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[31282] 【ネタ・処女作】ブレイン・バースト・バックドア【アクセル・ワールド・オリ主】
Name: カヱン◆bf138b59 ID:2d9e3e18
Date: 2012/01/22 16:43
 初めまして、カヱンです。
 アニメが始まる前にネタ二次創作を書こうと思います。
 タイトルでわかるように能力チートのオリジナル主人公が無双します。
 すいません、ごめんなさい、という話です。

 ― ― ― ― ―

 時計アプリが示す時刻が午前零時を回っていることに気づいたが、全く眠くはない。
 日本の遥か西に位置する山岳の国境地帯を、アドレナリン全開で走っているからだ。
 左肩にきつく巻いた包帯には血が滲んでいる。5.56mm弾でえぐられた怪我の応急処置は完璧とは言いがたい。だけども、痛みは感じない。無論、モルヒネや気合いで止めているわけではない。
 それはここが限りなくリアルなバーチャルだからだ。
 身体の部分欠損とて、所詮は体力ゲージに影響する不利状態に過ぎず、ゲームキャラクターの行動を阻害することはほとんどない。ニューロリンカーには痛覚遮断機能が搭載されており、プレイヤー自身に何か苦痛となるフィードバックが来ることもない。
 そんな仮想空間のオンラインFPSでログインネーム《GK》ことコウジは今日も戦っていた。

「チッ。ラス一人のHALの野郎、なんで見つかんねーんだよ」
 悪態は量子信号に変換され、ネットワークを通じ中央サーバーで複数の言語に瞬時に翻訳され、無線機から音としてチームメンバーに届けられた。
「おいおい、あのHALだぜ? そうそう見つかんねーよ。てか、合流が先だろ」
「悔しさはわかるぜ。撃たれて見失ってるしな。それより、HALに撃たれて生き残ってるお前にビックリだよ」
 元は英語とドイツ語の発言が、プレイヤーの声を元にした日本語の合成音声で自分の耳に届けられる。

 ――《HAL》。
 プレイヤーたる傭兵が国境地帯での領土争奪戦闘に参戦する、このオンラインFPSでもっとも有名なプレイヤーの一人だ。所属は敵である同盟軍。自己申告の国籍表記は日本。ここ数ヶ月の参加戦闘の勝率は九割近い。こちらが撃つ前にハンドガンで三発撃ち込める反応速度で近中距離射撃は最強クラス。とんでもないゲームフリークである。
 対するGKは、ここ最近こそ、それなりの有名プレイヤーを狩っているとはいえ、連邦軍の新鋭プレイヤーにすぎない。
 毎日ログインするわけではなく、プレイ時間もそう長いわけではない。有名プレイヤーによくいるキチガイじみた反応速度や行動経験を持っているわけでもない。電脳孫子だとかリンカー界のクラウゼヴィッツと二つ名が付けられるほど兵法に詳しいわけでもない。
 それはチームメンバーとて同じようなものだ。こちらの生き残りの方が数は多くとも、勝算はないとされるだろう。
 でも、コウジはそんなものは小さい差だと思っていた。自分に偏見の目を向けられることはない、評価と勝利が等号で結ばれた、結果をただ賞賛する世界であれば、いくらでもやり方があるからだ。

 だから、だからこそ――「今日は勝つ」

 再び独り言が味方に届いていた。
「ああ、そろそろ連邦にも劇的な勝利が欲しいからな」
「そうさ、HALを倒すという戦」
 ブツッと無線が切れる音(切れたことを通知するための偽音だ)が装備しているヘッドセットから聞こえた。
「おい、どうしたッ!」
 呼びかけの返事はザーッというノイズだった。
 コウジはすぐさま右上に仮想的に表示されているプレイヤーリストを確認した。アメリカの国籍マークとプレイヤー名は既に戦闘不能を表す灰色の表示になっていた。リアリズムのために戦闘不能プレイヤーとは交信はできない、というルールが頭の中を駆けた。
 HALに殺られた。
 判断も直感もそう言っていた。直後、残されたもう一人の言葉が無線を通して飛び込んでくる。
「地図を確認したけどよ、奴が死んだのは普通に平地だ。事故はないな」
「だろうな……クソッ、もっと早く合流しておけば」
 コウジの焦りを聞きとったからか、ドイツ人(自己申告だけれども)の国民性からか、もう一人は落ち着いていた。
「そうだな。とりあえず、合流を急ごう。2vs1には持ち込みたい」
「了解」
 少しの動揺を落ち着けるべく短く返答した。
 直後、「あの早業、HALはマジ忍者だぜ」と相手の投げやりな言葉がこちらに届いた。
 コウジは鼻で笑ってやった。忍者であるものか。どうせ、ピザとポテチとコーラで作られたデブのひきこもりに違いない。
 だけども、例えそんな体型でダメな生活を送っていたとしても、この世界でHALがすごいのは間違いない。それが実力と結果の世界だ。そう、勝利は実力の全てだ。だからこそ、HALに勝ちたい。
 コウジは反応速度も戦術知識もあるわけじゃない。でも、この世界で戦える実力はある。少なくとも自分はそれを信じていたし、GKというプレイヤーの最近の戦績もそれで形作られていた。

 ああそうさ。ここで実力を見せつけないで、いつ見せる。
 コウジは銃をしっかりと握り直した。いや、「握り直す」行為をしてみせた。
 自分を中心に味方しか表示されない左上の位置付きマップをちょうど重なり隠すように、新しい画面が表示された。画面の名前は《オール・チャート》。表示された0%のローディングインディケータがあっという間に100%を指した。それはゲーム通信で使われている暗号を瞬間的に破ったことを示していた。
 間もなく、先程隠したのと同じレイアウトのマップ情報が表示された。そこには通常表示される味方プレイヤーの青い点の他、通常は表示されないはずの敵プレイヤーが赤い点で描画されていた。
 チートアプリだ。そういうものが作れるのが自分の「実力」である。
 こんなんなら初めっから使えばよかったぜ。と今度こそ心の中で悪態を吐いた。
 だが、表示された光点の位置は容赦なかった。もう一人の味方の青い点にそろりそろりと赤い点が近づいていた。
 チートという根拠を出して、HALが近づいている!なんて言えるわけがない。適切な忠告を送る、その少しの逡巡が命取りとなった。
「合流急ぐぞ! 敵の急襲にも気を付けろよ!」
「ああ、もちろ」
 タタンという短い銃声とドサリと体が倒れこむ音が同時に無線から聞こえた。
 右上を見た。チームメンバーのプレイヤーの名前と国籍のドイツ国旗がグレーアウトしていた。
 あっという間に1vs1に持っていかれた。
 HALは凄い。素直にそう思うしかなかった。グローバルネットの掲示板では派手な戦闘での勝利が褒め称えられるが、本来の持ち味はその高い戦闘能力に裏打ちされた奇襲や弱点を的確についたクレバーな攻撃だ。それゆえの極めて高い勝率だ。
 デブ戦士、中々やるじゃねーか。リアルを知らぬHALを勝手に想像して、心の中で侮辱半分の褒め言葉を作る。
 チートで敵位置を確認する。HALは索敵のためか左右を確認しながら、自分から遠ざかるように移動していた。
 後ろからの急襲はいける。そう判断して、注意深く森の中で間合いを一気に詰めた。

 木々の向こう側にHALの背中が見える。同時に手前の窪みに身を隠した。
 装着された手榴弾のピンを外し、右手で力を込めて握る。これもチートジェスチャーだ。最後に目視した標的に対して、最適効率で投擲を行う機能が発動する。今日お披露目の新兵器だ。
 体の感覚が無くなるのを感じる。投擲チート機能に体の操作権限を奪われる。体が自分のものではないことを認識しつつある奇妙な感覚のまま、第二の安全装置であるレバーから指は勝手に離れ、爆発のタイミングを調整するかのように数瞬の間を空けた後、しゃがんだ体勢でプロ野球の捕手並の投球モーションが実行に移される。
 瞬間、HALがこちらを振り向いたのが見えた。
 ――この一瞬でも認知すんのかよ……。
 指先から手榴弾が離れた直後、チートアプリから体の操作権限が返され、金縛りから解けたような感覚を手に入れる。投球終了の姿勢を惰性で取りながら、手榴弾が木々の隙間を全て通り抜け、奇跡のような放物線を描いているのを目で追った。避けようとしたのかHALが動く姿も目に入った。
 あれで回避が間にあうはずがない。
 コウジは投げ終わった態勢から倒れ込むように伏せた。前方で爆音が轟いた。手榴弾はおそらくドンピシャのタイミングで爆発した。
 顔も上げずに右上のプレイヤーリストをチェックした。だが、HALの名前はグレーになっていなかった。
 ――マジかよ。
 しかし、さすがにダメージは受けているはずだ。これで止めを刺せば勝ちである。急いで起き上がり銃を向けた。
 ゲーム的な演出か、過剰なぐらい煙が立ち込めていた。闇雲に撃つつもりは全くない。コウジは右小指を動かすジェスチャーを行った。位置情報を元に一番近い敵プレイヤーに対して自動照準が行われ、自分の意思とは無関係に少し銃口が左下に移動した。
 コウジは軽く引き金に力を入れた。
 下品な音が響き渡り、一瞬にして、数十発の銅メッキされた鉄芯の鉛弾がぶっ飛んでいった。
 しかし、【YOU WIN!!】というアナウンスは無い。
 弾倉は空になったが、交換して連射を続けたところで埒が明かない。様子見のために手を休めた。
 その瞬間、煙の向こうからマズルフラッシュが見えた。常時有効になっている攻撃の自動回避チートが発動した。全身の感覚が再び無くなる。自由の利かない体の中で、昔の映画にあったらしい、最短距離で銃弾を避けるための背を反らしての回避が行われつつあることを感じていた。
 体が勝手に銃弾を避け始め、自由が効かない中、コウジはHALの実力を再認識していた。さっきもこのチートが有効であったにも関わらず、自分にダメージを与えたのだ。ダメージを受けたのは自作チートのバグかと思ったが、そうではないだろう。最適な動きをしてもなお、軽傷ならば与えることができる、そんな攻撃をHALがしてきたと考えるのが自然だ。
 しかし、今のはそれに比べたら単調な五発連射だ。華麗に避けて、自分の体に力が戻る。
 先ほど、身を隠していたくぼみにバックステップで下がり、全身を隠し銃を向ける。
 煙が空けた先には発煙筒を持った奴がいた。煙に紛れての奇襲は作戦だったようだ。全部、避けてやったけれど。
 だが、どう見ても奴も無傷だ。なわけあるか。と思ったが手榴弾の爆発痕が予想よりも遥かに直前だ。おそらく、飛んでくる手榴弾を撃ち抜いたに違いない。
 それでも、爆発のダメージを受けるとは思ったが、奴の足元に手榴弾の破片痕と十数発の銃痕が付けられた機関銃が転がっており理解できた。それを盾に攻撃から身を守ったのであろう。なるほど。と納得、できるわけねーよ。そんなことできんのかよ。
 しかし、今必要なのは冷静さだ。こっちは軽機関銃をまだ装備している。あっちはチッコイ拳銃だ。さらに自分はチートの自動照準も有効だ。これは勝てる。
 思ったのも、つかの間のことだった。HALは拳銃を連射して突っ込んできて、こちらは自動制御で全弾回避。だけども、間合いは詰められて、回避不能なゼロ距離で射殺。
 ポカーンとしている間に【YOU LOSE!!】という結果表示が情けないぐらいデカイ文字で目の前に踊った。

 幾許かぼんやりした後、ため息をつきながら、リンク・アウトと発声するとチートアプリごとゲームは終了され、四畳半の自分の部屋の勉強机の前に帰ってきた。
 椅子にもたれかかったまま、間接照明で白く光る天井を見上げて呟いた。
 ――何だあれ。強すぎだろ……。



[31282]
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/01/23 00:45
 ニューロリンカーの交通予測ナビは劇的に事故を減らした。
 横断歩道を赤信号で渡ろうものなら、ポップアップとアラート音が全力で注意してくる。そんな警告が歩きながらの二度寝をしているコウジを叩き起こした。ふぁー、っと間抜けなあくびをしつつ、向かう先は学校である。
 ナビに文句を言われるほど、ぼんやりしているのは寝不足のせいだけはない。未明の敗戦で頭がいっぱいだからだ。的確に飛んできた手榴弾を回避し、機関銃の連射も捌いて、ピストル一丁で相手に突撃して、ゼロ距離射殺で大勝利!(HAL視点)という結末は、正直なところ納得できない。
 しかし、一方で理解はしている。限りなく速い反応速度があれば、回避は不可能ではないし、敵との武器差が大きく、相手が回避を得意としていれば、先手必勝で突撃し接近戦とすることでイーブンの戦いに持ち込む戦略は悪くない。
 それにしても、あんなに強かったのは想定外だ。あれに勝てるようにするチートは何だろうな、と自問するが答えがパッと出てくるわけではない。
 そんなことをぐるぐると考えているうちに、教室の自分の席に着いた。
 腰掛けた瞬間、綺麗サッパリ忘れていた一時間目に提出しなければならない宿題を思い出した。
 コウジは右手を動かし、何日か前に教師が送ってきた宿題の圧縮ファイルを開いた。十枚近いプリントが目の前にどどっと出現する。どう考えても、あと十五分では終わらない分量だ。
 困った気分で顔を上げると、クラスで真面目で通じるオタクが既に来ていることに気づいた。
 コウジは斜め前に身を乗り出す。
「りーやん、りーやん。スマンが宿題コピらせて」
「あ、おはよう、ご、五島君。い、いいっすよ」
 ちょっとキョドったチビな彼は学内ネットを通じて、回答済みの宿題ファイルを送ってきた。
 普通の学校であれば、宿題にはコピープロテクトがかかっている。だが、コウジの学校ではかかっていない。去年のゴールデンウィーク前、つまり入学して三週間後、コウジは宿題のプロテクト解除アプリを作ってバラ撒いた。その後の三度のアップデートを物ともせず、プロテクト解除アプリを配り続けた。結果、今ではプロテクトをかけるのを諦めたのだろう、というのが現状だった。
「サンキュー、マジ助かる」
「で、できれば、今度発売されるゲームの、プロテクトを解除して欲しんすけど」
 コウジは「いいよ」と二つ返事で返した。ゲームに限らずリンカー用アプリのプロテクトは、固有脳波のチェック等、いくつかのポイントを誤魔化すだけで大抵の物はどうにかなる。それはコウジにとって、ごく短時間で片付けねばならないこの宿題より楽な作業であった。

 コピーした宿題を提出した後、コウジは授業なんて聞いているはずがなった。授業なんてバカバカしい。ニューロリンカーの登場が中途半端な勉強の不要にしてしまった。
 暗記はデータベースから引っ張ればいい。会話レベルの語学や教養レベルの数学はグローバルネット上から無料で利用できるAIサービスに肩代わりさせればいい。
 それなのに、旧態依然とした学校は木を使った火の起こし方を教えるような錆びた知識のつめ込み工場をやっている。それに反発する奴らも、巨大企業の言うリンカースキルの重要性を唱えるばかりで、それが所詮、リンカーの利用者であり従順な消費者であることに気づいていない。
 人が本当に伸ばすべきところは、リンカーから触れられない世界、外見や腕力、それかリンカー提供側になれるだけの頭脳だ。だけども、そういう風な尖った才能を伸ばそうという本気さは学校に存在しなかった。
 そんなことを思っているからか、無意味だと思っている授業は上の空に、コウジは電子ノート上でせっせと、HALを倒すために必要なチートの検討とソースコードの設計を行なっていた。
 気づけば、帰りのホームルームが終わろうとしていた。日直の号令が聞こえ、慌てて立ち上がり周りにあわせて礼をする。
 坊主のやる気ある運動部の生徒を先頭に、部活に熱心な順に教室から出ていく。それを追いかけるように教室から出た。
 コウジは中二で身長は170ちょっとある、ひょろっとしたモヤシっ子だ。もしも、去年の入学時に運動部に入ったりしておけば、今とは違った生活が送れたのかな、とも思う。ただ、あんな事件の関係者の関係者ぐらいの立場になってしまった、ということを考えれば、目立つのを避けるためにも仕方がない、という言い訳で自分を納得させていた。
 これ以上は親への愚痴になりそうな思いが充満したところで、キューッとお腹が鳴った。集中して考え事をすると昼飯ぐらい簡単に忘れる。それ故の貧相な体かもしれない。
 購買で何か買うにしても、部室に先に行った方が荷物を持って階段を昇り降りしなくていい。そう考えて、階段を一つ上がったところの三階のリンカー部部室に向かった。

 リンカー部は三年か四年上の先輩が作った「最先端技術のリンカーを使いこなすことで技術リテラシーの向上を目指す」という名目でリンカーゲームを遊ぶクラブ活動である。
 特に卒業した残念先輩(もちろんアダ名だ)が部室に密かにグローバルネットを引きこんでからは、ゲーマーの巣窟と言える環境が特に強くなった。
 部員に配布されているインスタンスキーを使い部室という名の完全ダイブ室のロックを解除する。
 電気はついておらず、誰もまだ来ていないようだった。スイッチを入れてから、一番近くの椅子に体を預け、床に落ちている赤いXBSケーブル(校則破りなグローバルネット接続用)を拾い上げた。自分の首元のニューロリンカーに手早く挿し、視界のバーチャルな画面にグローバルネットの巡回先を表示した。
 完全ダイブでないため空腹は感じるはずだが、遅い昼飯を買いに行くことすら忘れて掲示板を読み漁った。
 真っ先に目に入ったのはHAL最強伝説とタイトルが付いた文章だ。箇条書きの最後に「手榴弾の空中爆破は余裕。機関銃連射の全回避も華麗にこなす←New」なんて書かれていた。でも、それは目的とするものではなく、さらにコンテンツをめくった。
 すぐに目的のものは見つかった。
 未明のHALとの対戦の操作ログだ。全世界のプレイヤーから大量の返信がついていた。日本語翻訳AIを起動しつつ眺めていく。自分の無駄に華麗な銃撃回避について、いくつか言及されていた。「ここまで技能があるなら勝てよ」という意見には納得するしかなかった。
 だが、それ以上にもっとも言及されていたのは、やはり、手榴弾回避から始まる一連のHALのプレイだ。既に手榴弾回避部分を切り出したMODが作られていたが、それをプレイした人からは「あれを回避はマジキチ」「来るとわかっていてもノーダメージは無理」という意見が投げ込まれていた。
 ――そのはずだよなぁ。
 正直、あの正確な投擲を完全に回避することは考えていなかった。
 一瞬、HALもチートかと考えた。だが、その考えはすぐに捨てた。ゲームチート制作で世界トップクラスの技能を誇る自分が作った、最適な回避ですら瞬間的にリンカーの性能限界まで使っているのだ。もし、手榴弾の空中爆破のような攻撃的防御を操作補助AIで実現しようとすれば、計算量が爆発的に増えるので、現状不可能と表現できるほど実現は困難なはずだ。
 ただ、仮にHALがチートであったところでやることは変わらない。より強い攻撃で叩き潰すまでだ。それが自分の実力を見せる最良の方法だからだ。
 ガラっと扉が開く音が聞こえた。「おーっす」とか「うぃーす」という間抜けな挨拶が聞こえたので、視線だけ向けるとリンカー部の野郎二人がいた。挨拶として軽いお辞儀で返すと、二人はテーブルを挟んで向かいにある適当な椅子に腰掛けた。それぞれが《完全ダイブ》とコマンドをつぶやくのが聞こえた。
 再び、自分の世界に戻る。
 相手が回避できない攻撃、例えば、相手の回避行動をも予測(という名の全行動シミュレーション)した上での、最適攻撃を算出するなどは、HALがチートでない理由同様、リンカー上ではまず無理だろう。専用計算機を使えばリアルタイムでできるのかもしれないが、そんなものを持っているわけもない。
 ふと、一つのアイディアが閃いた。同時に複数投げればいい。それも投擲時に工夫して異なる軌道で投げ込む。確率的手法を用いれば、敵の移動先推定は高速に計算可能であり、それを踏まえた上で投擲軌道を選択すれば、完全回避はさらに難しく実質不可能になるはずだ。
 これなら、今の手持ちのコードと授業中に検討したいくつかの要素の組み合わせですぐ作ることができる。さすがに、これすら回避されたら、そのときこそはゼロからの再検討となるが、現状の費用対効果を考えればベターな作戦である。

 すぐにプログラミング用の黒背景のコンソールを立ち上げる。視覚の右には授業中に作った電子ノートの計算メモ、左には関係者が流出させたゲームエンジンの仕様書を表示させる。
 その時、何か、というか誰かが自分の前に来たことに気づいた。ニューロリンカーの拡張現実情報表示エンジンの表示するウインドウは視覚の全てを埋めていたが、ウインドウはうっすらと半透明であり、おぼろげながら向こうの様子がわかるからだ。
 そいつは人がぼんやりしているかを調べるがごとく、目の前で手の平を振っているようだった。ちょうど作業に入るところだったので、ウインドウを退けようとは思わなかった。反応がなければ、待つのがマナーだ。コウジはひとまずそれを後回しにすることにした。
 その直後だった。その人物はコウジの首元にすっと白い細い指を伸ばした。
 あっ、と思った瞬間、セキュリティソフトによる不正な切断操作を通知する警告ダイアログがポップアップする。その後、その手はリンカー本体に手を触れ、揺らし始めた。リンカーの安全機構が働き、開いていたウィンドウが全て落ち、ピンぼけした現実が目に映る。
 リンカーを触る手をパンと払いのけると、リンカーはその機能を取り戻したかのように、目の前にいる奴にピントをあわせるように視覚を調整し始めた。
 コウジの視力は悪い。だから、リンカーで補正された視覚でなければ、人の顔もわからない。だけども、こんな無茶苦茶なことをする奴は一人の「先輩」ぐらいしか想像できない。コウジは視覚補正の数フレームを待たずに言った。
「いきなり抜くアホがどこにいるんですか!」
「ここにいるよ?」
 疑問形で返してきたコケティッシュな声をあげた人にピントが合う。予想通りだった。
 黒のローファー、紺のハイソックス、濃い緑のチェックのスカート、白いシャツ、紺のブレザーに彩りの赤いリボン。学校指定の制服を「オシャレを考えるのが面倒だから」という周りに恨まれそうな理由で指定通り違反なく着ている、生まれながらの大いなるアドバンテージによって、飛び切り可愛いと評される女子生徒。リンカー部部長で一年上の先輩、上城詩音(かみしろしおん)が引っこ抜いたケーブル片手に立っていた。
「そうですよね……詩音先輩、アホですもんね……」
 コウジが視線を外しながら、ため息混じりに言うと、詩音は言い返してきた。
「この前、ヒザをアゴに入れたら、『二度とそんなことすんな!』って怒ってたから、今日は素直にケーブルをひっこ抜いたんだよ?」
 セミロングの髪をふるりと揺らしながら、可愛らしい声が発した内容はいつも通りの滅茶苦茶さであった。
 コウジが以前指摘したのは、「緊急時以外に他の人のリンカーに不正な操作の類はするな」という内容だったはずだ。
 膝蹴りとの比較は常識でなくてもおかしい。とはいえ、そのおかしさに気づかない先輩なのだから、「作業中の相手にはメールで連絡するように」と言ったところで無駄であることに気づくべきだったのだ。
「……だから、アホって言われるんですよ」
 プーっと膨れてくるが、コウジは相手にしなかった。以前、「狙ってやっているわけじゃないよー」と嘘か本当かわからないことを言っていたが、どうであれ、こういう仕草の先輩は普通に可愛い、なんて思ってしまう。
 少し緊張しながら、コウジは言葉を付け加えた。
「ま、まあ、完全ダイブ中じゃなかったんで、別にいいんですけどね」
「え? 完全ダイブしていなかったの?」
「なもん、目開けてやる奴とかいませんよ!」
 先輩は自分の返答に心底驚いた様子で、目を丸くしてこちらを覗き込んできた。顔が少し近い。
「でも、五島君、割と目開いてフルダイブしているよ?」
「マ、マジすか?」
 そんなコウジの答えを聞いて、詩音はパッと離れて、首を傾げて、満足そうな表情を浮かべた。
「嘘ぴょん♪」
 いつも通り平常運転の上城詩音に、コウジはそれはそれで安心した。



[31282]
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/01/23 15:30
「で、何ですか? 宿題教えて欲しいとかですか?」
 詩音先輩は黙ってさえいれば、キリッとした雰囲気で知的な美人に見える。だけども、現実は非情であり、コウジ含めリンカー部の面々は、そのレベルが後輩に宿題を聞いてくるレベルの頭脳であることを知っていた。
「宿題もあるんだけど、それより、ちょっと協力プレイを頼みたいゲームがあるの」
 前半はいつも通り。しかし、後半のゲームの協力を求めるのは珍しい。詩音は部長だけあって、プレイ技術は高いからだ。
 まず、反応速度は相当すごい。部の中でもトップクラスだ。早撃ち勝負なんかはめっぽう強い。それに根気はとんでもないぐらいにある。こちらは部の中でトップだろう。地道なレベル上げとか黙々とできる。この調子で勉強も、とは言わないけど。言っても無駄だし。それゆえか、戦略性はゼロ。
 それらから想定できたゲームのジャンルをコウジは挙げた。
「RPGですか?」
 つい先日も「最強装備のはずなのにラスボス倒せないんだけど!」と言ってきて、RPGのソロプレイを観戦することになった。そもそも、倒せないソイツは表ボスでラスボスではないというツッコミは置いておいて、「保険」と称して全員全回復の燃費の悪い呪文を毎ターン唱えるやら、「エフェクトが綺麗だから」という理由で最強魔法(敵の相性とレベルの関係でただ殴るよりはるかに弱い)を連発したり、と攻略する気が無いだろ!というレベルで戦略というものが存在しなかった。「このキャラ、美人じゃないとシンドイだろうなぁ」なんてことをあの日は思った。
 そんな回想はとにかく、詩音の答えは少し意外だった。
「違うよ。タイカクゲーだよ!」
 タイカクゲー、ってなんだ? いや、ゲームなのは間違いないから、どういうジャンルだ? タイカクってどうやって書くんだ? 少しばかり頭を回転させて、正しい漢字変換に気づいた。
「ああ、対戦格闘ゲーム……ですか。それまた、随分レトロなジャンルですね……」
「でも、超凄いんだよー」
 こういう風に先輩から誘ってきたゲームにハズレは……結構あったが、こう薦めてきた先輩はテコでも動かないので、コウジの返答は一択しかなかった。
「んじゃ、ください」
 返事を聞くやいなや、詩音はケーブルを自身のピンクのニューロリンカーに挿そうとした。が、コネクタが見えないからかうまく挿すことができず、あたふたする。そんな可愛い様子を見ながら、「ローカルネットを通じて送れば、すぐだよ」と指摘してあげるべきかなどと考えた。
 詩音が準備している間、自分のニューロリンカーに有線で挿してくることになるので、コウジは念のためセキュリティーを再確認した。通常、有線接続は防壁の九割が無効化されるが、そのようなデフォルト設定はいくら利便性のためとはいえ危険過ぎると思っていた。そのため、コウジは普段からセキュリティーソフトで防壁を有効にし、無線接続と同じセキュリティーレベルとなるようにしていた。
「はい!」
 ようやく準備の整った詩音がXSBのコネクタを渡してきた。コードを受け取り、自分の鈍色のニューロリンカーに手際よく挿し込む。
 《リミテッド・ワイヤード・コネクション》という警告をすぐさま閉じ、次のアクションを待った。詩音は指先で投げる仕草を繰り返すものの何も起きなかった。半分涙目になりながら、思考発声の声が頭に響く。
『直結しているのにセキュリティーレベルが足りないって……』
『そりゃ、当然、無線接続と同じセキュリティーレベルにしていますから』
『このゲーム、直結じゃないとコピーできないの!』
 ローカルネット経由では送れない代物であることがわかった。そんなセキュリティーレベルを要求するソフトウェアにまともなアプリケーションなんてほとんどない。コウジは至極当然の対応を選択する。
『そんな怖いもの入れたくありませんよ!』
『お願い! 入れたら凄さがわかるから!』
 もう少しマシな説得の言葉が欲しいが、先輩の頭だと期待できない。細かい事前の情報を聞くのも、同様の理由で難しいだろう。涙目のままムッと膨れて、『なんか失礼なこと考えていた!』とか聞こえたが、事実なので仕方ない。
 ここで無碍に断れば、こっちが折れるまで、ずっと機嫌が悪い状態が続くだろう。
 小さく自然なため息をついた。
 自分のリンカーで行なっている、ネットワークを通じたホームサーバーへの自動バックアップの最終時刻をチェックした。先ほど、グローバルネットに接続していた時に行われていたらしく、十分ほど前の時間だった。
 好奇心がないわけじゃない。少なくともリンカーのリカバリを行う面倒さは上回っている程度にだ。
 おそらくインストーラーの出来が悪いのだろう。諦めてセキュリティーレベルを下げた。送るようにと指でジェスチャーすると、詩音はにへっと笑って、投げる仕草をした。
 直後、一つのファイルが送られてきた。そのファイルは通常の受信のフェーズをすっ飛ばして、ぽーん、というビープ音とともに、ホロ・ダイアログを表示した。
【BB2039.exeを実行しますか? YES/NO】

 その表示にコウジはフリーズした。
 YES・NOの二択ダイアログを表示したまま、海外製のセキュリティーソフトによる、全体が赤で強調されたド派手なポップアップが見栄えとは逆に多少遠慮気味に右下から現れた。
【OSアップデートファイル「BB2029.exe」は管理者権限での実行を要求しています。ソフトウェア要求権限:全て/ハードウェア要求権限:全て】
 つまるところ、先輩が送ってきたゲーム(?)BB2029.exeは、OSレベルで何かの書き換えを行う怪しいアップデートだということだ。パッチ名が実行ファイルに偽装しているあたりにタチの悪さを感じる。
 さすがにこの表示を見て、安直にYESを押したりする気はない。既に防壁を解除してしまった状況ではあったが、コウジは聞かざるを得なかった。
『これ、ウィルスじゃないんですよね?』
『違うよ!』
 思考発声は自信満々に聞こえたが、何の根拠も示される様子はなかった。
『正直、不気味だからインストールしたくないんだけど……そっちのリンカーに接続して、観戦するとかじゃダメですか?』
『無理! でも、スゴイゲームだから、安心してインストールして大丈夫!』
 何が大丈夫なのかさっぱりわからず、反応に困る。固まっているコウジを気にせず、詩音は握り拳を作って語気を強めた。
『現実の千倍のスゴイ速さで動くスゴイ格ゲー! しかも、一回しかコピーできないスゴイレアゲー!』
 コウジはボヤキにも近い口調で『わけがわからないよ……』という言葉を本音とともに引きずりだすのが精一杯だった。
 一回しか実行できないというのは、(こういう使い方をするとは聞いたことがないが)OSの個別アップデートファイルの機能としては仕様通りだ。意味がサッパリわからない「千倍」も断片的には合っているのだろう。スゴイの連発でほとんど情報が増えていない状況ではあるが、いつも通りといえば、いつも通りである。
 これ以上の詳細は諦めて、もうちょっと意味がありそうな情報を引き出そうとする。
『これ、どうやって手に入れたんですか?』
『マサミンに貰った!』
『ああ、残念先輩ね……』
 去年卒業した学年には、超がつくレベルのイケメンが五人いた。その一人が前リンカー部部長にして、部室にグローバルネットを引き込んだ人、残念(なイケメン)先輩こと澄田正己(すみたまさみ)である。
 リンカー部所属である時点で十分に残念であるが、名前の代わりに呼ぶのはそれなりのエピソードがあるからだ。
 電車に乗るとほとんど毎度、「なんで、満員じゃないのかなぁ」とボヤいていた。この時代において、通勤ラッシュは相当に緩和され、乗車率が100%を超えることは稀であった。それをこの人は、満員電車の中でフルダイブで痴漢ゲームがしたいからという理由で混雑を求めていた。正しく残念と呼ばれるべき異常者である。
 そんな残念先輩から貰ったということを聞けば、ほぼ確実にBB2029.exeはゲーム、それも真っ当に真っ当ではない人向けであると言えるだろう。
 もし問題があったとしても、今晩中にリカバリを行うバックアップも心も準備はできている。さらに言えば、新手のウィルスの解析もキライじゃない。ついでに理由をつければ、別にニューロリンカー自体はセーフティーが働くので、大昔のように死に至るどころか人体にも影響はないとされている。いや、何年か前に過負荷を与えて、火傷させた事件はあったけれども。
 結局のところ、答えは決まっていたようなものだ。
 アホみたいな実行権限を求めていることを警告してくれたポップアップを閉じて、インストーラーのダイアログのOKを叩いた。
『はいはい、入れますよ。というかOK押しました』
『ありがとー!』
 半透明のダイアログの向こう側に見えた詩音は、コウジの逡巡なんて何も気にしていなかったような天真爛漫な笑みを作っていた。
 OSアップデートファイルと思えば不自然だが、ゲームのインストーラーであればありがちに、スプラッシュ画面が表示された。火焔が渦巻き文字を形作り、タイトルロゴとなった。
 《BRAIN BURST》。
 ダセェ、とコウジは心の中でボヤいた。この古臭くて時代遅れのロゴを見て、この感想を抱かないわけない。それゆえ、すぐに飽きて消すんじゃないのか、と思った。
 だが、これこそがコウジにとって、もっとも長く取り組み、人生において最後のゲームとなるプログラムとの出会いだった。

 OSのアップデートにしては短い三十秒ほどでインジケータ・バーが100%となった。
 ロゴが燃え尽きるように消滅しながら、《ウェルカム・トゥ・ジ・アクレラレーテッド・ワールド》という英語の文字を残り火で作ったかと思えば、それもすぐに消えた。
 幾秒か待ったが完了を通知してくる気配はない。どこまでも怪しげな出来の悪いプログラムである。
 これ以上待っても仕方が無いので、コウジは見切りをつけて詩音の方を向いた。
『インストール終わったかな』
『みたいだねー。よし、じゃあ、起動しよう! 音声コマンドは同時に言ってね』
 コウジの気持ちの準備は完全に置いてけぼりで、詩音はいつも通りの気の早さを見せた。
『はいはい』
 と、呆れながら返事をする。
「いっせいのせ」
 詩音は握りこぶしを作った左腕を、胸の前に素早く構える。
 一瞬、ポーズも真似するべきかと思ったが、音声コマンドだと言っていたことから、相手にしない。
「「《バースト…」」
 左腕を腰に戻しつつも、右手を天に突き上げる。そのまま、指パッチンをしながら、続きを叫んだ。
「「…リンク》ッ!」」
 コウジはポカンとしつつ、聞いた言葉の通りに口を動かしながら、言葉を合わせた。

 バシッッッ!という衝撃音と共に認識している世界の色が抜け落ちていった。間もなく視界は透き通った青色に統一された。
 目の前には、昔のヒーローの変身ポーズとでもいうべき格好を取りながら、凛とした表情で何かを口走ろうとした、クリスタルなブルーで全身が構成された良いスタイルの少女がいた。
 コウジは呆れながら、自分の顔が見てみたいという気分で振り返ってみた。そこには想像通り、同じ言葉を喋ろうと同じ口の形をした、呆れた表情のひょろっとした少年が同じく透明度の高い青で構成されていた。そう、構成されていた。振り向いたら、構成されているのがわかった。
 そんなバカな、とコウジは心の中で叫んだ。自分の視覚で自分を観測するなんて、光がねじ曲がる高重力下か高次元平面でなければ、ありえないはずだ。
 手を見た。
 そこには肌色の自分の本当の手ではなく、青く透き通った何かで構成されている手でもなく、アッシュグレイの毛が生えた肉球も備えた動物的な手が備わっていた。
 同時に目に入った自分の体つきは、灰色に近い茶色の毛が生えたウサギのお腹であった。
「そういうことか……」
 コウジは中身がほとんど無い詩音の言葉と現状の観測から、一つの結論を導き、納得するがごとく呟いた。



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Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/01/24 09:21
 そのとき、変身ポーズの先輩の後ろから、クスクスと笑い声が小さく聞こえた。
 自分の分身であるアッシュグレイのウサギ型アバター同様、この青い世界で浮いている存在がいた。
「さすがね。ここに来て、ほとんど何も疑問に思わないなんて」
 そんな言葉と共に、本来の先輩の背後から見たこともないアバターがスルリと現れた。
 ピンクを力強くした、つまり少し彩度が落ちた色で構成された女性的なシルエット。フードが付いたノースリーブのワンピースとも言える格好で、ショートカットな髪型がフードからはみ出して見える。だけども、そこにあるフェイスマスクには口も鼻もなく、大きな緋色の目だけが存在し、それがアバターであることを強調していた。
 でも、顔面部に目が行ったのはそこまでだった。それよりはるかに目立つパーツがあった。身の丈ほどの大きなメカメカしい手のひら、甲には大きなトゲが幾つか付いた、そんな巨大な機械がアバターの両腕に装着されていた。
 普通に手を下ろして立っている姿に過ぎないのに、その重そうなピンクの手甲とでも呼ぶべき金属塊は地面につき、表情の読み取りにくいアバターの顔つきも相まって、如何にも気だるそうで、攻撃的であり排他的な雰囲気しか感じられなかった。
 だから、確信を持てない口調となった。
「……詩音先輩……ですか?」
 コウジのそんな疑問の言葉に、ピンクの巨大機械腕アバターはその大きな手のひらを自らの鳩胸の前に移動させた。だらりと自然体を取っているとあまりにもぶっきらぼうに見えるから、と思っての行動のように見えた。でも、それはアバター自身が発している重たい雰囲気を打ち消すには至らなかった。
 アバターは目を少し淡く光らせて、ようやく軽く微笑んだような印象を与えて、声を発した。
「そうですよ、コウジ君」
 現実では珍しい、落ち着き払った先輩の声だった。
 だけども、その返事を聞くやいなや、コウジは、嫌悪感をあらわにした表情をウサギに作った。
「名前で呼ばないで下さい」
 吐き捨てるようなコウジの言葉に慌てて返事が戻ってきた。
「あー、ゴメン。五島くーん。それとも、GK? それとも、…」
 そんな様子を見ると、コウジの中での不快感は消えていった。でも、それでも、名前は嫌だ。
 笑うようにウサギの鼻を鳴らしながら言った。
「いつも通り、五島でいいですよ」
「え? 何? 何がおかしいの?」
 体に似合わぬほど不恰好に大きな両手で口元だけを器用に少しだけ隠して、そのアバターはオロオロとした態度を取った。先ほどまでの刺々しい空気は一気に吹き飛んだ。
 コウジは笑いを堪えるようにして言った。
「アホなのに、気取ったキャラ作っている詩音先輩は本当にキモいなぁって」
「うぇー……ヒドイよぉ……」
 そう言いながらも、詩音のアバターは笑っているような雰囲気を作っていた。

「で、こんなところですかね」
「スゴイ、大体当たっているよ!」
 コウジが予想を話している最中、詩音はずっと頷いていた。そのほとんどは「うんうん、マサミンもそー言っていたよ」というイマイチ理解していないんじゃないのかと思える肯定ではあったが。
「とりあえず、ソーシャルカメラの情報を抜き取っているということが、一番驚きました」
「えー? 千倍の方が凄くない?」
「それは当然凄いです。でも、凄すぎてどうやっているか含めてちょっと想像がつかない。予想できるところの予想を超えてこないと凄さって理解できないですから」
 コウジは、この世界がリンカーのプロセッサ上で作られたバーチャル空間であるという結論を出していたが、その映像ソースは何らかの方法でクラックした周囲のリンカーの付属カメラから得ていると考えていた。個々のリンカーの方がソーシャルカメラよりもセキュリティーのレベルが低いからだ。
「しかし、ソーシャルカメラのクラックは、本当、どうやっているか気になりますね。僕も調べたことがあるけど、あれは――」
「おーい、帰ってきてよー」
 趣味的な思考に突入しようとしたので、目の前で水色の動物的な手、つまり例のピンクのデカい機械腕アバターからは既に変わっているわけだが、その手のひらをブンブンするのをやられた。
「スイマセン、先輩」
 ウサギコウジはコアラ詩音に謝った。大きさが違って気持ち悪いと言って、早々に詩音のアバターをピンクのアレから、普段使っている水色のコアラに変えさせたのだ。
「で、えーっと、これ対格ゲーでしたっけ。どっからキャラ選するんですか」
 チッチッチと言いながら、詩音先輩の手によって各種のパラメータがいじられた結果、常に表情がぼんやりしている赤鼻のコアラは右人差し指を振った。
「このゲームにキャラ選択は無いのです」
「ということは、キャラエディットですか」
「ううん、自動生成だよー。《親》のマサミンは『プレイヤーのコンプレックスがアバターを造る』って言った」
 この言い方だと、多分、先輩は自動生成の法則とか何もわかっていないのだろう、とコウジは一人で納得する。
「なるほど。で、色があんなにファンシーで、キャラも可愛い感じなのに、装備は暴力的で強そうなアレを引き当てたんですか」
「えー、そんなに強くないよー。色と形状が合っていないんだって。遠距離攻撃の赤系なのに形状は近距離攻撃っぽいからちょっと微妙らしい」
「ふーん」
 コウジは素っ気ない返事をして、少し考え込む。情報の優先順位をつけて、聞くべきことの方向性を固めた。
「で、対格ゲーってことは、敵プレイヤーとは現実で遭遇する感じですか?」
 コウジの予想を聞くと、詩音のコアラアバターはこちらを指さすポーズを作った。
「その通りです!」
「さっきのメカっぽいキャラクターで戦うと」
「そうそう!」
 コアラはオモチャみたいにコクコク首を縦に振る。アバターを戻させて良かった。動きがいつもの先輩らしいアホっぽいキャラクターに戻ってきて、安心感がある。
「そんな対格ゲーで協力って何ですか? キャラ選無いなら、練習も難しんじゃないんですか?」
「うんにゃ、練習じゃないよ」
 ウサギの前でポーズを取るのに疲れたのか、コアラは一息つくようにちょこんと座った。
「練習じゃないとすると何かトラブっている……。課金で無茶苦茶な請求額がきているとかですか?」
「そんなんじゃないよー。多分、無料だし」
 詩音は予想したトラブルを否定した後、視線を所在なさげに彷徨わせた。自分なりに話をまとめようと情報を整理しているようだった。コウジは急かすのをやめた。
 コアラは表情を変えずに幾分か考えて、そして、言葉を発した。
「このゲームって、遊ぶのに支払うものがあるんだよね」
「何ですか?」
 詩音は人差し指をビシッと立てた。
「バーストポイント1ポイント分」
「はぁ」
「プレイヤーは最初からバーストポイントを100ポイント持っているの。で、相手に対戦を申し込むのに、ここのフィールドに来る必要があるんだけど、それで1ポイント使うことになるの」
 声のトーンが下がっていったところか、これでわかるかなという不安を持っているのだろう。わかっていること示すためにコウジは例示で返した。
「つまり、僕のポイントはさっき100、今99ってことですか」
 伝わっていたことを安心したかのように、コアラがキリッとこちらを向く。
「そうそう! それで、このポイント、対戦で勝つと増えて、負けると減る。無くなるとゲームオーバー」
 この言い方だとポイントも買えるものではないだろう。「それで」とフカフカしているウサギな顎をさすりながら、コウジは促した。
「あと、キャラを強くするためのレベルアップとか、多人数格闘フィールドに入るとか、現実空間にいたまま意識だけ加速するとか、ポイント使ってやるの」
 コウジは「ふんふん」と一瞬、聞き流すところだった。
「え? 意識だけ加速とかできるの?」
「うん、そうだよー。ゲームと関係ないからコマンド忘れちゃったけどねー」
 あはは、と笑う詩音に、コウジは呆れ顔を作りながら「そんなことだろうと思った」と言うと、それが不満だったのか、青コアラは頭を抱えて唸り始めた。
 頭を抱えながら、体を捻り始め、怪しいポーズになり始めたので、コウジは止めに入った。
「いや、今知りたいことではないんで、別に思い出さなくていいんですが……」
「大丈夫、この辺まで出ているから」
 詩音は頭の辺りを指さしながら、思い出そうとしていた。絶対、そこまで来ていない、とコウジは思った。
「ナントカ・バースト。何だっけな」
「いえ、本当に無理に思い出す必要ないので……」
「思い出さないと私が気持ち悪いの!」
 表情がわかりにくいはずのコアラにちょっと怒りが見える。もう止めるのは諦めた。
「うーん、何だっけなー。肉体解除・バースト?」
「いやいや、僕に聞かれてもわかりませんよ」
「解除?限界?」
 ブツブツといくつか単語を呟き始め、「先輩、こんなに言葉知っているのか」なんて本人が聞いたら怒りそうなネタを考えたりしていると、コアラはポンと手を叩いて言った。
「アンリミ・バースト!」
「……なるほど」
 と返しつつも、コウジはどう考えても違うんじゃないのかと思っていた。アンリミテッドだとしても、無制限・バーストになり、どちらかと言えば、多人数格闘フィールドへのログインに使うコマンドであるとした方が自然な気がする。正しければの話だが。
 ナントカ・バーストというフォーマットで、意識・バーストならマインド・バーストとかフィーリング・バーストとか、身体・バーストならボディー・バーストとかフィジカル・バーストとかマニュアル・バーストとかになるんじゃないのかと思ったが、思い出すのに時間を使っても仕方ないので、それは指摘しないことにする。
 ここまで聞いたことを頭の中で整理して、きちんとコアラの方に向き直った。
「その意識加速機能がこのゲームを面倒にしている、って感じがしますね」
「え? どうして?」
 詩音は不思議そうな声で聞いてきた。ウサギは自然な癖のように足を組んだ。
「まず、自分のポイントを増やす方法が、他人に勝って奪うしかありません」
「あ、なんか、AIの敵がくれる分も一応あるらしいよ。少ないけど」
「なら、それは無視できます。結局、これはネズミ講と同じで紹介が続かない限り、全体のポイントは増えません。しかも、紹介が永遠に続いても一人辺りのポイントは増えることはない。これはどういうことかというと……」
「ポイントを手に入れるには勝って奪うしかない?」
 詩音の回答にコウジは小さく頷く。
「そうです。そして、単にゲームを遊ぶためでも、どちらかが1ポイントを消費するので、全体のポイントは減っていきます。さらにさっきの意識加速機能、想像するに良いライフハックツールになります。恐らく、それをせっせと使うプレイヤーが多く存在します。結局、ゲームシステムがポイントを奪い合うように設計されており、未来のポイントジリ貧状態を考えれば、誰もがポイントを巡る殺伐とした戦いを繰り広げることになります」
 コウジは一息入れて、真面目な顔を作って続けた。
「詩音先輩はそういう争いに巻き込まれて、大変な目にあっている。それを助けろってことですか」
 そんなコウジの予想に、詩音は膝を叩いて笑った。
「考えすぎ、考えすぎ。そこまで殺伐としてないよー」
「あれ、そうなんですか」
「うん、学校内でちょっと襲われているから、一緒に戦って欲しいだけだよー」
 コウジは即座にツッコんだ。
「襲われてんのかよ! 合ってんじゃん!」
「半分ぐらい逃げ切っているし、五分五分ぐらい?」
「半分引き分けで半分負けてじゃ、全然、ダメですよ!」
 コウジは呆れるようにため息をついて言った。
「ほっといたら、ポイント無くなってゲームオーバーになって、毎日ブータレた先輩を見そうなので、サクっとアシストしますよ」
 コウジのその反応を見ると、詩音のアバターはちょっと不思議な表情を浮かべた気がした。
「……五島君にこのゲームをあげて、《親》になれて良かった」
「何ですか、急に」
「ううん、何でもない」
 表情の読めないコアラの顔を見て、コウジは深く追求しなかった。



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Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/01/25 11:25
 手助けするにしても、どういう方針でいくか。その情報収集として、まずは聞ける部分は聞かないとコウジは思った。鳥頭の先輩だとどんどん忘れてくことは請け合いだからだ。
「で、先輩はこの《ブレイン・バースト》を始めて、どのくらい経ったんですか?」
 詩音は即座に軽い声で返してきた。
「一週間だよー」
「意外と短いんですね」
 と言ったが、すぐに間違いに気づいた。コウジは初めて千倍に加速されるということを意識した。
「いや、待て待て。千倍に引き伸ばされることを考えれば、一日六時間ゲームするとして、内部時間で四万二千時間、え、五年弱!?」
 言葉にしているコウジ自身が驚くような時間の長さがでてくる。
「そんなにやってないよー。まだ、無制限にダイブすることできないからね。えーっと、一日三十対戦で一対戦二十分だから」
 頭の中で暗算を始めたのか詩音はフリーズしかかる。コアラの頭から湯気が見えるような、コミカルなエンジンは実装されていないんだな、とコウジは思いつつ、答えを言った。
「七十時間。ただし、現実時間ではわずか四分強……これは色々、ヤバイですね」
「でしょー」
 代わりに計算して貰えて、フリーズから復帰した詩音は気楽な声で返した。
 だけど、その返事はコウジに入ってきていなかった。
 《加速》する――それはある意味自分がリンカーに求めていたことだからだ。
 だから、思っていたことが口から出た。
「これは……人類に普及するべきですね」
「どして」
 詩音はきょとんという言葉が似合いそうな声を上げた。
「例えば、今も不治の病って結構ありますよね」
「あー、そうだよね。この前も十歳までしか生きれない子の特集を見たよ」
 詩音は「なんて病気だっけなぁー」と言いかけたが、「あ、ごめん」と言った。コウジは自分の話を続けた。
「そういう子にこれを与えたら、リンカーの中では、一万年生きれますよね」
「確かに……」
 詩音はそのことに初めて気づいたような言い方をした。
「健康な人で人生を全て加速し続けたら、十万年生きれますよ」
「そ、そうだね」
「十万年あれば、現行のリンカー用OSですら、たった一人で作れます。僕の好みで言えば、現代数学と現代物理を世界トップレベルまで勉強するなら、20年あればいけます。これ、現実時間で一週間ですよ!」
 そこまで言って、詩音が固まっているのにコウジは気づいた。はしゃぎ過ぎた。少なくとも小学校高学年以降は、こんな自分を人前でしたことはない。
 ひかれるな……コウジの口から冷たい声で言葉が流れた。
「すいません」
 詩音は読めない表情でコウジをぼんやりと見ていた。
 コウジはもう一度繰り返した。
「すいません、忘れてください」
 コアラの表情からは何も読み取れなかった。
「……詩音先輩?」
 そう声をかけた瞬間、コアラの目がほんの少し大きくなった気がした。
 詩音はハッキリと通る声で言った。
「コウジはやっぱりすごいよ!」
 名前で呼ばないでほしい、そういう言葉よりも先に異なる疑問を口にした。
「どうしてですか」
「だってさ、私とかマサミンとかは短い時間ですっごーくゲームを楽しめるって思ったし、他の人で意識の加速とか使う人は自分だけが手に入れた《加速》の力とか思っているんだよー。でも、コウジはそんな風に考えていないじゃん」
 コアラのアバターはぐいと、コウジに近寄って、「それって、やっぱりすごいことだよ!」と付け加えた。
 近寄られすぎるのは邪魔なので、元の位置に押し返す。押し返してから、現実だったら、ちょっとできないな、なんて思う。
 自分がリンカーに求めること、それは――
「あれ?」
 詩音のそんな言葉は、コウジの思考を止めさせた。さっきの例外のことかな、とコウジは思いを至らせる。
「そうそう、さっきも先輩は名前で呼びました。それは止めてください」
「あ、ごめん。でも、そうじゃなくて」
「何ですか?」
「五島君、そこまでカッコいいこと言っている割には、普段、やっていることはゲームのチートプレイなんだよね」
 コウジの精神にクリティカルヒットした。
 自分の中では理由はある。それがいつの間にかああなっていた。
「いや、まぁ、理由があるんですよ……」
「ふーん」
 そういう詩音の口調は、興味がないというよりは、滅多に起きない面白い状況に陥っているコウジの反応を楽しんでいるかのように明るかった。
「で、そうだ。襲われているんですよね」
 無理矢理な話題転換だったが、ポンコツパラメータのせいでコアラの表情は全く変わらない。
 コウジの緊張を楽しんでいたのか、ほんの僅か間を開けてから、詩音は言葉を返した。
「そうそう、そうなんですよー」
「学校内だっけ?」
「学校内ですよー」
 ちょっと主導権が移動してしまったような気がして、コウジは一回息を吐いた。それを見た詩音のコアラは心なしか表情を緩めた気がした。
「何人に何ポイント奪われる感じですか?」
「四人と戦って、一日平均二敗して、10ポイントぐらい取られているね」
 「同レベルで10ポイント、相手の方がレベル高いとポイントが少ないよ」と付け加えられたが、何か肝心なことが抜け落ちている気がした。
「ちょっと待って。なんで学校内でゲームしてんの?」
「え?」
 詩音はわかっていないような返事をしたが、今のはまともな疑問のはずだ。
「学内ネットワークに入ったら、ゲームアプリとか普通は勝手に入れたアプリは起動できないはずです」
 リンカー部部室でグローバルネットに接続するため、XSBケーブル挿しているときは起動禁止が回避されるが、今はどちらのリンカーにも挿さっていない。今は学内ネットワークの管理下にいるはずだ。
「うーん、でも、現に今も動いているよ?」
「そうですよね……」
 そういう風に聞いたところで、先輩の頭ではそんな理屈がわかるはずがない。
 もっとも、違法アプリ、例えばソーシャルカメラ視界警告アプリとかはそういう回避手段が取られているので、それ同様という考えもある。また、OSのアップデートファイルであれば、アプリ扱いにはならないため、学内ネットワーク接続時の制約とか無視されてもおかしくない。
 というわけで、学内でも起動することを前提に考えた方が良さそうだ。
「つまり、《ブレイン・バースト》ってOS組み込みになるので、常駐扱いで落とすことができないんですね……」
「うん。終了ボタンとかないね!」
 詩音は明るい声で返してくるが、なんか嫌な予感しかしない。
「で……遭遇戦だよね」
「うん」
「どうやって戦い始めるの?」
「バーストリンクコマンドで起動して、マッチングリストを開いて選べば、戦えるよー」
「マッチングリストに出てくる条件は?」
 ぶっきらぼうな言い方になる。
「同じネットワークにいることだよ?」
 疑問形で可愛く言っているが、これは怒ってもいいかもしれない。
「アホ!」
 言われた瞬間、詩音は何か言い返そうとしていたが、それは無視して続ける。
「グローバルネットに繋げたら、対戦ふっかけまくられるじゃねーか!」
 コウジの順当な意見に、詩音は斜め上の反論を返してきた。
「勝てばいいんだよ!」
「勝てないから困ってんだろが!」
「大丈夫大丈夫、勝ててないの学内だけだから。あと、挑まれるの一日一回だから致命傷にはならないよー」
 あまりに軽い詩音の言葉にコウジは、ウサギの頭を抱えて俯いた。
 他のVRMMOでも、コミュニケーションのもつれや金銭トラブル等で事件になることが度々ある。
 《ブレイン・バースト》はその危険性がより大きい。リアルに大きなゲインを与えるが、その行使権たるバースト・ポイントはゲームで争うからだ。
 まともなゲームじゃねーよ。面倒ごとどころじゃねーよ。一年前のクソゲー、ファイナル・キングダムの苦痛の二ヶ月レベル上げより、違う意味で酷い。
 どうすりゃいいんだよ――そう思ったとき、詩音の声が聞こえた。
「ね、一緒に遊ぼ?」
 顔を上げて、前を見た。
 水色の幼稚園の制服を来た詩音がいた気がした。
 水色のワンピースにピンクのランドセルを背負った詩音がいた気がした。
 水色のコアラのアバターがいた。
 彼女はあの日から――コウジの答えはいつもと同じだ。
「うん」
 にっこり笑う詩音が見えた気がした。それはいつも見慣れている風景だからだ。
 ああ、やってやるさ。これは遊びなんだ。全力で楽しんでやるさ。誓わなくとも、そう思った。
「で、僕のアバターは?」
「えーっと、今晩、リンカーつけたまま寝るとできるよー」
「そーですか」
 ちょっとだけ、やる気が削がれた。
「しかし、随分長く話したな」
「二十八分ぐらいだねー」
 詩音の体内時計はアホみたいに正確だ。有効数字二桁で当ててくる。
「三十分も有線直結しながら、フルダイブって変じゃないか? って千倍になるのか」
「そうそう。あ、あと、三十分が《加速》の上限だよ。だから、もうすぐ終わり。千倍だから16秒?」
 どういう計算をしたのかは、理解しないでおく。
「1.8秒」
「うん、1.8秒だ。本当かどうかは、時計アプリ確認すればいいよ。びっくりするから」
「解除のコマンドは《バースト・アウト》ね」
「了解」
 お互いに元の自分に重なるように移動した。
「「《バースト・アウト》!」」
 タイミングを合わせたりはしなかったが、声は合った。

 きぃぃぃん、というトンネルに入ったとき、耳の奥で感じる音がした。そして、青い色が剥がれるがごとく、全ての物体は元の彩りを取り戻していった。
 懐かしい。三十分の異世界紀行で現実がそう思えた。いや、そうとしか思わなくなるのだろう。千倍の加速は現実の時間をどんどん薄めていくに違いない。
 不気味だな――そんなことを思った瞬間だった。
 ペニョ、という間抜けな音が、心の静寂をぶち壊してくれた。詩音が指パッチンに失敗した音だった。
 現実だな――加速時間の三十分間呆れ顔だったコウジは苦笑いに表情を作り替えた。
 おもむろに時計アプリを呼び出した。ついさっき見た時刻がそこに記されていた。念のため、グローバルネットの標準時刻配信サイトも確認してみる。時計のズレはなかった。
 アプリを閉じ、正面を見ると、指パッチンが失敗したのが悔しいのか、何度もやり直している詩音がいた。
 コウジと目が合うと、ずっと前から気に入っていた笑顔を見せた。そんな詩音に思考発声で伝えた。
『とりあえず、学校で襲われるのをどうにかするってとこまで、協力プレイしますよ』
『うーん、できればクリアまで遊びたいなぁ』
 詩音先輩はそんなことを抜かしてくる。やるとは決めたが、リスクを考えれば、深入りはしたくない。
 リスクをオブラートに包んで表現して、言い返す。
『断ります! つまんなかったら、やめます』
『ええー。でも、マサミンもやっているし、私もやってるし、ほらそれに千倍だよ?』
『千倍は面白さの単位じゃありません』
 『ええーいけず』なんて言ってくるが、去年ぐらいに「やりましょう」と言って、糞つまらんゲームのレベル上げを二ヶ月やるハメになった経験からはここは断固拒否。あの時は途中で音を上げて、「やめる」と言ったが、「やるって言った」って膨れて大変な目にあった。
 選択権を確保するべく、断言するようにコウジはもう一度言う。
『学校で襲われる問題を解決するところまではやります』
『むー、まぁ、それでもいいや。絶対ハマるから』
 詩音はこの先を正しく予想していそうな台詞を吐いてきたが、相手にはしない。それを今認めてしまうのは癪だからだ。
 その直後、思い出したことがあったかのように、笑顔になった詩音先輩がいた。
『あ、そうそう、全クリしたらこのスゴイゲームの開発者に会うことができるらしいよ』
 心が揺れかかった。だけども、自分の領分は守りたい。でも、良い事も言ってあげたい。そうして、言葉を吐き出した。
『まぁ、やるからにはまかせろ。半年ごとにニューロリンカー買い換えるのに自動化RMTで小遣い稼ぎしている中学生だぜ。クラックできないゲームはない』
「おおー」
 詩音は声を上げて、嬉しそうだった。
 ふと視線を感じた。正面の詩音先輩の向こうのリンカー部員の一人がフルダイブから戻っていた。
 彼は詩音とコウジとの間のケーブルに気づいたのかギョッとしていた。思考発声が便利だから、と言って、詩音は誰とも構わずケーブルを繋ぐ。それに驚く人は学内にはもう少ない。
 驚くのはその相手がコウジだからだ。詩音とは何度か直結したことがあるが、コウジを知る人が見るたびにこういう反応をされる。
 名前を聞けば関わりたくない人。だから、クラスでも避けられている。教師は何をやっても注意してこない。十人ばかりが壁を作った上で会話はしてくれる。
 五島光児。そういう名前だからだ。
 リンカー部員のそいつは詩音に声をかけた。
「詩音部長、直結してどうしたんですか?」
 コウジにはよっぽどのことがない限り、声をかけない。
「ふひひ、内緒話なのさー。さてはヤッくんも直結して欲しいんだな!」
 そう言うと、コウジのリンカーに刺さっているXBSケーブルを握った。その瞬間、思考発声で『また明日』と声が流れてきて、そして、ケーブルが引っこ抜かれた。



[31282]
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/01/26 11:57
 他のリンカー部員にケーブルを挿そうとする詩音の背中から視線を逸らした。詩音が来てから中断していた作業に戻るためだ。
 左指を舞わせて、ウィンドウを呼び出し、プログラミングのための環境を復帰させた。だけども、コウジはホロキーボードの入力を始めなかった。視界に各種画面を呼び出したまま、手が止まってしまっていたのだ。時間で言えば、十分ほどちょっと横道に逸れたに過ぎない。でも、体感では四十分近く離れていたことになる。
 それはコウジの興味を移すのに十分な時間だ。今までのゲームであれば、気さえ向けば、インストール直後から色々な調査を始めることができる。そういう意味では、《ブレイン・バースト》に関しては、一晩経たないことには始まらない。事前の調査をしようにも、バースト・ポイント喪失による詩音のいうゲームオーバーが厳密には何を示すのかがわからないため、何らかのペナルティによるポイント全損リスクの可能性を想定すれば、迂闊な動きを取ることはできない。
 結局、どれだけの時間ぼんやりしていたかはわからないが、日が傾き、部屋が幾分か暗くなって、リンカーによるウィンドウだけが煌々と輝くようになったところで、コウジは今日の作業を諦めた。
 部員は何人かいたが、いつの間にやら詩音はいなくなっていた。詩音がいないリンカー部と自分を結びつけるものはほとんど無い。コウジは逃げるように部室から出た。

 三階から階段を下り続けると、校舎入り口に繋がっている。他のクラブとの帰宅と重なったのか、下駄箱からいくらかのざわめきが聞こえた。
 自分のクラス、二年六組の下駄箱は階段から降りてそのまま真っ直ぐのところにある。ここ区立桃花中学校は一学年八組あり、この少子化が進む2046年現在においてはマンモス中学校と呼ばれる学校である。中野駅南側は都庁建て替えとなった三〇年代の都心回帰の一環で、超高層マンションがタケノコのごとく次々と建設され、完売と相成った。
 そのため、付近の小学校、中学校は子供たちで溢れかえりそうになった。桃花中学校も三十人学級を回避し、教室に詰め込むことでやり繰りしていたそうだが、コウジの入学前に校舎が五階から七階に増築されて、なんとかその状況から脱却したらしい。
 そんなこともあり、二十以上ある下駄箱はフロアの通路を極めて狭くしていた。だから、否応なく他人と顔を合わせることになる。同じクラスの少女が靴を取り出していた。彼女は僕に気づくと、自然な感じに目を逸した。
 コウジはその子が去った後、自分の靴を取り出して、履いた。

 校門に向けて歩いている途中、詩音に一つ質問をするのを忘れていたことに気づいた。
 まだ、アバターはできていないが、グローバルネットからは切っておくべきなのか。むしろ、できるまでは接続しておくべきなのか。そのことを聞いておくべきだった。
 メールを出すにはグローバルネットに接続せねばならないので、それはできない。少し悩んで、今が切断状態なので、それを維持するべきだと判断した。ある意味、むしろ、詩音以外の関係とほとんど切れている自分にリンカーを合わせたかったのかもしれない。
 コウジは校門を通り超えると同時に、学内ローカルネットから切れ、グローバルネットに接続しようとしたリンカーのハードウェアのネット切断ボタンを長押しして、孤独な存在にした。
 いつもは口うるさく交通ルールを守らせてくるナビは押し黙った。電気スクーターやEVの走行音を風が運ぶだけだ。ルートも警告も表示されない春の東京。世界ってこんなにも静かなんだろうか。そんなことを思いながら、コウジは家に向かった。
 今年は気温が平年より低かった。だから、入学式に桜がちょうど咲いていた。そして、今は猛烈に散っているところだ。歩くアスファルトに桜の花びらが幾枚も積もっていた。また目の前を一枚、花びらが降っていった。
 昔もあの日、桜が散っていた。それは桜が平年通りの開花で、三月上旬だった。
 ――「ね、一緒に遊ぼ?」
 あの時の言葉を久しぶりに聞いた。僕は大人になったようでまだ子供だ。確かあの時は、落ちる花びらを空中で捕まえる、そんな遊びをしていた。
 そんな思い出に耽っているうちに、学校からそう遠くない高層マンションに着いた。

「ただいま」
「おかえりなさい」
 帰ると母親が出迎えた。少し時間が経てば、父親も帰ってくるだろう。それは望ましい構成なのかもしれないけど、コウジはそうは思っていなかった。
 この人達は嫌いだ。
 かかとを踏みながら、靴を脱ぎつつ、ぶっきらぼうに言った。
「勉強するから、邪魔しないで」
「晩御飯できたら呼ぶからね」
 背中から女性の声が聞こえたが、それをかき消すように自分の部屋の扉を閉めた。
 勉強するというのは口実に過ぎなかった。
 だけども、グローバルネットから切れているから、予想外にやることがない。チートを作ったところで、ゲームで試すにはネットに繋がねばならないからだ。
 静かだ。
 そうして、結局、コウジは宿題を開いた。
 きっと出さなくても怒られることはない。学期ごとの成績表で冷たくその事実を数字で通知してくるだけだ。
 ほんの少しの話し相手が欲しいから、コピーさせて貰っている。コピーロック解除もそうだ。リンカー部もそうだ。それをきっかけに話したかった。
 でも、その思いは通じていない。
 国語と社会は教科書を読めば全部書いてある。人の心にもマニュアルが欲しい。
 数学と物理は公式に当てはめれば全部解ける。人の心にも法則が欲しい。
「なんだ、これっぽちかよ。分量ばっかりかさ張らせやがって」
 予想外に早く終えてしまった宿題に毒づいた。それと同時に食事に呼ばれた。
「はい、行きます」
 そう言って、部屋から出た。

 一人前分、ラップをしてある。父親の分だ。それを見て、複雑な気持ちになりながら、鯖を口に運んだ。後は黙々と口に運んだ。そうして、母親という女性よりも早く食べ終わり、「ごちそうさま」と言いながら立ち上がり、食器を食器洗い乾燥機に放り込んで、食卓から逃げた。
 そうして、風呂に入って、着替えてベッドの上にいる。それは毎日と変わらない状況だ。この家にいる限り、そうなんだろう。でも、これよりも良い明日を過ごす案は思いついていない。
 だから、こうなのか――それはずっと思い続けてきたことだ。
 天井を光らせる灯りを消した。街灯での明るさのせいか、カーテンの隙間から淡い光が差し込んでいた。
 左手を動かす。時計が示している時刻はまだ遅くはない。同時にリンカーの電源がちゃんと入ったままであることを知って、コウジは目をつぶった。

 自分が幼かった頃の、まだ若い両親に手を引かれていた。コウジが「どこに行くの?」と聞いても笑顔でしか返してこない。
 間も無く一人の男に会った。今も見覚えがある。その男は僕に手をかざしながら言った。
「この子は君たちの子だった。だが、今日から神の子だ。祝福と福音――」
 男の言葉は途中で切れた。気づけば両親もいなくなった。光景も白っぽい場所ではなく暗い闇の中に変わっていた。
「お父さん! お母さん!」
 コウジが一生懸命、呼んでも誰も出てこない。
 突然、自分の母親ぐらいの女性が見えた。コウジはその女性の元へ駆け寄った。女性が振り向いた。その顔に見覚えはあった。
「かわいそうに」
 吐き捨てるようにそう言って、目を逸した。
 それを引き金に次々と見知った大人たちが現れた。コウジはこの人達を授業参観や通学路で見たことがあった。そのことに気づいたとき、口々に言っていることが聞き取れ始めた。
「あの子とは遊んではいけません」「近寄らないで」「知らないふりをしなさい」「うちは関わらないことにしているの」
 僕のことなんか1ミリも理解していないだろ――あの時と同じようにコウジは毒づいた。
 幼稚園の友達だった子供たちが現れた。小学校の顔見知りが現れた。中学校のクラスの人が現れた。全てがコウジから距離を取っていた。
 コウジが近づくとその分だけ離れた。だから、立ち止まって座り込んで俯いた。
 足元だけしか見えなかったが、距離はみるみるうちに縮まってきた。だけども、顔を上げても誰も目を合わそうとしなかった。
 そういうことか――昔辿った感情をなぞった。
 一人の少女が近づいてきた。水色の服を着て、何かコウジに話しかけた。
「離れろ」
 コウジはぶっきらぼうに返した。
「関わるな」
 その子は離れようとしなかった。
「近寄るな、もっと離れろ、どこにも入るな」
「でも、私は――」
 コウジは俯いて遮るように言った。
「うるさいうるさいうるさい」
 そんなコウジの顔が持ち上がった。
 か弱い白い手が持ち上げていた。視線の先にはさっきのあの子がいた。その直後、手はピンクの機械の腕に組み替わったかと思えば、それが次には桜の花びらになって散った。
 そんな花びらに、気づいたら作られていた檻の中から、微かに手を伸ばした。
『――それが君の望みか?』

 無骨な電子音がコウジを起こした。
 何か胸糞悪い思い出を全部ひっくり返してくれたような夢を見た気がする。気持ちが悪くて背中を触ると、寝汗でシットリと湿っていた。時計を確認すると目覚ましどおりの時間だ。
 確認は左手を動かして行ったことに気づいた。ああ、リンカーつけっぱなしで寝ていたのか。と思ったところで、昨日の詩音とのやり取りを鮮明に思い出した。
 これが《ブレイン・バースト》のアバター生成か。ということは夢が関係あるはずだ。と思ったが、既に夢の内容は気分の悪さを除いて、頭から消えてしまっていた。
「おはよう」
 挨拶はするが、返ってきた挨拶の言葉はコウジの頭に入ってこない。この家に住む三人が食卓を囲むが、それだけのことだ。パンを牛乳で流し込む。テキパキと着替えて、学校に向かう準備を整えた。
 朝は家から逃げるように学校に向かい、夕方は学校から逃げるように家に向かう。それが自分の生活だった。
「いってきます」
 扉から出る際に発する声を出して、家から抜け出た。
 お小遣いは大丈夫?と後ろから声が聞こえたが、それを拒絶するように手を振った。今日はグローバルネットから切れているのだから、チャージはできない。それにRMTでそれなりの金額を稼いでいるので、特に問題ない。そもそも、うっかりしたら昼食が抜けるから、必要ないといえば必要ない。
 昨日、同様ナビがないので、注意して歩きながら、頭は《ブレイン・バースト》のことを考えていた。詩音にバレたら、きっとケラケラ笑われるだろう。昨日の素っ気無さがある種のフリであることがバレる。そんな自分のバカバカしさにクスリと笑みを浮かべた。
 しかし、遭遇型対戦格闘ゲームか。
 一瞬、グローバルネットで戦ってもいいかと思ったが、それもどうかと思い直す。バースト・ポイントは貴重だ。学内の攻撃でどのくらいポイントを失うのか、チート解析でどれだけ使うのか、それがわからないうちには行動は慎むべきだ。
 そうしているうちに、校門、即ち学内ローカルネットが有効になる場所が近づいてきた。
 コウジはゲームチーターとして、攻略のためにいくつかのアプリを立ち上げ、リンカーの設定を変更した。
 準備を終えたタイミングで、ちょうど学校に着いた。躊躇せずに校門を跨いだ。リンカーを学内ローカルネットに接続した。
 ――すぐにでもかかってきやがれ。望むところだ。



[31282]
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/07 23:36
 放課後になり、コウジはリンカー部部室に向かった。部活動は義務ではなかったが、今日は行く理由があった。
 扉を開けると、回転椅子の上に体育座りして、壁を押して、ゆったりとグルグル回っている詩音がいた。
「五島君、待っていたよー」
 詩音はこちらを向いたタイミングで微笑み、続けて、小声で何か言葉を刻んだ。予想通りの単語を発するように唇が動きつつ、詩音は惰性で回転していく。

 直後、本日四回目のバシイイイッという音と共に、窓から見える空は夕焼けに変わる。
 炎で作られた【HERE COMES A NEW CHALLENGER!!】という文字が目の前に踊る。
 その向こうで、部室は崩れかかった壁に再構築され、天井が消滅していった。壁には一気にコケが茂り、ツタが這った。さながら、古びた城と呼べる光景だ。これも含めて、今のところ全て初めてのステージであり、一体いくつあるのか想像もつかない。
 正面を向き直すと、ほんの目の前の詩音が回っていた位置に、昨日見たピンクの機械腕を持った女性型アバターが現れた。
 やっぱり、現実準拠の位置だったか――と毒気づく。
 それと同時に、自分の視界の両端が輝く。
 うっすらと青みがあるかどうかの灰色のアバターの両肩の上に、淡い青色の光の中からアバターと同じ色の縦長の板、というには多少分厚い二枚の構造物が現れているはずだ。それらは、肩から距離を作るようにジョイントを持って装着された。直後、さらに前後に三枚ずつ計六枚の板切れが現れ、両肩の二枚から前後を円弧で囲むように板の両端が、金属同士の噛み合う音を立てて、接続された。八枚の板が、盾と呼べば剛性あるマント、板と呼べば底が抜けた桶を被せたような形で、アバターを取り囲んだ。
 そして、目の部分にあるスリットが光ったであろう瞬間に(そのことには今までの戦闘で気づいた)、いつの間にか現れていた【FIGHT!!】という炎文字がはじけた。
 とはいえ、戦闘が始まるわけではなかった。詩音は何歩か近寄って、シゲシゲとコウジのアバターを確認してきた。
 視界右上に表記されているラベルを見る。《オペラ・プロテーゼ LV1》。コウジは詩音のアバター名とレベルをたった今知った。詩音先輩のはやはりあの腕がメインのアバターなのであろう。何らかの技がそこから繰り出されると考えた方が良さそうだ。
 そんなことを考えている間に、詩音はもっと近寄っており、その大きな腕を持ち上げて、コウジのアバターを取り囲む構造物をツンツンと触ってきた。その手でやられると威圧感ばかり感じる。
「《コペン・ミリタント》かー。よくわかんない名前だねー」
 確かにカタカナ語化していない色名と単語の組み合わせではある。が、それは先輩のアバターもそうである。だけど、先輩の頭なら例えば、ライムなんて色名はわからんだろうし、クロウみたいな単語でもわからない扱いになるだろう。
「……詩音先輩、知っている英語の色名言って下さい」
「ピンク! レッド! イエロー! ブルー! グリーン! ピープル! ホワイト! ブラック! グレイ!」
 これでひとまず黙った。一生懸命言っているも、なんか間違いがあった気がするが、そこはツッコまない。
「先輩、それ以外の色なら、『よくわかんない』扱いになりませんか?」
「……なるかも」
 バツの悪そうな詩音の声が聞こえた。ついで、気になったことを聞いてみる。
「残念先輩のアバター名覚えてます?」
 詩音の《親》に当たるプレイヤーについてだが、明らかに詩音の目が泳いだ。
「レベルは4だった」
「そうですか。で、名前は?」
 うーん、えーっと、という声が聞こえて、かなり困っているのがわかる。
「オレンジ色だったんだけど、『アン』から始まったと思うんだよなー」
 その条件でオレンジに近い色なら、琥珀色というアンバーの可能性が高い。助け舟は出さないけど。
「でー、ナントカ『リア』って名前だったんだよ」
 現実なら、むぅーっと膨れているであろう、詩音を見ていると、閃いたように名前を創りだした。
「アンパン・イタリア?」
「それ、残念先輩に伝えておきますね」
 絶対違うと思ってそんなことを言ってやると、「それはやめて! マサミンにバカな子だと思われちゃう」と言ってくる。先輩、大丈夫です。残念先輩もそれは知っています。と、心の中で報告しておく。
 懇願してくる詩音は尻目に、コウジはバースト・ポイントの情報を開いた。ポイントの数値は75。昨日1ポイント使って、今日の校内で24ポイント減ったことになる。対戦対策が取れなければ、グローバルネットから切断していても、五日で無くなる。想像以上に減るペースが早い。

 しょげるのも飽きたのか、詩音が話しかけてきた。
「あ、この戦闘は私の負けでいいからね? ポイントあげたいし」
 現在の損失状況を考えると無碍にできないので、素直に取る。
「詩音先輩、ありがとう」
「五島君が落ちたら世界の損失だし、ね」
 語尾を上げて、可愛らしく詩音は言った。その様子にアバターごしながら、コウジはビクッとした。そんなコウジを見ながら、詩音は言葉を続けた。
「四連敗してたもんねー」
「なんで知ってんですか!」
「実は速攻で観戦対象に登録したのさ」
 ウヒヒヒという音が似合いそうな、笑いを浮かべ、ビシッと大きな腕で親指を立てる仕草を取る。
「大丈夫、昨日マサミンに会ってレクチャー受けてきた! 《親》が誰かとかバレるとリアル割れに繋がるから、観戦中はペタペタしないことにしました!」
 確かにそのバカでかいピンク重機を戦闘中は見かけなかった気がする。
「なるべく目立たないように観戦用のアバター作ったし! リアルで作ったのと違うアバターだから大丈夫!」
 レクチャーをそれなりに受けたようで、聞いた範囲は安心してもいいかもしれない。ただ、この話を聞いてコウジはちょっと拍子抜けして、笑いながら言った。
「これが初お披露目だと思って、なんか色々考えていたのがチャラじゃないですか」
「ごめんごめん」
「で、やっぱり四連敗していたんですか。僕は実は三連敗までしか知らないんですよ。最後の一戦はどうなったのかわかっていないんで。今、ポイント確認して結果を知った感じです」
 《ブレイン・バースト》のポイントを始めとした各種情報を《加速》せずに知る方法を今のところコウジは知らない。そんなわけで、加速の1ポイントも惜しいので、詩音が仕掛けてくるのを待っていた。
「あ、確かに四戦目はおかしかったよね」
「まー、色々やった結果なんですけどね」
 そう言いながら、どこから話せばわかりやすいか考えていると、詩音が口を挟んでくる。
「せっかくだから、最初から説明してほしいな」
 そう言いながら、オペラ・プロテーゼは巨大な腕を移動させて、器用にそれの上に座った。
 その様子を見て、コペン・ミリタントは崩れ掛かっている城壁の座りやすいところに腰掛けた。

「対戦開始が登校直後かと思ったら、授業入るまで挑まれなかったんですよね……」
「そーだよ。登校直後だったらリストチェックのために、こまめにポイント使わないといけないじゃん」
 詩音にしては珍しく真っ当なことを言う。
「普通に考えれば、当たり前ですよね。もうね、誰も仕掛けてこないから、1ポイント使うべきか悩んで、悩んで、諦めて、他の作業していたら、バトルフィールドに召喚ですよ」
 それを聞くと詩音は本当におかしそうに笑い声を上げた。
「で、一戦目、《カーマイン・アーテラリ LV3》だったかな」
 詩音が思い出すように言う。
「射撃でボコボコになっていたよねー」
「まあ、初戦だし、慣れればいいかなぁ、ぐらいの勢いだったんですが、本体も見れないとは……」
 カーマイン・アーテラリは名前から赤系統の大砲撃ちであることがわかる。が、コウジはアバターを目視することはできなかった。遠距離射撃で惨殺されたためである。
「ガイドカーソルが表示される距離から撃ってくるからね。回り込もうとしても、それでチェックされるしねー。接近できれば、ガイドカーソル消えるから、まだまともに戦えるんだけどねー」
 そこまで言って詩音は思い出したように聞いてきた。
「そういや、何も無いところにパンチとかしていたけど、なんかのチート?」
「違いますよ。単にどう操作するかなって思って」
「ということは、パンチやキックを試しているうちに狙い撃ちされていたのかー」
「そういうこと」
 コウジは努めて素っ気なく言った。
「で、あとは、一応、戦闘が始まる前にリンカー上のアプリ呼び出しを色々いじっておきました。が、僕のやり方では呼び出せないことがわかりました」
「それは当たり前だよね?」
 詩音が不思議そうに聞き返す。
「なんとも言えないです。やったことは普通のゲームアプリのチートでも使っていることですからね。例えば、アシストツールを呼び出すジェスチャーとかこれでやっています」
「それできなかったってことは、詰み?」
 詩音の声はさっきと違う感情が載っていたように思えた。でも、こんなところで白旗を揚げる気はない。
「まさか。逆に《ブレイン・バースト》がどのように動いているかの仮説が立ちましたよ」
 コウジは説明するのが面倒だったので、詩音に疑問を挟ませないために、続けて言った。
「それで、これを踏まえて、来るべき第二戦に備えました」
 ふんふん、と詩音は相槌を打ってくる。
「一戦目はプログラミング中でしたが、現実に戻ってきたとき、開発環境はそのままでした」
「そうだよね。メールとか開きっぱだもん」
「日常、リンカーのスペックが全て使われることはほとんどないです。もし使われていたら、新しいアプリを立ち上げることはOSが止めてきます。それを踏まえて、ミニベンチマーク的な細かいアプリを大量に立ち上げておきました。これでメモリとCPUの99%近くを利用しておきます」
「でも、戦っていたよね?」
「そう。運がいいのか悪いのか、数分後に《エンパイア・スタッフ LV2》が挑んできました」
 午前中のことを思い出すかのような顔の傾げ方をして、詩音が聞いてくる。
「えーっと、緑の棍棒キャラだよね?」
「そいつです。近距離なのでまともに戦闘したんですが――」
「なんか、色々残念だったよねー。その周りの奴、盾じゃないんだもん」
 詩音はコペン・ミリタントの周囲に付いているパーツに視線をやった。
 盾というには脆すぎる、単なる構造物である。殴られても、こちらの被ダメはほとんど無いのだが、犠牲になるかのようにどんどん壊れていった。
「こいつが全部ぶち壊されて、あとは適当に殴られてタイムアップ負け。一応、必殺技を使ってみたんですが、なんか全部空振りに終わりましたね」
「うーん、なんか条件を満たさないと発動しないのかな? それは後で試してみよう」
「そうですね、やりたいです」
 詩音の提案にコウジは乗って、さらりと続ける。
「ただ、注目すべきところは、現実に戻った後です。アプリはある程度の数が強制終了で落ちていました。OS挙動でメモリ不足に陥った場合、起こるエラーに近いです。ブレインバーストはOSのパッチだったわけですが、まさにOSのコア機能扱いの挙動を示してきます」
「そうなのかー」
 語尾の感じから少し理解していない感じだったが、コウジは喋りたかったので続けた。
「落ちたアプリの分量を考えると、利用リソースは僅かに一割程度です。これは十五年前に発売された初のリンカーを使っても《ブレイン・バースト》は動作するってことです」
「じゃあ、古い機械を使っても……」
「多分、対戦を挑まれます」
「そっかー」
 少し間をおいて、コウジは付け加えるように言った。
「あとは、感覚部分をイジるテストをしましたね。痛覚っていうか触覚を完全にオフにしてみました。設定じゃなくて、感覚に流す部分のOSプログラムファイルに細工を加えた感じで、通常のフルダイブならどんなに触られても感触がなくなります」
「ふんふん」
 と言いながら、オペラ・プロテーゼは立ち上がって、コペン・ミリタントを巨大な腕で触れようとしてくる。コウジは笑いを抑えながら言った。
「今はやっていませんよ。結果から言えば、痛覚機能無効化は無駄でした。OSのを書き換えても、感覚を流してくる仕組みが存在するみたいです」
 詩音が「なーんだ」と言いながら、腕を戻す。被せるようにコウジは続ける。
「あとは、リソースをケチらせたせいか、初戦のヤバくリアルなVRに比べたら、多少は品質が落ちた感じですね。とはいえ、あれだけのリソースなのにこんなに綺麗なのは、普通じゃないんですが」



[31282]
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/08 20:33
 二戦でわかったことの説明は後回しにして、コウジは次の戦いの話に進めた。
「で、三戦目は昼休みに屋上ですね」
「え、なんで屋上に行ったの?」
「通信ログの解析するには、教室騒がしいので」
「へー」
 普段なら作業環境を気にしないコウジを詩音は不思議そうに眺めてきた。
 自分は先輩に対して、隠し事はうまくないのかもしれない。だから、降参と言わんばかりに本当のことを言った。
「単純な思いつきです。案外、ソーシャルカメラ圏外に行けば、挑まれないと思ったんですが」
 それを聞いた詩音はすぐにツッコミを入れてきた。
「あ、それ無駄らしいよー。マサミン試したって言っていたし」
「まー、そうですよね。そんなわけで《オスミウム・ストレイト LV4》との結果はそういうことです」
 コウジはそう言って、ドロー狙いで逃げようとしたら、構造物が邪魔で引っかかって転んで、被ダメ食らったり、ステージの構造物から落ちて、高所落下ダメージ食らう等して、自滅負けした戦闘を省略した。
 情報収集的な面でも、作業中に挑んできたため、何の対応もできておらず、収穫も少なかった。
 その戦闘を思い出したのか、詩音から小さな笑いが零れたのは気にしないことにした。

「で、問題の四戦目です。これまでの三戦分の通信ログで、さすがに内容はまだですが、どの通信が《ブレイン・バースト》のものかの検討はつきました」
「すごい!」
 本当にそう思っているかはわからないが、言われるだけでも少し嬉しい。
「《ブレイン・バースト》の通信は他のアプリからの発信のフリをします。とはいえ、いくつか特徴的な点がわかったので、その通信をフィルタすることにしました」
「えーっと、リンカーで《ブレイン・バースト》の通信を行わせないってこと?」
 詩音の例示をコウジは首肯する。
「そうです」
「そうするとゲームできないよね?」
「そうです。ゲームできないから挑まれることもないと思ったのですが」
 コウジがそこまで言ったところで、詩音は言葉を重ねた。
「だから、目が光っていなくて、硬直してサンドバッグになっていたのかー」
 詩音の言葉でコペン・ミリタントの状況を初めて知った。
「なるほどなー。戦いは挑まれるけど、操作不可能というよりも僕自身は加速しない。だから、一方的に挑まれるのか……」
 口調に不満っぽさを混じらせて、言葉を続けた。
「理想はバトルを挑めないってことで、これで乗り切りたかったんですが、そうもいかないみたいですね」
 コウジの結論に、詩音は当然の疑問を口にした。
「あれ? 《ブレイン・バースト》の通信はできないのに、戦闘は挑まれるっておかしくない?」
「それは現実に起こっていることなので、否定できません。実現するとすれば、通常の通信の有無で《ブレイン・バースト》のマッチングサーバーはメンバーを登録する形でしょうね。ソーシャルカメラクラックが行えるネットワーク技術力を持っていれば、そういう特殊なマッチングサーバーを作れてもおかしくはないです」
 わかっているのか、わかっていないのかわからない詩音が見えた。話題を変えるべく話を振った。
「ところで、四戦目はどんな敵ですか?」
「セルボー、レベル4」
 名前が略されたせいで、色と形状の情報が失われている。コウジの気持ちを読み取ったのか、詩音は続けた。
「青色の人型アバターだよ?」
「青の特徴は?」
「赤が遠距離だから、青は近距離?」
 詩音の話はアテにならないので、今度戦うときに確認することに決めた。
 四戦全ての状態を明らかにしたところで、コウジは困っているときの癖みたいなもので自分の頭をトントンと叩いた。
「というか、四戦目あったんですよね」
「そうだよー」
「まずい。すごくまずい」
 詩音のアバターは理解していないかのように首を傾げた。
「リアルが特定された可能性があります。授業中で現実準拠の出現位置なら、少なくとも教室、うまくやれば個人が割れます。三回とも即、移動をしていましたが、四戦目でつったっていたってことは水の泡ですよ」
 授業中に挑んでくるので、相手も同様のリスクを抱えているとはいえ、それを割り出す余裕はコウジには、まだなかった。
「あ、そんなこと、マサミンも言っていたよー。『絶対、本名で呼ぶんじゃねーぞ』って」
 先輩はこの様子だとリアル・アタックのリスクをそこまで理解していない感じだった。
「一日一回対戦じゃん。リアルで殺すぞ、負けろって言われたら4日で死ぬ。だから、それまでに」
 コウジの言葉を遮って、詩音は言った。
「直結対戦ならその制限外れるんだよ?」
「なんで、重要な情報が後から後から出てくるんだよ!」
「今、思い出した」
 もう長い知り合いであるので、朗らかな詩音を怒っても仕方ないことは十分わかっていた。
「……だったら、即死じゃねーか」
「でも、四人とも五島君と同じ階の教室じゃないから、バレないと思うよ?」
 攻めてきた奴が同じクラスにいないのは幸いではある。が、ほとんど即死状態。詰みに近い。
 ただ、冷静に考えれば、相手がリアルを割り出すかは疑問に持つべきかもしれない。なぜなら、相手のリアルを割ることは、自分のリアルを割られる可能性に繋がることも多い。一方で片方だけが知っていることは強力な武器になり得る。いわゆる囚人のジレンマの状態だ。となると、他の諸々の条件を考えれば、取りうるのはパブロフ戦略である。そんなわけで、コウジは当面は彼らのリアルを割らない戦略を取ることにした。
 そ知らぬ顔してそんなことを考えて、コウジは詩音を睨みつけた。
「もう、新しい情報は出てこないだろうな」
 えーっと、と言いながら、詩音は必死に思い出そうとしていた。幾分かして、詩音は口を開いた。
「一個あったよ! 《バースト・リンク》した後の青世界で、宿題ファイル開いたらコピーロックが外れる、ってマサミンが言った! けど、ウチの学校、コピーロックかかっていないから、試したことないけど」
 これはぐらいしかないけど、いいよね?と言いたそうな詩音の声だったが、コウジは手をポンと打ち鳴らした。
「それ、すごく重要な情報です。ポイント使う価値があります」

 コウジはアバターの足を組み替えた。
「この四戦含め昨日からの情報でわかったことをまとめると――」
 OSの標準機能とは異なるアプリ動作を行なっているので、すぐにチートアプリが呼び出せるわけではない。
 OSの標準機能とは異なる量子接続処理をしているので、すぐにチート操作ができるわけではない。
 古い機器でも動くレベルの意外とロースペックの動作を行うことから、リソースに余裕はあるが、チートを呼び出せても、今までの1000倍で動くようにチューンせねばならない。
「――ここまでがリンカーの領域」
 コウジはここまでを一息に言った。内容の理解がおぼつかないのか、ポカンとしている詩音を無視して続ける。
「次に通信の領域はOSの標準機能の通信を使っています。確かにリンカーの通信モジュールを変に使うのはリスキーです。特殊な通信を行えば、電波法等の法律に引っかかるので、取り締まられる危険があります。仮に法律をすり抜けても、怪しい電波発信源を探すだけで『《ブレイン・バースト》狩り』が可能です。そういうわけで、普通の暗号通信を行なっています。容易には読み取ることはできませんが、それでも《ブレイン・バースト》を持っているかどうかぐらいは簡単にわかります」
 詩音は一生懸命内容を咀嚼しているようだった。そして、幾分か空けて口を開いた。
「たくさん通信するのが《ブレイン・バースト》プレイヤー?」
「そうです。どんなアバター名かはわからなくても、ネットワークの情報が取れれば、《加速》しているリンカーがどれかは特定できますね」
「じゃあ、それで割り出したら、相手のリンカーに侵入するとかできるの?!」
 詩音が驚きの声を上げた。コウジはなだめるように言った。
「残念ですが、その分野はそこまで詳しくないです。せいぜい、こちらの通信を変えて反応を見るのと、セキュリティーパッチの当たっていない攻撃して下さいと言わんばかりのリンカーを操作できるぐらいです」
 アプリやデータの解析をメインでやってきたので、ネットワークのハッキングは得意ではない。
「うーん、じゃあ、もうちょっと時間掛かりそうだねー」
「そんなアプリを作るのが、数時間でできてたまるか!」
 とは言ったものの、入学してから三週間後、初めて宿題が出た十二分後には宿題のコピーロックをコウジは外した。ゲームのチート作成も今までに作ったコードを再利用できる場合も多く、一晩で試作のチートを実現することもあった。それに比べれば、《ブレイン・バースト》には時間がかかっていた。
 それはやはり《加速》というオーバーテクノロジーがブラックボックスすぎるからだ。だからこそ、コウジは一つの感触を抱いていた。
「僕は《ブレイン・バースト》を一つのゲームだと考えるべきじゃないと思っています」
 話しの方向が変わったのを詩音は感じ取って聞いてきた。
「それは?」
「《加速》という上に《ゲーム》を無理やり乗せている、そういう感じがします。それは、《加速》という超技術を作った集団と《ゲーム》を作った集団の二つがある、そんな気がします」
 そう言ったものの、コウジ自身は首を傾げて、言い直した。
「いや、集団は一つかも知れません。とにかく、《加速》と《ゲーム》の技術力には雲泥の差があります」
「え? あんなにリアルで凄い格ゲーだよ?」
「それは《加速》の機能があれば、割と簡単に実現できる気がします。はっきり言って、ゲームの方は千倍早いだけのリンカーゲームに過ぎません。つまり、攻略の感触としては『不可能じゃない』ってことです」
 そこまで言って、コウジは小さくため息をついた。
「ただ、そうは言ってもポイント無くなって退場までが短すぎます。ドローもままにならないのでヤバイです」
「グローバル対戦でポイント稼ぐとかどう?」
 コウジは首を左右に振った。
「厳しいです。ツールアシストなかったら、僕のプレイは糞ですからね。レベルの違い以上に難しいです」
 VRゲームで操作がうまいというのは、VRゲームのための脳神経回路を持っていることに他ならない。現実で走るのが速い人がVRゲームでも速いとは限らないのと同じだ。だけども、現実で速ければ、似たような脳神経回路は持っているので、それを脳がVR向けに使うのか、速く走る例の方が多い。
 コウジは特定のVRゲームでは最速の動きを見せる。それは自分の脳反応を無視して、プレイヤーの動きを予め準備した運動力学モデルに当てはめる形でアシストするからだ。つまり、VR上ではコウジの脳が命令した筋肉の動きと体の動きは異なっている。
 それゆえか、完全ダイブのゲームでツールアシストプレイをして現実に戻ってきたら、ぐったりと座ったまま休んでいることが多い。
 そんなコウジの様子を見て、詩音は明るく言った。
「じゃあ、残り十五分はゲームを楽しもっか! もしかしたら、グローバル接続での対戦で稼げるプレイができるかもしれないじゃん!」

 何分か前に「先輩で《親》からのおごりは素直に受け取るものだぞ。後輩で《子》なら尚更ね」なんて言っていた詩音先輩はどこに行ったのだろうか。
 そのセリフを聞いて、一回しかインストールできないことが親子という強固なつながりを作る仕組みか、なんて悠長なことを考えれていたのは、嘘みたいだ。
 既に三発パンチを食らって、ヒットポイントはもうすぐ半分を割る勢いた。
「殺すなよ! 絶対、殺すなよ!」
「そんなこと言っていたら、うっかりクリティカルしちゃうよ?」
 詩音は笑いながら、その巨大な腕を振り上げた。さすがにそんな様子を見て、のんびりできるコウジではない。
「タンマ、タンマ。ちょっと、待って!」
「え? なんで?」
「このまま行ったら、殴られっぱなしで終わるじゃん! 何も収穫ないじゃん!」
 それを聞いて、詩音は腕を下ろしながら言った。
「えー、でもさ、必殺技試すんだよね?」
「そうだけどさ」
「じゃあ、仕方なくない?」
 そう言いつつ、再び、オペラ・プロテーゼは拳を上げようとする。
「いやいや、ちょっと落ち着きましょう」
 そう言いながら、詩音に言われて、さっき確認した《インスト》画面の内容を思い出す。
 モーションのアイコンと技が三つ並んでいた。
 腕を前に突き出す、通常技《パンチ》。
 脚を前に蹴り出す、通常技《キック》。
 衝撃に対して腕を突き出す、必殺技《カウンター》。
 名前からして、必殺技はカウンター攻撃っぽいがうまく発動してくれない。必殺技ゲージも溜まって、消費されているのに、空振りに終わっている。

 こうなったら演舞のようにゆっくりやってみるしかない。
「詩音、頼むからもっとゆっくり打ち込んでくれ」
「おーわかった」
 そう言いながら、オペラ・プロテーゼはゆっくりとパンチを繰り出してきた。が、動きはいびつだ。恐らく通常技のコマンドを使っていない。詩音が頑張って操作していることがわかった。
 その瞬間、コウジは気づいた。《ブレイン・バースト》も所詮ゲームである。
 詩音のゆっくりとした拳がコウジにあたる直前にまで近づいた。そのタイミングで必殺技《カウンター》をコウジは繰り出した。ただ、今までと違って、ここが現実に限りなく近い世界と認識するのではなく、あくまでゲーム世界であると思い込んだ。
 そのまま、コマンドに身を委ねた。RPGでの技の実行、FPSでの自作チートのオートアシストに似ている感覚をコウジは受けた。
 メカっぽい体がすっと動く、装着されている板と板の間から、腕がスッと伸びる。そして、オペラ・プロテーゼの巨大な腕に触れたか触れていないかの瞬間、動きが急に止まる。重たいものを押したかのような衝撃が走り、その直後、オペラ・プロテーゼは吹き飛んで、古城に打ち付けられた。
 グーッと相手のヒットポイントバーが削れた。一気に二割ぐらいが減った。
「おぉー!」
 叫んだコウジに向けて、オペラ・プロテーゼは尻餅をついた状態で、巨大な腕で親指を立てた。
「やったね」
「すげー、こんな感じになるのか」
 コウジの歓喜に詩音は口を挟んだ。
「というか、もしかして通常技の繰り出しもうまくいっていないんじゃない?」
 詩音の指摘は正しかった。
 コウジはパンチもキックもきちんと使っていなかった。うまく技に体が乗っていない、そういう状態だったのだ。
 それを理解した上で、再び、カウンター技を使ってみる。相手の攻撃の最大点を迎撃する、するとこちらはノーダメージで相手にダメージを転化する技であった。

「意外と使えるな」
 コウジはオペラ・プロテーゼの赤いもうギリギリの体力ゲージを見ながら言った。
「うん、当たればね」
 詩音はコペン・ミリタントの赤いがまだ少しある体力ゲージを恐らく見ながら言った。
「そう、当てればな」
 コペン・ミリタントは恐らくピーキーなタイプと呼ばれるアバターだ。壊れやすい件の盾の隙間から、こちらに対しての直接攻撃をタイミングを合わせることで、打ち消すダメージを与えるようなキャラクターである。
 詩音の、彼女が言うには相当素早さ遅めらしい通常パンチで、成功率が10%。それも来る方向がわかった上でのタイミングを合わせる作業である。
「確かにこれだと対戦厳しそうだよね。やっぱり、一番最初は広範囲攻撃か命中率高めの技がないと厳しいよー」
「いや、僕は悪くないな、と思っているんだけどね」
 コウジは本心から言った。
「あ、そーか。チート使えるようになったら、的中率100パーになるから、攻撃力の高い技の方がいいのか!」
「そゆこと」
 沈黙が少し場を支配して、詩音が口を開いた。
「じゃ、あと数分だけど、タイムアップ待つのももったいないよね」
「よし、僕はパンチを入れて、綺麗に終わらせます」
「バッチコーイ」
 そう言いながら、オペラ・プロテーゼは両手を広げて、仁王立ちとなった。
 それに向けて、コウジはなんかズルさも感じながらも、これからやることに比べれば、どうってことはないと思い直して、パンチを打ち込んだ。
 イマイチ、中途半端な入り方だったが、ごく僅かの体力ゲージを削るには十分だった。
 オペラ・プロテーゼはポリゴン結晶として砕け散り、コウジの目の前には【YOU WIN!!】の炎文字と詩音の想いのこもった10ポイントのバーストポイントが加算されたことが表示された。



[31282]
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/10 16:28
 現実世界で詩音は椅子の上で回り続けていた。いや、過ぎ去った時間が加速下にあったことを考えれば、現実においては限りなく短い時間であり、回った分量なんて極僅かに過ぎない。
「助かりました、ありがとうございます」
「うにゃ」
 コウジはお礼に、詩音は気の抜けた返事をした。
 傍から見れば、わけのわからないやり取りではあるが、自分たち以外に誰もいないから気にならなかった。
「今日は帰って作業します。明日も多分休みます」
「りょーかい。期待して待ってるぞ」
 詩音はそう言いながら、まだ椅子の上で回りながら、《完全ダイブ》と唱えた。
 回りながらダイブとか酔うぞ、と思い、詩音の方に向かい、そっと肩に手を掛けて、回転を止めてやる。
 珍しいな、と思う。女子生徒なら、神経質な場合は周囲一メートル以内に接近したり、せめて誰かに触れられたら、リンク・アウトする設定が多い。詩音もそんな設定をしていたような気がする。
 だけど、詩音は現実に復帰することなく、意識は学内ローカルネットのどこかに消えているようだった。コウジは学内ローカルネットへのダイブなんて、授業で指示されない限りしない。だから、そこにどんなコミュニティーがあるかなんて全く知らなかった。いや、リアルの学校ですらどこのコミュニティーにも属していない自分には関係無いだろう。
 世界の全てに理解されるなんて不可能だ。
 だから、僕はグローバルネットのリンカー技術関連コミュニティーで理解されればいい、そう思って振る舞ってきた。でも、現実でごく何人かは理解してくれた。
 その一人が詩音だ。彼女はチートプレイに対して昔から珍しい反応をしてきた。普通はずるいという感情が来る中で、彼女だけはすごいと喜んだ。そして、それから数日いや数週間かけて、コウジの作ったチートプレイを手動で再現してきた。
 僕が見ているものは人と違う気がする。無論、彼女が見ているものもまた違う気がする。だけど、僕のゴールを楽しみにしてくれている。それがあまり望ましくない方法だとしても。
 コウジは詩音からそっと離れて、部屋の扉に向かった。振り向くともう回っていない椅子に座って、眠ったような表情をしている詩音がいた。
「じゃ、また今度」
 口の中に音を留めるように言葉を残すと、何か返事をされたような気がした。でも、そんなありえないことは気にせずに部室を後にした。

 ナビの無い家路も二日もすれば、慣れてしまう。数十年前まではこんなものなんて無かったということを考えれば、無しで歩けて当然である気もする。
 あまりにぼんやりしすぎれば、もちろん危ないが、思考の妨げとなる通知が出てこないので考え事には向いている。
 何の気なしに、うーん、とコウジは唸った。
 コウジのお家芸とも言える操作のアシストチートをブレイン・バーストで実現するのは二つの難しさがある。
 一つ目はゲーム中にチートジェスチャーを混ぜる方法がわからないことだ。とはいえ、こちらは今日の戦闘で幾つかの検討がついたことから方針は立っている。一番の問題は試すたびにポイントが取られるので、実際にこの機能を作る前の設計に多くの時間を割かないといけないことだろう。ただ、最速で今晩、恐らく数日あれば、プロトタイプは作れると、コウジは経験的に考えていた。
 問題は二つ目だ。即ち、ゲームが千倍で動作するため、チートも千倍で計算をしないといけない点である。FPSでの最適な投擲は対象への投擲軌道を0.25秒で計算する。だが、それは加速下においては、四分強である。使い物になるはずがない。現状のリンカーのリソースを限界にまで使って、カリッカリッにチューニングしたところで二倍速くなるかどうかである。千倍速くなるには、ブレイン・バーストで実現していることを割り出し同じ事をするか、コペルニクス的転換でアルゴリズムの改善するか、百年近く続いているムーアの法則を信じてリンカーの性能向上を二十年待つかしかない。最後の項目は時間的に選択の俎上からは外れるけど。
 となると、興味的にも得意分野的にもアバターの能力的にもアシストは実現したいが、現状は無理だと割りきるしかない。
 それに今日の減損は14ポイント。毎日、詩音先輩にお世話になれて七日。と言ってもポイント供給できる余裕なんてあるはずがない。今日の戦いも先輩にすごい負担を与えたことだろう。そうなると残りは世話にならないとすると、グローバルネットから切断を続けても、あと四日の命である。今日は木曜であるから、一度日曜を挟むが、それでもアシストが完成どころか調査中に落ちる可能性が高い。
「どうにかして勝たないとな……」
 ため息と共にそう呟いた。ナビのせいで普段見ることのない、歩道用の信号が目に入る。赤なので立ち止まった。
 赤信号は渡るな。青信号は渡ってもよし。だったかなと、コウジは昔、父親が言っていた雑学を思い出していた。青信号は渡りなさいじゃないんだよな、と思った瞬間だった。
 勝つ方法じゃなくて、負けない方法であればいい。その負けない方法もグローバルネットでの対戦に限定すれば、バカバカしいやり方で実現できる。グローバルネットで負けなければ、ある程度のポイントは稼げるはずだ。
 「よし」と小声で呟いた。ゲーム本体の解析もチートの高速化も必要ない。チートジェスチャーを混ぜる仕組みさえ実現できれば、何とかなる。むしろ、それだけを何とかする。
 嬉しくなって、目の前の車道に車が走ってこないことを確認して、赤信号を突っ切った。コウジは家に向けて、軽く駆け出した。数分後に息切れしていた。結局、いつもと同じ時間に家に着くことになった。

 家に帰ると制服も脱がずに、自分の部屋のメッシュの椅子に腰掛ける。右手を軽く振って、黒い画面に白文字表記のコンソールを立ち上げる。
 今から作るものは仮想環境の汎用解析プログラムだ。
 アイディアの元は、詩音が教えてくれた宿題ファイルのコピーロックが外れる話、極端なところを言えば、宿題ファイルが開ける話だ。どんなファイルのコピーロックでも解除できるのも興味深いが今はその解析をしている余裕はない。重要なことは千倍の世界でも、既存の任意のアプリの実行が可能であることだ。
 となると、やるべきことはブレイン・バーストの初期画面がある種の仮想環境だと仮定し、解析を行うことで、自作のチートアプリが戦闘時もバックグラウンドで起動する状況に持っていくことである。
 そこまでこれば、あとは戦闘中でのジェスチャーによる機能呼び出しだけである。その実現もブレイン・バーストが千倍で動いていることを考えれば容易だ。VRゲームがあくまで仮想現実だと思える程度の質感しか実現できないのは、リンカーのスペックが足りないからではない。確かにリンカーの性能向上と共にVR空間は美しくなっているが、それは脳に送るデータのCPUでの振り分け性能が向上したからに過ぎない。単純に言えば、古いVR機器は視界全体をデータとして送っていたが、新しいものは焦点の当たっているところを繊細に、それ以外をボカして送っているからと言える。これはリンカーが安全のため、量子的意識体への接続深度を制限しているためである。
 だから、逆に言えばあの少ない実行リソースのブレイン・バーストが高密度・高精細を実現しているのは、通常より深い接続深度で量子的意識体へのアクセスを行なっているぐらいしか想像がつかない。
 つまり、ジェスチャー認識のプログラムを動かすには、量子的意識体の深深度接続における意識情報に対応させ、なおかつ処理時間を通常の千倍とすれば良い。
 それゆえ、ここまできたコウジは開発に丸一日かかることが読めた。アプリケーションの開発はコンピュータの時代からリンカーの現代に至るまで変わらない。設計に全体の三分の一、テストに半分の時間を掛け、実装には六分の一の時間しか掛けない。だから、そんな想定ができた。
 人間の進歩ははるかに遅い。それはブレイン・バーストの開発者とて同じ事だろう。だから、僕はこのゲームに挑める。
 ひとまず、やることは決まっていた。対戦の危険を冒しても、グローバルネットに接続する。そして、量子的意識体への深深度接続の研究で有名なアメリカ西海岸の大学の研究室の論文を入手する。で、一秒でも速くグローバルネットから切断することだ。

 木曜の午後から調査と設計を初め、金曜日は矢のように過ぎ去り、二日後の土曜日を迎えた。
 論文調査のためのグローバルネット接続時に対戦がふっかけられなかったのは運が良かった。金曜には学内がりで前日と同じく24ポイント奪われた。帰宅後の実験のための加速で5ポイント、さらに検証のための対戦での敗北で30ポイント失った。
 残り26ポイント。だが、手元には一つのチートアプリ《ブレイン・バースト・ブリッジ》が完成していた。
 想定している用途では、グローバルネットでしか使えない制約があるので、これでまずはポイントを稼ぐことを考えたい。
 だから、今日は二日ぶりにグローバルネットに接続し、交通情報ナビが懐かしい。そんなことにふける間もなく、既に二回対戦を挑まれたが、このアプリのお陰で無敗である。正直、このブレイン・バーストをゲームとして見た場合、相性の問題が非常に大きなウェイトを占めているように思える。だから、挑んできた赤系プレイヤー(それも見えないところからヒットしてくることができた奴らだ)に対しては早々とチートを行使した。
 今日の目的はポイントの獲得。そのためには相性が良い相手と戦うことだ。こちらがポイントを使えるのは、学内で狩られることを考えると僅かに一回。だが、そのチャンスを物にしてみせる。
 交通量の多い交差点で、視界右上には「信号が変わるまであと32秒」とナビの通知が表示された。
 コウジは覚悟を決めて呟いた。
「バースト・リンク」
 水面が突如凍るが如くのバシイイイッという音と共に、世界の風景は青色で固まった。だけど、その世界には用はない。
 灰色うさぎのコウジのアバターは右手でブレイン・バーストのコンソールを呼び出し、マッチングリストの更新を待った。自分からの対戦は初めてだが、よくあるゲームインターフェースなので、慣れで使える。
 自分のアバター名《コペン・ミリタント》に続いて、十人近い人数が出てくる。新宿区と目と鼻の先の距離だからプレイヤーが多いのかもしれない。
 負けないためのチートを持つコウジが挑むべきは勝てるか勝てないかぐらいの相手。1レベル差はある意味コンディション次第だ。3レベル差はさすがに実力差が出る。となると、ポイントを使って挑むべきは2レベル上の相手だ。その上で、自分のアバターのカウンターが最大限に効く相手、即ち、遠距離の赤ではない色のプレイヤーである。
 金曜日の対戦で目撃できた、セルボーことセルリアン・ボーアが近接であったことは、詩音の言葉の裏付けとなった。なんだかんだで、昨日は青いコイツと緑のエンパイア・スタッフとは、カウンターが的確に当たってくれさえくれれば、悪くない勝負になったのだ。
 今日は決める。
 直後、リストの中から該当するプレイヤーを見つけた。
 《シアン・パイル LV3》。
 青系レベル3だ。願わくばそんなに動きが速くないことを祈りながら、コウジは名前をクリックし、ポップアップしたウィンドウのデュエルコマンドを押した。



[31282] 10
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/11 19:09
 世界から青い色が抜け落ち、元の灰色っぽいコンクリート色に包まれた。同時に人々や自動車が消える。
 朝の明るい空は消え去り、暗雲低く垂れ込む夜空に変わった。そんな空には、広告パネルで光り輝く飛行船が浮かび、バブリーで品のないレーザーによるイルミネーションが地上から発射された。
 隣のビルがピカっと光る。広告パネルが点いたからだ。そこからは東南アジア系の言語が宣伝として流れ始め、この場所をカオティックな空気で満たしてきた。
 とはいえ、その光景に見とれているわけにはいかない。なぜなら、シアン・パイルを倒さねばならぬからだ。ぼんやりしているうちに逃げ回られたら、目も当てられない。
 視界中央の小さな水色のカーソルの示す方向に大通りを走り始めた。通りの左右のビルはケバケバしく煌びやかだが、人っ子一人おらず何とも言えない寂しさがある。

 走っているうちに、カーソルが消え、ターゲットへの接近を知らせた。
 シアン・パイル、どこにいる――と思うも、通りの突き当りの広場で、背の丈ぐらいの光り輝く立て看板を壊している青いアバターが見えた。
 ブレイン・バーストゆえの臨場感のせいか、コペン・ミリタントの足音はシアン・パイルに届いていたようだ。距離を置いて立ち止まった瞬間、こちらを向いてきた。
「朝はバトルなんて気分じゃないんだけどな」
 随分と爽やかな雰囲気の声だが内容はトゲを感じる。コウジはやっていたであろうことを瞬時に判断して言い返した。
「その割には必殺技ゲージを貯めるのに一生懸命だったようですけど」
「万が一ってことですよ。あーあ、ちょっとグローバルネットの接続が早かったのかな。でも、新宿までオフなのはかったるいしね」
 シアン・パイルの言葉にコウジは疑問に思った。
「ちょっと待て! なんで新宿だったら、挑まれないんだ?!」
 鼻で笑って、シアン・パイルはこちらに近づきながら答えた。
「やれやれ、完璧に初心者(ニュービー)ですか。新宿は我々レオニーズの領土です。そこならレギオンメンバーは対戦拒否できるんですよ」
「レオニーズはレギオンで、レギオンはMMORPGでいうギルドみたいなものか?」
「そうですよ」
 やっぱり、こういう肝心な情報が抜け落ちている。詩音先輩め。やっぱり、これは残念先輩にもコンタクトを取った方がいいな、と余計なことを考えていると、シアン・パイルは快活な声を発した。
「じゃ、レクチャーの対価にポイントをポイントを貰おうかな」
「残念だけど、僕もポイントが必要でね。ちょっとレベルが高くて、勝てそうな奴を倒さないといけないんで」
 コウジの挑発にシアン・パイルは乗ってきた。
「レベルの差がこの加速世界でどういうものなかのか、教えてあげるよ!」

 その時、コウジはシアン・パイルのと距離が思いの外、詰められていることに気づいた。
 右手が引かれるのが見えた。確か何か機械が装着されていたはずだ。相手の名前はシアン・パイル。杭打ち機か、と仮説を立てれば、杭が飛び出すという点で射程が長いパンチを繰り出すことが読めた。
 ガシュン!という音と共に、シアン・パイルの右腕のパイプの末端から炎が見えた。
 あとは自分の回避操作で体を逸らし避けにかかる。それを追いかけるように右手は動かされ、目にも留まらぬ速さで鉄針は撃ち出された。
 チートアシストの無いコウジでは起こることを読み切っていても、その攻撃の完璧な回避はできなかった。左肩に装着されている板切れに突き刺ささり、同時にその衝撃でまずほんの少し体力が削れた。だが、それは始まりに過ぎず、直後、左腕に激痛が走った。構造物は貫通し、腕をえぐるようにダメージを受けた。
「ハハハ! 随分、脆い盾だね!!」
 バカにしたような笑い声と共に、再び鉄杭が使われるために収納されようとしていた。
 体力ゲージは減りは二割に満たないぐらいだが、それ以上にコウジはダメージを受けていた。詩音のレクチャーも学内の敵との戦いもダメージの中心は打撲だ。貫通の痛みはそれと比べ物にならなかった。
 そう思えば、二発目を食らったら体力ゲージ以上にまずい。ファースト・ターン・キルされるために対戦を申し込んだわけではない。苦痛を飲み込み、姿勢を立て直し、健常な両足でシアン・パイルへの距離を縮める。
 こちらがこんなに速く復帰し、突っ込んでくると思わなかったのか、シアン・パイルはとっさの対応が取れなかった。元から素早さは低いのかもしれない。
 そんな奴を拳の射程距離に収めた所で、両足を踏ん張り、全体重を預けたパンチを繰り出す。右拳は盾的な板の隙間を抜けて脇腹に入った。
 打撃が効いたようでシアン・パイルの姿勢が少し崩れる。その隙を見逃さずに左回し蹴りを腹に打ち込んでやる。さらにパンチを打ち込むと、よろめきながらもシアン・パイルは右腕の発射筒を高く掲げた。筒から肩までが青い光に包まれ、低い音を立ててそれは三倍ぐらいの太さに変化した。
 その奥から姿を見せたのは杭ではなく、先端が平らな巨大なハンマーだった。だが、その挙動自体は予想の範疇に過ぎない。
 マッチョイズムな胴体の動きは大きく読みやすい。右手の杭打ち機も発射方向が読み安い、射線に入らなければ回避可能な攻撃だ。
 あとはタイミングを読み切るだけだ。
 直後、ハンマーの先端が輝いた。
「――《スパイラル・グラビティ・ドライバー》!!」
「ッ、《カウンター》!」
 重々しい駆動音と同時に回転がかかりながら撃ち出されたハンマーに対して、その最大衝撃が走る一点に向けて拳が放たれる。
 今まで試してきた《カウンター》の的中率は微妙であったが、テレフォンパンチとも言えるコイツの攻撃なら、今までほど難しくはない。
 その瞬間が訪れた。轟音を伴って青いアバターはハンマーと共に後方に吹き飛んだ。灰色に近いコペン・ミリタントは衝撃で半歩ばかり、後ろに押し下げられていた。
 思わぬ反撃だったのか、シアン・パイルは毒づいた。
「ゲームだけは得意な僕の知り合いにそっくりだ」
「そう褒められるほどゲームは得意じゃないんだけどね」
 コウジはそう言いながら、チラリとゲージを見やる。コペン・ミリタントは体力ゲージはまだ七割ちょっと残っている。今の必殺技を完璧には打ち消せなかったらしく、体力は減った感じがする。無論、必殺技ゲージは空である。一方のシアン・パイルは今のカウンター攻撃が効いたようで、体力ゲージは六割ほど減っていた。だが、必殺技ゲージは七割ぐらい残っている。
 意外とゲージを使わない必殺技なのか、と分析する。だが、そのことはこちらにも読みやすさをもたらす。他の必殺技は杭なりハンマーなりの構造物をシアン・パイルの名の通り、杭打ち機から発射してくるのであろう。それは読みやすく、カウンターで迎撃可能な技だ。
 ならば――至近距離で仕留めるのが必勝法だ。
 コウジは懐に潜り込むかの勢いで一気にシアン・パイルとの距離を詰めた。
 その瞬間、シアン・パイルは両腕を思い切り広げた。じゃきっ!と機械音がしたと思うと、ボディースーツの小孔から十本以上に及ぶ杭の先端が顔を覗かせた。
 必殺技か――走りを急に止めれはしないが、なんとか飛び退こうと動いた。
「――《スプラッシュ・スティンガー》ァァァッ!!」
 空気を轟かせて、多数の杭がコウジに向けて発射された。
「うおおおお!!」
 必殺技という見立ては正しかった。無理やり体を逸らすも、杭の多くが自分に飛んでくる。コペン・ミリタントの周囲の構造物がこれに耐えれるはずがない。ほとんど全ての杭が構造物に突き刺さる。そして、僅かにその勢いを殺しただけで、構造物はその役目を終える。
 腹を中心に十数本の杭を全身に受け、コペン・ミリタントはボロ屑のように空中を舞った。そして、大通りをまっすぐ後ろに転がった。
「ぐはっ……!」
 痛みが酷い中、ゲージを見る。今のダメージだけで必殺技ゲージは半分弱ほど溜まっていた。だが、体力ゲージは残り三割ほどしかない。
 まだ、カウンターを打てるのか?そう自問した瞬間、まだ無傷であった右手に激痛が走った。ゲージがググっと減る。
「攻撃を打ち消してダメージを与える必殺技なのかな?」
 シアン・パイルはうつ伏せのコペン・ミリタントの手を踏みつけながら、優しさ交じる声をかけてきた。
 単純な近接キャラではなかった。自分の読み違えゆえのこのザマだ。
 だが、負けるつもりはさらさらない。腕は動かさず、左手だけを小さくサッと動かしながら、チート行使に必要なほんの僅かの時間を稼ぐために会話する。
「そういう技ですね」
 ジェスチャーが認識され、視界にはブレイン・バースト固有のものではない、コマンドラインコンソールが表示された。
「ずいぶんと地味な必殺技ですね」
 シアン・パイルの言葉を聞きつつ、左手片手でホロキーボードで操作し、コンソールに入力した文字列履歴を選び、Enterを叩く。
「レベル1ならこんなものでしょう。現にあなたもレベル1の必殺技は使っていない」
 同時にコウジの視界には深紅の文字列で【DISCONNECTION WARNING】と表示された。
 コウジのセリフが癪に障ることだったのか、シアン・パイルは返事をしなかった。
 直後、後頭部にハンマーが当たる感触がした。が、それと同時に訪れた暗闇がその感触を打ち消した。

 コウジは加速した交差点に帰ってきた。
 今の操作のせいで交通予測ナビの表示は消えていた。加速前、信号が変わるのにあと三十秒とか通知していたはずだ。あまり重要な情報とは言えない。
 信号が変わり、ある程度歩いた。レベル3狩りは失敗したが、負けはしなかった。何分かの時間が経ったことを見計らって、再びグローバルネットに接続した。今度、挑んでくるのには勝ちたいとコウジは思っていた。

「で、学外は二勝五引き分け。学内は三敗一引き分けでした」
 リンカー部の部室には詩音しかいなかった。午前授業で昼食を食べずに来たので、他の人はまだいなかった。
 そんなわけで、コウジは加速を断って、適当に腰掛け今日の状況を説明していた。
 詩音は軽く拍手をしながら、明るく言った。
「学内初ドローおめでとう!」
 三日も経つと何とか慣れてはくる。カーマイン・アーテラリから三十分逃げきる事でドローに持ち込み、今日は18ポイントの損失で済んだのだ。
 ついでに言えば、エンパイア・スタッフには勝てそうではあったが、結局押し切られた。これで戦闘を遠慮してくると嬉しいがそうもならないだろう。
「ありがとうございます」
 コウジがそう返事をした瞬間、詩音の表情は不満そうなものに変わった。
「で、二勝おめでとー」
 棒読みである。
 シアン・パイル戦の後、四回もレベル1が挑んできたのだ。再開発が進んで人口が多いゆえ、プレイヤー数も多いのかも知れない。で、そんな奴らに頑張って立ち向かった結果、二勝できたのだ。シアン・パイルに挑む前にも二回レベル1に挑まれていることを考えれば、六戦二勝である。引き分けが本当は負けであったと考えれば、普通の結果である。
 ちょっと強張りながらも、お礼する。
「ああ、ありがとう」
「何あれ」
 詩音にしては怖い表情だが、怯まずに答える。
「チート」
「えー。アレは絶対ズルイ。無し」
 詩音も、チートアシストによる最適化済み操作は許せても、こういう手法はやはり気に食わないようだった。
「いや、仕方ないし」
「えー。だってさ、ピンチになると全部【DISCONNECTION】で落ちるんだよ?! シアン・パイル戦なんか観戦者多かったから、みんな怪しんでいたよ」
 そう。コウジのブレイン・バースト初チートは、ゲーム中のリンカーの操作である。それを利用して、ゲーム中にリンカーのグローバルネットから切断したのだ。
 グローバルネットからの切断にハードウェアボタンが利用されるのはユーザインターフェースの問題に過ぎない。人間はまだ画面上で操作したことに対し、全幅の信頼を置いているわけではないからだ。それはある意味、いまだに有線接続が残っている理由と同じとも言える。
 とにかく、グローバルネットの切断は、当たり前だがリンカー上からもできる。だから、コウジはそれをブレイン・バースト上からもできるようにしただけである。
 ハードウェアボタンによる切断だと長押しに必要な数秒、XSBケーブルの引き抜きだとコンマゼロ秒かの通信が発生するが、システム上での強制切断はマイクロ秒単位で切断が完結する。それゆえ、ブレイン・バースト上でも数秒で離脱が完了するというメリットがあった。
 ただ、学内ローカルネットからは切断すると学校に警告されるので、これで逃げることはできない。それゆえ、グローバルネットで負けないためにしか使うことができなかった。
「いや、シアン・パイルはちょっと欲張り過ぎたと思う。勝ったら一気に収支が釣り合うと思ったんだけどねぇ」
 コウジはそうお茶を濁すような言い方をするしかなかった。が、詩音の可愛らしい不満顔は解消されそうになかった。
「ま、こういうのがベースにあった上で、色々なチートって作られるから、待って欲しい」
 その言葉を最後まで続けさせる前に、詩音はいつも通りの顔で言葉を重ねてきた。
「ま、いいんだけどね」
「え、なんで?」
「ちゃんと、このゲームにハマってるじゃん」
 そう言いながら、彼女はニッコリと笑った。なんか、遊ばれているような気もしたが、詩音先輩のことだから、何も考えていないに違いない。
「それなら、そのうち変態駆動が見れるじゃん」
 変態駆動は残念先輩の命名である。
「変態駆動言うな。それにまだちょっとやっているだけですから」
「え? でも、これからマサミンと会うんでしょ?」
 コウジは部室に来た時、「ブレイン・バーストのこと聞きに残念先輩に会いに行くので、手短に」と言っていた。どう考えても、夢中になっていることがバレバレである。
 そんなコウジに詩音は再び笑みを返した。
「ま、そうなんだけど」
 とっさに目を逸らしながら言うと、時計アプリの時間が目に入った。 
「っていけね、もう行かないと」
「じゃあ、いってらっしゃい。また、来週ね」
 そう言いながら、詩音は小さく手を振った。コウジも手を振り返しながら答えた。
「では、また」



[31282] 11
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/12 19:40
 コウジは一人で学校から出ると同時にグローバルネットの接続をオフにした。
 チートによる切断離脱が可能なので負ける心配はないが、安易にそれに頼るわけにはいかない。回線切断がチートであることにすぐに気づかれるとは思っていなかったが、恒常的に使えば、見破られるリスクは高まる。特に新宿なんてプレイヤーが多そうな場所で見破られようものなら、加速時の出現場所からリアルがばれる危険性がある。そういうことを考えての設定だった。
 駆け足で五分ほどで中野駅に着いた。無論、残念先輩こと澄田正己と待ち合わせている新宿に向かうためだ。昼間であったが中央線はすぐに到着する。時計を見るとそれでも微妙に遅刻する時間であったが、今更悔やんでも仕方ない。気にせずコウジは電車に乗り込んだ。

 並行する総武線より早く新宿についた。
 仮想デスクトップ上で残念先輩からのメールを開く。待ち合わせ場所はいつも通りの南口。電車を降りたところからは少し遠いが仕方ない。
 改札から出るとき、チャリンと硬貨が落ちる小気味よい音がリンカーからする。もちろん、電車賃の自動引き落としだ。そんな改札を出た時点で三分の遅れだった。許容範囲内なので気にしない。
 ぐるりと辺りを見渡す。柱にもたれかかって目を閉じている見知った面構えの奴がいた。顔も体格も私服も全部イケメンだ。横を通りかかった女子高校生らしきグループが彼を指さしながら「あの人、かっこ良くない?」なんて会話しながら通り過ぎる。
 目を瞑っているのは、こんなパブリックスペースで完全ダイブしているからだ。詩音なら、直接リンカーに触れて強制リンクアウトなのだが、コウジはそこまで野蛮ではない。
「コマンド、ボイスコール、ザンネン」
 音声命令を受け取ったリンカーは【登録アドレス〇四番(残念先輩)に音声通話を発信します。いいですか?】とホロダイアログが浮かべた。イエスを叩くと、コール三回目で柱の前のイケメンがぼんやりと目を開け、目覚めたばかりの憂いを感じさせる表情のまま、四回目のコールが終わる前にそいつは出た。
『へい!ゴーシマ!どこどこどこ!』
 目の前のそいつは小さく口を動かして、カッコイイ声で表情に一致しない内容を発してくる。
「目の前です」
 マサミはゆっくりと顔を持ち上げて、コウジに気づいたようだった。が、あんまり大きな声を出したくないのか、電話は切らずに会話を続けてくる。
『よー! 元気してた?』
「ええ、まあ、適度に」
 今、この瞬間、ちょっと疲れと言うか面倒くささを感じる。そんなコウジの気分はガン無視される。
『なら良かった。腹減った。飯行こう』
「そのつもりです」
 そう言いながら、音声通話を切ろうとすると、マサミの声がまだ聞こえてきた。
『あ、ちょい待ち。コイコレのセーブするわ』
 コイコレって何だと思ったが、何で知ったか忘れたが確かアダルトゲームのタイトルだったはずだ。コウジは断末魔だと思って、通話を切った。

 中高生の野郎共が昼飯に、というとファストフードか安い系統のチェーンに入る気がするが、コウジとマサミがサシで食うときはそうでもない。
 マサミの家は金持ちだ。高校は私立であることからもわかりやすい。まあ、その私立に進んだ理由も、通学が私服がいいからという理由だったと思う。そこの学校かなり頭がいいのに、その残念な思考でよく入れたな、なんて思わなくもない。勉強の出来不出来とは違うのだろう。そんな金持ちだけあって、リンカーゲームへのつぎ込み具合もすごかった。そりゃ、昼食代もポンと出るのだろう。
 で、コウジはコウジでRMTを自動化して月六万ほど稼いでいる。この自動化も、GMが話しかけてきてもきちんと受け答えできるボットが組み込まれており、一度もアカウントデリートを食らったことがないことが密かな自慢の力作である。本気を出せば月数百万ぐらいいきそうな気もするが、そういうお金への執着心があるわけではなく、小遣いを多めに入手する程度にしか使っていなかった。
 そんなわけで、金がある野郎二人は徒歩数分のホテル一階のバイキング、土曜のランチ時千五百円に突撃することにした。

 陸海空コンプリートセットと称して、トンカツ・フライドチキン・アジフライに申し訳程度の野菜が乗ったプレートのフライドポテトを殺しにかかりながら、マサミが言う。
「しかしな。お前がバーストリンカーとはな。しかも、詩音の《子》かよ」 
 胸焼けしそうな相手のプレートを見ながら、三枚重ねのステーキ一枚目を切り分けながら、コウジが言い返す。
「詩音先輩はあなたの《子》ですよ」
 一切れ目を味わって、コウジは聞いた。
「というか、なんで詩音にあげたんですか」
 無論、冷静に考えれば考えるほど、色々な問題ごとを持ち込みかねないブレイン・バーストをだ。
「面白いゲームないか?って聞かれたからだよ」
 全部ソースをかけながら、マサミは答えた。フライドチキンにもソースかけるものなのか、とコウジが思っているとマサミは続ける。
「いや、初めは隠そうと思ったんだぜ? だから、特にねーなって言ったら、ほんとに?隠してない?ってめっちゃカワイイんだもん」
 怖いの間違いなんじゃないのかと思ったが、それは置いておく。
「それに一瞬言い淀んだら、直結してきて、ちょーだい?だぜ。あげるしかねーじゃん」
「リスクの説明は?」
 コウジが睨みつけるようにいうと、マサミは真面目な顔をして言った。
「もちろんしたぜ。俺の《親》もそこはきちんと説明してきたからな」
 それを聞いて、コウジはため息をついた。マサミはそれで全てを理解してくれた。
「どんまい」
 そう言いながらイケメンはソースで染められた陸海空のどれかを食っていた。
「そんなわけで、話をしたかった理由はわかりますよね?」
「詩音じゃわからんことを聞きに来たってところだろ」
「そうです」
 コウジは首肯して、肉切れを口に放り込んだ。
「って、なんか前もあったよな」
 確かに何かあったような気がするが、何だったか思い出せない。詩音が挟まるとよくあることなので気にしないことにする。

 ソースで塗りたくられた何かを食いながら、イケメンは言った。
「じゃあ、そうだな。インストールの条件から行くか」
「それ、何ですか?」
「詩音すげーな。聞かずに入れたってことか」
 マサミはそう言って、箸の手を止めて続けた。
「生まれた時からニューロリンカーを装着していることと、一定以上の大脳応答速度が条件になっている」
「一つ目嘘ですね」
 コウジの即答にマサミはポカンとした。
「配布者の嘘です」
「そうなのか?」
「勘ですよ」
 そう言ったコウジにマサミは話は続けろと言いたげな表情でソースまみれのトンカツを食っていた。
「コアチップに書き換え不能なデータとして登録されるのは所有者の個人情報と発行年月日です。つけているかどうかまで判定できません。脳の記憶の読み取りは、暗示で揺らぐのでほとんど無意味です。だから、そのチェックは無いですよ」
 コウジはブレイン・バーストの開発者に対して抱いている複雑な感情から断定するように言った。
「面白い見方だな」
「条件満たさずに入れたら、どうなるんですか」
「もちろんできず、インストールをする権利を喪失する」
 コウジはそれに、ふーん、と鼻で返事をして、聞いた。
「それに失敗したということを聞いたことは」
「俺はない」
 マサミは「俺」にアクセントを置いていた。
「本当に無かったら、二つ目も嘘の方が面白いですね。多くの人はニューロリンカーの量子的接続ができ、VRを楽しめることから、実は普通にブレイン・バーストも使える。でも、ブレイン・バースト自体は噂によってコピーをコントロールされている、という方が面白いと思いませんか」
 マサミは小さく笑い声を漏らした。
「お前の考えることが面白いんだよ」
「ま、そのぐらいにブレイン・バーストの開発者の言うことは信用していませんよ」
 そう言いながら、三枚重ねだった肉の最後の一切れを食べ終えて、コウジは続けた。
「現実的にはチェックは走っていると思いますけどね。それじゃないかもしれませんけど。これをインストールしたときに、リンカーに入ったファイルは全てチェックしました。BB2039.exeという名前のファイルとcheckという単語が含まれた実行ファイルが容量0で入っていました。前者は例えば人数を増やすためのコピー無制限時代のものだったとか、後者はその名の通りのチェッカーだとか、そんな気がしますね。削除された理由はもはや推し量るしかないですけど」
「なるほどね」
 ほどほどに興味を持ったような顔でマサミが答えた。
「仮にマサミ先輩の言ったチェックが正しいとします。すると、ブレイン・バーストのプレイヤーはリンカーを軸に非常に均質的な集団となります」
 コウジもさすがに本人の前で残念とは呼ばない。呼んでいることは知られているが。
「そんな異様な子供の国を作ってどうするのか、っていうのは読み解きたいと思いますね」
「お前は子供って感じじゃないけどな」
 マサミが茶化すが無視されるとわかって言っている感じなので置いておく。
「しかも、招待を現状一人に絞っているので、新規プレイヤーは既存プレイヤーの仲間かカモであるという構造です。ここでは、仲間のみが生き残っていくため、非常に純化した組織となっていきます」
 そう言ったところで、マサミは飽きたようにポテトで皿のソースを集めていた。
 コウジは「すいません、それは後で一人で考えます」と謝った。それに対して、マサミは気にしていないと言わんばかりに笑顔を向けてきた。イケメンだから許されるのが悔しい。
「ただ、僕は案外、年齢チェックは本気で嘘だと思っているんですけどね」
「その心は」
「開発者が実験に困るじゃないですか。そうじゃなかったら、開発者は僕らに近い年齢ですよ」
 マサミも皿を綺麗にし終えて言った。
「いるかもよ? ロリ美少女スーパーハッカー」
「ハッカーはいてもスーパーじゃないですよ。僕がチートで挑めていますから」
 マサミは「自信家だな」と笑いながら言って、席を立った。コウジも同時に立ち上がった。無論、バイキングなので更に飯を取るためだ。

 レタス・ニンジン・タマネギの三色サラダを皿一杯に取ったコウジは食べながら聞いた。
「あと、ゲームオーバーの扱いを聞かないといけませんね」
「ゲームオーバーって、ポイント全損のことか?」
 ハンバーグ・ミートボール・ソーセージと肉しか取っていないマサミは笑いながら聞いてきた。
 コウジが「ええ、詩音先輩がそう言っていました」と言うと、マサミは声を出して笑った。コウジは何となく理由がわかって、釣られて笑うとマサミが言った。
「加速の力を失う。だから、全損と恐れられているのに、詩音にかかったらゲームオーバーって気楽なものになるなんてな」
 そう言って、マサミは肉を頬張って、言葉を続けた。
「全損ってぐらいだから、ポイントがゼロになることだ。すると、ブレイン・バーストは自動でアンインストールされる。さらに記憶を失う。で、二度とインストールできない。固有脳波で識別されるから不可能だ」
 「これが俺が知っている内容だ」とまた「俺」にアクセントを置いて、マサミは結んだ。
「嘘ですね」
「またかよ」
 マサミはおかしそうに言った。
「シミュレーションしたらわかりますよ。まず、ブレイン・バーストを持っているAさんがいて、退場したとします。そのあと、Aさんはリンカーのコアチップを壊し、再発行を受けます。これでインストール可能かの判定は固有脳波のチェックとなりますね」
 不思議とマサミは真面目な表情で聞いていた。
「ああ」
「さて、次にBさんがいるんですが、BさんはAさんより早くブレイン・バーストを入手し、それ以来、一度もグローバルネットに接続していません。ここまでいいですか?」
「うん」
「つまり、Bさんのブレイン・バーストにはAさんがプレイヤーであるという情報は一切入っていません。このBさんにAさんが直結したら、ブレイン・バーストは貰えると思いますか?」
 マサミは少し黙って、一つずつ検証しているようだった。そして、口を開いた。
「固有脳波のチェックなら、チェックすべき情報を持っていないから、できそうだな……」
 少し茫然としたような言い方だった。
「だから、再インストールのチェックに固有脳波等の個人情報は使っていません」
「すると、全損した後にインストールできるってことか?」
「そうとは限りません。チェックの仕組みが異なれば可能です。と言っても、コアチップ破壊を考えると脳の方に書き込むしかないです。つまり、ブレイン・バーストで全損したって記憶を持たせるわけです」
 コウジのその意見にマサミは即座に反論してきた。
「でも、脳の記憶はアテにならないだろ?」
「アテできる場合はありますよ。その人が強固な精神の持ち主の場合とかそうです」
「そうとは限らないだろ」
 マサミは憮然とした口調で言ってきた。
「だから、ブレイン・バーストはアンインストール時に新しい人格を植えつける、っていうのが今思いついた仮説です」
 その言葉を聞いた瞬間、マサミは嫌な表情を浮かべたのにコウジは気づいたが続けた。
「全記憶を消去して新しい人格を載せる。記憶を残した上で催眠状態にして人格を動かす。今までの人格は加速空間で囚われにして、新しい人格が現実で過ごす、というのもあるかもしれません。アンインストール後の人格はブレイン・バーストが現在の人格から生成する形で創ります」
 コウジはそこまで言って、サラダの中から出てきたミニトマトを食べてから、結論を言った。
「いわゆる洗脳です」
 目の前には何とも言いがたい表情をしたマサミ先輩がいた。何も言わなさそうだったので、コウジは勝手に続けた。
「僕自身は記憶の消去は脳自体が損傷を受けない限り無いという立場です。学術的に。だから、強力な洗脳下ですが、記憶もしかしたら意識はあるんじゃ」
 コウジが最後まで言うことはできなかった。
「じゃあ、全損した彼女は帰ってくるのか!」
 大きな声を出したせいか、周りのオバサマ方の注目を集めてしまう。中高生が来る所ではないよな、とようやく思ったりするが、それよりも重要なことがあった。
 静かにとジェスチャーしてから、コウジは言った。
「あくまで、僕の推測です。さっきから全部」
 そう言った時、マサミ先輩の表情はいつになく寂しそうなものになった。
「僕は全部疑った上で納得したいんです。だから、色々教えて下さい」
「ああ」
 そう答えたマサミ先輩の表情は何か心を決めたようだった。



[31282] 12
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/13 14:20
 様々な情報を聞きながら飯を食い終わり、最後のデザートに二人は入っていた。残念先輩は四個目のプリンを頬張っていた。イケメンなのに色々な意味で残念である。
 そんな先輩に都内を分割統治する巨大レギオンの情報を聞いているときだった。
「で、都内に六つ」
 と、そこまで言ったマサミは一回言葉を区切った。何かと思いコウジは三つ目のケーキであったチョコレートケーキから顔を上げた。
「ワリい飛んでた。いや、今、ちょっと戦っていた」
 コウジは顔をしかめて聞いた。
「え? グローバルネットに繋いでいるんですか?」
「起きているときは常時接続だぜ」
 そう言いながら、親指を立ててカッコつけてくる。
 コウジは呆れながら言った。
「タフですね……」
「まあな。で、レギオンだよな。都内に」
 さっきと似たようなところで、言葉が途切れる。まさかという表情でコウジはイケメンの顔を覗き込んだ。
「クソ、まただ」
「切ったらどうですか……」
「それは負けだ」
 無意味なところでキッパリしている残念先輩である。
「で、都内に六つ。新宿・文京・中野区に青のレオニーズ、練馬・中野に赤のプロミネンス、渋谷」
 と、そこまで言ったところで、また、一瞬フリーズする。
「チクショー。全勝しているのにスゲーイライラするぞ!」
 マサミはまた少し大きな声を出したので、コウジはシーッとポーズを作った。
「今度は言い切る」
「いやいや、切断しましょうよ」
「練馬・中野の赤プロミ、新宿・文京・中野の青レオニ、渋谷・目黒らへんの緑グレウォ、東に紫オーロラ、北東に黄色のナントカ・サーカスがある」
 なんとか言い切れたという感じで、マサミは一息ついた。
 コウジは頭の中でマッピングしていたが、徐々に場所が適当になってきて、諦めた。が、数は数えれていた。
「五つしかないですけど」
「あれ? じゃあ、多分、港区の白いレギオンが抜けているわ」
「なるほど」
「で、こいつらがレベル9で他のプレイヤーが9になることを止めている」
 マサミは一呼吸置いたが、コウジは詳細を聞くつもりはなかった。マサミは直前に言ったことをまだ覚えていたようで、一言続けた。
「障壁だな」
 それを聞いて、コウジはちょっと考え事をしようとした。だけど、それはマサミの質問によって遮られた。
「てかさ、お前の目的は何なんだよ」
「学内で狩られている詩音先輩を助けることですけど」
 コウジは即座に答えたが、それ以上の速さでマサミは言ってきた。
「嘘だな」
 直後、ふん、と鼻で笑われて、「真似してやった」と付け加えてきた。コウジはそれを否定する言葉を見つけれなかった。その様子に気づいたのか、単に何も返ってこなかったからか、マサミは言った。
「真実は二つあるな。一つはレベル9になる、ではないな」
 コウジの表情を見ながら、マサミはまだ言葉を続けた。
「開発者と会うことが目的って感じじゃないな。そうだな。むしろ、その邂逅でわかること。ブレイン・バーストが存在する意味と目指す究極の目標。それを自分で見つける、つーか掴み取る?奪い取る?そんな感じだろ」
 コウジはマサミの顔をぼんやりと見ながら、その言葉を咀嚼した。
 それはある意味、的確さを備えていた。負けを認めるようで、視線を少し外して、コウジは答えた。
「そうかもしれませんね」
「だろうな」
「で、もう一つは?」
 コウジは真実は二つあると言っていたことを思い出した。
「それはテメェが自分で気づけ」
 これでこの話はもう終わりだ、と言わんばかりの口調でマサミは言ってきた。その答えにコウジは少し不満顔を浮かべていたようで、マサミはプリンの残りをかきこんでから、言葉を続けた。
「俺、お前嫌いなんだよね」
 人に嫌われるのは慣れている。だから、そのくらいは聞き流せた。
「チートはダメだろ」
「いや、それ、僕じゃなくてチートが嫌いなんじゃないんですか?」
 コウジはとっさにツッコんだ。
「使う奴も作る奴も嫌いだよ」
 マサミは吐き捨てるように言った。
「なんつーのかさ、お前のチートプレイ、俺大嫌いなんだよね。詩音は好きらしいけど」
 内容とは裏腹にマサミは笑っていた。ミニシュークリームを口に放り込みながら、言葉を続ける。
「やっぱ、知っている奴だからかもしれん。クソむかつく。ぶち殺したい。ハハハッ」
 マサミは声を上げて笑い、コウジもつられて笑った。
 コウジが残していたショートケーキのイチゴをひょいと掴んで、マサミは口に放り込んでから言った。
「FoMのGKってお前だろ?」
 FoMはつい先日までHALと戦っていたFPSである。
「ええ、そうです」
 そう言いながら、イチゴを失ったケーキをマサミの方に押しやる。
「リプレイ見たぜ。手榴弾の投擲、完璧すぎんだろ。あと、あの銃弾の避け方なんだよ」
「……チートアシストですよ」
「だよな。いや、はじめはコイツスゲー、って思ってさ、名前見てガッカリしたんだよ」
 コウジがGKという名前を使ってプレイを行なっていることを詩音とマサミは知っていた。
 そこまで言って、こちらに可哀想なケーキを押し返しながら、マサミは「なんか、言ってること矛盾してんな」と呟いた。コウジは小さく笑って、諦めてケーキを食べ始めた。
「あ、でも、MODはやったぜ。俺も手榴弾回避できたぜ」
「マジかよ!」
 今度はコウジが叫んで、マサミがカッコよくシーッと人差し指を口の前で立てた。フォークに刺したケーキを落とした。皿の上だったから良かったが。

「あとは先輩のアバター名を聞いておきたいですね」
 千五百円とは思えない分量の飯を食って、気分悪くなって水を飲みながら、コウジは聞いた。
 残念先輩は、同じ分量を食ったとは思えないぐらい、余裕そうな顔でコーヒーを飲んでいた。これがイケメンなのか、というのは違うだろう。
「なんだと思う?」
「詩音はアンパン・イタリアって言ってましたね」
 それを言った瞬間、マサミは吹き出した。
「アンバー・ウォーリアだ。ハハハ。なんで、アンパン・イタリアになるんだよ」
 アンバー・ウォーリア。琥珀色の戦士か。
「覚え方も簡単だぜ」
 と言いながら、マサミは両手でVサインを作って、下向きに下げて繋げる。
「マサミのMはピースが二つ」
 その次に横向きにして、斜めを作るように繋げ直す。
「残念のZもピースが二つ」
 さらに両手を上向きにして、繋げる。
「ウォーリアのWもピースが二つ」
 そして、最後にVサインを作ったまま、腕をクロスして、真面目で締まった表情で言った。
「イケメン・ダブルピース!」
 奇妙な空気が流れた。が、コウジが立ち直らないと先に進まない。
「……先輩もアホですよね」
 残念先輩の残念奇行は置いておいて、名前からアバターの特性を考える。そんなコウジの表情を見て、マサミは言った。
「その顔は勝てるかどうか判断しているな。対戦してみるか?」
「先輩、絶対、手、抜きませんよね」
 マサミの笑みはコウジの予想を確信に変えた。
「僕のポイント減るだけじゃないですか……」
「ちょっとぐらいいいじゃん」
「嫌ですよ。残り28ポイントなのに」
 それを聞いた瞬間、マサミは持っていたコーヒーから口を外して、相当驚いた。
「は? 28? マジで?」
「嘘ついてどうするんですか」
「すげーな。普通、そこまでポイント減ったら冷静じゃいられないぜ」
「いや、冷静じゃないです。こういう状況ですからブレイン・バーストの見落としはかなりあるはずです」
 そんなコウジの言葉を聞いて、マサミは鼻で笑った。
「そんだけ冷静なら十分だろ。100ポイント切った時の勝率って四割切るって言われているんだぜ?」
「ま、そうでしょうね」
 コウジの人事のような口調をマサミは聞いて、笑いながら言った。
「俺がポイントおごってやろうか」
「そう言って、負かすつもりでしょ」
 コウジは努めて冷静な顔つきで言い返した。
「タッグ戦だ、タッグ戦」
「そんなこともできるんですか」
「BBコンソールを起動して、そっからお前の」
 そこまで言ったマサミの言葉をコウジは遮った。
「ちょっと待ってください。ブレイン・バーストって加速しないでも操作できるんですか」
「それも知らなかったのか」
 マサミは呆れ顔で言った。
「詩音先輩に教わることとか無理だし、どこでポイント使われるのかわからないので、基本操作以外やっていないんですよ」
「ま、仕方ねーな。BBコンソールって言うのがあるだろ」
「すげー。これ使えば、ポイント使わずにできることもあるのか……ってことはこれの解析も必要だな」
 コウジが爛々とした表情でコンソールを眺めていると、マサミはおもむろに言った。
「あ、タッグパートナー、お前とは直結しないと無理だわ」

 騒がない限り周囲が自分たちに注意を払ってくるような場所ではないとはいえ、野郎同士で直結する気は無い。それに確か残念先輩も自分と直結したがらない人だ。というか、詩音先輩という例外以外は大体そうである。僕が何者か、それを知っている人は直結したがらない。
 が、マサミは携帯用のXBSケーブルを出した。
「ブレイン・バースト始めると直結の敷居が下がるな」
 と言いながら、片一方をカッコよく挿した。
 言われて考えたらそうなのかもしれない。ブレイン・バーストでは一日もダイブすれば二年は進む。ある程度プレイすれば、現実との時間経過と体感での時間経過が食い違ってくる。
 もし、何年分か加速世界で過ごすことになれば、文化ぐらいは簡単に変わる。ケーブルに対しての思いもまたそれに入るのかもしれない。
 コウジはケーブルの一端を掴んで挿そうとした。するとマサミが言ってきた。
「メモリ覗くなよ」
「覗かねーよ」
「いや、覗いてもいいけど、『らぶばと☆ぽーたぶる』落としたら殺すぞ」
 ソーシャル的な機能がついたエロゲだったはずだ。なんで、タイトル聞いてわかるのかと思ったが、去年、残念先輩がまだ在学中であったときから、「来年発売の『らぶばと☆ぽーたぶる』はソーシャル復権で覇権を取る」と散々言っていたからだ。
 アホか。お前こそ死ね。というオーラを出しつつ、プスッと挿した。ワイヤード・コネクション警告の赤文字が消える前に、ブレイン・バーストのコンソールを操作しているであろうマサミが言った。
「《コペン・ミリタント》、でいいんだな?」
「ああ」
「タッグ登録した」
 マサミが言うと同時にその確認がこちらの視界に表示され、コウジはOKを即座にクリックした。
「てか、コペンって何色だよ」
「あ、灰色です」
 という言葉をコウジは最後まで言い切ることができなかった。
 バシイイイっという、数時間ぶり、今日何回目かよくわからない音を聞いた。こんなタッグ結成直後に乱入されることなんてあるのか、と思っていた。
 真っ暗な視界に【HERE COME NEW CHALLENGERS!!】と炎の文字が表示された。
 コウジは念のため、左手を小さく操作した。すぐに自作のチート用コンソールが表示された。それだけ確認するとコンソール左上のボタンを押して、ウインドウを閉じた。



[31282] 13
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/16 11:43
 ビュッフェのおばさま方も食べかけのデザートも少し年季の入った赤い絨毯も、世界が組み変わると消え去っていた。
 見える風景は打ちっぱなしのコンクリートの床とむき出しの鉄骨で作られていた。現実はLED照明で隅々まで照らされた屋内だが、ここのステージでは、ガラスが入っていないコンクリート打ちっ放しのこのフロアとなり、何とも言えない微妙な外の明るさで照らしだされていた。
 今日、引き分けにチートで持ち込んだ対戦の一つのステージがこれだったはずだ。ブレイン・バースト特有の寂しげなステージである。
 コウジは念を入れてぐるりと辺りを見渡した。同じ建物、フロアに対戦者や観戦者がいたら、リアル割れのリスクと直結する。そうでなれば、復帰時のことを考えねばならないが、その心配はなさそうだった。
「《風化》ステージか」
 正面から聞き覚えのあるイケメンボイスが聞こえた。周りの光景に気を取られ、正面に現れていたアバターに気づいていなかった。
「属性はホコリっぽくて、壊れやすい。たまに突風が吹く、だったはずだ」
 そう言葉を結んだオレンジ色のアバターは、今日、引き分けに持ち込んだシアン・パイルのように上半身がゴツく、三角に尖った印象を受ける頭頂部を持っていた。残念先輩は高校でも確かリンカー部に類似する文化部に入っていたはずだ。イケメン補正と思えるほどに運動はそこそこ得意だったはずだが、こんなマッチョイズムな印象はない。
 線の細い人がマッチョになりやすいとかあるんだろうか、と思ったが、自分が真っ先に反例になることに気づく。そんなことを考えているとアンバー・ウォーリアはコペン・ミリタントの構造物を指さして聞いた。
「それ、《強化外装》?」
「《強化外装》って何ですか?」
「詩音、何も説明できてねーな」
「そう思います」
 マサミはコウジにステータス画面を確認するように言って、背から身の丈ほどある大剣を抜き取った。剣士と言うだけあって、それっぽいスタイルである。
「こういう武器とかアバターと別のものが強化外装だ」
「なるほど」
 と受け答えしながら、コウジはステータス画面を読み上げる。
「《全方位構造体(オムニオブジェクト)》、だそうです……やっぱり、盾じゃないんだな」
「いや、どっからどう見ても防具だろ」
 マサミはツッコんできた。
「いや、攻撃受けると壊れるんですよ? こんなに脆いし違うと思うんですけど」
「攻撃食らって被ダメねーなら、防御力低くても盾じゃねーか」
 マサミは鼻で笑って、そう言った。
「確かにそうですね」
 そう言いながら、コウジはその構造体に焦点を合わせた。盾ではないことが明らかになったが、では、一体何のために存在するのか。ただ、それは現時点ではわからなかった。
 考えるのを止めて、再び、アンバー・ウォーリアの方を向いた。右手に大剣を持ち、なんか背中に鞘以外にも何かを背負っているように見える。そのまま、視線を下ろすと左足が機械っぽい構造となっていることに気づく。
 そこに視線が止まったのに気づいたのか、オレンジのアバターは言った。
「あ、これ機関銃」
 同時にその左足を持ち上げ、適当な方向に向けた。破裂音を立てて、金属弾が発射され、その先にあった建物の柱のセメントを砕いた。
 コウジは思ったことを率直に言った。
「……それ、微妙に不便じゃないですか?」
「え? カッコ良くね?」
 それはちょっと疑問に思ったが、言葉を濁す。
「まあ、そうかもしれませんが……」
 コウジの微妙なニュアンスをどう悟ったかはわからないが、マサミはこれでどうだと言わんばかりの動きで、背中に背負われている鞘ではなく袋状のものを前に持ってくる。
 ベルトがついて肩がけ可能な袋。それに金属のパイプがいくつも突き出している。ブレイン・バーストだけでなく、今まで遊んだVRゲームでそれに類する武器を見たことはない。
 何だろうか、と考えているうちに答えが明かされる。
「こっちは《ショップ》で買った《強化外装》、《バグパイプ》だ」
 マサミは吹き口をアバターの口に当たる部分で咥えると、それなりに綺麗な音色が奏でられる。
「楽器かよ!」
「おう、楽器だぜ! ピアノとギターはできるから、今度は管楽器にしようと思ってな」
 できる限りマイナーなものにしたかったという言葉はコウジに届いていなかった。
「……強化外装……何を強化しているんですか……」
「カッコ良さ?」
 そんなマサミの回答に、コウジは呆れながら、癖でアバターの頭を片手で軽く押さえた。
 が、普段通りと言えば普段通りだ。自分がチートを使って最善攻略を目指すスタイルで、詩音先輩は努力と根性で完全攻略を目指すスタイルであると言えば、残念先輩は高速攻略をベースに様々な遊びを混ぜるスタイルと言えるだろう。
 中でも面白い装備品を身につけるぐらいは序の口だ。昔、VRMMORPGで手助けに現れた先輩は、うさ耳をつけた全身ピンクのタイツに白い仮面という格好だった。それを思い出し、納得というか思い出し笑いを堪えた。
 そのとき、ようやく視界の水色のカーソルがちょこちょこ動いていることに気づいた。
「てか、対戦申し込まれたんですよ!」
「そうだぜ。だが、安心しろ。カーソルの動きからして、相手は必殺技ゲージを貯めているだけだ」
「いや、問題大ありですよ」
 右上の敵の必殺技ゲージはかなりが明るい緑色で光っていた。
「大丈夫、大丈夫。必殺技ぐらいお前なら回避余裕だろ」
「無理ですよ。まだ、アシストとかできていませんから」
 残念先輩は心底驚いたような声を上げた。
「マジで?」
「マジです」
 アンバー・ウォーリアは一人納得したように頷いて言った。
「仕方ない。気合で頑張れ」
 コウジは了承する代わりにため息をついた。とはいえ、ピンチになれば、強制切断で逃げる道も残されている。タッグ戦ではあるが、残念先輩も自分が利己的であることは知っている。同様に、残念先輩もまた利己的であることを知っている。自分のポイントが28ポイントしか残ってなくとも、対戦したら絶対に手を抜いてくれないし、勝ち星も譲ってくれない。そういう人だ。
 チート以前の同族嫌悪なのかもな、と思ってため息の口を小さな笑みに作りなおした。
「ええ、頑張りますよ。敵の方、行きましょうか」
「今から行けば、駅前で遭遇っぽいな。辺りのものはできるだけ壊していけよ。ゲージ貯めるためにな」
 そう言って、アンバー・ウォーリアはこのフロアの出口へと駆け出した。コウジも遅れないように追いかけた。

 空は灰色の雲で覆われていたが、そこまで暗くはなかった。建物のかなりは建設中であり、いくつもが曇天に向け、直立していた。ふと後ろを振り返る。都内で新宿で最大の高さを誇る都庁が見える。その都庁のてっぺんもまた巨大なクレーンが上空を占拠しており、建造している最中である演出がなされている。
 ブレイン・バーストの臨場感はどのゲームよりも勝っている。コウジはこの光景からそれを再認識した。そんな中、リアルな破壊音が聞こえた。
「走りながらでも、壊しておけよ」
 アンバー・ウォーリアは走りながらであったが、器用に剣を振り回して、積み上げられている建設資材を壊していた。見るとかなり必殺技ゲージを貯めていた。
 一応、自分もやってはいるものの、貯めたゲージで《カウンター》を使って、敵プレイヤーに勝てる要因にできる自信はない。そのせいか、ゲージの溜まりぐらいはアンバー・ウォーリアの半分ぐらいであった。いや、残念先輩のゲーマーっぷりがすごいのもその要因の半分ぐらいにはなるとは思う。
 右上を再びチラリと見る。必殺技ゲージがあまり溜まっていないレベル1の《コペン・ミリタント》と溜まっているレベル4の《アンバー・ウォーリア》がこちら側だ。挑んできたタッグチームはレベル4の《フロスト・ホーン》とレベル3の《トルマリン・シェル》だ。二人の必殺技ゲージはどちらも八割以上溜まっていた。
 平均レベルなら1高い相手なのだが、冷静に考えれば、自分より2と3高い相手だ。レベル3差あるフロスト・ホーンとは相手にならないだろう。そちらを残念先輩に任せて、トルマリン・シェルを相手にするとしても、シアン・パイル戦を思い出せば、相手が冷静じゃなくなった上、カウンターが入って、こちらが相手の戦術・戦力を完璧に読み切らないと勝てないはずだ。と考えると、どう考えても勝率は低い。
 幸いなことが青系であることで、ベースは近接戦闘であることから、《カウンター》が効きそうなぐらいである。それも今朝みたいな、まさかの飛び道具持ちでなければの話ではあるが。
 どういう戦略で行こうかと思っているうちに、水色のカーソルが消えてしまう。

 ちょうど、自分たちが現れたのとは逆の方から、分厚い装甲をまとい額と両肩にツノを持った薄青いアバターと、それと比べれば軽そうな装甲の青緑のアバターが現れた。
 一定の距離を取って、駅出口の広場で立ち止まった。その周りの建物には観戦のアバターの影がいくつも見えた。ここまではっきりと観戦者が見たのは初めてだ。そんなことに気を取られていると、ツノが付いている方、多分、フロスト・ホーンがアンバー・ウォーリアを指さして叫んだ。
「おい、バグパイプ野郎! 俺が対戦挑もうとしたら、タッグ組みやがって! お陰でこっちのレベルが高くなっちまったじゃねーか!」
 残念先輩に聞いた話の一つにレベルによるポイント移動の非対称性があったはずだ。戦闘しているうちに気づいてはいたが情報として得れたのは今日が初めてだ。
 そのため、レベルの高いプレイヤーが低いプレイヤーを倒しても、あまりポイントを稼ぐことはできないことは知られている。逆に倒されてしまったら、余計にポイントを取られる。だから、挑んでくるプレイヤーは通常同レベル以下である。そうじゃなければ、特殊な事情がある、と聞いた。
「じゃあ、レベル1とタッグを組めば良かったじゃないですか」
 コウジが聞くとフロスト・ホーンは握った拳を震わせて言った。
「今、タッグ組めるのトリーしか居なかったんだ! 仕方ないだろ!」
「僕は数合わせだったのかいホーン君? 君がそんなに薄情だとは思わなかったよホーンくうん……」
 隣にいたトルマリン・シェルが寂しそうな雰囲気をまとって言った。
「と、トリーよ、そんなつもりは無かったんだ。俺の相棒にお前以上のやつがいると思うか? 思わないだろ?」
「そうだねホーン君! 僕たちのコンビネーションを見せつけようよホーンくうぅぅん!」
「おう! ガッテンよ!」
 打ち合わせがあったかと思えるテンポの良い掛け合いに、ギャラリーは沸いた。だが、そんな歓声を打ち消すような気の抜けた高い音が響いた。
 アンバー・ウォーリアが自分のバグパイプを吹いていた。下手な音色の後に、よく通る声がした。
「バグパイプ野郎とは酷いな」
「今、吹いていたじゃねーか」
「アンバー・ウォーリアだ。覚え方も簡単だ」
 有無を言わさぬような口調だったが、コウジは残念な予感がした。
「アンバーのAはピースが二つ」
 Vサインの片指を重ねるように胸の前に三角を含む形を作る。結構無理がある気がする。
 その両手を平行になるように場所を変えた。
「ウォーリアのWもピースが二つ」
 そして、最後にVサインを作ったまま、腕をクロスして、ピカっと装甲のスリットを光らせた。
「イケメン・ダブルピース!」
 観戦含めて辺りは微妙な空気に包まれた。それを打ち破ったのはトルマリン・シェルだった。
「この人、本当にイケメンなの?」
 コペン・ミリタントたる自分に聞いてきたようだった。アンバー・ウォーリアも「言ってやれ」と言わんばかりの空気をまとって、こちらを見てきた。が、コウジは落ち着いて考えた。肯定するのも否定するのもリアルの繋がりの示唆となる。それは極力回避すべきことだ。
「残念な人です」
 うはははっとフロスト・ホーンが笑った瞬間、アンバー・ウォーリアがポーズを作って言った。
「残念のZもピースが――」
「黙れ」
 コウジが一喝した瞬間、微妙な空気の中で沸点が低くなっていたのか、観客がドッと沸いた。



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Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/17 23:39
「というか、コイツだよー」
 トルマリン・シェルが気の抜けた口調で言った。何が?と言わんばかりに注目が集まったところで次の句が続いた。
「今朝の負けそうになると切断するヤツ!」
「レオニーズで話題になっているアイツか!」
 フロスト・ホーンが大げさな動きでコペン・ミリタントを指さしながら言った。
 コウジはチートに気づかれたかという思いから、こちらを見てくるアバターから視線を逸らそうとした。が、考えればそれは自らの行いを認めることになる。そのため、目線を固定して、どのような弁解を紡ぐか考えた。
 だが、それより早くアンバー・ウォーリアが口を挟んだ。
「仕方ねーじゃん。コイツのリンカー、ボロいんだもん」
 コウジが自動RMTの収益で年に一度のペースで最新機種に買い替えてることを、マサミは知っているはずだ。だから、ボロいはずがないことはわかりきっている。
 そして、チートであることは説明していなかったが、マサミならこれがチートであることに気づいているはずだ。
 チートは嫌いと言っていた。それでも、マサミはコウジの行いを秘密にする方向で動いていた。
「でも、そんないいタイミングで落ちるとかねーだろ」
「ボロイから負け犬根性が染み付いているんだ」
 詩音先輩とは異なるベクトルの意味不明な説明で、残念先輩は無理やりこの話題を締めくくった。
 これ以上、突っ込まれてもいいことは一つもない。明らかにコウジのために動いてくれていた。
「てか、こっちがタッグ組んでいるのに、なんでわざわざタッグ組んで挑んでくるんだよ」
「忘れたとは言わせねーぞ。オメーに俺は今週全敗したんだ!」
 フロスト・ホーンの発言に、ゲームさせたらさすが残念だな、とコウジは感心した。
「土曜日はまだ今週! 今日、勝って、オメーの全勝記録を止めてやるわ! うはははは!」
 歓声の中から、連敗記録が続いているのはお前の方だろ、残り二十分だぞ、早くやれー、とヤジが飛び交った。
 フロスト・ホーンは太い両腕を構えながら言った。
「バグパイプ野郎! いや、アンバー・ウォーリア! 今日こそ土をつけてやるわ!!」
 この流れだと、自分の相手はトルマリン・シェルとなるだろう。今朝と同じレベル2差の戦いだ。コウジは気合を入れて、青緑のアバターを睨みつける。
 フロスト・ホーンの指示が飛んだ。
「トリーはあのオンボロリンカーの灰色の奴をやっつけるんだ!」
「了解! ホーンくぅーん!」
 トルマリン・シェルは敬礼のようなポーズを取ると、その指先が自身の装甲を軽く叩いた。同時に装甲にパチンとスパークが這った。
 ブレイン・バーストには学内の《オスミウム・ストレイト》のように色以外に金属がある。ここ数日、授業中のコードを書いていないときは、化学の電子参考書をパラパラ見たのが幸いだった。
 トルマリン…確か、電気石だったはずだ。ただ、その別名は焦電効果が由来だったとあったはずだ。今の反応はそれとは違う。なんだ、と一瞬で頭を働かせると、圧電効果、と脳裏によぎる。ダメージを電気に変えて、軽減するのか?と予想しながら構える。
 直後、アンバー・ウォーリアは指示が入った。
「よし! こっちはシェルを二人で潰すぞ! 行くぞ!!」
 非対称な作戦か! そこは臨機応変に切り替え、既に駆け出していたマサミに続いて動く。
「わかりました!!」
 二人してトルマリン・シェルの方に突っ込んだ。
「……え!!」
「ままま待った! それは無いだろ!」
 そんな叫びも虚しく、アンバー・ウォーリアの大剣は、トルマリン・シェルに襲いかかった。装甲は乾いた音を立てて、少しのダメージを与えて弾かれる。
 そんなファーストアタックの大剣を振り下ろしたまま、アンバー・ウォーリアはフロスト・ホーンの方を向いて言った。
「え? そうか?」
 そんな中、コウジはトルマリン・シェルに一気に距離を詰め、先ほどの攻撃で少しよろめていてた隙をついて、パンチとキックを次々繰り出す。やはり、衝撃と同時に熱が発生しているが、こちらにダメージが返ってくるほどではない。何か効果はあるのかもしれないが、とりあえずは今は押せばいいと割り切る。
「だって、一対一二つ作っても、俺の組は俺が勝つぜ? その時点でいつも通りだから、つまんねーじゃん」
 マサミはそう言いながら、足を持ち上げてる。
 機関銃の発射だ。その掃射はコペン・ミリタントに反撃しようと中国拳法っぽい構えで向かってきたアバターに何発も当たった。コウジの視界からトルマリン・シェルは横向きに倒れて消えた。
「せっかく二対二のタッグ戦だぜ? 乱戦みたいにしようぜ」
 言いながらも、アンバー・ウォーリアは機関銃を発射した後に持ち上げていた大剣を、薙ぎ払うように目の前にいたフロスト・ホーンに振るった。
 ホーンは意識がちょっと追いついていなかったのか回避が遅れた。分厚い装甲が軽い音を立てて、幾分か体力ゲージを削られた。
 無論、コウジも機関銃でよろめいたトルマリン・シェルに追い打ちの攻撃を仕掛けていた。
「もっと楽しく戦おうぜ」
 マサミは笑いがこもった声で言いながら、フロスト・ホーンに背を向けて、大剣で後ろからトルマリン・シェルを斬った、というかブッ叩いた。
 軽い音がして、弾けるようにトルマリン・シェルは前のめりに倒れた。巻き込まれないようにコウジは横に避ける。すると、観客の話し声が聞こえた。
「やっぱ《孤高の狂戦士(ソリタリー・バーサーカー)》パネーぜ」
「あの乱戦はやっぱ《上》仕込みだな」
「まだ無所属だろ。ウチに来て欲しいぜ」
 コウジがそれに気を取られた隙だった。
「だったら! 俺もやってやるぜ!」
 ホーンの声が斜め後ろから聞こえた。その瞬間には全身に衝撃が走っていた。タックル攻撃を受けたようだった。
 そう長くはないツノのダメージは無かった。コペン・ミリタント後方の構造体に刺さったからだ。無論、その構造体は設定されている耐久値をあっという間に失って霧散した。だが、タックル自体の衝撃が吸収されるわけではない。防ぎきれなかった衝撃で、コウジの体は軽々吹っ飛んだ。そして、その先にはアンバー・ウォーリアがいた。衝突までの一瞬にホーンの声が聞こえた。
「二人まとめてぶっ飛ばされろ!」
 だが、それを打ち消すようなウォーリアの叫びも聞こえた。
「させるかーッ!」
 ウォーリアは剣を握ったまま右手を前に突き出した。それは自然に左手の握りこぶしが後ろに引かれる姿勢となる。
「ハッ!」
 その拳は飛んできたコペン・ミリタントを正確に全力で殴り落とした。そして、コウジが地面に激突する前には、既に殴った勢いでマサミは駆け出していた。ゲーマー的な人種が持っている超絶的な反応速度だった。
 一度目の地面との衝突で、コペン・ミリタントはほとんど全ての構造体を失うことになった。もちろん、吸収しきれない分のダメージはきっちり受ける。それでも、勢いは削がれずもう一度宙を舞った。そんな二度目の落下の前に、アンバー・ウォーリアはフロスト・ホーンを前に剣を両手で握ってジャンプしていたのが、コウジからも一瞬見えた。
 自分を殴ったこともあって、必殺技ゲージが完全に溜まっていた。
「食らえ! パーフェクト・《ヘヴィー・カッター》・改!」
 剣が発光し、必殺技が入力されたことがわかる。
 ジャンプの落下エネルギーも加えて、ウォーリアが剣が振り下ろすと、フロスト・ホーンの額のツノは叩き折られ、さらにそのまま装甲に大打撃を与えた。
 うおぉぉぉ!とステージの観客が沸き立った。
 同一レベル同ポテンシャルとは残念先輩が加速世界の原則とは言っていたが、中の人間のスキルはどう考えても同じじゃない。
 管楽器独特の高い音が聞こえる。圧勝かのようにアンバー・ウォーリアはバグパイプを吹き始めていた。もちろん、まだ終わったわけでは全くないが、ステージに直立しているプレイヤーはアンバー・ウォーリアただ一人である。
 ウォーリアのみ一割も削れていない中で、フロスト・ホーンは体力の三割を削り、トルマリン・シェルは半分ちょっとを削っていた。ついでにコペン・ミリタントは四割削れている感じであった。
 フロスト・ホーンもトルマリン・シェルも順にガバッと立ち上がった。
「くーっそぉ!! 先に攻撃しやがって!」
「先に対戦挑んだのは僕たちだよホーンくぅーん!」
 シェルのツッコミに場が沸いた。一撃の被害が甚大だったコウジもようやく立ち上がった。どう考えても、先輩に殴られた影響が大きい気がする。
「うるせえ! 俺たちの本気を見せたるわー! 行っくぜぇ……」
 額のものは失ってしまったが、残っている両肩のツノが派手に輝きはじめた。
「フロステッド・――」
「さーせーるーかっ!」
 アンバー・ウォーリアはコウジが見た他のアバターとは比べ物にならない速度でフロスト・ホーンに接近し、右手で剣を振り下ろす。と、見せかけて左の拳でフロスト・ホーンの装甲を殴る。
 ホーンは少しよろめいたが、それだけだった。
「うはははは! 俺ちゃんはそんな軽いパンチでぶっ飛んだりしないわ!!」
「ああ、そうだろうな」
 アンバー・ウォーリアはそう言いながら半歩下がって、剣を握る右手に力を込めた。
「今の一撃はゲージの補充だ! 喰らえ! ストロング・《ヘヴィー・カッター》!!」
 光りながら振られた剣が今度こそフロスト・ホーンを跳ね飛ばした。

 はぁ、と小さく息をついて、コウジはリンカーのボタンを長押して、グローバルネットから切断し、天井を見上げた。美しい形状のカバーがついたLED照明が明るくこちらを照らしていた。
 思い出したように正面を向くと、対戦前と変わらない表情で、残念先輩は仮想デスクトップを何やら操作しているようだった。注視している自分の視線に気づいたのか、先輩はこちらを向かずに言った。
「タッグが解消されているか確認しているだけだよ」
 ブレイン・バースト上でのフィルタが掛かったような音ではない声を聞くと、現実に戻ってきたことが強く感じられる。
 結局、アンバー・ウォーリアは一人でフロスト・ホーンとトルマリン・シェルを蹴散らした。自分はトルマリン・シェルを抑える役割に終始していたが、反撃を食らいそうになるとウォーリアの機関銃の助けが入っていた。とはいえ、結構な割合で自分にも当たっていたが、ウォーリアの必殺技ゲージを溜める役には立っていたと思う。
 フロスト・ホーンはなんかトルマリン・シェルとコンビの時のとっておきの技があったようだが、実行前にアンバー・ウォーリアの全力でやっつけられてしまった。今度こそ、俺らの本気を見せてやるからな!という捨て台詞が本当に気の毒に思えた。
「……マサミ先輩強いですね」
 コウジの悟ったような言葉に、すぐにマサミは反応した。
「そりゃ、やっている時間が違うからな」
「いつ始めたんですか?」
「一年前かな。何、熱中し始めたのは今年に入ってからだよ」
 受験というイベントがあったが、それが終わってからもリンカー部に残念先輩はあんまり顔を出さなかった覚えがある。その当時は受験で抜けたから居づらくなったのかな、と思っただけであったが、もしかするとそれが原因だったのか、と考えた。
「何でハマったんですか?」
「どうしてだろうな」
 マサミ先輩はどこか遠くを見るような横顔を見せながら言った。そのとき、対戦前、先輩が大声で言った内容との繋がりに気づいた気がした。でも、コウジはそれを追求する気にはなれなかった。
 コウジは、コップに残っていた水を飲みきって、空にする。
「とりあえず、話と、それとタッグ戦ありがとうございます」
「お前が嬉しいのは20ポイントだろ」
 マサミはニヤニヤと笑いながら言った。
「それとチートのこと黙ってくれてありがとうございます」
「ん、あれ、お前のリンカーボロかったと思ったんだけどな」
 コウジのリンカーすら見ずのその言い方はあまりにもわざとらしかった。マサミはチートが嫌いであると言い切りながらも、コウジを尊重した。そんな先輩にコウジはこれ以上うまく言葉を言えなかった。そんなコウジを見てか、マサミが言葉を続けた。
「ま、あれだ。なんか作るならもっと役に立つもの作れよ」
「何ですか? 全損プレイヤーの救済ツールとかですか?」
 コウジの意見にマサミは笑顔で流した。
「無制限フィールドでリンカーゲームを遊ぶツールが欲しいな」
「どうしてですか」
 理由はわかりきっていたが、コウジは聞いておいた。
「わかるだろ? 普通の加速は三十分だけだ。だから、無制限に入りたい。だけど、そっちではリンカーのアプリが開かねー」
「だから、それ使ってゲームを千倍遊びたいってことですか?」
「そうさ」
「考えておきます」
 コウジは苦笑いしながら言った。残念先輩もまた本当のことをはぐらかそうとする自分と同じような人間だからだ。
 紙ナプキンで口元を軽く拭いて、席から立った。
「澄田正己先輩、ありがとうございます」
「あ、おごりはしねーぞ」
「わかっていますよ。じゃあ、先帰ります」
「俺はもうちょっとゆっくりしてから帰るわ。ちょっと気分ワリーわ」
 あんだけ食えば誰でもそうなるに決まっている。そんな当たり前の光景をコウジは一瞥して、一人先に店から出た。



[31282] 15
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/18 23:29
「ただいま」
「おかえりー」
 母親の声は奥からしただけだった。コウジは顔も見ずに自室に向かった。
 制服をベッドの上に脱ぎ捨てて着替えた。長時間の考え事に制服のようなキツい服は向かない。高校は私服の学校に進学したい。だけども、そんな学校で自分を受け入れてくれるところは数えるほどしか無い。ただ、それは今深く考えることではない。
 繊維が痛んで白さが目立つジーンズに首元が緩くなったボーダーのシャツという出で立ちで、勉強机の前に置かれるメッシュの椅子に深く腰掛けた。

 今日の二回のレベル3との戦いは自分の実力を思い知らせた。いや、実力を知るのは六戦二勝の同レベル対戦の結果で十分だ。二人のレベル3、ついでに一人のレベル4は戦闘経験の違いを理解させるためにあったと言うのが正しいだろう。
 一般的なVRゲームであれば、レベル上昇ははじめのうちは容易になっている。というのも最初を容易にしないとプレイヤーがのめり込むきっかけを与えることができず、一人用なら売れず、MMOならば過疎化を招くからだ。
 一方でブレイン・バーストはプレイヤーを惹きつける要素を《加速》という形で提供している。それゆえ、ゲームとしての親切さどころか、説明書すらないアプリケーションとしての親切さが排除されながら、プレイヤーを取り込めていた。
 そのため、レベルキャップは9と低く設定され、初回レベルアップも20戦勝ち越し、と言ってもあの仕組みだと安全マージンを考えれば30戦勝ち越しというかなり厳しい条件となっていた。勝率五割五分、でも嘘ではない気がするが、もう少し甘めに見て勝率六割だとしても、レベルアップには同レベル対戦のみで三百戦を必要とする。レベル2から3に上がるときはいくらポイントが必要なのかは知らないが、同じぐらいは必要と見るのが当然だろう。一対戦当たり二十分かかるとして三百戦を二回する。
 瞬間的に二百時間という答えが出る。そんな二百時間ものアドバンテージがある奴を自分が倒せるか。無理である。そんな結論を出した。
「はあー」
 ため息をついてから、かなりそれが大きかったことに、ついてからコウジは気づいた。普通のゲームでのレベル差のノリで考えていた自分が本当に馬鹿みたいだった。
 それに戦闘の状況を自分自身がその瞬間に認識し分析はできていても、その操作の実現は不可能なのだ。シアン・パイル戦など特にそう言えるだろう。攻撃が来た瞬間の知覚はできても、その回避はおぼつかなかった。
 だからこそ、勝利には動作アシストが必要なのだ。が、その目処は全くついていなかった。
 昨日作った初めてのチートアプリ《ブレイン・バースト・ブリッジ》を作っていたときだ。自らバースト・リンクコマンドを唱えて実験しているときに、加速してせっかく青い世界に来たのだから有効活用しないと、という思いから、昔作った移動最適化アシストを実行してみた。
 それはいきなりは動かず、改造に改造を重ねた結果、直線を走るという形に限定して「動く」というレベルであった。「走る」ではなく「動く」である。最初の一歩目を踏み出すまで一分近くかかり、二歩目以降は地面接地時のフィードバックの計算が間に合わず、足の動きを進めど進めど、どんどん動きが微妙になってきて、結局五歩目で転んで、その転倒したと判断してアプリが自動停止するのにまた一分かかる、無論、その間も転んだまま足を動かし続けるという有様だった。
 そんなカッコ悪い結果を思い出せば、ちょっとやそっとでは実現できない。
 ただ、技術的に完全に不可能という感じではなかった。どちらかというとテストが足りない。それも時間ではなくポイントが足りないゆえ起きている問題だった。もし、無制限にポイントがあり、コード変更とテスト実行を容易に行える環境であれば、数日あれば完成する、そんな気はしていた。
「となると、やっぱりポイント稼がないといけないよなー」
 コウジは机に突っ伏すような姿勢で顔を上げながら呟いた。
 だけども、任意切断機能でポイントを稼ぐ戦略には問題がありすぎる。チートを作って使う自分であっても、あまり使いたくない方法だと思った。他のプレイヤーに疎まれる、ぐらいならコウジは気にしない。人に嫌われるのは慣れている。それよりもそう思われたゆえにシステム的に対戦拒否をされたり、ブレイン・バーストの運営側にアカウントロックされるかもしれない。そちらの方が問題だった。
 結局、新しい方針を立てなければならない。どんな敵にも汎用的な性能で戦えるチートアシストよりも作りやすく、グローバルネット上で敗北を回避する回線切断よりもチートと疑われない方法だ。
 と悩んで数秒で思いつくなら、もう手を動かして作っているはずである。
 その問題に頭を悩ませながらももう一つの問題が浮かんだ。
 フロスト・ホーンはこちらより平均レベルが高くなったことを嫌がった。
 冷静に考えればそうである。多少は勝ちやすくはなるかもしれないが、ポイントの実入りを考えると全く持って美味しくない。レベルが1高ければ、通常よりも1ポイント少ない9ポイント入る。だが、負ければ倍の20ポイント取られる。高いレベルながらの対戦は普通は選択しないはずのオプションだ。
 だからこそ、他のメリットが無いとありえない。ホーンの場合は残念先輩と戦いたいという点に価値を見出して挑んできた。戦いを楽しむという部分では理解できる。
 では、学内のあの四人はどうなのか。
 彼らとはただ無言で戦った。だから、何を考えているのかわからない。いや、四人というのも定かではない。一人一人バラバラの考えのが四人いるというのもあり得る。だが、少なくとも、今日かなり押して戦ったエンパイア・スタッフに関しては、奴は勝利した瞬間に安堵している印象があった。
 この理由を読み解ければ、戦いを言葉で抑えこむことも可能なのかもしれない。だけども、コウジはそれを理解することは難しかった。同じ人の心を扱うものでも、ソーシャル・エンジニアリングの方がよっぽど簡単だろうな、と試したことはなかったがコウジは思った。

 しかし、それにしてもそろそろ本気でグローバルネットが恋しい。
 興味深いブレイン・バーストのためとはいえ、チートを弄るという意味ではオンラインFPSのFoM(フィールド・オブ・マーサネリー)も楽しかった。連邦軍の《GK》としてあの戦場でまだやることはある。同盟軍の《HAL》に一矢報いるぐらいは最低でもやっておきたい。
 などとぼんやり考えていたが、冷静に戻る。タッグ戦で20ポイント貰ったものの、残りポイントは48ポイント。学内で一日24ポイント奪われることを考えれば、火曜日の時点でどうにかなっていないとコウジのブレイン・バーストはジ・エンドである。
 そうは言っても、グローバルネット切断生活は寂しい。自レギオンの支配下地域ではマッチングリストの登録拒否ができるそうだが、あいにく、自宅と学校は中野区から数十メートルしか離れていないが杉並区のため空白地帯だ。
 これも全て中野駅南側の再開発というか乱開発のせいである。高層マンションが山ほど作られて、子供が増えたにも関わらず、学校の余裕がなくて、中野区にほど近い杉並区に中学を作って越境入学を認めるという形で行政が対応したからだ。そして、コウジの家はその中学が作られたときに、ここも売れるだろと言った具合に杉並区に作られた高層マンションであった。これのせいでさらに中学が過密になったのは言うまでもない。
 とにかく、家も学校ももうちょっと東側にでもあればレオニーズに入って、あの酷い対戦は拒絶するという選択肢があったのに、と愚痴ったところで仕方がない。残念先輩曰くは数年前にそこにレギオンがあったが、今は解散してなくなった、にも関わらず、六大レギオンは分割支配で領土拡張ができていないという。バカじゃねーかと思ったが、先輩も表情を読む限りはどう意見なのだろう。それゆえ、ソロプレイというか非六大レギオンプレイをしているのだろう。
 そうなれば、いっそ自分がレギオンを作って、この近所を支配しようと思ったがそうもいかない。《領土》を維持するにはその両隣の赤のプロミネンス、青のレオニーズという巨大レギオンと毎週戦い半数以上の勝利を収めないといけないが、相当高度なアシストを作ってようやく可能になるような話である。結局、アシストができないと意味がないが、アシストできたらレギオンはいらないという堂々巡りになってしまう。
「あー、でも、別に僕が全部勝つ必要はないのか……」
 コウジはぼんやりと当たり前のことを呟いた。
 チーム戦であることを考えれば、仲間がいればどうにかなる。と言っても、本当に自分についてきてくれる仲間なんているはずがなかった。ああ、いないだろう。そこは割り切る。
 結局、勝率五割という数字を上げればいいだけだ。都内で千人いると言われるブレイン・バーストのプレイヤーのうち、六大レギオンに所属するのは六百人。青と赤のレギオンの最大動員が二百人。だったら、四百人が所属するレギオンを用意して、同時に戦闘挑んだら全敗しても領土維持できるんじゃない?などと考える。四百人の集め方はなんか無所属プレイヤーのリンカーがクラックできて、全員、自分のいるところに遠隔接続。自分が歩く最強レギオンなんてバカなことを考える。
 はーっと息を吐いて、余計な考えを頭から追い出す。そもそも、レギオンを作るためにはレベル4以上という条件も必要になるらしい。考えても無駄なことの一つだ。結局、現状を整理したところで、何も良いことなんて思いつかない。
 仕方なしに今日知った加速せずに使えるBBコンソールを起動することにした。プログラミング用、プログラム解析用、ネットワーク解析用と様々な開発用アプリのアイコンの下に、燃えているBをかたどったアイコンが登録されている。気づいてはいたが、マニュアルも無かったので起動するのを避けていたのだ。
 摘む動作を行うと起動し、ステータス確認、観戦登録、それにタッグ登録の機能を持ったウインドウが表示された。適当に観戦アバターの登録を開き、詩音先輩のオペラ・プロテーゼの名前をクリックする。すぐに登録されたが、観戦に呼ばれても仕方ないので、もう一度クリックして解除した。
 ふーん、と思いながら、タッグ登録を開いてみようと思いクリックしようとした。が、何か変なジェスチャーをしたようで、全く違うウインドウが表示された。いつも起動しっぱなしの解析用アプリだった。
 既にブレイン・バーストの通信は解析がそれなりに面倒だということがわかっていたので、コウジは画面を消そうとした。ぼんやりとその画面を眺めながら、閉じるために右手を持ち上げて、振ろうとした。
 が、持ち上げたところでコウジは手を止めた。その通信解析アプリに表示されていたデコード済みの通信データは、穴が開くほど見たブレイン・バースト本体の通信とよく似ていながら、結構違うところがあった。
「あれ? コンソールの通信、おかしくね?」
 コウジはかなり大きな声で呟くほど不思議なものであった。
 それは非加速下であり、完全なゲームの機能の部分であるがゆえに存在した、ブレイン・バーストのセキュリティーホールらしきものだった。穴があると穴らしきものがあるというのは、セキュリティの分野においてはかなり近い。穴らしきものは工夫すれば広がり穴となる。
 それにコウジは気づいてしまった。
 ――もう少しマシなチートが作れそうだ。
 そう思うに十分なデータだった。
 カレンダーを見なくとも、明日は日曜日である。自分のポイント的には火曜日が締め切りだった。残り二日。いけるかもしれない。
 そう思った時には日はとっくに暮れていた。母親が食事を呼ぶ声が聞こえた。反抗するがごとく無視して無駄な時間を使うべきではない。コウジはすぐに立ち上がってリビングに向かった。



[31282] 16
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/19 21:22
 ソースコードがないアプリケーションを挙動から解析する。それは慣れていても大変なことである。
 夕食を早々と済ませ自室にこもったコウジは、BBコンソールを操作しながら、その都度起こるリンカー上での電子的な変化を示すコンソールとにらめっこをしていた。
 コウジが一つ操作をする度にメモリーに乗っているアプリケーションの状態が変化する。一つ操作をする度にブレイン・バーストのサーバーにデータを送り、受け取る。そんな結果から、勘を働かせて、アプリケーションがどんな挙動をしているか読み解こうとしていた。
 だが、その解析はもちろん困難を極めた。それは、それがブレイン・バーストであるから、というわけではない。そんな言い訳をするほど、コウジは諦めがいいわけではない。
 もっと一般的な理由、単純にブレイン・バーストがネットワークを利用するアプリケーションだからだ。通信をしないアプリなら、その状態の変化、ある種の電子的エコシステムと言える機能の全てはリンカー上で完結する。だが、通信が入るとエコシステムのうち、ネットワークの向こう側は観測不可能な領域に組み入れられてしまう。それゆえ、スタンドアローンなアプリケーションよりも、経験的な勘といつまで続くかわからないトライ・アンド・エラーが重要になっていた。

 コウジは徹夜の価値を信じていない。だから、土曜日も日曜日もちゃんと寝た。また、食事を抜くことも良しとはしていない。だから、日曜日に三度朝昼晩と食事を取ったし、月曜日の朝も出かける前にトースト一枚食べた。
 それはきちんと覚えていた。だが、それ以外の記憶がない。
 と言えば、嘘になる。ただ、一生懸命に通信データの構造を調べ、それを利用したチートを作ろうとしていた。
 ゴールは土曜日に思っていたことにあった。他のプレイヤーのリンカーをクラックして、自分のいるところに遠隔接続させる、そんな無意味に近い想像だ。
 他の人のリンカーをクラックするなんてことは、自分がリンカーのOSのセキュリティとネットワーク周りで膨大な知識があるクラッカーであるか、リンカー利用者がどうしようもなく甘くてOSの定例パッチを当てずにセキュリティホールが放置されたままであるかしないと無理である。
 では、そのリンカーが既にクラックされていたらそれは可能なのか、という話となる。それは土曜日の時点ではNOだった。だけど、日曜日の時点ではNOとは言えないに変わり、月曜日の朝の時点ではYESかもしれないというものに変わりつつあった。
 クラックしなくともブレイン・バーストが入っているリンカーは一つ持っている。自分のリンカーだ。自分のリンカーから他のリンカーかサーバーに遠隔接続する。マッチングリストは自分のいる場所ではなく、その遠隔接続側で登録される。そうすれば、学内のマッチングリストに登録されなくなる。

 はじめはローカルネットにしか接続していないのに、グローバルネットに接続されるはずがないと思っていた。だけども、挙動はローカルネットであってもグローバルネットに存在するマッチングサーバーに繋がっている、としか言えないものだった。
 ――本当に馬鹿げたアプリだ。
 コウジは心の中で本気でそう思った。
 ブレイン・バーストがインストールされた時にリンカーに入ったファイルの一つ、それは動的結合が行われるオブジェクトコードであり、ブレイン・バーストの特殊な通信を担っていた。
 それはローカルネットであっても、色々な迂回手段を講じて、グローバルネットのマシンに接続する。つまり、その通信の機能を自分のリンカーと接続先のマシンに入れたプログラムを作ってやれば、その二つはグローバルネットに繋がっていなくとも結びつき、ブレイン・バーストは接続先のマシンのネットワークで表示されるので、今いるネットワークでの対戦を拒否できる。
 無論、その通信の使い方が文書で用意されているなんてことはない。だが、今までいくつものVRゲームを解析してきたコウジは、自身のリンカーに関する解析知識を総動員して、それの使い方を挙動だけから読み解いていった。

 そして、月曜日の二時間目の数学の時間だった。数学と物理がとんでもなく得意なコウジにとっては、バカみたいに簡単な小テストの時間中だった。
 早々に小テストを終わらせて、さまざまな起動・閲覧制限の外れた自分のリンカー上でその通信機能を利用するアプリのテストを行なっていた。何十度目になるかわからないテストとして、そのアプリ、ファイル名はまだ素っ気なくmain.exeだった、を起動した。
 表示されたウインドウは利用しやすさなどは考えられていない、適当に必要な機能がただ羅列されて表示されたものである。
 一番上の状態表示を行う領域に、アプリの内部状態がメモリー中の数値と簡素な英語でザザッと表示された。ブレイン・バーストの通信用のオブジェクト・コードと動的結合が行われたところまでは動いた。それは既に昨日の段階で完成していた部分である。
 そして、その機能を利用して、学内ローカルネットを通り抜けて、グローバルネットに接続しようとする。画面には「connect: try」と素っ気なく文字が表示される。待つこと数秒。その結果は昨日からずっと「fail」と表示され続けていた。これがダメだとあともういくつかしか試すことがない。だが、世の中そううまく行くことばかりじゃない。コウジは達観したかのように、想定していた画面が表示されるのを待った。
 その瞬間だった。「success」という七文字が表示された。
 叫んで喜ばなかったのは自身の性格だろう。コウジの心拍数は跳ね上がっていた。ブレイン・バーストをインストールして、初めて緊張していた。そして、小さく口を動かして、コマンドを唱えた。
「バースト・リンク……」

 バシイイイという音が、雷鳴によく似ていることに気づくほど、新鮮な感情で満ちていた。教室で皆がテストを受けている光景がスナップショットとして、青い世界に落とし込まれていた。
 そのとき、初めてソーシャルカメラがその風景を作っているという確証を得れた。ソーシャルカメラの影になっていたのか、ロッカーの僅かな隙間が質感が感じられないのっぺりとしたもので構成されていた。目線を下げると、椅子や机の裏側も同じような形になっているのがわかった。
 だが、それが目的ではない。燃えるBのアイコンをタッチし、コンソールを起動する。そして、マッチングリストが更新されるのを待った。
 表示されたのは自分の名前と見知らぬプレイヤーの名前の二つだけ。学内で戦いを仕掛けてくる四人のアバターの名前も詩音先輩のオペラ・プロテーゼの名前も無かった。一人しかいないのは、今が授業中だからであろう。もちろん、ブレイン・バーストのプレイヤーの年齢の上限が十五歳であることを信じるならば、の話ではあるが。
「よしっ」
 コウジである灰色のウサギのアバターは小さくガッツポーズを作った。
 学内のローカルネットにいながら、ブレイン・バーストの接続先のみグローバルネットになった瞬間だった。
 コウジは青い世界に一分もいずにバースト・アウトと唱えた。こんな無駄なポイントの使い方は初めてだった。だけども、その価値がある結果だった。

 現実に戻ると、すぐにさっきのウインドウに戻る。小テスト中に先生は何をしているかは知らなかったが、そんなことは気にせずに腕を少し持ち上げて、状態表示の画面の下に存在する「generate」と書かれたボタンを押す。ファイルの保存先を問い合わせるダイアログが表示され、コウジは適当な場所に生成したファイルを保存した。
 それを終えると、黒い背景のコンソールを立ち上げて、コマンドを入力して外部マシンへの遠隔接続の機能をこのテキストベースの画面に呼び出す。外部マシンへの遠隔接続自体はパソコンが登場した頃からある機能だ。自宅のローカルネットでホームサーバーに接続するときも裏側ではこの機能が使われている。コマンドを使って立ち上げたのは、今起動しているブレイン・バーストの機能を利用したグローバルネットへの接続を用いて、その機能を使うためである。
 コウジは三十文字ほどの数字とローマ字を入力した。他人が見たらランダムな文字列に見えるそれは、グローバルネット上でコウジのホームサーバーを示す住所に当たる文字列である。入力し終えるとリンカーに格納されている個人認証用の量子暗号鍵をが利用されたことが画面に示され、自宅のホームサーバーに接続されたことが示された。
 ――学内から繋げてしまった。
 そんな思いでいっぱいであったが、今はやることがあるので手を動かす。さっき生成したファイル。それはグローバルネットを通じて、相手側マシンが接続を受け入れるために必要な通信受け入れ用実行ファイルである。それをホームサーバーにコピーして、実行した。実行されたことしか画面には表示されなかったが、それを見るとコウジはホームサーバーとの接続を切って、さらにグローバルネットに繋げた作ったばかりのアプリを終了した。
 コウジは一度息を吐いてから、再びコマンドを小声で唱える。
「バースト・リンク」

 数分前と同じ音が再び青い世界を提供した。
 今は学内ローカルネットに接続されているという認識で間違いない。それの確認が目的だ。マッチングリストの更新が終わり、自分とオペラ・プロテーゼを始め、学内にいるべき六人の名前が表示される。
 納得したかのようにバースト・アウトと言う。さっきより短い、加速時間で僅か十数秒という勿体無い使い方をした。
 そして、現実に戻って、再び、アプリを再起動する。
 プログラムが接続機能を呼び出して、グローバル接続を行う。そして、さっきのプログラム生成ボタンのさらに下の接続先一覧の更新が行われる。すぐにグローバルネットが接続先として表示される。さっきも、それは表示されていた。
 そして、すぐにその下に数字とローマ字で書かれた三十文字ほどの文字列が選択肢として出現する。コウジの知っている文字列、自宅のホームサーバーの住所だ。
 それを叩き、接続確認が表示されると同時にまた唱えた。
「バースト・リンク」

 あの独特の接続音がしたが視界の印象は全く違った。教室という風景とそこにいた生徒たちや先生は消えた。代わりに四畳半ほどの四角い何も置かれていない部屋が表示された。
 もちろん、コウジはその部屋を知っていた。物が全く存在しなかったが、自分専用のホームサーバーが置かれている、自宅マンションの自室である。ソーシャルカメラが存在しないので、間取り図などから適当に構成されたのであろう。
 ほとんど成功とも言える状況だったが、まだ、安心はできない。アイコンを叩いて、マッハでコンソールを呼び出し、マッチングリストのサーチングを凝視した。
 一番上に《コペン・ミリタント》と自分の名前が表示された。
 そして、それだけで表示は終わった。
「よっしゃー!!」
 今度こそ、コウジは、コウジたるウサギアバターは叫んだ。
 一時間目にセルリアン・ボーアに負けて、小テスト開始直後のついさっきオスミウム・ストレイトに負けた直後の完成だった。さっきの実験のための加速と合わせて、17ポイントの損失だったが、残り31ポイントも残っている。それだけのマージンを残して、学内でのバカバカしい戦いからの離脱を成功させたのだ。
 青い世界の自室のベッドがある場所の床に寝っ転がりながら、ウサギなコウジは伸びをした。
「このアプリに名前をつけないとな」
 一人そう青い天井を見ながら呟いた。
 裏口を使って抜け出るという意味でバックドアという単語が頭によぎったが、そんな安直な名前を付けたいとは思わなかった。
 一つ目のチートに使っているアプリは強制切断にしか使っていないが、ブレインバーストから自身のリンカーで提供されるコマンドベースの操作を行うのが目的のものだ。だから、ブレイン・バーストとリンカーの橋渡しという意味で《ブレイン・バースト・ブリッジ》と名付けた。
 そんな名付けを思い出して、このアプリが学内の下らない戦いから逃げるための「隠れ家」を提供することに気づいた。《ブレイン・バースト・バロウ》。そんな名前にしようと決めた。
 コウジは一人クスリと笑った。
 Bridge(ブリッジ)にBurrow(バロウ)だ。チートアシストを作ってもAssist(アシスト)という名前はつけれないな、などと思ったが故の笑いだった。
 というか、接続できたことがあまりにも嬉しくて、バーストポイント二回分を今までの自分から見たら相当に無駄遣いしたことに気づいた。
 さすがに三回も無駄遣いすることはしない。バースト・アウトではなく、三十分制限で落ちるまで何かする。アシストを作るための情報収集をする。と決めた。
 上機嫌で思いついた改造を施したアシスト機能を起動した。三歩目で転んだ。そう簡単にうまく行くはずがなかったが、コウジは一つアプリが完成して気分が良かった。

 昼休み。購買で買ってきた焼きそばパンを教室で頬張っていると視界の右上に黄色い手紙のアイコンが点滅した。
 自然に右手を宙に上げて、メールアイコンを指先で叩いた。
 詩音からのメールだった。何度かやり取りしたときは、絵文字いっぱいの可愛らしいものだったが、今日のシンプルな一行だった。
【ブレイン・バーストって覚えてる?】
 そのメールでコウジは全ての状況を理解した。そして、返信の画面を呼び出しながらも、笑ってしまった。
 やはり、二時間目以降、学内ではマッチングリストに表示されていなかったのだ。それゆえ、詩音はコウジが全損したと思って、このメールを送ってきたのだ。それが想像できてしまったのだ。
 コウジはそれなりに早いホロキーボードのタイプで返信を書いた。
【覚えていますよ】
 即座にそう送り返した。



[31282] 17
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/21 17:24
 詩音は数十秒でメールを返してきた。
【どうしてマッチングリストに表示されないの!?】
 マッチングリストという単語の後には、恐らくその単語を表現したかったであろう三つぐらいの絵文字が続き、文の最後にもどういう状況なのかと言った疑問を抱いた感情を表現しようとした二十ぐらいの絵文字が踊っていた。
 絵文字が表したかったことは解釈せずにコウジは返信を書いた。
【そういうチートが完成しました】
 その後の返信で詩音は色々知りたがっていたようだが、コウジはあとでリンカー部に顔を出しますとだけ送った。
 放課後までに、詩音先輩にも使えるレベルでインターフェースを調整しておかないといけない。せめて、英語表示を日本語に変えておかないとまずい。でも、そんな作業ができるのも無事完成したからだ。小さく笑って、必要とされる書き換えを行った。
 そして、放課後までにBBコンソールに似せたインターフェースとした《ブレイン・バースト・バロウ》が完成した。

 リンカー部の部室の扉を開くと、椅子に座って机の上に顔をつけたまま、こちらを向いている黒髪の美少女がいた。
 そんな詩音はコウジの姿を見るなり、目を爛々と輝かせて、ピシッと姿勢を正した。そんな女の子を横目にコウジが歩くと、それに合わせて顔を動かしてきて、妙な可愛さに顔がにやける。
 他の部員も目に入ったが、フルダイブしているか、自分の世界に没頭しているか、それか自分と関わりたがらないことを強調するように視線を逸らしていた。
 コウジは詩音と向きあう位置の椅子を引いて、机にかばんを置くと、座って制服のネクタイを緩めようとした。その瞬間、首元にほっそりとした手が伸びてきた。ちょんと、いう音が合いそうな動きで、詩音は2mのXSBケーブルをプスッと刺してきた。
 視界に表示された《リミテッド・ワイヤード・コネクション》という通知が、セキュリティーが無線と同レベルの状態での直結であると知らせてくる。その表示を閉じながら、コウジは思考発声で言った。
『対戦しませんよ』
『そのつもりだよー』
 気の抜けたそれでいて心地よさを感じる先輩の声が頭に吸い込まれた。
『で、どゆこと?』
 可愛らしい仕草の一つと知っているのかどうかはわからないが、首を傾げて聞いてくる。
 目的語が省かれていたが、ボケたりせずにやり取りを手短にするためにすぐに答える。
『簡単に言えば、接続が二系統になります。従来のものとブレイン・バースト由来のものと。後者の接続先を変えることで、マッチングリストの対象を変えることができ、今、接続しているネットワークには表示されなくなります』
 コウジなりの簡単な説明は、詩音の頭ではオーバーフローしてしまったようだ。先輩の表情は疑問でフリーズしたものに変わっていたためだ。
 コウジはそんな先輩に少し意地悪に言ってやる。
『ちょっと頭の足りない詩音先輩にもわかるように――』
 途端にプーっと膨れた表情に変わる。そんなことにばかり気をとられるのだから、わかるものもわからないのかもしれない。なんて思うが、そんな先輩にも理解できる説明を考える。
『――わかるように説明すると、学内ローカルネットに接続しながら、ブレイン・バーストだけはグローバルネットや自宅のローカルネットに接続することができます』
『えーっと、ちょっと待って、ちょっと待って』
 肘をついて、右手の人差し指で空中でくるくると輪を描きながら、詩音は言った。
『登校したら、グローバルから切れて、学内に繋がるよね?』
 詩音は一個ずつ例を作って、理解しようとし始めた。そんな先輩の手助けをすることにした。
『そうですね。ブレイン・バーストのマッチングも学内になります』
『だよね、だよね。で、そのチートを使うと、ブレイン・バーストはグローバルに繋がるってことだよね』
『そうです。僕のは自宅のローカルネットに繋いでいます』
 詩音は両手でこめかみの辺りの髪の毛をくるくるといじりながら、まだ不思議なことが残っているというような表情で聞いてくる。
『でも、学内からは切れないから怒られたりしないよね?』
 コウジたちの中学校では休日以外つまり通常の登校日の間は、学内ローカルネットに接続していないと警告を受けることになっている。細々とした条件をまとめた資料はコウジのホームサーバーにあるはずだ。もちろん、入学して最初の一週間、連日のように放送で警告を食らって、データ収集を行った結果である。
『そういうことです』
 コウジの肯定に、詩音は何かわかりそうだと言わんばかりに手を動かしながら確認を取ってきた。
『えーっと待って、待って。五島君のは自宅のローカルネットに繋がっているんだよね?』
『はい』
『ということは今、五島君の家のネットに繋いだら?』
 詩音の手の動かしっぷりがXBSケーブルに引っかかりそうなので、手の動きをなだめつつ答えた。
『マッチングリストにいますよ。でも、普通、そんなピンポイントに家に来て加速したりしないので、実質対戦拒否ができます』
 詩音は数秒ばかり、考え中、と言わんばかりに手首をぐるぐる回していた。
 コウジはそんな様子を見守っていると、詩音は戸惑いながら言った。
『よくわからないけど、ブレイン・バーストで遊べる場所を変えれるってこと?』
 コウジは最初からそう言っていたつもりだったが、今の今まで、うまく伝わっていないようだった。でも、それは蒸し返さずに言う。
『そうです』
『どうやってるの!?』
 コウジの言葉で理解が正しいことを納得した詩音は最初のようなキラキラとした目で聞いてきた。幾秒かわかりやすい説明を考えようとしたが、無理だった。
『……詩音先輩にはわからない難しいことを色々しました』
 少し固い笑顔で言うと、詩音先輩は納得してくれたように、クスリと笑った。
 あとは先輩に使って貰う必要がある。コウジは説得するように言った。
『さすがに敗北直前に切断はよくないと思います。ですが、初めからずっと表示されないのは問題ないのでは?』
『んー』
『グローバルネットでずっと切断して生活するのと同じですよね』
『確かにねー』
 詩音はそこは同意してくれたようだった。コウジは詩音から視線を逸らし、天井を見上げるように顔を少し上げた。
『さすがに今は勝てないです』
 レベル4二人、レベル3一人、レベル2一人の攻勢は引き分けるのすら難しい。
『勝てるように、せめて互角になってから、対戦を受け入れる。そうならないと、ゲームプレイすらままなりません』
 それは特にブレイン・バーストがポイントという機構をベースに作られているからだ。
『まずはポイント取られないことを考えるべきです』
 詩音は納得してくれたように首を縦に振った。
『グローバル接続の同レベル対戦でコツコツと戦い、学内はこれで対戦拒否します。そこは割り切って下さい。そうすれば、半年でポイントが数百溜めれるでしょう。それを実験に回して、半年ぐらいでチートアシストを完成させます』
『それだと私、卒業しているよ?』
 詩音先輩はニコニコとしながら言ってきた。確かにそれを見落としていた。
『じゃあ、もっと頑張って、全体を半年ぐらいで。それからアイツらをシバくって感じですね』
『息の長い計画だねー』
 詩音は本当に楽しそうに言った。
『普通にチートを作るのも、僕の場合、数ヶ月とかザラにかかっていますからね』
 コウジはそう言ってから、本題を切り出した。
『……というわけで、先輩、使ってくれませんか?』
 詩音はその問いかけを笑顔で返してきた。その意味を読み解くことはできず、コウジはさらに説得の言葉を選んだ。
『同一レベル対戦をこれで逃げるのはズルいと思うかもしれません。だから、学内のみレベル4までという条件でいいので使って下さい。詩音先輩が毎日引き分けを目指して、戦闘で逃げ続けるのを知りながら、チートを作るとか心臓に悪すぎます』
『大丈夫、わかっているもん』
 詩音はさっきからの笑顔を崩さずに言った。

 コウジは投げる仕草を行い、詩音にBBBurrow.exeを送信した。別にパッチ等ではないので、通常のファイル送信で送ることができる。
 詩音のジェスチャーを見ると、受信するなり、何の悩みもなく即効起動したようだった。コウジのホームサーバーに接続できるように、いくつかの指示を飛ばして、そのための設定をしてやる。
 数分で設定が終わり、詩音はコウジのホームサーバーに接続することができるようになっていた。
『おー繋がった』
『フルダイブもできますよ』
『なんか変な感じだねー』
 普通のリンカーと違う動きができるようになったのだから、無理も無い。
『あれ? ホームサーバーのメモリ覗けるよー』
『そうですよ』
 接続先を自分の環境と誤認させる必要があり、直結と同じ、厳密に言えばそれ以上に高レベルの接続がなされるためである。
『なんか変なのないかなー』
 そう言いながら、詩音先輩は細い指をちょこちょこ動かして、ホームサーバーの中を覗いているようだった。
 無論、そんなものが出てくるはずもない。秋葉原で購入したノーブランドの激安サーバー八台をクラスター化して作った高性能分散処理型サーバーで、仮想OS、マルチユーザーで環境分割はきちんと行われている。現在、提供されているパッチは全て当たっており、セキュリティも万全だ。フルダイブしたところで表示されるのも40km四方のだだっ広い空間だけである。
『無いですよ』
 と言いつつ、守ってもらわないと危ないことを指摘しておくことを思い出す。
『あ、でも、BBBurrowから始まるアプリは終了したり消さないでくださいね。接続切れて元に戻すのは大変なので』
 そういうと詩音はピクリと動きを止め、そして、歪な動きで恐らく閉じるジェスチャーをしながら言った。
『ダイジョーブです。もうメモリ一覧閉じました』
 詩音先輩にはよくあることだったので、直前で止めれたようで安心した。復旧作業を回避できたついでに、他の注意事項も伝えておく。
『あと、サーバーの終了とかも注意してください。変な作業をするのもできればやめてくださいね。強制終了しちゃうかもしれないんで。それに――』
『もう、あんまり触らないからダイジョーブ』
 カタコトで姿勢を正した詩音先輩が目の前に座っていた。コウジはその様子を見て笑うと、詩音もこらえきれなくなって、一緒に笑い始めた。
 ファイルの送信も終わったのに、いまだにケーブルが繋がっているのに気づいて、コウジは自分に挿さっているコネクタを引き抜いた。
 ひとまず、これで懸案だったことから解放された。そんな気分で軽く俯き、少し長く息を吐いた。
 思考発声と少し印象の違う、それを感傷的な人間は温かみと呼ぶのだが、そんな少女の声が前からした。
「お疲れ様。五島くん」
 顔を上げると落ち着き払った、頭が良さそうに見える真面目な表情の詩音先輩がいた。
「一段落したけど、やめる?」
 いきなり投げつけられた、単刀直入な質問にコウジは苦笑いした。
「まだ、もう少しだけ続けますよ」
 もう少し、の部分を強く言った。結局、根本的な問題解決はまだだからだ。それが終わるまでが彼女との約束だ。そして、思い出したように言葉を続けた。
「あ、でも、今日からはとりあえず《HAL》を倒さないと」

 そうして、ブレイン・バーストを手に入れて、一週間ぶりの平穏が訪れた。グローバルネットに接続しながらも対戦を挑まれないという平穏である。
 コウジはもちろん通学路の行き帰りも作った《ブレイン・バースト・バロウ》を使って、ホームサーバーという隠れ家に居続けていた。やはり、街を歩くには交通情報ナビがあった方がいいし、ネットの巡回先だってビクビクせずに巡回したい。
 それが再びできるようになった。いつもの生活が戻ってきたのだ。
 帰り道で何度小さくガッツポーズしたかわからなかった。
 上機嫌で帰宅して、久しぶりにブレイン・バーストを手に入れる直前までやっていたFPSのFoMの掲示板を覗いた。
 なんと先週の時点では不可能と言われていた手榴弾回避の部分を切り出したMODが攻略しつくされていた。さらに飛んでくる方向、タイミングが明かされない上級版も作られており、それすら回避するプレイヤーもそれなりに出現していた。掲示板の返信には、人間の進化だ!ブラボー!とか、むしろこれは人間辞めたレベル!とここ特有の賞賛で埋め尽くされていた。
 コウジは苦笑いして、掲示板を一度閉じ、プログラミング用コンソールを呼び出した。無論、先週作りかけていた、手榴弾の複数投げ込みの制作を再開するためだ。
 カチャカチャと小気味良い音を立てながら、コウジは必要とされるソースコードを書いていった。叩いているのは、XBSケーブルで挿してある、キートップが印刷されていないローマ字と数字だけのキーボードだ。ハッカーに半世紀近く愛されているシロモノである。
 なぞる、めくるといった移動がある動きは空中でもやれるが、押すという操作においては押し込んだというフィードバックが必要ゆえ、ホロキーボードはキーボードの完全な代替とは言い難かった。結果、フルダイブしてフィードバックのあるオブジェクトデータのキーボードを叩くか、ハードウェアのキーボードを叩く方がホロキーボードよりも優れているとされていた。また、日本語環境において言えば、右手で選択となぞりの動きを組み合わせた入力を行い、左手で選択とめくりの動きを組み合わせた漢字変換を選ぶVR型フリック入力の方がホロキーボードよりも早いとも言われていた。
 これは好みだろうな、とコウジはそんな余計なことを片隅で思いながらも、手を休めることはない。入力補完を適度に利用されつつ、テンポ良くソースコードが記述されていった。この一週間の戦いに比べれば、あまりにも楽だった。
 突然、何か不気味さ、いや、そこはかとない不安を感じた。コウジの手が止まった。何かわからなかったが、考え始めると、実はマッチングリストから隠れるのに失敗しているのでは、と思い始めた。が、その場合は自動アンインストールを食らうはずである。それが起こっていないのだから問題は無いはずだ。
 そして、再びキーを叩き始めるも数行ほどで手が止まった。不安を払拭するために、あのコマンドを唱えた。
「バースト・リンク」
 音と共に風景が青く変わり、意識が《加速》した。アバターのウサギの右手はマッチングリストを呼び出すジェスチャーを行った。サーチングの終わったリストに名前は二つしかない。
 《コペン・ミリタント》と《オペラ・プロテーゼ》。それで終わりだ。
 詩音先輩も今使っているのか、と思いつつ、さらにバースト・ポイントの残高を確認した。今ので1ポイント減っただけの数値が表示されているだけだった。
 考え過ぎだった。特にすることもなく、不安な心に1ポイント払ったんだ、と割り切り、コウジは《加速》から離脱した。

 平穏な日常の中、様々なゲームの攻略(チート)対象の一つとして、ブレイン・バーストを解析していく。そういう日々が来ると思っていた。だけども、心は何かしらの変調を訴えていた。
 そして、そんな気分のまま、ブレイン・バーストのことは片隅に《HAL》を倒すためのチートを着実に作っていった。
 それが木曜日の夜。
 手榴弾を二つと言わず、時間さえ稼げれば無制限に投げ込め、確率的に全回避をほとんど不可能にした本気チートが完成していた。
「……クソ、何なんだよ」
 コウジは自室で独り言にしては少し大きな声を出した。
 イライラを悪態として吐くことは自分にしては珍しかった。言ったところで何も解決しない。だから、言いたくなる気分を一つずつ原因に分解して、そして心を鎮める。それがうまくいかないときだけ、割り切って声に出す。
 コウジはそれでムシャクシャした気持ちは何とか無くせた。だけども、まだ落ち着かない気分が残っていた。
 そして、ゆっくりと気持ちを整理し始めた。
 単純なことだ。何か物足りなさを感じていた。チートに必要な技能、その要求してくるレベルが低い。
 それは高いハードルを超えたいという思いから来ているものではない。そもそもこのハードルを超えたいのかという疑問から来ているのだ。
 自分のゴールはここ(チート)にあるのか?
 自分がリンカーに思っていることを実現するためにこれ(チート)を作っていたんじゃないのか?
 人がさらに進化する。
 それは昔から聞かされていたことだ。でも、それを聞かせた人たちが実現しようと思っていたものは僕の想像を遥かに下回るものだった。
 それゆえ、リンカーの架空の世界で僕の想像を実現しようとした。チートという機構で人の限界を超えたかった。
 だからだ。だから、ブレイン・バーストだ。
 あれは使うだけで人の限界を超えてきた。でも、それの使い手は人の限界を超えてこなかった。
 僕の戦うべき世界、それは――気づけば、日付は既に変わっていて、《HAL》との対戦のチャンスを逃してしまっていた。でも、頭の中は鮮明になっていた。
「寝よう」
 そう呟き、コウジは寝る支度を整え始めた。

 結局、金曜日からは、ブレイン・バーストにおけるチート無しでの対戦戦略と、加速下でのアシストの実現を検討していた。だけども、それはイライラの原因になっておらず、コウジは結構機嫌良く思考に耽っていた。もちろん、授業など何一つ聞いていなかったが。
 そして、あっという間に昼休みになった。購買で買ってきた、薄皮クリームパン三つ目をおもむろにかじりながら、ニューロリンカーが発売される前の二十年以上前の論文を読んでいた。千倍でのアシスト実現のためにリンカーの量子接続を計算に使えば、なんとかなるとは予想したが、ヒントになりそうな情報があまりにも無かった。そのため、こんな古い論文を引っ張ってくることになったのだ。
「つーかこの人すげーな」
 第一著者の日本人名を見ながらコウジは感心した。個人にあまり興味はなく、直接は調べなかったが、他の論文などを読む限り、若手でこの分野を開拓した一人だと言えるのは間違いない。
 あと、二十年でこのレベルになって、と言われても、相当厳しいです、と答えるしかないと思えるぐらいの能力の人だ。
 そして、クリームパンの残りをポイと口に放り込んだタイミングで、それに合わせたかのように視界右上にメールアイコンが点灯した。学内で送ってくるのは教員か詩音先輩ぐらいしかいなくて、今は休み時間。そんなことからほとんど先輩で確定。と思いながら、メールボックスを開くと宛先には、案の定、上城詩音という名前。
 ビンゴ、ビンゴ、と声は出さずにそう口ずさんで、メールを開いた。
 空だった。
 おいおい、空かよ、と思いながらコウジはメールを閉じようとした。
 空中に表示された空白のウインドウを見つめながら、は?とコウジの思考は固まった。あのちょっとアホだけど、なんだかんだで抜け目は無い詩音先輩が、本文もタイトルも空のメールを送ってくることってあるのか。いや、あるかもしれないが、何も無いのに送ってくることなんてあるのか。
 少しの時間固まって、ここ数日感じていたのとは全く異なる嫌な感じがした。
 嫌な気分、それはブレイン・バースト由来のものしかない。《加速》するか?と考えるが、したところでどうすると思い直す。
 とりあえずは詩音先輩の《オペラ・プロテーゼ》との戦いを観戦設定にしよう。ホームサーバーを通じて繋がっているからだ。思い直せば、接続が切れている可能性を始め、これで大丈夫と言える確実な行いをしていたわけではなかった。だけども、そのとき、コウジはそうしないといけない気しかしていなかった。
 BBコンソールの観戦タブから、《オペラ・プロテーゼ》を選択する。インディケータが回って観戦対象に登録された瞬間だった。
 バシイイイっという、耳慣れた音が轟いた。教室の生徒達は消え、机や椅子などの道具も消えていった。風景が暗いものに組み代わり、コウジの姿も体の周りに構造物がついたコペン・ミリタントへと変わった。
【A REGISTERED DUEL IS BEGINNING!!】
 観戦を通知する炎文字が目の前に表示された。



[31282] 18
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/22 15:45
 ブレイン・バースト特有のステージが出現すると、コウジは部屋の間取りを確認した。
 壁には眼球のような形状のものが現れ、柱は昆虫の胴のような節を作り、全体が有機金属で質感となっていたが、そんな情報は脳に入って来なかった。
 部屋の縦横の大きさ、黒い凸ガラスとなった窓の位置、部屋から出る二つの入口。かなりの確率で教室である。従って、自宅のホームサーバーで対戦を挑まれたわけではない。また、詩音先輩もホームサーバーから切れたわけではない。あのアプリは生きている。クラックされた可能性は低い。
 視界左側上部を見やると、詩音先輩の《オペラ・プロテーゼ》と名前と学内で攻撃を仕掛けてくる四人のうち一人である《セルリアン・ボーア》の名前があった。
 正面の二つの灰色のガイドカーソルがほとんど重なるように表示されていた。観戦は初めてであったが、それが何を指しているか瞬間的に理解した。
 コウジの予想はほとんど一つに絞りこまれていた。
「クソッ、どうする」
 そう呟いても、呟くだけでは何の意味もない。そのことはブレイン・バーストを手に入れる前から知っている。
 だからこそ、直後、カーソルの示す方向に向かうようにコウジの足は動き始めた。ギャラリーであるゆえ、アバターの制約を感じない速さで走り始めた。部屋から出るときコペン・ミリタントの構造物は出口に当たったがもちろん壊れることはない。
 それはコウジに安全地帯の観客ではなく、何の手助けもできない観客という印象しか与えなかった。
「クソッ」
 もう一度、声に出して冷静さを取り戻して、コウジは向かった。

 気味の悪い緑色の空の下、足元に金属触手や金属虫が這いまわるグロテスクなステージを駆け抜け、袋小路の体育館裏に辿り着くのに、コウジは自分のいた教室から一分近くかかった。
 息切れはしなかった。だが、その場のこの光景を見た瞬間にコウジの心拍数はさっきの走りなど忘れたかのように高くなった。
 オペラ・プロテーゼはうずくまっていた。彼女の強いピンク色の巨大腕、恐らく強化外装、は半壊し、全身もブレイン・バーストのリアルさによって、打撲痕がいくつもあることを見せつけた。
 そんなプロテーゼの腹部に青い足の蹴りが入った。少女と思えない低い声を漏らした。蹴りが体を圧迫して、体内の空気を口から逆流させた。それゆえの声だった。
 蹴りを入れたのは、ほとんど無傷の青い全身の、筋骨隆々という表現が似合いそうな体躯のアバターだった。
 そいつが一番最初にコウジに気づいたようだった。
 同時にその二人を取り囲むように立っていた、学内で攻撃を仕掛けてきた残りの三人も青い野人が何かに気づいたことに気づいたようだった。
 そのうちの一人、金属色のアバター、確か《オスミウム・ストレイト》はゆらりとこちらの方を向いてきた。無邪気な中の残虐さを思わせる、明るい声で喋った。
「なーんだ。ミリタントいるじゃん。ボーア君、全損したとか抜かしたソイツ、一発殴っちゃって」
「ほいよ」
 青い巨人は、うずくまっているピンクのアバターに一歩だけ近づいた。拳が振り下ろされ、痛みで動けない彼女の背中から、人が壊れる鈍い音が立った。
 痛覚遮断を行わないブレイン・バーストが送りつける痛みを想像しないように、コウジは自分に強いた。それを考えれば、もはや冷静でいられなくなる。だけど、コウジは冷静であり続けなければならなかった。
 詩音先輩は自分が出現しない理由を全損したからと言った。あのアプリのことは一言も言っていないはずだ。こんな状況になってまでも、詩音先輩は自分がこの現状の攻略に必要だと信じてくれたのだ。そんな先輩より自分が冷静で無くなってどうする。
 赤い大砲持ちが、この光景を見ても押し黙ったままのコウジを横目に、同じ観客の金属色のアバターの方を向いた。
「新宿で強制切断する奴がいるって話題になっていたよね。知り合いがいないから特定はできなかったけど、やっぱりコイツだったね」
「特定できたし、リアルアタックして正解だったぜ!」
 丸太から持ち手の部分を削り出した、いかにもな形状の太い棍棒を持った背の低い緑色のアバターが言葉を繋げた。
 コウジは沸騰しかかっている意識の中で、何とか冷静を保とうと思考していた。
 今の言葉から、奴らはレオニーズとは関係がない、つまり外からの支援は多分ない。そして、この数日が恐らく詩音のリアルを割るのに使われ、直結対戦を挑まれた、という観戦が始まった直後に一つになった予想を確信に変えた。
「ストレイトは杉並に王道楽土を建設するんだ。王に純色でないスカーレットがいるなら、メタルカラーがいてもいいからね」
「でも、変なヤツは入れないぜ!」
「そう、我らのレギオンの創世記に得体の知れない奴はいらないのさ!」
 二人の発言に金属色のアバターはまんざらでもなさそうな感情を滲ませた。だけど、そんなことはどうでも良かった。
 コウジの中でこの一週間の事態が一つの線になった。彼らがなぜわざわざリスクを冒して自分たちを攻撃してきたのか。学校周辺を根城とするレギオンを作るため、学内でのリアル割れを避けることを目的に自分たち以外を消すつもりなのだ。そして、消し去ると割り切って、今日のリアルアタックを敢行した。赤と緑の奴らが随分とお喋りな感じなのも、リアルアタックというこの状況の緊張を紛らわそうとしているとすれば、説明がつく。
 そこまで考えると、コウジの頭は随分と冷めていた。
 レギオンを作るために、学内のプレイヤーを仲間にせず敵として消す。それは正しいのか。
 まあ、そうだろな。気心の知れないがリアルを知っている奴を仲間に加えても、それは利害関係者にしかなりえない。ブレイン・バーストというゲームのもたらす《加速》という大きすぎる効能を考えれば、その程度の関係性は不十分だ。
「つか、もうそろそろコイツ、消えんじゃね?」
 何の反応も示さないコウジに飽きたように青い大男は喋った。
 コウジがメールの意味を理解している間、そんなに時間がかかっていたわけではないが、直結による連続対戦なら、それなりの数を戦っていてもおかしくない。
 とっさに詩音のHPバーを見た。まだ、四分の一は残っている。だけど、オペラ・プロテーゼは強化外装の半分を失って戦えないし、恐らく痛みで動けない。動けたところで現実準拠でステージが構成される限り、常に袋小路。特に今のような固いステージなら脱出もできずに殴られて終わる。
 コウジは瞬間的にブレイン・バーストのものではないコンソール、《ブレイン・バースト・ブリッジ》と名付けたツールを呼び出した。手の平付近に出現したであろうホロキーボードをかなりの勢いで叩き始めた。
 その音が注目を集めたのか、四人ともコウジの方を向いた。
「てか、お前、今更、観戦で来て――」
 そう発言した奴が誰かは気に留めず、コウジは無視した。
「オペラ・プロテーゼ。場所は体育館裏か?」
 自分でも驚くほど、低く冷たい声が出た。
 詩音の首が小さく動いた。
 それは頷きだった。普段の騒がしい動きが嘘のように、詩音先輩は冷静なときほど小さくしか動かない。
 小学校二年生の時の運動会で騎馬戦の決勝で作戦を否定したときも、四年生の学芸会でセリフのチェックの指摘のときも、五年生のあのときも、詩音は冷静なときほど最小限の情報を伝えるかのように小さくしか首を動かさなかった。
 コウジは手の動きを休めず、「お前、何をしている」という言葉を聞き流して、目的とした入力を終えて、最後のEnterを叩いて実行した。コウジは無意味に喚く奴らを睨みつけて言った。
「全教員にメールを送った。体育館裏で女の子が囲まれている、とな」
 コウジは事実を述べたが、それを聞いた瞬間、ドッとバカにしたかのような笑いが漏れた。
「加速中にメールとかできねーよ」
「そうそう無理無理」
 ここからの会話は相手に戦いを断念させるためのものだ。コウジはゆっくりとした口調で丁寧に話始めた。
「僕にとっては加速中のグローバル切断と大差無い」
 レベルの低い赤と緑の二人はそれにビクッと反応したようだった。噂を事実として認めたのだから当然だろう。コウジは続けて言った。
「メールアドレス教えてくれたら今すぐ送ってみせますよ。サクッと百万通ぐらい」
 取り巻きの声を止めるように金属色のアバターは腕を横に上げた。オスミウム・ストレイトは笑いが混じった朗らかな声で言った。
「君がそれをできても関係ない。千倍で加速中だからね。ソイツが全損してからでも逃げれるよ」
 コウジは逆に鼻で笑い返してやった。
「たった千倍ですよ。加速したところで一戦1.8秒もかかります」
 「も」にイントネーションを置いて、コウジは《加速》程度で屈しない印象を相手に与えながら話しを続けた。
「教員、特に昼休み開放されている体育館で監視している教員。今日だと生徒指導の神崎でしたっけ」
 神崎の名前を出した瞬間、再び赤と緑の二人から緊張を感じた。――PKに慣れているわけではない。そう思いながら、コウジは言葉をまとめた。
「あの教員が体育館からここまで走ってくるのは、二十秒あれば十分です」
 言葉の多くがハッタリだった。教員が常にいるとは限らない。走ってくるかもわからない。走ったところで二十秒で来れるかわからない。そもそも、あのメールでちゃんと来てくれるかわからない。ある意味、ソーシャルエンジニアリングみたいなものだ。コウジは焦りを隠して、詩音の方を向いた。
「プロテーゼ、あと十対戦持つか?」
「全敗でも持つ」
 詩音は即答してきた。詩音の余裕で戦えるという宣言にお喋りな二人は明らかに怯んだようだった。コウジもまた詩音の楽観的な状況がわかり、緊張がほぐれた。
「さて、お前ら。あと二十秒ほどで教員が来ると思うが、何秒でそこから逃げれるか考えることだな」
 お喋りな二人を抜いて、金属色と青いアバターが少し言葉を交わしているのが見えた。
「コイツは後回しだ」
 金属色のアバターに続けて、青いアバターが言った。
「来週には、お前も誰か割り出してやるよ」
「ああ、この女を消すのはそれからで十分だ」
 直後、詩音の目の前にドロー申請ウインドウが表示されたようで、オペラ・プロテーゼは機械腕が壊れて、本体が顕になった方の手でOKをタッチしたようだった。
「テメェの命は来週までだぜ」
「俺たちの邪魔は消えてもらうしか無いからな」
「全損、楽しみにしておけよ」
「あばよ」
 思い思いの捨て台詞と共に奴らはこのステージから消えていった。
 四人のプレイヤーのアバターが完全に離脱したと確認した瞬間、コウジは全身の力が抜けかけた。
 現状の自分にこの世界を力で変える術は無かった。外にメールを出せる。それを頼りにこの最善の結果が手に入った。全てが綱渡りだった。
 コウジは何とか足に力を入れて、未だに動けないで同じ姿勢のままのオペラ・プロテーゼの元に歩み寄った。
 詩音先輩になんと声をかけるべきか。その一瞬の間に声を出したのは詩音の方だった。涙が混じった時の声に近かった。
「コウジが……コウジがいれば私は大丈夫……だから」
 名前で呼ばれても嫌な気が全くしなかった。それ以上にもっと別の感情が心の中にあった。それでも本当の気持ちを隠すようにコウジは吐き捨てるように言った。
「大丈夫なはずないでしょ! 言いましたよね! どうにかなるまで助けるって!」
「そう……だったね」
「先輩、教室に戻ったらおとなしくしていて下さい! 今日は一緒に帰ります」
 リアルアタックの危険性を排除する。そのために、力強く命じたコウジの言葉に、詩音は本当に小さく笑った気がした。

 加速から戻った直後、口の中には薄皮クリームパンのクリームが残っていた。それを飲み込むと途端に頭が冷えていった。離脱直前、冷静に考えれば、とんでもなく恥ずかしいことを言ってしまった、そんな気がしてならなかったのだ。
 それは雑念だと言わんばかりに頭を振って忘れ、コウジはマッハでメールを書いた。
 詩音先輩と残念先輩宛である。明日、三人で会う約束をしたいこと。詩音先輩には二度目のリアルアタック回避のために行うべきこと。そして、残念先輩には自分の実験に必要なことの準備を頼んだ。
 数分もすると詩音から学内ローカルネットを通じた返信があった。
【私の家なら大丈夫だよー】
 一緒に踊っていたハートの絵文字が妙なテンションの高さを感じさせた。
 それに続いて、グローバルネットを通じてマサミからも返信が来た。残念先輩の学校は休み時間中はグローバルネットに繋げれるようになっていると聞いたことがある。私服の通学を認めているなど、自由な校風の学校と聞いていたがここまでとはちょっと驚きだった。
【任せろ】
 三文字のメールにコウジは安心した。

 三階の詩音先輩の教室の前で合流した。校内では会話もせずにただ一緒に横を歩いていただけだった。そのまま、靴を履き替え、校庭を歩いていると詩音が不意に「ありがとう」と小さな声で言った。コウジはふと目を逸らして「どういたしまして」と返した。
 校門から出てから、あの時間のことを詩音から聞いた。加速終了後、三人組はケーブルを抜いて走って逃げていった。四人全員がPKに参加していないことから力関係が明らかになりそうだとコウジは思った。
 そして、それから四十秒ほどしてから件の生徒指導の神崎が来たらしい。二十秒はどだい無理だったわけだが、どうも神崎は職員室から走ってきたらしい。真面目な教員である。嫌いだけど。そうして、昼休みの残りの時間を保健室で過ごし、五時間目からはずっと教室にいたという。
 なるほどな、と思いながらコウジは今後の方針を考えていた。

 実は詩音と一緒に帰るのは初めてであった。彼女の家は中野区のマンションだ。気ままな再開発が区割りを超えた奇妙な学区政策ゆえ、幼稚園も小学校も中学校も同じであったが、杉並区に住む自分とは一緒に帰ったことはなかった。
 そんな帰り道は非常にサバサバとした状況があった。
 詩音は右手で空中を必死にめくっていた。コウジが渡した一年男子生徒百十一人の生徒データベースの写真を見て、
取り囲んだ奴らを探すためだ。ちなみに、このデータベースは生徒会からの接続をクラックして入手したものだ。侵入に使った汎用ハッキングプログラムを作ったハンガリー人ハッカーと、その程度で簡単にクラックできるレベルでしか生徒会が閲覧できる部分を管理していなかった学校の情報担当教員の杜撰さに感謝した。
 詩音を囲んだのは男子三人。その場にいない、恐らくオスミウム・ストレイトを含めて、コウジは全員一年だと予想していた。教室を特定するほど情報は無かったので、残念先輩が去年会っていないことから、今年入学してきたと目星をつけたのだ。
 まあ、そこで見つからなかったところで、マンモス学校であると考えても、全学年の男子生徒三百六十人をチェックすればいいだけである。それを頑張るのは詩音先輩である。
「あ! この子だ!」
 探し始めてから結構な時間が経ち、詩音はようやく声を上げた。しかし、それ以上は見つからなかった。
「一人だけか」
「うん。直結してきた子はいなかったよ」
 いないということは他の学年である。とはいえ、闇雲に探すのも時間の無駄である。
 コウジは見つけた一人の生徒会がアクセスできるレベルの情報を見ながら考えた。
「……サッカー部だな」
「そっか! 私も五島君もマサミンもリンカー部繋がりだもんね」
 コウジはサッカー部の男子に絞ったリストを詩音に送る。四十人ほどいたが、割とすぐに見つかったようだった。
「ビンゴ!」
 そう叫んだ詩音の鞄をコウジはさっと掴んだ。交通予測ナビを無視して、車が普通に通っている赤信号を渡ろうとしていたからだ。
「こっちが直結した方。んで、こっちが観戦してたの。二人とも二年生だね」
「そうか」
 詩音が投げて送ってきた写真を睨む。コイツが直結して、あそこまで詩音先輩を痛めつけた。気づけば、コウジは右手を強く握りしめていた。
 落ち着いて、この生徒らの情報を確認する。同学年ではあるが、同じクラスではないし、顔すら知らない。さすがに一学年八クラスもあると、知らない奴がいても不思議ではない。特に、コウジのように人付き合いが悪いとなおさらだ。
 うーん、と思いながら見ると、直結した奴の一つ情報が目に入った。今年の二月に都内の別の区から転校してきたのだ。その頃、ちょうど残念先輩は受験で学校に来ていなかった。また、その後も登校日や卒業式ぐらいでしか学校に来ていない。見たことなくても不思議ではない。
 コウジは今一度サッカー部のリストをざっと眺めた。同じ名字の三年生が二人いた。うち一人は彼と兄弟であることが書かれ、転校してきたことが示されていた。
「コイツが《オスミウム・ストレイト》か」
 どれどれ、と聞いてくる詩音に写真を送った。
「あー、転校してきたの知ってるー。変な時期だったから」
 同じ学年ゆえかPK参加を回避したのだろう。どのような親子関係かはわからなかったが、この転校生らがブレイン・バーストを持ち込んだのは間違いなかった。
 睨みつけるような随分と悪い顔をしていたようだった。詩音が不安そうに顔を覗き込んできた。
「PKするの?」
「しないです。最終手段でもしないです」
「でも、アシストとか無理でしょ?」
 詩音の表情は晴れないものだった。でも、先輩の思いはもう自分に関係無かった。自分の目指すゴールの形は見えつつあった。
 アイツらに勝つ。そうじゃないと終わりはこない。
「勝つ方法は思いついています。だから、明日の実験で残念先輩を呼んだんです」
 マッチングリストから隠れるためのバロウを作った時、もう一つセキュリティーホールを見つけていた。
 それを使うつもりは無かった。それは単なるバグだ。使えばすぐに修正され、自分の目指すチートでは普通使わない。できるとやるは違う。
 だけど、あの光景は僕が魂を売り渡すのに十分だった。――お前らに来週は来ない。
 気づけば、詩音が住むマンションの部屋の前についていた。コウジは落ち着いて言った。
「先輩、さようなら」
「うん、またね」
 詩音先輩はもう笑顔になっていた。そのまま、家に入っていった。



[31282] 19
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/24 02:52
 コウジは一人、詩音のマンションから家路についた。学校を挟んでほとんど反対側にあるため、十五分ほどかかる。もちろん、マッチングリスト非表示のチートを使って、グローバル接続を行い、交通予測ナビを表示しながらの帰宅である。眼球の焦点は完全にナビのルート表示に合っていた。頭は完全に考え事に使われており、ゾンビのように道を歩いた。
 頭の中の疑問は、なぜアイツらはあんなにも甘かったのか、だ。
 PKにはリスクがある。必然的にリアル割れを招くからだ。従って、それを行うならば、完遂する必要がある。だが、アイツらはそれを断念した。
 それに至った理由はそんなにない。
 一つは加速世界で退場に追い込むことよりも、自分たちが現実世界から退場させられることを恐れている場合だ。
「根拠は……あるな」
 コウジは自分の推論を再確認するかのように呟いた。
 《加速》の力は魅力的だ。その力に飲み込まれない人間は自分のように別の目的があるか、これを単なるゲームとしか見ていない詩音のようなアホぐらいだろう。
 彼らが《加速》の力に魅入られていると仮定する状況証拠もある。ブレイン・バーストを持ち込んだ可能性の高い転校生が今年の二月にやってきた。その数カ月後の春の大会で弱かったはずのサッカー部は区内優勝を果たしている。実はあの転校生はそんなことしなくてもスーパープレイヤーなのかもしれないが、《加速》の力を使ってそれを成し遂げていると予測するのはあながち間違いではないだろう。
 てか、まだ聞いていないな――コウジはあることを思い出した。無論、意識だけすっ飛ばすコマンドが何かということだ。詩音先輩が忘れていて、残念先輩からも聞くことを忘れていた。聞いたところで使うことも無いだろうが、情報というのは知らなければ損失になることが多い。今度、聞いておこうと頭の片隅にメモしておく。
 そんな《加速》の力に魅入られていると仮定すれば、それを魅せつける舞台を失うことは避けるはずだ。だから、「現行犯逮捕」な事態を回避する方向に動いた。逆にそれさえ回避すれば、可愛い女子とはいえちょっと頭が幸せでキチガイの巣窟のリンカー部の所属の詩音が何か言ったところで、今、学校内で一番有力なクラブであるサッカー部の自分たちに致命的なダメージを与えることにはならない、と判断された。
 他の理由は、とそれを考えながら、ふと空を見上げた。まだ、明るい空を隠すように、一軒家の向こう側にコウジの住むマンションが見えた。もうすぐか、と思いながら前を向いた。自分の目の焦点がようやくナビから外れて、現実に当たった。
 その瞬間、自分の浅はかさに気づいた。
「クソッ」
 コウジは踵を返して、来た道、二車線の道路と並行の歩道を戻るように走り始めた。
 百メートルも離れてはいない先に今日割り出した四人のサッカー部員がいた。
 もう一つの理由――それは既に自分を退場に追い込む算段がついている場合だ。
 来週までとかブラフじゃねーか、とそんなつまらないことにハマった自分に心の中で悪態をつく。
 コウジは身長こそそれなりに高いが、運動は苦手だ。走り始めたところで逃げ切れる算段なんてない。
 まだほとんど走っていないが、既に心臓は最高レベルで拍動している。後ろからの足音も心臓の勢いを加速させた。
「五島光児ぃ! 待ちやがれ!」
「おい! こら! 逃げんじゃねーぞ!」
 罵声を上げて追いかけてきた人数は二人っぽかった。後ろを振り返る余裕はなかった。残る二人はマンション前で待機しているか、挟み撃ちのために回りこんでくるかのどちらかだ。
 ――あと数分だけ稼いでくれ。
 ほとんど一杯一杯な自分の肉体に鞭打ちながら、リンカーを操作して残金を確認する。普通に数十万円あった。自動RMT様々である。ちなみに言えば、現状のリンカーの春モデルがちょっと微妙でまだ買い替えしていなかったからここまであるとも言える。
「おらおら! 白状しやがれ!」
「黙って逃げんな!」
 お前らと違って走りながら声なんか出せるか!と思いながらも、後ろからの声が先ほどよりも大きくなっているのがわかった。
 距離が詰まっている。そのとき、かなり先の曲がり角から現れる人影があった。サッカー部の一人のうち、詩音を囲んでいなかった一人だ。
 そいつは悠々と現れ、俺の行き先を阻むためかそこに立った。走ってはこなかった。レギオンを作るようなやつだ。そのくらい傲慢でもおかしくない。
 パッと左右を見るが横道はそいつが現れたところまでない、が、目的としていたものは見えた。よっぽど運が悪くない限り来るとわかっていた。
 かなり前で行き先を阻む男の横をそれが通り過ぎた瞬間、俺は右手を上げて振りながら車道に乗り出した。
「タクシー!」
 そう叫びながら手を振ると、走ってきた黄色いタクシーはコウジの立つ位置から少し行き過ぎて止まってドアを開けた。
 突っ立っていた正面の奴は血相を変えてこちらに走ってきたが、待つつもりなんかない。
 ヘトヘトの両足に鞭打って、歩道と車道を分ける柵を乗り越え、タクシーに乗り込んだ。
「とりあえず、出して下さい」
「はい」
 中年の運転手は低い声を出して、ドアを操作して閉めて、車を発進させた。
 直後、息を切らしながらの唖然とした顔でこちらを見てくる二人のサッカー部員の姿が見えるも、すぐにその風景は後ろに流れていった。中学生がタクシー捕まえて逃げるとか思わないだろうから、当然と言えば当然の表情だった。
 コウジの息が整ったことに気づいたのか運転手の声が聞こえた。
「どこまでですか?」
 外の様子も中学生が乗り込んできたということも気にかけずに、ということでコウジは少し驚いた。と同時に驚けるほど冷静になっていた自分に気づいた。
「とりあえず、高円寺駅に」
 頭の中で場所を整理して、この進路だと一番近そうな駅を上げた。
「はい」
 運転手の短い返事をコウジは最後まで聞かずに言っていた。
「コマンド、ボイスコール、ザンネン」
 音声で命じられたリンカーは、そのコマンドの実行結果、つまりマサミに電話をかけるという問い合わせのホロダイアログを浮かべようとした。それとほとんど同時にそれが持つイエスのボタンをコウジは叩いていた。二度目のコールでカッコイイと形容できる男の声がした。
『よう!ゴーシマ!なんだい?』
「今日、家に泊めてくれ」
『わかった。ちょっと聞いてくる』
 途端に聞きたいことの主題を理解してくれ、保留音が流れ始めた。ちょうどその瞬間、自分のマンションの前を通った。そこには残りの一人の姿があった。
 ふぅ、と小さくため息を吐くと、途端に保留音のクラシック音楽がうるさく聞こえ始めた。電話のボリュームを落としていると運転手が話しかけてきた。
「君、中学生だよね」
「はい」
「どうしたの?」
 そんな単純な質問であったが、コウジは回答に窮してしまった。
「どう……したんでしょうね……」
 そんなコウジの反応を訝っている様子が見て取れたので言葉を続けた。
「あ、お金はあるんで大丈夫です」
「まあ、深くは聞かないけどねえ」
 そう言った中年の男はむしろ金銭的な問題が出ないことに安堵したようだった。
 何がブレイン・バーストだ。トラブル・バーストって名前の方がぴったりじゃねーか、と心の中で悪態を吐く。
 直後、おーいおーい、と声が聞こえるのに気づいた。どこからしているのかと思って、キョロキョロしたが音は頭の中から聞こえる感じだった。何のことはない。ボリュームを下げていた残念先輩からの電話だった。
 ボリュームを戻しつつ、言った。
「すいません。タクシーなんで」
『完全にトラブってんな』
 電話に出るのが遅かったことをマサミは咎めず、むしろ楽しそうだった。
「で、泊まれますか?」
 もしダメなら、ダイブカフェを利用する。リンカーで身分証明されることから、十時までしかいることはできないが退店時に駄々をこねれば、パトカーの厄介になりつつ安全に帰れるはずだ。多分、怒られはするだろうけど、怒られるだけにすぎないはずだ。
『泊めれるってよ』
 小さくガッツポーズを作った。思いついたパトカー帰宅計画は採用しなくて済みそうである。
「助かります」
 お礼を言いながら、残念先輩の家の場所を思い出そうとしていると、続きの言葉が聞こえた。
『詩音がな』
「は?」
 自分は残念先輩に電話をかけたはずだ。ザンネンでかける先も指定したから間違いはない。
『詩音ん家だぞー』
 フリーズしている頭にイケメンの声がこだまする。シオン、シオン。もしかすると、残念先輩の家はダメだから従兄弟のシオンとかの家かなーなんてアホなことは考えたくても、そこまでアホじゃない。
「なんで、そこで詩音先輩が出てくるんですか!」
『嬉しくねーの?』
「それは話のすり替えです」
『いや、ほら、やっぱり俺の家も難しいから、無碍に断るよりは他の心当たりを探してあげたわけよ』
「余計なお世話ですよ……」
 そう言いながら、コウジは結局先程の計画を採用するべく、視界にダイブカフェの地図を開こうとした。
『五島君! 私、心配しているんだよ!』
 詩音の声が聞こえた。電話会議モードに切り替わっている。ってことは、保留解除からずっと詩音が聞いていたことになる。
 会話を少し思い出したが、何も変なことは言っていない、はずだ。
『あ、じゃあ、俺んちは無理なので、残りは二人に任すわ』
 そんな言葉と共に、ガチャン、という受話器というものがあった時代の音が切断を示すために流れた。音声通話の相手は詩音先輩だけとなった。
 が、冷静に考えて詩音先輩の家に泊まることはそもそも検討の範囲外だ。アホであっても詩音先輩は女の子だ。そこに上がり込むなんてことは考えてない。
「心配してくれるのは嬉しいですが、泊まる気は――」
『五島君、来る?』
 コウジの言葉なんか何も聞かずに発されたのは、疑問形でありながら拒否は認めない、いつもの詩音の声だった。
 この様子だと詩音先輩の心は決まっている。外堀を埋める方向で断ろうとした。
「迷惑でしょ。特に親に」
 詩音は自分を嫌っていない。だけど、詩音の親に限らず親の方が自分を特に嫌ってくる。それはコウジであるがゆえ、仕方ないことだ。
『……今、家に一人なんだ……パパもママも仕事で海外だから……』
 少しの沈黙の後の詩音先輩の声はか細いものになっていた。それでもコウジは家に上がるのは遠慮しようと思っていた。何を言い訳にしようかと考えていると詩音先輩の声がした。
『怖いの……もうずっと怖いの……』
「先輩……」
『迷惑じゃないから……迷惑じゃなかったら……来て……来て……ください』
 高感度マイクは詩音先輩の鼻を啜る音を拾ってきた。さすがに、そこまで言われて断るような性格では無かった。
「わかりました。待っていて下さい」
 音声通話を切らずにコウジは運転手に言った。
「すいません。中野方向に戻って貰っていいですか?」
「あいよ」
「住所言いますんで」
 そう言うと運転手はリンカーを操作したようだった。恐らくナビの入力を有効化したのだろう。操作終了を見計らってコウジは住所を言うと、ナビに行き先が入力された。
 目的地までかかる時間が表示された。詩音先輩にそれを伝えると「一階のエントランスで待ってる」と涙声で返ってきた。

 今日、二回目の詩音のマンション訪問である。
 降りるとき気になったのは、そこいらの中学生ならひと月分の小遣いがゆうに吹き飛ぶんじゃないのかという料金よりも、奴らが待ち伏せしていないかどうかであった。
 妙に金払いが良い中学生を見て運転手がどう思ったのかは想像しないことにした。
 しかし、さっきも来たはずなのだが、こんなに高級なマンションだとは気づかなかった。確かにこんなマンションの前で待ち伏せしたら、ターゲットが罠に掛かる前に通報されそうである。というか、警備員の詰所があるのが見える。どう考えてもPKという事態に一生懸命になり過ぎていた。
 リンカーを利用した電子錠がついているエントランスぐらいは今時のマンションなら結構あったりするが、そのロックが掛かった自動扉の向こう側の光景が凄かった。天井は三階ぐらいの高さがあるぶち抜きで、真ん中には噴水が見える。
 その噴水に腰掛けていた詩音は、コウジの姿を確認すると手を振ってきた。コウジが気づいたのを確認すると、詩音がテッテとこちらに向かってきた。デニムのショートパンツにニットのカーディガンが特徴的な服装の詩音先輩の表情は今にも泣きそうなものだった。
 内側から来た詩音に反応して自動扉が開いた。
「五島君……来て……くれて……本当に……良かった」
 先輩は泣きそうだったのが、既に泣きながら、そのまま、コウジの制服に顔を埋めた。そんな詩音に掛ける適切な言葉をコウジは持っていなかった。
「一人で怖かったよお……」
 詩音の言葉にハッとした。学校で三人に取り囲まれる。怖いに決まっている。でも、それにしっかりと気づけなかった自分を恥じた。現実世界の状態がはっきり認識できてきて、再び、怒りが沸々とこみ上げてきた。だけど、それを発散させるのは今じゃない。コウジは抑えて、言葉を搾り出した。
「すいません」
「うん」
 コウジにひっついたまま、詩音は頷いた。
「詩音先輩のことを考えてあげれなくて」
「うん」
 まだ、涙が混ざった感じの声を出す詩音先輩をコウジは眺めるしかできなかった。

 ちょっと時間が経って離れた詩音は顔全体を赤くしていた。
 「行こ」という先輩の言葉に「はい」と短く交わして、つい一時間ほど前にも来た詩音先輩が住む部屋に向かった。エレベーターで運ばれたのはかなり上の方の階だった。さっき気づかなかった自分はどれほど周りを見ていないのかと思ってしまう。
 到着した階には四部屋しか無かった。敷地面積があんなに大きいマンションなのに四部屋である。その部屋のうち一つの扉を詩音先輩が開けていた。
「お邪魔します」
 コウジはペコリと頭を下げつつ、敷居を跨いだ。
「どうぞー」
 そういう詩音先輩はまだ少し顔に赤みが残っていたが、いつもの笑顔になっていた。
 詩音先輩の家には音声通話で聞いたとおり両親はいなかった。ガランとした大きな家、というのは玄関の寂しさからもわかった。やたら長い廊下を歩いた先にはバカみたいに広いリビングがあった。
 詩音は椅子に座るように促してきた。コウジは高そうな黒いテーブルを挟んで、詩音の向かい側になるように座った。
「親が海外で仕事ってことは、先輩は一人暮らしなんですか?」
「そうだよー。でも、両親とは毎日会うよ。VR空間で」
「そうなんですか」
 子供置いて、両親は海外で共働き。それでこれだけ大きな家。詩音の両親はワーカーホリックと言えるだろう。そんな勝手なことを考えていると、詩音が呟くように言った。
「パパはお医者さんなんだ。アメリカで合成蛋白マイクロマシンの研究して、患者さんに使って、技術を進めているの」
「すごいですね」
「ママは銀行のディーリング部門で働いているの。すっごい額のお金を上海で動かしているんだって」
「それもすごいですね」
 コウジはただただ感嘆していた。つい自分の親と比べてしまった。いや、自分の親と比べるのはどうなんだろうかと思ってしまう。
 でも、詩音の言葉はそんなコウジの考えとは違った。
「本当にすごいの?」
 すごいんじゃないんですか、というコウジの言葉の前に詩音は言葉を続けた。
「私と会うのは月に一度、家族が揃うのなんて年に何回かなんだよ……」
 無論、VRではなく現実でという意味だ。そうして詩音は俯いた。
「詩音先輩……」
 コウジは掛けるべき言葉がわからず、名前を呼ぶしかできなかった。
 詩音は俯いたまま言った。
「仕事が楽しいから仕方ないのはわかってる。でも、私は一人は嫌。だから、ブレイン・バーストの《子》の五島君が来てくれて良かった」
 コウジがさらに反応に困っていると、詩音はパッと顔を上げた。
「ごめん。変なこと言っちゃった。怖かったのと寂しかったのごっちゃになっちゃった」
 てへ、と言った具合で笑う先輩の目は、やっぱり、怖さと寂しさを感じているように見えた。それはコウジも読み取れた。
 コウジはどうしようか悩むも、気分を切り替えるように明るく言うことにした。
「じゃあ、まず、その怖いのを直しましょう」
「うん」
 詩音の声はもう明るくなっていた。
「とりあえず、明日の学校で直結対戦を挑まれることは回避しないといけません」
「そうだねー」
「というわけで、明日はみんなのいるところから移動しないようにして下さい」
「今日の午後と同じだね」
 顔はまだクシャクシャになった印象が残っていたが、いつもの天真爛漫な表情を詩音は取り戻していた。
「はい。ですが、念には念を入れます。XBSコネクタを無効化します」
「おお」
 そう言いながら、詩音は手を叩いた。
 XBSコネクタはOSから簡単に無効化できない機能の一つだ。その理由は直結によるメンテナンス性の確保のためだ。
 無効にするには、直結用のコネクトをぶっ壊すのが手っ取り早いが、それは問題が多すぎる。
 そこでXBSケーブル由来の通信を遮断するものが必要になるが、あまりにもつまらないことに、完全な無効化を行うアプリをコウジは二十分で作ってしまった。



[31282] 20
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/24 19:10
「早かったねー」
「うーん、ブレイン・バーストが関わらないとこんなに楽だとは思わなかった」
 OSの内部設定をいくつか弄ることで実現したXSB遮断アプリがあまりにあっけなくできてしまった。
「お菓子取ってくるね」
 詩音先輩は小さな足取りで台所に向かった。
 コウジの頭はその瞬間、考察モードに切り替わった。あの四人組はコペン・ミリタントのリアルを割って、リアルアタックを仕掛けてきた。だが、それはソーシャルカメラの視界外で取り囲んだ詩音先輩のものと比べるとあまりにも杜撰すぎる。
 その計画のチャチさを考えずにもう少し考えを進める。コウジは詩音を送ってから帰宅した。時間はかかりすぎているが部活が終わるほど長い時間とは言えない。つまり、アイツらは部活よりもこのPKを優先したということだ。その時点で現実と加速の優先順位がごっちゃになっている。いや、優先順位はブレる人の方が多い。無論、自分だってブレている。その項目を検討から外す。
 うーん、と唸ってもやはり短絡的に結果を追求しようとしすぎている。だけど、そこを埋めるのは探偵の仕事で自分は探偵じゃない。というわけで、悩みは払拭するように、結論を出した。
「つまり、アホなんだ」
 正面にはお菓子を置いたばかりの詩音がいた。ぷくっと頬を膨らませている。
「アホじゃないもん」
 先輩のことを言ったわけではないが、コウジは誤解に悪乗りした。
「ほんとにですか?」
 顔が更に膨れたのを確認して、この前先輩が言っていたことを聞いてみた。
「紫色は英語で?」
「ピープル!」
 コウジは吹き出しそうになった。飲み物を口に含んでいなかったので余裕でセーフである。詩音は何がおかしいのかわからないかのようにまだむくれていた。
 コウジは笑いを堪えながら、もう一つ質問を聞いた。
「国民は?」
「ピープル、あ!」
 詩音先輩の顔は瞬間的に羞恥で赤くなった。コウジは俯きながら笑いをこぼした。
「ぎゃー! 三年間ずっと間違ってた!」
 顔を俯かせて、プルプル横に振る先輩はなんか可愛かったが、それ以上におかしさでいっぱいだった。

 至極高そうなカップだが普通のティーバッグで出された紅茶と、スーパーで売られている普通のクッキーを食べながら、コウジは詩音と取り留めもない話をした。もちろん、時折、詩音先輩をからかうのは忘れなかった。
 色々なことを話していると、気づけば詩音先輩の表情はいつもの明るいものに戻っていた。そして、今更であったが部屋が暗いというか真っ赤に染まっていることに気づいた。
「電気つける?」
「いいです」
 コウジの視界はリビングの全面ガラスから見える立派な夕日の光景に奪われていた。赤く燃える太陽が沈む光景。道端からはもちろん自分の部屋からでも他のマンションに遮られて、こんなのは見ることができなかった。辺りの建物よりも頭一つ高いから見える風景だった。
「すごい綺麗ですね」
「ね」
 そう言った詩音先輩の声はいつもの声に近かったが、寂しさが混じっているような気もした。
「詩音先輩、もう大丈夫ですか?」
「……うん」
 そう聞くとコウジは横の椅子に置いていた自分の鞄を肩から下げつつ、立ち上がった。
「じゃあ、帰りますね。さすがに女の子の家にそんな長居するわけにはいかないんで」
「……うん。またね」
「じゃあ、また明日」
 そう挨拶を交わして、詩音先輩のだだっ広い家を後にした。

 一階に着くまでにコウジはタクシー会社に連絡した。無論、歩いて十五分の距離の安全を買うためだ。数分でエントランスの外に黒塗りの車が横付けされた。いや、黒塗りなだけのタクシーなのだが、別に指定していないのに、それが来るのが当然と言わんばかりの雰囲気に飲み込まれそうになった。
 そんな車に乗り込んで、ごく近所のマンションへの移動を命じる中学生に運転手は嫌な顔一つ見せなかった。もちろん、マンションの前にまだアイツらがいたら、そのまま通過させるつもりだったが、その必要はなかった。
 いなかった理由を考えれば、いくつも挙げれるが、考えても仕方ないので、コウジはタクシーを降り、家へと帰った。
 家族三人慎ましく暮らすに十分な広さの家に入りながら、「ただいま」と言う。母親の「おかえり」という声の聞こえ方、というか揚げ物らしき調理音から夕食を作っていることがわかった。
 あの詩音先輩だとレトルト食品作るのにも失敗しそうだな、と失礼な想像をしてクスリと笑ってしまう。その時だった。
 私は一人は嫌――という詩音先輩の言葉が突然頭の中で再生された。料理がどうとかではなく食事は独りきりだ。一人であることをこんなに強調する出来事もない。
 自分の家族は、母親は今いるし、父親もあと数時間したら帰ってくる。だけど、詩音先輩と違ってそれが嬉しいとは思っていなかった。
 単純な言葉で言えば、この親が嫌いだった。自分たちの心の拠り所、それを子供に押し付けた。それは逃れたくても逃れられない焼印のようなものとして、自分について回った。多くの人から距離を作られる要因を与えた親。それを考えるだけで、コウジはイライラした。
 僕は一人で良い――そう言いつつも、冷静に考えれば、名前の出ないグローバルネットのハッカーコミュニティに向かった自分を笑うしかできなかった。
 一人は嫌、なのかもな――と思うも、一つの疑問が鎌首をもたげた。詩音先輩のことだ。あの人はよくわからなかった。どうして、こんな自分に関わってくるのか。チートが好きという言葉もわからない。残念先輩の反応が普通なのに詩音先輩はそれから逸脱していた。そうこうぐるぐる考えているうちに、詩音先輩は寂しくて人との距離感がわからなくなっているだけだ、と位置づけることにした。
 そんな考えも食事に呼ばれたので打ち切った。親との前ではそういう素振りは見せない。それがまた自分の限界の一つでもあった。カキフライをかき込んで、コウジは一番最初に席を外した。そのまま、風呂に入り、残念先輩にメールを送って、余計なことをこれ以上考えないようにと布団に入った。

 翌日、土曜日。結論から言えば、XSB遮断アプリが活躍することはなく、お守りみたいな役目しか果たさなかった。
 当然、家から出てからずっと勝手にピリピリとした空気をまとっていた。もちろん、詩音にも命じて、二人ともそのアプリを実行していた。が、それがあるからと言って、完璧ではないことはコウジも気づいていた。例えば、本気で命の危険が迫るような脅され方をしても、まだそれを有効にし続ける精神力は無いと思っていた。
 だけども、通学路でも休み時間も授業中も何も起こらなかった。だから、コウジは授業の終わりが近づくにつれて、安心感が高まっていった。現在、その状態に差異はあれど、大きく言えば双方がリアルを割っている状態だ。一応はイーブンであり、様子見という段階のはずだ。
 帰りのホームルーム中に、そういう形でひとまずの結論を出していると、不意に大声が聞こえた。
「で、五島!」
 意識が現実に戻ると教室全体から注目を浴びていた。コウジはとっさに返事を搾り出した。
「あ、はい」
「あとで来るように! はい、終わり。日直」
 担任のまだ若い数学教師は、コウジに命じた直後に、そのままこの時間の終わりを大きな声で告げた。生徒たちの意識は途端にそっち側に持って行かれ、礼と挨拶で今週の授業が締め括られた。
 他の生徒とは距離を置かれているので、コウジの事態を聞いてくる奴はいなかったが、ヒソヒソと噂話をしようというのはわかった。
 そんな生徒たちをかき分けて、コウジは担任の元に向かった。
「何ですか」
「ついてきなさい。何、怒られるわけじゃない」
 コウジの訝しがる口調に担任はそう言い、教室の出口に向かった。

 連れていかれたのは校長室だった。担任がノックして、引き戸を開いた先には、何人かの先生と忘れることもない四人の顔があった。
 彼らはテーブルの前で直立不動の姿勢で立っていた。そんな彼らの正面に行くように促され、そこで四人に対峙すると彼らはタイミングを合わせて、頭を下げながら大声で言った。
「「「「すいませんでしたッ!」」」」
 一瞬、ポカンとしてしまったが、どういう話かはすぐにわかった。
 昨日の追いかけっこはソーシャルカメラで撮られていた。無論、それで即逮捕されるというのは、ナイフなどを振り回しているだとか暴力団員だとかな場合で、子供なら普通無視される。が、やはり、なんか度が過ぎた様子がカメラからもわかったのであろう。多分、そういう経緯で警察の少年課から学校に連絡が入ったらしかった。
 なるほどなー、と起こった事態というか学校が知っている話は既に人事の気分で聞き流していた。自分の興味はこの自体をどう調理すればメリットがあるかということだった。
「四人とも反省しているから、これで許してやってくれないか」
 そう言ってきたサッカー部顧問の顔つきは有無を言わさぬものだった。ここで喚いたところで別に彼らが少年院に送られるということもなく、学内での謹慎処分(せいぜい停学と部活禁止ぐらい)で、自分にはリアルでは色々な恨みを受け、ブレイン・バーストの戦いは何も進まない。
 ここで社会的制裁を与える価値は、自分にとってはあんまりない。となると恩を売る、当然、教師に対してだ。ただでさえ、名前ゆえ自分の評判は悪いのだ。だから、ここで好印象を与えておくべきだ。
「はい。別に殴られたとかないんで。僕ら、まだ中学生ですし。謹慎とか別にいいです。サッカー部、全国制覇頑張ってください」
 コウジはそこまで一息で言い終えると先生方の顔が露骨にパッと明るくなった。
「ハハハッ、五島はいいやつだな」
 サッカー部の顧問は一番嬉しそうに笑いながら、複雑な表情をしていたサッカー部員共に視線で何か合図をした。
「「「「ありがとうございましたッ!」」」」
 不本意なのかもしれないが、さすがにそれは顔には出さずに、深々と頭を下げてきた。
 坊主にはしないのか。ヘディングとかあるからかな、と下げられたフサフサした頭を見ながら思った。
 四人が頭を上げると顧問が檄を飛ばした。
「明日の練習試合は都内二位の学校だ。レギュラーのお前らが頑張らねーと、試合になんねーぞ。きちんと得るもの得る。それで夏に結果を出す。これが頑張っているサッカー部だから許してくれた彼への恩返しだ。わかったな」
「「「「はいッ!」」」」
 という四人の表情はやっぱり複雑そうだった。が、コウジはもうそれを気にしてはいなかった。今日頑張らないといけない。なぜなら、一度目のチャンスが明日来るからだ。

 コウジは校長室から真っ先に出ると詩音のいる三年の教室に向かった。部屋を覗き込むと詩音は他の女子生徒と話をしているようだった。が、コウジが覗き込んだことにすぐに気づいて、こちらにやってきた。
「じゃ、私の家行こっか」
 昨日はイレギュラーな事態だった。昨日、約束した残念先輩を含めて三人で会うことが今から詩音の家に向かう目的だ。時間を見ると、校長室に呼ばれていた都合で、今から行っても残念先輩を待たせることになってしまう。
「すぐ行きましょうか」
「うん」
 詩音の返事を聞くと、コウジはマサミに遅れることをメールした。【どんまい】という短いメールが帰ってきた。



[31282] 21
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/25 17:45
 二人並んで歩いて、詩音の家に向かった。
 マサミがどこにいるかと連絡を取ろうと思ったが、すぐに見つかった。私服通学で許されるのか?というレベルで妙にパンクな感じの服装で、このマンションの若い警備員と会話で盛り上がっていた。どうやらロック・バンドの話題で盛り上がっていたらしかったが、コウジはその方面には疎く内容がよくわからなかった。
 マサミもコウジたちに気づくと会話を止めてこちらに駆け足で来た。
「詩音、マジ、スゲーとこ住んでんだな」
 というマサミの第一声にコウジは少し驚いて聞き返した。
「マサミ先輩来たこと無かったんですか」
「無いよ」
 そんな二人の会話を見ていた詩音は俯いて言った。
「……人呼んだの……昨日が初めてだから」
 そうなのかと思ったコウジは、「ふーん」と言いながらニヤニヤした表情を浮かべるマサミが何を考えているのかよくわからなかった。

 詩音の住んでいるフロアに案内されると、マサミは昨日の自分の比じゃないぐらいに驚いていた。詩音は着替えてくると言って、コウジとマサミをリビングに置いて、自分の部屋に向かった。詩音先輩抜きで話を進めるわけにもいかないので、部屋の観察でもして時間を潰そうと思ったとき、残念先輩が苦笑交じりに言った。
「つか、昨日のメールでトラブルの内容読んだけどよ。わけわからんな」
 コウジはブレイン・バーストをインストールしてから、直面している事態を簡潔に整理して教えたのだ。
「ですよねー」
「で、今日、それ謝りに来たんだろ」
 そのことはエレベータで登っているときにこちらも簡単にまとめて言った。
「はい」
「考えろって言われたら、お前に懸賞ポイントが掛かっているとかだな」
 コウジは血相を変えた。
「マジですか?」
「いやいや、仮定の話だ。俺はそんなこと聞いていない。レギオン作るよりももっと大きなゲインがあって動いているって可能性だ」
「あー、なるほど」
 と言いつつ、コウジはそのまま考え込んだ。
 昨日は自分が逃走に成功したが、そうでなければ数十秒の直結で全てが終わってしまうはずだった。数十秒の直結なら言い訳はできる気がする。しかし、そのチャンスを奴らは掴めず、身動きが取れなくなりつつある。やれることと言えば、ソーシャルカメラ外でのPKの完遂か、友好的態度を見せた後の裏切りぐらいしかない。
 徐々に可能性が狭まる方に短絡的に進んでいることから、リスクより大きなゲインを与えることで無茶な方向に走らせているという可能性はありえる。強制切断とかの反ゲーム的行為をしているので、そういうゲインを与えられて狩られる対象になるという心当たりもある。
 だが、それならもう少し残念先輩が聞いていてもおかしくない。となると残念先輩が隠しているという可能性がある、のかとチラと彼の顔を見ながら思う。ただ、そうだとしたらアラが多すぎるので、それはさすがに違う気がする。
 うまく読み解けないこの事象を考えて、険しい顔になっていたが、マサミの声でコウジは顔つきを戻して、顔を上げた。
「てか、俺に任せりゃ良かったんじゃね?」
 そんな申し出にコウジは困惑した。
「確かにそうかもしれませんが」
「そいつらのアバター教えてくれれば、出会った時に狩るなりしたぜ?」
 残念先輩はそんなことを言ってくれたが、自分は先輩を頼る戦略を取ることができなかった。だから、相手の名前はおろかアバター名と言った情報を教えたりはしていなかった。
 自分は他人をそんなに信用していない――今とて、あなたを疑ったんですよ。だけど、それを面と向かって、残念先輩に言うことは無かった。
「残りポイントがそんなに多くないので、そんな悠長なことはやってられませんよ」
「そうか」
 とっさに思いついた別の理由でのコウジの誤魔化しに、気づいたかどうかはわからなかったが、マサミは少し寂しそうな表情を見せた。
 その意味を考える前に詩音が戻ってきた。
「おまたせー」
 水色の長袖シャツに、パステルカラーのチェック柄ワンピースという格好に着替えたようだった。自分だけ制服のままなのは気にしない。
 その瞬間、コウジのお腹がキューッと鳴った。
「ああ、すみません。昼飯まだでしたので」
 コウジがそう弁明しながら、近くのコンビニに向かうリスクと途中でPK食らうリスクを計算していると、詩音はマサミに聞いていた。
「マサミンはお昼食べた?」
「実はまだだったりする」
 詩音はしてやったりという笑顔になった。
「このちょっと早い集合時間はお昼をみんなで食べるためだったりしたのです!」
「「おお~!」」
 野郎二人して色めき立った。確かに、最終的に集合時間を決めたのは詩音先輩だったはずだ。
「朝にサンドイッチを作っておいたのです!」
 そう言って、詩音は台所に向かった。が、その瞬間、詩音先輩が作った料理ということで、コウジは急になんか不安を感じ始めた。もちろん、残念先輩はそんな素振りは全く見せていなかった。

 昨日、詩音とお菓子を食べた黒い高そうなテーブルには、手作りというサンドイッチと多分昨日のと同じティーバッグの紅茶が三つ用意された。
「冷蔵庫の中に入れていたから、冷たいけど」
 と言いながら、ラップを剥がされたサンドイッチはごくごく普通の見た目だった。パンに具を挟むだけ、失敗する要素は限りなく少ない、と失礼な分析をコウジはした。
「お、うまそうじゃん。いただきまーす」
 残念先輩は速攻ハム卵サンドをさらっていった。チャレンジャーなイケメンだと一瞬思ってしまった。
 一口二口と頬張って、マサミは言った。
「あ、普通にうまいじゃん。」
「酷いなあ。小学生のときからやっているんだから、ちゃんとできるよー」
「え、でも小学生レベルの計算間違えるじゃん」
 残念先輩のその一言でむくれる詩音先輩を横目に、料理ができるという意外な事実に驚きつつ、コウジも手を伸ばしながら言った。
「いただきます」
 それに気づいた横に座っていた詩音先輩はハム卵サンドを取って、自分の口元に持ってきた。
「どうぞ」
 コウジはびっくりしながらも、どうすることもできずそれを手に取って、そのまま口に運んだ。
 冷蔵庫で保管されていたので、ひんやりとしていたが普通においしいサンドイッチだった。
「これ、おいしいですね! 先輩!」
「でしょ!」
 そんなコウジと詩音を、非常に奇妙な視線で楽しそうに眺めるマサミに気づいた。二人で同時に目を逸らしてしまった。

「さて、本題に入りましょう」
 まだ、皿にはサンドイッチは残っていたが、食事自体は一段落していた。
 コウジがマサミに昨日頼んだことはレギオンを作れる状態にすることだった。レベルが到達しているプレイヤーの知り合いが残念先輩しかいなかったのもある。
 マサミは「《マスタークエスト》、意外と大変だったぜ」と笑いながら言っていた。そんな手伝いをしてくれた残念先輩に感謝しつつ、コウジは二人に協力して貰う実験を説明した。

「以上です」
 コウジの数分に渡る説明を、二人は理解してくれた。おもむろにマサミが口を開いた。
「てか、すげー、つか、やべーな」
 マサミはコウジが考えているチートがどのくらいの影響を及ぼすか理解した上での反応をした。
「恐らく、すぐにパッチが当たります。そう割り切った上での作戦です」
「なるほどな」
 と言いながら、マサミは再び考えこむような仕草を見せた。
 コウジはマサミがそんな簡単なことを口に出すことに違和感を感じていた。それは考え過ぎなのかも知れないが、考えを打ち切る気にはならなかった。多分、もっと手前にあるリスク、実験のリスクを説明しないといけない。そういうことだとコウジは理解した。
 コウジは投げる仕草を二回やった。正面のマサミと隣の詩音にファイルが送られた。
「BBBreakout.exe? なんだこれ?」
 マサミはすぐに口に出した。
「それは僕の作ったブレイン・バーストからリンカーを操作するアプリから、XSB接続・ネットワーク接続の両方を強制切断する機能を取り出したものです」
 二人の呆然とした表情を確認して続けた。
「負けそうになるとDISCONNECTIONを実現するアレです」
「なんでこんなものを渡すんだ?」
 マサミは睨みつけるような顔つきで聞いてきた。
「今回の実験、ポイントが少ない僕は裏切りでブレイン・バーストを失う危険があります。同様に二人も僕が裏切ったら同じことが起きます。裏切りそうだと思ったら、それを使ってください。僕もいつでも使えるようにしていますから」
 コウジの言葉への反応は無かった。だから、コウジは更に言葉を繋いだ。
「わかります。このアプリ自体が信用できないってことですよね。だから、ソースコードも送ります。また、ソースコードを理解するためのサイトのアドレスも送ります。さらに、サイトが僕の罠だと思われないために、調べるためのキーワードも――」
 とそこまで言った瞬間、頬が熱くなった。顔は横を向いていた。そこにはちょっと涙目になりながらもびっくりした表情の詩音先輩がいた。頬を叩かれた。正面を向き直すと、真面目な形相でビンタを放った後の立ち上がっていた残念先輩がいた。
「お前、そこまで信用されていないと思ってんのかよ」
 搾り出したかのような言葉が聞こえた。コウジは自分の認識を言った。
「ええ、そうです」
「お前、ひねくれ過ぎだぞ。これやってる目標、いや、今やろうとしていることの最終目標なんだよ」
 コウジはそれに正確に答えようとしたが、その前に、マサミの言葉が続いた。
「その過程で、ここで、俺ら二人潰す意味があるのかよ?」
「ない……です」
「じゃあ、お前がここで頼むことはなんだよ」
 口調は荒かったが残念先輩は先輩らしかった。コウジは二人の先輩を見ることはできずに俯いた。
 それはもうずっと自分の心の中から選んでいない選択肢だ。自分がそれを選んで、今までいいことはなかった。だから、自分はそれを選びたくない。
 その時、右手が柔らかく温まった。少しだけ顔を上げると、それは見知った女子生徒の両手で包まれていた。直後、左手が力強く包まれた。少し硬い男性のものだとわかる手だ。
 それを見て、自分の顔がいつものままでいられない気がして、再び俯いた。それでも両手が暖かかった。
 コウジは自分の思いを搾り出すように言葉を作った。
「……僕を信用して……ついてきてください」
「わかった」
「おう」
 二人の言葉が同時に自分に届いた。
 ある程度して、コウジが落ち着いてようやく顔を上げると、マサミは真面目な顔で言った。
「だから、このアプリはいらん」
 と、ここで切れるのかと思いきや言葉が、少し間を置いて続いた。
「と思ったが、これ無制限フィールドで使えるのか?」
 使う気が結構ありそうな質問に少し笑ってしまう。
「やってみないとわからないです。まだレベル1なんで試したことがないので」
「そうか。いや、対戦中の切断での離脱は死ねなんだけど、無制限フィールドでの非常手段なら無しじゃないかなと思ってな」
 そういうマサミの面はゲーマーの顔つきだった。
「マジ、無制限フィールドは有線タイマー使わないと危なくて繋げれなかったが、これ使うなら毎日の通学時間もダイブできるぜ!」
「何年ゲームして過ごすつもりなんですか……」
 もっと有意義なことに使え、という視線で言ってみたが残念先輩に通じた気はしなかった。
 詩音がくいと顔を出してきた。
「私はいつも通りだよ。ね、一緒に遊ぼ?」
 いつも聞いた言葉だった。もうまっすぐに詩音の顔を見ることはできなかった。コウジは視線を外してテーブルの表面を見ながら言った。
「うん」

 そうして、実験に必要な準備を整えて、三人はテーブルに向かった。
「さて、まず、僕と詩音先輩が戦います。これは実験前の準備ですよ」
「ちょい待ち、観戦に登録する」
 残念先輩がリンカーを操作し始めたが、それを待たずに言った。
「登録する価値も無いですよ。バースト・リンク」
 コマンドを唱えて、一秒持たずに現実に戻ってきた。
 コウジは対戦開始と同時に、ステージとして再構築されたこの高層アパートから勢い良くジャンプしたのだ。そして、高所落下の大ダメージで即死した。
「お前、度胸あるな」
 観戦設定が間に合ってその光景を見ることができたマサミが笑いながら言った。それにはコウジも苦笑いして返すしか無い。
「いや、もう絶対やりたくないです」
 一方の詩音は憮然とした表情だった。
「ねぇ! コウジ今の何!」
「先輩が昔くれた10ポイントを返すためです」
「えー、いらない! 返す! 返す!」
 詩音はわがままな感じに喚いたが、コウジは落ち着いた言葉で説明した。
「ここからさっき言った実験です。全部、対戦は詩音先輩がマサミ先輩に挑む形でやってもらいます。ポイントはそのための加速に使ってください。わかりました?」
「……わかりました」
 妙に詩音先輩の聞き分けが良かったので、そのまま準備を続けることにした。
「で、詩音先輩。早速、XSBケーブル繋げていいですか?」
「いいよ」
 コウジが手際よく詩音先輩のリンカーにコネクタを挿した瞬間だった。
「あんっ」
 と妙に艶かしい声で詩音先輩が喘いた。あまりの可愛さに全身の温度が上がる感じがした。直後、そんな二人を見た残念先輩によるイケメンの余裕の爆笑をしていた。机をバンバン叩くぐらいに大ウケしていた。コウジはそのままそっぽを向いた。今、詩音先輩がどういう表情でこっちを見ているかはわからなかった。
「変なイタズラはやめてください」
 と言ったものの、あの声と表情は当分というか半永久的に忘れない気がした。
 そして、予定している実験を始めた。対戦は全てタイムアップのドローを頼んでおり、現実時間で1.8秒間実験をすることができる。
 一戦目の対戦時間中の実験はもちろん失敗だった。基本的に地道な作業である。対戦する1.8秒の間、コウジのリンカーが複数のチートプログラムを実行する。その結果を見て、対戦終了後から次の1.8秒で実験する要素を列挙し、その対応を適用したチートに作り直す。作り直しには三十分ほどかかることから、加速に付き合う先輩方は一回あたり一時間はぼんやりと過ごすことになる。ちなみになぜか残念先輩の表情が真面目なものに変わったが、ようやく気合が入ってくれたのかなと割り切ることにした。
 二戦目終了後、詩音が席を外して、人生ゲーム(懐かしのボードのやつだ)を持ってきた。コウジのプレイヤーは詩音やマサミが操作しながら、好き勝手遊んでいた。自分は黙々と作業をしている状況ではあったが、ちょっと一段落した表情を見せたら、会話とゲームに混ぜてくれる。その距離感を気持ちよく感じている自分がいた。
 そうして、現実時間で四時間以上が経った八戦目、同時にいくつかを実行するようなやり方であったため、七十四個目となるプログラムが目的を果たしてくれた。目的としたチートが発動すると同時に、観戦が有効となり、コウジは加速した。

 雷鳴と共に世界は組み変わり、少し距離を置いたところに、オペラ・プロテーゼとアンバー・ウォーリアが座っていた。
 コウジはその場で叫んだ。
「先輩! 完成しました!」
 二人は同時に振り向いた。現実ではコーディングに一生懸命になって気づかず、ここではアバターだからわからなかったが、きっと二人の表情は疲れていた。現実での四時間と八試合全部をタイムアップによるドローであるため、体感で八時間以上経っていることとなる。
 詩音が先に近づいてきた。《親》と《子》だから密接できる距離まで近づける。巨大な機械の手でコウジを抱きしめた。
「お疲れ様!」
 続いて、マサミも近づいてきた。同じレギオンとなったので、十メートル以内に入ってこれる。
「お前さ、天才だな」
 マサミはステータス画面を見ながら言っているようだった。
「そんなことないですよ。あ、今から、最後の実験やります。で、マサミ先輩は離れた方が――」
「五島」
 マサミはコウジの言葉を断ち切るように名前を呼んだ。コウジはそれで心を決めて言った。
「すいません、先輩。信用してください」
 そう言って、コウジは二つ目の機能、といっても一つ目のものさえ動けば、それの派生であるためほとんど動くと言える、それを発動した。途端に起こった視界の画面の変化に二人はゾッとしたようだった。
 マサミはおもむろに口を開いた。
「やっぱ、お前、すげーよ」
「うまくいくかは賭けでした。それに勝っただけです。そんなもんです」
 コウジは事実を言っただけだが、マサミはそうは思っていないようだった。やれやれと言わんばかりのポーズを取りながら、話題を変えてきた。
「じゃあ、賭けに負けたときだ。これ完成しなかったらどうするつもりだったんだ?」
 マサミは当然の疑問を投げかけてきた。
「こっちからリアルアタックを仕掛けます」
「直結対戦で勝てるのか?」
 訝しげにマサミは聞いてきた。
「リンカー直結ですよ? で、僕の方がスキルがあるんですよ? ブレイン・バーストのパケットブロックをウィルス化して、直結で送り込んだ後、こっちのXSBコネクタ塞げばいいだけです。それを全員に仕掛けます。あとは学内ローカルネットに繋いで、対戦申し込んで動かないサンドバックをポイント0になるまで殴り続ければいいだけです」
 以上です、と締めくくったコウジの言葉にマサミは驚いていたようだった。
「リアルアタックしてから、相手の全損までタイムラグがあるので、その点でリスキーなのでこちらは不採用にした。それだけですよ」
 コウジのサバサバとした物言いに、マサミは素直な反応をした。
「やっぱり、お前、怖いな……」
「コウジは怖くないよ!」
 詩音がなぜか全力で否定してきた。そんな詩音をマサミは見て、少し悩みながら言った。
「……ああ、すまない。詩音の言う通りだよ。でも、なんだろうな」
 と言いながら、ステージの構成上天井がないため、空を見上げてアンバー・ウォーリアは続けた。
「ここまで来たら、俺も相手を全損に追い込むしかないと思う。だけど、それをこんだけの期間で決断はできない。その決断力が……怖いのかな」
「そう思われてもいいですよ」
 コウジは話を締めくくるように言った。

 長丁場の実験であったため、と言っても、普段のチート作りがこんな感じであることを知っているコウジは全然そうは思っていないが、部屋には夕日が差し込んできていた。そんな時間になっていた。
 チートも完成したので、今日はこれで帰る。そして、明日は朝五時には学校に到着しないといけないので早く寝る。そんなことを考えつつ、立ち上がった。残念先輩も自分の様子を見てか、帰ろうと立ち上がった。
 コウジは詩音の方を向いて、それじゃあ、と声に出そうとした瞬間だった。
「一人は寂しい」
 詩音がぽつんと言った。残るとしたらイケメンの方がいいだろ、とコウジは思い、マサミの方を向いた。
「マサミ先輩残ってあげたらどうですか?」
「お前、何もわかってないな」
 マサミはカッコつけて、もちろん、それが様になっているが、そう言った。そして、真顔でコウジを見てきた。
「こういう時は帰ると心に決める」
「え?」
 と声を上げたのは詩音だった。その声を確認した上でのようだったが、マサミはさらに言葉を続けた。
「じゃあ、行こうぜ」
 と玄関の方へ向かおうと自分の背中を押そうとしてきた。その瞬間、くいっと引っ張られる感じがした。
 後ろを振り向くと、座っていたはずの詩音先輩が自分の後ろに立って、袖を掴んでいた。
「ほら、俺じゃない。じゃあ、帰るわ」
 と爽やかな声でイケメンは玄関に向かっていった。
「あ、そこ右ね」
 詩音はパッと袖から手を離して、マサミを見送るため、玄関に小さく走っていった。コウジはその場に立ち尽くしてしまった。

 マサミを玄関まで見送った詩音は戻ってきて、明るい表情を作っていた。
「ほらほら、お客さんは座る、座る」
 と言って、さっきいたテーブルに行くように促してきた。コウジは諦めるかのように席に戻った。
「大丈夫、晩ご飯も作るから」
 これ以上は断れないと思って、コウジは母親に食事は友達と食べる、とメールした。少しすると【わかりました! 友達とは仲良くね!】に笑顔の絵文字が混ざったメールが返ってきた。
 外の景色が綺麗な夕焼けが真っ暗に染まるまでの間、コウジと詩音は昨日と同じように話した。ニュースだったり、学校での出来事だったり。ただ、ブレイン・バーストのことには触れないように話題を繋げていった。
 そして、夕食は詩音先輩によるごくごく普通な感じの食事だった。焼き魚にサラダに味噌汁という構成だ。先週の残念先輩との暴飲暴食気味な昼飯の話とか、詩音先輩が予想外に料理がうまくてビックリした話だとかをした。ただ、それ以上に何人かで食べるご飯に詩音先輩は嬉しそうだった。
 そうして、洗い物の手伝いをして、さすがにこれで帰ろうとコウジも思った。だが、椅子の上に置かれていた鞄の肩下げベルトを握った瞬間に声がした。
「ヤダ」
 短い一言が、洗い物を終えて、ソファーに移動した少女から発せられていた。
 コウジは肩に鞄を下げて、ソファーの方に向かった。フカフカとした白い絨毯の上にある、白いソファーに先輩は座っていた。
「先輩なんですから、駄々こねないでくださいよ」
「ヤダ」
 そう言うと手を伸ばして、コウジの肩の鞄を床に落とそうと引っ張り始めた。ぐいぐいと引っ張るがコウジも抑えているので落ちるはずがなかった。
「先輩、僕も怒りますよ」
「ヤダ」
 コウジは小さくため息をついて、顔の高さを先輩に合わせるためにしゃがんだ。
「先輩。泊めていい人はもう――」
 ちょっと選ぶべきですよ、という残りの句は言わせて貰えなかった。
「コウジならいい」
 詩音はそう言って俯いた。
 コウジはそれを聞いてわからなくなっていた。詩音先輩はなんでここまで自分に接してくるのか? ブレイン・バーストの《子》だから? そんな親子関係の幻想を自分との間に描こうとしているのか?
 そうして、取るべき距離感がわからなくなっていた。だけど、悩みぬいたところでプログラムとは違う人の心に働きかけれる言葉というコードをコウジは持ち合わせていなかった。コウジは努めて優しい声を出した。
「……先輩はどうしたいんですか」
「……一人は嫌だ」
 昨日聞いたような言葉が返ってきた。コウジは諦めたかのように言った。
「今日だけですよ」
「ありがとう」
 その言葉を詩音は本当に小さく言った。

 それから、再び母親にメールを入れる。友達の家に泊まる、と書いたら、すぐに音声通話がかかってきた。自分が他の人のところに泊まるなんて、初めてのことだったからだ。一人暮らしの奴の家でゲームの対戦で盛り上がっているからと言って、細々と話してなんとか会話を打ち切った。
 早々と切ったつもりではあったが、意外と長時間話していたらしかった。「五島君は親と仲がいいんだね」という詩音先輩の言葉には全力で否定した。そんなことをしているうちに風呂が入って、先輩に「お先にどうぞ」と勧められる。
 包囲網が狭められているというか、もう十分に狭いのだが、そのまま、追いやられるようにコウジの家とは比べ物にならないぐらい広い風呂に入った。
 もう、あまりの出来事にコウジの頭はあんまりついていっていなかった。風呂に入る前に、着替えを買いに行くとかできたはずだったが、そんなこともしていない。体を拭くと春先のまだ暑くない気候に感謝して、着ていた下着と制服に袖を通した。
 風呂から上がったのに全く同じ格好をしているコウジを見て、ソファーに座っていた詩音はケラケラ笑った。
「一日だけだから仕方ないです」
 そう言いながら、詩音から一人分ぐらいの距離を空けて、ソファーに座った。その座った時の姿勢が妙に良かったせいで、詩音はまた笑った。
「じゃあ、私もお風呂入ってくる」
 詩音はそう言いつつ立ち上がったが、コウジはその言葉を聞いただけで緊張してしまった。コウジは瞬間的に顔を逸らして、明日の予定をざっと頭に書きだした。そして、キビキビとした口調で伝えるように言葉を投げた。
「わかりました。明日は四時に起きます。もう寝ます。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 詩音先輩は笑わずに優しい声で言った。
 コウジは妙に硬い姿勢のままソファーで固まっていた。詩音先輩がお風呂の前の脱衣室の扉を閉める音が聞こえて、こんなに大きな家なのに聞こえてしまったのだが、それでようやくその姿勢を解いた。
 そのまま、本当に頭の中に色々なことが駆け巡りそうだったが、無理やりそのことを追い出して、体を寝かしにかけた。
 良かったのか悪かったのか、それでコウジは眠りにつけた。



[31282] 22
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/02/27 01:57
 素っ気ない電子音が脳内に響いた。ニューロリンカーの覚醒アラーム音だ。
 ぼんやりと目を開けると、視界の仮想デスクトップに表示された時計がちょうど午前四時を示していた。相当に早い時間だったが、コウジは起きれた。海外で行われるプログラミング関連のイベントの生中継を見るためにこの時間に起きることもあるからだ。
 体を起こすべく、おもむろに首を動かす。カーテンの隙間から見えた外の様子はまだ暗かった。今日は日の出より早く起きる必要がある。そう自分に言い聞かせ、まだ眠くはあったが起き上がればなんとかなる、という気分で体を持ち上げた。
 パサリと自分にかかっていた毛布がずれ落ちた。同時に寝ていた姿勢もソファーで座りながらではなく、ソファー前の絨毯の上で横になっていたことに気づいた。
 どうせ寝始めてからソファーから落ちて、それに気づいた詩音先輩が毛布を掛けてくれたのだろう。そんな先輩に感謝しつつ、リンカーによる暗闇向けの視覚補正の入った光景を見渡そうとした、が普通に考えれば、先輩は寝室で寝ているはずだ。見渡すのをやめて、一度あくびをした。
 数時間ほどしたら、毛布の感謝と詩音先輩向けの来る時間、なぜなら早く出かける必要があるのは自分だけだからだ、をメールで連絡しないとな、と思った時だった。
 もそっと何かが横で動いた気がした。すぐに顔はそちらに向けられた。
 コウジが起き上がって毛布が引っ張られたせいか、水色のパジャマとそれがめくれ上がった結果が見えていた。そのまま、そこを見ていたい本能的な欲求をこらえつつ、視線を自分の横の方にずらす。小さな寝息を立てている詩音先輩の顔がそこにあった。
 毛布が剥がれて寒かったのか、詩音はすんと鼻を小さく鳴らした。そんな表情にどきりとして、顔から目を逸らす。すると再びパジャマがめくれた方を見てしまった。丸見えになっているおへその下の方のパジャマのズボンから、白いものがはみ出ているのに気づく。暗闇の中でも白色って増幅されて表示されるんだ、なんて思考では脳を埋め尽くすことはできなかった。それ気づいた瞬間、かなり大きな音で咳き込んでしまった。
 その音で目が覚めたのか、お腹がぴくっと動いて、詩音が起き上がった。目を細く開いた、そんな表情でコウジを見てきた。
「あれー? コウジ? おはよー?」
 いつもよりおっとりした詩音の声だったが、どんな顔つきで言ったのかは、その言葉が始まる前にコウジは顔を逸らしたのでわからなかった。
「おはようございます。詩音先輩」
 顔を逸らしたまま発した声は、いつもよりこわばっているのが自分でもわかった。
「朝早いねー」
「今日だけです。先輩はまだ寝てていいですよ」
「ううん。コウジがやるときは一緒にやるよー」
 詩音の声はまだまだ寝ている感じもあったが、はっきりしてきた。なんと答えればいいか困っていると、詩音が言った。
「じゃあ、着替えてくるねー」
「はいどうぞ」
 詩音は立ち上がろうとしつつ、思い出したように聞いてきた。
「あ、毛布持っててもいい?」
「いいです」
 詩音は毛布を掴みつつ、リンカーに命じたのか部屋の電気が付けられた。日がまだ昇っていないため、暗闇なりの明るさだった室内は突然真っ白に明るくなる。リンカーの視覚補正はそれに何とか追随して、コウジの視界をクリアにした。
 詩音先輩が立ったので、水色のパジャマのはだけ具合は直っていた。掴まれていた毛布は妙にファンシーな柄。恐らくそのまま毛布を片付けに自室に向かうであろう先輩の後ろ姿を目で追った。コウジは一つの推論に達した。もしかするとあの毛布は、先輩が普段使っているやつではないだろうか。そう思ったが、それ以上は気にしないことにした。
 何分か経って戻ってきた詩音先輩は制服に着替えてきていた。もちろん、自分は昨日から制服のままだ。「おまたせ」と言った口調はもういつもの詩音先輩だった。その先輩に緊張の様子はなく、自分だけが心臓の動きを加速しかけたことが恥ずかしくなって、また、心拍数が上がった。先輩は今日は学校に向かうことを覚えていて、ちゃんと制服を着てきたんだ、とどうでもいいことを気にすることにして、さっきまでの出来事を頭から追い出した。
 なんとか平常通りと自称できる程度の脳内に戻していると、対面式の台所に立っていた詩音先輩の声が聞こえた。
「朝ごはん、おにぎりでいいかな?」
「はい」
 相当に生活力が高いことに気づく余裕もなく返事をしてしまう。
「あ、もしかして、急ぐ?」
「えーっと」
 と、言葉を止めて、頭の中を完全に平常に切り替えていく。
「はい。できれば、早い方がいいですが……」
「じゃあ、持って行って学校で食べよ?」
 台所から微笑みかける詩音の提案をコウジは断れなかった。

 空が朝焼けに染まる中、コウジたちは中学校に着いた。コウジが先導する形で裏門へと向かった。
「鍵掛かっているよね?」
「開きますから大丈夫です」
 門の直前で言われた詩音からの疑問にコウジは軽く答えた。アイツらのリアルを割るため生徒会のネットワークに侵入した時、飼育委員の学校インスタンスキーなら二十四時間三百六十五日いつでも自由に学校に入れることを知った。コウジはリンカーセキュリティーの観点だけから、動物の世話のためとはいえ杜撰すぎるのではないかと思った。が、そんなことは学校に指摘したりせずに、そのキーのコピーを入手していた。
 裏門の金属製の門のノブをひねると、リンカーに通信が飛び、キーが認識されて、カチャンと錠が落ちる音がした。
「あのさ、これ怒られないの?」
 扉が開くと同時に詩音が聞いてきた。内容の割には不安さを感じなかったので、コウジは気楽に答えた。
「バレたら怒られますよ。まあ、バレるのも早くて月曜日です。今日じゃなきゃ十分。だから、先輩は後でいいって言ったんですけどね」
「ううん、一緒にいくよ」
 詩音は小さく首を振って、先に校内に入った。コウジもそれに続いた。
 普段は来ないような時間帯に普段は使わない校舎の通用門を使っているせいか、詩音先輩は少し楽しそうだった。そんな先輩を落ち着かせつつ、リンカー部部室に向かうことを伝えた。そうして、一緒に向かっていると詩音がおもむろに聞いてきた。
「で、何するの?」
「昨日の実験と同じです。まずは詩音先輩ん家のローカルネットにやったことをします」
 そう言うと詩音は今日の本番に置き換えて言ってきた。
「学内ローカルネットのハッキングだ!」
「それです。今日の学内の全通信を監視・操作可能にします」
 コウジが軽々言ってのけたことに詩音は楽しそうに笑った。
「五島君、やっぱりすごいね」
「僕の力じゃなくて、汎用のクラックツールの力ですけどね」
 コウジは苦笑いしながら答えた。通常レベルのセキュリティ、もちろん普通の学校レベルが含まれる、のネットワークをハッキングする、生徒会ネットワークに侵入したときもお世話になったツールを今日も使うつもりである。
 リンカー部の部室は詩音が開けた。部屋は立ち並ぶマンションの隙間から昇ってきた太陽が眩しいぐらいに照らされていた。
「あ、綺麗……」
「そうですね……」
 十秒ぐらいその光景を見て、コウジは太陽を背に座った。そんな実務的なコウジを詩音は面白そうに見て、隣に椅子を持ってきて座った。
 詩音の作ったおにぎりは程よい塩加減でおいしかった。具はスーパーの化学調味料の旨みが効いた梅干しだったが、それで十分だった。
 二つおにぎりを頬張るとコウジは作業を本格化させた。ハッキングツールとは言え、アイコンを叩けば、簡単スタートというわけにはいかないからだ。いくつもの現状のネットワーク状態を確認し、自動解析するのに最適なパラメータを設定していった。
「ハッキングでどうするの?」
 コウジは詩音の疑問の粒度を適当に判断して、作業しながら説明した。
「全接続情報をそこのサーバーに一度通します。それだけです」
 コウジは視線だけで部室に置いてあるサーバーを指した。去年、残念先輩が部長の時、どうして引っ張ってこれたのかよくわからない額の部費でコウジが買ったものだ。
「学校ある日は八百人接続するのでパンク間違いなしですが、今日の練習試合なら多くて百人です。このマシンで持ちます」
「ふーん。バレないの?」
「平日、というか、ネット管理の高木がいたら、こんな大掛かりなのは即バレですね」
 コウジは情報の授業を担当する教員の名前をあげて言った。
 この教員のレベルも大体わかっている。生徒会経由のデータベース覗き見には気づかない程度だ。コウジの宿題コピーロック外しに対抗しようとし、コウジ以外の生徒による低レベルなネットワーク侵入ですぐに呼び出しする様子からも、気づいているが野放しにする人物ではなさそう、ということから技術力はその程度なのだろう。
 とはいえ、今回は通信内容を書き換えるレベルでの侵入を行う。それはさすがに気付かれる。だからこそ、高木が来ない日曜日しかできないことだった。
 それをバレないように行うことはコウジはできない。だから、それは素直に言った。
「ぶっちゃけ、ネットワークはそこまで詳しくないんです」
「意外だなあ」
 詩音は本当に楽しそうに言った。コウジはそれを聞きながらも、ホロキーボードの入力の手を休めなかった。
「ツールに頼るのが前提なので、こんな時間から作業しているんです。作業が終わる前に僕ら以外に接続されたらまずいんで」
「そうなんだ」
 詩音は空中を叩くコウジの手をじっと見つめていた。

 設定に一時間、実行に一時間。基本的に汎用クラックツールが頑張ってくれました、ということで二時間ほどでネットワークの乗っ取りが完了した。太陽はもう随分と高くまで昇っていた。
 それから三十分ほどして、リンカー部のサーバーがコウジのリンカーの情報ウインドウに一件目の接続ログを吐き出してきた。
 お、とコウジが声を漏らしたのに詩音は気づいた。
「どうしたの?」
「誰か繋げてきた」
「誰? 誰?」
 コウジはログに表示された素っ気ないリンカーの識別アドレスから、学内データベースに該当するものを調べた。該当した一件の名前をコウジは読んだ。
「大塚俊己――ってサッカー部の顧問だっけ」
 昨日の呼び出しの時にその苗字を聞いた覚えがあった気がした。
「そだよ。体育の大塚先生。一番目?」
「そう」
 サッカー部の顧問がコウジたち以外で一人目の接続者となっていた。ログも無事出力され、多分問題はないだろう。コウジは小さくガッツポーズを作った。
 詩音は少しだけ首を傾げた。
「あれ? 結局、何ができるようになったの?」
「通信内容を偽装し放題。ブレイン・バーストは不正な通信データも画面に反映されるっぽいから、昨日の実験みたいになった感じ」
「ほー」
 詩音はわかっているのかわかっていないのかよくわからない返事をしたが、表情は興味を持っていそうだった。
「ネットワークを乗っ取れば、このくらい簡単です。だから、こんな罠ネットワークに繋げさえさせれば、ブレイン・バーストなんていくらでもかき回せます」
 もちろん、かき回せるのは今コウジが解析できている範囲だけだが。
「ほへー」
「まあ、さすがにここまでヤバイのは、ブレイン・バーストもすぐに修正入ると思いますけど」
 コウジは分析を伝えた上で、さらに付け加えた。
「まあ、一番難しいのはネットワークの乗っ取りです。僕はゼロからじゃできないです。クラックツールに頼らないと無理ですよ」
 そう言いながら、過去の多くのセキュリティホールを分析して、これを創り上げたハンガリー人のハッカーにコウジは心の中で毎度のようにお礼した。
「私にもできるかな」
 詩音の言葉では、何が、というのがよくわからなかったが、コウジは適当に返した。
「無理だと思います」
 コウジは笑顔で言うと、詩音が軽くむくれた。からかわれている時の表情だったので、コウジは小さく声を出して笑った。

 残りのおにぎりを頬張って、さらにだいぶ時間が経って、サッカー部員たちが集まり始めた。そして、練習時間開始の一時間ほど前には、ぞろぞろと相手チームが現れた。
 三階のリンカー部部室からちょんと顔を覗かせ、校庭を見ていた詩音が言った。
「相手のほうが少ないね」
「遠征だからじゃないんですか? 一応、ウチ、春優勝ですよね」
 コウジは《加速》の力の結果だろうと思ったので、「一応」を強調して言った。
「うん」
「だから、一軍と補欠ぐらいなんじゃないの?」
「そっか」
 やけに詩音先輩のテンションが高いことに気になった。普段、こんなに色々なことに興味を持つ感じではなかったはずだ。
 それを指摘しようとした瞬間、詩音がさっきよりも大きな声を出した。
「あれ? あの兄弟来てないよ?」
「マジで?」
 コウジも慌てて窓辺に向かった。詩音の隣で中腰になって校庭を見渡す。冷静に考えれば、接続ログを調べても良かったが、ざっと探す分には目視でも大差無いので、そのまま見た。レギュラーにそれっぽい人影はない。
「クソッ、アイツがいないと始まんねーんだよ」
 コウジは悪態を吐いた。アイツとは《オスミウム・ストレイト》、あの四人組のレギオンマスターだと思われるプレイヤーのことだ。
 今日の戦いには既にリアル情報はいらない。だから、《加速》してマッチングリストをチェックするでもいいのだが、ポイントが心許ないので、それをするつもりはなかった。
 コウジは来ない理由を探り始めた。尻尾巻いて逃げたとするなら、この作戦が漏れているとなる。だとすれば、残念先輩か詩音先輩が黒幕となる。色々なおかしさはあるが、コウジは真っ先にそういう疑いを掛けた。が、頭を落ち着けた。出来事よりも人を遥かに疑い過ぎるのは自分の悪い癖だ。何事にも限度がある。
 コウジが顔を下げて少し長く息を吐くと、詩音が言った。
「もう少し待ってみようよ。遅刻とかじゃない?」
「そう……ですね」
 コウジはそう言って、再び一緒に校庭の方を見た。パス練習をしている光景が目に入った。何度かボールが行き来しているのを見ていると、隣で一緒に外を覗いていた詩音がおもむろに聞いてきた。
「ねえ、五島君。学校の戦いをこれで終わらせるんだよね?」
 今更な質問であるとは思ったが、コウジはきっぱりと言った。
「終わらせます」
「うん。そうだよね」
 詩音は納得するように頷いていた。どうしてそんなことを聞いたのか、コウジは考えようとした。だけど、その検討は詩音が窓をコンコンと指で叩く音で止めさせられた。
「来た来た。単に遅刻だったみたい」
 同時に二人分の接続ログが表示された。
「じゃあ、全員揃ったのかな」
 詩音が校庭のメンバーを数え始めたので、コウジは目的の四人が接続状態にあることを念を入れて確認した。全員いた。
「よし、じゃあ、はじめましょう」
「うん」
 コウジは自分の鞄の中から、XSBケーブルをゴソゴソと探しながら言った。
「詩音先輩は僕と直結したまま、学内ローカルネットに接続して、《オスミウム・ストレイト》に対戦を挑んで下さい」
「この人がレギオンマスターだからだよね」
 詩音は昨日の実験を思い出しながら言ったようだった。
「はい。可能性が高い、というのが正確ですけど。で、詩音先輩にやってもらうことは――」
「なるべく長い時間戦う、だよね」
 直結ケーブルを見つけたコウジは自分の照り返しのない灰色のリンカーのコネクタに差し込んだ。
「そうです。で、僕が昨日のプログラムの実行が成功したら、観戦に入ると思います」
「そしたら、五島君にバトンタッチだね」
 詩音先輩はハキハキと答えてきた。
「はい。失敗などトラブルの場合は――」
「大丈夫、うまくいくよ」
 詩音先輩はそう話を打ち切ってきた。
 コウジは詩音の方にコネクタを向けたまま、その反応の理由を考えた。なんで詩音先輩はこんなテンポで進めようとするんだろうか。何か僕をはめようとしているのか。いや、そう疑うのはやめよう。そうじゃない場合を考えろ。
 コウジが押し黙ったのを見て、詩音はコウジが握っていたXSBケーブルを取ろうと伸ばしていた手を止めて、首を可愛らしく傾げた。
 詩音先輩は一週間前に手助けを求めてきた。参加はその一週間前だと言っていた。計算の苦手な先輩に珍しく、PKとの遭遇時の残り対戦数の即答していた。昨日ポイントをあげたとき、突き返して来なかった。コウジは目に力を入れて詩音を見て尋ねた。
「先輩、残りポイントいくつですか?」
 詩音はいつもより穏やかな表情で言った。
「五島君、足りるから大丈夫だよ」
「いくつですか?」
「大丈夫だって」
「いくつですか?」
 コウジは一切怯むこと無く、一つの質問の答えを求め続けた。詩音は静かに聞いてきた。
「少なかったらどうするの?」
「今日のはやめます。別の機会に別の手段を講じます」
 手段ならまだいくらでも考えられた。むしろ、ブレイン・バーストの一発退場だけは、どうにもならないから回避しないといけなかった。
「それは正しいの?」
「詩音先輩を助けるためです。正しいです」
 コウジは即答したが、詩音はそれよりも早く言い返してきた。
「違うよ。さっき言ったじゃん。終わらせるって」
 それは詩音先輩を助けるという前提条件が飛んでいる。優先順位がおかしいのは詩音先輩の方だ。そう思った瞬間、コウジの口から言葉が発された。
「違います」
 でも、詩音は無視した。
「違わないもん。筋が通っていないもん。私はコウジに戦って欲しい」
「違います」
「ヤダ!」
「詩音!」
 そう叫んだ詩音は今日はコウジの方をまっすぐ見ていた。言い返すようにコウジは名前を叫んでいた。
 そのまま、沈黙が流れた。コウジは自分の中の優先順位を整理し始めた。すぐに順位の誤りに気づいた。詩音先輩の生死は自分が握っていた。だから、理屈の上では詩音の方向で正しかった。でも、もっと上の感情があった。
 それに気づいた時、コウジはケーブルを握っていない左手で目を隠しながら、息を飲んだ。
 もう一度、自分の心を再確認した。やっぱり、これは、と思った時、少女が自分の名前を呼んだ。
「五島君?」
 その声で自分の口は動き始めた。
「詩音……詩音先輩が、好きです」
 先輩の表情は見ずに言葉を続けた。
「もう今までの全部を整理したら、そうなったんです。わけわかんないときもあるけど、冷静になるほど一気に頭が回るし、自分を慕ってくれる。そして、自分と一緒に突き進んでくれる。それは先輩しかいないんです」
 指の隙間から詩音先輩の顔の輪郭が見えそうになって、とっさに俯いた。
「だから、ブレイン・バーストごときで、先輩には無茶させたくない」
 ブレイン・バースト――それは自分の求める可能性が詰まっている。だけど、それだけの価値しかない。それは今の自分の思いを超えない。「ごとき」に過ぎないデータ列だ。
 コウジは残りの言葉を搾り出すように言い捨てた。
「あんな糞下らない世界に片足突っ込んで憂鬱になる。そんな未来は僕はいらない。それに、《親》と《子》の関係? それも僕はいらない。僕は先輩ともっと違う関係になりたい」
 そこまで言って、コウジは左手が自分の表情を隠すために上がったものだと気づいた。コウジは手をゆっくりと下ろして、顔を上げた。
 頬の赤い先輩の顔があった。コウジは言い切った。
「好きな人が記憶の消えるリスクを取って欲しくない」
 詩音先輩ははっきりとこっちを見てきた。顔が紅潮する感じがした。詩音はゆっくりと言葉を紡いだ。
「ありがとう。でもね、私は……強く自分で道を切り開いて掴み取る……そこにずっと憧れていたんだ」
 そして、詩音はコウジの顔から視線をすっと逸らした。
「だから、その邪魔を私はしたくない」
 そう言うと詩音はコウジの手からXSBケーブルを奪い取った。握っていたはずなのに、するりと抜け落ちた。
 そのまま、詩音は頬のような桃色のリンカーにそれを挿した。数週間前、いや、それ以前からずっとあった、自分のリンカーに挿すのにあたふたする、そんな事態は今の瞬間に限って起きなかった。きちんと挿し込まれた時のカチャという接触音が妙に大きく聞こえた。
 詩音はそっと笑みを作った。その瞬間、目元がキラリと光っているのに気づいた。
「バースト・リンク」
「詩音ッ!」
 叫んでいたが、コウジの眼球は、XSBケーブルが刺さった瞬間実行されるようになっていた、チートアプリの表示する素っ気無い対戦相手リンカーの通信解析結果情報の画面を追っていた。
 この緊張下でも、リンカーの変化に関しては冷静に対応できる自分を、呪わしくも頼もしくも思った。
 黒画面に白文字の通信解析の状況が上から下へと流れていく。目にも留まらぬ速さであるはずなのに、かなりの情報を読み取れていた。僅か一秒程度の解析時間が無限の時間のように感じられた。
 直後、画面の流れが止まった。次の瞬間、自動でマッチングリスト隠しが無効化され、BBコンソールの自動操作で観戦者登録が行われた。
 その一瞬、画面の最後一行に表示された結果が見えた。
【1.278sec : cryptanalyzed】
 加速時間で二十分近く経っていたことを示していた。
「間に合えッー!」
 その言葉を現実なのか加速中なのかそれ以外なのか、どういう状況で叫んでいたのか、コウジは知覚できなかった。

 どういう風に世界が切り替わっていたのか、今日の自分は全く意識できていなかった。
 ただ、気づけば、体はコペン・ミリタントのものになっていて、場所は机の代わりに謎の機械群が配置されたものとなっていた。
 視界で炎が弾けた。観戦であることを通知する文字列だったのだろうが、認知できなかった。
 コウジはすぐにガイドカーソルの向きを知覚した。示す方向には大きな開口部があった。その方向は校庭であり、三階の高さがある。観戦者なのでダメージと受ける心配はない、という情報は意識していなかった。ただ、最短距離を進むためにそっちに走り始めた。ガンガンと金属製の床との接地音が響く。そして、何も考えずに三階の高さから飛び出した。
 昨日のマンションからの飛び降りのせいか、恐怖感は無かった。ただ、一つの目的のためだけに、先輩のためだけに体は動いていた。コペン・ミリタントは膝に大きな負担をかけながらも、校庭に着地した。
 着地のときに金属床は反響した。その瞬間、その場の全員の視線を感じた。
 コウジの視界には、三人の観戦者に《オスミウム・ストレイト》即ち「比重最大の拘束具」とそれに抑えつけられるオペラ・プロテーゼの姿が入った。
 誰よりも先にオスミウム・ストレイトが余裕の全くなさそうなイラついた声を上げた。
「おい、テメェ何した」
「答えるつもりはない」
 コウジは短く答えて、一歩前に進んだ。そんな様子にストレイトはさらにイラついた。
「おかしなことになってんのはわかってんだ。ヘキサゴナル・ラティスのレギマスがテメェになってんだからな」
 コウジが詩音と直結し、さらにネットワークに侵入してやりたかったこと。その一つがこれだった。
 ネットワークの解析データを使い、直結しているプレイヤーを通じて、対象プレイヤーのリンカーに異常なデータを送り込む。それで相手が加速している間、レギオンマスターを移動させることができる。その移動先が例え、マスタークエストを攻略しておらず、レベルさえ達していないプレイヤーであってもだ。
 BBコンソールの通信のほつれからコウジが見つけた、現在のブレイン・バーストのゲームが抱える最大のバグだった。
「そっちの操作ミスでは?」
 コウジはそこまで言われても事実を隠した。ただ、詩音の状態を確認しようとした。
 金属色のアバターは通常時と異なり、細い多脚を持っており、それがオペラ・プロテーゼの機械の腕を貫通していた。それが床の金属にも貫通していることに気づくのに時間はかからなかった。先輩は自分のチートが使えない状況にある。それにコウジは気づいた。
「しらばっくれんのか。コイツがどうなってもいいのか」
 詩音のHPは残り一割ほどだった。コウジは最小の手の動きで《ブレイン・バースト・ブリッジ》、即ちリンカー操作のコンソールを呼び出した。
「彼女が前言っただろ。まだ余裕はあるってな」
 口の中が乾きそうになりながら、言葉を吐きつつ、この事態を準備しておくべきだったと後悔した。だから、時間を稼ぎつつ、気づかれぬようコマンドを入力していった。
 その反論は詩音をPKした青い野人のアバターがした。
「ふん。何がだ。昨日、二週間の対戦結果を洗い出したんだよ。そしたら、昨日のあの時、ポイントは10あったかどうかだ」
「で、さっき、尋問したら残り四ポイントだとよ。つまりコイツはジ・エンドだ」
 そう言いながら、オスミウム・ストレイトはオペラ・プロテーゼに刺さっていた針のような足を一本引き抜き、指に刺した。HPが僅かに削られた。
 詩音が悲鳴を堪えた様子がコウジに伝わってきた。だけど、コウジはそれを気にせず、ただいつもより長いコマンドを打ち込むだけだった。
 青い奴はコウジに自分たちの優位を誇るかのように言ってきた。
「テメェのチートにジェスチャーが必要なのはわかってる。ストレイトの能力で女は動けない。わかるだろ。お前のチートは使えねーんだ」
「助けてぇなら、レギマスを返せ」
 コウジは彼らの言葉をほとんど聞いていなかった。最後の言葉だけ聞こえたから言い返した。
「断る」
「断っていいのか?」
 ギシッという音と共にプロテーゼのHPが少し削れた。そんな詩音が最後の力と言わんばかりに言った。
「私の……ことは……いいから……」
 コウジはアバター越しに力強い目で見つめた。自分のためだけにこの加速時間の二十分を稼いでくれたボロボロの詩音先輩がいた。
 コマンドを入力し終わり、ホロキーボードのEnterを叩いて、言った。
「それも断る」
 その直後、拘束されていたオペラ・プロテーゼはこの仮想フィールドから消えた。
 自分含めた全員の視界に【DISCONNECTION】という赤いシステム文字列が表示された。
「直結しているリンカーの出来事を俺が指加えて見ていると思ったか」
 コウジは静かに言葉を放った。
 詩音の安全は確保した。コウジは両手で一気にコマンドを入力する。
 残念先輩ならば、カッコつけて「さあ、カーニバルの始まりだ」とでも言うのだろう。だけど、僕はそんなことは言わない。そんな楽しいことでもない。ただ、自分の阻害をする奴らを倒す。それだけだ。
 コウジがEnterを叩き込んだ。その瞬間、このステージに存在する全プレイヤーの画面にバトルロイヤルモードの選択を問い合わせるウインドウが表示された。だが、その表示はプレイヤーに問いかけなどしていなかった。プレイヤーの意志とは関係なく即座にイエスが選択された。
 コウジは乗っ取ったレギオンマスターとして、四人のレギオンメンバーを、チートの力で容赦無い戦場へ叩き込んだ。

 一番近くにいた、という理由でコウジはカーマイン・アーテラリに走って近づいた。突然の事態にソイツはただ呆然と立っていただけだった。コウジは右拳を引いて、冷たくコマンドを唱えた。
「《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》」
 それはレギオンマスターだけが使える、メンバーに対する粛清の技。それを奪うことが自分よりも強い彼らに勝つ方法だった。その技が乗ったパンチを受けた赤いアバターは、無数の輝く帯に分解した。それが《最終消滅現象》と呼ばれることの始まりだとはコウジは知らなかった。
 その光景が終わるのを見届けるまでもなく、次に距離が近かったエンパイア・スタッフに近づいた。奴はコウジの後ろの加速世界の空に溶けていくアバターの光を見て震えていた。コウジが右拳を引くと、とっさにガードの姿勢を作った。だけども、コウジはそれを無視してコマンドを唱える。
「《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》」
 腕の装甲の上からであったが、拳で叩かれると、そこからアバターは光を出して分解された。
 あと二人。オスミウム・ストレイトが途中で落ちたら、乗っ取ったこの権限がどうなるかわからない。だから、ストレイトは最後と決めていた。
 残りの一方、セルリアン・ボーアは背を向けて逃げようとしているのが見えた。
 コウジは一気に追いかけた。チートを使わなくともこんなに早く走れる。その理由が心が煮えたぎっていたコウジには、その状態こそが理由であるとは気づけなかった。いや、気づく必要はない。今はただ追いつけば良かった。
 セルリアン・ボーアの素早さは元からそこまで早くない。力で押すタイプだからだ。立場は逆となった、あのリアルの追いかけっこなんて比べ物にならないぐらいに早く追いつきそうだった。
 青い野人は足を止めて振り返った。ミリタントを弾き返して、攻撃から逃れようと、たくましい腕でパンチが繰り出される。コウジはそれを避けようとするが、拳は肩に当たった。構造物は簡単にはじけ飛び、肩には関節が外れたかのような痛みが走った。だけども、吹き飛ばされることだけは避けるべく、両足に力を入れた。普通に打撃を食らう以上にHPはがりっと減ったが、コペン・ミリタントの位置は動かなかった。
 当然のごとく、コウジの横にパンチを打ち出した姿があった。アバターだから表情はお互いにわからない。それで良かった。
「《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》」
 そう唱えて、軽いパンチを腕に入れると、ヤツもまた同じように分解され始めた。
 振り向くと、詩音の拘束のため刺さっていた細い足を元に戻していたオスミウム・ストレイトがいた。奴は四人の中でもっとも遅い。それはもっとも密度が高いゆえの重さがあり、他人を拘束することに特化したアバターの性能にあるのだろう。
 コウジと向き合った瞬間、奴は後退りしながらのたまった。
「俺はもう攻撃しない。お前ら二人とも距離を取る。来年卒業する。俺から加速の力を――」
「別にお前から加速の力を取り上げたいわけじゃない。詩音をあそこまで殺った、お前らが許せない。どうしてあんなことができるんだ」
 詩音はたった一人で怖がっていた。その情景がありありと思い出された。
「ゲームのルールに則ってやっていただけだ! お前の方が先にルールを破っただろ!」
 的はずれな回答な気もしたがどうでも良かった。回答を採点する奴は誰もいない。自分も採点するつもりはない。
「は? リンカーでできることは全部やっただけだ」
「クソ、ズリーだろ! おい! エージェント! 助けろ!」
 ピカピカした金属のアバターは意味不明なことを喚き始めた。コウジは一歩ずつ近づきながら言った。
「なんだ? 護衛官でもいるのか? ふざけんじゃねーぞ! 守りが必要なのはどっちだ!」
「俺は加速の力を使いたかっただけだ。お前のようなチーターなんかに言われたくねーよ。おい、エージェント! 聞いてんだろ!」
「加速もチートも大差ねーよ! どっちもバックドアだ。同類にケチ付けられたくねーよ!」
 そう言うとコウジは最後の一人に向かって駆け出した。金属の床がガンガンと響いた。オスミウム・ストレイトは構造上動けないようだった。
「クソ! エージェント! テメェのことを聞いたせいで――」
「《断罪の一撃(ジャッジメント・ブロー)》」
 偽りのマスターによる言葉通りの必殺技が金属の腹に当たった。金属のリボンに分解された。それはするりと別れて空へ舞い、さらに細くなって、天へ吸い込まれていった。どんなプレイヤーであろうと最後に訪れる事態。コウジは初めてそれをぼんやりと理解した。
 ――終わった。
 そのとき、ようやく視界の正面に大きく輝く通知があったことに気づいた。一人目からずっと表示されていたであろうが、この数分間、目には入っていなかった。
 四人のプレイヤーを全損に追い込んだ。その残ポイントが全て加算されて、レベル4までへの上昇が可能なメッセージが続いていた。コウジはジェスチャーでその表示を閉じた。
 終わった。全て終わったのだ。
 コウジはたった一人で校庭の真ん中に取り残されていた。こんなものは僕のゴールではない。単なる通過点だ。それを邪魔したから蹴散らした。それだけだった。でもそれすらも、正直、どうでも良くなりつつあった。
 詩音先輩――詩音。
 口の中でその名前を呼んだ。自分を信じてくれた。戦うことを願ってくれた。会いたい。わずか数分なのにそう思っていた。
 だから、この世界から去るコマンドを唱えようとした。その時だった。

「いやいや。お見事でした」
 突然、声が聞こえた。聞こえた方を向くと、校庭の角の方に小さな二頭身の忍者のキャラクターのようなアバターが座っていた。
 コウジが振り向いたのを確認すると、ソイツはその場でペコリとお辞儀を返してきた。頭に二つちょんまげ上のものがついているのに気づいた。
「いきなり、バトルロイヤルモードに変わってビックリしました。それ以上に操作せずに許諾になったことにビックリしましたけどね」
 ククッ、と笑う声を聞いて、コウジの頭は再び冷静なものへと切り替わりつつあった。
「他のプレイヤーがいたことの方がビックリです」
 そう言い返すと、再び、ククッと笑い声が聞こえた。直後、ぬいぐるみはポンと小さな爆発を立てると、そこから同じ青紫色の男性型のアバター、恐らく対戦用で良いはずだ、が現れた。コペン・ミリタントよりも少し背が低い、観戦アバターとはまた違う種類の忍者を連想させるものだった。
「申し遅れました。初めまして、ビザンティウム・エージェントです」
 バトルロワイヤルモードに切り替わってから、初めて視界上部を見た。そこには自分とそのアバターの名前とレベルだけがあった。《ビザンティウム・エージェント Lv7》。オスミウム・ストレイトが散り際に叫んだ、エージェントとはヤツのことだと瞬間的に理解した。
「あ、敵対する者じゃないですよ」
 そんな言葉を発したが、コウジは落ち着いて一歩引きつつ睨み続けた。忍者と言ってもよさそうなアバターは困ったような声を出した。
「うーん。すっごく警戒されていますね。では、名刺替わりにポイントを渡します。攻撃じゃないですよ」
 畳み掛けるようにいうとカードを二枚出した。初めて見るが、アイテムカードだろう。先週の残念先輩との食事のときに、おおまかな形状は聞いていた。
「この形状だと受け渡しできるんですよ。お二人に100ポイントずつ。君と彼女の損失分は埋まりますよね」
 そう言いながら、カードを持って近づいてきた。奇襲攻撃だったところで、レベル7にレベル1の自分が負けたところで損失は数ポイントだと割り切り、コウジは黙ってそれを受け取った。
「本来、こんなゲームじゃないのに、この度、私どもの配下がご迷惑を掛けてしまったようで」
「どういうことだ」
 コウジは努めて冷たく言った。一言が返ってきただけで十分と言わんばかりに、エージェントの口調は滑らかになった。
「この辺りがレギオン空白地帯なのはご存知ですか?」
「ああ」
「このたび、我々はここに新たなレギオンを作ることを計画したのです。私の方で支援したのですが、残念ながらこういう状況になってしまいまして」
 エージェントはやれやれというポーズを一瞬作って、言葉を続けた。
「本日はリアルで会うことになったので。あ、リアルの結びつきは同校もありますが、運動部というのもありますからね。で、どうもトラブルが発生しているということなので、その調査と是正に来まして」
 そのアバターはため息を小さく入れた。
「いやはや、あそこまで横暴な方々だとは」
「あんたが入れ知恵したんだろ」
 コウジが言い放つと、エージェントは即座に否定してきた。
「とんでもない! 誤解ですよ。こちらに入ってきた情報が酷かったんです。敗戦直前の強制切断にマッチングリストから隠れる、そんな不正プレイヤーが妨害してくるとね」
 コウジは一瞬たじろいだ。マッチングリストの方も外部のプレイヤーで知っているのがいることがわかったからだ。
「ですが、先ほどの彼女が戦いながら、色々叫んでいましてね。それへの彼らの反論を聞いたら、本当に目も当てられない。彼女が本性を暴いてくれましたよ」
 コウジは警戒しているつもりだったが、不意に詩音が褒められたように思え、不思議と少し嬉しくなった。そして、青紫の忍者は頭を下げてきた。
「ホント、失礼しました」
「いえ、まあ、なんとかなりましたから」
 コウジの口調からは先程よりも冷たさが消えていた。それに気づいたように顔を上げたエージェントは聞いてきた。
「ところで、コペン・ミリタントさん。バトルロワイヤルモードへの移行や彼女の離脱。それに先ほどの対戦。あなたプログラマーですよね?」
「違います」
 コウジは即座に否定していた。
「嘘は結構です。あなたみたいな方は敵対するよりは仲間、もしくは同盟関係にあった方が良いですから。特にGMのいないこのゲームでは」
 コウジが返事をしないでいると、ククッと笑って、忍者は話題を変えてきた。
「そういえば、先ほどの対戦で入ったポイントですが、レベル4まで上げれるのでは?」
「上げませんけどね。今の僕にレベル4は不要なので」
「懸命な判断ですね。低レベルに抑えることでポイントを多く稼ぐのも正しい選択です。ところで、先ほどの戦いはどのように実現したんですか?」
「偶然そうなっただけだ」
 コウジはとりあえずまだ否定した。
 だが、コウジは悩んでいた。昨日、詩音先輩と残念先輩を信用した。それが今日をもたらした。だから、今から自分はまた新しい一歩を踏み出すべきではないのかと思っていた。
「うーん、困ったなあ」
 エージェントに徐々に人間らしさが出てきていた。
「私はこれでもこのGMのいないゲームの中で良い方向を作りたい。そう思って、こういう結末になってしまいましたがレギオンを作ろうとしたりしているのです。だから、良い方向に使えるのであれば譲って頂きたいのです」
 この人は自分がプログラマーでチートを作っているとわかっている。それを踏まえた上で、良い何かを目指そうとしている。
 自分の目標とは違うだろう。でも、彼の目標を嫌いになれなかった。
 そして、詩音先輩が現実で最後に言ったことを思い出した。――強く自分で道を切り開いて掴み取る。
 だから、コウジはその一歩目を踏み出すべく、相手を試す質問をしようとした。
「強制切断が実現してもいいことはないですよね?」
「そうですねー。封印していただくのが懸命かと」
 マサミの使い方もあるが、通常の対戦だとこれが流通するデメリットの方が多い。無理に欲しがらなかったことでコウジは少し信用する気になった。
 コウジの次の質問を待たずに、忍者の方が言ってきた。
「まあ、マッチングリストに隠れる方も何とも言えないんですよね。どちらかというとアプリよりもあなたの協力が欲しいということになりますかね」
 単なるアプリ目的ではない。コウジはそう思って、信用してみようと思った。
 それにこの戦いに限っては切断も可能だ。瞬間的にEnterを叩くだけだ。間に合わずに負けたところでダメージも少ない。
 なら、あとは突き進むしか無いじゃないか。コウジは伝えることを選んだ。
「あれは隠れているわけではないです。接続先を変えているだけなんです」
 彼はたったそれだけで理解してくれた。
「つまり、それは北海道にいるプレイヤーが東京で戦えるという、やつですか?」
 コウジはその状況を一瞬考えてから答えた。
「そうですね」
「それは我々もやろうとしていることです! それはぜひ譲っていただきたい!」
 彼はそんな喜びの爆発を見せると、我に返ったかのように一度咳をした。
「今、プレイヤーは都内にしかいないのです。親の都合などで、引っ越すと詰んでしまいます。そんな彼らを助けるためにぜひ譲っていただきたい」
 コウジは最後の揺さぶりを掛けた。少しだけ間をおいて、落ち着き払って言った。
「十万ポイント用意して下さい」
 忍者はあごを手で触れながら沈黙したが、それを真面目に検討しているようだった。そして、あごから手を離すと、コウジをしっかり見て言った。
「用意しましょう。来週お会い出来ますか? もちろん、加速世界で」
 コウジはその目標のために走る忍者を気に入りつつあった。自分の同類だと思ったからかも知れない。そして、小さく頭を下げた。
「冗談です。すみません」
「我々は用意しますよ?」
「いえ、本気かどうかを見ようと思っただけです。このプログラムが良い使われ方をするのには異論はありませんし」
「で、ポイントはいくらいりますか?」
 エージェントの声は楽しそうだった。
「では、ポイント以外のものでお願いします」
「そうですね……我々との信頼関係とかどうでしょう」
 コウジは信頼関係という単語に苦笑いしてしまった。
「ビジネスライクですね」
「ここも世界の一つですからね。我々としてはこういう人材とはつながっておきたいものですから」
 忍者は何かを考えるかのように首を一瞬傾げてから言った。
「というわけで情報を一つ。さきほどのレギマスの強奪は恐らくすぐに塞がるでしょう」
「でしょうね」
「まさかレベル1なのにレギオンマスターになるとは思いませんでした」
 観客として色々と観察されていたようだった。
「乗っ取りの基本です。単純なチェック漏れを突いただけです。レギオンマスターになるときはチェックが走っても、普通じゃない挙動で権限移譲を起こしてやれば、ノーチェックでマスターになれます」
 その話を聞きながらの忍者のアバターの動きから、コウジは忍者がそれなりにプログラムの動きを知っていそうだと感じ取った。
「なるほど。で、バトルロワイヤルモードの強制移行は?」
 立て続けに聞いてきたので、コウジはちょっと考えつつも、自分からカードを見せることを選んだ。
「自分が介入できるネットワークでの対戦だからです。さすがにこれも修正が入るでしょうね。もしまたやるなら解析が必要ですね」
 もちろん、今よりも厳重になるから時間は相当かかることになるだろう。そう思いながら、コウジは言った。
「さすがですね。こんなに聞かせて貰えれば、100ポイントずつじゃ足りないですね。もう100ポイントずつ渡しますよ」
 コウジの出したカードに、忍者は答えてきた。コウジの返事は待たずに、エージェントはアイテム化されたカードをシュッシュと投げてきた。ミリタントは何とかそれをキャッチした。
「何だかんだ言って助かります」
「エージェントですからね。クライアントの要望には答えれるんですよ」
 コウジは一瞬忘れかかっていたことを聞いた。
「都内接続アプリはどう渡せばいいですか?」
 コウジはとっさに新しい名前をつけた。それが何かわからなかったのか彼は一瞬固まったが、すぐに答えた。
「メールに送ってもらえます?」
「わかりました。あと、接続先をリンカーにするのは注意してくださいね。そのリンカーのプライベートメモリから視聴覚まで全部見ることができるので、無断で入れたら、不正アクセス禁止法で捕まります」
 コウジは半世紀近く使われている法律を上げて、利用の注意を言っておいた。無論、学内ローカルネットをクラックしている最中の自分が言うなという話ではあったが。
「ええ、注意します。いやいや、それにしてもあなたがいい人で良かった」
「そんな褒められる人間じゃないですよ」
 コウジは素っ気なさそうに言った。
「そんなことないですよ。我々のサークルは歓迎しますよ」
「レギオン、ですよね。あいにく、今の僕には興味が無いんです」
 忍者は指を振るジェスチャーをした。
「いえいえ、二つ加入しているもので。あ、それは内密に。スパイ的なロールプレイングだと思っていただければ」
 最後には口の前に一本指を立てていた。コウジは小さく笑って言った。
「なら、僕はその協力者ってところですね」
「まさにその通りですね」
「それではまた何かあれば、お会いしましょう」
 忍者はメールアドレスを残して、ドロー申請をしてきた。
 コウジは小さくお辞儀をしながら、許諾した。

 《加速》が解けて、現実に戻ってきた。先に離脱させた詩音よりもコンマ数秒遅くコウジは戻ってきた。それは普通ほぼ同時というのだろう。
 それでもその差はリンカー部の部長にとっては十分だった。ほんの僅かコウジよりも先に戻ってきた詩音が口を開いた。
「コウジ!」
 自分の名前が呼ばれたのに嫌な気分は全くなかった。詩音先輩に自分はそっと笑いかけようとした。
 少女は自分の返事も待たずに飛びついてきた。衝撃でXSBケーブルが外れた。
「勝った?」
「ああ」
 その返事だけで彼女は違和感を読み取った。
「なんかあったね」
「鋭いな」
 詩音はへへっと笑った。残念先輩からブレイン・バーストを受け取った鋭さだった。
「忍者に会った。ポイント貰った。詩音の分も200ポイント。あと、プログラムあげることになった」
 簡潔に言葉を切ってコウジは言った。
 プログラムをあげるのは問題が無いわけじゃない。でも、それは使い方の問題のような気もしていた。
 残念先輩は強制切断をゲーマー的に使いたいと言った。忍者はマッチングリストから隠れる、ではなく遠隔地からの参戦に使いたいと言った。
 なら、使わしていいんじゃないか、とコウジは思った。問題があれば、ブレイン・バーストの開発が止めるだろう。止めてこなくて、問題があるなら、自分が何か行動を起こせばいい。
 火は人類の進化に必要だった。火事を起こそうとなければならないものだ。使い方の問題だ。
 加速も。リンカーも。そして、時間も。
 今の時間の使い方――コウジは自分を抱きついてる詩音をしっかり見て言った。
「先輩」
「うん」
「僕はもっと向こうに行きたいんです」
「うん」
「ついてきてくれませんか?」
 その返事の代わりに、唇が暖かさに包まれた。そのとき、コウジは自分を縛っていた拘束を捨てた。自分にしがみついた、その暖かな存在を強く抱きしめた。



 その直後のサッカーの練習試合の結果は知らない。芳しくないものだったことは予想できた。
 ひき続いて、サッカー部の夏の大会は一回戦で春の優勝校とは思えないほど、がっかりするような試合しかできなかったと伝え聞いた。
 さらにその数カ月後、今度は加速世界にシルバークロウという飛行アバターが登場したらしかった。出現はごく近所らしい。
 その直後ぐらいに、《ブレイン・バースト・バロウ》はパッチが当たって使えなくなった。それがシルバー・クロウと関係する事件がきっかけだったことは知る由もなかった。

   (第一部完)

 ― ― ― ― ―

カヱンです。第一部を読んでいただきありがとうございます。
原作読み込み不足、特にSAOと関連している部分の弱さ、内容のまとまりのなさ、文章力の低さ、執筆速度の遅さ等々、やっているうちにめげそうなことも多かったですが、初めてだから仕方ないと割りきって、なんかここまで来てしまいました。
自分の中では、バックドア・プログラムの原型を作った人の話って無いんだろうか、というのが始まりでした。SAOもAWもちゃんとしたプレイヤー視点で反チートですから、プログラマの存在は基本的に希薄です。そこで性格などを完全に逆転させてキャラ作り、話作りをしてみました。
結末を決めて、最初のキャラにそれを実現するための能力を与えた後は、道筋は勝手気ままに書いていったので、基本的に無理矢理な進行となりましたが、これ以上長くする(もっと短くあるつもりでしたので…)のもどうかと思ったので、こういう形で第一部をまとめました。
というわけで、楽しく読めていただければ幸いです。そうじゃなかったという方は……見なかったことにしてあげて下さい。
それで、当初予定では本当にここで終わりのつもりでしたが、なんかチート駆動書きたくなったし、それで原作キャラと戦ってみたいと思ったり、あと、本当の裏口からの物語を紡いでみたいと思い始めたりしたので、まだ続けようと思います。
はてなアンテナに登録してくれた方、twitterに、2chのArcadiaスレに、自分のサイトに、そして、ここの掲示板に感想を書いてくれた方、そして、感想を残さずとも読んでくれた方、さらにここの掲示板を用意してくれた管理者さん、本当にありがとうございます。ついでにその探索に役立ってくれたGoogleもありがとうございます。そして何より、こういう世界観を作り出し、僕に初めて小説を書くきっかけを作ってくれた原作作者の川原礫さん、ありがとうございます。小説書くの面白いお^ω^。
では、第一部の校正しつつ、第二部を書いていこうと思います。プログラマー成分が足りないので二人目投入です(ぉ。もしかすると第一部のキャラは一回お休みするかもしれません(ぇ。早めに始まることを願って下さい。



[31282] ブレイン・バースト・バックドア第二部
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/03/11 01:08
続きました、カヱンです。
第一部が終わったので、第二部を書こうと思います。
第二のチート使いのオリキャラがブレイン・バーストを蹂躙します。コウジたちは出てこないかもしれません。
すいません、ごめんなさい、という話です。なお、第一部よりも原作と相当リンクする予定です。

 ― ― ― ― ―

 このひと月ばかり、新宿でレオニーズの存在を脅かす事件が起こっていた。
 あるプレイヤーがレオニーズの低レベル即ちレベル3以下のメンバーを標的に対戦を仕掛けていた。ただ無言で攻撃を行い自分より低いレベルからポイントをさらっていく。確認する限り、勝率は100%。新宿を本拠にするレオニーズの低レベルメンバーは奴のバーストポイントのATMと言える状況になっていた。
 低レベルメンバーはマッチングリストに登録しなくなりつつあり、この戦域でのレオニーズのメンバーは激減し、新宿近辺は急速に過疎化しつつあった。
 この状況をレギオンマスター《ブルー・ナイト》が無視するはずもなかった。
「この世界のためだ。ヤツの行いを止めさせろ」
 我らが剣聖の指示を受けてこの一週間。レオニーズの幹部の中でも新宿で強い影響力を持つ自分は、この解決に向けて奔走してした。

 敵の名は《ジェイド・ヴィザード》。当初は戦闘終了後に乱入する予定だった。だが、対戦直後でもマッチングリストから消えていなくなっている。グローバルネットを毎度切断しているのだろうが、落ちるのが速すぎる。リンカーの切断ボタンを使って確認したが、切断までのタイムラグに一回は対戦を仕掛けれるはずだからだ。
 謎のトリックを使って、レオニーズ潰しをしてくる。完全な敵であり、PKの執行を決断した。
 リアルを割るため、ポイントを対価に囮を募り、そんな低レベルプレイヤーを観戦者登録しておき、対戦を挑まれた直後のガイドカーソルを記憶する。わずか数戦でプレイヤーは特定できた。
 だが、と剣道の荷物越しに後ろを見る。特定した奴の後頭部が見える。
 リアルアタックする準備は整えた。アミューズメントセンターにいるタイミングを狙い、ソーシャルカメラの死角も確認済みだ。レオニーズも多くのレギオンと同じようにリアルを知らないメンバーの集まりであることから、他のメンバーに自分のリアルを割らせないために、つい十分前の対戦から他のメンバーは数百メートル離れた上で、自分が単独で突撃することにしている。
 とはいえ、そういう準備の心配はあまりしていない。見知らぬメンバーであっても、仲間だからだ。
 いまだリアルアタックできない理由。それは自分はおろか策士とされる自分の《子》も他のメンバーも、誰もが「本当にコイツで正しい」という確証を持てなかったからだ。

 《ジェイド・ヴィザード Lv4》。仮面をつけた緑色の女性型のアバターだ。特定のための観戦で何度か目にした。レオニーズの未来あるメンバーを無言で叩き潰す光景を思い出して歯ぎしりする。もう一度振り向く。次にどのゲームで遊ぼうかとキョロキョロしていた奴は、ちょっと暗い感じの顔にニキビの目立つ小太りのオタクっぽい少年だ。
 性別逆のアバターとかいるのかよ――というのが、誰も確信できないでいた理由だ。
 こいつが実は女の子、ってことはないだろう。というかこの容姿で女の子だったら相当気の毒である。そんな顔立ちで体型の男だ。
「うーん」
 決心がつかなくて唸っていると、そいつはこのアミューズメントパークが推している割にガラガラなカーレースのオープンブースに入ってダイブした。オープンブースは扉とか無くシートだけのダイブ用ブースで、プライバシーは無いがソーシャルカメラの圏内であることから、安心感があるのが売りだ。
 自分は並ぶフリをして、そいつの座っている様子を後ろから背伸びして覗き込んだ。背中に背負った剣道の防具等の入っている布袋の中身がカチャリと音を立てる。そいつは当然ながらフルダイブしており、ちょっと覗き込まれていることにも気づかず眠ったように目を閉じていた。
「当たり前だよな……」
 呟いた瞬間、バシイイイという音ともに観戦に誘われた。
 視界右上に表示された観戦対象プレイヤー名はレオニーズの《トルマリン・シェル Lv3》。彼はマッチングリストに登録しているが囮ではない。負けることに何の躊躇もない当たって砕けろな野郎だ。それに対戦を申し込んできたプレイヤーは――《ジェイド・ヴィザード Lv4》だ。
 このタイミング、でかした!と小さくガッツポーズを作る。あとでシェルにはポイントか何かの報奨を出そう、と決めた。
 その時、10mほど先で何かが動いたのが目に入った。もう何度も観戦で見た薄い深緑のアバターだ。
 さすがに距離が近すぎて、再配置されたようだった。だけども、この微妙に空いているアミューズメントパークの同じフロアであることを考えれば、あのオタク野郎であることは確定的だ。
 ヴィザードは思いの外近くの観戦者である自分に対して、笑ったかのように仮面から覗かせる目を一瞬光らせた。

 レベル1差とは思えないヴィザードの圧勝で観戦は終了した。
 現実に戻って思い出すも、こいつは「バースト・リンク」と口を動かしていなかったはずだ。無論、他のゲームにダイブしているからだ。まともなバーストリンカーではない。なぜマッチングリストから消えるのか。なぜF型アバターなのか。謎は多かったが、それもひ弱そうなコイツなら問い詰めれば吐くように思えた。
 とはいえ、こんなソーシャルカメラの圏内で無理やりダイブを解除するとかは色々まずい。こらえてゲームが終わるのを待った。
「ふう」
 妙におっさん臭いため息が聞こえて、奴はゆっくりと座席から立ち上がった。自分がこのゲームの順番待ちをしているように見えたのか「次どうぞ」と言わんばかりの視線と小さいお辞儀をしてきた。
 それを睨み返して、そいつに近寄り、行き先を塞いだ。
「おい、お前」
「な、なんですか」
 剣道をやっているガタイの良い自分は、威圧的な口調ではあったがソーシャルカメラの手前、暴力を振るうと思われるような素振りは見せずに、オタクっぽいチビでデブな少年に言った。
「お前、最近、ゲームで俺らのメンツ、狩ってんだろ?」
「知りませんよ、そんなこと」
 言い寄られた少年はシュンとなったように俯いて、小さな声で言い返した。
 ブレイン・バースト関連の用語を全く出さない質問を投げ掛けたが、割と予想通りの答えであった。知らないフリをされたら、もはや確認手段は直結して、ブレイン・バーストが入っているかどうかのチェックぐらいしかない。
「まあいいや。ちょっと話がある。そこのスペース入れ」
 近くのグループダイブスペースを指さした。背負われた袋から覗いている竹刀が左右に振れた。
「え、あの」
「恐喝とかじゃない。ちょっと話すだけだ。とりあえず、入れ。な」
 有無を言わさぬ凄みにビビったのか、恐喝ではないという言葉で安心したのか、彼は小さく頷くと率先してそこに向かった。やけに素直だ、と思わなくもないが、従ってくれるのはありがたかった。
 首の動きだけで先に入るように促し、そいつを奥にして、中のシートに腰掛けた。ニキビの暗い顔は怯えているように見えたが、気にせず事を進めることにした。XSBケーブルを取り出し、自分のリンカーに挿し、相手にもう一端のコネクタを向ける。戸惑う相手に適当に言葉を掛けた。
「思考発声はできるか?」
「あ、うん」
「じゃあ、繋げ」
 そう言いながら、相手が受け取ろうとする手を無視して、コネクタをそいつの黒いリンカーに挿した瞬間だった。
 彼は落ちた。
 カクっと首が下がり、シートの前の方に座っていたせいか、ズレ落ちそうになる。慌てて彼を落ちないように片手で掴んだ瞬間だった。
『よう、アンタ誰?』
 直結したオタクとは全く違う小生意気な少女の思考発声が頭に響いた。
「え!?」
 驚きの声が漏れると同時に、少年がまたズレ落ちそうになる。今度は両手で押さえて、なんとか座らせる。
 その合間に状況を考え直した。ジェイド・ヴィザードは女性型アバターだ。だとすれば、女が出てくるのが普通だ。どんな手段かはわからなかったが、それを問い詰めるのも目的の一つだ。
 落ち着いてシートに深く腰掛け直して、一つ目の疑問をぶつける。
『貴様がジェイド・ヴィザードか』
『そだよ。アタシはヴィザード。アンタは?』
 悪びれる様子もなく、正体を明かしてきた。まずはどんなトリックを使っているのか聞き出すべきだと判断した。
『名乗る名など無い。貴様には色々聞くことがある』
『アンタが名乗るのが先よ』
 甲高い声は高圧的にも聞こえ、苛立ちが混ざっていた。
 気にせずに状況を確認する。直結だから戦いは何度も挑める。いくら強いとはいえ観戦で見たこのレベル4に引けを取るつもりはなかった。
 加速して対戦しながらであれば、吐かせるのに多少時間を掛けてもいいだろう。
『そうだな。ポイントを頂きながら尋問としようか!』
『それはできない』
 その言葉がその瞬間は「断る」という意味で使われたのだと思っていた。無視してコマンドを唱えた。
「バースト・リンク」
 だが、何も起きなかった。
『だからさぁ、できないの!』
「バースト・リンク! え、バースト・リンク!」
 いつもなら雷鳴を轟かせ、意識を圧縮するコマンドが何の反応も示さなかった。現実に引き戻すかのような少女の声が聞こえた。
『音声入力を無効化するウィルスを送り込んだから無駄だよっ。知らない人と直結するな、って習ったでしょ?』
 加速できない。それを実感した時、剣道の荷物がずっしりと重たく感じた。
『アンタがケーブル抜いたら、加速はもうできない。アタシの言うこと聞いたらウィルス消してやる』
 少女の声が呆然とした頭の中に流れた。
『で、アンタ何者? 答えろ』
 少女は快活な声で命じてきた。それでも少し歯向かう気は残っていた。正体をはぐらかそうかはぐらすまいか悩んだ。それで押し黙った瞬間だった。
『アタシはそんなに気が長くないんだ。三数える間にとっとと答えろ』
 自分の加速が取り上げられている中での脅し。そんな中での『三、二、一』という素早いカウントダウン。気付けば静かに答えてしまっていた。
『青のレギオン、レオニーズ幹部、――』
 葛藤の中での名乗りは最後まで聞いて貰えたかは定かではなかった。
『ヨッシャー、ビンゴー!』
 少女の興奮した絶叫が脳内にこだました。そこから彼女は一気に早口にまくし立てた。
『つかさ、時間かかりすぎじゃん。この程度特定するのになんでひと月もかかるの? バカなの?』
 特定にかかったのは実質数日であった。レオニーズという大レギオンゆえ、動くのが遅くなっただけだ。だが、その理由は言わせて貰えそうになかった。
『あー、その袋、剣道部ね! 何? 脳筋?』
 自分の持ち物が確認されていたが、その理由を追求する余裕は無かった。散々バカにして、ようやく彼女は飽きたのか声を一段低くした。
『じゃあ、本題』
 直結の向こう側の声はクスっと小さく笑いをこぼした。
『アタシの使っているバックドア・プログラム』
 言葉から捉えれば、彼女のトリックを実現するプログラムのはずだ。なぜそれを自分から明かすのか。疑問に思ったが、その答えはすぐに明かされた。
『渡すから使え』
『どういう……ことだ?』
 言っている意味が理解できなかった。
『言葉通りさ。今、この男の子を通じて会話しているのも、マッチングリストから自在に消えれるのも、バックドア・プログラムのお陰。これをアンタたちに使って欲しい』
 そんな自分の返事を軽蔑したように細々と説明され、こちらの知りたかった謎が全て白日のもとに晒された。
 この女はどこか別の場所から、このオタクを踏み台に俺と直結している。ブレイン・バーストでのチートが存在すると思ってもいなかった自分を歯噛みする。
 だが、今の言葉はそれどころではない。そのプログラムを使って欲しい。そういう誘いだった。もう一度聞き返してしまう。
『どういうことなんだ?』
『理解が遅いよ。レベル4だしレギオンに所属していないアタシじゃ、使ったところでこの程度さ。だから、ちゃんとしたレギオンのメンバーにこれを使い込んで欲しいのよ』
 ひと月でメンバーから計千ポイント近く奪ったことを「この程度」と少女は言い放った。だが、そんなことよりもわからないことが多かった。
『どうして……なんだ?』
 フンッと鼻で笑ったような音が思考発声で聞こえた。
『もー、理解が遅いなあ。アンタがレギオンの幹部だからよ! 下っ端に渡しても簡単に潰されるでしょ。でも、王に献上しても握り潰すでしょ。もはや戦いの必要がないから当然ね。だから、王にもっとも近いアンタみたいな使ってくれそうなのに渡すわけ! わかる?』
 わかるはずがない。状況を読み解こうと黙って考えていると、反応が無い自分に苛立ったのか、さっきよりも大声で甲高い少女の声がした。
『だーかーらー、アタシは単なる運び屋よ! レギオンの幹部に渡せって頼まれただけよ!』
『……それでこんな周りくどいことをしたのか』
 この事件が全て今このためにあることに気づいた。
 レギオン所属の低レベルメンバーだけを執拗に狙う事件。それもマッチングリストから消えるような不思議な挙動が伴うものだ。そんな事件の対処となれば、幹部クラスが登場するのが当然だ。
 ようやく理解して貰えたと言わんばかりに、声色が落ち着いた思考発声が返される。
『そうだよー。レギオンの幹部に知り合いとかいないからね』
 今の状況を無言で整理しようとするとまくし立てるように声が聞こえた。
『アタシを特定できたんだよ? わかってるよ。特定にかかったのは実質二日よね。これ指揮したんだし、アンタ、頭いいでしょ?』
『まあ、な』
 初めて褒められて、悪い気がしなかった。
『そういうアンタなら、幹部だし、これ、うまく使えるんじゃない? 配下とかいるんでしょ?』
 だが、そう言われても不気味さは残った。だが、決断の言葉を言わない自分に少女は言葉を続けた。
『使ってくれるなら、ウィルスは消すし、レオニーズ狩りやめるよ? 大丈夫、アタシ、新宿には当分現れないし。もちろん、使ってくれればだけど』
 まずは加速の力を取り戻す。そして、諸々の問題を解決する。ならば、これは乗ったフリをするしかない。
『わかった。使おう』
『ヤッター!』
 はちきれんばかりのテンションの声と同時に、ぽーんという音と共にファイル受信ダイアログが表示された。OKを押すと実行ファイルとテキストファイルが送られてきた。
『使い方はマニュアル読んでね』
『わかった』
 そう言いつつも、後で直ちにレギオンの分析班に回す予定を立てた。
『じゃあ、終わりね。アンタがケーブル抜いたら、ウィルスは消える。加速もできる。で、この男の子はさらに一分後ダイブから目覚める。だから、その間にここを立ち去りな』
 この様子だとコイツを問い詰めたところで彼女が誰かという特定は難しいだろう。そんなことを思っていると更に言葉が続いた。
『あ、そうそう。なんかあったらアンタにメールするから。今の直結でデータ抜くアプリ使ったから、メールアドレスとか色々わかったし』
『なんだって?』
 しれっと恐ろしいことを言われた。何か嫌な予感がした。
『じゃあね、剣道部主将。試合も頑張ってね! もちろん、アタシの頼みも忘れないでね!』
 同時に思考発声が切れたように感じた。
「チッ」
 舌打ちをせざるを得なかった。奴は完全にリアルを割ったことを誇ってきた。最後のあの言葉は監視しているという念押しだ。
 こうなったら、まずは誘いに乗ったフリをしないといけない。
 ぐい、とオタクのリンカーからケーブルを引き抜いた。あの加速するコマンドを唱えた。さっきのが嘘だったように、いつも通りに加速した。マッチングリストを見てみたが当然ジェイド・ヴィザードの名前は無かった。
 これからどうするか。奴の言葉を思い出せば、運び屋に過ぎないと言っていた。バックドア・プログラムを使ったと言えど、作ったとは一言も言っていなかったし、データを抜かれた時もアプリでやったと言っていたことからも伺える。
 だが、そんなメッセンジャーに過ぎない奴ではあったが、正確にレオニーズのメンバーだけを狩ってきていた。つまり、レオニーズに内通者がいるってことだ。
「クソッ」
 一人だけの青い初期加速空間で悪態を吐く。ならば、分析班に回すことが筒抜けになる可能性がある。
 となればだ。今は乗せられて泳ぐしか無い。ひとまずはシアン・パイルらの配下のメンバーに試して貰い、相手の目を誤魔化す。その隙に自分が真実を暴くしかない。
「よし」
 そう気合を入れ直し、加速を解くと少年は足早にダイブスペースから抜けだした。

 その様子を、いまだダイブから覚めないオタク少年のリンカーのカメラは撮っていた。映像はパケットに変換されて、グローバルネットに送信されていた。



[31282]
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/03/11 22:13
 テルはダイブスペースから剣道の荷物を持った生徒が出ていき、扉が閉められたの確認した。
 そんな光景を見て、音を聞いているがテルはこのオタクの少年の人格ではない。オタクの少年の人格は赤ん坊を寝かしつけるアプリと同じ仕組みで、無理やりダイブさせているだけだ。
 違法行為もいいところである。だからこそ、テルは撤収行為を淡々と行った。
 まずは直結しているリンカーから個人情報を抜き取るアプリの削除。これは別に自分で作ったわけではなく、グローバルネットのその手のサイトで配布されていたものを使っただけだ。
 次にウィルスと呼んだ直結時のバースト・リンクの無効化アプリの削除。これは直結しても対戦を仕掛けられないようにする対PK用の自作アプリである。だから、相手は加速したければそのままケーブルを抜けば良かった。そうさせないためにもウィルスと呼んで脅したのだが。
 念のため痕跡が残っていないことを確認すると、少年を無理やりダイブさせたアプリを終了して削除した。これでダイブから目が覚め、十秒もすれば意識もハッキリするだろう。
 そうして、最後に少年が意識を戻す前に実行中のバックドア・プログラムを強制削除した。この少年を再び使うのはリスキーだ。その程度にしかテルは思わなかった。

 接続先の消滅を受けて、視界は暗転した。直後、パッと明るくなった。よく見知った少し黄ばんだ白い天井が目に入った。
「ふう、おしまい」
 そう呟いてから、テルはおもむろに起き上がった。久しぶりに体を動かしたような、そんな気分で両腕を前に伸ばした。
 バックドア・プログラムで他人の感覚を共有するのはVRと違う奇妙さがある。現実やVRならば自分の動きが肉体の動きに反映される。でも、バックドア・プログラムは感覚の入力だけで、出力と言える動作はほとんどできない。金縛りにあったらこうなるのかなーとテルはぼんやり感じた。
 息をついて、下を向く。胸の部分で柄が少し歪んだ白地のちびTシャツとデニムのショートパンツという自分の格好が見えた。顔を上げると髪の毛が汗の書いた背中に引っかかるような気持ち悪さを感じる。冷房がいまいち効いておらず、残暑の空気はねっとりとしていた。
 そういう意味では夏場のフルダイブは危険だ。温度管理がきちんとない部屋だと、設定によっては熱中症直前になるまでリンカーの安全装置が働かない場合がある。年にある程度、そういう理由でゲーマーが病院に運ばれるニュースもあるぐらいだ。
 だけども不意に現実に引き戻される。何とか目的は達成したのだ。これでこのひと月の活動は一段落である。そうとなれば、その完了を報告しないといけない。テルはメーラーを起動すると、高速なタイピングで一行ほどのメールを瞬間的に入力し送信した。あとは返信を待つだけである。
 そう、こんなことをやることになったのも、あの話がきっかけだった。

 一ヶ月前。
 夏場だというのに、無制限中立フィールドは季節はずれの雪が降り積もっていた。白と青で構成された雪と氷の世界。だけども、ステージの状態とかどうでも良かった。
「メールのあれ何?」
 程よい高さの氷柱に腰掛けた仮面をつけた緑色のアバター姿のテルの疑問に、雪の中にたたずむ青紫の忍者のアバターは答えた。
「他のリンカーやホームサーバーを踏み台にして、ブレイン・バーストを使うバックドアプログラムですよ」
 その言葉にテルは顔をしかめた。とはいえ、対戦アバターはロボットに近く、また、ジェイド・ヴィザードは仮面を装備しているので、なおさら表情が反映されることは無かった。
 そしてまた、しかめた理由もプログラムを嫌悪しているからではなかった。
「誰が作った?」
「怖い声出さないで下さいよ。杉並レギオン作らせた時に知り合った方ですよ」
「アタシに頼んでも良かったじゃん」
 テルはプログラミングができる。それゆえ、ビザンティウム・エージェントと繋がりを持っていた。だからこそ、自分が関わっていないプログラムにちょっとムカついた。
 そんなテルの様子を見て、エージェントはククッと笑った。
「そんだけ向上心があれば問題ないですよ。あなたの能力が活用できる作戦は検討中ですから」
「そう言われて半年経ったんだけど。毎月ヤボ用押し付けられるし」
 ヴィザードは立ち上がって一歩詰め寄ると、エージェントは足を動かさずに二歩の距離下がった。積もっている雪に足跡が残っていた。
「そうでしたかね?」
「そうよ!」
 エージェントは都合が悪い時は本気でとぼけ続ける。今回もそのパターンになるのだろう。それを知っていたのでテルは諦めて、再び氷の上に座った。
「で、何するの? 検証?」
「それは終わっています。このプログラムを渡してきて欲しいんですよ」
 右人差し指をピッピと振るポーズを取りながら、エージェントは言った。その言葉にテルは声を一段高くして聞いていた。
「誰? バイスさん?」
 《ブラック・バイス》は加速研究会の副会長のプレイヤーだ。まだ、リアルを知らなかったが、何度か会った時の温かく穏やかな声を聞いてから、何となく好きなタイプであった。
 テルのテンションが露骨に上がったのを察してか、エージェントは半ば呆れたように淡白に言い放った。
「それだったら私が渡しますよ」
 ちょっと膨れて、ヴィザードはそっぽを向いて、上目遣いの目線でエージェントを睨んだ。エージェントは相手にせずに、一息ついて言った。
「渡すのはレオニーズの幹部にですね」
「何でよ?」
 ヴィザードは顔を向けて、ジロリと睨みつけるような視線に変えた。エージェントは姿勢も声色も変えずに答えた。
「プロミは結束固いですし、グレウォはレギマスがアレなのでまずいですし、自分とこで撒くのもアウトですし、って消去法でレオニーズかと」
「そういう意味じゃないわよ」
「あ、最終テストですよ。これがブレイン・バーストの管理者が止めるかどうかっていう。そのための六レギテストですから」
 エージェントの笑いが混ざった口調からは、本題から話題を逸らし続けてからかっているのが読み取れた。テルは意図的に感情を交えて言葉を放った。
「そういう意味でも無いわよ。なんでアタシがやんないといけないのよ!」
「だって、私が直接渡したりして、バレたら粛清されるじゃないですか」
 軽やかな口調で言いながら、右手で自身の首をチョンパするジェスチャーをした。
「私、加速研究会でもクリプト・コズミック・サーカスでも幹部ですから。そういうことでウロウロしちゃいけないんですよ」
「青と赤ぶつけてかき回すんだーって三ヶ月前レギオン作ろうとしていたのはどこのどいつよ……しかも、失敗してるし」
 杉並を支配する非六大レギオンを立ち上げる。彼の発案で三ヶ月前、それは実施された。
 六大レギオンの分割統治に加わらない新しいレギオンを作れば、加速世界は否応なく動く。本当の目的なんて自分は知らなかったが、テルはそう理解していた。
 だから、後方支援な雑用として参加した。そのレギオン結成者のポイント供給のために率先してエネミー狩りを行ったのだ。
 自分の手持ちのチートがそういうことに向いている、というのも大きかった。世界が、加速世界が変わるなら、自分の力をそういうことに使うのにためらいはなかった。
 そして、自分一人で二千ポイントぐらい供給した。なのに、失敗した。それを聞いた時、本気で愕然としてしまった。そんなことを思い出していた。
「いえいえ、前も言ったように作り方自体は手堅かったですよ。小さいところから順に支配下に置いていく。そういうやりかたは整っていたので。問題は協力者の知性がちょっと足りなかったのと、妨害者がちょっと本気すぎたことですね」
「ふーん」
 既に終わったことだと割り切れているので聞き流しつつも、きっと、どちらも「ちょっと」では済まなかったんだろうな、とテルは思っていた。
「ですので、途中から妨害者の力量確認と情報収集にシフトしましたけどね。いやー、彼は素晴らしいレベルのプログラマーですよ」
 こんな風に他人を褒めるエージェントは不気味だ。
 ナルシストの癖に――と、エージェントのリアルは割っているテルは、現実での彼のキャラクター諸々を思い出して、率直な感想を胸に抱く。
 エージェントは話をまとめるかのように両手で円を抱えるように動かし、最後に人差し指を立てて言った。
「その彼が作ったものの一つがバックドアプログラムです」
「で?」
 テルが説明を促すときの言葉だ。自分を知らない人が聞けば誤解を招くような口調であったが、エージェントは正しく理解していた。
「よくできてます。ですが、本格利用したら塞がれそうな穴が多いので、まずは試しに六大レギオンのメンバーに使わせよう、ってことです」
 それを聞いて、テルはブレイン・バーストのものではない、リンカーを自在に操作できるコンソールを立ち上げた。チートプログラミングの素養があれば作れるシロモノだ。これのお陰で無制限フィールドでの任意強制切断とか可能なので、重宝するとしか言いようがない。
 そのコンソールにコマンドを打ち込んで、先ほどのメールに添付されていたファイルを確認する。実行ファイルとドキュメントだけだ。ソースコードがない。それをどういう思いでテルが見ているか、知ってか知らずか降りゆく雪の中、エージェントは一人話していた。
「いやはや、その彼も結構気難しい感じで。どう言いくるめようか悩みましたよ。冷静になってみたり、動揺してあげたり」
 そんなエージェントの会話を断ち切るようにテルは言った
「アタシはアンタ嫌いだけどね。面倒事ばっか押し付けてくるじゃん」
「それはあなたが全部解決してくれるからですよ。期待しているんです」
 そう言いつつも、ヴィザードの雰囲気は固いことをエージェントは読めていたようだ。
 これであなたも文句を言わなくなるでしょう、と言わんばかりに青紫の忍者は顔だけぐいと寄せて言った。
「そう言えば、ソースコードも貰っておりますよ。改造も自由です」
「ソース見たい」
 テルは即答した。が、その程度でハイハイと見せてくれるほど単純な彼ではないことはよく知っていた。
「ちゃんとやったら見せますよ。じゃあ、青の幹部に渡してくださいねー」
 エージェントはそう言って、お別れの挨拶もなしに、そそくさと離脱ポータルの方へ走り去ってしまった。
 テルは小さくため息をついた。と言っても、ソースコードなんて対価があれば、引き受けざるを得ない。いや、対価なんて無くても、きっと頼まれたら引き受けてしまうだろう。その関係性があるからこそ、自分は加速世界に来ているのだから。
 アタシに加速は必要ない――加速しようがしまいが、自分を受け入れてくれる社会はない。だから、社会を人々の意思を変えれる。そんな力が欲しかった。でも、自分にそんな才能は無かった。
 人よりも理数系科目ができる。人よりもリンカースキルが高い。でも、人よりも人との繋がりが薄い。だから、加速世界のこの繋がりは雑用であっても嬉しかった。そう思っている自分に薄々気づいていた。
「どうにかなるでしょ」
 そう呟いてから、自分も離脱ポータルへと歩みを進めた。雪はまだまだ降るようだった。

 現実に戻ってから、テルは頼み事を実現するためのアイディアを練った。
 当然、レオニーズの幹部はおろか、レオニーズの知り合いなんて自分にいるはずがなかった。幹部の名前をエージェントから聞き出した上で、対戦待ち受けなり無制限中立フィールドでの待ち伏せなりをして、直接渡す方向に持っていくことを、まずは思いついたがいくら何でも無茶がある。
 テルにとってはそれが精一杯な感じで、もっと良い案をと思えど、何も思いつかず、むう、と膨れるしかできなかった。しかし、頼まれたからには頑張ってしまう。
 数日かかって、二段階で行く基本戦略を思いついた。幹部と接触する作戦を取ってから、接触してきた幹部に渡す。接触するために行うのはレオニーズの領土内でのレベル3以下のメンバー潰しである。そんなことをすれば否応なく幹部がどうにかするために現れるだろう。
 なんかうまく行きそうな気がしてきたので、テルはそのまま突っ走ることに決めた。障害っぽいのは自分のプログラミング・スキルで乗り切る。そういう方針だった。
 早速、レオニーズ潰しのためにレギオンメンバーのリストをエージェントに求めた。もちろん、エージェントというだけあって、その手の情報がホイホイと出てきた。そして、新宿のアミューズメントパークで遊んでいた少年に適当な理由で声を掛けて直結させた。妙にどぎまぎしていたようで、もうちょっとからかいたい気分もあったが、あんまり長く接続して印象を持たれても困るのでそこは適度に切り上げた。
 準備が完了した後はバックドア・プログラムで少年が新宿にいるのを確認しつつ、レオニーズのレベル3以下のメンバーに片っ端から対戦を仕掛けた。もちろん、確実に狩るために無制限中立フィールドのショップで買えるかなり強い強化外装を装備してだ。それゆえ、レベル1差のレベル3相手だとしても、手も足も出さずにパーフェクト勝ちを収めることができた。

 そして、それが今日、結実した。
 視界の右上に黄色い手紙マークが点灯した。送信相手の名前は岬篤(みさきあつし)。加速世界での名前をビザンティウム・エージェントと言う。
 数分前に送ったメールの返信だった。【午後九時ちょうどに上で】という連絡だった。【りょ~かい】と瞬間的に入力して返信した。
 それにしても、バックドア・プログラム、いや、マッチングリスト移動プログラムか。
 テルは感心していた。エージェントが言うには作った人はポイント全損が迫る中、これを数日で作ったそうだった。すごく脚色が入っているに違いないと思いつつも、それが事実だとしたら、すごいかすごくないかと言ったらすごいだ。無論、自分にできるかできないかと言えば、多分できるだ。テルはその程度に自信を持っていた。
 プログラミングができるバーストリンカーは何人かいるらしいが、加速研究会はそのコンタクトは取り締まっている。結託されることを恐れているのかもしれない。
 バカみたい、とテルは心の中で思っていた。複数人で開発できればもっとすごいものができるかもしれないからだ。
「会ってみたいね」
 叶わなさそうな願いをテルは小さく呟いた。

 そのとき、ピンポンパンポーンというお決まりな音色のチャイムが聴覚を塗り潰した。
『寮の皆さん、寮の皆さん。夕食の時間です。食堂に集まりなさい』
 中年の女性、というより食堂長と呼ぶ方が正確だろう、その声が響き渡った。
 テルは寮で暮らしている。学校が全寮制だからだ。別にお嬢様だとかそういう理由ではない。
 《遺棄児童総合保護育成学校》に通っているからだ。少子高齢化社会への対応として、新生児の無条件引取り制度が二〇三〇年ごろに法制化され、このような保護施設を兼ねた学校が全国各地に作られた。
 とはいえ、自分は別に生まれた時に捨てられたわけじゃない。厳密に言えば、捨てられてもいない。ただ、突然、両親と引き離され、引き取ってくれる親戚がいなかったから、ここに預けられた。
 アタシが秋月光(あきつきてる)だから、こうなった。だから、現実世界はアタシを拒絶している。でも、加速世界は手を伸ばしてくれる人がいて、この寮と学校だけはアタシを受け入れてくれる。でも、それだけでは足りないと思っている自分がいた。
 テルはベッドから立ち上がり、椅子にかけていたベージュのチュニックパーカーを掴んだ。それを羽織りながら、部屋の出口へと向かった。



[31282]
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/03/12 23:37
 食事から戻り、入浴を済ませ、寝る準備を整えた。薄緑のパジャマをまとって、ベッドに寝転がった時には午後九時、数分前だった。
「ふーんふんふんふん♪」
 とテルは鼻で歌いながら、《加速》の準備を整える。時刻をネットワークと同期させ、いくつかのアプリを起動し、パラメータを入力した。そんな作業を終わらせた時には、約束の時間の十数秒前だった。危ない危ない、と思うと間もなく、時計アプリが午後九時を指した。
 その瞬間、加速音がテルの聴覚を刺激した。

 テルはコマンドを使わずに加速することができる。
 所詮、ニューロリンカーは機械であり、ブレイン・バーストはプログラムだ。利用者の行為と同じ信号が流れてきたら、同じように作動する。
 量子接続部が読み取った発声信号を、擬似的にシミュレートしてやれば、無発声での加速はできる。とはいえ、それはハードウェアの機能として簡単にはできない。
 でも、テルはそれをできるようにした。ハードウェアで制約が掛けられているなら、リンカー本体を改造すれば良いだけだ。秋葉原で調達した特殊ネジ用ドライバーでリンカーのカバーを外し、一部の基盤を差し替える。それで加速コマンドの入力をプログラムから実行することができる。
 しかし、それだけだ。結局、多くの場合、音声の方が便利だからだ。正直、時報に合わせて加速するぐらいしか用途が無い。作った目的もあったわけではない。加速するのに肉声を入力しないといけないのがバカバカしい、と思ったからだ。
 だからこそ、こういう機会にここぞとばかりに使う。それだけのアプリだった。

 視界が暗転するも、すぐに緑色の光が包んだ。それはテルの体をブレイン・バーストにおける戦闘用アバターに組み替えるエフェクトである。
 淡い黄色の空の下に広がる、赤茶けた岩が立ち並ぶ大地に一人ポツンと自分が現れた。
 加速世界の地形そのものは現実に準拠している。正常に離脱ポータルからログアウトしていれば、出現する場所は現実とリンクする。だが、今、テルがいる場所は自分の寮の周りの地形とは全く異なる。前回、強制切断をしたからというわけではない。
 ここがビザンティウム・エージェントとの待ち合わせ場所だからだ。そこに直接向かったに過ぎない。テルは無制限中立フィールドの任意の位置に出現できる。その直前の離脱は正常であったとき限定ではあるが。
 やっていることもそう難しくはない。音声入力と同じで、リンカー自体を改造すれば、測位システムの受信データを弄ることができる。そうなれば、リンカーの認識している位置を集合場所に設定しておくだけだ。
 二つの改造で、集合場所に時間ぴったりにジェイド・ヴィザードは出現することができた。
 巨石に囲まれた乾いた大地に立つテルはぐるりと辺りを見渡す。誰の姿も見えなかった。リンカーを操作するためのコンソールを呼び出し、現実時間を表示するコマンドを叩いた。日本標準時で午後九時から二ミリ秒経ったところだった。
「遅い」
 テルは不満そうな口調で呟いた。
 ニューロリンカーが普及した現代において、日常生活で《待つ》という行為は激減した。待ち合わせの場合も、自分と相手の到着予定がほとんど正確に表示される。店での食事も混雑具合がリアルタイムで分かる。待つという時間の潰し方が現在はほとんど存在しない。
 だからこそ、テルは少しイラついた。

 ダイブ時間で十五分ほど経ってから、青紫の人影が見えた。
「ちょっと遅いんだけど」
「やれやれ。あなたという人はまた時報ちょうどに来たんですか」
 そうよ、と言わんばかりの視線でテルは来たばかりのビザンティウム・エージェントを睨みつけた。
「《荒野》属性だったので、移動に時間がかかったんですよ。それでも現実時間で一秒も遅れていないじゃないですか」
「遅れたのはサキアの方だぜ。どうして、時間通りに来れないんだか」
 遅刻したことをエージェントは都合よく無視して、違うことを指摘した。
「サキア……って、加速中なんですから、エージェントと呼んでくださいよ」
 テルはエージェントのリアルを割っている。と言っても、それはコイツに限ってはそう難しいことではない。
 《ビザンティウム・エージェント》は加速世界の中で、リアルがそれなりに知られているプレイヤーの一人だからだ。
 プレイヤーのリアル情報の入手は二つのパターンがある。一つは《親》と《子》、学校、クラブ活動と言った日常の関係の延長線での入手だ。この関係性しか持たない普通の多くのプレイヤーは安全のためリアルを隠している。もう一つはリアルが有名になりすぎて、もはや隠すにも隠せず、加速世界でリアルの情報が一気に広まって収拾がつかない場合だ。
 そんな有名なハイレベルプレイヤーは何人かいる。
 一番最近の例では、つい先日終わった夏の甲子園で大会新のホームラン記録を打ち立てた一年生選手がそうだ。大阪に親戚の家があるプレイヤーが甲子園に観戦に行って、マッチングリストを確認、対戦までして確認し、その後、加速世界に一気に広まった。
 そして、ビザンティウム・エージェントこと岬篤は、来年のU-17ワールドカップの日本代表選手の最年少選手として招集されている。ブレイン・バーストのプレイヤーでサッカー部ならば知らない人はいない、というのが奴だった。
 テルは名前で呼ぶのはさすがに避けてあげて、本名から取ったニックネームで呼んでいた。
「あだ名だし別にいいじゃん」
「いやいや、ペンネームで呼ばせてバレた例があるじゃないですか」
 今年デビューした来年高校生の現役中学生マンガ家がそうだ。あっという間にスターダムを駆け上がり、アニメ化間違いなしの人気マンガを描いているらしい。そいつはアバター名ではなくペンネームを名乗っていたとかで、授賞と同時にバレていた。
 そういう迂闊なことをすると全損の可能性とか高そうだな、としか思えなくて、テルはバカにしていた。
「どうして全損しないのかが不思議だよねぇ」
 おもむろに言ったテルの言葉にサキアは答えた。
「親衛隊がいるからじゃないですかね」
 言われてみれば、なんかそういうのがいた気がする。無制限中立フィールドで睡眠を取っている彼を守っている五人組だ。一度、遠目で見かけたことがある。ナントカーと名乗っていた記憶がある。
「なんだっけあの親衛隊……」
 と思った言葉が口から出た。
「超絶加速バーストレンジャー」
 呆れた視線でエージェントの方をじっとりと見る。
「いや、そういう名前ですよ? 超絶加速バーストレンジャーで合ってますよ?」
 そんなダサい名前だったかな?と思いつつも、割りとどうでも良いことに気づいて、この話は終わりと言わんばかりにため息をついた。
 幾ばくかの静寂の後、テルは口を開いた。
「でもさ、アンタ、もうバレバレじゃん」
 加速世界でちょっと聞き込みしたぐらいで、荒川区立の中学校でサッカー部のキャプテンをやっているという個人情報から、フェイント使いまくりでドリブルで八人抜きしシュートを決めるというパフォーマンスをやってのけた総体大会準決勝のVRムービーが公開されているアドレスとかが入手できた。
 これは隠す気がないというか、インタビューの動画まで出回っていることから、一部は自分自身で撒いているとしか思えなかった。
「いやー、それでも忍者ですからね。そこは内密にお願いしますよ」
 口に指を当ててシーッとするポーズを作りながら、エージェントは言った。

 これ以上は何を言っても無駄な気がしたので、テルは本題に入った。
「で、メールで書いたけど渡したよ」
「本当ですか?」
「嘘ついてどうすんのさ」
 そんなテルの言葉を聞いて、サキアは独り言のように言った。
「はあ、もうですか……」
「え?」
 機嫌の悪さが混じったテルの声に、エージェントはうなだれていたような姿勢を正した。
「いやー、もうちょっと時間かかることを期待していたんですが。まさか、こんなに早くに渡すとは……」
「アタシはかかりすぎたと思ってんだけど。もっと早く渡す方法ありそうだったし」
「まあ、あなたという人はそうですからね……」
 サキアはそう言ったが、テルはどうとも思っていなかった。自分と彼のゴールは近くにありそうだ。だから、手を組んでいる。
 自分一人ではどうにもならないことを、サキアは黄レギオンの幹部であり、加速研究会の幹部でもあるという地位を利用して、進めることができる。
 それに自分は協力するし、また、ある程度は自分の言い分も反映して貰おうとしていた。
「アタシが何のために動いているかわかるでしょ」
「わかっていますよ」
 テルがブレイン・バーストを始めて一年半が経った。面白いと思っていたのは最初の半年位までだ。その面白さもゲームとしてではなく、加速という技術としてだ。ある程度対戦を行なって、そして、無制限中立フィールドに上がれる頃になって、つまらなさを確信した。
 このゲームのトップレベル・プレイヤーは本気じゃない。
 六レギオンの不可侵条約をはじめ、プレイヤーのバカげたローカルルールが加速世界を停滞させていた。
「こんな停滞しているのに、ゲームとしてブレイン・バースト一筋のヤツがいるとか頭おかしいんじゃないの?」
 テルはイライラを独り言のように口にすると、サキアはそれに言葉を返した。
「それは同意ですね。ライフハックツールとして見ることができて、ようやくトントンですよね」
 テルは無言で頷いた。
 ブレイン・バーストは他のゲームと違って、技術は明らかにぶっ飛んでいるし、法律も通用しない世界を作っている。七面倒な倫理コードも無い。だけども、その環境が選んだのは停滞だ。それがテルには許せなかった。
「もっと過激に変わって欲しい」
 この世界よりももっと先へ。そんな加速世界で過ごしたい。それがアタシの望みだ。
 それを聞いたエージェントはに考えこむように呟いた。
「しかし、そんなに早い変化も困りますね……」

 その時だ。咆哮が空間を震わせた。ヴィザードとエージェントはほぼ同時に音の方を向いた。
 巨岩の合間から現れたのは四足獣。とはいえ、昆虫にあるような鋭い鉤爪がある、長いしっかりした脚を持ち、胴は平たい。現実の生き物で例えるのは難しい。ゆらりとこちらを振り向いたが、頭のあるべきところには無数の触手が生えているのが見えた。
 異形、と呼ばれることの多い、ブレイン・バーストのエネミーの姿があった。大きさは三階建てのビルほどだ。どう見ても巨獣級にタゲられていた。
 そんな状況であったが、サキアはのんびりとした口調で聞いてきた。
「逃げます?」
 それをテルは鼻で笑って聞き返した。
「アタシに聞く?」
「ですよねー」
 テルと加速研究会の出会いは半年前だ。都内の過疎地域で神獣級エネミーを単独で倒しているところにビザンティウム・エージェントとブラック・バイスが通りかかったのがきっかけだ。
 自分は神獣級エネミーであっても単独で倒せる。逃げることは考えていなかった。
 コンソールを通じて、加速直後から動かしていたアプリを確認する。必要な演算は既に終わっていた。すぐさまコマンドを打ち込みEnterを叩いた。
「アタシはブレイン・バーストのアイテムデータに最も詳しいプレイヤーよ? だから、このくらいなら勝てる」
 ヴィザードの右手の指先に挟まれるように、ちかっと光るトランプサイズのカードが現れた。
 カードの名前は《ストーラー》。と言っても、テルが勝手に呼んでいるだけだ。実体はエネミー相手に特殊な挙動をする《ポイントカード》に過ぎない。
 ヴィザードはそのカードをエネミーに投げつけると、エネミーはそれを飲み込んだ。
「あ、珍し」
 テルは呟いた。別に飲み込まなくとも、カードがエネミーに触れるだけで発動するので、狙う必要は無かった。
 そして、もうその瞬間にはエネミーの動作が止まっていた。地面を駆けてようとしていた前脚は空中に止め、振り乱していたはずの触手もピクリとも動かさない。
 エネミーのAIの動作を完全に止めるアイテム、それが《ストーラー》だ。
 ブレイン・バーストのアイテムは色々な機能がある。それも実体を解析すれば、プログラマブルなデータ列に過ぎない。
 《ストーラー》はアイテムの皮をかぶった、高度な数学の問題だ。アイテムを実行すると10の20乗、一垓個の変数の充足可能性問題の解答を求めてくる。NP完全に分類される問題で、量子コンピュータを引っ張り出してきても高速に解くことはできない。
 ポイントのルートと勘違いして、エネミーのAIはご丁寧にその問題を解こうとする。だが、ブレイン・バーストのサーバーであっても、桁違いの問題サイズのそれを現実的な時間で解くことはできない。
 エネミーAIがこの状況から解放されるのは二つしか無い。倒されるか、変遷というステージ変化が起きるかだ。
 というわけで、この方法で足止めしたエネミーをヴィザードとエージェントは黙々と殴り続けた。
「なんていうか、ものすごく作業ですね」
 サキアがすごくガッカリしたような口調で言った。テルのアイテムを使ったエネミー狩りにおいては、小獣だろうが野獣だろうが巨獣だろうが神獣だろうが、違いが無いことに気づいたようだった。

 さすがに二人で殴ると効率は倍、いや、エージェントがレベルが高いこともあって、それ以上に良かった。百ポイント以上の加算が起こった後、エージェントがおもむろに聞いてきた。
「そういえば、その《ストーラー》でしたっけ」
 ヴィザードは小さく首を縦に振る。
「それは頂けないんですかね」
「あげてもいいけど、アンタたちには使えないよ」
 エージェントは初耳だと言わんばかりに姿勢を正してきたので、テルは説明を始めた。
「ブレイン・バーストではアイテムは、通常対戦なら対戦ごと、無制限中立フィールドなら変遷ごとにチェックが走る。そのタイミングでこのアイテムは消える」
「なるほど。だから、カードも頂けないのですね」
「そーゆーこと。生成するプログラムもあるけど、普通のニューロリンカーだったら変遷までに計算が終わらない」
 科学計算用の計算部品を組み込んだ高性能なリンカーが必要となる。はっきり言って、普通の中学生、いや、一般人が到底必要としないリンカーである。テルはそんな改造を施していた。
 そのようなリンカーを使って、現実時間数秒で生成すべきアイテムデータを計算することができる。そういう意味ではさっきのエネミーはタイミングが絶妙だった。ちょうど、計算が終わった辺りで出現したからだ。
 マシンパワーで生成したある種のバグアイテム。それが《ストーラー》だった。
「だから、これはあげるのには向いていない」
 そう、チート程度、使ったところで加速世界は何も変わらない。そう思っていた。だけど、バックドアプログラムはもっと単純な仕組みだったが、加速世界を動かす力があった。
 バックドア・プログラムは一見すると戦いを減らすように見える。でも、一部に渡すことで奇襲のために使われ、硬直した加速世界を動かすことができる。あの幹部に渡した時、そのことにふと気づいた。
 ブレイン・バーストはプレイヤー数と比べれば、戦いは少ない。都内に千人もいるはずなのに、どうしてここまで戦いが少ないのか。
 それはわかりきっていた。自分は変化を求めていた。
「ねえ、サキア。アタシがアンタに協力している意味、わかるよね?」
 テルはしっかりとエージェントを見つめて言った。
「加速世界を変えたいんですよね」
「変えてもいいよね?」
 エージェントは少し悩んでから、困った声で言った。
「……我々が許容出来る方向であれば」
「王を倒してもいいかな?」
 テルはたった今、思いついた加速世界を変える方法を口にした。
 その提案にエージェントは本当に困ったような声で言った。
「うーん。ちょっと困りますね。仮にできたとして、というかあなたなら数カ月でやってしまいそうなんですが……」
 エージェントはおもむろにヴィザードの方を向いて言葉を濁した。
「あなたって人は本当に性急ですね」
「加速世界の悠久でぼけてんじゃないの?」
 テルの釣れない返事にサキアは、苦笑いという印象を与えながら、答えた。
「それは上に掛けあってみます。あんまり期待しないでくださいね」
 そして、一度、空を仰いでから、再びヴィザードに向き直して言った。
「それじゃあ。バックドア・プログラムをレオニーズの幹部に渡したことは了承しました。また、何か頼むことがあると思います。それじゃ」
 そう言って、エージェントは背を向けて何歩か進んだところで振り向いた。
「そうそう、くれぐれも無茶はしないでくださいね!」
 言い残すと、今度こそ駆け出して、そのまま、忍者らしくぴょんぴょんと岩場を跳ねて、遠ざかっていった。
 あのスピードであれば、ログインしているであろう場所から、十五分もかかるのはおかしい気もした。だけど、そんなことを気にする以上に重要なことを思い出した。
「ソースのこと、忘れていた……」
 この様子だと、当分はとぼけられてしまうだろう。だけど、そのソースが今すぐに必要ということはなかった。
 解析はできなくとも、実行ファイルの形で貰っているので、それを使うだけで十分だからだ。

 バックドア・プログラムのように、加速世界にインパクトを与え動かす。
 さっき、思いつきで言った、王を倒すことは無しじゃない気がしていた。
 王を倒す――その方法を探すことを決めた。それが自分のための戦いだ。そう決意して、テルは一番近くの離脱ポータルに向けて、移動を始めた。



[31282]
Name: カヱン◆bf138b59 ID:1e77003e
Date: 2012/03/15 14:37
 エージェントと共にエネミーをはめ殺ししたので、アンリミテッド・バーストで消費した十ポイントは有に稼げている。そんな事情もあって、特に寄り道もせずに秋葉原の離脱ポータルに向かった。
 現実の秋葉原駅は雑然とした複雑な立体交差となっている。複数の路線が乗り入れしているので、駅自体の整理を行うのは難しいのだろう。それでも、それが秋葉原らしさなんじゃないのかと、何度か来たことがあるテルは思っていた。
 しかし、《荒野》属性の無制限中立フィールドには、そんな秋葉原駅は存在しない。周りよりもひときわ大きい赤茶けた巨石がドッシリと構えている。南半球の岩石砂漠における土着民族の信仰対象のような光景が広がっていた。
 ポータルは何時でも場所は固定されており、破壊は不可能である。ここ秋葉原の場合は巨石の上に存在する。即ち、この巨石を登らないといけない。
「チッ、ウゼェ」
 テルは悪態を吐いて、これだったら東京駅に向かったほうが良かった、と思うも、諦めて石を登るルートを探し始めた。さすがにその程度にはブレイン・バーストは配慮してあり、いかにもな登れるルートがすぐに見つかった。
 数分で巨石のてっぺんに着くと、蜃気楼のごとく揺らめく現実の秋葉原駅の光景が映し出される青く光るポータルが存在していた。
 テルはゆっくりと回るそれに飛び込んだ。

 視界は暗転を挟んで、ぼんやりとした明るさに切り替わった。赤茶けた大地ではなく、見慣れた黄色く白い天井だ。
 時計アプリを確認する。と言っても、加速世界で過ごした時間はわかっているので、本当に確認のようなものだ。フルダイブから一分も経っていないことを時計は教えてくれた。テルが仮想デスクトップの時計から視線を逸らすと、すっと時計の表示が消えた。
 同時に部屋のざわめきが耳に入ってきた。テルの寮は相部屋だ。そもそも、個室という選択肢はない。だから、部屋はいつも就寝時間まではそれなりに騒がしい。加速前からずっとうるさかったのだろう。それが単に今の今までテルは気づいていなかった。それだけのことだ。
 ベッドからゆっくりと体を起こし上げ、声のする方に顔を向けた。部屋の真ん中に置かれているテーブルを囲むように六人の女の子が、ワイワイと騒ぎながら何かをやっていた。その中の一人が起き上がってそちらを見ているテルに気づいた。
「あ、ゴメン。起こしちゃった?」
 その言葉で他の五人もテルの方を向いた。テルはゆっくりと首を横に振ってから言った。
「いや。寝てたわけじゃないし」
 そのとき、六人のうちの一人、ちょっと髪の色の薄いくせ毛っぽい子と目が合った。テルは少し視線を逸らしたが、その瞬間、その子が口を開いた。
「おー、テルちゃん。ちょうど良かった。夏休みの宿題手伝ってよ」
 昔から知っている忘れるわけがない快活な声。テルは視線を合わせずに呆れたように言った。
「ミツカ。授業来週じゃん」
「私だけじゃないしー」
 そう言いながら、ミツカは残りのメンバーに目配せをして、「ねー」っと全員で声を合わせた。
 そんな様子をテルは鼻でクスっと笑った。でも、同時に心がズキンと痛んだ。ミツカは親友だった。だから、ミツカの頼みを断れない。いや、断らない。断りたくない。
 テルはベッドの横のピンクのスリッパに足を入れつつ、立ち上がった。
「手伝ってやるよ」
「ありがとう! 超助かる!」
 そう言ったミツカの表情はテルのよく知っている表情のように見えた。でも、それが彼女の本当の表情かはわからない。
 ミツカの顔を見る度にあのことを思い出す。でも、今はグッと胸の中に仕舞い込んだ。ミツカの横に椅子が用意され、そこにテルはそっと座った。

 朝起きる時間は決まっている。例え休日であろうとだ。みんなでの食事の時間が決まっているためだ。寮にいる限りその時間は固定だ。
 だから、前日どんなに夜ふかししていても、その理由が友達の夏休みの宿題を手伝うというものであっても、起きる時間はいつも同じだ。
 覚醒アラームに叩き起こされたテルは大きなあくびをしながら、ベッドから起きた。テーブルの方を見るとミツカたち三人が事切れた人形のように椅子に座って突っ伏していた。残り三人のうち、一人はベッドで寝ていて、二人は自分たちの部屋に戻ったのかいなかった。ちなみにテーブルの一人はこの部屋のメンバーではない。
 テルは寝間着から着替えると、一人一人を起こして回った。気付けば朝食の時間ギリギリとなっていた。数十秒後、リンカーに朝食を知らせるチャイムが流れ、全員で身支度の悪さを言い合いながら、食堂に向かった。
 食事を終えて、部屋の掃除を済ませてからは自由時間となっていた。
 今日は夏休みの最終日である。とはいえ金曜日であるから、土曜日の始業式を終えたら、土日の休みが来るといえばくるが、一応は今日が最後の休みだ。だからと言って、どこかに行く用事を入れているわけではない。外出許可も貰っていないから、思いつきで出掛けることもできない。
 部屋のみんなは図書室で宿題の残りを片づけるらしく、自分一人が部屋に残っていた。日は高く上がり、気温は相当上昇していた。とはいえ、寮の部屋は無駄と言わんばかりに、日中は冷房が入らないように集中管理されていた。涼しいところは決まっているから、そこに行けと言わんばかりであったが、テルは部屋の窓からぼんやりと外を眺めて過ごしていた。
 寮の敷地に植わった木々は青々と葉を茂らせていた。それは近隣の低層の住宅を隠していた。もう少し視線を上げると、間の建物が見えないせいか、ものすごく近くに新宿の超高層ビル群が立ち並んでいるように見えた。

 一人の状況を作らないと考え事なんてできない。特に加速世界のことについてはだ。
 テルは小さく息を吐いた。
 王を倒す――レベル4の自分が言うと荒唐無稽な夢物語だ。
 ジェイド・ヴィザードはレベル4にしては強い。だけども、それはテルの反応速度や操作技術といった能力が高いからでない。他のプレイヤーよりもエネミー狩りが圧倒的だからだ。それゆえ、レベル4では到底買うのが難しい値段の高い強化外装をショップで購入したり、神獣級のドロップするレアな強化外装を持っていたりする。その付け焼刃なアドバンテージだけだ。
 その程度のレアな強化外装を装備したごときのレベル4のプレイヤーがレベル9の王に勝つ。そう言い換えると無理であることが実感できる。
 もちろん、テルが望めば、レベル9になることは簡単だ。現実時間の一日ぐらいエネミーをはめ殺しすれば、そのくらいのポイントは貯まる。もちろん、それだけの時間、ブレイン・バーストの運営がその修正をしなければだが。
 でも、それは無駄なことだ。成し遂げたところで同じ数字のレベルをまとった弱いプレイヤーに過ぎない。レベル差以上に果てしないほど差があるプレイ時間と、それによって練られたプレイ技術に勝つ力をテルは持っていなかった。
 神獣以下のエネミーを止めること。無制限中立フィールドの任意地点にダイブすること。コマンドを唱えずにダイブすること。ダイブ中にリンカーの操作をすること。それがブレイン・バーストにおける自分の本当のアドバンテージだ。でも、何一つ王を倒すのに適した道具は無い。

 窓から吹き込んだ熱風が頬を叩いた。もう十分に残暑らしい気温ではあったが、暑くとも部屋に風が通る分、耐えられないほどではなかった。
「どうすんだよ?」
 聞き手を求めずにテルは言った。目的語を省いたせいでその対象を探して頭が働いた。
 そのとき浮かんだのは「“王”をどうする」ではなかった。「“世界”をどうする」であった。昨日の流れから言えば、当然だった。
 アタシは王を倒したいわけじゃない。世界を再び加速させたい。それがテルの願いだ。
 だから、望みは王を倒すことではない。王がいなくなる、加速世界を停滞させている原因が無くなるのが望みだ。だから、昨日、あんな言葉を吐いたのだ。それはテルにとって、大きな違いがあった。
 別に自分が王を倒す必要はない。他のプレイヤーが、他の王が、王を倒す状況を作ってやれば良い。それなら、自分が強くある必要はない。
 王とは何か。
 王が王たる理由――それはレベル9であることだ。それを弱くする、つまりレベルを下げる、というのはできないだろう。いや、噂でレベルを吸収する何かがあると聞いたことが無いわけではない。だが、それを実現するとなると多くの時間が必要となるだろう。
 もっと手っ取り早く弱くする。そして、もう少し自分でできそうなこと。

 テルはその瞬間、心が痛んだ。
 《クラッシュ・アーマメント》――それは相手の強化外装を一時的に破壊するアイテム。汎用性の高いブレイン・バーストのアイテムデータ構造だからこそ組み上げることができた、あの当時の自分のアイテム解析結果を全て注ぎ込んだアイテム。そして、一年前のあの日を最後に使わなくなったチートだ。
 でも、迷うつもりはなかった。
 七の神器――それは今、王だけが持つ強化外装。それを含めて王のアドバンテージを破壊する。
 大剣を失った《ブルー・ナイト》。
 錫杖を失った《パープル・ソーン》。
 大盾を失った《グリーン・グランデ》。
 それに神器ではないが、要塞を失った《スカーレット・レイン》。
 強化外装を失った四王が同じ強さを誇り続けることはない。レベル9であっても、六王のうち四王が二流の王となる。それは加速世界を動かすのに十分なことだ。
 全ての強化外装を、神器すらも葬る。とはいえ、《クラッシュ・アーマメント》はもう動かないだろう。それを修復するところからが戦いの再開だ。

 そうやって加速世界を動かす――そう誓った時だ。
「おーい! テールーちゃん!」
 後ろから思考を止める声がした。振り向くと開けっ放しの扉のところにミツカがいた。
 お願いするように両手を合わせながら、彼女は言った。
「ゴメン、ゴメン。今日ももうちょっと手伝って欲しいんだけど」
 テルは加速世界のことを一度忘れることにした。それはミツカの前だからだ。
「そんなことだと思った」
 テルはそう言って、ミツカの方に向かった。
 自分の親友であって、《親》であって、自らが全損に追い込んだ彼女の方へ、テルは向かった。


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