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[32684] 【習作】正義の味方と夢見る聖者【ネギま!×Fate×トライガン+オリジナル】
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/08/23 20:13
Part1 Unlimited Blade Works

 この世のものとは思えぬ光景だ。
 目の前に広がる『世界』を見て、真っ先にそんな言葉が浮かんだ。
 目に付くものは、一切の生命の宿らぬ赤い荒野。鈍らから名作までが揃った無数の剣の群れ。赤く黒く焼けた空。
そして、世界の最果てに燃え盛る煉獄の炎と、世界の中心に立つ、この剣の国の王。
 それらを認識してから数秒後、突然の事態に誤作動を起こしてしまった脳髄が、漸く最も確認すべき事項を思い出した。
 慌てて、背後を振り返る。
 自分の命を狙っている2人に無防備な背中を晒す危険性を考慮する余裕すら、今は無くなっていた。
 ――この世に生を受けてから、ずっと、物事を知るのが好きだった。好きで好きで堪らなくて、気が付いたら狂っていた。
 1つのことを知れば、それに関わること、また別のこと、幾つものことを知りたくなる。
 無知が埋まれば未知が現れ、既知が増えるほどに未知も増え続ける。
 その連鎖がたまらなく楽しく、喜ばしく、愛おしくて、気が狂わずにはいられなかった。
 狂った精神に合わせて、知り得た様々な術によって自らの肉体を改良し続け、身近な環境は常に最適化し続けた。より早く、より多く知る為に。
 しかし、時が経ち、知識と未知が増え続けるほどに、途方もない欲望が自らの裡に蓄積し、膨れ上がっていた。

 ――知りたい。
   この世の。
   この宇宙の。
   世界の全てを
   知り尽くしたい――

 その欲望に気付いてしまえば、もう抗いようなど無い。
 ただ漠然と何かを知ることに費やしてきた情熱と執念の全てを、その欲を叶えるための行動に移し換えた。
 そうして準備を整え続けること――正確な年月は忘れたが――数百年。
 漸く、漸く自分の全てであり唯一でもある願いを叶える、最初で最後のチャンスに辿り着いたというのに。
 現実はあまりにも非情であり、無情であった。
「あ……ああ…………あああああぁぁぁあぁぁぁぁ!!!」
 『この世の全てを知る』、そんな荒唐無稽で実現することなど不可能に近い願い。それを叶える為に作り上げた装置は、見るも無残な有り様だった。
 形こそ保っているが、それは最早崩壊寸前、制御不能に陥っていることが一目で分かった。
 装置の制御部分を担っていた工房と、その中核の魔法陣。装置へと接続し、結界と大術式によって生物から搾取した魔力を供給し、余剰の魔力を土地へと還元して安定させる役目を負わせていた龍脈。
 それら、自身を除いた最も重要な部分から世界ごと強引に引き剥がされた装置は、もう手の施しようが無い。
 修繕することも、修正することもできはしない。
「嘘だ……嘘だ……こんなの、こんなの嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!」
 装置の前に跪き、狂った精神が猛るに任せ、単調な言葉を発し続ける。
 数百年にも渡って心血を注ぎ、己の持ちえる全てを費やして作り上げ、掴み取った最初で最後の機会が、たった一瞬で、半世紀も生きていない人間によって粉々に打ち砕かれてしまった。
 ならば、その願いを抱いた心までも砕かれるのは必然であった。
 すると、男の絶叫に呼応するかのように、装置が暴走を始めた。
 世界の全てを知る為の――世界の外側へと逸脱する為の機能が、誤作動を起こしたのだ。
 魔力は辛うじて足りているが、時間も場所も滅茶苦茶だ。こんなことで、世界の外側へ逸脱するための道が開かれるはずが無い。
 いや、それどころか。
 制御もできず、何の防御策も講じられないこの状況で世界の狭間に放り出されれば、世界の内側に存在の痕跡や魂すら残さずに消滅するだろう。
「こんなの……こんなの、何かの間違いだ。そうさ、これは間違いなんだ……」
 現実を受け入れられず、認められず。
朦朧とする意識のまま、ふらふらと、世界に孔を穿っている装置に縋り付こうとして――
「これは……何かの間違いだぁぁぁぁぁぁああああぁ!!!」
 ――装置が空けた孔へと呑まれ、その華奢な肉体は瞬く間に崩壊した。
煉獄の炎に包まれた世界も崩壊を始め、世界の全ては穿たれた“孔”へ――虚無か無限と見紛う暗黒の彼方へと呑みこまれていく。
「バッ……カ、なぁ! こんな所で死ねるか!! こんなことでぇ! 死んでたまるかぁぁぁぁ!!」
「…………ま、まだ……俺は…………死ねない……」
 息吹く生命無き世界に残されていた2つの命も例外なく、その願い諸共に呑み込まれた。












Part2 NOMANS LAND

 ノーマンズランド、新都市“テラ”。
 ノーマンズランド全土を震撼させ、全宇宙の人類とプラントの関係に大いなる一石を投じた『方舟事件』から約1年半。
 その間に、ワープドライブ技術によって銀河の各所から地球連邦の船団が続々と到着し、ノーマンズランドを地球連邦政府の一員として迎えた。
 その一環として、過酷極まる環境のノーマンズランドへの支援の名目で様々な人、物資、技術、プラントが流入することになった。そのノーマンズランドの地上の拠点が『新都市』と呼ばれる都市なのだ。
 ここはノーマンズランドには無い物ばかりがあり、その全てがメイド・イン・地球。ノーマンズランド製の物と同じような物品があったとして、その品質は天地の開きよりも圧倒的に格が違う最高級品。
 そうなると当然、そういった『お宝』目当ての盗賊や荒れくれ者がひっきりなしに現れる。だが、それらを悉く街に侵入される前に撃退するほど、この街のセキュリティ・システムは優れている。
 だが、今夜ばかりは違った。
 侵入者――ではなく、脱走者の追跡と、ある実験の暴走事故が重なり、街の中核に存在する研究施設は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
「ふぅ。どうやら、追手は上手く撒けたみたいだね」
「ええ。幸い、こっちの方には人が少なかったようです」
 警備兵に追われるまま、右へ左へ、上へ下への大逃走劇を演じていた2人はやっと一息ついた。
 1人は、遠くからでも目を引く深紅のコートを着込んだ黒髪の男性。
 もう1人は、黒い帽子とマントが目を引く、顔の左目の方に特徴的な刺青を入れている、巨大な荷物を背負っている灰色の髪の男性。
 ヴァッシュ・ザ・スタンピードとリヴィオ・ザ・ダブルファング。
 稀代の超特大賞金首へと返り咲いた人間台風【ヒューマノイド・タイフーン】と、その彼に同行しては振り回されている最強の見習い牧師だ。
 彼らが砂漠を行き倒れていたところを救助され、身元が判明するや保護の名目の下に新都市の中でも特別な研究施設に監禁されたのは5日前のこと。体力もすっかり回復した2人は、先日からどうやって脱走しようかと思案していたところに今回の事件が起こり、これは幸いにと騒ぎに乗じて強硬手段で脱走に及んだ。
 だが、流石は地球連邦政府のお膝下。脱走とほぼ同時に察知されてしまい、つい先刻まで1時間にも及ぶ逃走劇を演じていたのだ。
 追手も振り切った今は、さっさとこの街からおさらばするだけ――というわけには、どうにもいかないようだ。
「で、どうしますか? ヴァッシュさん」
「勿論、暴走している彼女――プラントのところに行く」
 施設内を逃げ回っている内に、混乱の中錯綜する情報が、自然と2人の耳にも入ってきた。
 この施設で行われている実験とは、プラントを用いた物質転送実験であり、そのプラントが暴走を始めたことが、この騒ぎの原因なのだと。
 そんなことを聞いては、引き下がってなどいられない。
「君はどうする? 先に逃げてもいいんだよ?」
「まさか。あなたを1人で行かせたら、それこそ心配で夜も眠れませんよ」
 ヴァッシュの言葉に、リヴィオは溜息交じりに、即座に頷いた。
「ありゃ、ずいぶんと信用が無いんだね、僕」
「いえ。あなたを信頼しているからこそ、心配にならざるを得ないんですよ」
 ヴァッシュ・ザ・スタンピードの関わったトラブルは、必ず只では終わらない。
 人的被害を極力小さく抑えられても、その代わりとばかりに物的被害は予想を遥かに上回ることになるのが常だ。
 でなければ、財力や権力よりも暴力が物を言うこの星で一番の平和主義者に、天文学的な懸賞金がつくはずもない。
 リヴィオの返事に苦笑しながらも、ヴァッシュは返事を聞くとすぐに走り出した。リヴィオも遅れずそれに続く。
 構造の分からない複雑な施設内を、幾度も行き止まりに阻まれながら、それでも迷うことなく着実に、2人は目的地の方向へと真っ直ぐに駆け抜けていく。
 先導するヴァッシュが行き止まりに出てしまうことはあっても迷うことが無いのは、勘でもなければ運でもない。彼とプラントが惹かれあっている――一種の感応状態にあるからだ。
 途中、施設からの脱出を図っている人間たちと遭遇することもあったが、その都度上手く立ち回って振り払った。
 やがて、地下の実験場に近付くほど人の気配は少なくなり、いよいよ最後の昇降機の付近にもなると人の気配は完全に消えていた。
 その事実に、ヴァッシュは悲しげに眼を伏せた。
 プラントは、一部の特別な存在を除いて自律行動はできない。人の協力なくして、動くことは――避難することは不可能だ。
 人間にとって、所詮、プラントは道具でしかないのかと、悩みながらも歩みを止めず、昇降機に乗り込む。
 昇降機は内部が一瞬擬似的な無重力になるほどの速度で降下、というよりも落下し、数秒で地下実験場へと続く扉を開いた。
 そこに広がる光景に、ヴァッシュは思わず目を見開いた。

「プラント、2号から20号まで完全退避完了!」
「1号プラント、未だに熱量増加中! こちらの修正プログラムも受け付けてくれません!」
「これは……畜生! 原因はファイアウォールだったのかよ!? 入力されるプログラム全部がウィルスの類と誤認されちまってる!!」
「プラント、21号から26号、28号から30号まで避難完了です!」
「27号はどうした!?」
「1号の暴走に影響を受けているようで、非常に不安定な状況です! このまま避難させるのはかえって危険です!」
「ああ、くそ! 最悪俺たちまで彼女達と一緒にお陀仏か!?」
「いいじゃねぇか! 野郎ばかりで死ぬよりは、よっぽど華があるってもんよ!」
「それもそうだが、誰も死なないのが一番だ! 最後まで諦めるなよ!」

 そこには、数十人もの技術者たちが居た。彼らは避難勧告を無視して現場に留まり、プラントの避難と、件の暴走しているプラントの救出の為に行動してくれていたのだ。
 先程、勝手に諦めていた自分が馬鹿だった。人間とプラントの関係は、そんなに冷え切ったものではなかったのだ。
 ヴァッシュは心の赴くまま、躊躇わず感涙した。
「ど、どうしたんですか!?」
「いや、なんでもないよ……ただ、なんだか嬉しくってさ」
 言いながら昇降機を降りると、2人に気付いたらしい技術者が1人、走り寄って来た。
「あんた、ヴァッシュ・ザ・スタンピード!? どうしてここに!?」
「いや、ちょっとね……。暴れん坊のお嬢さんを落ち着かせようと思ってね」
「暴れん坊のお嬢さん……って」
 ヴァッシュの言葉を聞いて、技術者の男性は同じ言葉を自分でも繰り返し、その意味を理解して驚愕の表情を浮かべた。
「まさかあんた、彼女と精神感応しようってのか!?」
「うん、そのつもり」
「無茶な……いくらあんたが自律種【インディペンデンツ】とはいっても、髪の毛どころか体毛全部が真っ黒だっていうじゃないか! そんな状態で精神感応なんかしたら、どうなるか!」
 技術者はそう言って、ヴァッシュの提案を無謀と断じた。だが、他人に忠告された程度であっさりと引き下がるようなら、ヴァッシュ・ザ・スタンピードは“人間台風”などと呼ばれはしない。
「……ごめん、本当に時間が無いみたいだ。リヴィオ!」
「失礼」
 リヴィオに呼び掛け、ヴァッシュは技術者を押し退けるように進み、そのままの勢いで東奔西走している技術者達を掻き分けて奥へと突き進んだ。
「あ、おい! あんたら、よせ!!」
 その声に気付いて、他の技術者達もヴァッシュを制止しようとしたが、悉くかわされるか、リヴィオに弾き飛ばされるかだ。
 何千人という賞金稼ぎから今日まで逃げ遂せて来たヴァッシュと『ミカエルの眼』最強の尖兵であるリヴィオに対して、単なる技術者である彼らでは役者不足も甚だしい。一般的な地球民には酷な話ではあるが、場数が違いすぎるのだ。
 ヴァッシュとリヴィオはそうして瞬く間に技術者達を掻い潜り、目的の“暴れん坊のお嬢さん”、暴走状態のプラントの目前にまで辿り着いた。
 流石に周囲に人影はなく、誰かが追って来る様子もない。つまり、それぐらいに危険な状況だとこの施設の人間は感じているのだ。
 しかし、ヴァッシュは事態がより深刻であることを感じていた。
 暴走している彼女の力は、最盛期のヴァッシュやナイブズ程ではないが、かなり大きい。それこそ、彼女の暴走している力が解放されれば、この街の半分以上を“持って行って”しまうのではないか、とヴァッシュに思わせるほどだ。
 だが、今さらそんな大規模な退避など間に合わない。この状況をどうにかするには、彼女の暴走を収める以外に無い。
「リヴィオ、君まで付き合わなくてもいいんだよ?」
 ヴァッシュが最後の警告を発しても、リヴィオは「それじゃあ」と言って踵を返すようなことはせず、寧ろ「どんとこい」とばかりに笑って見せた。
「水臭いことを言わないで下さいよ、ヴァッシュさん。ここまで来たら一蓮托生、地獄の底までだってお供しますよ」
「そうか……分かった。それじゃあ、万が一にも邪魔が入らないように見張りと護衛、よろしく」
「了解です。お気を付けて」
 リヴィオからの返事に、ヴァッシュはピースを返す。
 プラントが収められているガラスのような防護壁に手を触れ、そのまま彼女と顔を向き合わせる位置に額を当てて目を瞑った。
 やることは、基本的にバド・ラド団に襲われたサンドスチームの時と変わらない。ただ、問題があるとすれば2つ。
 1つは、あの時とは暴走の意味や度合いが悪い方向に違い過ぎること。もう1つは、ヴァッシュの“力”が大幅に減退していることだ。
 それでも、最悪の事態を避けるためにはやるしかないのだ。
 ヴァッシュは意を決して、暴走しているプラントと精神感応を始めた。

――やあ、お嬢さん。調子はどうだい?
――あなたは、VTS。
――VTS?……ああ、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの略か。そうさ、僕はVTS。落ち着けるかい? まずは僕と呼吸を合わせて……。
――ダメ、逃げて。もう、押さえ付けるのも限界で、爆発しそうなの。
――そうか。なら、頑張らないとね。僕も手伝うからさ。
――何故、逃げないの?
――誰も見捨てたくないからさ。それに、僕の他にも諦めていない人達が大勢いる。僕だけ諦めるっていうのは論外さ。
――あの人達も、まだいるの……。でも、どうするの?
――ああ、それだけど、もっと僕と深く感応して。記憶や知識も共有できるぐらい。
――そんな。肉体は触れ合っていないから融合することはないけど、下手をしたら人格や感情に影響が出るわ。
――だけどさ、多分、それがこの状況をどうにかできる最後の、しかも唯一の手段だと思うわけなんだ。駄目かな?
――いいわ。あなたがそれでもいいのなら、受け入れます。
――それじゃあ、早速。時間が無いからね………………。
――………………凄い。プラントの“力”を、こんな風に扱う方法があるなんて。
――伝わったようで何よりだ。僕がギリギリまでレクチャーするから、君も……
――いいえ。ヴァッシュ・ザ・スタンピード、暴発は防げないわ。あなたの記憶や知識と照らし合わせれば、それは覆しようの無い事実だと確認できる。
――……ッ。そんなこと…………!
――けど、貴方が伝えてくれた“力”の使い方がある。これなら、被害を極限まで小さくできるし、どうしても巻き込んでしまうあなた達を死なせないこともできる。
――…………それしか、無いのかよ。君が死ぬ以外の可能性は無いって言うのか……!
――ええ、残念だけど。それでも、あなた達を、ここのみんなを死なせないことが、助けることができる。それはあなたのお陰よ。
――……すまない。なにか、僕にできることはないか?
――それじゃあ、あなたに言いたい言葉があるの。それを、近くに残っているみんなにも伝えて。
――ああ、分かった。必ず伝える。
――……『ありがとう』。

 実際に言葉を交わすよりもずっと短い時間で、彼女との会話は終わった。同時に、感応が途切れる直前に伝わって来た情報を一瞬で把握した。
 泣きたい気持ちをぐっと堪えて、ヴァッシュはすぐに口を動かす。
「ヴァッシュさん! どうで……」
「リヴィオ! とにかく荷物を持って動くな!!」
 直後、暴走したプラントの力が解き放たれた。
 近くにいたヴァッシュとリヴィオ、そしてプラント自身と周囲の壁や床を問答無用に、まるで削り取るように、空間ごとその全てを『持っていった』。
 しかし、持っていかれた空間は解放された力の割に極めて小さかったことが、後の調査で判明する。
 ヴァッシュの行動とプラント本人のお陰で、街が壊滅するという最悪の事態は何とか避けられたのだ。



 このプラントを用いた物質転送実験は、実は地球連邦政府直轄の大掛かりなプロジェクトのものであった。
 あらゆる物資に乏しいノーマンズランドの現況を改善するため、という名分の元に開始された実験は、既にノーマンズランド地表上での送受信を成功させていた。
 今回の事故が起きた実験は、いよいよ本番一歩前の段階。ある意味、世紀の瞬間になるはずだったのだ。
 箱舟事件でナイブズ融合体が見せた、『持って行く力』と『持って来る力』の応用――短距離といえども個体による空間転移、地球連邦軍主力艦隊の攻撃を撃ち返した神業。
 それらの“力”の使い方を参考とし、負の歴史を教訓に学び、正しき“力”の使い方として示されるはずだったのは――

『誰もいない大地【ノーマンズランド】』から遥か遠き『人類の故郷【マン・ホーム】』。
 宇宙開拓時代の真っ盛りである現在でも未だ数少ない、その中でも至宝とされる蒼き水を湛えた豊穣の大地。
 暗黒の宇宙に浮かび輝く、遥かなる蒼【アクアマリン】。

 ――地球とノーマンズランド間における、プラントを用いた物質の送受信であった。













Part3 The EARTH

「うぉわああああああああああああああああい!?」
 何かと衝突したような衝撃に目を回した直後、気が付いたら空中だった。
こんな経験は、それなりに長い人生を送っているヴァッシュでも初めてだった。
 しかし、混乱している暇はないということを、修羅場や危機的状況に慣れきった精神は即座に認識した。
 眼下に見えるのは建物の屋上。このまま激突したら、全身複雑骨折は確実だ。
 慌てず焦らず、しかし急いで空中で体勢を立て直し――損ねて、うつ伏せ状態で、ものの見事に全身での着地に成功してしまった。
「痛っぁ~……!」
 ほぼ全身を無防備に勢いよくぶつけたことで、ヴァッシュは痛みのあまりその場でのた打ち回った。しかし、常人ならば即死しそうなものだが、この程度で済んでいるのは、流石はヴァッシュ・ザ・スタンピードと言うべきだろう。
 1分ほど悶絶した後、ヴァッシュは眼の端に微かに涙を浮かべながら建物の屋上から周囲を見渡す。最後に彼女から伝えられた情報によると、ヴァッシュが放り出される先は地球で、恐らくは施設の内部ということだった。しかし実際は空中で、下にはビルだ。おまけに、近くにリヴィオが落ちてくる気配もない。
 だが、ヴァッシュは現状を把握すると同時に感謝をした。何故なら、こうして自分は生きている、助かったからだ。きっと、それはリヴィオも同じはず。
「……ありがとう。君のお陰で、僕は今も生きている」
 ヴァッシュは、命懸けで自分達を救ってくれた彼女に礼を言った。
 そして、つい今し方、自分が落ちてきたばかりの上空を見上げた。正確な時刻は分からないが、時間帯は深夜というところだろうか。それは幸いだったと、ヴァッシュは自分が落ちて来たらしい場所を見ながら思った。
 地上の街から漏れる灯りに照らされる夜空の中に、明らかに不自然な暗黒の空間があるのだ。夜でなければ更に目立って大騒ぎになっていたことだろう。……いや、この場合は真昼で目立って、早期発見された方が幸いだったのだろうか? などと上を見ながら考える。
 上空に穿たれた暗黒の空間――形状から“孔”とでも呼ぼうか――は、間違いなくプラントの力によって穿たれたものだ。ヴァッシュは以前、何度もあれを見たことがあるのだ、すぐに分かる。
 しかし、何かがおかしい。プラントの“力”によって穿たれた孔は、あのように長時間存在せず、短時間で消滅する。それに、あの孔からはプラントのものとは別な、何らかの異質な力を感じるのだ。
 そういえば、あの時の何かと激突したような衝撃。あれは、いったいなんだったのだろう。あの孔が穿たれた際の反動、若しくは空間を渡った際の衝撃とは、どうにも思えない。
 すると、孔が漸く収縮を始めた直後、何かが飛び出してきた。
「あれは……人?」
 暗くてよく見えないが、それは間違いなく人だった。一瞬、リヴィオかと思ったが、違う。
 彼は白髪で、しかも親近感が湧くような赤い外套に身を包んでいる。
 どこの誰だろう、などと考えたところで、気付いた。
 彼は気を失っている。しかも間の悪いことに、彼の落下する先はヴァッシュのいる場所からは離れて、建物の外側――つまり、更に10m以上は下にある地面だ。
 それらの条件が重なっていると、人はどうなるか?
 無論、頭から地面に叩きつけられて即死する。
「って、あぁ!? うおぉぉちょぉっと待ったぁぁぁぁぁぁ!!!」
 気付くや否や、滅茶苦茶なことを口走りながらヴァッシュは走り出した。
突然の事態に呆然としていた為に、タイミングはぎりぎりだ。全速力で走り、ギリギリのところで何とか間に合う。
ヴァッシュは屋上の端の柵を飛び越えて赤い男をキャッチすることに成功した――
「……ふぅ」
 ――のだが、足元には床も地面も何もないので、そのまま眼下の地面へと落下した。
「ンノォォォォォォォォォウ!?」





「だからですね、ドクター。最近の研究では我々の住む宇宙は膜宇宙と呼ばれる構造で、11の宇宙が理論上存在するとされているんですよ! しかも、それらの宇宙にはですよ?」
「あー、はいはい。お前のその手の話は聞き飽きたよ。そんなことよりムカシトンボの話でもしないか?」
 夜の街を、2人の白い男が歩いていた。
 ドクターと呼ばれたのは、このような時と場所でも白衣を纏った、見るからに医者のような服装で、実際に医者である男。左手には医療道具一式が入っている鞄を持っている。
 もう1人は、帽子、スーツ、シャツ、ネクタイ、靴下、革靴の全てを白一色で揃えた奇抜な出で立ちの男。目深に被った帽子により、鼻から上が殆ど見えなくなっているが、本人の行動に支障が無いらしいことは澱み無い歩き方から見てとれる。
 この2人は旧知の間柄であり、医者の男はこの街のさる高名な人物からの依頼を受けて来訪し友人の診療所に向かう途中、白尽くめの男はこの近くで仕事を終えた帰りがけにばったりと出会った。そのまま思わぬ場所での数年振りの再会を祝して、屋台でおでんと酒を楽しんだ帰り道だった。
 2人は路地裏を歩きながら、黙って歩くのが勿体無いとばかりに会話を楽しんでいた。
「ムカシトンボ? 随分と直球な名称のトンボですねぇ」
「日本の清流とヒマラヤ山脈の辺りにだけ生息している、ムカシトンボ亜目という希少なトンボでな。日本昆虫学会のシボルマークにも……ん?」
 すると、今度は自分が趣味の話をする気満々だった医者の男が急に立ち止まり、2歩進んだところで白尽くめの男も立ち止まった。
「どうしました……と、おや?」
 そこで白尽くめの男も異変に気付き、医者の男と共に暗い夜空を見上げた。
 そこには、夜でも目立つ紅が翻っていた。すぐに、それが赤いコートを纏った人間であり、落下して来ているのだと分かった。
 気付いた2人は、ほぼ同時にその場から軽く飛び退いた。
「おっと」
「危ない」
 直後、2人の目の前に見立て通り紅いコートを身に纏った男が降ってきて、なんと見事に着地した。
 恐らくはすぐ隣にあるビルの屋上から――10m以上の高さから落ちながら、よく見れば180cmはある大柄な男性を抱えながら見事に着地し、尚且つ着地の反動で手足が砕けた様子が見られないことに、医者の男は驚いた。
 一方、白尽くめの男は黒髪の赤い男が抱えている、白髪の赤い男を注視している。目元は見えないが、少なくとも、先程の楽しげな表情から一変しているのは確かだった。



「よ、避けてくれたのは良かったけど……できれば受け止めてほしかったなぁぁ……」
 大柄な成人男性を腕に抱えて、何の心構えも無く落下するというのは、想像以上に心臓に悪かった。なので、つい現場に居合わせた2人に、ヴァッシュはそんなことを言ってしまった。
 しかし、2人は首を縦には振ってはくれなかった。当然だ。
「嫌だよ。ひ弱な僕じゃ死んじゃうもの」
「そんなことをしたら、こっちも只では済まなかったからな。すまない」
 帽子を目深に被っている男は冗談なのか本気で言っているのかよく分からない笑みを口元に浮かべながらそう言って、白衣の男は実直に頷いた後すぐに頭を下げた。
「いや、自分でも無理を言った自覚はあるから、謝らなくてもいいッスよ」
 予想外の丁寧で真摯な対応に驚きながらも、ヴァッシュは明るく朗らかに返す。
すると、自分の方に向けられている強めの視線に気づき、ヴァッシュは帽子を被っている男に目を向ける。
どうやら注視しているのはヴァッシュ自身ではなく、ヴァッシュが抱えている白髪の男のようだ。
「この人がどうかしたかい? 知り合い?」
 問うと、帽子を被っている男はすぐさま首を横に振った。
「いやいや、僕とその赤い人は初対面だよ。気になったのは、その人が血塗れだっていうことさ」
「え?」
 言われて、抱えている男に視線を向ける。
 今まで唐突な状況の連続で気がつかなかったが、彼は全身血塗れだった。纏っている赤い外套も、半分以上が赤黒く変色しているほどだ。
「うっわ、本当だ! なんじゃこりゃあ!!」
 想定外の事態にヴァッシュは慌てふためく。
 こんな右も左も分からない街で、モグリでもいいから藪ではない医者を見つけられるだろうか。いや、そもそもこの街に医者がいるという保証もない。
 こうなったら、手近な大きな家に突撃して土下座してでも彼の治療の手助けを頼むしかないか、などという考えにも及んでいた。
 すると、そんなヴァッシュの内心の混乱を察してか白衣の男性が声を掛けて来た。
「気付いていなかったのか……まぁいい。どうやら、自殺未遂というわけでもないようだしな。ほら、ここに寝かせろ」
「あ、はい」
 字面だけ見ても、強要されているわけでも強制されているわけでもないことは分かる。だが、白衣の男の声に込められた有無を言わせぬ力強さに押され、ヴァッシュは彼の指示に従って白髪の男を地面に下ろした。
 ヴァッシュのその様子をも具に観察して、何かに納得してから、白衣の男は白髪の男の服を手早く脱がした。
 露わになった男の傷は深く、これで虫の息では無かったことが不思議なくらいだった。
 そんな傷を見ても怯まず、白衣の男は地面に膝を着き、持っていた鞄を開けた。そこには、医療用の道具が満載されていた。
「む……なんだ? 殆どの負傷が外側からではなく、内側から?」
 言いながらも、消毒と止血の処置を行うその手付きはどう考えても素人のものではない。
 これはもしや、不幸中の幸いの中でもかなりの当たりを引いたのではないだろうか。
「それはそれとして、治せるかどうかじゃないですかねぇ? ドクター・ハーディング」
「違うぞ、アラン。治せるか否かではなく、治すか否かだ。無論、俺は治す」
 アランと呼ばれた帽子の男の言葉に、ドクターと呼ばれた白衣の男は即座に返した。
「ドクター? 君、やっぱり医者なのか」
 そのように問うと、ドクターは治療の手を休めずに頷いた。
「ああ。俺はジョー・ハーディング。世界を旅しながら医療をしている、変わり者さ」
 自己紹介を簡潔に終えると、ドクター・ジョーは黙々と治療を続ける。
 真摯に、只管に命を救おうとするその姿に、ヴァッシュは「先生」と呼んで慕った大恩ある医者親子を重ねた。
 最新の機器が一切無く原始的な道具だけを使っているが、ジョーの腕前は先生たちと比べて遜色無いほどに見える。これなら、白髪の男もきっと大丈夫だろう。
 これで一安心だとヴァッシュが安堵の溜息を吐くと、肩を指で、とんとん、と叩かれた。振り返ると、アランと呼ばれた男がジェスチャーで下がるように促してきた。ジョーの邪魔にならないように、という配慮だろう。
 頷き、数mほど離れるとアランが口を開いた。
「ついでに、僕も自己紹介しておくよ。仕事上の通り名はプレイヤー。名前は……さっきドクターが言った、アラン。アラン・ザ・プレイヤー。無論、アランも偽名だよ。気さくにホワイトマンと呼んでくれてもいいよ、レッドマン」
 堂々と偽名を名乗るとは、珍しい男だ。とはいっても、ヴァッシュも頻繁にジョン・スミスと名乗って宿に泊まっていたので、それほど不快にも不思議にも思わず素直に頷いた。
「僕はヴァッシュ・ザ・スタンピード。ヴァッシュは本名だけど、スタンピードの方は通り名さ。呼び捨てでもいいし、三倍気さくにレッドマンでもいいよ、ホワイトマン」
 ヴァッシュも自己紹介し、アランを真似てちょっとしたユーモアを混ぜてみる。
「じゃあ、改めてよろしくね。レッドマン」
「ああ、こっちこそよろしく。ホワイトマン」
 気さくに名前を呼び合い、握手をする。
 右も左も、正直どこの惑星であるかも確信が持てないこの状況で、最初に遭遇したのがこんなにも打ち解け易い人物と医者であったのは、不幸中の幸いだった。
 数十分後には白髪の男の応急処置も終わり、後は所用で街に不在の友人から借りている診療所に運びこんで本格的な処置を行う、とのことだった。
 この中で最も力のあるヴァッシュが白髪の男を背負っていくことになり、ヴァッシュも乗り掛かった船だと快諾した。
「それで、その男性は?」
 ジョーが先導して診療所に向かう段階になって、白髪の男の素性を訊ねてきた。
 これには、ヴァッシュも素直に答えた。
「……さぁ? ところで、ここって地球のどこかな?」
「は? いや、まぁ……日本の埼玉県にある麻帆良だが」
 日本――ニホン、ジャパン、ヤーパン。
 地球地図で極東に位置する神秘の島国。
 聞き覚えがある、なんてものではない。
 地球の日本と言えば、ヴァッシュの育ての親、レム・セイブレムの思い出の土地だ。
 その事実に運命じみたものを感じながらも、詳しい事情は白髪の男の治療が済んでからだと、呆れた顔をしているジョーとのんびりしているアランを急かして診療所へと急いだ。





 間違いない。
 あの赤い男は、あの男に相違ない。
 忘れるはずの無い、最も強烈な記憶という知識の中心にあり続けている男。
 もう1人の赤い男も、よくよく思い返してみれば。
ああ、なんということだろう。彼らにとって因縁の相手の名を名乗ったではないか!
 世界樹の発光を来年に控えたこの時期に、この世界の物語への新たな乱入者の登場。
 しかも、自分の企ての主賓の満を持しての登場で、思いがけない極上のサプライズ・ゲストまで御同行と来たものだ。
 もう間に合わないかと諦めかけていたというのに、この時期に、自分の目の前に現れてくれた。
 この素敵な偶然を運命と呼ぶとして、この運命はなんだ? Destiny? Fate? Fortune?
 個人的には――波乱の予感がするFateが好ましい。
 わくわくするなぁ。
 とても、とても、楽しみだ。
 さぁ。改めて、誓いを立てようじゃあないか。

 
 ――誓いを此処に。我は常世総ての悪となるもの、我は常世総ての善を敷くもの――













Part4 一方その頃

「……はぁ。これからどうしよう…………」
 リヴィオは広大なジオプラントと思しき場所で、途方に暮れていた。
 ヴァッシュと共にプラントの暴走事故に巻き込まれたかと思ったら、どれぐらいの間を挟んだのかは判然としないが、急に空中に投げ出された。
 着地しようとしたら背負った荷物が木の枝に引っかかってバランスを崩し、勢いは殺せたものの顔面から落ちてしまった。ミカエルの眼でなければ死んでいるところだ。
 鼻血が止まってから周囲を見回してみれば、信じられない光景が広がっていた。
 巨体に角を生やし、パンツ一丁で手には金棒を持った2m~5mの巨漢の集団。
 背中に翼と全身に羽毛を生やし、顔には嘴さえあった鳥と人間を混ぜたような外見の男たち。
 それら、古典的でありながら極めて前衛的なデザインのサイボーグの集団に囲まれていたのだ。
 取り敢えず挨拶をした直後、問答無用で襲いかかられた。無遠慮に木にも攻撃を当てているところから、恐らく用心棒ではなく夜盗の類か何かだろうと考え、それを返り討ちにした。
そこまでは良かった。
 しかし、叩きのめした端から消えていくとはどういうことだ。
 これでは、此処が何処だとか、何で襲って来たのかとか、問い質すこともできないではないか。
 いや、そもそも、どうして消えたんだ? これは夢か幻か?
「どうやらあのオークどもは、この世ならざる場所から召喚されたものだったようだな」
 リヴィオが受け止めきれない現実をさらりと受け止めて、当然の事のようにそのようなことを言うのは、戦いの最中に多勢に無勢を見かねて助太刀してくれた黒い騎士だ。
 今の時代に騎士などいるはずもないが、彼の戦い方や佇まいを見ているとそんな言葉が自然と思い浮かぶのだ。
「ああ、そうだ。お礼を言うのを忘れてました。ありがとうございます、あなたのお陰で助かりました」
「なに、魑魅魍魎の類と孤軍奮闘する勇者に加勢するのは、騎士として当然のこと。尤も、君の武勇を鑑みるに余計な世話だったかもしれないがな」
「いや、そんなこと。もしかしたら、不覚を取っていたかもしれませんから」
 そう言って、帽子を取り、胸に当てて頭を下げる。
 本人も騎士を自称するとは驚いた。だが、GUNG-HO-GUNSにもムラマサ使いのサムライがいたというし、そう考えればそれほどおかしくないのかもしれない。
 しかし、字面だけならば誇り高さを表している言葉だというのに、どうして彼はどこか虚しそうに言うのだろうか。
 取り敢えずそのことは置いておくとして、今は状況の把握の為に情報交換をすることにした。
 困ったことに彼も現地住人ではなく、リヴィオとほぼ同様に気付いたら此処にいたのだという。曰く、元居た場所に戻るはずだったのだが、何故かここに出てしまった、ということだった。
 彼がどういう手段で何処に帰るつもりだったのかは気になるところだが、今はそれを気にする余裕はない。
 今重要なのは、現状は不明のままということだ。
「はぁ~、どうすっかなぁ……。取り敢えず、このジオプラントの管理者の人を探すしかないか」
 今できることは、それぐらいしか思い浮かばない。真っ直ぐ歩いていれば、その内壁か何かに突き当たるはずだ。
 取り敢えずの行動を決めると、リヴィオは荷物を背負い直して歩き出そうとした。
「ジオプラント? この森のことか?」
「モリ? なんです、それ」
 すると、騎士に不思議な言葉で呼び止められた。
 どうやら彼はジオプラントを知らないらしい。それだけでも驚きだが、彼は代わりに『モリ』などという聞き覚えのない単語を口にした。
 一瞬、あまりにも突飛な最悪の予想が脳裏を掠めたが、敢えて無視する。
「何とは……こういった、木々が自然に生い茂っている場所のことだろう」
「え? でもこんな木がたくさんある場所なんてジオプラントしか……自然に?」
「そう言ったが……どうかしたか?」
 またも黒い騎士は分からないことを言う。
 木が“自然”にある? そんなの、ノーマンズランドではありえない。ノーマンズランドで木がある場所とは即ちジオプラントであり、人工的な場所だ。
 ノーマンズランドの自然と言えば、砂漠と荒野と砂蟲【ワムズ】だけだ。
「え……ここ、ノーマンズランドでしょ?」
 自分と相手の認識の差に混乱し、ついそんなことを聞いてしまった。
 だが、それを聞いた黒い騎士は怪訝そうに眉を顰め、口を開いた。
「ノーマンズランドが何かは知らないが、少なくともここは地球のどこかだと思っている。……尤も、星という概念や地球という言葉も、最近知ったことだがな」
 その、何気なく言われた言葉に、リヴィオはまるでネイルガンで貫かれたような衝撃を受けた。
 彼は今、何と言った? 何を知らないと言った? 此処を何処だと言った?
 彼は、ノーマンズランドを知らず、此処を『地球』だと、そう言わなかったか?
「え……? あ、え……えぇええぇ…………?」
 あまりにも唐突な事態の連続に、頭が混乱する。
 ミカエルの眼たるもの、いつ如何なる時も冷静な判断力を損なうなと教えられたが、この状況で混乱しないのは無理だ。
 プラントの力でどこか遠い場所に投げ出されたらしくて、木がたくさんあるからジオプラントだと思ったら、居合わせた人にここは地球だと言われた。
 普通なら、相手の方がおかしいと思うだろう。自称騎士で古めかしい武装だし。
 だが、プラントの力がどういうものか知っていれば、先程の、夜盗が倒した直後に消えるという、ノーマンズランドではありえなかった現象が目の前で起きたこともあって、そんなこともあり得るのではないかと思えてしまう。
 とにかく、もう一度状況を整理する必要があると考え、黒い騎士に声を掛けようとしたが、それよりも先に騎士が口を開いた。
「こちらに人が来ているようだな。しかも複数……恐らく、地元の人間だな」
「え? あ、本当だ」
 混乱していて気付かなかったが、5人ほどの集団がこちらに向かってきているようだ。恐らく、もうすぐ遭遇することになるだろう。
「先程の戦闘の音を聞きつけて様子を見に来たか……? しかし、僥倖だ。彼らと接触できれば、君も大丈夫だろう」
「あ、待ってくれ! あんたはどうするんだ!?」
 聞きたいことがあるのに、口を開いたら別の言葉が出てきてしまった。どうやらまだ落ち着けていないようだ。
リヴィオに呼び止められて、黒い騎士は足を止めた。
「俺は……一度ならず二度までも死した身。ならば、今一度死ぬのが似合いだろう」
 自嘲の笑みを浮かべてそう言い残して、黒い騎士は消えてしまった。
リヴィオは目を丸くした。
 クリムゾンネイルのように、知覚を超えた速度で動かれたから消えたように錯覚したのではない。
 本当に、目の前から消えてしまったのだ。でなければ、気配も音も唐突に消え去ってしまうはずがない。
「あの人まで消えた……?! ああ、チクショウ! 本当に、何がどうなってるんだよ!?」
 惑い乱れ、焦り戸惑う心のまま、リヴィオは吠えるように、泣くように叫んだ。
 調度その瞬間に様子を見に来た地元の人らしき人達と鉢合わせになり、若干気まずかった。



[32684] 第一話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/04/07 23:51
 夢を、見ている。
 何度も、もう何度も見ている、あの時の夢だ。
 自分は子供の姿で、どこかの道を1人で歩いている。
 熱い。熱帯夜でもないのに大量の汗が噴き出て、喉が渇くぐらいに。
 当然だ。周囲は全て炎に包まれていて、自分は、その間を縫ってさまよい歩いているのだから。
 最初から一人ぼっちだった訳じゃない。火事になった家の中から、まだ寝ぼけ眼だった自分を助け出してくれた父親がいた。
 その人は、お父さんが戻って来るまでここにいろ、と言って、再び家の中に戻って行った。
 自分は言いつけどおり、そこで待っていた。だが、家を焼く火は凄く熱くて、それから免れようと、ちょっとだけ、背を向けて家から離れた。
 その間に何かが崩れる音がして、振り返ったら家がなくなっていた。
 何度も、何度も、何度も、誰かを呼び続けた。けど、誰も答えてくれなくて、きっとここには誰もいないんだと思って探しに出て、迷って、今に至っている。
 周りから、色んな音が聞こえてくる。
 火で焼かれるものの音。その中から生まれる、生きようともがきながら、逃れ得ぬ死へと至ろうとしている人々の苦悶の声、末期の断末魔、決して目を背けてはならない阿鼻叫喚。
 けど、それらを全部無視して、歩き続ける。
 ただ、ひたすら、こわくて、こわくて、逃げ延びて、生き延びる為に、歩き続ける。
 家族のことは、歩いている内に察していた。
 自分が父の言いつけを守らない悪い子だから、罰が当たったんだと泣きじゃくっていたが、気が付いたら喉声も涙も枯れていた。
 熱い、熱い、熱い。
 燃え盛る炎が辺りを照らして、真夜中だというのにまるで昼間のように明るい。
 辺り一帯に響く人々の嘆きは真夏に啼く蝉のように大気を震わせ、周囲を覆い尽くす死と絶望は真冬に吹く風のように体を芯まで凍えさせる。
 こんな状況だからだろうか。
 あんな、ありもしない、黒い太陽が――

 ――……太陽が、2つ?
 気が付いたら、見覚えの無い場所にいた。
 身体も子供の頃のものから、今の体格に戻っている。
 幾ら夢とはいえ、こんなにも唐突に世界が変わってしまうことがあるのだろうかと思いつつ、辺りを見回す。
 どうやら此処は、酷い災害の跡地らしい。
 ここが本来見晴らしの悪い都市であったことは、この見晴らしの良い廃墟の足元にある真新しい瓦礫の山が物語っていた。
 これと似た景色を見た覚えは、ある。だが、あそこは小さな集落で、こんな大都市と呼べるものではなかった。周囲は砂漠や荒野でもなかったし、太陽が2つ、などということもなかった。
 錯覚か幻覚としか思えない、しかし現実のものとしての存在感を持つ景色を見続けている内に、廃墟の中に目立つ赤色を見つけた。
 真っ赤なコートを身に纏った、金髪の男だ。男は一際高い瓦礫の山の上で身動き一つせず、目を伏せるように顔を俯けている。
 この状況で唯一無事な存在に興味を持ち、その男へと近付く。
 瓦礫に足を取られ、大きな音を立てながら移動するが、その間も男は終始無言だ。
 すぐ傍に来ても、男は無反応。気絶しているのかと思い、確認する為に下から顔を覗き込んだ。

 ありとあらゆる感情が削げ落ちてしまったかのような無表情。
 空色の瞳の奥に潜む、あまりも深く、暗い、底の見えない絶望。
 “自分”として生きるために必要な、何もかもを取り零してしまった存在。

 男から見て取れたのは、たったそれだけ。だが、それら全てに覚えがあった。
 余りにも覚えがあって、一致していて、不気味でさえある。
 驚愕のあまり身体が動かず、声も出ない。呼吸や鼓動さえも忘れてしまいそうな錯覚に陥る。
 不意に、赤い外套の男が動き出した。このままではぶつかってしまうが、指一つ動かせない。
 だが、ぶつかることなく赤い外套の男の身体は自分をすり抜けた。それで漸く、これが夢だったと思い出した。
 振り返り、通り抜けた男の姿を見つけ、それを追う。
「誰か……誰か、いないのか……。誰か……誰かぁ…………」
 壊れたラジオのように同じ言葉を、弱々しく泣きじゃくるような声で繰り返し呟きながら、男は歩き続ける。やがて、人々の名が呪詛を唱えるように紡がれるようにもなった。
 どれ程歩き続けただろうか。ふと、男の足が止まった。
 小休止というわけではなく、何かを見つけて立ち止まったようだ。
 男の目の前にあるのは、看板らしきものの一部だった。
 それが何で、男にとって何を意味するのかは分からない。
ただ、男への最後のトドメとなったことは分かった。


 声すら出ないほどの、恐怖。
 涙すら流れないほどの、悲哀。
 忘れてしまいたいほどの、絶望。












「君達、悪いことは好きかい?」












 俺の名は衛宮士郎。正義の味方を目指して世界中を旅している魔術使いだ。
 いい歳した大人が、正義の味方に憧れるなんて馬鹿げている? 悪いが俺は本気なんだ、そこに後悔や羞恥は一切ない。
 魔術使いとは何かと言えば、文字通り『魔術を使う者』だ。ああ、いや、ここだと俺も『魔法使い』になるのか?
 それはそれとして、実は、俺は今大変な場所にいる。普通に旅していたら絶対に迷い込むような場所ではない。
 そこは所謂『並行世界』というものだ。最近では科学方面でも理論上の研究が進んでいるものの1つだ。
 実際にどんな世界かと言うと、ファンタジー小説などに出てくる『異世界』とは違う。
 基本的には自分達の世界と同じで、何時かの時代の何処かの場所で異なる可能性による分岐が発生して生まれた、極めて似ているが限りなく違う世界、と言えば分かり易いだろうか。
 どうやら俺はそこに迷い込んでしまったらしい。神よ、俺が何をした。
 この星は間違いなく地球で、国や地域の名前、使われている言語や通貨も同じだ。違うのは、歴史や俺にとっての常識の部分だ。
 まず歴史を調べてみると、いくつかの歴史的な事件や惨事が発生していない。近年では2001年の9・11テロが起きていないことが最たる差異だろう。
 他にも、魔術的な分野での常識や歴史にかなり食い違いがある。この辺りは話すと長くなるので割愛する。
 それらのことから、ここが俺にとって並行世界であると判断した。
 これだけのことでそう考えたなら、普通は俺が精神病院に送られることになるだろう。
 だが、このことを人に話して、相談してもそうならなかったのには、理由がある。
 それは、俺よりも遥かに壮大なスケールで“この地球”にやって来た、もう1人の異邦人――ヴァッシュ・ザ・スタンピードのお陰だ。







「悪いことは嫌いか、それは残念。なら、選択の3は論外で、選択の4も乗り気じゃないみたいだから、選択の1だね。2人とも、暫くドクターと一緒に世界を回るといいよ」







 僕はヴァッシュ・ザ・スタンピード。座右の銘は『愛と平和』のガンマンさ。
 今は色々あって、並行世界の過去の地球で、似た境遇の衛宮士郎と一緒に旅をしている。ちなみに、似ているのは境遇だけじゃないんだよねぇ、これがさ。
 ……我が事ながら、過去で、並行世界で、別の惑星なんて、ぶっ飛んでるよなぁ。ああ、レム。あの騒がしくて物騒な、タフで優しい日々が懐かしいぐらいに遠いよ。
 最初は、僕らの他にもう1人、世界中を旅して回っている医者のジョー・ハーディングがいたんだけど、彼とは数ヶ月前に別れている。
 その後は、南米でジョーの旧友である2組の夫婦と出会い、その1人からイギリスのある所への紹介状を貰って、夫2人の友人の運び屋さんにイギリスまで非合法な方法で運んでもらった。
 イギリスに着いてからは現地の人に道を尋ねながら歩き続けて、漸く辿り着いた、帰還の方法とリヴィオの行方の手掛かりが掴めそうな場所の最有力候補の一つ――ウェールズのメルディアナ魔法学校。
 そこに行く途中の村で騒ぎが起こっているようだったから様子を見に行って、割とあっさりと事件を解決した、はずだった……のに……――
「待てぇぇー!!」
「いてこまこかしてやるわよぉ、ゴルァァァァァァァァ!!!」
 ――僕らは今、鬼気迫る形相の女性達に追われています。
「どうしてこうなったんだっけ……?」
「お前が原因だろうが! お前が!」
 現実逃避をしようとしたヴァッシュを、即座に士郎が怒鳴りつける。彼も必死の体で、ヴァッシュと肩を並べて逃走している。
 そう。ヴァッシュと士郎の2人は今、イギリスのウェールズで女性の集団に追われている。
 勿論、彼女達は懸賞金目当ての賞金稼ぎの御一行様ではない。この世界ではヴァッシュも士郎も賞金首にはなっていないのだ。
 では、何故追われているか。
 それは、下着だ。
 彼らが偶然立ち寄った村で、女性の下着が大量に盗まれるという事件が発生していたのだ。
 この奇天烈な事態に、最初、ヴァッシュは首を捻った。
 なんだって下着なんか盗むんだろう?
 ノーマンズランドで盗むものと言えば、水、食料、金銭や貴重品、銃火器、稀にプラントを盗もうとした猛者もいたが、共通点は同じ。生きる為に必要な物しか盗まれることはなかった。
 そのことを士郎に訊くと、曰く、平和で暇になると人間は様々な欲を持て余すようになる。中でも好奇心と性欲を持て余したこの手の犯罪はよくあること、ということらしい。
 つまり、下着が大量に必要だから盗むのではなく、女性の使用済み下着を大量に集めることによって性欲を満たそうとしての犯行ということだ。
 それを聞いて、ヴァッシュは素直に驚いた。ノーマンズランドでは、そんな馬鹿げたことで盗みをする者は滅多にいなかったからだ。しかし、人身売買や人攫いがほぼ日常的だったことを思えば、どちらが良いかは言うまでもあるまい。
 そんな事を話しつつ、2人はメルディアナ魔法学校へと向かう前にこの騒動の解決に協力することにした。困っている人が目の前にいるのなら助ける。それが、彼らの生き方の共通項だからだ。
 そして、犯人は思いの外あっさりと捕まった。士郎の魔術はこういう時に本当に心強いと、ヴァッシュも感心していた。しかし、捕まえた犯人が問題だった。
 なんと、オコジョ妖精という、ヴァッシュからすればファンタジーの世界にしかいないような生物だったのだ。
 士郎やジョーから話には聞いていたが、人語を介する動物を目の当たりにするのはとても不思議な光景だった。ザジ・ザ・ビースト――ノーマンズランドの先住生物である『砂蟲』の長でさえも、人間との会話には人間の体を必要としていたというのに。
 オコジョへの折檻と締め上げを士郎に任せて約10分後。オコジョがぐったりと大人しくなったところで、2人はそれぞれオコジョと下着が入った箱を持って、下着泥棒対策本部という詰所のような場所へ向かった。これで事件は早々に解決だと、2人は意気揚々と歩いていた。
 その途中で、ヴァッシュは転びそうになった女の子を助けようとして、下着が満載されていた箱を放り投げてしまった。
 幸い、女の子は無傷で助けられたのだが、辺り一面には女性物の下着がばら撒かれる結果になった。
 ヴァッシュは頭の上に落ちてきたショーツを手に取って、「あ、どうも。下着、お届けに参りました」と本当のことを言ったのだが、周囲の女性達は既に鬼の形相。
 犯人だと誤解されていることにすぐに気付いてヴァッシュも弁解しようとしたのだが、気が立っている女性達は聞く耳持たず、遂には気の短い誰かが放った魔法を口火に、一気に制裁という名を借りた暴力の行使が始まろうとして、これには堪らず2人は一目散に逃げ出した。
 一時的に追手を撒いた所で、先程ヴァッシュが助けた少女と鉢合わせになり、彼女がヴァッシュを信じてくれたことから2人は簡単に事情を説明し、真犯人とアジトの場所を記したメモを渡した。
 完全に手ぶらになったところに再び追手が現れると、2人は少女への挨拶も儘ならないまま全力での逃走に移行し、現在に至るというわけだ。
 こうして思い返してみれば、確かに、この状況の原因は下着をばら撒いたヴァッシュに半分くらいある。
 それは認める。だけど、納得できない。
「僕も悪いんだろうけどさー! みんなたかが下着のことぐらいで頭に血が上り過ぎだよぉー!」
「ノーマンズランドではどうだったか知らないが、地球の先進国では女性の羞恥心は男の何倍も強いんだよ!……っと!?」
 ヴァッシュの不満に士郎が怒鳴り返すと、横合いから魔法が飛んできた。確か、『魔法の射手』という比較的ポピュラーな魔法だ。
 ……ポピュラーな魔法って、とんでもなく変な言葉だよな、本当。
「見つけた! みんな、赤い変態2人とも発見!」
 駆け抜けた後ろから、涙せずにはいられない呼び名が聞こえてくる。
「泣くな! 大丈夫だ、あの子は歳の割に利発な子だったじゃないか。上手くいけば今日の内にも誤解を解いてくれるはずだ」
「それまでは?」
「……逃げの一手、だな」
「だぁーっ、もう! 追われて逃げ隠れするのはもう慣れっこだけどさ、その原因が下着だってのがどーしても納得いかない!!」
「俺も同じだよ……。何が悲しくて、下着ドロの濡れ衣で逃げ回らなければならないんだ……!」
 走りながら、ヴァッシュは士郎と共に無情な現実を嘆き、憤る。
 そこで、漸く目的地が見えてきた。
 突入直前のタイミングで、改めて確認する。
「本当にこのまま魔法学校に行っちゃっていいのか!? 確実に僕らの追手とか罪状とか増えると思うんだけど!」
「ここの敷地は広いし建物も大きい、逃げ隠れするには十分なスペースがある。それに、捕まったとしてもあの血気に逸った女性達よりはマシな待遇だろうさ」
「本当だな?」
「本当だ。……さぁ、行くぞ!」
 古めかしい作りの扉によって閉じられている正門を開けて潜り抜ける、などという礼儀正しいことは無視して、2人は跳躍して正門を飛び越えた。
 この非常識極まりない行動に、2人を追い掛けていた女性達は唖然となり、足を止めてしまった。
「へ?」
「あ」
 一方、正門を飛び越えた先では、間の悪いことに、着地と同時に門衛らしき男性と鉢合わせてしまった。
 しかし士郎はうろたえることなく、冷静に対処した。
「こんにちは」
「え……あ、ああ。こんにちは」
「では、失礼」
 門衛らしき男性はごく普通の礼儀正しい挨拶をされて、却って気が動転してしまったのか、あり得ない手段で入って来た不法侵入者を見逃してくれた。
 相変わらず見事な手際だと感心すると同時に、正義の味方がこういうことに手慣れていていいのだろうかと、心の内でひっそりと思う。



 常日頃から善行を積み、世の為人の為となることを旨としている魔法使いの養成学校であり、欧州の魔法使いの総本山ともいえる場所なのだから、捕まるとしても乱暴をされることはまずない。
 そういう考えもあって士郎はメルディアナ魔法学校を逃走先に選んだのだが、少々目論見が外れたようだ。
 侵入してから10分ほどで魔法学校の関係者と思しき女性と遭遇したのだが、即座に敵意と共に杖を向けられ、慌てて逃げ出すことになった。
 進入方法の時点で常人離れしていたとはいえ、一般人かもしれない相手にバカスカと魔法を撃って来るとは想定外だった。しかも武装解除まで撃たれるようになってしまっては気が抜けない。
 士郎の外套――赤原礼装は優秀な魔術防御能力を備えており、武装解除の直撃にも耐えられることは実証済みだ。だが、対魔法処理が一切無いヴァッシュの外套に直撃したらまずい。あれほど多機能な防御装備を失ってしまったら、ヴァッシュの負傷率が格段に上がってしまう。
 なにより、こんな所で裸に剥かれるというのは精神的にきつい。
「……仕方ないか。ヴァッシュ、ちょっといいか」
「あいよ」
 周囲に追手の姿が無いことを確認し、ヴァッシュに声を掛けて立ち止まる。
 言葉を交わすまでも無くアイ・コンタクトで暫くの間の警戒を頼み、壁に手を当て、そこから魔力を流し込み解析を行う。
 走り回っている間に頭の中でシミュレートして作っていたこの建物の概略図を基に、解析の結果から骨格を組み上げ明確な設計図を作り上げる。
「構造把握、完了」
 1分とかからずにこの建物の構造の把握を完了させる。流石に細部を調べる余裕はなく、一部は魔法によって守られていた為解析できなかったが、8割以上の構造を把握することに成功した。
 これで、逃走の効率は飛躍的に向上するはずだ。
「いやぁ、本当に便利だよね、魔術って」
 解析が終わったのを見て、ヴァッシュが感心したように声を掛けてきた。それに対して、士郎は肩をすくめつつ答える。
「よく無駄な才能だって言われたけど、意外と役に立つもんさ」
「そうだったのか。で、どうだった?」
「隠し通路と、その先に地下室を見つけた」
「おお、そりゃいいや。じゃ、そこに行こうぜ」
 ヴァッシュの言葉に頷き、再び走り出そうとしたところで、突如、正面の曲がり角から2人の、この学校の生徒と思しき男女が現れた。
「いたぞ、例の侵入者だ!!」
「女の敵めぇ!!」
 男子生徒は後方の仲間に情報を伝達し、女子生徒は殺気立った魔法を放ってきた。
「うわっはぁい!?」
「うおっ」
 今までとは威力も数も段違いの『魔法の射手』に驚きながらも、何とか直撃は防いで後退する。
 彼女が発した「女の敵」という言葉。十中八九、そういうことだろう。
 そんなことを思案している内に、別方向からも追手の増援がやって来た。
 2人は気付かない内に、まんまと包囲網の中へと追い込まれていたのだ。
「囲まれていたか……地の利がこれほど彼らにあったか」
「正直、舐めてたよね」
 ヴァッシュの言葉に素直に頷く。
 もっと過酷な状況下からも逃げ遂せた経験が幾度かあった為に、警戒が疎かになっていたようだ。
 とにかく、冤罪を証明できないまま捕まるわけにはいくまいと、追手の気配が無い唯一の通路を退路として逃走を再開した。
 この先は行き止まりだが、外に面していることに加えて大きな窓があるはず。ならば、そこからこの包囲から抜けることは不可能ではない。
 やがて、すぐに想定通りの場所に追い詰められた。
「さぁ、大人しくしろ。そうすれば、乱暴な真似はしないしさせない」
「ちょっと、何言ってるのよ? こんなやつら、それなり以上に痛い目に遭わせなきゃ駄目よ」
 男子生徒からの警告を、すぐに隣の女子生徒が遮る。
 やはり、間違いない。自分達が下泥棒だという誤報が、既に此処にまで届いていたのだ。
 女子生徒からの、怒りと軽い殺意が込められた冷たい視線に冷や汗を流す。
 まったく、どうして俺は昔から女性に乱暴される縁があるのだろうか。
 そんなことを考えながら、ヴァッシュと視線を交わし、頷き合う。
「……悪いけど、まだまだ捕まりたくないトコなんだよね!」
「そういうわけだ」
 言うと同時に踵を返し、窓から飛び降りる。
 無論、強化の魔術で着地に備えることは怠らない。ヴァッシュは、頑丈だし素のままで大丈夫だろう。





「んな!? ここ4階だぞ!?」
「信じられない……何の強化の術も使わないでこの高さから落ちて無事なんて」
「無事どころか平然と走ってるぞ、おい」
 村から報せのあった下着泥棒を追い詰めた生徒の一団は、赤い2人組みの行動力と身体能力に舌を巻いた。
 侵入者とは言ってもたかが下着泥棒とタカを括っていたが、その見方は間違っていたようだ。正門を飛び越えて侵入してきたという話も、尾鰭背鰭が付いたものではなく本当の話なのかもしれない。
 『立派な魔法使い』を志す者として、下賤な犯罪者が神聖な学び舎を好き勝手に逃げ回っているのは許せないと、先生方に任せてくれと啖呵を切ったのだが、今の状況で取り逃がしたとあっては、どうにも自分達の手に余る輩のようだ。
「こりゃ、想像以上の曲者だ。素直に先生方にも協力を仰ごうや」
 1人の男子生徒の言葉に、全員が頷く。
「そうね。あいつらは確実に捕まえないと」
「それで、死んで生まれ変わっても悔いるぐらいの目に合わせないとね」
 一方で、女子生徒達はそんなことを言いながら、不気味で恐ろしい表情になっていた。
 正直、怖い。
「……あの2人さ、女抜きで捕まえた方がいいんじゃないか?」
「俺もそんな気がしてきた」
 女子生徒達の様子を見て、何人かの男子生徒は既に赤い2人に同情していた。





 校舎の外を逃げ回った後、隙を見て再び校内に突入。複雑な内部構造を逆手にとって追手を撒いた後、地下室へと続く隠し通路に駆け込んだ。
 追手からしたら、2人が急に闇雲に走り回らずに撹乱までし始めたものだから、面喰っていることだろう。それも全ては士郎の『解析の魔術』のお陰だ。
 小休止を挟んで、地下へと続く階段をゆっくりと降りて行く。
 この隠し階段は知っている人間でなければ気付けないような場所にあった。追手の方もまさかヴァッシュ達が此処に逃げ込んだとは思わないだろう。
 だから、もうそんなに急ぐ必要はないともいえる。だが、念には念を入れて地下室に入ってやり過ごそう、という士郎の提案に従い、ヴァッシュも階段を下りて行く。やがて、階段の先に古めかしい作りの扉が見えてきた。
「ここが例の地下室か。早く入ろう」
 錠前も無く鍵穴も無いということは、鍵が掛かっていないということだ。
 早速扉を開けようとドアノブに手を掛けたが、開かない。錆びついて開かないとかではなく、まるで見えない鍵が掛けられているようだ。
「どうやら、魔法で鍵が掛けられているみたいだな」
「魔法で鍵かよ。便利だなぁ、おい」
 本当に見えない鍵があったのか、とヴァッシュは半ば呆れながら驚く。
 この半年ほどで魔法に纏わる不思議現象には慣れて来たつもりだったが、どうやらこの世界はまだまだヴァッシュの知らない不思議で溢れているようだ。
「科学技術で置換可能な程度のものだけどな。……中には何か、大事なものがあるのか?」
「金庫とかじゃないか?」
「ここに来るまでの道に埃が目立ったし、なによりそんな物をこんな遠い場所に造るか?」
「確かに、言われてみれば不便だよな」
 秘密の地下室の中身について議論するが、答えは出そうにない。なら、実際に開けてみるしかない。
「中には何かがある。中に何があるかは分からない。けど、背に腹は代えられないだろ?」
 そう言って、士郎を促す。普段ならば彼が首を縦に振るような場面ではないが、今回は渋々ながらも頷いた。
「そうだな。俺だって、下着ドロの容疑者として捕まりたくはない。……さて、と」
 半ば強引に自分を納得させるように呟いてから、士郎は扉の前に立った。
「投影、開始――トレース・オン――」
 呪文を唱えた次の瞬間、つい一瞬前まで何もなかった士郎の右手に、歪な形状をした不気味な色の刀身のナイフが握られていた。
 魔力によって自分のイメージした物体を形にする、士郎の切り札であり最大の武器でもある『投影魔術』。
 相変わらず、プラントの“力”に見紛うばかりの能力だと、ヴァッシュは嘆息する。これが特例中の特例とはいえ、一種の技術に区分されるのだから驚くべきものだ。
 けど、プラントも人間の科学技術によって作られたのだから、そう考えれば何もおかしなところは無い……のかな?
 そんなことを考えている内に、士郎は短剣を扉に突き刺した。そして、士郎がドアノブを握ると、扉は当然のように開いた。
「便利だよね、その万能鍵」
 しみじみと、ヴァッシュも何度も世話になっている短剣のことを指して、称賛の気持をこめてそう言った。
「世の魔術師や元の持ち主に知られたら、気安く使うなと怒られそうだけどな」
 苦笑しながらそう言うと、士郎は万能鍵の短剣を消した。厳密には、魔力に分解して幻想に還しているらしいのだが、ヴァッシュにはさっぱり意味が分からない。
 それはそれとして、開いたからには中に入ろうと、地下室の中を見て、思わず足を止める。
 そこには、見渡す限り、広大な部屋いっぱいに、ある物が大量に置かれていた。
「これは……石像?」
「10や20じゃない……この地下室は、石像を収容するためだけのスペースなのか」
 地下室の中にあったのは、大量の石像。しかも、全てが人の形をしたものだ。
 照明も何もない部屋に石像が大量に置かれている光景は、異様で不気味だ。
 しかし、この程度の異様さや不気味さならば、2人はとっくに慣れっこだ。
「入ってみよう。罠は無いようだしな。懐中電灯の準備も忘れるなよ」
「アイサー」
 士郎の号令に従って、懐から懐中電灯を取り出してから地下室に入る。
 扉は開けておくか閉めておくか迷ったが、追手から隠れる為にここまで来たのだから閉めておくことにした
「電灯も無いのか。まるっきり物置だな、こりゃ」
 普通なら出入り口の近くの壁にある電灯のスイッチが無く、天井にも照明らしき物は無い。
 どうやら、普段から人が立ち入ることの無い、本当に石像が置かれているだけの場所のようだ。
「だが、中の物を風化や劣化させないように工夫されている。只の物置じゃないし、只の石像でもなさそうだな」
 そう言われてみれば、息苦しくも無いし埃っぽくも無い。常に空調設備を稼働させているのか、それともこれも魔法の御加護なのか、ちょっと気になってしまう。
 しかし、今それ以上に気になるのは、この石像だ。
「それにしても、リアルで生々しい石像だな。まるで生きてるみたいだ」
 言いながら、先頭に置かれている杖を構え尖がり帽子を被った、いかにも魔法使いらしい出で立ちの老人の石像を、ぺちぺち、と叩く。
 すると、石像を正面から凝視していた士郎が、険しい表情で口を開いた。
「……いや。まるでじゃなくて生きているぞ、この石像は」
「え?」
 あまりにも予想外の言葉に、咄嗟に石像から手を離して動きを止める。
「これは、石化の呪いを掛けられた人間だ」
 先程の言葉が聞き間違いではないかと疑うよりも先に、士郎ははっきりと核心を口にした。
「マジで!? 何でもありっていうか、御伽噺そのままだなぁ」
 人間がコンクリ詰めにされて即興の石像になるならともかく、呪いでそのまま石になるというのは俄かには信じられない。しかし、士郎が言うからには、本当なのだろう。
「何十人もの人間が、石化して安置されているなんて……何があったんだ?」
「地元か、この学校の人なら知っているんだろうけどね。……ここの人達が犯罪者をこうやって懲らしめている、っていうのはどうかな?」
「どう考えてもやり過ぎだし、仮にも学校でそんなことをするはずがないだろう。ここが監獄なら分からないでもないが」
 石にされてしまったからには、それ相応の理由があるはずだ。だが、赤の他人の2人がそんなことをいくら考えても、真実は分からない。
 ならば、どうすべきか。答えは単純明快だ。
「そうだよね……。それじゃあ、本人に聞いてみないか?」
「なにぃ?」
「ほら、さっきみたいに万能鍵で」
 突然の提案に驚いて素っ頓狂な声を出した士郎に、ヴァッシュは明確に答える。
 すると、士郎は納得してか落ち着いて、しかし戸惑いの表情を浮かべる。
「いや、確かに可能だろうが……勝手に解いたらどうなるか分からないだろう」
「でもさ、気になるじゃないか。それに……どんな事情があるかは知らないけど、石にされている人がこんなにいるなんて、放って置けないんだ」
 ヴァッシュは率直に、石化を解こうと言い出した本音を伝える。
 こんな、身動き一つできない石にされてしまうなんて、いったいどんな気持ちだろうか。それに、もし、石になっている間もずっと意識があったらと思うと、胸が締め付けられる。
 彼らには、健全な身体がある。自由に動き回れる手足がある。そんな人達が生かさず殺さず、身動きどころか息すらできない石にされている。
 それを見たまま放って置くなんて、耐えられない。
 ヴァッシュの偽らざる本心。それを容易に察することのできる士郎は呆れることも無く、溜息を一つ吐いてから頷いた。
「正直に言おう。俺も同じだ」
 お互いに笑みを浮かべる。
 本当に、こういう時の僕らは気持ちいいぐらいに気が合う。
「頼むよ、士郎。何かあったら僕も手助けするからさ」
「いざという時は頼むぞ、ヴァッシュ」
 拳をぶつけ合わせて、ヴァッシュは石像の老人から離れ、士郎は石像の老人の前に立つ。
 士郎は先程と同じく呪文を唱えると、万能鍵の短剣を投影し、暫しの間を置いてからそれを石像に突き立てた。
 すると、何かが破れるような音と共に、石像が光って人間の姿に戻った。
「――雷の暴風!!」
「へ?」
「な!?」
 強力な攻撃として覚えのある魔法の名前を聞いた直後、士郎が咄嗟にヴァッシュを蹴飛ばした。
 それとほぼ同時に、『雷の暴風』が老人から放たれた。
 思えば、老人は杖を構えた状態で石になっていたのだから、こういう事態も想像できなくもなかった。だが、石化直前まで唱えていて中断された魔法は石化を解かれた瞬間に最後の一節を唱えると発動する、などという稀有な知識を持っている人間など、恐らくいなかっただろう。
 しかし、直前まで老人が石化していたからか、幸いにも『雷の暴風』にしては低めの威力だったようだ。
「……な、なんじゃ?」
 魔法を放った老人は、自分の今の状況に気が付いたのか、目を点にしている。
どうやら、本来は問答無用で攻撃してくるような人ではないようだ。
「痛てて……士郎、大丈夫か?」
 思い切り蹴られた脇腹を擦りながら、扉を突き破って階段付近まで吹き飛ばされた士郎に声を掛ける。
「ああ、何とかな。赤原礼装が無ければ危ういところだった」
 言いながら、ヴァッシュからの呼び掛けに応えて士郎は何事も無かったように立ち上がる。
 実際は結構なダメージだろうに、やせ我慢が上手な男だ。
「お前さん、大丈夫か!?」
 状況がある程度は把握できたのか、石像から元に戻った老人は慌てて士郎に駆け寄った。それに続くように、ヴァッシュも士郎の下へと向かう。
「ええ、俺の事は御心配なく。そちらも、無事に石化が解けたようでなによりです」
「石化……そうじゃ。村は、皆はどうなったんじゃ!?」
 士郎の言葉を聞いて、老人は一瞬だけ安堵したような顔をして、すぐに切羽詰まった調子で問い質して来た。
「村のことは分かりませんけど……あなたの言っている『みんな』は、多分、後ろに」
 そう言って、ヴァッシュは老人の背後を指す。
老人はすぐに振り返り、石像の群れを見ると、崩れるように膝を着いた。
「な、なんということじゃ……」
 老人は、目の前の現実に愕然としている。
 親しい人達が皆、石になっているのを見れば、無理からぬことだろう。
 老人の痛ましい姿にどう声を掛けたらいいのか迷っていると、すぐに士郎が動いた。
「何があったのか、詳しく聞かせて貰えませんか? 私は衛宮士郎と申します」
 老人に歩み寄り、自らも腰を落として、士郎は老人に手を差し伸べた。老人は数秒の間を置いてから、士郎の手を取って立ち上がった。
「僕はヴァッシュ・ザ・スタンピード、よろしく」
 老人が立ち上がったところへ、ヴァッシュも手を差し出す。その意図をすぐに汲み取って、老人は握手してくれた。
「エミヤさんにヴァッシュさん、ワシを助けてくれたこと、礼を言わせてくれ。それから、さっきは本当にすまなかった」
 老人は手を放して、深々と頭を下げた。
 ヴァッシュと士郎は揃って何の問題も無いから気にしないで欲しいと伝えて、石化が解けたばかりのところを悪いが、老人から詳しい経緯を聞かせてもらうことにした。


「なるほど、数年前にそんなことが」
 老人からの説明を士郎は比較的あっさりと受け入れていた。だが、ヴァッシュはそうはいかず、混乱一歩手前の状態だった。
「レム……悪魔の大群とか、僕、もうどうリアクションしたらいいか分からないよ……」
 老人の話によれば、彼の村は悪魔の大群に襲われて全ての村人に石化の呪いを掛けられてしまったらしい。この世界では自分にとってのファンタジーが現実でもあるということにヴァッシュもある程度馴れて来ていたが、今回ばかりは許容量オーバーとなった。
 悪魔が実在して、村を襲って人々を石に変えた。ノーマンズランドでこんなことを話したら間違いなく笑いものだ。悪魔のような出で立ちに肉体改造したサイボーグの一団が「ヒャッハー!」とやって来て村の住人全員をコンクリ漬けにした、という方がまだ信じられる。
「しっかりしろ。俺だって戸惑ってるさ」
 あまりにも現実離れした現実を嘆いていると、士郎がそう言ってヴァッシュの方を叩いた。
 そうだ、現実は現実として受け入れるしかない。そうじゃないと話が先に進まない。
 とにかく、石にされてしまった村人は、発見されて全員がそのままメルディアナ魔法学校に運ばれ、そのまま保護されていたということだろう。
「エミヤさん、お前さんがワシの石化を解いてくれたんじゃろう? 村の皆も助けてやってはくれんか」
 石化を解いたのは士郎だと教えると、老人は士郎に他の村人たちの解呪を頼んだ。それには無論、士郎も快く頷いた。
「勿論そのつもりです。ですが、これ以上、メルディアナ魔法学校に無断で行うわけにもいきません。先にここの責任者に話を通しておくべきでしょう」
「なんと、ここは魔法学校じゃったのか。あい分かった、ならば校長とワシは旧知の間柄じゃ、すぐにでも話は通るじゃろう」
「本当ですか。それは良かった」
 そう時間を掛けずにこの人達を助けられると分かって、士郎は我が事のように喜んだ。
 一方、老人がこの魔法学校の校長と知り合いだと聞いたヴァッシュはあることを思い付き、こちらからもちょっとした頼み事をしようと、老人に話し掛けた。
「あの~……物は相談なんですけどね、僕らのある容疑に対する弁護もしてくれませんかね?」
「容疑? お前さん達を助けるのは吝かではないが、どんな容疑なんじゃ?」
 容疑という言葉に、老人は眉を顰めた。
 正直、ヴァッシュも士郎も怪しくないとは言えない風体だ。そこで自分達が容疑者だ、などと言えば懐疑の目を向けられるのも仕方がないことだろう。
 老人からの疑いを晴らすためにも、事実を正確かつ明瞭に伝えなければならない。
 けれど、このことを他の人に言うのは気が引けるというか、気が滅入る。
「……下着泥棒ッス」
「無論、完全に冤罪です」
 士郎共々、苦虫を噛み潰したような顔と口調でそう言った。
 途端に、場の空気が妙な感じになってしまった。
 老人からしれば、自分を救ってくれた恩人が変態かもしれないのだから、複雑な気持ちになってしまうのは当然のことだろう。
 だけどね、こうね、なんというかね。僕らの方もすっごい恥ずかしいわけで!
「ついでに言っちゃうと、その疑いが晴れるまで逃げ隠れしてやろうと忍び込んだ先がここだったりするんッスよね~。いやぁ、人生何が起こるか分からないもんですよねぇ!」
「笑って誤魔化すな、無理がある」
 気恥ずかしさに耐えかねて、ついここまで来たことも笑い話のような調子で言ってみたが、すぐに士郎につっこまれた。
 だが、これが上手いこと老人のツボに嵌ったようで、明るい笑い声によって場の空気を一新することには成功した。
 下着泥棒騒動と、その後の些細なアクシデントからの逃走劇の始まりの経緯を話すと、またも老人は高笑いをしたが、ヴァッシュの頼みを快諾してくれた。
 後は、老人と一緒に魔法学校の人達と話をしに行くだけだ。
 なんとか平穏無事に済みそうだと、ヴァッシュは胸を撫で下ろした。





 地下室を出て、隠し通路を抜け、少し廊下を歩いた所で追手の1人を見つけ、そのまま交渉をしようと士郎は彼に声を掛けた。
 だが、出会い頭に士郎とヴァッシュは問答無用で叩きのめされてしまった。
 男だから大丈夫だろうと思ったのだが、その彼は下着泥棒によって恋人や姉妹、果ては母と祖母の下着まで盗まれて怒りに燃えていたらしい。
 仕方ないとは思うが、節々が痛い。後ろにいた老人に怪我が無かったことと、ヴァッシュに武装解除が当たらなかったのは不幸中の幸いだ。
 その後は、老人に事情を説明してもらい、なんとか猶予を貰うことに成功した。
 老人は石化の件について事情を知っているらしい教師の1人に連れられて校長の元へ向かい、士郎とヴァッシュは簡易的な牢獄と化した教室で待つことになった。
 教室は監視の生徒の、主に女生徒からの視線によって針の筵となっていた。教室の真ん中で、肩身の狭さに士郎とヴァッシュは共に正座の姿勢で小さくなっていたが、ヴァッシュとの約束通り老人が校長に話を通してくれたらしく、1時間ほどで誤解は解け、2人は解放された。
 それから数十分後には学校長との接見も許可され、生徒達からの謝罪を受けてから教室を出た。そして、部屋の前で待っていた老人に礼を述べて、士郎とヴァッシュは校長室へと入った。
「シロウ・エミヤ殿、ヴァッシュ・ザ・スタンピード殿。貴方達のことは我が旧友と、本校の生徒のアンナ・ユーリエウナ・ココロウァから聞かせてもらいました。友の石化を解いてくれたことへの礼と、下着泥棒を捕まえてくれた君達を誤解から追い回してしまったことへの詫びを言わせて下され」
「そんな、頭を下げないで下さい。石化を解いたのは偶然の成り行きですし、誤解の方も解けたのならそれで構いません」
「まぁ、女の子にあんな顔で追われたのは一生の思い出になりそうですけどね。お陰で、酒の席での笑い話の種が増えましたよ~」
 校長と士郎が互いに頭を下げている中で、ヴァッシュだけは笑みを浮かべながら少しキツめのジョークを言った。
 お互いに色々と似ているとは思うが、こういうところは全く違うな、などと改めて思う。
 士郎が頭を上げると、校長も頭を上げていた。士郎が頭を上げたのを見て頷くと、校長は話を再開した。
「お気遣い、痛み入る。それで、お2人は本来であれば以前本校に勤めていたエリシアくんの紹介で、本校の大図書館の蔵書の閲覧をしに来られたとか」
「はい」
 そう。本来、士郎とヴァッシュは魔法関連の文献の蔵書数が世界でもトップクラスであるメルディアナ魔法学校の大図書館で調べ物――主に空間転移の魔法について調べに来たのだ。
 世界中を回って、様々な場所で情報を得て、色々な人から話を聞いて来たが、どれも自分達が欲しい情報の核心には触れられない。そこで、世界的に有名なウェールズと麻帆良の大図書館、どちらかで徹底的に調べたいと考えて、紹介を得られたのでここまで来たのだ。
 自分達が元の世界に帰ることのできる方法が、この世界にあるのかを調べる為に。
「どうぞ、ご自由にご覧ください。ただ、時間に余裕がありましたら……」
 しかし。今は、それよりも先に、やらなければならないことがある。
「校長。実は、その他にもお願いがあるのですが、宜しいでしょうか?」
 不躾とは思いつつも、校長の話を遮る。
「なんですかな?」
 校長は、不快と言うよりも残念そうな表情で頷いた。
 何が残念なのか怪訝に思いつつも、校長にあることを願い出た。
「石化した人達の呪いを、私に解かせていただきたいのです」
 知らなければ、大図書館の閲覧を許可されただけで欣喜雀躍し、すぐにでも駆け込んだことだろう。
 だが、知ってしまった。見てしまった。
 ある日、突如として現れた悪魔の大群に襲われ、平和な日常を蹂躙された人々の存在を。その人達が未だ、その日から解放されていないという現実を。石にされた人々を見た老人の、悲しみと絶望の表情を。
 それらを見て、知っていながら、衛宮士郎がのうのうと自分が帰る為の手段を調べることを優先することなどあり得ない。あってはならないのだ。
「なんと。本来ならばこちらが伏して願い出るところを、自ら申し出て下さるというのですか」
 校長は俺の申し出に驚いて、大仰な言い方をしている。
 自分から進んで面倒事に首を突っ込もうというのだから、驚かれるのも当然か。
「頼みこんでまで人助けをしたいなんて、相変わらずだね」
 隣のヴァッシュに、そんな風に茶化される。しかし、士郎の勝手でここまで来た大事な目的を後回しにされたのに、ヴァッシュは嬉しそうに笑っている。
 こういう男だからこそ、あの時から今日まで、士郎は共にいられたのだ。
 ヴァッシュの言葉に苦笑で返し、校長に向き直る。
「駄目でしょうか?」
 問うと、校長はまたも大仰な調子で頷いた。
「まさか。何故、その申し出を断ることができましょうか。是非に、お願い致します」
 承諾を得られただけでなく、相手からも頼まれた。
 こうなっては、失敗すること、途中で投げ出すことなど論外だ。
 必ず、全員の石化を解いてみせる。
「必ず、全員の石化を解いてみせます。ただ、解呪の方法については深く追求しないで頂きたいのです」
 決意を実際に口に出して、決断とする。
 実際は情けないことに、ヴァッシュが言うところの万能鍵を投影し、対象に突き立てるだけの作業なのだが。
 それでも、この世界では衛宮士郎にしかできないであろう乱暴な裏技だ。広く知られたらどうなってしまうか分からない。極力、人に知られないようにしなければ。
「心得ました。それでは、来賓用の宿泊室にご案内しましょう。その後、宜しければもう1度、村の方に行ってみてください。皆、あなた達に直接お礼とお詫びを言いたいそうです」
 校長の言葉に、ヴァッシュと共に快く頷く。
「はい、分かりました。必ず行きますよ」
「突然で不躾な来訪を快く受け入れて下さっただけでなく、こちらの頼み事も御快諾いただき、誠にありがとうございました」
 ヴァッシュはいつもよりも少し丁寧な口調で、士郎はできる限りの敬語で挨拶し、校長の合図の後に現れた秘書らしき人に先導されて、部屋を出た。


「ふぅ。久々の敬語は息が詰まるな」
 部屋に着き、案内をしてくれた人が出て行ってから、荷物を置いて、漸く一息吐く。
 長いこと社会的な立場のある人物と接することが無かったので、敬語を忘れていないか心配だったが、何とかなったようだ。
「誤解も解けて良かったね」
「ああ。これで女性の視線に怯えずに済むよ」
 ヴァッシュの言葉に、溜息混じりに頷く。
 互いにトレードマークの外套を脱ぎ、荷物から日本製のミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、一気に飲み干す。
 こうなると、互いにトレードマークを失う。ヴァッシュは白いワイシャツで士郎は黒い軽鎧、髪の色は黒と白、肌の色は白と黒。
 同じトレードマークを脱いだだけで、よくもここまで対照的になるものだ。
「呪いを解くの、頑張ってくれよ」
「ああ、勿論だ」
 ヴァッシュの言葉に頷き、今すぐにでも事に臨めるぐらいに意気を高める。
 だが、差し当たってまずやるべきは、さっきの村に行くことだ。少女に引き渡した真犯人のオコジョ妖精――アルベール・カモミールの事も気掛かりだ。
 休憩してから10分後には、ヴァッシュと共に再び赤い外套に袖を通し、外へと出る。
 今度は魔法が飛んでこないことに安心して、すっかり道順を覚えた道を歩き出した。




[32684] 第二話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/04/08 00:22
 ヴァッシュと士郎がウェールズに逗留して、2週間が経った。
 下着泥棒の件でのいざこざが解消されてしまえば、ここは平和で静かで穏やかな場所だった。ただ、最近はヴァッシュ達が来る以前よりも賑やかになっている。
 それは、士郎の活躍によって石にされていた人達が全員、元に戻ることができたからだ。
 ここに来た次の日に作業を始めて、半日足らずで全員の石化が解かれたことには誰もが驚き、それ以上に皆が喜んで、士郎に感謝していた。
 だが、士郎は感謝の言葉をいくら受け取っても、喜ばず、嬉しがらず、少しも笑わなかった。代わりに顔に浮かぶのは困惑と苦笑ぐらいのものだ。
 本当に、士郎は妙な所で歪んだ性格をしている。自己犠牲の精神も行き過ぎれば、自殺行為にしか見えないというのに。
 まるで、昔の僕自身や……レガートを見ているみたいだ。
 そんなヴァッシュの心配をよそに、事態はあれよあれよと好い方向に転がっていく。
 士郎への感謝の気持ちとして、魔法学校はどの施設もほぼフリーパス、調べ物にも当初は10人近くの有志が協力を申し出た程だ。火急の用件というわけではなく、寧ろ深く関わられると説明に困ってしまうということで、厚意だけ受け取って丁重に断ったが。
 問題があるとすれば、2つ。
 1つは、下着泥棒のオコジョ妖精、アルベール・カモミールが脱獄したこと。一種の呪いで『永久にえっちぃことができないようにする(超要訳)』という罰を受けることを猛烈に拒否していたので、それが動機だろうという見解だ。
 刑罰が呪いというのがいかにもこの世界らしいと、ヴァッシュは妙な所で納得していた。
 このことに関しては魔法学校の人達に任せ、ヴァッシュと士郎は調べ物を優先することにした。万が一にもまた勘違いされて逃げ回ることになるのが嫌だから静観することにしたのではない。絶対に。
 問題のもう1つは、肝心の調べ物の進捗状況が捗々しくないことだ。


「駄目だな……空間転移の魔法にも、俺達が望むようなものは欠片も無いな」
 広い机を埋め尽くすほどの量の本に囲まれて、最後の一冊を読み終えた士郎はそう結論付けた。
「あー、やっぱりそうだったか」
 ヴァッシュも付け焼刃の魔法や魔術の知識で本を読み漁って、士郎よりも早くその結論に至っていた。魔術に詳しい士郎なら、或いはヴァッシュが見落としたことから別の結論を導き出せるかもと期待していたのだが、そんなに上手くは行かないようだ。
 2人して机に突っ伏して、深く大きく溜息を吐く。
 この2週間の9割以上を費やした時間が徒労に終わったのだから、溜息も盛大になろうものだ。
「でさ、士郎。君がこっちに来た原因は、やっぱり思い出せないか?」
 ふと思いついて、一緒に旅してから何度目かになる質問をする。
「ああ。恐らく1カ月ほど、記憶の殆どが抜け落ちている。転移の際に何かがあったんだろうが……」
「それが分かれば、もしかしたらって……思っちまうよな」
「そうだな」
 ヴァッシュがプラントの力でこの地球に来たように、士郎も“何かの力”によってこの地球に来たはずだ。そうであれば、あの時にヴァッシュを襲った何かにぶつかったような衝撃や、プラントの力とは違う異質な力を感じた孔、そして士郎がヴァッシュと殆ど同じ所から落ちて来たこと、全部に説明がつくのだ。
 その“何かの力”が明確になれば、まだ別のアプローチの仕方もあるのだが、分からないのではどうしようもない。
「……並行世界や時間旅行の研究は、科学分野だけか」
「それもまだまだ机上の空論で、実現には程遠いね。プラントに関しては、言うに及ばずさ」
 プラントの力が類する科学技術は、圧倒的に未発達。科学分野でのアプローチは絶望的だ。だからこそ、魔法の分野に期待していたのだが。
「どーしたもんかねぇ。リヴィオも見つからないし、お先真っ暗だよ」
 あの後、校長にリヴィオの捜索を頼んだのだが、そちらの音沙汰もない。
 黒い帽子とマントを身に付けた、十字架を模した二丁拳銃の使い手の牧師見習いだから、特徴に事欠かないとは思うのだが。



「しっかし、お互いよくもまぁ読み漁ったもんだねぇ」
 積み重ねられた本の山を見て、ヴァッシュがそんなことを呟いた。
 改めて見てみると、我ながらよくもこれだけの量を読破したものだ。恐らく、一日で十冊以上は読んだことになるだろう。
「ああ……流石に、事が事だけに集中力が段違いだったな」
 これだけの量を読み続けたことなど、学問が本分であった学生の時でもなかった。やはり、人間というものは、必要に迫られれば普段以上の実力を発揮できるようだ。
 前触れもなく、ぐぅ、と、腹の音が鳴る。どちらがではなく、どちらともだ。
「……飯にするか」
「そだね」
「それじゃあ、僕も御一緒させてもらおうかな」
 昼食を提案し、ヴァッシュが頷いたのを見て、3人揃って椅子から立った。
 ……3人?
 脳を酷使し過ぎて感覚が狂ったかと、士郎はゆっくりと周囲を見回す。
 机の対面にはヴァッシュがいて、他には誰もいない……と思いきや、何時の間にかこちら側の端に、見覚えのある白い男が座っていた。
「アラン!?」
「プレイヤー、いつの間に」
「割と前から」
 ヴァッシュは大声を上げて立ち上がり、士郎が問うとプレイヤーはさも当然のように答えた。神出鬼没とは、この男に最も似合う言葉だろう。
「どうやってここまで来たんだ?」
「無論、不法侵入というやつさ。バレずに潜り込むのは得意だからね」
 真っ先に浮かんだ疑問を問うと、事も無げにそう言った。
 ここメルディアナ魔法学校の警備は蟻も漏らさぬ布陣という程ではないが、笊でもない。しかし、侵入者に気付いている様子は見られない。
 自分から得意というだけあり、侵入や潜入の腕前は確かなようだ。
「久し振りだね。で、何しに来たんだ?」
 落ち着きを取り戻し、椅子に座り直してからヴァッシュが要件を問うた。プレイヤーも頷いて、すぐに答えた。
「君達がウェールズで下着ドロに身を窶したと聞いて、心配で飛んで来たのさ」
「なんだと!?」
 何時の間にかイギリス国外にまで自分達の誤った醜聞が広まったのかと、士郎は思わず大声を出してしまった。
 しかし、叫んでからすぐに、士郎はこの男の気性を思い出した。
「あ、冗談だから安心して。下着ドロに関しては、ここに来るまでに小耳に挟んだのさ」
 あっけらかんと、なんら悪びれた様子も無く言った。
 この男と会話をしたのはほんの僅かな時間だが、それだけでこの男の特徴や気性を知るには十分だった。
 プレイヤーは、まるで息をするように自然と冗談を言うのだ。しかも、うっかりと信じてしまうようなものを絶妙なタイミングで言うのだから、性質が悪い。
「相変わらずだね」
 ヴァッシュが苦笑しつつそう言うと、プレイヤーはニヤリと得意げに笑った。目元は、相変わらず帽子に隠れて見えないが。
「本題だけど、君達にお知らせしたい情報があってね。漸く君達の居場所も分かったことだし、ここまで来たのさ」
「情報?」
 そういえば、プレイヤーは如何わしい界隈――所謂、社会の暗黒面、裏の世界で“何でも屋”を営んでいると言っていた。
 その関係で情報収集もしているのだろうが、何故、態々士郎達に知らせに来たのだろうか。
 世界中を転々としているそうだが、活動拠点は話に聞く魔法世界に在り、そちらでの仕事の方が多いと言っていたはずだ。
 それなのに、顔見知り程度の仲でしかない自分達に情報を伝えるためだけに遠路遥々会いに来るなど、純粋な善意だけによるものとは思えない。
 そんな疑問を思いながらも士郎は一言も口に出さず、プレイヤーの話に耳を傾ける。
「君達がパソコンか携帯電話を持ってたら、それで済ませたんだけどね」
 プレイヤーの言葉に、ある嫌な記憶を思い出す。
 そうだ。現代の利器を利用せずに世界中を旅するなど馬鹿げている。本来なら、パソコンは無理でも、携帯電話は多少の無理をしてでも調達したいところだ。
 だというのに、この男と来たら……。
「あ~、あのちっこい電話か。前に買ったことあるんだけど、3時間で失くしちゃったんだよね」
「それも3回連続でな。お陰で俺も持つのがバカらしくなった」
 ヴァッシュは何故か、携帯電話をすぐに失くしてしまう。
 いや、何故ではない。何かの騒ぎに首を突っ込んで、その拍子に失くしてしまうのだ。
 通信機器に関してはヴァッシュが便利な物を持っているので困るわけではないし、携帯電話を入手する度に失くされては堪ったものではない。
 そういうことで、携帯電話を所持することを諦めた。諦めた当初はどうなる事かと思っていたが、今になって振り返ってみると、意外とどうにかなるものだ。
「相も変わらず、愉快且つ元気みたいだねぇ」
 小さく笑いながら言って、プレイヤーは漸く本題を切り出した。
「で、肝心の情報だけど、まず一つ目は探し人。僕の友達が街中で『ダブルファング』と名乗る黒い帽子とマントを纏った、腰に十字架を2つ吊り下げた人物と会ったんだって」
 明らかに特徴過多のその人物には心当たりがある。ヴァッシュが予てから探していた彼だ。
「どー考えてもリヴィオだよ、それ! あー、良かった。無事だったんだなぁ……」
 ヴァッシュと共にこの世界に来てしまったという牧師見習いの青年、リヴィオ・ザ・ダブルファング。
 ノーマンズランドでも最強クラスの戦闘能力を有するものの、士郎とヴァッシュほどではないにしろ、他人を信じ易く騙され易いお人好しらしい。
 相当目立つはずなのに今まで少しも行方が分からなかったので心配していたが、無事なようで何よりだと、士郎も安堵の息を吐く。
「良かったな、ヴァッシュ」
「うん。ありがとう、士郎。リヴィオと合流できたら真っ先に紹介するよ」
 心底から安心した表情と声で、眼の端に涙を浮かべながらヴァッシュは頷いた。
「それで、場所は?」
 ヴァッシュは居ても立っても居られないとばかりに、そわそわとしながらプレイヤーにリヴィオが発見された場所を問うた。
「日本の京都」
 あっさりと返って来た答えを聞いて、士郎は軽い眩暈がした。
「…………日本、だと?」
 ああ、なんということだ。
 俺達がこの世界に迷い出た近くに、探し人もいたとは。やはり、世界中を探し回るよりも先に、日本中を探し回るべきだったか。
 一方、日本の地理に疎いヴァッシュは、まだ士郎ほどショックを受けていない。
「あっちゃあ、スタート地点の近くにいたのか。士郎、参考までにあの街からキョートまでどれくらいだったんだ?」
「そうだな……6時間程度じゃないか?」
 この世界の交通機関は、士郎の世界の同時代のものと大差ない。新幹線などを使えば、埼玉から京都まではその程度の時間で着けるだろう。
 これを聞いて、ヴァッシュも仰天した。
「近っ!? 僕達のこの7ヶ月はなんだったの!?」
「それを言うな」
 この世界に放り出されたのが8月中旬で、今はもう3月末、もうじき4月だ。
 これだけの期間世界中を旅して回ったというのに、探し人がまさか出発地点から少し離れた場所とは。
 リヴィオの件で喜びながらも若干の疲労感を覚えていると、プレイヤーが再び口を開いた。
「もう1つの情報なんだけど、ガッカリしないでよ?」
 プレイヤーが持って来たという情報は2つ。リヴィオの情報は特に前置きが無かったというのに、今度は「ガッカリするな」と言う。
 予想できないし考えたくもないが、リヴィオのこと以上にある意味でガッカリするような情報なのだろう。
「なんだ。帰る手立ては何も無いことが断定された、とかか」
「それってもうガッカリを超えて絶望だろ」
 つい度の過ぎた最悪の予想を口にして、ヴァッシュにつっこまれる。
 そんなやり取りを見てか、僅かに口元を歪めながら、プレイヤーはもう1つの情報を伝えた。
「時空を超える技術、君達が帰還する一縷の望み、麻帆良に在り」
 聞いた瞬間、思考が停止した。
 頭の中が真っ白になって、一切の思考を拒否する。
 錯覚だろうが、ピシリ、という擬音と共に世界が凍りついたようにも思える。
 混乱はしていない、俺は冷静だ。冷静だからこそ、素直にその朗報を受け止めたくないのだ。
「……士郎。僕の記憶違いじゃなければさ、麻帆良ってスタート地点そのものだよな?」
「ああ、そうだな」
 妙に重苦しい空気の中、ヴァッシュは気の抜けたような声で問うてきた。それに士郎がすぐに頷くと、数秒の間を置いてから共にガックリと項垂れ、机に突っ伏した。
「…………僕達、本当に何やってたんだろうね」
「…………言うな。泣きたくなる」
 プレイヤーが持って来てくれた情報はどちらも、この7ヶ月間、探し求めながらも見つけられなかったものだ。それらの情報が一度に手に入って、しかもどちらも近い場所にあるというのだから、これは間違いなく僥倖だろう。
 だが、あの時。麻帆良にそのまま滞在するという選択肢を真っ先に放棄し、世界を旅して回るという選択肢のみを考えてしまった己が憎い。後悔先に立たずとは、こういうことか。
「まぁまぁ、いいじゃないか。急がば回れとも言うし、目的地までの寄り道は、旅と人生の醍醐味じゃないか。それとも、今日までの日々は無味乾燥だったのかい?」
「ま、そうだけどね」
 プレイヤーのフォロー、をするような性質ではないから、本心からの言葉だろう。それを聞いて、ヴァッシュは苦笑しつつも頷いた。
 今日までの日々には色んな事があった。望む成果こそ得られなかったが、その全てが無意味で無駄な時間だったかと問われれば、士郎も首を横に振る。
 俺は、自分の今までの旅路が失敗だらけだとしても、そのことを後悔することだけはしたくない。……流石に、さっきは本気で悔やんだが。
 そこまで考えて、ふと、あることに考えが及んだ。
「って、待て。まさかお前、あの時も知ってて黙っていたのか?」
「うん? ああ、技術のことね。まさか、そのことを知ったのはほんの数か月前だよ。報せるのが今日まで延びたのは、連絡しようにも、その頃には君達、ドクターとも別行動になっていたみたいだし」
「む、そうだったか」
 この男の気性を思えばもしや、と思ったが、杞憂だったようだ。それに、もしも本当にそうだったのなら、今日こうしてここに来てはいないか。
「というわけで、報告はお終い。後者についての詳細は、知ってのお楽しみ、君達自身で調べるといいよ。だから、遅かれ早かれ、日本に行くことをお勧めするよ」
 言って、プレイヤーは帽子を左手で押さえながら立ち上がった。
「そうだな。校長に頼んで、麻帆良の責任者に紹介状を書いてもらうか」
 日本に行くべし、という勧めに否を唱える理由は無い。今すぐにでも行きたいところだが、素性の知れない人間が何の頼りも当ても伝手もなく赴いた所で、門前払いが関の山だろう。
 ならば、今ある人脈は可能な限り活用すべきだ。そうすれば、着の身着のままで行くよりはずっといい。
「ありがとう、ホワイトマン。お陰で希望が見えて来たよ」
愛称で呼びながらヴァッシュはプレイヤーに歩み寄り、右手を差し出した。
 それを見て、少しの間を置いてから、プレイヤーはヴァッシュの手を取り、握手した。
「お気にせず、レッドメン。実はこれ、僕の為でもあるからね」
「お前の為?」
 纏めて複数形で呼ばれたことよりも、その言葉が気になり聞き返す。
 プレイヤーは握手の手を放すと、踵を返す前に口を開いた。
「また、日本で会えば分かるさ。その時は、知り合いの誼で、1回ぐらいはこのしがない小悪党を見逃してくれよ? 正義の味方【Crime Avenger】」
 真剣な声調で告げ、食事は次の機会にね、と言い残して、プレイヤーは図書館の本棚の方へと消えて行った。
「小悪党、か。どう思う? ヴァッシュ」
 プレイヤーは初対面の時の自己紹介で、士郎が正義の味方を志していることを話すと、

「それは奇遇だねぇ! 実は僕、生粋の、それはそれは卑しい小悪党なんだ。その時はお手柔らかに頼むよ」

 などと言って来たのだ。
 聞いた時は冗談だと思ったのだが、ジョーも真面目な顔で頷き、今回もプレイヤーは真剣に自身を小悪党と称した。
 自らの価値観や存在を『悪』と断じ、そこに一片の迷いも見せずに自らを肯定する人間に会うのは、初めてではない。だが、その知っている男とプレイヤーは、余りにも平素の様子が違っていて、ピンと来ないのだ。
 それで、人生経験が自分よりも色々な意味で豊富なヴァッシュに訊いてみたのだが、難しい顔をして唸っている。
「う~ん、どうだろ。性格がぶっ飛んだりしてるやつって、普段の態度だけじゃ分からないからな」
「やっぱり、そういうやつに会ったことはあるのか」
「うん。伊達に長生きしてないさ」
「……とびっきり凄いのだと、どんなやつがいた?」
「そうだな…………士郎が聞いたら機嫌悪くなるだろうからやめとく」
「なんだそりゃ」
 一頻りその話題で話し続けて、再び腹が鳴った所で昼食を摂ることにした。
 その後、侵入者が見つかったという通報も特になく、メルディアナ魔法学校は今日も平和そのものであった。
 他に、気掛かりな点があるとすれば。
 士郎とヴァッシュが日本に行くことでプレイヤーにどんなメリットがあるのか、ということだけだ。





 メルディアナ魔法学校の敷地を悠々とした足取りで抜けると、プレイヤーはそこであることを思い出し、ついさっき行ったばかりの場所を振り返った。
「ああ、いけないな。勘違いさせるようなことを言っちゃったよ」
 言いながら見ているのは、もう衛宮士郎もヴァッシュ・ザ・スタンピードも離れているであろう大図書館だ。
「時空を超える技術を知ったのは最近だけど……彼らが帰還する一縷の望みは、初対面の時から知っていたからねぇ」
 悪びれた様子など寸毫も見せず、寧ろ楽しげに、面白げに、口を歪める。
 そして、左手の掌を見遣る。そこには、蚯蚓腫れのような痕が刻まれている。つい数日前に若干の痛みと共に顕れた、プレイヤーの企みが順調であることの証だ。
「さて。今のところ、兆しが出ているのは僕だけか。後の候補は……衛宮士郎は鉄板として、ソードと、ウェルンくんと、噂の英雄子息ってところかな。残る2人は誰になることやら」
 それだけ呟くと、踵を返して帰路へ着いた。こんな場所で不用意に長居をしていたら、どんなデメリットが発生するかもしれないのだ。
 やがて、最近になって完全に復興したという村に差し掛かると、改造携帯電話が着信を告げるメロディを鳴らした。軽快な音楽を楽しみながら、通話ボタンを押して耳に当てる。
「あ、エミリオ? 久し振り。元気みたいで何よりだよ。僕の方の用事は終わって、今から帰るところ。そ、予定より早目。珍しいだろ。それで、例の仕事の件だけど、準備はどうだい? もうすぐだけど。…………そう、ナイン達も一緒さ。折角のウェルンくんからのお誘いじゃない、僕らも楽しまないとね」
 2ヶ月前の仕事で負傷し、大事を取って長期療養していた親友の復帰と、仕事の準備も滞りなく進んでいることを確認する。ナイン達の移動準備まで出来ているのなら、準備万端と言っていいだろう。
 流石はソード、勤勉で真面目で実直で、こういうことを任せたら間違いない。また「煩わしいことを押しつけたな」と愚痴られそうではあるが、些細なことだ。
「ん? ウェルンって誰かって? フェイト・アーウェルンクスその人だよ。フェイトきゅんもアーウェルンクス少年も駄目出しされたから、こう呼ぶことにしたんだ。素敵だろう?……え? ダサイ? ビミョー過ぎる? 五月蠅いよ」
 最後に他愛のない会話をして、プレイヤーは最終確認を含めた挨拶で通話を終えた。
「それじゃ、予定日時に変更なく、京都で合流ね。それまでに一度は顔を出しておくから」




[32684] 第三話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/04/12 23:20
 プレイヤーからの報せを聴いた数日後、メルディアナ魔法学校校長から麻帆良への紹介状を貰い、士郎とヴァッシュはウェールズを発った。誰にも告げず、気取られないよう深夜に。「別れの挨拶ぐらいちゃんとしたかったよ」とヴァッシュには愚痴られてしまったが、士郎にはこういう方が性に合っている。
 その後、ヴァッシュの左腕が機械製の義手で、しかもマシンガンを仕込んでいるということもあり合法的なルートを使えず、またも先達ての運び屋に依頼して非合法なルートで日本へと向かうことになった。
 途中で色々とあったが、何とか4月中に2人は日本のJR京都駅に着いた。
「でっけぇー駅だなぁ……」
 感心したように、ヴァッシュは頻りに周囲を見回しながら呟いた。ノーマンズランドでは交通網が未発達だというから、駅のような場所自体が珍しいのだろう。
自分自身も予想以上の人混みに驚きながらも、士郎はヴァッシュの言葉に答える。
「京都は日本最大級の観光都市だからな、玄関も広大になるさ」
 こうして日本の大都市に来るのは、一体何年振りだろうか。
 日本を訪れる事自体が久し振りの事で、その辺りの記憶も曖昧だ。
「こんなに人が多くて、往来も盛んな場所だったのか……リヴィオを探すのは、骨が折れそうだな」
「人が多いってことは、リヴィオを見かけた人も多くなるってことさ。特徴的な格好だし、聞き込みをしていけば何らかの情報は得られるだろうさ」
 途方に暮れたようなヴァッシュの言葉に、前向きな意見を返す。実際、聞いた特徴通りの身形ならば、必ず人目に止まっているはずだ。
 プレイヤーの話では、リヴィオが京都で見かけられたのは数ヶ月前――恐らくは去年の末から今年の初めにかけてだろう。些か時間が経っているが、その時期は人の往来も更に活発だが、多くの人に紛れても尚目立つような出で立ちだったのならば、完全に痕跡が消えていることはないはずだ。
 それを聞いたヴァッシュはすぐに頷いて、いつもの元気を取り戻した。
「そうだな。ようし、いっちょ頑張りますかっとぉ!?」
「わぷっ」
 駅構内の十字路を通り過ぎようとした時に、見事なタイミングでヴァッシュが赤毛の少年と衝突した。
 少年の背が低く、ヴァッシュの背が高いことが重なり、少年の頭がヴァッシュの腰の辺りに勢いよくぶつかった形だ。
 頑丈なヴァッシュはいいとして、ぶつかった反動で転びそうになった少年の腕を咄嗟に掴んで支えた。少年は眼鏡を掛けていたが、幸い、眼鏡は壊れなかったようだ。
「大丈夫か、君」
「ぼ、僕は大丈夫です。すいません、僕の不注意で」
 そう言って、少年は士郎が手を放すとすぐに姿勢を正して頭を下げた。歳の割に、礼儀正しい少年のようだ。
 それにしても、背負っている大きな荷物も目を引くが、それ以上に、子供がスーツを着ているとは珍しい。どこかの名家の子なのだろうか。
「気にしなくていいぞ、あいつはかなり頑丈だから」
「実際どうってことないけどさ、ちょっとは心配してくれてもいいんじゃないか?」
 冗談めかして言うと、ヴァッシュもそのように返して来た。ヴァッシュが本当に何とも無い様子を見て、少年も安堵の息を吐いた。
「ホギャアアアアアアアアアアァァァァァァァ!!?」
 唐突に、『絹を裂くような』とは到底形容できない、下品な悲鳴が聞こえた。
「な、なんだ、今の声は?」
 突然の大音量が聞こえて来たのは、少年の背後の方向だ。だが、そちらには今の悲鳴に何事かと足を止めている人々と、こちらに向かって来る学生服の少女の一団しかいない。
「だ、誰かがふざけて叫んだんじゃないでしょうか?」
 相当驚いたのだろう、言葉を詰まらせながら、少年はそう言った。
世の中には悪ふざけで人を驚かせるのが楽しみ、という奇特な人間も少なからずいる。加えてここは、世界でも屈指の規模の観光都市・京都でも最大の鉄道駅。そんな愉快犯がいても不思議ではない。
 しかし、士郎には今の悲鳴は真に迫ったもののように聞こえた。
もしやと思い、『解析』で眼を凝らしてみたが、それらしい魔術や魔法の残滓は見当たらない。誘拐ということも無いだろう。
「……なぁ、士郎。今の声、な~んか聞き覚えが無かったか?」
 不意に、ヴァッシュがそんなことを言って来た。だが、士郎にはそんな覚えは無い。
「そうか? まさか、リヴィオか?」
「いや、それはない。なんか、割と最近、似たような声を聞いたことがあるような気がしてさ」
「なら、気のせいだろう。俺達が前に日本に来たのは8カ月近く前だぞ?」
「そうだよな……」
 この日本で、士郎とヴァッシュが聞き覚えのある声が聞こえるはずが無い。可能性があるとすれば、それはつまり、空耳や気のせいということだ。
 しかし、まだ納得していないのか、ヴァッシュは首を捻って覚えのある声の主を思い出そうとしている。
「ほら、ネギ! あんた、なにやってんのよ!」
 すると、俺達の方に大きな声で誰かを呼び掛ける声が聞こえて来た。声の主は、先程見かけた学生服の少女の一団の1人だ。
 赤毛の長い髪をツインテールで纏め、左右の結い紐に鈴の飾りを付けた、溌剌とした印象を受ける少女だ。瞳の色が左右で異なっているのも特徴的だ。
「あ、すいません、アスナさん! それでは、僕はこれで」
 どうやら、呼ばれているのは先程の少年らしい。『葱』とは日本人の名前としては珍妙過ぎるから、恐らく外国人なのだろう。
「次からは、人にぶつからないように気を付けてね」
「はい」
 ヴァッシュの言葉に頷いて、ネギ少年はお辞儀をしてから、慌てるように駆けて行った。そして先程のアスナという少女の下へ行くと、何やら叱られている様子だ。姉弟のように見えるが、先程の口振りから察するに、恐らくは従姉弟か近しい親戚といった関係なのだろう。
 しかし、真昼の駅構内に学生がいるとは珍しい。そう思って、何とはなしに周囲を見回してみる。よく見れば、目の前の少女の一団と同じ制服を着た少女達が遠くにも大勢いる。この時間帯に通学しているとは思えないし、旅行鞄などの学生らしからぬ大荷物も見える。
「あれは、修学旅行か? 今の季節に珍しい」
「シューガク旅行? なにそれ?」
 何となく呟いた言葉に、ヴァッシュが反応した。日本に来るまでに日本の常識は一通り教えたが、学校行事などはまだ教えていなかった。
「小学校や中学校、高校の学年単位で有名な都市に集団で旅行する行事さ。学を修める旅行とは書いてあるが、そっちは殆どついでで、実際は思い出作りがメインだな」
 士郎自身の実体験と一般的な知識とを混ぜて、簡単に説明する。ヴァッシュも納得したようで、歩くのを再開しつつ、少女達を見ながら頷いた。
「へぇ~。それじゃ、あそこにいる同じ服の子たちはみんな学生なんだ。大分身長とかにばらつきあるけど、中学生ぐらいかな?」
 言われてみれば、ネギ少年の周りの少女達だけでも身長にかなりばらつきがある。小さい子と大きい子の身長差は、20cmはあるのではないだろうか。
「俺は……高校生だと思うな。まぁ、それはともかくとして、だ。ヴァッシュ、さっきの子の荷物、見たか?」
 ネギ少年達から目を外し、士郎はネギ少年の持っていた荷物の中でも特に目を引いた物について、ヴァッシュに確認を取る。
「うん。あの杖って、魔法使いの……だよな」
 ヴァッシュの言葉に、すぐに頷く。
 ネギ少年が背負っていた杖は、見間違いようもなく、メルディアナ魔法学校でも多く見かけた魔法使いの杖だった。魔術師で言う所の魔術礼装、この世界では触媒だったか。
 最初は単にああいう杖を持ち歩くのが趣味の少年かとも思ったが、具に観察するまでもなくすぐにそうではないと理解できた。
「ああ、間違いない。魔力の残滓がかなりあるから、頻繁に使っているんだろう。それに、あの子自身の魔力量も相当のものだな。ざっと見て、少なくとも俺の数倍はある」
「へぇ、そりゃ凄い。けど、なんだってこんな所に子供の魔法使いがいるんだろうね」
「さて、な。どうやらあの修学旅行の一員らしいが、それだけでいいだろう。俺達は聞き込みに行こう」
 士郎の見立てが全て合っているなら、スーツを着込んだ小学生程度にしか見えない魔法使いの少年が混じった女学生の修学旅行、という極めて珍奇な構図になるが、敢えて関わる必要は無いのだから深く考える必要も無い。
 今すべきは、今まで消息不明だったヴァッシュの旅の道連れの青年――リヴィオ・ザ・ダブルファングの足取りを掴むことだ。
「そうだな。それじゃ、リヴィオ捜しにレッツラゴー!」
 頷き、駅から出ると同時に拳を振り上げてヴァッシュは景気づけに大きな声で叫んだ。
 周囲に人目が無ければ士郎も応じる所だが、こんな人通りの多い所でそんなことはしない。
 数秒後、衆人環視の中で気まずくなったヴァッシュにいじけられて愚痴られた。やれやれ。





 先程ぶつかってしまった2人の赤い男性が歩き出したのを見て、スーツを着た赤毛の少年――ネギ・スプリンギフィールドは先程、ズボンの隙間から懐に潜り込んで来た友人に声を掛けた。
「どうしたの? カモくん。いきなりあんな大声出して」
 すると、スーツの胸元から全身を震わせながら顔を出したのは、無論のこと人間ではなく、ネギの友人のオコジョ妖精――アルベール・カモミールだった。
 上手く誤魔化せたから良かったものの、こんなに人通りのある場所でカモが唐突に叫ぶとは、付き合いの長いネギも思っていなかった。
「兄貴……何も言わないでくだせぇ……何も聞かないでくだせぇ……ただ、何があってもあの2人とオイラを引き合わせてくれなきゃいいんですよ……ただ、それだけで……」
 うわ言のようにそう繰り返すだけで、カモは詳しいことを話そうとしない。
 まだまだ人生経験が足らない故に他人の心の機微に疎いネギも、カモが明らかに先程の2人に怯えていることは理解できた。
「どうしたのよ、エロオコジョ。元気が無い……っていうか、何かに怯えているみたいだけど」
 その様子を傍で見ていた、ツインテールとオッド・アイが特徴的な少女――神楽坂明日菜がそのように言って来た。
 それに対してはネギも、戸惑いながら頷くばかりだ。
「さぁ……さっき僕がぶつかっちゃった人達を知ってるみたいなんですけど」
「ああ、あの背の高い赤い人達ね。こんな所で堂々と凄い恰好してたわよねー。けど、まだまだ渋さが足りなかったわね、残念」
 残念なのはアスナさんの男性の趣味が特殊過ぎるからですよ、という言葉が喉まで来て、何とか呑み込んだ。
 ネギはこれまで、迂闊な発言をしては何度となく明日菜に怒られ、時には殴られてもいる。そして今回ばかりは、物凄く嫌な予感がしたので言葉を呑みこんだ。ネギとて、魔法以外の事柄を学習しないわけではないのだ。

 そう、ネギ・スプリングフィールドは何を隠そう魔法使い。名門メルディアナ魔法学校を史上最年少で首席卒業し、現在は最後の修行として麻帆良学園で教師をしている。ネギが女学生の修学旅行にスーツ姿で同行しているのも、彼が受け持つクラスの担任教師としてなのだ。
 無論、労働基準法を始め日本の法律に色々と違反しているので、このことは麻帆良学園都市だけの秘密だ。
 ちなみに、ごく一般的な女学生であるはずの明日菜がオコジョ妖精なるものを当然のように認識しているのは、ネギの訪日初日に魔法の存在を知ったからだ。ネギのミスで。
 それ以来、明日菜は子供嫌いではあるものの面倒見のいい性格であり、それが災い/幸いして、今ではネギと秘密を共有するどころか、彼と従者の仮契約まで結んで、すっかり魔法関係者の一員となっている。

「アスナ、ネギくんと何話しとるん?」
 すると、明日菜のクラスメイトでありこの修学旅行で同じ班のメンバーでもある、長く艶やかな黒髪の少女――近衛木乃香が声を掛けて来た。
 ネギの事情は、明日菜の義理堅い性格のお陰で彼女以外の一般の生徒には知られていない。だからこそ、ネギは慌ててカモを懐に押し込んでから、何とか言い繕おうとした。
「わっ、このかさん!? え、えーとですね……」
 だが、咄嗟に何を言っていいか思い浮かばない。どうしたものかとネギが涙目になりそうになった所で、明日菜が言い繕ってくれた。
「えっとね……こいつが浮かれててぶつかっちゃった人の話よ。ほら、凄く目立つ格好だったじゃない」
 下手な嘘ではなく、本当の部分だけを適当に取りだしただけの言葉。相手が慌てた様子を勘繰って来るような人物ではなく、穏やかでのほほんとした性格の親友だからこそ通じるものだろう。
「あぁ、あの人らのことやったんか。なんや、えらい優しそうでええ人そうな人たちやったなぁ」
 木乃香がそう言うと、続けて追いついて来た、木乃香ほどではないが長い黒髪が目を引く眼鏡を掛けた少女――早乙女ハルナが、その評に眉を顰めた。
「そう? 私は寧ろ怖いっていうか、近付きたくない雰囲気だったけど」
 普段はどんなことでも「面白そう」という理由だけで首を突っ込む、突っ込める彼女にしては慎重な人物評に、実際に言葉を交わしたネギは内心でそれを否定した。寧ろ、木乃香の言うとおり、優しい人たちだったのだ。
「……あの、ネギ先生」
 すると、遅れてやって来た、目元が前髪で隠れている物静かな少女――宮崎のどかが、珍しく自分からネギに話しかけて来た。
「はい。なんですか? 宮崎さん」
 極度の人見知りの彼女から声を掛けられたことに、驚くよりも嬉しく思いながらネギは聞き返した。
「……その、みんな、先に行ってしまいました、けど…………」
 小さな声で、のどかはそう言った。
 ネギが周囲を見回してみれば、自分達以外に麻帆良学園の生徒や先生の姿が無い。
 これはつまり、ネギがカモミールと打ち合わせをしようと離れてしまったことで、みんなとはぐれてしまった。言い換えれば、教師である自分が原因で、集団行動の和を乱してしまったということになる。
「え? わー!? みなさーん! 待って下さーい!!」
 自分の落ち度で全体に迷惑がかかってしまうと思い至るや、ネギは脇目も振らずにバスが停まっているはずの出口の方向へと駆け出した。調度、先程の赤い2人が去っていったのとは逆の方向だ。
 それに、溜息を吐きながら、慌てて明日菜たちも続く。
「前途多難な修学旅行ですね」
「ホンマやな~」
 『世紀末救水主の力水』なる怪しげなパック飲料を飲んでいる少女――綾瀬夕映は、木乃香と共にのんびりと歩いていた。暫くして明日菜に引っ掴まれて、結局走ることになってしまったが。
 その後を、黒髪を片結びに纏めた少女――桜咲刹那は少女らしからぬ厳しい表情で付いて行った。





 京都駅から少し離れた建物の屋上に、怪しい人影があった。
 彼は春の暖かな日差しの下でボロボロの黒い帽子を被り、黒いマントを纏っている。そんな身形の人間が建物の屋上にいたら、怪しい以外に無いだろう。
 では、怪しい出で立ちの人間とは、悪人なのであろうか?
 答えは、否。彼の心根を“善”と“悪”で判断するのであれば、間違いなく彼は“善”である。
「……お、出て来たか。取り敢えず、目立った異常は無いみたいだな」
 彼が見つめる先には、赤毛の少年を中心とした一団の姿がある。
 彼は現在、紆余曲折を経て関西呪術協会という組織の長に雇われた用心棒となっている。その長――近衛詠春から、険悪な関係が続いている東西の魔法組織の関係改善の為に訪れる、東からの使者の護衛を依頼されているのだ。
 事の重大さは、日本に身を置いて8カ月程度でしかない彼にも十分理解できた。
 銃火器等の凶器を使わずに生活できるという、彼の故郷と比べればあまりにも奇跡的なこの国の平和を脅かす一大事なのだ。力が入らないわけが無い。
 だが、今回の依頼には幾つも、彼自身どうしても納得いかない条件が付いていた。
「本当にあっちからの護衛は無いのかよ。100人以上の無防備な人質候補を引き連れて、しかも観光旅行のついでだってんだから……そんなので面目が立つのかね、ホント」
 東からの親善大使の少年の周囲にいるのは、学生服を着た少女達ばかりで、その周囲に護衛らしき人影はいない。少女達の中にちらほらとそれなりの使い手がいるのは見て取れたが、1人として彼が安心できるほどの実力者には見えなかった。
 こんなにも人通りが多い場所で誘拐や奇襲を想定して警戒していない時点で、彼の基準ではアウトだ。100人以上も無力な子供ばかりが集まっているのだから、それを真っ先に心配して動かなければならないのだ。
 かてて加えて、彼が表立って介入していいのは「使者の少年の手に負えないような事態になってから」となっている。理由を問い質すと、なんと、今回の件は使者の少年の成長を促す試練も兼ねているから、とのことだった。
 事の重大さに対して対応が悠長すぎるのではないかと、不平不満を思うよりも先に心配になるぐらいだ。彼の故郷に比べて日本人の危機意識が驚くほど希薄なのは、今に始まったことでもないのだが。
 これらの不満も不安も、ただの杞憂で終わってくれればそれでいい。いざとなれば、現場の判断ということで介入して、迅速に終わらせてしまえばいい。彼が手を出すまでも無く子供の試練で終わるのならば、それもまた良しだ。
「まぁ、やれるだけやるか。漸く、あの人らしい目撃情報があったんだ。旅の資金はきっちりと稼いでおかないと」
 つい先日、イギリスのウェールズという場所で、赤いコートを纏った男が目撃されたとの情報が耳に入った。なんでもその赤いコートの男は、村で起こっていた事件を無駄に大きくしてから解決したという。
 それを聞いて真っ先に連想したのが、彼の予てからの探し人だった。
 あの男が今まで何ら騒ぎを起こさず、噂にもならず、漸く入って来た情報もあの男にしては極めて小さな規模だと言えるだろう。だが、初めて掴んだ有力情報だ。確かめに行く価値はある。
 この先の事も見据えた上で、彼は車で移動を開始した使者の御一行を追い掛けた。









 リヴィオの行方を捜して一時間。暫くは空振りが続いたが、ある店の店員に「その人のことなら近くの寺か神社に行けばいい」と言われて、早速最寄りの神社に向かった。
 どうしてリヴィオのことを訊くのに神社やお寺なんだろう、と首を捻りながらも、ヴァッシュは神社の境内にいた赤と白の二色の装束に身を包んだ女性――巫女に、早速リヴィオのことを尋ねてみた。
「黒い帽子に、黒いマント、灰色の髪に左目の辺りに刺青の青年? そりゃ、知ってるさ。半年ぐらい前から、月に2、3度はここに来ているからね。今月はまだだけど」
「本当っすか!?」
 これまでの8カ月が嘘のように、あっさりと有力情報が手に入った。嬉しさのあまり、つい大きな声で聞き返してしまったが、ヴァッシュの内心を思えば無理からぬことだ。
「少なくとも、この近くに定住していると見て間違いないな」
 巫女からの返事を聞いた士郎は、そのように推理していた。
 言われてみれば、確かに、毎月2度もここに来ているのなら、近くに住んでいると考えるのが自然だ。
「勤勉で真面目で実直で、正義感も義侠心も腕っぷしも強い男前と来たもんだ、姪の婿に欲しいぐらいだよ。まぁ、断られちまったがね」
巫女は、ヴァッシュ達が聞くまでも無くリヴィオの人物評を語った。
 冗談混じりとはいえ縁談まで持ちかけられるとは、随分と気に入られているようだ。ヴァッシュが心配していたよりも、リヴィオはずっと上手く過ごせているらしい。
「有名なんですか? 彼は」
「ああ。この辺りの寺社仏閣で、彼を知らないやつはそうはいないさ。みんな、何度も世話になっているからね」
 士郎が問うと、巫女はそう言ってリヴィオが有名な理由を教えてくれた。
 リヴィオは歴史ある建築物の姿に心打たれて、頻繁に京都の寺社仏閣に顔を出しているらしい。その時にケンカの仲裁や、悪質なイタズラ犯の捕獲、力仕事の手伝いなどを進んでやっており、それで評判になって、今ではこの近辺ではすっかり有名人になっているらしい。
「リヴィオも、上手くやれてるみたいだな」
 心の底から安堵しながら、先程は心の中で思ったことを、今度は口に出して呟いた。
 ヴァッシュはジョーやアラン、士郎とすぐに出会えたから良かった。だが、彼らとは出会えなかったリヴィオは、地球の文化や環境に順応できずに大変なことになってはいないかと心配だった。
 だから、リヴィオが1人でもこの平和な国で上手く生活できていることが、ヴァッシュには本当に嬉しいことだった。
「あ、もしかしたらリヴィオも僕を探してませんでした? 僕、ヴァッシュ・ザ・スタンピードって言うんですけど」
「ヴァッシュ・ザ……? ああ、言ってた言ってた。もう半年以上前になるかねぇ。初めてここに来た時、境内にいたみんなに『ヴァッシュっていう赤い服着たトンガリ頭の人を知りませんか』って、尋ねて回ってたよ。そうか、あんたがそのヴァッシュさんだったのかい」
「イエス、その通りです」
 巫女の言葉に、笑顔とサムズアップで応える。
 自分がヴァッシュ・ザ・スタンピードだと名乗っても驚かれず騒ぎにもならないというのは、新鮮なことであり、平穏で喜ばしいこととでもある。
 いつかノーマンズランドでもこうなってくれればと、切に思う。絶対に無理だ。
「彼が今どこに住んでいるか、御存知ではありませんか?」
 士郎が問うと、巫女は暫し考え込み、首を捻った。
「う~ん、そうだねぇ……どこかの教会に厄介になってるって話は聞いたことがあるけど」
 本人は申し訳なさそうに言ったが、これは思いがけない朗報だ。
 京都にいることが確実で、しかも定住していることまでも確信できた。この近くの教会を探し回るだけなら、当てもなく世界中を探し回るよりも億倍は楽というものだ。
「教会ですか。それだけでも分かれば十分です。ありがとうございます」
「ホント、ありがとうございます! さぁ、士郎、たくさんお賽銭を入れようぜ!」
 日本の神社では、祀っている神へ祈りを捧げる時は賽銭箱へお金をお賽銭という名目で入れるのが慣習だと教わった。
 なら、神社でいいことがあったんだから、神様への感謝の気持ちとしてたくさんお賽銭を入れなきゃね!
 折角だからと、士郎と一緒に巫女から作法を習いながらお賽銭を入れて、この神社でリヴィオの消息が掴めたことへの感謝を捧げる。
 巫女や途中で顔を合わせた神主にお礼を言ってから、神社を後にする。そのまま、ここに来る途中で見かけたシェリフ・オフィス――交番へと向かう。士郎曰く、日本の交番は気楽に道を尋ねられる所なのだという。ノーマンズランドではそうはいかないと、ヴァッシュはちょっとしたカルチャーショックを覚えた。
 交番に行くと、まず保安官――ではなく警察官の男性に、2人の日本では奇抜な恰好を気にされた。だが、士郎はそれを察して
「日本の友人と教会で会う約束をしているのですが、京都は初めてで、どこに教会があるのか分からないのです。教えてくれませんか?」と、まるで国外からの観光客のように、相手も答えやすい問い方をした。
 すると、警察官は頷いてすぐに慣れた手つきで地図を取り出し、近くの教会を3つ教えてくれた。これにお礼を言って、2人はすぐに教会を目指した。
 1つ目の教会は見当違い、2つ目の教会も違ったがリヴィオらしき青年がいる教会を教えてくれた。それが、たった今着いたばかりのこの教会だ。
 今までの教会と同じく、士郎が前に立ち、礼拝堂の扉を開ける。
 もう日も傾いており、礼拝堂には誰もいないだろうと思ったが、1人いた。その人はステンドグラスの前に据え付けられた十字架の前で、静かに祈りを捧げていた。
 その服装は、どう見ても神に祈りを捧げにやって来た信徒ではない。まず間違いなく、神父だ。
「誰かね。神の御家を騒がせるのは」
 神父は十字架から2人に振り返って、厳かな声で告げた。
 老年の神父だ。目を引くのは特徴的な眉毛と顎、そして地球で会ったどの聖職者よりも鍛えられた肉体だ。
 神父からの問いに、士郎は姿勢を正して頭を下げた。
「突然の訪問、失礼致します。私は衛宮士郎と申します」
「僕はヴァッシュ・ザ・スタンピード、リヴィオに会いに来ました!」
 士郎とは対照的に、ヴァッシュは全力で元気よく挨拶した。
 すると、士郎がすぐに頭を上げた。どうやら、士郎に咎められるぐらい無礼な挨拶だったようだ。
一刻も早くリヴィオに会いたいんだから仕方が無い。
 そんな風にヴァッシュが心の中で開き直ると、神父はゆっくりと手を動かして、それだけで士郎を制止した。
「ヴァッシュ……そうか、君がリヴィオくんの行方知れずの友人か。良かった、生死すらも定かでは無いという話で、リヴィオくんは無論、私も愚息も心配していたのだよ」
「あはは、心配かけちゃってすいません」
 神父の静かで厳かな口調に釣られて、ヴァッシュも落ち着いた口調に戻る。
 そして、神父の口からもリヴィオの名前が出て、心の底から安堵した。
 この遥か遠い星に来て、早8ヶ月。
 やっと、やっと会える。
 旅の相棒で、無二の盟友の弟分に。
「しかし、残念だな。リヴィオくんは昨日から、所用で出かけているのだ。1週間ほど帰れないと言っていたな」
「あー、入れ違いだったか……」
 神父の言葉に、つい溜息混じりに落胆の言葉を吐いてしまった。
 やっと会えるという期待や喜びが大きかっただけに、落胆もそれに比例してしまったようだ。
「連絡はとれませんか?」
「生憎と、彼は携帯電話を持っていないのだ」
 リヴィオの連絡先の確認をすると、士郎はヴァッシュの肩を軽く叩く。
「気を落とすなよ。リヴィオの無事が確認できただけでも良かったじゃないか」
「そうだな。ありがとう、士郎」
 今まで何も分からなかったリヴィオの行方が、京都では一日足らずで目前に迫るまでになった。本来、これだけでも諸手を上げて喜ぶべきことだ。
 それに、先程の神父の言葉は「1週間後にはほぼ確実にここでリヴィオに会える」ということでもある。
 こう考えてみれば、士郎の言うとおりだ。何も落ち込むことなど無かったのだ。
「突然の訪問にも拘らずの応対、感謝します。それでは、私たちはこれで」
「ありがとうございました。それじゃ」
 士郎がそう言って踵を返したのに続いて、ヴァッシュも神父に一言お礼を言ってから身を翻した。
 心に余裕もできたことだし、折角有名な観光地に来たのだから、リヴィオを探すついでに観光旅行と洒落込んでみるのもいいかもしれない。
「待ちたまえ。リヴィオくんの友人をただで帰したとあっては、彼に申し訳が立たん。リヴィオくんが戻るまで、ここに滞在せんかね?」
 すると、神父がそのような提案をして来た。言われて気付いたが、今日の宿の確保もまだだ。
 調度いい、ありがたい誘いだが、2人は敢えてそれを断る。
「お心遣い、ありがとうございます。しかし、ヴァッシュが一刻も早くリヴィオに会いたいようなので」
「もう、今すぐにでも京都中を走り回りたいぐらいっすよ」
 一刻も早くリヴィオに会いたいという気持ちは変わらない。だから、1週間近くはリヴィオが立ち寄らないこの場所に留まってはいられない。できれば、3日3晩は不眠不休で臨みたいぐらいだ。
 すると、神父は苦笑を浮かべながらも頷いてくれた。
「そうか。なら、せめて宿の手配ぐらいはさせてくれんか?」
「……そうですね。確かに、まだ寝床の確保もしていませんでした」
「んじゃ、お言葉に甘えさせてもらいます」
 この申し出には、士郎と共に素直に頷いた。ウェールズを発ってからここ暫くは野宿や安宿ばかりだっただけに、ちゃんとした寝床が恋しくなっていた所だ。
「ありがとうございます、神父さん」
 神父の心遣いに感謝して、ヴァッシュは士郎と共に頭を下げる。
「君達の行く手に、神の御加護がありますように」
 如何にも聖職者らしい厳かな言葉を貰って、2人は再び京都の街へと出た。









 使者の少年と学生旅行の御一行が入った宿を見張って3時間ほど経ったが、外から見た限りではあるが異常は無い。
 本当は自分も施設内に入りたいところだが、あくまで隠密行動だから、そういうわけにもいかない。
 今日の行程が平穏無事そのものだったら、彼もこんな心配をしなくても良かったのだが、現状は既にそういうわけにはいかない事態となっている。
 彼らが最初に訪れた清水寺では、彼らの行く先に落とし穴が掘られ、水には酒が混ぜられていた。一見すれば只の極めて悪質な悪戯だが、それらは深刻な情報を齎してくれた。
 1つ、非公式且つ内密のはずの使者の存在が何者かに漏れている。
 2つ、使者一行の旅の日程が完全に把握されている。
 3つ、相手にその気があれば、その時点で終わっていた。落とし穴に爆弾を仕込むか、水に酒ではなく毒や麻薬の類を混入させていれば、それによって起こった騒ぎに乗じて人を浚うぐらい容易かったはずだ。
 しかし、それをしなかったということは、余裕か、暗黙の内に使者の帰還を求めているのか、それとも、もっと別の狙いがあるのか。
 相手の真意も、相手が何者なのかも分からない。
 だが、それでも。何があっても、あの子達は守り抜く。
 最初は仕事だからという理由だったが、今は違う。
 あの子達の、楽しそうで嬉しそうな笑顔。平和の象徴とも呼ぶべき、眩いばかりに輝いていたそれを穢させるような、あの子達が笑っていられる平和な日常を壊すような真似は絶対にさせない。
 それが、あの人を目指す俺の誓いだから。
 強い決意を改めて確認したその時、無意識化で視覚に捉えたものに反応して、宿の出入り口を反射的に凝視する。
「ん? あれは――……!?」
 夕日に照らされた、赤い人影が2つ。
 1人は、赤い外套を纏った白髪に浅黒い肌の男性だ。外套を見た時はもしやと思ったが、違う。別人だ。
 もう1人は、赤いコートを纏い、黒髪を箒のように尖がらせた、空色の瞳に橙色のサングラスを掛けた、見間違えようのない、あの男。
 血と硝煙の臭いが燻ぶる荒野の惑星で、ラブ&ピースを唱えて駆け続ける、あの男。
 視認してから数秒は頭が真っ白になった。
 だが、すぐに喜びのあまり自然と笑いが込み上げてきた。
「……あ、はは、は! あれって、間違いなく……そうだよ、間違いない!」
 仕事がどうのということは全部頭から抜け落ちて、居ても立ってもいられずに全力で駆け出した。
 初動から最速に至る『ミカエルの眼』で鍛えられた瞬発力と、その速度を維持できる脚力に、これほど感謝したことは無い。
 途中、自動車やバイクを撥ねてしまいそうになったがその度にかわして、最短距離を最速で駆け抜けた。
 宿の前に着いた時には、既にあの人の姿は外には無かった。ならば、中か。
 慌てて常人的な速度で自動扉を潜り、中に入ると同時に、あの人の名を呼んだ。
「ヴァッシュさん!!」
「へ?」
 素っ頓狂で間抜けな、そして懐かしい声が返って来た。
 そちらを見れば、そこには、リヴィオが探し続けた赤い男――ヴァッシュ・ザ・スタンピードの姿があった。
「お久し振りです、ヴァッシュさん」
 数度深呼吸して自分を落ち着けてから、ヴァッシュに歩み寄る。
 ヴァッシュは、まだ驚いているのか、反応が鈍い。
 そんなことを思っていたら、途端にヴァッシュが泣き笑いのような表情になった。
「リ……リヴィオ!!」
 リヴィオの名を呼び、抱きついて来た。歓喜の抱擁を拒む理由など、今のリヴィオにはない。
「無事だったんだな! 元気だったか!? 上手くやれてるか!?」
「はい。見ての通り無事に元気ですし、こっちで友達もできたぐらい上手くやっています!!」
 この世界に投げ出されてから8ヶ月。全く行方を掴めなかったのに、これからほんの僅かでも足跡を見つけに行こうと思っていたのに。思いがけない時と場所で、ヴァッシュとの再会は叶った。
 こんな奇跡が起こるなんて、実際に起こっているのに信じられない。
 ああ、神よ。神の御使いたるプラントよ。導きに感謝いたします。
 プラントの導きを神託と信じてこの土地に留まり続けたことは、間違いではなかった。
 ヴァッシュと互いの無事を喜び、言葉を交わしながら、そんなことを思う。
「……君が、リヴィオか」
 ヴァッシュと一頻り言葉を交わした所で、ヴァッシュとは別の人から声を掛けられた。
 声を掛けて来たのは、ヴァッシュのような赤い外套を着ている白髪の男だ。先程、ヴァッシュと一緒にいるのを見た人だ。
「ヴァッシュさん、この人は?」
「ああ、彼は衛宮士郎。僕の今の旅の道連れで……詳しくは後で話すけど、僕らと同じような境遇なんだ」
「同じって、まさか、貴方も?!」
 軽い気持ちで訊ねてみたら思いもよらない答えが返って来て、リヴィオもつい大声で聞き返してしまった。
 まさか、自分達と同じような境遇の人間が他にもいるとは、考えたことも無かったのだ。
「いや。俺は、もうちょっと近くて遠い所からだ」
 白髪の男性――エミヤ・シロウはそのように頷いた。
 含みのある言い方で真意は測りかねたが、少なくとも、リヴィオとヴァッシュの事情を理解していることは分かった。
 そのまま、今度はヴァッシュが士郎にリヴィオを紹介してくれた。
「士郎、彼がリヴィオ。どうだい、聞かせた特徴そのままだろ?」
「ああ。完全に一致していて吃驚だ」
「え。そんなに特徴的ですかね、この恰好」
「少なくとも、日本では目立つ……というより、浮く恰好だな」
「そうですかね……」
 言われて、リヴィオは自分の身形を検める。
 貰った時よりもちょっと傷が増えた黒い帽子とマント。
 上は白いシャツ、下は黒いズボン。靴も含めて半年前に買い替えたばかりの物だ。
 腰には、待機状態で聖職者の印たる十字架の形になっているダブルファング。
 どこに斬新奇抜な点があるのか、リヴィオにはさっぱり分からない。
「ともかく、これからよろしくな、リヴィオ」
 あれこれと悩んでいると、シロウが声を掛けてきた。見ると、右手も差し出している。
 この意味を理解して、リヴィオは笑みを浮かべながらその手を取って、握手した。
「はい。こちらこそ、宜しくお願いします、シロウさん」
「呼び捨てでいいぞ。歳も近いみたいだしな」
 すると、シロウはそんなことを言って来た。
 彼の背恰好を見てから、こちらからも念の為に聞き返す。
「えぇっと……シロウさんはお幾つですか?」
「俺か? 28歳だが」
 やはり、見た目通りの年齢か。ヴァッシュも流石に、リヴィオの身の上話まではしていなかったようだ。
「それじゃあ、俺より大分年上ですね。俺、こう見えてもこの国で言う所の未成年なもんで。やっぱり、このまま話させてもらいます」
 正直、リヴィオは自分の正確な年齢についてはっきりと分からない。誕生日も、親に教えてもらえなかったから。
 だが、恐らくシロウよりも10歳近く年下で間違いないはずだ。それなら、敬語で話すのが礼儀であり当然というものだろう。
「……未成年?」
 シロウは、信じられないと言わんばかりの声と表情で、一言だけを漏らした。
 これには、リヴィオも苦笑を浮かべるしかない。初対面の人物がリヴィオの実年齢と体格の誤差に仰天するのは、ごく自然なことなのだ。
「そ。リヴィオはちょっとした事情でね、成長するのがスンゴく早いんだよ」
「そのことは、機会があったらお話しします」
 ここで話を一旦区切って、ヴァッシュ達が取った部屋に行くことにした。いつまでも受け付けの近くで騒いでいたら迷惑だろうし、不必要に目立ってしまう。
 そこで、リヴィオは仕事のことを思い出した。詠春からの依頼内容を尊重すれば、自分も護衛対象と同じホテルの中にいるというのはあまり宜しくない状況だ。
 歩きながら考えて、3秒後、リヴィオはヴァッシュとの再会の方が大事だと割り切ることにした。





「いやー、こんな所でリヴィオに会えるとは思わなかったよ!」
「俺もですよ。それにしたって、どうしてこんな所に?」
「君がお世話になっている教会の神父さんに会ってさ、今日の宿にここを紹介してもらったんだよ」
「そうですか、璃正さんが。……主よ、お導きに感謝します」
 今日のこの運命的な再会を、リヴィオは『神のお導き』と考えたらしい。どうやら彼は見た目によらず、敬虔な信徒のようだ。教会で寝泊まりし、神父と友誼を結んだのも納得できる。
 そこまで考えて、件の神父との会話の内容を思い出し、ある疑問が浮かんだ。
「そういえば、神父は、君は所用で出掛けたと言っていたが、何の用事なんだ?」
「あ、そうだった。実は俺、今、関西呪術協会って所の偉い人の用心棒をやっているんですよ」
 すると、リヴィオは意外な名前を出して来た。
 いや。リヴィオもヴァッシュと似たような性分なら、そういう方面に首を突っ込んでいるのが当然なのかもしれない。
「関西呪術協会……確か、日本独自の神秘の担い手達の総本山だったな」
 士郎の世界の日本にも、似たような組織はあった。
 探究の為ではなく、“魔”が絡む事象から『日本』を守ることを責務とし、そのために神秘を行使する――西洋の魔術師からすれば異端者の結社。言わば、魔術使いの組織。
 メルディアナ魔法学校で調べた限りでは、関西呪術協会もそれに近いものだろう。尤も、『悠久の風』という世界的に有名な表向きの顔を持つ魔法使いと比べれば、一部の例外を除いて日本から外に出ようとしない者ばかりで、閉塞的な組織といえる。
「はい。まぁ、俺は呪術だの魔法だのを肯定するのには抵抗があるんですが」
 リヴィオは不服そうな顔で、そんなことを零した。
 用心棒をやっているからには、呪術や魔法を見る機会も多いはずだ。それでも受け入れられないとは、ちょっと不思議だ。ノーマンズランドにも、プラントという“神秘”という言葉でしか言い表せない力を持つ存在があるらしいというのに。
「どうしてだ?」
 士郎が率直に尋ねると、ヴァッシュが先んじて答えてくれた。
「そういえば、まだ言ってなかったね。リヴィオは聖職者なんだよ」
「これでも一応、牧師見習いですんで」
 ヴァッシュの言葉に続いて、リヴィオも正確な肩書きを言って頷いた。
 しかし、伝えられた内容はあまりにも予想外のものだった。
「…………牧師?」
 確かに、キリスト教は原則的に魔術や魔法の存在を認めていない。それは士郎の世界でも、この世界でも同様で、ヴァッシュの世界でもそうなのだろう。
 それなら、牧師であるリヴィオが魔術や魔法を直に見ても、その存在を認めることに抵抗があるのは納得できる。だが。
 改めて、リヴィオの身形を確認する。
 ボロボロの黒い帽子とマントは置いておくとして、白いシャツと黒いズボンは恐らく市販の物で、神職者専用の物というわけではない。鍛えられた筋骨隆々の肉体は、下手な格闘家どころか超一流の代行者と比較しても遜色ない。
 腰の左右両側に下げられている2つの十字架が唯一それらしい物、と思いきや、ヴァッシュから聞いた話によると、信じ難いことだがそれらは『ダブルファング』という高性能な銃火器の待機状態だという。
 そして極め付けに、リヴィオの顔の左目の近くに彫られている独特な刺青。刺青の為に態々眉毛まで剃ってあるあたり、本人が進んで彫ったものだろう。今気付いたが、あの左耳に被せてある物も気になる。
 本人には悪いが、見れば見るほど牧師らしくない。
 神父らしくない神父を始めとして、聖職者らしくない聖職者を何人も知っていて、それらに慣れて感覚が麻痺している士郎から見ても、リヴィオは見れば見るほど牧師には見えない。用心棒の方がよっぽどしっくり来るぐらいだ。
「主よ、この世は差別と偏見に溢れています」
 すると、リヴィオは士郎の視線だけで何を考えているのか分かったのか、胸の前で十字を切って悲しそうに、嘆くように呟いた。
「あ、いや、すまない。武闘派の聖職者は何人も知っているんだが、君みたいな、身形からしてそれらしくない人に会うのは初めてで……って、ああ、すまん」
 なんとか言い繕おうとするが、なかなか上手い言葉が見つからない。
 その様子が滑稽だったのか、それとも最初から冗談だったのか、リヴィオは、くすり、と笑った。
「いいですよ。俺だって、初対面の時には璃正さんにも綺礼にも驚かれましたから」
「キレイ?」
 リヴィオの口から急に出た名前に、ヴァッシュは『綺麗』と混同したのか、オウム返しに聞き返した。
 だが、士郎は『キレイ』という名前を『綺麗』という言葉と混同することは無かった。それどころか、人名としての漢字変換も即座に出来たくらいだ。
「さっき言った、こっちでできた友達ですよ。今はあの教会を離れて関東の何処かの教会にいるんですけど」
 璃正は、士郎とヴァッシュが会った神父のことだろう。そして、リヴィオと友人になったという『キレイ』。
「……まさか、な」
 一瞬、士郎にとって最も因縁深い神父の名と姿が脳裏を過ぎったが、すぐに否定する。
 あの精神破綻者が、他者の苦しみ嘆く様に快楽を見出した男が、リヴィオと友人関係になるとは思えない。
 それに、もし本当に並行世界の同一人物だったとしても、その根本までも同じとは限らないはずだ。
「どうした?」
 よっぽど神妙な顔をしていたのか、リヴィオと『キレイ』について話していたヴァッシュが、不思議そうな表情で士郎を見ている。
 単なる杞憂と信じて疑念を振り払って、積もる話や世間話もいいが、肝心の事を聞くことにした。
「いや、なんでもない。それで、用心棒の仕事でどうしてホテルに? 雇い主が此処で会談でもしているのか?」
「いや、それがですね……。実は今、麻帆良っていう街から関東魔法協会の使者が京都に来ていて、ここに泊まっているんですが…………」
 そうしてリヴィオが話してくれたのは、日本の魔法関係の事情に関する重要なことだった。日本の平和をも左右しかねない一大事だ。
 幾つか前提や条件や経緯の点で、事の割に随分と能天気だなと驚き呆れることもあったが、それがこの世界での普通なのだと思い直す。
「よっしゃ。僕らも協力しようよ、士郎」
「ああ。そんな話を聞いてしまったら、黙っていられないな」
 自分のすぐ近くで、この国の平和と未来を左右する出来事が、何の因果か10歳かそこらの少年の双肩に委ねられている。それを聞いて黙って見過ごしたとあっては、正義の味方の名折れというものだ。
 陰から見守るだけにせよ、直接的に手伝うにせよ、自分に出来ることがあるのならやらなければ。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
 リヴィオは唐突な申し出を快諾してくれた。恐らく、リヴィオもこうなることを承知の上で話したのだろう。
 しかし、独断で機密情報を漏らしたり勝手に助っ人を参加させたりして大丈夫か、と訊ねた。士郎達の勝手でリヴィオに迷惑がかかってしまうのは心苦しい。
 すると、リヴィオは現場の判断ということでゴリ押しする、と迷いなく答えた。









 浴場での入浴を済ませた少女達が、それぞれ用意された浴衣に着替えて歩いていた。
 殆どの者は同室の、或いは別室でも親しい少女と話を弾ませながら歩き、班ごとに割り当てられた部屋へと戻っていく。
 その中で、とある班を注視している人影があった。
 やがて、少女達が部屋の前に並ぶと、ひょい、と軽い足取りで近付き、声を掛けた。
「よぉ、お嬢ちゃん達。取り敢えず、俺の掌でも見てくれや」
 そう言って声を掛けたのは、額に包帯を巻き、室内にも拘らずサングラスを掛けている怪しい風貌の男だった。
 普通ならば、少女達も不審者かと勘繰って、適当に流して部屋へと駆け込むことだろう。だが、風呂上がりで湯だったせいだろうか、少女達はまるで何かの暗示にでもかかったように、疑うことも迷うことも無く、自分達に向けられた男の掌を言われるままに見た。直後、全員がその場で倒れた。
 廊下には、他の少女達の姿もあるのだが、誰もこの異様な光景に見向きもせず――否、気付くこともできずに、次々に部屋へと入ってしまった。
 隣室に少女達が入るのと同じタイミングで、サングラスの男に1組の男女が歩み寄った。
 そして、男女が足を止めた時には、この階層の廊下には、彼ら以外の人影は無くなっていた。
 その様子を見て、白尽くめの男は満足げに頷いた。
「これで俺の出番はお仕舞いかよ。呆気ねぇなぁ」
「まぁ、いいじゃない。それとも、もっと危機的な状況の方が良かったかい?」
 サングラスの男が手袋を嵌めながら愚痴ると、白尽くめの男が茶化すように聞き返した。
「まさか。ほらよ、依頼主。御希望どおり、ガキを眠らせたぜ」
 言うと、サングラスの男は昏倒した少女達の内、最も髪が長い少女の襟元を掴み、そのまま、依頼主と呼んだ眼鏡を掛けた妙齢の艶やかな出で立ちの女性に放り投げた。
「おおきに。流石、鮮やかな手際やなぁ」
 女性は手荒な渡され方に少々驚いたようだが苦も無く受け止め、この異常事態を引き起こした男へと礼を言った。
 それを聞いた白尽くめの男は、サングラスの男に代わって恭しく頭を下げた。
「お褒めに与り光栄至極。さて、後始末は僕らに任せて、上手いこと逃げ遂せて下さいよ」
「そこらへんは抜かりなしや」
 白尽くめの男の言葉に頷くと、女性は胸元から数枚の御札を取り出した。そして、何かの呪文を唱えると、手にした御札の一枚に書かれた文字が鈍く光を発し、直後には煙が生じ、女性の全身を包んだ。
 煙が晴れると、そこには――可愛らしい猿の着ぐるみに身を包んだ女性の姿があった。
 白尽くめの男はほぼ無反応だが、サングラスの男は必死に笑いを堪えている。どうやら、顔だけが晒されている頭部のデザインがツボに入ってしまったらしい。
 そして、眠り続ける少女を抱えて、女性はその格好のまま、またお札を取り出して何事かを呟き、一瞬でその場から姿を消した。
「……ソードだったら、今ので気付くだろうね。相変わらず、この世界の術式は派手だねぇ」
 白尽くめの男は、何やら呆れたように呟いた。
「そうなのか?」
「うん。あっちの世界と比べると、だけど。この世界の基準で見れば、十分に忍べているとは思うよ。……さて、と」
 サングラスの男の疑問に答えて言い直すと、白尽くめの男は足元を睥睨した。
 そこには、深い眠りについている少女と、1人だけ、目を開いている少女がいた。
 それを見つけて、白尽くめの男は酷く卑しく、いやらしく、ニタリ、と笑った。
「運がいいねぇ、お嬢さん。君、E2の左手のを見たんだ」
「お前からのリクエストどおりに、な。抵抗力なんざ皆無の相手だ、下手すりゃ脳の働きも麻痺してるんじゃねぇか?」
 サングラスの男――E2と呼ばれた男は、白尽くめの男が少女へと投げかけた言葉に応じて、言葉を発した。
 白尽くめの男は少女の顔を覗き込み、鼻先が触れ合う寸前の所で止まって、少女の目を目深に被った帽子の奥から覗きながら、自己紹介と挨拶をした。
「はじめまして、お嬢さん。僕はアラン・ザ・プレイヤー。ちょっと、僕の相手をしておくれ」
 白尽くめの男――アラン・ザ・プレイヤーは、その笑みを深くした。



[32684] 第四話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/04/18 23:55
「こっちだ、急げ!」
 険しい表情で走る士郎の後に、ヴァッシュとリヴィオも続く。
 つい先程までは部屋で冗談も交えながら談笑をしていたのだが、何の前触れも無く、穏やかな時間は終わりを告げた。
 リヴィオがダブルファングの変形機構を披露していた時、士郎が異変に気付いた。床に手を付いて解析の魔術をした後、血相を変えて部屋を飛び出したのだ。どうしたのかとヴァッシュが問い質すと、士郎は一言だけ返した。
「魔術だ」
 ヴァッシュやリヴィオでは察知できなかった異常――魔法や魔術による何かが起きたのだということを理解するには、それだけで十分だった。
 最後の階段を一気に飛び降りて、士郎はその階層の廊下へと走り出した。
「この階は、例の修学旅行で貸し切ってる階です」
「つまり、ここで何かがあったってことは、100%ビンゴってことか」
 つい、舌打ちをしたくなる。
 今できるのは、手遅れになっていないことを祈ることぐらいしかない。その事実があまりにも歯痒い。
 階段から廊下へと出て、士郎を見つけてすぐに傍へと駆け寄る。
 最初、士郎は何もない所で立ち止まっているように見えた。だが、よく見れば、そこが不自然な空間になっていることが分かった。更に目を凝らせば、士郎の目の前に扉があることに今更気付いた。
 普通ではありえない目の錯覚。このような普通ではありえないことを引き起こすのが、魔法だ。
「ここだ。……扉そのものの概念を弄って、内と外を隔てる物としての側面を強化しているか。しかも、精神干渉系の術でこの辺りを認識からずらしてもいるようだな」
「どういうことです?」
 士郎の独り言じみた解説にリヴィオが問い掛けると、士郎は扉の四方に不自然に貼られていた紙きれを1つ剥がした。
 すると、ヴァッシュの眼にも扉がはっきりと普通に認識できるようになった。リヴィオは今のことで扉の存在に気付けたようで、絶句している。
「強制的に死角にされていた、ってことだ」
 つまり、自分の認識に強制的に空白を作られていたということだろうか。ヴァッシュは、過去に対峙したGUNG-HO-GUNSの1人、ドミニク・ザ・サイクロプスの催眠術を思い出す。
 士郎は剥がした紙切れを握り潰し、残った3枚も引き剥がした。そして、ヴァッシュには良く分からないが魔法が掛けられているらしい扉に手を当てた。
「万能鍵か?」
「いや。それだと、普通にかかっている錠前を解けない。だから、無理矢理壊す」
 言うと同時、士郎の体から扉に“力”――“魔力”が流れ込んでいくのを感じる。
 士郎曰く、魔力とは毒らしい。その毒も術理を以って制御できれば薬として様々に活用できる。けれど、何の統制も無く乱暴に魔力を流し込まれれば、それは猛毒として体を蝕む。その法則は、無機物にも同様だ。
 バキッ、という乾いた破裂音と共に、扉の各所に亀裂が走る。そうなってしまえば、それは単なる板切れ、扉としての機能を維持できるはずもない。
「すっげぇ……まるでマジックだ」
「種も仕掛けも無いがな」
 リヴィオが漏らした感嘆の言葉に軽く返すと、士郎は板切れと化した扉を蹴破った。そのまますぐに突入はせず、まずはその場で目を凝らし、中の様子を窺う。
 暫くして、士郎はこちらに振り返って頷いた。それを合図に、ヴァッシュとリヴィオも部屋の中へと突入する。
 部屋の中に入ってすぐ、異様な空気に思わず身体が緊張した。同じ建物の中なのに、部屋の外と中でまるで空気が違う。空気が濁っているというか、流れが滞ってこの中で渦を巻いているというか。どうにも、表現し辛い感覚だ。それを感じているのはリヴィオも同様らしく、部屋に入った直後から緊張した表情で臨戦態勢になっている。
 奥へと進むと、布団が敷かれており、そこに3人の少女が寝転がっている。その傍に置かれた椅子には、1人の男が寛ぐように座っていた。
 その男の姿を見て、ヴァッシュは愕然とした。
「おやおや、これは驚いた。まさか、こんなにも早く気付かれるなんてねぇ……って、あれ?」
 男はこちらに振り向くと、最初は余裕たっぷりに恭しく話していた。だが、ヴァッシュと士郎の顔を見て、急に素っ頓狂な声を出した。
 驚いているのは、どちらも同じだ。
 こんな状況でまた会えると思っていなかったし、こんな再会ならしたくなかった。
「……アラン?」
 目の前にいる白尽くめの男は、ヴァッシュがこの世界で最初に親しくなった男の1人。右も左も分からかったヴァッシュと士郎に道を示してくれた、恩人とも言える男――アラン・ザ・プレイヤーに相違なかった。





「プレイヤー、お前……!?」
 そこにいるのが何者でも、日本の平和を脅かすような輩ならば問答無用で斬り伏せる。そんな気勢で乗り込んだというのに、予想外の人間との再会に、思考と肉体が静止してしまう。
 士郎とヴァッシュはそれぞれアラン・ザ・プレイヤーの名を呼んだきり言葉を失い、流暢に話し始めたプレイヤーもまた口を開けたまま動きを止め、思考すら停止しているようだった。
 誰も動かず、言葉を発さず、結界で空気が蟠っていることもあり、部屋の中は不気味なほど静かだった。
 しかし、その静けさも長続きしなかった。唯一プレイヤーと面識がなく、驚愕や戸惑いに縛られていないリヴィオが動いたのだ。
「すいません、先に行きます!」
 言うや否や、リヴィオは誰の返事も待たずに飛び出し、プレイヤーの真横を駆け抜け、ガラス窓を突き破って外に出た。
 ただそれだけのことだったのだが、その速度が尋常のものではなかった。幾ら意表を突かれたとはいえ、超人的な動体視力を持つ士郎が声を聞いた後にリヴィオの姿を捉えることができたのが、窓を突き破る瞬間だけだったのだ。
「びっ……吃驚したぁぁぁ……。ぶつかってたら、僕、確実に即死だよ」
 突き破られた窓を見ながら、プレイヤーは珍しく取り乱していた。あんな風に、自分の真横を人間が超高速で通り過ぎたら、誰でも驚くか。
「リヴィオ……どうしたんだ、急に?」
 一方で、リヴィオと付き合いの長いヴァッシュは彼の身体能力ではなく、行動に驚いていた。
 言われてみればそうだ。リヴィオはどうして、急に窓を突き破って外に出て行ったのだ。その原因を探ろうと破られた窓から外を注視すると、そこには、あからさまに怪しい人影があった。
「ヴァッシュ、外を見ろ」
「あれは……着ぐるみ? 女の子を抱えてるな」
 ヴァッシュもすぐに少女を抱えている猿の着ぐるみを見つけた。リヴィオはあれを見つけて、外に飛び出したのだろう。
 抱えられている少女は、恐らく、麻帆良学園の女生徒。そして、この状況と照らし合わせて考えれば、十中八九――。
「とんでもない視力だねぇ。その通り。僕らは只今、人攫いの真っ最中ってわけさ」
 思考の中で言語化するのとほぼ同時に、プレイヤーは自らの立場を明かした。
「アラン、どうしてこんなことを」
 プレイヤー自身から明かされた『誘拐犯』という事実に、ヴァッシュは複雑な心境がそのまま表れている顔と声で問うた。その心境は、士郎も同じだ。
 仮にも、この世界において数少ない知人であり恩人と言っても過言ではない男が、目の前で自分達と敵対するような悪行をしているのだから。
「お仕事だからさ。それに言ったろ、僕は小悪党だって」
 しかし、プレイヤーは以前と変わらない調子で、あっさりと答えた。
 思う所はある。だが、士郎が答えを出すには今の問答だけで十分だった。
 目の前のこの男は、敵だ。ならば、今までやこれからなど関係ない。此処で、この手で討つ。
「そんなことはどうでもいい。事の次第を詳しく話してもらうぞ」
 言いながら、一歩踏み出す。この部屋の中は簡易的な“陣地”のようになっているようだが、罠の類は無い。それに、この間合いならば、一般人同然の身体能力のあの男を組み伏せるのも斬り伏せるのも容易い。
「ヤだ。そんなことするなら、この子の命、保証しないよ?」
 言いながら、プレイヤーは自分の足元を指した。
 そこには、少女が横たわっていた。2人が見ると同時に、プレイヤーの白い革靴の踵が、コツコツ、と少女の頭を叩く。
「貴様……!」
「落ち着け、士郎」
 声を荒げると、ヴァッシュに肩を掴まれ制止された。
 すぐさま振り返って言い返そうとしたが、ヴァッシュの表情を見て、吐き出そうとした言葉を呑みこんだ。
 ヴァッシュの表情には、深い悲しみだけが見えた。こんな時でさえも、怒りを寸毫も見せない。見えるのは、恩人と敵対している現状に対する悲しみと、その事実に立ち向かおうという決意。
 こんな顔をされては、引き下がるしかない。士郎は黙って頷いて一歩下がり、ヴァッシュに前に出るように促す。代わりに、頭を冷やしながら、魔術的な罠が本当に無いのか注意する。
「アラン、君の目的はなんだ?」
「今回の件で、僕らに目的は無いよ。ただ、依頼された仕事をこなすだけさ。クライアントの目的は、無論のこと黙秘させてもらうよ」
 今回の件で、というのは引っ掛かる言い方だ。まるで、現在進行形の目的がこの事とは別にあるようにも聞こえる。無論、これは相手が腹に一物ある油断ならぬ存在、という認識による邪推のようなものだ。普通に聞けば、当たり障りの無いごく普通の言い回しだろう。
 他に気になることは、この状況でも平素の様子と全く違いが無い、プレイヤーの異常さだ。士郎やヴァッシュのような内心の動揺が、プレイヤーからは一切見てとれない。やはり、麻帆良やウェールズで交わした言葉の通り、あちらは最初からいつか必ず敵対することになると覚悟していたということか。今日この場所でこうなったのは、流石に予想外だったようだが。
「……それじゃ、次の質問だ。僕らに勝てると思うかい?」
 言いながら、ヴァッシュは右手でガンホルダーに収めてある銃のグリップに触れた。
 今でも意外なものだが、ヴァッシュは必要に迫られれば人を傷つけることに対して驚くほど躊躇いが無い。無論、無意味に人を傷つけたり、殺すことや命に関わる重傷を負わせたりしてしまうことは忌避する。だが、それ以外、足や手を撃って無力化する程度ならば平然とやれる。
 これには、ヴァッシュが育った故郷であるノーマンズランドの環境が大きく影響しているらしい。なんでも、ノーマンズランドでは「生きてさえいれば何とかなる」というレベルで医療技術が発達していて、高位のサイボーグになると頭だけの状態でも生存が可能らしい。加えて、足や手を撃ち抜いた程度では怯まない手合いもかなり多かったようだ。
 ……そりゃ、ヴァッシュでも銃で人を傷つけることに抵抗が無くなるか。最初にヴァッシュが躊躇ない無く銃で人を撃った時は驚いたもんだが。
 それでも、人を決して殺さないという、ヴァッシュの『不殺の信念』は本物だ。なにしろ、元々銃が不得手だったというヴァッシュが必死に腕を磨いたのも『銃で人を殺さないようにする為』だというのだから。
 言い換えれば、ヴァッシュのような平和主義者でさえも銃を持たざるを得ないのがノーマンズランドだということだ。が、今重要なのはそこではない。
 ヴァッシュが銃に手を触れたのは、決して脅しではないということ。そして、この場での士郎の出番はもう無くなったのも同然だということだ。
 問題は、この警告がプレイヤーに通用するかどうか、ということだ。プレイヤーもヴァッシュの気性を知っていればこそ、意外なほど簡単にヴァッシュが銃で人を撃てるとは思っていないだろう。
「まさか。けど、小悪党の往生際ってのはみっともないものなのさ。自分が死んでしまうのなら、腹いせに誰かを道連れにするぐらいはやるよ?」
「なら、この場での睨み合いが、お前の仕事か?」
 ヴァッシュのお陰で士郎の頭も十分に冷えた。こうして、プレイヤーの言葉に冷静に返すこともできる。
 プレイヤーもそこはこの道の人間、ヴァッシュが実力者だということは察しているようだが、認識が不十分だ。こんな、5mにも満たない距離でヴァッシュの抜き撃ちに先んじて行動することなど、人間どころか死徒にも不可能だ。
 士郎の先程までとは打って変わった態度が気になったのか、プレイヤーは一瞬、士郎に視線を向けて、考え込むような仕種を取った。
「うん、そんなところ。けど、君達のような極上のサプライズゲストが来るとは思ってなかったからね、どうしたものか。……ところでさ、衛宮士郎」
「なんだ」
「外、ちゃんと見た方がいいよ」
「なに?」
 あまりにも突飛な呼び掛けに、思わず聞き返してしまった。
 この状況、このタイミングでのこの発言。十中八九、外へ気を向けさせることによって隙を作ろうという虚言だろう。だが、プレイヤーは冗談を言っても嘘は言わない男だ。その気性に疑いの余地は無いと判断し、敢えてプレイヤーの言葉に耳を貸す。
 ヴァッシュにプレイヤーから気を逸らさないように伝えてから、外を見る。宿から幾らか離れた橋の向こう側に、3人の人影があった。1人はリヴィオ、もう1人は猿の着ぐるみの誘拐実行犯。そして、最後の1人は、何時の間にかその場に加わっていた3人目。いかにも日本人らしい体型と顔立ちに、現代では逆に日本では浮いてしまう服装である和服に日本刀を帯びた、黒髪に赤い異形の瞳が映える剣士。
 その男の姿を見た瞬間、士郎は今まで思い出せなかったこの世界に来る少し前の光景――その男と遭遇した時の記憶を思い出した。


 紛争地域で共に活動していた仲間に裏切られながらも、別の仲間に助けられ難を逃れた士郎は、当ても無く大陸をさ迷い歩いていた。
 仲間に裏切られたことに対して、怒りも、恨みも、憎しみも、悲しみも無い。ただ、こうなってしまったか、という他人事のような感想があるのみだ。
 裏切られることに慣れたというわけではない。最初から、他人に傷付けられることに対する感慨が一切無かったのだ。ただ、衛宮士郎という存在が『正義の味方』として機能していれば、それだけで良かったのだ。
 そうして、再び1人での放浪を始めて1か月ほど経ったある日。小さな村を狙った夜盗を叩きのめしてから数日後。中国の山中で身体を休めていた士郎の前に、あの男は唐突に現れた。
「俺は、魔術協会“時計塔”に属する封印指定執行者。名を――」


 思い出すと同時に、弓を投影。間髪を入れずに矢を番え、放つ。
 中てることなど考えず、ただ牽制に間に合えばいいと速さだけを求めた射は、傍から見れば無様なものだっただろう。しかし、矢を射ることは投影を含めて1秒未満で行えた。
 急造の弓は、射ると同時に砕けた。恐らくは矢も鏃が地面に触れた瞬間に砕け散ってしまうだろう。だが、それでも牽制ぐらいには――なった。
「士郎、どうしたんだよ急に!?」
 士郎の唐突な行動に、プレイヤーだけでなくヴァッシュも驚いていた。それは当然だろう。仮にヴァッシュが外を見ていたとしても、あの男の危険性を理解できないのだから、士郎が遮二無二矢を射た理由も理解できるはずがない。
「ヴァッシュ、ここは任せる。魔術に疎いリヴィオじゃ、あの男の相手は危険だ」
 リヴィオの実力はヴァッシュから伝え聞いただけで、自分自身で確かめられていない。しかし、あの男の実力は知っている。あの男は剣士としてだけではなく、戦闘系の魔術師としても一流の実力者。魔術知識に疎いリヴィオでは、地力で上回っても足元を掬われてしまう可能性が大きい。
「分かった。任せたよ、士郎」
 思考を殆ど挟まず、ヴァッシュはすぐに了承してくれた。
 この場をヴァッシュに任せることにも不安は無い。ヴァッシュに任せておけば、最悪の事態だけは防いでくれると信じられる。
 プレイヤーに一瞥をくれてから、肉体に強化の魔術を施し、リヴィオが突き破った窓から外に飛び出した。



 外がどういう状況か把握できていない。だからこそ、士郎に任せよう。彼に任せておけば、きっと、そう悪いことにはならないから。
 リヴィオの後を追って飛び出して行った士郎を見送ると、自然とこの場に残るのはヴァッシュとアランの2人だけ。
 出来ることなら、穏便に済ませたい。自分達に道を示してくれた恩人を、傷付けるようなことはしたくない。けど、それでも。アランが足元の少女を殺してでも、何かしようと言うのなら、力尽くでも止める。
 ヴァッシュは右手を誰から見ても分かるぐらいに緊張させながら、同時に左腕の義手のギミックをいつでも使えるように準備する。すると、そんなヴァッシュの状態を見越してか。先程よりも明るい口調でアランが話し掛けて来た。
「さて、と。ところでヴァッシュ、一つ提案なんだけど?」
「何だい? 穏やかで平和的な提案だと、僕も嬉しいんだけど」
 アランの言葉に、冗談ではなく本気でそう返す。これに、アランも頷いた。
「まさにその通りだよ。大人しく引き上げるから、この場は見逃してくれないかい? 勿論、攫った子も丁重にお返しするよ」
「…………本当に?」
 願っても無い提案に喜ぶよりも先に、確認を取る。ここで下手を打てば、攫われた少女やアランの足元の少女だけでなく、この宿にいる全員が危険に晒される可能性さえある。
 アランを信じたいという気持ちを、これ以上誰も傷付けさせたくないという想いが上回り、安易に隙を見せず、最低限の警戒はする。
「ああ。僕は、冗談は言うけど、嘘は言わない主義なんだ」
 言うと、アランは立ち上って、人質に取っていた少女から離れてヴァッシュに歩み寄った。そして、手が届くぐらいの距離で立ち止まると、僅かに帽子をずらして、目を合わせた。
 暫く、無言で互いの目を見つめる。
 きっと、アランの言葉に嘘は無い。だが、アランはこの場から退却した後もヴァッシュや士郎と敵対するだろう。少なくとも、彼らの仕事が終わるまでは。だから、この場で捕らえるか叩きのめすかするのが上策だと、士郎ならばそう言うだろう。
 けど……少しでも戦いを避けられるのなら、僕はそうしたい。やっぱり、戦いとか、人を傷つけるのは、嫌だ。
「分かった、信じるよ。それに、そういう約束だったしね」
「あの時の僕の言葉、受け取ってくれていたんだね。嬉しいなぁ」
 ヴァッシュが頷くと、アランは帽子を僅かに上げていた右手を離して、そのまま笑みを浮かべながら差し伸べて来た。
 少し間を置いてから、2人は握手をした。
 その後は、アランに壊したドアや窓を魔法で直すなど証拠隠滅をしてもらう。砕かれたガラスが、まるで映像を逆再生するように元に戻っていく様子は何とも神秘的なものだった。これが初歩の初歩だと言うのだから、魔法や魔術はつくづく不思議なものだと溜息を洩らす。
 部屋の中に張られていた結界の術も解かれ、ヴァッシュも空気の変化でそれを確認した。それら事後処理が終わると、ヴァッシュとアランは2人揃って窓から外に飛び降りた。
「じゃあね。次に会う時は、手加減ぐらいはしておくれよ」
 着地すると同時、そのように言い残して、ヴァッシュが声を掛ける間もなくアランは風のように逃げ去って行った。
「次も止めるよ。絶対にね」
 相手には届かないと分かっていても、決意の言葉を風に乗せて送った。







 ホテル嵐山に近い橋の前に、1人の男が立っていた。
 彼の出で立ちは非常に日本的でありながら、今の時代では却って日本では見られなくなったものだ。和服に身を包み、草鞋を履き、腰の左側に大小の刀を帯びているその姿は、髷こそ結っていないが侍そのものであった。
 橋の手前に立ちながら、彼は人を待っていた。恋人とか友人とか、そういう親しい者との待ち合わせではなく、仕事の関係だ。
 手筈によれば、もうじき関西呪術協会の長の息女を攫った依頼人本人がやって来ることになっている。そうなれば護衛役の彼の仕事もいよいよ本番となるのだが、彼の表情は見るからに気だるげで、大儀そうである。
 事実、今回の仕事、彼はやる気が無かった。
 まず、依頼人の手緩いやり方が気に入らない。狙いを親書に見せかけた搦め手は良いが、その為の手段に一々依頼人が出向いて、態々子供じみたものにしている。相手が子供だから必要以上に手を抜いているのであろうが、手加減や容赦というものを嫌う彼には、甚だ厭わしいことであった。
 そして、なにより重大なのが、ここが日本だということだ。リーダーのプレイヤーが暫く不在だった為に、サブリーダーとして今回の仕事の交渉の為に彼は日本に幾度も赴くことになり、ここ最近は滞在している。だが彼には、本来なら絶対に日本に来たくない特別な理由があるのだ。だからこそ、最初からあまり乗り気ではないのだ。
 それでも、仕事で銭を稼がなければ生活できない。難しいものだと溜息を吐く。そこへ調度、彼の待ち人が現れた。
 依頼人が猿の着ぐるみに身を包んでいることは、気にしないことにしよう。実際、あれで身体能力を底上げしているらしいのだから咎める理由も無い。
 間もなく依頼人が橋を渡る、というタイミングで、彼は件のホテルへと“気”を向けた。それは単なる意気ではなく、殺気であった。殺気を向けたのは一瞬。加えて、この距離で、建物に向けた漠然としたもの。普通ならば気付く者などいないだろう。しかし、今の気当てに気付く者がいるかもしれない。例えば、あのホテルに超一流の戦闘者がいて、気を張り詰めていたら。加えてそれが、彼と敵対する勢力だったら。
 そうなったら、まず間違いなく戦いになるだろう。仕事の上では避けるべきことだが、彼はそれこそを望んでいた。彼にとって、戦うことはとても好ましいことなのだ。
 依頼人が川に掛けられた橋を渡り、間もなく彼の横に並ぼうかという時に、彼は依頼人ではなくその奥に視線を送り、目を瞠った。しかし驚くよりも先に、仕事を行う。
「依頼人、下がれ」
「わぷっ!?」
 下がれとは言ったものの、下がっていては間に合わないと判断して足を払って転ばした。それによって、狙い通りに依頼人は難を逃れた。
「ソードはん、いきなりなにするんや!? 危うくお嬢様を落とすところだったやないか!」
「その口調、呪術協会の離反者か」
 彼の仕事上での通称を呼びながら、依頼人は今の行動を咎めた。しかし、その言葉に答えたのはソードではなく、全くの別人の声だった。
「……へ?」
 素っ頓狂な声を発して、依頼人はソードと共に声が発せられた方向を見る。そこには、人の域を超えた速度で走って来た依頼人を追い越した男が立っていた。
 ソードは歓喜した。このまま大儀な仕事を続けるのならば、せめてその中に彩りを求めた。血風吹き荒ぶ闘争の色を。先程の殺気も、自分と同類か、或いは同等以上の実力者がいるのならば気付いてくれと、期待と切望を織り交ぜて発したものだった。
 それに応じてくれた者がいただけでも僥倖だというのに、その相手が、予てから対戦を望んでいた豪傑なのだ。これを喜ばずして、如何にするか。
 転ばした依頼人の事など忘却し、ソードは豪傑との対峙に歓喜した。
「久しいな、ダブルファング。去年の暮に会って以来か」
「あんたは……ソード、だったか。やっぱり、こういう手合いだったか」
 現れた豪傑の名はダブルファング。本名はリヴィオということをソードは既に心得ていたが、互いに名乗っていないのなら呼ばないのが礼儀だと、彼のことは彼自身が自称したダブルファングの名で呼ぶ。
 ソードとダブルファングが出会ったのは、昨年の暮。この仕事の交渉と打ち合わせの為に来日し上京したソードは、後悔しつつも、初めての上洛なのだからと京都の名所や史跡を巡り歩いていた。その中で、とある寺院を参拝した直後に、ソードはダブルファングと門前で鉢合わせたのだ。
 あの時の衝撃を、ソードは忘れていない。正義と善ばかりが蔓延る、綺麗過ぎて歪んで見えるこの世界で、自分達と似た臭いの者と偶然に出会ったのだから。だが、後にダブルファングの素性と来歴を僅かながらも知り、ソードはあの出会いをある種の天啓と考えた。
「俺からの誘いに応じてくれたこと、感謝する」
 言いながら、ソードは刀を鞘から抜く。それに応じて、ダブルファングは腰の左右に吊り下げた十字架を手に取ると、何かの仕掛けを発動させたか、十字架を異形の銃器へと変形させた。
 それを見て、ソードはある疑念を抱いた。だが、ダブルファングからは神秘に類する力を寸毫も感じられないことから、それは杞憂であろうと判じた。
「誘い、ね……。念の為聞くが、それは殺し合いの誘いか?」
「否。戦いの誘いよ。まぁ、その戦いの中身は自然、殺し合いになるやも知れぬが」
 互いに構え、相手の動きを見定めようかという時に、突如、ダブルファングが発砲した。
 速い。発砲までは予備動作を含めて百分の一秒にも満ちていなかっただろう。常人は元より、生半可な吸血鬼ではいつ撃ったのかさえ分からない程の高速の抜き撃ち。
「なんでもいいが、その子を返してもらおうか」
 ダブルファングの視線の先に目を遣る。そこには、猿の着ぐるみの頭の部分を撃たれて吹き飛ばされ、腰を抜かした依頼人がいた。力が抜けた手からは、1枚の呪符がはらはらと落ちた。
 この時、ソードは漸く今が仕事中であり、依頼人の護衛という自分の役目を思い出した。だが、すぐに忘れた。今は仕事などよりも、目の前の男と戦い、己の“強さ/弱さ”を量ることしか頭に無い。
 改めて刀を構えた直後、少し離れた地面に何かが高速で飛来し、そのまま砕け散った。
「む」
「なんだ?」
 互いに臨戦態勢を崩さないまま、ソードとダブルファングは飛来した“何か”が砕ける様を見た。ダブルファングに気付いた様子は見られないが、ソードは幸いにして飛来した物体の形状を視認することができた。
 飛来した物体と、その方向。加えて、常軌を逸した飛距離と速度。これらの要素から導き出せる男を、ソードは一人だけ知っていた。
「今の矢は……成る程、“弓兵”がいたのか」
「な、なんなんや急に! 次から次に! どうなってんのや!?」
 ソードが呟くと同時、依頼人が辛抱堪らぬとばかりに叫び出した。順風満帆、万事快調に事が進んでいたにも拘らず、急転直下のこの状況だ。感情が表に出易い彼女が喚きたくなるのは当然だろう。
「退くぞ」
 依頼人が平静を失ったことで、ソードは却って冷静になることができた。
 1対1を二連戦ならともかく、ダブルファングと弓兵の2人を同時に相手にしては、ソードは自分の勝ち目は零に等しいと考えた。撤退戦も、身一つならばいざ知らず少女1人を抱えて依頼人を守りながらでは困難を極める。
 弓兵がその気性故に狙撃に徹さずこちらに向かっている可能性も高いが、それでも圧倒的に分が悪い。ダブルファングが予想以上に弱ければ何とかなるだろうが、先程の速度と今も感じるプレッシャーが、それはありえないことを理解させてくれる。
「な、なんでや!? あんた、凄腕の剣士なんやろ!? だったら、あいつらをさっさと片付けて……」
「事情は後で話す」
 依頼人の文句を遮ると同時、ソードは刀を鞘に納めながら依頼人の元へと一気に間合いを詰めた。この行動にダブルファングが銃口を向けるのと同時に、依頼人から攫った少女を奪い取り、ダブルファングへと突き付ける。すると、途端にダブルファングの動きが鈍った。奪還しようとしていた相手に図らずも銃を向けてしまったが故の戸惑いか。
 この好機を逃さず、ソードは少女の懐に紙片を潜ませてから投げ飛ばす。同時に懐から2つの玉を取り出し、地面に叩きつけた。
「わっ!?」
 一つは炸裂閃光弾。もう一つは特製の催涙煙幕弾。
 自身は魔術による防御を前以って施しつつ、一つ目で視覚と聴覚、二つ目で視覚と嗅覚を鈍らせ、同時に外からの視界を遮る。そして、投げた少女はダブルファングの奪還目標。あのまま橋の欄干に激突すれば最低でも骨折は必至、高確率で助けに行くだろう。そうすれば、いずれかの効果に引っかかる可能性は高くなる。
 その効力が正しく発揮されたのも確認せず、ソードは依頼人を担いで全速力での逃走に移った。最後に聞こえた素っ頓狂な声から察するに、ある程度の効果はあったと考えられるだろう。
「待て! ケン・アーサー!!」
 背後、遠くから聞き覚えのある声で自分の名を呼ばれたが、振り向かずにソードは撤退を続けた。
 さて、この顛末をどう依頼人達に説明すれば納得してもらえるものか。
 担いでいても伝わって来る憤りの感情に、ソードは小さく溜息を吐いた。





 突然少女が投げ飛ばされたのには、さしものリヴィオも少々焦った。まさか、態々捕まえた人質を逃げる為に投げ捨てるような思い切りのいい誘拐犯がいるとは思わなかったのだ。
 咄嗟に受け止められたのは良かったが、お陰で目晦ましと目潰しをもろに食らってしまい、誘拐犯には逃げられてしまった。
「……逃がしたか。鮮やかな引き際ですね」
「目晦ましの閃光弾に、催涙弾か。用意周到だな」
 少女が投げられた直後にこの場に到着した士郎に話しかける。直接対峙していたリヴィオだからこそ、あの引き際の鮮やかさへの驚きは一入だ。あの男は逃走する直前まで殺気を漲らせていたのだから。
 いや、違う。退く時も、あの男の殺気は少しも収まっていなかった。だからこそ、リヴィオもあの男が逃げを打つのに気付くのが遅れてしまった。もっと早くに気付けていれば、こんな無様は晒さなかったものを。
「けど、攫われた子が無事だったんだ。良かったよ」
「ええ、本当に」
 士郎の言葉に頷いて、抱き抱えている少女に目を落とす。少女は眠っている、というよりも気絶しているようだ。あんな乱暴に扱われたら、寝ているだけなら普通は起きるだろう。
 そこで、ふと、リヴィオは少女の顔に見覚えがあるような気がした。だが、およそこのような少女とは無縁な生活を送っていたはずだと、首を捻る。しかし、今はそれよりも先に確認すべきことがあると脇に退ける。
「ところで、ケン・アーサーって、あのサムライですか?」
 少女を受け止めて、閃光弾と催涙弾を浴びた直後に聞こえた士郎の声。あれは明らかに、誰かの名前を呼んでいた。そうなると、あの場で『ケン・アーサー』という名前でありそうな人物は、あのサムライしか思い浮かばなかった。
「そうだ。……俺が、こっちに来る直前に戦っていたはずの男だ」
「本当ですか?」
 士郎からの予想外の言葉に、すぐに聞き返す。
 身のこなしだけでなく、今日までヴァッシュと一緒に旅して無茶をして来て無事なことからも、士郎の強さは分かる。そして、ヴァッシュと似た心の持ち主だということも。そんな人物と戦っていた男となると、明らかに穏やかな話ではない。
 加えて、ソード――ケン・アーサーが別世界の人間であるということにも多少は驚いたが、これにはすぐ納得できた。あの男の気配と血の臭いは、この綺麗で美しい世界にはあまりにも異質で、どこか懐かしくさえあったから。
「多分、な。部分的に思い出しただけだが……あの男も、この世界に来ていたのか」
 どうやらケン・アーサーも士郎と同じ時と場所からこの世界に来たらしい。だが、当事者であるはずの士郎は、その時のことをはっきりと覚えていない、思い出せていないようだ。ケン・アーサーは、士郎が思い出せないその時のことを知っているのだろうか。
 それにしても、ヴァッシュ以外にも自分と同じような境遇の人と立て続けに会うとは、今日はなんて日だ。ケン・アーサーとの対峙まで含めて、これも主のお導きなのだろうか。
「お~い、士郎! リヴィオ!」
 すると、ヴァッシュがこっちに向かって走って来た。どうやら、あちらの方も無事に片付いたようだ。
「ヴァッシュ。プレイヤーはどうした」
「この場は引き揚げるから見逃してくれ、ってさ」
 士郎が問い掛けると、ヴァッシュはいつもの調子でそう答えた。一瞬、士郎の表情が険しくなる。だが、すぐに溜息を吐いて、呆れたような、納得したような顔になった。
「……そうか。ちゃんと見届けたか?」
「ああ。凄い逃げ足の速さだったよ。こっちは?」
「無事に、この子を助けることができました。犯人は逃がしてしまいましたけど」
 抱き抱えている少女を軽く持ち上げる。実行犯の2人を取り逃がしてしまったのは心残りだが、この子を助けられたのだから、今はそれでいい。
「そうか、良かったよ」
 心から安心したように、ヴァッシュはそう言ってくれた。それに、リヴィオと士郎も頷く。だが、これとは別の問題もある。呪術協会の離反者と思しき女が、麻帆良学園の女生徒を攫おうとした。例の親書に関わる事件と見て間違いない。
「さて、戻るか。……あの子にも会って、話をしないとな」
「ええ。これは流石に、手伝わないとまずいですね」
 士郎の言葉に、リヴィオは迷わず頷いた。今になっても動く気配が無いとなると、使者の少年にだけ、今回の件を任せておくわけにはいかない。
 関東魔法協会の使者の少年――ネギ・スプリングフィールドと接触し、彼に本格的に協力することを決めて、少女を寝かしつける為にも宿へと戻る。









 額に包帯を巻き、室内にも拘らずサングラスを掛けている、如何にも怪しい風貌の男がホテル嵐山の中を歩いていた。
 この男はE2。プレイヤーとソードの仲間であり、彼らと共に『仕事』でこの場にいる男だ。しかし、仕事の内容に沿うのであれば、彼のここでの役目は既に終わっており、留まる理由も無く、本来ならば早々に立ち去っているべきなのだ。それにも拘らず、E2は悠々とホテル内を歩き回り、何かを探していた。
 やがて、ロビーでE2は目当ての人物を見つけた。
「よっ、そこの少年」
 E2が気さくに声を掛けたのは、自分の背丈よりも大きな杖を背負っている赤毛の少年――ネギ・スプリングフィールドだった。
「え……っと、僕、ですか?」
「そうだよ、そうそう。あと、ついでにそっちの2人と、1匹もな」
 E2はこの場に居合わせた2人の少女と、オコジョ妖精も指した。すると、赤毛の少女は無反応だったが、黒髪の少女は途端に表情を険しくした。
 普通ならば、動物にまで声を掛けたりしない。だのに、態々オコジョ妖精まで含めて呼んだことの意味を敏感に悟ったらしい。
「何者だ」
「怖い顔してるつもりか? 全然怖くないぜぇ? げっひゃっひゃっひゃ」
 黒髪の少女が鞘に収められた野太刀を構えて睨んできても、E2はそのように言って下品に笑い、茶化した。
 事実、怖くないのだ。同僚のソードやナイン達から発せられる殺気に比べれば、目の前の少女から向けられる敵意などは微塵のようなものだ。しかし、いざ戦うとなったら逃げの一手しかないぐらいに、力の差は歴然なのだが。
「それで、アンタ、何の用なのよ?」
 すると、げんなりとした表情で赤毛の少女が要件を問うて来た。どうやら、目障りな手合いだからさっさと用事を済まさせて帰らせよう、という考えのようだ。
 賢明なことだと同意し、E2は遠回しにあることをネギ・スプリングフィールド一行に伝えた。
「お部屋に戻ってみたらどうよ? 大事(だいじ)なモンが大事(おおごと)かもよ」
 言うと、しかしネギらは、きょとん、とした表情で、E2の言わんとしていることを寸毫も察せていないようであった。
 どうしたものかとE2が考えると、調度良く、黒髪の少女の顔が青褪めた。
「まさか……!」
 黒髪の少女は、血相を変えて駆け出した。
「桜咲さん!?」
「待って下さーい!」
「あ、アニキ! 姐さん! 待ってくだせぇ~!」
 黒髪の少女を追って、ネギらも走り出した。その様子を見届けて、E2は、ニタリ、と愉快そうに笑った。
 さぁ、これで後は頃合いを見計らって自分もあの部屋に乱入するだけだ、と思ったその時、E2の懐の携帯電話が着信を告げた。
「はいよ、もしもし」
「E2、ごめん。僕らは逃げたから君も逃げて」
 開口一番、電話の相手――プレイヤーから告げられた予想外の言葉に、E2はすぐに意味が理解できず呆然としてしまった。
 しかし、やがて意味を理解して慌てて聞き返した。
「おいおいマジかよ!? 何がどうなってるんだよ、おいぃ!」
「詳しい事情は合流してから、ということで。これから起こる面白そうなことは、僕が使い魔を通じてちゃんと見てるから安心して」
 予想外の事態が起きていても、プレイヤーは相変わらずのようだ。いや、寧ろこういう状況でも楽しむのがプレイヤーの性だったか。
 しかし、E2は面倒事が嫌いだ。面倒臭いのはもっと嫌いだ。こういう予想外の事態というのは、面倒臭くてしょうがない。
「あー、はいはい。そんじゃ、俺も逃げるわ」
 E2は返事をして通話を終えると、長居は無用とすぐに出入り口へと向かった。
 面倒なことには関わらないのが一番。しかし、それが面白いのなら、高みの見物をしない手は無い。





 刹那はサングラスの男の言葉の真偽を確かめるべく、木乃香が居るはずの部屋へと駆け込んだ。ノックもせずに入るのは失礼だとか、そんなことは考えられなかった。
 部屋に入ってみると、異様に静かなのが分かった。この時刻に、あの3-Aの生徒が大人しく眠っているなどありえない。程度の違いはあるにしろ、何かしら騒いでいるのが当然なのだ。
 部屋の居間には布団が整然と並べられ、そこには木乃香以外の全員が眠っていた。だが、それが只の眠りではなく、何らかの術による強制的なものであることを、刹那も見抜くことができた。こうまであからさまな術の残滓は、わざとか、それとも単に術者が未熟なのか。
 そのことを深く考えるよりも、刹那は部屋の中を走り回り、木乃香の姿を探した。だが、トイレにも、戸の中にも、どこにも、木乃香の姿は無い。ギリ、と音が鳴るほど歯を食いしばり、まだ諦められないと外を見る。
 刹那はこの時点で、自分が役目を果たせず、木乃香が誘拐されてしまったことを理解していた。桜咲刹那の役目とは、近衛木乃香の護衛役と、彼女を魔法などと関わらせないようにするお目付け役の2つだ。だが、彼女は平素からその役目を果たせているとは言えなかった。刹那は護衛でありながら護衛対象である近衛木乃香と意図的に距離を取り、必要以上に近付かないようにするどころか避けてすらいた。
 それらの行動には刹那なりの理由があるのだが、彼女は今ほどそのことを後悔したことは無かった。もし、自分が四六時中ずっと木乃香の傍にいるようにしていたらと、悔いずにはいられなかった。
 すると、なんということであろうか。信じられない光景が、刹那の眼に映った。或いは、彼女の心が天に通じたのであろうか。
 外に、木乃香を抱えた怪しい風貌の3人の男の姿があったのだ。疑うまでもなく、刹那はその男たちを誘拐の実行犯と断じた。彼らは何事かを話しながら、その場に留まっている。どうしてあんな所で立ち話をしているのかは分からないが、これこそ汚名返上の千載一遇の好機と、刹那は愛刀・夕凪を片手に、“気”によって体を強化して窓から飛び降りた。
 そして着地するや、全力で走り出し、夕凪を鞘から抜き放ち、男達に迫る。その後を、遅れてやって来たネギと明日菜も慌てて追っていた。
「お嬢様を返せぇぇぇ!」



[32684] 第五話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/04/19 00:04
 腰を抜かした依頼人を担いで、ソードは今回の仕事の為に用意された隠れ家へと戻った。先んじて戻っているプレイヤーとE2が、途中で合流する手筈だった者達と待っているはずだ。
 ソードは隠れ家の扉の前に立つと、扉に手を当て、魔力を放出した。指紋照合ならぬ魔力照合による認識装置だ。予め今回の仕事のメンバーの気や魔力を結界に登録し、それを照合することによって鍵が外れ、罠も解かれる仕組みになっている。
 相変わらず精緻なものだとソードがプレイヤーの仕事に感心すると同時に照合が完了し、鍵が外れた。玄関に入って草鞋を脱ぎ、人が集まっている気配を察して居間へと向かう。
「なんやなんや、あんだけ大口叩いといて、結局失敗したんかい!」
 居間への扉を開けてすぐ、真っ先にソードと依頼人を迎えたのは、山狗族とよばれる妖怪と人間の混血の少年、犬上小太郎だ。今回の仕事にも、荒事をこなせる、実戦経験を積める、という理由だけで加わった幼い年齢に似合わぬ血気盛んな少年だ。いや、やんちゃ盛りの年頃でもあるから、歳相応とも言えるか。
「お陰でうちら、駅で待ちぼうけでしたわぁ。刀も抜けませんでしたし、先輩とも仕合えませんでしたし」
 小太郎と同じくらいの年頃に見える、ゴシックロリータと呼ばれる衣服を着た眼鏡を掛けている少女――月詠は、鞘に収めた刀を両手で持ちつつおっとりとした口調で愚痴った。
 この少女も、日本の平和を脅かす大事であることを承知の上で今回の仕事を引き受けている。その理由も小太郎とほぼ同様なのだが、月詠はそれに加えて人を斬ってみたい、という欲望も秘めていた。
「意外だね、君達がこの程度の仕事をしくじるなんて。僕も総本山を攻める手を考えていたけど、考え直した方がいいかな?」
 先の2人とは対照的に、冷静にこれからの事について話を進めたのは、白髪の西洋人の少年――フェイト・アーウェルンクス。ある意味で、今回の件の黒幕ともいえる存在だ。何故なら、ソードが担いでいる依頼人の女性――天ヶ崎千草が今回の事に及んだ切っ掛けは、ある物の入手を狙ったフェイトに扇動されたことに端を発するからだ。しかし、ソードらにとって今回の仕事はあくまでフェイトの仲介による千草からの依頼。フェイトの企みに関しても本人から聞かされたのではなく、プレイヤーがそう言っただけの事。故に、ソードはそのことに関して何かを言うつもりは無い。
「いや、その必要は無いよ。取り敢えず、使い魔が送って来た映像を投影するから、ちょっと待っててね」
 フェイトからの問いに答えると、椅子に座って茶を飲んでいたプレイヤーはカップを机の上に置き、映像の投影準備を始めた。その隣で、E2が暇そうに欠伸をかいている。そして、壁を隔てた隣の部屋からは、ナイン達の気配。姿を見せていないのは、メンテナンスの為か、それともここが窮屈だからか。
 自分の仲間達の状態についての確認を済ませると、ソードは担いでいた依頼人を下ろした。
「依頼人、仔細の説明はその後だ」
「……本当に納得できるような理由なんやろうな?」
 そう言いながら座ったままなのは、未だに腰が抜けているのか、立ち上がるのも億劫なのか。
「いやいや、ソードが強敵との戦いを放り出すなんて相当だぜ?」
 すると、依頼人の言葉にソードに代わってE2が答えた。いつもの軽薄な口調ではあったが、ソードの性質を知るからこその真に迫った言葉でもあった。
「へぇ~。折角のお強い人との仕合う機会、投げ捨てはりましたん。勿体ないですね~」
「勝ち負けの分かり切った戦いなど、やる意味があるまい」
 月詠の言葉に、ソードは即座に返す。
 ソードが求めるものは勝利ではないし、戦いそのものでもない。ソードが強者との戦いを求めるのは、あくまで過程でしかないのだ。
 戦うことを求めてこの場に加わっている月詠は、ソードの言葉に不思議そうな顔をしている。なまじ近い考えの持ち主だからこそ、肝心な所での考えや感性の相違を理解できないのだろう。
「そないにごっついヤツが出たっちゅうことは……やっぱ、リヴィオの兄ちゃんか?」
 すると、小太郎が意外な人物の名を出した。ソードもよもや、自分達以外にリヴィオ・ザ・ダブルファングを知っている者がいるとは思っていなかったために、普段ならば頷くだけで済ませる所を、振り返って首肯した。
「応よ。知っていたか」
「ああ。何度か戦ったことあるんやけど、いっぺんも勝ててないんや」
「だろうな」
 小太郎は悔しそうに言いながらも、表情は楽しそうであった。恐らく、戦うとはいっても稽古や練習試合程度のもので、お互いに本気ではなかったのだろう。少なくとも、ダブルファングの方は。そうでなければ、小太郎のような血気盛んで好戦的なだけであるただの少年が、あの魔人と戦うことを楽しもう、などという狂気の沙汰には思い至るまい。
「ちょっと待ちぃや。やっぱりって、どういうことや?」
 すると、漸く立ち上がった千草が、ダブルファングの件で小太郎を問い質した。
「どういうこともなにも、総本山でも有名やで、リヴィオの兄ちゃん。なんや、知らんかったんかいな?」
 小太郎がさも当然のようにそう言うと、千草はわなわなと肩を震わせた。
「そういうことを、どうしてもっと早く言わなかったんや!!」
「だって、聞かれへんかったし」
 千草に怒鳴られるが、小太郎は平然と返す。表情はさも迷惑そうなので、寸毫も気にかけていない、というわけでもないようだ。
 一方、ソードは小太郎の言葉に納得していた。この国どころか、この星、この世界の生まれでも無いダブルファングが未だにこの土地に留まり続けていたのは、仮の居場所を得て、そこに腰を落ち着けていたからだったか。
 確かに、この時勢ならば下手に動き回るよりも日本のような平和で豊かな先進国に留まり、情報収集に専念するのも一つの道だろう。結局は、探し人の方がダブルファングの元へと来たのだが。
 そこまで考えて、ソードはあることに気付いた。
 今、この京都に、1人の男を除いて異世界からの異邦人が全て集っている。これは、単なる偶然なのか。何かの導きなのか。それとも、プレイヤーの言うような運命なのか。
「で、そのリヴィオってのはどれぐらい強いんだよ?」
 E2に話しかけられ、ソードはすぐに物思いから抜け出した。
「俺とアーウェルンクス以外で臨めば、鏖殺されてもおかしくはあるまい」
 言うと、場が先程よりも静かになった。プレイヤーとE2は平素と変わらないが、他の者達は明らかに先程までとは違う雰囲気になっている。
 小太郎は、そこまでの実力者と思っていなかったのか、目を点にしている。
 月詠は、何やら期待に目を輝かせているようだ。
 アーウェルンクスは、いつもと変わらぬ仏頂面だ。この男の容姿に似合わぬ傑出した実力を考えれば、当然か。
「……そないにか?」
 怯えた様子で問う千草に、ソードは頷いた。
「実際に戦うことはできなかったが、まず間違いあるまい」
 さて。あの時、弓兵の横やりが入らずに戦いになっていたら、勝てたかどうか。殺されない自信だけはあるが、勝てるという確信は微塵も無い。だからこそ、戦いたかった。
「それで、もう1人の弓兵というのは?」
 顔を青くしている千草の事など気にも止めず、アーウェルンクスはソードがダブルファングとの戦いを断念した原因について尋ねて来た。弓兵の存在についてはまだ話していなかったが、恐らく、プレイヤーが先んじて簡単に事の次第を説明しておいたのだろう。
 ソードは暫し、どこから伝えたものかと考えた。弓兵の本質的な恐ろしさは、実力よりもその在り様なのだ。通常ではありえない精神性――ソードやプレイヤーやE2やナイン達と同質/逆の方向性での狂気。しかし、それを話した所で理解できるとは思えないし、なによりソード自身も説明しきれるものではない。よって、より分かり易く、この状況下での脅威として明確である実力についてのみ触れることにした。
「遠距離戦ならば無類。遠間から先んじて発見されれば、為す術もない。俺が知る限り、最大射程は約4km、一度だけ観測された攻撃の最大速度は超音速。命中精度は百発百中。戦えるか?」
「…………現状では無理、だね。幾ら僕でも、何の準備も無しに4km先の相手を知覚するのは難しい」
 こうもあっさりと、弓兵の攻撃能力を聞いて「然るべき装備さえあれば対応可能」と返すことができる者はそうはいるまい。感心しながらも、ソードは念のためにと付け足した。
「奴は何の備えも必要とせず、2種類の魔術のみでそれができる。恐ろしかろ?」
 これこそが、弓兵――衛宮士郎の遠距離戦における最大の脅威だ。
 投影と強化。このたった2つの魔術で、あの出鱈目な攻撃を実行できるのだ。丸腰であったとしても、その場で武器を作り出し。特別な装備を必要とせず、視力を強化するだけで遠方の標的を確実に捉える。加えて弓程ではないが剣の腕前も侮りがたく、宝具の双剣を用いた無骨ながらも舞うが如く見事な剣技を披露する。
 時計塔の学徒であった頃の成績からは想像もできない、凄まじいまでの戦闘能力だ。お陰で、所詮は落第生同然の三流魔術師と舐めて掛かった2人の封印指定執行者が殺された。神童と呼ばれたロード・エルメロイ1世さえも落命した冬木の聖杯戦争で生き残ったのは、偶然ではなかったということだ。
 何よりも驚くべきは、衛宮士郎がこの戦闘スタイルを確立したのが20代前半だったという点と、その頃には既に自らの魔術を極めていた点だ。
 特殊な環境や過去こそあれど、特別な訓練を受けずに、あの若さでこれほどの力を手にし、常人では到達するよりも先に死ぬか諦めるかの境地に齢30にも満たない若さで平然と立つ。そのような存在を天才、若しくは異常者と呼ぶのだろうと、ソードはしみじみと考える。
「まぁ、欠点はあるんだよな。実際、こうして戻って来られたんだからよ」
 すると、E2がそんなことを言った。素人ゆえの明察と言うべきか、その言葉の通り、衛宮士郎の戦い方には致命的な欠点がある。
「それについても、後ほど説明しよう」
 そう言ったのとほぼ同時に、先程から液晶モニタを弄くっていたプレイヤーがこちらに振り返った。
「さ、準備できたよ。見てみようか」
 それに応じて、全員がそれぞれに返事を返して思い思いの場所に移動して腰を下ろす。ナイン達にもプレイヤーが声を掛けたが、なにやら整備に時間がかかっているようで、後で見るとのことだった。
 魔術と科学の融合とも言えるテレビへの使い魔からの知覚情報の投影という行いに感心しつつ、ソードはモニタを凝視する。
 これから映る光景は既に終息していることで、謂わば録画しておいたビデオを見るようなものだ、とプレイヤーが解説する。そして、真っ黒だったモニタに赤い影が現れた。
「だっはっはっはっ! なんやあの兄ちゃん、モロにくらってるやんか!」
 小太郎が大笑いした通りの光景が、早速映し出された。
 事前に渡された資料にあった、近衛木乃香の護衛役である桜咲刹那という神鳴流の見習い剣士が衛宮士郎、リヴィオ・ザ・ダブルファング、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの3人に突貫し、いきなり神鳴流の奥義・雷鳴剣を放ったのだ。恐らく、あの3人を近衛木乃香誘拐の犯人と勘違いしたのだろう。
 普通であれば、あの3人と刹那という娘との実力差は歴然。返り討ちにされるのが当然だろう。だが、雷鳴剣がどういう技か知らなかったのか、3人は最低限の動きで刀をかわそうとして、刀身から迸った雷撃を衛宮士郎とは別の赤い外套の男――ヴァッシュ・ザ・スタンピードはまともにくらってしまったのだ。
 ヴァッシュが指などを痙攣させながら仰向けに倒れると、衛宮士郎とダブルファングは「わぁー!?」と叫んでいそうな表情で大口を開けた。実際、叫んだのだろう。刹那が再び斬りかかると衛宮士郎は慌ててヴァッシュを拾って、近衛木乃香を抱えたダブルファングと共に逃げ回り始めた。逃げながら何やら叫んでいるが、音声は拾われていないので分からない。
 その一連の挙動は、確かに、小太郎やE2が腹を抱えて笑っているのが納得できるぐらい滑稽だ。ソードは、間の抜けた姿に笑うよりも先に呆れてしまったが。
「あれが噂の刹那先輩か~。お見事な腕前ですわぁ」
「そうなんか? あれからずっと避けられてばっかりやないか」
 月詠が恍惚とした表情で感想を漏らすと、それに千草が疑問を返した。
 千草の言った通り、最初の一撃から一向に攻撃が当たる様子は無い。それどころか衛宮士郎とダブルファングは逃げるにしても背を向けているのではなく、刹那の方を向いて彼女に何かを言いながら、しかも人を一人抱えながら攻撃をかわしているのだ。
 これは、刹那が弱いのではなく、あの2人との実力差が大きいからだ。中学3年生ということは、15かそこらの年頃だろう。その若であの腕前は、荒削りで未熟さも見えるが驚嘆に値する。月詠が見惚れたのも頷ける。仮に追われているのが常人ならば、疾うに斬られているだろう。それが千草の言うように霞んで見えるのは、比較対象が悪すぎるからだ。
 そのことを口には出さず、ソードは改めて衛宮士郎とダブルファングの実力を確認した。
「赤いコートに尖がり頭。黒髪だけど、この男がヴァッシュ・ザ・スタンピード……なのか?」
 すると、アーウェルンクスがそんな言葉を零した。
 ヴァッシュについては、そのことを良く知っている男達からその名が出た時に話を聞いていた。その話によれば、ヴァッシュ・ザ・スタンピードとは次元違いの存在だ、ということだが――。
「…………確かに。これが、ナイン達やあの男が畏れるほどの男か?」
 アーウェルンクスと同じ疑念を胸に抱き、呟く。
 雷鳴剣の直撃を避けこそしたが、感電してひっくり返った蛙のような醜態を晒し、身動きもろくに取れず衛宮士郎に担がれているだけの男が、何らかの大きな力を秘めているようには見えない。
 後で、ナイン達やあの男にもこの映像を見せて、詳しく話を聞く必要があるだろう。そのことを伝えようとソードはプレイヤーとE2に顔を向けて、今はやめておいた。彼らがあんなにも楽しそうにしているのだ、それに水を差すのは無粋だろう。
「あ~らら。大事なモンを取り返してくれた恩人に何やってんだろうな、このガキ」
「いいねぇ、この展開」
 少女が知らぬが故に犯している過ちを見ながら、プレイヤーとE2はとても楽しそうに、卑しく、怪しい笑みを浮かべていた。









「ごめんなさい! まさか、あなた達がこのかさんを助けてくれたなんて……」
 誤解に気付いてすぐホテルの部屋に戻り、木乃香を抱えていた3人の男性から詳しく話を聞いて、ネギは頭を下げた。
 彼らはネギの不手際で攫われた木乃香を、ネギ達が気付くよりもずっと早くに助けてくれていた。しかし、ネギも明日菜もその場の状況や相手の見た目だけで判断して話を聞こうともせず、刹那と一緒に一切手出しをしようとしない彼らに、杖と刃を向けてしまった。
 自分の思い込みと失敗が恥ずかしくて、何より彼らに対して申し訳なくて、ネギは頭を下ずにはいられなかった。
「あの……ヴァッシュさんは大丈夫でしょうか」
 ネギと同じく土下座の姿勢を取っていた刹那は頭を上げて、青い顔で尋ねた。
 ヴァッシュは魔力も気も扱わない一般人同然の人間らしく、当然、自らの防御力や回復力を瞬間的に上昇させる術など無い。直撃こそ免れたものの、雷鳴剣の電撃を浴びたとあっては命に関わる可能性もある。恩人を命の危険に晒したとあって、刹那の自責と後悔はネギ以上だった。
 しかし、士郎はそのことを一切責めず、柔らかな口調で答えてくれた。
「大丈夫だ、こいつは頑丈だから。一晩もすれば完治するだろ」
「確かにそんな感じだけどさ、その言い方はちょっと酷くない? もうちょっと労ってくれてもいいだろ~」
 布団の上に寝転びながら、ヴァッシュは余裕綽々と言ってもいいぐらい軽妙な口調で文句を言った。
 確かにヴァッシュは頑丈だが、この程度で済んでいる理由はそれだけではない。ヴァッシュが着ている赤いコートは極めて高い技術によって造られたもので、多数の防御機能を持っている。耐熱、耐寒、防弾、防塵、防刃、そして絶縁、等々だ。コートに隠れていない生身の部分から感電してしまったが、それでも、コートの持つ絶縁機能のお陰で、軽傷で済んでいた。
「まぁ、こういう人だから。心配はいらないよ」
 ヴァッシュの様子を見て苦笑しながらも、リヴィオは気落ちしているネギと刹那を励ました。
「……ありがとうございます」
 そう言って、刹那が再び頭を下げると、ネギもそれに倣って頭を下げた。
「それで、エロオコジョ。あんた、この人達とどういう関係なの?」
 すると、後ろで様子を見守っていた明日菜が、ネギの横でずっと平身低頭している――というよりも、怯えて身を縮めているオコジョ妖精のアルベール・カモミールに声を掛けた。
そう、彼らがこうして誤解を解き、同じ部屋で話ができているのはカモミールのお陰なのだ。

 最初、ネギと明日菜は刹那が戦っている姿を見て、疑うということを一切せずに彼女に助太刀し、問答無用でヴァッシュ達に攻撃を仕掛けた。相手が無抵抗に逃げ回っているのも気に掛けずに。
 そして、ネギの放った魔法の射手が士郎に命中し、動きが止まった。この時、士郎は自分の後ろのリヴィオと木乃香を気遣って敢えて回避しなかったのだが、肩に担いでいるヴァッシュも傷付けまいとして脇腹で受けたのが災いし、肝臓の上に直撃してしまった。
 それを心配したリヴィオも士郎とヴァッシュの名を呼び、動きを止めてしまった。その隙を見逃さず、刹那がリヴィオに斬りかかろうと踏み込んだ、その時だった。
「やめてくだせぇ! 兄貴! 姐さんたち! その人達は悪人じゃねぇんですよ!!」
 ネギの懐から飛び出したカモミールが叫び、刹那の動きを止めた。
 相手が木乃香を攫った悪人と決めつけていたネギと明日菜も、驚きのあまり動けなくなった。それをネギがカモミールに確かめるよりも先に、士郎が口を動かした。
「アルベール・カモミール!? どうして、お前が此処に!」
 明日菜もまだ覚えていなかったカモミールのフルネームを、士郎が口にしたことが決定打となった。

 カモミールが士郎とヴァッシュを知っている、というのは今までの話の流れで全員が理解していた。だが、どういう知り合いなのかまでは分からなかった。特にネギは、カモミールが今朝、彼らに怯えていたこともありとても不思議そうな顔をしている。
「アルベールが下着盗んで、それを捕まえたのが僕ら」
 あっさりと出て来た、ヴァッシュからの一言。
「そ、そういうことでさ……」
 抗弁もせず、がっくりと項垂れるカモミール。
 彼らの関係を疑う余地は無かった。
 刹那は眉を顰め、険しい顔と軽蔑の眼差しでカモミールを睨む。事前にカモミールの下着泥棒の前科を知っていたネギは苦笑を浮かべ、明日菜は呆れた表情で大きく溜息を吐いた。
「オコジョが人間の下着を盗んで、どういうつもりだったんだ?」
 すると、リヴィオがとても不思議そうにカモミールにそんなことを尋ねた。皮肉でも悪意からでも無い、只の純粋な疑問だ。それだけに、カモミールは居心地の悪さに小さな体を更に小さくした。
「あ、えーと、それはッスね……」
「それよりも、どうしてお前が此処にいる?」
 カモミールが口籠っていると、士郎が詰問するような口調でリヴィオの質問を遮り、問うた。
「あの……それは、ですね…………」
 更に答え難い質問をぶつけられ、カモミールは青い顔をして、金魚のように口をパクパクと動かしながら、必死に適切な答えを捻り出そうとした。
 普段のカモミールならば、あることないこと織り交ぜた文句をすらすらと言って、相手を煙に巻いて場を切り抜けられただろう。だが、今はそれができないほど、彼は焦り、緊張していた。
 カモミールがウェールズで下着泥棒を咎められ、捕獲された際に士郎から受けた尋問を兼ねた『お仕置き』が、一種のトラウマとなっているからだ。なので、カモミールとしては慎重に言葉を選んで、穏便に事を済ませたいのだ。
「何でも何も、逃げて来たあんたがネギの所に転がりこんで来ただけでしょ」
 しかし、そんなカモミールの事情など一つも知らず、知っていたとしても一切の遠慮をしない明日菜が、カモミールにとって最悪に近い形で話してしまった。
 それを聞いた士郎の顔が、険しいものへと変わった。そして、もう1人の当事者であるネギに話しかけた。
「ほう……。ネギくん、だったな。君は、このオコジョが下着泥棒の罪で投獄されていたが、脱獄したのは知っているか?」
「はい」
 意外な即答に気を抜かれながらも、士郎は話を続けた。
「知っていたのか。じゃあ、どうして匿ったんだ」
 この重要な問いにも、ネギは一切の迷いを見せず、笑みすら浮かべて答えた。
「どうしてって、カモくんは僕の友達ですから。友達を助けるのは当然です」
「あ、兄貴~!」
 ネギの答えに感動したカモミールは、涙を浮かべながらネギに抱きついた。だが、士郎の表情は厳しいままだ。それも当然。友達だから助けました、なんてことが通ってしまえば世の中には犯罪者が溢れてしまう。
 友達を大切に想う真っ直ぐな心には感心しながらも、彼の将来の為にと、士郎は彼を諭すべく話し始めた。
「友達だから、か。成る程、立派なことだ。だがな、いくらなんでも脱獄犯を見過ごすわけにはいかない。下着泥棒だけじゃなく、脱獄だって立派な犯罪だ。なぁ、ヴァッシュ」
「え? う、うん。いいんじゃないかな、脱獄の1回や2回。よくあることだよ」
 同じ大人として、士郎はヴァッシュに同意を求めた。案の定、ヴァッシュはすぐに返事をくれた。
「……ん?」
 士郎は、何かおかしな返事が聞こえたことに、一瞬の間を置いてから気付いた。ヴァッシュを見ると、そっぽを向いて口笛を吹きながら冷や汗を流している。
 続いて、リヴィオを見ると、苦笑を浮かべながら答えた。
「そうですよ。1回の脱獄ぐらいで目くじらを立てることなんてありませんよ」
「そうだよー。あははー」
 リヴィオの言葉に続いて、台本を棒読みしたような口調でヴァッシュが言う。これには、士郎だけでなくネギ達も疑いの目を向けざるを得なかった。
 相変わらず苦笑しているリヴィオとそっぽを向いているヴァッシュを、じっ、と見て、士郎は小さく呟いた。
「……そうだよな。お前達も仕方なく脱獄したんだよな」
「そうだよ、あれは仕方なく………………あ」
 士郎の言葉に釣られて、ヴァッシュは核心となることを口に出した。
 ヴァッシュは言ってしまってから初歩的な誘導尋問に引っ掛かってしまったことに気付いたが、もう手遅れだ。
「お前ら、脱獄犯だったのか!?」
「だ……だって! 仕方が無かったんだもん!」
「だもんじゃない!」
 士郎に詰め寄られて、ヴァッシュは形振り構わずに開き直った。どう屁理屈を捏ねても「仕方が無かった」で脱獄したとことを納得させるのが無理だとしても、思い切りのよ過ぎる開き直り方だった。
「けど、脱獄したのも、冤罪とか、ちょっとした手違いで捕まったからなんですよ」
「だからって脱獄するなよ!?」
 リヴィオも何とか言い繕おうとするが、全くフォローになっていない。やったことがとても擁護できるものではないのだから、当然なのだが。
 一方で、ヴァッシュとリヴィオは士郎がこんなにも脱獄を咎めるとは思ってもいなかった。これは、ノーマンズランドと日本の治安レベルの差異によるものだ。
 士郎が生まれ育った日本の治安水準は世界的に見ても非常に高く、それこそ脱獄事件など起きようものなら数日で全国に知れ渡るだろう。一方、ヴァッシュとリヴィオの故郷であるノーマンズランドでは、脱獄が起きてもそれが余程の大犯罪者でもない限り新聞の三面記事にも載らない。憲兵軍などの治安組織には頭の痛い話だが、未だにノーマンズランドでは暴力的な犯罪行為も日常風景の一部なのだ。
 そして何よりも。ノーマンズランドでは、今更ヴァッシュ・ザ・スタンピードが脱獄したぐらいでは誰も驚かない。
「だって、そうでもしないと僕の人生そこで終了しかねなかったし。ふーんだ!」
 これ以上はどう言い合っても勝ち目が無いと悟って、ヴァッシュはそんなことを言ってそっぽを向いて布団に潜った。
「拗ねるな!…………すまん、カモミール、ネギくん。なんでもない」
 ヴァッシュに怒鳴り付けた後、頭に手を当てながら、士郎はカモミールとネギにそう声を掛けた。脱獄犯の連れがいるのに、他人の脱獄だけを咎めるのもおかしな話だ。なので、この場はこれ以上、脱獄の話題に触れないのが妥当だと判断した。
「そ、そうっすか……」
 カモミールは呆然とした様子で頷き、ネギ達も、今のやり取りが本当なのか冗談なのか判断できず、途方に暮れてしまった。





 脱獄の話が落ち着く、というよりも有耶無耶になってから暫くして、話を早く先に進めようということになった。まずは自己紹介からだ。
「それじゃ、改めて自己紹介をするか。俺は衛宮士郎。旅の魔術使いだ」
「僕はヴァッシュ・ザ・スタンピード。愛と平和を求めて流離う孤高の狩人……かな?」
「要するに、ただのガンマンだ」
「酷い!」
 白髪で褐色の肌の赤い男――衛宮士郎と、黒髪で白い肌の赤い男――ヴァッシュ・ザ・スタンピードはそれぞれに名乗りながら、楽しそうに話した。
 同年代の友人に恵まれず、幼馴染のアーニャも何故か蹴りを主体にした暴力的なスキンシップばかりしてくるので、ネギには赤い2人の何げないやり取りが、少し羨ましかった。
「俺はリヴィオ・ザ・ダブルファング。近衛詠春さんに雇われた用心棒だ」
 黒いマントを纏った灰色の髪の男性――リヴィオがそのように名乗ると、刹那がすぐに反応を示した。
「長に雇われた? 私は、そんなことは聞いていませんが」
「そりゃそうだ、今回の件じゃ、俺はただ遠巻きに見守っているだけの予定だったからね。信用できないなら、あとで詠春さんに電話して聞けばいい」
 刹那の問いにも慌てず、リヴィオは的確な答えを返した。それに、刹那もすぐに納得する。
 彼らが名乗り終わったから、次は自分達の番だ。ここは先生として生徒に模範を示そうとネギは一番手になるつもりだったが、彼らと知己であるカモミールが先んじた。
「オイラはアルベール・カモミールっす。ヴァッシュの旦那とエミヤの旦那には……その……本当に、お世話になりやした。ど、どうか、お手柔らかに……」
「もう二度と、変な気は起こすなよ?」
「へい!」
 士郎の言葉に応えて、カモミールは器用に土下座をした。オコジョなのに。
 とにかく、気を取り直してネギは自分の自己紹介を始めた。
「ぼ、僕はネギ・スプリンギフィールド、魔法使いです。今は卒業試験で、麻帆良学園3-Aで担任教師をやっています」
 上手く言えるか不安だったが、多少噛んでしまった程度でちゃんと言えた。安堵の溜息を吐くと、ネギは士郎達の顔が変なことに気付いた。いや、顔が変と言っては語弊がある。何故か、ネギの自己紹介を聞いただけで呆然として、驚きのあまり目を点にしていたのだ。
 ネギは簡単な自己紹介のどこに彼らを驚かせるような要素があったのか分からず、首を傾げた。
「……教師? 君が?」
「はい。そうです」
 士郎の困惑がありありと刻まれた声での問いに、ネギはあっさりと頷いた。
 数分後、士郎達がなにやら話し込んで、何事かに納得すると自己紹介が再開された。
「私は神楽坂明日菜。このガ……ネギの、えーっと、ミニ……なんだっけ?」
 明日菜も初対面の目上の人と話すということで、普段ネギやカモミールにするような乱暴な言葉遣いをしないように気を付けているようだが、あまり上手くできていなかった。
 これも普段からタカミチ以外に敬語を使わないからだ、と考えて、ネギは修学旅行が終わったら明日菜に自分が使っていた日本語の敬語の教本を貸してあげようと考えた。
「魔法使いの従者【ミニステル・マギ】かい?」
「そう、それ……です」
 布団に寝たままのヴァッシュが、明日菜が言えなかった単語を教えてくれた。明日菜の拙い敬語にも気を悪くした様子も無く、ヴァッシュはにこやかに笑いながら「どういたしまして」と言った。
 大事を取っているからとはいえ、あんなに痛い目に遭って寝込んでいても優しく笑えるヴァッシュに、ネギは素直に感動した。あれが大人の余裕というものか、などと考えたが、それはちょっと違うだろうとすぐに自分で気付いた。
「私は桜咲刹那と申します。未熟者ではありますが、京都神鳴流の門弟です。……先程は本当に、失礼致しました」
「あはは。まぁ、大丈夫だから。けど、次からは気を付けてね」
 刹那からの謝罪に、ヴァッシュは朗らかに笑いながら体を起こし、右手で人差指と中指を交差させた独特な形でピースサインを作って大丈夫だと力強く答え、刹那を許すと同時に安心させた。
 それを受け取った刹那は姿勢を正して、深々と頭を下げた。
 自分ではこんな励まし方はできない。ネギは改めて、ヴァッシュに尊敬に近い感情を持った。





「この場は、俺が仕切らせてもらいます」
 全員の自己紹介が終わったのを見計らって、リヴィオはこの場にいる全員の顔を見回しながら言った。ネギ達を始め、士郎とヴァッシュもリヴィオが仕切ることに不服は無いようだ。それを確認してから、今回の件についての本題に入る。
「俺は詠春さんから、関東魔法協会からの使者である君達の護衛を依頼された。但し、君達に手が負えなくなるような状況になるまで極力干渉するな、という条件でね」
「その条件で、今オイラたちと話しているってぇことは」
 今回の件の前提条件を話すと、オコジョ妖精のカモミールがすぐに反応した。どうやら、小動物の割に意外と頭の回転は速いようだ。
「そうだ、君達だけではどうにもならない状況だと判断した。事実、危うく御令嬢が誘拐される所だったからな」
 言って、ヴァッシュの隣に寝かせている少女――近衛木乃香を見る。
 どこかで見たことがある顔だと思ったが、まさか、詠春の娘だったとは。見覚えがあったのは、以前詠春に見せてもらった10年程前の写真に一緒に写っていた、幼い頃の御令嬢の面影が今もあったからだったのだ。
 すぐにこの可能性に気付けなかった自分の鈍さ――いや、判断力の低下には呆れるばかりだ。平和なこの国の空気にほだされて、想像以上に能力が鈍っている。気を引き締めなければ。
「……もしや、先程の条件を順守して、お嬢様が攫われるのを黙って見ていたのですか?」
 厳しい顔で、刹那がそんな疑問をぶつけて来た。これには流石にリヴィオも慌てて、首を横に振る。
「いや、それはない。実は、俺もちょっと気を抜いていてね。士郎さんが気付かなかったら、どうなっていたか」
 ヴァッシュと再会できた喜びに浸るあまり、リヴィオは仕事を疎かにするどころか完全に忘れてしまい、思い出しても放って置いた。教義に則った仕事ではないとはいえ、『ミカエルの眼』にあるまじき怠慢だ。こんなことでは、ウルフウッドにも、ラズロにも、マスター・チャペルにも顔向けできない。
 気付いてくれた士郎には、本当に頭が下がるばかりだ。
「それで、これからどうするのよ……ですか?」
 すると、無理に変な敬語で話している少女、アスナがそう訊ねてきた。それについては、一番乱暴で確実な手段を、一つだけ考えてある。
「君達の修学旅行を中止してしまうのが、一番だな」
「えぇ!? そこまでする必要があるんですか?!」
 すると、ネギが想定以上に驚き、大声で聞き返してきた。
 そんなに修学旅行が楽しみだったのだろうか、などと考えながら理由を告げる。
「直接に今回の件に関わりが無い君達のクラスメートも、あの子と同じ部屋というだけで命の危険に晒された。なら、他の子も同じ学校の生徒という理由だけで巻き込まれる可能性が極めて高い」
 事実、嫌がらせじみた妨害行為が既にそうだった。
 清水寺で、掘られた落とし穴の中に爆弾が仕込まれていたら、水に酒ではなく毒を混ぜられていたら。その可能性がゼロではなかったこと、そうしたことがこれから起こりうることは、あの白い男とソードという魔人――この平和な世界に似つかわしくない、見慣れた邪悪な気配を漂わせる人間達と遭遇したことで確信している。
「そんな……」
 声を漏らしたネギだけでなく、アスナと刹那も絶句している。恐らく、自分達が考えていた以上に事態が深刻だと気付いたのだろう。だが、修学旅行を中断するだけで、今回の件は丸く収まる。親書はリヴィオが受け取って詠春に届け、この子達の護衛はヴァッシュと士郎に任せれば問題ない。
 大掛かりな行事らしいが、詠春に事情を説明し麻帆良の長に事の次第を伝えてもらえば、中断にもそう時間はかかるまい。
「いや、修学旅行は中断しない方がいい」
 唐突に、木乃香の容態を看ていた士郎がそんなことを言い出した。
「どうしてだ? 士郎」
 ヴァッシュが問うと同時に、全員が一斉に士郎へと目を向ける。すると、士郎は一枚の紙を取り出した。
「この子の懐に挟まれていた手紙だ」
士郎が見つけた手紙には、こう書かれていた。

『此の度の貴校の旅行行事、中断した場合は無作為に選別した不特定多数の首を落とす』
 
 決して無視できない文言が、血文字で書かれていた。
 こんなものを見せられてしまっては、無視することなどできない。たった一枚の紙切れによって、こちらの最善の手をあっさりと潰されてしまった。
 親書の件が漏洩していたことも含めて、相手の方が自分達よりも一枚上手だという事実を認めざるを得なかった。
「ブラフの可能性もあるんじゃねぇんですか?」
 血文字の手紙を読んでネギ達が驚愕している中、カモミールは前向きな意見を発した。それをリヴィオは心中で即座に否定した。
 このような場合に、自分達にとって都合のいい解釈をしたくなる気持ちは分かる。だが、それでは駄目だ。守る側は常に、最悪の事態を想定して迎え撃つ態勢を整えなければならない。
「これが本当か嘘か、可能性は半々だ。つまり、本当にやる可能性が最低でも5割ある。下手に動かない方がいい」
 士郎からの返事に、カモミールは何も言えずに押し黙った。ネギ達も、誰も声を発さない。
 リヴィオはここで漸く、ネギ達が落胆し、不安に今にも押し潰されそうな表情になっていることに気付いた。当然だ、彼らにとっては楽しいはずだった修学旅行が突如として戦いの渦中となってしまったのだから。
 堪らず心配になり声を掛けようとしたが、こういう時にどのようなことを言えばいいのか見当がつかず、ただあたふたとしてしまう。
「大丈夫。僕らも力を貸すからさ。絶対に、みんなを守ろう」
「君達も、俺達が守ってみせる。だから、安心してくれ」
 すると、ヴァッシュと士郎はネギ達を安心させようと、力強く言い切った。強い意志と力が込められた言葉は、きっと、初対面の少年少女の心にも伝わったはずだ。
「はい! ありがとうございます!!」
 思った通り、ネギは安堵したような表情で、大きな声で元気良く返事をした。それに続いて、アスナや刹那、カモミールも元気を取り戻した。
 気の利いたことの一つも言えない自分の未熟さを恥じながら、リヴィオもまたヴァッシュと士郎が共に戦ってくれることを心強く思い、そして、彼らと同じ誓いを打ち立てる。









 夜も更け、間もなく日付が変わろうかという時刻。
 つい数分前までは夜の闇に溶け込むように静かだった天ヶ崎千草らが潜伏する隠れ家は、今は異様な音が鳴り響き、静寂を引き裂かれていた。
「なんやなんや!? なんの騒ぎや!?」
 騒ぎを聞きつけた千草は、プレイヤーらに割り当てられた部屋の前まで来て、そこで動きを止めた。
 原形を留めぬほど破壊されたドア。所々が砕けている壁と床。そして、鳴り響く人のものとは思えぬ、魔獣か怪鳥の断末魔の如き声。
 これらの情報を一度に把握して、その原因に近付こうという人間は滅多にいないだろう。誰であっても警戒心が働き、様子を見ることを選択するはずだ。実際、千草のこの判断は正しかった。もし部屋の中に入っていたら、彼女の命は無かっただろう。
「落ち着けよ、ナイン! どうしたってんだよ!?」
 部屋の中では、E2が必死に仲間の動揺と混乱を治めようと大声で叫んでいるが、荒れ狂う暴風の如き有り様に、声が届くことなく破壊音や悲鳴に掻き消されてしまっている。
「……ナイン達が怯えて、癇癪を起しているんですよ」
 何時の間にか千草の隣に立っていたプレイヤーは、そのように状況を説明した。
 響き渡る轟音は認識阻害で誤魔化せる限界を超えており、プレイヤーが結界の機能に遮音を加えていなかったら、今頃は近くの現地住人に通報されているレベルだ。
 この尋常ならざる事態の原因が『怯え』だと聞かされて、千草は眉を顰めた。
「怯えてって……あないなバケモノが、何に怯えとるんや?」
 千草は、ナイン達を指してそう言った。人をバケモノ呼ばわりなど、普通ならばその仲間の気分を害するだろう。しかし、プレイヤーは何も気に掛けた様子もなく、寧ろ愛称でも聞いたかのように平然と受け取っていた。
「ヴァッシュ・ザ・スタンピード。そうだよね、ナイン」
 プレイヤーが今回の一件に乱入して来た赤い2人の片割れの名を告げると、先程までとは違う声でナイン達が喚き始め、破壊音は加速した。同時に、E2の説得が止まって泣き言が始まり、同じく部屋の中でナイン達を止めようとしていたソードが諦めて出てきた。
「……依頼人、プレイヤー。明日は準備に徹するべきではないか? ヴァッシュ・ザ・スタンピードは、どうやら俺達の想像以上に恐るべき存在のようだ」
 未だに収まる兆しを見せないナインの怯え方を見て、ソードはそのように提案した。
 ソードとプレイヤーが持っている情報では、ネギ・スプリングフィールドに合流した3人の中で、危険なのは衛宮士郎とリヴィオ・ザ・ダブルファングの2人だけのはずだった。それが、その2人よりも脅威度で下のはずの平和主義者のガンマンに、ソードも一目置く魔人が体裁を取り繕う心の余裕すらも無くして、恐怖を紛らわせようと荒れ狂っている。これを無視して、敵の能力分析を再検討せずに再度の襲撃を試みるのは下策だ。
「そ、そうやな。それがええやろ」
 ソードからの提案に、千草は頷き、来た道を戻った。別の部屋で待機しているはずのフェイトにこの事を伝えるためだ。残る小太郎と月詠は、マンガ雑誌の立ち読みとお菓子の買い出しにコンビニへと行っているが、その内戻って来るだろう。
「じゃ、頑張ってね、E2」
「うえぇー!? お前らも手伝ってくれよ、おい! 下手すりゃ死ぬって!」
 千草を見送って、プレイヤーは後始末を全てE2に任せて立ち去ろうとしたが、すぐに苦情の声が返ってきた。無論、冗談だったのでプレイヤーはすぐにソードにも声を掛けて共に部屋の中に入り、ナイン達を宥める為に悪戦苦闘を開始した。
 1時間後、部屋が崩壊する寸前で、なんとかプレイヤー達はナイン達を落ち着かせることに成功した。




[32684] 第六話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/04/30 22:16
「諦めろ。誰にもヴァッシュ・ザ・スタンピードは止められない。どんな企ても、それが人を傷つけるようなものならば、あの男は絶対に阻止するだろうさ」









「あ゛~、気持ちいいね~」
 日本の素晴らしき文化である露天風呂を満喫し、ヴァッシュは率直な感想を口に出した。
「本当ですね~」
 一緒に入っているリヴィオも、初めて聞くような緩みきった声だ。
 つい先程まで、2人は明日の護衛の事などで話し合っていた。その話がある程度纏まった所で、士郎から「折角日本に来たんだから」と、2人に風呂に入るようにと勧められたのだ。
 お湯を浴槽に大量に溜めて、そこに身を沈める。こんな究極の贅沢は、ノーマンズランドではどんな大金持ちでもやらないことだ。そんなことをするぐらいなら、飲み水の備蓄に回すだろう。それぐらい、今でもノーマンズラドでは水が貴重だ。
ところが日本は『水の惑星』とも称される地球の中でもトップクラスの水源が豊富な国で、『風呂』が一般的な家庭の全てに普及しているというのだ。しかも、風呂のお湯は毎日入れ替えるのが普通だというのだから、ヴァッシュは言葉を失うしかなかった。
 今入っているこの露天風呂に至っては、毎秒単位で広大な湯船から溢れ出るほどに大量のお湯が供給され、浴槽から溢れたお湯は足元の排水溝から流れ出ている。お湯の熱さとは別なことで、頭がくらくらしてきた。
「リヴィオ、日本って凄いな」
「ええ。凄いですよね」
 しみじみと呟くと、リヴィオからもしみじみとした返事が返って来た。きっと、リヴィオも初めて日本の風呂に入った時、今のヴァッシュと同じように驚いたのだろう。
 そのまま暫く、のんびりまったりと、湯船に浸かる。癖になりそうなぐらい気持ち良く、このままずっと入っていたいぐらいだ。だが、いつまでも湯船に浸かるのは却って体に悪いと士郎も言っていたので、そろそろ上がるとしよう。
「リヴィオ、そろそろ上がる?」
「そうですね。思ったより長湯になってしまいました」
 リヴィオにも声を掛けて、後ろ髪を引かれながらも風呂から上がる。夜の冷たい風が、濡れた体に染み入る。折角温まった体が冷えないように、やや急ぎ足で、濡れた床に足を取られて転ぶような間抜けをしでかさないように気を付けながら、脱衣場へ戻る。
 脱衣場に入ると、すぐに服を入れておいた籠の前に移動する。籠には物色された形跡はない。鍵どころか戸も無く、ただ棚においてあるだけで放置していた服が無事だった。話に聞いていた通り、日本の治安と生活水準の高さはヴァッシュの想像以上のようだ。
 そんなことにちょっとしたカルチャーショックを覚えつつ、手早く服に袖を通す。温まった体から立ち上る湯気が服の中に溜まってぽかぽかとして、何とも言えず心地良い。
 暫く余韻に浸ってからリヴィオに声を掛けて脱衣場から出て、そのまま非常口から外に出た。非常階段を上り、『関係者以外立入禁止』と書かれている柵を飛び越して、見晴らしのいい屋上に出る。遮る物の無いここは、見張りをするにも調度いい。
「よっ、士郎。お疲れさん」
「これ、どうぞ」
 ヴァッシュが声を掛けて士郎が返事をするよりも先に、リヴィオが何かを士郎に放り投げた。士郎は振り向きながらそれをキャッチした。
「これは、差し入れか? ありがとう」
 投げ渡したのは缶コーヒーだ。日本の四季の内でも温暖な気候の春でも、この時間帯はやや冷える。長い見張りで体が少なからず冷えているだろう士郎への気遣いか。流石はリヴィオ、細かい気配りが光る。
「ヴァッシュさんも、どうぞ」
「うん、サンキュ」
 リヴィオはヴァッシュにも缶コーヒーを渡してくれた。ヴァッシュが脱衣場でボーっとしていた時に買っていたようだ。
「風呂はどうだった?」
 缶の蓋を開けて一口飲んでから、士郎はそんなことを訊ねてきた。それに、何の気兼ねなく率直な感想を口にする。
「いや~、すっごくいい体験させてもらったよ。ありがとう、士郎」
「いいお湯でした。士郎さんもどうですか?」
 リヴィオがそう言うと、士郎は数度瞬きして、周囲を見回しながら思案している。
「そうだな……俺も、入っておこうかな」
「そうしなよ、見張りは僕らが変わるからさ」
 士郎もヴァッシュ同様、もう10日以上シャワーも水浴びもしていない。垢や汚れは洗える時に洗っておかないと、見た目が悪くなるだけでなく衛生面でも宜しくない。それになにより、あんなに気持ちいいのだから、お風呂は入らなければ損だ。幸いにして、プレイヤー達が仕掛けて来る様子もないようだ。
「任せた。頼むぞ、2人とも」
「うん、任された」
「ごゆっくりどうぞ」
 士郎を見送って、そのままヴァッシュリヴィオと見張りに立つ。
 どうか今日ぐらいは、平穏無事に済みますように。
 そう祈りながら、穏やかな夜の帳の中の街並みを眺め続けた。







 ホテル嵐山の食堂は、朝食の為に集まった麻帆良学園の生徒達で賑わっていた。
「それではみなさん、いただきます」
『いただきまーす!!』
 教職員を代表してネギが食前の挨拶の音頭を取ると、それに続いて生徒たちの元気な声が返ってきた。
 ネギも自分のテーブルへと向かい、食事を始める。しかし、その表情は普段とは違い、僅かに強張っていた。それもそのはず。今回の修学旅行では魔法関連の事件が起こりうることは事前に聞かされていたものの、あれほど凶悪な者達が関わって来るとは夢にも思っていなかったのだ。そのことを全く顔に出さずにいられるほど、ネギも器用ではない。
 ネギたちは一先ず、修学旅行をそのまま続けることになった。その際に、士郎やリヴィオから告げられた事は以下の通りだ。
 1つ目は、戦いなどの荒事は全面的にリヴィオ達に任せ、ネギ達は極力戦いを避け、自身や近くの生徒達の安全を確保することに専念すること。
 2つ目は、敵に狙われている木乃香だけでなく、親書も絶対に守ること。昨晩の誘拐を鑑みるに敵の狙いは関西呪術協会の長である近衛詠春の一人娘、近衛木乃香であると考えられるが、親書の紛失も絶対に避けねばならない事柄だ。
 敵の目的は未だ判然としていないが、恐らくは西洋魔術師の存在を忌避し、東西の断絶と然る後の対決を狙う過激派の行動と考えるのが妥当だろう。ならば、実際に誘拐されかけた木乃香のみならず、東西の友好の懸け橋となる親書と和平の使者であるネギの身の安全も重視せねばならない。
 故に3つ目は、ネギは決して無茶をせず、万が一戦いになっても守りに徹し、可能であれば逃走するようにと言いつけられた。
 これを言われるまで、ネギは自分自身もまた今回の件で重大な役割を担っているのだという自覚が無く、言われた時には大きな衝撃を受けた。京都行きの話を聞いた当初は、和平の使者といっても京都へ行くための方便だ、という程度にしか考えていなかったのだ。
 その事を自覚した今、ネギは自分の双肩に委ねられていた重責に、どうしたらいいのか、そもそも未熟な自分にこんな大任が務まるのかと思い悩んでいた。
「はぁ……」
 美味しい食事も心の癒しとはなり得ず、箸もあまり進まず、大きな溜息が出た。
「な~に暗い顔してるのよ」
「はうっ!?」
 急に、背中を強く叩かれた。
 直前に掛けられた声で誰がやったかは分かる。というよりも、ネギにこういうことをするのは多分3-Aでも1人だけだ。
「あ、アスナさん。なんですか急に……ビックリしちゃいましたよ」
「何って、アンタが暗い顔してたから声掛けてあげたんじゃない。ありがたく思いなさい」
 そう言って、アスナはそのままネギと同じテーブルに着いた。どうやら、ネギの食が進んでいない内に、アスナは自分の食事を終えたようだ。
 遠くから雪広あやかを始めとした数人の生徒の叫び声が聞こえたが、それに気付くよりも先にネギはある事が気になり、アスナにそれを訊ねた。
「そうだ、このかさんはどうですか?」
 木乃香は現在、非常に危険な立場にある。昨夜もあれだけの騒ぎに巻き込まれても起きないほど、強力な催眠魔法を掛けられていた。その後遺症があったり、或いは自分達も見落としていた別の術が掛けられていたりしているのではないかと思ったのだ。
 すると、アスナは大きく深い溜息を吐いた。
「あっち、見てみなさい」
「はい?」
 言われるまま、ネギは明日菜が指した方を見た。すぐ近くの、アスナ達の班のテーブルだ。
 そこには――
「せっちゃ~ん♪ これ、これなんてどうや?」
「お、お嬢様。私は、その……もう、甘い物は結構ですので、お嬢様だけで召し上がってください」
「え~。そんな、いけずやなぁ。そんなこと言うても、せっちゃんも2つ3つぐらいしか食べてへんやん」
「それは、そう……ですね。では、私ももう1つ、頂きます」
 ――なんとも、微笑ましい光景が広がっていた。
 満面の笑みを浮かべて刹那と楽しそうに食事と会話を楽しむ木乃香と、木乃香の勢いに戸惑い、苦笑を浮かべながらも、どこか嬉しそうに接している刹那の姿があった。
 これは、リヴィオからの4つ目の言い付け――というよりも、頼まれ事の結果だ。

「君達の間にどんな事情があるかは知らない。けど、お嬢さんを守るためだ。どうか……君が一番近くで守ってくれ。頼む」

 リヴィオたち3人は誘拐犯への警戒だけでなく襲撃者から修学旅行生全員を守るため、必然的に距離を置く必要が出てくる。しかしそうなれば、最も危険な木乃香の守りが疎かになってしまう。だから、リヴィオは刹那に自分達に代わって木乃香を守るように頼んだのだ。
 木乃香の専属護衛でありながら必要以上に距離を置き、護衛としての役目を蔑ろにしていたとも取れる今までの刹那の態度を責めことは一切せず、寧ろそうなった心情を慮って敢えて頭を下げたのだ。それに続いてヴァッシュや士郎まで頼み込んでくるのだから、真面目な刹那がこれを断れるはずが無かった。
 ネギとアスナからすれば、少し前に木乃香から、旧友である刹那とどうすればまた昔のように仲良くなれるのだろう、という悩みを聞いていただけに、これは嬉しい誤算だった。きっと、これを切っ掛けにまた昔のような友達になれるだろう。
「良かったですね。このかさんと刹那さん、また、仲良くなれそうで」
「それはそうだけど、あれを近くで見せられ続けるこっちの身にもなって欲しいわよ」
 溜息混じりに文句を言いながらも、アスナも満更ではない様子だ。友人の吉事を邪険に思う人間などいないだろう、と理屈で考えながら、それに実感がまるで伴わないことに、ネギは一抹の寂しさを覚えた。
 その後、雪広あやかと佐々木まき絵を中心とした集団による、最早恒例となったネギの争奪戦が始まった。
 慌ただしくも温かな日常に戻って、何時の間にかネギは非日常の悩みに苛まれなくなっていた。



 雪広あやかと佐々木まき絵を中心とする面々によるネギ争奪戦が始まると、他の生徒達は静観に回るか囃し立てるかに回っていた。
 その中で、宮崎のどかはどうしたものかとおろおろしていた。
「ほら、のどか。なにをしているですか。早くネギ先生に声を掛けないと、別の班に取られちゃいますよ」
 のどかの隣に座っている綾瀬夕映は青い顔をしながらそう言って、のどかにネギ争奪戦に参加することを促した。
「で、でも……2人とも顔色悪いよ? 大丈夫なの?」
「あ~……あの2人に当てられちゃったのと、ちょっと、悪い夢見て寝覚めが悪いだけだから、そんなに心配しなくてもいいよ」
 のどかが心配して言うと、早乙女ハルナは暗い表情で額に手を当てながら、夕映と同じくのどかを促した。
 のどかも普段の2人の元気の良さを知っているだけに、このテーブルに他のクラスメートがいれば2人を任せて、今日こそはすぐにでもネギに声を掛けに行っていただろう。だが、生憎と他の同じ班のメンバーは、アスナが既にネギと同じテーブルにいて、木乃香と刹那も小用で席を離れてしまっている。
「そうです、こんなのはその内良くなります。だから、今はネギ先生ですよ、のどか。折角、早朝から人形相手に練習していたのにそれを無駄にするですか?」
 夕映が重ねてそう言うと、のどかは2人の顔を見て、ネギがいるはずの人垣を見て、何度も大きく深呼吸をしてから頷いた。
「う、うん……それじゃあ、行って来るね」
 友達の厚意を無駄にしない為にもと、のどかは勇気を振り絞って、ネギ争奪戦へと向かった。それを見届けると、ハルナと夕映はなんとなく話し始めた。
「……ハルナも、夢見が悪かったですか?」
「あー、ゆえっちも? 実は、どんな夢を見たのか覚えてないんだけどさ、なんか気持ち悪いっていうか、モヤモヤするっていうか……スッキリしない感じでさー……」
「そうですか……。私の場合、はっきり覚えているだけに不快ですね」
 互いに顔を突き合わせて、同時に深く大きな溜息を吐く。
 どうやら彼女らは、楽しい修学旅行に似つかわしくない、かなり悪い夢を見たようだ。
 ――それが本当に夢だったのかは、定かではないが。













 修学旅行2日目のスケジュールは奈良で東大寺を始めとした歴史的建築物などの見学だ。
 士郎とヴァッシュとリヴィオの3人だけでなく、リヴィオの要請により近衛詠春から増援として送られて来た腕利きの神鳴流剣士10名も加えて、近衛木乃香と親善大使のネギ、そして麻帆良学園の生徒達全員の警護に臨んだ。
 神鳴流剣士らとの連携の不備やヴァッシュのトラブルメイカー体質に頭を痛めつつ、増員されたとはいえ13人だけではどうしても限界があると、士郎はキャパシティ・オーバーによる不測の事態を懸念したが、結果としてそれは杞憂に終わった。
 奈良での寺社見学は、不審なことは兆しも含めて一切無く文字通り無事に終了した。問題があるとすれば、ネギが自分のクラスの生徒に告白されて、今も尚呆然自失状態となっていることぐらいだ。この完全に予想外の事態に、士郎は頭を悩ませていた。
 告白した少女には悪いが、あまりにも間が悪い。優秀な魔法使いでもあるというネギが思考力や判断力が極めて低下しているというのは、明らかな痛手だ。せめて、少女――宮崎のどかには修学旅行が終わってからに告白をして欲しかったが、彼女はこちらの事情を一切知らなかったのだ、仕方があるまい。
 ネギの状態を悔いるよりも、今は見張りをするだけでなく、敵の行動を分析することでもしよう。ホテルの屋上から周囲を見回しながら、士郎は現時点で判明している敵戦力の整理から始めた。
 今回の主犯はケン・アーサーから雇い主と呼ばれた呪術師――天ヶ崎千草と目されている。天ヶ崎千草は関西呪術協会でも新進気鋭の若手としてそれなりに名が知られていたが、1ヶ月ほど前から音信不通となっていた。今朝方にも近衛詠春が正式に召喚を呼び掛けたが一切の応答が無かったとのことで、アリバイは皆無。加えて、彼女は約20年前に魔法使い絡みの事件によって両親が殺されており、そのことを未だに根に持ち関東魔法協会の事も目の敵していたらしい。これで動機も十分。疑いの余地は無い。
 ちなみに、天ヶ崎千草の名前が浮上したのは、リヴィオが詠春に報告した『猿の着ぐるみ』の一言だった。円滑な情報集の為にその場は流してしまったが、それがどういうことなのか少々気になるところだ。
 それは置いておいて、話を戻す。
 現時点で判明している敵の戦力は天ヶ崎千草の他、小悪党を自称するプレイヤー、封印指定執行者であるケン・アーサーの3人のみ。だが、これだけでも敵の行動を分析する材料には十分だ。
 天ヶ崎千草達に動きがあるとすれば、恐らくは今夜。敵の主戦力と思われるケン・アーサーは太陽が出ている間は力に大幅な制限が掛けられる為、隠密性の点から考えても朝から夕方の間に仕掛けて来る可能性は極めて低い。
 一方、こちらの準備や打ち合わせは既に済ませてある。明日の日中に、こちらは打てる手を全て打つ。仮にも謀反を企て修学旅行の日程を調べ上げるほど用意周到な連中が、この程度の事も想定していないとは考え難い。ならば、奴らにとって最後の好機となる今夜に仕掛けてくる可能性は極めて高い。
 もし今夜ではなく明日の日中以降に仕掛けて来るのなら、それは敵の戦力にケン・アーサーと同等以上のものがまだいるということになる。その可能性は低いだろうが、最低限の考慮はしておくべきか。
「エミヤの旦那、見回り終わりやした!」
 ふと、足元から声を掛けられた。階段の踊り場ならともかく、ここはホテルの屋上。ならば、足元から声を掛けて来る相手は1人しかいない。
「カモミールか、ご苦労さん。様子はどうだった?」
 視線を外から足元へと向けて声を掛ける。そこには、オコジョ妖精のアルベール・カモミールがいた。
 カモミールにはホテルの内部に何らかの異常はないか、その小さな体を活かして隈なく調査させていた。今朝は特に異常は無かったが、旅館を離れている内に何かが仕掛けられている可能性もある。事前に士郎も解析していたが、それでも見落としや何かがある可能性はゼロではない。なので、念の為にカモミールの目で確かめさせて来たのだ。
 士郎が声を掛けると、カモミールは器用に体を伝って右肩に乗った。
「へい、特に変わった様子も、不自然な物とかもありやせんでした。ただ……」
「ただ、なんだ?」
 何も問題は無い、と言っておきながら言い澱んだことが気にかかり、すぐに聞き返す。
 アルベールの表情は、相変わらず小動物とは思えないほど感情が豊かに現れている。今は、どうにも疲れきって、げんなりとしているように見える。
「妙にゴキブリが多かったんスよね……」
「ゴキブリ? どういうことだ?」
「いや、色んな部屋の隙間にいるわいるわで。日本の諺、1匹見たら30匹はいるっていうのは本当みたいッスね」
 苦笑いを浮かべながら言って、溜息。
 どうやら、かなりの数のゴキブリと遭遇したようだ。小動物であるカモミールが大量のゴキブリと連続で遭遇するのは、人間の想像を絶するほどのストレスだろう。
 だが、おかしい。外国の安宿ならともかく、日本の平均以上のホテルにゴキブリが大量に蠢いているとは想像しにくい。
「……分かった。それじゃあ、このメモをネギに届けてきてくれ。明日の予定が書いてある。もし何か聞きたいことがあれば、お前を通じて連絡を取ってから、ロビーで会うように伝えてくれ」
 ある可能性を考慮したが、自分1人でも調べられることなので敢えて伝えず、懐からメモを取り出してカモミールに渡す。
「合点でさ!……あー、でも、今の兄貴にそんな余裕あるか、ちょいと怪しいッスねぇ」
 ビシッ、と敬礼で応じた直後、カモミールは前足を組んで難しい顔をした。そのことは士郎も察しが付いているが、残念ながら色恋沙汰に疎い士郎にアドバイスができるとは思えない。
 この場合は、ヴァッシュに任せるのが一番だろうか。あれで人生経験は豊富な男だ。
「告白されたんだよな。本当なら祝ってやりたいところなんだけど。まぁ、頑張れって伝えておいてくれ」
「了解ッス!」
 再び返事をして、カモミールはメモを口に銜えてホテル内へと走って行った。
 カモミールを見送ると、士郎は、さて、と周囲を見回し、近くにゴキブリはいないかと屋上を歩き回る。ほどなくして1匹見つけ、逃げられるよりも先に踏み潰す。
 クチャリ、という生々しい音を立てて、命を絶やす。
 靴のつま先を、トントン、とコンクリートの床に当てて靴裏の残骸を落とし、ゴキブリの死骸に目を向ける。
 こんな、本来ゴキブリが出て来るような所ではない場所で、探したらあっさりとゴキブリが見つかった。これだけでも異常だが、やはり、ゴキブリそのものも普通ではなかった。士郎は生物に干渉する魔術が苦手だが、ここまで内部を露出させてしまえば、解析するまでもなくすぐに分かる。
 悪い予想が的中していたことを悟り、舌を打つ。これに対してどう手を打つべきかと考え始めた、直後、車が急ブレーキを踏む音が聞こえてきた。事故でも起きたかと、慌ててそちらへと向かい、身を乗り出して下を見る。
 眼下の光景を確かめて、目が点になるよりも早く、すぐに溜息が出た。
「……あのバカ」
 溜息混じりに呟いて、すぐさま非常階段へと向かった。やはり、ヴァッシュは頼りにし過ぎない方がいいのだろうか。
 階段を下りる直前、はたと思い出し、ズボンのポケットからビニール袋を取り出してゴキブリの残骸を回収する。





 ホテル嵐山の外で、ネギはその場に座り込んで呆然と虚空に目をやっていた。10年という短い人生の中でも、他者から愛の告白を受けるということは相当な衝撃だった。最大級だったと言っても過言ではあるまい。
 物心ついた頃から勉学と修行にのみ打ち込んできたネギには、当然ながら恋愛経験もなければ、そもそも恋愛について考えたこともなかった。
 自分自身が宮崎のどかのことをどう思っているのか、ということも考えられず、ネギはただただ虚空を眺めていた。
 ぼんやりとした思考と意識の中、自分なりに恋愛について考えを巡らせていると、ふと、両親の事に思い当たった。
 ネギに両親との思い出と呼べるような記憶は無い。母はネギを産んで間もなく夭逝し、父も同じ頃から行方知れずだからだ。父には数年前に1度だけ会えたものの、その時は酷く混乱していて、まともな会話すらできなかった。だが、従姉のネカネやスタンから両親の事は聞かされていた。それによれば、ネギの両親は一大恋愛婚だったそうで、父が惚れ込んだ母を守り抜いて口説き落とし、相思相愛にまで至ったとか。
「お父さんは、どうしてお母さんを好きになったんだろう……」
 ポツリ、と呟く。
 今回の事の参考にしたい、というわけではなく、ただ純粋に、知ることのできない両親の思い出を知りたいという思いが、口をついて出た
「ナァーウ」
 急に、何かの鳴き声が聞こえた。どうやらぼんやりとしている内に、何か動物が近くに来ていたようだ。声がした方を見ると、道路を挟んで反対側の道に、顔が大きな黒猫がネギを見ていた。
 猫は日本のとある有名映画にも描かれているように、魔法使いの使い魔としてポピュラーな存在だ。ネギの故郷にも猫を飼っている魔法使いの家庭は多く、ネギも猫に触れる機会は多かった。黒猫もネギは猫が好きだと分かるのか、或いは人懐こいのか、もう1度鳴いて道路を渡り始めた。
 すると、そこにタイミング悪く自動車が走って来た。運転手は猫に気付いていないのか、スピードを緩める気配もブレーキを踏む気配もない。このままでは、黒猫が車に轢かれてしまう。
「猫さん!」
 ネギは慌てて、黒猫を助ける為に背負っていた杖を構え、魔法を唱える――
「危なーい!!」
 ――よりも早く、赤い人影が道路に突っ込んだ。
「え?」
 予想外の出来事に、ネギは呪文を唱えるのを忘れてしまった。
 現われた赤い人影は、黒猫を拾い上げると、車の運転手がブレーキを踏むよりも先に素早く跳躍して、自動車から身をかわした。その軽やかな身のこなしはまるでサーカスの軽業師のようで、ネギもつい見惚れてしまった。
「うはっ――っとぉ!?」
 が、身をかわした先に電柱があり、赤い人影――ヴァッシュは頭から電柱に突っ込んでしまった。ガツン、という鈍く痛々しい衝突音がネギの耳まではっきりと聞こえた。あんな勢いでぶつかってしまっては、万が一もありえるのではないだろうか。
「大丈夫ですか、ヴァッシュさん!?」
「あ、あははは……ダイジョーV」
 ネギが駆け寄って声を掛けると、ヴァッシュは頭を右手で擦りながら、左手でピースサインを作って応じた。飛び降りて来た車の運転手にも同様に対応して、運転手もヴァッシュの返事を聞くと、急用があるらしく何度か謝ったらそのまま車に乗り込んで走り去った。ヴァッシュは頭をさすりながらも、いつもと変わらない様子で車を見送った。
 どうやらそれほどの怪我は負わなかったようだが、昨夜のダメージが回復したばかりということもあり、ネギは心配だった。
「大丈夫でも、念の為診てもらいましょうよ。僕らの学校の保険の先生もいますから」
「ウゥルヌァァァァゴ」
 ネギが言うと、それに続くようにヴァッシュに抱えられている黒猫も低い声で鳴いた。
「……この子も行けって言ってるのかな」
「きっと、そうですよ」
 言うと、ヴァッシュはネギと黒猫の顔を交互に見て、やがて観念したように頷いた。
「んー……それじゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
 ヴァッシュは黒猫を放すと、無事に路地裏へと消えていくのを見送ってから、ネギに連れられて保険医の居る部屋へと向かった。
 途中、ネギの他にヴァッシュの一流スタントマンと見紛うばかりの動きを目撃していた少女――朝倉和美にヴァッシュとネギは質問攻めに遭ってしまったが、それ以外は何事もなく、ヴァッシュにも大きな怪我はなく、無事に収まった。
 残る問題は、ネギが宮崎のどかの告白にどう応えるか、ということぐらいだろう。



[32684] 第七話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/04/30 22:32
 天ヶ崎千草の一派の隠れ家の居間に千草と雇われた者達が全員集合し、テレビモニタに映されるプレイヤーの使い魔から送られてくる映像を見ていた。
 昨晩のナイン達の暴走による破壊も周辺の一般人に気取られることもなく、プレイヤーらが寝室を失う程度で済んでいた。
「いいのかい? 手札を見破られてしまったようだけど」
 衛宮士郎を映していた映像が途絶えると、フェイト・アーウェルンクスはプレイヤーに問うた。隠密裏の監視というアドバンテージが初歩的で稚拙なミスで失われてしまったとなれば、追及をするのは当然だろう。だが、そのことを十分に承知しながら、プレイヤーは全く動じずに答えた。
「ウェルンくん、手札と一口に言っても、色々と種類があるんだよ。今回のは見せ札だから、寧ろバレなきゃ困るのさ」
「そういうものかい」
「君みたいに、手札が全部切り札ってぐらい強力なものばかりの人には分からないだろうけどね」
 プレイヤーの言葉に一応は納得したのか、フェイトはそれ以上言葉を発さず、会話をやめた。
 他の面々は、ソード以外はプレイヤーの言葉を理解できていない様子で、頭の上に疑問符が浮いているような様子だ。
「それで、どうしますの~?」
 月詠が言うと、それに呼応するかのように、千草は机を強く叩きながら立ち上がり、声を荒げ、参謀役を務めているプレイヤーを睨んだ。
「ヴァッシュとかいうのは情報不足で結論は出ず仕舞いで、相手には長の懐刀までおる! 日が明けたら益々不利になってまう! やったら、今夜仕掛けるしかないやろ!?」
 切羽詰まった千草の声には、明らかに焦燥と不安が込められていた。
 相手が当初の思惑通り子供だけなら、せめて今日だけでもゆっくりと修学旅行を楽しませてやろう、という仏心/余裕も彼女にはあっただろう。だが、現実は違う。
 標的である近衛木乃香の守りには、近衛詠春が直々に雇っているという凄腕の用心棒リヴィオ・ザ・ダブルファング、そして偶然に居合わせた、そのリヴィオに匹敵するほどの実力者と考えられる2人の乱入者【イレギュラー】衛宮士郎とヴァッシュ・ザ・スタンピードが加わっている。
 彼らの未だ底の知れない強さは、その片鱗だけを見せつけられた千草にも理解出来ていた。だからこそ、焦っているのだ。明日になってしまえば、恐らく相手も本格的に近衛木乃香を守る為の手段を打って来るはず。そうなれば、近衛木乃香の誘拐は困難を極め、千草の悲願も叶わなくなってしまう。
 そんな千草の心中を見透かしてか、プレイヤーは余裕の表れかのようにうっすらと笑みを浮かべ、すらすらと澱み無く答えを返した。
「駄目ですよ、今から仕掛けたら臨戦態勢の彼らと鉢合わせになる。そうなれば、ミス・クライアント。貴女、死にますよ?」
 プレイヤーの言葉を聞いて、千草は声を詰まらせた。
 昨晩、千草は自身の着ていた強化服とも言える着ぐるみの頭を一瞬で粉砕され、腰を抜かした。あの時、リヴィオが銃口を僅かでも下にずらしていたら。
 そのように考えてしまい、プレイヤーの言葉に反論できない。
「まぁ、やってやれないことはないですけど、『神秘は秘匿すべし』。僕らはこの絶対原則を破るつもりはありませんので、仮に今夜どうしても仕掛けるのであれば、ナイン達を連れて行けません。あのホテルが瓦礫の山になってしまいますから」
「……随分な言い草やなぁ。雇われの身で、自分らの都合で仕事放棄かいな」
「これは手厳しい。しかし、別の策を用意してありますので、ご心配なく。心強い助っ人も明日には間に合いますので」
 力の入っていない声での千草からの指摘をあっさりと流して、プレイヤーは伝える必要のある事を事務的に述べる。
 この様子を見て、まるで他人事のような振る舞いだ、と思ったのは彼を良く知る者達で、すぐにいつもの事だと納得した。
「ま、これがどーなろーとどーでもええけど、ワイはリヴィオの兄ちゃんと何としても戦いたいんや。それだけは頼むで」
「うちは刹那先輩もえぇけど、衛宮はんやヴァッシュはんにも興味が湧いてきましたわ~」
 小太郎が自身の対戦希望を言うのに続いて、月詠も自らが戦いたい相手を列挙した。それを聞くと、プレイヤーは、ふむ、と頷いて、E2とソードに振り返った。
「E2、ソード。君達は?」
「お前に任す」
「お天道様が上っている内は戦えん。それだけは忘れるな」
 プレイヤーは2人の返答に頷くと、背後に控えるナイン達には敢えて何も聞かず、フェイトへと同じ問いをした。
「ウェルンくんは?」
「まずは君の策というのを聞かせてもらえるかい? 僕は誰と戦うことになろうとも構わない」
「誰か、是非とも戦ってみたい相手とか、興味の対象とかは?」
「無い」
 機械的で無機質なフェイトの返答に、プレイヤーは彼の求めに応じて話を次の段階へと進める。
「そう。うん、了解だ。それじゃあ、僕の策をお話しましょう」
 不敵な笑みを浮かべ、左手の掌に刻まれている何かの印を見てから、プレイヤーは自らの策を話し始めた。









 麻帆良学園の保健の先生に怪我の具合を見てもらい、多少腫れているが安静にしていれば大丈夫だとお墨付きを貰って、ヴァッシュはネギと一緒に部屋から出た。そのまま屋上へ向かおうとしたところ、ネギに頼まれて近くの休憩スペースで悩み相談に乗ることになった。
 ネギが持ちかけて来たのは、恋愛相談だった。士郎から聞いた通り、ネギが受け持っているクラスの生徒の、宮崎のどか、という子から告白されたらしい。
 何とも微笑ましい、青春っぽい悩みだ。こういう状況だけれども、なんだかついつい嬉しくなる。誰かを想うだけでなく、誰かに想われているということは、とても素晴らしいことだから。
 けど、恋愛相談か。…………今度は、失敗したくねぇな。
 過去に、今と同じようなことがあった。その時のことを思い出しながら、ヴァッシュはゆっくりと口を動かした。
「想いを伝えるなら、早ければ早いほどいいよ。けど、自分が相手の事をどう想っているか分からないなら、まずは考えることかな」
 あの時と同じ言葉を、少し付け足してネギに伝える。
「考える、ですか?」
 不思議そうな顔をして聞き返して来たネギに、頷いて、言葉を紡ぐ。
「うん。その子がどんな子で、どんなことをしていて、今までどう見ていたか。改めて考えて、自分の想いを確かめるんだ。それでも分からないなら、正直に時間をくださいって言えばいいさ」
 恋愛に限らず、人が誰かと共に生きる為に必要なこと。それは、伝えること、伝わること。相手が隣で、息をして、存在していると知ることだ。
 その為にも、まずは自分の考えや想いを知って、その上で相手に伝えなきゃいけない。そうでなければ、良く考えもせずに繰り出す思いつきの言葉だけでは、何も伝わらないから。
 分かってくれたのか、ネギは元気良く、笑顔で頷いてくれた。
「ありがとうございます、ヴァッシュさん! とても参考になりました。取り敢えず今晩、じっくりと考えてみます!」
「うん、役に立てて良かったよ。厄介事は僕らに任せて、思いっきり考えな」
「はい!」
 元気に返事をして、ネギは自分の部屋へと戻って行った。それと入れ替わりに士郎がやって来た。偶然ではなく、近くで様子を覗っていたのだろう。
「流石、年長者は言うことが違うな」
「茶化さないでくれよ、士郎」
 言いながら、士郎は冷たい缶コーヒーを渡してきた。
「素直に褒めているのさ。俺じゃあ、何も言えなかっただろうから」
 苦笑しながら言う士郎に、そうだろうなぁ、と納得する。
 士郎は堅過ぎるというか、鈍過ぎるというか、両方兼ね備えたスーパー朴念仁というか、そんな感じがする。士郎は旅先で女性に好かれることが幾度かあったのだが、当人はそのことに一度として気付いていなかったのだ。
 今はそのことは置いといて。缶コーヒーを開けて、一口飲んでから、言葉を返す。
「いや……褒められたもんじゃないよ、本当。エミリオの時は、何も上手くいかなかったから……」
「エミリオ?」
 つい口から零れ落ちた、懐かしい名前。
 本人自身さえも忘失してしまった、数十年前に出会った少年の名前。
 自分でその名前を口にした途端、思い出が溢れて止まらなくなり、自然と口が動き続けた。
「うん。パン屋の一人息子でね、これが天才的な人形使いだったんだよ。あの頃は……ネギと同じくらいだったかな。まるで人形が本当に生きているような技は、神業でも表現が足りないぐらいだったよ」
 地図も食料も水も失くした状態で1週間近く砂漠を放浪し、何とか街まで辿り着いたものの街の入り口で飢えと疲れで倒れてしまった。そんなヴァッシュを拾って介抱してくれた男がいた。彼は見ず知らずの旅人に、とびきり美味しいパンを御馳走してくれた。あの時のパンの味は、きっと、死んでも忘れない。
 その男の一人息子が、殆ど人形を使った腹話術でしか会話をしようとしない、ちょっと変わった少年――エミリオだった。
「みんなで見たなぁ、エミリオの人形繰り。マシュウ、オリビア、レイモンド、ショーン、ミランダ、ガルペス、シニータ、キャメロン、メリッサ、ユウノ、ファイファー……イザベラ。みんな、エミリオの大ファンだった」
 腹話術でしか喋ろうとしないエミリオだったが、街の人々とはそれなりに上手くやっていた。それは紛れもなく、彼の巧みな人形繰りの腕前によるものだった。
 人形が生きているように錯覚してしまう程の精緻な技巧は、見れば誰もが心を奪われた。その中には、当然、エミリオが気になっていた女の子――イザベラも含まれていた。
 あの時もヴァッシュは、ネギに伝えたのと同じ言葉をエミリオに送った。
 だが、その結末は――……。
「……何か、あったのか?」
 怪訝そうな表情で、士郎が訊いてきた。
 隠すつもりは最初から無かったのだが、こんなにもあっさりと看破されてしまうとは、相変わらずヴァッシュの表情は他人から読み易いらしい。
 それはそれとして、エミリオに起こった『何か』だ。実を言えば、ヴァッシュは何も知らない。エミリオとイザベラ、他の街の人達がその後どうなったのか、何も。
「分からない。僕が街を発った後に……何かがあって、エミリオが魔人になったってこと以外」
「魔人……?」
 不思議そうな顔で繰り返した士郎に、頷き返す。
 エミリオは、変わり果てていた。自分の名前すら忘れて、殺人すらも自らの人形繰りの行程の一部として加えた“魔人”と成り果てていた。人形繰りの技巧だけでなく人形作りの腕前にも磨きを掛け、その魔技も含めて魔人と称するに他ない殺戮者として、ヴァッシュの前に立ちはだかった。
 そこまで思い出して、これ以上は今回の事に関係無いからと、そこで思考を打ち切る。
「まぁ、この場合肝心なのは、同じようなアドバイスしたはいいけど、エミリオとイザベラが結ばれなかったってことかな」
「そうだったのか」
「……いや、もしかしたら結ばれていたのかも。もう、確かめようがないけど」
 士郎が頷いてから、言い直す。
 戦いの後、エミリオは自分の命を捨ててまで『イザベラ』を助けようと――彼女と一緒にいようとした。あの想いが、一方的なものだったとは思いたくない。
 すると、士郎が歩み寄って来て肩を軽く叩いた。
「今度は、見届けよう」
「……うん、そうだね」
 確かに、その通りだ。
 エミリオの時は、それで今でも後悔している。だったら、今度は最後まで見届けて、それまでの間は自分に出来ることをしよう。
「ところで、見張りはどうしたの?」
 ソファから立ち上がりながら士郎に問う。てっきり、今も屋上で見張りをしているものだとばかり思っていたのだ。
「お前が電柱にぶつかったの見て、心配して降りて来たんだ」
「そうだったのか、悪いね」
 あの場面を上から見られていたとは、気が付かなかった。ただ、こうして見張りを離れてまで様子を見に来てくれたということは、今の所は目立った異常は無いということだろう。何かあったのなら、士郎の事だからヴァッシュは頑丈だからと放っておいて、そちらを優先するだろう。
「ヴァッシュさん、士郎さん、ここにいましたか」
 話が一段落した所に、調度良くリヴィオが現れた。
「リヴィオ。どうかしたのか?」
「それが、カモが俺達に話があるって」
「カモ……アルベールが?」
 カモと言われて、一瞬、賭場で金を巻き上げられる方の『カモ』を連想したが、すぐにネギ達がアルベールの事を『カモ』と呼んでいたことを思い出した。リヴィオもアルベールの事を愛称で呼ぶようにしたようだ。何時の間に。
「調度いいな。俺からも話したいことがあったんだ」
 士郎がそう言って頷いて、ヴァッシュ達はアルベールが待っている部屋に向かった。
 アルベールもそうだが、士郎の話も何だろうか。





「オレっちからの提案なんですがね、こっち側の戦力を少しでも増やす為に仮契約をするってのはどうっすか!?」
 カモミールからの話を聞くことになって、開口一番、放たれた言葉がそれだった。この提案は、なるほど確かに、緊急に戦力の増強を行うには有効な手段だ。だが、それには些細でありながら非常に深刻な問題がある。
「パクテオー?」
 不思議そうな顔で、リヴィオはカモミールが口にしたキーワードを鸚鵡返しに言った。一応は魔法関係者であるが、関西呪術協会の所属だった為に仮契約について知る機会が無かったのだろう。
 初心者のリヴィオにもなるべく分かり易いように、仮契約について説明する。
「魔法使いと従者の契約を結ぶことで、それによって色々と特典があるんだ。従者は魔法使いの元に瞬間移動できるようになったり、一種のテレパシーができるようになったり、アーティファクトという特殊なアイテムがもらえたり」
「え、瞬間移動!?」
「俺も本で読んだだけだが、そう書いてあったな」
 その点は、未だに士郎も信じられていないところだ。元居た世界では空間転移魔術は超高難度の魔術で、長距離の空間転移ともなればそれはもはや『魔法』の領域であるとすらされている。それを、ただ契約するだけで誰でも簡単にできるようになるなど、如何にこの世界の魔法と元の世界の魔術が色々と違っているとはいえ、俄かには信じ難い。
「いや、それで合ってますぜ。どころか、他にも特典満載でさ!」
「へぇ~、そうなのか。そういえば、詠春さんも瞬間移動ができる道具があるとか言ってたけど、あれって冗談じゃなかったのかな?」
 士郎の説明をカモミールが全面的に肯定し、リヴィオもすぐに納得した。リヴィオが言っている道具についても、俄かには信じ難いが、仮契約の話が本当だったのだから本当にあるのだろう。
 士郎のいた世界で『空間転移が簡単にできる魔術礼装』など作くられたなら、それだけで封印指定になってしまってもおかしくないぐらいだ。やはり違うものだなと、改めてここが違う世界なのだと実感する。
 それはそれとして、この状況で仮契約をするには1つの大きな問題がある。
「……確か、オコジョ妖精が仲立ちをする場合、仮契約の儀式は口付けだよな?」
「え?」
「は?」
 士郎の発言を聞いて、ヴァッシュとリヴィオが素っ頓狂な声を出した。当然だろう。この面子で、契約方法がキスなのだから。
「へい。その通りでさ」
「俺に、ヴァッシュやリヴィオとそれをしろと?」
 やけにあっさりと頷いたカモミールに、そう言い返す。
 正直、この歳で同年代の同性とキスをするというのは、精神的にかなりキツイ。それ以前の問題点として、士郎には他人に魔力を供給できるほどの量的な余裕は無く、カモミールが露とも知らぬことではあるが、そもそも並行世界人が更に別の並行世界の異星人と仮契約を結べるのかも怪しい。
 もしも、実際にやって失敗して、結局はキスをしただけでしたというオチは、嫌だ。
「か……勘弁してくれ」
「ど、どうしてもっていうなら…………やっぱヤダ!」
 リヴィオもヴァッシュも、流石にこの条件には完全な拒絶を表明した。これに、士郎はちょっとほっとした。
「落ち着いて下せぇ。やるのは旦那たちじゃなくて、ネギの兄貴ッスよ」
 すると、士郎達の反応に苦笑しながら、カモミールはそのように付け足した。
「ネギに?」
 出てきた意外な名前に、思わず聞き返す。
 確かに、ネギの魔力量は軽く見積もっても士郎の数倍。それならば、仮契約の特典も十全に活用できるだろう。それが理由ならば、分からないでもない。それでも、士郎達の拒絶に対する根本的な解決になっていない。子供相手なら妥協するとでも思っているのだろうか。実際にヴァッシュとリヴィオならしそうではあるが。
「そうでさ。兄貴はかなりの魔力の持ち主ッスから、あと5人ぐらいは余裕ッスよ!」
 カモミールは得意げに、どこか誇らしげに言った。だが、ある部分が引っ掛かり、疑念が生ずる。数が合わないのだ。
 既に仮契約を結んでいる神楽坂明日菜を除くとして、残っているメンバー全員と仮契約することを仮定しているならばその人数は4人のはずだ。なのに、カモミールは5人と言った。これは、何を意味するのか。
「5人?……その5人は、誰だ?」
「兄貴のクラスの子たちでさ。見たところ、とんでもない素質の持ち主もいるみたいッスから、上手くいけば戦力大幅アップ間違い無しッスよ!」
 まさかと思って聞いてみれば、想定外の提案に唖然としてしまう。
 無意識に多めの人数としてカモミールは「5人」と言ったのだろう。それによって、士郎達以外の人間と仮契約をさせる前提であることは想像できた。だが、まさかネギのクラスの生徒達を対象にしているとは思ってもみなかった。
 ヴァッシュとリヴィオも同様らしく、呆れ顔で困り顔だ。
「……ど、どうか、しやしたか?」
 士郎達の反応が完全に予想外だったらしい。カモミールは元々小さな目を点にして、各々の顔色を覗き込んで冷や汗をかいている。
 今まで旅をして来てつくづく思ったことだが、やはり、自分達の感性はこの世界の基準からかなりずれているようだ。自分達からすればこの世界は吃驚するぐらい平和で、良く言えば穏便、悪く言えば能天気な考えの人間が多い。だからだろう。こういう時に、感じ方や考え方に大きな齟齬が生じてしまう。
「あ~……アルベール。例えば、なんだけどさ」
「へい」
 士郎が考え事をしている間に、ヴァッシュが話し始めた。
「僕がそこらへんを歩いてる子に銃を持たせて、この子にも一緒に戦ってもらおう、なんて言い出したら、どう思う?」
「幾らなんでも滅茶苦茶ッスよね、それ!?」
 ヴァッシュの突拍子もない例え話に、カモミールは驚きながらも即座に突っ込みを返した。それには士郎も同意見だが、成る程、ヴァッシュも上手い例え方をしたものだ。
「そうだね。僕もそう思うし、それぐらい、君の提案にはビックリしたよ」
「へっ……?」
 ヴァッシュの言葉に、カモミールは声を漏らして、きょとん、としている。
 女生徒達をネギと仮契約させることが、どうして見ず知らずの子供に銃を持たせて戦わせることとイコールで結ばれるのか、分からないのだろう。
 士郎には、すぐに分かった。子供に何か道具を持たせて戦場に連れていく、という点がどのように言い繕っても同一なのだと。
「戦いの心得も何もない子供を巻き込んだら、死ぬぞ」
 カモミールの無垢とも取れる無知さを見かねたのか、リヴィオが容赦の無い言葉を叩きつけた。或いは、もっと直接的に言わなければ伝わらないと考えたのだろうか。だとしたら、士郎もそれには賛成だ。現に、カモミールは今のヴァッシュの例えを全く理解できていないのだから。
 リヴィオに続き、士郎もまた険しい現実をカモミールに突きつける。
「ケン・アーサーは魔術の秘匿について厳格な男だ。戦いの場に居合わせたら非戦闘員だろうと、通りすがりの目撃者だろうと口封じに殺して、死体も残さないだろう」
 魔術師が神秘の秘匿を行う上で、神秘の行使を一般人に目撃された際の対応として、記憶の操作と抹殺が一般的な選択肢だ。大半の魔術師は事を不必要に荒立てようとせず、殺さずに済むような状況なら記憶の操作を選ぶ。
 だが、中には目撃者の抹殺という選択を躊躇わない者がいる。それが、封印指定執行者だ。彼らの主な職務は希少な魔術回路や魔術知識を有する者を保護の名目の下に捕獲することだが、同時に神秘の秘匿を厳守する為に集められた者達でもある。
 実際、士郎が封印指定になった元々の理由は特異な魔術回路の回収ではなく、魔術の秘匿厳守の原則の放棄によるものだ。それによって、士郎はケン・アーサー以前にも2人の執行者に命を狙われた。
 加えて、執行者の中でもケン・アーサーはとびきりなのだ。あの男は『必殺の執行者』とも呼ばれ、封印指定の執行の際に対象を必ず殺しており、その中には殺す必然性の無かった者だけでなく、殺さないようにと厳命された者すらもいるという。噂話で聞いただけだが、士郎が僅かに思い出したあの男と戦った記憶の中には、その噂は決して嘘ではなかったという実感も含まれている。
「マ……マジ、っすか?」
 そんな男がいるなんて信じられない、という気持ちが言われなくても伝わるぐらい動揺した表情と声で、カモミールが聞き返してくる。
 迷わず頷き、警告を告げる。
「本当だ。間違っても、あの男の近くに戦いと無縁な子供を連れて行けない」
「同感ですね。足手纏いを連れてあのサムライと遭遇しちまったら、守るだけで精一杯……で、済むかどうか」
 リヴィオ、気持ちは分かるがもうちょっと言葉を選んでくれないか。
「足手纏い……っすか」
「御令嬢を守る盾か囮にでもするのなら別だけどな。そんなこと俺達もさせたくないし、お前だって本意じゃないだろう?」
「そ、そりゃあ、勿論!」
 恐らく悪気や皮肉の類は一切無く、本人はただ純粋に事実を告げているだけなのだろう。リヴィオの言葉は物騒なものだが、声色に棘や悪意は無い。だが、もう少し言い方を工夫してほしい。基本的に礼儀正しいのだが、戦いの事になると途端にズレてしまう。
 それはそれとして。
 カモミールの提案は却下、ということで決定した。そろそろ自分も話しをしようというタイミングで、ヴァッシュが落ち込んでいるカモミールに話しかけた。
「アルベール、君が不安で心配だっていうのは分かったよ。正直、良く知りもしない僕らに任せっぱなしじゃあ不安にもなるよね」
 その言葉に対して、反論できる余地は無い。
 士郎とヴァッシュは唐突にカモミールやネギの前に現れて、今回の関係者であるリヴィオに協力するという名目で加わっただけの、いわば通りすがり。そんな、殆ど赤の他人に自分達の命運を任せるなど、不安に思うのは当然だ。
「だけど、信じてくれ。君達を守る。絶対にだ」
 力強く、ヴァッシュは言い切った。それに応えて、士郎とリヴィオも頷く。
 絶対と言える保証なんか無い。けれど、絶対に守りたいとう想いがあることは確かだ。だから、自らの持てる全てを費やして、その幻想を実現させてみせる。
「……改めて、信じさせて貰いやす。宜しくお願いしやす」
 言って、カモミールは頭を下げた。今更だが、小動物とは思えない、とても人間臭い動作だ。
「こちらこそ、宜しくだ。で、俺からも話がある」
 出来るだけ明るい口調で言って、重くなっていた場の空気を少しでも変えるようにする。尤も、これから話すのは良い報告ではないので無意味に等しい気がしないでもないが。
「何か分かったのか?」
 ヴァッシュからの問いに頷いて、すぐに答える。
「このホテルに奴らの放った使い魔が大量に送り込まれている」
「本当ですか?」
 リヴィオが聞き返して来たが、然程驚いているようにも見えず、あくまで確認の問い掛けだ。狩る側が一度見つけた獲物の塒を監視し続けるのは当然ということを、リヴィオも分かっている。
「ああ。使い魔と言っても監視する以外には使えないようなものだが、こっちの動向を常に把握されているとなるとかなり不味い」
 本人達が監視しているのなら、そこから逆転の一手を手繰り寄せられる可能性もあるが、使い魔による監視ではそれは無理だ。優秀な魔術師ならば、使い魔を生きたまま捕獲して、使い魔と術者の間のパスを辿って術者の居場所を掴む、という芸当も可能だろうが、生憎と士郎にはそんな器用な真似は出来ない。使い魔であるか否かの判別で精一杯だ。
「それで、その使い魔ってどんなの?」
「これだ」
 ヴァッシュからの問いに応じて、ズボンのポケットから使い魔の死骸を入れたビニール袋を取り出す。踏み潰した上にポケットに入れていたため、死骸は砕けた体と体液が混じってグチャグチャだが、これが何の生物かを判別することはできる程度には形を保っている。
「うえぇ!?」
「ゴキブリ、ですか」
 カモミールが死骸の気色悪さに悲鳴のような声を出した一方、リヴィオは全く動じずに死骸の名を当てた。
 日本では茶色または黒い悪魔とか、最も気色の悪い生物とか言われている、ゴキブリ。しかし考えてみれば、その生命力と素早さ、どこにいてもおかしくない潜入能力と、人によっては撃退よりも逃避を選択してしまう程に嫌悪されている存在というのは、監視に使うには持って来いの逸材だ。
 仮に使えたとしても、絶対に使いたくないが。
「へー、こんな虫も使い魔ってのに出来るんだ」
「確か、視覚とか聴覚とかを自分と同調させるんでしたっけ。面白い技術ですね」
 ヴァッシュとリヴィオはゴキブリの死骸を見ながら、そんなことをのんびりとした口調で話している。
「……なんか緊張感無いけど、これ、かなり不味いんだぞ。まず間違いなく、このゴキブリはケン・アーサーや、例の天ヶ崎千草の使い魔じゃない。同時に何十匹もの使い魔を同時に使役するような術者まで奴らの中にいるってことだ」
 ケン・アーサーは使い魔を使わず、天ヶ崎千草が使役する使い魔は猿の式神という話を聞いている。そうなると、自然、3人目の術者の存在が浮き出てくる。
 小さな虫とはいえ、同時に数十匹の使い魔を操るというのは生半可な魔術師に出来ることではない無い。相当な腕の術者がいると考えるべきだろう。
「って! ど、どうすりゃいいんすか!? ホテルの中じゃ四六時中見張られてるってことッスよね!?」
 すると、どうやら漸く思考が追いついた様子のカモミールが大声で言いながら縋り付いてきた。まさかパニック状態にさせてしまうとは思っていなかったため、これには士郎も釣られて慌ててしまう。
「落ち着け。今更じたばたしてもしょうがない。それに、ここはホテルだぞ? 奴らが俺達の知らない間にチェックインしている可能性だってある」
 元から守るに不向きな場所だから諦めろ、とネガティブな方向からの説得。言ってから、これでは余計に不安にさせてしまうかと思ったが、カモミールはひとまず落ち着いてくれた。
 見た目こそ小動物だが、合理的で打算的な思考を持ち頭の回転の速いカモミールだからこそ受け止められた。ネギ達に迂闊に話さなくて良かったと、若干の安堵と共に反省する。
「それで、どうするんだ?」
 カモミールが落ち着いたのを見計らって、ヴァッシュが対応を訊ねてきた。これには、今度はカモミールの精神状態を慮って必要な部分だけを伝える。
「どこまでこっちの情報が渡っているのかは分からない。だから、俺達は落ち着いて待ち構えているしかない」
 気になるのは、屋上でゴキブリを簡単に見つけられたことだ。物の少ない屋上にも、ゴキブリが隠れられるような場所は多い。それにも拘らず探して簡単に見つけられたのは、奴らが見つけさせた、ということだろう。
 それが何を意味するのかは分からない。挑発か、対応の観察か、行動の誘導か、それとも全く別の狙いがあるのか。相手の思惑は分からない。だからこそ、こちらはシンプルに行動すればいい。
「んじゃ、僕も見張りをするよ」
「俺も。これからは3人で、明け方まで休み無しで行きましょう」
 言って、ヴァッシュとリヴィオは立ち上がった。それに続いて、士郎も立ち上がる。
 時刻は間もなく日が沈むという頃。日が昇っている内に話せてよかった。夜になれば、片時も気を緩められないのだから。
「カモミール。ネギと、桜咲と神楽坂には、いざという時は無理をしない程度に頑張ってくれ、とだけ伝えてくれ」
 部屋を出る前に、カモミールにネギ達への伝言を頼む。
「……それだけ、ッスか?」
 今回の話で出てきた事に一切触れていない伝言の内容に、カモミールは不思議そうな顔で聞き返して来た。勿論、こんな内容にした理由はある。
「この情報を伝えても、あの子達にはマイナスにしかならないだろう。不安に苛まれるか、気を張り詰め過ぎて逆に能力を落としてしまうか。或いは、さっきのお前みたいになってしまうか。俺達みたいにこういうことに慣れてれば別だろうけどな」
 そのように説明すると、カモミールは納得し「合点でさ!」と気持ちのいい返事をしてネギ達の下へと走って行った。それを見送ると、士郎とヴァッシュ、リヴィオも部屋を出てそれぞれ別々の場所へと散り、見張りに向かう。
 今この時から、事が終わるまでの間が正念場だ。









「ところで、さっきの見せ札どーたら、っちゅーのはなんやったんや?」
 作戦会議を終えて、思い出しかのような小太郎からの問いに、プレイヤーはすぐに答えた。
「彼らに、監視させていた僕の使い魔を見つけさせたんだよ。そうしたら、必然、警戒するよね」
「そら、そうですわな~」
 月詠が鷹揚な口調で相槌を入れる。
 そこから、プレイヤーも大仰な身振り手振りを交えて解説する。
「いつ仕掛けて来るか分からない、どこにいるかも分からない敵に、自分達だけは一方的に監視されながらの警戒態勢だ。彼らは必要以上に精神力と集中力を酷使して、消耗することになるだろうねぇ」
 これが、プレイヤーが手札の一つを見せ札として晒した理由だ。
 知らなければ、それは『無い』のと同じだ。だが、知ってしまえば、それは確かに『在る』ものとして認識され、意識せざるを得なくなる。『自分達が監視されている』という事実を、より分かり易く、より印象的に相手に知らせ、それへの対応を誘発させる。
 知ってしまえば何かせずにはいられない。それが人間という生物の本能、知的好奇心であると、プレイヤーは考えている。
「……地味な手やな」
 千草の率直な感想に、プレイヤーは恭しくお辞儀をして答えた。
「良く言われますとも。しかし、万全の状態の彼らと、消耗した状態の彼ら。どちらの方が戦い易いですか?」
「それは、そうやな」
 プレイヤーからの補足の意味も含めた問い掛けに、千草は納得して頷いた。
 その様子を、E2は床に寝転びながら、ソードとナイン達は壁際に立ちながら見ていた。フェイトはある男との連絡の為に、一時席を離れている。
「しかし、果たして奴らが一晩の寝ずの番程度で鈍る手合いかどうか」
 ソードが小さな声で呟くと、ナイン達は無言のまま頷いた。









 ――夜は更け、やがて明ける。
   太陽は昇り、そして沈む。
   夜を照らすのは、月の光と星の光。
   月光は、古来より狂気を齎すとされる。
   狂気、狂乱、狂奔の時は、月華の下こそが相応しい。
   故にこそ、そこに生きる者には、夜の闇が心地よい。
   しかし、あらゆる光の届かない、闇の底で蠢く者達もいる。
   闇の底に慣れた目では、日の光は強過ぎるし、星明かりさえ眩し過ぎる。
   闇の住人の出番は、もう少し先だ。



[32684] 第八話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/05/12 00:03
 修学旅行3日目の朝を迎え、宮崎のどかへの返事も考え終わって、ネギは先日までよりも一層気を引き締めていた。
 それも当然。今日は、長らく緊張状態が続く日本の東西の魔法使い達の和解への第一歩となる日であり、その大任を果たすのがネギ自身なのだから。
「兄貴、今日の筋書きはちゃんと覚えてやすか?」
 着替え終わった所にカモが話しかけてきた。彼もいつもより気合が入っているように見えるのも、気のせいではないだろう。
「うん、勿論! この親書は、絶対に僕が届けないといけないからね」
 言って、懐から近衛近右衛門学園長から受け取った親書を取り出す。
 出発する時には何でも無い物のように思っていたが、今は心なしか、当初よりも重く、大きく感じる。これの持つ意味を考えれば、尚更だ。
「そうすか。……それで、あの嬢ちゃんの事はどうするで?」
 すると、カモが唐突に、ニヤけた顔をしてそんなことを訊ねた。
「カ、カモくん!?」
 カモの言っている事の意味を察し、ネギは狼狽した。歳の割にしっかりしているといえ、やはりまだ少年。自分の色恋沙汰を囃し立てられれば慌てふためいてしまう。
 その様子を見て、カモは笑みを浮かべた。
「冗談っすよ。そういうことは、この大事を乗り越えてから好き放題やりましょうぜ!」
 言って、カモは逃げるようにしてネギに先んじて部屋から出て行った。実際、怒ったネギに追われているのだが。
 少し追い掛けて、ネギは呆れながらも、いつもと変わらずに接してくれるカモの態度に、少しだけ不安と重圧が和らいだことを感謝した。
「ようし、頑張ろう!」
 気合を入れた所でお腹が鳴ってしまって、誰に聞かれたわけでもないが気恥しくなってしまい、ネギはまず朝食を食べに食堂へと向かった。その後に、カモも続く。





 ホテル嵐山の正面玄関付近の外で、普段着とは違う黒衣を着てリヴィオは待機しつつ、結局夜襲が無かったことを考えていた。
 3人で寝ずの番をしていただけに、これには少し拍子抜けした。他の一般人を巻き込まずに済ませられたのは僥倖だが、まさかそんなことが奴らの思惑というわけでもあるまい。
 使い魔を発見されたことはほぼ確実に向こうも分かっているはず。そうであるにも拘らず、一切の対応が見られない不気味なまでの沈黙。慎重を期し過ぎて機を逸した、などという短絡的な考えはするまい。
 ならば考えられるのは、士郎から見張りの最中に伝えられた悪い予想の1つ、奴らにケン・アーサーに匹敵する、或いは凌駕する強力なカードが存在するということだ。こちらの準備が万端とはいえ、十二分に警戒しなければならないだろう。
 懐から時計を取り出し、時刻を確認する。もう間もなく、予定の時刻だ。
 第一段階として、リヴィオが修学旅行中のネギと木乃香を形式的に問題無く連れ出す為に、彼を1人で迎えに行くことになっている。他の護衛メンバーはホテルの屋上やロビー、更にホテルの周辺に警戒態勢で待機している。
 ネギと木乃香を彼らにとって正当に連れ出すだけで、これだけの手間だ。自分では気付くことすらできなかったことをテキパキと進めて、リヴィオの服装の事も含めて段取りを整えてくれた士郎には、いくら感謝しても足りないほどだ。
 それにしても、ネギが総本山の場所を全く知らないことには驚かされた。刹那も当初は今回の件での協力を仰せつかっていなかったのだから、つまるところ、今回の和平は極めて初歩的な段階で致命的なミスを犯していた。
 詠春さん、近右衛門さん。ネギに地図を渡すぐらいしておいて下さいよ。
 本当に東西の和平をする気があるのかと、主に東の長の考えを疑ってしまう。今回の和平の使者にネギが任命されたのも、半分以上あちらの思い付きだと総本山や神鳴流の間でまことしやかに噂されていた。しかも、ネギ達に訊いてみたら肯定こそしなかったが、一切否定しないと来たものだ。
「まぁ、あれこれ考えてもしょうがない。そろそろ行くか」
 余計で煩雑な考えを打ち切って、リヴィオは関西呪術協会の長からの使者としてホテルへと入る。





 食堂での朝食が終わり、今日の班別自由行動でどの班がネギ先生を連れ回すかを掛けた熾烈な争奪戦が始まろうという兆候が見え始めた、その時。突然の乱入者に3-A生徒の全員が目を奪われた。
 現れたのは、見るからに日本人離れした風貌の男だった。灰色の髪に、180cmを超す長躯がまず特徴的だが、男が着ている黒衣と、顔に入れてある刺青が何よりも注目されていた。
 生徒達は男が何者か、どうしてここに来たのかとざわめいている。その中で、刹那と明日菜だけは緊張した面持ちになっていた。
 自分に向けられている奇異の目と、聞いていてあまり気持ちの良くない言葉。それらを無視して、男はネギの傍に歩み寄った。
「君が、ネギ・スプリングフィールド先生かい?」
「はい、そうです」
 男が問うと、ネギはやや緊張しながらも戸惑うことも無くすぐに返事をした。
 このやり取りだけで、超鈴音や龍宮真名などの一部の勘の鋭い、若しくは洞察力のある生徒はネギが然程動揺していないことに違和感を覚えていた。
「驚いたな、本当にこんな子供が教師なのか。っと、失敬。俺はリヴィオ・ザ・ダブルファング。近衛詠春さんからの指示で君を迎えに来た。話は聞いているかい?」
「はい」
 男――リヴィオは、あたかも初対面であるかのようにネギへと挨拶し、簡潔に用件を述べた。それに、ネギも迷わずに頷いた。
「このかさん、僕と一緒に来て下さい」
「ふぇ?」
 ネギが木乃香を呼ぶと、呼ばれた本人は心底不思議そうな声を返した。
 それを聞いて、リヴィオは木乃香へと歩み寄り、事情を説明した。
「はじめまして、木乃香さん。俺はリヴィオ。君のお父さんにお世話になっているんだ」
「あ、はい。はじめまして~。そうなんや、お父様の知り合いの人なんやなぁ」
「そうさ。それで、君のお父さん、詠春さんに頼まれて、君とネギ先生を迎えに来たんだ。修学旅行中にすまないとは思うけど、緊急の用件でどうしても家に来て欲しい。この事は、昨夜の内に学年主任の……新田先生、だったかな? その人を通じて、君に話が行ってるはずなんだけど」
 これこそが、リヴィオ達が用意した今回の件をスムーズに解決する為の『筋書き』だ。
 修学旅行中とはいえ、親元を離れていた生徒が地元に来ていて、それを親が担任と一緒に実家に呼び戻すというのは、珍事ではあっても、絶対に有り得ないほど不自然なことではない。
 そうすることによって、近衛木乃香を現状で最も安全な場所である呪術協会の総本山で保護し、同時にネギが親書を届けるのが狙いだ。
 普通なら話が拗れそうなものだが、木乃香の祖父は麻帆良学園都市の最高責任者であり、京都の父親も地元の名士として麻帆良学園の一般教師にも知られている。数多くある名家の柵を原因に仕立て上げてしまえば、今回の『筋書き』もすんなりと話が通った――はずなのだが、どうやら昨夜の内に木乃香まで話が通っていなかったようだ。
「あれ、そうなんです? うちは何も聞いてへんけど」
 普段ならば、謹厳実直を地で行く新田先生が生徒への重要な伝達事項を忘れることは無かっただろう。だが生憎、昨晩は夜な夜な『大枕投げ大会』なるものを催していた一部生徒の捕獲と指導に当たっていた為、このことを失念していたのだ。そして現在も、間の悪いことに、昨夜の生徒達の問題行動をホテルの責任者に謝罪し、頭を下げているところだった。
 そんなことは露知らず、リヴィオとネギは木乃香に今日の『筋書き』について改めて説明した。
「そういうわけですから、このかさん、今日は僕と一緒に来てもらえますか?」
「え~……。うち、今日の自由行動楽しみにしとったのに……」
 ネギが言うと、木乃香は不満を露わに言い返す。
 それを聞いて、それでも、リヴィオは譲らずに木乃香の決断を求めた。
「すまないね。けど、本当に緊急の用件なんだ」
「お嬢様、早くお支度を。お父上をお待たせたら、叱られるやもしれませんよ」
 リヴィオが言ったのに続いて、隣で話を聞いていた刹那がリヴィオ達を援護した。
「せっちゃんまで……分かったわ。ちょっと待っといてくれます?」
 刹那からも促されたのが決め手になって、木乃香は溜息を吐いて、リヴィオやネギと共に実家に戻ることを決めてくれた。いざとなったら強引にでも連れて行こうかと考えていただけに、リヴィオはこれに胸を撫で下ろした。
「ああ。けど、なるべく早く頼むよ」
 ネギと一緒にロビーで待っていると伝えて、リヴィオは早速ロビーへと向かった。
 リヴィオが去った、その後。ネギやカモ、刹那や明日菜も、誰も気が付かない所で、ある少女の目が怪しく光った。





 順調に事が運んでいることに、刹那は安堵した。
 木乃香が攫われかけた時はどうなる事かと思ったが、これで一安心だ。万全の守りで固められている総本山に行けば、襲撃の心配は無くなる。仮にあったとしても、『サムライマスター』の異名を持つ英傑、近衛詠春に敵う者などたかが謀反人の戦力にはいるまい。
 先程までは一度実家に戻ることを渋っていた木乃香も、刹那も同行することを伝えるとすぐに前向きになってくれた。これならば、道中、余計ないざこざが起きる心配も無いだろう。
 後は木乃香の身支度が整うのを待つだけだ。
 自分の支度を終えた刹那は、木乃香に声を掛けるより先に、念の為にと、ホテルのロビーで神鳴流の先輩剣士から渡されたある呪符を取り出した。
 神鳴流の剣士の中には剣術だけでなく、呪術に通じている者も少なからずいる。刹那もその一人で、渡されたその呪符を使うこともできる。
 少々考え、これはいざという時にすぐ使えるようにしておこうと、制服のポケットに仕舞う。
 荷物の入った鞄を肩に掛けて、木乃香に声を掛けようと振り向く。木乃香は班の他のメンバーの早乙女ハルナ、綾瀬夕映、宮崎のどかとなにやら話し込んでいた。その会話には加わっていない明日菜に近寄り、どうしたのかと声を掛ける。
「早乙女さん達、お嬢様と何を話しているのでしょうか?」
「さぁ? パルと夕映ちゃんが、話があるって、このかと本屋ちゃんを捕まえてさ」
 明日菜も状況が分からないらしく、刹那の問いには答えられなかった。しかし、それに対して不満は懐かず、そうですか、と頷く。
「……お土産の相談でしょうか?」
 ハルナ達が木乃香を交えて何を話すか、自分なりに考えた結果を口に出す。それに、明日菜も頷く。
「このかは地元だもんね。……桜咲さんのオススメのお土産って、何かある?」
「え? 私のオススメ、ですか?」
 まさか自分にその話題が振られるとは思っていなかったので、刹那はつい聞き返してしまった。
「うん、そう。高畑先生だけじゃなくて、バイト先の人達にも何かお土産を買おうと思ってさ」
 今思いついたような、取って付けたような、そんな理由。口調からも、それが察せられる。どうして態々、そうまでして刹那と会話をしようとするのか。
 明日菜の真意は見えなかったが、せめて無礼に当たらないようにと、刹那なりのオススメを教える。
「そう、ですね。それなら、お菓子……八ツ橋はどうでしょう?」
「八ツ橋か……硬いのと柔らかいのとあるみたいだけど、どっちが美味しいの?」
「私は、柔らかい方が好きですね」
「そっか。じゃあ、それにしようかな」
 お土産の話が終わった、調度その時。木乃香達の方も話が終わった。
「アスナ! 桜咲さん!」
「は、はい?」
「どうしたのよ、パル?」
 突然、ハルナに大声で呼ばれ、ビックリしながらも刹那と明日菜は返事をした。しかし、そんな様子は歯牙にもかけず、寧ろ知ったことじゃないとばかりに、ハルナは見るからに高揚したまま話を続けた。
「青春ってなんだ!?」
「え?」
「それは……振り向かないことさ!!」
 刹那が素っ頓狂な声で聞き返したのを聞き流し、明日菜が言い返そうとすることさえも待たず、ハルナは自分で答えを口にした。
 突然何を言い出すのだと、刹那は明日菜と共に唖然としたが、一方で、木乃香が楽しそう/嬉しそうにしてそれに頷いているのに気付いた。
「そういうわけで、午前中……いえ、夕方ぐらいまではこのかさんの実家行きをボイコットしてしまおう、という方向で決まりましたので」
 怪しげなパック飲料『世紀末求水主の力水』を片手に、夕映がハルナの言わんとしていたことを伝えてきた。その隣で、のどかはおどおどとしている。
 それを聞いて、刹那と明日菜はギョッとした。





 屋上から周囲を見回すが、怪しい人影は見られない。
 やはり仕掛けて来るならば移動中かと考え、今度は下へと目を向ける。少し目線を動かすと、あるものが目に入った。
 それは、近衛木乃香を中心とする6人の少女達だった。
「近衛木乃香が班の子と一緒に外に出たぞ!」
 目に映った信じ難い光景を、確認すると同時にヴァッシュから借りている通信機に向けて怒鳴った。
「……しまった!」
 一拍の間を置いて通信機から返って来た声を聞いて、士郎も非常階段を駆け下り、途中で飛び降りた。
 まさか、彼女達が非常口から外に出て、しかも事前に呼び寄せていたらしいタクシーに乗り込むとは、考えもしていなかった。
 理由は、恐らく、今日を楽しく過ごしたい、といったところだろう。
 彼女達の不満と行動力を侮ったのと、筋書き通りに上手く行っているからと生じた油断の、二重のミス。
 やはり、徹夜明けで判断力と注意力に鈍りが出ているか? それとも、ここまで突飛な子供の行動力は大人には予測しえないものなのか?
 悔いつつも全力で走り、正面玄関でリヴィオと合流する。タクシーの発進には、リヴィオも間に合わなかったようだ。
「くそっ! 俺としたことが、なんてミスを……!」
 顔を合わせて開口一番、リヴィオは心底から申し訳なさそうに言葉を吐き出した。責任感が強いからこそ、必要以上に自責の念を感じているようだ。
「俺達で後を追って、何としてもあの子を連れて行く。リヴィオはネギを連れて先に行ってくれ。他の神鳴流の人達への連絡も頼む」
 こういう時は、失敗を悔やむよりも挽回の行動をするべきだ。
 そういう意味を暗に込めて言ったが、どうやら伝わったらしく、リヴィオはすぐに平素の落ち着きを取り戻した。
「分かりしました。士郎さん、宜しくお願いします」
「任せてくれ」
 短く言葉を交わし、お互いに背を向けて持ち場へと走る。リヴィオはホテルの中のネギと神鳴流剣士たちにこの事を伝える為、士郎はヴァッシュと合流するためだ。
 橋を渡ったところで、あちらもこちらに向かっていた為すぐにヴァッシュと合流した。
「どうだ?」
「街に通路が多過ぎて見失っちゃった。タクシーも同じデザインのがたくさん走ってるから、見つけられそうにないよ」
 碁盤のように細かく区分けされている京都の街では、向かった方角だけで行き先を絞り込むのは不可能に近い。加えて、観光名所も多過ぎて、大まかな目安もつけられない。
 どうしたものかと、ヴァッシュと2人で知恵を絞るが、妙案は出てこない。ここにリヴィオを加えても文殊の知恵とは行くまい。
 一先ず一度ホテルに戻り、電話を借りることにした。桜咲と神楽坂の形態電話の番号を控えてあるが、態々脱走した彼女達が電話に出てくれるかが疑わしい所だ。おそらく、9割9分は出てくれないだろう。それでも、今できる唯一のことだ。駄目で元々でもやるしかない。
 そんなことを考えながら来た道を戻っていると、前方から妙な物が近付いてきていた。
「……ん?」
 最初は風船かと思ったが、風船は上に飛んでいくものだ。地面に水平に飛んでくるはずが無い。目を凝らしてよく見ると、それは、女の子のぬいぐるみのようなものだった。しかも、魔術的な。
 ヴァッシュと共に足を止めて、近付いてくる奇怪な物を凝視する。
 その見た目は見覚えのあるデザインで、警戒心は自然と薄れた。
 士郎達のすぐ近くまで来ると、それは地面に着地した。
「よかった、無事に見つけられました」
「あらかわいい」
 それが声を発すると、ヴァッシュはそれを抱え上げた。話をするのなら目線の高さを合わせよう、という気遣いだろう。
「君は……桜咲、か?」
 人形の容姿が桜咲刹那をデフォルメしたような姿であり、そのように問う。すると、それはヴァッシュの肩に乗って元気に頷いた。
「はい。私、桜咲刹那の式神、ちびせつなと申します。以後、お見知り置きを」
 見た目そのままの名前だ。
 それにしても、式神にこれほど自我や知能があって人間と対話可能とは驚いた。この世界での式神とは、士郎の知る魔術で例えれば即席の使い魔のようなものだと考えていた。だが、ちびせつなを見るに即席のホムンクルスと言った方がしっくりくる。
 改めて、この世界の技術力に驚きながらも感心する。知識や研究面ではあちらの魔術師の方が優っているだろうが、実用的な技術に関してはこちらの魔法使いの完全勝利だ。
 それはそれとして、ちびせつなから事情を聴く。
 今回の近衛木乃香らの脱走は同じ班の早乙女ハルナと綾瀬夕映の2名が画策したことで、それに木乃香本人も乗り気でとても止められそうになく、刹那と明日菜はやむなく説得を諦めて護衛の為に同行することを選んだらしい。
 ネギやリヴィオに連絡されたら厄介だからと、携帯電話まで半ば強引に没収されてしまったらしい。だが、刹那はその際に隙を見て呪符からちびせつなを作り出し、この事を伝えに来た、という次第のようだ。そして、この状況でとても役立つ能力もあるとか。
「私は本体と相互に連絡を取れますので、御2人をお嬢様の下までご案内できます!」
「本当かい!? いやぁ、ヤーパン・ニンポーには参ったね! 最高だよ!」
 ちびせつなからの思わぬ朗報に、ヴァッシュは彼女を抱え上げてその場でくるくる回って小躍りした。
「いえ、忍法ではないのですが……」
 戸惑いながら、ちびせつなは律義にヴァッシュの発言を訂正している。だが、そういうことならヴァッシュのボケは放っておいて早急に動かなければならない。
「早速後を追おう。彼女達はどこに向かっているんだ?」
「え、あ、はい。行き先は……太秦、シネマ村です!」
「よし、俺達もタクシーで追うぞ」
 場所を聞くと、知っている場所で確認の手間が省けた。ここから距離がある分、追いつくのがどうしても遅くなってしまうが、やむを得ない。行き先が特定できただけでも良しとしよう。
 やはり一度ホテルに戻ってタクシーを呼ぼうと歩き出した所で、ヴァッシュがちびせつなを抱えながら、あることを訊ねてきた。
「この子はどうする?」
 それを聞いて、足を止める。
 暫し黙考し、真っ先に思いついた力技以外に案が出なかった。ちびせつなに無理強いをしてしまうが、仕方がない。
「……ちびせつな。タクシーに乗ったら絶対に動くな、しゃべるな。人形で押し通す」
「は、はい。頑張ります」
 俺の無茶な頼みに、ちびせつなは、びしっ、と姿勢を正して頷いてくれた。
 今からそんなに硬くならなくてもいいのだが、そのことを言おうとするよりも先に、車のエンジン音が聞こえた。見ると、ホテルで人を下ろして来たばかりらしい、空席のタクシーが走っていた。
 これは調度いいと、そのタクシーを掴まえることした。一々呼んで待つ手間が省けるのは大きい。
「ヘイ、タクシー!」
 呼び止めるには少々距離があったが、ヴァッシュの大仰なジェスチャーと声のお陰で、無事にタクシーを止め、乗り込むことができた。乗り込むと同時に行き先を告げ、急用だと付け加えて発進を促す。
 奴らに見つけられるより先に、一刻も早く追いつかなければ。





 ホテル嵐山の一室。
 事の顛末を、使い魔を通じて見届けていたプレイヤーは、衛宮士郎とヴァッシュ・ザ・スタンピードがタクシーに乗ったのを確認すると、そちらの視覚リンクを解き、携帯電話を手に取った。
 掛ける相手は、依頼人の天ヶ崎千草だ。
「ミス・クライアント。手筈通り、ターゲットをそちらに向かわせましたので」
「そうか、ご苦労やったな。……追手は誰や?」
「予測通り、衛宮士郎とヴァッシュ・ザ・スタンピードです。ただ、ターゲットの腰巾着が今回は頭を回したようで、予定よりも早く追いつきそうです」
「全部が上手くはいかへんか……しゃあないな」
「ご健闘をお祈りします」
 簡単に連絡を済ませ、すぐに電話を切る。
 今日の行動は、別に必ずしも成功しなければならないものではない。だから、プレイヤーも千草達に何らかのアドバイスをしようとは考えなかった。フェイトがいるだけで十分だろう。
 やがて、ネギ・スプリングフィールドとリヴィオ・ザ・ダブルファングも動き出したのを確認し、そちらを見張らせていた使い魔との視覚リンクを切る。
 そして、今度はソードに電話を掛ける。
「ソード、ダブルファングと英雄子息も動いたから、宜しく頼むよ」
「心得た」
「小太郎くんには、精々頑張るように言ってくれるかい? どうせ無駄な努力だろうけど」
「自分で言え」
 言伝のついでにちょっとした冗談を交え、そこで通話を終えようとしたが、念の為、最後に付け足した。
「真っ昼間なんだから、ちゃんと自重してよ? 君が一番分かっているだろうけどさ」
「当たり前だ。こんな所で死にたいとは思わん」
 あちらから通話を切られる。それ以上言うことは無かったので、プレイヤーにも不服は無い。
 ソードは強い。だが、弱点も多い。特に真昼の日本という状況下では、実力の1割も発揮できないはず。だからこそ、万が一にも、そんな事前に分かり切った悪条件の下で死に急がないで欲しかったのだ。
 プレイヤーの企てにソードは必要不可欠な存在だし、何よりも友人だから。
「そ~れじゃ、俺らはどうするね?」
 必要な連絡が終わったのを理解して、先程部屋に着いてから隅で和菓子を頬張っていたE2がそう言った。それに応えて、プレイヤーはちょっと考えた。
「ん~、そうだねぇ。彼女やナイン達と一緒に待機でもいいけど……」
 ナイン達と、プレイヤーが呼び寄せた心強い増援である『彼女』は、今の段階では待機させている。彼らが力を行使するのは、この後の段階だ。
 そのことについて、彼らと話し合うのも良い暇潰しになる。だが、彼女をナイン達と2人きり――厳密にいえば“2人”ではないが――にさせておいたら面白そうだし、なにより、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの活躍をこの目で見てみたい。
 恐るべき魔人達が怯え、竦み、次元違いの存在とまで言っている、あの平和主義者の戦場での在り方を知りたい。
「ちょっと、冷やかしに行こうか」
 敢えて本心の部分を語らずに、プレイヤーはE2に告げた。すると、E2はプレイヤーの帽子に半分隠れた顔を見ると、いつもの気だるげな表情から一転して、意味ありげに笑みを浮かべた。
「そりゃ名案だ、行こうぜ」
 口に出して言うまでも無く、本心をある程度の所まで察してくれる。それを知っているからこそ、プレイヤーは敢えてあのように言って、今は楽しげに、嬉しげに頷いた。



[32684] 第九話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/05/12 00:05
 リヴィオから木乃香達が脱走してしまったことを聞かされ、ネギは慌てふためいた。まさかこんなことになってしまうとは、彼女達の担任であるネギも思ってもいなかったのだ。
 だが、「ヴァッシュさんと士郎さんが後を追っているから心配するな。君は、君の役目に専念するんだ」とリヴィオに言われ、頷いた。
 ネギがどれだけ慌てたところで状況は好転しないし、今ネギに出来ることも無い。ならば、自分に出来ること、為すべきことからやるべきだと自分自身に努めて冷静に言い聞かせて落ち着きを取り戻すと、ネギはリヴィオと共に行動を開始した。
 ネギとの班別行動を楽しみにしていた生徒達に挨拶をしてから、ネギはカモと共にリヴィオが用意していたサイドカーに同乗し、関西呪術協会の総本山へと向かった。
 初めて乗るサイドカーの乗り心地や、その視点からの風景を少しだけ楽しみつつ、京都の街を走り抜ける。
 途中、赤信号で止まったところで、リヴィオに話しかける。
「総本山までは、どのくらいですか?」
「そうだな。君達みたいな子供と小動物を連れて行くのは初めてだから、正確な所は言えないけど、1時間ちょっとで着けるさ」
「意外と近いッスね。……エミヤの旦那達、遅くならなきゃいいんスけど」
「そうだな。まぁ、ヴァッシュさんの場合、なんかのトラブルに巻き込まれて大騒ぎを起こしそうで、そっちの方が心配だけどな」
 リヴィオが言い終わると、信号が青に変わり、再び走り出す。
 カモが懸念しているのは、木乃香達の到着が遅れて総本山に着くまでに日が落ちてしまうことだ。夜になれば日中以上に危険が増すというのは一般常識でもあるが、今回の場合は尚更だ。しかし、リヴィオはあまりそのことを心配しているようには見えない。それだけ、ヴァッシュや士郎を信じているのだろう。
 途中、コンビニに寄って小休止となった。リヴィオに買ってもらったジュースを飲みながら、ネギは気になっていた事を訊ねた。
「そういえば、その服って神父さんのですよね?」
 リヴィオは昨日までは、お世辞にも綺麗とは言えないような恰好だった。特にボロボロの帽子とマントは、西部劇のガンマンのようで素敵ではあったが、私服としてはどうかという代物だ。だが、リヴィオが今着ている服は違う。先日までのイメージとは全く異なるそれは、キリスト教カソリック派の聖職者が身に纏う黒衣――神父服だったのだ。
「ああ、そうだよ。俺の友達が友情の印にって、予備のやつを呉れたんだ」
「友情の印に神父服っすか?」
 リヴィオがどこか楽しそうに答えると、カモミールは不思議そうに首を傾げた。確かに、神父服のようなものを軽々に他人に渡していいものなのだろうか。
 その疑問にも、リヴィオは快く答えてくれた。
「俺も聖職者、牧師なんだけど、まだ見習いでさ、こういう服を持ってなかったんだよ。それで羨ましがってたら、綺礼が――って、俺の友達なんだけど、この服をくれたんだ。綺礼があんなこと言うのも意外だったけど、璃正さんもすんなり認めてくれたもんな。あの時は驚いたし、嬉しかったなぁ」
 その時の事を思い出しているのだろう、リヴィオはとても楽しそうに笑っている。
 だが、それよりも気になることがあった。本人がとてもあっさりと言ったので聞き逃しそうだったが、その衝撃はかなりのものだった。
「……牧師さん、だったんですか?」
「君が教師ということよりも、ずっと自然だと思うけど?」
 ネギが問うと、リヴィオに即座に返された。どうやら、読まれていたらしい。
 けれど、今のやり取りがなんだかおかしくて、ネギもリヴィオと共に笑った。

 やがて、サイドカーで行ける限界の場所まで着いた。関西呪術協会が所有しているという駐車場にサイドカーを停車させ、リヴィオは仕舞っていた帽子とマントを取り出して身に付けた。
 神父服との異常なまでのミスマッチをカモがつい口を滑らせて指摘しても、リヴィオは「こういう仕事の時には身につけておきたいんだ」と、帽子とマントについては頑として譲らなかった。
 あの帽子とマントにも神父服のような謂れがあるのだろうかと気になったが、それを口に出すよりも先にリヴィオが歩き始め、ネギは彼に先導されて近くにある総本山へと続く一本道へと向かった。
「わぁ……」
「スッゲェ……」
 壮観な風景を目にして、ネギとカモは共に声を漏らした。
 日本の神社の境内の入り口に立つ、赤い独特な形状の門――鳥居。その鳥居が、出口が見えないぐらい長い参道と共に、数え切れないぐらい立っているのだ。
 このような光景を見るのは、ネギもカモも初めてだった。緊急事態ではあるものの、暫し、それに見入っていた。
 リヴィオも自分が初見の時も同様の感動を覚えていたのか、2人の様子に不満も焦りも見せず、2人が十分に千本鳥居を見てから、話を進めた。
「この道をずっと行った先が総本山の正面玄関だ。途中でキツくなったら言ってくれ、俺が抱えて行くから」
 そう言われて、ネギはそんな所でまで頼ってばかりではいられないと、握り拳を作って、自信満々に答えた。
「いえ、僕だって身体強化の魔法が使えますから大丈夫ですよ! さぁ、行きましょう!」
「合点承知だぜ、アニキ!」
「頼もしいな。じゃあ、行くぞ」
 ネギの返事にカモが応え、リヴィオも頷くと、千本鳥居の道を共に走り出した。
 最初はネギが先を走っていたのだが、それもほんの数秒。リヴィオはすぐにネギを追い抜いた。それだけならともかく、その後は後ろを一度も振り向かずにペースを完全にネギに合わせ、ネギとの間の距離を一定に保ちながら走っているのだから驚きだ。
 そうして約30分後。どれだけの距離を走っただろうか。目に見える風景は、ほぼ等間隔に並ぶ鳥居と木々ばかりで、指標となるものが無く、さっぱり見当が付かない。
 不意に、リヴィオが脇に逸れて急に立ち止まった。リヴィオが距離を開けてくれたお陰でぶつからずに済み、ネギもリヴィオの隣で足を止める。
「どうしました? リヴィオさん」
 息を切らしながらネギが問うと、リヴィオはすぐに答えず、2度、3度と首をぐるりと回して周囲を窺っている。
 やがて、その表情が険しいものへと変わった。
「ここ、さっき通った場所だ」
「え? そう……ですか?」
「ああ。この景色は間違いなく、さっき見た。けど、こんな一本道で同じ場所に出るなんて……」
 リヴィオは深刻な顔でそう言うが、ネギからすればずっと同じような場所ばかりで、正直、入口からここまでの道の区別も殆ど付いていない。だから、リヴィオの言っていることが、あまり実感できなかった。
 だが、カモは何かに気付いたらしく、ネギの肩へと上って来た。
「も、もしかしたら……こいつぁ空間連結型の結界かもしれませんぜ!」
 カモに言われて、ネギも気付く。
 確かに、前後にずっと同じような景色が続くこのような道は、空間連結型の結界を罠として仕掛けるには持って来いの場所だ。周囲の風景の変化が少ない道の空間をループするように繋げられたら、『同じ景色』が続いたとしても『同じような景色』と誤認してしまって、すぐには気付けず、繋げられた空間の中をぐるぐると回り続けることになってしまう。
 それを、魔法の素質が皆無であるというリヴィオが見破ったというのだから、恐るべき洞察力だと言うべきだろう
「結界……ちっ、呪術の類か」
 結界と呪術という言葉を忌々しそうに言った直後、リヴィオは表情を険しくしてネギを庇うような立ち位置に移り、前方を睨みつけた。
 すると、少し先の鳥居の陰から、ネギと同じくらいの年頃の、ニット帽を被った黒髪の少年が現れた。
「流石やな、リヴィオの兄ちゃん。呪術になんも詳しくないのにあっさりと見破ったなぁ」
「お前、小太郎!?」
 その少年の出現に、誰よりもリヴィオが驚き、その名を大声で口に出した。
 名前と見た目から察するに日本人のようだが、それ以上の事はネギには何も分からないので、リヴィオに訊ねた。
「お知り合いですか?」
「ああ。呪術協会の総本山で、何度か組み手の相手とかをやったことがあるんだ」
「犬上小太郎や。よろしゅうな、西洋魔術師の坊ちゃん」
 リヴィオが言うと、それに応えて少年が自ら自己紹介をして来た。
 なんだか小馬鹿にされたような呼ばれ方にネギも、むっ、としたが、それ以上の感情を持つより先にリヴィオが話を進めた。
「小太郎、どうしてお前が」
「そりゃあ、勿論――」
 リヴィオからの問いへの応答として、小太郎は言葉を返しつつ、軽やかに跳躍し、そのままリヴィオへと飛び蹴りを放った。
「あんたと戦いたい! それだけや!」
 突然の事態に、ネギとカモミールは声を上げることもできず、唖然、呆然とした。まさか、自分と似た背恰好の少年があんなに鋭い蹴りを打てるとは思わなかった。しかし、それ以上に驚いたのは。
 リヴィオは小太郎の蹴りを、手で掴んで止めていたのだ。
 小太郎は、刹那が使うのと同系統の身体強化の術を使って、大人どころかトップアスリートをも凌駕ほどの身体能力を得ている。それを、リヴィオは事も無げに、自らの地力で対応して見せたのだ。
 魔法による身体強化の恩恵を良く知るネギには、小太郎よりもリヴィオの方が凄まじく見えた。だが、小太郎は動揺を見せない。或いは、過去に行ったという組み手でこういうこともあったのだろうか。
「それになぁ、あんた、こうでもせんとその気になってくれんやろ?」
 小太郎が言うと、リヴィオは溜息混じりに掴んでいた小太郎の足を放した。
「そうか、分かった。じゃあ、俺が君を倒したら、ここの抜け出し方と、君が協力している連中について洗い浚い吐いてくれないか?」
「それくらい、お安いご用や。アンタが、本気を出してくれるんならなぁ!!」
 そこから始まった戦いを、ネギはカモと共に後ろへ下がって見守ることにした。自分に何かがあって親書を紛失してしまっては本末転倒だし、なにより、こういうことはリヴィオに任せるという約束だからだ。
 戦いが始まってすぐ、リヴィオはネギに不安を感じさせないほどの優勢を見せつけた。
 小太郎がどれだけ拳や蹴りを繰り出そうと、リヴィオはそれらを全て紙一重でかわし、攻撃も隙を見て足を引っ掛けるだけ、という余裕がはっきりと見て取れるものだった。
 これに小太郎は発奮すると思いきや、これでは駄目かと呟き、納得している様子だった。どうやら小太郎も、自身とリヴィオの力の差を理解しているようだ。なら、自信を感じさせるあの笑みの意味はなんだろう、とネギが考えた時、小太郎から異様な気配――魔力に似たものの迸りを感じた。
 次の瞬間には、小太郎の肉体が変化していた。髪の色が変化しただけでなく、肉体が大きくなり筋骨隆々とした体躯となり、手足は四足獣のそれを連想させるものに変わった。
 その拍子に被っていた帽子が破れ、小太郎の頭の上に犬のような耳が生えているのが見えた。その代わりに、本来人間の耳がある場所にそれらしいものが見当たらない。
 これは、話に聞く亜人種。人間とは異なる動物、或いは魔獣の因子を併せ持つ人種で、一部の者はその因子を発揮することによって肉体を通常の強化魔法よりも遥かに強靭なものへと強化できると、メルディアナ魔法学校で学んだことがある。
 亜人種の大半は魔法世界で暮らしており、この地球には僻地で稀に見られる程度だと教えられていたが、その本人をこんな所で見ることになるとは、ネギも思っていなかった。
 先程までとは比べ物にならないほど強靭になった体で小太郎はリヴィオに殴りかかる。踏み込みの速さも、繰り出された拳の速度も桁違いだ。リヴィオも今度は避けられず、無防備なまま拳と蹴りの連打を浴びせられた。
 明日菜以上の怪力で、あんなにも殴り続けられていたら死んでしまう。なんとかして止めなくては、と考えた時、ネギはあることに気付いた。最初は余裕と自信に満ちた表情だった小太郎の顔が、今は焦燥と不安で埋め尽くされている。
 どういうことかとリヴィオの方を注意深く見てみたら、その理由が分かり、ネギも驚愕のあまり言葉を失った。
 リヴィオの体は、どんなに小太郎の拳や蹴りを受けていても平然としていた。それこそ、どんな打撃を受けても体が少しも動いていない。顔を殴られても、首が少しも動いていないのだ。普通なら、殴られたり蹴られたりしたら、どうしても体はその拍子に動いてしまうものなのに、リヴィオの体は少しも動かない。
 それが意味するのは、圧倒的なまでのリヴィオと小太郎の実力差。リヴィオにとって、小太郎の攻撃はまるで意味を成していない。
 全ての攻撃をかわし続けるよりも、遥かに衝撃的だ。恐らく、今までの攻撃も“かわせなかった”のではなく、“わざと受けていた”のだ。
 それでも、小太郎は諦めず/認められず、尚も激しく攻撃を続けていた。だが、急に、小太郎の頭が不自然に揺れたかと思うと、膝と腰から力が抜けたようにその場に倒れた。突然の事に呆然としそうになったが、そうなるより先に、リヴィオの腕が何時の間にか動いていたことに気付いた。
 もしや、視認できないほどの速度で攻撃したのではないかと考え、冷や汗を流す。攻撃されたらしい小太郎も、何が起こっているのか分からない様子で、焦点の合わない目で辺りを見回している。だが、どこにもリヴィオの姿が無い。
 気付いて、ネギは慌てて周囲を見回した。本当に、ついさっきまで見ていたはずのリヴィオの姿が忽然と消えているのだ。
 こんな、ほんの数秒の間で、あんな大柄な男性を見失うことがあるのだろうか。
 そんな風に思った時、唐突に、リヴィオの姿を見つけた。
 何故、今まで見つけられなかったのが不思議だった。リヴィオは、何時の間にか小太郎の背後にいたのだ。
 リヴィオは片膝を着いて、後ろから小太郎の肩を叩き、負けを認めるか尋ねた。
 小太郎はすぐには答えず、力の入らない自身の肉体に喝を入れるように立ち上がると、振り向きざま、リヴィオに向かって拳を繰り出した。
 突き出された拳は、空を切った。
 リヴィオは、分かったと言って頷き、今度は辛うじてネギにも見える速さで小太郎の側頭部を叩き、彼の意識を刈り取った。
 それで、戦いは終わった。
 いや。果たして、今の光景を戦いと呼んでいいものだろうか。
 百歩譲って戦いだと認められたとしても、ネギにはリヴィオの勝利に歓喜するような気持ちは少しも湧かず、代わりに、気付かぬ内、本当に無意識の内に後ずさりをしていた。
 あまりにも圧倒的な、実力の片鱗どころか欠片すら見出せない戦い方を見せられて、ネギが真っ先に感じたのは、心強さよりも恐怖だった。
 ネギも、少なからず戦いというものを経験していて、戦いの上での強いか弱いかの区別はある程度つけられる。ネギの基準で言えば、小太郎は間違いなく強い部類だ。少なくとも、今の自分では勝てないと思うぐらいに、ネギは小太郎を強いと思った。だが、リヴィオは分からない。理解できない。リヴィオの強さは、ネギの基準に当て嵌めることが、受け容れることができるようなものではなかった。
 それ程に、リヴィオの強さは異質であり、異常だった。
 それが、こわかった。
 カモも同じような心境で戦いを見守り、今も沈黙しているのではないだろうか。
 リヴィオが、ちらり、とネギを見てきて、ドキリとする。だが、何も言わず、リヴィオは気絶した小太郎を抱き上げた。
「悪い、本気は出せない。……ゴメンな、君を殺したくないんだ」
 小太郎の顔を覗きながら、申し訳なさそうに、そして酷く悲しそうにリヴィオは呟いた。
 それを見て、ネギは自然と彼に歩み寄っていた。





「あの……殺したくないって、どういう意味でしょうか……?」
 小声で言ったつもりだったが、聞こえてしまったようだ。
 そのことを後悔した直後、急に異様な殺気を感じた。この殺気にリヴィオがここまで近付かれるまで気付けなかったのは普通ではない。もしや、結界のせいだろうか。
 思考しつつ、殺気の元を警戒しながら、リヴィオは小太郎を抱えてネギに振り返る。
 別に、隠したり嘘を吐いたり、無理に誤魔化す必要も無い。正直に答えよう。
「俺が本気を出したら、小太郎の体じゃ耐えられない。俺、かなり頑丈な人間を蹴り一発で粉々にしたこともあるから」
 言いながら、気絶している小太郎の顔を見る。決して穏やかとは言えない表情だが、思う所はそこではない。
 小太郎は強い。ミカエルの眼でも、10歳前後でこれだけの強さの者は滅多にいない。少なくともリヴィオは当時、彼ほど強くなかった。今は余裕を持って勝てたが、5年後、10年後にはどれだけ強くなっているか、空恐ろしく思える。それほど、小太郎の素養は凄まじいものだ。
 ……これで、肉体には何も手を加えていないんだから、本当に凄いよ。
「それに、本気を出そうにも未熟者が相手では興が乗るまい。ダブルファング」
 リヴィオの言葉に真っ先に応えたのは、ネギでもカモでも無く、脇の林の奥から現れた殺気の元の男だ。
「貴様か、ケン・アーサー」
 小太郎を小脇に抱えて、ネギを守れるように位置取りをする。
 ケン・アーサーは初対面の時のように、深編笠を被っている。もしかしたらあれが、日中でもあの男が外を出歩けている理由だろうか。
「し、親書は渡しません!」
 突然の敵の登場に驚いたのか、呆然としていたネギが慌てながらも言い放った。
 どうやら、ネギはあの男の殺気を感じ取れていないらしい。そうでなければ、ネギのような子供が、こんなことを強がりでも言えるはずが無い。
 殺気には、強ければ誰にでも感じ取れるものと、一定以上の実力者でなければ感じ取れないものがある。
 前者は、例えるなら音。大きければ大きいほど、感じ取れる人は多くなる。
 後者は、例えるなら速さ。速くなれば速くなるほど、それを捉える事が出来る人は少なくなる。
 ケン・アーサーは後者の殺気の持ち主。それだけでも曲者で、相当の実力者だと分かる。元よりその心算は欠片もないが、一瞬の油断も出来ない相手だ。
 空いている右手に待機状態のダブルファングを握り、銃の形態へと変形させる。すると、ケン・アーサーは一歩、後ろに下がった。
「安心しろ、今の俺は何をする気も無い。ただの見物だ」
 何という好機。やはり士郎の言っていた通り、奴が日中に動き回るのはかなりの無理があるようだ。でなければ、戦闘狂と言って差し支えないこの男が、この場でリヴィオとの戦いを避ける理由は見当たらない。
 殺るならば今。小太郎を放して、地面に落ちる前に拾えるぐらいの余裕を持って倒せるだろう。だが、問題は魔術だ。リヴィオは魔術に関して全くの素人で、士郎もあの男が得意としている魔術の全容を知らなかった。
 そんな手の内が分かり切っていない難敵を相手に、守らなければならない子供を抱えて戦うのは不安だ。
 それに、何よりも。ネギやカモの目の前で、血腥い戦いをするというのは、気が引ける。
「だったら、さっさと失せろ」
 ケン・アーサーを倒す最大の好機を見逃すが、代わりに得られるのは安全にこの場を切り抜けられる、最善に近い結果。悪い判断ではないはずだ。
「そのガキを渡してはくれぬか?」
「駄目だ」
 小太郎を指して言った言葉を、即座に遮り、ダブルファングの銃口を向ける。
「そうか。ならば、退散しよう。結界は解いておくから、俺の気配が失せてから動くといい」
 言って、小太郎を置いていくことに少しも躊躇いを見せず、ケン・アーサーは千本鳥居の奥へと、無防備な背中を晒しながら歩いて行った。
 ネギ達の手前、リヴィオが撃つことを躊躇っていることを読まれたか、それとも、銃火器では死なないという自信によるものか。
お天道様の下、悠々と歩く背中を、ただ睨む。
 撃てないのが、歯痒い。
「結界まで解いてくれるって、本当でしょうか?」
「分からないけど、取り敢えずは信じてみるさ。嘘だったとしても、小太郎が起きるのを待てばいいだけだ」
 ネギの言葉に頷いて、ダブルファングを待機状態の十字架に戻して、腰に差す。それでも油断はせず、ケン・アーサーの動向を監視する。
 ケン・アーサーは暫く歩いて立ち止まると、ある鳥居の裏で何かをして、そのまま脇の林へと出て行った。少しずつ奴の殺気が遠ざかって行き、やがて気取れないようになった。リヴィオが感じ取れないほどの距離まで離れた事を確信して、臨戦態勢から警戒態勢に移る。
 その変化を察したのか、今まで黙っていたカモが話しかけてきた。
「あの……ところで、リヴィオの兄貴」
「ん?」
「さっきの、人間を粉々にしたっていうのは……」
 恐る恐る、冷や汗を垂らしながら聞いて来るカモの姿を見て、つい自嘲する。奴よりも自分の方が、カモを怯えさせていたとは。
「本当だよ。怖いか?」
 人間を殺したと言っているのだ、この世界でも特に平和な場所にいたカモやネギが、怖くないはずが無いだろう。
 言うと、カモが答えるより先に、ネギが首を振った。
「怖い……というより、信じられないというか、実感が湧かないです」
 それを聞いて、つい苦笑を浮かべる。
 確かに、人間――正確にはサイボーグだ――を蹴り一発で粉々にしたなどと、彼らの常識に当て嵌めれば鵜呑みにして信じられるようなことではないか。
「はは、そうか。じゃあ、冗談っていうことにしておいてくれ」
 そこで話を打ち切って、総本山へと急ぐことにした。敵の襲撃がまだあることも十分に考えられるので、両肩にネギと小太郎を担いで、カモはネギの懐に潜ませて、一気に千本鳥居を駆け抜ける。
 こちらに仕掛けて来たからには、本命の御令嬢の方にも確実に手が回っているはず。ヴァッシュがいるから大丈夫だと思うと同時、ヴァッシュがいるということが別の意味で不安になる。
 ヴァッシュが無茶するような状況にならないことと、そうなった場合の士郎の健闘を祈ろう。





 太秦のシネマ村に着くと、ヴァッシュと士郎はすぐにタクシーを降りた。
 何でもこのシネマ村という場所は、日本にサムライが本当にいた時代――江戸時代の頃の日本を忠実に再現したテーマパークだという。外国人にも人気が高いらしく、ヴァッシュ達もタクシーの運転手にそういう観光客だと思われていたようだ。
 こういう時で無ければ、ヴァッシュも楽しみながら見て回りたいのだが、流石に今はそんな気にはならない。今回の件が終わったらまた来よう。
 入り口で入場券を買って中に入ると、そこは先程までの京都の街並みとは全く違う風景だった。
 おお、これぞ正しく僕が昔からイメージしていた日本の風景そのものだ。
「ちびせつな、近衛の御令嬢の所までナビを頼むぞ」
「はい、お任せ下さい!」
 士郎が言うと、ちびせつなは凛々しい表情になって、力強く頷いた。刹那にそっくりなのは外見だけではなく、木乃香を大切に思っている心も同じようだ。
「よ~し、急ごうか!」
 ちびせつなのナビに従って、目指すはお姫様と少女侍の御一行様だ!
 本当にそんな格好になっていたら探すのが楽になりそうなものだが、流石にそんなことは無いだろう。



[32684] 第十話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/05/16 22:01
「あの、そこの人」
 ちびせつなの案内で近衛木乃香の下へ向かう途中、横から声をかけられた。見れば、そこにいたのはネギより少し年上に見える少年と少女だった。背恰好、顔つきが非常に似ていて、そして着ているのはお揃いの和服。十中八九、双子なのだろう。
「僕らに、何か用かな?」
 地に膝を付けて、少年少女と目線の高さを合わせて、ヴァッシュは人を和ませるような朗らかな笑みを浮かべながら応えた。
 この辺り、ヴァッシュの対応力は凄い。士郎には、芝居でもああいう風には笑えない。もう二度と、本心からああいう風に笑うことも無いだろう。
「はい。この近くで、和服を着た兄妹を見ませんでしたか?」
「ここの外でもかまいません」
 問われて最初はよく意味が分からなかったが、少しずつ話を進めて、彼らが兄と妹とはぐれてしまった事が分かった。要するに、迷子だったのだ。
「見てないな」
 更に詳しく2人の兄と妹の外見的特徴を教えてもらったが、やはり見覚えが無かった。こうなっては、これ以上協力はできそうにない。せめて、ここの迷子センターに連れ行くぐらいか。
「はぐれちゃったのかい?」
「はい。あちらが迷子なのか、こちらが迷子なのかは分かりませんけど」
「ここを一緒に見るという約束があったので、来てみたのです」
 ヴァッシュが問うと、少年と少女はそれぞれ答えた。それを聞いて、ヴァッシュは頷いた。
 その様子を見て、即座にある予想が立った。まず間違いあるまい。
「そうかぁ。……なぁ、士郎」
「分かった。その子達の兄妹探しを手伝ってくれ。何かあったら連絡はする」
 ヴァッシュが詳細に言うよりも先に、はっきりと答えた。念の為、間違いが無いか確認を取ったが、やはり合っていた。
 そこでヴァッシュと一旦別れ、ちびせつなを受け取って1人、御令嬢の下へと向かう。
「……良かったのですか?」
 ちびせつなが不思議そうに訊ねてきた。確かに、普通ならば今は迷子の兄弟探しなどは後回しにするか無視すべき状況だ。だが、生憎とヴァッシュも士郎も普通ではない。
「手伝いたいと思ったのは、俺も同じだからな」
「そうでしたか」
 そうは言ったが、いくら切迫した状況ではないとはいえ、一刻を争う事態であることには違いない。士郎は、あそこまでつきっきりであの子達の手伝いをしようとは思っていなかった。それでもヴァッシュの意志を優先して二手に分かれることにした最大の要因は、ヴァッシュは一度言い出したら聞かない性質だからだ。
 自分の意思を決して譲ろうとしない頑固さは、世界中を旅していた時に何度も目の当たりにした。流石に自分に非がある場合は素直に引っ込むが、そうでなければ梃子でも動かない。
「さぁ、俺達も行こう。御令嬢に何かあってからでは遅いからな」
「はい。現在位置は……あちらです!」
 ちびせつなに声を掛け、目的の御令嬢の下へと向かう。どうやら少しの内に場所を移したらしく、ちびせつなは先程までとは違う方向を指した。
 彼女達の元気があり余っていた結果がこの状況とはいえ、忙しないことだ。自分だったらもっとゆっくり見て回るのにと、士郎は小さく溜息を吐く。
 人とすれ違う度に奇異の目で見られるのは、厳つい男がちびせつなを抱えていることと、江戸時代の城下町を再現したこの場所に、士郎の服装が完全に浮いているからだろう。なにしろ、この赤原礼装で戦場を渡り歩いた結果、教会と協会に付けられた仇名が『錬鉄の騎士』だ。こういう場所には馴染まない。
 そのようなことを考えながら進んで暫くすると、橋の周囲に人だかりが出来ているのが見えた。
「騒がしいな……どうしたんだ?」
「衛宮さん、お嬢様達はこの向こうです」
 なんとなく呟くと、ちびせつながそう告げてくれた。つまり、探し人は既になんらかのアクシデントに巻き込まれている、ということか。
 御令嬢達に見つかっては厄介だからと、ちびせつなに身を隠すように言って離れた場所に待機させて、人だかりの中へと入る。人混みを掻き分けて進むと、橋には貸衣装と思しき和装に着替えた御令嬢の一行と、馬車を引き連れ西洋風の衣装に身を包んだ少女がいた。江戸の城下町に西洋風の衣装とはなんとなくミスマッチな組み合わせだ。だが、問題なのはそこではなく、彼女が腰に帯びている大小の刀だ。それらは大小共に、玩具や模造刀の類ではなく真剣。そんな物を持っている少女がごく普通の一般人であるはずがないし、この状況で奴らと無関係であるとも思えない。
 奴らに先回りされていたことを理解し、顔を顰める。もしや、知らぬ間に使い魔の一匹を彼女達の荷物の中に紛れ込ませて、居場所を把握されていたか。実際の所は分からないが、先回りされてしまっているのは事実。ならば一刻も早く、この状況から抜け出さなくては。
 様子を見る限り、どうやらあの少女は自分の立ち居振る舞いをこのシネマ村のイベントの演劇であるかのように見せかけているようだ。少なくとも、周囲の人間の大半はそう思い込んでいる。
 相手が消極的な手を打っている内に、こちらは多少強引にでも積極的に動く。
「そこまでです。見つけましたよ、御令嬢」
 芝居の流れを無視して、強引に両者の間に割り込む。
「衛宮さん!」
「げっ、もう追いつかれたの!?」
「予想よりもずっと早いです」
「ど、どうしよう……」
 神楽坂を除いて、少女達の反応は思わしくないものばかりで、心苦しくなる。だが、そんなことで彼女達を危険に晒すわけにもいかない。
「お嬢様。お迎えも来ましたから、早くお父上の下へ向かいましょう」
「え~。そやけど、折角お芝居も始まっとるのに」
 桜咲が御令嬢を促すが、当人は渋っている。これは、説得には時間がかかりそうだ。いっそ、無理矢理担いで連れて行こうか。
 すると、西洋風の衣装の少女が御令嬢の言葉に応える形で割って入って来た。
「そうですわ~。もっと、お付き合いしていただかんと困りますわ~」
 言って、少女は懐から何枚もの札を取り出した。陰陽術の呪符だ。それに加えて、華奢な体に似合わない真剣。あの少女、桜咲と同じ神鳴流の門下生か。
「百鬼夜行ぉ~」
 言って、ゴスロリの少女は世間一般に広く伝わっているイメージ通りのお化けの姿をしたモノを多数呼び出した。妙にコミカルなデザインのものばかりだが、あれもちびせつなのような式神の一種だろうか。
 そんなことよりも、こんな衆人環視の状況下で魔術の類を堂々と使われたことの方が問題だ。予想外の事態への驚きで咄嗟の対応が遅れてしまい、まずは周囲の人間の反応を窺う。
「なにこれ、どういう仕掛け!?」
「ひゃぁ~!? 本を舐めないで~!」
「のどかから離れなさい!」
「なんだこれ!? CGか!? 特撮!?」
「失せろこのエロガッパが! 着ぐるみ剥いで髪の毛全部毟り取るぞ!!」
 どうやら大半の人間が何かのアトラクションの一部と思っているらしく、それ以外も突然のことに慌てふためいて、考えている余裕が無いらしい。一部、ウェールズでの下着泥棒騒動の時を思い出すような声も聞こえたが、直視しないことにした。
 驚く者ばかりで疑う者が一切いないとは、出来過ぎた状況だが都合がいい。そうなると、問題は一つ。
「秘匿の原則もお構い無しか」
 人を驚かすだけの使い魔を大量に呼び出しただけとはいえ、衆人環視の状況での魔術行使。相手は最早、目的の為にはなりふり構わず手段を選ばない状態だと考えるべきだ。必要と判断すれば、秘匿の原則を完全に無視して躊躇せずに魔術を行使する士郎に言えた義理ではないかもしれないが。
「桜咲さん、今の内に離れましょう!」
「お嬢様、こちらへ!」
「ひゃあ!? どないしたん? アスナ、せっちゃ~ん?!」
 大勢の人の混乱の中に紛れて、神楽坂の機転で桜咲と共に御令嬢を連れて、彼女達はこの場を離れた。士郎はその後ろ姿を見送ることしかできなかったが、ちびせつながいれば合流も問題あるまい。
「衛宮さん、危ない!」
 すると、喧騒の中を掻き分けてちびせつなから声を掛けられた。恐らく、背後から西洋風の衣装の少女が斬りかかって来ていることを言っているのだろう。だが、そのことは先刻承知。神楽坂たちを見送る寸前に彼女の動きは見ていたし、何より、隠そうともしない殺気から容易に攻撃が迫っていることを窺えた。そもそも、御令嬢達の後を追わなかったのも、敵の少女への対処の為だ。
 瞬時に最優の双剣――干将と莫耶を両手に投影し、振り向きざま、迎撃を試みる。だが、ここで予想していなかったものが視界に入る。ちびせつなだ。何時の間にか士郎と少女の間に割って入り、裁縫針のように小さな刀を構えて、少女に立ち塞がっている。その心遣いはありがたいが、位置が悪い。そこは干将の軌道線上だ。この状況で、どうすべきか。考えるまでも無い。答えは、一つだ。
 ちびせつなごと、少女の刀を干将で迎え討つ。
 少女の刀は、宝具である干将との打ち合いに耐えられるはずも無く両断された。そして、ちびせつなも同様に両断され、断末魔を上げることも無く消滅し、後には横一文字に切り裂かれた札が残された。
 士郎にはあのタイミングで剣の軌道を変えられる技術は無い。かといって、あそこで剣を止めては浅からぬ傷を負って、後の行動に支障をきたしてしまう可能性が高かった。だから、ちびせつなごと迎撃するのが最善だった。だが、やはりと言うべきか、後味は悪い。生物ではないとはいえ、人間的な感情を有していたちびせつなを斬ったのは心苦しかった。
 だが、あれは所詮使い捨ての使い魔の類だったのだとすぐに割り切る。ちびせつなのことを気に入っていたヴァッシュに知られたら、確実に怒られるか泣かれそうだ。そちらの方が問題かもしれない。
「あら~。完璧に不意を突けたかと思うたんですけど、やりますな~」
 斬られた自分の刀を見て、少女は言葉とは裏腹にとても楽しそうに笑っていた。
「随分と楽しそうだな」
「はい~。お強い人と斬り合うの、大好きですから~」
 口に出して言うと、すぐに頷き返して来た。ケン・アーサーと同じ戦闘狂か、自身の力や技術に酔ってしまった暴力主義の快楽主義者かと思ったが、違うようだ。恐らく、この少女自身はそう思い込んでいるだろうし、このままではいずれそうなってしまうだろう。だが、少なくとも今は士郎の目にそう映ってはいない。
 この少女の殺気は殺意が薄く、言葉から感じる気質は狂気よりも無邪気。なにより、刀に血や脂の臭いや痕跡が無い。
「あ、申し遅れましたわ~。神鳴流の月詠です、よろしゅうお願いします~」
「ご丁寧にどうも。知っているだろうけど、俺は衛宮士郎だ。月詠、一つ訊きたいんだが、君は人を斬ったことはあるか?」
 自己紹介に自己紹介を返して、確認の為に肝心なことを問う。少女――月詠は首を横に振った。
「いえ~。残念ながら、まだ鬼の類だけですわ」
予想通りの返事に合点がいくと同時、この少女はまだ間に合うと分かった。
「そうか。なら、忠告しておく。これから先、絶対に人を斬るな。でないと、必ず後悔するぞ」
 言うと、月詠にはこれ以上は構うまいと、士郎は干将と莫耶の投影を破棄すると同時に踵を返し、そのまま人混みを掻き分けて走り出した。
 ちびせつなを斬ってしまい、御令嬢達を探す当てが無くなってしまった。まだ遠く離れていない内に、最後に見送った方角を頼りにシネマ村を探すしかない。
「お約束できませんね~」
 刀を斬られているからか、士郎を追おうともせずその場に留まったまま、月詠は良くない返事を寄越した。
 一度、自分の意思で明確に、斬ろうと――殺そうと思って人を殺してしまっては、もう手遅れだ。もう二度と、後戻りはできない。その経験談を聞かせれば、彼女も思い止まってくれるだろうか。考えて、一旦それは脇に除けて、今は御令嬢達を探すことに専念した。
「ヴァッシュにも連絡しておかないとな」





 明日菜と刹那は騒ぎに乗じて木乃香を連れて、近くにあった城を模した建物の中へと逃げ込んでいた。
 最初は、木乃香を始め皆があの少女の芝居に乗っていたため、そのまま刹那と明日菜も乗っていたが、今思うと、あのままでは危なかった。もしもあの少女――月詠の言葉に乗って行動していたら、どうなっていたか分かったものではなかった。
 刹那は心中で、あの場に割って入ってくれた士郎に感謝した。そこで、彼があの場にまだ留まっていることを思い出し、式神のちびせつなを介して士郎に連絡を取ろうとしたが、式神からの反応が無い。どうしたことかと考えた所で、木乃香が話しかけてきた。
「ねぇ、せっちゃん。これ、どういうことなん?」
 おっとりとしているが故にどこか鈍いところもある木乃香だが、流石に現況の異様さに気付いたようだ。しかし、その言葉にどう返すべきか心が定まらず、刹那はすぐに返事を出来ず、曖昧な言葉を発してやり過ごすしか出来なかった。
 今は何とかやり過ごせているが、このような状況になってしまっては、最早、木乃香に魔法や呪術関連のことを隠し通すのは不可能に近いだろう。
「う~んとね……狙われてるのよ、このかが」
 すると、刹那が答えるよりも先に、明日菜があっさりと木乃香に告げた。
「神楽坂さん!?」
「うちが、狙われてる……? それ、どういうこと?」
 刹那が声を荒げて明日菜の名を呼んだが、それを敢えて無視して、木乃香が重ねて問うた。そこから先を答えてしまえば、それは。
 刹那と視線を合わせて、明日菜は苦笑しながら首を横に振った。もう隠し通すのは無理だからしょうがない、ということなのだろう。確かにその通りなのかもしれない。木乃香の為にも、全てを打ち明けるのが最良なのではと、刹那も考えた。
「こういうことだよ」
 すると、誰かが木乃香の言葉に答えた。
 何者かと声の方に振り返ると同時に、多数の猿を模した式神が襲いかかって来た。その数に目を奪われて、刹那と明日菜はその中を掻い潜って来た小さな人影を見落とし、呆気なく接近を許してしまった。
 小さな人影は木乃香を捕まえると、そのまま建物の上層階へと続く階段へ走り去って行った。
「しまった!? お嬢様ぁぁ!!」
 纏わりつく猿もどき達を愛刀“夕凪”の一閃で斬り払うと、刹那はすぐに木乃香を攫った者の後を追った。
「わっ、わっ!? ちょ、ちょっと待って、桜咲さん! “来たれ【アデアット】”!」
 遅れて、自らのアーティファクト――ハマノツルギという名のハリセンを取り出し、猿もどきを振り払った明日菜も続く。
 階段を駆け上がった刹那に真っ先に襲いかかって来たのは、衝撃だった。その衝撃が何事かを理解するよりも先に壁に頭をぶつけ、そのまま崩れ落ちて床に肩をぶつける。二度の鈍い痛みに、思い出したように衝撃を受けたほぼ全身が痛み出し、意識が完全にそちらに持って行かれてしまう。
「くっ……ぅ、ぁ……」
 迂闊だった。敵は、刹那たちの動きを誘導し、追うことに専念して防御が疎かになっている上に、どうしても無防備になりがちな階段を上る瞬間を狙って攻撃して来たのだ。刹那はそれによって倒れてしまったが、刹那の後ろを遅れて追走していた明日菜は無事だった。
「桜咲さん!?」
 階段を上るのと同時、明日菜は倒れている刹那へと駆け寄った。敵は、そこを狙って再び攻撃――“魔法の矢”を放った。だが、その攻撃はまるで明日菜の周りに見えない壁でもあるのかのように、彼女に当たる直前で霧散した。
 しかし、明日菜はそのことには気付かず、代わりに自分に向って何かが飛んできたことを察してそちらへ振り向いた。そこには、驚いたような顔で立ち尽くしている、見るからに外国人らしい風貌の銀髪の少年と、気を失った木乃香を抱えている眼鏡をかけた女性がいた。
「魔法無効化能力……! ……よく見れば、面影もある。まさか、こんな所で君に会えるとはね。思わぬ収穫だよ」
「フェイトはん。その娘のこと知っとるんか?」
 少年が何事かに驚きつつも、明日菜のことを知っているかのようなそぶりを見せて納得すると、それを聞いた後ろの女性がどういうことかと訊ねている。だが、明日菜には目の前の少年とは初対面だし、子供のくせに勿体ぶった言い回しというのが気に入らない。
 何よりも、友達を傷付けたようなやつに知り合いだと思われるのが、無性に頭に来た。
「あんたみたいなクソガキの知り合いなんていないわよ!」
 平素からの子供嫌いと友人を傷付けられた怒りから、普段以上に荒々しい口調で、明日菜はフェイトと呼ばれた少年の言葉を切って捨てた。だが、フェイトはそれを肯定しない。
「君は知らないだろうね。けど、僕は知っている」
 相も変わらず続いた少年の気に障る言い回しに、明日菜は遂に堪忍袋の緒が切れた。
「そんなことはどうでもいいから! このかを返しなさいよ! クソガキとオバさん!!」
 室内を震わせるほどの怒声を浴びせ、ハマノツルギを2人に向けた。
 それに対して、フェイトと女性の反応は対照的だった。
「随分と感情表現が豊かになったものだね」
「誰がオバさんや! ウチはまだ20半ばも過ぎとらんわ!!」
 フェイトは柳が風を受けるように、あっさりと明日菜の言葉を受け流す。一方で、オバさん呼ばわりされた女性はショックを受けたようで、明日菜にも負けないぐらいの大声で言い返して来た。
「私達から見れば、20過ぎたらもう立派なオバさんよ!」
「……神楽坂さん。流石に、それは暴言かと」
 全ての20歳以上の女性を敵に回すような明日菜の発言に苦笑しつつ、刹那が立ち上がりながらツッコミを入れた。
 不意打ちを受けたとはいえ、あの程度の打撃で戦闘不能になるほど刹那も軟ではない。それでも、すぐに復帰するのは困難だっただけに、回復に必要な時間を明日菜が稼いでくれたのが幸いした。その様子を見て、木乃香を抱えている女性は表情を険しくしながら、懐から呪符を取り出した。
「まだ抵抗するんなら、しゃあないな」
「させん」
 女性が呟いた言葉に応えて、それを遮る言葉が返って来る。全員がそちらへ振り向くよりも速く、フェイトが女性目掛けて高速で飛来した物体を弾き落とした。
女性を狙ったのは矢。それを射たのは、赤い外套を身に纏い黒塗りの弓を構えている男――衛宮士郎。





 この建物の中から魔法の発動を感知して来たが、ギリギリで間に合えた。後は、ヴァッシュが合流すれば盤石だ。
「衛宮さん!?」
 桜咲が士郎を見て、驚きを隠そうともせずに大声で名を呼んだ。恐らく、御令嬢を捕まえている女を狙って矢を射た事への驚きだろう。
 こういう状況では、誤射の可能性を考えて下手に人質を捕まえている犯人を狙わないのがセオリーだ。だが、士郎には御令嬢を誤射せず、犯人が呪符を持って掲げた腕だけを射抜く絶対の確信があった。残念ながら、思わぬ伏兵によって遮られてしまったが。
 あの距離で、不意を突いて射た矢を叩き落とすとは、恐るべき動体視力と反射神経だ。人は見かけによらない、とは言うが、流石に見た目10歳程度の子供にしてやられたとあっては、驚かざるを得ない。だが、こういう界隈で実力者の外見と中身が一致しないことはよくあることだ。過去に少年の身形の吸血鬼に完敗を喫した苦い経験から、士郎は決して外見だけで油断はしない。
 それに、この世界――厳密には魔法世界では、当時15にも満たなかった少年が世界を救った、などという伝説めいた実話もあるぐらいだ。本当にこういう子供がいてもおかしく無いだろう。
「君は……弓兵か。いいのかい? 後方支援が本職なのに、敵の目の前に出てしまって」
 弓兵。その通り名をこの世界でも聞くことになるとは、因果なことだ。同時に、これで自分の情報がケン・アーサーから伝わってしまっていることを確認出来た。だが、士郎が前線に出てきていることに“意外”という反応を示しているということは、あくまで漏洩しているのは弓兵としての部分だけなのだろうか。
 事実確認のため、鎌を掛けてみる。
「これでも、自分の得手不得手は誰よりも自覚している。だが、これも性分でね。こういう時は前に出ずにはいられないのさ」
「勿体無いね」
「よく言われる」
 やはり、伝わっているのは弓兵としての情報だけのようだ。そうでなければ『勿体無い』という返しが来るはずない。
 そこがはっきりした所で、精度を度外視し工程を速やかに終えることだけを念頭に、矢を投影。番え、視線を銀髪の少年に向けたまま御令嬢を捕まえている女へ即座に射る。だが、またも銀髪の少年に弾かれてしまった。
 あの身体能力に身のこなし、強化の魔法に頼っているだけでなくかなりの実戦経験を積んでいるようだ。
「ひっ!?」
 矢が自分に飛んでくると思った女――伝え聞いた特徴との一致から、恐らくは彼女が今回の件の首謀者と思われる天ヶ崎千草か。千草は悲鳴を上げて反射的に後ずさりした。
 それを見て、態勢を立て直した神楽坂と桜咲が千草に切り掛かった。良い反応と悪くない判断だと感心した直後、士郎は初めて見た神楽坂の武器を見て、その形状がハリセンだった為に一目見て呆気にとられ、次の瞬間にそれの本質に気付いた。
 あれはハリセンではない、剣だ。あのハリセンの形状は、一種の封印状態か何かだろう。剣をハリセンの形に封印するという発想は完全に謎だが。アレの製作者は余程日本の笑いの文化が好きだったのだろうか。
 そんなことに余計な思考を割いてしまい、一瞬とはいえ隙を作ってしまった。銀髪の少年が身を屈めて、展示物の陰に隠れながら接近して来たのに気付くのが遅れた。気付いたのは、打ち込む直前の踏み込みの瞬間。
 咄嗟に弓で拳を防御したが、威力を殺せそうにない。自分から飛ぶ、という器用な真似は出来ないから、せめて足から力を抜いて踏ん張らずに拳を受けて、そのまま壁まで吹き飛ばされた。
「衛宮さん!」
「ウソ!?」
 桜咲と神楽坂は天ヶ崎千草を取り押さえる一歩手前の所だったが、士郎が銀髪の少年に殴り飛ばされたのに気を取られて、気を逸らしてしまった。
「来い! 猿鬼、熊鬼!」
 その隙に、天ヶ崎千草は先程から用意していた呪符を用いて、2体の式神を呼び出した。そこに銀髪の少年も加わり、形勢は一瞬で逆転してしまった。
「千草さん。上へ行きましょう」
「わ、分かった」
 しかし少年は追い打ちではなく撤退を進言し、それに頷いた千草は猿と熊の着ぐるみのような姿の式神を殿に残して上の階へと逃げて行った。
「逃がすか」
 追走するが、それを阻む為に神楽坂と桜咲には猿の式神が、士郎には熊の式神が襲いかかって来た。
 それに対して、士郎は弓を熊の式神の顔に投げつけると、空いた両手に干将と莫耶を投影し一撃の下に斬り捨てる。その勢いのまま猿の式神も斬ろうと目を向けると、調度、神楽坂がハリセンで猿の式神を叩いていた。すると、どうしたことか、猿の式神は呪符に戻ってしまった。あのハリセンの能力によるものだろうが、驚いている暇も確かめる余裕も無い。
「先に行く」
 それだけ告げて、強化の魔術で脚力を更に強化し、階段を上るようなまどろっこしい真似はせず階段を一気に跳び越える。そうして追走し続けて、屋上で漸く追いつくことができた。だが、ここで天ヶ崎千草は思わぬ行動に出た。
「く、来るな! 動くな! 動いたら……お嬢様を殺すで!?」
 召喚した鬼に御令嬢を捕まえさせ、小さな頭を軽く握らせたのだ。鬼の膂力が実際にどれ程かは知らないが、童話や伝説に語り継がれている通りならば、少女の頭蓋を砕くことなど造作も無いだろう。
「そんな、このか!!」
「このちゃん!」
 調度追い付いた神楽坂と桜咲が御令嬢の名を呼び、顔が青褪める。
 やれやれ、全く。正に子供騙しだ。
 天ヶ崎千草の言葉を無視して、弓矢を投影する。矢は、霊体への攻撃に優れた黒鍵を選択した。罷り間違っても討ち損ねることは無いだろう。
「ちょ、ちょっと、衛宮さん、何する気よ!? 動かないで!」
 弓に矢を番えようとした所で、神楽坂が士郎を咎めた。彼女の友達が命の危険に晒されているのだから、それを無視するような行動を制止するのは当然だろう。
 それを聞いた上で、天ヶ崎千草に言葉をぶつける。
「貴様はバカか? 貴様らが幾度となく生きたまま連れ攫おうと躍起になっていた御令嬢を、今更殺すはずがあるまい。脅し文句にしても三流未満だ、獄中から出直すんだな」
 敵の目的が御令嬢の殺害ならともかく、生きたまま誘拐することならば、先程の脅迫は根本的な所で成り立っていない。御令嬢を殺せば、奴らは目的を果たせなくなる。或いは、御令嬢を殺してもそれに則った別の作戦があることも考えられるが――
「ほ、本気やで!?」
「本気か?」
「う、うぅ~……」
 ――この様子を見る限り、それもありえないだろう。
 少し強く念を押しただけで、天ヶ崎千草は力無く声を漏らして視線を落とす。こうなると、これで本気だと思える人間の方が希少だろう。
「千草さん、ここは大人しく引き下がるべきだ。流石に、人が集まり過ぎた」
 銀髪の少年は眼下を見てそう言った。
 確かに、野次馬のざわめきが此処まで聞こえてきているが、奴らが人目につくことを今更気にことに違和感を覚える。先程は街中で堂々と魔術の類を使っていたというのに。もしや、あれはあの少女の独断専行だったのだろうか。それとも、彼らにとってはあれも許容範囲だったのか。
「せ、折角手に入れたもんを、このまま手放してたまるか! 絶対に、絶対にウチは……!」
 天ヶ崎千草が、ヒステリックに叫ぶ。何が彼女をここまで駆り立てるのかは知らないが、人々の平和を脅かすようなことを許すわけにはいかない。
 それにしても、遅い。この城に突入するよりも前に連絡をしたのに、ヴァッシュはどうして来ないのだ。まさか、迷子になっているのでもあるまいし。
 ……あいつが間に合わないようなら――。
 そう考えた瞬間、近くで銃声が響いた。突然のことに、咄嗟にそちらへ顔を向ける。見れば、少し離れた建物の屋根の上に、見慣れた赤い人影があった。

「ハーイ、日本の皆さんこんにちはー! 俺はヴァッシュ・ザ・スタピードだ!! この場に居合わせてしまった不幸なる諸君には悪いが、これから俺的スーパー皆殺しタイムに入る!!」

 な に を や っ て い る ん だ あ い つ は ! !





 少年と鬼を従え少女を連れ去ろうとする女性と、2人の少女と共にそれを阻む騎士を思わせる出で立ちの男の様子を、シネマ村にやって来た観光客たちは変わった趣向の演劇の類と思い込み、気楽に眺めていた。
 そんな中、突如として現れた丸渕のサングラスを掛けた赤いコートの男――ヴァッシュ・ザ・スタンピードの唐突な宣言に、誰もが彼の正気を疑った。先程の銃声も、大半の人間が本物のような発砲音のするモデルガンでも使ったのだろうと思って、ざわめく程度で騒ぎにはならない。
 すると、ヴァッシュは懐からある物を取り出すと、それを宙へと放り投げ――
「Ready……GO!!」
 ――直後に銃で狙い撃ち、空中で爆発させた。
 ヴァッシュが投げたのは、手榴弾。そして、1度しか聞こえなかった銃声で、撃たれた弾丸は3発。
 その爆発を見て、爆音を聞いて、変わった趣向の演劇を見ようと集まった野次馬達は一瞬の静寂を挟んでから恐慌状態へと陥った。
 ヴァッシュは士郎へとピースサインを送ってから、屋根の上から飛び降りて、逃げまどう大衆の前へと降り立った。
「ば、爆弾!? 本物の!? しかも銃も!?」
 突然の事態に、明日菜も野次馬と同様に混乱状態に陥っていた。今、こうして非日常の側に立っている明日菜だが、ほんの数か月前まではごく普通の一般人として平和な日本で暮らしていたのだ。目の前で爆弾と拳銃という、日本では非日常と危険の象徴ともいえる物が使われて平然としていられるほど精神は太くないし、鈍感でもないのだ。
「落ち着いて下さい、神楽坂さん」
 一方、刹那は明日菜よりも落ち着いていた。しかし、あくまで明日菜と比べてであり、刹那も十分に混乱していた。
 些細な勘違いからとんでもない過ちを犯した自分を許し、優しい言葉と表情で励ましてくれたヴァッシュが、目の前であのような奇行に走ったことが信じられず、平静を装うだけで精一杯だった。
 一方で、もう1人の赤い外套の男――衛宮士郎の行動は迅速だった。
「御令嬢は奪還した。騒ぎに乗じて俺達も逃げるぞ」
 明日菜と刹那がヴァッシュの行動に驚いている内に、木乃香の奪還を成功させていたのだ。そして、何時の間にか天ヶ崎千草とフェイトの姿は消えていた。
「あ、でも、服が……」
 ヴァッシュの暴走と、士郎による木乃香の奪還。驚くべき事態の連続に頭の回転が追いつかず、何を聞くよりも先に明日菜はそんなことを口走ってしまった。
 それに対して、士郎は呆れるでもなく、地上を走り回っているヴァッシュを見ながら答えた。
「あんなトリガー・ハッピー紛いの銃を乱射する暴徒が出現だ、着替えるのを忘れてここを出てしまう人間がいてもおかしくないさ」
 やれやれ、と、士郎はどこか慣れたような調子でそう言った。
「HAHAHAHAHAHA! Japanese Gentleman stand up please!!」
 そしてヴァッシュは、異様なテンションで銃を散発的に撃ちながら、逃げ惑う人々を追い回している。
 その様子を見て、明日菜と刹那は率直な疑問をぶつけた。
「えーっと……ヴァッシュって、衛宮さんの仲間、だよね……?」
「どうして急にあんなことを……」
 2人からの問いを聞くと、士郎はまずここから降りるようにと指図した。それに従って刹那と明日菜は屋根から建物の内部へと戻った。
 非常階段から外に出て、ヴァッシュが起こしている騒ぎを遠巻きに眺めながら、士郎は口を開いた。
「あいつは、超一流の道化師なんだ。自分が泥に塗れようと、何人もの人間に踏みにじられようと、それが誰かの為になるのなら、幾らでも笑われて見せるだろうさ」
 感慨深く、そしてどこか羨ましそうに、士郎はヴァッシュの行動の意味をそのように教えた。しかし、些か表現が遠回し過ぎたのか、明日菜と刹那は曖昧な返事で頷いて、取り敢えず納得したような素振りを見せる程度だった。
 2人の反応を見て苦笑を浮かべつつ、士郎は木乃香を背負い、明日菜と刹那を連れてシネマ村を離れ、本来の目的地である関西呪術協会の総本山へと向かった。









 ヴァッシュ・ザ・スタンピードによる銃乱射事件から数時間後。未だに右往左往する人々を、貸衣装屋の前でお茶を飲みながらのんびりと眺めている2人の男がいた。
 白尽くめの男と、額に包帯を巻いてサングラスを掛けている男。アラン・ザ・プレイヤーとE2だ。
「木を隠すには森の中、人を隠すなら人混みの中。上手いことやったもんだ」
 ヴァッシュが起こした騒ぎを、プレイヤーはそのように評した。
 大勢の人間が犇めく人混みの中、特定の人間を探し当てて追跡するのは不可能に近い。ヴァッシュの起こした騒ぎの中に紛れることで、近衛木乃香を奪還した衛宮士郎達は、最も危険になる『絶対に捨てられない荷物を抱えての撤退』を、あっさりとこなしたのだ。
 人探しに一点特化した道具や魔法があれば追跡も出来たかもしれないが、生憎と、それらの持ち合わせはなかった。
「それにしても、フェイトが出し抜かれるとは驚いたな」
「そうだね。この国で言うところの『阿吽の呼吸』ってやつかな」
 野次馬に混じって見ていたプレイヤーとE2も気付けず、先程、フェイト本人から聞かされた、近衛木乃香が奪い還された瞬間の顛末。
 ヴァッシュが手榴弾を狙撃した、あの瞬間。なんと、同時にフェイトと千草をも狙撃していたというのだ。フェイトは常時展開している魔法障壁のお陰で難を逃れたが、千草は足を撃たれた。そして、手榴弾が爆発し、全員の意識がそちらへと逸れた瞬間。衛宮士郎が弓矢とは思えない早撃ちで近衛木乃香を捕まえていた鬼を倒し、彼女を奪還した。
 近衛木乃香が奪還され、依頼人である千草は負傷。何より今回の主目的が近衛木乃香の拉致ではなかったことから、フェイトは千草を連れて撤退することを選択した。
 何らかの合図を送った様子も無かったというのに、あのような状況で即座にこれ程の連携が出来るのだから恐れ入る。
「今回の目的の、ヴァッシュの実力調査は……まぁ、最低限の成果は得られたかな」
 フェイトでも気付けなかったという早撃ちは、神速、神業の領域と言っていいだろう。ナイン達が怯える理由としては納得できないが、彼曰く『次元の違う存在』の力の一端を見られたと考えてもいいだろう。
 戦って本当に厄介なのは、必要とあれば平然と道化にもなれるあの気性だろうが。
「それはそれでいいとして、どうするよ。あれの連れのガキどもは」
 プレイヤーの結論に頷いてから、E2は貸衣装屋の中を指した。そこには、近衛木乃香と同じ班の、結果としてはぐれた3人の少女がいる。
 この仕事をスムーズに完遂させるなら、彼女たちを人質にするのが一番だが、残念ながらそれは駄目だと事前に釘を刺されている。
「人質は駄目だって言われたじゃないか。ウェルンくんは紳士的で困るよ」
「だぁね。依頼人の女も、戦争起こそうって割には甘いよなぁ」
「人質が使えないとなると、これから大変だね」
「同感。厄介だよな、本当」
 残念だ、本当に残念だ。あんな強敵を相手に、最も合理的で有効な手段を使えないだなんて。こうなってしまったら、手段を選んでいられないじゃぁないか。
「僕らが依頼を果たす為にどんなことをしても、それは彼女達のせいだよね?」
「ああ、そうだな。実際にやる俺達も悪いが、そうせざるを得ない状況を作ったやつが、もっと悪いよなぁ」
 2人は揃って、とても愉しげな、卑しく、おぞましい笑みを浮かべた。





[32684] 第十一話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/05/16 22:06
「み~なごろしー、皆殺しー、ひ~とりーも残さねぇ~。ヒャッハー!」
 銃を散発的に撃ちつつ物騒なことを叫びながら走り回って、もう30分くらいか。士郎達も無事に逃げられただろうし、僕もそろそろ、スタコラサッサと逃げ出しますか。
 思い立ったら即行動、適当に近くの壁を飛び越えて外に出る。正規の出入り口は逃げようとしている人達でごった返しているだろうから、騒ぎの原因の暴走野郎がそこに顔をだすのはとてもまずい。
 外に出て、取り敢えず人通りのなさそうな方へと移動する。
「……ふぅ。これからどうしようかなー」
 一応、目的地までの道順は聞いてあるが、土地勘が無いので結構不安だ。いざ迷子になったら士郎かリヴィオに連絡を取ればいいか。取り敢えず、1人で行けるだけ行ってみよう。そう決めて歩き始めてすぐ、曲がり角で士郎とばったりと出会った。
「あれ、士郎?」
「見つけたぞ、ヴァッシュ。まったく、無茶をして」
「無茶とか無謀とか、君に言われたくは無いかな」
「……お互い様だろうが、その辺りは」
「だよねー」
 他愛の無い言葉を交わしてから、士郎が1人だけなのに気付いた。
「で、1人だけでどうしたの? 明日菜たちは?」
「シネマ村を出てすぐの所で神鳴流の人と合流できたから、その人に任せて来た」
「なんで?」
 士郎が1人でいる理由は分かったが、そうまでして自分を探しに来た理由が分からない。士郎がこういうことでヴァッシュのことを心配することはまず無いからだ。
「お前のことが不安でしょうがなかったからだよ。案の定、その格好のままで出歩いてるんだもんな……」
 すると、士郎はそう言って大きく溜息を吐いた。
 今ヴァッシュが普段と違う所と言えばサングラスを掛けているくらいだ。だが、そんなどうでもいいぐらい些細なことで、こんなに士郎の頭を悩ませることになるとは思えない。なので、士郎の言おうとしていることがヴァッシュにはさっぱり分からない。
「え、どういうこと? この格好だと何かマズイの?」
 素直に質問すると、士郎は頷いて状況を説明してくれた。
「お前のさっきの銃乱射、1時間と経たない内に警察の捜査が始まりかねない大事件なんだよ、日本だと」
「え、マジで?」
「今日の夕方のトップニュースは、全国でこの件ばかりだろうな」
「お、恐るべし。日本の情報伝達速度」
 先程のヴァッシュの行動は、ノーマンズランドでは何日か後に新聞に載っても三面記事程度の事だったのだが、日本ではその日の内にテレビのニュースにまでなるという。しかも、真面目で働き者と評判の日本警察の方々まですぐに動くとなったら、確かにヴァッシュだけでは不味かった。
「そういうわけだ。コートを脱いでサングラス取って、髪は適当にボサボサにしておけ」
「うん、分かった」
 外見的な特徴に当たる部分を全部排除して、見つかり難くしようという寸法だ。士郎の指示にすぐ頷いて、まず頭をボサボサに掻き乱して、続いてサングラスを仕舞う。そしてコートを脱いで、さて、どうやって持ち歩こうか。
「コートはどうする?」
 このまま脇に抱えて歩いていたら、もしかしたら目敏くて勘のいいお巡りさんに気付かれてしまうかもしれない。
 すると、士郎は少しの間を置くと、手の中に紙袋を作り出した。
「これに入れておけ。ついでに銃も」
 何でも無いように差し出しされた紙袋を、ヴァッシュは溜息を吐きながら受け取った。
「本当に凄いよね、君の投影魔術」
 無から有を作り出しているわけではないらしいが、傍から見ればそうとしか見えない。まるで、プラントのようだ。それを本人は、何でも無いことのようにやってしまうのだから、ため息も漏れるというものだ。
 そんなことを考えながら、受け取った紙袋に折り畳んだコートと愛用の銃を入れる。投影魔術で作り出した物は壊れやすい上に壊れたら消えてなくなってしまうから、持ち歩くにも気を付けなければ。
「よし、それじゃあ行くぞ」
「了解」
 ヴァッシュの準備が終わったのを見計らって、士郎は出発を促した。すぐに頷いて、関西呪術協会の総本山へと向かう。ちびせつなの姿が見当たらないことを訊ねると、敵との交戦時に剣で両断されてしまった、ということだった。そのことを悲しむが、あくまでただの式神――つまりロボットのようなものだ――だったのだから、感情移入をし過ぎるなと窘められる。
 途中、つい先程士郎と対峙していた2人のことを考えた。あの時ヴァッシュは、騒ぎを起こすタイミングを見計らって彼らの姿を具に見ていた。その時のことは、今でも鮮明に思い出せる。
 どうしたら、彼らを止められだろう。
 あの眼鏡を掛けた女性――特徴からして、彼女がアラン達を雇った天ヶ崎千草か。彼女は、士郎に気圧されてこそいたが、諦める気配がまるで無かった。足を撃たれたぐらいでは、あの場を退いてもきっと止まらない。
 どうして、彼女はこんなにも平和な国で生きているのに、その平和を自分の手で壊して、多くの人が犠牲なってしまうようなことをしようとしているのだろう。それも、あんなにも必死になって。
 彼女がそうしようとする理由を知りたい。それを知らないと、彼女は止められない。彼女を止める為に、どんな言葉が必要なのかも分からない。
 力ずくで止めるだけじゃ、絶対に駄目だ。
「……なぁ、ヴァッシュ」
 士郎が急に、足を止めずに話しかけて来た。考え事は一旦脇に置いて、すぐに応える。
「なんだい?」
 聞き返すと、士郎は少しの間を置いてから、ゆっくりと口を動かした。
「ありがとう。お前のお陰で、早まらずに済んだ」
「……そっか」
 士郎、まだ、悪い癖が抜けないんだね。あんなにも素晴らしい理想を懐いているのに、君はすぐに割り切ろうとしてしまう。
気が遠くなるほど、実現するのが困難な理想だ。けれど、君はそれを諦めてないし、これからも諦めることは無いだろう。
 なのに。何故、君は、人の命の尊さが分からないんだ。
 これまでに何度も、この事で話し合った。けど、君はその度に、苦しそうな顔をして「分かっている」と、呻くように、悲鳴を押し殺したような声で呟くばかりだ。
 今は日本の平和を左右する事件の真只中だ。ヴァッシュもこの事を追究するつもりは無い。だがいつかは、士郎に全てを話してもらいたい。
「士郎。やっぱりさ、僕はこう思うんだ。誰でも、死んじゃうよりも生きている方がずっといい、って」
「……そうだよな。誰にも、誰かを死ぬべきとか、死んで当然とか、決めつける権利は無い。俺も、そう思うよ」





 電車やバスを乗り継いで、途中降りるバス停を間違えたり、ヴァッシュが土産物の試食に時間を取られたりと思いがけないミスで時間をロスしてしまったが、無事に関西呪術協会の正門へと至る千本鳥居の入り口にまで辿り着いた。
「はー……絶景だね」
「凄いもんだな」
 暫くそうして見惚れていると、士郎達が来るのを待ってくれていたリヴィオが歩み寄って来た。
「お待ちしていました、ヴァッシュさん、士郎さん。御無事で何よりです」
「リヴィオ。そっちも無事みたいだね。良かった~」
「詳しい話は移動しながらしよう。ヴァッシュ、もう元の格好に着替えて大丈夫だぞ」
「オッケー」
 ここから先は、もう人目を気にすることも無い。ヴァッシュがいつもの服装に着替えるのを待ってから、リヴィオに案内されて千本鳥居をくぐった。ついでに、紙袋の投影も破棄しておく。
 歩いていてはかなり時間が掛かるらしいから走って移動する。同時に、走りながら情報交換をする。
 リヴィオの方にも予想通り妨害はあったものの、結果的には敵の一味の1人を捕まえた上で、無事にネギは親書を届けられたようだ。その後、今から1時間程前に神鳴流の剣士に連れられて御令嬢達も無事に総本山に入った。これで、当面の安全は確保できたと考えていいだろう。
 捕まえた少年――犬上小太郎というリヴィオの知り合いらしいが、彼から得られた情報は多くはなかった。だが、敵のメンバーについて明確に知ることができたのは大きい。アジトの情報も得て呪術協会の呪術師たちが向かったものの、そこは既に引き払われていたらしい。
 敵の構成人員は、小太郎を除いて8人。首謀者の天ヶ崎千草。銀髪の西洋魔術師の少年、フェイト。神鳴流剣士の少女、月詠。白尽くめの参謀役、プレイヤー。赤目の侍のソードは、ケン・アーサーのことだろう。額に包帯を巻いている男、E2。そして、小太郎は一度も顔を合わせていないというナインと、プレイヤーが急遽呼び寄せたという助っ人。
 ネギの証言によれば、E2と特徴が一致している男にホテルで話し掛けられているということから、顔が割れているのは6人。
 現時点での明白な脅威は、ケン・アーサーと、底知れない不気味さを感じさせるフェイトという少年の2人。同時に気になるのは、正体不明のナインと助っ人だ。最悪、先に挙げた2人以上の脅威という可能性もある。用心しなければならないだろう。
「それにしても、ヴァッシュには参ったもんだよ。こいつ、俺達を援護するためとはいえ、急に銃を乱射して群衆の中に飛び込んだんだよ」
「あー……やっぱりと言いますか、なんと言いますか……」
「な、なんだよぅ! 2人してそんな目で見なくてもいいだろー!」
 情報交換を終えて、そんな、何でも無い会話をし始めたところで、関西呪術協会の総本山の正面玄関に着いた。広大な敷地と日本の伝統的な造りの大きな建物に目を奪われたが、ここには見物で来たのではない。
「お二人とも、こちらへどうぞ。関西呪術協会の長、近衛詠春さんの下へご案内します」
 リヴィオに促されて、未だに見惚れているヴァッシュの首根っこを掴んで同行する。恨み事を散々言われたが気にしない。渡り廊下や広間を幾つも抜けていくと、リヴィオは襖で仕切られた部屋の前で立ち止まった。
「詠春さん、ヴァッシュさんと衛宮士郎さんをお連れしました」
「ご苦労様です。お2人とも、中へどうぞ。リヴィオくんはあの子達に付いていて下さい」
 リヴィオが声を掛けると、すぐに返事があった。どうやら、ここは近衛詠春の私室のようだ。自分達のような風来坊が入ってもいいものかと思ったが、あちらの立場を慮れば、形式的に会うよりも個人的に会う方が良いのだろう。
 なにしろ、ネギの親善大使としての来訪はあくまで機密事項。どこの馬の骨ともしれない男が、関係者として接見するのはいかにも不味い。
「じゃあ、俺は一旦失礼します」
「うん。ありがとうね、リヴィオ」
「助かったよ。また、後でな」
 リヴィオと言葉を交わしてから、襖を開けた。
「ようこそいらっしゃいました、衛宮士郎くん、ヴァッシュ・ザ・スタンピードくん。さぁ、こちらへ」
 2人を迎え入れたのは、眼鏡を掛けた壮年の男性だ。この人が近衛詠春か。
「お邪魔しま~す」
「失礼します」
 挨拶にそれぞれ応じてから、促された席へと腰を下ろす。座布団に座るなど、何年振りだろうか。
「今回の件について、関西呪術協会の長としてだけでなく、木乃香の父親としても礼を言わせて下さい。ありがとうございました」
「いやぁ~、お安いご用っすよ、ホント」
「私達はリヴィオの手伝いということで、勝手に首を突っ込んだだけです。こちらこそ、出過ぎた真似を許して頂いて恐縮です」
 真っ先に告げられた詠春からのお礼の言葉に、ヴァッシュはいつも通りに、士郎はやや緊張しながらそれぞれ応える。
 まさか、日本の魔術組織の長である人物にいきなり頭を下げられるとは思っていなかった。どうやら、自分のイメージしている組織の上役のような人物ではないようだ。
 簡単な自己紹介を終えると、詠春からネギによって無事に関東魔法協会からの親書が届けられ、これをきっかけに東西の親交を深めていくことになるだろう、という吉報を教えられた。
「これで漸く、肩の荷が軽くなりました」
「東西和睦の成立、おめでとうございます」
「よかったですね」
 士郎とヴァッシュは、率直に祝いの言葉を贈った。しかし、親書が届いたから、これからは20年の軋轢を忘れて仲良くしよう、などと言っても、心に蟠りを持つ人間をすぐに変えられるわけがない。
「ありがとうございます。ただ、今日の事はあくまで第一歩。本当に大事なのはこれからですよ」
 今日が終わりではないということは、外野が言うまでも無く詠春自身が最も良く分かっていた。当然だ。詠春は呪術協会の長としてずっとその現場を見続けて、何とか改善しようとしてきた人物なのだから。
 次いで詠春が話してくれたのは、近衛木乃香が狙われた理由だ。
「木乃香には類稀な魔法の素質の持ち主です。特に魔力の許容量は極東地域でも随一、世界でも屈指のものでしょう。ですが、本質的な問題はそこではありません」
 そこで一度、詠春は言葉を区切る。僅かに、その表情に後悔の色が浮かび上がった。
「私は、あの子には魔法や呪術とは無縁に育って欲しいと、そう願って、裏の事情については一切教えずに育ててしまいました。しかしそのせいで、あの子は魔法や呪術から身を守る術を何一つ知らないのです」
 微かに声を震わせて、詠春は己の判断に己自身で怒っているかのようだった。自分の教育方針のせいで娘を今危険に晒してしまっていることが、親として心底悔しく腹立たしいのだろう。だが、その始まりは紛れもない子を想う心、純粋な愛情だったはずだ。
「自分を責めないで下さい、詠春さん。詠春さんのしたことは、間違いなんかじゃありません」
 我が子の才能に敢えて目を瞑ってでも危険から遠ざけようとした詠春の親心は、決して間違いではないはずだ。同じようにして最初は養父に魔術から遠ざけられていた士郎には、そう思わずにはいられなかった。
「そうですよ。そのお陰で、このかちゃんもあんなにいい子に育ったんじゃないですか?」
 ヴァッシュも士郎と同様に、詠春を肯定する。木乃香についてはネギ達に人柄を伝え聞き、護衛として一度遠目に見守っただけでこう言えるのもヴァッシュらしい。
「ありがとうございます。そう言って頂けると、救われます」
 張り詰めていたもの弛めたような表情で、詠春はそのように言って頭を下げて来た。これには士郎も恐縮して頭を下げる。
 そこからは、話を本題に戻す。
「つまり、奴らの狙いは精神操作の類によって、御令嬢を魔力の増幅器として使うことだった、ということでしょうか」
「恐らくは、その通りでしょう。あの子の持ちうる魔力を用いれば、実現不可能な術式は殆ど無いでしょうからね」
 士郎が訊ねると、詠春は隠す素振りも見せずにすぐに肯定した。
 これまでの話から、天ヶ崎千草の一派が御令嬢を誘拐しようとしたのは何らかの取引の為の交渉材料としてではなく、士郎が推察したような何か別の思惑があると考えるのが当然だ。なら、近日中に再度の襲撃の可能性は極めて高い。
 そのことを伝えると、詠春は「総本山の守りは万全です。もし彼女達が次に木乃香を狙うとすれば、それはここを発つ時でしょう」と言い切った。それだけ、この総本山の防衛力に自信があるのだろう。
 近衛木乃香についての話が終わると、次は詠春がリヴィオから伝え聞いていたというヴァッシュことを中心に話をした。
「酷い事故の後はぐれてしまい長く消息不明で生死も定かでは無いと、リヴィオくんはずっと、あなたのことを案じていました。私の方でも捜索に手を尽くしていましたが、こうして無事にお会いできて何よりです」
「いやぁ、どうも。これでも、頑丈さが取り柄なもんで、この通りピンピンしてます」
 詠春からの無事を喜ぶ言葉に、ヴァッシュは少し照れくさそうに返した。
 そのついでに士郎も詠春がリヴィオと出会った経緯などを色々と聞いたが、どうやらリヴィオに関しては『魔法が絡まない部分での裏社会の人間で、不運にも魔法関連のアクシデントに巻き込まれて総本山の近くに転移して来てしまった青年』という認識のようだ。
 リヴィオも、並行世界の未来の別の惑星からやって来ました、などという荒唐無稽な事実は話していないようだ。ということは、リヴィオはヴァッシュが持っていたという“羽根”を持っていなかったのだろうか。ヴァッシュはリヴィオも多分持っているだろうと言っていたが。
 隣のヴァッシュに目をやると、「そうだったんですかー」と取り敢えず納得しているようだが、どこか腑に落ちないような表情だった。
「おや、もうこのような時間ですか。これから、東西の和睦を祝う宴会があります。ヴァッシュくんと衛宮くんも是非、参加して下さい」
「はい、勿論です!」
「お言葉に甘えさせていただきます」
 一通りの話が終わり、詠春からの宴会の誘いにヴァッシュは即座に応じた。士郎はそれを見て苦笑を浮かべてから、同じく答えた。
 ヴァッシュは賑やかで楽しい場所が大好きで、その上大食いだ。宴会と聞けば黙ってはいられまい。
「っと、そうだ。最後に一つ訊きたいんですけど」
 部屋から出る直前に、ヴァッシュは詠春を呼び止めた。
「なんですか?」
「彼女……天ヶ崎千草が、どうしてあんなことをしているのか。理由を知っていたら教えて下さい」









 宴会は盛大に行われた。
 東西和睦の成立の祝いだけでなく、御令嬢とその友人達の歓迎会も兼ねていたが、最も目立っていたのはリヴィオとヴァッシュと士郎だった。リヴィオとヴァッシュが作法も遠慮も何も無しにガツガツ食べているのを、士郎に度々注意されていたからだ。
 ノーマンズランドでは礼儀作法など糞食らえ、食卓は戦場と同じという風土だった。リヴィオも教会で璃正や綺礼と暮らしている時は極力そういうことを気にしていたが、やはり目の前に大量の、しかも美味しそうな食料が並んでいるとなると、抑えがきかなかった。
 食事について本気で士郎に怒られた時はちょっと居た堪れなかったが、その様子を見てネギたちも面白そうに笑っていたし、まぁ、いいか。
 宴会が終わって一服して、今度は風呂に入ることになった。ネギと詠春が上がるのと入れ替わりで、リヴィオはヴァッシュと士郎と一緒に風呂に入っている。
「いやぁ、天然素材の美味しい料理をお腹一杯食べて、今はこうしてゆっくりとお風呂に入る。贅沢の極みって感じだね~」
「日本じゃこういうのを、極めて楽しいと書いて極楽と言うらしいですよ」
「ちょっと違う気がするが、だいたい合ってるな」
 幸せそうな顔で呟いたヴァッシュの言葉に頷く。士郎によると少し違うらしいが、だいたい合っているようでもあるし、それでいいだろう。
 だが、本当に。食事はともかくとして、こんな風にお湯の中に身を沈めるなんてことは、ノーマンズランドにいた頃は想像もしていなかった。
 ノーマンズランドで、こういうことができるようになる日は来るのだろうか。地球連邦政府の一員になったといっても、それだけでノーマンズランドの日常が激変したわけではない。強いて言えば、新型衛星とテレビジョンの登場で情報伝達は格段に速くなったことぐらいか。それも、個人レベルではあまり実感の無いことだ。
 もしも、俺が生きている内に出来るようになったら、孤児院のみんなと入ってみたいなぁ。……無理だろうけど。
「このまま、何事も無く事が終わればいいんだけどねー……」
「そうはいかないだろうな」
 ヴァッシュの祈るような呟きに、士郎が即座に返した。
「ここのバリア――結界は、かなり優秀なものらしいですから、当てには出来ると思いますよ」
 首謀者の天ヶ崎千草は総本山の守りの堅牢さと、長である詠春の強さを良く知っているはずだ。だから、ここにいる間に手出しをして来る可能性は低いと思っていいはずだ。だが、それを聞いたヴァッシュが、うーん、と唸った。
「けどさ、こういう所のバリアって、敵に攻められるとあっさりパリーンと割れちゃうイメージがあるんだけど」
 それを聞いて、浴槽をずり落ちそうになった。
 何を言うかと思ったら、この人は……。
「それはロボットアニメのお約束だ。実際、ここの守りは大したもんだよ。人の出入りが盛んという点を除いてな」
 ヴァッシュのボケに的確なツッコミを入れてから、士郎も魔術師というだけあって総本山の守りついて触れ、高く評価していることを明かした。だが、最後に付け加えられた言葉が気になった。
「出入り口として穴が開いているということは、別の所に穴が開けられることでもある……ということですか?」
「ああ。そして、あちらには魔術関連の攻城戦の専門家もいる。油断は禁物だ」
「了解です。改めて、その旨は俺から詠春さんと神鳴流の方々に伝えます」
 士郎からの忠告を受け取って、すぐに頷く。そうだ、奴らの中にはただの殺し屋の類だけでなく“魔人”までもが紛れているのだ。万が一にも油断をしていいものではない。
 リヴィオと士郎が改めて緩んでいた警戒心を強くした、直後、ヴァッシュが湯船の真ん中で両腕を振り下ろして水面を叩き、大きな飛沫を上げた。
 どうしたのだろうと、士郎と共にヴァッシュを見る。
「んもぅ! そーゆーのは置いといてさ~。今はゆっくりしようぜ~」
 緩み切った、間抜けにも見える表情でそう言われて、つい笑ってしまった。
 確かに、気を抜いて油断することは出来ないが、気を張り詰めらせるばかりではなく、緩ませることも必要だ。
「そうだな」
「今は、ゆっくりしていましょう」
 頷いて、肩までゆったりと湯船に浸かる。
 今はゆっくり寛いで、いざという時に備えて英気を養おう。





「こんばんは」
 ネギ達が部屋で話をしていると障子が開き、挨拶と共に士郎が入って来た。
「エミヤさん、こんばんは」
 ネギが率先して挨拶を返すと、他の皆も「こんばんはー」と続いた。
「あ、衛宮さんとヴァッシュもこの部屋……なん、でしたっけ」
 この部屋に案内された時に聞かされたことを明日菜が思い出して口に出したのだが、相変わらず変な敬語になってしまっている。しかし、士郎は気にした風も見せずに頷いた。
「ああ、そうだ。それと、神楽坂、無理に敬語を使わなくてもいいぞ」
「そうですか? それじゃ、お言葉に甘えて。これからはこういう感じで」
 士郎が言うと、明日菜はあっさりと口調を普段のものに戻し、士郎もそれに気軽に応じた。
「あれ? けど、ヴァッシュさんがおらんみたいやけど?」
 言われてみれば、赤い人影が1つ足りない。木乃香からの問いに、士郎は後ろを見遣りながら答えた。
「あいつは……散歩に出ている。この部屋に来るのは君達が寝静まってからかもな」
 随分と長い散歩だと思ったが、深く追及しようとは思わなかった。
 危うく攫われそうになった木乃香を、一度ならず二度までも無事に取り返してくれたことから、ネギは士郎とヴァッシュに全幅の信頼を寄せていた。だから、疑問が浮かんでも、きっと彼らなりの理由や事情があるのだろうとすぐに自分自身で納得した。
 士郎が腰を下ろすと、木乃香が再び話しかけた。
「そや。衛宮さん、お話を聞かせてくれへん?」
「お話って……何の話を?」
「衛宮さんも、ネギくんみたいな魔法使いなんやろ? それも、世界中を旅していたっていうし。その旅のお話を聞いてみたいんやわ」
 今回の事で、木乃香に魔法の存在や裏の事情を隠し切れないと考えた詠春は、ネギ達と共に木乃香にそれらのことを全て教えていた。それに対して木乃香は、思いの他あっさりと納得して受け容れていた。明日菜が知ってしまった時は、もっと慌てふためいたり懐疑的だったりしたのだが、人によってこうも反応が違うものかとネギも驚いた。
 先程までも、今まで麻帆良で木乃香が知らない内に起こっていた魔法に関する事件について話していたところだった。その中で、士郎とヴァッシュの話題も上がっており、2人は世界中を旅している魔法関係者だと説明していたから、そこで興味を持ったのだろう。
「あ、それ、私も気になる」
「私も、興味があります」
 明日菜が木乃香に続き、刹那も同意した。
「僕も、後学の為に是非、聞かせて欲しいです」
 ネギも『立派な魔法使い』を目指す者として、現役の先輩の話には興味津々だ。
「その……出来れば、オイラに関することは伏せて欲しいっす……」
 普段の活発な姿からは掛け離れた萎縮した様子で、恐る恐る、カモミールは自分のことを話すのは避けてくれと頼んでいた。カモミールが言っているのが何の事か、ネギにも分かった。そんなに後悔しているなら、最初からやらなければ良かったのに、と思っていると、士郎が頷いた。
「分かった。それじゃあ、ウェールズでの下着泥棒騒動から話そうか」
「イヤー! エミヤの旦那ぁー!」
 士郎の迷いも躊躇いも容赦も無い言葉に、カモミールは叫び声を上げながらしがみついた。だが、士郎は笑みすら浮かべて話し始めた。
 今夜は、眠るのが遅くなりそうだ。



















 夜が更け、闇が濃くなる。
 闇夜を照らすのは、月明かりと星明かり。
 だが、何処からから流れて来た黒雲が、月を覆い隠した。
「それじゃあ、行こうか」
 ――手段を問わず、近衛木乃香を強奪せよ――
 それが、今からの仕事の内容。
 用いる手段の下限の指定が無いのと同時に、上限の指定も無い。
 本来ならば、常識や理性、道徳心や良心などの枷によって、良くも悪くも人の行動は限定される。だが、それも普通ならばの話だ。
 彼らの常識や理性は、常軌を逸している。
 彼らに、道徳心や良心と呼べるものは無い。
 闇が、辺りを覆う。
 光の届かぬ所を際限なく、闇が呑み込んでいく。



[32684] 第十二話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/05/22 01:08
 時刻は、間もなく午前0時。思いの外士郎の話に熱中していた少年少女達も、11時を過ぎた辺りで全員が眠りに就いている。今日の事の疲れがあったのだから、年頃を考えても遅いぐらいだろう。
 子供達の寝顔を見渡した後、士郎は窓辺へと移動した。ここは、関西呪術協会の来客用の寝室だ。来客用ともなれば、景観の良さを重視して外側に配置されていることはごく当たり前のことだろう。しかし、このような場所は防衛に適しているとは言えない。
 守り易く攻められ難い地形の選択は、防衛戦の基本。賓客を守るならば、外側に面していない建物の内部が最適だ。詠春や士郎にその最適を躊躇わせたのは、ネギ達がまだ子供だということだった。本来ならば彼らは修学旅行を楽しみ、このような厳しい体験をする必要など無かったのだ。ならばせめて、少しでも楽しい思い出を作らせてやりたいという想いから、この場所を選んだ。
 実際、かつて住んでいた木乃香や刹那はそれほどでもなかったが、ネギや明日菜、ついでにカモミールも、ここからの眺め、特に今の時期には珍しい夜桜をとても楽しんでいた。少なくとも、無意味では無かっただろう。
 この判断の為に万が一のことがあったら元も子もないが、そんなことはさせまいと、士郎は警戒を怠らずにいた。
 本来ならばヴァッシュもこの部屋にいる予定だったが、話し合った結果、ヴァッシュもリヴィオや神鳴流の剣士たちと一緒に見張りに立っている。取り分け直観力に秀でたヴァッシュとリヴィオが異常を感知した場合、即座に発砲して報せる手筈になっている。魔術的な部分に関しては、同じく寝ずの番を行っている呪術師達もいるから、サポートは万全と言えるだろう。
 これだけの態勢も、杞憂であればいいのだが。





 時刻は深夜1時を回った。
 リヴィオは屋根の上に立って辺りを数分間見回した後、地面へと跳び下り、そのまま歩哨を続けた。
 呪術師達の話によれば、敵がもし総本山への侵入を試みるとすれば午前0時だと言っていた。なんでも、昨日と今日、今日と明日、それらの境界があやふやで曖昧になる瞬間は、どんな結界も精度が落ちるらしい。だが、その時刻になっても何も起こらず、1時間が過ぎても何らかの異常の痕跡も見られない。ここの守りの堅さに諦めて手を引いたのか。それとも、これから仕掛けて来るのか。考えながら、リヴィオは歩く。
 ふと、空に目を向けると、黒雲が見えた。ノーマンズランドでは見たことも無かった黒い雲も、もう随分と見慣れたものだ。初めて雨を見た日のことと、嵐に直面した日のことを思い出しながら、雲を眺めた。その黒雲が、月を隠し、辺りが少し暗くなった。
 その瞬間、2つの巨大な殺気を察知した。
 突如として眼前に鋭利な刃物が現れ、背後に巨大な塊が落下して地面を揺るがす――そんな錯覚を感じたと同時に、リヴィオはダブルファングを抜き、上空へと発砲した。それより100分の1秒ほど早く、別の発砲音が聞こえた。ヴァッシュだ。彼も同じタイミングで発砲した以上、これがリヴィオの勘違いではないということは明白だった。
 十字架から銃の形態へと変形させたダブルファングを両腕に構え、より近い刃のような殺気の方向へと向かう。恐らくその先にいるのは、ケン・アーサー。
 リヴィオは焦ると同時に、驚愕していた。こんな、隠していた様子が微塵もないような殺気を、どうして敷地内に侵入される瞬間まで気付けなかったのか。どうして何の前触れもなく殺気が出現したのか。
 そこで、昨日のある出来事を思い出した。空間連結型結界に閉じ込められていた時に、ケン・アーサーの殺気が今のように唐突に現れていたことだ。つまり結界には、殺気をも遮断してしまうような機能もあったということではないか。そうだとしたら、この事を軽んじて自分の中だけで片付けて、報告をしなかった自分の失態だ。
 歯を食いしばりながら、リヴィオは刃のような殺気の下へと急いだ。









 神鳴流剣士の山田が異常を察した先輩と共に正面玄関へと来て真っ先に目に入ったのは、正面玄関の警護を担っていた神鳴流剣士、土井の五体を引き裂かれた惨殺体と、その下手人と思しき和服の男だった。
 それを見た瞬間、山田の中に激しい怒りが湧きあがった。
「貴様ぁ! よくも土井さんを!」
「待て、山田」
 山田が殺された土井の名を叫び男に斬りかかろうとした所を、共にこの場へ駆けつけた先輩剣士の斎藤が止めた。
 下手人の和服の男は、ゆっくりと視線を山田達に向けた。
「何故です、斎藤さん!?」
「落ち着いて、力の差を弁えろ」
 怒声混じりに山田が問うと、斎藤は落ち着いた声でそのように諭した。山田は怒りで乱れた呼吸を整えながら、男の様子を具に観察する。
 男は、呼吸も乱さずに静かに佇んでいる。良く見れば腰に刀を帯びているが、その刀が抜かれた形跡は無い。土井の死体に、鋭利な刃物による傷が無いのだ。あるのは、強引に、力任せに引き千切られたと思しき傷口と破れた衣服だけ。そして、男の双眸は通常の人間ではありえない、異形の者の証とされる赤い瞳。それらの特徴から、山田はリヴィオと犬上小太郎から聞いた、敵の凄腕剣士の話を思い出した。確か、ソードとか言う通り名の男だ。
 目の前の男は剣士でありながら、刀を使わずに土井を倒したということになる。しかも、斎藤が異常を察知してからここに辿り着くまでの3分にも満たない時間で。そこから導き出される結論は一つ。
「…………強い」
 こうして対峙しても、力の差がはっきりと感じ取れないほどに、目の前の男は自分よりも遥かに強いのだと山田は認めた。一方で、斎藤は始めから力の差が分かっていた。自分達2人がかりでも、勝ち目が薄い相手であると。
 だが、だからと言って敵に背を向ける程、彼らは臆病では無い。
「そうだ。あの土井が刀を抜かせることもできなかった相手だ、死力を尽くしてかかるぞ!」
「はい!」
 2人同時に刀を抜き、気で体を強化する。一人前の神鳴流剣士が2人揃えば、敵うものはそうはいない。鬼が百の群れで現れたとしても遅れを取らないだろう。しかし、赤目の男――ソードは刀を抜く気配は見せず、無手のまま構えた。それを驕りとは見ず、2人は同時に斬り掛かった。
 斎藤は気を用いた神速の移動術――瞬動術によって、文字通り瞬きするよりも早く間合いを詰め、神鳴流の剣技を叩きこむ。山田は敵から離れたままだが、その距離でさえも神鳴流の間合いの内なのだ。
 斬岩剣と斬空閃。巨岩をも一撃で斬り裂く剛剣と、空を切り裂いて飛ぶ一閃。この2つを同時に捌くことは達人にも不可能だ。
 神鳴流の刃を向けられたソードはそれらを無理に受けようとはせず、余裕を持った動作でかわした。それを見て、山田は衝撃を受けた。ソードは明らかに、瞬動術での動きを見た上で回避の動作を取っていたのだ。常人はおろか、一流の戦士でさえも目で捉えることが不可能とされる神速の業を、易々と捉えられた。俄かには信じ難いが、前例はある。ならば、有り得る。
 斎藤は空振った剣をすぐさま構え直し、一度距離を置いた。その隣に、山田も並ぶ。山田は斎藤の顔色を窺ったが、焦燥は見て取れたが山田ほどの驚愕は見えなかった。やはり、斎藤はそれだけ力の差を自覚していたのだろう。死力を尽くせと言ったのも、言葉そのまま。
 ここで、山田はつい苦笑した。近年の神鳴流は鬼を始めとした様々な怪異に対して連戦連勝、苦戦を強いられることの方が珍しいぐらいだ。だから今回の仕事も、どんな強敵が現れても最後には勝てると、そう思い込んでいた。
 しかし、目の前の強敵は、命を懸けて挑んでも必勝を望めないほどの兵(つわもの)だ。勝つにせよ負けるにせよ、恐らく、自分は死ぬ。だが、ただでは死ねない。
 命を懸けて、この男をここで倒す。漸く成った東西の和平、日本の真の意味での平和への第一歩。それを守る為に死ねるならば本望。
「行きます!」
「応!!」
 山田の掛け声に、斎藤が即座に応える。
 ソードは無手のまま、相手の出方を窺って――否、2人の攻めを待っていた。
 2人の姿が消える。完全同時、左右逆方向への瞬動術。5mほど移動した所で一瞬だけ止まって方向転換し、再び前方へ。そして、異なる距離で同時に止まり、三度目の瞬動術。
 山田は瞬動術の速度そのままに、ソードへと切り掛かった。自身の力量では到底行えないはずのことを実行できたのは、命を懸けるという想いに肉体が引っ張り上げられた結果か。しかし、その剣は見切られ、かわされると同時に腹に貫き手を撃ちこまれた。速度の反動を差し引いてもその威力は尋常ではなく、腹筋を突き破り臓物までも破壊された。いや、背中を突き抜けた衝撃は、背骨と背筋をも貫いたか。
 あまりにも呆気ない致命の一撃。だが、これは絶好の好機。腹に手が打ち込まれた瞬間に周囲の筋肉を収縮させ、同時に刀を棄てて渾身の力を込めてソードの腕を掴み、動きを封じる。その瞬間、ソードの背後に雷の力を帯びた斎藤の刀が迫る。神鳴流奥義、雷光剣。その威力は、人間の1人や2人ならば消し炭にするほどだ。相手が人より強靭な人外の者であろうとも、神鳴流の技は魔の天敵。威力は更に増すのだ。
 山田が薄れゆく意識の中で勝利を確信した直後、彼の意識は途絶えた。

 神鳴流剣士、斎藤の振り上げた刀は、切っ先が天を指したところで、ピタリ、と止まり、動かなくなった。
 やがて、刀身に帯びていた雷光が徐々に収束し、霧散した。全身から力が抜け、腕が落ち、手から刀が滑り落ちる。
 斎藤は目前の魔人に目を剥き、喀血した。その血を、魔人の一部は酷く美味そうに啜り、一滴たりとも地面に落とさなかった。
「き……ぁ……」
 言葉を発そうとしても、喉に詰まった血が発声を妨げる。魔人の首から伸びたものに貫かれた胸を中心に、自身の血流が狂って行くのを感じる。それが敗北の実感でもあると理解するのに、さほどの時間はかからなかった。
「魔と人の関係を見誤る者しかいないのか、神鳴流は」
 腕で以って山田の亡骸を咀嚼しながら、魔人は問い掛けて来た。その言葉に滲んでいるのは、呆れと落胆。それに対して斎藤は反論できず、絶望の中で肯定した。
 不覚。何故、こんなにも当たり前のことを見誤っていた。……否。忘れ去り、都合良く勘違いをしていたのだ。
 神鳴流の、退魔の技は、本来は魔の天敵ではない。その原点は人が魔に対抗するべく練り上げた技巧であり、武器であり、手段であり、小細工だったのだ。ならば、元より圧倒的な力を持つ魔が、人と同等以上の技や術を身に修めていたのなら……敵うはずが、無い。
「え、い、しゅん……さま。もうし……わけ、ござい、ま……せ、ぬ……」
 血で潰れかけた喉から最期に捻りだせたのは、斎藤が敬愛し憧れ続けた人への、詫びの言葉だった。
 それを聞いた魔人は、斎藤の血肉を一息に貪り食らった。





 ソードは2人の血肉を貪り食った後、自らの血文字を使って作った呪符を用いた囮を懐から取り出し、最初にバラバラに引き裂いた死体の一部を両脇に抱え、総本山の内部へと本格的に侵攻した。
 死体を食らわずに持ち歩くのは、これを使って動揺を誘い、目的の者以外との遭遇戦を手早く終わらせるためだ。囮の方も、高確率でこちらに向かって来ているだろうダブルファングへの目晦ましだ。これを随所に配置しておけば、感は鋭くとも魔術の知識に欠けるダブルファングを足止めすることができるだろう。
 万が一あちらの勘が当たって遭遇したのならば、それも一興。だが、今回のソードの本命はあくまで別だ。
「くっはっはっは……あっはっはっはっ……ひゃーっはっはっはっは!!」
 すると、建物の内部を少し進んだ所で、聞き慣れた高笑いが聞こえて来た。そちらへ向かってみれば、案の定、ソードと共に侵入して、戦いには関わらずサングラスを外して先行していたE2と、E2の術中に陥り精神を凌辱されているらしい呪術師たちの姿があった。
 一部、血痕や傷が見えるのは、同士討ちでもさせたか。
「ああ、本当! お前らみたいな脳内が万年晴天快晴の脳天気なぁのをよぉ! こうやって甚振って、嬲って、弄ってぇ! 鼻水垂らしながら泣き喚く顔を見るのはさぁ……たまんねぇぜぇ!!」
 E2の術中に陥った者達は気絶することも叶わず、助けを呼びながら悶絶している者、泣きながら命乞いをする者、いっそ殺してくれと懇願する者、最早心が壊れたか体中のいたる所から液体を垂れ流しながら痙攣している者など、様々だ。
 見慣れた光景を咎めるつもりはないが、些か声が大きい。忠告ぐらいはしておくか。
「愉しむのも程々にしておけ、E2。お前の大声を聞きつけて、強いのが来たらどうする」
 笑い続けて腹筋が攣る寸前にまでなっているE2に、ソードはそのように声を掛けた。尤も、今敵が来たなら殺し尽くすか四肢を千切ってダルマにしてから引き渡すぐらいはするつもりだが。
「ああ? なんだ、ソードか。その時はさ、まずこう言うのさ。暴力反対、まずはお互いの目を見て話し合おう……ってな!」
「……まぁ、お前のコレは暴力の定義には当て嵌まらんな」
 E2とは互いに目線を合わせぬよう留意しつつ、足元に転がっている人間を見て、ソードはそのように言った。
 コレを暴力と呼ぶ人間は、そう滅多にはいないだろう。暴力の方がマシだ、という人間はいるだろうが。
 すると、案の定というべきか、ソードの強化した聴覚がこちらに向かって走って来る足音を捉えた。速さといい、足音の間隔が乱れないことといい、只者では無い。或いは、目当ての人間が来たかと思い、目を向ける。
 やって来た足音の主はソードとE2には目もくれず、倒れている人間達に駆け寄り、必死に呼びかけ始めた。
「しっかり! しっかりしろ! どうしたんだ、みんな!」
 今にも泣き出しそうな顔と声で、必死にE2の術中に陥った者達に呼び掛けているのは、この作戦での最大の不確定要素たる赤いコートの平和主義者、ヴァッシュ・ザ・スタンピードだった。
「ひゃあ! こりゃ、当たりだな」
 嗤いながら、E2はそのように言った。確かに、この状況はプレイヤーが想定した中でも最良の状況だ。
「君達が、やったのか? こんな、酷いことを……!」
「やったのは、こっちのE2だ」
 言ってから、ヴァッシュが来たのとは別の通路から奥を目指す。ヴァッシュの言った『酷いこと』の中に、ソードが抱えている生首やらが含まれているなら話は別だろうが、知ったことではない。
「あ、待って!」
「おおっと、あいつもあいつで忙しいのさ。そんなことよりよぉ、俺と、お互いの目を見て話し合わねぇか? ヴァッシュ・ザ・スタンピード」
 後ろから聞こえてくる声に振り向こうともせず、時折囮を撒きながら、ソードは奥へと突き進む。
 目指すは唯一人。かつて、2つの世界の剣士の頂点に立った稀代の大剣豪、偉大なる“サムライマスター”――近衛詠春。





 正門にソードが現れたのと同じ頃、裏門の守備を担っていた呪術師が圧殺されていた。縦に押し潰されたその死体は人間としての原型を留めておらず、死体よりも肉塊という表現の方がより正確だろう。
 下手人は、肉塊のすぐ傍に立っている白尽くめの男――ではなく、その背後に聳える、黒い巨人だ。白尽くめの男――プレイヤーは、何かを探るような動作を行うと、すぐに背後の黒い巨人へと振り返った。
「行こう、ナイン。ターゲットはあちらの方角。途中の障害物とかは全部無視して、最短距離を突っ走ってくれ」
 プレイヤーの発案に、黒い巨人――ナインは無言で頷き、クラウチングスタートの姿勢を取った。すると、巨人の尋常ならざる殺気を察知したか、或いは先程呪術師を縦に潰した際の音を聞きつけたのか、新たに2人の呪術師と1人の剣士が現れ、ナインの進行方向を塞いだ。だが、プレイヤーが道を開けると巨人は走り出した。
 目の前には3人の敵と建物という大きな障害物があったが、ナインはそれらの全てをまるで陸上選手がハードルを踏み倒すような気軽さと、重機が廃屋を叩き壊すような豪快さで踏み潰し、打ち砕き、突き進んでいく。
 不運にも進行ルート上で眠っていた者や待ち伏せていた者もいたが、ナインは全てを歯牙にもかけず、薙ぎ払い、踏み潰し、圧倒し、蹂躙し、殺し続けた。途中で遠距離から攻撃して来た賢い者もいたが、それが神鳴流の技でも呪術でも関係無く、ナインが身に纏う黒い鎧によって悉く防がれ、巨人の進撃を止めるには至らない。
 その光景を、後ろを追走しながらプレイヤーは眺め、時には笑みを浮かべていた。死んだことにも気付いていないような滑稽な死に顔、自分達の力が通じないことを痛感した戦士達の絶望の表情。そして、巨人の進行に対して為す術も無く蹂躙されていく『ここが戦場になるはずが無い』『自分達は大丈夫』などと思い込んでいただろう者達の混乱と恐怖に彩られた声と表情。
 全てがとても愉快で、滑稽で、面白い。だが、こういう一瞬で作られたものでは物足りない。やっぱり、もっと、時間を掛けてじっくりと吟味して、熟成して、作り上げたものじゃないと、満足できない。
 プレイヤーがそんなことを思った頃には、目的の場所は目と鼻の先だった。









「みんな、起きろ!」
 肩を掴んで体を揺すられ、大きな声で呼びかけられて、ネギは眠りの底から覚醒した。
「なんですか、衛宮さん?」
 欠伸を漏らし、寝ぼけ眼で士郎を見ながら問い掛ける。恐らく、まだ真夜中のはずだ。
「敵が来る!」
 切羽詰まった声でそのように告げられ、寝ぼけた脳がその言葉を理解するまでの数秒の間を挟むと、ネギの意識は一気に覚醒し、眠気も吹き飛んだ。
「わ、分かりました! みなさん、早く起きて下さい!!」
 慌てて、まだ眠っている面々を士郎と共に起こしに行く。刹那はどうやらネギよりも早く覚醒していたらしくその手間も省け、カモはすぐに起きてくれた。
 後は、未だに熟睡している明日菜と木乃香だ。
「そんな……総本山の守りが突破されたなど、本当ですか?」
「確かに、オイラもざっと見ただけですけど、ここの守りの堅さは相当のモンですぜ? エミヤの旦那を疑うわけじゃないッスけど、ちょっと信じられないッスね……」
 事情を聞いた刹那とカモは、士郎の話に懐疑的だった。だが、面と向かって疑われても少しも動じることなく、士郎は最悪の事態が起きたと言い切る。
「信じてくれ。このままだと手遅れになる」
 言って、士郎は総本山の配置から見て後ろの方へと振り返った。その顔には、先程よりも深い焦燥が現れていた。
 士郎の実力をネギは見たことは無いが、恐らく、あのリヴィオにも比肩しうるほどの実力者のはずだ。その彼が、ここまで焦燥していることの意味が分からないほど、ネギは愚かでは無い。
「アスナさん、起きて下さい! アスナさん!」
 ネギが必死に体を揺さぶって、漸く、アスナは起きてくれた。
「う~ん……なによ、ネギ。トイレにでも行くの?」
「違います! 衛宮さんが、敵が来るから早く準備をって!」
「へぇ~……って、ウソ!?」
 明日菜は敵が来るならどうしたらいいかと、眠気が一瞬で吹き飛ぶほどに慌てた。そこへ士郎が努めて冷静にアドバイスを送ると、それに従って明日菜は一先ず深呼吸をしてなんとか落ち着き、それからアーティファクトを呼び出した。ネギも同様に、まずは出来るだけ落ち着いて、自分の杖を手に持った。
 後は木乃香だけだが、起きないようならいっそそのまま連れて行ってしまおうか、と士郎が漏らした、調度その時、木乃香も起きた。
「ふあ~……まだ眠いわぁ。どないしたん?」
 木乃香も起きて、これで準備が整ったと思い、ネギは士郎の方を見た。だが何故か、士郎は木乃香が起きたことに対して一切反応を見せず、強張った顔で壁の向こうを見つめ、その手には黒と白の剣を握っていた。
「士郎さん……?」
 何時の間に、どこから剣を取り出したのか、どうしてそんなに険しい顔をしているのか。ネギは訊こうと声を掛けたが、士郎はそれを無視して全員に指示を出した。
「桜咲、近衛を頼む。ネギと神楽坂とカモミールは俺の後ろに隠れろ」
 その言葉を聞き終えてからだろうか。微かに、地響きのような音が聞こえて来た。時間が経つと共に音は次第に大きくなって行き、その中に破壊音が混じっていると気付いた。
 同時に、ネギは音が近づいてくるのに比例して、空気が重くなっていくような錯覚を感じていた。やがて、今まで経験したことの無いような恐怖と寒気をも感じるようになり、全身が震えて止まらなくなった。明日菜とカモ、木乃香も同様だった。刹那はそのような素振りは見せていないが、音が大きくなるにつれてどんどん顔色が悪くなっていく。
 その中で士郎だけは、険しい表情ではあるものの落ち着きを見せていた。それが、ネギには信じられなかった。次第に近付いてくる、訳のわからない不安と恐怖を前にして、この人はこわくないのだろうか。
 リヴィオの強さを目撃した時と同じような感情をネギが覚えた、その直後、近付いて来ていた破壊音は部屋の直前で、ピタリ、と止まった。
 不気味な静けさに息を呑む――暇も無く、一瞬の静寂は壁と共に破られた。
 壁を突き破って表れたのは、人間の腕だった。しかし、それはとてつもなく大きかった。ネギや明日菜どころか、士郎よりも巨大な腕だったのだ。
 あまりにも予想外な、理解を超えた物体の出現に、全員の思考が驚愕で塗り固められた。完全な未知の物体ならこうはならなかっただろう。だが、良く見慣れたものが、常軌を逸した姿で現れることの衝撃は凄まじいものだった。
 その瞬間が致命的だった。伸びてきた巨大な腕が、無慈悲に、容赦無く、躊躇い無く、少女を攫って行った。
「せっちゃん!!」
「桜咲さん!」
 木乃香と明日菜が、目の前で攫われた友人の名を叫ぶ。そんなことをしても無意味だ、とネギが諦めの感情にも似た思考をすると、まるでそれと相反するかのように、巨大な腕は破壊された壁の前で止まった。同時に部屋の中に現われたのは、白尽くめの男だった。
「ナイン、駄目じゃないか、よく見ないと。ターゲットの近衛木乃香は黒髪で、腰まで届くほどの長髪だ。この子も黒髪で君よりもずっと髪が長いけど、肩にも掛からない程度だ。困ったなぁ、二度手間だよ」
「プレイヤー、貴様!」
 士郎が叫び、切りかかるよりも一瞬早く、プレイヤーはひらりと跳躍して巨大な腕の上に移動した。結果、士郎の剣は空を切ったのみ。
 ネギはその一連の動作を目の前で見ていたはずだが、理解がまるで追いつかなかった。
 巨大な手がほんの僅か、握る手に力を込めた。
「ぐ、ぅ、あ、ぁぁ……!」
 すると、何かが折れる鈍い音が聞こえて、刹那が呼吸にも苦しみながら悲痛な声を漏らした。恐らく、どこかの骨が折れたのだろう。
 しかし、ネギには分からない。
 どうしてこうなってしまったのかも。
 これからどうなってしまうのかも。
 これからどうすればいいのかも。
 何もかもが、分からない。



[32684] 第十三話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/05/22 01:43
 未だ殺気の留まる正門に、リヴィオは辿り着いた。だが、そこには誰もいなかった。殺気の主も、正門を守っているはずの剣士も。
「誰もいない……!? バカな! 確かに奴の気配が……」
 言って、リヴィオは正門付近、殺気の源として感じられる場所に駆け寄った。すると、何かを踏んだような感触がした直後、殺気が霧散した。何事かと足元を見ると、そこには一枚の呪符があった。それを拾い上げて、どういうことかを理解すると、リヴィオはそれを握り潰した。
「クソッ! こんな紙切れに踊らされたのかよ……!」
 改めて、周囲を具に観察する。殺気にばかり気を取られて気付かなかったが、神鳴流剣士の物と思しき衣類が3人分、そして三振りの刀が残されていた。これだけで、理解するには十分だ。
 正門の警護に当たっていた土井、そしてこの時間に付近の巡回を行っていた、恐らくは斎藤と山田が殺されたのだ。リヴィオが到着するまでの、僅かな間に。
 リヴィオは悔んだ。もっと、自分が早くここに来ていれば。あの時、裏の方向から聞こえて来た破壊音に気を取られ、どちらに向かうべきか迷わなければ。昨日、ネギやカモの事を慮らず、あの男を殺すか戦闘不能なまでに破壊しつくしていれば。こんなことには、ならなかったのではないか。
 拳をきつく握り締め、自らの落ち度を責めながらも、しかしリヴィオの肉体は周辺の観察を怠っていなかった。ミカエルの眼の暗殺者として造られた肉体と、数多の修羅場を潜り抜ける中で身に付いた無意識的な習慣が、感情の変動にも左右されずに働いていた。そして、奥から人の話し声が聞こえるのに気付いた。
「この声、ヴァッシュさんか」
 この状況で最も頼れると同時に最も不安な人物の声を聞いて、リヴィオは物思いから抜け出した。
 何時までも歩みを止めていては無意味どころかマイナスだと、ヴァッシュと合流するべく無人となった正門を後にする。しかし、ヴァッシュが間近で人が殺されていながら、犯人を追うでもなく近くに留まっていることが疑問だ。負傷者の手当てか、或いは敵の何らかの足止めを食っているのか。
 少し進んだ先の広間に着くと、そこにはヴァッシュ以外にも予想外の顔があった。
「リヴィオ、来てくれたのか」
「お、リヴィオの兄ちゃんやないか」
「ぐっ、そっ……が、ぁぁぁぁぁ……」
 ヴァッシュの傍らには謹慎中のはずの小太郎の姿があり、足元では額に包帯を巻いた男が、頭を押さえながら悶絶している。
 小太郎がいることに驚きつつも、足元で転がっている男を見る。
「こいつは、E2……か?」
「そうや。どういう力を持っとんのかは秘密や言われてて知らんかったけど……えっげつないことしてくれたなぁ、オッサン」
 額に包帯という特徴から敵の一員の名前を口に出すと、小太郎がそれをすぐに肯定し、嫌悪を露わにE2へと不快をそのまま吐き捨てた。
 部屋の奥では呪術師が6人、仰向けで寝かされていた。歩み寄って表情を確かめたが、全員が苦しそうに息をしている。1人は憔悴しきって、呼吸さえも弱々しい。彼女達が『えげつないこと』をされた被害者なのだろうが、何があったのだろうか。
「この人達は……」
「気を失っているだけだけど……心配だよ」
 リヴィオが呟くと、ヴァッシュはすぐにそう返して、特に衰弱している女性の傍で膝を着いた。
「頭、痛ぇ……くそっ、なんだよ…………ぅぇぇぇぇ……っ」
 一方で、下手人であるE2は五月蠅いぐらいに呻き、苦しんでいる。こちらもどうしてこうなったのか、気にならないでもない。すると、E2がヴァッシュを見ると、急に声を出すのをやめた。いや、固唾を呑んで、そのまま呼吸を忘れてしまったのか。その表情に見えるのは、怯え。
「彼、僕の記憶とか感情とか、覗いちゃったみたいなんだ」
 E2の様子を見て、ヴァッシュが理由を教えてくれた。記憶を覗く、という言葉に複雑な感情を抱きながらも、リヴィオは納得した。
「成る程、それで。……話には聞いていましたが、まさか、本当に他人の心や記憶を視ることが可能だなんて」
 ヴァッシュの記憶と感情。それを直接視てしまったのなら、こうなっているのも頷ける。大方、奴らはヴァッシュの表面だけを見て『能天気で軽薄な男』とでも思っていたのだろうが、それは大きな間違いだ。
 ヴァッシュ・ザ・スタンピードほど、多くの痛みと挫折を味わい、数え切れないほどの悲しみを背負い、絶望の深淵を知っている人間など、いるはずがないのだから。
「割とふつーの術やで? ま、こいつみたいに“生まれつき”は珍しいけど」
 すると、リヴィオがつい漏らした愚痴のような言葉に、小太郎がそのように補足して来た。それに、リヴィオはつい苦笑した。
 他人の心や記憶を視る事は、ノーマンズランドでも無かったわけでもない。ノーマンズランドの歴史上で一度だけ、多くの人がある物を介することによってそれを体験したことがあるのだ。
 ある物とは、プラントの羽根。ミリオンズ・ナイブズに率いられたプラント融合体から零れ落ちたプラントの結晶。プラントの羽根には、それに触れた者の思考を周囲の人間に直接伝え、プラント自身の記憶や思考を伝える力を持っていた。
 ノーマンズランドではそれ以外に、人が直接、他人の思考や記憶を覗き見た例は無く、謂わば『奇跡』だった。それが、この世界ではごく普通の事になってしまっているということが、リヴィオには受け入れ難く思えたのだ。
 そこまで考えて、すぐにリヴィオは思考を切り替えた。小太郎が言った『生まれつき』の意味や、E2がヴァッシュの記憶を見て何をしようとしたのか、ついでに小太郎がどうしてここにいるかもどうでもいい。
 今は、行動すべきだ。
「話はここまでにしましょう。小太郎、君が此処にいる理由は訊かない。ただ……」
「大丈夫だよ、小太郎も力を貸してくれるって」
 リヴィオが全てを言うよりも先に、ヴァッシュが言おうとした事を察して答えた。それを聞いて、リヴィオは小太郎を見た。
「こんな糞外道な真似されて、黙って見てられるほどオレも腐っとらんで?」
 作った拳を掌に当て、小太郎は怒りを込めて言った。
 小太郎の中ではリヴィオへの対抗心は未だに燻っている。しかし、力の差は昨日の手合わせで嫌という程理解しているし、何より、このような非道が行われていることを知って尚、自分の感情を優先するほど小太郎の視野は狭くなかった。
 ちなみに、小太郎は反逆者に加担した罰として半年間の謹慎処分を言い渡され、小太郎も自らの非を認め大人しくしているつもりだったのだが、聞き覚えのある声での下衆な高笑いを聞きつけ、嫌な予感に部屋を抜け出して様子を見に来て、そこでヴァッシュと合流したのだ。
「分かった。それじゃあ、ケン・アーサーともう1つの殺気の方に向かいましょう」
 小太郎の言葉を信じ、そのように提案する。だが、気配を探ってすぐに、リヴィオは眉を顰めた。
「とは言ってもさ……さっきから、なんだか同じ気配が増えてない?」
「奴の小細工のようですね」
 ケン・アーサーの殺気が増えている。5つはあるか。恐らくは先程の呪符と同じカラクリだろう。どういう仕掛けかは分からないが故に、紙切れで翻弄されてしまう自分が腹立たしい。
 リヴィオは握ったまま持って来ていた呪符を再び見て、ギリ、と歯を鳴らした。
「リヴィオの兄ちゃん、その札、見せてくれんか?」
 すると、呪符を見て小太郎がそんなことを言い出した。どうしたことかと思ったが、リヴィオは小太郎が呪術にも通じていることを思い出した。
「ああ、いいぞ」
 小太郎ならば呪符の効果を見抜けるかもしれない。そのような期待を懐いて、リヴィオはすぐに了承して小太郎に呪符を渡した。
「……正直、同じ気配が増えてるっちゅーのは、オレには分からん。けど、何となく仕掛けは読めたで」
 少し悔しそうに呟きながらも、小太郎は呪符について説明してくれた。
「これ、『他人の意識を向けさせる術』の呪符や。人払いとか、他人の目を逸らすのとは逆やな。血文字で作ってあるのは初めて見たけど」
 他人の意識を向けさせる。その単語を聞いてすぐ、パズルのピースが嵌るように、リヴィオの中で答えが生まれた。
「なるほど、『木を隠すには森の中』ってやつか」
 ヴァッシュも気付いたらしく、感心したように頷いた。それに続く形で、リヴィオも答えを口に出す。
「しかも、他のは全部、肝心のものより目立って気を引く、か。だが、種は割れた」
 一目では本物と区別がつかない囮をばら撒き、それらは肝心の本物よりも否が応でも気を引くようにして、強引に潜入活動をするとは恐れ入った。だが、どんな仕掛けも仕組みさえ分かれば対処法も自然と導き出せる。
 再び、気配を探る。気配の数は更に増えていたが、それら気の引かれるものを敢えて無視して、同じでありながら、目立ってない気配を探る。
 ……いた。
 場所は、もう一つの大きな殺気とは別の方向。ならばこちらも、2手に別れるのが上策だ。もう一つの殺気が発されている方向は、御令嬢達の寝室の場所と一致する。杞憂であることを願うよりも先に、迅速な行動をしなければ命取りになりかねない。
「俺はこいつを持ってソードを追います。ヴァッシュさんは小太郎と一緒に、もう一つの殺気の方……御令嬢達の寝室へ向って下さい」
「分かった。行こうか、小太郎」
「了解や。しくじるんやないで!」
 リヴィオの提案を、ヴァッシュと小太郎はすぐに快諾してくれた。てっきり小太郎はリヴィオに付いて行くと主張すると思っていたのだが、そんなことは無かった。もしかしたら、リヴィオが来るまでにヴァッシュと意気投合していたのかもしれない。
 ヴァッシュと小太郎が出発したのを見送って、リヴィオは足元に転がっているE2を睨みつけた。
「ぎ……ひぃ……!」
 E2の怯え方から、リヴィオは僅かに殺気を放ってしまったことを察した。すぐに心を平常心へと戻す。
 酷い目に遭わされたという呪術師達とは、普段、挨拶を交わす程度の仲でしかない。だが、それでも知っていたのだ。彼女達がこのような目に遭わなければならないような人間ではない、ということを。
 彼女達を理不尽に傷付けたこの男は許せない。いっそ殺してしまいたいぐらいだ。だが、それで命を奪って、全ての可能性を潰してしまうようなことはしたくない。
 その代わり、というわけでもないが念には念を入れて、リヴィオはE2の両肘と両膝の関節を強引に外した。
「痛っ……! あっ、づぅ、が……!?」
 痛みにE2は悲鳴を上げているが、同情はしない。この程度なら後遺症も無くすぐに治せるし、万が一にもこれが原因で死ぬことは無い。
「勝手に動き回られたら厄介なんでね、大人しく荷物になってもらう。両手、両足を失ってもいいのなら、話は別だけど」
「は……はは。わっかりましたー」
 リヴィオは半ば脅しながら同意を得て、E2を肩に担いで奥へと向かった。









 ソードは衣服への返り血をも吸収しながら、目的の人物を探して動き回っていた。既に持って来た死体の一部は投げつけるなどして使い切り、その後出会った者達は騒がれるよりも先に殺し続けた。
 事前に知らされたこの総本山の構造からして、この辺りに近衛詠春の私室があるはずだ。ならば、本人と遭遇する可能性も高い。それでも見当たらないのは、どこか別の場所で指揮を取っているのか、それとも――。
 思考を打ち切り、反射的に前方へと跳躍する。直後、ソードが通るはずだった場所を、空を飛ぶ斬撃が通過した。驚くべきは、その斬撃――恐らくは神鳴流の斬空閃だろうが、それの威力も速さも正門で殺した男とは段違いだったことと、放たれる直前まで気が付けなかったということだ。
 常日頃から殺気と闘争心が漲るソードには分からないことだったが、武術や武道の達人の中には、修練の過程で悟りや明鏡止水の境地に至り、気を乱さず、心静かなままに戦うことができる者もいるという。それ程の領域に至っている剣士は、今宵この場所には、恐らく唯一人。
 ソードが期待を込めて視線を送ると、斬撃が放たれた部屋の襖が開き、1人の男が現れた。その男こそ、ソードが探していた最強の剣士――“サムライマスター”近衛詠春に相違なかった。
「あなたは……ソード、でしたか」
 対峙し、詠春は静かに問うてきた。老いによる為か、やはり資料映像に残されている20年前の雄姿と比べて痩せている。だが、今向けられている凄烈たる剣気は、間違いなく極上のもの。
 期待に血潮が湧き立ち、心が踊る。
「然り。武名高きサムライマスターに名を覚えて頂いていたとは、恐縮至極」
 2つの世界の頂点に立った剣士への最低限の礼として、言葉で以って敬意を表す。
 士官した武士ならば、このような時には様々な文句で言葉を飾って、遠回しに用向きを伝えるのだろう。だが、そんな心得の無いソードにとって、そんなものは迂遠に過ぎる。
「願いが、御座る」
「願い?」
「某と戦って頂きたい」
 頭を下げることも無く、野獣のような視線を向けたまま、ソードは詠春に頼みをした。
 願い事の内容、若しくは侵入者に願い事をされること自体が予想外だったのか、詠春は沈思黙考し、ソードも返答を待った。尤も、断られても無理矢理にでも戦うつもりだが。
「……1つ、訊きます」
「なんなりと」
「何人殺しました?」
 詠春に問われ、今度はソードが沈思黙考した。
 明白に覚えているのは、最初の神鳴流の3人と、たまさか鉢合わせた呪術師述べ8人ぐらいか。それ以外にも何人か殺したはずだが、あまり覚えていない。人間とて、山道を進んで虫を何匹殺したか問われて、それを正確に答えられる人間は滅多にいるまい。それと同じだ。
「さて。10より先からは数えておりませんな」
 取り敢えず、相手の神経を逆撫でするように答える。ソードの期待通り、詠春の剣気が鋭さを増した。
「そうですか。……覚悟は宜しいですか?」
「無論のこと。寧ろ、それこそが望みに御座る」
 詠春が瞬動術を発動させたのと同時、ソードも刀を抜いて詠春の刀を受け止める。
 受けてすぐ、ソードは力比べでは自らが有利と悟った。それと同時に詠春は身を引き、間合いを取った。



 打ち合って1分ほど経過して、詠春は自分の体力の限界を感じ始めていた。
 なにも、動けないほど疲労が溜まったわけでも、肩で息をしているわけでもない。目の前の強敵と戦うには、普通以上の体力を必要とするのだ。あと少しでも体力が落ちれば、そのまま押し負ける。ならば体力が足らなくなる前に、次の一撃に全身全霊を込めて、目の前の敵――大事な部下や後輩たちを殺した憎むべき魔を討つ。
 一度間を取り、刀を構え、精神を集中する。すると、それに応えるかのように、ソードも動きを止めて構えを変えた。先程までは一般的な正眼の構えに似たものだったが、今のソードの構えは極めて異質なものであり、詠春にも見覚えがあった。
 一撃必殺の剣術として今も知られる、示現流の蜻蛉の構え。あの堂に入った構えと、重みを増したプレッシャー。とても偶然の一致や猿真似とは思えない。よもや、このような所で示現流と思われる剣士と戦うことになるとは思わなかった。だが、それならば対策はある。
 古から京都を守り続けた神鳴流は、幕末の混乱期にも多くの示現流の剣士と戦い、その対策を練っていた。詠春が神鳴流を学んだ当時では、既に日本国内で剣士同士が戦うことが稀になり、他の剣術流派への対策までも学ぶ者は非常に少なかったが、詠春は真面目な性格ゆえに学んでいた。
 曰く、示現流は一の太刀をかわせ。先に攻めるのも、防御に回るのも愚策。先んじて攻めようとしても先に斬られ、防御はそれごと叩き斬られるという。転じて、それほどの剛剣であるが故に、かわされれば多大な隙を生み出すことになる。そこを突くのだ。
 最大の一撃の準備と、相手の攻めに対する警戒を同時に行うのは、歴戦の戦士である詠春にとって難しいことではない。だが、体を動かさずとも、先程よりも一層激しく体力と精神力を消耗していく。
 両者、構え、睨み合ったまま、時間が過ぎて行く。実際の時間では10秒にも満たなかったが、詠春にとっては刹那を永劫に思うほど長く感じられた。
 先に仕掛けたのはソードだ。その踏み込みたるや、尋常のものではない。その瞬間を比喩するならば、爆ぜたとでも言うべきか。
 瞬きよりも早くソードは間合いを詰め、雄叫びの如き掛け声と共に刀を振り下ろす。常人どころか、一流の戦士でも目に映るかどうかという一撃を、詠春は絶妙の体捌きでかわした。そして間髪を入れず、渾身の一撃を放つ。
「神鳴流奥義、斬魔剣!」
 魔を斬ること。それに一点特化した、神鳴流の基本にして真髄とも言える剣技で以って、先んじて振り下ろされたソードの刀の切っ先が床に届くよりも先に、詠春の剣がソードの首を落とした。その鮮やかな一撃は、一連の動作も含めて、最盛期と比べても遜色のないものだった。
 一瞬の間を置いて、ソードの刀が床を叩き斬った。その刃は床板に食い込むことなく、完全に床板を斬り裂いていた。気や魔法による強化に頼らずにこれ程とは、恐るべき剛剣。
 肝を冷やしながらも、斬って捨てたのだからと息を吐いた――直後、詠春は目を見張った。ソードの首の断面が異常なのだ。肉も、骨も、神経も、血管も、気管や食道も、何も無い。そこに溜まって、蠢いているのは――全て、血。
 それもさることながら、更に驚くべきことに、首を落とされた肉体がまだ動いているのだ。
 戦いを終えたと気を緩め、息を吐きながらも、まだ敵が動くのならばと即座に臨戦態勢に移れたのは、流石は英雄と呼ばれた大剣士か。だが、先程の一撃に全身全霊を込めた反動で、体が思うように動かない。
 身を引いて、死こそ免れたが、刀を握っていた両腕を一辺に斬り落とされた。バランスを崩し倒れそうになるが、何とか踏みとどまり、壁に凭れかかって辛うじて立ち続ける。両腕の断面に気を集中させて止血をするが、それで精一杯。最早、戦うことは出来ない。
「…………まさか、首を落としても死なないほど、だったとは……」
 口を突いて出たのは、悔いの言葉。リヴィオを通して、衛宮士郎から目の前の男に付いての忠告は聞いていた。ソード――ケン・アーサーは魔術にも精通した凄腕の剣士であると同時に、強力な吸血鬼であると。しかし、詠春は見誤ってしまった。特に、ソードの生命力を。
 無名と侮った吸血鬼の剣士が、まさかこれほどの実力と生命力を兼ね備えた強敵だったとは。結界を破られたことも含めて、完全に自身の油断と慢心が招いた敗北だった。
 詠春の両腕を斬ってから暫くの間佇んでいたソードは、やがて、何か思い立ったように自らの刀で詠春に斬られた箇所より僅かに下の部分を切り落とした。すると、見る見るうちに首から頭が生えて来た。
「然り。某、吸血鬼の中でも生命力は強い部類であります故、この程度では滅びませぬ」
 首の辺りを、何事かを確かめるように左手で触りながら、ソードはそのように返して来た。首が無い状態でも声が聞こえていたのかと、詠春は半ば呆然としながら感心してしまった。
 何かに納得したような素振りを見せると、ソードは刀を床に突き刺した。見ると、何時の間にか床一面が血の海になっていた。何処からともなく溢れている大量の血の中に、何故か、先程詠春が落としたソードの首は見当たらない。
 刀の柄を握ったまま、ソードは詠春に向き直った。
「しかし、御見事に御座います。先の一瞬の業、私が及ぶものではありませんでした」
「……全盛期の力が出せても、一瞬では、意味がありませんでしたか」
「そのようで。戦いに関しても、相性というものは重要です」
 確かに、と頷く。ソード以外の同じ技量の相手だったならば、先程の一撃で終わっていただろう。だが、相手がソードだったからこそ、詠春は倒し切れず、両腕を失った。
 すると、ソードの目の色が変わり、先程までは詠春に集中していた殺気が、今度は別の方向に向けられた。そちらから近付いて来る気配と足音に、詠春は覚えがあった。どうやら、彼が来てくれたようだ。
「詠春さん、ご無事ですか?」
 詠春が予期した通り、黒い帽子とマントを身に付けた男――リヴィオが駆けつけてくれた。肩に担いでいる人間が何者か気になるが、これで一安心だ。
「ええ。致命傷では、ありません」
 壁に凭れたまま、肘から先を半ば損失した腕を僅かに振って、リヴィオに応える。リヴィオは詠春の傷を見ても全く動じず、命に別状が無い事を聞いて安心していた。それほど、彼はソードを危険視していたということだろう。
「ダブルファング……と、E2、何をやっている」
「見ての通り、捕まったんだよ」
 すると、ソードがリヴィオの通り名を呼ぶのと一緒に、肩に担がれている男の名前を呼んだ。呼ばれたE2は顔を上げることもせず、声だけで返事を返した。それを聞いたソードが溜息を吐いた、次の瞬間、彼は壁を突き破って外まで蹴り飛ばされた。
 一瞬の出来事に、詠春も何が起きたかすぐに理解できなかった。
「表に出てろ」
 リヴィオの声が聞こえた。それと同じタイミングで、床にリヴィオが担いでいた男が落ちた。
 先程の瞬間の出来事は、リヴィオが担いでいた男を放り投げてソードに蹴りを見舞ったのだと、漸く理解できた。
「詠春さん、そいつを見張っておいて下さい。御令嬢達の下へはヴァッシュさんが向かっていますので、御安心を」
 それだけ告げて、リヴィオは詠春からの返事を待たず、ソードを追って外へ出た。
 気や魔法など、特殊な手段による身体強化を一切行わず、詠春が知覚出来ないほどの速度で動ける存在。それが、リヴィオ・ザ・ダブルファングだ。しかも、彼の真価はそこには無く、それに匹敵するだけの力を複数持っている。
 頼もしさと同時に、おそろしさまでも感じてしまうのは、人の性であろう。
 詠春は壁に凭れ掛かりながら、ずるずると体を沈めて、やがて床に腰を下ろした。何時の間にか、床に広がっていた血液が殆ど無くなっていた。



 蹴り飛ばしたソードが突き破った壁の穴から外に出て、リヴィオは両手にダブルファングを携え、ソードと対峙した。
 ソードはリヴィオの蹴りを受けた服が多少汚れた程度で、平然と立っていた。対するリヴィオも、それを見て特に驚くことは無かった。
 先程の蹴りは、常人どころか気で強化した人間であろうとも即死するか、下手をすれば肉や骨が千切れて粉々になってもおかしくないほどの威力だった。だが、それも相手が人間だった場合の話だ。
 ソードを蹴った時、リヴィオは今までに感じたことの無い感触だったことを覚えている。イメージとしては、以前、綺礼と共に祭りの縁日に行って見つけた、水風船。紙が凄まじく強靭な水風船を、リヴィオは連想した。その本質までは分からないが、目の前の魔人は完全に生物としても人間の枠を外れていると理解した。
 一方、ソードは蹴り飛ばされながらも決して手放さず、握りしめていた刀を構え直していた。その表情は、先程の詠春の戦いの中では見られなかった、野獣が牙を剥いているような凄絶な笑みを浮かべていた。
 戦いの火蓋を切って落としたのは、リヴィオだ。両手に構えたダブルファングを発射するが、それが尋常ではなかった。
 銃を撃ちながら手を忙しなく動かして乱れ撃ちをしている。言葉に表せば陳腐で幼稚であり、B級西部劇のギャングをイメージするだろう。しかし、リヴィオが行っているそれは、そんなものではない。個人が、点や線ではなく、面を制圧する程の弾幕を両手に構えた2丁の銃器で展開しているのだ。
 人間の限界や領分を遥かに超えた攻撃に、ソードは回避も防御も間に合わず被弾し、肉体と衣服は瞬く間に銃弾によって破壊される。10秒後には、ソードは人間で例えれば肉体の5割近くを損失していた。だが、未だ、顔には笑みが張り付いていた。
 リヴィオは、ソードが被弾して飛び散らせたものが衣服の他に血液だけだったことに気付いた。それを訝しく思い攻撃を一時中断したのだが、ソードは肉体の5割以上を欠いた状態で動き出した。
 見る見るうちに、ソードの肉体が修復されていく。リヴィオに肉薄し刀を振り下ろした時には既に7割近くまで戻り、リヴィオが横に跳んで回避した間に、ほぼ完全な状態に修復されていた。
 肉体の超高速回復は、リヴィオにとっては別に驚くべきことではない。問題なのは、その方法だ。人の皮を被った血液の内側から溢れ出て来た血液が、また人の皮を被ることで修復していたのだ。
 人の理から外れた魔の法則を目の当たりにしても、リヴィオは怯まない。
「正真正銘、血で出来た化物ってわけか」
 忌々しげに吐き捨てると、それを聞いたソードが、くくっ、と嬉しげで愉しげな声を漏らした。
「そちらこそ、強いなぁダブルファング。本当にただの人間か?」
「いいや。実は改造人間さ」
「ほう。生まれは悪の秘密結社だが、今は人類の自由と平和の為に戦う正義の戦士、とでもいうのか?」
「いいね、それ。今度からそう名乗ってみようかな」
 ソードの例えが日本では有名な文句であることを知らないリヴィオは素直に感心し、本心からそう返した。
 そこで一拍の間を挟み。戦闘、再開。
 リヴィオがダブルファングの銃口を向けるのと同時に、ソードも爆ぜるような加速で間合いを詰めて来る。
 銃爪(ひきがね)を引き、ダブルファングの銃口から次々と弾丸が放たれる。先程のように回避動作等の動きを封じる為の面の制圧ではなく、敵を撃つことだけを狙った直線的な射撃。一切の無駄無く、全ての弾丸がソードの肉体を抉る。
 だが、止まらない。止まる素振りなど寸毫も見せず、一切の躊躇い無く、ソードは迫って来る。ソードの殺傷圏内に至る直前に、リヴィオは横へ跳んでソードの攻撃をやり過ごし、射程の優位を活かせる距離まで移動してそのまま追撃を仕掛けようとした。だが、着地した場所にあった何かを踏んで足を滑らせ、バランスを崩しそうになった。
 何を踏んだのか、足元に目を向けるまでもなく臭いで分かる。とても嗅ぎ慣れたこの臭いは血のものだ。恐らくは、最初の銃撃で飛び散ったソードのものだろう。だが、踏んだ感触は明らかに血のものではなかった。でなければ、リヴィオが血溜まりで足を滑らせるような事などありえない。
 急いで体勢を立て直そうと足を踏ん張って、また何かを踏んだ。今度は、異常に強い粘性を持った血だ。2度も続いたありえない血の感触に、リヴィオは混乱するよりも速く真実に気が付いた。
 まさか、これが奴の魔術か!?
 今までに何度か目にしていた呪術や、映像資料で見せてもらった魔法使い達の魔法とは明らかに異なる、神の摂理に背く外法。ソードは魔術の使い手でもあるから、魔術の知識に疎いリヴィオでは危険だ。士郎から受けていた忠告を、実際の対決の際に失念してしまっていた不覚に気付く。
 リヴィオの動きが止まったのを見て、ソードは野獣の咆哮の如き叫びを上げ、刀を構えて突っ込んで来る。その咆哮は聞くだけで怯み、向けられる殺気は下手に感じ取ってしまえば死を実感しかねないほどのものだ。だが、リヴィオにそれらのものは通用しない。無論、この程度の足止めもだ。
「舐めるなぁ!!」
 血の粘着力によって動かせなくなった靴を、足に力を込めて破り捨てた。脱ぎ捨てるならばいざしらず、脱げなくなった靴を履いた状態のまま、足の力だけで破壊して自由を取り戻すという離れ業。しかし、それを目の当たりにしても、ソードは驚きもしない。それどころか、速度は先程よりも増しており、次の瞬間には完全にリヴィオが間合いに捉われる。
 そこでリヴィオは、自分からソードに突っ込み、刀が振り下ろされる前に体当たりを食らわせようと試みた。それを察知したソードは刀を振り下ろすタイミングを早めたが、完全に振り下ろすよりも早く、リヴィオは鍔元の近く、刃の根元の部分を左腕とダブルファングで受け止めた。
「むぅ――っ!?」
「ちぃ……」
 だが、そこで止まってしまう。想像していた以上の膂力では無く、先程の俊敏な動きからは想像出来ないような質量によって押し切れないのだ。これも魔術の一つかと当たりを付けた、直後、直感的に危機を予感し、押し合っていた刀から上手く力を逸らしながら左腕を離しつつ、ソードから距離を取る。
 回避が遅れ、脇腹を僅かに斬られた。リヴィオの脇腹を掠めたのは、ソードの体から生えて来た刀だった。
 体からムラマサを生やすなんて、本当にどういう体の構造をしているんだ、こいつは。それとも、これも魔術の一種なのか?
 次々と起きる奇想天外な予測不能の現象を前にして、リヴィオはいよいよ慎重になった。手の内が全く分からないどころか、想像や予測もできないのは、戦う上では非常に厄介だ。
 未知の切り札や予想外の手札は、勝負の命運を左右するほどに大きな要素なのだ。あのクリムゾンネイルとの戦いの時のように、大きな実力差を覆す要素にもなりえる。それが、相手の攻撃の多くが予想外の手札とあっては、射程の有利が揺るぎ無いとはいえ、慎重にならざるを得ない事態だ。
 それに加えて、再生力と生命力を盾に突っ込んで来る手合いが、こんなにも厄介だったとは思わなかった。自分を相手にしたウルフウッドやクリムゾンネイルも今の自分のような気分だったのだろうか、などとリヴィオは考えた。
 その時、突然、遭遇してからずっとリヴィオに集中していたソードの殺気が僅かに揺らいだ。そして、表情から笑みが消えた。
「……ダブルファング。この続きは、また次の機会に」
 予想外の言葉にリヴィオが驚いていると、ソードは口から赤い霧を吐き出した。今までのパターンから考えるに、血の霧か。霧により視界を遮られ、血の臭いで嗅覚も鈍る。しかしそれ以上に、この霧は危険だと、リヴィオの本能が警鐘を鳴らした。
 ならば仕方がない、と早くに割り切り、リヴィオは直接の追走を諦めて別のルートからの追跡を開始した。
「そう簡単に逃がさないぞ」
 撤退の理由は、相手の作戦の成功か失敗か、2つに1つ。どちらにせよ、奴らの背面を突く好機を逃す手は無い。
 リヴィオは闇夜を駆け抜ける。まるで、懐かしい場所を走るかのように、颯爽と。






僅かに、時を遡る。






 近衛詠春がソードと遭遇するよりも少し前。プレイヤーは当初からの目論見通りに事を運んでいた。
 衛宮士郎に斬り掛かられた時は肝を冷やしたが、余裕の態度は崩さない。優位に立って交渉事を進めるのなら、過剰なまでに余裕を見せつける演出も重要だ。
「ナイン達を甘く見ない方がいいよ、衛宮士郎。彼らは君よりずっと強いし、とても残酷なんだ。まぁ、そんなことはあれだけの修羅場を潜り抜けて来た君なら、こうして対峙しているだけで分かっているだろうけど」
 ナインの腕の上に立ち、その巨躯を壁の向こう側に隠している本人を引き合いに出して、プレイヤーはそう告げる。
 これはハッタリの類ではなく、プレイヤー自身の率直な見立てだ。衛宮士郎がどのような武具を投影しようとも、今の状況ならば絶対にナインは勝てるという自信があった。
「……やってみなければ分からん」
 言って、衛宮士郎は両手に投影した陰陽の双刀を握る力を強めた。あれは恐らく、中国の伝説に伝わる宝具――干将と莫耶に相違あるまい。その性質は、伝承の通りならば『互いに引かれ合う』『魔に対して効果が抜群』といったところか。これ程の宝具をあっさりと投影するあたり、封印指定されるのも納得というものだ。
 そのような考えは少しも表に出さず、プレイヤーは士郎を宥めるような手振りを取った。
「まぁまぁ、落ち着いてよ。それに、度の過ぎた強がりは後ろの子達を危険に晒すことになる」
 士郎が守っている3人の少年少女と、ついでに1匹のオコジョ妖精を指していう。どんな実力者だろうと、ナインを相手に3人と1匹を守りながら戦うのは自殺行為でしかない。
 元の世界にいた頃の衛宮士郎ならば、ナインに捕らわれている少女も、後ろの3人と1匹も見殺しにして、ナインとプレイヤーを殺すことを最優先にする――そんな選択もありえただろう。だが、こちらの世界に来てから、彼は変わったようだ。現に、彼は明らかに見捨てる、切り捨てるという選択肢に対して拒否を示している。
 だからだろうか。最有力候補と見込んだ彼に、未だ“兆し”が見えないのは。残念でならないが、それは、今は置いておこう。
 今は仕事と『楽しみ』だ。
「せっちゃん! せっちゃんを返してぇ!!」
 すると、怯えて、震えて、立ち竦んでいた少女が、張り裂けそうな切ない声で叫んで来た。彼女が拉致するように依頼されたターゲット、近衛木乃香だ。どうやら彼女にとって、ナインが捕獲した少女――桜咲刹那はとても大事な存在らしい。
 この様子なら、思っていたより円滑に事を進められる。そう判断し、プレイヤーは早速交渉を開始した。
「いいよ。けど、交換条件だ」
「なに? うちに出来ることならなんでもする!」
「こ、このか……待って。なんか、マズイよ」
 木乃香が勢いで口走ると、隣のオッドアイの少女――神楽坂明日菜が彼女を思い留まらせようと話しかけた。
 いい感性だ。けど、もう遅い。この流れは絶対に止めない。
「その言質、確かに頂いた。それでは、とっても簡単なお願いだ。彼女を返す代わりに、大人しく僕らに捕まっておくれ」
「駄目だ、奴らが口約束を守る保証は無い」
 プレイヤーからの要求を、士郎は素早く突っ撥ねた。それを、プレイヤーは鼻で笑った。
「何を言っているんだい? こういう状況下での交渉では、君達のような不利な立場の人間は絶対的優位に立っている者の言い分を信じる以外に無いんだよ」
「ここは貴様らにとって敵地だぞ」
「そうなったら、この子達の前で大量虐殺ショーの始まりだ。日本ではとても希少な経験だ、多感な年ごろの子供にとっては人生を左右するほどの事になりかねないね」
 言うと、そこで士郎は口を噤んだ。
 士郎の目的が、増援が到着するまでの時間稼ぎということは読めていた。それをカードとして切って、プレイヤーを焦らせようとした状況判断も悪くないだろう。実際、士郎1人だけの状況ならば通用したかもしれない。しかし、今の士郎は多くの荷物を背負っている。足枷ならば外せばいい、余計な錘ならば捨てればいい。だが、大切に背負っている荷物を棄てるという決断はとても難しい。
 案の定、士郎はその荷物――未来ある子供達の前途を憂い、それ以上は強気になれず、黙り込んだ。プレイヤーの言葉がハッタリではないと、士郎も気付いているのだろう。ナインから発せられている殺気と臭いで。
 殺気はともかく、少年少女達は嗅ぎ慣れていないことと、極限に近い緊張状態のために、この臭いに気付いていない。人間の血肉の、独特な臭いに。
「本当に、約束を守ってくれるん?」
 士郎が押し黙ったのを見て、木乃香は一歩、前に出た。
「このかさん、駄目です!」
「そうよ、このか! あんな奴の言うことなんか信じちゃだめよ!」
 ネギと明日菜は、慌てて木乃香を引き止めようとした。
 そうだ、楔を打とう。
 この状況を最高に楽しめる手段を思い付き、すぐに実行する。
「冷たいねぇ、君達。ナインに今にも握り潰されそうになっている子は、どうなろうと構わない、ってことかい?」
 言って、ナインが捕まえている少女をプレイヤーは指す。
 仮にも神鳴流の剣士ということで、ナインには殺さない程度に締め上げておくようにリクエストをしていた。だが、顔色を見るに、どうやら圧迫された内臓が幾つか潰れているようだ。このままでは、すぐに適切な処置を施さなければ数時間以内に死ぬだろうが、別に構わない。
 この状態でも今から暫くは生きている、ということは間違いない。彼女らの選択次第で、少女の命が左右されることになる。これこそが重要なのだ。
「桜咲さん……!」
 プレイヤーの指摘に、明日菜とネギ、ついでにオコジョ妖精の表情が歪んだ。
 近衛木乃香と桜咲刹那。その双方を大事に思い、どちらも助けたいという純真で無垢な想い。しかし突き付けられた現実は、木乃香を犠牲にして刹那を助けるしかないという、幼い子供には過酷な選択肢。そして伏せている最悪の結末は、近衛木乃香以外の鏖殺による状況の終了。
 それらの中で必死に考え、葛藤して、どうしようもない現実を覆そうと苦心して――結局、何も分からず、何も選べない。絶望の中での思考停止。認めたくない己の無力さの痛感。怒りと悲しみと屈辱に塗れた恐怖の表情。
 ああ。どれも、実にイイ。見て、知って、こんなにも楽しいものはない。しかも最高なのは、これよりさらに下の深淵があるということだ。しかし、この状況ではこれが限界だ。未来ある少年少女の心と記憶に、楔を打ち込めただけでも良しとしよう。それに、今は一応、仕事中だ。
「お嬢さん、ご安心を。僕は約束を破ることに関しては抵抗なんて一切無いんだけど、嘘は大嫌いなんだ。だから、僕が言ったことに嘘は無い。君が僕らに捕まってくれるのなら、この子は速やかに返却するよ」
 先程の木乃香からの質問に、プレイヤーは懇切丁寧に答えた。この言葉に嘘は無い。プレイヤーは本当に、嘘や偽りが大嫌いなのだ。
「ごめんな、アスナ、ネギくん、カモくん、衛宮さん。うち……行くわ」
 プレイヤーの言葉を信じてか、それとも状況の打開にはこうするしかないと悟ってか、木乃香は仲間達にそのように告げた。
「……すまん」
 ネギと明日菜、オコジョ妖精が無力さに打ちひしがれるあまり言葉を失う中、士郎は一言だけ、少女に詫びた。奇妙なことだ。士郎が謝る要素など1つもない。彼が此処にいなければ、もっとプレイヤーにとって楽しい状況になっていたのだから。
 もしもここいるのが士郎ではなくヴァッシュだったら、逆にプレイヤーの劣勢どころか作戦失敗で逃走せざるを得なかったのだから、そこは、運が良かったと胸を撫で下ろす。
「君がナインに掴まれてから、この子を解放するよ。苦痛からの解放と称して殺すようなことは無いから、安心して捕まってね」
「分かりました」
 プレイヤーが言い、木乃香が頷くと、ナインがもう一方の腕を伸ばす。木乃香は大人しくそちらに向かうかと思ったが、先にナインに捕まっている刹那へと歩み寄った。
 強引に捕まえても良かったが、何をするつもりか気になったので、プレイヤーは一先ずナインにも静観するように指示した。返事の代わりに、ナインから発せられる殺気が強まる。士郎への牽制としては十分だろう。
「ごめんね、せっちゃん。うちのせいで」
「こ、の……ちゃ……。逃げ……て」
 木乃香が呼びかけると、激痛のあまり悲鳴を上げることもできず、呼吸にも苦しんでいた刹那が口を開いた。出てきた言葉は、自らを省みず、木乃香の身を案じる言葉。忠誠心や使命感によるものか。それとも、友情から来る純粋な思い遣りの心か。前者ならばさっぱり分からないが、後者ならば分からないでもない。
「ううん。せっちゃんが死ぬなんて、うち、絶対いやや。だから……これは、うちのわがまま」
 木乃香の手が、刹那の顔に触れる。
 その時、不思議なことが起こった。
 木乃香の体が淡い光に包まれたかと思うと、その手が触れていた刹那の顔色に、見る見るうちに生気が戻ったのだ。不確定情報で、近衛木乃香には類稀なる治癒術の素養があると聞いていたが、これほどのものとは思わなかった。
「友を想う心が才能を開花させた、ってところかな。こう言う状況でなければとてもロマンチックだ、説明つきの一枚絵でお金を取れただろうね。けど、現実はそうはいかない。さぁ、お嬢さん、魔人の手中へお入りなさい」
 茶化しながら告げて木乃香から刹那を引き離し、ナインの手の中へと促す。木乃香は黙って頷いて、プレイヤーを睨みつけてからナインの手中へと収まった。
 無事に近衛木乃香を確保して、衛宮士郎から不穏な気配を感じるのと同時、ナインに仕上げの指示を出す。
「それじゃあ、ナイン、衛宮士郎にそっちの子を渡してくれ」
 指示を聞くと、ナインは手首のスナップを利かせて、士郎目掛けて刹那を投げつけた。プレイヤーとナイン達の視覚と聴覚は、共有の魔術によって繋がっている状態だった。だからこそ出来た、狙い澄ました投擲。
 プレイヤーは一言も、刹那を普通に解放するとは言っていない。無事に返すというのも、投げ渡した刹那を士郎が受け止めるという大前提での話だったのだ。嘘を嫌う人間が、正直者とは限らない。
「じゃあね~」
 士郎が刹那を受け止めている間に、プレイヤーとナインは撤退を開始した。同時に、念話で別行動を取っていたソードとE2にも連絡を入れる。
 E2は自力での撤退が不可能とのことで、後で仮契約カードを使って回収することにした。ソードは彼の楽しみの真っ最中だったが、意外にもすぐに撤退を受け入れてくれた。ソードはプレイヤーの企てに絶対に欠かせない人材でもあるだけに、安堵の溜め息を吐く。
 もうすぐ、この仕事も終わり。その後が、今から楽しみだ。





 士郎は、刹那が解放されたと同時に仕掛けるつもりだった。だが、その考えは読まれていた。ナインの投擲の勢いは強く、士郎が避けてしまえば刹那が重傷を負うか、下手をすれば死にかねないほどだ。
 干将と莫耶の投影を破棄して、空いた両手で刹那を受け止める。だが、勢いは想像以上で、衝撃を和らげるために床を転がらざるを得なかった。その甲斐あって、目立った外傷もなく、無事に刹那を受け止めることができた。
 受け止めた刹那を素早く床に寝かせて、士郎はプレイヤー達が去った壁の穴へと向かった。既にプレイヤー達の姿見えない。代わりにあるのは、濃密なまでの死の臭いと、ナインによるものと思われる蹂躙の痕跡。
 してやられた。己の不甲斐なさに、士郎は拳をきつく握り締め、壁を叩いた。
 敵の戦力を、完全に侮っていた。まさか、ソードに匹敵するにしても、あんな化け物が出てくるとは思っていなかった。加えて、自らの認識を超えたあまりにも巨大な腕に驚くあまり初動が遅れてしまった、などというあまりにも情けない理由での致命的なミス。あの時、腕の大きさなどと言う瑣末なことに気を取られてさえいなければ、こんな事態にはならなかったはずだ。
 或いは、奴らの接近を感知した時点で宝具を投影し、射線上の人間の犠牲を顧みずに先手を打っていれば良かったのではないか。結果だけを見れば、ここからの直線上にいた人間は全てナインによって殺されている。ならば、奴を止めるために士郎が巻き込む形で殺しても、それは最悪を防ぐ必要な犠牲であり、無駄死にはならなかったのではないか?
 以前ならば、迷わずそうしていた。だが、誰かが止められる可能性も考慮して、士郎はそれを行わずに木乃香達を避難させることを選んだ。
 人を殺さずに、人を守り、人を救おうとした。その選択が間違っていたのか? 大勢の人々を救うために、1人の人間を犠牲にした俺が、今更そんなことを選ぶのは歪だと、間違っているというのか……!
 不意に、右手に鋭い痛みが走った。壁にぶつけてどこかを痛めたにしては、タイミングも痛み方もおかしい。右手の甲の装飾をずらして確認しようとした所で、こちらに向かって来る足音が聞こえた。
「士郎、みんな、無事かい!?」
 部屋に飛び込んできたのは、ヴァッシュだった。ネギ達はヴァッシュの顔を見ると、気の抜けたような顔をしている。もしかしたら敵が来たのかもしれないと、警戒していたのだろうか。
 とにかく、ネギ達には状況を説明するような余裕は無いと考え、士郎は右手の痛みの事は後回しにして、ヴァッシュに状況の説明をした。
「すまん、ヴァッシュ。近衛木乃香を守れなかった」
「そうか……。けど、皆が無事なだけでも、良かったよ」
 士郎から悪い報せを聞いて、ヴァッシュは一瞬、表情を暗くした。だが、直後に心の底から安堵したような、そんな声でネギ達の無事を喜んでいた。しかし、刹那はそれを素直に受け止められなかった。
「そんな! 私が不甲斐ないばかりにお嬢様が攫われて……目の前で、私を人質に使って攫ったんです! それで、何が無事で良かったと……!」
「姉ちゃん、ヴァッシュを責めたらあかんで」
 ヴァッシュに食ってかかった刹那の前に割り込んだのは、頭に犬のような耳が生えている少年だった。士郎には見覚えが無いが、聞き覚えのある特徴だ。確か、リヴィオが交戦して確保した敵側の少年の犬上小太郎だったか。
「君は……えっと、小太郎くん、だったっけ?」
「せや。よう命拾いしたな、西洋魔術師の坊ちゃんの……え~っと、なんや、ニラやったか?」
「ネギだよ!?」
 ネギが話しかけると、犬耳の少年――小太郎は気さくに、中々捻った冗談を交えて答えた。そのやり取りを見て、つい、士郎は笑みを零した。
「確かに、細ネギとニラは見た目が良く似ているな」
「いや、そんな真面目に解説されても困るんやけど……」
 外国人で日本の野菜の名前に馴染みの薄そうなネギの為にと軽く解説したのだが、どうやら小太郎には迷惑だったようだ。流石は関西人、幼くとも笑いへの拘りは並み以上か。
「ありがとう。お陰で、気持ちを切り替えられた」
 士郎は、小太郎とネギに礼を言った。
 今為すべきことは落胆し後悔と絶望に沈むことではない。他に、まだできることがある。それを思い出すことができた。
「ヴァッシュ、そっちの状況は?」
「僕と小太郎でE2って人を捕まえたよ。それで、E2はリヴィオが連れて行って、多分、今は外でケンの相手をしている。これぐらい……かな」
 今度は士郎がヴァッシュに状況を訊ねた。他にも分かっていることはあるだろうが、ここで話すことではない、といったところか。
「そうか……」
 少ないながらも情報を得て、士郎は考える。
 襲撃から木乃香の拉致までの時間は10分にも満たない。隠していた手札を活用し、こちらの油断を突いた電撃作戦、見事と言う他ない。
 確認出来た敵の数は4人。プレイヤー、ナイン、ソード、E2。事前の小太郎からの聴取によれば、この4人は元からのチームらしい。ならば、連携の効率から考えれば最小限の人数で襲撃を仕掛けた可能性は大きい。
 気になるのは、話にあった助っ人だ。ケン・アーサーとナインという強力な戦力がありながら、尚もプレイヤーが呼び寄せた増援。切り札か、或いは何らかのコンボのキー・カードか。今、建物の内部で戦いの気配が起こっている様子は無い。ならば、助っ人の役割は撤退の補助役と考えるのが妥当だろう。
 思考を巡らせ、結論を出すと、士郎はヴァッシュに声を掛けた。
「……プレイヤー達を追撃する。ヴァッシュ、行こう」
 不安要素は幾つもある。だが、それらに一々構っていては時間を浪費して手遅れになってしまう可能性が大きい。ならば、考えるよりもまず行動だ。その過程で何らかの問題にぶつかったら、その都度打ち破ればいい。
「OK、急ごうか」
 ヴァッシュは士郎の呼び掛けに迷いなく頷いた。
 士郎は両手に干将と莫耶を再び投影し、外に面した壁を斬り崩した。ここまで破壊されているのだから、追加で壁が一つ壊れても大差はあるまい。
 眼球を魔術で強化して闇夜に目を凝らし、プレイヤー達の痕跡を探す。すぐに、隠しようのない巨大な足跡を見つけた。魔力の痕跡や魔術式の類も見てとれないからには、罠の可能性は低い。あれを追跡すれば追いつけるはずだ。
 士郎が隣に立つヴァッシュに声を掛けようとした所で、別の声に呼び止められた。
「待って下さい!」
 声の主は、ネギだった。
「僕も、連れて行って下さい!」
 ネギの言葉を聞いて、すぐに士郎は表情を厳しくした。士郎はネギ達を置いて行くつもりだった。戦力換算の問題ではなく、ネギ達にこれ以上恐怖を経験させないためだ。いや、寧ろ、ネギ自身から付いて行くと言い出したことは意外だった。
 幾つもの戦場を渡り歩き、何度となく格上の敵からの殺意や敵意に晒されて来た士郎でさえも息を呑み、死を予感したナインの殺気は尋常のものではなかった。しかも、あの殺気は殺意の感受性が発達していなくても感じてしまう類のものだ。そんなものに晒されて、ネギ達は暫く恐怖で動けなくなっていると考えていた。
 だが、ネギは士郎を真っ直ぐに見ている。その表情には、やはり恐怖がありありと刻まれているが、瞳には恐怖に負けまいとする、強い意志が宿っていた。それを若さゆえの無謀や蛮勇と判じた士郎が口を開こうとすると、ヴァッシュが口元に手を当てて遮った。見れば、ヴァッシュは口の前に人差指を立てている。
 ヴァッシュは、自分とは別のものを感じている。それに気付いた士郎は、黙ってネギの言葉の続きを待った。
「このかさんは僕の生徒で、それで、いつも料理を作って貰って、お世話にもなってる……大事な人なんです! お願いです、僕も連れて行って下さい!」
 ネギが連れて行ってくれと言った理由は、あまりにも些細なことだった。
 衛宮士郎はある種の精神的異常者であるが故に、下らないと言われてしまう程些細な理由で他者の為に身を呈するという無謀を行ったことが多々ある。しかし、異常者ではあり得ないこの少年の場合は、違うのではないだろうか。
 強い意志を持つ少年が、些細なことの為に恐怖に立ち向かうことを、果たして、無謀や蛮勇と呼べるだろうか。
「私も連れて行って下さい。お嬢様の友情に報いる為にも、今度は私がお嬢様を助けたい。もし断っても、無理矢理ついて行きます」
「私も! 私だって、このかの友達だもん! このまま、何もしないで黙って見ているだけなんて、できない!!」
「オイラも、アニキの行く所なら、たとえ火の中、水の中! どこまでも付いて行くッス!」
 ネギに触発されるように、刹那、明日菜、カモミールが続く。
 先程までは恐怖と怒りと絶望に縛られていた少女達が、今はネギと同じく瞳に強い意志を宿していた。カモミールは未だにガタガタ震えているが、武者震いということにしておこう。
「ワイは鼻が利くし、あいつらの臭いは覚えとる。連れてったら役に立つで?」
 何時の間にか、ヴァッシュとは反対側で士郎の隣にいた小太郎が、不敵な笑みを浮かべてそう言った。
 恐怖に立ち向かう、小さくとも強い意志。正直、士郎にはそれが何か分からない。
 士郎には幼い頃に養父から受け取った『正義の味方』という理想があった。どのような事態に直面しても、その理想に殉じようという気持ちが常にあった。だから、恐怖を抱えたまま、他者の為に行動することに必要なものが分からなかった。それでも、ただの無謀や蛮勇ではないことと、止めても勝手に付いて来るか、勝手に別行動を取られかねないことぐらいは分かる。
 ヴァッシュと視線を合わせて、士郎が観念したように頷くと、ヴァッシュも力強く頷いた。
「よぉし、分かった! みんなでこのかを助けに行こう!!」
「但し、俺達の傍から離れないことと、俺達より前には立たないこと。これだけは守ってくれ」
 告げて、士郎とヴァッシュは踵を返し、ネギ達に背を向けた。
「はい!」
 ネギからの返事を背に受けると、士郎とヴァッシュは一緒に外へと飛び出した。
「目指すは一つ、近衛木乃香の奪還だ」
「後は、ついでに日本の平和も守っちゃおうか」
『おー!!』
 士郎とヴァッシュの号令に、少年少女達は強い想いを込めて返事をした。



[32684] 第十四話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/05/22 01:53
 巨人の残した足跡を頼りに、ネギ達は木乃香を攫った犯人達を追走していた。
 先頭を走る士郎とヴァッシュに先導されながら、雲が流れて月明かりが差すようになった夜の森の中を駆け抜ける。他の全員が走っている中でネギだけは杖に跨って低空飛行を行っているが、ネギは運動が不得意である為だ。
 目の前には、木々の間から差す月明かりに照らされて暗闇でも目を引く紅い背中。少し視線をずらせば、鬱蒼と茂った木々が月明かりを呑みこんで、暗闇を作り出している。普段は穏やかさを感じる夜の闇も、まるで黒い巨人が作り出した暗黒のように感じられて、不安や恐怖を一層煽った。
 こんなことではいけないと、気を紛らわせるためにネギは士郎に話しかけた。
「今から追いかけて、追いつけるんでしょうか?」
「アジトを放棄していたからには、奴らの仲間が近くで待機していて、合流しているはずだ。そこで少なからず足を止めるだろうから、絶対に追いつけない、ということはない」
「なるほど……そうですね」
 速度を落とさず、視線もずらさず、士郎はネギからの問いに理路整然と答えた。それに、ネギも納得して頷く。すると、それに触発されたように、明日菜もヴァッシュに話し掛けた。
「……ねぇ、ヴァッシュって気とか魔法で速くなってるの?」
「ううん、地力だけど?」
 明日菜からの問いにヴァッシュはあっさりと返したが、それはとんでもないことだった。今、明日菜はネギとの仮契約に基づく契約執行による身体強化を行っている。それによる身体能力の飛躍は凄まじく、障害物の多い森の中でトップスピードは出せなくとも、素人の明日菜でもプロの陸上選手をも凌ぐ程の速さと持久力を得ている。それ程のレベルにまで強化された身体能力に、地力で匹敵、若しくは上回る。リヴィオという前例を間近で見たばかりとはいえ、やはりネギには驚くべきことだった。
 ちなみに、士郎はネギが知る身体強化とは全く別系統の強化の術を施しているようだった。どのような違いがあるかは見ただけでは分からないが、少なくともネギの知る強化の術よりも燃費で優れているように見えた。
「はぁー……世の中、見た目によらず凄い人っているのねぇ」
「やだなぁ、照れちゃうよ」
 明日菜が感心したように言うと、ヴァッシュは枝を避けながら、誰の目から見ても分かるほど分かり易く照れた。
「ヴァッシュ、半分くらいバカにされてたで?」
「けど、半分くらいは褒められてたでしょ?」
 小太郎からのツッコミにも、さらりと返す。そのやり取りがなんだか面白くて、ネギはつい、小さく笑ってしまった。だが、刹那にはそういう余裕が無いようで、ピリピリとした表情のまま、終始無言で前を向いている。
「全員、止まれ!」
 急に、士郎から号令が掛かり、全員が慌てて急停止する。何事かと訝しんでいると、士郎とヴァッシュは森の奥、暗闇に閉ざされたその先を見ていた。
「この先に凄い団体さんが見えるな……。しかも多分、あれって本物のヨーカイなんでしょ?」
「そうだな。鬼と天狗か。誰かが戦っているようだが……リヴィオか?」
 視線を前に向けたまま、2人が言う。しかし、ネギが幾ら目を凝らしてもそんなものは見えなかった。昼間なら見えたかもしれないが、暗幕で遮られたかのように、士郎達の言った光景が見当たらない。
「2人とも、目ぇいいんやな」
「いや、目がいいってレベルじゃないでしょ」
 小太郎が感心して言うと、今度は明日菜がツッコミを入れた。
「戦ってるのがリヴィオの旦那なら、合流した方がいいんじゃないッスか?」
 ネギの懐から顔を出して、カモミールがそのように進言する。それを聞いて、暗幕の向こうの様子を窺っていた2人も頷いた。
「よし、行ってみよう」
 ヴァッシュからの指示に従って進行を再開し、暫くすると、物音と声が聞こえて来た。物音は、何か大きなもの同士がぶつかる音と、大きなものがぶつかって木々や枝葉がざわめく音。
 声は――
「ひ、ひぃぃいぃぃ!」
「やっぱり無理やったんや! 一騎当千の鬼殺しに、ワイらが勝とうなんて無理な話やったんや!」
 ――野太い、大人の男の悲鳴と泣き言だった。
 男の悲鳴――先程の士郎の言葉通りなら鬼のものだ――を聞いて、ネギ達はぎょっとした。あまりにも似つかわしくない、奇妙なものに思えたからだ。
 やがて、暗幕に切れ目が見えた。森の中でも開けた場所に出たのだ。士郎とヴァッシュが立ち止まり、ネギはその後ろから様子を窺い、状況を視認して息を呑んだ。ネギが見たのは、森の広場を埋め尽くすほどの鬼の大群と、それら全てに畏怖の感情を懐かせている、黒い鬼神の後ろ姿だった。
「おーい、リヴィオー」
 ヴァッシュが呼びかけると、鬼神――リヴィオは振り返った。
「あ、ヴァッシュさん。すいません、奴らに追いつけたんですけど足止めを食らっちゃって」
 こんな状況とは思えない、明るく軽妙な声でリヴィオは言った。
 別段、リヴィオの声が浮かれていたり軽薄だったりするわけではない。ただ、周囲を怪物に囲まれているのに、あまりにも平然としているから、ネギにはそう聞こえてしまったのだ。
 人ではない怪物【デーモン】に包囲されて平気でいられることは、ネギには出来なかった。
「……アニキ?」
 気付かぬ内に、懐のカモミールに浴衣の上から触れていた。心配したように顔を覗き込んで来たカモミールに、ネギは精一杯の強がりで返した。
「ごめん、カモくん。大丈夫だから」
 ネギの人生を一変させた幼少期のトラウマを、今は木乃香を助けるという使命感で塗りつぶす。
 今は、足を引っ張るわけにはいかない。
「ま、まさか……これだけの鬼を召喚して使役するような術師がいたのですか!?」
 刹那が驚愕しながら問うと、リヴィオは首を横に振った。
「いや。予行練習だとか言って、あの女が御令嬢の力を使って呼び出していたよ。数だけはいるから梃子摺っててさ」
 リヴィオから返って来た答えに、刹那だけでなくネギも表情を険しくした。
 他人の魔力を自分で使うという行為は極めて危険だ。魔力を使う側が調子に乗って大量の魔力を使ってしまえば、魔力を使われる側に負担の殆どが行く。もしも、使用する魔力量が使われる側の容量を超過してしまえば、命に関わる。
 木乃香を道具のように扱う天ヶ崎千草のやり方に、強い嫌悪を覚える。なにより、日本の平和を脅かしてまで自分の欲望のままに行動しようという姿勢が、父のような『立派な魔法使い』を目指すネギには許し難いものだった。
「……ええっと、こいつら何人いるの?」
「千ぐらい呼び出したとか言ってたな。銃が通じないから面倒だけど、それ以外は問題ないよ」
 明日菜からの問いに、リヴィオは何でもないことのようにさらりと答えた。
 敵の数は千だと言った。どれも、見るからに屈強そうな者や、一筋縄ではいかない曲者ばかりだ。それを相手に、一切の強化の術を使わずに、素手で問題無いという。
「君、本当に人間か?」
 ネギが懐いた疑問を、士郎が代弁してくれた。言われたリヴィオは、困ったような表情で苦笑した。
「一応は。それよりも、ここは俺に任せて先に行って下さい」
 言って、リヴィオは鬼や天狗など、魑魅魍魎の百鬼夜行ならぬ千鬼夜行を睨みつけた。
「道を開けろ。お前達の相手は、俺1人で十分だろう?」
 鬼の群れを睨みつけながら、脅すような強く荒々しい語気でリヴィオが告げる。昨日までの穏やかで子供っぽく気さくなリヴィオの態度とは掛け離れた姿を目の当たりにして、ネギは我が目を疑った。昨日までのリヴィオよりも、今のリヴィオの方がより自然体に見えたのだ。夜闇にまだ目が馴染んでいない為に、ありえないものの見方をしてしまったと、目を瞬かせる。
 その間に、鬼達はざわめきながらも道を開けていた。よく見てみれば、リヴィオに対して怯えているのはほんのごく僅か。大半の鬼は、リヴィオとの戦いに心を躍らせているようだ。
「奴らは湖に向かって儀式を行うとも言っていました。お気を付けて」
「うん。リヴィオも気を付けて」
 畏まった挨拶でリヴィオが先を促すと、ヴァッシュがすぐに応じて先に向かって走り出し、ネギ達もそれに続く。そして、鬼の群れの真ん中を縦断してから数十秒後、また先程と同じ物音が聞こえ始めた。
「……どちらが鬼なのでしょうか」
「本人には言わないであげてね。傷ついちゃうから」
 刹那が零した言葉に、ヴァッシュは苦笑を浮かべながら返した。それを聞いた明日菜と小太郎は小さく笑っていたが、ネギはとても笑えるような心境ではなかった。





 鬼を始めとした妖怪の類に対しては、銃弾が通用しない。理不尽な話だが、歴然とした事実としてそれは存在していた。普通のガンマンや傭兵が妖怪と戦うことになれば、主力兵装が無力化されてしまい呆気なく餌食となるか、命からがら逃げ出すしかない。だが、リヴィオはあらゆる意味で普通ではなかった。
 リヴィオの身体能力は人間の身体物理限界を超えている。反射・反応速度、腕力、脚力、瞬発力、跳躍力、再生力、持久力、耐久力、全てが。故に、自らの身の丈の倍以上はある巨躯を一撃で沈め、その足を掴んで鈍器として使うことも、リヴィオにとっては何ら異常なことではなかった。
 万が一、武器を失ったら、武器が使えなくなったら。そういう状況を想定した訓練も、リヴィオは積んでいる。その最も簡単で優れた答えが肉弾戦だ。鈍器代わりに振り回していた鬼が、20ほどの鬼を潰した所で消失した。そこへ、金棒を持った鬼が4匹、前後左右から襲いかかって来る。
 左方向へと踏み込み、向かって来た鬼を文字通り蹴散らす。その先にいた鬼の頭上へと跳躍し、その頭を踏み台にして踏み砕きながら跳躍。厄介な翼を持ち飛行能力を有する者を潰すべく迫る。
 空中で無理に打撃を打ちこもうとはせず、しがみついてから首を圧し折る。天狗が消失して、そのまま地面へと自由落下する。そこには、これを好機とばかりに群がっている鬼の群れ。それに対して、リヴィオは怒りを込めて殺気をぶつけた。
 闘争を喜びとする種族というだけあり、そういった感受性に優れた鬼どもはリヴィオの殺気を敏感に感じ取り、殆どが濃密な死の予感に動きを止めた。動きを止めた群れの中、辛うじて一人分が空いている隙間に着地し、両脇の鬼を掴んで持ち上げ、頭をぶつけ合わせて木の実を割るように叩き割る。
 その光景を目の当たりにした魑魅魍魎は、恐れから身を引き、間を開けた。だが、すぐに1匹、リヴィオに正面から向かって来た。
「まったく。殺されても死なないやつは、これだから」
 表情と声、その両方に嫌悪を露わにし、それを拳に込めてぶつける。すぐに鬼の体は四散し、消滅する。だが、どれだけ殺そうとも、鬼どもは1匹も死んでいない。鬼を始めとした人間に召喚された妖怪の類は、殺されて消滅しても死なないのだ。
 矛盾しているとしか思えない話だが、呪術的にれっきとしたカラクリがあるらしい。だが、リヴィオにはさっぱり分からなかったし、牧師見習いである以前にその事実は受け容れがたかった。
 命は、誰しもに1つ。人は、殺されれば死ぬ。死んだら、ずっと死んだままだ。死人が生き返るようなことは、決してない。だからこそ、たった一度きりの人生で、誰もが死を恐れ、生を謳歌する。
 だというのに、このバケモノどもは『この世のものではない』という訳の分からない理由で、その理から逸脱する。ここで殺されても死ぬわけじゃないから、命に対して無頓着でいられる。自分の命をも玩具のように扱えるほど。
 ヴァッシュさんやあの人が、たった一つの命に全てを懸けたというのに、こいつらは……!
 今も共にいる尊敬する人と、今もその背を追っている憧れの人。彼らの生き様を根本から否定するような在り方を、リヴィオは決して許容しない。
 すると、背後から鬼が一挙に押し寄せて来た。この時、何故かリヴィオは背後への警戒を疎かに――否、解いていた。それを察知した鬼どもが、これぞ天佑とばかりに襲いかかって来たのだ。リヴィオは気付いている。だが、迎撃しようとも、防ごうとも、避けようともしない。
 先頭の鬼が金棒を振り上げた、その瞬間。闇夜を紅い一閃が貫き、リヴィオの背後に迫っていた鬼の群れを一網打尽にした。
「君らしくもない。背後が無防備だったぞ」
 いつの間にかこの場に参上した、紅い一閃を放った当人がリヴィオに親しげに声を掛けた。その男は、黒い装束に身を纏った――リヴィオがこの世界に来た時に初めて出会った人物である、黒い騎士だった。
 リヴィオに熱中していた妖怪達は、黒い騎士の登場を知るや、熱が奪われたように震撼し、身震いしていた。察知したのだ。黒い騎士が自分達にとって、遥かに格上の存在であることを。
「あんたが来るのが分かったからな。助かったよ」
 颯爽と参上した黒い騎士に、リヴィオも親しげに返事をした。リヴィオと黒い騎士は、リヴィオがこの世界に放り出された直後に出会い、後に再会し、些細なことで対決して以来、親しい付き合いをする関係だ。
 再会した当時の黒い騎士は自暴自棄に陥っており、当て所のない怒りと憎しみと哀しみに苛まれていたが、リヴィオとのケンカを経てからはスッキリとした様子で、前向きに日々を過ごすようになっていた。それ以来、時々手合わせをしたり、世間話をしたり、アウトドア料理を御馳走になったりと、そういう間柄になっていた。
 黒い騎士は周囲を見渡した。彼の眼に映るのは、リヴィオが見るのとほぼ同じ状況だ。
「しかし、今宵は随分と数が多いな」
「ちょっと厄介な問題が起こってるんだ。掻い摘んで説明すると、囚われのお姫様の力が悪用されているんだよ」
 犇めく数百の魑魅魍魎を前にしても、黒い騎士はリヴィオと同様に少しも気負った様子を見せなかった。それよりも、リヴィオの言った『囚われのお姫様』という言葉に敏感に反応していた。やはり本物の騎士だけに、そういうことには思う所があるのだろう。
「穏やかな話ではないな。早々に蹴散らすか」
 言って、掌中の紅い槍を翻し、黒い騎士は鬼どもを睨みつける。
「ああ。あんたが一緒に戦ってくれるなら、百人力だ」
 騎士と背中合わせの位置に移動して、リヴィオも戦闘態勢を取る。
 深い森の中、木々に抱かれた仮初の舞台。2人の勇者と千の鬼の舞踏/武闘の幕が開き、閉じるまでの時間は十数分。見届ける者が誰一人としていない空の劇場の演目は、千の鬼が2人の勇者によって退散される、物語とも言えない寸劇。





 リヴィオが告げた『湖での儀式』というキーワード。それに思い当ったのは刹那で、どうやら天ヶ崎千草はかなり良からぬことを企んでいたようだ。
 曰く、総本山近くのとある湖の底には、千年ほど前に封印された海千山千の妖怪とは格の違う『大鬼神』とも呼ばれる怪物が眠っているという。その封印を解き放ち、使役しようというのが千草の企みだと思われる。前者には近衛の血筋が、後者には莫大な魔力が必要となる。その両方の条件を満たしているのが、木乃香だったのだ。
 巨人の足跡が途絶えていたこともあり、小太郎の鼻とその情報を頼りに天ヶ崎一派の追跡を再開する。
 走りながら、ヴァッシュは詠春から聞いた千草の動機を思い返す。千草は20年ほど前に起こった魔法関連の大きな戦いで、西洋魔術師が原因で両親を失っている。今回の事はそれを原因とする復讐に違いあるまい。そのように、詠春はヴァッシュに語った。
 ヴァッシュは、千草の心を想った。20年経っても薄れなかった復讐心は、両親への深い愛情の裏返しだろう。ただ、彼女は両親を失った悲しみよりも、両親の命を奪った者達への怒りが勝ってしまった為に、復讐に走ってしまった。20年という、人間には決して短くない、寧ろ長過ぎる時間を経ても、立ち止まることなく。
 大切な人を奪われた、怒り、悲しみ、憎しみ。全て、ヴァッシュにも覚えがあることだ。嘗て、絶望の底に沈んだヴァッシュを救ってくれた女性――レム・セイブレムを殺した、ヴァッシュと同じ絶望の中で憤怒と憎悪に狂った双子の兄――ミリオンズ・ナイブズ。
 ナイブズへの感情は、ほんの数年前まで、怒りと憎しみに満ちていた。それこそ、ナイブズから放たれた最初の刺客――GUNG-HO-GUNSの1、モネヴ・ザ・ゲイルにナイブズへの怒りと憎しみをぶつけて、殺してしまおうとしたほどに。それでも、ヴァッシュが思い止まることができたのは、それ以外の感情が溢れて来たからだ。それは、悲しみ。レムを失った時の悲しみを思い出し、レムへの誓いを裏切ることへの悲しさが溢れて、ヴァッシュは銃爪を引かなかった。
 千草にも知って欲しい、そして思い出して欲しいのだ。悲しみと、その悲しみが生まれて来る根源を。そうすれば、きっと間に合う。きっとやり直せる。こんなにも、暖かくて穏やかな世界の住人である彼女ならば、必ず。
 ヴァッシュが決意を新たにした直後、嫌な殺気を感じた。首筋に刃物を突きつけられるような錯覚を感じる程の、研ぎ澄まされた鋭利な殺気。この先に何者かが待ち受けていることは間違いない。それはつまり、このルートが正解であるということでもある。
 暫くすると、殺気の主である魔人が現れた。
「ケン・アーサー」
 立ち止まり、士郎が忌々しげに名を口にする。ヴァッシュは初対面だが、雷泥のような如何にも『サムライ』らしい格好だと聞いていただけに、その姿にはちょっと気が抜けてしまった。
 ケンの衣服はボロボロになってしまったようで、腰にボロ布を巻いて腰に鞘を差しているだけで、他はほぼ全裸だった。辛うじて、足に履いているワラジだけはそれらしいか。恐らく、リヴィオとの交戦でああなったのだろうが、その割に、体に傷が見えないのは妙だ。
 ケンは本物の吸血鬼だと士郎は言っていた。ならば、尋常ならざる再生力を持っているということなのだろうか。
「ヴァッシュ・ザ・スタンピード以外は通れ」
 不意に、ケンはそう告げてヴァッシュの前へと移動して、他の人間には一切気を向けなくなった。代わりに、ヴァッシュへと殺気が集中する。
 殺気を向けられるこの感覚は、どうしても慣れない。不快感と恐怖で体が震えそうになる。だが、他の皆が足止めにされずに済むという点では、悪くない状況だ。
「本当かい?」
 ヴァッシュが問うと、ケンはすぐに頷いた。
「戦う前から勝ち方の見える相手との戦いに興味は無い。俺が戦いに求めるのは、極限での鍛練だ」
「鍛練……?」
 ケンが告げた言葉の中で不可解な単語を、ネギが繰り返した。
 確かに、戦いに鍛練を求めるとは奇妙な話だ。不本意ながらも数多くの戦闘狂と対決して来たヴァッシュだが、こういうことを言うタイプは初めてだった。だが、今はそれよりも大切なことがある。深く考えるのは、後にしよう。
「おおっと、お喋りは厳禁だ。Time is money,先へ行ってくれ」
 身振り手振りも加えて、士郎達に先を促す。
 大きく出遅れてしまっている以上、木乃香を助け、千草の復讐を防ぐには時間との戦いにもなっている。早く先に進むに越したことは無い。
「分かった。気を付けろよ、ヴァッシュ」
「できるだけ、すぐに追いかけるよ」
 ヴァッシュの言葉にすぐに応じて、士郎はネギ達を連れて先へと急いだ。1人1人がエールを送ってくれて、それに力強く答える。
 全員の姿が見えなくなると、ケンは刀を抜いた。
「銃を抜け」
「あ、先に聞いていいかな?」
 ケンの言葉を聞き流して、ヴァッシュは逆に聞き返した。それに苛立つこともなく、ケンは刀を抜いたまま頷いた。
「なんだ」
「君、どうやったら負けを認めてくれる?」
 真剣な表情で、ヴァッシュは問うた。それを聞いて、ケンは笑みを更に深くし、視線にさえも刃のように研ぎ澄ませて睨んで来た。
「如何なる形でも構わない。俺が負けを認める程、戦うのを諦める程の圧倒的な力の差を示せ。魔人すら震わせる超人よ」
 言って、ケンは刀を構えた。
 どういう訳かは分からないが、ケンはヴァッシュの素性を知っているらしい。そうでなければ、今の言葉が出て来るはずが無い。どこまで知っているか分からない。だが、知った上で挑んで来ていることは間違いない。
 脳裏に、かつて戦ったムラマサ使いの魔人――雷泥・ザ・ブレードの姿が過る。
「……分かった」
 頷いて、身構える。銃を手に取ろうとはせず、無手のまま。その様子を見て、ケンも訝しんでいる。だが、次第に気付く。少しずつ、少しずつ。自分の殺気が、もっと強大なものに呑まれ、圧され、萎縮していくことに。
 ケンの肌が、間合いを置いているヴァッシュの目からも分かるほどに粟立つ。それを見ても、ヴァッシュは無言のまま、無手のまま、佇む。対峙してから1分ほど、2人は動かなかった。
 戦いは、銃声と共に始まり、そして終わった。
「あ……?」
 ケンは、突然の衝撃と銃声に何が起きたのか理解できず、呆然と声を漏らして、衝撃が伝わって来た自分の刀を構えたまま検める。やがて、気付く。いつの間にか、刀の鍔が砕け散っていることに。
「まだやるかい?」
 銃口を向けて、ヴァッシュはケンに問うた。
 先程の一瞬の出来事は、単純明瞭。ヴァッシュが銃を抜いて、ケンの刀の鍔の部分を狙って撃ったというだけだ。但し、ケンの知覚が及ばないほどの速さでの抜き撃ちと、刀の鍔という小さな標的に寸分違わず命中させる精密射撃で。
 刀の鍔を見た後、ケンはヴァッシュの右手に握られている銃を見て、それらを交互に数度見ると、やがて、風船から空気が抜けるように両腕がガクリと落ちた。
「は……は、はは……」
 ケンは力が抜けた、乾いた笑いを漏らした。人間には、驚くべき事態に直面した時、感情とは関係無しに何故か笑ってしまうことがある。今のケンの心境が、正しくそれなのだろう。
 勝負は付いたと、ヴァッシュは銃を仕舞おうとして――その手を止めた。
「はっ――! はは、は――っ! ――ぁ!」
 笑い声が止まらず、その声には次第に張りと力が込められていき、やがて、昂り過ぎて呼吸しているのか発声しているのか分からないまでになった。
「え~と……大丈夫?」
 明らかに尋常ではない様子に、取り敢えず、ヴァッシュは声を掛けてみた。すると、ケンはヴァッシュに目を向けて、思いもよらない言葉を口走った。
「こわい、なぁ……。何をされたのか、理屈では理解出来た。だが……実際に、目の当たりにした瞬間には、何が起きたのかも分からなかった、なんて……! 理解しても、まるで実感が湧かない、なんて……! ――ああ! なんて、こわい……!」
 気が狂れたかのような様子で、ケンは呪詛を唱えるように同じ言葉を何度も繰り返した。こわい、こわい、と。
 ヴァッシュの先程の一撃に恐怖したと、ケンは言っている。実際、声も体も震えているのは、それらしい態度に見える。だが、その表情からは未だに笑みが消えていないし、目からは闘志が全く失せていない。そして、声色からは殺気が失せた代わりに、狂気が滲み出ていた。
 今まで出会ったどの戦闘狂とも違う姿に、ヴァッシュは困惑し、思わず身を引いた。正直、見ている側が怖くなって来る。
「俺の負けだ」
 震えたまま、小さな声で告げて、ケンはヴァッシュの前から退き、闇の中へと消えて行った。声を掛けようかとも思ったが、どう声を掛けていいのか分からず、ヴァッシュは士郎達との合流を優先し、先を急いだ。
 



[32684] 第十五話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/05/22 02:11
 目的地の湖に辿り着き、天ヶ崎千草が今まさに儀式を始めようかという所まで漕ぎ着けた。足止めは効果的だったようで、邪魔者が来る気配は無い。プレイヤーはその他諸々の情報も含めて状況を整理し、これ以上は自分達が留まる必要性は希薄だと判断した。
「これで契約は満了として宜しいでしょうか?」
 プレイヤー達が千草と結んだ契約の内容は『天ヶ崎千草が大鬼神の封印を解くための支援』。目的達成が確実になったこのタイミングでならば、もう退いてもいいだろう。本来ならば万が一の可能性も考慮して完全に終わるまでは仕事をきっちりこなすのが流儀だが、今回は早目に切り上げたいところなのだ。
「せやなぁ。ここまで来たら、誰にも邪魔はできひんやろ。おおきに、あんたらのお陰で上手くいったわ」
 プレイヤーからの申し出に、千草は上機嫌で、快く頷いた。お礼の言葉を聞いたプレイヤーはうっすらと笑みを浮かべると、それを隠すように恭しく頭を下げた。
「いえいえ。それでは、私共はこれで失礼致します」
 頭を上げると同時に即座に踵を返す。フェイトや月詠も、特に何を言うでもなく黙ってそれを見送った。
 森に入り、待機していたナイン達と、その肩の上に乗せられてぐったりとしているE2と合流する。
 近衛木乃香を拉致し、待機していた千草達と合流した後、念話で捕まってしまったと返事を寄越したE2を、プレイヤーは仮契約カードを用いて召喚した。そこまでは良かったのだが、E2は両手両足の関節が外されている以上に、別の事で疲弊しきっていた。そうなった経緯も、仕事が終わってから話すとしか言わないほどに疲れ切っていた。
 流石にこんな状態のE2と、ヴァッシュと遭遇した際の錯乱と暴走がほぼ確実であるナイン達を、これ以上この場に留まらせるのは不味い。ついでを言えば、ナイン達という最高のボディガードを欠いた状態で戦場に立ったらプレイヤー自身の命も風前の灯火だ。なので、少し早目に仕事を切り上げたのだ。
「ナイン、E2。君達は帰還の準備が整うまで、ここから離れた場所で待機していてくれ」
「あーいよー……」
 ナイン達の肩に乗せられたまま、E2が力無く返事をする。平素から躁状態に近いE2が、このような姿を見せるのは極めて珍しい。調子に乗って能力を酷使し過ぎた時ぐらいだろう。ヴァッシュの何を視てこのようになったのかは非常に興味深い事柄だ。知的探究心、好奇心、知識欲、それら全てが刺激される。だが、今は無事に逃げ遂せる準備をすることが重要だ。
 追手も人質や主犯にばかり目が行って、その場にいない下っ端にまでは気が回るまい。改めて追われるにしても後日が精々。少し離れた場所に移動するだけで、撤退の準備を整えるには十分だ。しかし、実際に撤退するのは、準備を終えてからも時間を挟むことになる。理由の1つは、何故か連絡の取れないソードとの合流待ちの為。もう1つは、プレイヤーの個人的な楽しみの為だ。
 そこまで考えて、プレイヤーは万が一の時の為の切り札として呼んだ“彼女”のことを思い出した。彼女には悪いが、結局出番は無さそうだ。
「すまないね、ライダー。折角来てもらったのに無駄足で」
 湖から離れた森の中。仲間達と共に湖に背を向けて移動しながら、左手の掌に刻まれた紋様を鈍く光らせ、プレイヤーは誰もいない暗闇に向かって彼女――ライダーに話しかけた。





 森の木々の合間から湖が見えるようになったのと同時に、士郎とネギ、魔術や魔法に通じた2人は莫大な魔力の奔流を察知し、慌ててそちらを見た。そこには、何らかの儀式を執り行っている天ヶ崎千草と木乃香の姿があった。
 このままでは手遅れになると判断し、士郎は足を止めて両手に弓矢を投影しようとして――それを中断して即座に後方に退避し、ネギ達を庇う姿勢を取った。直後、士郎がいた場所を2条の斬撃が迫り、木々を切り倒し、切り開かれた所へ2人の少年少女が姿を現した。
「遅かったね。残念ながら、ここまで来たらどう足掻いても手遅れだよ」
「またお会いしましたね~、衛宮はんと刹那せんぱ~い」
「フェイトと月詠か。厄介なのが揃って来おったで」
 不気味な威圧感を漂わせる銀髪の少年と、丸渕の眼鏡を掛けた大小二刀を構える少女の名を、小太郎がそれぞれ口にした。士郎が昨日、遭遇した2人だ。
 月詠はともかくとして、実力の底が未だにはっきりと見えないフェイトは厄介だ。いや、今はそんなことよりも、こうして動きを止められてこの場に縫い付けられてしまっていることの方が不味い。一刻を争う場面で、この状況は致命的だ。そう考えた直後、湖が発光した。
「ひゃっ!?」
「これは……?」
「うわぁ!?」
「うおっ!? まぶしぃっ!」
 突然の現象に、明日菜や刹那、ネギ、カモミールが声を漏らす。だが、士郎は目を逸らさずに正面を向いたままでいた。相手の2人の内、月詠も発光現象に気を取られているが、フェイトは涼しい顔をしたままこちらを向いている。士郎まで発光に気を取られていたら、どうなっていたか分からない。やはり、油断ならない相手だ。
 やがて、発光が収まるのと同時に、湖の中から巨大な何かがせり上がって来る気配がした。ちらり、と横目に何が現れたのかを確認する。見えたのは何かの一部だ。それが、人間の胴体と非常によく似た形をしていると気付くのには、数秒掛かった。
 おかしい。あんなサイズの人型など、それこそSFアニメ等の巨大ロボット以外に考えられない。しかし、それはどう見ても生物的で、現実の存在感を持っている。
 視線を少しずつ上げて行き、やがて見上げるような角度になって、その全貌を漸く見渡せた。湖から現れている上半身だけで30mはあろうかという、あまりにも巨大な、二面四手の鬼。神々しくさえもあるその威容と肌に感じる魔力は、正しく鬼神と呼ぶに相応しい。
「な、なんだぁ!? この出鱈目な大きさのデカブツ!?」
 カモミールの叫び声を聞いて士郎は物思いから抜け出し、鬼神とフェイトの双方への警戒態勢を改めた。幸い、フェイトも感心したように鬼神を見上げていた為に隙を突かれるようなことは無かった。だからと言って、逆に隙を突けるとも思えなかったが。
「これぞリョウメンスクナノカミ! 1600年前に封じられた、日本最強の大鬼神や!」
 鬼神の肩の上、捕らえた木乃香と着ぐるみのような姿のコミカルな2体の式神を従えて、千草はまるで我が世の春とばかりに高らかに叫んだ。
 リヴィオと対峙していた有象無象の百鬼夜行とは桁違いの、あまりにも圧倒的で、絶対的な存在。これほどのものを道具とし、自らの力として行使できるとなれば、精神が昂るのも当然か。……あの時の、慎二のように。
 一瞬、過去に親友と呼んだ人物の名と姿と末路を思い出し、すぐにそれを振り払い、魔術回路の撃鉄を落とす。
 ――投影、開始。
「ネギ、近衛木乃香を助けられるか?」
 次の一手の準備をしつつ、視線を正面の少年少女へと向けたままネギへと問う。
「え?」
 大鬼神に見惚れていたのか、はたまたここで自分にお鉢が回って来るとは思わなかったのか、ネギは意外そうな声を漏らした。
 はっきり言って、情けない話だ。いい歳をした大人が、このような場面で10歳そこそこの子供を頼るなど。だが、それがこの状況を打破するための最善手ならば、恥や外聞など投げ捨てられる。
「この中で、自由に空を飛べるのは君だけだ。君にしか、彼女を助けられない。出来るか?」
 この世界の魔法使いは、基礎の一つとして飛行魔法を習得している。しかし、士郎のいた世界では飛行は極めて高度且つ効率の悪い魔術であり、それを習得している魔術師は極めて稀だった。無論、士郎も飛行魔術を習得していないし、到底出来るとも思えない。だが、ネギは少年といえどもこの世界の魔法使いで、非凡な才に裏打ちされた優秀の部類と聞く。空を飛べる彼ならば、聳え立つ大鬼神の首元まで行くことができる。
 戦闘経験どころか人生経験すらも希薄な少年に、どれほど酷なことを言っているかは承知の上だ。普段ならば士郎もネギ達を下がらせて、ヴァッシュやリヴィオの到着を待って状況の打破を考えただろう。しかし、思ったのだ。小さくも強い意志を見せたこの少年たちならば、出来るのではないか、任せてもいいのではないかと。
「……はい! やってみせます!」
 士郎の期待に応え、同時に暗澹とした不安や負い目を吹き飛ばすように、ネギは元気良く、快く頷いてくれた。
「私も……私にもやらせて下さい!」
 すると、刹那も協力を申し出て来た。
「桜咲さん?」
「……私にも、秘策がありますので」
 明日菜とのやり取りを聞くに、どうやら刹那にも木乃香を助ける為の手段があるようだ。それに賭けるのもいいだろう。
 ――工程完了。全投影、待機。
「決まりだな。この2人の相手は俺が引き受ける、君達は行け」
「おいおい。1人で大丈夫かいな」
 先を促した直後、小太郎に心配をされる。こんな子供に心配までされるとは、本当に、情けない限りだ。
「ちょっとは大人を信じてくれよ」
 苦笑しつつ、そのように返す。これで無様を晒してしまったら、この子達が大人を信じられなくなってしまうかもしれない。尚更、頑張らなければ。
「僕の相手をしながら、月詠さんの相手までするつもりかい?」
「もしかして、侮られてます?」
 すると、フェイトと月詠は士郎を睨んで来た。子供2人に本気の殺気を向けられるとは物騒な話だ。嘆かわしいことこの上ないが、だからこそ、ここで力を見せるしかない。
「これを見ても、そんなことを言えるかな?」
 不敵な口調で告げて、大袈裟に手を掲げ注目を集める。そして、投擲に特化した剣、黒鍵を20、虚空に出現させる。その光景に視線を釘付けにさせる為、一拍の間を置いてから号令を発する。
「停止解凍、全投影連続層写!」
 20の剣を、フェイトと月詠の足元目掛けて発射する。回避されるのは承知の上。士郎が自らに課した役目は敵の打倒ではなく、足止めと時間稼ぎだ。
 この舞台の主役は別にいる。脇役は脇役らしく、主役を差し置いて目立とうとは考えず、自らの役目に徹するだけだ。
「行け!」
 両手に干将と莫耶を投影して踏み込むと同時に、背後の少年少女達の行動を促す。声を掛けてすぐにネギ達が駆け出したのを察して、士郎は心の中で小さくエールを送った。
 頑張れ、小さなヒーロー達。





 士郎にフェイトと月詠の相手を任せて、ネギ達は後ろを振り返らずに、森の中をリョウメンスクナという巨大な鬼に近付くように移動した。そして、ある程度近い場所まで来て、足を止めた。
 問題は、ここからどうやって木乃香を助けるかだ。真っ正直に飛んでいっても、羽虫のように叩き潰される可能性が極めて高いと考えるべきだろう。
「任されて来たはええけど、どないする気や?」
「今、考えているよ」
 小太郎に声を掛けられても、ネギは必要最小限の返事だけに留めて思考に集中した。
 千草を狙って“雷の斧”などの威力の強い魔法を撃つのは駄目だ、捕まっている木乃香まで巻き添えになってしまう。だからといって、リョウメンスクナにネギの魔法をぶつけた所で、岩に輪ゴムをぶつける程度にしかならないだろう。試してみるまでも無く、リョウメンスクナの体に漲る魔力はそれ程のものだった。
 そうなると、他に思いつく手は一つしかない。
「……私のハリセンで叩いて、元に戻ったりしないかな」
「あれに近付いてハリセン、パーンってか。やってみたらどうや? 近付けるんなら」
 明日菜の考えを、小太郎が遠回しに却下する。明日菜も特に反論せず、ぐうの音も出ない様子だ。
 すると、あちこちを見回していた千草が、ネギを見た。その表情は喜悦に歪んでいて、ネギは生まれて初めて、自分に向けられた笑顔に嫌悪を覚え、寒気を感じた。
「さぁて……リョウメンスクナ! 手始めに、目障りなあのガキをいてもうたるんや!」
 千草の指示を受けて、リョウメンスクナが動き出した。その動作は、巨体に似合わず素早く見える。これが戦闘になったらどうなるかは、考えるまでもない。
「げっ! 兄貴、やべぇぜ! あいつ、兄貴に狙いを定めやがった!」
 ネギの耳元で、カモミールが慌てて叫ぶ。それによって事実を再認識したネギは、自分で思いつけた唯一の作戦を全員に伝えた。
「僕が囮になります。刹那さん、木乃香さんを助ける役をお願いできますか?」
「私が、ですか?」
 ネギが告げると、刹那は意外そうな顔で聞き返して来た。
「あ、さっき言ってた秘策ってやつね!」
 明日菜の言葉に、ネギも頷く。刹那が木乃香を助ける役を申し出た時に、考えたのだ。木乃香を助けるのにより相応しいのは、木乃香が助けて欲しいと一番に思っているのは、親友の刹那に他ならないはずだと。
「………………分かりました」
 少しの間を挟んでから、刹那は頷いた。それを見て、ネギは飛行呪文を唱えて杖に乗った。
「それでは、お願いします!」
 ネギが飛び出すと、それに並走する形で小太郎も走り出した。
「待てや。囮言うても、1人じゃヤバイやろ。ワイもデカブツにちょっかい出すわ」
「けど、空が飛べない君じゃ……!」
 小太郎の提案を、ネギは拒んだ。飛行できるか否かでは、回避方向の選択肢の数にも大きな違いが出る。加えて、リョウメンスクナの気を引く為にちょっかいを出すとなれば、尚更だ。空を飛べない小太郎では、ネギに比べてあまりにもリスクが多過ぎる。
 だが、小太郎は一歩も譲らない。
「アホ。危ないのはお前も、ヴァッシュや衛宮の兄ちゃんも同じやろ。リヴィオの兄ちゃんは絶対に大丈夫やろうけど」
 言われてみれば、確かにそうだ。危険を冒しているのは誰もが同じ。危険だからという理由で、小太郎の行動を咎めることはできない。それに、正直、カモミールが一緒に来てくれているとはいえ、1人だけでは不安だったのだ。
「……そうだね。行こう、小太郎くん!」
「おっしゃあ! そっちも、あんじょうきばりや!」
 小太郎が差しだして来た拳に、ネギも自分の拳を、コツン、とぶつける。
 2手に別れ、ネギは高度を上げてリョウメンスクナよりも高い位置を目指し、小太郎はそのまま陸路を行く。
 早速、襲って来たのは4つの手。人間が蠅を追い払うように振り回し、蚊を叩き潰すように繰り出して来る。だが、そのどれもが人間の数十倍のスケールだ。直撃どころか、掠っただけでも命が危うい。
 怖い。自分の命が、虫と同じように扱われ、殺されそうになっているという現実は、想像を絶するほどのストレスであり、恐怖だった。
 けど、負けない。僕には、本当の魔法がある。たとえどんなにちっぽけでも、この胸に宿る勇気がある限り、絶対に逃げない、諦めない!
「ラ・ステル マ・スキル マギステル!」





 駆け出して行ったネギと小太郎を見送って、明日菜はふと、この状況で自分に何ができるのかを考えた。だが、全く思い付かなかった。
「……神楽坂さん」
 気付いた事実に気まずくなっていた所に、刹那が話しかけて来た。もしかしたら、自分に何か手伝って欲しいのではないかと思い、すぐに頷いた。
「な、なに? 私に出来る事だったら何でも言って!」
 すると、刹那は目を伏せ、2度、3度と大きく深呼吸をした。何かを言おうとして、酷く緊張しているようだ。いったい、何を言うつもりなのだろうか。
「これから私の体に変化が起こりますが、驚かないで下さい」
「え? それって、どういう……?」
 刹那の言葉の意味が分からず、明日菜は聞き返したが、言い終わるよりも先に刹那の体に変化が現れた。それを見た明日菜は、言葉を失った。
「これが、私の本来の姿……。ご覧の通り、私は人と妖の類との間に生まれた、半妖なのです」
 刹那の背に、純白の翼が現れた。月明かりに照らされたそれは淡く光っているようにも見え、その美しさで見る者を惑わせるのではないか、とも思えてしまう。それ程に、今の刹那の姿に、明日菜は心奪われた。
「綺麗……」
「え?」
 明日菜が素直に漏らした言葉に、刹那は目を見開いて驚いた。何をそんなに驚いているのか、明日菜は訝しんだ。
 そういえば、こんなにも綺麗な姿を、勿体付けるでもなく、後ろめたくて隠していたのは、何故だろうか。
「……恐ろしくは無いのですか? 私は妖怪の血が混ざっている……化物、なんですよ?」
 刹那からの問いを聞いて、理解した。彼女は、恐れていたのだ。自分の特殊な出自が原因で、周りから拒絶され、疎まれることを。だから、誰からも距離を置き、昔は友達だった木乃香とも疎遠になってしまったのかもしれない。だが、そんな些細なことは、明日菜には関係ない。
「けど、桜咲さんは桜咲さんでしょ? 私と同じ木乃香の友達で、私のクラスメイト。違う?」
 明日菜にとって重要なのは、その人の出自や家柄ではなく、その人がどういう人物かということだ。たとえ刹那が人間と妖怪のハーフだとしても、それが原因で彼女を嫌うなどあり得ない。それはきっと、木乃香やネギ、3-Aのメンバーの大半が同じはずだ。
 それに明日菜自身、幼少期からの記憶喪失で故郷や家族も全く分からない身の上だ。他人の出自をとやかく言える立場ではないと思うし、言うつもりもない。
「違いません、が……」
 明日菜からの問いかけに、刹那は戸惑いながらも頷いた。それを聞いて、明日菜は軽く、刹那の両肩を叩いた。
「だったら、それでいいじゃない。このかだって、きっとそう言うわよ」
「……ありがとうございます、神楽坂さん」
 力強く頷いて、自然と笑顔になる。明日菜も、刹那も。
「では、行って参ります。お嬢様は私が必ずお連れしますので、待っていて下さい」
「うん。頑張って!」
 力強く、軽やかに飛び立った刹那を、明日菜は声援と共に見送った。
 さて。こうなると益々、何もしないでいる自分が歯痒く思えてしまう。親切な大人達や年下の子供、そして友達が頑張っている状況で、自分だけが何もせずにはいられない。それが、神楽坂明日菜という少女の美点だった。
 明日菜は地面に腰を下ろして、自分に何かできることはないか、自他共に認めるバカな頭で必死に考え始めた。





 ネギと小太郎がリョウメンスクナを上下から撹乱し、無防備な側面を晒しているのを見計らって、刹那は飛び立った。その飛翔は、優雅さと美しさを兼ね備えた外観とは異なり、さながら闇を切って飛ぶ流星のように速く、力強いものだった。
 敵に気付かれるよりも早く肉薄すれば、あの巨体も活かし切れず、却って枷になる。故に、この初動で成否が決まると言っても過言ではない。だが、刹那の姿はリョウメンスクナからは死角になっていても、その肩に乗る千草からは容易に発見されてしまった。
「見え見えや。リョウメンスクナ、あの小娘もはたき落してやるんや!」
 千草からの命令を聞き、リョウメンスクナは片面の片目を動かして新たな標的を視認し、4つある内の1つの巨腕を刹那目掛けて乱雑に振り下ろした。
「くぅっ……!」
 リョウメンスクナの腕は刹那を掠めることも無く、数mずれた虚空を薙いだだけ。だが、それによって生じた気流は暴風の如し。刹那の飛翔を容易く阻み、その翼をもぎ取ろうとした。
 刹那の持つ翼――刹那に流れる烏族の血には、嵐をものともせずに羽撃くだけの力がある。だが、刹那が以前に飛んだのは総本山に身を寄せるよりも前の事であり、今日の飛翔は実に約10年振りの事であった。空を飛ぶことの素質は人間よりも桁外れに優れているものの、久々の飛翔に勘や翼の動きも鈍り、刹那は墜落しないようにするだけで精一杯だった。その瞬間を見計らって、リョウメンスクナの腕が再び振り下ろされようとした。
「魔法の射手、連弾・光の9矢!」
 開きっ放しのリョウメンスクナノ口の中に、ネギの魔法の射手が打ち込まれる。これにもリョウメンスクナはダメージを受けたそぶりも見せず平然としていたが、今まで逃げ回っていただけの獲物に攻撃されたのが余程気に障ったのか、ネギの目論見通り、刹那に振り下ろそうとしていた腕がネギへと向いた。それを確認したネギはすぐに回避行動に専念し、刹那に声を掛ける。
「刹那さん、今の内に!」
「はい! ありがとうございます、ネギ先生」
 ネギの意図を察して、刹那は無理に突貫しようとはせずに体勢を立て直し、リョウメンスクナの攻撃を確実にかわせる距離を保ちながら飛び回り、再突入の機会を覗うことにした。
 つい失念していたが、真の敵はリョウメンスクナではなく、それを操る天ヶ崎千草なのだ。木乃香を助ける為にはリョウメンスクナを突破するだけでなく、千草とその式神も倒さなければならないのだ。
「くっそ、デカイくせに反応ええな……!」
 上空の2人に対して、小太郎は湖面を蹴ってリョウメンスクナの周囲を走り回りながら、何度かその体に組みついていた。だが、その度に体を振るわれて、弾き飛ばされてしまう。普段何気なく行っている体や服にくっついた虫を払う動作が、巨体で行われるとこうも厄介なものだとは思ってもみなかった。
 それでも、多少は気を引けてはいるはずで、上空の2人の負担を減らせているはずだから、全くの無意味ではない……はずだ。
 囮役を果たせている自信が無いこと以上に、視線を向けさせることすらできないことが悔しい。まるで、山を壊してやろうと山の地面を叩いているような錯覚に陥り、無力感と虚脱感に幾度となく襲われそうになる。せめて、懲罰を受けておらず様々な術が封印されていなければ、と考えてしまうが、自業自得の因果応報を呪い、今の無力感の言い訳にしようなど無様に過ぎる。
 一旦湖の外に出て距離を置き、深呼吸して精神の平静を取り戻す。そして、次にちょっかいを出すタイミングを見計らう。
「兄貴、このままじゃ駄目だ! あの女はともかく、このリョウメンスクナってのがとんでもねぇ! 早くなんとかしねぇと、このままじゃジリ貧だ!」
 ネギの懐から、高速飛行の風圧に負けないよう精一杯声を張って、カモミールは叫んだ。
 その事実は、ネギも認識している。湖面から露出している上半身だけでゆうに30mを超える巨体に、2つの顔と4つの手、そして身の丈に似合わない敏捷さと、見た目以上の頑強さ。相手は何ら特殊な能力や術を使っていないというのに、それらリョウメンスクナの元々の力だけで圧倒されているのだ。
「そうだけど、どうすれば……」
 特に厄介なのは、自在に動き回る4つの手だ。人間の倍の数の巨腕による空間制圧力は絶大で、唯一隙を突けそうな頭上への移動もままならない。一度距離を取って大回りに移動すればそれも可能だろうが、ネギの役目はあくまで囮だ。そうすべき刹那は、木乃香を救おうという意識が先走ってしまっているようで、最短距離を突っ切ることに固執してしまっているように見える。
 ネギがこの考えを伝えられればいいのだが、近付くことすら容易ではない。大声を出して伝えてしまえば、それは千草にも聞かれてしまうということだ。
「あの鬼には殆ど自我が無いっぽいから、あの女の気を逸らせればいいンスけど……」
 カモミールの呟きに、内心で頷く。それはネギも考えたのだが、気を逸らす妙案が思い付かないのだ。魔法の射手で攻撃しても、護衛の式神に防がれてしまうだけだろう。
 状況をいかに打開すべきか、ネギは悩み続けた。
「こらー! 私の友達になんてことしてくれてんのよ、オバサン!!」
 不意に聞こえて来た大声にネギとカモミールだけでなく、小太郎や刹那もぎょっとした。
 声のした方を見れば、湖の畔に、リョウメンスクナの肩に乗る天ヶ崎千草を睨む明日菜の姿があった。突然何を言い出すのかと思っている間にも、リョウメンスクナは襲いかかって来る。明日菜の大声もこの大鬼神には虫の羽音程度でしかないのか、それとも命令を忠実に実行するだけの機械的な思考に陥っているのか。
 しかし、千草は違った。
「だ、誰がオバさんや! うちはまだ20代やって言うたやろ!」
 明日菜の暴言とも取れる言葉を聞いて、声を荒げて怒鳴り返した。それを聞いて、明日菜は不敵な笑みを浮かべて、更に、大人の女性の神経を著しく逆撫でするであろう言葉を重ねる。
「そうだとしても、見た目が30過ぎにしか見えないんだから、あんたはオバサンよ!」
 プツン、という音が聞こえたような気がした。
 千草の顔を偶然にも見てしまったネギは、声にならない声で悲鳴を上げた。それ程に、千草の表情は憤怒に歪んでいた。
「リョウメンスクナァァ! あの小娘をぶっ潰せぇ!!」
 怒声を張り上げ、千草は新たな命令をリョウメンスクナに下した。その意図に忠実に従い、リョウメンスクナは今まで狙っていたネギと刹那を無視して、明日菜へと集中した。
 明日菜の行動の意味に気付き、ネギと刹那は共にリョウメンスクナへと肉薄し、千草へと急接近した。
「あ、しまっ……!?」
 それに気付いた千草は、慌てて護衛の式神を繰り出して来た。しかし、そんなものは想定の範囲内だ。ネギは刹那の前に出て即座に呪文を紡ぐ。
「ラ・ステル マ・スキル マギステル! 風の精霊20人、縛鎖となりて敵を捕えろ。魔法の射手・戒めの風矢!!」
 攻撃ではなく、敵を拘束する魔法の射手を放ち、式神2体の動きを封じ、刹那の為の道を開く。ネギが声を掛けるよりも早く、刹那は瞬く間に宙を翔け抜け、千草に強烈な一撃を見舞った。
「お嬢様は返してもらうぞ、天ヶ崎千草」
 刹那は千草の顔面に容赦なく蹴りを叩き込み、リョウメンスクナの肩から蹴り落とした。そして奪い還した木乃香を両手に大事に抱えて、すぐにリョウメンスクナから離れた。すると、眠らされていた木乃香が目を覚ました。
「大丈夫ですか、お嬢様!」
 表情からも声からも心配と不安が伝わって来る刹那の様子を見て、それを吹き飛ばすように、木乃香は優しく、穏やかな笑みを浮かべた。
「うちがわがまま言うたのに、助けてくれたんやなぁ。おおきに、せっちゃん」
 その言葉を聞いて、刹那は内から様々なものが込み上げて来るのを感じた。必死に堪えようとしたが、喜びの涙と嬉しさの嗚咽は、自然と溢れてしまった。
「無事で良かった、このちゃん……!」
 空中に静止して、腕(かいな)に抱えた少女を、刹那は強く抱きしめた。二度と離さず、離れず、傍にいられるように。この温もりと喜びを生涯忘れぬよう、心に刻み込むように。強く、強く。
 その様子を、ネギは離れた場所からカモと共に、もらい泣きをしながら見守っていた。
「姉ちゃんも無理するなぁ。ワイがおらんかったらヤバかったで」
 一方地上では、明日菜を抱えて小太郎がリョウメンスクナから逃げ回っていた。
 明日菜は千草を挑発して注意を惹きつけて、隙を作ってやろうと先程の罵声を吐いたのだ。効果は想像以上だったが、完全に予想外というわけでもなかった。リョウメンスクナに狙われると、明日菜はすぐに逃げようとしたのだが、ネギからの魔力供給――事前に行っていた契約執行が時間切れで途切れてしまい、素の身体能力に戻ってしまったのだ。
 新聞配達で鍛えた自慢の健脚も、大鬼神の前では蟻の歩みのようなものだった。危うく潰されそうになった所を小太郎に助けられ、今もこうして逃げているのだ。大嫌いな子供に助けられて、肩に担がれながら逃げ回っているという状況は、普段ならば明日菜にとってかなり不満があるものだったが、今はそれも些細なことだった。
「あはは……うん、想像以上に怖かったわ。けど、結果オーライよね」
 空中に見える、白い翼の天使と救い出されたお姫様の姿を見て、明日菜は満足げに言った。それに、小太郎も笑みを浮かべて頷く。
 だが、これで大団円とは行かない。リョウメンスクナは千草がいなくなっても、最後に与えられた命令を忠実に実行していた。
 空気を読めない大根役者を舞台から追い出さなければ、幕を引くことは出来ない。リョウメンスクナの足元に奈落でもあればいいのだが、生憎と、ここは歌舞伎の舞台ではない。しかし、華々しい主人公たちに大根役者の始末を任せるなど、役不足も甚だしい。
「見事だ、幼き勇者達よ。後は、我らに任せろ」
 舞台に幕を下ろすのには、別に相応しい者がいる。
 小太郎と明日菜に、黒い装束を身に纏った誰かが声を掛けて、大鬼神へと向かって駆けて行った。





「さて、仕上げと行くか」
 近衛木乃香の救出の成功を見届けて、士郎は呟いた。
「頼んだよ、士郎」
「お願いします、士郎さん」
 同じく合流していたヴァッシュとリヴィオは、士郎に激励の言葉を掛ける。その近くの木陰には、目を回して気絶している月詠の姿もあった。
 フェイトと月詠の2人を相手に、士郎は十全に足止めと時間稼ぎの役目を果たした。
 士郎の予測通り外見に見合わない実力を有していたフェイトだが、手加減とは違う、なんらかの制約を自らに課していたかのように見えた。それに加えて、前衛の月詠と後衛のフェイト。神鳴流剣士と魔法使いの組み合わせは一見すると理想的なものに見えるが、実際は連携も何も無く、それぞれが勝手に動き回って、仲間に攻撃を当てないように気を付けるだけという、見事なまでに付け焼刃の即席タッグだった。
 とにかく前に出て斬り合うことしか考えない月詠と、一定の距離から広範囲に効果を及ぼす攻撃を放って来るフェイトのタッグの相性は、連携の熟練度以前に最悪だった。士郎はその欠点を突いて、上手く2人が互いの持ち味を殺すように立ち回り、最低限の消耗で足止めと時間稼ぎを行うように努めた。
 その途中で、ヴァッシュが乱入。月詠の頭上の木の枝を撃ち落として気を逸らさせて、背後から忍び寄って取り押さえようとして、足を滑らせて月詠の後頭部にヴァッシュの石頭がクリティカルヒット、そのまま昏倒させることに成功した。
 これで情勢が不利になったことを悟り、フェイトは動きを止めて様子を覗うことに徹した。暫くして千草がリョウメンスクナから落下、木乃香が奪還されたのを見ると、土の分身を作り出す術と煙幕を張る術を用いて逃走した。
 ヴァッシュを過剰とまでは言わずとも、異常なまでに警戒していた様子が士郎は気にかかったが、直後にリヴィオと合流したことでその考えはすぐに脇に退けた。あれだけの数の幻想種をこの短時間で倒したのには驚いたが、何でも心強い援軍が駆けつけてくれたらしい。その男は途中でリヴィオと別れ、今はリョウメンスクナの方へと向かっているらしい。
 リヴィオの友人でもある彼――紅い槍を携えた黒い騎士は相当の実力者で、その武装も特別な物らしく、リヴィオの見立てでは長期戦に持ち込めばリョウメンスクナを倒せるとのことだった。だが、士郎は自身の切り札の1つを使ってリョウメンスクナを倒すことを提案した。残る魔力の殆ど全てを使い切ってしまうが、あれ程の幻想種の相手を見知らぬ誰かだけに任せ、自分に出来ることをせずに傍観することが我慢できなかったのだ。2人はこれに納得し、士郎にリョウメンスクナへのトドメを任せてくれた。
 周辺の警戒はヴァッシュとリヴィオに任せ、士郎は狙撃に専念する。弓を投影し、同時に全身を強化、リョウメンスクナの様子を観察する。既に、誰かと戦っていた。戦っている男の特徴は、黒い装束と紅い槍。彼がリヴィオの言っていた黒い騎士に違いあるまい。
 視認してすぐ、士郎は驚愕に目を瞠った。黒い騎士の素性や正体は分からない。だが、それが如何なる存在であるか、一目で分かったのだ。ありえない、という言葉を吐き出す直前で呑みこむ。
 どうしてあの存在がここに、この世界にいるかは分からないし、真実を確かめたい衝動にかられる。だが、それは後回しだ。今は、為すべきことだけに専心する。
 リョウメンスクナは、黒い騎士を拳で攻撃するがその度にかわされ、腕に取りつかれて首目掛けて突進されている。腕を振り払って振り落とすが、黒い騎士は苦もなく着地して、次の攻撃の機会を覗う。時には、槍を巧みに用いて腕から別の腕に飛び移るという離れ業も見せた。黒い騎士の動きは常軌を逸したものだが、それでも本調子ではないことは分かった。彼が本調子ならば、既にあの槍がリョウメンスクナの首に幾度も突き立てられているはずだ。
 黒い騎士の不調については、今は置いておく。リョウメンスクナは黒い騎士との戦いに専念して、他の事が目に入っていない。盛んに腕を動かしてこそいるが、胴体や頭はそれ程動いていない。
 これならば、中(あ)て易い。
「I am the born of my sword――我が骨子は捻じれ狂う――」
 自らの内面を露わす呪文の一節を詠唱して矢を投影し、弓に番える。しかし、士郎が投影したそれは、矢と称するにはあまりにも奇怪な形状の物体だった。鏃が螺旋状で全体の8割近くを占め、剣の鍔や柄のような部分がある矢など、恐らく他にはあるまい。それもそのはず。これは元々さる有名な剣であり、それを士郎が独自のアレンジを加えて矢として最適化させた物なのだ。その能力と威力は、矢としては破格。士郎が有す中でも最強の矢と言えるだろう。
 螺旋の矢が投影された瞬間、リヴィオと黒い騎士の顔色が変わった。リヴィオは類稀なる闘争のセンスから、直観的にそれの普通ではない存在感と、秘められた力の片鱗を感じ取った。黒い騎士は、先程の士郎と同様に、何故この世界にこの気配が――と驚愕する。ヴァッシュは以前にもそれを見たことがあったので驚きこそしなかったが、肉体を緊張させていた。
 それらの反応に、士郎は気付かない。余計な情報は完全に遮断し、リョウメンスクナに矢を放つことだけに集中している。螺旋の矢に魔力を込めながら、タイミングを見定める。
 ――“中る”。
「偽・螺旋剣【カラドボルグⅡ】」
 必中を直観するや、士郎は思考を挟まず矢の真名を唱え、放った。
 リョウメンスクナとの直線距離は100m以上、加えて狙いは巨躯の頂点に位置する頭部。通常、そこまで矢が届くはずが無い。届かせるには今士郎が構えている物以上に大きな強弓が必要になるだろうし、仮に届いたとしても大鬼神とまで呼ばれるリョウメンスクナの皮膚に掠り傷を付けることも叶わないだろう。だが、士郎が今放った矢は、普通のものではない。
 螺旋の矢はドリルのように回転し、空気――否、空間をも捩じ切りながら一直線に飛んでいく。1秒と経たない内に、リョウメンスクナの頭部に命中し、貫通。それでも勢いは止まらず、天をも穿つばかりの勢いで闇夜へと飛んでいく。二次被害を防ぐため、すぐに偽・螺旋剣の投影を破棄し、その存在を幻想へと返す。
 矢を射た態勢のまま、士郎はリョウメンスクナの様子を観察する。頭部に穴を穿たれて尚もリョウメンスクナは暫く動いていたが、それは動物や昆虫が死に際に見せる動作と同質のもの。つまり、如何な大鬼神でも頭に穴を穿たれては、存在を保てないということだろう。やがて、リョウメンスクナは振り返り、士郎を見て小さく唸ると、動きを止めて前のめりに倒れた。直後、リョウメンスクナは光――魔力の粒子となって霧散し、現世から消滅した。
 それを最後まで見届けて、士郎は大きく息を吐き、弓の投影も破棄した。
「すっげぇ……とんでもない腕前ですね、士郎さん」
 傍で顛末を見守っていたリヴィオからの称賛の言葉に、士郎は苦笑を浮かべ、溜息混じりに応じた。
「殆ど、カラドボルグの力だよ」
「あれがカラドボルグだと……?」
 士郎が先程の矢の、正確にはその原型となった剣の名前を口にすると、聞き覚えの無い声がそれに反応を示した。そちらを見ると、そこには紅い槍を携えた黒い騎士がいた。いつの間に、とも思ったが、この程度の事では驚くには値しない。彼はそれ程の存在なのだから。
 間近で見た黒い騎士は、同性の士郎やヴァッシュでさえも思わず声を漏らしてしまいそうな、それ程の美丈夫だった。蓬髪も、寧ろ彼の美貌を引き立てるのに一役買っている。
「ディルムッド。今日は、本当、ありがとうな」
 すると、リヴィオが黒い騎士の名を呼び、礼を言った。
「礼には及ばん。だが、その代わりと言っては何だが、その男について聞かせてくれ。何故、その男は宝具を……しかもカラドボルグを有し、その真名解放まで出来たのだ?」
 ディルムッドはリヴィオの言葉に応じつつも、士郎に対して厳しい視線と声を向けて来る。
 そこで、士郎は気付いた。騎士、類稀な美貌、紅い槍、そして右目の下の泣き黒子。これらの要素を全て有するディルムッドという名の人物を、士郎は知っていた。
「ディルムッド……? まさか、あんたは」
 士郎がそこまで言うと、ディルムッドが頷いた。
「先んじて名乗ろう。我が名はディルムッド・オディナ。元々はランサーのサーヴァントだ、令呪を持つ男よ」
「なに!?」
 本人の口から告げられたディルムッドの正体よりも、士郎はその後にそっけなく付け加えられた言葉に度肝を抜かれた。
 まさかと思い、右手の甲の飾りをどけて確認する。そこには、昨日までには無かったものが刻まれていた。しかし、士郎はそれを知っていた。決して忘れられない、自らの人生の分岐となった小さな戦争。その参加者の印として刻まれた聖痕(スティグマ)。
 大きさやデザインに微妙な違いがあったが、それは紛れもなく、冬木の聖杯戦争のマスターに選ばれた者に刻まれる令呪に間違いなかった。
「バカな……。何故、令呪が……!?」
 昨年の8月、ジョー・ハーディングに連れられて日本を発つ時に調べたが、この世界に冬木市は存在しなかった。それなのに、どうして冬木の聖杯戦争のシステムが存在している? ディルムッドは『元々はランサーのサーヴァント』と言ったが、『元々』とはどういう意味だ? この世界の誰かに召喚されたわけじゃないのか?
 一体、これは、どういうことなんだ?
「士郎さーん!」
 突然の事態に混乱していた士郎の耳に、自分の名を呼ぶ声が聞こえて来た。思考の混乱から抜け出し、声がして来た方を見る。どうやらネギ達が向かって来ているようだ。
 それを確認して、数度深呼吸して心と思考を落ち着かせる。何も今、全てを同時に処理しなければならない、というわけではないのだ。これからどうするか、何をすべきか、少しだけでも順序を決め、それをディルムッドへ伝える。
「名乗って貰ったのに悪いけど、詳しい話は後にさせてくれないか? 今は、あの子達を労いたい」
 本人達からすれば、修学旅行とそのついでのちょっとしたお使いが、こんな大事件になってしまったのだ。それに巻き込まれても尚、前向きに行動出来たのみならず、誘拐された御令嬢の奪還という大役を為し遂げたのだ。そんな彼らを労い、その活躍を褒めてあげたい。それが、士郎が真っ先にやるべきこと、やりたいことだと考えた。
「いいだろう。しかし、俺が少女達と談笑するわけにもいかん。日が昇ってから沈むまでに、この場所で」
「分かった。必ず」
 ディルムッドから告げられた要望を、即座に承諾する。士郎も彼には聞きたいことが多くあるのだ、それを拒絶する理由はない。
 そこでディルムッドと別れ、士郎達はネギ達と合流した。少年少女達は皆、達成感と充実感に溢れた、いい笑顔をしていた。





















「やぁ、千草さん。大変でしたねぇ」
 夜の森の中を必死の形相で走っていた千草に、横から不意に声を掛けられた。驚き、足を止めてそちらを見ると、そこには見覚えのある白尽くめの男が立っていた。
「な、なんや、プレイヤーはんか。驚かさんといてや」
 敵の追手ではないことにひとまず安堵する。一方のプレイヤーは今までと変わらない態度で、千草に話しかける。
「鮮やかな引き際、お見事です。彼らが御令嬢の奪還とリョウメンスクナノカミとの戦いに専念していたとはいえ、誰にも気付かせずにここまで逃げ延びるとは」
 今の状況では到底褒め言葉には聞こえない文句と口調に、千草は神経を逆撫でされ、声を荒げた。
「五月蠅い! 今更何の用や!? うちを捕まえて、総本山に突き出す気ぃか?」
 言ってから、その事実に気付いた。仕事を終えたからと一足先に帰って行ったこの男が、何故、仲間も連れずに1人でこのような場所にいるだろうかと。
 その疑問を千草の表情から見て取ったのか、プレイヤーはすぐに答えた。
「いえいえ。貴女に、お見せしたいものがありましてねぇ。それで貴女を探したのですよ」
「見せたいもの……?」
 千草が怪訝に思い聞き返すと、プレイヤーは、ずい、と今までの態度からは考えられないほど粗雑に歩み寄った。
「問答無用。まぁ、黙って見たまえ」
 抗う間も無く頭を掴まれた、その瞬間。視覚と聴覚の制御を奪われ、強制的に別の映像を見せつけられた。強力な肉体操作の術に驚きながらも、千草は映し出された景色に見覚えがあることに気付いた。ここは、総本山だ。何故、プレイヤーが総本山の映像を見せているのか訝しんでいると、急に、場面が切り替わった。
 まず映し出されたのは、鋭利な刃物で首を落とされた女性の死体だった。千草がそれを理解するのも、受け容れるのも待たず、次々に、映像は切り替わっていく。
 胴を横一文字に両断された女性の死体。
 縦に真っ二つにされた男性の死体。
 煎餅のようにぺしゃんこにされた、男女どころか人間だったのかも判別できない死体。
 胴体を、下半身を、上半身を、全身を巨大なものに踏み潰された、踏み千切られた、踏み砕かれた、踏み躙られた、幾つもの死体。
 助けを求め、許しを請いながら、恐怖を叫び、絶望に呑まれ、狂乱する女性達の姿。
 人の姿をした異形に、虫の息の状態で生きたまま貪り食われる2人の男性。
 死。
 死。
 死。
 殺戮の後、凌辱の最中、捕食の瞬間。
 映し出されたのは、千草の知る総本山ではりえない光景であり、考えたことも信じたくもないものだった
「あ……ぇ、え……?」
 混乱のあまり、声が漏れる。
 これは、どういうことだ。なんで、こんなことになっている。これは悪夢か、幻影か。
「どうです? 貴女が望まれた事の結果は」
 死の映像が途切れることなく映り続ける中、プレイヤーの声が頭の中に響く。唐突に告げられたとんでもない言葉の意味を、千草は聞いてから理解するまでに10秒ほどの時間を要した。そして理解するや、すぐにそれを否定する。
「ち、違う……うちは、こんなこと……!」
 望んでなど、いなかった。
 自分はただ、西洋魔術師の戦いに巻き込まれて命を落とした両親の無念を晴らしたかっただけ。復讐とは言っても仇討ちの類ではなく、西洋魔術師たちを屈服させ、亡き父母の墓前に土下座して詫びを入れさせて、様々な償いをさせてやろうと、そう考えていただけだ。こんな、殺戮を、虐殺を、人殺しを、人の死を望んだ事など、一度もない。
 だが、声は少しも動じず、次の言葉を滑らかに紡ぎ出す。
「確かに、貴女は望んではいなかったかもしれない。しかし、貴女は許したんだよ。僕らに、こうしても良い、と。どんな手段を使ってでも御令嬢を奪って来い、という依頼によって、僕らの行動の全てを、貴女が許したんだよ」
 許した? 自分が? これを? 許可した?
 少女を一人攫う為に、自分の欲望の為に、何十人と言う無関係の人間を、同郷同門の同胞達を殺すことを、自分が許したことになっている?
 馬鹿な。そんな馬鹿なこと、あるはずがない!
「貴女がやれ、と言ったから、僕らはやった。そも、貴女が僕らに今回の仕事を依頼しなければ、貴女が今回の事を企てなければ。僕らがこういうことをするどころか、この京都に来ることすらなかった」
 千草の本心の叫びを、声は少しずつ、少しずつ、追い詰め、弱らせ、潰していく。
 ……自分が、悪かった?
 自分が、他人の手を借りてでも復讐しようなどと考えなければ。
 自分が、あの銀髪の少年の口車に乗らされていなければ。
 自分が、復讐なんて考えなければ。
 こんなことには、ならなかった? 誰も、死なず、殺されずに、済んだ?
 この惨状が、自分が望んだ復讐の結果生じたものならば、その原因は……。
「全部、君が悪いんだよ。天ヶ崎千草」
 弱り切った千草の心に、とても小さな囁き声が、トドメを刺した。
「う、うわああああああああああああああああああああああああああ!!」
 後悔、悲しみ、不安、怒り、復讐心、罪悪感、良心の呵責――その他諸々、様々な感情がぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、混沌とした絶望へと変えられて、千草には、叫び、のた打ち回る以外に何も出来なかった。
 その姿を、プレイヤーはとても満足げな表情で、嬉しげで愉しげな笑みを浮かべて眺めていた。実際、この瞬間を、自分の趣味と娯楽の時間を、プレイヤーはこの上なく楽しみ、満喫していた。
「いい表情だ。いい有り様だ。この仕事を受けた甲斐があったよ。それじゃあ、ごきげんよう。君が今回の事を思い出さなくなった頃に、また会いに来るよ」
 それだけ告げて、プレイヤーは軽やかな足取りでその場を後にした。


 楽しいな。
 楽しいな。
 楽しいな。
 人の心を弄んで、絶望の底に叩き落とすのって、どうしてこんなにも楽しいのだろう。
 人が絶望に討ちのめされる姿を見るのって、どうしてこんなにも愉快なんだろう。
 やめられない。止められない。
 この快楽は、知れば知るほど、堪らない。



[32684] 第十六話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/05/29 22:28
 木乃香を無事に救出したネギ達は士郎達と合流すると、過分な働きへの労いを貰った。そして主にヴァッシュから褒めちぎられ、士郎やリヴィオからも少年少女らしからぬ功績を称えられ、ネギ達の達成感と木乃香を無事に取り戻した喜びは頂点に達していた。
 そこへ、総本山から神鳴流剣士の1人が詠春からの伝令を伝えに現れた。ネギ達には、総本山は先程の襲撃の混乱が収まっておらず、とてもではないが客人をもてなせる状況ではない為、今夜――既に日付は変わっているのだが――はその剣士の自宅で過ごすこと。士郎達には、今回の事件の事後処理の手伝いの要請だ。
 それらを伝えられ、ネギ達も士郎達もすぐに承諾した。小太郎に関しては、今回の働きは認めるものの未だ謹慎中には変わらないので、士郎達と共に総本山に戻ることになった。総本山に置いたままの荷物や明日に予定されたネギの父、ナギの別荘の訪問に関しても、荷物は夜が明けるまでに必ず届け、詠春は事後処理で行けないが代わりの者が必ず別荘を案内すると約束してくれた。
 そのまま、ネギ達は士郎達と別れ、神鳴流剣士の浅井の家へと招かれた。深夜にもかかわらず、浅井の夫婦はネギ達を温かく迎え入れ、食事と風呂まで用意してくれていた。
 汗と泥を風呂で流すことには、今回ばかりはネギも抵抗せずに素直に従った。こうして動き回った直後の入浴はとても心地のいいもので、明日菜は風呂嫌いのネギにしてはと感心し、木乃香や刹那と共に一日の疲れを洗い流した。
 余談だが、カモミールは明日菜からの要望により1匹だけ別にされた。それもタライに湯を張っただけのものという貧相なものだったが、浅井の奥さんに丁寧に手洗いしてもらい、本人も満更ではない、寧ろご満悦の様子だった。
「いや~、今日は本当、大変だったわね~」
 用意された夜食を食べ終わり、案内された客人用の寝室で、明日菜は伸びをしながらそう言った。客室には既に人数分の布団も敷かれていたのだが、疲労による倦怠感よりも戦いを終えた後の高揚感が勝り、全員がとても眠れそうにない状態だった。加えて、もう数時間後には夜明けという時間帯だ。ならばと、今夜は寝ずに語り明かすことに決めたのだ。明日の寝不足が少々不安だが、そこは若さでカバーだ。
「ほんまやなぁ。けど、こうしてみんなといられて良かったわ~。せっちゃん、アスナ、ネギくん、おおきにな」
 明日菜の言葉に頷くと、木乃香は改めて自分を助けてくれた2人の親友と少年に礼を言った。3人が照れくさそうにしているのとは対照的に、ごく自然に無視されたカモミールは暫く部屋の隅でいじけていた。ネギがそれに気付いて慰めると、カモは元気を取り戻し、そのまま今日の事を振り返った。
「いや、けどホント、今回はギリギリだったッスよ。エミヤの旦那達がいなかったら、どうなっていたか分かりゃしねぇ」
 それには、全員がすぐに頷いた。もしも彼らがいなかったら、どうなっていたか分からない。木乃香を助けるどころか、あの黒い巨人によって殺されていたかもしれない。改めて、彼らに対して感謝の念が自然と湧く。
 そう考えたところで、ネギはあることに気付いた。リョウメンスクナノカミや主犯の天ヶ崎千草との戦い、そして木乃香の奪還にばかり気を取られて忘れていたが、あの時、白い男と黒い巨人の姿が何処にも無かった。木乃香を奪還され、リョウメンスクナが倒されても何の動きも見せず、何時の間にか姿を消していた。そのことが、今更ながらとても不気味なことで、不吉なことのように思えた。
「あの人達には、十重に二十重に感謝してもしきれませんね」
「何かお礼したいわね」
「せやなぁ、なにがええやろ」
 そんなネギの漠然とした不安をよそに、刹那達は士郎達へのお礼をどうしようかと、とても楽しそうに話していた。その様子を見て、ネギは頭を振って、自分の思考を振るい落とした。
 もう戦いは終わったんだ。きっとあの人達も、尻尾を巻いて逃げだしたんだ。だから、こんな心配なんかしないでいいんだ。
 自分に言い聞かせるようにネギは内心でそのように唱え、自分も話に加わった。
「そういや、兄貴」
「なに? カモくん」
 士郎達へのお礼の話が一段落すると、カモがネギへと話し掛けてきた。ニヤニヤとした表情をネギが不思議に思っていると、すぐにその核心がカモの口から出て来た。
「あのお嬢ちゃんへの返事、ちゃんと考えてあるんですかい?」
「ちょ、ちょっとカモくん!? 急に何を……」
 まさかここでその話が出て来るとは思わなかったネギは、慌てふためく。答えは決まっているものの、こういうことはあまり他人に知られたくないし干渉されたくない。何故だか、とても気恥しいのだ。
「あ、それ、ウチも興味あるわ~」
「ほら、ネギ、きりきり吐きなさい」
 しかし、色恋沙汰に最も敏感な年ごろの少女達もすぐにその話題に食いつき、とてもネギには止められそうにない。刹那に助けを求めようとしたが、彼女も口にこそ出していないが興味津々な様子で、ちらちらとネギを横目に見ていた。
「う、うわーん!」
 孤立無援を悟ったネギは、涙目になりながら叫んだ。
 その様子を離れた居間で聞きながら、夫の見送りを終えた浅井夫人は安堵の笑みを零していた。











 惨状。総本山の現況を表すのに最も的確な言葉は、これ以外にないだろう。
 斬殺、圧殺、撲殺、ショック死、衰弱死。多種多様な死因の死体の中で、特に惨たらしい殺され方のものは2つ。刀と衣服を除いて血の一滴も残らず捕食されてしまった2人と、縦に押し潰されて煎餅のような肉塊になってしまった1人。
 近年は荒事を通じても人の死が珍しくなっていたこともあり、呪術師達はその惨状を前に、思考が停止する者、狂乱し取り乱す者、悲しみと恐怖を堪えられず泣き喚く者などばかりとなった。
 どうにかか恐怖と混乱と怒りを己の裡に押し込め、平静を装えている者は近衛詠春を含めてもごく僅か。その中でも死体の処理を粛々と行えたのは、衛宮士郎、ヴァッシュ・ザ・スタンピード、リヴィオ・ザ・ダブルファング、そして生き残った3人の神鳴流剣士だけだった。
 犬上小太郎も最初は彼らの作業を手伝おうとしたが、死体に触れて、その冷たさと硬さに驚き、そして死体の目を見て、それらの人間らしからぬ感触に恐怖を覚え、腰を抜かしてしまった。それを見たリヴィオに、ここまで連れて来た月詠、そして天ヶ崎千草の様子を見ているように言われ、頷くだけで精一杯だった。
 ヴァッシュによって“保護”された千草は、気絶したまま目覚める気配は無い。或いは、このまま眠っている方が彼女にとっては幸せなのかもしれない。
 総本山へと帰還する途中、森の奥から女性の悲鳴をヴァッシュが聞き取り、急いでそちらへと向かった。そこには、泣き叫びながら自らの行いを悔い、父と母、そして同胞達に必死に詫びている天ヶ崎千草の姿があった。ヴァッシュが宥めるも千草の絶望は深く、如何なる言葉も届かなかった。やむを得ず、リヴィオが首筋に鋭い手刀を打ち込んで気絶させ、そのまま保護したのだ。
 総本山襲撃の主犯を保護とは奇妙な話だが、あの状態の彼女を発見して連れて来たことを連行や捕縛とは言えまい。最初は千草への怒りを内心に持っていたリヴィオと士郎も、今は彼女に対して同情的な心持ちになっていた。
 彼女がどうしてああなってしまったのか、究明したい気持ちはあったが、今はそれよりもやることがある。無残に殺されてしまった人達を、これ以上、雨曝しにしておくわけにはいかない。
 東の空から微かに太陽が頭を出した頃には、全ての遺体を仮の安置所とされた鍛錬場に運び終えた。鍛練場に敷いたブルーシートの上に安置した遺体を前にして、まるで何かの糸が切れたようにヴァッシュはその場に泣き崩れた。
 どうして、こんなことになってしまったのだ。
 どうして、彼らが死なねばならなかったのだ。
 彼らにはきっと、素晴らしい未来があったはずなのに、輝かしい夢があったはずなのに。
 どうしてこんなにも、現実は無情で、非情なのだ。
 そんな悲しみに耐えかねて、ヴァッシュは泣いた。その姿に引かれるようにして、生き残った3人の神鳴流剣士も、それぞれに死んでしまった友人や恋人の名を口にしながら咽び泣いた。
 それを見て、リヴィオはこの惨劇を防げなかった自らの未熟さに対する悔しさと、犠牲になってしまった人々への申し訳なさから涙を流した。
 一方で、士郎は涙を一滴たりとも流さず、実行犯であるプレイヤーの一派と、彼らの凶行を止められなかった自らの無力さに、静かに憤っていた。
 その後、リヴィオが宗派の違いを承知の上で、せめて一刻も早く殺されてしまった人達の魂の安息を願いたいと、見習いながらも牧師として略式的な死者への手向けとする聖句を唱え、他の5人は傍らで黙祷を捧げた。
 死者への祈りを捧げた後、詠春の下へと報告に向かう直前、死体安置所の前で神鳴流の3人は士郎へ、ヴァッシュへ、リヴィオへ、それぞれに頭を下げ、あることを頼み込んだ。
 仇を討ってくれ。
 友の無念を晴らしてくれ。
 非力な我らに代わって、奴らに引導を渡してくれ。
 彼らの内心に迸る激情は、士郎達の比ではない。それこそ天を焦がし、地を砕き、海を割るほどの憤怒と怨恨が、彼らの中で渦を巻くように猛っているのだ。しかし、同時に彼らは痛感していた。自分達では、奴ら――吸血鬼の剣士と黒い巨人にこの感情をぶつけようとした所で、返り討ちにもならずに蹴散らされてしまう。それ程、絶望的な力の差があるのだと。だから、彼らは恥も外聞も捨てて、身内の者でもない、偶然が重なってこの場に居合わせているに過ぎない、しかし奴らに匹敵しうる豪傑であろう士郎に、ヴァッシュに、リヴィオに頼んだのだ。自分達に代わって、あの恐るべき魔人達と戦って勝ってくれ――復讐を果たしてくれ、と。
 それを聞いて、士郎は自分がソードやナインと呼ばれるあの2人に実力で大きく劣ることを承知しつつ、その頼みを快諾しようとした。だが、それを遮るようにして、ヴァッシュとリヴィオが先んじて答えた。
「OK、分かったよ。僕もこんなことをされて、黙っていられないからね。けど、殺すのは無しだ。誰かを殺されて憎いから、その憎しみをぶつけて殺し返してやろう、なんて……僕は、嫌だ」
「そういうことです。絶対にとか、必ずとは言えませんけど、あいつらをぶちのめしてみんなの墓前に土下座して詫びを入れさせてやりますよ。それで構わないなら、引き受けます」
 ヴァッシュとリヴィオの返事を聞いて、話す内に鬼気迫る表情になっていた3人の顔が呆気に取られて憑き物まで落ちたかのようになり、少しの間を挟んで苦笑を浮かべた後、普段の表情に戻った。しかし士郎だけは、普段の表情を装いつつも僅かに顔を強張らせていた。
 当事者である3人ですら、ヴァッシュとリヴィオの言葉で目が覚めたと言わんばかりの様子だというのに、どうして自分は今でも奴らを殺さねばならないと思っているのだろう。奴ら自身に対して、憎しみも恨みも無く、怒りの矛先ですらあやふやだというのに。
 そんな士郎の暗澹とした内心を、ヴァッシュは気付きつつも敢えて何も言わず、努めて普段の軽妙な調子で全員を促し、詠春の下へと向かった。











 湖の畔で、黒い騎士――ディルムッド・オディナは腕を組み、目を瞑りながら人を待っていた。一見すると瞑想を行っているように見えるが、実際は違う。ディルムッドの頭の中は今、ある思考で埋め尽くされていた。
 自分がどうしてこの世界にいるのか。何故、極めて近似しながらも限りなく違う世界に、自分は来てしまったのか。最近はあまりそのことは考えず、魔力が尽きて消滅する日をただ待ち受けるだけだった。だが、ディルムッドが待っている人間――『シロウ』と呼ばれていたか――と出会ったことで、事情が変わった。
 彼がディルムッドの故郷に名高き英雄スカサハの宝具カラドボルグを有し、真名解放までも行ったということもあるが、それ以上に、今のディルムッドにとって最も忌まわしい記憶を呼び起こす印――令呪を持っていたことが最大の要因だった。
 自分以外にもあの世界からこの世界に来た人間がいる。しかも、令呪を宿し、その意味する所を明らかに知っている様子の人間が。
 聖杯戦争。久しく思い返すこともなくなっていたあの戦いの事を想い浮かべた途端、ディルムッドの胸が酷く痛み、疼いたのだ。何度思い出そうとしても思い出せなかった。聖杯戦争に敗れた自分が、この世界へと迷い出てしまった原因。その答えが、そこにあるような気がした。解明した所で、どうなるものでもないが。
「来たか」
 近付いて来る人の気配を察すると同時に思考をすぐさま打ち切り、そちらへ振り返る。やがて現われたのは、白髪に褐色の肌、そして纏った紅い外套が目を引く男、シロウに相違なかった。
「待たせたかな」
 太陽は間もなく天頂に至ろうかという頃。約束の期限は日没までとしていたのだから、遅いということはない。
「いや、構わん。……リヴィオと、ヴァッシュがいないようだが」
 昨日、シロウと共にいた2人、ディルムッドとも親交のあるリヴィオと、そのリヴィオから話を幾度も聞かされていたヴァッシュの姿が見えないことを怪訝に思い、訊ねる。まさか、偶然あの場に居合わせただけということはあるまい。
「あの2人はネギ達……リョウメンスクナと戦ったあの子達の所に行ってる。それに、この話はあんたと俺だけでしたいんだ」
 シロウの説明に納得し、ディルムッドは短く頷いた。
 既にディルムッドの名乗りを聞いたのだからと、自己紹介を兼ねて、シロウが率先して話の本題に入った。
「俺は衛宮士郎。冬木の、第五次聖杯戦争のマスターだった」
 シロウの名乗りを聞き、ディルムッドは驚愕のあまり声を漏らした。
「第五次、だと……?」
 ディルムッドが参戦したのは冬木の聖杯戦争に相違ない。だが、あれは“第四次”聖杯戦争だったのだ。シロウの言葉が真実だとするならば、彼はディルムッドにとって未来の聖杯戦争の生き残りということになる。
「あんたは、第四次以前の聖杯戦争にいたのか?」
 シロウからの確認の問いに、ディルムッドは驚きながらもすぐに応じる。何故、ディルムッドが参戦していた聖杯戦争が過去のものだと断定できたのかは分からないが、そこはさして重要ではあるまい。
「その通りだ。第四次聖杯戦争にて、俺はランサーのクラスで召喚された」
「……第四次、か」
 ディルムッドの答えを聞くと、シロウは思い詰めたような表情で呟いた。しかし、すぐに表情が切り替わり、先程までの表情に戻る。
「ランサー……いや、ディルムッド。あんたは、どうしてこの世界にいるんだ?」
 その問いに、ディルムッドは首を横に振り、溜息混じりに答えた。
「分からん。俺は……聖杯戦争で脱落し、消滅したはずだった。だが、何故か……いや、“何か”があって、気が付けばここにいた。戦わずにいれば、1年は現世で留まれるほどの魔力を帯びて」
 返事を終えると、ディルムッドは無言でシロウを促した。彼が、どのような経緯でこの世界にやって来たのかを。それに対して、シロウは申し訳なさそうに首を振った。
「俺も同じなんだ。この世界に来ることになった原因とか、直前の状況を全く覚えてない。何かがあったのかさえ、定かじゃないんだ」
 そこから更に詳しく話を聞いたが、士郎の記憶は、恐らくは士郎と同じ理由でこの世界に迷い込んでいるというケン・アーサーという男と対峙した時点から曖昧になってしまっており、その後の事はこの世界で目覚めるまでの間が、まるで断崖によって寸断されてしまったかのように思い出せないのだという。
 それを聞いて、ディルムッドは自分とシロウの境遇が重なって見えた。偶然とは、ここまで重なるものなのだろうか。ただ同じ世界から来たというだけでも奇跡的な一致であるはずなのに、こちらに来るに至る経緯を何故か覚えておらず、聖杯戦争という稀有な経験をも共有している。ある種の運命じみたものと疑りたくなるが、その判断には尚早か。
「成る程。お互い、似たような経緯ということか。ならば、その令呪はなんだ? 第五次のものを残していた、というわけではないようだが」
 ここで、ディルムッドは最大の疑問をぶつけた。シロウとの初対面の折、ディルムッドは彼から感じた令呪の気配を察しそのことも含めて素性を訊ねた。だが、言われたシロウは自らの右手に令呪が宿っていたことに酷く狼狽していた。そのことから推察するに、信じ難いことだが、シロウはこの世界で令呪を授かったということになる。冬木の聖杯が存在しないはずのこの世界で。
 問われたシロウは、右手の令呪を苦々しい表情で見遣りながら答える。
「俺も、何も分からないし、知らないんだ。だから、これから調べる。どうしてこの世界で聖杯戦争が起ころうとしているのかを」
 戸惑いを僅かに声色に覗かせながらも、シロウは決然と言い切った。それを聞いて、ディルムッドは半ば感心しながら頷いた。
 極めて近く限りなく遠い並行世界で、本来ならば巡り合うはずの無い、過去に経験した事象と近似したものと引き合わされ戸惑いながらも、それを事実として受け止めている。まるで、それが自らの使命、或いは運命であると自覚しているかのように。
 この世界に来てから今まで、何をすべきか定まらず、決められず、ただ茫洋と存在しているだけの自分とは大違いだと、ディルムッドはシロウの決断を認めながら、自嘲する。
「ディルムッド、あんたに頼みがある」
「何かな?」
「俺と契約してくれ」
 頼まれごとと聞いて軽く頷き返したディルムッドに、シロウは予想外の言葉を放った。
「……何故、この俺と?」
 目を細め、やや眼光を鋭くし、ディルムッドはシロウに発言の真意を問うた。気圧されもせず力強く頷いた表情と瞳に、邪念の類は見えない。
「俺はこの聖杯戦争について調べたら、そのまま聖杯戦争を阻止するつもりだ。けど、聖杯戦争を望んでいる者、特に聖杯戦争を仕組んだ張本人との対決は避けられない。そうなったら、必然的にサーヴァントとも戦うことになるはずだ。その時の為に、あんたの力を借りたい」
 聖杯戦争に参戦するマスターとして選ばれた者とは思えない、凡そ信じ難い言葉をシロウは口にした。聖杯を求めず、それを否定する。シロウの令呪が冬木の聖杯戦争と同じ基準で宿ったとするならば、聖杯に懸ける程の願いを持つか、聖杯戦争という場を求めているか、いずれかであるはずだというのに。
 そのことを怪訝に思いつつも、ディルムッドは一先ず、基本的な部分から聞き返した。
「俺と契約を結ばずとも、自分でサーヴァントを召喚すればいいだけの話ではないのか?」
「言っただろ? 俺は聖杯戦争を阻止するって。その一環で、俺は英霊召喚を行わずにサーヴァントと契約したいんだ。そうすれば必ず、聖杯戦争のシステムに何かしらの齟齬や支障が出るはずだ」
 どうやら、シロウは本気のようだ。本気で、聖杯戦争を潰すつもりなのだ。そうでなければ、昨日の今日でこれ程明確に今後の指針を口にすることは出来まい。そのことに納得した上で、ディルムッドは表情を険しくした。
「成る程、理のある言い分だ。だが、それだけで俺が頷くと思うか?」
 ディルムッドには、シロウに力を貸す理由が無い。その身はサーヴァント――即ち、一種の使い魔、文字通り人間への隷属を強いられるモノとして召喚された。だが、ディルムッド・オディナは紛れもない英雄であり、誇り高き騎士なのだ。
 聖杯の仲立ちを以って英霊の座からディルムッドを現世へと召喚し、契約を結び主と認めた存在ならばいざ知らず、初対面の人間にただ頼まれ請われただけで力を貸すほど、ディルムッドは安くない。
 言われたシロウは、苦しそうな表情でディルムッドの言葉に頷いた。
「無関係のあんたに、こんなことを頼むのは筋違いだって分かってる。けど……頼む。俺に出来ることなら何でもする。だから、俺に力を貸してくれ」
 そう言って、シロウはディルムッドに頭を下げて来た。
 無防備に首を差し出す、それだけの覚悟があるということか。
 日本の礼法である御辞儀を知らないディルムッドは少々勘違いをしつつも、シロウが聖杯戦争の阻止に対して並々ならぬ意志を持っていることを認めた。
 僅かに、ディルムッドの心が揺らいだ。これ程の覚悟と意志を見せられて、無碍にあしらったのでは寝覚めが悪い。それに、生まれた国と時代に違いこそあれ、この並行世界においては同じ世界からやって来た、謂わば同郷とも言える間柄だ。話を最後まで聞いて、それから判断を下してもいいだろう。そのように考え直し、改めてシロウを問い質す。
「何故、聖杯戦争を止めたいのだ? この状況では本当にそうなのかは断言出来んが、万能の願望器という至宝を手にする無二の機会なのだぞ?」
 根本的であり、最大の疑問をシロウへと投げ掛ける。もしもシロウの手に宿った令呪がディルムッドの知る物と同じ物であるならば、その選定基準は『聖杯に託すだけの願いを持つ者』か、或いは単なる数合わせ。だが、ディルムッドは後者の可能性はまず無いと考えていた。
 仮にも一度、過去に聖杯戦争に参戦し生き延びたというのだ。そんな男が再び令呪を宿したのなら、相応の願いを今でも持っているはず。ならば、今一度の機会を得ながら、何故それを自ら潰そうとしているのか。何の思惑があるのか、その真意を確かめられなければ、首を縦に振ることは出来ない。
 ディルムッドからの問いに、シロウはすぐに頷いて真剣そのものの表情で答えた。
「聖杯戦争が始まってしまえば、必ず犠牲者が出る。それが巻き込まれた人であれ、マスターであれ……サーヴァントだってそうだ。俺は、それを未然に防ぎたい」
 あまりにも突飛な答えに、ディルムッドは呆気にとられた。シロウの目的が聖杯戦争による犠牲者を出さないことだというのにも驚いたが、それ以上に、その犠牲の中にマスターだけでなくサーヴァントまで含めるとは思ってもみなかった。
「幸せでいて欲しいんだ。俺の目に映る人達、全員に」
 シロウは自らの意志を簡潔に、そして明瞭に、はっきりと言い切った。
 あまりにも耳触りのよ過ぎる、きれい過ぎる言葉だ。普通であれば、猫を被っているのか、腹に一物あるのか、そのように穿って見てしまうだろう。しかし、目の前の男の言葉と瞳、それらから伝わる心根は真摯であり、真実だ。
 口にするのは容易く、実現しようとするには過酷な理想。それを、この男は本気で実現しようとしている。聖杯戦争が如何に過酷か、その場に参じるサーヴァントがどれ程の存在か、知った上で。
 果たして、フィオナの騎士に、今のシロウの言葉を聞いて一笑に附すような者がいるだろうか? 答えは、否だ。
「参ったな。そんなことを面と向かって、本気で言われてしまっては……騎士として、無碍にすることなどできん」
 シロウが掲げた高潔な理想、気高き信念。それは、ディルムッドの信ずる騎士道に通じるものであった。
 仕えるべき主も無く、守るべき誓約も無く、ただ我が身の消滅を待ち受けるのみで、騎士としての誇りすら忘れ去ろうとしていた。だが、まだディルムッドは誇りを忘れていなかった。ならば、答えは一つだ。
「それじゃあ」
 ディルムッドの言葉を聞き、シロウが笑みを零して聞き返して来た。それに、ディルムッドは迷わず、力強く頷いた。
「主従の誓いまでは立てられぬが、それでもよければ、このディルムッド・オディナ、君のサーヴァントとなり共に戦おう」
 この命、この誇り、捧げるに足る義を見たならば、応じてこその騎士。只無為に命を減らして消え去るよりも、己の信じる正義の為に戦い、徒花の如く潔く戦場に散る。それこそが騎士の本懐。
 久しく忘れていた自らの騎士道を思い出し、ディルムッドは自らの裡に燻っていたものに、種火と薪が与えられたように感じた。
「ありがとう、ディルムッド」
 ディルムッドの返事を聞き、シロウは少年のような笑顔を浮かべて礼を言い、手を差し出して来た。それを、ディルムッドも握り返す。
 もしかしたら、彼と出会い、共に自らの過去の因果が深く関わる災厄から無辜の民を守るために、俺はこの世界へと来たのかもしれないな。

 静謐な湖と閑静な森の狭間で、今、紅い騎士と黒い騎士の間に契約の呪が唱えられる。
「汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うのなら――」
「誓おう。エミヤ・シロウを我がマスターと認め、我が力を捧げる」
 運命に弄ばれた/導かれた2人は出会い、ここに契約は結ばれた。
 衛宮士郎とディルムッド・オディナは今一度、聖杯戦争の渦中へ。




















 総本山での事件の翌朝、ネギ達は浅井の家を出るとすぐに迎えに来てくれたヴァッシュとリヴィオと合流し、まずシネマ村まで着たまま持ち帰ってしまっていた衣装の返却と、置いたままになっていた荷物の回収に向かった。
 シネマ村では待ち構えていたクラスメイト達から、明日菜と木乃香と刹那は昨日のヴァッシュによるシネマ村での発砲と手榴弾爆破事件の近くにいたということで、そのことについて質問攻めにあったり、無事を喜ばれたり、急遽外泊した昨日は何かなかったのかと問い詰められたりと、様々だった。
 騒がしさにも似た賑やかさの中で、ネギは自分達が無事に日常へと帰って来たのだと、しみじみと感じた。
 ちなみに、この時ヴァッシュは髪を下ろしてサングラスを掛けて、コートは畳んで脇に抱えていたから、正体がバレて再び騒ぎになるようなことはなかった。刹那と明日菜が事前に指摘しなければそうなっていただろうが。
 その後は詠春の代理としてやって来た神鳴流の剣士によってネギの父、ナギ・スプリングフィールドの別荘へと案内された。父の足跡や面影のようなものは見られなかったが、父の思い出の一部に触れられたことだけでも、ネギには充分嬉しいことだった。
 別荘見学が思ったよりも早く終わると、ネギはカモとリヴィオにお願いして明日菜達の相手をしてもらい、ヴァッシュと2人きりになった。先日の、恋愛相談の続きをしたかったのだ。
 宮崎のどかへの返事は、ネギなりに考えて用意してある。しかし、果たしてそれで本当に良いのか、のどかを傷付けてしまわないか、最終確認としてヴァッシュに相談しておきたかったのだ。
 ヴァッシュは快く引き受けてくれて、すぐに、ネギは自分の考えを耳打ちした。結果は、笑顔と共にサムズアップ。ネギは満面の笑みでお礼を言って、すぐにのどかへの返事に必要な物を買いに行った。

 そして、現在。波乱万丈の修学旅行も、いよいよ帰路に着き、麻帆良に帰るという最終段階となっていた。
 京都駅で新幹線に乗り込み、次の乗り換えの駅までの間も、車内は生徒達の旅の思い出話で賑わっていた。そんな中、ネギは綾瀬夕映と早乙女ハルナに呼び出され、踊り場のスペースでのどかと引き合わされた。
「のどかさん……?」
 新幹線の通路の自販機で『世紀末石油王の石油コーラ』なる怪しげなパック飲料を買っていたのどかは、ネギの姿を見るなり硬直してしまった。ネギが声を掛けたら更に硬くなってしまったようだが、これは、どういうことだろうか。
 すると、夕映がのどかへと歩み寄り、背中を、ぽんぽん、と叩いた。
「さ、のどか。ネギ先生を連れてきましたから、ちゃんと、お返事を貰うんですよ」
 どうやら、のどかにとってもこの状況は想定外のようだ。つまり、夕映とハルナが御膳立てをしているということなのだが、ネギにはまだ分からないようで、不思議そうに首を傾げている。
「で、でも、新幹線の中でなくても……」
「な~に言ってるのよ! 善は急げ、思い立ったが吉日その日以降は凶日って言うぐらいなんだから、こういうのは早ければ早い方がいいのよ!」
 顔を真っ赤にして、おどおどしながらこの場を流そうとするのどかを、ハルナは面白げに笑いながら豪快な論法で焚き付け……もとい、勇気付け、背中を押した。
 すると、ハルナの言葉を聞いたネギは、完璧に状況を把握し、頷いた。
「そうですね。僕も、そう思います」
「お? なんだいなんだい、ネギ先生もラヴ展開ってのが分かって来たの~?」
 ネギが言うのを聞くや、ハルナは矛先をネギへと変え、からかうような調子で絡んで来た。
「ら、ラヴ展開というのは分かりませんけど、自分の想いを伝えるなら早い方がいいって、ある人に教わったんです」
 想いを伝えるのなら、早ければ早いほどいい。ヴァッシュに貰った言葉の意味が、不思議と今は自然に理解出来ていた。それに、伝えるべき言葉ももう決まっているのだから、ここで躊躇う理由はない。
「のどかさん」
「は、はいっ」
 ネギが名を呼ぶと、のどかは顔を真っ赤にして吃驚したように返事をして、そのまま顔を伏せてしまった。人見知りの彼女ならば当然の反応だ。寧ろ、逃げ出さずにこの場に留まっているだけでも、彼女は相当の勇気を振り絞っているはずだ。
 ネギは、噛んだり言い間違えたりしないように、決めていた答えを伝えるべく、ゆっくりと口を動かす。
「僕は、3-Aの生徒としてののどかさんのことなら、良く知っています。けど、僕はのどかさん自身の事を、あまり知りません。だから……」
 そこで一旦言葉を切り、一度、二度と、深呼吸をする。緊張するほど大事な言葉を誰かに伝えるということも、ネギには初めての体験だった。
 対するのどか、見守る夕映とハルナ、そしていつの間にか覗き見をしていた明日菜と木乃香と刹那、彼女らの緊張も最高潮となった所で、ついに、ネギが答えを口に出した。
「まずは、交換日記から始めませんか?」
 野次馬達は古典的な返答にズッコケていたが、のどかだけは顔を上げてまるで向日葵のような笑顔を見せた。
「はい! こちらこそ、宜しくお願いします!」
 それでいいの、などという声も聞こえるが、そんな野次には気を向けず、ネギは安堵すると同時に喜んでいた。自分の言葉でのどかを傷付けずに済んだばかりでなく、こんなにも彼女が喜んでくれていることが嬉しいのだ。
 その後、のどかと共に新幹線の座席に戻ったネギは早速、先日購入した日記帳をのどかに渡したのだが、当然のように他の3-Aの生徒達にその一部始終を目撃され、雪広あやかを中心とした大騒ぎが起こってしまうのだが、それもまた、3-Aらしい思い出になるだろう。




[32684] 第十七話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/05/29 22:51
 関西呪術協会総本山襲撃事件から、1ヶ月が過ぎた。
 天ヶ崎千草は襲撃事件から数日後に目を覚ましたのだが、会話どころか食事さえも自発的に行えない程の心神喪失状態に陥っており、間もなく関西呪術協会と縁深い病院に入院することとなった。
 その後に行われた犬上小太郎と神鳴流の月詠の聴取による証言から、天ヶ崎千草をあのような状態に追い込んだのは、千草自身が雇った『何でも屋』のプレイヤーという男だと考えられた。また、総本山の襲撃計画を練ったのもその男であり、先んじて千草と行動を共にしていたフェイト・アーウェルンクスという少年からの紹介によって雇われたという経緯も明らかになり、関西呪術協会と京都神鳴流は一致団結してその両名の捜索を開始した。しかし、一方はどうやら裏の世界でも全く名の知られていない小物、もう一方も周到な経歴の詐称により追跡が困難と、捜索はかなり早い段階で暗礁に乗り上げた。だがある日、思いがけない所からその両名の情報が得られた。
 関西呪術協会の客人であり、襲撃事件の事後処理の手伝いをしてくれていた衛宮士郎とヴァッシュ・ザ・スタンピードが2人を知っており、特にプレイヤーとは知己の間柄だったというのだ。
 プレイヤーに関しては表でも裏でも世界的に有名な“放浪の名医”ジョー・ハーディングの旧友という思いがけない情報が入手でき、フェイト・アーウェルンクスに関してはその外見的特徴から詠春に思い当たる節があり、捜査は一気に前進した。
 その間、士郎とリヴィオはそちらの手伝いもしつつディルムッドと共に、時には小太郎も交えて鍛錬に明け暮れ、ヴァッシュは天ヶ崎千草の見舞いへ欠かさずに行っていた。
 そして、ある日。今まで誰とも話そうとしなかった千草が、ヴァッシュの声に応えた。それから千草は少しずつ回復していき、数日前にはヴァッシュに自らの胸の内を打ち明けられるまでになっていた。それが、ヴァッシュ達を突き動かすきっかけとなった。
 千草の言葉とメルディアナ魔法学校でのプレイヤーの言葉を手掛かりに、ヴァッシュ達は麻帆良へと旅立った。









 麻帆良学園都市。この世界の日本では最大規模の都市であり、日本における魔法使い達の総本山とも言える場所だ。当座の目的地の近くまで送ってくれた呪術師の車を見送ると、士郎は改めてぐるりと周囲を見回した。
「ここが麻帆良か」
「一応、久し振りではあるんだよね、僕ら」
「そういえば、そうだったな」
 何となく漏らした一言に反応したヴァッシュの言葉に、つい苦笑する。去年の8月、士郎とヴァッシュは時空を超えてこの街に落ちて来た。回復した後、元の世界へ帰る為の手掛かりを探しにジョーに連れられて旅立った時には、ここにまた戻って来ることになるとは考えてもいなかった。
 この街に存在するという元の世界へと帰る為の手段とは一体何なのか。それも気になるのは確かだが、それ以上に不可解な点もある。こうして士郎達がプレイヤーの言葉に従って麻帆良を訪れることに、プレイヤーにとって何のメリットがあるというのか。あの時はさして気にならなかった疑問も、プレイヤーが明白な敵となった今では強い疑念となっている。
「京都とは随分と街並みが違いますね。なんというか、こう……日本らしいイメージじゃないっていうか」
 すると、士郎と同じく周囲の街並みを見回していたリヴィオが、そんなことを口にした。着いたばかりで気を張り詰め過ぎていたことに気付き、士郎は口元を弛め、普段通りの調子でそれに答えた。
「そうだな。魔法使いの街というだけあって、全体的に西洋風の作りで纏まっているみたいだな」
 確かに、この街は日本人の士郎の目から見ても日本らしくない街並みだ。しかし、魔法使いの街と思ってみると、思いの外しっくり来るように思える。この街の成り立ちから魔法使い達が密接に関わっていると知っているから、ということもあるだろうが。
 ちなみに、士郎達が今いるのは麻帆良学園付属女子中等部――ネギ達が通っている学校のすぐ近くだ。ここに来た理由は単純明快、京都での別れ際に交わした再会の約束を果たす為だ。
「それじゃあ、まずはネギに挨拶に行こうか」
「はい。行きましょう」
「ああ」
 ヴァッシュの言葉に従い、ネギに会うべく学校の門へと向かう。こういう学校は管理がしっかりしているから、ちゃんと許可を貰ってから入るようにと後ろから呼びかけて、士郎は2人に少し遅れて歩いていた。普段ならば日本の常識に不慣れな2人の為に先導するように士郎が先頭を歩くのだが、今だけは違った。ヴァッシュとリヴィオもそのことを気に掛けているようだが、何も言わずに前へと進んでいく。
「……シロウ」
 士郎の周囲に人影は無く、自らの足音以外に音を立てるものは無い。だが、士郎の頭に声が伝わる。鼓膜を震わすのではなく、頭の中に直接響く声。不慣れな人間ならば狼狽するような現象にも、士郎は平然と対応する。
「どうした? ディルムッド」
 その場にはいない、しかし、すぐ近くに霊体となって控えているディルムッドに、士郎は口を動かさず、同じく頭の中の思考という形で応える。これは『念話』と呼ばれる魔術であり、文字通り思念によって対話する魔術だ。本来なら士郎には使えない魔術だが、契約によりディルムッドとの間にパスという魔力の流れが繋がったことにより、士郎も自らのサーヴァントと念話をすることが可能になっていた。
「感じないか? この、何とも言えぬ気配を」
 顔色は見えずとも、声色だけでも伝わる険しさ。それはまるで、戦の予兆となる不穏な空気を察しているかのようだった。それには、士郎も同感だった。
「ああ。俺も、令呪が疼いている」
 忌まわしき聖印の宿る右手の甲を、左手で軽く押さえる。
 単なる杞憂であればと祈りつつ、一先ずそこでディルムッドとの会話を終えて、士郎はヴァッシュとリヴィオの後を追った。





 学校からネギへの来客があるという連絡を受けると、ネギはそのことをすぐに明日菜と木乃香、刹那に伝えて、カモミールと共に彼らが待っている校門の前へと急いだ。
 数日前に、次の日曜日――つまり今日だ――に彼らが麻帆良に来るという報せを聞いた時、ネギは漸くあの時のお礼が出来ることと、また彼らに会えることがとても嬉しかった。あの修学旅行からもう1ヶ月。早く会いたいと急く気持ちに呼応して、足も自然と速くなる。本当なら飛んで行きたいぐらいだ。
 校門の近くまで来ると、遠目にも目立つ3つの人影が見えた。紅い外套を纏った白髪と黒髪の男性、そして黒い鍔付き帽子と黒いマントの男性。見間違えるはずがない、あの人達だ。
「士郎さん! ヴァッシュさん! リヴィオさん!」
 3人の名前を呼び、彼らの下へと駆け寄る。ネギの声に応えて、彼らもネギの方に振り返った。
「お迎えにあがりやしたぜ、旦那方!」
 ネギが足を止めると同時、肩に乗っていたカモミールが息を切らせているネギに代わって迎えの挨拶をする。
「やぁ、ネギ、アルベール。久し振り」
「元気だったかい?」
 ヴァッシュとリヴィオからの再会の挨拶。ごく当り前の言葉だが、今はそれを聞けたことが無性に嬉しかった。
「はい! お陰様で、すっごく元気です!」
「そうか。それは何よりだよ」
 元気のいい返事を聞いて、士郎も穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
 実を言えば、ネギは今日までずっと不安だった。父のような立派な魔法使いである彼らが、父のように世の為人の為、成すべき正義の為に自分の知らない内に旅立ち、ずっと会えなくなってしまうのではないか、と。そんな不安が杞憂に終わった安堵が、再会の喜びを一層大きくして、それも表情に現れる。
「アスナさん達も待っていますから、僕と一緒に来て下さい」
 満面の笑みでそう告げて、ネギはカモミールと共に元来た道を戻り、彼らを明日菜達の待つ、自分も住んでいる女子寮へと案内した。
 本来なら女子寮に男性教師が生徒と同棲するということはありえないことなのだが、学園長の特別な計らいにより、ネギは明日菜と木乃香の2人と寝食を共にしているのだ。女子寮へ向かう途中でそういった事情を3人に話すと、ヴァッシュとリヴィオはすぐに納得したが、士郎は大層驚いた。やはり、ネギの環境は日本では色々と特殊らしい。
 話している内に女子寮に着くと、士郎が出入り口の前で足を止めた。
「……大丈夫なのか? 教師の君はともかく、俺達みたいな無関係の男が女子寮に入って」
 真剣な顔で、酷く心配そうに言う士郎に、ネギは即座に頷く。
「はい。ちゃんと手続きをすれば大丈夫ですよ」
 待ちに待った再会を、こんな些事で躓くわけにはいかない。抜かりなく、事前の申請は済ませている。後は教師が同伴した上での簡単な手続きで問題無く入れる。
「一々入るのにも手間が掛かるんだ」
「こういう所には子供ばかりがいるからな。色々と責任とか義務とかがあるのさ」
「へぇ、そういうものなんですね」
 女子寮に入る手間についての3人のやり取りを聞いて、つい笑みを浮かべて、ネギは3人を中へと案内する。ヴァッシュとリヴィオが手続きにちょっと手間取ったが、それ以外は特に問題無く進んだ。
「アスナさん、このかさん、刹那さん、来ましたよ」
 部屋に入り、部屋で待っている3人に呼び掛ける。真っ先に来たのはリビングで待っていた明日菜、少し遅れて台所から木乃香と刹那も出て来る。
「ヴァッシュ、リヴィオ、士郎さん、いらっしゃい!」
「いらっしゃ~い。ゆっくりしてってぇな」
「皆様、ようこそいらして下さいました」
 3人それぞれの挨拶にヴァッシュ達も応じて部屋へと入る。そして招き入れたヴァッシュ達に、ネギは今まで彼らには内緒にしていたことを打ち明ける。
「今日は僕らで、皆さんにお礼をさせて下さい!」
 彼らが来ると知った日に、ここにいる全員で決めていたのだ。ヴァッシュとリヴィオと士郎に、京都で助けてもらった、守ってもらったお礼を今日しようと。再会の約束も、半分はその為、ちゃんとしたお礼をする為だったのだ。
「うん、いいよー。苦しゅうないよー」
「おい」
「いいじゃないですか。困ることでもありませんし」
「それは、まぁ、そうだけど」
 ヴァッシュとリヴィオは即座に頷いてくれて、士郎はヴァッシュの即答についツッコミを入れたが、すぐに了承してくれた。士郎は何やらお礼と聞いて深刻に考えてしまったようだが、ネギ達はまだほんの子供、出来ることには限りがある。今日これからするネギ達のお礼も、ほんのささやかなことなのだ。
「それじゃあ、まずはお昼ごはん。うんと頑張りますから、待ってて下さいね~」
「お嬢様、私も手伝います」
 ヴァッシュ達からの返事を聞くと、木乃香はにこやかに笑みを浮かべ、刹那と共に台所へと戻った。既に良い匂いが漂ってきているが、まだ完成というわけではないようだ。
 ネギはヴァッシュ達をリビングへと案内し、料理が完成するまで寛いでもらおうと椅子に座ってもらう。
「料理か」
 すると、士郎は台所の方を見ながら感慨深げに呟いた。その表情はどこか寂しげで、懐かしそうでもあった。
「このかの料理はとっても美味しいから、食べたらビックリするわよ」
「へぇ、そうなんだ。楽しみだな~」
「育ちも良くて、料理もできるんだな」
 明日菜が木乃香の料理の腕について言うと、ヴァッシュはニコニコと笑顔で答え、リヴィオも笑みを浮かべながら感心したように呟いた。
 不意に、士郎が急に席を立ち、台所へと向かった。ネギが呼び止めようとすると、ヴァッシュが手をかざして大丈夫だよとそれを制止した。どうやら、ヴァッシュには士郎が何をしようとしているか、分かっているようだ。
「……ちょっと、いいかな?」
「なに、士郎さん? 待ちきれなくなってつまみ食いしに来はったん?」
「違うよ。日本の家庭料理なんて久し振りだからさ、手伝わせてくれないか? なんだか、作りたくてうずうずしちゃってさ」
 木乃香からの問いに、士郎は苦笑混じりに、それでいてどこか楽しそうに答えた。この意外な言葉に、ネギとカモミール、特に明日菜は目を点にするほど驚いた。まさか、士郎の趣味が料理だとは思わなかったのだ。彼がエプロンを着けて台所に立つ姿を想像すれば、誰もがそのミスマッチに閉口するだろう。しかも、この部屋に残っているエプロンは刹那に着せようと木乃香が用意したフリル付きの物だけで、士郎には小さいはずだ。
 けど、包丁を持つ姿はとても似合いそうだと、ネギはそんなことを思った。
「しかし、御客人にそんなことをさせるわけには……」
「ええやん。士郎さんがやりたいんやったら、やってもらったら。じゃあ、士郎さん、そっちの野菜切っといてくれます?」
「了解だ。包丁は、これを借りるよ」
 刹那は戸惑っていたが木乃香はすぐに受け入れ、士郎は嬉々とした声で調理に加わった。台所から聞こえてくる声は楽しそうで、とても活き活きとしている。互いの存在が良い具合に影響し合っているようだ。流石にあのエプロンは着けないらしい。
「……もしかして、士郎さんって料理上手なの?」
 恐る恐る、という表現がぴたりと当て嵌まる様子で、明日菜がヴァッシュに士郎の料理の腕前を訊ねた。それを、ヴァッシュはあっさりと首肯した。
「うん。というか、家事全般が特技だね」
「ちなみに、俺達も料理と裁縫なら一応できるぞ。士郎さんのように上手くは無いけど」
 続くリヴィオの言葉を聞いて、明日菜は何とも言えない表情でがっくりと項垂れ、机に突っ伏した。
「そ、そうなんだ……」
 呻くような明日菜の声を聞いて、ネギは何となく心情を察した。
「どうしたんだ、アスナ」
 リヴィオが明日菜の様子を心配して声を掛けると、返事をする余裕のなさそうな本人に代わってカモミールが答えた。
「アスナの姐さんは体を動かすのは大得意なんスけど、それ以外、特に勉強と家事全部が大の苦手で」
「へぇ、そうなんだ」
 カモミールの簡明な説明に、リヴィオもすぐに納得した。明日菜はきっと、料理等の家事とは縁遠いイメージがある大人の男性に、そういう方面で完敗したことが女性として悔しくて、それで落ち込んでいるのだろう。
「大丈夫だよ、アスナ。僕も最初は全然できなかったけど、何度も何度も練習して出来るようになったんだから」
「私、このかに教わりながらやっても駄目だった……」
 ヴァッシュが明日菜の落ち込みようを心配して励ますが、明日菜らしくない弱音を吐いて聞き入れようとしない。それでもヴァッシュはめげずに、明日菜を励まし続けた。
「それじゃ、そこに士郎も追加してみる? 彼、意外と教え上手だよ」
 ヴァッシュが何気なく発した言葉に、ネギは僅かに心を揺らした。
「教え上手……」
 ヴァッシュ達と再会をしたら、まずはお礼をしようと決めていた。だが、ネギにはそれとは別に、彼ら、特に“立派な魔法使い”としての先輩に当たる士郎にお願いしたい事があるのだ。それに関わる重要な単語を聞いて、ネギは決心を固めた。しかし、それも先にお礼をしてからだ。お礼もしない内にお願いをするなど、恩知らずなことはしたくない。
 お願いの事は一先ず脇に置いておき、ネギはヴァッシュやリヴィオと他愛ない会話を楽しみながら、料理の完成を待った。
「は~い。みんな、お待たせ~」
 正午の鐘が鳴ってから暫くすると、料理を乗せたお盆を持って木乃香と刹那、士郎が台所から出て来た。
「どうぞ。お待たせいたしました」
 まずは客人のヴァッシュとリヴィオ、士郎の席に料理が置かれ、次いでネギ達の前にも料理が置かれる。メニューは、特別豪華な物ではない。ありふれた、ネギもすっかり慣れ親しんだ日本の家庭料理だ。今日のような特別な食卓に乗せる料理としては、一見すると不相応に思える。だが、これこそが木乃香の最も得意とする料理であり、最も美味しく食べてもらえると自信を持っている料理なのだ。それに、和食の御馳走は既に総本山で食べていたし、特に士郎は日本人だが世界中を旅していてもう10年以上も日本に帰っていないと、あの日の晩に聞いた。だからこそ、木乃香も日本の家庭料理を選んだのだ。
「おお! これぞ日本の家庭料理って感じ!」
「こりゃ、美味そうだ」
「特にこの肉じゃがが絶品だ。味見した俺が保証する」
 見た目と香りで早くも期待が高まっているヴァッシュとリヴィオに、士郎が出された料理の一品を指して太鼓判を押す。料理を褒められて木乃香は照れ臭そうに笑って、隣の刹那も誇らしげだ。
「それじゃ、いただきまーす!」
『いただきます』
 元気の良いヴァッシュの挨拶を音頭にして、お礼の昼食会が始まった。
 どの料理もいつもと比べて更に美味しく、ネギ達もヴァッシュ達と同様に木乃香の腕を絶賛する。美味しい料理に舌鼓を打ちながら、ヴァッシュを中心に会話が生まれ、自然と場が賑わう。時折出て来る突飛な発言には、士郎が容赦なく、時にはリヴィオもさらりとキツめのツッコミを入れる。
 途中、ヴァッシュとリヴィオがおかずの取り合いを始めると、行儀が悪いと士郎が一喝。2人の大男が叱られて縮こまる様子が可笑しくて、ネギ達もついつい笑ってしまう。
 お礼の初め、昼食は大成功だった。





 昼食後の一服を終えると、今度はネギと明日菜が街を案内すると申し出て来た。今日からいつまでになるかは分からない長期間、この街には滞在することになる。ならば早い内に麻帆良の事を知っておいた方が良かろうと、ネギ達はこんなお礼を思い付いたらしい。
 正直、ヴァッシュにはこのお礼がありがたかった。実用的であることもそうだが、下手に金品を渡されなくて本当に良かった。もしそうなったら絶対に士郎が受け取ろうとしないで、変に揉めてしまっていただろう。
 衛宮士郎という男の理想は素晴らしい。だが、その理想に傾倒し過ぎていて、人間性は酷く歪んでいる。
 人間は誰しも、自分の理想や夢、願望や欲望を実現出来たら嬉しく、それが大望や本願であればそれ以上を望むことは稀だ。士郎は『正義の味方』という理想の実行に価値を見出し、それさえできればそれ自体を報酬として自己完結してしまい、何らかの対価を他者に望もうとしない。つまり、士郎にとっては人を助ける行為そのものが、人を助ける行為への対価であり報酬でもあるのだ。本人にそのことを指摘すると否定するが、同行して数ヶ月の時点でその異常性は明らかだった。
 1ヶ月前の戦いの時の“お礼”と聞いて、最初、士郎は素直に受け入れようとしなかったのもそれだ。ヴァッシュやリヴィオがおらず、お礼が食事や街の案内以外の何かだったら、頑なに拒んでいた可能性は非常に高い。
 その点、街を案内するというお礼はとてもいい。お礼をする側にも負担が少なく、自分にとっても本当に必要なことなら、士郎はそれを拒むことはまず無い。思った通り、士郎も遠慮するような様子は見せず、後片付けを木乃香と刹那に任せてすぐに出発することになった。
 ネギと明日菜に連れられて寮を出る時、ヴァッシュはリヴィオと共に士郎の後ろを歩いた。理由は単純明快、少しでも士郎とネギ達の接触を多くすることだ。
 人を助けたお礼どころか感謝にすらも戸惑う人間性というのは、とても危うい。それはつまり、人を助けることに何の打算も無い――悪意どころか善意すら無いということだ。そんなことでは駄目だ。だから、士郎にはもっと、自分が助けた人と触れ合って、知って貰いたい。感謝とは、向けられる側にだけ意味があるのではないということを。
 ……多分、今日だけじゃ無理だろうけど。
 分かり切っていたことだが、改めて、難儀な性質の男だと溜息を吐く。
 寮を出て暫く歩きながら、どこへ行くかを決める。順序として決まっているのは、最後に麻帆良教会に行くことだけだ。
 最初に向かうことになったのは、近くのショッピングモールだ。そこに決まった理由は、士郎が話を聞いた途端に是非見てみたいと言い出したからだ。士郎が目を輝かせて、どんな良質の食材があるのかこの目で確かめたいと言った時、ヴァッシュは専業主夫か家政夫が士郎の天職だと思った。
 そこから順々に、近くで気になる所を気儘に回って行く。途中で立ち寄った保育園では、ボランティアで保育士の手伝いをしている明日菜のクラスメイトと出会い、話の流れで園児達と遊ぶことになった。その時のリヴィオの活き活きとした表情を見て、ヴァッシュは心から喜んだ。
 リヴィオの居場所は、もう闇の底の外道じゃない。日の当たる場所で、新しい生き甲斐まで見つけられたよ。よかったなぁ……ウルフウッド。
 今は亡き盟友の事を想いながら、ヴァッシュも共に園児と遊ぶ――というよりも、遊ばれていた。物思いに耽っている内に転ばされて関節技まで極められて、見事な木人形扱いだ。
 保育園の後は、疲れた体を癒そうということで、少し距離はあったがこの街の公園の中でも一番の見所の公園に行くことになった。
「ここがこの街の象徴、世界樹に一番近い場所、世界樹前広場です」
 着いたのは、麻帆良に着いてからずっと目に付いていた巨大な樹木の傍の広場だ。間近で、移民船を彷彿とさせるほどの巨体を誇る樹木――世界樹を見上げる。
 ヴァッシュの知識では、樹木は大きくても数十m単位が精々だ。樹齢が千年単位にも及ぶものでも途中で腐ったり折れたりして年数に比べてそれ程高さが無い。ノーマンズランドでも、実際に見た植物は大きくても10m程度だった。だが、ヴァッシュの目の前にある世界樹は、それらの知識や常識を覆すほどの圧倒的なスケールだった。
「でっけぇー……」
「一体何mあるんだ、これ」
 リヴィオも共に、感嘆のあまり声を漏らす。遠くから見た時にも驚いたが、間近で見れば正しく圧巻。はしゃぐような気持ちも湧かず、ただただ見惚れるばかりだ。
 リョウメンスクナノカミを見た時もそうだったが、大きいということはある一定のラインを超えると、それだけで神秘性や神聖さを感じてしまう。人工の建築物ならいざ知らず、こういった自然の産物ならば尚更だ。
「……まさか」
 同様に世界樹を見上げていた士郎が、不意に、何か良くないことに気付いたような、そんな声を漏らした。
「衛宮の旦那、どうしやした?」
 カモミールが聞き返すのと同時に士郎の方へと振り向くが、普段と変わらないように見える。だが、ごく微かな焦りが見えることにも、ヴァッシュは気付いた。
「確か、この世界樹には願いを叶えるっていう都市伝説があるんだよな? どういう内容か、知らないか?」
 まるで直前には何もなかったように、士郎はカモミールに世界樹に関わる質問をした。気になる態度だが、深刻な事態ならば後で相談してくれるだろうと、追及はしないことにする。
「えっと……僕は初耳ですね」
「そういうラヴ方面の情報でしたらあっしの……」
「あ、知ってる。学園祭の時に世界樹の近くで告白したら、その2人は必ず結ばれるって」
 士郎からの質問にネギが首を横に振り、カモミールは自信満々に勿体ぶりながら答えようとしたのだが、明日菜が先にあっさりと答えてしまった。
「へぇ、ロマンチックな伝説じゃない」
「けど、それって必ず結ばれるぐらい仲の良い2人がたくさんいたってだけじゃないのか?」
 ヴァッシュは素直に感心したが、リヴィオは穿って見たような疑問をぶつけた。悪意などは無く、冷静な判断に基づく現実的な分析の結果なのだろうが、リヴィオにはロマンに対する理解が足りないな、と溜息を吐く。すると、明日菜に先を越されて落ち込んでいたカモミールが、リヴィオの疑問を聞いた途端、水を得た魚のように活き活きと解説を始める。
「いやいや。その可能性も考えてオイラも調べてみたんスけど、学園祭でのカップル成立の確率、22年周期の世界樹の発光の時期に桁外れに高くなってるんですよ。その確率、何と驚きのほぼ100%!」
「へぇ、100%ってのは凄いな」
 アルベールの回答に、リヴィオも素直に感心している。この場には持ち合わせていないが、そういう情報を纏めた資料もあるらしい。オコジョが人間の恋愛事情を調べてどうするのか気になったが、そこを聞くのは野暮だろう。本人も聞かれたら困るだろうし。
「もしかして士郎さん、誰かに告白するつもりだったとか?」
「まさか。俺にそんな相手はもういないよ」
 茶化すような明日菜の言葉に、士郎は少し寂しそうに答えた。
 もういない。つまり、以前はいた、ということだ。士郎に恋愛経験があったことに、ちょっと驚く。しかし、士郎もあの男のような精神破綻者ではないのだから、そういう人間らしい感性や経験があるのは寧ろ自然なことで、当然とも言えるだろう。だが、この反応を見るにどうやらその恋は失恋に終わっているようだ。別々の世界に引き裂かれたという状況ならば、簡単には会えない場所にいる、という言い回しになるはずだ。
 ヴァッシュがちょっとしんみりとした気持ちになりつつも、暫くは世界樹の話題で盛り上がった。
 やがて、太陽が沈み始めた頃、ヴァッシュ達は最後の目的地、麻帆良教会まで案内してもらった。教会に来た理由は懺悔や祈りの為ではない。京都を出発する前夜に、璃正神父からこの教会に顔を出すように助言を受けたからだ。ここには璃正の知り合いの神父がおり、彼ならば必ず力になってくれると、そう言われたのだ。
「ここの神父って、どんな人なんだ?」
 璃正とは長い付き合いのあるリヴィオは、やはり璃正の知り合いということで気になるのか、教会に近付くとリヴィオはネギに神父の事について訊ねた。
「僕と同じくらいの時期に来た若い神父さんですけど、良い人ですよ。僕も一度、相談に乗って貰ったこともあるんです」
「あの人はいいわね。若いけど、もう渋さが滲み出ているのがいいわ。きっと、10年後には素敵なオジサマになってるわ」
「そ、そうなのか」
 ネギの答えに続いた明日菜の妙な解説に、リヴィオはちょっと言葉を詰まらせた。明日菜は年上の男の人が好きなのか、と覚えた所で、教会の門へと着いた。ここまで来れば、もう案内は大丈夫だ。
「今日はありがとうな、態々街を案内してくれて」
 足を止めて向き直り、士郎はネギと明日菜、カモミールに礼を言った。お礼に対して礼を言うとは妙な構図だが、彼らしいと言えば彼らしい。
「そんな。あたし達の方こそ、あの時は助けてもらって、本当に嬉しかったから……これぐらい、お安い御用よ」
 士郎の言葉に戸惑いを見せながらも、明日菜は快活な笑顔を浮かべて答えた。
 あの時、ヴァッシュ達は全ての人を救えなかった、守れなかった。多くの人を死なせてしまった。だけど、こうして目の前に、あの時助けてくれて嬉しかったと、そう言って笑ってくれる少女がいる。
 それだけで、充分過ぎる。これだけで、これからもずっと戦っていける、この道を駆けて行ける。たとえこの先に、どのような苦痛や苦難が待ち受けていたとしても。
「僕らは暫くこの街にいるからさ、また、僕らの力が必要になったらいつでも呼んで。すぐに駆けつけるよ」
 想いを胸に秘め、偽らざる心を言葉で表し、ネギ達に伝える。
「世の為人の為に自分の力を使えるってのは、痛快だからね。何時でも大歓迎さ。けど、勉強の手伝いとかはやめてくれよ」
 ヴァッシュの言葉に、リヴィオも爽やかな笑みを浮かべて続く。その言葉に込められた思いの深さを知るヴァッシュは、嬉しさを隠さずに笑みを深める。士郎は、言いたいことを先に全部言われてしまったのか、ばつが悪そうな顔をしていたが、すぐに自分もそうだと頷いた。
「じゃあ、元気でね」
 別れの言葉を告げて、教会の門へと向かう。
「士郎さん、お願いがあります!」
 だが、少年の大きな声が、ヴァッシュ達を引き止めた。
「なんだ?」
 驚きながらも、ネギへと振り返り、士郎は自分を呼び止めた理由を問う。ネギは、緊張しているのか数度の深呼吸をして、表情にも気合を入れてから、自らの意思を口に出した。
「僕を、弟子にして下さい!」
「無理だ」
「早っ!」
「即断ですか。どうしてです?」
 あまりにも早い返答にヴァッシュが驚きの声を上げ、リヴィオはどちらの言葉にも驚きながらも、士郎にネギの頼みを断った理由を訊ねた。ネギは、あまりにも早かった拒絶の言葉にショックを受けて、半泣きで呆然としている。
「俺の魔術は完全に我流で、鍛錬も他の魔術師からしたら常道から外れた滅茶苦茶なものだったんだ。だから、他の人間に教えたら酷いことになりかねない。それに、多分、俺の魔術師としての格はネギよりもずっと下だろうし」
「そうなんですか!?」
 士郎が断った理由の、特に最後の部分を聞くと、ネギはショックから立ち直った、と言うよりも、より衝撃的な言葉を聞いてそれどころではなくなったようだ。
 士郎の言葉に驚いたのは、ヴァッシュも、この場にいる本人以外の全員が同様だ。一体、士郎はどのような基準で、自分をネギよりも格下だと判断したのだろうか。全員の疑問に答えるように、士郎は解説を始めた。
「俺の魔術は一点特化型で、その分野ではまだいい方なんだけど、それ以外はからっきしなんだ。空を飛べないし、火を灯すこともできない」
「ええ!? 初歩も初歩の魔法じゃないッスか!」
 火を灯す、という部分にカモミールが過敏とも言える反応を示す。そういえば、メルディアナ魔法学校で読んだ魔法の本にも、火を灯す魔法が初歩と書かれていたような。それが数学における足し算や引き算のような基礎中の基礎なら、確かに、それが出来ないとなれば驚きなのだろう。
「やってみようか?」
 言うと、士郎は右手に愛用の白い陰剣を創り出した。
「……あれ? その剣、今、どこから出したの?」
「ちょっとしたマジックさ。いくぞ……プラクテ ビギ・ナル。火よ、灯れ」
 明日菜の疑問に軽く答えてから、士郎は先程言ったことの実践を始めた。しかし、どれだけ待っても、士郎が火を灯す為の呪文を二度三度と唱えても、何も起こらない。
「な? ご覧の有り様だ」
「そんな……」
 剣を消しつつ士郎が自嘲するように言うと、ネギはがっくりと項垂れた。自分を助けてくれた士郎に、ネギは魔法使いの先輩として尊敬や憧憬に近い感情を持っていたのだろう。それがまさか、基礎の基礎も出来ないとなれば、ショックを隠せないのが当然だ。
「悪いな、がっかりさせちまって。けど、ここは魔法使いの街なんだから、優秀な魔法使いもたくさんいるだろう? その人達に習うといい」
 本人も、このように言っている。20歳近く年下の子供にも劣ると言ったのも、謙遜や方便ではなく本心だろう。
 実は士郎の一点特化した分野である投影魔術は凄いものだが、本人曰く一種の特異体質の賜物らしく、他人に教えられるものではないのだと以前にも言っていた。それに、教えられるとしても教えないだろう。この世界の魔法と違って士郎の使う魔術は、暴発や失敗がそのまま自身の命の危機に直面するような、常にリスクと隣り合わせの危険な技術なのだから。
 一度、ジョーと一緒に旅していた頃に士郎が無茶をして魔術を失敗させた時のことを思い出す。本当なら、士郎にも魔術を使って欲しくないぐらいだ。ネギに教えようとしないのも、当然だ。しかし、ネギは首をぶるぶると振って、再び士郎の目を真っ直ぐに見た。
「魔法だけじゃありません! 士郎さん、戦い方だけでも、僕に教えてください!」
「戦い方?」
 ネギの口から出て来た意外な言葉に、言われた士郎だけでなく、ヴァッシュとリヴィオも目を点にする。凡そ平和な国で暮らす少年から出て来るとは思えない言葉であり、決して言って欲しくない言葉でもあった。戦う術を欲する真意を問い質そうとしたところに、第三者の声が割って入る。
「誰だね? 神の御家の前で騒ぐのは」
 厳つく、厳粛な声だ。怒ってはいないようだが、迷惑には思っているだろう。
「おっと、教会の人が来ちゃったか」
 流石に騒ぎすぎたかな、と反省する。思えば、無関係の一般人に聞かれたら不味い会話を随分と大きな声で話してしまっていた。普段なら士郎が気付きそうなものだが、彼もネギとの会話にそれだけ集中していたのだろう。
 これ以上この話題を続けない方がいい。その判断は士郎も出来ていた。
「ネギ。明日の何時頃なら世界樹前広場に来られる?」
「夕方……5時か6時ぐらいなら」
「分かった。明日、その時間に広場でまた会おう。話の続きはそこでだ」
 明日の約束を交わすと、ネギは大きな動作で御辞儀をした。
「はい! それでは、また明日!」
「あ、ちょっと! 待ちなさいよ、ネギ!」
 明日が待ちきれないのか、駆け足で帰って行くネギを明日菜も慌てて追いかける。どんなに急いでも明日が来る時間は変わらないのに、まるで、いつもより速く走った分明日が早く来るようにと願っているように見える。つまり、ネギは士郎から良い返事を貰う気満々で、それだけやる気もある、ということだ。
 何がネギを戦いへと駆り立てているのか知らないが、出来れば、そんな力は持たずにいて欲しいと、ヴァッシュは祈った。





「すいません、神父さん。騒いでしまって」
 教会の門の近くまで様子を見に来た神父に、リヴィオは皆に代わって帽子を取って胸に当てて、頭を下げた。
 本来なら神父が出て来るよりも先に、同じ神職者であるリヴィオが注意すべきことだったのだ。それを怠った非を、リヴィオは詫びた。しかし、神父からの返事は無い。怪訝に思ったリヴィオは、顔を上げて神父の様子を確かめた。
 神父の顔を見て、リヴィオは驚きのあまり言葉を失った。きっと、相手の神父もそうなのだろう。まさか、こんな所で唯一にして無二の親友に会えるとは、思っていなかったのだから。
「……リヴィオ、なのか」
「綺礼! 綺礼じゃないか!」
 互いに名を呼び合い、思い掛けない再会を喜ぶ。
 綺礼は身内の不幸が重なり心労で倒れてしまった神父の穴を埋める形で、関東の教会に神父として赴任するということは聞かされていた。だが、それがまさかこの麻帆良だったとは。
 リヴィオはヴァッシュとの再会が叶った後、それが綺礼との今生の別れとなることを覚悟していた。これからは綺礼に会いに行く暇も無くヴァッシュや士郎と共に元の世界へ帰る術を探し、そして上手く事が運べばそのまま帰還することになると。しかし現実には、今こうして、友とまた会うことができた。
 京都でヴァッシュと再会した時といい、神は余程、思い掛けない再会という形でリヴィオを喜ばせたいようだ。
「璃正さんが教会に行けって言ったのは、こういうことだったんだね」
 ネギ達を見送ったヴァッシュが、リヴィオ達の様子を見て微笑みながら言う。璃正神父の粋な計らいに、リヴィオだけでなくヴァッシュも喜んだ。
「……言峰、綺礼」
 消え入るような、他の誰にも聞こえない小さな声で、士郎は綺礼の名を口に出した。リヴィオとヴァッシュは聞き逃し、見逃してしまったが、士郎の表情は決して穏やかなものではなく、声色も、まるで十年来の旧敵に対するようでさえあった。
 そんなことは露知らず、リヴィオは綺礼との旧交を温める。やがて、外での立ち話では客人に無礼だと、綺礼の私室へと案内された。
 綺礼の部屋に入ったリヴィオは、すぐにワインセラーを見つけて中身を検める。麻帆良に赴任して3ヶ月ぐらいだろうか。短い間にも、また古今東西の酒を収集していたようだ。
 綺礼には高級な酒を買い集めては、それを賞味するでもなく、鑑賞するでもなく、自慢するでもなく、最高の保存状態のまま死蔵させてしまうという奇癖があった。リヴィオが来てからはその酒も減り始めたのだが、京都の教会を離れる際に全て置き去りにしていた。だが、この部屋には既に30以上の酒瓶が集められている。或いは前任の神父の物もあるかもしれないが、ここまで増やしたのは間違いなく綺礼だろう。
「まったく、父上も人が悪い。君が来るのなら、前以って教えてくれて良かっただろうに」
「同感だよ。まさか、綺礼が任されたのが麻帆良の教会だったなんて」
 来客用のソファに腰を下ろして、互いに璃正の計らいに呆れつつも喜びを見せる。綺礼はリヴィオの両隣に座っている2人の顔を見ると、居住まいを正した。
「自己紹介がまだでしたね、失礼を。私は言峰綺礼、言峰璃正の息子です。若輩者ではありますが、この教会を任されております。そちらは、ヴァッシュさんで宜しいでしょうか?」
「そうそう。僕がヴァッシュ・ザ・スタンピード。リヴィオの友達に会えて嬉しいよ」
「俺は、衛宮士郎だ。よろしく」
 礼儀正しい綺礼の自己紹介に、ヴァッシュと士郎はそれぞれに答える。そこで、リヴィオは士郎の返事に違和感を覚えた。何故か、異様なまでに士郎の声と態度が硬いのだ。まるで、何かを警戒しているように見える。短い付き合いではあるが、今まで初対面の人間に対して士郎がこのような態度を取ったことは一度も無かった。何故、綺礼に対してだけこのような態度なのだろうか。
 まさか、並行世界――士郎さんにとって元の世界の綺礼と知り合いで、しかも敵同士だったとか。……無いか、そんな嫌な奇跡。
 馬鹿馬鹿しい思考を打ち切り、士郎なりに事情があるのだろうと自分を納得させる。
「しかし、どうしてここに? ヴァッシュさんと再会したら故郷へ帰る為の術を探すのではなかったのか?」
 綺礼からの問いに、すぐにリヴィオは頷いた。
「ああ。そのことなんだけど、どうやら、その手掛かりがこの街にあるらしくてさ。それを探しに来たのと、それとは別に野暮用が出来てさ」
 綺礼と璃正には、リヴィオとヴァッシュの境遇――未来の別の惑星から迷い込んだという、荒唐無稽な事情を理解してもらっている。
 普通に話していたら、多分、別の意味で心配されたことだろう。だが、それが法螺や妄想の類ではなく、紛れもない真実だと彼らにも伝わっている。それは、プラントの羽根のお陰だ。
 この世界に来て、何時の間にか荷物の中に紛れていた、美しい純白の羽根。人の思考や記憶を伝える、奇跡とも呼べる力を秘めたそれを見つけた時、リヴィオは震えた。あのプラントは暴走から自分達を救ってくれただけでなく、このような餞別までくれていたのだ。リヴィオは、この事に深く感謝した。
 同時に悩んだのは、その羽根の使いどころだ。過去の世界でしかも地球という意味不明な状況で、果たして誰に自分の悩みの全てを打ち明けるべきか。最初は詠春達を考えていたが、実際にそうしたのは、ふとした切っ掛けで出会った璃正と綺礼だ。彼らの下で居候として暮らしている内に、リヴィオは彼らにこそ真実を知って貰いたいと考えるにようになったのだ。
 最初、2人は酷く狼狽したが、綺礼はすぐに受け入れ、真っ先に協力を申し出てくれた。その時から、リヴィオは綺礼と親友になれたと思っている。この事は、既にヴァッシュと士郎にも伝えてある。同時に、璃正と綺礼はこの世界での裏の事情、つまり魔法関連の事柄の監視者という役目にあるということも。
 教会は原則的に魔法や魔術の類の存在は認めていない。しかし、この世界では魔法は実在してしまっている。そこで、魔法使い達の行いを監視し、監督する役目を教会の一部の者が担っている。その一員が璃正と綺礼なのだ。魔法使い達は大半が善良なので、教会との関係も険悪ではなく、現代で再び魔女狩りが行われる心配は無いらしい。
「そう、か。……そうだ、この街に長期滞在するのなら、この教会に逗留しないか? 幸い、この教会は大きく、空き部屋も多い」
 綺礼からの提案に、リヴィオはすぐさま賛成した。
「本当か!? 助かるよ。ヴァッシュさんと士郎さんも、それでいいでしょうか?」
 両隣の2人に、承諾を求める。他人の好意を無碍にすることをこの人達がするとは思えないが、念の為だ。
「問題無し。寧ろ喜んで」
「……どれだけの期間になるかは分からないが、宜しく頼む」
 2人からの承諾を貰い、改めて、リヴィオは綺礼からの提案を受け取った。綺礼と再会できただけでなく、明日からの寝床まで確保できたのは僥倖だ。そうと決まれば、後で電話を借りて総本山に連絡を入れ、あの大荷物をこちらに送って貰おう。流石に、アレを何時までも預けっ放しにしておくわけにはいかない。幸い、ここならばアレも置き場所に困る、ということにはならないはずだ。
「では、リヴィオ。久し振りに、稽古を付けてくれないか?」
 話が一段落すると、綺礼は立ち上がってリヴィオを鍛錬に誘った。その僅かな動作を見ただけで、リヴィオは綺礼が京都を離れてからの数カ月間も鍛錬を欠かさずに行い、今も練磨を続けていることを見抜いた。
 綺礼は精神修養も兼ねた肉体的な修行の一環として、璃正から直々に武術――中国拳法の八極拳の一派を学んでおり、リヴィオとは京都にいた頃から幾度となく共に鍛錬し、組み手をしていた。
 ノーマンズランドでは一部のプラントや移民船の残骸にデータが残っているだけだった、東洋の神秘、武術。リヴィオの所属する『ミカエルの眼』でもそれらのデータのサルベージは行われ、効率的な人体の運用方法と破壊方法の教本として用いられていた。
 本物の武術の使い手と拳を交えることは、リヴィオとしても非常に勉強になるのだから、断る理由は無い。それに、友からの頼みという時点で、断るつもりは毛頭ない。
「おう、いいぜ。ヴァッシュさんと士郎さんも、一緒にどうです?」
「取り敢えず、僕は見学で」
「俺も遠慮しておく。夕飯を作れなくなったら困るからな」
 ヴァッシュと士郎を誘ってみたが、2人には断られてしまった。士郎は以前、ミカエルの眼方式のトレーニングに誘った時に途中で気絶してしまったから、そのことを引き摺っているのかもしれない。
 リヴィオは綺礼に案内されて、普段彼が鍛錬に使っているという裏庭へと来た。トレーニング機材の類は見当たらないが、地面を見るだけで綺礼がどれ程鍛錬に打ち込んでいたか覗える。
 変わらぬ友の在り方に喜びの笑みを浮かべ、組み手の前に十字を切る。これからの日々が、良いものでありますように。神へと祈りを捧げて、リヴィオは久方振りに綺礼との鍛錬を始めた。









「すまない、ディルムッド」
「なんだ、藪から棒に」
 リヴィオ達が鍛錬に出掛けて1人残された士郎は、教会の中でも人気の無い場所に移動して、周囲に人影が無いことを確認してからディルムッドに語りかけて来た。
 唐突に詫びの言葉を貰っても、特にこれといった不満を持ってないディルムッドには何の事か分からず、戸惑うばかりだ。
「折角の現世なのに、霊体化を強いちまって。やっぱり、実体化してる方がいいよな」
 謝罪の中身を聞かされて、ディルムッドは目を見張る思いとなった。
 ディルムッドが第四次聖杯戦争で仕えていたマスター、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトはサーヴァントを道具か魔術礼装の一種としか考えておらず、こんな気遣いをして来たことは無かった。ディルムッドも聖杯戦争のシステム上、そのような扱いも当然であると割り切っていただけに、同じ聖杯戦争のマスターである士郎から、こんな言葉が出て来るとは思わなかった。見えぬ表情を綻ばせ、士郎の善意に感謝を表す。
「そんなことを気に病むな。第四次の時も必要な時以外は常に霊体化していたし、それに俺が女に顔を見られる度に一悶着では、堪らないだろう?」
 苦笑しつつ、士郎ならば納得してくれるようなことを言う。仮にディルムッドが実体化して日常生活を送る場合、ディルムッドの泣き黒子に備わる魅了の呪いが問題となる。この呪い、女性がディルムッドの顔を見た場合に効力を発揮し、ディルムッドへの激しい恋慕の情を女性に抱かせる――簡単に言えば、強制的に一目惚れさせてしまうのだ。
 ディルムッドが野犬のようなだらしない面貌ならば、女性も一時の気の迷いだと自らに言い聞かせて呪いを振り払うこともできるだろう。だが、困ったことにディルムッドは伝説に『輝く貌』と語られるほどの絶世の美丈夫であり、精神と肉体は騎士の鑑と評する以外に無く、外面も内面も完璧に近い色男だ。呪いに耐性が無い限り、彼に一目で心奪われない女性は極めて少ない。そんなディルムッドが外を練り歩けば、困ったことになるのは想像に難くない。それを分かっている士郎は、不服そうではあるが頷いた。
「まぁ、それはそうなんだけど……そうだ」
「どうした? シロウ」
「ディルムッド、実体化してくれないか?」
「ああ」
 何かを閃いたらしい士郎に頼まれるまま、ディルムッドは実体化する。
 何も無い空間に、魔力の粒子を靡かせて出現する伝説の騎士。幻想的なその光景は、見る者がいれば老若男女の別無く心を奪うことだろう。しかし、唯一の目撃者である士郎は気にした風でも無く、ズボンのポケットを漁っている。そして、何かを取り出すとそのままディルムッドの顔に当てた。
「これでよし……っと。うん、上手くいったみたいだ」
 なにやら、士郎は満足そうに頷いている。一体何をされたのかと、ディルムッドは黒子の辺りに手を触れた。
「これは……俺の黒子の上に、何か貼ったのか?」
 布のような物が、ディルムッドの黒子の上に貼り付けられている。水で濡らしもせずに物を貼り付けられるとは、これも時代の変化による進歩の一つか。
「聖骸布の切れ端をテープで張ってみたんだ。俺の着ている聖骸布は外部干渉を防ぐ概念武装だから、もしかしたら黒子の魅惑の呪いも防げるかと思ったんだ。うん。多分、これで大丈夫だ」
 まるで旅人に干し肉を渡したような気軽さで、士郎は自らが纏っている紅い外套を指してそう告げた。それを聞いたディルムッドは驚愕し、声を荒げた。
「概念武装の聖骸布だと!? そんな希少な物を何故、こんなことに!」
 魔術に詳しくないディルムッドにも、士郎がディルムッドに呉れた物がどれ程貴重な物か分かる。本来ならばほんの僅かな切れ端でも惜しむべきであり、軽々に他人に与えて良いものではないはずだ。加えて、士郎は魔術師でありながら一般人並みの抗魔力しか持たず、それを補う為に態々聖骸布を外套の魔術礼装に仕立て直して常に身に着けているのだ。聖骸布の面積が減れば、その分士郎の守りは薄くなってしまう。
 何故、本質は英霊とはいえ所詮はサーヴァントでしかない自分に士郎はここまでしてくれるのか、ディルムッドには理解ができなかった。
「何でって……強いて言うなら、お前の為、かな」
 すると、士郎は驚いているディルムッドの方が不思議だと言わんばかりに、そのように返した。ディルムッドは呆気にとられた。士郎が冗談で真意を隠し言葉を濁しているのではなく、本気で言っていると分かるからだ。
「折角、聖杯戦争の為に呼び出されたわけじゃないんだからさ、楽しまなきゃ損だろ?」
「お前というやつは……」
 少年のような無邪気な表情で言う士郎に、ディルムッドはつい苦笑を浮かべてしまう。
 自分の損よりも他人の為。打算や損得勘定を抜きにした純粋な善意。果たして、こんなにも無垢な他人の好意を受けたのは、いつ以来だったか。
「気にしなくていいぞ。この聖骸布だって、元は上下繋がっていたのが、破れたのを補修してくうちに、こんな風になっちまったんだから」
 ディルムッドが言葉に詰まったのを気まずさからと思ったのか、士郎はそんなことを言った。ヴァッシュの物と違い外套が上下に別れている前衛的なデザインは気になっていたが、そういう事情があったのかと納得する。だが、そうなった理由と理論は何かがおかしい気がする。
「……そういう時、普通は下から切り詰めて行くものではないか?」
「折角の外套なのに、風に靡く長さが無いのはなんだか勿体無い気がしてさ」
「だったら、今度大幅な補修をする時はどうするんだ?」
「そうだな。上の方を左右に分ける、かな」
「なんだ、それは」
 外套に対する士郎の妙な拘りに、つい笑みを零す。こんな風に、些細なことで笑い、語り合うのも久し振りだ。
 サーヴァントとして現世に召喚されて以来、初めて持った“楽しい”という感情を自覚し、ディルムッドは士郎の提案を受け入れることに決めた。ここまでされて無碍に断ったのでは、申し訳ない。来るべき戦いの日まで、思いがけず得た新たなる生を、このマスターと共に楽しんでみるとしよう。
 早速、リヴィオ達が鍛錬を行っている裏庭へと向かい、綺礼に居候が1人増えることの承諾を貰いに行く。唐突な増員、どのように説明するかは言い出した当人に任せるとしよう。



[32684] 第十八話
Name: T・M◆4992eb20 ID:dcd07e40
Date: 2012/08/23 20:08
 早朝、まだ街に人影が疎らな時間にも、麻帆良教会には5人の男の姿があった。
 最初は黙々と筋力トレーニングを行っていたのだが、やがて2人が木製の双剣を手に実戦的な剣の稽古を始めると、1人が筋力トレーニングを続けながら水鉄砲で茶々を入れ始め、やがて残る2人も加わって何時の間にか3対2の集団戦闘の訓練のようになっていた。
 それらの喧騒――特に木剣がぶつかり合う音だ――で目を覚ましてしまった、シスター見習いとして同じ教会で寝泊まりしている春日美空は、離れた所でその様子をうんざりとした様子で眺めていた。
 朝早く起こされるならせめて鶏の鳴き声で目覚めたいと切実に思い、深く溜息を吐いた。だが、きっとこれから毎日、これが続くのだろう。憂鬱ではあるが神父とその客人達の日課とあっては仕方が無い。当面は耳栓を買うなどしてやり過ごそう。
 せめて、何かの間違いで自分まで巻き込まれるようなことになりませんようにと、春日美空は願った。春日美空は、楽して楽しく平穏無事に学生生活を過ごしたいのだ。









 麻帆良を訪れた翌日、事前に詠春を通じてアポイントメントを取っていたおかげですぐに関東魔法協会の長である近衛近右衛門への面会が叶った。世話になった1カ月間のことも含めて、ヴァッシュは改めて詠春に感謝した。
「ねぇ、見て、あの人達」
「派手な恰好……それにあのマントの人、顔に刺青まで」
「教員の人じゃないよね。なんなんだろ」
 近右衛門の待つ彼の執務室は、何故か麻帆良学園付属女子中等部の学園長室である。その為、ヴァッシュ達は現在、目的地への道すがら女学校の女生徒達からの奇異の視線の集中砲火を浴びている。すっかり慣れているヴァッシュと士郎はいいのだが、リヴィオは女生徒達の声が聞こえる度に顔が強張ってしまって、ちょっと不憫だ。
 ちなみに、ディルムッドはこの場にはおらず街を1人で散策している。理由としては、現代の街が物珍しいので散策したいということだった。彼の素性については京都で過ごした1ヶ月の間に詳しく聞いていた為、ヴァッシュもリヴィオもすぐに納得できた。
 やがて、女生徒達の話し声が聞こえなくなると、すぐに理事長室に着いた。士郎が先頭に立って扉を開け、一礼をしてから中に入る。それに倣って、ヴァッシュとリヴィオも一礼してから理事長室へ入る。
「よく来てくれたの、衛宮士郎くん、ヴァッシュ・ザ・スタンピードくん、リヴィオ・ザ・ダブルファングくん。ワシが関東魔法協会の長、近衛近右衛門じゃ」
 理事長室には、如何にも偉い人が愛用していそうな机と椅子に腰を下ろしている、後頭部が異様に長い、ついでに白くて長い口髭と眉毛も目を引く老人の姿があった。目の前の老人が近衛近右衛門なのだろう、詠春から聞いていた通りの個性的な特徴だ。
 人間離れした外見の人間を見慣れていたヴァッシュとリヴィオは特に驚かなかったが、士郎だけは一瞬、妖怪でも見たかのような呆気にとられたような表情になった。しかしすぐに気を取り直し、近右衛門の言葉に応える。
「日本の魔法使いの長との対面が叶い、恐縮です。こちらは、メルディアナ魔法学校校長からの紹介状と、関西呪術協会の長からの書状です」
 そう言って、士郎は懐から2通の書状を取り出し、近右衛門に差し出す。それを受け取った近右衛門は一つ頷くと、中身を検めるより先に席から立ち、ヴァッシュ達の前に移動しながら口を開いた。
「そんな、堅苦しくしてくれなくても結構じゃよ。それに、本来なら謙り、頭を垂れるべきはワシの方じゃ。君達は娘婿の窮地を助け、孫を救ってくれた恩人じゃ。本当にありがとう」
 机を挟まず、直に対面しながら、近右衛門は言った通りに頭を垂れた。詠春からは「狸呼ばわりも厭わない、好々爺然としたぬらりひょん」と聞かされていただけに、近右衛門のこの行動には士郎もヴァッシュもリヴィオも驚いた。それだけ京都での事件は、彼にとっても大きな衝撃を与えていたのだろう。
 すると、リヴィオが近右衛門の下に歩み寄って跪いた。
「そんな、頭を上げて下さい。自分は……何度も失態を犯して、あの惨状を未然に防ぐことができませんでした。魔法に疎いからしょうがなかったとか、そんな言い訳が許されるとは、自分でも思えません」
 言いながら、リヴィオは悔しさのあまり顔を俯けた。リヴィオが持つ人を守ることへの使命感と責任感の強さとその由来を知っているヴァッシュは、その気持ちが良く理解出来た。寧ろ、ヴァッシュも全くの同意見だった。今回ばかりは、とても他人に褒められるようなことではなかった。
 すると、近右衛門は顔を上げて、跪いているリヴィオの肩を軽く叩いて自分に顔を向けさせた。
「しかし、それは仮定の話の結果論じゃ。現実に、君達は立派に働き、結果を出したのじゃ。リヴィオくんも、そう自分を卑下せず、胸を張りなさい」
 リヴィオだけでなく、ヴァッシュや士郎の内心をも見透かしたように、近右衛門は穏やかな声と表情でそう言った。
 ほんの少しだけ、心の重荷が軽くなった。そう感じずにはいられなかった。
「ありがとうございます」
 3人揃って、詠春にお礼の言葉を返す。だが、士郎だけ僅かに声が硬い。また何か、必要以上に背負いこんでいるのだろうか。そのことは敢えて口に出さず、一先ず、近右衛門が書状を読み終わるのを待つ。
「お孫さんはその後、如何でしょうか?」
 近右衛門が書状を読み終わったのを見計らって、士郎は早速木乃香について訊ねた。あの事件の渦中にあって、彼女が受けた影響は計り知れない。昨日会った時には何事もなさそうだったが、それが真実だとは限らないのだ。
「名前で呼んでくれて構わんよ。あの子も、君達にはとても感謝しておったよ。その影響かの、自分も魔法や呪術についてしっかりと勉強をしたいと言い出したのじゃ」
「それって、困ります?」
 その原因の一端が自分達にもあるという自覚から、ヴァッシュは近右衛門に率直に訊ねた。しかし、近右衛門はどこか達観したような表情で首を横に振った。
「いや、遠からず来る運命だったのじゃろう。魔法使いの家系に生まれながら魔法とは無縁に生きる者というのは然程珍しくないが、木乃香はあまりにも抜きんでた天稟があった。本人が知らずとも、知る者が見れば放ってはおけぬほどのものが」
「それが、先日の京都の一件で実現してしまった」
 近右衛門の言葉にリヴィオが小さく呟き、全員がそれに頷く。
「詠春くんとも話し合い、事ここに至っては、知らぬままでいるよりも事情に精通した方があの子の為になると、あの子には魔法の勉強をさせておる。本格的に学ぶのは、中学卒業後になるかの」
 その言葉を聞いてリヴィオは申し訳なさそうに顔を僅かに俯け、何故か士郎までも悔しそうな表情をしていた。詠春に大きな恩義があるリヴィオはともかく、どうして士郎までもがそこまで思い悩むのか、ヴァッシュには腑に落ちなかった。
 特に木乃香と接点の殆ど無い士郎が、何故こんなにも木乃香が魔法を学ぶことになったことを悔やんでいるのだろうか。気負い過ぎるきらいのある士郎だが、ある意味では必然的な変化にここまで反応するのは妙だ。
 考えて、士郎に気付かれるよりも早く視線を外し、近右衛門に木乃香の近況を訊ねる。
「それで、このかは今、どんなことを勉強してるんですか?」
「あの子には治癒術師として優れた資質があっての、本人の希望もあってその道を目指して勉強中じゃ。幸い、ワシの知り合いで魔法にも精通した医者がこの街に暫く逗留しておっての、学業の傍ら、彼の下で人を治す者としての基礎を学んでいるところじゃ」
「そうですか」
 木乃香と実際に話した時間はごく僅かだったが、それでも彼女の優しい性格や人となりを実父の詠春から聞かされていただけに、人を助ける道に進んだことをヴァッシュは素直に喜んだ。
 ちらり、と横目で士郎の様子を覗う。士郎の横顔に先程までの悔いは見えなかったが、安堵したというわけでもないようだ。今までにない、不可解とも取れる態度は気になる。後日聞いてみようか。
 それから暫くは木乃香を中心にヴァッシュ達が京都で助けた少年少女達の近況を聞かされ、昨日のことを思い出しながら話を弾ませる。どうやら近右衛門の子煩悩ならぬ孫煩悩は相当のようで、孫の顔を毎日見たいがためにこの学校の学園長になり、魔法協会会長の日々の執務まで学園長室で執り行っているというのは、果たして冗談だったのやら。
「さて、君達にとっての本題じゃが、図書館島で転移魔法に関する資料を閲覧したいとのことじゃったな」
「はい。差し支えなければ、是非」
 麻帆良を訪れた元々の理由。そのことに話が至ると士郎は真剣な表情で即座に頷いた。メルディアナ魔法学校で目ぼしい資料が見つけられなかった以上、麻帆良の図書館島だけが唯一の希望の拠り所なのだ。そこに掛ける期待は、自然と大きくなる。対して、近右衛門は今までと変わらない穏やかな表情で静かに頷き返した。
「その程度ならば、お安い御用じゃ。寧ろ、この程度のことで良いのかと言いたいぐらいじゃわい」
「そうですか? じゃあ、一つ質問って言うか、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「なんじゃ? ワシに答えられることなら、何でも答えよう」
 近右衛門の言葉を聞いて、ヴァッシュはすぐにそれに甘えることにした。面と向かって話しづらいことだから、できるだけ軽い調子で、世間話や冗談を言うような調子で、麻帆良に来訪したもう1つの目的について訊ねる。
「この街に時空を超える技術がある、なんて、変な噂を聞いたんですけど、御存じありません?」
 ウェールズで再会した折にアランから齎された情報。彼は詳しいことを敢えて語らず、実際に麻帆良へ行って確かめろと言った。だが、士郎が収集したインターネット上の情報の中にはそれらしい噂すらも1つも無く、詠春も全く心当たりが無いと言っていた。
「いや、初耳じゃのう。君達が転移魔法を調べることと、何か関係があるのかの?」
「はい、それなりに」
 そして今また、この街の最高責任者さえも知らないと言った。笑顔で頷きながら、ヴァッシュは千草から聞いたあることについて、懸念と不安を強くする。
「あい分かった。火の無い所に煙は立たぬとも言うからの、そのことに関してはこちらでも調べてみよう」
「ありがとうございます」
 近右衛門からの色よい返事に士郎は深々と頭を下げ、それにヴァッシュとリヴィオも倣う。その後も、木乃香とのお見合い話を持ち掛けられて笑顔で断るなど、とりとめの無い話をかわして、入室してから1時間ほどでヴァッシュ達は学園長室から出た。
 近右衛門にも全く心当たりの無かった時空を超える技術。それを何故、アランは知っていたのか。冗談や誤報と考えられなくもないが、千草から伝えられたあることが、ヴァッシュの心を掻き乱す。

「あのプレイヤーっちゅうやつな……うちが契約しても、事を起こすちょっと前までちっとも顔を見せに来なかったんや。それでな、初めてあいつと会った時、今までどこでなにしてたんやって、聞いたんや。そしたらあいつ、麻帆良で別の仕事をしているって……そう言うたんや」

 千草は未だ完全に復調しておらず、事件に関わる記憶の混濁すらもあるほどだ。しかし、彼女が必死の思いで伝えてくれた言葉が誤りであるとは、ヴァッシュは思いたくなかった。だが、そうなると千草の言葉が意味するのは、この麻帆良でアランが京都での事件のように暗躍しているということだ。そのことは、千草も分かっていた。だから、ヴァッシュに胸の内を語り、約束をしたのだ。
 必ず約束は守る。そして、麻帆良の平和や暮らしている人達の笑顔も。
 学校の敷地から出る道すがら、こちらに気付いて手を振ってくれた3人の少女に明るい笑顔で返しながら、ヴァッシュは強く心に誓った。
 あんな悲劇は、もう二度と繰り返させない。







 士郎達が近衛近右衛門に会見している頃、ディルムッドは1人、実体化した状態で士郎が用意してくれた現代の衣服に身を包み、世界樹前広場に来ていた。
 別行動を取った理由は2つ。1つは、女学校という女子ばかりの空間に行くことが躊躇われたことだ。士郎から貰った聖骸布の切れ端の効力は教会のシスター達の様子から十分にあるという確証は得ている。だが、万が一聖骸布の切れ端が落ちてしまったら大変なことになってしまう。
 そしてもう1つの理由は、昨日も霊体化した状態で目にした、今目の前にある世界樹と呼ばれる霊木。これを調べる為だ。
「……やはり、これは」
 昨日も感じた気配を、至近距離にいることもあってより明確に感じる。いや、世界樹から気配を感じるというよりも、ディルムッドのサーヴァントとして構築された身体が世界樹の内にあるものと反応しているのだ。
「随分とこの時代に馴染んでいるやつもいたもんだな」
 咄嗟にその場で身を翻し、自身に向けて掛けられた声が聞こえた方向へと向き直る。如何に考え事に没頭していたとはいえ、百戦錬磨の武人であるディルムッドに気付かれること無く間近まで接近して来る相手だ。それだけで警戒に値する。
 視線を向けると、そこには日本の伝統的な装束である和服に身を包み、片方の目を眼帯で塞いだ男がいた。しかし、この男の気配、人間のものではない。
「貴様、サーヴァント!」
 相手の正体を直感するや、ディルムッドは宝具を具現化――させず、すぐに思い止まった。周囲には人の目があることと、眼の前のサーヴァントが敵意も戦う意思も見せていないからだ。しかし警戒は解かず、油断なく身構える。
「気配遮断の心得があるのでな。殺気や剣気を抑えれば、考え事をしているやつに気取られずに近寄るぐらいは造作も無い」
 サーヴァントは種明かしでもするように背後を取れた理由を語ったが、ディルムッドは眉を顰めた。
「気配遮断だと……? 暗殺者が、自ら姿を晒したとでも言うつもりか?」
 男の出で立ちは見るからに暗殺者のそれではない。今のディルムッドのようにこの時代に溶け込む為に衣服を調達したというのならば説明は付くが、サムライと呼ばれる者の装束はこの時代においては発祥の日本でさえも極めて珍しいものである上に、何よりもこの男は着慣れている様子だ。元々の衣服に袖を通していると考えるのが自然だ。
「いや。今の俺は狂戦士(ばぁさぁかぁ)さ」
「……戯言を。バーサーカーが気配遮断は元より、理性を保つなどとありえまい」
 あっけらかんと自らの正体(クラス)を明かしたサーヴァントの言葉を即座に切って捨てる。セイバーやライダーならいざ知らず、正気を奪われ狂気に身を窶すバーサーカーを自称するなど、詐称でなければなんだと言うのか。
 ディルムッドからの険しい反応にも、バーサーカーを自称するサーヴァントは何ら悪びれた様子を見せない。
「信じぬも信じるも自由さ。まだ開戦前だしな」
「聖杯戦争だな?」
 素早く聞き返すと、やや間を開けてから自称バーサーカーは頷いた。
「その様子じゃ、情報が下りてないようだな。変な契約を結ぶから、らしいぜ、その不具合も」
 一瞬、何の事かと怪訝に思う。ディルムッドが参加した聖杯戦争でもあった、サーヴァントとして召喚された英霊に現世と聖杯戦争の基礎知識が自動的に与えられることを指しているのだろうか。
 やがて、そのことをそのように言うことの意味に気が付き、ディルムッドは静かに自称バーサーカーに詰め寄った。
「その口ぶり……。貴様、この聖杯戦争の首謀者の手の者か」
 この世界で聖杯戦争のシステムについて精通した物言いなど、それ以外にあり得ない。士郎とディルムッドの契約がこの聖杯戦争において最大のイレギュラーであることなど、他の何者に分かるというのだ。
「っと、いかんな。あんまり楽しみなんで、つい口が滑っちまった。まぁ、それぐらいはバレてもしょうがないか」
 自称バーサーカーはそう言って、後ずさってディルムッドから距離を置く。しかし、この程度の距離はディルムッドの間合いの内だ。槍は握らずとも臨戦態勢を整えて、自称バーサーカーとの話を続ける。
「俺に声を掛けたのも、この地に来たのも偶然ではあるまい。何の用だ」
 ディルムッドが問うと、自称バーサーカーはぐるりと首を巡らせ、周囲に目を向ける。
「場所を移す。どうにもこの時代の連中、武士に対しての遠慮ってもんが無いらしい」
 言われてみれば、人集りこそ出来ていないが、遠巻きに自分達に視線を向けている人間が複数いる。確かに、この状況で聖杯戦争の話というのはいかにも不味い。
「良いだろう」
 頷いてから、士郎に念話でこの事を伝えようかと考えたが、今はまだこの街の長との会談中の可能性がある。一先ず報告は話を全て聞き出してからにしようと決めて、ディルムッドは自称バーサーカーと共に世界樹前広場を離れた。









「ただいま」
 今日の予定を全て終えて、リヴィオは一足早く教会に戻って来た。本当ならヴァッシュと一緒に街の探索に行きたかったが、京都から荷物が届いているはずなので、それの確認をする必要があったのだ。
「どうだったかな? アルバイトの面接は」
 リヴィオを真っ先に出迎えた綺礼は、近衛近右衛門との会談ではなく別件のことを訊ねて来た。
 昨夜の食事の際に、この街に滞在する間も収入を確保したいということを士郎が零した際に、綺礼が懇意の喫茶店のアルバイトを紹介してくれたのだ。なんでも看板娘2人が進学を機に辞めてしまったということで、あちらも困っていたとか。そのお陰もあってか、そちらも首尾よくいった。
「ああ、上手くいったよ。特にヴァッシュさんと士郎さんが随分気に入ったみたいでさ、その場で合格になったよ。まぁ、俺は刺青が駄目だってことで裏方専門になったけどな」
 士郎は本物の貴族の下で執事のアルバイト経験があるとかでそこで培った技量を、ヴァッシュもこれまでの旅の中で飲食店での下働きの経験を存分に発揮して、そして誠実な人柄と明るく人懐こい性格を気に入られて、その場で合格となった。
 だが、リヴィオだけはこういった仕事の経験が無く、顔に刻んだ刺青にも難色を示されてしまい、持ち前の腕力をアピールして何とか裏方として合格を貰えた。ヴァッシュと士郎からのフォローも大きかっただろう。
「日本では、飲食店等の接客業で刺青は厳禁というのが一般的だ。寧ろ、雇ってくれたジョージ店長に感謝すべきだろう」
「勿論、そのつもりさ。ただ、看板娘2人がいなくなった代わりに入ったのが野郎ばかりだって、そんなことを嘆いていたみたいだけど」
 綺礼の言葉にリヴィオは素直に頷く。本来ならヴァッシュと士郎だけで足りる所をお情けで拾ってもらったようなものなのだ。感謝こそすれ、筋違いの恨み節をぶつける気など毛頭無い。
「仕方あるまいよ。ところで、他の3人は?」
 リヴィオが最後に冗談交じりに言った言葉に僅かに笑みを浮かべて、綺礼はまだ帰って来ない3人について訊ねて来た。それには簡潔に、要点のみを答える。
「ヴァッシュさんは散歩。士郎さんとディルムッドはネギに会いに行ってる。……そうだ、綺礼。俺に荷物が届いていないか? でかくて重いやつ」
 問うと、綺礼はすぐに首肯した。
「ああ、それなら君達の部屋に運んである。しかし、随分と大荷物だが……何が入っているのだ?」
 届いたのは、人間が丸ごと1人は余裕で入る巨大なケースだ。重量は中身も含めて1トンを超える。普通なら大人が10人がかりでも持ち運べないような物だが、リヴィオはこれを旅の荷物の1つとして持ち歩いていた。
 リヴィオがヴァッシュとの旅を――所属する宗教結社“ミカエルの眼”から課せられた最後の任務『ヴァッシュ・ザ・スタンピードの護衛任務』を請け負った際に、受領したものだ。
 この中に収められている物は――
「……俺の“十字架”だ」
「十字架?」
 ――証だ。掛け替えのない半身から託された、認められた、最強の証。そして、自分自身が未だ、血塗られた道を往く外道としての証。
 教義に則り迷える人を救い導く牧師としてではなく、教義に則り自らを一個の機能として完成させた処刑人としての一人前の証である、その十字架の名と姿を、願わくはこのまま封じたままであることを。
 部屋に戻り、ケースの中身を検めたリヴィオは、そう願わずにはいられなかった。









「士郎さん、お待たせしました!」
 ディルムッドから話を聞いていると、待ち人の声が聞こえて来た。ディルムッドからの報告は一時中断して、声の主へと振り返る。
「待っていたぞ、ネギ……と、君達も来たのか」
 そこにはネギだけでなく、神楽坂明日菜と桜咲刹那、そして近衛木乃香と京都の事件で関わった少女達の姿もあった。カモミールの姿だけ見えないが、別行動を取っているのだろうか。
「気になったから、来ちゃいました」
 明日菜に朗らかに笑いながらそう言われて、士郎はつい苦笑を洩らした。元より無かったとはいえ、こうも屈託の無い態度をされては咎める気も起きないというものだ。
「君達も無関係じゃないし……まぁ、いいか。その前に紹介しておくよ、形式的には俺の従者ってことになる、ディルムッドだ」
「久方振りだな、幼き勇者達よ」
 サーヴァントとしての兵装から現代風の衣装に着替えたディルムッドを、魔法使いの従者(ミニステル・マギ)として紹介する。マスターとサーヴァントの関係をこの世界の魔法関係者に分かり易く例えて説明するとそうなるから、まるきし嘘というわけでもない。また、ディルムッドを教会へ居候させてもらう時にもそのように説明していたから、今後はそのように統一しようという風にも決めていた。
「わぁ、えらい男前の人やなぁ」
「え、ええ。驚きました、こんなにも眉目秀麗という言葉が似合う方がいらっしゃるとは」
 伝説にも『輝く貌』と謳われる絶世の美丈夫を目にして、木乃香と刹那は素直にそのような言葉を漏らした。これで黒子の呪いが働いていたら、色々と大変だっただろう。特にディルムッドの心労が。
「もしかして……あの時、リョウメンスクナと戦っていた人ですか!?」
 すると、ディルムッドの顔を見ていたネギが、あの時のことを思い出したらしい。1カ月も前のことだ、思い出すのに時間もかかるだろう。
「ああ。あの時の君達の奮戦には、我が心を揺さぶられた。見事な戦いぶりだったぞ」
 ディルムッドからの惜しみない称賛の言葉に、ネギ達は照れ笑いを浮かべた。それから暫くは京都での事件、特にリョウメンスクナとの戦いのことで盛り上がった。そして、話がリョウメンスクナへのトドメに及びそうな流れになった所で、話を打ち切る。
「と、思い出話はこれぐらいにして、本題に移ろうか」
「はい。士郎さん、僕を弟子にして下さい!」
 言うや否や、ネギはすぐさま弟子入りを懇願して来た。その気勢に少々気圧されつつも、士郎は話を進める。
「戦い方が知りたいと言ってたけど、どうしてだ? 今の君は魔法先生で、基本的に戦う必要は無いだろう。それに、戦うばかりがマギステル・マギじゃないと、俺は思うんだが」
「そう言われてみれば、そうよね。どうしてよ、ネギ」
「確かに、先生って普通は戦わへんよな~」
「京都での事件などは特例中の特例ですからね」
 士郎がネギに戦う力を求める理由を問い質すと、明日菜達もその疑問に共感して一様にネギへと視線を向ける。昨日の反応からも察していたが、やはり彼女達もネギの真意を聞かされていなかったようだ。
 ネギは深呼吸をして、一度呼吸を整え心を落ち着かせてから、ゆっくりと話し始めた。
「僕は、立派な魔法使いじゃなくて……本当は、父さんに憧れていて、父さんのようになりたいんです」
 ネギからの返事に、士郎は昔日の光景を瞼の裏に思い浮かべた。しかしそれも目を瞬かせたほんの一瞬のことだ。
「ナギ・スプリングフィールド。消息不明の現代の英雄か」
「お父さんのこと、御存知なんですか?」
 ネギからの問い掛けに、士郎は苦笑混じりに頷く。ナギ・スプリングフィールドの名は、この世界に来てから一月と経たない内に耳にした。曰く、20年前の魔法世界での大戦を終結に導いた稀代の英雄、立派な魔法使いの鑑であり先駆者、千の魔法を操る最強の魔法使い、等々、武勇伝から噂まで、伝え聞いた話は数知れず。
 正直、ナギ・スプリングフィールドはこの世界で魔法に関わる以上、知らない方が無理だろうというぐらいの有名人だ。こういうことは当人や周りの人間には自覚が無いものなのだろうか。
「当然さ。魔法関係者でナギ・スプリングフィールドを知らない人間なんていないよ。それで、どうして……いや、君はお父さんのどういう所に憧れているんだ?」
 ネギからの問いに簡単に答えて、そのまま今回の核心を聞き返す。
 図らずも戦場に放り出され、自分自身と仲間が命の危険に晒された経験をして尚、自ら戦いへと飛び込んで行くという決意。その原動力が単なる思いつきやその場の勢いなどではなく、父への憧れだというのなら、まずはその中身を聞かなければならない。拒むにしろ、諭すにしろ、認めるにしろ、だ。
「実は、僕がまだちっちゃかった頃……」
「今でもちっちゃいじゃない」
「もっと小さい時だったんです! とにかく、その頃の話になります。……えっと、上手く話せる自信が無いので、直にお見せしますね」
 明日菜に茶々を入れられつつもネギは話を進める。直に見せると言うことは、精神感応の魔法を使うつもりだろう。話に夢中で周りが見えていないのか、ここが屋外で自分達以外にも人がいることを忘れているようだ。
 そのことを指摘するとネギは酷く狼狽したが、士郎はやれやれと苦笑を浮かべながら近くのベンチへと向かい、腰を下ろすとネギに隣に座るよう促す。これなら、長時間その場で固まっていても多少は不自然ではないはずだ。
「魔法を人目の多い場所で使うにしても、バレないように工夫すれば問題ないさ。それで、俺はどうすればいい?」
「あ、はい。それでは、僕と手を繋いでください」
 言われるまま、差し出された小さな手を掴む。緊張しているのだろう、ネギの手は微かに汗が滲み、筋肉も強張っている。
 いざ実際にネギの過去を見る段階になって、少女達が自分達も見たいと言い出したが、ディルムッドと共に、他人の過去など軽々に覗いて良いものではないと諭す。諭しながら、士郎は内心でディルムッドに詫びた。不可抗力とは言え、この1ヶ月で何度も彼の過去を覗いておきながら、それを本人に何も言っていないことを。特に――
「では、始めます」
 ――別のことを考えていた所へ、急に視覚が直接、魔力によって刺激される。ネギの回想が始まるのだと察した士郎は、素早く思考を切り替えた。



 英国はウェールズの片田舎。そこは小さいながらも魔法使いの集落であり、住む人は皆魔法使いやそれに纏わる人々だ。元気に走り回る赤毛の少年も同様で、今はまだ見習いでもないが、ゆくゆくは“立派な魔法使い”になってみせると心に誓っていた。その理由は、物心ついた頃から聞かされ続けて来た現代の英雄譚――顔も知らぬ実父の活躍と功績への尊敬と憧憬からだった。
 父がどれ程立派で偉大な人物だったか、少年は村中の人々や時折村を訪れる客人や旅人の口から聞かされ、その度に目を輝かせた。
 なんて立派な人だろう! なんてすごい人だろう!
 だが、少年はある疑問を持つようになった。子供は親と共に暮らすのが普通であると気付いた日、どうして自分は両親と共に暮らしていないのだろうか、と。
 そのことを一緒に暮らしていた老人に問うても、母のことは口をはぐらかされた。父のことについては“立派な魔法使い”としてここに戻る間もないほど忙しく世界中を飛び回っているからだと言うが、少年が、どうして? どこで? どこに? いつ? と問いを重ねてしまえば、やはり口を噤むかはぐらかされてしまう。それは従姉や村の人々も同様だった。
 望む答えが得られぬ中、少年は考え続けた。どうして父がここにいないのか、ではなく、どうしたら父が自分の下へ来てくれるだろうか、と。
 やがて少年は1つの結論を導き出し、その実践として真冬の池に飛び込むという自殺行為に及んだ。駆けつけた従姉や村の人々に「どうしてこんなバカなことを」と叱られると、震えて、少年は泣きじゃくりながら答えた。
 ぼくがピンチになったら、きっとお父さんが助けに来てくれる。
 少年の愚直なまでの一途さに、大人達は誰もが口を閉ざし、従姉は濡れた少年の体を抱きしめてやることしかできなかった。
 そんな出来事から暫く経ったある日、村に異変が起きた。少年が出かけた先から戻って来ると、村が炎に包まれていたのだ。何事かと少年が走り出し、従姉と老人の無事を確かめようと急いで家へと向かい、角を曲がると固い何かにぶつかった。
 それは、人間を精巧に模した石像のように見えた。だが、利発な少年はすぐに違うと気付いた。この石像はこの村の人と瓜二つなのだ。そして、石像の向こう側に見える光景が、否応無しに少年に現実を突き付けた。
 杖を手に、村の人々は戦っている。その相手は、一目で人とは違うと分かる異形の怪物――本物の悪魔の群れだった。悪魔達は魔法使いの抵抗を軽くいなして、石化の呪いをばら撒いて行く。呪いを浴びた魔法使い達は、成す術も無く石に変えられていく。
 逃げろと、誰かが叫んだ。それが自分に向けられたものかも分からないまま、少年は言われるままに逃げ出した。悲鳴や絶叫さえも絞り出せないほどの恐怖が、少年の身体を捕えようとしていた。やがて、少年は悪魔に追いつかれてしまったが、少年は石化を免れることができた。間一髪のところで、老人と従姉が助けてくれたのだ。
 老人は目前に迫っていた悪魔を特別な魔法道具を用いて封印することに成功したが、完全には間に合わず石化の呪いを浴びてしまった。少年を庇った従姉もまた、呪いに足を蝕まれてしまった。
 老人が完全に石と化してしまうと、少年は絶望のあまり叫んだ。とてつもなく深い後悔が、少年の心を苛んだ。
 これは、僕のせいなの? 僕が、ピンチになったらお父さんが助けに来てくれるって、そんなことを思ったから、こんなことになってしまったの?
 自分の身勝手な我が儘のせいで、目の前の悲劇が起こってしまったのでないか。そう思い込んだ少年は、従姉の言葉も耳に届かず、泣き叫んだ。
 それに応えるかのように、一条の雷光が辺りを貫いた。
 何事かと目を向ければ、雷が村を襲っていた悪魔の群れを薙ぎ払っているのだ。……いや、違う。あれは“雷の斧”という魔法で、それを操っているのは1人の男だ。村の魔法使い達が誰一人として敵わなかった怪物の大軍団を、たった1人の男が蹴散らしているのだ。
 機械仕掛けの神でも降臨したかのように急変する事態を、少年は絶望さえも忘れて呆然と見入っていた。
 ほんの10分たらずで、戦いは終わったようだ。すでに雷は止み、悪魔の声や気配も消えて無くなった。残ったのは、1人の男だけだ。
 不意に、男が風に吹かれたように少年の前に降り立った。男の力の強大さを目の当たりにしていた少年は、咄嗟に両手を広げて仁王立ちし、部分的な石化に苦しむ従姉を庇った。従姉は先程、自分を庇ったが為に苦しんでいる。ならば今度は自分の番だ、と。
 少年の行動を見て、男は一瞬目を奪われたが、すぐに笑みをこぼした。冷笑や嘲笑ではなく、屈託のない人懐っこい笑みだ。
 それでお姉ちゃんを守っているつもりかと、小馬鹿にされてネギはつい怒って言い返した。男は軽い調子で詫びの言葉を言うと、表情を変えた。懐かしく、愛おしいものを目にするような顔に。
「……そうか、お前がネギか。でかくなったな」
 これが、ネギと父――ナギ・スプリングフィールドの初めての出会いだった。



「これが、僕がお父さんに憧れている理由です」
 過去の回想が終わり、現実の時間へと五感が引き戻される。少女達が興味深そうに視線を向けて来るが、士郎は何の反応もしない。見せられたネギの過去を、士郎は黙ったまま自分の中で反芻する。それを、まだ納得していないと思ったのか、ネギが更に言葉を紡ぐ。
「……僕は、刹那さんやこのかさんが捕まってしまった時も、何もすることができませんでした。戦うこと以前に、怒ることも、驚くことも、泣くことも……。本当に、僕は何も出来なくって……」
 たった今士郎に見せた過去の自分と、あの時の自分とを重ねているのか、ネギの声は悔しさで震えていた。
「それが、僕は悔しいんです。あの時と違って、僕にはどんなに小さくても、何かができる力があったのに、それでも何一つ出来なかったことが、悔しくて、情けなくて……! だから、そんな僕を変えたくて……今度は、みんなを守れるようになりたくて……!」
 迸る感情の制御が利かず、言葉には力が込められるばかりで途切れがちになってしまう。だが、その込められた力――想いこそが大切なのだと、士郎は分かっていた。
「お願いです、士郎さん! 僕に戦い方を……いえ、僕をあなたや父さんのように、勇敢に戦えるようにしてください!!」
 繋いだままだった士郎の手を両手で力一杯掴みながら、ネギは士郎の目を真っ直ぐに見ながら懇願した。
 士郎は、自分の手を握る小さな手を見た。一体、どこからこんな力が出て来るのだろうか。とてもではないが、振り解ける気がしない。
「……やれやれ、参ったな」
「シロウ?」
 士郎が観念したように呟くと、ネギへの返事について事前に聞かされていたディルムッドが士郎の名を呼ぶ。予定とは違っていることに驚いているのだろうが、無理もない。自分だって驚いているのだ。自分と似たような体験を経て、父に憧れ、父と同じ道を目指す――そんな、自分のような子供が目の前にいることに。
「ネギ、俺も同じなんだ」
「同じ、ですか?」
 士郎が呼びかけると、ネギはオウム返しに聞き返して、手も放した。
 目の前の赤毛の少年に、まだ赤毛だった頃の自分を重ねて見ながら、士郎は少しだけ、ネギに自分の原点を語り始めた。
「俺も、今の君より少し小さいぐらいの頃に、死ぬほど恐ろしい目に遭った。その時に、その地獄から俺を救ってくれたのが、じいさん……俺の親父だったんだ」
 今でも忘れられない。黒い太陽によって齎された深夜の大火災。その地獄とも思えるような場所をさ迷い歩いて、一度士郎は死んだ。身体は辛うじて無事だったが、心が先に壊れてしまった。このまま身体も死んでしまうのだろうと諦めていた。そこへ現れ、救いの手を差し伸べてくれたのが、後に士郎の養父となる衛宮切嗣だったのだ。
 あの時のあの人の、どっちが救ってどっちが救われたのか分からなくなるような、泣きじゃくるような笑顔だけは忘れられない。きっと、永遠に。
「あの人に憧れて、あの人のようになりたくて、俺は親父に頼み続けた。俺にも魔術を教えてくれ、って。それで根負けした親父は、俺に魔術の手解きをしてくれるようになった。……君も、きっと同じだろう? ネギ」
「それじゃあ……!」
 切嗣への憧れが、士郎を“衛宮士郎”へと生まれ直させてくれた。きっとそれと同じぐらい、ネギにとって父との出会いは大切なもので、父への憧れも譲れないものなのだ。
 それが共感できてしまったのだから、断る理由は無いし、仮にこの場で断ったとしても根負けするまで頼み込まれ続けることが分かるのだから、断る気も起きない。
「昨日にも言った通り、魔法に関しては力になれそうにない。けど、それ以外のことなら、俺に教えられることは全て君に教える」
 士郎からの返事を聞くと、ネギは満面の笑みを浮かべ、ベンチから立ち上がって士郎に向き直り、深々と頭を下げて来た。
「ありがとうございます! これからお願いします、士郎先生!」
「先生なんか付けないで、今まで通りでいい。一緒に頑張ろうな、ネギ」
「はい!」
 士郎も立ち上がり、ネギに手を差し出してガッチリと握手を交わす。
 明日からは今まで以上に賑やかになりそうだ。いっそヴァッシュやリヴィオも巻き込んでみようかと考えた所で、急に不安が込み上げて来た。
「……魔法使いとしてよりも、戦士として完成しちゃったらゴメンな?」
「そ、それはちょっと困ります……!」
 顛末を見守っていた少女達はこれに大笑い。士郎からすれば真剣な悩みなのだが、そこはネギの頑張りに期待するということで決着した。





 意気揚々と去って行く少年少女達を見送って、ディルムッドは士郎に声を掛ける。
「良かったのか? 本当は、断るつもりだったのだろう」
「ああ。けど、本当に昔の俺にそっくりでさ。他人のような気がしないんだ。だから、あの子の力になってあげたい」
「そうか。……ならば、それでいいだろう」
 先程の決断について語る士郎の顔に、後悔などは一切見られない。ならば、他人が口を挟む必要はあるまい。士郎の指導を受ければ、あのネギという少年も立派な戦士として成長できるだろう。
「それで、聖杯戦争の件だ。どうだったんだ? バーサーカーとの話は」
 聖杯戦争について自ら切り出すと、士郎の表情からネギと話していた時の穏やかさは消え去り、険しい戦士の表情へと切り替わる。それに応えて、ディルムッドはバーサーカーを自称したサーヴァントから得られた情報を伝える。
「本来ならば契約した時点でマスターにもサーヴァントにもこの世界での聖杯戦争についての情報が与えられるようだが、俺達の契約はイレギュラーだったからな。その辺りの機能が上手く働いていないようだ」
 この話が真実であるか、ディルムッド達には確かめようがない。だが、この聖杯戦争の仕掛け人のサーヴァントと思しき者が直接伝えに来た情報だ。確度は高いと見ていいだろう。その点は士郎も同感のようで、素直に頷く。
「ある程度は思惑通りか……。それでアドバンテージを失ってたら意味が無い気もするけどな。他のも、重要度の高い情報から教えてくれるか?」
 得られた情報の内、どれが最も重要度が高いものかは、考えるまでも無くすぐに1つに絞れた。聖杯戦争において、時空を超えて集い唯一つの聖杯を求めて覇を競い合う古今東西の豪傑達――サーヴァントについての情報だ。
「現在、召喚されているサーヴァントは俺を含めて4人。埋まっている座はランサー、バーサーカー、ライダー、キャスターだ。その内、俺達を含めた3つにイレギュラーがあるらしい」


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