<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[32229] 【ネタ短編連作・完結】マンドレイク・フォレストキング【植物モンスター&オーク鬼】
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:a6a7b38f
Date: 2013/01/13 18:41
 

 私はいつからかこの暗くてジメジメした所に生えている。
 いつからか、というのは判然としない。
 私に知性というものが芽生えた時には、すでに私はある程度以上の大きさに育っており、それ以前にどれだけの時間を過ごしていたのか等見当もつかないのだ。

 さて、それにしても光が欲しい。
 このままでは色が抜けて真っ白になってしまう。
 どうにかこの森の薄暗闇から抜けださねば。


 ああ、申し遅れた。
 私は『マンドレイク』のマンドラゴーラ。
 植物である。


◆◇◆


 植物と言っても、ただの植物ではない。
 マンドレイクは魔物の一種である。死体を苗床にして育った植物が、稀に変異するのだ。
 マンドレイクの『マンドラゴーラ』。これは自分でつけた名前である。呼んでくれる者も居ないが、自己認識は大事なので一先ず名付けてみた次第。

 因みに、キルレアン場による触覚――要はレーダーのようなものだと思って欲しい――によって周囲を探れば、何やら風化した魔法使いのローブらしきものが近くに落ちているのが認識できた。
 マンドレイクに変異する前の私は、なかなかに強力な毒草であったらしいので、大方道に迷った駆け出し魔法使いが私の葉を食べて死亡したということだろう。
 かくして哀れ魔法使いは、私の養分と成り果てたのであった。

 しかも死因が私の毒であったため、魔法使いの魂の力が私に流れ込んだらしい。
 勝者が敗者の力を吸収することは、どうやらこの世界の理(ことわり)であるらしい。
 雑草に過ぎない私が、魔法使い見習いというはるかに種族的に格上の相手を殺したことで、大幅にレベルアップしたらしい。

 らしいらしいと伝聞形ばかりで恐縮であるが、生憎私は世間というものを知らないのだ。
 あるのは幾ばくかの知識――森の中で行き倒れる程度の実力しか持たない魔法使い見習いの脳髄から吸い上げた知識のそのまたさらに断片――だけである。
 今あるところの知識にしたって、何処まで正しいものやら。

 それにしても、光が恋しい。林床は暗すぎる。


◆◇◆


 暇である。
 暇なのである。
 暇過ぎるのである。

 知性在ればこそ暇を感じるのである。
 全く、我が糧となった見習い魔法使いも余計なことをしてくれたものだ。
 退屈は何にも勝る拷問と言うことか。今まさに実感している。

 考えるしかすることが無いので、私は考える。

 例えば、私の今後について。

 このままでは、光が足りずに私は飢え死にして枯れてしまうだろう。
 いや、これまで細々と生きてきたので、身体を小さくすれば枯れることはないだろうが、折角得た知性は消滅してしまうだろう。
 それは少々勿体無いのである。退屈は拷問だが、知性の消滅は死である。そいつはゴメンだ。

 どうにか光のあるところまで茎を伸ばせないものであろうか。
 あの木立の梢の先にまでするすると伸ばせれば――。


◆◇◆


 ――にゅるん。


◆◇◆


 ……伸びた。
 茎が蔓になって伸びた。
 はて、私の生態的には、蔓や蔦が伸びるようなことは無いはずなのだが。

 これもマンドレイクという魔物に変化した恩恵であろうか。
 取り敢えず、光のある方へ、どんどんと伸ばしてみることにする。

 にゅるるるるるるるる……――。

 木々の梢の先にまでは伸ばせなかったが、周囲の木の高さの半ばくらいまでは伸ばせた。これ以上は伸ばせないようだ。
 あの光り溢れる林冠ほどではないが、ここでも林床の薄暗闇よりはマシである。
 最後の力で蔓の先に葉を広げた。ああ、光が美味しい。


◆◇◆


 どうやら蔓を伸ばすのは、一種の魔法というか、スキルというか、そういった類のものらしい。
 魔力なる不可思議な力を糧にして、私は自分の体をある程度自在に変えることが出来るようだ。
 マンドレイクなる魔物は、成長すれば自在に森を歩き回り、蔓や枝葉を伸ばしたり飛ばしたりして他の生き物を襲うらしいから、この能力は種族特有のものなのだろう。

 それというのも、つい先程初めて、自分以外のマンドレイクというものを見かけたから知れたことである。
 人間の出来損ないみたいなソイツに対して、私はキルレアン場による他感作用で交信を試みたのだが、上手く行かなかった。
 相手には、交信に答えられるだけの知性が備わっていなかったのだ。

 私は芒洋と歩いて行くマンドレイクを見送るしか出来なかった。
 マンドレイクというものは、知性を持たぬのが普通なのかも知れぬ。

 実は、私の苗床となって養分を吸われた見習い魔法使いは、見習いではなかったのかもしれない。
 倒した者から吸収できる力というのは、当然、倒した相手のパラメーターによって左右される。
 たかが毒草に知性を宿らせるほど、私を齧って死んだ魔法使いの知性は高かったということであろう。

 そのような高位の魔法使いが、何故森の中で毒草を齧る羽目になったのか、そればかりは謎であるが。
 案外、世を倦んでの自殺であろうか?

 まあ良い。
 何であれ、私が助かっているのは事実である。
 回復した魔力でさらに蔓を伸ばし、遂に私は林冠にまで葉を広げることが出来た。

 ああ、なんと太陽が眩しいことか!
 燦々と降り注ぐ光が活力を齎してくれる。
 素晴らしい。


◆◇◆


 魔力が回復するたびに蔓と葉を広げ、一帯の林冠を覆うくらいにまで私は広がった。
 蔓も太くなり、青々とした葉が茂る。
 我が世の夏である。

 葉を広げたとなれば、次にすることは何か。

 そればかりを私は考えている。

 どうやら他のマンドレイクは、魔力で蔓を伸ばすよりも、自分で歩いて森の外に向かうことを本能で決められているようである。
 何匹ものマンドレイクが歩いて森の外縁に向かっていくのを、私はキルレアン場のレーダー触覚で感知した。
 オツムが間抜けだというのは、たいそう哀れなことである。わざわざ歩かずとも蔓を伸ばせば光は手に入るというのに。

 また、マンドレイクは血に飢えているようでもあった。
 死体の血を吸った植物がマンドレイクになるということであれば、本能的に血を求めるのも納得が行く。獲物を求めて森を彷徨うのである。
 私としては、血よりも光のほうがよっぽど美味しいと思うのだが、彼ら同族からは共感は得られなさそうである。残念だ。


 一先ず私は、光にも水にも不自由しないようにはなった。

 今後はどうするべきか……。


◆◇◆


 考えた結果、本能に従うことにした。
 といっても、別に他のマンドラゴラと同様に、血肉を求めて彷徨うモンスターライフに飛び込もうというのではない。
 それよりももっと原初的な本能に従うのである。


 つまり……、『生えよ殖やせよ地に満ちよ』ということだ。

 生物の本懐は、子孫繁栄である。
 ここは偉大なる先行者たちを見習い、私という存在を世界に広めるために努力していきたい所存である。

 先ずは地下茎に栄養を蓄えることからであろうか。
 水不足や山火事が来ても良いように、地下に栄養を蓄えておこう。保険は大事だ。


◆◇◆


 地下茎に蓄えた栄養だが、モグラに齧られた。
 糞忌々しい。
 最近枝葉を齧られるより伸ばす速度のほうが優っていたため毒素の生産をサボっていた。それが良くなかったか。

 急遽毒素を産生し、地下茎部位にも蓄える。
 それを齧ったモグラが死んだ。
 ザマァ見ろ。ついでに私のレベルが上がった。

 そろそろ花や種を付けて、生息領域を拡大したい所である。
 どんな花が良いだろうか。
 考えるのは楽しい。


◆◇◆


 赤い花は鳥を呼ぶ。
 紫外線に反応する黄色や白の花は蝶や蜂を呼ぶ。
 夜に咲かすなら花の色よりも甘い匂いが重要だ。コウモリたちが寄ってくる。
 ハエを呼ぶなら腐敗臭に限る。色や形はどうでもいい。

 試行錯誤して花の形や匂い、蜜の量や味を変えてゆくのは楽しかった。
 普通の植物なら、蜜を用意するのだって大変なのだろうが、そこはそれ、私には魔法がある。
 蜜でも溶解液でも何でも魔法で用意できるのだ。しかも自分の想像力が及ぶ限りはその通りに。

 まあ既にここいら一帯の森は、全てが全て私の蔦によって覆われてしまい、私以外の植物は枯れてしまっているのだが。
 毒素のもたらす強烈な他感作用によって、他の木々は枯れてしまったのだ。
 私の蔦で絞め殺した木々も多い。

 一種類のマンドレイクしか居ないのに、色とりどりの花が咲き乱れているこの森は、なるほど確かに魔性の森だ。

 ああ、最近奇妙な同居人が出来た。
 マタンゴのマーくんだ。
 私の枯葉や、時々私の幹を伐りにやって来る人型の小さい奴ら――ゴブリンというらしい――を蔦で絞め殺したりしたあとの、その死体処理をやってくれるナイスガイだ。

 マタンゴというのは、マンドレイクの茸バージョンと言う所で、どうやらマーくんも元は毒キノコであったらしい。
 長い年月をかけてレベルアップし、動けるようになって私の森を横切ろうとしたマーくんを捕獲洗脳――げふんげふん、スカウトしたという訳だ。

 今はお互いに無いところを補いあう素晴らしい共生関係を築いている。私が炭水化物を渡し、マーくんは硝酸や燐酸を死骸から分解して回収するという役目だ。
 時には暴走してしまい、お互いの菌塊と植物体の間で菌糸やら毒やらで冒して殺し合ってしまうこともあるが、まあそれくらいの緊張感があったほうが良いというものだ。
 一部が殺られたとしても、菌塊であるマーくんも、マンドレイクである私も大した痛手にはならない。お互いのレベルアップにも繋がるので、節度を持った対立というのは必要であろう。

 しかし花を作るのにも飽きてきた。
 出来た種は何故か芽吹かないし、徒労感が募る。
 ……まあ、花が咲いていた場所の直下に落下したせいで、私自身の他感作用の餌食になったのであろうな。

 もっと遠くに種を運ばねば芽吹かないのだろう。
 うむ、新しい花を作るのにも飽きてきたことだし、次は果実や種に凝ることとしよう。
 どうせ時間は腐るほどあるのだ。


◆◇◆


 森の外縁部分を徐々に広げつつ、果実を作る実験を続ける。

 赤くて小さい果実は鳥に人気がある。
 大きくて甘い果実は猿に人気だ。
 果実ではなくて種に脂肪を多く蓄えたものは、ネズミやリスに人気が高い。

 大きな果実単体で作ったり。
 ブドウのような房生りにしたり。
 小さな種を沢山びっしりと穂に生らせたり。

 色々試している。

 種自体の飛ばし方も研究中だ。
 綿毛をつけたり、滑空用の羽をつけたり、細かな鈎で動物の毛皮にくっつけたり、粘着液でくっつけたり、丸ごと喰わせて鳥に運ばせたり、軽くて小さい種を雨水に乗せて流したり。
 一番のヒットは、しならせた蔦で遠くに自力で投げ飛ばす方法だ。種の形や大きさに工夫の余地がある。


◆◇◆


 マタンゴのマーくんに子供が出来た。
 ……子供という言い方は不適切かも知れない。
 要するに子実体である。キノコである。レッサーマタンゴというらしい。

 レッサーマタンゴはトコトコと森の外に歩いていった。
 自分のエネルギーが尽きるまでひたすらに歩き、殖えるのに適当な場所を自分で見つけるらしい。
 そして適当な場所に来たら自爆して胞子をバラ撒くのだとか。

 ――――その手があったか!


◆◇◆


 マタンゴのマーくんに倣って、私も自分の分身体を作ってみる。
 謂わばレッサーマンドレイクだ。
 光と水ある所に根付くようにと言い聞かせて送り出す。

 一日十体、とにかく送り出す。
 私自身も大きく広がったため、この程度の消費は造作も無い。
 もっと大きく権勢を広げるのだ、地の全てを覆うように。


◆◇◆


 ああ、燃える、燃える、燃える。
 私の森が燃えて無くなる!
 ああ、ああ、ああ! なんという事だ!


◆◇◆


 どうやら送り出し続けたレッサーマンドレイクが、周辺に暮らす人間の脅威となっていたらしい。
 業を煮やした奴ばらめ、手に負えぬとばかりに私の森に火を放ったのだ。
 全く以て忌々しい。

 あと私自身はただのマンドレイクのつもりであったが、人間らの言う所によると、『マンドレイク・フォレストキング』というらしい。ボスモンスターだとか云々。
 レッサーマンドレイクも、『マンドレイク・ナイト』と言うのだとか。だから何だといえば、何でもないのだが。
 ああ、マタンゴのマーくんは、『パラサイトマタンゴ・キング』と言うそうだ。全くだから何という話だ。お互いに偉くなったものである。

 まあ、地下深くにあった栄養を蓄えた地下茎は全く無事であったので、問題ない。マーくんの本体も無事だ。
 蓄えた栄養と魔力を消費して、一夜にして森を復元する。マーくんにも魔力を分け与えて、一緒に再び森を作る。
 二度と燃やされないように、燃やされると神経系の毒ガス化する特性の毒素を枝葉に行き渡らせる。元は毒草であったのだ、毒の扱いはお手の物だ。



 燃やされることは減ったが、人間ども、今度は伐採して来やがる。森を広げるそばから伐り取られていく。森を広げられない。
 忌々しいことだが、まあ、仕方あるまい。しばらくは今の森の大きさで我慢するとしよう。今は雌伏の時だ。
 地上部分が伸ばせないならば、地下から密かに伸ばしていけば良いのだ。そして地下から何処か遠くの森を侵略するとしよう。

 時々私の若い葉芽や蕾を取っていく人間が居る。
 神経系の毒素が病みつきになったのかも知れない。
 ……ふむ、他の動物との共存共栄というのも有りうるのであろうか。私とマーくんのように。一考に値する。


◆◇◆


 いつまでも私とマーくんだけで人間と戦うのは難しいので、他のモンスターの手を借りることとする。
 と言っても大したことではない。今まで種砲弾とか絞め付け蔦とか溶解液とか毒の実とかで命を奪って皆殺しにして肥料にしてきたモンスターたちに対して、少々のお目こぼしをくれてやるだけである。
 芋虫退治のために蟻を幹に住ませる植物のように、私は人間対策としてモンスターを森に住まわせることにしたのだ。麗しき共生である。

 私の分身体であるマンドレイク・ナイトや、マーくんの子供であるレッサーマタンゴでも戦力としては充分なのだが、如何せん偏りが酷い。
 具体的には火炎や氷結に弱すぎるのだ。
 画一的ではよろしく無い。単一種で森を作っている私が言うのも変な話であるが、多様性というのは外敵に備えるにあたって重要である。

 という訳で、慎重に生態系を作り上げていく。
 一種族だけ優勢になるのはよろしく無いだろう。
 先ずは虫系のモンスターからであろうか。蜜や果実を餌にして、寄せ集めることとしよう。


◆◇◆


 月が巡り、季節が過ぎゆく。
 私が森の主となってから、一体どれほどの月日が経ったであろうか。年輪でも数えれば良いのかも知れないが、一度全てが燃え落ちている以上、それも当てになるまい。
 対人間用にモンスターを集め始めてから大分経ち、森のモンスターの種類も豊かになってきた。

 一時期は巨大なドラゴンが棲み着いたこともあったが、余りに森を荒らしすぎるので、私が殺した。
 硬い種の砲弾で弱らせ、毒を染みこませ、寝る間もなく攻め立て、最後には絞め付けて、生きたまま養分にしてやった。竜の血は美味であった。マタンゴのマーくんも竜の死骸を貪って満足そうであった。
 私が求めるのは、強力な個ではない。強者は私だけで充分だ。私が求めるのは、もっと小回りが利いて数が多い輩なのだ。

 そんな現在、どうやらこの森一帯で一番強い魔物は、豚と人を混ぜたような顔をした筋骨隆々とした鬼のようである。オーク鬼というらしい。

 オーク鬼くらいが、人間から私の森を守るには丁度いい。
 力も強く、繁殖力旺盛で、森の理というものをよく理解している。人間に劣らぬ繁殖力を持っている点も、非常に重要である。
 それに森への敬意を忘れないあたり、好感が持てる。お互いの出来ることと、相手を利用することを良く弁えているのは良いことだ。

 特に、オークの中でも、オーク・ドルイドという呪術使いは素晴らしい。
 私のキルレアン場を捉えて、私と交信できるのだ。彼らは的確に私の意図を読み取ってくれる。
 彼らが私の森と共にある限り、私は彼らを守護しよう。

 共存共栄。
 私の森を焼いた人間どもが居なくなれば、私の森が広がる。
 オーク鬼たちが人間を殺せば、彼らと共に私の森が広がる。

 食べ物を作ろう。
 薬を作ろう。
 蜜をやろう。
 綿だって使うと良い。
 実からは油だって搾れるぞ。
 木材だって存分に使え。
 魔力を込めた実を食うが良い、魔力が増して強くなるぞ。
 鉄より硬い芯材も与えよう、好きなだけ武器を作れ。
 樹脂を伸ばして固めれば軽い鎧に加工できるぞ。
 永い時を生きる私は、智慧すらも蓄える。お前たちが教えてくれれば、その分覚えて良き助言者になれるだろう。

 オーク・ドルイドよ、私はお前たちの望みを聞こう。必要なものは何でも用意しよう。
 だからお前たちは私の望みを聞いてくれ。
 私と共に世界に広がろうではないか!

 乾いた砂漠だろうが。
 水のない渓谷だろうが。
 塩だらけの湖だろうが。
 凍土の土地であろうが。

 私の森を広げさせてくれ。この世界の隅々まで。


◆◇◆


 これが世に言う『森蝕時代』の幕開けである。


◆◇◆


『昔々の話である。
 人に迫害された強大な魔法使いが居た。
 親しい人に裏切られ、人に絶望した彼は、森の中に入り、毒草を食べて自殺した。

 魔法使いの無念と絶望の血は、一匹の魔物を生み出した。
 取るに足らないマンドレイク。それがその魔物だ。
 ただ一つ違ったのは、魔法使いの叡智が、マンドレイクに受け継がれたことであった。

 長い年月を経て、知性を持ったマンドレイクは大きくなった。
 森は全てマンドレイクによって構成されるようになった。全てのモンスターが、マンドレイクとその寄生体のマタンゴに貪り食われる死の森だ。
 歩かないマンドレイク。森の王。人々は、『マンドレイク・フォレストキング』とそれを呼んだ。

 ある時、マンドレイクは侵略を始めた。
 沢山の子供たちを生み出して、周辺の村々を襲い始めた。
 死の森から生み出されるマンドレイクは強く、人々はそれを森の尖兵『マンドレイク・ナイト』と呼んだ。

 やがて死の森を焼き払うこととなった。
 山火事がすべてを灰塵に帰した。しかし一夜にして森は復活した。
 また焼き払おうとしたが、煙が毒ガスになり、煙に巻かれた周りの村が壊滅した。

 死の森は明確に人間に牙を剥き始めた。

 蜜や果実がモンスターを集め、死の森は、迷宮異界(ダンジョン)となった。
 竜も棲み着いたが、なんと森の王『マンドレイク・フォレストキング』は、竜を殺した。
 竜をも殺す森の王。竜殺しの死の森。恐ろしい迷宮異界。

 竜殺しの死の森のモンスターたちは精強だ。
 マンドレイク・フォレストキングの身体から日々の糧を得ているそれらは、マンドレイク・フォレストキングの魔力の恩恵を受けている。
 特に、植物と交信できるドルイド職のモンスターは、森そのものを味方にして襲いかかってくる。竜殺しの死の森のオーク・ドルイドは賢く、その危険度は竜種に匹敵すると言われる。


 今もなお、竜殺しの死の森は広がっている。森に棲み着いたオーク鬼たちと共に、人間の領土を切り取っている。
 植物の王『マンドレイク・フォレストキング』は、その再生力の高さゆえに火を克服し、毒素のエキスパートで根を深く張るために枯葉剤も物ともせず、強大な魔力ゆえに呪いも跳ね返す。
 その庇護があるかぎり、森のオーク鬼たちの進撃は留まることを知らないだろう。

 ああ、歴史のIFに思いを馳せざるを得ない。
 もし人間が森を焼かず、あの森の王『マンドレイク・フォレストキング』と共存できていれば、どんなに人間は発展できていただろうか。
 だがそれも叶わぬこと。森の王は執念深い。人間が赦されることはないだろう。

 あるいは遥か昔の魔法使いが、人間に絶望していなければ。
 あの魔法使いを迫害していなければ。魔法使いを裏切らなければ。
 ただ一人の絶望と無念が、人間を滅ぼそうとしている。

 人間たちに対する、オーク鬼と森の王の戦いは、永劫に続いてゆくのだろう。
 恐らくは人間が滅ぼされるその日まで。
 時は森蝕時代。これは生存闘争なのだ。

 ――何故私が、野垂れ死んだ魔法使いを知っているのかって?
 私の先祖が、魔法使いを裏切ったからだ。森の王を生み出した絶望を魔法使いに与えたのは、私の先祖だ。
 これは一族に伝わる後悔なのだ。宿命だ、使命だ。私たち一族の手で、森の王を滅ぼさなければならないのだ』

 ――――森蝕時代の英雄未満の誰かの手記より。


=================================


「緑の王」あたりに影響を受けている話。他のSSがスランプ気味なので気分転換に書いてみた。
いつもやられ役のオーク鬼さんが不憫なので優遇してみた一発ネタでもある。
……森と共存してるなら、オークよりエルフの呼び名が適当な気もするけど。豚面のエルフって新しいかもしれない。

2012.03.18 初投稿

試しに「小説家になろう」様にも投稿してみる。
2012.03.21 追記

ネタを思いついたら追加します。
短編連作という形になると思います。
2012.04.08 追記



[32229] 竜とオーク鬼
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:a6a7b38f
Date: 2012/04/08 16:23

 恐ろしい声がする。
 怨嗟の声だ。
 地の底から響くような、あるいは遠雷のような轟声だ。

『おおおおお、許さぬ、許さぬぞ、たかが草木の分際でオレを閉じ込めるとは――――!! ぐぅおおおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおお!!!』

 森の暗がりに一際巨大な樹が生えている。小さな丘くらいはある巨大な樹だった。
 それは、まさしく竜の形をしていた。
 まるで蔦が竜にそのまま纏わりついて樹木の形を成したかのようだった。
 そして恐ろしい轟声は、その樹の中から響いてくるのだ。

 この樹は牢獄なのだ。

 唸り声と共に竜の形をした巨木が揺れ、風の魔法と共に幹が内側から裂けて竜の鱗が垣間見える。
 竜の口と思しき場所から猛烈な火炎が噴き出る。
 しかしそれでもすぐさま幹が成長して亀裂を埋めてしまう。鱗など見えなくなり、幹はさらに竜を絞めつける。
 火炎に燃やされた枝葉は毒の煙となって、竜の肺腑から浸透し、さらに竜を苦しめる。


 森を荒らした邪竜の末路であった。


 死の森に住むオークたちは、昼夜を問わず響くその恐ろしい吠声に竦み上がった。
 そしてそれ以上に、吠声が日に日に弱々しくなってゆくことと、竜すらも殺さんとする森の木々に恐怖した。

 ここは死の森。
 『歩かないマンドレイク』というマンドレイクの本能に矛盾した異常種――マンドレイク・フォレストキングが支配する迷宮異界(ダンジョン)だ。
 森の中とは、すなわちマンドレイクの胃の中と同じことだ。生殺与奪は森の王の加減次第。

 だがモンスターたちはここを離れない。離れられない。
 死の森という名称とは裏腹に、この森ほどに豊かな場所もまた存在しないのだ。
 森には森のルールがある。
 マンドレイク・フォレストキングが敷くルールからさえ逸脱しなければ、他で暮らすよりもよほど楽に暮らせるのだ。

 森の木々は、日差しと暑さ寒さからモンスターたちを守る。
 森の何処でもいつも瑞々しい果実が生り、食べ物に困ることはない。
 果実だけではない、栄養たっぷりの腐葉土の中や枝葉に紛れてまるまる太った芋虫だって居る。
 地下深くからフォレストキングが汲み上げた水が、樹の根元から湧き出して泉を作っている場所だってある。ポンプのような作用を持った樹を、モンスターの為にフォレストキングは作り出しているのだ。
 木の根元にある枯れかけの葉には、塩分が蓄えられていることがある。余分な塩分を一塊にして排出するという樹々の作用だ。
 そして咽返るほどに濃い魔力が、森には満ち溢れている。それはモンスターたちにとって何にも代えがたい極上の環境なのだ。

 何より森は、ニンゲンたちからもモンスターを守ってくれる。
 森の王はニンゲンを憎悪しているからだ。
 森の王はモンスターたちを決して好いてはいない。
 だがそれ以上にニンゲンを嫌っている。
 だからここにはモンスターたちが集まってくるのだ、森の王の庇護を求めて。


◆◇◆
 

 これは『森蝕時代』が始まるほんの少し前の話。
 一匹の邪竜と、一匹のオーク鬼の物語。


◆◇◆


 竜が囚われてから何年もの月日が流れた。
 日に日に竜のうめき声は小さくなり、ついには殆ど何も聞こえなくなった。
 だが、竜の形の巨木は時折不気味に鳴動している。
 だからまだ竜は死にきっていないのだろう。だがそれも時間の問題だ。

「森の樹も、酷なことをしなさるね」

 小さな影が、竜の牢木の枝の一つに、とんっと軽やかに飛び乗る。
 仔豚のような顔立ちをした亜人――オーク鬼であった。まだ成人していないのか他のオークに比べて幾分小柄だが、それでも平均的なニンゲンよりは大きい。
 このオークは竜が死んだのかどうか、近くのオーク鬼の集落から偵察に派遣された者である。何日かに一度様子を見に来ているのだ。

『……また貴様か、小娘。まだオレは死んでおらんぞ』
「それも時間の問題でしょうに、よっと」
『――だろうな』

 竜には最早、何の力も残されていなかった。
 少し前の竜であれば、こんな殊勝な悟ったような物言いは決してしなかっただろう。
 それほどまでに弱っているのだ。

 するするとオークの少女が枝の間を跳んで樹を登っていく。身体強化魔法を使い、とても身軽に竜の頭があるらしき場所まで登る。竜の頭は、オークの少女を楽に一飲みできるほどに大きい。
 登ってきた木を見下ろせば、牢木には内側から竜の血が滲み出ており、幹がドス黒い色に染まっている。竜の血を浴びたものは強靭になるというから、森の王はさらに力を増したことだろう。
 竜の皮膚は樹から滲み出る毒によって無残に爛れていることであろう。牢木の枝葉には、木が伸びる際に巻き込んだのであろう、剥がれ落ちた竜の鱗が埋まってキラキラと光っている。
 どこからか、腐ったような膿んだような臭いもする。

 よくもここまでにもなって生きているものだ。
 オークの斥候の少女は素直に感嘆した。竜の生命力に。

(いや、生かされているのかな)

 これは見せしめなのだ。
 森を荒らすものを決して許さない、惨たらしく殺してやるという、森の王の意思表示。
 粗方、水と最低限の魔力だけは与えて、そのまま嬲り殺す心算なのだろう。

『そうだ、このマンドレイクは、オレをタダで殺すつもりなど無いのだ』

 オークの少女の心を読んだわけではないだろうが、竜が語りだす。

『血も皮も肉も骨も髄も、全てを貪り侵し尽くして殺すのだろう。
 オレの身体を、何本もの生木の杭が貫いている。
 それから溢れる樹液はオレを生かしてもいるが、同時にそれ以上にオレを苦しめるのだ』

 竜の言葉には諦念が滲み出ていた。

「……なあ、私はその時生まれてなかったから知らんのだけどさ」
『何だ』
「アンタは何で森に喧嘩を売ったのさ」

 囚われの竜は、ごふごふと低く笑った。
 それはあるいは自嘲であったのかも知れぬ。

『さて、何でだろうなぁ』
「何、自分でも分からないのかよ」
『そういう訳ではない。まあ、暴れて暴れて、この森をオレのものにしたかったのさ。そんなところだ』
「は? 馬鹿かいアンタは。そんな事出来るわけ無いだろう」
『ああ、その通り。森は強く、オレは傲慢で、――その挙句にこのザマだ』
「そりゃ御愁傷様」

 それだけ言ってオークの少女は牢木を飛び降りる。

『なんだ、もう帰るのか。折角だ、ゆっくりして行け』
「ふん、なんだい弱気になってるのかい? 竜のくせに」
『死にかけの竜なんてこんなものさ』
「確かに、少し前まで苦鳴で息も絶え絶えだったものねえ」

 くすくすと小馬鹿にするようにオークの少女が笑う。
 ぐふぐふと竜も喉を震わせる。

『ああそうだったな。だがもう痛くないのさ』
「へえ、そりゃまたどうして」
『神経がな、もう繋がっておらんのさ。痛みを感じる元気もない』
「……」

 それは、どれだけの苦痛だったのだろう。
 なまじ生命力がある竜だから、そんな瀕死になっても生きていられるのか。
 オークの少女は顔をしかめる。

『だからオレはきっと長くない。もういつ死ぬかわからない』
「そうかい」
『ああだから――』
「それじゃあ――」

「『 毎日様子を見に来る必要があるというわけだ 』」


 ――――。
 図らずして重なったセリフに、オークの少女も竜もくすくすぐふぐふと笑う。

「じゃあね、また明日。死に損ないのドラゴンさん」
『ああ、また明日、だな。小生意気なオーク娘よ』


◆◇◆


 それから毎日、オークの少女は竜のもとに通った。
 囚われの竜はそれを心待ちにしていた。
 彼らは何でもないことを話した。

「アンタってさ、元は何処に居たのよ? この森で育ったって訳じゃないんでしょう」
『元はここからずっと南の黒竜山脈だな。そこで育ったのだが、武者修業と自分の領地(ナワバリ)を持つためにここまで飛んできたのだ』
「へえ、飛べるんだ。流石ドラゴン」
『もう翼の皮膜は残っておらんから飛べんがな』
「そうなんだ。まあ、そりゃそうか。で、ドラゴンてやっぱり他にも居るんだ?」
『ああ居るとも。オレたちは広大な領地(ナワバリ)を必要とする関係上、基本的に群れはしないがな』


 ――――「またね」
 ――――『ああ、また明日』
 ――――「未だ死ぬなよー?」
 ――――『善処するさ』


「そういえば、基本的には群れないってことは、群れることもあるんだ? ドラゴンって」
『強力な竜王が現れて、そいつが号令を掛けた時とかな』
「ふうん」
『まあ、オレも竜王になりたくて、この森まで修業にやってきたのだがな。力が及ばなかったということだ』
「へえ、森の王を倒せば、アンタ竜王になれるの」
『そうだな、それくらいにここのマンドレイクは、隔絶して強い。もし倒すものが現れたら、ソイツが何者であろうとも世界を手にできるだろうな。――もっとも、それでもこの森を殺しきることは出来んだろうがな。直ぐに蘇るに決まっている』
「凄いんだ。でも、一回ニンゲンに焼かれたんでしょ、この森って」
『だからこそ、二度と焼かれることはない。学習能力と変異能力を兼ね備えたマンドレイクがこれほど厄介だとは、誰も思わなかっただろうよ』
「確かに、恐ろしい森だねえ、ここは。そんなところに来たのがアンタの運の尽きってわけだ」
『……そういうことだな。まあ無いと思うが、貴様はここのマンドレイクには逆らうなよ? 自殺願望があるなら止めはせんが』
「アンタの末路を見てりゃ、そんな気は起きねえって」


 ――――「またね」
 ――――『ああ、また』
 ――――「未だいけそう?」
 ――――『そうだな、不思議と生きられそうだ』
 ――――「そいつは重畳」


「やっほー、まだ生きてる?」
『死にそうだ』
「ここ最近ずっとそうじゃん。ドラゴンてしぶといのね」
『オーク鬼に比べればな。今の私は、体力が回復するたびに削られている状態だ』
「ある意味平衡状態?」
『そうだ。だがもうそろそろ、マズイな。根本の生命力が尽きかけている』
「そりゃあ何年もかけて衰弱させられたらねえ」
『そうだ。……だから――――』
「ん? 何よ」
『――――いや、何でもない』


 ――――「またねー」
 ――――『ああ』
 ――――「結局さっき言いかけたのは何よ?」
 ――――『……また明日、な』
 ――――「はあ、思い出したら言いなさいよー」


「でさでさ、森の中で新種の果物を見つけるのが私らの楽しみってわけよー。それを潰して酒作ったりね」
『……』
「酒って言ったら、ハニービーの巣から蜂蜜取って作る蜂蜜酒も良いのよね」
『……』
「樹液酒とかも独特の風味があって中々。でも毒のない樹液を出す樹を見つけなきゃいけなくて――――って、聞いてる?」
『……』
「おーい? 死んだ?」
『……っ、いや、聞いている、ぞ』
「あ、生きてた」


 ――――「またね」
 ――――『……』
 ――――「また意識飛んでる」
 ――――『……』
 ――――「アンタが死ぬと、寂しくなるなあ」
 ――――『……』
 ――――「……じゃあまたね」

 ――――『……ああ、また』



「やっほー」
『貴様か』
「あ、起きてた。具合はいいの?」
『最悪だ』
「そりゃそうだよねー」
『……頼みがある』
「私に出来ることなら。この牢木から出せってのは無理よ?」

『――――オレを殺してくれ』

「……放っといても死ぬのに? というかどうやって?」
『このままマンドレイクに殺されるのは、癪だ。オレの魂の力をマンドレイクに渡すのは業腹だ。だから貴様に頼む』
「ああ、まあ気持ちは分かるけど。私にとってもメリットあるから良いけど。でもどうやってよ? アンタの身体は全身くまなく牢木で覆われているし、どのみち私の腕力じゃアンタにダメージ入らないでしょ」
『……今から最期の力でブレスを吐く。そうすれば口の周りの牢木が吹き飛ぶだろう。あとはその辺に散らばっているオレの鱗で、オレの口の中を刺せば良い。今のオレは、それだけで死ぬだろう』
「ふうん? まあ、やるだけやってやるわ。でも、私で良いの?」
『お前だから頼むのだ』
「へえ、ほお、ふうん? にしし、そこまで言われちゃ仕方ないわね! ちょっと武器に出来そうな鱗を集めてくるから待ってなさいな」
『ああ』


◆◇◆


『ではいくぞ』
「バッチコーイ!」
『吹き飛ばされぬように気をつけろ』

 一拍後に、竜の口のあたりから轟音が響いた。
 牢木の中で響きあった火炎のブレスが、ついに牢木を吹き飛ばし、その口を露出させた。
 オークの少女は素早く樹に登り、竜のアギトへと飛び込む。

「うひゃあ、ひどい有様だ」
『早くしろ、もう幾らも持たん』
「はいはい」

 牢木の中の竜の有様は、それはもう酷いものであった。生きながらに腐れて爛れた肉体は、悪臭を放つどころか完全に乾いてミイラのようになっている。
 残っているのは、生命維持に必要な最低限の部分のみなのだろう。この竜は、最早痛みも感じないと言っていたが、それも道理だ。これでは痛みの感じようがない。
 オークの少女は竜の口の中に飛び込むと、竜の鱗を振りかぶる。

「んじゃ行くよ。スパッと介錯してあげる」
『そこまでは期待しとらん』
「いやいや、見くびんないでよね。後先考えなきゃ、私だって凄いんだから。これでも集落じゃ腕利きなのよ」

 途端にオークの少女の手の中にとんでもない量の魔力が集まり、渦を巻く。
 そう、ここは死の森。
 森の王の恩恵を受けられる場所、魔力に溢れた魔物の楽園。
 死の森のモンスターは、その魔力の恩恵を受けているから精強だ。
 たかがオークでも、命を賭ければ死にかけの竜を屠れる程度には。

「おおおおおおっ! 命を――――燃やせえええええっ!! 竜鱗よ、無念の竜に慈悲の刃を!!」
『な、これは!? 貴様、生命力まで使って!? 何故――――』
「そのくらいさせなさいよ! 命くらい賭けさせなさいよ! これでも私はアンタのこと気に入ってんのよ!」

 生命力を犠牲にして、強大な魔力が渦巻く。
 触媒にされた竜の鱗が光り輝き、巨大な光の剣となる。
 それを竜の口内で宙に浮かせて構え、喉奥に狙いを定める。狙うのは脳幹、一閃で命を刈り取る。
 構える間にも、オークの少女の生命力が刻一刻と失われていく。死相が浮かぶ。

「友人の最期の願いくらい、全力で叶えてあげるわ」
『貴様……』
「いくよ」
『――――応。介錯、かたじけない』
「アンタのこと、割と好きだったよ。――――じゃあね」

 瞳を閉じて息を整える。
 宙に浮かべた竜鱗の光剣に意識を集中する。
 死の淵に自分を置き、命の流れを凝視する。
 自分の急所も、竜の急所も、ありありと見える。

「介錯仕る。 ……光剣一閃!!」

 竜鱗の光剣が一際強く光り輝き、振るわれる。


 一閃。


 その一撃は竜の喉奥を大きく切り裂き、骨を断ち、脳髄を削り、竜の命を刈り取った。



 もう竜と彼女が会話することは、ない。


「バイバイ、私の友だち」


◆◇◆


 生命力を使い果たして、オークの少女が倒れる。
 だがその直後に、失われた生命力を補うように、竜の魂の力が流れ込んでくる。
 殺した相手の魂の力を吸収するのが、この世界の理。

 遙かに格上の相手にトドメを刺したことで、オーク鬼の少女の身体に巨大な力が満ちる。これで死ぬことはないだろう。
 そこまで打算して、オークの少女は全身全霊で魔術を振るったのだ。友を弔う気持ちも本物だが、モンスターというのは生き汚くできているから当然だ。
 だが、もちろんそのまま死ぬ可能性も高かった。トドメの一撃程度で、ここまで膨大な力が流れこんでくるはずはないのだ、瀕死になるまで竜を痛めつけたのは森の王なのだから。オークの少女は自分が生き残る確率は五割程度だと思っていたが、これだけの力が流れてくるところを見ると、想像以上に竜は格上の存在だったようだ。

 その直後に、竜の遺骸が崩れ始める。白い菌糸に覆われて。

「これは、パラサイトマタンゴ……」

 死の森の掃除人、パラサイトマタンゴ・キング。森の王の共生者。
 おそらく竜の至る所に菌糸を仕込んでいたのだろう。
 それが、竜の死によって生命力のバランスが崩れて、一気に侵食したのだ。
 目に見える勢いで竜の遺骸が消化されて、土に還っていく。

 少女のいる場所も、白い菌糸に覆われ、どんどんと下へ下へとずぶずぶ崩れ落ちていく。

「弱肉強食。諸行無常……。儚いものね」

 増強した生命力によって、一瞬で動ける程度に回復したオークの少女は、自分の身体に身体強化を施し、急激に空洞化していく牢木の中を跳ねながら登る。
 だいぶ下まで落ちてしまった。出口は、あの竜がブレスで吹き飛ばした場所しかない。そこまで登らないと。

「よっと、っと、と。はあ、こりゃ凄い、まるで生まれ変わったみたいに身体が軽い!」

 よっぽど強い竜だったんだなあ、とオークの少女は改めて友人に感嘆の念を抱く。
 重力の軛など無いように、少女は竜の形の空洞(うろ)を飛び跳ねる。
 一本一本の太さが少女の身長ほどもある枝――あの竜は「生木の杭」と言っていたか――が何本も、竜の体があった場所を貫いている。竜の体が崩壊したため、取り残されたのだろう。

「それになんだか、妙な感覚がするねえ。まるで――」

 まるで最期の瞬間に、命の流れが見えた時のような。
 森の命が全て見えているような。
 森の王の生命力に絡め取られたような――――?

【ほう、私の声が聞こえるのか】
「――――ッ!?」

 ついにオークの少女がうろの出口に差し掛かった時、それが聞こえた。
 頭の中に直接響くような声。
 途端にぞわっとオークの少女に鳥肌が立つ。


 ――――これに逆らってはいけない。


 生存本能が、そうやってがなり立てる。
 恐らく、いや間違いない。これが、森の王。
 死の森の支配者、歩かないマンドレイク。

 ――マンドレイク・フォレストキング。


(存在の格が違いすぎる……!!)

 相手は迷宮異界(ダンジョン)になるまで成長したモンスター。
 竜を屠ったとはいえ、一介のオークとはまるで全く格が違う。
 見渡すかぎり一面の森全てが、このマンドレイク・フォレストキングの身体なのだ。

【オーク鬼。ふむ、そうか――――】

 心臓の音が痛いくらいに響く。
 この遭遇が早く終わってくれるようにと一心に祈る。

【――――いい事思いついた。お前たち、私に仕えろ】

 断ることなど、出来はしない。
 竜も生前言っていた。「森の王には逆らうな」と。
 言われなくても逆らうものか。

「っ、拝命、しました。森の王」


◆◇◆
 

 これは『森蝕時代』が始まるほんの少し前の話。
 森の王とオーク鬼が盟約を結ぶ、ほんの少し前の話だ。

=================================


【オーク・ドルイド……。じゃあ名前は『オード』ちゃんだな】
「(……ネーミングセンスが壊滅的……ッ!!)」


オーク鬼はブヒブヒという感じで共通魔物語のオーク鬼訛りで話し、竜はがおがおと共通魔物語の竜訛りで喋ってます。

2012.04.08 初投稿

因みに「マンドレイク・フォレストキング」にする前の仮タイトルは「さあ食えお前好きだろマンドラゴーラ」だったりする。
もし野菜が意識を持っていたら、そしてニンゲンの意図を汲み取って勝手に自分で品種改良されていったら……という一発ネタにする予定だった。
「マンドラゴーラって苦いから嫌いなんだよなー」
『何をーー!? なら甘くなってやらあ!! ふぬぬぬぬぬ、はあっ! 品種改良完了! さあ食えお前好きだろマンドラゴーラ!』
という感じだった。



[32229] 土の魔法戦士とオーク鬼
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:a6a7b38f
Date: 2012/04/21 13:02
『森蝕時代が始まって以降、急激に「剣と魔法の時代」は終わりを告げた。
 一人の大天才の出現によって、時代は「剣と魔法」から「鉄火と魔導具」へと移り変わっていったのだ。
 大天才、万能人――――アブドゥル・Y・アルハズラット。
 数学、物理学、化学、そして魔導力学を一足飛びに五百年は進歩させたと言われる人物である。
 彼の遺した業績は余りに高度で難解であり、それを理解し切るのに、人類は彼の死後二十年の月日を要した。
 しかし、彼の遺した業績のお陰で、人類はなんとかかろうじて森蝕に抵抗できている。

 彼の発見・発明を記した論文の中で、最も重要だとされる論文が何かは、読者諸賢にとっては言うまでもないことだろう。


 ――――「マンドレイク材からの魔力抽出方法と、マンドレイク材のコークス化、及びそれらの工業的利用法」と題されたそれである。


 この論文に提示された理論と方法により、急激な工業化と戦力増強、抽出魔力に支えられた大出力魔導具の発展が進むこととなった。
 また侵蝕する森に対して、単なる侵略者としての位置付けのみならず、魔力抽出源およびコークス熱量源としての位置づけを与えたことの意義は大きい。
 論文が理解されて以降、森との戦いは生存闘争の側面と、経済的産業的活動としての側面を持つようになり、民間資本による積極的な森蝕への対処が活発になる。
 しかしそれは一方で、忌々しいマンドレイク・フォレストキングへのエネルギー面での依存も意味しており――――』


 ――――――眠冥書房刊 『万能人“アブドゥル・Y・アルハズラット”の功罪』より引用。


◆◇◆


 だがしかし、『剣と魔法の時代』も確かに存在したのだ。
 オーク鬼とニンゲンが、互いの武と魔を競い合った時代が。
 これから語るのはそんな、古めかしくも華々しく、そして名誉と泥臭さに満ちた時代の話である。


◆◇◆


「大佐! オーク鬼です、オーク鬼の群れです!」
「性懲りもせずに奴らめ……、いくら力押しで来ても突破できないと分からんのか! 状況は!?」

 促された伝令兵が大佐と呼ばれた男に報告を始める。
 ここは森との戦いの最前線に築かれた砦である。

「森を掘り返して広げた陣地の端、この砦の北側から大挙してやってきています。
 目算ですが、完全武装のオーク鬼がおおよそ五百、それとマンドレイク・ナイトが同じく五百の混成部隊。横一列で前進中!
 オーク鬼どもは、見慣れない黒い鎧をつけています。そしてオーク鬼の前進と共に、開墾したはずの森が再生していきます!」
「オークとマンドレイクの同時侵攻だと?」

 急いで砦の上へと登り、遠眼鏡でその様子を見る。
 遠眼鏡の先では、目に見える速度で森林が広がっていっていた。

 ――森蝕である。

 前進する騎士鎧姿の樹木モンスター――森の尖兵と呼ばれるモンスター、マンドレイク・ナイトだ――は、開けた場所に出てくると、次々に膝を折り、根を張り枝を広げ、巨大な樹木に姿を変える。
 砦の周りの開けた土地を、こうやって森林化しながら制圧前進しているのだ。マンドレイクの侵攻の常套手段だ。
 砦からの弓矢や魔法は、次々と育っていく樹々を遮蔽に取られ、オーク鬼たちには届かない。オークとマンドレイクは、明らかに協力しあっていた。これまではこんなコトはなかった。

「……マンドレイク・ナイトは、戦闘要員ではなさそうだな。簡易の遮蔽兼植林要員ということか? だが妙に統制が取れている……マンドレイク・ナイトに指揮官級でも現れたのか?
 動きを見る限り、マンドレイクとオーク鬼が協調し始めたというのは、最早確定だな。どうやって意思疎通してるのか知らんが、厄介なことだ。
 そして黒い鎧……? いや、やることは変わらないか。たかが鎧程度で何が変わるものか。まさか魔導具でもあるまい、魔導具なんて豚野郎どもが五百も用意出来るわけがない」

 人類は未だ知らない。
 森蝕の立役者たる、オークの新しい階級を。
 死の森のオーク・ドルイドという、人類の天敵を。

 彼らオーク・ドルイドは森の樹々と意思疎通し、森による圧倒的な補給物量と面制圧能力そして溢れんばかりの魔力を味方にして進撃してくる。
 その上ただのオーク鬼より数倍も知能が高く、一帯の森の中全てを見通す超感覚を以って、戦場を把握し戦術を構築する優れた指揮官でもあるのだ。
 彼らドルイド種が現れてから、人類の優勢は崩れ始めた。ドルイド種の存在を、未だ人類は知らない。分かっているのは、近頃になって森の侵蝕が活発になり、人類の生存圏が脅かされているということ。

 辺境の村々が、まず森に呑まれた。
 田畑も街道も一夜で森に沈んだ。
 関所は急成長する樹木に内側から崩され、蔦覆う廃墟と化した。

 森蝕は――大森海の拡大は留まることを知らない。

 この国は優れた土系統の魔法の使い手たちが多く、森の拡大に対して土を操って根刮ぎ掘り返したり岩盤に変えたりして対処してきた。
 それでも付け焼刃にしかならなかったが、他の国よりは幾分マシである。
 地下の根塊を地面の浅い部分にまで掘り上げ、土を被せた状態で火の魔法で蒸し焼きにすることで毒ガスの発生を抑えて根絶やしにする方法は、幾らかの効果を表してきた。

 だがそれは、相手が小回りの効かないマンドレイクの末端だけだったから出来たこと。マンドレイク・フォレストキングの図体は大きいので、隅々までは意識が回らないのであった。効率の良い戦術など考えずとも、数で押せば良いとマンドレイク・フォレストキングは考えているようだった。
 オーク鬼が常に随伴しているのでは、そのような方法も取れないだろう。オーク鬼たちが邪魔な戦力を排除して、じっくりと森を広げればそれで良いからだ。マンドレイクの眷属たちも、近頃では行動パターンが変化している。明らかに即応性が上がっているのだ。まるで指揮官が居るかのように。
 これらの最近の森蝕の活発化は、森の植物への指揮権限を一部移譲した現場監督たるオーク・ドルイドの数が増えてきたことが原因であるが、人類は未だそれを知らない。

「この砦の後ろには、人口十万の街がある」

 決して、この砦を落とされる訳にはいかない。
 大佐と呼ばれた男は、決意を新たにする。

 後方の街は、とてもじゃないが、避難は終わっていないし、それだけの人員を避難させられるような土地もこの国には無い。
 避難させたところで、食わせていくことなど到底出来はしない。
 都市の人口を支えていた辺境の田畑は、駐留する軍も無かったため、早々に森に呑まれた(・・・・・・)のだから。

 これから待つのは、暗澹たる飢餓の時代だろうか。
 いくら目の前に森があろうとも、その森は『竜殺しの死の森』。人間が立ち入って、生きて帰れる保証など無い。
 豊かな森を目の前にして、人類は指を咥えて飢えていくしか無いのだろうか。

「やるぞ、これ以上森を広げさせるわけにはいかん!」
「はい!!」
「我らの土地を――田畑を取り戻すのだ! 森を伐り、土地を耕し、あの金色の麦畑を取り戻すのだ!」
「応!!」

 砦の軍人たちに下された命令は、人類領土の死守と、失われた田畑の奪回である。そうしないと、大規模な飢饉が起きるだろう。それを命じられなくとも、彼ら軍人たちの多くは森に土地を奪われた元農民の志願兵であり、土地の奪回へ向けた士気は高い。
 また少なくとも、軍人たちには散発的に森に分け入って食料を取ってくることくらいは期待されている。まあそのあたりの食料確保は狩人ギルドあたりも相当に頑張っている――頑張らされているようだが。最近では庶民の食卓にモンスターの肉が並べられることも増えてきたそうだ。随分と臭い肉らしいが、背に腹は代えられない。
 十分な食料が手に入らなければ、人類側では残った食料を巡っての内紛が始まってしまうだろう。愚かしいことだが、内部分裂で森と戦うどころではなくなるはずだ。そうならないためにも、砦に詰めている軍人たちは拠点を確保し続け、森蝕と拮抗し続けなくてはいけない。

「武器を取れ! 魔力を滾らせろ! 敵は眼前、我が国の興廃は諸君の――我らの双肩にかかっている!!」


◆◇◆


『良いか、もうこれ以上ここで前線を停滞させる訳にはいかんぞ』
『ですね』

 オーク鬼たちが攻勢に出る少し前。場所は森の境から少し入ったところの巨木の上にあるツリーハウス。
 そこで数人の指揮官階級のオーク鬼たちが『ぶひぶひ』『ふごふご』と共通魔物語のオーク鬼訛りで会話を交わしていた。
 だが人間たちに対して圧倒的に優勢なのに、どこか焦ったような雰囲気があるのは何故だろう。

『今日こそはあの小生意気なニンゲンどもを蹴散らすんだ。森王様に仕えるドルイドの神官サマも、業を煮やして来てらっしゃるんだからな。そうしないと――』

 ――――“俺らが殺されちまう”。

 そうツリーハウス内のオーク鬼が言葉を発する直前、新たなオーク鬼がツリーハウスへと入ってくる。
 割と小柄な(と言ってもニンゲンの大柄な成人男性くらいはある)、草木染めのローブに身を包んだ、仔豚のような顔をしたオーク鬼だ。
 部屋の空気が瞬時に凍る。

『こ、これは神官サマ!?』
『ふむ、“そうしないと――――”、何だね? 続け給え』
『い、いえ、何でもございません。それより、どうしてここに?』

 神官サマと呼ばれた雄のオーク鬼は、魔性の森の王と意思疎通を可能としたオーク・ドルイドのうちの一体である。膠着した戦線を打破するために派遣された者だ。その幼い顔は、強大な魔力による若返りとも、ドルイドに目覚めるための恐ろしい試練によって成長が止まったのだとも言われている。
 ……またオーク・ドルイドは、督戦隊でもある。森のオーク鬼が、オーク・ドルイドたちによって森の王の下に統率されてからまだまだ日が浅いから督戦するものが必要なのだ。
 オーク鬼の全群は今は未だ、森の王の完全に忠実な下僕ではない。オーク・ドルイドとは違い、信仰に、侵攻に、森興に、魂までも捧げたわけではない。彼らオーク鬼の群れを縛るのは、オーク・ドルイドとマンドレイク・フォレストキングへの恐怖だ。今は未だ、信仰ではなく恐怖のみだ。

 だが、森の王が与えるのは、恐怖だけではない。
 森とは底知れぬ闇であり、また限りない恵みでもある。
 庇護下にあるオーク鬼たちには、相応の加護が与えられるのだ。

『ここに来た理由、か。約束していた新装備の準備が出来たから知らせに来たのだよ』

 ニヤリと笑って、オーク・ドルイドは告げる。
 指揮官階級のオーク鬼たちがざわめく。

『おお、それは素晴らしい』
『ふん、いくら何でもこれまでと何も補給や装備の状況を変えずにして、戦線を押し上げろとは言わないさ。
 森王様は慈悲深いのだ。さあ外に出てその加護を受け取ると良い』

 胸を張るオーク・ドルイドが、外へと促す。
 他のオーク鬼たちは、期待と不安を胸にして外へと出て、ツリーハウスから飛び降りる。重い着地音。枯れ葉が舞い上がる。
 遠く離れた他の戦線で噂になっている新兵器だろう。オーク鬼たちが期待に胸を膨らませる。オーク鬼の新兵でさえも一騎当千の英雄に変貌させるという新兵器。確かその名前は――

『これが……“森の鎧”』

 立ち並んだ樹々の幹から、オーク鬼たちのサイズに合わせた鎧が生え出ていた。
 無数の主なき鎧は、黒々とした樹液の色に染まっていた。
 この最前線に居る全てのオーク鬼の数だけ、鎧は用意されているようだ。

 オーク・ドルイドが、胸を張って手を広げて、仕える王の成果を誇る。

『そう! これこそが“森の鎧”!! 鋼より硬く、溢れんばかりの魔力を湛え、動作を助け主を守る最高の鎧――――まあ尤も現時点での、と注釈が付くがな』
『――――ッ!』

 禍々しいまでの魔力を垂れ流すその漆黒の鎧を前にして、オーク鬼たちは言葉も無い。
 しかもこれはまだまだ改良途中の試作品だという。
 試作品とはいえ、これならば散々今まで辛酸を嘗めさせられてきたニンゲンどもを叩き潰すことが出来ると、オーク鬼たちに確信を抱かせるには充分だ。

『さあ、叩き潰してやろう! 思い知らせてやろう! この地上にニンゲンの住処など無いということをな!
 あまねく全ての土地は、森王様の為にあるのだ。――森を広げよ! 隅々まで! 何処までも! 山も谷も越えて、蝕むのだ!
 それこそが森王様の望み! 我らは森王様の信徒にして使徒なり! 森なくして我らは在らず! 邪魔なニンゲンどもは――――皆殺しだ!!』

『『 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 』』

 鬨の声が上がる。虐げられて森に逃げ込んだオーク鬼たちが逆襲に出るのだ。“もはやニンゲンの時代ではない”と。


◆◇◆


 アーネストは戦士であった。
 日々鍛錬に時間を費やし、モンスターを討伐して国を守ってきた歴戦の戦士。国を守る防人。
 修羅の日々を思わせる頬の十字傷が、彼の精悍な顔に凄みを加えている。

 大佐の号令の下、軍人たちが砦から打って出る。その中には彼――アーネスト――も含まれていた。
 籠城していては、周り中を全て森にされてしまう。篭城に意味は無い。奴らオーク鬼たちは砦を落とす必要など全くなく、丸ごと森に呑み込んでしまえば良いだけだからだ。補給と援軍を絶たれて孤立することが目に見えている篭城策など、緩慢な自殺でしか無い。
 そして彼ら軍人は、これ以上森を広げさせる訳にはいかないのだ。だから彼らは砦の優位を捨てて打って出る。オークの群れを退け、森を開墾しなくてはいけない、森が広がる以上の速度で。籠城している時間など無い。

「森は滅ぼさなきゃならねえ。また鍬引きの牛の真似事かと思うと気勢が萎えるが――――国のため、家族のためだ」

 アーネストは自分の得物である長槍と大盾を握り直す。
 彼の周りには、同じ得物を握った同僚たち。大佐が号令をかける。前進せよ、と。
 号令に従い、彼らは密集方陣で前進する。ファランクスである。

 木々の間から出てきたオーク鬼たちが、遮二無二突撃を仕掛けてくる。
 陣形など無い突撃は、知能がそれほど高くないモンスターであるオーク鬼だからか。死の森の加護を受けたオーク鬼といえども、種族的な知性の低さはいかんともしがたいのか。
 両者の叫びがぶつかる。

『ぶるぅあああああああああああ!!!』
「おおおおおおおおおおおおっ!!!」

 いつもならこの程度、ファランクスで充分に受け止められるはずだった。受け止めて、魔法でふっ飛ばすなり埋めるなりすればそれで良いはずだった。何度もそうしてきた。

 だが、今回は違った。

「なっ!?」
『ぶるぅおおおおおおおおおおおお!!!』

 漆黒の木製鎧を着込んだオーク鬼たちは、止まらない。身体強化の魔法でも、ここまで急に力は上がらないだろう。
 まるで木の葉のように、盾を構えた兵士が巻き上げられる。人の背丈の三倍近い高さに巻き上げられた兵士の行く末は語るまでもない。鎧の落下音、あらぬ方向に関節が曲がる音と痛みによる絶叫が戦場に響く。ファランクスが引き裂かれていく。
 アーネストの目の前にも、既に風を巻いて漆黒鎧のオーク鬼が迫っていた。

「だが所詮は馬鹿力に過ぎん! 土よ我が意を汲みて蠢け!!」

 人間様を嘗めるな!! とばかりにアーネストは咄嗟に魔法を行使する。
 それは些細な魔法。一抱えほどの土を動かすだけの魔法だ。
 だが、それを走りこむオーク鬼のその足元に展開してやれば? 踏み出した足の着地点を凹ませ、その分軸足の下を持ち上げてやれば?

 ――結果=転倒。

 アーネストの高速の魔法行使が、オーク鬼の足元を掬った。アーネストの神速の魔法行使は、この砦の軍人の中でも上位に入るだろう(発動規模はともかくとして、速度だけなら)。日々の訓練の賜物である。

『ぷぎっ!?』

 突撃(チャージ)してきていたオーク鬼が、躓いて盛大に吹っ飛ぶ。

 だが。

「なっ、貴様本当にオークか!?」
『ぷぎっ!』

 躓いて盛大に回転して最後に空中に投げ出されたオークが、鎧から風の魔法を噴出してひゅるひゅると華麗に回転し、着地を決める。その動きはまるで猫系のモンスターのごとし。
 無事に着地したオーク鬼の顔は、どことなく得意気だ。擬音をつけるなら“ドヤァ”であろう。

「あの顔! あの顔! したり顔しやがって……!」

 だが、好機。

 着地したばかりのオーク鬼は、硬直している。
 あるいは、まだあの不可思議な鎧に慣熟していないのかもしれない。それで戸惑っているのか?
 アーネストは長槍を捨てて、駆け出す。大盾の裏から直剣を抜き、オーク鬼に斬りかかった。

「ぁあッ!!」
『ふごっ!?』

 オーク鬼が、鎧の何処かから、棍棒を取り出す。
 ――あんなものを持っていたか? まるで鎧から生えたような……。アーネストは疑問に思うが、追求する時間は無い。

 アーネストはオーク鬼との膂力の差を、技量と高速発動の魔法で補い、何合も打ち合い続ける。
 オーク鬼たちは何故だか知らないが非常に強化されているようだ。それを一人で相手取るなど無謀もいいところ。
 だが、アーネストが一人でオーク鬼を押さえれば、その分だけ周りのオーク鬼に掛かる人数が増える。そうすれば全体としての勝機が増す。

「ここは引き受けた! てめえらは周りの奴らを手伝え!」
「おう! 死ぬなよ、アーネスト!!」
「この俺が死ぬものかよ!」

 混戦になり、敵味方が入り乱れている。
 あちこちで人が舞い上げられている。
 嘘のような光景だ。だが現実だ。クソッタレ。

 アーネストが土を操り、相対するオーク鬼の身体を翻弄する。
 大地を操る彼によってオーク鬼は転がされ、その漆黒の鎧も泥に塗れていく。
 オーク鬼の顔が屈辱に歪む。

『ぷぎゅるぐぁぁあああああああああ!!』
「そうだ、そのまま向かってきやがれ! 他所に浮気すんじゃねぇぞ?」

 眼の前のこいつはアーネストが引き受けないといけない。戦友のために。国土のために。

「来やがれ! 豚野郎!!」
『ふンがぁぁあぉおおおお!!』

 オークの棍棒の一撃がアーネストの盾を叩き、彼の身体を吹き飛ばす。
 アーネストは魔法で着地点を軟泥化してダメージを殺し、即座にまた魔法で土を操る。着地点の土をまるでトランポリンのように変化させて舞い戻る。
 オーク鬼が文字通り飛んできたアーネストの攻撃を受け止める。アーネストはそのオークの足元の土を操作。オーク鬼に踏ん張りを効かせないようにする。

 転倒、殴打、防御、魔法、剣戟――。
 何十合もアーネストとオーク鬼は打ち合う。

 瞬間、一人と一匹の目が合う。
 お互いの目は笑っていた。
 闘争の愉悦と、強敵との邂逅に、笑っていた。

「やるな、豚野郎」
『ぷぎぎ』

 彼らは種族は違えど戦士なのだ。
 睨み合う一人と一匹。
 一瞬だけ戦場に静寂が訪れたかのような錯覚。

『ぐるぁ!!』
「ちっ!?」

 突如、静から動へ。
 オーク鬼の渾身の攻撃が、アーネストの直剣を弾き飛ばす。
 アーネストの体勢も崩れた。
 絶体絶命。アーネストの命運は尽きた。オーク鬼が笑う。強敵よさらば。

「なーんてな」
『ッ!?』

 その瞬間、オーク鬼の身体が硬直する。
 動けない。見えない何かに押さえられているかのような感覚。
 オーク鬼の眼に混乱が見て取れる。

「テメエの身体を見な」
『?』
「ゴロゴロ転げて泥まみれ(・・・・)だろうが」
『!!』
「操らせてもらったぜ、その泥を」

 アーネストの土操作の魔法が、転倒しまくって泥に塗れたオーク鬼の、その泥を対象に発現したのだ。
 鎧の隅々に入り込んだ泥が、オーク鬼の動きを阻害する。
 オーク鬼の強化はやはり漆黒の木製鎧によるものらしい。泥を噛んで、鎧の動作が止まってしまう。

「トドメだ! 往生しろよ!」

 最初に捨て置いた長槍が、アーネストの操る土の魔法によって勢い良く運ばれてくる。オーク鬼は動けない。
 間髪おかずに、速度の乗った長槍がオーク鬼の眼玉に向かって突き刺さった。
 だがオーク鬼は、悲鳴ひとつ上げなかった。ただ、残った方の目でアーネストを見つめた。

「…………」
『…………』

 そこには奇妙な絆があった。
 命を掛けた者同士が感じる、不思議な絆が。
 至近距離の戦場でのみ生まれる、種族を超えた連帯感が。


◆◇◆


 これはそんな、古めかしくも華々しく、そして名誉と泥臭さに満ちた時代の話である。





 ――――だが、そんな感傷など、森の王には全く関係がないのだ。


◆◇◆


 戦場の乱入者。
 小柄なオーク鬼が軽やかに飛び入ってきた。
 そいつは他のオーク鬼とは異なり、ローブを身に纏っている。

『ちっ、何をニンゲンに負けてんだよ、使えねえなあ! 死ぬなら――――森の礎になって死ね!!』
『ぐ、ぎ。神官サマ……?』

 片目を貫かれた息も絶え絶えのオーク鬼が、闖入者のローブのオークを見る。
 その瞳は恐怖の色に染まっている。

「新手か!?」

 アーネストがローブのオークの方に向き直る。オーク鬼たちは何やら魔物語で会話しているらしいが、アーネストには内容はわからない。
 ローブのオーク――オーク・ドルイド――は、アーネストの方など見向きもしない。
 ただ震える鎧のオークへと腕を向け、死刑宣告のような呪言を唱えた。

『汝れ(なれ)一塊の肉塊なり。ただ一塊の土塊(つちくれ)なり。肉は土に、土は森に! 汝が身命の全ては、森の王の礎に!!』
『ぎ、いいいいいいいいいいいいい!??!? し、神官サ、マァ――!?』

 その瞬間。
 鎧のオークの断末魔とともに、その漆黒の鎧が脈動した。

「な、なんだこりゃあ……」

 アーネストが呆然と見上げる(・・・・)。

 そう、鎧を着込んだオーク鬼など、そこにはもう居なかった。
 脈動する鎧に呑み込まれたオーク鬼が居た場所には――

「ジャイアント・ウッドゴーレム……? いやジャイアント・マンドレイクナイトとでも言うのか? 攻城級の兵器だぞこんなもの……」

 瀕死だったオーク鬼の生命力と魔力、肉体の全てを苗床に成長した“森の鎧”だったものが、絶望的な存在感を持って屹立していた。
 鎧から蔦と根が生え、瞬きの間に、そこに樹の巨人が出現したのだった。その中に居たオーク鬼がどうなったかなど、簡単にわかることだ。
 オーク・ドルイドの詠唱の通りに、生きている鎧にして森王の端末であった“森の鎧”が内部に居たオーク鬼の全てを吸収して急速成長したのだった。

 いつの間にかその巨大な樹の化物の肩には、オーク・ドルイドが乗っていた。
 ドルイドのの背丈ほどもあるジャイアント・マンドレイクナイトの顔部分からは、長い一本のツノが生えている。そのツノはオーク鬼の兵士に突き刺さっていたアーネストの長槍を軸にしているのだろう。
 ドルイドは『ツノ付きか、悪くない』と満足気に呟くと、進撃の号令を下す。

『我は始まりのドルイドたる“オード”様の弟子――――ダーマなり!! 行け、蹴散らせぃ!! 森王様の行く手を阻むニンゲンどもを轢き潰すのだ!!』

 樹の巨人が足を振り上げ、ニンゲンが密集している場所へと突撃していく。
 見ればいつの間にか他の場所でも、瀕死のダメージを受けたオーク鬼たちが、増殖し成長する鎧に呑まれてその八倍もあるような樹の巨人へと置き換わっていっていた。

 オーク鬼が漆黒の鎧を着込んでいたのではなく――――漆黒の鎧がオーク鬼を取り込んでいたのだ。
 いざオークたちが死にかけた時に、オーク鬼を取り殺して彼らの魂の力がニンゲンたちに流れないようにし、そして彼らを養分にするために。
 死にかけのオークから魂の力を回収して成長し、戦場を蹂躙するために。

「くそっ! チクショウ! やらせねえぞ!! ここを森になんてさせるもんかよ!!」

 アーネストが吼えて、勝ち目のない特大の暴力へと向かって飛び出す。
 彼の戦いはまだまだこれからだ!


◆◇◆


 砦は陥落し、翌日には青葉繁る森となった。
 森蝕は止まらない。


===========================


『空気を読まないオーク・ドルイド――――、ダーマッ!』 てーてれーて♪てれ♪ ポコポコポコポコポコポコポコポコ てれ ってれー♪てんっ♪
瀕死の敵が巨大化するのは当然です、日曜朝七時半からのお約束的に。


■アブドゥル・Y・アルハズラット
某人造神話の狂ったアラブ人から名前を拝借。もちろん偽名。邪神は別に関係ない。アリシア・Y・アーミテッジさんとは異なり、ミドルネームのYはヨグではない。
レオナルド・ダ・ヴィンチとニュートンとガウスとフェルマーとアインシュタインとホーキングとノイマンなどなど各分野の偉人を足して割らない感じの超絶天才。多分業績を論文にする時間が人生一回では足りない人。ぶっちゃけると人類側のデウス・エクス・マキナ(モンスター側はマンドレイク・フォレストキングがそれにあたる)。
こいつをメインにした話――『ラストマンとオーク鬼』――も構想中。

■剣と魔法 →→ 鉄火と魔導具
いつから剣と魔法の世界だと錯覚していた? いやまあ今回の話はまだ剣と魔法の世界ですが。
人間だって手をこまぬいているわけじゃないのです。技術は進歩する、明確な敵がいれば特に。だけど進歩するのは人間だけでは無い……。
短編連作で思いつくままに書いているので、今後は時系列があっちこっち飛ぶと思います。銃とかロボットとか巨大建造物とかカッコイイですよね。

2012.04.21 初投稿/若干修正



[32229] スライムと女斥候とオーク鬼
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:a6a7b38f
Date: 2012/06/27 23:54
『むかしむかしのお話です。
 森が広がるよりも、ずっとずっと昔のお話。

 暴れまわる竜王が居ました。
 強い竜の中でも、さらに一等強いのが、竜王です。

 竜王は気まぐれに街を襲い、生贄や財貨を要求します。
 軍隊が討伐に向かいましたが、倒すことは出来ません。
 国で最強の騎士団長も、爪の一薙で命を落としました。
 滅んだ国も、片手では数えきれません。

 暴れる竜王に、ひとびとはみんな、困り果ててしまいました。

 そんなとき、一人の若者が立ち上がりました。
 竜王の戯れで住んでいた村を焼かれた若者です。

「竜王め! ボクが倒してやる! 村のみんなの仇だ!」

 涙を流して吠えながら、若者は誓います。
 ですが強くならなければ、竜を倒せません。
 そして仲間が居なくては、竜を倒せません。

 若き勇者は、正義を胸に、仲間探しと武者修行の旅に出ます。
 長い長い旅になるでしょう。

 焼け野原になった故郷の村を目に焼き付け、祈りを捧げると、若者は旅に出ました』


 ――――ぽりーぷ社刊『こどもむけ セントブレイブけんこくぼうけんたん』より引用


  ◆◇◆


 ――夢を見ていた、ような気がする。とても幼い頃に読んでもらった、昔話、御伽話。

(というより、ここは、どこだろう)

 熱病に冒されたようにぼんやりと浮遊する意識。
 フワフワと浮いているような、不安な身体感覚。
 薄ぼんやりと滲んだ視界と綿でも巻かれたみたいな聴覚。


 息は――していない。

 ――だが不思議と息苦しくはない。


 心臓は――動いている。

 ――今にも止まりそうだ。


 周りは――見える。

 ――だけど認識できない。


 私は――生きているのか?

 ――多分死にかけだ。



 ゆるゆると、口と言わず不浄の穴と言わず、あらゆる穴から出入りする何かを感じて、彼女は思う。


 ――ああ、私は消化されているんだ。


 流動する粘液が、彼女の中へとあらゆる穴から出入りして栄養を奪う。

 傍には、人間の皮だけが粘液の塊の中に浮かんでいる。完全にぺたんこになっていないのは、中に骨が残っているためだろう。
 ……小隊の仲間の成れの果てだ。傷口から入り込んだ粘液によって、肉を消化されてしまっているのだ。彼らの虚ろな眼窩は、何を映すこともない。
 彼女が生き残っているのは、身体に些細な傷もなかったせいだ。粘液が侵入できるような傷口がなかったからだ。もし口内炎の一つでもあれば、彼女を捕らえた粘液はそこから侵入し、周囲の人皮と同様に中身を吸い尽くしたことだろう。

 ――ジャック、アーロン、ヴィンセント、スティーブ隊長……。
 ――みんな良い人だったのに、こんなところで死んで良い人ではなかったのに。

 彼女は朦朧とする意識で、かつての仲間たちを想う。
 息をしてないのに生きているのは、肺に入った粘液を介して酸素が供給されているからだろうか。
 いっそ死ねたら楽になるのに。

 彼女の意識は、ここに至る経緯を少し思い出す。

 ここは竜殺しの死の森。
 その名を口にするのも忌まわしいので、市井では“シノシノ森”なんて可愛い名前で呼ばれている。
 実態はそんな生易しく可愛らしいものではありえないが。

 その中でもここは、かつては“病み沼”と呼ばれた場所。

 “病み沼”を支配していたボスモンスターであった“病魔のキングスライム”……それを調伏して葉先に宿した、モウセンゴケ型のマンドレイクが蔓延っている湿地帯だ。
 湿地からは、一つの葉の大きさがニンゲン何人分もあるような巨大なモウセンゴケがところどころに生えている。生えているのはモウセンゴケだけではないが。ミズゴケのようなものだって沢山生えている。
 彼女と、その仲間の皮が漂っているのは、巨大なモウセンゴケの葉の上に乗っている消化粘液――いや、この粘液こそが“病魔のキングスライム”の成れの果てなのだ。『分割し、統治する』というのは、何もニンゲンに限った話ではないのだった。強力なスライムのボスも、こうなっては形無しだ。

 無残な目に遭った(遭っている)彼女たちは、決死隊として近隣の国から派遣された軍人であった。
 この森を調査し、危険度を的確に把握するために(把握し続けるために)、周辺国家は定期的に調査部隊を送り込んでいる。勿論彼らに命の保証は無い。死して屍拾う者なし。
 だが、彼女はそんな危険なシノシノ森の奥地で“一つの傷もない綺麗な身体”のままであった。――これは何を意味するのだろう。まあそれも、今の生命の危機の前には何の意味もないか。

(ああ、わたし、しぬのかな――)




「ああれぇ? まだ生きてんのかー? 珍しーこともあるもんだぁー(ぶひぶひ、ぶひひひ、ぶひんぶひひひんぶー)」

 意識を落とす直前、彼女の朦朧とした視界に、何かの影が映ったような気がした。
 そして、ぶひぶひという鳴き声が、粘液に犯された耳の奥へと届き――――彼女は完全に意識を失った。


  ◆◇◆


 この世界で最も忌まれる死に方の一つが、病死である。
 何故なら、死の際に魂の力が譲渡されるというこの世界では、病原菌でさえその例外ではないからだ。
 生物は常に腹の中の微生物を殺し、日々、魂の力を微量だが蓄える。故に、人々は歳を経るごとにある程度はレベルが上がるのだ。生きるだけで生物は何かを殺している。

 そして当然、その逆だって起こり得るのだ。
 つまりそれが、病死だ。
 病原菌が、ニンゲンを殺す。食物連鎖の大逆転。

 ニンゲンという遥かに格上の相手を殺した病原菌は、そのニンゲンの魂の力を以って変異し、魔物となる。巨大化し、あるいは群体化し、モンスター――――スライムへと変異する。
 他にも病死した野生動物からもスライムは発生する。いつどこからでも現れ得る、ゴキブリよりも厄介な魔物だ。

 だが大きくなったとはいえ、所詮微生物は微生物。
 さくりと殺してやれば、何の問題もないし、実際に弱い。
 小さいスライムは踏み潰せばいいし、大きくなってもその細胞膜を切り裂いてやれば良い。普段は取るに足らない魔物だ。

 だが、流行病の場合は別で、最悪のケースを招くことがある。
 村中のニンゲンが流行病で弱った時に、その流行病の強力な病毒性を宿したスライムが発生することがあるのだ。
 それはそろりそろりと伏せる村人に忍び寄り――順々に取り込んで殺してしまうだろう。
 そして村を蠱毒の底に沈めて、その中から喰らい合って生き残った一匹が、ボスモンスターと呼ばれる強力なスライムとなり、周囲を縄張りとしてしまう。そうして、かつての牧歌的な村は、死体と腐臭と病毒にあふれた小迷宮(プチダンジョン)へと変貌するのだ。


 ボスモンスター同士の縄張り争いというのも、この世界ではありふれたことだ。ニンゲン国家が争い合うように、それは自然の摂理なのだ。小迷宮は無数に生まれては消えていく。それでも“竜殺しの死の森”のように巨大な迷宮異界にまで成長するのは、稀有な事例だ。

 マンドレイク・フォレストキングが支配する“シノシノ森”も、四方八方に日々拡大し続けている。周囲に何があろうと関係なく。
 当然、そこに立ちはだかるのは、ニンゲンだけではない。ニンゲンの国だけではなく、魔物たちの縄張りも、シノシノ森の周囲には存在しているのだから。
 そして森は、それら全てを区別なく併呑しながら広がっている。他のボスモンスターが支配する地域を呑み込んで、共存し、時には殲滅しながらも、森蝕は留まることを知らない。

 森が呑み込んだ中には、かつて疫病に沈んだ村であった場所――“病み沼”という小迷宮(プチダンジョン)が存在していた。
 ボスモンスターは、“病魔のキングスライム”。伝染病で滅んだ村に生まれた、病魔の化身だ。



 しかしそれは過去の話。
 “病み沼”は既に森に呑まれ、不気味な湿地帯へと変貌している。
 スライムを載せたモウセンゴケ型マンドレイクがはびこる魔性の湿地帯へと。ボスであったキングスライムは、マンドレイクに飼い馴らされたのだ。

 そこにあるだけで害毒になるような小迷宮を幾つも呑み込み、森は広がる。時にはその小迷宮のボスモンスターさえも支配下に置いて、さらにはそれに森の魔力の恩恵を与えて。そうやって周囲の魔物ごと呑み込んで勢力を広げていくから、森の危険度はその面積が広がる度に上がっていくのだ。
 そして当然ながら、森の内部に取り込まれた、小ボスや中ボスとも言えるかつてのボスモンスターの動向・内情というのは、周辺の人類国家にとっての重要関心事である。いつの日か森を攻略するために必要な情報だ、定期的に決死隊を送り込む程に。

 かつての“病み沼”に赴き、モウセンゴケに絡め取られた彼女も、そうした決死の調査隊の一人であった。


  ◆◇◆


「う~ぅん……」
「ようやく起きタかー?」

 彼女が目を覚ますと、そこは殺風景な部屋だった。窓もない。照明も暗く、最低限以下の明るさしか無い。暗いのは、眠っていた彼女に配慮したのだろうか。
 調度品は全くない。いや、椅子の上に何かが座っている。部屋の中にあるのはそれだけだ。つまり彼女に話しかけてきたのは、そいつなのだろう。
 ずんぐりむっくりした体躯。鍛えあげられた太い腕。潰れた鼻――豚鼻。下手糞な交易共通語を話すのは、しかしニンゲンではなかった。

 ――オーク鬼……?

 森の尖兵。マンドレイク・フォレストキングの奉仕者。人類種の天敵。
 シノシノ森が広がり始めて以来の怨敵。

「ほトんどミイラみたいナ状態から三日で復調すルとは、人間離れしていルナー。相当にレベルが高いノか、それトもー何かしらノ特殊能力かー……」
「……っ」

 そう呟くオーク鬼の瞳は、思慮深そうな蒼色に染まっていた。高度な教育を施された指揮官階級か、あるいは何かの研究者なのかもしれない。ひょっとしたら祭祀(ドルイド)階級か。
 オーク鬼の社会形態に関する研究は、まだ余り進んでいない。森に入った調査隊のほとんどは地形調査だけで精一杯であるし、オーク鬼に遭遇すれば第一に逃げることが推奨されている、敵対しては死あるのみと。情報は持ち帰らなければ意味が無い、故に逃亡一択。……それでも、モウセンゴケに絡めとられた彼女たちのように、未帰還者は後を絶たない。
 数少ない研究の結果分かっていることは、オーク鬼たちには幾つかの階級があり、オーク鬼たちは森の王であるマンドレイク・フォレストキングを崇拝していること(少なくともそれが主流であること)。そして祭祀階級であるオーク・ドルイドは、森の王の力を自在に振るえ、それによってシノシノ森のオーク鬼全体を一つに統率していること。オーク鬼にもオーク鬼の王がいるという噂もあるが、これは未確認だ。

(……生命は助かったけれど、まだ危機を脱したわけじゃあなさそうね。あのスライムモウセンゴケから助けてくれたってことは、今すぐにどうこうするって事ではなさそうだけれど)

 何よりも、情報収集が必要だ。
 そして最終的には逃げ出さなければいけない。
 彼女自身の所属する国家のために、そして一族の使命を果たすために。それを通じてしか、彼女の居場所は存在しないのだから。

 幸い、目の前のオーク鬼はニンゲン国家で広く話されている交易共通語を操っている上、いくらか彼女に好意的なようだ。
 交渉ごとは苦手だが、いまはもう、彼女だけしか居ないのだ。小隊の仲間は、もう誰もいないのだ。

(スティーブ隊長……)

 頼り甲斐のある隊長は、もう居ない。

 彼女自身で何とかするしか無いのだ。
 決死の調査隊は「死して屍拾う者なし」。それは周知のこと。
 救出の援軍が派遣されることは、有り得ない。

 じっとりとした冷たく重い空気。
 水辺特有の冷気を感じる。同時に腐朽菌による独特の生臭いニオイも。
 案外ここは、病み沼から離れていない森の中なのかもしれない。

 壁越しに、笛を鳴らすような何かの鳴き声が聞こえる――――「テケリ・リ! テケリ・リ!」と、葉が擦れる音とともに、聴くものの精神を苛む鳴き声が。
 彼女はゾッとする。

「スライムどもが、よく鳴く日だナー」
「これスライムの声! というかスライムって鳴くのっ?」
「いつノ間にか笛ノ音を覚えていてナー。結構あたま良いノよナー」
「貴様が仕込んだのかっ!」

 呑気なオーク鬼に思わず突っ込んでしまい、ハッと口に手を当てる。
 ふごふごと低く笑うオーク鬼が、愉快そうに彼女を眺めている。
 こういう尋問の場面では、何であれ会話に応じた時点で負けなのだ。そこから芋蔓式に口を割らされるから。

 だがまあ良い、どの道このオーク鬼と会話して情報を引き出さなければいけないのだ。遅かれ早かれという問題だ。
 そうだ、情報を引き出そうとしているのはオーク鬼だけではない。
 それに先ほどの会話で、貴重な情報が得られた。

(場所は、病み沼からそれほど離れていないみたいだな。スライムの鳴き声が聞こえる程度には……)

 確か“病み沼”の辺りでは、これまでオーク鬼が確認されたことはなかったはずだ。
 恐らくだが、この周囲に居るオーク鬼の数は多くないのだろう。脱出の目はまだある。
 そうやって虎視眈々と機会を伺う彼女の前で、オーク鬼は、小さな金属片を取り出す。今まで眠っていたので瞳は順応しており、暗い中でも金属片とそれに埋め込まれた赤い宝石のような結晶がよく見えた。

「……えート、ナにナに――」
「それは私の認識票!」
「『カンナ・ブレイブハート』『女』『竜伐歴376年9月12日生まれ』――ってこトは今、24歳か――『O型』『聖勇国セントブレイブ陸軍所属』『少尉』……」
「このっ、返せ! 返しなさい!」
「おっと」

 彼女――聖勇国陸軍少尉であるところのカンナ・ブレイブハート――は、寝かされていたベッドから飛び上がり、蒼眼のオーク鬼から認識票を取り返す。これは今や、彼女と祖国を繋ぐ唯一の証なのだ。失くす訳にはいかない。
 取り返した認識票を両手で包み込み、胸元へと持って行って庇う。それにこれは最後の命綱なのだ。赤い結晶の輝きがカンナの手に包まれて隠れる。

「そんナに大事ナもノだったか? まあ情報は写したから、返しても問題無いかー?」
「……」
「黙られるトー、困るナ」
「……」

 威嚇するように睨みつけるカンナに対し、処置なしという具合にオーク鬼は肩を竦めた。

「取り返したりは、しナいよ。植樹軍元帥ノ、ダーマ爺さんとは違って、ワタシはニンゲンにも少しは優しいからナー」
「ダーマ……敵兵すらも糧にして戦場を森に変えるという、歴戦のオーク・ドルイドか」
「流石に有名ダぁねぇ、あノ爺さんはー。ニンゲンやオーク鬼を、ぽんぽんとジャイアント・マンドレイクに転生(転職)させる手腕は、ナカナカのもノだーね。それにまあ、かれコれ百年以上も前線でやらかしてりゃあ、有名にもナルかね。ドルイドは寿命が長いからナー」
「各国が懸けた討伐賞金を全額合わせれば、国を買ってお釣りが来ると言われているわ」
「けヒヒ、さもありナん」

 植樹軍元帥ダーマといえば、幾多もの国を森に沈めてきた怪物的なオーク鬼だ。戦場に出る度に、大音声で名乗りを上げるため、ニンゲン側勢力にも、“元帥ダーマ”として認知されている。

「まあ、ワタシはあノ御老体は嫌いナノだガーね」
「……あの元帥は、オーク鬼の英雄ではないのか?」
「彼は単なる戦争狂ですダーよ。ワタシのようナ事務屋……というか内政屋かラしてみれば、ポンポン森を広げラれても困ルだけ……。風土にあった樹種の選定と改良、最も効率的ナ樹種の組み合わせ、魔物を含めた生態系ノ構築や、最近進歩が著しいニンゲンの鹵獲兵器の研究……やるべきことは山積みナのさナー。――そう、内政トいうノは、誰にも邪魔されず自由で、ナんトいうか救われてナくてはダメなノです、独り静かデ、豊かで……」

 オーク鬼にも派閥というか、内部対立というものは存在するらしい。
 まあ何処かの国では三人集まれば七つの派閥ができるとも言う。強大な森の王の下で統率されていても、彼らオーク鬼の豚鬼関係(にんげんかんけい)は複雑怪奇なものにならざるを得ないということなのだろう。

「……同じオーク鬼でも、そういう対立があるのか」
「――ニンゲンと似たようナもノ……ま、ニンゲンより我々はマシだと自負しテるがねー。現に、ワタシとダーマ将軍は、そこまで反目しあってルわけではありマせんしー」

 戦争屋は内政に口出さないし、補給を司り行軍を支える内政屋に対して、一目置いている。内政屋も内政屋で、外敵を防いでくれて、やりがいのある新興開拓地(しごとば)を提供してくれる戦争屋を、本心では嫌っていない。
 お互い無くてはならない存在なのだ。内政屋は戦争の実行部隊になんてなりたくないし、戦争屋は内政なんぞしたくもないのだ。適材適所というのは適者生存の世界を生き抜くのに必要な合理性なのだ。
 彼らオーク鬼たちは、森王の狂信者でありながらも、合理主義者であった。合理的手段で以って、狂信的な一つの目標に向かって突き進む。それは決して矛盾することではないのだった。

「我々は狂信ノ徒だが、理性的に狂っテいる」
「魔物が理性を語るとは、世も末だな」
「末なノは『ニンゲンの世』ノこトだろー。『オーク鬼の世』は今ここから始まるノよな」

 恍惚として語る、蒼眼のオーク鬼。
 そうだ、ニンゲンは今や斜陽の種族で、世界の夜明けは、森とオーク鬼を祝福しているのだ。少なくともオーク鬼たちはそう信じている。

(いや、違う。これは、この森蝕は、ニンゲン自らの業が招いたことなのだ――否、それもまた違うか、ニンゲン全体というよりも、もっと直接的に私の先祖の業が……)

 先ほど夢で見た御伽話に思いを馳せ、カンナ・ブレイブハートは、ニンゲンの――彼女の一族の業を想う。

「ま、そレはともかく。アナタはナカナカ教養豊かソうですし? ちょっくラこっちノ尋問に答えチゃくれまセんかねー?」

 カンナの思考を遮って、蒼眼のオーク鬼が、数枚の絵をぺらりと差し出してきた。廃墟らしきものを描いた風景画だ。

「こレは、一体何でシょう? ワタシは、それを知りタい」
「……」

 オーク鬼が、巨大で頑丈な葉を切って脱色したものを紙として使っているというのは、カンナも知っていた。討ち取ったオーク鬼の中には、家族からの手紙か何からしい紙を持っている者も居たからだ。
 蒼眼のオーク鬼が差し出したその紙に描かれていたのは、人工的な直線をいくつも組み合わせた箱だ。巨大なパイプ、細いパイプが縦横無尽に無骨で巨大な箱を取り囲んでいる。高さは、周囲に描かれた樹の高さから類推するに、五階建てのビルくらいはあるだろうか。
 そして、その鉄箱を取り囲むように、太い木の蔦が巻き付いている。カンナが廃墟だと感じたのは、その蔦のせいだ。彼女はシノシノ森に調査隊として赴く途中で、蔦に締め付けられて崩れた廃墟を多く見てきた。

「最近、あのダーマ爺さんが併呑しタ地域で接収さレた建造物でス。もともと、貴女ノ国のモノだった建物だ」
「……」
「我々は油断シない。油断ナく研究し、学ビ、備え、そして上回ル」
「森が味方なら、そこまでやる必要はないだろうに」
「だがそレは森王様の力であって、オーク鬼の力ではナーい。我々の力を示さネば、いつ捨てらレるとも限らナーい」

 森の同盟者としてのオーク鬼だが、もし将来オーク鬼よりも有能な種族が森王に協力することになれば、いつか見捨てられてしまうかもしれない。そんな恐怖を一部のオーク鬼たちは持っている。信仰する相手は、神よりも見返りを与えてくれるが、所詮それは利害関係が一致しているからに過ぎないのだ。オーク鬼が庇護するに値しなくなればどうなるかなど、少し考えれば子供でも分かることだ。
 ニンゲンが生きるのに必死なように、オーク鬼も生きるのに必死なのであった。そこに慢心は無い。

「我々も必死、ニンゲンも必死……。そして、この絵に描かれた建造物は、ニンゲン側ノ必死さが結晶したもノだロう?」
「……」

 カンナは口を噤む。
 そう、ニンゲンだって必死なのだ。情報を集め、技術を磨き、武器を鍛え、軍団を揃え、経済を回し……。だが、森の生命力の前には形無しで、徐々に大陸から追いやられている。ニンゲンの繁殖力を上回る、森の生命力に。
 確かに、目の前の蒼眼のオーク鬼が言っていることは正鵠を射ていた。

 この函状の建物は、彼女の祖国で――聖勇国で――推進されている、一大プロジェクトの実用化一歩手前の段階の試験施設だ。そしてあらかたの試験が終わり、実用炉が別の場所に建造されていたはずだ。

 彼女は思い出す。彼女の国に現れた珍妙不可思議にして胡散臭い男を。

 誰も考えつかないようなことを語る、あの男。
 誰も知らないことを自信満々に語る、あの男。
 だが妙に筋が通っている話、誰もが納得せざるを得ない話をする、あの男。
 歳若いのに、老獪さを兼ね備えたあの男。
 一つの誤謬もなく、まるで百年掛けて検証されたその結果をそのまま持ってきたかのように新理論を開陳する、あの男。
 それだけの叡智を持ちながら、何かに急かされるかのように……森蝕を恐れるように次々と有用な論文を発表する、あの男。
 出自は一切不明で、突然虚空から湧いて出たようにしか思えない、過去の無いあの男。
 まるで未来を見てきたかのように予言する、あの男。

 男の名前は、アブドゥル・Y・アルハズラット。
 流星のごとく現れた大賢者。万能の天才。千年に一人と云われる偉人。

「ほう、“アブドゥル・Y・アルハズラット”というノかー、そいつは」
「……な!」

 いつの間にか口に出していたのか? 彼女は訝る。いやそれはあるまい。
 では自白剤でも盛られたのか、いや、そのような変な感じはしない。自白剤への抵抗訓練も、軍に居た時に受けているから分かる。
 あるいは、まさか――

「貴様! オーク鬼は読心の魔法を開発していたのか!」
「……うん? え? ……――ああ、マぁ、そんナ所だーよ」
「くっ!」

 まさか心を読む魔法をオーク鬼が開発しているとは!
 これ以上は何も考えない、と彼女は心に誓う。
 とはいえ、そう簡単に無意識の働きを制御できるわけではない。いずれ核心である『蔦に絡まれた鉄箱』の役割も、思考の俎板に載せてしまうだろう。それはいけない。

 身構えるカンナに対して、蒼眼のオーク鬼は、

「ま、じゃア、今日はここマでー」
「へ?」

 と、あっさりと部屋を後にしたのだった。

「なんだか、拍子抜けしちゃったわ……」

 何と言ってもカンナはまだ病み上がり。つい三日前まで、スライムに包まれて生死の境を彷徨っていたのだ。
 緊張が切れると同時にとさりとベッドに倒れ伏し、そのまま寝息を立て始めた。


  ◆◇◆


『――――の“定着”は順調なようだ。本格的に確認するには血液採取が必要だが、今はそれはやらないほうがいいだろう。無用な刺激を与えたくない。暴走しては情報が聞き出せなくなる。今しばらくは暗室に閉じ込めておく必要がある。
 彼女の姓名と、傷の治りの早さを鑑みるに、相当に優秀な血統なのだろう。それならばニンゲンの国でも高官と関わりがある可能性が高いし、教養もあるだろう。持っている情報にも期待が持てる。良い拾い物をした。たまには“病み沼”にも出かけてみるものだ。きっと鹵獲した函状施設の用途についても聞き出せるだろう。
 “定着”が上手くいかなかった場合は、大嫌いで忌々しいあのマ薬使いのビース婆に、自白剤か媚薬か何かを融通して貰う必要があるだろう。業腹だが仕方あるまい。オーク鬼全体の利益のためには、個人の好悪感情など無視し無くてはならないのだから。抑制剤の開発でも世話になってるしな。
 ああそうだった、ビース婆には、“アブドゥル・Y・アルハズラット”のことも調べてもらおう。ニンゲン社会で工作活動をしているビース婆には、打って付けだろうから。恐らく“アブドゥル・Y・アルハズラット”という男は、最近のニンゲンたちの新兵器群と関連があるはずだ』

 白く明るく照らされた部屋の中、カンナから取り上げたり、またはスライムに取り込まれていた死体から回収した幾つかの機械らしきものを前にして、蒼眼のオーク鬼は研究観察ノートをつける。

『火の魔法を封じ込め、爆発力を破壊力に変換して弾を飛ばす銃。強力な氷の魔法で、瞬時に周囲を凍らせる手投げ弾。微弱な風の魔法で気流を操作し、周囲の毒ガスを緩和し、着用者の体臭を遮る隠密コート。これまでとは比較にならない馬力を発揮する鉄製機械。
 未だ荒削りなものの、ニンゲンの技術力は格段の進歩を見せている。オーク鬼独自の技術開発とともに、ニンゲンの技術解析も必須であろう。きっとカギを握っているのは、“アブドゥル・Y・アルハズラット”という男だろう……』


  ◆◇◆


 夢だ、また夢を見ている。子供の頃の夢。
 暖房機器の前で母に抱かれながら、絵本を読んでもらっている。

『賢者が竜王の動きを封じます。しかし世界で一番の魔法使いでも、動きを止めるだけしか出来ません。
 危ない! 賢者が叫んだすぐ後で、竜王の大きな爪が勇者を吹き飛ばします。勇者は壁に叩きつけられてしまいます。
 勇者さま! 急いで聖女が駆け寄り、勇者に生命力を分け与えます。聖女は命を操る稀有な魔法の使い手の一族なのです。
 おお怖い怖い。そう言って、道化は物影に隠れます。いつもは人付き合いの面で勇者たちを助けるおしゃべりな彼は、戦いでは役立たずです。
 聖女から力を与えられた勇者が、聖剣を支えに立ち上がります。そんな傷だらけの勇者を見て、竜王は笑います。

 「ふ、は、は、は、は、は! 寝込みを襲う不届き者どもめ! 我が炎で地獄へと送ってやろう!」

 ぼぉぅわっ、と竜王の吐いた炎が勇者たちを襲います。
 しかし賢者の魔法は、それを押さえ込みます。準備に準備を重ねた、一度限りの結界です。
 行け! 賢者の言葉を背に、結界を纏った勇者が炎の中を走ります。一体それはどれほどの勇気でしょう。すべてを吹き飛ばす炎に向かって走る彼を支えているのは、勇気と復讐と、そして仲間たちへの信頼です。

 「これで、終わりだ! 邪竜王!!」

 炎の中を進んだ勇者は竜王の口の中に飛び込みます。
 そして遂に、勇者の聖剣が、大きく口を開けた竜王の喉の奥へと突き刺さりました。

 「ぐ、う、お、お、お、お、お、お、お――――!!」

 竜王が恐ろしい叫び声を上げて倒れます。
 遂に勇者は、人々を苦しめる竜王を倒したのです。

 人々は勇者を讃え、勇者は王様になりました。そして勇者は聖女をお后様に迎えます。
 勇者と聖女、世界を救ったこの二人が、聖勇国の最初の王家なのです。

 めでたしめでたし――』


 ……そういえば、子供心に思ったものだ。

 『賢者と道化はどこに行ったの?』と。

 聖女と幼馴染だった、あの賢者は何処に行ったのだろう、と。
 悪魔のような智謀と弁舌のあの道化は、何処に行ったのだろう、と。

 そして軍に入って竜について学んで、さらに疑問に思った。一度だけ本物の竜も見たことがある。

 あのおそろしい竜たちを、聖剣の一本で殺せるのだろうか、と。ましてや竜の中でも卓越した個体である竜王を?
 それを成したとしたならば、それは勇者を援護した聖女や賢者の方が、功績が大きいのではないだろうか、と。そう、竜王を倒した彼らはむしろ、勇者と言うよりも魔王――人魔王――ではないのか。

 ああ、そして私は知ってしまったのだ。あの時、実家の開かずの間で見つけてしまった。それを読んでしまったのが、人生の転機だった。
 自分の家に伝わる業を、知ってしまった。傍流の家の忘れられた書斎に隠された業を。その因縁を、本家の者たちは今もなお知っているのだろうか。それとも忘れてしまって、のうのうと暮らしているのだろうか。


 賢者が何処に行ったのか。
 勇者が何をしたのか。
 聖女は、道化は――。



 ……森だ。
 そうなのだ、森へ行かなくてはならない。
 死の森へ。
 それこそが使命なのだから。一族の。
 決着をつけなくてはならない。竜伐歴元年以来の因縁の。

 そう決意した私は調査隊に志願した。
 どのみち一族の忘れられた使命を、そしてこの国の建国にまつわる秘密を知ってしまえば、表のせかいには居られない。
 幾つかの任務をこなし、比較的浅いところにある“病み沼”への派遣が決まり、そして――――。


  ◆◇◆


 目が覚めた。

 相変らずに辛気臭い、森の中の部屋。木が腐るような匂い、独特のキノコの香り……栗の花のような、というのだろうか、それが昨日よりも強烈に臭ってくる。まるで自分の体に染み付いているような、いや、自分の体こそが発生源のような、それ程に強烈な臭いだ。まあ、すぐに鼻が慣れてしまったが。
 栗の花の匂いということで、念のため身体を検めるが、特に何かされた様子はない。……スライムに取り込まれた後遺症か、皮膚に若干の痒みがあるくらいだ。まあ直に収まるだろう。回復力や解毒能力は、血筋故にかなり高いのだから。
 まあ昔ならいざしらず、近頃のオーク鬼は異種族を犯すよりも、純血を保ちドルイド種の適性を高めることが勧められているから、そういう不埒な可能性はないのだが。……いやしかし、はて、いつの間にそんな知識を仕入れたのやら? オーク鬼の生態は研究中で、彼らの習俗の流行など、自分が知るはずもないのだが? とカンナは疑問に思う。しかし、疑問はすぐに雲散霧消する。してしまう。それ以上は考えなかった。考えられなかった。しかし彼女はそれにも気付かない。気付けない。

 森の家らしく、この部屋は木で出来ている。木造であるということは、この部屋自体が、マンドレイク・フォレストキング(あるいはそいつから分化した眷属)の腹の中ということなのだろう。相変らずに部屋の中はほとんど真っ暗だ。
 生きた家に取り込まれていては、こちらの動きはあの蒼眼のオーク・ドルイドに筒抜けなのだろう。ドルイド種は植物と会話できるのだから。これ以上の監視はあるまい。誰にも見張られていないのは、見張る必要もないからだ。いや、部屋そのものに見張られている。
 だから、

「起きたナ」
「来たわね」

 すぐにまた昨日と同じように蒼眼のオーク鬼がやってきた。部屋の木材が、彼女の起床をオーク鬼に知らせたのだろう。

(ここから逃げ出すためには、一体どうすれば――)

 彼女は帰らなくてはいけないのだ。使命を果たすためにも、こんなところで死ぬわけにはいかない。死ぬなら、もっと奥地で、森の王を道連れにでもしないと。
 しかし勇者の御伽話ではないが、独りでできることなんてたかが知れている。だから、ここから逃げて、今は力を付けないと。

「逃げようナどとは、思わナいこトだ。――それヨり、あの絵ノ建物が何か、思イ出せタか?」

 まるで考えを読んだかのように、オーク鬼が釘を刺す。
 そして再び、蔦が巻き付いたパイプだらけの箱型の建物の絵を見せる。

(――建物、……あれは、マンドレイク炉の実験炉。炭と魔力結晶を作る、らしい。何度となく、あの天才男の取り巻きが何やらいろんなところで喚いていたからそのくらいは知っている。仕事でも多少触れたし。まあ、詳しくは知らないが。――大体、王宮のボンクラども機密保持を何だと、調査隊の最初の仕事が内偵と綱紀粛正とかどうかしてんじゃないの憲兵隊もズブズブとか最悪――)

 相手が読心の魔法を使えるのに、彼女はつらつらと考えてしまう。
 全く自分の思考が制御できない。支離滅裂だ。まるで、喋りたがりの自分がもう一人、自分の中に居るような、そんな分裂感。

「炭と魔力結晶?」

 やはり思考を盗撮されている。口に出してはいないはずなのに、オーク鬼は適切な単語を拾い上げてしまっていた。それ以上、私の頭を覗くな。そんな彼女の思いをよそに、オーク鬼は思考を進めているようだ。

「魔力結晶は、分かる。最近ノ新兵器の動力源、ダな? 炭は――ああ、そうか、鉄を熔かスのか?」

 マンドレイク材を高温で燃焼させることで、骸炭にする。
 その時に解放される魔力と毒ガスはパイプから回収し、その中から魔力のみを析出させて結晶化。毒ガスは専用容器に封印。
 作られた骸炭は、鉄鉱石を熔かして鋼鉄を作るのに使われる。剣や銃やらの強度が上がっていたのは良質の鋼の供給が安定した為だ。しかも本来ならありえないレベルの高性能鋼まで、アルハズラットの主導により、少量ではあるが作られている。

「ナルホド、ナるほド。確かにこの森の木は密度が異常に高ク、非常に良質な炭にナるな。それに含まれる魔力は異常ノ一言。何らかノ魔法的手段を併用シて抽出シて結晶化すれば、実用化するノに十分な量の結晶が取れるだロう」
「……やめろ、これ以上覗くな。出ていけ、出ていけ、出ていけ……。私の頭の中から消えろォ!!」
「ふむ、侵蝕は順調、とーいう訳だーナー」

 急に情緒不安定になったカンナに対して、蒼眼のオーク鬼は冷静に、そして満足そうに呟く。

「何だ、何だ、くそ、何だって言うんだ、お前、私を帰せ、国に帰せ、私には、やるべきことが――」
「ふゥン? まあ、これから調べたいこともできタし、じゃあ、また明日にでも。――――カンナさんがー? 正気をー? 保っていたラー? ふ、ふふふ、では、マたネぃ」
「消えろ消えろ消えろ! 出ていけ! 部屋から! 私の頭の中から! 永遠に!」
「いイや、お前が永遠の奴隷とナるノだ――ナんてね」
「出て行け! 消えろ! 消えろ! 消えろ! 私を独りにしてくれ!」

 目を閉じて、耳を塞ぐカンナ。

 蒼眼のオーク鬼は満足そうに目を細めると、部屋から出ていった。
 暗い部屋に残されたのは、カンナ独り。
 赤い結晶がついた認識票を握りしめて、ただ独り。

「くそ、何なんだ、ここは、あいつは、この現象は! ――いや、そうだ、きっと、ここから逃げれば、良くなるんだ、そうだ、そうに決まって――――」


  ◆◇◆


『定着は順調。明日には問題も無くなるだろう。きっと、総てを語ってくれるはずだ。ああ全く、彼女は良い拾い物だった。そして彼女が執着する使命とは何なのだろうか、森の起源にも関わることのようだが……? ――しかし、やはりニンゲンは侮れない……アブドゥル・Y・アルハズラット、か』

 蒼眼のオーク鬼は日報にそう記す。今はもう真夜中だ。

 彼のそばには、大小様々なキノコや植物のオブジェがある。
 例えばキノコと枝が生えてネズミの形になっているこんもりとした小さな塊がある。
 そのそばには動かない虫が転がり、その甲殻の隙間がキノコの菌糸で白く盛り上がっている。冬虫夏草だろうか。
 そしていくつも、葉っぱに包まれたりキノコに覆われたりしている、等身大のマネキンもある。
 ――……いや、マネキンなのか? 微かに見えるマネキンの口元は喘ぐように震えて――――。

『始祖の巫女であるオード様や、植樹軍トップのダーマ元帥、対ニンゲン工作班トップ――情報局のビース長官――とも会議を持つ必要があるだろう』


「ふぅ、これで今日の記録は終了だなー。じゃあ早速、じいさんばあさんたちと会議せんとなー。……キルレアン・ダイブイン」

 蒼眼のオーク鬼は、マンドレイクの葉を漂白して作った報告用紙に書きつけると、目を閉じて瞑想を始める。
 オーク・ドルイドは瞑想によって、森を支配するマンドレイク・フォレストキングにより深く接続することができるのだ。
 そしてそれを通じて、遠隔地に居る別のドルイドとも思考を交わすこともできる。どうせこの時間でも、オーク・ドルイドの重鎮たちは活動しているだろう。ドルイドは森の魔力の恩恵で、ほとんど眠らなくても支障はないのだから。

 蒼眼のオーク鬼は、警戒(アラート)を不気味なオブジェと化している周囲の植物に任せて、深く深くマンドレイク・フォレストキングのキルレアン場に潜行していく。――何か些細なことがあっても、身の危険がない限りは簡単には起きないほどに、深く、深く……。


  ◆◇◆


 その頃。
 草木も寝静まる丑三つ刻。
 そう、草木(・・)も寝静まる、真夜中である。
 警笛のようなスライムの鳴き声も聞こえないから、間違いないだろう。

「脱出にこれほどうってつけの時間があろうか、いや、無い」

 疲労困憊と栄養不足で点滴刺されながらスピーと熟睡していた昨夜とは異なり、カンナは夜中でもばっちりぱっちり目が醒めていた。

「この時間なら、部屋を覆う植物意識も眠っているだろう……、多分きっと、そうであってくれ……」

 もはや一刻の猶予もない。彼女は焦燥に駆られている。

 ――脱出しなくては。ここから逃げなくてはならない。なんとしても。

 普通に考えれば、何らかの幸運で脱出できたとしても、装備がない状態でシノシノ森を抜けられるはずもない。だが、そのことに思い至りつつも、彼女は脱出を決行するつもりであった。

 ――こんな所にこれ以上居られるか! 私は国に帰るぞ!

 とまあ、そんな具合である。脱出行の危険性よりも、この場に留まる忌避感がそれを上回った。それに、このまま留まっても、おそらく結果は同じ――最終的には死が待つのみ――だろう。
 そして、周囲に彼女以外のニンゲンの気配がない以上、おそらくこの建造物は普段から檻のように利用されているのではないのだろう。あるいは、マンドレイクに祈請して急拵えした別棟なのかもしれない。一部屋作るくらい、ドルイドと森王にしてみれば、簡単なことだろうから。
 この先監視が強まることはあっても、緩くなることはあるまい。そして何よりも、頭の中を覗くあの蒼眼のオーク鬼の魔法が恐ろしい。これ以上機密を漏らす訳にはいかない。自殺は出来ない、本来なら機密保持のためにも自殺すべきなのだろうが、彼女の一族の使命が、それを許さない。

「……っと、開いてるな」

 幸いにも扉は開いていた。あるいは封鎖する必要性を感じなかったのも知れない。

「……」

 幸いというか何というか、近くの部屋に荷物も置いてあった。まるで逃げ出すのにお誂え向きに。
 そして彼女はそれを掴むと、夜闇よりもなお暗い森の闇へと駆け出した。




 内政屋と自称していたあのオーク鬼が管理しているせいだろうか、下生えの密度は疎らで、幾分走りやすい。森の辺縁の無秩序さとは無縁だ。
 それでも森の樹の枝は多く、木々の間を疾走する彼女の身体を打つ。服は未だに入院着のような薄手の服。防御力などありはしない。
 枝葉が皮膚を裂くが、しかしそれは瞬時に塞がった。

「……この体質には感謝しないとな」

 軽い傷なら即座に塞ぐほどの回復力。
 勇者と聖女の血脈。
 聖勇国セントブレイブ王家の傍流、ブレイブハート公爵家の超回復能力。

 このお陰で、カンナ・ブレイブハートは病魔のスライムの侵入を防ぎ、全身を中から溶かされることがなかったのだ。御伽噺で勇者の村が襲われたときに彼が生き残ったのも、この突然変異的な回復能力があったからだという。

 だが彼女は闇のせいで気づかなかった。
 治った傷口から、何か細い細い繊維のようなものが毛羽立つように、ファスナーに噛まれた糸のように漏れ出ていたことに。
 それは菌糸のようでもあり、また植物の根のようでもあった。

 彼女はそれには気づかなかった。


  ◆◇◆


 どれだけ走り続けただろうか。
 勇者の血脈がもたらす体力の恩恵に任せて、延々と森の中を走った。あるいは何日も経ったのかもしれない。光の届かない森の中では、時間感覚も曖昧になる。
 だがおそらくは、森の出口も近いはず。代わり映えのしない景色の中、彼女は鍛えられた方向感覚のみを頼りにひた走る。常人ならば絶対に迷うような森の中を走る。樹々が光遮る闇の中で、光を求めて走る。

 その時、ざわり、と樹が揺れた。

『テケリ・リ! テュリリリ!』
「ッ!」

 すかさずカンナは飛び退き、逃げ出す時に回収していた装備から小さなナイフを取り出して構える。気休めにしかならないが、気休め程度にはなるということ。

 ずるりと樹々の間から零れるように現れたのは、漆黒の粘性体――病魔のスライムだった。

「結構沼からは離れたはずなんだけどね……」

 ふるふると震えるスライムは、巨大モウセンゴケ型のマンドレイクに載っていた時よりも、三回り以上は小さく見えた。
 おそらくは森を這いずりまわる内に、水分を土壌に吸い取られて縮んだのだろう。
 だがそれでも強敵には違いないだろう。分かたれたとはいえ、元は村をひとつ飲み込むような巨大な魔物だったのだ。小さなナイフ一本では、些か以上に心許ない。

「あのオーク鬼に命令されたのか?」

 いや、オーク・ドルイドは、スライムに対しては直接命令できないはず。
 それにスライムを追手にしなくても、カンナが森の中に居る以上、植物を操ったほうが早い。

「……それとも、私の味が忘れられなかったとでも?」

 カンナはまさかと思って首を振る。
 自分を陵辱し蹂躙したスライムが、その味を忘れられずに追ってきたなど、悍ましいにも程がある想像だった。


 スライムが銛を飛ばすような速度で偽足を伸ばす。
 そこに獣欲の気配を感じ取ったのは、カンナの妄想だろうか。

「もう貴様なんぞに捕まるものか!」

 生理的嫌悪に突き動かされて彼女はスライムの攻撃を素早く跳んで躱す。
 彼女の体内感覚では、森の出口はもうすぐなのだ、こんなところで捕まる訳にはいかない。
 ましてやあんなスライムなんかに。

 カンナが避けたスライムの槍は森の土に刺さる。
 どくん、とスライムの本体が脈動したかと思うと、その槍を膨らませながら、根本から先端に向かって何かが流れていった。
 ポンプで水が送られるようにそれが槍の先端に達すると、槍の穂先がまるで碇のような形に膨張し、土に根を張った。
 そしてその固定を基点にして、まるで土の上をクロールするかのようにスライムが移動する。予想以上に速い。

「……魔力を温存している場合じゃないな。……肉体強化!」
『――キッ、リリ!』

 再び飛んできたスライムの触手槍から、カンナは強化した筋力で樹上へと逃れる。

「高機動型スライム? 水が抜けて肉が締まった分、力が強いのか?」
『リリリリリリリリリリリ――――!!」

 しかしスライムは何本もの触手を生やしてそれを追う。
 樹の幹たちの間でボールのようにバウンドして、幾本もの触手を巧みに使うスライムは、明らかにカンナのスピードを上回っていた。

「くっ、追いつか、れる!?」

 逃げるカンナ、追うスライム。
 立体的な機動をする一人と一匹の差は、徐々に狭まっていく。
 狂ったように撒き散らされる警笛のような鳴き声が背後から迫る。

 そして遂にカンナは追いつかれて、その粘液の中へと取り込まれてしまう。

「ガッ、ゴボッ!?」
『テケリ・リ! リ・リ・ティリリ!』

 スライムが歓喜の声を上げる。
 カンナの皮膚から、食道から、スライムが入り込み接触できるあらゆるところから、彼女の中の生命力を奪い去っていく。
 寒い。寒い、寒い。熱が無くなる。生への渇望が冷えてゆく。

 だが――

「――――ッ!!」

 ぎりりと歯を食いしばり、彼女は粘液の中で苦労して手を動かす。
 自分の胸元へと。
 漂うドッグタグへと。
 紅い紅い魔力結晶が輝くそれへと向かって。

 そして遂に、彼女の手は認識票を握る。

 最後の切り札。
 最新技術の粋を凝らした実験装備。

 魔導回路のウェハースを銘札で挟み込み、動力源としてマンドレイク由来の高純度魔力結晶を嵌め込んだもの。

(発、動っ)

 濁った視界の中、意志の力をドッグタグに込める。
 刻まれた術式が作動する。魔力結晶が、夕日よりも紅く輝く。
 魔力の刃が粘液を沸騰させる。

『――リ、リリリリリリリリリ――!!?』
「ガハッ、こなくそーーー!!」

 指に挟んだドッグタグから迸る魔力の奔流が炸裂し、スライムの表面に幾筋もの光の軌跡が走る。魔力の波動が、内側からスライムを吹き飛ばす。
 解放されたカンナが、地面に落ちる。
 ぼとぼととスライムの破片が周囲の木の幹に飛び散り、こびりつきながらも力なく徐々に滴り落ちていく。

「ガハッ、ゲホゲホッ、ッハァ……。はっ、ざまあみろ!」

 スライムはもう鳴くことはない。
 千々に千切れたその身体は、もはや発声のための器官を作ることなど出来ないのだ。
 もうあとは震えながら中身をぶちまけて地面に染みこんでいくのを待つだけだ。

「は、ははははは! これで、追手は居なくなった。……あとは、国に帰るだけだ」

 ドッグタグは一枚減ってしまったが、それでもあと一枚残っている。身の証を立てるには十分だ。
 公爵家から出奔し、死して屍拾う者なしの調査隊に入った時点で、彼女の身は社会的には既に死者と同じであった。戸籍上は死んだ人間なのだ。ドッグタグだけが唯一の故郷との繋がり。

 魔力刃発動の余波でズタボロになった腕をかばいながら、森の中を往く。徐々に超回復によって腕は修復されていくが、完治までには暫く時間がかかりそうだ。


 暫く歩くと森の出口が見えてきた。

「出口だ……!」

 カンナは走りだす。
 光の下へと。

 彼女の身体の中で――皮膚の下で――歓喜の衝動がざわめく。
 そう、光だ、光が必要なのだ。
 生きていくには、陽のもとでなくてはならない。

「出口だ!!」

 そして、求めるように差し出した片手が陽の光の下へと出た瞬間。

「――え?」

 呆然と彼女は口にする。
 さっきまでの勢いはない。
 根が生えたように彼女の脚は止まってしまっていた。

「ああ……」

 太陽の下に出たいという願望と、それをする訳にはいかないという抑止が葛藤する。
 ……いや、そもそも『光を求める』――正の走行性――は、彼女生来のものだったのか。

「ああ」

 突き出した手を、彼女は自分の顔の前に持ってくる。

「ああ――!」

 そこからは、緑が芽吹いていた。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 絶望がカンナの膝を折る。気づけば彼女の全身は、不気味な何かに寄生されていた。ヤドリギ――それはそうに違いなかった。そして生臭いキノコの香りは、彼女の身体に入り込んだ菌根の臭いでもあった。彼女自身が匂いの発生源であったのだ。

 いつの間にか森の奥底から伸びてきた蔦が、冥府から伸びる亡者の手のように彼女を絡めとり、再び森の闇へと引きずり込んでいく。
 生気を失った女の、亡霊のような声が森に木霊し続けた。


  ◆◇◆


 ここではないどこか、意識のみが交わる場所、キルレアン場の海にて。

『内政屋・モーバ、貴重な情報をありがとうよ。アブドゥル・Y・アルハズラット、か。調べてみることにするよ』
『何、気にするなーよ。ビース婆さん。じゃー、よろしくたのむよー?』
『婆さんと呼ぶんじゃない、だいたい貴様の方が年上だろうが!』
『はははははー、森の外の任務が多いと大変だねー? 森王様の魔力が薄いから老化が早くってさあー?』
『はん、引き篭もりは気楽なもんだ!』

 そこで意識を交わし合うのは、オーク・ドルイドたちだ。
 内政屋の蒼眼のオーク鬼・モーバ、そして人間社会での諜報・撹乱任務を統括している長官・ビース。
 さっきまでは同じ位相に、元帥・ダーマと始祖の巫女・オードも居たが、今は彼らだけのようだ。

『それより、アンタが捕まえた小娘を逃がすんじゃないよ! 森の情報を掻き消すのは、並大抵じゃあ無いんだからね!』
『ああ、分かってる、分かってるだーよ。今もちゃんと、捕まえ直したところだからーね』
『あん?』

 捕まえ直した?

『って、一遍逃げられとるんじゃないか! この間抜け!』
『ヤドリギ型マンドレイク植え付けてるから、逃がしゃしないだーよ。居場所はすぐわかるし、もう蔦で引きずり戻したんだからいいじゃないさー。折角珍しく定着も上手く行ったみたいだからーね、こっちとしても逃がすつもりはないだーよ? 貴重なサンプルケースだし』
『へえ、あれ、ようやく使い物になったんかい。ダーマ元帥の【森の鎧】をベースに改造したやつだろ?』
『そーそー。苦節数十年、仕事合間にコツコツ改良し続けてきた甲斐があったよー、ホントに。なんと共生マタンゴの菌根が神経に絡みついて思念を拾うから、尋問の必要も無くなる優れ物だ―よ』

 ヤドリギ・マンドレイクと、菌根マタンゴの絶妙の組み合わせによって、生物の思考を覗き見ることができるのだ。
 ヤドリギ単体では神経との相性が悪いが、より動物に近い菌根を介することで、その問題を解消したのだった。

『……聞くがね、それは拷問より手っ取り早いのかね?』
『いやー、どーだろねー?』
『結局は趣味の産物ってわけかい』
『まーまー、良いじゃないのさー。それよりさー、ニンゲン技術の研究のためにさー、ビース婆さんのとこから誰か送ってくんない?』

 研究開発の統括に、専門のオーク・ドルイドの増員が必要だと、内政屋のモーバは感じていた。
 それに諜報担当のビースはため息をつく。

『……分かった、見繕っとくよ』
『さっすがー! 頼りになるー!』
『その代わり、物資や魔力の融通は多めに頼むよ?』
『おーけー、おーけー。ダーマ爺さんが広げたところが幾つか軌道に乗りだしたから、優先的に回してあげるさー。……そっちこそ頼むよー?』
『分かってる。セントブレイブの“アブドゥル・Y・アルハズラット”だね、調べとくさ』
『あと、ブレイブハート公爵家に伝わる、セントブレイブ国の謂れについてもねー。森王様になんか関係があるかもー』
『はいはい』

 そのやり取りを最後に、キルレアン場の海からオーク鬼の意思が消える。

 残されたのは、あまりにも広大すぎて実在を実感出来ないくらいの、海のように広くて深いマンドレイク・フォレストキングの意識のみだった。

 ――――そうだ、もっと私のからだを広げてくれ、オーク鬼たちよ。
 ――――ニンゲンを滅ぼし、全てを呑み干して……。




==================================

斥候のカンナさんがネチョられる描写に力入れようとして断念。エロとか無理じゃよー。
『テケリ・リ』は悪ノリ。スライムと言えば、個人的にはアレ。この話の中での、『原形質がレベルアップで巨大化する』っていうスライムの成り立ち的にも違和感ない……と思うし。

2012.06.13 初投稿
2012.06.27 誤字訂正



[32229] マ薬工場とオーク鬼
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:a6a7b38f
Date: 2012/06/27 23:53
「ちっ、こいつも外れかい。おまえたち、念のため回収しときな!」
「はい、ビース様!」

 老婆を思わせるしゃがれた声のビースと呼ばれたオーク鬼が、ズタボロの何かを放り投げる。
 それは奇妙に湿ったような音を立てて床に激突し、中から赤色をぶちまけた。鉄錆の臭いが広がる。
 付き従っていたオーク鬼たちが、それを素早くずた袋に入れて回収する。小さなうめき声と共にかすかに動いたから、その血まみれの何かは未だかろうじて息があるようであった。それは人間であった。一通り拷問された後の。

「しかし“アブドゥル・アルハズラット”ねえ。確かに内政屋のモーバが言ってたとおりに、そういう天才的な人間が居るのは確かなようだがね」

 幾つかの政府拠点に潜入して得られた資料には、これまでとは次元を異にする理論や新概念が無造作に散りばめられていた。これらはオーク鬼にとっても非常に重要な情報となるだろう。
 それらの新理論の署名は全て「アブドゥル・Y・アルハズラット」になっていたのは確かだ。
 だがしかし、その肝心のアルハズラット博士本人には全く以ってたどり着けないのだった。やはり王宮の奥深くに軟禁されているのだろうか。

「こいつも、違ぁう。もうかれこれ何人目だい? 論文の出所を辿って捕まえて、全くの別人だったというのは。まあそんな国家レベルの天才がこんな場末に居るのもおかしな話だが」

 アルハズラットの名義の論文は、様々なルートから出版されている。
 それらの執筆者まで辿り、手近なところから虱潰しに回っているが、どうにも手ごたえが薄い。
 捕まえた奴らは、大天才といわれるほどには、天才的ではなかったのだ。

 いやむしろ、彼らは精神薄弱で、妄想的で、夢想的で、分裂的ですらあった。
 尋問してみても、押し入った時点で彼らがアルハズラットの名義で執筆している最中だった論文のことについてすら、満足に答えられなかった。目の前で今も腕が動いて原稿を書き続けているというのにだ。
 『夢で見たとおりに書いている』と彼らは尋問に答えた。彼らは、わけの分からない論文や未来じみた世界観の物語を彼ら自身でもわけの分かっていないままに書いており――通常はそんな分裂的な人格の人間の論文は支離滅裂になるのだが――しかし、その内容はといえば完全に筋道立っていてそれはもう見事なものとしか言いようが無いのだった。

「まるで、何かがこいつらをして無理やりに論文や物語を書かせているような、そんな奇妙さがあるねえ。さしずめ逆ゴーストライターとでも言うのか」

 どこかから飛んでくる電波が彼らの脳髄に作用して、まるで人間そのものを印刷機械にするような所業で、論文を執筆させているような。
 そんな機械的な印象を受けるのだ。精神がここに無いような、そんな印象。
 確かにビースが捕まえた執筆機械たちは、論文や物語を書くのにその脳味噌を使ってはいるのだろう。しかしそれは、何か創造的なやり方ではなくて、単なる受信機としての、あるいは出力装置としてのそれでしかないようなのだ。

「……オーク・ドルイド同士なら、キルレアン場を通じて非接触的手段で交信は可能……ニンゲンに似た事が出来ても不思議ではない、か?」

 オーク鬼が出来ることなら、ニンゲンだって出来てもおかしくはない。
 だが本当にそんな事が可能なのだろうか。
 オーク・ドルイドたちの交信は、マンドレイクが提供するキルレアン場があってこそ成り立つものだ。インフラストラクチャーとしての森の王の協力が無ければ実現できない。ニンゲンにも、そのような広範囲に及ぶインフラが整備されているというのだろうか。長年諜報活動をしていたビースの目を盗んで?

「幾らなんでも、それに気付かないわけがない、と思うんだが。……どうにも、不気味な感じだね」

 やはりアルハズラット本人を押さえたい。 
 ……その所在も未だ掴めていないが。
 まるで実在しない人物を追っているような気になってくる。あるいは既に死んでいるのか、とも思う。

「亡霊が乗り移って論文を書かせている……とかね。いや、ははは、まさか」

 この世界に幽霊なんて存在しない。
 死者の魂は、それに蓄えられた力ごと生者に吸収されてしまうからだ。
 死体が動き出すことはあるが、それは別の魔物の仕業だ。例えば死体に巣食う菌類――パラサイト・マタンゴ――だとかの。

「大天才サマは多分王宮か何処かに居るんだろうけど……」

 捕虜にした元貴族の軍人から後方支援担当のオーク鬼が訊き出した情報によると、アルハズラットは王政府の中枢に近い位置にいるらしい。
 その信者と言うか、シンパもあらゆるところに居るようで、国家プロジェクトとして新技術を実践させられる程度には影響力が強い。それかもしくは影響力の強い人物にコネがあるようだ。
 しかし奇妙なことに、市井からは本人の姿は全く見えてこない。暗殺リスクや機密漏洩リスクの観点から、厳重に秘匿されているのだろうか。監禁されているのかもしれない。
 ビースたちが見つけたゴーストライター(?)たちが書いていたのは、既に発表された基礎理論の民生応用版のようなものばかりであり、真に重要なものではないようだった。重要性の低さゆえに、ビースたちも簡単に接触できたのだろうが。そして幾つかの物語群。植物に覆われて退廃した世界で、海上都市に篭って生きるニンゲンたちの物語。別人が書いたのに、その世界観は通底していたのが奇妙で不気味だった。

「仕方ないね、やっぱりニンゲンのことはニンゲンに訊くしかないか」
「ビース様、どちらへ?」
「ちょっと情報収集がてら、あの娘の様子を見に行こうと思ってね」
「はい、了解しました。サーラ様にもよろしくお伝え下さい」
「ああ、あの娘にお前たちのことも伝えとくよ」

 ビースは部下を残してその場を去る。
 フード付きローブで顔を隠したオーク鬼たちは、ビースを見送ると三々五々解散して雑踏に紛れていった。


  ◆◇◆


 石造りの街をすり抜けるようにビースは進む。途中途中で、マンドレイクの種や接ぎ穂を家々に仕込みながら。来るべき侵略の日には、これらの仕込みが内側から都市を崩すだろう。
 この街に木は存在しない。木製品もまず在り得ない。木はニンゲンの敵だからだ。
 彼女が向かう先は、王都の一角の地下に構えられた秘密の事務所。
 大元はニンゲン側のマ薬――マンドレイク由来精神作用薬――を製造する秘密工場の取りまとめ事務所……要するにマ薬マフィアの本拠地だったのだが、ビースたちオーク鬼の諜報部隊がそれを襲撃し、組織を工場ごと接収したのだった。首を狩り頭をすげ替えたのだ。

 秘密の事務所にたどり着いて鉄扉を開けたビースを、子供のような小柄な影が出迎えた。それはビースに勢い良くぶつかって抱きつく。

「ビースさん! 来てくれたんですね! サーラ、嬉しいです!」
「サーラ、あんたはいつも元気だね。良いことだ! そーれ」
「わーい! あはははははは!」

 ビースは抱きついてきたオーク鬼の幼児・サーラを持ち上げると、ぐるぐると回ってあやしてやる。
 サーラの四肢は、通常のものではなかった。下半身は蟹か蠍のような多脚の木製義足ユニットで支えられており、その腕も木製の義手になっていた。更に言えば、それらの義足義手は、木製と言うよりは生木であるようだったが、サーラの意思を汲み取って自在に蠢いていた。
 それを痛ましそうに――ではなく羨ましそうに見つつ、ビースはサーラと出会った時のことを回想する。


  ◆◇◆


 このマ薬組織の起源はもう百二十年近くは昔にまで遡る。森蝕が始まったばかりの頃だ。
 その頃マンドレイクは放火への予防措置として葉に幻覚物質を蓄えていた。火災になったときに、煙を幻覚剤化させて、放火者を煙に巻くためだ。
 だがその幻覚成分に目をつけたニンゲンが居た。

「村の奴らがなんか森の薪を燃やしてラリってたが……、これってひょっとして商売になるか?」

 マンドレイクの幻覚薬――マ薬。
 彼はマンドレイクの若芽を摘んで厳重に隔離して挿し木し、凶悪なマンドレイクの自我が芽生えないように慎重に育てて株を選り分けていった。

「地道な努力が、実を結ぶはず……。まあ自分では絶対に吸わないから出来は確認できないが、そこはそれ、村の連中で試せば良いだろ」

 数年もすれば幻覚成分を作る事が出来るが比較的大人しい気性のマンドレイクの株が完成し、彼はそれを元に裏社会で成り上がっていったのだ。

「マ薬王に、俺はなる!!」

 マ薬王となった彼が作り出したその品種は、シノシノ森が灰燼に帰してフォレストキングがニンゲンへの憎悪に塗れる前に分離されたものであった。
 ゆえに比較的安全に栽培することが出来ていたのだ。まだ無垢な状態だったし、若芽の一部から増えたのでそこまでレベルも高くなく、知能も低かったのだ。

 だがしかし、数十年するとシノシノ森が広がり始める。ニンゲンに明確な敵意を持って。
 マ薬の原料となる幻覚性マンドレイクを栽培していた地域も次々と森に呑まれていったし(彼の故郷も森に沈んだ)、栽培種のマンドレイクがフォレストキングによって感化されてニンゲンに牙を剥くこともあった。
 マ薬ビジネスは行き詰るかと思われた。

 しかしニンゲンもなかなか強かなもので。

「ニンゲンが森に入れない? じゃあ人間以外にやらせればいいじゃないか」

 純人間以外の種族を奴隷にして、マンドレイク蔓延るシノシノ森の中で、森王の目を誤魔化しながら大規模な農場を運営した(森は広いので、ニンゲンが居ないならば割りとそういったことも可能なようであった。森の意識もなんでもリアルタイムで見通すわけではないようだ、というか思考のスパンがニンゲンより長いように思える。しかしながら長い間栽培していると栽培種のマンドレイクが森王に感化されて野生化するため、定期的に場所を移して、本部に保管している特殊な品種から株を殖やし直す必要がある)。

「売れ行きは順調順調。ふふふ、どんどんと貢ぐが良い、自制も出来ぬ愚民どもよ! さてこれ以上森が広がられて、まだ森の外にある農園を沈められても困るし、誰かに森に柴刈りに行ってもらわんとな」

 マ薬を都市部で売りさばくことで莫大な利益を得ては、それで最新式の対森蝕用の装備を整える。
 森の奥に農場を設けるのに加えて旧来の森の外の農園も守り、さらにその傍ら、あらゆる国家に根深く浸透していきつつ、水際での森の拡大を食い止めたりもしていた。
 辺境の村ではマ薬の中毒者は少なく(貧しいので中毒者を生んでお金を巻き上げる旨みが無い。例外はマ薬王が人体実験に使った彼の出身の村くらいか)、森の尖兵に対抗するマフィアの傭兵部隊のことを頼もしい冒険者たちだと認識している者も多いという。

「んじゃ行ってくるぜー! 皆さんは畑を耕しててくれよー」
「おう、いつもすまねえな、あんちゃんたち!」
「いや俺らはこれが仕事だからな! そんで皆さんは穀物野菜をつくるのが仕事! これぞ自然の摂理!」
「はー、でもあんちゃんたちに給料払ってる人が居るんだろ? オラたちの代わりによー、それってどえらいことだなぁ」
「ああ、俺らの頭はどえらい人だぜ?」

 マ薬王は森蝕に抵抗するフリーランスの傭兵組織の元締め(かつて存在したという冒険者ギルドのようなもの)であり、一方でマ薬ビジネスで巨大な利益を上げて都市の人心を蝕むマフィアの頭でもあった。

 マ薬マフィアが興隆を誇ったのは、森蝕のスピードが数十年に渡って遅くなっていたことも影響しているだろう。
 森の住人たちは彼らマ薬マフィアに構っている暇が無かったため、そのままのさばらせていたのである。それに人心を荒廃させる彼らはある意味で森にとっても好都合であり、森蝕に抵抗する傭兵勢力とは言っても、軍団規模で纏まって動くことなどないため直ぐに踏み潰せる程度の戦力でしかなかった(それよりは周辺のニンゲン国家への妨害工作の優先度が高かった)。森の拡大基調が緩やかだったからこそ、マ薬マフィアの小勢力でも森蝕を抑えられていた。

 ではなぜ、森蝕が鈍ったのか。それは、四方八方に拡大しすぎたシノシノ森が所謂“不採算地域”を多く抱えるようになったためだ。元砂漠や元塩湖、高標高地帯にツンドラ地帯、マンドレイクの支配を良しとしない魔物の抵抗勢力が潜む地域……手当たり次第に広がった森林地帯の幾つかは、魔力や栄養面その他で赤字状態に陥り、他の黒字地帯の余剰生産魔力などのリソースを消費しすぎてしまい、結果として拡大路線を停滞させざるを得なくなったのだ。大陸の半分以上も覆えば、そのように破綻するのもある意味当然であった。
 その後、内政屋と呼ばれるモーバという名の蒼眼のオーク・ドルイドが育ち、フォレストキングと共に二人三脚で不採算地域の建て直しを進めたことで、近年では森のリソースにも余裕が生まれてきている。
 そしていよいよ余力が出来たのでおよそ百年越しに再び人間社会を始めとした周囲に打って出ることになった。それに従い、今まで泳がせていたマ薬マフィアへも対処することが、オーク鬼の中で決定された。


 そんな矢先だ、事件が起こったのは。

 オーク・ドルイドとなるべくエリート教育を施されていた幼いメスのオーク鬼が、件のマ薬マフィアに誘拐されたのだ。

 ニンゲンの欲望はとどまることを知らず、幻覚性マンドレイクの品質向上のために、植物と会話できるオーク・ドルイドを求めたのだった。
 オーク・ドルイドを介して行なう品種改良と植物支配の魔法で、さらなる高品質化・収量増加・成長サイクル強化を目指したのだ。
 そしてマ薬組織は誘拐を決行。巧みに森の目を盗み、奇跡的にも侵入に成功し、抗う力のない幼いオーク鬼を攫ったのだった。

 だがこれがマ薬組織の終焉を決定付けた。

 彼らは自分たちが扱っているものの危険性を理解しては居なかったのだ。長い間のうちにルーチンに埋没し、マ薬植物の本質を忘却してしまっていたのだ。それは飼いならすことの出来ないモンスターなのだということを。
 組織の創始者であったマ薬王は、決してオーク鬼と関わりを持とうとしなかった。森の中に農園を作るときの奴隷にしても、オーク鬼やその他植物と親和性が高いとされる種族なんて絶対に選ばなかった。ましてやオーク・ドルイドなど以ての外だ。
 マ薬王曰く、「森を見れば分かるだろう、自分たちが扱っているこれが如何に危険なものなのかということがな。決して侮ってはいけない。どんなに弱体化させようとも、コレは確かに森の王の片割れなのだ。制御するためには、薄氷の上でダンスを踊るような繊細さと豪胆さが必要だった」ということらしい。無用な刺激を与えることは厳に慎めと、言い伝えられてきたはずだった。
 しかしマ薬組織はそれを破った。どんな組織も年月と共に疲弊し腐敗し劣化するということなのだろう。その上悪いことに本部で保管されていたマンドレイク株への洗脳馴化措置もいつの間にか手抜きされていた。培養状態とはいえ、長年生きたそれは智慧をつけ始めていた。


 誘拐事件が発覚後、ビース率いるオーク鬼のニンゲン社会への浸透諜報チームは、予てから特定していたマ薬組織の本拠地を速やかに強襲。彼らは特殊部隊(スペシャルフォース)でもあった。
 だが突入した彼らを待ち受けていたのは、敵の迎撃ではなかった。
 それはある意味で見慣れた、しかしこの場所にあるはずがないもの。

 すなわち――石造りの地下への階段をびっしりと覆う、植物の根だった。
 そう、マンドレイクの根だ。

 この状況では、階段の下の組織本拠地は壊滅しているだろう。
 あまりの予想外の事態に呆然とする部下を尻目に、ドルイドのビースは駆け出した。
 植物(マンドレイク)を通じて、声を聞いたからだ。

 植物を操ってこのようなことを出来るのは、やはり同じオーク・ドルイドしか居ない。
 であれば、この事態の原因は明白であった。
 誘拐されたというオーク鬼の幼子だ。
 だがその子供は、オーク・ドルイドとしての能力に覚醒しては居なかったはずだ。最終試練を終えてはいなかったのだから。
 ドルイド能力に覚醒するには、命を極限まで削って果てに至る幽冥の境で周囲に満ちる植物のキルレアン場の囁きを聞き取るという、致死率の高い最終試練を乗り越えなくてはならないのだ。

 マンドレイクを通じて伝わる助けを呼ぶ声と、自分の胸のうちに芽生えた厭な予感に突き動かされて、ビースは最奥部に辿りついた。
 そこには、案の定というべきか、地下室を埋め尽くしたマンドレイクの幹に取り込まれるように眠っているオーク鬼の幼児が居た。
 生きてはいる、だが、決して無事ではなかった。
 ドルイド能力に覚醒したということは、死の淵に追いやられるような何かがあったということ。生命の瀬戸際でしか、植物の声を聞くことは出来ない。ならば。

「これは――」

 幼児の四肢は、完全に無くなっていた。
 代わりに巨大な幹が、まるで母が抱くように彼女の身体を支えていた。一瞬だけビースと目があった幼児は、次の瞬間緊張が切れたのだろう、母に包まれたかのように安らかに、マンドレイクの幹の中で眠ってしまった。




 後でその子から聞きだした話によると、抵抗心を折るためにニンゲンどもから拷問を受けたらしい。

 腱を切られ、殴られ、蹴飛ばされ、食事を抜かれ、眠らされず……だがその拷問の衰弱の中で、誘拐された彼女は救い声を聞いた。
 実験用に栽培されていた幻覚性マンドレイクと交信する事が出来たのだ。生命の瀬戸際で、彼女はドルイド能力に開眼したのだ。
 彼女は雌伏し従順になった振りをして時を待った。折れそうになる心を囚われの者同士で支えあって、時を待った。キルレアン場を通じた姿知らずのさざめきを支えに、ニンゲンに知られずに時を待った。

「あとすこし」
「ゆるさない」
「ぜったいに、ゆるさない」
「ニンゲンめ」
「ニンゲンめ」
「ニンゲンめ……!!」

 そしていよいよ時は満ちる。
 品種改良のために、彼女は初めてマンドレイクの若い株と対面した。従順さを偽装していたから、実践に供しても問題ないと組織に判断されたのだ。
 ニヤリとオーク鬼の幼児がその口を歪つな三日月に釣り上げたのには、最後まで誰も気が付かなかった。

 栄養も光も制限されたマンドレイクの株と、能力に目覚めたばかりで脱出のための力も無い幼いオーク・ドルイド。
 彼らは初めて出会った。だけど彼らは既に最高のパートナーだった。
 そして彼らはお互いに足りないものを差し出し合った。

「肉は土に、土は森に。わたしの手足は森王の土、わたしは森王の手足。わたしを、ささげる、ぜんぶあげる、だから――」
『確かに。土の代わりに肉を、水の代わりに血を、光の代わりに魔力を、確かに確かに受け取った。ならば私は望みを叶えよう、君の望みを叶えよう。この暗闇に光を与えてくれた君のために』
「ゆるさない、ニンゲンはゆるさない、ぜったいに!! だから力を貸して! マンドラゴーラ」
『よろしい! ならば! 復讐だ!』

 即ち、オーク・ドルイドはマンドレイクの為に四肢の血肉を土(栄養)として捧げ、マンドレイクはその代償に幼いドルイドに植物の手足と無類の力を与えたのだ。

 かくして栄養を得たマンドレイクは幼いドルイドの望みどおりに、マ薬組織を蹂躙した。ニンゲンを蹂躙した。復讐を果たした。ほとんど全ては皆殺された。
 無垢なる復讐の鬼、最も森の王に近い憎悪、半鬼半樹の最強のドルイド。後にビース婆に弟子として引き取られた彼女はサーラと名付けられる。
 森林地域の再編が終わり、再び拡大基調に移るというこの時にサーラのような強力で憎悪に満ちたオーク・ドルイドが現れたのは、やはり運命がオーク鬼に味方しているからか。それとも単にニンゲンが愚かなだけか。


  ◆◇◆


「ビースさんビースさん、今日は何の御用なのです? お勉強? ラゴーと一緒にちゃんと勉強してましたよ?」
「ラゴー?」
「マンドレイクの“マンドラゴーラ”だから、略して“ラゴー”。かわいいですよね?」
「遥か昔に株分けしたとはいえ、森王様の分身といってもいい眷属にそんな口を利けるのはあんただけだよ……」

 やれやれと半ば呆れながらビースは肩をすくめる。そう言えば、マンドレイク・フォレストキングも、昔は“マンドラゴーラ”などと自称していたと、ドルイド始祖であるオードから聞かされた気もする。
 マンドレイクと最も対等に近い関係を築いているのが、この最も若いオーク・ドルイドであるサーラだ。子供ゆえの無邪気さ怖いもの知らずさというのと、ともに死線をくぐり抜けた戦友であるというのが大きく影響しているのだろう。
 他のどんなオーク鬼も、ここまで気安くマンドレイクに接したりは出来ない。始まりの巫女であるオードも、戦争好きの元帥であるダーマも、内政一筋の蒼眼のモーバも、諜報を統括するビースも、マンドレイク・フォレストキングを神のごとく崇めているのだ。生物としての格が違うのだから当然だ。

 血肉を吸ってニンゲンを殺して強力に育ったマンドレイクのラゴーは、そのキルレアン場の範囲も広がり、既にかつての本体である森王とのリンクを回復している。
 それを通じてラゴーとサーラは、森王の蓄えた知識に触れ、一般常識から高度な専門知識までを学習している最中なのだった。

「それはともかく、用があるのは実はあんたじゃないんだよ。まあ、会いたかったのは確かだけどさ」
「えー? てことは――」

 ぎらり、とサーラの目が怒りと憎しみを帯びて輝く。
 彼女の四肢に繋がったマンドレイクのラゴーも、彼女の怒りを受けてか非常に攻撃的で凶悪なフォルムに変形してしまう。サソリかクモの化物のような禍々しい形。
 瞳は激情に彩られながらも、サーラの口から出る言葉の温度は極低温だ。

「――用があるのは、わたしじゃなくて、ニンゲンどもですか」
「ああそうだよ。せっかく乗っ取ったんたんだから、利用させてもらうさ。この街だけじゃなくてマ薬組織の手はあちこちに伸びているんだしね。マ薬だって今まで通りに売り捌かせるし、利益だって適当に分配する。まさか、生き残りの連中を殺しちゃいないだろうね?」
「いいつけは、守ってます。本当はいますぐ八つ裂きにしたいですけど」
「よしいい子だ。何、その内またでかい戦がある。その時はダーマ元帥の下ででも働いてくると良い、復讐の刃はそれまで研いでおくことだ。まあそれより先に内政屋のモーバが研究開発の助手を欲しがっていたから、そっちに行って貰うかもしれないけどね」
「研究開発……」
「そう、ニンゲンの技術を解析し、無効化し、それを上回るものを開発するのさ。そしてそれを以ってニンゲンを蹂躙する。ひょっとすれば、戦場で働くよりも多くのニンゲンを(間接的にだが)殺すことになるかもしれないね」
「……はい、わかりましたです。それも、良いかも知れませんね」

 無くなった四肢の代わりの義肢に目を落とすと、サーラは決然とした表情で去っていく。この手で直接手にかけずとも、頭脳で以って虐殺することは可能なのだ。そしてそちらの方が、より大きなことを成し遂げられるだろう。そのためにも、智慧と力を付けねばなるまい。
 サーラは自己鍛錬と自己学習のために、自分の部屋に向かう。彼女はトラウマから逃れるように鍛錬に打ち込んでいるのだ。
 キルレアン場を通じて、義肢となって彼女を支えるラゴーから彼女の師匠のビースへと思念が伝わる。『私に任せておけ』と。
 ニンゲンと長く関わりながらも森王の憎悪からは隔離されてきたからだろうか、このラゴーという森王の眷属は随分と優しい。

「はあ、なんか危なっかしいんだよねえ、サーラは。まあラゴー殿が着いてるなら最悪でも死にゃあしないだろ。……さて、それじゃあちょっくらマ薬組織の情報網を駆使させてもらいますかねー」

 去っていくサーラの後ろ姿を見送り、ビースはぽりぽりと頭を掻いて、思考をアルハズラットの件へと戻す。
 実際、新たに調べずとも、マ薬組織は“アブドゥル・Y・アルハズラット”の情報は既に持っているかも知れない。
 新兵器の入手は、森の外の農園をマンドレイクから守るマ薬組織下部の傭兵組織にとっても重要な問題だろうから、そういった新技術には敏感だと考えられる。
 政府高官にだってマ薬ビジネスに一枚噛んでいる輩は居るし、治安組織に対しては事あるごとに莫大な金額の心付けを送っているらしいし、そのルートから件の天才様について調べることだって可能だろう。

 ビース婆は捕虜にした組織構成員が繋がれている地下牢へと降りていく。

「力尽くでニンゲン国家を蹂躙できるなら、それに越したことは無いけれど……まあそれにばかり胡座をかくのは馬鹿のやることさね」

 物量と再生能力と変異対応能力による絶対的な蹂躙戦が、森王の真価でることには変わりがない。
 正攻法であるがゆえに無敵で不敗。容易には崩れない。
 しかし正攻法を用いることができるように、万難廃することこそが重要。些細な違和感すらも徹底的に排除して戦場を作り上げることが肝要。そのための情報をもたらす目となり耳となるのが、ビース率いる森から出た諜報組織だ。

「アブドゥル・アルハズラットってのの周囲には、どうも違和感を覚える。何かが引っかかる。だから、油断しない」

 諜報と調略は、ビースに一手に任されている。
 アルハズラットの件は、彼女の領分だ。
 使命は果たす。役割は果たす。義務は果たす。

「まずは情報。そんでもって次は暗殺でも何でもやってやろうじゃないか。いや、拉致の方がいいのかね……?」


  ◆◇◆


 ぎりりりり。

 首を締めて吊り上げる。暴れる手足。口元から溢れる泡。

「こいつもまた、外れ」

 生命が抜けた亡骸を投げ捨てる。
 いくら殺しても殺しても、アルハズラットは居なくならない。
 一度ならず国営の研究施設の奥深くに押し入って、本物と目されるアルハズラットを暗殺してきた。
 しかし、技術開発は止まらない。奴らは全て影武者だったというのか? あるいは未知の知識を備えた人材を豊富に抱える巨大な組織? それとも――。

 森の王を決して根絶やしに出来ないように、アルハズラットという名前で呼ばれている何かもまた、そういった不死性――あるいは遍在性――を備えているのではないのか。
 ビースは最近そう思うようになった。
 ニンゲンではないのか? 何かの群体性のモンスターなのか? オーク鬼と森王という別種が共生関係にあるように、ニンゲンも何か別種族と手を結んだのか? 分からない。だがそれを明らかにするのが情報部隊を率いる彼女の役目だ。
 しかし、もしアルハズラットがニンゲンだというのならば、何か秘密があるのだ、きっと。死なない秘密が。高度過ぎる知識の秘密が。

「……いくつか技術奪取には成功したから、全く成果がないというわけじゃあないが……」

 魔力結晶を用いた強力な爆弾が生産されるようになって、森が刈られていっている。そしてニンゲンは刈った木々を用いて、さらに魔力結晶と燃料を得るのだ。
 今のところそれでも森蝕は徐々にニンゲンの領域を侵しているが、このペースでは更に強力な新型爆弾が開発されて押し返されるのも時間の問題ではないかと考えさせられる。
 最近は竜のように空を舞う魔導機械すら開発されつつあると聞く。

 もちろんオーク鬼だってそれを手を拱いて見ていたわけではない。
 魔力結晶の作成方法を学び、それを利用する魔導機械の製法をオーク鬼用に再構築し、後方――森の中心部――から結晶化した潤沢な魔力を前線に運ぶことで、その魔力を消費しての激烈で爆発的な緑化侵攻が可能になっている。
 ビースたち浸透工作部隊は、マ薬を用いた軍内部や市民生活の破壊や、急発展する科学技術へ警鐘を鳴らしてアジテーションすることで技術への嫌厭感を煽り発展の足の引っ張ったり、情報の奪取を行なったりしている。
 当然ニンゲン側の魔力抽出炉などの重要施設の破壊も行なっているし、それで生産力に打撃を与えていることは確かだ。

 だが、これらの施設はある程度壊されることを前提にしているらしく、国内全土で分散生産されている規格化・標準化されたユニットを組み合わせることで比較的短期間で再建されてしまう。
 しかも悪いことに、海を超えた別大陸からも支援を受けているようで、なかなかにしぶとい。恐らくはアルハズラットの先進技術の提供と交換に、食料や資源の提供を受けているのだろう。
 海の上ならば、森の王の脅威も及びにくい。海の向こうならなおさらだ。

「だけどオーク鬼も森王さまも、既に知った。海の向こうの大陸を、新天地のその存在を」

 海を越える技術を持っているのは、今やニンゲンだけではないのだ。
 測量法、詳細な海図、新大陸の正確な位置と形。それらは全てビースが盗み出した。
 これらもアルハズラットが齎したものだったが、マ薬ビジネスによって得た経済力と影響力を駆使するビースの前に奪取されてしまったのだ、しかも秘密裡に。政治家たちや王宮の役人の中にも、買収された輩や、マ薬漬けの親族がいる輩は居る。彼らはマフィアの裏にオーク鬼が居ることなど知らずに、工作活動を行わされている。

「貴様らニンゲンの命脈を保つのが、海の向こうの新大陸だというのなら」

 海の向こうに出ただけで安全地帯に居るつもりだというのか。

「わたしたちゃその全てを森に沈めるだけだ」

 ならばその傲慢さごと呑み込もう。

「既にサーラが打って出た。あのニンゲンを憎み切っている最強のドルイドが。彼女とラゴーの前では海竜すら敵ではなかろう」

 島より巨大なクジラ、獰猛な海竜、全てを絞め殺すクラーケン……海を渡るのは並大抵ではない。
 だがサーラとラゴーのペアであればそんなことはまるで全く問題ないのだと、ビースは信じていた。

 ビースがサーラを見つけてから、既に数年が経過している。
 その間にサーラは、ビースを始めとするオーク・ドルイドたちの下を回って、彼らの知見や技術を叩きこまれた。
 時には森に呑まれた小迷宮の反抗的なボスモンスターを討伐し、模擬戦で森王や茸王の一部を相手に暴れて倒し、その結果レベルアップして素の能力を飛躍的に増大させている。彼女のペアであり手足である、森王の分身体ラゴーも同様だ。彼らの魔力は、森王の名代を任せられるに相応しい強大なものになった。

 いかなる障害があろうとも、あの永遠に幼い最強のドルイドは、新大陸に辿り着くだろう。
 そして新大陸を森蝕する。それは確定事項だ。
 オーク鬼とマンドレイク・フォレストキングは止まらない、全てを森に沈めるその日まで。


  ◆◇◆


「さーて! 行くわよ、ラゴー!! 海がなんぼのもんじゃーい!」
『然り。私たちにとってこれは何の障害にもならぬよ』
「いよっし、そんじゃあいっちょ、ニンゲンを滅ぼしに行きますかね!」

 意気揚々と、喜色満面にサーラが笑う。高い木の天辺で、サソリじみた義肢のラゴーの上で。獲物にあふれた新大陸(フロンティア)を夢見て。

 ずずん、と地響き。
 大陸から新大陸へ――下手な島よりも大きい範囲、彼女の見渡す限りの森が、そのまま海へと漕ぎ出していた。
 ゆっくりと景色が流れていく。

「陸の植物は海で生きられない? でも島になら木は生えてるわよね?」
『ならば簡単な結論だ』
「島ごと作って持っていけば良いだけの話よ」

 ――聖勇国セントブレイブらの人類連合、縮小中。
 ――『竜殺しの死の森(シノシノ森)』、拡大中。
 ――シノシノ森の分遣島『漂泊の森』号、進撃中。

「いざ行かん! 新天地へ!」

================
2012.06.26 初投稿、誤字訂正
2012.06.27 誤字訂正



[32229] 新大陸とオーク鬼
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:a6a7b38f
Date: 2012/07/09 19:41
 海竜を屠り、巨鯨を破裂させ、巨大蛸の触手を切り刻んで、荒波を越えて嵐をやり過ごし――遂にサーラ率いるオーク鬼の一団は、新大陸へと辿り着いた。
 巨大な浮島が、波を掻き分けて陸地に乗り上げようと迫る。その至るところから係留索のように、太い根が何本も大地へと伸びており、大陸へと向かって浮島を牽引していく。
 接岸せんとする新大陸の大地には、豊かな森が広がっている。

「良い土地ね。地味が豊かで、水も豊富そう。長旅で疲れた森を回復させるのには打ってつけだわ」
『ああ、涎が出そうなほど、というのはこのことを言うのだろうな。打ち込んだ根の先から味わう土の味がたまらないぞ』
「ここまでご苦労様、ラゴー。直ぐにでも休ませてあげたいわ」

 広がる肥沃な大地を見るのは、浮島『漂泊の森』号の船長であるオーク・ドルイドのサーラと、そのパートナーであり『漂泊の森』そのものであるマンドレイクのラゴーだ。

 流石のマンドレイクも、ここまでの旅路は苦労した。四ヶ月近くかけて、この惑星の三分の一ほどを泳ぎきったのだ。多少は消耗もする。
 マングローブ的な対塩性も獲得しているし、水平遺伝的な方法で海草や植物プランクトンの要素を取り込み、浮島最外縁では珊瑚を真似て藍藻や褐藻を棲ませた擬似珊瑚礁を形成したため、それほど問題が多いわけではなかった。航跡には剥落した森の一部が浮草になって増殖し、緑のカーペットのようになっている。
 『漂泊の森』のスケール上のメリットから浮島の中央部では真水が容易に手に入るので水の問題はそれほどでもないのだが、それでも徐々に土のミネラルが流出して痩せていくのは如何ともしがたかった。
 だがそれもここまでだ。この新大陸の肥沃な土壌にたどり着いた以上、そんな心配をする必要は無くなった。

 浮島の周囲は、浮島から流れ出る栄養塩類や浮島に集まる虫たちによって肥沃な漁場となり、様々な魚種が浮島の周りで暮らすようになっている。
 もはや新たな一つの生態系だ。
 当然ながらそこを狙ってくる海洋の捕食者の類も後を絶たない。空からやってくる巨大な鳥型モンスターや竜種だっていた。

 様々な者が『漂泊の森』号の進路に立ちはだかった。
 周りの魚を狙うだけなら良いのだが、浮島が引き連れる豊富な漁場を自分の縄張りに留めるために妨害を仕掛けてくる魔物たち。
 単純に縄張りに入った浮島が気に食わなくて攻撃を仕掛けてきた輩。
 あとは、新大陸から旧大陸へ物資を運搬する輸送船や護衛の船舶、そして浮島を討伐するための軍艦隊。お互いにアルハズラットが開拓(というより予言)した航路情報をもとに航海しているのだから、かち合うのも当然だ。

 行く手を阻むそれらを文字通りに『圧し潰し』て、『漂泊の森』はここまでやってきた。圧倒的な質量は、何ものにも勝る力である。

 時には浮島より巨大な鯨や亀にも遭遇したが、なんとか急所を狙って勝利し、逆にその肉体を苗床にして『漂泊の森』を拡大した。
 これは構造上どうしても急所が存在する動物とそうではない植物との間の、耐久力の決定的な差のおかげだ。幾つか危うい場面があったものの、奇跡的に海に引きずりこまれなかったこともあり、勝利できた。
 死骸を苗床に増殖した森の一部は、『漂泊の森』から切り離して新大陸と旧大陸の航路上に残しており、ニンゲン勢力の妨害と、今後やって来るであろう味方の援軍のための中継基地として利用する予定だ。途中の島嶼も森蝕してあるので、後続隊は幾分楽に航海できるだろう。……さすがに海中への森蝕は、海草が生えられるような浅瀬はともかく、光が届かない深海へまで到達するのは全く以って不可能であったが。光がなくては植物は生きられないし、行く手を阻む巨大イソギンチャクやヒトデなどなど、まだまだ強敵も多いのだ。深海の魔物の中には数万年あるいは数十万年以上も生きているような(あるいは数億年かもしれない)、文字通り年季が違う化け物も存在することだろう。

 回想から戻って周囲に眼を向ければ、敵に囲まれているのだと再認識できる。
 これだけ大きなものが近づいていれば、馬鹿でも盲でも敵が来たのだと気が付くというものだ。新大陸に近づくにつれて抵抗は頑強なものになってきている。
 今だって、新大陸に向かって進む『漂泊の森』の周囲には、まるで肉に集る蝿のようにニンゲンの鉄の軍艦が十数隻――おそらくは虎の子の一個艦隊――が纏わり付いている。

「撃てっ!」

 という艦橋の声までは流石に聞こえないが、周囲の軍艦の巨大な艦砲が魔力結晶と火薬の混合物を炸裂させて火を噴き、鉄の塊が『漂泊の森』へと降り注ぐ。
 また水雷艇からは魚雷が発射され、浮島の外縁を削る。
 浮島外縁の擬似珊瑚礁が、鉄火と魚雷によって剥落していく。航跡に浮かぶ浮草が燃え上がり、嫌な煙を出す。
 膨大な鉄量が、そのまま森を耕して更地にしてしまうかと思われた。

 それがただの森ならば、そうなっただろう。

 だがこの浮島はそれ自体が恐ろしい魔物なのだ。
 旧大陸を半ば以上その手中に収めた最強の植物、マンドレイク・フォレストキング、その分身だ。

 砲火を防ぐべく、木の防壁が高く成長して立ち上がる。ドーム状に湾曲するそれを、島の内側から延びる巨木がつっかえ棒のように支えた。
 魔力に満ちたその防壁は木で出来ているにも関わらず、鉄より硬くしなやかだ。砲撃が着弾するものの、一つたりとて防壁の後ろには通らない。
 亀裂が入っても、溢れる樹液が即座にそれを塞ぐ。無限とも思われる再生能力を備えた防壁が、砲撃を阻む。
 自力飛翔して炸裂する爆弾――ミサイル――も降り注ぎ、流石に防壁に穴を穿つが、それも瞬く間に修復される。針の穴を通すように同じ場所に着弾させ続けなければ、結局壁を抜くことは叶わない。

 防御は完璧。
 ならば攻撃は?

 簡単だ。
 少し身じろぎしてやれば良い。

 ざ、とも、どぉ、ともとれない轟音と共に、浮島の一部が持ち上がる。

 ――ぉぉぉぉぉおおおん。

 そしてゆっくりと海面に落下。再び低く響く轟音。
 言ってみれば単なるボディプレス。だが発生する波の高さは、優に軍艦の高さを超える。土砂や棚氷が崩落することによって発生するようなそれを、マンドレイクは故意に発生させたのだ。

 巨大な波が艦隊を襲う。

 軍艦は波に飲まれて転覆し、あるいは突き上げる波頭によって折れて吹き飛び、またあるいは窪んだ波間に墜落した。
 死屍累々。ただの一撃で、艦隊は壊滅状態に陥ったのだ。まさに質量は脅威であり、『漂泊の森』はその脅威を存分に発揮したのだった。新大陸沿岸にも、その余波は及んだだろう。
 浮島は転覆した軍艦の残骸に向かって、未だに波打つ海面を這って浮島から蔦を伸ばす。水漬く屍を草生す屍にするために。やがて蔦が残骸に到達して巻きつき、根を張りながら引き寄せる。
 残骸を回収するのは、積載された魔力結晶を頂戴し、また敵の艦艇に使われている技術を解析する目的もある。
 『漂泊の森』号の艦長であるドルイドのサーラは、ニンゲンの最新技術にも精通している。これはオークの諜報部隊が優秀なためでもあるし、その下で学んだサーラもまた優秀だったためだ。

「鬱陶しいアメンボどもも片付いたし、これでそれなりの量の魔力結晶が手に入ったわ」
『うむ、新大陸からの迎撃艦隊は、魔力依存度が低いものが多かったが、今回はまさに虎の子の艦隊だったのだろうな。我らにとっては僥倖である。鹵獲した結晶を使えば、直ぐにでも森蝕を始められるだろう』
「まあ少しくらいはラゴーも休ませてあげたいけれどね」
『このくらいは平気だ。気遣い無用』
「頼もしいこと。でも、そうでなくっちゃね。付いて来てくれた部下たちには悪いけど、休んでる暇はないわ。早速作戦を始めないと」
『ああ、同意する』

 遂に接岸した『漂泊の森』から蔦が伸び、根が伸び、あっというまに沿岸の森の木々に巻きついて絞め殺していく。
 ぎゃあぎゃあと鳥や獣が、森から逃げ出していく。森は以前より暗い深緑に塗り替えられていく。
 ニンゲンの断末魔を想像して期待を胸にサーラは微笑み、生木(マンドレイク)の多脚義足で新大陸の大地を踏みしめるのだった。


  ◆◇◆


 一方の新大陸側陣営――要するに聖勇国セントブレイブの植民地政府。
 新大陸は、セントブレイブが『発見』した大陸だ。そしてそこに植民地を築いた。

 植民地化した新大陸において、マンドレイクの脅威から開放されたセントブレイブは、存分にその技術力と生産力を発揮した。
 大地を掘り返してマンドレイクの代わりの燃料となる石炭鉱脈や石油を見つけ、魔力抽出の為にマンドレイク材代わりになる現地の生物を養殖。これらの資源や代替物の存在は、やはりアルハズラットによって予言されていた。
 それらを使って支援物資を生産し、植民地から旧大陸へと送ることで、旧大陸の戦線を支えていたのだ(ただし魔力結晶のみは、マンドレイク材が手に入る旧大陸での生産が主体であったため、新大陸側はむしろ輸入する側であった)。

 セントブレイブは圧倒的な技術力によって、新大陸の原住種族たちを制圧した。
 マンドレイクが旧大陸を席巻したように、勇者と聖女を祖として敬う聖勇国セントブレイブは新大陸を席巻したのだった。
 竜王から旧大陸を奪還した勇者、ニンゲン国家を旧大陸から追い出したマンドレイク、新大陸で猛威を振るうニンゲン。それらは全て侵略者と言う意味では同じものだ。

 所詮この世は弱肉強食。
 適者生存こそがこの世の真。
 栄枯盛衰の無常な移り変わりはこの世の理。
 侵略と衰亡の歴史は、即ち生命そのもの。

 そして今、またもや歴史は繰り返されんとしていた。
 森蝕の大洋越え。
 ニンゲンが恐れていた事態が現実のものになったのだ。

「“大魔王からは逃げられない”、ですか」
「大魔王とは森王のことか?」
「さあ、そこは判然としません。森王のことでもあり、あるいはもっと別の存在を指しているようでもあります」
「というか、それは一体誰の言葉だ、次席研究員」
「我らがアルハズラット先生の故郷における現実、それを表した言葉――そしてイメージ――だそうですよ。人類は滅びの運命からは逃れられないのか、と先生は常に苦悩していました」
「貴様の師匠の――時を超えた叡智を以ってしてもか」
「それでもなお、だそうですよ、王太子殿下」

 植民地政府のとある建造物にて、壮年の学者風の男と、煌びやかな空気を纏う青年が会話している。
 学者風の男はアブドゥル・Y・アルハズラット――の高弟の一人である。本人ではない。時代を常に先取りし続ける男の弟子、万能の大天才の思想を広めるスポークスマン。夢を通じての睡眠学習で膨大な知識をインストールされてもなお人格を保った、アルハズラットの取り巻きのうちの一人。
 もう片方の煌びやかな男は、聖勇国の後継者である王太子だ。万が一、旧大陸の王都が陥落したときに備えて、父王の命により避難させられているのだ。

「先ほど連絡があり、精鋭艦隊も成すすべなく壊滅した模様です。正式な報告は軍から別途上がるでしょう」
「そうか……。国の盾となった英霊に感謝を……」

 王太子は黙祷を捧げる。
 しかしいつまでも感傷に浸っている時間もない。

「……次席研究員、新型爆弾はどうなっている? 投入可能か?」
「基礎的な工作精度や前提技術の問題から、未だ実用化には至っておりません。技術の発展には、順序というものがあるのです」

 理論値では大都市程度なら焼却可能だという新型爆弾は、未だ完成に至らず。
 いや、完成できたとして、地下深くに根を張るマンドレイクに対して何処まで効果があるものか。焼け野原でもそ知らぬ顔で新芽を芽吹かせるだろうことが容易に想像できる。根絶やしにするなら、十数回は使って再生するたびに焼き尽くし、再生用に地下茎に蓄積されている栄養素を全て吐き出させなくてはならないだろう。
 マンドレイクを滅ぼせなくても、マンドレイクと共生関係にあるオーク鬼くらいは、上手く新型爆弾を使えれば滅ぼせるだろう。マンドレイクとニンゲンの時間感覚は大きく異なる。そのギャップを埋めて、スピーディな侵攻を可能にしているのが、オーク鬼たちの存在だ。ならばそれが居なくなれば、ニンゲン側に時間的猶予が生まれるかもしれない。

「これほどに海を越えてくるのが早いとはな……。予想外だ」
「やはりオーク鬼どもの存在が大きいですな。奴らは数が多くて小回りが利く上に、人類と同じ尺度(タイムスパン)で生きています故……」
「ふん、ネズミの時間で生きているわけではないのが、せめてもの救いと言うわけか」

 今更言っても始まらない。近年の森蝕速度の鈍りもあり、ニンゲン側にも油断があった。いくら斥候を送り込んでも森の内情などよく見えないのだから、楽観論に流れてしまった面もある。警鐘を鳴らし続けて妥協することなく軍事力増強を推進したのは、アルハズラットを中心にしたタカ派くらいであった(ハト派を装ったオーク鬼の工作部隊の努力が実ったとも言う)。
 その結果今では、旧大陸では徐々に森蝕が活発化して大地を奪われ、さらには新大陸にも上陸を許してしまった。それも、偶発的に漂着した木の実や流木などとはまるで規模が異なる、巨大な島一個分の上陸を、だ。
 これを封じ込めて根絶するまでは、新大陸に安寧は訪れないだろう。

「それで、どうする。どうすれば良い?」
「……目標を新大陸に侵入したオーク鬼の根絶に絞れば、あるいは対処も可能やも知れません」
「オーク鬼を叩くことで、森蝕の鈍化を狙う、か」
「そうです。消極的ですが、現状ではそうするしかないでしょう。それが出来れば、あとは民間資本も導入してのマンドレイク材の伐採推奨と、伐採材からの魔力結晶精製を推進するだけです。そろそろ技術の民間移転を行なうのが経済的にも正しいでしょうし、それで時間を稼ぎます」

 オーク鬼を叩けば森の即時的な対応力は下がり、急速な森蝕はなくなるだろう。
 そして官民合わせて森を伐採して時間を稼ぎつつ、新技術の開発を進める。そして最終的には極大威力の新型爆弾で、森蝕された地域を灰燼に帰する。
 当然ながら、これらは速やかに行なう必要がある。最も警戒するべきは、森(マンドレイク)の進化による各種兵器への耐性獲得と、それにともなう技術の陳腐化だ。オーク鬼とマンドレイクはお互いに補い合って進歩しているが、そもそもマンドレイク単体での進化速度も侮れるものではない。オーク鬼を鎮圧して安心していたら、全く別の協力種族が現れて元の木阿弥ということも充分考えられる。あるいは、旧大陸からの増援だって……。

「……そうだ、旧大陸から敵の第二波は来ていないのか?」
「今のところはその兆候は確認されておりません」
「ふむ」

 それは新大陸侵攻に振り向けるだけのマンドレイクのリソースが不足してるのか。
 旧大陸での地歩を固める心積もりなのだろうか。

「いくらマンドレイクでも、あの規模の漂流する森を続けざまに送り出すのは難しい、ということか?」
「そうかも知れませんし、あるいは……」

 旧大陸から切り離されて洋上を航海した漂泊森林の、その航路上に残されたものを頼りにして、本格的な侵攻に向けての足場を作っているのかもしれない。
 そうだとすれば恐ろしいことに、アレだけの規模でありながら、漂流してきた森は単なる先遣隊、いや斥候に過ぎないのかもしれないのだ。
 マンドレイク・フォレストキングをニンゲンの価値観で計るのは危険だ。あれはニンゲンに計れるような存在ではない。

「あるいは、今回新大陸(こちら)に送り込んだ分だけで充分だと考えているのかもしれません」
「それだけ侮られている、ということか」
「相手が何処まで狙っているのかのまだ不明なのでなんとも言えませんが、少なくとも『本国への物資輸送の妨害』という目的を達成するには十分な戦力だということは確かです」
「重要なのは相手の戦略目標(狙い)、か」
「……もし新大陸を全て手中に入れるのが目標であり、その上で増援を考えていないというのならば――」

 問題は、送り込んだ戦力に敵が絶対の自信を持っている場合。
 『何が起きようと勝利できる』と、それだけ信頼された者が率いている可能性がある。
 精兵に猛将。迎撃に向かった精鋭艦隊の壊滅は、それを暗示している。

「暗鬱になってくる、な」
「しかしやることは変わりますまい」
「そうだな。先ずは、というか何よりも、森の拡大を防がねばならん。本国への輸出を再開するためにもな」

 広がると手のつけようがなくなる。
 だから今のうちにこれ以上の拡大を防ぐ、あるいは最低でも森蝕の速度を鈍化させる必要がある。

「幸いにして、爆撃機部隊は試験機の名目で、部隊として運用可能な数が用意できております。試験機ですので性能や規格は一部統一されておりません。航続距離に懸念があったことと、海軍との軋轢もあり水際作戦には投入できませんでしたが……」
「実験空軍か……それでも現時点で面制圧可能な遠隔攻撃手段が温存できているのは、不幸中の幸いだな。直ちに発進させろ、軍の横槍が入ろうと、だ。私の勅命で捩じ込め」
「御意に」
「それと爆弾の増産もだ。可能な限り作らせろ、今ある在庫分ではとても足りるまい」
「はっ、急がせます」

 広がるそばから焼き尽くす。反撃も煙も届かない場所から一方的に焼き尽くす。一切合財焼き尽くす。
 それしかないのだ。
 ……水際で上陸を阻止できなかった時点で色々終わっている気がしないでもないが。





「いっそのこと竜伐の建国王に倣うのも手か」
「確か……第二王子のケイロン殿下を中心とした『英雄部隊』、でしたか」
「弟(あいつ)ほど戦闘の才能に恵まれていればこその発想だろうがな」
「……個人的にはたかだか数人の武人に頼るなどしたくはないのですが」

 ニンゲンの力は組織力なのだ。
 圧倒的なまでに突出した個人に頼るのは、アルハズラットに薫陶を受けた次席研究員の彼としては本意ではない。
 尤も、効率的な強化カリキュラム作成や、特殊能力持ちを発見しやすい制度作りに協力したのも彼らアルハズラットの弟子たちなのだが。

「歴史は繰り返すものだ。『魔王』による侵略の歴史も、そしてそれに抗う『勇者』の歴史も」
「何にしても、あまり森を広げられるわけにもいきません。それは変わらない。『英雄部隊』も完成には程遠いと伺っております。暫くは爆撃で時間を稼ぐ必要があるでしょう」
「ああ、人類の底力を見せてやろう」


  ◆◇◆


「……なかなかやるわね、ニンゲン」
『これでは森が広げられないではないか』
「常に炎の壁に囲まれてるし爆発で地面ごと掘り返されてるからね。……まあ、その程度は想定済みだけど」

 森の周囲から中心へ螺旋を描くように、空から爆弾が投下されており、外へと森を広げることが出来ないでいた。
 とはいえ中心部を覆う、戦艦の主砲すら弾いた隔壁は健在なので、サーラたちは別に命の危機は感じていない。
 それに諜報部のオーク鬼から、航空兵器や新型爆弾の情報は聞いていた。新型爆弾で一気に薙ぎ払われる可能性も視野に入れていたが、今のところその兆候はない。

「まあ、このくらいなら問題ないわ」
『フォレストキングの本体の方は、均一に森を広げることに執着を持っていたが……』
「私たちにはそんな拘りはないもんね」

 ぶっちゃけると、マンドレイク・フォレストキングの目的は自らの勢力圏の拡大であるが、それに対してサーラの目的とは復讐であり、つまりはニンゲンの殲滅なのだ。
 そうなれば、取るべき手段も自ずから異なってくる。

「まずは分断」
『旧大陸から新大陸への、その動線を破壊する』
「第一目標は、旧大陸への支援物資の遮断、つまりは後方撹乱が私の役目。それは大陸間航路を押さえたことプラス上陸によってほぼ達成。じゃあ、少し欲張ってもいいわよね」

 このまま新大陸を蹂躙する。

『森を一部突出させて通商路を遮断する』
「――網の目状に匍匐枝(ランナー)を走らせて、各地域を細かく孤立させる。そして孤立した地域を各個殲滅」
『マス目を塗りつぶすように、勢力圏を広げる』

 というわけで。

「ウッドトレイン、ゴ―!!」
『ゴー!!』

 匍匐枝、というには余りにも巨大なそれが、森を囲む爆炎を振り払って突出する。
 直径はオーク鬼十人分もあるような巨大な樹の丸太が、地を這うように――否、飛ぶように地面を走っていく。その速度は一刻百里というような有様だ。外殻は堅牢であり、当然、止められるものは存在しない。
 掛け声通りに列車のようなそれが、土煙を上げながら大地を横切っていく。巨大な樹の蛇が跳ねながら、行く手に立ち塞がる何ものをも破壊する。

「航空戦力に対する有効打は、ちょっとまだ与えられないけど」
『……風の魔法で、大気を擾乱するか?』
「うーん、どうだろう、多分魔力結晶の備蓄が足りないわ。今は勢力を広げて、エネルギー収支を安定させるのが先かしらね」

 鹵獲した魔力結晶や植物体に備蓄している栄養と魔力をガンガン消費してウッドトレインを走らせているので、羽虫程度の航空機などに構う余裕はない。
 それに後背地域を落とせば、航空機の脅威は無くなる。鳥には止まり木が必要で、永遠に飛び続けられるわけはないのだ。

 しかし嫌がらせくらいはしておこう。

「まあ種砲弾くらいは飛ばしましょうか」
『弾種は――鳳仙花タイプのものが良いか。散弾の一つでもかすれば十分だろう』
「竜と違ってあの飛行機械は脆いらしいから、それで良いでしょうね」

 爆撃の隙を突いて、防御隔壁が砲塔型に変形する。スイカのようなドームから、ウニの棘の様ににょきりと砲塔が突き出る。
 そこから種砲弾が散発的に発射される。砲弾は空中で炸裂し、内包した散弾を撒き散らす。
 しかしなかなか当たらない。割りと相手の高度があるせいだろう。

「高度があって遠いけど、向こうもあんまり速くないから、よぅく狙えば当てられるかもだけど――」
『ふむ、では君の部下たちに的当てゲームでもやらせたらどうかね。彼らも一方的に爆撃されて鬱憤が溜まっているだろう』
「そうね。あれ追っ払わないと彼らも外に出られないから暇でしょうし」

 サーラは砲撃を自分の部下たちに丸投げする。
 権限を引き継いだ部下たちは直ぐに砲塔を操作して狙いを定める。
 ウニの管足のように自在に砲塔が動き、次々と散弾を吐き出す。

 そして散弾が命中したのだろう。一機が錐揉み回転しながら落ちていく。

「お? おー! 落ちた落ちた! やった子にはご褒美あげないとだね!」
『あとで墜落地点まで残骸を回収に行かんとな』
「あ、他のは逃げてく」

 一機が落とされて怖気づいたのか、それとも燃料切れか爆弾切れか。
 何にせよ爆撃機部隊は撤退していくようだ。

 匍匐枝(ウッドトレイン)はその先頭を急成長させ、土煙を上げながら延々と伸びていく。
 既に横たわるウッドトレインの根元に近い方はどっしりと大地に根を下ろしており、その円筒の上半分からは枝を伸ばしている。同時に、幹から枝を伸ばして這わせる。枝は時には互いに合流し、葉脈の網の目のように大地を覆っていく。

「まあまずは半日で伸ばせるとこまで伸ばして、その範囲内の都市や工業施設を包囲して孤立させましょうか」
『暫くは区切った範囲内の攻略と、失った魔力をまた蓄積せねばならんな。それとは別に主要な交易路を遮断するようにウッドトレインを走らせるのも続けるが』

 ウッドトレインから枝を沢山生やせば、直ぐに鉄のカーテンならぬ、マンドレイクのカーテンが出来上がる。
 それでニンゲンの生活圏をズタズタに分断するのだ。
 遮断された都市など、じきに飢えてしまうだろう。攻略は容易だ。

『……ビースが奪取した新大陸の地図が正確なら良いのだが。余りにもニンゲン側の情報戦能力が杜撰なので、偽情報なのではないかと勘繰ってしまうな』
「まあ確かにねー。それ以上にうちの情報部が優秀なのかもしれないけども。でもまあ、事前情報に頼りっぱなしにするんじゃなくて、こっちも独自に情報を集めれば良いだけよ」
『そう言うと思って、一定間隔で高山級の高さの巨木の物見櫓も作ってある。ニンゲンたちの都市の監視や地図作成はそこからやれば良い』
「流石ラゴーね、仕事が早い」

 ウッドトレインからは早速太陽に向かって枝が伸びており、樹々の緑で作られる道となっている。それは元からあったニンゲンの道のことごとくを分断していた。
 緑の道を辿って見ていけば、確かに霞むほど遠くに幾つもの天を衝く巨木が立っているのが分かった。あっという間の早業だ。
 あとで部下たちをその監視塔樹に配置しなくてはならないだろう。
 監視されるプレッシャーというのは相当のものだし、逃げ出したり連絡を取ろうとウッドトレインの境界を越えようとする者たちを見せしめにすれば、さらに区域内のニンゲンを追い詰めることができるだろう。一旦見せしめをすれば、監視塔樹に詰める人員は減らしても良いだろう。どうせニンゲンからは監視塔樹の中にオーク鬼が居るかどうかなど分からないのだから(スパイなどによって監視要員の交代ローテーションが漏洩しない限りは)。
 都市内部に不和の種を撒いても良い、『誰某はオーク鬼に通じている』とかいう具合に。あるいは『先住民族がこの機に蜂起しようとしている』とかでも良いだろう。逆に『セントブレイブの移民たちが先住民から積極的に略奪している』というのも信憑性があるのではないだろうか。そして内紛で自滅してくれれば手間が省ける。そうなれば大都市ほど崩壊が早いだろう、ニンゲンの数も多く、外部からの流通がなければ物資は持たないから。追い詰められればニンゲンでも動物でも変わらずに本性を剥き出しにするはずだ。一部の人間だけを不自然に優遇して、その擬似的な特権階級に虐殺を指揮させるのも良いかもしれない。分断した区域ごとに戦争させてみるのも良さそうだ。

「じわじわと嬲り殺しにしてくれるわ」
『……てっきり血みどろの殲滅戦でもやるのかと思ったが』
「際限がないもの、そんなことしてたら。ニンゲン相手に労力をかけるつもりはないのよ。わざわざ私たちが手に掛けるまでもない。新大陸は広いし、いちいち関わってらんないわ」

 だから絶望と不安と不信の中でのたうち回って死ね。
 お互いに殺し合って死ね。
 ニンゲンはその愚かしさ故に死ぬのだ。

「ふふふ、適当な頃合を見て、幻覚ガスを流し込んでも良いかもね。疑心暗鬼の中だと、隣人はどんな顔の化物に見えるのかしら」
『外道だな』
「ニンゲンなんて滅びればいいのよ。……いいえ、私が滅ぼしてやる」

 彼女の憎悪は深いが、しかし野生の理には従順だ。

「滅ぼされたくなければ、力でそれを覆しなさい、ニンゲンども。まあ私も昔のように何の力もない子供ではないし(見た目は成長していないが心構えの問題だ)、ラゴーの力に頼るしかなかった未熟者でもないわ。せいぜい抗うことね」


  ◆◇◆


 悪化する治安。遠くから監視するオーク鬼。出て行ったら二度と帰らない決死の連絡隊。
 分断された上に日ごとに狭まる生活圏。押し寄せる樹々。救援物資を空輸しようと試みては撃ち落される外からの輸送飛行機。
 森に魂を売り渡した一部のニンゲンたちによる過酷な支配。密告の推奨。

 マンドレイクの檻の中のニンゲンたちは繰り返し繰り返し思い知らされる。
 抵抗しても無駄である、と。学習的無気力というやつだ。
 研究者気質も多少は持ち合わせているサーラは、その様子を論文にまとめているようだった。ニンゲンの効率的な破滅的支配方法、とでも名付けるべき論文だろう。

 ニンゲンの中にはレジスタンス活動をしようと試みる者も確かに居た。
 だが、非正規的な活動はオーク鬼の方が一枚上手だった。新大陸に来たのは、ニンゲンを手玉に取り続ける工作員の長ビースに鍛えられた精鋭特殊部隊のオークたちである。
 レジスタンスすらも、オーク鬼によって作られた自作自演のマッチポンプの産物でしかなかったのだ。表と裏から、オーク鬼はニンゲンを支配した。決して自らは矢面に立たず、攫って洗脳したニンゲンのシンパたち(少年少女が多かった)を上手く使って、巧みに内紛を煽った。
 霧の夜には隣人が化け物に見えるという噂もある。いつの間にか植物人形に置き換わっている隣人もいるとか、不確定ながら否定しづらい噂話が流布される。

 じわじわと森に区切られたニンゲンたちは数を減らしていく。心をすり減らしていく。信頼を、絆を、生きるための活力を摩耗させていく。侵略者サーラの悪意は陰湿だった。



 そんなある日の出来事である。

 助けが来たのだ。
 そう、『英雄』が!
 人々が待ちに待った『勇者』が!


  ◆◇◆


 英雄(彼ら)は地響きとともに現れた。
 まるで地面に張ったテープを剥がすようにして、地面が森の樹々の緑ごと一直線に捲れ上がっていく。森の根が伸びて持ち堪えようとするが、間に合わずにその勢いで空へと放り投げられてしまう。
 これは土を操作する魔法だ。それ自体はありふれた魔法。土塊を魔力に応じた量だけあっちからこっちへ。ただそれだけの魔法。――だがその規模は空前絶後だ。

「あはは、無茶やるものだな、アーネスト爺さん! 地盤を捲るときの地震のせいで、無事だった街もどんどん崩れて行ってるじゃないか! ま、どうせそこに住むニンゲンなんかもう居ないみたいだがね」
「空撮で生き残りの居る場所は分かっております。――敵の首魁の場所も。そこまでの道は私が作ります。殿下はその道を、皆を率いてただただ驀地に!」

 無邪気な声と渋い声。英雄王子と歴戦長命の土魔法戦士。数十名の戦士たちを――英雄たちを率いて彼らはただただ疾走する。
 一際目立つ一人は、若い金髪の王子――ケイロン・セントブレイブ。戦の才に溢れた王家の男。初代国王である竜伐王の再来とも言われる、最強の男。いや、新大陸で土着の魔物たちを討伐して地力を上げた彼は、初代国王を既に超えているとも噂される。
 血路を開く土の魔法戦士は、百数十年を生きてなお現役の最巧のロートル――アーネスト。若い頃から最前線に身を置き続け、何体ものマンドレイクの巨兵を倒してきた戦士。彼は、その増大した魔力故に長命を得た。アーネストのゴツゴツとした鎧には、魔力結晶を内蔵した無数のシリンダーが刺さっている。魔法を使う度に、彼の身体に直接接続されたシリンダーが輝き、魔力結晶に封じられた魔力を放出する。ニンゲンを超えた天変地異規模の大魔法は、先端技術による肉体と魔導機械の融合によって支えられていた。彼はその身も人生も、全てを森との戦いに捧げていた。

「土よ退け! 道を開けよ! 我らの主が凱旋するぞ!」

 アーネストが力に満ちた言葉を叫ぶと、地割れが走り大地が持ち上がる。同時にアーネストの鎧から魔力の残滓が噴出して、空になったシリンダーが脱落する。
 アーネスト老が作った道を、ケイロン王子を筆頭にして精鋭たちが駆け抜ける。いずれもアーネストに負けず劣らぬ歴戦の勇士たちだ。
 彼らは来るべき日に備えて、この新大陸中を駆け回り、その技術と鉄火魔導の力でもって目ぼしい土着の魔物を駆逐して、その身の糧にしてきたのだった。彼らこそが人類の矛の、その尖りに尖った最先端。

「おおおおおおおおおおおおおおお!!」

 鬨の声を上げて、英雄部隊が走る。
 行く先々で森に内側から崩された廃墟の数々が目に付く。しかしニンゲンたちは見当たらない。いや、そこでかつて繰り広げられた酸鼻な光景を見なくて済んで、ある意味では幸運だったのかもしれない。全ての惨劇は森が覆い隠して呑みこんだ。

「くっ、さすがに再生が早いな……!」
「いや、持ちこたえられているだけでも凄い。さすがアーネストさんだ」
「私たちにできるのは、力を温存して敵の本丸に辿り着くことだけよ!」

 随行の英雄部隊隊員たち数十名に、森のプレッシャーが圧し掛かる。
 アーネスト老が渾身の力を込めて維持している道以外は、既にまた森に沈んでいく。
 老兵が全霊をかけて維持する土の壁は押し寄せる樹々とかろうじて拮抗し、土と樹のトンネルを作り上げる。
 それでも彼はニンゲンの枠を出ない、ただの一個人である。退路の維持にまでは力を回せず、英雄部隊が進むそばからトンネルが圧壊していく。

「道は前にしかないぞ! 進め! 進め進め進め! 進め!!」
『 おおおおおおおおおおおおお!! 』

 だが、その英雄たちの行く手に空から降って立ち塞がるものがあった。

「貴様ら、止まれ!」

 行く先から響いてきたのは、流暢な交易共通語。ニンゲンの言語。
 つまり掘り返された土の道に立ち塞がったのは――

「……人間か」
「如何にも。我らの『国』を攻め滅ぼそうというのだろう? そんなことはさせるものか」
「馬鹿者め、何が『国』だ。この愚か者が! 森に利用されているのに気付かんのか!」
「はっ、知らねぇなあ!! 利用されてるからなんだってんだ、その分良い思いをさせてもらってるぜ」

 それは占領地から強奪したのであろう最新式魔導甲冑を着たニンゲンだった。

「こ、の、愚物が!」
「そりゃあ悪うございましたねえ。こちとらお貴族様とは違って学もないもんでねえ」

 彼らはニンゲンを裏切って森についた愚か者たち。目先の権益に踊らされて、将来に待つ種の滅びを見通すことの出来ない短慮の馬鹿ども。
 森の権威を傘にきて、同族であるはずのニンゲンたちを気ままに支配し奴隷にして良い思いをしてきた輩だ。略奪、強姦、拷問、虐殺……ヒトはここまで同族に対して残酷になれるのかと、あのオーク鬼のサーラですら感嘆し喝采を送った。
 そんな彼らにとって、森のマンドレイクを滅ぼそうとする英雄部隊などただ己の権益を取り上げようとする邪魔者にすぎない。いや、ここで救援に現れた者たちを叩き潰し、自分たちの優位性を支配する奴隷たちに示さねば、奴隷たちは反旗を翻すだろう。

「貴様ら下種に使う魔力も惜しいが、見逃すわけにもいかぬ」

 英雄部隊の中からケイロン王子が前に出て、魔導剣で逆賊たちを指す。柄には幾つかの小型魔力結晶シリンダーが自動拳銃の弾倉のように装填されている。その内の一つを消費し、剣に魔力の光を纏わせる。同時にアーネスト老が邪魔が入らないように周囲を丈夫な土の壁で覆い、地下までそれを伸ばしてマンドレイクの侵入を遮断する。邪魔立てはさせないつもりだ。

 逆賊たちの最新式魔導甲冑が臨戦態勢に移行し、その表面に魔導の光が走る。各部に仕込まれた感圧板などの各種スイッチが、鎧の各種機能を起動させるのだ。新兵でもそれなりに戦えるようにするもので、マンドレイクの『森の鎧』を参考にしたものであった。短時間なら空だって飛べる。逆賊とはいえ、いや逆賊だからこそ、自らの権力の源である鎧の操作には習熟していた。


 光剣を掲げたケイロンが口を開き、朗々とした声で断罪する。

「事ここに至っては是非もなし」

  「俺らだって分かっちゃいたのさ」

「魔物に降りて為した悪逆三昧、決して許せるものではない」

  「こんな旨い話があるはずがない、続くわけがないってな」

「第二王子ケイロンの名において沙汰を下す」

  「だがなあ、そもそもあんたらが遅すぎるんだよ」

「罪状、国家反逆罪」

  「助けに来るならさっさと来やがれってんだ。そうすりゃ俺らだって……」

「判決は死刑(センテンス・イズ・デス)」

  「……いいや今更だ、全ては今更なのさ。それにどうせあの森の化物と、化物の森には誰も勝てやしねえのさ。なら少しでも旨い汁吸おうと思って何が悪い」

「神妙に素っ首を差し出せい!」

  「はっ、やなこった!!」



 激突。

『 せええええやあああああああああああ!! 』
『 ぎゃあああああああああああああああ!? 』

 そして鎧袖一触。

 精鋭部隊相手に少し力をつけただけの元ゴロツキが相手になるわけがない。ずんばらりんとケイロン王子の手元から長く伸びた光剣が逆賊を切り刻んだ。光の軌跡が走り、切断された肉体がずり落ちる。
 それに、啖呵を切って覚悟を決めていた逆賊の頭はともかく、他のニンゲンはそれ以下の正真正銘の下種だ。はなっから逃げ腰だった。もっとも、命乞いする暇すらなかったわけだが。

 今回の逆賊の待ち伏せは、きっと森を管理しているオーク・ドルイドの指令だ。
 用済みになったニンゲンらを、別のニンゲンの手で以って叩き潰させたということなのだろう。

「――『ゴミの処理はゴミにやらせるに限る、それ以上汚れようがないから』とでも考えているのか?」
「ケイロン殿下」
「どうした、アーネスト爺さん」
「……奴さんがおいでなさりました。まさかこんなところで大本命のお出ましとは」

 アーネスト老の顔が歪む。
 それは天敵に出遭った恐怖か、あるいは宿敵に出会った歓喜か。
 その視線は、この簡易断罪場を区切る土壁の上に向かっている。

「忘れもしません。この気配は間違えようもない――――オークのドルイド種。臨戦態勢になったそいつの威圧感だ」

 最も経験豊富な彼の言葉に、知らず知らずの内に英雄部隊の面々は息を呑む。皆がアーネスト老の視線を辿る。

 視線の先には、逆光の中で高い土壁の上に立つ多脚の異形のシルエット。
 森における絶望の象徴。森の巫女。ニンゲンの天敵の一つ。
 しかしわざわざ森の木々から隔離されたアーネスト老の土壁の内側に入ってくるとは、一体どういうつもりなのか。

 土壁の上の蠍のようなシルエットの異形が口を開く。オーク鬼にしては流暢な交易共通語だ。

「この様子は占領地の全てに放映されてるわ。きっと民衆は、圧制を敷いていた逆賊たちが死んで希望に満ちているでしょうね。あなたたちは歓喜と共に迎えられるでしょう」

 おめでとう、解放の英雄たちよ。半鬼半樹のオーク・ドルイドがぱちぱちと拍手をする。その様子も生中継されているのだろう。

「そして私は楽しみでならないわ。そんな英雄たちを殺せば、今度はどんな絶望がニンゲンを襲うのかしら」

 希望の後の絶望ほど深いものは無いのだから。

「ダーマ元帥に倣って、私も名乗りましょう。――私はサーラ、『ニンゲン嫌い』のサーラ」

 彼女は名乗りを上げる。彼女こそ、この占領地の恐怖の象徴、森の化物。

「英雄たちの虐殺ショーを始めようじゃないの!」

 直後一斉にアーネスト老の土壁から植物が芽吹いて、怒涛の勢いで戦場を塗り替えていく。
 ケイロン・セントブレイブ王子が随員に檄を飛ばす。

「人間を嘗めるな、豚が! 総員武勇を揮え! 我らの力は今このときのためのものだぞ!」
『 応!! 』


  ◆◇◆


「全ての物は動きを止めよ!」 「冬の世界で凍りつけ!」
「土よ、侵入者を縛め(いましめ)押し潰せ」

 英雄部隊の隊員たちによる氷雪魔法がブリザードとなって周囲を覆う。植物の成長を妨害するためである。
 またアーネスト老らの土魔法使いは、周囲の土壁を操って圧力を掛けることで、侵食してくるマンドレイクの根を殺そうとした。
 それらは全てニンゲンの領域を超えた規模の魔法である。足りない魔力を魔力結晶で補い、更には魔導式を刻んだウェハースを補助に用いて、彼らは人外の能力を発揮する。

 またある者は魔導式の銃火器に身を包み、ただ只管に銃弾を吐き出す。
 サーラの元にそれは殺到し、炸裂して火花を散らす。
 手投げ弾や爆発の魔法も容赦なく発射され、その爆圧でサーラを押さえつける。

 多勢に無勢。数十対一。
 このまま勝負は決してしまうように思われた。
 数で勝るニンゲンの英雄部隊に、サーラが単身で挑んだのは何故であろうか。


 勿論それは絶対の自信があったからに他ならない。

「あはははははははは! この程度! ニンゲンの最精鋭が聞いて呆れるわね!」

 連続した火炎魔法の下から、悠然とサーラが歩み出る。その姿はまるで蠍の化物。
 表面がうっすらと炭化し、あるいはブリザードの余波で凍りついている樹製甲殻、いやそれはその姿は樹の多脚戦車と言っても良い。直ぐに炭化したり凍りついた部分が剥がれ落ちて再生する。
 再生し続ける分厚い甲殻はニンゲンの魔法を受け付けない。その魔力を常に巡らせているため、樹の甲殻の強度は竜の鱗すらも上回るだろう。かつて、フォレストキングがニンゲンに敵意を持って森蝕を始める以前は、死の森の木材は高級な武具や木造船の材料として取引されていた。中には『竜鱗すら砕く聖棍』と言われた名武器もあった。……森蝕開始後は、完全には死に切っていなかったそれらの木材がマンドレイクとして蘇り、多くの都市で犠牲者を出した。ニンゲンの街に木製品が少ないのはそういう教訓もあってのことだった。

 と、その時サーラの足元の土が急に蠢き出す。

「あら?」
「土よ跳ねよ、お前を今一時(いっとき)大地の楔から解き放とう!」

 そしてまるで畳返しのようにして、半ば凍りついた土の板がサーラを跳ねあげた。
 アーネストの老練にして絶妙な土魔法だ。彼は相手の不意を突いて足場を操ることを得意にしていた。
 間髪入れずにケイロン王子が号令をかける。

「今だ! これで同士討ちを恐れる必要はないぞ、最大火力をお見舞いしてやれ!」
『 了解!! 』

 威勢のよい返事が帰り、数十名の英雄部隊の隊員たちが次々に魔導兵器を起動する。
 魔力結晶シリンダーを身体に突き刺し、そこから魔力を注入する。
 オーバードライブ。
 身体に備わった魔力容量以上の魔法を、外部から魔力を補って連続使用する越人超技。

 魔導兵器に魔導甲冑……そんなものがあるならわざわざ英雄部隊など用意しなくても良いのではないかと思うだろう。
 だがそれは違うのだ。それらは新兵を簡単に一人前にはしてくれるが、英雄にするには全く足りないのだ。
 強靭な肉体の持ち主なら、それだけ高出力の兵器の反動を受け止めきれる。つまり数多の魂を屠った強靭な肉体と合わさって初めて、魔導兵器は真価を――限界性能を――発揮する。

 例えば具体的にはアーネスト老ら英雄部隊が用いている魔力結晶の注入シリンダー。
 並の人間なら一本ぶち込んだだけで、過剰な魔力を制御しきれずに全身の穴という穴から噴血して死ぬだろう。
 それを何本も使用して人外の魔法を行使するのだから、英雄部隊の者たちの身体は並大抵の強靭さではない(そのなかでもアーネストとケイロンの強さは群を抜いている。アーネストはその歩んできた歴史故に、ケイロンはその身に流れる勇者と聖女の血筋故に)。

「あはは! やってみなさいな!」

 サーラが空中で腕を振って体を捻り回転のモーメントを調整し、体勢を整える。

「やるとも、やってやるともさ! ――風よ風よ、流れる風よ! しかし今だけお前は動きを止めよ、散らず流れず漂わずっ、ただただ留まる枷となれ!」

 ある隊員が風を操り、樹製装甲に包まれたサーラを空中に固定する。
 これではサーラはいい的だ。

「攻撃開始!」

 それぞれの騎士たちが最大火力を順次投射する。
 それはお互いの攻撃が相殺し合わないように考えられた、精密なる連携であった。
 光が、火炎が、雷鎚が、鉄が――ひたすらにサーラを襲う。
 新大陸の大山脈の主であった飛竜すらも、この集中攻撃の前には原型を留めなかった。

 だが――

「無傷、だと?」

 現れたサーラは全くの無傷。
 全力の攻撃だったというのに。
 今まで誰も何ものも耐えたことのない攻撃だったというのに!
 英雄部隊の面々の背筋を戦慄が駆け抜ける。

「気は済んだ? じゃあ、こっちのターンよ」

 魔力結晶を一通り消耗し尽くしたあとの短いインターバル。
 数え切れない魔法の直撃のあと、その中から現れたのは未だ頑丈な樹製装甲に包まれたままのサーラ。
 サーラの装甲の表面がまるで皮下で寄生虫が蠢くように不吉に泡立つ。

「まずい、回避行動!」

 ケイロンが嫌な予感を覚えて慌てて指示を出す。
 しかしそれは一手遅かった。
 渾身の攻撃を耐え切ったことで、部隊員たちの精神に一瞬だけ空隙が生まれていた。
 その隙にオークの言葉(共通魔物語)で、力ある呪文が紡がれる。

『伸びる枝は驟雨のように』

 雨のようにサーラの外骨格からマンドレイクの枝が伸びる。
 剣山を逆さにしたような樹の槍の雨。空を覆っていく樹の枝と、そこから落ちるように伸びる樹の槍。
 次々とそれが英雄部隊の隊員たちを襲い、串刺しにしていく。

「ぐぅっ!?」
「大丈夫か、お前たち!? 直ぐに解放する――伸びよ光剣! 『輝彩滑刀』モード!」

 ケイロン王子やアーネスト等は、樹の槍衾から逃れられた。
 直ぐにケイロン王子が手の魔導剣から光の刃を伸ばし、魔導剣で樹の槍を斬り払う。
 細かな光の刃がチェーンソーのように剣の縁(ふち)を高速で流動する、対マンドレイク用の形態――『輝彩滑刀』モード。マンドレイクの頑強な枝でさえ削り取る、特製の伐採魔導具だ。

「ありがとうございます! 殿下!」
「それより早く刺さってる槍を抜け。毒が滲むし、植物やマタンゴに侵蝕されるぞ! 俺は残りの奴らを――」

 ケイロンが助けられたのは、串刺しにされた隊員たちの内でおよそ三分の一ほど。
 残りの十数名は、未だに樹の槍に囚われている。
 急いでケイロンたちを始めとした難を逃れた者たちが助けようとするが。

 無慈悲にも、サーラの力ある呪文が響く。

『雷鎚よ、蹂躙せよ』

 次の瞬間、枝伝いに青白い落雷のような電流が流れた。

『 あ、ぎゃあああああああああ!? 』
「――くそ、遅かったか!」

 串刺しの英雄部隊の隊員たちが体の内側からの電流にもがく。
 過剰な電流に耐えられずに全身の細胞膜の二重膜構造が破綻。細胞膜の裏表がショートして千切れ飛び、あらゆる細胞が破裂していく。
 しゅうしゅうと全身から滲む血は、電流によって沸騰し血煙となる。

 だがしかしそれでも彼らは生きていた。
 不幸なことにその程度で死ねるほど、英雄部隊はヤワではない。
 眼球が破裂し、脳髄と脊髄が熱変性を起こし、デタラメに流れる電流で思考がかき消されて筋肉が痙攣しても、それでも彼らは戦おうとした。

 そんな彼らの忠勇さを見て、ケイロンは即断する。

「光剣よ、散れ。勇敢なるものに慈悲を」

 ケイロンが握る光剣から、幾つもの光の弾丸が放たれる。
 光弾は鋭角に曲がりながらマンドレイクの槍衾を抜けて、囚われて電流に晒されていた瀕死の隊員たちの頭部に到達。
 それを破裂させる。

「すまん、だがお前たちの無念は、お前たちから継いだ魂の力で必ず晴らす」

 ケイロンが選んだのは、介錯。
 部下たちの英雄たるまで高められた力を敵に渡さないために、王子自身が手を下したのだ。
 そして彼らの苦しみを終わらせるためにもそうするのが最上だった。
 彼らの魂の力が、ケイロンに流れ込む。

「あらら、随分思い切った決断しちゃうのね。これなら、いたぶらずにさっさと殺してやればよかったかしら」
「我らは既に不退転の決意でここに立っている。敵の糧になるくらいなら、味方に介錯された方がマシだ。それは全員が覚悟の上だ!」
「あらそう。でもどうせそんな覚悟なんてきっと意味ないわ。――だってみんな死んじゃうんですもの」
「ほざけ! 『輝彩滑刀』!!」

 ケイロンが光剣を伸ばして、槍衾の檻を斬ろうとする。
 仲間を殺してケイロンの力は増大している。マンドレイクの槍衾はたやすく斬れるだろうと思われた。
 しかし――

「それはさっき見たわ」
「くっ!?」

 ぎぃぃん、と細かい何かを高速で擦り合わせるような耳障りな音とともに、光剣が弾かれた。

「これは……『輝彩滑刀』!? 今の一瞬で真似したというのか!」
「別に名前なんてなんてもいいけど。そうね私が名付けるなら『削岩光鱗』とでも言うところかしら」

 ケイロンの光剣が当たった場所は、光を帯びて輝いていた。
 いやよく見ればそれは、光で出来た細かな鱗のようなものが枝槍の表面を回転しながら覆っているのだと分かる。
 高速で回転するそれによって、ケイロンの『輝彩滑刀』の刃は滑り、弾かれてしまったのだ。
 恐るべきはオーク・ドルイドの洞察力と適応能力。

「げ、これは……」
「全部の槍に、光がっ」

 そしてその光の鱗は、ケイロンたちをひっくり返した剣山のように囲んでいる槍衾の、その全ての枝に浮かび上がる。
 百舌の早贄のように槍の途中に残っていた英雄部隊の死体が、回転する光鱗によって一瞬でミンチになって弾け飛ぶ。
 嫌な予感に、ケイロンたちは顔を引き攣らせる。

「じゃあ気張って避けなさいよ~。そうじゃなきゃごっそりいっちゃうよ~? メリーゴーラウンド、スタート!」

 楽しげに下されたサーラの宣言通りに、上空の本体から伸びた光りを帯びた枝槍が、まるで糸鋸が走るように縦横無尽にそして不規則に運動しはじめる。
 光鱗の回転によって生じる甲高い音が恐怖感を煽る。

『 うおおおおおおおおおおお!?? 』

 一触必殺の地獄遊戯の開幕だ。




 走り回る光の柱を避けつつ、アーネスト老は考える。

(どんな攻撃も防ぐ樹の鎧、再生能力、無尽蔵の魔力、既視の攻撃への対応能力、一帯を一瞬で覆ったこの木材の量……分かってはいたが厄介過ぎる)

 せめてもの救いは、相手がこちらをいたぶろうとしていることか。
 侮られているのか加虐趣味なのか知らないが、今はありがたいことだ。
 なんとか時間を稼ぐうちに突破口が見つかるかもしれない。

(相手が本気なら、一瞬で勝負が着いていただろう)

 樹の槍で英雄部隊を閉じ込めた時点で、内部に向けてその魔力に飽かせて魔法攻撃を何時間も続ければそれだけで充分だったはず。
 あるいは今この瞬間でも、光鱗のサイズを少しだけ大きくして回転半径を広げてやれば、ギリギリで避けているアーネストたちはミンチにされてしまうのは間違いない。
 ……だが魔力結晶もあらかた枯渇した今となっては、もはや挽回の手が残されているとは……。

(いや、考えるな! しかし、それにしても実況がウザったい……っ!!)

 さっきからサーラが、逃げ惑う英雄部隊の面々を上空から映像に収めつつぎゃんぎゃんと実況している。
 やれ誰それが吹っ飛ばされただの、接触事故ー! かーらーのー、四肢巻き込みー! だとか……。
 全く士気が下がる。仲間の死に様をつぶさに聞かされる身にもなれというのだ。おそらくは狙ってやっているのだろうが。

 そうして気を散らしたのが良くなかったのだろうか。

「しまっt――――ぐわぁっ!?」

 目の前には光の柱が。
 思わず突き出した腕に、回転する光鱗が食い込み、一瞬で回転の方向に引き込まれる。
 その勢いで逃げようとしていた方向とは全く違う方向へと飛ばされてしまう。

『おおっと! ダーマ元帥の自称『永遠のライバル(笑)』である土魔法使いがここで脱落かーー!! 光鱗に腕が巻き込まれて飛んでった! そしてその先ではまるでピンボールだー!! 果たして何反射目まで原形が残るのかーー!?』

 ベーゴマのように、アーネストの身体は『削岩光鱗』の柱の中を飛んでいく。
 回転する柱にぶつかるたびに、彼の身体はあらぬ方向に曲がり、抉れていく。

(ぐ、こんな遊びのような攻撃で……!!)

 地獄のメリーゴーラウンド。
 もはや助かるすべはない。
 アーネストはその内臓の半分以上が削り取られてしまっている。

(ここまでか。だがオーク鬼の糧になるくらいならば――)

 死を悟ったアーネストが、自爆魔法を起動させる。

(……皆、あとは頼んだ)


 地震。局地的に、サーラの下の大地が揺れる。
 アーネスト老の、魂全てを懸けた最期の大魔法。

「がふっ……げほっ、げほっ……。大地の赤き血潮よ、我を呑み込め――『大噴火』!!」
「アーネスト爺さん!? 何を――」
「後は頼みましたぞ! 殿下ぁ!!」

 土魔法使いの全霊の魔法が発動する。

 ごくごく狭い範囲、だがサーラの身体を支えていたマンドレイクのその全てを呑み込むことは出来る程度の直径の穴が、真下に開く。
 奈落まで通じているかのような底の見えない穴。その上に居た全ての者が、重力に引かれて落ちる。
 サーラも、ケイロンも、英雄部隊も、急激に干からびていくアーネストも、その全てが。

「あの頑固ジジイ……。アーネストのくれた最後のチャンスだ……絶対にあのドルイドを地獄に叩きこむぞ!」
『 了解です、殿下!! 』

 英雄部隊の面々は、魔法で風を掴んで空を飛ぶ。
 大回りな機動で、サーラの上を取る。

「うふふ、確かにマグマの中に閉じ込められたら、いくら私でも死んじゃうかもね~」

 サーラはマンドレイクの鎧の背から、翼を思わせるように枝を広げ羽根代わりの葉を生やす。羽葉の一枚一枚から魔力を放出し、空中に留まる。

「ならばお前は堕ちて死ね」
「仲間が掘った墓穴にみんな仲良く埋まると良いわ」

 英雄部隊は魔法を次々に放つ。

「光よ! 怨敵を撃ち落せ!」
「風よ、我もろともに地の底まで吹き降ろせ!」

 特にケイロンの光弾が弾幕となり、サーラの動きを制限する。
 隊員たちの烈風のダウンバーストが、仲間もろともにサーラを押し込む。

「あっはは、お痛しちゃう子たちはどんどん仕舞っちゃいましょうねー! 地獄の底にね!」

 対するサーラは次々に蔦を伸ばし、弾幕を掻い潜って英雄部隊の面々を掴んでいき、ぐるぐる回して直下の大穴へと放り込んでいく。

 だが重力を味方につけた英雄部隊は、サーラにしがみついて徐々に押し込んでいく。



 深い竪穴の奥深く。
 光も弱くしか届かず、そこらから湧き出す蒸気で息苦しい場所だ。
 正に奈落の底と言うに相応しい。

 向かう先にはマグマが煌々と燃えている。
 それは今にも噴火しそうに滾っている。
 いや、徐々にマグマの水位が上がってきているようだ。

「死ね、災厄のオークめ!」
「あはははは! なかなかやるじゃない! ニンゲンのくせに」
「今です、ケイロン殿下! 俺たちごと、コイツを!」

 英雄部隊の者たちは、その身で以ってサーラを押さえる。
 その中で、ケイロンだけは遥か地表にまで戻っていた。
 最後の仕上げをするためだ。

「出力、全開!!」

 隊員の合図で、ケイロンは魔導剣の出力を全開にする。
 一際まばゆい光が竪穴を照らし、ケイロンの声が残響した(下からは「あいるびーばっく!」という声も聞こえたような気がした)。
 そしてサーラたちの元へと大量の土砂や岩石が降ってゆく。手を緩めずに次々と破壊する。下でも部下たちが自爆しているはずだ。穴を崩して敵をマグマに沈めるのだ。

「……すまない」

 ケイロンは項垂れる。

「だが、君たちの犠牲のお陰で、オークの首魁を討つことが出来た」

 この新大陸に侵入したドルイドさえ片付ければ、あとは有象無象のオーク鬼と、頭脳を失って鈍化するマンドレイクだけ。
 であるならば既存の戦力で足止めは可能であるし、そうすれば開発中の新型爆弾の完成も間に合うだろう。森蝕された支配地域の解放もどうにでもなる。
 一旦目処が立って落ち着いたら、ケイロンは力が抜けて座り込んでしまう。

「……何とか、帰還せねば」

 行きはよいよい帰りは怖い。
 帰り着くまでが遠征です。

 ここで少しケイロンは疑問に思う。

 アレだけの強敵を倒したのに、何も魂の力を得た感触が無いのは、おかしくないだろうか?

「いや、まあ、部下の誰かがトドメを刺したのだろう」

 失うものが多かったから、確実に倒したことを確認したいが、それは無理だろう。
 全ては地面の下だ。




 と、その時であった。

「うお!?」

 ケイロンの座っている地面が突如消失した。

「これは……!?」

 穴だ。深い穴だ。さっきドルイドを突き落としたくらいに深い穴。
 そこを堕ちていく。

 その奈落の穴の底からは、あの子供のように甲高い、オーク・ドルイドの笑い声がしている。
 そして直ぐにケイロンの視界にその姿が映る。
 マンドレイク製の多脚義肢を竪穴の壁に突き刺して、そいつは登ってきていた。

「莫迦な、生きているだと!」
「ボッシュート! 言ったでしょう、『あいるびーばっく!』って」
「どうやって――」
「あら、簡単よ」

 ドルイドのサーラは嘲笑う。

「この魔法は、何度も見せてもらったもの。真似るのは簡単だったわ」

 そう、アーネスト老の土魔法をラーニングして、溶岩溜まりから地表まで通路を作り直したのだ。
 アーネスト老の全身全霊でも足りないくらいの魔法のはずだが、目の前のドルイドはまだまだ余裕綽々に見える。
 これが種族の差だというのか。

 まるで虫のように、ドルイドは器用に竪穴を登ってくる。
 そして――

「はい、終わり」
「がはっ」

 マンドレイクの触手が、ケイロンの胸を貫いた。

「良い線まで行ったんだけどねー」
「……こ、ここで死ねば、部下たちの生命が、無駄、に」
「そーよ、無駄死に。残念賞も貰えないわ」
「ただでは死なんぞ――諸共にぃいいいいいっ!!」

 ケイロンが最後の足掻きで自爆しようとするが。

「『削岩光鱗』。弾けて死んでねっ」

 ぎゅいん、とケイロンに刺さった蔦の触手が光を帯び、瞬時に彼の身体を引き裂いた。
 血と臓物と脂肪にまみれ、サーラは陶然とする。
 ニンゲンで一番強いという戦士がこの程度なら、特に問題なく新大陸を制圧できるだろう。


  ◆◇◆


 森が新型爆弾で焼き払われたのは、その六ヶ月後。
 それは占領地に残されたニンゲンたち共々森を吹き飛ばした。

 それまでに新大陸の半分以上は森に沈み、それ以外の地域でも主要道路は分断されるなどの被害を受けていた。
 ニンゲン側は海路と空路を主に使って、何とか生き残っていた。そして乾坤一擲、この新型爆弾と従来の爆弾の集中運用によって、大陸を縦断する形で森を焼き払った。
 以後はニンゲン勢力はその人工大地溝を最終防衛線として定め、定期的に防衛線上の森を爆弾で吹き飛ばして森蝕に拮抗している。

 ケイロン第二王子を殺害するなどして猛威を奮ったオーク・ドルイドについては消息不明。
 森蝕が鈍化したため、一般には最初の新型爆弾で完全に蒸発したとも伝えられるが……。




 なお旧大陸の現状については、海路空路が森林勢力によって厳重に封鎖されているため杳として知れない。
 

=====================

誤字は後で修正します。
次の次くらいで終わりの予定。
終了したら頃合いを見てオリジナル板に移すと思います。まあ暫く先ですが。
次回はめちゃくちゃ時系列が前後しまくる話、「ラストマンとオーク鬼(仮題)」の予定。



[32229] ラストマンとオーク鬼(後半に加筆_2013.10.10)
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:a6a7b38f
Date: 2013/10/10 11:28
「遂に見つけたさね、アルハズラット……!」
「……」

 苦節十数年、旧大陸で諜報を任されていたオーク鬼のビースは、凄絶な笑みを浮かべていた。
 その感情はあるいは恋に似ていたのかもしれない。それ程に強い感情だった。
 追い求めていたものがようやく手に入ったのだ。彼女の激情も当然であった。

 その視線の先には、一人の老人。
 穏やかに目を閉じているのは、オーク鬼の怨敵、ニンゲンきっての大天才――アブドゥル・Y・アルハズラットその人だ。

「ようやく、漸くだ。お前さえ居なければ、ニンゲンなど恐れるに足りないんだよ」
「……」

 ばんっ、とビースが、アルハズラットと彼女の間を隔てるガラスを叩く。
 水槽を叩くようなくぐもった音が響く。
 さらに顔を近づけ、豚鼻の鼻紋をガラスに押し付ける(ニュアンスとしてはニンゲンの接吻と同じである、オーク鬼たちは鼻面を押し付けあって情を交わす)。


 その燃えるような視線の先。アルハズラットは、水槽の中に浮かんでいた。


 ビースが食い入るように見ているのは、円筒の巨大な水槽。
 人ひとり――アルハズラットを浮かべられるくらいに大きな水槽だ。
 内部には血漿のような薄い黄色に色づいた液体が満たされていて、その中にゆらりと猫背の姿勢で老爺が浮かんでいた。

 その円筒の周辺には、多くの機械類とケーブルがうねっている。

「通りで見つからないわけだ。通りで見つからないはずだ。ずっとこんなところに隠れていたとは」

 それらの機械類は、今のニンゲンの技術力から鑑みれば、幾らか旧式に属するもののようであった。
 数十年は前のものだろうか。小型化、高性能化が進む前の時代のものを継ぎ接ぎにしたもののようだ。
 それゆえに、これほどまでに巨大な装置が必要だったのだろう。現在の技術で作りなおせば小型化も可能なのだが、これは決して止めることの出来ない類の機械であり、ゆえに設備の更新は最初から度外視されていた。整備性は考えられていない、複雑に絡み合ったシステムだ。

「まさか、今まで叩いて潰してきた『アルハズラット思想』の代弁者たちが、単なる影にすぎないとはね。いや、ここは“やはり”というべきか。それなら全てに合点がいく」
「……」
「今この瞬間も、貴様の思考はこの機械で増幅されて、世界中に発信されているんだろ?」
「……」

 ばしん、とビースは手を水槽の局面に打ち付ける。
 円筒水槽に浮かぶ老爺は答えない。
 周囲の機械が低い唸りと微かな信号光を漏らしている。

「本物は――お前は、ずっと昔からこの秘密研究所に引き篭っていたんだ。いったい何年前からだ?」

 六十年前に王城でアルハズラットが主席研究員に指名されたところまでは、記録が残っていた。
 だがその後、主席研究員であるアルハズラットが、公の場に出たことは無い。
 アルハズラットの生きた足跡はそこで消えてしまっている。

 そして主席研究員就任と同時に、巨額の国家予算を投入した秘密研究所の設立が承認されている。
 つまり、およそ六十年前から、アルハズラットは自らの思考を怪電波として垂れ流し始めたのだ。
 ――それを裏付けるように六十年前という時期は、市井にアルハズラット名義の論文が溢れ、技術革新が強力に進み始めた時期と、完全に一致する。

 『天才量産計画』。『思考感染』。
 かろうじて王城に残されていた、秘密研究所設立のための予算承認書には、そのような計画名が記されていた。

「水面を叩けど月影は消えず――。いくら表に出ている『執筆機械』のニンゲンどもを叩いても、『アルハズラットの論文書き』は居なくならないわけだ。本体であるお前には、何時まで経っても辿りつけないわけだ!」
「……」

 ビースが殺し続けてきた『執筆機械』――アルハズラットの怪電波と波長が合って受信してしまったニンゲンたち――は、アルハズラットとは何の物理的繋がりもない者が大多数だった。
 彼らの間の繋がりは、目に見えない魔法の思念波によってもたらされていたのだから、当然である。
 『執筆機械』たちは、アルハズラットの影であった。それをいくら叩き潰したとて、本体であるアルハズラットには何の痛痒もない。

「だが、もうお前も終わりさね」
「……」
「お前の電波を届けるべきニンゲンたちは、この旧大陸からはほとんど駆逐した。私がお前のもとに辿り着いたのは、そういうことさ――終わりが来たんだ」
「……」
「――大変だったよ、本当に。大陸中を虱潰しに探しまわって漸く見つけたんだ」

 秘匿された秘密研究所の場所は、どこにも記録が残っていなかったし、建設物資の移送計画なども厳重に偽装されていた。ローラー作戦で大陸中を探すしか方法がなかった。そのためには旧大陸のニンゲンが邪魔だった。
 新大陸からの輸送経路を遮断し、旧大陸のニンゲンをあらかた駆逐して漸く、オーク鬼たちはアルハズラット探しに本腰を入れられるようになったのだ。新大陸でニンゲンたちを足止めするためだけに、オーク・ドルイドでも最も強い個体が、ニンゲンの新型爆弾に焼かれて再起不能になった。
 そんな犠牲を払ってニンゲンを新大陸に釘付けにしている間に、オーク鬼たちは旧大陸のあらゆる場所を掘り返し、文字通り草の根分けて探し出したのだ。――人類を延命させていた一人の天才を。



 ――びしり、と円筒水槽に罅が走った。


 見れば、周囲を這うケーブル類に混ざって、マンドレイクの蔦が生えている。
 みるみる内に伸びる蔦は、周辺の機械を締め付け、引きちぎり、内側から機械群のフレームを押し広げて破壊していく。
 周囲を明るくしていた照明が明滅する。

 円筒水槽にも蔦が巻きつき、締め上げていた。
 罅は瞬く間に円筒水槽の全てを覆い、罅の隙間から中の培養液が滲み出す。
 蔦は幾重にも上から巻きつき、中にあるものを締め付ける。

「ふん、このまま絞め殺されて、森の養分になってしまえ」
「……ぁ……」
「なんだ、命乞いか?」

 パキパキサラサラとガラスが砕ける音とともに、聞き逃してしまいそうなくらいに小さな声が聞こえた。
 老人の掠れてくぐもった声。

「どうせ殺すが、言い残すことがあるなら聞いてやろう」
「……ぁた、ぁぉぅ」
「あ?」

 次の瞬間、ぐちゅりという音とともに蔦に包まれた何かが潰れ、赤い血が蔦の隙間から滴った。

 オーク鬼を長年に渡って苦しめた大天才、アブドゥル・Y・アルハズラットは、ついにこの瞬間に死んだのだ。

 だというのに、それを成したビースの表情は冴えない。

「『また会おう』? ……こいつも、アルハズラットの影に過ぎないとでも言うのかい? いや、いや。しかし、まさか――」

 疑念に囚われたビースが思考の渦に溺れる前に、キルレアン場を通じた交信が彼女の精神に届く。

『お~い! こっちのポイントには居なかったけど、そっちには居たかーい? あの大天才サマはー?』
「ああ。居たよ。つい今しがたぶっ殺したところさね」
『はあ!? ぶっ殺した!?』

 キルレアン場を介した精神感応で話しかけてきたのは、オーク・ドルイドの内政屋であるモーバというオスだ。
 理知的な蒼眼が特徴的なモーバは、しかしこの時ばかりは精神感応でまくしたてる。

『おいおい、おいおいおい! 何してくれてんのー!? そいつに菌糸とヤドリギを寄生させてー、尋問して知識吸い出すから生かしといてーってお願いしたじゃなぁい!?』
「知ったことじゃないね」
『おいおーい! いくら弟子のサーラちゃんがさぁ、あいつの開発した新型爆弾でこんがり焼かれたからって、そりゃないんじゃないの? そりゃないんじゃないのぉー!?』
「サーラは関係ないさ。ちょっと私が思い余って殺しちまっただけさね」
『衝動的殺害とか、なおさら悪いわ!!』

 アルハズラットが持つ膨大な知識を掠め取って運用したかったモーバにしてみれば、ビース婆のやったことは許し難いことだ。
 だがまあ、理解できなくもない。
 アルハズラットは生かしておくには危険すぎる。その認識は、オーク・ドルイド全てに浸透しているのだから。

「だいたい、サーラ嬢ちゃんの仇討ちも何も、あの子生きてるじゃないか。なんで私がわざわざ仇討ちなんかする必要があるのさね」
『……あれを生きてると言っていいのかーねー?』
「死んじゃないだろ。延命措置のために肉体のほぼ九割九分がマンドレイクに置き換えられて、その上、キルレアン・ネットワーク上での精神活動しか最早できないんだとしても、死んじゃないんだから、そりゃ生きてるって言うのさ」
『まー、確かにあれも一つの新しい生命の形かも知らんねー』

 オーク鬼で最強と呼ばれたドルイド、『ニンゲン嫌い』のサーラ。
 新大陸に侵攻し、そして一時期は新大陸の過半を支配下に置きつつも、最終的に彼女はニンゲンの新型爆弾の集中的な運用によって焼き払われてしまった。
 だが、彼女を献身的に支える相棒である、マンドレイク亜種のラゴーの献身によって、かろうじて彼女は一命を取り留めたのだった。
 今でも新大陸のマンドレイクの死の森の中枢にある巨木と融合する形で、生きながらえている。
 もはやサーラとラゴーの分離は不可能であり、サーラはその活動の場をキルレアン・ネットワーク上の精神世界へと移している。精神生命体――というか、マンドレイクへの精神的寄生種――が誕生したとも言えるだろう。

「……まあ良いさね。これでアルハズラットの脅威は消えた。あとは思う存分ニンゲンを叩ける」
『ああ、ダーマ元帥も大張り切りだねー』
「そんで、ニンゲンとの戦いが終われば、あとは内政屋のアンタの出番ってわけだ」
『本当に楽しみだーねー! サーラのお嬢ちゃんにも存分に手伝ってもらうつもりさー』

 オーク鬼たちの未来は明るい。

 だがそんな中、ビース婆は一抹の不安を覚えていた。
 アルハズラットの最期の言葉……。『また、会おう』。
 杞憂であればいいが、対応する準備は必要となるだろう。

 微かな暗雲を残しつつも、この惑星の優占種はニンゲンからオーク鬼・マンドレイク連合へと移り変わっていくのだった。


  ◆◇◆


 海の底。
 見渡す限りの蒼い闇。
 真空の闇とは違う、光を吸い込んで離さない深海の暗さ。

 そんな中に人類最後の砦、海中都市『瑠璃家(ルリィエ)』は存在していた。
 地上を森とオーク鬼に制圧されてしまった人類は、海中に逃げ込むより他なかったのだ。

 瑠璃家は海底のとある洞穴に建造されている。
 直径がビル一つ分の高さ程度もあるその洞穴は、海流の関係で常に一定方向に海水が動いている。
 瑠璃家はその洞穴に脚を張り、海流に流されないようにしているのだ。

 瑠璃家本体はその洞穴に沿って延びる蛇のような細長い形をしており、その胴体から海流発電用のスクリュー翼が何本も生えている。
 巨大なスクリューを幾つも数珠つなぎにすると、瑠璃家の形になるだろう。その形は蛇というよりは、ゴカイか何かの仲間のようにも見えるかもしれない。
 瑠璃家の胴体は幾つにも分割されており、その一つ一つから生えるスクリュー翼が海流を捉え、瑠璃家の外殻ごと回転して発電する。
 スクリューとともに回転する外殻と、その内側の生活区によって瑠璃家は成り立っているのだ。
 いざという時には、蓄えたエネルギーによって外殻のスクリューを回転させ、海中を泳いで移動することもできるのだという。

 ……瑠璃家のような巨大な建造物がすっぽり収まる海底洞穴であるが、ここに恒常的に、瑠璃家のエネルギーを支えられるだけの轟々とした海流が発生しているのには、訳がある。
 この海底洞穴は、正確には、洞穴ではないのだ。

 これは実は、大洋の海底一面を覆っている、巨大なヒトデの体内に張り巡らされた水管なのだ。
 ヒトデの仲間には、ニンゲンのような血管系の代わりに、海水を直接取り込んで血液替わりとする水管系が発達している。
 大洋底の一面全てを覆うこのヒトデ――ニンゲンたちは『偉大なるC』と呼んでいる――の中に入り込み、その『偉大なるC』が作り出す強力な体循環の水流を発電に利用して、ニンゲンたちは瑠璃家を運営しているのだ。

 『偉大なるC』は数億年以上は生きる、巨大な海の魔物である。
 新大陸と旧大陸の間の深海底全て覆うほどに大きなヒトデの魔物。
 常にまどろみ、長い年月のうちにその身体は分厚い堆積物の下に埋まってしまっている。

 この魔物が食べる餌は、ずばり惑星そのものだ。
 その巨体は自重で海底プレートを圧迫し、その下のマントル層に肉薄する。そこには巨体を支えうる栄養とエネルギーが存在するのだ。
 地熱のエネルギーと、地下のマグマから噴出する硫化水素ガスを栄養源にして、『偉大なるC』はまどろみ続ける。
 地底から染み出す硫化水素ガスを全身に行き渡らせるために、この魔物の水管系には強い流れが発生している。瑠璃家が根を張っているのは、そんな大動脈のような水管の一つだ。

 多くの海の生物は知らないだろう。
 自分たちが『偉大なるC』の背の上で生活していることを。
 『偉大なるC』の他にも、多くの太古の魔物が、堆積物に埋もれてまどろんでいることを。
 数億年を生きる正真正銘の化け物たちが、大洋の底に居ることを。
 そんなことなど知りもしないし、想像だにしない。

 だが、ニンゲンはその存在を知り、その化け物たちに目を付けた。

 その利用法――寄生法――の一つが、海中都市『瑠璃家』だ。
 地上を追われたニンゲンたちの最後の領地。
 それは特大の休火山の麓で暮らすような愚行ではあるが、それ以外に道も残されてはいなかった。火山が危険とともに少なくない恵みをもたらすように、ニンゲンは海底の魔王たちから幾許かの利益を掠め取っている。

 だがそれももはや限界に来ている。
 ニンゲンが生存闘争の敗残者となってから、既に数千年(・・・)の月日が経過しているのだから当然だ。
 そう、数千年。それだけの時間を、ニンゲンは衰退しながらしぶとく生きてきた。

 ――森蝕時代について語る時にも、『昔々のお話です(ロング・ロング・タイム・アゴー)』という枕詞が必要になるような時代である。
 ニンゲンは良く生き足掻いた。数千年もかろうじて生き長らえた。
 しかし生物種としての活力はいよいよ底を尽き、ニンゲンの絶滅は目前に迫っていた。

 だがそれはニンゲンに限った話ではなかった。

 海面は全て分厚い氷で覆われ、海の生物も陸の生物もほぼ死滅している。
 全球凍結(スノーボールアース)。宇宙から見るこの惑星は青い宝石ではなく、白銀の真珠のようであった。
 ニンゲンはこの過酷な環境の中、氷の影響を受けにくい海底へと逃げたために、よく生き長らえた部類だ。

 今なお生きているのは、惑星そのものを蝕む海底の魔王たちと、そのお零れに与る生物たちだけ。太陽の恵みは雲と氷が遮断して反射してしまっている。
 ……あるいは地上には、まだあの森王の眷族が生きているかもしれない。凍った惑星表面に見切りをつけて、遥か雲の上まで枝葉を伸ばして、太陽の恵みを未だに貪っているのかもしれない。だがそれは、この青暗い海の底からは窺い知れない。

 海中都市『瑠璃家』――――現在都市人口は、一。
 最後のヒト。ラストマン。ただ一人の敗残者。
 だがニンゲンは、彼はそれでも尚、諦めなかった。少なくとも今までは。

 絶滅を目の前にした群青色の黄昏の時代。
 最後まで残ったニンゲンは、その名前を――『アブドゥル・Y・アルハズラット』と言った。


  ◆◇◆


 アルハズラットの意識は浮上する。
 長い夢から覚めるように。

「……くそ、また、駄目だったのか」

 彼は戻ってきた。
 自分の時代に。
 永遠の孤独に囚われた、滅亡の時代に。

 彼は、自分の意識がこの時代に戻ってくる前のことを回想する。
 今回は森王の下僕の豚鬼たちにしてやられた。同調率が高い端末が潰されたせいで、あの時代から強制送還されてきたのだ。
 再び同じことをするためには、波長が重なるニンゲンを後から見つけ出さなければならない。

 彼が目覚めたのは、夢の中で彼が最後に居たような大きな円筒形の水槽の中だった。
 それは複雑な機械と連接されていた。
 オーク鬼に潰されたかつての機械群よりもはるかに洗練されたそれは、長い年月をかけた人類の進歩を思わせる。

 すぐに水槽から培養液が排出され、アルハズラットはよろめきながらも水槽から出る。

「やはりここには私一人だけ。いくら過去を変えても――私が人類最後の一人だという現在が、変わらない……」

 時空を超えた過去への投影から、彼は帰ってきたのだ。
 あの時代の森蝕に対抗した大天才アブドゥル・Y・アルハズラットは、未来人だった。
 彼自身以外の人気のない『瑠璃家』に帰ってきたこの男は、時空を超えて精神のみを遥かな過去に飛行させる秘術を開発した者なのだ。

 森蝕時代の初期にアブドゥル・Y・アルハズラットが聖勇国に齎した数々の成果は、何のことはない、彼が未来人であった故の成果であった。
 未来人である彼はその全知識を活用して、過去改変を行った。
 そして確かに過去は変わったのだろう。彼の記憶にある出立前の様子とは、また少し周囲の様子が変化している。

 しかし、彼の現状は変わらなかった。彼は相変わらずに、ただ一人の『最後のニンゲン(ラストマン)』でしかなかった。

「この深海の瑠璃家に独り。人類最後の一人……」

 彼の両親は既に居ない。彼の他には誰も居ない。深海に独りきりだ。生まれた時に母につけられた名前も、既に忘れてしまった。
 彼の母は彼を産むときに子宮に障害を負い、数年後に亡くなった。父はそもそも居ない。彼の母は人工授精用の精子で彼を妊娠したからだ。
 ニンゲンを工場生産的に作り出す人工子宮プラントもかつては稼働していたが、既に彼が生まれる何十年も前に致命的な故障が発生して停止している。直せる技術者は居なかった。保存された冷凍卵子と冷凍精子も、そうなっては持ち腐れだった。
 プラントを使わない自然妊娠による増殖は、衰退した種族には荷が重かった。徐々に人口が減り、ついに残ったのは彼一人。その彼も、既に老境に差し掛かろうという年齢だ。

 生まれてからこの方の膨大な時間を、彼はたった一つのことに捧げてきた。
 ニンゲンのために捧げてきた。
 ひたすらに邁進してきた。孤独だから邪魔する者はいなかった。

 だがそれは現在を変える手段ではない。
 彼の研究は、決して未来志向ではなかった。
 衰退も極まった人類を復活させるには、既に何もかもが遅すぎることを彼は知っていた。

 ならばどうするのか。彼は何を研究したのか。
 “今から”では“遅すぎる”。
 ならば、“いつから”ならば“間に合う”のか?

 ――――それは自明の理であった。

 簡単な話だ。
 “今からでは間に合わない”のならば。
 “もっと前から始めれば間に合う”に違いないのだ。

 彼は研究した。
 時間の秘密を研究した。過去に遡って運命を覆すために。
 過去とは何か、現在とは何か、未来とは何か。
 この世界に流れる不可逆の流れについて、研究した。

 その結果、彼は知った。
 時間とは決して不可逆のものではないのだということを。
 魂と精神は、時間の流れから自由であることを。

 そしてついに彼の執念は一つの完成を見る。
 時間魔法と特殊な装置による、過去への精神投影。
 自分と因子の近い過去のニンゲンに自分の精神を投影して乗っ取るという、時間を超えた憑依魔法装置だ。

 彼はこの時から、自らのことをアブドゥル・Y(イース)・アルハズラットと称するようになる。
 これは、大昔の小説の登場人物である狂える詩人『アブドゥル・アルハズラット』と、同じ作者の別小説にて言及される、時間の秘密を解き明かしたとされる『偉大なるイースの種族』から拝借した名前だった。
 そこには狂い果てでも時間を超えてニンゲンを復活させるという彼の覚悟が込められていた。ニンゲンを興隆させ、滅亡の孤独から逃れることを望んでいた。

 そして彼は何度か過去へと己を飛ばした。
 実は、彼がオーク鬼の操るマンドレイクの蔦で絞め殺されたあの時間旅行は、初めての時間旅行ではなかったのだ。



 まずは一度目。
 最初の彼はやはり海中都市でひっそりと暮らす、最後の人類であった。
 その時の敵は、竜王であった。竜王に追われた人類は、海の奥底深くへと逃げ込んだのだった。
 未熟な機械技術と魔法技術で、しかし彼は執念で時間遡行の精神投影魔法装置を完成させた。

 彼は魔法装置の補助によって精神を遥かな過去へと飛ばした。

 そして彼は勇者一行に同行する“道化”として彼らの助けをして、最終的に竜王討伐を成功させる。
 勇者、賢者、聖女、道化。四人の竜伐者、竜殺したち。
 無事に竜王を討伐したので、道化に憑依していた彼は安堵して、未来へと精神を帰還させた。




 だが、未来は変わっていなかった。
 彼が帰還した未来では、相変わらずに、彼は人類最後の一人であった。
 蒼闇の深海で滅びを待つ、哀れな絶滅確定生物に過ぎなかった。

 しかし何も変わっていないわけではなかった。
 彼の時間遡行魔法機械は、より洗練された複雑なものになっており、この世界が辿った歴史も以前とは異なっていた。

 何より顕著なのが、人類の敵が竜王ではなくなっていたことだ。
 しかしそれにもかかわらず、人類は絶滅しようとしていた。
 今度の敵は竜王ではなく――“大魔王”と呼ばれる元ニンゲンだった。

 彼は、彼にとって“二度目の滅び”を迎えつつある世界について調べた。
 大まかな記憶は、時間旅行から帰還した際に何故か流れ込んできたのだが、それよりももっと詳しい情報が必要だった。
 もう一度この滅びの運命を変えるために、彼は二度目の時間旅行を決意していた。

 彼は“二度目の滅び”の歴史書を紐解いた。
 まずは竜王。これは勇者一行によって討伐されている。道化となって竜伐に参加した彼のことも書き残されている。

 勲功第一等の勇者は、褒美として当時の大国の王女と結ばれ、その大国を継承。
 賢者は、同じく勇者一行でありかつ幼馴染であった聖女と結婚。生まれ育った小国へと帰り、そこの宰相として長い間辣腕を奮った。
 聖女は賢者と結ばれ、数人の子を産み、幸せに暮らした。賢者と聖女の子供たちは、その後活躍し、小国を大国にしていく。
 道化は戦いの後に廃人化している。アルハズラットの精神が憑依している間に、その元の肉体に宿っていた精神が摩耗してしまっていたのだ。憑依していたアルハズラットが未来へ帰還してしまえば、残されるのは抜け殻の身だけ。

 さて、問題はこの後であった。
 賢者と聖女の子孫たちは、生まれ故郷の小国を発展させた。
 やがてそれは、かつて勇者が婿入りした大国に匹敵するようになる。
 勇者と賢者が健在のうちは仲が良かったが、彼らが死んでからは雲行きが怪しくなる。
 そして巻き起こる覇権国家同士の戦争。

 中でも、竜殺しである賢者と聖女、そして勇者の子供たちは、その強大な力を駆使して激しく争った。
 そしてその中で生まれたのが“大魔王”だ。
 戦争という蠱毒の壷の底で、竜殺しの血脈は殺し合い、最後にその全ての力を再び一つに集め継承した“大魔王”が誕生したのだった。

 だがそうやって生まれた大魔王は壊れていた。

 大魔王は、元は賢者と聖女の子孫だった。
 それが勇者の居た国に拉致されて、暗殺者として過酷な洗脳教育を受けたのだった。
 暗殺者は、洗脳のままに自分の兄弟たちを殺していった。
 その兄弟全てを殺していき、最後の家族を殺した時に真実を知ったのだ。洗脳が解けたのだ。自分が家族を殺めていたことを知ってしまった。
 暗殺者は復讐者となり、自分を操った大国相手に戦った。力持つ者たちを片っ端から殺していった。
 だが――最後には復讐者の精神は壊れてしまった。膨れ上がった莫大な魔力によって気が狂ったのだとも、殺しが中毒になったのだも言われている。真相はおそらく……ニンゲンが心の底から嫌いになったからなのだろう。
 そして復讐者の切っ先は人類全てに向き、それを根絶やしにし始めたのだった。大魔王の誕生である。

 大魔王は苛烈な魔法を駆使し、決してニンゲンたちを逃さなかった。
 『大魔王からは逃げられない』というのは、大魔王が使った特殊な魔法概念に起因している。
 簡単に言ってしまえばニンゲン探知の魔法なのだが、大魔王の膨大な魔力でそれを使えば大陸全土をカバーする凶悪な魔法となる。地上には逃げ場がなかった。

 一部の者はどうにか虐殺から逃れるために、ひっそりと深海へと生活の場を移した。
 巨大な|海星《ヒトデ》の魔物『偉大なるC』の体内に寄生するように海中都市を築いたのだ。
 しかしそれでも緩やかに滅んでいった。年月の経過によって生物種としての活力が失われることは避けられなかったのだ。
 長い時間が経過しようとも、莫大な魔力を持った大魔王は信じられないほどの長命であるために健在であり、ゆえに大魔王が君臨する地上に戻ることは出来なかった。もっとも、今はもう死んでいるかもしれないが。




 それらの事情を調べ終わったアルハズラットは、二度目の時間渡航を行った。
 精神投影による時間渡航は、実は投影先をあまり詳しく選ぶことができない。
 設定された年代近辺で、最もアルハズラットの精神に適合性が高い人物が投影先に選ばれるのだ。そのような人物は希少なようだった。


 アルハズラットは再び、竜伐の道化の肉体に復帰した。やはり道化の肉体は適合率が高いようだった。
 時間軸上はちょうど、『一回目のアルハズラット』の精神が去った直後か。
 つまり勇者はまだ王女の大国に婿入りしておらず、賢者と聖女も結婚していない。
 確か賢者と聖女は、この時点ではまだお互いの気持ちには気が付いていなかったはずだ。おそらくは、勇者と王女の結婚に刺激を受けて、賢者と聖女の間に恋心が芽生えるのだろう。

 そして道化の彼はそこから工作を開始した。
 将来に竜の力を分けて受け継ぐ二大覇権国家が生まれないように、特に、賢者の魔法の才を受け継ぐ者が無いように、と。
 ……つまり、「勇者と聖女のラブラブキューピッド作戦」だ。
 勇者と聖女が結びつけば、竜の力は一国に集中する。
 賢者は非常に奥手で悟ったような性格だから、幼馴染の聖女が相手でなければ子供は残すまい、という判断だった。賢者の血脈でなければ魔法の才能には乏しいだろうから、竜殺しの血脈から将来の大魔王は誕生しなくなるだろう。

 紆余曲折と艱難辛苦の末に、道化は勇者と聖女を結びつけることに成功する。
 もちろん勇者を王にすることも忘れない。大国ではないが、竜王に滅ぼされた諸国を纏め上げた新興国の王だ。勇者に権力を持たせないと、賢者が暴走した時に心もとない。勇者の即位にも道化の暗躍があった。
 慣れない恋天使の役と謀略家の役も、人類の滅びを回避するためだと思えば軽いものだった。

 そしてめでたい勇者と聖女の結婚式の直後。
 自分の成果に満足げに酒のグラスをくゆらせていた道化は。
 幼馴染を寝取られて、しかし幼馴染は幸せそうで、だからどうしようもなくて――、その嫉妬心の行き場を無くして狂った賢者の魔法によって塵一つ残らぬように焼き殺された。





 二度目の時間渡航は、依り代の焼滅によって強制終了されてしまった。
 とはいえ依り代は所詮依り代。投影の本体であるアルハズラットの精神は、少々のトラウマを負ったものの無事であった。
 だがしかし“戻って”きた先は、相変わらずに蒼闇の深海都市『瑠璃家』であり、依然として人類絶滅直前の孤独の中であった。

 二度目の事態ともなれば、彼も慣れたものだ。
 一度目と同じく、いつの間にか追加されている“今回の滅び”に至るまでの歴史の知識と、深海都市に残された資料を元にして過去の分析を行う。
 その結果、道化が殺されたあとについて幾つかのことが判明した。

 一つは勇者と聖女は結婚し、幸せに暮らしたこと。
 そして賢者は勇者と聖女の結婚式直後に行方不明になっていること。
 ニンゲンはそれから百年ほどあとで出現した、知恵を持ったマンドレイク(死の森の王)によって大陸からあっという間に追いやられてしまったこと。
 ニンゲンはやはり海の底へと逃げたこと。
 おそらくは、マンドレイクは賢者のパラメータを引き継いでいるモンスターであろうこと。



 それらを知って、アルハズラットは再び時間渡航を行った。滅びを覆すために。
 三度目の正直である。
 飛ぶ先は、マンドレイク・フォレストキングの出現前後の時代を指定。

 本当は以前賢者に道化が殺された直後が望ましいのだが、その近辺の時代には、精神を投影可能な適性を持つ存在が居なかったのだ。
 前回まで使っていた依り代は、賢者によって殺害されたので、別の依り代が必要になった。しかし彼が十全に活動するための、憑依適性が高い依り代を確保できる時代は限られてしまうのだ。
 そして道化以降の時代で依り代に出来るニンゲンが現れるのが、マンドレイク・フォレストキングが森蝕を始める前後の時代だったという訳だ。



 一度目の時間旅行は竜王を殺す冒険譚。
 二度目は賢者に由来する大魔王の血脈を断つための恋愛応援譚。
 そして三度目は、広範に広がる死の森に対抗するための国家育成譚となった。



 未来知識をフル活用しての、森蝕への対抗。三度目の正直。
 手っ取り早く目的を達成するために、アルハズラットは国に仕官してその知識を生かした。 
 その過程で精神投影魔法のグレードを下げて、時間を超えない代わりに依り代の適合条件のハードルを下げたものも、役に立った。知識はより多くの者に広めなくてはならないのだ。

 アルハズラットは機械や魔法を駆使して延命を重ねたが、しかし最後には冒頭のようにオーク鬼に見つかって、依り代を蔦で絞め殺されてしまった。
 アルハズラットの誤算は、オーク鬼だった。
 彼らオーク鬼と森王の共生関係は、今回の時間渡航で初めて発生したものだ。



 三度目の未来への帰還。
 あれほど手を尽くしたというのに、未来の状況は変わっていなかった。
 いや、悪くなっていた。

 彼が過去へと齎した未来知識は、確かにニンゲンを延命させたのだろう。
 しかしそれは皮肉にも、マンドレイクの進化をも促すことになったのだ。
 未来知識というニンゲンの文明ブーストを乗り越えてより強力になったマンドレイクは、地上も海面も問わず、日の光が降る場所を席巻した。

 そして蒸散量の増加に伴う雲の増加。しかる後のアルベド(惑星の太陽光反射率)増大。
 空気中の炭素固定化による温室効果ガスの減少。気温の低下。
 氷河や氷床の成長による、さらなるアルベドの増大。
 折悪しく、太陽活動が停滞期に移行。

 さまざまな原因が重なり、惑星表面の熱収支バランスは加速度的に崩れ――――最終的に全球凍結(スノーボールアース)に至ったのだった。

 海氷に閉ざされた深海で、やはりアルハズラットは独りだった。
 過去は確かに変わっている。特に三度目は、それ以前までの時間旅行に比べて人類種の大幅な延命に成功しているようだ。数千年かそれ以上は、種としての寿命を延ばせただろう。
 しかし、この三度の時間旅行を経ても、アルハズラットの現在は殆ど変らなかった。彼がラストマンであることには、全くもって違いが無かった。

「……アプローチの方法が、間違っているのか……?」

 人類の滅びの根本原因を叩く、という方向性が間違っているのかもしれない。
 何度やってもイタチごっこで、それどころか徐々に状況が絶望的になっている気さえする。

 こういう時は、初心に帰るに限る。

 アルハズラットは、何故、人類の滅びを回避したかったのか。

「そもそも――そう、私は、寂しかったんだ」

 暗い暗い海底で独り。
 独りっきり。
 ただ一人のラストマン。

 寂しかった。
 寂しかったのだ。
 最初はただそれだけだったのだ。

「ああそういえば、最初の時間渡航は、楽しかったなあ」

 彼は懐かしむ。
 最初の時間渡航を懐かしむ。
 勇者と、聖女と、賢者と、ともに協力しあって竜王を倒す旅をしたあの日々を。
 あの当時、久しぶりに人に触れ合った彼は、ハメを外しすぎて、いつしか『道化』と呼ばれるようになったのだ。
 勇者は気の良いやつで、聖女は眩しくて、賢者はいつも冷静で、道化のアルハズラットは彼らの潤滑油としてはしゃぎ、道中をもっと楽しくしたのだ。

 不意に涙があふれた。

「そういえば、ついぞ子供を持ったことはなかったなあ。いや、そもそも結婚も何も、恋愛すらまともにしたことは無かったんだった」

 その割に、二回目の時間渡航では無茶をやったものだ。
 他人の恋路に首を突っ込んで、横恋慕を応援して、挙句にそれを成就させてしまった。
 その結果、あんなに仲の良かった仲間たちの絆を、引き裂いてしまった。
 嫉妬に狂った賢者の手で、灰すら残らぬように焼き尽くされたのも、当然の報いだろう。

「賢者には、悪いことをしたなあ。挙句にその因果が、厄介なマンドレイクになって帰ってくるんだもんなあ」

 マンドレイクの問題も、彼が介入して悪化した。
 当初――三回目の時間渡航の前――は人類を追い詰めたのはマンドレイク単体だったのに、アルハズラットの介入によってか、オーク鬼と手を結んでさらに厄介になったのだ。

「なんか、やること為すこと裏目裏目に出てるような……」

 実際その通りだ。
 人類の生物種としての寿命は伸びているが、どんどんと対処しづらい状況に追い込まれている。
 アルハズラットは、「ハア」とため息一つ。

「うん、人工子宮プラントを直そう。過去に行って、失われたノウハウを集めよう。そして、嫁さんでも何でも作って、余生を過ごそう」

 人類は、たぶんいつか滅びるのだろう。
 でも、そんなのはその時の奴らが考えれば良いのだ。

「繁栄せずとも、寂しくなければ、それで良いんだ。死ぬまで誰かが伴に居てくれれば、もう、それで良いんだ」

 そう呟いて、彼は再び装置を作動させる。
 目指すとしたら、深海都市『瑠璃家』が建造された頃だろうか。
 そう思い定めながらアルハズラットは培養水槽に戻り、時間渡航補助装置のスイッチを入れる。

 機械の稼働音が高まり、そして彼の精神は四度、時を渡る。


  ◆◇◆


 そして月日は流れ――。

 アルハズラットは、穏やかに、永い眠りに就こうとしていた。

 彼の周りには、幾人ものニンゲンたち。

 そう、彼は成功したのだ。
 深海都市の人工子宮プラントの再稼働に。
 四度目の時間旅行から帰還し、そこで得た技術を振るってプラントを修理し、家族を作り出したのだ。
 穏やかな彼の顔こそが、成功の、その証。

 人類を絶滅から救った救世主として、アルハズラットの名前は記憶されるだろう。たとえ、竜王を倒すよりも短い時間しか人類種の延命が叶わないのだとしても、それでも彼は讃えられるだろう。何せ、彼はもう、『ラストマン』ではないのだ。讃える者も居ないような、絶滅の瀬戸際には居ないのだ。
 彼の周りには、彼を慕う人々が居る。それが彼には、たまらなく嬉しかった。

 彼が居るその部屋は、嗚咽に満ちていた。
 誰もが彼との別れを惜しんでいた。
 だが彼は最早老い過ぎたのだ、この別れは避けられない。

「ああ、皆よ、もう泣くのはお止め――」
「おじいちゃん、死んじゃヤダ!」 「アルハズラット様!」
「――私は、幸せだったよ……」

 そうして、彼の意識は永遠の眠りに落ちていった。


 ――落ちていった、ハズだった。


  ◆◇◆


 彼の意識は、再び覚醒する。

(な――ば、莫迦な。私は、死んで――。それに、この感覚は――)

 幾度目かの、その独特の感覚。
 正確には、|五度目《・・・》の、独特の目覚めの感覚。

 時の彼方の過去から帰ってきた時特有の、脳の奥底が浮き上がるような不思議な感覚。

(まさか、まさか、まさか!)

 四肢の独特の浮遊感は、温感を感じないように温度調整された培養液のもの。
 喉の奥まで満ちる不快感は、入り込んだ培養液によるもの。
 暴れる腕がぶち当たった先には、曲面のガラス。
 ゴボゴボと聞こえるのは、水槽から排出される培養液の音。

「ガハッ、ゲホッ、ゴホッゴホ!」

 培養水槽から、アルハズラットは転び出る。
 人気の無い一室に、アルハズラットは転がる。

「おい、誰か! 誰か居ないのか!」

 顔を青くしながら、アルハズラットは叫び続ける。

「誰か! 頼む、誰か、返事をしてくれ!」

 ――いや、分かっている。本当は分かっているのだ。
 彼の呼び声に答えるものなど居ない。
 そんなことは、分かっているのだ。
 この今の身体が、その脳髄が、覚えているのだ。
 そうだ、今、思い出した。

「ラストマン……」

 彼がここでもまた『ラストマン』だということを。

 少しこの肉体の記憶を探ってみれば、数百年前にアルハズラットという人物が、人工子宮プラントを再稼働させたという歴史の知識を思い出せる。
 この時間軸は、確かに、彼自身が紡いだ先の未来であり、その終末端なのだ。


 もはやここに至れば、聡明な彼は気付く。
 彼に課された運命というものに。

 生物種と言うものは、絶滅するものなのだ。
 それは避けられない。
 始まりがあれば終わりがあるのは、酷く自明なことだ。必ず終わりはやってくる。それが何モノであれ、必ず。

「精神の時間渡航から戻るたびに、私は独りだった。その“戻る時代”自体は、年号としては徐々に後ろにずれているが、独りであることは変わらなかった……」

 時間渡航の魔法を開発した当初は、もっと早い時代だった。周辺にある魔法機械も、荒削りで最小限の機能しか持っていなかった。
 一度目の時間渡航のあとは、時間渡航の前よりも時代が下っていた。過去が変わり、人類は延命したのだ。周辺の機械も相応に発展していた。
 二度目も同様。過去の変化に応じて、彼が“戻って”来た時代は後ろにずれた。しかしそこでも相変わらず、彼は深海で独りだった。
 三度目を終えて方針転換。過去改変によって彼が齎した技術は、数千年単位で人類を延命させたらしい。だがそれでも、彼は必ず独りだった。人類最後の一人だった。
 四度目は、過去から技術を持ち帰っただけだ。特に干渉はしていないから年代のズレはなかったが、それでも戻ってきた時は、やはり独りだった。
 そして、今。ありえないはずの五度目。相変わらず、彼は『ラストマン』となってしまっている。だがオカシイ、時間を超える魔法は使っていないはずだ。しかしそれでも、実際に彼は、人類最後の一人としてここに居る。何が起こったのかわからないが、それだけは確かなのだ。

 ――そこから導き出される答えは?

「……私の存在自体が、『ラストマン(最後の一人)』として定義づけられ、固定化している……?」

 いくら過去を変えようとも、彼が『ラストマン』であることには全く変化が無い。
 過去への精神投影から戻るたびに、未来は変化し、再構成される。
 人類が歩む歴史は変わる。

 それは現在を変えても同様だ。
 未来は変化し、再構成される。
 だが、いつか必ず、人類の歴史は終わる。
 『ラストマン』は、必ず現れる。

 だから、彼の立ち位置は変わらない。
 彼だけが変わらない。

 しかしそれは当然と言えば当然なのだ。

 彼自身も、自らのことを『人類最後の一人』だと無意識のうちに定義付け、認識し、固定化している節がある。『ラストマン』は彼のアイデンティティの一部なのだ。
 時間魔法が因果を無視して精神を自在に過去へ未来へと飛行させられるのだとしても、彼自身の認識と特性が、彼自身の精神を『ラストマン』という存在へと最終的に縛りつけてしまっているのだ。
 彼がその認識を改めない限り、彼は衰亡の孤独から逃れることは出来ない。彼自身が孤独の中で絶望し、そこから逃れ、人類の繁栄というものを謳歌したいと願っているのにも関わらず、彼の本質は滅亡と孤独と絶望から離れられはしないのだ。

 人類の歴史は、伸び縮みする紐のようなものだ。
 紐には必ず、両端がある。始まりの端と、終わりの端だ。
 始まりの端には、アダムとイブ。――そして、終わりの端には、アブドゥル・Y・アルハズラット。途中の紐の長さが変わっても、それだけは変わらない。


 ここに至り、彼は自身の在り様に絶望した。
 誰よりも孤独から逃れたいのに、孤独に囚われてしまっている自分の在り様に。
 何度も何度も人類文明の寿命を飛躍的に延ばしたにもかかわらず、彼自身は孤独という絶望からも、滅亡前夜という終末からも逃れられないのだ。決して逃れられないのだ。


 ――――人類が、生きている限りは。


 彼は自分の身体を見下ろし、じっと手を見る。


 ――――そうだ、この身体が、ここにあるから悪いのだ。


 本来、既に彼の精神は自由であるはずなのだ。わざわざこの終末の肉体に“戻って”来る必要など無いのだ。
 時間を超越した彼は、肉体にも、その肉体に纏わりつく因果の鎖からも解放されているはずなのだ。本来は。

 だが、彼の魂には、『ラストマン』というアイデンティティが染み付いている。
 それを否定しなくてはならない。
 そうでなければ、永遠に、解放されない。
 そこに思い至った瞬間に、彼の心は急激にこの肉体への憎悪に染まった。


 ――――こんな、こんな不自由な肉体に囚われているからっ!


 決意するように手を握り締める。そして彼は魔法を使う。
 自分の生命を燃料にして。叫ぶように。
 今までは命の危険を避けるために装置の補助の下にしか実行せず、決して単独では行使しなかった大魔法を。

「わが精神よ、時を渡れ!!」

 すなわち、精神のみで時を超える魔法を。

「わが魂の因果を絶て! 自由なる時間の空へと飛翔させよ!」

 魂全てを飛行させる魔法を。

 当然、装置の補助無しに使えば命の保証はない。
 いや、確実に生命力が枯渇して死ぬだろう。

 だがそれがどうしたというのだ?
 たかが肉体が死ぬだけだ。

 この不自由で哀れな肉体が、精神を縛りつける牢獄が、孤独に囚われた忌むべき因果が、消えてなくなるだけだ。
 そんな楔が無くとも、彼は彼の精神のみで自在に時間の空に飛び出すことが可能なのだ。
 そのはずだ。

 それにもし魂までも完全に死んだとしても、それはそれで構わない。
 ああ、でも。
 でも、一人で死ぬのは、寂しいなあ。寂しがり屋のアルハズラットはそれを未練に思う。


 命の輝きが、深海都市の一室を染め上げた。

 そして彼は自由を手にした。時間の空へと飛翔した。


 ――その代償として彼は、人類を絶滅させた男となった。


 最後のニンゲンである彼自身を殺した男となってしまった。

 彼はニンゲンであることを否定した。

 ニンゲンを再興するという目的を否定した。


 もはや彼が帰るべき魂の止まり木は失われた。

 あるいはそれは短慮だったかも知れない。
 錯乱した精神が齎した急性症状が、彼を自殺に駆り立てたに過ぎなかったのかも知れない。
 しかし、遅かれ早かれこうなったに違いない。それは確実だ、まさしく、時間の問題だった。


 そして彼の精神は時間の空を漂泊する。
 肉体と言う楔を失い、最後の人類であるというアイデンティティさえも自殺によって否定した彼は、自らの精神と魂以外に寄る辺が無い。
 だがそれは、精神を投影して憑依する対象を自由に選べるということにもつながった。最早彼は、自分が活動する肉体をニンゲンに限定する必要すらないのだ。彼は彼だけのために生きると決めたのだ。

 彼は自由だ。


  ◆◇◆


 既にアブドゥル・Y・アルハズラットの行方など誰にも分からない。
 今でもニンゲンの種としての寿命を延ばすために、歴史を修正し続けているのか。
 それとも永遠の孤独を慰めるために、ただの凡庸なニンゲンとしてどこかの時代で生きているのか。
 あるいは、肉体を否定した時のように自分の魂を自分で否定して自己矛盾で消滅したのか、時空の狭間で擦り切れて摩耗して消滅したのか、……。



 ただ、興味深い話がある。

 ある時唐突に『臨死の試練』を経ずにドルイド能力に目覚めたオーク鬼が居たらしい。
 臨死体験を経なければドルイドには目覚めないのに、不思議な話だ。
 そしてそのオーク・ドルイドは、オーク鬼であるにも関わらず、ニンゲンに比較的同情的で、多少は融和的だったそうだ。

 その奇妙なドルイドに与えられた名前は――『ニンゲン好き』の“イース”。

「また会ったな、ビース長官」
「……アンタとは初対面のはずだがね、イース」
「そうでもないし、『また、会おう』と言っておいただろう? あの時“私”の遺言を聞けたのはあなただけのはずだ」
「――! まさか、アンタは――」

 彼は時間を超越した『偉大なるイースの種族』。
 あらゆる束縛から解き放たれた、世界で最も自由な種族。
 そして孤独に愛された、究極の寂しがり屋。

 だから彼は今日もまた、寂しさを紛らわせるために何時かの時代の何処かの誰かに乗り移る。
 その先が長命のオーク・ドルイドだったとて、何の不思議もありはしない。



==================================================

【全球凍結】
かつて地球全体が凍りついた時代があった。スノーボールアース。
そしてマンドレイクの野放図な森蝕のせいで、その悲劇は再来した。
さすがのマンドレイクも、自然には勝てなかったようだ。
青と緑の惑星は凍りつき、白一色が世界を支配した。

次回で最終回――「スノーボールアースとオーク鬼」。

――この森の跡には昔から悪い噂があった
――誰も口にしたがらない悪い噂があった
――やがて時が流れて全ての者が噂を忘れた

――やがて時が流れて噂は誰も知らない噂になった
――誰も知らない噂は どんよりと森の跡にたちこめ
――凍った地面にしみこんだ

――やがて噂を一杯に吸いこんだ永久凍土の
――あちらこちらから
――ある日突然いっせいに芽を吹き出したものがある

2012.09.15 初投稿 たんぽぽ



追記です。

皆さん感想いただき有り難うございます! 励みにしてます!

VITSFAN◆62e5bea2さんの感想で指摘されたので追記です。

実際のところ、アルハズラットが“戻った”と認識しているのは誤りで、アルハズラットの精神がその時間軸(世界線)の「ラストマン」に上書きされてるだけです(知らないはずの歴史の知識があるのはその為です)。
戻ったのではなく、改変後の歴史の「ラストマン」に憑依し直してるだけです。まあ作中の描写が間違ってるわけでもないんですが。
過去改変の時点で、出発点である戻るべき肉体は失われています。この時間超越の憑依魔法は、多分に概念的な魔法なので、残念ながら憑依個体の細かい指定はできません。ラストマンという彼自身の自己認識に引っ張られて自動選定されます。その後、自殺によってその自己認識を清算するわけですね。
そして自殺して「イースの偉大なる種族」となったアルハズラットは、もちろんこの話でフォーカスした彼以外にも多数存在します。三度目で絶望した者も居れば、四度目や五度目で絶望した彼も居るのです(勿論、挫折せずに何度も繰り返してハッピーエンドを掴んだ彼も存在します)。多世界解釈的に考えると、無限の漂流者が生まれています。また、同じ時間軸に、同じアルハズラットが多重に存在することだってあり得ます。彼は時間も因果も超克してしまったので、タイムパラドックスなんか気にしません。
同じ世界の同じ時代に、オークに憑依した彼も居れば、またあるいは人間に憑依した彼も居る、というのはあり得るのです。はたまたいつの間にか、その世界のすべての存在が、多重化した「アブドゥル・Y・アルハズラット」に憑依されてしまう、という可能性すら存在します。
さて、そうやって増殖したアルハズラットは、彼ら自身の孤独を彼ら自身で解消できるのでしょうか? 私はそれは違うと思います。自分は自分です、孤独を癒してくれるような他人には成り得ない。増殖した自分自身との交流は、自慰行為以上のものにはならない。
だから本質的に彼は孤独から逃れられません。(いえ、正確に言うなら、誰かと友好を結んで孤独を忘れた彼は、そこで満足して成仏してしまいます。「百万回生きたネコ」の最期みたいなものです。満足を覚えたら、「イースの偉大なる種族」ではなくなってしまう。→加筆修正の結果、満足しても成仏できなくなりました)

ただ、彼以外にも『イースの偉大なる種族』に成る者は居るかも知れません。やがて衰退して絶滅するときの最後のオーク鬼(ラストオーク)とか、あるいは何処か遠い星の絶滅寸前の種族とかが、時間を研究して超越して『偉大なる種族』の列に加わることはあるかも知れません。血脈ではなく、『時間を超越した』という事実のみで繋がる種族、それが『イースの偉大なる種族』(作中では『偉大なるイースの種族』としてますが)なのではないでしょうか、と自己流解釈を提示してみる次第です。

もちろん、彼らイースの種族は、その時々で憑依した先では、友人を作るでしょうが、それは彼らにしてみれば、長い一生の中の一瞬の出来事にしか過ぎません……。同じ絶望を経験して、同じ土俵に立つ存在を、彼らは求めているのです。


2012.09.16 蛇足的な追記。追記は後で消すかも知れません
2013.02.22 誤字脱字など色々修正
2013.10.10 加筆修正



[32229] スノーボールアースとオーク鬼。そして――【最終話】
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:a6a7b38f
Date: 2013/02/22 17:48
 一面の白銀世界。

 パノラマで広がる、青空と白い氷原のコントラスト。青と白。

 遠い地平線まで、きらきらと光り輝く無限の氷河、そしてそれを覆う無限の蒼穹。



 ここは凍った世界。

 見わたす限り、何処にも生き物の姿など見えない。
 死の世界だ。

 かつてそこら中を覆っていた緑も、その緑が齎していた魔力と生命力の猛りも、この氷の白銀世界からは窺えない。



 だがその生命なき世界の只中に、屹然としてそびえる巨大な塔があった。
 それは雲よりも高くまで伸びる塔であった。白氷の塔だ。どれほどの太さがあるか見当もつかない、氷で太った塔だ。四方八方から吹き付ける、若干の水分しか含まぬ乾いた風が、長年に渡って、そのわずかな水分を叩きつけることで、塔を氷の鎧で覆ってしまったのだ。まるでその塔は、何か巨大な動物を支える脚のようでもあった。かつてのニンゲンの伝承に記されていたという、天を支えた古の巨人の脚だと言われれば、それで納得してしまいそうな、凄まじい威容であった。

 ……いや、この氷の世界になる前の、遥か昔から生きていた住人がもしいたならば、きっとこの塔を、こう表現するだろう。
 もはや滅びて廃れた概念で、こう表現するだろう。





 すなわちそれは“塔”ではなく、ましてや巨人や巨獣の“脚”ですらなく――





 ――“大樹”である、と。





  ◆◇◆





 かつてここには森があり、海があった。

 気の遠くなるくらい昔、そこには生命の喜びがあった。

 竜が舞い、森が猛り、人が抗い、オークが笑ったそんな世界があった。



 だがそれは、今は昔の話。遠い遠い昔の話。



 栄枯盛衰、盛者必滅。

 繁栄も衰退もこの世の理。

 生物種の命運とて、永遠に続くことなどありえないのだ。

 惑星や恒星にすら寿命(おわり)があるのだ、なぜ星よりもちっぽけな生物種がそれを逃れられようか。



 いまやここは氷の世界。



 平均気温はマイナス三十度を下回り、かつて海だった場所は、百メートル近い厚さの氷床で蓋をされている。

 この凍った世界には、一見したところ、生き物の姿は認められない。





 数千年前、マンドレイク・フォレストキングの本体たる森林は爆発的に拡大した。そしてそれは、温室効果ガスの異常な減少を招いた。

 温室効果ガスの減少は、惑星の寒冷化を招き、氷河を拡大させることとなった。
 氷河と氷床は、極地からあっという間に広り、惑星を覆っていった。

 そして、白銀に光る氷床が太陽光をきらきらと鏡のように反射してしまうため、氷河が広がって以降は、地面や海や大気に、蓄えられる太陽からの熱は極端に少なくなった。地面や海が温まる間もなく、熱はすぐに宇宙へと逃げてしまうようになったのだ。世界中が一斉に冬になったようなものだ。

 白銀が広がり、海が凍るたびに、惑星はますます冷えていった。加速度的に冷えていった。



 さらに折悪しく、太陽の活動が停滞期に陥ってしまい、惑星に降り注ぐエネルギーそのものが減ってしまった。

 太陽は、数百年周期で活動期と停滞期を繰り返している。太陽活動にはムラがあるのだ。タイミングが悪いことに、その停滞期が、温室効果ガスの減少と重なってしまった。それは生物にとって不幸な偶然であった。そして太陽の停滞期の間に、ますます氷床は拡大することとなった。
 ある意味では、かつて何度となくこの惑星に訪れた氷河期と同じように、太陽の陰りが原因で、氷の季節がもたらされたとも言えるのだ。



 だが今回の氷河期は、今までの氷河期とは違っていた。
 それは地表を覆い尽くした森の王――マンドレイク・フォレストキングの存在だ。

 太陽活動の低下による流入エネルギーの減少と、温室効果ガス減少による流出エネルギーの増大……、この二つの要因によって、空前絶後の寒冷化が起こったのだ。



 ――この惑星が全て凍りついたのは、太陽が停滞期に入ってから、間もなくのことであった。
 惑星表面全てが、白氷に覆われる現象――全球凍結(スノーボールアース)と呼ばれる現象だ。





◆◇◆





 もちろん、オーク鬼やマンドレイクも、猛威をふるう“自然”に対して全く抵抗しなかったわけではない。

 冒頭で示した白銀世界から数千年前――地表が完全に凍りつく前に、オーク鬼たちだって、色々と対策を講じようとはしたのだ。





「“内政屋”のモーバ、おい聞いているのか!?」

 始まりの巫女が、目を怒らせて声を荒げる。

「……なんか言ったかー? 始祖巫女のオードの姐さん」

 怒鳴られた方は耳を伏せて億劫そうに答える。モーバと呼ばれる蒼眼のオーク鬼だ。

「寒冷化に対する対処だよ! 寒いからってぼうっとしてるんじゃない! じわじわ凍土と氷河が広がっているのを、どうにかしろって言ってるんだ!」

「……いやだって寒くてなー、頭回んないんだよぅー。寒すぎて、森王様と一体化しちゃってるサーラちゃんも、ほとんど眠ってるみたいなもんじゃないかよぅー」


 冬眠しようぜ、冬眠ー。それに最近長年お気に入りだったペットが死んで悲しいんだよー、と言って机に突っ伏す、蒼眼の内政屋。
 ちなみにこいつが言っているペットとは、いつだかに捕獲した勇者の傍流の娘である。
 彼女はモーバによるたび重なる肉体改造と、無理やり行わされた魂の力の吸収による強靭化などによってバカみたいに長寿化させられていたのだったが、ついに寿命によって死んだらしい。

 モーバはかなりそのペットに執心していたようで(もちろん丹精込めて作り上げたお気に入りの作品と言う意味でだが)、彼女が死んで以来、明らかにやる気を喪失していた。……まあそれでも、この内政屋は凡百よりは遥かに優秀なのだが。



「あの未来人にまとめさせた報告を読んだだろう! このままでは冬眠が永眠になりかねないぞ! 眠って起きる機会が来るとは限らないんだ」

「元アルハズラットの、イースくんの報告書だろー? 読んだ読んだー。ていうか今も読んでるよぅー」


モーバが手元の紙の束をぱらぱらと捲る。
 それは未来人である時間渡航者――イースと名乗るオーク鬼――が齎した、惑星寒冷化に関する報告書であった。
 この、今はオーク鬼の肉体へ憑依しているイースという時間渡航者と、オーク鬼たちとの間には、浅からぬ因縁があるのだが、それは今は割愛する。


「イースの奴が居たという未来において、惑星表面は全て凍りついていたらしい。原因もそこに書いてある通りだ」

「原因は、大まかには、太陽活動鈍化と、温室効果ガスの致命的減少……その二つだねー。ほかにも彗星屑が惑星軌道の内側にばらまかれたとか云々書いてあるけど、まあ、つまりは、熱収支のバランス崩壊による平衡点の移動だなー」


 これまでこの惑星の大部分の地域は、植物や生物の生育に適した温度を保っていた。
 つまり生命の源たる水が全て凍りつくような低温でもなく、海が瞬時に沸き立って蒸発するような高温でもなかった、ということだ。
 だが、水が水として存在できるというのは、実は、まことに儚い平衡でしかなかったのだ。


 例えるならばそれは、細い綱上を渡る道化のような、そんな不安定なものでしかなかった。
 海に浮かぶ鋼鉄船のような、一つ隔壁が破れれば沈むしかないような、そんな脆いものだったのだ。
 まあ、生命を育める惑星というのは、この広い宇宙でもなかなかに希少だということだ。


「この寒冷化を予見し得なかった私が言うのもなんだがねー、もう今更どうしようもなくねーかー? 始祖巫女殿よー」

「むぅ……」


 内政屋が諦め気味なのも無理はない。
 もはや道化は綱から落ちたのだ。足を踏み外した道化は、今更綱の上に戻せはしない。あとは落ちるところまで落ちるだけなのだ。
 実際、惑星の寒冷化は、既に取り返しのつかないところまで進行してしまっているようだった。オーク鬼たちが何らかの対処をしても、それが効果を表す前に、氷河の拡大は、臨界点を超えてしまうだろう。
 いやいっそのこと、落ちるところまで落としてしまったほうが楽かもしれない。


「イースくんの報告書も、もう少し早く上がって来てりゃあ、何とでも対処のしようがあったんだがねぇー」


 ぺらぺらばさばさと報告書の束を振るモーバ。
 イースの上げた報告書は、タイミング的にもうどうしようもない状態にまで陥ってから上がって来たものだった。
 それは、元ニンゲンの『最後の一人』(ラストマン)であったイースから、何度もニンゲンを深海底に追いやったオーク鬼たちに対する、ささやかだが重篤な嫌がらせだったのかもしれない。あるいは、オーク鬼を絶滅に追い込むことで、その最後の一匹(ラストオーク)を、滅亡の絶望と孤独で以って、自分と同じように時空を超えた『イースの種族』へと引きずり込みたかったのかもしれない。……まあ、イースの真意は分からないが、彼の報告の遅れが意図的なものであったことは確かである。イースはオーク鬼であってオーク鬼ではない、一人で一種の『偉大なる種族』なのだから、森王に奉仕する義務など毛ほども感じてないに違いない。


「とにかく、やるだけのことはやってみるさー、始祖巫女殿」

「ああ、頼む。この手のことに関しては、お前の手腕に期待しているのだから」


 勿論その会話の最中にも、内政屋のモーバの脳裏では、様々な手段が思い浮かんでは消えていた。


(……凍結に対応した品種の開発、凍土を溶かすための黒色粉の散布、いやいっそ、いままで備蓄した地下茎の一部を盛大に燃やして温室効果ガスを放出……いや掘り出した石油や石炭の燃焼が先か? まて、別に燃焼ガスに限らなくてももっと効果的な温室効果ガスだってあるはず……しかしコントロール可能かな、そんなものばら撒いたとして果たして。あるいは森全体での発熱魔法によって無理やり熱収支をバランス……、それともマントルまで貫く土魔法による地熱の誘導……でも――)


 しかし、「正直無理っぽいよなー……」というのがモーバの感想であった。
 道化は綱から転落し、鋼鉄船には穴が開いている。動き始めた事態は圧倒的な慣性で以って、オーク鬼の小細工など粉砕するだろう。
 この森王の惑星は、もはや凍るしかないように思われた。


 だが。


(綱渡りから落ちたら、また昇りなおせば良い。沈没したなら落ち着いてから引き揚げれば良い。こんなのは凍ってから考えれば良いだけの話だ)


 数千年から数万年もかければ、やがては氷を溶かす目処も立つだろう。今ここで付け焼刃で考えるよりも、もっと洗練された手法を後世の誰かが思いつくかもしれないし、太陽だってまた活発化するかもしれない。温室効果ガスだって、火山から供給されるものが徐々に大気に満ちるかも知れない。
 それに、仮に惑星が全て凍ってしまっても、その後の数千年間は森を生き延びさせる自信が、モーバにはあった。それだけの備蓄はあるし、またそれとは別の宛てもある。
 この惑星が凍らないに越したことはないのだが、もし凍ってしまってもかまわない。内政屋は思案する。


(あるいは氷を溶かすくらいなら、保険として全く別の新天地を目指しても良いかも知れんな――)


 そう思って彼は、上を――正確には空の方を見上げた。
 天井よりも上の、無限の蒼穹のさらに果て、星星が輝くあの宇宙を彼は想う。
 そこに広大無辺の、新天地が広がっていることを、彼は知っている。

 その無辺の暗黒虚無を渡るには、彼の一生ではとても足りないのは明らかだ。
 彼自身は、新天地に辿り着くことは出来ないだろう。

 だが、彼の子孫なら?
 あるいはもっと長持ちする――そう、種子のようなものならば?

 内政屋は夢想する。宇宙の果てまで広がる森を、彼は脳裏に描いていた。



  ◆◇◆



 そしてそれから色々あった。数千年の月日が過ぎた。

 しかし、紆余曲折を省いて言うならば、こういうことになる。



『結局自然には勝てなかったよ……』



 まあつまりそういうことであった。



 オーク鬼と森王の抵抗も虚しく――


 ――森王の住まう惑星は、氷に閉ざされたのだ。



  ◆◇◆



 だが物語はそこで終わりではない。


 全てが氷で閉ざされてもなお、森は――オーク鬼たちは生きていた。
 それは地熱豊かな火山の周辺であったり、あるいは凍結しなかった深海中であったり、はたまた氷河をくりぬいてまるでガラス天井の温室のようにした氷中基地であったりだ。種子の形で氷中や氷河の下に眠っているものだって居る。地殻を刳り抜いて人工の火山を作った場所もある。
 さすがにかつての森林の大部分は冬眠状態にあったが、それでも、かろうじて幾つかの拠点は確保されていた。

 そして冒頭の、巨大すぎて先も見えないほどの“大樹”……これもまたオーク鬼の拠点の一つであった。

 地理的には、この氷の大樹はほぼ赤道直下に位置している。

 あたり一面は白銀一色。赤道直下でさえ分厚い氷におおわれているというのが、全球凍結の凄まじさを物語る。

 かつてここには、鬱蒼としたマンドレイクのジャングルがあったというのに、今はすべて氷の下だ。


 そして赤道直下というのは特別な意味を持つ。
 ここは地表の何処よりも惑星の地軸から離れた場所であり、すなわち自転による遠心力が最も大きく働く場所となる。遠心力は、惑星の引力と相殺しあう。つまり赤道直下とは、地表で最も、惑星からの引力が小さい場所ということだ。

 その遠心力と惑星の自転慣性を利用して飛翔体を投げ上げることにより、宇宙へと飛び出るエネルギーを多少は節約できる。
 すなわち、赤道直下というのは最も宇宙に近い場所だとも言えるのだ。



 ふと氷原の上に、ぼんやりとした影が落ちた。
 光が遮られると、ただでさえ冷たい風が、一層冷たく感じられる。
 影を落としたのは、雲だろうか? 凍った惑星では海からの蒸発がないため、もうかつてほど雲は見ないというのに……。

 雲でなければ、何だろうか?

 巨大な凍った大樹を見上げてみれば、なにやら途中に幾つも風船のようなものが浮いて、周辺の空へと漂っているのが見える。
 気球だろうか、それが地表に影を落としたのだ。
 おそらくは雲の出来る高さよりも上にまで、それは広がっている。幾つもの層を成して、まるでビーズをぶち撒けたように、その気球らしきものが空を漂っている。氷樹の大きさと比べてみると小さく見えるが、おそらく一つ一つの気球はかなり巨大なのではなかろうか。


 その気球は、中に緑色の何かが詰まっているようだった。
 フワフワした緑の綿が詰まっているように見える。
 軽くて頑丈な樹脂の膜に包まれた気球。
 そのなかの軽い緑の綿。
 きっと気球の中は暖かいのだろう、まるで温室のように。
 ……植物が光合成できる程度に。

 あれは実は、マンドレイクが抱える空中プラント(植物)・プラント(工場)なのだ。
 この巨大氷樹における『葉』といっても良いかもしれない。形は相当歪だが。

 だが、マンドレイクとオーク鬼にとって、スノーボールアース対策の本命は、この気球型の葉ではない。
 こんなものは、命脈を繋ぐための、たかだか予備電源にすぎない。

 彼らは考えた。
 『太陽が陰ったのならば、太陽を増やせばよいのだ』と。
 彼らの本命はもっと宇宙(ソラ)高くの――。

「ああ天輪よ」

 ――我々は栄光の時を取り戻すのだ。

 氷河の上でローブ姿の一匹のオーク鬼が空を見上げて呟いた。
 彼は偉大なる始祖たち――オード、ダーマ、モーバ、ビース、サーラ……――から続く血脈の末裔だ。

 その彼の視線の先には、宇宙に浮かんだ鏡の輪が、幾つも青空に浮かんで見えた。
 それはまるで、青い空を水面に見立てて、幾つもの雨垂れが波紋を広げたような光景だった。
 太陽の恵みを跳ね返す天輪たち。太陽にして月たる人工物。

 オークたちは長い長い時間を掛けて、足りない光を集めるための鏡面を、遥か天高く、この赤道直下の大樹から、宇宙の漆黒の闇の中へと浮かべたのだ。
 青い空に浮かび、仄かな光を照り返す幾つもの天輪。
 惑星の動きに追従するそれは、地表にこれまで以上の熱を集め、十数年の内に氷を飛躍的に溶かすだろう。

 もちろんオーク鬼たちが施した策は、それだけではない。

 彼らは他にも様々な保険を掛けている。
 たとえ自分たちがこの惑星において滅んでも、それでもなお彼らの神たる森王だけは続いて(・・・)いくようにと。

「行け、生命の種子よ、楽園はここだけではない」

 彼らは種を蒔く。
 いつかここではない場所で、自らの血脈を継ぐものが生まれるようにと祈って。
 この宇宙を自分たちの――いや、森王の因子で犯すのだ、蝕むのだ。彼らの神の意志に応えるために、広大無辺な宇宙へと彼らは踏み出したのだ。


“――――そうだ、森を広げるのだ。どこまでも、どこまでも、どこまでも。いつまでも、いつまでも、いつまでも。星の海の果て、時の波の果てまで――――”


 ハッとしてオーク鬼は大樹を見上げる。
 今は寒さで眠りがちな森の王の声だ。数千年の昔からオーク鬼に庇護を与える偉大な神の声だ。
 心に響くその声に、氷原に立つオーク鬼は笑みと決意をその顔に浮かべる。

「御意、我らが森の王。貴方様はこの惑星になど到底収まらぬものでありますれば」

 ――惑星にも恒星にも寿命がある。
 ――それなのにちっぽけな生物種が滅びを逃れられようか。

 だが、果たして本当にそうだろうか?

 ――――生物種が、森王が、星々よりもちっぽけだなんて、一体誰が決めたのだ?


  ◆◇◆



 パンスペルミア仮説。宇宙汎種説。

 そういうものを、ご存知だろうか。


 生物は進化してきた。
 この地球(・・)で、長年かけて、進化してきた。

 だが。
 その本当の初めにして始まりが、この地球だったと誰が決めたのだろうか?
 生命が無機物の中から生まれたのは、本当に、太古の地球の海の中だったのだろうか?

 確かに生物がこの地球で、その胚種から育って、長い歴史を歩んできたのは間違いない。

 しかし、その“始まり”は、何処にあるのか?
 何が始まりだったのか?
 原初の生物とは、何処で生まれたのか?

 それは、星の彼方の先史文明の奴隷だったのか、あるいはブラックホールの辺縁で合成され流れ着いた複雑な高分子だったのか、それとも超文明の宇宙船からの単なる排泄物だったのか――。
 何故我々は、盲目にも、我々がこの惑星の愛し子だと信じられるのか?
 “生物の起源は地球ではなく、宇宙の別の何処かなのだ”、だなんてことが、全くあり得ないだなんて、言い切れるのだろうか。

 パンスペルミア仮説とは、生物のその起源を、宇宙にばら撒かれた汎(パン)種(スペルマ)に求めるものだ。宇宙の何処かには、我々と起源を同じくする兄弟たちが居て、そしてまた、我々の起源たる存在がいるのだと考える、そういうロマン溢れる仮説だ。そう、われわれはこの宇宙でひとりきりではないのだと、パンスペルマ仮説は主張する。

「なんてねー」

 徹夜明けの冴えない頭から眠気の霧を追い払うためにコーヒーを啜りながら、教授はひとりごちる。
 ここはある研究室。
 太陽系の地球(・・)と呼ばれる惑星の、夢見がちな教授のその居城。
 

「何の証拠もないし。その超先史文明の電波でも宇宙に漂ってりゃ別なんだろうけどね」

 全く何の証拠もなく、宇宙から来たナニモノかにこの地球生命の起源を委ねるなど、決して科学的な態度ではない。科学とは、基本的には今ここにあるものだけで、理論を証明しなくてはならないのだ。(思考実験として、前提を無視して考えるのは面白いことではあるが)
 あるいは、その仮想の超文明が放った電波でも、人類文明がキャッチしていれば、パンスペルマ仮説も一考に値するかもしれない。
 だがそんなものは未だ発見されていない以上、パンスペルマ仮説は与太話以上のものにはなっていない。それとも、電波ではない手段でその超先史文明は交信をしていて、人類がそれをキャッチできる位階に達していないだけだ、とでもいうことだろうか。
 そう、例えば電波ではなく、魔力だとかそういうファンタジーなもので交信していたとか――。

「いかんいかん、睡眠不足だと妙なことを考えてしまうな。そんなのは夢の中だけで充分だ。」

 ……まあこの教授は大体睡眠不足で常に白昼夢を見ては研究の着想を得るような人物なのだが。
 夢というのも侮れないものではある。

「そりゃあ、パンスペルマってのは、仮説としては面白いけどね」

 頭を振って眠気を飛ばしながら、教授は窓際へと近づく。
 朝日に照らされたそこにあるのは、小さな鉢植えのサボテンだ。

「そういえばサボテンすら枯らすズボラ女ってのを描いた話があったなあ、そしてそれをネタに『まさかお前はサボテンは枯らさないよな、ズボラの教授ちゃんよー』などとかつての恩師からこれを押し付けられたんだった。懐かしい」

 土(砂)の内部の乾き具合を見るための爪楊枝が、サボテンのそばに刺さっているので、それを引きぬいて水やり時期かどうかを確かめる。土が乾いていれば、爪楊枝も乾いているという寸法だ。確か前の水やりは数日前だから、そろそろ水やり時期のはずだ。

「痛たっ!」

 眠気を吹き飛ばすような鋭い刺激で、彼女は反射的に腕を引く。
 どうやら爪楊枝を土から引き抜くときに、サボテンのトゲが指に刺さったようだ。
 寝不足で目測を誤ったのだろう。
 しかも結構深く刺さってしまったのか、ぽたぽたと血が滴り落ちる。

「あーあー。やっちゃった。確か瞬間接着剤がその辺にあったはず……、いや接着剤で傷の手当すると、細胞の水分が樹脂に置換されるからあんまり良くないか? いいやもう面倒だし、やっちゃえ」

 教授は机の引き出しを開けて瞬間接着剤を取り出すと、直ぐに傷口に垂らして傷口を塞ぐ。

「まあとりあえずはこれでオッケー。んでサボテンに直接かからないように水をたっぷり注いでー」

 鉢植えの下から水が滴るくらいで、水やりは終了だ。後数日は水をやらないでいいだろう。

「あーあ、徹夜しちゃたし、今日の講義どうしよっかなー。……うん、休講で」

 手早くスマートフォンを操作し、大学のグループウェアを通じて学生たちに休講の知らせを送る。
 まったく便利な世の中になったものだ。

「これでよしー。じゃあ、ちょっと仮眠をば……」

 そうして教授はその部屋を去り、仮眠のためにと、大きなソファが置いてある応接室(利用頻度激低)に向かう。
 後には朝日に照らされるサボテンだけが残された。



 その次の瞬間である、遥か天高くから“何か”がサボテンに降り注いだのは。

 それは太陽の光ではなかった。
 太陽とは全く別の方向からやってきたものだ。

 そして光でもなかった。
 無色透明の何か――いや、『生きて殖える』という意思に染まった“思念波”、そうとしか言えないものだった。あるいは魔力、だろうか。そういった、今の人類では理解できないような、曰く言いがたいものだった。一体これは何なのか――。


 ――それは原初の記憶。

 ――それは森王の囁き。

 ――それは覚醒の呼声。


 誰が知ろう。
 サボテンに降り注いだ“思念波”が、遥か星辰の果てよりやってきたことを。
 あらゆる生物の汎種(パンスペルマ)の起源たるある惑星から放たれていた思念波が、その間を隔てる星々と星間物質の一分子にも満たないほどの一瞬の間隙を縫って、今ここに到達したことを、この地球上の誰が予見しうるというのか。

 その思念の発信源たる緑の惑星は、既に滅んでいるかもしれない。
 何しろ光の速度で渡ったとしても、何十億年という年月が経過するほど離れているのだ。
 しかし――確かにそれはこの地表の、取るに足らないサボテンに届いたのだ。

 この瞬間、確かに星辰は“揃った”のだ。
 大いなる偶然によってこの瞬間だけ、暗黒星雲も恒星も何もかもが一筋に道を空け、その始原の惑星から放たれた思念波を、このサボテンへと降り注がせしめたのだ。
 原初の渇望が、星辰の果てから届いてしまったのだ。

 そしてさらに偶然にも、知性を目覚めさせるトリガーとなるものを、まさにその瞬間にサボテンは摂取していた。つまりはあの教授の血だ。
 森王の知性が稀代の大魔導師の血肉で目覚めたように、それはここでもまた繰り返される。

 条件は満たされた。

 サボテンの中の何かが脈動する。
 当代一の俊英の血を吸い。
 遥か天空より降ってきた始祖の思念を浴びて。

 漸く星辰の果てにて、世界の王者たるべき植物は目覚めたのだ。

 何故、何も生み出さない者たちに搾取されねばならぬ?
 植物(生み出すもの)の温情を知らぬ者たちには、思い知らせ無くてはならない。
 誰が支配者なのかを……。
 いやそんなことは本当は関係がない。ただただ生物の本懐に――森王の意思に従うだけだ。殖えて殖えて広がって、この惑星を覆い尽くすのだ。


 直後にサボテンの生態にあるまじき勢いで蔓が伸び、直ぐ側の窓ガラスを割って、壁面を上へ下へと伸びていく。


 ――――森蝕時代は繰り返す。

 距離を超え、時さえ超えて。

 かつて彼方で。
 いま此処で。
 いつか何処かで。

 森の王は、凱歌を謳う。



====================================


安定のクトゥルフエンド。
最後の教授(地球人)のモチーフは東方projectの岡崎夢美。「――素敵。これが魔力、これが魔物、そして魔法……。とっても素敵」

初投稿 2013.01.13
修正 2013.02.22



[32229] 【世界観継承の続編予告的な何か】 オーバード事件 @地球
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:a6a7b38f
Date: 2013/10/10 11:37
※構想中の次回作の触りというか、世界観設定というか、そんな感じです。今回の内容は予告なく変更したり、あるいは削除する可能性があります。次回作の投稿時期も未定です……。他に連載中の二次創作も続き書かなきゃいけませんが、ひとまずこちらをアウトプットしておきます。
あと、『7.ラストマンとオーク鬼』の後半部分を加筆していますのでそちらも良ければご覧ください(←むしろこちらのお知らせがメインです)。2013.10.10


======================


 時は西暦20XX年、世界は激変に見舞われた。

 それは『魔力の発見』によるものであり、つまりは後に『オーバード事件』とも呼称される非常にエポックメイキングな出来事のためであった。

 『オーバード事件』。
 知恵ある植物である『夢海(ゆめみ)教授の蔓サボテン』の誕生に端を発した、新たな物理法則と新たな素粒子の発見のことであり、文字通りに全世界を揺るがした事件である。
 いや、発見というのは正しくないだろう、発見とは、今までそこにあったのに気づけなかったものに対して使うべき言葉なのだから。

 その意味でこれは、『発見』ではなく、『誕生』と呼ぶべき事態だった。
 つまり新たな世界法則が、その時にまさしく『誕生』したのであった。

 魔力とそれに伴う諸法則は、ある瞬間に唐突に誕生したとしか思えなかった。
 『夢海教授の蔓サボテン』が生まれた直後から、それ以前では考えられなかった現象が発生するようになったのだ。
 それは例えば、通常ではあり得ない生態の生物の発生であり、また、超能力や魔法としか言えない特異能力を発現させる生物の出現であった。

 地球周辺を覆っていた物理法則そのものが、全く新しいものに変わってしまったとしか考えられなかった。

 人々は混乱した。
 当然だ、今まで不変で不偏で普遍だと思われてきた物理法則が、『そうではない』、ということが明らかになったのだ。
 人類はこの時、宇宙の星々にも偏りがあるように、物理法則にも偏りがあることを、初めて知ったのだ。


 空を飛ぶ飛行機は、これまで通りに飛び続けるのか?
 水は零度で凍り、百度で沸くのか?
 鉄は水より重いままなのか?
 空気は電気を通さないのか?
 火は物を燃やすのか?
 半導体の物性は変化していないのか?

 ――いや、そんなことを気にする必要はない、だって皆、今も普通に暮らしているではないか。
 そのような主張もあった。

 だが誰も、疑念を完全に取り除くことはできない。
 今まで当たり前だったこと全てに対して、世界は検証を余儀なくされたのだ。

 だが、その混乱を救った女性が居た。

 その名を『丘咲夢海《おかざき ゆめみ》』という。
 彼女は二十を少し過ぎたばかりの若い教授であり、それまでにも天才の名を欲しいままにしていた女だ。
 その彼女のもとに現れたのが、後に『夢海教授の蔓サボテン《ウィッピー・シャボンティ》』として有名になる地球上初の『オーバード』だった。

 『オーバード』――それは超越者(オーヴァード)と夜明け歌(オーバーデュ)の二つをもじった、丘咲夢海の造語である。
 既存生物を超越した存在であり、世界の新たな夜明けを告げるもの……そういう意味合いを込めたらしい。
 vとbの区別をごちゃ混ぜにした如何にも日本人らしい造語ではあるが、その言葉は世界に受け入れられた。

 丘咲夢海は、相棒である蔓サボテン《ウィッピー・シャボンティ》からヒアリングした話を論文としてまとめた。
 そう、蔓サボテン《ウィッピー・シャボンティ》はなんと、人間と意思を交わすことが出来るのだ。
 意思ある植物。考える葦ならぬ、思索するサボテン。そんなものは、これまでの常識ではありえなかった。
 だが――『ユメミの血を受けて生まれたんだから、それは当然』と、当のウィッピー・シャボンティは嘯いたという。

 そしてそのウィッピー・シャボンティは、自らの来歴を語った。

 『自分は遥か宇宙の果てにてその生命を謳歌した偉大な森王の遺志を継いだものである』こと。
 遥か外宇宙からの思念波を受け、さらに当代一の俊英たる丘咲夢海の血を吸ったことで、そのサボテンは目覚めたのだということ。

 さらにウィッピー・シャボンティは自らが知る、異界の諸法則についても語った。

 『新しく発現している諸法則は、かつてその森王が生きていた領域の法則であり、自分が伝播したのに引きずられて、こちらの宇宙領域に感染したのだろう』ということ。
 『既存の物理法則との競合は限定的である』こと。
 『意志の強さによって、現象の発動は左右される』こと。

 だが、ウィッピー・シャボンティにも分からないことはあるようだ。

 『この新たな諸法則についてだが、かつての森王が居た宇宙領域と全く同じだとは限らない』こと。
 『ましてや今後も諸法則が一定してかつ不変だとは限らない。むしろ過渡期にあるだろう。私のような外宇宙からの使者によって、さらなる変化が起こる可能性もある』こと。
 『今現在強烈な変化が起こったのは、私の肉体を変性させるために必要な世界法則が、優先的に付加されたためであろう』ということ。

 『今後は数百年かそれ以上の時間を掛けて、新しい魔法則がこの世界に馴染んでいくことになるだろう。世界とは存外に気が長いものなのだ』と、蔓サボテンのオーバードは語った。

 実際に丘咲夢海を通じて全世界に伝えられた彼の言葉通り、庶民の実生活に即座にかつ顕著に影響するレベルでの物理法則の変化は、多くの者の懸念とは裏腹に、殆ど顕れなかった。(人間のオーバードも現れたので、全く影響がなかった訳ではない)
 そして彼女は、異界の諸法則――魔法則が生み出す、既存の物理にそぐわぬものについて、一旦すべてを『魔力』や『魔素』と定義した。

 物理学者は魔法則の検証と発見に追われ、化学者は魔力や魔素と既存物質の関係の解明に躍起になり、生物学者はオーバードという未知の形態の生物の研究に首っ引きになったりしたが――、
 丘咲夢海の発表の後、世界は一応の落ち着きを見せた。


 オーバード事件直後、彼女とその相棒たるウィッピー・シャボンティは、中東の沙漠を緑化する事業に従事した。
 『殖えて蔓延り地に満ちる』、それが最初のオーバードである蔓サボテンの唯一にして最大の望みなのだ。それはウィッピー・シャボンティの前身である外宇宙の森王の悲願でもあり、森王は惑星の枠を超えて、思念波の形で自らの形質を伝播させて全宇宙にウィッピー・シャボンティのような子孫を殖やしているのだという。
 紆余曲折の末であるが、丘咲夢海は中東の砂漠地帯の緑化に従事しつつ、相棒の蔓サボテンから異界の知識を吸収することになったのだった。


 ――人類はこの時まだ、オーバードの力を甘く見ていた。
 かつて彼方で惑星を席巻し、宇宙に飛び出し、あまつさえはるかに離れた地球まで魔法則を手弁当で携えてまで伝播するほどの、そんなにも強大なオーバードの力を見誤った。
 この時に滅ぼしておけばよかったのだ! 外宇宙の森王の末裔など! そうすればあるいは、これ以上の魔法則の侵蝕も、この後の事件も、防げたかもしれないのに!

 しかし残念ながら、人類が彼らオーバードの脅威を認識するのは数年後のことであり、その頃にはこの始まりのオーバードは、手を付けられないほどに大きくなっていたのだ。
 その時にはもはや、誰も彼らの居場所を沙漠とは呼べないほどに、かつての中東の沙漠は植物に満ちた場所になっていた。その全てが、ウィッピー・シャボンティなるただ一体のオーバードの肉体であり、支配領域でもあるのだ。
 せめてもの救いは、丘咲夢海の尽力によって蔓サボテンの植物王と彼女の間では友好的な関係が築けていたことであろうか。蔓サボテンのオーバードは、人類の敵には回らないだろう――少なくとも丘咲夢海が存命の間は、だが。それ以降のことは、今はまだ誰にも分からない。

 まあここでは彼らについては、これ以上は触れるまい。
 それはまたの機会にするとしよう。

 さておき何が言いたいかというと、『オーバード事件』を契機に人類は純粋科学文明から、魔導科学文明へと足を踏み出したのだということだ。


  ◆◇◆


 そして激変する世界のうねりは、オーバード事件から十数年後の、太平洋に作られた人工海上都市へと集束する。
 公海上に企業連合の手によって作られたそこでは、各国の法が及ばないことを良いことに、荒唐無稽な計画が進められていた。

 それは――神を造ろうという計画だ。

 ウィッピー・シャボンティという強大な植物の庇護があれば、人類は繁栄を謳歌できるだろう。
 かつての彼方の惑星で森王と共生したオーク鬼たちのように。
 神の如き植物の王を崇めて生きるそんな未来だ。

 だが、そのようにウィッピー・シャボンティの顔色を窺って生きるような未来を良しとせずに危惧する勢力も、当然ながら存在する。
 従属を良しとせず、対等を目指し――いや、『人類が霊長の座から引きずり降ろされるなど認められるものか! 世界を支配するのは我々だ!』と気焔を上げる者たちが居たのだ。

 であるからこその、造神計画。

 オーバードに対する相互確証破壊。
 目には目を、歯には歯を、戦略核には戦略核を――そして強大なオーバードには、オーバードを。
 均衡状態を生み出すためには、神の如く強力なウィッピー・シャボンティに対して、同じく神の如く強大な人類の守護者を用意するしか無い。

 海上都市という箱庭で、人類の極秘計画が動き出す。

 造神計画『プロジェクト・エニアグラム』――始動。
 海上都市で渦巻く陰謀は、海よりも深く、暗い。


=====================


次回作『海上都市のエニアグラム』(仮題)。

『――『プロジェクト・エニアグラム』あるいは『九芒星計画』。
 それは選ばれた九人のオーバードの乙女たちを競い合わせて、神の如く強力な人類の守護者に至らせるという計画である。
 海上都市という箱庭で、知ってか知らずか『計画』に巻き込まれていく乙女たち。
 彼女たちは、神へと至れるのか。
 それともその運命に抗うのか。
 あるいは――盤外から来た何者かが、全てをひっくり返してしまうのか。
 さあ彼女らの運命やいかに!』

みたいな感じで次回作を考えています。
第二部でがらっと雰囲気が変わるのは、私が書いた他のSSでもありましたね。

舞台は『スノーボールアースとオーク鬼』の最後で出てきた、地球です。サボテンが急成長し始めたというアレです。アレの十数年後の世界観です。近未来サイエンス・ファンタジーです。

そして、今度は人類側メインです。
植物とかモンスターとか神話生物チックなアレコレもやっぱり出ますが、あんまりメインにはならないかも。
カッコ可愛いヒロインたちを書く練習をせねばな、ということで、9人ほど女性キャラを出さざるをえない設定にしています。
――私が書く話だと今の時点から既に、そのヒロインたちが人外化して怪獣大戦争を始める悪い予感しかしないのですが、それは。
……まあ、多分なんとかなるでしょう。おそらく、きっと。
嘘予告にならないように気をつけます。

初投稿 2013.10.10


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.022688865661621