張を受け入れ、最低限譲れないと思った条件を告げて許可を求めた。
 しかし、この時のまりもは、翌日には武の特殊任務を補佐する時限定とはいえ、自身を臨時中尉に任じる辞令が届くとは思いもしなかったのである。
 結果として、まりもが軍曹として臨時中尉としての武に対する言動をとる機会は、極稀にしか生じない事となるのだが、それもまたこの時のまりもには知る由もない事であった。

「はい。それで構いません。
 内職をしたり、休みがちになったりと、あまり良い訓練兵にはなれないと思いますが、よろしくご指導願います。
 新衛士訓練課程の詳細は、明日中にはまとめた資料をお渡しします。
 では、夜分遅くに失礼しました、神宮司教官。」

 一方、真綿でくるむようにやんわりとではあったが、まりもの選択肢を削り、自身の望む関係を築こうと画策してる武は、満足気にまりもの言葉を受け入れて見せた。
 そして、明日の仲間達との再会を楽しみに感じながら、まりもへと辞去を告げる。

「いえ、お疲れさまでした、白銀中尉殿。
 新衛士訓練課程の詳細、期待させて頂きます。」

 そんな武に対し、まりもは立ち上がり敬礼しながら言葉を返し、新衛士訓練課程への心からの期待を込めた言葉を送る。
 それを聞いた武は、自身の選択が誤りではなかったと確信すると、まりもに答礼し退室していった。

 その姿がドアの向こうに消えると、まりもは大きな溜息を吐いてベッドに腰を落とす。
 そして、暫くの間視線を宙に彷徨わせて、思考を巡らしたかと思うと、突然頭を抱え込んで悩ましげな呻き声を上げ始めた。

(ちょっと待ってよ! いくらBETAだなんて、宇宙怪獣みたいなのが攻めてきてるからって、並行宇宙の未来の記憶に、しかも自分じゃない自分と知り合いだなんて…………
 幾らなんだって荒唐無稽過ぎるじゃないのっ!
 でも、白銀中尉は真剣に話してらっしゃったし、さすがに夕呼の悪戯って事もない……わよね?)

 まるで出来の悪いSF小説の世界に迷い込んだかの如き現状に、まりもは現実感覚を失調し疑心暗鬼に陥ってしまったのであった。
 そんなまりもが、そもそも親友が狂科学者(マッドサイエンティスト)染みた存在であった時点で、自身の人生から堅実さなどとっくに失われていたのだと悟りを開くまでには、もう数分の時を必要とした。
 それに気付いた所で、まりもの心労が軽くなったかについては、甚だ疑問ではあったのだが……

 因みに、『元の世界群』でのエピソードを話したり、夕呼に対する愚痴を聞き出したりと、あれこれとマメに働きかけた武は、この日から2週間ほどの期間を費やしてまりもを懐柔し、まんまと気の置けない関係を構築する事に成功するのであった。

  ● ● ● ○ ○ ○

2001年10月25日(木)

 18時11分、帝都城内にある斯衛軍総司令部内の一角―――来賓室の中に、悠陽、紅蓮、鎧衣課長の3人を前にして、帝国の趨勢を左右しかねない重大な施策を上奏する武の姿があった。

「―――近似世界に於ける未来情報により知り得た、BETAに対するより効率の良い戦術と装備に、BETAの侵攻予知とその対策、更には近く発生するであろうクーデターを未然に防ぐ策まで……
 しかも、一連の出来事を適切に処理する事で成果と成し、わたくしに実権を取り戻させようというのですか。
 ―――解かりました。そなたの献策を容れる事といたしましょう。
 それにより、多くの将兵が命を落とさずに済み、しかもBETAという帝国に立ち籠める暗雲を散じせしめる事が叶うというのであれば是非もありません。」

 武からは詳細な資料も提示され、幾つかの問答も経て、未だ武の為人やその真意に関しては疑念は尽きないながらも、示された献策の効能の高さ故に、それを採用すると決めた悠陽はついにそう明言した。
 それに対して、武は深々と頭を下げて礼を述べたが、直ぐにその視線を上げると更に言葉を継いだ。

「ありがとうございます、殿下。
 ―――ところで、これまでに申し上げた提案を了承して頂き、協力関係を結べたと判断した上で更に提案―――いえ、御相談させて頂きたい件があるのですがよろしいでしょうか?」

 ここまでは、ほぼ一方的に未来情報と称する怪しげな情報と、それを活用する術について述べるばかりであった武が、ここにきて初めて交渉らしき文言を口にした。
 この言葉に、悠陽や紅蓮が提示された献策に対する対価を求められるのかと考えて、一寸たりとも変わらぬ表情の陰で気を引き締め警戒度を引き上げたのも無理は無かったであろう。
 しかし、悠陽はその様な心中は欠片も表さずに、眼(まなこ)をやや見開いて驚いて見せると、武に先を促す言葉を返す。

「なんと―――この上にまだ、何か腹案があると言うのですか……
 構いません、申してみなさい。」

 そんな悠陽達の心情を知ってか知らないでか、許しを得た武は何の気負いもない様な態度で、飄々と言葉を連ねて行く。
 ある意味で、席に着かず扉の脇に控える鎧衣課長を彷彿とさせる、泰然たる振舞いであった。

「では、お言葉に甘えて申し上げます。
 先程から、オレは近似世界の未来情報を記憶として保有していると申し上げてきましたが、この近似というのは現時点までに生じている事象がほぼ合致している事を示しているに過ぎません。
 ですから、現時点では限りなく同一と言っても構わない程に似ている世界ではありますが、今後発生する事象に関しては時系列上で先の出来事になればなるほど、発生確率が低減していく事となります。
 香月博士の推測によれば、類似の事象が発生すると期待し得る期限は、精々来年初頭までだろうとの事でした。」

 より正確に述べるならば、武や夕呼の行動が世界規模で大きな影響を及ぼすようになるのは、諸般の事情を考慮しても2002年以降となるだろうというのが、夕呼の推論であった。
 無論、影響自体は幾つかの事件を機に生じるのだろうが、その影響が事象の変化を引き起こすのは、2001年度中であれば精々が帝国国内で生じる事象に留まるであろうと夕呼は予測している。
 そして、広く他者の目に留まる行動に関しては、『前の世界群』の2001年度のものに限りなく近づける事で、発生する事象の変化を最低限に留めようと言うのが、夕呼の下した方針であった。

「しかし、未来に起きる事象の予知と言う点では信頼性が低減しようとも、現時点よりも数年、十数年に亘って研鑽された技術に関しては、その有用性が損なわれる事は少ない筈です。
 殊に、軍事及び民生に貢献出来る技術情報は、高い価値を持つと考えます。
 ですが、その中でも特に工業技術に関する情報に関しては、技術情報を提示されたからと言って即座に実用に供する事は困難ではないかと考えます。」

 そして、どうせ変化してしまう未来事象等よりも、夕呼と武が重視しているのが武が『前の世界群』から継承した技術情報なのであった。
 しかし、それらの技術情報をオルタネイティヴ4で秘匿してしまった場合、国連軍横浜基地の技術部が有する限定された生産力では、それらの技術を基にした装備の量産がどうしても覚束なくなってしまう事もまた、明白な事実であった。

「例えば、20年以上先行した技術情報を提示されたとしても、それに至るまでの技術革新や、その先行技術の検証や必要となる機材の開発なしに工業生産を開始するのは無謀でしょう。
 それ故に、未来技術を実用化する為の時間と人材と設備、資金などの投資が必要となります。
 しかも、試作程度であればまだしも、量産化を目指すのであれば相応の規模を持つ生産力も必要となります。
 そうなると、如何に予算と人材そして最先端設備を有する第四計画であっても、正直手に余る事となってしまいます。」

 現在夕呼と武は、今後幾つかの秘匿装備を開発し、秘密裏に保有・運用する事を視野に入れて活動方針を定めつつある。
 そしてそれ以外にも、『凄乃皇』の調達から実用化、そして改装など、オリジナルハイヴ攻略までの短い期間で熟さなければならない課題も決して少なくない。
 その為、重要度は低くとも、高性能な装備群を近い将来に開発し実用化するのに必須となる、技術情報の研究までは到底手が回らないのである。

「実際、そういった問題もあって、試製99式電磁投射砲の実用化を帝国企業へと委ねている現状が、第四計画の限界を示しているとお考えください。
 そして、今回得られた技術情報が多岐多数に及ぶが故に、第四計画でその全てを実用化する事は事実上不可能と思われます。
 かと言って、折角得られた有用な技術情報を死蔵するのも勿体無い話ですので、第四計画で手が回らない技術情報の実用化と、それらの技術を使用した製品の生産を帝国で請け負って頂けないか御相談させて頂きたいのです。
 香月博士からは、第四計画及びその後継計画からの装備開発及び調達を最優先するとの条件さえ飲んでいただけるのであれば、特許権の取得も含めて帝国に譲渡しても構わないとの事でした。」

 それ故に、夕呼は武の提案を飲む形で、重要度の低い技術情報に関しては帝国に提供する事で、技術の実用化を推進させ将来の装備量産へと繋げる事を選択したのであった。
 無論、この決定の裏には表向きの装備調達以外の狙いが、二重三重に仕込まれている。

「今はまだ夢物語としか思えないかもしれませんが、地球に於けるBETA大戦終了後の国際情勢等を鑑みるに、先端技術の米国一国への偏重は回避したいと考えています。
 その意味でも、帝国がその技術力に於いて米国に比肩しうる事が望ましいのです。
 無論、帝国と米国が覇権を争う情勢等は御免蒙りたいのですが、その辺りの舵取りは不遜ではありますが、殿下を初めとした帝国上層部のみなさんの良識に期待させて頂きたいと思っています。
 こちらからは、こんなところなのですが、如何でしょうか?」

 それらの狙いの一端を明かしながらも、武は一通りの説明を語り終えた。
 懸念に反して、武が提示した内容が帝国にとっても利となるものであった事に内心で安堵しつつも、悠陽は即答せずにその明敏な思考によって様々な影響に思いを巡らせる。
 そうして悠陽が長考に入ったのを察したのか、間を埋めるかの様に紅蓮がその野太い首を捻りながら口を開いた。

「むう……そこまでいくと、軍事ではなく経済よりの話だな。
 鎧衣、こういった件ならば貴様の方が詳しいであろうが。」

 とは言え、紅蓮にも然したる妙案はなかったようで、扉の脇に佇む鎧衣課長に丸投げするが如き発言内容となってしまった。
 そんな紅蓮に対する反応を、右の眉をひょいと上げるだけに留めた鎧衣課長は、僅かに首を傾げて頭を捻る。
 その頭脳の中で、昨年中に仲介の労を取った、オルタネイティヴ4から帝国企業への電磁投射砲開発依頼の際と、そして、今年の夏頃に『XFJ計画』に関わった際に収集した、帝国の装備改修開発に関連する諸情報が、パズルのピースよろしく猛烈な速度で組み上がっていく。

 そして、それらの情報から得られた結論に、自身の持つ広範且つ膨大な情報を勘案して辿り着いた意見を、鎧衣課長は立て板に水とばかりに滔々と述べ始めた。

「ふむ……そうですなあ、既存の軍需企業であれば生産力や人材と言う点では十分な能力を持っているでしょうが、些か思考が硬直化しているきらいがありますからなあ。
 ここは、然るべき人物をトップに据えて、横断的で斬新な企業を構築させて、進取の気概を以って事に当たれる法人―――そうですな、財閥辺りを起業させるのがよろしいでしょう。
 そして、実際の量産に当たって生産力が不足した場合などは、国内外の企業にライセンス生産させる事で賄えばよろしいのではないですかな?」

 それは既存の軍需企業には委ねず、新たにそれらの技術開発を専らにする財閥を作ってしまおうと言う突飛なものであった。
 しかし、今でさえ種々の懸案を抱え込み、中々上がらない成果に呻吟している既存の帝国企業に委ねるよりは、いっそ新たな受け皿を作ってしまうのも一計ではあった。
 それ故に、悠陽もまた鎧衣課長の意見を無碍にはせず、真剣に検討を始める。

「なるほど、それは一案ですね。
 されど、これは国家百年の大計にも関わる重大事ゆえ、生半な者には任せられません。
 そうですね……………………御爺様―――雷電であれば適任ではないかと思うのですが、紅蓮、鎧衣、そなたらの眼鏡には適いましょうや?」

 鎧衣課長の案を容れるに当たり、最大の問題となるのは新たに起業させる財閥の領袖(りょうしゅう)に誰を据えるかであった。
 悠陽はこの重要な役職に、煌武院家の分家筆頭である御剣家現当主―――御剣雷電翁を推した。
 雷電であれば、政府や軍部の意向よりも、悠陽の意を優先して十全足る成果を上げてくれるであろうと、そう見こしての事である。

 しかも、雷電という人物は、その度量の大きさを以って麾下の人材を惹きつけ、適材を適所に投じ裁量権を果断に与え、総じて大きな成果を得る事に熟達した人物である。
 海の物とも山の物とも知れぬ技術情報を基に、多くの人材を纏め上げて実用化に漕ぎ着けさせるのであれば、正にこの上ない人物であった。

「ほほう、御剣雷電翁ですか。
 確かにあの御仁であれば不足は無いでしょうが、あの老人を動かすのはちと難儀ですぞ?」

 しかし、事に当たっては融通無碍な判断を下し、常道に捉われない自由奔放な行動力を示す半面、軽々と動く事を良しとしない慎重な面も持ち合わせた、所謂腰の重い人物でもあった。
 しかも、冥夜を孫娘として御剣家へ受け入れて以来、世間の目を避け隠居と称し、世情に殆ど関わらぬ隠遁生活へと身を沈めて久しい。
 それ故に、以前より親しくしていた紅蓮等は、今更雷電が表に出て来るものだろうかと懸念を抱かざるを得ない。

「確かに紅蓮閣下の仰る通りではありますが、なに、掌中の珠の如くに溺愛する孫娘に請われれば、あの方も重い腰を上げて下さる事でしょう。
 後刻、榊首相にも内々に御下問された方がよろしいでしょうが、此度の件に関しましては、帝国政府が直接関わる事は避けた方が後々面倒が少なくなりましょう。
 飽くまでも、殿下は仲介の労を取られるに留め、後事は雷電翁とそこの白銀に委ねるのが上策と存じます。」

 だが、今回の件に関しては、鎧衣課長の判断こそが正しいであろう。
 悠陽と冥夜の母は、御剣家から煌武院家へと嫁いだ雷電の息女である。
 冥夜を息子夫婦が産んだ孫として受け入れたのも、悠陽も冥夜も実の孫に他ならなかったからであった。

 それ故に、実の姉妹でありながら陽と陰に分かたれてしまった2人の孫娘を、雷電は等しく溺愛していたのである。
 しかも、今回の件は悠陽の願いであるだけでなく、冥夜が属しているオルタネイティヴ4の利ともなるだけに、雷電もその重い腰を上げるであろうというのが、鎧衣課長の見解であった。

「―――そうですね……では、御剣家の財を用いて財閥を起業し、白銀から提供される技術の実用化と、第四計画で必要とする装備の開発を担っては貰えぬか、雷電に請うてみる事に致しましょう。
 そうして、得られた利益の一部を、白銀が後々自由に動かせる資金として蓄えさせるのが良いでしょう。
 白銀、そなたであればいずれ組織の枠を超えて、世に影響を与える事が叶う時も参りましょうし、その折に、潤沢な資金があれば何かと役立つ事もある筈です。
 どうですか、白銀。異論がなくば斯くの如く計らおうと思うのですが。」

 悠陽も鎧衣課長と意見を同じくしていた為、雷電が引き受けてくれるとの前提に立って話を進める。
 そして悠陽は、将来を見越して武の助けとなる様に、資金を蓄える事を提案した。
 これには武が僅かに悩む素振りを見せたが、私に用いるのでなければ問題は無いだろうと結論付け、悠陽の配慮も含めてその意に従う事を選ぶ。

「―――わかりました。殿下の御高配にお任せ致します。
 過分な御言葉を頂きましたが、成し得る限り御期待に添える様に務めさせていただきます。」

 こうして武が同意した事によって、雷電の手で財閥が起業され、将来の為に技術開発に勤しむという方針が定まった。

 太平洋戦争後、米国の干渉により力を削がれたとは言え、五摂家やその分家、そして有力武家等は、未だに莫大な資産を有している家が多い。
 御剣家もその例に漏れず、家屋敷を初めとして多くの財を有している。
 それ故に、財閥を起こすに当たっての資金繰りに苦しむ事は無かった。

 潤沢な資金が用意できるとなれば、設備は必要に応じて贖えば済む事に過ぎない為、問題となるのはこのご時世では払底しがちな技術者の確保のみである。
 結果的にこの問題は、鎧衣課長が各企業や軍属から有能な技術者でありながら若手故に要職に就いていなかった者達を、端から引き抜く事で解決された。
 本来であれば、しこりが残る人材引き抜きという行為を行いながら、表立っては何の波風も立たなかったあたり、鎧衣課長の面目躍如と言える。

 斯くして、この翌月―――2001年11月の中頃には、帝国に御剣財閥が創立される運びとなる。
 これが後の世に、世界に冠たる大企業と目される御剣財閥創立の語られざる契機であった。

「わかりました。ではその様に致しましょう。
 では白銀、まだ何か腹案でもありますか?
 ―――そうですか、なれば此度の話はこれまでと致しましょう。
 いずれそなたとは差し迫らぬ事柄で、ゆるりと言葉を交わしてみたく思いますが、今は残念ですがその様な時宜ではありませぬゆえ、またの機会と致しましょう。
 白銀、此度の献策、誠に大儀でありました。香月博士にもわたくしが万謝していたと言伝願いますね。」

 とは言え、今この場に集った者達にとっては、その様な遥か先の事よりも、眼前に山積する問題への対処こそが急務であった。
 それ故に、この場で論じるべき方針が全て定まった事を確認するなり、悠陽は時を悪戯に費やさずに散会と決する。
 そして、自らの責を果たし、成すべきを成す為に、各々が在るべき場所へと散じて行くのであった。

 より良い未来を求めて―――




[3277] 第139話 寄せられる想い
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/08/16 17:23

第139話 寄せられる想い

2001年10月28日(日)

 18時25分、医療部を後にした武は、B27フロアを目指して通路を歩きながら、脳裏で最終確認を行っていた。

(…………大丈夫だよな? 忘れてる事はないよな?
 207Bの事はまりもちゃんに引き継いだし、ヴァルキリーズや月詠さん達の練成も、オレ抜きでも熟達できるように手配したし……
 悠陽殿下には斯衛軍の装備調達に要する資料を送ったし、斯衛軍の練成は月詠さん達が居れば十分可能だろう……
 クーデターを早期誘発する仕掛けも榊首相に頼んできたし、沙霧さんの説得も彩峰に委ねてある。)

 武は『前の世界群』でも行った、人格転移手術失敗に備えた措置に遺漏がないか繰り返し確認していく。
 人格転移手術に失敗し、そのまま死亡してしまった確率分岐世界群では、手術開始時に意識を失った時点で記憶が途切れてしまう為、失敗したとしてもそれらの原因を武は察知し得ない。
 しかし、00ユニットとして起動した後で、人格転移手術の機材や理論、手術中に記録された詳細なデータなどから、夕呼と2人で幾つもの問題点を洗い出し可能な限り改善策を講じていた。

 その後、改良された人格転移手術が実施される事は無かったが、武はそれらの改良点を繰り返し記憶して、今回のループに持ち越し夕呼へと伝えていた。
 これ以外にも、武が今回の人格転移手術失敗に備えて、00ユニットになった後も数十年に亘って、毎日暗唱して繰り返し記憶に焼き付けていた情報は多数存在する。

(横浜基地と帝都に潜入している工作員や、米国情報機関の影響下にある政財界及び軍部の協力者、活動拠点等の情報も鎧衣課長に渡してある。
 雷電翁が創立する財閥に提供する技術情報も、現行技術の延長線上にあるものは、発想や方向性の概略を資料にまとめておいたから、数年後には米国の技術に追い付けるだろう。
 一応、オレ以外の誰かが00ユニットとして起動した時の為に、BETA通信ユニット交換用のコマンドトリガーに付いての申し送り資料も作ってみたけど、プロジェクションは多分個々人の感性で違ってくるだろうな。
 まあ、駄目だった時に備えて、物理的に通信ユニットだけ破壊できるように、格納位置や破壊方法に関しても夕呼先生に伝えたから大丈夫だろう。)

 今回の再構成で、継承する因果情報の質と量の向上に起因する弊害が生じ、生身での記憶関連付けがここまで困難になるとは、武も夕呼もさすがに予想出来ていなかった。
 それでも武は万一に備え、人格転移手術以前に生身の能力で資料を作成しなければならない情報を絞り込み、00ユニットの量子電導脳の性能に頼らず、暗唱を繰り返す事でそれらの情報を記憶していると言う因果律を強化し続けていた。
 その甲斐あって今回の再構成後、記憶の関連付けを連鎖的に暴走させる事なく、武はそれらの情報を粗方思い出す事に成功している。

(再生医療技術も、甲21号のバイオユニットを確保できれば、モトコ先生宛てにまとめた研究方針を基に何時か開発されるかもな。
 けど、それでも純夏の人格を再生するのは、オレが00ユニットにならない限り難しいか……)

 などと、あれこれと思いを巡らすうちに、何時しか武はB27フロアに存在するとある一室の前へと辿り着いていた。

(―――いや、純夏の為にも、必ず00ユニットとして起動するんだって強い意志で臨むんだ!
 これまでに、オレが00ユニットとして起動に成功した分だけ、オレが00ユニットになるって因果律が強化されたと信じよう。
 よしっ! なにがなんでも、絶対に起動に成功して見せるぞッ!!)

 武は自身に気合を入れ直し強固な意志を全身に漲らせると、人格転移手術が行われる部屋へと勇躍して踏み込んでいくのであった。

  ● ● ● ○ ○ ○

 21時32分、シミュレーターデッキ付属の待機室に、夜間訓練を切り上げたヴァルキリーズ13名が集まっていた。

「―――この4日間、今まで以上に過酷な訓練に皆良く耐えてくれた。
 未だ満足出来る域に達してはいないが、新型OSと白銀の齎した三次元機動への習熟は、最低限のレベルを満たしたと言えるだろう。」

 真剣な眼差しを向けて来る部下達を一通り見まわし、満足気に告げられたみちるの言葉に、皆の表情が微かにではあったが綻ぶ。
 体力と気力を根こそぎ削られる様な思いをしてきたここ数日の訓練が、今の一言で報われたと感じたようであった。

「今後は各々が自身の練度を上げ、新型OSと三次元機動をより使いこなせるように鍛錬を続けろ。
 隊としての訓練は、更に先の段階へと移行する。
 明日からは、複座型に搭乗した状況で行う遠隔陽動支援機やその他の自律装備群の運用演習を、適宜組み込んでいく。
 また、それに合わせて、複座型を用いる際にはCPである涼宮にも、戦術機に搭乗して貰う事になる。」

 しかし、みちるが続けて語った内容に、数名の例外を除いて折角綻んだばかりの表情が引き攣る。
 明日からは、今日までの訓練を延長しつつ、更に課題が増やされると判明した為だ。
 そして、CP将校である遙の戦術機搭乗という言葉に、数名が驚いて視線を投じた先には、既に話を聞いていたのか決意と意欲を漲らせ、何時もの優しげな表情を凛々しく引き締めた遙の姿があった。

「Gに対する耐性や、戦術機の操縦に関してはともかく、自律装備群の管制に関しては大いに期待している。
 最初は辛いだろうが、宜しく頼むぞ涼宮。」

 ニヤリと笑みを浮かべてそうみちるが激励すれば、遙も得たりとばかりに即答した。

「はい、お任せ下さい、大尉。
 戦術機に搭乗して戦うのは私の悲願でしたから、例え胃の中を空っぽにする事になっても、必ずお役に立って見せます。」

 実に息の合った2人のやり取りであったが、遙の隣で話を聞いていた水月が顔色を変えると、慌てて遙を問い質した。

「ちょ、ちょっと遙! 出した中身を管制ユニットにぶちまけるつもり?!」

「え? う~ん……じゃあ、消臭剤と掃除用具の準備もちゃんとしておくね。」

 すると、さっきまでの凛々しい表情を何処かへあっさりと放り投げ、何時ものほんわかした表情に戻った遙が、悪気の欠片もない微笑みと共にそう応じた。

((( 吐くのは確定なんだ…… )))

 その応えを聞いた一同は、内心で冷や汗を一筋垂らしながら突っ込みを入れたものの、まあ何時もの事かとそのまま聞き流す事を選ぶ。
 そして、みちるはそこで透かさず発言し、話の流れを強引に元へと戻した。

「よし、良い覚悟だ涼宮。期待しているぞ。
 今後我々は、涼宮に限らず全員が、自身の搭乗する機体以外にも、多種多様な装備群を使いこなせる様にならなければならない。
 元来、装備拡張性の高さから、多種多様な装備の運用が可能な戦術機ではあるが、白銀の対BETA戦術構想はその枠を遥かに超えている。
 戦術機甲部隊で砲兵や工兵、そして輜重にまで至る多様な任務を、多種に亘る自律装備群を活用して統合運用しようという意欲的なものだ。」

 今回のループで武は、対BETA戦術構想装備群として、陽動支援機、随伴補給機、自律移動式整備支援担架、振動波観測装置、自律地雷敷設機、120mm短砲身速射砲コンテナ、自律誘導弾連射コンテナ、50口径120mmライフル砲といった装備を、早期から訓練に取り入れる事を決めていた。
 そして、慣熟の度合いを見て逐次、緊急展開用ブースターユニット、戦術機潜航強襲揚陸艇、中距離データリンク増幅システム、データリンク中継気球、120mm回転式多砲身機関砲、『雷神』、『土竜』、自律誘導式気化弾頭弾発射装置、S-11搭載弾頭弾、狙撃支援用追加装甲等の、現行技術で生産可能な装備も順次取り入れて行くつもりでもいる。
 この時点で、これらの多彩な装備群の概略を知らされているのはみちると遙の2人だけであったが、この2人をして、概略のみであるにも関わらず情報量の多さに辟易としてしまうほどであった。

「それを、従来通りの人員でこなすのだから、衛士1人に求められる知識や関連技能は過大なものとなるだろう。
 無論、各員の特性を見て適正に従った分担を行うが、それでも一通りの事は出来るようになって貰う。
 かと言って、衛士としての技量を落とすなど以ての外だ。
 全員、今まで以上に気合を入れて訓練に励め、いいなっ!」

 それ故に、今後部下達が修める事を求められる技量が、如何に並外れた高さであるか身に染みて実感できているのだが、かと言って手加減してやる訳にもいかない以上、みちるとしては発破をかけるしかないのであった。

『『『 了解! 』』』

 そして、自分達の前途に待ち構える訓練地獄の過酷さも知らず威勢良く応答する部下達に、みちるは憐れみを感じながらも表面上は満足気に頷いて見せた。

「よし! さて、明日からの訓練方針については以上だが、もう少しミーティングを続けるぞ。
 白銀が現れて以来、激変した状況にも一応慣れてきた頃合いだろう。
 この辺りで、貴様等の思う所を聞き、隊で共有しておこうと思う。
 所感、疑念、見解―――なんでもかまわないから、白銀や奴が齎したものへの思いを吐き出しておけ。
 では、発言は任官の遅い順とする、まずは茜からだ。」

 そして、白銀武と新OSや新戦術と言う、天から降って湧いた様な唐突な状況変化に曝された事に鑑みて、現状認識を隊の全員で共有し、今後さらに過酷となる訓練に邁進する為の環境作りを目的としたミーティングが開始された。

「え? あ、あたしからですか?!
 えっと…………そうですねえ、衛士としても軍人としても凄いってのが解かるだけに、同い年だってのが癪に障りますッ!
 何時か、少なくとも衛士としては追い抜いてやりますからッ!!」

 突然発言を求められた茜は、少し慌ててしまったものか、自身の気性に任せた少々素直すぎる発言をしてしまう。
 それでもその意気込みを買ってみちるは頷き、他の先任達も微笑ましげな視線を茜に投じる。

「そうか、目標を高く持つのは良い事だな。次は柏木。」

「私は白銀君の為人(ひととなり)に興味が尽きませんねえ。
 良くも悪くも経験豊富で、高い対処能力を持ってそうなのに、その癖、素直で何処かガードが緩そうな所が興味深いですね。
 軍人としても、同い年の男の子としても、見てて飽きそうにない逸材だと思います。」

 茜に続いて指名された晴子は、慌てる事もなく自身の武評を、玩具を前にした子供の様な笑みを浮かべて嬉々としてと述べた。
 すると、そんな晴子の発言に、右手の拳を顎に当てた美冴がニヤリと人の悪い笑みを浮かべて同意する。

「ふむ、確かに柏木の言う通り逸材だな。そして何よりも弄り甲斐がありそうだ。
 ―――と、大尉、次は築地でよろしいですか?」

 そして、みちるに確認を取ってから、美冴が多恵に発言を促すと、多恵は右手を高々と上げて要望を高らかに謳い上げた。

「あ、はい。えっとですね、複座型では茜ちゃんと同乗を希望しまっす!
 それから、涼宮中尉が複座型に搭乗されるって事は、白銀君は誰と同乗するんでしょうかぁ?」

 そして、何気なさそうに武の同乗者に関する疑念を提示した多恵だったが、他の面々にとっては、茜が武と同乗となる事を懸念して発言しているのが明らかであった。
 それでも、そんな心中は欠片も見せずに、ほんわかとした笑顔で遙が律儀に答えを告げる。

「あ、それはね、白銀中尉は暫くは複座型には搭乗しないって言ってたわ。
 なんでも、近々出来上がる特殊装備を搭載した機体の専従になるんですって。」

「なにそれ! 自分だけ専用機って訳?
 なんか、生意気で腹立つわねっ! ほらっ、次は高原よ、3、2、1―――はい!」

 特殊装備搭載機と聞いただけで、理不尽なまでの苛立ちを見せて毒吐いた水月は、そのままの口調で智恵の発言をせかす。
 この頃になると、先任達には発言の順序が、明言されずとも暗黙の内に共有されている。

「え? ええと~…………ど、どうせなら~、戦術機操縦課程の頃から新型OSだったら嬉しかったな~と……
 それから~、戦術機の操縦だけでも手一杯なのに、他の装備まで扱うなんて本当に手が回るんでしょうか~?」

 最近任官したばかりで、BETA相手に従来行われてきた戦術や、実戦参加を前提とした戦術機の機動などにようやく慣れて来たばかりの智恵は、この段階でそれらの訓練の成果を半ば無に帰される様な状況に、それとなく不満と先行きへの不安を提示した。
 その言葉に、みちるは武とまりもから知らされていた新衛士訓練課程に関する情報を告げた上で、新任達の苦労も今後に役立つ資料となるのだと告げる。

「そうだな、貴様等は少しばかりタイミングが悪かったかもしれんな。
 横浜衛士訓練学校の207Bは、現在、新衛士訓練課程と呼ばれる新機軸で練成されているそうだ。
 総戦技演習に合格して奴らが戦術機操縦課程に進む事になれば、最初から新型OS搭載機に搭乗し陽動支援機などの扱いも学ぶらしい。
 そうして新衛士訓練課程を終えて任官して来る事になれば、我々従来の訓練課程を学び、従来機から転換した衛士と、純粋培養の新世代の衛士との差を比較される事になるだろう。
 それもまた、白銀の任務の内だと言う事だな。次、麻倉。」

「あ、はいっ! 新型OSは何よりも反応が良いですしっ、遠隔陽動支援機はGがかからないので、思いっきり振り回せて良いと思いますっ!」

 新任5人の中で最後となった月恵は、小難しい理屈などそっちのけで単純に自分の思う所を述べ立てた。
 そんな月恵を微笑ましげに見ながら、それでも祷子はやんわりと苦言を呈する。

「あら、麻倉少尉は相当気に入ったようね。
 でも、手荒く扱ってしまうと、その分だけ機体への負荷も増えてしまうわ。
 ですから、いざという時の為にも、普段から繊細に扱ってあげなくてはならないわね。
 ―――それから、私の思い違いかもしれませんけれど、複座型への搭乗の際には、有人機の生残性向上を最優先にして、搭乗する衛士の組み合わせを決めるのではないかと推測したのですけれど、その辺りは如何でしょうか?」

 そして、次の発言者が自分である事を踏まえた上で、祷子は複座型搭乗時のペア選定基準に関してみちるに問いかけた。

「風間、お前の予想通りだ。個々人の相性や適性も加味するが、機動特性の高い衛士を主操縦士として機体に割り振り、その後で同乗者を決定するそうだ。
 当然、突撃前衛であるB小隊に属する衛士などは、全員別の機体に搭乗する事になる。
 今後は、従来の小隊単位での編制とは異なり、戦況に合わせて臨機応変に隊を分割し再編して任務を分担する事になりそうだな。」

 対BETA戦術構想では、従来の分隊単位や小隊単位での行動よりも、必要に応じて適材を適所に投入する方式が主体となる。
 あらかじめ戦域に広く陽動支援機や随伴補給機を配置しておき、索敵、狙撃、支援砲撃、陽動、近接戦闘、敵中深くへの突貫、各種装備の設置作業など、必要に応じて操縦する機体を切り替えた上で、担当する任務が目まぐるしく変化する事さえあり得るのだ。

 みちるは既に、中隊の編制が現在の定数12名から18名に改められ、運用する機体も戦術機だけでも大隊規模を超えるという構想を武から聞かされていた。
 それらの膨大な情報を現時点で全て明かしてしまっては、部下達が情報過多となって訓練に対する意欲を低下させかねないと考えたみちるは、情報を小出しにして適量を探りながら祷子の問いに応えていった。
 すると、今度は紫苑が発言順を意識した上で懸念を示す。

「―――つまり、有人機の安全を確保した上で、自律装備群を活用して果敢に作戦目標を達成すると言う形になるんでしょうか?
 そうだとすると、少し消極的過ぎるんじゃないかと思うんですけど。」

 この時点でヴァルキリーズは、有人戦術機と陽動支援機、そして随伴補給機を本格的に組み合わせた編制での演習を未だに行っていない為、衛士が戦線後方の比較的安全な場所に待機すると言う発想が希薄だったのだろう。
 それ故に、紫苑の懸念は有人戦術機も陽動支援機と共に、前線で陽動を行うという前提に立ったものであった。
 とは言え、状況によってはそういった側面も生じ得る為、一部肯定しながらもみちるは思い違いを指摘し矯正する。

「紫苑の言う事も尤もだが、必ずしも機動特性に優れた衛士を有人機の操縦だけに専念させる訳ではないらしい。
 戦域にセンサー網を張り巡らした上で、索敵情報統合処理システムを用いて地中侵攻などの動向を、早期に高確率で察知できる態勢を整えた上で、有人機の安全が確保されている状況であれば、所属衛士全てを自律装備群の運用に投じるという構想だそうだ。
 有人機の主操縦士に機動特性の高い物を割り当てるのは、ハイヴ突入時や戦況悪化による撤退時等に備えた、飽くまでも保険だと白銀は言っていたぞ。」

 そんなみちるの説明に頷きを返した美冴は、紫苑がこれ以上発言しそうにない事を見極めた上で、自身の所感を述べ始める。

「なるほど―――さて、次は私の番ですね。
 今の所、白銀の為人は高圧的な所も卑屈な所もなく、図太い所がある割に可愛げもありますから、付き合い易い人物だと言えるでしょうね。
 実戦証明の済んでいないOSや装備、戦術を押し付けられると知った時には殺意も湧いたものですが―――」

 そして美冴がわざと剣呑な表現を選び、柳眉をきりきりと吊り上げて情感たっぷりに憤って見せると、未だ美冴の為人を熟知していない新任達が面白い様に慌てる。
 唯一、動じる所か楽しげな表情を見せる晴子に、画竜点睛を欠いたなと思いながらも、美冴は意図的に繕っていた表情を戻し飄々と言葉を続けた。

「―――実際に試した今となっては、なんでもっと早くに持って来なかったのかと、詰りたい位に出来が良かったのでそれもいいでしょう。
 対BETA戦術構想では、従来とは比べ物にならないほど広い視野と、戦況の変化に応じた臨機応変且つ素早い対応を求められますから、指揮官ともなれば過重労働だとぼやきの一つも叩かなければやっていられないでしょうね。
 尤も、その分生命の安全は最優先で考慮されてますから、落ち着いて対処する余裕も得られるかもしれません。
 従来の戦術からいきなり転換するには敷居が高いとは思いますが、まあ何とかものにするしかないでしょうね。」

 それでも、意図的に毒を含ませた厭味たらしい言葉の羅列に、晴子を除く新任達は動悸が早まるのを抑えられなかった様子だった為、美冴は内心密かに自身の演技に及第点を付けた。
 隣にいる祷子の呆れた様な視線に、何か言われるかと身構えた美冴だったが、それより先に水月の声が美冴の耳朶を打つ事となった。

「まったく、宗像は細かい事をぐちぐちと……あんたねえ!
 こんだけ凄いもんを目の前にぶら下げられたんだから、奪ってでも自分のものにしないでどうすんのよ!
 それとも何? あんただけ従来OS搭載の単座機で戦ってみる?」

 美冴の発言に含まれたネガティヴな印象を払拭しようと、意図的に語調を強めて噛み付いくように告げられた水月の言葉に、美冴は目を細めて即座に否定の言葉を述べる。

「いえ、御免蒙ります。私は可能な限り楽をしたい質ですので。」

 その言葉に、何故か勝ち誇った様な笑みを浮かべた水月は、美冴の発言とは対照的に武の齎したあれこれを持ち上げる様な言葉を並べ立てた―――のだが……

「でしょう?! だったらうだうだ言ってないで、白銀に感謝して早いとこ新型OSを乗りこなしなさい!
 大体、新型OSやら、三次元機動やら、対BETA戦術構想やら、あれもこれもと訓練しなきゃなんない事は多いけど、その分訓練内容がちゃんと工夫されてんだから楽なもんだわ!
 なんたらフィードバックシステムとか、並列なんたらプログラムとか、白銀武なんたらプログラムとか―――」

 1、2度聞いただけでしかない、武が齎した新機軸の名称を思い出せなかった為、水月が口を濁して誤魔化そうとすると、即座に遙の突っ込みと言う名のフォローが入った。

「ちょっと水月~、さっきから『なんたら』ばっかじゃないの~。
 統合フィードバックシステムに並列仮想空間生成プログラム、それから白銀武エミュレーションプログラム!
 これ位はきちんと覚えてね?」

 今一つ優しさの感じられない遙のフォローに、水月は冷や汗を一筋垂らしながらも、素知らぬ振りで発言を続ける。

「ま、まあ名前はともかく、こんだけ訓練を効率的にこなせる環境まで整えて貰ってんだから、文句言うなってことよ!
 それでも文句言う様な元気と暇があるなら、あたしと一緒に白銀相手の勝負に参加しなさい!
 いくら白銀だって、こっちが4人も居れば何とかなるわ!!」

 武に挑むに当たって数を頼りにしようという発言は、水月としては気弱とも言えるものだったが、自身と武との技量の差をきちんと自覚しているが故の事でもあった。
 その事を十分に理解している遙は、それでも部下達が委縮してしまわないようにと、先陣を切って武に挑む姿勢を見せ続ける親友に、苦言を呈しながらも自身の見解を語り始める。

「あはは……それもどうかと思うけど、白銀中尉も忙しいだろうからほどほどにね?
 じゃあ、水月はそれで言いたい事は終わりみたいだから、次は私が話すね。
 みんなは白銀中尉の機動で振り回されててそれどころじゃなかったかもしれないけど、初日に白銀中尉がやってみせたハイヴ突入シナリオと、BETA上陸迎撃シナリオは本当に凄かったんだよ?」

 そう前置きをすると、遙は笑顔を消してCP将校としての真剣な表情に切り替え、武の戦闘詳報を読み上げるかのように滔々と語り出した。

「まずはハイヴ突入シナリオだけど、ヴォールクデータで地上に於ける陽動・支援0%のS難度実戦モードってとんでもないんだよ?
 なんたって、補給が皆無って事はシナリオ開始時の推進剤に武器弾薬を使い切ったら終わりなんだから、本当は補給物資を輸送する輜重部隊が必須になるの。
 なのに、白銀中尉は小隊規模の、しかも無人機3機を随伴機としてたった一人でハイヴに突入して、その上で反応炉に到達し更にはS-11を2発も設置して起爆したよね?
 まあ、その後はさすがに物資が切れてハイヴからの脱出は出来なかったけど……」

 『前の世界群』と同様に、武はXM3での高機動にヴァルキリーズを慣れさせる事を目的として、統合フィードバックシステムを使用して自身の機動に同期させたシミュレーターに搭乗させるシミュレーター演習を行った。
 ただし、今回のハイヴ突入シナリオに於いて、武は単機ではなく3機の無人戦術機を随伴補給機として伴なっていたのだ。
 さすがに武であっても、生身のままで同時に4機の戦術機を管制し運用するのは難しい、しかしそれを可能にしたのは、この時点でXM3に『同期コンボ』が組み込まれており、3機の随伴補給機を1塊りの集団としてまとめて扱えた事が大きい。

 今回は一番最初から『同期コンボ』も仕様に含まれていたとは言え、この時点で既に実用レベルに達していたのは、なによりも霞が頑張ったお陰だったが、武が数式と人格移植手術の改良点に次ぐ優先度で記憶に焼き付けておいた、XM3開発時の留意点に関する情報の存在も大きかったであろう。

「あれね、私は制御室からモニターしてたから良く解かったけど、3機の随伴機を物資輸送に使ったってだけじゃないの。
 無人機よりも、有人機の方がBETAの優先攻撃目標になる事を逆用して、自分の乗っている有人機を囮にして無人機の推進剤の消耗を軽減してたんだよ。
 他にも、突撃砲のマガジン交換を随伴機に担当させる事で、自機に搭載している予備弾倉を温存したり、両主腕で前方に立ち塞がったBETAを排除するのと同時に、側背に迫るBETAへの砲撃を同時に行ったり―――
 それでいて、無駄弾を撃たないようにちゃんと目標指示まで設定してたんだから凄いよね。」

 陽動支援機によるBETA陽動が主流となっていた『前の世界群』に於いて、武だけは自身の搭乗する機体での陽動を実戦で繰り返していた。
 その経験の蓄積が、記憶の関連付けも不完全で00ユニットとなる前の生身の状態で尚、武に迅速な判断や効率の良い機動を可能とさせていたのである。

「それに、途中で2機の随伴機を自爆させたのだって、輸送している物資が減ったのに合わせて、物資を1機に集約した上で計画的に自爆させてるんだよ。
 しかも、1機目の自爆で後続を断っておいて、その隙に2機目の推進剤を3機目に移して、その上で進路を切り開く為に突出させた上で自爆させてるの。
 反応炉へのS-11設置だって、有人機である自機で陽動しておいて、その間に無人機に自機に搭載していた分のS-11まで設置させてたし―――」

 それらの効果が相乗した結果、武自身も意外に思ったほど順調にシナリオは進み、反応炉到達、S-11設置・起爆数2という戦果を叩き出したのであった。
 尤も、ヴォールクデータのBETA出現数は、『前の世界群』で主流となっていたヴァルキリー・データを基にしたものよりも遥かに少ない為、武にとっては難易度が下がっていた事も影響しているだろう。

「上陸迎撃シナリオだって、旅団規模BETAの前衛の内9割以上を海岸線周辺に拘束して、レーザー属種の上陸まで陽動し続けてたけど、あれだって凄かったのは機動だけじゃ無かったよ?
 そもそもあれだけ長い時間陽動を続けられたのだって、戦闘と同時に無人機を使って推進剤と武器弾薬を後方からピストン輸送させてたからだし―――
 しかも、その補給物資だって、陽動で自機が移動する未来位置を予測した上で、複数のポイントで補給可能になる様に考え抜かれてたの。
 BETAとの近接格闘戦の真っ最中に、よくまあ、あれだけ色々な事を考えて、しかも実行して見せたもんだと思うよ。」

 訓練中、第3者の視点からじっくりと観察する余地のあった遙には、ヴァルキリーズと武との間にある差が明瞭に見て取れたのであろう。
 常に無く、雄弁に語って見せた遙の言葉に、他のヴァルキリーズは目を見張った後、真剣にその内容を傾聴した。
 そして、遙が一頻り語って一息吐くと、みちるが感心したように眼を眇めて口を挟んだ。

「ほほう、涼宮からここまで絶賛されるとはな。
 白銀の域に追い付くのは、生半な事ではなさそうだな。」

 武に対する評価を、更に一段上げたらしきみちるの言葉に、遙は頷きを返した上で、駄目押しの様に言葉を足した。

「はい。本来ならば、上陸迎撃シナリオでは有人機は後方待機として、陽動支援機だけを前線に投入すれば良かった筈なんです。
 それであれば、補給計画の立案と管制を戦闘と両立する事も十分可能だと思います。
 ですがあの時、白銀中尉はみんなを三次元機動に慣れさせる為に、有人機で陽動を行っています。
 あの状況下で、あれだけ長時間陽動を続け、しかもレーザー属種の殲滅まで行ってしまう程の胆力―――
 白銀中尉は、あの年齢でどれほどの実戦経験を積んで来たんでしょうね?
 私からは以上です。」

「そうだな。私とて、任官から5年の間に人並み以上の修羅場を潜ってきたつもりだが、それと同等以上の経験を白銀は味わってきたという事だろう。
 では、次は水代だな。」

 自身の経験と現在の技量を計りとして、武の戦歴を想像しながらみちるはそう語った。
 しかし、この件に関してはみちるも殆ど情報を開示されてはいない為、遙の疑問はみちる自身の疑問でもあったのである。
 とは言え、それはこの場で答えが出る事ではない為、みちるは葵に発言を促した。

「えーと、白銀くんのぉ戦術は、何を置いても戦死者を減らすぅ事を最優先に考えているから、とてもいいとぉ思うの。
 確かに訓練は厳しくぅなっちゃったけど、それで仲間が死なずに済むぅ様になるんだったら、わたしだって頑張ってぇ付いてって見せます!
 それに、コンボをぉ使えば普段出来ないぃ様な機動もできるし~、結構ぉ楽しかったり―――」

 おっとりとした口調で思う所を述べる葵だったが、その内容はと言えば仲間の死を人一倍悼み、自身の衛士としての技量の拙さに歯噛みしている葵ならではのものであった。
 そして、そんな葵の事を良く知る葉子と紫苑が、感慨深げに葵の発言につい口を挟んでしまう。

「……葵ちゃんが……跳躍から伸身宙返りの最中に……倒立状態から砲撃して……突撃級を撃破してた……」
「普段の姉さんには、それこそ逆立ちしたって無理な機動だよね。
 まあ、その後着地でコンボが終了しちゃったから、そこから移動しようとして転倒しちゃってたけど……」

 紫苑の言葉はヴァルキリーズの新任以外のほぼ全員と思いを同じくしていたのだが、葵が顔を真っ赤に染めて怒りだすには十分過ぎる内容であった。

「紫苑~~~~ッ! それは言わなくてもいいのぉ~!!」

 そう言って紫苑を詰る葵を他所に、腕組みをして首を傾げた水月が、珍しく思慮深げに口を開いた。

「確かにコンボに登録されてる機動の中には、あたしでも難しい機動があるのよね~。
 なのに、それが葵さんでも出来ちゃうってんだから、ある意味空恐ろしいわよね。」

 突撃前衛長として近接格闘戦の技量を追究してきただけに、コンボに登録してありさえすれば未熟な衛士でも高度な機動が可能となる事に、水月は納得し難い思いを抱いているようであった。
 しかし、みちるは水月と全く逆の見解を述べる。

「だが、そのお陰で練度が不足している衛士でも、実力以上の結果を出し得ると言う事でもある。
 水代はそんな所か―――では、桧山。」

 そして最後の1人となった葉子が、自身の見解を簡潔に語り出した。

「…………自律装備群の運用では、衛士がパニックになる危険性が低減されると思います。
 ……それから、従来であれば挺身―――衛士の犠牲が必要な局面であっても、自律装備で代用できる場合も多いと思います。
 対BETA戦術構想は……戦術機甲部隊を諸兵科連合(コンバインド・アームズ)とする事で、より自由度の高い戦術的選択肢を確立しようとしていると思います。
 ………………以上……です。」

 その言葉は、散文的ではあったが、これまでに言及されていない対BETA戦術構想の利点を鋭く指摘していた。
 こうして一通り全員が意見を述べた所で、美冴がさり気ない風を装ってまとめに入る。

「なるほど、こうして意見を出し合ってみると、つくづく考え抜かれた構想だって事が解かるな。なあ、祷子?」

「そうですわね。実戦経験の豊富さもそうですが、一体これだけの構想を練り上げるのに、どれ程の時間をかけたのかが不思議ですわ。
 いくら能力が高いとしても、これ程多方面で成果を残すには、白銀中尉は年齢が若すぎる様に思えてしまいますもの。」

 しかし、思い起こす程に不思議に感じられるのは、年齢に対して不釣り合い極まりない武の能力であった。
 それ故に、祷子も重ねて疑念を呈さずにはいられず、それを受けて水月が半ば冗談のような言葉を述べる。

「もしかしたら、あいつの陰に何十人もスタッフが隠れてるのかもよ?」

 だが、その発言に、水月を尊敬する余り過大評価する傾向のある茜が喰い付いてしまった。

「あ、それだったら納得ですよね、速瀬中尉!」
「んのの?! な、何が納得なの? 茜ちゃん!」
「はいはい、多恵は静かにしてようね~。ほら、茜の顔をじっくり見てていいからさ。」

 そして、茜にべったりな多恵が、唐突に発せられた茜の発言の前後関係を把握しそびれて動揺する。
 尤もそんな騒ぎは、常日頃から幾度となく繰り返されている事なので、即座に晴子がフォローに入り、手段はともかく透かさず多恵を落ち着かせていた。
 そんな妹達の繰り広げる滑稽な騒ぎを脇目で見て、苦笑を浮かべながらも遙は水月の不用意な発言に水を差した。

「でもね水月、もし万が一そうだとしても、白銀中尉自身が衛士として身につけている技量だけでも、伊隅大尉と同等以上なんだよ?
 だから、水月が勝ち誇れる理由にはならないんだからね?」
「うう゛……」

 こちらも手慣れた感のある遙の突っ込みに、水月が唸り声を上げながらも肩を落とした所で、みちるは号令をかけて一同の気を引き締める。

「総員注目ッ!―――少し騒ぎ過ぎだ、静かにしろ。
 これで全員が一通り意見を述べたな?―――よし、それでは総括に移る。
 疑念や懸念もあるものの、白銀本人にしろ白銀が齎したものにしろ、概ね好意的に受け入れられそうだと言う事で良いな?
 ―――よし。余りに従来からかけ離れている為、戸惑う事も多いだろうが、私は白銀が齎した物はBETAとの戦いを一変させるに十二分な可能性を秘めていると思う。
 我々は、総力を挙げて白銀の期待に応え、新装備と新戦術に熟達せねばならない。
 我々の練成が遅れる事は、人類将兵の犠牲増大に直結しているのだと肝に銘じろ!
 明日より、訓練はさらに過酷になるが、人類に貢献するため死力を尽くせ! いいなッ?!」

『『『 ―――了解ッ! 』』』

 みちるが立ちあがって言い放った檄に、ヴァルキリーズは一斉に起立して唱和する。
 部下達を見廻したみちるは、全員の瞳に断固たる決意が漲っている事を確認し、満足気に頷きを返すのであった。

 武の齎した様々な改革によって、ヴァルキリーズの環境は数日間の間に豹変してしまった。
 彼が与えた影響は多大であり、ヴァルキリーズの各員にとって武は既に無視し得ない存在となっている。
 だが、この時点でヴァルキリーズが武と言う存在に向ける印象は、有能過ぎるが故に却って得体の知れない、怪しげな男性衛士といった程度のものに過ぎなかったのであった―――

  ● ● ● ○ ○ ○
  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

 武は夢と現の狭間で、世界を隔てた懐かしい人々を想っていた……

(―――夢を見た……希望を捨てず、必死に戦い続ける人々の夢を……夢を見た……残された願いを継いで、護るべきものの為に、戦い続ける人々の夢を……
 夢と現実の境界は……自分の力で道を……切り開けるかどうかだけだ。それを悔やんでみても、夢が現実に戻る事はないんだろう。
 だから……オレは……出来る限りの事をしていこう……と思う。この世界に、オレが生きている意味は……そこにあるんだと思う。
 これが、望まれた運命じゃなかったとしても……この世界で……オレだけが出来ることなら……
 悲しい別れも……人類の運命も……そして、自分の運命も……オレには変えられるはずだと信じる。
 護りたいものを……本当に護るという強い意思を……常に持ち続けたなら……オレには、誰にも出来ないことが、出来るはずだ……そう信じる。
 だから……だから……せめてこれから……生きて……生き足掻いて……少しでも多くが生き延びられるようにしたいと思う。
 みんなが生きる、この星を、守り抜きたい……そう思う。
 残された人々に……残された想い出に……そして……愛する人の願いに……全てを捧げて応える。
 オレは……必ず出来るはずだ……その力があるはずだ……
 人類は負けない……絶対に負けない……オレがいるから……オレが、いるから……みんなが、いるから……)



 (……………………だけど、その為にあいつらを悲しませ嘆かせなければならないのだとしたら、オレは―――)

  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
  ● ● ○ ○ ○ ○

第4ループ確率分岐世界群
????年??月??日(?)

 膨大な想い(イメージ)が濁流のように押し寄せ流入し、観測者足る武の意識を巻き込み、押し流さんばかりに覆い被さって来た。

 垣間見えるのは、武が大切に思う人々の姿―――その中でも武へと想いを寄せてくれた女性達の姿であった。

 純夏、霞、冥夜、千鶴、彩峰、壬姫、美琴、晴子、智恵、月恵―――他にもまりもや悠陽、七瀬凛、そして夕呼などまで……
 軌道上の『ギガロード』の艦内で、宇宙空間に浮かぶ戦術機の管制ユニットの中で、地上各地の基地や野営地で、そして自宅であろう家屋の部屋や庭先で……
 夜空を見上げ、遥か遠くに地平線や水平線を臨み、宙に視線を彷徨わせ、或いは傍らに居る誰かを愛しげに見つめながら……

 しかし、それら全ての姿の中で、多彩な輝きを見せる双眸の、しかしその奥深くに澱んでいるのは―――愁い、追想、寂寞、渇望、悔悟―――押し並べて悲しみや嘆きに類する想いであった。

 未だ十分に若い姿であっても、齢を経て見聞を重ねた姿であろうとも、垣間見る事の出来る姿の全てが、押し並べて悲嘆という陰りを纏っていた。

 如何に距離が遠くとも、永の時が過ぎようと、彼女等は己が想いを頑ななまでに抱き続け―――それが故に悲嘆をもその身に宿し続けていた。

 笑みを浮かべていても、喜びを露わにしていてさえも、悲しみは彼女等の身の内に巣食い、心から安らぐ事を妨げているように見受けられた。

 そんな姿が、幾百も、幾千も、幾万も―――無数に浮かび上がり、等しく武の存在を欲していた。

 その余りに膨大な数に、その想いの余りの強さに、武の意識は飲まれ、溺れ、浸食されていく……

 いつ果てるとも知れぬ因果情報の濁流に曝され、武は半ば意識を放擲しながら流れに弄ばれ続けるのであった―――

  ● ● ● ○ ○ ○

2001年11月01日(木)

 20時07分、国連軍横浜基地の1階にあるPXに、武を除く207Bの全員が揃っていた。

「―――それじゃあ、明日の総戦技演習に備えて、第207小隊B分隊のミーティングを始めるわよ。」
「……白銀、除け者?」

 千鶴がそう口火を切ると、透かさず彩峰が茶々を入れた。

「ッ! しょ、しょうがないじゃないの!
 その白銀に付いて、みんなの忌憚の無い意見を聞いときたかったんだから……
 ―――白銀がうちの分隊に配属されてから、まだたったの10日なのよ?
 しかも、その内3分の1以上は特殊任務で訓練を共にしていないじゃないの……
 これじゃ、明日の総戦技演習でちゃんと隊に馴染めるか心配するのは当然でしょ!?」

 武の居ない時を見計らってミーティングを開いた事を、幾らかは後ろめたく感じていたのか、千鶴は動揺も露わに言い返したものの、直ぐに落ち着きを取り戻して意図する所を述べた。
 しかし、彩峰は追撃の手を緩めない。
 目を半眼にして、そっぽを向きながらボソリと呟く。

「―――白銀の方が、誰かさんよりよっぽどマシ……」

「ぐっ……た、確かにそうでしょうけど、能力と隊としての歩調が合わせられるかは別でしょ?!」

 彩峰の呟きに武に対する劣等感という痛い所を的確に突かれた千鶴は、呻き声を上げながらも辛うじて反論して見せた。
 そんなやり取りを心配そうに見ていた壬姫だったが、こてんと首を傾げると率直な意見を述べる。

「う~ん、大丈夫なんじゃないかなぁ。
 だって、たけるさん、わたし達の事、とぉ~ってもよく理解してくれてるような気がしない?」

「うむ。タケルはこの短い期間であったにも拘らず、我等の為人を相当詳細に把握していると見受けられたな。
 慧眼の士とは、タケルのような者をこそ指すのやも知れぬ。」

 壬姫の暢気とも言える発言に、冥夜は腕組みをして瞑目すると深々と頷き、壬姫の発言を補う様に言葉を告げた。
 そして、その後に瞳を輝かせた美琴が続く。

「そうだよ、千鶴さん! ボクとタケルは一心同体、以心伝心なんだからね!!」
「ナイナイ……」

 美琴の発言に、目を更に細め一筋の線の様にした彩峰が、右手を顔の前で振りながら突っ込みを入れたが、半ば妄想の世界に突入している美琴の意識には残念ながら上る事は無かった。
 何はともあれ、事実上自分以外の全員に否定的見解を提示された形となった千鶴は、僅かにたじろいで皆の意見を受け入れたが、それでも更に疑念を提示する。

「わ、解かったわよ! じゃ、じゃあ、白銀の側は私達に付いて十分な知見を得ていると仮定するわ。
 けど、そうだとしても、私達の方はどうなのかしら?
 この10日間で、一体どれだけ白銀に付いて理解出来たって言うの?」

 千鶴のこの発言に、他の4人も武が配属されてからの、短い期間の出来事を反芻する。
 それは、10日間とは信じ難いほどに、濃密で充実した期間であった。

「―――なるほど。確かに我等はタケルについて熟知しているとは言い難いやも知れぬな。
 何と言っても、タケルには奥の知れぬ所がある。
 軍歴に付いても、機密扱いで詳細には語れぬようであるしな。」

 それでも、自分が武に付いてどれほど知り得ているか思い返した冥夜は、千鶴の言を認めない訳にはいかなかった。
 感覚としてであれば、冥夜は武の為人を十分理解し、その上で信頼し尊敬の念すら抱いていると感じている。
 しかし、思い返せば思い返す程に、武が何か底しれぬものを抱えているように思えてきた為、千鶴の言を認めたのであった。

「う~ん、確かにタケルって謎が多いよね~。―――でもまあ、そこも魅力的だなんだけどね!」

 冥夜の言葉に、美琴も腕組みをして口をへの字に結び、首を傾げて唸る。
 が、出て来た結論は、相変わらず斜め上なものであった。

「あ、あはは……鎧衣さん、さっきと言ってる事が……」
「珠瀬、突っ込むだけ無駄……」

 美琴の言葉を聞き、思わずずっこけた壬姫が力無く呟きを発したが、それを聞いた彩峰が無益な事だと断じてしまう。
 その言葉に、がっくりと力尽きた様にテーブルに突っ伏してしまう壬姫だったが、彩峰自身は慰めたつもりだったのかもしれない。
 いずれにせよ、自身の言い分を認められた形となった事に気を良くして、千鶴が場を掌握にかかる。

「―――解かった? 要するに、白銀って得体が知れ無さ過ぎるのよ。
 だから、お互いにこの10日間で白銀に付いて知った事や思った事を共有して、明日に備えるのが万全だと判断したの。
 異論は無いわね?」

 そして、彩峰が不満げな表情をこれ見よがしに浮かべているのに眉を引き攣らせながらも、表向き異論が発せられなかった事を受け、自身の武に対する見解を滔々と連ね始める。

「じゃあ、まずは私から話すわね。
 衛士―――軍人としては文句無しに優秀ね。しかも実戦経験も豊富そう。
 そして、その経験を基に新戦術や新装備を確立して、戦況を有利にしようと考える程に戦略眼もあるように見受けられるわ。
 しかも、夢想するだけじゃなく、その構想を実現一歩手前まで練り上げてる。
 ―――おまけに、どうして知っているかは言えないけど、白銀は特殊任務絡みで政略にも関与している節があるわ。」

 千鶴は、この10日の間に武を観察してきた結果を述べながら、ふと先日―――特殊任務へと出かけると言っていたその前夜に、武が父である榊首相に会いに行くと言っていた事を思い出し言葉を途切れさせてしまった。
 同時に、武から受けた様々な教示の中に、政治的な視野が多く含まれていた事などから、自身の憶測でしか無い事柄であったが、思い切って口に出す事にした。
 そして、その憶測を補強するかのように言葉を継ぐ。

「香月副司令の直属でもあるようだし、一軍人としての枠に納まる男じゃないって事ね。
 その癖、普段の態度はいい加減だし、落ち着きは無いし、無遠慮だし、厚かましいしで碌なもんじゃないんだから!
 ま、まあ、訓練中や任務に関して指示を下す時とかは、毅然とした振舞いも出来るみたいだけど……」
「惚れた?……」

 透かさず千鶴を茶化した彩峰だったが、実を言えば心中では全く別の事に思考を割いていた。

 それは、武に万一の事があった時に備え、一時託されはしたものの武が無事生還した事で、果たさずに済んだ武の代役―――クーデターを目論む沙霧の説得に関する事であった。
 あの時、武は沙霧の説得に、帝国上層部や情報省、更には政威大将軍までもが関与している事に言及していた。
 そして、その上で自身がその任を担っていると語り、更にはその任を自身に代わって彩峰に委ねるという判断すら、自ら下せる立場である事を彩峰に悟らせてしまった。

 それを知り、更には武が真剣に語った亡父―――彩峰中将の言葉に対する解釈などを思い出すに、千鶴の語る言葉は真実を突いているであろうと彩峰は確信していた。
 であるならば、武は戦術、戦略、政略の全てに関与し、更には装備の開発にまで手を染めている事になる。
 一体全体、どれだけ規格外なのだろうかと思いつつ、だからこそ彩峰は武に対して一層の興味を駆り立てられるのであった。

「う、うるさぃいっ! そんな訳ないでしょっ!!
 とにかく、私の白銀に対する印象は、折角優秀な軍人なんだから、もう少し真面目な性格してれば言う事無いのに、そうじゃないから今一つ信頼し切れないってとこかしらね。」

 そんな彩峰の心中を知る由もない千鶴は、微かに頬を染めながら怒鳴り散らすと、やや強引に自身の発言を締めくくった。
 しかし、その結論に対して、即座に冥夜が片眉を上げて異論を唱える。

「だが榊、先程そなたも言っていたではないか。
 特殊任務に関する場合などであれば、タケルは毅然とした振舞いを見せると。
 ならば、少なくとも明日の総戦技演習に関しては、タケルの性格は問題となるまい。」

 すると、その言葉に壬姫と美琴が便乗し、武を擁護しにかかった。

「そうですよね~。それに、たけるさんが一緒なら、わたしも少しは落ち着けるんじゃないかな~。
 ほ、ほら、なんていうか、凄く安定感があるっていうか、大抵の苦境は乗り越えて来たって風格みたいなのを感じませんか?」

「あ、それは確かにあるかもね~。
 でもなあ……確かにタケルは頼り甲斐がありそうなんだけど、その癖、なんか突拍子もない事やりそうな不安感も感じちゃうんだよねぇ~。」
「アルアル……」

 ところが、擁護していた筈の美琴の発言は、後半で武に対する懸念へと変わってしまい、しかもニヤリと笑みを浮かべた彩峰までもがそれに相槌をを打つという展開となった。
 それに対して、冥夜は苦笑を浮かべたが、それでも更に武擁護の論陣を張った。

「それは確かに否定し難いな。だが、タケルの思考や言動は常軌を逸したものであっても、必ずしも悪手とは限らぬ。
 それは、新衛士訓練課程をこなし、対BETA戦術構想の一端を明かされた我らにとっては、自明の事ではないか?」

 そして、此処までの会話を総じて、冥夜の言にも一理はあると判じた千鶴も、渋々とではあるが武を評価する様な言葉を発する。

「―――そうね、白銀の発想は従来にないものだけど、言われてみれば納得の出来る事が多いのも確かよね。
 BETA相手に苦戦し続けて来た人類が、ここから戦況を覆すには、あのくらい常識外れな発想がないと駄目なのかもしれないわね。」
「榊は頭固い……」

 が、またもや差し挟まれた彩峰の茶々に、千鶴は柳眉をキリキリと吊り上げて怒鳴る羽目となってしまう。

「わ、悪かったわねっ! 常識的な人間だって必要なのよッ!!」

「あ、彩峰さん! 榊さんっ! お、落ち着いて……」

 間欠泉のように、時間を空けながらも繰り返し噴き出す千鶴と彩峰の確執に、今までは静観していた壬姫が仲介を試みる。
 尤も、そんな仲介で収まる訳もなく、余裕の笑みで余所見をする彩峰を、千鶴は眼を吊り上げて睨み続けるのであった。
 そして、そんな3人の振舞いもどこ吹く風といった風情で、美琴が両手を広げ肩を竦めて言い放つ。

「まあ、確かに非常識な人間って、周囲を混乱させがちだからね~。
 だからボクも、それを緩和する人材は必要だと思うな~。」

 自身を顧みない美琴のその放言に、他の4人は揃って唖然として呆れ返ってしまう。
 尤もそのお陰で、彩峰と千鶴の小競り合いは解消されたので、結果的にはファインプレーであったかもしれない。

「―――確かに非常識な振舞いも多々見受けられるな。
 毎朝、社に手ずから食事をさせたり、私や榊に対して全く臆す事なく接したり―――時には日本育ちでないのではなかろうかと思う程に、な。」

 そんな美琴の放言に対して、気真面目に言葉を返す冥夜だったが、その心中では武の特異性に想いを馳せていた。

 自身の決して表沙汰に出来ない出生の秘密から現在の複雑な立場に至るまで、全てを知って尚、冥夜を個人として捉え、戦友として遇してくれる武。
 冥夜の武に対する感謝の念は、この上なく篤いものであったが、反面では武の思考が日本人離れしているという冷静な判断も下していた。

「そうよね。大体、人に勝手にあだ名を付けたり、自分の呼び名を指定するとか、非常識にも程があるわよ!」
「委員長、委員長……根に持ってる?」

 そんな冥夜の言葉で、嫌な記憶を刺激されてしまったのか、頬を引き攣らせて千鶴が武を詰る。
 そして、そんな千鶴を透かさず彩峰がからかったが、彩峰の動向を注視していた壬姫が、今回は絶妙なタイミングで割って入った。

「だ、だだだだ、だけどッ! 知識も経験も豊富で、色々と教えて貰えたじゃないですか~。
 今日だって、この後の勉強会でたけるさんに教わる事になってますし~。」

 そう言いながら、壬姫が思いだすのは、なにくれとなく語りかけて不安定な自分の心を案じ、力付けてくれた武の言葉の数々であった。
 自分を信じる事、自分がした努力を信じる事、そうする事で自分で自分自身を支え、より強い自分になれる事。
 武の言葉と存在は、今や壬姫にとって大きな支えとなっていた。

 そして、そんな壬姫の言葉に、美琴が頷いて同意する。

「さすがボクのタケルだけあって、よく知ってるよね~。
 正規の軍事教育を受けていないっていうんだから、独学って事だよね?
 タケルってあまり勉強とか好きじゃなさそうなのに、凄いよね~。」

 武に対して酷い評価を何気に下した美琴だったが、この場合、逆に武の事をよく観察していると評すべきかもしれない。
 とは言え、武に対しては欲目が働いてしまう冥夜は、反論せずにはいられなかった。

「それだけ、必死に努力を重ねて来たのであろう。
 タケルはしっかりと目的を定め、それを叶える為に全力を振り絞って努力しているのではないだろうか。
 『目的があれば、人は努力できる』、以前タケルはそう申していた故な。」

 武と出会ったばかりの頃に、夜空の下で語りあった想い出の一端を、冥夜は染み染みと語った。
 その内容に、幾許か感じ入る所があったのか、感心した様な声で千鶴が応じる。

「そう、そんな事を言ってたの。
 確かに、白銀には色々と教わったわね。
 『衛士の心得』、対BETA戦術構想……BETAに関する情報開示も白銀のお陰だし、何よりも『対BETA心的耐性獲得訓練』でBETAとの戦闘が如何に悲惨で過酷なものか、身に染みて知る事が出来たものね。」

 そうして、言葉にして列挙してみると、武から学んだ事の重要性に千鶴も気付かざるを得ない。
 否、元より気付いていなかった訳ではなかった。
 単に千鶴は、同い年でありながら、自身を大きく引き離している武への劣等感に埋もれてしまわないように、極力意識しないようにしていただけなのである。

 そして、207Bの誰よりも強く、武に大切なものを与えられたお陰で、自分を良い方向へと変える事が出来たと確信している壬姫が、自身の信念を口にする。

「『対BETA心的耐性獲得訓練』は、明日が総仕上げだって言ってましたけどね~。
 でも! わたしはたけるさんやみんなが一緒に戦ってくれるなら、頑張れる気がしますっ!」
「そだね……」

 そんな壬姫の素直な言葉に触発されたのか、頬を微かに染めながら、彩峰も言葉少なく同意の言葉を発した。

「壬姫さんの言う通りだよ! ボクとタケルが揃えば無敵のコンビなんだから!
 総戦技演習だって今度こそ合格間違いなしだよッ!!」

 そこに、相変わらず妄想の浸食を受けてはいるものの、美琴までもが唱和する。
 すると、それらの発言を受けて冥夜が腕組みをして胸を張り、何故か自慢するかの如き笑みを浮かべて発言した。

「どうだ? 榊。どうやら、タケルは既に我等の精神的支柱となっているようだぞ。
 明日の総戦技演習では、隊の要としてさぞや結束を高めてくれることであろう。」

「そうね。どうやら私の取り越し苦労だったみたいね。
 でもね、みんな! 白銀が、明日の総戦技演習では積極的な関与は控えるって宣言してるのを忘れないでちょうだい。
 白銀に頼るんじゃなくて、白銀がびっくりする位に、私達の力を見せつけてやりましょう!」

 そんな冥夜の言葉に苦笑を浮かべながらも頷きを返した千鶴は、話を切り上げると明日の総戦技演習に向けて士気を鼓舞する。
 そして、残る4人は、千鶴のその言葉に力強く応じるのであった。

「うむ。」「いいね……」「はいっ!」「解かったよ!」

 心地よい充実感がその場の全員の心を満たす。
 ―――と、そこで彩峰が不意に声を発した。

「あ……さっき、思い出したんだけど……」

 その声に、他の4人の視線が彩峰に集まる。

「こないだの……特殊任務からこっち、白銀の様子、変?……」

 彩峰がそう言うと、皆が揃ってそう言えば、といった風に頷きを返した。

「言われてみると、たけるさん最近ちょっと元気ない時がありますよねえ?」
「うん、ボクらと話してる時とかは元気に振舞ってるけど……」
「確かに、時折、我等の方を辛そうに見ていいたな。」
「そうね、しかもそれって、決まって私達から少し離れている時だわ。」

 そうして、口々に気付いた事を述べあった後、5人は黙って視線を交わし合う。
 そして、互いの瞳の中に武を案じる気持ちを見て取ると、揃って頷く。
 この時、5人は改めて言葉を交わす必要を感じなかった。

 何故ならば、207小隊B分隊の結成以来、例を見ない程に全員の心が1つにまとまっていると感じていたからである。
 だが、全ては明日の総戦技演習に合格しなくては話にもならない。
 それ故に、5人は先程よりも一段と意欲を滾らせると、明日への決意を新たにするのであった。




[3277] 第140話 三面六臂
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:12

第140話 三面六臂

2002年01月07日(月)

日本時間16時11分、オリジナルハイヴへと緩降下してくる物資輸送用再突入カーゴの1群があった。

 眩い陽光を反射して、雲一つない蒼空で何ら遮るものもなく、パラシュートを広げ減速用の噴射炎を煌めかせた釣鐘型のカーゴは、今まさに母なる大地へと帰還しようとしていた。
 その行く手には、地球上で最も巨大な『地上構造物(モニュメント)』が聳え立っている。
 しかし、ハイヴへの降下には必ず付きまとう、レーザー属種による照射が何故か一筋たりとも行われていない。

 それもその筈、オリジナルハイヴ周辺の地表を見下ろせば、そこには数百機にも及ぶ戦術機が展開しており、見出すことの叶うBETAの姿は、全て活動を停止した死骸だけだったのだから。

「―――こりゃあ、凄いな……地表は完全に制圧が完了してるじゃないか。
 いや、既にハイヴは攻略されてて、掃討戦も完了してるんだったな……」

 着陸した物資輸送用再突入カーゴから真っ先に出てきた戦術機に搭乗する米国衛士は、外部映像として映し出された現実味のない光景に、夢でも見ているような気分でそう呟きを零す。
 彼が所属するのは、オリジナルハイヴの調査を目的として米中ソの3カ国が共同で派遣した、戦術機甲3個連隊からなるオリジナルハイヴ駐留部隊であった。
 戦術機1000機以上を投入した国連軍の大規模作戦である、『桜花作戦』の後詰としてオリジナルハイヴに降下し、オリジナルハイヴ周辺地域に駐留せよとの命令は、彼にとっては地獄への片道切符としか思えない内容であった。

 しかも、再突入核(リエントリーシェル)による強行突入でもなく、AL弾の先行爆撃も無しでの物資輸送用再突入カーゴによる緩降下と聞いた時には、彼は内心で二度と生きて地上に降り立つことはないものと、諦念を抱いた程である。
 しかし、実際にこうして降下してみれば、降下中はレーザー照射を全く受けず、地上も完全に制圧されており、『地上構造物』とBETAの死骸さえなければ、ここがハイヴ周辺だなどとは思いもよらないほど長閑な状況であった。

 戦域データリンクからは、オリジナルハイヴ周辺1000km以内に無数に設置された、振動波観測装置によって構築された監視網から詳細な周辺状況が送られてきている。
 それが事実であるならば、地上はおろかハイヴ『地下茎構造(スタブ)』の奥深くにさえ、活動中のBETAは1体たりとて存在していない事になる。

「―――凄え! 本当に、人類はオリジナルハイヴを攻略したのかッ!!
 くっそぉ~! どうせなら、俺も攻略部隊に参加したかったぜッ!」

 自らが搭乗する戦術機F-15E『ストライクイーグル』を闊歩させる事で、ようやく実感が湧いてきた米軍衛士は高揚に任せてそう叫びを上げた。
 彼はその直後に連隊長から罵声を浴びせられ、5分後には地上に展開していた数百機の戦術機が全て無人機であり、オリジナルハイヴ周辺で今も尚生存している人類は、自分たち3個連隊の衛士のみだと知って薄ら寒い思いに襲われる。
 そして更に2時間後には、オリジナルハイヴ外周へのBETA侵攻の報に奮い立ち、その10分後には迫りくる圧倒的なBETA群の数に絶望する事となった。

 自分達の戦術機324機に、『桜花作戦』の攻略部隊が残していった数百機の戦術機を加えても、こちらの戦力は精々1000機を幾らか超える程度に過ぎない。
 しかも、支援砲撃を行う部隊も存在しない状況下で、数十万のBETAが迫ってくるのだ。
 なのに、功名を欲して止まない連隊長は、喜々として迎撃を命じた。

 そして、何よりも最悪なのは、中ソの戦術機甲連隊が米軍と統一行動を取らず、別個に迎撃作戦を展開するという事だ。
 おまけに、頼みの綱の無人機部隊は、駐留部隊の指揮系統には組み込まれておらず、更にはオリジナルハイヴの調査が優先されると言って、各国の部隊から1個中隊ずつが編制を抜けてハイヴへと潜ってしまっている事だった。
 どうせ、軌道上で一度は諦めた命だと、その米軍衛士は自棄になって迫りくるBETA群の迎撃に向かった。

 ―――結論から言えば、その米軍衛士は生き残り、米国(ステーツ)へと無事帰還する事ができた。
 それどころか、米中ソの3か国から派遣された3個連隊324名の衛士の内、戦死したのは無謀な突撃を行って自滅した7名だけに過ぎなかった。
 しかし、これは別に彼や彼の属する部隊が優秀だった訳でも、悪運が強かった訳でもない。

 全ては『桜花作戦』攻略部隊が残した、無人戦術機を初めとする装備群のお蔭だったのである。



 武は、夕呼と検討を重ねた結果、今回の『桜花作戦』ではオルタネイティヴ4の高度な作戦遂行能力を、ある程度国連加盟各国に周知させるという方針を定めていた。
 その結果、『桜花作戦』はオルタネイティヴ4直属部隊のA-01連隊が独自に行い、特殊装備と国連宇宙総軍の軌道上戦力を活用してオリジナルハイヴ攻略を完遂するという、作戦内容自体は『前の世界群』と同様のものとなったがその戦闘経緯には大きな差が生じていた。

 まず、何よりも違っていたのは、事前にヴァルキリー・データ―――『前の世界群』の『桜花作戦』で得られたオリジナルハイヴの超大型反応炉リーディングデータ―――の全情報を、00ユニットとして稼働した武が、記憶の関連付けによって取得していた事であった。
 これにより、オリジナルハイヴ所属BETA群の行動特性も、超大型反応炉の防衛機構も、更には反応炉停止後の母艦級BETAの行動特性に至るまで、BETA側の情報は全て掌(たなごころ)の上となっていた。

 それに加えて、やはり記憶の関連付けによって得られた、『凄乃皇』関連の先進技術情報により、『凄乃皇』3機の改修が行われた。
 まず、従来型のML機関の他に、ML機関の燃料となるG元素―――グレイ・イレブンに外部からエネルギーを供給する事で励起状態として重力偏差を発生させる、重力偏差発生装置(グラヴィティ・ディフレクション・ジェネレーター)を機体各所に多数搭載する事で、『凄乃皇』運用中のグレイ・イレブン消費低減に成功した。

 また、その連射速度の速さと弾道の直進性故に、威力超過となりがちであった電磁投射砲の他に、球形加速器の中で弾頭を加速し射出する電磁加速砲を開発。
 電磁加速砲は、球形の空間の中に自在に強力な磁場を発生できる球形加速器で弾頭を加速し、加速距離・加速期間の制約を受けずに、電磁投射砲を遥かに超える弾速で射出する機構を有している。
 欠点として、射出前に弾頭の準備加速が必要とされる為、連射速度が限定されるという点があるが、その弾速の速さにより貫通力が著しく高い為、秒間2発程度の速射性能で十分であるとされた。

 弾速の向上により、弾頭のサイズが小型であっても高威力を発揮出来る為、装弾数も増大。
 更に、『凄乃皇』への電磁加速砲搭載にあたっては、下方及び上方への垂直発射式を採用し、発射後に重力偏差で構成される重力砲身(グラヴィティ・バレル)により射線を修正する方式を採った。
 重力砲身は、重力偏差発生装置により生成される短砲身と、ラザフォード場を使用した長砲身の双方を組み合わせる事で、数十mに及ぶ湾曲砲身を形成し、物理的な砲身に比べて自在な照準を可能としている。

 この電磁加速砲の実用化には、武がもたらした常温超電導物質の存在が大きく寄与しており、この素材の実用化により、蓄電能力や磁場生成能力の向上が達成される事となった。
 また、武は常温超電導物質以外にも、多数の新素材の生成技術をもたらしている。
 それにより、G元素を使用しない電磁投射砲が制作可能となっており、他にも未だ実用化こそされていないものの、装甲材や電波吸収材などの生成手段も多数存在していた。

 これらの新素材の多くは、武が太陽系離脱後の航宙期間中に、量子電導脳の特異な能力を活用して研究開発したものであった。
 その能力とは、確率分岐収斂式因果率干渉演算法と名付けられた手法である。

 確率分岐収斂式因果率干渉演算法とは、試行するべき組み合わせの数だけ確率分岐世界を派生させ、その各々の世界で得られた結果を相互に因果律干渉させながら試行を繰り返すことで、求める成果が得られるという因果を支配的とし、少ない試行回数で求める成果が得られた確率分岐世界へと収斂させるという手法である。
 これは、量子コンピューターの理論に於いて、量子ビットが0と1の値を重ね合わせて保持する事で、n量子ビットのデータが2のn乗通りまでの組み合わせを保持できるという現象が、保持している組み合わせ数だけの確率分岐世界が派生する事で生じているのだという、因果律量子論に於ける定義に立脚している。

 2回目の再構成後の確率分岐世界群で、00ユニットとして稼働した純夏の説明を夕呼が行った際に語った、『誤解覚悟で簡単に言うと、00ユニットが存在する全ての『他の世界』の量子電導脳がつながっていて、並列処理をするのよ。』という言葉は、この定義の事を簡素化して述べていたのだ。
 元から派生している他の確率分岐世界群に於ける同一存在のスペックを利用しても、その演算能力の総量を共有(シェアリング)出来るだけで、トータルの演算能力が飛躍的に増大する訳がないのである。
 実際には、並列演算を行うに当たって、量子電導脳は並列して演算を行う必要のある組み合わせ数だけの確率分岐世界を派生させて、各々の世界で演算した結果を収斂させる事で演算結果を得ているのである。

 確率分岐収斂式因果率干渉演算法では、この定義を量子演算ではなく実際の実験という行為に応用し、確率分岐世界群を任意に派生させ、その結果を恣意的に収斂させることで、求める成果を少ない試行回数で得られる確率を向上させる手法なのだ。

 例えば、ある目的に合致する素材が生成可能と思われる、組成と生成手順の組み合わせが1兆通り存在すると仮定する。
 その場合、量子電導脳の機能によって、それぞれ異なる組み合わせを実際に試行し結果を観測する確率分岐世界を、1兆通り派生させる。
 そして、ある程度求める結果に沿った成果を得られた確率分岐世界では、それ以降の試行では同じ組み合わせで、試行自体に影響しない項目を変化させる事で10兆通り以上の確率分岐世界を派生させ、それ以外の確率分岐世界では、試行済みの組み合わせ以外の数だけ試行を行う確率分岐世界を派生させて、実際に施行し結果を観測する。

 このようにして、当初に定めた回数だけ試行を繰り返す事で、無数に派生し重ね合わせの状態となった確率分岐世界群の中で、求める成果が得られた世界の占める比率を向上させていき、支配的因果律の干渉も利用して、求める結果がある程度以上得られる確率分岐世界へと収斂させていくのである。
 この手法を用いることで、1兆組の組み合わせ全てを試行した場合の期待値に近い成果を、遥かに少ない試行回数によって得ることが可能となるのだ。

 そして、太陽系を離脱した後の20年以上に亘る期間に、武は『バトルロード1』の研究施設で、次の再構成後に活用できそうな素材を幾つも発見し、その組成と生成手順を持ち越したのである。

 これらの技術を活かして改修された『凄乃皇』3機は、グレイ・イレブンの消費低減、余剰電力活用効率の向上、火力向上、積載量の向上と、大幅な性能向上を果たす。
 その結果、従来の機体にカーゴ部を増設し、戦術機3機とその他装備各種を搭載し、更には武以外の乗員の搭乗をも可能とした。
 これにより、ヴァルキリーズは3機の『凄乃皇』に分乗して軌道降下を果たし、然る後に『凄乃皇』に搭載された複座型『不知火』に移乗する事で、出撃・帰投を繰り返す事が可能となったのである。

 武はヴァルキリー・データを基に、必要十分な量の再突入殻やMRV(多弾頭突入体)を伴って『凄乃皇』3機を降下させ、オリジナルハイヴ周辺の地上に存在したBETA群を、向上した火力とレーザー照射の反射によって殲滅した。
 そして、無人戦術機1000機と各種装備群の軌道降下が完了し、地上に湧き出てくるBETA群をある程度殲滅したところで、武はヴァルキリーズのA(アルファ)部隊8名を伴って『主縦坑(メインシャフト)』からハイヴへと突入。
 そして超大型反応炉と各種BETA施設を破壊し、更にはG元素回収と母艦級BETAの撃破を達成した。

 その間に、地上に残ったヴァルキリーズのB(ブラボー)部隊10名は、超大型反応炉破壊後の追撃態勢を整えており、撤退するBETA群が地上に出現するなり、G元素を使用せずに済んだ事で『前の世界群』よりも多数生産された、電磁投射砲台と電磁加速砲台を運用して追撃を実施。
 その後、ハイヴより帰還し追撃に加わった『凄乃皇』と、ハイヴ突入組のヴァルキリーズA部隊も加わって、多大な戦果を挙げるに至ったのであった。

 『前の世界群』以上の戦果を上げた武とヴァルキリーズだったが、結局投入された軌道上戦力は5割程度で間に合わせた。
 一端オリジナルハイヴに降ろしてしまった装備弾薬は、オリジナルハイヴ周辺のハイヴが健在である以上、『凄乃皇』や装甲連絡艇に積載して打ち上げる以外に回収する方法が存在しない。
 そこで武は、残存した戦術機と装備弾薬を、電磁投射砲や電磁加速砲などの秘匿装備を除いてそのまま戦域に残し、振動波観測装置による監視網を構築して、オリジナルハイヴ周辺の警備態勢を確立した。

 更には、事前に多数用意し作戦中に降下させておいた装甲連絡艇と打ち上げ施設を、『地上構造物』周辺に設置して後続の米中ソ共同駐留部隊の衛士らが脱出する手段として残しておいた。
 その上で、駐留部隊がオリジナルハイヴ外縁部で繰り広げた無謀な迎撃戦闘に、データリンクを経由して無人機を運用する事で介入し、所属衛士等を危地より救い出したのである。

 その後は、駐留部隊の真の目的であるオリジナルハイヴの調査が無為に終わるまでの時間を稼ぎ、駐留部隊所属衛士等が全員軌道上へと撤退するまでの時間を稼いで見せた。
 斯くして、『桜花作戦』は『前の世界群』と比べて尚、人命装備共により少ない損害によって、より多くの戦果を上げて完遂された。

 そして、この多大なる戦果によって、国連加盟各国はオルタネイティヴ4の作戦立案遂行能力を、高く評価せざるを得なくなったのであった。

  ● ● ● ○ ○ ○

2002年01月27日(日)

 22時12分、ソ連領アラスカ地方に存在する首都セラウィク、その郊外に位置する極秘研究施設の通路で、1人の男が悠然と歩を進めていた。

 地上に露出している建物は軍の物資集積施設となっており、郊外にも拘らず比較的人員や車両の出入りが多かった。
 そして、それらの人々に紛れる形でこの極秘研究施設に出入りしては、所属する研究者達は陽の当らぬ地下で日夜研究に勤しんでいるのである。

 地下への通行は何重ものセキュリティーゲートで封鎖されているとは言え、多数の関係者が活動している地下施設内では相応の往来が発生する。
 今も、歩を進めていた男がドアを開きとある一室へと姿を消した直後に、その先にあった角を曲がって巡回中の警備兵らしき3人組が姿を現した。
 警備兵達は、そのまま男が姿を消した部屋の前を、何事も無く通り過ぎ立ち去っていく。

 そして、警備兵等の姿が通路から消えると、先ほどの部屋から入室したばかりの男が再び姿を現し、先程警備兵達が曲がってきた角の方へと歩み始める。
 その後も、その男は幾度も入室と退室を繰り返したが、その度にまるで意図的にやり過ごしてでもいるかの様に、男が入室した部屋の外を地下施設の関係者が通り過ぎていく。
 そして、予定調和の様に男は誰とも出くわさないまま、更に幾つものセキュリティーゲートを抜けて、極秘研究施設機密ブロックの奥へと進んでいくのであった。

 その男は赤毛で2m近いがっしりとした体格をしていたが、生真面目な顔付きをしており、青い瞳には理知的な輝きが満ちているように感じられ、兵士というよりは学者に類する人物であるように見受けられた。
 男の胸元のネームプレートには、ソビエト陸軍中央戦略開発軍団所属、ドミトリー・サハロフ技術少佐と記されている。
 その後もサハロフ少佐はあちこちの部屋に立ち寄りながら着実に歩を進め、遂には機密ブロックの最重要区画へと辿り着いた。

 サハロフ少佐の眼前に立ち塞がっているのはエアロックの様な3重の扉であり、3回に亘るIDの照合の度に1枚ずつ扉が開閉するシステムとなっていた。
 その3重扉の前に立ったサハロフ少佐は、ID認証を行おうともせずに、携帯していた鞄から筒状の片手で握れる程度の大きさをした物体を取り出す。
 するとその直後、同時には開かない筈の3重扉のドアが同時にスライドし始め、ほんの10cmにも満たない間隙を生じた。
 そして、サハロフ少佐が透かさず手にした筒状の物体をその間隙へと投げ込むと、3重扉は速やかに閉じて再び何物をも通さぬ強固な障壁と化したのである。

 その後、2分が経過した辺りで、再び3重扉が開きサハロフ少佐は室内へとその歩を進めた。
 室内は中央管制室となっており、幾つかのコンソールと施設内の映像が映し出されたディスプレイが存在していた。

 そしてその室内のあちらこちらに、軍服を着て武装した警備兵や白衣を着た技術士官等が、意識を失って床に倒れ伏している。
 3重扉の手前や警報装置の近くには数名が固まって倒れており、突発事態に対応しようとした痕跡が見受けられたが、どうやらその努力は何ら実を結ぶことなく無為に終わってしまったようであった。
 サハロフ少佐は、室内に足を踏み入れてもそれらの人々には目もくれずに、自身が放り込んだ筒状の物体―――催眠ガス放出式手榴弾を回収すると、その場で暫し立ち尽くす。

 そして、そのまま何をするでもなく数分間が過ぎ去った後、サハロフ少佐は踵を返すと中央管制室から立ち去っていくのであった―――



 ―――数分後、同じ機密ブロックの中ではあるが中央管制室とはやや離れた位置にある、居住区画の入り口にサハロフ少佐の姿があった。
 この居住区画の入り口は厳重な警備が敷かれており、2重扉の前にはゲートが存在し、2名の歩哨と隣接する警備兵詰所に待機する4名の警備兵によって警備されていた。
 しかし、サハロフ少佐の足元と詰所の中では警備兵等が揃って床に倒れ伏しており、サハロフ少佐はそれらを路傍の石でもあるかのように無視すると、静々と開いていく2重扉を何ら気負う様子も見せずにくぐって居住区画へと踏み入っていく。

 居住区の通路へとサハロフ少佐が踏み込むと同時に、通路の両側壁にある20枚の扉が一斉に開く。
 そして、通路との境を失った20の簡素な居室へと、サハロフ少佐の発した言葉が響き渡った。

「全員集合!―――よし、楽にしろ。
 これよりこの場で実験を行う。時間は然して要さないが眩暈が生じる可能性が予想される。
 全員その場に腰を下ろし、心身ともにリラックスしてこの装置に注目せよ。」

 サハロフ少佐はそう命じると、徐に胸ポケットから取り出したサングラスを着用し、右手に握った長さ10cm程の棒状の装置を掲げる。
 命令される事に慣れているのか、居室から出て整列していた10代と思しき軍装の少女達18名は、素直に指示に従い腰を下ろすとサハロフ少佐が掲げた装置に視線を向ける。
 その装置の側面では幾つもの光が明滅しており、注視すればするほど幻惑されるような感覚を少女たちに生じせしめた。

 それでも、少女達は命令に忠実に従って、視線を寸秒たりとも逸らす事無く見詰め続ける。
 すると、その心中につい先程まですっかりと忘れてしまっていた―――否、思い出せない様に封じられていた記憶が次々に蘇ってきた。
 突然押し寄せてきた記憶の波に、彼女達は眩暈と共に戸惑いと憤りを感じる。

 噴き出してきた想い出の数々、それは暖かでささやかな温もりであったり、悲しく辛い出来事であったり、希望や、不満、屈辱に憎悪と、実に多種多様に亘るものであった。
 そして、それらに共通する事は唯1つ。
 彼女達を管理する者達―――延いては党に対する忠誠心と従順さを損ない低下させる要因となると、傲慢にも断定されたという事実だけであった。

 中には、何故封印されたのかはっきりしない記憶も希に含まれてはいたが、全体の傾向を見るに恐らくは同様の判断を下されたのだろうと推測できた。
 彼女達は最初の動揺をやり過ごし抑え込むと、素早く立ち上がって眼前に立つサハロフ少佐に怒りと悲しみをぶつけようと身構える。
 しかし、彼女らが身構えるのとほぼ同時に、サハロフ少佐の声が彼女らの耳朶を打った。

「―――どうやら、上手く封印が解けたみたいだな。
 襲いかかる前に少し聞いてくれ。
 このネームプレートに書いてある官姓名は、実は真っ赤な偽物なんだ。
 本名は今は言えないけど、今まで君達の誰ともあった事はない筈だ。」

 サハロフ少佐―――偽名だと本人が言っているが―――は、棒状の装置を鞄にしまい、サングラスを外して胸ポケットへと戻しながらそう告げた。
 少女達の数人は、何故か髪飾りを毟り取った後、眼前の男を睨み付けたが即座に顔を顰める羽目になった。

「ああ、悪いけどリーディングは阻害させてもらってる。
 頭痛や眩暈が好きでないなら、オレに対するリーディングは止めておいた方が良い。
 で、オレの立場をはっきりと告げておくと、ソ連共産党の手に君達ESP発現体が存在する事を好ましく思っていない勢力の―――まあ、工作員ってとこだな。
 だから、君達を研究していたこの施設の研究データは全て消去させて貰ったし、この後この施設も破壊するつもりだ。」

 偽サハロフ少佐はそんなとんでもない事を、実にあっさりと言って退けた。
 ソ連共産党のお膝元であるこの地で、しかも重要施設であるこの極秘研究所に侵入した上に、破壊活動までこなしてみせると言うのだ。
 この施設の厳重な警戒体制を熟知している少女達にとっては、到底信じ難い発言内容であったが、実際に男はこの居住区までの侵入に成功している。
 その為、少女達は疑わしげな目をして、男を見詰める事しか出来なかった。

「で、君達の処遇なんだけど、もしソ連に嫌気が差しているようなら、日本帝国への亡命を手引きする用意があるんで、オレと同行してこの施設を脱出して欲しい。
 一応予定としては、この後、特殊実験区に寄って向こうで寝たきりになってる娘達を拾ってくつもりなんで、彼女らを運ぶ手伝いをしてくれると助かる。
 何しろ、彼女らは君達と違って運動も碌にさせて貰えてないみたいなんでね。」

 偽サハロフ少佐はそう言うと、少女達の答えを待つように首を傾げた。
 その仕草や記憶の封印を解いた後の口調は、何処か彼の外見にそぐわないものを感じさせたが、それを奇異に思うような余裕はこの時の少女達にはなかった。
 語られた内容を咀嚼し、その言葉に秘められた真実を看破しようと、懸命に思索を巡らせる彼女達は即座に問いへの返答を返せずにいた。

 すると偽サハロフ少佐は、何かに思い至ったような表情を浮かべると、再び話し始める。

「―――ああ、もちろんこの国に残りたいって言うなら、それも自由だ。
 尤も、オレに関する事は口外出来ず、今後はESPも使用出来ないように心理ブロックをかけさせて貰うけどな。
 そうなると、この国に残ってもあまり良い扱いは期待出来ないと思う。
 だから、オレとしては亡命を選択する事を勧めるかな。」

 偽サハロフ少佐は、飄々とした態度を崩さずにそう言うと、判断を急かすような素振りさえ見せずに再び少女達の返答を待つ態勢に戻った。
 潜入工作の最中とは到底思えない悠長な態度であったが、それが故に逆に少女達は彼の実力を高く見積もらざるを得ない。
 そして、彼が話した通りの事をして退けると仮定するならば、彼女達の選択肢は事実上皆無に近かった。

 少女達は無言の内に、意見を交換して互いの意思を確認する。
 その中には、数日前にカムチャッカ戦線で行われた、オリジナルハイヴ攻略に起因するBETA波及侵攻に対する防衛戦で、オルタネイティヴ4所属の衛士に対してリーディングを試みたESP発現体2名からの情報も含まれていた。
 その情報によれば、眼前の男が使用しているリーディングを阻害するシステムは、オルタネイティヴ4が運用していた物と同じものではないかと推測されていた。

 無言の内に、短時間で多くの情報をやり取りした少女達は、全員揃って提示された唯一と言って良い選択肢を受け入れる事を決めた。
 能力を封印される前に眼前に立つ得体の知れない男を無力化するという、恐らくは困難であろう方法以外に、彼女らが今後もソ連で生き続ける術は既に失われている。
 そして、もしそれを成し得たとしても、記憶の封印が解かれた今となっては、今後の生活に対して明るい展望を彼女等が抱ける筈もなかった。

 斯くして、偽サハロフ少佐はESP発現体18名を伴って居住区から立ち去ると、途中幾つかの部屋に立ち寄って他の要員との遭遇を回避し、或いは非殺傷の手段を活用して障害となる要員を無力化し、遂には特殊実験区画への侵入を果たした。
 如何に他の要員との遭遇を上手く回避しているとは言え、監視装置やセキュリティーゲート等がその道行を阻害するはずだったのだが、何故か警報の1つすら鳴らす事無く20人近い集団は研究施設内を闊歩して退けたのであった。

 特殊実験区画には、意識障害で植物状態となった患者に対するような措置を取られ、術衣の様な薄物1枚を纏っただけで、マスク型の人工呼吸器を初めとして何本ものチューブやセンサーを取り付けられた少女が5人、個別の部屋に寝かされていた。
 偽サハロフ少佐は慎重に、しかし素早くそれらの器具を外し、出血を抑える処置を施すと無力化した警備兵の軍装を剥ぎ取って彼女らに羽織らせ、ESP発現体の中で比較的高い身体能力を持つ者に背負うか抱きかかえて貰うと、移動を再開するのであった―――



 ―――そして約半日が経過した頃、物資集積施設で発生した大規模火災の混乱に乗じて、兵員輸送車2台を拝借した偽サハロフ少佐に率いられた一行は、首都セラウィク近郊の港へと辿り着いていた。

「じゃあ、この船に乗ってソ連の領海を出るぞ。
 一応船内に引き籠って貰うけど、我慢してくれよな。」

 そう言って、偽サハロフ少佐はESP発現体23名を貨物船へと乗り込ませた。
 この貨物船は、米国の港との間を行き来する船で、セラウィクの共産党幹部達が消費する嗜好品や天然食材を運んでいる。
 その為にソ連海軍の艦艇も、滅多な事ではこの船の運航は止めない為、一行は何事もなくソ連領海を脱する事に成功した。

 その後は米国領海上で日本国籍の輸送船に移乗し、一行は無事帝国へと到着して亡命する事となるのだが、サハロフ少佐という偽名を使っていた男は、日本国籍の船に移乗した後、何時の間にやら船上から霞か雲かと言わんばかりに姿を消してしまったのであった。

  ● ● ● ○ ○ ○

2002年01月29日(火)

 22時17分、国連軍横浜基地B19フロアに位置する夕呼の執務室で、武がとある報告を終えていた。

「―――そう、概ね問題なく済んだみたいね。
 その割には、辛気臭い顔してるけど。
 どうせ、ソ連のオルタネイティヴ3残党の実験記録かなんか見て落ち込んでるんだろうけど、あたしの前でそんな不景気な顔をこれ見よがしにしないでよね~。
 こっちまで辛気臭い気分になっちゃうじゃないの。」

 そっぽを向いて、然もうんざりとしたとでも言うような表情を浮かべた横顔を見せ、夕呼は左手を振ってそう言い放った。
 その言葉に、執務机の前に立って報告していた武は表情を改め、夕呼に謝罪する。

「あ、すみませんでした、夕呼先生。
 この先、ソ連を煙に巻いたり、国連安保理にオルタネイティヴ6への早期移行を認めさせたりと、色々と骨を折って貰わないといけないのに……」

 だが、武にみなまで言わせず、謝罪を断ち切るように夕呼は言葉を発した。

「ほんと、面倒だわ~。
 特に今回の件は、事の真相がばれれば非合法の破壊工作以外の何物でもないしね。
 危ない橋を渡るのはこれっきりにしてよね~。」

 視線を武に戻し、夕呼は両手を肩の高さで広げると、嫌味ったらしく言って退ける。
 その言葉に武は、自身の発案になる今回の工作へと思いを巡らせた。

 そもそもの発端は、00ユニットとして稼働した事で粗方の記憶の関連付けを完了させ、『前の世界群』でのソ連並びに中華人民共和国の振る舞いを詳細に分析した武が、最小限の干渉として早期の内に、ソ連のESP発現体関連技術を喪失させるという方針を打ち出した事にあった。
 ESP発現体は、ソ連の様々な活動に於ける重要局面で切り札として投入される事が多く、ESP発現体を量産する為に高度に発展した人工授精と成長促進、そして遺伝子調整技術と合わせて、凋落(ちょうらく)の途上にあったソ連の大国としての威信を辛うじて支え続ける要因となっていたのだ。
 それさえなければ、ソビエト連邦はより早期に崩壊し、その中枢であるロシアこそ強国の座に留まるにしろ、国際世論を無視するが如き暴挙はそうそう行えなくなると武は断じたのである。

 その為には、徹底的にソ連が保有するESP発現体関連技術の情報を喪失させ、その成果であるESP発現体を無力化する必要があった。
 最も容易な手段は破壊工作と暗殺だったのだが、人類の融和と協調を掲げる武としてはその手段は極力回避したかった為、代替案を立案し夕呼へと提出して許可を求めたのである。

 そして夕呼の許可を得て実施された工作とは、武自身がアラスカへと乗り込んで、ESP発現体研究の中枢となっている施設に潜入し、全データの抹消と主要研究者の記憶封印を行った上で、現在研究対象となっているESP発現体を保護して帝国に亡命させるというものであった。
 武はこの工作を実施するにあたって、予てより用意してあった00ユニット用擬似生体へと量子電導脳を移植した。
 『凄乃皇』の制御を行う際、00ユニット用擬似生体を無意識に制御する時と同様に、自身の体の延長として『凄乃皇』の制御が可能であった事などから、武は自分自身を再現した擬似生体でなくても、00ユニットとして稼働し続けられるのではないかという仮説を打ち立てるに至っていた。

 そして、『前の世界群』で夕呼と共に仮説を組み上げ検討を重ねた後、火星に旅立つ前に3体の00ユニット用疑似生体を予め作成し、『バトルロード1』に搭載しておいたのである。
 武は、太陽系宙域監視網『エシッド(SSID)』の構築が終わり、太陽系を後にする直前になって初めて、これらの疑似生体への量子電導脳移植実験を行った。

 この量子電導脳移植実験は、量子電導脳を稼働させたまま現用の疑似生体から摘出し、異なる疑似生体へと移植―――実質的には移設―――するものであった。
 この移植行為自体、稼働中の量子電導脳と非接触接続インターフェースによって武自身が制御しており、自身の頭脳を移植するような感覚で行われた。
 夕呼の仮説によれば、武が武としての自我を保ったまま、他の疑似生体を自身の新たな体と認識する事で、自己認識の揺らぎを抑止出来るとの事であった。

 武はこの実験で、自分自身を再現した新たな疑似生体と、自分とは異なる同年代の日本人男性を模した疑似生体、そしてコーカソイドの壮年の男性を模した疑似生体の3体で順次検証した。
 その結果、どの疑似生体に量子電導脳を移植しても、自己を白銀武と認識している00ユニットとしてなんら問題なく活動を続けられる事が確認された。
 但し、同年代の日本人男性となった際には殆ど変化がなかった自己発現が、壮年のコーカソイド男性となった際には年相応の自己発現へと自然と切り替わるという現象が確認されている。

 これは、身体的特徴によって武自身が蓄積してきた、30代後半の男性としての外見に偽装した際の振る舞いが、無意識の内に発現しているようであった。
 尤も、この事を自覚した後では、自分とは異なる外見的特徴を持つ日本人男性の疑似生体を用いる際に、外見に相応しい仮想人格を自然に演じたり、コーカソイド男性の疑似生体を用いていても、白銀武としての言動を取ることも自在となった。
 これらの3体の疑似生体を、武は今回の再構成後の世界でも作成しており、この内コーカソイド男性の疑似生体を用いて今回の潜入工作を行ったのであった。

 因みに、この3体の疑似生体には、夕呼によって呼び名が定められている。
 武を再現した謂わば予備となる疑似生体はR・タケル2世、怜悧な細面を持つ10代後半の男性を模した疑似生体はR・田中一郎、そして壮年―――40前後のコーカソイド男性を模した疑似生体はR・ダニール・オリヴォーと名付けられた。
 いずれも、夕呼に流入した『元の世界群』の記憶にあった創作上の人物に肖った(あやかった)命名であり、ロボットは名前の頭にRの1文字を冠するのがお約束であると、夕呼が力説した結果でもあった。

 詰まる所、サハロフ少佐という偽名を用いてESP発現体極秘研究施設へと潜入したのは、R・ダニール・オリヴォーに量子電導脳を移植した武自身であったのだ。
 そして武は、00ユニットとしての能力を十全に振るい、監視システムやセキュリティー、警備兵に至るまでの全ての警備を突破して、極秘研究施設への潜入を完遂して見せたのである。

 全ての電子設備は即座に武の制御下となり、リーディング能力によって全ての要員はその存在を察知されて遭遇を回避された。
 その上で、施設内の彼方此方に時限発火装置を設置し、中央管制室では非接触接続によってデータバンクの全てを複写した上で、復元不可能なように完全に抹消した。
 データ抹消と同時に主要な研究者の所在も確認し、ESP発現体の保護と脱出の合間に、研究者の居る隣室等に立ち寄りプロジェクションによる催眠暗示で研究に関する記憶を封印していった。

 無論、この研究施設以外の場所に派遣されていたESP発現体も存在していたのだが、武の事前工作によって潜入当日には実用レベルに達していたESP発現体は、全員極秘研究施設へと集められていた為問題とはならなかった。
 斯くして、武は地下施設から脱出した後、地下と地上両方の施設で火災が同時多発した事で生じた混乱に乗じ、まんまとESP発現体諸共に脱出を成功させたのである。

 A-01の指揮官として知名度が上がってしまった武にとって、身長や体格も含めて外見を一変させる事の出来る疑似生体の交換は有用性の高いものである。
 それ故に武は、今後も隠密行動等の際にはこれらの疑似生体を活用していくつもりであった。

「……今回の件で、ソ連の『П3計画』を初めとしたESP発現体を利用した計画は、最低でも10年は停滞するでしょう。
 いえ、ほぼ全ての研究データを消去し、主要人物の関連記憶の封印を施しましたから、ESP発現体の研究としては停滞どころかオルタネイティヴ3開始時点辺りまで後退した筈です。
 しかも、確証は掴ませていないとは言え、我々オルタネイティヴ4の関与は状況から見て明らかな上に、オルタネイティヴ3の成果は計画発動時に接収してますからね。
 今から再度研究を推し進めたところで、この方面では二度と首位に返り咲く事は出来ないと、ソ連上層部は考えるでしょう。」

 武は今回の工作の結果を踏まえ、今後ソ連ではESP発現体の研究が衰退すると予測した。
 そして、その結果としてソ連は、『前の世界群』で行って見せた様な様々なごり押しを行い難くなるだろうというのが、武の予想である。

「ま、そんなとこでしょうね。
 亡命させたESP発現体達も、希望者はオルタネイティヴ6が予備計画として認められ次第、こっちに引き取る予定だし。
 このまま一般人として生活したいってんなら、先に亡命してきた千里望と同様に、鎧衣が適当な里親を探すでしょ。
 悠陽殿下も、援護して下さるそうだし、オリジナルハイヴ攻略の印象が強い内に一気に事を進めるわよ。」

 武が亡命を手引きしたESP発現体達を乗せた日本国籍の輸送船は、この時点では未だに帝国に辿り着いてすらいない。
 武は輸送船に移乗した後、密かに船を離れ護衛を兼ねて近くを航行していた帝国海軍の航空巡洋艦に拾い上げて貰い、そこから一足先に空路で横浜基地へと帰還していたのだ。
 そして武は、帝国に辿り着いた後のESP発現体達の身柄が、情報省の鎧衣課長預かりとなるように手筈を整えてもいる。

 武と夕呼は、『前の世界群』での出来事を基に検討を重ねた結果、今回は大陸奪還作戦の序盤に於いて、帝国主導の現オルタネイティヴ4から国連主導のオルタネイティヴ6への移行を早期実施するという方針を打ち立てていた。
 これは、『前の世界群』でオルタネイティヴ4、延いては帝国が功績を独占する事に対して危惧を覚える国家が少なくなかった事や、大陸奪還後では国連加盟各国の足並みが乱れてしまい、その後に発足したオルタネイティヴ6が飼い殺しに近い扱いを受けた事などに鑑みた結果である。

 退避国家のエゴが出て来る前に、そして後方国家がその権益を復興国家に脅かされる前に、人類全体から精鋭を集めたオルタネイティヴ6として武勲を積み重ね、大陸奪還だけでなく月や火星、更には太陽系全域のBETAを駆逐する組織として確立してしまおうと考えたのだ。
 そして、大陸奪還と並行して、オルタネイティヴ5が建造を進めている恒星間移民船を接収し、自律航宙母艦として改修した上で火星軌道監視網『ミド(MID)』と太陽系宙域監視網『エシッド』の構築を、前倒しで実施してしまおうとも目論んでいる。

 例え有名無実化しているとは言え、帝国主導として発足したオルタネイティヴ4では大陸奪還作戦を推し進めるに当たっては、各国将兵と協力して作戦を遂行する必要があった。
 そうでなくては、オルタネイティヴ4への反感や警戒感が堆積し、いずれその活動や権限を掣肘(せいちゅう)しようとする勢力が台頭するに違いなかったからだ。
 しかし、名前だけではなく本当に国連直轄の計画として、各国から優れた人材を集めた上で行うとなれば、各国軍を圧倒するような絶大な戦果を上げたとしても、然程風当たりはきつくならないのではないかと武と夕呼は考えたのである。

 そうして、一部大国の力に依存するのではなく、国連加盟各国から集った人員によって振るわれる絶大な力でBETAを討ち、人類の平和と繁栄の為に国家の軛(くびき)に捉われず横断的に活動するともなれば、大国の横暴を快く思わない多数の国家が支持する組織ともなりうるであろう。
 その上で、BETAとの戦いや、人類の協調を乱す行為への対処等を行う、実働部隊としての国連軍の在り様を普遍化し、地上でのBETAの脅威が払拭される前に、その権威を確立しておこうというのが武と夕呼の方針であった。
 そうなれば、地球奪還がなされた後も、国連軍の解体や国連主導体制の見直しなどを回避し、人類共通の障害を排除する為に、国連加盟各国の力を結集して事にあたるという体制を維持できるかもしれない。

 太陽系内に巣食うBETAの存在を明らかにし、更には航宙能力を保有する巨大な戦闘用BETA種が存在し、何時何時太陽系に飛来するか解らないとの情報を掲げて、オルタネイティヴ6―――延いては国連軍の戦力を保持し続ける事まで武と夕呼は現時点で既に視野に入れている。
 要員の規模は大国の国軍よりも少なくても構わない。
 その分は、元より装備と練度の質で補うという構想である。
 武が『前の世界群』から持ち越した技術情報が、それを十二分に可能とするであろう。

 そうして、国連加盟各国の都合に振り回されるのではなく、国連加盟国の利己的な思惑を誘導し、オルタネイティヴ6の目的達成の為に利用するというのが、武が『前の世界群』から持ち越した課題に対して夕呼が出した解決策であった。

 この遠大な策を実現する為に、武と夕呼は今回のESP発現体研究施設襲撃の件を契機として、オルタネイティヴ6早期移行への道筋を一気に切り開くつもりであった。
 この件に関しては、既に悠陽は元より国連安保理の中ソを除く理事国全てに対して、ソ連の突出及び暴走を抑止する為として協力を取り付けてある。
 その上で、ソ連による疑惑追及と技術情報の返還要求等を撥ね退ける一方、亡命受け入れの事実から帝国の関与にソ連が言及した段階で、帝国よりオルタネイティヴ6への早期移行を提言する手筈となっている。

 帝国にはオルタネイティヴ4の上げた功績により、過度の権威や影響力を得る事を望まないとの意思を表明してもらい、大陸奪還作戦の遂行で今後更に積み上げられるであろう功績は、国連に帰するべきであるとの論陣を展開してもらうのだ。
 オルタネイティヴ6への移行により、オルタネイティヴ4への権限や戦力を集約した結果、帝国1国が国益を得るという事態を回避し、自国も要員を派遣する事で功績の分与に預れるに違いないと各理事国の思惟を誘導する。
 そうして、帝国に対するソ連の責任論を有耶無耶にし、更には帝国に亡命したESP発現体の自由意思によるオルタネイティヴ6への参加をも容認させる。

 ソ連が強硬に反対し続けるようであれば、ソ連のESP発現体研究に於いて行われてきた非人道的な行為を明らかにして、黙らせる事も可能である。
 この際、情報の出所を曖昧化する為に、米国か英国、或いは東欧州社会主義同盟との繋がりの強い独国に、独自に入手した情報として暴露し非難の先鋒を委ねる事も検討し、内々に協力を要請してある。
 どの国が実際に動くかは解らないが、自国の影響力を誇示したがる米国が真っ先に動くのではないかというのが、夕呼の見解であった。

 当然、オルタネイティヴ6への早期移行が容認されれば、各国はオルタネイティヴ6の主導権争いや諜報活動を目的とした工作員を送り込んで来たりと、様々な策謀を巡らしてくる事が予測できる。
 しかし、それらの動きに関しては、00ユニットである武の存在があれば、十二分に対抗できるであろう。
 夕呼と武の負担は更に増大する事がほぼ確定しているが、今更この2人が自身の労苦を厭う筈がなかった。

「まあ、今回は根回しも十分出来てるし、各理事国の手応えも良い感じだったから、次の国連安保理の会合では上手く立ち回っといてやるわよ。
 オルタネイティヴ6に移行して、上が国連だけになれば、国際世論を引っ掻き回してこっちの思う通りに引き摺り回してやれるわね。
 今迄と違って、帝国の逼迫した台所事情なんかに制約されずに、でっかい事だってやり放題で、あたしとしては万々歳ってもんよ!」

 夕呼はそう言って呵々大笑して見せると、続けて大して気にもしていないような口調で、武に何気なく問いを放つ。

「あんただって、これまでの所はほぼ望み通りに展開してるんでしょ?
 もっと素直に喜んだらどうなの?」

 夕呼の言う通り、これまでの所は『前の世界群』での展開をほぼ踏襲していながらも、武が改善を望んだ事柄の殆どでより良い結果を得る事に成功していた。

 先のオリジナルハイヴ攻略後の、駐留部隊救出にしてもそうだが、他にも一々挙げていけば切がない。
 総じて各作戦に於ける死傷者の数は減らせており、更には武が強く拘った幾つかの事柄は全て改善されていた。

 例えば甲21号作戦では、『前の世界群』ではG弾による軌道爆撃を強行して空に散ったウィーニー中佐を、武は説得して軌道上で再突入型駆逐艦から脱出させることに成功した。
 この説得を成功させる為に、武は鎧衣課長の協力を得て、オルタネイティヴ5上層部の利益追求体質や、オルタネイティヴ4に対する逆恨み、人種差別に起因する暴言の数々などが、作戦前に自然な形でウィーニー中佐の耳に届くように手配していた。
 その甲斐あって、オルタネイティヴ5上層部と自身に与えられた任務に疑念を抱くに至っていたウィーニー中佐は、生き残って自身の行いの結果を見届ける事を選択したのであった。

 他にも、横浜基地へのHSST突入や、クーデターの前段階で犠牲となった人々も極力救い出し、建造された『雷神』も事故で失う事なく6個群全てが甲21号に投入され、その後もユーラシア大陸の各方面に派遣されて活躍している。
 更には『桜花作戦』に於いて反応炉破壊後のBETA追撃で、兵装を充実させた上にヴァルキリーズを全員投入した結果として当然の如く撃破数が増大。
 後の、オリジナルハイヴ攻略に起因するBETA波及侵攻時の、BETA個体数もそれに応じて減少した。

 その一方で、武は自身を襲った数々の理不尽な仕打ち―――その殆どが女性関係の縺れとも言えた―――に関しては、回避を試みる事すら放棄して、淡々とその身に受けてきた。
 それはまるで、自分に罰が加えられる事を望んでいるかのようですらあった。

 時折沈鬱な表情を浮かべる武を、内心で密かに案じている夕呼だったが、しかしそのような素振りは欠片も見せずに揶揄するような言葉を紡いだ。

「大体あんた、『前の世界群』じゃ今のあたしよりも年上だった経験があるんでしょ?
 だったら、今更その辺の若造みたいに一々深刻そうな顔しないでよね~。」

「あ~、そう言えばそうなんですよね。
 でも、年取った振りしてたのは37辺りまででしたからね。
 その後は、人目もなかったんで今と同じ外見で過ごしてましたし、あまり年取ったって実感もありませんでしたよ?
 なんたって、肉体的な老化はないですし、会話する相手もいないんで暇な時や人恋しい時は、仮想現実で2001年当時の純夏達と過ごしてましたから……」

 夕呼に当て擦りの様な言葉を投げかけられた武は、苦笑を浮かべながらも『前の世界群』の出来事を思い出して語る。
 ところが、武の話を聞いている内に、どんどんと夕呼の表情が芳しからぬものへと変わっていった。
 そして、遂には般若の如き表情となった夕呼が、武に向かって怒鳴り散らす。

「なによそれえっ!
 37にもなって―――じゃないわね! それから20年以上も航宙してたんだから、60過ぎまで生きた癖して万年10代気分でのほほんと過ごしてたってぇの、あんた!?
 しかも、老化もしないで体は若い頃のまんまです?
 仮想現実とは言え、若い娘何人も侍らして無聊を慰めていましたぁあ?!
 ―――白銀、あんた随分と優雅な生活してたみたいじゃないの……」

 チェーンガンを連射するかの如くに、言葉の掃射を撒き散らしながら、執務机を回り込んで夕呼が憤然と武に詰め寄る。
 その勢いにすっかりと腰が引けてしまった武だったが、何とか宥めようと口を開く。

「いや、20年って言っても、主観時間じゃもう少し短いですし……」
「そんな事はどうでもいいのよっ!」

 しかし、夕呼の一喝で武の言葉は呆気なく吹き散らされてしまった。
 それでも、武は必死に足掻き続ける。
 今回の確率分岐世界では、自罰的な傾向が強い武だったが、夕呼の気迫に飲まれて本能的に危地を脱しようと試みていた。

「そ、それに、色々と実験やら研究やらしてましたから、仮想現実って言ってもそんな長い事やってた訳じゃ……」
「あんた、仮想現実での時間経過は6倍だとか言ってたわよね。」

 だが、夕呼の容赦の欠片も無い反撃に、あっという間に退路を塞がれてしまう。

「いや、その、ええと―――す、すいませんでしたッ!!」

 そして、とうとう袋小路に追い込まれた武は、その場で土下座して夕呼の寛恕を請うた。
 その情けのない姿に、幾らか気も紛れたのか、夕呼はようやくその矛先を収める。

「―――ふんっ! そうやって最初っから謝ってりゃいいのよ。
 にしても……あたしも00ユニットになっちゃおうかしら…………」

 聞き逃しにするには胡乱すぎる夕呼の発言ではあったが、武は敢えて無言を貫くことを選んだ。
 その後、武は執務室の床に正座したまま、夕呼が機嫌を直すまで10分以上も過ごす羽目となった。




[3277] 第141話 闇を抜け、光射す世界へ
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/09/06 20:55

第141話 闇を抜け、光射す世界へ

2003年04月21日(月)

 06時17分、国連軍横浜基地、B1フロアに存在する03番整備格納庫(ハンガー)、その2階部分となる搭乗デッキに武とまりもの姿があった。

「あれが遠隔管制特化の新型機なのね……」

 搭乗デッキから格納庫の1階部分―――グラウンドレベルを見下ろしたまりもがそう呟くと、隣に立っていた武が言葉を返した。

「そうです。何よりも搭乗する衛士の生残性向上と通信及び管制機能に特化させた機体、遠隔管制特化型戦術機『朧月(ろうげつ)』です。
 2001年中に要求仕様と開発コンセプト、そして技術情報を提示したとは言え、こんなに早くに仕上がるとは思いませんでした。」

 予想以上に早く仕上がってきた『朧月』に、武の声は弾んでいる。
 それに頷きを返しながらも、まりもはこの4月の12日に実施されたハイヴ攻略作戦へと思いを馳せた。

「そう。―――でも、甲12号作戦には残念ながら間に合わなかったわね。」

 まりもは残念そうに語っているが、武の認識では『甲12号作戦』は至極順調に推移していた為、『朧月』の実戦投入が間に合わなかったこと自体は、何ら瑕瑾とは感じていない。
 尤も、『甲12号作戦』で共に戦った欧州連合軍や東欧州社会主義同盟軍に比べると、『甲09号作戦』では、良く言えば勇猛果敢だが悪く言ってしまえば猪突猛進な傾向のある、中東連合軍将兵らとの連携に不安があるのも事実である。
 しかしそれ故に、戦場全域で支援を必要とする局面が多発する事が予想される為、自律装備群の運用により多くの人員を割く事が出来る6座型管制ユニットを採用した、『朧月』の運用評価試験には適しているとも言えた。

 何れにせよ、『前の世界群』に於ける『朧月』の運用実績を知悉している武にしてみれば、然したる不安要因は存在しない。
 武は、自分自身で設計レベルから細やかな検証を行ってきており、少なくとも致命的な問題を発生しそうな部分に関しては、既に全て指摘した上で改善させていた。
 試作機の先行配備と言いながら、『朧月』の完成度は既に先行量産型以上の仕上がりとなっていると、武には確信出来る仕上がりであった。

 それに、何だかんだと言ってはみても、共に戦う相手としての中東連合軍は、ソ連軍に比べたならば間違いなく遥かにましな存在である。
 『前の世界群』で人命を軽視するというソ連軍の作戦傾向を嫌と言う程に認識していた武は、『桜花作戦』後のカムチャッカ戦線に於けるBETA波及侵攻防衛線と、2002年の10月に実施された『甲26号作戦』に於いて、ソ連との連携を端から断念した代わりにオルタネイティヴ4直属部隊と国連軍派遣部隊への独立指揮権を手中に収めた。
 その上で、帝国軍より派遣された陸海軍部隊も、当該作戦中は名目上国連軍への出向扱いとして、武の指揮下へと組み込まれる様に手配している。

 そうして独自の判断で戦力を投入し運用できる環境を整えた武は、A-01からの派遣人員が自身と美琴の2人しか居なかったにも拘らず、帝国陸軍陽動支援戦術機甲連隊の協力も得て、ソ連軍将兵の損害を劇的に減少させて見せたのである。
 武は、ソ連軍の損害覚悟の作戦行動に対し、独立指揮権を盾にとって問答無用で支援を強行。
 その結果、将兵の犠牲を極限まで限定した上で、十二分な戦果を達成して退けたのである。

 無論、ソ連軍はオルタネイティヴ4の支援など無くとも同等以上の戦果を達成可能であった、そもそもBETAの大多数を撃破したのはソ連軍部隊であり、オルタネイティヴ4は戦果に然して寄与していないと主張した。
 そして、むしろオルタネイティヴ4の行動は、現場の作戦行動を混乱させたに過ぎず、却って邪魔であったとまで言い切った。

 だが、全ての戦闘経緯は広域データリンクによって国連軍へとリアルタイムで送られており、そのデータを基にまとめられた戦闘詳報を閲覧した国連加盟各国は、ソ連の主張が強弁に過ぎずオルタネイティヴ4の功績が大であるとの判断を下す。
 そして、ソ連も自説が公的に覆される事を避ける為に、オルタネイティヴ4の責任は追及しなかった。
 斯くして、表向きはソ連の面目を立てながらも、実質的にはソ連は功績を誇るどころか失点ばかりを積み重ねる結果となったのである。

 こうして、2つの戦いでその評価を下落させてしまったソ連であったが、他にもESP発現体の有望な個体の全てが日本帝国へと亡命してしまい、更には主要な研究者の記憶を含めてESP発現体に関する研究データの殆どが失われるという事件が発生した。
 そしてこの事件により、ソ連が進めていた計画の幾つかが中断もしくは後退を強いられる事となってしまう。

 例えば、国連主導の『先進戦術機技術開発計画』―――通称『プロミネンス計画』に於いて、ソ連は自国が開発した戦術機の優位性を他国に誇示する為に、衛士としての能力を飛躍的に向上させるよう調整したESP発現体を投入していた。
 この計画では、対人類戦闘も含めて圧倒的な戦闘力を有するESP発現体の衛士を育て上げる為の方法を確立する事と、自国が開発した戦術機の優位性を誤認させる事で諸外国へと売り込み外貨を獲得するという、2つの目的を掲げていた。
 しかし、この計画も肝心なESP発現体が亡命してしまった事で頓挫してしまう。

 他にも諜報活動に役立てようとしていた、長距離リーディング実験の被検体も亡命してしまい、事前に日本帝国へと潜入させたESP発現体―――日本名、千里望も利用価値が皆無となってしまった。
 いや、それどころかリーディング能力を活用した諜報活動に従事可能なレベルのESP発現体自体、1人もソ連の手元には残らなかったのである。

 斯くして2002年と言う年は、厄年としか思えないほどにソ連にとって最悪の年と化した。

 一方、武はと言えば、対照的に再構成された2001年10月22日から現在までの1年半という期間で、実に多くの実りを得る事が出来た。
 先に述べたような事情により、千里望を利用したソ連に対する欺瞞情報流出による情報操作は断念され、ESP発現体として諜報活動を強いられる事もなくなった。
 そして、『甲12号作戦』の成功を受けて承認される事となった、オルタネイティヴ6の予備計画化に伴い、ソ連から亡命してきたESP発現体の内、オルタネイティヴ6への所属を希望する者を国連軍将兵として受け入れる事も叶った。

 無論、彼女らに国連軍への志願を強いたりはしていないし、実際日本帝国の一般人として能力を封印したまま暮らす事を選び、許された者も存在する。
 彼女ら6名は、千里望と同様に里親や住処を得て、既に日本での生活を営み始めていた。

 しかし、衛士としての訓練を受けていた8名を初めとして、23名の内残り17名がオルタネイティヴ6に名を連ねる事を選択。
 衛士として或いはESP発現体としての自負や矜持か、能力を封印された後の生活に不安を抱いたが故か、はたまた心に抱く願いや目的があっての事か。
 何れにせよ、彼女等の能力は衛士としても、防諜要員としても有用且つ貴重なものである。
 それ故に、夕呼と武は彼女等を予定通り快く受け入れる事にした。

 そして同時に、国連加盟各国に対してオルタネイティヴ6への人材派遣の要請も行われている。
 名実ともに国連直轄となるオルタネイティヴ6に於いては、その構成人員を広く国連加盟各国から募ることによって、単独もしくは少数の国家から活動に掣肘を受けたり、その功績を背景に発言力を強化されたりする事のないような体制とする為である。
 オルタネイティヴ6は人類全体に奉仕するものであり、その功績は国際協調によるものであって特定の国家に利するものであってはならないのだ。

 無論、オルタネイティヴ4を母体として移行する為、その初期構成員に於いて日本帝国の国籍を持つ要員が中枢に多く座を占めるのは避けられないが、日本帝国はオルタネイティヴ6への早期移行を提案する際に、自国のみが権益を得る事を望まないと明言している為、現時点ではそれほど否定的な声は大きくない。
 そして、国連加盟各国からの人材派遣が進むにつれて、この問題は徐々に解消されていく事であろう。

 こうして、『前の世界群』での記憶から、将来の禍根となると思われるソ連のESP発現体研究の芽が摘まれ、国連主導による国際協調の下で地球奪還―――延いては太陽系奪還へと邁進する環境が整備された。
 また、香月モトコを軍医に迎えて研究を任せている、BETA由来技術を基にした再生医療技術に関しても、『前の世界群』のモトコから聞いた研究に於ける留意点を、武がこちらの世界のモトコに伝えた結果、研究は飛躍的な進展を見せ早くも成果が上がりつつあった。
 これにより、『前の世界群』では間に合わなかった遺伝子障害の修正技術が実用レベルに達した事で、天川蛍衛生兵の治療に成功すると共に、純夏に用いられる予定の再生医療技術もまた検証段階へと進んでいた。

 このように、武にとっては『前の世界群』に於ける懸念事項が幾つも解消され、将来への展望が開けてきていた。
 それ故に、まりもの言う『朧月』の実戦投入時期に対しては、軽く同意するに留めて言葉を返す。

「確かにそうですけど、それでも甲09号作戦までには運用試験を終わらせて、実戦に投入して見せますよ。」

 そして、そんな会話を交わす武とまりもの2人が揃って見下ろすその先では、『朧月』が何機も搬入されては、次々にガントリーへと格納されていく。
 その作業風景を眺める2人の許へと、1階から階段を上がってきた一団が歩み寄る。

「タケル! 『朧月』2個大隊分12機に予備機2機、そして複座仕様2機の合計16機、搬入を確認したぞ。
 整備班への引き継ぎは、御剣財閥の技術者が行っている。
 間もなく、ガントリーへの格納作業も全機終わる筈―――ッ! 神宮司大尉が御一緒でしたか。
 一別以来、御無沙汰いたしております。」

 その一団の先頭を歩いていた冥夜は、武の姿を認めるなり声を上げて申し送りを始めたが、その陰に半ば隠れていた人物がまりもであると気付くなり、途端に言葉使いを正し敬礼した。
 まりもは2001年中より、武の特殊任務の一部を補佐する任務に就いており、その任務中は臨時階級を与えられている。
 当初は臨時中尉であったその階級は、武の階級が急速に昇進した影響を受けて、臨時大尉に改められていた。

 それ故に特殊任務中なのであれば、中尉の任にある冥夜にとって本来の階級が軍曹であってもまりもは上級者となる。
 尤も、冥夜の態度が武相手の時とは比較にならないほどに礼儀正しいものとなるのは、階級の上下以前に、まりもが自身の訓練兵時代の恩師である事や、衛士としての一際優れた技量や経験、そしてなによりもその為人を敬して止まないからであった。
 そんな冥夜に、まりもも姿勢を正して答礼し、意図的に柔らかな口調で言葉を返す。

「久しぶりね、御剣中尉。斯衛の皆さんも御壮健そうで何よりです。」

 まりもの言葉に、冥夜の背後で主に倣って敬礼していた月詠以下斯衛軍第19独立警備小隊の4名が口々に応じる。

「お言葉痛み入る、大尉。」
「「「 御無沙汰しております! 」」」

 そして、答礼を終えたまりもに倣って冥夜以下5人が敬礼を解くと、まりもは表情を和らげて語りかける。

「そんなに堅苦しくしなくてもいいわよ、御剣中尉。
 なにより、大佐の階級にある白銀そっちのけで、私ばかりが敬意を払われるのも不自然でしょ?
 斯衛の皆さんもどうぞ、楽になさってください。」

「今は他に人目もないし、それでいいんじゃないか?」

 まりもの言葉に、武が同意の言葉を漏らす。
 オルタネイティヴ6への早期移行と、それに伴うであろう直属部隊の規模拡大を睨んで、武はその階級を大佐にまで進めていた。
 任官後、1年半ばかりの間に5階級も昇進した事となるが、その戦功が絶大である事は万人の認める所であった為、表立って異論を唱える者はいない。

 大佐となったにも拘らず、階級に拘泥しない振る舞いを一向に改めようとしない武は、取り成すつもりで気軽に発言したのだが、何故かその直後に柳眉をきりきりと吊り上げたまりもによって、苦言を申し立てられる羽目となる。

「内容に異論はないけど、そもそも堅苦しい言動は無用とか言って、序列を乱すような慣習を横行させたのは夕呼とあなたなんですからね!
 今更改めろとは言わないけれど、外部の目のある所ではしっかりと綱紀を引き締めてよね。」

 いきなりまりもから小言を貰った武は、藪蛇だと言わんばかりに首を竦めるが、それを見ていた月詠が意地の悪い笑みを浮かべると、考え込むような素振りを見せながらわざとらしく語りだした。

「ふむ。言われてみれば、白銀も大佐の階級にまで昇っていたのだったな。
 我らも、顧りみるに些か礼を失する態度であった。
 さっそく改めねばなるまい。お前達もこれより後は心するのだぞ。」

「「「 はい、真那様ッ! 」」」

 月詠の言葉に、実にいい笑顔で唱和する神代、巴、戎の3名。
 そんな斯衛達の振る舞いに、武は慌てて許しを請う。

「ちょ……勘弁してくださいよ月詠中尉。
 冥夜も笑ってないで、取り成してくれよ~。」

 まりもが苦言を呈し始めた時には、きょとんとした顔をしていた冥夜だったが、月詠が武をからかい始めた辺りからは、楽しげな笑みを浮かべすっかり野次馬と化していた。
 しかし、懇願する武に情けをかけたのか、傍観するのを止めて冥夜は取り成そうと口を開けかけたが、しかしそこで僅かに逡巡するとニヤリと人の悪い笑みを浮かべ、然る後に改めて口を開く。

「―――うむ、大佐殿の御下命とあれば従わぬわけにもいかぬな………………じょ、冗談だタケル、そのように情けない顔をするでない。
 ―――つ、月詠、時間もない事ゆえ、此度はその程度で矛先を収めるがよい。」
「はっ、承知いたしました、冥夜様。」

 しかし、ほんの悪戯心で口にした自身の言葉に、武ががっくりと肩を落とし、更にはどんよりとした表情を浮かべる様子を目の当たりにすると、冥夜は即座に態度を改めて月詠を窘めた。
 そして月詠が一瞬たりとも躊躇う事無く了承すると、冥夜は透かさず話題を転じる。

「こほん。―――さて、先程申した通り、『朧月』の搬入はほぼ完了したぞ、タケル。」

「あ、ああ。サンキューな、冥夜。月詠中尉以下斯衛の皆さんもご苦労様でした。」

 冥夜の言葉に精神的な疲労を何とか振り払った武は、冥夜と斯衛達を労う。
 しかし、武の労いを素直に受ける月詠以下神代、巴、戎の4人ではなく、口々に憎まれ口を叩いた。

「なに、我らは冥夜様のお手伝いをさせて頂いたに過ぎん。
 貴様に礼を言われる筋合いではないな。」
「そうだそうだ。」「大佐だからって偉そうにするな!」「余計なお世話ですわ~。」

 散々な言われようではあったが、出会ってからこの方ずっとこんな調子である為、すっかり慣れてしまった武は苦笑を浮かべただけで気にもせず、重ねて労いの言葉をかける。

「とは言っても、任務で多忙な冥夜の代わりに、御剣財閥に出向いたりもしてくれているそうじゃないですか。
 本当に、色々と助かってるんですよ?
 『朧月』もこんなに早く仕上がりましたし、『御剣財閥』は雷電翁の采配宜しき(よろしき)を得て、日々躍進を遂げているようですね。」

 そして、『前の世界群』と比べて1年以上も早くなった『朧月』の配備に、『御剣財閥』の事に触れた武だったが、その途端に何かのスイッチが入ったかの如くに、月詠が怒涛の如き早口で言葉を並べ立て始めた。

「殿下より此度の起業を仰せつかった雷電様は、こう仰せになられました。
 『此度の直命、御剣に生を受けし者が天命、生涯に一度の事と思い定め、必ずや後世にその名を轟かす業成すもの也。』と。
 そして、その気概を以て奮起なされた雷電様は、財閥の構築と運営へと邁進なされたのです。
 また雷電様は、その常に時代の先を目指す気風を以って、聖域なき構造改革をしてこそ殿下の期待に応える事が叶うと仰せになり、旧弊を廃しピラミッド型の組織を放擲なされて、実に画期的な社内運営システムを構築なされたのです。
 それは、戦域データリンクに倣って社内データリンクを構築し、上は雷電様御自身から下は食堂の賄い婦に至るまで、全社員が自身の業務状況と目標、課題や意見等を常に情報発信し、且つそれらの情報を相互に共有しつつ、雷電様を初めとした管理職の皆様が部署に捉われる事無く、全体の把握と調整、そして方針の策定に専念なさるという方式であらせられました。
 また、雷電様は起業にあたられて、次のような訓令をお下しになられておいでです。
 『わしを初めとした管理職は、須らく我が財閥の社員たる諸君の業務を円滑たらしめ、万が一進むべからざる道を歩もうとした時、また、歩むべき道を見出せず戸惑う時、正しき道を指し示す事にこそある。
 そして、それは全て、社員たる諸君に己が全力を振り絞って各々の職務に邁進して欲しいと願うが故なのだ。
 技術職は勿論のこと、事務であれ、賄いであれ、清掃であれ、職務の内容に関わらず、己が職務に誇りを持ち、常に創意工夫を心掛け、自身の見解を躊躇う事なく発信し、相互扶助の精神によって我らが財閥を共に支えていくのだと、斯くの如き気概を持って勤めて欲しい。
 諸君は財閥の雇われもの等ではない。諸君こそが財閥の主体なのだ。
 わしは、この財閥の発展が、延いては我らが祖国の礎となり、その復興と発展に多大なる貢献を果たせると確信しておる。
 その為にも、諸君等全員の精励を強く望むものである。』と。
 この訓令に、社員一同上から下まで共に一丸となって奮励し、雷電様の御采配の下、全身全霊を捧げて驚異的な業績を上げつつあるのです。
 いずれそう遠くない時代に、雷電様の取り組みは必ずや形を成し、世界を啓蒙するものとなって、知らぬものとてなき大財閥としての雄姿を表すことでしょう。
 雷電様が直率なさる限り、御剣財閥に不可能はございません。
 嗚呼素晴らしきかな御剣財閥、素晴らしきかな御剣雷電様―――」

 胸の前で両手の指を組み合わせ、陶然とした表情を浮かべた月詠は、一度たりとて言葉を途切れさせる事無く、数分に亘って滔々と長広舌を振るった。
 その様子に武は圧倒され、まりもは唖然とし、冥夜は頭痛を我慢するかの如く蟀谷を押さえた。

 月詠の語った御剣財閥に関する言葉は、美辞麗句が多く且つ些か誇張されてはいるものの、大筋に於いては事実に基づいたものである。
 そして、御剣財閥は『朧月』の開発以外にも、既存の帝国企業向けの案件によって少なからぬ利益を上げる事にさえ、起業から2年も経ずして成功している。

 その案件とは、XM3を基に開発された工業用モデル、統合工業生産管理保全システム『FM7』の提供であった。
 『FM7』は、高度な学習システムと並列演算能力によって、生産ラインの効率化から、作業状況の把握、管理、補正までをこなす多角的システムである。
 機材や材料、製品在庫の現状把握から作業環境の管理、作業者の補佐、そして疲労の度合いに応じて適度の休憩を取らせる事で作業効率を向上させるなどという細やかな体調管理に至るまで、実に多角的且つ繊細な管理業務を行う事で、同じ人員設備でありながら生産効率を向上させるという画期的なシステムであった。

 システムが完成した昨年以来、帝国の各企業は挙ってこのシステムを導入しており、それにより導入後の工場出荷数が増大し、海外への輸出量増大にもつながった。
 このシステムの売り上げによって御剣財閥は巨額の利益を得る事となり、運営資金の早期確保にも成功したのである。

 他にも、本来の目的である先進技術の実用化も着実に進んでおり、その成果を提供された帝国企業の工業技術は早くも米国と肩を並べ始めている。
 御剣財閥は実用化技術に関連する米国の特許技術に関しては慎重にライセンスを取得した上で、更にその延長線上に位置する新規技術や、他国では研究の進んでいない技術などを次々に実用化し始めている。

 武は、実用化された技術は特許を取得した上で、帝国企業を手始めに広く提供して世界的な技術レベルを底上げしていく一方、あまりに性急な技術的発展が生じないようにさじ加減をして欲しいと雷電に依頼していた。
 斯くして御剣財閥は、徐々に世界でも最先端となる技術を多方面で有する企業となりつつあったが、提携の輪を国際的に広げ技術を広く普及させるという方針により,御剣財閥のみが過度に突出するという事にはならなかった。
 尤も、これまで先進技術をほぼ独占してきた米国企業などは、大いに警戒しつつ優位を維持しようと奮闘した為、技術発展の速度は米国企業に歩調を合わせる形で進められる事となった。

 月詠の弁舌に圧倒されながらも、武はこのような経緯を現実逃避気味に思い起こしていたが、他方では、上司である月詠の嬌態を目の当たりにした神代、巴、戎の3人が、がっくりとその頭(こうべ)を落とし力無く呟きを発していた。

「あ~あ、真那様、また始まっちゃったよ……」
「真那様ったら、雷電様を崇拝しちゃってるもんね~。」
「真那様にとって、大恩あるお方だそうですから、仕方ありませんわ~。」

 そして、視線を上げて互いに額を寄せ合うと、ぼそぼそと言葉を交わし始める。

「でもさ~、雷電様って普段は厳めしい顔付をなさってて、貫録十分だけどさあ。」
「冥夜様や悠陽様が絡むと、途端にイメージが崩れちゃうんだよね~。」
「仕方ありませんわ~。だって、雷電様って所謂ジジ馬鹿ですもの~。」

 そう言い合ってうんうんと頷きを交わしながら笑みを溢した3人の背後に、何時の間にやら忍び寄った影が覆い被さる。

「貴様ら、随分と言いたい放題だな。
 よかろう、今日は私が直々に鍛錬をつけてやろうではないか。
 今宵は、寝られると思うでないぞ?」

 そして、地の底から響くような恐ろしげな月詠の声に、3人揃って表情を凍りつかせて震え上がる事となった。

「「「 ひぃ~~~~っ、真那様お許しを~~~~っ!! 」」」

 慌てて許しを請う神代、巴、戎の3人だったが、月詠は般若の如き表情を崩さず、必死の懇願にも眉一つ動かさなかった。

「許さん! 早速シミュレーターデッキに向かうぞ。
 冥夜様、誠に勝手ながら、御前を下がらせていただきます。」

「あ、ああ……その、月詠…………ほどほどにな。」

 冥夜に非礼を詫びながらも許しは求めず、強固な意志を示してきた月詠の気迫に、冥夜は幾らか及び腰になりながらもせめて手心をと取り成してみた。
 しかし、月詠は眉一つ揺るがせずに涼しい顔で応じると、3人の部下達をきりきりと引き立てていく。

「万事心得ておりますれば、これにて失礼仕ります。
 ―――貴様ら、さっさと付いて来ないかッ!」

「「「 真那様ぁ~~~、御慈悲を~~~~~ッ!!! 」」」

 格納庫の外を横切る通路から3人の悲痛な懇願が響いてきたが、無情にもスライド式の自動ドアが閉じられると、その気配すら断ち切られてしまった。

 斯くして、整備格納庫の搭乗デッキには、痛ましげな眼差しをした冥夜と、呆気に取られっ放しのまりも、そして『元の世界群』での月詠達4人を思い出し、何処か遠い眼差しをした武の3人が残された。
 その後、3人は共にPXに向かって朝食を摂り、まりもは衛士訓練校の講義に、武と冥夜はA-01の訓練へと向かうのであった。

  ● ● ● ○ ○ ○

2003年09月14日(日)

 11時24分、復興著しい北九州市から山間へと踏み入った地―――BETA侵攻前には須野村という小さな村が存在した場所に、夏の強い日差しの下、美しい音色が風に乗って響き渡っていた。

 『甲20号作戦』が完遂された後、九州の復興が始まってから未だ1年にも満たない時しか過ぎ去ってはいない。
 しかし、BETAに食い荒らされ荒地ばかりとなってしまっていたこの地にも、若木ばかりで往時の面影には及ばないとは言え、それなりの植生が戻っていた。
 幸いにして地形はそれほど変化しておらず、この地で育った者であれば往時の村の面影を見出すことも叶うやもしれない。

 かつて存在した村を思わせるような建造物の姿が完全に失われたこの土地に、しかし、真新しい建物が1軒だけ屹立していた。
 その建物は、須野村が健在であった頃に子供たちが通った、朝木学園須野分校という学び舎があった地に建っている。
 そして、その入り口には『朝木学園須野分校メモリアルホール』と記された看板が飾られていた。

 その建物―――メモリアルホールの付近には、更地に何台もの車両が止められており、1時間ほど前から休憩を挟みながらもこの地に流れ続けている音色は、このメモリアルホールの中から響いていた。
 そして今また、流れていた音色―――演奏曲が終わりを迎え最後の余韻が青空へと消え去っていく。

 そのメモリアルホールの中では、講堂のような部屋にステージが設けられ、それと向い合せに設えられた客席に100人程度の人々が、やや広めの間隔を空けて並べられたパイプ椅子に腰かけていた。
 この日、ここで開催されているのは『朝木学園須野分校 記念演奏会』と題された演奏会である。

 演奏会とは言っても、ステージに置かれているパイプ椅子はたったの7つ。
 今は休憩中なのか演奏者達の姿は無く、椅子と譜面台だけが置き去りにされていた。
 指揮台が存在せず、椅子が半円を描くように並べられている事から、室内楽の演奏会であると推測できる。

 この演奏会を開催したのは、この地にあった朝木学園須野分校が、大陸で猛威を振るったBETAの侵攻に備えた疎開により、廃校を余儀なくされた時の在学生であり、須野分校音楽部に所属していた者達を中心とした集団である。
 それ故に、当然の如く演奏者は須野分校音楽部の部員達であった。

 来場者に配布された、この演奏会のリーフレット(小冊子)に記された演目は次の通りであり、曲は全て弦楽六重奏として編曲されていると記されていた。

 1.行進曲『威風堂々』第1番ニ長調
 2.日本帝国国歌
 3.弦楽四重奏曲第77番ハ長調『皇帝』第二楽章
 4.行進曲『突撃行軍歌』
 5.オリジナル楽曲『永遠(とわ)なる音律(しらべ)』

 この日の午前10時30分に開演された演奏会は、軽快にして勇壮な行進曲『威風堂々』で幕開けを飾り、続けて国歌を奏でて祖国の万世不朽を祈願し、『皇帝』で亡国の危地に在って尚、希望を失わずに戦う意思の尊さを謳い上げ、『突撃行軍歌』で雄々しく戦い未来を勝ち取る勇ましさを称揚した。
 そして今、戦いの先に、過去の想い出から連なり、途切れる事無く未来へと受け継がれていく想いを主題とした、最後の楽曲を残すのみとなったのである。

 客席に着いている人々は、周囲の知人らと穏やかに言葉を交わしながら、演奏者達が姿を現すまでのひと時を過ごしている。
 そして、遂にステージ脇から演奏者達7人が、手に弦楽器を携え揃って姿を現した。



 七人全員が、揃って席について楽器を構える。

 水を打ったように客席もステージも静まり返る。

 第一ヴァイオリンの澪が、全員に目で確認を取る。
 約束の曲の楽譜(スコア)を前に、七人の心は一つに重なっていた。

「さん、はいっ……」

 七本の楽器から放たれた音は、青い空に溶け込むように静かに消えていく。
 消えては、新たに紡がれる永遠(とわ)なる音律(しらべ)。

 真っ青な空の下。
 須野分校の60年の歴史を、後の時代へと語り継ぐ為に。
 永遠(とわ)なる音律(しらべ)が、約束の実現―――みんなとの再会を祝うように、軽やかに、そして雄大に鳴り響いていく。

 音が風に乗り、風が想いを運び、想いが心を動かしていく。
 朝木学園須野分校メモリアルホールに流れる音律(しらべ)が、ホールの外へと広がっていく。

 そして、ついに終わりがやってくる。
 長く続いた『永遠(とわ)なる音律(しらべ)』が終わりを迎えようとしている。

 いつまでも、終わらせる事なく奏でていたいと思いはしても。
 楽譜(スコア)はその最後を告げている。
 後少しで、演奏は終わりを迎える。

 満足できる演奏じゃない。
 もっと、もっと良い音色を響かせたい。
 こんな拙い演奏じゃなくて、もっと心の奥底にまで届けたい。
 みんなと一緒に、聞く人みんなの心を揺さぶる音楽を奏でたい。

 七人の心の内にはそんな想いが溢れていた。

 それでも、終わってしまう。
 どうしようもなく、終わってしまう。

 以前は未だ綴られていなかった最終楽章の、その最後の小節に辿り着き、みんなで視線を合わせながら。
 この曲が、ここから明日(みらい)へと響き続けていく事を祈りながら。

 七人は。
 再会を果たした、須野分校音楽部は。

 長い苦難の時を超えて、ついに完成された『永遠(とわ)なる音律(しらべ)』という約束の曲を。
 ここから、再び明日へと繋がっていく物語の、その証しとして。
 曲の終わりと共に、積りに積もった想いを全て解き放った。



 しんと静まり返る。
 そして―――。

 ―――大喝采が、舞い降りた。



 『朝木学園須野分校 記念演奏会』の演奏は、大盛況のうちに終わった。

 演奏中も、演奏が終わった後も、まるで懐かしいあの日々の中にいるような心地だったと。
 そして、あの日々の続きを、演奏を終えた今この時から、再び歩んでいけると。
 曲を奏でた七人も、演奏に耳を傾けていた人々も、この地で織り成された想い出を持つ、みんなが同じような事を感じているようであった。



 演奏会が終わるとステージと客席が片づけられ、昼食会を兼ねた立食形式の饗宴の場が用意された。
 食事事情が改善されつつある昨今ではあるものの、用意された料理や飲み物は極く慎ましやかな物ではあった。
 しかし、そんな事はこの場に集った人々には何ら気にすべき事とは見做されず、全員が穏やかな表情に笑みを浮かべて思い思いに会話を楽しんでいる。

「やっ、遠くまで来て貰ってありがとよっ! 礼を言うぜ~。」

 可愛らしい声音でありながら、伝法な言葉づかいをするその女性は、帝国陸軍に所属する衛士であり、今回の演奏者の1人でもある大上律子中尉であった。

「ちょ、ちょっと律子先輩! その言葉づかい不味いんじゃないんですか?」
「うん……相手が悪いと思う……」
「はわ、はわわわわ……」
「さすが澪、その年になっても、慌てっぷりは相変わらずなんですね。」
「しょうがないじゃない、澪なんだから。」
「ヤー! この方が有名な白銀大佐でいらっしゃるのですね? リーゼはお会いできて光栄です!」

 そして、その背後で律子を突ついたり、何やら小声で言葉を交わしたりしているのが、残る6人の演奏者達であった。
 00ユニットとして高性能な五感を与えられている武は、小さく発せられた言葉を全て聞き取っていたのだが、敢えて気付かないふりをして律子に挨拶を返した。

「今日はお招きありがとうございました、大上中尉。
 後ろの皆さんは、演奏者の方々ですね。
 オレはあまり音楽には詳しくないんですけど、素晴らしい演奏だったと思いますよ。」

 武がそう言うと、律子は頭の後ろに右手を当てて、照れ臭げに、それでも嬉しそうな笑みを見せて言った。

「おいおい、止めてくれよ、照れちまうじゃねえか!
 まっ、巧や澪はプロの演奏家だし、藍だって玄人跣(くろうとはだし)な腕だけどな。
 けど、他のみんなはアマチュアだし、オレときたら昔っから下手っぴいだったからよお。
 オレ1人でレベル下げちまってんじゃねえかな、あはははは!」

 そう言って笑い声を上げる律子だったが、その背後の6人は発言内容に異論ありげな表情を浮かべている。
 それでも、世界中で1人歩きし始めている武の名声に遠慮してか、口に出しては何も言わなかった。
 しかしそこで、武の傍らに控えていた祷子が会話にするりと割って入る。

「そんなことありませんわ。
 心のこもった、素晴らしい演奏を、十分に堪能させていただきましたもの。」

「そうだな。家の父もよく言っているが、音楽は技術が全てではないだろう。
 本当に心を打たれる、素晴らしい演奏だったと思うぞ、大上中尉。
 父と母も来たがっていたのだが、どうしても時間が捻出できなかったそうだ。」

 更には祷子に続いてみちるが進み出て語りかけたが、最後の言葉は律子の後方に佇む冬馬巧と小鳥遊澪に向けたものであった。
 みちると祷子は、みちるの父と母が指揮者とフルート奏者を務める楽団に所属する巧と澪に面識があった。
 今回の演奏会に招かれたのも、その関係からである。

 そして、巧と澪がみちると祷子に向けて会釈をする中、武に同行してきた最後の1人である美冴が発言する。
 しかも、実に外連味たっぷりな物言いであった。

「大尉、白銀もそうですが、今日の大上さんは音楽家でいらっしゃるんですから、階級で呼ぶのは無粋と言うものでしょう。
 大上さん、私も白銀と同じくあまり雅な趣味は持ち合わせない口だが、今日の演奏は本当に楽しませてもらったよ。
 感動に打ち震えるという事がどういう事なのか、実感する事が出来たのは大上さんのお蔭と言っても過言ではないな。
 招待してもらえて、感謝の言葉もないくらいだ。」

 律子は昨年の春に、帝国陸軍衛士としての同僚である緑川仁中尉や、以前同僚であり現在は帝国軍陽動支援戦術機甲連隊に所属する衛士である、緑川蘭子中尉と竜崎麗香大尉を通して美冴と面識を得ている。
 その縁ととある目的の為に、この演奏会に美冴を招待したのは律子自身であった。
 とは言え、然程美冴の言動に慣れていない為、大仰に感動を表現している美冴の賛辞は、律子にとってこの上なく面映ゆかった。

「ちょ、ちょっと勘弁してくれよ、宗像中尉。
 いくらなんでも、そこまで言われたら褒め殺しだって!
 それともあれか? 緑川が来てない事への当て付けか?
 しょうがないだろ? ちゃんとあいつにも招待状を送ってやったのに、休みが取れねえってんだからよ!」

 それ故に照れ隠しも兼ねて、律子はつい要らぬ事を言って美冴の尻尾を踏ん付けてしまった。
 美冴の表情が微かに強張り、眉が1mmだけ跳ね上がった。
 しかし、美冴は即座に表情をにこやかな、いや、にこやか過ぎるものへと変えてしまった為、その微妙な変化に気づいたのは祷子と武、そしてみちるのA-01組だけであった。

「そんな事は、とっくに本人から聞いているとも。
 しかし、いくら自分の腕に自信がないからと言って、卑屈になるあまり賞賛を素直に受けられないとはね。
 自分でも情けないとは思わないものかな?」

 そして美冴は、にこやかな表情を崩さないまま、さらりと毒を吐いた。
 一瞬きょとんとした表情を浮かべた律子だったが、見る見るうちにその顔が般若の如きものへと変貌を遂げる。

「な・ん・だってぇ~?」

 その後、睨み合いから毒舌を叩きつけ合う展開となった2人から、他の面々はさり気なく距離を取って会話を続けた。
 美冴との口論に夢中になってしまった律子に代わり、最後に演奏されたオリジナル楽曲の作曲者でもある巧が武へと話しかける。

「え、ええと……白銀大佐でいらっしゃいますね?
 僕は冬馬巧と申します。
 今日は遠路遥々お越しくださいまして、ありがとうございました。
 それと―――オリジナルハイヴを初めとして、甲21号や甲20号を攻略してくださり、本当にありがとうございました!」

 そう言うなり、巧は深々と腰を折り武に向かって頭を下げた。
 それに合わせて、巧と共に居た演奏者達―――雨宮歌音(あまみや・かのん)、折原藍(おりはら・あい)、越野可憐(こしの・かれん)、リーゼロッテ・シュレーベルといった面々が揃ってお辞儀をする。
 そんな中、澪だけがお辞儀をせずに取り残されてしまい、巧と仲間たちの振る舞いに気付くと一瞬キョトンとしてから大慌てで頭を下げた。

 演奏者達の突然の振る舞いに驚く武に対し、巧は頭を下げたままで言葉を続けた。

「今日の演奏会を開けたのも、こうしてみんなで集まれたのも、全て大佐のお蔭です!!
 御多忙と存じ上げた上で、無理を承知でご招待させていただいたのは、直接お会いしてお礼を申し上げたかったからです。
 本当に―――本当にありがとうございました!」

 それは、巧にとって心の底から出た感謝の言葉であった。

 1996年夏の廃校式のあの日、既に卒業していた律子を除く巧達―――須野分校音楽部の6名は、当時未完成だったオリジナル楽曲を完成させた暁には、再び全員揃って演奏しようと約束を交わした。
 しかし、その後の2年で戦況は悪化の一途を辿り、BETAの東進が進み中国大陸と朝鮮半島が陥落、そして遂には日本本土の西半分がBETAに蹂躙されるという事態へと発展した。 
 翌年、横浜ハイヴを米軍の新型爆弾の投下と引き換えに攻略し国土の殆どを奪還したものの、ハイヴを建設された佐渡島は奪還できず、九州は朝鮮半島から渡海してくるBETA群の侵攻に曝され続けた。

 そんな時代の中、衛士として従軍していた律子との音信は途絶えがちとなり、戦況の逼迫は戦争とは比較的無縁な生活を送っていた巧や澪にとっても、切実に感じられるようになっていった。
 暗い世相の中、それでも折に触れてオリジナル楽曲の作曲を進め、音楽と言う文化の火を途切れさせない為に、気力を掻き立てて懸命に演奏活動を続けていた日々。
 なんとかオリジナル楽曲を完成させたものの、戦況の悪化によって演奏会を開くどころではなくなってしまった。
 逼迫した日々が続く中で、再び須野分校音楽部の仲間達と再会するなど不可能ではないのかと、巧は何時しか希望を失いかけていた。

 しかしそんな戦況も2001年11月の新潟BETA上陸を機に、一気に明るい方向へと舵を切る事となった。
 新潟でのBETA撃退から始まって、政威大将軍殿下の復権、佐渡島の奪還、翌年に入ってオリジナルハイヴの攻略に朝鮮半島の奪還が立て続けに成され、日本帝国はその国土を脅かされる日々から解放された。
 それからは一転して希望に満ちた日々が戻り、再び仲間達と集まって演奏会を開こうという意欲が、巧の心に蘇って来た。

 それから後の日々を巧は、仲間達の安否確認と演奏会を開く為の準備に夢中になって過ごした。
 その当時、須野村のあった土地は完全な荒れ地となって人の出入りすら儘ならぬ状況と化しており、この想い出の土地での開催は無理ではないかと思った事さえあった。
 しかし、信じ難い程急速に植生の回復が成され、近傍に位置する北九州市の復興が進むと、須野村のあった地での演奏会開催も何とか実現できる可能性が出てきた。

 小さくてもいいから建物を1軒建て、何とか人が通えるだけの道を整備できれば―――そう考えて巧は地道に構想と準備を進め始めた。
 それが一変したのは、最後まで安否が確認できなかった律子に連絡が取れてからである。
 事情を知った律子はすぐさまその人脈を活用して精力的に活動し始め、軍務の傍らでありながら後援者を探し出し、更には何処へどう話を持っていったのか、復興支援システムの実証試験と言う名目で『朝木学園須野分校メモリアルホール』建設の目処までも立ててしまったのである。

 巧が地道に建てた構想では、小なりとは言え建物を建てて仲間内の少人数が集まり、極内輪の演奏会を開くに留めたとしても尚、早くて今年の冬になってしまう見込みであった。
 しかし、律子の介入によって建物の規模は100人の来場者を優に収める事の出来るホールとなり、開催時期も数カ月早まり廃校式と同じ季節である夏の内に行える事となった。
 しかも、建物の建設が早期に終わったお蔭で、ここ数日律子以外の演奏者は泊まり込みで演奏を合わせる事さえ出来たのである。

 律子も前日の朝には合流し、大分やっつけ仕事とはなったものの全員での練習も出来、演奏会も盛況の内に終える事が出来た。
 そして、これらの経緯の要所要所で、白銀武と言う存在が大きな意味を持っていたのである。

 殿下の復権はともかく、その契機ともなった新潟でのBETA撃退から、それ以降の人類の快進撃は武のもたらした新戦術と装備群があったればこそであると、巧の知る軍人から報道機関に至るまでが押し並べて絶賛している。
 また衛士としては、オリジナルハイヴを初めとした各ハイヴ攻略作戦の全てに参戦し、しかも作戦指揮を担う身でありながらハイヴ突移入迄もをこなしたという。
 更には、メモリアルホール建設の絡みで耳にした所では、帝国国土の急速な復興の陰にも、武の尽力があるらしい。

 それ故に、巧はみちるや祷子、そして律子を経由して美冴へと働きかけて、無理を承知で武をこの演奏会へと招いた。
 極私的で小さな―――結果的にはそこそこの規模となってしまったが―――集まりではあったが、是が非でも演奏を聴いてもらい、直接感謝の言葉を告げたいと、そう願ってしまったのだ。
 そして、ようやく叶ったその願いに、胸を熱くした巧の深い感謝の想いがこもった言葉を聞き、武は少し時間をかけて戸惑いを振り払った後、静かに語り始めた。

「…………そうですか。それじゃあ、そのお気持ちは受け取っておきます。
 でも、オリジナルハイヴの攻略にしても、この演奏会が開けるほどに世情が安定したのにしても、オレだけの功績って訳じゃないって事だけは、理解しといて下さい。
 それぞれの作戦に参加した将兵は勿論、その将兵を後方で支えた人達や、社会が安定するように尽くした人達など、そういった、苦境にあってなお力を尽くして、自身の成せる事を精一杯行ってきた人達全員が礎となって勝ち取ったものだと思っています。」

 武の言葉に巧の頭が上がり、その視線が武の目を真っ直ぐに見詰める。
 その視線の先にあった武の表情は実に真摯なものであり、まるで信念を語っているかのようであった。
 些か意外且つ唐突な内容ではあったが、巧を初めとした演奏者たる6人は、真剣な面持ちで武の言葉に耳を傾ける。

「戦いに関係のない活動をしていた、あなたのような音楽家の方々もそうです。
 戦いに、生活に疲れた人達の中には、音楽によって癒され新たな活力を得て、再び奮起した人もいるでしょうから。
 ―――奇麗事に聞こえるかもしれませんけど、オレは本当にそう思っているんです。
 だから、オレからも礼を言わせてもらいます。
 希望を捨てず、明るい未来への努力を続けてくれて、本当にありがとうございました。」



 ―――その後、一頻り武達と言葉を交わした後、巧達は幾つかのグループに分かれて来場者達と歓談の一時を過ごしていた。

「はぁ~。ちょっと巧君、あなた新進気鋭のヴァイオリニストとか言われてる癖に、やっぱりヴィオラを担当したのね?」

 呆れた様な声を出して、そう巧に話しかけているのは、澪の実母にして澪と巧にとってはヴァイオリンの師匠でもある小塚弘子(こつか・ひろこ)であった。
 そんな弘子に苦笑を浮かべながらも、巧は何とか弁明する。

「しょうがないじゃないか、弘子。須野分校音楽部でのオレのパートはヴィオラなんだから。
 他に弾ける奴も居ないんだし……」

 巧の言葉は師匠に対するとは思えない程に砕けている。
 これは出会った頃の弘子の素行が、到底大人とは思えない程いい加減であった事の名残であった。
 尤も、弘子はヴァイオリニストとしての才能を除けば、人間としては割と碌でもない部類に属するので、今に至るまで巧の態度は一貫して改められる事は無かった。

「どうせなら、あの律子ちゃんに弾かせたら良かったのに……」

 巧の弁明を聞いて尚、ぶちぶちと言い募る弘子に、澪が眦を決して苦情を申し立てる。

「……弘子さん、巧さんに無茶言わないでください。」

 一度は捨てた我が子である澪に対して、弘子は未だに負い目を感じている。

「あー、はいはい、どうせ私が悪役にされちゃうのよね~。」

 それ故に、澪に睨まれた弘子は不貞腐れた様にそう言い放つと、手にしたグラスの中身を一気に飲み干すのであった。



 そして、そんな3人に視線を投げかけながら、言葉を交わしているのは歌音とその父である雨宮宗仁(あまみや・そうじん)、そしてその妻となった旧姓で言うならば小鳥遊春奈(たかなし・はるな)の3人であった。
 春奈は澪の父親の後添えであり、夫と死別した後、澪を義理の娘としたまま歌音の実父である宗仁と再婚した。
 それ故に、澪の戸籍上の親権者は、澪を生んだ後、さっさと離婚してしまった実母の弘子では無く、春奈と宗仁の2人となっている。

 宗仁と春奈は共に在りし日の須野分校で教職に着いていた同僚であり、片親での子育てに悩む者同士でもあった。
 様々な経緯はあったものの、須野分校が廃校となった後2人は結婚して北海道へと疎開したのだが、その際にプロのヴァイオリニストを目指す澪を弘子に託し、それ以来別れて暮らす事となっていた。
 とは言え、澪の傍には彼女が想いを寄せる巧が寄り添っていた事もあり、それ程澪の心配はせずに済んだ。

 それでも、今日は久しぶりに家族4人が揃った日となる為、澪に声をかけるタイミングを見計らっていたのである。
 気真面目でどこか要領の悪い両親を、歌音は苦笑を浮かべて見守っている。
 すると、ふと思い至った様に宗仁が歌音を見下ろして話しかけた。

「そう言えば、結局澪と巧は結婚しなかったな。
 情勢も落ち着いてきた事だし、何時頃結婚する予定だとか、何か言って無かったか? 歌音。」

「そう言えばそうですね。直ぐにでも結婚しましたって、知らせが来ると思っていたのですけれど……」

 夫の言葉に春奈も首を傾げてから、2人目となる義理の娘である歌音を見やる。
 2人から物問いた気な視線を向けられた歌音は、俯き加減になって表情を隠すと、感情の起伏を読み取り難い平坦な口調で訥々と応えた。

「……特に何も言ってなかった………………けど、今となっては好都合……」

 父への返事に続けて、歌音は笑みを浮かべてポツリと言葉を漏らす。
 しかし、その声はともかく、俯いていた為に笑みが両親の目に留まる事は無かった。

「そうか…………ん? 今、最後に何か言ったか? 歌音。」

 娘の応えに気難しげに口を引き結んだ宗仁だったが、ふと眉を寄せて歌音に問いかけた。

「ん……別に何も…………」

 しかし、歌音は俯き加減のまま、言葉少なに応えるのみであった。



 そして、会場の中で一際騒がしい一角では、可憐が苦笑いを浮かべながら数人の子供達の相手をしていた。

「可憐姉ちゃん、結構やるじゃないか!」

 その中の1人、10歳位の男の子が鼻の下を人差し指で擦りながらそう言った。
 すると、髪の毛を小動物の耳の様に後頭部の上部両脇で結わえた1人の少女が、うんうんと元気に頷きながら興奮気味に捲し立てると、隣に立つ高校生くらいのどう見ても日本人とは思えない少女に同意を求める。

「ほんと! すごい、すごいよ可憐お姉ちゃんっ! ね、望お姉ちゃんもそう思うよね?」

「そうだね、雫(しずく)ちゃんの言う通りね。素敵な演奏でしたよ、可憐さん。」

 そう言って、興奮気味の少女―――美桜乃(みおの)雫の頭を撫でてやるのは、カムチャッカ戦線防衛戦の後で日本帝国に亡命を希望してきたESP発現体の少女―――千里望であった。
 そして、そんな優しいお姉さんそのものの行動をとる望に対して、雫と反対側から少し気の弱そうな少女が、唇を尖らせながら望の腰の辺りに抱きついてきた。

「あ……望お姉ちゃん、私も撫で撫でして欲しいの……」

 そして、望にお願いを告げるとそれを聞いた雫が、その少女―――鈴原有希(すずはら・ゆき)を気遣う。

「あ、ごめんね有希ちゃん。望お姉ちゃん、有希ちゃんも撫で撫でしてあげてよ。ね?」

「いいわよ―――ほら、これでいい?」

 望が言われるままに有希の頭を撫でてやると、有希は眼を細めて嬉しそうな笑みを浮かべ、それを見た雫も満面の笑みを浮かべる。
 所が、それを見た男の子達が有希を囃し立ててからかい始めた。

「やーい、有希の甘えん坊~!」
「あ~まえんぼ~、甘えん坊~!」

 そんな言葉をぶつけられて、嬉しそうにしていた有希の顔が歪んでいく、望はどうしたものかと悩む様子を見せ、雫が拳を握りしめて男の子達の方へと踏み出そうとしたその時、両手を腰に当てた可憐がしかめっ面で男の子達を叱り飛ばした。

「こら! あんた達、女の子をからかったりしちゃダメでしょ?!
 お父さんに言い付けるわよ?
 って、お父さん何処行っちゃったんだろ……」

 途端に大人しくなった男の子達の相手をしながら、可憐は何時の間にか何処かへと姿を消してしまった父を捜して視線を巡らせる。
 その一方で、有希は何とか泣きだす前に望と雫に慰められて笑顔を取り戻していた。

 望を初めとして男の子達2人と雫に有希は、全員が可憐と可憐の父である越野五郎(こしの・ごろう)の2人で運営している孤児院で引き取っている子供達である。
 ソ連から亡命してきた望は鎧衣課長の紹介で引き取られ、可憐を助けながら孤児院の子供達の面倒を見るようになり、姉代わりにすっかり懐かれて平穏な日々を過ごしていた。

 そして、雫はと言うと、彼女は須野村の生まれだったが、母親を早くに亡くし出征した父も戦死してしまった為、須野分校が廃校となる前に一足早く親戚の許へと疎開していた。
 ところが、その親戚も戦火の中で亡くなってしまい、それ以降雫は幾つもの孤児院を転々とする事となってしまった。
 そうこうする内、2002年になって可憐とその父に再会し、2人が運営する孤児院へと引き取られる事になったのである。

 その後雫は、当時既に引き取られていた同年代の有希を、自身の方が小柄であるにも拘らずお姉さんぶって面倒を見るようになり、ほぼ同時期に引き取られてきた望を姉と慕うようになっていた。
 今回の演奏会には、他所に預けたり孤児院に置いて来るには問題のある子供達を、父親と望を引率として連れて来たのだが、雫にとっては疎開して以来初めてとなる里帰りとなった。
 この地に着いて直ぐに、雫は五郎に頼んで両親の墓があった場所へと連れて行ってもらったものの、そこには既に墓は無く植樹されたばかりの若木が辺り一面に生えているだけであった。

 それでも、雫は墓があったと言う辺りに向かって両手を合わせると、何時もの明るい活発な様子を取り戻し、演奏会も十二分に楽しんだようであった。
 その後可憐は雫と有希を望に任せて、男の子2人に料理を食べさせたり飲み物を飲ませたりと、忙しい時を過ごす事となった。



 また、それとは別の一角では、相当な老齢と見受けられる、頭頂こそ髪を失っているものの獅子の鬣の如き白髪と白鬢を蓄え、活力に満ち溢れた老人が3人の女性を侍らせて愉しげに呵々大笑していた。
 3人の女性の内、その老人の背後に控えているのは男性の様な黒のスーツを身に纏ったやや年配の女性。
 そして、老人と向かい合って言葉を交わしているのは、演奏会で第2ヴァイオリンと第1チェロを担当した藍とリーゼロッテの2人であった。

 この老人の名は山穂周次郎(やまほ・しゅうじろう)。
 帝国の大手楽器メーカーであるYAMAHO楽器の創設者であり、高齢を押してBETAの侵攻に帝国が曝され続けた間も会長職に留まり続け、音楽活動の火が消える事の無い様に尽力し続けた人物である。
 そしてスーツ姿の女性は、山穂会長の秘書を務める草田那美(くさだ・なみ)であった。

 リーゼロッテは実の母親が、実家を出奔して父に嫁いだ山穂会長の娘であり、自身は孫に当たる。
 藍はと言えば、YAMAHOの音楽スクールに通ってヴァイオリンを学び、今ではそのYAMAHO音楽スクールで子供達を指導する立場となっている。
 そういった事情から2人とも山穂会長とは面識がある為、こうして親しく言葉を交わしているのだが、奇しくも2人が山穂会長や草田秘書と初めて出会ったのは、在りし日の須野分校に通っていた時期であった。

 その頃の山穂会長は、須野分校に全国でも珍しい本格的な弦楽四重奏(カルテット)が存在すると聞き及び、自社がスポンサーとなっている『YAMAHO音楽チャンネル』と言うTV番組で取り上げようと、自らTVクルーを率いて須野分校音楽部を訪問しに来たのである。
 そして、孫娘であるリーゼロッテや、将来有望なヴァイオリニストの卵であった巧と澪や藍といった若者達と出会った。
 その後戦況が激しさを増していく中、巧や澪、そして藍が徴兵される事無く音楽活動を続けられた背景には、山穂会長の尽力も一役買っていた事は間違いがなかった。

「はっはっは。そうか、あの3人目のチェリストが須野分校音楽部を立ち上げた生徒だったのか。
 演奏技術は決して上手いとは言えないが、演奏者達をリードしまとめ上げる才能には恵まれているようだな。」

 山穂会長が、弦楽六重奏に一見オマケの様に加わっていた3人目のチェロ奏者である律子の逸話を聞いて、大きな身体を揺すって笑い声を上げた。
 すると、どこか面白く無さそうに藍が毒吐き、リーゼロッテが透かさずフォローを入れる。

「強引過ぎるんですよ、あの女性(ひと)は。」

「でも、確かに律子のカリスマは人並み外れているです。」

 そんな孫娘の姿に今は亡き娘の面影を見出した山穂会長は、目を細めて眩しげな視線を注いでいたが、ふと思い出したかのようにリーゼロッテに問いかけた。

「うむうむ…………と、そう言えばリーゼロッテ、今回は何時まで帝国に居られるのかのう?」

「ん~、そうですねえ。
 遅くても明後日には帰国するです。でも―――」

 山穂会長の問いに唇に人差し指を当てて首を傾げながら応えたリーゼロッテだったが、そこで一旦言葉を切り悪戯でも企んでいるかのような笑みを浮かべると、少しもったいぶってから言葉を続けた。
 もしかしたら、帝国に帰化するかもしれないです。―――と。
 そして隣に佇む藍はそれを聞いて不敵な笑みを浮かべ、リーゼロッテと何やら視線を交わすのであった。



 この場には、演奏会に来場した人々の内半数近い人数が残っている。
 その大半は須野村の出身者であり、律子はそれらの人々に囲まれており、投げかけられる言葉に腕組みをして仁王立ちした姿勢で応じていた。

 律子は須野分校に通っている頃から有名な生徒であり、その他を圧倒する行動力と他者を惹き付けて止まない魅力で、勇名を馳せた人物であった。
 当時子供であった者から大人に至るまで、多くの人から頼りにされ一目置かれていた律子だったが、卒業後は衛士訓練校へと志願入隊してしまい、以降は風の便りさえ途絶えがちとなってしまった。
 その当時は、村から出征した者の戦死通知が届き始めていた時期だった為、卒業後の律子について触れる者も日を追う毎に減っていったのである。

 そんな律子が実に久方ぶりに姿を現した為、この日演奏会に集まる事の出来た元村人達は、律子を囲んで懐かしい日々を偲んでいた。
 律子はそんな人々を励まし力付けて、明日に向かって精一杯生きろと発破をかけて回るのであった。



 そして、曲に必ず終りが来るように、楽しい饗宴の席もお開きとなる時間がやって来る。
 人々は、今日の再会を明日を生き抜く活力へと変え、再会を誓いあって懐かしい故郷を偲ぶ為の建物を後にすると、三々五々に立ち去って行く。
 そうして、会場には須野分校音楽部のメンバーだけが残された。

 このメンバーで今宵一晩を共に過ごし、明日の早朝に原隊へと戻る律子を送り出し、その後会場の片付けを済ませたならば、またばらばらの生活へと戻っていく予定となっていた。
 しかし、残された時間を精一杯楽しもうと、7人は昔よく巧の家に集まった時の様に、控室の1つに集まって別れていた日々を交互に語りあい、会話を弾ませていた。
 どれほどそうして過ごす時を大切に思おうとも時は滞る事無く無情に流れ去り、久しぶりにみんなで食べる巧と澪が料理した夕食やつまみも食べ尽くされた頃、夜もすっかりと更けてしまっていた。

「さぁ~て、十分たぁ言えねぇが積もる話も随分としたし、この辺で大事なお話って奴を済ましとくとするか。
 なあ、みんな?」

 会話が一段落して、名残惜しいがそろそろ眠らないと明日がきついかと巧が考えたその時、律子が突然そんな事を言い出した。
 訳も解からず当惑する巧と澪を他所に、他の4人は心当たりがあるらしく、藍は頬を染めてそっぽを向き、歌音は静かに双眸を伏せて笑みを浮かべ、リーゼロッテは右手の拳を高く突き上げて気勢を上げ、可憐は視線を左右に泳がせて挙動不審になっていた。
 そして、歌音が静々と先鋒を買って出て口を開いた。

「……巧、澪……全てはあなた達がちゃんと結婚して無かったのが原因……だから…………諦めてね?」

「ヤー、ヤー! 全ては自業自得なのです! そして、やはり日本は素晴らしい国だったのです!!」

「そ、その……巧さんや澪には悪いと思うんですど…………や、やっぱり諦められなかったです!」

「わ、わたしは別に巧なんてどうだっていいんだけどっ、そ、その……つ、付き合いって奴よ!」

 代わる代わる口を開いた歌音、リーゼロッテ、可憐、藍の4人だったが、その言葉を聞いた澪は疑問を顔一杯に浮かべて巧に尋ねる。

「?―――えーと巧さん、みなさん何を言いたいんでしょうか?」

「いや、オレにもさっぱり解からない。
 律子先輩、ちゃんと説明してくれませんか?」

 問われた所で、巧にもさっぱり訳が解からなかった為、巧は言い出しっぺの律子に説明を求めた。
 すると、律子は腕組みをして立ちあがると、ちっちと舌を鳴らしてから悠然と語り出した。

「なぁ~に、そんな難しいこっちゃないから安心しな、巧ぃ。
 お前と澪は、何年も2人っきりで過ごしながら結婚届けを出さずにきた。
 オレは居合わせなかったが、こいつらはこの村を後にする時、お前達を祝福して身を引いたらしいじゃないか。
 けどな巧。時代はお前達を追い越して変革を迎えたんだッ!」

「あ~、抽象的過ぎて意味が解からないんですけど……」

 なにやら力の入った語調で捲し立てるハイテンションな律子に、巧は頭痛を抑えながらも更なる説明を訴える。
 そんな巧に、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべると、律子は人差し指を立てて滔々と説明を捲し立て始めた。

「まあ待て、本題はこれからだ。
 今年の春にある1つの法律が殿下の御英断を以って施行された。
 いいか? この法律は『拡大婚姻法』と言ってだな―――」

 その後、肉食獣の様な輝きを瞳に宿した5人に詰め寄られ、澪は小動物の様に恐怖に打ち震え、巧は澪を庇ったものの力関係は圧倒的に不利であり、逆襲に転じる程の余裕は皆無であった。
 そして、強迫じみた話し合いはこの後明け方近くまで続けられ、徹夜明けであるにも拘らず律子は意気揚々と原隊へと復帰する為に立ち去って行ったのであった。

 話し合いの結果はともかく、巧は疲れ果て澪は気絶したきりであったと言う。



 因みに、余談ではあるが、『朝木学園須野分校 記念演奏会』の様子はTVの番組として取り上げられ、全国に放映される事となる。
 番組のスポンサーはYAMAHO楽器と御剣財閥であり、ゲストコメンテーターとして番組の最後に武が出演していた。

 その中で武は、都市部以外の復興も何れそう遠くない内に可能となっていくであろうとの見通しを語り、朝木学園須野分校メモリアルホールの建設と道路の敷設が、如何に短期間で行われたかをモデルケースとして語った。
 更に武は、戦争の継続のみに偏った現在の社会構造から、来るべき平和で豊かな社会への転換期がやって来ると力強く主張し、衰退しつつあった文化の復興に力を尽くす必要性を説く。
 そして、人間らしい、心にゆとりを持って生活出来る平穏な社会を1日も早く取り戻す事こそが、BETAとの戦いに身を捧げた英霊たちに報いる術ではないだろうかと熱く語ったのである。

 ここまでを真剣な、だがそれでいて未来を見通しているかのような超然とした余裕を見せながら語ってきた武が、ここで相好を崩し年相応の稚気に溢れた笑みを浮かべた。

「まあ、そういった伝統的だったり従来から存在した文化の復興は、その道の造詣が深い方々にお任せしておくとして、オレはこれからの若者に向けた新しい娯楽を発信していきたいと思ってます。
 幸か不幸か、オレの物の考え方は相当突飛なものらしいんで、どれだけ受け入れて貰えるかはわかりませんが、少なくとも目新しいものは提供出来ると自負しています。
 オレのアイデアを元に、実際の開発と販売、流通などは、ちょっとした御縁から御剣財閥で請け負って下さるそうなんで、早ければ年末商戦に間に合うようにしたいと思っています。」

 と、そう語った武は、自身が若者に向けた娯楽の創出と発信に乗り出す意志がある事を告げた。
 そして、武は表情を真摯なものへと戻すと、カメラに向かって真っすぐな視線を向けて、滔々と語りかけた。

「近い将来に必ずや訪れるであろう平和で豊かな世界。
 それは、多くの人々の犠牲の上に築かれる世界です。
 その事は後世へと語り継ぎ、決して忘れ去られる事の無い様に心掛けなければならないでしょう。
 ですがそれとは別に、輝かしい明日への希望に満ちた世界に生きる若者達には、その人生を謳歌して貰いたいとオレは思います。
 そうであってこそ、輝かしい人類の未来を信じて礎となった人々が報われると、そう信じているからです。」

 そう語った武の言葉にエンディングテーマとテロップが被り、その番組は終了した。
 無名の、今は亡き小さな学校の音楽部の演奏会を題材とした番組であったにも拘らず、武が出演すると言う事もあって番組はそこそこの視聴率を取った。
 そして、番組の最後に放送された武のコメンタリーは、後年になってサブカルチャーが隆盛した時代になって以降、何度も繰り返し放映される事となるのであった。

 この時期、武の脳裏にあったのはレトロゲームが稼働する携帯ゲーム機の発売と、販売されるゲームの中でストーリー性のあるものについては、マンガや小説、将来的にはラジオドラマやアニメ等でメディア展開を広げ、レトロゲームでは表現し切れない部分を補いつつ、サブカルチャー的なメディアの隆盛を推進しようと言う構想であった。
 無論、最初は低解像度液晶のハードとドットで構成された画像によるレトロゲームから始めるが、追随する開発メーカーが出現し市場が確立するのに合わせて、どんどんとハードとソフトの質を向上させていくつもりであった。

 幸いこの世界では、最終的には網膜投影を使用した完全3Dの映像及び音声を再現出来るだけの技術が軍事用とは言え存在し、コストの問題さえクリアできれば直ぐにでも実用化が可能である。
 更に機密指定が解けさえすれば、強化装備を用いた間接思考制御やモーショントレース、フィードバックシステム等を使用して簡易ヴァーチャルリアリティーすら実現可能である。
 少なくとも軍事機密の指定を受けていない独自技術となる高解像度液晶を搭載したハード上で動作する、3次元コンピュータグラフィックスを用いたゲームを4年以内に開発し発表したいと武は考えている。

 勿論登場キャラクターなどの台詞には声優を起用したいので、アニメや洋画吹き替えの市場を活性化させる事で需要を高め、声優層を厚くする事も構想の中に含まれている。
 これらのサブカルチャー系の振興構想には、夕呼も大層乗り気になっており、武の私的ブレインとなってあれこれと知恵を貸してくれていた。
 『元の世界群』でのサブカルチャー作品群に関する記憶を有するこの2人によって、帝国のサブカルチャービジネスは急速に発展し世界をリードしていく事を確約された様なものであった。

 そして、御剣財閥はこの構想によって育成される市場から莫大な経済効果が生み出されると見込み、全面的なバックアップを約束するに至っていた。
 また、御剣財閥はこれを機に先進技術の実用化という工業部門以外の業界への多角的事業展開を目論み、既存の企業と提携を結びながら過度の市場競争を避けながらも幅広い業種へと進出するという方針を定めている。

 斯くしてこの年の年末商戦に於いて、鍔を象った図案である御剣財閥のロゴマークが刻印された携帯ゲーム機が発売され、ブロック崩しや、パズルゲーム、シューティングゲーム、そしてストーリー性の高い2Dフィールド型RPGやワイヤーフレームの3Dダンジョン型RPGなどが多数同時発売され、発売当初より重厚なラインナップのソフト数を誇った。
 当初は帝国のみでの販売となったが、翌年にはメッセージ等を多言語対応としたヴァージョンが制作され、オーストラリアやアメリカ大陸、アフリカなど、後方国家群の市場へも輸出され一大ブームを引き起こした。
 シミュレーションソフトに関してはチェスや将棋、リバーシ(オセロ)などのゲームを除き、戦争を連想させる様なタイトルは自粛されていたが、そんな中で唯一BETA大戦を題材とした作品があった。

 それは、白銀武監修と銘打ち『TSF戦記』と題された縦スクロールシューティングゲームであり、画面上方から侵攻して来るBETA群を使用回数が限定された武装を使用して撃破するか、衝突しないように回避してやり過ごしながら戦い続けると言う内容であった。
 保有自機数が撃破数で増加したり、時折画面上に現れる補給コンテナで武装の使用回数が回復したり、極僅かな回数ではあるが支援砲撃要請によって数秒間の間画面上に出現する全BETA個体を撃破出来たり、画面下方へと突破したBETA個体数が規定数を上回るとゲームオーバーになったりと、色々と盛り込まれたゲームであった。
 また、難易度選択の可能となっており、セーブデータのハイスコアに応じて階級が上がり、ゲーム開始時点での保有自機数が増加したりという機能まで搭載していた。

 このゲームは、武が最も入れ込んで仕様を考案したゲームであり、粗いドット絵で構成されたゲームでありながら多くのファンに支持される作品となった。
 そしてこのゲームはシリーズ化され、内容も荒野や市街地の防衛戦から、ハイヴ攻略戦など幾つものタイトルが発売され、ハードの性能向上に伴って内容も高度で複雑なものへと進化し、更には横スクロールやシミュレーション、3Dシューティング、RPGなど幾つものジャンルへと枝分かれしていく大作シリーズとなる。

 そして、御剣財閥の多角化戦略も順調に進み、商工業、金融、生物、医療、コンピュータ、出版、娯楽、福祉から物流など、幾多の産業分野において成功を収め、数年後には重工業から銀行、ファミリーレストランまで幅広く事業を展開し、日本経済の中枢を支える世界でも屈指の財閥へと急成長を遂げるのであった。




[3277] 第142話 集いし者達
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/09/27 17:19

第142話 集いし者達

2003年10月01日(水)

 11時47分、国連軍横浜基地の講堂に、500人近い将兵達が集まっていた。

「―――以上を以って、オルタネイティヴ6直属、特殊任務部隊A-01旅団の結成式を終える。
 総員、敬礼!」

 式次進行を担当する国連軍大尉の号令に合わせて、講堂に居並ぶ将兵等が一斉に敬礼する。
 壇上に立つラダビノッド基地司令以下、高級将校の一団はそれに答礼を返すと、整然と講堂から立ち去って行った。
 すると彼らの姿が講堂の外へと消えるのと入れ違いに、白衣に身を包んだ女性―――夕呼がピアティフを伴ってふらりと姿を現す。

 それを出迎えるかのように、整列していた将兵達の先頭から武が進み出て一礼すると、自身の部下となる将兵等に向き直ると声を発した。

「総員、敬礼は無用だから、そのまま聞いいてくれ。
 堅苦しい結成式は終わったけど、オレ達A-01の事実上の最高司令官となる、オルタネイティヴ6統括責任者を務める香月夕呼博士を紹介したい。
 香月博士は、国連軍准将の階級を持ち、当横浜基地の副司令も兼任しているが、我々A-01にとっては基地司令よりも香月博士の命令が優先される。
 その事を各自しっかりと銘記しておいてくれ。
 副司令、何か話されますか?」

 武が最後にそう言って水を向けると、夕呼はさも面倒臭そうに右手で頭を掻きながら、それでも将兵達に向かって話しかける。
 その声は普通に会話する程度の声量であったが、ピアティフから渡されて耳に装着した携帯通信機のマイクを通じて、講堂内の隅々にまで明瞭に響き渡った。

「長ったらしい挨拶は趣味じゃないから手短に言うわね~。
 まずは、あたし相手に堅っ苦しい敬礼とかして時間を無駄にしない事。
 次に、あたしの命令には絶対服従。
 これだけ解かってればそれでいいわ。
 後の事は上官なりこの白銀なりに聞きなさい。―――以上よ。じゃあねぇ~。」

 夕呼はそれだけを言い放つと、頭上に掲げた右掌をひらひらと振りながら、踵を返してさっさと講堂から出て行ってしまう。
 その場に取り残されて唖然とする大多数の将兵達を、元からこの横浜基地に所属していて、夕呼の言動を良く知る者達が苦笑を浮かべてみやる。
 そんな何とも言えない雰囲気が場を満たす中、それを取り成すように武が再び口を開いた。

「まあ、副司令からしてあんな人だから、我が隊では階級の上下に関しては肩肘張った態度は取らなくて構わない。
 無論、作戦行動時や訓練時の指揮系統には、きっちりと従って貰うけどな。
 時と場合が許す範囲なら、質問や反論、意見具申などは積極的に行って欲しい。
 けどそれは、指揮官の下命に逆らっても構わないという事じゃあない。
 ―――まあ、その辺は今更言う程の事でもないか。」

 途中、表情を引き締めて鋭い眼光と若々しい外見に似合わぬ威圧感を武は放ったが、直ぐにいつもの飄々とした態度に戻って言葉を続けた。

「我が隊は、オルタネイティヴ4直属の特殊任務部隊A-01連隊を母体として結成されているから、隊の流儀に関してはその頃から所属していた人に聞いてくれればいい。
 そして、隊規もオリジナルハイヴ攻略時と同じものを引き継ぐ。
 復唱はいらないが、しっかりと心に刻みつけておけ。
 1つ、死力を尽くして任務にあたれ!
 1つ、生ある限り最善を尽くせ!
 1つ、決して犬死にするな!―――この3つだ。」

 そこで一旦言葉を切ると、武は眼前の部下達を睥睨し、然る後、話を再開する。

「オレは、指揮官として部下の生還率を可能な限り高める努力を、決して欠かさないと約束する。
 しかし、任務の達成が最優先である以上、最後に自分自身と戦友を生かすのは各々の奮闘と日々の努力だとオレは考える。
 だから、自分自身と仲間の為にも、日々奮励努力を欠かさないで欲しい。
 ―――まあ、もし訓練をサボる様な奴が本当にいたら、隊から即座に放り出すけどな。」

 そう言って武が笑みをみせると、その言葉をユーモアとして受け止めたのか、苦笑や笑みを浮かべる者達が散見された。
 そんな部下達を眺めながら暫く時間を置いた後、武は表情を真剣なものに改めると再び口を開いた。

「細かい事はともかく、最後にもう一つだけ言っておく。
 我が隊―――延いてはオルタネイティヴ6は、人類全体に奉仕しより良い未来をもたらす為にこそ活動する。
 各々の祖国への愛国心や帰属意識を捨てろとは言わない。
 しかし、任務遂行に当たっては国家の枠に捉われず、常に人類全体への貢献を最優先として行動しろ!
 真の意味での国連直轄部隊として、恥じる事の無い行動を取るよう強く望む!」

 そう言うと、武は眼前に居並ぶ部下達をじっくりと見廻した。
 中には不敵な笑みを浮かべて見返して来るような者もいる。
 しかし、例えそのような者であっても、その眼には真剣な光が宿っていた。

 武は、リーディング機能まで活用して、自身の言葉を真剣に受け取らなかった者を洗い出しながら、その少なさに一応の満足を得た。
 それら少数の者達の官姓名を記録しつつ、武は表情を緩めて散会を告げる。

「―――それじゃあ、そろそろ一旦解散とするけど、続いてこの講堂で親睦会を行うからなるべく参加する様にしてくれ。
 勿論、既に通達して割り振ってあるPXでも昼食を採る事は可能だから、その辺は一応各自の判断に任せる。
 ただ、言っておくけどこっちで出る料理の方が豪勢だと思うぞ?
 では、最後に通達だ。13時00分には各自所定の配置について、各部署のミーティングに参加する様に。
 以上だ。―――総員、敬礼ッ!
 ―――よし、では解散とする。総員自由にして良し!」

 揃って敬礼する部下達に、答礼をしながら視線を一巡りさせた武は、右手を下ろすとそう言って解散を命じた―――



 ―――片や、こちらは整列してお偉いさんの訓示を聞かされていた将兵の内、比較的前の方に立たされていた衛士の集団の中に、解散が告げられた途端に誰かを探す様に落ち着きの無い視線を左右へと巡らせる者が居た。
 因みに、この場に居合わせる、新生A-01所属衛士の数は121名である。
 オルタネイティヴ6への移行に際して、最大で旅団規模の編制を認められたA-01ではあったが、現時点では所属衛士は増強1個連隊に過ぎない。

 それでも、出身国や直前まで属していた部隊ごとに集められていた衛士達は、解散となった後は、思い思いに幾つもの集団となって会話を交わしており、全員の姿を視野に収める事は難しかった。
 それ故に、とうとうその場を離れて探さねば埒が明かないと判断を下し、その人物は勢い良く一歩を踏み出そうとした。
 しかし、それまでの落ち着きの無い様子を目に止めていた上官が、透かさず声をかけて呼び止めにかかった為、その出鼻を挫かれてしまう。

「待て! ブリッジス中尉。
 誰を探しているのかは知らないが、まずはもう少し落ち着け。」

「ッ!―――し、しかしウォーケン少佐、自分はっ………………いえ、済みませんでした。
 米国陸軍衛士として、恥じる事の無い振舞いを心掛けます。」

 長身で筋骨逞しい上官―――アルフレッド・ウォーケン少佐に宥められて、自身の態度を反省したユウヤ・ブリッジス中尉は、姿勢を正し教本通りの敬礼しながらそう応えた。
 それに答礼を返しながらも、ウォーケンは苦笑を浮かべて更に言葉を告げる。

「うむ。我々は母国を代表しているのだという事を常に忘れない様にな、ブリッジス中尉。
 だが、どうやらこの部隊では些か流儀が違うようだ。
 それ程しゃちほこばる必要は無い様だぞ?
 落ち着いた様だし、尋ね人がいるなら行って来るといい。呼び止めて済まなかったな。」

 そう言ってウォーケンは、今回のオルタネイティヴ6への派遣に自ら志願し、一時的とはいえ自身の配下に組み込まれたユウヤを解放する。

「はっ! それでは、失礼いたします、少佐。」

 夕呼と武の訓示から、A-01での流儀を汲み取ってそう告げたウォーケンだったが、ユウヤは最後まで堅苦しい態度を崩さず、そのくせ足早に立ち去って行った。
 そんなユウヤを、呆れた様な視線で見送ったウォーケンへと、背後から挨拶を投げかける人物が居た。

「お久しぶりです、少佐。」

 懐かしい、しかし久しく耳にする事の無かったその声にウォーケンが振り向くと、そこには陰りの欠片も無い満面の笑みを浮かべたイルマ・テスレフ中尉が立っていた。
 以前、自身の大隊で副官を務めていた折に、CIAの謀略に絡め取られて苦悩した後、その軛を逃れて日本帝国へと亡命したイルマの姿に、ウォーケンは眩しげに眼を細める。
 自身の部下であった頃から明朗快活な女性であったが、いま眼前に立つイルマがその頃よりも更に溌剌として気力に溢れている様に感じられた為であった。

「テスレフ少尉―――いや、今は中尉か。久しぶりだな、昇進おめでとう中尉。
 どうやら、こちらの水が合ったようだな。健勝そうでなによりだ。」

 笑顔を浮かべて心底嬉しそうにそう語るウォーケンに、イルマも笑みを返す。

 オルタネイティヴ6の発動を機に、オルタネイティヴ4の中枢に属する人物は軒並み昇進する事となった。
 ラダビノッド基地司令は少将に、夕呼は准将に、そしてピアティフやイルマ、そして『イスミ・ヴァルキリーズ』に属する衛士達―――ただし、葵と葉子は除く―――が昇進した。
 武は昇進せずに大佐のままであったが、A-01が2個連隊規模に拡充された時点で准将への昇進が予定されている。

 そして、和やかに言葉を交わす2人の周囲に、2001年の帝国派遣当時に米国陸軍第66戦術機甲大隊―――通称『ハンターズ』に所属していた、以前の戦友達が集まって来る。
 今回の派遣に際して、米国は国の威信をかけて1個中隊12名の衛士を派遣している。
 その数は、他国や他勢力が精々1個小隊4名程度である事を鑑みれば破格の人数であったが、ウォーケンが指揮していたハンターズからは、選りすぐりとは言え自身を含めて6名が派遣されているのみである。

 それでも、2年越しとなる戦友との再会を喜び、その場の衛士達は本国に残った者の分まで、口々に近況をイルマへと伝えるのであった。



 一方、ウォーケンの元から離れたユウヤだったが、その行動が目立ったのか、尋ね人を探し出す前にまたもや呼び止められる羽目に陥っていた。

「おいっ! ユウヤ! おまえ、ユウヤだろッ?!
 久しぶりだなッ、元気してたか?」

 その声と共に駆け寄ってきたのは、10代半ばの子供の様に小柄な女性衛士であった。
 その声に、ハッとして勢い良く振り返ったユウヤだったが、駆け寄ってきた女性衛士とその背後を見ると、直ぐに肩を落として呟く。

「はぁ……チョビとVG(ヴィージー)、それにステラか……
 そうだよな、おまえらが一緒に居る訳ないよな……」

 すると小柄な女性衛士―――タリサ・マナンダル少尉の後に続いて近寄って来た男性衛士―――ヴァレリオ・ジアコーザ少尉が大げさに肩を竦め首を横に振りながら語りかける。

「なンだよ、反応うすいじゃねえかよォ。
 しっかし、おまえも派遣されてきたってこたァ、こりゃあやっぱりアルゴス小隊再結成するっきゃねえよなァ!」

 そして、なにやら息まいて拳を突き上げて見せるのだが、そんなヴァレリオを完全に無視して女性衛士―――ステラ・ブレーメル少尉がヴァレリオを追い抜くと、一歩前に出てユウヤに再会の言葉を告げる。

「久しぶりね、ユウヤ。元気そうで何よりだわ。」

 タリサ、ヴァレリオ、ステラ―――この3人はユウヤが以前派遣されていた国連主導の『先進戦術機技術開発計画』―――通称『プロミネンス計画』で、日米共同開発チームの同じ試験小隊―――アルゴス小隊に所属していた戦友達である。
 任官後も長らく米国内で訓練や戦技研究演習に従事していた為、アルゴス小隊として参加したカムチャッカ半島の最前線における合同運用試験が、BETA相手の初陣となったユウヤを気遣い支えてくれた仲間でもあった。

 今回のオルタネイティヴ6への派遣は、3人共国連軍内部での転属という形を取っている。
 タリサはネパール陸軍、ヴァレリオはイタリア共和国軍、ステラはスウェーデン王国陸軍と、本来所属している軍もばらばらであった。
 欧州連合軍に属するイタリアやスウェーデンはともかく、ネパールの様な国土を失い国軍を国連軍参加へと編入された避退国家は、タリサの様に国連軍内部での転属という形でオルタネイティヴ6への派兵を行っていた。

 属する国は異なっていようとも、ユウヤにとって懐かしい戦友達である事は間違いなかったのだが、この時ばかりは彼らよりも優先する尋ね人の方へと、ユウヤの意識は向いてしまっている。
 しかし、それでもユウヤはステラの挨拶には返事を返し、ついでに駄目元で尋ね人達を見かけてないか情報収集を試みようとした―――

「あ? ああ、久しぶりだなステラ。それと、部隊編制はオレ達の意志なんか関係なしに決まっちまうだろ、VG。
 それよりさ、おまえらクリ―――」
「ヴァレリオッ?! あんたもこの部隊に派遣されて来てたの?
 ああ、神様感謝します。こんなに早く弟と再会できるなんて!」

 ―――のだが、突然割り込んで来た女性衛士の感極まった声によって、ユウヤの問い掛けは遮られてしまった。
 一方、割り込んで来た女性衛士の方はと言えば、ヴァレリオの両肩を引っ掴み、自分の方に向きなおらせてその顔をまじまじと見たかと思えば、今度は自身の豊かな胸へと抱きよせて熱烈な抱擁を交わす。
 普段であれば、大喜びでその胸の感触を堪能したであろうヴァレリオだったが、相手が実の姉とあっては眼を白黒させて驚愕の叫びを上げるしかなかった。

「なァッ!? ね、姉さん?!」

 すると、ヴァレリオが姉と呼ぶ人物のやってきた方から、新たな声が投げかけられた。

「ほほう、君がモニカ―――いや、ジアコーザ中尉の弟さんか。
 私は英国陸軍のヒュー・ウィンストン大尉だ。
 君のお姉さんには、日頃から大層お世話になっていてね。
 ―――ところで、一緒に居る衛士諸君は、君の戦友達かね?」

 その悠然たる言葉の主は、10人の衛士達を引き連れ、洒落た口髭を蓄えた壮年の男性衛士―――ヒュー・ウィンストン大尉であった。

「そうなんですよ大尉。この子が私の弟のヴァレリオです。
 戦況が上向いてきたから、生きてさえいればいずれ会えるとは思ってたんですけどね。
 でも、この部隊で一緒になれるとは思ってもみませんでしたよ。」

 そう言って、ヴァレリオを自身の胸元から引き剥がすと、今度はヒューに向き直らせて紹介した女性衛士。
 彼女はヴァレリオの実の姉であり、欧州連合軍の一員として欧州の戦場を文字通り駆け巡って転戦に転戦を重ねてきた猛者でもあった。
 そして、そんな彼女―――モニカ・ジアコーザ中尉の所属していた部隊こそ、ヒューが中隊指揮官を務めEF-2000『タイフーン』を運用する特務教導中隊―――『レイン・ダンス中隊』であり、モニカはヒューの副官として突撃前衛(プリマ・ドンナ)を務めている。

 欧州各国からの選りすぐりの衛士等によって結成された『レイン・ダンサーズ』は、オルタネイティヴ6の始動に当たって強い要望に応える形で、中隊丸ごとが派遣されていた。
 これには無論理由があり、『レイン・ダンサーズ』所属衛士の選考基準が、00ユニット素体適用者たる旧A-01と同じものであった事による。
 当然、その選考基準を提示したのは夕呼であり、それ故に今回の欧州連合からの派遣に際して、敢えて強い要望を出してまで部隊ごと手元へと引き寄せたのであった。

 その後一同は、突然の姉との再会に普段の調子を狂わせてしまったヴァレリオを、タリサとステラが散々からかい倒し、『レインダンサーズ』の衛士等もモニカを祝福したり、ヴァレリオを話の種にしたりして大いに盛り上がった。

 だが、そんな騒ぎを他所にユウヤは独りそそくさとその人の輪から抜け出すと、再び周囲に視線を投げながら移動を再開した。
 しかし、既に講堂の中には料理が運びこまれ、揃って整列していた衛士達も、整備兵やその他支援兵科の将兵等と混ざってしまっている。
 それ故に、ユウヤは講堂に溢れる人混みの中を、掻き分ける様にして移動しながら尋ね人を探すしかなかった。

 この場に集まっている将兵等は、オルタネイティヴ6に派遣され、今後は国連軍将兵として任務を果たす事になる。
 しかし、この結成式では国際協調の象徴として、各自が原隊―――即ち派遣元である所属国軍の礼装を纏って列席している。
 それ故に様々な軍装が入り乱れた講堂の中で尚、一際目立つ色彩の一団にユウヤの視線が引き寄せられた。

 その視線の先には、それぞれが単色をベースとして彩られた、色鮮やかな赤、黄、白の礼装を身に纏う5人の女性衛士達が佇んでいた。
 その1人、日本古来の装束である狩衣(かりぎぬ)をモチーフにした黄の礼装を纏う人物に目を止めると、ユウヤはその人物目がけて急ぎ足でまっしぐらに歩み寄っていく。
 そして、気が急いているのか未だ距離のある内に声をかけてしまう。

「唯依ッ―――おまえ唯依だよな?! この隊に来ればクリスカとイーニァに―――ッ!!」

 と、その声にユウヤに背を向けて赤の礼装を纏う女性衛士と会話を交わしていた人物―――帝国斯衛軍所属、篁唯依大尉が黄の礼装に包まれたその身を、ゆっくりと振り向かせた。
 しかし、その顔は何故か俯きがちで表情が隠れており、なにやら右手は拳を固く握り締め更には小刻みに震えている様子が窺える。
 そして何よりも、その身に纏う空気が先程までとは一変し、重苦しくおどろおどろしいものと化していた。

 その気配に、足早に近寄っていたユウヤの足がピタリと止まり、仰け反る様に上体を引いたその瞬間―――俯いていた顔を上げて唯依が叱声を放つ。

「―――この馬鹿者ッ!
 いくら先程の訓示で過度な礼儀は不要と言われたにせよ、ユウヤ―――貴様のその態度は礼を失するにも程があるぞ?!
 まずは、こちらの月詠大尉に非礼をお詫びしろっ!!」

 その叱声と振り向いた唯依の礼装に付けられた階級章で、自分が大尉同士の会話に無作法に割り込んでしまった事を察したユウヤは、即座に姿勢を正すと敬礼して謝意を告げた。

「ハッ! お話し中のところへ無作法に割り込んでしまい、誠に申し訳ありませんでしたッ!」

 そんなユウヤの頭の天辺から爪先まで、冷徹な眼差しを注いだ斯衛軍大尉―――月詠真那大尉は、突然相好を崩してニヤリと笑うと、答礼を返しユウヤの謝罪を受け入れる発言をした。

「なるほど。貴様がユウヤ・ブリッジスか。
 『不知火・弐型』の開発に尽力した事は聞き及んでいる。
 その功に免じて謝罪を受け入れ、此度の件は水に流してやるから楽にするといい。
 どうせあ奴が指揮官なのだから、この隊に於いては大尉と中尉の階級の差など、然程意味をなさんだろうしな。
 だが、礼儀を気にする者もあろう故、今後は気を付けるのだぞ。」

「はっ! ありがとうございます、大尉。
 ―――あの、無作法ついでにお願いがあるのですが、篁ちゅ―――大尉を少しお借りしてもよろしいでしょうか?」

 寛容な態度を示した月詠によって緊張を解されたユウヤは、警戒も配慮も全くせずに願いを申し出てしまった。
 そして、その言葉に人の悪い笑みを更に深めた月詠は、横目で視線を唯依へと流すと意味あり気に首を捻って見せる。

「ほう? この者はこう言っているが、どうするのだ? 篁。」

 唯依は、月詠がユウヤをネタに自身をからかい倒す気だと悟り、迂闊な発言をするユウヤに軽い頭痛を覚えずにはいられなかった。
 月詠は唯依にとって無現鬼道流紅蓮門下の高弟として互いに切磋琢磨して腕を磨き合う仲であり、得難い友である。
 月詠家の家格は唯依の篁家よりも高く、年齢も僅かながら月詠の方が上であったが、月詠が家督を継いで若年ながら当主を務めている唯依を立ててくれた事もあって、互いに年齢、家格、階級抜きでの親交を結ぶに至っていた。

 しかし、普段は品行方正で礼儀に煩い癖に、親しい相手に限って悪ふざけを仕掛けるという月詠の悪癖を熟知している唯依は、月詠が何事か企んでいるに違いないと確信していた。
 それでも一縷の望みをかけて、月詠の勘繰りを解消すると同時に、騒動の種となりかねないユウヤを月詠の眼前から立ち去らせようと、起死回生の一手を打つ。

「―――はぁ……まったく、貴様と言う奴は…………
 どうせ、ビャーチェノワ少尉とシェスチナ少尉の居場所でも知りたいのだろう。
 私も見かけてはいないが、あの2人はとっくに国連軍の所属となっている筈だ。
 日本出身の国連軍衛士が集まっている辺りに、行ってみてはどうだ?」

「ッ!―――そうか! ありがとうな、唯依っ!
 それでは失礼いたします、大尉!」

 案の定、単純なユウヤは唯依の意図になど気付きもせずに、喜び勇んでその場から立ち去って行く。
 それでも月詠に敬礼する事を忘れなかった辺り、それなりに苦手意識を植え付けられたのかもしれない。

 実は、ユーコン基地に派遣されていた際に、唯依は頭部を狙撃され重傷を負い療養を余儀なくされていた。
 しかもその後、XM3と対BETA戦術構想の実効性が実戦で証明された結果、各国の戦術機運用思想は押し並べて見直しを計られる事となり、戦術機の開発は一時凍結されてXM3への対応が優先される事となった。
 これに伴い、ユーコン基地で行われていた国連主導の『先進戦術機技術開発計画』―――通称『プロミネンス計画』も凍結を余儀なくされ、各国から派遣されていた衛士等は各々の原隊へと帰隊する事となり、アルゴス小隊も解隊となった。

 一時は、米国との協力態勢に危惧や嫌悪感を抱く帝国軍部内部の反対派によって、その開発が中止されようとさえした『不知火・弐型』であったが、『プロミネンス計画』自体が凍結となった事により、その時点までに収集されたデータと試験機2機が帝国軍へと引き渡された。
 これにより、米国のボーニング社との共同開発こそ中断されてしまったものの、その機体をオルタネイティヴ4が欲した事で、帝国企業による量産化が急ピッチで進められる事となった。

 帝国企業各社は、2002年初頭までは『不知火』に代わる次期主力戦術機の開発に全力を投じていたのだが、御剣財閥による対BETA戦術構想に則った新型戦術機『朧月』の開発が始まった事を受け、次期主力戦術機開発の凍結を帝国軍より通達されてしまう。
 そして、凍結された次期主力戦術機開発の代わりとして、帝国軍は各社に『不知火・弐型』の量産化を発注したのである。

 量産化に当たっては、特許を保有するボーニング社が改修用部品のライセンス提供を渋っていた事が最大の障害となっていたのだが、御剣財閥がライセンス取得に成功した技術により、ボーニング製と同等以上の部品が国内で生産可能となった為、以降の開発は急激な進展を見せる事となった。
 斯くして今年―――2003年の春、遂に『不知火・弐型』の先行量産型がロールアウトし、オルタネイティヴ4に15機が引き渡された。
 結果的には、御剣財閥によって次期主力戦術機として開発が進められていた『朧月』の試作機導入と同時期となり、『不知火・弐型』有人戦術機としてよりは遠隔陽動支援戦術機としての運用試験を主体とされる運びとなった。

 日米共同戦術機開発計画―――『XFJ計画』の主任としてユーコン基地へと派遣されていた唯依にとっては、手塩にかけた『不知火・弐型』が量産直前にまで漕ぎ着けたのは実に嬉しい出来事であった。
 しかし、ユウヤは『プロミネンス計画』の凍結により『XFJ計画』先任開発衛士としての任を解かれ、帝国に於ける『不知火・弐型』量産機化に関与する術を失ってしまった。
 その為、帝国に帰国した後、横浜基地医療部付属第0研究室―――『モトコ研』での治療を受けて完治した唯依は、ユウヤと手紙のやり取りを行いながら、機密に触れない範囲で『不知火・弐型』の開発状況や自身の近況を知らせていたのである。

 そして、自身の治療や『不知火・弐型』の開発に関連して横浜基地に出入りしていた唯依は、自身と同時期にユーコン基地で『プロミネンス計画』に従事していたクリスカ・ビャーチェノワ少尉とイーニァ・シェスチナ少尉の2人に、ひょんな事から再会しオルタネイティヴ6直属部隊に配属される予定である事を知った。
 唯依とクリスカは、ユウヤを間に挟んでお互いを恋敵として認め合う間柄である。
 しかし、ユウヤが『プロミネンス計画』凍結後音信不通となったクリスカとイーニァを案じていると知っていた唯依は、機密に触れない事を確認した上で、2人のオルタネイティヴ6配属予定という情報をユウヤに伝えたのであった。

 唯依から情報を得たユウヤは、即座にオルタネイティヴ6派遣衛士への志願を行い、その結果として今日この場に居たのである。
 そういった経緯故に、唯依はユウヤに声をかけられた直後に、その様子を一瞥しただけでクリスカとイーニァを探している事に気付けたのであった。
 ともあれ、これで月詠にからかわれる事は回避できたと、ユウヤを見送った唯依は内心で胸を撫で下ろした。

 ―――が、唯依が気付きそびれたユウヤの置き土産が、月詠の手によって炸裂する。

「ふ―――あの者に名を呼ぶ事を許したのか? 篁。」

 月詠のその一言に、唯依は愕然とした。
 つい何気なく流してしまっていたが、帝国の、しかも武家である唯依の、家名ではなく名を呼び捨てにする者など、主家の方々を除けば親交の深い家族同然の者しか居ない。

(ぬ、ぬかった!
 アラスカのユーコン基地に赴任していた頃であればまだしも、同じ国連軍の基地とは言え帝国国内のこの横浜基地で、しかも同じ武家である月詠に聞かれてしまうとは!
 な、なんとしても言い抜けなければ……)

 唯依は動揺をなんとか押し隠そうと試みながらも、懸命に弁明を試みる。

「なっ―――い、いや、それはその、国連軍での流儀の様なものでだなっ……」

 しかし、口から出たのはその程度の苦し紛れな言葉でしかなかった。

「ほう、そうか流儀であったか。
 ならば、篁は流儀に従ったに過ぎず、あの者に対してなんら特別な感情は抱いてないと、そういうのだな?」

 にも拘らず、月詠は幾度も頷きながら、然も納得がいったとばかりに応じて来る。
 それに、やや意外な感を抱きながらも、好都合であったが故に唯依はその言葉を追認してしまう―――

「―――あ、当たり前ではないか。
 そもそも、私は任務に赴いていたのであって、私事にかまけたりなど断じて―――」
「と、篁はそう言っているぞ? ブリッジス中尉。」

 ―――が、それこそが月詠の奸計であったのだと、唯依は即座に思い知る事となる。

「え?―――ッ!?」

 思いもよら月詠の言葉に、恐る恐る背後を振りむいた唯依は、そこに気まずげに佇むユウヤの姿を見出して愕然としてしまう。

「―――いや、まあ。薄々そうじゃないかとは思ってたんで、それは、まあその、いいんだが……」

「ユ、ユウヤッ?! 貴様、ビャーチェノワ少尉を探しに行ったんじゃ……」

 ユウヤの言葉など殆ど耳に入らなかった唯依は、呆然と言わずもがなな疑問を口に上せた。
 殆ど無意識に発せられたその問いに、しかしユウヤは律儀に応える。

「あー、確かに一旦探しには行ったんだけどな。
 その……手紙じゃ完治したって聞いてはいたけど、こうして面と向かって話すのはユーコンで別れて以来だろ?
 だから、その……一応、何ともないか、とか……治って良かったな、とか……その辺一応言っとこうかと思って……戻って来たんだよ。」

 照れくさそうに告げられたユウヤの言葉は、幸か不幸かしっかりと唯依の受け止める所となり、その頬が瞬時に赤味を帯びる。
 そんな唯依の様子を堪能しつつ、月詠は容赦なく追い打ちをかけて行く。

「ほほう。それで戻ってきた所で、先の話を聞いてしまったという訳だな? ブリッジス中尉。」

「……ああ。」「つ、月詠、貴様…………」

 月詠の問いに所在無げに頷くユウヤと、羞恥に頬を染めながらも歯軋りさせて月詠を睨みつける唯依。
 そんな2人に対して、更に言葉を発しようとした月詠だったが、そこへ唯依にとっては救いの手となる凛とした声が投げかけられた。

「―――月詠、その辺にしておいてやれ。」
「「「 冥夜様! 」」」

 その声に、月詠の背後に控えていた神代、巴、戎の3人が、声を揃えて己が主と思い定めた相手の名を呼ばわった。

「はっ。篁、冥夜様のお陰で助かったな。」
「うるさいぞ、月詠。御名代様の御前だ、口を慎まないか。」

 冥夜に対し、畏まって礼を尽くしながらも、互いに牽制しあう月詠と唯依。
 そんな2人に対して、苦笑を浮かべながらも冥夜は鷹揚に言葉をかける。

「過度な礼儀は無用だぞ、篁。これからは同じ隊の衛士となるのだし、そもそも階級ではそなたの方が上ではないか。
 それに、互いに名を呼び合うというのは思いの外良いものだと、私は思う。
 故に、そなたもそれほどに恥じわずとも良かろう。」

 冥夜にまで名を呼び捨てにさせている事を指摘され、改めて頬を染める唯依であったが、一方月詠と神代、戎、巴の4人は、冥夜と互いに名を呼び交わしている武を想起し、揃って顔を顰めた。
 対してユウヤはと言えば、相手が国連軍の衛士で中尉の階級にある事こそ即座に見て取ったが、その顔に見覚えこそあったものの、冥夜の素姓に思い至るまでには若干の時間を要した。
 しかも、ユウヤの持つ冥夜に関する情報は曖昧なものに過ぎなかった為、唯依に確認を取ろうと声をかけたのだが―――

「ユ―――篁大尉、この人って確かイスミ・ヴァルキリーズの御剣―――」
「馬鹿ものッ! 冥夜様は日本帝国政威大将軍殿下の御名代であらせられるのだぞ!!」

 ―――問いを終える間すら与えられず、ユウヤは即座に唯依に叱り飛ばされる羽目となってしまった。
 突然叱声を浴びせられる事となったユウヤは、それでも理解が及ばずに目を丸くしている。
 そこへ、冥夜が透かさず取り成しにかかった。

「篁―――気遣いは無用だと言っている。
 ブリッジス中尉だったな。私は御剣冥夜中尉だ。
 畏れ多くも政威大将軍殿下より名代の任をお預かりしてはいるが、それ以前に国連軍衛士である事に変わりはない。
 帝国の者達は色々と言うかも知れぬが、同僚として接して欲しい。その方が私も気が楽だしな。」

「あ、ああ……解かった……」

 冥夜の取り成しにより唯依は矛先を収め、ユウヤは冥夜の言動から感じ取った風格に気圧されながらも、一応その言葉を丸呑みにした。
 とは言え、帝国文化に対する理解が皆無に等しい為、相変わらず状況を今一つ把握し切れないユウヤは戸惑いを隠せずにいたが、それも冥夜の言葉で一気に他所へと追いやられてしまう。

「それより、そなたの尋ね人とはあの者なのではないか?」

 そう言われて、冥夜の示す方を見たユウヤの視界に、何処となく似た風貌の一団に混じって立つ、クリスカとイーニァの姿が飛び込んで来た。
 何故か、クリスカは両腕を2人の女性に掴まれており、拘束されている様にも見えたが、ユウヤは大して気にも留めなかった。

「ッ!―――クリスカッ!!
 あ、ありがとう、御剣中尉。唯依もまた後でな。
 あ、そう言えば、アルゴス小隊のみんなもあっちに居たぜ。
 ―――と、そ、それでは失礼いたします、月詠大尉!」

 ようやく尋ね人の姿を見出したユウヤは、忙しなく言葉を告げると、最後に敬礼を残して足早に立ち去って行った。
 その後ろ姿を他所に、月詠は冥夜に向き直って用向きを尋ねる。

「ところで冥夜様、何か御所要でございましょうか?」

 すると、何処か微笑ましげにユウヤの後ろ姿を見送っていた冥夜が、キョトンとした顔をして月詠へと視線を向けた。

「ん? ああ―――いや、私はタケルに言われてあの者に知らせに来ただけだ。
 なにやら、ソ連から亡命してきた者達の中に、あの者と旧知の者が居るらしくてな。」

 そして、事情を説明した冥夜に対し一礼した月詠だったが、続けて忌々しげな声が零れる。

「然様でしたか。―――しかし、上官とは言え任務以外で冥夜様を使い立てするとは、白銀め…………」

 そんな月詠の言葉を聞き留めて、冥夜は月詠を宥めようと言葉をかける。
 尤も、逆効果にしかならなかったが。

「月詠、そう目くじらを立てるでない。
 例え些事であったとしても、私はタケルの役に立てるのであればそれで満足なのだからな。」

 嬉々として語る冥夜の様子に、月詠の心中は対照的に鬱々としていく。
 しかし、冥夜は月詠の胸中の思いを他所に、唯依へと視線を移して親しげに声をかけた。

「しかし、あの者が篁と名を呼び交わす程に親しかったとは思わなかったな。」

「は?! あ、いえ、あの者は国連軍のユーコン基地へと派遣されていた折に部下だった者でして……
 お、恐らくは、ユウヤと旧知の者と申しますのは、同様にユーコン基地にソ連より派遣されて来ておりました2人の衛士の事ではないかと……」

 突然、畏敬の念を抱く冥夜から話しかけられた唯依は、畏まりながらも言葉を返す。
 しかも、さり気無く話題を自身の事から、クリスカ達の事へと掏り替える事に成功した。
 そして、その言葉を素直に受け止めた冥夜は、ユウヤにクリスカとイーニァ、そしてその周囲を取り囲むソ連からの亡命者達へと目をやると、暫し黙考した後でどこか嬉しそうに言葉を発した。

「―――そうか。仔細は色々とありそうではあるが、いずれにせよこうして旧交を温められるのであれば、喜ばしき出来事に相違ないであろう。」

「―――はい。仰せの通りかと存じます。」

 冥夜に続く様に、クリスカに視線を向けた唯依は、何処か羨ましげな様子ではあったが、冥夜の言葉に素直に同意する。
 しかし、冥夜と唯依の醸し出したほんのりと暖かな雰囲気は、月詠の発した声によって霧散してしまう事となった。

「そなたも、あの者との再会が叶ったのだから、そう思うのも当然であろうな、篁。」

「つ、月詠……貴様ァ―――」

 愉しげに唯依をからかう月詠と、瞑目しながらも、眉を引き攣らせ握り締めた右の拳をふるふると震わせる唯依に、冥夜と神代、巴、戎の4人は呆れ果てて溜息を零すのであった。



 そしてその頃、冥夜を送り出した武はと言えば、1人の赤を纏う斯衛軍衛士と言葉を交わしていた。

「―――では、あの欧州戦線の雄、精鋭中の精鋭たる、国連軍大西洋方面第1軍ドーバー城要塞基地所属、西ドイツ陸軍第44戦術機甲大隊、通称『ツェルベルス大隊』が参陣しておらぬばかりか、たった1人の衛士すら派遣していないと仰せになられるのですか?」

 その斯衛軍衛士は、武よりも更に若年と思われるその怜悧な顔を、眉一つ寸分足りとも動かさず、しかしその表情に似合わぬ勢いでそう捲し立てた。
 その言葉の矢面に立っている武はと言えば、何処となく楽しげな表情を押し隠しながらも頷きを返す。

「残念ながらその通りだ。『ツェルベルス大隊』に対する派遣要請はしたんだけど、現在の戦況ではドーバー守りの要を動かす余裕は無いと断られてしまってね。」

 武のそんな応えに、若き斯衛軍衛士は驚愕の余り、心中で唸り声を上げていた。

(……何だ……と!?
 人類の未来の為、オルタネイティヴ6の旗の許へと、世界各国より選り抜きの精鋭が集うのではなかったのか?!
 然すれば当然の如く、『ツェルベルス大隊』が参陣している筈という俺の判断は、誤りだったとでも言うのかッ!?)

 内心では激しい葛藤を演じて居るにも拘わらず、その怜悧な表情は殆ど動かず、ゆっくりと瞬きを繰り返している事を除けば、内心を窺わせる変化は何処にも見出す事は出来ない。
 この人物は、帝国斯衛軍衛士にして大尉の階級にあり、いずれは斯衛最年少の大隊長となるであろうと嘱望されていた、武家の名門真壁家は直系第十男である真壁清十郎(まかべ・せいじゅうろう)大尉であった。

(いや、落ち着くのだ! 言われてみれば、未だに欧州では甲12号―――リヨンハイヴが陥落したのみ。
 それではドーバー海峡に押し寄せるBETA群の圧力は然して変わらぬ筈。
 ならば、『地獄門』の門番たる『ツェルベルス大隊』が動けぬのもまた道理ではないか!
 ―――ぬうううぅぅぅ~~~ッ!!…………何たる失態。
 斯くの如き自明の理にも気付かず、世界各国より精鋭が集うのならば、必ずや『ツェルベルス大隊』も参ずるものと、安易に思い込んでしまっていたとは……)

 一見した限りでは、沈思黙考し何やら熟慮を重ねているかに見える清十郎であったが、その実、心中に渦巻く想いにすっかり拘泥してしまっていた。
 そんな清十郎に対して、その長い沈黙に何か思う所があったのか、武が口を開いた。

「あー、真壁大尉。どうかしたか?
 ずいぶんと『ツェルベルス大隊』に拘っているようだけど、知り合いでもいたのか?
 だとしたら残念だろうけど、大陸奪還が進めばいずれ派遣されてくる日が来るかもしれないぞ?」

 そう述べる武であったが、その唇の端が微かに震えていた。
 武を良く知る純夏や霞などが見れば、それが笑みを堪えているからであると気付いたことであろう。
 しかし、その様な事は知る由もない清十郎は、元より背筋に芯が通っているかの如き姿勢をより一層正し、真っ直ぐな視線を武に向けると生真面目な言葉を返すのであった。

「―――大佐殿の仰せ、しかと承りました。
 然れど、御心配には及びませぬ。
 同じ部隊に属する事が叶わずとも、BETA殲滅という志を同じくしている限り、何処の戦場にあろうとも、共に戦う戦友であると言う事を失念しておりましたッ!
 その志あらば、同じ部隊、同じ戦場に在らずとも、何の支障にもなりませぬ故。」

 しかし、その怜悧な容貌の内では、方向こそ転じたものの勢いは欠片も減じる事無く、清十郎の思惟は暴走を続けていた。

(うぬぬぬぬ……いかん! いかんぞッ!
 確かに今一度―――否、今度こそ『ツェルベルス大隊』の猛者達と轡を並べて戦いたいと、そう願ってはいた。
 だが、俺は人類全体の為に大陸奪還作戦を戦い抜き、地に平穏を取り戻す為にこそ、敢えて志願し馳せ参じたのではなかったか?!
 それを、己の願望と現実の差などという些事に拘泥し、衛士の本分を見失うなど、真壁家の男子にあるまじき愚行……
 ふふふ……そんな事にも気付けないほど、俺の心眼は曇っていたというわけだ。
 この、ほんの僅かなやりとりで、俺の思い違いを自覚させ改めさせてしまうとは……やはり一味違うな、白銀大佐よ!)

 そんな清十郎を見ていた武だったが、頬をヒクッと引き攣らせると視線を清十郎から逸らし、何か思い出したかのように再び話し始めた。

「あ、待てよ? そう言えば、『ツェルベルス大隊』指揮官のアイヒベルガー少佐から私信を預かっていたのを忘れてたぞ。
 確か宛名が…………うん、やっぱりそうだ。真壁清十郎と記してある。
 すまない真壁大尉。数日前に受け取ったものだったので、宛名も曖昧にしか覚えていなかったんだ。
 いやあ、思い出せてよかったよ。」

 そういって武が差し出したプリントアウトを、清十郎は右手の震えを懸命に抑えながら受け取り黙って目を通すと、几帳面に畳んだ後礼服の胸ポケットにしまった後、眉間に左手をそっと添えた。
 その姿は、何か高邁な思想を検証でもしているかのように見受けられたが、その実滲んで溢れそうになっている涙を抑える為の行為であった。
 何故ならば、清十郎へと宛てられたヴィルフリート・アイヒベルガー少佐からの私信が、その心を揺さぶり深く感動させていたからである。

 その私信には、次の様な文章が綴られていた。

<今回、我が隊は『地獄門』の守りを疎かに出来ぬが故に、残念ながら衛士の派遣を断念する事となった。
 それ故に、我が隊の衛士の内、栄えあるオルタネイティヴ6直属部隊で活躍する機会を得たのは貴君唯1人となる。
 日本帝国斯衛軍の武士(もののふ)として、我が『ツェルベルス大隊』37番目の衛士として、人類に勝利と栄光をもたらさん事を願う。
 またいずれ戦場で会おう、戦友(とも)よ。>

 それは、清十郎がオルタネイティヴ6への派遣を志願し認められた折に送った、『ツェルベルス大隊』宛ての書簡に対する返信であった。
 これが郵便ではなくデータ通信により、オルタネイティヴ6宛てに送られたのは、優先度の低い私信を郵便で送付したのでは、結成式であるこの日に間に合わないと、アイヒベルガー少佐の副官を務めるジークリンデ・ファーレンホルスト中尉が気付いたためであった。
 そこでファーレンホルスト中尉は、派遣要請に応じられない事を詫びる文章に添付する形で、データ通信でこの私信を送ると言う手段をとったのであった。

 無論、オルタネイティヴ6側の受信者がきちんと私信を届けてくれる保証は無かった為、この私信は書簡として郵便でも送られており、そちらには『ツェルベルス大隊』所属衛士の内、数人の有志が更にメッセージを書き添えている。
 その為、数日後にその書簡に目を通した清十郎は再び感動に打ち震える事となるのだが、アイヒベルガー少佐のメッセージだけでも今回の派遣を志願した甲斐があったと、表には出さずとも喜びに浸る清十郎であった。

 そもそも、今回の派遣に際して清十郎は、敢えて道理を曲げ無理を通すが如き行いをしている。
 帝国の国籍を持つ国連軍衛士が、オルタネイティヴ4からオルタネイティヴ6へと多数転属する事に配慮し、悠陽は帝国軍からの派遣を最小限に留めようという方針を示していた。
 それ故に、斯衛軍からの派遣は斯衛軍第19独立警備小隊の4名のみと予め定まっていたのだ。

 そこに、敢えて強い志願の意志を示し最終的に認められたのが、清十郎と唯依の2人だったのである。
 唯依は2001年に国連軍へと派遣され、ユーコン基地で多様な国籍の衛士達と共に任務に従事した経験から。
 そして清十郎は斯衛軍士官候補生であった2000年に、国連軍主幹の交流制度に於ける研修生として西ドイツ陸軍第44戦術機甲大隊―――『ツェルベルス大隊』に派遣されていたと言う経歴があったが故である。

 しかも、この研修期間中に清十郎は、後方の母艦に残留していたとはいえ実戦に赴く『ツェルベルス大隊』に同行し、その作戦行動を観戦するという経験をしている。
 欧州連合軍に於いても精強を謳われる『ツェルベルス大隊』の実戦に、清十郎はデータリンク越しとは言え間近に接し、しかも乗り込んでいた母艦はレーザー照射圏内への強行突入も行っている。
 『ツェルベルス大隊』指揮官であるアイヒベルガー少佐は、これを以って清十郎が共に実戦を潜り抜けたものと評価し、員数外の『ツェルベルス大隊』部隊員―――37番目の衛士として遇した。

 この扱いは、機会に恵まれたとは言え、研修生に過ぎない他国の士官候補生を戦友と見做すと言う、実に破格のものであった。
 また、研修終了後も、清十郎は欧州戦線での戦術や戦術機運用思想―――殊に、戦術機のみで構成された即時展開打撃部隊構想『オール・TSF・ドクトリン』などを熱心に研究し続けていた。
 この『オール・TSF・ドクトリン』が、対BETA戦術構想に於ける戦術機甲部隊の諸兵科連合化構想に通じるものであった事も評価され、今回の志願を特別に許される事となったのである。

(そうか……この俺が、俺こそが『ツェルベルス大隊』を代表して、このオルタネイティヴ6で任務に精励するべき立場であったのか!
 フッ……望むところだ! フフフ……フハハハハハ!
 ならばッ! 『ツェルベルス大隊』の衛士として恥じる事の無い活躍をして見せようではないかッ!!)

 アイヒベルガー少佐からのメッセージによって、異様なまでに奮起した清十郎は、怜悧な表情はみじんも崩さぬまま何処とも知れぬ中空へと鋭い視線を放ちながら、胸中で燃え猛る凄まじいまでの使命感に身を任せていた。
 00ユニットである武にとっては、特定の個人の思考を読む程のリーディング機能を用いずとも、強い意志や感情の示す色くらいであれば周辺思考波感知機能で十分察知可能である。
 それ故に、武は最初に挨拶を交わしたその時より、外見上は怜悧な印象を崩さない清十郎が、内面に於いて非常に強い喜怒哀楽を示していると言う、そのギャップがすっかりつぼに嵌ってしまっていたのだ。

 今も、自身の思考に没頭してしまった清十郎を放置して、そっと距離を取りながらも、武は右手で自分の口元を隠して笑み崩れている表情を周囲の衆目から隠していた。
 そして、笑ってこそいないものの、武の傍らに控えていた霞もまた、清十郎の個性的な在り様には終始興味深げな反応を見せている。
 とは言え、今この瞬間に霞の意識を惹きつけているのは、やや離れた場所に居る20人程の一団―――その中に居るユウヤとクリスカ、そしてイーニァの3人であった。

「白銀さん……どうやら、上手くいったみたいです……」

 嬉しそうな微笑みを浮かべ、霞は満足気にそう言った。
 結成式が終わった後、ユウヤに会いに行こうとするイーニァを引き摺る様にして、人混みに紛れようとするクリスカに霞が気付いた事が、武の介入を招いた原因であった。

 ESP発現体達が横浜基地に来て以来、交流を進めてきた霞は、その一員であるクリスカが、封印されていた記憶を取り戻した事もあって、ユウヤに強く惹かれている事を知っていた。
 その反面、急激に強まった自身の感情を持て余している事も。
 それ故に、クリスカがユウヤとの再会を先送りにしようと逃げ回っているのだとは気付けたのだが、霞は再会する事は素敵な事に違いないから早い方が良いと、単純にそう判断した。

 そこで、他のESP発現体達にクリスカの逃亡を阻止して貰う一方、武にユウヤの誘導を頼んだのであった。
 霞の願いを受け入れた武だったが、自身でユウヤに接触しようとした矢先に、冥夜が清十郎を連れて来てしまった為、代わりに冥夜に行って貰ったというのが事の次第であった。
 何にせよ、再会は果たしたようなので、後は2人―――いや、3人の問題だと武が高みの見物を決め込もうとしたその時。

「なになに? 何が上手くいったの?」

 と、背後から声をかけて来た人物がいた。
 その声に、武と霞は一瞬ピクリと身体を反応させたが、即座に緊張を解くと揃って溜息を零す。
 リーディングの副次効果により周囲の精神波を察知できる2人が、無意識の内に接近を許してしまった相手は、当然の如く純夏であった。

 純夏はこの確率分岐世界でも、『前の確率分岐世界群』と同様に去年―――2002年の七夕の日に生体再生手術を終え、五体満足な生身の人間として復活を果たしていた。
 その後の事態の推移も『前の確率分岐世界群』とほぼ同様に進行し、純夏を中心に武に想いを寄せる女性達が共同戦線を張り、既に告白済みであった智恵、月恵、晴子、そして純夏に後れを取るまいと、武に続け様に告白するという経緯を辿っていた。
 そうなる事を予想していた武ではあったが、下手に干渉すると事態がどう転んでしまうか予測できなかった為、甘んじて状況の推移を受け入れる事にしたのであった。

 以来、この確率分岐世界でも生身の純夏とは1年以上の付き合いとなるが、武と霞の2人共が揃って完全に気を許している為か、純夏は時折こうして2人を驚かせる事がある。
 ある程度以上周囲に人が溢れていて、尚且つ2人が他の事に気を取られている事が条件だが、気配を隠す事も出来ない癖に、純夏は時折するりと2人の間近へと忍び寄って見せる。
 今回も接近に気付けなかった事に少し情けない思いをしながらも、武は振り返って照れ隠しの言葉を純夏に叩きつけた。

「―――なになに? じゃねぇだろ純夏!
 なんでお前がここにいるんだよ。関係者以外立ち入り禁止だぞ?」

「なにいってんのさ! タケルちゃん、ここで出してる料理、一体何処で作ってると思ってんの?
 食糧班所属のわたしは、関係者に決まってるじゃんか!
 ったく、追加の料理を運んで来たついでに、ちょ~っと様子を見に来てあげたのに、何でそんな事言うかなあ?」

 そして武の売り言葉に即座に純夏が買い言葉で応じて口喧嘩が始まってしまうが、一応2人共小声でやり合っている為、その低レベルなやり取りが周囲に気取られる事はなかった。
 そんな武と純夏を、霞は嬉しそうに黙って見詰めていたが、その耳飾りをピクンと跳ねさせるとゆっくりと振り向き背後へと視線を向ける。
 すると、その視線の先から、智恵と月恵を伴って近付いてきた晴子が、にこやかに声をかけて来た。

「あっれぇ~。鑑さんも一緒だったんだ?
 だけど、白銀君はこの後挨拶回りしなきゃだよねえ?
 今の内に食べとかないと、お腹に物入れる時間無くなっちゃうよ?」

 その声に、武と純夏も小声での言い争いを中断し、揃って晴子達の方へと振り向く。
 一見仲睦まじく言葉を交わしていたようにも見えた武と純夏であったが、さすがに晴子達は近付く途中で2人の邪気に満ち溢れた笑顔から状況を察した為、揃って苦笑を浮かべている。
 そして、月恵と智恵も晴子に続いて口を開いた。

「うんうんっ! 早目にいかなきゃだよっ。料理だってどんどんなくなって来ちゃってるしねっ!」

「鑑さん、いつもいつも~、美味しい料理をありがとうございます~。」

「いいよいいよ! 美味しく食べてもらえれば、それだけで食料班としては大満足なんだから!」

 それに純夏も応え、話が弾み始めた所を見計らい、武は素知らぬ風を装って霞に声をかける。

「……そうだなあ……霞、折角だから少し料理をつまんどくとしようか。」

「………………はい。」

 武の声に、視線を純夏へと向けて少し考え込んだ霞だったが、素直に頷き返すと武の差し出した手に自身の手を添えた。
 武はそのまま、そろりそろりと純夏から距離を取り始め、それを即座に察知して視線をよこした晴子に対し、し~っと人差し指を口に当てて支援要請を出す。
 そんな武に晴子は首を傾げたものの、肩を一つ竦めると純夏の気を惹く為に会話に参加するのであった。

 斯くして武は晴子の支援よろしきを得て、純夏に気付かれる事無くその場を脱し、霞を連れて料理の並ぶ一角へと向かった。
 その後料理にありつくまでにも、武はひっきりなしに視線を浴び、時折声をかけられては手短に言葉を交わしてはその場を立ち去るという事を、幾度か繰り返す事となった。
 その間も霞は大人しく武に付き従い、武も折を見てオルタネイティヴ6直属の要員であると、霞を知らない者に引き合わせて行く。

 この会食は、A-01には属さないものの、折に触れて作戦に同行する事の多い霞の、お披露目も兼ねていたのであった。



 一方、半ば強制的にユウヤとの再会をお膳立てされたクリスカは、動揺の真っ只中にあった。
 ソビエト陸軍の衛士として祖国と党に忠誠を誓う闘士であった頃であれば、この様な醜態を晒す事はなかった筈だと懸命に自身を叱咤して、何とか平静を装おうとするクリスカであったが、そうしなければならないという事自体が彼女の動揺の激しさを物語っていた。

「クリスカッ! それにイーニァも! 久しぶりだよな、元気だったか?」

 すっかり及び腰になってしまっていた為、自身と同様に衛士として鍛えられていた第5世代ESP発現体の姉妹達3人に、両脇と背後から支えられる様にして立たされていたクリスカだったが、事ここに至って遂に覚悟を決めると背筋に力を入れて姿勢を正す。
 そして、近付いてくるユウヤに釘付けであった視線を、明後日の方へと顔ごと逸らし、密かに唾を飲み込んで喉を湿らせると口を開いた。

「ふんっ! 私の心配をするような余裕が貴様にあったのか?
 安全な米国に引っ込んでいる間に、腕を鈍らせてはいないだろうな?!」

 ユーコン基地に派遣されていた頃の自分の残滓を必死で掻き集めて、クリスカは何とか震えさせずに声を出す事が出来た。
 そんなクリスカの発した言葉に、イーニァを初めとするESP発現体達が揃って目を丸くして見詰める。
 帝国に亡命して来てからのクリスカは、このようなキツイ物言いをしなくなっていたからである。

 クリスカは第5世代、イーニァは第6世代に属するESP発現体であった。
 その為、クリスカ達第5世代の方がイーニァ達第6世代よりも数年年長となっている。
 遺伝子操作の技術的発展により、第6世代の方が身体能力もESPも強化されているが、精神的に成長している第5世代は姉代わりとなって第6世代を慈しむ傾向が強い。

 第6世代の遺伝子は第5世代から継承したものなので、本来であれば親子の関係に近いのだが、それ程年齢差がない為に2世代にまたがっていても姉妹として付き合っているのである。
 そんなコミュニティーの中でも、クリスカはイーニァをこの上なく溺愛しており、他の第6世代に対しても優しく接する事が多かった。
 それ故に、優しい姉として振舞うクリスカを見慣れたESP発現体達にとって、ソ連を離れて以来久しぶりに目の当たりにする、厳格な衛士として振舞うクリスカの姿だったのである。

「相変わらずきっついな、おまえ。
 けどまあ、おまえもイーニァも元気そうで良かったよ。
 で、他の皆さんはソ連軍での知り合いかなんかか?」

 一方、ユウヤの方はと言うと、苦笑を浮かべてはいたもののどこか懐かしげな表情を浮かべて、大して気にもせずに再会を喜んでいた。
 そして、改めてクリスカとイーニァを取り囲んでいる女性陣へと、ユウヤは視線を巡らせる。
 すると、そんなユウヤが気に食わなかったのか、クリスカは視線を戻して睨みつけ、更には言葉を叩きつけた。

「貴様には関係ないだろうッ!
 貴様はこの部隊へ何をしに来たのだ!? 女漁りか?!
 大体―――」
「止めてっ! クリスカ、なんでそんな事言うの? ユウヤと喧嘩しないで!」

 自身でも掌握し切れていない感情の赴くままに、ユウヤを詰って(なじって)いたクリスカを、イーニァが腰の辺りに抱きつく様にして制止する。
 すると、周囲に居た他のESP発現体達も、口々にクリスカを諌め始める。

「ちょっとクリスカ、あんた何言っちゃってんのよ。」「そうだよ~、クリスカぁ、素直になんなきゃ駄目ぇ~。」「ほらほら、照れてないで―――」「そうそうここは一気にガバァっと!」「憎まれ口ばかりでは、嫌われてしまいましてよ。」

 そして、いきなり姦しくなった事で、気持ち腰が引けてしまったユウヤにも興味本位な視線と言葉が投げかけられる。

「ふ~ん、実物のユウヤってこんな感じなんだ~。」「やっぱり見ると『読む』とでは大違いね~。」「あ~、あんた、今自分上手い事言ったみたいな顔してる~。」「じゃあさ、『百読は一見に如かず』とかってどお?」「でもさあ、何か今一つぱっとしない様な気もする~。」「いやいや、これでも衛士としての腕は折り紙つきらしいからな。」「ちょっとなよっちいけど、顔は結構いいと思うぜ。」

 いや、何時の間にか、クリスカそっち退けで半数以上―――10名近くがユウヤを取り囲んで品定めを始めた。
 すると、途端にクリスカが柳眉をキリキリと吊り上げ始め、自分の両手を掴む仲間の腕を振り払い、更にはユウヤを囲む仲間達を力尽くで掻き分けると、ユウヤを包囲網から引き摺り出す。
 無論、それを黙って見ている者ばかりではなく、後を追おうとする者も居たのだが、その前にイーニァが立ちはだかると両手を広げて上目遣いで睨みつける。

 ユウヤを引き摺る様にして離れて行くクリスカを追ったのは、第5世代の積極的な数人だった為、年下であり母性本能をくすぐる―――そして、下手に泣かせたりするとクリスカが激怒するイーニァには手が出せない。
 クリスカはチラリと振り向き感謝の視線をイーニァへと投げると、そのままユウヤを引っ張って足早にその場を離れて行くのであった。



「オー、あなたはもしや『イスミ・ヴァルキリーズ』の珠瀬中尉ではありませんか?
 ナイストゥミーチュー! ご活躍はかねがね聞き及んでマース!
 おや? 彩峰中尉もおいででしたか、ハローハロー!」

 ようやく料理にありつけた武の耳に、陽気な、しかしどことなく胡散臭い発言が飛び込んで来た。
 唐揚げをパクつきながらもその声の発生源を武が見ると、比較的高い位置で金髪に彩られた後頭部がその存在を主張している。
 その近くに居る壬姫と彩峰の存在を武の思考波感知機能は識別していたのだが、2人の姿は間に立つ人々の影に隠れて見出す事は出来なかった。

「ン~、お会いできて光栄デス。お近付きの印に『抱擁』させて頂いてよろしいですか~?」

(あれ? 今の台詞、何か変じゃなかったか?)

 聞こえて来た声に違和感を感じた武は、音声一次入力のログを再生して確認する。
 すると、やはり普通は『握手』となる所で『抱擁』と発言している事が確認出来た。
 何故に『抱擁』? と首を傾げる武だったが、その声に応じる壬姫の言葉にそんな風習もあったなあと納得しかけて―――

「へ?! あ、ああ! えっと~、ハグですか? でも私は帝国人なのでそれはちょっと―――」
「ハグを御存じですか? すばらしいですネー。では~、お言葉に甘えて早速…………ん~、ふかふかで暖か~!
 彩峰中尉、アナタもいかがですか? とても素晴らしい抱き心地ですよ~。」

 ―――何やら急展開が発生したらしき様子に、武は咀嚼していた唐揚げを噴き出しかけた。

「ん…………確かに……」

「はわわ……はわわわわ…………」

 慌てて人混みの隙間から壬姫の様子を確認しようとする武だったが、視界を確保出来ないうちから何やら混沌とした雰囲気が漂ってきた。
 どうみても、彩峰が声の主の誘いに乗って悪乗りし、壬姫がパニックに陥っているとしか武には思えない状況である。
 さすがに事態を収拾しに行くかと、武が手にしていた紙皿を手近なテーブルに置くと、壬姫達の居る辺りから更に新しい声が聞こえてくる。

「うわっ! おい、見てみろよ柚香(ゆずか)。
 ここにも子供が居るぞッ! どうなってんだよ、国連軍は何時から子供まで戦わせるようになっちまったんだ?」

「龍浪(たつなみ)中尉……ど・お・し・て、あなたって方はそう短慮なんですか?
 さっきのネパール陸軍の方だって、外見はともかく実年齢は20(はたち)前後だったじゃないですか。
 それに、国連軍には各国から派遣された将兵も居るんですから、ソ連軍なんかじゃ10代半ばの衛士だってざらに…………」

 何処となく若々しい―――というよりもガキ大将の様な男性衛士の声に続いて、苦労性が染み付いてしまっている様な女性衛士の声が続いた。
 言葉の内容からするに、子供扱いされているのは壬姫で間違いないだろうと武は判断し、霞を伴って人混みに分け入っていく。

「けどさあ、どうみたってこの子は12歳位にしか見えないぜ?
 ―――って、どうかしたのか? 柚香。」

 そんな声と共に、ようやく武の視界の中に、今日付けで部下となった声の主達の姿が飛び込んで来た。
 恐らくは僚機を務める衛士なのだろう女性衛士―――千堂(せんどう)柚香少尉をきょとんとした顔で覗き込む小柄な男性衛士―――龍浪響(ひびき)中尉と、壬姫の方を凝視しつつ、伸ばし切れていない右手の人差し指を震えさせながらそちらへと向けている柚香の2人。
 そして、長身で金髪の女性衛士―――エレン・エイス中尉と彩峰に前後から抱きつかれて、ジタバタともがいている壬姫の姿も。

 さすがにこれだけの騒ぎともなれば、周囲に居合わせる将兵等の視線もこの5人へと注がれていた。
 これは早目に収拾した方が良いなと、武が声をかけようとしたその時、柚香が悲鳴のような叫び声を上げた。

「ちゅ、中尉ッ! この子―――じゃなかった、この方を御存じないんですか?!
 オリジナルハイヴ攻略の英雄、『イスミ・ヴァルキリーズ』の1人にして、『狙撃の神様』珠瀬壬姫少尉じゃないですか!
 因みに、年齢は確か今年で19歳になられた筈ですよ~!」

「お、言われてみれば確かに見覚えがあるな。」

 顔を真っ青にして動揺しまくっている柚香に比べて、子供扱いした張本人である響は悪びれた様子もなく、エレンの胸に半ば埋もれてしまった壬姫の顔をまじまじと覗きこんで頷いている。
 その様子は、傍から見ればエレンの豊かな胸を凝視している様にも見えた。
 そして、その胸の持ち主、エレンが些か不機嫌そうな声を上げるが、先程と比べて実に流暢な発音の日本語であった。

「ねえ、人がせっかく幸せを堪能してる所に、水注さないでもらえるかしら?」

「激しく同意……」

 エレンの苦情に透かさず同意する彩峰。
 それを受けて、鬼の首でも取ったかのように、エレンが嵩に懸かって言い募る。

「ほら、『イスミ・ヴァルキリーズ』の彩峰中尉もそう仰ってるわ。
 それに、そっちの少尉さん? 珠瀬少尉じゃなくって中尉の間違いよ。
 ほ~ら、階級章!」

 そう言うとエレンはようやく壬姫を抱擁から解放し、自身の身体で隠されていた壬姫の前面を響と柚香に見せる。
 その制服に付けられた階級章に、自身の過ちを知った柚香は敬礼し直立不動となって壬姫に謝罪した。

「ッ!―――し、失礼いたしました、中尉殿ッ!!」

「い、いえ、私の階級は上がったばかりですから、気にしないでください~。
 えと、そ、それから彩峰さんも、いい加減放してよ~。」

 柚香の真摯な謝罪に、困った様な笑顔を浮かべた壬姫は、両手を振って柚香を宥める。
 そして、未だに背後から抱きついている彩峰に苦情を申し立てたが、彩峰はそれに応じる素振りを欠片も見せはしなかった。
 いや、エレンが離れた分、より一層密着の度合いを増しているようにさえ見える。

 そんな彩峰と壬姫の様子に、エレンも響も、柚香でさえも生温かい視線を注ぐ。
 その何とも言えない雰囲気の中、ようやく口を差し挟むタイミングを掴んだ武の声が響いた。

「彩峰、その辺でたまを放してやれよ。
 周りの視線に気が付いたら、またパニックになっちまうぞ~。」

「あ、たけるさん!―――って、周りの……視線…………え? ええぇええ~~~ッ!」

 武の声に、地獄で仏とばかりに表情を輝かせた壬姫だったが、それも言葉の意味する所に気付いて周囲を見回すまでであった。
 自分達に集まっている視線の多さに気付いた途端に、顔を真っ赤に染めてじたばたと暴れだす壬姫。
 彩峰はそんな壬姫をこの手応えが堪らないとでも言いたそうな表情で拘束―――もとい抱擁し続け、その攻防をエレンは蕩けそうな表情で堪能していた。

「あ~、珠瀬中尉ったら、可愛過ぎるわ~!」

 いよいよ混沌と化してきたその場の空気に、響と柚香の2人はどう反応していいのか解からずに立ち竦んでいる。
 武は、やれやれと首を横に数回振ると、本格的に事態の収拾に乗り出した。

「彩峰、ちょっと絞めていいからたまを落ち着かせてくれ。
 それから……あ~、気持ちは解からないでもないが、この場はその辺で自粛しといてくれエイス中尉。
 龍浪中尉―――は、そのままでいいか。千堂少尉はもう少し肩の力を抜いていいぞ。
 うちの隊にはエイス中尉みたいなタイプが、他にも少なからず居るからな。
 あまり気を張ってると身が持たないぞ。」

「「「 ッ!―――白銀大佐! 」」」「了解……珠瀬、ごめん……」

 先程の彩峰への言葉に続き、更に近付いて来た武が各々に話しかけると、さすがに相手の正体に気付いて敬礼をするエレン、響、柚香の3人。
 その陰では、彩峰の絞め技によって壬姫があっさりと絞め落とされていた。

「いや、だから、そんなに気張らなくていいって……
 日本帝国陸軍から2人だけ派遣された衛士である龍浪響中尉と千堂柚香少尉、そしてカナダ軍からの派遣衛士であるエレン・エイス中尉だよな?」

「「「 はっ! 」」」

 答礼し、重ねて楽にするようにと告げた武だったが、3人は一向に姿勢を崩そうとしない。
 武も今すぐに態度を変えさせるのは難しいかとその場は諦め、まずは緊張を解そうと世間話のつもりで話しかける事にした。

「エイス中尉は軌道降下兵(オービット・ダイバーズ)だったそうだな。」

 武がそう言うと、エレンは姿勢を正したままではあったが、ニヤリとふてぶてしい笑みを浮かべて応える。
 エレンが精鋭揃いと評判の軌道降下兵だったと知って、響と柚香は横目で様子を窺わずにはいられなかった。

「はい。大佐の対BETA戦術構想のお陰で、私達軌道降下兵総員は、生還率2割のバンジージャンプから解放されましたわ。
 あ、そう言えば、元国連軍第6軌道降下兵団アクイラ中隊指揮官、アンリ・ギーツェン大尉から伝言を預かってました。
 ―――あんたのお陰で人生三度目の軌道降下突入(オービットダイヴ)は、無期延期になっちまったぜ。
 ダイヴ禁止で、俺達チキン・ダイバーズは全員失職、羽をもがれてこんがり揚げられ、フライドチキンに転職だ。
 三度目のチケットが無駄になっちまった借りは、必ずどっかの戦場で返してやるから覚えとけ―――だそうですよ。」

 会話のきっかけ程度のつもりで振った話題に対するエレンの応えに、武は眉を上げてしばし感慨に耽ってしまう。

 国連軍第6軌道降下兵団と言えば、2度目の再構成後の確率分岐世界に於ける『甲21号作戦』。
 あの激戦の最中で佐渡島ハイヴに向けて軌道降下突入し、ハイヴの穴倉の中で文字通り全滅した部隊であったからだ。
 あの戦いで、2個連隊相当200機を超えた第6降下兵団の帰還者数はゼロ。

 『あの時』の武は戦いの趨勢になどほとんど関与する事はできず、本当に多くの将兵が命を落とす事となった。
 そして、武にとっては00ユニットとなった純夏を、実質的に喪った戦いでもある。
 今にして思えば、あの戦いこそが対BETA戦術構想の出発点であった。

 夕呼から前線に立つ事を禁じられた武が、自分1人後方に引っ込んで仲間達の力になれない事が我慢できず、なんとか捻りだした遠隔陽動支援機こそが、対BETA戦術構想の根幹だからだ。
 あの戦いの前なら、武が案じたのはヴァルキリーズの仲間達だけだった。
 それが今では、敵対しているに等しい勢力の人間でさえ、可能な限り死なせずに済ませたいとまで、武は願うようになっている。

 傲慢な願いなのかもしれないと、武は自身の心情を鑑みてそう思う事もある。
 しかし、自分が再構成と因果律への干渉を繰り返す為に支払っている―――いや、純夏に背負わせている代償の事を考えれば、そして今までに背負った罪の重さを考えるならば、その程度は望まねば割に合わないと、武の感情は血を吐くような叫びを上げ続けてもいるのだった。

 いずれにせよ、エレンの言葉によって、武は自身が行ってきた事で少なくとも命を永らえさせる事の出来た存在を、新たに知る事が叶った。
 今はその事に素直に感謝しようと、武はそう思って思索を切り上げる。

「?―――大佐、どうかされましたか?」

 武が黙りこんだ事を気にしたのか、エレンがやや及び腰で声をかけて来た。
 それに対して、武は人の悪い笑みを浮かべ、わざと軽い口調を取り繕って応えて見せる。

「いや、軌道降下兵ってのは、フライにしたら美味いのかなと、ふとそう考えてただけだ。」

「あはははは! あたしらチキンは煮ても焼いても喰えたもんじゃありませんって、大佐。」

 武のあまり褒められない冗談に、それでもエレンは大笑いして応えを返す。
 武もエレンに笑い返して、2人して大笑いする様子を壬姫を抱えた彩峰に響と柚香、そして周囲の人々が呆気に取られて見詰めていた。

「「「 ………… 」」」

 さすがに周囲の視線―――などよりも、傍らに立つ霞の呆れたような雰囲気が気になった武は、バカ笑いを収めると改めてエレンに話しかけた。

「まあ、冗談はともかく、壮大なスペース・ダイヴィングって楽しみを奪った事は謝っておくよ。
 その代わりに、せめてエイス中尉には玩具を沢山プレゼントするさ。
 陽動支援機を初めとした自律装備群を、てんこ盛りってところでどうだ?。
 返品は出来ないから、精々持て余さないで遊び倒せるようになってくれ。」

「サー、イエッサー!
 ついでに、年末に発売されるっていう御剣印のゲーム機もサービスして下さいよ。
 大佐はゲームの監修やってるんだから、伝手ぐらいありますよねえ?」

 すると、さっきのバカ笑いで緊張が解けたのか、はたまたメッキが剥げたのか、エレンがずうずうしい願いを告げて来た。
 それに苦笑して応じた武は、響と柚香にも声をかける。

「解かった解かった。何台か融通して隊の共有備品にでもしておくよ。
 それにしても、結構馴染むのが早いな、エイス中尉。
 龍浪中尉も千堂少尉も、エイス中尉を見習って早いとこうちの流儀に馴染んでくれよな。」

 未だにエレン程には砕けた態度は取れないものの、此処までの下らないやり取りのお陰で、響と柚香の緊張も幾らか解れて来ていた。
 そんな2人の背後に忍び寄った彩峰が、片手で壬姫を抱えたままでポンポンと順に肩を叩く。
 仰天して飛び上がった2人は、彩峰によって壬姫を椅子の所まで運ぶ手伝いを、問答無用にさせられる羽目になった。



 ―――30分後、一通りの挨拶回りを終えた武は、相変わらず霞を伴ったまま壁際で飲み物を手に一休みしていた。

「あ、こんなとこに居た!
 ちょっと白銀、少し話があるんだけどいいかしら?
 まあ、別に急ぎじゃないから、今じゃなくても構わないんだけど……」

 そう言って、声をかけて来たのは千鶴であった。
 武を探していたのか、手には料理も飲み物も持っていない。

「ん? まあ、あんまり長くなんないならいいぞ?」

 復興事業によって生産が再開され、今年早くも収穫が軌道に乗った、静岡産の天然緑茶を飲み干して武がそう応えると、千鶴は1つ頷いてから口を開いた。

「そう。じゃあ、遠慮なく。
 ―――さっき、御剣から聞いたんだけど、互いに憎からず想ってそうな男女の後押しをしたらしいじゃない。」

「あ~、あれはだな。女性の方が霞の知り合いだったもんで、ちょっとばかしだな……」

 思いもよらない話題に、武は戸惑いながらも右手で頭を掻いて釈明を試みる。
 しかし、千鶴は右手を軽く振って武の言葉を遮った上で口を開いたのだが、なにやら口籠った後もごもごと呟き始めたかと思うと、突然両手を振りおろして怒鳴った―――ただし、声量控え目で。

「別に、その事を非難しようって話じゃないから言い訳は良いわよ。
 ―――そりゃまあ、他所の色恋沙汰に嘴突っ込むくらいなら、私達の想いに応えて欲しいとは思うけど…………
 じゃあ、なくってッ!!」

 そんな千鶴の迷走に、武は透かさず突っ込みを入れる。

「おいおい、委員長。勝手に自爆して切れんなって。」

「うるさい! あーもう! とにかく私が聞きたかったのは、部隊最高指揮官であるあなたが部隊内恋愛を許容する様な事をして大丈夫なのかって事よ。
 てゆうか、ちゃんと事後の事とか影響とか考えて行動してた?」

 武の突っ込みを一蹴しておいて、素早く自制した千鶴は、ようやく本題を切り出した。
 その内容に、武は今回の確率分岐世界でも甘受した、『甲21号作戦』前夜の告白騒動の事を染み染みと思い出す。

「あー、その事か……部隊内恋愛の難しさについて伊隅少佐から釘刺されたのって、もう2年も前になるのか。
 けどさ、それを言ったら、おまえらの立場だって不味くなっちまうじゃんか。
 それに、あれからオレも色々と経験して、そういう想いを抱く事が必ずしも悪い側面だけじゃないんじゃないかって、そう思う様になったんだ。
 実際に、オレはお前らの想いに支えられてるなって思う事もあるし、抱いている強い想いを良い方向に向いた活力に変えられれば、プラスに働くんじゃないかな。」

 武は『前の世界群』に於ける『桜花作戦』で思い知った、自分を支えてくれる仲間達の想い―――殊に自身に好意を向けてくれている者達の強い意志と、それによって齎される行為と結果を思い返してそう語った。
 そんな武を隣の椅子に腰かけた霞がじっと見詰めていたのだが、その瞳の奥には慈しむ様な暖かな光が湛えられていた。

 真摯な想いを込めて語られた武の言葉に、それを聞いていた千鶴の顔が見る見るうちに真っ赤に染め上げられていく。
 武の言葉が自分の想いを受け入れてくれたかのように感じられ、千鶴の脳裏は照れくささと嬉しさと恥ずかしさで一杯になってしまう。

「そ、それは……その……」

 気持ちが高ぶり過ぎて、想いを伝えたいのに言葉にならず、千鶴は絶句してしまったのだが、武は自身の思考に集中していてそれを見落としてしまう。

「まあ、結局の所はケースバイケースだと思うし、編制や配置を弄りながら対処して良い結果に結びつく様にしたいと思ってる。
 そんなとこでいいか?………………って、委員長?……お~い、聞こえてんのか?」

 そして説明を終えた所で、改めて千鶴に意識を向けた武は、ようやくその様子がおかしい事に気付き声をかける。

「え?…………き、聞いてたっ! 聞いてたわよ? 勿論。
 じゃ、じゃあ、その件はそれでいいわ。『みんな』にも白銀は部隊内恋愛を許容するつもりだって伝えとくからね。」

 武の呼びかけでやっと正気に戻った千鶴だったが、慌ててその場を言い繕うと、小走りにその場から立ち去って行く。
 腰を浮かせて、走り去っていく千鶴の背中に声をかける武だったが、その声に被さる様に発せられた素っ頓狂な声についそちらへと意識を割いてしまった。

「は? ちょっとまて委員長! その『みんな』って―――」
「うわー、あの人凄い体格してるな~。
 米軍の礼服だし、プロテインとか飲んでるのかな~。」

 その声は武から少し離れた所に立ち、更に遠くで部下達と言葉を交わしているウォーケンを見ている美琴が発したものであった。
 瞬時に状況を把握して、意識を千鶴へと戻した武だったが、既にその時には千鶴は人混みの中へと姿を消そうとしていた。
 思考波感知機能を使えば後を追う事は簡単だったが、変な事を吹聴しないように口止めしようとしてみた所で、どうせ上手くいかないだろうと武はあっさりと諦めてしまう。

 殊、自身に好意を抱いてくれている女性陣相手となると、最近の武は直ぐに諦めて押し負けてしまう傾向が強く、すっかりヘタレと化している。
 がっくりと肩を落とす武を、霞は変わらず見つめていたが、その瞳に湛えられているものは憐憫の情へと変化していた。

 一方、武の他にも、美琴の発した言葉に反応を示した者は多かった。
 そして、その中の1人が、どこか嬉しそうに美琴に声をかける。

「そうだろ? そう思うよな!
 男だったら、あんな風に逞しい体に憧れるよな!」

 2002年に入ってから、何故か身長が160cm近くまで伸びた美琴だったが、残念ながら今の所凹凸の少ない体型に変化は見られない。
 衛士として体はそれなりに鍛えているのだが、傍から見るとどうしてもか弱く見えてしまう。
 とは言え、美琴とて恋する乙女(?)であるからして、筋骨逞しいマッチョな体型に憧れたりはしない。

 それ故に、怪訝な表情を浮かべて振り向いた美琴は、まずは声をかけてきた相手の名を確認する事にした。

「……えっと……君は、帝国陸軍から派遣されてきた龍浪中尉……だよね?」

 オルタネイティヴ6が予備計画として認められた時期から、美琴は武の要請を受けてオルタネイティヴ6直属諜報要員の指揮官を衛士と兼任する様になっている。
 ただし美琴は、武からオルタネイティヴ6の諜報組織は2系列存在し、お互い独立して諜報活動を行うと聞かされている。
 これは、武自身が00ユニットとして諜報活動に従事する際に、その活動内容を美琴に知られない為の欺瞞情報であった。

 いずれにせよ、美琴はそれ以来真面目に任務に取り組んでいる為、今回の新生A-01に配属となった全要員の顔と氏名を記憶している。
 それ故に、響の名前も即座に思い出す事が出来たのであった。

「ん? なんでオレの事知ってんだ?
 いや、それよりもさ、中尉、あんたもあの逞しい体に憧れてんだろ?
 あんたもオレと同じく、あんまり体格に恵まれてないみたいだもんな。
 けど、お互い希望は捨てないで理想の身体目指して頑張ろうぜ!」

 響は、自身が男性としては小柄且つ細身であり、しかも日本人としても童顔である事にコンプレックスを感じている。
 それが転じてマッチョに憧れているのだが、その反面逞しい男性―――殊に外国人男性に対して敵愾心を抱く事も多い。
 過去それを幾度か目の当たりにして熟知しているが故に、長年響と二機連携(エレメント)を組んで来た柚香の苦悩も根深いものがあった。

「はぁ……また中尉のマッチョ願望が始まっちゃった…………
 すみません、急に失礼な事を申し上げて………………って、ぇええええッ!!
 た、龍浪中尉ッ!! あなたって人は、なんだってまた『イスミ・ヴァルキリーズ』の方相手に失礼かましてるんですか!?
 わざとですか? わざとなんですねぇッ!!!」

 そして、響に代わって謝罪しようと相手と向き合った柚香は、悲鳴を上げるなり響に向き直ると凄まじい形相で詰め寄っていく。
 尤も、響とて柚香とは長い付き合い故に、然程動じる事無く自身の考えを主張する。

「わっ、こら柚香、落ち着けよ!
 『イスミ・ヴァルキリーズ』つったら、女性衛士だけで構成された部隊だろ?
 この人はこんな体格でも『男』なんだから、人違いに決まってるじゃないか!」

 しかし、その何気ない主張が、美琴を深く傷付けるなどとは、響には思いもよらなかった。

「え?………………ボ、ボクは男じゃないのにッ!
 酷い、酷過ぎるよッ! 好きでこんな体格してるんじゃないのに~ッ!!」

 愕然として暫し立ち尽くした後、美琴は叫び声を後に残すと脱兎の如くに走り去ってしまう。
 その後ろ姿に手を差し伸べながら、悲痛な声を上げる柚香。

「あああああーっ! ま、待って下さい鎧衣中尉ッ!!
 せめて、せめてお詫びをーーーッ!!!」

「え? 鎧衣中尉? 女の人? 嘘だろーッ?!」

 しかし響はと言えば、最後の最後まで呆気に取られて事実を認めかねているだけであった。



 国連の旗の下に、各国より集った衛士達。
 武の因果律干渉によって紡ぎ直された運命の糸は、彼等にどのような使命を与えるのであろうか。
 それは未だ定かならざる所ではあるが、武は真摯に願い続ける。

 彼等に幸せな未来が訪れるように、と―――






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 参考資料:今回名前が登場したスピンオフ作品のキャラクター一覧(同一作品内は本文登場順)
 今回、あまり聞き覚えの無い名前が頻出していたと思いますので、興味のある方は参考までにご覧ください。

・『マブラヴ オルタネイティヴ トータル・イクリプス』
 ユウヤ・ブリッジス
 タリサ・マナンダル
 ヴァレリオ・ジアコーザ
 ステラ・ブレーメル
 篁 唯依
 クリスカ・ビャーチェノワ
 イーニァ・シェスチナ

・『マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ 01 レイン・ダンサーズ』
 ヒュー・ウィンストン
 モニカ・ジアコーザ

・『マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ 01 チキン・ダイバーズ』
 アンリ・ギーツェン

・『マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ 02 THE DAY AFTER ep.01』
 千堂 柚香
 龍浪 響
 エレン・エイス

・『マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ 02 ~憧憬~』
 真壁 清十郎
 ヴィルフリート・アイヒベルガー
 ジークリンデ・ファーレンホルスト
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[3277] 第143話 エリ・エリ・レマ・サバクタニ
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 18:13

第143話 エリ・エリ・レマ・サバクタニ

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 独自設定告知:『キリスト教恭順派』に関する設定
 今回の内容に含まれる『キリスト教恭順派』の教義や組織概要、内実等に関する記述は独自設定に基づくものです。
 拙作をお読みいただく際にはご注意の上、ご容赦願えると幸いです。
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2004年01月01日(木)

 09時46分、帝都城の車寄せに1台の装甲兵員輸送車が停車し、そこから武が姿を現すと両手を上げて背伸びをした。

 平素であれば武の場所柄をわきまえない行為に、顔を顰める筈の帝都城守護職の警備兵達も、周辺警戒を続けながらそんな武を横目で見ては苦笑を浮かべている。
 実は、昨夜帝都ではテロリストの一斉摘発という大捕物が行われており、その件にも少なからず関わっていた武がこうして暢気な素振りを見せている事自体が、守られた平穏の証しの様にも思えた為のお目溢しであった。
 一斉摘発ではロケット砲や迫撃砲、多数の爆発物が押収され、発見された計画書を見る限り非常に大規模な帝都城に襲撃が計画されていた。

 その中には新年祝賀の儀に列席する為に登城する武諸共、帝国の要人を害そうという凶悪なものであり、摘発に成功し実行役の悉く(ことごとく)を捕縛したと確信出来た時には、関係者全員が胸を撫で下ろす思いであった。
 斯くして人知れず大晦日の夜に帝都を駆け摺り回った者達の影働きの恩恵により、こうして帝都城は晴れがましい新年を迎える事が出来たのである。

 と、その時。
 背伸びをしていた武が、頭を見えない手で思い切り引っ張られたかのようにゆらりと傾くと、そのまま糸の切れた人形のようにその場へと倒れ込む。
 そして遅れてやって来た銃声に、身動き一つ取れずにいた警備兵達が大慌てで動き出す。

 警備兵の手によって閉じられたドアによって、月詠にその身を抑え込まれながらも必死に伸ばしていた冥夜の右手が、車の中へと押し込められる事となった。
 この一部始終は、偶然帝都城の新年祝賀の儀を取材に来ていた国営放送のカメラに収めらており、数日に亘って繰り返し放送されては帝国内外を震撼させる事となった。

  ● ● ● ○ ○ ○

2004年06月12日(土)

 00時51分、カナダはノースウエスト準州の最高峰であるニルヴァーナ山、その南方に位置するユーコン準州との境界近くの森林にA-01所属の戦術機『朧月』が2機、静穏モードでその身を潜めていた。

「ふむ。訓練で何度も経験してはいるが、やはり実戦となると気が引き締まるな。
 とは言え、やはり実際に人間を相手にするともなれば、勝手が違うのだろうな。」

 自身の心境を顧みて、そう言葉を紡いだのはA-01選抜α中隊の指揮官を務めるアルフレッド・ウォーケン少佐であった。
 尤も、この時ウォーケン自身が搭乗している『朧月』は、同じカナダ国内とは言え100km以上離れた別の場所に存在している。

 今回の作戦には総指揮を執る武の他に、A-01から選りすぐられた2個中隊―――24名が派遣されている。
 A-01の編制に於いては1個小隊が衛士6名で編制されるので、都合4個小隊が各々異なった作戦地域へと派遣されていた。
 それ故に、ウォーケンの言葉は国連軍の広域データリンクを経由して届けられたものである。

「そうですね、ウォーケン少佐。
 いくらテロリスト相手と言っても、出来る事なら殺したり怪我させたりせずに済ませたいですから。」

 ウォーケンの言葉におっとりとした口調で応じたのは、A-01選抜β中隊の指揮官を務める涼宮遙大尉であった。
 今回の作戦ではその性格上、戦術機戦よりも部隊運用や潜入工作、対人類戦闘に高い特性を持つ衛士が主力とされている。

 A-01はこの作戦と並行して、ユーラシア大陸の奪還領土を防衛する各戦線への小隊単位での派遣も行っている。
 この時点での戦線は北東アジアのエヴェンスク戦線、西欧州のリヨン戦線、中東のアンバール戦線、極東のブラゴエスチェンスク戦線の4つが存在していた。
 その結果、防衛線への派遣部隊は各々1~2個小隊で合計6個小隊にも及んでおり、カナダへと派遣された4個小隊と合わせて新生A-01の実に過半数が実戦へと投入されている事になる。

「涼宮大尉の言う事も尤もだけど、事実上問題になるのはこちらの装備がどれだけ損耗するかだけじゃないかしら?
 あちらさんがこっちの『朧月』を捕捉できるとは思えないし。
 まあ、予定通りに進めば戦術機の出番は無いだろうから、今の所は監視を続けながら豊かな自然を満喫しましょ。」

 遙の発言に続き、情勢を分析した上で周囲の瑞々しい植生に言及したのは、夕呼の直属から新生A-01の衛士へと転属となったイルマ・テスレフ中尉であった。
 米国陸軍所属衛士であった頃、CIAの工作員として働かされていたイルマは、武に勧められて帝国へと亡命した後、長らく夕呼の下でピアティフの補佐として秘書官的な任務に従事してきた。
 米国からの干渉を免れる為の処置だったのでさほど重要な機密情報に触れる事もなく、祖国奪還に意欲を燃やす本人の希望により、オルタネイティヴ6の発動を機に衛士としての任務に復する事となったのである。

 斯くして、今回の作戦でイルマは久方ぶりにウォーケンの副官へと返り咲いていた。

「まあ、この辺りはアサバスカに降りた着陸ユニットに対する、核攻撃の被害を免れてますからね。
 それでもここから少し南東へ行けば、放射能汚染地域です。
 住居を失った人達が大分この辺りにも移り住んで来ていますが、北の暮らしは厳しいですからね。
 BETAにハイヴを作らせない為には仕方なかったとは言っても、やはり米国を恨む人も多いと思いますよ。」

 イルマの発言を受けてカナダの現状に触れたのは、カナダ統合軍から派遣されているエレン・エイス中尉であった。
 母国の苦境に関する内容である為か、些か皮肉気な言葉選びではあったが、口調は割とあっさりとしている。
 とは言え、やはり当時のカナダ政府が同意していたとはいえ、戦略核の集中運用でアサバスカハイヴを攻撃した米国に抱く感情は単純ならざるものがあるようであった。

 そんなエレンの言葉に、腕組みをしてうんうんと頷きながら応じたのは鎧衣美琴中尉であった。

「アサバスカの核攻撃で住処を奪われた人の半数位は、難民として優先的に米国が受け入れたって話だけど、やっぱり暮らし向きはあまり良いとは言えないみたいだしね~。
 でも、カナダの放射能汚染地域は去年の初め頃から、BETA由来技術で生み出された生体ユニットによる放射能除去が始まってた筈だよね?
 そろそろ、外縁部では植生回復計画へと移行してるんじゃないのかな?」

 現在、大陸奪還作戦によってBETA支配下より解放された領土では、防衛線の構築と共にその後方支援拠点や補給線の確立を目的とした復興が徐々に始まっている。
 核地雷などによる遅滞戦術により、放射能汚染にさらされた地域も多かったのだが、皮肉な事に長年に亘ってBETA占領下に置かれた地域では、汚染された土壌はBETAによって削り取られ結果的に放射能汚染が除去されていた。
 それでも大陸奪還作戦開始時点でのBETA防衛線にほど近い地域では、放射能汚染は少なからず残っておりAL弾や劣化ウラン弾等による重金属汚染も深刻であった。

 その為、大陸奪還作戦遂行に付随する形で復興支援をも主任務へと組み込んでいるオルタネイティヴ6では、それらの汚染除去技術の開発と供与も行っていた。
 これはオルタネイティヴ4として活動していた頃より研究開発と試験が行われていたものであり、オルタネイティヴ6の予備計画化に数か月先立つ形で関連技術のカナダに対する供与が始まっていたのである。

「ええ。そのお蔭で、米国に難民として避難していた人達も徐々にカナダへと戻り始めているわ。
 だから、カナダの国民として香月副司令や白銀大佐には感謝してるし、こうしてオルタネイティヴ6に参加している事は私の誇りだわ。
 なのに、その恩義のあるオルタネイティヴ6を敵視するテロリスト共が、よりにもよって母国に潜んでたなんて、なんだか申し訳ないやら情けないやらでへこんじゃうわね。」

 美琴の発言に頷きながらも、エレンは苦渋の滲んだ口調で溜息交じりにそう言葉を漏らした。
 カナダの放射能汚染地域は除染の進んだ地域から並行して植生の回復も進められており、オルタネイティヴ6のバイオ技術も活用され数年後にはほぼ全域が居住可能になると見込まれていた。
 しかし、現地で塗炭の苦しみを味わってきた人々の感情は、放射能汚染よりも遥かに根深く拭い難いものなのかもしれない。

「今回のターゲットは『キリスト教恭順派』だからね。
 連中の教義じゃ、BETAは驕り高ぶった人間に対して神が遣わした聖なる使徒だって事になってるから、そのBETAに大損害を与えて駆逐しつつあるオルタネイティヴ6は、神に逆らう教敵って事になるんだってさ。
 実際に、白銀君はオリジナルハイヴ攻略後に教敵指定されて、それ以来何度も暗殺計画の対象にされてるしね。
 ま、今回の作戦が実施されているのもそういった経緯から来てるんだけどさ。」

 軽い口調でそう語る柏木晴子中尉だったが、その細められた瞳の奥には刃の如き鋭利な光が潜んでいた。

 晴子に限らず、2002年以降に幾度か発生した白銀武暗殺未遂事件に対して、強い怒りを抱いている者は多い。
 その為、今回の選抜に漏れたA-01所属衛士等の中には、切歯扼腕して武への直訴に及んだ者さえいる。
 尤も、A-01でも最古参となる速瀬水月大尉が真っ先に直訴して盛大に玉砕して見せた事で、その後に続く者は然程多数には及ばなかったが。

「おいおい柏木、言ってる事は間違ってないけどオレ個人の事は二の次だぞ。
 『キリスト教恭順派』の場合は、BETAに対抗しようとする人類の活動に対する妨害行為が問題なんだ。
 BETAとの戦いに協力しないってだけならまだしも、力尽くで妨害行為まで働く集団だから『武装解除』する。
 そして指導者達には、法的な裁きを受けてこれまでの行いに対する償いをして貰う。
 飽くまでも今回の作戦の目的は『武装解除』と指導者達の捕縛であって、『キリスト教恭順派』の殲滅ではないって事を忘れないでくれよ。」

 戦術立案ユニット搭載仕様の複座型『朧月』に独りで搭乗しここまでの会話を黙って聞いていた武だったが、晴子が作戦参加者を煽りかねない発言をした事で急いで言葉を差し挟んだ。
 無論武は、自身が何も言わなくとも軽挙に及ぶような者は居ないと信じていたが、晴子の言動による扇動効果に対する不安が信頼を上回ったとも言えるだろう。

 それはともかくとして今回の作戦目標である『キリスト教恭順派』は、BETA侵攻を神によって人類に与えられた試練とし、BETAは神の使徒でありこの試練に抗わず受け入れる事で人類の罪は浄化され、新たなる生を受けるのだという教義を掲げている。
 そしてその信者や支持者、協力者等は、実に幅広い層に存在していた。

 対BETA戦争に投じられる巨額の予算に圧迫され、皺寄せを受けて社会保障を削られた後方国家の貧困層。
 BETA侵攻から命からがら逃げ出して、母国を失い難民となった後も最低限の生活水準を強いられて希望を見失った人々。
 富裕層や政府、軍等に属し生活は安定しているものの、BETAとの戦いで知人を喪いそれでも尚終わらない戦いに深刻な疑念を抱く人々。

 長く人類に圧し掛かって来たBETA大戦という重荷によって、軋みを上げる人々の心につけ込むようにして『キリスト教恭順派』はその勢力を拡大してきたのである。
 更には、『キリスト教恭順派』は様々な仮面を使い分ける事で、多様な人々の支持を取り付ける。

 難民に対しては、BETAに対する称賛を控えめにした上で、戦争行為にばかり予算を投じ難民救済を軽視する各国政府に対する糾弾者としての仮面を。
 後方国家の人々に対しては、対BETA戦争に人的物的資源を投じて巨大な損失を出し続ける事の空しさを訴える啓発者としての仮面を。
 カナダの避難民の様に対BETA戦争によってそれまでの生活を奪われた人々に対しては、その怨讐の代行者としての仮面を。

 何れにせよ、BETAに対する積極的な対抗策を推進している国連や各国政府の施策に対する、ありとあらゆる反意を糧として『キリスト教恭順派』はその勢力を拡大してきたのであった。
 そして当初は不満のはけ口や精神の安定を求めて参加してきた信者達の内、教義をすっかり信じ込み耽溺した者達を使って、情報流出や妨害工作を初めとし果ては武装闘争に至るまでの様々な活動を『キリスト教恭順派』は行っている。

 本来の教義に沿うのであれば、神の試練たるBETA侵攻に対して積極的な抵抗を行わず、日々の生活に終始していれば良い筈の『キリスト教恭順派』が何故に破壊活動まで行うのか。
 その陰には、『キリスト教恭順派』の破壊活動や妨害工作によって利益が生じる者達と、『キリスト教恭順派』指導者達の癒着、そして金銭の授受等が存在していた。
 結局の所、『キリスト教恭順派』の指導者達は狂信的な極少数を除けば、自身の人生を享楽的に過ごす為に信者達を利用しているに過ぎなかったのである。

 そんな『キリスト教恭順派』にとって対BETA戦術構想の提唱者であり、オリジナルハイヴの攻略を初めとした対BETA反攻作戦を主導する立場に在る白銀武という人物は、正に天敵とも呼び得る存在であった。
 対BETA戦争が好転する事で『キリスト教恭順派』の教義は空虚なものと化し、信者に対する求心力は低下の一途を辿る事が容易に予想出来る。
 『キリスト教恭順派』の教義は所詮BETAの脅威に立脚したものに過ぎず、それなくして成立し得ないものだからだ。

 それ故に、『キリスト教恭順派』はオリジナルハイヴ攻略の直後に武を教敵に指定し、神に逆らう悪魔の使いであり人類を堕落させようとしているとして糾弾した。
 その上で武の打倒を呼びかけ、暗殺計画を無数に立案してその内の幾つかを実行に移したのだ。
 それらの計画の中には、計画段階で摘発されたものも実行に及んだものの未遂に終わったものもある。
 この年の年明けに行われた暗殺計画では、一度は遂に暗殺に成功したと思われたにも拘らず、数日後には狙撃された筈の本人がのうのうと報道番組に顔を出し、被害に遭ったのは身代わりアンドロイドでしたと明かして見せるなどという、『キリスト教恭順派』にとっては屈辱的な顛末となったものまで存在する。

 武を教敵に指定してからほぼ2年に亘って失敗続きであるとも言えるが、世界的に名を馳せる白銀武という巨悪に対する聖戦は、衰退しようとしている『キリスト教恭順派』にとってカンフル剤としての効用を確かに発揮していた。
 そして、度重なる暗殺計画にも動じず前線での陣頭指揮を摂り続ける武に、ハイヴ攻略作戦中の謀殺までもを視野に入れて戦術機を操る事の出来る衛士の育成を、このカナダの拠点で行っているのであった。
 現在4カ所存在する軍事キャンプとさえ呼べる拠点は、現地の反米組織と米国の反オルタネイティヴ計画勢力、そして対BETA戦術構想の普及を機に、それまでの主力製品であった新型戦術機関連の売り上げが激減した米国戦術機メーカー等の支援によって構築されたものであった。

 これまでも、『キリスト教恭順派』はBETAに反抗する為の兵器として新型戦術機の開発が進められる事を神への反抗とし、妨害行為や破壊活動を行ってきた経緯がある。
 だがその陰では、自社戦術機のシェアを向上させようとする各メーカーとの裏取引が存在していた。
 そういった経緯もあり、『キリスト教恭順派』は戦術機を初めとする潤沢な装備弾薬、そして戦闘要員を保有しているのだ。

 また、武にとっても『キリスト教恭順派』は看過しえない存在であった。
 『前の確率分岐世界群』で大陸奪還を完遂した武だったが、最終的には求心力を失って自然消滅に近い形で終息したとは言え、大陸奪還作戦の初期に於ける『キリスト教恭順派』の妨害工作には少なからず悩まされた記憶がある。
 補給線の阻害から要人や軍人、企業等を標的とした爆破テロ、果ては戦術機まで投入した武力攻撃に至るまで『キリスト教恭順派』が繰り広げたテロ行為は枚挙に暇がない。

 そして、幾つかの確率分岐世界では横浜基地やA-01の要員にまで被害が及んでおり、『イスミ・ヴァルキリーズ』に犠牲者が出た世界すら存在する。
 それらの事件や、大陸奪還が進んだ後に多発した民族問題や宗教問題に関連した人間同士での武力闘争等から、武はテロ抑止の必要性を痛感する事となったのだが、BETAの脅威が薄まるに連れて国連主導体制が揺らいでいた事から十分な対策を打てなかった。
 今回の再構成後の世界に於いてオルタネイティヴ6への早期移行を成し遂げたのは、大陸奪還に於ける功績を国連に帰するものとする事で国連主導体制を保持する為の布石でもあったのだ。

 そういった事情から『キリスト教恭順派』を危険視していた武は、今回の確率分岐世界では自身が注目を集めた上で故意に暗殺の機会を創出して、『キリスト教恭順派』の攻撃目標を自分自身へと誘導していた。
 表向き然したる護衛も付けずに前線や帝国各地へと出かける事で、謀殺し易く且つ対BETA戦闘に与える損失が期待できる個人であると判断する様に仕向けたのである。

 そして、それと同時に幾重にも諜報活動の網を張り巡らし、更には諜報用の疑似生体を用いて武自身が出張ってまでして『キリスト教恭順派』の構成員や組織の情報を収集した。
 一度など、慎重な相手の油断を誘う為に身代わり用のAI搭載型アンドロイドを破壊させてまでして暗殺の成功を演出し、実行者が成功の報告を行うように仕向けた事さえあった。
 そういった情報戦によって、武は『キリスト教恭順派』の概要と指導的立場に在る者達や重要な拠点等を割り出したのである。

 また、度重なるテロ行為の標的とされた事を理由として、国連安保理にオルタネイティヴ6の正規任務に対テロ作戦をも盛り込む事を承認させた。
 対テロ作戦ともなれば、その活動は必然的に復興地域だけではなく後方国家の国内にまで及ぶものとなる為、日本帝国が誘致国となっていたオルタネイティヴ4とは異なり、国連直属となるオルタネイティヴ6であるからこそ承認されたとも言えよう。
 これにより、オルタネイティヴ6は国連安保理の承認の下、国連加盟国領土内での作戦行動を公式に実施する事が可能となった。

 今回の『キリスト教恭順派』壊滅作戦はこの様な経緯を経て実施される、対テロ作戦として、そして対人類戦闘としては、オルタネイティヴ6初となる実戦なのであった。



(くそッ! なんて事だッ!!)

 内心で罵倒しつつも、『キリスト教恭順派』の実戦部隊指揮官は部下達を叱咤激励して士気を高めようと試みた。
 夜間実弾演習に出かける寸前に敵の通信遮断に気付けた事は、正に僥倖であったと指揮官は神に感謝を捧げる。
 そのお陰で指揮官は、部隊を武器庫にとって返して武装を充実させると共に兵舎で寝こけていた兵共を叩き起こし、衛士や整備兵を合わせて何とか200人を超える程度の兵力を整える事に成功していた。

 後は格納庫まで辿り着き機械化歩兵装甲や戦闘車両、そして戦術機などを確保すれば相応の戦力を発揮できる―――筈だったのだが、そこでアレが彼らの前に姿を現したのだ。
 ―――得体の知れない見た事もない自律機械が。
 高さ1m程の生意気にも傾斜装甲を備えた台形の箱―――いや、小型装甲車両だろうか。

 そいつは底部に備えた車輪で殆ど無音のまま忍び寄り、突如として曲がり角から飛び出すと一行に襲いかかって来た。
 出会い頭にスタングレネードを発射し、こちらが混乱した隙に地を這うように突入。
 続けて機体から収納していたスタンロッドを突き出して振り回す事で、たった1機であっと言う間に10人以上の兵士を戦闘不能に追い込んだ。

 機械化歩兵装甲対策として携行していた対物ライフルによってなんとか破壊出来たものの、本来近距離で用いる武器ではない事から手間取っている内に更に被害が拡大してしまう。
 また、行動範囲が限られる屋内ではなくもし屋外での接敵であったならば、対物ライフルによる攻撃も回避されてしまったかもしれない。
 自律機械は、そう思えるほどに軽快な機動をして見せたのであった。

 何とか最初の1機を破壊した後、指揮官は対物ライフルやグレネードランチャーを装備した兵を前後に配し、索敵を密にして先行偵察を行わせる事で敵を早期に発見し、近接される前に撃破する戦術をとった。
 それにより以降は接近される前に攻撃し、撃破もしくは撃退する事で乱戦に持ち込まれずに済んだ。
 その際に先行偵察を担っていた兵士がグレネードの巻き添えで戦死するという事態も起きたが、指揮官は兵の死を賛美するのみで何ら悼む事は無かった。

 その後も、彼等は敵兵の姿を一度たりとも見る事無く、自律機械を発見しては追い払うという戦闘を幾度か繰り返した末にようやく格納庫へと辿り着いた。
 これでようやく装備を整え指導者達の救出に取り掛かれると、指揮官は神への感謝を捧げながら部下達を叱咤して格納庫への扉を開けさせた。

 誰か先に辿り着いているのではという淡い期待は叶わず、格納庫の内部は暗闇に閉ざされており窓からの月明かりが僅かに射し込むばかりであった。
 そしてその内部に黒々とした影となって佇む戦術機や車両、機械化歩兵装甲等の存在は、平時であれば不気味に見えたかも知れなかったが、今の彼らにはこの上もなく頼もしく感じられた。
 待ち伏せを警戒し扉の両脇から格納庫の内部を注意深く観察した後、数人の兵士達が中へと踏み込んで安全を速やかに確認した上で照明を点けた。

 更に徹底的に行われた格納庫内の索敵終了を待って、兵士らは格納庫へと雪崩れ込んだ。
 指揮官は声高に命令を発し、兵士達は兵装を起ち上げる者と格納庫入口にバリケードを構築する者に分かれて行動を開始した。

 ―――その直後、指揮官は微かな音を聞いて視線を上げた。
 その先―――格納庫側壁の高い位置に在る窓のガラスに丸い穴が空き、そこから筒状の物体が差し込まれる様子を目の当たりにして、指揮官は絶望に駆られながらも声を張り上げる。

「総員、対爆姿勢を―――」

 しかしその命令が発せられる暇も無く、格納庫内は閃光と騒音―――そして催眠ガスで満たされる事となった。



「………………実戦ともなればもう少し手こずると思ったのだが……こうまで圧倒出来るものだとはな……
 いや、これも戦術立案ユニットと特殊偵察ユニットとやらの威力というべきか……」

 網膜投影によって映し出される『足軽』からの映像や戦域マップを見ながら、ウォーケンは呻く様にそう言葉を漏らした。
 作戦開始直後に投入されたという特殊偵察ユニットは、専用の特殊機材を搭載している以外は『足軽』とほぼ同じ機体だとの説明は受けたものの、詳細はA-01で武に続き指揮序列2位と3位のみちるとウォーケンでさえ知らされていない。
 今回の作戦でも、このユニットの運用だけは武が4カ所の拠点に2機ずつ派遣された8機全てを担当している。

 この特殊偵察ユニットは『前の確率分岐世界群』で実用化された『乱波』を基にして横浜基地技術部の設備を用いて武自身が試作したものであり、現存する全8機をこの作戦に投入している。
 この機体にはG元素が使用されており、熱光学迷彩と非接触接続、そして思考波通信やリーディング機能まで搭載された秘匿装備であった。
 『乱波』にテレ・リーディング・ユニットの機能を追加した様な装備であると言えよう。

 そして、それらの特殊偵察ユニットを経由した戦術立案ユニット―――つまり武は、『キリスト教恭順派』拠点の警備システムに侵入して制御下に置き、収集した情報を戦域マップに表示して戦術を立案するだけではなく拠点内の通信妨害まで実施したのである。
 これにより、作戦開始当初から『キリスト教恭順派』の警備態勢から要員の配置状況に至るまで、丸裸と言ってよい程に把握し切った状況の下、作戦は至極順調に推移していった。

 警備兵の殆どは『足軽』の接近にすら気付けず警報も発せないまま制圧され、外堀がほぼ完全に埋められるまで『キリスト教恭順派』側で襲撃に気付けたものは存在しなかった。
 唯一組織的な抵抗に成功したのは、この時点では夜間演習を行おうとしていた部隊を中核とした集団だけという為体(ていたらく)である。

「そうね、遠隔操作の自律装備だけで作戦を遂行するって聞いた時には、無茶な事をと思ったけれど。
 でもこうして実際にやってみると、情報戦の段階で圧倒的優位に立てる見込みがあったからだってわかりますね。
 今の所、唯一組織的抵抗に成功したこの部隊だって、味方を巻き込む様な砲撃なんてしてこなければもっと簡単に制圧出来たものね。
 まったく、これだから狂信者ってのは…………」

 格納庫の外壁に存在する窓の外側両脇に、屋根に固定した登攀用ワイヤーによる懸架状態で張り付いている『足軽』からの映像を見ながら、ウォーケンと同じ『朧月』に搭乗しているイルマはそう愚痴を零した。
 格納庫の窓ガラスに穴を開け、そこから自動擲弾銃でスタングレネードや催眠ガス放出式擲弾筒を打ちこんだ後、その『足軽』は窓ガラスを完全に撤去した上で格納庫内部へと侵入し懸架降下していく。
 合計6機の『足軽』によって格納庫内に戦闘可能な敵兵力が存在しない事を確認すると、イルマは戦域マップの格納庫に制圧マーカーを表示させ、鎮圧された『キリスト教恭順派』兵士らを拘束する様に『足軽』へと指示を下した。

 イルマの言葉に頷きながらも、拘束されているテロリスト達の半数近くが同国人である所為か浮かぬ顔でエレンが心情を語る。

「そうですね。現時点までで『キリスト教恭順派』の信者と協力者で死亡したのは、ほんの数名だけですからね。
 向こうの巻き添え攻撃の他は、スタンガンの電圧に耐えきれなかったケースだけ…………
 要員の半数近くがカナダ人ですから、極力殺傷を控えて貰えたのは正直嬉しいです。
 こんな手加減が出来るのも、こちらの人員を戦闘に投入しないで、自律装備を矢面に立てていればこそですね。」

 この時点で各拠点の制圧はほぼ完了しており、残すは『キリスト教恭順派』の指導者達の起居する中枢区画のみとなっていた。
 如何に武が警備システムを制御下に置いたとはいえ中枢区画には潤沢な警備要員が配置されていた為、襲撃を察知され激しい抵抗に遭ってしまう。
 その抵抗によって紡ぎ出された貴重な時間を費やし、『キリスト教恭順派』の指導者達は大慌てで身の回りの貴重品を掻き集めると、護衛を揃えるなり抜け道を使って各拠点からの脱出を図った。

 そして、まんまと拠点の敷地外に設けられた脱出口から姿を現すと、月明かりに照らされて遠くに望む事の出来る拠点を忌々しげに振り返り、何やら小声で毒吐いてから踵を返して足早にその場を離れていく。
 ―――が、彼等の逃亡は長くは続かず、脱出口を幾らも離れない内に付近に潜んでいた『足軽』によってあっさりと制圧されてしまう事となった。
 事前の作戦立案段階より、拠点からの抜け道と脱出口は全て確認されていた為、元々指導者達は脱出に成功して油断した所を包囲し捕縛する予定となっていたのである。

 その後、極少数の最後まで抵抗を続けていた残存兵に対して、山ほどの荷物を抱えて逃亡を図る指導者達が捕えられる映像と共に降伏勧告が成されると、程無く全ての抵抗は終息する事となった。

 斯くしてこの作戦によって、『キリスト教恭順派』は指導的役割を果たしていた人員を一夜にしてごっそりと失う事となったのである。

  ● ● ● ○ ○ ○

2004年08月29日(日)

 22時07分、横浜基地B8フロアのまりもの部屋で、和やかに歓談するまりもと武の姿があった。

「―――でも白銀君、演習映像の頒布だなんて本当に問題にならないの?」

 この月の初めに実施された『207訓練小隊機動連携演習』に絡めて、今季の訓練兵達の話をしていたまりもがふと眉を顰めて問いを放った。
 それに対して、武は笑みを浮かべてまりもの心配を払拭しようとする。

「大丈夫ですよ、まりもちゃん。
 さっき見て貰った通り訓練兵の特定に繋がる事の無いように画像と音声には修正を加えてありますからね。
 それに新衛士訓練課程を去年全面導入した帝国陸軍や、導入を検討したり試験導入している他国の衛士訓練校にとっては良い参考資料になると思いますしね。
 来年度以降は、世界各国から207に入隊して来る訓練兵も出て来るでしょうし、宣伝代わりに多少騒ぎになる位で丁度いいんですよ。」

「本当に?―――そう、白銀くんがそう言うなら信じておく事にするわ。
 じゃあ、今季の訓練兵達の話はこれくらいにして、機密に触れない範囲で良いからA-01所属衛士が置かれている状況を聞かせてくれる?」

 未だに不安が解消されたとは言い難い表情ではあったものの、まりもはそう言って話題を転換した。
 『桜花作戦』以前とは異なり、A-01の機密レベルは相当緩やかなものとなっている。
 それでも運用する装備や戦術、そして秘匿性の高い任務の内容など、機密指定される事項も少なくない。

 にも拘らず、まりもがA-01の情報を求めるのは、未だに207訓練小隊がA-01の補充衛士を練成する役割を担っている為であった。
 殊にオルタネイティヴ6への移行後は任務の多様性が増し、更には207訓練小隊の生え抜きではない衛士達が各国から派遣されてきている。
 まりもは訓練校の教官職の傍ら、新生A-01発足後は特殊任務の一環としてA-01新規入隊衛士の教導も担当していた。

 そういった経緯から、まりもとしてはA-01を取り巻く環境の変化を肌身に感じており、207訓練小隊の訓練課程をA-01の実情に沿ったものへと極力近づけたいと考えていたのだ。
 それを知っている為、たけるも機密に触れない範囲で事細かにA-01の活動内容や所属衛士に望む能力や適性に付いて語っていった。

「―――ふうん。一応、去年の新生A-01立ち上げで配属されてきた衛士達も隊に馴染んではいるみたいね。
 去年の秋に実施された『甲09号作戦』の時は、基地待機を命じられてデータリンク越しに観戦するしかなかった所為で相当苛立ってたみたいだけど、今はもう前からいる子達と共同で任務に従事してるのね。」

 新生A-01結成から1月も経たずに実施された『甲09号作戦』では、新任組と転属組の衛士達は未だ慣熟訓練中という理由から基地待機が下命されていた。
 そして、ハイヴ攻略作戦に於いては基本的にA-01は全力出撃となる為、基地待機を命じられた衛士等への教導はまりもに一任される事となったのである。

 まりもはデータリンク経由で送られてくる『甲09号作戦』に於けるA-01の作戦行動に関して、対BETA戦術構想の根底にある理念や、各種装備の特徴、個々の作戦行動が如何なる判断に基づいているか等を事細かに解説した。
 当初はハイヴ攻略作戦に参加できなかった事で、個々人の差はあれど不満気な様子であった居残り組も直ぐにまりもの解説を真剣に聞き始める事となった。

 転属組の衛士達は配属後の慣熟訓練や事前の情報収集で、それなりに対BETA戦術構想に関する理解を深めていたつもりであった。
 しかし、実際にハイヴ攻略作戦での作戦行動全体を俯瞰しながらまりもの解説を聞く事で、多くの者が自らの理解の浅さに気付く事が出来た。
 そして他方、新衛士訓練課程で対BETA戦術構想に関してはみっちりと叩き込まれていた新任組も、自分達に不足している実戦経験を少しでも補おうと貪欲に情報を取り込んでいた。

 その後、年が変わるのに合わせた様にA-01は編制を改め、新旧の衛士が混在して隊を構成する様になり共に訓練を行い実戦任務にも派遣される様になったのである。

「大陸各地の対BETA防衛線では戦闘支援と現地の衛士への教導、それから復興状況の把握と改善策の立案及び実施。
 今年の春に実施された『甲19号作戦』は実戦経験を積ませる為に全力出撃にしてたけど、次の『甲17号作戦』からは2個大隊程度の派遣に抑える予定だったわよね?
 後は、6月に実施された『キリスト教恭順派』軍事訓練拠点制圧作戦ね。
 あとは、今後対BETA防衛線が押し上げられるのに合わせて後方地域での民間社会再生が始まれば、そこの治安維持にまで手を広げる予定だったわよね?
 もはや衛士の職掌を遥かに超えてるわよ? これ。」

 まりもは今年に入ってからのA-01がこなした任務を列挙した上で、近い将来発生するであろう新たな任務内容にまで触れて呆れた様な声を上げた。
 武はそんなまりもに苦笑しつつも、宥める様に口を開く。

「いや、確かにオルタネイティヴ6としては民間社会の再生や復興地域の治安維持とかも任務の内になりますけど、別に何もかもA-01の衛士にやらせたりはしませんって。
 まあ、そろそろ衛士や整備士以外の要員も増員していく予定ですし、外部協力者を活用するのも復興地域での雇用促進になりますから積極的に行っていきたいと思ってます。
 後は国連の他部局とも連携していかないと―――」

 武はそろそろ増員をと言ったが、この時点でオルタネイティヴ6は諜報要員に関してならば外部協力者も含めれば相当数を確保している。
 しかし今後は、任務内容の増大以上に復興に伴う対象範囲拡大が予想される為、それに対応する為の工夫が必要であった。
 これに関して武は、現地雇用と窓口機関の開設、そして諜報要員を活用した情報収集を主体とし、後は情勢を見て適宜対応するつもりであった。

「そうね、言われてみれば確かに何でもかんでも衛士にやらせる事ないわよね。
 なんだか、白銀君見てる所為でA-01の衛士は何でもこなせなきゃ不味い様な気になっちゃってたわ。
 大丈夫? 夕呼に良い様に使われちゃって、あれもこれもと押し付けられてない?」

 まりもは武の顔を覗き込むようにして、武を案じる。
 その視線から目を逸らすようにそっぽを向いた武は、頭を掻きながら応じた。

「いや、まあ……オレとしても、夕呼先生の手伝いになるなら出来る限りの事はしたいと思ってますからね。
 でも、無理はしてないですから大丈夫です。」

 まりもは夕呼がオルタネイティヴ4の統括責任者になって以来、独りで莫大な種類と量の案件をこなしてきた事を薄々察していた。
 そして、夕呼が最低限の実務を極限られた者達に代行させながらも、主導権は決して手放さず殆ど全ての決断を自身で下してきた事も。
 しかし、それも武がこの横浜基地に姿を現してから大分様相が変わってきた。

 夕呼の態度にゆとりが感じられるようになり、武に判断を委ねる案件も増えて来ているように思える。
 まりもにとってその変化は、夕呼の親友としては歓迎すべき物であったが半面武にかかる負担の増大が案じられてならないのであった。
 まりもから見て、武は有能であり広範な分野でそつなく物事をこなせる人物であったが、夕呼に匹敵する様な天才肌の人物であるとは思えなかった。

 それ故に、只でさえ責任感が強くなんでもかんでも自分自身で抱え込んでしまおうとする傾向が見受けられる武が、何時か無理を重ねてつぶれてしまうのではないかとまりもにはそう案じられて仕方がないのである。

「そうは言ってもねえ……軍事、技術、諜報、それに政治にまで手を出してるんでしょ?
 本当に無理したら駄目よ?
 もしかして、こないだの『キリスト教恭順派』壊滅作戦の事後処理にも関わってるんじゃないの?」

 まりもの指摘は的を得ており、武は捕縛された『キリスト教恭順派』指導者および幹部達の尋問と、その後の『キリスト教恭順派』残党に対する処遇に深くかかわっていた。
 いや、実を言えばこの件に関しては夕呼は知恵を貸す程度にしか関与しておらず、武の主導で進められている案件であった。

 夕呼は元より、人類全体の安寧などという誇大妄想的な願いは一欠片の持ち合わせすらなかった。
 夕呼としては、自身の目標と身の回りの安寧に害を及ぼしさえしなければ、他所で人間同士が戦争しようが殺し合おうが関わる気など端からないのである。
 国際情勢を安定させ復興を推進するのも、全てはBETAを太陽系から叩き出すという目的の為に役立つからであり、テロリストなど放っておいて目障りになったら徹底的に殲滅すればいい程度にしか考えていなかった。

 ところが、武は武装闘争へと身を投じる様な人間が生まれ難い国際情勢を醸成したいと主張し、曲がりなりにも成功するかもしれない方針を提示してきたのだ。
 その方針は迂遠なものであり呆れるほど手間のかかるものだと夕呼には感じられたが、上手くいきさえすれば夕呼にとっても利のある話ではあった。
 それ故に、その方針に沿って武が活動する事を許し、幾らかの知恵を貸し修正を施した上で武に丸投げしてしまったのである。

 つまり、『キリスト教恭順派』壊滅作戦どころかオルタネイティヴ6の任務に対テロ作戦を含めようという構想からして、武の主張に沿った方針だった。
 武にしてみたところで、テロリストを初めとする武装闘争勢力を根絶やしに出来るとは考えてはいない。
 それでも、その勢力をごく小規模なものに抑え込みその活動に共感し身を投じる者が出難くする事は可能だと思っていた。

 武にとって『キリスト教恭順派』は飽くまでも最初のターゲットに過ぎず、ある意味ではモデルケースであった。
 『キリスト教恭順派』残党の反応を参考として、今後BETAとの戦いが優勢になるに従って噴き出してくるであろう人間同士の武装闘争を、如何に抑止するかこそが武にとっての主題なのだ。

 そういった展望の下、自身の暗殺計画を誘発させるべく行動し始めた2002年から、武はBETAや様々な勢力の謀略と戦う合間に可能な限りの手を『キリスト教恭順派』に対して打ってきた。
 そして『キリスト教恭順派』壊滅作戦実施に向けた総仕上げとして、1カ月以上前から潜入工作用の疑似生体R・ダニール・オリヴォーを用いて『キリスト教恭順派』上層部に対する工作を行っていたのである。

 その工作とはプロジェクションによる催眠暗示を用いたものであり、『キリスト教恭順派』の指導的立場に在る人物が下位に位置する人々の耳目を気にしなくなるように仕向けるといったものであった。
 これにより、『キリスト教恭順派』上層部に属する者達の多くが、部下や信者達の存在に配慮しない言動をとる様になった。
 その結果、部下を軽んじる者や理想よりも自身の欲望を優先する者は、それを自身よりも上位の者以外には隠さなくなり、『キリスト教恭順派』の組織内では上位の者に対する不信の念が日々醸成されていったのである。

 その効果は先の『キリスト教恭順派』壊滅作戦にも影響を及ぼしており、総じて戦闘要員の士気が低く警備要員の勤労意欲も低下していた。
 作戦の最終段階まで中枢区画で抵抗を続けていた兵士らが、幹部達の捕縛を知るなり疑いもせずにあっさりと抵抗を止めて投降したのも、『キリスト教恭順派』上層部の求心力低下を裏付けている。
 しかし、武が上層部への不信を根付かせた目的は、これから先の『キリスト教恭順派』残党の反応への影響こそが主眼であった。

 『キリスト教恭順派』の装備弾薬を拠点ごと奪い上層部の大半を捕縛した武は、その後の尋問に際してもプロジェクションによる催眠暗示を用いて、彼等の表向きの綺麗事だけではない本音を証言させその一部始終を動画として記録。
 更に武は、それ以外にも様々な物証や証言を集めると、世界中のマスコミを通してそれらの情報を流布させた。
 そして、それらの情報に接した『キリスト教恭順派』の残党達がどの様に反応するかを、諜報要員まで動員して綿密に調査したのである。

 捕縛された『キリスト教恭順派』の指導者達は、一部の狂信的な者を除いて各々の利己的な在り様を赤裸々に曝す事となった。
 また、狂信的な者に対しては敬虔な宗教家を招いて宗教論争を戦わせ、その一部始終もマスコミに配信して如何に独善的で非寛容な人物であるかを暴き立てもした。

 これらの報道はこのところ世界中で取り沙汰されており、武はその結果が予想通りに展開するか注視している最中であった。
 しかし、武はそんな事は然程も匂わせる事無くまりもの問いをはぐらかす。

「そりゃあ、残党が復讐を企ててこないかとか気になりますから情報は集めてますけどね。
 でもまあ、今はA-01の拡充の方がよっぽど気になりますよ。
 来年になれば、更に色々と計画している事もありますしね。
 あ、勿論無理はしませんから! 本当に大丈夫ですって。
 まりもちゃんは心配し過ぎですよ。」

 まりもは笑顔でそう言う武の顔をじーっと見詰めた後、顔を上げて腕組みをするとふうと大きな溜息を吐いて肩を竦めた。

「もう……じゃ、今日の所は信用してあげるわ。
 ―――本当に、無理しちゃ駄目なんですからね?
 ……もう、本当に解かってるのかしら…………心配ばっかりかけて……」

 笑顔で何度も頷いて見せる武に、呆れ果てたと言わんばかりに視線を逸らしたまりもは、最後の方だけ口の中で小さく呟いた。
 無論その呟きも、00ユニットならではの優れた聴覚によって武は聞き取っていたのだが、胸の内でまりもの気遣いに感謝するのに留め、話題を来年度の衛士訓練課程修正案へと戻すのであった。



 因みに、暴露報道が行われた後の『キリスト教恭順派』残党の動向だが、概ね武の予想通りに推移する事となった。

 指導者や幹部達の虚飾を剥ぎ取る報道に触れた信者達は、本来であればその多くがでっち上げだと考えて信じなかったかもしれない。
 しかし、事前に武が上層部に対する不信を煽っておいた事がここで効果を表し、『キリスト教恭順派』の信者達の多くがその信仰を捨てる事となった。
 それでも、一種の洗脳状態となっていた信者達が未だに合法・非合法の活動を継続したが、その存在を調べ上げた武が精神科医を手配して洗脳を解除する処置をとらせると、それらの者達も以降は信仰に縛られる事はなかった。

 結果的に『キリスト教恭順派』は、捕縛された指導者達に成り代わって利己的な欲望や願望を達成しようとした者しか残らず、組織内での権力争いや抗争等が続発して迷走を続けた挙句、とうとう組織を維持できなくなり解体・消滅という末路を辿る事となったのである。

  ● ● ● ○ ○ ○

2004年10月09日(日)

 08時08分、横浜基地1階に位置するPXで、テーブルを囲み額を寄せる様に身を前に乗り出して楽しげに談笑する女性ばかりの一団があった。

「それでそれで? 赤ちゃん、可愛かった?」

 朝食の時間帯が終わった途端に、割烹着も脱がずに駆け寄ってきた純夏が席に着くなりそう切り出した。
 すると、問われた冥夜が腕組みをして胸を張り、頬を染めて甘露を思い出すが如き陶然とした表情で応じる。

「―――うむ。この上なく愛らしい娘御でくあられたぞ。
 御尊名は白夜様とお付けになられたそうだ。字は白い夜と書くのだと殿下が仰せになられていたが―――」

 冥夜は閉じた瞼の裏に、昨日御生誕を慶祝しに帝都城へと登城した折に初めて御目にかかった、白夜姫の愛くるしい姿を思い浮かべて蕩ける様な心地に浸っていた。
 そしてそんな冥夜の口から語られる言葉に、この場に集う女性達は一言足りとて聞き洩らすまいと揃って耳を傾けていた。
 そうして一通り語り終えた所で、ハッと正気に返って懇々と熱く語り続けた自身の行いを顧みた冥夜は、羞恥に頬の赤さを更に増しながら細目を開けて周囲の様子を窺いながら、無愛想に以上だ―――と言って口を噤んだ。

 そんな冥夜の斜め後ろに席に座らずに控えていた月詠が、愛らしいものを見たと言わんばかりの表情で暖かな視線を投げかけていたのだが、仲間達の反応に気を取られていた冥夜がそれに気付く事は無かった。
 一方、冥夜の話を聞いていた方はと言うと反応は様々であった。

 そもそも最初に問いを放った純夏はと言うとにへら~と笑みを浮かべて何やら妄想している様子であり、その隣に座っている霞は微かに首を傾げて真剣に今聞いたばかりの話を吟味しているかの如き風情である。
 この件に関しては極普通の帝国人としての感性を持つ壬姫、多恵、智恵、月恵の4人は、政威大将軍殿下の御息女の御様子を仔細に亘って聞き及ぶ事が出来た事に感動し、千鶴と彩峰は冷静を装ってこそいるもののその頬は高揚を映して仄かに染まり、唇の端が緩んでは慌てて引き結ばれるといった珍妙な動作を繰り返していた。
 そして、晴子は瞳を煌めかせながら貴重な情報を整理するのに余念がない様子であり、美琴はと言えば腕組みをしてしたり顔で語り出すのであった。

「白い夜と書いて白夜様か~。夜って言う字は冥夜さんと同じだけど、単純に文字をお取りになられただけでもなさそうだね~。
 みんなも知ってるとは思うけど、その字だと南極や北極に近い地方で夏に見られる真夜中になっても太陽の沈まない夜って意味になるんだ。
 そっちの言葉は最近は『びゃくや』って読む事が多いけど、元々は『はくや』って読みだったらしいから正に白夜姫の御名前そのものだね。
 でもって、悠陽殿下の御名前は悠然たる太陽、または陽射しって意味合いを御持ちになられているから、例え日が沈む夜になっても母上であらせられる殿下の御慈愛が常に白夜姫に注がれてるって事なんじゃないかな~。
 他にも、殿下と殿下の御名代である冥夜さんが常に姫と共にあるって意味にも取れるんだけど、これはちょっと穿ち過ぎかな~。」

 得々と語る美琴のだったが、何故か冥夜が慌てた様に言葉を発して割って入った。

「よ、鎧衣! その様に慮りたくなる気持ちも解からぬではないが、い、些か僭越とは思わぬか?」

「え!?……あっ! そ、そうだね。
 白夜姫の御名前の由来やそこに込められた想いは、他人が詮索するべき物じゃないよね。
 冥夜さん、注意してくれてありがとう。ボクの配慮が足りなかったよ。」

 冥夜の言葉に目を大きく見開いて驚愕した後、しょげる様に少し俯きがちになった美琴は素直に反省し口を噤んだ。
 そこまで強く反省を求めるつもりの無かった冥夜も、そんな美琴の態度に動揺するがかける言葉が見つからずに口籠ってしまう。
 が、そんな空気を吹き飛ばすように能天気な声が発せられる。

「あ~っ! そっかぁ~、白夜ちゃんの名前って白夜(びゃくや)の事だったんだね~。
 わたし一度も見たことないんだ~。きっと幻想的で綺麗な光景なんだろうね~!」

 純夏のそんな言葉に、当事者の美琴と冥夜も含めて全員が気を取り直し、白夜をちゃん呼ばわりした事を月詠に叱責されて首を竦める純夏に苦笑交じりの視線を投げかけるのであった。

「ま、まあ、何はともあれ、殿下の御出産が何事もなく無事御済みになられたのは喜ばしい事だわ。
 御剣の話だと、白夜姫も健やかであらせられる御様子だし、本当に良かったわよ。」
「そだね、元気が一番……」

 月詠から小言を貰っている純夏を他所に、場を取り成すように千鶴が寿ぎの言葉を述べると彩峰が透かさず言葉を挟んだが、さすがにこの話題で事を荒立てはせず素直に同意を告げる言葉であった。
 それを機に皆で頷き合いながら祝いの言葉を口々に発すると、月詠も小言を止めてにこやかな表情で誠に喜ばしい事ですと寿いだ。
 一気に和やかな雰囲気になった所で、ふと悪戯を思い付いた様な顔になって晴子が口を開く。

「いやあ、それにしても殿下は御年21歳にして一児の母とおなりあそばされた訳だけど、同い年の私達としては少しばかり焦るべきなのかな~?」

 そう言い放つと、晴子は意味あり気に全員を見廻す。
 すると、千鶴は居心地悪そうに視線を横へと逸らし、彩峰は素知らぬ顔で瞑目して黙りこむ。
 冥夜と壬姫は何を言われたのか今一つ思い当たらないようできょとんとした表情を浮かべ、美琴は何故か悲しげに自分のささやかな胸を手で押さえた。

 一方効果覿面だったのが純夏と智恵に月恵であり、3人の視線が絡み合うと何やら気を通じるものがあったらしく頷きあうと、胸の前で握り拳を作って気合を充填していた。
 霞はと言えば我関せずと涼しい顔であり、月詠はにこやかな笑みを浮かべてはいたものの些か表情が引き攣り気味であった。

「んののっ! わ、わわわ私も赤ちゃん欲しいです。あ、あああ茜ちゃんの………………」

 因みに、そんな言葉を呟きながら顔を真っ赤にして机に突っ伏してしまった多恵の事は、その場の全員が見て見ぬ振りをしたいる。

 そして気合を十二分に入れ終わったらしく、智恵と月恵が頬を染めて夢を語るが如くに言葉を発した。

「そ、そんなに~焦る様な年だとは思ってないけど~、あ、赤ちゃんが欲しいとは思うかな~。」
「だよねっ! きっと可愛いんだろうな~。手とかこう! ちっちゃくってさっ!!」
「うんうんっ! でもってタケルちゃん譲りの腕白で―――あ…………」

 ところが、純夏が調子に乗って武の名前を口に出した途端、その場の空気が一気に重くなってしまった。
 そして、がっくりと肩を落とし寂しげな表情を浮かべた壬姫が、しょんぼりと泣き事のような言葉を口に上らせる。

「はぁ~、そう言う話なら、焦るも何もないじゃないですかぁ~。
 地球奪還までは出産禁止だって、香月副司令に釘刺されちゃってますし~。」

「うむ。殿下の御出産は誠に慶賀の至りではあるが、我らが目指すべきはまずは地球奪還であろう。
 そもそも、タケルの意志が―――っ! い、いや、た、タケルはこの際どうでもいいな……」

 そして、冥夜も毅然とした声で語り出したのは良かったのだが途中でつい本音を漏らしてしまい、顔を真っ赤に染め上げるとしどろもどろになって口籠ってしまう。
 しかし、その言葉を継いで猛然と語り出す者が居た。

「どうでも良くないよっ! 冥夜の言う通り、タケルちゃんの意志が一番重大事項だよッ!!
 まったくタケルちゃんときたら、なんだってこの件に関してだけはこんなに頑固なんだろ!?
 困った様な顔してこっちの御機嫌伺う癖に、押しても引いても梃子でも動かないって、もーなにかんがえてんのよタケルちゃんッ!!」

 席を蹴って立ち上がり、机を叩いて力説する純夏を霞が心配そうな眼差しで見上げていた。
 月詠と晴子は涼しい顔で、突然の大声に顔を上げた多恵はぱちぱちと目を瞬かせて純夏を見たが、他の面々は弾かれる様に純夏を一瞥した後は気まずげに視線をテーブルに落とした。
 しかし、そんな気落ちした様子を見せる面々に、純夏は却って憤然とした口調で語りかける。

「みんな、なんでそんなにしょんぼりしてるのっ?!
 そんなんじゃ、赤ちゃんどころか、タケルちゃんに心変わりさせる事だって出来やしないよ?
 み、みんながタケルちゃんに無理強いしたがらないのは解かるけど、そんなんじゃ……
 そんな弱気なんじゃ絶対に駄目だよッ!!」

 純夏が涙を瞳に滲ませてそう言い切ると、暫しの間その場に静寂の帳(とばり)が降りた。
 しかし、口を引き結んで視線を巡らす純夏に対して、一人また一人と視線を上げて見返す者が増えていく。
 そんな様子を、多恵は首を傾げて、月詠は悲喜交々複雑な表情で、そして晴子は何処となく満足気な表情で眺めていた。

「そだね……諦めたら終わり……」
「認めたくは無いけど、彩峰の言うとおりでしょうね。
 鑑、礼を言っておくわ。目を覚まさせてくれてありがとう。」

 そして、彩峰と千鶴が決然とした光を双眸に宿して口を開き、他の面々もそれに続いていく。

「そそそ、そおですよねっ! み、ミキも諦めないで頑張りますッ!!」
「うん、ボクからもお礼を言わせてもらうよ。ありがとう純夏さん!」
「そ、そうですよね~。白銀君には~絶対に宗旨替えして貰いましょう~。」
「うんっ! いざとなったらさっ! みんなで押し倒しちゃえばいいよねッ!」
「それはいいかも。地球奪還後なら、香月副司令も面白がって許可してくれるかもね。」

 壬姫が、美琴が、智恵と月恵が、そして玩具を見つけた様な表情で晴子までもが声を上げる。
 それらの言葉に我が意を得たりと満足気に顔を輝かせる純夏だったが、それと対照的に常に無く動揺を露わにする冥夜が口を開いた。

「そ、そなた達、今少し冷静になるが良い。
 そなたらの気持ちも解からぬではないが、それではタケルがあまりにも不憫―――」
「ふ~ん、じゃあ、冥夜はタケルちゃんの気持ちを優先して、自分の想いは諦めちゃうんだ。」

 しかし、冥夜の今一つ力の籠らない言葉は、純夏によって容易に断ち切られてしまう。
 しかも、純夏の言葉は冥夜の胸の奥に突き刺さり堪え難い激情を掻き熾した。
 純夏の言葉に僅かに押し黙った後、冥夜はゆらりと席から立ち上がると真正面から純夏を睨みつけ、気迫の籠った言葉を放つ。

「―――諦めたりはせぬッ! 例え何があろうとも、断じてこの想いを諦めてなるものかッ!
 だが、私が言いたいのは、それはそれとしてタケルの―――」
「おいおい、さっきから何を騒いでるんだよ。
 それとさ、さっきPXの入口で涼宮を見かけたんだけど………………
 ―――って、もしかしてオレ、不味いとこにきちまったのか? 霞。」

 しかし、冥夜の言葉は場の空気も読まずに投げかけられた武の暢気な声で断ち切られ、その場の全員の視線が武へと向けられる。
 一方、険悪な空気を察してはいたものの敢えて素知らぬ風を装って声をかけた武はと言えば、自身に向けられた冷やかな視線に冷や汗を垂らしながら、霞に恐る恐る問いかける羽目になっていた。
 そんな武にチラリと視線を投じた霞がコクリと頷いた直後、その場で怒号が破裂した。

「「「「「「「「「 うるさいっ! この朴念仁!! 」」」」」」」」」

 この日、どうしても外せない重要な任務がなかった武は、日が沈むまで女性陣の相手を強いられる事になったという。




[3277] 第144話 天と地と、そして人と
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2011/11/01 20:15

第144話 天と地と、そして人と

2005年06月01日(水)

 22時05分、国連軍横浜基地B19フロアに位置する夕呼の執務室で、武がとある方針を提示し終えていた。

「―――白銀、あんたそれ、本気で言ってるわけ?」

 右の眉を大きく跳ね上げ相手の正気を疑っていると言わんばかりの表情を見せた夕呼は、投げやりな口調でそんな問いを武へと放った。
 対する武はと言うと、微かに苦渋を窺わせる表情ながら真剣な眼差しを返し大きく頷いて見せる。
 そんな2人のやり取りを他所に、霞は双眸をやや伏せ口を閉ざしたままで武の傍らに楚々として佇んでいた。

「本気ですよ、夕呼先生。
 『前の確率分岐世界群』では来年秋に発動される予定の『甲16号作戦』後に、統一中華戦線を構成している中華人民共和国と中華民国との間でBETAから奪還した領土の主権争いが原因で内紛が起こって、最終的には内戦にまで発展しているんです。
 そして中華人民共和国共産党政府の指導者達は将来的に内戦が勃発する事を見越して、既に自国将兵達が友軍である筈の中華民国軍に対して反感を抱く様に誘導し始めています。」

 そんな武の言葉に夕呼は思い当たる節があったのか、納得の表情を見せて言葉を返した。

「ああ、そう言えば速瀬からそんな報告が上がってたわね。
 ブラゴエスチェンスク戦線で防衛に当たっている統一中華戦線の部隊は殆どが中華人民共和国軍で、XM3搭載機が存在しない上に中華民国軍との連携も取ってない所為で苦戦してるって話だっけ?」

 それは、『前の確率分岐世界群』でも水月が現地への派遣期間中に察知してきた情報であった。
 武と霞の分析結果でも、今回の確率分岐世界に於いてもまた統一中華戦線の内情は武の保有する『前の確率分岐世界群』と大差ないとの結論が出ている為、このまま放置した場合近い将来に統一中華戦線が内戦へと突入する事は容易に予測出来た。
 それ故に武は、このまま事態を放置した場合の損失に付いて熱弁を振るわずにはいられない。

「そうです。『前の確率分岐世界群』では大陸奪還が進みBETAの脅威が年々低減していくのにつれて、人類同士や国家間での係争が増大していきました。
 そしてそういった人類同士での内紛や係争に備える為に、各国は軍備を充実させて自国の平穏を守り国威を盛り立てる事を優先して、国連から戦力を引き上げ国連軍を解体してしまったんです。
 その結果、オルタネイティヴ6の名の下に幾らかの戦力こそ残されたものの、月のBETA殲滅さえも後回しになってしまいました。」

 それは武にとって『前の確率分岐世界群』から持ち越した大きな課題の1つでもあった。
 ソ連への干渉によってESP発現体の開発を頓挫させている事で、中華人民共和国と中華民国のパワーバランスは大きく中華民国側に傾くであろうが、それでも尚内戦によって人的物的資源が大きく損なわれて国際社会に多大な影響を与える事は間違いない。
 もしそうなってしまえば月奪還作戦の実施時期も先送りされかねず、しかもその点に於いては影響を及ぼすのは統一中華の内戦に限った話ではないのだ。

 内戦や武力闘争の火種は世界中に存在している。
 地球奪還はまだしも、月や火星―――そして太陽系内に巣食うBETAの殲滅に乗り出す為には、人類社会が平穏の内に復興を遂げていく必要があると武は固く信じていた。

「はいはい。その辺りは前にあんたから聞いてるわよ。
 結局、月のBETAは残したまんま、人類そっち退けで構築した無人機部隊で太陽系内のBETAを駆逐したって話でしょ?
 あたしとしてはそれでも十分だと思うけど、あんたとしては人類が一丸となって太陽系の奪還を果たすべきだって言いたいのよね。
 今回、中華人民共和国を事実上崩壊させようってのだって手始めとして手を着けやすいからってだけで、将来的には他の国の問題にも嘴突っ込むつもりなんでしょ?
 反政府組織と各国政府の両方とも敵に回そうだなんて、あんたも物好きよね~。」

 夕呼はまるで武をからかうように軽い口調でそう言い放ったが、その内容は決して軽々しく語って良い物ではなかった。
 国連直轄の極秘計画とは言え、オルタネイティヴ6は対BETA戦術開発研究計画という名目でその存在を公開されている。
 そのオルタネイティヴ6が国連加盟国の存続を左右しかねない行動を取るともなれば、国連加盟諸国から強い非難を浴びる事となり最悪の場合オルタネイティヴ6の凍結という事態にまで進展しかねないのだ。

 とは言え、今回武が夕呼の下へと持ち込んだ方針は、オルタネイティヴ6に非協力的な国連加盟国を排除しようなどといった謀略ではない。
 飽く迄も、予てより是正を勧告してきた自国将兵に対する深刻な人権侵害―――人命軽視傾向の強い軍事行動を改めない中華人民共和国に対して、半ば強制的に将兵等の人権を保護する為の行動を取るという大義名分を武は用意している。
 いや、武の心情としてはこれ以上無駄に人死にを出したくないという思いは本心からのものである為、その思いを基に理論武装しただけとも言えた。

 同様の問題はソ連も抱えており、武としてはそちらも何れ何らかの形で是正したいと考えてはいるのだが、現状手を着けるに当たって中華民国という受け皿の存在する中華人民共和国は幾つかの点に於いて非常に都合の良い環境が整っていたのだ。
 それ故に武は、中華人民共和国への内政干渉であると十分理解した上で、それでも将来への布石として敢えて謀略を仕掛けるという方針を夕呼に提示したのであった。

「けどまあ、国連憲章の前文でも『基本的人権』や『人間の尊厳と価値』、『国際の平和及び安全の維持』とかを謳ってる訳だから、一応それに沿ってるって強弁する事は出来るかしらね~。所詮こじつけだけど。
 人類同士での争いを減らして、共通の外敵であるBETAの存在によって人類の協調体制を構築する。
 初めてあんたがそう言いだした時は戯言にしか聞こえなかったけど、白銀―――あんたならやり遂げるかもしれないわね。」

 武の方針を採用した際に予想される多種多様な影響や得失等を手早く検討し終えた夕呼は、肩を竦めて武の主張を容認する言葉を発した。
 武の気質からして、謀略を用いて一国の趨勢を左右してまで自身の意志を通そうとするとは考えていなかった為、夕呼は感慨深げな視線を自身の目の前に立つ部下へと改めて投じる。
 その視線を受けた武は、背筋を伸ばして姿勢を正すときりりと表情を引き締めて師とも仰ぐ上司に向けて言葉を返した。

「―――必ずやり遂げて見せます!
 だから夕呼先生、これからもオレの至らない所を教え導いて下さい、お願いします。」

「………………ま、まあ、教え甲斐だけはありそうだから、そこまで言うなら扱いてやるわよ。
 精々、あたしに感謝して師事するのね!」

 武の真摯な言葉に珍しく口籠った夕呼であったが、直ぐに何時もの調子を取り戻して恩着せがましい言葉を突き返した。
 口を開くまでの僅かな間も、夕呼は感情を一切露わにしていなかったが、そんな夕呼を霞が目を見開き少し驚いた様な表情で見上げていた。
 しかし、武は霞の極僅かな仕草に気を止める事も無く、夕呼の言葉に喜びを露わにして礼を述べる。

「はいっ! ありがとうございます、夕呼先生!」

「はいはい、礼なら言葉なんかじゃなくて実利で返してちょうだい。
 あ~あ~、これでまた彼方此方の国家首脳相手に根回しやらなんやらしなきゃなんないじゃないの。
 めんどくさいけど、ちゃんとやっといたげるからあんたはもう帰んなさい。
 どうせ、鎧衣万年課長とあれこれ悪巧みして情報操作するんでしょ?
 あんたはあんたの仕事をちゃっちゃと済ませんのよ。いいわね?」

 話は終わったとばかりに視線を執務机に置かれた端末へと落とすと、夕呼は右手をひらひらと振って武に退室を促す。
 素直にその意志に従った武は霞を伴って執務室から出て行ったのだが、ドアが閉まる直前に投じられた霞の興味深げな視線に果たして夕呼は気付いたであろうか。

 何れにせよ、ドアが完全に閉じた数秒後、視線を上げた夕呼の双眸には極めて珍しい事に動揺の色が微かに揺蕩っていた。

(―――なによ、白銀ったら真剣な顔しちゃって……人生経験だけならとっくにあたしなんかよりも多い癖に…………
 何時までも、年下のつもりでいられたら堪んないってのよ……)

 そう内心で毒吐きながらも、閉じたドアに重ねて武の後ろ姿を思い浮かべる夕呼の表情は、何処か優しげで柔らかなものであった。

  ● ● ● ○ ○ ○

アメリカ東部標準時:2005年09月11日(日)

 アメリカ東部標準時:08時46分、休日であるにも拘らずホワイトハウスのオーバルオフィス(大統領執務室)では朝食を終えたばかりの大統領が主席補佐官と共にとある報告を受けていた。

「―――報告は以上であります、大統領閣下。
 最後に一言だけ付け加えさせていただきますが、これは国連の一部組織による明確な意図の下に行われた内政干渉に他なりません。
 この様な行為は断じて許されてはならないと確信するものであります!」

 報告の最後に強い憤りを露わにした報告者であったが、大統領は鷹揚に頷いただけで彼に退出を促しなんら言質を与える事は無かった。
 そして、首席補佐官と2人きりになった大統領は深々と腰を下ろしていた椅子から徐に身を起すと、執務机に両肘を突き組み合わせた両手に口を寄せると、苦々しげな表情を浮かべ首を左右に大きく振って口を開いた。

「ジミー、今頃になってようやくだよ。
 我が国の諜報機関は給料泥棒ばかりなのかね?」

「そういいなさんな。
 彼等だって真面目に務めに邁進しているとも。
 今回は、相手が巧妙だっただけだよロン。」

 自身に愛称で話しかけ盛大に嘆いて見せる大統領に対し、首席補佐官も愛称を用いた親しげな言葉で宥めようと試みた。
 大統領も心底嘆いていた訳ではなかったのであろう、即座に悪戯っぽい笑みを浮かべると組んでいた両手を広げて首席補佐官の見解を受け入れて見せる。

「確かに巧妙だったのは確かだな。
 数ヶ月前に内諾を求められてからこっち、どんな手を使うのかと思って見て来たが予想以上に巧妙だった。
 最初は、オルタネイティヴ6にかけられた物資横領疑惑だったか?」

「―――そうだな。
 無論それ以外にも中華人民共和国共産党幹部達に関する良くない噂が徐々に流布され始めていたし、国連で中ソの将兵に対する扱いの是正を強く求める議案も提出されていた。
 だが、それでも最初の一手をどれかと問われたならば、確かにあの横領疑惑が最初の一手だったのだろうな。」

 大統領の問いに応えた首席補佐官が指摘したのは、武が統一中華戦線の分裂とその後の内戦を阻止しようと行った工作の内容であった。
 3ヶ月ほど前に夕呼の承認を得た武は、夕呼を通して西側諸国の大国を中心に複数の国連加盟国より中華人民共和国に対する工作の内諾を非公式に求めていた。
 夕呼の硬軟折り合わせた交渉により各国の内諾を得ると、武は膨大な情報を基に中華人民共和国の屋台骨を揺るがす謀略を開始したのである。

 武は鎧衣課長にも非公式に協力を求めた上で慎重に時間をかけ、後方国家を中心に徐々に中華人民共和国共産党政府の高官のスキャンダル―――特に豪奢な暮らしぶり等をマスコミを通じて流し、同時に中ソ両国に対する幾度目とも知れない人権問題是正の提起を国連安保理に於いて行った。
 そして、そんな問題提起の直後に広まったオルタネイティヴ6にかけられた物資横領疑惑は、飽くまでも噂に過ぎず議題として採り上げる国も存在しなかった事からも、牽制―――ネガティヴキャンペーンであろうというのが大半の見解であり受け取り方であった。
 ところが、この噂が取り沙汰された直後にオルタネイティヴ6が一旦人権問題是正の議案を取り下げた事で、噂の信憑性が高まってしまい中ソ以外の加盟諸国の大半が冷ややかな眼差しをオルタネイティヴ6へと向ける事態にまで発展していた。

 それが一転したのは、オルタネイティヴ6が国連加盟諸国から集められた物資の備蓄及び支給状況の詳細な報告書を、1月以上経ってから国連に提出した折の事であった。
 オルタネイティヴ6は、BETAとの戦い―――殊にハイヴ攻略戦に於いて莫大な物資が消費される事から、国連加盟諸国から供出された物資の管理を委ねられていた。
 その事から、ハイヴ攻略戦に備えた備蓄と各方面の対BETA防衛線に対する物資の支給、そのバランスに於いて備蓄の占める割合が不自然に多いとの噂が流布され、それこそが物資横領疑惑の契機となっていた。

 オルタネイティヴ6による報告書の提出自体は、嫌疑をかけられた組織の対応としては月並みなものであったが、その報告書の内容に看過しえない情報が含まれていたのである。
 その報告書には、備蓄された物資の用途に今後の復興支援や太陽系内探査、そして月面攻略作戦の予備訓練等が含まれているとの記載とそれらに必要となる物資の見積もりと併せて、オルタネイティヴ6によって各方面へと支給された物資の追跡調査までもが含まれていたのだ。
 そして、その追跡調査の結果少なからぬ物資が横領され横流しされた形跡があるとの調査結果が添付されており、しかも横領が疑われる行方不明物資の量が、オルタネイティヴ6にかけられた横領疑惑からこちら1月程の期間で大幅に増大している事も併せて指摘されていた。

 オルタネイティヴ6はこの報告書の提出と同時に、横領が疑われる部隊に対する査察の実施許可を強硬に求めた。
 そして安保理の許可を得るなり即座に第三国の軍部から派遣士官を募った上で査察を開始。
 次々に支給物資横領の詳細を暴き立てると、関与していた高級軍人等が横領によって得た対価を何に費やしたかに至るまで詳らかに調べ上げた。

 その上で武は、罪を犯した者達の処罰は各国の軍律に委ねるとしながらも、横領によって支給物資を十分に得る事の出来なかった将兵等は真実を知る権利があるとして、全ての調査結果を前線で戦う将兵等に公開してしまった。
 この一連の査察によって多数の横領グループが摘発されたが、ソ連軍と中華人民解放軍に於いては支給物資が目減りせずに前線将兵にまで届いた例など極希にしか存在しないという程に横領行為が蔓延していた。
 しかも、中ソの場合は殊に高級軍人や政治将校が関与している案件が大半を占め、それらの殆どが贅沢な暮しを維持したり党の上位者に取り入ったりする為に、横領で得た対価を費やしていたのである。

 無論、高級軍人や政治将校だけが横領に関わっていた訳ではないが、部隊の上層部を中心にその余禄に与る士官が多く存在していた事から、前線で勤務する兵士らを中心として甚だしく士気の低下を招いてしてしまった。
 この事態を収拾する為に、武は支給物資の流通を正常化させる事で前線勤務の兵士らを慰撫するという措置を取った。
 そして今後は物資の流通に対する監視を厳密に行うと確約する事で前線に広がった厭戦気分を終息させる事に成功したのだが、横領に関わり贅沢に溺れていた上層部やそれを黙認し場合によっては加担していた党に対する忠誠心は一向に回復する気配を見せなかった。

「どうせ、オルタネイティヴ6に対する横領疑惑も自作自演だな。
 あれで、大元が横領している位ならば自分達がちょろまかしても追及される事は無いだろうと、高を括った馬鹿共が喜び勇んで横領に手を染めたに違いない。
 それこそがオルタネイティヴ6の狙いだっただろうに、全く愚かな連中だ。」

 大統領がそう言って大仰に肩を竦めて見せると、苦笑を浮かべながらも首席補佐官が言葉を継いだ。

「そんなところで間違いなかろうよ。
 そしてそれを口実に査察を強行したオルタネイティヴ6は、人民解放軍の上層部が特権階級であるという実態を衆目の下に曝け出す事に成功したという訳だ。
 これを契機に、オルタネイティヴ6は共産党政府を追い込み弱体化させるのだろう。」

 首席補佐官がそう推測を述べると、大統領は得たりとばかりに大きな頷きを返し満面の笑みを浮かべて滔々と語り出す。

「そのとおりさジミー。
 そして我々西側諸国は、近い将来に中華人民共和国の国威低迷を理由として、国連における中華民国の合法的権利を回復し国連常任理事国へと返り咲かせるって筋書きなのさ。
 だからこそ、私も他国の首脳達もドクター香月の求めに応じてこの謀略を黙認したんだ。
 これで十中八九間違いなく、ソ連以外の常任理事国は全て自由民主主義を掲げる国家になるって寸法だ。」

「それは反共産主義を謳い上げている君にとっては、正に薔薇色の未来像だなロン。
 しかし、今後は対岸の火事とばかりは言えなくなってしまうかもしれないぞ?
 何しろ我等が御膝元である南米諸国には、人権問題が山ほど燻っているのだからな。」

 満悦至極といった体(てい)の大統領であったが、首席補佐官は一つ肩を竦めると苦言を呈した。
 その言葉に、大統領も笑みを消し眉を顰めて些か悩ましげに応じる。

「そう、そこが問題ではある訳だが…………まあ、人権問題に関しては自由の盟主たるべき我が国はオルタネイティヴ6の方針を容認しない訳には行かないだろう。
 オルタネイティヴ6が、南米の方にまで手を伸ばして来るにはまだ時間がかかる筈だ。
 それまでに上手い手を考えておかなくてはならないだろうな、ジミー。」

「そうだな。それが我々に与えられた当面の課題の1つとなるだろう。」

 一転真剣な表情を浮かべた大統領と首席補佐官は、南米に於ける米国の抱え込んだ諸問題に付いて検討を開始する。
 今回の所はオルタネイティヴ6の行動が米国の利益と重なったが、将来に亘ってそうあり続けるという保証は無いのである。
 起こり得る様々な事態を予測して、最適な対応策を見出すべく大統領は腹心である首席補佐官と共に検討を重ねるのであった。



 そしてこの横領騒ぎを契機として、中華人民共和国共産党や人民解放軍の幹部らに関するスキャンダルが連日各国のマスコミによって流布され始めた。
 この所、中華人民共和国の高官達に関する情報が時折思い出したように報道されていたのだが、横領事件に絡んで中ソに注目が集まった途端その頻度と情報量が堰を切ったように一気に増加したのだ。

 これらの報道に接した中華民国の民衆や後方国家に移住した中華人民共和国の国籍を持つ人々―――華僑達は、中華人民共和国共産党に対する反感を募らせていく。
 そこに加えて、中華人民共和国の民衆や下級兵士らが如何に虐げられた暮らしぶりであるかまでもが報道される様になると、中華人民共和国の経済を支えていた華僑による送金額が目に見えて減少し始め、更には中華民国に於ける反共産党を謳う世論が高まりを見せ、中華人民共和国に対する支援金や資金融資への反対が叫ばれる様になった。

 それと同時に、中華人民共和国の虐げられた同胞達への救済を求める世論もまた中華民国に於いて高まりを見せ、それに後押しされる様にして幾つかの決定が中華民国の国会で成されるに至る。
 1つには、対BETA防衛線の最前線に対する中華民国軍陽動支援機運用戦術機甲部隊の増派であり、また1つには、これまで共産党政府に対する配慮によって自粛してきた中華人民共和国からの亡命受け入れの解禁であった。
 他にも、中華人民共和国に対する支援削減等もあり、当然の如く共産党政府の猛反発を招く事となった。

 これに対して、中華民国は共産党幹部らと水面下での交渉を行い、極秘裏に経済援助を行う事で彼らの生活水準を保証すると確約し、これを受けた共産党政府は抗議を緩め中華民国の方針転換に渋々ながらも理解を示す事となる。
 無論その一方で、共産党政府は政治的プロパガンダを展開し党に対する求心力を回復しようとする試みも行われた。
 しかし、派遣された中華民国軍の部隊と中華人民解放軍との共同作戦がオルタネイティヴ6の主導の下で常態化し、将兵等の交流が促進されると共産党による情報統制は早々に破綻をきたし、プロパガンダは然したる効果を発揮できずに終わってしまう。

 その後は前線将兵や中華人民共和国の民衆からの亡命希望も後を絶たなくなり、中華人民共和国の勢力は日を追うごとに縮小の一途を辿っていくのであった。
 これを契機とした中華人民共和国の衰退は歯止めがかからず、数年後には中華民国が中国の唯一合法的な代表であり国連安全保障理事会の常任理事国であると、国連決議で承認される事となる。

  ● ● ● ○ ○ ○

2005年11月24日(木)

 17時52分、横浜基地1階のPXでは夕食を終えたA-01所属衛士達が幾つかのグループに分かれて談笑していた。

「あ、そう言えばさ、例の太陽系偵察艦隊が出航するのって今日だったよな?」

「え? ああ、太陽系宙域監視網を構築しながら太陽系の全宙域を巡って索敵を実施するって話の艦隊ですよね?
 それでしたら、確か今日の日本時間22時00分出航予定だった筈ですよ、龍浪中尉。」

 そんなグループの1つでは、小柄な男性衛士である龍浪響中尉が発した問い掛けに対して、部下であり任官以来僚機を務めてきた千堂柚香少尉が気真面目に応えを返していた。
 話題に上がっているのは太陽系偵察航宙艦隊の出航に関してであり、この艦隊の情報は存在自体からして機密に指定されているのだが、オルタネイティヴ6直属部隊であるA-01の衛士達には武から概略の説明が行われていた。
 本来であれば軽々しく話題にする事も出来ない情報なのだが、事実上A-01の占有に近いこのPXは最高レベルの防諜態勢が敷かれている事もあり、他の部隊が使用する事もあるブリーフィングルームなどよりは余程安心して言葉を交わせる場となっている。

 それ故にA-01所属衛士達はこのPXで寛ぎ談笑する事が多いのだが、つい先ごろオルタネイティヴ6の任務が拡大された事に伴い2個連隊規模に増員された事もあって、全員が横浜基地に駐留している場合には大分手狭に感じるようになってしまった。
 とは言え、世界各地へと衛士等を派遣している現状では横浜基地に在留しているのは約3分の1程度に過ぎない為、さし当たって今日の所は過密というには程遠い。

「それだよそれ! いやあ、宇宙艦隊だぜ、宇宙艦隊!
 どうせ再突入型駆逐艦を惑星間航宙用に改装した程度の代物だろうけど、それでもやっぱ宇宙艦隊って言われると男のロマンって感じだよなー!
 地球の近傍を離れて太陽系の外縁宙域まで文字通り宇宙の海を航海するってんだから、宇宙総軍の低軌道艦隊なんかとはものが違うぜ!」

 柚香の返事に右手の拳を握りしめ、熱の籠った口調で熱弁する響。
 そんな響に呆れた顔をしながらも、柚香は律儀に訂正を入れる。

「龍浪中尉、宇宙艦隊じゃなくて航宙艦隊ですってば!
 どんな艦(ふね)かさえ明かされていないって言うのに、よくそこまで盛り上がれますね。
 大体、ロマンとか言われたって解かりませんって―――」

 柚香の言葉にあるように、太陽系偵察航宙艦隊の作戦概要と出航スケジュールこそ知らされているものの、所属艦艇の詳細などは機密とされA-01の衛士といえども知らされてはいない。
 これは、太陽系偵察航宙艦隊がオルタネイティヴ5で建造されていた、『マクロ・スペース』級恒星間移民船によって編制されていた為である。
 オルタネイティヴ5は機密を解かれないまま凍結された為、『マクロ・スペース』級恒星間移民船の存在は秘匿されており数年後に『ギガロード』級航宙母艦への改装が完了した時点で新造艦として公開される予定となっている。

 『マクロ・スペース』級恒星間移民船で編制され出航する太陽系偵察航宙艦隊ではあるが、火星軌道監視網『ミド』の構築を終えた後、アステロイドベルト(小惑星帯)に生産施設を構築。
 その上で改『ギガロード』級航宙母艦『バトル・ロード』を建造して順次就役させ、太陽系宙域監視網『エシッド』の構築と、その保全を担って太陽系内を巡回し、BETAの動静を把握し続ける予定であった。
 こちらに関しては機密どころか現時点では武と夕呼以外に知る者は皆無であり、アステロイドベルト(小惑星帯)の生産施設は表向き消耗品を生産し艦隊に補充する為のごく小規模なものであるとされている。

 それ故に、この話題の何処にそこまで盛り上がる要因があるのかと不思議そうに柚香が首を傾げるのも無理は無いのだが、傍らから響に同意する感慨に満ち満ちた声が上がる。

「ロマン……いいよね、ロマン……」

「ええっ?! わ、解かるんですか?! 彩峰大尉。」
「おっ! さすが中隊長っ!! この熱い想いを解かってくれるか!?」

 柚香の驚愕に彩られた視線と響の共感者を得た喜びの込められた視線の先では、彩峰が親指を立てた右手の拳を突き出しフフンと自慢げな笑みを浮かべて言い放つ。

「もち……私は解かる女……」
「何が解かる女よ。どうせ、適当に話を合わせてるだけでしょ?」

 そこへまるでお約束と言わんばかりに千鶴が肩を竦めて貶し始める。
 そんな千鶴を睨みつけた彩峰だったが、即座に馬鹿にしたような笑みを浮かべると口撃し返した。

「榊は頭が固い……石頭?」
「誰が石頭よっ!―――まあ、お馬鹿な彩峰はほっとくとして、その航宙艦隊の話だけど一体何時の間に建造したのかしら。
 自律艦隊にしたのは搭載物資を極限まで絞り込む為なんだろうけど、どう考えても火星まで辿り着くのが精一杯としか思えないのよね。
 なのに、そこから更に太陽系外縁宙域にまで進出するなんて出来るのかしら?」

 彩峰の言葉に反射的に柳眉を逆立てて叫び返したものの、千鶴は息を整え落ち着きを取り戻すと響と柚香の方に向き直り彩峰を無視する様に語り始めた。
 が、そんな千鶴を彩峰が放置する訳がない。

「榊の頭じゃ考えるだけ無駄……」
「うーるーさーいっ!! はぁ~、とは言うものの白銀のすることだものね。
 こっちの予想を上回るのは何時もの事か……
 あ、鑑は何か聞いてない?」

 またもや入れられた彩峰の茶々に怒鳴り返しながらも話題を死守した千鶴だったが、話題の根源が武である事に思い至ると推測を放棄して傍らで話を聞いていた純夏に声をかけた。

「え? あはははは……わたしは難しい話は聞いてもあまりよくわかんないから…………
 あ、珠瀬さんにブルーメルさん、今来た所? ちょっと遅いけど、これから食事?」

 突然話を振られた所為か少し慌てた様子を見せた純夏は、視線を左右に泳がせるとちょうど近付いてきた壬姫とステラ・ブレーメル少尉に視線を止めて、話題を無理やり変えようとでもするかの如くに呼びかけた。

「あ、鑑さん。うん、狙撃特性の高い衛士を集めて演習やってたんだけど、ちょっとデブリーフィングが盛り上がっちゃったんだ~。」

「うわ~、大変だねお疲れ様~。あ、それじゃあわたしがご飯取って来るから、2人共座って待っててよ。
 何がいい?」

 そう言って壬姫とステラから食事の希望を聞き取ると、純夏はそのまま逃げる様にして厨房の方へと足早に立ち去ってしまった。
 そんな純夏とその後ろ姿を見送る千鶴、彩峰、響、柚香の4人を見比べて、壬姫は少し困った様な顔をして首を傾げる。

「あれえ? わたし悪い事しちゃったのかな~。―――あ、みんなは何の話をしてたの?」

 そんな壬姫の問い掛けに、元から席に着いて談笑していた面々が直前の話題に付いて説明し、壬姫とステラも席に着いてそれらの言葉に耳を傾けた。
 そもそも、千鶴が1人で夕食を食べ始めた所へ彩峰が自身の中隊に所属する響と柚香を連れてやってきて、断りも無く同じテーブルに着いた上で食事と談笑を始めた事で、千鶴が済し崩し的に会話に引き摺り込まれていたという経緯があった。
 先程席を立った純夏も、今日は武と霞が夕食を基地で摂らない予定である為、厨房の仕事が一段落した所で千鶴と彩峰がいるのを見かけて会話に加わっていただけに過ぎない。

 それ故に、壬姫とステラもあっさりと受け入れられ、一通りの説明を聞き終えた壬姫が感嘆を洩らす。

「ふ~ん、太陽系偵察航宙艦隊の話か~。
 月どころか地球奪還もまだなのに、たけるさんてばもう太陽系の事まで考えてるんだもん、凄いですよね~。」

 この時点で攻略済みのハイヴは横浜ハイヴも含めて11であり、総計26を数える内の過半数にも達していない。
 年に2つずつという現在のペースでいったとしても、地球奪還まで後7年以上かかる計算となる。

「でも少し先走ってる様にも見えるわ。外からは特にね。」

 一方、無表情ながらも聞き様によっては辛口のコメントをステラが告げる。
 しかし、ステラの発言が武への批判ではなく外部から向けられる認識に対する警句である事を、この場に居る面々は即座に理解した。
 その為ステラに反駁する様な発言は無く、響が武に対して抱く印象を半ば呆れの色を含んだ口調で語り始める。

「あ~、確かにそれはあるかもなあ。
 俺も実際にここに来るまでは、あんなに型破りな人だとは思ってなかったぜ。
 なんていうか、調子が狂わされるって言うか……」

 が、その言葉を耳に留めたのか響の背後から何処か意外そうな、それでいて興味深げな声が投げかけられる。

「あら、龍浪中尉でもそんな風に感じるのね。
 私は常々龍浪中尉には白銀大佐と似通った所があると思ってるんだけど……
 軍人らしからぬ甘さって言うか、理想を念頭に置いた柔軟な発想と臨機応変な振舞いとかね。
 まあ、今はまだ片鱗だけかもしれないけど。」

「俺が? そんなわけ……な……い……」
「じ、神宮司教官ッ?! お、お疲れ様ですっっっ!!」

 背後からの声に揃って振り向いた響と柚香は、そこにまりもの姿を見出す。
 響は呆然として言葉を失い、柚香は慌てて頭を下げる。

 オルタネイティヴ6移行時の転属組は、多かれ少なかれ武の補佐や代行を務めたまりもから教導を受けている。
 接地機動での近接格闘戦闘ではA-01でもトップクラスの月詠に迫る腕前を見せ、武の変態染みた機動にもピッタリと追従して見せる。
 さらには自律装備群の運用や、個々の衛士の特性把握等、多彩且つ優れた才能を垣間見せたまりもに対するA-01内での評価は高い。

 それ故に、軍曹という正規階級の低さにも拘らず、まりもは隊内の衛士達から敬意を以って遇されていた。

「そんなに固くならなくていいわよ? 千堂少尉。
 あ、それとも私の方が正規階級の軍曹らしく振舞わないと駄目かしら?」

 それと知った上で、まりもがからかい半分に柚香へと問いかけると、柚香は大慌てで両手を顔の前で振り否定の言葉を発した。

「と、ととと、とんでもありまっせん!」

「神宮司教官に敬語を使わせたがる人間なんて、A-01には1人も居やしないわよね。
 ……でも、神宮司教官も私達が任官したての頃からすると、大分言動が柔らかくなられたかしら。」
「そだね……多分、白銀の所為……」

 そんな柚香の様子を眺めながら、千鶴がポツリと呟いた言葉に彩峰が頷く。
 そして、それを聞き留めた壬姫が少し困った様な表情で応じた。

「あはは。まあ、うちの流儀って事もあるとおもうけどね~。
 神宮司教官も香月副司令には敵わないだろうし~。」

 そんな会話を聞いてか聞かないでか、自分のペースを崩さずにステラが淡々と発言する。

「神宮司教官の技量は尊敬に値するわ。」

「あら、ありがとう、ブレーメル少尉。
 言動に関しては、任官したての子達への影響を考えると、もっと折り目を正して見せたいとは思っているのよ?
 だけど、白銀大佐、伊隅大佐を初めとした古参だけじゃなく、オルタネイティヴ6移行後に配属になったウォーケン中佐やウィンストン少佐達まで私を教導官として立てて下さるものだからどうしても、ね……」

 衛士訓練校の教練で上官に対する態度を厳しく叩き込み、任官の際には軍曹として尉官となった教え子達に一転下士官として上官を立てる言動を示す事で、士官となった事で背負う義務と責任を実感させるのが教官としてのまりもの流儀だ。
 にも拘らず、軍曹として送り出したばかりの教え子達に教導官である臨時大尉としての姿を見せる事に、まりもとしては躊躇いがある。
 しかし、武を初めとした古参達の嘆願や、自身を高く評価してくれる外部から転属してきた衛士等の気持ちを汲んで、まりもは夕呼が定めたA-01の流儀をある程度受け入れる事にしたのであった。

「まあ、神宮司教官に敬語を使われる身には私もなりたくはありませんから、今後もそうして砕けた態度でいていただけると正直助かります。」
「だね……」

 まりもの諦念と苦笑を混ぜた言葉に、千鶴と彩峰は今更ながら安堵の胸を撫で下ろす。

「あはは。榊さんと彩峰さんは、神宮司教官の戦時階級を超えちゃいましたもんね~。」

 そんな2人をからかうように壬姫がそう告げるのは、まりもの戦時階級である臨時大尉が2人の階級である大尉と自身の階級である中尉の間に位置するからであった。
 しかし、壬姫は即座に2人から思わぬ反撃を受ける羽目になる。

「何他人事みたいに笑ってるのよ珠瀬。
 貴女だって来年には大尉になって中隊を率いる立場になってるわよ? きっと。」
「そうそう……」

「え? わ、わわわ、わたしが大尉ですかぁ~?」

 現在の中尉の階級ですら、オルタネイティヴ6への移行に際して『イスミ・ヴァルキリーズ』の皆と同時に繰り上げられたものであった為、時に自分には過ぎた階級なのではないかとさえ思う事のある壬姫である。
 その度に武から教えられた事を思い出しては、自分が今までにやってきた事を信じて卑下しないように壬姫は心掛けていたが、それでも今回の様に心構えの間に合わない時にはつい弱気が顔を覗かせてしまう。
 それ故に動揺を露わにしてしまったのだが、そこにステラの冷静極まりない発言が割って入った。

「『イスミ・ヴァルキリーズ』の皆さんはA-01の中核ですから当然ね。」

「そうだな。任務もBETA相手だけじゃなくなってあれこれと拡大されてるし、月攻略も視野に入れて旅団規模まで増員するって話だもんな。
 下が増えれば古参から昇進させてくのは当たり前だし。」

 ステラの淡々と事実のみを告げる様な言葉を補足する様に、響が言葉を続けた。
 A-01の任務はハイヴ攻略、対BETA防衛線の堅持、治安維持を含むユーラシア大陸奪還地域復興計画の立案実施、武装解除と非武装闘争組織化推進を主とした対テロ活動、更に来年になれば深刻な人権侵害の抑止までもがそれらに加わるという。
 如何に少数の衛士で多数の自律装備群を運用するとは言え、これほどまでに広範な任務をこなすとなれば現在の増強2個連隊244名の規模であっても十分とは到底言い難かった。

 ここへ更に、月面攻略を前提とした低重力環境下での戦闘機動や新型装備への慣熟訓練まで加わる様になれば、旅団定数まで衛士を充足しても尚人員不足が懸念される。
 それ故に、昨今A-01所属衛士の増員が急がれており、それに合わせて指揮官も逐次繰り上げ人事が進められていたのであった。
 かくして壬姫以外には当たり前としか言えない話題だったのだが、ふと以前からの疑問を思い出したらしい柚香がそれをそのまま口にしてしまう。

「そうですよね。って、そう言えば水代葵大尉と桧山大尉はどうして指揮官になられないんでしょう―――ひゃんっ! 痛いです中尉~~!!」

 発言の途中で後頭部を響に叩かれた柚香は、両目をギュッと瞑って悲鳴を上げた。
 しかし叩いた響は柚香の苦情には耳も貸さず、叱責した上で柚香に代わって謝罪する。

「馬鹿! 失礼な事聞いてんじゃねえっつーの。
 済みません、今のこいつの質問は聞かなかった事にしてやって下さい。」

 確かに後から配属になった者にとっては、『イスミ・ヴァルキリーズ』の一員に名を連ね大尉の階級にある葵と葉子が小隊すら率いていないのは不自然に感じられるであろう。
 そこになんらかの深い事情があると考え、腫れ物扱いして不用意に触れないようにしようとするのも無理は無かった。
 それが解かるだけに柚香の発言を責める者は無く、即座に彩峰がその旨を端的に発言した。

「気にすんな……」
「ちょっと彩峰、そんなんで解かる訳ないでしょ!?
 あのね、龍浪、千堂、あのお2人はご自分の意志で指揮官職を辞退なさってるだけで深い理由とかないの。
 だから、そんなに気にしなくても平気だからね。」

 ―――が、余りに端的過ぎた為に即座に千鶴の突っ込みと解説が入ったが、そんな千鶴を薄目で睨む彩峰は不満気であった。

「榊、細かい……」
「貴女の言葉が足らな過ぎるのよッ!!」

 悪びれないばかりか自分を非難して来る彩峰に、とうとう千鶴が切れて怒鳴りつける。
 それを何処か懐かしそうに、しかし同時に情けなさ気に見ていたまりもが、呆れた様な声で千鶴と彩峰を諌める。

「まったく、榊大尉も彩峰大尉も落ち着いてちょうだい。
 ほんと、相変わらずねえ2人共。部下の前では少しは控えた方が良いと思うわよ?
 ―――それとも、訓練兵時代の様に怒鳴られたいか?」

 その際、ちょっとした悪ふざけのつもりで、まりもは腹の底から響く様な声で威嚇してみた。

「い、いえッ! 結構ですッ!!」「―――ッ!!」

 すると、まりもの予想を遥かに上回る効果が、椅子から飛び上がって姿勢を正し最敬礼する2人の大尉という、中々見られない光景となって出現した。

「や、やあねえ2人共、冗談よ、冗談だからそんな直立不動で敬礼なんかしてないで、は、早く座って、座ってちょうだい~~~。」

 その光景に唖然とするPX内に居合わせた人々の気配に、まりもは慌てて2人を宥めようとするのだが残念ながら効果は薄いと言わざるを得なかった。
 そして、間近にその様子を目の当たりにした響と柚香は、目を丸くして凝視したまま顔を近くに寄せて囁きを交わす。

「おい、見たか柚香。榊、彩峰両大尉がたった一睨みで震えあがったぞ?!」
「は、はいっ! 確かに見ました。さすが神宮司教官……鬼教官だという噂はかねがね耳にしていましたが、これ程とは……」

「なるほど、これが外面如菩薩内心如夜叉 (げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)ってやつなのね。」

 そしてステラが大きく一つ頷いて、伝説上の生物を目の当たりにしたかのような重々しい発言をすると、それを耳にしたまりもが半泣きになって懸命に否定する。

「ブレーメル少尉?! それって少し意味が違うからっ! ち、違うの、これは違うのよ~ッ!」

「え~と~、なんか騒がしいと思ったら、神宮司先生何時の間にきてたんですか?
 夕食まだでしたら持ってきますよ?」

 そこへ、ちょうど壬姫とステラの食事が乗ったトレーを持った純夏が戻って来ると、自身の弁解に耳を貸してくれない面々から純夏へと、まりもは縋る様な眼差しを移す。

「鑑さん! あなたは、あなたは信じてくれるわよね?」

「あはははは……鑑さんなら、教官の教練受けてないですもんね~。
 神宮司教官、タイミング良く純夏さんがきてよかったですね~。」

 必死になり過ぎて完全に説明不足に陥っているまりもの発言を聞いて、壬姫が悪気の無い笑い声と共に言葉を発する。
 純夏はそんな壬姫とその隣に座るのステラの前に夕食を置くと、周囲を見回して再び困惑も露わに問いかける。

「え~~~と、だから、何の話?」

 そんな混迷を極める状況をなんとかしようと、響がなんとか純夏の問いに対する応えを捻り出す。

「いや、その……あーあれだ! 月攻略はおろか地球奪還さえまだなのに、もう太陽系内の偵察に手を着けるなんて白銀大佐の先見の明は凄いなって、そんな話……だった筈だ!
 そ、そうだよな? 柚香!」

「へ? え~と……あ、はいそうですね。
 少し違いますけど確かにそういう話の流れでした。」

 そして、柚香も響の説明を追認した事で話題は太陽系偵察航宙艦隊の話へと回帰し、その後暫しの時を費やして混乱は何とか収拾されるのであった。
 この働きによって、まりもの響に対する評価が高まったが否かは定かではない。

  ● ● ● ○ ○ ○

 23時21分、B19フロアのシリンダールームに武と純夏、そして霞の姿があった。

「―――ねえ、タケルちゃん、ちゃんと聞いてる?」

 そう問いかける純夏はシリンダールームに備えられた事務机に付属している椅子へと腰かけ、机に腕組みをしたまま両肘を突く様にしている。
 そしてその視線は机越しにメンテナンスベッドに横たわり浄化措置を受けている武へと向けられており、その隣に並べられたもう1つの椅子には霞が腰かけて純夏と仲良く顔を並べていた。
 その霞もまた武へとつぶらな瞳で視線を投じており、純夏と共に縫い上げたという不気味な面相でピンク色をした兎のヌイグルミ―――『うささん2号』を、両手でしっかりとその胸元に抱きしめている。

「―――ん? なんだよ。ちゃんと聞いてるって。
 夕食の後に委員長や彩峰達と話してたってんだろ。それで?」

 そう応える武の声がシリンダールームに響くが、メンテナンスベッドの中でODLに浸かっている武が話せる訳がなく、その口は全く動いてはいない。
 首を左に傾げて視線こそ純夏と霞の方へと向いてはいるが、その声はメンテナンスベッドに付属しているスピーカーから発せられていた。
 武の下半身を隠すようにシーツがかけられたメンテナンスベッドのアラーム発信用のスピーカーと、近くに置いた携帯用通信機のマイクを非接触接続で操って武は純夏や霞と言葉を交わしていたのだった。

 この日、霞を伴い『凄乃皇・四型』でラグランジュ点へと赴いた武は、太陽系偵察航宙艦隊として出航する予定の『マクロ・スペース』級恒星間移民船2番艦から5番艦までの4隻に対する、最終点検と調整を行っていた。
 そして出航を見送って横浜基地へと帰還したその足で、このシリンダールームへとやってきて浄化措置を開始していたのである。

 その後、恐らくは霞から知らされたのだろうが、武の帰還を寝ずに待っていた純夏が霞と共にやって来て、この日にあった事を中心に取り留めの無い会話を霞も交えて武と交わし始めたのだった。
 実を言えば、純夏は武が浄化措置を受けている時間を狙って、ちょくちょくこのシリンダールームにやって来てはこうして取り留めの無い言葉を交わしていく。

 純夏にとっては、『元の確率分岐世界群』でよく夜に窓越しで言葉を交わしていたのの代わりなのだろうと武は思っている。
 正直に言えば、武にとってそれは『元の確率分岐世界群』での純夏の事を思い出してしまう為、些か辛い行為ではあったのだが武は黙ってそれを受け入れていた。

 さすがに20歳(はたち)を幾つか過ぎた今ではケンカ腰の言葉のぶつけ合いは激減しているのだが、今日の純夏は少し元気がなく気落ちした様子だった為、武にはそれが気にかかって仕方がなかった。

「うん。それでね、タケルちゃんと霞ちゃんが様子見に行ってた宇宙艦隊の話になったの。
 龍浪さんがすっごく興奮しちゃって、それに彩峰さんが悪乗りしたり、榊さんが突っ込み入れたり―――まあ、その辺は何時もの調子でね。
 でもって、後から来た珠瀬さんやブレーメルさん、神宮司先生とかも一緒になって話したんだけど、地球奪還も済まない内に月どころか太陽系全体まで視野に入れてるのは凄いってみんなして言うんだ。」

「―――まあ、そんなとこだろうな。
 けど、偵察の結果が出るまでには時間がかかるからな。
 早目にやっとくに越した事ないだろ?」

 太陽系偵察航宙艦隊は、『前の確率分岐世界群』では月奪還作戦の実施を事実上断念した後の2020年12月30日になってから出航している。
 それを今回の確率分岐世界で武は、15年も前倒しして送り出そうとしていた。
 さすがに手をかけられる時間が短過ぎた為、『前の確率分岐世界群』では改『ギガロード』級航宙母艦『バトル・ロード』8隻であったところが、オルタネイティヴ5が建造していた『マクロ・スペース』級恒星間移民船を4隻、自律航宙艦に改装しただけでほぼそのまま送りだす事になってしまった。

 それでも拙速を承知の上で武が太陽系偵察航宙艦隊を送り出すのは、なによりも火星を初めとする太陽系内のBETA情勢を地球奪還以前に人類に知らしめるためであった。
 地球を奪還しただけでは、真綿で首を絞められる様に地球以縁の太陽系内を喰い荒らされ、何れ人類が地球から宇宙へと生活圏を移す必要に迫られた時、苦難を強いられる可能性が高いという事をはっきりと認識させなければならないと、武はそう考えていた。
 そして、可能であれば夕呼や自分が実権を握っている間に、宇宙航行能力を有する戦闘用BETA種のデータを入手してその脅威を知らしめるところまで持って行きたかった。

 その為にも、地球の物的人的資源に依存せずに装備を生産できるアステロイドベルト(小惑星帯)生産施設を、一刻も早く建設したかったのだ。
 それさえ実現できれば、武が『前の確率分岐世界群』から持ち越した知識を基に改『ギガロード』級航宙母艦『バトル・ロード』や戦略航宙機動要塞を建造する事も可能だ。
 それ以外にも宙間戦闘装備群が整った後は、太陽系の各惑星や衛星から打ち上げられる資源輸送用射出体を鹵獲してG元素を備蓄するつもりである為、その点からも太陽系偵察航宙艦隊の出航は出来る限り早期である事が望ましかった。

 何れ、人類がBETAの脅威を正しく認識し一丸となって立ち向かえる環境が整ったならば、それらの物資と装備を供給してBETAに対する反攻に役立てて貰おうと武は考えていたのだ。

「早目に……かあ……
 それって、月だけじゃなくて火星も、その先の……木星とか土星とか、太陽系全体を取り戻すのまでタケルちゃんが自分でやるつもりだってことなのかな?」

「すみ……か……?」「純夏さん……」

 武は純夏の唐突とも思える問いに絶句し、霞は心配そうな表情を浮かべて純夏を見上げた。
 純夏は、机に乗せていた右手をだらりと下へと落とし、俯せる様にして上体を倒すと残った左手の上に顎を落とす。
 そうして、眉を寄せて目を細めた拗ねている様な悲しんでいる様な表情を浮かべると、しかし淡々と言葉を連ねて行く。

「みんなが言ってたけど、地球奪還だって予定じゃ10年近く後なんでしょ?
 月を取り戻すのだって、2年や3年はかかるよね?
 じゃあ、火星は? 木星は?
 どんどん地球から離れてっちゃうんだから、もっともっと……何年もかかっちゃうんじゃないの?
 タケルちゃん、今は恋愛どころじゃない、それよりももっと大事な、やらなくちゃいけない事―――ううん、やりたい事があるって言ってたよね?
 それってさ……それって…………何時になったら終わるのッ!?」

 それまでだらりと脱力したままで話していた純夏だったが、突然立ち上がると両手を机へと叩きつけて大声を上げた。
 霞は反射的に頭を抱えて目を瞑った後、恐る恐る純夏へと視線を戻す。
 その視線の先で、息を荒げた純夏がメンテナンスベッドの中で苦悩を露わにしている武を睨みつけていた。

「タケルちゃん! わたし、もう22歳だよ?
 地球奪還が10年後なら32歳、太陽系からBETAを追い出すまでなんていったら、それまで生きてられるかだって怪しいよ!
 わたしやみんなを、タケルちゃんは一体何時まで待たせるつもりなのさッ?!」

「―――純夏……」

 辛うじて純夏の名前を呼んだ武だったが、しかしそれに続ける言葉の持ち合わせは無かった。
 そして、その代わりとでも言うかの如く、純夏の口は閉ざされる事無く更なる言葉を武へと浴びせる。

「…………地球奪還までならいいよ……
 それまでなら、夕呼先生に釘刺されてるからどうせみんなも結婚できないからね…………けど……
 だけどね、タケルちゃんッ! 地球を取り戻したら、ちゃんとわたしやみんなが納得する様な返事を聞かせて貰うからね!
 いいかげんな……いいかげんな事言って誤魔化そうとしたら……絶対に許さないんだからッ!!!」

 渾身の力と哀しみを込めた叫びを武へと叩きつけた純夏は、目の端に滲んだ涙を袖で拭うなりそのままシリンダールームから脱兎の如く駆け出していく。
 未だに浄化措置も終わらず純夏にかける言葉も思い付けない武は、霞へと視線を投じ縋る様に願いを告げた。

「悪い、霞。純夏を慰めてやってくれないか?
 きっと、傍に居てやってくれるだけでも違うと思うんだ。」

 呆然と純夏が出て行ったドアを見詰めていた霞だったが、武の声を聞くと頭を抱えた際に床に落としてしまった『うささん2号』を拾い上げた。
 そしてギュッと両手で抱き締め直すと、武へと向き直ってしっかりと大きく頷いて見せる。

「解かりました……純夏さんの事は、任せて下さい……」

 そして、一礼すると純夏の後を追って霞もシリンダールームから退出していった。

 人気が絶えたシリンダールームで、ODLの青白い光に覆われた武は独り答えの出ない―――否、とうの昔に答えを出してしまっている問題に悩み続けるのだった。




[3277] 第145話 南米狂騒曲
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2012/01/18 01:30

第145話 南米狂騒曲

大西洋標準時:2007年11月15日(木)

 大西洋標準時:04時27分、未だ曙光の届かぬ未明の空に、全長全幅共に40mを超える大型戦略爆撃機とその護衛戦闘機、さらには早期警戒管制機(AWACS)を初めとする電子戦機等で構成された、多数の航空機による編隊が整然と銀翼を連ねていた。
 そしてその編隊が目指す先の遥か下方、冥暗に沈むチリ西方沖の海上では、空母―――正規戦術機母艦を初めとする艨艟達が幾隻も舳先を連ねて一路戦場目指して波を蹴立てている。
 それらは、世界に冠たるアメリカ合衆国の誇る陸海空軍と海兵隊からなる部隊であり、5万人を超える将兵が動員されていた。

「我が合衆国の忠勇なる兵士諸君。
 私は異国にて内戦に巻き込まれた同胞を救う為、戦火の中へとその身を投じようとしている諸君に対し、心からの感謝と激励を捧げるものである。」

 そして今正に、作戦開始を目前に控えた将兵等の下へと大統領が直々に送る激励の言葉が齎されていた。

「我が合衆国の友邦たるチリ政府に対し武装蜂起した反政府勢力は、現在首都サンティアゴ・デ・チレ及びバルパライソとその周辺地域を支配下に収め、不法にも罪なき民衆をその膝下に組み敷いている。
 そしてそれらの民衆の中には、我が合衆国の国民も少なからず含まれているのだ。
 我等はこの様な暴挙を、断じて許してはならない!」

 南米チリで発生したクーデター。
 それは、長きに亘って続いてきた親米軍事政権による独裁に対するものであり、抑圧されてきた民衆の蜂起として捉える事も可能な出来事ではあった。

 しかし、今回のクーデターの陰にはキューバやソ連といった社会主義国家の強引とも言える後押しがあり、中華人民共和国の衰退―――事実上の崩壊に危機感を覚えた社会主義陣営が勢力拡大を狙って企てた謀略であるという側面を有していた。
 チリという国家は、1970年の大統領選挙によって社会主義政権が発足したという過去を持っている。
 しかし、BETAの地球侵攻が始まりレーザー属種の出現によって中ソ連合軍が焦土戦術による決死の防衛戦を繰り広げていた1973年の9月、キューバに続き中南米に社会主義国家が増える事を嫌った米国によって指嗾された軍事クーデターが発生し、以降30年以上に亘ってチリは軍事独裁体制下に置かれ続ける事となった。

 その後、軍事政権による反体制派に対する苛烈な弾圧が繰り広げられ多数の人命が失われた苦難の時代には、100万にも及ぶ国外亡命者が発生する事となった。
 これらの国外亡命者とその子供達が、キューバで軍事訓練を施された上で今回のクーデターの中核となり、これに国内で反政府運動を続けていた者達の一部が呼応して、首都及び周辺地域を制圧するに至ったのである。

 一方、チリに限った話ではないが、BETA大戦の戦況が好転してきた近年では軍事政権各国の政府による人権侵害が国連に於いて問題視されている事もあり、今回のクーデターを容認する国家も少なからず存在する。
 しかし、現時点に於いてはクーデター勢力が制圧している地域が首都近郊のみであり、チリ陸軍がそれ以外の地域への進攻を阻止する構えを取って防衛戦を構築している事、そして何よりも軍事政権首脳陣の身柄をクーデター勢力が未だに確保出来ていない事等から、情勢は膠着状態に陥っており未だ事態は混迷の渦の最中に在り先の見通せない状況となっている。

 その様な情勢下に於いて、ソ連とキューバは早くもクーデター勢力を新政権として認める声明を出し、キューバに至っては軍事同盟締結に基づくと称して陸海軍を派兵しようとしていた。
 一方、社会主義国の誕生を阻止したい米国は、在留米人救出という名目でキューバに先行する形で部隊を派遣してクーデターを鎮圧し、軍事政権を存続させようとしていたのである。

「―――作戦の詳細に関しては、私は敢えて触れる事はすまい。
 しかし、諸君等の派兵目的は、飽く迄もチリに在住している合衆国国民の救出であり、その安全確保であるという事を忘れずにいて欲しい。
 現在行われている緊急国連総会決議の結果如何に於いては、今作戦期間中に国連軍が介入して来る事も十分に予想される。
 所定の作戦に想定されていない事態に直面した時、諸君等が先程述べた派兵目的こそを念頭に置き、相応しき判断を下す事を切望する。
 最後に、合衆国は諸君等の活躍により必ずや同胞達が救い出されると確信すると共に、一刻も早い朗報を待ち侘びている。
 諸君等に栄光と神の加護があらん事を。」

 大統領直々の激励を受け、作戦参加将兵等の意気は旺盛となった。
 抑制された興奮が作戦開始を前にして、将兵等に中に浸透していく。
 しかしそんな雰囲気の只中にあって尚、大統領の言葉に潜む意味を汲み取る者達もいた。

「―――派兵目的は飽く迄も救出、か…………
 ですが今回作戦内容からすれば、クーデター鎮圧と軍事政権の存続が主たる目的ですよね? 隊長。」

 米国第3艦隊所属エンタープライズ級正規戦術機母艦CVN-67『ジョン・F・ケネディ』のブリーフィングルームでは、衛士強化装備を装着して出撃待機状態にある米国海兵隊(U.S.マリーン・コー)所属衛士が、小声で隣に腰かけている女性衛士にそう話しかけていた。
 話しかけたのは、第1海兵遠征軍第118戦術機隊(ブラック・ナイブス)所属ウィルバート・D・コリンズ少尉であり、その声に横目で視線を投げると共に肩を竦めたのは、彼の上官であり小隊長を務めるダリル・A・マクマナス中尉であった。

「まあ、そういうこった。けど、今回の派兵に関しては大統領閣下は反対していたって話だからねえ。
 ウィル坊が気にしてんのは、いざって時の判断に迷いが出ないかって事なんだろうが…………大統領閣下はどうやらアタシらに迷って欲しいみたいだね。」

 今回の派兵は、チリが算出する天然資源および食料等の中継貿易に際して、親米軍事政権によって有利な条件を与えられ莫大な利益を得ている米国産業界の強硬な要望を背景としていた。
 そのロビー活動は非常に迅速かつ効果的なものであり、クーデターが発生したその翌日には合衆国議会に於いてクーデターに対する非難決議が可決された程であった。
 更には大統領の所属する政党や、アメリカの最高意志決定機関の一つである国家安全保障会議のメンバーにまで働きかけ、米軍の介入によってクーデターを鎮圧し親米軍事政権を存続させるように求めたのである。

 近年の国連主導による人権問題是正を求める国際世論の高まりから、中南米の軍事政権の解体と民政移行を模索していた米国大統領であったが、産業界からの圧力と国家安全保障会議に於ける提言を受け入れる形で、不本意ながら今回の派兵実施を下命するに至った。
 しかし、この救出作戦の発令とそれが大統領の本意ではないという情報が、どこからか報道機関へと漏洩し表沙汰になってしまう。

 これにより救出作戦の奇襲効果が低減したのみならず、大統領の政治的指導力に対して懸念が取り沙汰される騒ぎとなった。
 更には米軍介入が表沙汰になった事から、国連でその是非が論じられるという事態を招く。
 そんな中、クーデター直後に発議されたにも拘らずソ連の拒否権発動により承認されなかった、オルタネイティヴ6によるクーデター鎮圧作戦実施が対抗策として再浮上した事により、急遽開催された緊急国連総会に於いて再度発議されるという運びとなっていた。

 そう言った経緯を踏まえて、面倒くさそうに頭を掻きながら告げられたダリルの言葉に、ウィルは息を飲んで眉を顰める。

「ッ!?―――しかし、それでは作戦の遂行に支障をきたしてしまうのでは……」

 下された作戦内容と、最高司令官である大統領の意志の乖離、更には通達された作戦内容を形骸化させかねない発言を、作戦開始直前のこの時になって大統領が行うというまさに異常事態とも言うべき状況であった。
 この様な状況では、作戦遂行にウィルが不安を抱くのも無理は無い。
 しかし、ダリルは深刻な表情を浮かべたウィルの顔を一瞥するなり、その悩みを一蹴してしまう。

「そこだよ。これは飽く迄もアタシの勝手な想像だけどさ、大統領閣下は所定の作戦案を遂行するよりも、表向きの派兵目的達成こそを判断基準にさせたいと考えておられるんじゃないかね。
 確かに、アタシらみたいな下っ端にとってはちぃっとばっか面倒な話さ。
 けどまあ、実際何らかの判断を下す羽目になったとしても、アタシらよりも先にローゼンバーグ大尉殿が決断してくれるだろうさ。」

 思考を停止し上官に判断を丸投げするかの如き発言をダリルはしたが、それを聞いたウィルは苦笑を浮かべて聞き流す。

「さすが元相棒(バディ)だけあって、中隊長を信頼なさってるんですね、隊長。」

 何故ならば、現在の所属中隊指揮官であるローゼンバーグ大尉は昨年昇進する迄はウィルの所属する小隊の指揮官を務めており、二機連携(エレメント)を組んでいたダリルとは強い信頼関係にあるという事を熟知していたからである。
 しかし、その事を面と向かって指摘されたダリルは照れ隠しに眉を顰めて渋面を作って見せると、ウィルに対して彼の元相棒であり現在はローゼンバーグ大尉と二機連携を組んでいる衛士の名を出して発破をかけるのであった。

「うっさいんだよ、この坊やが!
 あんたもそろそろ頭でっかちを卒業しないと、レナードに先越されちまっても知らないよ?
 指揮官候補生らしく、もうちっとしっかりしなッ!!
 どうせ大統領閣下が何をお考えであろうと、アタシらは下された任務を忠実に遂行するのが務めだ。
 海兵隊員、『第118戦術機隊は諦めない(ブラック・ナイブス・ドント・クイット)』だ! 解かってんだろうね?!」

 ダリルの照れ隠しである事を承知しながらも、ウィルは背筋を伸ばし生真面目に敬礼しつつ復唱した。

「はッ! 『常に忠誠を(センパー・ファイ)』!
 決して諦めず、必ずや任務を遂行いたしますッ!!」

 『常に忠誠を』は海兵隊の標語だが、それを口にしつつも自分達が忠誠を捧げるべき相手の実体について、ウィルは考えずにはいられなかった。
 在留米人の救出は海兵隊の主たる任務の1つである。
 しかし、今回の作戦でウィル達海兵隊戦術機隊に与えられた任務は、軍並びに政府関連施設の制圧。

 在留米人の救出を謳いながらその実クーデター鎮圧に重点を置く今回の作戦に、ウィルはそれを命じた者達への疑念を抱かずにはいられないのであった。

  ● ● ● ○ ○ ○

 大西洋標準時:05時00分、米軍による在留米人救出作戦は戦略爆撃機B-52『ストラトフォートレス』とズムウォルト級ミサイル駆逐艦からの巡航ミサイル射出によって幕を開いた。
 空と海から放たれたそれら巡航ミサイルの群れは、チリ国内のレーダーサイトを目標として設定されている。
 幾つかのレーダーサイトがクーデター勢力によって制圧されている為、戦略爆撃機B-1B『ランサー』の低空侵入に先駆けて、防空監視網の無力化を企図した先制攻撃であった。

 そしてそれらの巡航ミサイルの後を追う様にして、制空戦闘機F-907『スカイラーク』と無人航空機(UAV)MQ-32『シューター』を護衛に付けたB-1B『ランサー』が高度を下げていく。
 B-1B『ランサー』12機とその護衛戦闘機軍によって構成された編隊の任務は、クーデター部隊が制圧している軍事施設の爆撃であり、B-1B『ランサー』の搭乗員は戦域マップに表示される敵性マーカーと爆撃目標を注視しながら、巡航ミサイルの戦果が確定するのを待ち受けていた。
 その戦果次第で自分達が曝される迎撃の激しさが左右される為、彼等の態度もおのずと真剣なものにならざるを得ない。

 とは言え、『ランサー』の搭乗員等は自軍の圧倒的優位を信じ安心しきっていた。
 世界最強を誇る米軍の派遣部隊を相手に、クーデター部隊はおろかチリの正規軍でさえ然したる抵抗など出来はしない、彼等にとってそれは常識以外の何物でもなかったのである。
 しかし、未だ巡航ミサイルがチリ西岸に到達すらしていないにも拘らず、激変した戦域マップの表示に彼等は揃って驚愕の叫びを上げる事となった。

「なに?! なんだってんだ! 友軍マーカーが突然戦域の彼方此方に表示されたぞ!!」
「不味いぞ、巡航ミサイルの攻撃目標になってるレーダーサイト周辺にも表示されてる!」
「それだけじゃない、俺達の攻撃目標周辺もだ! これじゃあ爆撃に巻き込んじまう!!」
「敵の欺瞞じゃないのか? あんな部隊は作戦案では存在していなかったぞ!」

 突如として、戦域マップのクーデター勢力制圧地域内に出現した友軍マーカー。
 つい先ほどまで敵性マーカーしか表示されていなかったにも拘わらず、友軍マーカーは刻々とその数を増やしていき作戦区域内へと凄まじい勢いで展開していく。
 その様子を作戦司令部に指示を仰ぐ事すら忘れ、食い入る様に注視していた彼等を更なる驚愕が襲う。

 突然鳴り響く警戒音(アラート)と共に視界に投影される警告、それは―――『レーザー照射警報』。
 航空機搭乗者にとっては死の宣告にも等しいその警告に、全員が凍りついた様に動きを止めたその直後―――遥か東方上空から放たれた眩い光芒が彼等の編隊に先行していた巡航ミサイルへと襲いかかった。
 複数の光芒が闇夜を薙ぎ払い、その射線の先にあった海面に巨大な瀑布が続け様に上がる。

 未だ陽の差さない時間であった為にそれを肉眼で認めた者こそ少なかったが、赤外線解析映像でその光景を見たならば、海水が瞬時に気化して水蒸気爆発を起こし周囲の海水を吹き飛ばしている事に気付けたであろう。
 この現象は、今正に放たれているレーザー照射が高高度から撃ち下ろされたものである事を示していた。

 レーザー属種の脅威は、その存在する高度に比例して高まる。
 何故ならば、その長大な射程を誇る照射を妨げる水平線迄の見通し距離は、照射源と被照射対象の高度が高い程長くなるからだ。

「―――ク、巡航ミサイル全機消失…………」
「た、退避機動を取れ! 高度を下げて地平線の陰に―――」

 そして、今回のレーザー照射源の高度は8,000m。
 航空機が如何に高度を下げようと、400km程度までならば十分照射可能圏内である。
 それ故に、米空軍部隊の必死の回避機動は完全に無駄な足掻きであったのだが、幸いにして彼等に向けてレーザーが照射される事はなかった。

 回避機動に追われている空軍パイロット達には考える余地すらなかった事だが、高度8,000mからのレーザー照射という事実が如何に脅威的かを正確に把握しつつ、現実から逃避する事も許されず対応策の立案に追われざるを得ない者達も存在している。
 米国海軍派遣艦隊司令部の幕僚達である。

 派遣艦隊は、正規戦術機母艦を初めとする戦術機母艦群、戦術機以外の陸戦部隊を搭載している揚陸艦群、更には小型航空機母艦とミサイル駆逐艦等を含む護衛艦群によって構成されている。
 この他にも、海兵隊の強襲歩行攻撃機A-12『アヴェンジャー』を艦首に搭載した潜航ユニット―――コネチカット級支援原子力潜水艦8隻で構成される、戦術機甲戦隊が海中を先行して港湾都市バルパライソの沿岸部を目指していた。

 幸いにして先のレーザー照射で広範囲に発生した水蒸気爆発の影響を、艦隊も戦術機甲戦隊も全く被らずに済んでいた。
 しかし、上空からのレーザー照射があるともなれば、揚陸はおろかA-12『アヴェンジャー』による強襲上陸でさえも易々と撃退される可能性が高い。
 そして、BETAが存在する筈もないこの南米での作戦計画に、BETAレーザー属種への対策が盛り込まれていよう筈なかった。

 レーザー照射に対抗しようにも、海軍の艦艇にも空軍機にも、そして積載している戦術機やその他陸戦兵器群にさえ、レーザー照射を妨げるALMを装備しているものは1つたりとて存在していない。
 そして照射源を迎撃しようにも、先程のレーザー照射から推定された照射出力を基にすると、その最大射程は重光線級BETAに比してやや劣る900km前後と推定される。
 そして、射程が長く現在位置から成し得る攻撃手段となるとその殆どが低速な巡航ミサイルである為、派遣部隊が保有している全てを同時に投入した所で、レーザー照射による迎撃を突破できる可能性は非常に少ない。

 要するに、レーザー照射に対する対抗策は皆無に等しいのである。
 正直手も足も出ない状況なのだが、そもそも高高度を飛行するレーザー属種など前代未聞な上、巡航ミサイルのみが撃墜されている事からも照射源がBETAであるとは考え難い。
 ならば照射源の正体と目的とは何なのか……そこに考えが至った作戦総司令官を兼ねる米海軍提督の目に、友軍属性からレーザー照射という敵性行動によって未確認(Unknown)属性へと変化したマーカーが写る。

「―――そうか、やつらか……
 やつら―――第六計画は、とうとうあんなものまで手に入れたのか!」

 米海軍提督が唇を歪めてそう吐き捨てたのに応えるが如く、広域データリンクを経由した通信が届けられる。

「―――こちらは国連軍第六計画直属部隊、A-01旅団指揮官白銀武大佐です。
 我が隊は緊急国連総会の決議により、チリで発生している武装クーデター鎮圧作戦に従事しております。
 先程は誠に申し訳なかったのですが、展開中の我が部隊に被害をもたらしかねない貴軍の巡航ミサイルを察知した為、レーザー照射を以って迎撃させていただきました。」

 通信画像に映し出された若過ぎる大佐を、派遣艦隊司令部の幕僚たちは憎々しげに睨みつける。
 それらの視線を歯牙にもかけず、画面上の武は感情を完全に排した表情で慇懃無礼とも取れる言葉を発している。

「遅ればせながら、これ以上の齟齬をきたさぬ為にもお互いの作戦を摺り合わせ調整する事を提案いたします。
 尚、貴軍が攻撃目標としておられたであろうレーダーサイトは当方で無力化いたしますが、非武装の民間人に死傷者が発生しかねない攻撃は極力控えていただけるよう強く要請いたします。
 この要請を受け入れていただけない場合、当方は実力を以って貴軍の攻撃を抑止する覚悟である事を申し添えておきます。」

 提案と要請と言ってはいるものの、それは圧倒的優位に立脚した恫喝にも等しいものであった。
 米海軍提督は、武の提案を基本的に受け入れると述べた上で、実際に協議を行うには準備が必要だとして時間的猶予を要求する。
 武はそれを承諾し、艦隊のチリ沿岸部への接近は認めたものの、航空機の接近とミサイルや砲撃等の戦闘行為、そして陸戦兵器の上陸については控える様に要請し、米海軍提督も差し当たってはこれを了承した。

 感情を抑えた表情の陰で、しかし米海軍提督は心中密かに毒吐く。

(若造めが調子に乗りおって! だがな、こちらにもまだ奥の手が残っているぞ。
 いい気になって、後で吠え面をかかんようにな……)

 米海軍提督は幕僚達に、空軍への帰投命令と陸軍並びに海兵隊の司令部に対する状況説明と調整を命じ、自身は本国に事態を説明するべく秘匿回線を開くようオペレーターに指示を下すのであった。



 一方、通信を終えた武は高度8,000mに浮かべた『凄乃皇・四型』のコックピットで大きく息を吐き出していた。
 高出力レーザー照射という、人類の軍人にとってはトラウマにも等しい攻撃を行う事で、最大限の威圧効果を与えていると確信していた武ではあったが、BETAと違い人間相手の場合は必ずしも計算通りの結果とはならない。
 米国派遣部隊の司令官が交渉を拒否して作戦を強行していた場合、武は苦しい判断を迫られていたであろう。

 ミサイルによる攻撃であれば、先程の様に海上で迎撃してしまえば人命に関わるような事態にはそうそうなりはしない。
 しかし、航空機や戦術機、或いは艦艇などの有人兵器による進攻が強行された場合、それらに対する迎撃は搭乗する将兵等の身命を危うくせざるを得ない。
 如何に事前の警告を無視したからと言ってはみても、命令を忠実に遂行しているだけの米国将兵等を死傷させるのは、武にとってやはり躊躇われる事なのであった。

 その様な事態を極力回避する為に、武は心理的効果の高い高出力レーザー照射という迎撃方法を採用した。
 単に巡航ミサイルを海上で迎撃するだけであれば、電磁投射砲や電磁加速砲による気化弾頭弾による砲撃でも十分可能であった。

 本来であれば海上を低空で飛行する巡航ミサイルを補足するのには困難が付きまとうのだが、今回武はチリ上空高度20kmに複数の成層圏飛行船を偵察用プラットフォームとして配置している。
 そして武は、それらの各プラットフォームが同時に観測したデータを統合分析し、高い分解能を達成する干渉合成開口レーダーとする事で、広範囲に亘る緻密な偵察を常時実施出来る態勢を整えていた。
 この態勢であれば、ほぼ万全と言える監視網を戦域全体に敷く事が出来る為、巡航ミサイルの補足も容易であった。

 何はともあれ、差し当たって米軍との交渉が一応成功裏に終わった事で安堵の溜息を盛大に洩らした武は、意識を展開中のA-01派遣部隊へと切り替える。
 チリの首都サンティアゴ・デ・チレと港湾都市にして国会の在所でもあるバルパライソの各重要施設、そして両都市の周辺地域やクーデター部隊が制圧しているレーダーサイト等々、それら全ての目標に対する展開が完了するまでには今少しの時間を必要としていた。

 とは言え、未だ展開が完了していないのは、主に都市周辺地域の広範な戦域に観測網と防衛線を構築する自律装備群であり、レーダーサイト制圧用の部隊は既に万全の態勢を整えている。
 緊急国連総会でオルタネイティヴ6によるチリクーデター鎮圧が承認されたのは、アメリカ東部標準時にして03時33分(大西洋標準時:04時33分)の事であった。
 夜を徹して行われた緊急国連総会は、米国派遣部隊が戦端を開く直前になってようやく承認の決議を下すに至った。

 ソ連やキューバは最後まで強硬に反対し、議決を少しでも先送りしようと精力的に活動しており、決議がここまで遅くなった要因の大半を占めていた。
 一方、独自にチリ在留米人救出を目的とした派兵を行っている米国は、終始静観の態度を崩さず決議に際しては賛成票を投じている。
 これは、米国の救出作戦開始直前のこの時点で議決が成されても、自国の作戦への影響は無いと考えた為であろうと他国には受け止められたが、実を言えば大統領から直接下された指示に沿った行動であった。

 そして、国連での承認から30分という短時間で、A-01は作戦区域への部隊展開を果たそうとしていた。
 この驚異的な展開速度は、3機の『凄乃皇』と就役したばかりの再突入型強襲揚陸艦『天磐船(あめのいわふね)』3隻があったればこその荒業である。

 再突入型強襲揚陸艦『天磐船』は、簡易GS(Gravity-gradient Sailing)機関を搭載し重力勾配航行で大気圏の離脱並びに降下を独力で達成する。
 全長408m、全幅196m、全高152m。
 簡易GS機関の重力偏差発生装置(グラヴィティ・ディフレクション・ジェネレーター)を転用する事でラザフォードシールドを展開出来るが、その強度は限定的でありシミュレーションでは重光線級6体の多重照射までしか耐える事は出来なかった。

 『凄乃皇』と異なりML機関は搭載しておらず、搭載原子炉から得たエネルギーをグレイ・イレブンに対して供給し励起状態にする事で重力偏差を発生する為、グレイ・イレブンを消費せずに運用する事が出来る。
 A-01の編制に於ける1個戦術機甲大隊が運用する有人戦術機、遠隔陽動支援機、随伴補給機とその他各種自律装備群と補給物資を格納した上で尚、20%以上の積載量が残るという大型艦である。
 月面及び火星での運用を前提としたこの艦は、恒星間移民船の航宙母艦への改装を後回しにして2003年に起工されており、1番艦から3番艦迄がつい1月前に就役したばかりの新鋭艦であった。

 武は『凄乃皇・四型』と『凄乃皇・弐型』2機、そして『天磐船』3隻に3個戦術機甲大隊の装備弾薬補給物資と人員を載せ、緊急国連総会の議決を待たずに高度350kmの地球周回軌道に上がって待機。
 そして緊急国連総会での議事進行を睨みタイミングを計りつつ、武は周回速度を落としてチリ上空高度100kmの相対位置を保つ様に軌道を遷移していった。
 無論、そのような周回速度では見かけ上の重力が発生してしまい高度を保てなくなるのだが、重力勾配航行で無理矢理バランスをとって相対位置を保ったのである。

 そして、国連で議決が下った直後、クーデター鎮圧作戦の発動を宣言した武は、途中高度20kmで偵察用プラットフォームとして成層圏飛行船を発進させた後、チリ上空8,000mまで3機の『凄乃皇』を降下させた。
 『天磐船』3隻も『凄乃皇』に追随し、熱光学迷彩を纏ったまま地表付近まで降下。
 積載している自律装備群をステルス及び熱光学迷彩装備の緊急展開用ブースターユニットで発進させ、作戦案に従って3個戦術機甲大隊の戦力を作戦区域の各所へと緊急展開させたのである。

 それは、重力勾配航行を用いて初めて可能となる軌道降下戦術であった。

「タケルぅ! 現地工作員からの情報収集と分析が終わったからそっちに送るね。
 『足軽』と『乱波』がクーデター部隊の歩兵部隊鎮圧を開始した時点で、市民の避難誘導を実施する準備もバッチリだよ!」

 そして、武の下に待ち望んだデータが美琴によって送られてくる。
 事前に潜入させていたオルタネイティヴ6諜報部の工作員が、現地協力者を確保した上で調べ上げたクーデター勢力の最新情報である。

 武はそれらの情報を即座に分析し、作戦に齟齬をきたす要因がないか確認していく。
 そして、作戦に幾つかの修正を加えた上で全員に送信し、変更点を周知徹底した。

「了解だ、美琴。敵戦術機が配備されている施設の攻略は最後になる。
 現地工作員や協力者には、最新のタイムスケジュールを伝えておいてくれ。」

 美琴との秘匿回線による通信を終えた武は、部隊内データリンクのオープン回線を開く。
 すると、それを察したA-01派遣部隊次席指揮官を務めるウォーケンが、透かさず報告を上げて来た。

「スカジ・リーダー(ウォーケン)よりスレイプニル0(武)、レーダーサイト制圧の準備完了。
 何時でもいけるぞ。」

「スレイプニル0(武)、了解。スカジ・リーダー(ウォーケン)以下レーダーサイト制圧担当者はそのまま待機。
 フルンド1(美冴)、そちらの状況はどうか?」

 武はウォーケンに応じた後、敵制圧拠点と市街地に配置されているクーデター勢力の制圧準備を担当している美冴に問いを放った。
 通信画像の中の美冴は、視線を上下左右に忙しく巡らせながらも、口頭で短く応じる。

「こちらフルンド1(美冴)、あと30(秒)欲しい。」

 武は美冴の応答に一つ頷くと、作戦予定開始時刻を定めて通達した。

「了解。―――スレイプニル0(武)より総員に告げる。
 05時10分を以って、レーダーサイト並びに戦術機が随伴していない敵地上戦力の制圧を開始する。
 スヴァーヴァ1(壬姫)以下の狙撃担当者は、敵装甲車両及び機械化歩兵を無力化しつつ、敵戦術機の動向を監視。
 各員、くれぐれも不用意に敵の発砲を誘発しないよう留意せよ。―――以上だ。」

 今回の作戦に於ける要諦は、第一に民間人の生命財産に出来る限り損害を与えない事であり、それに次ぐのがクーデター部隊の将兵及び協力者達を極力殺傷しない事であった。
 クーデター部隊は、軍事訓練を受け指揮系統を確立している1000人前後の部隊を中核として、その蜂起に呼応したチリ在住の民間人約3000人程が加わって構成されている。

 蜂起に当たって、クーデター中核部隊は兵員輸送用のトラックと機械化歩兵装甲、携行火器等を船舶によってバルパライソに持ち込んでいた。
 これは積み荷の検閲を行うべきチリ海軍で多数派を占める、軍政に反対する勢力から協力を得る事で達成している。
 それらの武装は現地協力者への供与を前提としており量としては潤沢であったが、チリ陸軍の抵抗を打ち破るには些か心許ない物に過ぎなかった。

 そこで、クーデター部隊が彼我の優劣を覆す為に投入したのが、ソ連製戦術機であるMiG-23『チボラシュカ』12機であった。
 これらの戦術機は、ソ連からキューバへの売却と言う名目で輸出されたものであったが、キューバのクーデターへの関与を表向き否定する為、公海上にてクーデター部隊に戦術機揚陸艦と搭載された補給物資ごと奪取されたという扱いになっている。

 ソ連軍の協力により、衛士としての訓練を施されたクーデター部隊の12名がこれらの戦術機を運用し、首都州並びにバルパライソ州の陸軍基地を急襲し歩兵部隊と連携して制圧。
 配備されていた車両、火砲等の装備群を奪取したのであった。

 尤も、クーデター部隊の蜂起直後にチリ大統領による避退命令が発せられており、各基地の要員が首都州並びにバルパライソ州からの離脱を試みていた事が、クーデター部隊の電撃的な基地制圧へとつながったとも言える。
 その為、戦車を初めとする車両等の大半はクーデター部隊の手を逃れて他州の陸軍部隊と合流し、クーデター部隊に対する包囲網に加わっている。

 また、クーデター軍が蜂起より10日以上経つ現時点に至るまで、チリ軍事政権首脳陣の身柄を確保できていないにも拘らず、圧倒的な兵力と装備を持つチリ陸軍による反攻を受けずに済んでいるのも、消息を絶つ前にチリ大統領から市街戦を極力避けよとの命令がチリ全軍に対して発せられていた為であった。
 現状、軍事政権首脳陣の身柄を抑えた上で政権を譲渡させ、軍事政権に反発する民衆の支持を得て軍部を掌握するというクーデター勢力の計画は既に破綻している。
 それでも、前述のチリ大統領による命令のお陰でカウンタークーデターが実施されていない事から事態は膠着状態を見せ、クーデター部隊の制圧下にある首都州とバルパライソ州でも、物流が一部滞りながらも市民生活は一応の平静が保たれていた。

 市街地では、クーデター部隊に協力こそしないまでも逆らおうとまでする者は殆どおらず、クーデター部隊が治安維持に振り分けた兵力はそれほど多くはなかった。
 それでも市街地の要所々々に配置されていた装輪式装甲車と随伴歩兵に対して、突如として砲撃が襲いかかった。

 砲撃と言っても、それは40mm自動擲弾銃によるものであり、しかも弾頭はガス放出式擲弾筒であった。
 催眠ガスと共に毒々しい警戒色の煙幕が投射された擲弾筒から噴き出し、街灯の明かりの中、装甲車を中心とした周辺を彩る。
 つい数分前に突然上空に出現した光芒やジェット機が飛びまわる様な音に、未明の屋外へと飛び出して空を見上げて不安気に言葉を交わしていた市民達は、突発した騒ぎに慌てて装甲車と怪しげな煙から逃げ出していく。

 その直後、金属を叩きつけた様な音が続け様に響いたのを最後に、辺りは静寂に包まれた。
 静かになった事で、好奇心に負けた市民数人が恐る恐る様子を見に戻ると、装甲車の周辺には武装解除され手足を拘束された兵士が幾人も転がされており、置き去りにされた装甲車は機関部に穴が空けられ武装も完全に破壊されて粗大ゴミと化していた。
 そこには既に襲撃者の姿は見当たらなかったが、市街のあちこちを駆けまわる高さ1m程の小型装甲車両―――小型自律随伴索敵機『足軽』の姿が、この日少なからぬ人々に目撃されることとなる。

  ● ● ● ○ ○ ○

 大西洋標準時:05時11分、市街地でのクーデター部隊鎮圧と同時に、レーダーサイトの制圧も開始されていた。

 チリ海軍と同様にチリ空軍でも軍政反対派が主流であった為、クーデター部隊による空軍管轄下にあるレーダーサイト制圧は事実上の無血開城であり、制圧後レーダーサイトに駐留したクーデター部隊も少数であり武装も貧弱であった。
 その為、ウォーケンはクーデター部隊の鎮圧よりもレーダーサイトの無力化を優先し、電源供給システムの破壊を命じる。

 武が『凄乃皇』3機に搭載されている電子兵装を用いて実施したスイープ・ジャミングと欺瞞波による電子妨害により、その対応に追われて浮足立ってしまったクーデター部隊は、施設内への『足軽』の侵入を易々と許してしまう。
 その結果、電源供給ユニットがメインから予備に至るまで完膚なきまでに破壊されてしまい、僅か10分少々の作戦行動によりレーダーサイトとしての全機能を喪失する事となった。
 この状況に満足したウォーケンは、それ以上レーダーサイトに立て籠るクーデター部隊への強襲は行わず、包囲監視すると共に適宜威嚇行動を行う事で駐留部隊を遊兵化させるに留める。

「レーダーサイトの方はこれで良いだろう。
 しかし、どうも最近自分が本当に衛士なのか疑問に感じてしまう事が多いな。」

 状況の推移に満足しつつ、ウォーケンは何処か戸惑いを隠せない表情でつい心情を吐露してしまった。
 それに即座に応じたのは長らくウォーケンの副官を務めて来たイルマであり、1つ大きく頷いて同意を示した後、肩を竦めて両手を肩幅に広げて見せる。

「戦術機での戦闘機会が減ってますからね。
 でもまあ、対人類戦では戦術機の火力では殺傷力が大きすぎますから、しょうがないですけど。」

「あはは。白銀に付き合ってると無茶苦茶な事ばっかやらされますけど、そういうもんだって諦めちゃった方が楽ですよ?」

 そんなウォーケンとイルマのやり取りに、茜が乾ききった笑い声を発し人差し指でこめかみを引っ掻きながら、慰めにもならない言葉を述べる。
 そしてその言葉に何時もの如く多恵が即座に追従すると、両頬を膨らまして言葉を継いだ。

「茜ちゃんの言う通りですよぉ。私達だって今まですっごく苦労させられたんですから~。」

「確かに、旧来の衛士に比べたら何倍も大変だけどさ。
 それでも敵味方関係なく人死にが少ないってのは良い事だと思うんだよね。
 あ、ウォーケン中佐、そろそろ外縁警戒エリアに対して自律索敵機を派遣するべきじゃないですか?」

 そこに割り込む形で武を擁護する発言を晴子は述べると、そのまま次に行うべき作戦行動を示唆する事で話の流れをさり気なく断ち切って見せた。

「む―――確かに頃合いだな、柏木少佐。
 涼宮少佐、作戦案に従って直ちに索敵機を派遣したまえ。
 他の各員は、警戒態勢のまま待機だ。ただし自律装備群の展開状況や周辺情報等のチェックを怠らないようにな。」

『『『 ―――了解! 』』』

 かくしてウォーケンの指揮下にあるA-01派遣部隊衛士等は、作戦の次なるステップに向けた行動を開始した。

  ● ● ● ○ ○ ○

 大西洋標準時:05時15分、港湾都市バルパライソ沿岸部では、宵闇を映したかのように暗い波頭を割って鋼の人型が8機、いずれも海中から姿を現していた。

 その背後、更に西方の海上には匍匐飛行で急接近する1個大隊相当の36機の戦術機群と、その後を追う様にして海上を滑る様に疾走する上陸用舟艇の1群が存在した。
 海中より姿を現したのは水陸両用の強襲歩行攻撃機であるA-12『アヴェンジャー』であり、匍匐飛行で近付く戦術機はF-18E『スーパーホーネット』、更に上陸用舟艇はホバークラフトである『LCAC-1』級エア・クッション型揚陸艇で、そのデッキには装甲車両と機械化歩兵装甲を装備した歩兵達が満載されている。
 これらの部隊は全て米国海兵隊に所属しており、巡航ミサイルによるレーダーサイト無力化とB-1B『ランサー』の爆撃に続き、派遣部隊の先鋒としてこの地へと先陣を切って上陸し橋頭保を確保する役目を担っていた。

 バルパライソでは、海に面した急な斜面に家屋が立ち並ぶ形で市街が形成されている。
 その為、その市街にクーデター部隊の機甲部隊や歩兵部隊が展開し、在住民間人を人間の盾とした上で防衛戦を繰り広げて来たならば、高所を抑えられた上に反撃に民間人を巻き込む事を懸念せざるを得ない立場へと追いやられ、米国海兵隊は苦戦を強いられたに違いないであろう。
 その危険性を予測して尚、勇猛を以ってしてなる米国海兵隊である彼等は、作戦開始当初より断固たる決意で上陸を果たさんと奮起していた。

 しかし、作戦開始直後の急展開によって彼等は先陣の栄誉を、急遽割り込んで来たA-01に奪われてしまった。
 そして今、上陸を果たす彼等の前にはクーデター部隊ではなく、A-01より出迎えとして派遣されてきた『不知火』改修型遠隔陽動支援機『太刀風』の姿がある。
 敵前上陸を期して勇躍していたにも拘らず、国連軍にエスコートされて既に鎮圧済みの都市へと招かれるという屈辱的な立場へと追いやられた海兵隊員らは、無人機であると察しながらも憤懣やるかたない思いを視線に込めて眼前の陽動支援機へと注いでいた。

 その陽動支援機からデータリンクを経由した通信回線が接続され、海兵隊員らの許へとメッセージが送られてきた。

「小官は、米国海兵隊第26海兵戦術機甲群、第536戦術機隊(ブラディ・ナイトメア)より国連軍第六計画へと派遣されているリリア・シェルベリ少尉であります。
 今作戦に於きましては我が隊が先陣を務めさせて頂く形とはなりましたが、派遣部隊司令部の英断により協力態勢を構築できた以上、互いの作戦目的は必ずや達成できるものと確信しております。」

 通信画像に映し出された女性衛士は国連軍の衛士強化装備で身を包んでいたが、自身も米国海兵隊に所属していると述べた。
 その言葉を聞く米国海兵隊員等は、先陣の栄誉を奪われた上、表向きの作戦目的である在留米人救出はともあれ事実上の作戦目的であった米軍によるクーデター鎮圧の達成をも阻止され、一度は制止された上陸を第六計画との協議の末に最低限の戦力であればと辛うじて許された立場であった。
 当然強い怒りと憤懣を抱いていた米国海兵隊員等であったのだが、エスコート役として現れたのが国連軍へと派遣されているとは言え同じ海兵隊員であった事で、幾らかは怒りの矛先を逸らされる形となった。

「現在、レーダーサイトと都市部に展開しているクーデター部隊の鎮圧が行われておりますが、状況は順調に推移しております。
 都市部の鎮圧が完了し次第、在留米人に対する避難誘導の呼びかけを開始致しますので、みなさんには呼びかけに応じた方々を受け入れる為のキャンプの設置並びに警備をお願いいたします。尚―――」

 そんな海兵隊の同胞達に対する引け目とこの役回りを命じた武に対する恨みを内心に抱えながらも、リリアは表面上は淡々と役目を果たしていく。
 斯くして、少なくともこの場に於いては然したる混乱も生じぬまま、米国海兵隊は砲火を交わす事無く整然と上陸を果たす事となった。

  ● ● ● ○ ○ ○

 大西洋標準時:05時16分、闇に紛れてアンデス山脈を越え、チリと隣国アルゼンチンとの国境線を抜けて来た戦術機―――F-22A『ラプター』の1群があった。

(―――『我が派遣軍に於いて、今尚行動の自由を保持せしは貴隊のみなり。以降は独自の判断により、可能な限り任務を遂行されたし』か。
 まったく! 気楽に言ってくれるものだ…………)

 米国陸軍戦闘技術研究部隊より今回の作戦へと派遣された、戦術機甲中隊『マーベリックス』の指揮官は内心で毒吐いた。
 彼等は他の派遣部隊とは行動を共にせず、貨物船に偽装された戦術機揚陸艦2隻に分乗し昨夜の内にアルゼンチンの港へと入港していた。
 そして作戦開始に先立って戦術機揚陸艦より進発した部隊は、途中アルゼンチン軍によって設けられた補給拠点で推進剤などの補給を行いながらも、『ラプター』の高度なステルス性能を活かし極秘裏にチリへの潜入を果たしていた。

 本来彼等に与えられた任務は、巡航ミサイルによる攻撃でレーダーサイトの無力化が達成されなかった場合や、チリ西部沿岸に上陸した部隊がクーデター部隊により拘束されその進撃が停滞させられた場合等に、主力とは真逆の東方よりクーデター部隊の後方を扼して戦況を好転させるというものであった。

 敵にその存在を察知されないように派遣部隊総司令部との通信回線は接続せず、米軍広域データリンクの情報をダウンロードするに留めて特定エリアにアップロードされた情報を参照する事で、指令や要請、情報の授受等を行う方針であった。
 『マーベリックス』は、基本的にデータリンクを通じて司令部から下される最低限の指令と戦況に関する情報を得た上で、そのステルス性能を駆使して索敵を実施。
 敵部隊の詳細な位置情報と部隊構成を使い捨ての通信ユニットからのバースト通信を用いてデータリンクにアップロードし、自部隊の位置存在情報漏洩のリスクを最低限に抑えつつ、派遣部隊の有する巡航ミサイル等の遠距離誘導兵器によるスタンドオフ攻撃を支援する予定であった。

 アルゼンチンより国境線を越えて長躯しているが故に、『マーベリックス』の装備は潤沢とは言い難い。
 派遣部隊の装備する遠距離誘導兵器の使用がオルタネイティヴ6の要請によって封じられている現状では、所定の作戦行動など全く役に立たなくなっている。
 しかも、その様な状況にも拘わらず派遣部隊総司令部は、初期の作戦目標を『マーベリックス』に丸投げして来ているのだ。

 無論、派遣部隊総司令部の置かれている厳しい現状は十分に察する事は出来る。
 総司令部の直接指揮下に置かれた全部隊の運用は、オルタネイティヴ6によって監視されており自由に動かす事すら儘ならない以上、初期の作戦目的を一部なりとて遂行し得る戦力は『マーベリックス』を除いて存在しないのだから。
 敢えて作戦計画を示さず『マーベリックス』の裁量に全てを委ねる事で、その行動の自由を確保して最大限の戦果を期待するという総司令部の決断は英断と称してもよいものであった。

 そうと解かってはいても、『マーベリックス』指揮官に圧し掛かる責任が過大なものである事は明らかだ。
 任務内容は大幅に拡大され、直接的な障害となる敵性戦力は旧式な装備しか有さないクーデター部隊に代わり、恐らくは世界最高峰に位置する最先端の装備を有するオルタネイティヴ6の直属部隊となってしまっている。
 せめてもの救いは、作戦目的達成に必要な条件がオルタネイティヴ6の阻止線を喰い破る事であって、相手戦力の殲滅を必ずしも要さない事だろう。

(F-22A(ラプター)のステルス性能を以ってすれば不可能ではないのだろうが、今回は相手の態勢が整い過ぎているな…………)

 如何に『ラプター』であってもチリ上空高度20kmの成層圏に複数の照射源を用意されていては、探知を完全に免れる事は難しい。
 しかも敵手たるオルタネイティヴ6は、世界最高性能の並列処理コンピューターを戦場で運用していると目されている為、各種センサーが取得した情報の統合解析等はお手の物に違いない。
 例え『ラプター』自身のレーダー波に対する反射自体は完璧に誤魔化せたとしても、その陰となる地表の反射や照射源とは異なる複数の観測点への輻射などまでは到底誤魔化し切れない。
 少なくとも何らかの干渉源が存在する事は、必ずや露呈するだろう。

 そうなれば、豊富な自律装備群を有し、戦域にセンサー網を張り巡らした上での索敵情報統合処理システム構築をお家芸とするオルタネイティヴ6相手では、遠からぬ内に補足されてしまうに違いなかった。
 それ故に『マーベリックス』指揮官は、短期決戦・強行突破を基本戦術として採る事と決めた。
 自部隊の存在を完全に把握される前にオルタネイティヴ6の索敵網と阻止線を喰い破り、優先順位の高いクーデター部隊の拠点を強襲する。

 過剰なまでに人命を尊重するオルタネイティヴ6相手であれば、接敵直後にこちらを全力で攻撃しては来ない事が予測される。
 おまけに相手の主力が自律装備群であるお陰で、こちらが積極的に攻撃しても苛烈な反撃を誘発する事も少ない筈だ。
 相手が忌避するであろう民間人に対する殺傷を極力回避した上で、相手の優位を確信するが故の余裕を逆手にとって本腰を入れて来る前に作戦目的を幾らかでも達成するしかないと、『マーベリックス』指揮官はそう判断を下した。

「「マーベリック・リーダーよりマーベリックスに告ぐ。
「これより我々はクーデター部隊が立て籠っていると思われる、サンティアゴ・デ・チレ並びにその周辺に位置するチリ軍事施設を強襲し、クーデター軍を制圧する事を目的として行動を開始する。
 但し、我々の進攻ルート上には国連軍第六計画直属部隊によって索敵網と阻止線が張られており、それらを突破しない限り作戦目的の達成は不可能と思われる。」

 無線封鎖中である為、部隊内データリンクは光通信網を相互の機体の間に構築して確立している。
 編隊飛行中や主脚歩行中であればともかく、戦闘機動に入った後はデータリンクが保持できる可能性は極めて低い。
 それ故に『マーベリックス』指揮官は所属各機へと作戦計画の概略を口頭で述べながらも、手早く纏めた作戦計画をデータファイルの形で各機へと送信する。

 こうしておけば阻止線突破の際に部隊が散り散りになってしまったとしても、各機の判断によって作戦の継続が可能となる筈であった。

「よって、攻撃目標の優先順位を定めた後、我々は全力を以って第六計画の阻止線を強行突破し用い得る全ての戦力を投入し最大限の戦果を求める。
 現在、我が国派遣部隊総司令部は第六計画派遣部隊と協力関係を結んでいるが遠慮は無用だ、全力で叩き潰し阻止線を喰い破って目標に到達せよ。
 我が隊はBETA大戦後の対人類戦闘を睨み、戦闘技術の研鑽に努めて来た。
 今日こそ、その成果を十全に発揮して貰いたい。以上だ―――」

 『マーベリックス』は米国陸軍戦闘技術研究部隊に於いて、『BETA大戦後に到来する兵器体系の転換期』に備え、再びBETA大戦前の様に航空機が戦場の主力となる迄の過渡期的戦力と目される戦術機の、対人類戦闘に於ける位置付けと効果的な戦術の研究に努めて来た。
 航空機の復権が成された暁には戦術機の存在理由は消滅するとの意見が主流ではあったが、『マーベリックス』所属衛士等はそれとは異なる見解を有している。

 確かにミサイルキャリアーとして比較した場合、戦術機は航空機には遠く及ばない。
 そして同じ陸戦兵器である装甲戦闘車両と比較した場合、装甲、投影面積、活動時間、整備性、生産性に於いて大きく劣り、生産コストと運用コストの両面に於いて高価な兵器となっている。
 しかし、多様な兵器を運用できる汎用性とその高い機動力による全天候全環境展開制圧能力に於いては、装甲戦闘車両に対して圧倒的に優越している点に彼等は着目した。

 その長所を活かせば、機動防御、緊急展開からの速やかな戦線構築、拠点の強襲・制圧・占拠等、活躍の場は幾らでもあると彼等は考えた。
 唯一不安があるとするならば、歩兵による肉薄攻撃や設置型トラップなどに対する脆弱性だが、これはセンサーの精度と解析能力の向上や、機械化歩兵であれば戦術機の高速機動に追従可能な随伴歩兵となり得る事などから、将来的に解消もしくは軽減する事が可能である。
 それ故に『マーベリックス』の現時点での見解としては、航空機が主力に返り咲いた後も戦術機には有用な陸戦兵器としての存在価値が十二分に存在するという結論が導き出されていた。

(それに……空軍の奴らには気の毒だが、航空機の復権は叶わないかもしれんな。)

 『マーベリックス』指揮官は、データリンクからダウンロードしたばかりの戦況速報を反芻しながらそう心中で呟く。
 これまで、BETA大戦が終わりさえすれば、航空機は戦前の様に大空を我が物顔で行き交う事が叶うと皆が信じ切っていた。
 しかし、つい先ほどオルタネイティヴ6が高出力レーザー照射によって巡航ミサイル群を迎撃した事で、その盤石とさえ思われた予測は一気に覆される可能性が生じてしまったのだ。

 もし、人類がBETAレーザー属種と同等の高出力レーザー兵器を保有し運用する時代がBETA大戦の終了と前後して実現した場合、兵器としての航空機は再びその兵器としての有用性に疑問符を突き付けられてしまうに違いない。
 そうなれば、直進性が高いが故にレーザー兵器の照準を回避する事が困難であり、尚且つ搭載量の低下に直結する対レーザー装甲の装備も難しい航空機は、再び戦場の主役の座から押し退けられてしまうであろう。

 しかも、オルタネイティヴ6はレーザーを高空からの撃ち下ろしという形で照射して見せた。
 これは即ち、対空のみならず対地攻撃能力を有しているという証しでもある。
 人類が高出力レーザー兵器を運用する様になった暁には、鈍重な装甲戦闘車両も航空機同様有用性を大きく損ねる可能性が高い。

 無論、装甲戦闘車両の大型化や重装甲化、航空機の革新的な機動性能の向上、今までに無い新兵器の出現など、起こり得る可能性は無数にある。
 しかしそれでも、『BETA大戦後には戦術機の存在理由が失われる』という可能性は著しく低下する筈だ。
 何しろ、戦術機はレーザー照射の脅威に長らく正面から抗い続けて来た兵器なのだから。

 内心で戦術機の評価が見直される可能性に快哉を上げた後、『マーベリックス』指揮官は現在自身が率いる部隊に課せられた難題へと立ち帰った。
 来るべき将来の兵器体系に於ける戦術機の扱いがどうなるとしても、差し当たって『マーベリックス』は、最先端どころか時代を超越しているとさえ思える兵器を保有し運用しているオルタネイティヴ6を出し抜いて、米国の威信をかけて何らかの成果を達成せねばならないのだ。
 しかも彼の指揮下に在る兵力は戦術機甲1個中隊12名の衛士と、米国の誇る第3世代機の傑作機とはいえ『ラプター』24機でしかない。

 今回の派兵に当たり、『マーベリックス』は各小隊の編制をF-22A『ラプター』2機とその派生型指揮管制戦術機である複座型戦術機FC-22『ダンシング・ラプター』1機、そして試験的に改修された遠隔陽動支援機仕様のF-22A『ラプター』5機で構成している。
 遠隔陽動支援機仕様のF-22A『ラプター』は、米国陸軍戦闘技術研究部隊に於いてその有用性について評価研究を行うと共に、遠隔陽動支援機運用戦術機甲部隊を相手取った戦技研究を行う為に配備されたものである。

 遠隔陽動支援機という兵器を生み出したオルタネイティヴ4とその後継であるオルタネイティヴ6は、表向き対人類戦闘を前提とした自律装備群の運用戦術を公開していない。
 それ故に、独自に研究し構築した遠隔陽動支援機運用戦術を今回の実戦に於いて試験運用する事もまた、『マーベリックス』の任務の内であった。
 しかし現状は、12機の旧式戦術機と旧態依然とした兵器しか保有しないと想定されるクーデター部隊ではなく、恐らくは遠隔陽動支援戦術機を含む多彩な自律装備群を相当数保有し、高い練度で運用するオルタネイティヴ6を相手にする事となってしまっている。

 どう見ても、質量共に優位にあるのは相手の側である以上、『マーベリックス』としては腹を括って捨て身でかかるしかない状況であった。

「―――こちらマーベリック3。小型の航空機らしき反応2。
 その進路と大きさ、そして盛んに発しているレーダー波等から、こちらを捜索している自律索敵機である可能性が高いと思われます。」

 突如として発せられた部下の報告であったが、想定済みのケースに合致した為『マーベリックス』指揮官は慌てる事無く即座に指令を下した。

「マーベリック・リーダー了解。直ちにシャドウ6並びにシャドウ11を迎撃に向かわせろ。
 迎撃した後は、2機には韜晦行動を取らせて自律戦闘を実施させるんだ。
 2機を囮にして時間を稼ぎ、我々は更に進出するぞ!」

『『『 ―――了解。 』』』

 シャドウ6とシャドウ11―――2機の遠隔陽動支援機仕様の『ラプター』は、本隊から離脱して十分な距離を取った後、背部に装備したステルス仕様の自律誘導弾コンテナより誘導弾を自律索敵機と思しき存在へと放つ。
 全長・全幅共に1mをやや越える程度のティルトローター機の形状を持つその航空機は、『マーベリックス』の予想通りA-01が放った自律索敵機であった。
 ステルス機と思しき正体不明の反応を索敵情報統合処理システムによって割り出し、より詳細な情報を得る為にウォーケンが投入した機体群の一部である。

 2機の自律索敵機は、『マーベリックス』を補足する前に誘導弾によって呆気無く撃墜されてしまったが、撃墜された事自体が敵性戦力の存在を裏付ける結果となり、撃墜された地点を中心として重点的な索敵が実施される事となった。
 シャドウ6とシャドウ11は、本隊とは異なる進路を取って欺瞞を試みつつも、まさに『先に見付け(ファーストルック)、先に撃ち(ファーストショット)、先に墜す(ファーストキル)』の標語通りに一方的に発見した自律索敵機を次々に撃ち落としていく。
 しかしそれらの攻撃によって、その存在位置を徐々に絞り込まれた2機の『ラプター』の前に、遂に戦術機が姿を現しその行く手を妨げる。

 その戦術機は国連塗装(UNブルー)のなされた、F-22A『ラプター』であった。
 敵性機体に捕捉されたと自律思考で判断したシャドウ6とシャドウ11は、無線封鎖を破って戦況をリアルタイムで米軍広域データリンクの秘匿エリアへとアップロードしながら、国連塗装の『ラプター』に対して中距離砲戦を挑む。
 敵手たる国連塗装の『ラプター』もまた高度なステルス性能を保持していた為、その存在を察知した時には既に距離を詰められてしまっていた為であった。

「なに?!F-22A(ラプター)だと?―――そうか、第六計画に派遣された米国陸軍衛士達が持ち込んだ分か……
 くそっ、同じF-22A(ラプター)―――しかも遠隔陽動支援機仕様ならあっちの方が本家本元、しかもあの動きからして向こうは衛士が遠隔操縦しているな?」

 データリンクからシャドウ6とシャドウ11の戦況情報をダウンロードし、ほぼリアルタイムで戦況を確認しながら『マーベリックス』指揮官は呻き声を上げた。
 第三国への輸出を行っていない『ラプター』ではあったが、唯一国連軍への派遣に関しては例外的に極小規模ではあるが派遣が行われている。
 オルタネイティヴ6への派遣は、その中でも特異な例であった。

 戦術機OSに革新をもたらしたXM3と遠隔陽動支援機を開発した、オルタネイティヴ4の後継であるオルタネイティヴ6。
 そこへ米国衛士を派遣するに際して米国陸海軍と海兵隊は衛士と共に最新鋭機を派遣し、しかもそれらの機体の改修を含めた運用に関する自由裁量(フリーハンド)を認め、損傷や経年劣化が生じた場合には派遣機体の補填まで行うという方針を採用した。
 これは米国製戦術機の優秀さをオルタネイティヴ6と国連軍にアピールする狙いの他にも、オルタネイティヴ6に自由に運用させる事で自国とは異なる軍事ドクトリンの下、自国戦術機の新たなる可能性が見出される事を望んだ為であった。

 米国に限らず各国からオルタネイティヴ6に派遣された衛士は、オルタネイティヴ6の機密に触れない範囲で各々の母国へとレポートを提出している。
 派遣各国はそれらのレポートを元に、オルタネイティヴ6での自国戦術機の運用例と国内での運用例を比較研究し、日々戦術機運用の研鑽を欠かさなかった。
 『マーベリックス』が試験運用する遠隔陽動支援機仕様の『ラプター』もまた、それらのレポートを元に米国独自の改修が成された機体である。

 そして今、米国製遠隔陽動支援機仕様『ラプター』が、その源流とも言えるオルタネイティヴ6のF-22A『ラプター』改修型遠隔陽動支援機との実戦を繰り広げていた。

 自律戦闘を行う2機の『ラプター』に対して、国連塗装の『ラプター』は反撃を行わずに回避行動を取りながら距離を縮めていく。
 その戦闘機動は躍動的且つ臨機応変であり、米国製自律制御と熟練衛士による遠隔操縦との差が明確に表れており、2対1の数的優位を以ってして尚劣勢を強いられずにはいられなかった。
 そして、十分に距離を詰めた国連塗装の『ラプター』は、外部スピーカーからの音声出力により自律制御の『ラプター』2機を通して『マーベリックス』へと勧告を行う。

「―――こちらは米国陸軍第66戦術機甲大隊より第六計画に派遣されているアルフレッド・ウォーケン中佐だ。
 現在国連総会の決議に基づきチリで発生したクーデター鎮圧を目的として、首都サンティアゴ・デ・チレ周辺地域では第六計画直属部隊が展開し作戦行動を遂行中である。
 また、米軍派遣部隊総司令部も第六計画直属部隊に協力し、在留米人救出を目的として相互に連携して活動している。
 不要な混乱と戦闘を避ける為、貴隊の所属及び行動目的、部隊編制を知らされたし。
 尚、誠に不本意ではあるが、この勧告に従っていただけない場合我が隊は実力を以って貴隊の行動を抑止する覚悟と手段を保有している。
 これより60秒を猶予として応答されたし。」

 ウォーケンの行った勧告と戦況は、データリンクを通じてA-01の他の指揮官たちの許にも届いていた。
 現時点では、現地工作員や協力者との情報交換や調整等を時折行うだけで比較的手透きとなっている美琴が、その勧告に対する所感をオープン回線で口に上せる。

「さすがウォーケン中佐! 押し出しが効いてるよね。タケルもそう思わない?」

 A-01派遣部隊の作戦総指揮を執りつつ、『凄乃皇』3機と『天磐船』3隻の制御を一手に引き受けている武であったが、美琴の軽口に対し即座に応じた。

「そうだな、オレじゃあそこまでの貫録は出せないとは思うよ。
 まあ、それはさておきどうせあの部隊はこっちの勧告には従わないだろうから、迎え撃つ用意を始めておくか。」

 そしてその発言に続けて、武は次の局面を予測した上でそれに備えた対応を支持していく。

「スレイプニル0(武)よりスヴァーヴァ1(壬姫)に告ぐ。
 一時的に指揮下の狙撃担当者と共にスカジ・リーダー(ウォーケン)の指揮下に入り、東方より進攻中のF-22『ラプター』24機に対する狙撃を実施せよ。
 手早く上手い事やってくれ、頼んだぞ。」

「スヴァーヴァ1(壬姫)、了解。狙撃班はスカジ・リーダー(ウォーケン)の指揮下に入り、F-22『ラプター』を狙撃し無力化します。」

 狙撃班を率いて市街地に展開していたクーデター勢力に対する狙撃任務を完遂した後、軍事施設に立て籠る部隊の動きに対応する為に狙撃ポイントを確保した上で待機していた壬姫は、直ちに復唱してウォーケン指揮下の部隊内データリンクに接続して協議を開始した。
 それを確認した武は、今まで壬姫を初めとする狙撃班と協力態勢にあった美冴に対して、念を押す様に指示を下す。

「続けてスレイプニル0(武)よりフルンド1(美冴)に告ぐ。
 軍事施設に立て籠っている、クーデター部隊に対する投降の呼びかけは継続。
 但し、スヴァーヴァ1(壬姫)以下狙撃班は、現時点よりそちらの支援任務から外れる。
 くれぐれもクーデター部隊を自暴自棄に追いやらないよう慎重に事を進めてくれ。」

「フルンド1(美冴)、了解。慎重を期す。」

 簡潔に応じた美冴だったが、常に無く感情を抑え込んだその様子は、クーデター部隊への投降勧告が思う様に進んでいない事を窺わせた。
 その事をしっかりと見て取った武だったが、この時点では特に何事も付け加える事はせず美冴の指揮に事態を委ねるのであった。

 一方、ウォーケンの勧告を受けた『マーベリックス』はと言うと、勧告を受け入れる筈もなく逆に積極的な作戦行動を開始していた。
 残る13機の遠隔陽動支援機仕様『ラプター』の内、各小隊のFC-22『ダンシング・ラプター』と二機連携(エレメント)を組む3機を除く10機全てを、2機単位で散開させた上で先行させ自律制御による索敵と掃討を行わせたのだ。
 そして有人機9機と無人機3機、合わせて12機の『ラプター』を密集させてA-01の阻止線突破を試みた。

 幸いと言うべきか、国連塗装の『ラプター』が新たに出現するという事も無く、60秒の猶予期間が過ぎた途端に見事な腕前でシャドウ6とシャドウ11を下した国連塗装の『ラプター』とも、既に相応の距離を稼ぐ事が出来ている。
 勧告を受けた後、『マーベリックス』は既に10機以上の自律索敵機らしき目標を撃破し、更には『不知火』改修型遠隔陽動支援機『太刀風』と思われる戦術機10機を遠隔陽動支援機仕様『ラプター』に誘引する事に成功していた。
 そうして抉じ開けた突破口へと『マーベリックス』本隊である12機は、この機を逃してなるものかと編隊を組んで滑り込んでいく。

 ―――が、その直後。

「なにぃっ!?」「ふ、噴射跳躍ユニットがッ!!」「レ、レーザーだとぉ?!」「ぅわぁあ、こ、高度が―――ぐぁっ!!」

 光芒が幾条も闇を切り裂いたかと思うと、編隊の後方に位置していた4機の『ラプター』が、搭乗衛士の驚愕の叫びと共に高度を落とし脱落していく。
 『マーベリックス』各機の管制ユニットでは、鳴り響くレーザー照射警報と共に自動的に割り出された照射地点にマーカーが表示された。
 即座に36mm弾が雨霰と放たれたものの、砲撃がなされた時にはレーザー照射を行ったものは既に退避した後であった。
 あっと言う間に3分の2にまで戦力を削られた『マーベリックス』は即座に二機連携(エレメント)単位で散開し、排熱の抑制などかなぐり捨てた最大加速を以ってして突破を図る。

 しかし、更に放たれた眩い光芒が闇夜を切り裂き、無慈悲にそれらの『ラプター』へと襲いかかった。
 そして程無くして、最初に脱落した4機を含めて『マーベリックス』本隊を構成していた12機の『ラプター』は、何れも噴射跳躍ユニットを撃ち抜かれてその機動力を著しく削がれ、オルタネイティヴ6の阻止線突破を断念し投降勧告に応じる事となったのである。
 彼等は最後の最後まで、彼等の進路上の地上にばら撒かれ光学通信網によって索敵情報を送信し続けていた、小型受動観測機(パッシブセンサー)の群に気付く事ができなかった。

 この局面で『ラプター』12機を続け様に狙撃し機動力を喪失させたのは、壬姫率いる狙撃班によって運用された試製05式高出力レーザー砲であった。
 試製05式高出力レーザー砲は、月や火星の奪還作戦に於いては地球での戦闘とは桁違いに増大する兵站への負担を軽減する為にも、質量兵器からの脱却を目指して開発された戦術機用光学兵装であった。
 全長約11mとやや長大ではあるが、試製99式電磁投射砲などよりは余程取り回しのし易いサイズに収められている。

 光線級BETAの生体レーザー発振機を元にしており、低出力照射による照準は行わず当初より最高出力での照射を行う。
 連続照射時間は最大2秒と短いが、その分照射インターバルも3秒にまで短縮されていた。

 戦術機に採用されている、レーザー蒸散膜をコーティングした対レーザー装甲を貫通するには威力が不足しているものの、戦術機が主腕で運用する事から目標の回避機動に追従して照射点を固定する事は困難と判断された為、連続照射時間を短縮化する代わりにインターバルをも短縮化して射撃機会を増やす事とされた。
 その上で対レーザー装甲に対しては、複数回の射撃を浴びせる事で対レーザー装甲を劣化させていき、最終的に装甲を無効化させる事を企図している。
 また、レーザーは光速で直進し射撃とほぼ同時に射撃目標に到達する為、移動目標の未来位置を予測する必要も殆どなく精密狙撃に高い適性を有している事から、目標の装甲の薄い部分等の脆弱な個所を狙い撃つ事で威力の不足を十分に補えるとの判断もあった。

 今回の『マーベリックス』に対する狙撃に於いても、事実上装甲の存在しない噴射跳躍ユニットを狙う事で、戦術機の機動力を失わせると共に管制ユニットの損傷を避け衛士が死傷する危険性を極力低減させている。
 そしてその思惑は効を奏し、『マーベリックス』の衛士達に戦死者を出さずに済んだ。
 もし、突撃砲や誘導弾、電磁投射砲などによる攻撃を行っていた場合、高い確率で戦死者が発生していたであろう。

 武は壬姫を初めとする狙撃班の部下達を労うと共に、米軍衛士に戦死者を出さずに済んだ事に心中で安堵の溜息を洩らしていた。

  ● ● ● ○ ○ ○

 日本時間16時42分(大西洋標準時:05時42分)、国連軍横浜基地のブリーフィングルームに冥夜と純夏、そして霞の姿があった。

「冥夜、どんな状況か解かった?
 タケルちゃんやみんなは無事なんだよね?」

 そう問いかける純夏の眼前では冥夜が机に置かれた情報端末を操作しており、その操作に同期してブリーフィングルーム正面のスクリーンに映し出された内容も目まぐるしく変化していた。

 オルタネイティヴ6の広域データリンクに刻々とアップロードされている、A-01チリ派遣部隊の戦況情報の閲覧を霞を通して夕呼にねだった純夏は、首尾良く許しを得ると横浜基地に残留し待機中であった冥夜を引き摺り出して、戦況情報の解説を頼み込んでいた。
 実を言えば霞が居れば戦況情報の解説程度は十分可能なのだが、純夏は武の安否情報を霞と自分の2人だけではなく武に想いを寄せる『白銀武研究同好会』の仲間達と分かち合おうとしたのである。
 とは言え、美琴、壬姫、晴子の3人はチリ派遣部隊に加わっており、千鶴、彩峰、智恵、月恵の4人もユーラシア大陸の対BETA防衛線に派遣されていた為、この場に集まったのは自分達と冥夜の3人だけであった。

 そして、端末を操作して戦況情報を閲覧していた冥夜が、純夏の問い掛けに応えを返す。

「うむ。作戦は至極順調に進行しているようだ。」

 そう言いながらも冥夜が閲覧の手を休める事は無く、視線を逸らしもせずに更なる詳細な情報を呼び出しては閲覧していく。
 そして、その閲覧している情報自体が刻一刻と変化していく様子が、作戦が今も尚遂行中である事を窺わせていた。
 冥夜が更に言葉を加え事細かに説明してくれるものと期待していた純夏は、そのまま黙って待っていたのだが一向に冥夜が口を開く素振りも見せない為、とうとう痺れを切らして言葉を発する。

「冥夜~、順調って……それだけ言われたって解かんないよ~。
 タケルちゃんやみんなは無事なの? 怪我とかしてない?」

 とは言うものの、猛スピードで端末を操作する冥夜相手では揺する事すらはばかられ、純夏は両肩と頭をがっくりと落として情けない声で冥夜に訴えかけるのが精々であった。
 その声にようやく視線を上げた冥夜は、一瞬キョトンとした表情を浮かべたものの直ぐに不敵な笑みを浮かべると、純夏へと力強い言葉を返す。

「無論だ純夏。皆傷一つ負ってはいない。
 そもそも今回の戦いでは有人機は殆ど矢面に立っておらぬしな。
 タケルの乗る『凄乃皇・四型』のみが唯一敵前に姿を晒してはいるが、対空射撃すら殆ど行われていない状況だ。
 『凄乃皇』は対空砲火如きでは傷も付かぬだろうが……武の事だ、流れ弾で民間人に被害が出るのを嫌ったのであろう。
 射撃態勢を取った対空火器等は、全て先手を打って無効化しているようだな。」

「そっか~。みんな無事なんだ、よかったぁあ~~~。」

 ようやく安心し出来たのか、安堵の溜息をこれでもかとばかりに盛大に吐き出した純夏は、気が抜けてしまったのかそのまま椅子へとへたり込むように腰を下ろしてしまう。
 そして、気だるげな視線をスクリーンへと向ける純夏の様子を、傍らに立つ霞がじっと見つめていた。
 そんな純夏を一瞥した冥夜は、端末の操作を再開しながら世間話程度のつもりで言葉を紡ぐ。

「まあ、それでも幾らかは砲火も交わされ、各種装備には損害も生じてはいるのだがな。
 そもそも軍事行動である以上、安全よりも効率が重視される。
 例え砲火を交えておらずとも、何かしらの損害は生じるものだ。
 A-01の場合は、殊、有人機に限っては過剰な程に整備と検査が徹底されている故、整備不良による事故というものは殆どおきぬが、米国派遣部隊の艦隊などでは作戦開始前の航海中ですら事故が幾つか生じている程だ。
 まあ、事故以外にも兵士らの間でのトラブル等も起こるしな。」

「え?―――それって、怪我人とか出てるって事?」

 冥夜の言葉に、不安げな表情で視線を向ける純夏。
 そんな純夏を案じたのか、霞がその繊手を椅子に腰かけている純夏の右手にそっと添えた。
 一方、冥夜はと言えば純夏の言葉にやや首を傾げたものの、事もなげに言葉を続ける。

「ふむ……さすがに米軍の綱紀は然程緩んではおらぬ故、余程の事故でもなければ重傷者は出まい。
 だが、チリのクーデター部隊やそれに同調した者等、その統制下にあった住民達は些か危ういな。
 既に鎧衣の手の者から、治療を要する者達の報告が幾つも上がって来ているようだ。」

「―――そっかぁ……タケルちゃん、気に病んでるんだろうなあ。」

 眉を寄せて武の心情を慮ってそう呟いた純夏に同意の頷きを返す冥夜だったが、その言葉は何ら揺らぐ所の無い確固たるものであった。
 それは自身の持つ戦士(もののふ)としての心構えと、そして何よりも武への深い信頼が成さしめた事であろう。

「……そうであろうな、あの者はそれが敵であっても傷付けたり死なせる事を可能な限り避けようと努める男だ。
 されど、タケルとて一廉の武人(ひとかどのもののふ)だ。
 傷付く覚悟も傷付ける気概も十分に備えておろう。
 何より、現状は事前に想定されたものの中でもかなり良い状況なのだ。」

「でもね、冥夜……だからって、タケルちゃんが苦しまないって事にはなんないよね……
 タケルちゃん……大丈夫かなあ…………」

 しかし、そんな冥夜の言葉にも、純夏の不安を減じる効果は然程ありはしなかった。
 その事に気付いた冥夜は、密かに眉を寄せる。

 戦場ではどれほど順調に物事が推移していようとも、一瞬後には何が起こるか解からない所がある。
 それ故に、気付いた所で何が出来る訳でもない自身の状況にもかかわらず、冥夜は今尚戦況をより詳細に把握しようと端末を操作し続けている。
 だがそれは、不測の事態に備える為に染み付いた習慣の如きものであって、先程から純夏が抱えている不安や心配といった心情とはまた異なるもののように冥夜には感じられた。

 冥夜にとっては、データから読み取れる戦況であるならば、不安を感じる必要など欠片も存在しないとしか思えない。
 これ程順調に推移している状況でストレスなど感じているようでは、到底戦場で役になど立つ筈もないから当然ではある。
 しかも、純夏の様子を窺う限りでは、理屈抜きというよりは心配する理由を探し出してはそれを種に心配しているようにさえ冥夜には感じられた。

 一度はそう考えた冥夜だったが、純夏の武や皆を心底案じているらしい表情を一瞥するなり、微かに頭を振って考えを改めた。
 これが、銃後の者達が抱える心情というものなのであろう、と。
 そして、既に何年も前の事になるが、京塚のおばちゃんから聞いた言葉を冥夜は脳裏に蘇らせるのであった。

『―――別に純夏ちゃんを贔屓しようってんじゃないんだよ?
 けどねぇ、あんた達はタケルと一緒に戦場に行って、その背中を守ってやれるだろ?
 だけど純夏ちゃんは、ここでタケルが無事に帰って来るのを待つ事しかできないんだ。
 だから、少しくらいハンデがあったっていいと思うんだよ。
 何しろ帰りを待つだけってのも……結構辛いもんだからねぇ……』

 その言葉は確か、食料班である純夏が、毎朝毎朝多忙な筈の朝食の時間帯に仕事を休んで武と朝食を共にしている事に、千鶴が難色を示した折だっただろうか。
 偶々それを耳にした、京塚のおばちゃんが発した言葉であった。
 相手が京塚のおばちゃんでなく、そしてその言葉に深い感慨が滲み出ていなかったならば、当時の千鶴であれば反発していたに違いない言葉であった。

 しかし、その言葉を耳にした冥夜にとっては、その言葉は戦場に赴く者の無事を只管信じて待つ事しかできない者の存在を、強く印象付けるものだったのである。
 自分達が戦場で戦い抜く事で、力無き者の盾となりその身を守る事は叶おうとも、生きて帰るその時までは戦場に赴いた者の身を案ずる銃後の者達の心を安らげる術は持ち得ぬのだと、冥夜はその言葉を聞いて悟った。

 冥夜自身は幼い頃より、戦場に赴く者の武運を祈ろうともその身を心底より案じて不安に思う事など殆ど無かった。
 それは武家に生まれ育った者ならではの、死生観によるものだったかもしれない。
 だが、自身の武への想いを自覚して幾許かの年月が過ぎた今では、純夏の心情にも相応に共感できる部分を冥夜は自身の心の中に見出す事が出来た。

 それ故に、冥夜は自身が戦場に赴いている時には出来ない事、不安に怯える銃後の者―――純夏を宥め、少しでも気持ちを安らげるという行為を、今は武に代わって精一杯成し遂げようと決意した。

 ―――それは、チリの戦場で戦況が急転するほんの僅か前の出来事であった。

  ● ● ● ○ ○ ○

 大西洋標準時:06時11分、数か所の軍事施設に立て籠ったクーデター部隊を除き、A-01は民間人への被害を殆ど生じる事無く残る全てのクーデター勢力を鎮圧していた。

 各軍事施設は相応の防御設備と潤沢な武装を有している為、交戦状態ともなれば相応に手間取り流れ弾等で民間人への被害が生じる可能性が高い。
 それ故に、武は周辺住民の避難を進めると共に、クーデター部隊に対する投降を根気良く呼びかけ続けていた。
 しかしクーデター部隊からの応答は一向に無く、事態は膠着状態へと陥っていたのである。

 ―――が、そんな膠着状態は唐突な敵の行動によって破られる事となる。

「ッ!! 敵戦術機が1機出現しました!
 え?! ス、スレイプニル0(武)、至急発砲許可を! 敵は誘導弾の発射態勢を取って―――」

 チリ陸軍基地の格納庫から突如として飛び出してきたMiG-23『チボラシュカ』は、着地と同時に自律誘導弾システムのコンテナを展開し発射態勢に入る。
 その姿を、狙撃態勢を取らせた『太刀風』を通して確認した壬姫が、半ば叫ぶように発砲許可を求めようとした瞬間、その視界を眩い光芒が埋め尽くしその言葉を失わせた。
 そして、自動的に働いた光度調節機能が解除された時に壬姫の視界へと飛び込んで来たのは、爆弾の直撃でも受けたかのように大きな穴の開いた陸軍基地の敷地であり、そこには戦術機の存在を匂わすような残骸の一欠片すら見出す事は出来なかった。

「たけ―――いえ、スレイプニル0(武)へ、出現した戦術機の沈黙を確認しました。
 今の所、後続の敵兵力は確認できません。…………以上、です……」

 壮絶な光景に息を飲み動揺して武の名を呼び掛けた壬姫であったが、すんでの所で落ち着きを取り戻すと状況を報告した。
 その報告を受けた武は、感情の一切を排除した常になく冷徹な声色で簡潔な言葉を返す。

「スレイプニル0(武)了解。
 スレイプニル0(武)よりフルンド1(美冴)。プランCを即時実施せよ。
 相手に立ち直る隙を与えるな。以上。」

「フルンド1(美冴)了解、突入を開始します。」

 そして美冴は即座に『足軽』を主力とした突入部隊を投入し、陸軍基地に立て籠ったクーデター部隊の制圧を開始する。
 反撃を開始しようとしたその端緒を、苛烈極まりない高出力レーザーの多重照射でへし折られ、意気阻喪していたクーデター部隊は抵抗らしい抵抗も出来ないままに制圧された。

 A-01が制圧に当たって使用した兵装の殆どは非殺傷兵器である。
 しかし、制圧された陸軍基地内には、クーデター部隊将兵の亡骸が多数の存在していた。
 それらの亡骸は、クーデター部隊の強硬派の粛清によって殺害され打ち捨てられたものだったのである。

 武は少なからぬ自省の念に駆られながらも、作戦の推移を冷静に見守っていた。
 誘導弾の発射態勢を取った戦術機に対して、跡形もなく消し飛ぶほどのレーザー多重照射を行った理由は幾つかある。

 1つには、リーディングにより搭乗衛士が市街地に向けて無照準で誘導弾を乱射し、少しでも状況を混迷させてそれを機に反攻に出ようとしていた事から、その意図を挫く為。
 そして、周辺住民の退避が進んでいたとは言え、民間人への被害を抑止する観点からも誘導弾の発射を未然に防ぐ必要があったからだ。
 しかし、何よりも武を苛烈な攻撃へと駆り立てたのは、戦術機の出現に先立つ数分前に基地内で行われた投降を望んだと思われるクーデター部隊将兵に対して行われた粛清であった。

 武は高度8,000mに浮かべた『凄乃皇・四型』に搭乗していたが、そこからであっても陸軍基地に立て籠るクーデター部隊将兵達1人1人の思考波を察知する事が出来ていた。
 それぞれの感情の色が辛うじて識別できる程度でしか判別してはいなかったが、基地に存在するそれらの反応の半数近くが1カ所に集まった後、強い感情の爆発と共に急激に数を減じていった事から武は粛清が行われた事を察した。
 仲間の命を奪うという行為を為した者達の思考を即座に読み取った武は、彼等が市街地への突撃を敢行し可能な限り市街に被害を及ぼそうとしている事を知った。

 既に情勢は決しており、クーデターが鎮圧されるのも時間の問題である事はクーデター部隊にとっても明白であった。
 しかし、このまま戦闘らしき戦闘も発生しないままに鎮圧されてしまえば、鎮圧後にA-01や米国派遣部隊の武力行使を非難する事すら儘ならなくなってしまう。
 それでは、クーデター部隊を裏で支援しているソ連とキューバにとっては、今回のクーデターから得られるものが皆無となってしまう為、非常に都合が悪かったのである。

 クーデター部隊に同行していたKGB(ソ連の諜報機関であるソ連国家保安委員会)のエージェントは、それのような事態を避ける為にクーデター部隊強硬派に対して粛清と反攻を指嗾したのであった。
 粛清を察知した後、その犯行計画のあらましまでも読み取った武は、その戦意を挫く為にも圧倒的なまでに無慈悲な攻撃を行う事でクーデター部隊の戦意を挫き、これ以上犠牲者が出ないようにしようと即決した。
 何故ならば、クーデター部隊がA-01をある意味で侮っている事もまた、リーディングによって判明した為である。

 オルタネイティヴ6が結成され2004年に対テロ作戦を公に任務の一環として認められて以来、A-01は一貫して対人類戦では可能な限り相手を殺傷せずに制圧する事を方針として活動して来ている。
 これは反政府武装組織等に対し、必要以上の遺恨を抱かせずに非武装闘争への方針転換を推奨する為には必要な方針でもあった。
 しかしそれ故に、例え最後まで抵抗し続けようともそうそう殺されはしないだろうという、そんな甘い考えをクーデター部隊将兵等に持たれてしまっていたのである。

 その為武は、人類を滅亡の縁まで追いやったレーザーの光芒によって、クーデター部隊の戦意を最後の一欠片までもを焼き尽くそうと決意したのである。
 今回苛烈な意志と行動を見せておく事で、A-01を―――延いてはオルタネイティヴ6を侮る者達への警告と成す。
 そう決意したが故に武は、クーデター部隊反攻の先陣となった戦術機を、自らの手で衛士諸共完膚なきまでにレーザーの光芒で焼き尽くしたのであった。

 そして武の意図した通り、この一撃を知って戦意を完全に挫かれた他の拠点のクーデター部隊もまた、程無くその全員が投降勧告を受け入れた。
 これにより、チリのクーデターは鎮圧され、在留米人の保護という米国派遣部隊の表向きの目標も達成される事となったのである。

  ● ● ● ○ ○ ○

 アメリカ東部標準時:10時08分(大西洋標準時:11時08分)、ホワイトハウスのオーバルオフィス(大統領執務室)で大統領と主席補佐官が言葉を交わしていた。

「では、チリで発生したクーデターは第六計画直属部隊によって鎮圧され、我が国派遣部隊は第六計画に協力しつつ在留米人の安全を守りぬいた―――と、公式発表はそんな所でどうかね?」

 大統領は思案気な表情ではあるものの、穏やかな口調で腹心である首席補佐官へと問いかけた。
 チリで発生していたクーデターが鎮圧されてから4時間以上が過ぎ、米国のニュースでは速報や特集番組が繰り返し放送されている。
 ホワイトハウスの声明も第一報こそは既に発しているものの、午後にも記者会見を開き、5万人を超える将兵を派遣した今回の騒動の結末をある程度国民へと知らしめる事は、大統領に課せらた責務であった。

「うむ。まあ、そんなところだろう。
 後は陸軍の戦術機甲部隊が第六計画と交戦した件だが―――
 無線封鎖中だったが故に生じた誤認に端を発する事故であり、誠に遺憾であった。
 互いに戦死者が生じる様な悲劇にならなかった事を神に感謝している、とでも言っておくんだな、ロン。」

「その件は、第六計画側も事を荒立てたりしないと言っているからそれで済むだろう。
 F-22A(ラプター)に被害が出たと言っても、完全に撃破されたという訳ではないしな。
 陸軍にもその辺で納得してもらうとしよう。」

 上っ面だけを見るならば、今回の米国派遣部隊は然したる損害も被らず、オルタネイティヴ6と協力して迅速にクーデターを鎮圧し在留米人の安全を確保したと強弁する事も出来た。
 作戦当初に発生したオルタネイティヴ6による巡航ミサイル迎撃や、米国陸軍戦術機甲中隊『マーベリックス』がA-01と交戦した上で事実上敗北した事など、オルタネイティヴ6との共同作戦と言うには頭の痛い問題もある。
 しかしそれでも、チリの民間人に対する誤射等と言うありきたりではあるものの、世論を大きく揺り動かす様な事態よりはましとも言えた。

「納得するも何も、陸軍は今回得られた実戦データの解析に夢中だろうさ。
 なにしろ、戦技研で対人類戦を研究していたエリート部隊が第六計画の掌で踊らされたんだからな。
 いや、陸軍だけの問題では済まんか。
 XG-70だけでなくレーザー兵器まで持ちだされたんでは、空海軍に軍需企業も大慌てだろう。」

「ああ、そっちの件も実を言うと頭が痛い。
 何しろ、開発研究は元より中長期の装備調達計画も、全面的に見直される可能性がある。
 だが、それは今ここで何を言っても始まらんだろう。
 それよりも、チリ軍事政権首脳陣から亡命を希望する者が出ているそうだな?」

 米国の威信をかけて派遣した部隊が、然したる戦果も上げられなかったという結果は芳しからぬものではあったが、オルタネイティヴ6が保有する高出力レーザー兵器の実戦データをこの時点で得られた事は、米国の戦略見直しを思えばそう悪い結果では無かったとも言える。
 今回の一件がなければ、米国は空軍偏重のBETA大戦以前の形態へと突き進み、巨額の予算を無為に費やす事になっていたかも知れなかったからだ。
 米国の陸海空軍と海兵隊、そして軍需産業の企業各社は、今や長期計画の見直しで騒然たる有様を呈していた。

 しかし、大統領はこの重要案件をあっさりと後回しにしてしまい、チリ軍事政権首脳陣の話へと話題を切り替えてしまう。
 クーデター部隊の蜂起に先立って、チリ全軍に市街戦を極力回避せよとの命令を最後に消息を絶っていたチリ軍事政権首脳陣であったが、実を言えばこれにはオルタネイティヴ6諜報部の工作員が関与していた。
 クーデターの情報を直前になって伝えた上で、先の命令を発する事と引き換えに、チリ軍事政権首脳陣全員をクーデター部隊の手が及ばない安全な場所まで送り届けるとの取引を持ちかけていたのである。

 そしてクーデター部隊の機先を制して首都サンティアゴ・デ・チレの郊外へと一旦身を隠した後、A-01の部隊が投入されるのを待って再突入型強襲揚陸艦『天磐船』へと収容し、事もあろうかクーデター鎮圧後2時間が経過した時点でチリ西方沖を遊弋していた米国海軍の戦術機母艦へと引き渡してしまった。
 そして、鎮圧後の安全確認と称してチリ軍事政権首脳陣の身柄を解放せずに稼いだ2時間の間に、事実上オルタネイティヴ6の制圧下となった首都に於いて最後の転機となる事態が生じていた。

「ああ、昨年創設されたばかりの国連人権理事会が、ここぞとばかりに精力的に動いたからね。
 あの組織の創設自体、第六計画の息がかかっている。
 ドクター香月が水面下で各国に働き掛けていたからね。
 それを思えば、今回の様な連携を行う事こそが国連人権理事会創設の狙いだったのだろう。」

 A-01の軌道降下に同行し、クーデター鎮圧の前後から精力的に活動を開始していた国連人権理事会現地調査官達が、チリ軍事政権首脳陣達が行った人権侵害の証拠物件を次々に摘発したのである。

「人権理事会の現地調査官達は軍人上がりの猛者揃いだという話だし、その多くがソ連や中華人民共和国の前線で過酷な軍務を強いられていた被差別民族の出身者だというからな。
 人権侵害摘発に対する意欲は一方ならぬものがあるのだろう。
 いずれにしても、第六計画が描いたシナリオ通りに事態は展開したという所か。」

 また、これに乗じる形でチリ在住の報道陣や反政府組織が官邸を初めとする政府系施設に押し入り、贈収賄や利権絡みの書類等を家探しして多数発見してしまうという騒ぎまで発生した。
 人権侵害の証拠物件摘発や贈収賄などの発覚が明らかになった時点で、武は『天磐船』へと収容していたチリ軍事政権首脳陣にこれらの状況を説明し、人権侵害に関与した首脳陣をこれ以上保護し続ける事は出来ないと通達した上で、米国派遣部隊へとその身柄を引き渡してしまったのである。

 オルタネイティヴ6としては、これでクーデター部隊の手が及ばない安全な場所へと送り届けるという約束を果たした事になり、同時に米国との親密な関係を長年続けて来たチリ軍事政権首脳陣にとっても、米国派遣部隊への引き渡しはこの状況下では願ってもない事であったのだろう。
 そして、事態を察知したチリの空海軍とカラビネーロス(警察軍)などが激しく首脳陣への批判を展開したのを受けて、国民感情悪化と軍政を構成していた陸軍以外の三軍が離反した状況では復権は困難と考えた大統領以下首脳陣の大半が米国への亡命を希望するに至ったのであった。

「まあ、あれほどの騒ぎとなってしまった以上、戻った所で彼等に碌な未来等ないだろうさ。
 亡命を希望された以上一旦は受け入れざるを得ないだろうが、米国も彼等にとって居心地の良い逃避先とはならんだろうね。」

 フンと鼻を鳴らして首席補佐官は一言の下に切って捨てた。
 チリ軍事政権の醜聞は、今日の内にもアメリカ中に知れ渡る事だろう。
 そうなれば、派遣部隊と共にアメリカへとやってくる亡命者達を暖かく出迎える者など皆無に等しい。

 彼等と癒着し利権を貪っていた米国企業や官僚等は、その頃には自身に降りかかる火の粉を払うのに忙しい筈であるし、米国の世論も反軍事政権への批判とチリの民政移管を歓迎する風潮に染まっている筈だからだ。
 そう、クーデター鎮圧後の軍事政権解体と民政移管の方針は、実を言えば大統領にとって既定路線だったのである。

「これで中南米の親米軍事政権の甘い蜜に集っていた、財界の圧力団体も大人しくなるな。
 党としては彼等のロビー活動に対しては屈せざるを得なかったが、今後は軍事政権を支持する様な声は早々揚げられなくなるだろう。
 なにしろ今後しばらくは、我が米国世論は軍事政権打倒と言う正義に夢中になってしまうだろうからな。」

「うむ。そして、中南米諸国での民政移管を支援する事で親米軍事政権と言う負の遺産を清算し新たなる友好関係を構築せねばな。
 BETA大戦も終息へと向かっている以上、今までの様な無茶は通用すまい。
 暫くは苦しい舵取りが続くかも知れんが、世相は快方へと向かう筈だ。
 世論の動向にさえ気をつけておれば、支持率はそれほど落ち込むまい。」

 地上に於けるBETA大戦が終わろうとしている今、戦後の国際社会における米国の在り方を見直さねばならないと、大統領と首席補佐官はそう考えていた。
 これまでであれば、米国は後方最大の支援国家としてBETA大戦を支える立場であったが故に、多少の事であれば無理を通す事も容易かった。
 しかし、そんな時代は終わろうとしており、新たなる局面が構築されようとしていると、彼等はそう感じていたのである。

 そして、その流れを誘導している者こそが―――

「そうだな。第六計画の世論誘導もあるだろうしな。」

 ―――香月夕呼率いるオルタネイティヴ6であると、彼等はそう確信していた。

「確かにその通りではあるが、些か第六計画の欲しいままに振舞わせ過ぎなのではないか?
 只でさえBETA由来技術を初めとする最先端―――いや、あれほどまでの物ともなれば数世代先行しているとさえ言える装備群を保有し、しかも優秀な将兵と諜報員を有している組織だ。
 これ以上好きに振舞わせては、増長して手に負えなくなるのではないかね?」

「その点は心配なかろう。
 第六計画は終始一貫して、BETAとの戦いを完遂する為の環境作りを目的として策動している。
 その視野には既に太陽系内のBETA殲滅が含まれており、それを実現する為に人類同士の争いによって人的物的資源(リソース)が浪費されたくないだけなのだ。」

 今回のチリクーデター鎮圧に際して、大統領はクーデターが発生する以前に夕呼から秘密裏に交渉を持ちかけられていた。
 夕呼はチリでのクーデター発生の可能性とその裏で画策するソ連とキューバの企みを暴いた上に、軍事政権と癒着して利権を貪る米国産業界から派兵要求が成されるであろう事まで予見して見せた。
 その上で、BETA大戦が終息していく以上、これまででさえ問題視される事が少なくなかった親米軍事政権による人権問題が、米国の国際的な立場を悪化させかねないと警告してきたのである。

 大統領も軍事政権に関してはほぼ同じ見解を有していた為、その後の話はトントン拍子に進む事となった。
 夕呼は大統領が産業界からの要求を飲まざるを得なくなる事を予見した上で、米国を進発した派遣部隊が海路でチリに到達するまでの時間を用いた工作を提案してきた。
 国連安保理ではソ連の拒否権によって否決されるのも見こした上で、国連総会でチリクーデター鎮圧を目的としたオルタネイティヴ6派兵承認決議を成立させるなり軌道降下で戦力を即時投入し、米軍派遣部隊の機先を制する形で米国による軍事政権延命を阻止するというのだ。

 クーデター勃発に先んじた軍事政権首脳陣の身柄の確保から鎮圧後の人権理事会現地調査官の派遣と摘発、更には現地報道機関や反政府組織を指嗾してスキャンダルを暴露する事まで、それらはその時点で既に夕呼の計画には組み込まれていた。
 大統領は夕呼の提案を受け入れ、米軍を派遣する際に自身が不本意である事をアピールしておく事で、派遣部隊が成果を上げられずとも自身の支持率が低下しないように努めた。
 それと共に大統領は、派遣部隊に米国陸軍戦闘技術研究部隊に所属する対人類戦闘のエキスパートである戦術機甲中隊『マーベリックス』を組みこませ、この機会にオルタネイティヴ6の対人類戦能力を少しでも把握出来る様に手配してもいる。

 結果として全ては予定通りに進行し、米国の内政問題も幾らか片付いた上、オルタネイティヴ6の手札を何枚か吐き出させることにも成功した。
 大統領としてはまず満足できる展開であったが、オルタネイティヴ6の方とてほぼ予測の範囲内であっただろうと大統領は考えている。

「ドクター香月と白銀大佐は尋常一様な人間ではないからな、確かに警戒したくなるのも解かる。
 何しろ、あの夢物語としか思えなかった第四計画を曲がりなりにも完遂し、しかもそればかりか装備にしろ戦術にしろ画期的な改革を成し遂げているのだからな。
 だが、あの2人からは政治的野心だの功名心だのといったものが感じられない。
 ただ只管にBETA殲滅という目標を求めて、邁進しているだけに過ぎんよ。」

「ふむ。ならば敵に回さない限り問題は無いいうことか。
 実際、今回は我々に利益を齎してくれたしな。
 お互いが利益を得られる様に協調路線を見出していった方が得策か……」

 大統領の寸評に納得する所があったのか、首席補佐官もオルタネイティヴ6を過度に警戒するよりは利用すべきとの方針へと舵を切った。
 そして相手を利用するのであれば、相手が望んでいる事柄を正しく予見しておくことが重要となる。

「そうなると、今回の件を最大限に活かすのであれば、我が米軍相手に証明された抑止力と情報操作で煽った国際世論の高揚を背景にした、国連改革が第六計画の狙いか。
 今回の件ではソ連が拒否権を発動しているから、安保理改革の契機とするには十分だろう。
 常任理事国入りして以来20年の長きに亘って凍結されていた、日本とオーストラリアの拒否権が今年解除される事も拒否権条項廃止論の後押しをするだろうな。
 恐らく、オーストラリアはともかく日本には既に協力を要請してあるのだろう。」

「私は、オーストラリアからも既に協力を取り付けていると思うがね。
 それ以外にも、国連人権理事会の権限を拡大した上で最終的な実力行使を第六計画が担保する事で、人権侵害を抑制するつもりなのだろうな。
 元々、非武装闘争であれば反政府活動も容認するのが第六計画の方針だ。
 政府による弾圧を抑止できるのであれば、非武装闘争が主流になる日も遠くはあるまい。」

 大統領と首席補佐官の言葉は正鵠を得ている。

 諜報活動によって事前にチリでのクーデターが企まれていた事を察知した武であったが、それによって発生しうる被害とチリ軍事政権によって今まで成され今後も続くであろう人権侵害による被害を比較して、思い悩まずにはいられなかった。
 そこで武は更に、クーデターを阻止した場合とオルタネイティヴ6が関与した上で発生させた場合の双方のケースで、その影響によってオルタネイティヴ6が得られる利点を検証したのであった。
 チリの親米軍事政権と深い関係を構築している米国の内情等も勘案した結果、米国を巻き込んだ上でクーデターを発生させ鎮圧する事で、国連改革を含めて幾つもの懸案事項を解決する契機とし得ると武は判断したのだ。

 殊に拒否権条項の廃止に関しては、米国の協力を得られるかどうかで大きく事情が異なって来る。
 国際世論を無視し切れない米国にとって、拒否権はなかなか使いどころの難しい手札であった。
 それでも国連における影響力を行使する上では、捨て難い手札でもある。

 武としては今回の機会を逃さず米国―――正確には大統領に恩を売って、是非とも協力を得たい所であったのだ。
 その辺りの事情を薄々察していながらも、首席補佐官が問題視したのはそれとはまた異なった部分であった。

「しかし、その様な事になれば国家の分裂が進み兼ねんぞ。
 ソ連等が崩壊する分には万々歳だが、民族問題を内包している国々は少なくない。
 しかも、BETA大戦によって多くの国土が失われた事からも、全人類的に国家や民族への帰属意識が高まっておる。
 BETAが地上から一掃され脅威が遠のけば、それらの民族運動が一気に隆盛しかねん。」

 国家を―――殊に大国をまとめておくには時に強権の発動も必要であると、首席補佐官は常々そう考えている。
 だからこそ、オルタネイティヴ6の抑止力によって弾圧と言う手段を封じられた場合、多くの国家が幾つもの勢力に分裂していく可能性を案じたのである。
 しかし、大統領はそんな首席補佐官の懸念を至極あっさりと容認して見せた。

「第六計画にとっては、恐らくその方が都合が良いのだろう。
 幾つかの大国の綱引きによって方針が左右される国際社会よりも、多数の中小国家の合議によって方針が定められる方が、な。」

「なるほど。そして例え小国故に十分な武力を保持できなくとも、第六計画を初めとする国連軍が安全保障を請け負うという訳か。
 そうなれば、国連の庇護を受ける為にも加盟各国は胡乱な事は出来なくなる訳だな。
 確かにそこまでやれば、国家規模の内紛は相当抑止されるだろう。
 しかし、国際社会での主導権を掌握したい我が国としては些か不都合なのではないかね?」

 そして首席補佐官もまた、オルタネイティヴ6が目指す国際社会の在り様に思い至った上で、更に問題提起を行った。
 だが、その言葉を受けて尚、大統領は動じる素振りも見せない。

「なに。そうなったらなったで、国連内部での主導権を押さえるだけの事だよ。
 幸いにして、我が国は自由と民主主義を謳っているからな。
 元から大っぴらに思想弾圧など出来ないし、そもそも多様な価値観を容認している。
 最早、覇権主義の通用する時代ではないが、合衆国として全てを内包した上で、大国として覇を唱え続ける事は可能だろう。」

「これまでとは相当ルールが変わりはするが、我が国の在り様は従来通りで構わないという事か。
 しかしまあ、随分とまた壮大な仕掛けだな。
 人類の命運を背負ってBETA大戦を主導する計画には、相応しいと言えば言えるが……」

 そしてそんな大統領の言葉を追認した首席補佐官は、肩を竦めるといっそ呆れたとでもいった風に言葉を洩らした。
 それに続けて苦笑を浮かべた大統領が、片目を瞑り小話でもするかの如き軽妙な語り口で言葉を紡ぐ。

「実は先代大統領から引き継ぎを受けた折には、屈辱だの脅威だのと第六計画を悪魔の手先の如くに罵っていてね。
 どうやら、在任中には大分煮え湯を飲まされたらしい。
 余程扱いにくい相手なのかと思っていたのだが、何、話してみたら然程の事は無かった。
 要は敵に回さなければいいという、それだけの事だった訳だ。」

「なるほどな、それではBETAを相手取った人類の命運をかけた戦いは彼等に委ねて、我々はその邪魔をしない程度に地上の覇権を争っていればいいという事だな。」

 そんな大統領の言葉を受けて、首席補佐官も笑みを浮かべるとおどけた様な言葉で応じる。
 大統領も満面の笑みを浮かべると、大きく手を広げて言い放つ。

「そうさ。敵しか居ない宇宙等、何の魅力もありはしない。
 宇宙における覇権等、第六計画によってBETAが排除されてからゆっくりと取り掛かればいいのだよ。」

 ―――それは、大国アメリカ合衆国の大統領ならではの、鷹揚極まりない発言であったかもしれない。






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 参考資料:今回初めて名前が登場したスピンオフ作品のキャラクター一覧(同一作品内は本文登場順)
 今回、3人だけですが前例に倣って記載しておきますので、興味のある方は参考までにご覧ください。

・『マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ 01 THE DAY AFTER』
 ウィルバート・D・コリンズ
 ダリル・A・マクマナス
 リリア・シェルベリ
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[3277] 第146話 天空にて地と星々を望み
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2012/02/14 20:27

第146話 天空にて地と星々を望み

グリニッジ標準時:2010年03月23日(火)

 グリニッジ標準時:22時04分、地球周回軌道上の航宙母艦『ギガロード』に設えられた夕呼の執務室に、武と夕呼、そして霞の姿があった。

「やれやれ、これでやっと国連も風通しが良くなりそうよ。」

 2008年に国連軍横浜基地よりこの『ギガロード』へとオルタネイティヴ6の本部機能が移設されて以来、1年以上使い続けてすっかりと馴染んだ執務机に着いたままの夕呼が、机を挟んで対面に立つ武に向かってそう語りかけた。

 2007年に再突入型強襲揚陸艦『天磐船(あめのいわふね)』が就役した事により軌道上からの戦力展開が容易になった事を受け、A-01駐留拠点を横浜基地より『ギガロード』級航宙母艦へと移すことが決定された。
 月奪還作戦を睨んだ真空低重力下での訓練環境を確保する為にも、その方が都合が良かった為でもあったが、この結果A-01は地球周回軌道上より地球上の如何なる地点であっても迅速にその戦力を展開可能となった。
 これに合わせて、オルタネイティヴ6本部機能と次世代のA-01所属衛士を育成する為の第207衛士訓練小隊もまた、『ギガロード』へとその拠点を移す事となったのである。

 2005年に『マクロ・スペース』級恒星間移民船4隻を太陽系偵察航宙艦隊として送り出した後、残された『マクロ・スペース』級恒星間移民船を改装した『ギガロード』は2006年に就役しており、以来オルタネイティヴ6の軌道上に於ける拠点として稼働してきた。
 現在では、『ギガロード』級航宙母艦は3番艦迄が就役しており、『ギガロード』のバックアップとして2番艦が地球を挟んで『ギガロード』とは反対側の周回軌道上に配置されている。
 そしてその2番艦には、アルフレッド・ウォーケン大佐が直率の第2連隊から選抜された分遣隊を指揮して駐留しており、日夜緊急出動に備えていた。

 横浜基地しか拠点を有していなかったオルタネイティヴ4の頃と比べると、今ではオルタネイティヴ6は多くの基地や艦艇を保有している。
 それらを管理運用すると共に防諜態勢を保持する為に、『ギガロード』は勿論の事、2番艦や3番艦、そして稼働中のBETA反応炉を初めとするBETA施設を有する横浜基地と佐渡島要塞に対しては、ESP発現体が派遣されて潜入しようとする諜報員の排除に務めていた。
 その甲斐あってか、今までの所は諜報員の潜入を完全にシャットアウトできている。

 斯くして活動の主体を宇宙へと移したオルタネイティヴ6だったが、『ギガロード』級航宙母艦では夕呼の執務室を含めて、常時人員が配置されている施設の大半がほぼ1Gの人工重力下にある居住区画に存在している為、オルタネイティヴ6本部要員の生活は横浜基地時代と然程変わってはいない。
 制服も従来のままであり、無重力区画や他の艦船への移乗、宇宙空間での訓練等の時でもなければ、気密服等といった宇宙仕様の装備を身に纏う事も然して無かった。
 殊に、機密や保安上の理由から横浜基地でもほとんど地下施設に籠りきりであった夕呼などには、然したる感慨も無く新たな生活を受け入れて今ではすっかり順応してしまっている。

 そしてこの日、機密回線による通信で国連安保理の会合に参加していた夕呼は、そこで得られた最新情報を基にして更に言葉を継いだ。

「チリのクーデターに介入してから2年ちょい、あんたに人類の総力を対BETA戦に結集させるだなんて無理難題を押し付けられてからだと8年以上、ようやく何とか形に出来たわ。
 拒否権条項の撤廃に、国連人権理事会の権限強化とその勧告に伴う国連軍武力介入権の承認、それとなによりも対BETA総力戦体制の確立。
 我ながら、良くまあここまで漕ぎ着けたと思うわよ。
 さあ白銀、遠慮はいらないから満足するまであたしを崇め倒しなさい。」

 椅子の大きな背もたれに上半身を埋める様にして寛ぎ両手を組んだ夕呼は、武に対して睥睨する様な視線を投げつけてそう言い放つ。
 それに対して、武は真剣な表情で言葉を返した。

「お疲れさまでした夕呼先生。
 先生じゃなければ、ここまで国連改革を断行する事は出来なかったと思います。
 これで加盟各国の主導権争いの末に、月奪還作戦を初めとする地球奪還後の対BETA作戦遂行を妨げられたりせずに済みます。
 本当に―――本当にありがとうございました。」

 チリのクーデター鎮圧を契機として、夕呼は以前からの腹案であった国連改革を一気に推し進めた。
 そして2年の月日を費やしたとはいえ、遂に改革を断行し切ったのである。
 それは長年に亘って夕呼が行ってきた根回しや駆け引き、思考誘導等があったればこそではあったが、チリクーデターの一件で米国大統領から協力を得られる様になった事が大きかった。

 チリのクーデターでA-01と米軍との間で戦端が開かれそうになった事を、ソ連の拒否権発動による安保理決議否決により国連総会での再決議を待たなければならなかった為であると結論付けた夕呼は、その上で安保理の機能を阻害しかねない拒否権条項は撤廃すべきであると主張したのである。
 この主張に米国と日本帝国が即座に賛同し、国連総会で米国大統領と日本帝国政威大将軍が共同発議と言う形で拒否権条項撤廃案を提議する運びとなった。
 これに対してはソ連とその友好国が当然の如くに難色を示したのだが、米英仏日豪の5ヶ国に中国としての代表権を取り戻した中華民国を加えた常任理事国7ヶ国中6ヶ国が賛同するに至って、ソ連は拒否権を発動しても総会での再議決を避けられないと判断し、安保理決議を棄権する事で拒否権撤廃案の成立を容認せざるを得なかった。

 また、他方ではオルタネイティヴ6の早期介入とそれに協力した国連人権理事会現地調査官達の行動が、現地民間人の人権保護に大きく寄与したと高く評価され、国連人権理事会が深刻な人権侵害の恐れがあると判断した場合には、国連軍の即時派遣を要請する権限を有する事と定められた。
 これにより、当該派遣国政府の同意を得る事無く国連軍は緊急展開した上で、非武装民間人の生命財産を守る為である限りに於いて武力行使が可能であると定められた。
 無論交戦規定は事細かに定められており、武力行使は飽く迄も非武装民間人を守る為だけに限定されてはいるが、その規定に合致してさえいれば当該国の正規軍に対してでさえ攻撃を行えるという内容であった。

 これには内政干渉に当たるとして反対する声も少なくなかったのだが、他国からの軍事的恫喝や武力行使に対する抑止力として国連軍が機能する事を期待した中小国家群によって支持され、議論の末に可決された。
 この決定により、これまでBETAという圧倒的な人類への脅威に対抗する為に強大な権限と戦力を与えられてきた国連軍は、民間人保護を目的とした平和執行型PKOをその正規任務に加えられる事となった。
 国連軍はこれに対応する為にも国連人権理事会と相互に連携しつつ、各国の情勢を早期に察知する為の諜報組織を充実させていく事となる。

 武力を振るい民間人を虐げるものに対しては、それが主権国家であっても断固としてその行いを阻止するという意思を示す一方、国連人権理事会は非武装の政治活動を行う個人や集団に関しては政府や他の集団からの弾圧を受けないように保護するという方針を表明する事で、武力闘争を放棄する様に促した。

 これら一連の国連改革によって、人類同士で争い傷付け合う事の無い様に務め、順調に進行しているBETAからの地球奪還が完遂された後も、月を初めとした太陽系内に巣食うBETAに対する戦いを継続できる態勢を整える。
 例えその本心が、地球奪還後の勢力争いに巻き込まれ自国が不利益を被る事を恐れるが故であったとしても、対BETA総力戦体制下における国際協調と言うお題目が国連に於いて採択されるに至ったのである。
 そしてその採択を後押しした要因の1つに、太陽系偵察航宙艦隊によって構築された太陽系宙域監視網『エシッド』から送られてきた、太陽系内のBETA分布情報の存在があった。

 BETA地球侵攻によって総人口が激減したとは言え、将来地球圏だけでは人類の生息域が不足するという認識は、BETA侵攻以前に宇宙開発に力を入れていたこの世界では未だに根強く残っている。
 その為、月と火星のみならず木星圏を初めとした大型衛星等にもBETAがハイヴを建設しているという事実は、将来人類の生存圏を圧迫する深刻な脅威として受け止められた。
 更には、オルタネイティヴ6から開示されたBETA情報の中で、現在未確認とはされながらも航宙能力を有するガスジャイアント(巨大ガス惑星)大気回収用BETA種や、宙間戦闘用と思われるBETA種の存在が言及されていた事もまた、地球奪還後もBETAに対抗し続ける事の必要性を訴えかけていた。

 斯くして夕呼による国連工作は実を結び、曲がりなりにも国連加盟諸国はBETAの脅威を再認識し、国連及び国連軍を安定機構として人類同士での争いを遠ざけ、BETAという脅威に対抗すべく協調する道筋を遂に歩み始めたのである。

 そして、BETAの脅威に晒された世界に再構成されて以来、ずっと求め続けた環境をようやく手にする事が出来た武は、自身の願いを叶えてくれた恩師に対して真摯な態度で感謝の念を表明したのであった。

「―――ま、まあ……何とか落ち着いたとは言っても、次の会合で火星への補給物資輸送計画をぶち上げるまででしょうけどね。
 月は愚か、地球奪還も達成されていない現時点で、復興すら後回しにして物資を火星に送るって言うんだから抵抗は相当なものになるわよ。
 ま、火星に人間を送って戦争させるって言うなら、その位しないとどうにもなんないんだけどね。
 国連の頑固親父共に、それが理解出来るかしらね~。」

 そんな武の大仰とも言える謝辞に夕呼は視線を左右に泳がせた後でようやく口を開いたのだが、深々とお辞儀をしたままの武はそれを目にする事は無かった。
 尤も武の隣に立つ霞は、そんな夕呼を正面から目の当たりにしていたのだが、何処か微笑ましげに薄らと笑みを浮かべ静謐の内に無言で佇むだけであった。

 そんな霞を軽く睨みつけながらも次の懸案事項を語る夕呼に、武はようやく頭を上げて視線を向ける。
 少し慌てて視線を霞から逸らした夕呼の素振りに気付く事無く、武は難しげな表情で口を開いた。

「確かに紛糾しそうですけど、その計画を通して物資の射出さえ始めてしまえば、少なくとも火星奪還までは一気に推し進める事が出来ると思うんですよね。
 折角オルタネイティヴ6に協力的な米国大統領が在任しているんですから、今の内になんとか押し切っておくべきだと思います。」

「そうね~。米国大統領なんて碌でもない奴だとばかり思ってたけど、あいつは結構話の解かる奴だったわね。
 でも、米国は大統領の3選を禁じてるから、あいつも今期を最後に勇退って訳ね。
 次の大統領が、また碌でもない奴に戻らないことを期待するわ~。」

 オルタネイティヴ4時代に、散々米国相手に手間をかけさせられた夕呼だけに、チリクーデター以降に曲がりなりにも協力態勢を構築できた現米国大統領に対する評価はそれなりに高い。
 尤も米国大統領とて利用されるばかりの扱いやすい人物だという訳でもなく、単に敵に回すよりもオルタネイティヴ6と協力関係を構築した方が益が多いと見切っているだけだという事は、夕呼にも重々解かっている。
 それでも米国が協力的であるならば、国連での工作が格段に容易になるという事も紛れもない事実であった。

「まあ、米国に限った話じゃないんですけど、前の世界群で散々焦らされた挙句お預け食らった所為か、どうにも不安でしょうがないんです。
 勿論、復興支援の方も手を抜く気は無いんですけど、地球奪還から月、火星と、戦意が高揚している内に一息に事を進めたいんですよ。」

 この時点で既に地球上のハイヴは7つを残すのみとなっており、奪還されたBETA支配域の復興も始まっている。
 その復興支援や治安維持もオルタネイティヴ6の職掌に含まれており、莫大な物資と労力が投入されているという事は武の熟知する所であった。
 しかし、それでも尚、豊富とは言い難い物資を割いて火星へと送り出しておく事で、いずれ平穏に慣れて生活の安定を望む世相となった時に、火星奪還に必要とされる物資を惜しんで計画を中止される事がないようにしておきたいと武は考えていた。

 ここで話題に上っている補給物資輸送計画は、地球軌道上より火星に向けて重力勾配推進で加速した物資輸送コンテナを射出し、火星衛星軌道上で待機している『マクロ・スペース』級恒星間移民船で減速回収した上で食料プラントを初めとする補給拠点を構築するというものであった。

 火星派遣軍は現在建造中の『ギガロード』級航宙母艦に搭載して火星へ赴く事になるが、補給物資まで積載していくとなると現在建造を予定されている隻数では派遣軍の規模が限られてしまう。
 かと言って、時間物資の両面から建艦規模を拡大する事も困難な上、派遣された将兵が日々消費する食料品などの量は膨大なものとなる事が明らかだった。
 火星でさえ物資輸送にかかる負担は大きいのだから、そこから先―――木星以遠のBETAに対する作戦行動を可能とする為にも、火星に物資を送り早期に食料プラントを構築しておく必要がある。

 秘匿情報として公開は一切していないが、この時点で太陽系偵察航宙艦隊によって建設されたアステロイドベルト(小惑星帯)の生産施設は稼働を開始しており、施設の規模を日々拡大し続けている。
 その生産能力を用いれば装備弾薬や物資はある程度賄う事が出来るが、人間が生きていく為に必要な食料を生産する為の物資は、偵察航宙艦隊には搭載されていなかった。
 これは、アステロイドベルトの生産施設は自律航宙艦隊の建造を目的としていた為であり、物資の供出すら拒まれる様であれば人類の手による火星奪還など不可能だと武が割り切っていた為でもある。

 それ故に、武は現時点で補給物資輸送計画が承認される事を切実に願っている。
 自分という特異な存在の力ではなく、この確率分岐世界の人類自身の力でBETAに打ち勝って欲しいと、そう願うが故の事であった。

「ま、人間って生き物は自分に都合の悪い事には目を瞑りがちな習性を持ってるからね。
 喉元過ぎれば熱さ忘れるって言うし、地球が奪還されて月にもBETAが居なくなったら、火星や子孫の世代の事より自分達の暮らしを優先するでしょうよ。
 そう言う点からすれば白銀―――あんたが今の時点で物資輸送計画を持ち出したのは正解よ。
 今の所、ソ連が幾度も持ち出している技術情報開示請求も突っぱねられてるから、主導権がこっちにあるうちに事を進めておくべきね。」

 人類を信用し切れない自分に嫌悪感を抱いている様子の武に、夕呼は宥めるような言葉を述べつつ幾度も安保理で蒸し返される議論の1つを想起した。
 それは、オルタネイティヴ6の保有する先進技術を、国連加盟諸国へと開示するべきであるというソ連の主張に関するものであった。

 現在、オルタネイティヴ6の保有している装備に用いられている技術は、武が『前の確率分岐世界群』から持ち越した知識に基づいて実用化されたものが大半である。
 その内、御剣財閥に委託して実用化させた技術を除けば、全ての技術はオルタネイティヴ6の機密として秘匿されており、高出力レーザーや熱光学迷彩、簡易GS(Gravity-gradient Sailing)機関等、各国垂涎の的となっている技術が山盛りであった。
 米国を除けば国連加盟各国にこれらの技術を独自開発するだけの余力は無く、機密情報の開示が成されない限り優に10年はこれらの技術を物にする事は出来ないだろうと予想されていた。

 それ故に情報開示を望む国も少なくはなかったが、例え情報開示されたとしてもそれを即座に実用化して、装備を開発し配備できる国は決して多くはない。
 米国は勿論、ソ連や英独仏日豪等の列強諸国に先行して配備され、自国が配備出来た頃には既に陳腐化していてもおかしくないのだ。
 それを考えるのであれば、国連軍のみが配備している状況の方が列強諸国の武力行使を抑制できるだけマシとも言えるのである。

 そして、ソ連以外の列強諸国はと言えば、自国がそれらの技術を手にする事よりもソ連の手にそれらの技術が亘る事の方が問題であった。
 以前よりはその勢力を減じているとは言え、未だに覇権主義を捨てていないソ連に国連軍―――殊にオルタネイティヴ6に伍せるだけの力を持たせては、安定へと向かおうとしている国際情勢が再び危うくなると考えたのである。
 こういった各国の思惑から今の所ソ連の情報開示請求は否決されているものの、今後BETAの脅威が減じ復興が進んでいくのに伴い国力にゆとりが出てくるに従って、先進技術を欲する国家も増えて来るに違いなかった。

 『前の確率分岐世界群』の様にオルタネイティヴ6の統括責任者を挿げ替えられる可能性もある上、米国等は独力でオルタネイティヴ6の技術力を凌駕しようと考えているに違いない。
 夕呼と武も何時までも自分達が主導権を握り続けられるとまでは思っていなかったが、せめて太陽系奪還の為の道筋位までは付けておきたいと思っている。
 それを実現する為には、火星奪還への事実上のゴーサインとなる今回の補給物資輸送計画の承認をなんとしても取り付け、人類による太陽系奪還への第一歩を踏み出しておきたかった。

 武の4回に及ぶ再構成で経験した全ての確率分岐世界群と、今回―――5回目の再構成後に経過した8年と5ヶ月を費やして、遂に月と火星の奪還に向けた障害が取り除かれようとしていた。

 武は感慨深げに瞼を閉じて暫し瞑目した後、もう一度深々と頭を下げて夕呼に謝意を表す。

 武の覚悟と願い―――そしてこれまでに成し遂げて来た事々をこの世界で最も良く知る夕呼と霞は、そんな武へと暖かな視線を注ぐのであった。



 が、そんな染み染みとした雰囲気を、夕呼の唐突な発言が霧散させる。

「あ、そう言えば白銀、あんたに言っとかなきゃなんない事があったのよね~。」

「え?! 改まってなんですか? 夕呼先生。」

 夕呼の言葉に何事かと慌てて頭を上げた武だったが、夕呼の様子から大事ではなさそうだと見当を付けると首を傾げて問いかける。
 その隣では、霞が眉を微かに寄せて夕呼をじっと見上げていた。

「あんたに告白した娘達の事よ。
 あたしの方で、地球奪還までは退役も妊娠も厳禁しておいたんだけど、こっから先は知らないからそのつもりでいなさい。」

 すっとぼけた表情で、夕呼は淡々と言葉を告げた。
 その内容に武の思考が停止し表情が引き攣る。

「………………は?」

 ようやく絞り出した武の間抜けな声に、夕呼は意地の悪い笑みを浮かべて一気呵成に畳み込む。

「予定通りなら地球奪還は2013年の年末辺りだから、あんた告白された癖に12年も放置しとく事になるじゃないの。
 今からちゃ~んと言い訳を考えといた方が良いわよ~。」

 そんな夕呼に霞は武と反対側へと視線を逸らして、か細い溜息を洩らす。
 しかし、武はすっかり動顛してしまっており、霞の所作に気付く余裕がなかった。

「いや、ちょっと待って下さいよ夕呼先生!
 オレはちゃんと告白された時に気持には応えられないって―――」

「馬鹿ね! そんな事言ったって、実際に1人として諦めてないじゃないの。
 あんたもいい加減罪作りよね~。
 ほら、社。あんたも今の内にこの朴念仁に自分の想いをアピールしといたら?」

 武の主張など軽く一蹴してのけた夕呼は、今度は霞まで巻き込もうとする。
 この年の秋で23を迎える事になる霞は平均よりは大分低いながらも身長が伸び、儚げな雰囲気はそのままに可愛いらしい少女から美しい女性―――と言うにはやや幼く見えるが、とにかく出会った頃よりは成長している。
 そんな霞がややうつむいている姿は、この上なく庇護欲を刺激するものであった。

「……私は……白銀さんの傍に居られれば……それだけでいいです……」

 そしてそんな霞の口から発せられるのは実に健気な言葉であり、それを耳にした武は思わず胸を押さえて悩ましげな表情を浮かべる。
 それを見て愉悦の笑みを浮かべた夕呼は、更に武へと追い打ちをかけた。

「あらま、欲の無い事。
 ここまで言われても素気無く出来るだなんて、やっぱあんたって罪作りよね~。」

「いや、その、え~と………………か、勘弁して下さいよ~。」

 武は、すっかり打ちのめされた様な情けない表情で白旗を振る。
 その姿に嗜虐心を満足させながらも、夕呼は心中で溜息を零した。

(ほんと、甲斐性無しなんだから。
 これじゃあ、まりもも報われそうにはないわね~。
 どうやら、『次の確率分岐世界群』にも挑むつもりみたいだし、一体……何処まで続ける気なのかしらね……まったく…………)

 そんな夕呼の思惟を読み取ったのか、霞は夕呼に向けた視線をまるで同意して頷くかの様にすっと足元へと落とすのであった。

  ● ● ● ○ ○ ○

グリニッジ標準時:2012年02月14日(火)

 グリニッジ標準時:22時16分、地球周回軌道上の航宙母艦『ギガロード』のラウンジを兼ねる士官食堂(ワードルーム)は、通常シフトであれば消灯時間まで1時間もないという時間にも拘わらず10人を超す人影で賑わっていた。

「おっまたせ~! 今年は力作ぞろいだよ、タケルちゃん!!
 さ、食べて食べて! あ、例によって沢山ありますからヴァルキリーズの皆さんもどうぞ~。」

 大ぶりなワゴンを押しながら士官食堂に入ってきた純夏の声に、思い思いの席に着き談笑していた一同の視線が集まる。
 入ってきたのは純夏だけではなく、智恵と月恵に壬姫がその後ろに続いており、その全員がワゴンを押していた。

「そうか。毎年悪いな鑑曹長。
 それでは、遠慮なく頂くとしよう。」

 純夏の言葉に立ちあがったみちるは、謝辞を述べると長年戦場を共にしてきた部下達を促す。
 そして20人掛け大型テーブルの武が座っている反対側、対面に着席する。
 そしてみちるの両脇を埋めていく様に『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々が着席していったが、『白銀武研究同好会』に名を連ねる霞を含めた10名は席には着かずに給仕よろしくワゴンで運んで来た品々をテーブルへと手際良く並べていく。

「うん。全員に行き渡ったみたいだね!
 それじゃあ、恒例通りタケルちゃんがまず食べた物から解禁だよ~。
 さ、タケルちゃん早く早く!!」

 壬姫がワゴンで淹れている飲み物を除いて全ての品を配り終えた事を確認した純夏が、頭頂部の癖っ毛をピンと伸ばしながらウキウキと武を急かす。
 そして、そんな純夏に霞、冥夜、千鶴、彩峰、美琴、晴子、智恵、月恵の注視と、飲み物の用意をしながらもチラチラと投げかけて来る壬姫の視線に曝されながら、眼前に並べられた皿を武は見廻す。
 その内の一つを武は手に取り、皿に乗せられた菓子を摘み上げる。

「今年は最中(もなか)が2種類あるんだな。
 中身は何の餡子だ?」

 そう言いながら大ぶりな最中を口元へと運び、3分の1程を一口で頬張る武。
 それを見て、千鶴が何か言いたげに口を開いたが、咀嚼した途端に武がくぐもった声を発する。

「んがっ! ご、ごれば………………これ! 中身はヤキソバじゃねえか!!
 彩峰だな? こんなことすんのは……
 しかし、ヤキソバの湿気で最中がふやけない様に薄焼き卵で包んでから入れてんのか……
 無駄に手が込んでるな―――っと、否、味は結構いけると思うぞ彩峰。だから殺気を飛ばすのはよせ!」

 口中の最中を飲み下す前に驚愕の声を発してしまった武だったが、慌てて嚥下すると彩峰を睨みつけながら改めて言葉を発した。
 そして、ニヤリと笑みを浮かべる彩峰から視線を手中の最中へと戻し、その断面に視線を向けながら誰に言うでもなく感想を口にする。
 その感想で、自身の苦労を無駄と称された彩峰が武を睨みつけたものの、味を認められた事で差し当たっては矛先を緩める気になったようであった。

 そして、武が手中に残った最中を食べ始めるのを見て、席に付いている『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々も武が手に取ったのと同じ最中を食べてわいわいと口々に感想を口にした。

「へぇ~。変わったぁ最中だね~、葉子ちゃん。」
「うん……でも、普通に美味しい……」
「焼きそば好きの彩峰が作ったってだけの事はあるね。」

 中でも葵が気に入った様で、食べ終えるなりおっとりとした笑顔を満面に浮かべて葉子に同意を求め、葉子と紫苑がそれに応じていた。
 少し喧騒に沸いた所で、壬姫がティーカップを武の前に置き、その後他の面々の前にも配っていく。
 武は壬姫に礼を言うと、最中を咀嚼し終えた所でティーカップに注がれた暖かい茶を一口口に含んだ。

 そして、壬姫から紅茶を嬉しそうに受け取った美冴が、壬姫へと語りかける。

「珠瀬謹製の中国茶だな。私はこの千日紅の程良い酸味が好みなんだ。
 本当はちょくちょく入れて欲しいんだが、やはり駄目か。」

「すみません、宗像中佐。このお茶は本当はたけるさん専用って決めてるんです。
 この日だけは特別にお裾分けしますから勘弁して下さい~。」

 そんな美冴の言葉に少し困った様な笑みを浮かべた壬姫は、美冴の隣に腰掛けている祷子に厚手のガラスで作られたティーカップを渡しながら頭を下げる。
 そんな壬姫に、受け取った千日紅茶を一口啜った祷子が口添えする。

「珠瀬大尉が想いを込めて丹精している、千日紅を使ったお茶ですものね。
 美容にもいいという話ですし愛飲したいのは山々ですけれど、しかたありませんわ。」

 壬姫が配っているのは、ライチのフレーバーティーに千日紅の花をブレンドした中国茶であった。
 ライチ茶は取り寄せたものをそのまま使っているが、千日紅の花は壬姫が横浜基地から宇宙へと上がって来ても尚、丹精し続けているストロベリーフィールド(千日紅)の花を使っている。
 壬姫にとっては武への自身の想いを込めた特別なお茶であった。

 そんなやり取りを交わしながらも壬姫がお茶を配り終えた所で、武はやはり最中が乗ったもう1つの皿を手に取った。
 こちらは小ぶりの最中が3つ、端正な佇まいで和紙の上に並べられている。
 何を思ったのか武はその真ん中の最中を取り上げると、ぽいっと口の中へと放り込んで咀嚼し―――途端に口を抑えて顔を顰めた。

「―――ッ!! 辛ッ! 今度は唐辛子かよ!?
 この辛さはちょっとシャレになってないぞ?!」

 何とか噴き出さずに口中の最中を嚥下した武は、顔を真っ赤にしながら苦情を声高に言い立てる。
 そこにすっと水の入ったコップが差し出され、それを受け取りながら差し出す主を武が見上げる。
 するとその視線の先には、笑みを懸命に噛み殺す千鶴の顔があった。

「くくっ……そ、そんなに辛かったかしら?
 ちょっと大げさなんじゃないの? 白銀。」

「お前の仕業か委員長。
 なんだって、こんなの作ったんだよ。他のみんなだって驚いてるぞ?」

 コップの水を一気に半分程飲み干した武は、恨めしげな顔で千鶴を睨みながらそう言ったが、実の所周囲の仲間達は驚くよりも楽しげに笑っている者が殆どであった。
 しかし、千鶴はそれを敢えて指摘する事はせずに、真面目そうな表情を拵えて言葉を返した。

「あら、御免なさいね。甘い物ばかりじゃ飽きるかと思って、白銀の皿にだけ特別に混ぜておいたのよ。
 他の2つはちゃぁんと甘い最中だから安心して頂戴。
 それにしても……ぷぷっ……ま、まさか真中から食べ始めるとは思ってもみなかったわ……くくくっ……」

「甘い物ばかりって……まだ甘いものなんて一口も喰ってねえよ…………ったく……
 ―――お、こっちは栗最中か、未だ少し辛い感じが舌に残ってっけど上品な甘さで堅実な仕上がりだな。」

 千鶴の弁明(?)を聞いて尚、恨めしげな顔で千鶴を見上げる武だったが、口直しとばかりに残った最中の片方を懲りもせずにひょいっと口に放り込んだ。
 そして、今度こそ口の中に広がった程良い甘味とほくほくとした栗の食感に顔を綻ばせた。
 それを目の当たりにした千鶴は、満足気に武の傍らを離れてワゴンの方へと下がっていく。

 そんな千鶴の所作を見ながら、武を真似るかのように最中を口へと放り込んだ茜が苦笑しつつも呟く。

「唐辛子入りを混ぜるだなんて、千鶴らしいって言うか、素直じゃないって言うか……
 ま、面白い物を見せて貰ったから、あたしとしては満足だけどね。」
「んぐ、ご、ごがっ!」

 茜の呟きに何とか言葉を返そうとした多恵であったが、茜の真似をして口に放り込んだ最中が喉につっかえてしまっていた為、言葉を発せず目を白黒させて苦しむ羽目に陥ってしまう。
 しかし、その後茜からお茶を手渡され背中をさすって貰えた為、多恵は直ぐに滲んだ涙を引っ込め満面の笑みを浮かべる事となった。

 そんな2人を他所に、武は3皿目に比較的危なく無さそうな皿を選ぶ。

「クッキーか。…………うん、普通に美味いぞ。
 これは誰のだ?」

 今度こそ何事もなく咀嚼し終えた武が問いを放つと、飛び上がる様にして挙手した月恵が声を上げた。

「はいはいっ! 私の作った奴ねっ!!
 智恵~っ、よかったぁ~、美味しいって言って貰えたよっ!!」
「うん、良かったね~、月恵~。」

 そして。武に褒められたのが嬉しかったのか、月恵は智恵とハイタッチして喜びを表していた。
 続けて武が手に取ったのは、球形に近いハート形に成形されたトリュフチョコであった。
 中身にとんでもない物でも入っていないかと恐る恐る噛み砕いた武だったが、こちらは智恵の作った品であった為、甘みを抑えたビターチョコとナッツの奇を衒わない堅実な風味が口中に広がる。

「うん、これも美味いな。ん~と、これは高原か?」
「そうだよ~。お口に合ったみたいで良かった~。」

 武が問いかければ、待ちかねた様に言葉を返す智恵。
 そんなやり取りを見ながら、チョコを口にした水月が満足気に頷く。

「これ、甘みを抑えてるのが良いわね。気に入ったわ。」
「麻倉大尉のクッキーも美味しいよね。」

 そしてその隣では、遙が嬉しそうにクッキーを少しずつ噛み砕いては味わっていた。
 一方武はと言うと、腕組みをして目の前に残された5皿をじっと見つめていた。
 その内2品は毎年恒例の安全牌であり最後の口直しに取っておくつもりであった為、残る3品のどれから手を出すかで武は悩んでいた。

 その3皿とは、大判で厚みのある煎餅と、チョコレートケーキ、そして『CANDY BOX』という飾り文字が大きく描かれたハート形の箱であった。
 紙箱をわざわざ皿の上に乗せて出すのもどうかと思った武だったが、キャンディー即ち飴であるならば無難そうなものを1つ舐めてしまえば後は持ち帰ればいいだろうと考え、横目で美琴の様子を窺いながら紙箱へと手を伸ばした。
 すると、それを見た美琴が途端に瞳を輝かせて揉み手し始めた為、やはりこれは美琴の作品かと内心で頷きながら武は箱の蓋を開ける。

「ちょっと待て! 中身チョコレートじゃねえかよ!!
 どこがキャンディーなんだよ、美琴ッ!」

「え? あはは。ボクのだって解かっちゃった?
 やっぱりボクと武は以心伝心不義密通なんだね~、嬉しいよタケルぅ~!!」

 武に突っ込まれている立場にも拘わらず、勝手に盛り上がってしまった美琴は両目をギュッと瞑ると大喜びで身悶えし始めた。
 その言葉の一部を聞き咎めたみちるが眉を跳ね上げて苦言を呈したものの、後半は視線を明後日の方向へと据えてぶつぶつと何やら呟き始めてしまう。
 2005年に姉妹4人と正樹とで揃って拡大婚姻法による婚姻を結んだにも拘わらず、A-01での任務を優先して子供を儲ける事も出来ず滅多に逢瀬も楽しめないみちるだけに、やや浮気性の気のある正樹の事を思い出してしまったのであろう。

「いや、不義密通は感心出来ないぞ、鎧衣。
 浮気はいかん、浮気は…………」

 みちるの事情を良く知る面々は揃って憐憫の視線をみちるに向けたが、美琴はそんな事には気付きもせずに滔々と蘊蓄を語り始める。

「あ、そのキャンディーボックスはねえ、19世紀後半にイギリス王室御用達の菓子販売会社のキャドバリー社が発売したっていうバレンタインキャンディボックスに肖って(あやかって)作ってみたんだ~。
 キャンディーって言うと日本じゃ飴だって思うだろうけど、英語では固形チョコレートはキャンディーの一種として扱われる事もあるから、キャンディーボックスの中身がチョコレートでも間違いじゃないんだよ~。
 でねでね…………」

「あー、チョコ自体は普通だな。
 量もそこそこ入ってるし、美琴の言葉だけでもお腹一杯って感じだから、残りは持ち帰りにさせて貰うからな~。」

 美琴の蘊蓄を聞き流す事に決めた武は3つ程中身のチョコレートを食べてから蓋を閉じ、次にチョコレートケーキを手に取った。
 その途端に純夏の癖っ毛がぶんぶんと左右に勢い良く揺れるのを視界の隅に収めた武は、覚悟を決めてフォークで切り分けた1口分を慎重に口に含んだ。
 そして、一瞬顔を引き攣らせたもののそのまま無言の内に嚥下していく武の様子を、純夏は身を乗り出した前傾姿勢で楽しげに見つめている。

「これは純夏の作ったケーキか?」

 武はにっこりと笑ってそう言葉を投げかけると、勢い良く首を縦に振る純夏を手招きする。
 飼い主に呼ばれた犬の様に飛び跳ねる様にして武の許へと駆け寄っていく純夏に、霞が引き留めようとするかの如く右手を差し伸べたが、何も言わずに力無く下ろした。
 そして武に駆け寄った純夏は途端に叫び声を上げる。

「あいたーッ! なにすんのさタケルちゃん!」

 武の手の届く場所まで近寄った途端に、勢い良く頭を叩かれた純夏が涙目になって武に噛みつく。
 それを切っ掛けに、武と純夏は良い争いを始めてしまった。

「なにすんのじゃねえっ! なんでおまえはチョコレートケーキにソースをトッピングするッ!」
「隠し味だよッ! 決まってるじゃんかさー!!」
「んな隠し味があるかッ! 横浜基地の京塚のおばちゃんに言い付けるぞッ!!」
「へっへ~~~ん、その辺は大丈夫だもんね~!
 隠し味付けたのはタケルちゃんに切り分けた分だけなんだから!!」
「な!―――そうかそうか、確信犯かこのやろー……」

 そんな2人のやりとりを眺めた冥夜が笑みを浮かべて嬉しそうに言葉を零すと、目を伏せた霞がコクンと頷いて同意の言葉を洩らした。

「ふむ。相変わらずだな、純夏と武は。」
「はい……仲良しです……」

 他の面々も、2人の言い争う言葉を背景に各々談笑しながらチョコレートケーキとキャンディーボックスの中身を賞味していく、全員純夏と武の口喧嘩にはすっかり慣れてしまっている事が如実に伺える態度であった。
 と、そこで武と純夏の間に晴子が割って入る。

「まあまあ、その辺にしときなよお2人さん。
 実はさ、私の煎餅も早く食べて欲しいんだよね~。
 白銀君、そのケーキ、一番上の層だけ剥がせば普通のチョコレートケーキだから、安心して食べられるよ。
 だからさっさと完食してくれないかな?
 どうせ、定番の羊羹とマシュマロは最後に残すんでしょ?」

「あ~っ! 柏木さん、ばらしちゃ駄目だってば~!!」

 晴子の言葉に猛然と苦情を申し立てる純夏だったが、言われた通りに武はさっさと一番上の層を剥がすと口に放り込んで飲み下し、それから残った部分をゆっくりと賞味する。

「おっ、なるほど。サンキューな柏木!
 ん……何だソース抜きならちゃんと美味いじゃないか。
 変な隠し味すんのもほどほどにしろよ、純夏。」

「む~、ぜぇ~ったい、その方が美味しいと思ったのに~。」

 そして、チョコレートケーキを完食した武が味を褒めると、純夏は頬を膨らましたままでありながら、何処か嬉々として引き下がるのであった。
 武は晴子に右手を拝む様にして掲げて見せると、大判の厚焼きせんべいを手にとって大口を開けて豪快に齧りつく。

「煎餅って選択も変わってんな~。それに別にハート形でも何でもない普通の丸形だし―――ん?!
 この味、チョコが入ってんのか?
 …………あっ! まさか柏木、煎餅の中に挟んであるチョコって!」

 ばりばりと威勢良く煎餅を噛み砕いていた武だったが、首を傾げると煎餅の断面をしげしげと眺める。
 そして、煎餅の真ん中に薄く見える茶色い断面を見て、何か思い付いたのか目を丸くして晴子を見上げた。

「あ、気付いちゃった?
 うん、実はハート形チョコを仕込んでおいたんだよね。
 ほら、こういうのって表立ってやると恥ずかしいじゃない―――って、こうやってネタばらししちゃったら同じだよね。
 尤も、その後煎餅を焼き上げてるから、ちゃんと形が残ってるかは保証できないんだけどね~。」

 そんな武に舌を出して照れ笑いして見せた晴子はあっさりとネタばらしをしてみせる。
 それでいて、落ちまでちゃんとつける辺りが晴子らしいと言えるかもしれない。

「おまえはまた……なんでこう捻くれた事を…………
 まあ、味はそこそこだし、一応奥床しいアイデアだとは思うけどな。」

「あはは……食べてくれてありがとうね。」

 そして武が首を捻りながら感想を口にすると、晴子はにこっと笑って引き下がっていった。
 その後はここ数年の定番となっている、霞の作った小さくてコロコロとした可愛らしいハート形マシュマロと、冥夜が取り寄せた御剣製菓謹製高級羊羹『麗しき月』であった。
 『麗しき月』は御剣製菓が開発した商品の1つであり、商品名は夏目漱石の訳文である『月が綺麗ですね』から取って名付けられている。

 一見普通の羊羹に見えるのだが、切り分けると断面にハート形の模様が表れるという品である。
 夜空の様に艶やかな光沢を放つ黒い羊羹の真ん中に、月の様に黄色い栗庵がハートを描いており、武家や年配層を中心に根強い人気があるというバレンタインデー用高級和菓子だ。
 大陸反攻作戦が始まる前の日本では、全くと言って良い程認知されていなかったバレンタインデーであったが、ここ数年の間で急速に巷間に広まっていた。

 その火付け役となったのが御剣財閥の一角を成す御剣製菓であったが、実を言えばその陰で純夏の行動がバレンタインデー振興の契機となっていた。

 2007年の2月14日、オルタネイティヴ6が未だに横浜基地を本拠としていた頃の話である。
 その数日前に帝都に食材の買い出しに出かけた純夏が、天然物のチョコレートが比較的安価で店頭に並んでいるのを目にしたのが全ての始まりであった。
 『元の確率分岐世界群』の記憶を持つ純夏はふと思い立ってそのチョコレートを購入し、『白銀武研究同好会』の面々と巨大なハート形チョコレートを作り上げて、A-01所属衛士等の眼前で武へとプレゼントしたのである。

 それを目の当たりにした月詠が、後日御剣雷電翁にその話を語ったところ、巡り巡って御剣製菓が日本帝国国内の製菓業界を巻き込んで翌2008年に展開した、バレンタインデーキャンペーンへと繋がったのであった。
 このキャンペーンでは従来の新聞・雑誌やTV・ラジオでの広告の他にも、武が民間レベルからの情報収集も視野に入れて世界中に普及させた民生用国際データリンク網―――通称『インターリンク』上での口コミによる伝播が著しい効果を及ぼした。
 BETAとの戦争に明け暮れる時代から、平和な時代へと移りつつあった世相と相俟って、想いを寄せる異性へと想いを伝える契機としてバレンタインデーは急速に浸透したのである。

 未だに恋愛に関しては奥床しい女性が多かった日本帝国に於いて、女性から男性に告白するという行為に対し一種の免罪符ともなるバレンタインデーという行事は熱狂的に受け入れられた。
 凡そBETA侵攻後初めてとなるキャンペーンであったにも拘らず、その年は洋菓子と和菓子とを問わず甘い恋を囁くのに相応しい物をと、各製菓店が開発したバレンタインデー限定商品を女性達が競って買い求める事となったのである。

 この時、本命菓子の他に謂わば照れ隠し的に身近な異性に贈る義理菓子や、同性の友人に贈る友菓子という行為までもが流布されており、高級な本命菓子以外にも廉価版の菓子類までもが買い求められたのもブームの規模拡大に一役買っていた。
 これらの陰には、御剣雷電翁からのやっかみを含めた執拗な尋問―――もとい、聞き取り調査を受けた武が思い付く限りのバレンタインデー関連情報を洗い浚い語ったという事実がある。
 いずれにせよ、それから4年目となる現在では、若年層を中心に帝国中で一足早い春がやって来たかのようなお祭り騒ぎと化していた。

 そういった経緯で世間よりも一年早くバレンタインデーにかこつけたプレゼントを行った純夏達であったが、欧米から派遣されている要員達には馴染みのある行事であった事もあり、翌年からはオルタネイティヴ6要員の多くが贈り物を用意する様になった。
 殊に、宇宙に活動拠点を移して以来は家族や恋人を地上に残して来ている者も多かった事から、それらの贈り物を送付するという習慣が広まる。

 幸か不幸か2月という時期は、例年4月から5月にかけて発動されるハイヴ攻略作戦に向けた演習が集中して行われ始める時期に相当した。
 その為、『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々は毎年本拠地である『ギガロード』に集められる事となっていた為、純夏を初めとする『白銀武研究同好会』のメンバーは全員揃って武に菓子を贈る事が出来た。
 しかし半面、みちるを初めとして水月、遙、茜、美冴、葵、葉子、紫苑等の面々は、夫や婚約者、そして恋人がいながらも地上と宇宙で離ればなれとなり直接手渡しする機会など皆無となってしまったいた。

 その為、2009年からは武に菓子を贈るだけではなく、それを『イスミ・ヴァルキリーズ』の面々にも御相伴頂く事となり、武への菓子贈呈を余興としたお茶会の様な形態が定着したのであった。
 各々が個別に菓子を用意する様になったのは2009年からの事であったが、霞のマシュマロと冥夜の『麗しき月』は毎年恒例の安定した味覚を提供してくれる為、武にとっては壬姫の千日紅茶と並んで何の気構えも無く食べる事の出来る有難いものとなっている。

「霞、冥夜。毎年美味しい菓子をありがとうな。
 たまも美味しいお茶を御馳走さま。
 他のみんなも、毎年ありがとな。」

 今年も一通りの菓子を食べ終えて、壬姫が注いだおかわりの千日紅茶を飲み干した武は、改めて礼を述べた。

「いえ……」
「喜んで貰えて何よりだ。」
「えへへ~、飲みたくなったら何時でも言って下さいね~。」

 名指しされた霞は恥ずかしそうに俯いて、冥夜は胸を張って堂々と、壬姫はほんわかとした笑みを浮かべて武に応えた。
 他の『白銀研』の面々も皆嬉しそうに微笑んでいる。

 今日の所は穏やかにお開きとなったが、1月後にやってくるホワイトデーには武はお返しの品を大勢に贈らねばならない。
 『白銀研』の10人以外にも武に菓子を贈って来る人間は多く、その中には悠陽を初めとしてまりもやピアティフ、京塚のおばちゃん、そして最低3倍返しとのメッセージカード同封の夕呼からの物までが含まれていた。
 寄せられる想いに応えられない身としては、些か身の置き所の無い思いをしている武なのであった。



 そして余談ではあるが、これもまた毎年恒例となっている事柄ではあったが、今年も霞から菓子を贈って貰えなかった柏木照光中尉は自室で独り滂沱と涙を流していた。




[3277] 第147話 荒城の月
Name: 緋城◆397b662d ID:6904cefc
Date: 2012/12/29 23:19

第147話 荒城の月

2014年01月01日(水)

 12時47分、この日の帝都城には昨年末に地球奪還が成し遂げられた事もあって、例年を遥かに上回る参賀者が押し寄せていた。
 その喜びに満ちた喧騒も、しかし帝都城奥の院に位置するこの一室にまで届く事はない。
 静謐が保たれた室内では、武と冥夜が悠陽を相手に和やかな一時を過ごしていた。

「白銀、そなたも新年参賀に集いし人々の、あの朗らかな笑顔を目の当たりにしましたか?
 あの者達は、昨年遂に成し遂げられた地球奪還により憂いをすっかりと取り除かれたが故に、あれ程までに明るい表情を打ち揃って浮かべているのでしょうね。」

 帝都城で今年も例年通りに執り行われている年賀の行事、その内午前中の予定と昼餐会が恙無く催された今この時、3人は午後の行事が始まるまでの合間を歓談の時間へと充てて過ごしていた。
 悠陽は、自身が目の当たりにした参賀者達の様子を脳裏に浮かべながら嬉しそうにそう語ったが、その顔に浮かべた笑みの奥底には幾許かの陰りが滲んでいる。

「私は今日に至っても尚、BETA侵攻の脅威に曝されていた日々に目の当たりにした、国民(くにたみ)の浮かべていた表情(かお)を忘れる事が出来ません。
 恐れと諦念に苛まれて疲れ果て、それでも一縷の望みを求めて縋る様な眼差しを向けて来る人々。
 それらに応える術を持たなかった当時のわたくしは、己が不甲斐なさを悔む事しか成し得なかったのです。」

 悠陽がその脳裏に思い浮かべるのは、心労にやつれ絶望に押し流されそうになった民人達の姿であった。
 10年以上昔の記憶であるにも拘わらず、その情景は未だに悠陽の心の奥底に焼き付いている。
 悠陽にとっては自身の至らなさの象徴に他ならない情景ではあるが、それがあったればこそ今日目の当たりにした民人達の歓喜に溢れた情景が、より一層掛け替えのない物に感じられもするのであった。

 それ故に、悠陽は心中の陰りを振り払い、今度こそ玲瓏たる笑みを浮かべて言葉を継ぐ。

「しかし、干支の一巡りを超える歳月を費やしたとはいえ、国民の心の憂いは今や完膚なきまでに晴らされたのです。
 これも皆、そなたの働きがあったればこそ。
 そなたには心より感謝しておりますよ、白銀。」

 悠陽が語る通り、帝国のみならず人類社会に属する人々の多くが、長年抱え続けた憂いを払われて希望を抱くに至っている。

 地球上に存在したハイヴは、昨年の甲7号―――スルグートハイヴ反応炉の停止を以ってその全てが制圧された。
 ソ連の強い反対を抑え込み、反応炉を初めとしたBETA関連施設を完膚なきまでに破壊した事で、最早地上で稼働状態にあるBETA反応炉は甲20号―――横浜ハイヴと甲21号―――佐渡島ハイヴの2カ所のみとなり、稼働状態にあるBETA関連施設の全てはオルタネイティヴ6の厳重な管理下にあり既に脅威とはなり得ない。

 地球奪還までに実施されたBETAハイヴ攻略作戦によって確保されたG元素は、オルタネイティヴ6と国連加盟各国へと配分されており、数年前よりG元素活用方法の研究が世界各地で盛んに行われるようになった。
 中小国の中には自力での活用を断念し、米国を筆頭とするいずれかの大国に自国が得たG元素を譲渡する事で、その見返りとして支援を得て復興を急ぐものも存在する。

 しかし、国連による復興支援策が実施されている事もあって、自力での研究が困難であったとしても将来の為にG元素を温存する国家が大半であった。
 その背景には、G元素活用技術の開発に多額の予算を投じている米国でさえ、オルタネイティヴ6で実用化されている技術に追随し切れていないという実情がある。
 財政にゆとりの無い国々にしてみれば、自力での研究を強行するよりも、国連によるオルタネイティヴ6保有技術の公開を待った方が得策であろうという判断なのであろう。

 国連改革が断行された2010年の春から数えて4年近くの時が流れていたが、武と夕呼が作り上げた国連加盟諸国の協調態勢は、オルタネイティヴ6の影響下で今尚揺らぐ事無く堅持されており、人類は過去の悲劇よりも未来に垣間見える希望へとその視線を転じつつあった。

 また、2007年にチリで発生したクーデター以降、国際社会を揺るがす様な大きな事件も起こらず順調に遂行された地球攻略作戦の立役者の一人が武であるという認識は、悠陽のみならず冥夜も全面的に賛同する所であった。
 それ故に、冥夜は先程から頻りに頷きを繰り返す事で、己が意を表明し続けている。

 そして、悠陽が言葉を途切れさせたのを機に、2人は揃って武へと暖かな視線を注ぎ微笑みかける。
 しかし、そんな2人に武が素直に首肯することはなかった。

「…………殿下の御言葉は有難く頂戴します。
 ですが、地球奪還は多くの人々の働きがあってこそ初めて成し遂げられた事です。
 なので、その御言葉は皆を代表してって事で受けさせていただきますね。
 全ては冥夜や仲間達、そして志を同じくする将兵達や、後方を支えてくれた人達の献身があったればこそです。」

「その様に謙遜をせずともよいでしょうに。
 そなたの言う事も一理あるでしょうが、そなたの成した献身が一方ならぬものである事、この悠陽はしかと存じておりますよ?
 何より、そなたの働き無くして人類の劣勢は覆し得なかったに違いないのですから。」

 武の言葉に僅かに眉を顰めると、悠陽は軽く窘める様な言葉を発した。
 そんな2人の遣り取りを間近にしながらも、冥夜は口を挟む事無くただ苦笑して見守り続ける。

「そうは言っても、実際に多くの助力なくしては成し遂げられなかったのは事実ですからね。
 実際に悠陽殿下にも幾度も御助力いただいていますし、何よりもオレがBETAに対抗する術を構築し得たのだって、夕呼先生の研究の成果があったればこそですし……」

 武が対BETA戦術や先進技術等に関する未来情報を夕呼による実験の被験者となった事から獲得したという説明は、2001年当時のオルタネイティヴ4が日本帝国主導下の計画であった事から、政威大将軍である悠陽の協力を得る為の表向きの説明として悠陽とその側近達へと伝えられていた。
 無論機密指定は成されていたのだが、然程時を経る事も無く、この情報は武の承認を得た上で悠陽から冥夜へと伝えられている。
 武にとっては、3度目の再構成後に派生した確率分岐世界群などでは、冥夜を通じて悠陽に面会を申し出る際に自ら告げた事もある内容であった為、冥夜にこの話を伝えたいという悠陽の要望に然したる抵抗も感じずに承認するに至っていた。

 それ故に、今この場でも武は何の気なしにその表向きの説明を繰り返していた。
 しかし、片や話を聞いている側の冥夜としては、この件に関しては少なからず気にかかる点が存在している。

 話を聞いた当初こそは、冥夜もこの話を、武の革新的な戦術構想や新装備の裏付けとなるプラス材料として評価するだけであった。
 しかし、それから10年以上の長きに亘って武を見詰め続けるうちに、武が抱えている異なる確率分岐世界の情報と言うのが、無味乾燥な情報だけではない事―――否、それどころか武の在り様を強く形作る程に、感情を強く揺さぶる生々しい記憶に他ならないのだと確信するに至っていたのだ。

 一度其処に思い至ってしまえば、思い返すまでもなく武は『過去』に対する想いをその原動力としているのだと、出会った当初から明言している。
 其処に、ふとした折に武が垣間見せる仲間達へと向ける哀しげな表情を重ね合わせた時、冥夜は異なる確率分岐世界群でも武と自分達との間に縁(えにし)があったのではないのかと、そう考える様になっていた。
 そしてその想いは、武と同種の実験の被験者と思われる純夏の素振りを見る事を通して、更にその確信を深めるに至っている。

 しかし、冥夜は今日に至るまでこの件に関して武を問い質せずに漫然と日々を過ごしており、それどころか機密情報に関わる事もあって仲間達にすら自身の疑念を伝えられずにいた。
 冥夜が唯一この疑念を洩らした相手こそ悠陽であり、それが故に憂愁を必死に押し隠そうとする冥夜の様子を悠陽は明敏に察している。
 悠陽は心中痛ましく思いながらも、表向きは微かな素振りにさえ現す事無く武の言葉へと応え(いらえ)を返すのであった。

「確かにそなたからはその様に説明を受けておりますし、香月博士も表立っては否定なさりませぬ。
 然れど、白銀。
 そなたは知らぬやもしれませんが、そなたに異なる世界の記憶を招来せし一件に関してのみ、あの謙遜という言葉からは程遠い為人の香月博士が、称賛を憚るが如き素振りを垣間見せるのですよ。」

 そして、この時悠陽が発した言葉は、武の意表を突く事に成功する。

「え?……あ、いやそれは…………」

 ある意味素直とさえ評する事の出来る、夕呼のらしからぬ言動を教えられた武は、つい返答に窮してしまった。
 そんな武の様子を目の当たりにした悠陽と冥夜は、互いに視線を合わせて悪戯っぽい笑みを交わす。
 そして、畳みかける様に口々に武へと口撃(こうげき)を浴びせるであった。

「ふふふ、その様に慌てずとも良いのですよ、白銀。
 別に、何事かを暴き立てるつもりも、詮索するつもりもありはしません。
 偏に、香月博士でさえ、そなたの上げた功績を自身の成果と仰りはしないという事を伝えたかっただけなのですから。
 とは言え、そなたは本当に謙遜が過ぎますね。」

「姉上が仰せになる通りだと私も思うぞ、タケル。
 そなたは自身の成し遂げた偉業を、あまりに軽んじ過ぎている。
 如何に謙遜は美徳と言えども、それでは全身全霊を尽くして尚、そなたに及ばなかった者達を軽侮する事にもなりかねん。
 驕慢に振舞うのは無論以ての外ではあるが、称賛を許容して受け入れる度量もまた必要であろう。」

 阿吽の呼吸で口を挟む間もなく放たれる言葉に、武は大人しく聴き手に回らざるを得ない。
 それを見て取った悠陽と冥夜は満足気な笑みを浮かべたのだが、此処に至って悠陽が何事かを気に病んだのか眉を顰めて言葉を濁してしまう。

「冥夜の申す通りですよ、白銀。
 そなたが偉業を成し遂げたという事は、万民の広く知る所です。
 ―――ですが…………ですがそれ故に、そなたを逆恨みして命を付け狙う輩にも事欠かないのでしょうね…………」

 そして悠陽の言葉に冥夜も憂慮を露わにし、事の次第を確かめようと言を継いだ。

「む―――姉上、その仰り様から察するに、今年も狼藉を働かんとした輩がおりましたか?」

「ええ、今年も不埒な者共が1組、帝都の官憲によって身柄を拘束されました。
 然れど、あれは氷山の一角。白銀、そなたが故意に見逃した者達でありましょう?」

 悠陽と冥夜が言及しているのは、帝都城の新年行事に武が加わるようになって以来、殆ど毎年絶える事無く繰り返される武を標的とした暴挙についてであった。

「御慧眼、恐れ入ります。
 国連の囮捜査に引っ掛かったものまで含めれば、今回も相当数の人間がオレの暗殺未遂に関与して捕縛されたのは事実です。
 けど、年々減少傾向で推移しているのも間違いないですから、それ程心配する事もないと思いますよ?」

 チリに於けるクーデターを契機とした国連改革の結果、国連人権理事会の活動とオルタネイティヴ6を主力とする国連軍による武力介入により、過激な武装闘争を活動方針とする非政府系勢力と深刻な人権侵害を繰り返す一部国家は衰退の一途を辿った。
 無論、武力介入による強制的な武装解除ばかりが断行された訳ではなく、正当と認められる主張を持つ勢力に対しては、非武装闘争への方針転換を条件として国連人権理事会の後見の下での政治活動が保障された。
 それらの勢力の中には、現地住民による指示を集め国連の仲介を得て独立国や自治区として、政権樹立に至ったケースも少なからず発生している。

 尤も、それらの政権の半数近くは理想と現実の隔たりを埋める事が出来ず、民衆の支持を失って元の政府へと再統合されてしまった。
 それでも、正当性のある主張を掲げる限りに於いては、国連の庇護下で支持を集める事で武装闘争無しでの分離独立が可能であるという認識は、全世界へと急速に広まる事となった。
 これにより、ソ連や中華民国へと代表権が移行した中国等の民族問題を擁した大国では、衛星国家や自治区の独立が相次いだ為その勢力を著しく減じる事となり、それらの成果が明らかになるに従って武装闘争は国連軍の武力介入を招くのみで有効性に乏しいとの認識が主流となっていったのである。

 また、正当性のある主張を持たない、感情的もしくは狂信的な活動理念や物欲、権勢欲によって武装闘争を行おうとする勢力に至っては、その殆どが国連諜報組織によって洗い出され、国連軍による武装解除の対象となり組織の解体を余儀なくされていった。
 その結果、個人所有のレベルを超えた武装を保持しようとすればまず間違いなく国連によって察知されるとの認識が広まり、大々的な武装組織を保有する勢力は軒並み姿を消す事となったのである。

 しかし、その代わりに今度は暗殺を請け負う個人または小規模な集団が台頭してくる事態となった。
 武装組織の自力保有こそ諦めたものの、地下に潜って活動を続けた勢力の多くが、個人所有のレベルを超えない武器弾薬を用いた要人暗殺を目的達成の主たる手段として選択する様になったのである。
 そして、多くの勢力が彼等にとって怨敵と目される武を、標的として真っ先に狙った。

 これに先立ち武は、自身の信念として武装闘争は非道であり断じて許し難く、非武装闘争へと転じないのであれば力尽くでも叩きのめして止めさせる、との見解を繰り返し発信して数年がかりで全世界へと浸透させている。
 そうする事で、武は謂わば武装闘争を行う勢力排斥の急先鋒としての立場を意図的に確立してきたのだが、これは追い詰められた武装闘争勢力が自身を標的として悪足掻きする様に仕向ける為の行動であった。
 その上で、今や全世界に普及しつつある民生用国際データリンク網―――通称『インターリンク』や諜報組織を総動員し、暗殺を依頼したり自ら実行しようとする勢力の摘発に乗り出したのである。

 さすがに100%暗殺を阻止する事までは叶わなかったが、ダミーの暗殺請け負い業者を装うなどありとあらゆる手法を駆使した結果、相当数の勢力を洗い出し検挙する事に成功している。
 暗殺という手法は大規模テロなどに比べた場合、阻止に失敗した場合でも犠牲者の規模が小さくて済む為、武装に依存しないバイオテロ等の手法が主流となる事を恐れる武は、今の所暗殺請け負い業者達を必要悪として容認し直接摘発に乗り出す事はせずに済ませている。
 その所為もあってか、昨今ではイエス・キリストが磔刑に処せられた丘の名に肖った名で呼ばれる凄腕の狙撃手を筆頭に、玉石混交ではあるものの軍人崩れ等を中心として少なからぬ者達が裏稼業へと身を落としていた。

 それでも暗殺の依頼人に対する摘発は着実に進めている為、いずれ暗殺者達も淘汰されてその数を減じていくものと武は予測している。

「そうですか…………そなたがそう申すのであれば、その件はこれまでといたしましょう。
 して、話は変わるのですが―――」

 そう前置きをして悠陽が切り出したのは、昨年地球奪還が達成されたばかりであるにも拘らず、今年の内にも実施される月攻略作戦に関してであった。

「はい。殿下にも御骨折り頂いたお陰で、年内の作戦実施が承認されました。」

 国連改革によりBETAに対する総力戦体制が確立された事、更には長年に亘って夕呼が根回しを行ってきた事が効を奏し、月攻略作戦は国連安保理に於いて何ら問題なく承認されていた。

「そうですか。そなたの事ですから、既に準備は万端整っているのでしょうが、月面ともなれば地上とは随分と勝手が違うのではありませんか?」

「確かに真空低重力の環境下では装備の運用も様変わりしますし、何よりも月面での作戦に合わせて開発された新装備もありますからね。
 隊の衛士達には頑張って訓練して貰ってますけど、やはり適応し切れない者も少なからず出てしまっています。
 まあ、その辺りは冥夜の方が実感してるでしょうから、冥夜からお聞きになった方が良いと思いますよ?」

 そう言って冥夜へと視線を向ける武に合わせて、悠陽もまた頭を巡らす。
 突然2人の注目を浴びた冥夜は少し頬を染めたものの、暫し黙考したのち徐に口を開いた。

「―――確かに月奪還作戦に向けた訓練では、戸惑う事も少なくありませんでした。
 低重力下では踏ん張りが利きませぬ故、戦闘機動は無重力環境下と同じく推進剤の噴射に依存し勝ちとなります。
 そして何よりも、同じ理由から衝撃を主脚を通して地面へと逃がす事が困難なのです。
 この為、長刀を用いた斬撃を放つに当たっては、その剣筋によっては反動でこちらの体(たい)が浮いてしまう事もある程です。
 これは振り下ろしの斬撃に於いて甚だしく、余程刃先を立てて引き斬る様に留意せぬ限り、相手を断ち斬れぬばかりか悪戯に己が姿勢を崩す羽目に陥ってしまうのです、姉上。」

「なんと―――それでは一撃を放つ毎に、斬鉄を成すが如き心構えが求められるというのですか。」

 冥夜の説明に、両の眼を見開いて驚きを露わにした悠陽が、極限まで研ぎ澄ませた集中力を必要とする剣術の奥義を例えに出して応じた。
 それに対して重々しく頷き返した冥夜は、更に言葉を連ねる。

「そうなのです、姉上。
 然れど低重力環境下であるならば、斬り上げや突きを主に用いる事で対処は未だ可能なのです。
 しかし、無重力環境下では更に剣撃は至難となります。
 目標との相対速度の多寡によって状況が激変し、相対速度が低ければ反動を相殺する為の加速が必要となり、逆に相対速度が大き過ぎるともなれば、今度は反動が過大となり長刀を保持する主腕が破損しかねません。
 その上反動を相殺する際には、加速の向きや強さを過不足なく調節せねば姿勢が崩れる結果となりますし、相対速度を適切に保とうにも何分相手があっての事故なかなか思うに任せませぬ。」

 しかし、如何に地上と異なる環境下で剣を振るう事が困難かを言い募ろうとするあまり、冥夜の説明は月面攻略作戦からどんどんとずれていってしまう。
 尤もその説明を聞く悠陽はと言うと、実に興味深げに頷き返したりしている。
 その様子に話の腰を折るのもどうかと思いはした武だったが、こうして歓談していられる時間も限られている事に鑑み、さすがに放置出来ずに口を挟む事にした。

「あ~、冥夜、ちょっといいか?
 熱弁を振るってる所を邪魔しちまって悪いけどさ、ちょっと方向性がずれちまってないか?
 月面―――低重力環境下での話ならまだしも、無重力環境下での高相対速度での近接格闘戦闘の方は、成立条件が厳し過ぎて実現性に乏しいって結論になったじゃないか。
 それに、おまえや月詠さんを初めとした斯衛出身のみんなの協力を得て、斬撃の反動を予測して自動的に反動を相殺する様にOSを改修してる最中だろ?
 そもそも、無重力環境下での高機動戦時じゃ長刀じゃ間合いが短過ぎて、事実上体当たりと殆ど変らない様な状況になっちまうし、プラズマ収束型の近接格闘戦兵装が完成すれば間合いも伸びるし反動の問題も解決するじゃないか。
 まあ、反動がない代わり防御の役には立たなくなっちまうけどさ……
 尤も、月面ハイヴ内で相手の突進を往なす時には、攻防一体の長刀は盾(追加装甲)よりも有効だから、おまえらが進めている低重力化対応の術理構築には期待してるからな。」

 そして、冥夜の説明を補完する形で無重力環境下に於ける近接格闘戦闘の概略に触れた上で、武は月面攻略へと話の軌道修正を試みた。
 しかし、悠陽は武の言葉に含まれたとある単語に興味を惹かれ、その話題に喰いついてしまう。

「白銀、そなた今、術理構築と申しましたか?
 ―――では冥夜、それが成し遂げられた暁には、そなたは新たなる流派を興す事となるのですね。
 無現鬼道流が地上を離れ宇宙へと躍進し、新たなる潮流へと進化する……紅蓮がこれを聞きし折にはさぞや自身が関われぬ事を悔しがる事でしょう。」

 クスクスと笑みを零しながら悠陽がそう告げたが、それに対して冥夜が手を翳して悠陽の勘違いを正す。

「姉上、それが……実を申しますと、紅蓮師匠には既に御助力を賜ったのです。
 然れど、師匠御自身は重力の多寡など一切関わりなく、従来通りの術理を万全に振るってしまわれまして……」

 多忙な中、態々時間を割いて貰って紅蓮を軌道上へと招き、戦術機を用いた無重力環境下近接格闘戦闘の模擬戦が先日執り行われていた。
 無論、紅蓮とて空間機動は戦術機の推進機を用いて行っているのだが、殊斬撃を交わすその瞬間に限って局地的重力偏差が生じ、重力の過多など関係ないと言わんばかりに紅蓮は斬撃を万全に放ってしまったのである。
 予想外の事態に紅蓮本人の話を聞いても、当人は要は気合いだと言って豪快に笑うばかりで一向に要領を得ない。

 それでも冥夜が喰い下がって執拗に話を強請った所、紅蓮が我流で編み出した技で『反重力の嵐』と名付けたものであるのだという。
 紅蓮によれば、生身で放って人一人程を宙に舞い上げる程度の技であるとの事で、戦術機を操っての戦闘では効果が薄かろうと今まで用いた事は無かったらしい。
 今回は、文字通り地に足のつかない無重力環境下での戦闘であった為、斬撃を放つ際に踏ん張りを効かせようとして半ば無意識に使ってしまったとの事であった。

 思いの外よう効いたわ。やはり気合が肝心よのうと言って豪快に笑い飛ばす紅蓮に、その場に居合わせた衛士等は皆二の句が継げなかったという。
 その時の感慨を思い出しながら冥夜は染み染みと語る。

「恥ずかしながら、我ら非才の者達では容易に到達し得ぬ境地におられるとしか思えません。
 そこで、紅蓮師匠の仰せに従い新たなる流派を興す次第となったのです。
 流派の名も紅蓮師匠より賜りまして、過分な事ではありますが御剣の家名に宇宙―――即ち天を飛ぶとの意味を込め、『飛天御剣流』と―――」

 面映ゆそうに頬を染めながら、それでも師匠である紅蓮から新たな流派を興す事を認められ名まで授けられた事の次第を、冥夜は隠しきれぬ喜びを言葉に込めて語っていく。
 その言葉に、悠陽と武は微笑ましげな表情で耳を傾けるのであった。



 その後も話は冥夜を主だった語り手として続き、月面攻略作戦に於いて投入される予定の新装備群やそれらを用いた戦術と、更には収集されたBETA情報からその存在が確認されている戦闘用BETA襲来に抗う為の航宙戦の話題へと移り変わっていった。

「―――ですから姉上、装備や任務の多様性だけではなく、地上、宇宙、月面と環境条件までもが多岐に亘る為、それら全てを網羅しようとするあまり似て非なる対応を混同してしまい、本来の能力を発揮できなくなる衛士まで出てきておる次第なのです。」

 冥夜が語る通り、余りにも煩雑となった任務内容にA-01所属衛士達が対応しきれなくなるという問題が、ここ最近生じつつあった。
 少数精鋭を謳い、多岐に亘る任務を熟してきたA-01であったが、さすがに航宙艦隊の運用迄もを含めるとなっては、個々人の習得し得る技量の限界を超過してしまう。

「―――なるほど。確かにそれ程までに煩雑を極めているとあらば、選りすぐりの第六計画直属衛士と言えども全てに熟達する事は至難でありましょう。
 白銀、誰しもがそなたの様に多才ではいられぬのですよ?
 際限なく何もかもを求めるのは、土台無理というものです。」

 当然、この話を聞いた悠陽も呆れた顔を隠さず、咎める様な視線を武へと投じた。
 それに慌てて否定する様に手を振る事で応じた武は、苦笑を浮かべながらも透かさず弁明を試みる。

「いやまあ、オレだって何も全部が全部万全に熟せとかいってませんよ? 殿下。
 当然各個人の適性を勘案して適材適所に割り振る様に心掛けてますし、隊の中での役割分担も行っています。
 いずれ近い内にA-01の部隊編制に兵科を設けて、特定の兵科を専任させる形で再編成する予定もあります。
 まあ、それでも全員が衛士として最低限度の戦術機運用を行えるのが前提ですけどね。」

「随分と戦術機に拘るのですね、白銀。
 第六計画は月や火星、更には宙間戦闘迄もを視野に入れて、多種多様な装備群を開発配備していると聞き及んでおります。
 にも拘らず、そなたは何故にそこまで戦術機に拘るのですか?」

 しかし、武の弁明を聞いた悠陽は更なる疑問を掻き立てられ、その美しい眉を顰めて問いを重ねた。

 戦術機は、0~1G環境下に於ける運用を可能とする『新概念全領域戦闘機』の開発がその起源となっている。
 その点では戦術機は宙間戦闘用兵器としても十分にその力を発揮し得る潜在的能力を有していると言えるが、武はこれまでの対BETA戦術構想装備群に於いて、様々な状況に対処すべく多種多彩な装備を開発し導入してきた実績を持っている。
 その経緯を知り、更には第六計画の切り札とも言える戦略航空機動要塞『凄乃皇』の威力をも熟知する悠陽にしてみれば、武がそこまで戦術機に拘泥する理由に思い至る事が出来なかったのである。

 そんな悠陽の問いに応えたのは、武ではなく冥夜であった。
 恐らくは、冥夜自身も以前に同様の疑問を感じて、武に問い質した事でもあったのであろう。

「姉上、タケルは戦術機と言うよりは、人型の機体が乗機である方がより搭乗者の生残性が高まると考えているのだそうです。
 近年に至って、第六計画では統計思考制御の精度が格段に向上している事もあり、咄嗟の行動が衛士自身と同様に両手両足を持つ機体であった方が、より適切な行動を取れると常々申しておるのです。」

「―――そうですか。危急の折には衛士の普段の反射的行動が反映される機体であるべきだと、白銀はそう考えておるのですね。
 なれば白銀、第六計画直属部隊は所属衛士の適性に鑑み、各兵科へと分化した編制を模索しつつも飽く迄も衛士としての本分を保つ、それが当面の方針であるという事になりましょうか?」

 何処か自慢げに語った冥夜の様子に笑みを堪えながらも、悠陽はひとつ頷きを返して武の真意を問い質した。
 それに対して、やや首を傾げて考え込む様な素振りをしたものの、武は悠陽の言葉を肯定してみせる。

「そうですね。そんな感じになると思います。
 尤も、冥夜の様に過半数の兵科に跨って幅広い適性を保持する衛士も居ますから、そういった衛士を集めた特殊兵科も編制に組み込もうと思っています。
 航宙艦の運用も極力自動化した上で、最低でも戦闘時には戦術機に搭乗した衛士によって運用されるのが理想ですね。
 さすがに通常航行中の艦内設備の運用までは、人の手も使わないと不都合が出るでしょうけど。」

 武が語った通り、地球環境下と月環境下、更には宙間戦闘に至る多様な環境とそれに対応した装備群の運用を、個人で十二分に熟して見せる衛士がA-01には少なからず存在する。
 00ユニットである武は例外としても、『イスミ・ヴァルキリーズ』を中心とした古参衛士達の多くが、驚異的な習得速度で新たな技能を次々に会得していった結果である。
 これに刺激されてか、他の衛士達の技能習得にかける意欲も旺盛となっており、武が兵科導入を月攻略作戦の完遂後まで先送りした一因ともなっていた。

 月攻略作戦後の兵科導入へと思惟を巡らせていた武の耳朶に、悠陽のやや高くなった声が響く。

「なんと―――そなたは航宙艦の操艦までも、衛士に行わせるつもりなのですか?」

「え? いやまあ、後方支援系の要員を完全に排除するのも難しいとは思ってますよ?
 せめて戦闘時には、シェルター兼脱出艇代わりに戦術機に同乗させようかとは思ってますけど。」

 00ユニットである武にしてみれば、航宙艦であろうと戦略航宙機動要塞であろうと自身の身体同然に自在に扱える装備に過ぎない。
 その上、地球外環境下に於ける人員の生残性を検討すると、戦術機は脱出ユニットとしても十分な性能を備えていると武は考えている。
 それ故に、悠陽の指摘には些か虚を突かれたものの、武はさも当然の如くに応じて見せた。

 しかし、そんな武の反応に悠陽と冥夜は呆れを隠せない。

「…………それほどまでとは…………白銀、些か拘泥が過ぎるのではありませんか?」

「姉上もそう思われますか?
 我等も然様に思わぬでもないのですが、かと言ってこれといった代案もタケルの見解を否定し得る材料も無く、現状看過せざるを得ないのです。」

 悠陽の武への問い掛けに対し、間髪いれずに割って入った冥夜が大きな頷きと共に強い同意を表明した。
 そして、冥夜と悠陽の2人はチラチラとこれ見よがしな視線を武へと送りつつ、溜息交じりの会話を聞えよがしに交わす。

「そうですね…………強いて言うならば、費用対効果の悪化でしょうが…………」

「タケルの根本思想は鍛え上げられた兵員こそが最も高価であるという点にあります故、その理由では納得してはくれぬのです。」

 些かならず居心地の悪い時間を武は過ごす事となったが、これも姉妹の団欒の為ならばと苦笑を浮かべながらも甘受する武であった。



「―――まあ、何れにせよ次は月面のBETA殲滅となるのですね。
 月はBETAとの大戦、その端緒となり多くの犠牲を出し時の宇宙総軍司令官に地獄とまで称された過酷な戦場。
 更には、此度は第六計画直属部隊のみで作戦を遂行するとも聞きました。
 白銀の采配であれば遺漏無き事とは思いますが、諸事心配りを怠らずに務めを完遂し無事に戻ってくるのですよ?」

 一頻り冥夜と共に武をからかった後、悠陽はその矛先を収めると威儀を正し、武に対してその戦勝を願う言葉を贈った。
 武も背筋を伸ばして一礼すると、感謝を述べると共に悠陽の憂慮を晴らすべく言葉を重ねる。

「ありがとうございます、殿下。
 第六計画直属部隊だけの派遣になったのは、現状では大規模な兵員輸送を行う余力に欠ける事と、低重力下での戦闘に耐える装備と訓練を行っている兵員が他部隊に存在しないという事情から判断を下したにすぎません。
 参加将兵の数こそ少ないですが、その練度も装備や物資に至るまで何ら不足はありません。
 今回は、月面BETA種の行動特性を進化させてしまう司令塔である、月面オリジナルハイヴ3カ所を電撃的に攻略するだけですから、何とかなると思いますよ。
 幸い、所属衛士達の士気はこの上なく高まっていますしね。なあ、冥夜?」

 そして冥夜に同意を求めて話を振ると、何やら腑に落ちない様子を見せながらも冥夜は武の問いに同意してみせる。

「む……確かに伊隅大佐を初めとした第四計画以来の古株は皆、私も含めて意気軒昂となってはいるな……
 実は理由は確(しか)とはせぬのですが、皆、長年月攻略を待ち望んでいたかの如き心持(こころもち)になってしまっておるようなのです、姉上。
 ―――しかし、それは困難な作戦に臨む兵(つわもの)の心構えとしては、望ましい状態に他ならぬのです!
 にも拘らずタケル! そなたは何故(なにゆえ)そのように訳知り顔で笑みを浮かべているのだ。
 些か鼻に付く態度だぞ?」

 しかし、言葉の途中でふと視線を向けた冥夜は、そこに仄かに笑みを浮かべている武を見出すと途端に表情を顰めて詰った。
 武としては、冥夜の言う心情の原因に心当たりがあり過ぎるが故の笑みであり、特に他意は無かったので透かさず頭を下げて謝意を示す。

「悪い悪い、謝るからそんなに怒んないでくれよ冥夜。
 いやほら、出会った頃のおまえらは地球奪還にばかり目がいってて、月攻略なんて殆ど意識の外だったろ?
 なのに、そうやって月攻略に意欲を見せてくれてるのを見ると、つい嬉しくなっちまうんだって。
 数年前―――未だに地球奪還も終わらない頃から始めた、無重力・低重力環境下対応の訓練にも懸命に励んでくれてたしさ。
 そういった積み重ねがあったればこそ、地球奪還が終わったばかりの今年に作戦を発動できるんだ。
 本当にオレは良い仲間達に恵まれたと思うよ。」

 その後、懸命に重ねた言葉の甲斐もあってか冥夜の機嫌も程無く戻り、3人による談笑は今暫くの間、和やかに続けられる事となった。

  ● ● ● ○ ○ ○

グリニッジ標準時:2014年08月18日(月)

 グリニッジ標準時:08時56分、地球近傍の重力場と遠心力が釣り合っている宙域である、ラグランジュ点にその巨体を浮かばせていた改『ギガロード』級航宙母艦3隻が、緩やかな加速を開始しようとしていた。

「それじゃあ一文字(いちもんじ)艦長、月まで宜しくお願いしますね。」

「任せてもらおう、白銀准将。
 俺の『航宙最速理論』をもってすれば、月などあっと言う間に辿り着いて見せるさ。」

 この3隻からなる航宙艦隊は、月面攻略作戦を担う主力部隊を擁した国連宇宙総軍月進攻艦隊であった。
 改『ギガロード』級航宙母艦の建造と所属はオルタネイティヴ6であったが、現時点でそれらの艦船の運用は国連宇宙総軍の将兵等に委ねられていた。
 武は艦隊司令を兼務する改『ギガロード』級航宙母艦『バトル・ロード1』艦長、一文字鷹嘴(たかはし)大佐の言葉に苦笑を浮かべながらも信頼を込めて頷きを返す。

「お任せしますけど、他の艦を振り切って置いてけぼりにしたりしないでくださいよ?」

 そんな武のおどけた様な言葉に、一文字艦長はからりとした笑い声を上げると、自信を漲らせた不敵な表情で頷きを返すのであった。



 同時刻、地球周回軌道上に浮かぶ航宙母艦『ギガロード1』に設えられた夕呼の執務室で、大型ディスプレイに映し出される月進攻艦隊の映像に、夕呼とまりもが揃って視線を投げかけていた。
 その出航の様子を食い入る様な眼差し見詰めたまま、まりもは腹の底から込み上げる熱の籠った言葉を口に上せる。

「―――やっと……やっと月攻略作戦が実施されるのね……」

 しかし、その直後に隣から上がった素っ頓狂な声に耳朶を叩かれ、まりもは瞬時にして狼狽の淵へと叩き落とされてしまう。

「はぁあ?! ちょっとまりもぉ~。
 あんた、言うに事欠いて『やっと』だなんて、随分な事言ってくれるじゃないの。
 あたしと白銀がどんだけ苦労して、月攻略作戦の早期実施を承認させたとおもってんのよ。
 地球奪還が済んだばっかりのこの情勢下でなくともって、馬鹿共が挙って反対しようとするのを見越して、数年越しで反対の芽を摘んでよ~やく実施に漕ぎ着けたんだけど、なのにあんたこれでもまだ遅かったとか、そう言いたい訳ぇ?」

 如何にも不機嫌の極みといった表情を満面に浮かべてそう言い募る夕呼だったが、その唇の端には嗜虐的な笑みが微かに窺える。
 しかし、まりもは即座に自身の失言を認めて謝罪に懸命となった為、その笑みに気付く事は出来なかった。

「え?……あ、ご、ごめん夕呼!
 そ、そうよね。月面攻略作戦の訓練自体は数年前から始めてたけど、作戦実施は地球奪還後って最初っから提示されてたものね。
 それに、あなたと白銀君が一生懸命準備してきたって事も、ちゃんと解かっているわよ?
 ……けどね……なんでかしら、航宙艦隊が出撃する所を見てたら急に、月面攻略作戦の実施を何年も……それこそ10年以上も待ちぼうけさせられてたような……何かそんな気になっちゃったのよね…………」

 謝罪しつつも、自身の不可解な心の動きに疑問を感じ、怪訝そうに首を傾げるまりも。
 そんなまりもに更に追い打ちをかけて翻弄しながらも、夕呼は横目で視線を月進攻艦隊の映像へと投げかけると、心中で呟きを発する。

(何年も待ちぼうけさせられた、か……関連付けは不完全でも、流入した記憶に含まれる強い感情にはどうしたって影響を受けちゃうものね。
 A-01の中核メンバー―――特に白銀と親しい連中なんかは、ほぼ全員が多かれ少なかれ記憶流入が生じてるし……
 ま、そのお陰で訓練効果は異常とさえ言える程に向上してるんだけどね。)

 前回の再構成から派生した確率分岐世界群に於いて、武が率いたA-01は月のみならず太陽系全域をBETAから奪還する事を目指して練成を重ねていた。
 大半の確率分岐世界群では、オルタネイティヴ6への移行後から月奪還作戦の実施を事実上断念するまでの期間に限っても、7年前後の長きに亘ってA-01は武により鍛え上げられ、独力での月奪還程度であれば十分に成し遂げられる域に達していたのである。
 そして、その長きに亘る練成の記憶が、今回の確率分岐世界でもA-01に配属となった衛士達へと流入しているのだ。

 その結果は、記憶流入の量が必然的に多くなる、武との親交が深い衛士等の練成速度を圧倒的な程に速める事となった。
 彼等―――いや、彼女等と言った方が事実に近いだろうが、該当する衛士達は新たな装備や戦術を学ぶに当たって、まるで既に習熟している技術を蘇らせるかの如き驚異的な習得速度を達成して見せたのである。
 また、記憶流入の量がそれほど多くなかったり皆無に近い衛士等も、そんな彼女等に引き摺られる様にして新たな技術を次々と身につけていく。

 対人・対BETA、地上・月面・無重力空間と余りにも多岐に亘る状況とそれに対応した装備群や戦術を収める事を求められて尚、現状のA-01が破綻をきたしていない理由がここにあった。
 霞のリーディング能力によって自身の記憶のログを録り続け、日々差分を抽出する事で自身に流入した異なる確率分岐世界群での記憶をほぼ完全に把握している夕呼だからこそ、その効果の凄まじさは身に染みて良く解かる。
 武が因果導体となっている事による影響は、武の周辺に位置する仲間達の練度にまで及んでいたのである。

(―――まあ、そのお陰もあって士気と練度はこの上なく充実してるから、今回の月攻略作戦はまず問題なく完遂出来るでしょ。
 となると、やっぱ問題はその後の…………)

 武の特殊性とそれによって強化されたA-01の現状を正確に把握している夕呼は、月面攻略作戦完遂後の展開へと思惟を巡らせ始めた。
 しかし、その思惟をまりもの不安気な声が妨げる。

「ねえ、夕呼…………まさかとは思うけど、あの航宙艦(ふね)で白銀君がどっか遠くへ行っちゃったりはしないわよね?
 月攻略作戦が完遂されたら、ちゃんと帰って来るのよね?」

 思索を妨げられた夕呼は気分を害しはしたものの、まりもの声に含まれる深甚な恐れとさえ言える感情に今回は見逃してやる事にする。

(離別に対する気構えは、相応以上にある筈のまりもでもこの有様か……
 やっぱり、鑑を進攻艦隊に同行させたのは正解だったみたいね。)

 『前の確率分岐世界群』に於いて、太陽系外へと独り旅立つ武を今と同じようにまりもと2人、映像で見送った記憶は夕呼にも流入している。
 記憶の関連付けが完全であるが故に、夕呼は自身の感情を完全に制御出来ているが、まりもが強い不安に襲われるのも無理はないと十二分に理解している。
 何しろ夕呼は、長い年月を武と離別して過ごした記憶と感情を、まりもも純夏も他の武に想いを向ける面々も、その心の奥底に蟠(わだかま)らせているという事を熟知していたのだから。

(こんだけ強い感情を植え付けといて、向けられる想いを受け止める事さえ出来ないだなんて、全く白銀の奴も情けないわよね~。
 ま、今回もループを継続するつもりなら、それも仕方ないんだろうけど……でも、やっぱ気に入らないのよね……)

 地球奪還後には、自身に想いを寄せる女性達ときちんと向き合えとそう発破をかけて来た夕呼だったが、武は言を左右して月攻略作戦完遂まではと日延べし続けていた。
 その言動だけでも、夕呼には武が何を考えているかが透けて見えるのだが、武の決意の重さも知るが故に敢えて追及はせずにいる。
 それでも、親友であるまりもが抱えている切ない想いを察しているが故に、夕呼の武に対する憤懣も強かった。

 それが故か、相変わらずからかうような口調ではあるものの、この時夕呼は彼女にしては優しい物言いでまりもを慰める。

「何バカな事言ってんのよ、まりも~。
 あんただって、あいつらの練度の高さや作戦案の完成度は解かってんでしょ?
 万に一つだって失敗したりしないし、絶対全員揃って帰って来るに決まってるわ。
 心配するだけ馬鹿らしいってもんよ。」

「そ、そうよね! 白銀君が、あれだけ念入りに準備した作戦だもの、絶対成功するに決まってるわよね!」

 その甲斐あって、その心情を慮った夕呼の言葉を聞いたまりもは、表情をすっかりと明るい物へと転じて安堵に胸を撫で下ろす。
 そんなまりもに目を細めながらも、しかし夕呼は心中で密かに独白を吐き捨てるのであった。

(帰って来るわよ………………今回は、ね…………)

  ● ● ● ○ ○ ○

グリニッジ標準時:2014年08月18日(月)

 グリニッジ標準時:15時13分、地球から見て裏側に位置する月面に聳え立つ巨大な構築物―――月面BETAハイヴの直上に1つの航宙ユニットが飛来していた。

 ごつごつとした炭素系装甲殻にその身を包んだその航宙ユニットは、3つの体節からなる1kmにも届かんとする全長と最大直径200mを優に超える、寸詰まりの芋虫の様な姿を真空の只中に浮かべている。
 そのまま永劫の時が過ぎ去るかとも思えたその時、その表面を覆う装甲殻の一部が3つ剥離する様に分離し、月面へと緩降下を開始する。
 その途中で、装甲殻の欠片と思われた物体は各々が蜘蛛の様な8本のか細い脚を展開し、月面を隈なく覆う微細な月の砂(レゴリス)すら殆ど巻き上げる事無く揃って着地を果たした。

 その、歪でごつごつとした亀の甲羅の如き部分から蜘蛛の脚を生やしたようなユニットを、月面上に展開した無数のBETA群が身動き一つせずに出迎える。
 暫しの時が流れた後、それらのユニットは甲羅の如き部分上部の装甲殻を花弁が開くかの様に外開きに展開し、内部に収納されていた金属質の光沢を放つ球体を、主脚に比べて遙に小ぶりで繊細そうな8本の補助脚で持ち上げてみせた。
 その姿は、親蜘蛛の上に子蜘蛛が立ちあがっている様なある種ユーモラスな姿であったが、周囲を囲む無数の月面BETA種の存在も相俟って奇怪なオブジェの如き雰囲気を漂わせている。

 その後、3体のユニットは月面BETA群に傅かれる様にして、月面BETAハイヴの『地下茎構造(スタブ)』へとその姿を没していった。
 その頭上に浮かんでいた筈の芋虫状の航宙ユニットは、その時には既にその姿を消している。
 やがて、月面に展開していたBETA群も全てハイヴ内へと姿を消し、月面その荒涼とした姿を取り戻す。

 それは、国連宇宙総軍月進攻艦隊が月軌道上へと到達する、ほんの数時間前の出来事であった。




[3277] 【設定資料】
Name: 緋城◆397b662d ID:9b198830
Date: 2010/03/23 17:34

【設定資料】

この設定資料には以下のものが含まれます。
1.オリジナル装備登場話数インデックス
2.オリジナル装備解説
3.用語解説

090303投稿/090414更新/090714更新/091020修正/091027修正



1.オリジナル装備登場話数インデックス ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 装備名称の読み仮名順に記載してあります。

◎あ◎◎◎
『秋月型ミサイル駆逐艦』(あきづきがたみさいるくちくかん)
   第44話登場装備
『天津風』(あまつかぜ)
   第40話登場装備
『天宇受賣』(アメノウズメ)
   第45話登場装備
『飯縄』(いづな)
   第45話登場装備
『S-11搭載弾頭弾』(えすいれぶんとうさいだんとうだん)(090414更新)
   第71話登場装備
『思金壱型』(おもひかねいちがた)
   第45話登場装備
◎か◎◎◎
『陽炎・改』(かげろう・かい)
   第5話登場装備
『緊急展開用ブースターユニット』(きんきゅうてんかいようぶーすたーゆにっと)(090414更新)
   第54話登場装備
『豪天』(ごうてん)
   第46話登場装備
◎さ◎◎◎
『索敵情報統合処理システム』(さくてきじょうほうとうごうしょりしすてむ)
   第45話登場装備
『試作砲撃支援コンテナ甲型』(しさくほうげきしえんこんてなこうがた)
   第40話登場装備
『試製50口径120mmライフル砲』(しせいごじゅっこうけいひゃくにじゅうみりらいふるほう)(090414更新)
   第69話登場装備
『植樹用コンテナ』(しょくじゅようこんてな)
   第44話登場装備
『不知火(00ユニット回収機仕様)』(しらぬいぜろぜろゆにっとかいしゅうきしよう)
   第9話登場装備
『不知火(複座型)』(しらぬいふくざがた)
   第28話登場装備
『自律移動式整備支援担架』(じりついどうしきせいびしえんたんか)
   第6話登場装備
『自律式簡易潜水輸送船』(じりつしきかんいせんすいゆそうせん)
   第6話登場装備
『自律地雷敷設機』(じりつじらいふせつき)
   第40話登場装備
『自律誘導式気化弾頭弾発射装置』(じりつゆうどうしききかだんとうだんはっしゃそうち)(090414更新)
   第71話登場装備
『自律誘導弾連射コンテナ』(じりつゆうどうだんれんしゃこんてな)
   第45話登場装備
『白銀武エミュレーションプログラム』(しろがねたけるえみゅれーしょんぷろぐらむ)
   第34話登場装備
『振動波観測装置』(しんどうはかんそくそうち)
   第40話登場装備
『朱雀』(すざく)(090414更新)
   第63話登場装備
『戦術機潜航強襲揚陸艇甲型』(せんじゅつきせんこうきょうしゅうようりくていこうがた)
   第44話登場装備
『戦術立案ユニット』(せんじゅつりつあんゆにっと)(090714更新)
   第85話登場装備
『1200mm気化弾頭弾』(せんにひゃくみりきかだんとうだん)
   第36話登場装備
◎た◎◎◎
『武御雷(ふくざがた)』(たけみかづちふくざがた)
   第45話登場装備
『武御雷(陽動支援機仕様)』(たけみかづちようどうしえんきしよう)(090414更新)
   第70話登場装備
『中距離データリンク増幅システム』(ちゅうきょりでーたりんくぞうふくしすてむ)(090414更新)
   第54話登場装備
『データリンク中継気球』(でーたりんくちゅうけいききゅう)
   第45話登場装備
『同期コンボ』(どうきこんぼ)
   第38話登場装備
『統合フィードバックシステム』(とうごうふぃーどばっくしすてむ)
   第28話登場装備
『投擲地雷』(とうてきじらい)
   第44話登場装備
『時津風』(ときつかぜ)
   第25話登場装備
『土竜』(どりゅう)(090414更新)
   第68話登場装備
◎な◎◎◎
『74式大型飛行艇』(ななよんしきおおがたひこうてい)
   第9話登場装備
『74式稼動兵装担架システム』(ななよんしきかどうへいそうたんかしすてむ)
   第23話登場装備
◎は◎◎◎
『120mm回転式多砲身機関砲』(ひゃくにじゅうみりかいてんたほうしんきかんほう)(090414修正)
   第46話登場装備
『120mm短砲身速射砲コンテナ』(ひゃくにじゅうみりたんほうしんそくしゃほうこんてな)
   第44話登場装備
『分岐コンボ』(ぶんきこんぼ)
   第38話登場装備
◎ま◎◎◎
『03式狙撃支援用追加装甲』(まるさんしきそげきしえんようついかそうこう)(090714更新)
   第85話登場装備
『02式120mmライフル砲』(まるにしきひゃくにじゅうみりらいふるほう)(091027修正)
   第44話登場装備
『満潮』(みちしお)
   第40話登場装備
◎や◎◎◎
◎ら◎◎◎
『雷神』(らいじん)(091027修正)
   第66話登場装備
◎わ◎◎◎



2.オリジナル装備解説 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 オリジナル装備の解説は初出の話数毎に記述されています。
 未読の話数の装備をご覧になるとネタバレになりますのでご注意下さい。
 解説で使用した用語で『2.用語解説』に説明がある単語は『*』を右に表記します。
 また、実体の無いプログラムやシステムなども、一緒に記載します。

★第5話登場装備★★★

★★★
名称:『陽炎・改』(かげろう・かい)
カテゴリー:陽動支援戦術機・遠隔操縦式無人戦術機
解説:
 実機の登場は第6話。
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『遠隔陽動支援機構想*』に基づいて開発された装備。
 無人の遠隔無線操縦式の戦術機であるが、一応実際に搭乗して操縦する事も可能。ただし、その際にはリミッターをかける必要がある。
 F-15J陽炎をベースに、姿勢制御スラスターを脚部数箇所に、カナード翼を腕部と頭部に増設し、高機動時の関節駆動部の保護の為に各関節部にロック機構が追加されている。
 また、管制ユニットにはBETAに有人機と誤認させる為の、生体反応欺瞞用素体が搭載されている。
 XM3用高性能コンピューターを搭載し、高い自律制御能力を有する。
 自律行動での有人機への追従・戦闘・陽動の他、自爆戦術が可能。
 これらの自律行動は、XM3のコンボ解析メソッドを応用、蓄積行動パターンを照合し統計的に最適な行動を行う。
 また、簡単なモード切替や作戦目的変更によって、自律行動を指定する事ができる。
 運用目的は主にBETAに対する陽動。無人機ならではの加速Gを無視した3次元機動によってBETAを誘引し、友軍戦術機甲部隊を支援する事を企図している。
 また、誘引したBETAや、敵中深くに存在するレーザー属種を殲滅する為に、指向性S-11を常備している。
 通常兵装は、74式近接戦闘長刀x2、87式突撃砲x2、ALMランチャーである。
付記:
 『陽炎・改』は、夕呼によって戦場に出ることを禁止された武が、ヴァルキリーズや純夏=『凄乃皇弐型』を援護したいが為に捻り出した装備である。
 トライアルでの自身の暴走が陽動となった事と、過去の戦訓から有人兵器で高性能コンピューターを搭載した戦術機が、空中に飛び上がった際に、BETAの優先撃破目標となるとされていた事から考え付いた。

★第6話登場装備★★★

★★★
名称:『自律移動式整備支援担架』(じりついどうしきせいびしえんたんか)
カテゴリー:整備支援担架
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『遠隔陽動支援機構想*』に基づいて開発された支援装備。
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第1期装備群の1つ。
 自律制御によって、無人で戦場を往来し、戦術機や物資の運搬や、簡単な整備等を行う大型車両。
 87式自走整備支援担架に、不整地での障害踏破用姿勢制御スラスターと、自律走行システム、自動整備装置などが追加されている。
 運用目的は、戦線後方での陽動支援戦術機の展開と整備。各種物資の運搬であある。
 装輪駆動による巡航速度は時速60km。装輪走行が出来ない不整地などでの移動は推進剤がある限り、スラスターにより可能。

★★★
名称:『自律式簡易潜水輸送船』(じりつしきかんいせんすいゆそうせん)
カテゴリー:潜水輸送船
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『遠隔陽動支援機構想*』に基づいて開発された支援装備。
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 水面直下を短距離航行し、戦術機1機と補給物資を搭載した『自律移動式整備支援担架』を搭載・運搬する簡易船舶。
 大型水密コンテナに浅深度水中自律航行システムと、潜望鏡式通信アンテナなどを取り付け、水中での安定性を図るための流体整形を行っただけの急造品。
 第2ループ、第3ループ共に、『甲21号作戦』で実戦投入する為に、最低限の工期で生産できるように設計された。
 運用目的は、佐渡島の海岸線近くまで水面下を進み、陽動支援戦術機を強襲上陸させたり、『自律移動式整備支援担架』を揚陸させたりする事を企図している。

★第9話登場装備★★★

★★★
名称:『不知火(00ユニット回収機仕様)』(しらぬいぜろぜろゆにっとかいしゅうきしよう)
カテゴリー: 戦術機
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*の『甲21号作戦』に於いて、緊急時に遠隔操縦で、『凄乃皇弐型』から00ユニットを回収する事を目的として改修された『不知火』。
 管制ユニットを複座型に換装し、後部シートの位置に00ユニットを格納するメンテナンスユニットを搭載した。
 また、『凄乃皇弐型』の管制システムと有線接続する為のインタフェースユニットが、機体腰部に存在する。

★★★
名称:『74式大型飛行艇』(ななよんしきおおがたひこうてい)
カテゴリー:大型飛行艇
解説:
 物資運搬及び人員輸送用に開発された、日本帝国の大型飛行艇。通称74式大艇(ななよんしきだいてい)。
 二式大艇こと二式飛行艇を開発した河西航空機の後身である真明和工業が、二式大艇のノウハウを基に開発した機体である。
 1974年に正式採用された為、74式大型飛行艇と命名された。
 BETAの日本侵攻により、飛行場の利用できない地域への物資や人員、装備の輸送の為、ある程度の水面があれば離着水できる飛行艇として活用されている。
 滑走路への離着陸も可能。
 輸送機仕様と旅客機仕様が存在する。
 輸送機使用には戦術機を搭載した自走整備支援担架を1台搭載し輸送できる。
 全長59.5m、全幅57.9m、全高17.9m。カーゴベイは長さが22.9m、幅が5.6m、高さが4.8mで、ペイロードは98tまで搭載可能。

★第23話登場装備★★★

★★★
名称:『74式稼動兵装担架システム』(ななよんしきかどうへいそうたんかしすてむ)
カテゴリー:戦術機用兵装担架システム
解説:
 原作にある同名の装備に、突撃砲と長刀など、複数の武装を同じ兵装担架で搭載でき、しかも、持ち換える際に仮収納→正規収納装備リリース→仮収納装備を自動にて正規収納、という形で、装備変更補助が行えるという設定に改竄したもの。
 原作の同名装備の長刀用マウントと突撃砲用マウントを同時に付けている様なものである。

★第25話登場装備★★★

★★★
名称:『時津風』(ときつかぜ)
カテゴリー:陽動支援戦術機
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第1期装備群の1つ。
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*の『陽炎・改』とほぼ同一の装備。単に命名しただけ。
 『陽炎』改修型遠隔陽動支援戦術機。
 命名は国連軍横浜基地技術部による。命名理由は、気象用語で『良いタイミングで吹く追い風』という意味がある事から、窮地に陥った戦場に颯爽と現れ、戦況をひっくり返す機体となって欲しいという願いを込めて付けられた。
 運用方法は、『陽炎・改』とやや異なっており、HQからの遠隔無線操縦による運用以外にも、有人複座型戦術機からの遠隔操縦や、自律制御による随伴・戦闘などが想定されている。
 これは、通信環境が劣悪となるハイヴ突入時に、ハイヴに突入する有人機から部隊内データリンクによって運用する為である。
 そこから派生して、『時津風』の操縦者を戦況に合わせて適宜交代させたり、複数の衛士に1機の『時津風』を制御させたりと、臨機応変な運用手法が編み出された。
付記:
 A-01にはこの機体が大量に配備されているが、実はベースになっている機体は、F-15Jではなく、米国から取り寄せたF-15Cである。

★第28話登場装備★★★

★★★
名称:『統合フィードバックシステム』(とうごうふぃーどばっくしすてむ)
カテゴリー:XM3用プログラム
解説:
 戦術機を衛士が操縦する際に行われている、衛士強化装備と戦術機搭載コンピューターとの間で行われているフィードバックデータのやり取りを、複数の衛士と戦術機の間で統合処理するシステム。
 基本的には複座型管制ユニットに搭乗する2名の衛士の操縦を統合して最適化した機動を実施し、その結果発生する加速Gなどの影響を緩和する為のフィードバック情報を、2名の衛士強化装備に等しく配信するシステム。
 これを応用する事で、搭乗機体の操縦に関与していない搭乗者が受ける機動の影響を軽減したり、フィードバックデータの蓄積を持たない新任衛士に、ベテラン衛士の蓄積したフィードバックデータを反映して、初期からそれなりのフィードバックを実施しつつ、新任衛士に適合したフィードバックデータの蓄積を促進するなどの運用が可能。
 また、第34話で言及される、派生プログラムである『並列仮想統合フィードバック』プログラムは、複数の単座型シミュレーターを用いて、仮想的に1つの親機に対して複数の子機が、別個に複座となったかのようにデータを処理する事で、ベテラン衛士1名で、同時に多数の衛士にベテラン衛士の機動を追体験させて、フィードバックデーターの蓄積を行わせる事を可能とした。

★★★
名称:『不知火(複座型)』(しらぬいふくざがた)
カテゴリー:戦術機
解説:
 実機の登場は第33話。ただし、武が1人で搭乗。2名が搭乗して実機を初運用するのは、第35話。
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第1期装備群の1つ。
 陽動支援戦術機などの遠隔操縦装備群を搭乗衛士が運用する事を前提として、複座型管制ユニットに換装した上で、通信機能が強化されている。
 複座型ということで、XM3用高性能並列コンピューターによる統合フィードバックシステムにより、複数の搭乗衛士の思考や操縦を反映して最適化された機動を行うようになっている。
 また、その機動に対するフィードバックは、全搭乗衛士の強化装備に対して行われ、体感加速を等しく緩和し軽減する。
 さらに、各衛士の操縦内容が競合する場合、主操縦士の入力を優先とした競合回避も行い、副操縦士への早期警告なども為される。
 これらの処置によって、戦術機特性の低い人間でも同乗可能となった。
 また、搭乗する戦術機の操縦以外の各種操作をする際にも、搭乗機体の機動によって生じる影響が大幅に軽減される事となった。
 運用目的は、搭乗衛士の生残性を確保しつつ、各種遠隔操縦装備群を運用する事。
 敵に襲撃される危険がある場合には、片方の衛士が搭乗機体の操縦を担当し、他方の衛士が遠隔操縦装備群を運用したり、主操縦士の支援を行ったりする事を企図している。

★第34話登場装備★★★

★★★
名称:『白銀武エミュレーションプログラム』(しろがねたけるえみゅれーしょんぷろぐらむ)
カテゴリー:XM3用補助プログラム
解説:
 XM3慣熟訓練用プログラム。
 武の操縦ログを基に、シミュレーターで武の機動を再現して、複数の衛士に追体験させたり、武の機動に追従する訓練を行ったり出来るようにしたシミュレーター演習用プログラム。
 実際に武の機動を相手取って模擬戦が出来る訳ではない。

★第36話登場装備★★★

★★★
名称:『1200mm気化弾頭弾』(せんにひゃくみりきかだんとうだん)
カテゴリー:特殊砲弾
解説:
 1200mm超水平線砲用の特殊砲弾。
 弾頭に気化爆薬を実装しており、指定された条件に従って信管を起爆し、弾頭内のサーモバリック爆薬を固体から気体へと爆発的な相変化を遂げさせる。
 弾頭を中心に広範囲の空間に高速で噴出し拡散した、粉塵と強燃ガスの複合爆鳴気中で自己分解による爆発を火種として、空気中の酸素との爆燃による強大な衝撃波を発生させる。
 そして発生した衝撃波によって、周囲の物体を吹き飛ばし、同時に急激な燃焼によって酸素を消失させる。
 対物効果よりも、肺呼吸する生物に対して大きな殺傷力を発揮するが、中型種以上のBETAにはあまり効果が期待できない。
付記:
 HSTT迎撃の際に、HSSTの破片の軌道を衝撃波で変化させ、日本海へと落下させた。

★第38話登場装備★★★

★★★
名称:『分岐コンボ』(ぶんきこんぼ)
カテゴリー:XM3用プログラム
解説:
 初使用は第33話の紅蓮との仕合だが、名称は登場していない。
 簡略操作で起動されるコンボの動作の途中に、詳細指示待ちの処理を追加したもの。
 詳細指示待ちの指定期間中に、移動や攻撃などの詳細を指示する操作を行うことで、コンボの途中で微調整を行える。
 また、これを更に進めて、コンボの途中で後に繋がっていく機動を複数登録しておく事で、コンボの機動を流れを途切らせる事無く変化させる事が可能。
 詳細指示待ち期間の間に適合する入力が行われない場合には、OSが統計上最適と判断した動作へと分岐してコンボは続く。
 途中から変化し分岐していく連続動作や、砲撃時の照準の微調整などが可能となる。
 使いこなすには個々のコンボ毎に慣熟する必要がある為、通常は起動ロックがかかっている。

★★★
名称:『同期コンボ』(どうきこんぼ)
カテゴリー:XM3用プログラム
解説:
 複数の機体で1つの複合動作パターンを、同期して実行する為のプログラム。
 全体で1つの複合パターンを実施するのが基本なので、個々の機体の動作は同じである必要は無い。
 複数機体による同時攻撃、統制砲撃、波状攻撃など、用途は様々だが使いどころはそれ程多くない。
 使いこなすには個々のコンボ毎に慣熟する必要がある為、通常は起動ロックがかかっている。
付記:
 トライアルに於いて、千鶴は戦闘に参加していない機体で『同期コンボ』を起動して、部隊に所属する3機の『不知火』を制御して見せた。

★第40話登場装備★★★

★★★
名称:『振動波観測装置』(しんどうはかんそくそうち)
カテゴリー:索敵装置
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第1期装備群の1つ。
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 BETAが移動する際に発する振動波を観測して、そのデータを無線で発信する索敵装置。
 地中設置型と、付着式の2種類があり、付着型はハイヴや施設内で使用する。
 基本的には地中設置であり、複数の観測装置から得たデータを統合処理することで、振動波の詳細な位置や深度などを割り出す。
 運用目的は、対BETA戦闘に於ける戦域早期警戒システムの構築。

★★★
名称:『満潮』(みちしお)
カテゴリー:随伴輸送機
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第1期装備群の1つ。
 『撃震』改修型戦術歩行随伴輸送機。
 『撃震』の装甲と管制ユニットをほぼ排除し、強度維持のための補強と『時津風』と同様に姿勢制御スラスターを増設した上で、肩部と胸部に物資積載スペースを設け、それ以外の部位の装甲を排除したスペースに推進剤タンクを分散配置した上で、フレキシブルチューブによって接続し推進剤の配分を行えるようにされている。
 実質的に、機体本体は積載スペースと駆動フレームしか存在しないに等しい機体である。
 また肩部物資積載スペース側面に74式稼動兵装担架システムを改造し、長刀または突撃砲を2つ同時に保持できるようにした、試作連装稼動兵装担架システムを片側1基、左右両側で合計2基装備。背部には、従来の74式稼動兵装担架の代わりに、各種背部コンテナ保持用の兵装担架が装備される仕様となっている。
 外見上は『撃震』と殆ど見分けがつかない。これは、機体各所の積載スペースや推進剤タンクが外装板で覆われており、一応対レーザー蒸散塗膜加工を施されているため、姿勢制御スラスターが増設されている事を除き、殆どシルエットに差違がない為である。
 運用目的は、各種補給物資、装備弾薬などを積載した上で、戦術機甲部隊に随伴し、補給と共に各種支援や、装備の設置作業などを行わせる事である。
 また、各種戦闘コンテナを装備する事で、戦術機に随伴可能な支援戦力としての機能も果たす。
付記:
 愛称『みっちゃん』、ただし、未公認。

★★★
名称:『試作砲撃支援コンテナ甲型』(しさくほうげきしえんこんてなこうがた)
カテゴリー:『満潮』用背部コンテナ・戦闘コンテナ
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第1期装備群の1つ。
 対レーザー近接防御及び支援砲撃用装備。
 この装備は、120mm滑空砲をベルト給弾で120発連射できるようにした120mm速射砲と、自律誘導弾を単発にて連続発射する64発搭載の、単射式自律誘導弾コンテナが一体化したものである。
 『満潮』が装備した状態では、『満潮』の左肩の後ろ、頭部よりもやや高い位置に120mm速射砲モジュールの砲身が存在し、そこから給弾ベルトがコンテナへと繋がっている。
 砲の射角は水平から90度まで、方位は機体前方から左右60度の範囲で旋回可能。
 単射式自律誘導弾コンテナは、コンテナ上部右側面外部の射出位置に、自律誘導弾1発が格納された垂直発射セルを自動装填で送り出して、自律誘導弾を発射する。
 発射後、空になった垂直発射セルは投棄され、次のセルが送り出されれば即座に次弾を発射できる。
 双方共に弾種を選択可能。
 レーザー属種に対する、120mmAL弾頭による陽動砲撃の有効性を検証しつつ、効果が薄かった際には実績のあるALMによる陽動砲撃を実施できるように、弾数を減らす代わりに、120mmと自律誘導弾システムの両方を搭載している。
 運用目的は、遠隔操縦による砲撃支援と、ALMによるレザー照射の誘引。
 部隊内の機体がレーザー照射を受けると、自動的にALMを連続発射して、レーザー照射をALMに誘引する。
 ただし、照射を受けた機体が空中で機動中である場合は、ALMは発射しない。
追加設定:
 120mm速射砲は、120mm滑空砲の補助加速装置を制御する事で、弾速を変化させて直射と曲射を任意に行う事が出来る。

★★★
名称:『自律地雷敷設機』(じりつじらいふせつき)
カテゴリー:自立支援装備
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第1期装備群の1つ。
 戦域マップに地雷敷設位置をマーキングしておくか、敷設範囲と敷設密度などの条件設定をするだけで、自動的に地雷を敷設してくれる自走式作業機械。
 敷設する地雷は突撃級BETAを主目標としており、地面に水平に近い浅い角度で、鉄片を飛散させ、突撃級の装甲殻の下や脇から、脚部や腹部を負傷させる。
 ただし、本機には地雷を埋設する機能は無い為、傾きの少ない場所に地雷を置き簡便に固定するだけである。
 また、一旦敷設した地雷の改修も可能。
付記:
 愛称は『ジライくん』、ただし、未公認。

★第41話登場装備★★★

★★★
名称:『天津風』(あまつかぜ)
カテゴリー:陽動支援戦術機
解説:
 実機登場は第44話。
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第1期装備群の1つ。
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 『撃震』改修型遠隔陽動支援戦術機。
 命名は国連軍横浜基地技術部による。命名理由は、『時津風』の兄弟機である事から。気象用語での天津風は『空高く、天を吹く風』という意味がある。
 運用方法は、『時津風』と全く同じ。ただし、機動特性は『時津風』には遥に及ばない。
 元来、陽動支援機は旧式機を改修して、被害担当用の陽動戦力とする事が前提なので、日本帝国に於いては旧式化しつつも大量に配備されている『撃震』をベースとした本機が主流となる。

★第44話登場装備★★★

★★★
名称:『戦術機潜航強襲揚陸艇甲型』(せんじゅつきせんこうきょうしゅうようりくていこうがた)
カテゴリー:潜水揚陸艇
解説:
 『自律式簡易潜水輸送船』の設計思想を昇華させた戦術機搭載型、潜水強襲揚陸艇。
 1隻につき戦術機2機を搭載し、最大潜航深度は100mである。
 艇後部には切り離し可能な、水中発射式自律誘導弾コンテナが搭載されており、1基当り32発のALMが発射可能である。
 また、上甲板左右の水密ハッチの中に、120mm短砲身速射砲が1門ずつ、合計2門搭載されている。
 さらに、戦術機射出用カタパルトも2基搭載されており、上甲板前部中央寄りにある、左右に2つの射出口から格納している戦術機を射出し、緊急展開させる事ができる。
 基本的に無人艦であり、自律制御で航海と戦闘を行うが、最大2名が搭乗しマニュアルで運用する事も可能となっている。
 欠点は、水中戦用の武装が無い事と、戦術機以外の装備や物資を揚陸する能力が無い事、そして、格納した戦術機を整備出来ないことである。
 有人戦術機を運用する場合には、衛士は格納時から基本的に管制ユニットに登場したままとなってしまう。
 運用目的は、BETA被支配地域の海岸線に、戦術機を緊急展開させる事であり、その際の陽動砲撃を行う事である。
 無論、戦術機の回収も行えるが、そちらは副次的な運用に過ぎない。

★★★
名称:『秋月型ミサイル駆逐艦』(あきづきがたみさいるくちくかん)
カテゴリー:ミサイル駆逐艦
解説:
 元来は、艦隊防衛用のイージス艦として設計された艦種。
 第二次世界大戦中の『秋月型駆逐艦』とは別の艦である。1番艦の『秋月』以降、『秋月型駆逐艦』の艦名を継承した。
 54口径127mm単装速射砲や、VLS90セルなどを搭載している。
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*での『甲20号作戦』に於いてはVLSにキャニスターを付加し、1セル当たり4発、合計360発のALMを搭載し、艦隊レーザー近接防御を担当。
 戦艦へのレーザー照射をALMへと誘引する事で、戦艦部隊の海岸線への接近を助け、近距離砲戦によるレーザー属種の殲滅に寄与した。

★★★
名称:『120mm短砲身速射砲コンテナ』(ひゃくにじゅうみりたんほうしんそくしゃほうこんてな)
カテゴリー:『満潮』用背部コンテナ・戦闘コンテナ
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 『試作砲撃支援コンテナ甲型』を120mm短砲身速射砲のみとして、装弾数を増やしたもの。
 運用目的などは同一。主に曲射を用いる。

★★★
名称:『投擲地雷』(とうてきじらい)
カテゴリー:戦術機用兵装
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 円盤状の形状をしており、戦術機の主腕によって投擲されても、内臓のジャイロによって上下を保つようになっている。
 地上に落着した後は、自律制御で接近してくるBETAに向け、搭載する指向性爆薬を起爆して金属片をばら撒く。
 運用目的は、地雷敷設機の運用が困難な状況下で使用し、向かってくる突撃級の突撃衝力を減衰させる。

★★★
名称:『02式120mmライフル砲』(まるにしきひゃくにじゅうみりらいふるほう)(091027修正)
カテゴリー:戦術機用兵装
解説:
 50口径の長砲身砲で、砲身内にライフリングが刻まれており、弾道安定性が重視され、長距離での高い命中精度を誇る。
 装弾数15発の弾倉を2つ同時に装着可能となっており、セレクターにより1発毎に弾種を切り換えての砲撃が可能。
 使用する砲弾は120mm弾であり、中型種以上のBETAにはAPDS(装弾筒付徹甲弾)、光線級、戦車級などの小型種BETAには時限信管付き榴弾を使用。
 弾道安定性を優先するため、横風の影響を受けやすい安定翼の付いたAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)は使用しない。
 運用目的は、遠距離からの前衛戦術機の支援及びレーザー属種の殲滅。
 従来の87式支援突撃砲の36mm弾では、重光線級などの大型種BETAに対する効果が不足気味であった為開発された。
 砲弾の大型化により、携行弾数の減少という問題が発生する為、『満潮』の随伴を前提として運用される。

★★★
名称:『植樹用コンテナ』(しょくじゅようこんてな)
カテゴリー:『満潮』用背部コンテナ・民生用コンテナ
解説:
 奪還したBETA被支配地域の植生を回復する為の植樹を、『満潮』を使用して自律制御で行わせるための背部コンテナ。
 BETA大戦用に大量に配備された『満潮』を、民生用に転用する為の試作装備の一つ。
 コストパフォーマンスとしては問題もあるものの、新規に機材を生産したり、人員を大量に投入するよりはマシであると考えられている。

★第45話登場装備★★★

★★★
名称:『データリンク中継気球』(でーたりんくちゅうけいききゅう)
カテゴリー:データリンク中継装置
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 ハイヴ突入に際して、進攻ルート上の『地下茎』内に一定間隔で定置することで、地上とのデータリンクを確保する通信中継装置。
 『地下茎』を移動するBETAによる破壊を極力避ける為に、ガス気球からデータリンク中継システムを吊り下げ、天井より20m程の空中に、圧搾空気噴出装置を用いて定置させる。
 設置間隔は50m毎に1基が目安。
 このシステムにより、限定的ながらハイヴ内での陽動支援戦術機の運用が可能となる。

★★★
名称:『索敵情報統合処理システム』(さくてきじょうほうとうごうしょりしすてむ)
カテゴリー:XM3用プログラム
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第1期装備群の1つ。
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 初出は第39話の斯衛軍第16大隊との模擬戦だが、名称は言及されていない。
 複数のセンサーから得られた情報を集約して、時系列差分も反映しながら合成、分解能を上げた上で分析し、詳細なセンサリングマップを作成する。
 測定限界を大幅に拡大すると共に、複数の観測点の情報を統合する事で、対象の位置を高精度で察知する。
 特に、BETAの地中侵攻や、ハイヴ内に於ける移動状況の察知に高い効果を表す。
 戦術機に搭載されるXM3用高性能並列処理コンピューター1機で、実用レベルの処理をこなす事が可能。
 ただし、その場合戦術機の制御が殆ど行えなくなってしまう為、後に部隊内データリンクを経由して複数の機体のCPUで分散処理を行えるように改良された。

★★★
名称:『自律誘導弾連射コンテナ』(じりつゆうどうだんれんしゃこんてな)
カテゴリー:『満潮』用背部コンテナ・戦闘コンテナ
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 『試作砲撃支援コンテナ甲型』を単射式自律誘導弾コンテナのみとして、装弾数を128発に増やしたもの。
 搭載している自律誘導弾は、通過後に後方に向かって子弾頭をばら撒くクラスターミサイルであり、突撃級を主敵とした装備である。
 運用目的は、主にハイヴ内に於ける突撃級BETAの突撃に対して、後退しながらクラスターミサイルを連射して、突撃級BETAを漸減する事を企図する。

★★★
名称:『思金壱型』(おもひかねいちがた)
カテゴリー:超高性能並列処理コンピューター
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 XM3用高性能並列処理コンピューター100基分の演算能力を持つ大型コンピューター。
 横浜ハイヴの反応炉を失い、00ユニットを運用出来なくなった第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いて開発された。
 運用目的は、戦域情報の統合処理と、高速パケット通信による広域データリンクの維持管理を主とする。
 前線移動司令部『飯縄』の電算車両に搭載。
 G元素は使用されていない。
 『思金壱型』という名称は、知恵の神である『思金神』にあやかって付けられた。

★★★
名称:『飯縄』(いづな)
カテゴリー:前線移動司令部・支援車両
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 大陸進攻に於ける前線司令部機能を、複数の車両と複座型戦術機の統合体で実現したもの。
 車両は司令部車両、動力車両、電算車両、通信車両の4種類が存在する。
 司令部車両には作戦指揮官他数名の幕僚が搭乗し、CP将校は複座型戦術機1機毎に1名が搭乗する。
 そして、各車両と戦術機が、有線接続用通信ケーブルで物理接続を確立し、全体で1つの司令部として稼動する。
 本機の要求仕様は、1.全環境展開能力。2.高出力高速パケット通信能力。3.危機的状況からの離脱能力。の3つ。
 上記の3つの仕様を満たす事で、遠隔陽動支援戦術機を多数運用する戦場に必須となる広域データリンクを確立し、BETAによる急襲を受けた場合でも、司令部を速やかに離脱させ安全を確保した上で指揮統制を継続可能とする事を企図した。
 その結果、動力車両、電算車両、通信車両の3車種が開発された。
 電算車両にはオルタネイティヴ4で開発された大規模並列処理コンピューター『思金壱型』を搭載。
 通信車両には大出力高精度の通信機材が搭載され、動力車両が潤沢な動力を提供する。
 これらの装輪式大型装甲車両に必要とされる機材を分散し、破損や障害に備えて複数台数を運用する。
 緊急時や装輪走行で踏破出来ない場合などには、各車両を戦術機2機に保持させて運搬させる事で踏破・離脱能力を確保する。
 その為に、各車両の本体構造は装甲を兼ねた強固な構造体となり、戦術機が保持する為の保持架が2つ車両上部両側面に設置されている。
 また、CP将校を護衛兼補助動力機関である複座型戦術機に衛士と共に搭乗させることで、司令部要員の生残性を高めた。
 さらに、高級指揮官が戦場全体を統括する為の司令部車両も開発された。
 司令部車両には、揺動補正制御システムが搭載され、戦術機による運搬時の搭乗者への負担を軽減する。
 移動時など各車両が物理的に接続されていない状況に於いても、各車両に搭載されているバッテリーと補助動力で賄える短時間の運用であれば、無線データリンク接続によって指揮統制を継続する事も可能である。
 『飯縄』という名称は、戦勝の神として信仰される『飯縄権現』にあやかって付けられた。

★★★
名称:『天宇受賣』(アメノウズメ)
カテゴリー:BETA陽動専用機
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いて、00ユニット(純夏)からBETAに流出した情報により、稼動しているML機関を最大の脅威と判断して、BETAが過度に誘引されるようになっている事を逆用したBETA陽動専用機。
 デフォルメされたデルタ翼の航空機に足を2本付けた様な形状で、寸詰まりの翼に当たる部分には回転翼が内蔵されている。
 また、胴体部分が丸みを帯びて膨らんでおり、この部分に簡易ML機関を搭載している。
 搭乗者は3名で、主・複パイロットの他に、簡易ML機関の技術者が搭乗して運用する。
 移動に際しては、回転翼によって揚力を得た上で噴射跳躍ユニットで加速するNOEの他、レーザー照射の危険がある場合には、主脚走行が行える。
 また、簡易ML機関の暴走に備えて、コクピット周辺が小型脱出機になっている。簡易ML機関が暴走し、臨界爆発した際の爆発規模は標準型G弾と同程度。
 運用目的は、通常の陽動では地上に出てこない、ハイヴの最終防衛戦力となるBETA群を簡易ML機関によって可能な限り地上に誘引し、ハイヴ突入部隊の反応炉到達を支援することを企図する。
 『天宇受賣』という名称は、芸能の神で、天岩戸に隠れた天照大神を誘い出したとされる『天宇受賣命』にあやかって付けられた。
付記:
 『甲20号作戦』での作戦コード『F-01』のFはFake(模造品・にせもの)の頭文字から付けられている。

★★★
名称:『武御雷(複座型)』(たけみかづちふくざがた)
カテゴリー:戦術機
解説:
 第2、第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 陽動支援戦術機などの遠隔操縦装備群を搭乗衛士が運用する事を前提として、『不知火(複座型)』と同様の改修がなされた『武御雷』。
 運用目的も、『不知火(複座型)』と同様。
 ただし、紫色の御『武御雷』(複座型)に関しては生体認証システムが搭載されている為、一部の例外的な組み合わせを除き、主操縦士しか機体を操縦できない。
 副操縦士に可能なのは、自律制御コマンドの入力程度であり、それさえも主操縦士の認証か搭乗した上での意識喪失などの条件が満たされた場合のみである。
 例外的な組み合わせは、冥夜&悠陽、冥夜&武(00ユニット)、悠陽&武(00ユニット)。

★第46話登場装備★★★

★★★
名称:『豪天』(ごうてん)
カテゴリー:ハイヴ突入支援用硬式飛行船・支援装備
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於ける『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 120mm回転式多砲身機関砲を3門装備した硬式飛行船で、ハイヴ内に於ける突撃級の侵攻遅滞・漸減を企図して開発された。
 直径45m、全長165m。『縦坑』や『横坑』のクランクのきつい所を移動する為、前部と中部、後部の3つに分離して進攻できるが、各部は給弾ベルトなどで連結されている為、その長さ以上には離れられない。
 船首付近の上部と左右斜め下方の合計3箇所に砲架があり、120mm回転式多砲身機関砲3門が据えつけられている。
 中部と後部に搭載された弾薬庫から、給弾ベルトにより装弾数600発のドラムマガジンへと給弾を行う事で、1門当たり4,000発の装弾数を実現。
 船体の前部と中部、後部に4基ずつ搭載された噴射跳躍ユニットの噴射によって、移動する。
 また砲撃時の反動も、噴射跳躍ユニットによって押さえ込む。
 運用目的は、ハイヴ突入部隊の初期火力支援であり、全弾を打ち尽くした後は、そのまま置き去りにされる。
 突撃級の突撃を、その強力な火力によって撃退し、突入部隊の燃料弾薬を温存することを企図している。

★★★
名称:『120mm回転式多砲身機関砲』(ひゃくにじゅうみりかいてんたほうしんきかんほう)(090414修正)
カテゴリー:兵装・支援火器
解説:
 第2ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『豪天』の自動照準式砲架に搭載された。
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つであり、可搬式砲架に設置して、ハイヴ内での制圧火砲として運用された。
 50口径120mm滑腔砲の砲身を4本束ねてあり、毎分千発以上の発射速度で120mmAPFSDS弾を発射できる。
 ドラムマガジンの装弾数は600発。

★第54話登場装備★★★

★★★(090414更新)
名称:『緊急展開用ブースターユニット』(きんきゅうてんかいようぶーすたーゆにっと)
カテゴリー:装甲輸送艇・戦術機高速展開システム・支援装備
解説:
 実機登場は第67話。
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 戦術機を格納し、高速で超低空を飛行し、展開位置まで強行突入させるために開発された。
 かなり無茶な運用となる為、有人戦術機での運用は前提とされていない。
 鋭角な円錐を底面の円が半円になるように、縦に真っ二つにしたような形状をしており、その膨らんだ胴体部に戦術機を格納し、ロケットブースターで初期加速を行う。
 リフティングボディー形状と地面効果を用いて超低空を飛行する。巡航速度は時速600km。
 機首から翼端にかけてにスーパーカーボン製のブレードが装着されており、多少の障害物は強引に排除する。
 機体上部にミサイル発射筒を1セル装備。また、戦術機の代わりに武装コンテナを搭載し運用する事も可能。
 機体は、ミサイル発射筒とロケットブースター、推進機構である噴射跳躍ユニット6基を除けば装甲の塊であり非常に強固。
 運用目的は、陽動支援戦術機を戦線後方から投入ポイントまで迅速に移動させる事。
 レーザー属種による迎撃を極力避ける為に、超低空を飛行する事が要求されるので、地表や障害物に接触しても平気なだけの強度を持つ。

★★★(090414更新)
名称:『中距離データリンク増幅システム』(ちゅうきょりでーたりんくぞうふくしすてむ)
カテゴリー:通信装置
解説:
 実機登場は第72話。
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 通信阻害環境下でデータリンクや遠隔操縦を保持する為の通信補助システム。
 送信出力の強化と、重複送信によるデータ欠損の補完システムである。
 送信出力が大きすぎる為、対電磁防御が行われていない電子機器には障害が発生してしまう。
 運用目的は、ハイヴ内の反応炉付近などで、部隊内データリンクを保持運用する事。

★第63話登場装備★★★

★★★
名称:『朱雀』(すざく)(090414更新)
カテゴリー:陽動支援戦術機
解説:
 実機登場は第66話。
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。ただし、開発は日本帝国斯衛軍技術部。
 『瑞鶴』改修型遠隔陽動支援戦術機。
 命名は帝国斯衛軍参謀部による。命名理由は、『瑞鶴』の改修機ということで、鳥の瑞獣から選ばれた。
 運用方法は、『時津風』と全く同じ。ただし、改修基の『瑞鶴』が高機動性に特化された機体であった為、その機動特性は『時津風』に比肩する。
 斯衛軍で予備機としてストックされていた『瑞鶴』を改修して製作された。
 『武御雷』同様、『瑞鶴』も機体色によって性能が格段に異なっていた為、それをそのまま改修した『朱雀』も色に応じて性能が異なる。
 紫色の『瑞鶴』は2機が改修されて紫色の『朱雀』となったが、この機体であれば、『時津風』を凌駕する性能を発揮する。

★第66話登場装備★★★

★★★
名称:『雷神』(らいじん)(091027修正)
カテゴリー:航空狙撃用硬式飛行船・極超長距離極超音速制圧兵器・空中砲台
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 レーザー属種の迎撃を受けない地平線の影から、レーザー属種の反応速度を超越可能な弾速で砲撃を行う為に開発された。
 『雷神』は、200口径1200mm超水平線砲6門を船体の中央に据え付け、その周囲を気嚢で囲む構造を持つ硬式飛行船である。
 全長400m超過。弾薬庫は船体後部にあり、空中で弾薬補給用の小型飛行船からの給弾が可能となっている。
 戦術機での運用を前提として開発された1200mm超水平線砲を、飛行船への搭載を前提に改修し、装薬による1次加速後の砲身内加圧を、高密度に圧縮された圧搾空気による連続加圧方式に変更して砲身寿命を確保した上で、『雷神』1隻に6門を搭載した。
 レーザー属種の迎撃反応速度を超越する為、1200mm弾の初速を音速の50倍近い速度まで引き上げる為に砲身は延長され、200口径1200mm―――砲身長240mという、巨砲となった。
 衛星のデータを基に、気象条件を常時自動補正した上で、リアルタイムで画像情報に変換したデータリンク照準により、有効射程600km超過を実現。
 ただし、あまりに長すぎる射程により、変動要素は多く、砲撃誤差は著しく大きい。
 その為、現時点では00ユニットによる補正支援と、珠瀬壬姫少尉の天才的な狙撃特性による評定射撃によって、砲撃精度を確保しているが、それでも周辺に友軍が存在する場合には誤射の危険が高い為運用できない。
 また、砲撃には面制圧を目的とした榴弾を使用する。
 この弾頭は、高精度のプログラムに従って目標地点直前の上空で内蔵する炸薬を起爆し、弾頭内に搭載された数百発の榴弾を、下方に向けて発射、爆散する。
 炸薬の起爆前に弾速として得ていた圧倒的な運動ベクトルに、下方向への加速を更に加えられた榴弾は、その運動エネルギーと、衝撃波によって面制圧を行う。
 超水平線砲の照準は、バラストの移動と、船体各所に搭載された姿勢制御用のプロペラで、射線軸を変更・固定する事で行われる。
 超水平線砲が6門も搭載されているのは、加速用の圧搾空気の再充填に必要な時間による速射性の低さを補う為。
 船体自体の移動には、船体外周に装備された、噴射跳躍ユニットを流用した加速用スラスターを使用する。最高速度は時速224km。
 運用方法は、作戦初期に地上に展開しているBETA、特にレーザー属種への制圧砲撃。砲撃目標の分布を割り出す為に、通常の火砲による索敵砲撃*を行い、そのデータを基に目標を砲撃し、面制圧する。
 飛行船による空中発射が採用されたのは、極超音速に達した砲弾の衝撃波による影響を緩和する為。
 高空からの撃ち下ろしにしない場合、目標近辺以外への衝撃波による被害が許容範囲を超えると想定される。

★第68話登場装備★★★

★★★
名称:『土竜』(どりゅう)(090414更新)
カテゴリー:地中埋設式気化爆弾
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 地中侵攻してくるBETA群を迎撃する為に開発された地中埋設式気化爆弾。
 『土竜』の本体は直径2m全長10mの円筒形であり、内部は3重構造となっている。
 外周は装甲板で、その内側が中空になっており、ここには圧搾空気が封入され加圧されている。
 そして中央部にはサーモバリック爆薬とXM3に使用されている高性能並列処理コンピューター、そして陽動支援機と同じ生体反応欺瞞用素体、微量のG元素がワイヤーで吊られている。
 地中約100mの地点に埋設され、内蔵されたコンピューターと生体反応欺瞞用素体を組み合わせる事で、有人の高性能コンピューター搭載機としての条件を整え、BETAの撃破優先順位を意図的に上げ、さらには人類にとっては有効な利用方法が判明していないG元素を、微量ではあるが内部に仕込む事で地中侵攻するBETAを誘引する。
 そして、BETAと接触した際に外殻が破られると、そこから内部の圧縮空気が噴出して周辺の土砂などを排除。
 続いて内部の気圧減少を起爆信号として気化爆薬の信管が起爆。
 起爆されたサーモバリック爆薬は固体から気体へと爆発的な相変化を遂げて、装甲板に開いた亀裂から地中侵攻BETA群が犇めくトンネルへと、噴出し拡散。
 然る後、散布された粉塵と強燃ガスの複合爆鳴気の中で、自己分解による爆発が発生して引火し、トンネル内の酸素との爆燃を起す。
 この閉鎖空間内での爆燃により、熱と衝撃波で小型種を壊滅させて、中型種を相互に衝突させる事で殺傷する。
 運用に際しては、BETAの地中侵攻ルートが判明していて、尚且つその侵攻ルート上に埋設する時間的余裕が必要とされる。
 埋設作業は内径2m、全長10mの鋼管杭を10本、炸薬の反動を利用した杭打ち機構で次々に継ぎ足しながら打ち込み、然る後、鋼管内の土砂ごと鋼管を引き抜く。
 その後、掘削した穴の最深部に『土竜』本体を設置してから、その上に鋼管ごと土砂を埋め戻すという方法で行われる。
 後にG元素を組み込まない廉価型『土竜』も開発運用された。
 G元素搭載型は誘引効果は高いものの、設置前であっても保管場所にBETAを誘引してしまうという問題もあった。
 最終的に、G元素は後付け可能なモジュール方式に改修され、このG元素搭載モジュールは陽動支援機にも搭載可能な装備となった。
 因みに『土竜』は通称。命名は横浜基地技術部。命名理由は開発の切っ掛けが地中掘削推進型ミサイルの構想であった事から。

★第69話登場装備★★★

★★★
名称:『試製50口径120mmライフル砲』(しせいごじゅっこうけいひゃくにじゅうみりらいふるほう)(090414更新)
カテゴリー:戦術機用兵装
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 『02式120mmライフル砲』の試作タイプ。
 詳細は02式120mmライフル砲を参照の事。

★第70話登場装備★★★

★★★
名称:『武御雷(陽動支援機仕様)』(たけみかづちようどうしえんきしよう)(090414更新)
カテゴリー:陽動支援戦術機
解説:
 斯衛軍が独自に考案した『武御雷』陽動支援機化構想で開発された。
 複座型『武御雷』を基に、有人戦術機、陽動支援戦術機の両方の用途に使用できるように改修したもの。
 姿勢制御スラスター、カナード翼、生体反応欺瞞用素体などが、オプション装備として実装できるように改修した上で、関節駆動部ロック機構を組み込み、リミッターを無人・有人の2モードで切替可能とした。
 有人戦術機が損傷した場合に備えた予備機であると同時に、有人戦術機の直衛、最後の盾となるべく開発された。
 構造強度は通常仕様と比べると僅かに劣る。
 生体反応欺瞞用素体格納位置を管制ユニット外に設けてある為、通常の複座型管制ユニットを搭載し、2名の衛士が搭乗できる。
 高価な最新鋭機を、陽動支援機にも転用可能な仕様とする発想の、原点となった機体。

★第71話登場装備★★★

★★★
名称:『自律誘導式気化弾頭弾発射装置』(じりつゆうどうしききかだんとうだんはっしゃそうち)(090414更新)
カテゴリー:兵装・支援火器
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 ハイヴ内で追撃してくるBETA群を一時的に押し返し、先頭集団に過密上体を現出させる為に開発された。
 据え置き式の大型自律誘導弾発射装置。
 円筒状のミサイル収納チューブの先端に照準システムとバイポッド(二脚架)が取り付けられた構造をしている。
 外部から設定される発射条件を、照準システムのデータと照合して、ミサイル収納チューブ内の自律誘導式気化弾頭弾を発射する。
 自律誘導式気化弾頭弾は、ハイヴ内での使用を前提として特殊な仕様をしている。
 この弾頭弾は、標的に向けて飛翔した後、標的が近付いたところでロケットモーターをパージ。
 まずは、弾頭の後部から進行方向後方に向けて、サーモバリック爆薬を起爆し複合爆鳴気を噴出する。
 然る後、直後に弾頭の前部から今度は前方に向け、後方に噴射したものの数倍量の複合爆鳴気を噴出する。
 極僅かな時間差を付けて前後に噴射された複合爆鳴気は、続け様に着火して、爆燃による衝撃波をハイヴ内に撒き散らす。
 弾頭の進行方向後方で発生した爆風衝撃波は、『横坑』の両側に向けて衝撃波を発生させ、僅かに遅れて爆燃した進行方向前方で発生した爆風衝撃波は、先に発生した爆風衝撃波によって後方を塞がれ、前方への指向性を付与され、より強力な爆風衝撃波を発生させる。
 運用方法は、ハイヴ内で追撃してくるBETA群の進路上の『横坑』に設置した後、発射条件を入力して置き去りにする。
 これにより、BETA群の先頭集団を押し戻し、その侵攻を遅滞せしめると同時に迂回、再合流を誘発して、先頭集団に過密状態を現出せしめる。

★★★
名称:『S-11搭載弾頭弾』(えすいれぶんとうさいだんとうだん)(090414更新)
カテゴリー:兵装・支援火器
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第2期装備群の1つ。
 自律誘導式気化弾頭弾によって過密上体を現出されたBETA群先頭集団を殲滅する為に開発された。
 自律誘導式気化弾頭弾発射装置に搭載されている自律誘導弾の弾頭の、前部気化爆弾を前方に指向したS-11に載せ替えたもの。
 運用は、自律誘導式気化弾頭弾発射装置とセットで行われる。
 数発の自律誘導式気化弾頭弾を使用した後、S-11搭載弾頭弾を使用する事で、効率良くハイヴ内を追撃してくるBETA群を漸減する。

★第85話登場装備★★★

★★★
名称:『戦術立案ユニット』(せんじゅつりつあんゆにっと)(090714更新)
カテゴリー:超高性能並列処理コンピューター・秘匿名称
解説:
 00ユニットの秘匿名称。強いて言うならば、量子電導脳。
 オルタネイティヴ4が機密一部解除された後、ハイヴ攻略戦などで対BETA戦術構想に基づいた作戦案を提示する際に、00ユニットによる高度且つ高速な作戦立案能力を秘匿する為に、戦況分析・作戦立案専用の超高性能並列処理コンピューターを運用していると公表した。
 その際に、これに秘匿名称として『戦術立案ユニット』という名称を付けた。
 『ユニット』という略称で呼ばれる事が多い。

★★★
名称:『03式狙撃支援用追加装甲』(まるさんしきそげきしえんようついかそうこう)(090714更新)
カテゴリー:戦術機用追加装甲・砲架
解説:
 第3ループ確率分岐世界群*基準世界*に於いては『対BETA戦術構想*』の第4期装備群の1つ。
 可搬式砲架に、展開式の防盾が取り付けられた狙撃支援用追加装甲。
 有人戦術機を狙撃専用機として運用し、尚且つ生残性を維持する為に開発された装備。
 実際には、対人類戦を意識した装備である。
 可搬式砲架は設置用の脚を供え、02式120mmライフル砲などの戦術機用の砲各種を保持できる。
 砲架は上下に60度、左右に120度の範囲で可動し照準可能だが、駆動部は内蔵されていない為、戦術機の主腕によって照準が成される。
 狙撃用の高精度照準システムも内蔵。これは防盾越しに照準を行う為。
 防盾は、左右と上、左右斜め上の5枚の装甲板が、可搬式砲架の前方に重なる形で格納される機構となっている。
 各装甲版には対レーザー蒸散塗膜が施されており、光線級の最大出力照射を約6秒間無効化できる。
 格納位置のまま縦として使用した場合、5枚の装甲を順次パージする事で、光線級の最大出力照射を理論上約30秒まで無効化可能である。
 但し、格納状態でもかなり嵩張るため、運搬時には両主腕で保持するか専用の背部兵装担架で保持する必要がある。



3.用語解説 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 用語解説は、50音順に記載されています。
 ここに記載されているのは、装備解説で使用された用語だけです。

●遠隔陽動支援機構想(えんかくようどうしえんきこうそう)
 戦術機を無人で遠隔操縦し、前線でBETAを機動陽動し、友人戦術機甲部隊を支援しようという構想。
 第2ループ確率分岐世界群*で、夕呼に前線に出ることを禁止された武が立案した。
 この構想を原型として、対BETA戦術構想*が考案された。

●基準世界(きじゅんせかい)
 各ループの確率分岐世界群で、主流となる世界。

●再構成(さいこうせい)
 武の因果情報を集約して、武の存在を世界に定着させる事。
 例外的に、原作で言われているエクストラ世界をファイナルエピソードやオルタードフェイブルの世界へと改変する事もこう呼称される。

●索敵砲撃(さくてきほうげき)(090414更新)
 レーザー属種の分布位置を割り出す為に行われる砲撃。
 レーザー属種が存在すると疑われる戦域へ、散発的な曲射砲撃を実施することでレーザー照射による迎撃を誘発し、その存在位置を割り出す。
 照射インターバルの時間内に複数の砲撃を行うことで、分布データの制度を向上させる。
 また、『雷神』の極超長距離砲撃の事前砲撃として行う場合には、レーザー属種の照準方向を『雷神』の射線から逸らす為に、『雷神』の射線とは異なる方向から砲撃を実施する。

●第1ループ確率分岐世界群(だいいちるーぷかくりつぶんきせかいぐん)
 原作に於けるアンリミテッドの冒頭から開始される確率分岐世界群。いわゆる1周目。
 原作のエクストラ冒頭を起点とする確率分岐世界群の無数の武から、因果情報を少しずつ集めて来て武を再構成*された時点を起点とする。
 原作では、純夏が武と結ばれなかった世界から集められたと解釈可能な記述があったが、本作では純夏と結ばれた世界からも集められている。

●第3ループ確率分岐世界群(だいさんるーぷかくりつぶんきせかいぐん)
 本作に於ける第13話で描かれた武の再構成*直後から開始される確率分岐世界群。いわゆる3周目。
 第2ループ確率分岐世界群*で死亡(因果的に消滅)した、ほぼ全ての武の因果情報が集約されて再構成*された時点を起点とし、確率分岐していく。

●第2ループ確率分岐世界群(だいにるーぷかくりつぶんきせかいぐん)
 原作に於けるオルタネイティヴの冒頭から開始される確率分岐世界群。いわゆる2周目。
 第1ループ確率分岐世界群*で死亡(因果的に消滅)した、全ての武の因果情報が集約されて再構成*された時点を起点とする。


●対BETA戦術構想(たいべーたせんじゅつこうそう)
 武の発案によるBETAを主敵として構想された戦術及び装備群とその運用方法。
 根本的な理念として、BETAとの戦闘において、人的被害を最小限に留め、戦訓や戦闘経験を蓄積する事で、BETAとの戦闘に勝利する事を目的とする。
 武の記憶にある以前の確率分岐世界群の情報を基に、BETAの行動特性や、実際に投入した装備の効果などが反映される為、その実効性は高い。
 各ループの確率分岐世界群毎に、実際に投入される装備が異なる為、第1期装備群、第2期装備群などの呼称は便宜的なものに過ぎない。
 XM3は厳密にはオルタネイティヴ4の技術が無くては開発できない為、オルタネイティヴ4の副産物とも言えるのだが、基本的な発案が武によってなされた為、対BETA戦術構想の装備として扱われている。
 ただし、対BETA戦術構想自体はオルタネイティヴ4の所管となっており、詳細や装備の提供は夕呼の許可の下行われる。



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