「本当に死んでしまうつもりなのかい?」
幼年の少年特有の高い調子の声で、少年はそう言った。
白い皺ひとつないシャツの上にベストを羽織り、その下に穿いた暗い色のズボン。
どこか、育ちの良い坊ちゃんのような印象を受ける彼だからこそ、彼の異常さが際だっている。
彼には肉がない。
本来なくてはならない血肉も、臓器も、皮膚も、たった一本の毛髪さえも彼にはない。
生命として活動するのならばなくてはならない様々な要素が彼には欠落しており、ただ一つあるのは、衣類によって隠されていない手や顔の骨だけだった。
まるで、生きている人間の様に振る舞う骸骨。
身長150cm程度の常識外の存在を、青年はこれといった感慨を持つわけでもなく、濁った、生に価値を見いだせない人間の持つ瞳で捉えていた。
「死のうとしているからこんな所にいるんだ」
ため息をつくように、青年は言った。
青年の視界にあるのは、見渡す限りの木々の数々、午前中であるのに、空を覆うような木々の葉によって薄暗い場所。
そんな樹海こそが、彼が自らの人生を終わらせる場所として選らんだ所だった。
「ふ~ん」
髑髏の少年はどこか詰まらそうに適当に相槌を打った。
少年は腰掛けている大樹の枝から青年を見下ろし、パタパタと革靴を履いた両足を揺らしている。
「ならさ」
少年は腰掛けている枝から垂れているロープを見た。
青年によって括られたロープは、今日この場においては、死の象徴として利用されることを物語っている。
「はやく死になよ」
まるで本や音楽でも勧めるかのように、明るさを含んだ口調で少年が言う。
それに対して、青年は俯き、何も言わなかった。
何度も繰り返された遣り取りに、少年は内心の呆れを隠しきれなかった。
「まったく相変わらずの道化だ」
「俺が道化だと?」
少年は髑髏の顔であるために表情こそなかったが、それでも青年が怒ったことが心底意外だという雰囲気を醸し出していた。
「なんと、自覚すらなかったんだ」
そういうと、少年は上下の歯を打ち鳴らしながら笑った。静寂に包まれた樹海に、カタカタと不気味な音が響く。
「そりゃあ、こんだけ無様な終わり方を何度も見せられてるとねぇ、君のことを道化と呼びたくもなるさ」
実際、少年の言うことは純然たる事実に基づいた物だった。
「僕は君の人生を何度も違う形で、違う社会で、違う世界で見てきたわけだけども、一貫して君の終演は自らの手によるものだ。本当に君は進歩のない人間だなぁ」
教師が出来の悪い生徒に苦言を漏らすように、溜息混じりに少年は言った。
少なくとも青年の怒りを完全に鎮火させる程度には、少年の言い分は正しい。
「まぁ、君のことを詰るのはこの位にしておこう。どうせ君のことだ。君が僕の髑髏になっている間に人生に希望を見いだすんだろうよ。毎回のことだしね」
少年は、顔を伏せる青年を見下ろしながらそう言った。
「僕は君がここで死のうとどうでもいいんだ。それこそ君の行動は予定調和、何時も通りの平常運転と言って差し支えない」
だからさ、と少年は言葉をつなげる。
「早く僕と生を交代してくれないか?」
少年の口調から嘲るようなそれが消えた。
青年は顔を上げ、太い枝に腰掛ける小柄な骸骨を見上げる。
青年と少年、彼ら二人の付き合いは長く、それこそ数えきれない程の年月を経ている。
死後、生前の記憶を全く損なうことなく別の人間に生まれるという奇跡を、彼らは共有しているのだ。
そう共有である。
青年と少年、どちらかが生を全うしている間、もう片方は生きている方に魂の存在、わかりやすく言えば幽霊として憑く、そして生を謳歌する側が死ねば、その立場が逆転する。
そういった不可思議なサイクルを、共通の体験として彼らは何度も何度も共有していた。
彼等の誕生する世界はてんでバラバラである。
最初は、転生の度に彼等は前世との常識の隔離に驚愕していたものの、お互いに何回もそれを繰り返す頃には、慣れてしまった。
何せ、前世では小説かお伽噺でしか存在しなかった世界に生まれ変わることなど日常茶飯事なのだ。
当然、彼等は何故自分達にこのような現象が起きているのか究明しようとした。
だが、科学技術が核となる世界に生を受けた時も、自然の理をねじ曲げる魔法が中心となる世界においても、あるいはその両者が高度な融合を誇っている世界ですらも、彼らの不可思議を解明するには至らなかった。
彼らが謎の究明を諦めたことは、誰も責めることができないだろう。
そして、そんな体験を共有してきた青年だからこそ、髑髏の少年が「次の生」で何を成そうとしたか手に取るようにわかった。
「また人の世に地獄を作るつもりか」
「当然」
間髪入れず少年が答える。
そう、青年の目の前の少年は、どの時代、どの世界における人生においても、人の世に地獄を作ることに精力の全てを注ぐことに一貫して生きていた。
あるいは一国の暴君として。
あるいは神の代弁者として。
あるいは純粋な暴力をまき散らす絶対的な個として。
まるで自分の住む社会が不幸に彩られていないと気にくわないと言わんばかりに、徹底して彼は他者に不幸を拡散する。
「何故、人として全うに生きようとしない」
「おいおい、君がそれを言うのか?いまこうしてまともじゃない方法で生の終焉を迎える君が」
青年は言葉に詰まった。実際、彼はこの方法以外で生を終えたことがないのだ。
「まぁ、君の言わんことはわからなくもない。僕自身、狂人だと自覚しているしね。だがね、同族の君にそれを言われたくないな。まぁ、こんな遣り取りはどうでもいい。重要なのは君が生の座を譲る気があるかどうかだ」
またこの悪魔を世に解き放つのか。
今度こそ、苦難を乗り越えて生を全うすべきではないのか?青年の良心がそう訴える。
そして、それと同時に死の甘美な誘惑が青年に囁いていた。
髑髏の少年は、下で葛藤する青年の様子を面白そうに見ていた。
本音では、彼は青年がどう答えを出そうと構わないと思っていた。
死を選び、再び自分が生を謳歌する番になってもよし、青年がとうとう人生を全う仕切る決意をするのなら、それはそれで見てみたい。
数えるのも億劫な転生を経た彼にとって、数十年程度の遅れはどうでもよかった。
どちらに転んでも自分は楽しめる。
そういった青年が持ち合わせていない素質が、彼には根付いている。
一時間、あるいは二時間か。
長い沈黙の中、少年は青年の結論を待った。
音一つない静寂が、少年には心地よかった。
やがて、青年は結論を出す。
結局、何時もと変わらない結論を。
こうして、髑髏の少年は解き放たれ、世に彼の仲間が満ちることになる。
髑髏の物語の始まり始まり。