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[32494] 【習作・ネタ】腐敗都市・麻帆良(ネギま)【ヘイト注意】【完結】
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2020/03/01 01:07
『麻帆良学園都市』。埼玉県麻帆良市を包括する一大学園都市である。しかしその内実は、教育委員会・警察・裁判所・市議会までもが、テロリスト集団にしてカルト教団『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』により支配され、不正と汚職にまみれた腐敗の街だった。これは、法治国家・日本の警察官達の、カルトテロ組織との戦いの物語である。


 はじめまして。
 某所にて連載していたところ、諸般の事情により削除する事となった作品です。
 削除後はHDDの肥やしとして埋もれさせるつもりでしたが、最後まで書き上げたい気持ちと、最後まで読みたいと応援して下さる読者の応援により、移転を決意しました。
 こちらのサイトは、読み専で足かけ3年程お世話になっています。
 移転と言う事で、諸兄の中には不快に思われる方もいらっしゃると存じますが、今後ともよろしくお願い致します。


【諸注意】
 この作品は赤松健『魔法先生ネギま!』の設定と登場人物を多く流用しています。ただし独自設定の方が多いので、ご注意ください。

 メインとなるキャラは、山門敬弘『風の聖痕』シリーズの『警視庁特殊資料整理室』の面々+1になります。似たようなキャラの別人となっています。神凪や石蕗一族の名前は出るとしても、本人達の登場はなく、また『風の聖痕』の設定と深く被るストーリーにはなりません。

 林トモアキ『レイセン』シリーズ、『警察庁長官官房総務課特別資料整理室係』と同名の部署が登場します。名称のみの流用で、この作品のキャラは一切登場せず、業務内容は全くの別物になっています。

 この作品はフィクションであり、実在する人物・団体・建築物・宗教・事件等とは一切関係ありません。

 柳田理科雄の『空想科学読本』のようなノリを目指した作品です。

 『麻帆良ヘイト』になるので、原作準拠を期待すると、不快になると思われます。あらかじめご了承ください。

 それでは、よろしくお願いします。



※2012.03.28 まえがき&プロローグ投稿
        まえがき微修正
        プロローグ分割
        第一話投稿
 2012.03.29 まえがきとプロローグ再統合
        まえがき修正
        第二話投稿
 2012.03.30 第三話投稿
        まえがき微加筆、ネタバレ含むFAQ
 2012.03.31 第四話投稿
 2012.04.05 まえがき修正
        第五話投稿
 2012.04.09 まえがき修正、ネタバレ含むFAQ削除
        第六話投稿
 2012.04.12 第七話投稿
 2012.04.14 第七話修正
        第八話投稿
 2012.04.17 第八話加筆修正
        第九話投稿
 2012.05.18 第九話、タグミスで一行消えていたのを修正
 2012.05.23 第十話投稿
 2012.08.06 第十一話投稿
        第十話、誤字修正
        第十一話、話数抜けを修正
 2012.09.08 第十二話投稿
 2012.11.30 第十三話投稿
 2012.12.01 第十四話投稿
 2013.06.01 第十五話投稿
        第十四話、脱字修正
 2015.11.27 第十六話投稿
        第十三話、誤字修正
 2019.12.31 第十七話(最終話)投稿
 2020.02.29 エピローグ投稿





     ――――――――――

プロローグ 麻帆良事件・表


『麻帆良事件』
 二〇〇三年四月下旬、麻帆良学園都市を実効独裁支配していた麻帆良学園学園長、及び部下の教職員と生徒合わせ百余名が逮捕され、日本国憲法が制定されて初の『外患誘致罪』『外患協力罪』を適用、主犯格の五名が有罪、死刑判決を受けた事件である。主犯格の一部は海外へ逃亡、現在も国際指名手配中だ。

 これは同年に発生したアメリカの『ジョンストン事件』や、ウェールズの『一村失踪事件』『メルディアナ事件』他、世界先進諸国での同様の事件の先駆けとなったもので、その背景にあったのは、世界規模のカルト教団『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』の存在と、教団関係者による違法行為の数々に対するアンチテロ活動だ。

「世のため人のため、正義を成す人間となる」

 いかにも耳に心地良い教義でありながら、教団の実体は、教団の定める『正義』を示す暴力行為の肯定と、その過程での国家の法の否定、そしてそのための教育と訓練だ。

 事実、『メルディアナ魔法学院』を名乗ったウェールズの非認可校では、ウェールズ教育省の定める教育プログラムの半分も履修されていなかった。それどころか、十に満たない子供に火器の使用法や射撃訓練、薬物の製法を教え、教育法では十六歳までを義務教育と定めているにも関わらず、十二歳で卒業させた後は『修行』を称して労働義務を強いていた程だ。教員は全て教団の手配した人員で構成され、ウェールズの正式な教員免状を取得している教職員が皆無だったのは余談である。

 同じくウェールズで一九九七年一月に起きた『一村失踪事件』に到っては、教団員から成る人口百人弱の小村が一夜にして全焼。当時三歳の幼児一名を残し、村民全員が行方不明になる大事件を、教団内のいざこざが理由として、公の目から隠蔽したのだ。

 教団内部で起きた死傷事件を揉み消すのは、成否はいずれにせよ、どこのカルト教団でも共通の事象ではある。

 しかし事件発生とほぼ同時期に、イギリス全土に報道された『ウェールズ児童虐待スキャンダル』が、教団関係者のごり押しを許してしまった一因なのは事実であろう。七十年代八十年代のウェールズの多くの児童養護施設において、肉体的・精神的・性的な児童虐待が繰り返され、隠蔽されてきたとの調査報告が、このスキャンダルの概要であり、一般の施設では児童の心身の健康を守れないと、教団に主張する隙を与えてしまったのだ。以後の世代で繰り返させないための十年に渡る調査が、九十年代の児童虐待を隠蔽する引き金となったのは、何とも皮肉な結果である。

 ここまで極端な隠蔽は滅多に無いにせよ、このような教団の暴挙は枚挙にいとまがなく、現代の法治国家からすれば見逃せるものではない。二〇〇一年のアメリカで起きた『同時多発テロ』は先進国各国では記憶に新しく、第二第三の多発テロを警戒した各国司法機関で、教団排除の気運が高まったのは当然の流れだろう。

 その気運は、日本でも同じだった。
 ウェールズや他の地での教団は、隠れ里のように一般社会から隔絶されたコミュニティを形成していたため、『一村失踪事件』も隠匿されてきたのだが、日本で最大級を誇る学術都市『麻帆良』では事情が大きく異なっていたのもある。

 地下組織を自認していた教団は、麻帆良事件主犯の近衛近右衛門(このえ・このえもん)を長に据え、法人格を持たない『関東魔法協会』なる組織を設立。近右衛門の学園長の立場を利用し、教団員への便宜を色々と取り計らっていたのだ。いや、教団の影響力で近右衛門を学園長に据えたと言うべきだろう。

 近右衛門の教団員としての任務は、教団から派遣された不法滞在外国人に虚偽の戸籍を与え、教員として雇用。選別した一部の学生を教団に勧誘、戦闘訓練を行なうのを黙認、否、率先して指導する等だ。その際に発生する器物破損、人身傷害等の隠蔽処理も含まれる。

 その見返りが、近右衛門個人の口座に毎年振り込まれる数十億、時に百億円を越える活動資金だった。麻帆良学園の運営予算として計上されている額の数倍もの資金は、幾つもの海外口座から振り込まれていて、この一点だけでも、麻帆良学園都市が海外の組織により侵略済みであり、教団の隠れ蓑として機能していた事が伺える。

 その上、麻帆良学園都市の司法機関、つまり警察や裁判所等は、潤沢な資金と教団の影響力の前に機能停止させられていた。麻帆良事件と前後して、麻帆良市の警察官や弁護士・検事が大量に検挙され、麻帆良家庭裁判所の裁判官全員が弾劾裁判の後、罷免された事からも事態の深刻さが知れる。

 機能不全に陥った司法機関のうち、警察の代役を務めたのが、教団員の教師と生徒達だ。
 彼らは治安維持の名目の元、銃器・刀剣類を所持し、市内の不穏分子とたまたま敷地内に迷い込んだ市外住人へ、武力による鎮圧・逮捕・拘束・監禁・尋問を行っていた。尋問の際には何らかの薬物が使用され、違法に拘束された被害者の過半数は記憶障害すら起こしている。

 そして、教団の主観で『犯罪者』に仕立て上げられた被害者に判決を下し、刑罰を課すのは、麻帆良支配者の近右衛門だ。検事や弁護人はなく、教団関係者からの証言と言う一方的な裁判制度である。

 仮に無罪とされても、尋問に用いられたのと同じ薬物で記憶処理され、有罪の場合、悪ければ教団『本国』へ送致、改めて裁判にかけられる。行方不明者の一部は、そちらへ送られた事が確認されているものの、他の大多数の行方不明者の消息は不明なままだ。また、『本国』へ送致された拉致被害者の救済の目処も立っていない。幸運にも保護された被害者の中には、教団の定める『滅ぼすべき悪』認定され、本国送致の後に処刑される予定だった女子中学生もおり、処刑を免れる替わりの条件として、麻帆良に監禁され、強制的に治安維持に狩り出されていた。

 無論のこと、日本国の法律に照らし合わせれば、学園長が許可したからと言って教師が警察権を得られるはずがなく、学園長だからと言って裁判権が得られるものではない。そもそも教師と学園長――自称、警察と裁判官――が結託している時点で、一万歩譲っても司法組織として機能しているとすら言えない。学園長を含めた教師陣に、司法権が認められていないのは、言わずもがなだ。

 このような無法が常態化していたのが麻帆良であり、市外から派遣された捜査員が頭を抱えたのもやむなしだろう。

 捜査が進めば進む程、次々と出てくる違法行為の数々に、五月中旬に『国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約』が国会で承認されたのを機に、『関東魔法協会』は一九九五年の『オーム真理教』に続き、『組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律』の適用を受け、解散命令が下されたのだった。

 これにより、『立派な魔法使い』教団は日本国内での地盤を失い、同時に学園としての機能も大きく喪失した。「カルト教団の隠れ蓑」と言う風評被害の他、戦後六十年に渡るニセ教師の雇用による、数万人規模での単位不足学生の発生と学位の取り消し、それらによる麻帆良ブランドの価値の暴落、私立学校に義務付けられている最低でも理事五人と監事二人の役員の不備など、学校法人として致命的な問題が山積みで明らかとなったのだ。

 そこへとどめとなったのが、文部科学省からの組織改革と単位不足学生の救済案の提出命令だ。学園長を始め多くの教員が逮捕または強制退去となり、本来運営に関わるべき理事が居らず、逮捕されなかった教師も多くが退職、『関東魔法協会』の解散による学園の運営資金の不足等の状況で、学園の改革を計画できる人員がいるはずもない。

 結局、改革案の提出は出来ぬまま、同年十二月下旬、文部科学省は麻帆良学園に対し解散命令を発令。

 ……二〇〇四年三月末日をもって、麻帆良学園は明治中期からの一世紀以上に渡る歴史に、幕を閉じたのだった。






◎参考資料◎
・“1997: Carers Accused in Child Abuse Inquiry.” BBC News, January 21, 1997.
・赤松健作品総合研究所『魔法先生ネギま!研究所』
・首相官邸『私立学校の位置づけについて』
・文部科学省『学校法人制度の概要』
・“Lost in Care - The Wales Child Abuse Scandal and the Waterhouse Report”
・Wikipedia『国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約』
・Wikipedia『組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律』
・Wikipedia “Education in Wales”
・Wikipedia “Primary Education in Wales”
・Wikipedia “Secondary Education in Wales”




[32494] 第一話 特殊資料整理室
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/03/28 20:17
 片側二車線、計四車線の道を走り続けた終点は、高速道路の料金所を思わせる開閉バーと、青い制服に警棒とトランシーバーを腰に下げたガードマンの待ち受ける入場門だ。

 車を降り、受付にある入場申請書に所定の記入をする。所属、氏名、人数、訪問先、訪問先担当者名、用件、そして入場時間など。

 企業の工場や研究所の敷地に入る手続きとしては、おかしな話ではない。大企業でなくとも、受付ブースを備えるオフィスや飛び込み営業対策に、このような手続きを踏ませるところは珍しくない。

 しかし大概の場所では、敷地内に車を乗り入れるのは認めているものだ。それだけに、敷地外で車を降り、入場手続きを取らせるのは違和感を覚える。

 ダッシュボードに乗せるB五版のナンバープレートと、胸に付けるバッジをガードマンから受け取り、車に乗り込む。

 バーが上げられ、ようやく敷地内へ車を走らせる。

 入場してすぐさま目に入ってくるのは、ブルックリン橋を彷彿とさせるゴシック調の長大な吊り橋だ。公式な全長は報告されていないが、約一キロメートルと言われている。芝浦・お台場間を結ぶレインボーブリッジの全長が七九八メートルと考えれば、その長さの一端を実感できるだろう。

 これ程の橋の架けられている川の水量は豊かだ。

 日本最長で知られる信濃川は、江戸時代には川幅が八四〇メートルあったと言われている。現在でこそ川幅は三百メートルあるかないかに整備されているが、それでも平均流量は毎秒五一八立方メートル、流域面積は国内第三位の一一九〇〇平方キロメートルを誇る。

 さすがに日本屈指の信濃川と比較するのは酷であるにせよ、全長一キロ近い吊り橋の架かる水面の幅は、江戸時代の信濃川と較べても遜色のないものだろう。あるいは、橋のモデルの架かるイースト川か、レインボーブリッジの架かる東京湾か。

 奇怪なのは、これほどの水量の川と長大な橋が、世間ではほとんど認知されていない事だ。

 確かに、某所の敷地内である事を鑑みれば、認知度が低いのはやむを得ない……かもしれない。橋の建築費用にしても、その敷地を管理する組織が全額負担しているのならば、噂の端にもかからない……かもしれない。

 でも考えてみよう。
 これ程の水量だ。地理的には利根川水系の本流の一本と考えられる。が、それを示す資料は一篇もない。

 ダム建設の話も一度ならず出ただろう。が、明治時代まで遡っても、ダム建設が計画されるどころか、検討された形跡すらない。関東圏の水不足の深刻さは知れ渡っているのに、だ。下流域への水害対策も考慮すれば、検討されていないのは余りにも異質すぎる。

 これ程の規模の川となれば、一級河川の指定を受けているはず。が、一級河川リストにこの川の名前は無い。二級河川、準用河川ですらなく、河川法の適用を受けない普通河川として登録され、管理者は地元の市役所になっている。

 ブルックリン橋を模倣した橋も、おかしな点は多い。
 第一に、橋の竣工年だ。何年何月に定礎を築いたのか、その情報は橋のどこを見ても刻まれていない。

 第二に、橋の建設をどこが許可したのか、だ。一キロ近い長さからして、板切れ一枚渡して作れる代物でないのは明らかだ。となれば、建設の許認可は国土交通省になる。ところが許可印どころか申請書すら提出されていない。つまりは、無許可での建設と言う事なのだろうか。

 第三に、建設費用の出所だ。川を管理する市役所が捻出したと考えるのが順当だが、市が公開している範囲で、この橋の建設費は計上されていない。

 先に出たレインボーブリッジの建設費は一二八一億円、建設には六年かかっている。さすがにこれ程の費用がかっていないにせよ、一大事業であるのは間違いない。到底一私企業や一組織が、敷地のちょっとした整備の名目で捻出できる金額では済むまい。

 仮にレインボーブリッジの半分の費用と時間で建設できたとしても、その間における付近への経済効果は莫大だし、その影響は市の年次報告書に載って然るべきだ。なのに、その記載はどこを探しても見当たらない。

 そして最後が、これ程の橋の建設をどこが請け負ったのか、だ。河川の管理者が市町村にあるからには、橋の建設は公共事業だろう。公共事業には競争入札が義務付けられているのだが、調べられる範囲で調べた限り、競争入札が行われた形跡がない。

 『談合』……発注者と業者が結託し、競合を参入させなかった。そう疑ってしまうのは、うがち過ぎだろうか。

 談合の可能性に限らず、この吊り橋の建設に疑惑を持てば持つ程、不明瞭な部分が浮き彫りになってくる。この橋の建設に関わる計画、告知、予算、入札、資材、搬入、人件費その他、一切合財の資料の存在が確認できないのだ。少なくとも、合法的に閲覧できる資料の範囲では。

 ここまで辻褄の合わない現象を目の当たりにすると、ここが本当に日本国内なのか疑わしくなってくる。

 しかし、忘れてはいけない。まだゲートをくぐったばかりだと言う事を。
 異常な光景はまだまだ続く。

 ここは埼玉県麻帆良市、別名『麻帆良(まほら)学園都市』。
 そして橋の名前は『麻帆良大橋』。

 麻帆良学園都市の数少ない入口だ。

     ◇◆◇

 文書作成ソフトで作った文章をコピーし、『新規記事作成』で開いたスペースにペーストする。

 『確認する』ボタンをクリック。

 次いで現れた『記事確認ページ』に、今し方ペーストした文章が現れる。

 誤字脱字の有無を確認し、『保存する』ボタンをクリック。

 「保存は完了しました」のメッセージが出たら、自ブログサイトを開く。

 『俄か旅人漫遊記』が、ブログのタイトルだ。

 タイトルの下には、簡単なメッセージが添えられている。

「当ブログの記事が、当方の許可なく削除される事態が発生しています。運営会社に問い合わせたところ、運営会社では削除行為は行っていないとの確認を取っています。不正アクセス行為は犯罪です。警察に通報しました」

 本来ブログ内容を簡単に説明する場所にあるのは、そんなやや剣呑な一文だ。
 画面を僅かに下方へスクロールさせ、メッセージの下、『最新の記事』で先程の記事が掲載されているのを確認する。

 一通り記事に目を通し、内容の一部が欠落ないし改鼠されてないと確かめた後、『プリントスクリーン・キー』と備え付けの『ペイント』機能とを合わせ、画面を保存する。途切れた文章は、画面を下へスクロールさせ、その続きから画像として取り込み、保存する。

 五分程かけて計四つの画像ファイルを作ったら、『俄か旅人漫遊記』のタイトルにカーソルを合わせ、クリック。

 一瞬画面が暗くなり、ブログサイトの最新状態が現れる。

 たかが五分程度で、状態が変わるはずがない。管理人が更新や修正を行っていないのだから、変化があるとすれば閲覧者カウンターの数位だ。

 それにも関わらず、画面は一変していた。
 正確には、先程上げたばかりの最新記事が、綺麗に消えていた。
 ブログの説明にもあるように、何者かによりクラッキングされ、記事を消されているのだ。

 またやられたか、と内心で零しながらLANケーブルを引き抜き、『プリントスクリーン・キー』と『ペイント』を使い、変わり果てたブログの画像を保存する。

 今度は二つで済んだ画像ファイルの作成を終えたら、常駐ファイアウォールのコントロール画面を呼び出す。

 目立つIPアドレスは二つだけ。一つは現在使用しているアドレス。
 そしてもう一つは、不正アクセスを仕掛けている無法者のIPアドレスだ。ファイアウォールのバージョンアップを何度となく繰り返し、ようやく捕まえた尻尾だ。そう簡単に逃がしはしない。

 通信ログを出力し、テキストファイルで先の画像ファイル達と一緒のフォルダに保管する。

 最後に、外付けハードディスクをコンピュータ本体に接続、フォルダをコピーし、すぐに切り離す。

 コンピュータの電源を落とし、一連の作業は終了だ。

     ◇◆◆◇

 記事投稿から電源を落とすまでの、僅か十五分程度の一連の作業を終えると、石動大樹(いするぎ・だいき)はふうと息を吐いた。社会人としては褒められた態度ではないが、幸いこの職場でそれを咎める先輩や上司はいない。

 今年で二十三歳になる大樹にしても、社会人五年目にもなればその程度は理解している。うるさい上司がいるなら、態度を控えるだけの要領も弁えている。

「今日の分、終わりました」

 そう報告する大樹は、とても二十代には見えない。私服なら高校生と間違えられてしまう童顔の上、リクルートスーツを思わせる濃紺のスーツと、いかにも新社会人然の着こなせていない様も、見た目の若さに拍車をかけている。一ヵ月か二ヵ月、地方の研修所で合宿させる大手企業を除けば、新社会人達からはそろそろ固さが抜け始める時期なのに、だ。

 先輩達が出かけて閑散とした部署で、大樹の他に残っているのは、上座に座る部署長のみだ。

「そう。ご苦労さま」

 答える部署長はキーボードを叩く手を休めず、モニターの陰から顔を覗かせる事すらしない。ひっつめ髪の団子が、モニター越しに小さく揺れている。

 と、不意に大樹の左手の空席のプリンターが、きりきりと音を立てた。水性インクのプリンターは部署内に三台あるが、油性インクのプリンターはこれ一台だ。

「石動君。悪いけど、取ってもらえる?」

 モニターの横から顔を覗かせたのは、二十代半ばのどこか妖艶さを湛える女だ。化粧は薄いのだが、元の色白さもあり唇の紅がやけに映える。初心な学生辺りなら、色香だけで簡単に落とせそうだ。

 もっとも、大樹にセクハラを避けようと言う意識以外、同じ職場の人間に異性を意識する感情は一片もない。部署内恋愛を否定するつもりはないが、仕事中にそういう感情を持ち込む未熟者でもない。

 印刷された用紙を引き抜き、ページ順に並び替えた大樹は、一番上のページをちらと一瞥して眉根を寄せた。

「ようやく計画の実行ですか」

 大樹がこの部署に異動してから一年、部署長の『計画』にかける並々ならぬ意気込みは、身を持って教えられている。

 青写真そのものは、彼女が部署の責任者を引き継ぐ以前から温めていたそうだ。そして部署の引き継ぎ後に計画を立案、提出した企画書は何度となく却下されている。それでも懲りずに修正に修正を重ね、日常業務の傍ら各方面に相談や根回しをし、許可の下りたのが半年前。

 その後も人材の確保や下準備に時間を費やし、ようやく日の目を見る目処が立ったのだ。

 一見クールな上司が、内面にどれ程の情熱を抱いているのか、大樹には想像もつかない。

 大樹からプリントを受け取った上司、橘霧香(たちばな・きりか)は、僅かに口元を綻ばせた。

「ええ。ようやく……ね」

 霧香の口元は小さく笑みを浮かべていても、目は全く笑っていなかった。それどころか、 一枚目のトップにある『捜索差押許可状申請書』というやや剣呑な文字を、親の仇を見るような眼で睨みつけている。

 捜索差押許可状、俗に言う『ガサ入れ』の時に提示する令状の事だ。『強制捜査令状』と呼ぶ向きもあるかもしれない。霧香の部署では、本来、作成するはずのない申請書だ。

 『警視庁特殊資料整理室』が正式名称のこの部署では、都内百二の警察署と二五五の駐在所から寄せられた保管期間切れ間近な資料、窃盗から殺人まで各種事件の支離滅裂な証言資料や、時効となった事件の資料等、廃棄寸前資料が保管・管理されている。

 確かにこれでは、捜査権を行使する機会はないだろう。

「……本当は管轄外だから、この手は使いたくなかったんだけど……」

 所轄署が役に立たないから、という言葉を霧香は飲み込んだ。
 大樹もそれは心得ており、怪訝な顔一つ見せずにいる。

 警察署だけではない。市役所、市議会、簡易及び家庭裁判所、教育委員会その他諸々、街を運営する全ての司法・行政機関が、かの街では一人の人物と配下の組織に支配され、傀儡となっている。

 当然、彼の息のかかった犯罪は、事件そのものが揉み消され、表に出る事はない。しかも人の出入りは厳しく管理され、内情もなかなか伝わってこない。夜闇に紛れて潜入しようとしても、訓練された武装集団に迎撃される。警察官と身元を明かしても結果は変わらない。

 これ程の無法をまかり通し、メディアに名前すら載らないアンタッチャブルに、一地方の警察では太刀打ちできないのは、半ば道理だろう。外国から潤沢な援助を受け、その資金で市の上層部を懐柔し、購入した銃器を子飼いの部下達に支給しているのだから。

「ようやくこれで、僕はこの作業から解放ですね」

 電源の落ちたモニターを、大樹は人差し指でとんとんと叩いた。
 証拠集めのためとは言え、ブログを幾つも開設したのは精神的に堪える。不正アクセスされ、削除されると分かっていただけに、その心労はなおさらだ。

「そうね。これ以上は不要かしら」

 霧香は同意すると、申請書をめくり中身を推敲した。

「麻帆良学園大学部のコンピュータから不正アクセスが行われ、ネット掲示板、ホームページ、ブログ記事が消去されている。証拠隠滅の防止と証拠品の確保のため、捜索差押の許可を申請する」

 要約すればこのような内容だ。その他に、大樹の作ったブログが削除された画像や、アクセス解析、IPアドレスのログ等のデータが資料として添付されている。全部で十枚を少し超える量だ。

 後はこの申請書を、所轄署の担当者が所轄の裁判所に持ち込めば、ほぼ確実に令状は発行される。
 ……はずだ。通常ならば。

 しかし所轄の警察署と裁判所は、麻帆良学園を隠れ蓑にする犯罪者集団に完全に抱き込まれている。『不正アクセス禁止法』違反の捜査といえども、許可状が下りるどころか、申請書の提出すらしないだろう。

 それは霧香だけでなく、『資料整理室』の面々及び計画に参加する他のグループも承知の上だ。だからこその『計画』だ。

 霧香の計画。
 そう難しい目的ではない。
 麻帆良学園都市に巣食い、教育者面した犯罪者達を燻り出し、法の裁きを受けさせる。

 警察官として当然の話だ。

 犯罪者達の首領は近衛近右衛門(このえ・このえもん)。麻帆良学園では学園長の肩書きを持つ人物だ。

 そして組織の名は『関東魔法協会』。外国の政府から資金を受け、日本の領土で軍事活動を行う売国の徒の組織だ。

 時に、二〇〇三年四月十五日、二十時五分。

 麻帆良学園都市では、年に二回のメンテナンスが始まったばかりだった。






◎参考資料◎
・お台場百科事典『レインボーブリッジはどんな橋?』
・警視庁『不正アクセス』
・Wikipedia『風の聖痕』
・Wikipedia『河川法』
・Wikipedia『カルテル』
・Wikipedia『市町村道』
・Wikipedia『信濃川』
・Wikipedia『捜索』
・Wikipedia『利根川』
・Wikipedia『不正アクセス行為の禁止等に関する法律』
・Wikipedia『ブルックリン橋』
・Wikipedia『令状』
・Wikipedia『レインボーブリッジ』




[32494] 第二話 麻帆良大停電
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/03/29 20:27
 三分の二に欠けた月が照らす光の下。
 明かり一つ灯らない街の上空に、二つの人影があった。
 十歳前後の子供が二人、一人は木の棒にまたがり、もう一人は長い髪とマントをたなびかせ空を舞う様は、どこか幻想的な眺めだ。

 二人の周辺に起きる災害に目を瞑るなら、だが。

 戯れる子供二人の間には、間断なく光が煌めき、氷塊が飛び交っていた。
 その余波を受け、建物の窓ガラスは砕け散り、路面のアスファルトは抉れ、街灯や電柱はへし折れと、破壊の爪痕がそこかしこに刻まれていく。

 無差別テロを思わせる無秩序ぶりと破壊と爆音の規模でありながら、何事かと顔を覗かせる住人が一人もいないのが不気味だ。いなければいないで幸い、ではある。万が一巻き込まれようものなら、無事では済まないだろうから。

 これ程の被害だ。修繕費用は相当な額になるだろう。

 しかし、住人への迷惑も修繕費の工面も知らぬとばかり、子供達は街中を通り過ぎると、ブルックリン橋を模倣した麻帆良大橋へと飛び去って行った。

 今度は橋を落とすつもりか。

 遠目で二人を観察していた三人組は、表面上は冷静な仮面を被ってはいたものの、内心穏やかではなかった。子供が空を飛ぶ非現実な光景に、街が破壊されていく様を、指を咥えて眺めるしかない事に、街の破壊活動から二時間以上経過しても警官一人現れない異常さに、内情は様々に入り乱れている。

「……あれが……魔法使い……『英雄の息子』かい……」

 怨嗟のこもった暗い声音で、二人いる女の片方が呟いた。双眼鏡を顔に当てているため顔の造形は不明だが、首の後ろでポニーテールに結わえた尻に届く長髪が特徴的な女だ。双眼鏡と眼鏡のレンズがぶつかり、カチカチと小さな音を立てている。

 その双眼鏡が、女の手の中でミシリと嫌な音を立てる。

「落ち着いて下さい、天ヶ崎さん」

 もう一人の女が、二歩後ろから声をかけた。こちらは髪が軽く肩にかかる程度のショートカットで、やや目尻の吊り上った性格のきつそうな容貌だ。歳は二十代前半と言ったところか。かけた声音も、見かけ通りに硬い。

「……分かっとる、分かっとる。暴走はせえへんよ」

 天ヶ崎と呼ばれた女は、食い縛った歯の間から辛うじて声を絞り出すと、強力な磁力に抗うかのように双眼鏡を顔から引き剝がした。本来なら美人に分類される面立ちが、親の仇を睨む怨念の宿る目つきで台無しになっている。視線は相変わらず、子供達のいる方角に固定されたままだ。

 いや、事実、彼女、天ヶ崎千草(あまがさき・ちぐさ)にとり、魔法使いは両親の仇だ。魔法使い同士の戦争のあった二十年前、彼女の両親はその戦争に巻き込まれ、帰らぬ人となったのだ。街を容易に破壊する魔法を戯れで連発する魔法使い達に、隔意や敵意を抱くなと言うのが難しい。

 ましてや、飛び交っている子供の一方は、その戦争で『英雄』と讃えられるようになった人物の息子だ。自分の両親がその戦争で殺され、家族を奪われたのに、奪った側の魔法使いは家庭を築いている。八つ当たりや逆恨みの類と自覚していても、遣り処のない憎悪や憤怒に胸が焦がされる。

「……そう。なら良いです」

 ショートカットの女、倉橋和泉(くらはし・いずみ)は千草が自制に努めているのを確認すると、鋭利な視線を子供達のいる方角へ戻した。と言っても、千草が双眼鏡を使って監視する程に距離があるので、肉眼で見えるのは元の暗さと相まって、チカチカと不規則に明滅する光だけだ。

「志門さん、そちらは?」

 前方から目を逸らさず、千草の隣でビデオカメラを回す最後の一人に声をかける。

「ああ? まあ、うまく撮れているんじゃないか?」

 華奢な三脚に乗せたビデオカメラから目を離さず答えたのは、 志門勇人(しもん・ゆうと)という名前だ。距離があるのと光量が少ないせいで、口で言う程に撮影が順調でないと、不機嫌な口調から察せられる。

 それと、この場にはいないがもう一人を加えた四人が、特殊資料整理室の派遣した今回の『麻帆良大停電』の偵察隊だ。

 ただし千草だけ、現在の所属は『警察庁長官官房総務課特別資料室係』、通称『心霊班』になっている。都内が管轄の警視庁所属では、埼玉県内にある麻帆良での活動に支障があるための、一時的な措置だ。また、麻帆良市警察署を弾劾する権限を得るためでもある。

 偵察と言っても、着用しているのは普段のスーツではなく、警察官の制服だ。警察官と分かれば魔法使い達も攻撃を控えるだろうと、淡い期待を込めてのものだ。千草と和泉がスカートでなくスラックスを履いているのは、屋外活動と言う理由の他、四月中旬の真夜中の冷気に対応するためだ。

「しっかりしい? あんさんの腕次第で、証拠が一件増えるんやからな」

 幾分口調に硬さが残っているものの、いつの間にか落ち着きを取り戻し、双眼鏡を再び覗き込んでいる千草だ。

 世が世なら両親の復讐に目が眩み、見境のないテロリストへの道を歩んでいたかもしれない。魔法使いの好き勝手し放題の現状を知り、警察官という選択肢の機会を得、道を踏み外さずに済んだのだ。

「へいへい」

 カメラから目を離さずに、勇人は気だるげに手をひらひらと振った。傍目には真剣さが微塵も感じられないが、やるべき仕事はきっちりこなす男だ。本人曰く「肩肘張ったって良い仕事はできない」

 確かに正論を含んでいる。しかし日頃の言動が社会人としてどうか、というレベルに劣化しているのだから問題だ。それが原因で、真面目が売りの部分のある和泉が、苦情を並べ立てるのが資料室の日課に近い。

 だが、ここは麻帆良学園都市。世間一般の常識と、日本の司法権力が通用しない無法の街だ。そんな敵地においては、さしもの和泉も同僚の無作法をとやかく言ったりしない。

 しばらくの間、三人の間に無言の時間が流れた。

 その間にも千草の双眼鏡の向こうでは、麻帆良大橋が少年少女の魔法により半壊していった。

 それでもなお、麻帆良警察署に動きは見られない。パトカー一台、警官一人現れる素振りすらない。

「職務怠慢もいい加減にせいよ……」

 千草の呟きは、同じ警察官としての憤慨か、魔法使い達に好き勝手される街への憐憫か。

 もっとも、麻帆良市警に動きがないのは、怠慢だけが理由ではない。

<認識阻害の結界>

 異常を異常と、安全と危険を判別する悟性が、『麻帆良学園都市』全体に張り巡らされた魔法により、狂わされているのだ。言うなれば、本人が自覚できない程度の軽い酩酊に近い状態に置かれ、正常な判断能力を奪われている状態だ。

 ただしこれは、本人に酔わされた覚えが無く、車の運転中に人を轢殺しかけても笑って済ませてしまうような、道徳心や罪悪感、遵法意識すらも曖昧にしてしまう凶悪な代物だ。加えて、血液・尿・呼気検査等の既存の検査では異常が検出されないだけに、下手なアルコールや薬物よりも性質が悪い。

 千草達三人が<認識阻害の結界>の影響下にないのは、それの存在を知り、あらかじめ対策と訓練を講じているからに他ならない。

 そのうちにも、これが締めとばかりに少年少女は対峙し、雌雄を決すべく互いに魔法を放った。雷と氷の嵐がせめぎ合い、僅かな均衡の後、少女を吹き飛ばす。

 どのような魔法の効果によるものか、少女の衣類はマントを残し弾け飛び、夜目にも白い裸体が晒される。

「……撮影は続けます」

 カメラから目を離さず、食い入るように身を乗り出す勇人に、背後の二人が刺すような視線を向けるが、止める発言はしない。

 少女は橋の欄干を越えた空中で体勢を立て直すと、力を使い果たして両膝を着いた少年を見降ろし、二言三言言葉を投げかけていた。察するに少年への勝利宣言だろう。

 少女は両手を振り上げ……。
 次の行動は、突然戻った街灯の明かりに妨害された。

「何や。予定より早いんか」

 千草は双眼鏡から目を外すと、さざ波のように広がる照明に目を狭めた。
 時間を確認すれば、二三時五五分。メンテナンス終了予定は二四時。予定より五分程早い。が、早い分には誤差の範囲内だろう。

「……いや。『英雄の息子』を勝たせるための小細工やろうな。ほんま、虫酸の走る連中や……」

 苦虫を噛み潰した顔で千草は吐き捨てた。

 『英雄の息子』など、日本においては『十歳未満の外国人の少年』一人分の価値しかない。

 それが何を考えてか、麻帆良学園都市では見ての通りの放置振りだ。『英雄の息子』に魔法使い達が寄せる期待の程など、魔法使いならぬ身では知りようもない。しかし破壊活動を黙認する態度から、法治国家である日本にとり、許容できるものでないのは確かだ。

 治安維持の公僕として、現行犯逮捕すべきと喉元まで出かかる思考を、千草は何とか飲み下した。深呼吸を二回し、気持ちを落ち着けてから、二人に顔を向ける。

「さ。そろそろ撤収しよか」

 千草が声をかけるまでもなく、勇人は撮影を終えたカメラをしまい、和泉は携帯無線機で県警に応援の要請を行っていた。県警を通じて麻帆良警察署を動かす腹で、これで麻帆良警察署が動けば良し、動かないならば、撮影した映像を怠慢と癒着の証拠にして、『関東魔法協会』諸共に潰すだけだ。

 と、和泉の手元でガチリと金属の食い込む音が鳴った。

「伏せて!」

 事態を真っ先に把握したのは、半壊した無線機を手にしていた和泉だった。狙われたのが自分なのか無線機なのかはともかく、狙撃されたのだと理解するのに時間はかからない。

 後の反応は、訓練と経験の賜物だ。
 和泉の声に、千草と勇人も瞬時に地に伏せ、次の狙撃に備えた。
 銃声の聞こえない所から、よほど彼我の距離が大きいのか、消音器を使っているのだろうと推測する。

「……停電が終わると同時に狙撃するなんて、どんだけ頭がいかれとるんや。つうか、通信、傍受されとるんやないやろな!?」

 いわゆる『麻帆良学園都市』外周には、侵入者対策におびただしい数の監視カメラが設置されている。それらのどれかに姿を捉えられたにしても、一千や二千では効かない数に上るカメラから、停電からの復帰直後に三人をピンポイントで発見するなど、数千分の一の確率なものだ。

 考えられるのは、和泉の警察無線を傍受、そこから現在地を割り出し、狙撃した可能性だ。

 しかし三人が携帯する通信機は、今年から導入の始まった新型デジタル無線のAPRシリーズだ。これは一九九〇年から警察で使用していたデジタル無線形式『MPR』の老朽化に伴い入れ替えられたもので、早々には復号(デコード)できないはず。

 それが早くも傍受されている可能性に、千草が愚痴を零すのも無理はない。

「威嚇のつもりかもしれませんよ?」

 勇人のずれた気休めに、千草と和泉は反論しなかった。警察官であれば、威嚇は頭上の空へ撃つものだ。万が一にも、何かに命中させる訳にはいかない。

「連中の思考の分析は後にして下さい。まずはここから引き上げましょう」

 冷静な和泉の指摘に、二人に否やは無かった。
 顔に当てた無線機を狙い撃つのだから、服装から警察官と判別しているはずだ。それでも発砲してくれば、これはもう確信犯と断定できる。

 二射目が来ないのを幸い、身を低くした姿勢で車を置いた方向へ移動を始める。無線機を破壊された和泉に代わり、千草が応援を求めるのも忘れない。

 だが、無難に乗ってきたパトカーに辿り着けたものの、三人が気を抜ける状況にはなかった。

 車上の赤いランプやヘッドライトすら灯していないパトカーの運転席のドアは開け放たれ、その下にはうつ伏せに倒れる警察官が一人。

「熊谷はん!?」

 千草が駆け寄ろうとしたところへ、三人の進行方向から小柄な人影が飛び出し、銀光が煌めいた。

     ◇◆◆◇

 警察官ならば見逃してもらえるだろうという期待が、灼熱地獄に放り込まれた雪玉の寿命並に儚いものだと突き付けられるのは、決して幸運な事ではない。

 こと、撤退を妨害する敵性戦力が、他人を傷つける経験に豊富で、小型拳銃と警棒しか武器を認められていない警察官三人を合わせたよりも実力が上で、その使用は最終手段と制限のある警察官と違い、遠慮手加減をする意図がなく、なおかつ先制攻撃を仕掛けてきた場合、なおさらだ。

 銀光の正体が、野太刀と呼ばれる大振りの日本刀が街灯を照り返したものだと三人が気付く前に、千草の無線機は二つに断ち切られ、千草自身腹をしたたかに打ち据えられ、呻く事もままならずに崩れ落ちていた。

「……え?」

 そんな間の抜けた声を和泉が発した時には、野太刀の切っ先は勇人の喉元に突き付けられていた。

「動くな!」

 一喝したのは小柄な少女だった。サイドテールにまとめた長い髪に、幼い顔立ちに似合わぬ鋭い目つき。小豆色のブレザーとチェック地のスカートからするに、麻帆良の学生だろう。容姿からして高校生には見えず、おそらくは中学生だろうか。

 身の丈四分の三程もある野太刀を握る女子中学生が、自分よりも上背のある警察官三人を恫喝する。

 端から見れば実にシュールな光景だ。

「こんな実力で侵入するなど、舐められたものだな!」

 侮蔑すら含む口調の少女に、勇人と和泉は返すべき反応に迷った。深夜十二時過ぎに未成年者が徘徊している事、警察官に躊躇いなく暴行を加える事、警察官を前に刀剣を振り回している事、麻帆良をどこかの領土と見なす発言をしている事、指摘したい箇所がありすぎて言葉が出ない。

「それとも、警察官の恰好をすれば、見逃してもらえるとでも思ったか?」

 もう一点追加、ニセ警察官と誤解している事も、だ。

 四人が乗ってきた車は、上半分が白、下半分が黒に色分けされたツートンカラーの『レガシー』だ。車体横と後部には『警視庁』と『POLICE』の文字が大きく書かれ、車体の屋根には赤色警光灯も付いている。

 それを見てもニセ警官と断じる少女に、知能に問題ありと偏見を抱いてしまうのは間違いだろうか。

「……本物の警察官なのだが?」

 いつ次の狙撃が来るか、激昂した少女が勇人の首を刎ねないか、不安と心配が胸中を巡る中、和泉は慎重に言葉を選んだ。勇人は刃先を喉に突き付けられ、千草は身体を丸めて蹲ってと、どちらも少女に返答できる状態にない。

「それに侵入も何も、昼間に正面から堂々と入っている」

 警察官の制服で行動する以上、こそこそと隠れ潜んで侵入する訳にはいかなかったのだ。公務と言う名分もある。

 しかしそんな公権力の威光が麻帆良の魔法使いに通用しないのは、身を持って体験させられている所だ。

「ふざけるな! ただの警察官が、こんな所をうろついているはずないだろが!!」

 少女の怒声は、魔法の存在を知らなければ、意味を理解できなかっただろう。

「……どういう事だ?」

 予測はできても、確認の言葉は口にしない。大方<認識阻害の結界>か、警察も懐柔済みと言う事だろう。

 感情のまま何か叫ぼうと口を開きかけた少女は、途中思い直したのか、頭を振って冷静になろうと努めているようだ。

「とにかく! お前達には色々と聞きたい事がある! おとなしくしろ!」

 少女の要求、と言うか威嚇は、本来であれば和泉達警察官の側が告げる内容だ。少なくとも深夜を徘徊する未成年者が、日本刀を振り回して警察官に迫る言葉ではない。

 それがまかり通ってしまうあたり、麻帆良の常識は日本の非常識、と言うところか。

「おとなしくしろ? ……それはこちらのセリフだ」

 緊張で背中を滴る汗の嫌な感触に、内心気持ち悪さを覚えつつも平然を装う和泉に、少女は怪訝そうに眉根を寄せた。

「何を……」

 その後の言葉は、不意を衝かれ吐き出した息に取って替わられた。
 蹲った姿勢から、千草が少女の両脚にしがみついたのだ。

 千草を切り捨てようとする少女の右腕を、野太刀が首筋を軽く切り裂くのも構わず、勇人が飛びかかって抑える。
 和泉は左腕だ。

 両脚の動きを封じられ、両腕を掴まれた少女は、大人二人分の体重に耐え切れず、路上に倒れた。

「ええいっ、放せっ!」

 三人の拘束を振りほどこうと、喚き暴れる少女の左腕を引き延ばすと、和泉は手錠を取り出した。

「銃砲刀剣類所持等取締法違反と、公務執行妨害の現行犯で逮捕します」

 手錠を開き、少女の左手に嵌める
 相手がおとなしくしていれば、本来手錠をかける必要はない。しかも規則上、アメリカのように後ろ手に拘束できないし、テレビドラマのように手首の上からガチャリと簡単にかけられるものでなく、手首に食い込む程きつくもできない。野太刀を振り回す障害にはなり辛いかもしれないが、両腕を振り回すのを防ぐ役には立つ。

 そして何より、酷な表現をするなら、相手に逮捕されたのだと自覚させ、心を折る効果がある。

 案の定、自らの左手に嵌められた銀色の金属環に、少女は一瞬であれ目を奪われ、動きを止めた。その隙に勇人が野太刀を引き剝がし、我に戻った少女が暴れ出すにも構わず、右腕にも手錠を嵌めてしまう。

 ここに到り、ようやく少女は暴れるのを止めた。乱れた息遣いからするに、疲れただけかもしれない。

 息が乱れているのは、警察官三人にしても同じだ。自分達が怪我をしないよう、なおかつ刃物を振り回す相手を傷つけずに取り押さえるのだ。心身的な負担は大きい。

「……天ヶ崎さん、大丈夫ですか?」

 どこか呆然とした表情の少女を立たせようとし、未だ両脚にしがみついた千草に気付いた和泉は声をかけた。

「あんま……大丈夫やないな……」

 千草の声に力が籠っていないのは、疲労だけが理由ではない。額に滲む脂汗が、少女に打たれた腹部の痛みの強さを語っている。

「その喋り方! 貴様ら、やはり関西の回し者か!!」

 先程の侮蔑から一転、憎悪を込めて睨みつけてくる少女に、冷めた視線を三人は向けた。正確には、刃物で切りかかってきた無法者を見る目、そのものだ。

 勿論、彼女の怒声に誰も答えない。
 麻帆良の魔法使いに関する知識があれば、彼女が敵意を示すのも頷ける。

 魔法使いの組織『関東魔法協会』が、目下攻略対象と設定しているのが、京都に拠点を置く『関西呪術協会』である。関東魔法協会の会長、近衛近右衛門の生家であり、関東が魔法使いからなる組織であるのに対し、関西は対照的に呪術師を擁する組織だ。

 ただし関東側の取る手段がまっとうでないのは、千草の京訛りに過剰に反応するところからも、魔法使いにとり都合の良い情操教育を行っている事が見て取れる。

 だからと言って、魔法使いの犠牲者である少女に同情し、開放したりはしない。野太刀を振り回すなど、見逃すには大きすぎる犯罪行為だ。

「……立つんだ」

 両手首に嵌った手錠を腰に紐で縛りつけた和泉は、少女の左腕を掴んで立たせた。

     ◇◆◆◆◇

 四人目の警察官、熊谷由貴(くまがい・ゆき)は幸い軽傷だった。野太刀の峰で額と首の後ろを殴られ、昏倒させられたのが経緯の全てだ。もっとも、殴られたのが頭なだけに、後日精密検査を受ける事にしている。

 何らかの格闘技をしているようなごつい体格に、二メートル近い巨躯の由貴を、野太刀を持っていたとは言え、身長一五〇センチ程の女子中学生が叩きのめしたのだから、警察官三人相手に啖呵を切った時と同様、さぞかしシュールな光景だっただろう。

 麻帆良全域に張られた<認識阻害の結界>により、正常な判断力を奪われた住人から見れば、笑い話の一つになる光景かもしれなくても、それは結局のところ、少女の罪状が一件追加されるにすぎなかった。

 魔法使い達の工作だろう、一向に現れない麻帆良市警の応援に歯軋りし、いつ再開されるか知れぬ狙撃と、少女を救出すべく駆けつけるだろう応援の魔法使い達に戦々恐々としながら、それでもどうにか無事に麻帆良市警察署に到着できた四人は、ほっと胸を撫で下ろしたものだった。

 少女の身柄を麻帆良署の警察官に引き渡した後、四人は小さ目の会議室を借りると、そこへ足を運んだ。既に時間は深夜の一時をとうに回り、辻斬り少女の拘束の件もあり、心身共に疲労していても、魔法使い達の次の手が読めない以上、時間に余裕はないと見るべきだろう。

 特殊資料整理室の面々の長い夜は、すぐには終わらなさそうだった。







◎参考資料◎
・教えて! goo『刑事・警察官が被疑者を逮捕する時、手錠のかけ方の違いですが、通常逮捕の』2010年9月27日
・Wikipedia『風の聖痕』
・Wikipedia『警察無線』
・Wikipedia『公務の執行を妨害する罪』
・Wikipedia『銃砲刀剣類所持等取締法』
・Wikipedia『逮捕』
・Wikipedia『手錠』
・Wikipedia『日本の警察官』
・Wikipedia『パトロールカー』
・Yahoo 知恵袋『日本警察の手錠の掛け方で質問です。』2010年5月15日




[32494] 第三話 麻帆良流少年刑事事件判例
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/03/30 21:08
 ノックをし、入室を促す声が戻ると、ドアを開ける。

 ドアと向かいの反対側、企業の重役が使うような重厚な机に座るのは、頭の半ば以上禿げ上がった五十代と思しい男だった。仕立ての良いスーツの襟に輝く、白地の八咫鏡(やたのかがみ)の中央に『裁』の金文字を配したバッヂから、この人物が判事だと知れる。

 場所は麻帆良市家庭裁判所、一判事の事務室である。

「失礼します。警察庁長官官房と警視庁のお二方に来ていただきました」

 麻帆良署警察官の一人の前置きに続き、入室した千草と由貴も、それぞれの自己紹介と名刺を交換した。

「用件は聞いている。現行犯逮捕された中学生の送致の相談だそうだな。資料を」

 ついたての陰に隠された応接用の三人掛けソファに千草と由貴を座らせ、麻帆良署の警察官二名には予備のパイプ椅子を、自身は一人掛けのソファに腰を下ろした判事は、世間話もそこそこに用件を切り出した。

 この時点で判事が用件を把握しているのにも驚きだ。だがそれよりも、麻帆良署の者が取り調べの終えていない調書を平然と提出した事に、千草は叫び出す衝動を押さえ切れなかった。

「ちょっと待って下さい!」

 公の場所では千草とて標準語を話すようにしている。
 声を上げた千草に、麻帆良住人の三人は怪訝そうな目を向けた。

 千草と由貴、所轄外の二人がわざわざ家庭裁判所に足を運ぶ羽目になった理由は単純だ。

「昨夜の辻斬りの少女の件で、現場に居合わせた警察官の意見を聞きたい」

 本来であれば、四人の陳述など必要ないはずだ。現行犯逮捕した少女の身柄を引き渡した際に、逮捕に至った経緯を報告書として提出している。

 未成年者に深夜徘徊を許す生活環境、他人へ日本刀を振り回す危険を自覚できない非常識、警察官の真偽を区別できない不見識、関西方面の方言に対する明瞭な敵意と殺意を示す良識不足等、生活環境や教育環境に大きな問題があるように伺えるため、少年鑑別所にて社会性の再学習が必要、と所見も一文添付している。これは調査開始前の意見なので、裁判所の決定に大きく影響を与えるものではない。

「なぜ私達の説明が必要なのでしょうか? まだ調書すら取っていないのに。おかしいじゃないですか」

 未成年者による刑事事件、つまり少年刑事事件は、懲役や禁錮を含む犯罪を除き、全て家庭裁判所に送致される決まりだ。成人の犯罪であれば、微罪処分や起訴猶予の形で検察に届けない場合もあるのに比べ、厳しい内容になっている。

 ここまでは問題ない。

 しかし送致の際には、調書や証拠物件、その他の参考資料があれば、それらも合わせて送付しなくてはならない、とある。最初の取り調べも行わず、家庭裁判所に書類を提出する少年課の在り方に、疑問を呈するのも当然だろう。

「それと……」

 千草は言葉を切り、三人とは別の方角へ目を向けた。
 そしてもう一つ、重大な問題もあった。

「この人は誰ですか? 警察や裁判所の関係者には見えないのですが」

 部屋の片側を占める本棚の前に、もう一人男がいるのだ。
 年の頃は三十代半ばから四十代前半と言ったところか。季節を無視した灰白色のスーツに、手入れを怠った感のある乱れた髪、数日は剃ってなさそうな無精ヒゲと、どう見ても法律の対極にいる人物だ。少なくともカタギの商売ではないだろう。

 見咎められるとは思ってもいなかったのか、男は僅かに目線を上げ、千草をねめつけた。

「……ああ。彼は……」
「麻帆良学園本校女子中等部で英語を教えています。タカミチ・T・高畑と言います」

 判事の紹介を遮って自己紹介した男は、魔法使い関係者の中でも要注意リストにある危険人物だった。例えリストがなくても、多種多様な犯罪者を見てきた千草や由貴であれば、下手なチンピラやくざよりも暴力で生きてきた匂いを、経験則から嗅ぎ取るのは難事ではない。

 そして何よりもその名は、千草の両親が殺されたあの戦争で、英雄となった一人だ。

 一瞬、千草の目の前が真っ暗になり、視界が戻ると共に殺意が膨れ上がっていた。拳銃に手が伸びかけるのを、理性の冷静な部分でどうにか押し留める。

「教師……? 生活指導の方ですか? それとも担任?」

 素知らぬふりを通すのは、千草には非常な苦痛を伴う行為だった。

「前年度一月までの元担任です」

 はははと場所と状況を弁えずに笑うタカミチに、千草は腸を煮えくり返しながらも、表面上は一切の関心を失ったように取り繕った。

 既にタカミチの評価を、服装・身だしなみ・礼儀の面で、社会的に最低ランク近くに位置づけている。このような人物に教鞭を取らせる麻帆良学園に嫌悪を、教えられる生徒達に同情が湧く。

「ここに元担任のいる理由、説明してもらえますか?」

 千草が問うた先は、タカミチではなく判事だった。

 生活指導だろうと担任だろうと、この時点では教師に出る幕はない。
 拘置されると一度だけ、被疑者は取り調べの警察官を通じ、電話連絡を取ってもらう事ができる。その時の連絡先が仮に教師だとしても、教師に何かができる訳ではない。警察から保護者へ積極的に連絡が行く事はなく、連絡を受けた教師が下手に保護者に確認すれば、生徒のプライバシー侵害に繋がり得る。知人に弁護士がいるなら、相談するのがせいぜいだろう。

 それがどういう経緯か、教師が、しかも生徒指導でも担任でもない『元』担任が、送致以前の段階で判事と共にいる。理由を尋ねるに十分な疑惑だ。

「それは……」
「まあ今回は、元担任としてより、後見人の代理で来ていますから」

 判事が口を開きかけたところを、タカミチが答えを被せて封じた。

「元教師だろうと後見人代理だろうと、ここにいる理由の説明にはならないのでは?」

 同席する資格を問えば、資格を持つのは付添人、つまり被疑者の少女の担当弁護士ぐらいだ。それとて正式な手続きを踏むのであれば、拘置中の警察署に赴くのが筋であり、やはりこの場にいる理由の説明にはならない。

 質問を重ねる千草をしばし観察する目を向けてから、判事は手にした書類に目を落とした。

「いえね。警察の方に連絡はして、誤解だったと了解は得ているんですけど、うちの生徒が一人、間違えて逮捕されてしまったようで」

 勝手に答えるタカミチの説明は、元教師も後見人代理も関係のないものだ。

「このままでは、生徒の経歴と警察の威信に傷が付いてしまいます。そこで、お互い見なかった、聞かなかったことにしましょう。とまあ、そのための相談です」

 事ここに至り、この場が設置された目的を千草は悟った。
 侮蔑を込めた視線を、判事と二人の地元警察官に向ける。

 書類に目を通しているため俯き加減の判事の表情は伺えないが、警察官二人に悪びれた様子は見えない。

 予想として、タカミチが余計な口を挟まなければ、この事件をなかった事にすべく、あれこれ口八丁を用いて説得するつもりだったのだろう。

「つまり、警察官に発砲したり、未成年者が深夜に徘徊したり、日本刀を警察官に向けたりしたのは、あくまで誤解。そういう形で事件を揉み消したい……という事ですか……?」

 冷たく睨み付ける千草に、判事は顔を上げようとせず、警察官二名はおもねるような笑みを見せた。

 事実、麻帆良警察署が応援の要請に応答しなかった件で、呆れ果てた釈明を千草達は聞かされている。

「現場サイドで誤解による衝突があったが解決した。警察の出動は不要。そう学園長から連絡があり、警察官を派遣しなかった」

 当直の警察官の一人が、悪意のない苦笑で後頭部を掻きながら告げたのは、そんな内容だった。反省の欠片もなく平然と告げた上、学園長との通話記録は保管する理由がないと判断し、削除したと来ている。

「揉み消すとは人聞きの悪い……。事実その通りなのですから、曲解されるのは心外ですね」

 タカミチの気だるげな笑みは、麻帆良の外から来た自分達を嘲っているように千草には感じられた。自称教師の無法者を一睨みし、三人の法律関係者にさらに冷たい一瞥を向ける。

「それが麻帆良警察署と、麻帆良家庭裁判所の意見。そう判断してよろしいですか?」

 三人の返答を待たず、千草は取り出したシステム手帳にペンを走らせた。

 千草の所属する『警察庁長官官房』は、警察庁の内部部局の一つだ。警察内警察とも言うべき部署で、警察内の不祥事の調査などの内部犯罪を取り締まる監察が、その業務である。

「一体何を……?」

 剣呑な雰囲気を千草から感じたらしい警察官の一人が尋ねた。

「私の持ち物に私が何を書きつけようと、そちらには関係のない話でしょう?」

 メモを書き終えた千草がパタンと手帳を閉じ、これまでにない冷酷な目で交互に見遣ると、警察官二人は心持ち顔色を変えた。

「総務課でも、長官官房ですから」

 総務課は、首席監察官の監督下にある部署の一つだ。その業務内容は、法令案の審査・政策評価・情報公開・広報・国会との連絡・公私の団体や機関との折衝と言った総合調整である。

 そして多岐に渡る総務課の業務のうち、各都道府県・区市町村の警察署がマニュアル通りの捜査・調書の作成・管理・保管の相談と指導の窓口が、特別資料室係の役割だ。監察する権限を有さないものの、他部署に報告するのに問題はない。

「やましい行為がなければ、心配するほどのものではありません」

 ちなみに『心霊班』なる不名誉な称号は、業務内容柄、各地の警察署で報告書にまとめるのに頭を悩ませる事件、例えば悪霊・怨霊・妖魔ら魑魅魍魎や魔法絡みの事件に関し、捏造や隠蔽をせずに無難かつ常識的な範囲で書類を作成する技術の指導や、事件解決のための助言等を行う事から付けられたあだ名だ。

「麻帆良には麻帆良のやり方があるんです! 長官官房だからって、しゃしゃり出ないで下さい!!」

 もう一人の警察官がパイプ椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。詰め寄ろうと一歩踏み出しかけるも、こちらもソファから腰を上げた由貴の巨躯に気圧され、渋々と椅子に座り直す。

「痛くない腹を探られるのは、どこの警察署だって不愉快になるもんです」

 ぼそぼそとした警察官の抗議の声は、それでも千草の耳に届くには十分な音量だった。

「別に難しい話ではないのですよ?」

 由貴がソファに座り直すのを見届け、千草は軽蔑を隠そうともせずに警察官を睨みつけた。<認識阻害の結界>の弊害なのか、それとも魔法使いが直々に思考操作をしているのか、警察官としての問題行為を深く自覚せずに実行できる辺り、麻帆良の警察官に職務意識が欠落していると知れる。

「警察官職務執行法と犯罪捜査規範に従っている自信があるなら、何も心配する事はないでしょう?」

 国民の安全・自由・生命・財産を守る警察官は、同時に、それらを侵害する権利を持つ。それ故に行動や捜査手順には色々と厳しい制約がかかっている。

「……もっとも、深夜に日本刀を振り回す女子学生の現行犯逮捕が、どうすれば誤認逮捕となるのか、具体的に説明できるなら、ですが」

 都道府県別に『青少年健全育成条例』と言うものがあり、埼玉県も例外ではない。『埼玉県青少年健全育成条例』も他県と同じに、保護者は午後十一時から午前四時までの未成年者の外出を控えさせるべき、と訴えている。また、刃渡り六センチ以上の刃物の持ち運びは、業務か正当な理由のない限り『銃砲刀剣類所持等取締法』で禁じられている。もしかしたら危険な目に遭うかも、という理由が『正当な理由』と認められていないのは、言うまでもない。

 そこへ、ふうとあからさまに溜息を漏らす音が混じった。

「やれやれ。これは聞き捨てなりませんね」

 会話を眺めていたタカミチだった。

「これじゃあまるで、生徒のためを思って四方八方手を尽くす教師全員、悪人の扱いじゃないですか」

 千草は胡散臭い教師を横目でちらりと見てから、書類に目を落としたまま微動だにしない判事に視線を戻した。

「私達がここに呼ばれた理由は、昨夜の中学生を逮捕した状況説明が必要だからと聞いています。口頭説明を求められれば応じます。でも本来は必要のない事でしょう? 下世話な言い方になりますが、彼女の公判を始めようと不処分にしようと、所轄外の私達には関係のない話です」

 そして、警察官達を軽く一瞥してから、話を続ける。

「今し方言ったように、日本刀を持って深夜徘徊する中学生の現行犯逮捕が、どうすれば誤認逮捕となるのか、その根拠も併せて説明をお願いします」

 千草の質問に、判事は僅かに目線を上げただけで、またしても書類に芽を落としてしまう。警察官は我関せずとばかりに、少女の元担任へと目を逸らせた。

 代わりに、タカミチがこほんと咳払いした。

「何を言い出すかと思えば……。さっき説明したでしょう。彼女の行動は、学園長公認だったんです。その事は警察署にも説明し、納得してもらっています。ただ、普通に釈放しては書類が残り、彼女の経歴に傷が付いてしまうでしょう。そこで今回の件については、警察にも誤認逮捕の汚名が残らないよう水に流して、お互い綺麗さっぱり忘れましょうって相談ですよ。実際に誤認逮捕したあなた方にとっても、その方が都合良いでしょう?」

「同意できまへん」

 即答の千草だった。思わず京都弁が出てしまったのは致し方ない。これまで無視してきたのに、咄嗟に反応してしまった己の迂闊さの後悔を胸の奥に押し込め、嫌々とタカミチに顔を向ける。

 物覚えの悪い子供を教え諭すような物言いも、顔に貼り付けた作り物の笑みも、謝罪の言葉一つない余裕も、自分達が超法規的存在と信じる物腰も、社会人の身だしなみすら整えていないタカミチの一挙一動の全てが癇に障る。

「それって要は、今回の件を隠蔽しろと言っているので間違いないですか? 受け入れられませんね、法律的にも、道徳的にも」

 タカミチは心持ち肩を竦め、苦笑混じりに頭を左右に振った。

「だから言っているでしょう。学園長公認だと。問題ありません」

 麻帆良の異常を前もって知らなければ、いつまで経っても話は平行線のままだろう。

「麻帆良内の処理は任せて下さい。後は、あなた達がここでの出来事を忘れてくれれば、全てが丸く収まるんです。誰も逮捕されていないし、誰の経歴にも傷が残らない。事件も誤解もなかった。皆にとって、善い事尽くめじゃないですか。迷う理由は何一つないでしょう?」

 本心か作り物か知れない笑顔を変わらず浮かべるタカミチに、千草は魔法使いのおぞましさを改めて実感した。認識阻害で正常な思考を住人のように奪われていたら、法や道義を忘れて耳に心地良いこの提案を、無条件に受け入れていたかもしれない。

 千草ほどに魔法使いの醸す毒に慣れていない由貴は、精神的に吐き気を催しかけたのか、顔色を悪くして右手を口に添えていた。

「一万歩譲って、そちらの要望に私らが従ったとしても、法的な問題が……」
「麻帆良は治外法権です。気にする必要はありません」

 今度はタカミチが即答する番だった。
 麻帆良が治外法権の指定を受けているなど、日本のどこを見てもそのような事実は存在しない。治外法権が認められているのは、大使館や総領事館の公使館に限られているし、外交特権を有するのは、その国を代表して派遣された人物と、せいぜい寝食を共にする家族に対してだ。万単位の日本人が住む街に、警察署や裁判所など公共機関を含めて治外法権を与えるような狂気の沙汰を、外務省が行うはずもない。

「……麻帆良が治外法権……? 初耳です。で、外務省のどこで確認できるか、教えてもらえますか?」

 外務省でなければ、学校法人を扱う文部科学省だろうか。学園敷地内でなら、ある程度の自由は法律でも認めている。それとて日本の法律の範囲内に限られ、ましてや、市街地や公共機関にまで学園の自治が及ぶはずもない。

「それは関係ないでしょう? そちらの警察官も言ったじゃないですか。麻帆良には麻帆良のやり方がある。あなた方がそのやり方に従えば、全てはこれまで通り誰もが無傷で済むんです。それのどこに不満があるんですか」

 理解できないと、笑顔を貼り付けたまま頭を振るタカミチだ。

「関係ない……? あるやろが! 麻帆良が治外法権だ言うなら……」

 声を張り上げた千草を、判事がテーブルに叩き付けた書類のパンという音が遮った。

「これ以上の議論は不要だ」

 長らく身じろぎも一声発することもなかった判事が、タカミチ、千草、由貴を順繰りに見回した。麻帆良市警の警察官二名には、面白げもなさそうに一瞥をくれる。

「確認する。警察官への発砲、未成年者の深夜徘徊、刃物の持ち歩き、警察官への攻撃。これらは学園長公認の行為だった」

 誤解がありましたが、というタカミチの補足を、判事は睨みつけて黙らせた。

「つまり学園長は意図して、親から預かっている生徒に、青少年健全育成条例を顧みずに深夜に街中を歩かせ、銃砲刀剣類所持等取締法を無視して日本刀を所持させ、それを持って警察官の公務を妨害させた。そうなるな?」

「ですから全ては誤解です。警察署も理解しています」

 すかさず再び誤解を主張するタカミチだが、ハエを追い払うような仕草で右手を振る判事に黙らされる。

「報告書の状況を鑑みれば、被疑者には保護観察処分が妥当と判断できる。が、未成年者の監督能力を、学園長の監督下にある麻帆良学園が持ち合わせていると考えるのは難しい。よって、保護観察中の彼女の通学先は、麻帆良以外が妥当だろう」

 三度誤解を主張するかと思われたタカミチは、何か思うところがあるのか、今度は何も言わない。

「しかしながら……」

 判事のこの言葉を予測できたのだろう、タカミチの笑みは深まり、千草には悪魔の呟きにも等しく聞こえた。

「……少年法では、家庭裁判所に事件を持ち込む前に、調書や証拠を一括で提出するよう定められている。それが、だ。調書を取る前の段階で、被疑者の後見人代理が裁判所に誤解だと押しかけている有様だ。誰だ、被疑者の逮捕を後見人に連絡したのは?」

 判事にねめつけられた警察官二人は、申し合わせたように背筋を伸ばした。

「少年課の誰かだと思われます。誤解で警察に逮捕されたと、誰かが気を利かせたのではないかと」

 余りと言えば余りの回答に、千草は頭を抱えたい気持ちだった。自制できたのは社会人の良識だ。

 同じ感想は判事も抱いたらしい。

「つまり麻帆良市警察署の少年課は、少年刑事事件の取り扱いの基礎の基礎すら知らない無能共の溜り場、という認識で良いな。犯罪捜査規範の初手で違反されては、裁判所で不処分と出すこともできないだろうが!」

 最後の部分では声を荒げると、判事は手にしていた書類を警察官に乱暴に付き返した。

 少年課警察官の違反行為で、逮捕された少女は審判にかけられる事なく、拘置も認められずに釈放される、と言うことだ。事件そのものが警察の不手際で事件性を失ったため、調書を裁判所に届ける必要すらない。

「以上だ。他に話すことは?」

 判事の視線の先は、タカミチで固定されていた。

「いえ、ありません。先生の果断な判断に感謝します」

 初めから一度もなりを潜めたことのない笑みを浮かべたまま、タカミチは謝辞を述べると、慇懃に一礼した。

「……できの悪い劇ですか、これは……」

 仏頂面ながらもタカミチの右手を取る判事と、へりくだった虚ろな笑いを湛える警察官達を眺め遣り、由貴は半ば呆然と呻いた。

 愚痴は外に出てからにしろと、肘で由貴の脇腹を軽く突つく千草も、その感想には同意だった。

 大した怪我ではなくても由貴は頭を殴打され、和泉は学園長の手配した何者かに狙撃され、自分は当の少女に切りつけられているのだ。その事件を麻帆良署の不手際で存在しなかったとする判事の不機嫌が、どうしても演技にしか見えず、隠蔽するためにこじつけたように思える。

 せめてもの救いは、千草や由貴がそれぞれの上司に提出する業務報告書に、虚偽を書くよう指示されなかった事だろう。弾痕や切断跡のある通信機を、事故で破損しましたなどと報告できるはずもない。

「吐き気がするで、ほんま……」

 千草は内心で憤慨した。麻帆良の住人を良いように操る魔法使いの存在には、嘔吐感に似た嫌悪しか抱けない。

 事はもう、仇討ちだけでは済まなかった。両親を死地に追い遣ったように、魔法使い達は麻帆良とその住人を、今現在も食い物にし続けているのだ。自由や平等や対等と言う公式は成り立たない。一方的な略取だ。
麻帆良が廃墟か瓦礫の山か更地になるかは分からない。麻帆良の末がどうなろうと、連中には大々的な制裁を下してやる。

 決意を新たにする千草だった。







◎参考資料◎
・警察庁採用情報サイト『長官官房』
・警視庁『刃物の話』
・検察庁『少年事件の流れ』
・埼玉県青少年健全育成条例、2011年3月30日
・総務省法令データ提供システム『警察官職務執行法』
・Wikipedia『外交特権』
・Wikipedia『監察官』
・Wikipedia『警察庁』
・Wikipedia『警察庁長官官房』
・Wikipedia『裁判官』
・Wikipedia『少年保護手続』
・Wikipedia『治外法権』




[32494] 第四話 学園長
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/03/31 22:59
 麻帆良学園は、本校女子中等部のみで一学年Ⅹ組まで二十四クラスのマンモス校である。一学年だけで七百三十七人を擁する規模で、それが三学年プラス高等部と、近隣にはミッション系の女子高校もあり、この区画に通う女子学生の数は五千人以上になる計算だ。

 天ヶ崎千草と熊谷由貴が家庭裁判所で下手な茶番劇に付き合わされている頃。
 志門勇人(しもん・ゆうと)と倉橋和泉(くらはし・いずみ)の二人の姿は、麻帆良市警察署から車で二十分程離れた『女子校エリア』の、本校女子中等部の校舎内の一室にあった。

 一クラス丸ごと収まりそうな広い部屋だ。調度品もそれなりに配置されているのに、空虚感が半端ない。安っぽいリノリウム張りの床は見た目のままでも、教室のような貧相な灰色の引き戸とは異なる濃茶の重厚なドア。空虚感を拭い切れない部屋の調度品は、オフィスで見かけるスチール製の安物ではなく、素人目にも高価と知れる立派な木作りだ。

 ここが麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門(このえ・このえもん)が執務を執る『学園長室』である。

「よく来てくれたの。まあ中に入るが良い」

 学園長の椅子はさぞかし座り心地が良いのだろう。何の比喩もなく文字通り椅子から腰を浮かせる素振りすら見せず、大仰に入室を促す部屋の主への勇人の第一印象は、「胡散臭い無礼な老人」であり、和泉の場合は「常識知らずのエセ仙人」だった。

 評価の是非はともかく、最初の挨拶で二人がそのような第一印象を抱いてしまったのは当然だろう。

 礼儀知らずの挨拶に加え、部屋の主の容姿や服装も不快感を煽るのだから。
 七十を越える老人の頭は、後頭部が後ろに大きく伸びた異形だった。その先端では、馬の尻尾のように一房だけ残った白髪を髷に結っている。どこかの水墨画に描かれている仙人か、妖怪ぬらりひょんを思わせる容貌だ。目が半ば隠れる太く長い眉毛や、口元をほぼ完全に覆って胸にまで届くあご髭、何か古武術の道着と作務衣を足して二で割ったような珍妙な衣装が、その印象に拍車をかけている。

 無論、人外の存在ではない。
 『頭蓋縫合早期癒合症(とうがいほうごうそうきゆごうしょう)』と言う頭骨が歪む症状がある。乳幼児の頭骨の成長期に、頭蓋骨を構成する一部のパーツが通常の成長より早くくっ付いてしまい、十分に大きく育たなかったり、反対に異様に大きくなってしまったりと、見た目悪く育ってしまう状態の名称だ。その症状の一つで、『舟状頭』と呼ばれる形状である。

 頭蓋縫合早期癒合症は乳幼児の頃であれば、現代の整形外科で治療可能だ。それだけに、二十代前半の和泉や勇人には初見の頭蓋の形状である。失礼と理解しても違和感と不快感を禁じ得ない。

「警視庁特殊資料整理室の志門勇人巡査です」
「同じく、警視庁特殊資料整理室の倉橋和泉巡査です」

 相手のそんな容貌と服装への不快感を表に出さないよう心掛け、型通りの自己紹介と名刺を取り出す二人に、当の本人は大儀とばかりに鷹揚に頷いた。

「うむ。儂が麻帆良学園学園長の近衛近右衛門じゃ」

 フォフォフォとアナクロニズムな相手の神経を逆撫でする笑い声を立て、名刺を交換する近右衛門の所作は、二人の評価を更に下方修正するものだった。

 椅子から立ち上がりもせず、机を挟んだ反対側から左手で名刺を受け取り、右手で自分の名刺を差し出すなど、社会人としての礼儀を欠くにも甚だしい。そして二人の名刺を一瞥した後は、そのまま引き出しにしまってしまう呆れようだ。

 確かに、多くの公立の小中学校では六十歳、大学の教授でも遅くて七十歳が定年だ。それを踏まえれば、七十をとうに過ぎている近右衛門が多少の礼儀を欠いても、寛大に見ても良いのかもしれない。

 しかし学園長の肩書きで接するのなら、服装から身だしなみ、礼儀まで社会人であるべきだろう。それがこの有様なのだから、一から学習して出直してこい。そう叫びたくなる程の傍若無人振りだ。

「ま、立ち話もなんじゃから、座るがよかろう」

 学習項目に言葉遣いを加えつつ、二人は部屋の中央寄りにでんと置かれた応接セットの三人掛けのソファに腰を下ろした。近右衛門の一分に満たない無礼の数々を振り返るに、ソファを勧めた事だけが常識的な行動だ。

 勧めた事、だけ、であり、その口ぶりは評価に入れずにいての話だ。

 近右衛門は学園長の椅子から今なお立ち上がろうとせず、神経に触る笑い声を上げていた。

「さて。今回はお主らに出向いてもらって、ご苦労じゃったの」

 もらった名刺を名刺入れと重ねてテーブルに置く間もなく、近右衛門は自分の机の上で指を絡めると、話を切り出した。意図して無礼を押し通しているのではないかと、勘繰ってしまう程に礼儀のなっていない態度と言葉遣いだ。

「……昨夜の件で、と伺っていますが、どの件でしょう?」

 近右衛門への嫌悪感が一杯で口の開かない和泉に代わり、勇人が生唾を飲み込んでから、ようよう質問を吐き出した。

 勿論、理由も無しに二人が近右衛門を訪問したのではない。

「昨晩は当学園の生徒が迷惑をかけた。ついては謝罪したいので、本校女子中等部の学園長室に来てほしい」

 千草と由貴が出かける時間を見計らったようなタイミングで、取り次いだ少年課から伝言が届いたのだ。しかもご丁寧に三十分後に時間指定をして、だ。

 面会の必要性を爪の先程も感じなかった二人が、当初は多忙を理由に断りの電話を入れたのは言うまでもない。謝罪する相手を呼びつけ、こちらの予定を考慮せずに時間指定するような礼儀知らずに、いちいち合わせてやる必要などない。その前に、アポを取るつもりなら、伝言でなく和泉か勇人に直接繋いでもらうべきだとは、指摘するまでもない。

 伝言と短い電話でのやり取りだけで、社会礼儀を備えていない人物と近右衛門を判断するには十分だった。それでも不本意な面談に一時間遅れに変更して応じたのは、取りなした少年課の顔を立てたのが主な理由である。

「実は、お主らが昨夜逮捕した当校の女子生徒の件じゃ」

 電話での用件を繰り返し、近右衛門は椅子の背もたれに深々と背中を預けた。

「実は、あの子は儂の使いで出かけていた最中でのう。夜半に外出させたのが原因で逮捕されてしまうとは、実に不運な話じゃ。そう思わんかの?」

 同情を買うつもりなのか、しおらしい態度で溜め息を一つ漏らすと、近右衛門は二人を交互に見遣った。

「無論、麻帆良署の方には、彼女は儂の使いじゃと伝えておるし、逮捕が誤解によるとも理解しとる。しかしのう……」

 ここで言葉を切り、反応を伺うような近右衛門の視線から、後の言葉は察しろと言う態度が透けて見える。

 二人の胸中に込み上げるのは、不愉快を通り越した不快感だった。謝罪したいという話が、警察の誤認逮捕になっているのも不快感の原因だが、言外の意味を周囲が汲み取り動くものと疑わない物腰も大きい。無礼に無礼を重ねる厚顔無恥さと混じり合い、投げやりに会話を投げ捨て、立ち去りたい気持ちが大きくなる。

「しかし……何か?」

 表情に出やすい和泉が顔を顰めると、テーブルの下で勇人は爪先で制し、近右衛門が途切れさせた言い分の続きを促した。相手が不快感の塊のような老人でも、いや、そんな老人だからこそ、言葉を濁らせたまま会話を打ち切る訳にはいかない。

 勇人の態度に、近右衛門は一瞬片眉を上げるも、説明を続けた。

「実は……儂の娘婿が彼女の後見人でのう……住んでいるのが京都なんじゃ。そんな遠方に住んどるから、彼女が逮捕されたなどと心配させるのもあれじゃし……。後は分かるじゃろ?」

 同情を誘おうとしているのか、言外の要望を読み取れと催促しているのか、覗き込むようにちらちらと向けられる近右衛門の視線は、正直、不快感しか醸し出さない。

「分かりません。何を期待されているのか知りませんが」

 大方、その娘婿とやらに連絡するなと言うのだろう。まかり間違えても、生徒のために自ら泥を被るような真似はするまいと、この数分間でも近右衛門の人物像をそのように判断するには十分だ。

「なに、そう難しい話ではなくての……」

 近右衛門は組んでいた指を解くと、胸元に届く髭をしごいた。心持ち狭められた目は、物分かりの悪い勇人を軽く睨んでいるようでもある。

「この麻帆良で見聞きした事、全て忘れてくれれば良いのじゃよ。そうさのう……取り敢えず、お主らの見た映画の撮影現場から、彼女を麻帆良署に連行した辺りの全て、かの。映像から書類まで、全ての記録も含めてのう」

 麻帆良大橋が半壊する魔法使い同士の抗争は、映画の撮影で誤魔化すつもりらしい。また、その現場を勇人が撮影していたのも、近右衛門の話からするに、どうやら把握されているようだ。

「……そんな要求が通ると、まさか本気で考えている訳ではないでしょう?」

 裁判所の一判事の部屋で、千草と由貴が同様の要求を突き付けられていると知れば、勇人達の評価は更に下降しただろう。

 さすがに声音に不快の色を滲ませた勇人に、近右衛門は小気味良さそうに例の不快な笑いで答えた。

「フォフォフォ。心配には及ばんよ。麻帆良の警察署の方には、話を通してあるからの。事件性はないという事で、既に解決しておる」

 顔に当てていた通信機を狙撃された和泉が、憤慨して腰を浮かしかけ、勇人はその腕を掴んで座り直させた。十センチ横にずれていたら悲惨な事になっていたのに、それを笑い飛ばし、しかも無かったことで済ませようとする近右衛門に、不快さだけが募っていく。

「……それは逮捕した女子中学生だけでなく、我々に発砲した何者かについても。そういう事ですか?」

 横目で和泉の様子を観察しながら尋ねる勇人に、近右衛門は首肯した。

「うむ。その者については、こちらで処罰を与える事にしておる。じゃから後は心配せず、儂に任せてもらえれば悪いようにはせん」

 近右衛門の口から出たのは、よりよもよって警察官に向かい銃撃の共犯を認め、その証拠隠滅を図るとの自供だ。

 和泉が手錠に手をかけ、今度こそ腰を上げた。勇人も止めない。

「……警察署へ同行、お願いできますか?」

 言葉こそ疑問形だが、口調は半ば以上現行犯逮捕だと言わんばかりの、感情を伺わせない平坦さだ。

 そんな和泉の行動を、さも面白い冗談を聞いたかのように、近右衛門は笑って返した。

「ふうむ。協力したいのは山々じゃが、これは断るしかないのう。事件でもないのに、警察に出向く理由もないしの」

 そしてもう一度、近右衛門は愉快げに、不快な笑いをひとしきり上げた。
 犯罪行為を自慢する無法者の老人に手を出せない憤りに、全身を小刻みに震わせる和泉の背中を眺めながら、勇人は現段階で打てる手立てを考えていた。

 現行犯逮捕……は、近右衛門が犯罪を目の前で行った訳ではないので使えない。

 緊急逮捕であれば、証拠隠滅を防ぐ理由で使える……かもしれない。ただし仄めかされているだけなので、逮捕理由には到れない。

 しかも、和泉と千草の破壊された通信機に由貴の怪我と、証拠も十分あるのに、麻帆良警察署は事件として取り上げない……とは近右衛門の言か。とは言え、昨晩応援を要請しても警察官一人派遣されなかった経緯は、勇人とて耳にしている。出まかせと言う線は薄いだろう。真偽はいずれにせよ、管轄地違いでは任意同行を願い出るのは越権行為になる。

「まあ、同行を拒否されるのなら仕方ありません。その辺は地元の警察署に任せましょう」

 和泉が怒気を湛えた目で振り返り、近右衛門の眉毛に半ば以上隠された目が、面白い玩具を見つけたかのように狭められた。

「ですが、見聞きした事や忘れたり、証拠を隠滅したり、そんな違反行為には同意できませんね」

 告げるべきを告げて早々に撤退、が勇人の結論だった。近右衛門に本来の理由の謝罪をする意図が微塵もないと判明している今、長居するだけ不快さが増すだけだ。

「フォ? なぜじゃ? 事件なんぞなかった。それが全てじゃろう。余計な物を残しては、色々面倒になるのではないかの?」

 魔法使いに不都合な出来事は麻帆良内で全て揉み消す。そんな傲慢な意図が明け透けて覗け、それが実行されることに一抹の疑惑すら抱かない近右衛門が、不快感の塊にしか見えないのは、勇人の目の錯覚だろうか。

 そんな不快感とは反対に、近右衛門に従っても良いのでは、という気持ちも勇人の中で芽生えていた。事件が麻帆良の外に出る事はないし、迂闊に証拠を手元に残しておいては、報告義務を怠ったとして後々面倒に繋がるだろう。

 それならばいっそ、証拠を消してしまうのが賢い選択と言うものだ。映像証拠がなくなったと知れば、後で千草にこってり絞られるにしても、映像データなど頻繁にミスで消えてしまうものだ。疑われはすまい。

「……そう……ですね……」

 近右衛門と不快な問答を繰り返すのも癪か、と同意の声を発しかけたところへ、横合いから延びた手が胸板を叩いた。

 何事かと隣を見、厳しい顔をした和泉と視線が重なる。

 この一瞬で、勇人ははっと我に返った。いつの間にか頭の中にかかっていた靄が晴れ、明瞭な思考が戻ってくる。

 同時に、自分の身に何が起きていたのかも一瞬で悟る。いつの間にか、近右衛門に魔法で操られかけていたらしい。

「……でも、こちらもこちらの事情があるのですよ。そちらには関係のない、ね」

 頭蓋骨の内側をミミズが這うような不快感を押し隠し、勇人は拒絶の言葉で返した。

 勿体ぶった言い方をしても、実は大した理由ではない。特殊資料整理室に戻れば、一時間毎の行動報告書の提出と、専門家によるカウンセリングが内規で義務付けられているからだ。魔法による記憶と思考の改ざん対策の一環である。

 そんな勇人の態度に、近右衛門は他人を不快にさせる愉快げな笑いを続けながら、見遣る視線に力を込めた。

「ほほう。どんな事情なのかの?」
「……それは……公務に関わることですから、教えられません」

 再び近右衛門の求めるままに答えを口にしかけ、勇人は慌てて答えを変えた。脳を細長い触手のようなもので直接弄くり回される異様な感覚に、これこそが魔法使いの思考操作なのだと理解する。霧香や和泉から受けた訓練があるからこそ気づけたような、普通であれば気づけない違和感だ。

「……ふむ。それは残念じゃのう」

 あご髭をしごく近右衛門からは、魔法を使った様子や、魔法を破られた驚きは伺えない。

 だが、これ以上の会話が無意味どころか危険だと判断するには、丁度良い機会だった。今回は和泉が横にいたから抵抗できたようなもので、時間をかけられては、麻帆良の住人のように操り人形にされるのは目に見えている。証拠隠滅の協力要請には断りを入れたのだから、時期としても頃合いだろう。

 その前に、幾つか確認したい関心が勇人にはあった。

「話は変わりますが……」

 和泉に目線で座るよう促し、勇人はごく普通の質問を近右衛門にぶつけた。

「近衛学園長の『学園長』の肩書き、この本校女子中等部の最高責任者でよろしいのですか?」

 面談の場所に女子中等部内の学園長室を指定されたのだから、近右衛門の責任の範囲が女子中等部にあると判断するのは当然のことだ。

 そんな勇人に、近右衛門はわずかに不機嫌さを滲ませた。

「フォ。それは違うぞい。その名刺にもあるじゃろう。『麻帆良学園学園長』、つまりこの麻帆良学園全体の最高責任者が、儂じゃ」
「……ああ、なる程。兼任されていると」

 隣のソファでは座り直した和泉が、おかしな質問を、と言いたげな視線を向けてくるが、勇人は気にも留めなかった。

「男子中等部、高等部、初等部、大学部と、全ての学部の責任者を兼任されている、と。大変ですね」

 いかにもしみじみとした勇人の口振りに、近右衛門の僅かな不機嫌は払拭されたようだった。

「フォフォフォ。分かってくれるか。何せ規模が規模じゃからのう。生徒の数も一万を越えるもんじゃからな、老骨には毎日が戦争じゃよ」

 だったら引退しろ、と言いたい気持ちを勇人は押し隠し、次の質問を投げた。

「では、どこの学部の教頭先生も、皆優秀と言う事でしょうね。この女子中等部の教頭先生を紹介していただけますか? ご挨拶したいので」

 この一言で、他人を不快にさせて悦に浸っていた近右衛門の笑い声が途絶えた。

「……何が言いたい?」

 ねめつける視線が刺し貫く視線に変わり、頭蓋骨を這いずるミミズが活発になった感覚に、やや顔色を悪くしつつも、勇人は表情を変えずに通した。

「麻帆良学園には……いませんよね。教頭という役職の教師」

 これは麻帆良入りする前に、勇人が軽く調査して知り得た情報だ。
 学校組織には、校長の補佐と不在時の職務代行として、教頭を置くよう『学校教育法』に明記されている。それは私立学校においても、『私立学校法』にて同様であると記載されている事だ。

 校長と言う役職も同じで、兼任は禁じていないものの、各学校に一人置くのが規則付けられている。同じ麻帆良学園の名を冠した中等部であれ、男子校と女子校が分かれているのならば、それぞれに校長を置き、教頭を置き、教諭陣を置かなくてはならない。その上で、初等部から大学部までを総括する責任者を置くなら、それらの学部に関与しない別の人物を立てるのが筋だ。

「それに、学校評議員も受け入れていない」

 学校運営に関し、校長と共に検討・協議を行うのが学校評議員、そのための会議が学校評議会だ。関係者から成る私立学校の理事会と異なり、評議員は学校の外から校長の推薦で指名される有識者五名で編成される。埼玉県内の公立校は、評議会の受け入れを指導要綱として配布しており、私立の麻帆良学園には適用されないと言え、地域社会へ開かれた学校作りが学校評議会の名目にある以上、本来であれば受け入れるべきものではあろう。

「フォッフォ。それがどうかしたかの? この麻帆良学園で儂は五十年やってきておる。儂以上に、この学園の生徒と運営に詳しい人物はいなかろうて。今さら外の協力なぞいらんぞ?」

「……まあ、そういう事にしておきましょう」

 頭蓋縫合早期癒合症のあご髭を生やした無数のミミズが、脳みそを食い散らかすイメージに吐き気を催しながら、それでも表情には出さず、勇人はこれで会話は終わりとの合図に、ぽんと膝を叩いた。

 学校教育法にせよ学校評議員にせよ、残念ながら警察の立ち入れる事象ではない。さりとて、近右衛門の本質を読み取るには、十分な対談だったと言えよう。

「さて。我々をここに呼びつけた理由を果たすつもりが学園長には無いようなので、ここで失礼します」

 立ち上がりかけた勇人の身体は、近右衛門の発した不愉快な笑い声に硬直させられた。

「おお。そうじゃそうじゃ」

 顔を向ければ、近右衛門が固めた右手を左の手の平に打ちつけたところだった。

「どこかで聞いた事あると思っとったが、『死霊室』じゃったか」

 警視庁内において、特殊資料整理室は一般的に、出世街道から外れたおちこぼれ共の終着駅、と揶揄されている。人生の墓場、ゆえにそこを出入りする職員は『死霊』である、と。

 だがここは近右衛門の事、つい今しがた都合良く思い出したのではなかろうと、悪い方の評判を持ち出した老人に、勇人は内心悪態をついた。

「なら、言わんでも分かるじゃろ? 儂がこの学園を一人で切り盛りしておる理由」

 表看板とは裏腹に特殊資料整理室は、妖怪や妖魔、魔法などの怪異や神秘に対するカウンターとして、現状の実績はともかくとして、設立されてたものだ。千草のいる長官官房の『心霊班』が、あくまでそういった事象に対処する専門家のあっせんや、事後処理の書類関係に限られているのに比べ、そこが大きく異なる点だ。

「……さあ? 分かりません」

 正答の予想はついていても、勇人は明言を避けた。
 死霊室、心霊班、そして魔法使いに共通点があるとすれば、それは『魔法など神秘の秘匿』にある。

 それを踏まえれば、その理由とは、「秘匿のため」との予測はできる。
 勇人のわずかな表情の揺らぎから答えは読み取ったのだろう、近右衛門は相変わらずの笑い声を上げた。

「まあ良い、まあ良い。見聞を広めるのも若者の特権じゃて」

 そこでふと笑みを殺し、二人を交互に見比べた。

「じゃがな、この麻帆良を害するようなら、容赦はせんぞ?」

 むと隣で低く唸る和泉の袖を引くと、ついに謝罪の言葉が出る事のなかった学園長室から、勇人は今度こそ退室した。

「若い、若いのう……」

 ドアの閉まり切る直前、隙間から漏れ出た老人の嘲笑うかの声を、勇人は脳にこびりつく汚物のように記憶から締め出した。

 学園長室を辞し、和泉と廊下を歩く勇人の胸中は、近衛近右衛門という人物の評価だった。

 権力にしがみつく有害な人物。麻帆良は自浄作用の効かなくなった汚物溜まり。

 一言で言い表すならこれに尽きるだろう。七十を越えても学園長の椅子を降りようとせず、部下を育てず、後進を育てず、外の意見を取り入れず、思考を覗き見して改ざんし、対立候補や将来の自分の立場を脅かしかねない地位は廃止する。他にどう表現しろと言うのか。

 その独善な独裁を可能としているのが、魔法の力と、唯々諾々と手足として動く『関東魔法協会』の面々だ。

 勇人は平均的な日本人家庭の生まれと育ちだ。千草のように両親を魔法使いに殺されたのでも、霧香や和泉のような陰陽師の家系に生まれたのでもない。多少は上司や周りのバイアスがかかっていても、その思考の根底は極一般的な日本人警察官のものだ。

 その判断基準でも、近右衛門の存在は色々な意味で異常だった。そしてそのような人害を頭に置く魔法使いとその組織の違法行為の数々が、日本の治安を守る上で障害であると、結論付けたのは自然な帰結だろう。

 排除が必要なのは、この僅かな会合でも嫌という程に実感できた。魔法で思考を捻じ曲げられかけた実体験も大きく影響している。

「あれをどうにかしよう、ってのも納得だよなあ」

 資料室を狙った最後の一言は効いた。
 自分と和泉しかいない無人の廊下を歩きながら、自分の耳にも届かない感慨を勇人は漏らした。









◎参考資料◎
・学校法人自治医科大学形成外科学部門『頭蓋縫合早期癒合症』
・『科技大で教員の8割が定年延長を至急検討するよう学長に要請』
・慶応義塾大学病院医療・健康情報サイト『頭蓋縫合早期癒合症』2010年3月1日
・『埼玉県立学校学校評議員設置要綱』
・知ってて便利なお役立ち情報『名刺の渡し方~大切なビジネスマナー~』
・知って得する!!冠婚葬祭マナー『ビジネスマナー〝服装・身だしなみ〟』
・総務省法令データ提供システム『私立学校法』
・デジセン商事.com『名刺交換のマナーって?』
・ビジネスマナーと基礎知識『男性の身だしなみ(オフィスで)』
・福岡大学医学部整形外科『頭の変形(頭蓋狭頭症、クルーゾン病、アペール症候群、眼窩隔離症)』
・法庫『学校教育法』
・Wikipedia『学校評議員』
・Yahoo 知恵袋『公立小中学校の教員の定年退職年齢は2013年はまだ満60歳と聞きましたが本当』2011年6月8日



[32494] 第五話 包囲網
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/04/05 21:11
 『警視庁特殊資料整理室』の三名と『警察庁長官官房総務課特別資料整理室係』一名が、麻帆良学園学園長の近衛近右衛門と本校女子中等部教師のタカミチ・T・高畑と不本意な会合を持った日から明けて翌週。

 特殊資料整理室室長の橘霧香(たちばな・きりか)の姿は、京都府警察本部の大会議室にあった。

 出席者は霧香と本部長の他、京都府警各課からの四十名近い警察官達だ。大規模警察本部の一つである京都府警察署の本部長、すなわち警察組織で三十八名しかいない警視監の一人が顔を出すところからも、今回の京都府警の意気込みが伺えようというものだ。

「警視庁の特殊資料整理室の橘霧香警視です。この度は私共資料室への協力、ありがとうございます」

 階級にしては少々へりくだった挨拶で一礼してから、霧香は会議室に詰める一同を見回した。二十代半ばの若い警視に反感を向ける目がないのを確認し、ひとまず小さく満足の息をつく。

「本題に入る前に……資料は回っているでしょうか?」

 何かの講習会のように、折り畳み式の椅子を霧香の立つ壇に向けて並べ、四十人近い警察官が座る光景はなかなか圧巻だ。最前列の警察官達の手に、あらかじめ配布した資料が握られているのが見える。

「『麻帆良学園』による強制就労児童の保護」

 A四版サイズの十枚程の資料には、そんなタイトルが振られていた。
 タイトルだけを見れば、警察官が四十人も出席する会議に値するとは思えないだろう。

 しかし出席者の所属を見れば、その印象は一変する。少年課からだけでなく、刑事部からは捜査第一課の特殊犯捜査係と機動捜査隊、そして警備部からは警備第一課・二課・三課に機動隊までと、児童保護ではなく大規模な組織犯罪かテロ集団に挑むかのような錚々たる面々だ。

 近衛近右衛門を始め、麻帆良に潜む魔法使いと、その組織『関東魔法協会』に引導を渡す第一手として成功させたい作戦だ。霧香の立案した『計画』には、仮に失敗しても挽回する手立ては用意しているものの、初手でつまずきたくはない。

 否、ここまでの顔触れを揃えて、失敗は許されない。

 普段は妖艶さ漂う口元を引き締め、内心で気合いを入れると、霧香は会議室の前半分の照明を落とし、ノートパソコンにつないだプロジェクターを作動させた。

「では……。埼玉県麻帆良市にある麻帆良学園本校中等部、その内の五クラスが、今週四月二十二日から二十六日まで、四泊五日の修学旅行で京都に入ります」

 『麻帆良学園』の名前で、一部の警察官が身じろぎした。少年課だろうか。

 構わずに霧香はマウスを操作し、白壁に画像を映し出した。

 和風の黒い瓦屋根と白い壁、そしてベランダとつながる大きい窓が目立つ建物の写真だ。

「宿泊場所は右京区の『嵐山ホテル』。麻帆良学園はこのホテルを毎年利用しており、今年も例外ではありません」

 ここで霧香は一息入れ、警察官達の反応を伺った。口を挟む様子がないと見て取ってから本題に触れる。

「さて、ここからが本題です。この麻帆良学園……結論から言います。学生の一部を徴募し、兵士として訓練している疑惑があります。今回の目的は、訓練を受けている児童を保護するのは勿論、彼らの口から証言を得る事です」

 日本国内の出来事としては荒唐無稽にしか思えない疑惑に、霧香は束の間、夢の中にいるのかと現実感を喪失しかけた。本部長始め京都府警上層部の合意を受けていなければ、自身妄想を口走っていると錯覚しそうな気分だ。

「保護対象は三年A組、以降三-Aとする関係者二名です」

 次に壁に映し出されたのは、ボサボサの赤い髪が特徴的な、眼鏡をかけた少年の写真だった。パスポートからの転写らしく、名前を除き住所その他の個人情報は黒く塗り潰されている。

「まず一人目。ネギ・スプリングフィールド。一九九四年、ウェールズ出身の満九歳。担当は英語。三-Aの担任です」

 この情報は資料にも記載されているため、ざわめきが起きたりはしない。それでも不快感を示す咳払いがいくつか聞こえる。

「ウェールズの義務教育は満十六歳まで。飛び級の制度はありませんから、当然、義務教育すら終えていません。それでも英語教師をしているのは、オックスフォード大学卒業程度の語学力を備えていると、麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門が認めているからです。……大学卒業と、大学卒業と同程度の学力は、全く別物なのですが」

 彼にとり学位の取得など無意味なのでしょう、という言葉を霧香は苦々しい思いと共に飲み込んだ。

 年単位の勉学と高額な授業料、一講義一講義大学の提示するカリキュラムを積み重ね、一人や二人ではきかない教授陣を納得させる成績を確保し、卒業する事でようやく得られる学位と、一介の学園長の一声が同じ重さと価値を持つ。実にふざけた妄言を吐く老人ではないか。

「学士など取得していませんから、普通免許状の専修・一種・二種いずれにも受験資格がありません。特別免許状と臨時免許状では、中学校教諭になれません」

 『教育職員免許法』を出席者全員が把握している訳ではないので、霧香は補足を加えた。

 特別免許状で教えられるのは、小学校か高等学校で担当する一科目に限られ、中学校の教育職員は対象外だ。臨時免許状も中学教諭は対象外の上、小学校なり高等学校なりの職場でも助教諭までに制限されている。

 どちらの免許状にしろ、普通教員免許状の取得と同様、『教育職員検定』に合格しなくてはならず、その受験資格には最低でも高校卒業の学歴と、免許状の授与には十八歳以上と言う高いハードルが存在する。何一つネギ少年には備わっていない。

「指摘するまでもありませんが、教員資格を持たないニセ教師の授業は、義務教育でも未履修扱いされかねません。どうやら学園長権限で、近衛はそれすら誤魔化すか隠蔽する心算だと推測されます」

 無論の事、学園長にそのような権限はない。それどころか、そのような事態が起きないよう管理するのが役目であり、義務だ。

 霧香の脳裏に浮かんだのは、『ディプロマ・ミル』の単語だった。

 人生経験を単位に換算し、授業への出席やテストすら無しに、学位を有料で発行する商売の事である。『学位工場』『学位商法』あるいは『ディグリー・ミル』とも呼ばれ、大体はキャンパスすら存在しないニセ大学の名前を用い、学士から博士号までの望む学部の、望む学位を販売している。当然ながら、そのように購入できる学位は無価値であり、アメリカの一部の州ではニセ学位の提示は違法にもされている。

 ただ残念な話として、教授になりたくてもその条件に博士号がある大学や学部、ないし自分の肩書きに箔を付けたい人物が購入してしまうため、日本でも少なからぬ問題となっているのが実情だ。

 近右衛門がネギ少年に貼り付けた箔は、近右衛門自らが主催者となったニセの教員資格の付与であり、心ある教育者であれば唾棄すべき行為のはずだ。

「その上で、非常勤講師ですらなく、担任として未成年者に就労を強いている訳ですから、悪辣としか言えません」

 未成年者の就労は『労働基準法』で制限されている。厚生労働大臣の許可を得れば就労は可能なものの、就けない職業は存在するし、学業を優先しなくてはならないのは言うまでもない。必要な免状が『教育職員免許法』で十八歳未満には授与できないと規定されている以上、教職も就けない職業の一つだ。

「よって、今回は『児童福祉法』に基づいて身柄を確保。麻帆良学園からの干渉を断ちます」

 『労働基準法』はあくまで労使関係の法律のため、暴行を受けた等の犯罪の通報のない限り、警察に手出しはできない。そして義務教育すら受けさせてもらえずにいる九歳児では、学園長の肩書きを持つ人物から違法な待遇を受けているとは、夢想だにしないだろうし、気付いても助けを求める知恵は浮かばないだろう。

 ネギ少年に貼り付けられたニセ教師のレッテルについても同様だ。こちらは管轄が文部科学省と埼玉県教育委員会にあり、やはり警察がどうこう口出しできる問題ではない。

 その点、『児童福祉法』を用いれば、刑事として介入が可能だ。教育を受けさせず労働させるなど児童虐待の要件として成立するし、ネギ少年が担任するクラスの生徒も虐待被害者とできるかもしれない。

「まさか、この手が使えるとはね……」

 霧香を驚愕させたのが、ネギ少年の身柄保護につき、上から許可の下りた事だ。
 政府の上層部と魔法使いが結託しているのは、魔法使いの存在を知る者からすれば公然の秘密である。ネギ少年の日本国内での就業許可も、それ故に暗黙の了解として見逃されていたものだ。

 それが、ここにきて覆されたのだ。ネギ少年の就労に表向き正当な理由がないとなれば、被虐待児童として身柄の保護は選択肢の一つに入れられる。

「……上の方も色々あるって事なのでしょうけど……」

 霧香は胸中で呟き、深い考察は棚上げにした。

「では、次の保護対象です」

 次に映写されたのは、歳は十代半ばだろうか。黒髪ながら褐色の肌から、即座に日本人と判断できない少女だ。

「龍宮真名(たつみや・まな)。旧姓名、マナ・アルカナ。推定一九八八年生まれ、出生地不明。推定四歳の頃に戦災孤児だったところを、テロリスト……いえ、武装組織……失礼、非政府組織『四音階の組み鈴(カンパヌラエ・テトラコルドネス)』に徴募され、『子ども兵士』として訓練を受ける。後、各地を転戦。二〇〇〇年頃に部隊が壊滅。これを機に来日、養子縁組を経て帰化。龍宮姓を名乗る。現在は三-Aの生徒です」

 次に続ける言葉が非常に忌々しく、霧香は一度言葉を途切れさせた。軽く深呼吸してから、吐き気を催す言葉を紡ぎ出す。

「そして今なお、麻帆良学園において、近衛近右衛門の指示の元、狙撃手としての活動を強いられているようです」

 『子ども兵士』の単語までは資料にも書いてあるので、多少不愉快を示す雰囲気が立ち上るものの、大きな声は上がらずにいた。それよりも「日本国内で」「狙撃手として」「労働を強いられている」「未成年者」の響きに、剣呑な囁きがあちこちで交わされる。

「まあ、信じ難いのは私も同意です」

 そう言いつつ、霧香は映像を切り替えた。
 在席する警察官達が見間違えるはずもないAPRシリーズ、警察用デジタル無線機の写真だ。今年から採用されたばかりの無線機は、通話マイクの部分が見る目のある警察官であれば銃弾によるものと、見当を付けられる状態で半壊している。

 言わずもがなな和泉の無線機だ。いかな麻帆良の魔法使いでも、外部の警察官を改めて襲撃し、記憶を操作する行為には走らなかったのだ。あるいは、シリアルナンバーの付いた官給品を別物にすり替えるには、代替品を用意する時間がなかっただけなのかもしれない。

 理由はともかく、無事に麻帆良を脱出できたのは行幸だ。

「ちょうど一週間前の四月十五日、麻帆良市警察署との打ち合わせで部下を派遣しました。その部下たちが、深夜の外出中、何者かに狙撃されました」

 和泉ら三人の口頭と文書による報告と、千草から回ってきた報告書のコピーに肝を冷やし、麻帆良学園と麻帆良市警察の態度に怒り心頭したのはつい先日だ。口調こそ穏やかなものの、ぶり返した怒りを表に出さないようにするには苦労を要した。

「幸い負傷者はなく、持ち帰った無線機に食い込んでいた銃弾から、彼女のものらしい指紋の一部が検出されました」

 そして映像を替え、件の少女が日本に入国時に登録した指紋と、検出された指紋との比較写真を映し出す。

「逮捕状は申請しなかったのですか?」

 名も知らない一人が尋ねたのは当然だろう。

「麻帆良市警は、事件はなかったと回答しています」

 前半分の暗い席の表情は伺えないが、後ろ半分の半数は唖然と呆然の混じり合った奇妙な顔をしていた。

「近衛学園長の使い中の行動で、これは誤解からの射撃、事件性はない、だそうです。既に事件そのものが麻帆良市警のデータベースに残っていません。そのため彼女の保護の名目は、任意同行になります」
「……絶対、買収か何かされているだろ……」

 誰かの呻きに、霧香は首肯で答えた。

「ですから、彼ら二名の身柄確保は、麻帆良から離れたここ、京都で行なう必要があります。麻帆良市警察署そのものが近衛の支配下にある怖れのあるため、彼らを麻帆良市近郊で保護しても、すぐに取り戻されてしまう可能性が高いからです」

 被虐待児童の保護施設の場所を、加害者側に教える児童指導員はいない。いかに魔法使い達でも、麻帆良から遠く離れた京都で保護した二人の居場所を、一両日で特定するのは無理だろう。

 その間に『関東魔法協会』の名前を絞り出す予定だ。

 霧香の説明に、不可思議な表情を見せていた警官達も納得したようだった。

「ただし銃火器を携行している危険があります。無論その場合には、保護ではなく現行犯逮捕して下さい。また彼女だけでなく、他にも『子ども兵士』の訓練を受けているらしき武装生徒が確認されています。接触する際には、十分な警戒が必要となるでしょう」

 またも映像が切り替わり、今度は二つに断ち切られた無線機の写真に変わった。

 懸念されるのが、千草達に現行犯逮捕された少女だ。修学旅行に同伴しているのか、同伴していても武装しているのか、実際の保護の段階にならなくては分からない。何せ資料の一切合財が処分されてしまったので、名前や学年すら不明なのだ。

 霧香としては、他にも戦闘訓練を受けた生徒のいる可能性を示唆し、警戒してもらう以外に手がない。

 そこへ婦人警官が挙手した。

「ちなみに橘警視は、最悪のケースとして、どの程度の被害を想定されているのでしょうか?」

 尋ねたくなる心境は理解できた。
 国宝や重要文化財が多く、国内外の重要人物や一般観光客の訪問も多い京都が、テロの標的にされるのは自明の理だ。そんな土地へ、学園という閉鎖された環境で『子ども兵士』に育成された生徒が、修学旅行を装い訪問する。受け入れたくないのが本音だろう。

 霧香は一度目を閉じると、想定している最悪の事態を思い返し、目を開けた。

「一般生徒と宿の従業員を人質に立てこもり、大人の教師達を逃がすための囮として、踏み込んだ警官隊と共に自爆。確率としては非常に低いかもしれませんが、これが想定している最悪のケースです」

 生徒に爆弾を抱えさせて市内に解き放ち、無差別に自爆させる。さすがに関係する教師達を逃がすにしては、悪手すぎる手法のため、その可能性は否定されている。

 話をしている最中に、フィクション小説の設定かと、またも霧香は錯覚に陥りそうだった。

 しかしその錯覚は、管轄が東京の霧香だからこそのものだ。実際、平成になってからの十五年でも、京都は二桁に上るテロの被害を受けているし、国際的な対テロ活動の高まりからも、過激派やテロリストの行動には敏感だ。

「了解です」

 未成年者二人の身柄の保護にしては過剰すぎると、批判を覚悟していた霧香が肩透かしを食った気分になる程あっさりと、女性警官は納得し引き下がった。

「なお、二人の保護手続きには、京都府知事の許可が必要です。手続きはどうなっているでしょうか?」

 現在の京都府知事は、五年前まで内閣法制局で参事官を務め、改革派として知事選に名を挙げた就任二年目の、四十代後半の若手だ。複数の政党の支持を受けての当選のため、魔法使い関係で身動きが取れるのか微妙な人物だ。

「問題ありません」

 霧香の問いに、少年課であろう女性警官が起立して回答した。

「知事の許可は得ていますし、児童保護施設の手配も完了しています」
「了解です」

 二月三月にも打ち合わせを行っていただけあり、手続きの方に問題はなさそうだ。滞りなく許可の下りている時点でも、上の方で何やら画策しているらしいと想像できる。

 手配の手際に満足した霧香は、プロジェクターの電源を落とした。

「以上が、今回の児童保護に関する概要です。実行日は修学旅行の最終日、四月二十六日、午前八時を予定しています。が、麻帆良学園サイドの動きによっては、日時が変動する場合もあり得ます。準備だけは怠らないようお願いします」

 最後に一礼すると、霧香は着席した。
 次いで本部長が立ち上がり、京都府警察本部の指揮系統などの細かな打ち合わせが始まる。その会議自体には、警視庁の者がこれ以上の口出しをする訳にはいかず、霧香が口を挟める隙はない。

 最低でも問題の二人が予定通り保護されるだろう事を、霧香に疑う余地はなかった。








◎参考資料◎
・赤松健作品総合研究所『魔法先生ネギま!研究所』
・京都府警察『京都府警察のしくみ』
・京都府警察『京都を壊す過激派のテロ、ゲリラ』
・国際的な大学の質保証に関する調査研究協力者会議『「ディプロマ(ディグリー)・ミル」問題について』2003年11月28日
・総務省法令データ提供システム『教育職員免許法』
・文部科学省『教員免許制度の概要-教員を目指す皆さんへ-』
・Wikipedia『教育職員免許状』
・Wikipedia『京都府警察』
・Wikipedia『警視監』
・Wikipedia『警備部』
・Wikipedia『少年兵』
・Wikipedia『龍宮真名』
・Wikipedia『ディプロマミル』
・Wikipedia『山田啓二』
・Yahoo 知恵袋『無免許の教員って罰則規定ないですよね?』2008年1月6日




[32494] 第六話 関西呪術協会
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/04/10 00:09
『京都府神社庁』
 日本全国八万余の神社が結集し、設立した宗教法人『神社本庁』の京都支部である。たかが支部と言っても、古都・京都の一千五百超の神社を包括宗教法人として従え、京都支部の更に支部として、府内十九区に二十一箇所の拠点を持つ組織だ。

 しかし京都府西京区の松尾駅から二百メートル程離れた松尾大社までの道すがら、その途中に堂々と建つ一風変わった様相の建物が、それ程のものとは思えまい。白い壁に青い斜の屋根の二階建ての建物で、一風、旅館とも公民館とも、神社・仏閣関係の記念館とも見えなくもない。

 都内の各省庁舎と較べれば規模は格段に落ちるものの、曲がりなりにも庁舎と名の付く建物の小会議室の一室で、倉橋くらはし和泉いずみは分不相応な自身の身分に、居心地の悪さを感じていた。

 先日の近衛近右衛門のような、常識や良識や順法の意識が欠落した人の皮を被った『ナニカ』が相手ではない。既に二度面会し、まともな認識力を持つ人物だと判明している。何がしかの決済を迫られる面会でもない。

 それでも少々腰が引けてしまうのは、相手の立場故だろう。

「さて……」

 そう切り出し、気圧されがちな和泉の意識を浮上させたのは、当の悩みの人物だった。伸ばした黒髪に褐色の肌の、二十代後半とも四十代前半とも取れる年齢不詳な美丈夫だ。礼服を思わせる漆黒のスーツに、緑茶の入った湯呑を口にする様はなかなか様になっている。

「日本との文化交流の一環として、神道について学びたい」

 そのような名目でトルコ共和国から訪れたのが、イスタンブル大学で客員講師の肩書きを持つ、デュナミスと自己紹介した目の前の男だ。

「……今週中に面白いイベントが起きると聞いたのだが、それは例の協会と関係があるのかな?」

 直截に尋ねてくる男に、和泉は回答に窮した。ちらと視線を横に向け、同席する神社庁の参事に目で助けを求めるも、当人も関心があるのか助け船は出してもらえない。

「……関係あると言えばありますし、無関係と言えば無関係かと……」

 結局、どちらともつかない言葉で場を濁してしまう。

 男の言う「例の協会」とは、『宗教法人関西呪術協会』の事だ。京都にある神道関係の宗教法人の一つで、京都を含む近畿地方と、大阪府など関西地方の神社と関係を持つ広範な組織である。とは言っても、関係ある全神社を含め、京都府神社庁の傘下神社の総数に遠く及ばない規模だ。

「そういう煮え切らない態度を取らなくても良いと思うがね?」

 男は緑茶を一口含むと、湯呑を受け皿に置いた。

「いえ。公務に関しますから」

 警察官として知り得た情報は、退職した後も守秘義務がある。
 そう指摘すると、男はふむと唸って納得したようだった。公務に関係する出来事があるとの答えが、求めていた回答だったのかもしれない。

「となると、こちらからの内部告発をそれなりに有効利用してもらえた。そう見ても良いか」
「……ノーコメントです」

 タヌキとキツネの化かし合いのようなやり取りに、和泉はこの場にいるのが自分一人なのを心底悔いていた。この手の会話は上司の霧香が専門で、自分はこの場面では無口で通す気楽な立場のはずだ。麻帆良学園の学園長のように、一言毎に不快感を醸し出される会話でないのが幸いか。

「そもそも今週何かあるという話、どこから出てきたのですか」
「忘れてもらっては困る。『英雄の息子』が親書を協会に届けると言う話は、こちらからの情報だ」

 即答するデュナミスに、紹介だけで面談には一度も出席していない白髪の少年を、和泉は思い出した。男と同様、トルコから短期留学しているフェイトと言う名の学生だ。さすがに大人の会話に子供を入れる訳にもいかないので、十分な面識が持てていないのは仕方がない。

 その少年がどういう経緯か、研修生として『関西呪術協会』に加入しているそうだ。協会の内部事情が筒抜けなのは、特に諜報活動をしている訳ではなく、子供の研修生の前でも普通に会話され、緘口令すら敷かれていないかららしい。あくまでデュナミスの説明であり、真偽の確認はしていない。

「そう言えば、そうでしたね……」

 この時点で、男と少年が魔法使いだと容易に察せる。
 神道の勉強なら神社庁が本道だし、専門の教育機関として神社本庁が指定する学校法人の『國學院(こくがくいん)』も日本に八校ある。勉学のための選択肢としてはこちらが順当だ。本道から外れた感が強く、名前負けしている『関西呪術協会』に、好き好んで勉学のために加入しようとするのは、近衛近右衛門からの情報を真に受け、西日本の最大勢力と誤認した魔法使い程度のものだ。

「そういう事だ」

 デュナミスは頷くと、置いたばかりの湯呑を手に取った。口には付けず、少し手の中で弄ぶ。

『完全なる世界(コズモエンテレケイア)』
 魔法使いの世界における二十年前の戦争を、裏で操っていたとされる組織の名前だ。その幹部の一人が、緑茶に変な感慨を抱いているこのデュナミスの正体である……らしい。仮に『魔法使いの国』なる所での凶悪なテロリストで指名手配されていようと、日本国内で指名手配されていない相手を逮捕する根拠や謂れはない。

「そのイベントに参加できないのは残念だ。せめて『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』共が慌てふためく様を、特等席から眺めるぐらいしたいものだ」

 イベントが京都府警察署による麻帆良学園の生徒の保護なのか、その後に控えている『計画』を指しているのか、和泉に判断は付けられなかった。

 いずれにしても、返す言葉は決まっている。

「これは我々警察の仕事ですから、部外者の立ち入りはお断りします。以前にもそうお伝えしたはずですが?」

 口調に棘があるのは仕方あるまい。自分達警察官が、ともすれば生死に関わるかもしれない捕り物を『イベント』扱いされて、気分を害さずにいるのは難しい。

「ああ。気を悪くしたら済まない。そのつもりはなかった」

 和泉の不快感を読み取ったのだろう、デュナミスは謝罪の言葉を口にすると、視線を緑茶に向けた。

「……実際にこちらに来なければ知りようもなかった事だったな。この緑茶にしてもそうだし、神社本庁も然り、コーテンコーキュージョー、と言ったか? それもあるし、な」
「皇典講究所(こうてんこうきゅうじょ)です」

 和泉が訂正に口を開きかけたところで、神社庁の参事が口を挟んだ。恰幅の良い中年の男で、神道の組織だから袴姿で同席している……という事はなく、仕立ての良さそうな濃灰色のスーツ姿だ。

「明治十五……失礼、グレゴリオ暦一八八二年に、神道の研究と後進の育成のために、皇典講究所は設立されました。そして一九四五年に他の神道関係の機関と合併し、今の神社庁の基礎ともなった訳ですが……」

 神社庁の基となったのは、『皇典講究所』の他、『大日本神祇会(だいにほんじんぎかい)』『神宮奉斎会(じんぐうほうさいかい)』の三会だ。

 ここぞとばかりに歴史を開陳し始めた参事に、和泉は心持ち眉をひそめ、話を振ったデュナミスに、小さく恨みがましい目を向けた。

「当時の明治政府の迷走ぶりの凄まじさは、富国強兵の名目の元、西洋文化の行きすぎた受け入れで、廃仏毀釈はいぶつきしゃく運動が盛んになってしまった史実まであります」

 その混乱期にあって、飛鳥時代の七世紀に設置され、陰ひなたに日本を支えていた『陰陽寮』は、明治三年の一八七〇年に廃止されている。西洋文化の取り込みに反対する勢力の筆頭と見なされた事、臣下でありながら皇族の儀式に口出しをする等、天皇親政の弊害であった事など、理由は幾つかある。

「麻帆良を拠点とする魔法使い、いわゆる西洋魔法使いが地盤を築けたのは、政府と陰陽寮の不和も大きかったのでしょう」

 陰陽寮と術師の政治からの排斥による戦力低下の補充に、西洋魔法使いの力を当てにしていたのもあろう。実際のところ、魔法使いは魔法使いのルールで動き、新政府の期待通りの働きをしなかった。それが明治・大正・昭和・平成と一世紀を経て、今なお陰陽術師と魔法使いの折り合いの悪い理由の一旦となっているのは、否定のしようがない。

 反面、天皇を頂点とする新政府の示しとして、神道は重用される事になるも、順風満帆とは言い難い迷走ぶりを発揮している。

 『陰陽寮』廃止の翌年には、神祇の祭祀と行政を執り行う『神祇省(じんぎしょう)』が設立され、僅か半年後に『教部省(きょうぶしょう)』に改称、六年後に廃止の有様だ。この『教部省』では、布教と退魔の実働部隊として『教導職』を抱えていたものの、元々が無給無官の官吏だった事もあり、『教部省』が廃止されてから五年後に撤廃され、政府の手元に残っていた僅かな陰陽師を、引き留める手立てもないまま在野に下らせる結果となっている。

 設立・改称・異動・解体・廃止・再び設立と繰り返した結果、今後の身の振り方に危機感を抱いた宗教人や陰陽師が、政府とは無関係の組織を設立し、自己の保全を目指したのは、自然な成り行きである。結果として、自称「正当な流れを汲む」組織が乱立したのも、また当然と言えよう。

「その中でも顕著だったのが、当時は学問だった陰陽道に宗教の皮を被せ、神道の一系統に見せかけた方法でしょうか。昨今のフィクションで登場する陰陽師が、このイメージに近いですね」

 『関西呪術協会』の元となった組織もこの時に発足したようですと、参事はお茶で喉を潤しつつ付け加えた。

 そんな市井に流れた、あるいは以前から市井の陰陽師らの取り締りに、『天社禁止令』が発せられかけたのは、『教部省』の廃止された翌年の一八七二年の事だ。これにより、『教導職』にない術師による陰陽道の流布は、表向き完全に封じられた。

 そこを掬い上げたのが、当初の見込みほどに成果を上げられずに廃止された『教部省』に代わり、内務省に設置された『社寺局』である。神社・寺院・天理教等この時期に発足した新宗教も含めた全ての宗教関係の行政を司ったこの部署は、神職の養成を目的に民間に『皇典講究所』を設立すると、有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみや・たかひとしんのう)を初代総帥に据え、その威光を借りて市井の術師、陰陽師の窓口としたのだ。

 『陰陽寮』廃止から、実に十二年が経過しての事だ。

「以来、総帥を皇族の御系類、または元皇族が勤められるのは、『神社本庁』となってからも変わっていません。事実、現在の総帥は陛下の御妹様が勤めておられます」

 一般公開用の神社庁のパンフレットを持ち出し、一般『非』公開の情報も織り交ぜて延々と語る参事も、さすがにここで一息ついた。

 その隙を、己の失策を痛感したデュナミスが突いた。

「あー、済まない。神社庁の詳しい来歴については今度にして、今は例の団体について、確認したいのだが」

 話の腰を折られたにも関わらず、参事は気を悪くした風も見せず、湯呑みに残った緑茶を飲み干した。

「『関西呪術協会』ですか……。現状なら、そちらの方が詳しいのではないですか?」

 競合団体の言葉では、仮に友好的な表現で語ったとしても、何がしかのバイアスが混じるかもしれない。そういう響きが口調には含まれていた。

「いや。こちらの内部告発から、神社庁がどう対応するのか、教えられる範囲で教えてほしい」

 麻帆良学園の魔法使い組織『関東魔法協会』が、日本の東西の融和を目的にネギ少年を特使に仕立て、親書を『関西呪術協会』に届ける。これはフェイト少年から伝えられた報だ。

 デュナミスが軽く頭を左右に振って参事の懸念を否定すると、参事も頭を横に振った。

「……何もしません」
「何も?」

 回答が意外だったのか、オウム返しに聞き返すデュナミスだ。

「やくざや暴力団や魔法使いじゃあるまいし、よその団体のやる事が気に入らないからと、暴力沙汰を起こしてどうするんですか」

 さり気なく魔法使いへの隔意を滲ませた参事に、デュナミスは一瞬言葉を詰まらせると、和泉へと視線を向けた。

「警察は民事不介入が原則です。民間の一宗教団体がどこの組織に身売りしようが吸収されようが、警察の関与する話ではありません」

 和泉の返答も冷ややかなものだ。

 デュナミスの反応から、言外に隠されたメッセージを受け取れなかったのだとの想像は容易く、参事は一呼吸置いてから補足した。

「まあ、違法行為しているのを見かけたら通報しますけれど、取り締まるのは警察の仕事ですしね」

 これで意図は伝わったのか、デュナミスは成る程と頷いた。
 神社庁が動かなくとも、交流のある組織や個人が、『関西呪術協会』をそれとなく観察しているという意味だ。何事か異常が起きれば、すぐさま警察に連絡を入れる手筈になっているのだろう。

「通報や令状があればともかく、子供がお使いで運ぶ手紙程度で、警察が保護のために動く事はありません。それに私が所属するのは警視庁です」

 二人の視線が向けられると、和泉は少し口早に先程の言葉を繰り返した。
 そうは言っても、土地勘のない異国の京都で、行った事もない場所、会った事もない人物へ手紙を届けるお使い。九歳の子供に課すハードルとしては少々高すぎる。

 そのような歳の子供が、大人の同伴なく街中をふらふらしていれば、外国人と言うのもあり、迷子か家出と判断されて警察官か補導員に保護されるだろう。されない方が京都府としては問題だ。

 事実、ネギ少年らの保護は二十六日を予定していても、それまでに問題行動が見られれば、即時対応する手筈になっている。迷子で街中をさ迷うのも、その可能性の一つだ。

「『関西呪術協会』が麻帆良の軍門に下れば、そちらとしても困った事になるのではないか?」

 融和とはあくまで名目で、その本質は『関西呪術協会』を『関東魔法協会』の傘下に収める身売りである。

 これがデュナミスや霧香、神社庁の共通した見解だ。
 さりとて、たかが一団体を吸収合併したところで、他の団体や組織への強制力が得られるはずもない。ましてや『神社本庁』の規模を前にすれば、『関西呪術協会』など吹けば飛んでしまう一族組織でしかない。

 そんな組織に期待されているのは、当然ながら組織力ではなく、『関西』と冠した名にある。日本を知らない魔法使い達には、西が東に屈したと、『関東魔法協会』が日本を獲ったと、映るだろう。デュナミスとフェイトが来日し、『神社本庁』や他の組織の存在を知るまで、誤解した危機感を抱いたように。

「関西呪術協会と、ネギ・スプリングフィールドの将来の脅威度の調査」

 これがデュナミス達の来日した理由だ。
 とは言え、蓋を開けて見れば『関西呪術協会』の規模は脅威とならず、ネギ少年に関しても、警察に保護されず無事に協会に辿り着けるかどうか怪しいものだ。

 全ては『英雄の息子』のネギ少年に次代の英雄として箔を付けさせるため。
 否、次代の英雄を見出し、抜擢し、導いた偉人として、またネギ少年のもたらす利益を己の功績とし、近衛近右衛門自らの経歴を飾り、さん然と輝かせるため。

 そうでもなければ、いかに『関東魔法協会』が近衛近右衛門の私兵団で、『関西呪術協会』が生家だとしても、こうも固執する理由がない。

「まあ、あちらの内部は目茶目茶になるでしょうね。いえ、今でも組織をまとめ切れずに脱会者が相次いでいますか」

 京都府における神社の総数は一千八百を少し下回る。その内の一千五百社と少々が『京都府神社庁』の傘下で、九十社弱が『神社本教』、どちらにも属さない五十程の神社は、単立の宗教法人として存在している。

 『関西呪術協会』は名前の通り、単立の神社を多数取りまとめている『協会』に過ぎず、神社庁のように被包括宗教法人として傘下に収めている訳でもない。今回の件で、協会の方針に同意できずに脱会する神社や陰陽師らの数は加速している。

 ましてや、いかに一族組織の規模であれ法人格を有している以上、役員会というものは存在する。その役員会において、協会の方針として関東との講和の拒否を明言しているのに対し、協会長が独断で組織を身売り――最低でも組織の方針変更――を決めているのだから、特別背任を問われる行為だ。組織内が荒れるのは想像に難くない。

「それでは、こちらから提供した情報の価値が……」
「それはそれで、有効に活用させてもらっていますよ。……多分、警察が」

 やや呆然とした感のデュナミスに同情したか、参事は慌て気味に最後の一言を付け足すと、こちらも視線を和泉に投げかけてきた。

「……ですから、私の所属は警視庁です。京都府警が今後どう動くか知りませんし、知っていても教えられません」

 すげなく和泉は返し、温くなった緑茶を一口すすった。
 無論、二十六日に予定されている保護計画が特殊資料整理室の立案なだけに、京都府本部警察署で行う一部修正を除けば、大まかな流れは把握している。

 それによれば、資料室の出番は霧香の解説で終わり、後は二人の少年少女が無事保護されるのを確認するだけだ。その時の主役は京都府警で、資料室に出張る機会はない。かろうじて、麻帆良で和泉達四人を襲撃した辻斬りが修学旅行に紛れていれば、彼女の身柄の確保も加わると言うところか。

「それはそうと、検察の知り合いからの話ですが……」

 一、二分の間、和泉が口を開くのを待っていた参事だが、待っても無駄と判断したのか、新しい話題を振った。

「……二十年前、ある事件が例の協会絡みでありましてね。この最近になり、ようやく日の目を迎えられそうだと……」

 この場で持ち出すからには、千草の両親が死亡した魔法世界での戦争の事だろう。

 デュナミスもそちらへ興味が移ったのか、姿勢を変えて身を乗り出した。

「良いのですか、検察の話を持ち出して?」

 検察もそれなりに動いているのは、上司の行動範囲から和泉も予想していた。さすがに所属が異なるため詳細は把握していないし、守秘義務が絡み霧香からも説明を受けていない。その話が神社庁の片隅で語られて良いものなのかと、一応釘は刺しておく。

「ああ。心配には及びません。二〇〇三年の現時点では、公訴時効が成立している事件ですから。ただ、今回の例の少年がお使いで届けに来る手紙、あれ次第で、時効が無効になる可能性が出てきましたから、それで」

 参事の説明に和泉は眉根を寄せた。
 『関西呪術協会』の会長、近衛詠春(このえ・えいしゅん)と麻帆良学園の近衛近右衛門とは、名字からも伺えるように、義理ながら親子関係にある。『関東魔法協会』の魔法使いが検挙されれば、『関西呪術協会』にも関連組織の疑いで捜査の手が伸びる可能性は、決して低くはない。

 そこに当時の被害者や遺族から提供される証拠、そして現場から押収される証拠が加われば、事件は継続中となり、時効の無効化も狙えるかもしれない。

 そういう流れを期待しているのだろう。

 ただし大きな誤解もある。
 公訴時効の成立した事件の捜査の再開は、新たな証拠が出てきたとしても、まず期待できないのが実情だ。警察官になって五年前後の経験と知識になる和泉でも、捜査の再開された時効切れ事件は寡聞にして耳にした事がない。

「仮に今回が無駄になったとしても、再来年、二〇〇五年一月から改正される公訴時効延長の利用も検討しているようです」

 二〇〇三年現在、殺人罪や外患罪など死刑に当たる罪の公訴時効は十五年だ。二十年前の『関西呪術協会』の陰陽師が多数死傷した事件は、参事が述べたように時効が成立してしまっている。

 二〇〇五年を目処に改正が検討されている内容では、時効は二十五年に延長となる予定だ。これにより二年後の二〇〇五年には事件から二十二年、ぎりぎり時効の範囲内に収まる。

 以前に煮え湯を飲まされた遺族らが奮起するのも頷けよう。

「勿論、一度時効になった事件が、時効延長が理由で再開されないのは十分承知しています」

 参事が誤解していると言うのは、和泉の思い込みだったようだ。
 刑法の解釈によっては、時効延長の法律改正で、時効となった事件も再捜査の対象にできる可能性はある。あくまで可能性の話であり、和泉の知る範囲で前例のない事を鑑みるに、実現の機会は極めて低いものではあるが。

「だからこそ、警察の人達には色々と期待しているのですよ、こちらは」

 神社庁としてか個人としてかの明言をしなくとも、参事の瞳の奥に燻る暗い陰りは見誤るべくもない。

「ほう、迂闊に動けば即逮捕、動かなくても時間の問題。二段構えの備えか。これは期待できそうだな」

 面白そうだと言いたげに、デュナミスは喉の奥で笑いを漏らした。

「……何度も言いますけれど、私の所属は警視庁です。京都での出来事には関与できませんし、何か計画があるとしても関知するところではありません。まして、部外者に口外する事も出来ません」

 四度目の説明を繰り返しながら、中途半端な期待を抱かせた検察に、和泉は内心で恨み事を呟いた。

 二十年前の千草の両親が死亡した事件は、経緯はともかく、国外で発生した事件だ。しかも日本と公式な国交がなく、紛争地帯どころか戦場となっていた国での話である。

 協会からの命令とは言え、当然拒否権はあっただろうし、危険を知らずに向かったとも考えられない。あくまで自己責任であり、恨み辛みを並べ立てるのであれば、その対象は自分達に向けるか、せいぜい許容されるのは戦争を行っていた国に対してだろう。魔法使い全体や協会への反発は、それこそ逆恨みの領域だ。

 千草に面と向かって言えない和泉の本音に近い部分である。

 人道的な意味では協会も責任があるにしても、刑事的な意味で事件として取り上げる事は叶わない。それは二十年前も現在も、二〇〇五年の法律改正があっても変わらない。髪の毛一筋程の可能性として、時効の成立した事件の再捜査ができるようになっても、そもそも日本の法律で手出しできる懸案ですらないのだ。

「……頭の痛い話ですね……」

 二十年前の事件を俎上そじょうに載せるのは、おそらく不可能に近いだろう。

 この推測が正しい場合、期待に胸を膨らませる参事の失望が見えてしまうだけに、聞かなくても良い話を聞いてしまったと、和泉は密かに後悔した。







◎参考資料◎
・あおたけ掲示板『京都府神社界の動向 ~神社本庁と神社本教~』2005年7月15日
・京都府神社庁『京都府神社庁とは』
・神社本庁
・総務省法令データ提供システム『宗教法人法』
・西野神社 社務日誌『神社庁』2006年6月25日
・西野神社 社務日誌『神社本庁』2005年10月18日
・西野神社 社務日誌『神社本庁以外の神社神道の包括団体』2006年6月25日
・森本昭夫『公訴時効の見直しについての遡及適用~「逃げ得を許さない」ための異例の策~』立法と調査、2010年6月No.305
・Wikipedia『足利事件』
・Wikipedia『陰陽師』
・Wikipedia『陰陽寮』
・Wikipedia『教導職』
・Wikipedia『教部省』
・Wikipedia『公訴時効』
・Wikipedia『皇典講究所』
・Wikipedia『國學院』
・Wikipedia『社寺局』
・Wikipedia『神祇省』
・Wikipedia『神社本教』
・Wikipedia『単立』




[32494] 第七話 目撃者
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/04/14 20:03
 四月二十三日。
 麻帆良学園本校中道部の修学旅行二日目も、各訪問地での騒音苦情以外、初日同様滞りなく終了した。とは言っても、あくまでスケジュール通りに事が進んだというだけで、現地観光地が被った迷惑に関しては、警察に通報のない限り知る術はない。

 『嵐山ホテル』から五十メートル程離れた路上に、黒い車が一台停車していた。乗っているのは若い女が二人。

 霧香きりか和泉いずみだ。

 生徒を降ろしたバスが立ち去って一時間弱、修学旅行中の学生達はそろそろ夕飯だろう刻限だ。

「今日も無事に終わりですね」

 双眼鏡から目を離した和泉は、ハンドルをトントンと指先で叩く隣の上司を見遣った。

 苛立ちを代弁するような霧香の所作は、部下が助手席に座り自分が運転する非常識に対するものでも、警視庁所轄の自分達が京都府警に体良く使われている事に対する不満でもない。ましてや、ハンドルを叩く癖がある訳でもない。

「……そうね」

 和泉への返答が僅かに遅れた事から、霧香の苛立ちの一端が、何事も起きずにいる平穏にあるのだと伺えた。

「ひょっとして、まだ気にしているんですか?」

 上司の態度から、和泉は不満の原因を予測すると、呆れが混じらないよう言葉を紡いだ。

「……少しだけ、ね」

 霧香は素直に認めた。
 事実、予定を前倒しに進める事象の発生を、霧香は期待していた。

 効率を重視するなら、修学旅行最終日に保護するのではなく、最中に保護するのが最良なのは明白だ。『学校法人麻帆良学園』に属する各中学高等学部は、問題の本校女子中等部のように、修学旅行で麻帆良市を離れている。修学旅行には無論の事、教職と二足のわらじを履いている魔法使いの多くも、引率で麻帆良を留守のはず。邪魔者が最も少ない時期だけに、早々に保護対象の二人の身柄を確保し、『関東魔法協会』『立派な魔法使いマギステル・マギ』の名前を出させ、強制捜査の許可を取れば、余計な妨害を受けずに事を運べる。

 それにも関わらず、修学旅行最終日まで手出しをしないのは、子供達の学業と思い出作りを邪魔しないようにとの配慮によるものだ。

「私にだって、折角の修学旅行を台無しにしたくない気持ちはあるから。……本当に少しだけよ?」

 早口で言い訳する霧香の視線は、和泉ではなくホテルに固定されていた。ハンドルを叩く指がピタリと止まる。

 上司の些細な動作の変化に気付いた和泉は、凝視する先を目で追い、その原因を捉えた。

 子供が一人、ホテルの正面ドアから出てきたところだった。距離のあるため顔の造形は不明だが、特徴的な赤い髪と背中に隠し切れない長い棒は見て取れる。

「あれは……?」

 和泉は双眼鏡を顔に当て、子供の容貌を確認すると、ドアのポケットに突っ込んでおいた会議資料を引っ張り出した。

「……ネギ・スプリングフィールド君ですね」

 資料を手早くめくり、保護対象の少年の顔写真が載っているページと比較すると、あらかじめ顔形を頭の中に叩きこんでおいた人物に間違いないと断定する。

 そう、と霧香は少年から目を逸らさずに応じ、怪訝そうに眼を細めた。

「何かの罰ゲームかしら?」

 霧香の指摘の通り、ネギ少年の歩き方はおかしかった。どこか覚束ない足取りで、数歩進んでは溜め息を吐き、数メートル歩いては両手で頭を抱えてと、懊悩のパントマイムを演じながら二人の車が停車している方へと向かって来ている。

「本当に何か悩んでいるのでは?」
「……私の知り合いに、あんなパントマイムをして悩むイギリス人はいないわよ」

 応じる霧香の脳裏に浮かんだのは、イギリスに研修していた頃に知り合った警察官と、近所で付き合いのあった顔触れだった。

 そんな会話をしている間にも、ネギ少年は対向車線側の歩道を歩き続け、車中の二人に気付くことなく車の前を通過していった。

「……何なのでしょうか?」

 和泉の呟きには霧香も答えを持たず、二人して後ろを振り返り、ネギ少年の背中を眺めるしかない。

 二人の乗る車から十四、五メートルは離れた頃だろうか。
 突然、ネギ少年は背中の杖を素早い動きで両手に持つと、先端を斜め前方の車道に向けた。丁度、後続車が一台、車線変更で減速しつつ近づいているところだ。

 と、その後続車は、追突事故特有の衝突音と金属音を上げて停止した。車の前面、フロントバンパーとラジエーターグリルが、電柱か壁に激突したかのようにひしゃげ、半ば開いたボンネットの陰で、ドライバーの顔がエアバッグに突っ込んで消えるのが見える。急ブレーキを踏む軋み音はなく、ドライバーにとり予想外の衝突だったと伺える。

 霧香と和泉が思考力を取り戻すまでに数秒必要だった。

「何考えているのよ、あの子!?」

 ネギ少年が魔法で後続車を攻撃したのだと悟り、霧香は激昂しながらも事故発生を報告すべく、無線機に手を伸ばした。

 その横では、和泉が車から飛び出し後続車へと駆け寄る。バックドアを開け、二つに折り畳んだ三角板を持ち出す事も忘れない。

 事故を起こした張本人、ネギ少年と言えば、当事者としての反省や後悔の色を微塵も見せず、悠々と車道を横断すると、半壊させた車の前で腰を屈め、一匹の子猫を抱き上げていた。ひょっとすれば件の車が轢いていたかもしれない子猫だ。

「そこの君!」

 魔法で車を破壊した理由が子猫にあると知り、和泉は思わず荒げた声を上げていた。

 その剣幕に怯えたか、魔法を目撃された事への恐怖か、ネギ少年は見るからに慌てふためいた。

「警察です! 歩道に上がりなさい!」

 警察の一言で、ネギ少年の狼狽ぶりは極まった。何とも形容し難い奇声を上げ、和泉に背中を向けて走り出してしまう。

「待ちなさい!」

 三度目の声で、ネギ少年は手にしていた杖を両足の間に突っ込み、杖にまたがると飛び上がった。すぐに地面に落ちると思いきや、少年は重力に逆らい上昇を続け、二階建ての建物と同じ位の高度を保ちながら、ホテルの方角へと飛び去ろうとする。

「ネギ君!」

 まさか名前を知られているとは思わなかったらしい。ネギ少年は束の間逡巡する素振りを見せるも、結局は逃走を選び、和泉の足では到底追いつけない速度で逃げ去ってしまう。

 逃亡した少年に向け、和泉は小さく舌打ちすると、すぐに優先順位を切り替えた。

 ネギ少年の居場所は判明している。保護にせよ逮捕にせよ、身柄の確保は後でもできると自身を慰め、和泉は事故車の運転席を覗いた。シートベルトとエアバックのお陰で、ドライバーは少なくとも大怪我は免れたらしい。ひびの入ったフロントウインドウ越しに、身じろぎする姿が見える。

 減速していたとは言え、まだ時速三十キロ前後は出ていただろう。そこへ何の警告もなく、ほぼ正面から壁に激突したようなものだ。もっと大きな事故になっていてもおかしくなかった。

 他の車の通行も少ないのも幸いだ。

 ドライバーの無事を確認すべく、和泉は運転席の窓を叩いた。

     ◇◆◇

 無線で事故報告を済ませた霧香が、事故車のドライバーの元に向かうまで、僅か二、三分しか要しなかった。

 しかしその頃には、和泉は三角板を事故車後方に置いて交通整理を始めており、ドライバーは歩道の縁石に呆然自失の体で腰を降ろしていた。

「大丈夫ですか? どこか痛むところは?」

 霧香の声に、ドライバーは顔を上げた。顔色がやや青褪めているのは、事故のショックによるものだろう。

「……ええ、ありがとうございます。怪我は……ないようです」

 外見上では出血をしている箇所は見当たらず、口調も明瞭な事から、大きい怪我はないようだ。

「取り敢えず最寄りの警察署に連絡しましたから、じきに救急車も到着するでしょう」
「すみません。わざわざお手数取らせてしまって……」

 会社員らしくスーツを着た三十代に差しかかろうかと言うドライバーは、素直に頭を下げた。そしてため息とも深呼吸とも取れる大きな息を一つ吐くと、両膝をぱんと叩いて立ち上がった。

「失礼。ちょっと電話してきます」

 そう言って霧香の横を通り過ぎると、ドライバーは車の破損状態に表情を引きつらせつつ、携帯でどこかへと電話をかけた。

 電話の相手先に興味のない霧香の耳に届くのは、おそらく彼の上司だろう人物への事故の報告と、向かう途中だった取引先への謝罪の連絡を入れるよう要請だった。頃合いを計って自身も取引先へ、謝罪と無事の連絡を入れるとの話も聞こえる。もっとも、対向車のいない道路の真ん中でどうやって衝突事故を起こしたのか、ドライバー本人が理解できているはずもなく、事故原因の説明があやふやなのは仕方ない。

 通話中も首の後ろをしきりに撫でるドライバーに、首の筋を痛めたのだろうと霧香は推測した。事故直後の本人が無自覚であっても、後日怪我が判明するのはよくある話だ。

「……これって、私が説明しないといけないのかしら……?」

 内心で霧香は頭を抱えた。
 ネギ少年が何らかの問題行為を起こす事を期待していたが、このような形で実現するとは予想すらしていなかった。

「『人を呪わば穴二つ』とは言うけど、これはないわ……」

 街中で迷子になったところを保護されるのが、霧香の思惑だったのだ。まさか走行中の自動車を魔法で攻撃し、半壊させるとは想定すらしていない。

「殺人未遂……いえ、過失傷害罪というところね」

 『殺人未遂』と付けるには、ドライバーを負傷ないし最悪死亡させるのを目的で、つまり殺意を持って攻撃していなくてはならない。この事故の場合、負傷すると予測できなかったのなら『過失』、予測はあっても負傷しても構わないとしたのなら『未必の故意』となる。

 神秘の秘匿の観点から、正式に逮捕や拘束できないのは言うまでもない。加えて、殺意の有無に関係なく齢九歳のネギ少年では『少年法』ですら適用の範囲外であり、現行法でも逮捕できない。

 刑事事件として警察が取れる対応は、事故の調書を取るために彼を所轄署へ呼び出した後、彼の管理義務者の代理である麻帆良学園の誰か、あるいは使用者責任を負う麻帆良学園に、責任を問うのが限界だ。

「その後は、会社から麻帆良への損害賠償請求くらい……かしらね」

 未だ電話を続けるドライバーを見遣り、霧香は思考を戻した。

 民事面では話が異なる。ドライバーと雇用企業の出方次第だが、ただ漫然と事故を受け入れて終わり、では済ますまい。犯人が判明していればなおさらの事、ネギ少年の管理義務責任の確認と、最低でも損害賠償と治療費請求ぐらいは行うはず。

 そして問題となるのが、麻帆良学園側の対応だ。和泉ら部下三人と千草からの報告書を読み解く限り、麻帆良学園、否、その最高責任者たる近衛このえ近右衛門このえもんがまともな対処能力を有すると、想像するのは困難を極める。

 未成年を理由に、ネギ少年を責任能力のない『責任無能力者』と主張するのは良い。

 では、その責任無能力者の管理義務者ないし代行管理者としての責任、無責任能力者を教職に雇用した責任、雇用する責任無能力者の起こした事件に対する使用者責任、これら一連の組織の代表者としての善管ぜんかん注意義務を怠った責任と、全ての責任を負うのかと問えば、近右衛門は魔法で思考や記憶の操作と情報規制をしてでも、責任の追及から逃れるために奔走するように思えるのだ。

「……杞憂なら良いのだけど、ね」

 『立派な魔法使いマギステル・マギ』の魔法使いに相応しい思考を模索すれば、杞憂では済まない確信が湧いてくる。そうでもなければ、麻帆良があそこまで無法のまかり通る街になっているはずがない。

 そしてその無法を、麻帆良だけでなく京都にまで広げないための計画は、ネギ少年の起こしたこの事故で前倒しになりそうだ。

「感謝はしないけど」

 事故を起こした本人に感謝しては、警察官としては失格だろう。

 近づくサイレンの音に意識を現実に向けた霧香は、ふと、対向車線側の歩道に立つ一人の少女に目を止めた。小豆色のブレザーにチェックのスカートのいでたちは、しばらく前にホテル前で散々見かけた麻帆良学園本校女子中等部のものだ。

 霧香の注意を引き付けたものは、正確には、少女が手にするデジカメに、だ。
 少女はそうと気付かぬまま、事故車とその周囲の画像を撮影し続けている。

「……証拠になる画像があれば良いわね」

 ネギ少年が走行車へ攻撃を仕掛けたのは、霧香の車の後方だ。前方であれば備え付けのカメラで撮影もしていたろうが、さすが後方にカメラは備えていない。霧香と和泉の目撃した報告だけより、画像の一枚も付けられれば説得力が増すと言うものだ。

 少女が都合良い画像を撮影している事を期待し、霧香は声をかける事にした。

     ◇◆◆◇

「そこの中学生」

 声に出した直後、霧香は高圧的すぎたと反省した。
 少女はデジカメで撮影する手を止めると、邪魔をされたとばかりの不快感を、上げた顔に浮かべた。

「警察です。ちょっとこっちへ来なさい」

 そんな少女の表情に、数秒前の反省を取り消した霧香だ。本人としては親交のつもりの妖艶な笑みを口元に湛え、焦げ茶色の警察手帳を広げて見せた。

 警察との説明に、しまったと言いたげに顔を歪めた少女は、ネギ少年のように逃亡はしなかった。素直に道路を横断すると、手招ねかれるまま霧香の覆面パトカーの後部座席に腰を下ろす。

 霧香本人は立ったままだ。

「呼び止めてごめんなさいね。警視庁特殊資料整理室のたちばな霧香警視です」

 そしてもう一度警察手帳を広げ、手帳の人物に相違がない事を確認させる。

「まずはあなたの名前と学籍を教えてもらえるかしら?」
「……朝倉和美(あさくら・かずみ)。麻帆良学園中等部、三年A組。出席番号……」

 昨年の二〇〇二年秋に一新された警察手帳を目にしたのは初めてだったのか、好奇心も露わにまじまじと手帳を見詰める少女に、霧香は半分呆れた。

「では早速要件だけれど、あなたが撮影した画像、見せてもらえるかしら?」

 この一言で、和美が警戒レベルを一段階上げたのが観察できた。

「……理由を聞いても?」
「今の事故の画像、使える物があれば証拠として提出してほしいのよ」

 霧香は視線をずらし、事故現場を見遣った。和泉は京都府の警察官に交通整理の引き継ぎの最中で、首筋を押さえたドライバーは救急車に乗り込むところだ。他にも警察官が三名、現場検証を始めているのが見える。

 管轄違いの霧香が少女を止め置けるのは、あと数分だろう。その後は管轄の警察官の判断に委ねるしかない。

 和美も現場を一瞥し、口元を歪めた。

「いやぁ、申し訳ない。現場の撮影はしたんですけど、事故った時の写真はさすがに……ねぇ」

 最初の警戒心はどこへやら、へらへらと軽薄に笑いながら頭を掻く少女に、嫌な目つきだと、霧香は抱いた印象を押し隠した。

 小狡さと小賢しさが同居した小悪党と言ったところか。他人を陥れる種を撒き、それで慌てふためく様を高みから見物して高笑いする。そんな印象の少女だ。警察手帳を見詰めていた時も、確認と言うより値踏みされていた感じだ。

「それでも確認させてもらえるかしら? 使えるかどうか決めるのは警察だから、あなたが心配する必要はないわ」

 現場写真の撮影を始める警察官達を視界の隅に収めながら、相手の出方を伺う。

「ん~……。警察に協力はしたいんですけどねぇ……」

 考える素振りの和美の歯切れは悪い。

「これでも卒業文集用に、クラスのみんなの写真を撮るカメラマンをしているんで、他の写真も入っているんですよ」
「……つまり、警察には見せられない写真もある訳?」
「いやいや。そんなものありませんよ」

 ぱたぱたと和美は手を振った。どう見ても同年代の友人に対する態度であり、年長者に対するものではない。

「ただ、ほら。やっぱり、恥ずかしいじゃないですか。他人に写真を見られるのって」

 意味不明な理由で逃れようとする少女に、追及は難しいと霧香は判断した。

「そう、それは残念ね……」

 任意による協力が得られないなら強制するしかなく、そのためには令状が必要だ。その令状を申請する資格が、今の霧香にはない。事故関係でどんな映像が撮れたのか興味は尽きないが、それも京都府警察署に任せる事にする。

「でも写真が駄目でも、事件は目撃したでしょ? せめてその証言はしてもらえるかしら?」

 途端、和美の視線は宙を泳いだ。

「あ~……あれ、ですか……?」

 その一言で、ネギ少年の一連の行動を目撃していたのが知れた。

「ええ。見たままの証言をしてほしいの」

 ドライバーの運転ミスによる事故、ないし走行妨害による傷害事件、そのいずれかを匂わせる発言は、相手に先入観を持たせないため意図的に口にしない。

 和美はしばらく虚空に視線をさ迷わせてから、霧香と視線を合わせた。

「……あれって……お姉さんも見たんですよね。ネギせ……さっきの男の子、空を飛んでいましたよ。何なんです?」
「さあ? それも含めて事件を解明するのが警察の仕事ね」

 ネギ少年の名を隠そうとした和美に、とぼけた答えを霧香は返すと、僅かに目を狭めた。

「ひょっとして、知っている子だったりするのかしら? だとすれば、教えてもらえると手間が省けるのだけれど」

 和美が三-Aの生徒を名乗った時点で、ネギ少年が受け持つクラスの生徒なのは承知している。しかし既知と告げるのは別の話だ。

「……いやあ、申し訳ない。知らないです」

 当初の軽薄さを取り戻し、にやりと口元を歪め後頭部を掻く和美の反応は、霧香が半ば予想していた通りだった。警察に協力するより知人の身を守る方を選択するのは、この年頃では普通なのかもしれない。

「本当に? 間違いないわね?」
「本当ですよ。疑うんですか?」

 確認する霧香にも、和美の返答は変わらない。

「そんな事ないわよ。犯人蔵匿の容疑をかけたくないから、確認よ」

 事実を知るとは、霧香はおくびにも出さない。
 釘を刺された形になった和美は、一瞬頬肉を強張らせるも、すぐに元の軽薄な笑みを取り戻した。

「なら、証言してもらっても問題ないわね」

 え、と再び和美が顔の筋肉を硬直させるのを、見て見ぬふりをした霧香が視線を逸らした先には、制服の警察官と一緒に戻ってくる和泉がいた。

 ご苦労さまと霧香のねぎらいに一礼すると、和泉は後部席の麻帆良学園の制服の少女に目を向けた。

「橘警視、そちらの学生は?」
「目撃者よ。この件で証言してくれるって」

 霧香の説明は予想外だったのだろう、事の成り行きに目を丸くする和美に、二人は成る程と頷いた。霧香と同様、京都府内は管轄外の和泉は一歩脇へ退き、警察官にその場を譲る。

「それは助かります。では、こっちへ」

 警察官はわざとらしい咳払いを一つすると、和美に立つよう促した。

 京都府警察署本部で予定しているネギ少年の保護計画に、この警察官も参加しているのかどうか、さすがに先日の出席者全員の名前と顔を覚えているわけではないので、霧香には分からない。人員配置の関係上、そうだろうとの推測に留まる。

「さて、どこまで話を聞き出せるかしらね」

 戸惑いの声を上げつつ、京都府警察署のパトカーに連れて行かれる少女を目で追う霧香の関心は、その一点に注がれていた。

 警察官だと明かした自身に平然と嘘をついたのだ。ネギ少年の名前や似顔絵が出てくるとは期待できまい。せいぜい目撃調書の一件として活用できる程度だろう。

 それが霧香の推測だ。

 それはそれで構わない。
 彼女の言動を見る限り、魔法の存在には無知だと知れた。今回の事件で魔法の存在を知るに到っても、自動車の半壊状態から危機感を持ち、魔法を避けて通るようになれば良い。危険を想像できない愚鈍さでも、目撃調書を取られる過程で気づけるだろう。

 そんな希望的観測が、その日のうちに覆されるとは知る由もなかった。

     ◇◆◇◆◇

 ネギ少年の起こした傷害事件により、身柄保護を予定していた四月二十六日が、この事件の翌日二十三日に前倒しされたのは、事件発生から二時間以上も経ってからだった。

 当日の二十二日とならなかったのは、被疑者少年の実年齢が九歳であり、夜間に連れ出すのはさすがに躊躇われたこと、そして身元と宿泊先さらには現在地まで、警察側で把握していたことが理由だ。

 事件後のネギ少年の逃亡先は、『嵐山ホテル』に張り込んでいた京都府警察署本部の警察官が把握していた。麻帆良学園本校女子中等部の動向を伺っていたのは、何も霧香と和泉の二人だけではない。ネギ・スプリングフィールドと龍宮真名の両名を安全に保護すべく、私服の警察官が数名、彼らの滞在するホテルに派遣されていたのだ。

 土地勘のない京都を闇雲に逃走し続けるには無理があったのか、それとも現場から離れれば警察に追われないとの短慮の末か、和泉の誰何すいかを振り切ってしばらくして、ホテルに悠々と戻ってきた彼を、張り込み中の警察官は目撃したのだった。

 しかし、ネギ少年を保護するタイミングに、彼の都合をおもんばかったのは失策だった。

 事件の目撃者である朝倉和美が、悪い意味で麻帆良住人であることを、霧香や京都府警察署が見誤ったのもある。彼女の愚考愚昧ぶりは、麻帆良の異常さの証左でもあった。

『ラブラブキッス大作戦』

 和美がクラスメートの約半数を教唆・幇助(ほうじょ)して実行したゲームの名称である。だがその実態は、ゲームの名を借りた『児童虐待』かつ『集団強制わいせつ』行為の名称だ。修学旅行の班別に代表者を出し、内容を知らされていないネギ少年にキスをしようというのである。

 保護対象のネギ少年に迫る危機に、変更されたばかりの保護予定が、さらに繰り上げられたのは言うまでもない。

 そして同日二十二日二十三時三十分、私服・制服の警察官隊が嵐山ホテルに突入。

 首謀者であり、かつゲームを録画・中継していた朝倉和美と、暴れる三-Aの生徒達を『集団強制わいせつ』の疑いで現行犯逮捕したのは、日付が四月二十三日に変わろうかと言う時刻だった。








◎参考資料◎
・安全運転博士・みかみのゴールド免許の取り方教えます『46.事故を起こしたときの対応は?』
・今井亮一『警察官またはパトカーの制止をふり切って逃げたこのあとどうなる?』今井亮一の交通違反相談センター、2008年4月4日
・会社法であそぼ。『善管注意義務』2009年4月22日
・自動車保険・後遺障害の申請等 交通事故専門サイト『使用者責任について』
・トラックドライバーのための安全運転アドバイス『故障と停止表示器材』
・ハル『男性の性被害について』If He is Raped、2001年2月21日
・ほ~納得!法律相談所『学生が起こした事故につき、学校にも責任があると言われたが?』2003年6月30日
・モトケン『高速道路に投石、器物損壊?』元検弁護士のつぶやき、2007年6月3日
・Auto Trader『車の部品の名称、部品の呼び方、フロント廻り・ボンネット等』
・Wikipedia『朝倉和美』
・Wikipedia『過失』
・Wikipedia『過失致死傷罪』
・Wikipedia『監督義務者の責任』
・Wikipedia『器物損壊罪』
・Wikipedia『警察手帳』
・Wikipedia『交通整理』
・Wikipedia『使用者責任』
・Wikipedia『責任能力』
・Wikipedia『注意義務』
・Wikipedia『わいせつ』



[32494] 第八話 教師
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/04/17 20:25
 それは不意打ちだった。

 学生の数あるイベントでも最大級の修学旅行。

 四泊五日の旅行で、教師の目を盗んで深夜のゲーム。
 宿の従業員や他の宿泊客には迷惑だとしても、楽しい思い出作りのためなら、気に病む程もない些細な行為。
 ひょっとしたら、後で生活指導の教師に叱られるかもしれないけれど、それはそれで思い出作りの対価と考えれば安いものだ。

 そう、全ては中学生時代の思い出作りのため。
 ……そのはずだった。

 誰が予想できる? ゲームが最高に盛り上がったただ中に、警察官隊が乗り込んで来ると。

 三-Aの生徒全員は、ほぼ同一の思考で占められていた。

「どうしてこうなった?」

 生憎にも、警察官隊は忙しそうにあちこちを行き来し、彼女達の相手をしてくれそうな人物は見当たらない。

 さしもの能天気と軽挙妄動が売りの三-Aの面々でも、公権力に噛みつく愚は知っていた。事態の深刻さは理解できなくても、少なくとも雰囲気を感じ取る事はできたのか、不安な面持ちを浮かべながら、おとなしく状況に任せるままだ。

 そうしているうちにも、ゲームには直接参加せず、部屋で観戦していた生徒達までが一人また一人と警察官達に連れられ、ゲーム参加者達とは少し離れた場所で一個所にまとめられていった。睡眠中を起こされ、眠い目をこすっている生徒も一緒だ。

 例外は朝倉あさくら和美かずみだ。

 今回のゲームの発案者にして運営管理者、そしてトトカルチョの胴元も兼ねる彼女だけは、左右の腕を二名の警察官に取られ、半ば引きずられるようにロビーに連行されてきたのだ。手錠はかけられていなくても、その様は連行される犯罪者そのものだ。

 混乱と恐怖に顔を蒼白にさせた和美は、声を出そうにも声にならないのか、陸に上がった魚のように口をぱくぱくさせながら、二つのグループから離れたソファの一つに腰かけさせられた。

 その左右に連行した警察官が立ち、逃亡も接近も許さない構えを取る。

「……ようやくここまで来たわね」

 京都府の警察官達の手際の良さに、霧香きりかは内心で舌を巻いた。

 しばらく前まで、家名を理由に警察の干渉を声高に拒絶していた生徒や、突発イベントと誤解し嬌声を上げて逃げ回る生徒、腕試しとばかりに戦いを挑みかけた生徒、いつの間にか外に出て非常口のピッキングをしていた生徒など、常識や良識を疑う数々の奇行の現場も押さえられ、今はおとなしいものだ。

 ホテル内で張り込んでいた私服警察官から、三-Aの生徒に胡乱な動きがあると報告が上がってから一時間弱。明日に予定されていた保護計画を繰り上げ、大きな混乱もなく取り締まりに動けた錬度の高さは、さすがと言うべきか。

「そうですね」

 隣で成り行きを見物している和泉いずみが同意した。

「麻帆良が何を考えているか、なおさら分からなくなりましたけれど……」

 和泉の視線は、両手の手錠を紐で腰に結わえられ、警察官三名に取り囲まれたサイドテールの小柄な少女に向けられていた。先日の麻帆良で、和泉や千草に切りかかってきた辻斬りの少女だ。

「……ここでも日本刀を携行して、警察官に切りかかるとは思ってもいませんでした」

 そう零す彼女のスーツの襟は、半ばから力なく垂れ下がっていた。抵抗する少女を取り押さえる時に切られたのだ。警察官隊同様、防弾ベストをスーツの下に着込んでいたため怪我はない。

 和泉の視線が辻斬りから離れないのと同様、霧香の視線は先程から、ゲームの主催者から離れずにいた。ネギ少年が魔法で車を半壊させた現場を目撃したにも関わらず、その危険性を微塵も想像できず、喜び勇んでクラスメートを魔法使いに売り払おうとした愚かな少女だ。

「カタギの生徒相手に、仮契約を結ばせようと画策する連中よ。理解できるとは思えないわね」

 魔法使いが用いる『従者契約(パクティオー)』は、魔法使いを除き、その存在を知る有識者からは問題視されている。

 まず、日本の商法や『特定商取引に関する法律』で規定されている契約説明の徹底義務や、クーリングオフ制度の欠如、契約概要書が存在しない等の諸々の不備がある。これは本来なら、契約として成り立ちようのない代物だ。しかし魔法使いの間では、正式であれ仮であれ、契約として受け入れられている。

 金銭が介在しないため、既存の法律では取り締まれないのも問題だ。それを逆手に取り、魔法使い達が好き勝手にやっているのを、隣で指を咥えて眺めるしかなかった警察官が、一体どのくらいいるだろうか。

 次に、契約時に解約方法の説明を怠っている事だ。これも説明義務の中に含まれているのだが、説明側の大半が義務を怠っているのが実情だ。さらに悪い事に、日本の法律では契約が成立していないからと、警察や消費者センターを通して苦情と仮契約の破棄を持ちかけようにも、魔法使い側が解約に応じない限り、いつまでも不本意な契約が維持されてしまうと言う、何も知らない一般人が一方的に略取される契約だ。

 その他にも、社会的立場を持たない未成年者や学生を、契約の対象としている点などの問題もさることながら、最大の難点は、魔法使いの従者契約を主催する組織の現地法人が、日本国内に存在しない点だろう。

 これでは仮に、順法意識を持つ良識的な魔法使いが仮契約の破棄に応じようにも、主催組織が自国の法律を盾に、対応を拒絶する可能性を示している。日本支部としての法人格を有していれば、経産省なり地元行政なりで処罰が可能になるのだが、国外では対応のしようがない。

 ましてや主催組織の所在地は一般人に知られておらず、『関東魔法協会』が日本国内で唯一の取り次ぎのできる組織だ。それとて主催組織とは別組織のため、確実に対応できるとは言えず、そもそも法人格を持ない非公式組織ゆえ、世間では協会の存在すら知られていない。

 万が一仮契約など交わそうものなら、解約は非常に困難だ。

「今回はそれを防げたのも成果の一つかしら」

 魔法使いの仮契約は、見方によっては「商品を送ったから代金を払え」と請求する『送り付け商法』とも大差ない。いや、金銭の代わりに身柄を要求し、召喚の形で誘拐が可能な辺り、より悪質だ。暴力団のいわゆる『杯を交わす』のと同じと思っても良いだろう。関わったが最後、抜け出すのは絶望的だ。

 今回のゲームを装った人狩りの企みは、幸いにも警察官隊の介入により阻止され、仮契約の魔法陣も霧香と和泉の手により速やかに破壊されている。

「もっとも、彼女には関係ないでしょうけど」

 和美に向ける霧香の口調に、同情を感じさせる響きは微塵もない。
 今回の三-Aの生徒を狙った仮契約の企みは、見方を変えれば『略取・誘拐罪』が適用される事件だ。ゲームと称した姦計を用い、未成年者の身柄を魔法使い――この場合ネギ少年――の支配下に置こうとしたのだ。誘拐の要件を満たすのに暴力の有無は関係がなく、罪状を問うには十分だ。

「……不処分で済む事はないでしょうね」

 和泉も同意見だった。

 その行為に加担した和美が、無罪放免で済むはずもない。誘拐の片棒を担ぐと知らなかったとして、また、未成年者の立場から無知が酌量されたとしても、クラスメートに詐術を用い、騙していたのは否定のしようがない。『関東魔法協会』の名前が公になれば最後、どう甘く見積もっても保護観察は免れず、不処分で見逃してもらえる事はあるまい。

 この時の霧香や和泉は知る由もない事実に、この数時間前に和美は、副担任に変装して成りすます『プライバシーの侵害』と、ネギ少年から魔法の存在を聞き出した後に『脅迫』も行っている。その上で、仮契約のためのゲームの主催と賭けの胴元を請け負っており、その際に判明した他の犯罪も鑑み、初犯にしては重い処分が下される事になる。

「でも最大の成果は……何と言っても、彼ね」

 霧香はようやく少女から外した視線を、私服の女性警察官に連れられた赤毛の少年に向けた。

 ネギ・スプリングフィールドだ。
 朝倉和美と同じく顔を紙のように白くし、女性警察官二名に挟まれてロビーに現れたネギ少年は、三-Aの生徒達が集められている光景すら満足に目に入らないらしい。俯き加減に小さく動く口元から、何かしら呟いているのが知れる。

 その三人の後ろに続く数人の警察官の姿に、霧香達は眉をひそめた。後頭部や肩や腕を押さえる者、同僚の肩を借りて足を引きずる者、鼻を摘まみ天井を見上げる者など、目にも明らかな負傷者だ。

「抵抗されましたね」

 言わずもがなな和泉の指摘に、霧香は口の中に広がる苦い味を飲み込んだ。ネギ少年への接触には慎重を要するとの注意喚起は、十分ではなかったようだ。

 『被虐待児症候群』に見られるように、物心つく前から『立派な魔法使いマギステル・マギ』の思想に染められ、十にもならない身で労働させられる虐待を虐待と感じずに育った少年が、救援に差し出された手を跳ねのけ、かんしゃくを起して暴れるのは想像できた反応だ。

「どう話しかけたのかしら」

 子猫一匹助けるために、平然と走行中の自動車を攻撃し、見咎められれば逃走する反社会的気質の持ち主なのだ。下手な接触をすれば、暴れ出すのは目に見えていたはず。

「……あるいは、かんしゃくの沸点が異常に低かったのかもね」

 修行を理由に警察への同行を渋るネギ少年へ、警察官の一人が迂闊にも修行の中止を口にしてしまったため、恐慌を起こした彼が魔力を暴走させ、警察官達を吹き飛ばしてしまったのだと、二人が知るのは後の事だ。

 ひとりごちる霧香に怪訝な視線を向けた和泉だったが、あえて尋ねる手間はかけなかった。

 それよりも、客室に続く廊下から足早に現れた男女に、二人の注意は向けられた。
 五十代に手の届きそうな男一人と、二十代後半から三十代前半と思しき男女の三人だ。魔法使いか否かはともかく、引率の教師達で間違いないだろう。

 警察官が集団で行き来し、三-Aの生徒のほとんどがロビーに集められている光景に、三人は一瞬で絶句した。

「……い、一体、何の騒ぎですか!」

 教師としては見たくない光景の五指に入るだろう惨状に、しばしの硬直から立ち直り、気を取り直すや声を上げた年配の男に、霧香と和泉の二人は胸の内で同情した。

     ◇◆◇

 引率責任者の新田教諭がロビーに飛び込んできたのは、警察官隊の突入から十五分もしないうちだった。

 ざっと見ただけでも二十人はいる警察官に目を剥き、数呼吸後には大まかな状況を把握する。伊達に長年教師をしてはいない。防弾ベストまで着込み、物騒な事態まで視野に入れている警察官達に、新田は生唾を飲み込み、ネクタイを締め直した。

 経験則から、『警視庁』のロゴの入ったジャケットを着た女が全体を俯瞰ふかんし、警察官隊の行動を把握している人物、と見て取るのは難事ではなかった。

「ちょっとよろしいですか?」

 隣の女性警察官との打ち合わせに一区切りついたところを見計らい、女に声をかける。

 振り返った女は、予想していたよりも若かった。まだ二十代の半ばと言ったところか。髪をひっつめにまとめ上げ、薄化粧を施しただけの白い肌に紅い唇が、警察関係者と一見で思わせない妖艶な美女だ。ジャケット下には濃紫色のスーツとスカート、同系色のハイヒールと、服装もどこか警察関係者にしてはアンバランスだ。

「失礼します。私、麻帆良学園中等部の教師で、修学旅行の引率責任者の新田と言います」

 新田の自己紹介に、女は一瞬眉根を寄せ、次いで妖しい笑みを浮かべた。本人としては親しみのある笑みのつもりなのかもしれないが、傍から見ると身を一歩引きたくなる笑みだ。

「警視庁特殊資料整理室室長、たちばな霧香警視です」

 聞き慣れない部署ながら、相手の階級の高さに新田は軽い眩冒めまいを覚えた。今回のこれは、単純な通報による成り行きではなく、前もって計画されていたものだと、即座に理解できてしまう。

 しかし相手の階級に気押されたりはしない。事は、生徒全員の将来がかかっているのだ。

「……一体これはどういう事ですか。うちの生徒……特に三-Aの生徒はうるさすぎる位に騒々しいクラスですが、警察のお世話になるような生徒は……」
「新田先生のお気持ちは察しますけれど……事はもっと深刻です」

 言葉尻を濁らせた新田に、告げるべきか否か視線をさ迷わせ、目立たぬよう重い息を吐いて霧香は続けた。

「三-Aの生徒達ですが、各班から代表者を出し、就寝中の担任の部屋に忍び込み、キスをするゲームをしていました。幸い、担任は中庭をうろうろしていたため、実害はありませんでしたが。しかも不参加の生徒にはゲームの進捗を観戦できるよう、ホテルに無断でビデオカメラを設置していました」

 宿泊施設に限らず、建物内に無断でカメラを仕掛ける自体、常識を疑う行為だ。カメラ設置の際に建物に傷を付けていれば、その時点で器物損壊罪まで成立する。

 霧香の説明にも、頭を上げた新田は顔色一つ変えずに耐えた。この辺りは年の功というものだろう。

「……そ、それは確かに問題ですが、せいぜいキス程度ではないですか。警察が出てくる必要は……」

 それでも、声が心持ち震えるのは止まらない。

「キス程度……ですか」

 事態を重要視していないのか、意図的に軽くしようとしているのか、引率責任者の顔色からは伺えず、次に紡ぐ言葉を探して霧香はしばし間を置いた。

「それが、麻帆良学園の教師間における共通の認識。そういう事でよろしい?」

 霧香の声音は、隣の和泉が半歩距離を開ける程に冷ややかだった。

「念のためお聞きします。ひょっとして新田先生は、男子は性的暴行を受けない、あるいは異性から襲われるのはご褒美だとか、その程度で傷つくのは男らしくない。そういう考えなのですか?」

 新田の世代を考慮すれば、そのような思考を持っているとしても何ら不思議はない。むしろ、女々しい質問と切り捨てる方だろう。

 是非を口にせず、沈黙を返答に変える新田の態度から、どう考えているのかは伺い知れた。

「でもこれは、とんでもない組織的計画犯罪なのですよ? 行事の旅行で宿泊中、本人が別室で休んでいる裏で、実際に実行するのは十人前後とは言え、異性三十人近くが寝込みを襲う計画を立案。実行者の中には相手の抵抗も考慮して、体格差が三十センチ以上もある人物や格闘技の実力者を入れ、そして実行者達以外は、誰が最初にキスを奪うかの賭けをして、その現場を中継で観戦。止める者なし、通報する者なし。しかも全員、毎日職場で顔を合わせる間柄です。何も知らされずに見世物にされる当人としては、たまったものではないでしょうね」

 霧香としては現実を淡々と語っただけで、悪意を込めた改鼠かいそはしていない。それだけに、中学生が遊び感覚で行なったおぞましい行為に、胸中に嫌悪感が込み上げてくるのを止められない。ネギ少年を無事に保護できた事実が慰めだ。

「さらに中学生とはいえ、十人以上で一人を取り囲むんです。キスだけでは済まない危険もあったのでは? 教師側の合意はなかったようですし、暴行なら合意も何もあったものではないでしょう? ああ、合意の元でキスゲームとなれば、別の意味で問題になりますか」

 教師が生徒にキスをすれば、強制わいせつ罪が成立するのだ。生徒から教師にキスをすれば成立しない、などと理屈は通じない。寝込みを襲う非常識連中の行動が、キスだけで終わるという保証もない。

「しかも担任のネギ・スプリングフィールド君、九歳の子供じゃありませんか。それを十代女子が寄ってたかって……集団で児童虐待ですか」

 胸中のむかつきを押し隠し、妖艶な笑みは崩さずに強い毒を吐く。
 ネギ少年が児童虐待を受けている現状を利用し、麻帆良の魔法使い達を一掃する計画を着々と準備してきたのだ。そこへ女生徒達が手ずから、性的虐待の容疑を銀盆に乗せてやってきたとなれば、手加減や遠慮を加える理由が思い付かない。

「いえ、そんなことはありません。彼はただの子供ではなく、飛び級で大学を卒業しています。当学園で教師をしているのは、彼のような子供でも教職としてやっていけるのか、そのテストです。無論、教師としても十分やってくれているのが、その証明です」
「それが不思議なのですよ」

 霧香はわざとらしく両腕を組み、人差し指を立てた。

「何で飛び級制度のない日本で、わざわざ海外から子供を呼び寄せてまで、そんなテストをする必要があるのか、ですね。制度のある国がやるべき事でしょ?」

 ウェールズにも飛び級制度はありませんしね、とさり気なく補足し、ネギ少年の大卒相当の学力と言う建前にも、疑惑があると指摘するのも忘れない。

「まあ、えてして役所にはそういう意味不明な行動を取る時がありますから、そこは文科省なりの思惑があるのでしょう。置いておきます」

 次いで、霧香は中指を立てた。

「そのような導入試験を行うなら、まずは当然官報で公開し、パブリック・コメントを集めますし、モデル校の募集もするものですよね? 教育の世界には生憎と疎いので、私が無知なだけかもしれませんが、そのような導入試験の話、私は聞いたことがありません。新田先生はご存知でしたか?」

 霧香の確認に、新田は記憶を掘り起こすように微かに口元を歪め、首を横に振った。

「いえ。残念ながら……」

 そうでしょうと霧香は頷き、薬指を立てた。

「ネギ君のような子供を教職に就けるテストが行われているなど、私も初耳です。京都府の警察官にも聞いてみましたけれど、少なくとも府内でそのようなテストの行われている学校はないそうです」

 ここに到り、自分の所作が失礼だと気づき、霧香は腕組みを解いた。

「府内の公私立学校に問い合わせたのでないので、正確なところは不明です。……本当にそのような試験、文科省なのか厚労省かどこが主導なのかはともかく、麻帆良学園は許可を得て行っているのですか?」

 公式に許可が出ていれば、ネギ少年を被虐待児童として保護する許可を、京都府知事の名前で得るのは難しかっただろう。その事は口にしないし、触れない。

 今度の霧香の問いに、新田は答えを返さなかった。答えられないのか、沈黙で答えようとしているのか、困惑の度合いが増す新田の目からは読み取れない。

「そちらの方が本職ですから、こちらから指摘するまでもありませんけど……外国で飛び級して大学を卒業していても、日本に来れば日本の法律に従い、年齢相当の学校に通わなくてはならない。間違っていますか?」

 保護者が日本国籍を持つなら、の前置きを付ければ霧香の指摘は正しい。言い換えれば、保護者が外国籍の場合、その子供に日本国籍のない限り、法律上、就学義務は課せられない。ネギ少年の国籍が日本国外であっても、彼の国内滞在中の管理義務者が日本人であるなら、就学義務が課せられるとの判断は可能だ。就学義務を課せられないにしても、年齢制限のある教師職への就労は、明白な違法行為だ。

「……ええ、まあ……その通りですね」
「では、ネギ君の管理義務者について、何かご存知ですか?」

 未成年や心身の障害により、責任能力を有さないと判断される個人には、その責任を肩代わりする管理義務者が存在する。未成年者の場合には親がそれに該当し、在住する社会で問題や軋轢を起こさぬよう、教育・指導する義務がある。親の目の届かない学校内で起きた事故や事件には、担当教師や学校が代行義務者として、その責を負わされている。

「ええ。確か……学園長の近衛このえが代行を……」

 途中まで言いかけ、新田は心持ち青褪めた。麻帆良では<認識阻害の結界>で歪められていた悟性が、京都の地まで離れたことで機能し始めたのかもしれない。

「学園長……近衛と言いましたか? そちらの学園長が代行義務者で間違いないのですね?」
「いや、ちょっと待って……え、だけど、まさか……」

 すかさず言質を取ろうとする霧香に、新田は更に困惑の色を深めた。見た目の表情は変わらず、眉間に寄ったしわが増えたくらいの変化だ。

 齢十にもならずに故国を遠く離れて生活するネギ少年を、責任無能力者な年齢を知って雇用し、同じ責任無能力者でも年上の女子中学生達の担任に据え、それに係る代行義務者としての責任を持たせ、なおかつ麻帆良学園全体で彼の行動を野放図に放置している。いかにテストを称しても、教育機関としての在り方そのものが問われる醜聞ではなかろうか。

 いや、教育機関として、既にあり得べからざる事態だろう。ネギ少年の代行義務者がいようといまいと、放置できる問題ではない。

 そして近右衛門の管理義務者としての資質は言わずもがな、評価以前の問題だ。

「十四、五歳の中学生を、年下の十歳の担任が代行管理者として指導する。私見としては、無茶もはなはだしいですね。勿論、生徒の仕出かした事件には、担任として管理者として、指導力と責任が問われます。責任を問われる担任に、責任無能力者を雇用する麻帆良学園に対しても、ですが……。それは今さら語るまでもないでしょう?」

 今回の事件は、管理能力不足が原因で、起きるべくして起きたものです、と霧香は締め括った。

 魔法使いが絡めば、容易く黙殺されてしまう言い分だ。能力主義・実力主義と言えば聞こえは良いが、所詮は近右衛門の胸三寸の話だ。近右衛門が教師と魔法使いの立場、どちらを重視しているかは、敢えて触れるまでもない。

 悟性が正常に働くようになった新田は、返す言葉すらなかった。なぜこんな無茶ぶりを今まで疑問に思わずに受け止めていたのか、記憶を探ろうとしているのかもしれない。

「そのような理由から、ネギ君をこれ以上、麻帆良学園の責任下に置いておけないと判断し、保護する事となりました。……未成年者に労働を強いている時点で、ネギ君を保護する理由として十分なのは、理解していただけると思います」

 新田は思案気に眉間にしわを寄せたまま無言で答え、若手二人の教師は苦々しいものを見る目で霧香をねめつけた。

「話は少し変わりますけれど……」

 懊悩おうのうする新田に構わず、霧香は別件の重要な話を持ち出すことにした。

 目配せで意を受けた和泉が場を離れ、近くにいた女性警察官二人を伴い戻ってくる。

「三-Aの生徒達の所持品を調べたいので、協力願えますか?」
「……所持品、ですか?」

 新田は怪訝そうな顔を、若手の教師二人は警戒するかのように身を強張らせた。
 ええ、と霧香が首肯する横で、和泉がこれ見よがしにスーツの襟を摘まんで見せた。

「そちらの生徒が一人、日本刀を携行し、呼び止めた彼女に切りかかりました。『銃砲刀剣類所持等取締法』違反と『公務執行妨害』で現行犯逮捕しています」

 ただでさえ良くない顔色をさらに悪くする新田に、霧香は無情に続けた。

「生徒の氏名は、プライバシーに関わるので教えられません。他にも刃物の類を持ち運んでいる生徒がいないか、確認するためにも協力をお願いします」

 生徒の一人が逮捕されたからと、残りの生徒達の所持品検査をするなど、プライバシー尊重の観点から許される行為ではない。ゆえに、生徒の管理義務を負う教師、特に引率責任者を説得し、同意を得る必要がある。

「……分かりました」
「新田先生!」

 三十秒近く熟考し、重々しく同意の言葉を吐いた新田に、若手二人が抗議の声を上げた。生徒の自主性、生徒の信用云々と、霧香達が呆れ返る理由を並び立て、所持品検査が不要だと主張する。

「そうもいかないでしょう」

 一言の元に新田は切り捨てた。

「三-Aだけでここまで問題を広げているんです。生徒の自主性を重んじるなら、ここは警察に協力するべきです」

 それでもなお言い募ろうとする男性教師を一睨みで黙らせ、霧香と向き直る。

「見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。所持品検査に異論はありません。ただし私とみなもと……こちらの女性教師も同行します。瀬流彦せるひこ先生は、自分のクラスの生徒達が騒ぎを起こさないよう、監督を」

 残る男性教師に指示を出す新田に、霧香は嫣然えんぜんと微笑んだ。
 龍宮たつみや真名まなに任意同行を求める予定で、打ち合わせではあわよくばの程度だった現行犯逮捕に到れる可能性が出てきた。さらに追加で、『関東魔法協会』所属で銃器類・刀剣類を持ち込んでいる生徒を逮捕できる見込みが出れば、表情も弛みがちになろうと言うものだ。

「ええ、勿論。むしろ引率の先生方には、一緒に確認に回ってもらいたいと、お願いしたかったところです」

 余りにも都合良く転がる状況に、魔法使い側の何かしらの計略にかかっているのではないか。

 そんな漠とした不安感を、霧香は思考の片隅に押し退け、和泉の連れてきた警察官達に軽く会釈した。

「後はお願いします」

 引率教師の合意があるとは言え、警視庁の霧香達が所持品検査に立ち会うのは難しい。後ろから観察するだけで、ここは管轄の警察官達に任せるべきところだ。

 和泉と警察官二名、そして新田と源の二人の教師らが三-Aの生徒達の部屋に向かうのを、霧香と瀬流彦と言う男性教師が見送った。







◎参考資料◎
・一分雑学『検挙と逮捕』
・くろたけ『男の子や男性はこんな性被害にあっている。(実例集)』If He is Raped.
・くろたけ『男性への性的虐待についての「事実と偏見(神話)」』If He is Raped.
・警視庁『ネガティブ・オプション(送り付け商法)』
・総務省法令データ提供システム『特定商取引に関する法律』
・Wikipedia『児童性的虐待』
・Wikipedia『飛び級』
・Wikipedia『被虐待児童症候群』
・Wikipedia『誘拐』
・Wikipedia『略取・誘拐罪』



[32494] 第九話 魔法先生
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/05/18 03:08
 この数分で焦燥し、一気に老け込んだ感のある新田に同情しつつ、霧香は人目に付かないよう小さく溜め息を漏らした。

 二重の計画の前倒しに、警察官達に多少の混乱はあったものの、ネギ少年を乗せたパトカーがホテルを発ったのは横目で確認している。辻斬りの少女は凶器の日本刀を取り上げられて現行犯逮捕、ゲームの主犯、朝倉和美も証拠の映像の隠滅を目論見んだために緊急逮捕。いずれも護送を待つ身だ。

 これでネギ少年と辻斬りから『立派な魔法使いマギステル・マギ』の名前を引き出せれば、違法活動する組織として、大々的に麻帆良学園に捜査のメスを入れられる。

 たとえ組織の名前が出なくとも、近右衛門の名前が出れば王手がかかったのも同然だ。

 表では麻帆良学園の学園長、裏では『関東魔法協会』の理事を兼任する近衛近右衛門が、独裁者として君臨しているのが麻帆良だ。しかも独裁者特有の自信過剰、傲慢、傲岸、人間不信から、トカゲの尻尾切りに使える腹心の部下を置いていない。自分を追い落としかねないから、有能な後釜を育てていない。

 右腕と見られがちなタカミチ・T・高畑にしても、日頃の扱いから見るに、腹心の部下と言うよりは使い勝手の良い駒程度の扱いだろう。

 近右衛門さえ潰せば、表裏共に麻帆良は容易に瓦解する。万が一近右衛門を潰し切れなくても、この事件で麻帆良の信用は地に堕ちる。教育と言う国の根幹に関わる現場で、特定の思想を持つ組織により運営されていたとなれば、しかもそこの最高責任者が指揮を執っていたと知れれば、文科省が動かなくとも人は勝手に離れるだろう。

「警戒は魔法使い達の妨害ね」

 声には出さず、口の中で言葉を転がす。
 特に記憶消去や認識阻害など、思考を誘導する魔法には要注意だ。
 魔法使いによる事件の隠蔽を妨害できれば、最低限の目的は果たされる。

 物思いと新田の存在を振り払うと、霧香は意識を現在に切り替えた。麻帆良に変な耐性を付けさせず一気に叩き潰すには、この二、三日が勝負だ。気を緩める訳にはいかない。

「待って下さい!」

 場所を変えようとしたところへ、残った男性教師から声をかけられる。瀬流彦(せるひこ)と言ったか。

「何でしょう?」

 苦情か抗議だと簡単に予想し、教師に向き直る。

「どういう了見ですか、これは!」

 瀬流彦は身を乗り出した。日頃は優柔不断なまでに柔和そうな人物像が、この非常時にはなりを潜めている。

「修学旅行中です! 警察に用はありません! お引き取り下さい!」

 瀬流彦の口調に警察への侮蔑を感じるのは、霧香の妄想の産物だろうか。一も二もなく頭を下げ、場を取り繕おうとした新田と較べ、自分達の要求は通って当然という瀬流彦の態度に、不快感を抱くのは仕方あるまい。

「引率責任者の新田教諭に先程説明した通りです。そちらの生徒が、ネギ君を相手にわいせつ行為を働こうとしていた。生徒の一人が日本刀を振り回したので現行犯逮捕した。他にも危険物を持ち運んでいる生徒がいないか、所持品検査をさせてもらっている。どこか不明な点でも?」

 朝倉和美については、ネギ少年への強制わいせつ行為の主犯であり、盗撮した証拠映像の隠滅を謀り、逃走にまで及ぼうとしたことからの逮捕だ。

 ネギ少年を含め三人の身柄を京都府内で確保できたのは、霧香達からすれば幸いだった。麻帆良のある埼玉県内では、さいたま少年鑑別所での勾留となり、どのような情報統制を計られるか知れたものではない。

 その点、京都府内の事件であれば、最悪の場合、京都少年鑑別所で数日勾留できる。

「ネギ君です!」

 生徒の勾留よりもネギ少年が重要だと、瀬流彦はあからさまに詰め寄ってきた。

「ネギ君が何か?」
「なんでネギ君を保護するんですか! 彼は麻帆良学園の教師の一人として、立派に働いています。保護など不要です!」
「こちらも言いました。就労年齢未満の子供を労働させる組織の一員と、接触させる訳にはいきません」

 麻帆良に都合の良い話を吹き込まれるのも迷惑ですし、と言葉にせずとも相手の神経を逆撫でする妖艶な笑みを見せる霧香だ。

 厚労省と文科省の不正な許認可を脊髄反射で口にしない辺り、瀬流彦も無駄に経験を積んでいない。特別許可を得ていると咄嗟に口走ろうものなら、軽犯罪であれ虚偽申告の容疑で、霧香の手の中に飛び込むも同然だったのだが。

「で、でも! ネギ君は頑張っています! 生徒達の評判だって良いんですよ!」

 ネギを擁護したいのか、教師に採用した自分達を正当化したいのか、発言内容からはどちらとも読めない。

 霧香は妖しく口元を吊り上げた笑顔で、瀬流彦に目を向けた。

「ネギ君が頑張っていて、生徒からの受けも良い。良い話ですね。でもそれと、九歳の子供が教師をさせられている現状、関係しませんよね」

 自分の不用意な一言が、霧香から氷点下の視線を浴びせられる原因になったのだと遅まきながら悟った瀬流彦は、生唾を飲み込んだ。

「それは……そ、そう! ネギ君を教師にしたのは正しかったんです! 三月の期末テストだって二-A、今の三-Aを、最下位から学年トップにしたんですから!」

 しかし瀬流彦の言い分は、魔法使い相手に対話は成立しないと、霧香に再確認させただけだった。法や道徳を無視した行為でも、上位者の都合で正当化され、無罪放免となるのが魔法使いの習いだ。そのような倫理感の持ち主に、法治国家の有り様を理解させるのは困難だ。

 横を通り過ぎた警察官も仏頂面で、それと分かる不快感を滲ませている。

「前の担任が無能だっただけでは?」

 前任はタカミチ・T・高畑。出張にかまけて教鞭をないがしろにしていたのは、世界のあちこちでの目撃情報から確認されている。

 文化や風習の違いを乗り越えて交渉するのは外交官の仕事で、警察官の仕事ではない。霧香はそう開き直り、会話を打ち切る事にした。

「その話は、ネギ君の担当になる児童福祉司にも話して下さい。喜ばれますよ」

 嫌味を理解せず喜色を浮かべる瀬流彦に、霧香の関心は急速に薄れた。

「既に話した通り、ネギ君の身柄はこちらで保護します。麻帆良学園の教員の接触は、担当の児童相談所長の許可を得てからになります。今のネギ君の事は私達に任せ、生徒達のフォローをお願いします」

 新田教諭からもそう指示されたでしょう、とは口にしない。

 麻帆良学園教師陣のネギへの対応、すなわち被虐待児童への無自覚振りを鑑みれば、三-Aのみならず、全クラスの修学旅行の中止を訴えたいのが、霧香の偽らざる本心だ。その無自覚を麻帆良の<学園結界>にて植え付け、教育者としての怠慢の現れと知っているだけに、魔法使い側の教師陣には、正直信用を置けない。

「担任のネギ君がいないんですよ! 僕がフォローするのが当然じゃないですか!」

 自分の受け持ちクラスを疎かにする発言も、霧香には無意味な言葉の響きにしか聞こえなかった。

 生徒三十名前後、うち二人が拘束され、残りは警察官達に囲まれているクラスのサポートより、警察に保護されたネギの身柄の奪取が先決するところに、麻帆良の優先度が伺える。誰のための学園都市なのか、あらかじめ知ってはいても、透けて見える魔法使い達への反発に、霧香も半歩踏み出した。

 三-Aの起こした乱痴気騒ぎは、親告罪に分類されるものだ。つまりネギ少年が、自身が性的虐待の対象とされ、それに不快感や忌避感を覚え、警察に訴えて初めて成立する要件だ。

 ネギ少年が責任無能力者の未成年者である事を鑑みれば、警察に訴えるべき責任義務者は近右衛門になる。ネギ少年が幾ら虐待を訴え出たとしても、近右衛門が認めなければ、事件として成立しないのだ。そして近右衛門の人と成りを見るに、警察に訴える確率は限りなくゼロに近い。

「……まあ、そのために知事から許可をもらった訳だけど」

 瀬流彦の耳には届かない小声で呟く。
 近右衛門が代行義務者としての義務を怠り、保護下にあるべき児童に労働をさせている。この事実だけで、近右衛門の代行義務者としての資格を無効とするには十分だ。

 後は京都府内の児童養護施設の養護員に相談し、府知事に申請書を提出してもらうまでの下準備に時間を取られる程度だ。それも既に過去の事。

 一息の間を置いた霧香は、ここで自身としては最高の、他人が見たら警戒する怪しい笑みを見せた。

「そこまで言われるのでしたら、瀬流彦先生には、麻帆良学園の環境について、後日じっくりとお話をさせてもらうのが良さそうですね」
「……それは、強制ですか?」

 思考がまとまらないのか、瀬流彦が問い返すのにしばらく間が開いた。労働基準法と児童福祉法に違反していると、暗に仄めかされたのが不満らしい。

「いいえ。任意です。ですが、色々とお話させて頂くのは、まずこの場の責任者である新田教諭からですね」

 射抜くような瀬流彦の視線を、どこ吹く風とばかりに受け流しつつ、下っ端教師陣に話はないと言外に切って捨てる霧香だ。ネギ少年への虐待行為だけでなく、生徒が銃器刀剣類を購入し、所持するのを止めない麻帆良の教師陣の犯罪擁護の姿勢など、教育機関として山と出てきた問題を明らかにしなくてはならない。

 二人の間に張られた弛緩しようのない緊張を、いつの間にか近づいてきた警察官の咳払いが緩めた。

「失礼します」

 制服姿の警察官に、麻帆良学園の教師にかかずらっている時間がなくなった事を示していた。

「何事?」

 瀬流彦に向けていた冷ややかな気配を霧散させ、耳元で用件を囁いた警察官に眉根を寄せる。腕時計を見やり時間を確認すれば、日付が変わってまだ三十分も経っていない。

 近衛近右衛門から電話が入り、責任者との対話を求めている。
 それが言伝の内容だ。

「……非常識な」

 教師の一人が連絡したのだろうが、電話を入れる時間ではなかろう。そしてそれを真に受け、こんな深夜に対話を求めるなど、近右衛門の良識を疑う。

「それで、電話はどこ?」

 麻帆良学園にすれば非常事態なのだから、報告・連絡・相談は当然かもしれないと一部考えを修正しつつも、機嫌は悪くなるばかりだ。

 こちらですと案内する警察官の後を歩きながら、近右衛門への対処マニュアルから記憶を引っ張り出す霧香だった。

     ◇◆◇

 霧香が案内されたのは、ホテルの受付カウンターだった。ホテルの従業員達の他、制服の警察官が数名行き来を繰り返している。

 警察官の一人が、今回の指揮を執る京都府警察の警視だと知り、霧香は内心で首を傾げた。

「こちらです」

 ボイスレコーダーを弄っていた警察官が、保留ボタンの灯る電話機を指し示した。

「私が出るのですか?」

 霧香が尋ねた相手は警視だ。階級が同じと言え、警視庁所属の霧香に指揮権はない。

「お願いします」

 了解の意を受け、霧香は録音係の警察官に頷き、受話器を取り上げ、保留ボタンを押した。

「お待たせしました。たちばなです。どのような用件でしょうか?」

 所属を告げなかったのは、自身が京都府警察署所属でないと明かす必要を感じなかったからだ。

 用件を尋ねた霧香に対し、ハンズフリーのスピーカーから漏れ出たのは、フォフォフォという礼儀を欠いた老人の笑い声だった。

「うむ。儂は麻帆良学園学園長の近衛近右衛門じゃ。お主がそこの代表で良いのかな?」

 第一声は、笑い声と同様、礼儀知らずの居丈高な言葉だった。
 回答の前に霧香は警視を一瞥し、同意の首肯を確認した。

「……代理になります。警視は現在、この場所を離れています」
「ふむ。至急呼んでもらえんかの? 責任者同士、腹を割った話し合いをしたいのでな」

 ふざけた要求に言葉に詰まったのは霧香だけはない。会話を聞いていた警視や、他の警察官達もどこか呆れた様子だ。

「そちらの責任者は、新田教諭と存じますが?」
「おお、おお、新田君か。確かにそうじゃった」

 どこが楽しいのか、受話器から再び笑い声が流れた。
 組織の頂点たる人物が、組織外の相手との会話で、自分の部下を『君』付けする。五十年は社会人経験を積んでいるはずなのに、些細な事ながら新社会人並みに常識を知らない様は、近衛近右衛門の人物像の片鱗と、麻帆良学園教師陣が社会的礼儀を欠く原因を伺うに十分だ。

「しかし今回の件、新田君には荷が重すぎじゃろう。彼には儂から説明するからの、気にせんで良いぞ。それより、早く責任者を出してもらえんか?」

 近右衛門に連絡したのが誰であれ、麻帆良学園の指揮系統がまともに機能していないのが知れる内容だった。引率責任者の新田教諭の頭をまたぎ、学園長に直接連絡を入れるとは、指示伝達の連絡網が機能していない証だ。

「……つまり近衛学園長は、状況を正確に把握しておられる。そう取ってよろしいのですね?」
「三-Aの生徒がやんちゃして、そちらの警察に迷惑をかけたんじゃろ? 済まんかった。生徒達には、儂から厳しく注意しておこう。ここは一つ穏便に引き下がってもらうよう、儂からそちらの責任者にお願いしたい。変わってもらえんか?」

 そして何が面白いのか、近右衛門は他人の神経を逆撫でする笑いをひとしきり上げた。

 誠意どころか常識、学校組織の頂点の責任を微塵も感じさせない態度に、霧香は神経がささくれ立ってくるのを感じた。まともな感性を備えていないとの部下の報告が、あながち間違った評価でなかったと実感する。

 霧香がちらと横目で伺えば、責任者である当の警視も、表情を変えずに不機嫌さを漂わせていた。

「申し訳ありません。先程もお伝えした通り、責任者は現在席を外しています。近衛学園長からの要望があった事は伝えておきます」

 取り込み中で電話一本に長々と時間をかけていられないとのニュアンスを滲ませ、電話を切ろうとした霧香を、近右衛門は不快な笑い声で吹き飛ばした。

「フォッフォ。そう急くでないわい。もう一つ重要な要件があるのじゃ」
「……そちらも伝えます。何でしょう?」
「うむ。実は、ネギ君の事じゃ」

 ここで近右衛門は笑うのを止め、真面目な声に切り替えた。

「ネギ君のような優秀な子供が、教師としてやっていけるのか、ネギ君はそのテストケースでの。このテストは、国のお偉い方との話もついておる。こんな細事でテストは失敗しました、とは言えんのじゃよ」

 新田と似たような説明から説得に入る近右衛門だった。

 ひょっとしたら、ネギ少年は本当に優秀なのかもしれない。しかしその優秀さを証明する手段が、ウェールズ教育省の判定基準に則った公正な結果――ウェールズでは六学年(十歳・十一歳)で、キーステージ2試験の受験が義務付けられている――ではなく、魔法使いのための学校、つまりは非認可校の発行した成績証明書と近右衛門の独断では、どれ程の公正さを期待できるのか。

「テストに失敗はつきものです。事実をそのまま報告すれば良い話でしょう。何も麻帆良学園一校のみのテストという訳ではないですよね?」
「……それができるなら苦労せんわい」

 霧香の問いを無視し、近右衛門は溜め息をつくような声を漏らした。

「ネギ君は、とある重要人物のご子息でのう……麻帆良学園で預かっておる大事な身じゃ。それが警察沙汰となっては……分かるじゃろ?」

 電話越しにこちらの顔色をちらちら伺う雰囲気は、霧香の妄想なのだろうか。

「その点は安心して下さい。ネギ君は……年齢的に実名報道されません」
「そうではないわい」

 相手の真意が分からず惚ける霧香に、近右衛門はふんと鼻息を吹いた。

「預かった大事な重要人物の息子じゃ。さっきも言った通り、こんな些細な出来事で、経歴に傷を付ける訳にはいかんのじゃよ。じゃからな……」

 後は察しろと言いたげに、近右衛門は言葉を途切らせた。

 一クラス丸ごと警察の厄介になるような事件を、些細な出来事扱いする近右衛門に、霧香だけではなく、居合わせる警察官達も不快感……いや、嫌悪感を浮かべた。

「何を言われたいのか分かりません。きちんと最後まで言ってもらえますか?」

 近右衛門がどこまで事態を把握しているのかも、関心の対象だ。問題を起こしたクラスの担任としてか、被虐待児童として保護された事か、それで対応が変わる。

「……ふむ。一から十まで言わんと、理解してもらえんのか」

 やれやれと溜め息をつく気配に、なおさらに霧香達の嫌悪の情は掻き立てられた。

「ネギ君の経歴に傷の付く真似は止めてほしいのじゃよ。ネギ君が傷ものになると、色々と問題があるでの。そちらとて、国際問題になるような騒ぎは起こしたくなかろ?」
「……見て見ぬ振りをしろ、と?」

 霧香の指摘に、ようやく意が通じたとばかりに、聞いた者が不快になるあの哄笑を近右衛門は響かせた。

「うむ。その通り。なあに、いわゆる超法規的措置と言うやつじゃ。誰も咎めはせん」

 そしてもう一度、愉快気に笑いを上げる近右衛門とは反対に、老人へ向ける霧香達警察官側の嫌悪感は、体感できる冷気すら帯びるようだった。

 国民の安全や財産を守るための法を破るなど、法の番人である警察官にできるはずがない。確かに『超法規的違法阻却事由』として、立件するまでもない些事にまで、警察が関与する事はない。しかし今回は無視するには問題が大きく、超法規的措置などとふざけた理由が通るようであれば、それは国家の敗北を意味する。

 近右衛門は、それを要求しているのだ。

「そちらの生徒が起こした問題は全て、見なかった事にしろ。そう言われるのですか?」
「そうなるかのう……。まさか十歳の子供相手にムキになるなど、大人気ない真似はせんじゃろ?」

 日本の法と警察をどこまでも軽んじる態度に、怒りの余り声を震わせる霧香への、老人の更なる無茶な要求だった。

 返答の前に霧香は警視へと目を向け、相手が首肯するのを確認すると、大きく息を吸った。

「お断りします」

 ばっさり切り捨てられた近右衛門の、間の抜けた驚きの声がスピーカーから漏れ出た。

「フォ!? なぜじゃ? 断る理由なんぞありゃせんじゃろ?」
「答える必要はありませんし、そちらに請求権はありません」

 三-Aの生徒の無法ぶりと、ネギ少年の問題行為の数々を並べ立ててやりたい衝動を、警察官としての意識が霧香に実行に移すのを止めた。新田教諭には協力を要請する手前、ある程度の事情説明は避けられなかったが、捜査情報を明かせるはずがない。

 この程度で近右衛門が諦めるとは、霧香は露も思っていない。どういう切り返しをしてくるかと、内心身構える。

「……責任は儂が持とう」
「は?」

 どこか厳かさすら感じさせる口調の近右衛門に、意図が分からずに霧香は聞き返していた。

「儂が責任を取ると言っているのじゃ。ここは一つ、儂に免じて丸く収めてはくれんかの?」

 意図どころか意味すら分からなくなり、内心で混乱する霧香だ。社会一般の常識の通じる相手でないと思い出し、どうにか落ち着きを取り戻す。

「責任を取るとは、具体的に、どういう形で、ですか?」

 うむ、と近右衛門は大儀そうに唸ると、責任の形を考えてか、回答までにしばらくの間を空けた。

「三-Aの生徒には、儂からきつく叱ってから、反省文の提出と二週間の部活動禁止か、放課後の寮内謹慎。ネギ君には注意の上で、減俸二ヶ月。こんなところでどうじゃ?」

 そして返された言葉は、近右衛門の責任者としての正気を疑うもので、常識の埒外に思考が存在する人物だと、霧香ならず居合わせた京都府警察署の面々に思い知らせるのだった。

「……他には?」
「フォッ! まだ足りないと申すか、お主は!」

 欲張りじゃのうと、交渉の余地ありと誤解したのか、近右衛門の口調の端には苦笑する響きが含まれていた。

「そうではないですよ」

 いい加減、常識を弁えない老人との長話にうんざりした霧香は、電話を切る事にした。

「近衛学園長が何を言おうと、状況は変わらない。そういう事です」

 近右衛門が取るべき責任は、生徒が暴走して問題を起こさぬための指導・教育を、教師陣に対し指示・監督する事だ。そして問題が起きた時は、学園のホームページにでも事件の経緯と謝罪文を掲載し、生徒の保護者には事件のあらましと指導不足の謝意を告げ、今後同様の不祥事が起きないよう教師陣と指導内容を検討し、場合によっては人事を刷新し、事件の規模にもよるだろうが、マスコミ相手に謝罪に頭を下げるなり、自主的に給与の減額なり退任なり、社会に対し反省の意を示す陣頭指揮を執って表明する事だ。

 近右衛門が豪語する責任など、本来課せられている責任のほんの一部分でしかない。二度と同様の事件を起こさせないと約束するならまだしも、間違えても、生徒が暴走するのを放置した教師を庇い、事件をなかった事に奔走する役ではない。

 とどのつまり、近右衛門の責任を取るという言葉は、本来自ら率先して受けるべき自罰を部下の誰かに押し付け、自分の立場に傷を付けずに済むよう立ち回り、権勢を奮う事。これに尽きる。

「どういう事じゃ?」

 一般社会における常識とは、近右衛門には理解できない概念なのだろう。拒絶された事に、言葉に明確な険がこもる。

 無論、警察官の民事不介入の立場から、近右衛門に責任の取り方なるもののレクチャーは出来ない。良い歳をした大人に社会的な常識を説くのは余計なお世話だし、説く気もない。したところで、それで事件をなかった事にする対価と受け取るのは目に見えている。

「言葉通りの意味です」

 理解できないでしょうけど、の言葉を霧香は飲み込んだ。

「近衛学園長の責任の取り方……いえ、取らせ方は、ここまで事件になっては、もう通用しない。そういう事です。……それでは、失礼します」
「待て! 待たんかい! せっかちじゃ……」

 なおも何やら言いかけていた近右衛門の声を、霧香は受話器を置いて断ち切った。

 近右衛門が再度電話をかけてき際の応対を頼んだところへ、再び電話が鳴った。

「はい。こちら嵐山ホテルです」

 その警察官が受話器を受け取り、霧香に軽く目配せする。それだけで、電話の主が誰なのかは知れた。

「……は? 責任者の代理、ですか? 申し訳ありません。既に現場を離れています。朝に改めて電話を……は? 待たれる? 分かりました。お待ちください」

 応対する警察官が、保留ボタンを押して受話器をかける音を耳にしながら、霧香はカウンターを背後にした。

 カウンターから見えない柱の陰に来ると、遠慮がちに小さく長い息を吐く。近右衛門の並外れた非常識と無礼振りに、精神的な緊張が溜まっていたらしい。

 気を取り直したところで、新しい面倒事の接近に気づいてしまう。
 しばらく前に生徒の所持品検査に付き添ったばかりの和泉が、新田教諭と女性警察官一名と共に、ロビーに戻ってきたのだ。

     ◇◆◆◇

 近右衛門との会話は十分程度。生徒全員の所持品検査が到底終わるはずもないのは、教職とは無縁の霧香でも予想は付けられた。

 そして何より、霧香に厄介事を確信させたのは、ただでさえ顔色を悪くしていた新田が、さらに顔色を悪くしていたからだ。無表情を取り繕っているものの、度重なる不祥事に血の気が失せてしまっているのは、見る者の目から見ると明らかだ。

「橘警視、これを」

 苦悩する新田をよそに、和泉は生徒の持ち物らしい荷物を掲げた。バイオリンケースとごく普通のスポーツバッグだ。
 教師に見えない角度で、バイオリンケースとスポーツバッグが小さく開かれ、中を覗き込んだ霧香は、新田へ一瞥を向けた。

「新田先生、中身は確認したのですか?」
「……はい、確認しました」

 現実を受け入れるのを拒絶していそうな顔色の新田は、声をかけられると、噛み締めた奥歯から声を絞り出し、深々と頭を下げた。

「私どもの指導が行き渡らず、誠に申し訳ありませんでした」

 両膝と額がくっ付きそうな程に頭を下げ、微動だにしない新田に、霧香だけでなく和泉達も対応に困った。

「頭を上げてください。先生に謝罪されても、事態が改善される訳ではありませんから」

 そう告げても頭を上げようとしない新田に、霧香は困惑から逃れるように、バッグとバイオリンケースに視線を戻した。

 バッグには、クナイや手裏剣と言った刃物の類が無造作に入れられていた。鉤爪の付いたロープや、正体不明の丸い物体も多数あり、刃物と一緒に入れている時点で、かなり胡乱な用途の物だと想像できる。少なくとも、学生が修学旅行に持ち運ぶ物品でなかろう。

 バイオリンケースの中身は、拳銃やライフル、それらに使う銃弾のケースだった。仮に玩具だとしても修学旅行の荷物に相応しくないのは改めて指摘されるまでもない。持ち主の少女の氏名は、霧香に心当たりがあった。

「銃器はモデルガンではなく、本物です。弾も実弾なのは確認しました」

 決定的な事実を口にしたのは、京都府警察署の女性警察官だった。

「『銃砲刀剣類所持等取締法』違反、『凶器準備集合罪・凶器準備結集罪』の容疑で、持ち主の生徒達を逮捕します。よろしいですね」

 内容は同意を求めるものだが、反論を認めない冷たさが霧香の口調には含まれていた。銃器刀剣類の違法所持は、上司に問い合わせるまでもなく、現場の警察官の判断で逮捕できる権能が与えられている。

 警察が逮捕に踏み切るとは、新田も覚悟していたのだろう。下げた頭を上げ、もう一度頭を下げる。

「お願いします! せめて……修学旅行が終わるまでは……どうか、待ってあげて下さい!」

 銃器や刀剣に限らず、凶器を修学旅行まで持ち運んでいたのは大問題だ。問答無用で逮捕されても一言も言い返せない。

 それでも彼女達は生徒だ。楽しい修学旅行を過ごさせてやりたい気持ちに偽りはない。修学旅行の残りは、自粛してホテル内謹慎は避けられなくとも、少しでも楽しい思い出を持たせてやりたい。

 深々と頭を下げる新田には、霧香が同情と憐憫の視線を向けているとは知る由もない。

 切なる生徒指導教師の懇願は、無情にも切り捨てられた。

「ひょっとして、まだ近衛学園長から話が伝わっていないのですか?」

 しかも予想外の角度からの切り込みだった。
 霧香の口から出た意外な名前と、麻帆良学園という組織内で情報伝達が上手くいっていない事を暗喩され、新田は疑問を僅かに浮かべた顔を上げた。

「いえ。深夜過ぎていますから、近衛に連絡するのは早朝になってからのつもりでした」
「そうですか。……実はつい先ほど、近衛学園長から電話がありまして」

 本来はこちらから伝える事ではないのですが、と前置きをしてから、霧香は最高責任者の言葉を伝えた。

「新田先生には荷が重いから、この件は自分が責任を持って仕切る、という内容でした。麻帆良学園の学園長が出てきたのですから、新田先生を交渉の間に置いては、組織としての窓口が二つになりますでしょ? 口出しは遠慮していただきたいのです」

 気にするまでもないと、近右衛門に笑いながら蚊帳の隅に追い遣られたとは、さすがに残酷な気がするが、オブラートに包んで話す相手ではない。

「そ、それで……近衛は何と言って……?」

 能面のような表情で感情を押し隠しても、唇の震えから新田の内面の荒れ狂う激情が覗き見える。

「ネギ君はある偉い人物の息子で、麻帆良学園で預かっている身だ。経歴に傷を付けたくないので、今回の件はなかった事にして見逃してくれ、でした。勿論、断っています」

 警察側が虚偽を告げるとは思えず、学園長の常軌を逸した要望を理解できず、新田はしばし呆然とした。

「……ええ。当然、当然ですとも。断わられて当然です」

 かろうじて絞り出した言葉は虚ろに響いた。

「そういう訳ですから、新田先生はもうお休みになられては?」
「いえ。お気になさらず」

 精神的に打ちのめされているだろうに、新田は気丈にも持ちこたえていた。

「近衛から直接指示されてはいませんから、最後まで付き合います」
「生徒のプライバシーに触れるので、できれば離れてもらいたいのです」

 心境をおもんばかる霧香に、新田は何度目になるか頭を下げた。

「お願いします」

 霧香にしても、他組織の良い歳をした大人の心境を、長々と考慮するつもりはない。生徒を救うべく頭を下げて回らずにいるなら、引率責任者の立場を尊重しても良いだろう。

「……まあ、良いでしょう」

 ありがとうございますと、もう一度頭を下げた新田は、霧香と数メートル離れると、ポケットから携帯電話を取り出した。

「……新田です。学園長ですか……」

 近右衛門に電話をかけ、霧香の言葉の真偽を確認するつもりらしい。
 立ち聞きするつもりはないし、近右衛門と無駄な長話をする心積もりのない霧香は、静かにその場所を離れた。

「お膳立てとしては……こんなものかしら?」

 一人呟く霧香の脳裏には、関東の魔法使いへの復讐に、暗い情念を燃やす年上の女の姿があった。

「後はうまくやりなさいよ」

 そのために麻帆良に赴く役目を譲り、警視の自分が京都まで出張したのだ。
 知り合いたくもなかった知人が、復讐のためにイギリスで撒き散らした災厄を思えば、彼女に手綱も付けず麻帆良に放り出すのは危険に過ぎるかもしれない。その心配が杞憂らしいとは、先日に手綱付きで偵察させた時に判明している。

 それでも、大量の人死にや器物損壊が出ませんようにと、内心で一抹の不安を拭い切れない霧香だった。









◎参考資料◎
・杉村直美『性暴力と学校―その現状と課題―』岐阜大学 総合情報メディアセンター、2007年7月6日
・デジセン商事.com『若手社員お悩み相談所 第1回 「責任を取る」とは』
・デジセン商事.com『若手社員お悩み相談所 第2回 懲りること、それが責任を取ること』
・Royal Geographical Society with the Institute of British Geographers “Welsh Education System.”
・Schommunity Wiki “Education System in Wales.”
・Welsh Government “Education and Skills.”
・Wikipedia『可罰的違法性』
・Wikipedia『超法規的措置』
・Wikipedia『超法規的違法阻却事由』



[32494] 第十話 強制捜査
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/08/06 01:54
 毎朝新聞社京都版のサイト記事より。

『女子中学生が男児に集団逆セクハラ!? 一斉補導。
 京都府本部警察署は、修学旅行中の女子中学生らが滞在先のホテルで男児(九歳)にキスを強要したとして、集団強制わいせつ行為の疑いで補導したと伝えた。補導されたのは、埼玉県麻帆良市にある私立麻帆良学園本校女子中等部の生徒約三十人。実行したのは十人程度。その他の生徒は、主導した生徒がホテル内に仕掛けたカメラによる実況放送を、各宿泊部屋で食券を賭けながら見物していた疑い』

 四月二十四日、午前四時未明に掲載されたこの記事は、約五分後、形跡すら残さずに新聞社のサイトから抹消された。

     ◇◆◇

 『麻帆良学園都市』と外部とを繋ぐ交通量は、同規模の都市と較べて多いとは言えない。
 学園都市内の住人の多くが学生であり、一日の活動が学園内で終始する事、学生のほとんどが市内に居住し、出入りの必要が最低限に抑えられている事、市外へ勤務する住人が少ない事、大概の商業活動が市内で済んでしまう事など、理由は色々と上げられる。

 それ故、麻帆良市内に出入りする交通の大半が、日用品や食料関係を積んだトレーラー、あるいは宅配業者のトラックに限られてくるのは、自然な流れだろう。そこへ時折、市外の企業の営業、将来の進学先の候補として見学に来る学生、単なる観光客などが加わる程度だ。

 それだけに、二十台以上の自家用車が、麻帆良市内入口の入場門前に集結したのは、異例の出来事と言えた。

 先頭の白塗りレガシーの助手席のドアが開き、スーツ姿の若い男が降り立つ。すっきりとした目鼻立ちに、やや高めの上背、優男風な身だしなみは、おそらくは美系として通じるだろう。しかし残念かな、どこと言えず漂う軽薄さが、価値を二枚目半に貶めている。

 警視庁特殊資料整理室の志門しもん勇人ゆうとだ。
 後続の車からも、ぱらぱらとスーツ姿が顔を現しては、警備員の籠る守衛所へと歩いて行く。

「お疲れ様です」

 身を乗り入れるように受付窓口に肘をかけると、勇人はにやけた顔で焦げ茶色の警察手帳を広げた。

「警察です。ちょっと協力をお願いできますか?」

 勇人の後ろのスーツ達も、次々と焦げ茶色の手帳を広げては、自分達の身元を明かした。刑事部捜査第二課と生活安全部生活環境課を始めとする、埼玉県警の私服警察官達だ。

「何事ですか、一体……」

 水色の制服を着た四十絡みの警備員は、勇人と私服警察官達をやぶにらみし、窓口に身を乗り出した。

「なに、大した事じゃありません」

 勇人は入場時に書き込む用紙を指先で軽く二度叩き、後ろの車の行列を肩で指し示した。

「この人数でしょ? 全部書くには時間かかるのでね、私の分だけで後は素通りさせてほしいんです」
「できません。規則ですから」

 警備員の回答は早かった。勇人の指の下から用紙を引き抜き、後続の警察官達にも記入するようあごで示す。

「それは困ったな……」

 呟いた言葉とは裏腹に、勇人のにやけ顔に困った様子は微塵も浮かんでいない。

「学園の構内ならともかく、ここはまだ一般道ですよね?」

 勇人の視線は、守衛所と開閉バーの先、往復四車線のブルックリン橋を模倣した石橋『麻帆良大橋』に向けられた。この位置からでは、先週、ネギ少年と少女が魔法を撃ち合った損傷の跡は見えない。

「ええ。それが?」
「まだ学園の敷地ではないと言う事です」

 口を挟んできたのは、埼玉県警の一人だった。三十代半ばの少々ふくよか過ぎる感のある警察官だ。

「場合によっては『往来妨害罪』の現行犯で拘束する事もあり得ます」

 警備員は露骨に顔をしかめ、警察官を睨み返した。

「……脅迫ですか? 残念ですが、こちらは許可をもらっています。脅しても無駄ですよ」
「脅したつもりはないのですが……」

 警察官は苦笑するように口元を小さく歪めた。

「……その許可とは、麻帆良警察署の署長ですか?」

 公道を封鎖する権能を持つのは、警察に限られている。例外として、道路工事や祭典におけるパレード等、やむを得ない場合を除かれるが、その際においても、封鎖する日時と目的の申請書を提出し、所轄の警察署長の許可を得るのが前提だ。

「じゃないですか? 許可申請は私の仕事じゃありません」

 守衛所とは名ばかり、実際には検問所にも等しい麻帆良の封鎖は、警察の権限においてですら、認められない暴挙だ。
 そんな行為に許可を出す人物など、麻帆良には一人だけだろう。

「まあ、良いでしょう」

 警察官は溜め息をつくでもなく、不満を顔に出すのでもなく、あっさりに引き下がると、用紙に名前と所属と訪問目的を書き始めた。
 一瞬怪訝な表情を浮かべた勇人も、見習って用紙に記入を始めると、残りの警察官達も順番待ちで行列を作って並んだ。

「では、これで」

 手早く書き終えた用紙を差し出した警察官に、警備員は不可解な顔をしつつ、来客を示すバッヂと、ダッシュボードに乗せるナンバープレートを差し出した。

『埼玉県警察警務部監察官室』

 それが彼――階級は警視――の所属だった。訪問先は『麻帆良市警察署』。訪問目的は、監察。

「確認する項目が増えたな」

 バッヂをポケットに放り込み、プレートを小脇に抱え、システム手帳に書きつける警視から漏れ出た呟きは、警備員の耳には届かなかった。
 その後も、警察官達の提出する用紙に目を走らせた警備員は、徐々に顔色を失っていった。
 『麻帆良学園大学部工学部』『麻帆良学園大学部土木研究会』『麻帆良学園本校女子中等部』『麻帆良市役所』……そして何より、警備員の勤める警備会社の名前が出た頃には、土気色に変色していた。

 訪問理由……強制捜査。

 こうして、埼玉県警の捜査員を乗せた一行は、燃え尽きた感のある警備員を残し、堂々と麻帆良市内に乗り込んだのだった。

     ◇◆◆◇

 この日の麻帆良学園学園長、近衛近右衛門の朝は早かった。否、学園長としてではなく、日本の魔法使いを束ねる『関東魔法協会』の理事、魔法使いの近衛近右衛門の朝は、だ。
 学生が修学旅行で出払っている無人の校舎に早朝のうちから出勤し、交渉……と言うよりは、要請の電話をかけて回る。かける先は、一介の学園長では手の届かくはずのない高み、日本政府の上層部……その秘書席だ。

 目的は二つ。ネギ少年の身柄の再確保と、彼の受け持ちである三-Aの生徒達の補導と逮捕の事実を隠蔽し、なかった事にする手配である。

「まったく、余計な手間をかけさせおって……」

 鳴り続く呼び出し音を苛々と聞きながら、近右衛門はひとりごちた。
 深夜のうちに京都本部警察署へ持ちかけた交渉は、不本意ながら失敗に終わっていた。現場の指揮官代行とは一度の会話以降連絡がつかず、最高責任者である本部長の警視監も、時間が遅いのもあって捕まえられずにいる。

 成果のなかった交渉の合間にも、ネギ少年の身柄が手の届かない場所に移送され、魔法の秘匿意識を持たない彼や三-Aの魔法生徒から、いつ魔法に関する発言が飛び出すやもしれない。それを思えば、苛立ちも募ろうと言うものだ。

「子供相手にムキになるなんぞ、大人気がなさすぎじゃろう」

 図らずも愚痴が口を衝いて出る。
 新田から伝えられた三-A生徒の補導と一部の現行犯逮捕は、近右衛門にしてみれば、警察の横紙破りでしかなかった。児童福祉を理由に保護されたネギ少年の就職については、表沙汰にできない非公式なルートを通じながらも、日本政府とは話がついているのだ。今さら合法違法を持ち出される筋合いはない。

 なおも沸々と湧いて出る不満は、相手が受話器を取り上げる音で、ひとまず意識の奥に沈んだ。

「……もしもし?」

 聞こえてきた男の声は、過去に何度か交渉した事のある秘書の一人だった。

「儂じゃよ。麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門じゃ」

 背もたれに身体を預けた姿勢で、近右衛門本人としては愛嬌のあるつもりの笑い声を交え、相手がどの程度の情報を得ているのか確認する。

「実はちょっと困った事があっての。修学旅行中のうちのネギ君が、警察に捕まったんじゃ。そちらに連絡は行っておらんか?」
「……少々お待ちください」

 他組織の相手にも丁寧語を使おうともしない近右衛門に、受話器の反対側で不快感を抱いたとしても、それが声音に反映される事はない。

 ややもして得られた回答は、否だった。

「となると、京都警察の独断専行のようじゃな……。すぐにでも京都に連絡して、ネギ君を開放するよう取り計らってもらいたい」

 長いあご髭をしごき、叶えられて当然とばかりに近右衛門は要望を伝えた。

「その前に……どのような経緯で警察に逮捕されたのか、説明をお願いします」
「フォ? 理由なんぞどうでも良かろう。ネギ君じゃぞ。あのナギ・スプリングフィールドの息子を解放するのに、理由なんぞ必要なかろう?」

 秘書の要求は、近右衛門には意外にすぎ、思わず問い返していた。『千の呪文の男サウザンド・マスター』の息子ともなれば、魔法使いの誰もが無条件に協力するだろう重要人物だ。それ程の人物の解放に理由を求めるなど、天に反逆するにも等しい。

 そんな近右衛門の思考など、秘書が知るはずもない。

「理由なく逮捕されたのなら、こちらが手配するまでもなく出て来られます。理由があるのなら、拘束の不当性を主張する説得が必要です」

 融通の効かない態度に、やれやれと頭を振りつつ、新田と瀬流彦から聞いた事の顛末を近右衛門は語り始めた。

「ネギ君に同行させた教師によるとじゃな、ネギ君の受け持つクラスの生徒が、宿泊先でゲームを始めたのが問題らしいのじゃ……」

 そうして、ネギ少年を対象とした三-A生徒による深夜のゲーム大会と、児童虐待から保護したとの警察側の主張のあらましを伝える。現場の警察官達が、素直に要求に応じなかったとの苦情や、新聞社のサイトに載った不名誉な記事を削除した連絡も忘れない。

「……と言う訳での、ネギ君と生徒達をすぐに開放してほしいのじゃよ」

 打てば響くような謝罪と対応の約束の言葉が返ってくるとの予想に反し、秘書の回答には十秒近い間が空いた。

「ネギ君に関しては、申し訳ありませんでした。上司に報告し、早急に対応します」

 返答が遅れたのは、言葉を選んでいたからだろう。どこかありきたりなクレーム対応の返事に、近右衛門は鷹揚に頷いた。

「うむ。それで、ネギ君はいつ返してもらえるのかな?」

 この問いに返答があるまで、先程よりも数秒長い待ち時間を要した。

「申し訳ありません。それについては私の権限を越えているため、即答できないのです。今し方申し上げたように、これから上司に報告し、当方で状況を調査し、それからの対応になりますから……私見では、早くて大体二、三日後と見込んでいます」

 意外に日数のかかる手続きに、近右衛門は聞えよがしな溜め息をついた。

「お役所仕事じゃのぉ……。今日中にできんのか?」
「……難しいです。が、緊急度を上げて取り組みます」

 これまたありきたりな返事で濁す秘書に、これ以上せっついても処理は早まるまいと諦める。手続きや書類処理、根回しの類は、近右衛門の一存でどうとでもなる麻帆良学園と異なり、非効率的なのは致し方ない。

「仕方ないのう。……では早急に頼むぞい」

 了解の意を伝える秘書に、もう一つ確認すべき用件を尋ねる。

「……で、ネギ君の方はそれで良いとして、じゃ。生徒達の方はいつ頃になるかの?」
「そちらについては、こちらの管轄ではありませんので、お答えできません」

 先の時間を要した返答に対し、今回の返事は即答に近かった。

「どういう意味じゃ、管轄違いとは?」

 近右衛門は預けていた椅子から身を乗り出し、受話器の反対側にいる人物を睨むかのように目を細めた。

「ネギ君については、魔法の秘匿の関係もありますから、こちらで調査の上で善処します。しかし補導された生徒達は、お話を伺った限りでは、魔法とは無関係ですよね? それなのに便宜を図る。それはできません」

 銃器類・刀剣類の所持で現行犯逮捕された生徒達は、秘匿の漏洩に無関係であれば対処しない。そう暗に仄めかす秘書に、わずかに回復していた近右衛門の機嫌は再び悪化した。

「関係あるじゃろう。あの中には、魔法生徒もおるのじゃぞ?」

 今度の回答には、二十秒程の間が空いた。

「失礼しました。こちらで調査しての話ではなく、近衛学園長のお話を伺っただけなので、最終的な判断ではありません。お詫び致します」

 謝罪の言葉に、近右衛門はもう一度椅子に背中を埋めた。

「……それを前提にして、確認させて下さい。魔法を使える生徒は、警察官か一般人の目の前で、魔法を使ったのですか?」
「そこまでの不心得者は、この学園にはおらんよ」

 憮然と近右衛門は答えた。

「だとすれば、干渉するのは越権行為になります。少年刑事事件に発展するにしろ、不処分として終わるにしろ、とにかくこちらから手出しできません」

 干渉する必要はない、が正確だろう。魔法使いであろうと、魔法を使わない犯罪行為で逮捕されれば、日本の法律に照らし合わせて罰せられる。当然の話だ。言い換えれば、魔法生徒の一人でも魔法を使い抵抗すれば、警察に圧力をかけ、事件を揉み消す機会はあり得た。

 秘匿を優先すれば補導され、秘匿を破って魔法を使えば揉み消してもらえる。何ともおかしな話だ。麻帆良の魔法使いのみならず、神秘の担い手達の秘匿意識が低いのも頷けようものだ。

 もっとも、『心霊班』と揶揄される警察庁の『長官官房総務課特別資料室係』のように、魔法やその他の神秘による事件でも、整合性の取れる形で犯罪を取り締まれるよう管理・指導している部署もあるので、確実に警察の追及をかわせる保証はない。仮に警察の追及を逃れたとしても、その生徒が魔法使い社会の中において、どのような処罰を受けるかは別の話だ。

 しかしそれで納得する近右衛門ではない。

「それではネギ君の経歴に傷が付くじゃろう。それを防ぐのに協力できんと言うのかな?」
「……正直に言って、できません。管轄違いです」

 魔法が関与していないのに、魔法の秘匿を理由に警察組織に働きかける。『壊れていなものを直すなIf it ain’t broke, don’t fix it.』の喩えにもあるように、そのような理由で警察組織に干渉すれば、こじれさせる必要のない関係がこじれかねない。警察組織がどの政治勢力にも加担しない立場にある以上、かけられる圧力には限度がある。

「それに、彼が修行中に起こした事件の責任は、全てそちらで持つ。そういう話でした」
「うむ。じゃからこうして責任を取って、頭を下げて頼んでおるのじゃ」

 あご髭をしごきながら学園長の椅子にふんぞり返り、これまでの一連の会話が、頭を下げている態度だと言ってはばからない。電話越しの相手の姿は見えなくとも、秘書ほどにもなれば、近右衛門の姿勢をありありと思い浮かべられるだろう。

「ですから、先程も申しました通り管轄違いです。当方を経由して裏から手を回すより、専門の弁護士に依頼する方が確実です」
「しかしそれでは、ネギ君の経歴に汚点が残るじゃろ。それを避けたいから、わざわざお願いしておるんじゃ」

 平行線を辿りつつあった会話は、内線の電子音で遮られた。
 電話中なのは、学園長専用の番号の点滅で知れるはずなのにと、不躾な部下に不満を抱きつつ、秘書にしばらく待つよう伝えて内線につなぐ。

「……儂じゃ。何の用じゃ?」

 つい今し方までの秘書との剣呑な雰囲気を霧散させ、近右衛門としては好々爺然とした、周囲からすれば不快感を醸す例の笑い声を上げる。

「実は……」

 内線は事務室からだった。
 報告の内容を聞き、余り機嫌の良くない近右衛門の機嫌は、本日最悪の域に到達した。

 捜査令状を持った警察官が立ち合いを求めている。厄日を疑うタイミングの悪い報せだった。

「……分かった。通すが良い」

 事務員の方で内線を切るのを待たず、秘書との回線をつなぐ保留ボタンを押す。

「待たせて済まんの。ところで、令状を持った警察官が来とるんじゃが、何か話はそちらに伝わっておるのか?」

 秘書が回答するまで、またもやしばらくの間が空いた。

「いいえ。少なくとも私の知る範囲では、そのような話は伝わっておりません」
「また警察の独断か……。後で連絡する。とにかく、ネギ君と生徒達の解放については急いで手配するよう頼むぞい」

 生徒については手出しできないと、秘書が再三言いかけていたのを無視し、近右衛門は受話器を置いた。

「さて……今度は何かのう……」

 机の上で両手の指を組む。
 『日本政府の上部組織』の意外にも使えない実情は、麻帆良の今後の統治に影響が出そうだ。特に、警察に捜査令状を発行する裁判所には、今後のためにも何らかの対処が必要になるだろう。圧力をかけて担当検事を更迭させるか、政敵のスキャンダルをそれとなく漏らして恩を売るか。

 今さら警察が何の捜査をしようと、現在の権力と地位は小揺るぎすらしない。近右衛門の中でそれは確定事項だった。

 そんな検討を重ねているうちに、学園長室のドアを叩くノックの音が、来客の到着を告げた。

     ◇◆◇◆◇

 年かさな女性の事務員に案内され、入室してきたのは一組の男女だった。
 男は先週にもここを訪問した二十代半ばの警察官、『警視庁特殊資料整理室』の志門勇人。

 女の方は初顔だ。勇人より四つ五つは年上で、腰までかかる黒髪を首の後ろでポニーテールにまとめ、眼鏡越しにきつい目を、部屋に入るなり近右衛門に向ける。睨みつけた視線は一瞬で霧消するが、元から釣り目気味な目つきから険は取れない。

 それでは失礼しますと、事務員がドアを閉めて立ち去ってから、勇人は動き出した。

「突然押しけて申し訳ありません、近衛学園長」

 どこか軽薄さの漂う朗らかな笑みで会釈した勇人は、椅子から立ち上がろうとすらせず、うむとあご髭をしごく近右衛門に、新顔の女を手で示した。

「まず、今回の同行者の紹介をさせて下さい。『警察庁長官官房総務課特別資料室係』の天ヶ崎あまがさきです」
「天ヶ崎千草ちぐさです。よろしくお願いします」

 挨拶と共に行われた名刺交換の光景は、先週に勇人が経験したのと同じだった。椅子に腰かけたままの近右衛門が、右手で名刺を受け取り、左手で自分の名刺を差し出す。ホスト側の椅子のない応接セットに、席を勧めるのも同じだ。

 どこかの古武術の道着らしい奇怪な服装もあり、一組織の最高責任者としての適格に、首を傾げさせる相変わらずな非常識さだ。

「結局のところ、全ての他人を見下しとるんやな……」

 声にこそ出さないものの、両親の仇の代表と言うマイナスに突入していた分もあり、近右衛門に対する千草の評価は、ゼロに近づくどころか、マイナスを大きくするものだった。

 ホストの席がないのもさる事ながら、ドアと窓を背にした学園長席の配置を鑑みれば、テーブルの向きに抱く違和感は大きい。学園長の机とは平行にするべきところを、T字にテーブルを置いているのだ。いや、ドアの位置から見れば、学園長の机の位置の方がおかしいようにも見える。

 頭の中で色々と配置を並び替えてみるも、自分にその手のスキルと知識が欠如しているのを実感するだけだった。

「配置はともかく、ホストが同じテーブルに着く気ないのはあかんやろ」

 これも言葉にはせず、内心でひっそり呟く。
 何よりおかしいのは、学園側の人間の座る椅子が置かれていない事だろう。この一点だけで、部屋の主の非常識が知れる。

 あまたの事務所において、無礼にならない応接セットの配置には苦労しているものだ。このような異常な配置で平然としている近右衛門に、客をもてなす精神が欠落しているのは疑いようがない。

 学園長席寄りの上座を千草が、ドア寄りの下座に勇人が座わり、身体を右に向ける窮屈な姿勢で、二人よりもさらに上座の別席に座す近右衛門と向き合う。

「さて……」

 そう言って話を切り出したのは近右衛門だった。背もたれによりかかり、両手の指を絡める。

「令状があるそうじゃが、一体全体何の捜査かの? あぁ、『心霊班』と『死霊室』の事は知っておる。まどろっこしい言い訳はいらんぞ」

 二人が入室してからこの方、相手を侮蔑する例の笑いを近右衛門は上げていない。地位が不動と確信していても、事務室で警察が強制捜査を行っているのは気分が良くない。

「大した事ではありません」

 千草はバッグからクリアファイルを取り出すと、挟んであった令状のコピーをテーブルの上に広げた。持って来いと言いたげな近右衛門の視線は無視する。

「今のところ三件です。麻帆良学園大学部のサーバーからの不正アクセスと、麻帆良市外縁部の守衛所の設置による往来妨害罪。これらの容疑になります」
「……三つ目は何じゃ?」

 千草が挙げたのは二件だけだ。

「警察は関係していませんから……」

 無関係を理由に回答を渋る千草に、近右衛門は太い眉の片方を吊り上げた。

「談合……独占禁止法違反の容疑で、麻帆良市役所に公正取引委員会の強制捜査が入っています」

 どれもこれも、近右衛門にすれば言いがかりに等しい内容だった。しかも、目下の最大懸念事項であるネギ少年が含まれていない。

「ネギ君とその生徒達の拘束はどうなっておる」
「それは京都府警の仕事です。埼玉県警の活動とは無関係です」
「……お主らが言える立場か。長官官房と警視庁が」

 悪びれずに答えた千草を睨みつけ、そう吐き捨てた近右衛門の視線は、心持ち強さを増した。

 事実、二人の階級は地方公務員で、組織の所轄は東京だ。都外の麻帆良では警察官の権能は使えないし、足を運ぶ理由も必要も見当たらない。

「上からの配慮でしょう」

 射抜く視線に千草が耐えられたのは、両親の仇打ちと言う明確な敵意があっての事だった。

「今回の三件、いずれも魔法とは関わりを持たない懸案です。そんな表の犯罪の容疑を誤魔化すために、魔法を使用するなどと野暮な真似、麻帆良の魔法使いが取るとは思えません。そうでしょう?」

 ここで合意の声を求めるつもりで言葉を途切らせた千草に、近右衛門は無言で答え、わずかに視線を逸らした。

 と、風もないのにテーブルの上のコピーがふわりと舞い上がり、羽ばたくように近右衛門の手元へと飛んで行った。無詠唱と呼ばれる魔法の高等技術である。

 コピーの内容に目を走らせる近右衛門から、言質を取るのは無理なようだ。そう判断し、千草は話を再開した。

「ただ、上の方では、それを疑う一派もいるようです。その一部を納得させるための、見届け人と思っていただければと存じます」
「……白々しいのぅ」

 近右衛門はふんと鼻を鳴らして再び千草を睨みつけた。

「お主ら『心霊班』と『死霊室』が何やら画策しとるのを、儂が知らんと思っとるのか」

 コピーを机の脇に追い遣り、あご髭をしごきながら不快な笑い声を上げる。二人が入室して初めて上げる笑いは、心底侮蔑する響きが含まれていた。

「じゃが、残念じゃな。お主らが何をしようが、この麻帆良は微塵も揺るがんよ。表も裏もな」

 勝手に勝ち誇り、あからさまな侮蔑を向けてくる魔法使いの代表に、千草は込み上げてくる憎悪と、所持している拳銃を向けてやりたい衝動を押し殺した。両親を殺した魔法使い同士の戦争でも、望む望まざるに関わらずに参戦した陰陽師達に対し、同じ嘲笑を向けていたのかもしれないと思うと、全身が小刻みに震えてくる。

「……何の話をされているのか、分かりかねます。説明したように、私達は『上の方』に対する見届け人役ですから、埼玉県警の仕事に口を挟む予定はありません」

 これは事実だ。麻帆良学園への捜査に関し、所轄外の二人には、近右衛門に説明する以外の特別な権限は、一切与えられていない。

 そしてさらに厄介になるのが、ここが『学校法人・・・・麻帆良学園』の『敷地内』と言う点だ。

 別に、神秘の意味での『霊地』であるから、あるいは魔法使い達の支配地域だから、が理由ではない。純粋に、日本国憲法で保障されている『学問の自由』と、それ対する警察の立ち位置が、厄介の原因だ。

「それにここは学校法人を持つ学園の敷地内です。警察官が令状以外の犯罪の取り締まりをしては問題になります」

 学問の自由――学問の自由は、これを保障する(日本国憲法第二十三条)――の元、何人なんびとであれ望む学問を追求し、研究し、公開し、発表し、教授する権利を有する。それゆえ、学校組織にはある程度の自治権が与えられており、教育方針や手法が、各学校の教師陣各自に委ねられているところからも、その自由が保障する幅の広さは伺えよう。

 それでも小中高等学校では文科省の定める履修単位があるため、教育手法に関する自由度は低い。その制限とて、大学以上であれば自由度は飛躍的に緩められている。それこそ、警察官が敷地内に立ち入り、違法行為の学生を無断で逮捕すれば、余程凶悪な犯罪でもない限り、『学問の自由』を侵害したとして裁判沙汰になる程に、だ。

 それ故、警察側は学校――特に大学――敷地内に入るには注意を払うし、一部の大学では警察官の立ち入り時の対応マニュアルを作成し、職員に周知させている。

「ですから私達二人は、あくまでも、麻帆良の魔法使いが、魔法で捜査の妨害や証拠の隠滅を謀らないように見張る役です。やましい事がなければ、脅威にも何にもなりません」

 陰陽師として長年研鑽を積んできたならともかく、本職からすれば千草の実力は手慰み程度のものだ。認識阻害や人払いの結界が精一杯で、式神の使役や攻撃的なものは手札にない。そもそも警察官として、魔法使いであれ一般市民に暴力を振るうなど選択外だ。

 それに、学校組織の限定的な自治権を主張できるのは、麻帆良学園においても同じだ。学園敷地内で近右衛門がどれだけ専横を働こうが、内部から助けを求める声がなければ、警察側が立ち入るのは非常に難しい。例えその行為が、魔法の秘匿を脅かす危険な綱渡りであっても、変わりはない。

「何を言っとるか。裏でこそこそしとるのはそっちじゃろ。……何を企んどる?」

 近右衛門は太い眉毛に半ば隠れた目を狭めた。頭蓋縫合早期癒合症とうがいほうごうそうきゆごうしょうで変形した後頭部により、元から人相の良くない顔がさらに歪む。

 その意味において、今回強制捜査に踏み切った埼玉県警は、危険な橋を渡っていると言えよう。表では『学問の自由』と言う壁を、裏では『日本政府の上部組織』と言う厚いカーテンを退けなくては、世間から叩かれる羽目に陥るのは必至だ。

「企むとは人聞きの悪い……」

 胸奥の憎悪の炎はそのまま、千草は口元を笑みの形に歪めた。明らかに麻帆良にとり善からぬ事を企んでいると、表情から伺える暗い笑みだ。

「企んでいたのはそちらでしょう」

 麻帆良学園内に留めておけば、教育方針の一言で放置できた。麻帆良市全域を支配下に収め、広域指導員という私設部隊に街中を闊歩させていたのも、百歩譲って見逃せたかもしれない。

「学園の敷地だけで満足していれば良かったのです」

 神秘を操る組織や一族は、何も『関東魔法協会』と『関西呪術協会』だけではない。埼玉・京都間の有名どころでも、東京には神凪かんなぎ一族と、富士の裾野には石蕗つわぶき一族が、陰陽師では安倍清明あべのせいめいの直系である土御門つちみかど家や、たかむら家などの名門が存在する。

 『関東魔法協会』の今回の行状は、『日本政府の上部組織』でも庇い切れない逸脱行為だ。
 基本的に政治と距離を置く集団ではあっても、『裏』には『裏』の不文律がある。『関西呪術協会』を傘下に置き、関西圏にまで支配域を広げようとする『関東魔法協会』の専横は、許容できる範囲を超えている。

「有り体に言えば、やりすぎです、『関東魔法協会』は」

 近右衛門としては、使える伝手を最大限に活用し、『上部組織』との繋がりを常に維持する事で、相互関係を強化していたつもりなのかもしれない。

 だがそれは、民事不介入の原則で『上部組織』が逃げられた口実を、『関東魔法協会』に便宜を図っていた事実で、自ら放棄させた形になっていた。これ以上の一組織のみへの肩入れは、他組織への体面上の問題からも、ぜひとも避けたい状況に追い込まれている。

「欲目を出したから、叩かれる事になった。それだけの話ですよ」

 近右衛門を諫める動きがあったのかどうか、末端の千草には予想するしかない。仮に警告があったとしても、これまでの近右衛門の人となりを見るに、無視したのではなく、理解できなかった、と言われても納得できる。

 近右衛門は口を開きかけ、一言も発さずに閉じた。

 それから一分近く、近右衛門と千草は無言で睨み合い、いずれかが言葉を紡ぐ前にノックの音に遮られた。

 ソファに腰かける警察官達を交互に見遣り、魔法使いの代表は小さく舌打ちしてドアを睨みつけけ、学園長の仮面を被り直した。

「来客中じゃ。そんな事も分からんのか」

 これまでの対応が客扱いだったとは、千草には驚きだった。新社会人向けの講習会を受けてこいと叫びたい衝動を堪え、素早く腕時間に目を向け、頃合いを確かめる。

「お話し中のところ、失礼します」

 ドアを開けたのは、先程千草達を案内した事務員だった。彼女の背後に、スーツ姿の男数人が見える。

「そろそろ学園長室の捜査に入りたいと、警察の方が……」

 遠慮がちな説明に近右衛門は目を剥き、おのが居城に土足で踏み入った無礼者共の先鋒を、憤怒を込めてねめつけた。学園長室まで捜査対象とは、予想すらしていなかったようだ。

「お主ら……」

 しかし次の言葉が出ることはなかった。

「私共の説明は以上です。では近衛学園長、ご協力をお願いします」

 浮かんでいた笑みを事務的な無表情の下に隠した千草が、会話を切り上げたからだ。
 次いで千草はドアの方に向き直り、軽く会釈する。

「近衛学園長への説明は終わりました。後はお願いします」

 入ってきた四人の私服警察官達の手に、小さな紙片が握られているのを見て、千草は満足の笑みを小さく浮かべた。

 麻帆良に張り巡らされている認識阻害や記憶操作を無効化する呪符……ではなく、ごくありきたりのメモだ。実際の効果の程は不明ながら、捜査目的と手順を手短に書き連ねたメモを絶えず読み返すことで、魔法により意識を逸らされるのを防ぐ目的で用意させたものだ。

 言葉と態度には表さないものの、明確な敵意を向けてくる近右衛門に、今回の強制捜査がうまく行くよう、千草は期待した。








◎参考資料◎
・赤松健『魔法先生ネギま!①』講談社、2003年7月17日
・赤松健『魔法先生ネギま!③』講談社、2003年11月17日
・赤松健『魔法先生ネギま!④』講談社、2004年1月16日
・今さら聞けないビジネスマナー『会議室、和室、車内…上座が分かりますか?』2006年11月25日
・甲斐素直『学問の自由・大学の自治とその限界』
・川崎市『校内の安全に関する組織活動』
・教育基本法資料室へようこそ!『第2条 (教育の方針)』文部科学省
・暮らし生活に役立つマナー『応接室に通すときに気をつけること』
・クレーム対応がわかる!クレーム対応『クレーマーのクレーム対応』
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・名古屋大学事務局『警察官の構内立入りに関する対応の類型化・体系化について』平成11年3月1日警察対応等専門委員会、1999年4月13日
・布野貴史『1 往来妨害罪・同致死傷罪(124条)』刑法各論
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・山形大学『山形大学事故処理規程』2011年4月1日
・山門敬弘『風の聖痕 Ignition 2 僕だけのマドンナ』富士見書房、2005年5月25日
・山門敬弘『風の聖痕 Ignition 4 すべては愛のために』富士見書房、2007年6月25日
・Wikipedia『旭川学テ事件』
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・Wikipedia『学問の自由』
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・Wikipedia『東大ポポロ事件』
・Yahoo知恵袋『学内で窃盗事件が起こった場合、警察は何故、学校の許可がいるのですか? 学問や...』2007年6月20日




[32494] 第十一話 真祖の吸血鬼
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/08/06 19:49
スターブックス・コーヒーSTARBOOKS COFFEE
 麻帆良学園の敷地外、麻帆良駅からほど近い場所にあるコーヒーショップを、千草と勇人は訪れていた。

 時刻は間もなく午後四時。強制捜査を終えた埼玉県警の警察官達は、とうに麻帆良学園を後にし、さいたま市への帰路に就いている。

 しかし所属こそ警察庁と警視庁と異なれ、部署に『特別資料室係』『特殊資料整理室』と似た名を冠する二人の仕事は、これからが本命と言えた。

「……とは言ってもなぁ……」

 自身に課せられた仕事を内心で愚痴りつつ、千草はボックス席の相対に座る二人の女子中学生をそれとなく観察した。

 片や、尻まで届く金糸のような髪に、澄んだ海のような青い瞳、白磁を思わせる白い肌と、世の中を斜に構えた目付きの悪さがなければ、原寸大の人形と見紛いそうな西洋人の少女だ。本校女子中等部の制服を着ていなければ、八、九歳と誤解しそうな幼さが特徴と言えば特徴か。

 もう一方は、緑色の髪を、これまた尻にかかる長さにまで伸ばし、両耳の換わりにアンテナ、ブラウスの首筋から覗くパーティングラインなど、どう見ても人ならざる特徴を備えた少女だ。感情の欠落した無機質な顔の造形からも、長身の少女に見せかけた自動人形オートマタと伺われる。

「……エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル……」

 口中に広がる苦い響きを声にせず、コーヒーと共に飲み下す。
 十日近く前の四月十五日の『麻帆良大停電』の晩、『英雄の息子』ネギ・スプリングフィールドと相対していた魔法使いの少女の身元を探り、辿り着いたのがこの名前だ。

『不死の魔法使い(マガ・ノスフェラトウ)』『人形使い(ドール・マスター)』『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』等の異名を持ち、魔法使い達の間では恐怖の対象とされ、陽光をも克服した齢六百歳の『真祖の吸血鬼(ハイデイライト・ウォーカー)』。

 それが、目の前の小学生にも見える金髪の少女の正体である。

 相手が妖魔の中でも上位に位置する存在と知り、カップを持つ手が震えないよう取り繕うのは、自らの無力を自覚する千草には困難な事だった。これからの交渉を思えば、簡単に弱味を見せるのは憚られると分かっていても、だ。

 隣の勇人に至っては、礼儀や常識や身分を弁えたのでもなかろうに、明らかに守備範囲にいる少女に声をかけようとすらせず、半ば顔色を悪くしつつ全身を硬直させている。

 しかし六世紀を生きてきた相手に、多少の演技は通用しなかったようだ。
 震えそうな手を懸命に抑える千草の葛藤を読み取ったのか、エヴァンジェリンは目を半眼に狭め、片方の唇の端を吊り上げた。

 弱者をいたぶる強者の嘲笑ではなく苦笑だと、続けられた言葉が耳に馴染むまで、千草は理解できずにいた。

「そんなに怯えなくても良い。女子供を取って食う趣味はない。それに……」

 エヴァンジェリンは指で上唇をめくり上げ、並びの良い白い歯を見せびらかした。

「……今の私は魔力を封じられた力のない小娘に過ぎん。その程度は調査済みだろう?」
「それはそうですけどね……」

 千草は認めた。
 確かにエヴァンジェリンに吸血鬼特有の長い牙は見られない。彼女が力のほとんどを失い、この麻帆良の地に封印されているとの調査報告の正確さを証明している。

 それでも怖いものは怖いと、千草は口にはできなかった。

「話をしたいと、私を呼び出したのはそちらだろう。まずは落ち着け。そんな事では、話もできん」

 やれやれと息を吐くエヴァンジェリンに促され、千草は失礼と知りつつ、深呼吸を二回繰り返し、ようやく背筋を正した。先入観のせいか、普通に見詰められるだけで全身が震え出すのを、テーブルの下で太腿を抓る事でかろうじて堪える。

「……では、改めて自己紹介します。私は『警察庁長官官房総務課特別資料室係』の天ヶ崎千草。こちらは『警視庁特殊資料整理室』の志門勇人です」
「それは聞いた」

 ばっさりと切り捨てたエヴァンジェリンが、テーブルの一角を左手の人差し指で示した箇所には、二人の名刺が並んで置かれていた。二人の座る位置に合わせて名刺を配置している辺り、机の引出しにしまってしまう近右衛門よりも、社会礼儀を身に着けていると知れる。

「下らん世間話も要らん。用件を話せ」

 ただし口は悪い。
 狭い麻帆良に幽閉され、近右衛門のような無礼と非常識と不見識な人物の下、十年以上女子中学生などしているから、世間一般の礼儀を学べなかったのだろうと、彼女を知る者からすれば失笑物な誤解をしながら、千草は用件を切り出した。

「……警察の捜査に、協力をお願いできますか?」

 恐る恐る千草が用件を口にした途端、少女の頬が引きつるように強張った。次いで、ぎこちない動きで唇が笑みの形にたわむ。

「ふざけているのか? 私が何者か、知らぬ訳でもなかろう」

 音量は抑えられていても、そこに込められた威圧感は、千草の身を縮こまらせるのに十分だった。

「冗談ではないのですよ」

 吸血鬼を怒らせて無事で済むとは考えられず、一目散に逃げ出したい気持ちを叱咤し、千草は反論を試みた。

「そちらにどれだけ情報が伝わっているか存じませんが、麻帆良学園に対して埼玉県警察は、本日強制捜査を行いました」

 学生達の不安を煽らないよう、今回の捜査に訪れた警察官は全員スーツを着用していた。そうと気づくのは困難だっただろう。既に事後であるし、夕方六時のニュースで報道される内容を、隠し立てしても意味はない。

「それがどうした? メディアで報道されるとでも? はっ! いつものように隠されて、なかった事にされて、それで終わりだろうさ」
「いつもなら、その通り。ですね」

 侮蔑を隠そうともせずに嘲っていたエヴァンジェリンは、千草の意外な反応に、おやと動きを止め、無言で説明を待った。

「表も裏も上も……まあ、下はさて置き……今回は乗り気です。どれだけ本気かは、夕方以降のニュース番組でも見ていただければ」
「ほう?」

 今度こそエヴァンジェリンは楽しげな笑みを浮かべた。

「つまり、奴らの検閲をかわせると? 面白い、詳しく話してみろ。乗るかどうかはともかく、話だけは聞いてやる」

 食いついてきた感触に、千草は内心で喝采を上げた。

「詳しく話したいのは山々ですが、私は末端の一人です。全体を把握している訳ではありません」

 ですが、と一区切り置き、自分としてはこれ以上ない程の真剣な表情を作る。

「まず、お願いしたい内容からです。……警察に保護を求めて下さい」

 魔法使い達への魔法での攻撃か、何らかの荒事を予想していたのだろうか。

 屈辱とも羞恥ともつかぬ苦虫を噛み潰した顔の吸血鬼を、どう納得させたものかと、会談の前に何度も繰り返してきたシミュレーションを、千草は頭の中で反芻した。

     ◇◆◇

 魔法使い達に命を狙われ、六百年を一人で生き伸びてきた見かけ十歳前後の少女な吸血鬼が、これまでに築いてきた自尊心や誇りがどの程度のものか、自分には想像もつかないものだと言う以外、千草には想像できない。

 だから、憤怒に顔を赤く染め、今にも喉元に食いつかんばかりに殺意を込めた視線に晒された時には、交渉の失敗と、自身の死を半ば以上覚悟してしまった程だ。

「冗談のつもりなら……殺すぞ」

 歯の間から絞り出す掠れた声には、本気の殺意が感じられた。
 実行に移さないのは、千草に回避するだけの体捌きや、抵抗できるだけの実力がないと見越してか。あるいは、女子供は手にかけない矜持によるものか。

「……本気です」

 平然を装いつつ、カップに手を伸ばす千草でも、手が大きく震えているのは誤魔化せなかった。

「民事不介入が原則なので、助けを求められないと警察は動けません」

 そして温くなったコーヒーを一口飲み、カップをテーブルに置く。

「保護された後は、調書の作成と……できれば裁判の時に証言でももらえれば助かります。裁判については、検事側の都合次第ですが。荒事は一切ありません」

 最強とも謳われる魔法使いに求めるには余りにささやかな要求に、エヴァンジェリンは意外そうに眉をしかめた。

「それだけか?」
「それだけです」

 余程意外だったのか確認に問い返す少女に、千草は即答で返した。

 被告を『関東魔法協会』とするか『立派な魔法使いマギステル・マギ』とするか、現時点では未定ながらも、近衛このえ近右衛門このえもんとその配下による監禁と迫害と強制労働を強いられてきた少女を保護したとの名目を立てるには、彼女に事を荒立てられては困るのだ。

「だが、私を保護してどうする? 『元』が付くとは言え、六百万ドルの賞金首、悪い魔法使いだぞ?」

 魔法使いの下りで、千草は周囲の反応を警戒した。店内の喧騒に誰も注意せずにいるのを確認してから、芝居がかった仕草で両手を広げる少女に、やや険を込めた視線を向ける。

「その賞金首、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、一九八八年、『千の呪文の男サウザンド・マスター』ナギ・スプリングフィールドにより討伐されました」

 これは魔法使い達の社会で公式に発表されている。真実は、本人が眼前にいる事から察せられよう。

「は! それが虚偽なのは、お前の目の前にいる私で分かるだろう! 私が健在だと知れば、世界中から賞金稼ぎ共が押し寄せてくるわ!」

 せせら笑うエヴァンジェリンの前に、千草は指を三本立てた。

「その可能性は否定しません。ですが、それには問題が三つあります」

 言ってから、まず薬指を折り曲げる。

「一つ。日本では賞金稼ぎを認める法律はありません。捕まえるために暴力を振るえば暴行罪、下手をすれば傷害罪か殺人未遂になります。そして身柄を拘束すれば、略取誘拐罪……それに監禁罪も付けましょうか」

 この説明は、鼻であしらわれた。

「そんな法律、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の連中が守ると思っているなら、本当、めでたいな」
「法律が守られるのを期待するなとは、警察官としては言われたくないですね」

 侮蔑とも揶揄ともつかないエヴァンジェリンの言葉を、千草は立て板に水で受け流した。魔法使いの順法意識の低さは認識している。

 次いで、中指を曲げる。

「二つ。現在の日本の公訴時効は、殺人でも十五年。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが関与しているとして、警察が指名手配している時効前の未解決事件はありません。よって、現状、逮捕はできません」

 再来年二〇〇五年一月一日より、殺人の公訴時効は二十五年に変更される。それでも、二〇〇三年で時効の成立した事件の時効が取り消され、再捜査が始まる事はない。『法の不遡及の原則』に反する。

 仮に警察の把握する未解決事件が存在したとしても、彼女の実年齢がどうであれ、十年以上の前の事件の関係者として、現役女子中学生の身柄を拘束するのは、到底理に適った行動とは言えまい。

 最後に残っていた人差し指を折り曲げ、千草は握った拳をテーブルに置いた。

「そして三つ。よその国でどれだけ犯罪を重ねてきたのかはともかく、ICPO――国際刑事警察機構――を通じて、加盟国約百九十ヵ国に対し、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルなる人物の国際逮捕手配がされたとの記録は、存在しません」

 それは当然だろう。
 彼女が賞金首として手配されていたのは、魔法使いの世界――魔法界――での話だ。

 そこは魔法使い達が仰ぎ、在住する国の法律や道徳を下にしてまで、その意思と決定と指導――『立派な魔法使いマギステル・マギ』の精神――を優先する宗主国……否、教主国だ。日本で生まれ育った魔法使いですら例外ではなく、自分の国籍を保証する国の主権を否定し、『本国』と呼び習わしているその国は、地球上のどの国とも正式な国交は結んでいない。それどころか、地球上にすら存在していない。

 加えて、百九十ヶ国もの法律に精通するまでもなく、『賞金首』なるものを認定し、暴行・誘拐・監禁・殺人が常態化すると容易に想起できる『賞金稼ぎ』なる職業を是とする国は、どの近代国家においても法的に認めていないと言い切れよう。

 そのような国に、国際条約に基づいた手配ができると考えるのは、魔法使い程度のものだ。

「詭弁だな」

 千草の説明を、エヴァンジェリンは一言で切り捨てた。

「せめて屁理屈と言ってほしいですね。少なくとも、筋は通っています」

 どこがだ、と言いたげな胡乱な目を向ける真祖の吸血鬼だ。

「百歩譲って、表向きはこの理由で誤魔化せても、だ。『立派な魔法使いマギステル・マギ』がそんな理由で納得すると思うのか? 実際そう上手くいくはずないのは、お前だって分かっているだろう」

 詭弁や屁理屈と言われる通り、表向きの理由に穴があるのは千草も認めるところだ。しかし事は裏側――対魔法使い――が重要なのであり、そこに認識のずれが生じているのは予想できた。

「そうですね……。では、幾つか確認させて下さい」

 テーブルの上に置いたままの拳から、人差し指だけを立てる。

「十五年前、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの死亡確認を行った人物に、心当たりは?」

 賞金首を討伐したのなら、その死体が間違いなく賞金首のものだと、誰かが証明する必要がある。しかし本人が生存している以上、死体の用意は不可能であり、となれば、通りすがりの第三者や、討伐したと称する賞金稼ぎの言葉以外にも、公的な資格を持つ人物、例えば、医師や賞金をかけた機関から公的な資格を与えられた人物の手による、正式な死亡の証明は必須だ。

 千草の質問に何か感じるものがあったのか、エヴァンジェリンはふむと唸ると、記憶を探るようにアゴに手を当てた。

「……ジジイ……近衛近右衛門。ここの学園長だな」

 すかさず千草は中指も立てた。

「賞金をかけていたのがどこの組織かは存じませんが、そこへ討伐完了の報告をしたのは?」

「それもジジイだろう。ナギ……『千の呪文の男サウザンド・マスター』は、いちいちそんな報告するマメな人間じゃない」

 即答した自分の言葉の意味に気付いたのか、エヴァンジェリンは目を見開いた。

「おい。まさか……」

 構わず薬指が立てられ、三つ目の質問が出された。

「例の協会の運営資金、どこから出ているかご存知ですか?」

『関東魔法協会』がどのように運営されているか、非法人組織のために外部の千草は想像するしかない。

 考えられるのは二つ。会員の魔法先生・魔法生徒らに、ボランティアとして無料奉仕させる手段。あるいは、魔法先生には副業として、魔法生徒にはバイトとして、それぞれに給与を支払う手段。

 どのような形態であれ組織を運営する以上、どこからか原資を掻き集める必要がある。まかり間違えても、『学校法人麻帆良学園』の資金の一部を流用し、運転資金に回しているなどとはあり得まい。

「いや。あの非常識具合ならやりかねないか?」

 二つの組織が別物である以上、貸借対照表などの財務上の手続きも含めて資金を移動し、流れを明確化していなければ、業務上横領を問われてしまう。一方の組織の財産を、財布の紐を握る責任者が同じだからとの理由で、別組織の運営に用いる訳にはいかないのだ。

 さすがにそこまで愚かだとは考えられないが、近右衛門の言動に一般社会の常識を見つけるのが困難だった事を鑑みると、その可能性を一笑に伏せないのが恐ろしいところだ。

「資金の出所は私も知らないな。だが、麻帆良学園も協会も、『本国』のヒモ付きだとは、確実に言える」

 束の間の驚きから醒め、呆れとも諦めとも付かない複雑な感情を、エヴァンジェリンは浮かべた。

「……と、なると」

 千草は手を開き、再びテーブルの上に置いた。

「近衛学園長は、六百万ドル目当てに『千の呪文の男サウザンド・マスター』と共謀し、死亡確認報告もしくは検死報告を『偽造』した上で、賞金をかけた組織へ『虚偽報告』を行い、賞金を『詐取』。さらに自分の地位を利用して、後援組織に損害を与える『特別背任行為』をしてのけた……のかもしれませんね」

 憶測の域を出ていませんけれどと、既にエヴァンジェリンが考えついていた内容を、千草は言葉に紡いでみせた。

「本人は、ここの警備員がほしかったから、『千の呪文の男サウザンド・マスター』の話に乗ったと言っていたが……」
「ですから、あくまで憶測です。本心がどこにあったかなど、六百万ドルの行方と同じく、どうでも良い事です」

 渋面で近右衛門の擁護めいた言い訳を口にするエヴァンジェリンを、千草は頭を横に振って否定した。

 憶測を推し進めるなら、この詐欺は二人の共謀ではなく、三人・・による犯行の疑惑すら出てくる。

 一九八八年当時の米国ドル・日本円の為替相場は、一ドル百二十五円から百三十五円の幅を推移している。六百万ドルともなれば、三人で山分けしたとしても一人頭二百万ドル、日本円換算で二億五千万円前後にもなる。麻帆良の土地事情さえどうにかできれば、家を一軒建てる資金としてもお釣りの来る金額だ。そして麻帆良の土地を管理しているのは、なぜか市役所ではなく近右衛門であり、全寮制の麻帆良学園本校女子中等部にあって、エヴァンジェリンだけ自宅から・・・・の通学だ。彼女が無関係とするには、早計すぎやしないだろうか。

「まあ、かれこれ十五年前の出来事です。事件性があったとしても、とうに時効が成立しています。今更どうこうできる話ではありません」

 戦後二十年経過した現在でも、魔法使いの間では英雄と讃えられる『千の呪文の男サウザンド・マスター』が、実はケチな詐欺師だった。これが公になれば、魔法使い達の世界はさぞや楽しい阿鼻叫喚に包まれるだろう。

 口では憶測と言いつつ、内心では事実と確定している仮説に、魔法使いへの憎悪の溜飲が僅かに下がる気がし、千草は無意識のうちに皮肉な笑みに口元を綻ばせていた。

「そもそも、近衛学園長のヒモの端を握る人物か組織か存じませんが、十五年もの間、全く気がつかずにいるとでも?」

 だとすれば、相当にずさんな資産管理をしているか、無能共の寄せ集めなのだと断言できる。

 裏の意味を読み取ったエヴァンジェリンの目が危険な光を宿した。

「……まさか、私が生きていると知って、それを放置している……。そう言いたいのか?」

 自尊心を傷つけられたのか、再び喉笛を噛み切らん鋭い視線で睨みつけるエヴァンジェリンに、全身が震えてくるのを千草は懸命に堪えた。

「知っているのか、未だに知らずにいるのか。この場合、それは重要ではありません」

 思いの外に掠れていた声音を、咳払い一つして元に戻す。

「上司が偽証、あるいは横領まで行っている可能性が高いのは、死んだとされている人物が生きている事から、麻帆良の魔法使いの間で周知の事実でしょう? 健全な組織を目指すのなら、上司の背任行為を放置などせず、さらに上に報告するのが社会正義……立派な行為ではないですか」

 それが彼らの求めて止まないものでしょう? それを見て見ぬ振りでは、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の名が泣きますよ。

 最後の揶揄する言葉を、千草はコーヒーと共に喉の奥に流し込んだ。

 魔法使いの場合、報復人事として死地へ追いやられる危険が無きにしも非ずだ。それを恐れて上司に迎合しているのだとすれば、何が『立派な魔法使いマギステル・マギ』だと言うのか。

 鬱屈した思考に陥りかけた千草を元に戻したのは、爪先を軽く蹴った勇人の足だった。
 失礼と、エヴァンジェリンに気付かれない程度に小さく頭を下げた勇人を軽く見遣ってから、思考を切り替える。

「それに騙されたとは言え、賞金は支払われていますから、一度取り下げた指名手配をもう一度かけ直すのは無理です」

 魔法使いの社会が地球の近代国家に近い物だと仮定すれば、彼女の関係する事件は全て『被疑者死亡』の形で処理されているはずだ。『犯罪被害者給付金制度』があれば、被害者家族に支援金が支払われているし、事件に関係する裁判もとうに終えている。

 それを今さら生存が確認されたからと、支援金の返却を求めるなり、終了している事件の捜査を再開するなど、できようはずもない。

「悪い例え方をすれば、一つの商品に二回代金を払わせるようなものですからね。払う客はいません」

 それでも釈然としない様子のエヴァンジェリンに、おそらくは一番説得力があるだろう言葉を向ける。

「賞金と指名手配をかけ直すと言うのは、その組織は、自分達の判断が間違えていたと、その間違いに十五年も気づかずにいたと、大々的に認める事になります。そういう殊勝な、いえ奇特な組織ですか?」

 そもそも、そのような間違いを犯さないためにも、日本では審理を三回まで行える『三審制』を採用しているのだ。『魔法界』の司法制度がどのようなものであれ、最終確定した判決を、間違えましたと言って差し替えるはずかないと、容易に想像できる。

「まさか。間違いなど決して認めはせんさ」

 自らの即答に満足したのか、エヴァンジェリンは口元を歪めた。

「だがな。その組織――メガロメセンブリアの元老院――が認めなくても、私の生存を知れば、私を狙う『立派な魔法使いマギステル・マギ』は出てくるぞ? どうするつもりだ?」
「異な事を」

 おかしな事を訊くものだと、千草は心持ち肩を竦めた。

「どこからも手配を受けていない相手に、危害を加える目的で近づくなんて、ただのストーカーかごろつきか狂信者か……呼び方はどうであれ、ただの犯罪者予備軍ではないですか。普通に対処すれば良いだけです。それとも『立派な魔法使いマギステル・マギ』とは、唱えれば魔法使いが手出しできなくなる『魔法の言葉』ですか」

 そこが正に難点だった。
 近右衛門を例に出すまでもなく、『立派な魔法使いマギステル・マギ』とは、在住する国の法だけでなく、自分達魔法使いのための法や道義すら、自分の都合で平然と踏みにじり、まるで悪びれない無法の徒だ。

 千草の最後の一言に対し、エヴァンジェリンはどちらとも取れる曖昧な笑みで答えた。

「ふん、なるほど」

 これまでの説明に納得したのか、両腕を組み、しばらく黙考する。

「屁理屈も並べ立てれば、それらしい説得力を持つように聞こえるのだな」
「それでも、表裏どちらも手出しできないのは理解してもらえると存じます」

 エヴァンジェリンが次の言葉を発するまで、一分近い時間を要した。

「話は分かった」

 そして、底意地悪く片唇を吊り上げる。吸血鬼の本性が現れていたら、鋭い牙が覗けただろう、いかにも悪そうな顔だ。

「私が協力するとして、だ。その対価として、何を用意する?」
「……対価、ですか?」
「そうだ。私は悪い魔法使いだからな。ただ働きはせん」

 予想されていた反応だった。
 それだけに、応じる『対価』も用意してあるのだが、口にして良いものかどうか、千草は決断に迷った。

「買収行為に当たりますから、金銭や物品の提供はできません」

 濁した言葉にエヴァンジェリンが不快気に顔を歪めるのを見、これから提示するものを用意した『上』を、内心で罵倒する。

「こちらにできるのは、麻帆良の『協会』によって侵害されている権利……基本的人権を取り返す手伝いです」

 理解できていない様子の彼女に、言葉を変えて説明する。

「自由権……つまり、麻帆良に封じられている現状の打開。『登校地獄』と言いましたか? それを解除します」

 今度こそ意図は伝わったようだった。

 理解が及ぶにつれ、呆気に取られた表情が、興奮とも憤怒とも恥辱とも取れる形相へと変化していく。

「ふ、ふざけるなぁっ!」

 この面談で最大の音量をもってエヴァンジェリンは吠えた。

     ◇◆◆◇

『登校地獄(インフェルヌス・スコラステイクス)』

 不登校の学生を強制的に登校させるため、魔法使いが用いる呪いの一つである。ふざけたその効果もさることながら、不登校となった原因には目もくれず、場当たり的な対処のみで解決とする辺り、良くも悪くも魔法使いらしいと言うべきか。

 齢六百歳の真祖の吸血鬼を麻帆良に閉じ込める物の正体が、この下らない呪いだと知った時には、大いに呆れたと同時に、感心もしたものだ。

 魔法使いには、する事なす事全てに反発心と敵愾心しか抱けない千草でも、エヴァンジェリンを無力化し、麻帆良に封じている手際だけは称賛しても良かった。

「……それを解呪するとか、正気を疑うわ……」

 愚痴は内心で漏らすだけに留め、『上』の方針を改めて伝える。

「ふざけてなどいません。麻帆良外への移動と行動が、本人の合意なしに制限されていれば、『監禁罪』の要件を満たしていると判断されます。保護を求められれば、警察としては動かざるを得ないのですよ」

 先の咆哮で一時衆目を集めたエヴァンジェリンは、やや声音を落とすと、テーブルを殴り付ける真似で激昂を表した。

「私が言っているのは、その事じゃない!」

 この席では、魔法使い達が頻繁に用いる認識阻害や、たわいのない会話に見せかける魔法を使っていない。魔法使い達に秘密の会話をしていると明言する必要などないし、何事も魔法で片付けたがる魔法使い達への、千草なりの皮肉でもある。

「いや。そのおかしな理屈もそうだが、そもそもこの呪いは、私が十五年かけて解けなかった呪いだぞ! それをよくも、簡単に解けるような口振りで話せるものだな!」
「解呪の手段と伝手なら、近衛学園長なら幾つも持っているはずですけどね」

 刃物のように狭められた視線に、生きた心地もせずに千草は解説した。

「近衛学園長の生家は、日本に古くから伝わる陰陽師の一族です。退魔や厄払いの術なら色々と取り揃えていると思いますが?」

 現代でこそ名字だけの赤の他人とは言え、元を辿れば近右衛門の近衛家は、五摂家の一家と祖を同じにする旧家だ。数十世代に渡り培われてきた知識の蓄積は、六百百年生きてきたエヴァンジェリンに勝るとも劣らぬはず。

「本人がその手の術に心当たりがなくても、伝手はあるでしょう。協力を得られるかどうかはさて置き」

 近右衛門自身は魔法使い側に降ったにせよ、麻帆良から一歩も出られないエヴァンジェリンと比べ、日本国内の陰陽師とのつながりは段違いに強いのは確かだ。

 しかしその伝手を頼れるかと問えば、否と答えるしかない。それ程に、陰陽師業界での近衛一族への信用と信頼は、底辺にある。

 理由は単純だ。
 呪者としての近衛一族は、先代で途絶えて、否、途絶えさせてしまったからだ。
 近右衛門が十代前半で魔法に傾倒し、麻帆良に移住した時点で、先代は血縁筋から養子を取るなりして、後継者を用意する旧家としての義務があった。どのような理由が本人にあったにせよ、それを怠り、結果として、近衛一族を近衛一族たらしめる特殊性――一族秘伝、あるいは一子相伝で口伝のみで継承されるだろう秘術――全てが失われてしまったのだ。

 後継者の立場を投げ捨てた近右衛門もまた然り。後継の責務を放棄した無責任さは、業界内では未だに語り草となっている。

 残ったのが術者として優れた才能を持つ血筋だけでは、信用が地の底を這うのも頷けると言うものだ。

「ちょっと待て。それじゃあまるで、ジジイはその気になれば、いつでも私の封印を解けたような言い草だな」
「解けるのではないですか?」

 千草はにべもない。
 彼女達が知る由もない事実に、近右衛門の蔵書の中には、調べればものの一、二時間とかからずに、エヴァンジェリンの呪いを一時的に無効化する記述があるのだ。十五年もあれば、完全に解呪する方法の一つも見つかっていよう。

「なら、なぜ私を十五年間もここに縛り付けてきた……?」

 自分の詐欺行為の生き証人を野放しにできないから。封じられていた真祖の吸血鬼を野に放てば責任を追及されるから。などの理由は口にはしない。

 代わりに、別の言葉を紡いでいた。

「十五年前も、現在も、そして十五年後も、その後も、危険の伴う最前線に放り込んでも生還し、負傷しても完治して障害が残らず、加齢で能力が低下せず、絶対に逃亡せず、使い減りしない駒を、誰が進んで手放すと?」

 近右衛門が一連の犯行を隠蔽し続ける腹積もりなら、エヴァンジェリンを永遠に麻帆良で飼い殺しにするしかない。

 我ながら酷い説明だとうんざりする千草をよそに、何やら思い当たる節があるのか、聞かされた当人にも面白くない話だったからか、エヴァンジェリンは苦虫をまとめて十匹ぐらい噛み潰したような顔をした。

「勿論、善意からの思惑があって、呪いを解かずにいるとも考えられます。近衛学園長が善意の人か、自分勝手な思い付きで周りに迷惑をかける人物か、権力を固持したいだけの老人か、付き合いが十五年もあるそちらの方が詳しいでしょう?」

 とは言え、近右衛門が髪の毛一筋程の善意も持ち合わせていないのは、千草の中では確定事項だ。学園長室での面談から、この場での会話に出てきた行動まで、礼儀的な最低限な他者への配慮すら、近右衛門から感じ取れなかった。あるのは己の地位を誇示する恫喝と利の追及であり、『関東魔法協会』『麻帆良学園』のいずれの利も考慮の外だ。

 千草の問いとも確認とも取れる口調に、エヴァンジェリンは渋面を深めて返答に替えた。

「話を戻しますと、私達の提供できる解呪の手立てとは、近衛学園長がその気になれば、とうの昔に行っていただろう手段の一つです」

 この手段の説明で、また激昂されるのだろうと予想し、重くなった口を動かすのにしばし時間がかかる。

「魔法使いの魔法で解呪できないのなら、呪いの術式だけ焼き払ってしまえば良い話で……」
「……神凪かんなぎか」

 予想に反して冷静な反応を返したエヴァンジェリンに、千草はおやと目を瞬かせた。

「ご存じでしたか」
「当たり前だ」

 心外だと言わんばかりに、エヴァンジェリンは憮然と両腕を組み直した。

 炎の精霊王と契約した『契約者(コントラクター)』を始祖とし、一千年の間血脈をつないできた炎を操る一族の名だ。魔法使いの魔法が、あくまで物理法則の範疇に収まるのに比べ、神凪一族の操る炎はそのくびきに囚われず、人に取り憑いた悪霊のみを焼いたり、燃やした周辺の草木には焦げ跡一つ残さずと言ったり、燃やしたい対象だけを燃やす理不尽な代物だ。身体に傷を付けず、呪いの術式のみ焼き払うなど造作もない。

「噂ぐらい聞いているし、解呪の手段の一つとして調べもした。戦って負けるとは思わんが、今の状態でやり合って愉快な相手ではないな」

 存外にも高い評価だ。

「しかし私の呪いを解くために、連中に協力させるのはどう考えても無理だぞ。どうするつもりだ?」

 悪霊怨霊、妖魔などの魑魅魍魎に対し、力のない人々を守るのを一族の使命と捉えているのが神凪だ。真祖の吸血鬼は討滅すべき対象の一つであり、それを開放するための助力など、鼻であしらわれて終わるどころか、とどめを刺しに麻帆良へ攻め込んで来かねない。あるいは、呪いを燃やすと見せかけ、エヴァンジェリン諸共に焼滅させようとするかもしれない。

「いっそ、一族を上げて麻帆良に攻め込んでくれれば、どれだけ世話のかからない事か……」

 麻帆良の魔法使いと、神凪一族の殲滅戦。術の多彩さと人数で麻帆良、一点突破の火力で神凪に分があるか。なかなかに良い状態で潰し合ってくれそうだ。

 警察官として不穏当な思考を、千草は彼方に押しやった。

「その仲介に我々が入ります」
「……それで動く連中か?」

 エヴァンジェリンは懐疑的だ。

 神凪一族の過剰なサービス精神を知っていれば、当然の反応だ。依頼のものは確実に焼却し、依頼以外の物も焼く。ついでに依頼がなくても燃やす。妖魔や同業者に留まらず、結界に封印に念動力テレキネシスにケブラー繊維、建物、公園、森、果ては狂った神に魔神と、燃やす対象は見境いなしだ。ある一面においては、麻帆良の魔法使いよりも性質の悪い集団なのは否定できない。

「他に解呪の宛ては?」

 退魔の炎に身を晒すのは、さすがに抵抗があるのだろう。神凪の風評もあり、警戒したい気持ちは一抹ながら理解できる。

「神凪で不安なら、実力は折り紙つきの風術師ふうじゅつしを紹介します。まだ無名ですけれど、こちらは依頼分の仕事だけ確実にこなす人物です」

 神凪が炎の精霊を操る炎術師であれば、風の精霊を操るのは風術師である。情報収集や索敵に優れる反面、荒事における戦闘力は最低と言われている。

「……風術師だとぉ……?」

 あからさまに不満の声を上げるエヴァンジェリンに、これまで沈黙を続けていた緑髪の自動人形オートマタが初めて口を開いた。

「……検索完了。ヨーロッパのオカルトサイトに書き込みがありました。風の精霊王の『契約者』コントラクターは日本人だそうです」

 自動人形オートマタに驚いた風の一瞥を向けたエヴァンジェリンは、愉悦に満ちた笑みを千草に投げかけた。

「つまりお前達は、その『契約者』コントラクターに伝手があると言う訳か」
「さあ? そこまでは確認していません」

 千草にもその辺りの情報は伝わっていない。聞いているのは、エヴァンジェリンの封印を解呪できる腕利きと言う触れ込みと、あまり褒められた人格でないという人物評程度だ。情報が制限されているのは、件の人物との窓口は、特殊資料整理室――正確には霧香――が仕切りたい、との意思表示なのだろう。

「ふん。まあ、いいさ。それほどの実力者なら、この忌々しい封印は解呪できるだろう」
「納得してもらえましたか?」
「お前達の言葉通りならば、な」

 エヴァンジェリンは回答を濁らせ、千草をねめつけた。

「だが、納得したからと言って、警察に保護を求めるような無様な真似、気安くすると思うなよ」

 そう釘を刺してから、気になった質問を口にする。

「それで、もし私が協力せず、警察に保護を求めなかった場合、どうするつもりだ?」
「何もしません」

 千草の回答は簡潔だった。

「先程も説明しましたけれど、助けを求められなければ、警察は動けません。ですから、保護を求められなければ、保護に動く事も、解呪の仲介に入る事もありません」

 この回答はエヴァンジェリンに問われるまでもなく、説明の項目に含まれていた内容だ。

「保護を求めるかどうかはそちらの自由ですし、今すぐ返事が必要な訳でもありません。情勢を見極めてから判断されるのが良いでしょう」

 ただし計画が順調に推移し、それでも保護を求めなかった場合、彼女の生存率が著しく低下するのは火を見るよりも明らかだ。近右衛門が武力で抵抗を試みる可能性は決して低くなく、その時の先兵に立たされるのは彼女だ。もしくは、証拠隠滅に走った近右衛門の手により謀殺されるか、全ての責任を彼女に被せた魔法使い達の手により抹殺されるか、体の良いスケープゴートにされる危険性は、彼女が自覚している以上に高い。

「さて。お話しするのはここまでです」

 予定していた内容は、全て語ったはずだ。

 隣を見遣り、勇人が同意に小さく頷くのを確認してから腰を上げる。
 その動作を、エヴァンジェリンの待てとの声が止めた。

「最後の質問だ。どうして……どうして警察は、私を保護しようなどと酔狂な事を考えている?」

 どう答えるべきか少し迷ってから、千草はようよう口を開いた。

「人道的にどうこうの綺麗事を聞きたい……訳ではないのでしょうね……」

 エヴァンジェリンが頷くのを待ってから、話を続ける。

「麻帆良の魔法使いの何割が、この先、警察の捜査に対して力ずくで抵抗してくるか分かりません。その抵抗する中にいられては、こちらにとって具合が悪いからです。死傷者の発生と言う意味において、ですが」

 付け加えるなら、近右衛門と魔法使い達の間に不和の種を撒くのも目的の一部だ。

 近右衛門は呪いで彼女を麻帆良に縛り付け、良いように操っている。

 それが全体での評価だ。
 千草の『上』は、その戒めから解放する事で、彼女の協力を取り付けようと本気で画策している節がある。真祖の吸血鬼を身内に抱える危険性を全く考慮しない浅慮さには、呆れて言葉もない。

「それでは、今日はご足労ありがとうございました」

 最後に別れの挨拶を述べ、千草と勇人の二人はコーヒーショップを後にしたのだった。

     ◇◆◇◆◇

『教師がブログや掲示板に不正アクセス。学園に不利な書き込みを削除。
 埼玉県警察署は二十四日、埼玉県内にある『学校法人麻帆良学園』のサーバーより不正アクセスが行われていたとして、同学園大学部を強制捜査したと発表した。これはかねてより大手新聞社サイト、個人ブログ、各ネット掲示板などのネット上において、麻帆良学園に関係する書き込みが、何者かにより即座に削除されるとの苦情を受け、埼玉県警が密かに調査していたもの。管理者の教諭・弐集院光に任意同行を求め事情を聴取したところ、『二〇〇三年式電子精霊群』なるマルウェアの開発と、それを用いての不正アクセス行為を認めたため、現行犯逮捕した。この件に関し麻帆良学園側は「今回の事件は職員の独断専行であり、当学園は一切関与していない。今後このような事を起こさないよう、担当者を厳しく罰したいと思う」と語っている』

 当事者を罰すれば自分の責任を果たしたと誤解している発言が、いかにも近右衛門らしい。

 麻帆良学園本校女子中等部の修学旅行三日目の夕方、各ニュース番組で小さいながら報道されたこの事件は、今度こそ各新聞社サイトから削除されたりはしなかった。







◎参考資料◎
・赤松健『魔法先生ネギま!③』講談社、2003年11月17日
・警察による犯罪被害者支援ホームページ『犯罪被害者給付制度とは』
・まさかりの部屋『殺人行為による罪と罰』2010年05月05日
・山門敬弘『風の聖痕』富士見書房、2002年1月25日
・Wikipedia『国際刑事警察機構』
・Wikipedia『国際手配』
・Wikipedia『犯罪人引渡し条約』





[32494] 第十二話 狂信者
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2012/09/08 02:17
 時報の余韻を背景にオープニングのメロディが流れ出し、番組のタイトルがテレビの画面上に表れる。

『おはようございます。朝のニュースです』

 いつもと代わり映えのしない挨拶から始まったニュースを適当に聞き流しながら、麻帆良学園大学部の教授、兼魔法先生の一人の明石は、焼いただけのトーストを片手に、徹夜明けのしょぼつく目で、クリップ留めした紙束を再読していた。

 同僚の魔法先生、弐集院にじゅういんみつるの逮捕から一夜明けるまでに、ネット上に氾濫した麻帆良非難のブログ記事や掲示板への書き込みをプリントアウトした束だ。

『「麻帆良」の文字は検閲対象? 二〇〇三年式電子精霊群』
『麻帆良学園で教師が不正アクセス』
『教師が不正アクセスツールを開発。学園の不祥事を隠蔽』

 そんな見出しの記事が各新聞社のサイトに掲載され、自社も不正アクセスで記事を消され続けてきたと、麻帆良学園に対する抗議が織り交ぜられていた。

 個人ブログでも批判的な記事が多く、擁護の声はほとんど見かけない、中には、自分のブログ記事も消されたと、非難の声を隠さないところもある。

 掲示板に至ってはさらに顕著だった。スレッドを立てたら消されたとの苦情から始まり、同様の経験をした書き込みが追従、同情や煽りの文章が寄せられ、ブログやホームページ管理者が参加して加速、有志による被害者ブログの一覧をまとめる作業も開始されるなど、迂闊に自制を求めるなり削除を敢行しようものなら、炎上が広がりそうな按配だ。

「……恐れていた事が現実になったか……」

 眼鏡を押し上げ、親指と人差し指で両の瞼をマッサージしながら、疲れの混じった声で明石は独りごちた。

 魔法は秘匿すべきもので、麻帆良は魔法使いの街だから、麻帆良の情報も秘匿されなければならない。

 そんな整合性の取れない理屈を、明石は正論として受け入れ、微塵も疑っていなかった。

 今回、絶対に守られなければならないその前提が覆されてしまった。未だ『魔法』の二文字は出てきていないものの、それも時間の問題だろう。

 明石を暗澹たる気持ちにさせているのは、麻帆良学園ぐるみで『検閲の禁止』を侵していたと公にされた事や、それによる世間からの風評を怖れて、ではない。『立派な魔法使いマギステル・マギ』の一人として、そう遠くないうちに『本国』から下されるだろう処分を思ってだ。

『オコジョ刑』
 それが予想される刑罰だった。

 どの曰くからか、魔法使いの犯罪者は『本国』へ送致された後、その罪状に合わせて『オコジョ』にされ、専用の収容所に収監される。『立派な魔法使いマギステル・マギ』の一人、あるいはそれを目指す一人として貢献してきたのに、人としての尊厳すら剥奪され、『世界の侵略的外来種ワースト百』にも載る害獣の一匹に貶められる。想像するだけで屈辱の極みだ。

 無論、日本国内での出来事を、某国では犯罪だからとその国へ連行し、裁判にかけるなど、国家主権の観点から許される行為ではない。

 しかしその原則は、魔法使いには通用しない。『本国』の決定・通達は、在住する国の法や主権を超えて優先される事柄であり、例えその行為が、在住する国の法に反するものであっても、『本国』の決定は常に優先される。

 この思想は、明石も共有するものだった。『本国』からの命令があれば、逃げようとする魔法先生・魔法生徒の首に縄をかけてでも連行するし、今回のような不祥事を起こしたからには、自らも実直にその処罰に甘んじる覚悟だ。逃亡を図る、ないしはそれに賛同する『立派な魔法使いマギステル・マギ』がいるなど、考えたくもない可能性だ。

「……だけどどうして、どこも隠蔽に協力しようとしない? これじゃあ、魔法をばらそうとしているのも同じじゃないか……」

 魔法にせよ陰陽術にせよ、あるいはその他の神秘にせよ、秘匿のための『機関』は多数存在する。それにも関わらず、麻帆良学園がこれ程まで世間の注目を浴びていると言うのに、どこの機関も秘匿のために奔走している気配がない。

 それが明石には解せなかった。
 それも当然だろう。
 明石の思考では、『麻帆良学園の不祥事』と『魔法の漏洩』はイコールで結ばれている。理解できるはずがない。

 例えば、『学校法人麻帆良学園』の一校『聖ウルスラ女子高等学校』のドッヂボール部が、昨年度に関東大会で優勝したニュースは、検索すれば見つけられる類の情報だ。生徒の努力の成果を無碍にしないため、と言うよりは、魔法が一切関与していないがため、麻帆良の魔法使い達も放置しているためだ。

 弐集院教諭の逮捕にしても、魔法の『ま』の字も出ないよう脚色されて報道されている。

 どちらも魔法の文字の出ない内容でありながら、片方が栄誉であるから放置しても良く、もう片方が不名誉だから不正アクセスを行ってでも隠蔽すべきである。

 そんな身勝手な理屈を振り回していると言うのに、明石は後者を魔法と切り離して受け入れる事ができないのだ。弐集院が同僚の魔法先生だからか、『二〇〇三年式電子精霊群』が魔法の産物だからか、魔法使いに都合の悪い事実は隠蔽するのが習い性になっているのかは、本人にも理解できていない。

「まさか、切り捨てられた……?」

 それ故に、見当違いな被害妄想を抱いてしまう。

 徹夜明けの鈍った頭でなく、同僚が逮捕された件で脳が茹だっていなければ、すぐに思い到っていただろう。隠蔽する各『機関』が動いていない時点で、これら一連の麻帆良学園不祥事の報道は、魔法の秘匿とは無関係であり、『本国』で『オコジョ刑』を言い渡されるなどあり得ない、と。

「……それだけじゃない」

 声には出さずに呟き、テーブルに置いたもう一つの束にちらと視線を向ける。

 京都へ修学旅行中の『本校女子中等部』の生徒が補導されたニュースと、それに関したブログや掲示板をプリントアウトした束だ。

 麻帆良学園の評判を貶める効果は、こちらの方が大きいだろう。何せ一度は封殺された報道が、今は『二〇〇三年式電子精霊群』が手出しできずにいるのを良い事に、息を吹き返し、各社からの非難も加えられて再掲載されているのだ。

 学園にとり不都合な事実は、不正アクセスを行って隠蔽する。その実例と証拠として挙げられた補導劇の効果は窺い知れよう。

「……こんな形で知られたくはなかったんだけどな……」

 そう漏らした明石の表情は、気弱で弱々しい自虐の笑みへと変わっていた。

 三年A組、出席番号二番、明石裕奈(ゆうな)。
 ネギ・スプリングフィールドが受け持つ生徒の一人、明石の一人娘だ。十年前の妻の死を海外旅行中の交通事故と偽り、魔法から遠ざけ、魔法とは係わり合いのない生活を送らせている。

 もっとも、いずれは魔法に関わらせるつもりで、魔法に触れる機会が増えるよう消極的にも色々と仕込んでいる。ネギ少年がクラスの担任なのも、その一環だ。さすがにエヴァンジェリンの従者に噛まれ、半吸血鬼化したのは想定外のアクシデントだったが。

 それ程に気を使っていただけに、麻帆良学園の不祥事を通じ、『魔法使いの支配する学園』という真の顔を知られ、魔法使いに対し負の印象を持たれるのは、実に不本意な流れだった。麻帆良学園のエージェントとして『魔法界』に渡り、『本国』からの任務途中に殉職と言う、『立派な魔法使いマギステル・マギ』として誇るべき名誉ある死が、このままでは歪められ、曲解され、汚されてしまうかもしれない。それが恐ろしく、是非にも避けたい。

「こんな事になるなら、魔法の存在を教えておけば良かった……」

 麻帆良学園の魔法先生の一人として、あるいは夫として父として、妻を死地に向かわせた近右衛門への怨恨、それを止めずに送り出してしまった自責、妻の死の真相を娘にひた隠しにしている悔恨は、明石の中には微塵も存在していなかった。あるのは、娘を積極的に魔法に関わらせてこなかった後悔と、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の精神を自らが教える機会を逃してしまった忸怩たる思いだ。

 医療ミスや病院の情報隠匿が厳しく批判されている昨今、実の父親が周囲の知人を巻き込んで実母の死の事実を隠蔽する。

 その行為が娘に与える影響と、多感で反抗期にある十四歳の少女が抱くだろう反発を、明石は爪の垢ほども懸念していなかった。それどころか、母親譲りの気風から、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の教えさえ与えれば、無条件に世界の真実を受け入れ、一員に加わると信じて疑っていない。

『……では、次のニュースです』

 いかにして『立派な魔法使いマギステル・マギ』の正しさを伝えようか、半ば機械的に書類に目を走らせていた明石の意識は、何気ないテレビの声に引き寄せられた。

『麻帆良学園の不祥事が、また一つ判明しました』

 また補導の件かと、書類に意識を戻しかけた明石は、キャスターの背後の映像に視線を釘付けにされた。

『修学旅行中の女子中学生が、宿泊先のホテルで九歳の男児に集団わいせつ行為を働こうとしていた麻帆良学園ですが、引率教師の一人がその数時間前、近くにあった店舗の看板を路上に蹴り入れ、走行中の自動車にぶつけて走行妨害を行っていたと、京都府警察本部が明らかにしました』

 女性キャスターの姿が画面一杯に広がった背景に押しやられ、前部の破損した自動車の周辺を、警察官達が捜査でせわしく動き回る映像に変わる。

『……自動車を運転していたのは京都府に住む会社員で、営業車で移動中のところへ看板をぶつけられ、全治一週間から十日の軽い怪我をしました。たまたま巡回中に現場に居合わせた警察官が呼び止めたところ、その教師は逃亡。生徒達の補導と同じ時間帯に、滞在中のホテルにて身柄確保しようとしたところを抵抗し、警察官数名に軽い怪我をさせたとの事です』

 誰の事を指しているのか、麻帆良学園の魔法使いの誰もが一瞬で理解できるニュースだ。

「ネギ君が……!?」

 明石にしても例外ではない。
 事件の詳細よりも、ネギ少年が拘束された事に呆然とし、咥えていたトーストの最後の一切れがテーブルに落ちる。

 将来を嘱望……否、確約されている『英雄の息子』にして『未来の英雄』が、たかが全治一週間程度の傷害で警察に逮捕されるなど、許し難い暴挙に胸中をざわざわした不快感が込み上げてくる。

『その教師によれば、子猫が轢かれそうになっていたので、思わず身体が動いていた。運転手が怪我するとは考えてもいなかった、と証言しており、京都府警察本部では近く、往来妨害罪と過失傷害罪、及び公務執行妨害の容疑で書類送検する、としています』

 これで決定だった。
 子猫一匹のために、ネギ少年の経歴に傷をつける訳にはいかない。補導された三-Aの担任がネギ少年である事実も、麻帆良学園が『労働基準法違反』『児童福祉法違反』をしていたとして、ネギ少年の身柄が保護をされた現状も、無意味に隠蔽しているのではないのだ。

「まずは学園長に報告を……」

 この報道を近右衛門が見ている可能性は高い。見ていないにしても、打ち合わせに必要な情報はあらかじめ共有しておくものだ。

 携帯電話を取り出し、近右衛門の短縮番号を押そうとしたところを、軽快な電子音を響かせた玄関のインターホンが妨害した。

 来客の予定はなく、出勤前の時間帯に訪問してくる相手にも心当たりはない。同僚の魔法先生の誰かが駆け込んでくるとも思えず、その場合の集合場所は、本校女子中等部の学園長室と決まっている。

 どちらを優先するか手元の携帯と玄関を見比べ、もう一度インターホンが鳴らされると、やれやれと小さな溜め息をつき、明石は立ち上がった。

 ドアを開けた途端、徹夜明けには厳しい早朝の光に目を開けていられず、顔の前に手をかざし、目を瞬かせる。

「おはようございます」

 朝日を背に玄関前に立っていたのは、見覚えのない五人からなるスーツ姿の一団だった。

     ◇◆◇

 五人の男達の年齢は、三十代の半ばから後半と言ったところだろうか。

「埼玉県警察です。麻帆良学園大学部の明石教授ですね?」

 一番前に立つ年上の男が、焦げ茶色の手帳を広げて警察官だと証明すると、別の一人が一枚の紙を広げた。

「……そうですが、一体、何の……」
「あなたに『不正アクセス行為の禁止等に関する法律』違反の容疑が出ています。家の中、調べさせてもらいます」

 明石が質問を終える前に答えを返した警察官は、半開きにも満たないドアに手をかけ、大きく開いた。間髪入れず、有無を言わせぬ勢いで残る四人が玄関に押し入り、ずかずかと奥へと進む。

「ち、ちょっと待って下さい! 一体、何の権利があって……!!」

 寝耳に水の出来事だった。
 魔法の秘匿のため、麻帆良学園に関する情報を検閲し、不正アクセスをしてでも発信者を特定し妨害する行為は、明石を始めとする魔法使いの間においては当然の権利とされ、犯罪とは認識されていない。

 今回の不祥事が取り沙汰された自体が異常であり、弐集院が全ての責任を負って逮捕され、学園長が彼の独断として処断する。それで終わりになるはずだ。麻帆良学園は麻帆良市内の警察署と裁判所とも『良い』関係を築いており、魔法関係者に捜査の手がこれ以上伸びるなどあり得えない。

「……なのになぜ、警察がここに来る!?」

 内心の混乱を表に出さないよう苦心する明石に、答えの見つかるはずがない。

「ああ。触らないで。公務執行妨害で現行犯逮捕されたくないでしょう?」

 最後尾の警察官の腕を掴みかけた明石は、恫喝とも警告とも取れそうな言葉に、伸ばしかけていた手を止めた。

「……脅し……ですか?」
「令状を見せました」

 先程手帳を見せた警察官は、同僚から受け取っていた書類をひらひらと振った。

「貸して下さい!」

 明石はひったくるようにして令状を手にすると、事態の重要さにしては小さく、内容の簡潔な紙面を睨みつけた。

『捜索差押許可状』と太い黒字で書かれた文字の下には、被疑者の欄に明石の氏名と年齢、罪状は『不正アクセス行為の禁止等に関する法律』違反の容疑、捜索場所として自宅の住所、差し押さえる物はコンピュータと外付けハードディスクやUSB、プリンターと言った周辺機器全てに加えて印刷した文書、そして携帯電話とある。さらにその下段には、埼玉県警察署と、申請した警察官の名前、許可を出した裁判所と裁判官の名前までが押印付きで記載され、文句の付けようのない令状として存在していた。

「そんな……バカな……」

 崩れ落ちそうに震える膝に喝を入れ、どうにか自身を奮い立たせるべく声を発する。令状に目を落としている現場の写真を、少し離れた場所から証拠として撮られた事に気づきもしない。

 明石を絶望させたのは、『被疑者欄』に記載された自身の氏名だった。

立派な魔法使いマギステル・マギ』の一人として、刑を受けるのは屈辱ではあっても、魔法使いの義務として受け入れられる。しかし魔法使いとしての選民意識が、一般人の犯罪者と同列に扱われるのを善しとしなかった。

 本人はそのような意識を持たないと、激しく否定するだろう。が、魔法使いの都合に利用できるとなれば、一般人を騙して利用しても罪悪感は抱かないし、大量に一度に操れる魔法使いに対しては、敬意や信頼を寄せる程に『立派な魔法使いマギステル・マギ』優性の思想が染みついている。三-Aの生徒に翻弄されている節はあっても、上手く操縦しているネギ少年には、『英雄の息子』らしい将来の頼もしさすら感じているのも事実だ。

 そんな、魔法使いの正しいあり方を否定されただけでなく、表の顔が大学教授の尊敬されるべき自分が、社会から落ちこぼれた犯罪者と同じに見られるとは、人の尊厳を捨ててオコジョにされるよりも屈辱だった。

「もう良いですね」

 令状を回収した警察官は、足元が崩れていく感覚の明石を伴い、書斎へと入った。

 そこでは、既に到着していた警察官達が、部屋の間取りの写真の撮影なり、デスクトップの位置を確認している最中だった。明石が書斎に入るのを見届けてから、電源を入れてメールの確認や、USBやCD-ROM、古い物ではフロッピーディスクの回収などの作業を開始する。

「勝手に弄らないで下さい! プライバシーの侵害です!」

 魔法先生や魔法生徒達に向けたメールの中では、『魔法』や『魔法使い』の文字が普通に使われている。秘匿を旨とする魔法使いとして、見られる訳にはいかない。

 弐集院が逮捕された時点で、証拠品として押収されたコンピュータや携帯電話から、魔法関係者の名前と連絡先が知られている事を、精神的に追い詰められている明石は思いつきもしない。

 明石にしてみれば、理不尽極まりない警察官の態度に対する抗議は、横から差し出された腕に、またしても遮られた。

「今し方注意したでしょう。触らないで下さい」

 感情の読めない表情の警察官に、魔法で前後不覚にしてやろうかと、焦燥感の導くままに実行する……事はなかった。

 それよりも先に、警察官の一人が弄ぶ携帯電話に、意識を奪われたのだ。

「返して下さい」

 伸ばされた腕を、警察官は半歩下がってかわした。

「これから質問します。答えて下さい」

 携帯電話を取り返そうとした明石の行動を、なかったかのように流しつつ、その警察官は携帯の画面から目を離そうともしない。

「アドレス帳には、大学部の職員だけでなく、小・中・高等部の教師の名前がありますね。どういう関係です?」
「学生の名前もありますよね。それも、『聖ウルスラ女子高等学校』や『本校女子中等部』、『麻帆良芸大付属中学校』の生徒の名前が。女子校が目立ちますね。何か理由でも?」
「芸大付属中学の夏目なつめめぐみさん……とは特に連絡が多いようだけど、特別な関係か何かでも?」
「メールの中に『魔法』とか『魔法先生』『魔法生徒』とかありますね。何の符丁ですか?」

 次々と繰り出される質問の大半は、魔法の秘匿に抵触し、明かせないものだった。
 知らぬ存ぜぬを通そうにも、問われているのは自分が関与しているだけに通用せず、適当に言いくるめて逃れられる程、警察も甘くはない。自然に口は重くなり、図らずも黙秘を続けるような形になってしまう。

 尋問のような質問の嵐は実質三十分程の長さだったが、明石は二時間も三時間も続いたように感じた。その中でも、娘と同じ年頃の十代前半から半ばにかけての少女達に、性的関心を持つと疑われた質問には、激発しそうにすらなった。

「……今回はこんなところですね」

 それでも、十分に答えられない明石に問う内容が尽きたのか、やがて色々と書き綴っていた警察官は、手にしたシステム手帳を閉じた。

 コンピュータと関連機器、資料に携帯電話は箱詰めされ、既に持ち出されている。『二〇〇三年式電子精霊群』に関するやりとりや、『不正アクセス』を推奨するメールも、だ。この場で逮捕しないのは、現行犯逮捕するには根拠が弱いのと、逃亡を疑う理由がないからに過ぎない。

 警察官達の撤収は、上り込んだ時と同じように迅速だった。

「近いうちに、電話で呼び出しするかもしれないから」

 お疲れ様の労いや、ご迷惑をおかけしましたとの謝罪、失礼しますとの挨拶もない代わりに、不安感を煽る言葉を残し、上がり込んだ時と同じ傍若無人ぶりで出て行ってしまう。竜巻が通った跡のように、散らかされた部屋を残して。

「……終わった……」

 令状を見せられた以上の絶望が、本物の重石のように現実感を伴って、明石にのしかかってきた。

立派な魔法使いマギステル・マギ』としてだけでなく、一般人の社会においても、遠からずに犯罪者の烙印、前科が付く。もはや自分は、墓前に顔向けできないどころか、妻の名前に泥まで塗ってしまった。娘とも面と向かい合う資格すらない。

 死んで詫びても詫び切れない、悔いても悔い切れない悔恨に、満足に立っていられず、ずるずると壁を背に廊下にへたり込んでしまう。

「どうして、こうなった……」

 思い返せば、おかしな事ばかりだ。麻帆良の情報規制が通用しない事然り、不祥事が公になる事然り、ネギ少年の事件まで明るみに出る始末。魔法使いの享受すべき特権が、満足に機能していない。

「まさか、本当に切り捨てられたか……?」

 仮に事実だとしても、切り捨てられる理由が分からなかった。

 不正アクセスは勿論の事、<認識阻害の大結界>で街全体を包んで住人の正常な認識力を奪うのも、九歳の子供を保護者から切り離して海外で労働させるのも、教師・生徒が銃器や刀剣類で武装するのも、教師が八つ当たりや私怨で生徒に斬りかかるのも、生徒を騙して利用するのも、『本国』のエージェントに日本国籍を与えて活動させるのも、違反者を捕え監禁するのも、彼らを『本国』に送致し裁判を受けさせるのも、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の活動の一環であれば、それらは正当な行為、かつ日本の法律の上に存在する権利のはず。警察が口を挟む謂れはない。

 そんな横暴な思考は、明石を含めた魔法使いの持つ認識だ。

 犯罪を行っている自覚のない明石には、魔法使いの行動に関与してくる警察のやり方は、越権行為以外の何物でもなかった。

 同時に、これだけの無法をごり押ししなければ、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の掲げる『世のため人のため』の善行の一つ成し遂げられない魔法使いの無能、もとい現実には、露とも認識が働かない。無意識に目を背け、思考を停止させる。自分達の行動を省みる事がないので、綱紀の緩みを引き締めようとの考えに到らない。社会全体から俯瞰すれば、実害ばかりが目立つ存在に堕している可能性など、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の自分達にはあり得ないと、想像する自体あり得ない。

「やはり学園長に相談か……」

 一人で考えたところで、正答と対策が見つかるはずがない。
 そう判断を付けると、近右衛門に連絡を取るべく立ち上がり、固定電話へと手をかける。

 しかし、学園長室の番号を押すには到らなかった。

「盗聴されているかもしれない……」

 増長した被害妄想に駆られ、明石は躊躇した。

 あり得ない可能性だ。
『犯罪捜査のための通信傍受に関する法律』略して『通信傍受法』において、傍受を許される容疑は制限されている。その中に『不正アクセス禁止法』違反は含まれていない。仮に含まれていたとしても、証拠品も押収済みなので、そこまで手間をかける必要はない。

 ただし、令状を申請する容疑なら幾つか上げられる。

 麻帆良学園の魔法使い組織の構成員に、日本国籍を持つかどうか疑わしい者がいるとして、『出入国管理及び難民認定法』違反の容疑を押し通すなり、構成員が銃器刀剣類を所持している点を衝いて『武器等製造法』『銃砲刀剣類所持等取締法』違反で令状を取るなり、組織ぐるみの犯罪が行われているとして、『組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律』における殺人ないし未遂の容疑を上げるなど、選択肢は意外に多い。

 そして、いずれかの容疑で警察が通信傍受を始めているとすれば、今さら明石が電話を一件二件控えたところで、時既に遅しだ。三-Aの生徒の補導にネギ少年の保護、麻帆良学園での不正アクセスの揉み消しと、近右衛門があちこちに電話をかけた時点で、十分な量の証拠が記録・保管されている。

 もっとも、そこまでの判断を下せる冷静さは、今の明石には残っていなかった。

「でも、外からなら」

 自宅の電話に盗聴器を仕掛けられている可能性を危惧し、公衆電話の使用に思い到る。仕掛けるなら、昨日学園長室を強制捜査した時に仕掛けられている、とは想像の埒外だ。

 無論、自宅の電話にも学園長室の電話にも、盗聴器など仕掛けられていないのだが、明石の知る由がない。

 テレホンカードと小銭入れをポケットにねじ込み、玄関のドアを開ける。

 と、どんと鳴る激突音と、おっと言う男の声が、ドアの反対側で上がった。

 玄関前にいたのは、四十代絡みのスーツ姿の二人組の男だった。

「何ですか、あなた達は」

 警察官達の姿が既視感となって重なり、口調には知らず知らず険が籠もる。

「失礼。こういう者です」

 二人が胸ポケットから取り出したのは、焦げ茶色の身分証――先程の悪夢を再現させる警察手帳だった。

     ◇◆◆◇

「埼玉県警察署です。明石教授ですね?」

 本人確認の質問も焼き増しだった。

「……さっき家宅捜索していったばかりじゃないですか。何か忘れ物でも?」

 連絡をすると言っておきながら、早速逮捕しに来たのか。そうと意識せずに身体が身構える。

「伺いたい話があるので、ちょっと来てもらえますか?」

 明石が向ける剣呑な眼差しを、二人は当然のように無視すると、一人がアゴをしゃくり、路上に停車中の自動車を指し示した。

「ここじゃ駄目なのですか?」
「できれば同行をお願いします」

 質問に質問で返されたのを気にした風もない。同意すべきか拒絶すべきか、明石が頭を悩ませるよりも先に、一人が大袈裟な動きで隣近所を見回し、まだ誰も外に出ていないのをアピールする。

「警察官に色々と質問されているのを近所に見られては、外聞が良くないでしょう?」

 プライバシーに配慮した物言いも、同行拒否を認めない理由付けとしか、明石には聞こえなかった。

「……強制ですか?」

 逮捕ですか、と訊けずに言葉を変えた明石に、警察官は作ったような笑みで誤魔化し、答えを避けた。

「同行してもらえなかったからと、こちらも手ぶらで帰る訳はいきませんからね。ご近所の方や職場の方から、先に話を聞きに行く事になります」

 ですが、と前置きと一息置いてから発せられた一言は、同行する以外の選択を明石に許さなかった。

 身体的な接触はないものの、二人に左右を固められ、まるで逮捕された被疑者の気分で、覆面パトカーの後部座席に押し込められる。

「詳しくは署に着いてからの話になりますが……」

 一人が運転席に座り、動き出してしばらくしてから、明石の隣に座った警察官が話の続きを始めた。

「あなたの奥さん……夕子さんですか?」
「妻は十年前、交通事故で亡くなっています」

 不正アクセス関係からの任意同行と考えていただけに、妻の名前が出てきたのは、予想外の方角から殴られた感じだった。

「ええ、そうですね」

 警察官は動じない。

「ただ……ですね。夕子さんの戸籍と死因に、少々不可解なところがありまして。その辺りの溝を埋めてもらいたい、と。簡単な話でしょ?」

 明石は頬を強張らせた。

 亡妻夕子は、『魔法界』出身で、あちらの『政府』のエージェントでもあった。
『エージェント』にも色々あろう。しかし彼女の職務は、外交窓口のような穏やかな代物ではなく、『殉職』と言う就業中に死亡の可能性をはらむ『エージェント』職だ。少なくとも、教職では出会う事のない死因がつき纏う職業だったのは間違いない。

 それがどのような経緯から、日本の麻帆良に『魔法先生』として配属されたのか、あるいはどのように戸籍を得たのか、明石の立場で詳細は知らされていない。

「『本国』のエージェントを麻帆良に住まわせたいから、入国許可か戸籍を用意してほしい。表向きの職場と住居はこちらで手配する」

 いかに『日本政府の上部組織』が魔法使いに寛容であっても、そのような言い分で、外国の『エージェント』に戸籍その他諸々を用意する呑気さは、まず期待できまい。近右衛門の方で、適当な虚偽申請を行ったとするのが妥当だろう。

 例え公的機関から得た正式な許可であれ、申請内容が虚偽であれば許可自体無効だし、申請者は『出入国管理及び難民認定法』違反で十分処罰の対象にもなる。

 もっとも、日本と『魔法界』を直接つなぐルートは無いので、どこかの国で偽造するなり偽証申請で得た旅券で日本に入国、近右衛門は『日本政府の上部組織』に報告せずにいたと、考えられなくもない。

「……そうですね」

 固い声で明石は同意した。
 内面で考えていたのは、全く別の事だ。

 近右衛門に警察の手が及ぼうとしている。妻と出会う機会と、彼女の生が無駄でなかったと、その死に方に、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の死とはかくあるべしと、後進の魔法生徒達の模範となる名誉を与えてくれた恩人に、警察の追及が迫っている。

 黙りこくった警察官の隣で、近右衛門から受けたこれまでの恩に、どう報いようかと思考力の低下した頭を働かせる。

 既に思考そのものが、狂信あるいは盲信の域にあると、明石に自覚はなかった。

 音量を絞ったラジオから流れてくる小さな音声が、懸命に対策を考える明石の耳に入ってこなかったのは、本人にとりおそらく不幸ではないだろう。

『……女子中学生三名が、修学旅行先で銃器・刀剣類で武装していたとして、『銃砲刀剣類所持等取締法』違反の現行犯で逮捕していた事を、京都府警察本部は先程、公式発表しました。逮捕されたのは、先日より不祥事が次々と明らかになっている麻帆良学園、その本校女子中等部の生徒三名で、京都府警では埼玉県警と連携し、これらの入手先を捜査する方針です……』








◎参考資料◎
・赤松健『魔法先生ネギま! ⑮』2006年8月17日
・赤松健『魔法先生ネギま! ⑯』2006年10月17日
・赤松健『魔法先生ネギま! ⑰』2007年1月17日
・赤松健『魔法先生ネギま! ⑲』2007年7月17日
・赤松健『魔法先生ネギま! 32』2010年11月17日
・アンチ犯罪予告!!『逮捕されると、こうなる~誰かが本当に経験したこと~』
・刈人宗教解析倶楽部『カルトマインドコントロールシステム』
・カルトに傷ついたあなたへ『カルト、マインド・コントロールとは?』
・岸田和壽『ある日の簡易裁判所 刑事令状編(その2)』月報司法書士、2011年2月 No. 468、p.p. 42-52
・『【転載】 [aml から] 令状発付の現実、どう闘うか家宅捜索・令状マニュアル1~3』
・電子政府の総合窓口 イーガブ『犯罪捜査のための通信傍受に関する法律』1999年8月18日
・富山県警察サイバー犯罪対策室『不正アクセス禁止法について』
・西田公昭『JDCC集団健康度チェック目録』日本脱カルト研究会 第2回公演講座『カルトか宗教か』日本脱カルト協会
・日本脱カルト協会『カルト対処法』
・日本脱カルト協会『集団健康度チェック』
・ひろみの極道な半生『家宅捜査令状』2007年5月6日
・ほ~納得!法律相談所『警察は携帯電話を盗聴している?』2010年3月23日
・山崎はるか『ピーコの追い込み』ダイアモンドアプリコット電話研究所、2001年1月17日
・山田茂『いまどきのカルト観を問う』全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会、2010年12月26日
・Deaths at Flag
・Global Invasive Species Database “Mustela erminea (mammal.)” May 26, 2010.
・Lisa McPherson
・People's Trust for Endangered Species “Stoats”
・seraphyの日記『児童ポルノ法が私に及ぼした実害と、今後増えると予想される家宅捜索』2012年5月19日
・Tathara『凍りついた法律による別世界の存在』
・Wikipedia『犯罪捜査のための通信傍受に関する法律』
・Wikipedia "Death of Lisa McPherson"
・Wikipedia “List of the world's 100 worst invasive species”
・Yahoo知恵袋『カルト創価学会によるマインドコントロール(自分自身の経験から)』2012年1月9日





[32494] 第十三話 反抗態勢
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2015/11/27 23:28
 四月二十五日。

 麻帆良学園本校女子中等部三年生の修学旅行四日目の麻帆良学園は、一学年が不在にも関わらず、喧騒に包まれていた。

 と言っても、女子中学生の甲高い声が充満しているのではない。

 大小マスコミ各社からの質問や取材依頼、修学旅行中の生徒の保護者から安否確認と事情説明を求める声、ブログや掲示板を消された当人達からの抗議と謝罪の要求、テレビで記者会見すべきと野次馬からの罵倒、加えてPTAや教育委員会からの追求により、大学部と本校女子中等部の職員室と事務室は、鳴り止まない電話の音と対応に追われる職員達の声、最新の報道を確認するために運び込まれたテレビの音声の氾濫に満たされていた。その片隅では、ファックスも質問状や抗議文を休みなく吐き出している。

 しかも学園敷地のすぐ外では、少なからぬマスコミ関係者が遊弋し、学生や通行人相手のインタビューに精を出していた。

『……このように、『不正アクセス禁止法』違反で逮捕された弐集院容疑者に対し、厳しく処罰すると声明を発表した麻帆良学園ですが、続々と不祥事が明らかになっている現在、取材には十分な応答をしていない状態です……』

 その他にも、本校女子中等部の校門を背景に立つリポーターが、生放送で現場から放送している姿がテレビの画面には映っていた。事件の規模の割に大仰なマスコミの態度は、これまで報道規制をかけられ続けていた鬱憤を、ここで一気に晴らそうとしているかのようだ。

『……では、これまで判明している麻帆良学園関連の事件を、ここでまとめてみました』

 画面はスタジオへ戻り、女性キャスターの背後でテロップが切り替わった。
 報道に傾注している職員はいない。たまに顔を上げては、またかと諦観の溜め息を密かに漏らし、新たに鳴り出した電話を取り上げるだけだった。

     ◇◆◇

 教師と事務員が上へ下へと駆けずり回っている最中、学園長室の近衛このえ近右衛門このえもんも事態の収拾に苦慮していた。

 成果は芳しくない。
 これまで思いのまま振るえていた権勢が、ここへきていきなり衰えたのだ。秘匿の『機関』然り、マスコミ然り、『日本政府の上部組織』然り。打てば響くような反応の良さはなく、積み重ねた座布団に拳を打ち込むような鈍い感触が返されている。

 今回もそうだ。

「……じゃから何度も説明したじゃろう。ネギ君が事件を起こしとったとは、儂も知らんかったと」

 受話器の反対にいるのは、保護されたネギを麻帆良へ返還するよう頼んだ『日本政府の上部組織』に繋がる秘書の一人だ。

 その時は比較的良好な反応を示していた秘書は、ネギを麻帆良学園に帰すのは無理だと、今頃になって連絡してきたのだ。『過失傷害罪』と『往路妨害罪』の容疑を理由として。

 麻帆良学園の教師の一人が、修学旅行先の京都で走行中の自動車に攻撃、運転手に軽い怪我を負わせて逃走、そして宿泊先のホテルで逮捕された事件は、近右衛門も今朝のニュースで知ったばかりだ。魔法の文字が出ていなかったため、ネギの犯行の可能性を憂慮しつつも、仮に彼の仕業でも麻帆良に戻ればどうにでも処理できると、甘く見ていた矢先での拒否の連絡だ。

「責任者でしょう? 報告はなかったのですか?」
「無茶を言うでないわい」

 引率責任者の新田教諭から受けた報告は、三-Aの生徒がネギを標的にキスを奪うゲームによる『強制わいせつ行為』未遂での補導、生徒三名が『銃砲刀剣類所持等取締法』違反で現行犯逮捕された件、そしてネギに『労働基準法』『児童福祉法』違反で就労を強いていたとしての保護。この三件のみだ。

 同行していた魔法先生の瀬流彦からの報告も似たもので、ネギが事件を起こしていたとは、彼も把握していなかった。

 二人の報告で共通しているのは、ネギの身柄の確保はあくまで『保護』であり、『逮捕』ではない点だ。

「どうやら警察に騙されたようじゃ……」

 そう近右衛門は推察していた。
 橘と名乗った女性警察官――今では『特殊資料整理室』の室長だと判明している――との会話からも、聞かされたのはネギの保護のみだった。逮捕の話はこちらの裏を掻くために隠していたのだろう。

 霧香が話さなかったのは、被疑者のプライバシー保護のため、本人の希望のない限り身内でも逮捕を報告できない規則に従っての行動だったのだが、プライバシー保護の無視が常態となった麻帆良市警察署に慣れた近右衛門には、そのような想像は及びもつかない。

「とにかく、ネギ君を早急に釈放してほしいのじゃよ」

 ネギが解放されたとしても、麻帆良学園がこの有様では『立派な魔法使いマギステル・マギ』の修行どころではあるまい。それでも近右衛門が早急な身柄確保に躍起になっているのは、『英雄の息子』の経歴に傷をつけたと、麻帆良学園ひいては近右衛門の悪評が、魔法使い社会全体に広まるのを防ぐためだ。

 いや、悪評の拡散を防ぐのは第一でも、第二の理由は別なものだ。
 麻帆良に封印されている『彼』をいつでも復活できるよう、係累の血肉をこの地に繋ぎ止めておきたい。これに尽きる。何しろこの二人が手元にいれば、魔法界全体に対し、圧倒的な発言力と影響力を持てる。

「さっきから言っているでしょう。無理です」

 そんな近右衛門の焦りを意に介さず、秘書は冷淡に拒絶した。

 報道では『逮捕』とされても、ネギが勾留されている事実はない。『少年法』の適用年齢に満たない九歳児を拘束などできるはずもなく、当初の予定通り、府内の児童福祉施設内で、魔法の存在を知る福祉司の観察下に置かれている。彼の名前が公表されていないのは、年齢を考慮しての事だ。書類送検にしても、検察との話は済んでおり、不処理となる予定だ。

 秘書から不処理の話はなくとも、そのような処理になるとは、近右衛門とて理解していた。

「心配は無用と何度も言っておるじゃろ。ネギ君の処遇で問題が出たら、儂がしかと責任を取る」

 理解できていないとすれば、事態が『たら・れば』の仮定ではなく、現実での対処を求められている段階にある、と言う事だろう。ネギの代行責任監督者としての責任、就労年齢前の児童を就業させる責任、雇用者としての責任、責任者としての立場から、ネギの起こした事件の全責任を自分が負わねばならないとは、近右衛門の理解力と想像力の範疇を越えていた。

「ええ。ですから、責任を取って下さい」

 まずは責任の所在を自覚しろ。
 秘書が言外に乗せた意図は、近右衛門の片耳から反対側へと素通りするだけだった。

 この度の報道も、被害に遭った運転手と勤め先の企業に対し、麻帆良学園に不誠実な対応を取らせないための方便だ。運転手の治療費に、自動車の修理費用、さらには労災認定に保険会社への申告、慰謝料の請求その他。示談で済ませるにしても、麻帆良市内であればおざなりにされかねないやり取りを、麻帆良学園と被害者を雇用する企業との間できちんと詰めさせるのが目的だ。

 こうまで状況をひっ迫させなくては、同じ土俵に出ようとすらしないと、近右衛門に対する外部の信用は低い。

「じゃから言っとるじゃろう。ネギ君が事件を起こしていたなど、儂は知らんかったと。その責任を取れと言われても困るわい」

 そして会話は平行線のまま、ふりだしに戻る。

 組織の長であれば、詳細は無理でも事態のあらましは把握しておくのが責任であり、部下に報告を上げさせるのが責任だ。

 しかしそのために必要とされる能力と意識は、近右衛門の人格とは相容れない対極の位置にある。

 仕方ないだろう。
『本国』から金銭的・政治的に多くの支援を受け、『本国』の出先機関としての役割を持ちながら、たかが末端の一組織の視点から、『本国』を不安にさせないため、あるいは混乱させないため、『本国』の在り方に疑問があると言い訳にならない理由を並べては、自分にとり不都合な情報を隠蔽し、虚偽を報告する背信・背任行為。それこそが、近右衛門の『正しい』責任者観だ。そして周囲に侍らせるのは、それを賢明な判断だと称賛する魔法使いばかり。

『正確な報告を上げる、報告を上げさせる』の習慣が、備わるはずがない。道義に悖る行為を重ねている自覚すら、あるかどうか疑わしい。

「……これ以上は話しても進みそうにないのう……」

 フォフォフォと本人にしては好々爺然と、周囲からすれば不快でしかない嫌味な笑い声をひとしきり上げると、近右衛門は口調をがらりと変えた。

「これはお願いではない、命令じゃ。さっさとネギ君を釈放し、麻帆良に帰さんか!」

 次の選挙活動にも『本国』からの支援はほしかろう、との響きすら言外に滲ませ、秘書が抗弁する時間も与えずに受話器を置く。

「余計な手間をかけさせおって」

 秘書に届くはずのない愚痴を一言、罪のない電話機を一度睨みつけながら漏らすと、近右衛門は顔を上げた。

「……さて、待たせたの」

 近右衛門の視線の先には、魔法先生・魔法生徒ら三十余名が整列し、指示が下されるのを待ち構えていた。

     ◇◆◆◇

 近右衛門が指揮を執る学園長室は、女子校が立ち並ぶ通称『女子校エリア』の只中、『本校女子中等部』校舎内にある。

 そんな場所に集合した魔法先生・魔法生徒は、本校中等部の関係者だけではない。小等部から大学部までの各校に所属している者が大半だ。

 所属の異なる学校の教師や生徒が学園長室に押し掛けるのが奇異なら、彼らの装束は奇怪・異様と言えた。
 一部の教師陣は社会人らしくスーツに身を包んでいるものの、教職の肩書きに不自然さを感じるほどに、堅気の印象が希薄だ。室内にも関わらず真っ黒なサングラスをかけ、ポケットに手を突っ込んだチンピラ紛い。黒スーツに黒ネクタイの上、スキンヘッドにサングラスと、相手を威圧するのが目的としか思えない巨漢。膝上二十センチ近いミニスカート風に修道服ハビットを改造したエセ修道女ナンなどがその例だ。

 学生の方がまだましで、それでも本校女子中等部外の『聖ウルスラ女子高等学校』や『麻帆良芸大付属中学校』の制服を着た生徒がいる。いずれも同じ『学校法人麻帆良学園』傘下の学校であれ、他校の学園長室にいるのは違和感が強い。

 曲がりなりにも、スーツなり制服なりで服装を整えているなら、まともな方だ。
 全体の半分から三分の二の教師・生徒達に至っては、頭から爪先まで全身をすっぽりと包む厚手のローブをまとい、顔を隠している状態だ。見えるのが口元だけのいでたちは、身長と体格から教師か生徒かの区別がかろうじてつけられる程度で、正体を見極めるのは非常に困難となっている。

 見るからにガラの悪い教師や、ローブ姿の怪しい一団に加え、どこかの古武道の道着とも作務衣さむえとも付かない珍妙な装束に草履姿の近右衛門を含め、三十人以上からなる大人と子供が学園長室に集う様は、端から見れば何か良からぬ集会を想像させるに十分だ。

 これが、麻帆良学園に拠点を置く『立派な魔法使いマギステル・マギ』の主力たる実働部隊の面々だ。経理などの事務方の人員には、毎度のことながら、集合の呼びかけすら行われていない。

「これで全員かの?」

 逮捕された弐集院や修学旅行中の瀬流彦の他にも、数人の顔ぶれがないのを見咎め、近右衛門は僅かに片眉を上げた。連絡のつかなかった明石の他、片手で足りる程度の魔法先生・魔法生徒の姿が見当たらない。

「明石君なら真っ先に駆けつけてくれると期待しておったのじゃが……」

 当人は警察の任意同行で不在だと露とも知らない近右衛門が漏らした失望の一言に、数人が咳払いや居心地悪そうに身じろぎした。麻帆良の魔法関係者の中ではそれなりに信用を勝ち得ていた人物だけに、彼の不在は全体の士気に少なからぬ影響がある。

「まあ、いないモンは仕方ないのう」

 それ以上の不平は口にせず、近右衛門は珍しく椅子から腰を上げると、魔法使い全員を見渡した。

「余計な前置きなんぞ置いといて、早速本題に入るぞい。諸君ら知っての通り、この二、三日の警察の捜査とマスコミの態度についてじゃ」

 始まりは本校女子中等部三-Aの補導に、一部生徒の逮捕。次いでネギの保護と、氏名の公表を控えられての逮捕。これら一連の報道。最後が警察の強制捜査と、弐集院が身を呈して単独犯を主張している『不正アクセス禁止法』違反の現行犯逮捕と、関連する報道。そして未だ公式発表されていない事柄として、麻帆良市外縁の入場門と守衛所を置く警備会社への『往路妨害罪』容疑の捜査が、麻帆良市市役所には談合の疑いで公正取引委員会の強制捜査が、それぞれに入っている。

 いかに愚鈍な人物でも、麻帆良学園……いやさ、麻帆良学園の『立派な魔法使いマギステル・マギ』の魔法使いの行動と方針に対し、警察が否を突き付けているのだと、容易に判断できる状況だった。

「どうして突然、警察が我々を敵視し出したのか、学園長は理由をご存じなのですか?」

 全員を代表して質問したのは、眼鏡をかけた黒人の教師だった。

 魔法使いと警察は、魔法使いの行動を警察が黙認する形で、これまで良好な関係を築いていたはずだ。魔法や神秘絡みの事件にはほぼ必ず出張ってくる警察庁の『特別資料整理室係』にしてもそれは同様で、『学問の自由』を理由に手出しを控えていた感がある。今回のような横暴を警察が働くのは腑に落ちない。

 ガンドルフィーニと言う名の魔法先生に、長い顎ヒゲをしごきつつ、近右衛門は鷹揚にと頷いた。

「うむ。警視庁の『特殊資料整理室』が、魔法使いに反感を持つ警察の一部を焚きつけたのじゃろう」

 そこの室長である橘霧香と、先日の『特別資料整理室係』の天ヶ崎千草が陰陽師の一族の出身である事、警察側の攻勢が陰陽師勢力の強い京都府から端を発している事、親魔法使い派の『関西呪術協会』に動きのない事から、麻帆良の魔法使い――ひいては『立派な魔法使いマギステル・マギ』――が東西の実権を掌握する未来に反対する勢力の最後の抵抗だろうと、近右衛門は推測していた。

「バカな……」

 拳銃とナイフを常時携行しているガンドルフィーニは、警察の無理解な態度に呻きを漏らした。かく言う自身、日本の法律に抵触している自覚も、武器を持ち歩くのが教師としてあるまじき行為だとの認識も、欠片とて持ち合わせていない。

 現代社会と魔法使いが平和裡に共存するため・・・・・・・・・・、その平和を維持する『立派な魔法使いマギステル・マギ』である自分は、魔法使いの権利として武装しても良い・・・・・・のだと、自分勝手な破綻した思考によるものだ。

 その思いは、他の魔法先生・魔法生徒らも同じなのだろう。万事丸く収まっていた関係に亀裂を入れようとする警察内の反対派への反発と、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の理念を広げる善行を妨害する愚昧さへの嫌悪、気や魔力を持たない一般人に何ができるのかとの半ば侮蔑のざわめきが、しばし場を支配する。

 警察との良好な関係・・・・・・・・・が、魔法使い側の身勝手な幻想だと自覚を持つ者は、参加者の中には皆無だ。

「……まさか、まだこれ程の勢力があり、横暴をごり押ししてくるとはのう」
「では彼らの狙いは……」

 言葉尻を濁らせたガンドルフィーニに近右衛門は再びうむと頷くと、マルファン症候群――手指や四肢が伸びる遺伝子障害による先天性奇形――を思わせる異様に長く骨ばった人差し指を立てた。

「此度の一連の騒動、主導しているのが陰陽師な事から、麻帆良の魔法使い一掃の線が濃厚となった」

 近右衛門の宣言に、学園長室内はどよめいた。

「……公権力が……」
「……我々に何の恨みが……」

 悪辣な行為を働いている連中は他にもいるし、そいつらと較べれば自分達は無害に等しい。なのに、どうして自分達が標的にされなくてはならないのか。もっと悪い奴らから逮捕すべきだろう。不公平ではないか。

 魔法使い達の口を衝いて出たのは、大人に怒られて不貞腐れた子供と同じ理屈を、臆面なく振りかざす声ばかりだった。諫める言葉も、反省を促す意見もない。

 ガンドルフィーニの内心も同じだった。

「……確かですか?」

 違いがあるとすれば、これから起こるだろう混乱を想像し、流れる嫌な汗を拭おうとせず、近右衛門に確認した点だ。

「『本国』と『日本政府の上部組織』との間で、麻帆良を治外法権とする条約があるはずですが……」

 日本人でないガンドルフィーニでは、知らなくても仕方ないかもしれない。教職にある以上、知っておくべき教養ではあるのだが。

 麻帆良は国家間での政治的な治外法権を有している訳ではない。あくまで学校法人として、小中高であれば文部科学省の定める指導要綱に定める範囲で、大学部であれば教科内容に大幅な自由権が与えられているにせよ、その敷地内における『学問の自由』と指導方針の自由が認められているだけだ。

 確かに数少ない魔法界との直接外交ルートを築けるとして、当時廃止したばかりの『陰陽寮』に替わる新たな退魔の可能性として、明治政府とのやり取りでそれなりの特権を有していたのは事実だ。

 しかし、二十年前に魔法界との直通『ゲート』が不通になってからは、外交拠点としての麻帆良の地の利は失われてしまった。退魔方面においても、未だ陰陽師や符術師が勢力を保っている事から、魔法使いの従事率の低さは予想できよう。

 復興の目処が立てられない点や、退魔業としての普及率の伸びの低さ等を衝かれ、前回の条約更新時に麻帆良の裏的な意味合いでの外交特権は破棄されている。

「儂とした事が迂闊じゃった」

 ガンドルフィーニの誤解を解く手間を近右衛門は省いた。

「京都での補導と逮捕の騒動、ネギ君の身柄確保が目的じゃと思っておったが、さにあらず」

 整列する魔法使い達の正面まで移動し、芝居がかった口調で告げると、僅かに顔を上げる。普段は分厚い眉毛と、深く窪んだ眼窩に隠されていた色のない眼球――虹彩の欠損もマルファン症候群に見られる特徴の一つ――が覗き、全員を睥睨した。

「その目的は麻帆良の孤立!!! 『関西呪術協会』との和睦の妨害に成功している以上、警察はある事ない事を理由に、麻帆良への立ち入り捜査を強化するじゃろう」

 大学部への強制捜査で、『二〇〇三年式電子精霊群』によるネット上の情報操作の手段は断たれ、報道内容が十分に改鼠されているとして、魔法の秘匿を行う各機関からの協力も得られない。これまで報道規制を強いられてきた各報道機関は、これを機にと一気に麻帆良叩きに走っており、協力を依頼できる関係ではなくなっている。次々と公表される不祥事に、生徒の保護者から問い合わせが相次ぎ、信頼関係すら失われつつある。

 近右衛門の言う通り、麻帆良学園は社会から孤立させられている状態だ。

「これほどに麻帆良を孤立無援に置いた理由はただ一つ。陰陽師の復権による世界樹の奪取じゃろう」

 麻帆良の象徴と言うべき樹高二七〇メートルの巨木『世界樹』は、二十二年に一度、大量の魔力を放ちながら発光する程に、世界にも有数の魔力の原泉の一つだ。魔法使い達が麻帆良を拠点にしている理由もここにあり、いかなる手段を用いてか明治政府とかけ合い、所有権を勝ち取ったものだ。また、麻帆良市全体を覆う<認識阻害の大結界>の半分を賄う魔力の供給源でもある。

 それ程に重要な物なだけに、推測に推測を重ねた妄言かもしれない老人の言葉を、誰も疑わなかった。

「そうなれば、儂らの治める麻帆良もどうなるか……廃校に追い遣られる最悪の事態を考えるべきじゃ」

 今度はざわめき一つ起こらず、誰かの息を飲む音がやけに大きく響いた。

「どうあってもこれ以上、警察を麻帆良内に入れる訳にはいかん! 付け込まれる隙を全て塞ぎ、今後の捜査を何としても避けるのじゃ!! 総員、即応体勢!!!」

 近右衛門の号令に、ポケットに手を入れたまま、あるいはサングラスをかけたまま、だらしない身なりを直す素振りを見せず、魔法使い達は背筋だけを伸ばした。

「シャークティ君は、図書館島の罠の除去を! ガンドルフィーニ君は麻帆良外縁の警備の強化を! マスコミと警察以外に陰陽師が入り込むやもしれん。神多羅木かたらぎ君は……」

 矢継ぎ早に指示を飛ばす近右衛門の姿は、魔法使い達には指導者として頼もしく映っていた。だが実情として、日頃の近右衛門が各員に役割分担を割り振っていなかった怠慢が、今回のような緊急招集に起因していると、理解している者はいない。

「かかれ!!」
「ハッ!!」

 最後にもう一度号令をかけた近右衛門に、魔法使い達は教職には似つかわしくない掛け声で応え、学園長室を飛び出した。

 フードを目深に被った怪しい人物らや、他校の生徒やらが一斉に学園長室を出、足早に廊下を闊歩していく様子に、何も知らない事務員や教師らが顔を強張らせるのを、気にかける魔法使い達ではなかった。

「……マギステル・マギ……!?」

 それ故、小さな悲鳴を喉の奥で押し殺した事務員の一人が、おぞましさと忌避感をまとった声で呟いたのを、耳にする事はなかった。









◎参考資料◎
・赤松健『魔法先生ネギま! (15)』2006年8月17日
・赤松健『魔法先生ネギま! (16)』2006年10月17日
・赤松健『魔法先生ネギま! (32)』2010年11月17日
・赤松健『魔法先生ネギま! (35)』2011年8月17日
・A Nun's Life Ministry Catholic Sisters and Nuns in Today's World "What is the difference between a nun and a sister?"
・Lucile Packard Children's Hospital at Stanford "Marfan Syndrome"
・Wikipedia『マルファン症候群』
・Wikipedia “Religious habit”




[32494] 第十四話 関東魔法協会
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2013/06/01 03:36
 三十余名の魔法使いが一斉に立ち去り、いつもの閑散とした空間に戻った学園長室で、近右衛門はひとしきり顎ヒゲを撫でつけ、ふむと唸ると自席に着いた。

「もう少し手数がほしいのう……」

 そう呟いて懐から携帯電話を取り出し、登録してある番号の一つを押す。
 真祖の吸血鬼ハイデイライト・ウォーカー、『闇の福音ダーク・エヴァンジェル』のエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの番号だ。

 近右衛門がなだめすかして子飼いの私兵としているエヴァンジェリンは、自らを堂々と『悪』と名乗るだけあり、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の魔法先生・魔法生徒との相性はかなり悪い。事実、彼女が麻帆良にいる自体に不満を持つ魔法使いも少なくなく、加えて『立派な魔法使いマギステル・マギ』の建前上、彼女を一員とする訳にもいかず、先程の集会にも参加させていない。

「……現在この電話は、電波の届かない場所か……」

 返ってきたのは、予想外にもエヴァンジェリンの肉声ではなく、機械的な音声メッセージだった。

「フォ?」

 意外な反応に近右衛門の口から奇妙な音が漏れた。

 かけられている呪い『登校地獄インフェルヌス・スコラステイクス』により、エヴァンジェリンは麻帆良市外へ一歩踏み出すことはおろか、クラスの生徒達が修学旅行中であっても、平日は学園への登校を強いられている。電波の届かない場所にいるとは考え辛い。

 もう一度短縮番号を押すも、自動メッセージによる回答の結果は変わらなかった。

「ま、校舎内にいるのは間違いなかろうて」

 携帯電話のバッテリーが切れているのだろうと軽く考えかけ、今のような非常事態に連絡がつけられない事に、ふとげんの悪さを感じる。

 その予感めいた感覚を頭の隅から追い出し、彼女を校内放送で呼び出すよう職員室へ内線をかける。

 程なくして、室内に設えたスピーカーからエヴァンジェリンを呼びかける放送が流れ、彼女が来る前に一仕事終わらせるべく、近右衛門は再び受話器を取った。

 麻帆良市外にある番号を回し、呼び出し音が二度鳴ったところで、相手が電話を取る音が聞こえた。

「……お待たせしました……」

 出たのは秘書だろうか、三十代を思わせる声の女だった。続いて、とある非法人組織の名前と、電話を取った人物が名前を告げる。

「うむ。麻帆良学園の学園長、近衛じゃ。会長はおるかの?」

 電話をかけた先は、近右衛門が理事を務める魔法使い組織、『関東魔法協会』だった。表向きは『学校法人麻帆良学園』同様に別の法人を名乗っているが、その内情は麻帆良だけでなく、関東圏の魔法使いの多くが登録している組織だ。

「しばらくお待ち下さい」

 保留にされた回線から流れてくるオルゴールの音が途切れるのを、近右衛門はイライラと待った。

「事の重大さを分かっておるのか、こやつらは……!」

 こうも麻帆良学園の不祥事が世間に広まっては、いつ魔法の秘匿が破られるか知れたものでない。むしろ、時間の問題と言い換えても良い。

 魔法の秘匿の危機は、とりもなおさず『関東魔法協会』の危機でもある。麻帆良の魔法使い達だけで騒ぎを近日中に鎮静化するのは不可能に近く、関東圏を抑えるためにも、『関東魔法協会』との協力体制が必要だ。

 本来であれば、麻帆良がこのような事態に陥る事のないよう秘匿に全力を尽くし、今回のような事態になったからには、向こうから真っ先に謝罪の連絡を入れ、連携を取るべく行動すべきところだ。

 それがどういう訳か、協会の反応はすこぶる鈍い。
 近右衛門の気分を不愉快な方向へと押し遣っている原因だった。

「……はい。お電話、替わりました」

 二分程待たされてから電話に出たのは、声の質から五十から六十辺りの、壮年から初老の男――『関東魔法協会』の協会長――だった。

「うむ。儂じゃ」

 内面の不機嫌を表に出さず、これで相手が誰か分かるだろうとばかりに、近右衛門は鷹揚に応じた。協会内では理事の一人にしか過ぎない自身の立場が、協会長より上だと信じて疑っていない。

「……何のご用でしょうか?」

 協会長が丁寧な口調で接するのも、近右衛門が立場を誤解する一助となっていた。

「何のご用、じゃないわい。此度のマスコミの報道と、麻帆良学園が現在被っている迷惑、知らぬとは言わせんぞ。釈明があるなら聞かせてもらおう」
「その事ですか……。何か問題でも?」

 他人事だと言いたげな協会長に、近右衛門は声を荒げた。

「問題だらけじゃろうが! 魔法の秘匿はどうなっておる! 協会はそれすら忘れおったか!?」
「忘れてなどいませんし、秘匿はちゃんと守られて……」

 協会長の言葉は、近右衛門が机を手の平で叩いたバンという音で遮られた。

「麻帆良のこの現状を知って、そう抜かすか! 『魔法』の単語を使わなければ良い話ではないのじゃぞ! どう落とし所をつけるつもりじゃ!」

 自分のささやかな『王国』が、不躾なマスコミの目に晒され、無遠慮な警察に踏み荒らされるのが、近右衛門には我慢ならなかった。

「それをこちらに問われても……。我々の仕事ではないでしょう、それは」

 煮え切らない協会長の態度に、近右衛門はふんと鼻を鳴らした。

「そんな言い逃れが『本国』相手に通じると、本気で思っとるのか?」

 麻帆良学園だけでなく、ネギの出身のウェールズ、アメリカのワシントン州他、世界各地に『本国』の息のかかった『立派な魔法使いマギステル・マギ』の養成機関は存在する。その組織力と権力をもってすれば、日本の関東圏を網羅とする一組織を潰すなど実に容易い。

 協会長の判断と行動によっては、それ程の影響力で実力行使するのも厭わないとの、言外に匂わせた恫喝だった。

「……のう。儂とて、そちらの不手際をいちいち『本国』に報告する。そんな無様な真似はしとうないんじゃ。分かるじゃろ?」

 言葉のない協会長に、一転して猫なで声で同意を求めると、気味の悪いいつもの笑いを上げる。

「……どうしろと?」

 協会長の屈辱と敗北感を想像し、近右衛門は白く長い顎ヒゲで隠された口元を愉悦に歪め、相手の神経を逆撫でする哄笑で応えた。

「なに、難しい話ではないわい。魔法使いとして、秘匿をきちんと守ってほしいだけじゃよ。まずは……マスコミを黙らせる事じゃな」
「魔法絡みならともかく、そのような権限、この協会にあるはずないのはご存知でしょう?」

 マスコミの報道を封殺する権限など、専門『機関』による強制介入を除けば、『関東魔法協会』のみならず、どこの組織にもそのような資格はありはしない。業界の自主的な協力を求めているものの、タブロイド紙やオカルト雑誌、オカルト系番組の報道まで周知できていない点からも、『検閲』の限界は伺い知れる。ましてや、既に表に出てしまった事件を取り消すなど、一組織にできるものではない。

「それでもやってもらわねばな。責任は儂が持とう。ほれ、この通りお頼み申す」

 電話越しで姿の見えない協会長に、近右衛門は頭を下げた。しかしここまでのわずかなやり取りから、侮蔑する意図は感じられても、誠意は微塵も感じられない。

「頭を下げられても、できないものはできません」

 自分が持つ責任を横から攫おうとする近右衛門の言葉に、協会長の口調には硬いものが含まれていた。

「それは困った」

 口にした言葉とは裏腹に、近右衛門は麻帆良の魔法使いには見せない嗜虐的な笑みを浮かべ、ヒゲを撫でた。

「しかしそうなると、儂としては理事の一人として、お主の協会長としての適格に疑問を持たざるを得なくなるのう。……そう、緊急理事会の招集をかける程に、の」

 そして四度、嫌な笑い声を響かせた。
 主だった理事達の懐柔と買収はとうに済んでおり、理事会で理事長の不信任を唱えれば、その椅子から蹴落とせる準備は整っている。

 理事長の椅子に興味はないが、しばし座り心地を試してみるのも一興かと、近右衛門は腹の中で算段を整えながら、協会長の出方を伺った。

「……この協会が法人格を取っていないのは確かです。ですが、理事一人の都合のために、組織を動かすことはできません」

 少しの間を置いて切り返された協会長の声は、千々に乱れる感情を懸命に抑えているように聞こえた。

「儂の都合だけではないわい。これは『関東魔法協会』の在り方が問われる大事じゃ」

 組織の代表者としては無難な回答を、近右衛門は一蹴した。

「良いか? 麻帆良の不祥事などと濡れ衣がこれ以上広がってみい。痛くもない腹を探られ、下手をすれば魔法の存在すら暴かれるやもしれん。そうなれば、じゃ。世界中の魔法関係者からだけではなく『本国』から、儂が責任を問われる。それだけで済む訳にはいかん。事態を放置した『関東魔法協会』も、同罪じゃ」

 近右衛門はうそぶいた。

 マスコミや警察に土足で『王国』を踏み荒らされるのは、一千歩譲って我慢しさえすれば脅威ではない。魔法先生・生徒達の手前、緊急事態を装いこそすれ、一般人連中ではせいぜいやかましくさえずり、魔法先生を数人逮捕するのが限界、我が身に手を触れる事すら叶わずに引き下がる事になるだろう。

 本当に警戒しているのは、万が一にも麻帆良の地下にいる『彼』を、魔法使い達に知られてしまう事だ。

『造物主(ライフメイカー)』

 二十年前の魔法界の大戦を引き起こした人物であり、魔法界を消滅させようと目論んだ『完全なる世界コズモエンテレケイア』の首魁でもある。その魔法使いの怨敵と呼べる存在が、麻帆良の地下には封印されて眠っている。その戦争で英雄として名を馳せた『千の呪文の男サウザンドマスター』ナギ・スプリングフィールドを人柱として。

 この事実が知られれば、魔法関係者全てに対する裏切り行為として、近右衛門の首など物理的に泣き別れになっても不思議ではない。

 しかるべき時が訪れるまでは、是が非にも隠蔽し通さなくてはならない秘密だ。

「……仮定ばかりの話ですね」
「じゃが、可能性の高い仮定じゃ」

 真顔で応じながらも、依然どこか相手を侮蔑した雰囲気を纏わせる近右衛門に、協会長は溜め続けていた感情の一部を吐き出した。

「たかが理事の立場で好き勝手し放題しておいて、こういう時には責任を押し付けるつもりですか」

 心当たりのない言いがかりだった。

「フォ? 何を言っておる?」
「そちらで預かっていたネギ・スプリングフィールドです」

 理事長としても、彼の処遇には腹に据えかねるものがあったらしい。

「ああ、その前に」

 詳細な説明に入る前に、協会長は一息の間を置いた。

「緊急理事会を開くのには、私も賛成です。あなたの退任決議を取りたいので」
「……ほう。どのような理由じゃ?」

 自分を追い落とそうとする言葉に、近右衛門は落ち窪んだ眼窩の奥で色のない瞳を見開いた。

「『関東魔法協会』の理事の立場で、彼を勝手に特使に指名して、『関西呪術協会』に送るなんて! 私の指示もなく、理事会すら通さず、そんな事をする権限、あなたにはないでしょう」
「……なんじゃ、その事か」

 近右衛門としては想定していた範囲だった。

「知っての通り、ネギ君はかの『千の呪文の男サウザンドマスター』ナギ・スプリングフィールドの息子じゃ。そして『関西呪術協会』の会長、儂の義理の息子の近衛詠春は、彼の盟友じゃ。東西の和睦の橋渡しとして、ネギ君程の適役はおるまい」

 自身の決断の賢明さに、近右衛門は自賛の笑いを高らかに上げた。協会長の叱責から外れた回答をしているとは気がつかない。

「まあ、儂の先走った判断じゃったのは、済まんかった。謝罪しよう」

 謝罪すると言いながらも、不快感を煽る笑いは止まらない。

「何を言っているんですか、あなたは。『関東魔法協会』の誰が、そんな事を望み・・・・・・・ましたか。ボケ老人のおふざけで笑って済ませられると、本気で思っている訳じゃないですよね?」

 冷ややかな協会長に、近右衛門はようやく笑いを止めた。どういう意味かと問う前に、協会長から答えが返される。

「いくら非法人組織と言っても、我々はやくざや暴力団やマフィアや陰陽師ではないんですよ。何を偉そうに、和睦ですか、和平ですか」

 やくざや暴力団とて『暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律』等の法律で規制され、法の枠内でなら活動を許されている。対照的に、明文化された法律がないのを根拠に、秘匿さえ遵守していれば魔法使いや陰陽師は好き勝手に暴れて良い、などとの理屈が通るものではない。近右衛門が懇意にしていると思い込んでいる・・・・・・・『日本政府の上部組織』のように、神秘の存在を知り、監視し、黙認している勢力は日本政府の中にもいるのだ。

「……いい加減、東と西で仲良くしたいのじゃよ。そのためにネギ君じゃ。問題はなかろう?」

 和平を取り持つ行為のどこに問題があるのか、『関東魔法協会』にも好戦派な派閥はないだけに、近右衛門には本気で理解できなかった。和平が成れば、ネギを推した自分の評価も魔法使い社会で高まるだろうから、それが気に入られていないとしか考えられない。

「理事の肩書きで、独断で、『関東魔法協会』に属していない、九歳の児童を、協会の特使に、指名する。どうしてそれが問題なのか、説明しても理解できないのでしょうね」

 英断と信じていた行動を悪しざまに言われたのだけは、近右衛門にも理解できた。

「ですから、一点だけ。……『市場の競争原理』を勉強してから物を言え」

 最後の部分は、年長者に対する丁寧さを忘れた命令形だった。

 麻帆良内ではいざ知らず、麻帆良の外では退魔の仕事は『ぎょう』として成立している。
 件の『関西呪術協会』においても、表向きは宗教法人、裏では退魔を生業としている。

 いわば『健全な経済活動』の一環に貢献している組織であり、自由競争市場の中で他の退魔組織、あるいは個人経営者とも競合の関係にある。競合の一つが『関東魔法協会』であるのは言うまでもない。

 そこへ、『関東魔法協会』の理事の近右衛門が、和平を称して『関西呪術協会』と渡りをつける工作を働いたのだ。『カルテル』を組もうと持ちかけたに他ならない。

 カルテルが問題になるのは、表も裏も一緒だ。特に退魔業など、元のパイが大きくない上に、『退魔師』『霊媒師』を詐称した一般人が徘徊する業界である。それだけに退魔業を営むどこでも、顧客と業界内の信用を高めるために汲々としているのが実情だ。

 近右衛門が一協会員であれば、大した騒ぎとならずに済んだかもしれない。しかし『関東魔法協会』の決議権の一票を持つ理事では、無知蒙昧な老人の独走と片づけられない信用問題に関わる重大事である。仮にこの老害をここで排除したとしても、トカゲの尻尾切りの誹りを協会が受けるのは免れない。

 協会長が最後まで堪えられていたのを褒めるべきだろう。

「フォッフォ……。お主では理解できんかったか」

 組織の総責任者としては、うまく憤怒を制御している方だろう協会長を、近右衛門は嘲りを込めて一笑した。

「これは経済ではない。高度な政治的駆け引き、というやつじゃよ」

 だからこその特使のネギであり、衆目を集めるパフォーマンスの役者としての起用だ。

 しかもネギの指名には『関東魔法協会』の理事の肩書きを使用しても、『関西呪術協会』へは『麻帆良学園学園長、近衛近右衛門』の使者を名乗るよう言付けてある。親書の内容も理事としてのものではなく、近右衛門から詠春に宛てた私信だ。

 つまり関西の協会が手を組むのは、いや傘下に下るのは、東の協会長に告げたものと異なり『関東魔法協会』ではなく、近衛近右衛門個人になる。この微妙なすり替えには、『関西呪術協会』の協会長たる義息の詠春とて気づいていないし、知られたとしても義父の智謀に脱帽するだけだろう。

 生憎と親書を渡す前に警察に妨害されてしまったが、大勢に影響はない。西の愚かな協会長とは内々で話がついている。あくまで、『関東魔法協会』との『和睦』と信じて。

「『関東魔法協会』は魔法使いの職能団体で、政治団体じゃない!」

 東の愚かな協会長の遠吠えは、近右衛門の耳に心地良く聞こえた。

「それを決めるのは儂らではなく、理事会で、じゃろう」

 協会長の方針に、理事の近右衛門からの真っ向からの否定だった。

「……麻帆良学園は、日本の法律に従った教育機関のはずですが?」
「と同時に、『本国』と日本をつなぐパイプという大役も担っておる」

 奇怪な笑い声と共に切り返した近右衛門に、協会長は感銘を受けた様子はない。

「二十年以上も前の過去の利権を、未だに引きずりますか……」

 その声音には先程までの激昂したものはなく、昔日の栄光に縋る老人への、呆れと諦めと僅かな軽蔑が含まれていた。

 麻帆良の地下には、魔法界に直結した『ゲート』があった。

 過去形なのは、二十年前の大戦で魔法界側の『ゲート』を設置していた都市が崩落、失われたからだ。戦後二十年経過した現在でも『ゲート』復興の目処は立たず、麻帆良側の『ゲート』も封印・破棄された……事になっている。

 それと同時に、魔法界とをつなぐ麻帆良の外交の場としての重要性は失われた。『日本政府の上部組織』とて、麻帆良任せではつながりが薄くなる一方なのを放置するはずがなく、外務省の持つ諸外国との正規の外交筋を通し、この二十年の間に魔法界とのパイプを作り上げている。それこそ、日本国籍を持つ日本人ながら、外交窓口を自称しながらも日本の国益を代表するのでなく、魔法界と魔法使いの特権と、己が利権を求める近右衛門の存在が目障りになる程に。

「それでも世界樹がある。重要度は変わらんよ」

 復興計画を立てない時点で、魔法界から見た世界樹の重要性がその程度・・・・のものでしかないと、判断できる常識を近右衛門は備えていなかった。二十年前と変わらぬ重要性を維持していると、信じて疑っていない。

 事実、麻帆良の『ゲート』は、魔法先生達も誤解している事に破壊はされておらず、魔法界側で条件が整えば、再稼働可能な状況だ。麻帆良学園の魔法先生・生徒からなる『立派な魔法使いマギステル・マギ日本本部』も、武蔵麻帆良の教会の地下で再起の時を今か今かと待ち構えている。

「これ以上、電話で話しても埒が明きませんね」
「そのようじゃ」

 交わした言葉は決して多くはないものの、協会長と近右衛門の意見が噛み合わないと確認するには十分だった。

 一点を除いて。

「理事会の招集はこちらで手配しましょう」

『関東魔法協会』の今後を、次の理事会で決めるとの点だけで、二人の意見は一致していた。

「そこでの決議がどうであれ、それまでは私が協会長です。麻帆良学園の不祥事報道に、当協会は関与しません。他の理事と協会員にも通達します」
「……儂が『本国』に報告するのは止めんのかな?」
「好きにすれば良いでしょう? 禁止したとして、それに従うあなたですか?」

 近右衛門は嘲笑で返答に替えた。
 その態度が気に入らなかったのか、挨拶もそこそこに電話が切られる。
 発信音を残す受話器を一瞥してから電話機に戻すと、近右衛門は更に声を上げて笑いながら白い顎ヒゲをさすった。

 思考にあるのは、これからについてだ。
『関東魔法協会』の協会長が失墜するのは確定している。後は麻帆良学園――この『王国』――に弓引く不届き者共に、ここに手を触れる愚かさを叩き込んでやらねばならない。

「……どうしてくれようかのう……」

 警察のような一般人の寄せ集めから、麻帆良を守護する程度の戦力なら、今の段階ですら過剰なまでに整っている。

 手駒として使えるのは、魔法先生・生徒達ばかりではない。魔法使いでなくとも、常人離れした膂力や身体機能を持つ学生は相当な数になり、彼らを上手く誘導して戦力とするのも、学園長としての資質だ。

闇の福音ダーク・エヴァンジェル』エヴァンジェリンは封印されているとは言え、六世紀を生き抜いてきた実力は脅威だし、一時的に呪いを弱めて従来の力を取り戻させる事もできる。海外に出張中のタカミチ・T・高畑には、至急帰国するよう打電してあり、明日明後日には麻帆良に到着するだろう。さらには、行動範囲を図書館島に限定されるものの、先の大戦の英雄『赤き翼』の一人、アルビレオ・イマもいる。その他にも麻帆良の地下には、身長二十メートルを超える無銘の鬼神六柱を石化封印してあり、その封印はいつでも解除が可能だ。

 極めつけが『造物主ライフメイカー』なのは言わずもがなだ。

「しかしここは一つ、『本国』から圧力をかけてもらうのが妥当かのう?」

 余計な騒乱で麻帆良を荒らされるのは、近右衛門の望むところではなかった。

 一向に現れる気配のないエヴァンジェリンに、裏切りの可能性をちらと一考し、受話器を取り上げると、内線で事務室を呼び出す。

「儂じゃ。至急、チケットを用意してもらえんかの? 今日の夕方か、明日中の便じゃ」

 緊急理事会を開くにしても、一週間から半月はかかるはず。念のため、他の理事には自分の帰国まで待ってもらうよう連絡すれば問題ない。

「行き先はウェールズ。うむ、カーディフ国際空港じゃ」

 ふと脳裏に、近右衛門よりも豊かな白ヒゲに覆われた老魔法使い――ネギの母校『メルディアナ魔法学校』の校長であり、ネギの祖父であり、『造物主ライフメイカー』の依り代となって麻帆良の地下に封印されているナギ・スプリングフィールドの実父であり、何より往年の友人――の顔が浮かんだ。

「久し振りに奴と顔を合わせるのも良いのう」

 十年前に死んだと諦めていた息子が生存し、麻帆良の地下にいると知ったら、そして孫はその封印を解くための贄と知れば、果たしてどんな顔をするだろうか。

 明かすつもりのない秘密を明かした瞬間を想像し、近右衛門は笑んだ。

「……さすが近右衛門、賢明じゃと絶賛されるじゃろうなあ……」

 家族、部下、旧友に、十五年間友人として付き合っている真祖の吸血鬼、そして母国の日本に魔法界と、全てを騙して手の平の上で弄んでいる老人は、一人きりの学園長室で、いつもの不快感を誘う笑い声で、高らかに哄笑するのだった。









◎参考資料◎
・赤松健『魔法先生ネギま! (6)』2004年6月17日
・赤松健『魔法先生ネギま! (15)』2006年8月17日
・赤松健『魔法先生ネギま! (16)』2006年10月17日
・赤松健『魔法先生ネギま! (35)』2011年8月17日
・総務省法令データ提供システム『暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律』
・manabow経済について楽しく学べる!!『早わかり経済入門 自由競争と独占禁止法の巻』





[32494] 第十五話 立派な魔法使い
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:d89eedbd
Date: 2013/06/01 03:17
『学校法人に潜む新興宗教組織「マギステル・マギ」
 銃砲刀剣類所持等取締法違反で逮捕された学校法人麻帆良学園本校女子中等部の生徒三名のうち一名(A、十四歳)が、同学園内にある『マギステル・マギ』なる新興宗教に雇用される傭兵である事を自白したと、二十五日、京都府本部警察署は明らかにした。

 マギステル・マギ――ラテン語で『立派な魔法使い』の意――は、世界各地に支部と信者を擁する新興宗教であり、有識者によれば、麻帆良学園には教師生徒問わず『マギステル・マギ』の信者が多数在籍し、市内には非法人の日本本部が設立されているとの事。

 Aは幼年の頃、マギステル・マギのセクトの一つ『カンパヌラエ・テトラコルドネス』に徴兵された戦災孤児。セクトの施設で訓練を受け、戦場へ送り出されていた。十二歳の時に保護され、日本に帰化。しかし麻帆良学園の学園長であり、同学園内マギステル・マギ日本本部のセクト代表、近衛近右衛門はその立場からAの個人情報を利用、学生生活の傍らに学園の警備に就かせていたと言う。近衛学園長の依頼で請け負った仕事もあると自供しており、詳細については現在調査中である。

 この件に関し文部科学省では「事実であれば、到底許される行為ではない。生徒の個人情報を指導以外に利用するなどもっての外、教育機関としての在りようどころか、働かせている内容にしても人道にもとる。麻帆良学園の体質なのか、マギステル・マギの体質なのか、いずれにせよ他にも同様の扱いを受けている生徒がいないか、早急に調査し、実態の解明が必要である」とコメントしている』

 二十六日の朝刊の記事を読み終えると、『警察庁長官官房総務課特別資料室係』の天ヶ崎あまがさき千草ちぐさは新聞をテーブルの上に置き、プラスチックの蓋のついた紙コップからコーヒーを一口すすった。

 場所は麻帆良学園の敷地からさほど離れていないオープン・テラスのコーヒーショップだ。

「無茶をしおったなぁ……」

 計画の段階で織り込み済みだったものの、実際に活字になっているのを読むと、そういう感想が出てくるのを禁じ得ない。

 これはとりもなおさず、計画通りに保護した少年少女から証言を得られた証左でもあった。

立派な魔法使いマギステル・マギ』の名を公表する。

 それに向けた活動を起こすだけでも、魔法の秘匿に躍起な各『機関』が蜂の巣を突いたような騒ぎになる。

 ……などと短絡的に思考するのは、麻帆良の魔法使い程度のものだ。

「まあ実際、そんな事ないんやけどな」

 千草はほくそ笑むと、本校女子中等部のある方角へと目を向けた。

『手かざし療法』に『気功療法』、宇宙の波動に調律した奇跡の『波動水』に『水の微小クラスター』、ゲルマニウムで『血液サラサラ』、重力子と運気を込めたセラミック、土砂を水漬けした上澄みを『有機ミネラル』、エトセトラエトセトラ。いかがわしいエセ科学やエセ宗教、カルトが標榜する物品が世間に氾濫しているように、その主張を正当化する胡乱な教義は枚挙にいとまがない。中には、数千万年前に銀河系中心部で勢力を誇った銀河大帝の親衛隊が、大帝の不興を買い追放され、地球人に転生した、と大真面目に主張する剛の宗教すら存在している。

 それらの中から、『本物』の魔法だけを選別し、秘匿する。

 いかに無茶か想像もしたくないし、それを実行している各『機関』には、別の意味で頭の下がる思いだった。

「……しかし『立派な魔法使いマギステル・マギ』を出すのは問題ないとは、意外やった」

 記事にある『四音階の組み鈴カンパヌラエ・テトラコルドネス』に限らず、麻帆良学園本校女子中等部の教師、タカミチ・T・高畑が所属する『悠久の風(オーストロ・アフリカス・アーテルナリス)』など、非政府組織――NGO――として国連に参加し、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の息のかかった集団は幾つも存在している。

 NGOとして活動するにあたり、その資金の流れは決算書の形で公開されている。国からの助成金か、どこかの団体からの寄付金か、その資金はどのように流用されたのか、支援を受けて活動している以上、資金の流れを記録し公開するよう義務付けるのは当然の成り行きだ。

 無論、二重帳簿を付けるなり、出納記録をねつ造するなり、不正に気づいた人物には鼻薬を嗅がせるなり、記憶処理を行うなり、最悪不慮の事故による口封じをするなり、抜け道は幾らでもある。

 しかし、いかに複数の口座からの入金という形式で存在を秘匿しようとしても、主な資金源が『立派な魔法使いマギステル・マギ』からなのは、公的な調査能力を有する組織であれば、割り出すのは比較的容易な作業だ。

 加えて、嘘か本当か、おそらくはゼロを二つ多くつけた誇張だろうが、地球には六千七百万人もの魔法使い――世界の人口六十億強の百人に一人――がいるとの説がある。仮に百分の一の六十七万人だとしても、それ程の人数を『魔法の秘匿』という一つの基準に並ばせるなど、実現不可能な話だ。見方を変えれば、口で言う程に魔法の秘匿を守れず、一般人を巻き込んだ結果の数字、と取れなくもない。

 とどのつまり、一般の情報筋に引っかかり難いだけで、『立派な魔法使いマギステル・マギ』が意図しているよりも、彼らの存在は存外知られているのだ。

「マスコミ連中も、肩透かしを食らった気分やろうなあ……」

 これまで各『機関』からマスコミに対し、自主規制を求める『圧力』が働いているのは事実だ。要請に応じない記者がデータを紛失したり、数日の病欠の後に軽い記憶障害を起こしていたり、更迭されたり、あるいは自主なり懲戒なりで職を辞したりする事はあっても、あくまでもマスコミの協力による自主規制・・・・と主張しているのは変わらない。

 それが今回、報道しても検閲・・が入らなかったのは、『立派な魔法使いマギステル・マギ』が非公式ながらあちこちで知られていたのと、警察の公式発表をそのまま掲載したからだ。

 従来であれば警察内においても、公式見解の際には同様の圧力がかかるところだ。しかし霧香きりかの立案した『計画』を上層部が採用したのもあり、発表を手控えさせる勢力は機会を失っていたと言えよう。

 具体的な行為はあくまで『報道の自由』を尊重し、報道規制を行わなかった・・・・・・だけの話で、何ら問題のある行動ではない。規制や検閲を強行させてきた魔法使いこそが異常だっただけのことだ。

「そうでしょうねぇ」

 どことなく気の抜けた声で応じ、手にしていた新聞を千草に手渡したのは、『警視庁特殊資料整理室』の志門しもん勇人ゆうとだった。

『十四歳少女を長女の護衛に抜擢。京都の宗教法人に児童虐待の疑い』

 昨日二十五日夕刊の記事だ。

『修学旅行中の中学三年生が刀剣類を所持していたとして逮捕された事件で、その生徒はクラスメートの護衛を親権者に依頼されており、押収された太刀は信頼の証として託された物だと供述していると、京都府本部警察署は明らかにした。

 護衛対象とされたのは、京都市内に本拠を置く「宗教法人関西呪術協会」の協会長の長女。協会内の派閥争いからの誘拐などを警戒し、祖父が学園長を勤める埼玉県内の全寮制の学校法人に通わせていた。

 逮捕された少女の親権は関西呪術協会の協会長が有しており、手ずから護衛として剣術を教え込み、二〇〇一年四月に当該私立学校に入学を指示。学園長の権限で長女のクラスメートとなるよう手配していた。少女が所持していた太刀は、入学に際し協会長が持たせた物。

 京都府警では児童虐待の疑いがあり、所轄の児童相談所と連携し、他にも同様の扱いを受けている児童がいるか、他の未成年者にも武器を所持させていないか、関西呪術協会に近日中に聞き取り調査を実施する方針』

 記事に一通り目を通し終えた千草の脳裏に浮かんだのは、近衛一族が本邸とし、『関西呪術協会』では総本山と呼ぶ『炫毘古社(かがびこのやしろ)』と言う名の広大な敷地を持つ神社だった。

 炫毘古神(かがびこのかみ)、あるいは迦具土神(かぐつちのかみ)として知られる火の神を奉る神社の体裁は取り繕っているものの、実体は一八七二年発令の『天社禁止令』をかわすため、陰陽師の一族が隠れ蓑として建てたものだ。エセ神道と言い切って良い。

 来客を迎えるのに社務所を使わず、神との交信の場であり、御神楽や御祈祷を奉仕する神聖な神楽殿をその用途に使う様からして、信仰面でのいい加減さは知れよう。

「一体全体、どれだけの部分が腐れとるんやろうなあ」

 協会では上を下にと大騒ぎになっているだろうと想像して、千草はくつくつと喉の奥で愉快げな笑いを漏らした。

 何せ社会一般の常識どころか、良識や善意や誠意や正直さと言った、人として備えるべきものがごっそり抜け落ちている『近衛近右衛門』を生み出した一族だ。あの長い後頭部が頭蓋縫合早期癒合症とうがいほうごうそうきゆごうしょうなどではなく、太古のマヤ文明よろしく、将来の一族の家長のあるべき姿として、もしくは一族の精神性の象徴として、実は乳幼児の頃から木枠に頭を固定して細工していた。そう言われてもおかしくない程に狂った一族である。

 両親が健在で協会に出入りしていた幼少の頃には気づきもしなかったが、成長して社会に出て見聞が広がると、あそこがいかに異常な場だったのか、まざまざと思い出される千草だった。

「カルトやマルチ商法に嵌っとる親から解放されると、こんな気持ちになるんやろか」

 そういう被害に遭ったと言う届け出や、嵌ってしまった家人を救いたいとの相談は、本来の管轄である経済産業省や地元消費者センターだけでなく、各都道府県の警察署にも寄せられており、この手の話は幾らでも耳にしている。経済力や社会経験の少ない学生や未成年者ならば勧誘しやすいと、末端の会員や信者に指導する悪質な業者すらいる。麻帆良の魔法使いが、従者として学生を利用しているのも同じ理由からだ。

 特に悲惨なのは、経済的に破綻させられ、一家離散の憂き目に遭う事ではなく、離乳食すら始まらない時期に、信者の両親におかしな物を飲食させられる乳幼児や、勉強会や研修を名目に外出しがちな両親に放置される幼児、信仰を理由に必要な予防接種や医療を受けさせてもらえない児童、最悪はそのまま殺されてしまう子供の末路だろうか。

 そんな子供達と較べれば、早々に両親と死別したのは幸運だった。

 ……などと言うつもりは欠片とてない。

 両親の信仰の対象が何であれ、千草にとっては良い親だったのだ。

 愛情がなかった訳ではない。幼少の時分に奪われた喪失の悲嘆を忘れた訳ではない。魔法使いへの憎悪と復讐心が弱まった訳ではない。二十年を経た今でも、魔法使いとして生きてきた事を死ぬほど後悔させてから、魔法使い全ての息の根を止めてやりたい衝動がある。

 それでも心のどこかに、あの協会との関わりが薄くなった事を、遅まきながら安堵できるようになった自分がいるのは否定できない。あのまま協会に残されていたら、復讐心一色に塗り潰されていたと思えるだけに、感慨はひとしおだ。

「カルトかどうかは分かりませんけど、こういう集団とは関わり合いたくありませんね」

 千草の呟きが耳に届いたのか、そう言ってネット上の記事をプリントアウトした紙を差し出してきたのは、見た目高校生程の童顔の男だった。勇人と同じく警視庁の刑事、石動いするぎ大樹だいきだ。

 記事の見出しよりも目を惹くのは、記事と共に掲載されている一枚の画像だった。全身を厚手のローブで覆い、目深に被ったフードで口元しか見えない数名が、どこかの建物から出てくる場面を撮影したものだ。

『麻帆良学園本校女子中等部から出てきたマギステル・マギの「魔法先生」』

 昨日の午前のうちに『立派な魔法使いマギステル・マギ』の名前を報道させたのが、功を奏した結果だ。

 いかな麻帆良全域を包む<認識阻害の結界>とて、魔法の存在を知る非魔法使いに、魔法を認識させなくなる程、強力な代物ではない。あくまで五感を通し漫然と入ってくる情報の中から、特定の事象を認識する能力を阻害するだけのものだ。

 それ故、見る物や探す物を明確に意識すれば、認識力が阻害されることはない。それは先日の強制捜査の折、担当の警察官達が手首に貼り付けたメモを常時見直すことで、任務をその都度認識できるようになったところからも確認済みだ。

『麻帆良学園に潜む新興宗教、マギステル・マギ。

 不正アクセス禁止法違反で逮捕された麻帆良学園の教師、弐集院光容疑者が、同学園内の新興宗教団体マギステル・マギの一員であると、埼玉県警察署は明らかにした。弐集院はインターネットの検索機能を経由し、個人や企業のパソコンに侵入、個人情報を所得した後に、ブログや掲示板に管理者権限を偽装してアクセスし、記事を自動的に削除するマルウェア『二〇〇三年式電子精霊群』を開発。麻帆良学園に批判的な書き込みを削除させていた疑いが持たれている。

 このマルウェアによる被害は数千から数万件に及ぶと見られ、麻帆良学園側は、弐集院の独断によるものとして、犯行との関連性を否定。しかし埼玉県警では、この事件が教団の主導によるものではないかと見て、捜査を進めている。

 二十五日、麻帆良学園では小中高大学部の教団員らが、本校女子中等部内の学園長室に集合、同日本セクト本部の代表であり、学園長も務める近衛近右衛門と会合を持ったのが確認された。会合の内容について麻帆良学園側は「マギステル・マギの活動とは関係ない。当学園の運営に関する内容なので、公表する必要はない」とコメントしている』

 麻帆良学園を支配するのが『立派な魔法使いマギステル・マギ』だと、自ら認める言い訳に失笑しつつ、やや明かしすぎの感のある記事に、千草は眼鏡の奥で眉根を寄せた。弐集院容疑者が『立派な魔法使いマギステル・マギ』の一員だと公開するのはともかく、埼玉県警の方針まで書かせるのは、今日の夕刊か明日の朝刊に合わせても良かった気がする。

『当社サイトにおいても記事の無断削除を確認しており、警察に被害届を提出済です。報道の自由を妨害する行為には、断固として抗議します』

 下方に小さく追記されている一文に目を止め、小さな苦笑を漏らす。

「いや、そうでもないんかな」

 しばし黙考し、千草は先の意見を否定した。

 魔法の絡む懸案なだけに、『特別資料室係』は指揮権を有していないものの、埼玉県警と京都府警の大まかな進捗状況を把握している。今回のように出張る自体、四角四面に規則を捉えれば越権行為を問われかねない事態であるが、それが黙認されているのは、『上』からオブザーバーとしての参加を許可されているからだ。

 それでも千草の耳に入ってくる情報には限界があり、麻帆良市警察署に入った監査の進捗状況と、せいぜいが一昨日の強制捜査と昨日の魔法使いらの家宅捜索で、『二〇〇三年式電子精霊群』と『立派な魔法使いマギステル・マギ』を結び付ける有力な物品を押収したという事くらいだ。

「つまりそれだけ、有効な証拠が出てきたって事じゃないですかね?」

 千草とほぼ同じ思考を辿っていた勇人が零した。

 マスコミに流す情報の順番すら、計画ではスケジュール化されている。各警察署の捜査状況で発表の頃合いは前後するにしろ、麻帆良学園とそこに巣食う『立派な魔法使いマギステル・マギ』関連の報道に関し、五月の連休まで毎日新情報を提供していく予定だ。そのために、ネットの強力な検閲ツール『二〇〇三年式電子精霊群』を、真っ先に無力化したと言っても過言ではない。

 そうやろな、と勇人に同意の一言を告げ、千草は腕時計で時間を確認すると、残りのコーヒーを一息に飲み干した。

「後は近衛のジイさんの動きと、裁判所の判断。どっちが先かやな」

 連日で麻帆良の『立派な魔法使いマギステル・マギ』関連の報道を続けているのは、近右衛門とその指揮下の魔法使い達の軽挙妄動を期待しての事だ。実際、頭を低くして嵐が過ぎ去るのを待てば良いものを、わざわざ話題の中心である本校女子中等部に疑惑を持たれる恰好で集合したため、後ろ暗い会合が行われたのを目撃されている。

「いや。これは無能ゆえか」

 千草は訂正した。

 世間の小中高大一貫校のように、各校に代表責任者つまり校長を置いておけば、それぞれの責任者の指示の元、そこに通勤通学する魔法先生・生徒が対処すれば済んだ話だ。この報道にあるような無様は晒さなかっただろう。これは学校組織として、『立派な魔法使いマギステル・マギ』として、両方に言える事だ。

 それができなかったのは、非常時に関係者を一堂に集め、己が尊厳と指導力を誇示したい近右衛門の顕示欲によるものか、組織運営のてにをは・・・・を知らない無知から来たものか。いずれにせよ、各校の最高権力者の椅子を独占する事に固執する余り、教頭と言う校長不在時に指揮を執る代理人を置かずにいたのが、失態の原因なのは間違いない。

 そもそも魔法使いにしろ陰陽師にしろ他の神秘の使い手達にしろ、一介の警察官が束になっても拘束できない強力な『力』の持ち主ばかりのためか、すぐさま暴力に訴える傾向にある。魔法の秘匿のために、魔法を「使わない」選択ができず、魔法を「使って」秘匿する矛盾を自覚できない魔法使いを例に出すまでもなく、理性や知性や忍耐を用いる能力は極端に低い。

 だからこそ、今回の計画のような小さく揺さぶりをかける手法が有効であり、見当違いで的外れで場当たり的な行動から、さらに大きな墓穴を掘っていくと期待できる。

「ま、理由は何であれ、一般人を舐めすぎたのが致命的や」

 両親が陰陽師だった千草の口にすべき言葉ではないかもしれないが、口にせずにはいられなかった。この場にはいないたちばな霧香きりか倉橋くらはし和泉いずみ辺りですら、一般人を軽視しがちな傾向がある。

 この千草の意見に、勇人と大樹は小さく頷いた。

『特殊資料整理室』などと神秘絡みの部署に配属されているとは言え、勇人と大樹の二人は、元々魔法には無縁の一般人の家庭の出だ。幸か不幸か今回は使う事のないであろう――と言うより、使用を禁じられている――『異能』を持って生まれてしまい、霧香に見つかってしまったのが運の尽きだった。魔法使いに陰陽師に精霊術師にと、常識の枠外の力を奮い好き勝手する連中には、不本意な巻き込まれ方をした手前、一言ならず思うところがある。

「ほな、ぼちぼち行こうか」

 テーブルの角を叩いて一区切り付けると、三人は席から腰を上げた。

 計画は一番の難関に差し掛かっていた。

     ◇◆◇

 麻帆良学園を含む麻帆良市全域を、不穏な空気が覆っていた。

 修学旅行中での生徒の集団補導を皮切りに、一部生徒が銃器刀剣類で武装していたとして逮捕され、次いで翌日には不正アクセス法違反によって教師が逮捕された。遂には、『学校法人麻帆良学園』の代表が、新興宗教組織の日本セクト代表とまで報道され、あまつさえ、これまでの一連の事件にセクト関与の疑惑まで示唆されている。

 世間では多少色褪せてきたとは言え、四年前の一九九九年、都内の地下鉄に致死性のガスをばら撒いた宗教団体が行っていた卑劣で反社会的な行為の数々は、今なお個人・自治体問わずに訓戒として記憶されている。

 判明している規模こそ小さいものの、麻帆良学園に潜む『立派な魔法使いマギステル・マギ』に当時の脅威を重ね合わせてしまうのは、ある意味当然かもしれなかった。

『マギステル・マギは麻帆良から出て行け!』
『子供達を返せ!』
『今なら間に合う! すぐに脱会しよう!』

 そんなメッセージを書いた看板やプラカード、のぼりが付近住民の手により作成され、麻帆良学園各校に面する路上や塀、マンションのバルコニーに掲げられていた。学園の校門前や塀に貼られた抗議のチラシは、出勤した教師と事務員達の手により排除されている。

 デモに到らないのは、近右衛門が戦場経験者を傭兵として雇用し、邪魔者の排除に躊躇いがない人物だと報道で知らされたからか、逮捕された生徒がそうであったように、『立派な魔法使いマギステル・マギ』が銃器で武装した一団と判断したからか。

 しかし住民達が積極的な抗議運動に到れない理由は、もう一つあった。

『広域生活指導員』

 主に麻帆良学園各校の武闘派教師陣により編成され、学園敷地内のみならず、治安維持の名目の元、敷地外の商店街や繁華街をも経巡り、学生の指導と称し武力鎮圧を前提に活動する者達だ。さすがにその大半が『立派な魔法使いマギステル・マギ』だとは、住民達の知る由もない。

 彼らは『青少年の非行防止と健全な育成』を目的とし、各市町村の警察署署長が任命し、委嘱した『少年補導委員』ではない。埼玉県であれば、埼玉県公安委員会から委嘱された特別枠の地方公務員『少年指導委員』もあるが、そのような立ち位置でもない。どちらもが専門の試験を受け、合格して初めて採用される『公』の身分だ。

 広域生活指導員とは、その名称とは裏腹に、健全な役柄ではない。近衛近右衛門が個人的に雇用あるいは任命し、学園の治安と魔法の秘匿の名目の元、近右衛門がその指揮を執り、近右衛門の許可を受け、補導員であれば認められていない身柄の拘束、尋問、監禁、果ては暴力の使用、ならびに魔法による記憶処理を是とする、近右衛門のための暴力機構――悪く言えば近右衛門の『私』兵だ。

 広域生活指導員が住民に対し、これまで暴力を振った事がなかった――記憶を操作し、被害をなかった事にする行為を、暴力と呼ばないのなら――にせよ、これからもその暴力の矛先を向けずにいるとは限らない。被害なり迷惑なりが広がるのを防ぐためと称し、暴力に訴え出た学生を同じ暴力で返り討ちにしている現場を、住民の多くは一度ならず目撃しているのだ。その暴力が自分達に向けられないよう、顔を直接見られるのを警戒するのは当然と言えた。

 無論、このような行動を起こしているのは、住民の極一部に過ぎない。ほとんどは寄らず触らずの距離を置き、静観か傍観の構えだ。慌てるのは自分達の身に害が及んでからでも間に合うと、楽観的に構えている場合があれば、<認識阻害の大結界>によって現状が異常だと認識できなくされている場合など、理由は様々だ。

 とは言え、一部なりとも住民が<認識阻害の大結界>を克服したのは、魔法使い達にとり不愉快な事実に違いなかった。先日の近右衛門の指示に従い、陰陽師達の侵入に備えた警邏の間にも、住民達から投げつけられる敵意と警戒の目に、誰のお陰で平和に過ごせてきたと思っているのだと、声を大にして叫び出したい程に不満が募っていくのだった。

 そんな彼らの神経を更に逆撫でするのが、最初の報道と前後して見かける機会の増えたように思える『埼玉県警察』の文字を入れた白黒ツートンカラーのパトカーだ。

「最近険悪になっている学園と住民側との暴力による衝突の予防。そしてマスコミの学園敷地内への不法侵入による学業妨害の予防。そのためのパトロール」

 それが警察側の言い分であり、魔法使い達からすれば、マッチポンプも良いところだと激昂したい話だった。警察が捜査など行わなければ、マスコミが報道しなければ、麻帆良はこれまで通り何事もなく平和でいられた、と。

 自分達の主張が、麻帆良の住民を自覚のない被害者にしたハラスメントの上に成り立つ、魔法使いにとり都合の良い身勝手な平和だ、との自覚は皆無だ。

 ましてや警察官の中に、麻帆良の魔法使いを排除するのを目的とした陰陽師まで潜んでいるのだ。通り過ぎるパトカーや警邏中の警察官に、意識しなくとも敵意を含んだ目を向けてしまう。

立派な魔法使いマギステル・マギ』に向けて否を突き付けてくる住人や警察に、魔女狩りの再来かと戦々恐々とするか、魔法使いの正しさを力ずくで教えてやろうかと気炎を上げるか、主にこの二つに分かれつつあった。

 改善する見込みもなく険悪化する一方の空気の中、麻帆良学園本校女子中等部は、一八九〇年代に設立されてからの歴史において初の、わずか半月の間に三度目の警察の訪問を受けていた。







◎参考資料◎
・赤松健『魔法先生ネギま!(5)』講談社、2004年4月16日
・赤松健『魔法先生ネギま!(6)』講談社、2004年6月17日
・赤松健『魔法先生ネギま!(16)』講談社、2006年10月17日
・あなたの知らないアンダーグラウンド・トーキョーガイド東京DEEP案内『【世田谷区】世田谷アングラゾーン「千歳烏山」(4)南烏山オウム拠点』2011年5月16日
・警察庁『第1章 地域社会との連帯(5)パトロールの強化』
・公益社団法人 全国少年警察ボランティア協会『少年警察/大学生ボランティアとは?』
・困り事よろず相談処 ほ~納得『少年補導員と「警察の職務を補助する者」』2012年2月10日
・埼玉県警察『少年指導委員とは』
・Katy “Not Aliens, just humans with modified crania.” Bones Don’t Lie. December 22, 2011.
・NGOを支援するNGO 国際協力NGOセンター(JANIC)『NGOの概念』
・OK Wave『不正アクセス禁止法違反の容疑者になりました』2004年6月3日
・Riggs, Ransom “Mayan body modifications.” Mental_floss. December 11, 2006.
・Wikipedia『非政府組織』
・Wikipedia “Artificial cranial deformation.”
・Wikipedia "Non-governmental organization"



[32494] 第十六話 近衛近右衛門
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:f5de6a26
Date: 2015/11/27 23:25
『学校法人麻帆良学園』の総責任者でありながら、常日頃の自分の服装や身だしなみや言葉遣い、態度が社会人として非常識の極みにあると理解できないのと同様、全ての学校を統括する己が執務室を特定の一校に置く非常識さを理解できない近衛近右衛門は、なぜまたしても自分が警察の訪問を受けなくてはならないのか、理解できずにいた。

 理解できるとすれば、本来であれば圧力をかけて警察の捜査を封じるべき『日本政府の上部組織』が、何ら行動を取っていない。それどころか、警察の後押しをするように傍観に徹しているという点だ。

「きゃつらの怠慢のツケ、きっちりと償ってもらわねばの」

 思考の片隅に書き留めているのをおくびにも出さず、近右衛門本人としては親愛の情を込めた、聞く者からすれば非常識で不快感を煽る笑い声で、来客を迎えた。

「立ち話も何じゃ。かけるのが良かろう」

 椅子から立ち上がりすらせず、学園長の机正面の下座、かつ自分の座るソファを置いていない応接セットを来客に指し示す。
 この儂と同じテーブルで話そうとは片腹痛い。そんな近右衛門の無言の意思表示に不愉快な感情を抱いたとしても、訪問者の誰一人顔には出さず、また腰を下ろすこともなかった。

「いえ、お構いなく」

 見下されていると理解していて、それに従う相手ではない。総勢六名の訪問者のうち三名が廊下で待機している中、学園長室内に入った残り半分のうち年長の男が断りを入れた。

 彼らはスーツを着ているのでそれと分かりにくいものの、埼玉県警察の警察官達だ。それも警備部公安第二課――暴力集団組織に対する捜査を行う部署――から二人と、距離を置いてドアを背に立つ千草の三人だ。廊下で待つ三人のうち一人は、埼玉県警とは無関係の勇人だ。他にも中等部校門前には、十名近い私服警察官達が待機している。

「して、どのような用件かな? 不正アクセスをしておった教師は逮捕したじゃろ?」

 矮躯な主人にしては巨大な机の上で、近右衛門は両手の指を絡ませた。机上にコンピュータはない。

 先日の強制捜査の折、警察に押収された訳ではない。
 幸か不幸か、近右衛門にとっては幸運なことに、学園長室には元からコンピュータは設置されていなかったのだ。

 そのため、弐集院が逮捕される原因となった不正アクセス法違反との関連を、この学園長室にあった物品から結びつける手段は乏しい。可能性があるとすれば、こちらも押収済みの近右衛門の携帯電話か、あるいは本校女子中等部以外の『学園長室』から、何がしかの関与を示唆する証拠が出てくるかどうかが鍵だろう。

「署への同行をお願いします」

 近右衛門の嫌味を込めた笑い声には取り合わず、課長の地位にある男は頬の筋肉を一筋も動かさずに用件を切り出した。

「それは強制かな?」

 マルファン症候群じみて虹彩を欠いた近右衛門の瞳が、男をねめつけた。

「調書を取るので、同行してもらえますか?」

 任意とも強制とも答えず、同行の理由のみが伝えられる。

 むうと近右衛門は唸り、即答を控えた。
 すぐさま脳裏に浮かんだのは、昨日の非常招集に応じず、夜半を過ぎてから焦燥した様子で現れた明石の報告だった。警察の任意同行に付き合い、調書を取るとの名目で散々絞られてきたらしい。

「警察が何を捜査しているのか、何を計画しているのか、情報収集に行ってきました」

 それが明石の言い分だが、近右衛門からすれば愚行としか評価できなかった。

 任意同行に応じるなど自分が犯罪者だと認めるも同然だし、自身が潔白なり無関係だと知っているなら、警察に関係の有無の判断を委ねるまでもなく、その場で断わるべき話だ。身に覚えのない罪を自白させられたりせず、帰宅を許されただけでも僥倖とすべきだろう。

 その愚行の対価として持ち帰れた情報は多くなく、また重要でもなかった。明石の亡妻・夕子に戸籍ねつ造と事故死偽装の疑いがあり、国際的規模な不法入国斡旋組織の存在と、その口封じのための殺人事件の可能性を視野に捜査している。この程度の、『日本政府の上部組織』に圧力をかけさせれば簡単に揉み消せる事柄だ。

「まったく……面倒をかけさせおって……」

 言葉にせず、独自の判断を下した明石の軽挙に、胸の内で密かに苦言を呟く。

 情報収集など不要だったのだ。
 例えば仮に、魔法界と地球を結ぶゲートが、麻帆良のものを除き全て破壊され、その半月後に世界樹が時期外れの発光現象を起こしたとしよう。己程の知性と洞察力と人生経験を持ってすれば、関連性が皆無に見えるこの二つの事象から、間に入るべき根拠や仮説や検証の過程を経ずとも、ゲート破壊の犯人が『完全なる世界コズモエンテレケイア』だと特定し、魔法界の消滅を目論む計画の一環だと、結論付けできるようになるものだ。『完全なる世界コズモエンテレケイア』が滅んでなどおらず、その首魁たる『創造主ライフメーカー』が存命で、麻帆良の地下に封印されているという事前情報を抜きにしても、だ。

 それと比べれば、警察が麻帆良に敵対的になり、『資料室』や『心霊班』がウロウロしているのを見れば、警察の背後に潜んだ陰陽師が世界樹の略奪を企んでいると見破るのは、それこそ児戯に等しい。

 故に事ここに至れば、警察の動向の細部を探る手間は不要であり、麻帆良の防衛に専念すべき段階だと明言できる。

「だと言うのに、ただでさえ山積みになっとる問題をまた増やしおって……」

 取るに足らない情報の代償に、明石が支払ったものは大きい。夕子とどこで出会ったのか、から始まり、麻帆良に来る前の前歴を知っているか、死亡した国の名前、なぜ家族でなく単身で旅行していたのか、どういう状況で起きた事故だったのか、自賠責だったのか、相手がいたのならその人物の名前は、加害者なのか被害者なのか、賠償金は取れたのか支払ったのか、保険金はいくらもらえたのか、死亡退職金の他に賞じゅつ金――殉職した遺族に支払われる見舞金――に相当する金銭が麻帆良学園から支払われていないか、根掘り葉掘り聞かれたのだ。

 今回の同行に応じれば、同じ質問をされるだろうとは容易に想像できた。『日本政府の上部組織』がこちらの思惑通りに動かない現状と、明石と口裏を合わせの詳細な確認をしていない状況からも、拒否したいところだ。

「ふむ。そうじゃのう……」

 顎ヒゲをしごきながら、近右衛門はもう少し思考を巡らせた。
 この場で断るのは簡単だ。しかし警察がどの件・・・の調書を取ろうとするのかが気がかりだ。
 それに陰陽師共が関与している以上、言いがかりをつけて拘束しにかかる可能性も考えられる。明石にしても陰陽師と警察が手を組んでいたとは知らず、両者の関係を意識してまで探ってはいない。

「……残念ながら、協力はできんな。断わらせてもらおう」

 しばしの黙考の後に近右衛門の出した回答は、否だった。
 魔法使いなら誰でも――それこそ魔法学校を卒業したばかりの半人前でも――知っている<読心>で、男の思考を読み取った内容も加味しての結論だ。近右衛門程の実力者ともなれば、半人前のように呪文の詠唱や、肉体同士の接触すら不要だ。今の地位に上り詰め、また維持するために重ねてきた数十年の研さんは伊達ではない。

 そこから得られたのは、男が魔法の実在を露とも知らぬ一般人だという事だ。当然、事の背後にいる陰陽師については何も知らず、調書を作成する会話から何かしらの糸口を掴もうとの、いかにも一般人らしい魂胆からの同行要請だと知れた。
 そのような企みに、わざわざ乗ってやる義理はない。

「警察に協力したいのは山々じゃが、儂は忙しい身でのう。そうそうこの学園を空ける訳にはいかんのじゃよ」

 今日中にもウェールズ目指して出国するのをおくびに出さずに嘯くと、近右衛門は残念だとの気配を微塵も感じさせない笑いをひとしきり上げた。

「そういう訳じゃ。お引き取り願おう。それとも、令状もなしに儂を逮捕でもするかな?」

 頬肉を一瞬痙攣させた男の反応に、他者を不快にさせる哄笑が止まらない。

 警察が取ろうとしている調書は、不正アクセスや十年前に死亡した明石夕子の婚前までの経歴と死因に関しての不審な点に限らない。学生の警察官への発砲の隠蔽、そこから浮かび上がる密造工場の建設まで視野に含んだ銃器密売組織の存在、果ては麻帆良の『立派な魔法使いマギステル・マギ』による諸々の組織犯罪の可能性まで考慮してのものだ。

 世のため人のため、魔法使いとして『立派な魔法使いマギステル・マギ』として、全ての行動には崇高かつ正当な理由があり、世に憚るものなど何一つないとの自負が近右衛門にはある。その自負にかけて、説明したところで理解できるとは期待できない一般人からなる警察官達に同行するなど、面倒以外の何物でもない。

「つまり、警察の捜査には協力しない、と?」
「……今言ったじゃろう。協力したくとも、多忙で時間が取れんのじゃと」

 食い下がろうとする男に、近右衛門は飄々とした態度で応じた。

「各校には校長がいるでしょう。何も何日も空ける訳ではないのですから、その間の運営に支障はないのでは?」

 夜間になるにせよ麻帆良学園に戻らせるつもりならあると、男の思考から読み取りつつも、近右衛門は勿体ぶった動作で顎ヒゲをしごいた。

「残念じゃの。実は我が学園には、儂以外の責任者を置いておらんのじゃよ。船頭多くして船山に登る、と言うしのう」

 各校毎に校長や教頭を置いたピラミッドは作らず、一般教師と事務員を、麻帆良学園全校を、等しく一元管理する。これは魔法先生達の管理にも使っている手法で、近右衛門の理想とする組織の形態でもあった。

 自身が全ての権力を掌握してやる・・・・ことで、下々のその他全員が平等となれる。そこには出世や競争、派閥争いなど存在せず、全ての教師は本来の教職に専念できる理想の職場となる。内輪での出世や権力争いとは無縁で、全教師が、全生徒が、誰もが幸福でいられる学園。
 近右衛門にとって正しい組織の在り方であり、胸を張って誇れる功績だった。

「そういう訳で、儂がおらんとこの学園は回らんのじゃ」

 痩身をのけぞらせ、これまでよりも大きな笑いを上げる。

 寄附金を納め理事の席に就いているならともかく、あくまで『学園長』に過ぎない近右衛門は、今年七十台半ばになる。本来であれば、麻帆良学園が再雇用制度を採用しているとしても、最低でも十年前には後進に席を譲り、定年退職しているべき年齢だ。

 それにも関わらず、近右衛門が未だその席でふんぞり返っていられるのは、後進を育てて来なかった事、育てるつもりもなかった事、育ちつつある芽は早急に摘んできた事、そして自分に否を唱えられない自立心に乏しい者だけを手元に残してきた事、にある。

 事実、小中学生の子供がいる四十代の明石、弐集院、ガンドルフィーニらを重用し、彼らよりも上の世代の五十台、いわゆる裁量権を持つ『幹部』格を置いていない辺りに、近右衛門の徹底ぶりが伺える。

「話は終わりかな? では、お引き取り願おう」

 加えて、私立学校法人を運営する理事会は、近右衛門の独擅場と化している。魔法を知らぬ一般人からなる評議会や教師らの組合に対しても、子飼いの魔法先生や近右衛門自身の魔法を用いれば、反対意見を封殺するなど赤子の手を捻るようなものだ。

 それ程にこの学園を私物化できれば、労働基準監督署に提出を義務付けされている『就業規則』、その定年の項目に手を加え、学園長のみ実質一生涯就労できよう変更するなど、造作もない仕事だ。それでもなお反抗的な輩には、その反骨精神を買って特に目をかけ、針の穴ほどの失敗でも完膚なきまでに潰してきたのは言うまでもない。ウェールズへ出張している期間にしても、包括的な指示を残しておくに留め、代行の指揮権を教師の一人に委ねようとは、考慮の価値すらないと捨て置いている。

「それと、じゃ。これ以上、当学園の自治を乱す真似は止めてもらおう」

 最後の決め手が、魔法界の二大国家のうちの一国の支援と、二十年以上に渡り築き上げてきた『日本政府の上部組織』との繋がりだ。

 これだけ盤石な地位を確立していると言うのに、たかが日本の警察風情が己に触れようと考える自体がおこがましい。ここまでの信頼関係を維持するために、例え魔法絡みの事件でも魔法の絡まない事件でも、どれ程の凶悪事件であろうと麻帆良内で起きたのであれば、麻帆良の魔法使いで内々に処理し、問題なしと虚偽の報告で誤魔化してきているのだ。
 それを今さら、全てひっくり返されてたまるものか。事態が落ち着き次第、埼玉県警察にも圧力をかけねばなるまい。

 勝利者の余裕で耳障りな笑いを上げる近右衛門に、おぞましいものから目を背けるように二人の視線は、意図してか無意識にか、ドアの横で成り行きを見守っていた千草に向けられた。

「それとも『心霊班』の方で、何か言いたい事でもあるのかな?」

 二人の視線の先に立つ女に、近右衛門は滲み出る侮蔑を隠しもせずに問いを投げた。色のない双眸を分厚い眉毛に隠し、そこに浮かぶ感情は見せない。

 他組織内で暗喩されている単語を口にする相変わらずの近右衛門の非常識さに、千草はわずかに不快感を表に出しつつも、一言も発さずにいた。
 発する必要もない。
 男二人は軽く目配せを交わすと、近右衛門に向き直った。

「言いたい事はそれだけですか。じゃあ、行きましょう。さ、立って」

 同行拒否を否定されるとは、近右衛門には想定外だった。

「儂の話を聞いとらんかったのか? 儂はここを離れるわけにはいかんのじゃ」

 本人としては愛嬌のあるつもりの、他人からすれば胸に不快感の込み上げる笑い声を崩さず、近右衛門は子供に言い聞かせるように理由の説明を繰り返した。しかし内心では、今回の件の背後にいる陰陽師達に、警察をここまで強気にさせる影響力があるのかと、改めて警戒を強めている。

「逮捕されたのはあなたの部下で、この職場で、職務中での事じゃないですか。警察に協力するのが嫌なら、始めから警察に関わられるような事をしないよう、管理と指導をしていれば良かった話でしょう」

 使用責任者としての責任感すらないのか。
 暗に問われた一般常識を、知識としてしか備えていない近右衛門では、それが質問だと受け取る発想にすら至らなかった。

 代わりに、男の物言いに理不尽とも屁理屈とも不条理とも横暴とも取れる不満を感じ、分厚い眉毛を吊り上げ、目を見開くのだった。

     ◇◆◇

 民法の中に『使用者責任』というものがある。
 雇用者――雇われる側――が就業時間中に第三者に損害を与えた場合、雇用主――雇う側――がその被害者に対し賠償を行う義務を負う、と定めた内容だ。

 そして雇用者が行った違法行為は、自業主も同じ責を負うと言う『両罰規定』もある。雇用者を罰したから、事業主が罪を問われることはない、では済まされないのだ。そのようなトカゲの尻尾切りを、日本の法律は認めていない。

 それゆえ、雇用者が犯罪を起こした際には速やかに世間に対し謝罪を入れるし、警察の捜査にも協力するものだ。

 まっとうな組織の代表であれば、おそらく共通して持ち合わせているだろう『使用者責任』や『両罰規定』、それらに関わる社会への謝罪、警察への協力等の思考は、任意同行に応じた明石を愚行と断じたほどに、近右衛門には理解できない異質の概念だった。

「さあ、立って」
「だからさっきから何度も言っておるじゃろう。儂はここから動く訳にはいかんと」

 何度か繰り返されている押し問答に、近右衛門がこの場をどのようにして切り抜けるのか、千草は内面で燃え盛る復讐心と憎悪を押し殺し、努めて冷静な目で観察を続けていた。

「ま、今さら何をどうこうしようと、逃げ道はないけどな」

 胸中で呟き、近右衛門の往生際の悪さに小さく舌打ちする。
 一番賢い選択は、既に近右衛門自らが閉ざしてしまったが、素直に同行に応じ、調書を取るのに協力する事だった。警察がどの件をどれだけ把握しているか確認するためにも、同行に応じるのは悪手どころか、情報収集の手段として推奨する一手でもある。

 ましてや、埼玉県警は子供の使いではないのだ。これだけの人数で押しかけておきながら、協力を拒否されましたと手ぶらで帰るはずがない。とうに何らかの逮捕状を手配済みで、学園長の肩書きを配慮して任意同行を求める体裁を繕っている可能性は高い。例え逮捕状が未発行でも、公務執行妨害で現行犯逮捕する機会を、近右衛門の言動から狙っているとも考えられる。

「ああ。足腰が弱っていて、一人では立てないのですか。失礼」
「余計な手出しはせんでもらおう。儂の足腰は十分に丈夫じゃ」

 差し出された警察官の手に触れぬよう払い除け、近右衛門はクッションが効いて座り心地の良い学園長の椅子に、矮躯な半身を沈ませてかわした。

「じゃあ、さっさと立ちなさい。警察に協力したくないと駄々をこねればこねる程、立場が悪くなるだけですよ」
「何遍言わせるつもりじゃ。儂にはここでやらねばならん仕事がある。警察には付き合えん」

 口調に僅かな苛立ちを滲ませながら、近右衛門は警察への協力を拒否する姿勢を崩さなかった。

 近右衛門が警察への協力を頑なに拒絶するだろうとは、千草達『警察庁長官官房総務課特別資料室係』や、勇人や霧香の『警視庁特殊資料整理室』他、今回の計画の関係者の間では想定されていた反応だ。捜査の協力を拒否することで、警察からの心象が悪くなるとの想像や、かえって疑惑を深めるだろうの判断ができない人格なのは、他者からの評価を何一つ想定していない服装や言動から十分に窺い知れる。

「そんなに警察が怖いんかいな」

 何度目かの疑問を、千草は舌の上で転がした。
 任意同行と一言でまとめても、参考人から調書を取るだけのものから、令状を取れるほどには容疑の固まっていない被疑者候補の取り調べまでと、その単語が意味する幅は広い。埼玉県警がどの程度のものを近右衛門に見ているのか、予測はあっても実際のところは不明だ。

「それとも、二人はそんな不穏当な考えでもしているんか?」

 そんなはずあるまいと、近右衛門と対峙する埼玉県警の二人の背を見遣る。

 近右衛門が<読心>を用い、この場の全員の思考を把握しているだろうとは、魔力なり魔法なりを知覚できる程に熟達していない千草でも、十分に予想できた。その予想を元にすれば、不評を買ってでも同行に警戒しなくてはならない思考を、警察官達が持っているとの憶測が浮かんでしまう。

 しかしまさか近右衛門が、警察と陰陽師が裏で手を組んでいると勝手に確定し、その裏付けの確認や動向の調査を不要と断じている、とまでは想像の埒外だ。

「<読心>で得られる情報なんて、たかが知れていようになぁ……」

 その<読心>とて、相手がいてこそ使い道のある魔法だ。自身は学園長の席からほとんど動かず、接客態度すら非常識な近右衛門に、好き好んで訪問する物好きはそう多くあるまい。来客があるにしても、近右衛門の欲する情報を一から十まで持ち揃えているなど、どれだけの幸運が必要なのだろうか。

 だからこそ、何らかの手段で情報を集める必要がある……のだが、近右衛門を始めとした麻帆良に引き籠る『立派な魔法使いマギステル・マギ』らに、その方面への理解は著しく低い。そうでもなければ、表と裏の意味で文字通りの『子供のお使い』にネギを特使に任命する前に、『宗教法人関西呪術協会』を取り巻く情勢は察していただろう。

 実情としては、かろうじて明石のみが情報の重要性を理解し、職業柄滅多に麻帆良の外に出られない枷をはめられつつも、外部と連絡を取り、調査を行っていた程度だ。

 つらつらと考察を続ける千草の眼前で、硬直していた状況に変化が見えた。

「いい加減にせんかい。散々言っとるじゃろう、警察に協力するほど暇ではないし、お主らと押し問答しとる時間もないんじゃ」

 つい先ほどの苛立ちを顎ヒゲの奥にうまく隠し、前に進まない問答には疲れたとばかりに、近右衛門は無礼にもこれ見よがしの長い溜め息を吐いた。

 だったら、警察が関わるような真似をしなければ良かったでしょう。
 この席だけで何度も告げられた言葉は、今回は警察官達の口からは出なかった。

「そうですか。それは残念です」

 代わりに放たれたのは、これ以上の押し問答を打ち切る発言だった。

「うむ。まったくじゃ」

 彼らの態度の急変を訝しみすらせず、鷹揚に頷き返す近右衛門に、千草は眼鏡の奥で柳眉を寄せた。このままでは埒が明かないと二人が判断したのか、魔法で思考を操作されたのか、目の前の出来事にも関わらず判断を付けられない。

 前者ならともかく後者の場合、警察の捜査への協力を拒絶したばかりか、魔法で妨害すらしてきたと、『上』――『日本政府の上部組織』への窓口――に報告しなくてはなるまい。そのためのオブザーバー役であり、それが今回の『長官官房総務課特別資料整理室係』の仕事の一部でもある。

「それでは失礼します」

 見極めに懸命な千草をよそに、二人は軽く会釈すると踵を返した。

「よろしいのですか?」

 喉元まで出かかった言葉を飲み込み、二人が廊下へと出るのを見送るしか千草にできる術はない。

「お主は出ていかんのか?」

 問うてくる近右衛門の口調には明らかな侮蔑が含まれ、元からささくれ立っている千草の神経を逆撫でしてくる。

 他組織の人間と知りつつも、近右衛門の非常識ぶりが腹に据えかねた千草が、社会一般的な礼儀を説いてやろうかと口を半ばまで開きかけたところで、半分開いたままだった入口から、新手の男が二人押し入るような荒々しい態度で入室した。

「今度は何事じゃ、一体」

 今度こそ不快感を隠そうともせずに睨みつける近右衛門に、片方の男が数枚綴りの書類をかざした。

「近衛近右衛門。独占禁止法違反の容疑で逮捕します」

 逮捕。
 この一言を理性が受け入れるのを拒絶したのか、近右衛門はフォッと奇妙な声を上げて硬直した。

 入ってきたのは埼玉県警刑事課捜査第二課。贈収賄や背任、不正取引を担当する部署だ。

「なんや。えらいあっさり逮捕状下りたんやな」

 言葉の出ない近右衛門とは異なり、意外にも早い逮捕状の発行に千草は半ば以上感心した。

     ◇◆◆◇

 近右衛門が口を開けて呆けていたのは、ほんの数秒のことだった。

「何の話かな、一体」

 さすがにいつもの耳障りな哄笑を上げる気にはならないのか、差し出された逮捕状に一瞥を向けただけで中身を確認しようとせず、近右衛門は憮然とした口調で二人を色のない虹彩で睨みつけた。

『麻帆良大橋電気設備のメンテナンス、並びに橋梁の定期点検における談合の容疑』

 それが今回の逮捕の理由だ。
 片側二車線の往復四車線と歩行者専用道を備え、麻帆良学園都市内外を結ぶ全長一キロメートル近いゴシック風の吊り橋『麻帆良大橋』は、『学校法人麻帆良学園』の所有物……ではない。

 当然と言えば当然の話だろう。
 橋の長さにしても車線の多さにしても、そして麻帆良学園都市の中と外を結ぶ交通の要所の一つという観点からしても、公共の用のために建設されたものだ。図書館島のように四方を川で囲まれているのならばともかく、麻帆良学園が関係者――職員や生徒に始まり、出入りの業者までを含む――のために、学園名義で占用申請を出し、建設した橋梁のはずがあるまい。

 故にその所有権は、水量にしては不自然にも『普通河川』として登録している麻帆良市にある。

 行政側に所有権がある場合、その維持管理に関わる点検や必要に応じた修理の依頼は公示され、専門の業者間での競争入札を経て発注される。その入札に必要な資格は、言うまでもなく、必要な資格と経験を持つ専門家を擁し、業務を円滑に進めるための機材を備え、契約途中で倒産や解散にならないと信用させるだけの健全な財務状況と、そして何より、『業』としての登記だ。

 しかし麻帆良学園の登記は、当然ながら『学校法人』だ。建設業でも電気工事業でもない。

 橋梁や建物の点検・補修を主業務とした建設業に、校舎など建築物の電気設備の整備を行う電気工事業、麻帆良学園敷地内だけでなく敷地外の寮や近辺の商店・一般家庭への電気供給を行う特定電気業。これらの業を登記しているのは、『学校法人麻帆良学園』が出資して立ち上げた各企業だ。

「それなら問題ないじゃろう。なぜ儂が逮捕されねばならん」

 とつとつと逮捕状に添付された資料を読み上げる警察官に、近右衛門は不愉快な気配を滲ませた。

 学校法人が収益事業として企業を立ち上げるのは、『私立学校法』にて認められている。投機的な事業や風俗関連が禁じられているなどの制限はあるものの、税制面での優遇制度もある。

 この制度を利用している学校法人は国内全体の二割程度とは言え、麻帆良学園の規模ともなれば、学生らの入る寮を管理する不動産業や、飲食のための給食事業等、彼らの落とす金銭を目的に起業しても採算の取れる公算は大きい。その成果の一つが、麻帆良学園都市内で販売される微妙な味付けの奇怪な名称の清涼飲料水の製造販売業である。

 近右衛門の抗議に、警察官は書類から視線を上げ、すぐにまた再開した。

「……本気で言っとるんかいな」

 本気なのだろうなと、とうに理解してはいても、改めて近右衛門の一般社会における常識の欠落に、喉元に込み上げてくる嘔吐にも似た不快感を千草は飲み下し、同伴こそすれ直接会話を交わす立場でない事を内心感謝した。

 麻帆良学園が出資した企業であっても、経営責任はその企業の役員達にある。本来であれば、彼らが違法行為を繰り返していたとしても、学園長の近右衛門は逮捕の対象にはならない。経営方針に近右衛門がやかましく口を挟んでいたとしても、それは各企業の内輪の話であって、警察の出る幕ではないのだ。

「常識の持ち合わせがないとのは知っとったけど、ここまで酷いとは思わんかったで」

 それでも近右衛門に対して逮捕状が降りた理由。
 それはひとえに、麻帆良学園出資の企業を優遇するよう、近右衛門自らが学園長と言う肩書きを前面に押し出し、市役所の担当に圧力をかけているからだ。更には、麻帆良市内への同業他社の参入・起業の申請にも口出ししており、都合の悪い企業の締め出しも行っている。

「いかな『日本政府の上部組織』でもな、麻帆良学園の敷地内だけならともかく、敷地外の市政にまで関与されちゃあ、それなりの対応を取るのは当然の話やろ」

 千草とて直接説明された訳ではなく、『上』のこれまでの態度からの推測だ。しかもこの推測は、警察庁内部にいるからこそ見えてくるものではなく、一般的な社会常識と現状を把握する認識力があれば、十分に導き出せる類のものだ。

 しかし近右衛門にその理解はない。年齢によるものか、元から欠落している良識や常識のためか、賞賛しかない部下を配置した弊害か。

『麻帆良学園都市』とは、麻帆良市にある学術都市の名称であって、麻帆良学園が都市機能を持っている、という話ではないのだ。市内には公立の小中高校が存在し、学生以外の住人がいて、麻帆良学園とは無関係の仕事や生活をしている。

 そんな当たり前の認識が、近右衛門には備わっていなかった。住人の全てが麻帆良学園の関係者な訳ではないのだ。学園内の自治を好き勝手するのは近右衛門の自由だが、市政まで好き放題に口出しできる権利はない。

「やっちゃあいかんところまでやってもうたんや。そのツケを払わされるだけや」

 ざまあみさらせと、内心で近右衛門を嘲笑いつつも、呟く声には千草自身驚くほどに感情が宿っていなかった。

 その声が聞こえた訳ではなかろう。予想外の展開から立ち直った近右衛門は、ちらと彼女に一瞥を向けてから、長い両手の指を絡ませ、椅子に背中を預けた。

「ふむ……。どうやら逮捕状は本物のようじゃのう」
「では同行を……」
「しかし、従う訳にはいかんな」

 そして今度こそ近右衛門は、千草に視線を固定した。

「こと、違法行為をしている警察官が同行していては、の」

 近右衛門の言葉の意味が理解できず、二人は一瞬呆けた顔になると、背後の千草へ振り向いた。

「どういう意味でしょうか?」

 理解できないのは千草も同じだ。埼玉県警の二人から説明を求める目配せを向けられた手前、決め込んでいた傍観者の立場を一時棚上げし、嫌々ながら近右衛門に尋ねる。

「決まっておる。お主、埼玉県警とは管轄が違うじゃろ。管轄外の捜査に同行している時点で違法行為……ゆえに、この逮捕は無効じゃ」

 しかし戻ってきた回答は、予測してしかるべく、近右衛門の常識が社会一般的のそれから大きくかい離していると証明するだけの、本人にしか理解し得ない頓珍漢なものだった。

「……私の独断で参加しているのではありません。上司の指示と許可を受けています」

 より正確には、『埼玉県公安委員会』から正式な要請を受け、魔法やその他神秘関係の専門部署『警察庁長官官房総務課特別資料室係』の一員として派遣されている。『警察法』並びに『犯罪捜査共助規則』においても、要請を受けた際には管轄を越えて捜査員の派遣を認めており、近右衛門が言いがかりをつけているような違法性はない。

「それだけではないぞ?」

 納得していないのは明らかで、絡ませていた指を解いた近右衛門は、千草のスーツの腰に固定された拳銃のホルスターを差し示した。

「警察職員は拳銃を所持できん。『国際テロリズム対策課』ですら所持しとらんのだから、当然じゃろう。なのに、お主は拳銃を所持しておる。違法行為じゃ」

 これもまた、近右衛門の頭の中にのみ存在する『常識』と、それを『論理的な方法』で証明する手段だった。

 論理的思考の教育を受けていれば、違法行為を証明しようとする際、根拠として具体的な法律名を出し、抵触する部分を指摘するものだ。それがなぜ、ここで『国際テロリズム対策課』が出てくるのか、そしてそこの職員が拳銃を所持していないのが現状とどう関係するのか、それは本人にしか分からない永遠の謎だ。

 近右衛門に論理性を期待できないのは脇に置いておくとしても、警察に勤める人員が大別して二つ――『警察』と『警察事務・・職員』――あるのを知らないと、断定するには事足りた。

「私は警察官ですから、拳銃は携行できます」

 警察事務職員と誤解したのか、悪意で違法行為だと難癖をつけているのか、それとも素で物を知らないだけなのか、近右衛門の一般常識からの逸脱ぶりを知ると判断に窮する。

 勤務時の警察官は、制服の着用が義務であるのと同様に『警察官等けん銃使用及び取扱い規範』にて、拳銃の携行を義務付けられている。義務を免除されるのは、屋内勤務や会議なり事務打ち合わせに出席する時等、付随する幾つかの項目に該当する状況にある場合のみだ。

「警察官の義務を、違法行為や言うて否定してくるとは……予想外にも程があるで」

 正気を疑うわとの言葉を飲み込み、近右衛門に聞こえないようひっそり愚痴を零しながら、どこかの刑事ドラマで『拳銃携帯命令』と言う設定のあった話を、千草は思い出していた。銃を持った凶悪犯を追跡するため、部下の刑事達に上司が発令したのだったか。

 近右衛門がその番組を視聴していたのかどうかは定かでないが、類似の制度が実在すると信じている可能性を思い、うんざりした気持ちになる。

 それでいて、魔法先生・生徒らが銃器類刀剣類を所持するのは『立派な魔法使いマギステル・マギ』の活動として正当である、と本気で考え恥じ入らなそうなだけに、同じ言語を使っていても会話の通じない相手だと、胸に沸き立つもやもやした感覚と共に再認識する。

 言葉少なな千草の反論を、近右衛門は詭弁か言い逃れの類と判断したらしい。

「そういう訳じゃ。お引き取り願おう」

 再び指を組み、いつもの不快感を煽る哄笑を響かせる被疑者に、千草に怪訝な目を向けていた警察官二人も、本人から釈明を聞くまでもないと判断したのか、本来の任務に戻る事にした。

「抗議は弁護士を通じて言え。逮捕状が本物なのは確認したのだから、おとなしく同行するんだ」

 高笑いから一転、フォッと間抜けな声を再び上げてから、近右衛門は険のある目を隠しもせずに二人に向けた。

「聞こえなかったようじゃな。違法行為をしとる警察官がおるんじゃ。逮捕状が本物だろうと、この逮捕は無効じゃ。帰るが良い」
「無効だと言うなら、弁護士を通じて抗告すれば良い。こっちは手続きを踏んでいるだけだ。さ、立て」

 警察の違法行為を指摘し、納得させられれば逮捕を免れられると、本気で信じている相手を、二人はまともに取り合おうとしなかった。今もなお学園長の椅子に深く腰掛け、立ち上がろうとしない近右衛門を引き立たせるべく、手を伸ばす。

「触らんでもらおう」

 二人の手を払い除けた近右衛門は、蜘蛛の脚を思わせる長く骨ばった指で千草を指差した。

「彼女が警察官。それは良かろう。しかし司法警察員ではない。司法警察員でないのなら、従来の職務が何であろうと、拳銃を所持しとるのは違法じゃ。その違法警察官が同行しておるんじゃ、この逮捕が違法なのは当然じゃろ」

 舌の根が乾かぬうちに、とはこの事だろう。
 警察職員の拳銃携行は違法だとのでまかせを、警察官は携行が義務だと叩き返されたのが今し方の話だ。それを今度は、同じ警察官――一般司法警察職員――でも携行できるのは『司法警察員』であり、『司法巡査・・』では違法だと言い替える。

「……無知なんやない。違うと知っとって、違法や違法や喚いているんや」

 呼吸するようにでたらめを並べ立て、違法と喚いては逮捕を回避しようとする近右衛門の態度から、千草はこれまでの無知の善意を撤回し、有識の悪意を確信した。

 警察関係者か関心を持って調べるのでもない限り、警察官を『司法警察員』と『司法巡査』とに分けるのは一般的な知識にはないだろう。そしてこの二つに違いがあると知っていれば、司法巡査に与えられている権限が、『刑事訴訟法』により捜査権や逮捕状の請求に制限がかけられているだけで、拳銃の所持義務に制限がないのも知っているはず。拳銃の所持義務に関してのみ知らないなど、そんな都合の良い話は考え辛い。

「それよりも……や」

 まともに成立していない会話であるにも関わらず、気を緩めれば近右衛門のでたらめに納得させられそうな自身の心の有り様に、千草は筆舌に尽くし難いおぞましさを感じていた。

「まっとうな理屈が一つもないと言うのに……魔法とは本当に厄介やな」

 会話の内容だけを見るなら、錯乱した老人の戯言でしかない。それがこうも納得させられかけるのは、近右衛門が言葉の端々に思考操作の魔法を仕込んでいるからだろう。なればこそ、でたらめを喚き散らして時間を稼いでいるのも納得できる。

「おとなしく逮捕されるのが身のためやで?」

 声は聞こえなくても思考は読んでいるだろうとの確信の元、千草は呟き程度の小声で近右衛門に警告を発した。

 魔法の漏洩とは無関係な事件で、魔法使いでない警察官相手に、記憶操作の魔法を行使して逃れる。あるいは、魔法とは関係ない事件を隠すために魔法を行使し、魔法の隠匿を方便に事件そのものをなかった事にする。

 麻帆良の魔法使いのみならず、陰陽師や他の神秘の使い手達も頻繁に用いるこの手段が、いつまでも肯定されると思い込んでいるのは、そういった能力を有さない一般人よりも上位の存在であると信じてやまない当の本人達だけだ。

「認識阻害のような武力に因らない魔法なら、何も知らない一般人でも乗り越えられるんや。本気で魔法を秘匿したければ、日陰もんらしくお天道さん避けて、陰でこそこそしときゃええ」

 予想通り、近右衛門は思考を読んでいるのだろう。聞こえるはずのない小声に反応し、分厚い眉毛で隠された眼窩が、危険な光を帯びて向けられているのを千草は感じた。

<認識阻害の大結界>程度なら、魔法の『ま』の字も知らない一般人からなる警察官隊でも、指揮の仕方一つで突破できるのは、先日の強制捜査の折に証明されている。現在進行形で近右衛門に逮捕状を突き付けているのも、魔法の存在すら知らない一般人の刑事だ。

「その上でなら、ある程度の範囲で協力だってしてやる・・・・。けどな? 魔法使いの都合で一般人を巻き込むこと、どんなご大層な理由であれ一般人の自由・生命・財産・安全を脅かすこと、魔法の絡まない事故事件を揉み消すため、無理矢理魔法を絡ませることは許されん。そういうことや」

 一連の流れから千草が読み解いたこの結論こそが、『日本政府の上部組織』が魔法使いや陰陽師らに宛てたメッセージなのだろう。麻帆良を潰したい『資料室』や『死霊係』の末端の思惑と異なり、麻帆良に大ダメージを与えても存続させる方向で、大まかな着地点も定めている様子も伺える。
 ……近右衛門のささやかな王国の崩壊と、近右衛門の首を対価として。

「後はあんた次第や。……業腹やけどな」

 叶うなら、近右衛門の目の前で麻帆良を文字通りの瓦礫の山に変え、近右衛門の絶望で歪む顔を見て溜飲を下しながら、物理的に首を刎ねてやるのが千草の願いだ。それでも、次善三善の結果で妥協できる程度には、憎悪を克服している……つもりだ。

「責任者なら責任者らしく、責任を取りいや」

 ただしその『責任』のありようが、世間一般と隔絶している近右衛門では理解できるのかどうか怪しい。いや、確実に理解できていまい。

「だから、今はおとなしく……」

 逮捕されておけ、と千草が言い切るよりも先に、確信以上に確信できる予想を裏付けるように、近右衛門の放つ気配の質が変化した。無論、見た目で分かる変化ではないし、気配などと言う曖昧模糊としたものが目に見える訳でもない。

 ただ、どことなく近右衛門の居住まいが変わったと感じたのと同時、一層強固に湧き上がる脅迫めいた思考に、近右衛門が思考操作の魔法を強化したのだと把握する。今回の逮捕劇は違法行為の連続であり無効だ。改めて逮捕状を取り直す必要があるので、今は手ぶらで帰るしかないとの思考が、罪悪感と共に胸を締め付ける。

「……そこまで腐っとったか!」

 目の当たりにした近右衛門の責任の取り方と言うものを、千草は小さく唾棄した。

 霧香や和泉には及ばないものの、千草とて多少の陰陽術の心得はある。それゆえに、思考に押し入る自分以外の思考の存在を感じ、正常な思考を捻じ曲げようとする異質な思考に抗う。

 しかし、そのような訓練を受けていない者もいる。

「……えっと……これって、やっぱりまずい……か?」
「でも手続きなら……」

 おそらく十年以上この仕事で食っているだろう刑事達が、自分達の取った手続きに疑問を覚え、互いに顔を見合わせていた。

「……けどな」

 近右衛門が押し付けてくる思考に吐き気を催しながらも、千草はほくそ笑んだ。

 逮捕状が正式な手続きを経て発行されたのは、近右衛門も確認した通りだ。それでもなお警察官の指示に従わず、身柄を拘束されずにいようものなら、近右衛門が日本の公権力に抵抗した証拠の一つにできる。

「それは悪手や」

 確かに日本の法律では、近右衛門のこの行動を理由に、公務執行妨害の現行犯で逮捕する事は出来ない。しかし『日本政府の上部組織』が、近右衛門への評価を定める一助としては十分だろう。

 霧香辺りであれば、我が身可愛さと麻帆良の魔法使いに作れるコネを計算し、もっと穏便に解決できる交渉を持ちかけたかもしれない。

 しかしこの場にいるのは、全ての神秘の使い手全般に否定的な、しかも内心では逆恨みと理解しつつも、西洋魔法使いへの憎悪を抱える千草だ。近右衛門とその王国が崩壊する様が見られるなら、今日ここで果てても本望とする人間が、そのような妥協案を持つはずがない。

「そしてこれで王手や」

 千草の呟きに応じるかのように、開け放たれたままのドアから、一陣の風が室内に吹き込んできた。
 青みがかった色が付いているような錯覚を抱かせる風は、不自然な軌道を描いて千草と刑事二人を包み、次いで近右衛門をも包んだ。

「フォッ!?」

 近右衛門が奇妙な驚愕の声を上げるのと、マルファン症候群では時折見られる常人より遥かに長い耳たぶ、その左右に嵌った金環が二つに割れ、乾いた音を立てて床に落ちたのとは、どちらが先だったか。青い風に包まれるや、綺麗に払拭された罪悪感に戸惑っていた千草達には、判断する機会はなかった。

「……ああ。いや、問題ない。手続きに間違いはない」

 なぜあのような疑問や罪悪感を持ってしまったのかに首を傾げながらも、刑事達は自分に言い聞かせるように再起動し、呆けてしまったような近右衛門の両腕を今度こそ掴んだ。

「さあ、しっかり立って」

 それでも自分の足で立つのは嫌だとばかり、なおも椅子にしがみつくようにして同行の拒絶を続ける近右衛門だったが、刑事二人に両腕を取られては抵抗も虚しく立たされてしまう。持ち前の体術で二人を薙ぎ払わなかったのはいかなる矜持によるものか、千草には見当もつかない。

 学園長としての立場を慮り、手錠こそかけられないものの、刑事二名に両腕を取られ、半ば引きずられるようにして連行される近右衛門は、千草の前に来ると両足で踏ん張り、無理矢理に刑事二人の足を止めさせた。

「何か?」

 無表情に見下ろす千草と、深い眉毛の下から睨み上げる近右衛門は、対照的だった。

「これで満足したかの?」
「……何のことです?」

 近右衛門の質問が意味するところを知りつつ、千草はとぼけて首を傾げた。

 達成感や満足感など、あるはずがない。西洋魔法使いのたかだか一組織のトップを逮捕できた程度で、幾ばくか軽減されるような軽い復讐心は持っていない。

 むしろ今回の逮捕劇は、日本の警察に対する魔法使い達の敵愾心だけを煽り立てる結果にしかならないだろう。そこから発生する彼らの暴走が、更なる信用と地位の失墜に繋がるよう期待している位だ。

 魔法の発動体らしい金環を失った近右衛門が、読心の魔法を維持しているのかどうか千草には知りようがない。

「さあ」

 なおも睨み続ける背を半ば強引に押されながら、近右衛門は連行されていった。

 近右衛門と連行した刑事達のいなくなった家具園長室を、千草は険のある目で一瞥してから、自身もドアへと向かった。

「ケケケ。まいどありー」

 若い男の声が耳元で聞こえた気がするが、敢えて気が付かないふりをして。






◎参考資料◎
赤松健作品総合研究所『「魔法先生ネギま!」の裏情報(設定)』
奥津伸『法人企業の処罰』衆議院法制局、法制執務コラム集
教えて!goo『これって任意同行ですか?』2008年10月19日
教えて!goo『任意同行を拒否したら?』2005年7月11日
教えて!goo『犯人の逮捕・拘留について』2008年2月28日
川合晋太郎『刑事告発された談合・カルテル事件』2005年5月24日
神奈川県ホームページ『警察事務職員』2011年3月1日
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Wikia『拳銃携帯命令』



[32494] 最終話 腐敗都市
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:b2a0b825
Date: 2019/12/31 16:31
『警察庁長官官房総務課特別資料室係』の応接室で、天ヶ崎千草は珍しい人物の訪問を受けていた。

 歳の頃は十前後、尻にまでかかる長い金髪に白磁のような肌と蒼い瞳。薄いピンクを基調としたフリルの多いゴシック風ドレスと、これで世を斜に構えたような目つきでなければ、等身大の西洋人形と言っても良かっただろう。

 真祖の吸血鬼、『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ。
 千草からすれば本心から会いたくない、叶うならば一目散に逃げ出したい相手だ。『登校地獄(インフェルヌス・スコラステイクス)』から解放され、本来の力を取り戻した彼女と相対するのは荷が重すぎる。

「……それで、今日はどんな用件で? できればアポを取ってからにしてほしかったのですが?」

 なるべく平素を装う千草に、エヴァンジェリンは小気味良さそうにくっくっくと喉の奥で笑みを漏らした。

「何もそう邪険にすることもあるまい? 何回アポを取ろうと連絡しても、多忙だと言って応じなかったのは貴様の方だろう」
「実際、忙しいのですが?」

 会いたくないために居留守を使いはしたものの、多忙なのは本当の事だ。
 武蔵麻帆良にあるカトリック教会の下に発見された地下三十五階に及ぶ巨大な建造物に、市の下水道計画図にない無数の通路――『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』達は遺跡と呼んでいたが――に、世界樹の下に封印されていた鬼神達と、情報の精査なしには表沙汰にできない事案が幾つも発見されているのだ。それらの処理に追われている毎日だ。

「私の知ったことではない」

 エヴァンジェリンはにべもなく切り捨てた。

「これはどういうことだ」

 バン、と音が鳴らして勢い良くテーブルに叩きつけられた紙切れは、良く見れば新聞の切り抜きだった。

『女子中学生、保護される。
 埼玉県警は、新興宗教団体『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』に軟禁されていた少女を保護したことを明らかにした。保護されたのは、麻帆良学園にある中等部の一つに在学する少女。『立派な魔法使い』らは、少女を齢六百年の吸血鬼だとして、麻帆良市内に身柄を拘束した上で、警備員として深夜に活動させる他、逃走防止に遠足や修学旅行含め、学業や私用での市外への外出を妨害していたと見られている。県警によると、『立派な魔法使い』の言う吸血鬼は十五年前に討伐済であり、少女との関係性は、身元と共に現在確認中とのこと。誘拐と十年以上に渡る監禁の罪、および十五年前の討伐という名目の殺人につき、『立派な魔法使い』による組織的犯罪の可能性を視野に入れているとのこと』

 大きいと言えない記事は、麻帆良学園の児童虐待と、殺人すら辞さない犯罪組織であるとの実情を語る内容だった。

 一通り記事に目を通した千草は、不機嫌さを隠そうとしないエヴァンジェリンの顔を恐る恐る見つめた。

「……これが何か?」
「何か、じゃない」

 エヴァンジェリンは少し声を荒げるが、先日の面談で見せたほどの切羽詰まった様子ではない。封印を解いて元の力を取り戻したことで、精神的な余裕でもできたのだろうと、千草は推し量った。

「記事に対する苦情でしたら、新聞社の方へ掛け合って下さい」

 千草の認識している範囲では、記事に誤りは見られない。

「ここにある六百歳の吸血鬼とは、私のことじゃないか。私の生存を堂々と新聞に載せて、『立派な魔法使い』共がどういう行動に出るのか、予想もできないバカなのか、お前達は?」

 エヴァンジェリンの指摘で、千草はようやく意図を察した。

「ああ。吸血鬼に祀り上げられた少女を、カルト教団が正義の名の元に殺害しにやって来る。その心配ですか」

 平然とした態度を何とか取り繕う千草に、エヴァンジェリンは毒気を抜かれたようだった。

「……いや、私が本物の吸血鬼なの、知っているだろ」
「ええ。勿論」

 そんな正体は知りません、と千草は否定しなかった。

「これは先日の面談で説明しましたが、エヴァンジェリン・A・K・マグダウェルという名の真祖の吸血鬼は、『立派な魔法使い』の社会では十五年前に死亡が確認されています。討伐したとされる人物が、殺人容疑で逮捕されたと言う話は聞いていませんけれど」

 一般人の社会では、吸血鬼の存在を信じる者は多数いても、実在するとは考えられていない。殺害されたのは吸血鬼でなく、吸血鬼の汚名を被せられた人間と判断されるものだ。

 千草はテーブルに手を延ばすと、切り抜きを百八十度回転させ、エヴァンジェリンの方へと押しやった。

「つまりこの記事にある少女は、その討伐された六百歳の吸血鬼と同姓同名の別人……」
「詭弁は止めろ」

 一言の元に切り捨てられ、千草は押し黙った。前回に十分説明したはずなのにと、じわじわと胸中に滲み出てくる憤りを顔には出さない。

「では視点を少し変えましょう。嘘か本当か聞きかじった知識では、『立派な魔法使い』というのは、魔法使いのルールに反する行為を取ったら、例え処罰する法律のない日本で行ったとしても、どこかにある『本国』に移送されて刑を受けるのだとか?」

 エヴァンジェリンが肯定の意に頷くのを確認してから続ける。

「魔法使いの世界に、背信行為に対する罰則はありますか? 死亡したと虚偽の報告をして、その実、賞金を着服し、十五年間も自分の手元に匿い続けたという、魔法使いの社会全体に対する背信行為の」

 言わんとしていることを察し、エヴァンジェリンは憎々しげに歯軋りし、呪い殺さんばかりの視線で千草を睨みつけた。魔法使いを叩くためのダシに使われたと、誤解したらしい。

「それがこの記事の狙いか」

 思わず自分の死を確信した千草だった。顔から血の気が失せ、言葉を発するのに飲み込んだ唾が音を立てる。

「この私を……奴らを釣る餌にするつもりか?」
「誤解されては困ります。これはあなたのためなのですよ」

 声を震わせながらも反論されたのが意外だったのか、エヴァンジェリンの気勢が一瞬削がれ、その隙に千草は一気にまくし立てた。

「あなたの生存を認めれば、日本で立件されることがなくても、近衛は背信行為と詐欺で魔法使いの『本国』に送致でしょう。反対に、あなたが同姓同名の別人だと主張し続ければ……」

 一瞬の激高で思考を切り替えたのか、エヴァンジェリンが不承不承の体で後を続けた。

「ジジイが『本国』で刑に服することはなく、私も狙われる筋合いがなくなる。そういうことか」

 そして嘘で人生を築いてきた近右衛門ならば、ここで真実を語ることはないだろうと、千草は踏んでいる。万が一、億が一の可能性として、エヴァンジェリンが公権力に身柄の保護を求めた行為を裏切りと見なさず、本心から彼女の身を案じているのであれば、やはり同様に真実は語るまい。

 何より真実を語れば、千草の両親の死んだ戦争で名を上げた英唯ナギ・スプリングフィールドが共犯で、魔法使い社会に対し背信行為を行っていたと暴露することになる。

 そちらに転んでくれる方が千草的には嬉しいのだが、そのような本心は顔には出さない。

「ええ。どうせ『立派な魔法使い』の間では公式に死亡しているのです。麻帆良から離れられる今なら、西洋魔法使い達と完全に関係を断って、新しい人生を始める良い機会になるのでは?」

 提示された選択肢に、エヴァンジェリンは目を丸くした。魔法使いとの縁切りと新しい人生、どちらに反応したのかは不明だ。
 真祖の吸血鬼を野放しにするなど、千草からすれば正気を疑う沙汰という評価は変わっていない。察するに、上にいる『日本政府の上部組織』は、エヴァンジェリンの取り込みを狙っているのだろう。

 無論、封印を解いたのを恩に着せ、それで縛ろうとするものではない。中学・高校を卒業するまでの過程で、千草として大迷惑な仮定として、警察庁長官官房総務課特別資料係のような公務員を進路に選ぶようになれば良い。選ばなければそれでも良い。
 そういう緩やかな取り込みだ。

「……そうか……魔法使いに関わらない、新しい人生か……」

 考えたことはなかったのだろう。突然開かれた新しい可能性に気圧されたのか、エヴァンジェリンはそれきり黙りこくってしまった。

 魔法使い相手に立ち回ってきた六百年、そこから解放された感慨がどれ程か定命のものに想像できるはずもない。

 数分間たっぷり思考に沈んでいたエヴァンジェリンが顔を上げた時には、どこかすっきりしたような色合いがあった。

「ふん。お前が退職するまでの十数年、その与太話に付き合ってやる。有り難く思うんだな」
「……いえ。私に構わず、日本での自由を楽しんでください」

 真祖の吸血鬼に今後、下手をすれば生涯付きまとわれるのかもしれない恐怖に、反射的に本音を吐いてしまった千草を、エヴァンジェリンは楽しそうに目を細めて笑った。

「くくく。吸血鬼の恐ろしさを正しく理解して恐れるその顔、見ていて飽きそうにないな」

 千草にしてみれば、精神力がヤスリでごりごり削られる心境だ。エヴァンジェリンと会ったのは、麻帆良のコーヒーショップでの一回きりで、呪いの解除の時には立ち会っていない。そこまで興味を持たれるとは思ってもいなかった。

「しかしまあ、貴様、実は腑抜けだな」

 彼女の今後の身の振り方に関する話を予想していた千草としては、少々意外な言葉だった。

「復讐を志して、途中で諦めた口だろう?」

 半眼で睨みつけてくる真祖の吸血鬼への怯えを隠しながら、それが目的かと訪問の意図を理解する。同時に、説明したところで理解を得る事はできないだろう、とも。

「諦めた訳ではないですね」

 自分が復讐を求めていた身であることを、口にはせずに認める。そしてその認識が、自分の中では過去形で語られていることに、千草は内心苦笑した。

 近衛近右衛門が逮捕されたあの日のあの場所は、復讐を果たそうとするなら千載一遇の好機だった。おそらくは魔法の発動体を失っており、両腕を埼玉県警の刑事に取られ、あまつさえ自分の目の前で一度立ち止まってすらいる。あれ程の好機は、今後死ぬまで訪れる事はあるまい。

 それでも銃で撃ち殺さなかった理由。
 決して、自分の立場を危うんで躊躇った訳でも、正当な裁きを裁判所に求めた訳でもない。

「あのご老体には……目の前で自分の王国が崩壊していく様を見せつけてやるのが、一番効果的かと考えまして……」

 やはり理解は得られなかったのか、エヴァンジェリンはふん、と侮蔑を含んだような鼻息を一度漏らした。

「確かにそうかもしれんが、本当にそう上手く行くのか?」

 懐疑的なエヴァンジェリンに、千草はさあ、と小さく首を傾げた。
 現場の身の話として、近右衛門がおとなしく警察の捜査に協力していれば、現在の苦境にあっても抜け道は幾つもあったのだ。

「ここまで事態がもつれるなんて、上の上の方でも予想していなかったでしょうね」

 世間一般では誤解されがちだが、逮捕した被疑者百人中百人を裁判にかけようとする組織ではないのだ、警察は。罪状が軽微すぎる、被疑者が初犯で反省している等の場合、注意や勧告の不処分で終わる件が多い。

 仮に警察が証拠を揃え検察に書類送検したとしても、検察側が裁判で立件が難しそうだと判断すれば、不起訴という形で終わらせてしまう時もある。有罪判決率九十九・九パーセントという数字は伊達ではないのだ。

 そして最後の裁判所にしても、訴求された案件全てに判決を下せる訳ではない。今回の近右衛門や麻帆良学園、そして『立派な魔法使い』に関する件では、魔法使いらが宗主と崇める『本国』の存在が明らかになれば、高度な政治的判断を要する国家の行為は、司法判断に馴染まないとして、判決を出せないとして解決する手段もあり得る。

 無論の事、近衛近右衛門と麻帆良学園に対しどこまでやるか、決めるのは埼玉県警と検察だ。千草はあくまでオブザーバーであり、彼らの決定に影響する力は有さないし、発言もしていない。オブザーバーの役目すら、今は終わったと言える。

「……近衛学園長の思考が、あそこまで常軌を逸していた、とは」

 むしろ素直に警察に協力していれば、課税徴収や行政指導の対象にされることはあれ、逮捕劇にまで発展する結末にはならなかっただろう、が千草の読みだ。近右衛門は己の非常識から、身綺麗になる機会をドブに捨てたのだ。

『日本政府の上部組織』が今回の捜査……否、大停電の日に千草達を派遣したのは、麻帆良学園に関わる不祥事の数々を白日の下に晒すためではなく、近右衛門に自粛を求めるけん制だった。そう千草は見ている。

「たとえ不起訴で終わるとしても、西洋魔法使い達がこれまで通り、あの街で権勢を奮うことは二度とできないでしょう」
「そうだな。そこは同意だ」

 エヴァンジェリンは楽しげににやりと顔を歪めた。吊り上った唇の端から、長すぎる犬歯が覗く。

 連日のスキャンダル報道に、魔法のような非日常とは無縁の一般国民でも、麻帆良学園は終了したと評価するだろう。再建するにしても、まずはカルト教団『立派な魔法使い』の関係者である学園上層部を完全に取り除くのは大前提だ。

「ですから、復讐としても、この辺で満足して良いかな、と」

 近右衛門の逮捕を直に目にして以来、西洋魔法使いに対する憎悪は、千草の中で変に冷めてしまっていた。特に何もしないで目的が叶ってしまった感に、白けてしまったというのが正しいか。

 もし仮に『関西呪術協会』に残り、術者としての研さんを積んでいたら、このような妥協が自分にできただろうか。これはここ数日で抱くようになった疑問だ。冷めてしまった自身への自覚を得たきっかけでもある。

 ひょっとしたら、いや間違いなく、関西圏のどこかに封印されている『神』の一柱でも解放し、関東に攻め入っていた。魔法・符術・陰陽術・炎術・風術、何でも良い。この手の超常の能力に溺れた輩は、手にした力で、暴力で物事を解決しようとするのが相場なのだから。

 千草の返答に、エヴァンジェリンは面白くなさげに、しかし何かを期待するように目を細めた。

「そういう復讐の終え方もあるのか……」

 口の中で小さく転ばされた呟きは、千草の耳に届くことはなかった。
 しかしこの復讐の終え方が、エヴァンジェリンの心のどこかに触れたのは確かだ。
 その証拠に、この先ずっとエヴァンジェリンにまとわり付かれることになったのだから……。

     ◇◆◇

『地下の巨大シェルター。立派な魔法使いの反政府活動拠点か?

 学校法人麻帆良学園学園長兼立派な魔法使い(マギステル・マギ)日本本部本部長の近衛近右衛門の逮捕に伴い、同日の四月二十六日、埼玉県警による武蔵麻帆良にあるカトリック教会の地下に敷設された立派な魔法使い日本本部の強制捜査が行なわれた。それによると、同教会の地下には、三十階層を超える巨大構造物が建築されているのが確認できたとのこと。構造物自体広大なため、専門家による調査チームが編成される予定。立派な魔法使い関係者は、地下構造物の基礎は、二千六百年前に『始まりの魔法使い』が建造した遺跡であり、立派な魔法使いはその遺跡を再利用しているだけと発言している。
 始まりの魔法使いとは……』

 特集記事を途中まで読み終えると、男はふんと鼻息を一つつき、読んでいた雑誌をテーブルの上に置いて顔を上げた。

 対面の席に座るのは、警視庁特別資料室の室長橘霧香と倉橋くらはし和泉いずみの二人だ。

「君達旧世界の住人は、魔法の秘匿にもっと神経質だと思ったのだがね?」

 腰まで伸びた黒髪の黒人の美丈夫――デュナミス――のとがめるような物言いに、霧香は口に当てていたコーヒーカップを置き、雑誌の記事を一瞥した。麻帆良学園と『立派な魔法使い』に関する報道は連日続いている。

 近右衛門が逮捕されてから四日。二十九日の祝日を挟んだ四月最終日、霧香達三人と白髪の少年フェイトを含めた四人の姿は、関西国際空港のラウンジにあった。

「ええ、その通りです。まったくもって頭の痛い話です」

 そんな言葉とは裏腹に、霧香の口調にはこれっぽちの痛痒すら含まれていない。あまつさえ麻帆良の魔法使い達の陥った事態を楽しんでいるのか、口角が笑みの形に吊り上っている。

「ただしこの遺跡の話に限れば、専門家による年代測定の結果がまだ出ていないので何とも言えませんが……。バカも休み休み言えって話ですよね」

 霧香自身、立派な魔法使い側の話を微塵も信じていないと、暗に仄めかす内容だった。

 二千六百年前と言えば、日本は弥生時代、文字すら伝わっていない時代だ。西欧では古代ローマ帝国の時代であり、プラトンが人類史で初めて元素という単語を作り出した頃になる。そんな時代の遺跡だと言われて、素直に信じるのはカタカムナ文明のようなトンデモを信じる情報弱者かリテラシー欠如者だろう。

「で、万が一、彼らの主張の通りだったとしても、我々の秘匿の責任どうこう問われるのは筋違いの話です。私達側からすれば、こんな遺跡の存在なんて寝耳に水の話ですし。……あれが本当に遺跡なのかどうかはともかく」

 立派な魔法使い達の大元、二〇〇三年現在に所有者を気取っていた西洋魔法使いが持つべき責任だろう。

「それに私の所属は警視庁、つまり東京になります。埼玉県の出来事は管轄外ですから、駆けつけたくてもできません」

 むしろ巻き込まれずに済んで良かったと、改めてうっすらと笑みを浮かべる霧香だ。実際、麻帆良に関わるこれまでの問題とこれから山積みされる問題は、千草達『警察庁長官官房総務課特別資料室係』の範疇だ。当人達が泣き言を漏らしている暇もなく駆けずり回っている様を、涼しい顔で眺めていられる立場ですらある。

 何を考えているのか伺わせない不可思議な笑みをたたえる霧香を、デュナミスは胡散臭げにたっぷり十秒前後見つめてから、まあ良いと一言漏らしてコーヒーカップに再び口をつけた。

「これで『あの方』との接触するのも随分楽になる」

 そんな内心の言葉が、コーヒーと共に嚥下された。

 あの方――『完全なる世界(コスモ・エンテレケイア)』の首領にして、魔法界の先の大戦の英雄ナギ・スプリングフィールドの肉体を乗っ取り、麻帆良学園の地下に封印されている『造物主(ライフメーカー)』のことだ。
 麻帆良学園の魔法使いでも、近右衛門を含め片手で足りる程度しか知らない最高機密を、部外者の霧香達が知るはずもない。混乱の際にある麻帆良学園の現在の状況こそ、『造物主』を開放する絶好の機会だろう。

「とは言え、残念ながら時期尚早か」

 道具もなしに金庫を破ることができないように、デュナミスと言え準備なしに封印を解くのは無理な相談だ。
 これはデュナミスの準備不足が原因ではなく、日本の警察の本領を見誤っていたがためだ。こうも簡単に麻帆良学園の魔法使い達を無力化してしまうとは、予想していなかったのだ。

「関西呪術協会はともかく、神社庁と警察。これは予想外だった」

 極東の島国と侮っていれば、なかなかどうして、魔法界のどの国よりも治安が行き届き、政治も比較的記安定している国だ、がデュナミスの抱いた見解だ。

「それにしても、もう帰国ですか」

 途切れかけた会話を続けようと、霧香は話題を変えた。大型連休のシーズン中、観光せずに帰国するのは、仕事とはいえ勿体ない気がする。

 デュナミスはカップをソーサーの上に置くと、ゆっくりと背もたれに体重をかけた。

「元から日本の滞在が四月一杯の予定だったからな。……ああ、そうか。日本ではこれから連休なのか」

 遠回しに観光を勧めているのだと察し、自分の理解の遅さにデュナミスは苦笑した。

「残念だが飛行機の予約が、ね。まあまたすぐ、日本に来ることになるだろう。その時にでも、ゆっくり観光させてもらうよ」
「ええ。その時、今度は東京にも来てください」

 デュナミスの考えを知るはずもなく、霧香は快く再来日を歓迎した。
 そこから二人の会話は何気ない内容に変わり、出国手続きの時間が来ても、麻帆良の名前が出てくることはなかった。




◎参考資料◎
・赤松健作品総合研究所『「魔法先生ネギま!」の裏情報(設定)』
・赤松健『魔法先生ネギま!⑭』講談社、2006年4月
・赤松健『魔法先生ネギま!⑮』講談社、2006年8月
・赤松健『魔法先生ネギま!35』講談社、2011年8月
・赤松健『魔法先生ネギま!36』講談社、2011年11月



[32494] エピローグ 麻帆良事件・裏
Name: 富屋要◆2b3a96ac ID:15d55269
Date: 2020/02/29 23:46
『麻帆良事件』
 現地の暦で二〇〇三年四月下旬、麻帆良学園都市に在住する麻帆良学園学園長、および部下の教職員と生徒合わせ、百余名の魔法使いが逮捕された事件だ。容疑は小さなもので『アクセス禁止法違反』に始まり、『学校教育法違反』『児童虐待の防止等に関する法律違反』『窃盗罪』他、重くは『略取・誘拐罪』『逮捕・監禁罪』他、さらに重くは『外患誘致罪』『外患協力罪』等々が挙げられている。

 これは後のアメリカの『ジョンストン事件』や、ウェールズの『一村失踪事件』『メルディアナ事件』他、世界先進諸国での先駆けとされた事件だ。

 こと、イギリス――グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国――では、苛烈とも言える取り締まりが行われた。かつての『魔女術法(ウィッチクラフト・アクト)』発祥の国でもあり、イングランドとウェールズには改訂された『霊媒詐欺法(フロウドレント・ミディアム・アクト)』が存在する。ロンドンで占い師をさせられていた十歳の『見習い魔法使い』、実態としては就学義務違反少女を保護することから始まった自称『魔法使い』たちへの取り締まりは、同様の立場に置かれている未成年就労者達の保護という名目から、同法の行使による魔法使い組織の摘発へと発展していった。

 カナダ共和国においても類似の法律が刑法に定められており、イギリスほどではないにせよ、未成年就労者の保護からその保護者、ひいてはその背後にある組織の逮捕まで行われた。

 南アフリカ共和国、スワジランド王国、ジンバブエ共和国などの、かつてのイギリス王国の植民地から独立したイギリス連邦の加盟国には、二〇〇三年現在も『魔女術法ウィッチクラフト・アクト』が残っているところがある。魔法と魔女の存在は強く信じられており、真贋問わず日々魔法使いが逮捕されては、刑務所送りにされている。

 パプアニューギニア独立国には『魔女術法ウィッチクラフト・アクト』とは無関係の『魔術師法(ソーサリー・ロー)』が存在し、有罪は死刑という国柄だ。もっともこの国では、裁判にかけてもらえるなら御の字、一方的な私刑の末に殺害されるのは珍しいことではない。

 サウジアラビア共和国は不成文憲法により、取り締まる法律こそ存在しないものの、政府魔法部が取り締まるほどに厳しく監視されている。

 これらどれもが、『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』と魔法関係者に対する、世界規模のテロ活動、もしくは反魔法使い活動なのは明らかだった。

「世のため人のため、正義をなす魔法使いとなる」

 この大義を果たすために、魔法使いは皆、幼少の頃から魔法の研鑽を積み重ねているのだ。その研鑽を実践することのどこに問題があると言うのか。

 魔法を理解しない非魔法使い達の一連の行為は、魔法使いの目から見れば唾棄される無法だった。本来は正義の行為として賞賛されるべきものだというのに、それを正しく認識できない蛮族に、敵愾心が育っていくのは当然の流れだろう。

 また日本のように一部の後進世界では、魔法を取り締まる法律が存在しないため、魔法を悪用する『悪い魔法使い』を取り締まることができない。そんな彼らを取り締まるのも『立派な魔法使い』の役割でもある。裁く法律のある『本国』へ送致する行為のどこに、国家の主権を侵害されたとされる根拠があると言うのか。魔法を取り締まる法律を作っていない各国の怠慢ではないか。

 その反論はこのようなものだ。
 主権を持つ国家として法治国家の一つとして、自国内で行われた行為が、他国の法律で犯罪だからと言って、裁く法律にある国へ該当の人物を連行する行為は拉致であり、主権侵害として許されることではない。

 そんな真実からかけ離れたデタラメを信じる非魔法使いの国の上層部に、冷笑を湛えて真なる知識の一雫を授けてやるのも、『立派な魔法使いマギステル・マギ』の務めだろう。

「主権国家とは、国家主権が統治する国家のことだ。そして法治国家とは、法により統治される国家のことだ。つまり主権国家と法治国家は、イコールとは限らない」

 反応は予想できるように、強烈な拒絶だった。
 日本のような民主主義国家では、主権を持つのは国民であり、国会議員は国民の信託を受けた国民の代表だ。これを『国民主権』と言い、国家主権なんて地位も役職もない。

 世界各国で採用されているイェリネックの『一般国家学』では、主権国家の条件は人民・領域・統治権の三つであり、統治権の中には外的統治権と内的統治権の二つがある。国家主権に統治されている、なんて世迷言は主権国家の条件のどこにもない。

 法治国家には二種ある。法律で定めてあれば、その内容が国民の自由や財産を損なう内容であっても許される、いわば「悪法も法なり」を『法治主義』あるいは『人間の支配』『法律の支配』と言い、そのような国家を形式的法治国家と呼ぶ。

 それとは反対に、国民の自由や財産を損なう法律は、憲法によって否定される、いわば「悪法は法ならず」とするのを『法の支配』と呼び、そのような国家を実質的法治国家と呼ぶ。

『法治主義』と『法の支配』のどちらも出せないで、法によって統治されているのが法治国家の条件を語るとは、魔法使いの叡智とは相当に底が浅いと言わざるを得ない。

 この『国民主権』『法の支配』とは、民主主義の四つの原理の二つであり――残りは『権力分立』と『人権保障』――、そちらの語る真理は日本国の解釈とは掠りもしていない、と。

 真理を拒む蒙昧共の、いかにものらしい・・・反応に、魔法使い達が呆れ果てたのは言うまでもない。

 そもそもの話として、だ。

「魔法を取り締まる法律のない国で、魔法の使用が犯罪とか。どうやって取り締まるつもりなのか見ものだ」
「『生物学的に人間ではない存在』だっている。『人間に酷似したヒトではない何か』に関する法律がないのに、どう扱うつもりだ」

 世界の真理を知る魔法使いに相応しい正論に、戻ってきた返答は、再びの詭弁だった。

 法に触れない範囲での魔法の使用まで犯罪とは言っていない。暴行罪にせよ殺人罪にせよその他の犯罪にせよ、犯罪とされるのは結果に対してであって、手段を問うてはいない。

 人間以外の知性種族がいるなら、まずはそのような存在のいることを、そちらが証明するのが先だ。それができないのなら、その発言に根拠はないとして無視される。これは立証責任の問題だ。

『立派な魔法使い』の言葉を信用せず、証拠を求める。傲慢もここに極まった態度に、温厚な魔法使いでも口調を荒げた。

 天に唾を吐くも同然の言い逃れを、魔法使いが受け入れるいわれはない。元より『立派な魔法使い』の行動は、あらゆる意味で正しいと肯定されるべきものだ。それを法律で妨害するなど許されてはならない。

「批判するなら納得できる理屈で批判しろ」
「お前たちの世界では、それが正しいのだろう。しかし世界が変われば、その『正しい』は通用しなくなるものだ。このように考えられる我々の方が、論理的でまともな考え方をしている」

 そう一喝しなくては、延々と詭弁で言い逃れようとする非魔法使い達に、『旧世界』と呼ばれる地球の魔法使い達の崇高なる使命が、後進世界の蛮族に理解されなかったのは、麻帆良で起きた事件からも明らかだ。

『新世界』あるいは『魔法界』と呼ばれる『本国』からも、魔法使いとは各国の法律の上にある存在であり、現地法で違法行為であっても逮捕は不当であると、各国にある上部組織に抗議。

 しかし各国政府の上層部からの回答は、現地法が優先されるのは国際的な常識だとの詭弁を弄し、魔法使い達の解放を拒否するものだった。

「『本国』の要求を拒絶して戦争になったらどうする。敵にして勝てるつもりか」

 良識ある『立派な魔法使い』の仲裁も効果はなかった。
 戦争は最終手段で、その前に対話での解決を模索する。それが外交だ。
 これまたこのような詭弁を振りかざし、『旧世界』の政治家を僭称する蒙昧共は、戦争をも辞さない姿勢を示したのだ。

 どれだけ言葉を尽くして理を説いても、目と耳を閉ざし詭弁を振りかざして真理に背を向ける『旧世界』の非魔法使い達に、いかに忍耐強い魔法使いでもこれ以上の説得は無意味だと悟るのに、それ程の時間はかからなかった。

 そういった経緯から高まりつつあった緊張感のところへ放り込まれたのが、諸悪の根源となった極東の島国からもたらされたニュースだ。

 真祖の吸血鬼『闇の福音(ダーク・エヴェンジェル)』エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが生存している。

 十五年前に英雄ナギ・スプリングフィールドに討伐されたはずのかの存在が、魔法使いの街・麻帆良に、魔法使いの手によって匿われていたというものだ。現地の報道で氏名は明かされていないが、前後の文脈からするに、当人であるのは間違いないと思われた。

 現地の麻帆良にいる魔法使いに確認を取ろうにも、『立派な魔法使い日本本部』代表の近衛近右衛門の拘留期間は延長され続けているため、連絡が取れる状況にない。他の魔法使いにしても、多くが逮捕か監視下にあり、無事な者は次々と麻帆良外へと退去している。

 そんな状況では、現地から正確な情報の収集は困難だ。
 真偽確認のための『本国』からの問い合わせは、『日本政府の上部組織』より、同姓同名の別人との回答を得るに終わった。

 だが少女の身柄を確認するための『本国』へ送致する要求は拒絶され、あろうことか、吸血鬼討伐という偉業を果たした英雄は殺人事件の容疑者、『立派な魔法使い日本本部』を組織的な誘拐・監禁の被疑者とする暴挙に出る始末。

「吸血鬼は人間ではないから、殺したとしても殺人罪には問うのは筋としておかしい」

 そんな魔法使い側の真っ当な正論も、憲法第三十八条の三を持ち出した詭弁で返されるだけだった。吸血鬼が存在すると信じるのは個人の自由だし、存在の有無を議論する以前の話として、被疑者の自供のみを証拠に罪に問うことはない、と。

 加えて、麻帆良学園の『立派な魔法使い』に対し、人権が著しく侵害されていたとして、少女と弁護人が法務省に人権救済の申し立てをしても止めることはない、とも。

 こうも魔法使いの正しさを否定する蒙昧共に、正義の鉄槌を下す戦争へと傾くのもやむを得なかった。

 そのような両者の溝が深まっていく中、『立派な魔法使い日本本部』本部長であり、当時に件の真祖の吸血鬼の死亡確認を行った近衛近右衛門が、弁護人を通じ拘留中の身ながら事実を伝えた。

 吸血鬼の死亡は事実で、件の少女は真祖の吸血鬼などではない。十五年前に保護した赤ん坊にその忌み名を付けたのだ、と。そもそもかの大英雄が、真祖の吸血鬼を滅ぼしたと虚偽を報告するはずがなかろう。

 ナギ・スプリングフィールドへの信仰にも等しい信頼から、真祖の吸血鬼と同じ名を持つ少女への疑惑は鎮火。

 ……したかに見えた。
 魔法使い・非魔法使い間の緊張をひっくり返す事件が、魔法使い社会を席巻したのは、その年の六月中旬だった。

 ナギ・スプリングフィールドの帰還だ。

 十年前に死亡したとされていたかの大英雄は、あろうことか、今回の反魔法使い活動の出発点である麻帆良の地下で、ひっそりと暮らしていたのだ。『立派な魔法使い日本本部』の本部長、近衛近右衛門により幽閉されていたとも、真祖の吸血鬼エヴァンジェリン・A・K・マグダウェルとの死闘の傷を癒していたとも言われ、正確なところは不明だ。

 と言うのも、ナギ本人、誘拐・監禁の被害者である可能性の他、十五年前の『立派な魔法使い』の名の元に行われた『吸血鬼』殺害の参考人でもある。身柄を一時確保しようとした不遜な現地警察を一蹴し、麻帆良から姿をくらましたからだ。

 しかし重要なのは、ナギ・スプリングフィールドは本物であり、魔法使い達の旗頭として、再び立ち上がったこと、これに尽きた。

 急激に悪化の一途を辿る魔法使い・非魔法使いの関係を憂えたナギは、どのような伝手を頼ってか日本を脱出してイギリスに帰国。そこから『ゲート』を通じて『魔法界』入り。『旧世界』との相互理解の放棄を宣言し、『魔法界』を『旧世界』から切り離す計画を提案。非魔法使いとの断絶を求む魔法使い達に、『魔法界』への撤収を呼びかけた。

 六千万人いると言われていた魔法を知る者達のうち、『魔法界』へと渡ったのは、数十万とまではいかなくとも、数万人はいたらしい。その傍らには、麻帆良で違法就労させられ、児童養護施設で保護されていた十歳の『見習い魔法使い』の少年がいたと伝えられている。

 地球こと『旧世界』と『魔法界』をつなぐ『ゲート』の破壊されたのは、八月に入ってすぐのことだった。

 それ以降、『魔法界』あるいは『立派な魔法使いマギステル・マギ』が『本国』と謳う地との連絡は途絶えた。

 魔法使い達の本拠地で何が起きたのか、地球側が知ることはなかった。


[腐敗都市・麻帆良(完)]





◎参考資料◎
・赤松健作品総合研究所『魔法先生ネギま!研究所』
・伊澤大輔『説明責任(立証責任)は、どちらが負う?』虎ノ門桜法律事務所、2015年5月12日
・中学生のための社会科講座『【憲法条文シリーズ】 憲法第38条について - 刑事被告人の権利 (その2)』
・高等学校 現代社会・政治経済 Q$A、『国家とは何か?』2005年1月9日
・電子政府の総合窓口『日本国憲法』
・日本弁護士連合会『人権救済申立てに関する手続き(申立方法・手続きの流れなど)』
・法務省『人権侵害の被害を受けた方へ』
・無刃、『腐敗都市・麻帆良』感想板#193、2012年6月20日
・論理的証明、『腐敗都市・麻帆良』感想板#218、2012年9月8日
・Legislation.gov.uk “Fraudulent Mediums Act 1951”
・Matsubara, Teruo、大学入試のための 政治・経済 民主主義の成立『民主政治の基本原理』
・Wikibooks『小学校社会 6学年 下巻』
・Wikipedia “Fraudulent Mediums Act 1951”


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