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[31007] 【完結】空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない(零・碧の軌跡)
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:17b52253
Date: 2013/11/01 22:58
 原作を知らなくても読めるように書いていますが、ネタバレには注意してください。




 永い夢から覚めたような感覚を覚えて、ロイド・バニングスは彼方にあった意識を引き戻した。
 眼前には人の良さそうな老夫婦が小さくゆっくりと会話を重ねている。
 右手を見やると景色が後方へと消えていき、ふと列車に乗っていたことを思い出した。

 閉ざされた瞼を開けた反動なのか視界はぼやけており、無意識のうちに視線を下げて開かれていた掌を見る。
 黒の指なし手袋が変わらず存在していたが、その内側にはじっとりと汗を掻いていた。
 眠っていたのだろうか、掌の感触から派生するように全身の感覚が蘇ってきてぶるりと身体を震わせる。全身で汗を掻いていた。

 暖かな気候になりつつあるこの地で、中天を目指す太陽の光は確かに温かい。
 しかしこれはそんな優しいものから生まれたのではないと漠然と思えた。
 それは先の、永い夢のようなおぼろげなイメージがそう思わせるのかもしれない。

「あら、起きたの?」
 声の主は向かいの席に座っている老婆だ。
 その視線は見ず知らずの他人に向けるようなものではなくて、故にロイドも他人行儀な態度を取ることはなかった。
「あぁ、はい。眠っていたんですね、俺」
 頷く老婆に伴侶の男性が目配せし、老婆は荷物から水筒を差し出した。
「喉が渇いているでしょう? どうぞ」
「あ、ありがとう……」
 今更ながらに喉の渇きを覚えてロイドは水筒を受け取った。
 レモネードの酸味と甘さが喉を駆け抜け、身体の中心の乾燥地を潤す。美味しい、素直にそう思いつつ、まるで長くそんな感想を抱けなかったように懐かしく感じてしまった自分がいた。

 礼を言って返すロイドは老夫婦と他愛ない会話を交わし、荷物から一枚の写真を取り出した。
 写真には三人の人物が描かれている。
 左手には穏やかな表情を浮かべた女性が、右手には豪快な、それでいて心根の優しそうな青年が。
 そして中心に立つのは背の低い、茶色のくせ毛の少年。
 この写真から三年が経ち、この三人もすっかり変わってしまった。中心で笑う少年は三年の間に警察学校に通い捜査官試験を合格し、今ここで故郷行きの列車で過去を眺めている。

 ロイドは心の中で姉になるはずだったその女性に、憧れの女性を幸せにしてくれるはずだった兄に向けて呟く。
 何もできず、逃げ出すように離れた自分はやっと帰ってきたのだと。これから、真実を暴いてみせると。
 三年前から会っていない人に、もう会えない人に、今の自分の覚悟を呟いた。

 じんわりとした汗の嫌な感覚は消えており、窓は開いていないのに風が吹いた気がした。これから始まる新たな人生を歓迎するように、ロイドを乗せた列車は貿易都市へと入っていく。

 ふと、ロイドは覚醒以前に思いを馳せた。
 眠っていたのだから夢も見る。しかしその光景はまるで夢と思えないようなものだった。
 馬鹿馬鹿しい、いくら荒唐無稽な夢でも、夢を夢と自覚することのほうが稀なのだ。
 ロイドは一般論でその考えを振り払い、頭を振ることでそれを強調した。
 茶色の髪が左右に揺れ、やがて治まったが、その時ロイドは初めて胸に何かがあるのに気がついた。
 掌を見たときには気づかなかったそれは青と白のお気に入りの上着から見える黄色のタートルネックから窺える。


 ――それは、誰かの涙のような白い石だった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない





 クロスベル自治州。
 大陸西部にある黄金の軍馬『エレボニア帝国』と東部にある民主国『カルバード共和国』の二大国が宗主国となっているこの地は、大陸の貿易における要所である。
 全てが入り乱れたこの都市は常に人々の興味関心の対象であり、また世界の暗部にとっても同様な故に“魔都”と称されることもある。

 老夫婦と別れたロイドは三年ぶりの故郷の変化に目を瞬かせた。
 記憶にない巨大な建物に囲まれたクロスベル名物の鐘楼が懐かしい。
 人通りは激しく、時折高級品である導力車が過ぎ去っていく。
 中央広場はクロスベル駅から最初に通る文字通りクロスベルの顔である。

 警察学校を卒業したロイドの最初の目的地は勿論クロスベル警察本部である。
 中央広場一の集客率を誇る百貨店と、記憶とは違いモダンな雰囲気となったオーバルストアの間を通り、噴水のある行政区へと進む。

 行政区には大きな建物が三つ。
 右手に見えるのが図書館であり、ロイドが懇意にしていた一家の一人がここで働いている。
 正面に見えるのは市庁舎。丸い帽子を被った中央棟から左右対称に二棟が伸び、W字状になっている。
 そして噴水を越えて見える建物が目的の警察本部であった。

 市庁舎の前を通り向かうロイドはふと警察署と市庁舎の間の道が封鎖されているのを確認した。
 一目で工事中とわかるそれを見て、近々新しい名所が完成すると新聞に書いてあったのを思い出した。
 こんな僅かな距離でもクロスベルを離れた時間の長さを思わせる。
 少し影を落としたロイドはしかし新たな始まりのために叱咤し、警察本部へと入っていった。


 受付にいたツーテールの少女フラン・シーカーに同業だと告げ、ロイドは改めて本題を口にする。
「配属先は特務支援課なんだけど……」
「特務支援課、ですか? 聞き覚えがないですけど、ちょっと待っててくださいね」
 カタカタと横手のキーボードを叩く。おそらく検索を行っているのだろう。
 まともにキーを打ったこともないロイドはそれを感心しながら見ていたが、やがてあげられる困惑の声に嫌な予感を覚えた。
 フランはおずおずと結果を口にする。
「あの、特務支援課って部署はないんですけど……」
「そんなっ、だって俺はそこへの辞令を受けて――」
 わけがわからないと二の句を告げないロイドと対応に困るフランだが、左から聞こえためんどくさそうな声が状況を打開する。

「おお、すまんな。そいつは俺ントコだ」
「え? あ、セルゲイ警部。そっか、警部のところの新部署だったんですね」
「そういうことだ。ロイド・バニングスだな、ついて来い」
「へ? あ、はい!」
 するりと入ってきた中年の男はフランとの会話を早々に切り上げてロイドを顎で呼びつける。
 一瞬思考が停止したロイドだが、会話内容を反芻して自身の上司だと気づいて挨拶をしようとするも、それを見越したように後にしろと遮られた。

 特徴のない灰色の通路を猫背の後姿を見ながら歩くロイドは今までの流れのせいか、不安と疑問が溢れていた。
「あの……」
「ここだ」
 しかしこれも質問するタイミングで遮られ、少々煮え切らない形で先に消えていく後ろを見つめる。扉の先にあるのは当然の如く部屋だ。
 一つ深い息を吐いて、ロイドは違う世界に歩みを進めた。





 長机に収まる椅子はそれなりの量であったが、役目を果たしていたのは僅かに三席のみ。
 枯れ木も山の賑わいとは言うが、今回に限りそれは当てはまらなかった。
「これで全員だな。おい、自己紹介しろ」
 水を向けられたロイドは改めて三席の主を見やる。
 最初に目に入ったのは純白の髪の女性。優しい雰囲気ながらその目には凛々しさもあり、まるでお嬢様のようだった。
 綺麗な女性(ひと)だと、そう思った。
 次に見たのは赤毛の派手な男。オレンジのコートはそれに拍車をかけて陽気さを醸し出している。
 僅かに細められた瞳はこちらを見定めているようだった。

 そしてロイドは目を見張る。
 最後の人物は、少女。薄い青の髪と全身黒の衣装も目を惹きつけるが、何よりもその小柄さは座っているにも拘らずわかるほどだった。
 あまりにも場違いな少女に思考が渦を巻き、言われたことも忘れてしまった。
「どうした。名前と出身だけでいい」
 自己紹介をしろと言われていたことを思い出して慌ててロイドは改まった。
「ロイド・バニングス、出身はクロスベルです。警察学校を卒業したばかりで若輩者ですがよろしくお願いします」
 ふぅと息を吐いたところで次という声が聞こえ、立ち上がったのは白の女性だった。

「初めまして、エリィ・マクダエルです。出身はクロスベル、どうかよろしくお願いします」
 佇まいも優雅で、これは本当に良いところの出かもしれないと名前を反芻しながら思う。
「ランディ・オルランドだ。元は警備隊にいたんだが、まぁ今はいいだろ。よろしく頼むぜ」
「ティオ・プラトーです。よろしく」
 名前と顔を確認しながらロイドは隣の上司を見る。
「そして俺がこの課の責任者のセルゲイ・ロウだ。くく、よくもまぁ集まったもんだ」
 セルゲイは不敵に笑って締め、早速仕事だと早々に出て行く。
 残された四人は置いてきぼりにされる中、不安という感情を共有した。




 クロスベル駅の前は一本の道しかない。中央広場へと続く側と、空港や病院へと続くウルスラ間道方向だ。
 その一本道から外れるようにある階段を下っていくセルゲイを少し離れて追うロイドら四人。
 乱雑に置かれた箱の山を行き止まりとして、セルゲイはその手前にある扉の鍵を開けた。
「セルゲイ課長、ここは――」
「ジオフロント。そのA区画ですね」
 ロイドの問いを先回りするようにティオが答える。ロイドはその答えにあぁと思い出し、呟く。
「確かクロスベルの地下にある広大なスペースだったか」
 「…………」
 その多くは使われていない無駄な場所。エリィはそれを思い、やりきれない気持ちになった。

 セルゲイは言う。
「そうだ。そして今回の任務は、まぁ軽い試験だな」
「試験?」
 辞令が届いたのに試験とは、一体どういうことなのだろう。
「難しく考えなくていい。ジオフロントには魔獣もいてな、ちょうどお前たちの能力の確認にもってこいってわけだ。奥まで行って来い」
 そう言いながらセルゲイは鍵を放り投げ、ロイドは慌てて受け止める。
 と思ったら次々と別なものが放られ、反応できないロイドの代わりにランディが受け取った。

「エニグマは持っているな?」
『エニグマ』は戦術オーブメントと呼ばれる導力器だ。
 見た目は懐中時計のように平べったい球形で、内部にはスロットと呼ばれる四角い穴が七つ開いている。
 エニグマはその戦術オーブメントの第五世代である。
「そのクオーツは支給品だ。防御1・HP1・攻撃1・回避1、それぞれ付けておけ」
 ロイドはランディの受け取ったバゲットカットの物体を見る。
 それぞれ琥耀石・水耀石・紅耀石・風耀石の欠片を凝縮してできたものだ。このクオーツをエニグマのスロットに嵌めることで七耀の加護を得ることができる。

 五十年前、エプスタイン博士が導力というエネルギーを発見してから時代は急激な変化を見た。
 大地に遍く巡っている七耀脈の力を使用可能にしたこの発見で、人々は導力を欠かせない存在にしてしまった。
 七耀脈には七つのベクトルがあり、それぞれが地水火風、そして上位属性である時・空・幻と呼ばれている。
 クオーツとして使われるのは、その属性エネルギーの結晶の欠片である。

「ああ、あとこれな」
 セルゲイは思い出したように手帳を二冊よこし、エリィが受け取る。
「捜査手帳と魔獣手帳だ。こまめに記録しろよ」
「はい」
「じゃ、あとは任せた。エニグマについてわからなかったらティオに聞け」
 煙草のケースを取り出しながら去っていくセルゲイははたと止まり、置き土産を置いていった。
「リーダーはロイドな。捜査官資格持っているのお前だけだから」
「へ?」
 唖然とするロイドを振り返りもせずにセルゲイは去っていく。
 その頭上には薄い煙が立ち込めていた。完全なる歩き煙草である。

「へぇ、お前さん捜査官の資格を持ってんのか」
 背後から感心したような言葉が聞こえてロイドは我に返り、出会ったばかりの仲間を見た。
 先の言葉は赤毛の男、ランディ・オルランドである。
「あ、ああ。つい最近とったばかりだけど」
「でもその年齢で捜査官だなんて。改めてよろしくお願いしますね、ロイドさん」
 白い髪を揺らして言うエリィになんだか気恥ずかしくなってしまったロイドは、しかしそれを表に出さないように努める。
「ああ、呼び捨てでいいよ。見たところ同い年くらいだし」
「そう、じゃああなたは?」
「俺は21だが一緒で構わねぇ。なんつってもこれからは同僚だしな」
 気さくに答えるランディによろしくと言いつつ、ロイドはティオを見た。

「それで、キミは――」
「わたしは14ですが、問題ありますか?」
「そっか14か……って、14歳じゃ警察官にはなれないだろっ!?」
 驚くロイドにティオはめんどくさそうにため息を吐いた。
「……わたしは正確には警察官ではなく、エプスタインからの出向です」
 エプスタイン。
 正確にはエプスタイン財団と呼ばれるそれは、導力を発見したエプスタイン博士を創始者とするオーブメント製造の大組織である。
 本部はクロスベルではなくレマン自治州にあるので、少女もその出身だと思われた。
「あ、だからセルゲイ課長が言っていたのね」
「ええ、よろしければエニグマについて説明しますが?」
 首肯する三人を見やり、ティオは説明を始める。

 エニグマは従来の戦術オーブメントと基本的な性能に差はない。
 クオーツをスロットにセットすることでそのクオーツが引き出す加護と属性値を得られるが、属性値については同じライン上に並んでいる値の合計が記される。
 中央のスロットから繋がるラインは千差万別であり、ラインの数が少ないものが属性値で以って優位になる。そしてその属性値によって決まるのが導力魔法(アーツ)である。

 クオーツより引き出される七耀脈のエネルギーを外部に放出する導力魔法は、その属性値を満たした場合に使用することができる。
 つまりは一本のライン上にどれだけ属性値を集められるかが重要なのだ。
 またエニグマには通信機能が備わっており、クロスベルで行われている導力通信の試験試行と合わさって市内であるならば自由に会話が可能である。 隠し機能としてエニグマは常に微弱な導力波を放っているが、それが有用とされることはないだろう。

「――と、ここまでで何か問題はありますか?」
「いや、十分だ。ありがとうティオ」
「流石に詳しいわね、ティオちゃん」
「…………どうも」
「さて、お次はそれぞれの戦闘スタイルを確認しねぇか?」
 仕切りなおしのようにランディはエニグマ講座を打ち切り、背中に持っていた得物を取り出す。
「これは……」
「警備隊の奴らは皆持ってるスタンハルバードだ。導力で振動を起こして衝撃を上げられる。見た目どおりの接近戦用のもんだ」
 お前は、という視線に応えてロイドが腰のホルダーから引き抜く。
「警察で導入されている特殊警棒、東方のトンファーを参考にしている。防御・制圧に長けたものだよ」
 男二人は奇しくも同じ近接戦闘用の得物であり、ランディはロイドを見て笑った。

 次にエリィが白い導力銃を取り出すが、ロイドは目を瞬かせた。
「これは、戦闘用とは思えない装飾だけど――」
「ええ、これは競技用の導力銃よ。でも私はずっとこれを使っていたし、特別に改良してもらったから戦闘にも耐えられる。
 精度も期待してくれていいわ」
 両手で銃を掲げて笑うエリィの横で、ティオが長物を用意していた。
「わたしのは今回の派遣の目的でもある魔導杖です」
魔導杖(オーバルスタッフ)? 聞いたことないな」
「当然です。これはエプスタインで最近開発されたもので、試験運用段階ですから」
「おいおい、誤作動なんてしないだろうな」
 ランディの言葉にティオは目を細めて睨む。
「その為のわたしです」
 ランディは一瞬きょとんとしたが、やがて大笑いしながら謝った。
「それにしてもバランスが良くて助かったな。早速クオーツをセットして入ろう」
 相談の結果ロイドには防御1、エリィに回避1、ランディに攻撃1、ティオにHP1が付けられ、四人は初仕事の場に赴いた。




 ジオフロント内部は銅色の壁と大小様々なゴムホースで着飾った空間だった。通路は狭いが、それでも四人が横一列に並んでもなお余裕がある。
 魔獣と遭遇しても十分対応可能だった。
「捜査手帳と魔獣手帳は全員が具に書き記すこと。これは鉄則だ。とは言っても捜査手帳は捜査官しか持てないから、皆は代わりのものを用意することになるけど」
「ふふ、了解」
「かぁー、警察でもこんな面倒なことするのかよ」
「むしろ警察だからでは?」

 四人はそれぞれ適度な緊張感を抱いて初期の確認をする。
 警備隊・エプスタイン・一般と特務支援課に配属する前が様々なので、ロイドは警察学校で教わった基本的なことを話していた。
「お嬢、任せた」
「任されません。というかお嬢って……」
 ランディとエリィの会話を聞きながらロイドは少し後ろを歩くティオを横目で見る。
 14歳という成人に達していない少女がこの場にいることを、ロイドはあまり納得していない。もしものことがあったら真っ先に守る必要がある。
 そんなことを思って、いやと頭を振った。
 全員を守るのが当たり前だろ。しっかりしろ、ロイド・バニングス……!
 そんなロイドをティオはしっかりと観察していた。

 魔獣に最初に気づいたのはへらへらと会話を楽しんでいたランディ・オルランドだった。
「来るぞ」
 彼の見つめる先から現れたのは巨大なねずみ。通常の五倍はあろうかというもので、意味も無くジグザグに走りながら近づいてくる。
「気を引き締めていくぞっ」
 ロイドの声が空間に反響し、四人は一斉に行動を開始した。
 ロイドとランディが二手に分かれ、左右からの挟撃を狙う。
 魔獣はランディのほうに狙いを定めて飛び掛るも、空中でその身体を硬直させた。
 エリィの射撃がピンポイントで魔獣を貫いたのだ。それを確認して、ランディはハルバードを上段から振り下ろして跳ね飛ばす。
 地をバウンドして離れた魔獣は起き上がろうとして、しかし横薙ぎに振るわれた杖を見た。
 瞬間電撃を喰らったかのように全身を激しく痙攣させ、そのまま絶命する。
 琥珀色の湯気のような物体が身体から吹き上がり、残ったのは大きく身体を小さくしたねずみだった。

 ランディはハルバードを肩に背負って言う。
「ま、こんなところか。お嬢、別に援護はいらなかったぜ?」
「ふふ、私だけ何もしないのは気が引けたのよ」
 ロイドはその言葉にぎくりとして二人の視界に入らないように移動しようとしたが、ティオにはばっちり見られていた。
「ロイドさんは何もしていませんが」
「あ、あはは……」
 別に守る必要はないのかとロイドは意識を修正した。
 仲間とは協力して事を為すパートナーだ、一方的に守ることじゃない。
 当たり前のことなのにどうしてか忘れていた自分が恥ずかしかった。

 一瞬頭の中に黒い靄が浮かんだ気がした。
 しかしそんな感覚はすぐに消え去ってしまった。
「おいおいしっかりしてくれよリーダー、つってな」
 ランディの言葉にティオとエリィが微笑む。ロイドはまぁいいかと一緒になって笑ったが、今度は別のことが頭を過ぎる。
 さっきの魔獣への疾走、自分の予想以上に速度が出てしまって挟撃にならなかった。
 また魔獣の細かな所作に目がいっていた。こんなことは今までになかった。
 気のせいかな……
 歩き出した三人に追いつこうとロイドは小走りになる。胸元では白い石が踊っていた。




初出:12月29日
改定:1月6日 クオーツの形状
    3月15日 派遣→出向 心の声の括弧を撤去 ダッシュ減
    4月11日 前書きを追加

小説家になろう様、ハーメルン様にも投稿しました。




[31007] 1-2
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/03/15 21:28



 途中で地上に出る梯子を見つけた以外は目立った変化はなく、時々現れるネズミや羽虫型の魔獣を難なく撃破していた特務支援課。
 ついさっきも初見の魔獣を討ったところで各自魔獣手帳に書き込んでいる。内容については個人の性格が表れていた。

「――今何か聞こえなかった?」
 進行方向から音が聞こえた気がしてエリィが前を見る。記入を中断して全員が視線の先を眺めた。
「いや、俺は聞こえなかったけど」
「音、つーかおそらく声だな」
 聞き漏らしていたロイドだがランディは更に特定して返す。
 ティオが待機状態の魔導杖を起動させた。
「探査しましょうか?」
「できるの、ティオちゃん?」
「お待ち下さい――アクセス」

 魔導杖を一度振り下ろすとティオの足元に水色の魔法陣が現れる。
 その陣からは同色の光が立ち込めティオの周りを覆い、表情を照らした。
 数秒の間目を閉じていたティオが再び目を開けたのを契機として魔法陣は消え去り、その時には成果が得られていた。
「この先20アージュの地点に誰かがいるようです」
「ほぉー、すげぇなおい」
「ちょうどこの扉を抜けた辺りか。でも一体誰が……」
 ロイドは眼前の閉じられた扉を見る。今まで何度か通過したもので、普段開閉されていない証拠か錆び付いていてなかなか固い。
「さっきあった梯子から来たのかしら」
 おとがいに手を当ててエリィが悩む。とにかく、と会話を切ってロイドは言う。
「もしもの時に備えながら先に進もう」

 それぞれ得物を取り出し一層の注意をしながら扉を潜る。
 しかしその先は今までと変わらない一室だった。人の気配はない。
「……おかしいな」
「誰もいない、わね」
「もう一度走査します」
 先ほどと同じように走査を行うと、ティオは不思議そうな顔をしながら上を見上げた。
「この上にいるみたいですけど……」
「上?」
 この場所の上となると地上になってしまう。それでは声は聞こえないし、人がいるのも当たり前だ。
 全員がきょとんとする中、ランディが呟く。
「通気用のダクトが伸びているな、あそこじゃねぇか?」
 全員が見たそこには確かに先に進む以外の入り口がある。目的を考えればそれは広いと言えたが、流石に人が進むには狭そうだ。

 ランディはそのまま待機し、三人で入ることを決めた。そして――
「――で、いたのがこいつってわけか」
ランディが見たのはエリィと手を繋いでいる涙目の少年だった。
 アンリと名乗る少年は友人とこのジオフロントに潜り込んだらしい。侵入経路は睨んだとおり梯子からだった。
「ああ、そしてもう一人が行方不明だ」
 ロイドの言葉にアンリは嗚咽を漏らしながら言う。
「ご、ごめんなさい……気がついたら、もういなくて……」
「大丈夫よ、私たちが絶対見つけるから」
 宥めるエリィの横でティオが再び魔導杖を起動した。
「……ここから四フロア先の地点に人らしき熱源を感知しました」
「わかった、ありがとうティオ」
「さてどうする、二手に分かれるか?」
「アンリ君を送る班ともう一人を探す班ね」

 ランディの問いにロイドは思考する。
 二手に分かれた場合とこのまま固まって行動する場合のメリット・デメリットを洗い出し、最適解を導き出す。
「いや、今二手に分かれるのはまずい」
「どうしてですか?」
「守る対象が二つに、守る人員が二人になる。ここは四人とも未知の場所だし、守る対象は固まってくれていたほうが対処しやすい」
 どうだろう、という風に三人を見やるロイド。
 三人はそれぞれ考えを巡らせていたがどうやら意見はないようだ。
「アンリ、もう少し頑張れるか?」
「だ、大丈夫です。リュウを残して一人帰れませんから」
 アンリは涙を拭いて精一杯の言葉で応じ、特務支援課は護衛対象を連れたまま先を急いだ。





 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない





 エリィ・マクダエルは自身の射撃精度に自信を持っている。
 それは警察学校に入らずに警察官になれた理由の一つであるし、競技大会でもかなりの成績を残しているからだ。
 しかしそれを現配属先の三人は知らない。
 数度の戦闘で移動標的を正確に射抜きはしたものの、特別素早い魔獣はいなかったし、当たり難そうな魔獣には外してしまったりもしている。
 勿論その魔獣が当て難いことは他の三人も理解しているが、自己紹介で言ってしまった台詞を思い返して恥ずかしくなるのは自分だけである。
 挽回の機会を、と言うほど気にはしていないが、これから先を考えれば早めに結果を出したいところだった。そう思いながらも最善はこのまま銃を抜くことなく、という考えは彼女の人柄の表れだった。
 だからこそ、フロアに入ってから聞いた最初の言葉に驚きながらも、彼女は複数の標的を射ち漏らさなかった。


 扉を開けて最初に見たのはゼリー状の魔獣に囲まれている少年の姿だった。
 瞬間的に間合いを計る。
 遠い。
 次に考えを巡らせることなく口から言葉が零れ出た。
「エリィ!」
 アンリの為に後方に下がっていたエリィは反応するや否や散開する六匹の背後に波紋を広げる。
「リュウ!」
「あ、アンリ!」
 アンリの声に驚く少年リュウを視界から外さないように努め、次の指示が身体の動き出しと共に出る。
「ティオ、護衛頼むっ」
「了解です!」

 後ろからの衝撃で攻撃対象を変えた魔獣がエリィに殺到する。しかしエリィに到達するのは魔獣ではなくロイドのほうが先である。
 エニグマに紫電が走りエネルギーが消費される。
 同時にロイドを淡い光が包み瞬間加速。左足を一歩前に出し腰を捻り、本来の腰ほどまで身体を屈めた。多角的に迫る魔獣が射程内に入るのを頭で理解することなく腰の捻りを解放する。
 横薙ぎに三度、両の得物で計六度の打撃が遠心力とともに打ち出され、飛び掛っていた魔獣を叩き落す。
「ランディ!」
「おっしゃあ任せろ!」
 背後からロイドを飛び越したランディはハルバードの導力を発動する。唸りを上げて大気を震わせる斧槍を両手で抑え、落下のエネルギーを伴って魔獣たちの中心地を抉る。
 地に到達すると同時に衝撃波を撒き散らしたスタンハルバードは次いで持ち主の意志に基づき空間を横薙ぎにする。
 衝撃波で宙に浮いていた魔獣は二撃を避けきれず、その身体を両断された。

「…………」
 光る蒸気を上げて小さくなる魔獣をリュウは呆然と眺めていた。
 彼にとっては一連の動作が速すぎて見えず、ついさっきまで自分を怖がらせていた存在がいなくなったことにも実感がわかなかった。
「リュウ!」
 しかし走ってきたアンリにようやくその事実を気づかされ、少年は感心した様子で言う。
「へぇ、なかなかやるじゃん」
「何言ってるのさリュウっ、お兄さん達が来なかったらどんな目に遭ってたか……」
「……まぁ、確かにやばかったけどさ。それより、なぁ! あんたら新しい遊撃士だろ?」
 喜色満面の笑みで話しかけてくるリュウに対し、四人はため息を吐いた。

「おい坊主、それより先に言うことがあるだろがよ」
「ん? ああ、さんきゅー」
 更にため息を一つ。ティオは目を細めて睨んだ。
「反省してませんね」
「全く……それと俺たちは遊撃士じゃなくて警察官だよ」
「警察? ってクロスベルの? ほんとかよ!?」
 警察という単語に顕著に反応したリュウは不思議がる支援課をよそに堰を切ったようにしゃべりだした。
「警察って何にもしてくれないことで有名だろ!? 困ってる時に助けてくれるのは遊撃士だけだって父ちゃんも言ってたし……なんだよぉ、せっかく新しい遊撃士に助けてもらったのかと思ったのに……」
「ちょっとリュウ、皆さんに失礼でしょ!?」
 アンリは助けてもらった恩人を馬鹿にしているリュウを諭そうとしているがリュウは聞く耳を持たない。
 基本的に受身がちなアンリをリュウが引っ張るというのがこの二人の関係性なのだからそれもやむを得ないのかもしれない。

 四人はリュウの言葉を黙って聞いていたが、たまらないといったようにランディが口火を切る。
「は、容赦のねぇことで」
「……でも事実だわ。クロスベルの警察に対する不信感はとっくに頂点に達している。なまじ遊撃士が優秀なばかりに、比較対象である警察を良く思っている人は少ないでしょうね」
「……やっぱり、そうなのか……」

 クロスベルは帝国と共和国、両国の意志が如実に繁栄されている都市だ。そしてその二国間の関係上、クロスベルを単独支配せんと裏でいくつもの工作がなされている。それを取り締まるのは当然の如く警察なのである。
 しかし警察上層部が両国から袖の下をもらっているという事実は多聞に及ぶ。両国の為になるようにクロスベルの平和を守る、ということの矛盾を理解できないほど市民は馬鹿ではないのだ。
 そしてその点に関して、国政に関わらないという規則を持ち、民間人の安全を最優先に行動するという遊撃士協会はうってつけの存在である。
 故に市民の要望は警察にではなく遊撃士に廻されることが多い。
 結果、クロスベルにおける遊撃士協会は地位を確立し、その代償の激務に励んでいるのである。

 ロイドは予想していた事実を目の当たりにしたにも関わらず衝撃を受けていた。
 クロスベルの歪みについては離れていた間に知っていた。ロイドにとって警察とは誇り高く正義を追い求めるものであったから、しかしそれでもという思いが今もある。
 だから、苦しくともそれを受け入れなければならない。

「二人とも、とにかく今はここを出よう。遊撃士じゃないけど、一警察官として二人のことは守るからさ」
そしてそんな現状など今のロイドには無意味だ。今大切なのはこの二人の少年を無事に地上に帰すことなのだから。
 わざわざ膝を着き視線を合わせたロイドにリュウは目を瞬かせていたが、すぐに笑顔になった。
「じゃあ折角だから兄ちゃんたちの世話になるよ!」
「リュウっ、それじゃなんか偉そうだよぉ」
 あーだこうだと会話を続ける二人を微笑ましく思いながらロイドは立ち上がった。
「よし、それじゃ――」

「いや退がれっ!!」
 突然の叫びに咄嗟にリュウを抱えられたのは我ながら見事だった。
 しかしそう思う暇もなく、飛び退く前にいた場所を見る。
「ォォォォォォォォ……!」
 小さな唸り声はどこから出しているのか、その巨体からは想像がつかない。
 卵に似た巨大なスライムはその身体を半透明にして内臓をチラつかせ、その下部をなめくじのような鎧で覆っている。上部から伸びる二本の触手がうねうねと怖気を呼んだ。
「この魔獣は……!」
「危険度大っ、まずいです……!」
 アンリはランディが抱えていた。それにホッとするとともに二人を後方に退がらせる。状況はよくなかった。
「ち、こいつは骨が折れるぞ……」
 ハルバードを構えたランディがぼやく。エリィもティオもそれぞれ構えていたが、その頬には汗が流れていた。
 選択肢は一つしかない、ロイドは先頭に立ってトンファーを構えた。
「ロイドっ!?」
「皆、ここは俺に任せて――」

















 “――大丈夫です。私に任せてください”
 “――これは僕にしかできないことなんだ。任せてほしい”




















 ひどく、耳鳴りがする。それ以外は何も聞こえない。ただ、懐かしい声を聞いた気がして。









 急に視界が開けた気がして、自分のすべきことがわかった気がした。
「エリィ、ティオ! 退がって援護を! ランディは力を溜めてくれ! 俺が隙を作るっ!」
 自分がしようとした行為がとても恐ろしいような気がして、それ以上に尊い気持ちになって、気がつけばロイドは指示を出していた。
 自身が突っ込むという危険を冒すのは変わらなかったが、仲間を逃がそうとは思わなかった。
「っ! がってんだ、リーダー!」
「ええ、任せて!」
「了解、援護に徹します!」
 エリィもティオもランディも、どうしてか前より焦燥を感じない。頬を流れていた汗は地に落ちてそれっきり。
 不思議となんとかなるような気さえした。
「行くぞっ!」
 ロイドの鼓舞が突き刺さる。
 全身に活力が沸いてきた四人は各々の最善を行おうとして――

「え…………」

 ぞわりとした気配を覚えて全員が魔獣から目を逸らし、その頭上を見た。
「………………」
 長い黒髪に赤と茶のコート。頬の傷跡と腰に挿した剣。
 強烈な力を感じさせる存在がそこにいた。

 視線は半強制的に魔獣から逸らされた。そして魔獣ビッグドローメは咆哮とともに光に包まれる。
「導力魔法っ!?」
 エリィが気づくもその詠唱時間は短く、ビッグドローメから光が消えた瞬間、足元から暴風が吹き荒れた。
「ぐぅぅぅっ!」
「きゃああっ!?」
 風属性のアーツ『エアリアル』。中範囲を風が呑みこみ切り刻む中位導力魔法である。
 ランディ・ロイド・エリィの三人は吹き付ける風の刃に動きを封じられ、無数の切り傷を作っていく。

「皆さんっ!?」
 唯一離れていて難を逃れたティオがアーツの詠唱を開始しようエニグマを持ち、中央のスロットからラインをなぞり属性値を満たそうとする。
 しかし、
 足りない……!
 ティオのエニグマにセットされているクオーツはHP1のみ。水属性で、回復魔法である『ティア』は使えるがその効果は一人にしか与えられない。複数対象の『ブレス』は風属性、しかも属性値は高くすぐには使用できない。
「エニグマ駆動っ!」
 それでもティオには選択肢はない。『ティア』を詠唱し、発動。
 幸い威力が少ない魔法故に駆動時間は少なく、慈愛の青い光がロイドに降り注がれた。

「ぐぅっ、ティオ!」
「ロイドさん、指示を!」
 暴風が止み傷ついた三人はそれぞれ膝を着いていた。
 回避1を付けていたエリィは二人より僅かに傷が少ないが元々の体力が二人に及ばず、結果として三人は同程度の損傷具合だった。それでもティオがロイドを選んだのは、彼のリーダーとしての質に賭けたのである。
「回復アーツをエリィに! ランディ、立てるか!?」
「なんとかな……だが正直厳しいぜ……」
「エリィを後ろに運んでくれ! 俺は――」

 ランディがエリィを支えて退がり、ティオは再び詠唱を開始した。しかし同時にビッグドローメも詠唱を開始する。ロイドは舌打ちし、なんとか危機を抜け出す方法を考えた。
 しかしそれは相手にアーツを撃たせないことが要である。既に詠唱に入ったビッグドローメはそれゆえ動くことはない。しかし普通の攻撃では詠唱も解除できない。
 そして、今のロイドには詠唱を解除する術はなかった。つまりは、詠唱を終える前にこの魔獣を倒すしかないのである。
 くそっ、何か……何かないのかっ!?

「――ここまでだな」

 ふと、目の前に男が立っていた。それは魔獣の頭上にいた剣士である。
「…………あ」
 そしてその後ろでは、細切れになった魔獣が光に融けていた。
 刀を鞘に戻す姿を見て、ああ、それで斬ったのかと得心した。

「す! すっげぇぇぇえええ!!」
 呆然とする四人の背後から叫声を上げてリュウは男に駆け寄った。
「アリオスさんちょーかっこいい! いいもん見ちまったぁ!!」
「本当にすごいです!」
 アンリも一緒になって群がり興奮している。
 アリオスと呼ばれた男は二人を交互に見て、言った。
「二人とも無茶をする。あまり危険なことをするな」
「う……」
「ご、ごめんなさい」

「無事ならいい。さて、戻るぞ」
 アリオスはくるりと反転し、戻ろうとする。そのまま扉を出ようとして振り返った。
「どうした、戻らないのか?」
「え? い、いえ戻ります……!」
「………………」
 アリオスはエニグマを取り出しアーツの詠唱を始めた。
 それはほどなく終わり、支援課の四人を包み込む。清涼な風が彼らを癒していった。
「あ…………」
「傷が……」
「なら後ろの守りを頼むぞ、気を引き締めろ」
 そう言い残してアリオスは少年二人を引き連れて出て行った。
 四人は姿が見えなくなったのに気づいて慌てて走り出す。走り出せるほどに回復していた。

 エリィは呟く。
「そう、あの人がそうなの……」
「ん? お嬢、知ってるのか?」
「ええ、クロスベルで知らない人はいないと思うわ」
 エリィの言葉に頷いてロイドは彼の人の背中を見た。
「クロスベルの守護神、最強のA級遊撃士。“風の剣聖”アリオス・マクレイン」
 その背中はとても大きく見えた。





 懐かしい地上は夕陽に照らされ、地下にいた身に沁みる。
 目を細めて見た先ではアリオス・マクレインとリュウ&アンリが写真責めにあっていた。ただしカメラマンはただ一人である。
「いやー流石はアリオスさん! 颯爽と子ども二人の危機を救い出しちゃってもう!」
 黄色のスーツに適度に反った灰色の髪が似合う女性はカメラを離さず質問を続ける。
「鐘楼付近で子どもがいなくなったと聞いたからな。最悪を考えて行ったまでだったが……」
「いやいや、ちゃんと根拠があったんでしょう? 流石はクロスベルの守護神ですね!」
「過ぎた評価だな。それに今回は彼らのおかげでもある」
 そう言ってアリオスは振り返り特務支援課を見た。すかさず女性が駆け寄りシャッターを乱射する。

「あ、あの……」
「うーん。警察の新部署特務支援課の初任務はクロスベルの英雄に手柄を取られる苦い経験となった、ってところかしらー」
「な……!」
 いきなりの発言に驚き何か言おうとするが、それは別の発言に遮られた。
「――いや、彼らはよくやっていた。安易な自己犠牲に頼らず窮地にも決して諦めなかった」
 またしても驚く四人は場の発言権をもらえない。顎に指を添えて女性は唸る。
「ふむ、でもアリオスさんにその窮地を救ってもらったんですよね? なら変えなくていっか」
「もう十分だろう。ギルドに戻る」
「あ、後で協会にも伺いますからー」

 少年たちを連れて去っていくアリオスの背を眺めていた支援課と女性だが、女性が急ぐ旨の呟きを漏らしたことで硬直が解けた。
「まぁこれの記事はおねーさんの激励だと思ってよ。個人的には期待してるんだからさ」
「はぁ……」
「それじゃあね。もっと精進しなさい。次回のクロスベルタイムズをよろしく」
 鼻歌を歌いながら女性は去っていく。地上から出た四人を待っていたのはさながら台風のようだった。
「……戻ろう」
「ええ」
「少々疲れました……」
「つかどこに行きゃいいんだ?」








「まぁ多少のトラブルはあったがこんなもんだろう」
 警察本部に場所がない特務支援課は中央広場にある元クロスベル通信社雑居ビルが分室となっていた。
 そこには既に四人の荷物が運ばれており、それは居室と同化していることの証拠であった。四人はおっかなびっくりビルに入ったところをセルゲイに捕まり、セルゲイの執務室に集まっているところである。

「キツネのお小言に加えて内部の評価も聞いてきたんだろう? まぁあれが警察本部の反応って訳だ」
 一度警察本部に戻っていた四人はそこで副局長に理不尽な怒りをぶちまけられていた。
 遊撃士に手柄を取られることに過敏に反応しているところにクロスベルの現況が窺える。
「……特務支援課は、結局何をする課なんですか?」
「簡単に言っちまえば市民の要望に応えて様々な問題を解決することだな」
「それって遊撃士と同じじゃねぇか」
「そうですか……」
 ランディはため息とともに感想を言い、エリィは半ば予想していたのか静かに受け止めた。

 遊撃士の評価がクロスベルで高いのは、高圧的なくせに仕事をしてくれない警察の代わりに問題を解決してくれるからだ。
 そして特務支援課の任務は市民の要望に応えること。正に遊撃士そのものである。
 そして警察内では手柄を奪う遊撃士を良く思ってなく、その真似事をする特務支援課は恥に値する部署なのである。
「副局長が辞退しろというのも頷けますね……」
「なんだ、もう決めたのか? 当然だが辞退するのも構わんぞ」
「いえ、警察の内情を理解したということです」
「そうか。まぁ生半可な気持ちでできる部署ではないってこととお先真っ暗な部署だということは理解しておけ。その上で身の振り方を考えるんだな」
 一晩時間をやると言い残してセルゲイは部屋を出る。残された四人はそれぞれの思いを巡らせて、その後会話することはなかった。




 初出:12月30日
 改訂:3月15日 心の声の括弧撤去 ダッシュ減




[31007] 1-3
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/02 16:58



 夜の帳は落ちて、星と電飾が対を為す海を作る。
 人の気配は少なくなり、しかし真昼とは別の活気が確かにあった。

 宛がわれた部屋の簡易ベッドに寝転がり、ロイド・バニングスは天井を眺めていた。外界の頭上とは比べるべくもない質素なものだったが考え事をするには相応しい。余計な情報を入れないほうが思考の整理は容易かった。
 遊撃士の真似事をするくらいなら始めから遊撃士を志すほうが建設的である。捜査官資格まで取ったロイドには当然その気はなく、辞退することが妥当な選択であることはすぐに理解できた。
 それでも迷っているのはどうしてなのか。まずそこからロイドは考えた。
 警察官として、捜査官として自分なりの正義を追い求めることを目的としてきた。

 ―――いや、兄であるガイ・バニングス捜査官を殺害した犯人を見つけることを目的としてきた。

 そう、それがロイド・バニングスの全てだ。
 ならば市民の要望に応えるという遊撃士紛いのこの部署に用はない。用はないはずだ。
 しかし、ロイドはクロスベルに来てからの自分に自信が持てなかった。それはある二点からそうなった。

 一つは……そう。走力の変化だ。
 最初の魔獣との交戦、あの時自身の身体能力に違和感があった。増している速度が不思議だった。
 そして二つ目は、あの巨大な魔獣が出てきた時。
 あの時ロイドは確かに判断したのだ、自分だけ戦って他を逃がすしかない、と。しかし現実ではロイドは仲間に指示を出し全員で戦おうとした。それは何故なのか。

 今までがむしゃらにやってきて、友人こそいたものの仲間と呼べる人はいなかった。
 この変化が今日会ったばかりの仲間によるものだと言うのなら、それはこのまま特務支援課としてやっていくことへのメリットになるのかもしれない。これがきっと、迷っている理由だ。
「…………違う、よな」
 そんな小難しいものではないのだ。
 単純に、ロイド・バニングスはあの三人を気に入って、直感的にこの仲間とやっていくんだと理解してしまった。ただそれだけなのである。

「考えすぎるのも考え物だよな」
 起き上がり、写真を眺める。
 兄であるガイと、その婚約者のセシル・ノイエス、そして昔の自分。
「―――三人はどうするんだろう」
 この迷いに決着を着けるためにロイドは部屋を出た。




 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない





 予感はしていた。だからこそロイドは三人の元に向かったのだろう。
「ようこそ、俺様の城へ」
 隣室に当たるランディの部屋を訪ねたロイドは、既にかつてとかけ離れた部屋を見て得心した。
 オレンジのソファーやグラビアポスターなどは彼の印象に合っている。
「もう決めたんだな、ランディは……」
「まぁな、面倒なデスクワークも少なそうだし上司もアレだし気楽そうだからな」

「はは……そういえば警備隊にいたって言ってたけど、どうして警察に?」
「お、覚えてたのか流石は捜査官。しかし――――――聞きたい?」
 もったいぶるランディに、これで聞かないとは言えないよなと内心苦笑しつつ促す。神妙な顔をしたランディはそして、
「女絡みで首にされた」
「…………ありがとう、それじゃ」
 ロイドは踵を返した。
「ちょっと待てって。お前さんの本題がまだだろうがっ」
 慌てているのか苦笑しているのかわからなかったが、確かに用は済んでいなかったので立ち止まる。
「折角の捜査官資格を無駄にしそうだもんなぁ」
「―――それもあるけど、目標と離れていきそうな気がして、ね」
「ふむ……」
 ランディは真顔で言葉を咀嚼し、しかしソファーにもたれかかった。

「ま、一晩じっくり考えてみろや。目標を知らない俺がどうこう言っても仕方ねぇし、お前も納得しないだろ? この続きは正式にお仲間になってからにしようや」
 そう言ってランディは目を瞑る。もう話す気はないようだ。
 ロイドは礼を言って部屋を退去した。
 扉が閉まる音を聞いて、ロイドは立ち止まる。
 話を振ったのは自分だが、その答えで場の空気を変えたランディの気遣いは少しだけロイドの心のうちを軽くした気がする。
 さて、と次に訪ねるべき人を決めて階段へと向かったロイドは、降りてくる少女と遭遇した。
「こんばんは、ティオ」
「……こんばんは、ロイドさん」


 一階に降り、執務室の横でてきぱきと機材を組み上げていくティオを眺めるロイドには疑問のマークが浮いていた。
 それはティオの行動に対するものではなく、彼女が組み上げているものがさっぱりわからなかったからである。ティオはため息を吐いて振り返った。
「―――ロイドさんは『導力ネットワーク計画』についてどこまでご存知ですか?」
「えっ、雑誌で見た限りのことだな……」
 その内容もあまり覚えていないとは言えなかった。
「……まぁそれはおいおい話しますが、これはそれにより使用できる汎用端末です。これにより遠方からでも情報伝達が可能になります。専ら警察本部からになると思いますが」

 ティオは早口で言い放ち、また作業に戻る。
 専門的な用語があまり混ざらなかったのは気遣いなのか偶然なのか、どちらにしろ内容を理解したロイドは確認する。
「つまり、ここから指令が届いたりするのか?」
 頷くティオにホッとして、ようやく聞きたかったことを聞くことができた。
「ティオはどうしてここに出向してきたんだ?」
 ピタと手が止まり、沈黙する。ロイドはその反応に嫌な予想をした。
「まさか無理やり出向させられたのか? もしそうならちゃんと嫌って言わないとダメだぞ! 俺も協力するから―――」
「違います」
「へ?」
「ふぅ……この出向はわたし自身の意志です。わがままと言ってもいいくらいです」
 あからさまにため息を吐くティオには非難の感情が見て取れる。ロイドはしゅんとなった。
「ごめん、早合点だったな」
「やれやれです、捜査官ならしっかりしてください。だから自分の気持ちもわからないんじゃないですか?」
「っ!? ……そうだな、そのとおりだ」
 自分の意志すら固まっていないというのは自分の足で立っていないということに他ならない。
 おんぶに抱っこの状態で他人に介入しようというのは無理があるというものだ。
 ティオの言葉にロイドは顔を伏せ、その場を後にする。自室に戻ろうとするロイドにティオは言った。
「わたしにはここにいる理由があります。ロイドさんはどうなのですか」


「今、紅茶を入れるわね」
 現金なもので、ティオに投げかけられた言葉が最後の一人に会う活力を与えてくれた。
 ロイドは三階に上がってすぐのエリィの部屋で紅茶を待っていた。
 本当ならこんな時間に会ったばかりの女性の部屋に押しかけあまつさえ紅茶をもらうなんてことは流石にしないロイドだが、何故か今はその厚意に甘えてしまっている。彼の思考が螺旋を描きすぎているのかもしれない。
「おまたせ」
 ティーカップをロイドの前に置き、エリィはその向かいに座った。
 立ち込めた湯気を何気なく眺めていると心地良い香りが漂ってきてなんだかホッとする。
「落ち着いた? っていうのもなんだか変ね」
 クスクスと笑うエリィに視線を注ぎ、ハッとしてロイドは礼を言った。
「……もうエリィも決めてるんだな」
「まぁね」
「なんでだ?」
 具体的な質問ではなかった。それでもエリィは考え込み、適温にまで冷めた紅茶を口にする。

「私には目的がある。その目的を達成する場所としてはこの部署は最適かなって思ったの」
 どうぞ、と勧められロイドは紅茶を含む。温かさと仄かな甘味が喉を突き抜けていった。
「貴方は新人でありながら困難な捜査官資格まで取った。それだけの目的があったはずよ。それがここで追い求められるか、それが大事だってことはもうわかっているのよね」
 ロイドはカップをテーブルに置き、頷いた。不安を消したいように両手の指を絡ませる。
「わかっているんだ、全部。もしかしたら既に心は決まっているのに、それを認められないのかもしれない」
 情けないな、と自嘲する。こんなに悩む性格だったのだろうか。
 比較対象である兄はどこまでも真っ直ぐだったから余計にそう思うのかもしれない。
 それとも、のっけから調子を狂わされて怖気づいているだけなのか。

「……貴方の事情を、私はまだ聞く立場にないから私の意見を言わせて貰うけど。私は、貴方にいてほしいと思っているわ」
「え……」
 ロイドはエリィの瞳を見る。とても綺麗で普段なら顔を背けたくなるような、真っ直ぐな瞳。
「急だったけどリーダーとして皆を纏めて引っ張ってくれたし、それにリュウ君を見つけたときにすぐに私を頼ってくれたでしょう? 貴方の力なら飛び込んでも良かったはずなのに、会って間もない、自分の力ではない私を頼ってくれた。それが嬉しかったの」
「…………」
「だから私は貴方と一緒にやっていけたらって思う。信頼してくれる人だから」
「……………………そっか」
 ロイドは心にストンと言葉が落ちてきたのがわかった。
 今一番欲しかったのはその言葉。ただ一緒にやっていきたいと言ってほしかっただけなのだ。
 目標から遠ざかるかもしれないけれど、自分が思ったことと同じ気持ちを持っている仲間がいるだけでよかったのだ。
「簡単だなぁ、俺は」
「ふふ、そうかもね。でも貴方らしいわ」
「そうかな」
「そうよ」
 二人で笑って、紅茶を飲んだ。





 翌朝、再び執務室に集合した四人はセルゲイから意志を問われていた。
「俺は問題ないッス。てか俺を警察に呼んだのはアンタでしょうが」
「愚問ですね。それが約束ですから」
「私もここで厄介になります。よろしくお願いします、セルゲイ課長」
 ランディ、ティオ、エリィはそれぞれ所属の意を示し、そして矛先はロイドに向いた。
「さて、最後はお前だロイド・バニングス。新人にして捜査官試験を合格したお前はどの課にいってもそこそこに活躍できるだろう。翻って特務支援課は警察の人気取り、半年後にはなくなって経歴に傷をつけるかもしれん。考えるまでもないことだと思うが?」
 ロイドは昨夜の会話を思い出し、その問いに対する答えを出した。

「そうですね。でも俺は特務支援課に配属しようと思います」
「へぇ……」
「ロイド……」
「…………」
 三者三様の反応を見せ、セルゲイはつまらなそうにぼやく。
「なんだなんだ、もっと若者っぽく悩む姿を期待してたんだが」
「悩みましたよ。それはもう期待に副えるくらい」
「だな」
「……ですね」
「ふふ」
「なんだ、そうなのか?」
 セルゲイはその様子に昨夜何があったのかを察し、内心で鼻を鳴らした。
「まぁいい。それじゃあ今日一日は休暇だ。明日から馬車馬の如く働いてもらうから覚悟しておけ」
 セルゲイの脅しにも似た言葉に四人は笑顔で頷いた。期待する反応がなかなか見られずセルゲイは少し不満だった。
 しかし彼にとっても待ち望んだ部署の始動である。笑い出したいのを堪えて思い出したように言った。

「おっとこれはやっとかなきゃなぁ。―――ロイド・バニングス」
「はい!」
「エリィ・マクダエル」
「はい」
「ランディ・オルランド」
「うッス!」
「ティオ・プラトー」
「……はい」
「本日09:00を以ってこの四名は特務支援課に配属となる。以上だ」
 クロスベル警察特務支援課の初期メンバーが決まった瞬間だった。




 執務室を辞した四人は今日の休暇をどう過ごすかという話題になった。
「……わたしは明日に備えて午後に端末の整備をします。午前中はその準備ですね」
「そう、なんだかティオちゃんだけ仕事しているみたいで悪いわね」
「大丈夫です。好きでやっていることですから」
 エリィとティオが話す中、ランディはロイドの肩に手を回して小声で話した。
「……なぁ、実は結構綺麗なねーちゃんがいる店を見つけてな。一緒に行かねぇか?」
「いきなりだな、ランディ」
「応よっ、何せ警備隊にいるときはなかなか行けなかったからな、精々満喫させてもらうさ。で、どうだ?」
 ロイドは苦笑し、丁重に断った。
「警察に入って早々にそういう店には行かないほうが良いんじゃないのか?」
「む、一理あるな。仕方ねぇ、カジノにでも行ってくるか。で、お前はどうするんだ?」
 ランディの問いにロイドはああ、と応え、
「……ちょっと教会に行ってくるよ」
「―――そうかい、そいじゃまたな」
 ランディはあっさりとロイドを解放し、二階へと消えていく。ロイドはエリィとティオに先に戻ると言い残してその後を追った。




 西通りの店で鮮やかな青の花を買った。クロスベルは青が似合う気がするし、ロイド自身も好きな色だ。
 落ち着いた静かな青というよりはっきりと主張する青を選んだのは、その方が喜ぶと思ったからだった。

 西通りから住宅地へ、そしてマインツ山道に抜ける。
 そのまま北上すれば見事な滝と七耀石の発掘で有名な鉱山町マインツがあるが、ロイドの目的地は市街を出てすぐにある七耀教会である。
 教会ではミサは勿論、15歳までの子どもが通う日曜学校が行われている。ロイドも日曜学校で馴染みのある教会であり、その時にとあるシスターには世話になったものである。
 坂を上って見えた大聖堂は圧巻だ。左手に見える建物は寄宿舎らしく、シスターや司祭が居を構えている。そのまま大聖堂に入ってみてもいいが、ロイドの用事はその大聖堂の向こうにある。

 古びた石造りの門を越え、敷地内に入る。左には小さな小屋、正面奥には石碑がある。
 そしてそれ以外は無数の墓碑で埋められていた。

 緑の絨毯の中を歩き一つの墓にたどり着く。
 ロイドは感慨深くそれを見つめ、買っておいた青い花を供えた。ガイ・バニングス、そう書かれてある。

 ロイドは以前来た時のことを思い出した。
 誰もが黒い喪服を着て別れを惜しんでいる。その人たちの前にいてソレを見下ろす自分。その横には憔悴しきった憧れの人。
 その人は愛する人にもう会えないという辛さを堪え、自分を心配してくれた。
 突然の肉親の死去もそうだが、その顔こそが何よりも堪えたのかもしれない。
 結果自分は三年の月日を共和国で過ごし、そして三年越しに兄の墓参りを行っている。

 頼ってくれと言ったその人に意地を張っていた自分が間違っていたんだと今ならわかる。しかしそれを今更覆すことはできない。
 時間は元に戻らない、過ぎたことはやり直せない。
 だから未来の今の自分は、それを精一杯償おうと思う。

 兄、ガイ・バニングスはもういない。その兄を葬った事件は謎に包まれたままだ。
 そして、ロイド・バニングスは捜査官としてクロスベルに戻ってきた。
 未熟で、まだまだ兄に及ばないことを自覚している。それでもきっと事件の真相を暴き、真実を見つけてみせる。
 それはロイドがやらなければならないことだ。兄の墓を見て、決意を固くした。
 特務支援課は未知数の部署だが、それでもロイドが全力で以って臨むことは変わらない。真摯に事に向き合えばそれは真実への一歩になる。ロイドはそう信じている。

 太陽は柔らかな光を注ぎ、微風が頬を撫でた。
 青い花が嬉しそうに揺れていた。






 初出:1月2日


 過去、クオーツを直方体と書きましたが、よく見ると十二角の物体でした。適切な表現がわかる方は教えてください。よろしくお願いします。




[31007] 1-4
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:d3435743
Date: 2012/01/04 22:14



 それぞれが思い思いの場所で休暇を過ごし、そして翌日。特務支援課として正式に仕事を行うことになった。
 セルゲイを含めた支援課の四人は一階のテーブルに集合し、セルゲイから仕事内容について聞いていた。
 相変わらずよれよれのシャツを着ているセルゲイは今までと同じくやる気がなさそうに説明している。しかしそれは要点をまとめた簡潔にしてわかりやすいものだった。
 ロイドから捜査手帳の重要性を語られていたのでその説明は省き、そして視線は前日ティオによって組み上げられた汎用端末に移る。
「この端末に支援要請が来る。内容はまぁ想像通りの市民の要望だったり他の課からの援護要請だったり様々だ。ちなみに前者のほうはほっとくと遊撃士に取られるからな」
「遊撃士の評判を少しでももらうためには早くやらなければならない、というわけですね」
 セルゲイは頷き、端末の前から退いた。
 ロイドは初めての端末操作に不安丸出しで臨み、存外に簡単だったことに安堵した。

「支援要請は一つ。これは……」
 依頼者はクロスベル警察受付のレベッカ。内容は『任務に関する諸手続きに関する講習』である。
 セルゲイは煙草を取り出した。
「とりあえずこれからお前らが守る街を自分自身の目で確認してこい。見回ったら警察本部に行け。出てすぐの武器屋とオーバルストアには顔を出せよ。俺は普段ここにいるが昼寝や読書で忙しい。邪魔するなよ」
 一挙に言い放ってセルゲイは煙草をふかしながら執務室に消えていく。四人は放任主義の上司が部屋に消えるまで唖然としていた。
「と、とにかく今日から特務支援課始動だ。気合を入れていこう」
 ロイドはそう言うが、なんとも微妙な雰囲気が流れていた。だからこそエリィもロイドに乗る。
「とりあえず正面玄関から出て課長が言った二軒を訪ねましょう」
「うっしゃ、行くとするかっ」
「…………」
 なんとも微妙な船出だった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 分室ビルを出るとすぐに階段があり、一つ昇りきると少し開けた場所に出る。更に階段を上ると中央広場へと出るが、その前にその開けた場所にある武器屋に入る。
 剣を交差させたマークはわかりやすい。中は薄暗く、金網で遮られた様々な武器が展示されていた。
「いらっしゃい……ん?」
 店主であるジロンドはやってきた客を反射的に歓迎し、その姿を見てムッとした。
「悪いが商品は許可証がないやつには売れねぇんだ。さっさと帰りな」
「あの、俺たち警察の特務支援課の者なんですが……」
「ん? ああ、お前らがセルゲイの言っていた……いいぜ、それじゃあ遠慮なく見な!」
 どうやらセルゲイが予め言っておいてくれたようでジロンドは快く言ってくれた。曰く警察章が許可証となるらしい。
 四人は物珍しげに商品を眺めた。警備隊が使用しているハルバードや剣、導力銃も種類がある。警察と提携しているのか、特殊警棒もあった。
 つまりはティオを除く三人の武器は揃っているのである。

「そういやぁ最近妙なモンを仕入れてな」
「妙なもの、ですか?」
 ロイドの言葉にちょっと待ってろと言い足元をごそごそ探るジロンド。やがて目的のものが見つかったのか、ソレをカウンターの上に載せた。
「白衣の男から仕入れた魔導杖っつうヤツだが、俺は見たことなかったんでな」
 ティオは三人の視線を受けて、なんとも複雑な顔をした。
「……皆さんがおっしゃりたいことはわかりますが、怪しい人じゃないと思います。その白衣の人は多分わたしの上司です」
「上司?」
「……ええ。どうして直接渡さないのかはわかりませんけど」
 ぶつぶつと何かぼやいているティオに苦笑しつつ、とにかくも武器屋に挨拶を行ったことで武具の調達は容易となった。セルゲイから初期の捜査費用を受け取っているがそう急ぐものではないので今回は新武具は見送りとなった。

 四人はもう一つの階段を上りきり中央広場へと移る。百貨店、オーバルストア、レストランと店も豊富であり、また東・西通り、行政区、駅前通り、裏通り等の区画への道もあるこの区画は正しく中央なのである。
 四人はまずオーバルストアへと足を運んだ。東通りに通ずる道に面し、すぐ近くでは風船の屋台がある。
 自動ドアを潜り店内に入った四人はクロスベルの近代化を象徴する内装に目を丸くした。ガラスケースに収められた各オーバルパーツに高級品である導力車まで展示してある。
「警察と提携していますので、受付でエニグマのことも取り扱ってくれるそうです」
 ティオの言葉に感心しながらその受付へと進むと、そこには水色の帽子を被った女性技術士がいた。

「らっしゃい、ゲンテン工房……じゃなかった、オーバルストア『ゲンテン』へ! ってロイドっ!?」
「へ? ああ、ウェンディ!」
 驚く二人は互いを指差し固まっている。
「なんだなんだ、ロイドの知り合いか?」
「あ、ああ。幼馴染なんだ……ウェンディ、どうしてここに?」
「どうしてって、そりゃ私はここの技術士だもの。っというかロイド帰ってきたなら報告に来なさいよ」
「いや、ここにいるなんて知らなかったし」
 ウェンディははぁ、と深く息を吐く。とにもかくにも今は客と従業員なのだ。

「まぁいいや。ここではオーブメントの修理・改造、クオーツの生成なんかを受け持ってるわ。セピスは持ってる?」
 セピスとは七耀石の欠片であり、大抵は魔獣を倒すと手に入る。
 七耀脈の力で変異した魔獣という存在は、結果として七耀脈を好み体内にセピスを溜め込んでいることが多いからだ。そしてそのセピスを凝縮することでクオーツが作られるのである。
「セピスの量が足りてればすぐに作るから欲しい時は言ってね。あとはエニグマのスロットだけど、全部開いてる、わけないか」
 ウェンディの言葉を受けて四人はそれぞれエニグマを確認する。すると言葉通り、いくつかのスロットは封鎖されていた。

「本当だ。でもどうして―――」
「あなた達はあまり意識せずに戦術オーブメントを使っているかもしれないけど、それってすごく怖いものなのよ。クオーツをセットするだけで身体能力が上がるっていうのは準備運動なしで限界以上の運動をするのと同じ。すると先に身体がまいっちゃうから少しずつ慣らさないといけない。スロットを封鎖しているのは、クオーツの量をむやみに増やして自爆しないため」
 人差し指を立てて話すウェンディに、それを黙って聞いている四人という姿は傍から見ると日曜学校の先生と生徒のようである。
 話す内容がそれとは比較にならないほどに物騒ではあるが。

「スロットはそうね、クオーツの恩恵を受けた回数が規定以上なら開けてあげるわ。だから開けてほしい時はセピスを見せること。あなた達にとってはセピスの量=戦闘数だからね」
 ウインクして笑うウェンディに全員は呆け、ランディは一歩前に出た。
「さすが博識だねぇ、今度俺とデートでもどう?」
「仕事中に何言ってるのよ」
 ランディの誘いを笑って誤魔化したウェンディは続けて説明する。
「あと決められた属性のクオーツしか嵌められないスロットがあるけど、これは個人差だから気にしないで。戦術オーブメントは全部オーダーメイドだから個人の資質に大きく左右される。言ってみればどの属性に特化しているかってことね。それはラインについても同じかな」

 特務支援課はそれぞれロイドには空属性、ランディには火属性、エリィには風属性、ティオには水属性限定のスロットが一つずつある。
 それは個人の特性、その属性との親和性が高いということなのである。またラインについてはティオが一つであり、すなわちアーツに長けているということである。
 ちなみにランディはラインが三本あり一番アーツによろしくないが、当人はさほど気にしていないようだった。
「こんなところかな。もうアーツは使った?」
 こくりと人形のように頷くティオにウェンディはなら言う必要はないわねと笑った。
「ロイド、今度オスカーと三人で食事でもしましょ」
 一通りの説明を受け特務支援課はオーバルストアを後にする。ウェンディは彼らの姿が消えるまで笑顔で手を振っていた。
「いい人ね」
「ああ」
 ロイドは心なしか誇らしそうだった。




 中央広場のその他の店を回りエリィの予想外のお嬢様っぷりとレストランの質の良さを確認して、一行は西通りへと赴いた。
 ベッドタウンとしての性質を持つこの区域はロイドの出身地であり、故に彼の知己がいる。確認を取り挨拶に向かった。
 もう一人の幼馴染であるオスカーはパン屋『モルジュ』の見習いとして働いており、彼には料理手帳なる便利なものをもらった。そしてマンション『ベルハイム』ではロイドが家族同然の付き合いをしていたノイエス家が暮らしており、帰郷の報告をした。

 この区域から外に出ると西クロスベル街道に進み、そちらには警察学校やランディの古巣であり帝国との境界を警備するベルガード門がある。今日はそこまで足を伸ばす予定はなかったのでそのまま北に進み、高級住宅街にへと進んだ。
 その道中、エリィの様子が少しおかしかったことには三人は気づかなかった。

 住宅街は所謂お金持ちが多く住む場所であるが、教会へと続く道があるので人通りは多い。ロイドも日曜学校のたびに通っていたので居住者こそ知らないものの不慣れな場所ではなかった。
 とは言え住宅街である以上一般家庭しかなく、警察として特別に訪ねる場所はなかった。エリィの足が普段より速かったということもあって足早に過ぎ去った。

 クロスベル北西に位置する住宅街から東に向かうと今度は歓楽街である。これは中央広場と裏通りを通して繋がっている位置だ。旅行者などが多く訪ねる区域で、カジノやホテル、有名な劇場が存在している。
 今は研修の位置づけなのでカジノには入らない。ランディは残念そうだった。
 ホテルを回り、そして劇場に足を向けた。劇団『アルカンシェル』はクロスベルの顔ともいうべき有名な劇団である。太陽の姫ことイリア・プラティエを筆頭に、素晴らしい舞台装置とシナリオ、役者の質が交じり合ってこの世のものとは思えないステージを奏でる。
 ランディはそのファンであるし、ロイドやエリィもよく知っている。しかしティオだけは知らず、ランディにからかわれてムッとしていた。

「ここがアルカンシェルか……」
 ロビーに進むと受付以外に人はいない。
「今は、休館日なのかしら」
 すると受付にいた年老いた男性がやってきて、現在は入場不可の旨を告げた。
「す、すみません……あれ?」
 ロイドは謝り出て行こうとするが、ちょうど正面二階から二人の人物が出てきたのに気づいた。
 一人は金髪の鮮やかな女性、もう一人は紫髪の少女である。
「あれはイリア・プラティエじゃねえか!」
 ランディが興奮した様子で言い放ち他の三人も視線が釘付けになったが、先の言葉を思い出していそいそと出口に向かった。
「ふう、普通に入れるのかと思ったよ」
 外に出るなりぼやくロイドだが、他の三人はイリアの話で夢中だった。

「あ、すみませんっ」
 三人の会話を聞いていると突然扉が開き、先ほどの少女が出てきた。
 危うくぶつかりそうになったロイドは端により、お辞儀をした少女はロイドの横を通り過ぎていく。
「え…………?」
「え?」
 ロイドは少女の横顔を間近で見て思わず声を上げ、それに驚いて少女も声を上げた。二人は向かい合い、沈黙する。
「あの、何か……?」
「あ、い、いえ、何でも……」
「そう、ですか? それでは」
 もう一度ぺこりと頭を下げ、少女は東へと消えていく、ロイドはそれをずっと眺めていた。
「…………」
「ん? なんだロイド、ああゆう子がタイプなのか?」
 いきなり聞こえたランディの声に振り向くとランディはニヤニヤ、エリィとティオはジト目で見つめてくる。
 からかっている雰囲気は理解できたが、しかしロイドは顔を少し伏せて言った。
「いや、そんなんじゃないんだ。ないんだけど……」
 デジャビュというやつだろうか、彼女のことを見たことがあるような気がした。それが頭から離れなくて軽く答えることができない。
 ロイドの様子に三人は顔を見合わせ、次の場所に行こうと先を歩き出した。




 歓楽街から東に進んだ先にあるのが行政区である。警察本部には既に何度か行っているので今回は市庁舎と図書館に入ってみる。その途中また紫髪の少女とすれ違い、ロイドは目を奪われていた。
 更に東へと進むと港湾区である。ここには中央に広い公園があり、クロスベルタイムズもここに転居している、所謂ビジネス街である。
 その東端はルピナス川に面しており定期的に船が出港しているため、クロスベルのもう一つの名所ミシュラムに行く為の正規ルートとなっている。
 四人は公園に沿って歩き、左手に上り坂が見えるところで立ち止まった。
「この先がIBCよ」
「クロスベル国際銀行か……」
「……でけぇな」
 クロスベル国際銀行は大陸の経済になくてはならない存在である。既に総資産は大陸の頂点に立っているそれはクロスベル一目立つ巨大な高層ビルでその栄華を誇っていた。
「ま、俺たちにはかかわりのないところか……」
「……ランディさん、わたしたちのお給料はIBCの口座振込みですよ?」
「何ぃ!?」
「今日はお休みだから中には入れないけど、これからもお世話になるところよ」
 エリィがクスクス笑い、ランディが呆気にとられてビルを見上げていたところで次の区画へと向かった。

 東通りは中央広場と直通であるので目指すのに遠回りは必要ない。東方風の情緒溢れるこの区画は露天商が数多くおり、景気に貢献している。
 しかし何よりこの区域には、クロスベルで最も頼られている遊撃士協会があった。
 ギルドの前で四人は思う。遊撃士の真似事といわれる自分たちを彼らがどう思っているのか。正直不安のほうが多いが、それでも警察として挨拶しないわけにはいかなかった。

「いらっしゃい、あら?」
 入るなり目に入ったのはガタイのいい小麦色の肌の男。茶色のドレットヘアにピンクのシャツという不思議ないでたちと言葉遣いが一つの可能性を抱かせる。
「あなたたち…………そう、あなたたちが特務支援課ね」
 何故か女言葉でしゃべる受付の男はしかし制服も着ていない四人の正体をすぐに見抜いた。やはりギルドの受付である。
「どうして……」
「ギルドの情報網を侮っちゃ困るわ。アリオスからも聞いていたしね」
「あのおっさんか」
「ええ。あたしはミシェル、遊撃士協会クロスベル支部の受付よ」
 よろしくね、と語尾にハートマークでもついてそうな挨拶を受け、戸惑いながらも四人は挨拶を返す。

 入る前に抱いていた警戒が微塵も感じられない疑問を、ロイドは思い切って聞いてみた。
「しかし意外です。もっと邪険に扱われるかと思ってましたが」
「警察本部のように? 私たちは歓迎してるのよ、これで忙しさが僅かでも和らいでくれればってね」
 しっかりと内部情報を握って、更に言ってくるあたりに思惑を感じないでもないが、とにかくもその言葉に緊張が解けた四人は、しかし―――
「―――使い物になるのならね」
 現実の厳しさ、自分たちの未熟さを痛感させられる。
「……っ」
「クロスベルの遊撃士はね、全員がエース―――つまりはB級以上の実力者なの。そこにあなた達のようなひよっこが加入しても余計な案件が増えるだけ」

 遊撃士にはランクが存在する。正遊撃士はG級からA級までの七段階で評価されており、A級に至っては大陸に20人程度しかいない。
 そのA級遊撃士が少なくとも一人、そして他の面々もB級以上となると、もしかしたら本部であるレマン自治州の次点で戦力が充実している支部であるかもしれないのだ。
「あなたたちには早くひよっこを卒業してもらいたいものね」
 故にミシェルの発言は事実であり、四人は受け入れるしかない。きつい物言いでもそれが事実である以上、それを認め精進するしか道はない。歓迎しているという言葉に嘘はないのだから。
「…………精進します」
 一言を搾り出すのにも苦労する。それでもそう返せただけミシェルにとっては上出来だった。
「いじめるのはこれくらいにして、あなた達が一日も早くクロスベルの平和に貢献できるようになることを期待しているわ」
 ミシェルは一転して笑顔でそう言い、四人はその激励を心に焼き付けた。




 東通りから行ける場所は三つ。一つは中央広場、一つは東クロスベル街道。そしてもう一つが市の開発計画に置いてきぼりにされた区画、旧市街である。
「俺も来たことはなかったんだよな」
 “旧”ということもあって人々もそれなりに住んでいるが、発展を続けているクロスベルのその他の区画と比べるとその異様さは際立っている。建築物は老朽化に必死で耐えているが所々に無理が見え、環境の劣化に伴って住む人々にも影響を及ぼしていた。
 とりあえず一通り回ってみると、倉庫前にたむろしているガラの悪い若者や、地下に向かう階段を遮っているなんだか宗教的な服装をしている者が目立った。

 そしてそんな中である一軒に入ってみると、ねじり鉢巻をした初老の男性が奥で作業をしていた。近づくと男性は四人に気づき、申し訳なさそうに言う。
「すいやせんね、今材料を切らしちまってて……」
「ここは、お店ですか?」
「……店舗の許可申請はなされてないようですが」
 ティオが検索をかけるとここは店として認可されていないようだったが、男性は豪快に笑った。
「確かに俺は修理やらなんやらを請け負ってるが、ここは個人的な工房みてぇなもんだからな」
「それでも申請はした方がいいと思います」
「だな」
 男性は笑いながら了の意を示し、自身の腕の証明のように過去を話した。
「俺はこれでも中央広場のオーバルストアで働いていたんだがな、店長が変わって中身が我慢ならねぇモンになっちまったんでここにいるんだわ」

 その時ロイドはウェンディに聞いたあることを思い出した。なんでも彼女の師匠のような人が旧市街にいるということだったが。
 ウェンディのことを話すと彼はまた笑い、ギヨームと名乗って歓迎してくれた。
 流石ウェンディの師匠だと思ったロイドだった。
 旧市街にはもう一つ店があったが扉は閉まっていて確認できなかった。ただ“交換屋”と書いてある看板に不安な気持ちを抱いたのは間違いではない。

 旧市街を見回った後は中央広場に戻り、通っていない最後の場所に向かう。
 中央広場と歓楽街を繋ぐ妖しい雰囲気の通路は裏通りと呼ばれていた。客引きや露出の多い服装の女性などをよく見かけるここには夜の街という表現が正しい。
 ロイドとエリィはティオがいるということで自然と歩みが速くなり、ランディは慣れているのか余裕をもった足取りであった。
 しかしある横道の前を通ったとき、四人は揃ってその先を気にした。そこには裏通りの中でも特別高いビルがあり、その入り口には警備員のように黒服サングラスの男が二人立っている。その雰囲気は正に裏の者であった。
「…………」
 四人は視線を交わしてその場を離れ、少ししてから立ち止まった。
「なんだあいつら、見るからに怪しいじゃねぇか」
「多分ヤクザ者だな、ちょっと気にしておく必要がありそうだ」
 最後の最後でクロスベルの闇の一部を垣間見た気がして、四人は観光気分を消し去った。
 とにかくも全ての区域を回りきり、支援要請の為に歓楽街を通って行政区を目指す。

 自分たちが守る街の実情を少しだけ理解した特務支援課は、その世界の巨大さに包まれつつも足掻くことになる。
 “魔都”の歓迎はまだ始まってもいなかった。




 初出:1月4日



[31007] 1-5
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/06 22:22



 警察本部で受付のレベッカと話した際、同じく受付のフラン・シーカーが支援課の補佐を担当することを聞いた。支援要請を達成した後の報告を分室ビルの端末から行うと彼女が対応してくれるとのことだ。
 明朗な彼女の挨拶に和みながら、ビルに戻って報告することで今回の要請は終了とのことだったので四人はビルへと戻ってきた。
 報告の仕方をティオに教えてもらいながらロイドは始めての報告を終える。すると突然音が響き支援要請が追加された。
「追加された要請は三件か」
「市庁舎からの住宅の確認、旅行者からの落し物の捜索、それとこれは……」
「魔獣退治、ですか」
「ああ、一昨日のジオフロントだな」

 四人でディスプレイを眺め、捜査手帳に記す。
 バラエティの豊かな支援要請に四人は感心するとともに、一昨日の映像が蘇る。
 アリオスがいなかったら少年二人を守りきれなかったかもしれない苦い記憶、それは四人の脳裏に鮮明に生き続けている。
「魔獣の討伐は、本来遊撃士の仕事なのよね……」

 エリィが小さく呟くが、それが事実だ。
 警察は平和の維持と規律の保持を目的としているが、それは主に人為的なものについてである。それ以外、特に魔獣関連となると警察以上の専門家である遊撃士がいるのだ。
 共存を望むのならそれぞれの専門に別けて依頼をこなしていけばいい。捜査官は戦闘が仕事ではなく、与えられた情報でいかに真実を見抜くかという点にこそ力を発揮すればいい。ロイドは捜査官になる時にそう教えられた。

「―――この魔獣、俺たちで退治してみないか?」
「え?」
「この間は情けない思いをしたけど万全の準備をすればなんとかなったと思う。内容を見る限りこの間の魔獣よりは弱いみたいだし、これを一つの試金石にするのはどうだろう」
 しかし特務支援課は捜査官として仕事をするだけの場所ではない。遊撃士との共存を望むまでの実力も経験もない。
 ならば、できる限りのことではなくできる以上のことをやっていかなければならないのだ。

「ロイド…………そうね、私もこの間は情けないところを見せちゃったし」
「ここらでいっちょ俺たちもできるってところを見せなきゃなんねぇな」
「……わたしも賛成です」
 ロイドは三人の顔を見て頷いた。
「よし、先に二件終わらせてからジオフロントに潜ろう!」
 役所のちょっとした手伝いも、旅行者の落し物の捜索も欠かせない大事な仕事だ。魔獣に万全の態勢で臨む為に彼らは気合を入れて要請に応えた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 市庁舎の依頼で街中を歩く羽目になったがついでに落し物についての情報も聞くことができた。奇しくも似たような捜査状況になったことで予想外に早く終わり、特務支援課はジオフロントに再びやってきた。
 百貨店で回復薬も買っており、今できる万全を期した。

「メガロバット。察するに蝙蝠の魔獣だと思うんだけど……」
「……この間も蝙蝠の魔獣はいましたね。確かグレイブバットでしたか」
 ジオフロントのどこにいるかまでは情報に入っていない。故に彼らは慎重に進んでいた。
「しかし手配魔獣ってことはそのグレイブバットよりかは強いんだろ?」
「そうね。確かに通常の魔獣も危険だけれど、それでも討伐の依頼が出るほどのものとなると手強いことは間違いない。こんなところで無闇に襲うような魔獣よりは、ねっ」
 エリィは向かってきたグレイブバットを撃ち抜く。片羽をもがれたそれは地へと落ち、やがて動かなくなる。

「こういう魔獣の特徴は素早いこと。もしかしたらアーツ主体の攻撃にした方がいいかもしれないわ」
 素早い魔獣を一発で撃ち抜くエリィも、これ以上の速度となれば命中率は下がる。物理的な攻撃力で言えば前衛の二人に一日の長があるので、エリィも常より後方に下がることにする。
「ま、こんくらいのヤツなら一撃でなんとかなるから手数を増やせばいいさ。これでタフならちょいとキツいがな」
 ランディがハルバードをくるくる回しながら言う。大型の武器をまるで手足のように扱う様は見ていて頼もしかった。
「……それにアーツも使ってこないと思います。前回の魔獣より安心かと」
 ティオの目には暴風に曝される仲間の姿が焼きついている。
 あのような光景を目にしないのならそれだけで精神的に余裕ができるというものだった。

「それに今回はCPも溜めてある。今まで以上に対応できるはずだ」
 クラフトポイント。
 エニグマは導力魔法を使えるようになることと身体能力を上げることの二点以外に、特定の技を“戦技(クラフト)”として登録できるというものがある。
 予めエニグマをつけた状態で型をやり、それを登録すると、クラフトポイントをエネルギーに変換することで身体を強制的に操作することができるのだ。ロイドが一度見せたアクセルラッシュも登録したことで容易に繰り出せる戦技の一つである。

 戦技として登録することの利点は、例えば疲労により動けない状態でも通常のスペックで繰り出せるということである。
 しかし逆に型どおりにしか動けないのでそれが隙になることもある。
 どちらにしても全ての力に言える、要は使いようという言葉に尽きる。
「考えてみれば俺たちはまだ味方の戦技すら知らないんだよな」
「それを知るいい機会だと思おう」
 ランディがぼやき、ロイドはポジティブに考えた。


 ジオフロントA区画の最奥、つまりは一昨日リュウを救出した場所にメガロバットはいた。存外簡単に見つけられたのは偏にその大きさによる。
「でけぇな、おい」
 グレイブバットの十倍はあろう巨体で地べたに座り込んでいる。素早さが売りの蝙蝠型魔獣にあらぬ光景であった。
「おい、お嬢」
「言わないで。私も混乱してるんだから」
 何か言いたそうなランディを制してエリィは頭を抱える。あれで攻撃を避けられるとは思えない。
「……しかしアーツ主体なのは同じでいいと思います。あれだけの大きさでは打撃は通りにくそうです」
 どこから見ても肥満体な身体はそれ故に打撃による痛みに鈍そうだ。理由は異なるが戦法は変えなくていいだろう。
「あれじゃ豚だろ」

「それでも蝙蝠なのは違いない。奇襲はほぼ無理と考えていいだろう」
 蝙蝠は自身から発する超音波の反射によって物体を捉えている。聴覚による探知は既に支援課を補足しているだろう。
 もとより実力試しの機会、奇襲はなしである。
「よし、行くぞっ!」
 リーダーの指示により四人は散開した。得物の攻撃範囲を反映した布陣は前後二人ずつであり、右にはランディとティオ、左にはロイドとエリィである。
 見る見る内に距離を詰めた四人を迎撃するためグレイブバットが殺到する。その数は支援課に合わせて四匹、しかし後衛の二人とは距離があるためロイドとランディに二匹ずつ向かってくる。
 顔の半ばまでが裂け開いた口には鋭い牙がある。肌に刺さればその瞬間に体液を吸い尽くさんとするので注意が必要だ。
 ランディはハルバードを槍のように用いることで空気抵抗を少なくし命中率を上げる。一撃の威力は振り下ろしより劣るが、もとよりこの魔獣に威力は必要ない。
「らァっ!」
 右手を弓のように引いて突き出されたハルバードは二匹のうち一匹を射抜き吹き飛ばす。その隙に迫るもう一匹を首を曲げて避けるがかわしきれずに肩に裂傷が走った。
 後方に飛び抜けたもう一匹を振り向き様になぎ払おうとするが流石に素早く、既にそれは攻撃範囲から退避していた。

 しかしランディの後ろにはティオがいる。そのまま突進してきたグレイブバットの予測行路を魔導杖から生み出す魔力球で囲む。髪と同じ色の魔力球は大気を振動させ、やってきた獲物を捕獲する。
「ギィィィッ」
蜘蛛の巣にかかった蝶のようにもがく魔獣にティオは止めの一撃を与える。一発に凝縮された巨大な球が魔獣を包み、そのまま蒸発するように消滅した。ふうと息を吐き、手配魔獣に向かったランディを見た。他の敵による妨害はもうない。もうアーツの詠唱にかかっても良かったが……
「……テスト1、ですね」
魔導杖を更に変形させ、その性能の一つを示してみせる。


 左右両方から迫るグレイブバットにロイドは視線を集中、両者が一斉に噛み付くタイミングで以って後方に跳躍、その両撃を片手で受け止めた。突き出されたトンファーについ反応してしまった魔獣は根元と先端にそれぞれ噛み付き甲高い音を奏でる。
 ギチギチと響くそれに不快感を示しながらロイドはもう片方のトンファーを振るう。
 根元に噛み付いた方には一撃浴びせるが、もう一方には寸でで回避されてしまう。
 一度上昇した魔獣はとんぼ返りのままにロイドの懐に飛び込もうとする。ロイドは右足を一歩引いて半身になり、タイミングを合わせて斜め上から一閃。相手の口内を正確に薙いで、そのまま投げ下ろす形で叩きつけた。
「ギィッ!」
 地面に叩きつけられた魔獣はバウンドして後方にいたメガロバットの腹に当たる。瞬間メガロバットの上体がぶれ、グレイブバットの足以外が消え去った。くちゃくちゃと口を動かすメガロバットにロイドは驚くが、口を真一文字にして構える。
「来いっ!」

 意志を口にして視線を引きつける。ロイドに身体を向けたメガロバットは故に死角に潜り込んだランディに反応することなくその一撃を受ける。
 エニグマのCPを消費して淡い光に包まれたランディは、同時に起動するスタンハルバードの心地良い振動を腕で感じながらそれをメガロバットの後頭部に振り下ろす。柔らかい感触と共に衝撃波が内部に浸透し、次いで吹き飛ばされる。
 “パワースマッシュ”はスタンハルバードの威力を内部に伝えることで一時的な麻痺を起こすことができる。メガロバットはその影響で只でさえ遅い行動が遅れている。
 すると身体の中心に照準のような模様が現れた。その色が連想させるのは彼女である。
「―――“アナライザー”」
 重力に引っ張られるように落ちる光は魔獣に重圧を与えているように見える。アナライザーは魔獣の情報を瞬時に読み取ると共に魔力耐性を低下させ、更に攻撃の精度が上がり急所を狙いやすくなる。

 痺れが取れたのか雄たけびを上げるメガロバットだが、その上空に小さな雷雲が作り出されていた。メガロバットはセンサーに反応したのか、上を見上げる。
 しかし既に雷を纏っていた黒雲はその鉄槌を振り下ろす。
「スパークル!」
 風属性の導力魔法スパークル。小型の雷を落とす低級のアーツである。しかしアナライザーによって下げられた耐性に加えて、元々この魔獣はアーツに弱かった。打撃を軽減する脂肪も電気は無効化できない。
「ギァァアア!」
 メガロバットは絶叫し、肉が焼け焦げる匂いを放つ。

 四人は様子を見つつ油断なく構える。
 ブスブスと音を放つ魔獣は沈黙し、動く意思を見せない。しかし七耀脈の光を放っていない以上まだ生きているはずだ。
 前衛のロイドとランディに続き、エリィとティオも少し間合いを詰める。するといきなり目を剥いたメガロバットが跳躍した。
「っ! みんなっ!」
 ロイドは三人に呼びかけるが、しかしメガロバットの跳躍は真上、前に進むベクトルは皆無だった。その巨体に似合わぬ小さな翼ではおそらく飛ぶことはできない。
「何を……」
 エリィは宙空のそれと目が合った気がした。ぞわりと怖気が走るが遅い。
 まるで地に向け突進するようにメガロバットは降りてくる。その姿は弾丸のようだった。
「ガァァアアッ!」
 メガロバットが降りた瞬間地面に激しい揺れが起きる。地点をへこませるほどの着地は周囲にいた四人をまとめて衝撃の波に包み込み、その体勢を破壊する。
「うぅ……!」
「つッ、これじゃ立てねぇ!」

 地面から逃れられない人間が立てるような規模ではない。ハルバードを支えにしてランディはなんとか膝を着く程度に収めているが、足が共振したかのように身動きが取れない。
 スタンハルバードの一撃を返されたような気分だが、その範囲は広く大きい。
 視界が波間のような中、まるで影響を受けていないメガロバットが動く。この状況では満足に動けず、こちらの利点を潰され相手の弱点を消されたようなものだ。
 しかし揺れも長くは続かない。その間にメガロバットが近づけるのは前衛の二人のみだ。
 一時的な麻痺が回復する時間もなく、メガロバットは小さく跳躍、そのまま体当たりを仕掛けた。
「ぐっ!」
 ロイドは防御姿勢もとれずにそれを浴び、吹き飛ぶ。後衛のエリィ・ティオを抜き、一気に距離が開いた。

「ロイドッ! ―――よし、これで動けるぜ!」
 ランディの声が聞こえ、ロイドはその身体を持ち上げる。揺れは収まり、それぞれが動けるようになる。
 しかしメガロバットは再び大きく地を蹴った。高く浮き上がるそれを見て、同じ手を食わないようにそれぞれが反応する。
「させないっ!」
 エリィは空中に静止した魔獣に銃口を向ける。エニグマがCPの消費を確認した時には淡い光は導力銃に宿っていた。
 エリィの目に映るのはメガロバットの腹部の、更にその下部分。
 人間で言う丹田をズームしたように注視した彼女の指が引き金を二度引く。僅かな時間を置いて同箇所に当たった銃弾はその衝撃を体内に浸透させる。
「シュート!」
 間断なく放たれた三発目は緑光を纏い着弾と同時に衝撃の余波を周囲に撒き散らす。
 その本体は勿論魔獣の体内を駆け巡り、その身体が大きく後方に流される。

「ギィァアアアッ!」
それでも絶命しないメガロバットは先よりも加速して降下を開始する。そのまま着地すれば多大な力の波が彼らを襲うが、しかしそれが叶うことはない。
「―――遅いですっ!」
「―――行くぞ!」
 エニグマを駆動したティオが詠唱を終え、その前方から水刃が飛んでいく。
 アイシクルエッジは着地寸前のメガロバットを襲い、動きを一瞬止める。そしてその一瞬のうちにエニグマのCPをフルスロットルにまで上げたロイドが接近する。

 エニグマのCPが一気に零になるとともにロイドの世界は色をなくし、スローモーションになる。
 そこを透明なジェルを抜けるように滑らかに流れていくロイドは今までの速度を超えて魔獣に迫る。両腕がしなり、体中の力が集まる。
「うおおおおおおおおおお!!」
 グレーの世界から抜け出したロイドはその二本の武器を一気に解放し、残像が見えるほどの速度で前方を打ち据えていく。
 風船のような身体が一撃ごとにへこんでいき、それが戻る間もなく次々と打ち込まれる。原型の四分の一をへこまされた魔獣に、ロイドは乱打を中断し後方に跳ぶ。
 そして姿勢を低くして足に力を込め、自身を砲弾にして魔獣を突き抜けた。
「タイガーチャージッ!!」
 摩擦熱で肌がピリピリするが、そこには確かな手ごたえがある。

「ギ、ガガ……ッ! ガァッ!」
「な……!」
 しかし魔獣はロイドの一撃を耐え、背中を見せている彼に詰め寄った。
 完全に油断していたロイドは自身に迫る敵意を見つめ続ける。ロイドが見つめる中、魔獣はロイドに飛びつき、そしてランディに叩き付けられた。
「詰めが甘いぜ、ロイド」
 地面にめり込むメガロバットは数瞬痙攣していたが、やがて光とともにその巨体を消した。

「…………」
「…………ふぅ」
 ロイドは大きくため息を吐き、彼に集まるように四人は集まった。
「助かったよ、ランディ」
「なんのなんの。困った時はお兄さんがなんとかしてやるってな」
「はぁ、それにしても疲れたわね」
「……手配魔獣の討伐に成功、これで支援要請は達成ですね」
「それにしても皆戦技を使ったな」
 ランディのパワースマッシュで始まり、ティオのアナライザー、エリィの三点バーストは各々の通常クラフトに分類される。そしてロイドのタイガーチャージはSクラフトと呼ばれるものだ。

「ロイド、さっきのは貴方のSクラフトよね?」
「おぉそうだ、結構な威力だったな」
ロイドは首肯し、エニグマを眺めた。
「ああ、CP全部使っちゃうけど行動を中断されることはないし、ある程度の距離なら一足飛びで行ける……まぁ決め切れなかったのはちょっとショックだけどさ」
 SクラフトはCPを全て消費する代わりに通常クラフトとは一線を隔す威力が出せる。仕組みは通常クラフトと同じだが、SクラフトはCPが高ければ高いほど反応速度が上がり威力も増す。いざという時のとっておきである。
 故にロイドはあの一撃に自信を持っていた。しかしあっさりと耐えられ、それに少々皹が入っているようである。
「へこむなへこむな、はっきり言っちまえばあいつは既に死に体だったさ。俺が何もしなくても勝手にくたばっていただろうよ」
「…………」
「……とにかく魔獣退治は完了しましたし地上に戻りませんか?」
 ティオはそう言い、更に別ルートのロックを解除したそうだ。ロイドらはティオがいつやったのかわからなかったが、行きよりも容易に地上に戻ることができたのでそれは流した。






 地上に戻ってきた特務支援課はエニグマにかかってきたセルゲイからの通信により、旧市街に向かうことになった。なんでもその区域を根城にしている二つの不良集団が諍いを起こしているという苦情が来たようだ。
 ジオフロントA区画入り口は駅前にある。四人は中央広場から東通りへ、そして旧市街へと急いで向かった。
「あれかっ」
 東通りから繋がる金網状の通路を渡り、足を踏み入れた彼らの目に入ったのは赤ジャージの青年と青い装束を来た青年だった。それぞれ二人ずつ、明らかに雰囲気の険悪な彼らが苦情の元だとは警察官でなくてもわかる。
 手には釘付きのバットやスリングショットがあり、一般人には手におえそうもない。

 仲裁に入った四人はしかし警察であることを明かしたにも関わらず歯向かってくる不良に辟易し、仕方なく武力介入を行った。
 先の魔獣とは違って行動が読みやすく、訓練の差が如実に現れる形で四人は不良を一蹴する。
 膝を着いてなお悪態をつく不良たちだが、両者のヘッドが出てきたことで状況が変わった。

 赤ジャージのグループ『サーベルバイパー』のヴァルド・ヴァレス。
 黄色と茶色の髪を逆立て、黒のラインが入った赤い上下。そして手に持つのは鎖を巻いた木刀である。正に不良という風体だ。

 一方青い装束の『テスタメンツ』の頭ワジ・ヘミスフィアは涼しげな黄緑の髪に腹部を出した青の上下。白いブーツが特徴的である。
 こちらはヴァルドと違い得物を持っていないようだ。その脇にはスキンヘッドにサングラスという怪しさ満点の大男アッバスが佇んでいる。

 両者とも配下である二人に中止を言い渡し、争う気はなさそうだ。しかしホッとするロイドを前に勢い良く笑い出した。
「俺たちがここで引くのは場が整ってねぇからだ」
「こんな木っ端な争いなんかじゃなく、もっと大規模な抗争が待ってるんだよ」
 二人は警察のことを歯牙にもかけない様子でそう言い、それぞれの配下を従えて消えていく。
 それをロイドらは呆然と見ているしかできなかった。


 ヴァルド・ヴァレスとワジ・ヘミスフィア。
 両名との最初の遭遇は、特務支援課の最初の試練の始まりを告げるものだった。





 初出:1月6日




[31007] 1-6
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/08 18:25


 肺の奥底にまで煙が入っていくのを感じ、そこから一気に吐き出す。
 排泄のような開放感を全身で楽しんだ後、机の上に置かれた灰皿に煙草を擦りつけて火を消したセルゲイは、それでと言ってから四人の部下を見た。
「旧市街の喧嘩は収まったのか?」
「…………はい」
「……一応、目先の争いは止めました」
「……ですが……」
「根元んとこはがっつり残ってるけどな」
 ロイド、エリィ、ティオ、ランディの順に応答した後、彼らはセルゲイに事の次第を説明し始めた。





 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 ロイド・バニングスが覚えたのは稀にある既視感ではなく、あえて言うならば既聴感と呼称されるものだった。
 それも言葉単体ではなく声において、その主はサーベルバイパーの頭の次に現れた。
「―――その辺にしときなよ。勝手に楽しんで、僕の言うことが聞けないのかい?」
「わ、ワジ……!」
 青い装束を着た青年が振り返る先には涼しげな風貌の少年がいる。隣に大柄なスキンヘッドの男が佇んでいるが、そちらのほうは主役ではない。サングラス故に視線がわからないが、彼は明らかに隣の少年を重視していた。
 テスタメンツのリーダー、ワジ・ヘミスフィアとアッバスである。
 身体にぴったりとした衣装によって窺えるしなやかな体つきはモデルのようで、しかしその痩身は不健康さを感じさせない自然なものだ。
 後に聞くところサーベルバイパーの頭ヴァルド・ヴァレスを一蹴したこともあるようで、それを事実だと受け止めるに足る肉体である。

 ワジは配下の青年を窘め、そして特務支援課を見た。
「僕はワジ・ヘミスフィア。テスタメンツのリーダーらしいよ?」
「何故疑問形になる」
 軽い印象を与える話しぶりにアッバスが突っ込む。これが彼らの普段のやり取りなのかもしれない。ロイドは自身の名と身分を明かし、両者が喧嘩を止めたことに安堵した。
「二人とも、もう争う気はないみたいだし……」
 それを聞いたヴァルドとワジは仲良くきょとんとし、やがて同時に笑い出した。
「こいつぁ傑作だっ、何勘違いしてやがる!?」
「僕たちはこの後全面戦争だよ? こんな些細なことで開戦にはしたくないだけさ」
「な!」
「フン、これで目障りな青坊主を一掃できると思うと嬉しいぜ。てめぇとの決着もつけられるしなぁ、ワジィ!」
「そうだね。出会ったときみたいに無様に寝かせてあげるよ、ヴァルド」
 ワジとヴァルドはその後何もせず、互いの陣地へと退いていった。後に残るのは状況が飲み込めない特務支援課である。

「……ねぇ、どういうこと?」
「一応止めはしたが、この後とんでもねぇことになりそうだな……」
 エリィとランディは困り顔で呟く。
「どうしますか、ロイドさん?」
 ティオが問いかける。その意味を理解してロイドは頷く。
「これじゃダメだ。まだ本当の解決には至っていない」
 その言葉に三人は笑顔で頷き、しかしすぐに沈黙した。かといってどうすればいいのかがわからないのである。
 住民からの話によると小競り合いのようなものは日常茶飯事であるとのことだ。そんな普段から悪感情を抱いている者同士の総力戦をどう阻止すればいいのか。
 警察官ならばそのような事態を想定して訓練を積むものだが特務支援課は正規の人員で構成されてはいない。結果的に問題解決に重視されるのは捜査官でありリーダーであるロイドの発言であった。

 ロイドは思考する。
 対立する二つの不良集団、その全面戦争を阻止する為にするべきこと。始まってから止める事は不可能ではないが、できるなら始まる前に元の鞘に収めたい。
 その元鞘でも仲が悪いのは始末が置けないが……しかし両集団はそりが合わなくともヘッドの方はどことなく波長が合っているように思えた。
 それがどうして……
「―――どうして全面戦争なんだ?」
「ロイド?」
 思考から零れた言葉に三人が注目した。
「潰しあいがそんなに不思議か?」
「ああ。どうして今になって……」
「そりゃ相手が潰れれば好き勝手できるからじゃねぇのか?」
「……問題は理由ではなく時期、ということですね。何故今になってあの二人が互いに潰そうと決めたのか……」
 ティオに賛同してエリィが繋げる。
「そうね。あの頭の二人は結構気が合うように見えたわ。男の人のことはわからないけれど、喧嘩仲間、みたいな。そんな二人がどうして。その“どうして”がわからないのね」
 ロイドは頷いた。
「俺たちの知らない“全面戦争の理由”があるんだ、きっと。それを解決しさえすれば、迷惑だけどここまで争いが深化することもなくなるはずだ」

 問題解決の糸口が見えたことで光が差した気がする。そんなロイドが見た仲間の顔は、どこかくすぐったいものだった。
「な、なんだよ……」
「フフ、いいえ」
「ただ感心しただけです」
「流石は捜査官、あっさりと先が開けたな」
 目を閉じて笑い合う少女二人、嬉しそうに笑う青年。照れくさくなったロイドはわざと大きめの声で次を促した。
「それでっ。次にするべきはその理由探しだけど、これは本人達に聞いたほうが早いと思う」
「そうね。でも話してくれるかしら」
「あのヴァルドとかいうヤツよりはワジとかいう小奇麗なやつのがいいんじゃねーか?」
「……この先地下へと続く階段の先にトリニティというバーがありますね。許可は得ているようです」






「ほう、それでその店に行ったのか」
 セルゲイはその店を知っている。バー『トリニティ』。旧市街に存在する不良集団テスタメンツの根城である。
 警察にとって旧市街は既にクロスベル市内ではないかのような警備の杜撰さだが、それでも嫌われものの部署を立ち上げた変人である。その辺りは熟知していた。
 尤も、捜査官が詰める捜査一課及び二課では当然の知識であった。不良は即ち犯罪予備軍としてマークされているのである。
「しかしお前ら即行で虎穴に入りやがったなぁ」
 嬉しそうに笑う上司に不安を覚える部下四名だが、笑いが収まったセルゲイに成果を聞かれて気持ちを引き締める。
「はい、それが―――」







 薄暗く、さながら夜の店のようにライトアップされた店内にはカウンターとテーブル席。そしてビリヤード台が数台ある。その中心部でテスタメンツのメンバーとアッバスという大男が話し合いを行っていた。
 彼らはすぐに四人に気がつくと身構える。話し合いをすることが不可能なのかとも思ったが、アッバスが彼らを制止し、道を塞ぐように立って訊ねてきた。
「警察が何の用だ?」
 アッバスの声は深く、低い。問答無用な雰囲気を漂わせるが、ここで引き下がることはできない。
「……ちょっと話が聞きたくてね」
「話などない。去るがいい」
「いや、話してもらう。どうして全面戦争をするのか」
「…………」
 アッバスは沈黙した。ロイドの問いに対して返答を考えているようだった。薄暗い店内でもサングラスを外さない彼には疑問が絶えないが、こちらが沈黙を破ることはしない。
 しかしそれをアッバスが破ることはなく、場外席からの声が破壊した。
「―――へぇ」
 視線の先には足を組んでカクテルを飲むワジ・ヘミスフィア。店の雰囲気に合っている彼はホストのようだ。
「ワジ」
「通してやりなよアッバス。折角のお客さんだ」
 鶴の一声か、アッバスは早々に道を譲り、四人は痛い視線の中少年に近づいた。

「それで、何? 警察の犬が面白いことを言ったように聞こえたけど」
「……どうして全面戦争をするのか、その理由が聞きたい」
 ワジの瞳がロイドを射抜く。探るような瞳にロイドは捜査官としての意志を乗せて睨み返した。するとワジは意に返さぬように視線を外してカクテルを飲む。
「……それで、キミ達は何をくれるんだい?」
「…………」
「ギブアンドテイク。欲しいものあげるんだからさ、君達も何かくれなくちゃいけないよね」
 ワジの言葉を受けてロイドは目を数秒瞑り、そして開いた。
「……そうだな。俺たちから提供できるものは闇を払う真実だ」
「へ?」
「捜査官の仕事は真実を明かして人々の闇を取り払うこと。君達が僅かでも闇を払いたいと思っているのなら、俺たちはそれの助けになる。それが俺たちの与えられるギブだ」
 ロイドは臆面もなく言い放ち、ワジは唖然とした。ロイドからは見えないが、後ろの三人も呆然としていた。それは彼らが考えもしない答えを言われたからである。
 至極真面目に答えたロイドだが、それは彼らの意表を突くという意味では十二分の成果だった。

「アハハハハハハッ、いいねぇ、すごくイイよ! キミなんて言ったっけ? そんなクサい台詞を真面目に言えるなんて最高だ!」
「冗談じゃないからな。それで、どうなんだ?」
 腹を抱えて笑うワジをロイドは睨みつけ問う。笑いを収めたワジは息を整えアッバスを見た。
「ふふ、そこまでされておひねりを出さないわけにもいかないかな」
 ワジの視線を受けてアッバスが一歩前に出る。四人はワジから視線を外しアッバスを見る。
「五日前の夜のことだ」

 話は至極簡単、テスタメンツのメンバーがとある場所で闇討ちされたのだ。そのメンバーは現在も意識不明で病院に入院している。抗争を激化させるには十分すぎる理由だった。
 しかし―――
「待ってください。意識が戻っていないならどうしてサーベルバイパーの仕業だとわかったのですか?」
「……さてね? ロイドって言ったっけ、どうしてだと思う?」
 ワジは足を組み替えて試すように答えを濁した。ロイドはそれにノータイムで答える。
「おそらく外傷に残った打撃痕だろう。それで闇討ちした奴の武器の形状がわかったんだ」
「正解。結構やるみたいだね」
 闇討ちは背後から頭部を殴打、転倒したところを袋叩きにされたらしい。そしてその頭部の傷が物語っている武器とは、釘つきの棍棒であった。サーベルバイパーの一人が持っていたものである。
「さて、話は終わりだ。それでどうするんだい?」

 四人は輪になり今後の話し合いを始める。
「こりゃ決まりじゃねえか、ロイド」
「でも状況証拠だけ、決定打とは言えないわ。それでも潰し合いの理由はわかったけれど」
「……一度課長に報告しますか?」
 思案顔をしていたロイドはティオの言葉に首を振り、
「いや、今度はサーベルバイパーに話を聞きに行こう。多角的なものの見方をする必要がある」
「へぇ、慎重だね」
ワジはカクテルを飲み干し、静かにカウンターに置いた。

「ま、少しくらいなら待ってあげてもいいよ。もしかしたらもっと面白くなるかもしれないしね」
 微笑を浮かべるワジが見送る中、四人はサーベルバイパーの根城であるライブハウス『イグニス』に向かうべく踵を返す。しかしふと思い出したかのようにロイドは立ち止まり、ワジを見た。
「ん、なんだい?」
「……いや、なんでもない」
 以前会ったことなど、ない。
 声すら聞いたことはない。
 そう思いなおし目の前にある事件を起こさせないために先を急いだ。







 イグニスは旧市街の端の倉庫が濫立する場に存在している。重厚な扉の前では舎弟である青髪の少年ディーノがおり門前払いをしようとしたが、エリィが巧みな話術で中への道を開いた。
 その扉を開けた途端、それまで聞こえていた雑音がうねりを上げて跳びかかってきた。
「っ!?」
 ティオが驚き目を瞑る。他の三人も顔を顰めてその騒音に耐えていた。
 両端には二階席へと続く階段がある。二階席とは言っても立ち見だけのようで広くはなく、意味の無い通路のようだった。
 無造作に置かれている箱やドラム缶の中、中央のステージで全体を睨むかのようにヴァルド・ヴァレスは腰を下ろしていた。
「んだぁ、てめぇら。さっきのサツじゃねぇか」
「……おじゃましているよ」
 頭であるヴァルドが話し始めても騒音は途切れないようだ。ヴァルドの地声が大きいので聞き漏らすことはないが、流石に長くいたくない場所だった。

「は、さっきの続きでもやろうってか?」
「いや、テスタメンツとの潰し合いをする理由が聞きたい」
「は、何言ってんだ。気にいらねぇから潰すんだよ!」
「……テスタメンツのメンバーが闇討ちされた件と関係ありますか?」
 殺気立つヴァルドにあくまで冷静に、ゆっくりとした口調でエリィが問う。するとヴァルドは何か苛立った様子で吼えた。
「俺たちを倒せば教えてやるよ! 簡単だろう!?」
 ヴァルドの声に周りにいた手下が一斉に戦闘態勢を取る。囲まれている状況に焦りを感じながら、警察としての対応に努める。
「いや、ダメだ! 警察として私闘は認められない!」
「ハッ、ビビッてんのかよぉ!」
「さっさとかかってこいや!」
 周囲の手下からの挑発が続く。荒っぽい言葉に身体を縮こませるティオを庇いながらそれに耐えていると、ヴァルドから提案が聞こえてきた。

「ならよ、そこの女二人をしばらくくれたらいいぜ、何でも話してやらぁ」
「な……!」
「…………」
 ヴァルドの予想外の言葉に驚き、感情が荒ぶってくる。エリィは黙って続きを聞いていた。
「数時間どっかに消えてくるだけだ、簡単だろう?」
 ランディが物々しい雰囲気を漂わせ、ロイドも目を瞑って感情を堪えようとしていた。一方でこの状況を好転させ、話を聞くことができる最善手を高速で導き出す。

「―――いや、もっといい方法がある」
 ロイドは目を開き、腰に挿していたトンファーを構えた。先端をヴァルドの顔に向け挑発するように言う。
「練習試合の名目での代表同士のタイマンだ。構えろ、ヴァルド」
「……正気か? そこの赤毛ならまだしも体格差がわからねぇのか」
「女性を軽視した不良程度に遅れを取るような訓練はしてないよ。どうする? それとも逃げるか? サーベルバイパーはその程度なのか?」
 驚きと侮蔑を含んだ言葉にも外見上は冷静に応える。しかし先ほどの言葉に対する悪感情は言葉に表れていた。
「ッ! 上等だッ! 返り討ちにしてやるよ!!」
 チームを馬鹿にされたヴァルドは得物である鎖つきの木刀を持ち、傍にあったドラム缶を吹き飛ばした。その目には制御できない怒りが込められており、爆発は必死だった。

 ロイドもここまで言っておいて後に退く気などない。何より仲間を売るような提案をされたことはロイドの中で最大級の屈辱だった。
 空気も一対一を支援している。並々ならぬ雰囲気にエリィやティオも口を出すことはできない。
 つまり、そこに口を挟めるのはランディ一人だった。

「―――待った。ロイド、俺にやらせてくれ」
「ランディ……!」
 目の前にハルバードを下ろされ、ロイドはランディを睨む。その感情をランディは柳の如く受け流す。
「勘違いすんな、別にお前が負けるなんて思ってないさ。だがちっと血が昇りすぎだ」
「あ……」
「普段の冷静さはどうした? ま、だからこそ俺もやる気になってるわけだがな」
 一歩前に、ロイドの前に立つ。冷静でなかった自分を自覚して呆けるロイドに背中で語りかけた。

「会ってそう間もない俺たちだが、お前は長年の仲間に対するように怒りを露わにする。捜査官としては失格だがリーダーとしては上出来だ。ならその尻拭いをするのはお兄さんの役目じゃねえの?」
「ランディ……」
 ロイドはその大きな背中を見る。なんとも頼りがいのある背中だった。
「ま、あれだ。ここらで戦闘が本職だっつうトコを見せてやんなきゃな!」
「はん、結局てめえがやるのかよ赤毛。まさか始めからそうするつもりだったってわけじゃねぇよな」
 待たされていたヴァルドが吐き捨てるように言う、するとランディは間髪いれずに言った。
「まさか。単に俺も、仲間の怒りに当てられただけだ」
 ハルバードを両手で持ち切っ先を向ける。その覇気にヴァルドはにやりと口端を持ち上げ吼えた。
「いいぜっ、ヴァルド・ヴァレスの鬼砕き! 受けられるモンなら受けて見やがれぇあ!」



 怒声とともに一撃、上段からの二つの振り下ろしが両武器を捕らえる。甲高い音がイグニスの騒音を切り裂き、一周したのかかかっていた音楽が止まる。
 中間でギリギリと拮抗する中、獣のような笑みを浮かべるヴァルドとそれを冷静に見つめるランディがいる。
「……大した膂力だ。ろくに訓練もしねえでその身体能力、流石は頭を張ってることはある」
「へっ、羨ましいか、よ!」
 一気にフルパワーにまで高めたヴァルドが得物を振り抜き、しかしランディも自ら後方に跳ぶことでそれを相殺する。身体のスケールはほぼ互角だが、筋肉の鎧に覆われているヴァルドよりもランディのほうが細く、故に軽やかだった。
「いや、全然。力馬鹿より俺のが強いし?」
「舐めやがってぇ!!」
 余裕の発言をするランディにヴァルドは連撃を放つ。振り下ろし、切り上げ、振り下ろし、切り上げ、前蹴り。
 それを器用にハルバードを扱い防御し、いなし、かわす。
「ヴァルド、お前さんに教えてやるよ。喧嘩仕込じゃ覚えられない技術ってやつを」

 再びの振り下ろし。持ち前の怪力故に驚異的な威力を誇る一撃であるが、それは当たらなければ意味はない。
 ランディはヴァルドが生み出す軌跡を正確に予見し、ハルバードを斜めにそえる。ハルバードの切っ先を滑り、柄に沿った軌道を辿る木刀の左側をランディは滑るように移動する。踏み出した左足を軸にして回転する過程ではヴァルドに背を見せているが、木刀に引っ張られ、更にハルバードに阻まれたヴァルドがその隙を突くことはできない。

 逆に回転を終えたランディは右足を踏みしめて状態を安定させ、木刀を振り下ろした状態のヴァルドの背後を侵略する。流れのままに巻き取るように木刀をいなしたハルバードが遠心力とともに大気を斬る。その終着点は無防備な赤い背中。

 時間にして一分にも満たぬその攻防は、背中を痛打されて地面を滑るヴァルドの敗北であった。
「はん、元警備隊員が不良に負けられるかっての! おい、話を聞かせてもらうぞ!」
 くるくるとハルバードを回したランディはヴァルドに投げかける。ヴァルドはすぐに立ち上がり、鬼の形相でランディを眺めた。
「ヴァ、ヴァルドさん……!」
「るせぇ、足を滑らせただけだ」
 誰が見ても直撃を喰らったはずなのにそう言うヴァルド、そしてそれを飲み込むしかない手下。事実すぐに起き上がっているあたりそのタフネスは高いのだろう。
 彼はそのままステージの上にある専用の椅子に乱暴に座り、潔く話をし始めた。







「くくく、ロイドは見せ場を奪われちまったわけか」
 セルゲイは事の顛末が大層お気に召したようでニヤニヤとロイドとランディを見る。
「……いえ、見せ場云々なんて考えていませんでしたから」
「そうかぁ? リーダーの危機に颯爽と駆けつける俺ランディ・オルランド! こりゃおねーさん方もほっとかねぇぜ」
「駆けつけていません」
「ま、まぁうまく話を聞くことはできたわけだし」

「で、奴らはなんて言っていたんだ?」
 ヴァルド―――サーベルバイパーの争う理由。それこそが現在四人がセルゲイに話している理由でもある。
 彼らの理由はテスタメンツと同じ闇討ちであった。
 しかし加害者ではなく被害者としてである。
 ヴァルドの話では五日前の夜サーベルバイパーの一人が背後から襲われ重傷を負ったという。こちらは意識が戻っているが怪我の部類で言えばかなりの重さであった。
 そして彼らが犯人をテスタメンツと断定した理由、それも先に聞いた武器の形状であった。
 スリングショット。パチンコのようなものであるそれはテスタメンツの一人の得物である。

「…………」
 セルゲイは煙草に火をつけ煙を吐き出す。その目を見て四人は続きを話し始めた。
 両者に話を聞き、残った疑問、違和感。
 それは二勢力が同じ日の同じ時間帯に闇討ちにあったという事実である。
 ワジ・ヴァルドの両名の性格と関係から言って闇討ちをする可能性は低い。仮に彼らのどちらかが闇討ちを計画した場合、報復の形で闇討ちを受けることはあるかもしれないが、それでは同日に行われるということはありえない。
 この場合同日になるのは、両者とも闇討ちを計画しており、その犯行時間が偶然同じになったということであるが、その可能性が考慮するに足るとは思えなかった。


 パズルのピースは一つ足りなかった。しかし四人はすぐにその一つに辿り着くことになる。




 初出:1月8日




[31007] 1-7
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/10 20:21





 イグニスを出た特務支援課は入り口見張りのディーノの耳に届かない場所にまで移動した後、それぞれの意見を出し合った。
「……どういうことだ」
「闇討ちの被害者はテスタメンツだけじゃなかったのね」
 訝しがるのも無理はない。先のテスタメンツの話により抗争の理由を半ば決め付けていたのだが、ここで真逆の事実が出てきたのだ。真逆と言っても被害者加害者が逆になったわけではなく、被害者が二人であるというむしろ混迷を極める結果である。
「同じ日にそれぞれ闇討ちを受けている。争う理由としては納得ですが、これはどういうことなんでしょう?」
「…………」

 同日に起こった闇討ち事件。どちらかが虚偽の証言をしているとは思えない以上、それは事実なのだろう。
 しかし両チームの頭はどちらもが被害者を自称し、加害者の意識は欠片もない。ヘッドの両名が知らない部下の暴走という線も見た限り低そうだ。テスタメンツとサーベルバイパーは統制が取れている。絶対的な存在がいる以上単独行動は取らないだろう。するとこの構図には何かが足りないのだろう。
「俺たちの知らないピースがあるんだ。でも……」
 それがどこにあるのかはわからない。二つの不良集団の抗争に関係があるものが他にあるのだろうか。互いの話を聞いてもその第三者を特定するどころか存在自体が状況推量に過ぎなかった。

「一度セルゲイ課長に話をしてみたほうがいいんじゃないかしら」
 エリィがそう言い、反対の意見はなかった。しかし足取りが重いのも事実だった。

 そして倉庫群の間隙を通り抜け視界が開けたところに姿を現したのは、一昨日お世話にならされたクロスベルタイムズの記者であった。
「ハロハロー、行き詰まってるようね~」
 ひらひらと手を振り首に掛けておいたカメラのシャッターを切る。四人の眉間にしわが寄ったのを見て、職業病だから許せと言ってきた。
「グレイスさん、旧市街に何の用事ですか?」
「んー、ちょっと気になることがあったんだけど、聞きたい?」
「気になること?」
「そ。あなたたちが探してる最後のピースってところかな?」
「え……」
 驚くロイドたちにグレイスは踵を返した。
「龍老飯店で待ってるわ」
 そう言ってさっさと小さくなっていくグレイスに呆然とした四人は、我に返った後に慌てて出口へと向かった。
 龍老飯店は旧市街を抜けたらすぐの東通りにある。
 真実への入り口だった。




 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない







「クロスベルタイムズの記者か。確かにあそこは情報が早いが、流石にピンポイント過ぎるな」
 セルゲイは愚痴るかのようにぼやき、煙を吐き出した。
 段々と室内が煙くなっている気がしたが生憎それを気にしている状況ではない。
「確かに偶然にしては出来過ぎですが、グレイスさんが貴重な話をしてくださったのは事実です。そしてその内容に関して課長にお聞きしたいんです」
「ほう?」
 セルゲイは興味を惹かれた風に相槌を打った。彼自身ただ報告を聞いて終わりというのもつまらないと感じていたので渡りに船であった。
「お聞きしたいのは“ルバーチェ”に関してです」
「――――――なるほどな」
 セルゲイはその名称を聞いて何ともいえない表情を出した。警察官としての感情だけではない何かがあったように見えたが、それを理解することができたのはティオ・プラトーだけであった。

 セルゲイはそう言った後にしばらく沈黙した。四人はそんなセルゲイが言葉を欲していないような気がして同様に沈黙で応える。
 時計の針の音がだんだんと大きくなっていく。今までもそれは変わらず鳴っていたが、それは意識の外の事象であるために聞き取ることはできなかった。
 その音が聞こえるというのは、その小さい変化に気がつくほどに集中しているか、もしくはそれ以外に意を注ぐものがないかの二つであり、今は後者であった。
 そしてその変化の乏しい空間を吹き消すように長い長い煙を吐いたセルゲイがグレイスとの会話を促し、ロイドは話の続きを外化した。




 龍老飯店は異国情緒溢れる東通りの中でも有名な料理店である。それはカルバード共和国の流れを汲んだ東通りの中で料理店が一つであるとかマスターの腕が一流であるとか理由は様々だが、どちらにしろ東通りで最も名前が出てきやすい店であることは確かである。
 カウンター席と六つのテーブル席という有名店にしてはあまり大きくはない店だが、ここは同時に宿泊客も取っている。味は上等で上客も多くいるが、マスターが目指すのは一般向けの店であるためにお手ごろ価格だ。
 そうした敷居の高くない雰囲気が一般客も呼び、繁盛も呼んでいた。

 特務支援課は辺りを見回し、既に料理が並んでいるテーブルに一人で座るグレイスを見つける。その豪勢振りは金額の不安を煽るが、前述したとおりに格安である。
 それにしてもそこまで時間はなかったはずなのに料理が揃っているのはどういうことなのか。
「ほらほら、早く座って」
「おーうまそうだなぁ!」
「でしょ? 龍老飯店のおすすめ料理ばかりだから遠慮しないでね!」
「グレイスさん、俺たちは警察ですからそういうのはいただけませんよ」
 断りを入れるロイドにグレイスは頬を膨らませて人差し指を立てた。
「ロイド君、そういう固さが取れないと立派な捜査官にはなれないわよ。ガイさんだったら喜んで食べてるわ」
 ロイドは耳にした名前に驚き、その顔を見てグレイスは続ける。
「ガイさんにはお世話になったわ。だからこれはそのお礼ってことでどう? 情報あげないぞ?」
 感謝しているのか脅しているのかわからない言葉であったが、他三人は乗り気であったのでロイドは折れ、全員が席に着いたところで食事が始まった。
 ランディが酒を望み、止められるのは予想のとおりである。

「―――ふむふむ、不良チームの抗争ねぇ。互いの闇討ちが原因、と」
「グレイスさん、あなたが仰った最後のピース。教えてもらえますか?」
 エリィが言い、グレイスは蓮華を置いた。
「んー、それよりちょっと取材いい?」
「さて、行こうか」
「ええ、失礼します」
「うまかったっスよ」
「……ご馳走様でした」
「ちょっ!? 冗談だってば!!」
 席を立とうとする四人に泡を食って呼び止めるグレイス。四人はしぶしぶ上げかけた腰を下ろした。
「ちょっと余裕がないわねぇ、もっと遊び心を持たないとこの先やっていけないわよ?」
「……余裕を持っていられるほどの立場じゃありませんから」
「―――まぁいいか、これは私の仕事じゃないしね。さて本題だけど、“ルバーチェ”って知ってる?」

 グレイスが出した名称にロイドとエリィが同時に声を漏らす。ティオとランディは二人に顔を向けた。
「知ってんのか?」
「……えぇ、この町に住んでいる人なら皆知っているはずよ」
 ルバーチェ商会。クロスベルの貿易に関して絶大な影響力を持つそれは、表の顔と裏の顔を持つ。表が全うとは言いにくい貿易会社だとすれば、もう一つはクロスベルの裏社会を牛耳る巨大なマフィアである。
 事実、警察や遊撃士協会はルバーチェ関連の案件をいくつも解決していた。それでも尻尾を掴むまでにはいかないのが実情である。そこには政界の圧力も関係していると思われた。

「その関係者が最近旧市街でよく見られるようになったらしいのよ。どう?」
 グレイスは得意気な顔で見やり、ロイドは立ち上がった。
「―――ありがとうございました、グレイスさん。おかげで先に進めそうです」
「…………」
 ふと見るとグレイスはぽかんと口を開けている。
「どうかしました?」
「ねぇ、ちょっぴり悔しかったりしないの? キミ。キミみたいな新人の捜査官は何でも自分でやろうとして、私みたいな外部者の助力に渋い顔をするものよ。そういう子達にそれは思い上がりよーって諌めるのが私の密かな楽しみだったのに……」
 どんな趣味してるんだと四人は思ったがそれを口にすることはせず、代わりにロイドは質問に答えた。
「すごく悔しいですが、もう諌められてますので」

 席に着いたままのグレイスに見送られながら四人は龍老飯店を出る。入り口から少し歩くとそこは露天商が集う市場だ。
 活気に満ちたそこを通りながら、ランディが口を出した。
「しかしロイドよ、お前誰に諌められたんだ? 教官かなんかか?」
「さっきの話のことか? …………えっと」
「……おい、まさか」
「………………おかしいな、誰だっけ」
「ガクッ、おいおい大丈夫かぁ」
 ランディがオーバーリアクションする中、ロイドは記憶の中を掘り進めていた。
 一人で全部やろうとする、一人でやろうとして叱られる。
 そんなことを自分自身であったり仲間であったりが経験したような気がしていたのだが、そんな思い出が思い出せない。

「そうだ。ジオフロントに最初に入った時だ」
 あの時は自分が仲間を守らないと、と思っていたのに結局は自分だけ何もしなかったという恥ずかしい結果になったのだ。そこできっと自分が全部やる必要がないと思ったのだろう。
 ロイドは疑問が氷解してもやもやが晴れた。いつの間にか東通りを抜け中央広場に入るところだった。
 考え事をしていながらよく人にぶつからなかったなと少し自分を褒めて、仲間と共にビルへ急いだ。






 長い話が終わり、ロイドは一つ息を吐いた。眼前のセルゲイは煙草の灰を灰皿に落としながら今までの話を脳内で纏める。
 やがて彼は引き出しから何かしらを取り出し机に投げ、音を立てて背もたれに寄りかかった。
「―――そうだな、この件はお前らに任せた」
「は?」
「と言うのは簡単だが、まぁアドバイザーは紹介してやろう。西通りのグリムウッド法律事務所だ、色々話が聞けるだろう」
 そう言ってセルゲイは煙草をくわえながら煙を吐き出す行為を繰り返す。
「ちょ、ちょっと待ってくださいセルゲイ課長っ」
「……いきなり放り投げすぎです」
 エリィとティオの言にちらと視線を向けたが、しかしセルゲイは変わらず煙草を堪能する。
「俺がやめろと言えばお前らはやめるのか? それならやめろと言うが、そうじゃないんだろ?」
「……!」
「ならさっさと行って解決してこい」
 机に投げ出された名刺を取り、四人は頭を下げて部屋を辞した。
 セルゲイは四人が去った扉を気だるげに見つめる。
「………………」
 その瞳には扉以外の情景が映されていたが、彼以外がそれを知ることはなかった。







 中央広場から西通りに入るとベーカリーやベルハイムなどがあり、そこから階段を一つ上がると住宅街に繋がる道へと入る。
 階段を上ってすぐの右手には雑貨屋があり、更に進むと行き止まり。
 その行き止まりはグリムウッド法律事務所と呼ばれていた。

 法律という鉄の掟に関わる建物ということで内装もシンプルで落ち着きを与えてくれる。入り口から見える扉は二階に続いているようだが、応接間はすぐ側にあるのでおそらく私室になるのだろう。
 四人が訪ねると本棚の整理をしていたピートと名乗る少年が応対し、すぐにこの場所の主であるイアン・グリムウッドが姿を見せた。
「おぅ……」
 思わずランディが声を漏らしたのは、イアン・グリムウッドの風体が正にあだ名通りであったからだ。
 四角い眼鏡をかけた温和な顔立ちにこれでもかというような髭の装飾。大柄な身体はカジュアルなスーツを着こなしているというよりは服に詰まっているという印象だ。

「おや、お客さんかね。私がここで働いている弁護士のイアン・グリムウッドだ。キミ達若いようだが今日は何の相談だね? 借金かい? 喧嘩かい? それとも全員で起業したいのかな?」
「い、いえ……俺たちは」
「そうだ名刺を渡さないとね。ああどこにやったかな……ピート君、お茶を用意してくれないか?」
「そ、そのですね……」
 ロイドがなんとか話そうとするもののイアンはあれこれと忙しなく動く。しかしその動作はどうもゆっくりだ。まるで熊のようであり、故に彼は“熊ひげ先生”なのである。

 イアンは困った笑みを浮かべながらロイドたちに振り返り、そしてふと思い出したような顔をした。
「キミは……確か以前ここに住んでいなかったかな?」
「あ、はい。前はベルハイムに住んでいましたし、先生とも会ったことがあります」
「そうかそうか、ということはしばらくここを離れていたのかな?」
「ええ、ちょっと共和国のほうに」
 若干緊張が抜けて会話を交えるが、ピート少年が紅茶を入れたのを確認してイアンはソファーを勧める。ようやっと本題に進むことができた。

「―――なるほど。ルバーチェか……」
 イアンは口元を締め、手を組んだ。彼は国際的にも有名な弁護士であるとともに、一般の相談も幅広く受けている。彼が担当した案件の中でもその名が出てくることは少なくなかった。
「ルバーチェというのは巨大な貿易商社で、近年のクロスベルの繁栄に彼らが貢献したのは間違いないが、それは正しい意味では決してない。裏の顔はマフィアであるということは知っているだろうが、ルバーチェはクロスベルの裏社会を牛耳っているからこそのルバーチェなのだ。政界との癒着により鎧を得た彼らは違法行為を次々と行っては私腹を肥やしている。市民にとって僥倖なのは、彼らが巨大であるが故に彼らの行為の対象も巨大であるということだ。目に見える被害は一般人には出にくい。だからこそ遊撃士協会も手が出せないんだろうね。同時にルバーチェもそれがわかっている。事実上、クロスベルで彼らを取り締まることは非常に難しい」

 遊撃士協会は規約により民間人の安全を最優先としているが、それは同時に民間人に危険がない場合は手を出すことができないということである。クロスベルにおいて何よりも厄介な遊撃士協会を動かさないことに尽力しているルバーチェを、しかし警察はどうにもできない。警察の上層部、更にその上にも手を回しているからだ。
 これがクロスベルの現状、ロイドやエリィはそのことをよく知っていた。
「彼らをなんとかすることはできないんでしょうか」
 イアンはその問いにうむ、と頷いた。
「クロスベル全体という意味では今は難しい。しかし今回の件においては、更に今現在においては、あるいは対処できるかもしれないね」

 イアンが語るのは、現在の裏社会についてである。クロスベルの裏を支配するルバーチェだが、最近になってその対抗馬が出てきたのである。
 それは『黒月』。カルバード共和国の裏を取り仕切る巨大組織である。
 そのクロスベル支部が港湾区のIBCへと続く坂の麓にできたのだ。黒月の力は当然ルバーチェも熟知している。故に最近のルバーチェは水面下で動き続けているらしい。
「黒月……」
 クロスベルに新たな不安要素が現れたことに呆然とするエリィはその新勢力を呟き、しかし首を振って意識を集中した。
「今回ルバーチェが動いたのだとしたら、もしかしたらそのあたりに理由があるのかもしれないね」
 イアンはそう言って紅茶を口にする。四人もそれに釣られて喉を潤し、気軽に相談に乗ってくれると言うイアンに挨拶して事務所を後にした。

「……ルバーチェに黒月、どっちも一筋縄じゃいきそうにねぇな」
 ランディがため息を吐く。話を聞くだけでも生半可で立ち向かえるような組織でないことがわかるという規模にはそういう反応しかできないのだろう。ティオも難しい顔でなにやら思案している。
「どうする、ロイド。新しい情報が得られたけど、これが最後のピースになるかしら?」
「…………そうだな、一度支援課に戻ろう。集めた情報を組み立てる必要がある」
 捜査官としてまだまだ未熟ではあるが、その未熟さでもこれでピースが揃ったことは感じ取れる。後はそのピースを当てはめて過去と未来を描くだけだ。
 ロイドは三人を促しビルへと戻っていく。

 ロイドはふと思い出していた。
 捜査官であった兄ガイ・バニングス。彼もまた、イアン・グリムウッドに助力を求めていたのだと。過去の会話でそんな話をしていたのだと。
 彼は兄も信用していた人物であり警察内部の信頼も厚い。
 グレイス・リンとイアン・グリムウッド。捜査官としての兄の姿を知っている二人に捜査官として関わった自分が不謹慎だが嬉しく、故に今気力が湧いてきているのかもしれなかった。
 今でもロイドは、ガイに支えられている。




 初出:1月10日



[31007] 1-8
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/13 08:13


 陽の光が表舞台から消え、静けさを伝えるべく夜の闇が世界を覆う。
 人々の営みの証である音が内側に身を隠したことで聞こえる彼方の音響は世界の広さを伝えてくれる。ことその感覚に関しては昼よりも夜のほうが優れている。

 すぐそばを帝国の導力鉄道が走る、駅前通りのジオフロントA区画入り口。
 そこに向けて階段を下ったヴァルド・ヴァレスはその鉄扉の前で佇むシルエットに気づき、その瞬間には人物の特定が完了していた。
「てめぇ、そういうことかよ」
「…………」
「サツの野郎からの呼び出しと見せかけるってのはてめぇらしくもねぇが、いいぜ、タイマンで決着といこうじゃねぇかッ!」
「……ヴァルド、僕も呼ばれただけさ」
「あン?」

「―――こんばんは、わざわざ済まないな」
 ワジ・ヘミスフィアの言葉に訝るヴァルドの背から二人に言葉をかけたのが今回の主催者である特務支援課である。
 特務支援課の四人が眼前に並ぶのと同時にワジは笑う。
「それで、何か面白いことでもわかったのかな?」
 その言葉はくだらない話であった場合の覚悟を問うていた。
 ヴァルドは自身の得物を肩に担ぎ沈黙している。彼は感情のままに動くので、一度それが空回りすると行動が遅れる節があった。
「そうだな。キミ達にとってはなかなか興味深い話だとは思うよ」
「……おい、どういうことだ」
「今は話を聞こうよヴァルド。それ次第じゃ何してもいいって言うし」
 言ってないとは四人は言えず、鼻を鳴らしたヴァルドに少しの呆れを覚えながらロイドは話し始める。

「―――五日前に起こった二つの闇討ち事件、それに関わっているだろう勢力を見つけた」
「なに?」
「へぇ」
「そもそも二人には闇討ちなんていう卑劣なことはしないだけの不思議な信頼があるはずだ。それに加えて同日同時間帯に起こることも二つのチームだけじゃ難しい。だからそこには第三の勢力がいるはずなんだ」
「そして私たちはそうと思しき勢力を見つけた。それがルバーチェ」
 ルバーチェという単語にヴァルドは驚き、ワジは納得の表情をした。
「ルバーチェの実態は二人も知っているだろう? そのルバーチェの構成員が最近になって旧市街で見かけられることが多くなったらしい」

 ヴァルドとワジは沈黙し、やがてワジが言った。それはこの第三勢力を決定付ける言葉である。
「……ルバーチェね。そういえば来てたな、彼ら」
「ルバーチェが直接来たのかっ?」
「あのいけすかねぇ奴らか、てめぇらンとこにも来てたのかよ」
 どうやらルバーチェはテスタメンツとサーベルバイパー、両チームと接触していたらしい。この話が聞けていればもっと早く到達したかもしれない。
 捜査が甘かったことに歯噛みしたが、その前に話を進めようと決めた。
「それで彼らは何を言ってきたの?」
 エリィが尋ねると、二人の回答は同一であった。
 傘下に加われ、である。
 つまり特務支援課が出した答えと同じである。四人は顔を合わせて頷き、ロイドは今までの捜査から導き出した結果を述べた。

「仮にルバーチェが闇討ちの犯人だとして、真っ先に考えるべきなのはその目的だ。旧市街の不良チームを壊滅に追い込んで、一体ルバーチェに何の得があるのか。それは最近になって現れた黒月という組織が関係している。黒月にクロスベルの覇権を奪われたくない以上ルバーチェは抗争を行うはずだ。そこで必要なのは人員。これは二人の証言通りだな。しかし二人はそれを是としなかったし、メンバーもそうじゃなかったはずだ。これではルバーチェは人員を確保できない。そこでルバーチェは両チームの絶対的な存在であるヴァルド・ヴァレスとワジ・ヘミスフィアの両名を潰そうと考えたんだろう。そうして頭がいなくなったところで残りのメンバーを吸収する。そういう計算をしたんだ。だから普段のような小競り合いではない徹底的な対立が必要だった。そしてルバーチェは、互いに犯人だと思わせる証拠を残しながら闇討ちを行った」

 互いが犯人だと断定せしめたのは犯行に使われた凶器である。逆に言えば証拠はそれだけであり、同時にそれが両者の無罪証拠でもある。
 不良でありながら一本筋の通っているサーベルバイパーと知性派で売っているらしいテスタメンツだからこそありえない状況なのだ。

「これが俺たちの掴んだ真実だ」
 区切りをつけたロイドは大きく息を吐いた。それは虚空に消えていく中、真実を教えられた二人の表情を目撃する。
 一方は目を閉じ腕を組み、自身の思考の中に溶け込んでいる。
 一方は木刀を掴んだ手が音を立てながら震えており、それに同期して顔面の血行が良くなっている。目はカッと見開き、軋む音を立てて顎が閉じていた。
「ハハハハハハハッ!! 上等だ! コケにしやがってぇ!」
 ヴァルドは激情に身を委ねて去ろうとするがワジに止められる。ルバーチェはマフィアだ、たかだか不良チームの頭では相手にもならない。そう諭すワジも冷静に見えるが、その奥には怒りがチラついていた。
「―――さてと、それじゃあ作戦を練ろうじゃないか」
「え?」
「何驚いた顔してるんだい? ここまでやられて黙るわけないじゃないか。キミ達にも協力してもらうよ」
 ワジの底冷えのする笑みに四人は苦笑いを返すことしかできなかった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 草木も眠る丑三つ時、街灯も少なく真実闇に彩られた旧市街に、その闇を纏ったようなスーツの男が現れた。
 全部で四人、いずれも顔が判別されないようにサングラスをかけている。その時点で彼らが只者ではないことが見て取れた。サングラスはゼムリア大陸では珍しい品であり、また太陽が消えた世界では必要のないものだからだ。
 いずれも派手な色をした髪の毛により差別化できるその少数は辺りを見回し、その静けさに訝る。
 数日前に彼らが行った所業によりこの地域は眠らない場所となったはずなのだ。それがこうして来てみればむしろ眠っていない者を探すほうが難しい状況である。
 彼らは密談を重ねた後、懐や腰など衣服で隠れている場所から物々しい武器を取り出した。それは釘つきの棍棒であったり、石などを飛ばすパチンコであったり。
 武器を隠そうともせず彼らは歩き、交換屋の角から奥を見やると地下から一人の青年が歩いてきた。青い装束を着た青年はおそらくテスタメンツのメンバーだろう。
 彼が歩く先を特定した彼らはちょうどドラム缶やその他の金属が置かれているスペースに入り込んだ。奥は扉になっており、そこからジオフロントのD区画に進むことができるがそれは今に関係のない話だ。

 彼らは息を潜め、青年が通り過ぎるのを待つ。
 果たして青年は進行方向を変えないままその場を過ぎ去り、黒服の一人が背後に躍り出たのを確認する間もなく棍棒によって昏倒した。
 脱力した青年を確認して残りの男も出てくる。彼らはニヤニヤと口元を歪めながら武器を手で弄んでいたが、初撃を与えた男のみが歯に物を挟んだような感覚を抱いていた。
 そしてその感覚のままに怖気が走る身体を無理やり背後に倒す。目の前を棒が通り抜けるのを見た。整髪料で纏め切れなかった前髪が数本中に舞い、男は間一髪で避けたことに安堵したまま、背後からの銃撃で意識を飛ばした。

「な!?」
 驚いたのは残りの三人、交互に前と後ろを見る。前にいるのは昏倒したはずの青装束の青年ロイド・バニングスであり、後ろにいるのは銃を構えたエリィ・マクダエルである。
「クロスベル警察特務支援課のロイド・バニングスだ。大人しく投降しろ」
「同じくエリィ・マクダエル。気絶しただけだから安心して膝を着きなさい」
「警察だと!? どういうことだ!」
「どういうことも何も、そういうことだっつの」
 頭上から聞こえた声に見上げると、背負った建物の屋上からランディ・オルランドが俯瞰していた。その横には雄たけびを上げるスタンハルバードが意識を刈り取らんと待機している。

「ちぃ! なんでこんな所に警察が……!」
「とにかく状況が悪い、撤退するぞ!」
 手に持っていた得物を一斉に投げ出し、懐から本当の得物を取り出す。一人は更に丸型のオーブメントを取り出し地面に叩きつけた。
 瞬間闇を追い払う光が殺到し、三人は咄嗟に腕で目を庇う。
「閃光弾っ!?」
「ち、いいもん持ってんじゃねぇか!」
 三人が目の眩みから立ち直った時には既に男らはいない。あの隙に手近のロイドとエリィを狙わずに逃げたことが彼らにとってのボーダーラインを表している。
「ロイドっ」
「想定内だ、追うぞ!」
「がってん承知の介だ!」

 この場所から逃げるルートは二つ、だが旧市街を抜けるにはただ一つの道を行くしかない。結局のところそこさえ抑えれば勝ちなのである。
 そして既にそこはテスタメンツとサーベルバイパーの全人員が固めている。
「東ルートに二人、西に一人です!」
 ランディの横に隠れていたティオが逃走ルートを把握、三人に伝える。
「ランディは西、俺とエリィは東に行く! ティオはこいつを頼む!」
 頷く二人を見た後エリィに振り返り、目で同意を得て追走に入る。

 東ルートと西ルートでは広場を確認するタイミングが異なる。西では見た瞬間に諦めが入るが、東ではより遠方から確認できる為に別ルートに行く可能性が高かった。
 案の定西の一人は多勢に無勢を強制されて沈黙し、そして正規ルートを諦めた二人は立体的な逃走ルートを計ろうとガラクタの上をと登る。
「ふふ、ご苦労様」
 その頭上にワジ・ヘミスフィアが牙を砥いでいたのも知らず。
「ワジ・ヘミスフィア!?」
「遅いよ」
 慌てて銃を向けた一人の懐に流れるように侵入、銃に手を添えて銃口を外し、次の瞬間には既に男の背後に。蛇のような腕が首へと巻きついたかと思えばすぐにそれは外され、男の意識は闇に沈む。

 実に恐ろしきはその早業を足場の不安定な場所で行ったことであるが、そんなことは男には関係がなかった。
 残る一人はワジの攻略が不可能と見るや飛び降り、追ってきたロイドとエリィに相対する。
「ラストはあげるよ」
 ワジの軽口に応えることもせず、二人は油断なく構えた。男の武器は長さ30リジュほどの小刀、切っ先をゆらゆらと漂わせて機会を窺っている。
 この時点で男が逃走を諦めていることがわかる。
 逃げたければ悠長に戦闘行為を行わない。仲間が捕獲された今、逃げ延びても彼に大した得はないのだ。ならば今の状況を作った者に一矢報いるほうがいいと考えたのだろう。

 揺れる切っ先から視線を外さずにロイドは後の先を狙う。
 ロイドの武装・武法は正にこのような場面を想定されたものであり、故にロイドは訓練を思い出しながら、適度な緊張感を抱いて臨んでいた。
 そしてエリィは自分の役割が後方支援であることを自覚しているので、銃を撃つ時はロイドに危険が迫ったときのみだと考えている。
 徒に撃っても邪魔になるだけだ。そうならない自信はあるが、今回はロイドに任せる所存である。それは特務支援課が初めて迎えた大きな事件であったからだ。
 戦闘ではなく、支援要請ではなく、クロスベルという魔都の闇の一つに触れた事件であるとエリィが感じているから。だからこそエリィはその節目をリーダーであるロイドに決めて欲しいと思っている。
 それが公私混同に近いこととわかっていても、だからこそエリィ・マクダエルはそう願わずにはいられなかった。

 遠くにあった喧騒が止んだ。一先ずは落ち着いたのだろう。残りはこの場のみ。
 観客はワジ・ヘミスフィアのみの、この日最後の壁。
 それはぶつかり合う金属音から始まった。

 小刀の長所はその俊敏さにある。一撃の重さではなく数の暴力で戦闘を制圧する。この狭まった場所においてはその得物は正解と言っていいだろう。
 しかし相手は二本一対の特殊警棒。数が倍である以上、小刀の手数は通用しない。加えてその形状は人間の構造を把握し動きを封じるに最適である。

 切り払いは千日手、故に男は主戦法を突きにする。点の攻撃は雨のように無数に放たれ、それをトンファーが点で防ぐのは難しい。
 故にロイドは放たれる腕を絡め取って軌道を変えることを選ぶ。しかし男も腕を取られないように注意しているので結果的には突きの軌跡を変えているだけに過ぎない。

 この攻防は果てがないような状況だが、しかしそれはノイズとともに生まれた。
 攻め続ける男と防ぎ続けるロイド。
 雑音は、ロイドの脳裏に現れた。導力通信が乱れたような音の後、聞き知った声が聴こえてくる。

“―――――――――”

「っ!?」
 突然のノイズに顔を歪めたロイドは手が遅れ、防壁を突破される。
 胸に吸い込まれるような軌道で襲い来る刺突が無音の中スローモーションのように感じられ、しかし音と共にその小刀は弾き飛ばされた。
「ぐっ!」
「ロイドッ!」
 いつの間にか移動していたエリィの銃撃を理解した刹那、
「ああああああああああああああああ!!」
 裂帛の気合とともに渾身の一撃を振るう。武器を取り落とした男にそれを防ぐ術はなく、鈍い音を生みながら後方の瓦礫に叩きつけられた。
 ガラガラと音を立てて沈む身体、浮かぶ砂煙。肩で息をしながらそれを見つめていたロイドは、肩に置かれた手で我に返った。
 隣でエリィが笑っている。
 釣られて笑みが零れた。

「結構危なかった?」
 拍手するワジが見下ろしてくる。ロイドは一つ息を吐いた。
「危なくなんてない。俺は一人じゃないんだから」
「………………アハハハハハハハハハ! やっぱりキミはいいよロイド! 最後を任せて正解だった! ハハハハハハハハ!」
「…………」
「……はぁ」







 事態はここから急転する。
 旧市街に現れたルバーチェの構成員、その全員を縛り上げるが男たちはその状況で脅しをかける。クロスベルにおいてルバーチェに逆らうことの恐ろしさを訥々と話す彼らにヴァルドは更に怒り散らすが、それは残念ながら事実である。
 しかし同時に、そのルバーチェの構成員がたかが一区画の不良に敗れたという事実が許されるはずはないのだ。つまり、この件がルバーチェの幹部に伝わることはないのである。これはテスタメンツとサーベルバイパーにとってはいい結果である。

 しかし当の本人たちが納得するはずはない。近いうちに報復するべく現れるだろう。
 そのことを危惧するロイドらの前に現れたのは、ルバーチェというピースを与えてくれたグレイスである。そして彼女の一言がこの事件を終結に導いた。

“アリオスさんがこの件に手を出すつもりだった”

 風の剣聖アリオス・マクレイン。敵に回してはいけない遊撃士協会の中で、尤も相手にしてはならない存在である。
 その威風は下っ端の彼らにも伝わっており、その名前だけで旧市街を舞台にした闇討ち事件を解決してしまった。これには特務支援課も、不良たちですら唖然とする最後であった。


 とにかくも両チームによる殲滅戦は回避され、彼らは今までの喧嘩仲間としての関係に戻り、ロイドらはその両ヘッドと関わりを持つことになった。
 釈然としない終わり方で心にしこりが残ったロイドたち特務支援課だが、後に発行されたクロスベルタイムズにて少しの達成感を得る。

 酷評された初出動、それからちょうど十日経ったその日。
 一つの壁を乗り切って、先にある大きな壁を見つけ、そして目指すべき背中の大きさを再確認したその日。

「……ランディさんが何もしていません」
「おいおいティオすけ、俺もちゃんと追っただろうが」
「でもやったのはサーベルバイパーとテスタメンツです」
「ふふ、ティオちゃんはちゃんとやってくれたものね」
「じゃあ働かなかったランディは酒抜きだな」
「ちょっ、そりゃないぜリーダー……」
「……働いたわたしが飲めないんですからランディさんも抜きです」
「いやティオすけ未成年だろ……」
「だから、全員お酒はなしなのよ」
「さぁ、親睦会を始めよう」

 四人は軽い宴を開いた。
 仲間とのこれからが無事に過ぎ去ることを祈念して。






「―――まさか代わりに解決してくれるとはな」
「なんだか嬉しそうね、アリオス。まぁあたしも負担が減ってくれるなら願ってもないことだわ。特に海外出張の多いあなたの、ね」
「俺としてもリンやヴェンツェルに迷惑をかけていたから望ましい結果だ。更なる精進を期待することにしよう」
「そうね。数日中にはあの子らが来るし、彼らの発奮材料には最適じゃない?」
「少なくとも折れなければいいさ。折れさえしなければ、良い結果が得られる」
「あら、自信ありそうね」
「…………さてな」

 アリオス・マクレインは空を眺む。そこには人を見下す月がいた。
 せめてもの慈悲にと光を送るその舞台装置を、アリオスは酒の肴にはしない。




 初出:1月12日
 改訂:1月13日 誤字訂正

 イラストコンテスト締め切り間近なので、更新が少し遅れるかしれません。



[31007] 2-0
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/14 22:18




「どうしてこうなった」
 ロイド・バニングスは一人ごちた。
 背中には哀愁が漂い、風が埃を舞い上げている。
 支援要請にも慣れ、仲間との連携もなかなかうまくなったと思う。事実いくつかの支援要請では良い評価を受けていた。それが驕りに繋がったんだろうか。
「いや、違う!」
 ロイドは頭を振ってそんな気持ちを振り払った。
 自分が未熟であることなど自覚している。時間が有限であることも知っていた。だからこそこうして今の状況になってしまったのだ。
「あれ、おかしいぞ?」
 かぶとの緒を締める思考をしていたはずがいつの間にか現状を肯定してしまっていた。
 捜査官ロイドの一日の不覚である。
「思い出せ、これまでを振り返るんだ……」
 ロイドは朝食の場面から回想を始めた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない







 朝食はロイドの友人であるオスカーの試作品であるブレッドだった。
 まだまだだと言って笑ったオスカーの顔を思い出しながら口にするが、そんな自己評価に反して美味しい。きっとパン屋にしかわからないこだわりがあるのだろう。
 コーヒーを口にして水分を摂り、ミーティングという名の駄弁りを始める。

「しっかしまいったぜ、あの猫植木をひっくり返しやがってよ。なんで俺が代わりに片付けなきゃならねぇんだっつの!」
「……ネコの気持ちがわからないランディさんが悪いのでは? コッペとあの仔は違うんですよ」
 ランディとティオは昨日のネコ探しの要請について会話を広げている。ネコという言葉に反応していたティオが率先して引き受けたので一応ランディも同行したのだが、どうやらそれが裏目に出たようだった。
「結局ネコはティオが捕まえたんだろ?」
「当然です」
 心なしか誇らしそうな彼女。
 ティオはあまり感情を表さないが、それでも少しはわかるようになってきた。なんとなく仲間意識が強まったからかなとロイドは思う。

「そっちは何かなかったのか? 確か市庁舎の事務作業だったか」
「こっちは問題なかったよ。警察学校で事務仕事については習っていたし、それにエリィが早かった」
「まぁ、あれぐらいはね」
 本来はエリィとティオに事務仕事を、ロイドとランディでネコ探しをしたかったところだが、やりたい仕事をするのが一番である。
「お前らも段々慣れてきたじゃねぇか」
 セルゲイがコーヒーを啜りながら言う。目は半分しか開いておらず、眠気覚ましのコーヒーは効いていないようだった。
「実にいいことだ、これからも苦労して遊撃士から評判を巻き上げてくれ」

「…………」
「ん、どうした?」
「……いえ、なんでもありません」
 遊撃士の評判が取れている気がしない、というのは今口にすることではない。まだ始動して一月も経っていないのに成果が現れることはないのだ。
 しかし今は手探りの状況であり、部下の立場からすれば上司に何か言ってもらいたいものである。しかしセルゲイにそれを望むのは無理な話で、今日も彼の言葉は支援要請に励めの一言。
 確かにそのとおりだが、それでもため息が零れた。

「……さ、今日も支援要請に応えよう!」
 陰鬱とした感情を振り払うように声を張り上げるロイド。だが彼は今日の食事当番だ。
 片づけを行う彼を差し置いて三人は端末の前に集まり確認していた。
(なんだかなぁ)
 そのとおりである。


 結論から言ってしまえば、支援要請は早々に終わった。依頼者の勘違いが一件、すれ違いが一件、四人ならではの捜索範囲により一件と、正午を少し過ぎた頃には本日の支援要請達成である。
「ふぅ、思ったより早く終わったな」
 肩を回してランディが楽しそうに言う。支援要請は多岐に渡るため退屈はしない。
 遊び人気質の彼には適度な遊び心が満たされる最高の職場である。
「お昼はわたしが当番ですが、何かありますか?」
 ティオが意見を求めるが、特になし。というよりももう四人で作ってしまえという感じだった。
 決して広くはない厨房で四人は会話を楽しみながら料理を作っていく。今回は当番であるティオを立て、彼女の好物を取り入れた料理となった。
 執務室で雑誌を読んでいたセルゲイを呼び、和やかな昼食を楽しんだ。






 回想が終わり、ロイドは目線を上げた。
 あぁ、怖いものが見える。
 しかし思い出した本日の中にはこれに繋がるものはなかった。
「もっと、もっと先に行かないと!」
 鬼気迫る彼は更に内層へと入り込んでいく、これが現実逃避であることは歴然だった。







 午後からの予定はない。支援要請が追加されることもなく、それならば訓練をしようということになった。
 手配魔獣の討伐はメガロバット以降まだないが、それでもジオフロントに潜る機会は数度あり、戦闘数も増えていた。
 それに比例して魔獣から得られるセピス数が増え、彼らはウェンディにスロットを一つずつ開けてもらっていた。クオーツも行動力1・命中1など増えている。

 四人は向上した身体能力に驕ることがないようにとの基礎訓練、また戦術面での選択肢の増加を狙う新たな戦技の開発という二点を目標にそれぞれ柔軟をこなした。
 場所は武器屋の前の踊り場である。ジロンドも宣伝になると承諾してくれた。
「さって、基礎訓練っつったら型稽古だな」
 警備隊出身であるランディはその日常が訓練に彩られていたはずだ。よって残る三人はランディの指示に従ってそれぞれの訓練を始める。
 ロイドはポイントを一つ一つ確かめながらの素振りを、エリィはホルスターからの速射動作を淡々と行う。
 ティオは魔導杖の特性と彼女の資質から型というものはないが、代わりに最年少であるために身体能力が三人に劣っている。ティオはぶつぶつと何事か呟きながら全身運動を行っていた。
 ちなみに彼女が一番苦労していたのはラダートレーニングである。
 じんわりとした汗を掻いているロイドとエリィを余所にティオは息も絶え絶え。
「もっとおっきくならねぇとなぁ」
 ランディのからかい九割の言葉にジト目で返すしかなかった。

 さて、基礎が終わった後は戦技に関してである。
 今までに使った戦技はそれぞれ、ロイドは周囲をなぎ払うアクセルラッシュとSクラフトである乱打タイガーチャージ。エリィは同一地点三射撃の3点バースト。ティオは解析・妨害のアナライザー。ランディは振動したハルバードによる叩きつけのパワースマッシュである。
 ロイド以外の三人はSクラフトを使用していなかった。
「CPを消費しねぇ簡易型ならこの場でできるぜ」
 Sクラフトの挙動は意識して行えるものだ。Sクラフト発動の利点はCPを消費しての強制発動と威力の増大である。訓練の場では使う必要はなかった。
「私は最後でいいかしら」
 エリィが順番を指定したので了承し、ランディ・ティオ・エリィの順に披露することにする。
 受け手はロイドである。
「……なぁ、別に俺が受ける必要は」
「あるだろ」
「あります」
「お願いね」
「…………はい」
 案山子でいいじゃないかと分室ビル一階の階段裏にある間抜けな顔を思い起こす。恨めしいが拒否権はなかった。

「こおおおぉぉぉ」
 ランディの呼吸が代わり、彼から発されるプレッシャーが増大する。ビリビリとした痺れが身体を襲い、ロイドは訓練にも関わらずガチガチに防御を固めた。
 ハルバードの先端が腕の移行と共に背後に回る。後ろに控えているエリィとティオはその猛威に目を見開いた。
「―――いくぜ」
「っ!」
「クリムゾンゲイルッ!」
 腰の高速回転からハルバードが前方全域をなぎ払う。赤いエネルギーが津波のように襲い来る感覚が凄まじい衝撃を伴って両腕に走り、踏ん張っていた足を地から引き離した。
「ぐぅ!」
 なんとか着地したものの足は固い石畳を滑っていく。
 3アージュほど後退して止まったロイドは思わずトンファーを取り落とした。

「つぅ……」
「おいおい大丈夫か?」
「あ、ああ……手が痺れてるだけだ」
 それにしても手加減してこの威力、ロイドは自身のSクラフトと比較して唖然とする。
 得物こそ違う、体格も違う。
 それでもこの威力を出せるようにならないとこの先やっていけないと強くそう思った。

「こいつがクリムゾンゲイル、俺のSクラフトだ。範囲は前方、まぁ踏み出す足の位置で変更が利くから自分の周りっつってもいい。その場合威力は落ちるし、変更できるのはこうした任意発動のみだからSクラフトとしてはやっぱり前だけだな」
 クリムゾン、真紅。
 ロイドが抱いたイメージは正確なものだったようだ。
 おそらく戦技として発動した場合CPは火属性のベクトルへと変わるのだろう。火の加護は攻撃値、威力は先の数倍は出るはずだ。
 まだ痺れている手で無理やりトンファーを取った。それは半ば意地のようなものだった。

「次はわたしですね」
「へ」
 ティオがランディと代わり前に出る。ロイドは慌てた。
「あの、ティオさん。もうちょっと待ってくれませんか?」
「トンファー持ってるじゃないですか」
「…………」
 意地などいらなかった。
 ロイドは諦めて構えを取る。ティオは満足したように微笑んだ。
 頭にある猫耳のような機械が光る。
「ガンナーモード、起動」
 言霊に従い魔導杖が造り変わっていく。それはまるで機関銃のようで、見た目質量が増えた気がするが気にしてはいけない。あれは未知の産物なのだ。大荷物を抱えるように両手で持ったティオが照準をロイドに合わせる。
「痛くないですよ」
「あ、あはは……」

 高音が漏れ出て、銃口に青の光が集う。種類的にはアーツと同じ魔法攻撃であるようだ。
 ロイドはちらと後ろを見た。石壁は耐え切れるのだろうか。するとその壁に淡い光が降り注いだ。エリィがアーツを使ったらしい。
 完璧だった。
「エーテルバスター、ファイア」
 反動に耐えたティオから放たれる青い直射砲、世界が絶望に彩られたような感覚でロイドは腕を顔の前で交差してそれを耐えた。
 僅か数秒の出来事、しかしロイドの身体はボロボロにされた。
 よく考えたら―――
「トンファーで、防げない、よね……」
 魔法を叩き切れとでも言うのだろうか。
 トンファーを持ったことが次いけますよという合図にならないではないか。しかしそれは立派なファイティングポーズである。

「エーテルバスターはオーバルスタッフのガンナーモードで撃てます。ちょっと反動が辛いのであまり撃てませんが、物理攻撃でないので頼ってくれて構いません。ちなみに使うとしばらく通常攻撃の威力が落ちます」
 威力としてロイドのそれと同程度だろうが、そのベクトルは異なる。魔法攻撃に頼らなければならない魔獣との戦闘において必ず役に立つだろう。
 そんなことをロイドは思いながら膝を着いた。

「最後は私ね」
「…………」
 エリィはこんな俺に撃つつもりかとロイドは恨んだ。しかし彼女が最後を望んだのはこのためである。
 白い導力銃に聖なる白光が集まる。
「―――聖なる女神の秘蹟」
 輝く銃をロイドは見ることができない。自分は仲間の不興を買ったのだろうかとこれまでの自分を思い起こしていた。
「オーラレイン」
 エリィは銃を空に向けて引き金を引いた。空目掛けた白い弾丸は暫くの後弾け、光の粒を撒く。それはとても温かく、ロイドは身体が熱くなっていくのを実感する。
 その光が止んだ頃には、その熱が活力となって沸き起こるのを感じた。

「これは、回復の……」
「そ。オーラレインは一定範囲内の皆を回復させるSクラフトよ。もう平気よね?」
 ロイドは立ち上がり手をにぎにぎする。今までのダメージが消えていた。
「…………………………はぁ」
 ロイドは大きく大きくため息を吐き、そしてあることを決めた。
「―――そういえば、俺ちょっと戦技を作りたいんだ。ランディ、相手してくれるか?」
「あん? 別にいいけどよ」
「ありがとう」
 ロイドは事の発端に邪悪な笑みを浮かべた。


 ロイドが作りたい戦技、それはアーツ解除の効果を持つものである。
 ビッグドローメに不覚を取ったあの時、その効果を持つ技さえあればという思いがそうさせたのだろう。
「アーツは結局のところ導力、つまり七耀石の力ですから、それがアーツにならなければいいわけです。エニグマではラインをなぞり属性値を満たして詠唱を開始しますし、魔獣は元来一定の属性値を含んでいますから即座に組めます。つまりは内蔵する属性値が必要な導力を組み上げ、それがアーツという形を作る前に乱してしまえばいいのです」
 ティオの解説を聞きながらロイドとエリィは自分の得物でどうすればできるかを模索する。
 ランディはその前に潰してしまえばいいと考えるのでそんな戦技を作ろうとは思わない。
「これは形を先に決定してしまうアーツだからこそできる解除法です。導力を集中させている間に異物を投入すればいい。指向性の乱れた導力ではアーツは発動しませんから」

 ティオはロイドに目をやった。
「CPを導力エネルギーとしてトンファーに纏わせて、わたしのアーツを解除してください」
「いや、それはランディにやってもらうよ。な?」
「どうしてです?」
「いや、俺が殴れるのはランディだけだから。ティオだって痛い思いはしたくないだろ?」
「…………それもそうですね」
「いや、いいとは言ったけどよ」
 濁すランディにロイドは笑いかけた。
「ハルバードで受けないでくれよ? 解除できるようにならなきゃいけないんだからさ」
 ランディはその笑みが誰かに似ている気がした。

 その後の展開を三語で表すと、ぐえ、やった、成功です、となる。
 そこには感電したように動かないランディとすっきりした爽やかな笑顔のロイドがいる。
「……大丈夫かしら」
「問題ないかと。ランディさんはタフですし」
「……っと、これでよし。完成だ」
 エニグマを操作してインプットする。ロイドはアーツ解除専用の戦技『スタンブレイク』を修得した。
 専用とはいってもダメージはあるし、付与効果で一時的な麻痺がある。立派な戦力になってくれるだろう。
「よし、訓練も終わったし、そろそろ夕飯の準備にしようか」
 もう太陽は沈む一方で、赤い光を放ち始めている。一体どれくらい時間がかかったのだろうか。

 ロイドとティオはビルに戻っていき、エリィは一応ランディを介抱した。
 ティアを唱えるとランディはすっくと立ち上がる。
 前髪に隠れて表情は窺えない。西日に照らされたランディはクリムゾンゲイルの時のように赤いオーラを放っていた。
「ら、ランディ……? 落ち着いて……?」
「なに言ってんだお嬢、俺は落ち着いている。そう、おにーさんだからな」
 鬼ーさん、とエリィの脳内で変換された彼は肩で笑ってビルへと戻っていく。
「………………」
 エリィは自分の出番が近いことを悟った。
 ちなみに、夕飯の準備だと消えていった二人は当番ではない。






 待合室のソファーで寛いでいたロイドとティオ。おしゃべりではないティオと二人きりの状況では、普段はロイドが話しかけることのほうが多かった。
「ロイドさん」
 しかし今日はティオが話しかけた。先ほどのことについての話だからだろう。
「良かったんですか?」
「ん?」
 ロイドはしゃべらずティオに先を譲る。
「ランディさん怒ったんじゃないですか?」
「大丈夫だよ、ティオは女の子だからわからないかもしれないけど、男同士ってのはああやって友情を作るもんだ。ランディだってわかってたから大人しく相手してくれたんだしね」

 それは男にしかわからない話だ。きっとエリィがこの場にいたら頭を振って、男の子ってどうしてそうなのかしら、とでも呟くのだろう。
 何も言わなかったがおそらくティオも、これは理解できない事柄に含まれていることだろう。だからロイドはティオの頭にポンと手を置いた。
「心配してくれてありがとうな、ティオ」
「…………子ども扱いはやめてください」
「おっと、ごめん」
「いえ」
「そっか」

 それきり二人は一言も話さない。その静寂は足音が扉を開けるまで続いた。
「うし、作るか! リクエストあるか!?」
 戻ってきたランディは笑顔でそう尋ね、ティオは目を開いた。
「オムライス」
「無理だね」
 ロイドのリクエストを斬って捨てるランディ。ティオには二人の距離が今朝よりも縮まっている気がした。ロイドの言うとおりだったことがわかったティオは静かに目を閉じる。
(わかんないものです)
 ただ本人たちがわかっていればいいのだと付け加えて。
 だからこそ、ティオはランディの怪しい表情を見ることはできなかった。







「あれ、にがトマトどこだー?」







 夕食はロイドのリクエストどおりのオムライスだった。ただしランディはその出身からか野営中などで食される大味な料理が得意であるため、その出来栄えは外見だけ見れば不恰好だった。
「うん、おいしいわね」
「そうだろそうだろ」
 エリィの評価にランディは笑い、ロイドに言った。

「なぁロイド。そう思うだろ?」
「……………………あぁ」
 ロイドも笑顔で応えた。ただし眉間にしわが寄っているのを隠していない。
「ロイドさんどうしたんですか?」
「なんだ、そんな変なもの喰ったみたいな顔は」
 セルゲイもスプーンを進めながら聞いてくる。それにロイドは曖昧な返事をした。
「あぁいや、その、ですね……」
「どうしたよロイド、俺の愛情がたぁっぷり詰まったこのオムライスが食えねぇってか?」
 たっぷりのぷの字までに長い間があったが、残念ながら普通のオムライスを食べているその他には伝わらない。
 しかしロイドはわかっていた。
 自身のオムライスだけが壊滅的な苦さを誇っていることを知っているから。
「……………使ったろ、ランディ」
「俺は知らねぇな」
「くっ! うおおおおおおおおお!!」
 ものすごい勢いでかっ込むロイドに皆が唖然とする中、ランディだけは意地の悪い顔で眺めていた。
「ごちそうさまっ! よしランディ模擬戦だ!」
「おいおい俺は食事中だぜ」
「このっ」

「―――はい終了」
 ロイドとランディはその言葉の主を見やる。
 エリィが銃を構えていた。頬に伝う汗が緊迫感を伝えている。
「―――ロイド、食事中なの。控えて」
「はい!」
「ランディ、にがトマト使ったこと知ってるのよ? やめて」
「ひぃ!?」
「明日は私が食事当番ね。二人は食事抜き」
 壊れた人形のように頷き続ける二人と鬼のようなエリィを前に、ティオはただガタガタ震えているしかなかった。
 そして彼女は思う。
(次はわたしですかね……)
 ロイドに攻撃した自分が標的にならないことを祈った。







 回想を終えたロイド・バニングスは改めてこの状況を見つめる。左にはランディが縮こまり、そして正面にはエリィ大明神様。
 セルゲイとティオはそそくさと自室へと去り、二人は冷たい床に正座している。
「―――だからわかるわよ? 男の子にしかわからない世界ってものがあることはね。でもそれは他の人に迷惑をかけてもいいことじゃないのはわかってもらわないと。その仲裁の為に私がいるわけじゃないってこともね!」
「はい」
「スイマセンデシタ」
 そうだ、何がいけなかったのかなんて明白だ。
「いえ、まだよ。今日はあなた達に言わなきゃならないことがたっぷりあるの」
 エリィを怒らせてはいけないのだ。そこにどんな理由があろうと、どんなに偶然であっても。

 アーツ解除用クラフトをだしに使ったからいけなかったのだ。それ自体が目的であり、それを手段にしてはいけなかったのだ。
「……お嬢だって賛同したじゃねぇの」
「何か?」
「イエ、ナニモ」
「私があの時同意したのはリーダーであるロイドに力を把握してもらいたかったからだし、私のは回復なんだから負傷してもらわないといけないでしょうっ!」
 絶句する。
 この瞬間ロイドとランディの間に不思議なシンクロが生まれた。曰く、



エリィ(おじょう)は恐ろしい”




 初出:1月14日


 アリオス以外の遊撃士の二つ名が知りたい今日この頃。
 本小説で後々出てくるかもしれない二つ名には注意してください。
 二つ名スキーな私です。



[31007] 2-1
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/16 22:44




 クロスベルに常駐する警備隊は二つの所属に別けられている。
 一つはエレボニア帝国との国境を守るベルガード門、一つはカルバード共和国との国境を守るタングラム門である。
そしてベルガード門には警備隊司令が、タングラム門では副司令がその最高権力であり、その力は警察上層部にも十分な影響を与えられるほどだった。
 そして今回特務支援課の四人が警察副局長に呼ばれたのは、正にその警備隊副司令官ソーニャ・ベルツが依頼をしたことによる。

 ティオのそれとは異なる水色の髪を斜めに下ろし、レンズの下部分のみにフレームがあるという珍しい眼鏡をしたその女性将校は適度に副局長の機嫌を取った後、依頼先である支援課を見て言った。
「今回あなた達に依頼する仕事、それはとある魔獣による襲撃事件よ。ノエル」
 ノエルと呼ばれた女性隊員が資料を渡してくる。ロイドはその隊員を見て懐かしいような印象を抱いたが、今はそんな感覚は後回しにする。
「事件が起こったのは自治州北東部にあるアルモリカ村、南にある聖ウルスラ医科大学、北西部にあるマインツ鉱山町の三つ」
「どこも市外ですね」
「市外の魔獣となると警備隊の専門ですし、私たちが役に立てるとは思えないのですが……」
 エリィが言うように、警察も事件さえあれば市の内外問わず出張るが、魔獣による事件となると普段魔獣退治に携わっている遊撃士や警備隊に一日の長がある。警備隊のナンバー2がわざわざやってくる案件とは思えないのだ。

「あなた達にはこの事件の不可解な部分をあなた達のやり方で調査してほしいの。こちらとしても一種の気休めのようなものだから肩の力を抜いてやってちょうだい」
 気休め。
 それは警察官よりも得意としているこの種の事件において進展していないことを意味している。
 つまりこれは今までに解決してきた同じような事件とは異なる何かがあるのだろう。ソーニャ・ベルツはそう判断し、警察に応援を頼んだのである。

「それじゃあよろしくね。副局長、失礼します」
「失礼します!」
 ソーニャとノエル隊員は敬礼して副局長室を辞した。ロイドらは思わぬ要請に辟易しながらも後を追うように部屋を出て、ロビーに下りてきた。
「あ、皆さんお疲れ様ですー」
 受付にはフラン・シーカーがおり、にこやかに挨拶してきた。支援を達成するたびに彼女の声を聴いているが、やはり直接会うのとは印象が違う。
 彼女は普段も元気一杯だが、今日は特別にご機嫌のようだった。
「皆さん聞いてくださいっ、さっき私のお姉ちゃんが来てたんですよー!」
「お姉さん? フランにはお姉さんがいたのか」
「はいっ、とっても凛々しくて優しい、自慢のお姉ちゃんなんですよっ!」
 その時四人の脳裏を過ぎるのは先の支援要請を受けたときにソーニャの傍に控えていた女性隊員。ノエルと呼ばれていた彼女はフランと同じ髪の色をしていた。

「じゃああのノエルって隊員がフランさんのお姉さんだったのね」
「お姉ちゃんと会ったんですか?」
「ええ、フランさんのことは一度も話しませんでしたが……」
 えーっと残念がるフランは眉をハの字状にして言う。
「皆さんのことは手紙に書いたんで知ってるはずですけど、お姉ちゃん真面目だから公私混同を嫌うんです。私がお姉ちゃんって呼ぶのも許してくれないんですよ!」
 いいじゃないですか、と思い出し怒りをするフランに苦笑いしながら四人は分室ビルへと戻る。その間の話の種はフラン・ノエル姉妹のことと、ランディの話である。
 ランディは副局長室に入ってソーニャを見るととんでもなく驚いていた。ソーニャ自身にも個人的に話しかけられ慌てる素振りを見れば食いついても仕方がない。

「あの人黙ってりゃ美人なのにめっちゃくちゃ怖ぇんだよな……訓練も鬼だしよ」
 ため息と共に零れる言葉には実感が込められていた。
 ランディはベルガード門、ソーニャ副司令はタングラム門に勤務していたので直接的な上司ではなかったが合同訓練等では世話になったという。
 ランディの古傷を抉るような感覚に陥った三人はそこで会話をやめた。奇しくももう中央広場でありいつもの喧騒の中である。
 行政区は市内の中でも人通りが少ないため、この道順だと中央広場はより一層栄えて見えた。見知った顔もいれば旅行客のようにたくさんの手荷物を抱えた人もいる。

 階段を下っていく途中、ロイドの目の端に鮮やかな色が飛び込んできたが、それはすぐに人ごみに消えた。ロイドも手に持つ調書を気にしてすぐにそれを忘れた。
 それが新たな風であるとも思わずに。







 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない







 東通りの遊撃士協会はクロスベルタイムズにとってネタの宝庫である。警察の怠慢のおかげで絶えず依頼が飛び込むこの場所は、その依頼数に見合う実力を持った遊撃士が、依頼数に見合わない少数でそれを捌ききっている。
 当然優先度が低い依頼には断りを入れることもあるが、それでもマイナス材料にはならないほど依頼者に満足を届けていた。記者としてはそこに入り浸っていたいくらいだが遊撃士の仕事の邪魔になることは絶対にしてはならない。
 それはクロスベルタイムズの記者としてよりグレイス・リンという人間として犯してはならない境界線であった。

 そんなグレイスはとある情報を得てその扉の前にいる。それは事実ならばクロスベルに住む市民ならば歓迎して止まない情報、すなわち遊撃士の増員である。
「空港のがそれらしき連れを見たらしいけど、直接会っておかないとね」
 空港と駅には常駐の記者がおり、グレイスはそこから情報を得てここにいる。カメラ片手に気合を入れて足を踏み入れた。
「いらっしゃ、あらあなた?」
「どーもミシェルさん」
「あなたも大概早いわねぇ」
 受付の男ミシェルは呆れたように言い捨て、グレイスはにっこり笑った。
「残念だけどもう出ちゃったわよ」
「もうですかぁ!? そりゃ遊撃士の慣習は知ってますけど……」
 遊撃士は初めての土地であればまず自らの足で地理把握に向かう。自分の目で見て確認して、守るべき場所を刻み込むのだ。
 特務支援課が最初に行ったものと同じである。
「うぅ、お邪魔しましたぁ」
 とぼとぼと踵を返すグレイスにやれやれと言った風にミシェルは言った。
「今日はマインツ方面に行くって」
「ありがとうございますっ!」
 グレイスは足早に出て行き、ミシェルは中断していた作業に戻った。
 彼の思惑通りに事が成ったことに笑みを浮かべて。








 ビルに戻った特務支援課はノエルから受け取った調書に目をやった。それには時系列順に被害場所の詳細等が記されている。順番はこうだ。

 二週間前の深夜、アルモリカ村複数家屋の農作物及び家畜に被害。現場には無数のイヌ科と思しき足跡あり。
 一週間前の深夜、聖ウルスラ医科大学病院敷地内にて研修医の一人が負傷。被害者は複数の黒い犬型魔獣を目撃。
 二日前の二十二時頃、鉱山町マインツにて採掘機械及び鉱員一人が犬型魔獣に襲われ負傷。魔獣の姿が確認されている。また現場に残された足跡はアルモリカ村のものと一致。

「これは……」
「ほとんどクロスベル全域ね」
「だが、おそらく同一犯なんだろう? 手広くってレベルじゃねぇな」
「犬型魔獣、いえ狼ですか……クロスベルの種類なんですか?」
「いえ、黒い狼は見たことはないわ」
「すっと新種か、外来種か。流石に自治州外の魔獣まではなぁ……」
 クロスベルに存在するイヌ型の魔獣は西クロスベル街道に現れるバイトウルフという茶色の毛並みを持った種類だけである。稀に遺伝子の変異か黒い種が生まれることもあったが、それが徒党を組むほどに増加した例はないのでエリィは知らなかった。
 しかし当然ながら警備隊は把握しており、その特徴と当初はその線で探っていたことが記されている。それでも確証が得られなかったのは、バイトウルフの生息地とかけ離れた場所も被害にあっているからである。

 魔獣は通常の獣と同様に自分たちの縄張りを頑なに守っている。よほどの事態が起きたとしてもそこまで行動範囲を広げるとは思えない。
 そのよほどの事態が起きたのか、それともバイトウルフではないのか。犯人像が見えないことが停滞の原因だろう。
 警備隊としては一度被害にあった場所を重点的に守ることしかできない。
「どうしますかロイドさん。警備隊の方が期待するわたしたちのやり方では、最初に何を考えるべきでしょうか?」
 ロイドは調書を透かしてみるように片手で持ち、捜査官が事件を捜査することを端的に脳裏に上げ、呟く。
「―――事件には犯人と被害者が必ずいる。そして被害者にはそうなった理由が、犯人にはそうした理由があるはずだ」
「そうね、それで言うと犯人は魔獣。被害者は、家畜・農産物・人かしら」
「犯人と被害者の理由っつーのはわからねぇな」
「するとその理由を探してみる、ということですね」
「ああ。犯人の動機、及び襲われた理由は今のところ一番明確な被害者から割り出せると思う」
 犯人の魔獣は黒い狼型であることのみで確かでなく、故に確定している被害者の情報から攻めることが一番の近道である。

 捜査方針が決まったことでやる気の出てきた四人は席を立った。
「あら?」
 ふとエリィがテーブルの上に置かれている調書を流し見た。最後に見たロイドが置いたままの状態だ。
 各自情報は手帳に記したとはいえ重要な資料をそのままにしておくわけにはいかない。ロイドを見るとランディに絡まれているところだった。冷めた目で見つめるティオがかわいらしい。
 仕方ないなと思いながらエリィは調書を取り、そして裏に小さく書かれている文を見た。


 尚、昨日タングラム門警備中のノエル・シーカー曹長が白の狼型魔獣を目撃。
 しかし襲ってはこず、そのまま立ち去ったことも記載しておく。






 被害のあった順はアルモリカ村、聖ウルスラ総合病院、鉱山町マインツの順である。支援課の四人はその順番に訪ねることを決めていたが、その前にやることがある。
「そういえばこの四人で市外に出るのは初めてね」
 百貨店にて陳列棚を挟んでエリィが言う。出発前の準備とはいえ買い物が楽しいのかご機嫌な様子だ。
「ああ、初見の魔獣ばかりだろうし、備えるものは備えないとな」
「もう、そんなことばっかり。今日は天気もいいし道中くらいは楽しく行きましょうよ」
 ちなみにクロスベル市と自治州内の各地域の間には導力バスの運行がなされており、そのために行き来が楽になっているのもクロスベルが繁栄し始めた要因の一つだ。
 事件の解決を最重要視するなら当然バスに乗ったほうがいいのだか、どういうわけか徒歩を選択した四人がいる。
 遊撃士の慣習を知っているわけではないが、クロスベル市内と同様に一度は自分たちの足で歩くべきだという気持ちがどこかにあったのだろう。
「アルモリカ村からの道はアルモリカ古道と言って随分歴史のある道らしいですし、楽しみです」
 ティオも少しだけ笑みを見せてエリィにくっつきながら物色している。ランディはそれを微笑ましそうに見ていた。

「ん?」
 二人を見ていたランディはふと目線を上げ、二階を眺める。百貨店の二階は専ら服飾の店舗が並ぶので今回は用がない。
 ロイドも釣られるように二階を見て、見知った姿があることに気づいた。
「あの子は……」
 アルカンシェルの前で会った紫髪の少女。彼女は連れの黒髪の少女の買い物に付き合っているのか次々と見せられる服を苦笑いしながら見つめている。
「ああ、ロイドのタイプの子だな」
「…………」
「つっこまないのかよ……」
 否定する姿を見たかったランディの期待に沿うことはできず、エリィに呼ばれて二人は歩き出した。


 準備が整いいざ出発、というところでエリィが口を開く。
「ねぇ、ちょっとタングラム門も訪ねてみない?」
 エリィは先ほどの調書に書かれていた文を話した。
「白い狼、か」
「被害者の目撃証言とは違うな。それに襲ってもこなかったみてぇだし」
「……ノエル・シーカー曹長。あの人ですか」
 特務支援課の補佐を担当するフラン・シーカーの姉である彼女はあの若さで曹長にまで昇っているという。所謂若手のホープだ。
 その彼女自身が目撃したというのなら是非にも聞いてみたいが……
「聞けるんですか?」
「……どうだろう」
警備隊が常より各地の警備に力を入れている現状、彼女もどこかに行っているかもしれない。
 タングラム門に行った所で彼女がいなければ無駄足だ。ここは一度警備隊に連絡を取るべきだろう。
 ロイドはエニグマでセルゲイを呼び出す。しかしいくら待っても出る気配がない。
 被害順では一応最後になるので、今日は後回しと言うことで先のとおりにアルモリカ村に向かうことにする。

 中央広場から東通りへ、遊撃士協会の前を通り、旧市街に向かう階段を降りずにそのまま東クロスベル街道へと進んでいく。
 ふと左手に小さな地蔵が見えた。生憎お供え物はなかったので参拝はできなかった。
 そして特務支援課はクロスベル市を出る。
 空気が変わった気がした。


 東クロスベル街道とは言っても始めは只管に直線が続くだけである。クロスベル市を一歩出た途端にその下はルピナス川が流れており、そこは鉄橋の上である。
 左手端にはバスの運行状況を伝える時刻板が立てられており、そこから内側は石畳が敷き詰められていた。
 周りが川であるが故に見渡すと遠方まで景色が広がり、青い地とそれに寄り添う緑、それらを包む空で世界が創られていた。
 遮るもののないこの地点では風が少々強い。流れる髪を自然と手で押さえ、エリィはロイドに聞いた。
「ここからアルモリカ村まではどのくらいかしら」
「そうだな、俺も歩いたことはないから正確なところはわからないけど一時間半ってところかな」
「バスだと片道30分みたいですね」
 ティオが見た時刻表にはバスの運行が二時間毎になっている。仮にバスが今出たのなら歩いたほうが速い。

「しかし、ほんとに大丈夫かよ……」
 ランディは気持ち良さそうに目を細めているエリィとティオを眺めながらぼやく。
 彼としてはバスでも徒歩でも何でも平気だが、彼女らにとっては大問題ではないかと考えていた。ロイドをチラと見ると彼はあまり心配していないようだ。
 それを見ると杞憂に終わるかと思えてくるが、ランディはロイドの今までを思い返して頭を振った。彼だけがロイドの問題点に気づいているからこその行動だった。

 そんな彼の不安を余所に歩みを進めるロイド、エリィ、ティオはまるでピクニックにでも行くかのような軽やかな足取りだが、ふと会話が途切れ辺りを見回す余裕ができた時に違和感に気づいた。
 いや、違和感などという物々しい表現が適切な現象ではない。単に認識不足による結果である。
「えっと……?」
「……え?」
 エリィとティオが同時に言葉を上げ、ランディは訝った。
「なんだ、どうした?」
「いや、俺には二人の気持ちがわかるよ。まだ鉄橋だったのか、だろ?」
「……あー」
 ランディはなるほどというように声を出した。彼は既にその現象に飽き、慣れていたが話に夢中の三人は気づかなかったのだろう。
 東クロスベル街道のこの鉄橋、実はひたすら長いのである。これだけ長い橋を作ることの難しさなど理解する気もない利用者にとってはそれは面白みにかけるものでしかない。とはいえ普通はバスによる移動なのでここまで時間はかからない。これは徒歩の彼女らにしかわからない驚きだろう。
「ま、俺を会話に混ぜない罰だな、暫く退屈にしてろい」
 ランディは鼻を鳴らして三人を追い抜く。やっと気分の乗ってきた彼だが、ティオは呟いた。

「……でももう終わりみたいですね」
 今ランディが踏みしめた地面は石畳だが、その下にあるのは鉄の塊でなく土だった。
「………………」
「ごめんなさい、でもそのとおりね」
 ランディに少し申し訳ない気分だったエリィは謝りつつもティオの指摘が面白く笑ってしまう。
 スタスタと前に行くティオとエリィを見送ったランディの肩にロイドは手を置いた。
「……頑張ろう」
 ちくしょう荷物一番持ってるのが誰だと思ってるんだ。ランディは心の中で愚痴った。
 しかし彼の見せ場はこの先にある。空の女神は誰にも平等なのだ。
「ふふん」
「……?」
 不意に笑ったランディを不思議そうにティオが見ていた。その額は軽く汗ばんでいる。


 うららかな陽気は心地良い、しかしそれも程度によるのだ。特務支援課に所属して以来の初めての脱落が待っていることをティオは知らない。




 初出:1月16日


 更新遅れるかもとか書きましたが、よく考えたらストック消費すればいいだけでした。新章開始です。




[31007] 2-2
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/18 23:03



 グレイス・リンは住宅街を出てマインツ山道にてバスを待っていた。
 クロスベル市から出たらそこは魔獣の出現場所であるので、彼女のような一般人には移動手段に徒歩という選択肢はない。個人の導力車があれば時間の関係なく各地へと回れるが、一介の記者である彼女にそのような高級品は似合わない。というか買えない。
 というわけでグレイスはそこかしこにある小石を蹴っては暇を潰していた。
「全くもう、これじゃあの二人が着いちゃうじゃない……!」
 彼女の目的である二人の新人遊撃士は今頃どの辺を歩いているのだろうか。
 マインツ山道は文字通りの山道であり傾斜も激しく道も荒れている。普通に考えればこうしてバスを待っていたほうが早いことは確実なのだが、しかし、クロスベルにやってくる遊撃士を単なる遊撃士と判断してはならない。
 少なくともBランク、もしくはそれ以上という評価は遊撃士協会の誇る人員の中でも上級に位置されている。それはクロスベルという街の異常性を見せ付けるレベルでもあるが、とにかくクロスベル支部の遊撃士は優秀なのだ。こんな一般人が歩くことが困難な山道でもすいすい進んでしまうことだろう。
 確認の為の行脚というのが気休めにしかならないのが嬉しいのか哀しいのか、一市民としては嬉しく、記者としては、やはり嬉しいのだろう。優秀であればあるほど記事にしたときの反響が凄まじいものなのだ。

 その時小さな駆動音が聞こえてグレイスは顔を上げる。それはやがて大きくなっていき、その巨体を見せた。
 黄色の四角い箱。まさしく彼女の待ち望んだ導力バスである。
「待ってましたっ!」
 やっても意味も無いのに手招きするグレイス。
 待ち時間は三分であった。
 運転手の名誉を守るために付け加えると、時刻表通りである。

 クロスベルタイムズ記者、グレイス・リン。落ち着きがないのが欠点だった。







 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない








 ばてていた。
 疲れていた。
 そう彼女はティオ・プラトー。待機状態の魔導杖を展開して杖代わりにしようか、それとも荷物になるだけで負担になるのでやめようか絶賛悩み中の14歳である。
 幼さの残る容貌には疲れがありありと見え、見ている側が辛くなるほどだ。

 始めは景色を楽しむ余裕があった。レマン自治州出身の彼女はクロスベルの景観を見慣れていないために全てが新鮮で興味深かった。エプスタインの研究所に缶詰であったこともその素晴らしさのスパイスである。
 おのぼりさんよろしくキョロキョロと辺りを見回し、それをロイドとエリィ、ランディは微笑みながら見つめる。ランディも先の鉄橋の件をお兄さんだからと水に流した為に四人は楽しく会話しながら歩いている。
 ティオも会話に参加しているが、彼女が景色に囚われている間の三人の会話は、小声でティオを愛でる会となっていた。

 途中で小川が流れており、小さく架かった橋からそれを見下ろす。透き通った水の中を川魚が泳いでおり、ロイドが薀蓄を垂れ流していた。
 ロイドは魚に詳しかった。
 ランディは肴に詳しかったが誰も相手にしなかった。

 とは言え何もなかったわけではない。当然の如く魔獣はおり、その度に魔獣手帳に記していった。
 好戦的な魔獣とは戦闘を余儀なくされたが、ただそこで生きている魔獣は記して後でも放置している。今回の目的はアルモリカ村であるのでそこまで重視しなくてもいいという共通認識があった。

 今まで戦った魔獣は鳥型魔獣『メタルソーサー』、蛇型魔獣『エッグスネーク』である。
 メタルソーサーは素早い上に羽が刃のように鋭く、エッグスネークは卵の殻のような胴体は固く、また牙には神経毒があるためにそれぞれ危険な魔獣である。
 メタルソーサーは耐久力がないためロイドが振りを小さくした連撃で墜ち、エッグスネークはティオの魔導杖に弱かった。

 反対に戦闘しなかった魔獣はカタツムリのような『ベルガ蟲』と、発見当初は動揺した『グラスドローメ』である。
 後者は彼らが最初に挫折したビッグドローメの縮小版であるが、気づかなかったのかおとなしい気性なのか、戦闘に至ることはなかった。
 これだけ見ると戦闘は二回、さしたる怪我もなく消耗も少なかったのだが、実はもう一種の魔獣がティオの体力を簒奪していったのである。


 それは舗装された道を少し外れた草むらの中、光り輝いて存在をアピールしていた魔獣。
「ん? なんだありゃ」
 ランディの言葉に全員が目を向けた先では光の球が跳ねていた。
「…………」
「…………」
「…………魔獣?」
「かわいい……」
 エリィの感想はさておいて、この光溢れる白い魔獣は『シャイニングポム』。ポムと呼ばれる魔獣種の中でも目撃の少ない存在である。
 天使の輪っかのようなものを頭上に浮かせたその姿は丸い天使と言えよう。
 ちなみに何故光るのかというと、内蔵するセピスが他の魔獣より何倍も多いからである。種類も豊富で、一説によるとシャイニングポムを捕らえた人には空からセピスが降ってくる、と言われているほどだ。

「うっ……!」
 つぶらな瞳にクラりと眩暈がしたエリィを置いておいて、情報を得たティオはそのセピス量に目の色を変えた。
「ゲットです……!」
 魔導杖を戦闘モードに、即座に魔力球を生成し放つ。
 五つのそれがシャイニングポムへと飛んでいき、しかし瞬間、ポムの姿は掻き消えた。
「えっ!?」
 ティオはセンサーの反応に驚き振り返る。そこには先ほどまで目の前にいたシャイニングポムの姿が。
 これまでと同じくただ跳ねている彼?の姿に今までは感じていなかったむかつきを覚えたティオは宣言した。
「絶対に仕留めます!」
 エリィはいたちごっこのティオとポムにうっとりとしていて止めず、ロイドとランディもティオに漲っていたやる気を止められずにいた。
 あっちこっちを縦横無尽に跳ね回るシャイニングポムとひたすら走るティオ。その攻防はティオが肩で息をするまで続いた。

 そして現在、息も絶え絶えな彼女は無言で歩き続ける。
 体力と精神力が空っぽの彼女に歩く以外の行動はできない。シャイニングポムに逃げられたティオの目には伏した犬のオーラが宿っていた。
「なぁティオ……」
「…………」
 そこは分かれ道。
 アルモリカ村に続くアルモリカ古道とタングラム門に続く街道の二ルートがある。
 そしてその二又の地点にあるのがバスの停留所。その時刻表をぼんやりと見つめるティオ。
「ここでバスを待とうか」
「…………………………はい」
 こうして特務支援課の初市外研修徒歩の巻は中途終了となった。
 その後のバスの中で彼女が舟を漕いだのは言うまでもないことである。

「心地良い震動ね、これ……」
 ティオを乗せた揺り籠でエリィが目を細めて言う。徒歩で疲れた身体にこの乗り心地は反則だった。
「へぇ、なかなかどうしていい感じだな。普通の導力車もこんな感じなのか?」
「俺も乗ったことないからなぁ。捜査一課の人員は個別の導力車が支給されているはずだけど」
「何!? なんで俺たちにはないんだよっ!」
「それはそうでしょう、まだ実績のじの字もないのよ? あと静かに、ティオちゃんが起きちゃうわ」
 捜査一課はクロスベル警察の中でも選りすぐりの捜査官が所属しているクロスベル警察の顔であるので、上層部もそこには金を惜しまないのだろう。

 ため息をついたランディは思い出したように呟いた。
「そういやさっきのシャイニングポムだけどよ―――」
「―――っ!?」
「……ぅ」
「それは禁句だっ!」
 エリィとティオの表情が変化したことに気づいてロイドが台詞を止める。ランディはスマンと謝って、しかし話を続けるつもりだった。
「白くて光る球っつったらお前のペンダントと一緒じゃね?」
「え?」
 ロイドはランディの指差す先、自身の胸元に目をやった。黄色の絨毯の上に白い珠がちょこんと座っている。
「あぁ、これか……」
 手に載せてそれを見る。まるで宝石のような純白だ。

「前からお前さんのイメージとはちっと違うなと思ってたんだが、誰に貰ったんだ?」
「そうね、とても綺麗だけどどちらかと言えば女性向けのような気がするわ…………へぇ……」
 言ってからジト目で見るエリィに辟易するロイドは、しかし顔を顰めた。
「俺さ、これに見覚えがないんだよな。気づいたら持ってたんだ……」
「忘れてるだけじゃねぇのか」
「…………俺も、そう思うんだけどさ」
 目に近づけて見るロイドはそのまま目的地に着くまでそれを眺めていた。
 奥底で渦を巻く感情の波に気づかないという矛盾を抱えて。






 近代化著しいクロスベル市とこの村が同じクロスベル自治州内であることに不思議を覚える人はきっと多いはずだが、この姿こそが始めのクロスベルの姿であると言える。
 中央を川が流れて水を運び、村の稜線を民家で作っているように家々は円を描くように点在する。段々になって高さを増していく村奥には村長宅がある。
 その先に広がるのは紫の世界。村全体に香水を振りまいたかのような香りを送るラベンダーの群生である。
 村の面積よりもラベンダーの面積のほうが広いが、このことを誇りに思わない村民はいない。これこそがアルモリカ村の特産である蜂蜜の源泉だからだ。
 長閑な雰囲気と自然はクロスベル市にはない立派な特徴である。アルモリカ村は小さいが、それでもなくてはならない存在なのである。

 導力バスの走り去る音とともに特務支援課の四人は村を一望した。時間がゆったりとしているような、そんな場所。
 魔獣の被害の痕が見当たらないほどにそこは平和だった。
 四人は村長宅に足を伸ばし、事情を聞く。アルモリカ村の村長トルタ老人から被害当初の話を聞いたが概ね警備隊の調書と同じで目立った成果は得られなかった。あえて言うならば、被害総額が予想よりも極度に小さかったことだろう。
 5万ミラにも満たないその被害は、被害にあったどの家屋も僅かに荒らされただけという不可解さによるものだ。
 普通魔獣に荒らされた農作物は全体に大きな損害が及ぶものだ。これでは言うなれば試食のようにしか思えないものである。

「―――じゃがわしは思うのじゃ。この魔獣被害は空の女神様による警告なんじゃないかとな」
 トルタ老人の発言は現在のクロスベルの移ろいを嘆いているようにも思えたが、それは彼のとある知識から生まれたものだった。
「クロスベルは昔ひどく荒れた場所での。人同士が筆舌に尽くしがたい行いをし続けていたのを嘆いて空の女神様はとある遣いを寄越したのじゃ」
「遣い?」
「“神狼”、そう呼ばれる存在じゃ。白と蒼の毛並みを持ち、人の何倍もの体躯を持つ」
「白と蒼の神狼……」
「神の狼、ですね」
「神狼は人々の愚行を戒め導き、人間の危機に手を貸したこともあったそうじゃ。しかし今ではその神狼も姿を消した。それはあまりにも人が愚かだったからじゃ。今ならわしは神狼の気持ちがわかる気がする、わかりたくはなかったがの」


 村長に村人との聴取を許可してもらい、四人は顔を見合わせた。
「―――白と蒼の神狼、つまりは狼か」
「シーカー曹長が目撃したのも白い狼だったわね」
 クロスベルに伝承として残されている神狼の存在、それはノエル・シーカーが邂逅した白の狼と関連性があるのだろうか。
「大きさについては記述されていなかったけど、人の数倍の大きさなら書くはずよね」
 話に聞いた神狼との明確な違いは大きさだ。
 人の何倍もの狼がいれば見つかるだろうし、そもそも被害現場で目撃されたのは黒い狼なのだ。
「……俺たちが今見つけるべきは加害魔獣であって白い狼じゃない。とはいえその狼が事件と関係がないとは言いきれない」
「今言えるのはそれだけ、ですね……」
 神狼というインパクトについ流されそうになったが、ともかくも村人に話を聞くことにする。
 四人は二手に分かれて話を聞くことにし、昼食を取る為の酒宿場で落ち合うことにした。


 酒宿場のマスターの厚意に甘える形で昼食を取った特務支援課。そのオムライスは新鮮な卵を使った絶品だったので四人は午前の疲れを十分に癒した。
 そのままテーブル席を占領して会議を始める。

 さて、村人から聞いた話は実になったのだろうか。

「深夜な上に皆早寝だから誰も物音を聞いていない」
「ぐっすりと眠っていて何も気づかなかった」
「新月の晩だったし……」

「―――つまり何の情報もない、ということになるな」
 話を纏めてロイドは言う。身も蓋もなかった。
「でもそんなことありうるのかしら。狼型魔獣は群れを作る傾向にあって、今回の被害も複数の魔獣によるものだと窺える。人の住む場所には滅多に来ないのに、物音も立てずに簡単に荒らしていく」
 エリィの言葉は今まで得た情報を纏めたものだが、これだけでも疑問が残る。
 通常のイヌ科に属する獣ならば、複数体の群れの場合ボスと呼ばれる一頭が統率を取る。上下関係のしっかりした社会だからだ。そしてその指示は鳴き声で行われる。
 こんな小さな、しかし統率の取れた被害を出すためにはボスの指示が不可欠なはずなのだ。

「単に住民の方が聞き漏らしたということもありそうですが……そうと断定する証拠もありませんね」
「だな。こいつは保留にしたほうがよさそうだ」
「……ここまでだな。戻ろう」
 ロイドは立ち上がりながら言った。アルモリカ村での情報収集はこの辺にして、今日中に聖ウルスラ医科大学にまで向かう予定だからだ。一つの現場に長くいるより、全ての現場に目を通したほうが思考の狭窄にも陥らない。
 椅子を戻して反転したところで、ロイドはうっかり他の客にぶつかってしまった。
「おっと」
「あ、すみません!」
 即座に謝り顔を窺う。ぶつかってしまったのは薄い紫の髪をしたスーツ姿の温和そうな男性だった。
 エリィやティオも謝るが、男性はまるで気にしていない様子だった。

 ふと思いついたようにティオは尋ねた。
「あの、この村には観光で来たんですか?」
「え? いえ、仕事ですよ。私は貿易商をやっておりまして、この村の質の良い特産品を卸させてもらっています」
「この村が魔獣の被害にあったことはご存知でしょうか?」
「……ええ、知っています。幸いなことに被害は少なかったようですが、被害の大小は関係なしに村の方々には不安が広がっていることでしょう」
 沈痛な面持ちで話す男性はまるでアルモリカ村の人間であるように見える。他者の被害にこれほどに心を痛めているのは心根の優しい証拠だろう。
「それじゃあ被害当時はこちらにはいらっしゃらなかったんですね」
「ええ、私もクロスベル市の人間ですから。何か私にもできることがないかとは思っているのですが、残念ながらいつもより割高に商品を扱わせていただくことしかできません……」
 聞くところによるとちゃんと打算はあるようだが、商人としては稀有な存在であるようだ。
 心がほんわかする話ではあったが有力な情報は得られず、ティオは少し残念そうだった。

 すると今度は男性が当然のことを尋ねてきた。
「あの、つかぬ事をお聞きしますが皆さんは―――」
「あ、失礼しました。クロスベル警察特務支援課の者です」
「そうでしたか。あ、私も挨拶をしていませんでしたね。ハロルド・ヘイワースと申します」
 評判の悪い警察だと名乗っているのにも関わらず丁寧な物腰のハロルドは、席を立ったロイドらに自身の導力車でクロスベルまで送っていくという提案をし、四人は頷いた。
 バス停まで行くとちょうどバスが出た後だったので、四人はハロルドの車に乗り込む。
 外装は緑の導力車だが、中は赤で統一されていた。乗り心地も十分である。
 ハロルドは家族に早く会いたいという一心で購入に踏み切ったということだったが、普通の導力車でも80万ミラはくだらない。貿易商が上手くいっている証だった。

 中央広場まで乗せてもらった一行はハロルドに別れを告げ、一度支援課に戻る。
 惰眠を貪るセルゲイに警備隊への連絡を取り付けた後、端末で支援要請を確認した。
「え?」
 カタカタとキーを叩いていたティオが困惑の声を上げ、全員が画面を覗き込む。
 そこには要請されていた支援が全て片付いているマークが印されていた。
「えっと……この三件、全部片付いているのね……」
 今朝確認したばかりの支援はいずれも期間が長く設定されていたのだが、どうやら遊撃士に先を越されたようである。
「こんな先の依頼をこなしちまったのかよ、おい」
 遊撃士は依頼の優先順位を決めなければならないほど忙しいはずだ。魔獣退治などと比べればこれらの依頼は優先されるものではないはず。
 それが午前のうちに終わってしまっていた。

「ちょっと、甘く見てたかな……」
 ロイドの言葉には重い感情が含まれていて、全員が黙った。
 旧市街の事件解決や警備隊に依頼されたこと、これらの要素が彼らに無意識な甘えを抱かせていたのかもしれない。
「なんだ、まだ出てなかったのか」
 セルゲイが雑誌を脇に抱えてこちらを見ていた。ロイドはセルゲイの顔を見つめ、言う。
「―――課長は、知っていたんですか?」
 何を、とは言わない。それで通じる確信があった。
「――――――今はウルスラに行ってこい」
「………………わかり、ました」
 踵を返して執務室に戻るセルゲイ。彼が消えるまで、消えた後もその扉を見つめていた。

「課長は、知っていたのね」
「……あぁ、だからエニグマにも出なかったんだろう」
 小さな、取るに足らないほどの要請でも軽く見てはならない。それを当たり前と思っていたはずなのに目先の大事に気を取られすぎていた。
 遊撃士のように優先順位をつければ、特務支援課にとってはそれが上になるはずなのに。
「だがよ、警備隊からの依頼も大事な俺たちの仕事だ。サボってできなかったわけじゃねぇ」
「……それでも、話を聞きに行くくらいはできたはずです。そうすれば何を先にすべきか検討できましたし、遊撃士に先回りされることもなかった」
「普段の積み重ねの差ね。トルタ村長もアルモリカ村に来てくれるのは遊撃士だけだって仰っていたわ。クロスベルの遊撃士はここに溶け込んでいる。たとえ依頼を知らなくとも、訪ねてきてくれれば市民は頼りにしてお願いだってするわ。依頼を見てもすぐに来ない警察なんかよりも、ね」
 一人ひとり、自分の意見を言う。それは今やらなければならないことだ。
 医科大学に向かうことよりもすべきこと。
 今やらなければ同じ過ちを繰り返してしまう。

「アルモリカ村に向かったことが間違いなんじゃない。俺たちは無意識のうちに市民の要請を警備隊の要請より下に見てしまった。天秤に載せもしなかったんだ。それこそが間違いだ。話し合って先にアルモリカ村に行って、それで先に達成されたならそれは仕方がないと思う。大切なのは俺たちがやることじゃなく、市民の要望が為されることだから」
 ロイドは三人の顔を見た。
 エリィ、ティオ、ランディ。
 これが特務支援課、彼らがロイドの仲間なのだ。
「今回は遊撃士によって依頼者の要望は達成された。今は、それを喜ぼう。そして今度は、俺たちがそれに応えよう」
 決意を込めて、三人は頷く。それを見てロイドも頷いた。
 すぐにこの支援要請は端末から消されるだろう。しかし彼らの手帳からは消えることはない。
 初めて要請を怠った、その戒めとして。
 そしてそれが消えない限り、彼らが同じミスをすることはないだろう。

 本日は晴天、特務支援課の四人にはその光が少し眩しかった。




 初出:1月18日



[31007] 2-3
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/20 22:55




 ビルを出た特務支援課を出迎えたのはグレイス・リンである。
 とは言っても彼女が東通りから出てきたところに遭遇しただけであるが、グレイスの方はご機嫌な様子で話しかけてきた。
「あ! ロイド君たち久しぶりねー」
「グレイスさん」
 四人は適当な挨拶を返した後、何事もなくウルスラ間道に行こうとしたがグレイスに呼び止められた。
「ちょっと冷たいわねー、私には優しくしといたほうがいいと思うんだけどなー」
「……脅しですか?」
 ペンは剣よりも強し、その剣がまだ完成していなければ尚更だ。
 ティオのジト目が更に細くなりグレイスは動揺したが、それもすぐに笑顔に消えた。本当に機嫌が良いようだ。
「いやよティオちゃんそんな脅しなんて。でもそうね、脅しじゃなくて忠告ならあるけど―――」
 聞きたい、と目で訴えるグレイス。全く以って先の発言とは関係のなさそうな予感がしたが、彼女に有力な情報をもらったこともあって頷いておいた。そうでしょうと腰に手を当て胸を張るグレイス。
「あ、すみません!」
 胸を張ったときに後ろの旅行者にぶつかった彼女。大慌てで向き直るが四人は苦笑しており少し頬を染める。
 咳払いをして真面目な、しかし嬉しそうな顔をして言う。

「実はね、遊撃士協会に新しい人員が入ったの。ちょうどあなた達と同じくらいのね!」
 ロイドとエリィを見てそういうグレイスに四人は目を丸くした。遊撃士に関する話題は正に先ほど話したからである。
「詳しいことは記事にするから言わないけど、あなた達にとっては大変な相手かもねー。何せあの二人は凄腕よ、あの年でBランク、貫禄というか余裕みたいなものも見受けられる。これは相当期待できるわよ、あなた達も頑張らないとねー。あ、これおすそ分けね」
 一方的に話したグレイスはロイドの手に何かを握らせ百貨店へと消えていく。その後姿を四人は黙って見つめていた。

「今は後回し、医科大学に行きましょう」
「……そうですね」
「どっちにしろ会うだろうしな」
 彼らは百貨店から目を切り、目的地へと向かった。
 駅前通りを抜け、ウルスラ間道へと進む。左手に見える空港からは飛行船が飛び立っていった。
「そういやロイド、さっき何貰ったんだ?」
「え? …………忘れてた。えっと……クオーツ?」
 金色に光る四角い結晶。
 鷹目のクオーツだった。








 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない








 鷹目。鷹のような視界を得ることができる感覚系クオーツ。その原理は未だ不明であるが、命中と同じく空間を把握する系統であることは空属性のクオーツであることからも窺える。
「こ、これは凄いな……」
 ロイドは自身の空属性スロットにセットした後の視界に素直に驚嘆の声を上げた。人間の視界ではない、上からの俯瞰風景、周囲一体を見ることができた。
 しかし、
「う……」
ロイドは眩暈を覚えてすぐにスロットから外してしまった。
「大丈夫、ロイド」
「なんだ、どうした?」

 ロイドは目に手を当てて暫し固まった後、手を離してそれを見た。
「すごく周りが見えて、見えすぎるんだ。そうしたらちょっと……」
「視覚野の情報量が跳ね上がって処理系等が悲鳴を上げたんでしょう。いきなり外で使うのではなく屋内で慣らした方がいいと思います」
 ティオが理論的に解説すると、ロイドから鷹目を奪い取った。
「これはわたしがつけます。属性値も上がりますし」
「大丈夫なのか、ティオ? 目が回るぞ」
「問題ありません」
 ロイドはティオの目を見たが、やがて納得した。
 さて、と口を開き、改めて辺りを見回す。

 四人は聖ウルスラ医科大学行きの導力バスが時間になっても来ないという話をバス運行担当者から聞き、ならばと歩みを進めたところで、折角だから貰ったばかりの鷹目を使ってみようということだった。
 残念ながらロイドは扱えず代わりにティオがつけたが感知できる範囲には異常はないらしい。
「通信が途中で切れたんだよな、急いだほうがいいんじゃねぇか」
「そうね、こういう状況になると初めての道っていうのが不安だけれど、できる限り急いでいきましょう」
「わたしもセンサーを最大にします。これなら奇襲は防げるでしょう」
 四人はそれぞれ得物を持ち、フォーメーションを組んだ。前衛にランディ、遊撃にロイドとエリィ、後衛にティオという形だ。
 ティオを信用しているとはいえ、もしものことがあった場合を想定して近接のロイドは常より位置を後ろにとっていた。
「行こう!」
 適度に距離を取り、進む。

 ウルスラ間道はルピナス川に沿った形にある道で、草木が生い茂る自然のままの道だ。
 舗装がされているのは導力バスの運行の為であるが、それは本当に最低限であり、道幅は三アージュほどだ。それ以外は土がむき出しで、水が近くにあるために生物が広く繁殖していた。
 左手は運河で進むことはできないが、小島が数多く点在している。そのどれもが木々に溢れた緑一色のものだが、途中の展望台のように広がった場所から見えるそれは古代の遺跡だと言われている。
 道のロケーション的にはアルモリカ古道の田園風景とは異なるが、瑞々しい生物の営みを感じられる立派な景観に満ちていた。
 ちなみに先に見た遺跡は縁結びの場所として有名である。

「っ! 来ます!」
 突然ティオが叫び、全員が身構える。
 複雑に生い茂る木々は自然の死角を作りやすい。その一つから飛び出してきたのは小猿のような魔獣だった。
「ちっ」
 ランディは横手から来た魔獣に向き直るがその動きは素早く、ハルバードを使う余裕がない。
「はぁ!」
 ランディの懐に入った魔獣をロイドが横から防ぎ、弾く。魔獣はそれでも一回転して着地する余裕を見せた。
 黄色い毛並み、緑の眼を剥く魔獣。
「解析完了。ミミナガモンチ、火が弱点です!」
「火ぃ? ってことは俺とロイドかよ!?」
 モンチをあしらいながらランディが叫ぶ。火属性の値を持つのは攻撃のクオーツをつけているロイドとランディだけである。しかし彼らは近接の要、安易にアーツは使えない。

「ロイド、交代! 私が出るわ!」
「エリィ!?」
 銃を魔獣の足元に撃ちながらエリィが前に出る。ロイドも追撃をやめてエリィに並んだ。
「素早くても持久力はないわ、私が中距離で制圧する! その隙にアーツを!」
「了解!」
 エリィに頷きロイドはエニグマに指を滑らせる。青い光が全身を包み、詠唱にかかった。
 ロイドはエリィやティオに比べてアーツが不得意な分時間がかかる。しかしロイドに殺到せんとするミミナガモンチは狙い撃つエリィと隙を窺うランディがいるために攻撃ができない。
 ならば、ロイドのアーツが完了するのは時間の問題だった。
「ファイアボルトッ!」
 目の前に火球が収束され、曲線を描いて魔獣を狙う。ミミナガモンチはそれに気づいて回避運動をとろうとするが、エリィが初動を防ぐ。
「キィィィィ!」
 火球に包まれた魔獣は火の光と共に七耀の光を放出し、やがて燃え尽きた。
「ふぅ……」
 構えを解いて肺の中の空気を吐き出す。ティオが駆け寄ってきた。

「すみません、注意が遅れました」
「いいさ、あのすばしっこさは予想外だったからな」
「隣接する森に生息する魔獣みたいね」
「しかし攻撃的だったな、あんな荒いやつなのか?」
 ティオは魔導杖に得られた情報を見ると、首を振った。
「いえ、悪戯はしますがそこまで攻撃的ではないようです」
「そうなのか? するとどうして……」
「バスの異常と関係がある、と思うのは都合が良すぎるかしらね……」
 エリィが呟く。確かに得られた情報との齟齬は異常と言えるのかもしれないが、それは誤差の範囲内かもしれないのだ。

 とにかくバスの姿を発見するしかない。魔獣の急襲に気を割いて移動速度が多少落ちたが、それでもすぐにバスを見つけられたのは偏に距離の幸運だと言えよう。
「見つけましたっ! あ……」
 ティオの言葉で駆け出した三人が見つけたのは道を逸れ脇に止まっている導力バスと、それに向かっていく魔獣の姿だった。
「まずいっ!」
「はぁッ!」
 エリィが導力銃で魔獣の側面を狙う。大したダメージは与えられなかったが意識を逸らすことはできた。
「でけぇなおい!」
 魔獣の大きさは高さでは導力バスに匹敵し、横幅も人の三倍はある。
 山羊と言うより悪魔と言ったほうが適切な二本角にダークパープルの体毛の巨猿だった。
「さっきのの親玉か!」
 ランディが叫び構える先にはもう一体、二体の魔獣は理性のない眼で四人を見た。
「ティオ、バスの中に人はいるのかっ?」
「います! 引き離さないと……!」
「了解! みんな、バスから引き離すぞっ!」
 ロイドの掛け声に応じ、四人は戦闘を開始する。

 丸太のような腕は怪力を容易に想像させる。一撃が命取りになることもありそうだ。
 支援課一の体躯を持つランディでも力負けは必須、ならばロイドはフットワークを生かしたヒット&アウェイで攻めるしかない。そうして注意を引きつければバスからも距離をとれるし一石二鳥だ。
 問題は引き離した後の対処である。
「エリィはランディの援護を、ティオは情報頼むっ!」
 そう言って飛び退くロイドを襲う腕。大地を抉り土を撒き散らす一撃をすんでで避け、指示を出す。
 巨体ではあるが思ったよりも素早い。それは猿の類の魔獣であるからだろう。
「出ました! 『ゴーディアン』、体力と腕力は想定どおり、火属性が弱点です!」
 ミミナガモンチと同様の属性耐性だったが、こちらのほうが火に弱い傾向にあるようだ。
 クオーツを変えていなかったことに舌打ちするが、今はそうもしていられない。

 ランディはハルバードで攻撃を受け流しているが、一撃受けるたびに腕に衝撃が走る。
 一発の振りが大きいためにその後はエリィが複数発を浴びせるがまるで効果がない。
「く、神経が鈍いのかしらっ!」
 攻撃を意に介さないゴーディアンは手近な人物を狙っている傾向にある。故にランディとロイドは絶えず攻撃を受けているが、エリィとティオは一撃も浴びていなかった。
「水は効きませんがそうも言っていられませんっ」
 エニグマを起動し詠唱に入る。目立ったダメージを受けていない四人の回復ではない、攻撃用のアイシクルエッジである。
 水色の光がティオを包んだ瞬間、ティオは悪寒を覚えて前方を見上げた。
「ガァアアアアアアアア!」
「っ!?」
 ロイドに攻撃を振るったゴーディアンが一足跳びにこちらに向かってきた。離れた相手を狙うことはなく、その上その跳躍力も見せていなかった。ロイドも完全に裏を掻かれてしまった。
「ティオ!? くそっ!!」
 エニグマのCPを消費してクラフトを発動。光に包まれたロイドは倍速でゴーディアンに向かう。
「間に合えっ!」
 トンファーに導力を集め、電撃と成す。

 後はそれを当てるだけ、それなのに。
「ガァアアアアアアア!」
「ぅあっ!?」
 ロイドの一撃が当たる直前でゴーディアンは勢いそのままにティオに体当たりを仕掛けた。小柄なティオは大きく吹き飛ばされ地面を抉っていく。
 やがて木にぶつかる形で止まったティオからは魔導杖が離れ、四肢は弛緩していてピクリとも動かない。
「くそおおおおおおお!」
 エニグマに導かれてロイドがスタンブレイクを放ったのはゴーディアンが着地した後、吹き飛ばされるティオを助けることもできずにロイドは攻撃を放った。
「グウウァアアア!」
 肉の焦げる音とともに騒音を上げるゴーディアンはその元凶であるロイドに向かって腕を振り回す。
 クラフトの技後を狙われたロイドは回避できず、なんとかトンファーを交差させて受けるが、その怪力に吹き飛ばされた。
「ぐううううう!」
 ランディのクリムゾンゲイルを受けたときのような感覚にロイドは顔を歪めるが、自身の損傷を気にかける余裕は彼にはない。
「ティオッ!」
 呼びかけるがティオは反応しない。
 叫ぶロイドの横にランディが跳んできた。攻撃の瞬間に後方に跳んだことで勢いを殺したらしく、痺れなどはない。
「お嬢っ、ティオすけ頼むっ!!」
 ランディがこちらに跳んで来たのは二体のゴーディアンを一まとめにするためだ。
 ランディの呼びかけに頷いたエリィがティオの元に駆け寄っていく。これでティオの安全が得られる。

「グウゥゥ……」
「ガァァァ……」
 二体のゴーディアンに挟まれる形のロイドとランディは背中合わせになって互いの背後を守る。
 じりじりと近づくゴーディアンは幸いなことにこちらを先に仕留めるようだった。
「……ロイド、しっかりしろ。ティオすけは無事だ、だから戦いに集中しろ」
「―――わかってる! わかってるさっ!」
「バカ野郎ッ! わかってねぇから言ってんだ! ここで気張らなきゃ誰も守れねぇぞ!!」
「ぐ……!」
「誰の背中守ってると思ってんだ! 今はおまえ自身を守って俺を守ってみせろ!」
 ランディの怒声にロイドは思考を放棄して現状を把握する。ロイドの目が現状を見たことを確認してランディは内心で息を吐いた。

「ロイド、二体引きつけろ。まとめて俺が討つ」
「っ!? あぁ!!」
 二体の魔獣が飛び出すその一手前、二人は同時に一体に向けて走り出した。
 向かってくる二人に一瞬虚を突かれたゴーディアンは再びその巨腕を振りかぶる。
 瞬間、ランディは真横にスライドして間合いから外れた。一瞬の振り返りで後ろのもう一体が向かってくるのがわかる。
 そのまま突っ込んだロイドは大振り故にある僅かな間隙に身を屈めて飛び込んでいく。
 頭の上を高速で過ぎ去っていく腕に髪が数本飛び、逃げ切れなった左足に爪が奔る。
「ああああああああ!!」
 しかし肉体の痛みは精神に凌駕される。
 そのまま背後に潜り抜けたロイドはCPを発動、アクセルラッシュで足を狙う。
 連撃を足に受けたゴーディアンは体勢を崩し、故に向かってきたもう一体の進行を阻害した。そしてロイドの役目は終わりだ。
「ランディ!」
「上出来だロイドッ!」
 残るCPを全て導力に、赤い炎を纏ったランディは身体をねじりハルバードを掲げる。
 その射程内には二体のゴーディアン。状況は整った。
「クリムゾンゲイルッ!!」
 ロイドに放ったものとは違う、一回転多く付与された遠心の力は焔の牙となってゴーディアンの身体を刈り取る。
 体毛を焼き肉を焼き、内蔵にまで至った裂傷は身体の内側から死を放つ。それは激痛となって全身を駆け巡るが、幸いなことにゴーディアンがそれを感じることはなかった。

 音もなく崩れ落ち、光に還っていく。残ったのは生きたまま焼かれた魔獣の肉のみである。
 一撃の負荷が身体を走る中ゆっくりと姿勢を崩し、ランディは笑った。
「よくやった、ロイド。お嬢っ、ティオすけはどうだっ!」
 離れているエリィが手を上げ、無事なサインを送る。エリィの回復アーツが傷を癒し、直に動けるようになるだろう。
「ランディ、その……すまない」
「いいってことよ。ティオすけだって無事、なんの文句もねぇ」
 ランディはニヤリと笑ってロイドの肩を叩く。ロイドもランディの様子にやっと笑顔を見せた。
 しかしランディは内心で懸念を抱いていた。

 ロイド・バニングスは仲間を守ることに異常なまでの執着を見せている。
 それは時に捜査官としての本分を忘れたり、守りきれなかった場合の動揺に繋がったりするようだ。
 仲間を守ること自体は当たり前のことだが、特務支援課は結成して一月にも満たない部署である。時間の経過とともにその存在の重要性が上がり、その気持ちが強くなるなら文句はない。
 だがその短い期間の付き合いしかない彼らを守ろうとするロイドには正直に言って驚愕すら覚える。

 彼の過去に何かあるのか、ということにまで考えが及んだところでランディは思考を止めた。それは本人に話してもらうしかない。
 ただランディはロイドが仲間を守りきれなかった場面が早いうちに訪れてホッとしている。今回よりももっと危険な状況で遭遇するよりはマシだった。

 気がつくとエリィが手助けしながらティオを連れてきていた。服が土で汚れているが、傷は回復している。
「二人とも、無事?」
「…………すみません、油断、しました……」
「俺たちは大丈夫だ。それにティオのせいじゃない、俺の責任だ」
 再び顔を戻してしまうロイドにやれやれと頭を掻いてランディはわざと大声を出した。
「おうおうティオすけ、沈んでるな!? じゃあ見ろ、この俺の過去最高の笑顔をっ!」
 ビシッとポーズを決めて笑うランディに毒気を抜かれた感じになり固まる三人。しかし、
「……ふふっ」
「はは……」
「やれやれです……」
堪えきれないように三人は笑い出し、ランディも釣られて笑った。
 沈痛な雰囲気が彼方に消え、戦闘後とは思えない和やかさが生まれた。

 ひとしきり笑った後、ロイドは言った。
「そうだ、バスのほうは―――」
 忘れていた導力バス。急いで歩み寄ると中から運転手と思しき男性が出てきた。
 男性に身分を話し事情を問うと、どうやらエンジンが故障してしまっていたらしい。エンジンからのエネルギーで通信のほうも賄っていたので通信も使えない状態になってしまったということだ。
 男性が急いでエンジンの点検に入るところをホッと息をついて見守る四人。
 ティオはエリィに寄りかかる形で目を閉じ、息を整えていた。苦痛も表情からは消えつつある。
 かなりの威力だったはずだが、改めてアーツの素晴らしさを思わせる光景だった。

 しかしエンジンのほうはそうもいかず、どうやら直せないようである。とにかく危機は去り安全が確認されたのだ、一度戻って報告するべきだろう。
 そう思って四人は踵を返すが、その判断は甘かった。
「ガァアアアアア!」
「何っ!?」
 唸り声に振り返ると、そこにはゴーディアンが四体。ゆっくりと距離を詰めていた。
「どうして……」
「エンジンの壊れたクオーツに寄って来たっ!?」
「く、流石に守りきれねぇか!」
 ティオはまだ完全に回復しておらず、ランディはCPを使い尽くし、ロイドとともに二体を相手にしたばかりだ。
 エリィはEPこそ消費したものの健在だが、彼女の導力銃は決定打にはならない。
 苦労した倍の数を前にロイドらはゆっくりと後ずさった。
 バスを守るように前に固まり、せめて乗客だけでも逃がそうと試みる。
「乗客を連れて逃げてくださいっ!」
 運転手の男性にそう言うと男性がバス入り口へと動き出す。
 しかしまずいことにそれを契機としてゴーディアンが動き出した。男性を狙う一体の前に飛び出したロイドは先ほど吹き飛ばされた一撃を受け止めようと防御体勢を固める。
「ロイドッ!」
「無理だ、よせっ!!」
「―――っ!!」
 ランディがハルバードを構え横からの迎撃を試みたが、別の一体の動き出しにそれを実行できない。
 過ぎる時間、ロイドは覚悟してそれを待ちうけ―――。




 身体が宙を舞った。





 初出:1月20日



[31007] 2-4
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/22 18:41



 たとえ、運命が二人を引き裂こうとも。
 絆まで引き裂くことはできない。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 宙を舞う一つの身体。それはおそらく急上昇する視界を理解できなかっただろう。
 突然の衝撃が身体の中心を穿ち、たちまち空に投げ出される。翼を持たないそれに制空権はなく勢いのまま浮かぶだけ。
 感じたことのない心地良さすら感じたことだろう。
 しかしそれは一生に一度、行き着く先には死神が待っていた。
 その存在に対してそれは何の感想も抱けない。そこに行き着くまでの知能がないからだ。
 だからそれは本能でその存在を推し量り、そして震えた。
 存在としての格の違い、強者と弱者。今までに感じたことのない力の差にそれは生を諦める。
 弱肉強食、その中で生きてきたそれにとっては当然のことだった。





 鈍く重い衝撃は、風とともに仄かに香る温かな匂いへと変化を遂げた。
 ロイドは拒否していた認識を受け入れ直す。目の前に少女が立っていた。
 茶色の髪を頭の両側で纏めたツーテール。全体的にオレンジの装飾で固めていて、左肩にあるエメラルドグリーンのプロテクターが映えている。
 短いスカートからは健康的な足が見えていて女性らしさもある服飾だ。
 しかし彼女を表す為には一語抜けている。
 その両手に持つ赤い棒具、それこそが彼女の立ち位置を定めていた。

 そんな彼女は今両の手で操る棒術具を天に捧げている。
 それは何かの前動作ではなく、既に終わった形。ロイドを襲った巨獣の足を一瞬で払い、浮いたところを返す刀で持ち上げ吹き飛ばしたのだ。

 そして持ち上げられた魔獣の先にいるのは黒髪の青年。琥珀色の瞳が眼光鋭く獲物を捉え、交差した瞬間には魔獣は細切れとなっている。
 降り立った青年は少女の横に、二振りの刀を自然のままに下ろしているが、隙は一切ない。
 黒地のシャツに肩口までしかない白の上着、腰元のバッグは激しい動きに左右されないよう短く止められている。灰色のズボンは線の細さを見せているが、その中身が引き締められていることを容易に想像させる。

 少女と、青年。
 導力バスの、特務支援課の窮地に現れたのは二人の遊撃士だった。

 特務支援課の四人と魔獣の間に立った二人は自らの得物を油断なく構え、口を開く。
「今の見たでしょ。あなた達に勝ち目はないわ」
「去れば追わない。でもまだ人を襲う気があるのなら、排除する」
 直接言葉をかけられているわけではないロイドは、しかし二人の背中から発されるプレッシャーに息を呑み戦況を見守ることしかできない。
 エリィやティオも同じようで、ただランディだけは呑まれずにそこにいた。

 二人の警告に対しゴーディアンは怯む。しかし去ることはなく互いに声を出し合って奮い立たせている。
 その姿がまるでついさっきの自分たちのように見えてしまった。
「……そう」
 少女は残念そうに呟く。そして次の瞬間には眼に強い意志を宿した。
「なら! 私たちが相手になるわ!」
 言葉と同時に三体のゴーディアンは跳びかかる。ティオに体当たりを仕掛けたときと同じ跳躍、それを三体同時に行う。
 体躯の差は歴然、しかしゴーディアンもわかっていたはずだ。
 戦闘力の差は、それ以上であったのだと。

 跳び上がったゴーディアンは対象を見続けていた。
 しかし次の瞬間にはそれを見失う。それも当然、青年は彼らを超える跳躍で上を取り、少女は疾駆して既に背後を取っている。
 青年は彼らの頭部を捉え、空を蹴って方向を変える。
 そして、三体のゴーディアンは三人となった青年を見た。呆然とする中青年が彼らを切り伏せる。
 空中でバランスを崩した彼らはそのまま真下に落ち始め、それを待っているのは少女の速打だ。

 彼女の間合いへと落下した三体のゴーディアンは同時に少女の姿を捉える。
 左足を一歩前に、左手を前に添え、右手を引き絞る。姿勢を屈め、地を蹴り、彼女は大砲のように進撃した。
 たった一本の棒術具による乱打の嵐は三体を満遍なく襲い空間に固定する。
 その乱打の締めは一歩の後退、その溜めにより威力を増した突進の一撃。そのまますり抜けるような一回転の薙ぎが三体を襲い、魔獣の視界は明滅して景色が歪む。
「奥義」
 気づけば青年は少女と対極の位置に降り立っている。中心は魔獣で、互いに背を向けていた。
「太極―――」
 二人が振り返る。
 その次に待つのは至高の一撃。長き時を過ごした二人だからこそ作れる双武の極致。
「―――無双撃!!」
 回転からの振り下ろしと、疾駆からの薙ぎ。
 その両撃が同時に身体を包み、ゴーディアンは意識を飛ばす。空に上がる感覚と恐怖と、安堵を覚えて。






「………………」
「…………すごい」
「見えませんでした……」
「…………そうか、お前らが」
 四体のゴーディアンが消え去る時を呆然と眺めていた四人はそれぞれの反応を示す。
 二体に梃子摺り、強敵さながらの感覚で戦っていた四人と、四体に完勝し、圧倒的なまでの力の差を見せ付けた二人。その違いは明確だった。
 ランディの呟きで四人は得心する。クロスベル市を出る前に聞いた話の主、クロスベル支部に配属になった二人の新人遊撃士。
「大丈夫だった?」
「加勢させてもらったよ」
 青年と少女が振り向き、目を合わせた。そこには疲労など微塵もなく、ただ綺麗な笑顔があった。
 四人は呆け、しかしロイドが代表して応えた。
「―――あぁ、いや、ありがとう。助かりました」
「君達が警察の人だね。交通課の方に事情を聞いて来ました」

「初めまして。私はエステル・ブライト、クロスベル支部の遊撃士よ」
「同じくヨシュア・ブライトです。よろしくお願いします」
 丁寧な物言いにロイドも警察官として挨拶する。エリィ、ティオ、ランディと続いたが、エステルと名乗った少女はそれに反応した。
「知り合いにティオとロイドさんがいたから。あ、でも全然似てないけどね」
 そう言って笑う彼女はとても親しみやすい。
 自然と距離が近づいてしまうタイプとでも言うのだろうか、そういった親近感が時間関係なく溢れてくる。
 反対にヨシュアと名乗る青年は落ち着いた理知的な話し方で意思の伝達が容易だ。情報交換等の事務的な話はやりやすいだろう。
 彼らは特務支援課を知っていたが、概ね好意的なようだった。曰く、
「同じ志を持っているなら仲間でしょ?」
である。
 導力バスのエンジントラブルもヨシュアが担当することになり、二人の厚意に甘えて四人は医科大学へと進むことになった。

「あ、そうだ」
 エステルが思い出したかのように呟き、言う。
「ロイド君たち、紫色の髪をした女の子を知らない?」
「紫色?」
 ロイドの脳裏に蘇るのは、アルカンシェル他多数で見かける少女の姿。
「あ、もしかしてあの子かな?」
「っ!? み、見かけたの!? どこで!?」
「あ、あぁ。知ってると思うけどアルカンシェルって劇場とか、百貨店とか……」
 しどろもどろになって答えるロイドにエステルは興奮した様子で喜色を隠しきれない。
「ヨシュアッ、いたっ! やっぱりあの子クロスベルにいるのよ!」
「本当かい!? でもこんなあっさり見つかるなんて―――」
「いいじゃない別にそんなことっ、こりゃさっさと終わらせて探しに行かないとねっ!!」
 むんっと両の手を握り締めて気合を入れるエステルは、はたとと気づいてロイドの手を握った。
「ありがとうロイド君! 凄く助かっちゃったよぉ!」
 ぶんぶんと上下に振り続けるエステル。
 ロイドは少し痛みがあったが、その太陽のような笑顔にそんな些細なことは彼方に置き去られてしまう。
「ど、どういたしまして……」

「お知り合いなんですか?」
 エリィの問いにエステルはハンドシェイクをやめて答えた。
「うん、ちょっと事情があってね。ずっと探してたの」
「―――そうですか、じゃあ私たちも会ったらエステルさんたちのことを伝えておきましょうか?」
 その言葉に深いものを感じてエリィはそこで立ち止まる。
 ただ何かの役に立つようならと申し出るが、エステルは―――
「ううん、いいの。きっとあの子は私たちのことなんてもう気づいてるはずだし、それに―――」
その前にやることがあるし、と目を伏せて断った。

 それでもうその話題と会話は終わり。
 これからの手順を考えつつ離れていく四人に笑顔で手を振るエステルに愛想笑いを浮かべながら、四人は二人が見えなくなるところまで進んだ。
 途端、全員が立ち止まる。考えることは同じだった。
「―――あれが噂の新人遊撃士ですか……」
「新人って言ってもクロスベルではだけれど。Bランクらしいし、実力は折り紙つきね。ため息が出るくらい」
「ありゃあ相当な修羅場を潜ってるな。個人の実力も十分、連携も完璧。まいったね」
「エステル・ブライトにヨシュア・ブライト、兄妹かな」
「それにしては似てないけど……」
「今日からはあの二人が商売敵ですね」
「……そりゃキツイな」
「あの紫髪の子のことは気にしておきましょうか……」
「…………そうだな」
 口々に出る言葉。
 会話は尽きないが、未だ大学には着いていない。
 言葉も程ほどに、足を進める。ちょうど後半分ほどである。






 途中の浅瀬では釣り人が糸を垂らしていたが、相変わらず魔獣はいる。木々の間を抜けていくと森林地帯に棲んでいるであろう魔獣が顔を出したが、さして苦にもならずに進むことができた。
 というより全員が強そうな魔獣に対する異様な気配察知を行っていたからである。

 とにかくも木立を抜けると、そこには白い建物があった。
 一気に景色が広がった先には自然ではなく人工物の姿。立派な門の前には警備員が立っており、それだけで重要な場所であることを示している。
 挨拶をして敷地内に入ると一層開けた場所には適度な樹木とベンチ、右手には大きな池があり憩いの場所として機能していた。
 正面玄関はこのまま真っ直ぐ行ったところか、左手にも建物はあるが、恐らくは従業員の寄宿舎であろう。ただ一階は解放したレストランらしく、看板が立てられていた。

「…………」
 ティオは普段よりもゆっくりと歩いている。
 彼女は病院が苦手だった。その旨は既に皆には伝えてあるので三人も歩みを遅くする。
「聖ウルスラ医科大学、随分と大きいな」
「医療先進国のレミフェリア公国の発案で作られたものだからかしら」
 レミフェリア公国はクロスベルとも関わりが深い、クロスベルの北東に位置する国である。代表のアルバート大公も医師免許を持つというあたり、医療先進国の名に恥じない。
「確かウルスラは実在した人の名前ね。心優しき聖女だったことからそれに肖ってつけたらしいわ」
「……俺は、辿り着いたんだな。地上のオアシスに!」
 ランディは迸る感情を抑えようともせずに辺りを見回しては奇声を上げる。
 恥ずかしかった。

 しかしランディの気持ちがわからないでもないロイドがいる。今見受けられる白衣の女性は皆美人で、かつ看護師である以上慈愛に満ちていることだろう。
 不思議な興奮を覚えないでもなかったが、なんとなくエリィの視線が気になってそんな気持ちは失せた。
「さてと、まずは受付に行こうか。捜査許可を得ないと」
「確かここでは研修医の方が襲われたんだったわね。その方が黒い狼を見たとか」
「なら確認をしないとな。白い狼だったらシーカー曹長の目撃した狼かもしれないし」
 流石に黒と白は間違えないだろうけど、と付けたし、四人はゆっくりと玄関に進んだ。
「うひょー、たまんねぇぜ!!」
 台無しだった。


 ロビーは清潔感と活気に満ちていた。しかし病院内は活気に溢れないほうがいいとも言える。
 尤も評判がいいからこそここは人が多いのだ。クロスベル市民としては素直に医者の優秀さを喜ぶべきだろう。

 見ると正面左に円を描いた受付カウンターがある。その両サイドに階段と奥へと進む入り口があった。
 患者の邪魔にならないように受付へと進み、捜査の旨を話すと案内人を紹介してくれた。
 内線で呼ぶ声が聴こえる。案内人はセシル・ノイエスという看護師だった。
 ばたばたと階段を慌しく降りる音が聞こえてきたと思うと、その主は姿と共に叫んでいた。
「ロイド……!」
「セシル姉! その、久しぶ―――と!」
 ロイドが言い終わらぬうちにセシルはロイドに抱きつき、顔を埋める。
「な!?」
「あー!」
「……!」
 三者三様の反応を示すがロイドには対応する余裕はなかった。
「ちょ、ちょっとセシル姉っ、みんな見てるから……」
「いいから、暫くお姉ちゃんに抱きしめられてなさいっ。ああもう、背もこんなに高くなって、出て行く前は私と同じくらいだったのに……」
「……三年、経ったからね」
 その月日は、重い。
 その長さも、その中身も。

 セシルはようやっとロイドから離れ、涙を湛えて笑った。
「おかえりなさい、ロイド」
「―――ただいま、セシル姉」





 初出:1月22日


 切るとこがここだったので短め。書けて満足。
 にしてもこんなペースで大丈夫か? 終わりが見えなさ過ぎる。



[31007] 2-5
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/26 22:20


 聖ウルスラ医科大学びっくり体験コースが終了し、セシルを連れた五人は病院内を歩いていた。
「いやーにしても驚いたッスよ、ロイドにこんな美人のお姉さんがいたなんてっ」
「本当に…………なんで黙ってたのかしら……」
 ご機嫌指数が対極のランディとエリィはそろって前を歩くロイドとセシルを見つめている。
 ロイドは疲れたのか、ため息混じりに答える。
「だからさっき言っただろ? そんなタイミングなかったじゃないか……」
「……ただの怠慢です」
「ふふ、仲が良さそうで安心したわロイド」

 先ほど付属のレストランにて弁解という名の自己紹介を済ませたロイドと他四人。もちろん話の中心はセシルの存在である。
 ロイド曰く、言い出そうとしたらそんな雰囲気でなくなった、らしい。
 確かに支援課ビルでは意気消沈し、道中も魔獣に遭遇、新たな遊撃士に驚愕し、と慌しい一日であるが、そんな事情など突然の抱擁に見舞われた三人には関係がないのだろう。
 自己紹介の場でもセシルはロイドのことに興味津々であり、一方的に話しては勘違いをするという自身のペースに四人を巻き込んでいた。
 ロイドも普段の皆を引っ張ろうとするリーダーシップが影を潜めており、それが誰かさんには不満なようだ。
 ただその原因であるセシルの人となりは尊敬に値するようで、それはそれで納得しているという複雑な心境を呈している。

 栗色の長い髪はウェーブを巻いていてその柔らかなイメージを強調し、グラマラスな体つきが包容力を抱かせる。
 自然体であるにも拘らずパーツの一つ一つが優しさの相乗効果を引き出し、自然体であるが故にその人柄に安堵する。
 セシル・ノイエスという女性は看護師としての才を天に与えられたような存在だった。

 そんな彼らが向かう先はとある病室である。二階最奥に位置するその場所には、今回ウルスラ病院で起こった魔獣事件の被害者が宛がわれているのだ。
 研修医のリットンという青年は一週間前の深夜、病院の屋上で襲われたらしい。深夜であるために目撃した者はおらず、また病院の屋上という魔獣が現れるはずのない場所での事件であるために、そもそも被害者の勘違いではないかという説もあるようだ。

「―――さて、ここね」
 セシルが立ち止まり、振り向く。一般の患者もいるということから一応の注意を喚起した後に足を踏み入れる。ロビーと同じく清潔感に満ちた白い病室には四隅にベッドが置かれており、その周りを敷居であるアコーディオンカーテンが包んでいる。
 入り口から最も離れたベッドに寝ているのがリットン研修医である。ちょうど医師が回診に来ていたのか会話をしていたが、医師のほうがこちらに気づき病室を出て行った。
 どうやらリットンの世話をしていた医師らしく、仕事が多くなったと愚痴を零していたようだ。
 リットン青年に謎のお礼を言われた後、ロイドらは事件の夜について聴取を行った。

 リットンはその日、翌日締め切りであるレポートを必死になって終わらせた。
 そのハードワークの後に休憩として屋上に行き、羽を伸ばしている時に呻き声を聞いた。振り向くと数体の黒い狼が迫ってきており、そこからの記憶はない。
 なのでもしかしたら疲れのためにフラフラと外に出て襲われ、屋上まで逃げたところで失神したかもしれない。つまりはそういうことだった。
「被害者本人の記憶が当てにならない、というのは少し不安ね」
 病室を出たエリィが言う。
 リットンは確かに身体に損傷があり、襲われたことは確かだ。しかしその襲われた現場については確証がないどころか、場所を考えるにありえないのである。
「この次は一応被害現場、ということになるのでしょうか」
「まぁ最有力ではあるし、そういうことになるかな」
「最有力、なのか? いっちゃ悪いが奴さんの発言は曖昧に過ぎるぜ?」
 ランディの言葉が四人の本心ではあるが、捜査官としては可能性のある場所には行くべきである。もとよりそのつもりだったのだから。
「じゃあ次は屋上ね、ついてきて」
 セシルに案内されるままに三階へと上がり、いくつかの病室を過ぎ去った後屋上に出る。すぐ右側には寮の屋上へと続いておりシーツが干してあった。
 日陰作りのために植えられた樹々を追い越し、転落防止用の柵の前まで来た。その先にあるのは豊かな緑と青い池である。
「ここが被害現場ね、左にあるのは研究棟だから許可なく入らないでね」
 セシルが業務に戻るということで挨拶を交わし、四人は現場の検証へと行動するのだった。


「どこもかしこも、結局は高さがネックだな」
 屋上へと侵入できそうな箇所は四箇所、それはどこも高さにして建物一階分の跳躍を見せられなければ不可能だという結論が出た。
 狼型魔獣にそのような身体能力がある場合、それは既存種の枠を超えた存在になる。しかしリットンの怪我は命に関わるものではなく、そんな存在に襲われたにしては傷が浅かった。
「飛行系魔獣なら容易なんだろうけど、流石に狼に翼が生えていたらまずいよな」
「それは伝説の存在になりそうです、グリフォンとか」
「黒、という証言があるから神狼でもなさそうだし」

 縁取るように柵に沿って歩く四人は、やがて病棟を越え職員寮の屋上へと入る。
 干されたシーツを抜けてみると、そこからは寮二階のベランダが見えた。屋上に接する壁付近には大量の箱が置かれている。
「ここならいけるか?」
 ランディはその全体を眺め、一角を見やる。そこには箱が置かれており、面する森林部も他の場所より高さがあるようだ。
 否もなく二階へと降り、その場所を調査する。詰まれた箱の上部は乗って近づかなければ見えそうもない。
「ランディ」

「待ってください」
 ロイドはランディとともに箱に飛び乗ろうとするがティオに止められた。
「お二人の足で痕跡が消されてしまっては元も子もありません。わたしが見ます」
 そう言って箱に近づくティオはジッと何かを見ている。やがて、
「―――見つけました、獣の足跡です」
「なんで、ってそうか。鷹目のクオーツ」
鳥の視界により人間の死角をカバーできる。ロイドは感心し、ランディは絶対に使いこなそうと決めた。
 見つかった証拠により、魔獣が屋上に現れたことは間違いない。そう結論付けた四人は森林部に目を向ける。

「すっとここからか、柵でも張れりゃいいんだが」
「そうね、セシルさんに聞いてみましょうか……あら?」
 エリィは遠くを見ていた視線を下ろし、足元にある箱を見つめる。随分と時間が経っているのか、埃がその色を僅かに濁している。
「どうした、エリィ?」
「…………ねぇ、魔獣は本当にここから入ったの?」
 ツツっと箱の表面に指をなぞらせ、呟く。
「この箱にはなんの跡もないわ」
 森を抜けた魔獣の身体に凡そ付着している土や草、先ほど残っていた埃の絨毯の上の足跡。
 それがないという事実は魔獣がここを通っていない証拠になるが、それは魔獣の存在と矛盾する。高さ的に考えて、ここ以外に魔獣が入り込める間隙はないのだ。

「……他に、何かないか?」
 四人は手分けして柵の周りを探る。するとそれはすぐに見つかった。
「何かを引きずった跡、か……?」
「柵の主成分は鉄ですから、それなりの硬度のものでないと瑕はつきません」
「…………」
 西側の柵に何かを擦ったような、塗装が剥げた部分がある。これが事件と関係があるのかはわからない。
「……魔獣がここを通って屋上に入ったことは間違いないんだ。何らかの対処を施してしかるべきだろう」
 四人はセシルに報告するため歩き出した。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 ランディ・オルランドはナース服に狂わされている。
 眼福だ、などと言っているうちはいい。だが職務中にナンパを始めるようでは他三人の心証が悪くなることは容易に想像できよう。
 そしてその愚行を戒めた看護師長に圧倒されるのも無理はない。

 ナースステーションでセシルを呼んだ際にロイドは受付にいたナースにからかわれた。それに辟易するロイドを救う形でランディが割って入ったのだが、そこには隠された真実があった。ランディはただ合コンが開きたかっただけなのだ。
 ナースのほうもまんざらではないようで話がとんとん拍子に決まると思われたが、そこにやってきたのが看護師長マーサである。貫禄に満ちたその態度にランディは意気消沈しナースは検温に走り、ロイドとエリィは苦笑を浮かべる。
 そしてティオは、さっとエリィの後ろに隠れた。

「おや?」
 マーサはその動きを目端で捉え、覗き込む。そして見つけた小動物の姿に、病室では上げない大声で驚いた。
「ティオちゃんっ、ティオちゃんじゃないか!」
 観念したのかティオもおずおずと横にスライドし、目を合わせないように少し俯いて応える。
「…………お久し、ぶりです……」
「ティオちゃん?」
 エリィが不審に思ってティオを見るが、ティオの視界には映らない。マーサはそんなティオの態度を気にも留めずに話し始める。
「久しぶりだねぇ、随分と美人さんになって。ん、でもどうして警察の方と……」
「……今は、警察に出向して、いて…………そのうち、挨拶に、向かうつもりでしたが……」
「そうかい……いや、元気そうで安心したよ!」
 そう言って笑うマーサにティオも笑いかけようとしたが、ぎこちなさは拭えない。
 ロイドとランディが間に入って会話を打ち切っている間も、エリィがティオから視線を外すことはなかった。

 マーサと別れ、曲がり角を曲がった後、ティオは立ち止まる。
「………………いずれは、話すつもりでしたが」
「えいっ」
「っ!? え、エリィさん……?」
 ティオが話し始めようとしたところ、その背後からエリィが抱きつく。固い装備の隙間から感じられる柔らかな肢体と甘い匂いがエリィの鼻腔を打った。
 そのまま体重を少しだけ預け、顔を耳に近づける。
「ティオちゃんあったかいわね」
「え? あ、あの……」
「でも顔色が悪いわ? そんなときはこうやってくっついていたほうがいいわよ。ね?」
 エリィは同意を求めるが、突然のことでティオは頷くことはできない。
「……全くだ、なんならおにーさんもくっついてやろうか?」
「そうだな、みんなでくっつくか!」
 代わりの賛同が後ろの二人から聴こえてきて、尚更ティオを混乱させる。
 エリィがティオごと身体を反転させて向き直った。
「あら、女の子同士のスキンシップに混じる気?」
「だからこそだろうがっ」
「ランディ、同意した俺が言うのもなんだけどそれはダメだろ……」
 息巻くランディと抑えるロイド、それを見て笑うエリィ。そして口をあけて沈黙するティオ。

「―――ねぇ、ティオちゃん。無理に言わなくていいのよ?」
「あ……」
 絡んでいた腕に一層の力がこもり、ぎゅっと抱きしめられる。
「私たちはまだ出会ったばかり、話すタイミングは自分で決めなきゃ。こんな偶然の勢いなんかじゃなくて、ティオちゃんが私たちに聞いて欲しいって思ったときに、私は聞きたいな」
 エリィの身体から甘い匂いが漂い、ティオの心は静まり返る。
 人の体温とその優しい匂いは、忘れていた誰かの温もりを思い出させてくれる気がして、彼女はそっと目を閉じた。
「長いこと生きてんだ、誰だって秘密はあるさ」
「俺たちは仲間だけど、お互いにまだまだ知らないことはたくさんある。自分を、仲間を、時間をかけて少しずつ知っていくことが重要だと思うんだ」
「私はティオちゃんの言いたくない過去よりも、好きなもののほうが知りたいかな」
 ティオは三人の言葉を全体に沁みこませるようにゆっくりと頷いて、
「…………そうですね、ネコとアイスが好きです」
そう言った。






 マーサから聞いたセシルの居場所、それは三階の304号病室である。どうやら三階は個室が多いらしく、故にそれなりの患者のみが入室しているようだ。
 扉の前まで辿り着くとなにやら話し声が聴こえる。セシルの声も聴こえたので間違いないだろう。
「失礼します。セシル・ノイエス看護師はいらっしゃいますか?」
「はい? あ、ロイドね、ちょっと待って。シズクちゃん、いいかしら?」
「セシルさんのお知り合いですか? 大丈夫です」
「いいわよ、ロイド」
 了承を得たので中に入る。
 病室にいたのは備えられた花瓶の水を取り替えているセシルと、ベッドに上半身だけ起き上がっている黒髪の少女。大体10歳程度だろうか、清楚な顔立ちと閉じられた瞼が静かな雰囲気を醸し出していた。
「セシル姉……えっと」
「ふふ、とりあえず自己紹介してくれるかしら」
 セシルの言葉に従い四人は自己紹介をする。するとセシルが促し、少女もしてくれた。

「初めまして、シズク・マクレインです。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく…………マクレイン?」
「どっかで聞いたな」
「ランディさん……」
「シズクちゃんは遊撃士のアリオスさんの娘さんなんだけど、もう会っているわよね?」
 風の剣聖アリオス・マクレイン。ジオフロントで世話になった人物である。
 四人が目を丸くしうろたえていたところ、シズクが口を開いた。
「お父さん無愛想ですからお気を悪くされませんでしたか?」
 シズク・マクレインは良く見ると髪の色が酷似しているし、物静かな性格も親譲りと思えば納得がいく。しかし彼とは異なり、年齢のせいか難しい物言いなどはしてこないようだ。
「いや、随分お世話になってるよ」
「そうですか、よかったです」
 そう言って笑うシズクにロイドは儚い印象を受けた。病院にいる以上何かを患っている、その印象は失礼であると心の中で自分を殴る。それでも表情には出さず、表面上はにこやかでい続けた。

「―――それで、シズクちゃんが事件の夜に何かを聞いたんですって」
 一段落したところを見計らってかセシルが話を変える。それは四人にとって知らない事実であった。
 シズクは事件の夜、悲鳴のような声が聴こえ窓を開けた。すると獣の足音や息遣いが聞こえてきたという。魔獣が現れた痕跡を見つけ出したばかりだったが、その証言はそれに頑丈な鎧を与えた。
 しかし、もう一つの証言は事件の糸を再び絡ませる。
「それと、キィンっていう甲高い音が聞こえた気がしたんです。普段は聞こえないんですが、その日だけは聞こえて……」
「甲高い音。音ってことは鳴き声のようには聞こえなかったんだね?」
「そう、ですね。わたしが知らないだけかもしれませんが……」
 言葉端を捉えただけの質問だが、これは彼女の感性によるもので、方向性を見極めるには重要である。それは予想される彼女の病状も関係していた。
「ありがとう、重要な証言だったよ」
 ロイドは礼を言い、セシルとともに部屋を出る。

 少し離れた後に聞いた話でシズクの病状を知ることができた。
 彼女は眼が見えない。それは数年前の事故によるためだそうだが、人間の感覚の大部分を司る視力がないという重圧によく耐えていると言える。
 眼を閉ざした状態の訓練など数えるほどしかしたことがないロイドだが、その苦しみをあんな小さな少女が耐えているという現状は心に陰を落とすとともに活力を与えてくれる。
 改めてセシルに魔獣の侵入経路を説明し、外部治療用の移動式鉄柵を設置してもらった。これで安心だと零す事務員を尻目に、しかし四人は煮え切らない表情をしていた。

「―――よかったよ」
「え、どうしたの?」
「最初の仮説が外れて、さ」
 そんな中ロイドは一つの可能性が消えかかっていることに安堵する。それは彼が感じたことの証明であり、彼の自信にも繋がった。
 しかし同時に捜査官としての職務に陰鬱な気分となる。
 人を疑うことが仕事、そう理解していてもロイドはやはり人を信じていたい。性分である故に捜査官に向かない自分を改めて理解したが、彼の中にある譲れない思いのために捜査官としての自己を確立させる。
 自分のやるべきこと、その為には捜査官としての自分がいるに越したことはないのだ。
「最初の仮説ぅ? そりゃ何の話だ?」
 見ると呟きに反応したのか三人が顔を向けている。ロイドは後で説明する旨を告げ、セシルとともにそこから離れた。

 正面玄関前で改めてセシルにお礼と別れの挨拶を告げ、特務支援課は聖ウルスラ医科大学を後にする。
 消えかかる太陽に鳥のシルエットが重なる。清涼な緑を暗い緑へと変える森林はどこか物悲しく、恐ろしくも見えた。
 光が消えた後の森は人間の世界ではない。足早に去ったほうが良さそうだ。

 ちょうど導力バスが停留所に停まっていた。エステルとヨシュアの二人の尽力によって運行が再開したようだ。
 この長かった一日を終えるためには最後のミーティングを行わなければならない。四人は何かを言い出すこともせず真っ直ぐに帰路へと就いた。
 その後姿を、セシル・ノイエスは暫くの間見つめていた。
 僅かな、しかし確かな変化を心の中で確信しながら。



 初出:1月24日
 改訂:1月25日 シズクの病室番号
    1月26日 誤字訂正



[31007] 2-6
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/26 22:19




 全ては、雑音に過ぎない。
 それでも、その一つ一つが失いたくない大切なもので。

 手を伸ばす。
 触れるのは、冷たい、硬質な感触。
 白の、宝玉。










































 ロイド・バニングスは目を覚ます。どうやら夢を見ていたようだ。
 あれは、自身が幾つの時であろうか。
「……………………起きよう」
 ゆっくりとベッドから離れる。背伸びをすると寝癖のついた髪が腕に触れた。身長よ伸びろと言わんばかりに伸びると、反動で一気に収縮する。
「――――――はぁ」
 肺の古い空気を出し、新鮮な空気を飲み込んだ。

 その肺の上、寝巻き用の薄いシャツの上に鎮座するのは白い宝玉。
「…………」
 触れてみる。
 硬質な、しかしスベスベなそれは温度を感じさせない。
 冷たいという表現が適切であるはずのそれが何故か、元は温かかったのに今はそれが感じられないもの、という風に考えてしまっている。
「セシル姉に聞いておけばよかったな」
 出所のわからない、不思議と落ち着くペンダント。
 それを胸に大事に抱き、ロイドは任務へと向かう。


 セルゲイの通信に従って執務室へと赴いた特務支援課はそこで客人である一人の女性と面会した。
 ピンクブラウンの髪をショートにまとめ、警備隊の制服に身を包んだ人物。
「おはようございます!」
 ノエル・シーカー曹長は所定の座席に座るセルゲイの前で敬礼を行った。
 客が来ているという呼び出しを受けた特務支援課が真っ先に思い描いた人物の一人である。
「おはようございます、やはりあなたでしたか」
 返礼こそしないものの朝の挨拶を交わし、四人はセルゲイを見た。
 さほど待っていなかったのかセルゲイはまだ煙草を吸っておらず、視線を受けての最初の行動がそれに火をつけることだった。
 間を外されるというか、いまいちセルゲイが読みきれない四人だった。

「まぁアレだ。聞け」
 それだけ言ってセルゲイは背もたれに寄りかかり、僅かに苦笑したノエルが言葉を引き継ぐ。
 しかしその表情は途端に真面目に硬質化し緊張が走る。
「本日は以前依頼した捜査任務の報告をしていただきたいのですが、それ次第で新たな依頼もお願いしたいと思っています」
「新たな任務?」
「とりあえず報告しろ」
 セルゲイに言われ、順序を守る形でロイドは捜査状況を報告する。
 まだ最後の被害場所であるマインツに行っていないことを伝えた後、アルモリカ村で聞いた話、ウルスラ病院の魔獣侵入ルート等警備隊の調書を補完する形で伝えた。

 ノエルは静かに聞いていたが、やがて口を開いた。
「…………なるほど、期待以上の成果ですね」
「なんだ、もうちっと驚くかと思ったんだがソーニャの秘蔵っ子のお眼鏡には叶わんか?」
 セルゲイがつまらなそうに言うとノエルは苦笑した。
「いえ、ソーニャ副司令にそう言えと言われまして……」
「………………」
「ちなみに、新情報がなかった場合の発言もお聞きになられますか?」
「…………いや、いい」
「そうですか……」
 少し残念そうなノエルにセルゲイも何故か笑いを堪えているような顔をしている。
 なんだか置いてかれたような四人はエリィの咳払いで持ち直し、ノエルに問うた。
「それで、どうでしょうか。自分たちは新しい任務を与えられるに足りますか?」
「ええ、元よりお願いするつもりでしたから」
「…………えっと」
「え? あっ、さっきまでの流れは全部副司令からの命でしてっ」
 ノエルは両手を顔の前で振ってワタワタと慌てている。
 どうやら彼女は素直な性格のようで、これまでの相手を計るような言葉は全てソーニャ・ベルツ副司令の指示のようだ。

「コホン、実は、マインツ方面の警備強化を解くように言われてしまいまして、今朝を以って完全に撤収したところなんです」
「えっ、マインツのですか!?」
「まだ事件が起きて三日なのに」
 エリィとティオが驚く。ロイドも声こそ出さなかったが同様のようだ。しかしランディだけは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「―――なるほどな、あのご立派な警備隊司令官殿のお達しだろ?」
「……そのとおりです」
「ランディ、知っているのか?」
「あぁ、副司令はタングラム門勤めだが司令はベルガード門だからな。尤も、いつもお偉いの接待だとか抜かしていねぇんだけどよ。なんでも帝国派の議員と繋がってるらしいが」
 警備隊司令の言によると、広範囲の魔獣被害は確かに問題だが、被害の規模が小さく、また二週間以上もかけて未だ犯人の魔獣を処理できないということから無駄と判断したらしい。
「そんな……」
「ち、腰巾着野郎が……」
 吐き捨てるように言うランディは司令の顔が浮かぶのか、他三人よりも顔に負の感情が浮かんでいる。

 そんな四人を見てノエルはフッと笑い、
「―――なので、皆さんには鉱山町方面の警備をお願いしたいのです」
「あ」
「そういうことだ」
セルゲイは煙草を灰皿に押し付ける。
「ちょうどマインツに調査に行くんだろう、ついでに見回りでもしてこい」
 四人は顔を見合わせ、頷く。
 セルゲイはニヤリと笑い、ノエルを見た。
「そういうことだ、安心して他の業務に回れ」
「はいっ、ありがとうございます!」
 ノエルは満面の笑みで敬礼をする。セルゲイはそうだ、と呟き、一番に言うべき言葉を流した。

「こいつはソーニャの補佐も務めるノエル・シーカーだ」
「あはは、改めまして。ノエル・シーカー曹長です! よろしくお願いします!」
 再度敬礼し、ノエルは威勢よく言う。その気持ちのいい挨拶に四人は笑顔になる。
「よろしく、曹長。フランから話は聞いているよ」
「あ、そうですか。フランはよくやっていますか?」
「えぇ、いつも助けてくれているわ」
「ふふ、姉としては心配だらけですけど」
 そこでティオが彼女に聞くべきことを思い出し、尋ねた。
「―――そういえばノエルさん、調書に白い狼を見たと書いてありましたが」

「え? あぁ、その話ですか」
 ノエルは問いに歯切れの悪そうな口調で返す。明朗な彼女にしては妙な態度だった。
「どうかしたんですか?」
「……自分でも、妙だとは思うんですが。違う気がしたんです……」
「違う? 何がだ?」
 ランディの言葉になお居心地の悪そうな顔をした後、ノエルは自分を掻き抱いて答えた。
「普通の魔獣とは違う、それはすぐわかったんです。でもそういうことじゃなくて、私を見る眼が、その、まるで懐かしいものを見ているような、そんな感じがして」
 そこでノエルは言葉を止める。彼女以外は皆一様に黙っていて不思議な静寂が訪れた。

 やがてノエルが続きを話し始める。
「―――それで暫く見詰め合って、でも気づいたらもういなくて……なんか白昼夢を見ていたように現実感がないんです。だからごめんなさい、見たってことすら確信を持って言えないんです」
 ノエルが見た幻なのか、それともトルタ村長の言う神狼なのか、それとも別の何かなのか。
 それ以上聞くこともできず、やがて気を取り直したノエルが妹をよろしくお願いしますと言い残し、退室する。セルゲイもそれ以上何も言わず、四人は沈黙した。
 そしてセルゲイが見守る中、四人は顔を合わせる。
 ロイドは言った。
「―――さぁ、支援要請をこなそうか」






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 端末に記されていた支援要請は、クロスベル駅の臨検官補佐、旧市街の廃アパート内の魔獣駆除、そしてマインツ山道の魔獣退治である。
「この三件は絶対にやり遂げよう」
 ロイドの言葉に三人は頷く。鉱山町マインツの警備も頼まれているが、今までの魔獣被害は太陽が沈んでからの深夜であるので最悪夕刻にでも着けば十分だ。
「手配魔獣が山道に出ているのね。行きがけにやるとなると、今回も徒歩のほうがいいのかしら」
 手配魔獣の位置は自治州地図に記されている地名などであるので正確な位置はわからない。それは魔獣が動くので仕方のないことかもしれないが、少なくともその明記された場所に一歩踏み出した瞬間から警戒が必要になるのである。
「フォールワシ、鳥型の魔獣か。専用目薬の所持が推奨されているな」
「……鳥目防止ですかね」
「夜に狩るわけじゃねぇが、似たような特殊攻撃があるのかもな。お嬢、在庫はどうなんだ?」
「お店じゃないんですけど。そうね、確か十分にあったはずだから買い足す必要はないわね」
「ただ治療に時間がかかるのも事実だ、攻撃はアーツ中心のほうがいいかもしれない」
 導力魔法の要はティオだが、彼女は回復系のアーツ構成となっている。属性値の上昇のためにクオーツを足したほうがいいかもしれない。
「あ、それなら私もアーツで攻めるわ。鳥は狙いづらいの」

 オーバルストアに行く必要が出てきたので、まずはそこに寄ることにする。しかし支援要請の話も聞いておかなければならない。
 ティオとエリィはゲンテンへ、ロイドとランディはそれぞれクロスベル駅と裏通りのアンティーク屋『イメルダ』を訪ねることにした。
 というのも、魔獣が現れた廃アパートの持ち主がその店主イメルダ夫人なのである。
「二手に分かれられればいいけど、臨検官補佐の仕事に人手がいるかもしれない。ランディ、どっちに行く?」
「俺としては小難しそうな駅には行きたかないが、ロイドの指示に従うぜ?」
「じゃあ折角だしランディは駅に、俺が裏通りに行こう」
「ガクッ、言っておいて何だが交換しねぇ?」
「これも経験だ。ランディは人手がいるようなら連絡してくれ」
「じゃあ私は終わったら駅に向かうわ。ティオちゃんは待っててね」
「すると別行動の班は、わたしとロイドさん、ランディさんとエリィさんですか」
 臨検官は列車内の乗客の手荷物と入国申請書を確認するのが仕事なのだが、14歳にして背も小さなティオがこれをやるとあらぬ苦労を呼び込みそうだとエリィが判断した為という隠れた事実があった。
 当然エリィは口に出さないし、ティオもそこまでは考えず納得していた。そして四人は端末から離れ、外へと続くドアを出た。


 オーバルストアゲンテンに向かったエリィとティオはウェンディにスロットの開放を頼む。
 先のゴーディアンから得られたセピス量は十分で、それぞれ一つずつ開放、それによりエニグマの内蔵するエネルギー量が増す。
 そして今回の本題、クオーツの精製を頼むことにした。

「現在つけているのが、わたしはHP1・鷹目、エリィさんが回避1・行動力1ですね。エリィさんは行動力をつけてどうでしたか?」
「そうね、確かに今までよりは動けているだろうけど、私の場合はそこまで動く必要がなかったりするのよね。ただ回避1だけをつけていたよりは攻撃が当たりにくくなっていると思う」
「やはり属性値のほかにクオーツの能力の組み合わせも重要になるということですか……」
 二人としては新しい攻撃用のアーツが欲しい。
 現在のクオーツではアイシクルエッジとスパークルのみである。バリエーションに乏しいとこの先辛くなることは明らかだ。
 ちなみにランディは攻撃1と防御1、ロイドは命中1と攻撃1をつけている。

「そうね、確かに属性の偏りはまずいかな。ティオちゃんとエリィさんは攻撃1を付けても武器の関係上意味は無いから、うーん。私は戦ってる時の役割分担を知らないから違うかもしれないけど……」
 ウェンディはカウンターから離れ、デスクの上から一つのクオーツを持ってくる。それは銀耀石の輝きを放つクオーツ。
「情報のクオーツ。属性値は幻3、魔獣のデータが脳裏に浮かぶ。ティオちゃんは鷹目を付けているんでしょ? 鷹目は空2の幻1だから、これをつければ上位属性アーツが使えるようになるわ」
 幻の属性値が同一ライン上に四つ含まれる場合、幻属性攻撃魔法『カオスブランド』が使えるようになる。
 地水火風四属性に含まれない空・時・幻の上位属性は、上位と呼ばれるだけあって魔獣の中にこれらの耐性を持つものは存在しない。故にコンスタントにダメージを与える上、補助魔法に関してもその特性上戦闘において非常に有利になる。
「ただ、情報と鷹目を組み合わせると結構キツイよ。勧めておいてなんだけど、それだけで頭がこんがらがっちゃうこともあるかんね」
 ウェンディはティオの持つ魔導杖を一度見せてもらっているのでその処理能力は理解している。だがそれでも人間であり幼い少女であることもあってか注意にも身が入る。

「後はエリィさん、エリィさんは行動力と回避の組み合わせはいいと思う。でも属性値で言えばあまりよろしくないのはわかっていますよね? それとラインが二つに分かれているから三つ目には風の属性値1しか加算されない。だから三つ目のクオーツは…………これ」
 風耀石の輝き、回避と同じ属性のクオーツ。
「これは?」
「移動1のクオーツ、文字通り移動能力の上昇。つまりこれは能力の組み合わせを考慮した結果ですね。移動による行動範囲の拡大と行動力による移動速度上昇、それが回避の力を上げてくれるはず」
 ウェンディは更に一つのクオーツを取り出した。地属性のクオーツ、防御1である。
「定番のクオーツとして防御1ももちろんお勧め。二人とも後方支援型、難しく考えなくても安全なのはこれですね。後は幻属性の精神1。これは魔法攻撃力が上がりますが、レベル1ならば大した効果は認められないでしょう」
 どうしますか、という問いに、二人はそれぞれの結論を言った。






 ランディは駅前通りからクロスベル駅に足を踏み入れる。
 この中にいるのは利用客か従業員だけなので大雑把に考えれば二通りの人間しかいない。その中でランディは依頼主の臨検官を探す。
 正面には階段、その両脇にはそれぞれホームへと続く改札口がある。手前左手にはカウンターがあり総合受付のような存在のようだが、カウンターから安易に出てくるようには見えない。
 二階を見ると上がってすぐには巨大な掲示板があり、左右に通路が延びる。右手には女性従業員がカウンター内で導力放送をしており、どうやら違うようだ。

 すると残り、二階左手の重々しい扉の前に苛立たしげに待っている初老の男性が今回の依頼主であろう。
「ちょいといいか、あんたが依頼主の臨検官さんかい?」
「む、なんだお前は」
「特務支援課のランディ・オルランドだ。臨検官補佐の仕事を頼んでいなかったか?」
「おお、そうか君達が……っとなんだ、お前だけか? これでは仕事にならんぞ!」
 ランディの言葉に待ちわびた様子で早口で反応した男性だが、一人しか姿が見えない状況に憤った。
 ランディは馴れ馴れしく宥めた後、現在の支援課の状況を伝える。
「ちっとばかし別行動してるだけだ、呼べば来るぜ? 何人いる?」
「多いに越したことはない」
「言い方が悪かったな、最低何人いる?」
「むぅ……そうだな、二人いればなんとかなる、か……?」
「オーケイ、じゃあ待っててくれ」
 ランディはエニグマを起動し、ロイドへと通信をかける。すぐに出たロイドに事情を話し、こちらは二人でこなすことを報告した。
「―――よし、じゃあ仕事内容を聞かせてもらおうかね」
 臨検官補佐ランディ・オルランドのデビューであった。






 ロイドは裏通りへと足を運んだ。
 相変わらずの雰囲気を漂わせるこの通りは、以前裏の者を視認した場所でもある。
 今ならわかる、あれがルバーチェなのだと。

 怪しげな客引きに警告を与えながら向かった先は、そのルバーチェ商会へと続く道の手前にある店。これがアンティークショップ『イメルダ』だ。
 中に入るとそこは狭い。
 確かに狭い土地なのだが、店内には物が溢れかえっていて尚更スペースがない。
 右には宝石の入ったショーケース、左には人形など様々なものが並んだガラスケースがある。
 その物に囲まれた最奥にイメルダは座っていた。

「あなたがイメルダさんですか」
「ひっひ、あたしゃ確かにイメルダだが…………お前さんは特務支援課かい?」
「ええ、特務支援課捜査官のロイド・バニングスです。今回は所有しているアパートに魔獣が出現したそうですが」
 紫の衣服、指先には宝石がごろごろついており、小さな丸眼鏡の奥に見える切れ長の眼は魔女を思わせる。ロイドは不気味な印象を持ちながらも失礼のない対応を心がけた。
 イメルダは徐に何かを投げ渡した。一瞬セルゲイが頭に浮かんだロイドはそれを掴む。鍵だった。
「依頼内容通り旧市街のメゾン・イメルダに出てきた魔獣を退治しておくれ。いくら使ってない物件だとしても腐らすのは惜しい」
「は、はぁ……」
 ひっひと笑うイメルダにロイドは愛想笑いも出せない。そのままイメルダは何も言わず、ロイドは諦めて踵を返した。

 ドアが閉まり静けさが戻ると、イメルダはまた引き笑いを始めた。
「バニングスねぇ……」
 薄暗い店内に不気味な笑いが響いた。


 ロイドはそのままゲンテンへと向かう。そこには既に支度を終えたティオがおり、エリィは既に駅に向かったようだ。
「よし、旧市街に行こう」
「了解です」
 ロイド・バニングスとティオ・プラトーの戦いが始まった。



 特務支援課が初めて別々に支援要請を達成した一日の、初動の光景である。




 初出:1月26日



[31007] 2-7
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/01/28 21:35



 エリィがランディと合流したのはちょうどランディが話を聞き終えたところだった。
 今回の依頼主、臨検官クワトロはもう時間がないということでホームへと向かい、エリィはランディからその間に話を聞くことになった。
 とはいえエリィは臨検官の仕事内容を知っている。故にその補佐という箇所について聞くだけで十分だった。
 帝国からの列車が停まった二番線へと進むために正面右の改札口を通る。ホームはこれより下にあるので下りの階段があった。
「―――つまり車両ごとに一人で臨検官の仕事を行えばいいのね」
「おう、注意事項は車内に入る直前に言うってよ」
 階段を下りた頃には既に話し終わっている二人。それがエリィの理解力の高さからなのか、それともランディの説明めんどくせぇからなのかはわからない。

 導力列車は青い外装に、頭頂部には帝国の象徴である黄金の軍馬が飾られていた。
 ちなみに帝国行きの二番線はガレリア要塞まで32分、共和国行きの一番線はアルタイル市まで35分の行程である。三番線は貨物列車専用らしく、警備隊員がホームにも詰めていた。
「さて、内容は聞いているな。では最後に注意事項を伝えよう」
 クワトロは列車入り口前に立ち、二人を睨んだ。
 睨んだとは言ってもそれに敵意などはなく、ただ性格が固いことに加えて目つきが悪いというだけである。

「臨検では手荷物と入国申請書を確認してもらうわけだが、当たり前のことだが不審物及び危険物を持っていたら即刻拘束する。君は大丈夫かね?」
 クワトロは若干の心配を含んでエリィを見た。もちろんその若干は二人には気づかれない。
「大丈夫です。警察官である以上、最低限の体術は心得ています」
「よろしい。そして臨検中に乗客は車両を移動することはできない。これは絶対で、多少のことも我慢を強いるので覚えておいてくれたまえ。何か質問はあるか?」
「移動を確認した客がいたらしょっ引いていいんスか?」
「それは注意で終わるだろうが、その時は私が改めて臨検を行おう」
 ランディの質問にも答え、クワトロは列車を見た。
 五編成の導力列車。後は担当を決めるだけだ。

「私が前二車両を行う。お前達は三号車と五号車から行って四号車で合流すると良いだろう」
 クワトロの指示に頷き、エリィが三号車から、ランディが五号車から臨検を行うことになった。
「さてと、やりますか」
「ええ、油断なくいきましょう」
 それぞれ車内に入る前に激励し合い、二人は導力列車に乗り込んだ。


「へぇ、内装も中々だな」
 ランディはそう呟き、眼前に広がる光景を見つめる。
 帝国製の列車であるので帝国の様式美を反映していることは外観から予想はついたが内装も見事だった。高級感溢れる内壁は帝国貴族の好きそうな模様だし、照明もその雰囲気を助長している。
「っといけね、さっさとやっちまわねぇとお嬢にどやされちまうな」
 両脇に連なる座席に座る様々な乗客たち、男女比は僅かに男のほうが多いか。
 これが全部好みの女性ならやる気が出るのにと詮無いことを考えながら、それでも口の上手い彼は手際よくこなしていく。ただ女性が相手のときのみ言葉数が多いのは彼らしかった。

 一方のエリィは持ち前の社交性で難なく任務をこなしていく。
 途中泣き出してしまった赤子をあやしてしまう当たりも彼女の彼女たる所以かもしれないが、恋の旅をしているらしい男性にナンパされて辟易する場面も彼女らしかった。
 ランディにお嬢と呼ばれるのは伊達ではないのである。

 そんな彼女は三号車の臨検を早々に終わらせて四号車へと向かう。
 しかしちょうど四号車への扉を開けたところで後方から同様の音が聞こえてきたのをエリィは聞き逃さなかった。
 反転して車両全体を眺める。ちょうど全員と話し終えた後だ、そこに彼女の知らない乗客がいるはずはない。
 故に―――
「すみません、ちょっとよろしいでしょうか」
この男性は車両を移動してきたのである。
「あ、あはは……」
 男性も流石に無理があると悟っていたのか、あっさりと認め、同時に泣きついてきた。彼は自分が如何に無害な旅行者であるかを大仰に話し、沈黙を強請る。
 しかしそんなものを彼女が許すはずはない。
「貴方には同行していただきます。二号車から来た以上、臨検官であるクワトロさんから逃げたということに他なりませんから」
「そ、そんな……」
「それに少々頭にきます。貴方には、私が不正を見逃すような女に見えているのですね」
 じろりと睨みを効かすと男性は諦めたように深く深く腰を下ろした。まるで少しでも長くここにいたいというように。

 その一方、ランディは四号車でエリィよりも仕事が速かったことを喜んでいた。


 後にクワトロに聞いたところ、あの男性は旅行好きの元詐欺師で入国申請書に前科を記していなかったらしい。
 前科のある人物は他国では行動を制限されることが多い、故にそれを嫌ったのだろう。
 彼は始めにいた二号車が補佐の管轄でなかったことを不運だと嘆いていたようだが、元より臨検官が健在なら逃れられないので無駄な思考である。
 クワトロに礼を言われた二人は少し意外な顔をしていたが、クワトロは帝国軍からの出向でここに来ている。最低限の礼もできない人物がこのような仕事には就けないのだ。
「せっかくお嬢より早く終わったと思ったのによ」
 ランディがぼやくがエリィは悪い気はしなかった。彼に仕事が速いと認められているからである。
「まぁまぁ、無事終わったからいいじゃない。私たちも旧市街に向かいましょ?」
「ぃよし! この鬱憤、魔獣に払ってもらうとするか!」
 調子を取り戻したランディに笑顔で頷き、二人は旧市街へと向かった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 メゾン・イメルダはライブハウスであるイグニスのすぐ近くにあった。外観は正しく無人であることを示している。
 はっきり言ってしまえばボロい。
 一階に入り口はないらしく、外に備え付けてある階段で二階へと上る。二階の高さまで上がるとすぐに扉があり、どうやらそこの扉がイメルダに投げられた鍵で開くようだ。
 錆び付いていて固い鍵をなんとか開けて中に入る。一歩踏み出すだけで埃が舞い、部屋全体が靄にかかったようになる。
「……ロイドさん」
「言いたいことはわかるけど、これも任務だ。我慢しよう」
 ティオが物言いたげな顔で見つめてくるが、ロイドは腕で口元を押さえながらそれを阻む。
 正直に言って魔獣が出るのは当然で、瓦解しないかが心配なほどである。

「ティオ、探査してくれるか」
「……アクセス」
 ティオはめんどくさそうに魔導杖を起動、建物内の魔獣の確認を行う。
 奥の部屋まではわからないが、どうやら一部屋に一戦闘はしそうな雰囲気であるらしい。どのような魔獣であるかはわからないので用心する必要があった。
「そういえば、今なら俺も鷹目が使えるんじゃないか?」
 ふとロイドはティオに尋ねる。
 室内であるならばそう情報量が増えることもない。昨日はそんな余裕はなかったが、今なら練習に最適である。
 ロイドはティオに手を差し出す。よこせのポーズである。
「ダメです」
「あぁ、ありが―――ってえぇ!? な、なんで?」
「これはわたしのです」
 プイっと身体を翻してマントで身を固めるティオにロイドは唖然とする。
 流石に無理やり奪うわけにはいかなかったのと今は任務中だと己に言い聞かせることとで自制したロイドだが、釈然としなかったのか後頭部を掻いた。
「いきましょう。迅速に駆除して戻るんです」
 前衛のロイドを置いていこうとする後衛のティオ。
 魔獣がいる中、自分の存在理由がなくなってしまうのでロイドは慌てて追いかけた。

 メゾン・イメルダは二階から入ると正面と右手に部屋が一つずつあり、左手には下へと続く階段がある。
 木製であるために歩くたびにギシギシと音を奏で、所々破損しているのでいつ穴が開くか不安である。
 まず二人は正面の部屋へと入った。ロイドの身長を越える棚が一つだけの簡素な部屋である。その棚にも目立った物は収納されていない、どうやら前入居者の残り物のようだ。
 ティオが袖を引っ張る。
「います」
 小声でそう言い、ロイドは棚の裏側に目を凝らした。
 小さい、しかし通常より何倍も大きな水色の身体。ジオフロントでも確認したネズミ型魔獣ジェラルム・ポーである。
 何をしているのかわからないが、顔を床にこすり付けて鼻をフンフン鳴らしている。

 気づいていないのなら都合がいい。ロイドは静かにその後ろを取り、床が軋んだ。
「チッ?」
「うわっ、でも遅い!」
 音に反応したジェラルム・ポーと、音に驚いたロイド・バニングス。
 勝敗は体勢の差、既に攻撃の意志を持っていたロイドはそのままトンファーを振り下ろし、床に叩き付けた。
 ジェラルム・ポーは痙攣しながらも起き上がろうとするが、そのままロイドは二撃三撃と続け、光と共にその姿を縮小させる結果は変わらなかった。
「ふぅ、焦ったよ」
「仕方ないです。次にいきましょう」
 冷や汗を拭ったロイドにティオは労いの言葉をかけるが、ふと気づいた。
 発生した魔獣が全てあのような存在だった場合、自分の出る幕はあるのだろうかと。


 二階の二部屋を掃除し終えた。見つけた魔獣は先のジェラルム・ポーと穴熊魔獣のダート・ナーの二種類である。
 この間はロイドしか働かなかった、というわけではなく、むしろティオの独壇場であったと言えよう。
 それはもう新しく出てきたダート・ナーの特性にある。
 この魔獣はとにかく臆病な性格で警戒心が強く、また集団で行動することが多い。
 故に二階のもう一部屋にはこの魔獣が三匹おり、その三匹が同時に二人に気づいたのだ。
 奇襲が使えない状況でロイドは魔獣がティオに向かわないよう身体を張ろうとしたが、その三匹は戦闘形態へと変形した魔導杖の放つ魔法弾に揃ってひっくり返ってしまった。

 それはこの二種の魔獣に共通することだが、とにかく魔法耐性が低いのである。アーツと同じ位置づけにある魔導杖の攻撃は彼らにとって鬼門であった。
 故に実際はロイドよりもティオのほうが前衛として出るほうがいいくらいだが、ティオの年齢とロイドの思考回路を考慮するとその配置はありえない。
 提案したティオは不満顔でいたが、ロイドは頑なに否定していた。


 さて、そのまま一階へと下りた二人だが、その長い廊下で本日二体目の新種に遭遇する。
 赤い、足の長い羽虫の魔獣は二人に気づくとその鋭い口を突き出して迫ってきた。
 ロイドはトンファーをクロスさせ、突きのような形で向かってくるその口を挟みこむ。しかし僅かに滑り、ロイドの頬に浅く突き刺さった。
「ティオ!」
「ヤ・カー、昆虫の魔獣ですっ。吸い付かれると血を抜かれますので注意を!」
「あぁ! せいっ!」
 そのまま持ち上げてバランスを崩した後に弾く。ヤ・カーは錐もみ状態で後退したが持ち直し、こちらを警戒している。
 羽虫独特の音が鼓膜に響く。ロイドの頬から血が流れた。

「はぁっ!」
 そして追撃するロイド、左のトンファーを盾のように顔の前に構え、そのまま横薙ぎに狙う。それを上昇する形で避けたヤ・カーに、ロイドは右腕を掬い上げるように振るい魔獣の腹を打ち据える。
 昆虫型故の脆さか、軽い感触と共に不気味な色の体液を撒き散らしながらヤ・カーは地に落ちる。そのまま光を伴い魔獣は消滅した。
「ロイドさん、今治します」
 ティオが頬の血を見て言ったがロイドは腕で拭い断る。しかしティオは構わずアーツを詠唱し、傷を癒した。
 傷の消えた頬を撫でながらロイドは問う。
「ティオ、なんでこんなかすり傷を?」
「ヤ・カーの唾液は血の凝固を無効化します。つまりは血が止まらないのです」
「……なるほど」
 確かに放っておくと事だなと納得し、ロイドは改めて周囲を見やる。
 長い通路は一定距離を置いて左右に扉を擁している。突き当たりは右への曲がり角になっているようだ。
 二人は一度奥まで確認してみる。すると曲がり角の先は木箱が積まれていて進めないようになっていた。そこは諦め、過ぎた部屋を一つずつ点検することにする。

 二人は人がいないことを前提とした戦法に切り替えることにした。ロイドが扉を開けてすぐに身を翻し、入れ替わったティオが魔法弾を放つという所謂ぶっ放しである。
 それが奏功したのか、扉の前周辺にいた不幸な魔獣はその一撃で痺れ、次いでロイドの打撃で昇天する。
 唯一ヤ・カーだけは魔法耐性が火属性のみ弱点であったので、こちらは逆にロイドのトンファーのほうが効き目があった。というか一撃で砕けてしまうほどに耐久力がないので任せてよい。

 とにもかくにも一部屋ずつ見ていった結果相当な魔獣がいたが、どちらも狭い一室での戦闘だ、小回りの効くロイドとティオという人選が当たって損害なく駆除ができていた。
「―――よし、これで全部だな」
「……ですね。ですが……」
 入ることの出来る部屋は全て入り、魔獣の掃討は終了した。現在は確認の為もう一度ずつ部屋を回ったので二階入り口の前まで戻っている。
 埃っぽい空間で汗を掻くと肌に染み付く。一度入り口を見てから額を拭うと服が汚れ、顔を顰めるロイド。
 そしてそんな場所を一刻も早く抜け出したかったティオだが、その彼女はまだ納得のいかない顔をしている。

「ティオ?」
「……実はまだ魔獣の反応があるんですが、侵入経路がないんです」
「てめぇら何してる?」
 心当たりといえば先の曲がり角であるが、そこには木箱の山がある。魔獣駆除を頼まれた身が果たしてあの環境をぶち壊していいのかティオには判断がつかなかった。
 なので彼女はロイドを見る。事情を理解したロイドは一瞬目を閉じて考えたが、すぐに目を見開き言った。
「この要請が完了したらイメルダさんがやってくるかもしれない。そうなるとまだ魔獣の反応があるのに帰るわけには行かない」
「……ですよね」
「……おい、聞いてンのか?」
「かといって器物損壊はしたくない。だから面倒だけど、一つずつどかしていこう」
「……………ですよね」
 ティオは大きく息を吐いた。めんどくさいですと呟くティオにロイドは微笑みながら頭を撫でる。

「大丈夫、俺がやるからティオは休んでていいよ」
「…………それはありがとうございます。でも子ども扱いはしないでください」
「えっ、手伝ってくれるのか?」
「頭の手の話です……」
「おい! 聞こえてんだろッ!」
 わかっていたとはロイドは言わず、ごめんと謝って手を下ろした。
 ティオはロイドに撫でられた場所をさすっている。
 それは感触がくすぐったかったのか、いやだったのか、ロイドはその表情から前者だと判断した。

「よし、じゃあ行こうか」
「はい」
「行こうかじゃねぇよ、てめぇら何してるって聞いてンだよッ!」
「あぁヴァルドか」
「お久しぶりです」
 今気づいたという風に顔を向けるロイドとティオ。ちなみに全くの嘘である。
 旧市街の事件では戦ったりもしたのだが、何故か妙な親近感を持っている二人である。
「何すっとぼけてんだてめぇら……バニングスにいたっては俺を見てるじゃねぇかッ!」
「あぁ、でも話の途中だったし」
「イグニスの近くですからね、来るんじゃないかって思ってました」
「……ぶっ殺されてぇか、おい!!」
「それでヴァルド、どうしたんだ。こんな埃っぽい場所に」
「えぇ、こんないたくもない埃っぽい場所に来るなんて、何かあったんですか?」
 そしてヴァルドは気づいた。二人の馴れ馴れしい理由が、この汚い環境に馴染んだ者同士のシンパシーであると。
 二人に無視され続けたヴァルドは大きな動作を繰り返している。それによって舞い上がった埃は彼の一張羅を見事に染めていた。

 ヴァルドは唖然とするも、気を取り直して用件を告げる。この面の皮の厚さがサーベルバイパーのヘッドの証である。
「うるせぇんだよ」
「イグニスがですか?」
「違ぇよてめぇらがだよ! ……こんな場所で何してる」
 ロイドは魔獣駆除、と簡潔に述べる。
 するとヴァルドは何を思ったか得物を取り出し階段を下っていった。
「ヴァルド、どうした?」
「どうしたじゃねぇ。ここは俺たちの縄張りだ、そこを荒らすヤツは魔獣だろうが容赦しねぇ」

「…………すごい意識ですね」
 ヴァルドが消えていったのを見計らってティオが呟く。なんというなんというか彼女には理解できない思考回路で動いているのだろう。
 もしかしたら彼はテスタメンツのことも『青坊主』という魔獣だとでも思っているのかもしれない。
 本当にあるかもしれない……
 ティオはそう思ったが、ロイドの言葉に意識を戻す。
「よくわからないけどヴァルドを先行させるわけにはいかない。俺たちも行こう―――ってうわぁ!」
 言葉尻を捉えるように爆音が鳴り響く。それは何かを破壊したような音で、二人はすぐに理解した。
「……器物損壊で逮捕ですか?」
「…………」
 何も言えないロイドだった。





 ヴァルドを追って曲がり角の先へと進んだロイドとティオ。辿り着いたそこは構造的には立派なもので、きっちり三部屋ある。
 一階右手に向かい合うように二部屋、階段を上って一部屋である。物々しい音が聞こえてくるのは二階の大部屋だろうか。
「ヴァルドはあの部屋だな」
「探査するまでもないですね」
 そして、もし魔獣がいるのならそれは大物だと二人は直感した。

 果たしてそれは現実となる。部屋の付近まで来た二人はヴァルドの苦悶に満ちた声を聞き、ドアを蹴り開けた。
「ヴァルドッ!」
「ぐ……くそがぁ……!」
 二人の視界には奥へと追い詰められて膝を着いている血塗れのヴァルドと、それを囲むヤ・カーの群れ。
 そしてそれを統括する巨大なヤ・カーである。
「スペリオルヤ・カーです! 火属性が弱点、他ヤ・カーと同じっ!」
「了解!」

 エニグマを起動させクラフトを使う。一瞬でヤ・カーの中心に到達しアクセルラッシュを放つ。
 周囲にいた二体のヤ・カーは砕かれ光となるが、まだヤ・カーは三体、更に大物もいる。
「ティオ、ヴァルドの回復を!」
「了解ですっ」
 迂回してヴァルドの側に向かったティオはアーツの詠唱にかかる。その前にロイドは仁王立ちした。
「……おい、必要ねぇ……!」
「死にますよ」
「っ……!」
 青い光が放たれ、ヴァルドを包む。
 光が消えた後ヴァルドは立ち上がろうとしたが、力が入らないのか失敗した。
「てめぇ、どういうことだッ」
「傷は治っても血は足りません、じっとしていてください!」
 ティオは続けて詠唱に入る。
 今回は詠唱時間を長くとらなければならない。ヴァルドに構っている暇はなかった。


「はぁッ!」
 ロイドは右のトンファーでヤ・カーを弾き砕く。
 その隙を狙ったのかもう一体が左から攻めてくるが、両刀のロイドにとってそこは隙ではない。
 振りぬいた右を戻す反動で左のトンファーが動き、ヤ・カーが到達する前に頭を飛ばす。そしてすかさず右を出し、もう一体も迎撃する。
 しかしこれは避けられ、振りぬいた右肩にヤ・カーの刺突が突き刺さった。
「ぐッ!」

 ヤ・カーの口は鋭いが、小さい。血がジャケットに染みこむのを鋭い痛みとともに感じながら、ロイドは咄嗟に左手のトンファーを放し、空いた手でヤ・カーの口を掴む。
 細い節ばった感触のそれを強引に引き抜く。発声器官がないのか、音もなくぐらつくヤ・カーを開放された右手で消す。
 トンファーを拾い直し、そして残った魔獣に身体を向けた。
「………………」
 スペリオルヤ・カーはその巨体を動かさない。終始警戒していたロイドだがそれが動くことはなく、黙って仲間がやられるのを見守っていた。
 羽音だけが響き、虚ろな眼球がロイドを映す。
 ティオの詠唱もある、ロイドは決定打を受けないことを念頭に置いていた。
「ッ!?」
 それがこの攻防の最大の勝因だった。

 いきなり羽音が大きく鳴ったと思った瞬間、既にスペリオルヤ・カーはロイドの顔目掛けて口を突き出していた。
 その予想外の速度にロイドは腕を振り上げることもできずに咄嗟に首を捻り回避する。
 ヤ・カーを越えた大きさの口がロイドの頬肉を抉り、次いでバランスの崩れた身体の中心に鞭のような足が迫ってくる。
 それはトンファーで受けたものの、人間と虫の最大の違いは手足の数である。両手でそれぞれ一本ずつの殴打を防いだ後、体勢の悪さか後方に弾かれる。
 そのまま尻餅を着き、慌てて上半身を持ち上げたところに突進を仕掛けてきた。

 あくまで顔を狙ってくるのは虫の本能か、それを持ち上げた上半身を戻して横に転がることで避けるロイドは手が床板と身体に挟まれる瞬間に全力で床を押しのけ、身体を持ち上げる。
 その回転のまま一歩踏み出しスペリオルヤ・カーの側面を打つ。
 高速振動する羽に腕を裂かれながらも放った一撃はちょうど昆虫の胸に当たる部分を痛打する。
 耐久力の低さは大きくなっても変わらないようで、その一撃は思いのほかダメージを与えたようだ。顔からの出血がひどいロイドはそこでようやく息を吐くことができた。

「っはぁ……!」
 しかし立ち直ったスペリオルヤ・カーが再びその羽を動かし、向かってくる。
 鋭利な口が向かってくるのを視認しながらロイドは右手のトンファーを首の前に突き出して構える。
「来いッ!」

 その言葉に応じるようにスペリオルヤ・カーが刺突を繰り出し、ロイドはそれが眼球に突き刺さる一歩前に掲げていた右腕を振り上げた。
 トンファーがスペリオルヤ・カーの口と十字を描くように移動しその軌道を上へと修正する。
 既に屈んでいたロイドの頭を掠めたのを確認する間もなく、腰を捻って左手のトンファーで魔獣の腹を狙う。
 しかしそこには無数の手足、絡めるようにトンファーは防がれ、そしてロイドは勝った。
「ティオッ!」

 ティオの詠唱が完了し、スペリオルヤ・カーの中心から紫銀の糸が生まれる。
 その数三本、その糸の辿り着く先にあるのは糸と同じ幻想の刃。それは次の瞬間、時を遡るようにスペリオルヤ・カーへと放たれる。
「カオスブランドッ!」
 言の葉に従い幻の刃が魔獣を襲う。
 上位属性の魔法を前に耐え切れるほどの力はこの魔獣にはありはしない。
 死神色の光の爆発によりスペリオルヤ・カーの身体は硬直し、開放されたトンファーにエニグマの駆動に伴った導力が集う。
「スタンブレイクッ!」
 電撃を付与した一撃を見舞い、更にとどめの振り下ろしを放つ。
 スペリオルヤ・カーは跳ね飛ばされ地に落ち、そして、
「うらぁッ!」
いつの間にか動いていたヴァルドの木刀に潰された。


 光を立ち上らせて消えていくスペリオルヤ・カーに、ヴァルドは得物を肩に担ぎ、鼻息を鳴らした。
「フン」
「ヴァルドさん……」
「……………………」


 魔獣駆除の任務はこれで終了である。
 その後強がりで足早に去ったヴァルドの姿に、追いかけてきたエリィとランディが驚いたのは言うまでもない。驚きの理由はもちろん、彼の足が笑っていたからである。
 しかしヴァルド的には彼の矜持は守られたのでいいのだろう。

 ロイドと彼の傷を治し終えたティオに臨検補佐の任務を終えた二人が合流したのがちょうど太陽が真上に昇った時である。
 特務支援課は再び四人となり、昼食の後鉱山町マインツへと足を運ぶことになる。




 初出:1月28日


 ヴァルドさんと言えば蚊にやられたから……みたいな雰囲気。
 だから本作では彼は蚊に勝ちます。



[31007] 2-8
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/02/01 19:29



 特務支援課としてマインツ山道に向かうのは初めてだ。
 ロイドとエリィは大聖堂に通っていたのでそこまでの道のりで窺える景色には覚えがある。
 山道というだけあり、その多くが上り坂であるために歩行者は他の道よりも少ない。
 しかし山頂付近からの景色は正に絶景であり、それは導力バスの中からも見えるが、苦労して登った後に見るからこそいいのだという剛の者も存在する。
 本来の目的地はその山頂にある鉱山町マインツであるが、この山道のどこかに手配魔獣であるフォールワシが存在する。

「……つまりは歩いていかなければ、ということですね」
 午前中にロイドと魔獣駆除に向かったティオがげんなりして言う。アルモリカ村に行ったときにもばてていた彼女だ、山道はより厳しい。
「うーん、ティオさえよければバスで先回りしてくれてもいいんだけど、そういうの嫌だろ?」
「…………当然です」
「今考えただろティオすけ」
 いつもならロイドのこの特別扱いというか子ども扱いには過敏に毅然と反応し対応するティオだが、今回ばかりはその行動に淀みがあった。
 そこをすかさず突くランディもランディである。
「それに正直ティオちゃんがいたほうが魔獣に対して効率がいいのよね。鷹目と魔導杖の策敵、アナライザーによる解析。私たちにはできないことよね」

 一応魔獣の解析にはバトルスコープという使い捨ての道具により行うことが可能だが、いかんせんティオの能力がいいだけに他三人は怠りがちである。
 鷹目のクオーツも今のところ使いこなせるのがティオだけだ。
「何より私が一緒にいたいんだけどね」
 そう言って悪戯っぽく笑うエリィに対しティオは視線を逸らす。
 彼女はこういう素直な感情吐露に弱いところがあった。
「とにかく頑張って踏破しよう。一応目の保養とか悪いことばかりじゃないし、体力もつく。何より経験が積めるということを喜ぼう」
「ポジティブね」
「すげぇよなお前はよ」
「真似できません」
「いやそこで出鼻を挫かないでくれよ……」






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 マインツ山道を歩きながらキョロキョロと辺りを見回す。山の景色は天気によってガラリと姿を変えるが、本日は快晴、一番ありのままの状態である。
 山の天気は変わりやすいとは言うものの、この雲一つない空で果たしてその通説は適応されるのだろうか。
「うーん、いい天気だなぁ」
「いい天気過ぎて熱いわね」
 陽射しが強いためじんわりと汗を掻く。
 山登り、というかハイキング日和ではあるけれど、流石に少しは雲があってもいいかなと思うエリィである。
「日焼けは、流石にしないと思うけど……」
「甘いなお嬢。山に登れば太陽は近くなるんだぜ?」
「大丈夫ですよエリィさん、わたしが紫外線をカットします」
 ランディとティオからそれぞれ異なる回答をいただき、エリィはふうと一つ呼吸をした。
 傾斜がどのくらいかはわからない、しかし導力バスが走っていることを考えれば登山家が歩む道やハイキングコースよりは穏やかであるのだろう。
 そう思い、まだ始まったばかりの散歩を開始する。

 小橋を何度か跨ぎ、少し進むと右手には段々と連なる川があった。先の橋はその川を渡るものである。
 分かれ道を右へと進むとその川の前に出られるようだ。
 見ると川に突き出した台があり、そこで釣り人が趣味を行っている。
 涼しげなその光景と水しぶきにより若干周りより冷えたそこで一つ目の目の保養を行った。

 曲がりくねった道を登っていく。自然を加工したその通路には、その加工から逃れた周囲で生きている魔獣が度々目に付く。
 サーカス団所属よろしく丸い岩に乗り転がして歩く茶褐色のネズミ型魔獣ロックラッタ、六枚の羽を忙しく動かして空中を散歩する小型のワニ型魔獣ハミングゲーター。
 黄色いゼラチンエイルグミと、山肌と同色のアースドローメ。
 この四種を魔獣手帳のために一体ずつは撃破し、しかし体力温存のために適度に無視していく。
 どうやらこの山道の魔獣はあまり好戦的ではないらしく、彼らの領域を侵さない限りは襲ってこなかった。

「あ……」
 ティオが前方を見て声を出す。同様に三人も先を見て声を上げた。
「すごい……」
「絶景ね……」
 広がる世界に映える蒼銀の山々。その頭上には白い雲が棚引き、風の流れを感じさせる。
「街からさほど離れていないのに随分印象が変わるもんだな」
 急激に変化し続けているクロスベル市を離れれば原初のクロスベルがそこにある。
 しかし現在クロスベルに住む多くの人々にとっては馴染みの薄いものだ。
 現にロイドとエリィもクロスベルとは思えないクロスベルの景色だと認識している。

「……クロスベルは、どこか歪だ。わかっているさ」
「ええ、まるで世界に変化を義務付けられているように変化を続けている。この景色を故郷だと思えないほどの、恐ろしい変化……」
 転落防止用に張られた鎖がまるで世界を切り離しているかのようで、決して行くことが叶わない場所のようで、届かない羨望のようで。
「……でもわたしは、今のクロスベルが嫌いじゃありません」
「ティオ?」
「……ま、俺の発言でこんな空気になっちまったわけだが、そんなクロスベルだからこそバラバラの俺たちがこうしているんじゃねぇの?」
 エリィとロイドが清清しい景色と対極の雰囲気を醸し出しているので、ティオとランディがそれぞれの心中を言う。
 その言葉に二人は顔を見合わせ、そして笑った。
「ごめんなさい。楽しく行かないとね、ティオちゃん」
「ランディもポジティブだなぁ」
「誰かさんのがうつったんだろ」
 四人でもう一度彼方の景色を見て、再び歩き始めた。




 辿り着いたのはバスの停留所がある山の中間地点だ。そのまま直進すると幅の広い滝が見え、それを越えると長いトンネル道に繋がる。
 そして、右に進むとどこに行くのか。
「……いや、俺も知らないな」
「ロイドも? じゃあ誰もわからないのね。行ってみる?」
「行くしかないんじゃないか? 手配魔獣がそっちにいたら先にマインツに着いちまう」
「ティオ、探査は?」
「待ってください……アクセス」
 魔導杖を探査モードに、水色の魔法陣と光に包まれたティオが目を閉じる。だが―――

「――――――」

「なっ!」
「えっ?」
「…………」
 突然の声に三人は揃って右手の階段が続く先を振り向く。
 その声、いや絶叫は確かにそこから聞こえたのだ。
「…………皆さんの見る先に二つの反応を確認、しかし一つはもうロストしています」
 魔導杖を下げティオは言う。その瞳には困惑にも似た感情が含まれていた。
「―――行こう。戦闘準備を怠らないように」


 途中行き止まりに捕まったが、その先の曲路を進んだ先で四人は目的のモノを見る。
 その道の突き当たりは少し高さを上げた広場、そしてその中心にソレはあった。
「…………どういうことだ」
 ランディは呟く。
 そこに広がっているのは無数の羽、そして切り飛ばされた茶色く大きな片翼。
「七耀の力が抜けてない、絶命する前に本体から切り離されたんだろう」

 魔獣の体は絶命すると七耀の力が霧散し元の動物へと戻るが、死ぬ前に切り離された部位は元に戻らずにそのままあり続ける。
 それらは魔獣系の食材にと呼ばれるなど広く活用されているのだが。
「……これ、手配魔獣のフォールワシの……」
「―――そのようです」
 アナライザーによりその持ち主はフォールワシであることがわかる。しかしわかったのはそれだけで、結局は謎が増えただけである。
 ロイドは地に落ちた翼の前にしゃがみ、断面を見た。
「鋭利な刃物、じゃないな。どちらかといえば強引に引きちぎったような感じだ」
「うーん、他の魔獣にやられたのかしら」
「でもそれだと手配魔獣に匹敵する魔獣が他にいることになりませんか?」
 他の魔獣の仕業ならばその魔獣は手配魔獣よりも強力な存在である。もしかしたら今頃端末に要請が来ているかもしれない。
 エリィはエニグマでセルゲイを呼び出したが、出なかった。

「この件は改めて報告しましょう。それで、これからマインツに向かう?」
 目的の一つである手配魔獣は消えた。ならば最終目的地のマインツ鉱山町に向かってもいい。
「でもまだこっちの道が続いている。とりあえずここを進めるだけ進んでみないか?」
 この先此方の道を通らない保証はない。期せずして時間に余裕ができたのでその分を探索に使ってもいいだろう。
 四人はそうして右に抜ける道を進んだ。


 釜戸だろうか、長い煙突が延びていて目を惹きつける。
 そしてそれ以上に、それを脇に携えながらも存在感を失わない巨大な洋館は不思議な雰囲気を漂わせながら鎮座していた。
 青い屋根は静かな印象を抱かせ、いくつもの窓が正面からも窺えるが中は見えない。
 それは曇りガラスであるとかガラスの方に問題があるわけではない。単純に距離がありすぎるのだ。

 山をくり貫いたように広がったそこに荘厳に佇む洋館は、その裾野を広場で埋めながらもそこに侵入者を許さないように外壁が鉄柵を従えて覆っている。
 正面には重々しい鉄門があり、しっかりと錠がかけられていた。
「ローゼンベルグ工房。ここがそうだったのね……」
「知ってんのか?」
 門の脇にある看板を見たエリィが呟きランディが尋ねる。首肯して、知っている限りを話し出す。
「ローゼンベルグ人形っていうマニア垂涎の人形を作る人形師がいるの。クロスベルにいることは知っていたけれどこんな場所にいたのね」

 ローゼンベルグ製の人形はその魅力に数多の人間が虜にされ、その結果数百万ミラもの高値がつくこともある。
 その産みの親がこの洋館に住んでいる、というのは納得のいくものであった。
「狙われることもあるだろうし、これぐらいのほうがいいのかもしれないな」
「だな。しかし本人いるのかね?」
 目の上に手をやって遠くを見つめるランディ。しかし見えるのは大きな茶色の扉だけだ。
「何か知っているかもしれないし話を聞きたかったんだけど……」

「―――ねぇ、どんな話?」

 全員が一斉に振り向く。四人の背後にはいつの間にか少女が立っていた。
 11、2歳ほどだろうか。薄い紫の髪にフリルのついた同色のドレス。頭には黒、胸元には赤いリボンをつけ、黒ウサギのぬいぐるみを抱えている。
「キミは―――」
「ねぇ、おじいさんとどんな話をするつもりなの?」
「おじいさん? キミはローゼンベルグさんと知り合いなのか?」
 すると少女は頬を膨らませて言った。
「お兄さん、質問に質問で返しちゃダメよ。レンは大人だから答えてあげるけど」
「…………」
「そうよ、ちなみにおじいさんは留守」
 少女はそう言って歩き出し、門の前で立ち止まった。
 ただ歩いているだけなのに不思議と視線を縫い付けられる。

「それで、どんな話をするつもりだったの?」
 クリッとした瞳で悪戯っぽく見つめてくる少女に戸惑うが、しかし少女―――レン、というのだろうか―――がここに住んでいるのなら、何か知っているかもしれない。
「そうね、最近狼の魔獣が出ているらしいの。それで何か知っているかなって」
「狼?」
 エリィが前に出て少女と目線を合わせるように中腰になって尋ねる。
 少女は顎に手を当て、んーっと唸りながら答えた。
「そういえば遠吠えみたいな声を最近聞いたけど……でも違うわね」
「え? ど、どうして?」
「だってその狼さんは頭が良さそうだったもの」
 そう言って破顔する少女。
 エリィは苦笑するも顔には出さず、そっかとだけ言った。

「ってことはお姉さんたちは警察の人か何かかしら?」
「えぇそうよ」
「これからどこかに行くの?」
「えぇ、マインツに」
「ふーん」
 少女はくすりと笑い、そしてクルッと回って背を向けた。両手も後ろに回されていて、気分は女優さんといった感じでほほえましい。
「じゃあレンもお姉さんたちに追いていこうかな」
 いきなりの発言に驚く四人を置いて、少女は続ける。
「狼さんとのかくれんぼなんて面白そうだし、家にいてもつまらないし、うん。そっちのが絶対面白いわ!」
 少女の中ではもう決定事項なんだろう、再び見せた顔には満面の笑みがあり、こちらを覗き込んでいる。
「い、いや、危ないからキミは家でジッとしていてくれないかな?」
 ロイドは頬に汗を掻きながら言うが少女は聞く耳を持たない。あれこれと独り言を呟き、長旅に備えているようだ。

 そこでエリィはあっと気づき、口を開く。
「ね! 私はエリィっていうんだけど、あなたの名前は?」
 すると少女はエリィを見て言う。
「そういえば、レンともあろう者が名乗っていなかったわね。―――レンよ。よろしくね、エリィお姉さん」
「そう、よろしくねレンちゃん。それでね、レンちゃんにお願いしたいことがあるんだけどいいかしら?」
 お願いと聞いて少女は首を傾げる。内心うまくいったと思ったエリィだが、またしても顔に出さずに続けた。
「さっきも言ったように、最近魔獣が出てきて危ないの。だからレンちゃんには、外が危ないっておじいさんに伝えてほしいの」
 できる、とエリィは首を傾げてレンを見た。
 エリィはその時のレンの瞳をネコのようだと感じた。

「……………………そうね、ここはお姉さんの言うとおりに家でおとなしくするわ」
 趨勢を見守っていた三人が一息吐く。エリィは柔らかく微笑んだ。
「うん、ありがとうレンちゃん。見てて、すぐに魔獣はやっつけてきちゃうからっ」
「―――えぇ、期待しているわ」
 レンは門に一歩近づく。するとどういう仕組みか、ひとりでに門は開きだす。
 唖然とする四人に見つめられる中レンは足を踏み入れ門の奥へ。

「―――またね。特務支援課のお姉さん」
「え?」
 門が閉まる音とともにレンの姿が消えていく。
 完全に閉まった頃には少女の姿はそこにはなかった。
「………………ティオ、近づいてきたこと、気づいていたか?」
「……いいえ、全く」
「……ランディ、俺たちは特務支援課とは名乗っていないよな?」
「……あぁ、まぁな」
「…………そういえば、レンちゃんも紫色の髪だったわね」
 昨日のエステルの言葉が蘇る。彼女が探しているのは、もしかしたらあのレンなのかもしれない。

 もしかしたら、少し大人ぶった可愛らしい少女という印象しか抱かなかったかもしれない少女。しかし今はどう考えてもそう思うことはできなかった。
 ローゼンベルグ工房の主との邂逅は果たせず、代わりに謎の少女との縁が生まれた。
 それを偶然だと思うことができないロイドがいた。




 三叉路に戻った特務支援課は金属製の架け橋を渡り、トンネル道へと辿り着いた。
 その内部は導力灯で照らされてはいるが薄暗い。この暗い空間で魔獣と戦うのは避けたかったのでティオに逐一策敵をしてもらいながら慎重に歩みを進めた。
 すると再び三叉路、いや少々歪だが十字路と言って言い場所に到達する。
 正面の道を行けばマインツへと辿り着くことはわかっているが、上り坂になっている右の道と、下り坂になっている左の道は行き着く場所がわからない。
 四人は話し合いを簡潔にまとめ、今は先に進むことを選択する。最大の理由はこの視界の悪さであった。
 トンネル道への対応を考えることを頭にしまい、彼らは先を急いだ。

 トンネル道を無事に抜けた四人が眩んだ目を戻すと、作りかけのトンネルのような通路があった。
 基本骨子のみのそれは放っておかれてから随分経つようで全体が錆び付いている。

 その無骨なアーチを潜り抜けるとまた分かれ道。だが今度は右手の道にマインツを示す看板があった。
 もう一方の道は上り坂になっており、その終着点を見ると頑丈に封鎖された扉がある。もうしばらく開け放っていないようだった。
 看板に従い右の道を進む。
 既に山の景色に白い煙が混じっていた。

 これでマインツ山道は終了。
 魔獣事件最後の町、鉱山町マインツへと舞台を移した特務支援課は、そこで事件の到達点を目撃することになる。




 初出:2月1日


 インフルエンザは怖いと実感する今日。狼事件あと二話で終わります。



[31007] 2-9
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/02/02 20:37



 鉱山町マインツ。
 錆色の鉄骨が各所に散りばめられている町造りは鉱山町というイメージに相応しい。
 山岳地帯にあるせいか高低差が激しく、町内にいくつも階段がかけられている。
 転落防止用には鎖と鉄棒が備えてあり重厚な匂いが感じられた。

 町に入った最初の架け橋は金網状で、故に下が窺えた。
 そこには巨大なパイプが張り巡らされていて今尚盛んな採掘を想起させる。
 マインツの誇る七耀石の採掘はクロスベルの名物であったのだが、採掘技術の発展により他地域でも採れるようになった結果昔ほどそれを巡る攻防が盛んに行われなくなった。
 とはいえ採掘量が減ったわけではないので、マインツの住民は今でもその採掘で生活を維持している。

 橋を渡ると左手に第一の階段があり、そこには雑貨店と山を一望できる見晴らし台、そして何より鉱山への入り口があった。
 階段を上らずに進むとちょうど二階の通路下にあたる場所に酒宿場があり、更に進むと町長の家がある。
 町長宅に向かって右には下へと続く橋があり、下っていくと民家があるようだ。

 マインツを訪れた特務支援課はその町並みに圧倒されて立ち止まる。
 クロスベル市ともアルモリカ村とも異なるマインツは、初見の人間には機械の町のように見えた。
「あら?」
 エリィが目端に捉えたのは駐車スペースのようなところに停まっている黒い導力車だ。
 ティオによると帝国・ラインフォルト社製の特殊運搬車らしい。最新型らしく、費用もバカにならないものだ。
「町長さんのものかしら」
「多分そうだろう。さて、町長に話を聞かないとな」
 魔獣被害の件と警備隊の代わりの警備についてである。
 果たして四人がマインツ独特の丸い宅を訪ねようと近づいたとき、横から鉱員の男が話しかけてきた。

「町長さんなら今話し中だよ」
「え?」
「なんでも魔獣被害に関してらしいけど」
 話し相手に対しては知らないようで、町長と面会するのは少し時間をおいたほうがいいということだった。
 なので四人はまず町民に話を聞くことにする。
 午前と同じ組み合わせで手分けし、魔獣の被害者である鉱員マックスからも黒い狼の証言を得ることができた。
 直裁の被害は彼だけであったが、事件の影響か鉱山入り口は封鎖されており現在採掘を行ってはいないようだ。

 一通り回った彼らは再び町長に話を聞こうと向かったが、そこで今までの話し相手が出てくるのを目撃する。
 それはサングラスをかけた全身黒ずくめの男。
「―――おい」
「――――――なんでルバーチェがこんなところにいる」
「鉱山町に何の用があるんでしょうか……」
 咄嗟に物陰に隠れた四人に気づくことなくルバーチェの構成員は消えていく。しかし、
「え……」
彼らは先ほど停まっていた導力車に乗り込んだ。
 煙を吹きながら消えていく導力車を呆然と見つめてエリィは呟く。
「なるほど、彼らなら納得はいくわ」
「だな、クロスベルを牛耳るルバーチェならあれの費用なんざ捻出するまでもねぇだろうよ」
 事件が起こった町に突然現れたルバーチェは注目の的であるが、とにかくも町長に話を聞いてみるしかない。
 彼らの目的は町長との会話で明らかになるだろう。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない





 ビクセン町長とアンナ夫人に話を聞く。
 魔獣被害は規模こそ小さいが三件発生しており、そして遂に人的被害が出てしまった。既に話を聞いている鉱員マックスのことである。
 町長からの話は町民からの聴取で知ったことが大半であり真新しい情報はなかった。
 しかしそれはルバーチェの姿を見る前の話であり、それを見た今では真に聞きたいことは彼らの用件である。
「先ほどルバーチェの関係者がこちらを訪ねていたようでしたが」
「……彼らか。よくわかったの」
「そうですね、警察官としては彼らは目立つもので……」
 ビクセンはふぅと息を吐き、困惑した目でこちらを見た。
「警備隊が今朝方完全に撤退したじゃろ? そうしたら彼らがここの用心棒をやると言い出してな」
「用心棒? 彼らがですか?」
 首肯するビクセンはアンナと顔を見合わせ、続ける。

「わしらとしても魔獣の恐怖からはまだ逃れられなんだが、だからと言ってそう簡単に首を振れるものでもないからの」
「……ビクセン町長、彼らは見返りに何を求めたのですか?」
 エリィが核心を尋ねた。
 ルバーチェがわざわざやってきて仕事を持ちかけてくる、それには利益がなければならない。それこそが彼らの目的なのだから。
 ビクセンはあぁと記憶を掘り起こして言う。
「なんでもその間は七耀石の取引を独占させてほしいそうじゃ」

 七耀石の採掘は所有者であるクロスベル市の許可の元行っているが、原則的に誰に買い取ってもらうかはマインツの独断で選ばれる。
 七耀石には大陸でレートが決まっているため無闇に取引することはしないので取引量は一定であり、仮にそれをルバーチェ単体に限定すると、今までに取引を行ってきた馴染みの商人たちとの取引ができないことになる。
 マインツとしてはそれらの商人との縁が切れることは実益的にも心情的にも避けたい。
 かといって警備隊が撤収した今、魔獣の恐怖を拭える方法は限られている。
 その板ばさみの状態故にビクセン町長はルバーチェに即日での回答はせず、一日置いた所存であった。

「…………ビクセン町長、今夜は自分たちもマインツに泊まります。警備隊に警護を依頼されていますので」
「なんじゃと? 警備隊は何故自分たちでやらずにお前さんたちに―――」
「とにかく、今夜は魔獣についてはご安心下さい」
「むぅ……そ、そうか。ではよろしく頼むぞ」
 ビクセンは何か言いたそうだったが、ロイドはそれを遮って話を終わらせる。
 酒宿場である赤レンガ亭にて今夜は過ごすことになる。
 ビクセンが気を回してそちらに連絡してくれるとのことで宿代は気にしなくても良くなった。


 町長宅を出た後、四人は赤レンガ亭へと足を運ぶ。
 酒場より一階分したにある宿泊スペース、その一番大きな部屋を与えられた。部屋は一階部分にベッドが二つ、二階部分にベッド一つと丸テーブルがある。
 特務支援課はテーブルを囲んでいる椅子に座り最後の話し合いを始めた。

「まず魔獣事件に関してだけど、あまり有力な情報はなかったわね」
 今までに得られた情報と大差はなかったが、ただ黒い狼という情報への信頼性は上がった。
 言い伝えの神狼やノエル・シーカー曹長が目撃したという白い狼とは別物だと考えていいだろう。
「事件が起こった時間帯はどれも深夜だっつーから、今のところは問題ないだろうしな」
「さて、ここで新たにルバーチェというピースが出てきたわけだけど、町長の話の時点でルバーチェが臭いとみんな思ったはずだ」
「そうですね、警備隊が撤収したその日に用心棒を買って出てくる、というのはタイミングが良すぎです。おそらく警備隊司令と繋がっているんでしょう」
 警備隊司令はランディの話や今回の通達で読み取れる人物像的に賄賂をもらっていてもおかしくはない。
 警備隊員が歯がゆい思いをするのもお構いなしなのだろう。

「ただ、実際に事件を起こしたのは黒い狼だ。ルバーチェが魔獣事件にかこつけて七耀石を狙ったということも考えられなくはない。だからまず魔獣事件の不可解な部分を考えていこうと思う」
 ロイドは備え付けのメモ帳を破り、事件における四つの枠組みを説明した。それは事件の構成を四つに分類化するという手法である。
 『犯人』『目的』『手段』『結果』、これら四つに適切なキーワードを入れることで、複雑に見える事件を単純化させて考えることができるのだ。
 四枚に枠組みを、そして残りに一枚ずつキーワードを書いていく。

「まず『犯人』は魔獣、『結果』はそれぞれの被害だな」
 ランディは一番簡単な場所を書いた。
 これは彼が楽をしようというわけではなく、彼が仲間内での役割を理解しているからである。
「『手段』はそうですね、狼の身体能力、というところでしょうか」
 狼の道具は狼自身だ。病院の侵入経路を考えるに手段はその類の単語が当てはまるだろう。
「そして『目的』、でも……」
「…………」
「…………目的ねぇ」
 ロイドは目的の字を指で叩く。
「そう、この四つの枠組みの中で『目的』だけがすぐには思いつかない。結果である被害を見ても、一貫性は被害が軽いということくらいだろう。だがそれが目的であるならば、トルタ村長の言うように神狼の警告ぐらいでしか説明できない」
「……神狼が闇に染まったとかで黒くなったんですかね」
 ティオの台詞に三人は何とも言えない表情をした。

 忘れてください、というティオに、咳払いしてロイドは進める。
「だけど、この四つのどれかにルバーチェが入るなら全てが変わるはずだ」
 ロイドは新たな紙にルバーチェを書き入れる。そして新たに枠組みに入れ始めた。
「ルバーチェが入るのは、『犯人』」
 犯人の隣にルバーチェ。
「それぞれの被害は、変わらずよね」
 結果の横に、それぞれの被害。
「……では『手段』は、魔獣……いえ」
 ティオは魔獣の字を消し、新たに書き加える。
「黒い狼、ですね」
 手段を示す、黒い狼。
「なら、残りは……」
 目的は、狼の身体能力。
「―――決まりだな」
 ロイドは呟いた。三人もそれを眺め、同意する。

「黒月との戦闘に備えて不良を集めようとしたが失敗し、今度は魔獣に手を出したわけか」
 戦闘員の確保に失敗したルバーチェがもう一つの案を実行に移していると考えれば納得はいく。
 ランディの言葉に頷いたロイドは、更に付け足した。
「シズクちゃんが聞いた甲高い音、あれこそが狼を操っているんだろう」
「犬笛ですね。人間にも聞き取れる範囲の音でしか命令は出せないそうですから、それでシズクさんが聞けたんでしょう」
「じゃあ、確認しないとね」
 エリィはエニグマを取り出し席を立つ。どこかに連絡を取っているようだ。
 その間にランディはティオに尋ねた。

「七耀石の取引云々は黒月と関係なくないか?」
「一応資金調達と考えられなくもないですが、あくまでついででしょう。それならばマインツだけを襲わせればいいはずです」
「いや、それだと警備隊も撤収しないだろう」
 二人の会話にロイドが口を出す。
「今回の事件は被害が広範囲に及んだという事象が大きく影響しているんだ。マインツだけとなると警備は一箇所ですむから人員も少なくてすむし、何より遊撃士が出張りやすくなる。連中がどこまで考えていたかわからないけど、少なくともマインツが目当て、ということはないと思う。ただ、マインツだけが複数回被害にあっているという状況は目先の利益に目を奪われている証拠かもしれないな」
 ふーん、なるほど、と互いに反応を返し、ランディは再びティオに尋ねる。

「そういやティオすけ」
「なんですか?」
「お前さんは狼の声とか聴いてないのか? あのレンって嬢ちゃんが言ってたが……」
 ローゼンベルグ工房前で出会った少女、レン。
 彼女は狼の遠吠えらしきものを聴いたというが、特務支援課の四人は全く以って聴いていない。
 ティオは呆れたように言った。
「ランディさん、レンさんがいつ聴いたのか覚えてますか?」
「あん? そりゃ―――」
「わかるわけないです。レンさんも覚えてないそうですから」
「…………頭良さそうとか言ってたな」
「そうですね、本当に頭がいいなら人語もしゃべりそうですね」
「―――二人ともじゃれてないで。クロよ」
 エリィが椅子に戻り、結果を報告する。
「事件の日、ウルスラ病院でルバーチェの姿が確認されたわ」

 エリィがウルスラで見つけた痕跡は、森林部からの魔獣の侵入とは相反するものだった。
 しかしルバーチェというキーワードを病院に当てはめると説明が利くのである。
 西側にあったフェンスの傷は魔獣がそこから入った痕跡の可能性があったが、通常の魔獣なら不可能だ。しかし今日見たルバーチェの導力車を踏み台にすればそこから到達できる。
 現に駐車場は侵入された二階ベランダの真下にあるのだ。

「―――だがどうする。証拠がないぜ?」
 ランディの言葉は事実である。
 今まで集めた情報から犯人の目星こそつけたものの、明確な証拠はないのだ。
 魔獣を操っている場面でも捉えられればいいのだが、次に狙われる場所は想像がつかない。
「黒い狼と一緒にいる現場を押さえられればいいんでしょうけど、普段狼がどこにいるかもわかりませんし」
「いや、今回は曹長に感謝だな」
 ロイドの言に三人は彼を見る。ロイドは先ほどの町長の話を脳内で反芻し、口を開いた。

「町長の人柄を見るにルバーチェと契約は結ばない、それはルバーチェ側も薄々感づいているはずだ。だからこそ、今動く。揺れている、決断をしていない今再び魔獣が現れれば町長も流される可能性が高い。警備隊もいない、遊撃士とも連絡をとっていないこの現状と思わぬ利益が転がり込む可能性という二つの観点こそが、次の標的がマインツであり襲撃時期が今日であることを示しているんだ」
 続けざまに三件も襲わせる連中だ、決め手となるなら喜んで魔獣を差し向けるだろう。
 警備隊からの依頼がなければクロスベル市に戻る必要が出てきたかもしれないが、今日は任務だから仕方がない。
「ということで、俺たち特務支援課は警備隊の依頼に従い、これを迎撃する準備にかかる」
 異論はないな、と見回して、ロイドはゆっくりと方針を話し出す。

 夜が更けるまではまだ時間がある。地の利はこちらにあるようだが、未だ魔獣の性能を彼らは知らないでいる。




「でも良かったわ。昨日ロイドに聞かせてもらった仮説、あれが本当に仮説で」
 エリィはホッとした、と書かれた顔でそう呟き、ロイドは苦笑した。
「まぁ、病院に行った時点で可能性は低かったし……ちょっと恥ずかしいけど」
 ロイドとしては外れていて良かった仮説だが、今考えると外れているので恥ずかしい。
 捜査官としてのレベルの低さが如実に現れたようなものだ。
「あぁ、あれか」
「……あれですね」
 ランディとティオも思い出し、うんうん頷いている。ロイドは笑うしかない。

 昨日の夜の話である。
「実はアルモリカ村の時点ではもしかしたらハロルドさんが関わっているんじゃないかって思っていたんだ」
「ハロルドさん……って」
「あのお人よしの貿易商さんですか?」
「おいおい、そりゃちっと穿ちすぎじゃねぇのか」
 三人は懐疑的で、ロイドもそこは頷く。

「でも、あの事件で得をした人はハロルドさんだけだっただろ?」
「得? えぇっと、農産物が荒らされて、ハロルドさんが二割増で買ったんじゃなかったかしら。得になってないわよ?」
「いや、アルモリカ産の農産物は売れることは確定しているし、二割程度のお金で信用が買えるんだ。目先の利益と長期的な利益、二つで考えるなら得をしているだろう?」
「……ちょっと強引過ぎないか?」
「そもそもあの時点では人が絡んでいることも特定していませんし……」
 再び二人が突っ込む。ロイドも顔を赤らめて叫んだ。
「だからっ、アルモリカ村の時点でって言ってるだろっ? 病院の一件ではハロルドさんは得をしないから、もう違うなって思ったんだよっ!」

 三人と同様に思い出したロイドは、なおも想起するように上を見上げる三人を叱った。
 私情が入っていたことは言うまでもない。






 マインツの象徴である鉱山が封鎖されて何日経ったのか、ガンツは覚えていない。
 それは鉱員としての仕事に愛着を持っているがために憤慨しているということではなく、単に酔っているだけである。
 仕事場を取られた鉱員が入り浸る場所などマインツには赤レンガ亭しかなく、ウェイトレスのリュッカにちょっかいをかけ歯牙にもかけられないという行為を繰り返した後、彼は道連れの相棒を連れて酩酊状態で帰路に立つ。

 そしてそんな人間を、狼が襲わないわけがない。
「え」
 唸り声に振り向いた時には既に三体の黒き狼は2アージュにまで近づいている。
 一足飛びで余る距離、酔いは一気に醒め、顔は青ざめ、震えがくる。
 背中合わせになったのは互いに守ろうとしたわけではなく、むしろ無防備な背中を押し付けて助かろうという本能によるものだった。
 ガンツの頭にマックスの姿が浮かび上がる。
 彼のようになることを恐れるが、同時に彼ぐらいで済んでほしいという諦めも生まれた。

 前方に二体、後方に一体。ガンツのほうが酷い目に遭いそうだ。
 カジノで運を使わなきゃよかったと彼が思った瞬間に狼達は跳びかかる。
 その牙と爪が襲い掛かるのを恐慌状態ながらどこか冷静に見つめ、
「目ぇ瞑れ!」
―――その言葉に本能が従った。

 咄嗟に目を閉じると一瞬後に太陽が落ちてきたような音と閃光がガンツを襲う。
 そのまま光が消えても目は閉じたまま。しかし体は誰かに引っ張られて移動する。
 身体中から安堵が漏れてくる中ガンツはゆっくりと目を開け、もがく狼と自分たちを守る四人に気づいた。
「早く中にっ」
 パール色の髪をした少女に促され、訳もわからないまま避難する。
 扉を開け家に入り、その扉を閉める彼の耳に最後に聞こえたのは、猛々しい唸り声と金属音だった。




 初出:2月2日


 遊撃士エオリアのフルネーム案
 ①エオリア・シュヘンベルグ
 ②エオリア・トランスバール
 ③ェオリア・スフィール
 ④エオリア・フォーリア

 アンケートではありません。




[31007] 2-10
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/02/04 21:20



 許可をもらって控えていた赤レンガ亭の屋根上で閃光弾のピンを抜く。
 投げつける先は真下の、狙われている鉱員の真ん前。
 正確なスローイングで爆発までの時間計算も完璧なそれは確かに襲撃途中の黒い狼たちに損害を与えたようだ。
 横たわりもがく様を確認し、落下する。
 既に仲間の三人は近くまで寄ってきている。司令塔であるロイドは鉱山前から町全体を俯瞰し、他三人はそれぞれ散らばっていたが、今回の襲撃はランディの直下で行われた。

「さぁて、と。ほいじゃまやるとしますか」
 スタンハルバードを一閃、構える。
 閃光弾の衝撃は致死ではないし直に起き上がってくるだろう。今止めを刺すのは簡単だが、まずは鉱員の安全確保が第一で、更にこの黒い狼たちには生きていてもらわなければならない。
 生かさず殺さず、安全に逃げ帰ってもらおう。
「楽じゃないね、全く」
 ニヤリと笑いそう言う彼には反して余裕が見られる。
 その理由を仲間は知っているが、真面目な他三人はこちらを見もしない。
 つまらん、だがそれがいい。
 ランディはそう結論付け、前衛の役割を果たすため最前線へと足を運んだ。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 先手は取った。そのまま混乱してくれていれば話は早いが、流石に訓練されてきた魔獣である。
 閃光弾の衝撃から立ち直るとすぐに体勢を低くし突進の構えをとってきた。
 特務支援課の四人は襲われていた鉱員二人が階段を上り終えるまでそこを守っていたので、魔獣が二体と一体の構成になっているのは仕方がない。
 囲まれていないだけで十分だ。

「ティオ、退いてサポートを。エリィはティオの守り、ランディは俺と打って出る」
「了解!」
「アイサー」
「了解ですっ」
 ティオは魔導杖を起動、エニグマのCPを消費させてアナライザーを開始する。
 離れていた一体に照準を合わせ、情報解析。耐性が下がるのを確認して、魔導杖に記された情報を読み取っていく。
「名称なし、属性弱点もありません! 牙爪ともに鋭いので注意をっ!」

 アナライザーは既に発見され特徴が記録された魔獣に対しては詳細が得られるが、その記録がない魔獣に対してはそれほどの情報が得られない。
 ルバーチェにおいてこの狼はドーベンカイザーと呼ばれているが、前述したとおり記録にないのでそれを知ることはできない。
 またティオがアナライザーをクラフトとして登録しているのは、その解析は本来時間がかかり、かつ魔導杖の機能の大部分を消費しなければならないからだ。
 クラフトはCPによりその難易度を強制的に零にすることができる。
 こと戦闘に関して情報を何より重視するティオはそれ故に解析に対しては労力を惜しまないし、短縮もできる限り行うのだ。
「ち、厄介だな」
 ティオの情報にランディは舌打ちするが、それでも彼がすることに変わりがあるわけではない。
 属性弱点などアーツを重視しないランディには無意味だ。ただ援護が期待できるかどうかの違いである。
 そして、ランディはその援護なしでもこの狼を打倒する自信と確信がある。
 よって彼が手招きして挑発することにデメリットは存在しなかった。

 ランディの行為を理解したドーベンカイザーは一斉に牙を剥く。
 その二体と一体、同時に別方向から跳びかかった彼らに対しランディは一体に狙いを定め二体に背を向けた。
 そしてその背中と魔獣の間に存在するのはロイド・バニングスである。CPを消費し回転力を高めてアクセルラッシュを見舞う。
 腰の回転で左右二撃、更に一回転して吹き飛ばす。その打撃は確かに通ったがドーベンカイザーは空中で回転して着地する。
 狼特有のしなやかな筋肉はアクロバティックな行動も苦にしない。
 更にその着地で足にかかる自重で地を踏みしめ駿足の突進を仕掛け、ロイドは技後硬直によりそれをまともに受ける。
 咄嗟にトンファーで牙をずらしたが脇腹に裂傷が走り、そこから全身に衝撃が食い込んでくる。
「ぐぅ!」

 ドーベンカイザーを筆頭に狼型の魔獣が使う『空牙』と呼ばれる突進技である。
 持ち前の速度を更に一段階上げ、牙による刺突に突進の衝撃力を加えたものだ。
 これはランディのパワースマッシュのように衝撃により対象の身体速度を低下させる。
 暫時身体が痺れるというのは細かなフットワークを駆使するドーベンカイザーを相手にするには不利に過ぎる。故にロイドは痺れが取れるまでを防御に集中した。

 数の優位があるために彼は無理をする必要はない。
 不都合が生じれば一旦退がり、その間はエリィの銃撃が中距離を支配する。
 ティオは魔導杖の魔法弾の数をいつもより多く発生させている。威力は下がるが、素早い相手には数で勝負したほうがいい。
 ティオとエリィの数の暴力はドーベンカイザーを近づけさせないが、しかし彼らには空牙がある。あれは本来の射程距離を超越する代物だ。
 ロイドは狼の足を注視しながら機を待ち、そして一体が空牙の姿勢をとるのとロイドの痺れが取れるのは同時であった。

「エリィ退がれっ!」
「っ! ロイド!!」
 反射的に道を譲ったエリィは思わず叫んでしまうが、ロイドは常より姿勢を低くし後ろに体重を傾けた。
 両足の爆発により弾丸となったドーベンカイザーにロイドは真っ向から立ち向かう。
 右手のトンファーと牙がぶつかる瞬間に後方に跳び、空中で突進を受けた。
 地を離れたために方向転換はできない。しかしロイドは左手のトンファーを地に突き刺す。
 地面を抉って土を飛ばしながら強引に停止して左足を着地、
「はぁっ!」
右足を蹴り上げ腹に叩き込む。

 唾を吐き散らすドーベンカイザーをその蹴りのままに地に叩きつけようと支点の左手に力を込めるが、怖気を感じて咄嗟に手を放した。
 そのまま解放された右手のトンファーを前方に振り、突っ込んできたもう一体を迎撃する。
 しかしそのもう一体の突進も空牙である。故にロイドはそれを受けきれず後方に吹き飛ばされ、背中を強かに打ちつけた。
「くぅ……ッ」
 そのロイドにまたがるようにして止まったドーベンカイザーはロイドの首を噛み千切らんと大口を開け、その口内に魔法弾を受けた。
「ロイドさんっ!」
 ティオがロイドに駆け寄った。
 エリィはロイドに一撃もらったもう一体と交戦している。ロイドの一撃が堪えたのか、その動きは鈍い。
 その的に対して一発の撃ち漏らしもなく追い詰めるエリィはおそらく問題ないだろう。

 ロイドはティオの一撃でもがく狼を一瞥し、ティオとともに距離を離した。
 この二体はもう十分だろう。
 そこで今度はランディを見やる。
 ロイドはそれなりに苦戦した相手だが思ったとおりと言うべきか、一対一の状況でランディは既にドーベンカイザーを地に伏せさせていた。
「…………」
 それを見下ろすランディには傷一つない。速度で勝る相手に一撃も喰らわないとは、改めてランディの戦闘力の高さを思い知らされる。

 つまり、状況は整ったのだ。
「よし、一度退こう!」
 三人も同意し、四人は大きく距離をおいて構える。
 すぐに攻撃が飛んでこないことを理解したドーベンカイザーは互いの身を思いやり、しかしまだ健在な相手に対して情けない声を上げる。望んだとおり三体の狼は鳴きながら逃げ去っていった。顔を見合わせ頷き、四人はそれを追っていく。
 第二幕の開始である。





 ルバーチェの構成員の黒服の二人、ケインとレギルスは以前と同じ場所ではなくマインツの一歩手前にある旧鉱山の麓に導力車を待機させていた。
 彼らの思惑では今頃狼たちが外に出ていた哀れな町民に手を掛けている頃だろう。
 ルバーチェの目的であるドーベンカイザーの完全掌握は既に完了している。魔獣が襲った獲物を仕留めずに去っていくことがその理由だ。

 故にルバーチェとしてはもう狼を使う必要はない。
 しかし今回ドーベンカイザーの教育を任されたこの二人は、その過程で生じた思わぬ利益に目が眩んでいる。
 棚から牡丹餅とはこのことだと彼らは喜んでいるが、その牡丹餅には毒が入っていることを知らなかった。

 果たして喉奥にまで嚥下したその甘味が内部の劇物を解き放つ時が来た。
 それを彼らは狼の敗走によって気づかされたのである。
「お、おいっ」
「な!」
 二人の前に駆け寄ってきた三体の狼は飼い主の姿を確認するとへたり込んで静かに服従の姿勢をとった。
 魔獣被害事件の全てを取り仕切っていた彼らは、事件直後に見たこともない姿を曝す魔獣に困惑を隠せない。
 疲弊し、かつ怯えているような様子に彼らは何の特効薬も持ち合わせていない。人語を理解しているとは思えない存在にひたすら状況把握の言葉をかけ、その度に聞こえる弱弱しい声に思考がすっ飛んでいく。
「ん―――? な!?」
 畢竟彼らの混乱に終止符を打ったのが追ってきた彼らの敵であることは皮肉でしかない。

「お、お前らは!」
「旧市街の件をぶち壊した警察のガキどもか……ッ!」
 四人は乱れている息を隠しながら、ゆっくりと構えを取る。
 ロイドは捜査手帳を掲げた。
「クロスベル警察特務支援課だ。この状況、言い逃れできないぞ」
「大人しく武器を捨てなさい」
 エリィが標準をケインに向ける。舌打ちするもこの状況下でできることは少ない。

 二人は懐に手を伸ばし、銃を取り出す。
 それをゆっくりと顔の前を経由して上に掲げ、甲高い音が聞こえた。
「しまっ―――」
 エリィは抵抗の意志ありと判断、引き金を引く。しかしそれはケインに当たる前に伏せていたドーベンカイザーに身を挺して防がれた。
「く、制圧するぞ!」
 ロイドは叫び、ランディとともに突進する。だがまたしても伏せていた狼が飛び上がり、慌てて回避。
 後退したその時には三体の狼はもう余力などなく、そのまま気絶したようだった。

「ひどいです……」
 魔獣とはいえ犬笛に操られているという状況にティオは顔を歪める。しかし今度はその感覚に引っかかった気配に驚愕した。
「車内に反応が―――!」
 言い切る前に状況が変化する。黒服の二人は魔獣の稼いだ時間を利用して後退、導力車に近づいていた。
 後方扉が開き、そこから四体のドーベンカイザーが躍り出る。
「まだいたのか……ッ!」
「ち、往生際の悪い……」
「フン、こちらもここで捕まるわけにはいかないんでな。お前達には魔獣の餌になってもらおう」
 レギルスは銃口を向けて笑う。表情が形勢逆転だと物語っていた。

「―――ふ、くく」
 不意に漏れた笑い声が響く。
 それはレギルスの眼前のハルバードの青年、ランディ・オルランドの口から零れたものだった。
「何が可笑しい。絶望してイカれたか?」
「いやぁ、なに。大したことじゃねぇさ…………ただ、うちのリーダーはすげぇと思ってよ」
「何……?」
 訝るケインの声が尚更触れたのか、ランディは大声で笑い出す。
「ランディ、不謹慎よ」
「つってもお嬢、お前さんも口が曲がってるぜ」
「否定はしないわ」
「お前ら、一体なんだってんだッ!」
 レギルスが痺れを切らして叫び、犬笛を口にくわえる。それを見越してか、ランディは言った。

「簡単なことだ。お前らの行動、増援の存在、全部お見通しってことだよッ!」
 ランディは懐から数個の黒球を取り出し、投げつけた。二人が理解する前に地に落ちた衝撃でそれは炸裂する。
「ギャンッ!」
「ぐぅ……!」
 衝撃と粉塵が同時に襲った。サングラスをしていてもその小さな粒子から逃れることはできない。
 同様にドーベンカイザーもそれを両の眼球に受け、倒れはしないものの体勢を崩している。
「よし、行くぞッ!」
 後退していたことで被害を免れた四人は余韻冷めやらぬままに突貫、速攻で勝負をつけるつもりだ。
 衝撃により聴覚が麻痺したドーベンカイザーは接近にも気づけず殴り倒される。
 それでも攻撃のあったほうに噛み付いてくるあたり相当の訓練をこなしているようだが、その牙はエリィとティオの射撃に阻まれ、途中で力尽きる。
「くそがぁ!」
 やけっぱちか、ろくな視界もない上で銃を撃つケインとレギルス。しかしそれが四人に当たることはない。
 それどころか配下である魔獣に当たり、ただ状況を悪化させるだけだ。

 遂には至近距離で殴打され、無様に倒れる。
 手元の銃を飛ばされ、その二人の首元にロイドとランディの得物が宛がわれた。
「終わりだ!」
「へ、ルバーチェにしては鍛えが足りねぇんじゃねーの?」
「お前ら、どうして……」
 なおも理解できないケインに、ロイドは落ち着いて話し出す。
「黒月との戦闘員として狼を使うなら、それぞれの事件で使われた狼は全て別物、目撃した数の総数はいると想定ぐらいするさ」
「さらに戦闘は一度ではないと判断して俺の切り札は使わない。その結果として今のあんたらがいるわけだ」

 ランディの放った黒球、それはクラッシュボムと呼ばれる視界を侵す爆弾である。
 特定の目潰し攻撃を行う魔獣の成分を利用したこの爆弾はその粉末が眼球に入ると一定時間その明度が著しく低下する。手配魔獣であったフォールワシもその魔獣の一種だ。
 そしてその範囲内に入らないように不自然なく距離を開ける必要があった。
「役者さながらだったろ」
 ランディは歯を見せ笑うがロイドの顔に笑顔はなく、彼は思考の渦の中にいた。

 確かに狼は想定どおり増援がいた。しかしその総数は果たしてあっているのだろうか。
 黒い狼たちを見た、という証言は鉱員のマックスと研修医のリットンから得られている。彼らが狼“たち”と言った以上、その数は三体以上であるだろう。
 二人が目撃した計六体と、それにアルモリカ村とその他のマインツの被害がその狼と異なるならば―――
「伏せて!」
エリィの言葉に反射的に二人は屈み、その上を銃弾が飛ぶ。
 その先にいるのは三体のドーベンカイザー、二人に襲い掛かろうとしてエリィに阻まれたということだろう。

 瞬間、下からの圧力が増して姿勢を崩し、寸でで踏み留まる。しかし倒れていたケインとレギルスは二人から逃れていた。
「くく、惜しかったな」
「確かに小僧の考えは合っている。間違っていたのは、援軍が二つに分けられていたことだ!」
 ロイドは歯噛みし、叫ぶ。
「抵抗は無駄だっ、武器もないんだぞ!」
「五月蠅いやつだ、武器ならすぐ傍にあるだろう」
 そう言ってドーベンカイザーを指すレギルス。指された魔獣は静かに姿勢を維持している。
「最低ね……」
「お前達だって犬を使ってるじゃねーか、一緒だよそれと!」
「違うッ! 警察犬は俺たち警察のパートナーだ、道具扱いするお前達と一緒にするな!」
 激昂するロイドだが、それで彼らが改心することはない。彼らにとって狼たちはそういうものなのだ。
 ケインは犬笛をくわえた。
「お前ら、時間稼げよ! その隙に―――」

「―――――――――!」

 太い、雄雄しい声が響く。
 瞬間、ドーベンカイザーはその頭を地にめり込むように擦りつけて大人しくなった。
「なんだ!?」
「いったい……」
 ルバーチェと支援課の声は同様の感情に支配されている。
 しかしティオとランディはいち早くその存在に気づいた。
「上ですっ!」
 全員が見上げるは、旧鉱山。
 そこに扇状に連なる白き獣、狼である。どれもドーベンカイザーを凌駕する大きさだ。

「あ―――」
 そしてその中央に一際巨大な、青みがかった白の体毛で君臨する王者がいる。四人は同時にその狼と目が合わさった気がした。

 再び大きな咆哮が響く。
 それは聴いている者の奥底を震え上がらせる音の暴力だ。しかし特務支援課にはその叫びが心地良いもののように感じられた。
 二度目の暴音にドーベンカイザーは立ち上がる気力を殺がれて気絶する。
 残ったケインとレギルスはその光景を呆然と眺め、いつの間にか膝を着いていた。

 狼が動く。軽やかなステップで一気に下山、特務支援課の前までやってきた。
 改めて見るとその巨大さは圧巻である。
「白い狼―――」
「ノエル曹長の見た、神狼―――」
 ランディでさえも見下ろされているような視線に彼らは釘付けになる。
 神狼は首を曲げ、ロイドを見た。真紅の瞳が探るように見つめてくる。
「な、なんだ……?」
 困惑するロイド、しかし次の瞬間には天を仰いでいた。

「な……!」
「え……?」
 神狼の奇襲に驚くエリィとランディだが、ティオが制止した。
「待って、敵意はありませんっ!」
 仰がされたロイドは覗き込むその瞳を見た。
 胸にかかる圧力は苦しいが、しかしそれも忘れさせる目だった。

「―――ガウ」
 やがてそのまま何もせず、神狼は離れていく。一気に跳び上がり、仲間の待つ場所へと戻っていった。
 最後に一度視線を彼方に向け、山の奥へと消えていく。
 わけのわからない四人はしかし、まだ残っている仕事に意識を引き戻した。
「……縛るか」
 ランディの言葉に頷き、身柄を確保した。




「―――あら、ばれちゃったみたい」
 少女は風に揺られながら楽しそうに微笑む。
 彼女がいる場所はちょうどトンネル道の上の切り立った場所だ。そして神狼が一度目を向けた場所でもある。
「あれが神狼、やっぱり頭がいいみたい。お姉さんたちも助けちゃったし」

「―――助けなかった場合、飛び出していたか?」
 不意に聞こえた声に振り返ることも驚くこともなく、少女は合いの手を入れる。
「まさか。レンには関係のないことだもの」
 紫髪の少女レンは昼間と同じようにそこにいる。
 それが予想通りなのかどうなのか、問いかけた方の表情からは読み取れない。
「そうか? もしかしたらそうではないかもしれないぞ」
「……レンはもしもの話は嫌いよ」
「そうか……」
 風が、紫の髪を撫でる。風が、漆黒の長髪を躍らせた。

「―――クロスベルに何の用で滞在している。『身喰らう蛇(ウロボロス)執行者(レギオン)No.15“殲滅天使”」
 アリオス・マクレインは問う。この地の守護者として、相容れない組織の一員に対して。
 そしてそう呼ばれて殲滅天使は振り返り―――
「レンはここでお茶会を開く気はないわ。ここにいるのは、ただの気まぐれだもの」
 目を伏せて、そう言う。

 アリオスは沈黙し、踵を返した。
「―――いつまでも逃げられると思うな、彼らは手強いぞ」
「っ!?」
 レンという少女に痛みを与え、風の剣聖は立ち去った。
 彼の残した風に吹かれ、レンはその身を掻き抱く。
「エステル、ヨシュア…………」
 少女を守る者は、ここにはいない。






 一夜明けて、四人は連絡しておいた警備隊に拘束した二人を引き渡す。そこにはソーニャ・ベルツ副司令とノエル・シーカー曹長がいた。
 挨拶をすませた後ロイドは厳しい表情で伺う。
「今回逮捕した彼らですが、やはり……?」
 ソーニャとノエルはそれを聞いて眉間にしわを寄せる。それだけで物語っていたが、ソーニャは事実確認のために口を開いた。
「そうね、長くて一週間ってところかしら」
「そうですか……」

 ルバーチェが裏社会を牛耳りクロスベルの上層部に金を握らせている限り、彼らは逮捕されてもすぐに釈放されてしまう。
 今回魔獣事件の黒幕として逮捕された二人もすぐに自由の身になるだろう。彼らは逆に戻った後のほうが大変だが、それはロイドたちには関係がない。
「圧力、ですか……?」
 エリィは問う。ノエルは頷き、悔しそうに言った。
「司令の命令は私たちにとっては絶対です。いくらクロスベルを守ろうとも、上の判断でいとも容易く見逃されてしまっては……」
 それは歯軋りが聞こえるかのような声だった。
 ソーニャはそんな部下を労うように言う。
「私たちが腐ってしまったらそれこそクロスベルはダメになる。あなた達のような若者がいるなら、いつかきっとクロスベルは良い方向に行けるでしょう」
 ノエルの肩を叩き、二人は敬礼した。
「此度の協力、誠に感謝します。お疲れ様でした」
「ありがとうございました!」
 今回の任務の後味は、最後の最後で甘味になった。






 余談ではあるが、この時分室ビルにいたセルゲイは突然の来訪者にくわえていた煙草を落とした。
 その内心は困惑と、あいつらまたやりやがった、という楽しさが半々である。



 初出:2月4日


 遊撃士リンのフルネーム案
 ①リン・ヴァセック(まさかの兄妹!?
 ②リン・ナツメ
 ③リン・クーフー
 ④リン・ホンメイ

 アンケートでは(ry



[31007] 3-0 a
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/02/07 20:26



「はい、ご飯ですよ」
 ティオは山盛りにされた皿を彼の目の前に置く。
「―――え、もう少し少なくてもいいんですか? でもお腹空くんじゃ……」
 ティオは彼を気遣うように言ったが。
「あ……ありがとうございます。でも日陰者でもお給料とか捜査費用は頂いていますから大丈夫です」
 逆に気遣われていた状況にティオは微笑み、水の入った器も持ってきた。
「さ、ご飯にしましょう。ツァイト」






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 さて、セルゲイ・ロウ追放事件の顛末を記すとこうである。
 マインツ鉱山町から半分徹夜で帰ってきた特務支援課の四人は、ビル前で煙草をふかすセルゲイの姿を見て驚いた。
 この上司にも部下を労う精神があったのかと驚いた。
 しかしセルゲイはそんな期待に満ちた四人の視線・言葉に真っ向から叛逆する。
 扉を親指で指し、お前らに客だと言ったセルゲイ。
 どうして客人が来て課長が外にいるんだと考えた四人。
 確かに客人ならばもてなす必要があり、セルゲイはここにはいないだろう。果たしてその疑問は中に入ると氷解する。

「ガウ」
 客は客でも人ではなく狼だった。紛うことなき神狼である。
 そういえば課長もセルゲイ・ロウだったな、などと仕様もないことを考えたロイドだが、神狼は何故か語りかけるように声を発した。
 そしてティオは口を開く。
「暫く居座るそうです」

 こうして神狼ことツァイトの特務支援課暮らしは幕を開け、セルゲイ・ロウ追放事件は幕を下ろした。
 課長は狼だからはぐれ者なのか、と考えたロイドの思考はもちろん現実逃避である。
 その横でエリィは苦笑し、ランディは大口を開け驚愕し、ティオは新たな同居人に夢を膨らませた。
 なんといっても彼の意思がわかるのはティオだけだ、半強制的に世話係のようなものになるだろう。そのうち一緒のベッドで寝ることもあるかもしれない。
 ネコ好きのティオだが、犬も捨てがたかった。

 そして現在、特務支援課の四人とツァイトは中央広場の百貨店にいる。
 お得意様だが特別扱いを嫌うエリィのただ一度の特別扱い、すなわちツァイトの入店許可である。
 四人の目的は裸の王様ツァイトの身の回りのものの調達である。
 特務支援課の分室ビルでペットを飼うわけにはいかないため、どうやらツァイトは警察犬の登録をされることになるそうだ。
 犬ではないとツァイトは反論したそうだがそれが通じるのはティオのみ。
 彼も郷に入りては郷に従えの考えでなくなく承諾し、それに相応しい格好をする必要ができたというわけだ。

 ただ今は一階の階段付近の雑貨コーナーで物色中である。
 必要なのは第一に首輪、第二にリード等を付けられるハーネス(胴輪)、第三に足用プロテクター、第四にトリートメント、そしておまけのおやつ……はいらないか。
 とにかくその四種である。

「首輪はシンプルなのがいいな、一応警察犬のタグが付けられる予定だから」
 ロイドが手に持ったのは薄い青色の首輪、しかしティオが反論した。
「待ってください。ツァイトは白と蒼の狼、それに青の首輪では埋もれてしまいます。それにその色はロイドさんの趣味ですっ」
 ロイドは鬼気迫るティオに圧されて縮こまる。
 するとエリィが手に持つ首輪を元の場所に戻していた。その色は白である。
「お、これなんかいんじゃね?」
 ランディは赤の首輪を取り出した。メタリックな意匠で派手さが満点だ。
「確かに赤は首輪の定番色ですが、さっきロイドさんがシンプルなものだと言ったじゃないですかっ。そんなトゲトゲちっくな首輪は怖がられるだけですっ」
「お、おう……すまん」
 ランディはその持つにも注意が必要な代物を棚に戻す。するとティオがひょいと一つ手にした。
「ツァイトにはこの薄茶と金のものがいいです。これならシンプルでかつ色も自然ですし、タグがついても問題ありません。どうですか、ツァイト?」
「ガウ」
「完璧です……!」
 恍惚とした表情のティオ、どうやらツァイトも満足なようで二人はすぐに次の場所に向かってしまう。
 大きな犬と少女、そう見える一人と一匹の周りに人はいない。皆遠巻きに見ているのだ。
 それを遠くで眺めていた百貨店のオーナーは、逆に客引きとしていいのかもしれないと思い始めていた。

 次に来たのは二階の衣装コーナー、その中でも上着を専門に扱う場所にてハーネスを探す。
「はーねす、ですか……? 少々お待ち下さい」
 そう言って店員は奥へと消えてしまった。
「ま、当然だよな」
 胴輪などというコアなものを扱っているとは思えないが、即答はせず奥に消えるあたりは流石といったところか。
 これでごめんなさいされても一応は納得できる。
 しかしエリィは何故か険しい表情をしている、今までにそう目にしていない顔だった。
「エリィ?」
「…………」
 心配になったロイドは声をかけるが沈黙しか返ってこない。代わりにツァイトが吼えた。

 そして十分後。
「あの、こんなものしか……」
「ってあるんかいっ!」
 女性店員が携えているのは先ほど購入した首輪と装飾のハーネスである。
 試しにツァイトに付けてみるとぴったりだった。
「やっぱりね……」
 エリィは自身の予感が的中したことを理解した。
 およそ服飾に類するものならばたちどころに用意する。この百貨店を任されている者はそんな人員なのである。

 彼女はかつて友人と来た時のことを思い出した。
 その時はその友人が無理難題を言い出したが、むしろそれを完遂させた店員を見た時の友人の顔が忘れられない。
 そしてその顔を今ロイドとランディが表現していた。
 物まね芸だったなら喝采ものだとエリィは思った。

 次は同階の靴屋である。流石にプロテクターはサイズに合うものはなく、いやそもそもプロテクターがあることのほうがすごいのだが、仕方なくオーダーメイドになった。
 後日連絡が来たら取りに行く形である。

「―――どうして店内に犬がいる」
 不意に聞こえてきた声に四人が振り向くと、そこにはスーツを着た長身の男性が立っていた。
 四角い黒縁眼鏡がその性根を表しているようで、切れ長の目はその鋭利さを助長させている。
「あ、すみません。許可はいただいていますので……」
「フン、結構なことだな。ん……お前達は―――」
 エリィの言葉に憮然とした様子で返答した男性だが、四人の顔ぶれを見て様子を変える。
「えっと、どうしたんですか?」
「……なんでもない。買い物とは余裕だな」
 そう言い捨てて男性は靴屋の店員と話をし始める。どうやら常連のようだ。
「行きましょう」
 用事は済んだので長居は無用。
 四人とツァイトはオーナーに礼を言い、百貨店を後にした。

「警察の人間か?」
 開口一番ランディは尋ねる。ロイドとエリィはおそらく、と同意した。
「俺たちを見て様子を変えたし。ランディはなんでそう思ったんだ?」
「懐にでかい銃を持っていたからだ、おそらく軍用の導力拳銃だろう」
「確かに武器の反応はありましたね」
 ティオがわかるのはいつものことだが、懐の僅かなふくらみで武器の所持を看過するランディも相当の眼力である。
 後々会うことになるだろう相手を記憶し、ビルへと戻る。
「あ、トリートメント……」
「西通りに行きましょうっ」
 ティオに急かされ大急ぎで買ってきた。






 なんとなく忘れていたツァイトのご飯も同時に買ってビルに戻ってきた四人と一匹は、今度はツァイトの水洗いを敢行する。
 風呂場に四人は入れないのでティオとエリィが水洗い班、ロイドとランディは料理班ということになった。
 料理するのはもちろん彼らの昼食である。
 そしてその料理中に暴走したのはランディだった。
「せっかくだから新しい料理に挑戦しようぜ」
 彼のせっかくの理由はもちろん残飯処理がいるからである。
 ロイドはため息を吐きながらも確かに挑戦はしてみたかったのでそのまま。
 料理名は特製ビーフシチュー。材料は灼熱火酒、王様ポテト、号泣オニオン、天晴ニンジン、霜降りヒレ肉である。
「ビーフシチューを作るには時間が足りないんじゃ……」
「細かいこと気にすんなって。オレ様に任せとけよ!」
 胸をドンと叩き大船を表すランディ。しかしロイドにはその大船に穴が開いているように見えた。


「きゃ、ティオちゃん冷たいわっ」
「でもエリィさん、ツァイトは気持ち良さそうですよ」
「私はツァイトと一緒じゃありませんっ。えいっ」
「わぷ。え、エリィさん……」
「お返し。うふふっ」
「やりましたねっ」
「バウ」


 号泣オニオンで目を赤くしたロイドは、材料の入った鍋をかき回すランディの後姿を眺めている。
 後は任せろとロイドを端に追いやった彼は、残りの灼熱火酒の投入を今か今かと待っていた。
「ッ! 今だッ!!」
 目を見開き、火酒のビンを逆さまにするランディ。
 ドボドボと消えていく酒を見て、何故かロイドは諦念を覚えた。
「料理は爆発だっ!」
 ランディの言葉はまるで呪文のように鍋に乗り移り、そしてランディは爆発した。

「ランディィィーーーーー!!」
 そうロイドには見えた。しかし当然爆発したのは彼ではなく料理である。
 やがて視界が晴れ、ロイドはランディの亡骸を見た。
「そ、そんな……ランディ……」
「いや生きてるっつの! 勝手に殺すな!」
「いやわかってる。でも現実逃避くらいさせてくれ、完全に失敗じゃないか」
 腰に手を当ててむくれるロイド。その母性本能をくすぐりそうな顔を見てランディは憤る。
「お前のそーゆーところが弟貴族の表れなんだよっ!」
「何言ってるんだランディ、今考えるべきはこれをどうするかだろ。食材を無駄にしたことがバレたら、バレたらエリィが…………」
 ロイドは自分の台詞が耳に届いて絶句した。ランディも震えている。
 このままではかつてのエリィ大明神様が再臨なされてしまう。

 ランディは鍋の爆発物を容器に移した。
「こ、コッペにあげてくる……」
「よせっ! 死ぬぞ!!」
「大丈夫だ! ロイド言ってただろ、アイツはずっとここにいるんだ。修羅場くらい何度も潜ってるさ!」
 サムズアップして消え去るランディ。
 ロイドは慌てて追いかけるが、ランディは荷物を抱えているにも関わらず速い。
 いや、速すぎる。
「くそ、ランディのほうが足は速いかッ」
「悪いな、ロイド! 警備隊なめんな!」
 ロイドは勝ち誇るランディに歯噛みしながらも階段を駆け上がる。
 ちなみに目標であるネコ、コッペは屋上だ。このネコは分室ビルがクロスベルタイムズであった時からの住民である。
 名付け親はティオで、よくご飯をあげている。

 白熱した走力戦はランディの勝利、ロイドが屋上に辿り着いた頃にはコッペ用のご飯皿に山盛りのビーフシチュー(地獄)が盛られている。
「さぁ喰え、コッペ」
「みゃ~~ご」
 その時ロイドは直感した。
「ん、どうした? 喰わねぇのか」
「にゃ~おん」
「―――ランディ、俺の勝ちだ!!」
「あん?」
 勝ち誇るロイドと不思議がるランディ、ロイドのそれを証明するようにコッペは食事に見向きもせずに去っていってしまった。
「何っ!?」
「ランディ、たまねぎ使ってるからとかそんな普通の理由じゃないぞ。あれは誰だって危険を覚える」
 たまねぎは猫の赤血球を破壊する成分を持つために死の危険がある。
 しかしコッペはただ見た目と匂いで判断したとロイドは知っていた。おそらく誰もがわかっていた。

 がくりと膝と腕を着き崩れるランディ。その姿は間違いなく敗者のそれである。
「そ、そんな……これじゃ何ももらえねー……」

 コッペは義理堅いらしく何か物を献上するとどこかに消えて何かを持ってきてくれるという謎の性質があった。
 それは彼らが驚くようなクオーツであったり、はたまた魔獣の残りだったりする。
 黒猫コッペは本当に不思議な猫なのだ。本当に猫なのかと疑問に思わないでもないロイドたちである。

「諦めろランディ。お前は負け、そして俺たちも負けた……」
「へ?」
 ロイドの言葉に違和感を覚えてランディは見上げる。
 心なしかロイドの声が震えている気がしたが、彼の危険察知本能が強制的にシャットアウトしていた。
 しかしそれも無駄なこと、ランディの眼球が彼女を捉えた瞬間に終わるのだ。

「―――あら二人とも、食事の準備は終わったの?」

 美しいパールグレーの髪が棚引いている。
 それが風のせいなのか、それとも湧き上がる気炎が見せる幻影なのかはわからない。
 一つ確かなこと、それはランディが己の終焉を理解したことだ。
「は、はははは……いやお嬢、これはよ……」
「問答無用」
「………………」
 沈黙する二人を見つめていたエリィだが、しかし何もせずに去る。
 だが二人が安堵を覚えることはない、ただ後回しにされただけなのだ。

「ろ、ロイド……」
「…………ふー、空が青いな」
 エリィがいたのはロイドの真後ろ、そのプレッシャーで気がふれたロイドは穏やかな表情で空を見上げている。
 空は青く、全てを呑みこんで、俺も呑みこんでくれたらいいのに。

 ロイドの呟きにランディも諦めがついた。故に―――
「……はは」
 屋上唯一の出口である扉が開かないとしても、それは仕方のないことだと割り切った。

 もうお昼時。出口はなく、空腹の二人と猫用の器に盛られた元料理がそこにはある。
「………………」
 ランディは午後を休憩に当てることを決めた。
 ロイドはただ空を見上げていた。






「エリィさん、ロイドさんとランディさんはどうしたんですか?」
「なんでも二人で港湾区のラーメンを食べに行くそうよ」
「え、どうして―――」
「ふふふ」
「…………ふぅ、いただきます」
「いただきます」
「ガウ」
 君子危うきに近寄らず。
 ティオは疑問の芽を自ら摘み、ツァイトは仕様もないものを見るように天を仰いだ。
 お昼はエリィ特製の会心カルボナーラ、二人と一体は舌鼓を打っている。
 本日は晴天、何事もない休日の一時である。




「―――あ、ティオちゃん。今日ギルドに寄ってほしいって連絡があったわよ?」
「そうなんですか?」
「ええ、エオリアさんから」
「ッ!?」



 初出:2月7日


 遊撃士スコットのフルネーム案
 ①スコット・レオンハート
 ②スコット・ダンス
 ③スコット・パーチ
 ④スコット・カシュオーン

 前回と落ちが同じなのは私に芸がないからです。気をつけます。
 コッペの言葉はネコ語辞典参照。




[31007] 3-0 b
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/02/10 21:07

 ※ 今回オリジナルの姓と二つ名が出てきます。公式で発表され次第訂正しますが、それまではこの表記で通します。ご了承下さい。








 遊撃士協会クロスベル支部に在籍する遊撃士は最近やってきたエステル・ブライトとヨシュア・ブライトを含めて七人いる。
 “風の剣聖”アリオス・マクレイン、“正鵠”のスコット・カシュオーン、“堅閃”のヴェンツェル・ディーン、“拳翼”のリン・ホンメイ、そして“慈悲”のエオリア・フォーリアである。
 彼らはB級以上の遊撃士であり、その実力は遊撃士協会の中でも指折りである。
 彼らは信頼を失ったクロスベル警察の代わりに日々あらゆる依頼に迅速に対処し、解決していく。
 依頼の膨大な量故に全てとまでいかないのが難点であるが、市民も理解は示しているのでギルドの評判が下がることはない。

 さて、そんな彼らと特務支援課の四人が出会ったのはそれぞれ異なる場所、異なるシチュエーションであった。
 彼らの目標であるアリオス・マクレインとの邂逅はさておき、四人が次に出会ったのはスコットとヴェンツェルのコンビである。
 同種の仕事内容だということで生来穏やかなスコットは四人の存在を快く歓迎し、一日でも早く一人前になることを願った。
 一方ヴェンツェルは彼の信条である『自己に厳しく、他者にも厳しく』に則って、四人に注意を喚起する。
 指摘に窮し、できる限りのことをすると答えたロイドを彼は両断し、
「できる以上のことをしなければ上達などしない」
と訓戒を述べた。

 これは彼が特務支援課に不快を抱いているわけではなく、彼自身が常に抱いている思いを口にしただけの彼なりの激励である。
 こればっかりは初対面の相手にはキツいので、長年の相方であるスコットがフォローを入れる羽目になっていた。

 このように二人の男性遊撃士との出会いは別段珍しいものではなかった。先輩としての素直な感情である。
 しかし、肝心なのは次のリン・エオリアコンビとの対面である。
 彼女らは恐らく別の意味でアリオス並みの衝撃を四人に与えた。
 いや、これでは語弊がある。遊撃士リンは至極まともである。
 いやこれも語弊がある。遊撃士エオリアもまともである。
 ただ一点のみの彼女の嗜好が原因なのだ。

 重ねて言うが、クロスベル支部の遊撃士は優秀である。
 だがそれは遊撃士に苦手意識を持ったが最後、優秀であるが故に厄介極まりないという評価にクラスチェンジする。
 少なくともティオ・プラトーはエオリア・フォーリアに最大級の苦手意識を持っていた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 リンは拳闘士だ。
 泰斗流というカルバード共和国の拳法を駆使し、身体全体を己の武器として扱う。
 その黒髪が短く纏められているのもそのためであり、また頭に巻かれている白い鉢巻も気合を入れるための愛用のものである。

 一方でエオリアは医療先進国であるレミフェリア公国出身の女性遊撃士で、そのため彼女の最も得意とする分野は医療にある。
 医師免許を取得している遊撃士はおそらく彼女だけであるために彼女は普段遊撃士が行わない依頼にも対応することができる。
 エリィのそれに紫を加えたような薄紫色の髪を肩口にまで伸ばし、その上に緑のベレー帽を被っている彼女は前衛のリンを援護する後衛系の戦闘技術を主流とするが、医師であるが故に生物の仕組みを理解しているという知識も彼女の武器だ。
 それを戦闘に流用することで生物的な弱点を突くこともできるので、単体での戦闘能力も優秀なのだ。
 リンとエオリア、この二人はスコット・ヴェンツェルコンビとうまく共存しあっている。

 特務支援課がリンとエオリアに出会ったのは、ちょうど二人が市外巡回のためにウルスラ間道に出ようと中央広場にやってきた時だ。
 特務支援課分室ビルから階段で中央広場へと上がった特務支援課は明らかに市民と服装の違う二人に気づき、それと同時にエオリアは叫んだ。
「か、かわいー!!」
「なぁっ!?」
 エオリアはまるで魔獣に遭遇した時のような俊敏さで即座に間合いを詰め、特務支援課の前から二列目、エリィ・マクダエルの隣にいた黒衣の少女ティオ・プラトーを襲撃した。
 正面から抱きすくめられて混乱したティオとそれを唖然として見つめるほか三人。

 そこに遅れてリンが歩み寄ってきた。
「こらエオリア、いきなりはやめろって言ったじゃないか」
「うーん、すりすり」
「こーらっ」
「あんっ」
 リンはエオリアの首根っこを掴んで強引に引き離す。
 ティオから離れてしまったエオリアはまるで親から無理やり引き離された子どものよう。
 しかしその視線の先にいるのは息も絶え絶えなティオである。
「てぃ、ティオちゃん……大丈夫?」
「はぁ、はぁ……」
 エリィはティオを心配そうに見つめるが、ティオはそれに答えることなく静かに呼吸している。
 エオリアの奇妙なテンションはティオに多大なダメージを与えていた。

「すまなかったね、平気かい?」
 リンはエオリアの代わりに謝罪の意を述べ、ティオの代わりにロイドが受け取った。
「だ、大丈夫ですけど……あの、あなた方は―――」
「あたしはリン、こっちはエオリア。遊撃士だよ。あんたらは特務支援課だね?」
「やはりそうでしたか。初めまして、特務支援課捜査官ロイド・バニングスです。ギルドに伺った時にはお二人はいませんでしたね」
「ま、あたしらも忙しいんでね。あんたらのことはミシェルさんから聞いてるからさ」
 遊撃士協会の受付の顔を思い浮かべたロイドは内心で苦笑しつつ、クロスベルの先輩である二人に決意を語る。
「自分たちもできる限りのことを、いえ、できる以上のことをやっていきたいと思います」
 以前ヴェンツェルに言われた言葉を引用して。
 するとリンは笑い、それに付け加えた。
「状況にもよるさ、何でもかんでも挑戦されて仕事が増えるのも良くない。機を見て、そして判断することだね。ひよっこ」
 鼻で笑われたわけではなく彼女も支援課の存在に期待しているようで、ロイドはその言葉に力強く返事をした。
 しかし、後に続かないのが今の混迷の状況である。

「―――エオリアさん、俺はいつでもダイブ歓迎ですよ?」
 ランディはエオリアを口説いていた。彼女はランディ的素敵な女性ランキングでセシルに次ぐ順位を手に入れたらしい。
「え、無理」
「瞬殺ぅ!?」
 しかしエオリアは気にしない。
 彼女にとって重要なのはリーダーとして話をしていたロイドより口説いてくるランディより、すぐ傍でようやく落ち着いた小動物のような彼女なのである。
「ね、ねぇ。私はエオリアって言うんだけど、あなたは?」
 いつの間にかリンの拘束から抜け出していたエオリア。ようやく平静を取り戻したティオに追い討ちをかけるべく間合いを詰めていた。
 エリィは瞬間移動したような彼女に驚き声が出ない。
 ティオもまたお化け屋敷にいるような反応を示したが、エオリアの顔に圧迫されて勢いで名前を言ってしまった。

 途端、エオリアはティオの両手を握り締めて蕩けたような顔をした。
 ティオは青ざめた。
「ティオちゃん……なんて素晴らしい名前。キリリとした顔立ちに残るあどけなさに静かなイエローの瞳と水色の髪、少女が大人になりかけているような体つきに瑞々しいプニプニした肌………………いい」
「ひっ!?」
 最後の一言に怖気が走ったティオは逃げようとしたが、しかし両手は捕まっている。
 遊撃士だけあって女性でも力は強い。そのまま懐にまで持っていかれ、胸のプロテクターが柔らかい胸に埋もれた。
 肩口に当てられた口でもごもごと何かしらを口走るティオ。しかしエオリアには届かない。

「かわいい、かわいすぎる。ねぇリン、この子持って帰っていいかしらっ!」
「ダメ、我慢しな。それにこれから巡回だよ」
 えぇーと不満の声を上げるエオリアにリンはため息を吐き、常々思っていたことを口にする。
「―――なぁエオリア、どうしてそう見境がないんだ? 遊撃士たる者、自制はあって然るべきだろうに」
「何を言っているのリン。自制があるからこうなのよ?」
「………………」
 リンは何も言えなくなった。優秀なのに、彼女はどうしてこうなのか。

「あの、そろそろティオちゃんを解放していただけませんか? 窒息してしまいます」
 たまらずエリィが進言し、エオリアは思い出したようにティオを解放した。彼女にとってティオを抱きしめることは無意識に行える動作なのである。
 ロイドとショックから立ち直ったランディも顔を向ける。そろそろ状況を動かさないといけない。
「お互い依頼がありますし、ここらで」
「そうだね、あたしとしてもエオリアをもう引っ張っていきたい」
「ちょっと待ってよリン。もう少しだけだからっ」
 なおも食い下がるエオリアだが、流石に突発的行動に割ける時間は越えている。
 しぶしぶ頷き、リンの元に戻っていく。
「それじゃ、しっかりやりなよ!」
「はい、お二人も気をつけて」
「誰に言っているんだ」
 リンとロイドは良好な関係を抱けたようだ。
 ランディもエオリアに突っかかることはコミュニケーションの一つであるし、エリィも相性は悪くなく、むしろ一番親しくなれそうだった。

「――――――」
 しかしティオはこれからが不安になった。
 いつ何時、あの人間砲弾が飛んでくるかわからない。ティオは市内でも警戒を怠らないことを誓った。
「ティオちゃん、またねっ!」
「………………………………はぃ」
「かわいいは正義っ! よ!!」
 謎の台詞を残し、リンとエオリアは駅前通りへと消えていく。
 その姿が人ごみに消えていくとティオの足から力が抜けた。
「ティオちゃんっ!?」
「……エリィ、さん…………」
 ティオは下を向いていた顔をエリィに向け、笑った。
「もう少し、早く……助けてほしかった」
「ティオちゃんしっかりっ! まだ依頼は始まってもいないのよっ!」

 そんな二人のやりとりを見ていたランディは言った。
「羨ましい。なぁロイド」
「……そう、かな?」
 ティオの姿は痛々しいだけな気がする。ランディはまだショックが抜け切っていないのだとロイドは判断した。

 ちなみにエオリアが去り際の言葉を放った時、何故か電撃のようなものを感じた人物が二人リベールにいた。
 工業都市ツァイスの女性博士と商業都市ボースの女性遊撃士である。






 そんなこんなな回想を終え、そして現在、エオリアに呼ばれたティオは遊撃士協会の扉の前で躊躇している。
 これがエオリアでないならばこんなことはないのだろうが、エオリア故に困っていた。
 遊撃士協会からの要請であるために断ることはできない。ティオに逃げ場はないのだ。
 よしと心の中で僅かな気合を入れたティオはその扉を開いた。
「こんにちは、特務支援課ティオ・プラトーです」
「いらっしゃい、よく来てくれたわね」
 覚悟に反して彼女を迎えたのは受付のミシェルだけだった。
 相変わらず小麦色の肌に白い歯が映える彼だが、ティオは意外と嫌いではない。
 ありのままの自分を許容しているような、そんな生き様が見えるからだろうか。

「早速仕事の話をしたいだけど、いいかしら」
「はい……でもその前に、あの、エオリアさんは―――」
「―――呼んだ、ティオちゃん?」
「ッ!?」
 何時の間にか背後にいたエオリアにようやく気づき、ティオは小さく悲鳴をあげた。
 そんな彼女にエオリアは普段の微笑を湛えた穏やかな態度で佇んでいる。
 ティオはそんな彼女に呆気にとられていた。
「今回あなたに手伝ってもらいたいのは、動物の説得なのよ」
「はぁ……」
「まず確認したいのは、あなたが動物とのコミュニケーションが取れるかどうか。周りの証言は得ているから一応だけれど、猫の言葉とか犬の言葉とかわかる?」
 ティオは確かに人語を解さない生物の意志が感じ取れる。
 それは彼らの言葉がわかるというわけではなくなんとなく言いたいことが理解できるということだが、コミュニケーションが他者より円滑に行えるという点では間違いではない。
 ティオは頷き、ミシェルは手を叩いた。

「よし! じゃあこれより遊撃士協会クロスベル支部より、クロスベル警察特務支援課ティオ・プラトーに正式に支援を要請するわ。支援内容は『遊撃士エオリアと現地に赴き、動物の説得を成功させる』こと。お願いできる?」
「了解です」
「よろしくね、ティオちゃん」
 エオリアは笑って手を差し出す。普段の苦手意識は消失し、ティオは素直にその手を取った。
 移動の際にエオリアが詳細を語ってくれるとのことで、二人はそのまま行動を開始した。


「現地、って言っても行政区だからすぐに着くわ。ティオちゃんも見たことあると思うけど、警察署と市庁舎の間で工事を行っているでしょ? そこの人たちが今作業を中断しているの」
 エオリアが言うには、工事をする場所にいつの間にか複数の鳥が巣を作ってしまったらしい。
 取り除こうにも親鳥は執拗に抵抗するし、かといって雛たちを無視するわけにもいかないしで困った状況らしい。
 それにしても鳥のためだけに市が挙げる事業の手を中断するなんて、現場監督は相当のお人よしなのだろう。
「だからティオちゃんには、ここは危ないから巣をどけますよって説明してほしいのよ」
 お願いね、と微笑むエオリアにティオはやはり違和感を覚え、しかしそれは後でいいと感じて頷く。
 遊撃士からの要請は初めてのこと、それも動物のためだと考えればやる気がでた。


 結論から言うと、それはすぐに終わった。
 背の届かないティオを機械で巣の傍まで運び、交渉に入る。
 雛の危険を第一に説き、巣に触れることを許可してもらい、ティオはゆっくりと慎重に巣を手に取った。四匹の雛が変わらずに口を開いて鳴いている。
 それは軽かったが、とても重かった。
 そのまま機械を移動して安全な樹の上へと移す。
 事が終わると親鳥はティオの周りを飛び回り、彼女はそれを嬉しく思って笑った。


 支援要請はめでたく終了、ティオとエオリアは一度ギルドに戻るべく足を動かしている。
 そしてティオは東通りへ入る直前で口を開いた。
「エオリアさんは、どうしてわたしに協力をお願いしたのですか?」
 遊撃士ならばおそらく鳥達と意思疎通できなくとも可能な限りの最速で巣の移動を行えたはずだ。
 そのほうが工事も早く再開できるし、エオリア自身の時間も増えたはずなのだ。
 その問いにエオリアは笑う。しかしそれは今日の穏やかな笑みではなく、少しだけ寂しそうなものだった。

「……ほんの少しの時間でも、親から子を無理やり引き離すなんてしないほうがいいでしょう?」
 エオリアは後ろ手に前を向き、空を見上げた。
「私たち遊撃士はただ依頼を額面通りに達成すればいいわけじゃないわ。本当の意味で依頼者の要望を叶えること、それが私たちの、そしてティオちゃんたちのすべきこと、でしょ?」
 エオリアの中では、もしかしたら今回の依頼主は工事現場の人ではなくあの鳥達であるのかもしれない。ティオはなんとなくそう思った。
 隣を歩くエオリアは先に見せた寂しそうな表情を消して、今日会った時のような穏やかな顔をしている。

 それ以降、会話はなかった。
 ただその沈黙に、ティオは陽だまりのような暖かさを感じていた。
 苦手だったエオリアの、また別の一面。それはティオにとって安らげるものだった。






 しかし。
「ティオちゃーんっ!」
「っ!?」
 それはあの日あの時だけ、相変わらずティオはエオリアが苦手である。
 ただ、それを眺めるリンと見守る特務支援課の三人には、彼女らがまるで姉妹であるかのように見えていた。




 初出:2月10日


 エオリアが好きです、もうメインヒロインにしたいくらいに。
 今回は完全なる遊び心で構成されているので反応が気になります。性とか二つ名とか、もうね……



[31007] 3-1
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/02/13 21:02



 強く焼きついているものがある。それは理想的な関係で、完璧な連携を示して見せた。
 それを自分に置き換えて、それを仲間に置き換えて、どうすればいいのかを考える。答えはまだ出ず、ならばそのための行動に移るのみ。

 思い描くのはかつて見たあの二人。
 自分にとっての難敵を一瞬で乗り越えて行った二人の奏でる、武の極致。
 そこに続く階の下にまで来たと感じられる今、立ちはだかる壁を乗り越える力の一つとなるそれを手にしてみたい。

 魔獣事件から半月経った、ある朝のことである。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 本日の支援要請の中に常とは異なる要請があった。それは警備隊タングラム門からの支援要請、新人の訓練相手を務めてもらいたいという内容である。
 警備隊でなおかつタングラム門となると彼らが思い出す人物は二人、警備隊副司令官のソーニャ・ベルツと警備隊曹長にしてフラン・シーカーの姉、ノエル・シーカーである。
 ソーニャは別にして、ノエルはその年で曹長の位におりランディもその噂を耳にしたことがあった。
 依頼者はソーニャであるので警備隊の副司令が直々に部下の相手をと推薦してくれたようなものなのだ。
 これは期待に応えるしかないと全員が思い、またその為に準備もする必要があった。タングラム門は東クロスベル街道のアルモリカ村との分岐点をそのまま直進した先にある。

 他、ゲンテンのウェンディからのエニグマに関する依頼。
 これはスロットやクオーツの関係上訪ねる必要があったので渡りに船である。
 そしてお馴染みの手配魔獣、今回の相手はネペンテスG、西クロスベル街道に出現したようだ。
「そういえば西クロスベル街道は奥まで進んだことないな」
 ロイドは呟く。
 依頼で何度かその街道には足を運んでいるが、その道の到達点には行っていない。
 魔獣がどこにいるかわからない以上徒歩で向かう必要があるが、せっかくだから足を運んでみてもいいように思えた。
「西クロスベル街道の終着点は警察学校とベルガード門ね」
「あぁ、俺の元職場だな」
 ランディが警備隊を辞めた理由を知っているロイドはランディの反応が気になったが、特に変化は見られない。
 気にしていないのかどうかは表面上ではわからなかった。

「警察学校ですか、ロイドさんの馴染みのある場所ですね」
 ティオが言うと、ロイドは頷いた。
「とは言ってもそこまでの道なりを知っているわけじゃないけどね」
 妙な言い回しだったので三人は首を傾げる。
 警察学校には間違いなくいたのに、そこまでの道には馴染みがないとはどういうことなのだろうか。
「俺は鉄道で一気に敷地内に入っちゃったから。それからは寮暮らしだったし、休日も特に出かけなかったから」
 余暇の全ては捜査官になるための勉学に費やしてきた。そんな彼はしかしそのことを言おうとは思わない。
 努力はしたが、それを他人に認めてもらう必要はないのだ。

「それじゃあどういう順番でやりましょうか」
 エリィが話を戻し、四人は口々に意見を言う。
 タングラム門の依頼は警備隊員の都合もあるだろうが、精鋭と謳われる警備隊員を相手取る時にどのような状態でいるのか。
 まず始めにゲンテンに向かうことは決定している。その後はどうするのか。

 話し合いは、話し合いと呼べるほどの時間はかからずに終わった。
「よし、行こうか」
 ゲンテンへ、次いで西クロスベル街道へと向かい、最後にタングラム門へ。
 セルゲイにソーニャへと連絡してもらい時間調節を行ってから四人は行動を開始した。


 ウェンディの依頼は、エニグマになったことでガラリと変わった導力魔法の一つである『ホロウスフィア』を試してほしいということだった。
 ホロウスフィアは幻属性の補助系アーツ、対象にステルス機能を付与する効果を持つ。属性値は風3・水3・幻5、十分上位アーツである。
 属性値が高い為、これはアーツの得意なティオに行ってもらう。
 スロットを開放してもらいクオーツを可能な限り嵌めるが、一度にそこまでつけて行動するのは危険である。故に今ここで試すことにした。
「ティオちゃん、平気?」
「問題ありません。戦闘中はちょっと辛いですけど」
 心配そうなエリィに普段どおり応えるティオ。現在ティオのエニグマには情報・鷹目・HP2・精神1・回避2が備わっている。
 エニグマを駆動し、光に包まれる。
 その光景にゲンテンにいた人間は皆視線を集め何事かとざわついている。ゲンテンの店長が頭を抱えるのが印象的だった。

「ホロウスフィア」
 詠唱が完了した後、ランディの姿が掻き消える。ロイドとエリィは息を呑んだ。
「すごい……」
「えぇ、本当に」
「ん? ティオすけは変わんねーな」
 一方ランディは自身にかけられたことに気づかず不思議がっている。
 しかし三人とウェンディの視線が自分のほうに向いていることを自覚するとゆっくりと移動を開始した。視線は動かない。
「俺かよ……」
 ため息を吐くと、全員の目が向いた。
「てかおい、これどうすれば戻るんだよ」
「時間制限です。あと15秒ほどでしょうか」
 その時間通りにランディは再び姿を現し、店内に喝采が響き渡った。

「とんだピエロだぜ……」
 注目されているにもかかわらずランディは不満げで、ロイドに宥められている。
「ちゃんと消えるみたいね。でもかけられた本人に自覚がないのはどうなのかしら?」
「あぁいや、なんかに包まれている感覚はあったぜ。ただてっきりティオすけが消えるもんだと思ってたから反応が遅れただけだ」
「本当? なら大丈夫か、うん、これで依頼は完了かな」
 ウェンディはそう言って笑い、また足元をごそごそと漁って一つのクオーツを取り出した。
「これ報酬ね」
「クオーツ? 幻属性みたいだけど……」
「うん、天秤珠って言うんだけどね。ティオちゃん、エニグマ貸して」
 ティオが差し出すとウェンディは既に開けられているスロットをいじる。
 何をしているのかとも思ったが、やがて返されたエニグマを見ると得心した。
「スロットの枠が外されてる」
「説明してなかったっけ、スロットは二段開放式なのよ」

 戦術オーブメントは何代か前からスロットは複数開放式になっている。今回ウェンディが行った処置がそれだ。
 それを行うとエニグマの内蔵する最大エネルギーポイントの上昇のほか、上位クオーツが嵌められるようになる。
「上位クオーツ。この天秤珠がそうなんだけど、他のクオーツよりも持っている導力が高いの。最高のパフォーマンスを可能にするにはスロットも初段開放じゃダメなわけ。だからもし嵌めるなら今開放したスロットに入れてね」
 天秤珠、幻属性の上位クオーツ。
 幻属性値5であり、攻撃アーツを使用した時に一定値EPが回復するというものである。
「これは上位クオーツの中では安全な部類のもので、身体能力が上がるわけでもないからすぐにつけちゃって平気よ。どっちかって言うとエニグマに負担がかかるものかな」
 とはいえそれでエニグマが壊れることはないそうで、それでも定期メンテは考えてほしいと言うウェンディ。
 四人としても親交のあるウェンディにやってもらうことは願ってもないことなので、折を見てエニグマをチェックしてもらうことにする。
 とはいえ最初のメンテの時にはスロットを全開放していたいものである。

 ウェンディの依頼が終了し、次は西クロスベル街道に向かう。中央広場から西通りへ向かうと、たまたま外に出ていたオスカーが話しかけてきた。
 何でもまた試作品ができたということだったので、何事もなければ依頼が完了した後にモルジュに寄ることを約束する。
 ランディとは違う男同士の交流にエリィとティオは何かを思い出したようで、穏やかな、なんとなく羨ましそうな表情をしていた。






 西クロスベル街道を歩く。何度か通っているので既に遭遇する魔獣のデータは得られていた。
 この街道の特徴は虫系統の魔獣が多いことだ。
 東にもいたベルガ蟲と体色が異なるクロベルガ蟲とシロベルガ蟲、赤い眼をした蜂のようなブラックハンター、巨大なカブトムシのメタルビートルである。
 このほかにも陸上鳥類で鶏冠が高質化したオノクジャク、魔獣事件で無関係だったバイトウルフなどがいるが、どれもこれも既に四人にとってはさほど苦にならない相手である。
 元々このように日常的に見る魔獣はそこまで脅威ではないのだ。市外に出てそれなりの経験を積めば障害にはなりにくい。

「む……!」
 しかし、市外のどの場所でも見る稀少なはずのシャイニングポムだけは別である。
「今日こそは……!」
 ティオはこの魔獣を見るとやけにムキになる。
 二回目以降は四人で協力して追い詰めたりなどしたが、残念ながら撃破には至っていない。
 無害であるし放っておいてもいいのだが、最早この魔獣は実力試し用になっていた。
「………………」
 しかし今日も逃げられる。あれだけ輝いているのに見失ってしまうというのは何か仕掛けでもあるのだろうか。
「ティオ、頑張ろう」
「はい……」

 いつもの如く橋を渡り、均された道を歩く。
 西クロスベル街道の最大の特徴は大陸を横断する鉄道に沿っていることだ。少し歩くとその鉄道を一望できる場所に出る。
 尤もそれは走っていればの話で常のほとんどが空の線路を見るだけになるが、それでも鉄の馬が走る道には何かを感じずに入られない。
 それが大陸の血管のようなものだからだろうか、自分たちが国という巨大な生物の中の一つであるという実感が湧いてくる。矮小な存在であることを実感させられる。
 ロイドは頭を振り、その思考を止めた。

 さて、ようやくバスの停留所でもある警察学校とタングラム門との分岐点にまで到達した。
 ここまで手配魔獣と思しきものは確認していない。
「ロイド、どっちに行くよ」
 ランディはリーダーに尋ねると、ロイドはキョロキョロと辺りを見回して一本の棒を手に取った。
「じゃあこれ任せで」
「おいおい、捜査官としていいのか?」
「じゃあランディが決めてくれよ」
 ロイドは棒を落として言う。ランディは仕方ないという風に腕を組んで頭を悩ませる。

「んー、じゃまぁベルガード門にでも行くかっ」
 そう宣言して一人で先に行ってしまう。
 残された三人も後を追うが、エリィはロイドの隣に足を運んで小声で言った。
「心配性ね」
「そうかな?」
「そうよ」
「……そうかもな」
「お二人ともどうしたんですか?」
「なんでもないわ、ティオちゃん」
 エリィは足を速めティオの隣へと行く。ロイドは立ち止まって頬を掻いた


 ベルガード門への道を選択した四人はしかしすぐにそこまで到達することはなく、手配魔獣であるネペンテスGを発見した。
 イソギンチャクの巨大化した姿とでも言うのか、紫の体色に上から無数の触手を生やしている。
 それは触手を集めてまるで口のように筒を作り、矛先をゆっくりと変えていた。
「きしょい」
 ランディの一言、エリィもぶんぶん頭を振っていた。
 しかしでかい。ランディの身長は180リジュを越えているが、それすら凌駕する体躯である。
「確かネペンテスという魔獣がいたはずです。それの巨大版かと」
「それが同箇所に三体か、俺も嫌だな」
 生理的嫌悪感を抱かせるそれは正しく魔獣であり、また正しく手配魔獣である。遊撃士もこんな気持ちなのだろうか。
「とにかく倒そう、うん」
 四人は得物を手に取り、頷きあう。
 今まで以上の一体感を感じながら、一斉に飛び出した。

 ネペンテスGも気づいたのか、それでもゆっくりと向きを変えてくる。
 正面から対峙する前にロイドとランディ、さらにエリィの攻撃が三体を撃つ。ぐにゃりとした感触に顔をしかめ、ロイドは二撃三撃と連打、ランディも一撃の後回転して一撃と速攻をかける。
 エリィは照準を触手の集まった口に合わせ、体内へと撃ち込むように暗い穴へと銃弾を放つ。

 やがて完全に向き直ったネペンテスG、それに伴って三人は距離を置き、ティオはアナライザーを終了させた。
「火属性が弱点ですが、風も効くみたいです。体内から放つ煙のようなものは目潰し効果、そして一定条件での―――」
 ティオは言い終わる前にその感覚を覚え、思わず地面を見た。
「なんだ!?」
 三人も同様に下を見て、そして気づく。
「地震っ!?」
 視界が上下に大きくぶれ始めると共に凄まじい衝撃が全身を突き抜ける。
 大地は割れんばかりに鳴動し、たまらず全員が倒れ伏した。
「ちぃ、こいつらかッ! ってうおっ!?」
 ランディはメガロバットの時のようにハルバードを支えにして立とうとしたが、今回はメガロバットの比ではない。
 地面に向かって叩きつけられるような衝撃に全員は苦痛で顔を歪める。なんとかしようにもこの状況では何もできない。
 追撃に対して構えることもできなかったが、どうやらこの地震を発生させている間は魔獣も何もできないようだ。
 身体を執拗に痛めつける地震は急激に収まり、四人は痛みと震動に三半規管を狂わされてよろめく。
 そこにネペンテスGは口から黒い煙を吐き出してきた。
 粉末ゆえに防ぎきれない。ロイドはそれを顔面に浴び、視界を潰された。
「く、一旦退避っ!」
 それでも口は動く。幸いにしてネペンテスGは動きそのものが遅いので、ランディはロイドを支え、なんとかある程度まで距離をおくことができた。

「ロイド、じっとして!」
 エリィが目薬を取り出し、座り込んだロイドの目に差す。
「一分待って、それで治るから」
 頷くロイドに笑いかけ、エリィは立ち上がって魔獣を見た。
「つぅ……」
 脇腹が痛む。表面的な痛みでなく身体の奥底が疼くような痛みだ。
 ネペンテスGは動かない。エリィは痛みを堪えて詠唱にかかった。
 碧の光がエリィを包み、脂汗を掻いた頬を撫でていく。
「ブレス!」
 螺旋を描いた光はエリィを中心として全員に降り注ぐ。
 範囲回復魔法ブレス。風属性の中位魔法である。ジオフロントでアリオスにかけられた魔法だ。
「ありがとう、ございます……」
「ふー、すまん」

「は、ぁ……」
 ティオとランディは礼を言って立ち上がり、エリィは頭に走った痛みを堪える。
 エネルギーの消費が激しいこの魔法は今のエリィでは精々二度で打ち止めだ。さらにそれを詠唱するエリィの精神的負荷も激しい。
 エリィは膝を着いた。
「ごめんなさい、私も少し―――」
「あぁ、ちっと休憩してろ!」
「後は任せてください」
 エリィとロイドを残し、ランディとティオはゆっくりと魔獣へと近づく。
「どうやら攻撃を受けたらあの地震を起こすようです」
「なるほど、つまりは一体に集中していきゃあいいわけだな」
「えぇ、地震を感知したら退いてください。どうやら範囲はそこまで広くはないようです」
 ティオは少し離れたところにある木々を見た。地震の影響か無数に葉を散らしているものと、全くもって健在なものの境目が見える。
「本体を中心に半径20アージュといったところでしょうか」

「あいよ、じゃあぶっ飛ばすとすっか!」
 ランディは駆け出し、ティオはアーツを唱え始める。ネペンテスGも待ちかねたように活動を再開した。
 エニグマを駆動しCPを削る。ハルバードの先端に赤い光が集まっていく。
「火、火、炎ってか!」
 ハルバードを回転させる。先端に集まった光が回転とともに炎となり、炎熱の牙を砥いでいく。
 最前の魔獣が口を膨らませ、煙を吹いてきた。
 ランディは突っ込み、そして左足で急ブレーキ。右足を踏み込んで跳躍すると、その高度はネペンテスGの上を侵略した。
 ハルバードを振りかぶり、炎が渦巻く。
「サラマンダァー!!」
 振り下ろしの勢いでハルバードから炎が飛び出していく。
 それは龍の形をとって、文字通りその牙で魔獣を襲った。

 上空からの炎龍の襲撃は直線状に並んだ二体の魔獣を貫く。
 最前のものはそのまま炎に包まれ何をするでもなく光に融け、後ろのもう一体は炎の中でその身体を天高く伸ばして耐えた。
 まだ炎が消えきる前にネペンテスGは地震を発生させようと己の中にある属性値を融和させる。しかしそれが形になりきる時、追い討ちのように雷が貫いた。
「あと一体です……!」

 残るネペンテスGは煙を吐こうとランディに迫る。
 しかしランディは一気に後退、ティオの隣にまでやってきた。
「エニグマ駆動!」
 ランディはアーツの詠唱に差し掛かる。一瞬驚いたティオだが、しかしそれも妥当だと判断して同様に詠唱に入る。
 光に包まれた二人に必死に近づこうとした魔獣は、そこに到達する前に二つの魔法に打ち砕かれる。
「ファイアボルト!」
「スパークル!」
 炎と雷、その二つを同時に浴びたネペンテスGはその動きを止め、そして地震を発生させた。
「な!?」
「しぶとい!」
 ランディとティオは逃げ遅れ、再び全身を衝撃が襲っていく。

「はぁっ!」
 しかしそれはすぐに終わりを告げた。
 殺到する炎は震源を包み込んで燃焼させる。

 燃え上がる中七曜の光も同様に立ち上り、そこには焦げた大地とセピスしか残らなかった。
「すまない、遅くなった」
 アーツを詠唱したロイドが謝るが、それは先の止めの一撃でチャラである。
 三人は揃ってエリィを見やると、彼女は座りながらも手を振ってくれた。
「手配魔獣討伐完了、だな」
「エリィさん、大丈夫ですか?」
「えぇ、平気よ。休ませてもらったしね」
 エリィは片目を閉じ、ティオは微笑んだ。

「しかし、これから警備隊と訓練だってのに気の利かない奴だ」
 ランディが愚痴る。ロイドはまだ赤い目をしたまま応える。
「でもなんとか倒せてよかった。あんな魔獣もいるんだな……」
 カウンター型の魔獣とでも言うのだろうか、攻撃に反応したときに別の行動をとる魔獣とは今まで対峙していなかった。
 その分苦戦を強いられたが、これで経験が一つ重ねられたことになる。
「深遠からの激震、というそうです。煙はカッフーネ。もっと早く言えればよかったんですが……」
 ティオとしては情報伝達が遅かったことに悔いが残る。
 いや、アナライザーの範囲が広くなればいいのだ。そうすれば事前に情報を取得できる。
 主任、どこにいるんだろう……
 ティオは自身の上司の消息が知りたいと初めて思った。




 初出:2月13日


 新章スタートです。
 きもい+トラウマミミズ=ネペンテスG。



[31007] 3-2
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/02/16 21:21



 ベルガード門はエレボニア帝国との国境を守る門である。宗主国の一つである帝国は事ある毎にちょっかいをかけてくるので気の抜けない場所だ。
 門から窺える帝国はガレリア要塞唯一つ。そしてそのガレリア要塞に備わっているのが、クロスベルにとっては脅威の象徴である列車砲である。
 超長距離射撃を可能にした巨大な砲台は、まともに狙われればクロスベルが終わりかねない威力を誇っている。

 そのベルガード門の威容を眺めながら特務支援課の四人はバスを待っていた。
 本当ならば手配魔獣と戦った場所からなら分岐点にある停留所のほうが近いが、時間に余裕があったためにどうせならとベルガード門に来た次第である。
「ランディ、司令には挨拶したほうがいいのか?」
「ほっとけ、どうせいないから。でもそうだな、挨拶すんならちょうどいいやつがいるぜ」
 ランディは足取り軽く進んでいく。司令よりも相応しい人物がなんなのかわからない三人だったが、大人しくランディに追いていくことにした。
 門前の警備員と親しげに話した後、右手にある階段を上る。
 その脇には食堂があり、どうやら一般にも開かれているようだ。警備隊員の力の源が味わえるのだろう。

 二階に上がると、三階――つまり屋上へと続く階段の他、各隊員の部屋と司令官室がある。
 ランディは懐かしむように辺りを眺めながら淀みなく歩いていく。
 すると曲がり角手前の扉の前に立ち、ニヤリと笑った。それは悪戯好きな少年のようで、三人は目を瞬かせた。
 ノックもすることなく徐にドアノブに手をかけ開く。
「よっ、ミレイユ!」
「へ?」
 手を上げて話しかけるランディと、それを見て固まる女性警備隊員。
 腰近くまで伸ばした綺麗な金髪が揺れ、碧色の瞳が驚愕に満ちていた。
「ら、ランディ……?」
「おう、久しぶりだな」
「久しぶりって貴方……」
 ミレイユと呼ばれた女性は何か言おうとしたが、やがてゆっくりと息を吐いた。それを見ているランディも楽しそうである。

「―――で? そちらの皆さんは新しい同僚?」
 ミレイユの視線がランディの後ろに向けられ、三人はようやく話に加わることができた。挨拶を交わすと改めて自己紹介してくれる。
 ベルガード門所属のミレイユ准尉は実質上仕事をしない警備隊司令の代わりにベルガード門を取りまとめている。
 ちなみにランディが同僚であった頃は曹長だったらしく、最近昇格したそうだ。
「皆さん、このバカの相手は大変でしょうに」
 やれやれと言ってミレイユは首を振るが、心外だと言わんばかりにランディが突っ込む。
「バカとはなんだバカとは。俺様のダンディーかつミステリアスな雰囲気が多大な影響を与えているというのにっ」
 ちなみにランディにミステリアスさを感じたことはないが、そんなことは言わなくてもわかっているのか、ミレイユは苦笑してロイドらを見た。
「このバカはきっといつもこんな感じなんでしょうけど、見捨てないでくださいね」
 その言葉には親しい感情が含まれていて、ランディとの関係が気になる三人であった。


「ランディが言ってたのはミレイユ准尉のことだったのか」
 ベルガード門を出て、バスの時間まであと少しという状況でロイドは口を開く。
 ランディはあぁと相槌を打ち、ぼやいた。
「あいつは生真面目だからなぁ。働かない司令の尻拭いに奔走して、他の隊員をまとめて、おまけに俺みたいな面倒ごとにも気を配ってる。ほんと、貧乏くじ引かされてるよな……」
 そこには彼女に対する様々な思いが込められていて筆舌に尽くしがたい。
 ロイドはランディの警備隊時代を脳裏に想像した。
 追い出されたと言っていたが、聞いていた理由が疑問に思えるほどのいい映像だった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 導力バスが元来た道を走り、クロスベル市に戻ってくる。そこから住宅街、歓楽街、行政区、中央広場、東通りと移って、タングラム門までの導力バスを待つ予定だ。
 歓楽街を通った時、その名物であるアルカンシェルの劇場から発される異様な雰囲気を感じ取った。正確にはそこに集まる人々の熱気である。
 どうやらアルカンシェルの新作公演が間近であるらしく、既にチケットは完売で、それでもなんとかしようと集まっている人もいるようだ。
 ダフ屋の警戒か、警察官が一人劇場前に佇んでいる。
「雑誌で読んだけどよ、今回は主役級がもう一人いるんだぜ」
 ランディが興奮気味に話していたことがある。
 彼は決まってその後にニヤリと意地の悪そうな顔をするのだが、生憎ロイドにはその理由がわからなかった。

 東通りに入るとちょうど遊撃士協会の扉が開き、ティオが身構えた。
 しかし出てきたのは彼女の警戒した相手ではなくエステルとヨシュアの新人コンビである。
「あれ、ロイドくんたちじゃない」
「やぁ、久しぶりだね」
 二人は朗らかに挨拶してくるが、四人は少しぎこちない。それはある時セルゲイからもたらされた情報による。
 二人は以前リベール王国で起こった導力停止現象事件の解決に関わった遊撃士なのである。
 国家規模の事件を解決した優秀な遊撃士、しかもロイドとエリィとは同い年だ。自然と知らなかった時とは違う態度をとってしまう。

「これから市外に出るの?」
「あぁ、タングラム門から依頼があってさ」
「警備隊の訓練相手を務めることになってるんです」
 依頼を話すと、エステルは何かを思い出したようにあぁと呟き、ヨシュアも懐かしむように微笑んだ。
「私たちもやったことあるよー、それっ」
「といってもリベールの軍人相手だけどね」
「なかなか楽しいのよねっ」
 そう言って得物である棒を振る動作をするエステル。どうやら叩きのめしたようである。
「警備隊は精鋭揃いだと聞く。互いに実のある任務だと思うよ」
「あぁ、全力を尽くさせてもらうよ」
 ヨシュアの言葉にロイドは頷く。するとランディはエステルのそれを見て言った。

「エステルちゃん、今度俺と模擬戦しないかい? 俺も長物使ってるからよ」
「もっちろん! 私もランディさんのハルバードとはやってみたかったんだっ!」
 笑うエステルにランディは笑い返し、ロイドの肩を叩いた。
「ロイドも相手してもらえ。そっちのヨシュアは双剣使いだ、何かの参考にはなるだろうよ」
「え……まぁ、時間が合ったら相手してほしいけどさ」
「はは、僕でよかったら相手するよ、ロイド」
 良かったらも何もこれ以上の相手は早々いないはずだ。逆に遊撃士の二人の訓練にならない可能性が高い。
 口約束だが二人は約束を破らないタイプに見える。その時は胸を借りる思いで臨もう。
 そしてもっと訓練しようとロイドは誓った。
 二人はこれから一度家に戻るという。彼らの部屋はギルドの隣のアカシア荘であった。






 タングラム門はカルバード共和国との国境に位置する。ここを越えると広大な台地が広がるアルタイル市を踏むことになる。
 造りはほぼベルガード門と同じで、ただそれとは左右非対称に作られているようだ。
 警備中の隊員と挨拶を交わし、早々に副司令官室を目指す。
 中に入ると流石の貫禄で部屋の主が出迎えた。その脇にはノエル・シーカーが控えている。
「お疲れ様、今日はわざわざごめんなさいね」
「いえ、こちらとしても訓練はありがたいですし、副司令の依頼ですから」
「ふふ、にしては後回しにされた感があるけれど」
 詰まるロイドにソーニャは微笑み、まずはと移動を促した。向かう先は警備隊の訓練場である。
 訓練場とは言っても室内にそのスペースはないし、片面は共和国の領域だ。結果的にタングラム門の訓練場とは装甲車を停める格納庫付近にしかないのである。

「総員、整列!」
 ノエルの掛け声がかかり、警備隊の新人四人と特務支援課の四人が対峙する。
 スタンハルバードを持つ近接装備とライフルを持つ遠隔装備の隊員が二人ずつという構成だ。
 訓練の趣旨の説明時彼らは新人らしく小声で何か反応していたがノエルとソーニャに叱責されて気を引き締める。
 どうやらランディ・オルランドは名が知れ渡っているらしく、彼らはランディをしきりに気にしていた。
 礼の後、彼らはハの字状に展開する。基本的な陣形である。
 支援課も同様に展開し、構えた。

「始めっ!」
 ハルバードの隊員とロイド・ランディが同時に動き、互いに鍔迫り合う。
 ランディは同じ得物であるが、ロイドはトンファーであるためリーチでは負けている。その代わりの機動力で攻める考えだ。

 警備隊が使用する導力ライフルは強力であるため、まずは撃たせないことが重要である。
 ランディは相手をうまく射線上に誘導しながら狙いを定まらせず、ロイド側の相手は後方のエリィが連射重視の射撃でライフルの精度を下げていた。
 結果的に二人を引き取ったランディによって空いたティオはアーツの詠唱に入る。
 それに気づいた一人がランディからティオに狙いを代えると、瞬間ランディは相手取っていた隊員を吹き飛ばした。
 吹き飛ばされたハルバード使いはそのまま射撃主に当たり、そのままランディを見つめて顔を空に向ける。

 既に跳びかかっていたランディはCPを起動、スタンハルバードは振動し、それを二人目掛けて振り下ろす。
 咄嗟に隊員もハルバードで防いだもののその振動は二人同時に身体の自由を奪っていく。
 振動が収まると同時にランディは退き、ティオの射線上には折り重なった二人の隊員のみがいる。
 七曜の力で形成された水が回転を伴い一直線に飛んでいく。
 水弾は痺れの取れない隊員に直撃し、ノエルはその時点で二人の戦闘不能を判断した。

 一方ロイドは大振りなハルバードを片手で防ぎいなし、体勢の崩れたところにコンパクトな振りでじわじわとダメージを与えていた。
 そのうち堪えきれなくなったのか、今までで最大の振りで仕留めようとし、逆に一気に距離を詰めたロイドはその手からハルバードを落とさせた。

 ライフル使いの隊員はエリィが常に足元を狙うために満足な姿勢で引き金を引けずにいる。
 彼は止まることを許されず、重いライフルを構えながらとび跳ね続けた結果既に息が切れている。
 エリィはそんな隊員に対し、更に左腰のホルスターからもう一挺の銃を取り出した。
 隊員の血の気が引き、エリィは容赦なく相手を沈黙させた。

「そこまでっ!」
 ノエルの声が響く。
 そこには苦渋に満ちた顔の警備隊員四人と、ホッとしたような特務支援課の四人がいた。
「ふむ、まぁまぁね」
 ソーニャが呟くが、何を指しているのかはわからない。そのままノエルを見やり、評した。
「まだ扱きが甘いようね、曹長」
「は、申し訳ありません!」
「まだ鼻っ柱を折っていなかったなんて、彼らが図太いのか訓練が甘いのか、どちらにしろ見通しが甘いわよ」
「返す言葉もありません!」
「罰として、次は貴女も加わりなさい」
「イエス、マム!」
 一連のやり取りが聞こえた支援課は予想外の事態に動揺を隠せない。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。まだあるんですか?」
「あら、一度だけなんて言ってないわよ?」
 涼しい顔で言ってのけるソーニャ、尚も口を開こうとしたロイドの肩をランディは掴んで止めた。
「よせ、前に言ったろうが、副司令はそういう人だって。それにヨシュアにだって言われただろ?」
「あ……」
 ここに来る前に言われた言葉、それを思い出したロイドは三人を見やり、所定の位置についた。

「よろしい、ノエル」
「はっ!」
 それを見たソーニャは僅かに微笑み、ノエルは新人四人の中心に位置取った後自らの得物を構えた。
「ダブルマシンガン、なるほどな……」
「よろしくお願いします、皆さん――――総員、戦闘配備ッ!」
「い、イエスマム!」
 ノエルの掛け声に隊員は立ち上がって再び武器を構える。
 彼らの瞳には再び意志が見て取れた。
 そこにあるのはノエルに対する絶対の信頼、ノエル・シーカーという存在が彼らに活力を与えている。
 ロイドはそれに負けないよう声を張り上げた。
「先のダメージはないと思え、行くぞっ!」
 それに応える声を聴きながら、ロイドはノエルに意を注ぐ。
 ピンクブラウンの髪と凛々しい顔つき、黒を基調とした警備隊の制服はそこに確かな覚悟を纏わせて警備隊員ノエル・シーカーを形作る。
 両手に持つのは30リジュほどの短機関銃、連射速度は折り紙つきだ。
 曹長の位と副司令の補佐を任される彼女の力、それを確かめ、乗り越えるためにロイドは一層の集中を身に宿した。

「始めっ!」
「ハルバード部隊は二人一組で後方部隊を狙えっ! 突撃銃は先輩、私は指揮官を抑えるっ!」
「エリィとティオは曹長、ランディは遊撃を頼むっ!」
 互いのリーダーが指示を飛ばし、それぞれが行動を開始する。
 警備隊員は二人一組でそれぞれ指示された相手を狙った。
 エリィとティオはノエルに照準を合わせたが、二人がかりで飛び込んでくる隊員を見て変更を余儀なくされる。

 ランディはハルバードの一人を抑えたが、背後を取ろうとするライフル組に気を取られて攻めきれない。
 ランディを避わした隊員はまずエリィに攻撃を仕掛ける。上段からの振り下ろしをエリィは後方に跳んで避け、銃口を向けた。
 しかし隊員は無理に攻めようとはせずに、しかし隙があれば即座に攻められる距離を維持していた。
 ティオはハルバードの襲撃を回避した後、三対一の状況のランディを援護すべくライフル持ちを狙って魔力弾を撃つ。
 それに気づいた隊員は避け、ランディを諦めてティオに狙いを定めた。

 初期の戦闘配置では警備隊が勝利、しかし結果は最後までわからない。ロイドはノエルの一挙手一投足に全神経を集中させていた。
 ノエルの右手が動く。瞬間ロイドは加速し、右手のトンファーを振るった。
 左手の銃で受け止めたノエルは、右手の銃をロイドではなく平行に撃つ。

「なっ!」
 その先にいるのはランディだ。流石に気づいて避けたものの、ハルバードとライフルに囲まれたまま抜け出せなくなる。
「くっ」
 右手を戻し左手を振るう。
 ノエルはスウェーバックで避け、そのまま倒れこんで姿勢を下げ地に手を突き、地面からの回し蹴りを見舞う。
 寸でのところで跳んで避けたロイドに今度こそ銃口が向けられ、レーザーサイトが腹部を捉えた瞬間、高速の射撃音が響き渡る。
「―――ッ!」
 空中での回避運動は不可能だ、ロイドはそれを腹に受けて空気を吐き出す。訓練用の弾丸でなければ致命の一撃である。
 そのまま背中から落ちればそれこそ終わりだが、生憎ロイドはすぐに終わるつもりはない。
 なんとか両足で残り地を蹴って距離を開き、腹部の痛みを堪えながら構えた。

 ノエルは一瞬動きを止めていたが、ロイドが構えると同時に疾駆する。
 その間に銃を撃つことをしなかったのは、期せずしてロイドの背後にエリィと対峙している隊員がいたからに他ならない。
 ロイドは速度を纏って迫るノエルに、しかし攻撃はできずに受けの姿勢で臨む。
 銃による打撃はライフルではない小型のものだからこそできる芸当である。ノエルはそれをコンパクトに打ち込んでくる。
 トンファーでなんとか防げるもののその間隙を狙って攻撃することはできない。
 ハルバードであるならば付け込む隙はあるのだが今回のノエルはハルバードを所持していなかった。

 ボクシングのような突きが刺さる。それでもなんとか頭を捻りトンファーで防ぎ、凌ぎ続ける。
「――」
 埒が明かないと見たのかノエルは距離を取り、銃口を向けた。
 ロイドは横っ飛びを敢行し、その一瞬後元いた場所に連射が突き刺さる。体勢を整えるが腹が痛み、苦痛に顔を歪めて思わず患部を見た。

 しかしその僅かな乱れはノエルの速度の前では致命的である。
 しまったと思う間もなくロイドの眼前にはノエルの姿があり、膝立ちだったロイドは逃げることもできない。
「し―――」
 咄嗟に動いたのは利き手である右、しかしノエルの打撃を浴びたのは左手で、そのままトンファーは弾き飛ばされた。
 防ぐ為に前に出した残りのトンファーはしかしいつの間にか銃を放していた左手に捕まれ退けられる。
 露わになったロイドの顔に左の銃が突きつけられた。白の宝石が弾みで揺れる。
































 “――――どうして、ですか……っ”

































「え?」
「―――惜しかったですね」
 ノエルは言い、そして銃を除けてそのままロイドを引っ張って立ち上がらせた。
 困惑するロイドだがすぐに気づく。いつの間にかノエルの背後にはエリィがいる。
 そしてその向こうからやってきたのはランディとティオだった。
「なんとか一人、と思ったんですが……間に合いませんでしたか」
 ノエルはそう言い残して伸びている警備隊員を回って活を入れる。そのまま最初の位置にまで戻り、支援課が止まっているのを見て不思議そうな顔をした。
「皆さん、どうしたんですか?」
 四人は顔を見合わせて、ゆっくりとその向かいに戻った。






 副司令室に戻ってソーニャと話した後、ノエルに送られて四人は導力バスを待っている。
 その折に神狼ツァイトについてノエルに話すと、休日に見に行きたいということだった。彼女の中ではこの話は公私混同にはならないようである。

 導力バスはすぐに来て、四人はノエルと再会の約束をしてバスに乗り込んだ。
「………………」
 ロイドは沈黙し、無意識なのか腹部に手を添えている。
「ロイドさん、大丈夫ですか?」
 ティオが声をかけるが生返事しか返ってこない。ランディは言った。
「ノエルに負けたのがショックなんだろうよ」
「でもノエルさんは負けを認めていましたよ?」
「俺たちが勝ったのはチームとしての話だ。指揮官として勝利に導けなかったんだからそりゃノエルは負けを認める。だがあいつ本人はロイドを圧倒していたからな。初期配置でも先手を取られ、直接対決でも圧倒され、でも勝った。つまりは仲間の俺たちの差で勝ったと、そういうことだ」

 確かにロイドは負けた。そのことにショックを覚えているのも確かである。
 しかしランディの言うように、仲間の力で勝ったことが落ち込む理由になるかといえばそうではない。
 一人じゃないという自覚のあるロイドにとって仲間のおかげで勝ったというのは誇れることであって、更に仲間の足を引っ張らないようにと精進の意識を高める材料にもなる。
 だから今、ロイドが呆けているのは別の理由なのである。

 ロイドの目に焼きついたのは銃を向けるノエル・シーカー。
 その顔、その姿を前にも見たような気がする。
 これこそデジャビュに他ならないが、それでも、あの時のノエルの悲しみと激情に満ちた表情が頭から離れない。
 妄想だと断じても、それを奥底で否定し続ける自分がいた。

 バスに揺られ、ロイドは揺れる。
 しかしその思考が長続きすることはない。
 後の彼にとって大きな意味合いを持つことになる依頼が彼を待っているのだから。



 初出:2月16日




[31007] 3-3
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/02/19 17:54



 黒の世界に火が灯る。中心にいるのは紫銀の姫。祈るように膝を着き、ただ機を待つ。
 顔を上げ、跳ぶ。最初は小さく、しかし次第に大きく。ドレスが揺れる様は蝶のよう。
 ただ天を目指したそれは、そこに前進の意志を編む。
 円を描くように跳ね、願いを込めるように舞う。

 しかしそれも限界、これ以上の演舞は不可能だ。それは唯一の理、演者は二人でこそこの舞は完成する。
 故に今、唯一の存在である彼女はその動きを止めた。
「――ふぅ」
 小さく息を吐く。その瞬間に姫は消え、そこにはあるがままの少女が存在していた。

 まだ自分に自信がなく、また納得もしていない少女は再び一人きりの世界に赴き、しかしその一歩のみで止められる。
「あ――」
 手を叩く音に振り向くと、そこにはもう一人の姫。
「随分頑張っているじゃない、リーシャ」
「イリアさん」
 いや、イリア・プラティエがそこにいた。
 金髪碧眼の美女、彼女こそクロスベルの誇る劇団アルカンシェルのトップスター、代役の利かない花形である。

「でもここまで、もうやめときなさい」
「いえ、大丈夫です。私はまだ――」
 言の葉は終わりまで紡げず、疲労によって少女は膝を着いた。それをイリアは当然とばかりに見つめている。
「今日はおしまい。そうじゃないとあたしが上がれないじゃないの」
 あくまで自分のため、そう言ってしまえば少女に選択権はない。
 当然の帰結というべきか、少女は苦笑し舞台を下りる。
 次の舞台は日の出の先。それまでは少女は姫ではなく、リーシャ・マオという普通の少女に戻る。
 そんな彼女の背を追ってイリアもまた舞台袖に消えた。

「もう本番まで近いし、体調管理はしっかりなさい」
「わかっています。でも舞台のことを考えるといてもたってもいられなくて……」
「その気持ちは次までとっときなさい。そうすればもっと輝けるわ」
 リーシャはイリアの言葉に頷き、しかし表情に陰を落とした。
「――イリアさん、やっぱり相談したほうがいいと思うんです」
 本題を抜いたその言葉にイリアは間髪要れずに応える。
「いいわよ別に。どうせ悪戯でしょ」
「でも……」

「リーシャ君の言うとおりだよ、イリア君」
 低い声が前方から響き、二人は顔を向ける。
 劇団長である年配の男性はリーシャの意見に賛成のようでイリアを説得しようと続けた。
「万が一のことがあったら大変だ。遊撃士がダメなら警察にだって相談を……」
「一緒よ一緒、どっちにしろ公演前に部外者が来るんじゃない」
「でもイリアさん、そうでもしないと私、気が気じゃなくて……」
 ますます沈み込むリーシャにイリアは頭を掻き、仕方がないという風に投げやりに応えた。
「ま、リーシャのためってことなら我慢しますか」
「イリアさんっ」
「ありがとうイリア君!」
 ようやく望みの言葉がもらえたのか感極まる二人、だがイリア・プラティエが素直に引き下がるわけがない。

 指をまごつかせながらゆっくりとリーシャに近づくイリア。
「じゃあ報酬としてリーシャのけしからん胸もみもみ権を頂きましょうっ」
「あーん、助けてお母さーん……っ」
 背後から抱きすくめるイリアと、それに泣き言を言うリーシャ。
 いつものスキンシップなので見守るアバン劇団長も微笑ましいといった感じだ。
「ん?」
 その時備え付けの導力通信が鳴る。劇団長が対応すると、彼はすぐにイリアを呼んだ。
 イリアはリーシャへのちょっかいをやめて受話器を持つ。
 すると彼女の友人だったらしく、静かに親しげな会話を始める。

 リーシャはそれを眺めながら翌日しかるべきところに相談することを決めた。
 ふと脳裏に浮かぶのは二人の遊撃士。
 しかし彼女はその映像を遮断し、かねてより気にかけていた場所に持ちかけることにした。

 劇団アルカンシェルの新作公開まで一週間、それは劇団にとっても、リーシャにとっても密度の濃いものとなる。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 タングラム門から戻ってきた特務支援課、さて本日の依頼は終了したのでどこかで昼食をと話し始めたところでロイドのエニグマに通信が入ってきた。特務支援課オペレーターのフラン・シーカーである。
 立て続けのシーカー姉妹だなといい加減な感想を抱きながら繋ぐと、どうやら特務支援課ご指名の依頼が入ったそうである。
 現在地を報告すると、依頼者は分室ビルに向かったそうなので戻ってほしいということだった。
 昼食はお預け、とにかくもビルに戻ることにする。
 ギルドの前を通ったときエステルとヨシュアとの訓練のことを思い出したが、今日は無理かもしれなかった。

 分室ビルに戻ると玄関前にツァイトはいなかった。
 西通りの出口か、はたまた屋上か。依頼者が既についているなら、彼はおそらくその場にはいないだろう。
 普通の大きさでない彼は好んで人に近づこうとしない。それでも子どもに好かれているのはやはり子が純真であるからだろう。

 扉を開け中に入るとすぐに待合用のソファーが見え、そこに所在無げにちょこんと座っている少女が見えた。
「あ――」
 それは果たしてどちらの声だったのか、同時に驚きを見せたロイドと少女。
 ロイドは気を取り直して依頼者であろう少女に話しかけた。
「すみません、お待たせしました。特務支援課捜査官ロイド・バニングスです」
「あ、すみません突然。えと、リーシャ・マオって言います」
 自己紹介をしてリーシャはお辞儀をした。
 瞬間、四人に電撃が走る。
 ロイドは沈黙し、エリィは驚きに目を剥く。ランディは呆れともつかない表情でそれを見つめ、
 トランジスタグラマーです……
 ティオが内心で四人の総意を呟いた。
「あの……?」
 リーシャは固まった四人に訝しがるが、彼らは慌てて取り繕い、改めて話を聞いた。


 リーシャの相談、それは所謂脅迫状であった。
 イリア・プラティエ宛に送られてきた手紙、その内容が新作公演の中止を要求するものだったのである。
「――しかしイリアさんに脅迫状たぁとんだ野郎だな」
 ランディは憤っている。彼は自室にイリアのポスターを貼るほどのファンなのだ。
 始めこそイリア・プラティエ絡みの依頼を準主役である大型新人リーシャ・マオが持ってきたと興奮していたが、流石にこの案件で喜色を表すほど無神経な性格ではない。
「いえ、脅迫状のようなものは結構来るんです。でも今回のはなんだか違う気がして……」
「脅迫状の現物はあるんですか?」
「それがイリアさんが持ってて……すみません」
 申し訳なさそうなリーシャに配慮の言葉を言いつつ、ならば方針は決まったようなものである。
「そうですね、まずはその脅迫状を見ないと始まりませんし、これからそちらに伺ってもよろしいでしょうか?」
「も、もちろんですっ、よろしくお願いします」
 正式に依頼受諾の言葉をもらい、リーシャは立ち上がってお辞儀をする。
 その動きに合わせて動く女性らしさに四人は目を奪われた。

「あの、ちなみにどうしてうちに相談を?」
 エリィが全員の疑問を代表して尋ねる。するとリーシャは何の意図もなく言ってのけた。
「新作の公開が控えていますからあまり騒動にはしたくないんです。遊撃士の方は有名ですし、警察の方もイリアさんの機嫌を損ねてしまいそうで。その点皆さんは安全かと思って」
「…………」
 相談してよかった、と晴れやかな表情を浮かべるリーシャに喜んでいいのかわからない特務支援課。
 そしてそれをリーシャの隣で眺めるツァイト。

「ってツァイト、いつからそこにいたっ!?」
「自然過ぎて気づかなかったわ……」
「あはは、ツァイト君って言うんですか? 何故か懐かれてしまって」
 リーシャは苦笑いしながらもツァイトを見やる。どうやら恐怖や嫌悪などは感じていないようだ。
 ちなみにツァイトは話の途中で階段からやってきて、ティオは当然の如くそれに気づいていた。
 ツァイトは話しかけるように二、三唸る。
「……お前たちなりにやっていくことだ、手に負えないならば力になってやる。だそうです」
「あ、あぁ……」
「賢い犬なんですねぇ」
 リーシャはツァイトに感心したようだが、普通に考えればツァイトの言葉がわかるティオに関心が向くものではないだろうか。
 僅かな時間だが三人はリーシャを天然だと判断し、ティオは彼女の言葉に狼だと訂正を入れていた。

 そして一同は、劇団アルカンシェルとコンタクトを取ることになる。




 リーシャを先頭に劇場に入ると前回と同じく初老の男性がやってくるが、彼は事情を知っているのか歓迎してくれた。
 リーシャ曰く、彼がこの劇場の支配人らしい。

 促され装飾豊かな赤い扉を潜ると、そこには一つの太陽があった。
「あ……」
 薄暗い客席に人はいない、しかし舞台には姫がいる。
 スポットライトの中で縦横無尽に舞い踊る金の太陽、その美しさに全身が硬直した。
 視界以外の感覚が途切れ、ただただ見つめる。その圧倒的な存在感は正しくイリア・プラティエである。
 流れる曲に合わせているのではない、彼女に曲が合わせているのだと実感させる。
 およそ場内の全てを掌握する者がそこにいた。

「あら?」
 イリアは動きを止め、曲も止まった。
 その視線の先でやっと動くことのできた特務支援課はリーシャに引き連れられてゆっくりと階段を下る。
 舞台前にまで到達すると、イリアはそこに舞い降りた。
「リーシャ、ってことは――」
「はい、特務支援課の方々です」
「ふーん」
 イリアはじろじろと四人を見回す。その様子は今まで舞台で踊っていた人物と同じには見えなかった。
「あ、あの……」
「大丈夫? この子ら」
「もちろんッス! 必ずや解決してみせますよっ!」
 ランディは気合を込めて宣言するが、イリアはどこ吹く風だ。
「ま、これでリーシャが納得するんならいいけどさ。練習の邪魔はしないでよ?」
 イリアはあまり興味がないようだ。リーシャの苦笑の理由がよくわかる。

 とにかく依頼を受けた以上ことを進めなくてはならない。
「初めまして、特務支援課捜査官ロイド・バニングスです」
「同じく、エリィ・マクダエルです」
「ランディ・オルランドっす!」
「ティオ・プラトーです。あ、あの、すごかったです……」
 どうやらティオはイリアの演技に感激したらしく、珍しく感情を露わにしていた。
 イリアは素っ気無くありがとうと言うが、改めて言葉の内容を吟味したのだろう、不意にロイドに顔を近づけた。
「今ロイドって言った? ロイド・バニングス?」
「は、はい……」
 突然の奇行にロイドは動揺するも、ロイド・バニングスかと問われては頷くしかない。

 するとイリアはいきなり表情を綻ばせて抱きついた。
「なーんだそうならそうと言ってくれればいいのにー!」
「なっ!」
「うぉっ!」
「あ……」
「へ?」
「えぇーーーーー!?」
 リーシャ含め五人は五通りのリアクションをする。
 その間もイリアは気にせずに自身の欲望に忠実だ。
「まさかこんなところで噂の弟君と会えるなんてねー。リーシャ、グッジョブ!」
 さわさわとロイドの身体に手を這わせながらイリアはリーシャにサムズアップする。しかし当の本人は驚愕で反応できない。

 いち早く再起動したエリィが慌てて、しかしある言葉に気づいて場を収束させた。
「ちょ、ちょっと――って、弟君、ですか……?」
「そーよ、セシルの弟君でしょ?」
「セシル姉? 知り合いなんですか?」
 ようやっと口を開けたロイドから離れたイリアは腰に手を当てて胸を張った。特に意味のある行動ではない。
「日曜学校からの親友よ。昨日も連絡あったしね」
 イリアはクロスベル出身なので当然日曜学校にも通っていたわけだが、今のイリアはクロスベルのトップスター。
 得てして自分たちとはかけ離れた存在が馴染みの場所に通っていたという事実には気づきにくいものである。
 そしてイリアの年齢を考えればセシル・ノイエスと知り合いでも不思議ではないのだ。

「――で、脅迫状だっけ?」
「え、ええ。現物を見せていただきたいんですけど……」
「ふふん、弟君の頼みなら聞かないわけにもいかないかっ」
 頼まれたのはロイドたち特務支援課なのだが、そんなことは至極どうでもいいことである。
 イリアとともにアルカンシェルの控え室に向かった。
 控え室は正面玄関からすぐ左手、そのまま進むと舞台袖に出る。客席が二階にある以上仕方のないことだが、しかし侵入も容易そうな場所である。
 ロイドは無意識にその危険性を頭に入れていた。

 化粧台の並んだ控え室にてイリアから件の脅迫状を受け取る。
 外見は普通の便箋、封の解き方は乱雑で性格を想像させた。
 断りを入れ、四人はその文を読んだ。
「……確かに脅迫状ですね」
「公演を中止しなければ炎の舞姫に悲劇が訪れるだろう。具体的なことは書かれていませんね」
「炎の舞姫、つまりはイリアさんですか……」
「そんで……ん?」
 ランディはそこで止まる。具体的なことが要求以外書かれていない不思議だが一般的な脅迫状において、その存在を誇張するように書かれていた、送り主を示す最後の言葉。
「――――銀、だと……?」

 その言葉にリーシャが不安そうに口を開いた。
「今回皆さんに相談したのは、送り主が書かれていたからなんです。今までのそうした脅迫状には送り主なんて書かれていなかったんですけど」
「しかし今回はある。そういうことですね」
「悪戯だと思うんだけどなー」
 自分のことなのに楽観視するイリアをリーシャはたしなめる。
 これでは確かに本人からの相談など来はしないだろう。
「この“銀”に関して心当たりは?」
「一応次の演目が“金の太陽 銀の月”って言うんだけど、それくらいね」
 イリアの言葉に四人は考えを募らせる。
 もしそこから取ったのなら間違いなく悪戯だが、他の何かを示す可能性もある。

「リーシャは何かないか? 例えば恨みを買ってそうな人物とか」
 リーシャは思考し、心当たりを思い出したのか気まずそうに言う。
「あの……ちょっと前にこっぴどく追い返した人がいて」
「あらリーシャ、あんたそんなことやったの?」
 意外という感想を隠しもしないイリアにリーシャはため息を吐いた。もちろんリーシャではなくイリアが行ったことである。
「…………………………あぁ、あのルバーチェの会長だとかいうおっさんね」
 まさかというべきかやはりというべきか。彼らは過去の二つの事件を思い起こしながらそれを脳裏に叩き付けた。

 ルバーチェ商会、クロスベルの暗部である。
 アルカンシェルの外国公演の話を持ち寄ってきたらしいが、イリア曰く自分の身体目当てだったというのでビンタして追い払ったらしい。
 自業自得だが、恨みを抱いていてもおかしくはない。
「全く、なんというかまたまたって感じだな……」
「…………」
 ランディは呆れを通り越してといった感じだが、エリィは思いつめたように俯く。
 流石にここまで話題に上ると滅入る部分もあるのだろう。
「しかし“ルバーチェ”に“銀”か……なんかしっくりはこないな」
 ロイドはその妙な食い合わせに奥歯に物が挟まったような印象を受ける。どうにもルバーチェという感覚はしなかった。

「他には何かない?」
 イリアが問う。ロイドは首を振った。
「うん、これでリーシャも安心ね。その銀とかいうヤツは弟君たちに任せて練習に励みましょっ」
「でもイリアさん、私たちは私たちで気をつけないと。いつその(イン)が来るかわからないんですし」
「え? リーシャ、今なんて?」
 唐突に聞こえたその言葉にロイドはリーシャを見て、彼女は不思議そうに応えた。
「えっと、私たちも気をつけない、と……いつインが来るのかわからないです、し……?」
 意識した言葉でなかったのか不安そうに復唱するリーシャ、その言葉の違和感に四人全員が気づいた。
「リーシャさんはどこの出身ですか? 名前的に共和国だと思うんですけど」
「は、はい。確かに共和国出身です」
「共和国では、この文字は何と読むんですか?」
「あぁ、はい。イン、です。あ、そうですね、皆さんとは読み方が違いますか」
 得心した、という風に手をぽんと叩くリーシャに四人は顔を見合わせた。






 アルカンシェルを出て、四人は脇に寄った。脅迫状はイリアの了承を得て借り受けている。
「ルバーチェ、そして銀ですか……」
「しっくりこなかったのは、送り主の名前だ。確かに共和国を思い起こさせる」
「イン……ただ読み方が違うだけだけど、もしかしたら別のアプローチができるかもしれないわ」
「ま、最有力がルバーチェなのは変わらんけどな」
 脅迫状を眺める。その送り手である銀の正体を暴くことが本件の肝だ。
「公演が中止されることはない。だから俺たちのやることはこの新作が公開されるまでの間に銀の正体を突き止めることだ」
「もう一週間は切っているわね。得られた情報でどこまで進めるか……」
 先行きが不安だというのはいつもどおり。ここで今までならばリーダーであるロイドが方針を決めるのだが、今回も多分に漏れないようだ。

「――情報が少ないなら選択肢は限られてくる。一度ルバーチェと接触する必要があるな」
 つまり虎穴に入らずんば虎児を得ず、である。しかし流石に三人は驚きで目を剥いた。
「おいおい、ちょいと大胆過ぎないか? 一理あるが後にしたほうがいいんじゃね?」
「共和国方面の話かもしれませんし、一度東通りで情報を集めてみるほうが無難では?」
「イリアさん個人ではなくアルカンシェル自体に恨みを持っているという線もあると思うけど……」
 三人の言葉は尤もだ、だからロイドもそれぞれに賛成の意を述べる。
 しかし可能性という点でルバーチェを上回る存在はいないのだ。

 ルバーチェに突撃するという行為には危険に見合うだけのメリットがある。
 脅迫状を受けたイリアが覚えている直接恨みを買いそうな人物にして、現在のクロスベルの裏を牛耳る巨大組織だ。
 仮にルバーチェが犯人だったとしたらその時点で特定は終了し、違うならば最大の懸念事項が払われることになる。
 故にその突撃が成功したならば多大な成果が得られることになるのだ。

「――ただ、この場合で最悪なのはむしろルバーチェが犯人であり、かつ強行に走る場合だ」
 ロイドは言う。
 向かう先はルバーチェの本陣、つまり多くの構成員と幹部がいるだろう。
 そしてその場で戦闘に移行した際逃げ切れる可能性はほぼ零である。
 何を狙っているのかわからないが、もし真実を知った四人を生かしておくことができないほどの規模ならば、特務支援課は全滅を覚悟しなければならない。

 しかしリスクが大きいのはルバーチェも同様だ。
 警察の人間を複数同時に葬った場合の隠蔽などには苦心することになるし、最悪遊撃士協会が動くことになる。
 ルバーチェがクロスベルを仕切るまでに至ったのはそのリスクマネジメントが完璧であったからだ。
 だからこそ強行には走らない、と結論づけることもできるが、先の見えない闇に突っ込む以上最悪の想定はするべきだった。

「だからこれは全員の意見が一致した時だけだ。そして今はその時じゃない。ルバーチェ以外の可能性を探すほうがいいだろう」
 ロイドはそうまとめ、三人を見た。
 微妙な間があった後、四人はまず食べ損ねていた昼食を摂ることにした。
 その後分室ビルで方針を固めることを決め、彼らはアルカンシェルから去っていった。

 次に赴く理由が吉報か凶報か、それは今より二日後に決定する。



 初出:2月19日


 今回の見所は「今なんて言った?」「~~」「その前!」のくだりをやらなかったところです。
 しかし進んでないな。


 とある作品。一話一話が長すぎるので分割して、更に加筆修正したものを再投稿する場合です。
 age更新でいいんですかね? それともsage?
 感想のついでに答えてくださる方はいませんか? いや訂正だけだとsageですけど話数的には増えるわけですし、悩みどころです。



[31007] 3-4
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/02/22 20:54



 東通りでの聞き込みは空振りに終わった。
 それも当然、共和国の流れを汲むこの区域でも、銀というたった一文字で何かを考え付ける者はいなかったのだ。
 あくまで可能性、しかも低いそれであったとはいえ期待がなかったわけでもない。

 初動は完全に失敗、というわけではなく、東通りには困った時のスペシャリスト集団が存在している。
 それは遊撃士協会、つまりは特務支援課の四人は銀について遊撃士に情報を求めたのである。
 もちろん脅迫状の件は伏せ、ただそこから導き出されるものを出してもらう。
 何かあれば儲けもの程度の認識であったそれは、得てして想定外の結果をもたらすこともある。

 ギルドを訪ねるといつものとおり受付にはミシェルがいる。掲示板に貼られているスケジュールによると、レミフェリア公国に出張しているアリオス以外はなんとか話が聞けそうであった。
 とりあえずミシェルに意見を請うと、スプーンやフォークなどの銀製品から宝飾の話に派生してしまって大変な眼にあった。

 次に訪ねるのはエステル・ヨシュアのコンビ。自宅にいるらしく、ギルド隣のアカシア荘に足を向けた。
 階段を上って左手にある部屋、それがブライトコンビの部屋である。ノックをして訪ねると家主は丸テーブルを囲んで椅子に座っていた。
 内装はシンプルな木の原色で、最低限の家具と衣装棚、活けられた花などが飾られている。
「いらっしゃい!」
「こんにちは、どうしたんだい?」
 突然の来訪にも笑顔で応える二人、休憩中らしいのでロイドらは簡潔に要点を述べた。

「銀、ねぇ……」
「ふむ……」
 二人は記憶の中からそれらしい言葉を見つけようと考え出す。
 くるくるとポーズを変えて唸るエステルと、じっと固まって黙考するヨシュア。しかし口を開いたのは同時、また言葉も同時だった。

「――レーヴェ」

「レーヴェ?」
 しかしそれは思わず出た言葉らしく、エステルは苦笑しながら手を振った。
「ううんごめん、関係ないことだとは思うんだけど、私たちにはそのイメージが強くて」
「誰かのお名前ですか?」
「うん、ヨシュアのお兄さん」
「僕たちの、でしょ?」
 ヨシュアが言い直し、エステルは頷いた。
 何でもアッシュブロンドの髪の剣士だったらしい。過去形の言い方に気づいたロイドはそれ以上聞くことをしなかった。
「でも後は幻属性ってイメージくらい……あ、アルカンシェルの次の公演に銀が入ってたかも!?」
「金の太陽 銀の月、だね」
 エステルの言葉に一瞬反応しそうになるもなんとか笑って誤魔化したエリィは、ふと前から疑問に思っていたことを口にした。
「お二人は兄妹なんですか?」
「はい、義理ですけどね」
 確かに彼の人の話題の時にエステルはヨシュアの兄だと言っていた。血が繋がっていないのならば納得である。
「僕たちはクロスベルに来て日が浅いから、もしかしたらアリオスさんやスコットさんが知っているかもしれないね」
「あぁ、元より聞くつもりだよ」
 二人から有力な情報は得られなかったが、代わりに少しだけ打ち解けたような気がする。
 それはそれでいい時間だったと言えた。

 二人に礼を言ってアカシア荘を出る。すると狙ったかのようにギルドに入っていく遊撃士の姿が見えた。
「………………」
「ティオちゃん」
 固まるティオをエリィが呼ぶ。
 そこには何かしらのメッセージが込められていて、ティオはゆっくりと動き出した。


「まさかっ、ティオちゃんのほうから来てくれるなんてっ!?」
「…………はぁ」
 器用にくるくると回転するエオリアを見てティオはげんなりしているが、忙しい遊撃士にせっかく会うことができたのだ。ここで聞き逃すわけにはいかない。
「銀、アルカンシェル?」
「……………」
 エオリアはすぐにその名を出した。流石に有名な劇団である。
 しかしリンのほうは何か難しい顔をしていた。
「リンさん?」
 ロイドは問う。するとリンは静かに息を吐いて、関係ない話だと前置きしてから話し出した。

「――共和国は多種多様な民族の集合体だ。だからその国土にはクロスベルで言う多くの区画がある。その中の一つ、東方人街。お前らが知っているか知らないが、港湾区の黒月の大元だ」
 黒月。ルバーチェ商会が最も警戒している組織である。
 ロイドたちはまだ関わりを持っていないので全貌どころか影すらもわからない。
「その東方人街に百年以上伝えられている話がある。それはある凶手のことだ」
「凶手、ですか?」
「暗殺者さ」
 その物騒極まりない言葉に四人は緊張を隠せない。
 話しているリンも一切の無駄なく淡々と話している。
「不老不死の魔人、人の身では越えられない時間の壁を越えた暗殺者。人々はそれをこう呼んだ」
 もう答えはわかっている。それでも黙って待っていた。

「――――銀」

 沈黙が下りる。
 銀という送り主と、銀と呼ばれる東方人街の魔人。それを別人と断ずる材料はなかった。
「不老不死、、なんて、ありえるのでしょうか……」
 エリィが問う。その答えをリンは持っていない。だから彼女は聞き知ったことを口にすることしかできない。
「遥か昔から姿が変わらない。そこにどんなからくりがあるのか知らないが、少なくとも実在するのは確かだ」
「実在するというソースは?」
「共和国の遊撃士に“不動”のジンと呼ばれるA級遊撃士がいる、私の兄弟子だ。その人に聞いた。そしてジンさんは嘘を吐かない、いや、吐けないと言うべきかな」
 A級遊撃士ジン・ヴァセック。彼は共和国のみならず外国でも活躍する名うての遊撃士であり、過去リベールで起きた導力停止事件でも尽力したと言われている。
 思わずという形で笑ったリンは兄弟子であるその人を思い出しているのだろうが、特務支援課としてはこの銀の情報が有力であることの証明を貰った形である。

「――そう難しい顔をするな。もし本人なら脅迫状なんて書かないよ」
「え?」
「当たり前じゃないか、暗殺者が脅迫状書いてもメリットなんてないだろ? 狙っている相手を警戒させてどうするっていうんだ」
 腰に手を当てて何を考えているんだと言わんばかりのリンに四人は固まる。全くもってそのとおりだった。
 暗殺者がその存在を知らしめてどうするというのだろうか。
 いやそもそも、クロスベル出身のイリア宛に共和国の伝承の凶手を見せびらかしても気づかない可能性のほうが高い。
 今回支援課が共和国方面の可能性を見出したのは、アルカンシェルにリーシャがいたからなのである。

 一気に緊張が抜けた四人だが、リンの再びのため息を聞いて呆ける。
 ひよっこ、と呟かれた。
「黒月がいる現在のクロスベルで銀を騙ることの重大性をお前らは知らない」
 リンは掲示板を眺め、エオリアを連れて扉に向かう。
「黒月に行ってみな、その脅迫状の異端さがわかるだろうよ」
 扉を開くと西日が差してきた、それは今日の調査の終了を知らせる色だった。






 日が明けて翌日、いつものように支援要請を確認する。
 依頼は二つ、ウルスラ病院のラゴー教授からの稀少薬草の回収、もう一つは手配魔獣である。
「ウルスラ病院の件は直接話を聞く必要があるわね」
「魔獣もだがな、結局は東と南にそれぞれ向かう必要があるわけだ」
「……これは先に魔獣ですね」
「どうしてだ、ティオ」
 ロイドの問いにティオは当たり前のように答えた。
「怪我をしても診てもらえますから」




 東クロスベル街道のサベージホーン、どうやら炎熱系の特殊攻撃を備えているらしく冷却シートの用意が奨励されていた。
 東クロスベル街道といえばあのシャイニングポム事件があった道であるが、今回は捜査のタイムリミットがあるので極力回避という話になっている。
 しかし結果としてシャイニングポムは出てこなかった。幸運なのか不運なのかはわからない。

「いたぞ……!」
 ティオの鷹目は範囲を円形に広げるので、こう開けた場所においては肉眼のほうが早い。
 とくに眼が良いランディは反応が早く、誰よりも先に見つけていた。

 サベージホーンは単純に言えば巨大な牛、しかしホーンを冠するとおりの発達した二本角は魔獣と言って相応しい禍々しいものだ。
 凹凸の激しい背中はまるで石が張り付いているかのようである。
 四人は少ない茂みに身を隠しながら少しずつ近づいていく。
 馬力が高いのは見て取れる、故に可能な限り有利な状況に持っていきたかった。あまり小回りが利きそうに見えないことを利用して完全なるバックアタックを敢行する。

 眼で合図を送り、ロイドとランディは同時に飛び出した。
 彼我の距離は4アージュ、サベージホーンが振り向いた時にはその距離を走破している。
「らァッ!」
 事前に話していた戦術どおり、ランディは初撃にクラフトを持っていく。
 ハルバードが唸り、二体の魔獣に衝撃を浴びせる。硬直したサベージホーンの間隙に滑り込んだロイドもアクセルラッシュで打撃を通す。
 遠心力を重ねた一撃は通常の魔獣ならば弾き飛ばすこともできるが、流石にこのレベルの魔獣ともなるとそれは難しい。
 技後硬直という有利な時間を回復にしか当てられなかったサベージホーンは、既に自身の射程距離から離れている二人を見つめて唸りを上げた。

 すると同時、蒼い光と時の刃が二体を襲った。
 蒼い光に囚われた一体は防御耐性を重圧により下げられ、もう一体は物理的感触のない上位属性の剃刀が前足に的中する。それは傷となって残らないものの、確かに痛みを与えていた。
 ティオのアナライザーとエリィのソウルブラーである。
 時属性の下級攻撃魔法ソウルブラー、時の力を持つ黒い刃を放つ魔法であり、あるいは昏倒させる効果をも引き起こす。
 アナライザーによる解析以前に詠唱を始めたエリィは、それ故に相手の魔法耐性を考慮しない上位属性を選択したのである。
「火属性弱点、地属性はオートバリアですっ。鼻からの高温ブレスに注意してください!」
「鼻からぁ!? そりゃ喰らいたくねぇぞっ!」
 ランディは驚き、心底嫌そうな顔をした。その目の前には解析どおりの鼻息荒い魔獣がいる。

「肉が厚すぎる、足を狙うぞ!」
 身体には岩のような皮膚と脂肪があり、打撃での感触はよろしくない。
 故に狙うのは弱点の露出した顔か陸上生物の生命線である足になるが、ティオの言葉通り鼻息には注意する必要がある。つまり選択肢は一つだ。
「俺が惹き付ける、ランディは狙い続けてくれっ! エリィは顔を、ティオは援護頼む!」
「アイサー!」
「えぇ!」
「了解です!」
 指示の伝達と同時、サベージホーンは突っ込んできた。
 牛らしき姿どおりの直進は迫力満点で肝を冷やす。しかしその巨体ゆえにフットワークは利かない。
 二人は横っ飛びで回避し、また方向転換のできない魔獣を後ろから攻撃する。
 太く短い足だが身体を狙うよりはマシだ、ロイドとランディはそれぞれ四本の内の一本に狙いを定める。後ろ足の、そして突進前に土をかいていた左だ。

 ロイドは二打、ランディは大きく一打入れた後、反転からの突進を回避して離れる。
 ロイド・ランディに顔を向けたサベージホーンは、しかしエリィとティオには後ろを向ける。
 既に魔獣は挟み撃ちの状況にいた。
 鼻息を大きく吐き出し、火炎を見せる。チリチリと空気が焦げる音が聞こえて、段々と熱くなる周囲にランディは顔を顰めた。
 そうして魔獣が前衛二人を見つめている間に詠唱は完了し、ティオはその魔法をランディに降らせる。
「クロノドライブ!」
 アナライザーとは逆の方向に走る黒い光を受け、ランディは数度軽く跳躍した。身体が軽い。
「サンクスティオすけ!」
 一撃が重い魔獣のため、その一撃をもらわない処置を行う。
 クロノドライブは時の力、身体に負荷がかかり過ぎないレベルでの感覚バーストを行う魔法である。それを受けたランディの行動速度は一時的に25%の上昇を覚える。

 ぎしりと身体が軋む音を置いていくようにランディはサベージホーンに走った。それを見た二体の魔獣は喧嘩を買うように突進してその角を振り上げる。
 ハルバードを下げたランディは補正のかかった速度に身を任せ、魔獣の体当たりを寸でで横に回避する。
「うらァ!」
 魔獣の正面衝突を買って出たのはスタンハルバード、それは一体の左前足に両者の速度を加味して襲い掛かる。
 裂帛の気合とともにスイングしたハルバードは魔獣の突進力に負けない。
 故にそれが振り切られたという事実は、一体のサベージホーンの足一つを攻略したことに他ならない。ランディの後方ではその一体は跡を残して地面を滑っていた。

 そしてその隣では突進を避けたロイドがトンファーを振るっている。
 角の歪曲は間合いを取りづらく、回避に失敗しては服を切り裂かれた。
 それでもロイドは致命打を浴びない。ロイドに襲い掛かるたびにその顔面に銃撃が放たれるからだ。

 作戦を半ば無視したランディとはうって変わり事前の作戦通りに連携して狩っていくロイドとエリィ、それはアルカンシェルとは錬度も種類も異なるが演舞のようだった。

 CPを消費してエリィが3点バーストを放ち、その角に皹を入れる。
 間髪入れずにロイドが一閃、角を砕き切った。
 本来ならば角に神経などは入っていない。しかしサベージホーンの角はその唯一つの例外だった。
 折れた途端に平衡感覚を失い絶叫するサベージホーン、少し可愛そうな気もしたが相手は魔獣、人に危害を加える要素をなくすために、ロイドはトンファーを振り下ろした。




 導力バスを乗り継いで今度は聖ウルスラ医科大学へと足を運んだ。
 今回はセシルにお願いする必要はない。少しがっかりな気分を抱いているのがロイドだけではないというのが、彼らにとってのセシル・ノイエスの印象を想像させる。

 一階ロビーから更に奥にはそれぞれの専門に分けた診断室があり、また集中治療室があった。その手前にはエレベーターがある。左手に見えるのが今回の依頼者であるラゴー教授の診断室だ。
 頭の寂しいラゴー教授に話を聞くと、どうやら回収すべき稀少薬草は自然からの採取ではなく七耀教会のエラルダ大司教から受け取ってくればいいらしい。
 自分で行けばという疑問もあったが単純に忙しいそうである。単純に、とは見えなかったがとにかくも依頼であるので了承する。

 今回はただのお遣いである。病院と市を結ぶバスは運行数が多く、ほとんど待たずに乗ることができた。
 区画を跨いで住宅街に進み、クロスベル大聖堂を目指す。
 ロイドは単身大聖堂傍の墓地に赴いたことはあるがこうして仲間と仕事として行くのは始めてである。幸いミサ中ということもなく、重々しい扉を潜って聖堂に足を踏み入れた。

 静謐な空気は室温を心なしか低く感じさせる。冷たい感覚が身体を清めていくような気さえするが、入ってすぐに目に入る巨大なステンドグラスからは暖かな光が差し込んでいて、正しく空の女神の恩恵を受けている印象を与えてくれる。
 木製の長椅子の連なりを切り裂いて辿り着くのは聖卓で、エラルダ大司教はいつものようにそこに立っていた。
 その厳格さ故に子どもから疎まれることもあるが、教会の誰よりも七耀の教えを信奉している人物だろう。

 四人は事情を話し薬草の提供を頼む。しかしラゴー教授の名前が出るや否や、エラルダは無愛想な顔を更に硬化させた。
「確かに手紙が届いていたが、知らんな」
「え? し、知らないとは……」
「私が手紙を読んでいないからだ」
 エラルダの言葉と態度、そこにラゴーの不可解さを合わせると答えが導き出される。
 ティオ曰く、めんどくさい関係なのだ。
 しかし依頼達成やその薬草の為す成果を考えればここで引き下がるわけにもいかない。
「エラルダ大司教、ラゴー教授と何があるのかわかりませんが、その薬草によって誰かが救われることになるかもしれません。どうかいただけないでしょうか?」
「何を言っている。やらんとは言っていない」
「は?」
 向かって右側にある扉を抜けると大司教の部屋に着くらしい。その中には司祭の一人がいるから貰え、と言い切りエラルダは沈黙する。
 どうやらもう関わる気がないようだ。

 エラルダの行動に唖然とするが薬草は貰えるようなので、指示通り大司教の部屋へと移る。
 中で書類整理をしていた司祭に頼むとすぐに薬草は手に入った。しかしこのままではアレなので、思い切って大司教とラゴー教授との話を聞いてみることにした。
「ラゴー教授は七耀教会の調薬などを大司教から教わっていた云わば教え子なんだけど、今は袂を別って医療の道にいるからね。大司教も認めていないわけじゃないよ、どちらの道が正しいということもなく、どちらも人を救う道なんだから。それでもやっぱり拭えないものはあるんだろうね」

 なんとも反応しにくい話題であったが、大司教の性格を思い起こさせるエピソードではある。
 しかしティオにとってはめんどくさい関係がよりめんどくさい関係になっただけだった。

 その後ラゴー教授にも話を聞いてみたが、彼のほうも申し訳ない思いはあるようだった。つまりは顔を見せづらいからこその依頼だったのである。
 依頼遂行こそ単純なものだったが、それに関わる人間模様は内容ほど簡単にはいかないようだ。




 さて、確認した支援要請はこれで終了。つまりは午後いっぱいを脅迫状の捜査に使えるということである。
 昨日のリンの助言に従い四人は港湾区の黒月の元を訪ねるつもりだ。
 しかし一度アルカンシェルの様子も見ておきたい。変な噂の流れることを嫌った劇団の配慮が奏功しているかの確認だ。
 それはそれで支援課の知名度に関わることだが、今はアルカンシェルの新作公演が第一である。
 聞き込みをするわけではなく、ただ耳を傾けながら通り過ぎるだけなので港湾区までの少しの散歩のようなものだ。

 ということで彼らは中央広場から裏通り、そして歓楽街へと進む。
 しかし――

「え?」
「ほう……」

 その途中、ルバーチェ商会のNo.2と遭遇することを、四人は予想だにしていなかった。

 ガルシア・ロッシ。ルバーチェ商会営業本部長にして、屈強な肉体を持つ元猟兵である。




 初出:2月22日




[31007] 3-5
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/02/26 18:29



 ルバーチェ商会会長マルコーニは恵まれなかった体格の代わりに頭の回転は常人以上だった。故にその頭脳を使って他人を騙し蹴落とし地位を得ていった。
 彼が会長の位を得たのも前会長に濡れ衣を着せて失墜させたからに他ならない。
 そのような行為を繰り返しているのだから当然恨みも多々持たれている。
 それでも彼が健在なのは帝国派議員とつながりを持つなどといったその知能に衰えがないことに加え、ただ一人の絶対的な部下がいるからだ。

 マルコーニ個人に好感を抱いていなくともその部下は慕われている。
 マルコーニ個人に恨みを持っていてもその部下に潰される。

 マルコーニが信頼を求める者は彼一人でいいのだ。
 圧倒的な戦闘能力、配下を従える統率力、揺るがぬ意志。ルバーチェの物理的行動の全てを取り締まる男の名は、ガルシア・ロッシ。
 茶色のスーツにピンクのネクタイ、オールバックのように全体的に後ろに流された髪と赤い瞳。
 イアン・グリムウッドが熊ひげと称され慕われる存在なら、彼はグリズリーと称されて恐れられる存在だ。

 そのガルシア・ロッシはマルコーニ直々の命で行っていた仕事に区切りをつけ、中間報告のためにルバーチェ本拠地へと戻っていく。
 裏通りを歩き彼の所属に辿り着く道に差し掛かったところで、しかし彼は無視できない存在に気づいた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 天を突く大男とはこのことだろうか。流石にゴーディアンほど大きくはないがそれでも規格外のサイズである。
 その大男はロイドらを見やり、果たして声を出した。
「……なるほどな、お前らが最近俺たちの準備を邪魔した奴らか」
「…………なぜ、そう思われるのですか」
「若造の粋がった目をしてやがる。気にいらねぇな、目的は何だ?」
 裏通りを好き好んで通るものは少ない。多かれ少なかれ裏の事情を知っている者が通る道なのだ。
 そんな通りで警察の紋章を掲げた服を着た人物がルバーチェ商会の付近にいる、などという事実を彼は偶然だとは考えない。

「……いえ、ただ歓楽街にまで足を運ぼうとしただけです」
 本心はどうであれロイドはそう答える。歓楽街への順路に裏通りを選んだことは嘘ではないのだ。
 しかしガルシアはそれを叩き斬った。
「だが、俺たちにも用事がある。そうだな?」
「………………」
「そう固くなるな。俺としても一度てめぇらみたいな蝿に忠告する必要があると思っていたんだ。寄っていけ」
 そう言うなりガルシアはルバーチェのビルへと消えていく。四人は急展開に思わず顔を見合わせた。

「――どうするの」
「俺は行くことを勧める。逆に断るほうにデメリットがあるからな」
 ランディは言う。ここでルバーチェの、おそらく幹部クラスであろう男の招待を拒んだ場合、今までよりもこの場に行くことは難しくなるだろう。
 相手が招待するという外見上下手に出ている今こそが話を聞く一番の好機であることも確かである。
「……危険はないのですか?」
「ない。やつが忠告と言った以上、そこがボーダーラインだ。アレにとってみりゃあ俺たちは蝿なんだからな」
 ティオが聞き、ランディは答えた。ロイドを見る。
「ロイド、どうするよ」
 あくまで最後はリーダーが決めることなのだ。

 三人はロイドを見やり、ロイドは数秒の思考の末行くことを決めた。ランディの言葉が選択の全てだった。


 ルバーチェ商会本社ビルの客間は赤い絨毯が敷き詰められた豪勢なものだった。
 部屋自体が広い上に絵画や高級酒などが周りを飾っていて部外者を萎縮させる。その中心に置かれているテーブルと三脚のソファー、その上座にどっかりと座ったガルシアは背もたれに両腕を載せて足を組んだ。
 長テーブルを挟むような左右両脚にロイドとエリィ、ランディとティオが座っている。
「先ず始めに忠告、と言うほど俺は短気じゃねぇ。用件を言いな」
 しかしその眼光ではその言葉は信用できない。それでも今は客の立場にいる四人は先に用件を言って然るべきなのだろう。
 ロイドは口を開いた。

「先日、アルカンシェルのイリア・プラティエさんとそちらの会長さんが拗れたという話を聞きまして、よろしければその詳細を教えていただければと」
「その件か、別に何もねぇよ。酒の席だ、会長だってもう忘れている」
「では、恨みなどというものもないと?」
「その程度だと言ったろ」
「……アルカンシェルの外国公演について打診したそうですが」
「商売の話だ。俺は芸術だとかは門外漢なんだが、得意先が是非にというので話をさせてもらった」
「――では、アルカンシェルの公演が中止してもそちらに利益はないのですね?」
 エリィが口を挟む。
 それは虚を突いて反応を見るものだったが、ガルシアは妙な反応は示さなかった。単に理解できないという表情である。
「……何の話だか知らんが、うちは公演を打診したんだぜ。逆に止められるのは困る側だ」
 そこでガルシアは目を細めてエリィを睨んだ。
「――脅迫か?」
「………………」

「――これを見ていただけますか」
 エリィは沈黙し、ロイドは懐から脅迫状を差し出す。
 ガルシアはそれを受け取り、文面に目を通す。
「陳腐な文だな…………ん?」
「何か?」
 ガルシアはにやけた顔で脅迫状を眺めていたが、突然口を閉ざした。
 それは何かに気づいた反応だったが、ガルシアは脅迫状を放り投げた。
「いや、ただの悪戯なんじゃねぇか?」
 それからはまるで堪えきれないといった風ににやついている。先の反応の正体を教えるつもりはなさそうだった。

「で、それで終わりか?」
 ガルシアは先を促す。
 しかし彼らとしてもこれ以上の用件はない。ただ、この機にできる限りクロスベルの闇を見てみたかった。
「できればこの件に関して、会長さんに直接お伺いしたいのですが」
「…………」
「そうだな、本人さんに聞けるならそれが一番だしな」
 ランディもそれを感じ取っているのか同調し、そしてガルシアはこれまでの様相を一変させ堪えていたものを解放した。
「ククク……カハハハハハハ――ッ! らァ!!」
 テーブルを蹴り飛ばす。それは地鳴りのような大音を響かせ世界を変異させた。
「――ッ!」
 ティオが思わず目を瞑り、ロイドも目を見開いた。

「――随分と親切じゃねぇかおい。まさか流れをぶった切らずに忠告の機会をくれるなんてよぉ」
 ガルシアはその巨体を裏切らない高圧のプレッシャーを放ってくる。
 ビリビリと空気が痛くなる感覚に耐える四人に、凶暴な熊は自身の用件を告げる。
「てめぇらが会長と面会しようなんて10年早ぇ、ちっとばかし事業を阻んだからって付け上がりやがって――――教えてやるよ、現実ってのを」
 ガルシアはその顔に侮蔑を表し、言葉で以って増強させ四人に叩き付けた。
「てめぇらがどうしようとルバーチェは変わらねぇしクロスベルも変わらねぇ! 腐った街を放り、更に腐らせる上層部! その腐った街に気づかずのうのうと生きる奴ら! クロスベルの現状を造っているのはそいつらに他ならねぇ! ……俺たちはただそれに乗っかっているだけだ、クロスベルというガラクタの、まだ使える部分を使ってやろうって俺たちを相手する前にやることがあるんじゃねぇのか?」
「――ッ!?」
 エリィが声にならない反応を見せ、ロイドも歯を食いしばった。
 ランディはジッとガルシアを見つめ、ティオは哀しそうに目を伏せた。

「帰れ、互いにもう何もねぇだろう」
 それは終幕の言葉。重い腰を上げて、四人は部屋を出ていく。
 そして最後、ランディが扉を潜ろうとした時、ガルシアは思い出したかのように呼び止めた。
「その赤毛、どこかで――」
「おいおい、俺は男にナンパされる趣味なんてねぇぞ?」
「ち、行け」
「おう、言われなくともそうすらぁ」
 扉が閉まり、そこにはガルシア・ロッシただ一人。
「まさかな、警察なんぞに収まるやつらじゃねぇ……」
 呟きは誰でもなく、自身に向けた言葉だった。






 裏通り、ちょうどイメルダの店前まで来たところで四人はようやく足を止めた。
 ランディがほうと息を吐く。
「――やってくれるぜ。おい、お前ら平気か?」
「…………あぁ」
「……です」
「………………」
 三人の生返事にランディはもう一度息を吐いた。声を張り上げる。
「しゃきっとしろ! とにかく安全に情報が得られたんだろうがっ!」
 その大声に自分を取り戻した三人、ロイドはその流れを切らないように口を開いた。
「そうだな、ルバーチェはおそらく白だろう。それより、ガルシアは脅迫状を見て何かに気づいたみたいだけど」
「ルバーチェが犯人じゃないというのはわたしも感じました。そしてあの人が気づいたのはやはり」
「あぁ、銀だろう」
 ルバーチェの幹部ガルシア・ロッシは銀を知っている、つまりはそういうことだ。
 そして彼がどこで銀を知ったのか、それは今のクロスベルの裏の情勢と遊撃士リンの言葉を踏まえれば容易に推察できる。

「――行きましょう、黒月に」
「エリィ?」
 今まで沈黙していたエリィが発言したことで三人は彼女に目を向けた。
 普段からは感じられない感情を湛えた眼がそこにある。
「今ある全ての情報が黒月を示している。もうそこにしか次への階段はないわ」
 三人はそれぞれ何かを言いたかったが、それでも頷いて歩き出す。
 行き先は港湾区、歓楽街での確認など頭から抜け去ってしまっていた。


「あれ、どうしたんだい?」


 そしてそんな彼らに声をかける一人の人物。
 バーから出てきた彼の名はワジ・ヘミスフィアといった。
「ワジ?」
「ワジさん?」
「……未成年がバーで何をしていたの?」
 18歳で成人認定されるゼムリア大陸において、その年齢に達していない彼は飲酒を認められていない。
 それにもかかわらず酒の席であるバーから飄々と出てくるワジ。
「やだなートリニティでだって飲んでるじゃないか、ノンアルコールのカクテルだよ」
 本当かどうかはわからないが、会話が成立しないほどの状態ではないし今は目を瞑ろう。
 彼らは構わず先に進もうとして、しかし引き止められた。

「ルバーチェに行ったんだろう、どうだった?」
 にこやかに話しかけるワジの言葉。今出てきたばかりの彼がどうしてそれを知っているのか、四人は唖然として彼を見た。
「あれ、当たっちゃった? カマかけただけなんだけど」
「く!」
 普段なら、と思うロイドだが、おそらく普段でも彼は引っかかっている。
「最近ルバーチェは慌しいね、僕たちも旧市街で見回りをしているんだよ」
「ルバーチェが?」
「黒月だっけ、小規模だけど密輸ルートをいくつか潰されているらしくてね」
 クロスベルの覇権を握っているルバーチェに勝負を仕掛けている黒月、ワジの言葉は黒月の巨大さを物語っている。
「で、君たちはどこに行くんだい?」
 まるで全てを知っているかのような少年にロイドは何も言わない。
 そんな雰囲気を感じ取ったのか、今度は空気を読んだワジはそのまま反対方向へと消えて行く。
「大きなものに挑むなら、もっと足場を固めないと喰われるよ?」
 そんな置き土産を残して。





 ゆったりした空間に慌しい企業の連なりを持つ港湾区、クロスベル市の北東に位置するこの区画のその北東、ルピナス川を背負って立つ赤い建築物。それが黒月貿易公司である。
 赤い風鈴に黒字で黒月と書かれたこの会社のロゴが風に揺れる中、特務支援課の四人はその堅い扉の前に立った。
 張り紙が一枚、来客はノックとのことである。
 覚悟を決めてノックすると少しの間の後応答があり、警察の事情聴取である旨を告げるとあっさりと招いてくれた。
 狭く赤い階段は二階の部屋への扉と三階への到達点しかない。二階部屋は閉まっており、どうやら三階が開かれた場所のようだ。
 向かって左にも扉はあるが、正面右の扉の傍には構成員が立っている。ここが黒月貿易公司クロスベル支社長の部屋であるようだ。

「ようこそ、黒月貿易公司へ。歓迎しますよ」
 そう言って出迎えたのは紫の髪を正面で分け、眼鏡をかけた理知的な印象を抱かせる男性。東洋風の青い衣装を着ている。
 彼は切れ長の目で四人を見据えた。
「初めまして、特務支援課捜査官のロイド・バニングスです」
「これはどうも、黒月のクロスベル支社を任されていますツァオ・リーと申します。そちらはエリィさん、ティオさん、ランディさんでよろしいですね」
「……よく、ご存知で」
「実はクロスベルタイムズを読みましてね、あなたがたのファンになってしまったのですよ」
 笑みを絶やさずに言ってのけるツァオ。その人当たりの良さには裏の顔が丸見えで、それが故に侮れない。
 細身ながら締まった体つきは武術も嗜んでいそうだがそれ以上にその頭脳が武器のようだ。
 入ってすぐの左手には対談用のソファーがある。促され、ロイドとエリィが座った。

「すみません、何分大人数での来客は少ないもので。四人が座れるものがあればよかったのですが」
「いえ、お気になさらず。本題とは関係のないことですから」
 相手のペースに流されないよう努めるロイドの言動は固い。
 それは本人も自覚しており、当然ツァオも気づいていた。ツァオは膝の上で手を組み、前に乗り出すようにして尋ねる。
「それで、当社にどういう用件でしょうか。何か商法に反することでもありましたか?」
「いえ、単純な質問です。黒月貿易公司は東方人街に本拠を置いているそうですが」
「えぇ、そのとおりです」
 ツァオはあくまでにこやかに。
「では、銀という名前に心当たりは?」
「銀、ですか。東方人街の都市伝説にある凶手の名前ですねぇ」
 顎に手を添え、思い出すように口にする。白々しい演技だった。
「その銀の名前で、ルバーチェ商会に脅迫状が送られたそうで」
 ロイドは偽りの情報を口にした。
 黒月とルバーチェが抗争している現在、仮に銀がクロスベルにいるのならばその雇い主は黒月に他ならない。
 話さないであろう情報を何とか搾り出そうという苦肉の策だった。

「――時にロイドさん」
 しかし、ツァオ・リーには通じない。
「ルバーチェ商会が銀と何度も交戦していることはご存知ですか?」
「え」
 唐突の切り返しにロイドは対応できず、歪に嗤うツァオの言葉を止められない。
「銀はお金次第で誰にでも雇える符術と体術を扱う究極の武闘家です。狙った獲物は必ず仕留め、その正体は誰にもわからない」
 懇意にしている組織はあるそうですが、と。淡々と、取るに足らない些事のように口を動かす。
「その銀ですが、最近東方人街を離れてどこかの自治州に行ったそうですよ。その組織内の新しい契約主に従って」
「あなたは……」
 エリィが怒りに震えながら声を出し、ツァオは哂った。

「あぁそうそう。アルカンシェルの脅迫状についてでしたか」
「な!?」
 一度も口にしていない名称が突然ツァオから発され、今度こそ全員が息を呑んだ。
 ツァオはそれに満足したようで、聞きたかった言葉を期待通りに口にした。
「我々は脅迫状などという手法は使いませんよ…………犯罪ですから」
「てめぇ……」
「ルバーチェ商会とも自治州法に触れない程度の正しい商戦を繰り広げていますし、もし本当に銀殿が脅迫状を送ったなら、それは銀殿個人の問題ですね」
 いきり立つランディに構わずツァオは続け、そして一人舞台を終えた。
「さて、他に質問はありますか?」
 彼らは何も言えない。望みの情報は得られたにも関わらず、それでもそこには歴然とした壁に対する敗北感があった。

 ここで何か言っても負け惜しみにしかならない。ならばと最後の抵抗で礼しか言わずに席を立つロイドとエリィ。
 そして四人が退室しようとツァオに背を向けた時、彼は止めの一撃を見舞った。
「さっきも言いましたが私はあなたがたのファンですので期待しているんですよ」


「――このクロスベルで、どこまで足掻いてくれるのかをね」



 初出:2月26日


 いつかどこかでダッシュ「―」は三つ続きだよ、みたいなことを言われ、しかしそんなことはなかった……後で直さないといけません。
 なんか投稿する気にならなかったので一日遅れでした。



[31007] 3-6
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/02/29 22:19



 複数のディスプレイを眺めながらキーボードを叩く。その指使いは淀みなく、瞬く間に切り替わる画面をしかし瞬時に把握しては吟味する。
 それはクロスベル自治州の範囲を超え、外国の趨勢にすら到達する。ただそれはクロスベル内で把握されている情報だ、つまりは今それを閲覧している彼以外に知っている人物がいることを表す。
 しかしそれは関係がない。彼が欲するのは依頼された情報、必要な情報を必要な場所に送ることこそが重要なのだ。
 導力ネットワーク計画により生じる新たな犯罪、ハッキング。その巧者がここにいる。
 今日はそこまで彼を興奮させる情報はなかったらしい。故に彼は予てから計画していたものを実行しようかと悩んでいた。
 IBCへのハッキングか、それとも子猫(キティ)の捜索か。
 しかしここで一通のメールが届く。彼が不法占拠している端末に送られてきたことから十中八九依頼であろう。
 彼はどんな内容かとメールを開き、そして嗤った。何とも楽しそうな依頼に喜悦が零れた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 黒月の支配下から出た四人は、しかし黒月に囚われたままだった。
 ツァオ・リーの言葉は心の奥底に巣食い平穏をかき乱す。そのような状態で四人は今までのまとめを強いられていた。
「……黒月と銀は契約している、それは間違いなさそうだな」
「しかし黒月は脅迫とは関わっていない、ですか」
 両組織の関係を考えればルバーチェの打診した海外公演を阻害する為に黒月が脅迫したという可能性は確かにある。
 しかしツァオはその行為こそ否定しなかったもののその手段には苦言を呈していた。
 更に銀という名前を出すことは彼らのように黒月に辿り着くための足跡を残しているようなものなのだ。
「となると、ツァオの言うように銀が個人的な理由で出したか、全くの別人か……」

 しかし仮に銀個人が出したとしても黒月という契約主がいる状態で出す不自然さは拭えない。
 黒月が疑われることは必定、そしてそこにはメリットがないのだ。
 そもそも銀という名をイリアが知らなかった以上その名に意味はない。仮に悪戯と判断せず現在のように捜査を依頼した場合でも、どちらにしても公演は中止にならないしイリアを害することも難しくなる。
 ならば悪戯と判断させたかったのか。それでは送り主の名前を書く必要はないし、そもそも知らせる必要はない。
 公演の中止もイリアの悲劇も通常のそれとは異なる脅迫状を出した時点で難易度を上げる結果になり、本当に実行したいのならば銀という名前は出てこない。

「銀には他の目的がある……?」
 ロイドは思考の末に幽かに見えた解答を呟いた。
 これまでの情報を総合すると、脅迫状の内容を成功させるつもりがないように思えたのだ。
 そして更に、影に潜む暗殺者である銀が脅迫状を送ってまで達成したいものは何なのかを考えるよりも、他の答えのほうが自然に思える。
 偽者か……
 銀を騙る何者か、その確率がロイドの中で膨れ上がる。
 しかし全ては推測、何一つ証拠があるわけではない。

「クロスベルに銀がいて、銀はイリアさんを狙っている。もしそうなら――」
 エリィが呟く。ロイドは思考を中断してエリィを見た。
 ランディとティオも見つめる中、エリィは目を伏せて言う。
「もしそうなら、私たちの手に負える事件じゃないかもしれない」
「エリィ……」
「イリア・プラティエはクロスベルのスター、警察も威信をかけて守るでしょう。でも私たちは? 私たちは、銀からイリアさんを守れるの……?」
 それは三人に問いかけているというよりも、自分自身に問いかけているように聞こえた。
 話で聞く不老不死の暗殺者、その存在を楽観視してこのまま依頼を遂行していいのか。縋るような瞳は、ロイド・バニングスを見つめた。
「――ねぇ、ロイド。私たちは――」

「――お前達、こんなところで何をしている」
 不意に放たれた言葉に全員が振り返り、そこには以前百貨店で会ったスーツの男性がいた。
「あなたは……」
「捜査一課のダドリーだ、ついてこい」
 言い捨てるなり踵を返す男性に唖然としつつも、確かに黒月前で話すことではないので後を追っていく。
 中央にある公園を迂回しちょうど黒月と点対称の位置にまで来ると、そこには紺の導力車が停まっていた。ダドリーと名乗った男性はその傍で控えている。どうやら捜査一課に支給されている導力車のようだ。
「話せ」
「え?」
 再び突然放たれた言葉に反応できないロイド、ダドリーは苛立たしげに告げた。
「黒月に入って何を話したのか、それを包み隠さず言えと言ったのだ」
「……これは支援要請の内容に触れます、安易に話すことは――」
「黒月は一課が一ヶ月近く警戒している存在だ。状況によればその案件も我々が引き継ぐことになるだろう」
「なっ!?」
「早く話せ。これ以上無駄口を叩くようならセルゲイさんに捜査妨害を受けたとして抗議する」
 一切の予断もなくダドリーは追求し、ロイドは仕方なく今までの経緯を話す。
 するとダドリーは結んでいた口元を緩め、笑った。

「――ふん、ようやく尻尾を出したか」
「……それは、銀のことですよね」
「お前達に話す必要はない」
 ダドリーは警察内部で大多数を占めている特務支援課否定派の存在であるようだ。
 エリート集団である捜査一課としてのプライドもあるのだろうが、とにかく支援課に益するものを与えないつもりである。
「……黒月は監視しても、ルバーチェは放っておくんですね」
 ティオが皮肉のように告げると、当然のように監視の旨を返してくる。
 自分たちの瑕になるようなものには真っ向から反論してくるようだ。ダドリーは続ける。
「旧市街の一件や軍用犬の一件も事前にある程度の情報は得ていたが、そんな小さなことに割く時間と人員はないからな」
「小さい……!?」
「小さいな、小さい。このクロスベルという偽りの安寧を守るためにはそれ以上の重大犯罪を阻止する必要がある。殺人、人身売買、スパイ、他にも挙げればきりがない。正義が守りきれないこの街で秩序というものを維持し続ける、我々一課はその全てを防ぐことに全力を注いでいるのだ。お前達にこの苦労がわかるか?」
 ダドリーの言葉は真実だ。それをロイドとエリィは誰よりも理解している。
 それでもクロスベルの闇に触れる機会が少なかったために、その理解は伽藍のものだった。

 それを今回、ルバーチェと黒月、そしてクロスベル警察に告げられた。
 その理解が顕現した。
「クロスベルの平和と繁栄、それは薄皮一枚の上に成り立っている……」
 エリィは呟く。彼女の声にはもう力はない。
「ルバーチェも黒月も、議員との繋がりがあるために手出しができん。だがそれでも我々がすべきことは変わらん、たとえ根本的な解決が不可能だとしても可能な限り事態を収束させる」
 言葉に力が入る。彼が真実そう思っていることの表れだ。
 それ自体は支援課にとってもいいが、しかしダドリーは終わりを告げた。
「――本件は捜査一課が引き継ぐ。お前達も無理なことを理解しているだろう? アルカンシェルへの通達は任せてやる」
 何を言うこともできず、ただ導力車が走り去っていくのを見つめる。
 今の四人にダドリーの鉄の意志を乗り越える術はなかった。

「……言うだけ言って行きやがった」
「導力車でというのがどうにも受け付けません」
 ランディとティオはそれぞれやり場のいない不満を口にし、エリィは目を閉じて沈黙していた。彼女は彼女なりに何かを思っているのだろう。
「……俺たちは、どうすればいいんだろうな」
 ロイドはそう零した。
 自分たちを信用して相談してくれたリーシャ、任せてくれたイリア。その二人の期待に沿うようなことはできず、こうして捜査一課に仕事を奪われた。
 そしてそれを心のどこかで納得している自分。理性と感情が交差している。

「俺たちの解決できる範疇にあるかどうかわからない。なら確実な一課に任せることも一つの道だと思う」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ロイドッ!」
 エリィが思わずと言った風に口を開いた。その眼には大きな感情が揺らいでいた。
「貴方前に言ったじゃないっ、今度は自分たちが応えようって! それなのに貴方がそんなんじゃ――!!」
「いきなりどうしたんだよお嬢、お前さんだって本部に任せたほうが、とか言ってたじゃねぇか」
 エリィの突然の行動にランディが驚き宥めようとする。ティオも目を見開いて吃驚していた。
「あ……」
 その言葉を聞いてエリィは我に返ったように静まり返った。
 事実、彼女は何かを見失っていたのだろう。普段の冷静な態度がどこかに跳び退ってしまったようだった。
「…………ごめんなさい、少し疲れているのかも」
 エリィはそれきり押し黙る。三人は彼女を気にかけながらも声はかけず、アルカンシェルへ報告しに足を動かした。






 活気に満ちた歓楽街が今は少し辛い。
 そんな中劇場の前に辿り着くと扉が開き、一人の老人と男性が中から出てきた。二人ともスーツを着ており、老人のほうは白いスーツに白い髭を生やし、手には歩行補助用の杖を持っている。
 男性は若く、若葉色のスーツに無造作だがどこか気品のある形に纏まっている茶色の頭髪を持っている。
 二人は四人に、いやエリィに気づくと声を上げた。エリィも面識があるらしく同様に反応する。
「おじいさま、アーネストさん」
「エリィ、久しいな」
「エリィお嬢さん、どうしてこちらに」
「はい、仕事の関係で」
 どうやら老人はエリィの祖父であるらしい。そう言われてみると、老人の気品とエリィのそれは同質のもののように思える。

 エリィの祖父は不意にロイドらを見た。
「そちらは、同僚の方かな」
「初めまして。クロスベル警察特務支援課のロイド・バニングスです」
「ランディ・オルランドっす」
「……ティオ・プラトーです」
「これはご丁寧に。私はヘンリー・マクダエル、エリィが世話になっているね」
 年配の方に礼儀正しくされると背筋が正される思いである。
 ロイドはそう思いながら言葉を告げようとして、重大なことに気づいて声を失った。むしろ今まで気づかなかったことに驚愕していたと言っていい。
 そんなロイドを置いて会話は進んでいく。幸いなことにエリィの近況が話題になっていたようで、ロイドは礼を失することはなかった。
 会話は恙無く終わり、老人は最後に口にする。
「エリィ、自分の信じた道を行きなさい。公私混同はできないが、できる限りのことはしよう」
「おじいさま、ありがとうございます」
「さて行こうかアーネスト君、次は商工会会長との打ち合わせだったね」
「はい、五時からになります」
 二人は連れ立って歩き、傍に停められていた黒い導力車に乗っていく。それは高級な導力車の中でも更に高級な代物のようだ。

 走り去った導力車を見てランディはぼやく。
「はぁー、お嬢の実家って本当の金持ちなんだな」
「そうですね、これはちょっとお目にかかれないくらいの――ってロイドさん? どうしたんですか?」
 ティオはやっと異常に気づき、ロイドを見た。するとロイドは固まっていた口を投げやりに動かした。
「……クロスベル市の市長なんだから当たり前だろ」
「へ?」
「市長?」
「ふう」
 三者三様の反応を示し、エリィは苦笑した。
「もっと早く気づいてもよかったんじゃない?」
「い、いや、確かに苗字は同じだけどさ……」
 ロイドは両手を振って慌てる振りをする。どんな形であれエリィに笑顔が戻ったことに気を取られていた。
「それで、その市長さんがアルカンシェルに何の用なんだ?」
「そうね、アルカンシェルの新作公演はクロスベル市の創立記念祭の時期と被るから、その時の打ち合わせに来たのかもね」
 創立記念祭は五日間に渡って行われるクロスベル最大のイベントだ。市民はもちろん旅行者も大勢参加するこの祭事は年々規模が増大していっている。
 そこに合わせて催し物を企画する側も大変なのだろう。

 思わぬ人物との遭遇に面を食らったが、改めて劇場を眺める。
 アルカンシェルの新作公演、そのための報告だと言い聞かせて四人は劇場に入った。


「つまり、弟君たちの仕事はもう終わりってこと?」
 本番の衣装に身を包んだイリア・プラティエが問う。
 太陽の姫の役柄に適した金色を基調としたそれは、露出度も高いがそれ以上に高潔さを感じられる。
 隣にいるリーシャ・マオのそれも、月の姫という役柄による色彩の変化を除けば大差はない。

 四人がホールに入った時、彼女らは予想通り練習を行っていた。しかしその練習にすら圧倒されるものがある。
 ロイドはこれを上回る本番を自分たちが守れないことが純粋に惜しいと感じた。
「はい、後は捜査一課が引き継ぎます。警察内部で最も優秀な人材が揃っていますから、舞台に影響を及ぼさないように完璧に警護してくれるはずです」
 イリアはうんざりしたような表情を浮かべるが、それでも客の安全の為と割り切った。劇団長も安堵の表情である。
 しかしリーシャ・マオだけは納得していない様子でいた。
「そんな暗殺者がクロスベルに……ロイドさんたちは、本当にもう」
「すまない、相談を受けた俺たちは直接の警備に着けないけど、それでも間接的に助けられればと思ってるよ」
 申し訳なさそうな気配が伝わったのか、リーシャは押し黙る。しかし何かを呟き、その顔にプラスの感情はない。
 劇団長がこれまでの礼としてチケットを手配すると言い、それに喜ぶランディやティオの傍で、エリィはリーシャと同様の顔をしていた。

 普段着に着替えたリーシャに見送られて、四人は劇場を後にする。
 その時ランディが放った言葉はロイドの知らない公演についてのものだった。
「え、プレ公演なんてあるのか?」
「おう、本番の前にお偉いさん集めてな」
「マクダエル市長を主賓として各界の方や記者の方をお呼びして行うんです。私も初めてなので緊張しますが」
 不安を隠せないリーシャを励ますランディを余所にロイドの脳内にこれまでの情報が蘇っていく。
 銀の存在、ルバーチェと黒月の現状、リンの言葉。黒月を出たときに考えたことが綱となってそれらを繋いでいく。

 しかし、ロイドはそこで我に返った。
 仲間は既に歩き出している、リーシャが話しかけてきた。
「ロイドさん」
「え?」
「私が皆さんに相談したこと、間違っていたと思いますか?」
 突然の問いにロイドは咄嗟に答えられない。いや、予め覚悟していても答えることはできなかっただろう。そうして沈黙した彼をリーシャは真剣な瞳で見つめ、
「……私は、そうは思いません」
 そう告げる。そして踵を返しリーシャは劇場に戻っていった。
 すぐにでも練習を始めたいはずの彼女がその時間を割いて問いかけたことの意味。それがわからないロイドではなかった。
 リーシャもきっと彼が答えられないことをわかっていて問うたのだ。
 あくまで自分の考えを言っただけ、それでもロイドの中に蟠っていた何かが払われた気がした。
「おい、置いてくぞっ」
「あ、悪い」
 ランディの声に振り返り、走り出す。心も身体も疲れきっていたが、その足だけは軽かった。






 特務支援課分室ビルの前に人影が見えた。そこを縄張りとしているツァイトではなく、それは劇場前で会った市長秘書のアーネスト・ライズである。
 エリィが理由を問うと、アーネストは気遣うような視線でエリィを見た。
「エリィ、警察を辞めて戻ってこないか?」
「え?」
「君自身の考えで警察に入ったのは理解している。それでもそんな迷った子どものような目をしているのなら市長を助けると思って戻ってきてほしい。あの御歳でこれ以降の激務は苦しい、エリィがいてくれたら市長はどんなに嬉しいことか」
 アーネストは矢継ぎ早に言い、しかしエリィの困惑した表情に自制をかけた。
「すまない、少し気が急いていたみたいだ。それでもエリィ、よく考えてほしい」
 真摯な瞳で見つめるアーネストにエリィはたじろぎ、激情を堪えるように目を瞑った。
「……少し、時間をください…………」
 エリィは休む旨を伝えてビルへと消えていった。

 残された三人はアーネストからエリィが政治家志望な事実を聞かされた。
 エリィが何を思って警察を志望したのは彼にもわからないが、エリィの意思を尊重してほしいと頼まれた。
 去っていくアーネストを見つめた後、エリィを抜いた三人はセルゲイに報告しに動き出した。


 セルゲイの執務室にはツァイトが寝そべっている。初見こそセルゲイも銃を抜いて警戒したが、このようにまるで警戒なく寝転がられると毒気を抜かれてしまう。
 そんなセルゲイは煙草を灰皿に押し付けて訊いてきた。
「で、泣き寝入りすんのか?」
「な、泣き寝入りって……」
「なんだ、違うのか? 捜査一課に依頼を持っていかれ、そこに協力を仰ぐこともできず完全な厄介払い。それでお前らはこの件にどう関わるつもりだ」
 セルゲイが見るのは三人、ではなく、リーダーであるロイドである。
 理由こそあったが適当にリーダー指名をした割にセルゲイはロイドの言を支援課の総意とすることが多い。それが四人の中で事前に話し合われた意見でなくともだ。
 それはロイドを評価しているということなのだろうか。
「……これは今までを通しての推測なんですが、脅迫状の銀は、黒月の雇った暗殺者の銀ではないかもしれません」
 そして、ロイドは自分の仮説を語りだす。自信がなく他者に一切話さなかったものだ。それを今話す気になっている理由はロイドもわかっている。
「話せ」
 セルゲイに言われ、ロイドは口を開いた。


 話し終えたロイドは眼前のセルゲイを見やった。セルゲイは既に二本目の煙草を吸っていて、頬杖を着いている。
「――それが真実かどうかはさておき」
「ガクッ、おいおいいいのかよ」
「お前達がこの件に噛める道、それは独断でやることだ。特務支援課は本部からハブられているが、それは逆にある程度の裁量が任されているとも解釈できる。黙ってやる分には他の部署の縄張りを踏み越えるくらいわけはない」
 確かにセルゲイの言葉は理解できるが、それは警察本部の、捜査一課の意向を無視することだ。
 それに対する不安はあるのか口元を結ぶ彼らに問題ないことを強調したセルゲイは、しかし彼らにその前に解決すべき問題があることを突きつける。
「尤もチーム一丸とならなきゃ問題外だが」
 それは今この場にいない一人のことを指している。三人も言われるまでもなかった。






 寝転がって自室の天井を眺める。無機質で余計な情報がないそれは考える時に最適な背景だ。そういえば特務支援課に入ることを決める時もこうして眺めていたな、と遥か昔の事のようにロイドは思った。
 二ヶ月という時間を早いと感じるか遅いと感じるか、そう聞かれたならば前者と答えるだろう。
 毎日が慌しく大変で、それでも三人の仲間とともに頑張ってきた。

 そして今、その内の一人が霧の中にいる。
 あの日、ロイドは自分自身で結論を出すことができなかった。自分の目標と現実との齟齬、そして自分自身の齟齬。
 それに踊らされグルグルと渦を巻いていた思考を止めるためには三人との会話が必要だった。
「市長の孫、政治家志望……」
 どれも知らなかった側面だ。前者はもっと彼女に興味を持っていればすぐに気づいた事柄だろう。
 当たり前のように共にいた彼女だが、その実自分は彼女のことを知ろうともしなかった。それが今ロイドを包む一番の後悔だ。
 そして、それは反省にしなければならない。

「よし」
 ロイドは起き上がり、部屋を出る。
 ロイドとエリィの停滞が同じものだとは思わないが、それでもロイドは自分を動かす最後の一押しとなった会話を今もまた望んでいる。
 あの時は悩んでいたロイド自身が動いたが、きっと彼女は自分から動くことはない。いや、動けないのだ。彼女はただ、誰かを待っているのかもしれない。

 ふと、彼女の部屋での会話の一部分を思い出した。

 貴方の事情を私はまだ聞く立場にないから私の意見を言わせて貰うけど――

 その礼をする機会が今なのだと、ロイドはようやく理解した。
 エリィは自室にはいない。それこそが彼女の状態を示すものだ。
 そしてロイドはその場所を訪れた。
 クロスベルを俯瞰する、分室ビルの頂上。僅かな風に飛ばされてしまいそうなエリィ・マクダエルの背中が、そこにあった。




 初出:2月29日


 閏日更新というのもなんだかいい感じ。
 それにしても再構成とはいえ何かしらの変化はつけたいところですね。



[31007] 3-7
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/03/04 20:47



「きっと、貴方はここに来るんじゃないかって思ってた」
 振り返らずに言った彼女がどうしてそう思ったのかはわからない。それでもその言葉だけで来た意味があると感じた。
 何も言わず、青年は空を見上げた。星が瞬いている。
 それは手の届かない過去の光、それを美しいと感じるのは届かぬものへの羨望か、ただ過去を美しく見てしまう人間の性か。

 そのまま歩みを進め、彼女と景色が見える位置、風上である南側に立つ。
 なんとなく、話を聞くには彼女と同じ景色を見ていたほうがいいと思ったし、彼女を見続ける必要があるとも思った。
「風邪、ひくよ」
 それは会話のきっかけに過ぎない。
 それがわかっているからこそ、彼女は搾り出すような声で返答した。

「……わからなくなってしまったの」
 白い髪は夜風に揺れている。
 それはまるで彼女の心を映し出しているかのようで、そしてその髪を押さえている彼女の手は小さな子どものようで。
「クロスベルという街の歪み、それは前から知っていて、だからこそ変えたいと思った。その気持ちは今も嘘じゃない」
 彼方を見つめる瞳は電飾豊かな貿易都市を俯瞰し、しかしその光景は彼女の心に綺麗に映らない。
「政治を学んで、各地に留学して、いろんなものを経験して。議会という通常の政治手段から離れた所からこの街を見て、そうしたら新たな道が開けると思っていた。でも、私みたいな小娘が簡単に答えを得られるならおじいさまだって苦労はしていないわよね……そんなことも、今までわからなかった」
 ただ話してくれるままに聞くことしかできない青年は、本当にそのままで。
 だからこそ彼女も心のうちを吐露していく。

「――今回の一件は私に壁の大きさを見せ付けてくれたわ。途方もない、クロスベルという大きな闇。それに対抗するどころかその前に圧し止められている今の私」
 手すりに寄りかかるように前かがみになった。
 青年は彼女の後姿を見る。それはとても小さい背中だった。
「私が今までしてきたこと、今こうして貴方たちと共にいること。その全てが――」
「意味のないことのよう、か……」
 沈黙を続けていた青年は相槌を打ち、振り返った少女は静かな瞳で見つめた。
 夜空に星はあっても、街に明かりが灯っても、この空間はとても暗い。外界から切り離され、孤独なまま生きているかのよう。
 その場所はとても、とても静かだった。
「――俺は、捜査官として三年ぶりにクロスベルに戻った」
「…………」
「その理由、聞いてくれるかな」






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 静けさに倣うように外気温は肌寒い。
 今こうして感じている冷たい風がそのまま世界の在り様を表しているのなら、その中で少しでも風を遮っている青年とは何なのか。
 エリィはそれを知りたいと思った。
 ロイドは沈黙していた。話し出すのに最適なタイミングがあることはエリィにもわかっていて、だから話し出すのをただ待っている。
 ふと、遠くで列車の音が聞こえた。今の時間帯だからこそ聞こえる遠くの人々の息吹だ。
「憧れていた人がいたんだ」
 そして青年は話し出す。ただその一言で、エリィは彼女を思い出した。

「その人は優しく全てを包んでくれるような人で、小さな頃から一緒だったからそうあるのが当たり前で、ずっと好きだった」
「…………」
「でもその人には好きな人がいて、それは俺の兄貴だった。近所でも評判のカップルでさ、俺も兄貴が好きだったから、兄貴にならいいって思えたんだ」
 話すロイドの顔は楽しそうで、幸せそうで。
 兄弟のいないエリィにその感覚はわからなかったが、それでも仲の良い兄弟だったことは理解できた。
「その人を幸せにしてくれるって信じていたからそう思えた――実際そうなったと思うよ。誰かがそれを壊さなければ」
 ロイドは表情を曇らせた。
 彼の中であまり見ない、悔恨と憤怒の感情だった。

「兄貴は優秀な捜査官だった。正義感が強くて行動派だったからいろんな事件に首を突っ込んでいたらしい。でもどんな時も元気で周りを励ましてくれるような人だったから、死んだって聞いたときは嘘だと思った」
 ガイ・バニングス。ロイドとは十も離れた兄にして、セシル・ノイエスの婚約者。
 幼い頃に両親と死別したロイドにとってかけがえのない存在。
「葬式にはたくさんの人が来てくれた。それだけで兄貴がすごい人だったんだってわかって、そして…………隣を見たら、許せなかった」
 ロイドは手すりを握り締める。握りつぶさんとするほどに力が込められていた。
「誰よりも悲しいのに泣くこともなく俺を気遣ってくれるその人の、全てを諦めたような顔が忘れられない。そんな顔をやめさせたいけどできないガキの俺が考え付いたことは一つだけだ」


「――兄貴を、ガイ・バニングスを殺したヤツを絶対に許さない。必ず見つけ出して、セシル姉に謝らせる――ってね」


 静寂が舞い降りた。それは痛く、刺々しい。
 だからロイドはそれを作った原因として明るく振舞う。
「これが俺の理由ってヤツかな。復讐みたいなものだから褒められるようなものじゃない」
 エリィは青年の告白を心の奥底で受け止めた。自分はもう彼の事情を知る立場にいるのだと気づいた。
 だからこそ、彼は彼女の事情を知ってもいいのかもしれない。
 過去を話すことは弱さだと思うが、それでも相手が先にそれを見せてくれた。
 ならば彼女も、この雰囲気に流されて話してもいいのかもしれない。

「父と母がいたの。これじゃ死んでいるみたいだけど、ちゃんと帝国と共和国で暮らしているわ」
「…………」
「父は政治家だった。クロスベルに来て、その姿に衝撃を覚えたんでしょう。クロスベルを良くするために様々な政策を提案し、でも派閥関係なく全ての議員に潰された。友人から見捨てられ、政敵に嘲笑され、市長であるおじいさまも中立な立場である故に助けることはできなかった。そんな父はクロスベルに絶望し、共和国に去っていった。そんな父を憎み、それ以上に愛していた母も、クロスベルにいられなくなった」
 エリィの独白は続く。
 彼女が政治家を志望したのはロイドとは異なり復讐ではない。ただ単純な疑問の答えを知りたかった。
 どうして家族は離れ離れになってしまったのか、どうしてこの幸せはなくなってしまったのか。
 そんな他愛もない、けれど困難きわまる疑問。

「クロスベルの代表が誰だかわかる?」
 唐突な疑問。ロイドはマクダエル市長と答えた。
 エリィは首を振る。
「正解は『クロスベル市の市長』と『自治州議会の議長』の二人。おじいさまと帝国派のハルトマン議長が共同代表なのよ」
 同格の代表が二人いる理由、それこそがクロスベルの歪みを是正できない原因の一つである。
 代表の政策はもう一方の代表に潰される。それは政治力学において当然のことである。
 クロスベルは帝国と共和国が二大宗主という稀有な自治州だ。
 その二国の関係ゆえにクロスベルは常にどちらが完全支配するかの対象にしかならない。
 つまりクロスベルの意志など関係ないのだ、結局は従属される存在が自立しようとするのを防ぐためのものなのである。
 70年前、両国の法律家が定めた自治州法、それこそが今もクロスベルを苛んでいるのだ。
「まるで呪いのよう……」
 エリィが呟いたそれが、政治の世界に入らず、新たな切り口を見つけようとする彼女を蝕んでいることは確かだ。
 クロスベルの政治に絶望した彼女は警察官としてもその余波に苦しんでいる。
「結局私は、今尚一人では何もできない幼子に過ぎない。それが今日のことでよくわかった。でもわかったところで、もう私には、先に続く道が見えない……」
 消えてしまいそうな声、しかしそれを繋ぎとめる為に青年は口を開いた。

「エリィ、俺がどうして支援課に入ったのか忘れたのか?」
 その呪いは確実に迫ってくるだろう。それでも、完全に屈しないための方法はいくらでもある。
「え?」
「俺はエリィと、ランディやティオと一緒にいられれば目的を達成できる。そう思ったから今ここにいるんだ。つまりさ、俺だって一人じゃ何もできないんだよ」
「ロイド……」
「エリィは何でも一人でやろうって思っている。でもこうして仲間がいるんだ、それに頼ったって何もおかしくないし、むしろ……」
 ロイドはエリィの肩に手をやり振り向かせた。
 困惑した白緑の瞳と力強い茶色の瞳が交錯する。
「俺は、エリィに頼られたいよ。こうして話だって聞きたいし、力になってやりたい」
「あ……」
「俺たちはまだ世界を知らないかもしれないけど、それでも少しずつ成長していると思う。今日あった壁は乗り越えることができなかったけど、でも明日なら乗り越えられるかもしれない。実はさ、脅迫状の件は独自に動こうって決めたんだ。課長のお墨付きで」
 目を丸くするエリィになおロイドは力強く話しかける。
「捜査一課は正式な本来の方法でイリアさんを守る。そして俺たちは普通とは違う切り口で捜査する。ほら、さっきのエリィの目的と一緒だ。ならさ、これで俺たちがこの事件を解決したら、エリィの方法は間違っていないってことにならないか?」

 ロイドの言葉にエリィは呆然としていたが、やがて瞳から混乱が消え、やがてクスクスと笑い出した。
 問題の異なるそれを解決したところでもちろん彼女の命題が解決することはない。しかしそれでも希望を持つことはできる。今までの過程に疑問を持ってしまった自分がいなくなる。
 そして何より、何より懸命になって励まそうとしている青年が純粋に嬉しかった。
 ロイドは自分がおかしなことを言っているという自覚はない。
 だがエリィがそれまでの様子と違った表情をしてくれたので、それでもいいと思った。

「なんだよ、急に笑い出して」
「いいえ、ふふ、なんでもないわ。うん、ごめんなさい…………そうね、確かに、もし本当に解決できたなら私はここにいてもいいのかもしれない……いえ、私の、私たちの考えが正しいことを証明するために、解決しないといけないのよね」
「あぁ、今度は自分たちで、だ」
 二人して笑い合う。
 いつの間にか静まっていた風が再び二人を包んだ。夜風であるにも関わらずそれは心地良い。
 心が温まったから、というのは流石に言い過ぎだろうか。

「ふふ、でも吃驚しちゃった。貴方って女垂らし?」
「へ?」
 いきなりの発言にロイドは疑問符を浮かべ、エリィは思い出すように目を閉じて歌うように話す。
「いきなり振り向かせてエリィに頼られたい、力になってやりたい、なんて」
「な、あ、いや……」
「そのうち私も宝石か何かあげちゃったりするのかしら?」
 そう言って彼女が見るのはロイドの胸の上で今も輝いている白の宝石だ。バスの中で邪推した彼女はずっとこれを女性からの贈り物だと思っていたのだろう。ロイドは慌てて弁明した。
「ちょっと待ってくれ、これは俺だってわからないんだって言ったじゃないかっ」
「そう? それにしては貴方いつも身に付けているじゃない」
 エリィはロイドの胸元に顔を近づけた。
 驚いたロイドは硬直し、彼女は至近距離でそれを見つめる。
「材質は、真珠に近いのかしら。でもそれにしては光り方が違うのよね……」
 触ってみてもいいかという願いに動揺したまま頷き、エリィはそれを手に取った。
「え?」
「あ……」



































 手から宝玉は離れ、揺れる。
 よろめくように後ずさったエリィの顔には驚愕の表情が浮かんでいた。ロイドも信じられないものを見たように呆然としている。
「今の、は……」
 呟く彼女には今も鮮明にその光景が焼きついている。ただそれは、どうしても信じられない類のものだった。
 ロイドを見る。混乱の極致にある互いの瞳が合わさった。
「ロイド…………?」
 震える声でその名を呼ぶ。
 呼ばれた彼はしかし、応えることができなかった。
 そして二人は同じ光景を見たことを確信した。

「ありえない、ありえないわ……」
 エリィは自身を納得させるように言い続ける。そんな彼女をロイドはただ眺めていた。

 ありえない。
 ロイドは呟いた。

 エリィ・マクダエルがロイド・バニングスに銃を向けることなんてありえない。
 引き金を引くなんてありえない。

 それが幻覚だとしても、ただ、そう信じ続けるしかなかった。






 翌朝、いつものように四人は朝食を摂る。しかしロイドとエリィ、隣り合う二人の様子がどこかおかしい。
 彼女は昨日明らかに調子を崩していたが、どうやらそれとは別の理由がありそうだった。
「怪しい」
「妖しいです」
 音は同じ、しかし意味の微妙に異なる発言をしたランディとティオに件の二人は手を止めて見やる。
「な、なんだよ」
「……?」
 ロイドとエリィはどこかぎこちない。昨日の内に何かが起こったことは明らかだった。
 ランディが茶化すように言った。
「なんだロイド、お嬢と夜に語ったりでもしたかぁ?」
「ランディっ」
「なるほど、おめでとうございます。ロイドさん、エリィさん」
「で、どこまでいったんだ?」
 ランディの一言にロイドとエリィが咳き込んだ。
「どこまでいった? あぁ、お付き合いの過程で様々な段階を踏むというやつですね」
「い、いやいや、そんなのないから……!」
 二人してひゅーひゅーと茶化す。瞬間的にエリィ大明神様が再臨してその場は治まった。
 しかしそれを無自覚に盛り返すのがロイドである。

「全く、そんなのあるわけないだろ? なぁエリィ」
「………………そうね、確かにそうはならなかったかな」
「…………エリィ」
 にぎやかで浮いたような会話は唐突に途切れる。ロイドはエリィに何事かを伝え、エリィは頷いた。
 そんな掛け合いをどうしてか茶化す気になれなかったランディは話を元に戻し、自身の安堵を伝える。ティオも心配が杞憂に終わってホッとしたようだ。

 改めて特務支援課が万全になったところで本題である。
「――それでロイド、昨日は何か方針があるように言っていたけれど」
 ロイドは頷き、昨日セルゲイに話した推測を繰り返す。それを聞いたエリィは頤に手を当てて確認するように呟いた。
「銀は別人の誰か、ルバーチェにも黒月にも真犯人はいない、本当の目的がある……大まかに言うとそんなところかしら」
「あぁ、あくまで俺の推測でしかないけど」
「でも本人だった場合に備えて一課が動いているのなら私たちは偽者の線で捜査してみるべきだわ。そしてその場合に重要なのは――」
「本当の目的、ですね。確かにロイドさんの言うように脅迫状の文面を成し遂げるには難しい現状です」
「黒月でもルバーチェでもないヤツってことは一課をどーこーしようって目的じゃねぇだろう。するとイリアさんでなくアルカンシェルの誰かを狙っているとかか?」
「アルカンシェルの人員は皆捜査一課の警護下にある。その線は薄いな」
 確かに、と頷くランディ。

 ロイドは停滞する状況を打開する為に、またしても紙とペンでカードを作り出す。犯人、目的、手段、結果のカードだ。
 するとランディが真っ先に手を伸ばし、犯人に銀(偽)と書き込んだ。
 目的は不明、手段と結果も未然の事件では書き込めない。
「おい、もう終わっちまったじゃねぇか」
「……いや、今回は事件そのものではなくもう少し小さくして考えてみよう」
 ロイドは手段のカードに脅迫状と書いた。左手に持ち、掲げる。
「犯人である偽の銀は脅迫状を使った。目的は不明だから書けないけど、現時点の結果で考えてみよう」
「現時点の結果ですか?」
「あぁ、脅迫状が明るみに出てから起こった状況の変化を書き出してみるんだ」
 ロイドは更に数枚の紙を用意した。忌憚ない情報を出すために書き手を回すことにする。

 まずはランディだ。
「変化っつーと、まずアルカンシェルに一課の警備がついた」
 次いでティオ。
「ルバーチェも一応疑われましたね」
 そしてエリィ。
「黒月も疑われた、特に銀のことで最有力とされたわ」
 最後にロイド。
「そして俺たち支援課は依頼を取り上げられた」
「それは書き込まなくてもいいのでは?」
「万一を潰すためにやってるんだから痛くても書かないと」

「さてお次は、つか大まかな変化はこんなもんじゃね?」
 ランディは手を止めて三人を見た。
「一応アルカンシェルに不安要素が出てきた、とも書いておこう」
「じゃあお嬢が迷ってロイドとくっついた、とも――はいすいません」
 ランディの悪ふざけは止められたが、こうすると脅迫状による変化は五つである。
「これらの中に犯人と、その目的に繋がる何かが隠れているはずだ」
 ロイドは言った。四人はカードを眺める。

「確かに犯人はルバーチェ・黒月両陣営にはいなさそうですね」
 今回の騒動でこの両組織は不利益しか被っていない。
 特に黒月はその銀の契約主なのだ。より一層警戒される火種を放り込まれたようなものである。
「その両組織を疑わせる、という目的って可能性は?」
「黒月はともかくルバーチェ側の嫌疑は大したことはなかった。そもそもリーシャがいなければ悪戯で終わっていたはずだし……」
「――それよ」
 エリィが呟いた。
 三人は顔を上げてエリィを見つめ、エリィは引っかかっていた事を口にした。
「銀が黒月と契約してクロスベルに来たという事実を知らなければこの脅迫状は書けないわ。黒月とルバーチェ、その両方に所属せずその事実を知っている人物こそが真犯人……」
 銀という存在に辿り着いてもその銀がクロスベルにいることを知らなければ結局は悪戯にしかならない。捜査一課が銀の存在をおぼろげながら知っているからこそ今の状況が出来上がっているのだ。
 そしてそれは一課がアルカンシェルを警備するという状況が狙いである可能性を高める。

「そして、黒月を恐れていない人ですね」
 ティオが口を挟む。
「リンさんが言っていた『黒月がいる中で銀を騙る危険性』。それは黒月に恨みを持たれることです。ルバーチェと同等クラスの組織に恨まれることを苦にしない人物で、共和国寄りでない人です」
「すると帝国派、ルバーチェに銀の存在を知らされる可能性があるのはハルトマン議長ね」
「その議長本人なんてことはないだろう。なら繋がりを持つ一般人、いや政界の人間か? だとしたら特定なんてできねぇぞ」
 ランディはぼやく。
 帝国派のハルトマン議長の周りには当然帝国派しか存在しない。つまり的が多すぎて絞りきれないのだ。

 犯人像は限界なので、今度は目的について考えてみる。
「仮に共和国寄りでない政界の人間だとして、本当の目的は何だ?」
「……それなら心当たりがある」
 ロイドは口を開く。カードに記し、見せた。
「プレ公演だ。プレ公演にはそれに見合う観劇人が来る、政界からも来るだろうし犯人像の人物の関係者もいるはずだ」
「確かに脅迫状の内容はイリアさんに危害を加えると書いてあった。だからこそ観客には目がいかない、か……でも警察、しかも一課がいる中でそんな大胆なことを――」

 突然電子音が響き、全員が顔を向けた。支援要請の来る汎用端末である。
 ティオが端末を操作すると、どうやら電子メールが届いているらしい。
 文章だけを送るこの機能は確かに便利なのだが、警察ではあまり使われていないらしい。
 しかし警察からではないなら誰からのものであるのか。ティオはメールを開き、そして驚きに目を剥いた。
「銀……」
「な!?」
 青天の霹靂か、ディスプレイに表示された文面は四人に急展開を告げるものであった。


『銀より支援要請あり。試練を乗り越え我が元へ参ぜよ。さすれば汝らに指名を授けん』




 初出:3月4日


 零えぼ、Vita買う予定ないのに予約した私のような方はいませんか?
 オリジナルの短編を投稿しました。私の名前で上がっているのでよろしければそちらもお願いします。



[31007] 3-8
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/03/07 21:27



 クロスベルの、いやゼムリア大陸の経済情勢にとってなくてはならない存在がクロスベル国際銀行、通称IBCだ。
 近代化の進むクロスベルで現在最も技術がつぎ込まれている建築物と言っていいこのガラスの塔は一階こそ通常の銀行業を営んでいるが、それ以外の階、つまり地下五階から十六階の計二十一層の内のほとんどを一般に開いていない。
 そこには幾つもの外部の会社が入っていたり、IBCビルのメンテナンス機関やその他のスペースになっていたりするのだ。
 入って右の専用のエレベーターに乗らなければ他の階に行けず、また行くためにはフロントからカードキーをもらわなければならない。そのカードキーも止まる階が限定されている厳重さ、各所に配置されている警備員もその強固さに拍車をかける存在である。

 時代の最先端をいくこのIBCビル、その十六階にて特務支援課はとある人物に相対していた。
 四十代半ばでありながらそのエネルギッシュな行動力と容貌を持つ現IBC総裁、ディーター・クロイスである。
 派手な赤いスーツに青のネクタイ、金色の髪と白い歯を光らせる彼は自室の椅子に座り、組んだ両手を机の上に預けた。
「つまり、その銀という人物からの導力メールがこのIBCのメイン端末から送られているので調査したい、と。そういう理解でよろしいのかな?」
「その通りです。何分非公式な調査ですので捜査令状などはないんですが、是非とも協力をお願いしたく」
「いや、こちらとしてもその銀なる人物が潜入したとなれば信用問題。よろこんで協力させてもらうよ。それになによりエリィの頼みだからね、ここで断ったらベルにどやされてしまうよ」
 ハッハッハ、と爽やかに笑うディーターに頭を下げるエリィ。

 銀からのメールの出所を探ったティオによりその発信元がIBCであることがわかった特務支援課はその総裁と知り合いというエリィの伝手を利用して現在に至っている。
 建物前では市長秘書のアーネストと記者のグレイスに入れ替わり会うことになったが、エリィがアーネストに意思を伝えた以外は何事もなく別れを告げている。
 一頻り笑い終えたディーターはしかし困ったように言った。
「スタッフは信頼できる人員を選んだつもりだが、もしくはハッキングでもされたのか……」
 ハッキング技術は導力ネットワーク計画が始まったばかりのクロスベルにおいて稀な存在だがいないわけではない。
 ディーターは立場上そちらの可能性のほうが高いと言うしかなく、また現実的にもそちらのほうが高かった。

 四人はハッキングの線を第一に置いて情報の共有を自然と行う。
 ディーターはそんなエリィの充実した表情、そしてロイドら同僚の姿を見て一度頷くと席を立った。背後を埋め尽くす窓から窺える景色を眺めながら口を開く。
「クロスベルという街は難しい。きっと少なからずそれを痛感したことだろう。しかし真に問題なのは正義という概念が形骸化してしまったことにある」
「正義の形骸化……?」
「奇麗事と同一視されることもあるこれはもちろん人の数ほどの形が存在しているはずだ。それは人間というものがそれだけ正義を求めているということになるのだよ」
 ディーターは振り返った。
「何故か、それは正義が人間社会を信ずる根拠となるからだ。正義という秩序があって始めて、人は社会で生きていける。そうだろう?」

 警察や遊撃士はそれぞれの正義を体現する組織だ。
 人は困ったらこれら諸組織に相談する。人が生きる社会に平和という秩序をもたらしてくれるからだ。
 仮に警察や遊撃士がいなくなればそこに人は住めなくなる。犯罪が横行するそれは野生の動物と同じだ。
 人間は、そこにいない。
「だがクロスベルはその正義が形骸化している。しかし豊かであるが故に人々は気づかず、滅びを免れた悪は根付いていく。それでも人々は正義を求めるのだ。遊撃士の人気があるのは社会への安心を求められる存在であるからだろう」
「…………」
「確かにあっちは正義の味方って感じがするねぇ」
「だが遊撃士の正義は限定的なものだ、この街の根幹には届かない―――だからこそ、私は君たちに期待したい。君たちが正義を追い求める姿、それが市民の目に映ってくれればと思う」
「警察にも正義はある。それを信じる契機としたいのですね」
「そうだ。クロスベルタイムズもその点では大いに役立っているね。未熟な君たちが必死になっている姿は簡単には否定されない」
 皆、期待しているのだよ。そう纏めたディーターはそこで少年のような表情をして目を瞑った。

「少し話しすぎたかな、悪い癖だ」
 端末室への入室許可を出そう、というディーターはしかし案内はできないらしい。
 そこでスタッフを呼ぼうとするが、開け放たれた扉によってそれは阻まれた。
「わたくしが案内しますわ」
 ディーターと同じ金髪を頭の両側で巻いた派手な女性がそこにいた。
「ベル……!」
「お父様、ただ今戻りました。久しぶりですわね、エリィ!」
 エリィがベルと呼んだ女性は言うなりエリィに抱きつく。ディーターを除く全員が困惑に支配された。
「二ヶ月ぶりですわね……でも手足が少し固くなっていてよ?」
「それは筋肉がついたからだと思うわ」
「確かにしなやかさも感じますわね。ふむ、これはこれでなかなか」
 エリィの身体のあちこちを撫でながらそう評価する女性、彼女はディーターに言われてようやくエリィを放した。
 彼女はマリアベル・クロイス、ディーターの娘でありエリィの幼馴染でもある。

 エリィは同僚の三人を紹介しようとしたが、マリアベルはそれを制して一人ずつ真剣に眺め始めた。整った顔立ちながらそのつり目は人を萎縮させる。
 赤褐色の瞳がそれぞれを捉え、そして彼女はロイドとランディからティオを引き離した。
「あなたは合格、そこの二人は不合格ですわ。こんなムサ苦しい男どもがエリィの傍にいるなんて女神も許さない所業ですわ」
 突然の不合格宣言に戸惑うロイドとランディ。
 そこで空気を読んだのか読まないのか、時間だと告げてディーターは去っていく。
 残された五人、いやマリアベルとその他の四人はまるで言い争うかのような会話を続ける。専ら攻撃対象になったロイドとランディだが、ランディの夜二人っきり発言でマリアベルの牙はロイドに限定された。
 吊り上げられたロイドを見捨てる二人と沈黙するエリィ。タイムロスを考えたティオによって収束されるまで数分を要した。




 IBC地下五階、そこにメイン端末がある。
 エレベーターでその最下層を訪れた支援課はその光景に息を呑む。円形を象って置かれた無数のディスプレイ、そしてその背後に控えるその数倍の大きさの巨大ディスプレイが高速で緑色の文字の羅列を飲み込んでいる。
 人間の動体視力では到底読みきれず、またコード化されているためにただ凄いという表現しか許されないそれは正しく大陸の最先端である。
 エプスタイン財団の最新情報処理システムらしいそれは、飛行船で有名なリベールの誇る高速巡洋艦『アルセイユ』にも使用されているらしいが、こちらにあるそれは莫大なネットワーク情報に対応すべく処理容量を数倍に強化している。

 研究員のダビットとクレイはその端末室に常駐する専門のスタッフだ。
 マリアベルは彼らに話をつけメール送信の痕跡を辿らせたが、送信システムがクラッキングされたことが判明した以外はわからなかった。
「……端末を一つ貸していただけますか?」
 するとティオが何を思ったか口を開き、中央にある椅子に座る。
「アクセス――エイオンシステム、起動」
 頭部装着型感知装置(ヘッドギアセンサー)が赤く明滅する。それに呼応して正面にある三つのディスプレイが赤い文字を今までとは比べ物にならないほどの速さで咀嚼していく。
「不審と思われるログを抽出しますので調べてください」
 二人の研究員は驚きに身を包まれながらもティオの指示に動き、マリアベルは得心したというように頷いた。
 彼女は財団で導力工学を学んでいたらしく、状況の推移を冷静に見つめている。

 やがて低い機械音が響き捜査は終了した。侵入者はジオフロントB区画『第8制御端末』からアクセスしたらしい。
「お疲れさま、ティオちゃん」
「流石だぜ」
 賞賛の声にティオは言葉を詰まらせたがマリアベルに勧誘されると空気が変わり、四人は礼を言って場を離れた。
 目指す場所はジオフロントB区画の入り口がある住宅街である。






 市庁舎から鍵を借り受けジオフロントB区画に潜入する。
 A区画とは異なり水流の上を通路が走っており湿度も高い。環境が異なっているのだから当然魔獣も種類を変え、その度に魔獣手帳を埋めていった。

 しかし不可解なのは、その魔獣に紛れて度々姿を見せる自立型の機械である。
 どういうわけかそれは四人を確認すると襲いかかってくる。とはいっても自分から突っ込むといった猪のようなものではなく掃除機のようにこちらを吸い込んでくるのだ。
 その吸引力の凄まじさはランディすら引きつける。トルゾーBと呼ばれるそれはどうやら印象どおりの掃除用ロボットらしいのだが誤動作を起こして魔獣化しているとのこと。
 事実時折吸い込まずにショートして自壊し、そのたびに周囲を巻き込む爆風を起こすという厄介極まりない代物だ。

 B区画は水によって道の形を変える。レバーを回すことで水が引き通れるようになるが、疑問なのはどうして手動にしたのかである。
 いちいち回さなければ通れないそれをランディは面倒くさがり、しかしエリィやティオに蔑まれて回している。
 その不満を魔獣が現れるたびに爆発させるランディ、そのせいか初見の場であるにもかかわらず歩みは順調極まりなかった。

 そして彼らはトルゾーBの大型版トルゾーDXと遭遇する。人を容易く飲み込んでしまいそうなほどの大きさのそれは一体どこ用に作った掃除機械なのか見当がつかない。
 周囲を満遍なく吸い込んでしまいそうな、いや実際に吸い込まんと大口を開けるトルゾーDX。
 吸引力はBの数倍、Bに吸われている最中DXに掻っ攫われるという不思議な現象が起きるほどに強力だ。

 とにかくこうも容易に体勢を崩されてはたまらないと思った彼らだが、しかし対策は思いのほか少ない。
 結局、自分の代わりにBを吸い込ませて爆発させる全自動爆撃機(自爆用)に変化させるという方法を取った四人、トルゾーDXの締めは身動きの取れない吸引中におけるクラフトの発動だった。
 導力により無理やりに動作を完成させるクラフト、エリィの3点バーストを至近距離で放ち、止めはティオの新クラフトであるビームセイバーである。魔導杖が精製する魔力弾に形状を与えたもので、前方範囲を一薙ぎで一掃する強力なクラフトだ。

 吸引による加速が威力を高めたのかはさておき、その一撃で致命傷を負ったトルゾーDX、瞬間に怖気の走ったティオをランディが横抱えにして退避し、その一瞬後にそれは爆発を起こした。
 トルゾーという機械は最後に爆発する運命なのだろう。パラパラと破片が落ち、音を立てて水の中に消える。

 トルゾーに襲われた場所は随分高い位置にあるようだった。元来た道と反対方向、つまりは進行方向だが、更に上へと上る階段が設置されている。
 このままでは地上に出てしまうのではないかと危惧したが、どうやらその先は終点のようだった。

 正面に見えるダクトは更に上へと伸びている。しかしその左手にある一室には光が灯り、何ともいえないお気楽な音楽が漏れ聞こえてきた。
 つまりは、ここが第8制御端末である。


「金髪、の、ガキ……?」
 ドアの小窓から見える後姿にランディは思わずと言った風に呟く。
 ハッカーがいる制御室には人影は一つ、椅子に座り多くのディスプレイの前で鼻歌を歌っている少年である。
「――かし太っ腹だよなー、メール送るだけで銀耀石の結晶、これ換金したら一万ミラはいくんじゃねー? 全く、このヨナ様がかぎつけられるヘマなんてするとでも――」
「やはりあなたでしたか、ヨナ・セイクリッド」
「へ?」
 驚きはどちらの声だったのか、気づくとティオはドアを開けて部屋へと侵入しており、ヨナと呼ばれた少年は口を半開きにして少女を見ていた。
「てぃ、ティオ・プラトー!? どうしてここに……ってうわっ!?」
 口に入っていたピザの欠片を汚らしく吐き出して驚いたヨナはバランスを崩して落下する。
 その様をティオは冷たい眼で見つめ、ようやく事態を把握したロイドら三人が会話に参加してきた。

「ティオ、知り合いか?」
「エプスタイン財団のシステムエンジニアのヨナ・セイクリッド、13歳です。悪戯好きが仇となって財団に巨大な損失を被らせ、怒られるのが嫌で雲隠れした根性なしです」
「辛らつね、ティオちゃん……」
「つーことはこいつがメール送ったのは間違いなしか? なんつーかアレだな」
 アレではわからないが、とにかく支援課はヨナを追い詰めたことになる。
 ヨナは地団駄を踏んで悔しがっていたがティオに論破されると大人しく負けを認め、一枚のカードを差し出した。


『今こそ門は開かれた。いざ星の塔に挑み我が望みを受け取るがいい』






 ウルスラ間道を少し進んだ場所、ちょうど最初の小橋を渡った直後だろうか、右に抜ける道がある。そこから先は森林部、魔獣が跋扈する獣の世界だ。
 鬱蒼と茂った木々はそのどれもが生存競争の中で生きる方法を確立したものばかり、魔獣もその食物連鎖の中で必死に生きている。
 動物種の魔獣に比べ植物種の魔獣は絶対数が少ないが、それでもこの地帯では世界全体の比率を裏切る形を取っている。
 途中ゴーディアンも見かけたがうまく回避することができた。目的はまだ先にあるので消耗は避けたい。

 森を抜けると吹き降ろしの景色が見えた。青空をバックに広がる短い草の絨毯。所々露出した土もその美しさを際立たせるアクセントになっている。
 その先にある自然界のものではない黄色の物体、そしてその先の古びた塔こそが目的地、星見の塔。銀が指定した星の塔とはこれのことだろう。

 不法占拠中のヨナについては折を見て様子を窺うという結論に達している。彼は情報屋、今回の件に絡んだのは銀からの依頼によるものだ。
 ヨナの場所にまで辿り着いたならこの場所を教える、という簡単な依頼であったが、彼としては突き止められた時点でゲームに負けたことになる。その顔には不満がありありと見て取れた。

 そして現在、ヨナを置いてきた特務支援課の四人はまた別の人物と顔を合わせる展開になっていた。
「皆さん、この先に行かれるのですか?」
 ノエル・シーカーが問う。警備車両を脇に停めて塔を眺めていたこの女性隊員は、侵入防止のために張ってあったバリケードが破壊されたことを訝しく思っていたそうである。
 そこに現れた四人に驚く彼女だが、彼らのことは熟知しているのですぐに悟った。
「あぁ、銀はこの先にいるからね」
「……そうですか。私はこれより塔の捜索を開始します。できれば皆さんと行動を共にしたいのですが、よろしいですか?」
 よっこらしょと車両からスタンハルバードを取り出したノエルはそう言い、四人は快く受け入れた。

「そういえばここはタングラム門の管轄なのか?」
「えぇそうです。とはいえ巡回のルートがそう決まっているだけでベルガード門との間に厳密な区切りはありません。魔獣事件ではマインツを私たちが警備しましたが、実際にはベルガード門の方々が基本的に巡回していますのでそちらが担当します」
 東西を司る両門に常駐する警備隊の定期巡回によって大雑把な担当を決めているが、実際はそこまで固執するものではないらしい。
 事実ベルガード門の司令は仕事をしないのでソーニャ司令の元に連絡が行きやすく、その為にタングラム門警備隊が出張ることもあるのだ。

 周囲の塔の残骸に四人は知らず息を呑んだが、意を決して行動を開始した。
 扉を潜ると石畳の道が続き、その中央には何かを祭る台のようなものが置かれている。陽射しも入っていて明るく、魔獣の気配はなかった。
 やがて塔内部へと入る扉が見え、ノエルは振り向いて言った。
「塔は危険ゆえに封鎖されていました。何があってもおかしくはありませんので覚悟してください」


 そこは、星空に造られた庭園のような場所だった。


「これは……光っているのは蛍でしょうか」
「随分趣の変わった場所だな、本当に塔の中なのか?」
 夜空を落としたような暗い空間に光が浮き沈みを繰り返している。円をモチーフにして設計したのか通路は円を繋げたように敷居が置かれ、光を灯した透明の天球儀があちらこちらにある。
 およそ塔内部とはかけ離れた空間に全員が呆けていると奥から重い足音が聞こえてきた。
「何、この音……」
「あそこです!」
 ノエルがサブマシンガンを構えた方向、通路が続く先から中世の甲冑を纏った巨大な騎士がやってきた。
 兜の隙間から見えるのは闇であり人が入っている様子はない。
「ゆ、ゆ、幽霊……?」
 エリィが冷や汗を流して後ずさる。思わずと言う風に銃を構えている様が彼女らしいが、騎士の持つ無骨な剣はこちらに敵愾心を持っているようである。

「ティオ!」
「名称不明っ、四属性オートバリア……弱点は時属性です!」
「そんな!? ありえないっ!」
「ありえなくとも目の前にいる、集中していくぞっ!」
 ロイドの掛け声で五人は散会する。
 ノエルがダブルマシンガンを掃射して反応を確かめると、どうやら甲冑の耐久度は落ちているらしく弾丸がめり込んでいく。しかし痛みはないのか進行は止まらない。

 二体の騎士はゆっくりと歩を進める。加速という概念がないらしく、故にロイドとランディはわざと射程内に侵入し相手の攻撃を促した。
 金属音を出しながら歪に振り上げた剣に二人は後退する。それから二秒の間を経て剣は振り下ろされ、二人は地を蹴って急加速した。
 ランディは振り下ろしを胴体に、ロイドは連撃を右足に集中させる。思ったとおり甲冑に武器は食い込み、その形状を変形させる。
 そのままの勢いで駆け抜けた二人は同じ地点で回転、無防備な背中を蹴り込む。
 バランスを崩し横たわった騎士にノエルは銃撃を浴びせ、その後に詠唱を終わらせたエリィとティオが時の刃を放射した。
 ソウルブラーが甲冑の隙間に入り侵略する。
 その反動か一度中から膨らむ素振りを見せた甲冑だが、その後魔獣のように光を立ち昇らせて消滅した。

 騎士が消え去った後も五人はそれぞれの姿勢で固まり、ホルダーにトンファーを仕舞ったロイドが堅い表情で呟くことで状況を進めた。
「――ティオ、弱点属性に間違いはないのか」
「クオーツで得られた情報では間違いありません、登録されていませんのでアナライザーは行いませんでしたが」
「で、でも上位属性は全ての魔獣に一定のダメージを与えるはずです、弱点や耐性を持つ魔獣なんて今まで発見されていません!」
 地水火風の四属性は魔獣によっては弱点も耐性も備えているが、上位属性のそれらを持つ魔獣は確認されていない。
 だからこその上位属性であるのに、先ほどの騎士にはその常識が当てはまらない。ティオは言った。
「古代の錬金術師が造ったと言われている塔ですから、どうやらここは通常の空間とは異なる霊的な場でもあるようです。それなら上位属性に干渉することはできますし、わたしが感じている違和も説明がつきます」
 原因は不明ですけど、と纏めるティオにノエルは咳払いを一つ、真剣な顔で全員を見回した。
「どうやら警備隊がここを放っておいたのは完全に間違いだったようですね。皆さんには弁解のしようがありませんが、どうか協力をお願いします」
「お前の責任じゃねぇし俺たちにも銀の野郎と会う約束があるんだ。そんな気にすんな」
「先輩、ありがとうございます……」

 銀がこの空間に関わったことは可能性としては低いらしい。
 しかしここに銀がいることも事実、五人は未知の世界の住人に留意しながら全八層の古代遺跡を進み始めた。




 初出:3月7日


 早送りの回。書いていて、あ、ここ伏線だったのか、という場面に気づきました。
 次回は個人的に一番頑張ったんじゃないかという銀戦になります。




[31007] 3-9
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/03/15 21:14

 ※ 『いい闘志だ』で始まる台詞を見つけたら、そこから零の軌跡オリジナルサウンドトラックに収録されている“Inevitable Struggle”を再生することをお勧めします。
 作者の黙読速度で調整が加えられた本文になっています。








 ここまでの道のりは正に異世界のそれだった。
 一階に引き続いた二階は主だった変化はなく、しかし螺旋階段を上り三階に到達すると、そこには壁一面に書棚が埋め込まれていた。
 部屋の中央には巨大な天秤が鎮座し、錬金術師の建造したものであることを印象付ける。
 四階には外壁に沿った階段から入り、そこから六階までは一・二階と同様の造りである。

 そして現在。
 碧と赤の二つの光を宿す天球儀の間には書棚と、屋上へと続く上り坂。太陽のような文様が入った円が描かれた床に、壁沿いに咲く薄紫の花。
 星見の塔七階はそんな開けた場所だった。

 そしてその書棚の上には銀色の仮面をつけた黒装束の人物。
 口元のみが開いており、それ以外はまるでわからない。腕と外套の先が刻まれたように歪で夜闇に紛れる羽のように見えた。
 五人の姿を確認して飛び降りる。その動作全てが無音で暗殺者であるという情報を見事に顕していた。身長はさほど高くない。
「まずはここまで足労願ったことを労おう」
 高くもなく低くもない声色で言う。
「お初にお目にかかる、私が銀だ」
「もう知っているだろうけど、特務支援課のロイド・バニングスだ」
 慇懃無礼にロイドは名乗り、銀も見えない瞳でロイドを捉えた。
 視線が交錯する。ふと、銀の醸し出す静かで深い空気が冷気を帯びてきた。それは如実に雰囲気を変えて緊迫感を増徴し五人の身体を強張らせる。
 そして銀は散歩にでも誘うように自然に言った。

「――さて、問答はここまで。残りは最後の試練を乗り越えた後に存在しよう」
 どこからか剣を取り出し構える。柄には金と赤い宝石、刀身は黒く紫の不可思議な模様が描かれており、その頂点は弧を描いて二本の鉤を形作っている。
 身の丈ほどもある巨大な長剣、それを右手一本で軽々と持ち上げ構える銀はその細い体躯に不釣合いな膂力を持っているようだ。
「……どういうつもり」
 エリィは銃を胸元に添えて尋ねる。それは既にこの先の展開を覚悟した声だった。
「弱者に用はない。お前達が我が望みに適う強さを持っているのか……私自身に証明してみせろ」
 右腕を肩より高く持ち上げ切っ先を向ける独特の構え、それが何より不吉を招き蜃気楼のような揺らめきを覚える。
 それは銀の放つ裂帛の闘志、強者であることを強制的に示すバロメータである。
「多勢に無勢――なわけねぇな。気ぃ張れよ! コイツ恐ろしく強いぞ!」
「言葉は無用、ならば全力で相手させていただきます!」
 ランディが吼え、ノエルが凛とした眼で対象を捉えた。
 五対一、その状況がまるで慰めにもならない。そのことを全員が知っていて、故に誰もが口にしなかった。
「行くぞっ!!」
 戦闘の合意、そして眼前の銀は――

「いい闘志だ、では…………銀の力、受けてみよっ!」
 前衛にロイドとランディ、中盤にノエルとエリィ、後衛にティオを配置した逆さの五角形は銀の言葉と同時、あっけなく破砕する。
 突進したロイドとランディの同時攻撃を一歩の跳躍で避わし、中盤のノエルに駆ける。ノエルはサブマシンガンを一斉掃射し近づけさせず、弧を描き走る銀は一瞬の後消え失せた。
 見失ったノエルは背後に寒気を感じて振り返り、偶然得物に当たった一閃に吹き飛ばされる。

 入れ替わる形で飛び込んだロイドとランディはそのまま一回転した銀の薙ぎにトンファーとハルバードをそれぞれ合わせ、同時にエニグマを起動させる。
 光に包まれた二人は導力を得物に集め振動攻撃を銀に放つ。銀は剣に与えていた力を抜き二撃の威力に任せて大きく後退した。
 その銀に対し水色の光が重圧をかけ、同時に雷撃が降り注ぐ。
 煙を上げる着地点にしかし人影はなく、その遥か横には左腕をしならせた銀がいる。
 腕に装着された鉤詰めが殺到しエリィは咄嗟に銃を手放した。絡め取られた銃は剣閃で細切れになり、エリィはもう一つの銃を抜く。

 高速の疾駆で銃口を外す銀を更にノエルの掃射が追うが当たらず、進行方向を変えた銀は後衛のティオに狙いを定める。
 懐から取り出した符を投擲、しかし間に割り込んだランディが符を寸断、瞬間それは爆発した。
 ランディに気を取られたロイドは銀の接近を許し、しかしトンファーで致命傷を防ぐ。
 頭から血を流したランディは咆哮、CPを解放する。

 ロイドとノエルが銀に二方向から迫り誘導せんとするもその二人に対し長剣をブーメランのように放り投げる銀。
 思わぬ攻撃に肩口を切り裂かれる二人だが、投げた得物が戻ってきた時には銀はランディの戦技を避けられない。
 剣を盾にした銀は衝撃によって壁に叩きつけられ、しかし刹那、銀は笑みを浮かべて消失し、ランディが叫んだ。
「散れぇえええええ!」

「――我が舞は夢幻」
 書棚の上に姿を現した銀はその両腕から無数のワイヤーロープを伸ばしている。跳躍し、腕を交差させた瞬間五人の周りにワイヤーが集い拘束する。
 更に引き絞った腕によって五人は中央に集められ、

白銀(しろがね)の光に抱かれ、眠れ――!」

 空中で加速した銀の剣戟をその身に受けた。

「――――」
「――ぁ」
 衝撃が全身を貫く。
 受けたことのない一撃に意識が飛んだ。
 背を向けた銀、その剣に血が浮かぶのが見えた。

 拘束から解き放たれ全身に激しい痛みが生じたことを契機として覚醒したロイドは仲間を見やる。
 長剣即ち刃物、正面に配置された一人はただでは済まない。ランディ・オルランドは切れたシャツを血で真っ赤に染めながら、それでもハルバードを支えに立っていた。
「ラ、ンディ……ッ」
「く、はァ…………」
 エリィは倒れ伏し、しかしなんとか立ち上がろうと腕に力を込めている。ティオは胸のプロテクターが破損し、頭を打ったのか意識を失っていた。ノエルは肩口を押さえているがゆっくりと立ち上がっている。
 エリィは起き上がることが難しいことを悟り、銃を天に掲げた。CPが消失し銃口に光が宿る。
「オーラ、レイン――ッ」
 光が降り注ぎ、傷を癒していく。
 ランディの呼吸が安定し、ノエルは肩から手を離した。ティオは目を覚まさない。

「強制回復か、しかし意識を取り戻すことはできないと見える」
 銀は剣を下ろし静かに状況を見つめている。ほぼ壊滅状態の彼らに対して何かをする気はなさそうだ。
「…………わりぃ、堕ちる、わ……」
 傷こそ癒えたが出血量が多い、ランディはそう呟いて倒れた。なんとか戦えるのはロイドとノエルの二人のみである。
「それで、どうするんだロイド・バニングス?」
「――やるさ。曹長、いけるか?」
 銀を見つめたままのロイドの言葉にノエルは頷く。
 得物の一挺は破損して使えない。ならばとノエルは銃を捨ててハルバードを構えた。
 ノエルは銃だけでなくハルバードの使用でも警備隊随一である。

「面白い、ならば試練は続行だ」
 再び構えた銀に対し、ロイドとノエルは時間差で飛び込む。
 ノエルのハルバードは特注品だ、非力な彼女でも破壊力が落ちぬよう先端の重さが増しており遠心力を味方につける。
 身体を捻り上部から振り下ろし、しかし銀は苦もなく回避する。
 だがそれでいい、ノエルの一撃は強力で銀でも受ければ瞬動は難しくなる。必然的に限定された空間でロイドは二本の得物という利点を最大限に利用して連撃を仕掛ける。
 それを器用に長剣で受ける銀、その武器にランディの血を見てロイドの感情が膨れ上がる。
 肩に力が入った渾身の、しかし大振りな右の一撃を銀はあっさりと外に避け、そこを狙ったノエルのハルバードの刃下を一閃する。
「な――」
「ぬるい」
 武器破壊に思考がまっさらになったノエルは無防備で、銀は左手で符を投げる。
 胸元に吸い込まれたそれは着弾と同時に炸裂し、吹き飛ばされた彼女はそのまま地に沈んだ。
「曹長!」

「これで一人だな、ロイド・バニングス」
 既に大きく距離を離した銀は剣先を下げて見つめてくる。それは意志確認、この状況で青年の如何をただ待つ。
 ロイドは仲間を見ていた。
 中央にはランディとティオ、少し離れた場所にエリィ、自身を挟んだ反対方向にはノエルがそれぞれ沈んでいる。エリィだけはまだ意識が残っているのだろう、なんとか起き上がろうと未だもがいている。
 その光景はただ一人の人物によってもたらされた。
 黒装束の伝説の凶手、今目の前にいる黒の存在だ。

「最後に残るのが貴様だというのは中々に興味深い展開だ。仲間は倒れ、しかし貴様は立っている。その差は一体どこにある?」
 銀が彼を攻撃しなかったというのが当然にして最大の理由ではあるが、何も意識してそうしたわけではない。
 ただ戦闘の流れのままに最適な攻撃対象を定めていった結果、ロイド・バニングスが生き残った。それだけだ。
 ただそれだけなのだが銀にはそれが偶然とは思えなかった。
「再度問おう――――どうするのだ、ロイド・バニングス」
 呆然と仲間を見ていたロイドはその言葉に身体を強張らせ、その主を見た。
 その瞳にあるのがどのような感情か銀には計り知れず、またそうする気もない銀はただ構える。
 ロイドから立ち上る気を見る銀は、そこに何かしらの意志を感じ眉を潜めた。
 見えるそれは今までよりも空の気配が強い。しかし同時にまた別の属性も感じ取れた。

 ……二属性を持つ存在など見たことはない。

 銀はまるで幻を見るように彼を眺めた。
「――――」
 ロイドは駆けた。彼我の距離は7アージュほど、その距離を一瞬で零にする。
 窺えない眼が驚愕に見開かれるも銀は長剣を盾にした。金属音が響く。
 ロイドが二撃振るうたびに一度ずつ響くその衝突音に銀は声を漏らした。
「む……!」
 後退し距離を取った銀は地を踏みしめて左右への移動で以って撹乱する。
 残像が見えるほどのフットワークをロイドは見ることもせず構え、左後方から迫った銀の剣閃を片手で受け止める。
 またしても驚きに足を止めた銀に背中を向けたロイドはそのまま右のトンファーを裏拳のように放ち、銀は身を屈めて回避する。
 そして彼の眼前に飛び込む左足、それを左腕で受けた銀は地に足を滑らせて後ずさった。

「……意外だな、ロイド・バニングス。いや、全く以って想定外だ」
 呟く銀に迫るロイド。右からの一閃を二本のトンファーで防ぎ、長剣に乗るように身体を浮かせて側頭部を蹴り込む。
 銀は剣を放してロイドのバランスを崩しその足を掴む。
 軋む音を上げる足に構わず今度はそこを支点としてロイドはトンファーを銀の足目掛けて振るい、跳躍した銀は足から手を放して両蹴りでロイドを吹き飛ばした。
 常人離れした銀の脚力を身体の中心に受けたロイドは地面を滑っていき、しかしエニグマを起動して戦技を発動、銀にチャージをかけスタンブレイクを見舞う。
 それを剣で受け止め、その振動に心身を震わせる銀は密接した状態で言った。

「貴様、一人のほうが強いではないか――!」

 CPを更に消費、均衡した鍔迫り合いにアクセルラッシュを強引に仕掛けて銀を吹き飛ばす。
 しかしダメージはない銀は符を投擲、ロイドは技後硬直中にそれを受け、しかし血を流しながら倒れない。
 服は焼け焦げ血と埃に汚れ、それでも表情は変わらない。
 圧倒的な優位に立っている銀はその顔を視界に捉え、その度に気を引き締めた。






 一人のほうが強いではないか――
 そんな声が聞こえてきてエリィ・マクダエルは霞む意識を強引に引き戻し、激痛を発する身体を無視して拳を握り締めた。
 戦いの音が鼓膜を支配し、しかし身体はうまく動いてくれない。ただそれとは逆にクリアになって動く思考は必死に今の言葉を否定した。

 違う、それだけは認められない――

 エリィの脳が過去の情景を映し出す。
 それは昨日の夜、煌めく光の粒の中で話す一人と一人。

 青年は一人じゃないと語りかけ、笑った。だからこそ自分はここにいるのだと言ってくれた。
 その言葉に彼女は、エリィ・マクダエルは安堵したのだ。自分は一人じゃないことを教えてくれた彼に心の穴を塞いでもらったのだ。
 そんな彼が、たった一人のほうが強いなんて妄言を認めることなんてできない。
 何よりその言葉を聞いた彼女が、そんな事実を許さない。
「――言わせ、ない……ッ」
 危険信号を無視して傍に横たわる銃を見る。
 共和国ヴェルヌ社製の導力銃、普段のそれとは異なるエネルギー放出系の予備。
 手を伸ばして握り締め、悲鳴をあげる腕と喉を圧し止める。
「―――――!」
 声を漏らしたくない。そうすればそこから全ての気力と思いが抜けてしまいそうで、目を閉じて必死に耐えた。

 痛みはひどいが、それでも動く。力の抜けた体は大分正常に戻ったようだ。
 恐らく驚異的な一撃に一時的な麻痺を起こしていたのだろう。それは痛覚も緩和していたのか、今更になって酷く痛む。
 それでもいい、ただ一人で戦っている彼のために、自分のために、なんとしても立ち上がらなくてはならなかった。
「そんな言葉……認めてたまるもんですか――」

 不意に、過去の感覚が浮かび上がる。あの時あの場所で救われた彼女が、ただ一つ否定した幻。
 その時には聞こえなかった、いや認識していなかった音の波動が今になって身体を駆け抜け、そして彼女は気づく。
 あれは幻ではなく紛れもない現実。しかしそれは彼を傷つけることではなく、彼を救うためのものであったのだと、そんな当たり前の事実を緊迫した今思い知った。
 悲鳴を圧し止めた口から笑いが零れる。
 あの時見た幻は否定するものではなく、その理由こそを考えるべきだったのだと自分に言ってやりたいが、それはあの光景を現実にしてから反省しよう。
 今はそう、ただ一人で戦っている彼のために――

 下半身に感覚が戻り、自重を支える土台ができた。後は――






 限界を超えたロイドの体は意志に反していく。
 最高速度を出し続けた機体の燃料は加速度的に減っていく、それは当たり前のことだ。
 しかし彼を責めることはできない、それが最善の手段だったことは否定しきれない事実だからだ。
 故に言及すべきはその選択しか選べなかった彼我の実力差と、何よりそれで凌駕し得ない銀の戦闘力である。

「――はぁ、はぁ」
 終ぞ一言も発しなかったロイドから呼吸の荒さが生まれる。それでも彼は攻撃の手を休めず防御の手を休めず、ただただ機械のように向かい続ける。
 銀はそれを防ぎ、攻め、しかし彼には余裕があった。徐々に落ちてきている相手の性能を理解しているからだ。
 しかし彼はそんな思考とは裏腹に真っ向から全力で向かい続けている。

 そんな理性と反して戦うというのは銀にとって何のメリットもない。ただロイド・バニングスという存在に対する興味だけがあった。
 土壇場、正念場、崖っぷち。言い表す言葉は数あれど、しかしそのどれもが彼の今を形作っているのかと問われれば銀に答えはない。
 火事場の馬鹿力と呼ばれるそれは身体能力を制限する枷を外した状態だ。そんな相手と戦ったことは長い銀の歴史の中でも数多ある。

 しかしその無数の過去の相手と今の彼は一線を隔している。
 理由は一つ、ただの勘である。
 だが百年を越える銀にとってそれは無視できるものではない。勘というのは経験と本能が最適解を導き出したものだ、むしろ尊重するに値するものなのだ。
 だからこそ銀はその異常な相手に興味が尽きない。
 試練だと相手を計るような志向で始まったこの戦闘が既に本来の目的を外れて一周し、また別の計りごとで満ちているのは何の偶然か。

 銀は交差する二つのトンファーから退避し、長剣を振りかぶって投擲する。
 崩月輪と呼ばれるそれは銀のクラフトの一つだが、得物を手放すというデメリットも存在する。そのデメリットが危険だという理由でロイドに使わなかったそれを今になって使っているという事実は彼との戦闘に変化が生まれていることを示す。
 事実ロイドはそれを避けることもなく両手で受け、弾かれる。
 弾かれながらも迫るロイドに左手の爪を飛ばし両のトンファーを絡め取る。
 これを放せばロイドの負けは必定、故に彼はそのまま銀に引き寄せられ、長剣の一閃をその身に受ける。
 剣閃に伴って緩んだ鉤詰めから武器を外し、そのまま振るうロイドだが既に銀は距離を取っている。
 胸に刻まれた傷がじくじくと痛み、血液が零れていく。
 龍爪斬は獲物を引き寄せるための手段にもなる銀の基本的な技である。これもかつてのロイドならば引き寄せられてもその勢いを長剣に叩きつけているはずだ。
 爆雷符は使わない。消耗品であるそれを使う段階でなくなったからだ。

「はぁ、はぁ、ッ、はぁ……」
 唾を飲み込み息を整えるロイドにもう余力はない。それを眺める銀は、しかし手を抜くことはない。
「こぉぉぉぉおおお!」
 金色の闘気が銀を包む。
 麒麟功――体内の気を極限まで高めることで身体能力を爆発的に高める術である。

「終幕だ」
 銀の放つ威圧感にロイドは呼吸を乱され、しかし決死の覚悟で踏み込んだ。
 麒麟功の類する術の特性は即ちスロースタート。気を高めた直後にしか正気はない。
 CPをフルスロットル、最後の攻撃を行う。
「はぁ、はぁ…………ッ!」
 乱れた呼吸のまま光に包まれ、加速する。
 最後の最後のタイガーチャージ、数倍の速度で銀の懐を踏み抜く。

「あ――――」

 ――しかし踏み込んだ先に銀はいない。ロイドと同等の速度で動いた彼は攻撃範囲を逸れ、呆然とするロイドの横に立った。
 スローモーションになる世界、すぐ近くにいるのに触れられない銀にロイドは何もできず空間にトンファーを振るい――


「ロイド――――ッ!」














 創る。
 異なる世界で行われた二つの意志の結晶を――
 放たれる光の弾丸に合わせて振るう無想の一撃を――














 背後に構えたエリィが見える不思議、それに思考を巡らすこともなくロイドはトンファーを振るう。
 その先にあるのは何もない空間、ではない。長剣を振り上げた銀は範囲外、だがそこに放たれるエリィの一撃。
 慮外の一撃は重く銀の身体がよろけ、
「ああああああああああああああああああああ!!」
 乱打を見舞う。
 一撃一撃は銀にダメージを与えられない、それでも少しずつ蓄積した威力で以って銀を圧し止める。
 完全に防御体勢に入った銀に乱打するもそれでは勝てない。
 だからロイド・バニングスは戦技の最後の一撃のためにトンファーを後方に向け、待った。
 待ち人は即ち震える足で立つエリィ・マクダエル。光を灯した白銀の導力銃がその光を解き放つ。
 身を屈めたロイドの真上を通るそれは銀を呑みこみ、翳したトンファーはその光を纏った。

 痺れる腕は千切れそう、しかしそれ以上にその力に全能感を覚える。
 光の暴風が消え去らない内に、もう感覚のない右足を前に出し両腕を解き放つ。
 声によるリミッターの開放は同時、二つの音を重ね合わせ――


「スターブラスト――――!」


 ――星の奔流が銀を掻き消した。




 初出:3月11日
 改訂:3月15日 決戦の舞台は第七層

 期待された方はごめんなさい。あの時の描写は単に『攻撃が敵にしか当たらないなんて無理』という立ち位置から見たスタブラです。
 今回試験的にBGM推奨なんてしましたが、やはりサビでの幻月の舞はぞくぞくする……! 名曲揃いの軌跡シリーズではサウンドノベル的な作品とかいいなと思いつつ。
 誰か一人くらい、サビで幻月読んでくれたかなぁ……





[31007] 3-10
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/03/15 21:34



 はっきりと覚えているのは光の中で踏み込んだ一歩が最後。そして気が付いた時には既に戦いは終わっていた。
 ゆっくりと目を覚まし、夜空のような塔の美しさに息を呑む。そしてようやく事態を把握して起き上がった。
「つぅッ!」
 痛みが酷く思わず顔を顰める。すると気づいたのか、白い女性が駆け寄ってきた。
「大丈夫、ロイド?」
 エリィ・マクダエルはそう言って飲み物を差し出してくる。勧められるままに飲み、酸味と甘味が喉を駆け抜けた。
「レモネード……」
「そ。疲れに効くし、それに……」
 意識が明瞭になっていく。そしてロイドは当然の質問を行った。
「皆は、それに銀も……」
 星見の塔第七階層。ここで行われた最後の試練を振り返り、エリィは口を開いた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 本棚に吸い込まれ無数の蔵書で埋められた銀に銃口を向けていたエリィは、そこでようやく止まっていた呼吸を開始した。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
 自分自身何が最善だったかもわからず、ただ見た光景と同じように銃を撃った。それが奏功したのかロイドは無事で、銀は吹き飛ばされている。
 呆然とする一方で、眼前にいるロイドがトンファーを取り落としたことで動かなければという意志が芽生えた。
「ロイド……」
 右肩を抑えて歩み寄る。崩れ落ちたロイドは意識を失っているが、幸い命に別状はない。
 彼女は安心して他の仲間を見やる。ティオとランディはオーラレインによって傷は癒えているが、彼方で蹲るノエルは傷が開いていた。
 大慌てで駆け寄りエニグマを駆動する。ティアによる回復で塞ぎきれる規模でホッとした。傷を塞ぐも、出血量が少ないのは爆発によって傷が焼かれたからなのだろうか。女性にとって痕が残ることは避けたかったがその心配も無用のようである。
 どういう原理かわからないが、爆雷符での傷は大きくはなく心臓付近で炸裂することによる衝撃が脅威であるようだ。
 膝を着きそうになる精神的疲労がエリィを襲うが、しかし彼女がここで倒れるわけにはいかない。
 とにかく全員を集めようと再び気合を入れて、

「――ふ、見事と言うべきか」

 その声に身体が固まるのは防げなかった。
「銀……」
「何を驚いている、エリィ・マクダエル。貴様もあれで私を打倒できたと思っていたわけではあるまい」
 その通りだ。
 エリィは銀を倒したとは思っていなかった。それでも僅かな望みを抱いていて、しかしそれは叶わなかったようである。
「そう怖い顔をするな。そもそも我が目的は貴様らの殲滅ではない」
「……じゃあ、その目的は何?」
「――改めてお前達に依頼する。我が名を騙ったその何者かの企みを阻止してもらいたい」
「………………それは、脅迫状を送ったのが貴方ではない、ということ?」
 頷く銀は本来の目的を話し始めた。

「そうだ。イリア・プラティエを害する理由はない。彼女自身、あれが本当に自分を狙ったものではないと理解していたのだろう。つまり、我が名を騙って別の目的を達成する者がいるはずだ。恐らくプレ公演か、本公演初日にな。捜査一課の網を抜けた場合を考慮して警備に当たってほしい」
「……確かに私たちはあれが本当の銀ではないと当たりをつけて捜査したけど、貴方自身はどうすると言うの? 自身の潔白を任せるほどに私たちを信用して」
「それを見極める為の試練だ。それに私は存外に忙しい」
 暗にルバーチェとの抗争を示し、エリィは顔を歪めた。しかし銀は気にする様子もない。
「それでどうするエリィ・マクダエル、貴女の返答を総意と思おう」
「受けるわ」
「それでいい。しかし早いな」
「その代わり、一つ要望があるのだけれどいいかしら?」
 銀は眉を潜める。エリィはちらと倒れている四人を見て言った。
「犯罪者の依頼を素直に聞く警察官はいないわ。見返りとしてある程度の治療を頼みたいの」
「おかしな事を言うな、私がそれを聞く理由がない。仮に見返りをとしても、それは今貴様らを見逃すということで十分なはずだ」
「いいえ、貴方は私たちを始末できない理由があるわ。それに今の状態で三日後の警備をするのは心もとない。それでは貴方も不服でしょう」
 冷や汗を隠してエリィは言う。強烈なプレッシャーを放つ銀と相対するのは今の状態では厳しかった。
 それでもこの交渉を成立させることは最重要、例え倒れても成さなければならない。落ちそうになる膝を叱咤して彼女は銀を見る。

 長い沈黙の後、銀は言った。
「……随分と口が回るなエリィ・マクダエル、流石は現市長の孫と言ったところか。しかしその論理には穴がある。私は無理に貴様らに頼む必要はない、例えば遊撃士にでも依頼すれば民間人の命に関わるかも知れぬのだ、喜んで引き受けてくれるだろう」
「それで貴方がいいのなら好きにするといいわ」
「…………」
 再び沈黙、しかしエリィは霞む意識の中最後の仕事を遂げたことを確信した。
「――いいだろう、甚だ不本意ではあるが治療には協力してやる」
「ありがとう……」
「礼の必要はない、約束は守る」
 もう眠れ、と口にした銀に気づくことなく、彼女は意識を失った。




 エリィの話を聞き終えたロイドは思わず自身の身体を見下ろした。特に変わった様子はない、とは言っても服はボロボロである。ただ戦闘中に受けた傷は綺麗に治っており痕も残っていない。
 それがエリィの回復魔法によるものなのか、それとも銀の施した治療によるものなのかは判断がつかなかった。というよりおそらく銀の治療もアーツなので同じことである。
「気持ちはわからないでもないけど、私たちが無事に生きていることこそ彼が約束を守ったことの証拠だと思うけど」
「……まぁそうなんだけどさ。そんなことより他の皆は――」
 そう言いかけたロイドはエリィに頭を小突かれた。疑問符が濫立するロイドにエリィはため息を吐く。
「自分の身体をそんなこととはなんですかっ……そうね、ティオちゃんとランディはもう目を覚まして屋上に行ってる、ノエルさんはまだね」
 そうかと呟きロイドは改めて自分の状態を把握せんと目を閉じた。あちこちに動作命令を出して確認していく。すると不思議なことに何の問題もない、ロイドは立ち上がった。

「軽い……」
 回復アーツは傷の治療に有効ではあるが、それはダメージを回復させているわけではない。簡単に言えば蓄積した疲労にはまるで効果はなく、更に本来は自然治癒で回復すべき症状を強制的に回復させるので最終的にはその反動が身体に跳ね返ってくると云われている。
 あくまで戦闘中、緊急時の応急処置にすぎないのだ。そのデメリットがなければ病院には疾病患者しか来なくていい。
「それは私も思ったわ。多分銀が何かしたんだと思う」
 ロイドは戦闘中の銀の変化を思い出す。東方に伝わる気を高めて戦闘力を爆発的に高める術、その気の応用というか本来の使用法は身体の回復にあるはずなので、おそらく自身の気を身体に送り込んだのだろう。
 結果、こうして疲労すら取れている状態にある。
「感謝、すべきなのか……?」
「そうね、心のどこかで思っておけばいいと思うわ。それより何より重要なのは依頼の達成だもの」
 そう言うなりエリィは顔を伏せて呟いた。
「それよりごめんなさい、私の独断で依頼を受けてしまって」
「気にする必要はないよ、俺だって多分受けていたはずだし、エリィが交渉してくれたおかげでこうして身体が良くなったんだからむしろ良かったんだ」
 ロイドの言葉にエリィは顔を上げて微笑み、やがて階段からランディとティオが戻ってきた。

「ロイドさん、無事でしたか……」
「起きたか。すまねぇ、俺としたことが……」
「ティオ、ランディも平気なのか? 俺より傷は深かったはずだけど」
「わたしはプロテクターが破損してしまって魔導杖の使用が難しくなってしまいましたが大丈夫です」
「俺たちは先に休ませてもらっちまったからよ」
 二人の言葉に安堵するロイドだが、しかし振り返ると自分の至らなさに頭が沸騰してしまいそうだった。
 拳を握り締めて耐えるもその言葉は口から零れる。
「ごめん、俺がもっとしっかりしていればこんなことにはならなかったのに……リーダーとして失格だ」
 ランディとティオは顔を見合わせ、そして同時に手を振り上げてロイドの頭を小突く。反論される前に続けた。
「ったくお前はすぐそれだ。いい加減聞き飽きたぜ」
「全くです。しかも大抵ロイドさんの責任ではない時に出てくるんですから始末に終えません」
「ふぅ。ロイド、それちょっと直したほうがいいわよ? こう疲れている時に聞くと気持ちが沈んじゃうわ」
「え、えっと……」
 困惑するロイドに三人は息を揃えて言葉を連ねる。

「大体あの戦いにどうしっかりすれば何とかなったってんだ。言ってみろ」
「ちょっと伝説の凶手を甘く見すぎでは?」
「私たちへの過小評価も入っているわよね、それ」
「あ、あの――」
「つまりっ!」
 口を揃えてまとめに入り、
「――お前はもっと楽にしろよ」
「リーダーという名前に締め付けられすぎです」
「その前に仲間、なんでしょ? ロイド」
 その言葉をロイドは心にしみこませて、静かに頷いた。


 ノエルが目を覚ました。彼女のほうも身体に異常はないようでロイドとは異なった方法で体の確認を行っていた。
 破れた警備隊制服を恥ずかしいのか悔しいのかよくわからない表情で見つめた後エリィと何かしらの会話を交わし、改めて支援課の輪に加わる。
「すみません、お力になれず……」
 はっきり言ってその言葉にどう返せばいいのかわからない。
 贔屓目に見ても役に立ったのはロイドとエリィくらいのものであるが、それでもティオはアナライザーで重圧をかけランディはSクラフトを浴びせている。
 時の偶然かもしれないが、遊撃として遠近両用の彼女は一撃も浴びせることが出来なかった。
「いや、曹長がいたからこそ今こうして無事でいられるんだと思うよ。単純に数の問題としてじゃなく攻撃に厚みも出たし展開も大分良くなっていたはずだ」
「つーか相手が悪かっただけで十分戦闘能力はあるんだからよ、あんま気にすんなって」
 ランディはそう言って笑い、ノエルはそれに釣られてぎこちなく微笑んだ。

 市内まで警備隊車両で送るという申し出を快く受けた特務支援課はノエルとともに星見の塔を下っていく。
 その夜空のような世界は異世界で、しかし銀との邂逅は現実味に欠けるものではなかった。脳裏に強烈に焼きつく暗殺者の姿、それを共有した五人はそうしてこの遺跡から立ち去った。






「おじいさまはアルカンシェルのファンだからリーシャさんにも期待していると思うわ」
 そう言ってエリィは眼前の少女に笑いかける。
 その少女、月の姫の衣装を纏って緊張に顔を強張らせているリーシャ・マオは、あはは、と小さく笑った。プレ公演当日、今は控え室前の通路で気持ちを落ち着けているところである。
「期待に応えられると良いんですけど。それより、銀という人が言ったように本当に何か起こるんでしょうか」
 頷くエリィに今度はロイドが問いかける。
「イリアさんには伝えなくてよかったのか?」
「あの人には――イリアさんには余計な心配は抱えずに輝いていてほしいですから」
 そう言って遠くを見つめるように少し視線を上げるリーシャは、まるで空にある太陽を見上げるように呟いた。

「この劇団には強引に誘われてしまいましたけど、でも嬉しかったんです。クロスベルに来るまで、私は決められた道しか歩いていませんでしたから。だからあの人の演技を見て惹きつけられたんです。ああ、こんな風にただ上を向いて力強く輝ける人がいるんだって。決して届かないものに憧れるようなものです」
 彼女はそんな太陽に憧れて、しかしそこに到達することを欠片も信じていない。
 彼女が見た太陽の美しさとは絶対に手の届かない不変のものであるという特異性にあると同時に、仮に辿り着けるとしても、彼女自身がそこに行き着くことを許されていない存在であるという自己の絶対性に由来してもいる。

 しかしそんな諦念から来る羨望をロイド・バニングスは許さない。
「手が届かないなんてないさ。月の姫は確かに太陽の姫の光を受けて輝くのかもしれない。でも君の演技はイリアさんのそれとはまた違ったものだと思う。いつかきっと、君自身が輝けるはずだ。イリアさんもそう思ったからこそ君を誘ったんだと思う」
 肩に手を置き、瞳を見る。
「今回俺たちも壁にぶつかったけど、きっと解決してみせるから、全力を出して頑張ってほしい」
 そこにあるのは真っ直ぐな意志と感情だ。リーシャはそこに不思議な安心を覚え、そして頷いて微笑む。
 少し前にあった硬さが影もなく取れ、そこには美しい少女がいた。

 直に開演、リーシャは再度礼を言い、舞台に上がる為にその場を離れた。残されたのは清清しい表情のロイドと清清しくない表情のエリィである。
「さて、俺たちも待機しよう」
「はぁ……これで無自覚だなんてたちが悪い」
「へ?」
 なんでもありません、と話を打ち切り、
「そんなことより、あんな約束したんだから絶対に解決しないとね」


 劇団アルカンシェルの新作舞台『金の太陽 銀の月』プレビュー公演である今日、特務支援課は二手に分かれて秘密裏に警備を行っている。
 劇場内にはロイドとエリィ、劇場前にランディとティオ、そしてツァイトを配置した今回。人選の理由は様々であるが、ツァイトが応援に駆けつけているということで意思疎通の可能なティオが外にいることが適任と決まったことが一番の理由だ。
 またアルカンシェルが人気だとはいえ男二人で来ることは少ないため、万が一見つかった場合でも男女ペアのほうが誤魔化しやすいという理由とリーダーであることから内部のペアは決定、ランディも納得している。

 二階客席には捜査一課のアレックス・ダドリー捜査官を配して万全を期していると考えられる捜査一課だが、見る限りそこまで捜査官の数は多くない。もしくはそれほどにまで擬態が完璧であるのだろうか。
 劇団員控え室にも人員は送られており、この状況では隙はないように見える。おそらく捜査一課もこちらの存在に気づいているだろうが、対処を時間の無駄と考えているのか接触の気配はない。それならそれで独自に動けると開き直っているロイドはおそらくセルゲイに毒されている。
 三階における貴賓席にはエリィの祖父であるヘンリー・マクダエル市長が秘書のアーネスト・ライズとともに席についている。護衛警官が一人と少ないのはアーネストが剣術を嗜んでいるかららしい。武器の携帯も特別に許されているそうだ。


 場内が暗くなり、舞台が始まる。そこから先のことは二人には祈るしかない。とにかく状況の推移に鋭敏にならなければいけない現状、舞台を見たら引き込まれる危険があった。それでも状況確認のためにと小まめに眺めていく。
 支配人とも情報交換を密に行い、事あるごとに劇場内を徘徊する。変わったこともなく空振りに終わる度に安堵し、舞台を眺めては息を呑む。流石のダドリーも時が経つに連れてアルカンシェルの波に飲まれていっているようだった。

 佳境に入る。客席を含む全体が一つの世界となって物語の行く末を見守り、その一部に警官が含まれていたその時。
 ロイドとエリィは控え室からロビーへと戻り、そして慌てた支配人の姿に急転を理解した。怪しげな人物が二階客席に向かった。そう知らされ即座に右側階段への扉を駆け抜ける。
 そして前方上部、客席への扉の前で立ち止まっている人影を視認して走り出し――
「グレイスさん!?」
「あら、やっほー」
 見知った人物に嘆息した。なんでもクロスベルタイムズに贈られた記者用のチケットを別件調査中に使われてしまったらしい。故に彼女は清掃用のバケツに潜み、こうして機を窺っていたとのこと。

「しかしダドリーさんにまで嗅ぎ付けられていたとは……流石一課ってところかしら、でもそれならどうしてダドリーさんがここに?」
 自分で言って自分で混乱しているグレイスに二人は嫌な違和感を覚え、ロイドは尋ねた。
「――グレイスさん、あなたはどうしてここに?」
「ん? んー、言ってもいいけど、いいの?」
 ちらとエリィを見るグレイスだが、エリィは頷いた。グレイスは咳払いを一つ。
「実は市の予算が私的に使われているらしいのよ、あの秘書に」
「………………え?」
 エリィは呆然とその言葉を受け止め、
「エリィ!」
 傍らからの大声に我を取り戻す。
「結構な額よー、それに帝国派議員との繋がりも見え隠れしているし相当な裏を持っているみたいね。てっきり一課もそれ絡みでいるんだと思ったんだけど、違うの?」

 そして二人は改めてこの状況の異常性に気づいた。
 バケツなどという古典的な手段で隠れていた彼女を一課が見逃すはずはない。つまり彼女の存在に気づいていながら一課は無視していたのだ。それ自体については自分たちのような例もあるのでいいだろう。
 しかしここで重要なのは、グレイスがここに来た理由を、単なるプレ公演の取材と決め付けているのならば。
「おじいさまっ!?」
「行くぞッ!」
 グレイスを置いて客席の扉を開く。薄暗い場内を駆け抜け貴賓席への最短ルートを突き進む。
 反対方向の扉を抜けすぐにある階段を段飛ばしで駆け、豪華な装飾の扉を開いた。
「ッ! ちィ!」
 そこには倒れ伏す警官とヘンリー市長、そしてその首に短剣を突き刺そうとしていたアーネスト・ライズの姿があった。

 アーネストは侵入者に気づきヘンリーの身体を抱き起こして跳躍、距離を取った。
「おじいさまっ、アーネストさん」
「アーネスト、あんた……っ」
「おやおや、不思議なところで会うもんだねエリィ」
 それぞれ得物を構え睨む二人にアーネストはあくまで余裕を崩さない。しかし計画を悟られたことで動揺はあるらしく、その顔には苛立ちが見えた。
「アーネストさん、どうして」
「どうして、それを君が言うかエリィ? 君も理解しているはずだこのクロスベルの呪いをっ!」
「――ッ」
「この二者代表というルールにおいて改革を成し遂げるには市長と議長という二つの椅子が同じ方向を向かなければならない。そして私は、議長閣下と同じ方向を選んだのさ! 市長の椅子も用意してくれるというのでなッ!」
 その眼には狂気が見えている。照明を落とした部屋の中でもその暗い輝きは尚歪に存在を主張していた。

 手に持つ銃が震える。
 彼がどんな過程で以ってそんな結論に至ったのか知る由もないことが悔しく、またそんな結論を出してしまったかつての家庭教師が苦しく、その後の祖父の落胆を思うとやりきれなかった。
「――直に一課も来るぞ、どうする気だ?」
 ロイドが問う。しかしその問いはアーネストに選択を急がせることになり状況を悪化させる。
「――ふむ、では優秀な一課が来る前に消えてもらおうか」
 市長を横たわらせその首元に短剣を突きつけたままアーネストは銃を抜く。正規の物ではない輸入品である。
 その銃口を、彼はまず青年に向けた。

「エリィ、彼を死なせたくなければ私に協力しなさい。ここから逃げ果せた後は議長に支援を請い、改めて市長の座に着くとしよう」
「アーネスト、さん……」
「ん? いや、彼を殺してエリィに協力させたほうがいいのか? そうだそのほうがいいな、ここで逃げた後は協力の条件にならないしな。ではエリィ、市長を死なせたくなければ彼を撃ちなさい」
 様子がおかしい、とロイドは思ったが、しかしその言葉は現状において強力だ。市長を人質に取られている今その要求を覆す要素はない。
 エリィは信じられないものを見るようにアーネストを見た後、ロイドを見た。そこには拒否の意志しか見られない。

 だからロイドはエリィの銃に手を添えて自分に向けさせた。
「そうだ、良い判断だよ!」
 アーネストはまるで子どものように感情を高ぶらせている。目の前の光景が面白くて仕方ないようだ。
「ロイド……っ」
「大丈夫だ。カウントするから零になったら撃て」
 大丈夫だともう一度呟きカウントを開始する。
「3……2……――1!」

 刹那、銃撃音が響き、

「ぐぁッ!」
 アーネストの手から銃が零れ落ちた。途端になだれ込む無数の警官、その指揮を執っていたダドリーは一番にアーネストに迫り渾身のショルダーチャージを放ち壁に叩きつける。短剣が地に落ちる音が響く間に他の警官が市長を保護した。
「やってくれたなアーネスト・ライズ!」
 ダドリーが仁王立ちし、銃を向ける。その眼には煮えたぎった怒りが燃えていた。
 しかしアーネストはその鬼気迫る彼に対し尚笑い、
「シィ――ッ!」
「何ッ!?」
 手刀の形を取った一閃でダドリーの銃を弾き飛ばした。突然の強行に反応できないダドリーに構わず一挙動で体勢を立て直したアーネストは警官の隙間を縫って駆け出す。

 反応した時には部屋を飛び出していたアーネストに咄嗟に迫ったのは出口付近にいたロイドとエリィだ。次いでダドリーが顔を赤らめて走り出す。
 常人では考えられない恐るべき速度で走っていくアーネストに二人は追いつけないと判断、エリィがエニグマでランディに通信をかける。
 それを待ってましたとばかりに即行で受け取ったランディは、同時に劇場を出てきたアーネストに奇襲をかけようと迫った。
 その速度に常人だという意識を取り払いパワースマッシュに変更、敢行する。流石にこれを避けることはできなかったアーネストはその衝撃に足をふらつかせ、しかし尚も逃げようと足掻いたところでツァイトのボディプレスに沈黙した。

 ようやく追いついた三人と待機していた二人と一体が集合し、劇場前にて一連の犯人の逮捕に成功した。
 奇しくもそれは新作舞台のフィナーレと同時刻、アルカンシェルは新作を無事に終了させ、特務支援課は市長の安全をなんとか勝ち取った。






 * * *






「――市長暗殺の阻止、ですか。ふふふ、大層な成果を上げたものですね」
 クロスベルタイムズを眺めてツァオ・リーは椅子の上で笑う。彼の期待に応えた特務支援課に頭の中で礼を言いつつ、これからのことに思いを馳せる。

 アーネスト・ライズは今回の事件に対してまるで記憶があやふやであるらしい。本人が放った証言に関しても首を傾げる一方であり聴取もままならないそうだ。またそれと同じく異常な身体能力という説明のつかない事象に関しても明確な証言が取れず、薬物反応もない。現在は彼の最近の人間関係を漁っているところである。
「真相は藪の中、ですか……」

「――ふ、戯言を」
 空間から透けてくるようにその姿を現したのは黒衣の暗殺者、銀。
 依頼者に対しても正体は明かさない彼はツァオの優秀な駒の一つではあるが極僅かな不安要素をも抱えている。
 とはいえ契約は絶対なので心配はしていませんがね……
 ツァオは表に出すことなく、先の発言に続いた。
「おや、戯言とは心外ですね」
「貴様のような狐が何も掴んでいないなどという言葉が信に足りるとでも?」
「そうですねぇ、確かにある程度は掴んでいますが全てとまでは。それよりも銀殿、今回は随分ご執心だったようですね。いえ、契約分は働いていただいていますのでそれは良いのですが、何か事情でもあったのかなと」
 銀は沈黙し、微笑を返した。
「特にはない――――用がないなら行くぞ」
「いえいえ、これが次回の内容です。目を通しておいてください」
 資料を受け取り現れた時と同じように消えていく銀。そんな彼の残像を見て、ツァオは眼鏡を押し上げて嗤った。




 黒月の屋根上に姿を現した銀はそのまま連なる建物の屋根を伝って移動を開始する。その速度は先日のアーネストと同等か。
 いやこれでは銀に失礼だろう、彼以上の速度で以ってクロスベルを駆ける。
 やがて目的の位置に着いたのか、歩みを止めた銀は、

「――ふぅ」

 外套を脱いで一人の少女に変異した。
「…………」
 物陰に飛び降り、そのまま歩いていく。いざ目的の場所に入ろうとしたところで声をかけられた。

「あらリーシャ、早いのね」
「あ、イリアさん」
 そして、二人は内部へと消えていく。



 初出:3月15日


 そしてまたしてもロイドに銃を向けるエリィ。実はあの映像は少しだけ今回の展開も暗示していた的な感じです。
 Q.どうしてこんなに早送り?
 A.銀戦が書けたのでもうこの章はいいや。



[31007] 3-0 c
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/03/19 23:09




 眼前に広がるのは、クロスベルの名物として君臨している劇団がその威光を堂々と揮っている劇場である。
 掲示板に揚げられていた依頼の一つを終了させたエステル・ブライトは入り口脇にある大きな宣伝画を眺めている。

 アルカンシェル。彼女は観劇したことはないが、クロスベルにいるとそのフレーズを聞かないなどということはなく、つい先日もそれを聞いたばかりである。
 聞くところによると、およそ考えられる限りの心の揺さぶりが含まれているらしい。もう悪い評価を聞いたことはないくらいなのだから万人に認められるさぞ素晴らしいものなのだろう。
 そんな集団なのだから多分に漏れず彼女も興味津々、というわけではない。
 素晴らしいことはわかる。多くの人々が心を揺り動かされ、口から飛び出す言葉は賞賛の嵐。
 だが黙って何かを見るということはエステルの趣味嗜好とは少々外れている。
 インドアではなくアウトドアな彼女は自分で何かをしたいタイプなのだ。

 だから彼女がアルカンシェルのほうを捉えて離さないのは劇自体に興味があるわけではないのだ。いや、彼女自身過去に劇を繰り広げたことがあるので気にならないというのは厳密には嘘だが、それでも今回はその中身に関心があるわけではない。
 それは先に述べた、先日アルカンシェルという言葉を耳に放った彼の発言によるものなのである。

「おまたせ、エステル」
 微動だにしないエステルの横からアイスクリームを二つ持ってきたのは相棒であるヨシュア・ブライトである。
 アルカンシェルのある歓楽街の食の名物といえば、屋台ランキングでトップを維持し続けているアイスクリームである。
 休憩時間くらいは甘いものが食べたいと言ったエステルに苦笑しながらそれを買ってきたところである彼は、せっかくの献上品に反応しないエステルに疑問を持つ。
「エステル?」
「あ、ヨシュア」
「アイス、買ってきたよ」
「あ、りがとう」
 釈然としない態度のエステルにヨシュアは首を傾げながらアイスを渡す。
 そして彼女の立つ隣へと移動したところで、あぁと呟いた。

「――アルカンシェルだね」
「うん」
「ロイドが言っていた、レンを見た場所だっけ」
「うん」
「……君のアイス、食べていいかい」
「うん……だめよっ!?」
 慌ててアイスをかっ込むエステルは、それ特有の頭痛に襲われてしかめっ面をする。
 それをヨシュアは笑い、アイスを口に含む。
「なんならちょっと訪ねてみる?」
「ううん、いいわ。だってレンに会っても、今の私じゃ逃げられちゃうもの」
 そう言って笑いかけるエステルの顔はヨシュアにしかわからない悲しみを帯びていた。

 ヨシュアはその顔をなんとかしてあげたいと、今までの調査で判明していることを話し出す。
「レンの両親は北西の住宅街に住んでいるようだね。貿易商のハロルド・ヘイワースさん、その妻ソフィアさん。そして、息子のコリン君」
 アイスを含み、溶かす。冷たくシャリシャリした、甘い食感。
「周囲の印象は概ね好評。堅実ながら温情に満ちた商売、近所で料理教室を開く社交性。コリン君も平凡な小さな男の子だ」
「………………でも、レンは」
「そうだね、だから確かめるんだろ?」
 エステルはヨシュアの目を見る。
 そこには至上の信頼が含まれており、エステルは小さく頷き、空を見上げた。
「――そうよー、まずはそこからっ。あの子の全てを知って、それで迎えに行くんだからっ!」
 やるぞー、と両手を掲げ気合を入れるエステルにヨシュアは微笑む。彼の好きなエステルの姿だった。

「さ、仕事に戻りましょ!」
 アイスを食べ終えたエステルにヨシュアは頷くが、彼の手にはまだアイスが残っている。
 エステルはニヤリと笑い、ヨシュアはやれやれと首を振ってそれを差し出す。
「ありがとヨシュアっ」
「全く、お腹を壊しても知らないよ?」
「だーいじぶだいじぶ。私お腹は強いからっ」
 ペロペロとアイスをなめるエステルにヨシュアは優しい瞳を向ける。
 なんだかんだでエステルのそうした態度や行動に救われていることを理解している彼は、それ故に彼女が愛おしい。

 そんな二人は傍目から見ればバカップルのようなそれだが、その空間を壊すように、二人の正面の扉が開く。
「え?」
 二人は同時にそちらを見やり、出てきた少女に注目する。
 フードのついたオレンジの上着に黄緑と山吹のホットパンツのいでたちは、彼女の恵まれた体つきがよくわかる服装だ。
 しかし二人が注視したのは、彼女の肩にかかるくらいの髪。
 白いリボンが映えるその髪は、エステルとヨシュアの探している少女のそれよりは暗い色であるものの、説明するならばそれとしか言えない色である。
「紫の、髪……?」
「……うん、紫の髪だね」
 二人の呟きが聞こえたのか、劇場から出てきた少女はエステルとヨシュアに目を向ける。

「あの……?」
「うぇっ、あ、えと――」
「すみません、聞こえてましたか?」
 慌てるエステルと異なり落ち着いた声で話すヨシュアに少女はいえと否定し、しかしどうにも不思議な表情をしている。
 ヨシュアはそれに気づいたものの、気づかない振りをして続けた。
「実は僕たちが探している子が貴女と同じ髪の色でしたので、少々驚いてしまったんです」
「あ、そうだったんですか」
「そうそう、そうなのっ。ごめんなさい、無遠慮に見つめて」
「あ、いえっ、気にしないで下さいっ」
 ぺこりと頭を下げるエステルに慌てる少女、それはなんとも注目を集める催しだったようで、気づけば周囲の視線が向けられている。

「エステル」
「あ、あはは……」
「えと、あの……」
「そういえばどこかに出かけるところだったんですよね?」
「あ、はい。ちょっと市役所のほうに」
 エステルはそれを聞いて破顔した。
「じゃあそこまで一緒していいかな?」






 行政区は歓楽街と隣り合わせの区画であるため、その道程はわずかほどでしかない。
 しかし持ち前の明るさと人懐っこさで少女の承諾を得たエステルは、ヨシュアを置いて少女の隣に並んで話している。
 置いていかれたヨシュアは親しそうに話すエステルとちょっぴり引いている少女の姿を後ろで眺めていた。

「私はエステル、エステル・ブライト。あなたは?」
「私は、リーシャ・マオっていいます」
「年は? 見た感じ同じくらいだと思うんだけど」
「17です。エステルさん、は――」
「あ、じゃあ私の一個下ねっ。私18だから」
 年上だとわかり少し嬉しそうなエステルに、後ろから口撃が放たれる。
「落ち着きは年下みたいだけどね」
 噛み付くように振り向いて威嚇するエステル。ヨシュアは涼しい顔をしている。
「うっさいわね! で、後ろのがヨシュア」
「初めまして、ヨシュア・ブライトです――――ごめんね、エステルはこんなだからさ」
「あはは、羨ましいです。明るくて」
「ありがと、でもリーシャは――あ、リーシャって呼んでいいかな?」
 首肯するリーシャにエステルは笑いかけ、

「リーシャのその落ち着いた感じは羨ましいかな。私落ち着きがないとこがあって……さっきのヨシュアの言葉を認めたわけじゃないけどねっ」
 認めているじゃないか、とはヨシュアは言わない。
 彼はあまり話す気がないらしく、ただ黙って後ろに控えている。
「ふふ、でも私のは落ち着きとかそういうんじゃないと思います。ただこういう性格なだけで」
「だから、そういうところがいいんだってば。あ、そういえばリーシャはアルカンシェルの団員なの?」
 リーシャとの邂逅はアルカンシェルの劇場前、しかもリーシャがそこから出てきたからだ。
 今更な質問にリーシャは淀みなくイエスと答え、エステルのテンションが上がった。
「私アルカンシェルの劇は見たことないけど、すごいんでしょ? 見てみたいなぁ」
 エステルの言葉はリーシャの琴線に触れたのか、彼女の笑みが深くなる。
「凄いですよ。本当に、凄い。一度見たら、きっと虜になっちゃうと思います。私もそうでしたから」
「あ、じゃあリーシャは劇に感動して入ったのね」
 頭を振るリーシャにエステルは首を傾げた。彼女にはそれ以外の入団理由がわからなかった。
 すると後ろからヨシュアが口を挟む。

「――じゃあスカウトされたんだね」
「スカウト?」
「……えぇ、そうです」
 同意するリーシャは何故か苦笑を漏らし、その理由を話す。
「公開練習というのがあってたまたま見ていたんですが、そうしたらイリアさんが強引に……結局私は今こうしてアルカンシェルにいます」
 強引に入れられたというリーシャはその件を嬉しそうに話している。
 まぁ結果がいいならいいかとエステルは考えることをやめた。
「そっか、良かったねリーシャ」
「はい、そうですね。よかったです」

 そうこうする内に市庁舎にまで辿り着く。
 エステルとヨシュアは再び並び、最後の会話を始める。
「それじゃあね、リーシャ!」
「またどこかで。困ったことがあったら気軽にギルドに来てほしい」
「ギルド……お二人は遊撃士だったんですかっ!?」
 ヨシュアの言葉の一単語を復唱し、リーシャは驚く。二人は職業をリーシャに話していなかった。
「あ、言ってなかったっけ? そうよ、この前クロスベルに来たばかりなの」
「そう、だったんですか……」
「なので、お気軽にどうぞ」
 リーシャは微笑み、頷いた。

 彼女が市庁舎の扉を潜り中に消えていくまで見送った後、二人はギルドへと戻ることにする。
 見晴らしのいい港湾区を通ろうとしたエステルは、しかしヨシュアに止められて中央広場への道を進んだ。
「ヨシュアー、どうしてこっちに?」
「……杞憂ならいいんだけどね」
 首を傾げるエステルに笑い返した後、話を逸らすようにヨシュアは言う。
「――すごいね、リーシャは」
「そうね、なんか武術でもやってるのかなぁ?」
 ヨシュアは急に立ち止まり、エステルは足を止めて振り向く。ちょうど中央広場に差し掛かるところだった。
「……そうだね。エステルはどこで気づいたの?」
 んー、と考え、エステルは歩き方、と答えた。
「なんかヨシュアと似てたのよね、リーシャの歩き方。静かな感じ。まぁ性格も大人しかったけど」

「――――」
 ヨシュアも同感だが、しかし彼が気づいたのはもっと早い。
 歓楽街は旅行者も多いし、娯楽施設も集中しているのでクロスベル市の中でも人通りが多いほうだ。
 そしてその人気スポットの一つであるアルカンシェルの前にいたのは二人だけではない。
 おそらく常連であろう人間もおり、当然のように声援を送っていた。

 その中で、エステルの小さな言葉に耳ざとく反応した。
 それが自身の名前ならば騒々しい中でも聞き取ることはできる。
 しかし身体的特徴の一つでしかないそれは五感を絶えず鋭敏に張り巡らせていなければできない芸当だ。
 その時点では、アルカンシェルという劇団の超人的感覚であるという考えで相殺できる。
 しかし、ヨシュアは移動の間ずっとリーシャの後ろを取っていた。
 その歩行が自身と酷似していることにも気づいた。
 すると頭の中で一つの仮説が思い浮かぶ。

 だが彼女がエステルと話している間の挙動は自然そのものだった。
 背後を取られていることに気づく様子もない。
 これが擬態ならば見抜く自信はあったが、ヨシュアの全感覚はそれが嘘でないことを認めていた。

 そのアンバランスさ、それこそがヨシュアの頭を支配する言葉である。
「――行こう、エステル」
「うん、リーシャともまた会えるだろうし、その時は何やってるか聞かないとね」
 時間なかったし、と意気込むエステルをヨシュアは眩しそうに見る。
 全く以って凄いな、とヨシュアは眼前の日輪を眺めていた。






 市庁舎を出たリーシャは、視界に広がるクロスベルの地を漠然と眺める。
 その見つめる先は東の方角を示す。
「………………」
 彼女が何を思ってそうしているのかは定かでない。
 ただ明らかなのは、彼女の思考の大半を占めるのは先に会った二人の遊撃士だ。
 僅かな時間しか共にいなかったのに太陽のように心が温かくなる少女と、それを見守る静かな月のような青年。
「エステルさんと、ヨシュアさん。遊撃士のお二人……」
 東通りの遊撃士協会。
 二人は気軽に訪ねてほしいと言っていたが、クロスベルの遊撃士が多忙であることは知っている。
 それでもあの太陽に触れると思わず相談したくなるのが不思議だ。

 二人は、強い。何よりもその在り方が強く輝いている。

 故に、リーシャは彼らに相談することはないだろう。
 多忙だから、有名だからと理由をつけて、肝心なことは話もしないだろう。
 だがそれは、彼女が感じている彼女自身の本質による判断なのかもしれなかった。
 クロスベルに来て抱いてしまった彼女の矛盾によるものなのかもしれなかった。

「――さ、イリアさんのところに行かなくちゃ」
 風が吹く。
 彼女の前髪を後ろへと流し、目を細めさせる。
 西から東へ、まるで彼らに向かって吹いているかのような風を切って、リーシャ・マオは歩き出す。
 自分の居場所であるアルカンシェルへ、自分を見つけた女性のところへ。
 彼女が今全力を尽くす場所はその劇団であり、死力を尽くすのは次の舞台なのだから。


 これは、リーシャが特務支援課を訪れる前日の話である。




 初出:3月19日


 ファルコムラジオでメールが採用されたことに発狂して書いた。短め。
 佐藤利奈さん向けのメールだったのでもちろんリーシャの話。でもエスヨシュ回みたいになった。
 1月9日の話です。




[31007] 4-0 a
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/03/23 22:32



「……一つ言わせろ」
「な、なんだよ……」
「ランディ?」
 はぁ、とため息を一つ。それとともに空気が重いのか軽いのかわからなくなる。
 ランディは言った。
「お前らデキてるだろ」
「な」
「ん」
「だってぇーっ!?」
 訂正、間違いなく軽かった。ちなみに最後は二人同時である。





 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 事の始まりはこうだ。
 無事脅迫状事件、もとい市長暗殺未遂事件を解決に導いた特務支援課。この手柄はクロスベルタイムズにも大々的に取り上げられ、一夜にして彼らの待遇を変えた。
 捜査一課というクロスベル警察のエース部署が警備していた場所での実績ということが箔をつけたのだろう、支援要請で市民に会っても反応が良かった。

 そんな彼らだが、とにかく銀にこっぴどくやられたことが頭から離れない。
 故に今度会ったら同じ目に遭わせる、とまで強がることはできないにしてもこちらの要求を無視できない程度には強くなっておきたかった。
 ということで前回のおさらいである。
 まずランディとティオがすぐに脱落したのでその後の展開を所望する。エリィはエリィで戦いには参加できずに暫く蹲っていたのでその間の戦況は知らずロイドにスルー。しかし当のロイドもノエルが脱落してからの流れを良く覚えておらず、結局なし崩し的に最後の一撃にスポットが当たるのは当然のことだった。
 しかしこの説明が問題だった。ロイドとエリィは口を揃えて一言「スターブラスト」である。疑問符しか浮かばない二人のためにとこのお惚けコンビは説明を加える。曰く「私がロイドに向かって撃って」「それに合わせて殴った」である。

 ああそうか、根本が間違っているんだな。
 ティオがそう思うのも無理はなく、ランディがため息を吐いてもっとと詳細を強請る。
 そしてやっと理解のできる説明が零れ落ち、結論はこうである。
「ロイドがタイガーチャージを避わされたから銃で撃って範囲内に押し込んで、乱打が終わるタイミングでロイドの背中から魔力弾を撃つ。それを屈んで避けたロイドがトンファーを後ろに流してその魔力を吸収させて最後に止めの一撃を放つというコンビクラフト」
 人差し指を立ててまるで出来の悪い生徒に向けて話す教師のような格好をするロイドとエリィに青筋が浮かぶのを抑えられなかったランディをどうして責められようか。
 そして冒頭に戻る。


「ちょ、ちょっと待ってくれっ、どうしてそうなるんだよっ!」
「そ、そうよっ、話が摩り替わっているわっ!」
「反応が一緒ですね。これはもう現在の心境も同じなのではないですか?」
「ティオちゃんっ!」
 ティオは失礼しました、と言ってあらぬ方角を眺める。
 あ、鳥……
 ランディは言った。
「いいか? コンビクラフトっつーのは連携の極みみたいなもんだ。前にエステルちゃんとヨシュアがやってたアレみたいにな。通常のSクラフトとかと違って他者との呼吸も合わせる必要があるし、何よりそれはただの連撃だとか同時攻撃だとかと同じ威力じゃねぇんだぞ。そんなもんをぶっつけ本番で成功させるコンビ、いやカップルがデキてないなんて俺は認めないね」
 ふーん、とこちらも彼方を眺めるランディ。腕を組んだ様は心のガードを表しているかのようだ。
 しかしそんな対応をされてもロイドとエリィには解決のしようがない。結局真実は頭に思い描いた動作をしたらそうなった、という身も蓋もないものなのだ。
 それにおそらくあの時は極限状態における火事場の馬鹿力のようなもので、今もう一度成功させろと言われてもできる気はしない。

「――っ!」
「――っ!」
 そして二人は同時に閃き、それを見てティオは再び同じことを思った。そんな彼女を知ってか知らずか二人は怖い笑みを浮かべて捲くし立てる。
「そ、そう! 今やってもきっとできないから今から練習をしようと思うんだっ!」
「だから二人も一緒にコンビクラフトを考えてみないっ!?」
 結局のところランディとティオの疑いを晴らすには同例を出現させる以外には思いつかない二人はそう言ってそれぞれ腕を引っ張っていく。ずるずると引きづられていくランディとティオはこちらはこちらで、これぐらいで許してやるか……とシンクロしたように同じことを考えていた。






 両者の声が木霊する。二人は同時に息を吐き目の前にいる訓練用の攻撃対象を見た。
「あれ?」
 その案山子はロイドの打撃を受けて腰を曲げ、エリィの銃撃によって焼け焦げている。それは今行った二人の攻撃の性質に違わぬ防御創である。
 しかし二人の反応は鈍い。
 それもそのはず、銀を打ち抜いた一撃を再現したはずのそれが見事にばらばらの攻撃になって威力が分散していたからである。
「ふぅ、やっぱりね。もう少し練習しないとあの時のようなことにはならないわね」
 エリィが銃で案山子を突っつく。

 そもそもコンビクラフトは通常のクラフトと同様にエニグマに登録する必要がある。コンビクラフトは今までになかった概念で、それまでの世代の戦術オーブメントでは登録などできなかった。それは一つのオーブメントでは二人以上の人体を操作することなどできなかったからだ。
 もともと一人一種のオーダーメイド、使用者以外に効力を発揮するものなど存在しない。
 しかしエニグマは内蔵された導力通信機能を利用してエニグマ間の繋がりを作ることによって同期することに成功した。故に同様の登録を行った場合、一定以上のCPが両者に存在するならばどちらかのコマンドによってその二人を動かすことができるようになったのだ。
 当然行う場合は使用者同士のコミュニケーションが今後の人間関係にとっても重要になるのは言うまでもない。

 そして今回、ロイドとエリィが偶発的に行ったコンビクラフト『スターブラスト』は登録以前のもの、そしてその登録にも失敗していたのでもう一度再現しないとクラフトにはならないのである。
 しかし現状それも失敗、二人してどこが原因かを悩んでいるところである。
「エリィ、使っているのはこの間のものと同じなのか?」
「いいえ、あの時は銀に破壊されてしまったから予備のものを使っていたの。流石にアルカンシェルの警備前に新調したから今はそれね。元々予備の銃は性能に偏りがあって使い所が難しいの、だから普段はバランスを重視したものなのよ」
 元々競技用の銃だが戦闘用に仕上げたものだということでエリィにとってはそれが一番らしい。そしてあの時の予備の銃は端から戦闘用、それも対物理型魔獣用らしい。
「だから私としては普段の銃で成功させておきたかったんだけど、確かに成功しない現状ではまずその率を上げないといけないわね」
 そう言ってホルスターから予備である真っ白な銃を取る。装飾の一切がないシンプルなものだ。
「よし、それじゃやってみようか。あっちも何かやっているみたいだし」
 ちらと後方を見て呟くロイド、その先には二人をからかった大小が協議を重ねている。
「ちょっと楽しみね」
 エリィは銃の簡易チェックを済ませて微笑んだ。





 ロイドが視線を向けた先でハルバードを肩に担いだ彼は、だから、と念を押すように言ってから続けた。
「俺がこうクリムゾンーって時にティオすけがエーテルバスターをだな……」
「えっ、撃っちゃっていいんですか?」
「いや俺を撃てとは一言も言ってないからなっ!?」
 心底驚いた表情のティオにランディは慌てて否定する。少し残念そうなティオは表情を真面目に切り替え、
「無理です、コンビクラフトがただの同時攻撃じゃないって言ったのランディさんですよ。わたしのエーテルバスターは属性という志向性のない純粋魔力ですからランディさんの攻撃のベクトルに合わせた乗算は不可能です」
「ん? じゃあその志向性を合わせりゃいけんのか?」
 尋ねるランディにティオは頷き、
「ランディさんの攻撃属性は大体火属性ですよね、だからわたしがその火を増加させる風の魔法とか、上位属性系の魔法を火の猛威性で威力を高めるか。もしくは――」
 ティオはランディのハルバードを見る。
「スタンハルバードの振動に属性付加を与える手数補助的なものがいいのでは?」
 全部で三つ、それを指で示すティオにランディはふむと黙り込み、やがて立てられた薬指を掴んだ。
「じゃあこいつにしてみるかっ」
「セクハラです」
「なんでだよっ!?」
 冗談です、と呟く彼女。
 最近何故かからかいの頻度が高まっている気がするとランディは感じ、これは少し灸を据えねばなるまいと密かに笑みを深めた。

 ティオと二人、隣り合わせに立つ。魔導杖を起動して魔力を高める黒衣の少女は目で合図してきた。
 エニグマを駆動すると登録ができない、故に自分自身でハルバードを生き返らせ、跳躍する。頂点に掲げられたハルバードに向けてティオは高めた魔力のままアイシクルエッジに似た氷刃を放つ。目を閉じたティオはエイオンシステムを起動し準備に入り、そのままハルバードに向かったそれはしかしハルバードに纏うように常駐する。
「オッケーだっ! 行くぜぇ!」
 ランディはその氷の斧をそのまま案山子に振り下ろした。留まっていた氷の息吹が標的を凍結し、衝撃が内部からその氷柱を破壊する。
 そのまま振り切ったランディに従うように案山子は氷の残骸に変化して地に横たわった。

「ほー、こりゃエグいな」
 パワースマッシュでは衝撃による麻痺と吹き飛ばしが付加効果だが、これはそれ以前に破壊してしまう。凍結に耐性がなければ一撃でおしまいだ。
 ランディはにやりと笑い、
「成功、だな」
「いえ、失敗です」
 後ろからティオが否定した。
「あん、なんでだ?」
「コストパフォーマンスが最低です……」
 首を傾げるランディにコスパを説き、ふぅと息つく。
「わたしは魔力上昇に魔法制御でいっぱいいっぱい、なのにランディさんは普通に殴っただけ。割に合いません」
「い、いやいや、だがそれがチームプレイっつーヤツじゃ」
「納得いきません」
 その後はぎゃあぎゃあと口の応酬、しかしティオも実用性自体に文句はなかったのでいつの間にか登録を済ませてコンビクラフト名に議題が移っていた。なんだかんだで仲がいい二人である。






 時が経つのは早いもので、いつの間にか夕食である。
 ツァイトの前に運ばれたのを最後に全員が席に着き食事が始まった。
 セルゲイは黙々と食べていたが流石に耳に入ってくる言葉には敏感である。手を止めて四人を見た。
「なんだ、今日は訓練に成果があったのか」
「あ、はい」
 ロイドも手を止め、
「今日はコンビクラフトを考えていまして」
「ほう、つまり完成したのか」
「当たり前じゃないッスか!」
 ランディが胸を叩き、ティオがジト目で眺めた。セルゲイが促すとランディが得意気に言い放つ。
「俺とティオすけの華麗なコンビクラフト! その名も――」
「『グレイシャルビート glacial beat』です」
「ちょ、てめ――」
 ランディは決め台詞を奪われ、ティオはつーんとそっぽを向いて食事を滞らせない。

 その様子を見たエリィは疑問符を浮かべる。
「でもなんでティオちゃんは機嫌悪いの?」
「あぁ、じゃんけんで負けたからな」
 尚更わけがわからないというエリィに説明する気がないランディとティオ。セルゲイがそんな彼女を見た。
「エリィ、お前はどうなんだ。その組み合わせならロイドとなんだろうが……」
「あ、はい。そうですね、以前の焼き直しですからなんとか」
 二人のほうもなんとか呼吸を合わせて成功させはしたが、実際のところ銀に使用したものより劣化している。どうしてもタイガーチャージとの誤差が埋まらず、仕方なくアクセルラッシュにランクが下がったからだ。
 しかしいざそれでやってみるとすぐに上手く行き、最初からこっちだったんじゃと不思議に思う二人だったりする。
「そうか、まぁ実力が上がるに越したことはないからな」
 満足したのかセルゲイは食事を再開する。
 ロイドとエリィはランディとティオのコンビクラフトの詳細を知らないのでそれについての会話を重ね、そうして夕食は瞬く間に過ぎていった。






「おはようございます……」
 翌日、いつもどおりの挨拶で一階へと下りてきたティオ・プラトーを出迎えたのは朝食当番であるエリィ・マクダエルだ。あらティオちゃんおはよう、といつものように爽やかな優しい笑みで迎えてくれる彼女に何の疑問も持たず、手伝いはいいからツァイトの相手をということでツァイトと安らかな時間を過ごす。
 やがて起きてきた男二人の足音が聞こえ、すわ朝食かと顔を上げたティオ。
「おはようエリィ、今日もかわいいよ」
「あらやだロイド、そんな貴方もかっこいいわ」
「お、ツァイトの兄貴、おはようございまッス!」

「は…………?」

 何かがおかしい。

「今日はエリィの朝ごはんか、毎日でも食べたい美味しさだよ」
「うふふ、元々貴方の朝ごはんを用意するのは私の仕事よ」
「兄貴! 俺今日どうッスかね? 兄貴みたく王の風格ありますかっ!?」
「…………」

 ツァイトが我関せずなのは変わりない。でもロイドとエリィとランディの様子がおかしい。ティオは目をぐしぐしと擦った。
 夢…………?
 しかし彼女の願いも虚しくその光景が変わることはない。ロイドとエリィは新婚夫婦の如くいちゃいちゃし、ランディはツァイトの傍でまるで舎弟のように付き従っている。
 ど、どういうことです……
 背景に雷が走り、ティオは固まった。


 食器が触れる高い音が響く。ティオはそれ以外の音が聞こえないようになりたかったがそんな風に世界は彼女に優しくなかった。
「あ、ロイドっ。これ自信作なの、どうかな?」
「どれ……うん、やっぱり美味しいよエリィ! これならいいお嫁さんになれるな!」
「やだもうっロイドったらぁ!」
「いやいや、もう腹いっぱいになっちまうからその辺にしとけよお前ら。兄貴もそう思いますよね?」
 黙々と食べ続けるツァイト。

「…………あ」
「あ?」
 小さな呟きに一斉に振り返る三人。ちなみにセルゲイは朝早く出てしまっている。
 ティオは恐る恐る呟いた。
「……あの…………ロイドさんとエリィさんは、その……」
「私たちがどうかしたの、ティオちゃん?」
「どうしたんだティオ?」
 顔を近づけるように揃って首を傾げた二人に開いた口が塞がらない。ティオはその言葉を止め、ランディに言及した。
「……ランディさんは、ツァイトのこと――」
「兄貴がどうした? はっ、まさかティオすけ、俺と兄貴の関係を疑っているのかっ!? 俺と兄貴との絆は強固過ぎて困ってるくらいだぜ!」
 ですよね兄貴、と笑顔で笑いかけるランディと黙々と食事するツァイト。ティオはもう何がなんだかわからなかった。

 視界がグルグルと回りだす。もうダメかと諦めたその時、ティオに天啓が閃いた。
 ぐわと顔を上げ、確信したように言った。
「――そうか、どっきりですね!」
 そしてティオの目の前には見抜かれたと悔しがる三人、

「え…………」

 の顔はない。三者が三者とも不思議な顔をしていた。
「ティオちゃん、大丈夫?」
「具合でも悪いのか?」
「なんだ、それならそうと言えばいいじゃねぇか」
「とりあえずランディ運んでっ」
「いや、俺よりツァイトの兄貴のがいいだろ」
「俺はエリィと一緒に何か作るよ!」

 もう、ダメです……

 ティオの視界がブラックアウトした。




「――なんて、もういいでしょランディ」
「え……?」
「そうだな、というか個人的にはもう限界……」
 そこにはいつもどおりのロイドとエリィ。
「ま、これくらいで許してやるか」
 そう言ってランディはティオの頭をがしがしと撫で、
「どうだティオすけ、面白かったか?」
 これまでの事情を説明してくれた。


「つまりだな、正にどっきりだ。ちょいと仕返しをってな」
「ふふ、私も昨日はからかわれちゃったから」
 ごめんね、と舌を出すエリィ。
「ま、結局のところランディに言い包められただけなんだけどな」
 ロイドが苦笑し、そしていつもの三人に戻る。
 ティオは暫し呆然と三人を眺めていたが、やがて静かに笑い、そして頬を膨らませた。
「あ、ティオちゃんかわいい!」
「やめてくださいっ」






 翌朝、ランディ・オルランドは多少の遅刻を大目に見てもらう気満々で一階へと下りてきた。
「はよーッス」
 ボリボリと後頭部を掻き欠伸をかみ殺し、所定の席に着く。
 静かだ。
「ん……なんだどうした?」
 目の前にはロイドとエリィ、二人が姿勢よく慎ましやかに座っている。疑問は湧いたが特に顕著なことでもない。

 そしてランディは厨房から出てきた今朝の食事当番を見て、
「おうティオすけ」
「なんだこのやろー…………です」
 その口調に硬直した。

「ねぼうやろーに出すごはんはねー…………です」




 初出:3月23日


 ちなみにじゃんけんは「コンビクラフト命名権」争奪戦でした。
 原作のロイド以外のコンクラ取得は古代の書物なので今回はオリジナルです。イメージはアイスガソード、後でアークインパルスとかしたいですね。



[31007] 4-0 b
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/03/27 22:19



 旧市街も前と比べれば歩きやすくなった。こうして14歳の少女が一人で歩けるほどに。
 もちろん相変わらず赤いジャージのサーベルバイパーや青い服のテスタメンツなど不良と称される方々はいらっしゃるが、それでも彼らはこの青髪の少女が警察関係者で自分たちでは歯が立たない存在であることを知っている。故に彼女はそのままトリニティの前を過ぎ、とある私的工房を訪ねたのであった。
「こんにちは、ギヨームさん」
「お、嬢ちゃんか、久しいな!」
 そう言って笑いかける偉丈夫ギヨーム。
 お久しぶりです、と返したティオはその場で立ち止まり、奥でびくついている人影を睨んだ。
「主任……」
「びくっ!? てぃ、ティオ君……」
 自分でびくっ、とか言わないでほしいとティオは内心思いながらその男性を見る。
 白衣、年配、丸眼鏡、以上。

「おいおい何びくついてんだよ、この間も会っただろうがよ」
 ギヨームに引っ張られて表に姿を現す彼こそがエプスタイン財団でのティオの上司、通称主任のロバーツである。
 おどおどした彼は気弱ではあるが非常に優秀な人物である。心配性だという事実も付け足しておこう。ちなみにこの間とは銀に壊されたプロテクターの修理の時で、彼女はその時にやっと自身の上司の姿を発見したのである。
「主任、別にわたしは怒っていませんよ」
「う、うそだっ、ティオ君怒ってるよ絶対っ!」
「では何について怒っていると思うんですか?」
 ほら否定しないじゃないか、とロバーツは零し、そして恐る恐る口を開く。
「…………魔導杖を武器屋に流した、とか……」
「……確かに。なんでわたしに直接渡さないんですか?」
 威圧感が増した気がしてロバーツは薮蛇だと自身を呪った。

 ティオの問いに対してさてどう言い訳しようかと考え出したところで、
「もういいじゃねぇか嬢ちゃん。ところで、今日は何の用だい?」
「ギヨーム……っ」
 感極まったと言わんばかりに両手を合わせて涙を流すロバーツを無視し、ティオは用件を口にした。
「ちょっとストレス発散したかっただけです」
「…………」
「てぃ、ティオ君! きみストレスが溜まるようなことしているのかいっ!? これは大変だ速やかにその問題を撤去しないとでもまずティオ君からそのストレスの元凶を聞き出さないとああいやティオ君が素直に言ってくれるかわからないなこうなったら警察の使用している通信に介入して情報を集めてから僕が対応策を考え出して――」






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 支援要請が多い、それは創立記念祭が差し迫り各機関がてんやわんやだからだろう。では特務支援課はというと記念祭云々ではなくそのしわ寄せによる忙しさに背中を押されていた。
 ティオを除いた三人が支援に駆け回っている間にその除いた彼女はストレス発散ではなく魔導杖の点検に行っているわけだが、ティオのことを忘れるほどに市内を駆け回る。市外に関しては遊撃士に一切を任せるという大胆かつ諦めの含んだ結論を出した彼らだが、それは天秤にかけたというよりは遊撃士との共存の道である。事実セルゲイはミシェルと連絡を取っており遊撃士のほうも了解している。
 さてそんな状況では不可能だと思っていたある事柄を、実はやる気満々でそれを励みにしている者がいることを知っているのは本人とそのパートナーだけであった。

 そして本日も慌しい中支援要請が終わり、時刻は夕ご飯には少し早いという頃であろうか。ティオも合流して午後の支援要請を片付けた特務支援課、夕食当番のロイドが調理に取り掛かろうとした時に鳴った導力通信。それが本日の最終要請となる。
「はい、クロスベル警察特務支援課です」
「あ、もしもしエリィさん? 私っ、エステルっ!」
「エステルさん、どうしたんですか?」
「うん、今私たちも依頼が終わったんだけど、どうせなら夕ご飯を一緒できないかなって」
 どうやら食事の誘いらしい。エリィはいざ調理開始と腕まくりしたロイドに聞き、残りの二人にも了承を取ってその誘いに応えた。
「じゃあ東通りの龍老飯店で。あ、武器ももってきてね!」
「武器?」
 首を傾げるエリィだがそれで通信が切られてしまい、彼女は困惑するも一応指示に従った。




「まぁ、予想はついていたけれど」
 エリィはそう言って対峙する二人を見た。彼女の視線の先の一人、棒術具を構えたエステルは、あはは、と笑い、
「いやぁ、せっかくの機会だからー」
「俺としても妥当なところじゃないかと思うがね」
 そのエステルの正面でハルバードを構えるランディはうんうん頷いている。両者に不満がないならエリィとしても文句はないので、いつの間にか観客席なるものを用意したティオと一緒になって座る。

 食後にエステルが言い出したこととは先日の訓練の約束である。特務支援課も遊撃士協会も迫ってきた創立記念祭を考えれば果たすのが大分後になってしまう。そのため思い立ったが吉日が如く誘いをかけたということだ。

 流石に市外に出るには時間が遅いため現在は港湾区の公園にまで来ている。人影もなく訓練という名の運動ということにすれば迷惑もかかりにくい状況だった。
「それじゃあ始めましょうかっ!」
 風斬り音を立てて振り下ろした棒具とともに戦闘態勢に入るエステル、それを見たランディもいつものように体を弛緩させて自然体で応えた。
「始めっ!」
 ヨシュアの合図とともにエステルが飛び出す。くるくると得物を回転させながら迫り、その勢いのままに左から振り下ろす。それを冷静に、しかし一歩退いて受けるランディ。鍔迫り合いになるならば力で押そうと考えていたが、エステルの棒術は止まることを知らない。
「うりゃっ!」
 受けられた後はそのままの姿勢で右手を引き刺突に切り替えランディの胸部を狙う。点の攻撃をランディはハルバードを縦にして軌道をずらし自身は半身に、エステルの腕が伸びきった瞬間に距離を詰めて当身を敢行する。
 エステルはタイミングを合わせて後方に衝撃を流しくるりと横に一回転、遠心力を付与した大振りの薙ぎを放つ。それを当身の体勢のままに得物で防ぎ、しかし重心が高かった為にそのまま飛ばされたランディは、更に回転して迫るエステルの薙ぎの連続を防ぎ続ける。

 間断なく響く武器と武器の交わる音は回転を終えて後方に跳躍したエステルによって終わり、ランディはその瞬間に前進する。連撃で痺れた手もそのままに振り下ろし、今度はエステルが受けた。
 一撃の重さは流石にランディのほうが大きいが、彼女はそんな相手と常に戦ってきているので防御にも隙はない。そのまま押し込もうとするランディだが、エステルは左手の位置を先端部分にまで移動させた。瞬間その手を支点としてエステルの身体が回転する。
 ランディは押していた勢いに僅かに姿勢を崩し、エステルは回転のままにランディの背中を狙い振り下ろし、しかしランディはハルバードの先端を地につけることで柄の部分を持ち上げてそれを防いだ。びりびりと空気が振動し、両者の視線がぶつかる。

 エステルは武器を引き、距離をとった。顔には笑みが浮かんでいる。
「あはは、やっぱりランディさんやるわね!」
「はは、終始押されっぱなしじゃ俺としても立つ瀬がないからねぇ」
 よっ、と気合を入れて姿勢を正すランディ。額には汗が浮かんでいる。
「っかし腕力はそうでもないが遠心力の乗せが相当だな、まるで男とやっているみたいだぜ」
「私はちゃんと女の子ですっ、でも遊撃士として誇れるように修練してきたからちょっと嬉しいな」
 えへへ、と笑うエステルに審判をしていたヨシュアが話しかける。
「エステルは回転しすぎ、確かに威力は増すけど隙も増えるんだからさ」
「むぅ、でも訓練なんだしいいじゃん。せっかくの対人なのに……」
「俺なら空いてる時はいつでも誘ってくれていいさ、こっちも訓練になる」
 ありがとー、と笑うエステルにヨシュアも苦笑し、

「でもエステル強くなったね、ランディさんくらいの相手ができるようになるなんて」
「でしょでしょっ、いつまでもヨシュアに負けてられないからねっ!」
 そんな二人の会話を不思議に思ったランディ。
「つーか俺よりエステルちゃんのが強いのに相手できて云々はおかしくないか?」
「今回は訓練ですからね、こっちはこっちで枷を付けさせていただきました」
 そう言ってヨシュアが見せるのはエニグマである。
 その数は二つ、一つは彼のものでいいとして、残る一つは……
「……何か? エステルちゃんは生の能力でやりあってたってか?」
 頷く二人にランディは冷や汗を流した。ちなみに現在のランディのエニグマには、攻撃2・防御2・行動力1などバリエーション豊かにセットされている。
「すみません、事前に言っても良かったんですが……」
「あーいい、いい、実力的に妥当なハンデだよちくしょう」
 悪態を吐くもそこに悪意はない。本当に実力的にはそんなものなのだ。

 ランディはそのまま観客席にいる仲間を見やり、怒鳴る。
「おいお嬢ティオすけっ、どうだったよっ!」
「いえ、いきなり怒鳴られても……」
「すごかったです、特にエステルさんが」
「ありがとーティオちゃん!」
「裏切り者めっ」
 ランディが唾を飛ばす中ヨシュアはあはは、と笑い、
「続けますか?」
「いや、交代でいいだろ。おいロイド、出番だぞ!」
 ランディは早々に矛を収めロイドを呼ぶ。今まで沈黙を保っていた彼は呼ばれて少々陰鬱気味に応えた。
「――――俺か」
「おう、ぼこぼこにやられちまえっ」
 八つ当たりのようなコメントにしかし少しだけ元気をもらった気がするロイドは自身の頬を張って気合を入れる。目の前には双剣(練習用)を持ったヨシュアの姿があった。
「よろしく、ロイド」
「ああ、お手柔らかに頼む」
「始めっ」
 エステルの掛け声に、ロイドは始動した。




 まるで教官を相手取っているようだったとロイドは思う。
 ヨシュアは基本的に攻めては来ず、ロイドがひたすらにトンファーを振るっていた。かと思えば防御した直後にカウンターを仕掛けてきて油断することはできない。無駄口を叩く暇も精神的余裕もなく、ただ目の前の双剣に攻撃をし続けていた。
「僕のこれとロイドのトンファー、この二つの違いは表現にも出ているね」
 トンファーで叩く、撃つ。双剣で斬る、薙ぐ。
「元々相手を害する攻撃用なのが僕の剣で君のそれは防御・制圧も考えられた攻防一体の武器だ。使い方に違いがあるのも当然なこの二つの武器はまず付加効果が異なる」
 剣で攻撃すると切り傷ができる、トンファーで攻撃すると衝撃が襲う。
「トンファーの利点は攻撃に向けたベクトルがそのまま衝撃となって内部を襲うことだ。つまり奥行きのある武器ってことだね。表面だけ斬って傷になって終わる剣よりも相手の行動を阻害しやすい。そういう意味で警察も導入しているんだろう」
 専ら魔獣と戦う遊撃士は魔獣の討伐が目的であって拿捕することではない。逆に警察官は逮捕することが目的であるので不用意に傷つけることはできない。
 エステルの棒術など遊撃士でも打撃系の得物を持つ者はいるが、それでも目的が違うのである。
「だから僕がトンファーの扱い方を教えることはできない。僕にできることは、その二つの武器をいかに効率よく使うことだけだ」
 そう纏めたヨシュアに、気づいたらひっくり返されていた。暗い空を背景にヨシュアが剣を向けている。そんな夜空色の髪の青年は、もっと訓練しないとね、と言って笑った。



 四人の訓練が終了しブレイクタイムとなった。片手に持つ飲料は最近クロスベルに導入された自動販売機から買ったものである。
 コーヒーを啜ったランディは訓練の感想を言っていたが、それはいつの間にか質問となって二人の遊撃士へと向かっていた。
「そういや二人は流派か何かはあるのか?」
 両手で持ったドリンクを足の上に置いたエステルは、んーっと考え、
「そうねぇ、強いて言うならブライト流かな。私は父さんに教わったんだけど、その父さんが色々混じっているから」
「それでもエステルの動きにはアリオスさんの使う八葉一刀流の流れも含まれているけどね」
 継いだヨシュアから聞こえた言葉に反応した四人の顔を見てヨシュアは更に詳しく語る。
「元々うちの父は八葉一刀流の剣士だったんだけど、とあるきっかけで棒に切り替えてね。一応アリオスさんの兄弟子に当たるけど、本人は剣を取る気はもうないらしい」
 烈波まで使えるのにね、と言ってコーヒーを一口。

 ヨシュアの発言には突っ込みどころが多すぎて口が動いてくれない。それでもエリィは最後に聞こえた単語について尋ねた。ヨシュアが話す。
「八葉一刀流はそれぞれ型があるんだ。アリオスさんは風の弐の型、父は火の壱の型と地の参の型。それぞれ免許皆伝が目標になるけれど、まずその試練に望むために必要なのが “烈波”と呼ばれる到達点なんだ」
「私もそこに一歩入ったんだけど、全然まだまだね。修行が足りないわ」
 エステルは悔しそうに言う。しかし彼女の年齢でその域に達することこそが異常であることを彼女自身は知らない。
「その烈波を会得して、更にその先にある“皇”に到達すると免許皆伝となる。アリオスさんはそこに届いた人だよ」
 烈波という説明の中に更に新たな単語が現れこんがらがる。
「で、その “烈波”とか“皇”とかってのは何なんだ?」
 ランディは簡潔に聞き、ヨシュアは答えた。

「技術ですよ。武人における到達点――理に届くために必要な無と回転、それを会得したという証拠がそれぞれのものなんです。“烈波”は回転を極めることで会得できる。これは破壊という一点に関して絶大な威力を作り出すことができる言わば動の技術。そして“皇”は無を極めることで完成する。嵐の前の静けさのようなものです。烈波を破壊とするならば、皇は創造の力。自身が皇となる世界を創り、それを支配する」
 壱の型の鳳凰烈波、弐の型の風神烈波。これは回転という技術の粋を集めた結晶である。
 そして――
「皇は、理に至った武人が極められる領域だよ。尤も、その逆である修羅にも到達することはできるけどね」
 ヨシュアはそう言って揺れる水面を眺めた。
 そこに映るのは兄の姿、理ではなく修羅の道に進んだ彼の人物が放った技こそが“皇”の一撃である。
 彼の剣術の流派を終ぞ知ることのなかったヨシュアだが、もしかしたら八葉一刀流の流れを汲んでいたのかもしれない。

 もちろんこの話にも例外はある。
 理に至った武人と言われている彼らの父カシウス・ブライト、彼は八葉一刀流の免許皆伝者ではない。それは皇の会得段階で剣を捨ててしまったからだが、しかしそれ故に彼が理に至っていないというわけではない。
 物事の本質を見極める力こそが理の証明、カシウス・ブライトはそれを持っている。
 剣を捨てたために弟弟子であるアリオスに技術では負けていても、皇に至っていなくとも、その不足分を他で補い結果として彼を凌駕している。それはカシウスの烈波が他者のそれを遥かに超えていることにも現れていた。

「なんとも奥が深い話ですね……」
 ティオは武人ではないのでそういった話に疎い、それでも極めるという部分においてはどの分野でも共通するテーマであるのでそれを追い求めるという姿勢だけは理解できた。
「……少し話しすぎたね」
 ヨシュアは饒舌になった自分が少し恥ずかしかったのか照れくさそうに笑い、そんな彼を見てエステルも笑っていた。
「仲が良いんですね、恋人みたい」
 エリィが二人の様子を見て微笑み、
「えっと、そうです。あはは……」
 嬉しそうに笑うエステルにその事実を知らなかった四人が目を丸くする。
 そのまま話は色恋の方向に、ランディの自慢話とロイド・エリィの疑惑など年相応の話を楽しんだ。






「よし、行くか」
 翌日、ロイドはリュックを背負いある物を片手に部屋を出る。支援要請のほうも都合よく終わったので予定通りに事が進められた。
 階段を下りたところで話し中だったエリィとティオが目を向ける。
「ロイド、どこか行くの?」
「ああ、お昼までには戻るよ」
 当然である。午後に更新される支援要請によっては忙しくなるのだ、彼に道楽の時間はない。
「それ、何ですか?」
 ティオが視線を向ける先、それは彼の持つ長い袋だ。1アージュほどのそれを見たロイドはああ、と呟き、
「――これは、釣竿だ」
 勝負師の顔をした。




 初出:3月27日


 八葉一刀流は独自設定です。きっと全七属性に無属性とかそんな感じだと思うんだ。
 本作で一番才能があるのはエステル。
 ヨシュアの話し方がブレブレなのは四人への話し方に差があるからです。



[31007] 4-0 c
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/03/30 22:30



 ロイド・バニングスが彼の組織に足を踏み入れたのは支援要請の時だった。
 市庁舎からの住居確認の仕事、遊撃士協会の隣の家屋は空き家であるという誤りを確認した時に足を踏み入れた場所こそがその組織のクロスベル支部であったのである。
 その組織の名は『釣公師団』、釣りをこよなく愛する者の集団である。彼らは自身が釣りを楽しむとともに、釣りの布教のため出会った人々に釣具を提供している。そしてたまたま渡されたのがロイド・バニングス、かつて兄とともに釣りをした経験を持つ捜査官である。

 彼はそこで捜査官としての目標以外のものを手に入れた。それは“釣聖”と呼ばれる釣公師団認定の階級である。
 クロスベルに存在する全ての魚を釣ることで達成されるそれはクロスベル全域で釣りを行わなければ到底辿り着けるものではない。そんな途方もない目標を目指すことにむしろ武者震いのような震えを覚えているのだからロイドも生粋の釣り人なのだろう。
 今日も彼は釣聖目指して旅をする。






 東クロスベル街道を歩いていく。この身は太公望、魔獣などに構っている暇はないのである。
 早速小川まで辿り着いたので本日最初の勝負に入る。餌となるのは全て生の物だ。疑似餌などという騙すような真似はしない。
 何故か、それは互いの生と誇りを懸けているからだ。本来の釣りの目的は魚という食材を得ること、今は娯楽の一つとして昇華しているがそれは人間のみの理由に過ぎない。釣られる魚は元から食物連鎖の中では人の下にいるとしても、食事の際に「いただきます」と口にすることの意味を忘れてはならないのだ。
 本来の命を懸けた勝負。そこに疑似餌という魚の生とは関係のない事柄を入れることは釣公師団団員としてあってはならないことなのである。

「さぁ、行くぞ!」
 気合を一つ、ロイドはロッドを手にした。ノービスロッド、釣公師団が配布している初心者用の釣竿である。そこに餌として付けるのは、いや付けられるのはミミズと練り団子だけである。一応カサギンと呼ばれる金色の小魚も付けることはできるが生憎手持ちにない。

 クロスベルに戻ってきて初の釣り、その第一の目的はかつての勘を取り戻すことと魚の生息地の把握である。釣竿と少しの餌とともに渡された釣り手帳、言ってみれば魔獣手帳と同じだがこれに記さねば段位の昇格ができない。
 付属する長い用紙に魚拓を残すことも忘れてはならない。各自のモラルは信用しているが、その記録に信憑性がないと困るのである。記録用の墨も忘れずに持ってきた。いざ、勝負である。

「そらっ!」
 まず始めは練り団子、ちなみに開発は釣公師団である。流れる川面に波紋を与えて沈んでいく餌、そしてまずは流されるままにするロイド。
 川上に向けて放たれたそれは流れに沿って緩やかに進んでいく。川から常時発される振動に変化が来ればヒットだが、まずはその振動を身体に沁みこませる必要がある。
 あっという間に右から左へ流された餌を一度戻し、また川上へと投げる。まずはその繰り返し、その間に当たれば儲けものというところか。
 数回それを行い感覚を馴染ませた後、いよいよロイドは勝負をかける。
 釣果零など笑えない、新米とはいえ釣公師団団員、その力を見せてやる。

「はぁ!」
 変わらず練り団子をつけ川上へと放る。ロッドをテンポよく上下に揺らし、一定の変化をつけて肴を引きつける戦法だ。練り団子は生物ではない、故にその目につきやすいように広範囲を攻める必要がある。
 ロッドを縦横無尽に操りその範囲を広げていく。川下に流されれば引き上げ、繰り返し。釣りというのは忍耐、その継続力がものを言うのだ。
「ッ!」
 その時ロイドに電流が走る。即座にリールを滑らせ魚との一騎打ちを敢行し、

「――あ、根掛かりだ」

 彼はお約束を守った。




「練り団子に釣られる魚がいないのか、それともスレているのか……」
 生態と好み、そして場慣れである。何度も釣られた魚は慎重になってなかなか食いつかない。とはいえ釣公師団以外でレジャーとして釣りを行うものはそういない。
 大抵は釣れば食う、小さくなければ。
「餌を変えよう」
 ロイドはミミズを使うことにした。
 とはいえここまでは彼の予想通りである。釣公師団クロスベル支部を任されているセルダン支部長は言っていた。練り団子は流れの穏やかな場所に使うべし、と。
「いや、忘れていたわけじゃないぞ」
 誰にでもなく口にした言葉通りである。

 活きのいいミミズが針にもがく中投げ込む。ミミズを餌とする魚は総じて草のかかった岸寄りにいることが多い。その分根掛かりの心配も増えるがロイドは果敢に立ち向かった。
「…………」
 ゆらゆらと糸が揺れて、それを微動だにせず眺めるロイド。果たして餌を変えた一投は、
「よしっ!」
 確かな反抗をロイドに伝えてきた。
 ばしゃばしゃと水を散らして動く釣り糸に対し、ロイドは委ねるタイミングと引くタイミングを交互に見極めて着実に彼我の距離を縮めていく。引っ張る力は強い、いきなりの大物か。
 焦りと期待で塗れた表情を隠すこともせずロイドは夢中になってそれを追い詰める。

 そしてついにその姿を視界に捉え一気に釣り上げた。
「よっし! やったぞ!」
 草の絨毯の上でびちびちと跳ねるそれは黒に僅かな黄土色が混じった鱗をした口の大きい魚。
「グラトンバス、48リジュってところか」
 メジャーで測り記録する。しかしグラトンバス、それはなんとも処理に困るものだった。
「白身だけど、あまり食べないんだよなぁ……」
 淡白で臭みの取りづらいグラトンバスは中々食卓には上がらない。しかし初の釣果、リリースするのも心情的に気が引ける。
 結局ロイドは持ってきていたボックスに収めることにした。後で考えればいいかという彼にしては怠惰な思考である。とはいえ持ち帰るならばそれまでは川にいたほうがいい。持ち帰るまでは網に入れて川に浸しておく。
「よし、続きだ!」
 そしてミミズで再開した。






 結局釣れたのは二種類。グラトンバスと、細長い黒の魚イールである。イールに関してはよく食事に用いられるので万々歳だ。
 二種類しか釣れなかったのは餌の問題かもしれない。新たな餌を手に入れる必要があった。
「とはいえもう市外に出る時間がない。市内での釣りポイントに切り替えよう」
 午後からは再び支援要請、なければ訓練が入っている。自由に使えるのは午前だけなのでもう遠出はできなかった。というよりもう時間がないので戻ることしかできない。
「…………いや、住宅街。住宅街ならすぐに支援課に戻れる」
 ロイドは住宅街に向かった。

 住宅街に着いた。ここの釣り場はジオフロントB区画入り口前を流れる水場である。クロスベルは湖が近いのでそこから水を取り入れている。この場所もその一つだ。
「港湾区に行くべきだったか……」
 港湾区はルピナス川に面しているので種類も豊富、しかも市内なので移動時間も短い。せっかくだからと市外に出たことが失敗だったか。
「いや、楽しみをとっておいたということにしよう。それよりも今はこの場所で魚をフィッシュすることが肝心だ」
 ロイドは練り団子をつけ、投げた。綺麗な音と共に餌が消え、あとは待つのみ。
「…………」


 釣り人を太公望と言う所以となった人物――太公望呂尚は考え事のために釣りを行っていたと聞く。一説によれば菜食主義であったために魚を食せず、故に釣り針も真っ直ぐであったなどという不思議な事実もあるようだが、そればっかりはロイドも真実を探せない。
 その代わりロイドもそれに倣って考え事をすることにした。

 考え事その一。それは今も胸元に光る白い宝珠である。
 セシルに聞いてみたところ彼女にも当てはなく、ますますわからなくなってしまった。
 確か最初に気づいたのはクロスベルに向かう列車の中だったか。あの時のことは記憶に曖昧で詳細がわからない。寝ていた自分が起きたらあった、というのが今のロイドの認識だが、しかし寝る前になかったのかと問われれば即答できなかった。
 確か変な夢を見たはずだが、妙にリアルなそれのせいで前後不覚になってしまったのだろうか。今ではその夢さえも思い出せない。

 考え事その二。これの正体はさておき、クロスベルに入ってからのロイドは既視感に溢れている。
 特務支援課の三人についてはそのようなことはなく、しかしリーシャ・ワジに関しては出会った瞬間にそれを覚えた。この二人の共通項と言えば事件によって関わったことがある、というくらいでしかない。
 この二人だけならば偶然が重なっただけだと思うが、何故か時間を置いて現れている人物もいた。
 エリィとノエルの二人。この二人にも一瞬の既視を感じてしまった時がある。それが一体どのようなものだったのかはもう思い出せない。何かが聞こえたような気もするし、聞こえなかった気もする。

 それぐらいの僅かなものなので気にしなくてもいいかもしれないが、エリィに至ってはとあるイメージすら浮かんできていた。
 コンビクラフト。銀との戦いで九死に一生を得た最後の鍵の一つ。あの時はその前日、二人で会話した時に生じたイメージが土壇場で浮かんできて、そして後方のエリィの行動が手に取るようにわかった。
 あの後もう一度やろうとしてもできなかったが、グレードを落として現在コンビクラフトとして登録している。
 あのイメージがどこから来たのか、今まで共にしてきた中で無意識に編み出した妄想なのか。考えても答えは出ない。


「――おや、君は」
 そんな時、声が聞こえてロイドは振り向いた。坂の上にいるのは白衣を着た青い髪の人物。見覚えがあった。
「確かウルスラ病院の――」
「うん、医者をやらせてもらっているよ」
 にこやかに近づいてきたその男性はヨアヒム・ギュンターと名乗り、薬学を担当しているウルスラ病院の医師だった。
「ギュンター先生はどのような用事で?」
「ちょっと教会を見に来ていてね、その帰りなんだよ」
 ヨアヒムでいいよ、と朗らかに言った彼は不意に目を細めてロイドをじっと見つめる。その茶色の瞳にロイドは戸惑い、僅かに身を引いた。
「あの、何か……」
「いやね、実は僕は釣公師団の団員なんだよ」
「え、そうなんですか?」
「うん、実は君に声をかけたのは釣りをしていたからなんだ。ちょっと興味が湧いてさ」
 ははは、と笑う彼は楽しそうだ。釣公師団に入っているというほどだ、よほどの釣り好きなのだろう。

「しかしなんだな、下手だね君は」
 いきなりの直球にロイドの目が点になった。ヨアヒムはふむふむと頷きながらあれこれと見ている。
「ノービスロッドか、初心者用のものだね。餌も練り団子。始めたばかりかな?」
「ええ、昔はそれなりにやってたんですけど……」
 顔が引きつらないようにしながら答えるロイドにヨアヒムは白衣のポケットから透明な箱を取り出した。中は仕切りがあり二つの物体が蠢いている。
「そんな君にこのアカムシとイクラをあげよう」
「…………」
 白衣に何故と思ったが口にしないロイド、そのまま黙って受け取った。
「釣りは経験と感性がものを言う。頑張ってくれたまえ」
 手を上げて去っていくヨアヒム、ロイドはそれをぼんやりと眺めていた。


 太公望はかつて、釣りと称して河辺に座っていた。そんな彼の元に一人の人物がやってくる。それを見た太公望はしかし声をかけない。
 するとやってきたその男性が言った。
「釣れますか?」
 太公望は振り向き、驚きもしない確信した様子で――
「大物がかかったようだのう」
 太公望の元に現れたのは殷と言う国の四方の一つ、西を束ねる諸侯だった。太公望はその後新たな王になりうる人物を待っていたのである。

 釣りをしていたロイドの元に現れた医師ヨアヒム・ギュンター。
 彼がその話の通りの大物であるのかどうか、それは今のロイドにはわからなかった。






「――あ、そこはあまり釣れない場所で有名なんだよ。知っていたかい?」
「は?」






 ***






 ゲンテン工房――じゃなかった、オーバルストアゲンテンの技術者ウェンディはロイドの親友であり幼馴染である。彼女はロイドを男として意識しないほどの小さな頃からの知り合いだ。
 そしてもう一人、ベーカリーのモルジュで見習いパン職人として働いているオスカーもまた彼女の幼馴染である。オスカーとロイドの共通点を尋ねるとウェンディは決まってため息を吐き、そして心底呆れたようにこう答えるのだ。

 好意に鈍感なところ、と。




 モルジュのパンを贔屓にしている特務支援課と、彼らに試作品を渡して試行錯誤しているモルジュの関係は実に良好だ。オスカーとロイドの男の友情というだけでなく何より美味しいというのがエリィとティオに評判なわけだが、そんなわけで支援課がその戦いに巻き込まれるのは当然と言えば当然だった。

「捜索パン勝負?」
「創作よ、ロイド」
 素ボケをかますロイドの脳内を瞬時に読み取るエリィ、彼女がおかしいのかロイドがおかしいのかはわからない。
「そうなんだよ、ベネットのやつが聞かなくてな」
 わっかんないなぁ、とぼやくのは緑のシャツに白いエプロン、黒髪短髪のオスカーである。優しげで無邪気な笑顔が女性客を虜にしていることに気づかない変わった青年だ。
 何でもクロスベルタイムズの記事でモルジュのおすすめを取り上げるそうである。それ自体は喜ばしいことに違いはないが、問題はどれを薦めるかである。
 マスターは未来ある若者の味を知って欲しいと不参加、そしてその期待に対して柳に風といったようなオスカーはとある商品を候補に挙げた。そしてそれに猛反対したのがマスターの一人娘のベネットである。

「つまりそのベネットちゃんが、自分のパンのが美味しい! つって揉めたんだろ?」
 ランディが興味津々な様子で割り込む。女性の話にシフトしたことは自然な流れのはずだがティオはジト目で彼を見ている。
「いや、俺はベネットのパンを推したんだよ」
「え?」
「いや、こないだ食ったやつがうまくてな! こりゃ今のモルジュ一番の出来だろうって、そう言ったらベネットのやつ怒り狂ってな」
 ほんとわからんよなぁ、とオスカー。支援課も首を傾げる事態である。
「あれ、そういえばどんな用件だったんだっけ」
「創作パンで勝負するので来てくださいって話よ。というか貴方なんか劣化してない?」
 驚き半分呆れ半分のエリィの言葉をさらっと受け流し、とにかくモルジュに行こうと促すロイド。彼は幼馴染が関わると精神年齢が下がる傾向にあった。


 西通りのモルジュ、そこには仁王立ちしたベネットが待っていた。緑がかった長い髪、パンに入らないようにするためか前髪を残さず横に流している。切れ長の目は勝気な印象を与え、事実そのとおりである。ちなみに服はオスカーと同じ、つまりモルジュの制服である。
「ちょっとオスカーっ、あなたどこ行ってたのよっ!」
「勝負するって言ったのはベネットじゃないかよ、ロイドらに判断してもらおうぜ」
「……あなたの知り合いじゃない」
「あ、安心してください。判定は正直に行いますから」
 エリィがフォローし、ベネットは腕を組んで納得した。
 ティオが今回の騒動の原因を聞きだす。ベネットは不機嫌さを増しながら呻いた。
「……現時点ではオスカーのが人気も商品採用も多いのに、こいつときたら私のパンをおいしいおいしい、じゃあこれにしようって。そんなこと信じるわけないでしょーがッ!」
 うがー、と空に吼えるベネット。ティオは複雑な感情を理解してそっと瞳を閉じた。

「だ、そうです」
「うーん、こいつほど正直なやつはいないと思うんだけど」
 顎に手を当て不思議がるロイド。お前が言うな、という視線が突き刺さる。
「ま、とにかく勝負で全て水に流して決まるってことだ。やりゃあいいじゃねぇか」
 ランディの鶴の一声、これが開始の合図だった。
 ちなみに支援課はパンの審査及び、何故かお助けキャラ扱いで時々勝負に挟みこまれるらしい。何故だ。


 舞台はモルジュの前の屋外で行われるため、そこには多くの見物客がいた。
「では始め」
 ツァイトの咆哮で勝負が始まる。制限時間はとくになし、それはお互い失敗しないかららしい。
 思い思いに作業を進める二人。ベネットは額の汗を拭いながら鬼気迫る表情で、オスカーは鼻歌を奏でながら楽しげに作業している。
 そして、ベネットがパンに入れる素材をボウルにあけた時、激闘が始まった。

「――そのボウル、消えるよ?」
「え?」
 オスカーの謎の一言、ベネットの思考は固まった。そして瞬間、自身の手元のそれを見て驚愕する。
「ばかな――ッ!?」
 素材が――チョコチップが浮いていた。作業台から浮いていたのだ。
「嘘、こんなことって――」
「いや待て! あれを見ろ!」
 ランディの言葉にオスカーを除く全員が同一方向を見る。そこには魔導杖を差し出す形で固まっているティオの姿がある。
「あいつホロウスフィア使いやがったッ!」
「くく、驚いたかベネット」
「でも意味ないわよね」
 エリィが核心を述べた。

「ならば――!」
 ベネットがパン生地を空中に放り投げる。その軌跡に全員の目が釘付けにされた。
 放物線を描いてベネットの前に舞い降りようとする生地、それを彼女は右手を振りかぶり一瞬で叩き付けた。生地の重さでは考えられない重たい音が響く。パン粉を巻き上げて降り立ったパン生地は、しかし既に完成形に至っていた。
 そう、捻れていたのである。
「つ、ツイストサー――ぶ!?」
 思わず出た言葉を強引に手で止められたロイド、その手の持ち主エリィはそんな彼を見てため息を吐いた。
「でもあの一瞬でできるのは素直にすごいわね……」
 既に事態の収束を諦めているエリィ、彼女は支援課でありながら第三者の立場にいた。

 さて、白熱する勝負だが、実際のところ焼き上げる為のオーブンはモルジュ店内にあるので最後の工程は見ることができない。つまりはそれまでに如何に大衆を惹きつけるか、勝負はそこにあるのである。
 いや、観客の多くは勝負に関係ないのだが。
「やるな、ベネット」
 オスカーが笑う。観客の半数が黄色の歓声を上げた。ベネットはその笑みに対して一瞬の逡巡の後笑う。最後に勝つのは私だと、瞳で宣言していた。
「二人とももうすぐ焼きに入るわね」
「ああ、だがベネットさんは大事なことを忘れている」
 ロイドの言葉が耳に入ったのか、ベネットが顔を上げる。ロイドは不敵に笑ってオスカーを見た。しなやかな右手の動きに合わせて左手も踊る。まるで指揮者のようだ。
「オスカーは、左利きだよ」
「くっ、まさかそんな――ッ!」
「いやだから意味ないでしょ? ないでしょう?」
 必死な言葉もむなしく、まるで自分こそが異端なのかとも思ってしまう。

 それはないわね……

 それはない。


 ベネットは焦っていた。まさかオスカーが左利きだったなんて、知っていたはずなのに失念していた。
 手を抜かれていたのか、そんな考えが頭を過ぎり、しかしそれを振り払った。
 オスカーはそんなことはしない。誰が今まで一番近くで見てきたというのか。彼女の知る彼はパンに対しては真摯で情熱的だ、手を抜くなんてありえない。
 なればこそ、この勝負は負ける。パン屋の一人娘は、未だ彼の背中を捉えていないのだ。
「くやしい」
 漏れた心の内、それを拾ったのは多くの人の渦の中のたった一人だった。

「なら、それを感じなくなるように頑張ればいいだろ」
 どこからか聞こえてきた言葉、それにひどく心を打たれ、いつの間にか諦めていた自分に気づいた。
 くやしい。
 今度は彼に対してではなく、いつの間にか負けていた自分に対するものだった。
「エリィさん!」
「え?」
「あなたの感覚、借りるわ!」
「え? え? 何、何なの?」
 ベネットとエリィの体を白い光が包み込む。それはまるで二体一対、信頼しあった二者が持つ完全なる調和。
「シンクロした!?」
「一方的にですが……」
 驚愕するロイドにティオがぼやくも事実は変わらない。巻き込まれたエリィの感覚を手に入れたベネットは、生地に残された細かな情報すら感じ取る。そこに高速の手入れを行った彼女はそのままオーブンの下へと走っていった。
 残されたのは哀愁漂うエリィである。
「ふふ。やるな、ベネット」
 オスカーはそんな背中を見つめて静かに笑った。




 出来上がった二つのパン。先にオスカーが説明をし、そしてベネットの番となる。
 彼女は手の甲を見せるように顔の前で立て、角度良く曲がった指の隙間から瞳を覗かせた。それは最高峰の眼力(インサイト)の証明である。ゆっくりと手を戻し、言った。

「――ベネット驚嘆(ベネットワンダフル)

「か、完成させやがった……」
 ランディが戦慄する。彼が何を以ってそう言ったのかは定かではない。





 続く(嘘)


 照れるベネットの勝ち。



 初出:3月30日


 明日忙しいので更新。ベネットがかわいすぎて書いた。完全にネタです。
 釣りの技術に突っ込んだ人は本当の意味で釣られたことになるんで注意。

 ※ 八葉一刀流の伍の型『残月』について、どこで描写されていたのか教えてください。完全に初見でした。忘れてるだけかもですが……



[31007] 4-1
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/04/03 21:28



 土に返る風船が青空を彩る中、大陸が誇る貿易都市は活気に満ちている。
 州外からの旅行客数が年内最高を記録してまるで人口を倍にしたかのようなこの街では、しかしその活気の裏で確実によろしくない慌しさを感じている機関も存在する。
 アルカンシェルの新作披露と市内を回るパレードが今回の記念祭の最大の見世物であるのは確実だが、しかしパレードはまだ先、観劇も室内で行われる為にそこまで他所に迷惑をかけてはいない。これは純粋に街のキャパシティに対して多すぎる人の数こそが最大にして唯一の原因であると言えよう。
 言うまでもない、現在最も忙しいのは警察と遊撃士協会である。

 クロスベル創立記念祭がマクダエル市長の一声のもと開催され、初日に当たる日では特務支援課は最初にして最後の休暇を与えられていた。一大イベントが集中しないからこそ初日に与えられたということを理解していた四人はそれぞれ思い思いの場所でそれを満喫した。
 中でもロイドはイリアの友人であることからチケットをもらっていたセシルに連れられて仲間達より先にアルカンシェルの新作を観て感激した。しかしその後の予定を考えていたセシルと急遽別れることになり、途方に暮れていたそんな彼を見つけたのが受付のフラン・シーカー。彼女は彼女で同日休暇の姉ノエルと共に回る予定がそのノエルの休暇が一日延びたことで破算、仕方なく一人でいたところをちょうど発見したのである。
 そんなこんなでフランとの簡易デートへと進み、夕食をセシルと過ごしたロイドはそうして一日を終えた。

 つまりはクロスベル創立記念祭二日目、この日から特務支援課の祭りが始まったのである。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 支援要請をこなす中、それは緊急の要件として飛び込んできた。
 ウルスラ病院の医師が行方不明、至急病院までという緊迫した内容に支援課の四人は急いでバスに乗り込む。事故か事件か誘拐か、憶測が憶測を呼び、しかし結局は行ってみなければわからないというゴールに行き着く。念力でバスが早くなるのなら今回のバスは四人分の想念で半分の時間で着いたことだろう。
 しかし当然の如く時間通りについたバスを大急ぎで降り受付に話を聞く。果たしてその真相は、
「仕事を放り出して出かけてしまったので連れ戻してください」
という医師というか社会人としてどうなのか、という間抜けな現実だった。その消えた医師は薬学担当のヨアヒム・ギュンター、魔獣事件の被害者であったリットン研修医の上司である。

 ロイドは脳内で合点が行き、すぐに踵を返した。
「何かわかったの、ロイド?」
「あぁ、ヨアヒム先生は釣公師団のメンバーで、今日はウルスラ間道の浅瀬で釣りの大会が開かれている。この二点さえ知っていればすぐだ」
「なるほど、その先生はそれに参加しているってわけだ」
「行きましょう、その浅瀬は確かバスの停留所が近くにあったはずです」
 そうして四人はとんぼ返りの形でバスに乗り込み、その場所でヨアヒム医師を発見する。優秀な医師だと評判である彼は口もうまく見事に連れ戻すまでの間で楽しまれてしまったが、とにかくも無事に行方不明の医師を病院に戻すことに成功した四人は、人の溢れかえるクロスベル市に帰り着いた。

 そしてビルに戻る際、中央広場で一人歩く女性を発見した。白いニット帽とブラウスを着た彼女にエリィが声をかける。
「あら、ノエルさん?」
「あ、みなさん」
 それは私服のノエル・シーカーである。彼女は今日が休日らしく、しかし当てもなく彷徨っていたらしい。
「本当は昨日フランと一緒に回るはずだったんですけど……」
「あぁ、確かそう言ってたっけ」
 ロイドは昨日のフランの愚痴を思い出して呟き、それに耳ざとく反応したのはティオ・プラトー。
「ロイドさん、昨日はフランさんと会ったんですか?」
「ん? ああ、セシル姉がイリアさんと会うって別れて、その時偶然会ってさ」
「何ぃ? ロイドお前、フランちゃんとデートしてたってのか?」
 ランディが騒ぎ立て、エリィの目が冷たくなる。しかしそれ以上に過剰反応したのはノエルだ。
 彼女は普段の様子からは想像できないほどに慌てふためき、あろうことかテンションを急落させたエリィが宥めるほどであった。妹が姉を溺愛しているように、姉も妹を溺愛しているようである。そんなシーカー姉妹の仲の良さに自然と笑みが零れる四人だった。

 仕事中とはいえ、暇だと言うノエルを分室ビルに呼ぶことくらいはできる。話の流れでそう決まった矢先、フランからの通信で港湾区に向かうことになった。
 旧市街の不良が何かやらかしたようですぐに向かう必要がある。
 そのままの流れでノエルまでもを引き連れて港湾区に向かった特務支援課は、そうしてそれに参加することになった。






 依頼も多く忙しいが、それ故に充実している。エステル・ブライトは満足感を伴う疲労を心地良く思いながら相棒であるヨシュア・ブライトを待っていた。
 行政区の噴水前、ベンチで休憩の一時。案の定と言うかヨシュアはすぐ傍の露店で飲み物を購入すべく席を立っている。ちなみにじゃんけんの結果であり、ヨシュアは何故か彼女とは分が悪かった。
「女王聖誕祭みたいね、これ」
 彼女の故郷であるリベール王国の一大イベントと言えば、王都グランセルで行われる女王聖誕祭に他ならない。彼女もそれを経験しているのでこの喧騒で思い出に浸ることができた。

 思い出すのは正遊撃士になるために訪れた最後の街、グランセル。そこでは王国軍情報部の陰謀やら武術大会やら様々な過去がある。
 未熟な自分を痛感させられるが、同時にだからこそ今があると強く思える。本当の気持ちに気づいたその時に味わった初めての味とその後の絶望、それなくして今のエステルはないのである。
「む」
 そこまで思い出して彼女は照れくさくなるかと思いきや不満が顔に表れる。すると狙ったかのように青年が戻ってきた。
「おまたせ……って何さエステル、そんな変な顔して」
「ちょっとー、女の子に向かって変な顔とは何よう」
「じゃあそんな顔しないでよ。なに、その『今思えばいい思い出だけどやっぱりあの時のことは許せないかな、というかそれ自体は全く良くなくてむしろ悲しくて悔しい思い出になってない?』みたいな顔は」
 見事にエステル百面相を再現するヨシュアに、正しくそれよと人差し指を立てたエステル。そしてそこに親指を足し、その両方で以ってヨシュアの頬をつねった。
「なーんか思い出したらムカついてきたんですけどー」
「いや、やめてよエステル……」
 それを出されるとヨシュアとしては何も反論できない。故に彼は彼女にされるがまま、そしてそれが楽しいのかエステルは頬を引っ張ってはカラカラと笑う。
 人通りが少ない行政区でもこの期間中は人も多い、そして二人のやりとりを見たそんな方々の思いは一つだけだった。
「バカップル……じゃなかった! あの、遊撃士の方ですよねっ!」
 駆け寄ってきたのは十代半ばの少女である。二人が何事かと思っていると、少女は港湾区で不良が暴れていると教えてくれた。
 二人は頷きあい、飲み物を飲み干す。少女が手を差し出してきたのでありがたくゴミを託し、二人は港湾区へと駆け出した。

 そして二人は参加することになった。






「第一回『旧市街チキチキバトルレーッス』! 司会進行は私クロスベルタイムズ記者グレイス・リンがお送りします! 解説は警備隊員若手のホープ、ノエル・シーカー曹長です! よろしくお願いします!」
「は、はぁ……」
「さてノエルさん、今回は警察・遊撃士・不良という正にドリームマッチな展開になりましたが、ノエルさんも警備隊員として参加したかったんじゃないですか?」
「えぇっ!? む、無理ですこんなの。というか解説も無理なんですけど……」
「ダメですダメダメっ、ここで私たちが盛り下げてしまってはレースに支障を来たしてしまいます! こうなっては一蓮托生、背水の陣で望みましょうっ!」
「まるで被害者のように……貴女は自分から突っ込んだんじゃないですか……」
 はぁ、とため息を一つ。ノエルはいつの間にか建物二階に移動していた自分に呆れつつ眼下を眺めた。
 そこには不良チームのワジ・ヘミスフィアとヴァルド・ヴァレス、遊撃士チームのロイド・バニングスとランディ・オルランド、そして遊撃士チームのエステル・ブライトとヨシュア・ブライトがいる。観客は旧市街の面々と港湾区の野次馬たち、そしてエリィとティオである。
 どうしてこんなことになったんだろう……
 ノエルは過去に思いを馳せて心の内でぼやいた。

 IBC前の坂付近でサーベルバイパーとテスタメンツの面々は一対一の試合を行っていた。両者の言葉を聞くに、いつもの険悪な雰囲気はなく単にお祭り状態なだけであった。
 それでも人の溢れる港湾区、それは迷惑極まりない。どうにかその場を収めようとした特務支援課だが、そこへ新たに遊撃士二人が現れる。
 その新顔をヴァルドは知らなかったのか、威圧たっぷりにその一人――エステル・ブライトに掴みかかろうとして、見事に背負い投げを喰らった。呆然としたヴァルドだが、起き上がった時にはその表情は凶暴性に満ち溢れていた。
 売り言葉に買い言葉、もともと活発な性格のエステルはそれに応じ、ストッパー役のヨシュアもエステルに対する敵意に不快感を覚えて止めようとしない。そこに面白がったワジが参入して一気に激化するいざこざに歯止めをかけるべくランディが一つの提案をした。それが今より始まる競争である。

「ルール説明です。旧市街の三つの場所にスイッチを設置しました。それを制覇してスタート地点に戻ってくれば一周とカウント、それを三周してもらいます。各周三つのスイッチを押し、最も速く戻ってきたチームの勝利です。レース中の衝突云々はよほど酷くない限りは許容範囲内となりますので、各チームは妨害等に留意してください」
 スイッチの場所はイグニス前とその一本隣の行き止まり、そしてトリニティ前の行き止まりとなっていて、スイッチを押した後に必ず道を戻ることになる。そこが一番のポイントであり、おそらく最も衝突の多い場所だろう。
 スタート地点は交換屋前、スタート順はコイントスで平等に決めた。5秒間隔でスタートすることになる。

 ストレッチを行っているロイドの肩に手を回し、今回の発案者であるランディが囁く。
「今回、俺たちが不利なのはわかってるな」
 一番手のワジ・ヴァルドチームは旧市街を縄張りとしているので地形の利を持っている。そして三番手のエステル・ヨシュアの遊撃士コンビは能力で抜きん出ている。特にメリットもなく、また二番手なので双方から妨害を受けやすい彼らは不運である。
「作戦はどうなんだ? ランディが提案したんだからポイントもわかっているんじゃないか?」
「そうだな、結局のところ最後に抜けばいいんだ。つまり最終で後方からの妨害を二チームまとめて食らわせればいい」
「それまでは様子見ってことか」
「だが実際どこが速いかとなるとエステルちゃんたちだ、あのチームが独走になるのは防がないとな」
 ロイドをため息を吐き、
「つまり大変だってことだろ……」
「ま、騒ぎは収まるんだからいいじゃねぇか!」
ランディはニヤリと笑った。


「さぁ、いよいよ始まりますね! えーちなみに今回の原因であるヴァルド君とエステルちゃんの口論についてはエステルちゃんが謎のタイミングでの謝罪を述べたことで終了しています。もうレースの必要は厳密にはありませんが、せっかくなので楽しくいきましょう!」
「……ついでに私がここにいる理由も教えてもらってもいいですか?」
「私の相棒のレインズ君はカメラなので、その代わりというのが本音です!」
「…………」
「それではいきましょう! エリィちゃんティオちゃんよろしくぅ!」
 ノリノリな実況に押され気味な解説とスターターの二人だが、その二人は顔を見合わせて気持ちを分かち合った。
「3、2、1……0!」
 ティオの号令にエリィが空砲で応え、レースがスタートする。


「さぁ始まりました! 第一走者のワジ・ヴァルドペア、第一チェックポイントを通過し去っていきます。あ、左回りなのでトリニティ前が第一チェックポイントですよ! そして第二走者ロイド・ランディペアもスタート、二人を追いかけます! そして期待のエステル・ヨシュアペアもスタート! 白熱したレース展開が予想されます! 解説のノエル曹長、どう見ますか?」
「そうですね、こういう状況では速い方がフォローに回ったほうがミスをカバーしやすくなりますのでまずその点を理解しているか、ということが重要だと思います。つまり横一列でなく縦一列に走ることですね」
「そして速い方が後ろ、ということでしょうか?」
「ええ、そうすれば前よりも妨害への対処時間が増えますから。しかし同時に前衛の方にも状況判断能力が問われます。私は警察ペアしか知りませんが、いい形で走っていますね」
「なるほど、勉強になります。おおっと早速旧市街ペアと警察ペアが接触していますね、ヴァルド選手がドラム缶を掲げています。投げるつもりですね!」
「ですがロイドさんの状況判断は正確ですよ、トップスピードでそれを飛び越えました。バトルですね」
「ワジ・ヴァルドペアとロイド・ランディペアのガチンコ対決です! 武力はどちらが上なのか注目です!」


 ワジとヴァルドはいがみ合っているが互いを認めている節がある。どちらも同等の戦闘能力であり、ここでもたついていると遊撃士ペアに漁夫の利を得られかねない。
「二対二!」
 二番目のチェックポイント前、ロイドが叫びランディは加速、ロイドに並んで突進する。ワジとヴァルドもそれぞれ身構え迎撃に入った。
 瞬間、ロイドとランディは離れるように方向を変え挟撃にシフトする。ワジとヴァルドはそれぞれ身体の向きを変えて背中合わせになった。
「おい邪魔だ!」
「そっちこそ邪魔――」
 ぶつかり合う背中に思わずと言った風に罵声が口から飛び出し気が削がれる。そしてその二人に対してロイドとランディはそれぞれ一撃を放った。
 ワジとヴァルドはそれぞれ防ぐが、その攻撃は偶然体重を支えあうようになっていた二人をずらすように放たれている。衝撃で後ろに下がる身体はしかし支えをなくしてそれぞれ上体を仰がせ体勢を崩した。
「十分だ!」
「アイサー!」
 ランディがスイッチを叩き、即座に離脱する。行き止まりの通路を抜けたところで遊撃士ペアとすれ違った。
「――――」
「――――」
 視線が交錯するが、すぐに二人の視線は旧市街ペアへと移る。ロイドとランディは第三のチェックポイントに向けて走り出した。


「警察ペアが旧市街ペアを出し抜いてトップに躍り出ました! 遊撃士ペアもそのお零れをもらって二位、旧市街ペアの陥落です!」
「しかし予想以上に速いですね、遊撃士ペア。これは二週目最初で追いつきそうですよ」
「曹長の解説どおりだとヨシュア選手の方が速いみたいですね、しかしエステル選手も足が速い! やはり流石の遊撃士ということでしょうか!」
「身体の使い方が異常です、重心移動に全く無駄がないからこそ反動も少なく、いえその反動すら利用して減速を最小に留めている。私も見習いたいです」
「現役警備隊員がそこまで言うとは……クロスベルの遊撃士は化け物か!」
「追いつきましたね、警察ペアはどう切り抜けるんでしょうか……」


 トリニティ前でランディが足を止めて振り返った。その眼前には二人の遊撃士が迫っている。
「ランディ!」
 スイッチを押したロイドも振り返って身構えた。トップスピードのエステルとヨシュアが飛び込んでくる。
「一人だ!」
 ロイドが叫び、ランディと共に迎撃する。
 二人のコンビネーションは遥か高みにある、そんな相手に二対二の状況は望ましくない。一人ひとりの力量も上だが、それ以上に芽がない故の苦肉の策だった。
「行くわよっ!」
 エステルが宣言し、同時にその一歩をより一層力強く踏みしめた。
 来るであろう突撃に身を固めたランディだが、すぐに失策に気づく。高速の前進を間近に控えた彼女よりも、その後方の彼のが速いのだ。
「ぐぅ!」
「なっ!?」
 エステルが来るより先に初撃が入る。身を低くし一気に加速したヨシュアが二人を通り抜けたのだ。
 反応すらできなかった攻撃だが、しかし身体にダメージはない。それは偶然ではなくヨシュアが武器に当てただけなのである。

 しかし彼にとってはそれで十分、その次に繰り出される相棒の攻撃を確実なものにしたかっただけなのだ。
「はぁぁぁぁああああ!」
 ランディとロイドの身体に刺突連撃が繰り出され、それを二人は防ぎきれない。全身に走る衝撃に硬直した体はそのまま後方の壁にまで吹き飛ばされる。
「ごめんねー!」
 叩き付けたエステルは息を切らさずに走り去っていく。二人は身体を起こして追いかけようとし、
「うらぁああ!」
ヴァルドの体当たりで地に倒れ伏した。ワジがチェックポイントを叩く。
「悪いね、そのまま寝てなよ」
 旧市街の二人はそのまま遊撃士へと追いすがっていく。連続の攻撃は痛みを相乗に感じさせる。体勢の崩れている間のヴァルドの奇襲は流石に辛い。
「くそっ!」
 ロイドが悪態を吐き、なんとかしようと走り出そうとする。
「――くくくははは」
「ランディ?」
「あああァァァアアアッ!! いいねぇ、コレはこうでなきゃ面白くねぇ!!」
 ――そこに赤い死神が現れた。気炎を上げて歪に嗤うランディは見たことがないほどの感情をぎらつかせている。
 それは哀しく、狂おしいほどの激情。ロイドはそれをただ見つめ――


























“――――所詮、血塗られた道か……”


























「え――」
 気づけば、その肩に手を置いていた。自分の行動に驚いたロイドが声を上げ、それを受けたランディが目を点にする。
 少しの沈黙、しかし再び状態を戻したランディが叫んだ。
「追うぞ!」




 初出:4月3日


 お祭りだひゃっほうっ! エイプリルフールネタやりたかったな……



[31007] 4-2
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/04/07 21:53


「レースも終盤ですね。遊撃士ペアと旧市街ペアが一位争い、警察ペアは何かアクシデントでもあったのか若干のタイムロスがありましたがどうなんでしょうか?」
「……でもそれ以降のランディ先輩の勢いは凄まじいですね、これは遊撃士ペアに相当する速度です。前の二組が衝突するならまだ可能性はあります」
「確かに。ランディ選手はその一撃でセットを壊していますからパワーも上がっているんでしょうね。今までと違い先行しているようですが、チェックポイントのタイムロスがあるからロイド選手が追いつけているような印象を受けます」
「元々先輩の方が足は速いはずですが、それでもこの驚異的な速度は予想外です。ロイドさんのトップスピードで追い上げているわけですから前の二組も油断はできません」
「そういえば妨害工作も設置型のものはありませんね」
「そんなものを用意する暇は正直ありませんから追いかけたほうが速いです。そもそも武闘派が集まってやっているわけですし」
「楽しみをなくす方法は取りませんね――――おおっとここで遊撃士ペアが反転、迎撃態勢を取っています! このまま走れば勝利のはずですが……!?」
「忘れずに楽しみたいんでしょう」






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 エステルのわがままに振り回されることに慣れているヨシュアは、お決まりのようにため息を吐いて待ち構えた。
 ロイド・ランディペアとは少しの刃合わせを行ったが、これから来る旧市街ペアとは行っていない。そもそも発端はこの二人から始まったわけだし、ここで戦わずに終わることはありえない。
「来たわね!」
 エステルの言葉通り、ワジとヴァルドが既に目の前にまでやってきていた。ヴァルドが乱れた息でなお鼻息を荒くする。
「フン、わざわざ、待っていたってわけか」
「まぁね、せっかくだし」

「ふふ、それなら僕も楽しませてもらおうかな」
 そう言ってワジはヨシュアを見る。その見定めるかのような瞳にヨシュアは今日一番の集中を自身に望んだ。
 半身となり、腕を直角に曲げる。そこには一切の力も感じられない自然体だが、そこに蛇のようなプレッシャーを感じる。ヨシュアは双剣を手にワジの動向に注視した。
 隣ではエステルとヴァルドが得物をぶつけている。ヴァルドの実力はエステルに遠く及ばない、心配する必要はなかった。
「し――っ」
 故にヨシュアは神速の踏み込みで以ってワジの左腕を狙う。ゆらゆらと揺れていた最近距離の腕への一閃は、しかしその鞭のような腕で剣の腹を打ち据えられ防がれる。
 右腕が衝撃で痺れ、弾かれる。その勢いに従い振り上げた左の蹴足砲を右腕で相殺したワジは、ぶつかり合った腕を絡ませて自分に有利な体勢へと移行させる。
「っ!?」
 左足を絡め取られて姿勢を崩したヨシュアにワジの左足が迫る。思わず左の剣で受け――
「な――」
衝撃が手に走り剣を飛ばされた。
 更に迫る左腕、足を絡め取っていたワジの右腕を土台にして空中に回避する。同時に飛ばされた得物を受け止め、降下。
 それを待ち構えていたワジに双剣を振るった。
「…………」
 着地したヨシュアの腕は痺れているが、それを億尾にも出さずにワジを見つめる。その先の少年もやはり普段の佇まいでヨシュアを見ていた。

「やっぱりやるね、お兄さん」
「………………君も、ね」
「はぁ!」
「ちィ!」
 隣ではエステルに吹き飛ばされたヴァルドが木箱を砕いている。ヨシュアの隣に降り立ったエステルはヨシュアを見て、そしてワジを見た。
「……どうしたの?」
 いつになく神妙に尋ねるエステルに、なんでもない、と返したヨシュアはそのままエステルを促してゴールへと向かう。その脳内には様々な考えが生まれていた。

「――っ!」
「エステルッ!」
 刹那、同時に反応し跳び退る。入れ替わる形で空から人が降りその得物を叩きつけた。
「うらああああ!!」
 スタンハルバードが唸りを上げその場にいた四人の中心部を蹂躙する。乾燥した旧市街の大地を震わせ土煙を生み出し、更に四人に衝撃の余波を与える。
 体勢の崩れていたヴァルドはそれをもろに浴びて膝を着き、ワジはちゃっかり退避していた。そのワジの後ろからロイドが攻め込む。
「はぁあ!」
「――っと!」
 ワジは反転して受け止めるが、その勢いに押されて立ち位置を逆転される。
「走れ!」
 ランディの言葉にロイドは追撃をやめて走り出す。ランディの奇襲を免れた遊撃士ペアも既に走り始めており最後の追い上げだ。
 その場から四人が走り去る中、ワジはゆっくりと立ち上がるヴァルドを一瞥し、後を追った。


「なんと警察ペアの奇襲が成功! 旧市街ペアを置き去りにして遊撃士ペアとの一騎打ちに持ち込みました!」
「流石です。しかし遊撃士ペアは奇襲を回避していますからね、その点が勝敗を分ける形になりそうです。最後のチェックポイントの折り返し地点がラストチャンスですね」
「旧市街ペアは脱落でしょうか?」
「先と同じですね。前二組が争えば、ということです」
「なるほど! しかしヴァルド選手だけダメージが大きいのが気になりますね」
「あの体格ですから大丈夫だとは思いますが速度は落ちるでしょう。やはり彼、えっとワジ……君ですか? が鍵ですね」




 いきなりじゃんけんと言われ、咄嗟に出したものが読まれていることは仕方ない。そう思いながらヨシュアは走った。ちなみにエステルは最後のチェックポイントであるイグニスまでの通路に仁王立ちして警察ペアの足止め役である。
 チェックポイントでのタイムロスを帳消しにするとはいえ、残された一人は二人の相手をしなければならないのが唯一にして最大のネックである。しかし今回二人が行ったじゃんけんはむしろその直接ぶつかる役を決めるじゃんけんであった。
 なので負けたヨシュアは単純に走る役、その顔には不満も出よう。しかし彼の顔に現れている苦笑はそれだけが理由ではない。同時にエステルが全力を出すという予測ができてしまっているからだ。

 彼女の名誉のために言うと、以前の訓練でも彼女は手を抜かず本気だった。しかし全力ではなかった。
 今回彼女が全力を出すのは自分のためだけではなく、良きライバルとなってくれるであろう特務支援課に対する激励の意味もある。
 ヨシュアはそのために自分は全力の疾走をしなかった。手を抜いたわけではないのである。

「ッ! エステル!」
 ランディとロイドがイグニスの扉を視界に収めると同時、エステル・ブライトはその世界に入っていた。右足を引き半身で構える姿は前と同じ。しかし纏う空気だけは完全に別物だった。
 ロイドが気づくと同時にランディはその異質を感じ取り、故に限界の速度で駆け寄った。何かされる前に動きを止める、この異常な気を発する彼女を止めるにはそれしかなかった。だがその目的は、実力差という階段において上にいる彼女には届かない。
「――とっておきを見せてあげる!」
 飛び込んだランディの視界からエステルが消えた。しかしその残像だけは捉えているので行く先はわかる。
 頭上を仰ぐとそこには螺旋を体現する彼女、竜巻のように身体を回転させたエステルはそのベクトルを大地へと変化させる。重力に身を任せて飛び込む先はランディとロイドの中間点。ちょうどランディの奇襲と同じポイントだ。
 その激突は二人を呑み込んで――
「な!」
「くッ!」
 地を揺らす猛威に二人の身体は空に浮く。その自由意志の利かない空間を漂う中、着地したエステルの回転が静まったことを確認した。
 しかし同時に身体を襲うのは怖気、嵐の前の静けさであるそれである。
 紫電が走り、エステルは地を指していた棒術具をしならせる。身体の望むままに周囲を巻き込む大回転、エステル・ブライトが編み出した彼女の天性の証明。その牙となる相棒に風を纏わせ――
「絶紹・太極輪!!」
その身を台風に昇華した。






 夕暮れが辺りを包む中、レースを終えた二人がその場で倒れていた。そんな二人を見つめるエリィとティオ、そしてノエルはなんともいえない表情をしている。
「全く、これだから男の子って……」
「単純で意地っ張り、ですね。女の子も一人いましたけど」
「あはは、でも白熱したいい試合でした」
 息も絶え絶えな二人を半目で見た後、飲み物を買いに東通りに消えていく。二人でも十分だったがノエルは気を利かせたのか共に消えていった。
 そんな中、ようやく息を落ち着けたロイドとランディは上半身を起こして一息ついた。

 結局レースはエステル・ヨシュアペアが優勝、次いでゴールしたのはワジだった。しかし最後にゴールしたのはヴァルドであり、一位以外がどのような順位であるのかは判断がつかなかった。どちらにしても本来の目的だった港湾区の件の鎮圧は達成されたので彼らの勝利と言える。
 穏やかな空気が流れる中、ランディは自嘲するように呟いた。
「……悪いな、いきなりキレちまってよ」
「ランディ……」
「オレの中にはあんなヤツがいる。その一方で、今までお前らといた俺も存在する。結局よ、わからねぇんだ。どっちが本当のおれなのか、たったの二年でさっぱりだ」
 夕焼け空を仰ぐ。赤く染まるその天蓋に、かつて見た情景が広がった。

「ランディは、警備隊に入る前はどこにいたんだ」
 今まで聞いていなかったこと、それを尋ねたロイドは隣の彼を見る。底の知れない何かが見えた。
「――地獄のように熱く、闇のように冷たい唾棄すべき場所………………なんてな」
 そして彼は今までのように明るく振舞った。空を見上げたままに続ける。
「ちょっとそれっぽかっただろ? 冗談のようなそんな大したことない場所っつーことだ」
「ランディ……」
「今の俺は支援課の頼れるお兄さんのランディ・オルランドだ、あんま過去のこと気にすんな。これはお前にも言えることかもしれねぇぞ?」
 そう笑顔で答えたランディに対しロイドは俯き、何かを思う。
 夕陽を受けて赤く染まる白い珠玉。それを眺めていたら自然と言葉が溢れてくる。

「俺には捜査官の兄貴がいたって知ってるだろ? その兄貴にさ、ランディは似てるんだ」
「あん?」
「いつも俺やエリィやティオのフォローをしてて、どっしりと構えて空気を明るくしてくれて、すごく助かってる」
「…………」
「俺はまだまだ未熟で、ランディの隣を歩けるほど強くないけど、それでもいつか並んで歩いていきたい。ランディが何かを抱えているなら、その助けになりたい。だから、その時が来たら聞かせてくれないか? ランディの話を聞けるように頑張るからさ」
 レース中にいつの間にか置いていた手の理由がそこにあるのかもしれない。
 そう感じたからこそ、そしてそれ以上に男として尊敬できる青年と信頼できる関係でありたいと思ったからこその言葉だった。
 それをストレートに伝えることができるからこそ、彼はロイド・バニングスなのかもしれない。

「…………はは」
 そしてその言葉を受けたランディは、以前のエリィの件を思い出して笑う。
 なるほど、こりゃ確かに……
「かぁー、全くお前ってヤツは……!」
「な、何すんだよ……っ」
「何でもねぇよっ!」
 照れ隠しのようにロイドの頭を掴み揺さぶり大声で笑う。それまで感じていた暗い感情が消えていた。そんな自分と、そうした弟分がおかしくてなおさら笑いが止まらない。
 ロイドはそんな様子に圧されてされるがままになっていた。
「――いつまでもじゃれてないの」
 いつの間にか戻ってきていた三人から飲み物をもらい、一気に飲み干す。そんな様子にため息を吐いたエリィにティオがちょっかいをかけた。
「エリィさん、妬いているんですか?」
「なっ、や、妬いてませんっ」
「え、そうなんですか!?」
 驚くノエルに違うのよ、と弁明するエリィ。こっちはこっちで交流を深めていたようだ。
「悪いなお嬢、所詮弱肉強食なのさっ」
 そう言ってランディは煽り、ロイドの胸をポンと叩いた。


















「どうしたんですか?」
 ティオの言葉に意識を引き戻し、ロイドとランディは顔を見合わせた。
「…………」
「…………」
 両者は沈黙、しかしロイドは同様の現象を以前にも体験していたために復帰が早い。
「い、いや、なんでもない」
「ロイド……?」
 エリィが何か思ったのか話しかけ、しかし大丈夫と答える。釈然としないエリィだが、そこにテスタメンツとサーベルバイパーがやってきて話をぶった切った。
 それぞれレースに対して感想を言った後に去っていく。しかしすぐに引き上げたサーベルバイパーとは違い、テスタメンツのワジはそこにいた初対面の彼女を値踏みするように見ていた。
「な、なに……?」
「……ふーん、お姉さんなかなか面白そうだね」
「……ちょっと君、いきなり初対面の人に面白そうなんて言わないほうがいいよ。私はいいけど、それを良くない方向に捉えちゃう人もいるだろうから」
「え、でもお姉さんはいいんでしょ? ならいいじゃん」
「あのねぇ、私は君の今後の為を思って言ってるんだから。大体何ですかその格好、お腹なんて出して……」
「いやぁ僕ってミステリアスな感じが売りだからさ」
「お腹は関係ないでしょ!」
「いやいや、マダム達には好評だよ」
「ま、マダム……? ちょっと君、一体何をしているのっ? まさか如何わしいことなんて言わないよねっ!」
「うん? ちょっとバーで話しているだけだからお姉さんも来るといいよ。僕、お姉さんみたいな人に叱られるのも好きだし」
「な、何を言って――!」
 いつの間にか始まったノエルとワジの会話はそのほとんどがワジのせいだが熱を帯びていたので慌てて止める。
 水を差されたのでワジは踵を返すが置き土産も忘れない。しっかり最後にノエルをからかって去っていった。

「そ、曹長、なんかごめん」
「い、いえ、私も熱くなりすぎました……」
 恐縮するロイドとノエル、この二人は基本的な性格が似通っている為に似たような行動を取る時がある。今が正にそれだ。
「ワジさんは真面目に対応しちゃいけない類の人ですので気をつけてください」
「う、うん……確かに」
 ティオの言葉に頷くノエルはまだ先の熱が冷めていないのかワジが去ったほうを眺めている。ワジにとっては真面目タイプの人間は格好の獲物であるようだった。

「お疲れ様!」
 旧市街の面々が去った後、エステルとヨシュアがやってきた。ロイドとランディのように疲れている様子はない、基礎体力の差が出ていた。
「ああ、お疲れ様」
「負けたぜ、流石に凄いな」
「いえ…………時にランディさん、身体のほうは大丈夫ですか?」
 ヨシュアが口を開き、ランディは意外だという風に口を歪めた。
「へぇ、同じ匂いはしなかったけどな」
「正確には違いますが、似たような所ですので知識は」
「なるほどな……心配すんな、ガキの頃からだから慣れている」
 そうですか、とヨシュアは会話を止め、エステルはその雰囲気を変えるように口を開いた。

「そうそう、ありがとねロイド君。リーシャとは会ったよ」
「そうなのか?」
「うん、探していた子とは違ったけどリーシャすっごいいい子だから仲良くなっちゃった!」
 リーシャはやはり別人であったのかと事実を知ったロイドは、そこであの人形工房で会った少女のことを思い出した。あのレンという不思議で奇妙な少女、それが彼女らの探し人なのだと理解していた。
「もう一人いるんだ、紫髪の女の子。今度は12歳くらいでドレスを着ている」
「…………それは、どこでだい?」
 ヨシュアが聞いてくる。
「マインツ山道の三叉路の先にあるローゼンベルグ人形工房前――」
「………………そっか」
 ヨシュアとエステルは礼を言ってその話を切り上げた。その様子は間違いなく当たりであったが、しかし前回のような喜びは感じられない。
 どのような心境の変化か、それを深く追求するほどの関係ではまだなかった。

「もう一つ、いいかな。黒の競売会(シュバルツオークション)、知ってる?」
「黒の競売会?」
「うん、なんでもこの時期になると行われているイベントらしいんだけど、問題なのは取り扱っている商品が密輸や盗品といった違法なところ」
 遊撃士協会としてもそんな催しを野放しにはできないが、しかし民間人に危害が加えられる恐れがない限りは遊撃士協会は動けない。それでも万が一のために全貌を解き明かしておきたいのだが、生憎そこまでの情報は得られていないらしい。ロイドたちも多聞にして知らなかった。
「あくまで噂だけど、こちらも信頼のおける筋からの情報だ。ほかにも情報が得られたら教えてほしい」
「ああ、わかった」
「私も、及ばずながら」
 ノエルも警備隊として見逃せるものではない、彼女も別の情報網で協力してくれることになった。

 そしてせっかく発言したのでノエルは遊撃士二人に話しかける。
「先ほどのレースでは見事でした。私も精進したいと思います」
「あはは、警備隊のホープに言われるとなんだか照れちゃうわね」
「シーカー曹長の話は聞き及んでいます。お互いに頑張りましょう」
 握手を交わした三人、エステルとヨシュアは仕事が残っていると言って去っていった。
「はぁ、すごいですねぇ……同じ年なのにあそこまで動けるなんて」
「全くだ、こりゃ俺たちも努力しなくちゃな」
「はい――――皆さんお疲れ様でした。私も休日を有意義に過ごすことができたと思います」
 ノエルが彼女らしく礼を言ってくる。せっかくの休日を楽しく過ごせたのならロイドたちにしても安心である。
「ノエル曹長、夕ご飯を一緒しませんか? せっかくですから」
 エリィの誘いにノエルは笑顔で頷き、彼らは伸びた影を引き連れて旧市街を出て行く。
 クロスベル創立記念祭二日目、交流としては文句のない一日だった。

「明日筋肉痛だとか言わないでよ、二人とも」
 しっかり釘を刺された二人は苦笑いを浮かべた。まるで兄弟のようだとノエルは思った。




 初出:4月7日


 原作であったエスヨシュの罠はきっと作戦会議中に作ったんだ!




[31007] 4-3
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/04/12 09:34



 創立記念祭三日目は捜査二課からの依頼で始まった。
 毎年この時期になると偽のブランド商品が大量に出回るという。空港や駅、国境門に人員を手配してその摘発を行うのだが人手が足りないので特務支援課にタングラム門に入ってほしいということだ。捜査二課のドノバン警部から詳細を聞き、警察の信頼回復のためにもと四人は快く引き受けた。
 ちなみにその偽ブランド業者がクロスベルに来るという情報は確定らしいので空振りという事はない。自治州法では軽犯罪に当たるものだが、せっかくの祭りに水を差す真似は一市民としても阻止したい要請だった。

 タングラム門でソーニャとノエルの協力を取り付ける。昼ごろに到着する旅客バスに紛れている可能性が高いので、そのバスの乗り換え時の休憩時間に乗客にコンタクトを取っていく方針だ。
「ここに来るまでに考えは纏めていたのでしょう? 良かったら聞かせてくれないかしら」
 ソーニャが試すような視線で問うてくる。ロイドは頷いた。
「侵入経路の中でもバスという手段は荷物を多く運べません。なので偽ブランド商品は持っていないでしょう」
「現物による特定はできないんですね」
「そして業者は複数犯、ならば現物の運び出しというリスクを背負う仕事は下の者が行うはずです。そして最も安全な経路での侵入は上の、おそらくトップが利用すると思われます。現場指揮に上位の者が当たることを考えればバスにはおそらく一人、何食わぬ顔で乗っていると思われます」
「なるほど、単独の乗客に狙いを絞るのね」
 ソーニャは頷いた。基本方針が固まっているのなら文句はない。

「そしてここが一番なんですが――」
「え?」
「クロスベルに来た理由、それを仕事だとは絶対に言わないはずです」
 ロイドはそう言い、驚く二人を見てエリィに継いだ。
「これは私の経験ですが、悪事を働こうと考える人間はその悪事に関係する話題を避けようとする傾向があります。恐らくボロが出るのを避けるためなのでしょう、関係ない話だけをした方が無難ですから。つまり今回仕事でクロスベルに来る業者は、自分の目的を仕事ではないそれ以外のことだと言うと思うんです」
「創立記念祭中に来る人はたいていそれ目当てですから、仕事というよりは大多数に紛れると思いますし」
 ティオが補足し、特務支援課の総意は終了した。ノエルとソーニャは暫し目を瞬かせていたが徐に微笑んだ。
「これなら大丈夫そうね」
「はい。私が補佐しますので、是非とも捕まえてください!」
 お墨付きをいただき、そして任務は開始された。




 タングラム門の食事処で全員と会話を交わした。その内単身で来ていたのは五人、共和国出身の黒髪の女性にそれを怪しげな視線で見つめる金髪の女性、貿易商の恰幅のいい男性と釣りのためにやってきた老人、そして息子家族に会いに来た老婆である。
 その内黒髪の女性と男性は仕事だと言っているので除外、すると残りは暫定だが三人に絞れることになる。更に釣りのために来たという老人は最初理由を拒み、ランディに挑発されてやけくそが如く言っていたので印象的には犯人とは思えなかった。
 とはいえ印象のみで判断することはできない。しかしロイドらは会話の中で明らかに不自然な点を見つけていた。


 バスがクロスベルに戻る。乗客が次々と降りる中、エリィが小銭を取りこぼした。
「あ、すみませんっ」
 そう言って通路を塞ぐ彼女、それに笑みを見せて優しげな言葉をかける老婆と、降りる寸前で振り返った黒髪の女性。そしてロイドは老婆に話しかけた。
「おばあさんは、確かお孫さんと遊園地に行くんでしたか」
「ええそうよ、本当に楽しみだわ」
「前回行ったのが三年前だっけ?」
「そうよ、でも昨日のことのように思えるわ」
 懐かしむように目を細める老婆、そこで問いただそうとしたロイドだが思わぬ言葉が降ってきた。

「――あら、ミシュラムワンダーランドは二年前に開園したはずだけどあなたはどこに行ったのかしら?」

「え……」
 老婆とロイドの言葉が被る。エリィも立ち上がって呆然としていた。黒髪の美しいその女性はそう言って微笑み、バスから消える。残った五人は呆気に取られていたが、しかし咳払いをしてロイドは問う。
「まだ完成していなかった場所に行けるなんて、おばあさんは何者なんですか?」
「い、いえ……そう! ちょっと間違えちゃっただけよっ」
「確かにそうかもしれません。ですが今クロスベルでは虚偽の申告をした方に厳しくしていまして、身分証を提示していただけませんか?」
 捜査手帳を見せて言うロイドだが、もちろんそんな事実はない。しかしその通告に対し老婆はうろたえる。行動に移そうとしてランディが肩を掴んだ。
「どうした婆さん、疲れたのか?」
「な、いきなり何を――」
「運転手さん、扉を閉めていただいてかまいませんか?」
 ティオが指示して退路を塞ぐ。改めてロイドは問いただした。
「ちなみにその息子さん夫婦の連絡先も教えていただけますか?」





「ふー、何とも癖の強い婆さんだったな」
 警察署を出てランディが伸びをする。バスで身柄を拘束した老婆は現在二課による事情聴取の真っ最中だ。
 あの後窓から脱走を試みた老婆をエリィが阻み、運転手の方に礼を言ってから運んだ。その間老婆は今までの様子から豹変して罵詈雑言の嵐を仕掛ける。対象を眠らせる導力魔法ローレライが欲しいと思った四人である。
 二課も空港で現物を抑えたため証拠は十分、今回記念祭中に偽ブランド商品が出回ることはないだろう。
「今回のMVPはティオちゃんね」
「た、たまたまです」
 エリィがティオに微笑み、ティオは若干顔を赤らめて早口で言った。
 ミシュラムワンダーランドの開園時期に疑問を覚えたのはティオだ。マスコットキャラクターの猫みっしぃを愛する彼女は関連の知識に詳しいので老婆が言ったそれを覚えていたのだ。

「そういえばあの美人のお姉さんも知ってたな」
 ランディが呟いたのは切れ長の瞳が印象的だった長い黒髪の女性。彼女も仕事で来たようだ。
「確か宝石を捜しにって言っていたけど、宝飾関係の方なのかしら」
「さてな。ただかなりの腕前だぜ」
「ランディ?」
「何気ない仕草にも隙がなかった。相当強いはずだ」
 もしかしたら銀よりも、な……
 心の中で思った言葉をランディは外には出さなかった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 ここで四人はアルカンシェルへと足を運んだ。理由は一つ、支援要請である。なんでもイリアにストーカーが現れたというのだ。前回世話になった、かどうかはわからないが四人とも新作公演のチケットをもらっている。力になって当然だった。
「やっほー弟君たちっ」
「あ、皆さん」
 イリアとリーシャが練習を中断して迎えてくれる。劇団長のアバンも交えて依頼内容を尋ねた。曰く、留守中に荒らされていたらしい。
「大変じゃないですかっ!」
「でも別に何かなくなってたわけじゃないし、元から散らかってるしー」
「イリアさん……」
 リーシャが哀しげにため息を吐いた。度々お邪魔しているらしいリーシャはその度に片付けているが、次の時には元通りになっているそうだ。
「でも、それだと現場検証はイリアさんの自宅になってしまいますが……」
「あ、じゃあ鍵あげるから行ってきてよ」
「い、いいんですか?」
 もちろん、と言って鍵を取りに楽屋に戻っていくイリア。

 そういえば、とティオが口を開いた。
「リーシャさん、エステルさんたちに会ったんですよね?」
「え? は、はいそうですけど……どうして皆さんが?」
「ああ、エステル達が紫の髪の子を探しているって聞いて思い出したのがリーシャでさ」
 結局は人違いだったんだけど、とロイド。リーシャはそれを聞いて得心する。
 そっか、だから……
 リーシャは二人の遊撃士を思い浮かべ、その輝きに眼を晦ませる。それが想像の中の出来事だとしても、彼女には彼らを直視することはできなかった。
 やがてイリアが戻り、鍵を渡された四人はイリアの自宅、西通りのアパルトメント『ヴィラ・レザン』へと足を運んだ。


 ベルハウスの向かいにある緑の建物、それがヴィラ・レザンだ。高級物件らしく、入居しているのは建築家だったり元政治家だったりとそれに相応しい人物が揃っている。その中でも最上階の三階に住んでいるのがイリア・プラティエである。
 スターの彼女はそれ故に住居を公開していない。それは徹底されているらしくヴィラ・レザンの掃除をしていた女性も彼女が住んでいることを知らなかった。三階には一室しかなく迷うことはない。
 そして鍵を開けようとしたロイドはそれに気づいた。
「鍵穴に疵がある、ピッキングの跡だ」
 どうやら侵入されたのは確からしく、気を引き締めて中に入った。

「うわぁ……」
 そしてロイドは反応を間違えなかった。

 イリアの居室は晩酌の名残や脱ぎ捨てられた衣服などリーシャの証言通りの有様だった。ストーカーの知らせを受けてスターの家に入り、この惨状を見れば十中八九ストーカーの仕業だと判断するだろうが、イリアの性格を知りかつ有力な証言があれば彼のような呆れとも衝撃ともつかない発言が漏れるのは仕方のないことである。
「えっと、どうする、ロイド?」
 エリィが尋ねる。彼女は部屋を片付けたい衝動に駆られているのか手をわきわきさせていた。
「一応このままで。難しいとは思うけど犯人の手がかりと違和感を覚える箇所がないか探してみよう。ティオ、魔導杖で何か調べられないか?」
「危険物限定とはいきませんが、金属探知はしておきます」
 危険性の高い物体に関してはティオに任せ、ロイドは散らかっているものを一つずつ確認していく。
「しっかしこりゃ俺たち男には名状しがたい何かが立ち上ってくる光景なんだが……なぁロイド?」
「……ノーコメントで」
「安心して、女も一緒だから」
 テーブルに置かれたいくつもの酒瓶は一夜のものだし、ベッドに脱ぎ捨てられた衣類は朝の光景を想像させる生々しいもの。これは有名人ではない彼らにとって別世界のもののようだ。

 ティオの探査も終わり、彼らは現場の確認をする。爆発物などの危険性の高いものはなく、また散らかっていた各私物にも目立った痕跡はない。窓は閉まっていて開閉装置は埃がかぶっていた。やはり侵入経路は玄関一択、しかしその目的まではわからなかった。
「普通に入って満足してしまったんでしょうか」
「それか惨劇に失望したのか」
「先に同業者に入られたと思ったかもしれないわね」

「いずれにせよ玄関に絞られたのは幸いだ、建物内の人に聞き込みをしよう」
 二人ずつに分かれて聞き込みを行った後、許可を得て建物の構造を確認する。ヴィラ・レザン自体の入り口は正面玄関が一つと一階階段下にある裏口だ。裏口を抜けると文字通り建物の裏へと続き、その細い隙間を通っていくと住宅街や西クロスベル街道の入り口脇の小さなスペースに辿り着く。
「ん?」
 ランディが左手にある柵の疵を見る。割と新しいものだ。
「大抵正面玄関脇の長椅子に座っているお婆さんは住民以外の通行を確認していないそうです」
 ティオが聞き込みで得た情報を合わせるとどうやらここが侵入場所の可能性が高そうだ。
「しかしこれは結構高さがあるな。中々動けるやつじゃないのか?」
「どちらにしても帽子を被った少年ってこと以外さっぱりだ。ここはイリアさんの許可を得て現行犯で捕まえるしかないな」
「あまり長く居座ると迷惑がかかってしまうわね。なんとか次の犯行日がわかればいいんだけど」
「もう来ないかもしれませんし、大変ですね」
 犯人に関する情報が身体能力だけだと正直に言って確保するのは不可能だ。目的もわからないので罠を張ることもできず、ならば張り込みを行うしか今のところ手段がない。
「直接的な被害がないのが幸いかしら……」
 無断侵入以外に被害がないことは幸いなのかもしれないが、それが逆に手がかりの少なさに直結している。イリアに現在の進捗状況を伝え、可能ならば張り込みをする以外はなさそうだった。




 ヴィラ・レザンを出るとロイドのエニグマに通信がかかってきた。緊急支援要請かと身構えたロイド。しかし――
「僕だよ、ヨナ・セイクリッド!」
「なんだヨナか……ってなんで俺の番号知っているんだ!?」
 ハッキングしましたね、というティオの呟きが聞こえる。頼みたいことがあるというヨナに苦笑しながら答える。
「そりゃ依頼自体はいいけど、まだ先になるぞ。今も依頼の真っ最中なんだ」
「あんたらの欲しい情報、やるよ? 黒の競売会とかさ」
「――!」
 ロイドの表情が変わる。三人も表情を引き締めた。そんな反応が見て取れたのかヨナは笑い、
「ジオフロントのA区画にある端末室で協力して欲しいんだ。ティオ・プラトーは絶対連れてこいよ!」
 言うなり通信を切るヨナ、ロイドもエニグマを仕舞って話の内容を伝えた。

「ジオフロントA区画、その使ったことのない移動装置で向かうのか……」
「でもヨナ君はまだ無断占拠しているのでしょう? 警察官がそれに協力するのは……」
 エリィが渋る。彼女も心情的には協力したいが打診した相手が違法スレスレでは即答とまではいかない。
「――今回はヨナの居場所は知らなかったということで、とりあえずA区画に行きませんか? 黒の競売会の情報は欲しいですし」
「ティオ、でもイリアさんのストーカーの件が終わっていない。少なくとも全員では無理だぞ」
「わかっています。ヨナはわたしを指名していますしわたし一人で行きます。A区画は強い魔獣はいませんし」
 ティオはそう言うが、流石に旧市街とは違って一人で行かせるわけにはいかない。イリアへの報告やストーカー対策の張り込みなど、やるべきことを考えて人員を分ける必要があった。
「張り込みは体力勝負だけど女性の家だしエリィはイリアさんの方に」
「妥当ね、とすると貴方とランディをどちらに回すかだけど……」

「――ロイド、お前はティオすけと一緒に行け」
 ランディが言う。曰く自分のほうが身体能力が高いので逃げられる可能性を消せる上、捜査官としての仕事は既に終わっているからだと。
「ま、この弟ブルジョワジーを早々イリアさんと会わせたくないしな」
「……そうね」
 リーシャさんにも、と内心で思うエリィがジト目で睨み賛同する。ロイドは謂れのない嘲笑を浴びている気分になった。

「ま、まあ決まったんなら俺に文句はないけど……いや理由にはあるけど」
「決まりだっつのっ、ほら行った行った!」
 追い払うようなランディにロイドは釈然としないままティオと歩いていく。その姿が消えるのを確認してランディは嬉しそうに笑った。
「よし、これでイリアさんに堂々と会えるぜ!」
「はぁ、ランディ、それが目的?」
 おうよ、と歯を輝かせるランディ、エリィは彼を置いて歩き出した。
「お兄さんは大変ね」
「…………そんなことねぇさ」
 後ろ手を組んでいるエリィを見ながらランディは頭を掻いた。鋭いのも考え物だと仲間を賞賛しつつ苦笑して。






 ジオフロントA区画、使っていなかった装置を起動させる。降下した舞台を降りて扉を潜った。
 錆びた鉄のような色に包まれたその世界を二人して歩く。位置的には過去に潜った場所が上層ならばここは下層、当然魔獣も上層とは異なった種類が徘徊している。
「…………」
「……ティオ、知っていたんなら後でお仕置きだぞ」
「………………」
 ティオは沈黙で答え、ロイドはため息を吐いた。

 ダークコロイドとパラサイトプリマ、それが新種の魔獣である。前者は不気味な触手を持つイソギンチャクのようなもの、後者は鮮やかな羽根を持つナニカである。
「……バイオ兵器みたいです」
「ティオ?」
 なんでもないですと返し、二人は先を進む。上層と比べて部屋と狭い通路の繰り返しのようなここは迷路のような印象を受ける。身が縮まるような感覚だった。
 それにしてもジオフロントの魔獣率は高く、いかに普段人が入っていないかを感じさせる。訓練を受けていない普通の人では進めない魔窟だった。
「長いな……これも知っていたのか?」
「…………」
 お仕置きが決定した瞬間である。

 とはいえこの二人、いつにも増して会話が少ない。それはティオが何故か話したくないようなオーラを発しているからで、ロイドも気まずい雰囲気に困惑していた。普段ならこんな状況を打開するのは大抵ランディであり、それが望めない現状では彼の大きさを思い知らされる。

 いや、だからこそ、だ……
 旧市街のチェイスでの会話を思い出し、ロイドは口を開いた。
「――ティオ、確か前に支援課にいる理由があるって言ってたよな」
「……」
「……あれ」
 話したくないオーラが壁を形成した。
 間違いなく地雷を踏んだ。意気込んで話しかける内容のチョイスが間違いすぎだった。
「…………はぁ」
 肩を落とすロイドにティオは振り返り、呆れた様子でやっと口を開いた。
「……ロイドさん、それは明らかに選択ミスです」
「う……ごめん」
「やれやれです」
 そう言い放って再び前を向いたティオにはしかし僅かの笑みが浮かんでいる。だが彼はそれに気づかず自身のミスに落ち込んでいた。

 そして少しだけ良くなった空気に彼が気づかぬままにティオが新しい扉を潜り、
「え――」
 突然の襲撃に硬直した。



 初出:4月12日


 昨日は家に帰れなかったので遅れました。更新頻度は維持しようと思っています。



[31007] 4-4
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/04/15 22:08



 エリィとランディがイリアに現状を説明した際、イリアは渋るどころか楽しげな様子で言ってきた。
 彼女はリーシャも度々泊めているらしく、また元来派手好きなのもあって二人の願いも渡りに船のようである。しかしそんな彼女も流石にランディに対して完全に無防備になることはなく、要所での身辺警護はエリィに委ねられることとなった。
「弟君がいればセシルも呼んだのにー……」
 この一言がどれだけランディに重く圧し掛かったのかは定かではない。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 天から降り注ぐは巨大な体躯、為すすべもなく呆然とそれを見上げた少女を救ったのは傍にいた青年の咄嗟の一撃だった。
「ティオッ!」
 横に突き飛ばしたおかげで直撃を免れたティオは地面を滑り、運動能力のせいもあって体勢を整えることはできなかった。それでも持ちうる最速でそれを為し、
「ロイドさんッ!?」
「く……っ」
 眼前で魔獣と対峙しているロイドに駆け寄る。
 情報のおかげで魔獣の識別に成功、姿かたちは以前戦ったメガロバットだが今回はその上位種である。
「メガロクイーンです!」
 そのメガロクイーンは身体に対して随分と小ぶりな翼をはためかせて威嚇している。どうやら侵入者である二人を快く思っていないようだ。
 恐怖心を想起させる野生の瞳がぎらつき、口元からは唾液を撒き散らしている。

 トンファーを構えたロイドはティオとともに距離を置いた。油断なく構えながら聞く。
「ティオ、戦法は前と同じでいいのか?」
「おそらくは。ですが手数が半分ですから近接のロイドさんに無理をさせてしまうかもしれません」
「そうか、よかった」
 その言葉に首を傾げるティオをそのままにロイドは気合を入れる。自分が無理をすればいいだけなのだから楽なものだと頬を緩め、しかし以前のように独りよがりにはならない。
「期待しているぞ、ティオ!」
「――――了解です!」
 それに頼もしく、嬉しそうに応えるティオ。
 二人だけの特務支援課、二人だけの戦闘。それは過去に旧市街でもあったことだが、今回はそれとは何かが異なっていた。

「ガアァァアア!」
 メガロクイーンが吼える。至近距離ならば三半規管に影響が出るほどの大音量だが距離を離している二人には顔を顰めるほどの影響力しかない。
 ティオがアナライザーで抵抗力を下げ、エニグマを駆動させる。瞬間ロイドは疾駆しメガロクイーンの左面を侵略する。その場を移動することなく向きを変えるだけの魔獣は向かってくるロイドに牙を剥き、先ほどより小さく跳躍、そのボリュームのある身体で彼の視界を占領した。
「はぁ!」
 ロイドは一転後退して攻撃をやり過ごすと一閃、頭部を狙う。大柄な身体を構成するものは筋肉と脂肪、効き目が薄いのは確認済みである。
 蝙蝠が物体を把握するのに大切な耳に衝撃を与え、
「クロノドライブ!」
 時の力の加護を得て、絶叫するメガロバットの上を飛び越えながら更に連打する。着地後そのまま距離を離してティオに合流した。

「ロイドさん、わたしはこれから上位アーツを撃ちます。その間無防備になるので」
「……ああ、任せろ!」
 ティオの前に立ち睥睨するロイド。ティオはその背中を見て、そして詠唱に入る。
 メガロクイーンは動かない。ただ羽を羽ばたかせるだけだ。それは以前のスペリオルヤ・カーに似た動きでロイドは嫌な予感を覚えた。
 刹那――
「ちぃ!」
 詠唱したままのティオを抱え前に飛び込んだ。受身を取れず滑る二人だが、その一瞬前にいた場所には新たな魔獣の姿がある。
「メガロバット……! あの時の声か――!」
 メガロクイーンの放った絶叫は援軍を呼ぶためのもの、その名称通り彼の魔獣は王であり、動かす側の存在なのだ。
 現れたメガロバットは二体、数での優位性は消えた。

 メガロバットは標的を発見すると同時に跳びかかってくる。ロイドはティオを抱えたままでは戦えず逃げに徹した。
 しかし雑念を持つ思考といくら小さくとも人間を抱えたままでは機動性は劣化する。クロノドライブの効力が消えると同時咄嗟にティオを放して迎撃、一体を受け止めるももう一体に吹き飛ばされた。
「ぐぅ……ッ!」
 なんとか姿勢を制御しエニグマを発動、ティオに向かう魔獣にスタンブレイクを放つ。焼け焦げる音と絶叫が木霊し、しかしもう一体はロイドの背後を急襲する。剥かれた牙はそのまま彼の背中に突き刺さり鋭い痛みが走った。
「づうぅぅ……! ああぁぁぁああッ!」
 異物が体内に侵入する怖気と痛みに耐えてロイドは更にエニグマを起動、アクセルラッシュで両の魔獣を振り払う。体勢を崩していた前の一体は転がすことに成功、後ろの一体は牙を抜かせて頭部を打った。
「ギィィィィ!」
 一瞬の隙、ロイドはティオを抱えて距離を取る。素早い魔獣ではないことが救いだが、背中の怪我は無視できない。しかしティオを守るためには自身が詠唱を開始するわけにはいかなかった。

 しかし、
「――ありがとうございます」
 ここでようやくティオの詠唱は完成する。青の光に包まれた彼女はその凍えるエネルギーを解き放った。
「ダイアモンドダスト――!」
 竜巻のように渦を巻いた冷気が空間を引き絞る。それは空間の中心に集まるように螺旋を描き、そこに巨大な氷柱を形成する。凝結した空気はメガロクイーンとメガロバットの両者を固定し、そして祀られていた氷の鉄槌は振り下ろされた。
 砕ける音とともに魔獣の甲高い声が響く。周囲の熱を根こそぎ奪うように落ちてきたそれは魔獣の身体を瞬時に凍らせ衝撃で破砕する。事実メガロバット一体は粉々になり光に解け、メガロクイーンはその右半身を失った。

 しかしこのダイアモンドダスト、欠点と言えるのはその範囲である。いくら巨大な氷を作ろうとも空間を埋め尽くすほどではないために今回も全滅を幻に変えていた。
 故に難を逃れたメガロバット一体は詠唱後のティオを狙い跳躍している。冷え切った空気を切り裂いた体当たりは間に入ったロイドごと彼女を弾き飛ばす。メガロクイーンも咆哮を交えた。増援を呼ぶつもりである。
「ロイドさんっ!」
「――ッ! はぁはぁ……」
 背中の傷も癒えていないロイドはティオを庇うので精一杯、そして時間をかけるほどに状況は悪化していく。メガロクイーンの咆哮を止めるしか勝機はなかった。

「ガンナーモード起動――」
 魔導杖にアクセス、収束砲の準備にかかる。エーテルバスターは魔力放出の直射砲、メガロバットとメガロクイーン、両名が直線状に並ぶ今しかチャンスはない。
 杖から砲身へと姿を変えた魔導杖を両手で持ち構えるティオ。しかしその砲身にもう一つの手が重ねられた。
「ロイドさん……!」
「ティオ、まだだ……」
「しかし今しか――!」
「もう遅い」
 次の言葉を紡ぐ暇もなくその言葉通り新たなメガロバットが降りてくる。それはティオの目指す直線とは離れた場所、今放っても危機は免れない。
 三体の魔獣はそんな二人を視界に映しつつ、しかし行動しようとはいなかった。

 これは以前にもあった魔獣の性質、彼らは自身が圧倒的優位に立った場合その行動速度が遅れる傾向にある。それは野生動物にとっては致命傷な性質だが、もとより七耀の力によって狂わされている魔獣はそんな当たり前の本能すらなくしているのかもしれない。
 故にティオはガンナーモードを取り消し再び詠唱する。ロイドに光が降りかかり、背中の出血が止まった。
 ゆっくりと立ち上がるロイドはティオを見やる。その瞳には大きな感情が込められていた。
「――ティオ、君が何故無茶をやるのかはよくわかるけど――」
「え……」
「ならやっぱり俺を頼ってくれ。そんなこと、ティオには似合わない」
 ティオは押し黙る。彼女が今抱えているそれを理解しているというロイドの言葉が嘘ではないと彼女の能力が訴えている。その理由も彼女にはわかっていた。

 バスの防衛というゴーディアンとの戦闘、そして星見の塔での銀。この両方に共通するのがティオの脱落だ。
 遡ればアルモリカ村への道程にまで辿り着くが今ではそんなへまはしない。しかしこの二つにおいて、彼女は戦闘中に意識を失ってしまった。足手まといになってしまった。
 特務支援課の中で最年少のティオはそれ故に他の三人から子ども扱いされることが間々ある。なのでそんな過去の結果にも文句一つ言うことはないし蒸し返すこともされないが、だからこそティオはそれを返上する結果が欲しい。
 身体能力で劣る彼女が役立つのは策敵等の補助及び電子面での事務仕事。しかしそれは戦闘に直結する役割とは言いがたい。情報を甘く見ないティオだが、それ故にそちらにばかりかまけていてはいけないのだ。

 ランディやロイド、エリィのように直接戦闘において行動して成果を出したい。だからこそ彼女は普段はリスクが高い為に使おうとしない上位アーツを使い、またSクラフトで殲滅を試みた。普段の彼女がしない行動である。

 そしてロイドはその根幹が焦りにあるためにそれに気づいていた。積極的に前に出るティオの背中に自身の過去を重ねていた。
 そして今、彼はそれを否定する。仲間がいるという状況を今一度理解させる。その為には、今目の前にいる魔獣を二人で打ち払わなければならない。
「ティオ――――コンビクラフト、できるか?」
「え…………?」
 唐突の否定の後、彼は言う。その言葉にティオは反応できない。
 呆ける彼女に向けてメガロバットが跳躍する。ロイドは再びティオを抱えて退避、相手が着地する瞬間に地から離れることも忘れない。
 ロイドに抱えられたティオは彼の言葉を反芻し、そして――






「……ティオ、いけるな?」
「――――――はい、大丈夫です」
 二人は並び、三体の魔獣を見た。ティオは目を閉じ、青い光に包まれる。ヘッドギアが赤く明滅し、魔導杖が高速処理の声を上げる。
 幾何学模様の刻まれた小さな魔法陣が足元に浮かび、くるくると魔導杖を回したティオが命令を出す。
「目標捕捉――」
 瞬間、三体の魔獣は一つの同色の球体に包まれた。表面には白く微細な文字がびっしりと書き込まれている。突然の事態に魔獣は驚愕の声を上げた。
「衝撃加速、重力制御、魔力障壁の展開――」
 ロイドの身体が魔力に包まれ、彼は姿勢を低くする。彼は弾丸、発射される瞬間を今か今かと待つ終結の使者である。
「魔力纏身――」
 ロイドは地を蹴った。補助により初速から最高速、空気の壁を超越して速度を落とさずに突進する。

「オメガ――」
 トンファーを前に、クロスさせて牙を為し――
「ストライク――!」
 ――二人の声の重なりが巨大な球体を貫通した。







 イリアの部屋で行われるはずだった酒宴は果たして中止となり家主は顔を顰めた。何故なら飲むのがイリア一人だけ、リーシャは未成年のために飲めず、エリィとランディも警備のために飲むことはできなかったからだ。
 残念そうなイリアとそれを励ますリーシャを置き、エリィとランディは一足先にイリア宅へと戻ることにする。歩き始めた二人は雑談を交えていたが、目的地が近づくに連れて話題は今回の依頼へと及んだ。
「――率直に言って、犯人は来ると思う?」
「来る、と言いたい所だが、さてな。目的がわからないんじゃあその予測も立てられねぇ」
 目的。その言葉をエリィは考える。
 侵入された部屋には荒らされたどころか触れられた形跡も見つけられなかった。見落としている可能性はあるがそれでも犯人がいたという明確な証拠はない。ピッキングの痕は残っていても、その先に犯人はいないのだ。
 ならばイリア本人が目的かと問われるとノーである。イリアが練習熱心なのは有名であるため彼女が部屋にいる時間は自ずと特定される。犯人は間違いなくイリアのいない時間を選んでいるのである。

「……もし。もし犯人が何もしなかったんだとしたら」
「あん?」
 エリィの呟きにランディは訝る。しかし何も言わずに先を促した。
「何もしなかったのなら、もう一度現れる可能性はあるわよね? それも長い時を待たずに……」
「……つまり、何らかの目的こそあったが一度目はそれができず、だからこそもう一度、それもすぐに来るってことか」
 なるほどな、と顎に手をやるランディ。彼は暫し考えていたが何も意見せず足を速めた。エリィの考えどおりならこの瞬間にも犯人が来ているかもしれないのだ。
 エリィは置いていかれないよう小走りに彼を追う。

「犯人、手段、目的、結果。入る手段が巧妙なら目的もそれなりの理由があると考えて不自然かしら」
「いや、むしろ自然なもんだ――――俺は侵入経路っぽい裏口を張る。お嬢は普通に入っていってくれ」
 一度立ち止まってそう言い、エリィの頷きを以ってランディは先を急いだ。
 別行動しても問題はないと彼は考えている。いくら身体能力が高いストーカーでもエリィには敵わないし、それに直接害するほどの度胸があるとも思えない。ならば先に経路を潰すべきだと彼は判断する。それが正解なのはエリィの肯定で歴然だ。

 そして二人は西通り前で別行動を取る。先にランディが中に入り、そしてエリィは部屋に向かった。鍵を取り出し、鍵穴を見る。記憶にある限りでは疵に変化はない。
 部屋に入る。変わらない室内、軽く見渡した。
 流石にこの短時間じゃ来ないわよね……
 そう思いエニグマを取り出してランディに通信をかける。
「ランディ、そっちはどう?」
「変わらないな、そっちもか?」
「ええ、流石に一時間程度じゃね」
「そうだな。それでどうする? 支援課に戻るか? 俺がいればとりあえず侵入はされないが……」
 暫し考え、エリィは、いえ、と首を振り、
「ランディが戻って。犯人にはむしろ今来てくれたほうがいいから」
「確かにな。それで、俺にしてほしいことは何だ?」
 ランディの言葉に苦笑する。こんなに意思疎通が容易かっただろうか。
「そうね、とりあえず――」
 紅茶でも買ってきてくれない、と微笑んだ。




 侵入は容易い。帽子を目深に被れば表情は窺えないし、西通りに観光客が来ることもないので人通りも定期的なものでしかない。
 ゆっくりと歩きながら視線を巡らす。西クロスベル街道から入り、ヴィラ・レザンの前を通り過ぎることなく中に入った。ロビーでは備え付けのソファーに座った老婆が舟を漕いでいる。
 以前と同じ状況に微笑みと呆れが出るが自分には関係のないことだと決め付け、掃除を行っていた使用人がいないのを確認して階段を上った。この時間は掃除をしないことは確認済みである。
 そのまま三階まで行き、目当ての部屋に辿り着いた。針金を出して鍵穴の攻略に入る。始めは手間取ったそれももう慣れたもので簡単に錠は外れた。

「…………なんで」
 扉を潜った先に広がるのはやはりかつてと同じ惨状、アルカンシェルのトップスターの部屋はそれとはかけ離れた状態にあった。
「なんでこんなにだらしないんだ……」
 晩酌の名残、慌てた朝の名残、使用頻度の少なさを窺わせるシンク。それは以前見た圧倒されるほどの舞台を繰り広げる者の家ではない。
 ギリ、と奥歯を噛み締めた。

「――振り向かないで」
 瞬間聞こえた声に全身が硬直する。その命令の内容を理解することもなく振り向いた。その瞳に移るのはパールグレーの髪をした女性、その手には純白の導力銃が握られている。
「な……」
「振り向かないでって言ったのに、仕方ないわね」
 手を上げて、という言葉に今度こそ従った。エリィは目の前のストーカーを見やる。
「手荒なことはしたくないから動かないでね。警察の者です、不法侵入の現行犯として拘束します」

 一瞬の思考、それはこの状況を打開する方法だった。エリィはベッド脇にあるタンスの前にいる、出口を阻まれてはいない。銃を掲げているが撃ってくるとは思わない、そして自身の身体能力ならばたとえ撃とうとも銃口は外せるはずだ。
 電撃的な速さで定まった結論に従って動き出したのは、その常識外の動体視力がエリィの瞬きを捉えた時だ。猫のように跳び出して一気に出口に向かう。
「な……っ」
 その動きに呆然とするエリィを置き去りに駆け、最速で階段を駆け下りていく。途中使用人とすれ違ったが関係ない。警察が張り込んでいた以上もうここには来られないのだ。
 正面玄関を目前にして、しかし階段下の裏口へと抜ける。建物の隙間を縫って西クロスベル街道へ――
 そう思った矢先、あるはずのない障害物にぶつかった。
「さって、鬼ごっこは終わりだ」
「な、なんで……」
 二度目の驚愕が襲う。そして障害物であるランディ・オルランドは両肩を掴んで拘束した。
「警察なめんな、計算のうちだっつの」
 ランディは繋いだままだったエニグマの通信を切った。




「――――で、この子が犯人?」
 イリアは自室で不法侵入の犯人と対面した。とはいってもその犯人は俯いていて視線を合わせようとしない。えい、と顎を持って顔を上向けた。
「な、なにすんだにょっ!」
「子どもじゃない」
「まぁ、そういうことだったみたいですね」
 リーシャも含めた四人に囲まれているのは日曜学校に通っているほどの年齢の子どもだった。ティオよりも濃い青い髪を乱雑に短くしており中性的な相貌をしている。大きめな同色のハーフパンツに茶色のブーツ、緑のベストを着ているが、そのどれもが薄汚れていて相当着こんでいたことがわかる。
「で、なんでこんなことしたの?」
 イリアの問いに再び俯き、そして呟くように話し出した。

「……単に嫌がらせしようとしただけだ。こんないい部屋に住んで、毎日うまいもん食って……そんな奴らに」
 そして、声を震わせた。辺境に住んでいた時の悲惨な生活とクロスベルで安穏としている人々の生活との落差、そんな連中が絶賛していたアルカンシェルで見たイリア。それに対して怒りと不満が抑えられなかった。
「オレが一生働いてもチケット一つ買えないっ。そんな中にいるあんたは大嫌いだ! オレには絶対に届かない綺麗な場所で輝いているあんたがっ!」
 その慟哭にエリィは顔を逸らす。彼女自身思い当たることがあるのだろう。ランディもまた事情を聞いて納得の表情をしていた。
「確かにイリアさんのステージは素晴らしいから。だからこそこんな思いを抱かせることもあると思います。クロスベルは、華やか過ぎる時もありますから」
 リーシャの言葉にランディも頷く。クロスベル出身でないからこそ至る考えだ。
 ゼムリア大陸における地域間の貧富の差は激しい。クロスベルのような発展著しい場所もあれば、かのノーザンブリアのようにスラムを極めるかのような場所すらある。

「…………」
 イリアは黙って聞いていた。目を瞑り、言葉そのままに受け止めるようにそうした後、彼女はこの事件の結末を話し出した。
「あたしはイリア・プラティエ。あんたは?」
「………………シュリ。シュリ・アトレイド」
「そう――――シュリ、あんたは償わなければならない。だから暫く劇団で下働きをしてもらうわ。もちろん選択権はないわよ」
「へ?」
「イリアさん、いいんですか?」
 エリィとランディは呆けるも、イリアは謝罪と預かる旨を言ってくる。不法侵入の現行犯だが、入られた本人がいいのなら逮捕する必要はないだろう。
 イリアは徐にシュリの身体のあちこちを触りだす。突然の挙動に驚くシュリにアーティストの才能があると伝えた。驚くシュリに納得する支援課の二人。イリアはシュリを抱きすくめて強引にスキンシップを取っていた。


 良かった……
 それを傍観するリーシャは内心で呟く。彼女に似た入団の仕方に親近感を覚えつつ、同時にシュリの境遇に深く思うところがあった。
 辺境の子どもたちがどう食いつないでいるのか、それは同じ故郷を持つ成熟した大人が猟兵団となって養っている、というのが最も多い方法である。その日をどう生き抜くかという思考を絶えず行ってきた彼らは総じて身体能力が高くなり、そうした道に行っても成功する。そして自分たちのために他者を害するのだ。
 シュリは幸運だ、イリアに見初められ舞台への道が生まれたのだから。おそらくこの出会いがなければ猟兵団の道ではなくとも裏の道に進んだことだろう。
 まだ引き返せる場所にいるのなら引き返したほうがいい。リーシャはそう思った。

 そう、引き返せるのなら……

 そんな場所を当の昔に通り過ぎてしまっている自分とは違う。だからこそ目の前の彼女の姿が自分の事のように嬉しかった。
「筋肉が足りないわねー、あと発育?」
「う、うるさいっ」
「リーシャくらいになるかしら?」
「い、イリアさん……?」



 初出:4月15日



 イリアの部屋で捕り物しなかったのは部屋に気を使ったため。銃を出したのは動揺させるためと、穏便に済むなら脅してもいいかというエリィのサド思考。本当は「振り向くな」って言ってほしかった。元ネタわかる人いるかな。
 ちなみにランディは紅茶を四人分買いました、そして自分だけ飲めませんでした。ということにしようとしたんだけど、缶紅茶とかたぶん売ってねぇし自販機警察にしかねぇ……




[31007] 4-5
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/04/19 21:43



 そして、少女は話し出した。
 自身の身の上、その中で出てくる一人の青年。それは彼にとって無視できない存在であり、また少女にとってもそうだった。
 青年の名残はその意志と小さな贈り物。
 物に執着しない少女が初めてそんな感情を抱き、そして今も大切にしているそれ。そして、少女が今ここにいる理由。

 ティオ・プラトーは水色の少女。それは過去の惨状を物語る。
 ティオ・プラトーは無色の少女。それは未来を、現在の自身を明確に定められていないからなのだと、ロイド・バニングスは初めて知った。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 メガロクイーンを打倒した後の道のりは極めて簡単だった。実質上の支配者のようなものだったのだろう、魔獣は姿を見せなくなり周囲は静けさを取り戻す。
「…………」
 そして、二人の会話もまた途切れていた。ティオは考えることがありすぎて生来の無口さに拍車をかけ、ロイドはそんなティオを鑑みて口を開こうとしなかった。黙々と歩くだけ、それはなんとも不思議な光景だった。

 階段を上ると開けた場所に辿り着く。正面と右手にそれぞれ更に階段があり、おそらくは直進すれば乗降装置を見ることができるだろう。
 つまり彼らの目的地である端末制御室は右手、視線を交わし、二人はそこに入った。
「……暗いな」
 そこはヨナのいた部屋と同じようで、幾つもの画面とキーボード、傍に控える機材で囲まれた電子の世界だった。しかし異なるのはその明度。起動していないために光を灯しておらず室内は薄暗かった。
「ロイドさん、ヨナに連絡を。エリィさんたちから連絡があるといけないのでわたしのエニグマを使いましょう」
「わかった」
 ヨナにかけると今回の趣旨を話してくれる。何でも自身と同等クラスのハッカーの出所を掴みたいとのことだ。
 黒猫を模したインターフェースを用いているのでキティと呼称している。高性能の端末を使っているので一人では無理なのだそうだ。
 ティオの協力を仰ぐくらいなのでよほど尻尾を掴みたいのだろう。自分の出番はないなとロイドはエニグマを置き、やがてエイオンシステムを起動したティオの作業を隣で見守っていた。






 * * *






 ティオが力を抜いたのと同時、彼女は少し上体を傾けた。
「ティオ、平気か?」
「……えぇ、少し疲れただけです」
 子猫の尻尾は彼女のエイオンシステムとヨナの意地によってなんとか掴むことができた。そして手に入ったものはしかし、ヨナを椅子から転げさせる要因に変化する。
『Congratulation!』の言葉とそれを飾るウサギの絵。キティから送られた賛辞である。しかしそれは同時に彼女に居場所をハッキングされたのと同義である。
 祝福の言葉は瞬時に皮肉となり、更に割り出したキティの居場所がネットワーク圏外のマインツ山道、ローゼンベルグ工房だというのだから彼の衝撃は計り知れないものだったのだろう。
 キティの言葉、そしてその居場所からロイドとティオはとある少女を想起したが、しかし詮無い事だと思考を打ち切った。ティオに関しては疲労が強かったのかもしれない。

 静かに目を瞑り身体を椅子に預けるティオにロイドは何か話しかけようとして、ふと彼女のエニグマに目がいった。ミシュラムのマスコット、猫のみっしぃのキーホルダーが付けられている。
「随分――」

「――ロイドさん」

 話題を振ろうとした矢先、不意にティオが話しかけてきた。ロイドは戸惑いながらも聞き返す。するとティオは閉じていた瞳を開いて彼を見た。
「不思議でした」
「不思議?」
「どうして急にコンビクラフト、と。そもそもエニグマに登録していないのにできるはずはありません」
 現在登録されているのはロイドとエリィのスターブラスト、ランディとティオのグレイシャルビートだけである。この二人のものはないのだ。
 でも、とティオは続け、
「あの一瞬、抱えられているときにわたしはその映像を幻視しました。魔獣を倒した、あのクラフトです。そしてわかったんです、ロイドさんもあの映像を見たんだって」
「…………」
「でも、わたしたちはあんなことしたことがない。それなのにまるで初めてじゃないかのようにぶっつけで成功しました。本当に、頭に湧いて出た映像だったのに、それが当たり前であるかのように」
 ティオは続ける。映像の共有などできないのにそれを為した、というのは百歩置いても構わない。しかしロイドがそれに驚いていなかったこと、それだけは確認したいのだと。

「――初めてじゃないんですね? エリィさんとも同じことがあった。もしかしたらランディさんとも」
「…………ああ」
 ロイドは自身の掌を見た。自分自身が信じられない場合彼はこの行動を取る。自分の手が確かにあるという安心感を得たいのかもしれない。
 ロイドはエリィと、そしてランディとも同じことがあったと話した。
「ランディさんは気づいていたんですか?」
「多分。旧市街のレースの時だったから試したことはないけど」
「理由に心当たりは?」
「……わからない」
 そうですか、と呟くティオ。それ以上追求しないのは彼女自身計りかねているのだろう。ロイドも何も言えず、また沈黙が続いた。

「――あ、そういえばティオはみっしぃが好きなんだな」
 唐突に話題を変え、言い損ねた言葉を綴る。ティオもそれに乗った。
「そうですね、確かにみっしぃは好きですが、それとは別に思い入れがあるんだと思います」
 エニグマのキーホルダーを弄びながら、
「――これはガイさんにもらったものですから」
 そう、告げた。

「え…………」
「ガイ・バニングス。ロイドさんのお兄さんですよね? わたしはとある事情で五歳から親元を離れていましたが、ガイさんに連れられて九歳のときに実家に戻りました。その時に頂いたものです」
 ロイドは動揺する自身を落ち着けるように過去の一幕を思い出していた。急に女の子のエスコートだと言って出かける兄。当初はセシルがいたのにも関わらず別の女性とデートにでも行くのだと思って突っかかった記憶があるが、確かにガイはロイドより年下の少女だと言っていた。つまり、その少女こそがティオだったのである。
「そうか、じゃあティオの出身はレミフェリアなのか……」
「ええ、暫く帰っていませんが……」
 そして少女は琥珀色の瞳で青年を見た。

「――わたしが普通と違っていることは知っていますね?」
「なっ、そんなこと――っ!」
「事実ですから…………わたしの持つ力は故郷での生活を壊してしまった。それに耐えられず気づいたら列車に乗っていたわたしが求めた人、それがガイさんでした」
 常人に聞こえない音、世界に広がる属性の気配、人の感情。それらを理解してしまうティオ・プラトーは普通の世界にいられなかった。
 両親の精一杯の愛情は異常に勝てず、壊れ始めた世界に対して抱いた少女の感想がそれに止めを刺してしまった。
 そんな少女が頼ったのは異国の青年。自分を助けてくれた青年なら自分を受け止めてくれるだろうと身体が動き、そして彼女はその地で青年の死を知った。その時偶然知り合った人物に誘われ、彼女は今ここにいる。

「きっとわたしはガイさんに会って、そして言ってほしかったんだと思います。いつか交わした約束の言葉を」
「約束?」
「幸せになれなかったら、その時は俺を頼れ。不幸の原因をぶち壊してやるから」
 その言葉に少女がどれほど救われたのか、それを言った青年は気づいていなかっただろう。しかし事実として少女はその言葉に引かれて動き、助けを求め、そして何の因果か青年の弟にそれを話している。
「……ごめんな、約束を守れない馬鹿な兄貴で――――兄貴もらしくないことするなよな、女の子との約束を破るなんてさ」
 万感を込めたそれは空に呟かれて消えていく。それでもその過程で少女に届き、少女は一つの感想を口にした。

「ロイドさんはガイさんに似てないけれど、確かにどこか似ています。きっとロイドさんが思う以上に似ていて、そして別人です」
 あなたはガイさんにはなれない。兄を目指している弟は、決して兄になることはない。
「――! ……確かに、そうだな。俺は兄貴みたく優秀じゃない、セシル姉も幸せにしてやれない」
 それでも、できることがある。ロイドはティオの頭を撫でた。驚きの表情で見つめるティオ。
「ティオ、その約束さ、俺に叶えさせてくれないか?」
「え?」
「兄貴に頼ることはもうできないけど、でも不幸の原因をぶち壊すことは俺にもできると思うから。俺頑張るから、頑張って、兄貴の約束を嘘にしないから」
 らしくないことをする兄なんていないんだと、そう思いたいから。兄はできなかったんじゃなくて、任せられる弟がいたからこそしなかったのだと、そう思いたいから。
 だからロイドはその約束を達成してみせる。今もまだ過去に囚われているけれど、それでもこの少女が幸せになれるように。

「ティオは自分が役に立っていないかもって思ったかもしれないけど……でも俺はティオがいてよかったって思っている。目に見えづらいかもしれないけど、ティオがいてくれたから俺たちは今にいるんだ。ティオがいない今はここにはないんだ」
 撫でていた手を止めて、その小さな手を取った。
「この手が俺たちをいつも幸せにしてくれている。だから気張らなくていい、俺たちはいつだって助け合い補い合っていくんだ。背伸びせず、できることをやっていけばいいんだ。それが仲間だろう?」
 少女の手は柔らかくて冷たい。青年の手は少し硬くて、温かい。重なった場所はその中間、だからこそ暖かくも冷たくも感じられる。
 温めたいなら青年の手を使えばいい、冷やしたいなら少女の手を使えばいい。特務支援課はそういう場所なんだと、少女は感じ取れる感情と温もりで理解した。
「ティオ?」
 笑みが零れる。なんともクサイ台詞だと耐え切れず、そしてそれを大真面目に語っているのだから始末に置けない。
 しかしこういう部分は実にガイと似ていた。

「――ロイドさん、もう一つ、約束してくれますか? ガイさんとの約束を果たしてくれるのは構いません、ですがそれとは別に、ロイドさんとの約束がほしいんです」
 すぐでなくて構わない、それでもいつかその約束を口にしてほしい。
 ティオは初めて個人的な願いを仲間に打ち明け、ロイドはそんな少女の願いに頷いた。


 もうすぐ夜の時間がやってくる。二人はこうして今日の仕事を終わらせた。後は成果の確認である。






 合流した四人は端末の前で子猫捕獲の報酬を眺めていた。ヨナから受け取ったメモリークオーツ、そこにはルバーチェに関する情報がまとめられている。当然会長であるマルコーニの項目もあり、彼らは初めてその姿を確認した。
 そしてその次の項目はルバーチェの営業本部長――
「ガルシア・ロッシ、元猟兵団所属。西風の旅団の部隊長、か……」
 その言葉にランディは目を瞑り納得する。肌で感じた戦闘能力の裏づけが取れた。
「西風の旅団は大陸西部で最強を誇る猟兵団だ。猟兵王の異名を持つ団長の力は世界最高クラスだろう。その部隊長なんだっつーからやっぱやばいぜ」
 正確には最強ではなく、もう一つの猟兵団赤い星座としのぎを削る間柄だがそれは特に重要でもない。
「キリングベア、殺人熊ね。確かにすごい体格だったし」
「黒の競売会についてはどうなんだ?」
「隠してありますね。わたしが気づくかどうか試したんでしょうが――」
 いい度胸です、と不敵に笑うティオ。ヨナにはからかう相手を判断する能力が欠如しているようだ。

「ハルトマン議長の邸宅で行われているパーティー、か……」
 クロスベルの一等地であるミシュラムにあるハルトマン議長邸を会場とし、毎回多くの有力者が集まっているらしい。そこで競りに出される品物は全て黒い物で、ルバーチェの重要な資金源となっている。
 商品が黒いということ以外は後ろめたいものはなく一般人の安全にも問題がない。だからこそ遊撃士協会も動けず、そして当然のように圧力で警察が動くことはできない。
 招待客は皆黒の便箋に金の薔薇の刺繍が入っている招待状を持っていて、それ以外の人物は入ることもできないようだ。
「毎年、こんなことが行われているなんて――っ!」
 エリィの言葉に怒気が入る。ハルトマン議長はクロスベルの代表の一人だ、そんな責任ある立場の人間がするような行いではない。こんな人物に父が潰されたと考えるだけで感情が膨れる思いだ。
「これがあれば会場に潜れるけど……」

「――やめておけ」
 不意に背後から聞こえた声に四人が振り向くと、そこには煙草を加えたセルゲイが立っていた。紫煙を一度吐き出した後、彼は四人を執務室へと誘う。そこで言われるであろう言葉はわかっていた。






 翌日の朝食は詳細を省いていた前日のそれぞれの仕事の報告会であった。イリアのストーカー事件に子猫の捕獲までの過程、それらを共有した四人は本日の支援要請を確認する。
 その中で一つ、深刻なものがあった。それはアルモリカ村の酒宿場からの依頼である。
 とにかくもロイドらはアルモリカ村へと赴き、そこで事情を聞いた。何でも昨日泊まりに来たカップルが古戦場に行ってしまったというのである。
「古戦場、アルモリカ古道から逸れた道の先か……」
「比較的村から近いわね、でも確か暫く進入禁止になっていたはずだけど……」
「もう解禁されたようですね。ですがいくら名所とはいえ行くなんて無謀です」
 当然酒宿場のオーナー、ゴーファンもそう言っておいた。しかし彼らはそんな忠告を無視して消えてしまったのだ。
 古戦場、中世の時代の戦争における主戦場である。当時そのままにされているそこには一般の街道とはかけ離れた魔獣が生息しており、その凶暴性は折り紙つきだ。戦場という負の想念が魔獣に影響しているのかもしれない。

「状況はわかりました。すぐに向かいます」
 ロイドは承諾し、いざ古戦場へ。というところで酒宿場の常連の男性が駆け込んできた。遅れて入ってくる男性。
 茶色の髪に白のベスト、黄土色のプロテクターに灰色のズボン、皮のブーツを履いている。そして背中に携える一丁の導力ライフル。
「スコットさん!」
「ん、君たちか…………状況を察するにブッキングしたようだね」
 穏やかでありながら状況の切迫さを理解している遊撃士スコット・カシュオーンは支援課を見て呟いた。事態は一刻を争うとして、それぞれが別の組織に依頼してしまったのである。
 ロイドは頷き、スコットに共同戦線を申し入れた。スコットとしても民間人の安全のために是非もない。五人は揃って酒宿場を出た。




 古戦場はアルモリカ村からそう遠くない。的確に魔獣を無視して足を進めた。
 スコットの視野は広く、彼の先導の元容易に辿り着ける。遊撃士との共同戦線はティオを除けば初めてで、そのティオも戦闘に関しては経験がない。改めて間近に見るクロスベルの遊撃士は技量・経験共に抜きん出ていた。

 古戦場に辿り着くと空から降ってくるものがある。雨だ。
「恵みの雨かどうかは運次第、だね」
 スコットは呟く。
 降雨による影響は様々だ。視野は狭められ地はぬかるみ、降られ続ければ体温を奪い去ってしまう。しかし同時に魔獣たちの行動も一部を除いて沈静化するというメリットもあった。どちらにしろスピードが勝負である。
「ティオちゃん、反応は?」
「……半径100アージュに反応が複数。魔獣かどうかの区別は難しいです」
「兄さんはここに入ったことはあるのかい?」
「通行止めになる前に何度か入ったけど、確かに魔獣の脅威度は高い。物理攻撃を反射する魔獣もいるから気をつけて。カースシールド、緑のお面のような魔獣だ」
 魔獣の中には特殊な障壁を貼っているものもいる。物理・魔法攻撃の反射が最たるものだ。それに関してはティオが対応することになるだろう。

「古戦場は広いわ、二手に分かれる必要がある」
 エリィが言うように古戦場の広さはクロスベル市に匹敵するものがある。一般人の足を考えればそう遠くには行っていないはずだが、それでも探索に時間がかかることは否めない。スコットは頷いた。
「右の道の先には古代の遺跡があるから僕はそこを目指そう。これでも目には自信があるんだ」
「じゃあ俺たちは左ですね」
 前方には池があり、それを迂回するように道が二手に分かれている。
 何かあったら連絡をと再び推し、スコットは駆けていく。凹凸の激しい道だが慣れているのかスピードに翳りはない。

「俺たちも行こう。ランディが先頭、ティオは策敵、俺とエリィが後方だ――ティオ、いけるな?」
「はい、これがわたしの役目ですから」
 視線を交え、頷く。エリィは状況だけに真剣な表情をしていたが一瞬だけ頬を緩めた。ランディは濡れて貼り付く前髪をかき上げる。
「無事なら雨宿りってところか……俺は全体を見る、ロイドとお嬢は物陰を注視してくれ!」
「任せて!」
「ああ! 行くぞっ!」



 初出:4月19日


 原作のようなシーンになってくれていれば幸いです。



[31007] 4-6
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/04/24 11:29


 古戦場。起伏の激しい大地は戦士の疾走と衝突を思わせる。
 小山のように高低差のあるこの場所は自然の造ったアスレチックのようだ。生い茂る木々はそのアクセント程度、元々は多かっただろうがそれも戦場に選ばれた時点で大半を消滅させる運命にあったはずだ。
 先に進むと遺跡が残っている。鐘楼があるのはなんともクロスベルらしい。
 ほぼ破損なく存在しているのは戦場における拠点であったからだろう。
 太陽の砦と言われているそれは高低差の激しいこの地の頂点に君臨している。安全な場所であるなら確かに観光名所に相応しいだろう。

 ゼムリア大陸における過去の要所が全て七耀脈上にあるというのは偶然だろうか。この古戦場も外れることなく含まれており、そのために魔獣が発生しやすい環境にある。
 また多くの死者が生まれた場所だからだろうか、魔獣の異様さと凶暴性はクロスベル随一である。遥か昔から変わらないここは、既に人間がいるべき場所ではなかった。

 その中を進む特務支援課は雨のために活動が活発でない魔獣の網を潜りながら目を凝らしている。植物型の赤い魔獣ヴァンパイアソーンは動きが鈍いが射程距離は長い。ティオが居場所を感知していなければ奇襲を喰らったことだろう。雨の中なのが幸いしたのか苦にもならず撃退する。
 しかしそれは失策、捜索に戦闘は必要ないのだ。魔獣に遭遇しても逃げることを優先し先に進む。
 途中で分かれ道があった。一方は高所への道、もう一方は奥への道である。ティオの探査とロイドのエニグマが鳴るのは同時だった。

「スコットさん――」
「こちらは太陽の砦に辿り着いた。今から探すから通信は切らないでくれるかい?」
「了解です。ということはそちらには……」
「見つけた――!」
 同時に聞こえる言葉、それはスコットとティオのものだ。一気に緊張感が爆発する。
「そのまま直進! 砦の門があるから急いで――!」
「動かない反応が二つ、100アージュ先です!」
「了解、行こう!」
 走力を上げる。危険な魔獣が跋扈するこの状況に躊躇はいらない。

 雨音の中泥を弾く音が木霊し池を越える。すると存在するのは巨大な砦、太陽の砦だ。
 スコットがいる場所が居住スペースなら彼らが辿り着いたのは防壁に囲まれた正しく主戦場。訓練も行われただろうそこは重厚な門の先で異質を帯びていた。
 囲い込む石の壁は左右両側に建物へと至る階段が設けられている。真っ直ぐに進む道もあるが奥は建物で見えない。その主戦場の左隅、小さな塔のようなものの下に人間の姿があった。
「あれか――っ」
 急いで駆け寄る。詳細が明らかになっていくに連れ表情が険しくなっていった。
 カップルというとおり男女一人ずつ、女性はぐったりとして倒れており、男性も塔に寄りかかるようにして座り込んでいた。四人が駆け寄る音に気づいたのか男性が顔を上げる。そこには魔獣かという恐怖感はなく、しかしそんな反応すらできない状況だと思わせるものだ。

「警察の者ですっ、大丈夫ですか!?」
「けいさつ……警察の人か……」
「ティオ、エリィ!」
 二人がアーツを唱える。その間にランディが女性のほうの診断もした。
「外傷で危険なものはねぇ、疲労と精神的なもんだろう――おい、魔獣に襲われなかったのか!?」
 ランディは男性に問うも、彼は答えられない。
「応急処置をしたら俺とランディで運ぼう。スコットさんもすぐに来るはずだ」
 エニグマは相変わらず通信状態のままだ、スコットにも状況は伝わっているだろう。しかしそのエニグマから発された次の音は彼らに時間を与えない。
「すまないっ、少し時間がかかりそうだ――っ!」
「スコットさん!?」
 銃撃音とその言葉、そして小さく鳴り響く獣の咆哮。魔獣の襲撃に違いなかった。

「どうする、ロイド」
「……スコットさんも心配だけどこの二人を危険に晒すわけにはいかない。信じて俺たちだけで運ぼう」
 スコットは後方の人間だが、それでも一人で魔獣を圧倒する実力の持ち主である。何度か入ったという彼ならよほどのことがない限り大丈夫だろう。彼も同じ状況ならこの二人を優先させるはずだ。
「ティアでも疲労は取れないわ。雨に濡れないようにしながら病院に連れて行くしかないわね」
「ティオ、魔獣は――くっ!」
 雨の微かな変化に瞬間的に振り向いたロイドとランディは同時に得物を振り上げた。そこに感じるのは力強く硬い感触。頭上から降ってきた鉤爪を防いだ彼らは戦闘の開始を告げた。
 エリィが銃を構えた時点で魔獣は危険を察知、掴んでいた両の得物を放して飛翔する。曇天の中浮かぶ大きな黒き姿、橙の鶏冠と嘴を持つ鳥型魔獣。
「――確認しました! ズゥ、地属性弱点です!」
 ティオが発し、四人は改めて上空の魔獣を見た。二羽のズゥは旋回しながら機を窺っている。彼我の距離は目算で15アージュほどだろうか、エリィの銃撃がなんとか届く距離である。

「まずいな、あれじゃあ攻撃が……」
「く……ティオはアーツ、エリィはそのまま撃ってくれ! ランディは――」
 指示が終わる前にロイドは彼方を見た。その先には地を這う四足魔獣、オレンジの体躯に背中の多色球が特徴だ。
「セピスデーモン――っ!」
「ち、頭使ってんじゃねえか……!」
 ズゥの旋回に変化が起こる。セピスデーモンの襲撃に合わせて降下してくるつもりだ。ならば支援課に迎撃の道はない。
「ランディ――!」
「合点承知だっ!」
 ロイドとランディはセピスデーモンに突っ込む。ズゥがタイミングを計っているならこちらでそれを崩せばいい。
 あえて向かうことで襲撃ポイントをずらす。セピスデーモンは襲撃に対してその鋭角な牙の隙間から火の粉を漏らして待ち、一気に飛び込んできた二人に対してそれを解き放った。
「ぐぅ……!」
 跳躍したロイドはそれをもろに浴びる。火炎に対して防ぐ手段がない彼はトンファーをクロスさせて顔を守り、それでも高温の息に声が出る。

「うらぁ!」
 しかしランディは咄嗟に回避、燃える吐息の発射口である魔獣の口をハルバードで無理やり閉ざした。
「グブゥ――!」
 おかしな音を立ててセピスデーモンは頭部を地に落とす。その間にロイドは地を転げて引火を防いだ。
 雨の影響か、この攻撃は威力を減退させている。つまりはチャンスだった。
 受身を取って立て直したロイドはランディに合わせて追撃を行う。狙いは背中だ。
 セピスデーモンは名のとおりその体内に多くのセピスを溜め込んでいる。属性関係なく集めている為に浮かんできた瘤が七色に変化するのだ。

 しかしそれ故に体内で七耀脈の力が暴発する危険性も帯びている。それを誘発するポイント、それが背中だった。
「はぁ!」
「せい!」
 同時に振り下ろした武器が背中を強打する。
 元々乾燥を好む魔獣だ、この雨の中で実力を出せたのか怪しい。水分で緩んだ外皮はその衝撃を内部にまで通してスタンさせる。
 二人は感触によって結果を知り、故にすぐに上空を見やる。二羽のズゥは連携でエリィに的を絞らせず、ティオのアーツも高速の回避で当たらない。反して彼らの牙は二人にダメージを与えている。降下は一羽ずつなのでなんとかお互いにカバーし合っているがそれでも二人には裂傷が目立っていた。
「エリィ、ティオ――!」
「待ってろ!」
 二人の下へ駆け寄るロイドとランディ。だが彼らにできることは彼女らを守ることだけだ。空を支配するズゥに対して彼らにできることは少ない。

 ズゥが降下する。その勢いは通常の飛行とは歴然たる差があった。空気を切り裂き重力を味方につけ、その爪の切れ味を上昇させる。
 フォールダイブ、鳥型魔獣の主要攻撃である。
 ロイドとランディが魔獣に触れられる時間はズゥがそれで以って攻撃を仕掛ける時だけだ。しかしその時間を彼らは可能な限り削ってくる。フォールダイブとはそれほどの速度なのだ。
 今までは攻撃に重点を置いていたのか、突き立てた爪を更に食い込ませていたので反撃の余地があった。しかし万全の支援課に対して彼らは流れるように裂いていくだけ。

 大柄であるのが救いだがそれでも満足にダメージを与えられない。ならば、足りない速度を補えばいい。
「ランディ!」
 ロイドは目を向け、ランディも意図に気づき頷いた。同時に得物を下ろす。
 構えを解いたその姿は無抵抗に見える。ズゥもそう感じただろうが、そこに警戒が混ざるのがこの魔獣の厄介さだ。
 しかし流石に好機と見たのか一羽だけでなく二羽がコースを外れて降下に入る。一気に加速した両のフォールダイブ、それは沈黙する二人に同時に降り注ぎ――
「――ッ!」
 二人が爆ぜた。いや、互いを押しのけあうように攻撃を叩きつけ強引に距離を離す。
 加速したズゥは反応できない、突如生まれた間隙にその身を飛び込ませる。

「行くぜロイド――!」
 二人は同時に加速、獲物を見失ったズゥを邀撃する。スタンハルバードとトンファーが互いを補い合うように交互に打撃を連ね、挟みこまれたズゥは身動きがとれず繰り出される攻撃のままに身体を震わせていく。
 そして連撃が止むと同時、二人は一気に後方へ退き、助走の為の距離を稼いだ。エニグマが起動し、それぞれの牙に紫電と振動が加わる。引き絞った弓のように溜めた脚力、それは磁石が引き寄せ合うかのように同時に解放された。
「バーニングレイジ――ッ!!」
 咆哮は駆け抜けた二人の奏でた最後の音、引き寄せあいかち合った二人に飲み込まれた二羽の魔獣は最後の最後まで声を上げることなくその一撃に意識を掻き消された。

「エリィ! セピスデーモンは――」
 そこで緊張を途絶えさせるわけにはいかない、ロイドは硬直する体をそのままに一度目を切った魔獣について指示を出し、
「ええ!」
 遠距離からの一斉掃射。セピスデーモンは雨中という環境に負け、その身に溜め込んだセピスを吐き出し散っていった。
「時間はかかりますが許してください」
 ティオが詠唱にかかる。風の属性値を持たないティオは範囲回復魔法を持たず、それ故に一人ずつしか回復できない。しかしブレスと違いEPや精神的疲労を抑えることができるので、危機が去った今はそれが最善手だった。
「――ロイド」
 ランディが手を上げている。ロイドはそこに手を放り込んだ。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 ズゥとセピスデーモン、二種の魔獣の奇襲を退けた四人は周囲の警戒をしつつ二人の病人を護送する準備を整えていた。
 上着を被せて男二人が背負う形になる。雨は降り続いているため、担架を作るよりも背負う側の体温を利用する方法を選んだ。体格的にランディが男性のほうを担当するが、それを悔しく思うほどには余裕を取り戻している。
 本来ならば急患のため導力車を呼びたい、しかしエニグマの通信範囲である導力ネットワーク計画の範囲はクロスベル市とウルスラ病院間、そしてミシュラムだけでこの場では通信は届かない。
 スコットとの連絡が取れたのはエニグマ同士が持つエネルギーを消費することで一定距離ならば通信が可能になるという例外を利用したに過ぎない。これはコンビクラフトで使われる機能でもあった。

「ロイド、スコットさんとの通信は?」
 エリィが問う。ロイドは首を振った。
「EPが切れたんだと思う、戦闘中も繋がったままだったからな」
「そう。遊撃士の判断が聞きたかったのだけれど仕方ないわね。とにかくできる限り早く移動しないと」
 魔獣の襲撃に遭う。そう言外に告げたエリィはティオを見た。絶えず索敵中の彼女は雨で濡れた髪を額に貼り付けながら目を閉じている。
 ハンカチを取り出して顔を拭いた。焼け石に水のようなものだがその気持ち分だけティオに力が戻る。

「ランディ、行けるか?」
「おうよ、じゃあ行くとすっか」
 以前とは異なる不思議な連帯感がある。それは先の戦闘で決めた連携が理由なのかもしれない。
 バーニングレイジ、コンビクラフトとして登録はしていないが、それでもそれはコンビクラフトだった。

 旧市街の一件の時に幻視した映像、それは確かに二人が共有したものだが、この土壇場で以ってアイコンタクトのみでそれを再現するというのはかなりの成功率であったはず。
 しかし事実完璧に成功させ危機を乗り越えた。それに対する手応えと達成感は先のハイタッチのとおり、意志が伝わりあうということの素晴らしさを実感できる瞬間である。
 それでもそれ以降二人はこの件に関して口にしない。優先順位というものを理解しているというのもあるが、おそらく一番の理由は照れくさいからなのだろう。

 身体の前で腕を組ませしっかりと固定、この状態では戦闘は無理なので安全はティオ任せになる。エリィは顔を張って気合を入れた。それが不可能だった時、彼女こそが踏ん張らなければならないのだ。
 予備の銃も抜き、二挺拳銃で身構える。一般人を危険に晒す可能性が格段に上がる間合い7アージュ以内。それがエリィの戦闘領域を決定付ける。
 脳内で設定した稜線を視界に含め、ティオから譲り受けた鷹目で以って鳥の視点を得る。鋭利な痛みが脳を走るが気にしない。自分にできることは無茶でも行う。
 エリィ・マクダエルは今支援課の命を背負っているのだから。

 そして彼らは動き出す。それは協力者であるスコット・カシュオーンが呆然とした瞬間と同時だった。






 ズゥ、セピスデーモン、ヴァンパイアソーン、カースシールド。その他およそ古戦場に生息する全ての魔獣に取り囲まれたスコット・カシュオーンはしかし冷静に戦闘を進めていた。
 一番の得物である愛用の導力ライフルは遠距離で効果を発揮するために連射速度は低い。本来は前衛のヴェンツェル・ディーンがいるのだが今は別行動、この多くの魔獣を一人で掃除しなければならない。幸いなのが行方知れずとなった観光客を発見した後だということ、協力者がいる今は落ち着いて現状を免れればいい。
 しかし――

「あっちも襲撃か――」
 エニグマから聞こえる戦闘の音にスコットは僅かに冷静を乱した。瞬間襲ってくるヴァンパイアソーンの種弾、首を捻って避け、代わりに自らのそれをお見舞いして沈黙させる。
 太陽の砦の鐘楼付近で魔獣の奇襲を受けたスコットは足場の狭いそこから一気に地上へ降り、そこで自身を取り囲む魔獣と相対していた。
 これだけ時間をかけているのに状況が変わらないことを訝っているのか、それとも余裕なのか、魔獣は一斉にかかってくることはない。それはスコットにとって幸運でもあり不運でもある。
 ライフルのエネルギーを確認しつつ、腰に挿した短剣を左手で握り締めた。

 どうしてこれほどの数が襲ってきたのかはわからない。しかし同様の状態ならば守るべき存在がいるあちらが気がかりだった。
 太陽の砦に再び向かう。階段を駆け、そして追ってきた魔獣を背面跳びで乗り越える。囲まれた状況を逸し、そして一箇所に集めた。
 そこでスコットは自身のギアを一段上げた。
「悪いけど時間が惜しい」
 両腕の力を抜いてライフルと短剣を地に向けた。エニグマが起動、スコットを光が包む。
 刹那、全ての魔獣が言い知れぬ予感を覚え、同時に目の前の人間が急変したことを理解した。人間大だったはずの存在が輪郭を揺らしながら巨大化する。
 それは彼の裂帛の気合から生じるイメージ、彼らにとってのスコット・カシュオーン。
 その場にいた魔獣が己の持つ最大の警戒心で以って身構え――

「――ラッシュアウト」

 ――その全てが、消え失せた彼が既に背後にいる現実を知ることもなく光に解けた。
「…………」
 天に翳した二つの武器を下ろし、地に下ろしていた右膝を持ち上げる。立ち上がったスコットは首を鳴らし、ライフルとエニグマにEPを補給した。
「――急がないと」
 魔獣がいたという証を拾うことなくスコットは走り出す。自身の窮地を抜けたところで依頼を達成したわけもなく、故に彼は先ほど見た場所を目指した。
 できる限り速くこの地を動かなければならない。そして無事に事を成したら後輩である支援課を褒めてやろうと、生来の優しさで思考を巡らせたスコット・カシュオーンは――――

「え――――」

 ――続けざまに慮外の事態に遭遇した。



 初出:4月24日


 更新がまた一日遅れた。最近時間とれないのでこういうこともあります。
 ※ ラッシュアウトはクロスギアレイジのようなイメージ。魔法攻撃との選択が可能なのでカースシールドも楽勝です。もちろん名前は曲名からです。




[31007] 4-7
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/04/27 10:38



 遊撃士協会の扉を潜り抜けたアリオス・マクレインはミシェルに出張の報告を行った。レミフェリア公国は彼がS級遊撃士の推薦を受ける規模の事件において関わった馴染みのある国、アリオスも他国に比べて優先している節があった。
 飛行船の進歩により以前より遠出が容易になったとはいえ大仕事であることは変わらない。クロスベルに最も貢献してきたアリオスも当然のことながらミシェルに休養を請われ、しかし彼は否定する。ミシェルの顔が少し歪んだ。
「もう少し緩めるべきよ。月に百件以上の依頼をこなすなんて無茶だわ」
「心配はありがたいが、元々俺が遊撃士になったのはシズクの治療費のためだ。可能な限りやることは曲げられない」
「それはそうだけど、でもエステルとヨシュアも来たんだし……」
「その分二人にはシズクの見舞いをさせてしまっているな、ありがたいことだ」
 アリオスは自身を止めることはしない。唯一可能な娘のシズク・マクレインとも頻繁に会うことはできなかった。その代わりとして他の遊撃士がシズクとの面会を続けている。

「む」
 アリオスは話を受け流しながら掲示板を眺め、とある一点に注視した。
「ああ、スコットが緊急の要件らしくてね」
 ミシェルが補足するその依頼は目的自体はありふれたもの、しかしその場所は決してありふれているところではなかった。
 いや、ありふれてしまってはいけない場所と言っていい。
「応援に出よう。それくらいはいいだろう?」
 それを理解しているアリオス・マクレインは返事も聞かずに行動を開始した。
 彼の脳裏に過ぎる一連の事象、その僅かばかりにそこは関係があった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 広くとも分かれ道が少ないという古戦場の地形が今の状況を作り出している、エリィはそう考えて歯噛みした。ティオもそれとは別に悔しそうな、また焦っているような表情を浮かべている。
 ロイドとランディは背中に一般人がおり戦うことはできない。そんな四人の行く手を阻むように、太古の存在が仁王立ちしていた。
「ブレード、ファング…………」
 ティオが驚愕に震える声で呟き、それに応えるように魔獣は咆哮した。大気を劈く嘶き、それは鼓膜を通して脳に衝撃を与えてくる。感応力に長けたティオにはひとたまりもなく歯を食いしばって堪えた。
 ブレードファング、それは遥か過去に絶滅したと言われている魔獣。二足歩行の爬虫類のような風貌だが、そのサイズは人間を一飲みにできるほどの大きさを誇っている。岩山に擬態するかのような色と凹凸の激しい身体はそれだけで凶器であり、丸太のような尾は振り回されるだけで更地ができる。
 その巨獣が実に四体、静けさを切り裂いて存在していた。

「う……っ!」
 エリィは咄嗟に弱音を吐きそうになる口を押さえる。しかし過去を生き抜いた存在に圧倒され雰囲気に呑まれていることは明らかだ。それでも背中に命があるという事実が彼女をギリギリのところで踏みとどまらせていた。
「――――」
 ブレードファングは動かない。本来雨に打たれる場所で行動しない魔獣であるからこそだったが、その知識があろうがなかろうが関係なく僥倖である。
「――――みんな」
 ロイドは震えそうな声を必死に抑え、口を開く。
「戦おう、逃げるのは無理だ」
 策敵を全開にしていたティオの網に彼らが引っかかり、それに気づいたティオが注意を喚起するまでの間にこの魔獣はその攻撃範囲に四人を捉えていた。圧倒的な速度、地形の利すら持つ魔獣に対して救助者を抱えて逃げ切るのは不可能だ。

 ロイドはゆっくりと後退し、岩陰に女性を下ろす。ランディも倣って下ろした。救助者である二人はぐったりとしている。何があったのかわからないが長時間雨に濡らすわけにもいかないのは確かだ。
 それでも今はそんなことはできなかった。内心で謝罪する。

 ――ふと、影が降りてきた。ツァイトである。
 一瞬驚くも、その知性を秘めた瞳に平静を取り戻す。
「……ありがとう、ツァイト」
 ティオを介すことなくロイドはその意志を理解した。蒼白の神狼は二人を背に乗せ彼らを一瞥する。何を感じ取ったのかはわからない、ただ彼は最期に一声啼き、その場を風のように去っていった。


「――――」
 地鳴りのような呻きが聞こえる。ツァイトの声に反応したのか、ブレードファングの一行は僅かに平静を失っているように見えた。
 そして、その場に残された特務支援課がその機を逃すことはできなかった。
「いくぞっ!」
 ロイドの叫びに全員が一斉に行動する。
「――四属性に抵抗なしっ、全部効きます!」
 後方に移動しながらティオが情報を叫び、同時に離れていくエリィがアーツの詠唱に入る。ロイドとランディはエニグマを起動、ハの字状の魔獣の前衛二体にそれぞれクラフトを放つ。
「うらぁあ!」
 スタンハルバードが一体の神経を麻痺させ、スタンブレイクでもう一体を足止めする。しかしその巨体は二人の攻撃を気にも留めず、その大顎を以って噛み付いてきた。

「ちぃっ!」
 顎に捕らえられえれば必死、故に二人はブレードファングの頭部に集中していた。回避した二人は互いにターゲットを入れ替え、噛み付いたために下がった頭部を殴打する。
 流石に顔は脆いのか二体は声を張り上げ、そして反転して尾を振り回した。ちょうど二体の間にそれぞれ入っていた二人は逃げる場所が上しかない。跳躍して一本目をかわし、そして二本目は得物で防いだ。
「――――ッ!」
「が――――」
 しかしその威力は容易く二人を吹き飛ばす。前衛の二人はあっという間に後衛付近まで飛ばされ泥を巻き上げた。なんとか膝をついて体勢は整える。
 その二人の横で同時に詠唱を終わらせたエリィとティオが七耀の力を顕現する。
「エアリアル!」
「ハイドロカノン!」
 ブレードファング四体の中心に舞い降りた風の精霊が周囲を切り裂いていき、身動きがとれなくなった魔獣を水流の直射砲が飲み込んだ。大きく後退する魔獣を確認し、ロイドとランディは回復を図る。

「……あいつらは本調子じゃねぇ、今ならいけるはずだ」
「ブレードファングは乾燥地帯に生息していたはずですから、セピスデーモンのように雨が嫌いなんだと思います」
「私たちは範囲アーツで動きを止めるわ。二人には時間稼ぎの意味合いが強くなるけれど」
「………………」
「ロイド?」
 沈黙する彼にエリィは尋ねるが、ロイドはしかし何も言わなかった。不安を煽るようなことはしたくなかったのである。


 ブレードファングが前進を始める。エリィとティオが詠唱を始め、ランディが腰を一層低くして構えた。魔獣の速度が上昇していく。
 もし、スコットさんが同じ状況なら……
 ロイドは弧を描きながら走って気を惹きつける。後方の二体が反応し、その顎でもって跳びかかってくる。加速していた為に避けきれない、トンファーをクロスして受け止め、きれずに大きく跳ね飛ばされた。
 空中で回転して姿勢を整え、更に迫るもう一体の口内を確認。その牙が噛みあう寸前にエニグマを起動、アクセルラッシュで打ち払う。絶叫するブレードファングはしかし尾を振り回し、ロイドは地面に叩きつけられた。
「ぐぅ……っ!」
 泥で視界が汚れる。そんな思考をする間もなく跳ね起きて、もう一本の尾を受け止めた。更に吹き飛ばされる。

「――――っ」
 しかしそんな中で炸裂する風のアーツを確認、すぐさまスタンブレイクを発動して強制行動、間合いを一気に詰め連撃とする。
「ギァァアアアアッ!」
 流石にアーツは痛いのか、アーツを受けた後ならばロイドの攻撃も通る。
 一瞬視界を広げランディとティオを見やる。ランディが気炎を上げて二体を相手取り、ティオが絶えず詠唱しているのが見える。
「――ッ!」
 後方から来る一体の顎を前方に回避、エリィの前に立ち塞がり息を整え。

「――――」
 ふと、不思議な感覚を思い出した。
 それは自身から立ち昇るエネルギー、東方に伝わる気。通常視覚化されていないこれは高めることでそれを可能にするが、そもそも自身の持つそれを理解するのが難しい。
 それを今、ロイド・バニングスは何故か理解している。自身を覆うその波が見える。
 視界がクリアになった。それは過去の現象、銀と一対一となった時に感じた気がする。
 銀との出会いがそれを感じ取れるきっかけになったのか、とにかくもそれを意識したロイドは一瞬後に迫るブレードファングをスローモーションのように見ながらそれを解き放った。

 碧の光が自身を包み、立ち昇らせる波動は火山のよう。
「し――っ!」
 顎を掠るように避け、顔面に連撃。その一打々々に確かな手ごたえを感じ取り、魔獣の絶叫で確信を得る。
 効いている――
 一歩退いて更に勢いを乗せ一撃、筋肉に覆われた首が歪に曲がった。

「はぁ――!」
 さらにもう一体が飛びこんで来る。逆に間合いを詰め魔獣の虚を突き空中でクラフトを発動する。相手の頭部に連撃連打、打つままに頭を動かす魔獣に着地した後止めの一撃。
「タイガーチャージッ!!」
 ロケットのような突撃はブレードファングの下あごを完全に殴打し、そのまま仰向けに沈黙させた。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
 息が上がる。クリアになっていた視界に濁りが生じる。覆っていた光が弱まり、急激な虚脱感に襲われた。
「ロイド!」
 駆け寄ってきたエリィが強張った表情をしているのを見て彼は大丈夫、と答え、そして当たり前のように意識を失った。






 ランディ・オルランドの膂力を以ってしてもその攻撃には足が浮く。なので彼はその力をぶつかり合わせず受け流す方向に持っていく。
 ロイドの技量でもそれは可能だが、その技術を凌駕するのがこの魔獣の力。
 故にロイドでは不可能だ。
 故に、彼の技術と恵まれた体格を持つランディにはその行動が可能だった。

 一体の行動を受け流しつつ、もう一体を必死の体でかわす。直撃こそ免れているが彼は綱渡りの攻防を続けていた。
 決して攻めることはしない、その為防戦一方であった。その理由は彼の特性による。

 ランディのクラフトは二種、ないし三種だ。スタンハルバードの力を発揮するパワースマッシュ、火炎の龍を解き放つサラマンダー、そして目潰し爆弾のクラッシュボムである。しかしそのどれもが現在意味を成さなかった。パワースマッシュを敢行し効果を認められなかった時点で手詰まりだったのである
 それはブレードファング同様、彼にとって雨天がマイナスになりうるからだ。
 雨という天候は彼の火属性を相殺している。サラマンダーは正にそのとおりであり、クラッシュボムについては目潰しの粉塵が巻き散ることなく地に落ちるだろう。
 Sクラフトこそ放てるがこれは奥の手のようなものであり、先が見えない状況では出せない。尤もそのクリムゾンゲイルも火属性なので些か不安ではある。

 だからランディは作戦通り時間稼ぎに徹する。有効打を決められなくてもいい、それは彼の後ろにいるティオ・プラトーが行ってくれるのだ。
「ランディさんっ!」
「応よッ!」
 ティオの声に反応し一気に距離を稼ぐ。すぐにティオのアーツが発動して魔獣を呑み込んでいき、ランディはその様子を注視して機を発見した。
「ティオすけ、アレいくぞ!」
「――ッ、了解です!」
 二人のエニグマが同時に起動し、ティオを碧の光が、ランディを赤の光が包み込む。
 それは訓練の焼き直し、CPによって再現、強化された蒼き死神の一撃。跳躍したランディのハルバードに集う振動と氷の息吹――
「グレイシャルビート――!!」
 二体の魔獣の中心を爆撃した無双の一撃は、傍にいた彼らを氷に変えた。




 * * *




 ブレードファング、この魔獣に似た存在をスコットは以前聞いていた。拙い記憶の糸を手繰り寄せると、その話をしたのは相方のヴェンツェル・ディーンではなく、先輩であり後輩でもあるアリオス・マクレインである。

「絶滅した、と聞いているが、生憎それ以外に該当しなかった」
「僅かに生き長らえていた、ということですか?」
 アリオスは頷き、一度目を閉じると暗記した書物を読むように述べていく。
「ブレードファング、およそ五百年前に生息していた魔獣。体長は5~6.5アージュ、高さは3~3.8アージュ、体重は0.7トリムほど。非常に強暴で人間を一飲みにするが属性攻撃に弱く、遠距離攻撃が有効である。その特殊な外殻の有用性によって乱獲の一途を辿ったが、絶滅原因は人間による討伐ではなく自然環境に適応できなかったからだと言われている」
 スコットも幼い頃にそのような本を読んだような気がする。しかし当時は相対することなど夢にも思わなかったのでアリオスのように想起されることはありえないと感じていた。
「しかし、それならなおさら在り得ないのでは? 環境に適応できなかったというなら住む世界がないでしょう」
「確かに。だからあの時俺が見たのはブレードファングではない別の魔獣かもしれない。リベールにいたブレードファングに酷似した魔獣は太古のそれとは別物とされているものの名称は同じになっているしな」

 ただ、とアリオスは沈黙する。スコットにはその続きが容易に想像できた。
 アリオス・マクレインという凄腕の遊撃士がそこまで気にする魔獣がそんなありふれた存在とは思えないのだ。ブレードファングにしてもリベールに亜種がいるのならそう判断しても差し支えない。
 しかしアリオスは感じ取ったのだ。リベールのそれとは決定的に異なる何かを。
 だからこそスコットはその魔獣を特別に記載してデータバンクに提出した。何があるかわからないからこそ、この先二度と遭遇しないとしても、現れた以上情報は保存するべきだと。

 そしてスコットは対峙した本人に尋ねた。
「それでアリオスさん、それとはどこで……?」
「――ああ、とある遺跡だ。俺も、できれば二度と行きたくはない」




 * * *




 雨が上がった。ロイドの身体のチェックを終えたエリィは身体を打ち据えていた水を感じなくなり、そして同時に驚愕に目を剥いた。
「な――!」
 沈黙させたはずのブレードファングがゆっくりと身体を起こしている。それまでのダメージはあるのか歪な部位はある、しかしその後発された咆哮は脅威でしかなかった。
「何ッ!?」
「そんな……」
 ランディとティオも同様に氷柱を砕いて現れた彼らに声を失う。ロイドとエリィが相手取った魔獣が健在なのは単純に力が足りなかったのだと理解できる。しかしこの二人が仕留めた技はコンビクラフト、氷と化した肉体を振動で破砕するものである。
 それは確かに効いていた、効いていたはずなのに、それでもブレードファングは止まらない。

「ロイドッ!」
 エリィが顔を張り覚醒を促す。すると予想外に早く彼の意識は戻った。
「急いで!」
「――ッ、状況は!?」
「ブレードファング四体が復帰よ!」
 ランディとティオが合流し四対四の状況、しかし支援課は一人だけ戦闘に耐えられない状況だった。慌てて状況を確認したロイドはトンファーを構えようとして、しかし力が抜けて膝を着いた。足が震えている。
「なんで――」
「おいロイドッ、どうした!?」
「待ってください、今回復を……!」
「来るわ!」

 ティオが詠唱する間もなくブレードファングは動き出し、四人は散り散りとなる。ロイドも震える足を叱咤してなんとか転がるも足に鈍痛が走る。大地を砕く魔獣の一撃は石の礫を撒き散らしていた。
「つぅ……ッ」
 痛みに顔を顰め、状況を鑑みる。
 ブレードファング四体は健在とは言わないが未だ脅威に他ならない。対する支援課はロイド・バニングスが異常を来たして足手まとい、ランディとティオはコンビクラフトによってCPを使い切り、更にティオは上位魔法の連発でEPも底を突きかけている。
 何よりまずいのは精神状態、一度乗り越えた壁が再び迫る現実は戦闘で消費した精神力をガリガリと削り取っている。

 動けないロイドの代わりにランディが強張った表情で立ち向かい、エリィとティオもアーツ詠唱の他、前に出て攻撃を放っている。しかしそのどれもが精度を維持し切れていない。
 元々強固な外殻を持つブレードファングが降雨から抜け出した今、その劣った攻撃では倒すことはできない。言うことを聞かない身体の代わりに脳内で目まぐるしく思考が走る。全ての情報を取り込んでは取捨選択をし、目指すべき到達点への道を見定める。
「ぐあッ!」
 ランディが尾の直撃を受け吹き飛んだ。その隙に後衛に突っ込む魔獣に反応が遅れたエリィが肩口を喰い裂かれる。
「きゃあっ!?」
「エリィさんッ!?」
 ティオが構わず魔力球を放射、魔獣を退ける。エリィも牙が引っかかっただけで重傷ではない。しかし右肩を押さえ身体が揺れていた。
 体力的に劣る彼女にとって今の一撃は行動を鈍らせる効果としては十分である。

「くそっ!」
 無理やりに身体を起こす。仲間が戦っている時にただ寝ているわけにはいかない立ち上がり、そして走った。
 スピードは笑えるほどにない、それでも戦わなければならなかった。
 方法を、みんなを守れる道は――
 太古の魔獣四体を退ける、その方法が雷のように頭を走り抜けた。しかしそのどれもが実現不可能で気が狂いそうになる。
 こんなところで負けるわけにはいかない、負けることなんてできない。

 ブレードファングがロイドに気づき、その顎を向けてきた。今の速度差では回避できない。
 防御を――
 トンファーで防ごうと正面でクロスして、そして、不意に身体が右に傾いた。

「え」

 驚くしかない。こんな重要な、大事な時に濡れた地面に足を取られるなんて――

 歪で獰猛な牙が迫る。それは傾いた為に空いた左脇腹を狙っていた。
 そんなことは必要ない、こんな踏ん張りの利かない状態でその大顎に対抗する術はない。そのまま噛み砕き、咀嚼し、血の雨を降らせばいい。
 思うように動かない体はそのまま、本能に任せて襲い来る大顎に抗えず朽ち果てる。
 それは弱肉強食の結果、紛うことなき食物連鎖、否定できない自然の摂理。

 そう、ロイド・バニングスはここで歩みを止める。何もできないまま、辿り着けないまま――

 そうそれは、以前感じた絶望――






























 ――――助けてほしいのですか?































「違う――ッ!!」

 傾いた視界、迫る闇のような口内。
 そんなものに、そんなものに未来をくれてやるわけにはいかない。
 見開いた瞳に見えたもの、それは駆け寄る仲間の姿。それを遮る猛き獣。
「――――ッ!」
 牙が身体に食い込む。その瞬間に、エニグマが光を放つ。碧の光に包まれたロイド・バニングスは己の牙でその死を一瞬で叩き折り、阿呆のように開いた喉元に突き刺した。

「俺が――――!」
 身体を捻じ込み体内から圧迫し、碧から赤に変わった光に導かれるように。
「あああああああああああああああああああッ!!」
 その全身で太古の壁を喰い破った。



 初出:4月27日


 重要なシーンその2。
 ブレードファングは独自設定です。空で既出の魔獣だったのでそれだと脅威度が少し、と。



[31007] 4-8
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/05/03 21:25


 スコットは以前の会話を想起し、そして襲い掛かるブレードファングの大顎を冷静に回避、補充しておいたライフルの一撃で片目を潰した。
 頭を振り上げて悶絶する一体の背後からもう一体が現れその尾を振り回す。それを最小限の動きで回避し、更に真横から進撃してきた三体目の突進に対し跳躍、空中でアーツの詠唱に入った。
 魔獣の背後に着地すると同時にアーツが完成して彼の身体を時の力が加護する。振り向き様の噛み付きをこれまで以上の速度で前進することで懐に掻い潜り、頭上の無防備な腹に短剣を突き刺し生まれた傷に銃撃を放つ。
「二つ」
 そのまま尾の下を潜って彼を見失っていたもう一体の目を狙い速射、右目を潰した。
「三つ」
 これで手負いの魔獣が三体、しかしスコットは油断しない。この手の魔獣は傷を負うと逆上し凶暴性が増す。そしてアリオスの言葉通りならここからが勝負だった。

「――――!」
 ブレードファングの咆哮が戯曲を奏でる。威圧感が増したことを肌で感じ、チリチリする空気を鋭敏に感じ取る。
 刹那、魔獣とスコットが弾かれたように同時に動いた。魔獣は前に、スコットは横に。攻撃対象に突っ込んだ魔獣とそれを予測し回避した彼の対決はその一瞬の行動で決した。
 ステップを踏んでブレードファングの側頭部、三半規管を司る耳の間隙を正確に射抜き破壊する。
 平衡感覚を失った一体が沈み、残りの二体が同時に突進する。その迫力たるや、並の遊撃士では平静すら保てない。

 しかしここにいるスコット・カシュオーンは並以上の遊撃士、そして事前に情報を聞いていた存在だ。バックステップで二体のそれを回避、ギリギリの判断故に左右ともに僅かな裂傷を伴った。
 それに構わず下がった頭部を足蹴にし、そのまま駆け上がる。異物に這い回られる感覚にブレードファングは激しく身体を揺すり、スコットは再び跳躍、逆さまになりながら照準を合わせ二発。
 後頭部を撃たれた二体は痛みに震え、尾をめちゃくちゃに振り回した。それが奏功したのか一つがスコットを捕らえ、彼はそのまま吹き飛ばされる。

 地面を滑りながら体勢を整え、口の中を切ったのか血の混じった唾を吐く。そのままアーツを詠唱、今度は土属性の攻性のものだ。悶える魔獣とスコットを繋ぐ直線の光が大地に刻まれ、そしてそれは千の棘となって襲い掛かる。
「ジアータイタニス!」
 大地の隆起が魔獣を襲いその身体を強かに打ち据え、更にスコットはクラフトを発動する。それは彼のSクラフト、ライフルに光を集めて放つ一撃必倒の銃撃。
「アースライトストーム――!」
 琥珀色の光が膨張し解き放たれる。それは通常弾の倍の速度で着弾し、そこを基点として鋼の竜巻を巻き起こす。人為的な大砂嵐、それが彼の切り札である。
 ブレードファングはその自然の体現に身を刻まれ打ち据えられ、そして破壊されていく。それはまるでかつて彼らが絶えた原因のようにブレードファングを追い込んでいく。
 その猛威は彼らが原型をなくした頃にようやく終わりを告げた。

「…………」
 残骸が消えていく。その一種幻想的な光景に対しスコットは何の感慨も抱かない。しかし、脳内の動きが僅かばかり顔色に表れていた。
「ブレードファング、どうしてこんなところに……」
 アリオス・マクレインがかつて見た場所はクロスベルではなかった。しかし今対峙した存在は間違いなく過去の遺物である。
 リベールにいるというブレードファング、スコットも知人の遊撃士から情報を貰っているのである程度の知識はあった。ここまで好戦的ではないし、仮にここが縄張りだったとしても二体が限度だ、四体同時などありえない。
「セピス量はそこまで多くない」
 このレベルの体躯の魔獣の中では少ないようだ。それが何を意味しているのか、ここでの仮説は避ける。
 絶命する前に本体から離れた殻や肉を採集する。分析できるほどの量ではないが、それでも何かしらのヒントにはなるだろう。

「――急がないと」
 スコットは今度こそ特務支援課の元へと急ごうと彼方を見据え、そしてゆっくりと頬を掻いた。
 そこには穏やかな笑みが浮かんでいた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 ロイドが中から突き破ったブレードファングは光に消えていく。その様を呆然と見ていた三人はそのまま地面に転がったロイドに慌てて駆け寄った。意識はない。
「ち、お嬢頼む!」
 ロイドの回復はエリィに任せ、ランディはハルバードを振り下ろした。一体が消えたとて、まだ三体。危機を乗り越えたわけではないのだ。
 それでも光明と言うべきか、ロイドが打ち破る術を与えてくれた。三体の魔獣は仲間を失ったことで警戒している。
 今までのように襲い掛かられては困る。ランディは逆にありがたいと思い、そして、とても愚かだとも思った。

「ティオすけ、どでかいヤツを頼む!」
「はい! しかし平気ですか……!?」
 ああ、と唇を歪めたランディに一瞬背中が寒くなったティオだが、それを振り払って詠唱に入った。
 ランディは改めて眼前の巨獣を見る。
 確かに手強い。全滅も覚悟しなければならなかったのは事実だ。
 しかし、この状況で二の足を踏んでいるこの存在は決して生き残れない。好機と思ったら一気に喰い切らなければいけないのだ。窮鼠猫を噛む、という言葉を体現してはいけないのである。

 だからこそ、ここでランディはそれを成す。勝機が見えたなら出し惜しみする必要はないのだ。
「おおおおおおおおおおあああああああああッ!」
 腹から吐き出された渾身の咆哮はまるで対峙する巨獣のそれだ。大気の枠を打ち壊さんとする野蛮で血生臭い雄叫びは太古を生きたブレードファングすらも怯ませる。ランディは体から紫色の光を放ち、瞳をぎらつかせて口元に歪な月を作った。

「さぁて、始めるとするか……」
 肩にハルバードを担ぐ。たったそれだけの動作に魔獣が、そしてティオが硬直した。
 ゆっくりと歩を進める。ランディはそうしてあっけなく、ブレードファングの射程範囲を侵略した。
「悪いな」
 ハルバードが廻る。手首を軸に弧を描き、球体を形作る。それは死神の鎌が首を刈り取る動作に似ていた。
 ランディが動く。あくまでゆっくりと前進する。
 いや、それは間違いだ。ランディの動きは高速だ、しかしあまりの異様に一挙手一投足に眼が反応してしまい結果緩慢な動作に見えてしまっているだけなのだ。
 体感時間は物理的時間より遅い、だからランディが魔獣をすり抜け、一瞬後に細切れにしたのは実質二秒に満たない時間だった。
「――――は」
 乾いた笑いが漏れる。その久しぶりの挙動は余りにも簡単すぎて、故に彼は自分に呆れ返った。
 一体が消え、残りは二体。ランディはゆっくりと次の獲物を見定め――

「ち」
 舌打ちの後、残った二体は風に切り裂かれた。脅威のいた場所には黒髪の剣士が立っている。
「あ、アリオスさん……」
 ティオが詠唱を破棄して呟く。颯爽と現れたアリオス・マクレインは二体のブレードファングを一瞬で掻き消していた。
 剣を収め、アリオスが振り向く。
「……随分な無茶をするものだ」
「無茶じゃねぇさ」
「体は、そうかもしれないな」
 アリオスはランディから目を切り、エリィとロイドを見る。

「無事か」
「え? は、はい。気を失っているだけで……」
「行方知れずの二人はどうした」
「ツァイトが――警察犬が保護して今頃は村に着いているかと……」
「そうか」
 それきりアリオスは口を閉ざした。三人も何も言えないような雰囲気になっている。それを打ち破ったのは駆け寄ってきたスコットだった。
「アリオスさん、ありがとうございます」
「……スコット、手強かったのか?」
 所々破損した彼の様子にアリオスは尋ね、スコットは真剣な表情で応える。
「色々、報告しておきたいことがあります」
「――一先ず離れよう。話はそれからだ」
 アリオスが纏めて歩き出し、スコットも後を追った。そして特務支援課も、その後直に目を覚ましたロイドを気にしながらアルモリカ村へと戻っていった。






 結論から言うと、旅行客のカップルは病院には行かずに酒宿場で休養することになった。
 理由としては、既に回復アーツで傷は治療していること、単なる疲労が蓄積しているだけだと思われることである。尤も折を見て病院に向かうことは勧めている。
 二人を寝かせた後、そういえば今回の任務は遊撃士協会との合同であったが達成したのはどちらになるのかという話題へと進んだ。スコットが譲り、一度は支援課が達成という流れになりかけたが、やはり遊撃士の協力なくてはという思いがあったのだろう。結局は共同で達成したとして報酬については折半するということになった。スコットとしては些か不満が残る結果になったと言えよう。
 ロイドが本調子でないために支援課は暫く休憩、遊撃士二人はすぐにクロスベル市に戻るという。

「最初と比べて少しは成長したようだが、先を見据えることも忘れるな」
 アリオスはそう言い残して宿を出て行く。その言葉が誰に向けられていたのかは、渋面をしていた本人が何より理解していた。
「スコットさん、今日はありがとうございました」
「いや、行方不明者を助けたのは君たちだ。誇っていいよ」
 スコットの言葉にエリィがはにかむ。彼は微笑み、次の機会を楽しみにしていると言い残してアリオスに従っていった。
「……なんだか疲れました」
 ふぅ、と深い息を一つ。ティオは胸のプロテクターを外して机につんのめった。厚意で渡されたタオルが彼女の顔を隠す。
「そうね、きつい任務だったわ。あんな魔獣がいるなんて……」
「全くだ。だが、あんな魔獣は滅多にいないはずだ」
 ランディの言葉にティオが頷き、ブレードファングの詳細を語る。エリィもリベールのそれを出し、今回の魔獣についての情報が集まってくる。

「――まあ結局、あれはもう出てこない可能性が高いと」
「そういうことになりますね。しかしもし絶滅を免れていたのなら、その場所はいったい……」
「たぶんアリオスさんとスコットさんが既に調査に動き出していると思うわ。スコットさんがあれの肉片を回収したそうだから」
 自分たちが無理に調べることはない。後でギルドによって情報を分けてもらうことにする。
「つーことは、その調査の代わりに仕事をこなさねぇとってことだな!」
 ランディがそうまとめ、三人が立ち上がる。ロイドもゆっくりと腰を上げた。
「ロイド、平気?」
「大分休ませてもらったからな」
 エリィの心配を笑顔で返し、彼はリーダーとしての責務を果たそうとするように声を張り上げた。ただ、その奥にある微かなしこりに三人は気づいていた。




 * * *





 創立祭のメインイベントであるパレードが終了したらしい、そこには確かな余韻が残されていた。
 クロスベル市に戻ってきた四人と一匹ははそこで通信を受け取った。フラン・シーカーである。リーシャの時と同じ、緊急の支援要請であるそれは迷子の捜索。依頼主はハロルド・ヘイワースである。

「――つまり、パレードの最中に行方不明になったコリン君を探せばいいんですね」
 行政区の噴水前のベンチで事情を聞く。ハロルドの妻であるソフィアは涙で顔を濡らしていた。紫を基調としたワンピースに銀のチョーカー、朱色の髪を持つ美しい女性である。しかしその美貌も悲しみによって台無しだ。
「はい、私たちも周辺は探したのですが見つけられず、よろしくお願いします」
 ハロルドがソフィアの肩を抱き頭を下げた。憔悴しきった様子のソフィアは動けない為暫くはハロルドもここにいて、その後住宅街にある住居に戻るそうである。
 彼女の様子はただの迷子にしては度が過ぎているように見える。溺愛しているといえば聞こえはいいが、ハロルドは事情があると言って言葉を濁していた。
 とにかくもはぐれたのは三時間前、既にかなりの時間が経過している。

「まずはパレードの進行ルートを照会しないとならないな。ティオ?」
「……行政区から北を頂点とした時計回りに区画を動き行政区に戻る、そういうルートだったはずです」
 水を向けられた少女はスラスラと淀みなく答える。いくらなんでも速すぎると流石に三人は唖然とし、そしてティオは慌てた風に言い訳をした。
「じ、事前に調べていただけですっ。みっしぃがいたからではありませんよっ?」
「……理由はどうあれ通った道がわかったんだ、手分けして探そうじゃねぇか」
 ランディの言葉に頷き、ツァイトが吼える。ハロルドからコリンの所有物と写真を借り受ける。記念祭中に撮った写真とのことで、風船を持った朱色の髪をした男の子が笑顔で写っていた。ちょうどソフィアと同じ髪色である。
「わたしはツァイトと探します。分担はどうしますか?」
「そうだな。じゃあ進行ルートに沿って行ってくれ。ランディは東通りと旧市街、エリィは行政区と港湾区で、俺が残りを探そう」
 一見ロイドの創作範囲が広いように見えるがその提案は理に適っている。ランディとエリィの分担である二区画は広く、彼の分担は狭く隣接しているのだ。
 迅速な対応が求められる依頼である、そんな説明の後四人は散り散りとなった。




 歓楽街で一定時間場所を動いていない人物に話を聞くが、流石にパレードの最中特定の子どもに目を向けるというのは難しいために情報は得られない。建物内にも一応尋ねたが、最有力とも言えるアルカンシェルにもいなかった。
 ロイドは諦めて裏通りへと進む。途中ランディから東通りはシロだと連絡があり捜索範囲が狭まるも、ギルドにも情報は入っていないらしかった。少しだけ遊撃士を期待していたロイドだが、それは事件に巻き込まれていない可能性が高い証拠とも考えられたので彼はそう思うことにした。
 そして裏通りの聞き込みを終えて中央広場に向かったロイドは、
「あらお兄さん、久しぶりね」
 振り返って紫の少女と再会を果たした。

「君は……」
 かつて見た少女、服装も変わらず黒のぬいぐるみも同様である。好奇心旺盛な様を如実に語る橙色の瞳が彼を見つめた。
「お姉さんはいないのね、残念。こんなところで何してるの?」
「そ、それはこっちの台詞なんだけど……君こそこんなところで何をしているんだ?」
「レン? レンはおばあさんのお店に来ただけよ、もちろんパレードも見物に来たのだけれどね」
 クスクスと笑う少女と記憶上のイメルダの怪しげな笑みに何故か共通する不可解さを覚えたロイド。彼のそんな様子すら笑っているように感じるのは、以前感じた疑惑が少女に関連するものだったからだろうか。
「それでお兄さんは何しているの? 前にも言ったけど、質問を質問で返しちゃダメよ」
 まるで年下の子を叱るように指を立てる少女、レン。ロイドは張り詰めていた緊張を緩め、苦笑いを浮かべながら説明した。同じ子どもの視点なら何かわかるかもしれないと思ったというのも嘘ではない。
 レンに内容を説明し、コリンの写真を見せた。怪しげな笑みを浮かべて受け取ったレンはそれに目を移し――

「………………………………え」

 その仮面を落としてしまった。

「知っている子か?」
 ロイドは尋ねるが、そこに返事はない。常なら大人びた様子と言葉で返される意思が凍結していた。レンは震える指で写真を返す。
「…………ううん……レン、その子、知らない」
「……そっか」
 ロイドは何も言わなかった。彼女がコリンを知っているのは間違いない、しかしこのレンの様子を見て探ろうとする気持ちは浮かんでこない。それほどにその小さな彼女は混乱の最中にいた。
 すぐに捜索を再開したいロイドだったが、同様に一人でいるレンをそのままにしておけない。一度支援課に連れていこうと考えた。
「なぁレンちゃん、一度俺と一緒に来ないか? 警察官として、ちょっと子どもを一人にしておけないんだ」
「…………うん、それも、いいわね……」
 俯いたまま少女は同意し、そして顔を上げる。そこにはもういつもの、以前見た少女の顔があった。
 もう一度、仮面を被っていた。

「――と、ごめん」
 エニグマが通信を伝える。少女が傍に寄ってきた。
 エリィは行政区を捜索終了、みっしぃの乗った最後尾の車両を追いかけていた少年がいたらしい。流石に断定はできないが、それでもやはりコリンはパレードについていってしまったのだろう。子どもらしい、目先の物に夢中になる行動だった。
「さて、じゃあ支援課ビルにご案内だ」
「ええ、頑張ってエスコートしてね、ロイドお兄さん。下手だと笑われちゃうわよ?」
 あえて陽気に言うロイドにレンの毒舌が突き刺さる。愛想笑いを浮かべるしかなかった。


 その後の度重なる情報交換によると、コリンは旧市街で子どもと遊んだ後港湾区で船を眺めていたらしい。ツァイトが匂いを嗅いでみると、桟橋から階段を上ったあたりで匂いが途切れているそうだ。つまり、コリンはそこから忽然と姿を消してしまったのである。
「…………」
 レンをソファーに座らせて通信を聞いていたロイドはその情報から可能性を探る。すると鈴のような声が聞こえてきた。
「お兄さん、端末借りるわね」
「え?」
「匂いが途切れたということは何かしらの密室に入ったということ。近くに建物がない以上移動可能な密室になり、つまりは導力車かそれに類するものの可能性が高い」
 呆然とするロイドを置き去りに端末前の椅子に座り、キーボードを打ち始める。
「今から一時間以内に港湾区に停まった可能性のある車両を検索するわ、IBCとソバカス君のデータベースを利用してね」
 目まぐるしく動く指と画面、それを瞬時に読み取っているらしい両の瞳、ロイドは確信を持って呟いた。

「君が子猫(キティ)か……」
「ええ、今のレンは殲滅天使じゃないただの子猫よ」
 物騒な名称が現れたがそれに割く時間と意識はない。
 エイオンシステムを使用したティオに勝るとも劣らない挙動で行われた広範囲探索は彼女の指が止まったことで終了し、レンはその可能性を読み取った。
「ライムス運送会社の運搬車、三十分前に停まってる。決まりね、お兄さん?」
「君は、なぜ……」
「…………」
「なぜ、ここまでするんだ?」
 振り返って笑う子猫。特有の気まぐれと言えばそれまでのこの行動の理由を、ロイドはもう聞かずにはいられなかった。



 初出:5月1日
 改訂:5月3日 ヘイワーズ→ヘイワース

 公式設定資料集が発売されましたね。まだ手に入れていません。
 もしかしたらこの作品の根幹を揺るがす事実があるかもしれませんが、そうしたら『設定資料集発売以前の作品です』ということにしましょう。
 あ、遊撃士の名称は変更しますよ。



[31007] 4-9
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/05/04 17:56



 少女がクロスベルに戻ったのはとある組織についての情報が欲しかったからだが、それとは別に、彼女に生を与えた存在が今どうしているのかを知りたいという欲求もあった。組織についての情報はともかくとして、後者の存在については全く情報を得ていなかったわけでもない。
 かつてクロスベルを離れてから一度だけ、少女はその存在を見た。二人で仲良く身を寄せ合い、そして片方の腕には生まれたての赤ん坊がいた。
 傍から見れば幸せの一ページとも言えるそれを眼前にした少女。恨みはあったしその場で首を刎ねることなど造作もなかったが、しかしもう自分には関係のないことだと割り切っていたので何もしなかった。その時傍にいた青年が渋い表情を浮かべていた、というのも見逃した理由の一つだろうか。
 少女はその存在、実の両親と弟に背を向けて去っていった。両親は、こんなところに娘がいるとは欠片も思っていなかった。

 そして現在、少女はあの時割り切っていたはずの自身の心のうちが、どうしてか信用できなくなっていた。それは、あの時の自分が時の流れに沿うように変質したからだ。
 少女は思う。今の自分は間違いなく彼の存在に影響されている。
 何も知らないその人に近づき仲良くなり、裏切った少女。そんな自分をそれでも抱きしめてくれた一人の遊撃士に。

 その遊撃士は今彼女を追って同じ街にいる。それがとても疎ましく、そして同じくらいに嬉しい。
 そんな相反する感情と実の家族に対するおかしな感情を引き連れて、そして少女は迷子になった弟を探しに街を出た。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 レンが突き止めた運送会社に連絡を入れると、コリンが潜り込んでしまった運送車の運転手が血相を変えた様子で少年がいなくなってしまった旨を告げてきた。場所は西クロスベル街道、一刻の猶予もない状況である。
「レンも一緒に行くわ」
 本来なら置いていくはずの少女の願いを聞き入れて支援課と少女は先を急ぐ。ティオのサーチで運搬車の位置を特定し、距離が短いこともあってすぐに辿り着いた。
 事情を聞くとともに数個の質問をする。まだ最悪の事態に陥ったわけではないようだ。
「ティオ、コリン君は特定できるか?」
「やってみますが、魔獣の反応に紛れてしまって特定は難しいかと。ツァイトに頼るほうが早いです」
 ティオはツァイトにコリンの所持品であるみっしぃのぬいぐるみを嗅がせる。車内を出た後で、更にあまり時間が経っていないのだから風向きさえ気をつければ容易に到達できるはずだ。
 ツァイトは一声唸ると先導するように足を進ませる。五人も置いていかれないように走った。
 走りに走りちょうどベルガード門と警察学校との分岐点、バスの停留所の場所でツァイトは立ち止まり鼻を働かせる。左手である南にも右手である北からも匂いがある。しかし風上は南、つまりは警察学校方面に行ったはずである。

「ウォン」
「よし、急ごう」
 ツァイトが道を譲るように後方に退き、ロイドが促した。彼の出番がないということは目標に近いということ、ティオのサーチにも反応があったようでどうにか発見することができたようだ。
 期待を裏切ることなく、少し進んだところで蝶を追いかけている赤毛の少年が見えた。ふらふらと蝶のように歪む歩みは空に繋ぎとめられた視線も合わさって危険極まりない。しかしようやく見つけた姿に安堵する思いだった。
「…………」
 レンはその男の子を平淡な眼で眺めている。感情が読み取れなかった。

「皆さんっ!?」
 突然のティオの叫びに全員が硬直する。驚きのままに視線を上に向けると、それに呼応するように高所から黒い影が飛び降りてきた。
 四体の黒き狼、しかしそれはかつてのルバーチェに使役されていた魔獣ではない。完全なる純粋種、西クロスベルにおいて危険度及び稀少度が図抜けている魔獣。
 四足と口周りを純白に染めたスラッシュウルフはその本能に従いコリンの前に舞い降りた。
「あー、犬ー!」
 コリンは目前の危険性に気づかず無防備に声を出し彼らを見ている。スラッシュウルフにとって格好の標的だ。
「まずい!」
 全員が全員そう思い、それぞれの武器を構え、

「――――っ!」
 見かねた少女もどこからか大鎌を呼び出した。
「な」
 思考が凍結する。突然現れたという現実よりも、少女の身の丈以上もある歪な曲線が多くの命を刈り取ってきたことを一瞬で理解してしまった。
 黄金の大鎌、実際は琥珀色の棒術具に刃を取り付けたようなもの。柄の先端は刃より飛び出していて鋭い槍のよう。刃自体は黒く、縁取るように刻まれた黄金は正しく刈り取る部位を示している。
 鋭さを強調する為か製作者の美意識か、三日月のような刃にはそれぞれ二つの楕円が蝕むように存在している。彼らは知る由もないが、その大鎌は剣帝のそれに酷似していた。

 少女を除く全員の視線がそれに吸い込まれた時、その繰り手であるレンは風と共に駆け出した。同年代どころか常人を凌駕した疾走、それは跳びかかった魔獣の一体が獲物に喰らいつくまでの間に30アージュもの距離を踏み切って両者の間に割って入った。
「この――ッ」
 鎌を振り上げる。レンの思考は恐るべき速さで対象の急所を見抜き、そこまでの軌跡を視覚化、筋肉の動かし方までもを脳内で言語・想像化する。
 スラッシュウルフの速度と自身の実行速度を鑑みれば排除は容易い。レンは、殲滅天使は魔獣の遥か上の戦闘能力を持っている。
 そう、彼女にとって背後の少年を守ることは容易いことなのだ。少年、自身の弟である、幸せな少年は――

「あ…………」
 不意に、どうして自分がこんなことをしているのだろうと考えてしまった。
 それでも行動に移すまでの時間が短かったならば問答を後回しにして魔獣を消し去っていたことだろう。しかし少女の優秀すぎる頭脳はその疑念に対して残された時間でありえないほどに思考を展開してしまう。

 レンは……






 * * *







 どうしてここまでするのか。
 ロイドの問いに笑みを返したレンは、しかしその問いに対する答えを持ち合わせていなかった。
 自分の今までを振り返ると筆舌に尽くしがたい。両親に捨てられ、誘拐され、実験動物になり、醜い大人の相手もした。
 自分自身を守るためにはレンは『わたし』でなく『レン』になるしかなかった。様々な自分が『レン』の代わりになってくれた。

 そんな彼女はとある組織に救出された。救出と言っても単純にその組織にとって目障りな集団を排斥したというだけの話で、レンが救い出されたことは偶然の結果でしかない。それでもレンはその組織に感謝していたし、救い出してくれた二人の人物には特別な感情を抱いていた。
 やがてその組織でも特別な存在になったレンはある時両親を見つけた。幸せそうな顔で赤ん坊を抱いている。
「いいのか?」
 傍らの青年が呟いた。恩人である彼に向かってレンは言った。
「何のこと? レンには関係のないことだわ」
 体が両親とは正反対の方向を向き、歩き出す。青年も暫し立ち止まっていたが後についてきた。

 そう、レンには関係ない……

“でも、わたしにはある”

 もうあんな人たちいらないわ……

“でも、必要だわ”

 必要? どうして?

“だって、愛してくれた人だもの”

 ……愛されてなんか、ない。

“でも、レンは思ったじゃない”


“羨ましい、って――”




 成長したあの子を見た。男の子だから、血縁上は弟になる。
 何も知らないあの子は無邪気でいつもいつも楽しそう。世界の穢れを一切知らない無垢な存在。
 でもその横には絶えずあの人たちがいる。自分を捨てた、世界の穢れのような人たち。
 だからあの子もやがては汚くなっていくんだろうが、それを見るのは何故か、心苦しくもあった。

 あの子を見ると、ふと疑問が湧いてくる。あの頃の自分は、あんな存在だったのだろうか。
 いつも楽しそうで、世界の汚さなど微塵も感じていない、そんな幸せな存在だったのだろうか。
 そんな思考をし、そしてその度にそれを掻き消す。
 そんな問いかけが生まれる時点で昔の居場所にこだわりを持っているのと同じなのだ。
 羨望しているのと同じなのだ。

 教団の情報は順調に集まってきている。それとは関係なしにクロスベル市に定期的にやってきていた。
 世話になっているローゼンベルクの工房前では面白そうな人物に出会ったし、クロスベルはやはり楽しい場所なのだろう。ブルブランが気に入っているのも頷ける。
 住宅街には入らない。万が一遭遇してしまったら何をするのかわからないから。
 それでも貿易商という仕事の都合上様々な場所に赴く父親の姿は遠くから観察していた。順調なようで笑顔が耐えない。
 それでもふとした時に浮かぶ沈んだ表情が気になった。
 母親は育児に専念しつつ近所付き合いも円滑に行っている。評判の良妻賢母だ。特に息子には過保護とも言える対応を行っている。
 あの子が知らぬ間に見えないところに行こうものなら半狂乱になって探し、見つけては安堵し抱きしめる。過剰な反応は涙という水になって現れていた。そんな様子も、気になった。

“わかっているくせに”

 ……そんなこと、ない。


“――――――嘘つき”






 どうしてレンはコリンを助けようとしているの?
“それはコリンが、前のレンと同じだから”
 どうしてレンは魔獣に立ち向かっているの?
“コリンがいなくなったらあの人たちが哀しむから”


“レンがいなくなった時も、あの人たちは哀しんだから――――”


 ならあの子は――コリンは、レンと一緒。あの子は――コリンは、レン。
 じゃあ、幸せなコリンは、幸せなレン?
 レンは、幸せなの……?




 コノコヲマモッタラ、レンハシアワセニナレルノ――――?






「ああ」
 気づいた時には、少女は少年を抱きしめ蹲っていた。少年は――コリンは何もわからず、ただ少女の温もりに抱かれていた。
 少女は魔獣を引き裂くことなく得物を放し、その男の子を掻き抱いた。まるで幼い自分自身を守るかのように。
 一瞬の思考・行動派は致命的、次の瞬間には少女は魔獣の牙に散るだろう。しかしいくら経とうともその悲劇が起きることはなかった。魔獣は、そんな二人を傷つけることはなかった。
 天使の鎌を逃れた魔獣が何故そんな二人を見逃したのか、それは魔獣自身の意志ではない。ただ一瞬の恐怖が全身を駆け抜け硬直してしまったのだ。
 硬直したのは跳びかかった一体だけではない、その四体全てが一つの方向を見て彫像となった。

「――――」

 そこには白の鬣を持つ蒼き神狼がいる。頭を下げ肩を怒らせ、剥き出しの敵意を向けている。その大きすぎる意志の顕現にどうして魔獣が耐えられようか。
「ヴォン!」
 空間固定を放棄するその一声、ただそれだけでスラッシュウルフは地にめり込むように身体を伏せる。
 絶対的な存在、それを前にして上げる頭などない。スラッシュウルフはそうして、ただ一つの存在に完敗した。

 唖然とする特務支援課、しかしツァイトに促されてゆっくりと歩き出す。
 スラッシュウルフにもう戦う気力はない。ただひたすら怯え、その身体を震わせていた。
「レンちゃん……」
 エリィが蹲る少女に語りかける。レンは伏せた顔を上げることなく口を開いた。
「あなたは――」
「おねえちゃん、いい匂い」
 コリンは顔をこすり付けるように身を委ねる。


「――ママみたい」


「――――――」
 何も、言えなくなった。
 少女は弟をあやすように背中を撫で、その温かさと安らぎに少年は目を閉じる。やがて安らかな寝息が聞こえてきた。
「レン、君は」
「迷子は見つかったわ、行きましょうお兄さん」
 ロイドの言葉を遮ってレンは立ち上がる。その腕の中には何も知らない小さな子。
 緊急支援要請『迷子の捜索』は、ただ一人の姉によって安全に完了した。




 しかし、まだ全てが終わったわけではない。






 西通りに戻ってきた支援課、ヘイワース夫妻を呼ぶためにティオとランディが住宅街に向かい、残りは分室ビルに戻る。
 どうして直接向かわないのか、それは帯同する少女が理由であった。帰還途中決して解かれなかった腕が解かれるのはヘイワースの家ではない。それは少女がそう言ったわけではなく、しかし全員が思ったことだった。

 ロイドの私室に寝かせる。直に夫妻もやってくるだろう。
 コリンの安らかな寝顔、顔にかかっていた髪を除くレン。それを後ろで見守る二人。
「……それじゃあ、レンは行くわね」
 レンが振り向き、そう言った。
「レン……」
「レンちゃん、いいの?」
 何を、とは聞かない。少女は首を振った。

「レンはお呼びじゃないもの。お姉さんたちには感謝しているわ、この子を助けてくれて」
 レンは笑う。それはとても柔らかな表情だった。
「コリン君を助けたのは君だ。ヘイワース夫妻から感謝されるのも、コリン君にお礼を言われるのも君のはずだ」
「レンは感謝されたくてやったわけじゃないわ。ただ、レンはレンのために助けたの。お礼なんて、必要ない」
 エリィはロイドを見る。その瞳が訴えるものを読み取り、彼は頷いた。
「理由なんて、結局は夫妻には関係ないはずだ。君はコリン君の恩人、その事実だけで余りある」
「確かにそうかもね。でもレンにはそれを受ける権利はあっても義務はないわ。二人に時間を稼ぐことはできても、レンを強制することができないのがその証拠よね」
「……でもレンちゃん、あなたはそれでいいの? 事情はわからないけど、でも、それでもあなたは――」
「エリィお姉さん、事情を知らないならこれ以上踏み込まないで。きっと後悔することになる」
 レンは扉に手をかけた。後は開くだけ、開くだけ。

「エステルとヨシュアはどうなんだ?」
「…………」
「二人は、君の事情を知っているんじゃないか?」
 ロイドはエニグマを取り出す。二人のエニグマの番号は以前交換したので知っている。エリィもそれに倣った。
「……いいの? 通信が届くまでにレンは帰るけど」
「俺たちには君を止める権利はないからね、これ以上のことはできない」
「レンちゃん。確かに私たちはあなたの事情を知らないけど、でもあなたに幸せになってほしいとは思うわ。それはいけないこと?」

 コール音が部屋に響く。レンもドアノブに手をかけたまま動かない。
 ただその音が木霊するだけの時間、それを破るようにロイドのそれは途切れた。
「ロイド君どうし」
「――ッ!」
 魔獣を前にした時と同速で動いたレンはロイドのエニグマを奪って通信を切る。次いでエリィのも奪い取った。
 空手のまま二人はレンを見る。レンは二つのエニグマを持ったまま固まっていた。
 沈黙を破るように二人のエニグマが鳴る。エステルとヨシュアだろうが、手元から離れている二人には何もできず、レンもまた取る気はない。やがて途切れたそれを契機として再び沈黙が舞い込んできた。

「私も両親に会うことは難しいわ」
 エリィが口を開いた。レンとロイドが見つめる中続ける。
「私の家族はクロスベルで壊れてしまった、だから私と会うとその記憶が戻ってしまうのでしょうね。でも、レンちゃんの家族はここにいるのよね。レンちゃんが会えないとしても、ここにいるのよね? 私は事情を知らないから、レンちゃんがどうして家族と会おうとしないのかわからない。でもそれって、もう叶わない人にとってはなんて哀しいことなんだろうって思うの」
「そうだな。俺ももう血の繋がった家族はいないから、まだ話すことのできる君が羨ましくもあるよ」
 エリィはレンの事情を知らないが、それでもその推測を事実として話し、ロイドもそれに同意した。
 ロイド・バニングスの両親は既に他界している。彼にはそんな両親の記憶が乏しく、言ってみれば兄のガイと姉代わりのセシルが二親であったと言っても過言ではなかった。

「会いなさい、なんて偉そうなことは言えないわ。でもこうして私たちの言葉に耳を傾けてくれている貴女はきっと、どこかであの人たちとの絆が欲しいと思っている。違うかな?」
「…………」
 時計の針が音を刻む。それは確実に流れていく外界の時間の証明だ。
 そしてそれに従うように、慌しい足音が聞こえてきた。
 レンは、それに気づかないふりをした。エリィは一つ息を吐く。少女はそれを望んでいるように思えた。
「そこにクローゼットがあるわ、そしてあっちには窓。どちらを選んでもヘイワース夫妻には会わない」
 視線で二つの選択肢を示し、そしてエリィはその答えを迫った。




 * * *




「――私たちには、娘がいたんです」
 ハロルドは呟き、ソフィアは頷いた。
 連絡を受けて大急ぎでやってきた彼らは荒れる息を整えもせずに眠っているコリンを抱きしめ得がたい存在の感触を確かめた。支援課に深々と頭を下げた夫妻は、抱擁によって目覚めたコリンからスミレ色の少女の話を聞いて眼の色を変える。
 一連の中夫妻の様子に違和感を覚えていたランディが切り出し、彼らはヘイワースの過去を話し始めた。

「仕事に失敗し多額の債務を負った私たちは、債権者に追われていました。そんな生活に娘を巻き込みたくなかった私たちは信頼できる共和国の知人に娘を預け、死に物狂いで働きました。全ては娘と生きていくためです」
 しかし、その結果が彼らから娘を奪い去った。
 八年前の共和国では連続放火強盗事件が横行しており危険な場所だった。その手口から同一犯であると判断されたそれは異例の捜査体制で以って解決に至ったが、しかしそれまでの犠牲は計り知れなかった。
 彼らが借金を返済し迎えに行った先には娘の姿はなかったのである。

「生きる意味をなくしました。死ぬことすら、それで娘に会えるのなら構わないと、そう思っていました。ですが、その時にはもう私たちにはそれが許されないものとなっていました」
 絶望に苛まれていた時、ソフィアの中に新たな命が生まれていることを知った。その存在は心中という道を途絶えさせ彼らに活力を与えた。
 自分たちだけの命でなくなったこと、そして何より娘の弟であったからである。
「手堅く堅実な商売のみを追及し、コリンを幸せにする。それが今の私たちの願いです。虫のいい話ですが、コリンは娘が与えてくれたのだと信じています。だから私たちは娘のためにあの子を幸せにしなければならない。そして私たちも幸せにならなければならないのだと」
 幸せになる義務、それがヘイワース家の持つ因果である。
 彼らは過去の出来事からそれを受諾しなければならない存在になった。それは何も知らないコリンも同様である。
 しかし同時に、その義務には後悔が寄り添っていた。

「ですがそれすらも私たちの身勝手な解釈です。娘は許してくれないかもしれないと常に思います。結局のところ、私たちが娘を手放し、殺してしまったことは事実なのですから」
「どんなに苦しくとも、辛くとも、あの小さな手を放さなければよかったのだと、今更ながらに思います。ですがもうあの手を掴むことはできません。私たちにはもう、互いの手と、あの子がくれたコリンの手しか掴めないのですから」
 ソフィアは涙が流れぬように天を仰いだ。組まれた手は空の女神に祈るかのようであり、娘に許しを乞うているかのようでもある。
「……長々とすみませんでした。これが、私たちの罪です」
 ほうと息を吐き、ハロルドは終わりを告げた。
 その重すぎる過去を四人は厳粛と受け止める。それでも与えられた衝撃は大きかった。
「そのお嬢さんと連絡がつきましたらお願いします。あの子も――レンも、私と同じスミレ色の髪をしていました。あの子が天国から救ってくれたのかもしれませんね」
 少し寂しそうな笑みを浮かべたハロルド、彼は失くさずにすんだ家族とともに安息の場へと戻っていった。






 クローゼットを開けると、膝に顔を埋めた少女がいた。四人はその姿を見つめる。
「レンちゃん」
 問いかけにも反応しない。ただそれは拒絶の意志ではなく、そこまで対応できないという様子だった。
「暫くここにいるか? 嫌なら反応してくれ」
 ロイドの言葉にも反応することはない。彼は頷き、ゆっくりとその扉を戻した。
 四人は目配せしてロイドの部屋を出る。そのまま一階に下り、ソファーに身体を預けた。

「因果なもんだ。あの嬢ちゃんに何があったのか、それは俺たちが知ることのできない深い事情みたいだな」
 レンの諸々の能力は図抜けている。身体こそ小さいがおよそ考えられる限りの力が常人を越えていた。
 ネットワーク上の能力はティオがその装備をフル回転しても追いつけず、エリィのように知識も豊富で判断能力は捜査官のロイドの更に先を行き、身体能力はランディを凌駕する。大鎌を突然呼び出すなど理解できない現実も見せ付けた。
 その全ては恐らく、彼女がヘイワースを離れた後に身につけたのだろう。

「あんな小さな子がどうして……」
 膝上の手がきつく握り締められる。エリィには想像もつかない過去が彼女には存在している。
 ティオは視線を逸らし、ランディは説得するように言い放った。
「誰にだって理解できない現実なんざいくらでもある。俺たちにできることってのはそんな現実を理解して受け止めることくらいだ」
 畢竟それに尽きる。
 知らないことに対しては何もできないのだ。すべきことは、まずそれを既知のものにすることである。
「……今は、あの子をどうするのか、か」
 ロイドの呟きを最後に会話は途切れる。
 誰もが自分の意見を言えない状況にいた。四人が作る世界は膠着したのである。

「失礼しますッ!」

 ――そして、外界の使者がそこに介入し、事態は大詰めとなる。
 ツァイトを先頭にしてやってきたエステル・ブライトとヨシュア・ブライトは緊迫した雰囲気を発しながら支援課に駆け込んできた。



 初出:5月4日


 一日早いけど更新。この時期、原作だと二人が人を探しているってまだ知らないんですよね……そう思うと初対面でそれを知ったというのは結構な分岐地点だと思うんです。



[31007] 4-10
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/05/08 21:33



 それは彼女らが自宅で武器の整備を行っている時だった。
 エニグマの通信、エステル・ブライトとヨシュア・ブライトは同時に自身のエニグマを見やる。ロイド・バニングスとエリィ・マクダエルからの通信である。ヨシュアはタイミング悪く手が離せず、先にエステルが応答した。
「ロイド君どうし――ってあれ?」
「どうしたの?」
「切れちゃった。ヨシュアのほうも切れたみたいね」
 音が消滅する二つのエニグマ、二人は首を傾げた。こちらからコールしてみるも出ることはない。
「何だったんだろ」

「……ねぇエステル、かけた通信を断りもなく切り、その後応答しない時って君ならどんな時?」
「ん? そりゃ急いでいる時とか――」
 そこまで考えてぎょっとする。エステルは顔に緊張を走らせ、ヨシュアも頷いた。
「エニグマが通じる以上市内のはずだ」
「まずはミシェルさんに連絡しないと!」
 突然切れた通信、そこに緊急性がないと判断するほどこの街は平和な場所ではない。
 即座に支度を整え飛び出す。行く先は隣のギルド、まずはミシェルから情報を得る必要がある。

 しかし建物を出た二人は歩みを止める。そこには一体の警察犬が座っていた。
「っと、確かロイド君たちのとこの――」
「うん、支援課の警察犬のツァイトだ」
「ウォン」
 ツァイトは一声上げると踵を返し、首だけ振り返り視線を送る。予想外の事態に反応が遅れるも速やかに対応し、二人はツァイトの後を追って走り出した。
 ツァイトの様子から見て危険性は些かばかり低下したが、彼の常を知らない二人にはそこから判断するには情報が足りなかった。
 階段を駆け下り正面玄関に辿り着く。一瞬のアイコンタクトでヨシュアが内部の情報を読み取り合図、エステルがツァイトとともに飛び込んだ。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






「失礼しますッ!」
 唐突に響いた声に振り向くと、そこにはそれぞれの得物を構えたエステルとヨシュア、そしてツァイトがいた。
 二人は一瞬で室内を吟味し、そして武器を納める。
「えーっと、一応確認するね。何事もない?」
「あ、ああ。どうしたんだ、いきなり」
「それはこっちの台詞だよ、ロイド。エリィさんと二人して通信をかけて、いきなり途切れるから何かあったのかと思ってさ」
 そこの彼が連れてきてくれたから杞憂だとは思ったけどね、とヨシュア。ロイドとエリィは忘れていた通信に関して間抜けな声を上げ、そして頬を掻いた。

「お二人に通信を入れていたのですか?」
 ティオが尋ねる。それは彼女とランディがいない間の出来事なので寝耳に水だった。
「ええ、二人はレンちゃんの関係者だろうから……」
「え……?」
 不意に聞こえた探し人の名前にエステルが呆然とする。ヨシュアも反応し、事の次第を要求した。
 二人の探していた少女がレンであることは既に確信していた。それに加えてレンのほうも今の状況で拒絶することはないだろう。ロイドは頷き、歩きながら話すと二人を案内した。
 そして――


 クローゼットを開ける。そこには先と同じスミレ色の少女、顔を膝に埋めている。
「レン」
「――ッ!?」
 エステルは静かな声で呼び、レンは身体を震わせた。恐る恐る顔を上げると、彼女が知る二人の顔がある。
「エステル、ヨシュア」
「うん。久しぶり、レン」
 ヨシュアも静かに応え、微笑む。泣きはらしたことがわかる少女の顔には疑問が浮かんでおり、しかし思い出したかのように遠くを見つめた。
「そっか、通信繋いじゃったんだっけ……」
「そうよ。とは言っても、レンがここにいたことは知らなかったんだけどね」
 微笑むエステル、レンは恥ずかしそうに目を擦りそっぽを向いた。ヨシュアがレンから目を切る。

「続きを頼むよ、ロイド」
「わかった」
 ここまではコリンが行方不明となりレンとともに捜索したことしか話し終えていない。ロイドは改めて今回の核心を話し始めた。
 それは長い話、レンとの会話やヘイワース夫妻の話。それを影で聞いていたレン。
 順序だてて、ゆっくりと説明した。
 ランディやティオもレンとの会話は知らない、二人も黙って聞いていた。
 ロイドとエリィが話す中、エステルとヨシュアは顔を伏せて静かに言葉を飲み込んでいた。彼女らが激情を起こすに足る内容だ、それは最後の最後まで聞かないといけないという理性の表れだったのかもしれない。


「――これが、俺たちの知る今回の話だ」
 そう纏め、長く話していた二人は同時に息を吐いた。なるべく自分の感情を排して事実だけを述べたつもりだが、流石に当事者なので完全にとはいかなかった。事実、エリィは少し息が荒い。
「エステル……」
 ヨシュアが話しかける。彼は落ち着いていたけれど、それは傍らの彼女を思ってのことだったのだろう。
 彼にも激情はあった、しかしそれ以上に放ってはおけない存在がいたのである。
「――ッ!」
 エステルは俯いたままレンを抱きしめた。既に落ち着いていた少女はその行動に目を見開く。
「え、エステル――?」
「…………」
 エステルは何も言わない、ただレンの言葉に腕の力が増した。
 きつく抱きすくめられたレンは少し苦しくもあり、同時にその温かさに安らぎを覚える。あの時とは逆だな、と弟の姿を浮かべながら思った。

「……ぅぅ」
「エステル……」
 ヨシュアがエステルの頭を撫でる。柔らかな感触が心地良い。まるで世界の全てが優しくなったように思える。
「よかったね、エステル」
「うん…………うんっ」
 そして、彼女は涙した。全ての渦中にいたこの少女の辛さや苦しさのために、少女の知らなかった優しい現実のために。
 そして何より、それを知ることができた愛しい少女のために。
「う、うあ……うぁあああああああああああっ!!」
「ちょ、ちょっとエステルっ、なんであなたが泣くのよっ!」
「よかった……よかったね、レン……っ! うあああああっ!」
 人目を憚らず泣きはらすエステルを受け止めるように抱きしめられているレンはその素直な感情の奔流に相対し、次第に尽きたはずの感情が零れだしていく。抱きしめる少女の気持ちが伝わってくる。
 その全てが自分自身のためのもの、他人である自分のために流される涙と安堵の気持ち。それが触れた肌を通して沁み込んでくるのだから彼女にはもう何もできない。
 それはもう、どんな才能を持ってしても耐えられないものだった。

「え、すてるっ。なんでよぉ……なんで、レンは……っ」
「レン、もういいんだ」
 ヨシュアが二人を包み込むように抱き寄せた。二重の温もりにさらされたレンは呂律の廻らない口調でどうして、どうしてと繰り返している。エステルの声は大きくなり、腕に込める力も強くなっていく。
「もう、残酷な世界は崩れたから。だからもう、君が傷つくことはないんだ」
「うんっ、ぐす……そうよっ、もう辛くないし苦しくもないっ! もしそうでも一人になんてしてあげないっ! これからの幸せな毎日を、嫌だって、言っても……っ! お見舞いするんだから――っ!」
「もう逃がさないよ。だから」
「だから――!」


 一緒に生きよう。家族に、なろう――――




 * * *





 全員分の紅茶が配られエリィとティオが椅子に戻る。そこでようやく彼らに言葉が戻った。
「――ありがとう。皆さんがいてくれたから、僕らはレンに届くことができた。目的を果たすことができた。言葉では言い表せないくらい感謝しています」
 ヨシュアが頭を下げる。ロイドは手を振って否定した。
「いや、俺たちは何もしてないよ。ただあの子の手伝いをしただけさ」
「そうね。レンちゃんが望んだことが叶った、結局はそれだけだもの」
 目が赤い彼女は見事に中てられて涙した一人である。恥ずかしいのか、カップを運ぶ回数が多い。
「……なんだかそう聞くと、まるで神様みたいですね」
「だな。望んだ結果になるってのは理想だが、今回に関しちゃ何の文句もないぜ」
 涙したもう一人とランディが言う。現実がハッピーエンドだけではないことを知る二人だが、今日に限っては世界の全てがそうであっても不思議ではないと言ってもいい気分である。

 ヨシュアは紅茶を含み、真面目な表情をして言った。
「それは事実だよ。レンは、世界に願いを叶えさせる方法を知っている」
 今ロイドの部屋で眠っている少女は天才中の天才である。彼女の特性であり本質は、あらゆる情報を取り込み、理解し、自らを含めたその情報体を望むままに変質・操作すること。
 いわば環境を操作する能力、彼女はその力で幾つもの残酷を乗り越えていった。彼女は自身の願いを叶えるのではなく、自分を含む世界にその願いを叶えさせるように動かすことができる。
 それは神の所業かその同類か、故に彼女は“天使”の名を冠したのである。
「なるほどね……」
 ロイドは彼女に関する記憶を反芻し、その全てに説明がつくヨシュアの言葉に納得した。実際問題信じられない能力だがあの少女ならば不思議ではないと思える。それほどに彼女は常軌を逸した存在だった。

 傍で丸まっていたツァイトが小さく吼える。すると階段を降りる音が聞こえ、やがてゆっくりとした足取りで二人が降りてきた。
「あはは。ご、ごめんねみんな」
「…………」
 エステルが恥ずかしそうに笑い、レンは視線を少し下に向けている。彼女らの手はしっかりと繋がれていた。
 エリィが紅茶を入れ、二人も着席する。涙で水分が飛んだ二人はすぐに口をつけ、同時に舌を出して悶えた。
「エステル……それにレンも。気をつけなよ」
「ははは、子猫だけに猫舌だってか。エステルちゃんも子猫かい?」
 ランディがからかうように笑い二人はムッとする。その姿はまるで実の姉妹のようだった。
「からかわないでよランディさんっ」
「レディをからかうなんて紳士として失格ね」
「あらら、振られちまったぜ」
 少しも堪えていない彼はおどけて場の空気を和らげる。その意図に気づいてか、ティオもそれに乗っかる形で毒を吐いた。
「ランディさんはいつも振られているイメージがあるので驚きませんが」
「全くね」
「ランディも少しは節度ってものをな……」
「エステルは猫じゃなくて犬かな」
「きぃ、お前ら言わせておけばっ!」
「ちょっとヨシュア、それどういうことよっ」

 その後はぎゃあぎゃあと騒がしく、レンも一緒になって楽しい時間が過ぎていった。
 そこにはしがらみも何もない、ただ仲の良い友人の集いのような年相応の時間。そんな時間を久しく過ごしていなかった彼らは今までの分を取り返すようにはしゃぎにはしゃいだ。




 日も暮れる時間だったので夕食を共にすることになる。龍老飯店にくり出してもいいがどうせなら全員で料理をしようと決まり、支援課に残されていた全ての食材がふんだんに盛り込まれた食卓が完成した。
 身長が足りないレンは台に乗ることを渋っていたが、何故かその台に乗ってきたティオに促される形でその問題をクリアした。ちなみにティオの行為が台に描かれたキャラクターのせいであることをロイドだけが知っている。

 リベール、共和国、クロスベルと様々な地域性の盛り込まれた料理の数々に舌鼓を打ちつつ話し込む。セルゲイが帰ってきた頃にはもう残飯しかなく彼は渋い顔をしていたが、空間に残る余韻に何かを感じ取ったのか何も言わずに消えていった。今頃はどこかで一杯引っ掛けているだろう。
 とりとめのない話が尽きかけてくるとエステルとヨシュアの旅の話がメインとなった。リベールを襲った前代未聞の事件とそれにまつわる多くの人々の事情、それは話し手であるヨシュアやレンの過去にも関わるものだった。
 宴の雰囲気は一変し、支援課の四人は固唾を呑んで聴いている。とても重い話だったが、それでもエステルがいるという事実がそこに光を生んでいた。結局その話で際立ったのはエステルの人間性、彼女という存在がそんな話の中でも明日を見つめる希望となっていた。

 そんな彼らの話だが、やがてはやはり今後のことについての話となる。エステルにしてもヨシュアにしても、今後のことは支援課の四人がいる中で話しておきたかった。
「――レン、君は、これからどうする?」
 ヨシュアの問いにレンは困った顔をする。返答がないまま、エステルが続いた。
「私個人の気持ちから言うとね、もうレンをリベールに連れて帰りたいんだ。ティータだって心配してるし、早く父さんと四人揃って家族全員集合! ってやりたい。母さんにも、紹介したいしね。でもね……」
「……レンにはまだやることがある。だから今すぐには行けないわ」
「うん、きっとそうじゃないかって思っていたんだ。それに僕たちが諸国を周っているのは僕の事情もある」
 レンにはもう一つの目的があり、そしてヨシュアにも旅を続ける意図があった。エステルにも、このままクロスベル支部を去ることに感情的な抵抗がある。
「こんなこと言うのも何だけど、きっと今すぐには帰れないな、とは考えていたよ」
「ヨシュアは話を遠回しにするのが好きね。ま、今回は見逃してあげるけど」
 そう言ってレンは振り返り、今回世話になった四人の顔を見る。疑問符を浮かべる彼らに構わず会話は続く。

「それでレン、ここからが本題だ。君は今ローゼンベルク工房にいるね」
「ええ、パテル=マテルの修理が終わってないし、あそこはネット関係でも有用だから」
「でも私たちとしては今からでも一緒に暮らしたいのよ。工房にはおじいさんがいるらしいじゃない、レンと一緒にいる時間を取られるのは癪なのよね」
「情報収集の点ではネットワーク環境の整っている工房にいるのは正解だろうけど、でもこの件に関しては僕もエステルに賛成かな」
 ヨシュアの言葉に少しだけ目を見張ったレン、やがて仕方のないことのようにため息を吐いた。
「ヨシュアがそこまで言うなら、仕方ないわね……」
「むぅ。ちょっとレン、私はどうでもいいっての?」
「エステルは自分の感情しか言ってないじゃない。基本的に合理的効率重視のヨシュアがそれを度外視してまで頼むから折れたのよ」
 レンは椅子から降り、スカートを叩いた。

「でもずっと一緒にはいないわよ? レンは目的を果たすためにここにいるんだから」
「うん、それで構わない」
「でも後で教えてね? きっと助けてあげるから!」
 エステルが胸を叩き、レンは意地の悪い顔をした。幻覚か、猫の耳が生えたように見える。
「あらエステル、あなたレンより強くなったつもり? 殲滅してあげましょうか?」
「言ってなさい、後でぎゃふんと言わせてあげるから。そんなことよりお風呂よお風呂! まずは隅々まで洗ったげるから!」
 レンを後ろから羽交い絞めにして頬を摺り寄せるエステル、レンは嫌そうな表情をしてなんとか距離を離そうともがいている。
 それでも奥に喜びがあるのは見てとれたのか、ヨシュアも穏やかな表情で見つめている。

「それじゃあ、レンは遊撃士協会預かりになるのか?」
 ロイドが問う。エステルとレンは動きを止め動向を見守った。
「厳密にはまだ家族扱いにはならないから一応そういう形にはなるね。ミシェルさんなんかは可愛がりそうだけど」
「……それで、その。結社のほうは……」
 エリィが言いにくそうに尋ねると、ヨシュアはその点については大丈夫だと言う。それでも不安そうな四人に対し詳細を話し出す。
「クロスベルは帝国と共和国が二大宗主国だ。歯がゆいけど、現行のクロスベル自治州法ではそこからの諜報員やそれに関する揉め事に強く出られない。そんな危険地帯だから結社としても二の足を踏んでいるんだろう。尤もそれは結社としてであって、レンのように執行者が個人的に滞在することはあるだろうけどね」

 身喰らう蛇――結社と呼ばれる組織に所属する執行者はある程度の自由が与えられている。それは組織に所属している人間にとっては破格の条件である“命令に対して受けるかどうかは本人に委ねられる”というものだ。言ってみればある計画に参加するかどうかは執行者の自由なのである。
 これは結社のトップである盟主が定めたもの、執行者の上に当たる使徒ですら犯すことはできないのである。

 ヨシュアもレンもかつては結社に在籍していた執行者である。
 No.13漆黒の牙とNo.15殲滅天使、そう呼ばれた二人は幼い頃より結社に訓練された一級の戦闘者なのである。
 レンの残酷な過去――教団と呼ばれる組織から救ったのが結社在籍時のヨシュアと剣帝と呼ばれた存在だった。リベールでおきた導力停止事件も結社によるものである。この一連の事件でヨシュアは結社と決別し、レンもそこに戻らない日々を始めたのだ。

「ふふ、でもそれはあくまで今までの話よ。クロスベルにもおじいさんみたいな協力者はいるし、ここの大司祭は封聖省を嫌っているから星杯騎士も来ない。条件的には相殺しているから――ってきゃっ!?」
 レンが不安を煽るようなことを言うが、後ろに笑顔のエステルがいる時点で緊張感はない。レンはそのままエステルに取り込まれてしまった。
「とりあえず結社は現在はクロスベルにはそこまで深く関わっていないみたいだから、そこは安心していいよ」
 二人のやりとりをなかったことにしてヨシュアはそう纏めた。
 ロイドらは一応の安心は得るも、しかし大局的な部分では安心はできないことを知る。それでも彼らにはそこまでの規模の壁に立ち向かうための力はなかった。

 理想を語ることはできる、しかしそれを成す為にはそれに見合う力がなければならない。そんな当たり前のことを再認識した思いだった。
 エリィがかつて言っていた、クロスベルの平和は薄皮一枚の上に成り立っているのだと。そしてアレックス・ダドリーはそれを否定しなかった。
 一課でさえも、まだそこまでの力はないのだ。ならば一課に劣る自分たちにできることは何なのか。


「そうだ、お兄さんたちにはこれをあげるわ」
 不意に、レンが一枚の便箋を渡してきた。わけのわからないままに開けてみるとそこには黒い手紙。金の刺繍で薔薇が象られている。それはヨナの情報にもあった黒の競売会の招待状だった。
「これは……っ」
「面白そうな出物があるかと思って手に入れたけど、今のお兄さんたちに必要でしょう? 今日のお礼にどうぞ」
 それは間違いなく本物だという。レンがどういう手段で手に入れたのかは知らないが、これがあれば堂々と競売会には参加できる。エステルたちも予想外だったのか、レンに突っかかっていた。
「だって遊撃士より警察の分野じゃないっ、エステルたちが行っても多分ばれちゃうわよ!」
 えい、とエステルを受け流しながらレンは説明し、エステルは不満から頬を膨らませている。彼女としてもせっかくの手がかりを失いたくないようだ。
「でもロイドたちはルバーチェに顔が知られているんじゃないのかい? 確か二回ほど企てを阻止して、かつこの間の事件でも接触したんだろう?」
「それでもヨシュアたちよりは警戒されていないわ。だって弱っちいもの、あっちも羽虫程度にしか思っていないんじゃない?」
 容赦ないレンの口撃が支援課に突き刺さる。苦笑いしか浮かべられない。
「それにあくまでこれはお礼、この招待状をどうするかはお兄さんたちの自由よ。後のことは知らないわ」
 レンはエステルの拘束から抜け出しツァイトの毛並みを撫で始めた。彼も悪い気分ではないのか欠伸をして以降は動かない。

 ロイドはその招待状を眺めながら悩んでいた。
 放任主義のセルゲイに止められるほどのクロスベルの闇、ルバーチェの重要な資金源である以上彼らの力の入れようも過去の事件の比ではないだろう。警察上層部は動かず、一課ですら毎年手をこまねいて見ていることしかできないこの事案。正面から対峙する手段を得たとして、自分たちはどうすればいいのか。

 ちらと、仲間を見る。それぞれ思考していたが彼の視線に気づいて顔を上げた。
 その一つ一つと視線を交わし、彼は最後の判断を下す。
 その方法は、兄であるガイ・バニングスならどうするのか。
 彼は壁に直面した時決まってこの思考をする。自分がガイでないことを自覚しつつも、捜査官としてのレベルの違いから、彼の判断のほうが最適な気がしてくるのだ。
 警察学校の恩師に出された問題でも同じことをしたが、よく考えれば今の状況はその問いに似ていた。
 今では退任したジェフ捜査官、彼の最後の教え子である自分が卒業時に出された問い。

「――容疑者は既に発覚している」
「え?」
 エリィが声を出し、そこにいる全員ロイドを見た。目を閉じた彼は思い出すように綴る。
「しかしその容疑者は駐在武官にして帝国の有力貴族だ。複数の証言から立件は容易いが、帝国派の議員からの横入れ、容疑者の立場、帝国への敵対行為と見なされる危険性がある。どうする?」
 それはクロスベルに避けられない問題だ。大局的に考えれば帝国との衝突を避けるために立件するべきではないのかもしれない。しかしそれでは事件の被害者は浮かばれず、警察への不信感は一層高まるだろう。
 当時この問いを出されたロイドは長い思考の末にわからないと答え、それでいいとジェフに諭された。聞けばガイにも同様の質問をし、同じ答えを受けたという。
 ただ、ロイドとガイの違いは――

「わからない。けど、それはその時になったら体が動いてくれるはず。それに任せる」
「ロイドさん……」
 今がその時だ。ガイのように体がすぐに動くことはなかったけれど、それでも今自分自身が思っていることは一つしかない。
「課長には止められた。けど俺は、黒の競売会を認めることはできない、見て見ぬ振りもできない。上層部からの圧力なんて特務支援課にあってはいけないんだと思う。俺たちは、そういうしがらみを無視してすべきことをしなければいけないんだ」
 当然それは後ろ盾がないことの裏返しである。どんなことがあっても自分たちで責任を負わなければならない。
 今までそれを任せていたセルゲイにも言えない今回の意志。それを仲間を見ながら堂々と言う。中途半端な物言いは捜査官には許されないし、仲間の前で意見を言えないなんて事実もいらなかった。

「明日、俺はミシュラムに行く。皆も、来てくれるか――?」



 初出:5月8日


 再会の話。でもレンはまだ目的を達成していないので帰りません。
 そういえばヨシュアの贖罪の旅は終わったんですかね? 空から二年経ってますけど。
 ※ ジェフ捜査官は『零の軌跡 四つの運命』に出てきます。



[31007] 4-11
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/05/12 22:01



「うん、良く似合っているじゃないか」
「……そりゃどうも」
「でももう一つ、はいこれ」
「眼鏡か」
「印象が大分変わるからね、キミ童顔だし、いいんじゃないかな?」
 鏡を見てみると確かにそのほうがいいようにも見える。非常に癪だけれどこの分野では自分は門外漢だとロイドは自制した。
 眼前にはニコニコと朗らかな笑顔を浮かべる少年。フォーマルとは言いがたいスーツを身につけたホスト風の彼は良い仕事をした、と満足そうである。
「うん、これでどこから見ても未熟な良家の息子だね」
「未熟で悪かったな」
 ごめんごめん、悪気はないんだ。ワジ・ヘミスフィアはそう言って全く伝わらない謝意を述べた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 創立記念祭五日目、黒の競売会が行われる最終日だ。今まで手を出せなかったその場所に踏み込もうという特務支援課はミシュラム行きの船が出港する午後二時までに全ての支援要請を完了しなければならない。
 最終日でもあって量が多かったが、事情を知っているエステルとヨシュアの尽力によりなんとか片付けることができた。二人と話すことができてロイドとしても安心である。
 聞けばレンもまた最終日を楽しんでいるらしい、彼女が年相応に過ごしているのなら喜ばしいことだった。

 港湾区から出る船は流石に豪奢である。ミシュラムは一等地、住む人々は皆有力者ばかりである。二年前に開園したミシュラムワンダーランドによって観光客も多いが、その人々は住宅地へは赴かない。陸繋ぎの場所だとて、そこは別世界のようなものだった。

 船を待っている間も観察を怠らない。見るからに旅行客な人物でも、その目的がワンダーランドなのか競売会なのかは定かではないのだ。
 流石に子ども連れは除外するものの、これから行く先へのプレッシャーからか、見る人全てが怪しく見えてしまうので嫌なものだった。
 中でも赤毛の遊び人風な青年には見事に騙されてしまったものだが、結果的にそれ以降は妙な硬さが取れたのも事実である。青年は、黒の競売会の参加者だった。

 ミシュラムに着く。港からは一本道でホテルに辿り着き、そこから目的地によって出口が異なる仕様だ。
 正面を真っ直ぐ抜けるとワンダーランドでみっしぃがお出迎え、左に抜けると住宅地であり本日の目的地であるハルトマン議長の私邸がある。右は封鎖されているがどうやらミシュラムの新しい目玉を建設予定であるらしい。
 二階から客室であり、一階は様々な店が並んでいる。そのどれもが高級店、宝飾店に至っては一見様お断りである。服飾店はエリィは入ったことがあるらしいが、高級なだけあって質は上々らしい。

 ホテルに泊まるわけではないが、しかし安心が得られる場所は欲しい。とにかく空室があるか尋ねてみるが、生憎完全予約制であり部屋を取ることは困難だった。
 しかしそこに現れたのがワジ・ヘミスフィア。暇つぶしにホストをやっているという彼が部屋を提供してくれるというので背に腹は代えられないと彼に促され一室に入った。言ってみれば、その時点で彼が介入することは決定していたのかもしれない。

「それで? 全員揃って競売会にでも潜入するつもり?」
 足を組んで備え付けの椅子に座るワジはいきなり核心を突いてくる。疑問系ではあったがそこには自信が含まれており、改めて彼の洞察力に驚かされる思いである。
 しかしロイドらとしても安易に話すことはできない。大前提として、彼の目的を聞かなければ話すことはできなかった。
「ああ、僕はお得意のマダムに誘われちゃってさ。言ってみれば喧嘩中の旦那の代わりにエスコートするってだけのなんら面白くはない話だよ」
「いや、十分面白いっつーか聞き捨てならねぇ話だよ」
 ランディの突っ込みも柳に風、涼やかな笑みを浮かべるワジは長い足を組み替え、両手の指を絡ませた。柔らかい仕草が中性的な容貌にマッチしていて旧市街の不良だとは思えない。どこか育ての良さのようなものまで感じさせる佇まいである。

「僕の話なんていいじゃない。こっちが聞きたいのはさ、こうして協力している相手の心の内だよ。黒の競売会は正規のルートでなきゃ早々入れないと思うんだけど?」
 ワジは招待状の存在を知っているのか、それなしでは無謀だと諭してくる。ロイドは黙って懐から招待状を差し出し、現物を見てワジは感心したように声を漏らした。
「滅多に手に入らないものだと思うけど、どうやら本物みたいだね。いやほんと、一体どこから手に入れたんだい?」
「ちょっとした偶然だよ。それよりワジ、お前本当にそれだけか?」
 ロイドの視線が突き刺さる。ワジはそれを正面から受け止め、しかし笑みは絶やさずに言った。
「競売会に興味はそんなにないんだよね。参加者も大物ばっかりだけど僕には関係ない人物さ、今回は他意は全くないよ」
「……そうか。こっちも借りがある、詮索はここまでだ」
 ワジの言い回しは謎に満ちているがこちらに不利益を撒くようには思えない。ロイドは疑問を飲み込み、事態を収束させた。

 そしてせっかくの他の参加者である。昨年も参加したというワジに競売会の実態を質問した。
 招待状一通につきよくて三人といったところらしい。全員顔は出しており、人脈作りの場としても知れているそうだ。競りに関しては基本的な普通の競売会と同様で、しかし競売前の立食パーティーでは主催者であるルバーチェ会長のマルコーニやハルトマンが挨拶を行うらしい。
 会場設営や警備等はルバーチェの管轄である。参加者はもちろんフォーマルな衣装が望まれている。
「とすると全員は無理か」
「そりゃそうだよ。三人ってのもなかなか見かけないんだから四人なんて論外さ。万一のことを考慮して二人ずつに分かれた方がいいんじゃない?」
「……普通にワジ君が参加しているけど、いいの?」
 エリィの呟き、それを耳ざとく拾ったワジは意外そうな態度で笑う。
「嫌だなぁ、もう僕は今回の当事者と言っても過言ではないくらいだよ。作戦会議に口を出すくらい当然の権利じゃない。それに万が一の場合は助けてあげるよ? 僕経験者だから」
「お嬢、諦めな。実際問題無害ではあるんだ」
 ランディが諭すようにエリィの肩を叩く。エリィは彼の言葉に従うようにため息を吐いて頷いた。

「するとロイドさん、誰が会場に潜入しますか? あ、ロイドさんは確定ですよ」
 ティオが班分けについて言及する。リーダーであり人一倍この事案に拘っているロイドが会場行きなのは三人で決めていたことだった。
「ロイド、お前が決めな。いざって時は二人で何とかしなきゃいけねぇ。あらゆる状況を考慮して選ぶ、得意だろ?」
「ちょっと個人的なことを言うと私は中に入りたいんだけど……でも貴方の意見に従うわ」
「わたしは正直あまり内部に行きたくありませんが、ロイドさんに従います」
 三者三様の言葉、うち二人はさりげなくもなく個人の意見を言ってきている。ロイドは二人に絞った。
「あれ、始めからドンパチやる気で行くの? 結構喧嘩っ早いんだね」
「ワジ、ちゃかさないでくれ」
「そんな、それは無理だよ。僕は部外者だから場を盛り上げることが役割なんだしさ」
 先ほどは当事者だと言ったのはどの口か。
 思わず睨むと肩をすくめるワジ。しかし反省はしていないようだ。
 結局彼を相手にするのは疲れるという事実を再認識したロイド、しかし彼の直前の言葉に判断が左右されたのは彼自身も気づかないことだった。

「じゃあエリィ、一緒に来てくれ」
「わかったわ。一応理由も教えてくれる?」
「こういう社交場に一番慣れているのはエリィだから機転が利くと思ったんだ。ランディもそういうところは慣れているかなと思ったけど、万が一の場合を考えたらランディのハルバードは持ち込みづらい」
 黒の競売会はプライベートを尊重する場でもある。簡易な身体チェックこそあるだろうが、荷物を預けて調べることはルバーチェの構成員には難しいはずだ。ロイドのトンファーはランディのハルバードより小さいし分解も容易、エリィに至っては身体チェックすら回避できるだろう。
「ただ問題なのは」
「問題なのは……?」
 ロイドは視線を下げ、自身を見下ろした。他も釣られて自分自身を眺める。ワジが面白そうに言う。
「その格好じゃお話にならないよね」
「……ああ、どこかで調達しないと」
「それなら一階に服飾店があるからそこに行きましょうか」
「善は急げ、だね」
 ワジは颯爽と部屋から出て行く。その後姿を四人はただ見つめていた。

 彼らの脳裏には今までで一番の笑顔を見せるワジ・ヘミスフィアの姿が焼き付けられている。
 彼にとっては楽しければそれでいいのだ。そして彼の嗜好には、他人をいじってからかうという項目が含まれている。大手を振ってそれを行えるとあっては行動も素早くなるというものだ。ロイドは自分の未来を思って憂鬱な気分になった。




 そして現在、ロイドはワジとランディに着せ替え人形にされた結果試着室からげんなりとして出てきた。白のシャツに紫の縁取りをした紺のスーツ、金色のボタンを要所につけている。上着は胸元には白のポケットチーフ、脇腹から下までが縁と同色になっていて通常のものよりいくらか派手である。首元には若葉色のタイを緩く花結びして遊びを出している。白の手袋に先ほど渡された黒の楕円眼鏡をつけて完成である。
「おお、上出来じゃねぇかっ」
 ランディが楽しそうに笑う。ロイドも袖元や後ろを確認し、こんなものかと出来栄えに納得した。ワジはおとがいに手をやりながら思案顔である。どこからどう見ても……と言った割にはまだ何か気になるようだ。
「ワジ?」
「んー、髪型変える?」
 ロイドの髪は癖っ毛である。程よく曲線を描いて後ろに流されているそれは特徴的で、ランディも他にこの髪型をしている者を知らなかった。
 いや、彼には心当たりはあったが、記憶の中の人物は二人とも髪が長いし色も違ったのでやはり知らないでいいのだろう。
「よっし、そこは俺に任せてもらおうか!」
 ランディが腕まくりをして店員に話しかける。ロイドは何も言わなかった。

 一方エリィは慣れているのかてきぱきと合わせていく。ティオに意見を聞きながら選択はすぐに終わったが、やはり女性であるのでロイドよりは時間がかかる。結果的にロイドは髪型までを変えたので終わりは同時だった。
「へえ、似合ってるじゃないか」
 ワジが感嘆の声を上げる。視線の先のエリィは持ち前のスタイルを前面に出した華やかなものだった。
 紫色のイブニングドレスに白のぺティコート、白いロングタイプの手袋には金色の腕輪の装飾が等間隔に数個配置されている。金をあしらえたエメラルドのネックレス、頭には普段の黒のリボンではなくドレスに合わせた紫のリボンをネックレスと同じ素材の髪留めで留めている。髪型も変わり、一つに纏めたそれを右肩から正面に流している。紫がかった白のヒールは常よりも高い。
 示し合わせたわけではないがロイドと色の系統が合っている。
「エリィさん、すごく綺麗です」
「ありがとう、ティオちゃん」
「ロイドさんは……別人です」
「そうかい……」
 ロイドは自身の髪を撫でるワックスで固められたそれは所謂オールバック。なんとも落ち着かないロイドだが他者には好印象のようだ。おそらく新鮮だからだろう。

「これでいいかな。キミも髪型変えたみたいだし」
「ええ、私は集まる方の分野を考えればロイド以上に気をつけなくちゃいけないから」
 エリィは留学を繰り返していたために国を越えて交友関係がある。整った顔立ちから覚えられていることも多かっただろうが髪型を変えるだけで案外わからないものだ。
「次は荷物だな。ロイドは最悪そのままでも十分動けるだろうが……」
 問題はエリィである。社交場であるためにドレスの下に服を着るということは難しい。鞄を持っていくとはいえ、着替える時間があると考えるのは浅慮過ぎる。
「本当は動ける服装がいいけれどそうも言っていられないから、私は靴だけでいいわ」
 破ればいいし、と心の中で呟く。
 柔らかいスカートは翻るかもしれないが、そもそもそんな大事にならなければ杞憂に終わるのだ。
「俺たちもなるべく近いところに待機するつもりだ。つっても開けた場所の上に住宅地だからな、あまり距離は稼げないかもしれねぇ」
「わたしはなるべくサーチを持続させておきます」

「よし、それじゃ最後の確認だ」
 それぞれもしものためにエニグマを見せ合う。スロットに入れるクオーツは変更のたびに公開していたが念には念を入れておきたい。ロイドはクオーツを取り出した。
「まずは俺から。ティオから使用許可をもらえたから空のスロットには天眼を入れる。後はライン1に行動力2・攻撃3・命中2、ライン2は回避2・HP3・防御3だ」
「私は中心に回避3を。ライン2に駆動1を入れて、後はHP3・省エネ2・EP2・行動力2・移動2」
「わたしはHP3・EP2・行動力2・省エネ2・精神2・駆動・天秤珠です」
「俺は攻撃3を中心に、ライン1に炎傷の刃、ライン2に行動力2・移動2・命中3、ライン3に防御2と魔防2だ」
「僕は精神2を中心にライン2が攻撃2、ライン1に省エネ2・情報・命中2・HP3・EP2だね」
 全員が言ったのは確かだが、しかし一人多いことに全員が気づいていた。四人の視線が集中する。

「ワジ、何でお前まで」
「え、僕だってエニグマ持ってるし」
「そういうことじゃないんだけど……」
 エリィはそこまで言いかけ、やめる。既に笑顔な彼に対し言うだけ無駄なことに気づいたからだ。
 ワジの行動に困惑されっぱなしの四人だが、実質無害なのでここは鞘に戻すことにする。
「鞄には俺のトンファーを入れておく。エリィは何かあるか?」
「靴以外は特にないわね。銃は足にホルスターを付けておくし、エニグマもそこに入れるから大丈夫」
 一瞬胸元にエニグマを隠すエリィの姿が浮かんだのはその扇情的な衣装のせいである。ロイドは他者にわからぬ謎の首振りを行い、
「ま、男って生き物はそうだよね」
 しかしワジには見抜かれていた。
「ロイド?」
「ロイドさん?」
 女性二人が首を傾げる。不思議そうな瞳に居た堪れなくなった彼は咳払いで雰囲気を戻し、今回の潜入におけるポイントを話していく。

 正規ルートで潜り込めるとはいえその場で警察特権を行使できるかと問えば不可能だ。大々的なこのイベントを二人の力で即座に中止に追い込むことは極めて難しい。身分自体は知られてはならず、かといって参加するわけにもいかない。実情を知る、というのが妥当な線であろうか。
 しかしその中でチャンスがあれば見逃す手はない。黒の競売会が正しく黒である証拠品の入手とまで言わないが、後々警察当局が圧力に圧し潰されない程度のものは欲しい。虎穴に入っているのだ、虎の子を見つけるくらいは望んでもいいだろう。
 かと言って無理をすることはできないのが現実だ、軽い気持ちでプレッシャーを抑えるなら、今回は立ちはだかる壁の詳細を知る、という程度の気持ちで臨むべきだろう。

「空が暗くなってきたな……」
 何とはなしにロイドは窓から外界を眺めた。
 西日は翳りを見せ、次第に世界の様相が真逆に引き寄せられていく。太陽に正の要素を見出すのは人の性か、これからの時間が闇に閉ざされることに少しの不安を覚える。
 それでも窺える景色には別の光が見えた。人々を魅了するワンダーランドが発する希望の光、そこにすがり付いて気持ちを整えるのも悪くない。
 いつしか全員がそれを眺めていた。
 この雰囲気だけはワジも崩そうとはせず同様に景色に酔っている。
 敵地への侵入という脳内麻薬を誘起させるようなこれからに酔えないのだから、酒にも酔うことは許されないのだから、今だけは、この不思議な景色に酔ってもいいのだろう。

「あ――」
 ティオが声を漏らすと、山彦のように音が聞こえてきた。それは少女の音とは違ったが、息の長い音は限界まで伸びて炸裂する。
 大輪が咲いた。
「綺麗……」
 エリィが感嘆を発し、ランディもしみじみと見つめる。いつの間にかグラスを持っていたワジはそれを肴として楽しんでいた。
「皆」
 ロイドが口を開く。仲間は視線を合わすことなく空の花を視界に収めていて。
「壁は高いけど、それでもこの花火が見えるんだ。ならきっと、それは乗り越えられる高さなんだと思う。いや、俺たちならきっと、壁を越えられるはずだ」
 返答はない、それでもロイドは満足だった。
 花火が終わるにはまだ時間がある。この花火が終わらないうちに今日の行動を開始しよう。

 その姿を、美しい花に見守ってもらえるように。






 * * *






「ミシュラム、か」
 闇に紛れるようにソレは姿を現した。いや、不意に現れたというのが正しいか。ごく自然に外界に溶け込んでいるその姿はおそらく真正面から見ても気づかない人間がいるほどだろう。
 それほどまでの完璧な陰業、それは生来の特性もあるだろうが、しかしそれを開花させる訓練を行ったからこそである。住宅街の一角で身を潜め、その豪邸を窺う。
「あの犬……」
 今回の任務の主戦場は黒の競売会会場のハルトマン邸、その詳細は図面により確認したものの直に見なければわからないこともある。

 競売会開始まで猶予はあるが、既にそこは厳戒態勢に近い状態になっていた。ルバーチェの構成員がところ狭しと動き回り、その指揮を担当するのはガルシア・ロッシ。その戦闘能力は計り知れず、なるべくなら争いたくはない相手だ。
 そして人間の感覚から外れた分野を担当する黒の猟犬も控えている。これは以前の魔獣被害事件の反抗手段である。最優先で気をつけるべきはこれらであった。
 匂いを消して入ることは可能だ、しかしその無臭すら訓練されている可能性はある。故に気づかれないためには体臭を消し、かつ周囲の匂いを染み付かせる必要があった。そしてそれには時間がかかるのである。

「…………」
 陽も翳ってきた。それが地平線に沈めばいよいよもって開幕である。姿を隠す闇が支配する夜の時間こそ黒の競売会の時間であり、同時に得意とする時間でもあった。
 その時間まではここで気づかれないようにじっと待つことにする。すると当然思考が動き始め、ふと市内の少女のことを思った。
「大丈夫、かな」
 世話好きな彼女が近くにいるので大丈夫だろうが、問題はその世話好きな彼女が無茶をやらかさないか。こればっかりは離れているのでどうにもできない。
 彼女らと共にいる時の自分の役割はストッパーのようなものだから、それがない今どうしているのかが気になる。
「…………うん」
 気になるから、今回の件を早く終わらせようという気持ちになった。任務の終了が自身に委ねられていないとしてもそんな気分にさせられた。
 こんな前向きさはうつったのかなと、そうして太陽のような存在を思い微笑んだ。



 初出:5月12日


 武器を持ち込みづらい場所において徒手空拳のワジがスポット参戦するのは納得ですね。ノエルなんか連れてきた日には即刻追い出されます。全身武器女です。
 ロイド君に言わせたい言葉の一つを言わせられたのですごく満足。



[31007] 4-12
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/05/17 00:51



 二人腕を組んで橋を渡っていく。一見すればデートのような二人だが内心では緊張感が蠢いていてそんな気分は全く湧き起こらない。
 左右両側の暗い水が手招きしているかのように感じられる、そんな二人。橋を渡り終えたところには暗い世界で輝きを放つ大豪邸、そんな中サングラスをかけている黒服の男が二人、正面玄関を挟んで門番の役割を担っていた。懐から招待状を出して渡す。本物と確認したところで男が誰何をしてきた。
 オールバックの青年は、レイと名乗った。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 玄関を抜けると橙色の光が空間を支配している。赤い絨毯の中中央までやってくると、正面のホール入り口には黒服の男が立っており、現在環境整備の途中であると告げてきた。窺える内装は壇上と無数に陳列された椅子。おそらくここが競売会会場なのだろう。正面奥は透明ガラスで滝のような水の流れが見える。
 豪華なシャンデリアが光を乱反射させる眩しい室内、左右には通路があり、それぞれ二階へと続く階段とそのまま建物裏側に抜ける通路、その反対方向に一部屋が存在する。左手は立食パーティーの会場、右手は休憩室のようだがどちらも高級そうな長テーブルがあり使用人が控えているのは同じである。
 弧を描くように裏側を一周する通路はそれに沿うように流水が施されていて安らぎを覚えると共に、どれほどの巨額が投じられているのかと驚愕させられる。競売会会場で見た流水はここである。
 二階は客室となっておりそれぞれ四部屋が左右交互に配置されている。三階は長い廊下の突き当たりにそれぞれ一室、議長の私室と競りに出される品物の倉庫として使用しており、当然ながら見張りの男が存在していた。

「まずは立食パーティーに参加する、というのが通例みたいね」
 エリィ・マクダエルはそう呟いた。現在参加者の大多数が左手のその場所にいる。競売における情報収集を行っているものは極少数で、どちらかと言えば交流がメインのようだ。
「立食パーティーか、あまり経験がないな」
「別に食べる必要はないわよ、あくまで怪しまれないように周りに気を配っていればいいと思うわ」
 ロイドが若干不安そうにぼやき、エリィがそれを除く。心情がどうであれ行かなければ目立ってしまうのだ、ロイドは意を決して向かった。
「ふふ、安心して。話しかけられたら私が話すから」
「助かる」
 エリィは少し楽しそうだ。本来彼女はこちらの世界を担当する存在だ、むしろ自分の居場所にいるようで十分リラックスできている。逆にロイドは決意こそあれど雰囲気に呑まれている。エリィに手を引かれるように僅かにリードされているのがその証明だ。
 尤も今は腕に伝わる彼女の感触をほんの少しだけ感じる余裕ができて逆にそっちに気を取られてもいた。


 白のテーブルクロスの上に雅やかな食器と料理が載せられている。参加者は思い思いの場所で会話を重ねており、静かだった他の場所と比べると街のようだった。
 二人はゆっくりとまずは一周、参加者の顔を見て回る。概ね知らない顔でエリィも安心する。しかしソファーに座っていた二人の人物だけは見覚えがあり、その二人も同時にロイドらに気づいた。
「イメルダさん……」
「おや、お前さん…………来てたのかい、いっひっひ」
 支援課のことを口にしようとしたのだろうか、僅かな間の後にイメルダは笑う。裏通りのアンティークショップの店主なら、確かにここにいても違和感はない。高そうな衣装を常に身につけていたしこちらの筋にも顔が利くのだろう。
「イメルダさん、私たちのことはどうか――」
「心配しなくても関わらないよ、あたしは暇だから来ただけさ」
 彼女は横暴というか容赦のない人物だが嘘は言わない。ロイドは頭を下げ、素直に感謝した。

 そしてその隣のソファーに座っていたのは偽ブランド商の逮捕時にバスに乗っていた黒髪妙齢の女性である。女性は二人に驚いた顔をしたが、しかしすぐにそれを戻して言った。
「あなた達もここに来たのね」
「はい、その節はお世話になりました」
「いいわ、むしろ出しゃばってしまったくらいよ。それにしても……」
 女性はそのつり目で二人を見やる。その探るような視線はしかし嫌な気持ちを抱かせなかった。
「潜入捜査、それもクロスベルの暗部である黒の競売会になんて、中々剛毅な選択をしたものね」
「……私たちの身分は内密にしていただけるのでしょうか?」
「ええ、その点は安心してちょうだい。味方だとは言わないけれど、ね」
 そう纏めて、女性はキリカ・ロウランと名乗った。共和国の出身であり、今回は個人的な用事でクロスベルに、そして黒の競売会に参加している。

「キリカさんはどうしてここに?」
「市場調査よ、好事家の知り合いが多くてね」
 そしてキリカは黒の競売会について語り始めた。
 摘発されることのない上流階級御用達の裏の催し、それは各国が扱いの困る曰くつきの品物を自国でなく他国で処理できるという利点にこそ意味がある。
 違法になりうる行為、その証拠品。それらがこの場ではなかったことにされてしまう。だからこそクロスベルの二大宗主国は黙認し、クロスベルの上層部も手を出すことはできない。ルバーチェも安定して多額の資金が得られる。参加者はミラさえあれば望みの品が手に入る。
 どの立場の人間にとっても得にしかならないのだ。
「く……」
 ロイドは歯噛みする。エリィも目を閉じて現況を嘆いた。
 これは国家規模の力が介入している事案である。一課ですら手を出せないことは知っていたし、高い壁であることも理解していた。それでも見逃せずにここまで来て、しかし改めてその壁の高さに直面している。
 招待状を手に入れ中に入り、それでうまくいけるんじゃないかという気持ちになっていた。しかしそれほど容易ならば既に誰かが行っているはずだ。自分が特別ではないと、一流ではないと知っていたはずなのに、予期せぬ幸運に現実の痛みを緩和されていただけだった。

「でも、不自然さは否めない」
「え?」
 二人は同時に声を漏らし、キリカは微笑んだ。
「ここは完璧な仕組みで回っているけれど、畢竟異質なことは避けられない。異質で異様、そして異常だということは、あってはならない構造で賄われているということに他ならない。なら、あなた達の行動がジャックポットである可能性もある。でしょう?」
 ただ、無駄になるかどうかは終わってからの話で、これからには未来がある。なら、自分たちにできることを、できる以上のことをすればいい。
 元よりこの潜入は実力的にはできる以上のことなのだ。なら今も、できる以上のことをやってやればいいのだ。
「ありがとうございます。キリカさん」
「励みになりました」
「話しすぎたわね。色々なものを見てくるといいわ。それがきっと糧になる」




 ハルトマンとマルコーニがやってきてそれぞれ挨拶を行った。すぐに二人は人だかりの中に消えていく。
 ロイドは二人の姿を見るのは初めてであり、クロスベルの壁ともいえる二人を目に焼き付けた。

 部屋を離れ、休憩室に入った。するとそこにはワジがおり、椅子に座ってワインを楽しんでいる。
「お酒はダメでしょ」
「だからノンアルコールのカクテルだってば」
「嘘だろ」
 エリィがグラスを取り上げ、ワジは不満もそこそこに肩を竦めた。
「無事に入ってこれたみたいだね」
「おかげさまでな」
「ワジ君、連れの方はいらっしゃらないの?」
「いるよ、そこに」
 ワジが指差す場所、そこには修羅場が形成されていた。ワジがエスコートした女性とその伴侶、そして伴侶の浮気相手である。
「こ、これは……」
「ふふ、これぞってやつだよねぇ」
 絶句するエリィにそれを楽しげに眺めるワジ、あろうことか誘惑の横槍すら入れている。もう何でもありだった。

「で、なんて名前で入ったの? まさか本名じゃないよね」
「ああ、レイって名乗ったよ」
「レイ? どっから引っ張ってきたの?」
 ワジの些細な質問、しかしロイドには答えることはできない。なんとなく、というのが一番だが、何故かそれを言うのは憚られた。
 ワジもそんな空気を読み取ったのか、いつのまにかエリィから取り返していたワインを口に含む。
「いつの間に……」
「いいじゃない、僕の飲酒なんて些細なことだよ。それにノンアルコールだし」
 あくまでそう言い張るワジを置いて二人は移動を開始した。むしろあんな展開を見せる場所に留まっていられるのは凄い。
 二階の客室に行っても意味はない、競売開始まであと少し、それはあの落ち着くのか落ち着かないのかわからない水の場所で潰すことにした。

「綺麗、なんだけど……やっぱりねぇ」
 エリィも複雑な心境だ。市民の血税の結晶であるこの情景は確かに美しい。美しいがそれでも、ここはクロスベルの発展を阻害するハルトマン議長の邸宅である。素直は感想故にそれはとても複雑なものだった。

「――大豪邸の中佇む二人、って言葉の割にはいい雰囲気じゃないな、お二人さん」

「え」
 後方から突如聞こえてきた言葉に二人は振り返る。そこには船の中で会った赤毛の青年が、まるでバカンスにでも来たかのような服装で立っていた。
 七分丈のズボンなどパーティー会場で見るものではない。陽気さを際立たせるラフな薄紫の上下にエリィのそれと似たようなエメラルドのネックレス。極めつけは水色のサングラスである。
 レクター・アランドールは場の雰囲気を欠片も気にせずにいた。
「正装に着替えるくらいの配慮はあったんだな」
「いや、貴方が言う台詞じゃないですよね」
 感心するように頷くレクターにロイドは苦笑する。
「貴方も何もそんな格好で来なくても……」
「いやいや、ハルトマンのおっさんは自宅のように寛いでいいって言ってたぞ。なら自宅のように気楽な服装で来るべきだ。な」
 豪快に笑って二人の肩を叩く。だが急に目つきを変えて叫んだ。

「そして俺はっ、お前達よりもここを楽しむっ!」
 背中から取り出したるは釣竿である。リベールの竹で作られたそれを肩に担ぎ辺りを見回すレクターは小橋に当たりをつけて振りかぶった。
「ちょ……っ!」
「うりゃ!」
 呆気にとられる二人をよそにレクターは鼻歌交じりにヒットを待っている。まさか他人の敷地内で釣りをするなど思ってもみなかった。
「というよりそんな釣れるわけが――」
「お? お、おお、おおおおおおおおおおおおっ!」
 ため息とともに吐き出したエリィの言葉を食うように声を上げたレクターはそのまま竿を引き上げた。糸の先には大振りな魚が捕まっている。
「嘘……」
「おいおいこりゃパールグラスだろー、いきなりの大物だぜぃ!」
「か、観賞用の金魚とかじゃないのか……」
 ぴちぴちと跳ねる薄紅色の魚、1アージュはあるだろうか。釣れるとは思っていなかったのに、更に大物を釣り上げてしまうなんて言葉も出ない。

 レクターは流石に持ち運べないと悟ったのか釣果を放した。当然である。
「こりゃ予想外の大物が釣れるかもなぁ、お互いに」
「え?」
 突然の言葉にエリィが疑問符を浮かべる。ロイドは暫し彼の様子を眺め、ふと思いついて質問した。
「あなたも、何か狙っているんですか?」
「ほう、よく見抜いたな、お前」
 一瞬にして様子を豹変させたレクター、その発する空気に二人も緊張を高めて眼前の男を見た。
 暫しのにらみ合い、レクターは竿を肩に担ぎ背を向けた。
「俺には目的があるが、お前さんたちには関係ないことだ。でもま、せっかくだ。見抜いた褒美をやろう」
 赤毛の青年が振り向く。そこには薄ら笑いが浮かんでいた。

「レクター・アランドールと俺は名乗ったが、実は偽名でな」
「……っ」
「俺の本当の名前は――――銀だ」
「…………」
「…………」
「………………ん? 驚かないのか? 伝説の凶手だぞ?」
 目を細めて残念な人を見つめるような視線を向けてくる二人にレクターは不思議そうな顔をする。しかしそれも当然のことだった。
「あの……銀、ですか? “ギン”」
「おうよ、お前らとは一度やりあったな!」
「それは“イン”ですよ、レクターさん。共和国読みです」
 沈黙が降りる。三人もいる中で言葉を発するものはおらずパーティーの喧騒すら聞こえない。
 ただ水の流れる音だけが聞こえ――――そしてレクターは逃げ出した。その逃げ足だけは銀に迫っていた。

「なんというか、凄い人ね」
 どう評価していいのかわからない、と表情で語るエリィ。
 ミシュラム行きの船上でもそうだ。彼は自分が帝国宰相の代理で競売会に向かうと言ってきた。結局それは行きがけに読んだ小説をアレンジしただけという仕様もない落ちであったが、それまでの演技を見抜くことはできなかった。演者の才能はあるのかもしれない。
「よく見抜いた、とか言ってたけど、自分からヒント出したからなぁ」
 お互いに、などと自分を指した言葉を言っているのだから完全に自滅か、もしくはここまでのやりとりを期待していたのか。
 結局ロイドは口を開いたわけだが――
「――大物が釣れるという言葉は競売の品だとしても……どうして私たちが銀と戦ったことを知っていたの?」
「………………」
 エリィが零した疑問。ロイドは答えられず、ただ彼が去っていった先を見つめていた。






 そろそろ競売会の開始時刻だ。ロイドとエリィは再び正面ホールへと向かう。
 そしてロビーにて警備を指揮しているガルシアに遭遇した。ガルシアは二人に気づいていないようだが、しかし妙な気配を感じて部下に指示を出していた彼はその嗅覚が反応したのか次第に目を細めていく。
 会話を重ねながら致命的な話題にいかぬようにうまく答えていく二人だが内心では冷や汗が滝のように流れている。ふとガルシアはロイドの持つ鞄に目をやった。
 二人の心臓が跳ね上がる。そのままガルシアが鞄に手を伸ばしたところで、彼方から助け舟がやってきた。エリィの幼馴染であるマリアベル・クロイスである。
 彼女は二人を知人だと紹介し休む為の部屋を所望した。ガルシアも上客の登場に場を治めて部下に案内させる。示された部屋に入り数秒したところで二人は長い息を吐いた。

「ふふ、まさかこんなところで会うなんて奇遇ですわねエリィ。それとあなたも」
 目力強くロイドを睨むマリアベル。危機を救ってくれた彼女に今はロイドも返す言葉がない。
「……ベル、あなたもしかして常連なの?」
「まさか。私はミシュラムの責任者ですから毎年誘われていますけどいつもお断りしていたの。でも流石にずっととまではいきませんから仕方なく」
 心配そうなエリィに顔がほころぶマリアベルは朗らかに答えた。
 何でもそれとは別に競売会に彼女お気に入りのアンティークドールが出品されるそうである。なんとしても競り勝ち、然るべき手続きの後持ち主から譲り受けるそうだ。黒の競売会自体を肯定しているわけではない彼女らしく後腐れない処置である。

 そのまま少しの会話を行い、三人で部屋を出る。マリアベルという後ろ盾のおかげか、何事もなく会場に入ることができた。
 既に参加者は席を陣取っている。前のほうにはイメルダとキリカの姿がある。上を見上げると二階があり、そこではレクターが猫と戯れていた。
 後方の列に座った三人はそのまま競売開始を待っていたが、そこにワジがやってきて一言告げてきた。
「見張りの犬が眠っている。心当たりはあるかい?」
「…………あるにはある。でも別な可能性のほうが高いな」
「行きましょう」
 マリアベルに別れを告げ、二人はホールを出た。ワジもついてくるが気にする時間はない。

 連続魔獣事件で使われた犬だろうが、それが無力化されているとしたらそれは侵入者に他ならない。三人はすぐに三階の競売品倉庫に向かった。見張りの男が倒れ伏している。扉に聞き耳を立て、突入した。
「銀……ッ!」
「やっぱり」
「へえ、これが噂の――」
 赤いソファーが中央に配置される室内で、窓際で三人に囲まれている銀がいた。しかしそれも一瞬、銀の腕が動いたと同時に男達は意識を刈り取られて落ちた。剣を収め、銀がこちらを見やる。
「なるほど、妙な気配がすると思えば貴様か、ワジ・ヘミスフィア」
「僕を知っているのか。流石に共和国伝説の凶手は情報が早いね」
「銀、貴方の目的は何なの?」
 エリィが問う。銀は暫し考え、そして背を向けた。窓からは月明かりが差している。

「……お前達でも十分だろう。私は帰らせてもらう」
「どういうこと?」
 つい、と銀は左手を指した。そこには別の部屋に続く扉がある。
「黒月に届いた謎の情報によるとそこには爆弾があるそうだ。どんなものかは定かでないがな」
「爆弾……?」
 訝る三人を置いて銀はそのまま窓を突き破り消えていく。相変わらずの身体能力だった。
「どうするの?」
 ワジが問いかけ、ロイドは頷いた。


 そこは様々な品物が無造作に置かれていた。競売の品の数々で種類は豊富、中には子どもでも知っている有名な作品すらある。三人はその異様な光景を眺めつつも、銀の言う爆弾に気を取られて感想を抱けなかった。
「爆弾、そのままの意味じゃないわよね」
「そりゃここで大爆発したらクロスベルは終わりだからね。まあそれが目的かもしれないけど」
 あっけらかんと言ってのけるワジに辟易しつつ、やはり目に付くのは正面に置かれている大きなトランクである。これだけが他の品と違い丁寧に、周りに物もなく置かれていた。
「鍵は?」
「ピッキングで。一応二人は離れてくれ」
「ロイド、アースガード」
「わかってる」
 エリィに促されロイドがエニグマを駆動、アースガードを詠唱する。これでよほどの威力でない限りは地の加護が守ってくれるはずだ。
 針金で錠を開ける。数秒の試行錯誤の後カチリと音が鳴った。
「……いくぞ」
 ロイドはゆっくりと両手を引き上げた。歪な金属音が響く中、中身が開け放たれる。
 そして――










「え…………?」











 ――そこには、一人の少女が眠っていた。



 初出:5月17日



 運命、開始。



[31007] 4-13
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/05/21 00:37



 それはどちらの言葉だったのだろうか。世界への扉を開けた青年か、はたまた自分が覚醒したことへの驚きに目を丸くした少女か。
 沈黙の中、二人の瞳が逢う。
 ロイド・バニングスは視界に映るコバルトグリーンの少女を呆然と見つめ、少女は後光を背負っている青年を眩しそうに見つめた。

 それは始まりの瞬間(とき)――
 運命の歯車が刻む鋭利な音が響き渡る。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 室内が驚愕で凍りついた。離れていたエリィとワジも目を見開き呆然としている。それを間近で見たロイドもまた、驚きにつまされて言葉が出なかった。
「――ロイド」
「え…………」
「エリィ、ワジ……」
 鈴のような声が聞こえる。それは少女の口の動きに合わせて空気を震わせていた。
「どうして…………?」
 少女は信じられないものを見るように三人を見た。エリィとワジが近づき、この場にいる全員が固まる。
 トランクの内装の赤の上にいるのは水色のワンピースを着た少女。コバルトグリーンの長い髪は緩やかなパーマでなおボリュームを増している。その琥珀色の瞳は未だ幽霊でも見たかのような困惑を如実に表しており、ロイドはとにかくその瞳を変えたいと思った。

「えっと、どうして俺たちの名前を?」
 優しく語り掛ける。少女はそこで改めて彼に焦点を合わせた。少女の瞳には膝を着いたロイドの姿が映っている。
「……………………………………そっ、か。キーアは――」
「キーアちゃんって言うの?」
 エリィが屈み、少女を覗き込む。少女――キーアは深く深く目を瞑り、そして笑った。
「……そうだよ、エリィ」
「私たち、どこかで会ったかな? ごめんね、ちょっと思い出せなくて」
「ううん、いいの。それは仕方のないことなの」
 寂しげに笑う。ロイドとエリィは目を合わせた。

「なぁキーア、君はどうしてこんなところに? こっそり紛れちゃったのか?」
「ううん。キーア、気づいたらここにいたの」
「ここはハルトマンって人の家なんだけど、お父さんやお母さんはここにいる?」
「えーっと……わかんない。キーア、今までどこにいたのかな?」
 その後も数個の問いを重ねる。それらの質問からわかったこと、それは少女――キーアは気づいたらここにいた、名前以外は覚えていない。自分たちの名前を知っていたこともわからない、ということだ。
 緊張に顔が強張る二人の代わりにワジが口を開いた。
「……つまりこの子が爆弾でいいんだよね?」
 トランクに仕舞われていた少女と、そのトランクが置かれていた場所。つまりは何事もなければこのトランクは競売に出されていたことになる。
 少女自身が自分から入ってしまったわけではないのなら、それは紛れもなく人身売買。クロスベルで、いや世界で最も許されない犯罪の一つである。

「――おっと」
 不意にワジが離れ、扉の前に立った。すると慌しい足音が聞こえてきて、勢い良く扉が開け放たれる。そのまま突貫してきた黒服の男二人に高速の蹴撃を浴びせたワジは、壁にへばりついた男を見向きもせず言い放つ。
「あの暗殺者が騒いだ後でよくここまで時間があったもんだと思うけど、流石に限界だよ?」
 手を鳴らし、首を回すワジ。おそらく今のハルトマン邸は緊急事態。ルバーチェの構成員が大捜索をしている頃だろう。
「賽は投げられたってことね」
 エリィがドレスを破り生足をさらす。腰元で縛り動きやすさを求め、ホルスターから二挺の銃を抜く。ロイドも鞄からトンファーを取り出し、改めて少女を見る。スーツの上着を少女にかけ、緊急の度合いが伝わるように真摯に語りかけた。
「キーア、これからお兄さんと一緒に来てくれるか? ここはもう危ないんだ」
「いいよ。キーアはロイドを、エリィもワジも信じてるから」
「ああ、ありがとう。詳しいことは後で話すから」
 キーアを横抱きに抱える。年のころはアリオスの娘シズクと同程度か。小さいとはいえ人一人、ロイドに戦闘は厳しい。

「エリィ、頼む。ワジ、この状況だからこき使わせてもらうぞ」
「わかってる。絶対に護ってみせるわ」
「全く、人使いが荒そうだな」
 ワジがアーツの詠唱に入る。時の力が全員に付与された。
「本当は重ねがけしたいところだけど、その子に無理はさせられないからね」
「ありがとー、ワジ」
 前衛をワジと後衛のエリィが挟むようにロイドを護る。準備を整えたところで三人は行動を開始した。
 ここからはミシュラムからの脱出が最優先、少女の身柄を安全な場所にまで運ぶことが彼らの任務である。






 競売会は開始時刻を大幅に過ぎ、参加者からの不満に対応するのが精一杯の状況だ。そんな中でルバーチェ会長のマルコーニは侵入を許したガルシアに罵声を浴びせつつハルトマンの機嫌を伺っている。ガルシア自身も失態に怒りを滲ませ檄を飛ばしている。ここからはネズミ一匹外に出すつもりはなかった。
 ハルトマンはルバーチェのこの失態を冷徹に眺め、切るべき時が来たと悟ったのかマルコーニを冷たくあしらった。それでも食い下がるマルコーニに構わず私室へと戻っていく。残されたマルコーニは参加者の非難にさらされ続け、額の汗が消えることはなかった。

 そんな中マルコーニの罵声はルバーチェの末端にまで影響を与えた。元々彼らが慕っているのはガルシアである。そんな彼に恥をかかせたということは彼らにとっての恥であり、故に彼の汚名を雪ぐために今まで以上の士気で捜索を開始していた。
「まずいな。外へのルートは正面玄関か窓だけ、二階以上からの落下は危険過ぎるし、かといって一階ならいいかと言えばそこは水の上だ」
「実質正面玄関だけが道だけれど、そんなことは警備をしているあっちのほうが知っているわよね……」
 銀という例外は窓からの逃走を可能にしたが、彼らの能力とキーアという重要参考人には不可能だ。故に彼らに取れる方法は敵をなぎ倒しての正面突破か、あるいは――

「誰かが囮になって注意を惹きつけるか、だね」
 ワジが呟く。
 今彼らがいるのは一階と二階の踊り場である。それまでに数人の男と遭遇したが彼の高速の打撃で即座に沈黙している。正直不良にあるまじき戦闘能力だった。
「上に行っても結局は行き止まり。なら危険でも一階を周って隙を探すしかないか」
「僕が囮やろうか? ただの参加者だしさ」
「ダメよ、ワジ君は旧市街の一件で目を付けられているわ。それに今回一番抵抗しているのは貴方なのよ」
 肩をすくめるワジ。なら代替案を出して欲しい、とポーズで示しているが、エリィにもロイドにも打開策は見つからなかった。ロイドが先に言った次善とも言えない苦肉の策だけである。

「ロイド、大変?」
「そうだな、でも平気だよキーア」
 キーアが心配そうに尋ねるがロイドは笑みを見せる。不安な様子を極力見せるわけにはいかないという精一杯の態度だった。
 一階に降り、休憩室に入る。流石に修羅場は収まっており、しかもルバーチェの姿はない。ただ使用人が掃除を行っていた。
「剥ぐ?」
 ワジの一言。それはつまり使用人の服を拝借しようというものだ。だが着替えの時間も惜しい、候補には入れて別な案を探した。
「んー」
 不意にキーアが唸り、三人とも足を止めて怪訝な表情をした。
「キーア? 具合が悪いのか?」
「んーん。ただなんとなく今ならいける気がする」
 言葉こそ曖昧だが、少女の声は自信に満ちていた。三人は顔を見合わせる。ワジもエリィも判断を委ねており、ロイドは頷いた。
「よし、行こう」
「いいの? キーアのこと信じて」
「キーアは俺たちを信じてくれているんだろう? なら俺たちもキーアを信じるさ」
「……うん、ありがとう」
 そう、判断はロイドに任されたのではない。ただ不思議な信頼をおいてくれている少女の言葉が信じられると思ってしまったから。だから結局は少女の言葉で次の行動は決まっていたのだ。

 意を決して飛び出す。ロビーに走りこむとそこには黒服の二人と何故かレクターの姿があった。
「お前ら!?」
「ん? おー奇遇だなぁ」
 状況を知っているにもかかわらずレクターの態度は緩い。彼の後ろにいた男たちは銃と剣を取り出して向かってきた。
「ワジ!」
「オーケー」
 ワジの体が沈む。体格的に恵まれているルバーチェの構成員の視界は高く、その動作だけで一瞬の死角に入り込む。
 エニグマが起動しワジの身体を光が包むと同時、その両足にはそれと異なる蒼金の光が集っていた。
「こぉぉおおおア――ッ!」
 柔らかな肢体が極限の捻動を生み、構成員二人の中間地点で炸裂する。他を寄せ付けない螺旋、それは右足を軸にした左足の一蹴。彼の基本戦技ブレードアックスである。
 下段からの上昇蹴は彼らの腹部を正確に射抜き、弾き飛ばす。それでも彼らは武器を落とさず銃口を向けてくる。狙いは技後硬直中のワジ、しかしそんなことは彼女にも容易に予想できていた。

「ワジ君!」
 エリィが横っ飛びでルバーチェを一直線上に捉える。そのまま銃が光を集め連射、銃を持つ右の肩を射抜く。そのまま直近の剣士に撃ち続けるが横に回避され、男は剣を後ろに薙いだ。そこにいたワジはそれに右の拳を合わせて迎撃、グローブが裂け、血が飛んだ。
「――――」
 それを気にもせず剣を弾き、その拳で以って顔面を殴打する。鼻の潰れた音が響き、サングラスを飛ばして昏倒する男。
「くそっ!」
 そして肩を撃たれていたもう一人は――

「おいおい勘弁してくれよー」

 その場にいた一般人を巻き込んだ。左手に持ち替えた銃をレクターに向ける。向けられた本人はまだ緊張感を持っていない。
「レクターさん!」
「大人しく投降しろ! 撃つぞ!」
「騒ぎとは関係ない外国人に銃を向ける、その危険性を理解しているのっ!?」
 マルコーニやガルシアがいればやめさせたであろう行為が今為されている。しかし追い詰められた男に方法は選べなかった。
「く……っ」
 ロイドは頭をフル回転させて事態の打破を試みる。このまま時間を使えば増援が来て終わり。かといって強行してレクターが撃たれても終わりだ。異なるのは後者のほうがどちらにとっても被害が大きくなるということか。
 男に一番近いのはワジだが、彼は今ロイドに背を向けているため指示は出せない。エリィは射程距離にいるも、既に向けられた銃と下ろされた銃ではどちらが速いかなど考えるまでもない。
 そしてロイド自身は更に選択肢が少なく論外だ。故に彼には為す術はない。だからこそ、この僅かな拮抗を破ったのは男に最も近い彼だった。

「おっと」
「ッ!?」
 レクターが不意によろけ、それを受け止めた男は突然の鋭い痛みに顔を顰めた。瞬間ワジが掻き消えエリィが銃口を向けた。ワジは男の懐に潜り残像が見えるほどの拳打を放ち身を屈め、同時にエリィが引き金を引いて銃を弾いた。
「やれやれ」
 ワジが一言、それによってロビーの制圧は完了した。
 レクターが肩の汚れを手で払っている。彼に一言言ってもよかったが時間はなく、三人は玄関を飛び出した。
「――なるほどねぇ」
 取り残された赤毛の青年は走り去る背中を眺め、一瞬だけ抱えられた少女と目が合い笑みを浮かべた。




「く、待ち伏せかッ」
 玄関を潜るとそこには四人の男が立っていた。当然の如く見張っていたのである。普段のロイドならば予想していただろうが急展開を重ねる事態にそこまで思考が追いついていなかった。
 銃と剣、そして重火器を持つ二人という構成は、何より後者の存在が危険すぎた。両手持ちの機関銃、威力・連射速度ともに優れており、対人戦では絶大な威力を誇る。一発でも当たれば重傷を負う代物だ。そんな相手に立ち止まる余裕はない。
「ワジ!」
 電撃的な速さで突破口を定めたロイドはエリィに目配せし、キーアをワジに託しエニグマを起動させた。エリィとともに光に包まれながらロイドはルバーチェの中心を踏み抜く。
 重火器の欠点はその運用速度である。大柄で重量もあるそれは動く相手にすぐに照準を合わせられない。高速で動いたロイドはその銃口が自身に定まる前に力を解き放った。
「スターブラスト――!」
 アクセルラッシュで四人をなぎ払っての一撃は四人を飲み込み吹き飛ばす。

 二人ほど水の中に消えていくがその間に異常に気づいた周辺警備の構成員が戻ってくるのが見える。流石に力を入れたルバーチェのマンパワーは凄まじいものがあった。
「切りがない――ッ」
 ロイドは愚痴るも状況は変わらない。ここで待っていても好転しないことだけは確かなのでワジからキーアを受け取って走り出す。エリィが先頭で牽制しながら走るも、ここは障害物の少ない一直線、すぐに数に圧倒されるだろう。空にはそんな彼らを見下ろす月がある。身体の半分以上を闇に食われた三日月――

 ――そして、戦場に三日月が降ってきた。

「え?」
 左右両側、空間を引き裂くように二つのそれが流れていく。それは集まりつつあったルバーチェの中心部を弧を描いて襲撃、その斬撃は切り裂くだけでなく衝撃で彼らを吹き飛ばした。
 互いの軌跡をなぞるように再びそれは後方に消えていく。それが何であるかわからない、しかし道が開けたことのほうが重要だった。
「突貫――!」
 ワジが走る。その速度はエニグマの加護なくともクラフトに相当するほどだ。
 倒れた男らを旋脚で弾き飛ばしアーツを詠唱、ロイドとエリィが追いついた瞬間に発動する。再び得られる時の加護、その力で以って一気に住宅街を抜けた。




「ロイド、お嬢、平気か!?」
「ワジさんも……っ」
 ホテル入り口前でランディとティオに合流する。二人はルバーチェの外回りから隠れていたので思ったより進むことができなかったようだ。
「ティオ、ランディ……」
「あん?」
「この子は……」
「競売会会場で保護した。ミシュラムを離れよう」
 事態を把握した二人は頷く。詳細は後で思いっきり聞いてやろうと心に決めるが、まずは脱出しなければならない。

 しかし、ここで諦められるほどルバーチェの中で黒の競売会は軽くない。ホテル内部、一般の観光客もいる現状で、ドーベンカイザーが唾液を撒き散らして襲い掛かってきた。
「おらぁ!」
 ランディが一閃、先手を受け止め弾き返す。その戦闘行為によって周囲の人間は異常に気づき、そして半狂乱となった。
 今が夜で客室が二階であることがせめてもの救いか、その場にいたのは十数人、ドーベンカイザーも逃げていく彼らを追っていかない。
「こんな場所に魔獣を放すなんて……っ」
 エリィが憤怒の形相で魔獣を射抜く。統率された彼らはその凶暴性を内に溜め込んだまま動かない。
 しかしそれは戦況を動かさない理由にはならなかった。

「う、うああ……」
 逃げ遅れたカップルがへたり込んでいる。行動は迅速に行わなければならない。
「ワジ、そのまま頼む!」
「やれやれ、人使いが荒いなホント」
 ワジが再び前衛に、ランディとタッグを組む。ロイドはキーアを抱えたままカップルに手を差し出しホテル二階へと連れていく。
 その後方で、五体のドーベンカイザーと四人の攻防が始まった。ワジとランディは背中合わせになって互いの死角を守り、エリィとティオがアーツを詠唱する。数の優位性を前面に押し出して跳びかかる魔獣、一体一体に対応すれば隙が出る。故に攻撃は回避に尽きる。
「アクアミラージュ!」
 エリィが水のカーテンをかけた。味方を飲み込むそれは対象の幻影化を促し相手を幻惑する。
 ドーベンカイザーは大きいとはいえ得物は牙である。ピンポイント攻撃を身上とする彼らにとって、水で朧げな彼らを正確に仕留めるのは難しかった。

「退避っ!」
 避難を終えたロイドが叫ぶ。重要なのは打倒ではない、脱出だ。ミシュラムから出向する船を取り逃がしてはならないのだ。
 ホテルを抜ける。夜の闇を誘導灯に従って走り、そして――
「くそ――」
 開けた視界の中に船はなかった。ルバーチェのなりふり構わぬ対応、しかしその一番の目的は船の始動だったのである。

「――随分なまねをしてくれたじゃねぇか」

「――ッ! てめえ……」
 そして、その指揮を執っていたのは船の代わりに視界を埋めているガルシア・ロッシに他ならない。彼が港を真っ先に塞いだのは、ハルトマン邸からの脱出に意味を感じていなかったからである。プライドにかけてハルトマン邸からの脱出を許したくなかった彼だが、しかしそれが無駄なリスクであることを理解していた。
「ガルシア・ロッシ、西風の旅団の元部隊長、か」
「ほう、俺を知っているとは意外だなワジ・ヘミスフィア。アシュリーにでも聞いたか?」
「彼女は常連だからね、貴方に対する注意を受けたのさ。絶対に敵対するなってね」
 トリニティの隣に店を構える交換屋のアシュリー、彼女は公に出せない商品を取り扱う武器商人だ。当然その筋の世界にも詳しい。
 上着を脱ぎ指を鳴らして仁王立ちするガルシア・ロッシは傍に控える構成員に退去の指示を出す。それに従って彼らは退がり、しかし逃げ場をなくすように支援課を取り囲んだ。

 冷や汗が流れ、頭をフル回転させるロイドにガルシアは言う。
「安心しな、こいつらに手は出させねぇ。久しぶりの狩りなんだ、楽しませろよ」
 怒気が混じる声、彼にとっても今回の事業を潰した張本人だ、見逃すという手段はない。
「骨の数本で済むと思うな。お前らが消えても警察は動かねぇ、動かさねぇ! 女には使い道はあるが男にはサンドバックくらいしかねぇんだ、精々足掻いて力尽きるんだなぁああああああ!」
 天を衝くほどの闘気。筋肉が盛り上がりその巨体を十全にしてキリングベアはその身を猟兵に変えた。
 囲まれた五人はその威圧に耐えながら武器を構える。その後ろで、ロイドから離れた少女は――

「――――」

 その事態を無機質に、まるで現実でないかのように眺めていた。






 * * *






 港へと向かっていくルバーチェの構成員とドーベンカイザー、しかし彼らはその数を少しずつ減らしていることに気づかなかった。
 そして今、最後尾の男は目の前の背中を眺めながら走り、刹那視界が上に動いたかと思えば次の瞬間には意識を失っていた。それを為した存在はすぐに闇へと消え、再び奇襲を行う。ハルトマン邸からホテルまでの間に、全部で十いた存在の半数が足を止めていた。

「おーおー、張り切ってるなぁ」
 それを二階客室から眺める赤毛の青年、眼下の事態が画面の中の出来事であるかのような気安さだ。その腕の中には黒猫が静かに居座っている。
「でもあれはやりすぎじゃないか? あからさまに手助けなんてしちゃってよ」
「うふふ、何のことかしら」
 そう告げる青年の背後で黒髪の女性が笑った。青年は向き直る。
「円月輪、東方の武術で使われるもんだろ?」
「そうね、いい腕だったわね。流石は銀というべきかしら」
「……そうくるか。まあいいか、俺もおっさんの頼みを果たすとすっかね」
「そうね。帝国軍情報局特務将校レクター・アランドール殿」
「共和国大統領直属ロックスミス機関室長キリカ・ロウラン殿」


 さあ、実りのある話し合いをしましょうか――



 初出:5月21日


 前話のあとがき、思い返すとすごく恥ずかしい。これが眠い時のリミッター解除というやつなのか……
 とはいえ駆け足でガルシア戦です。



[31007] 4-14
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/05/24 21:20



 日も暮れて、創立記念祭最後の夜がやってきた。旅行者の大半が去っていったのは翌日から仕事があるからだろう。
 人の推移に従って依頼も収束していったので遊撃士にとっては最終日は楽になったと言える。
「はぁあー……」
 が、エステル・ブライトは慣れない作業に平日以上に疲れきっていた。
 クロスベルを去る旅行者達に多い衝突はお土産品の交渉や帰りの移動手段の無計画性にある。やれ高いだのおつりが違うだの、この便に乗せろだの切符をなくしただの。
 コミュニケーション能力は花丸をもらっているエステルだが彼女は行動派で運動大好き少女である。魔獣退治のような命の危険はまるでなかったが、そういった揉め事の落とし所を探すのは不得手だったのだ。
 それを担当していた相棒は現在別行動中、他コンビを組んでいる先輩遊撃士たちもタッグを解散して依頼に当たっていた。それはやはり依頼の総数の問題だろう。結果、こうして肩を落として遊撃士にあるまじき歩行を見せているのである。

「お疲れね、エステル」
 彼女が帰り着いた遊撃士協会前でレンは声をかけた。肩を落としてため息を吐いていたエステルは疲れ具合を一掃して喜色を浮かべる。
「レン、もしかして待っててくれたの!?」
「違うわ」
「あんですってーっ!?」
「それだけ元気があれば大丈夫ね」
 そう言ってレンはエステルを追い越すように歩き出した。疑問符を浮かべるエステルは立ち止まったままそれを眺め、自分に続かない彼女にレンは振り返る。
「何してるのエステル?」
「え? いや、レンどこ行くの?」
 どこって、とレンはおとがいに指を当てて空を見上げ、
「ヨシュアのお迎えに決まっているじゃない」
 その指を彼方へと指した。
「お迎え? ヨシュアまだ帰ってきてないの?」
 エステルは昼過ぎに分かれた青年の依頼内容を反芻し、時間のかかるものがあったかなと疑問を抱く。しかしその答えはなく、代わりにレンが悪戯っぽく笑った。
「ふふ、きっと寄り道しているのよ。特務支援課の分室ビルとか、ね」
 そんな答えにエステルは一層首を傾げ、それでも少女に導かれるように足を動かし始めた。







 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 狭い、港前の一角。直角に造られた道の幅はおよそ5アージュ、角から延びる道はその倍の10アージュほどでルバーチェが通行止めを造っている。それ以外は暗き水の世界。水温は低く、長時間浸っていれば死に至るだろう。
 そんな歪な闘技場、そこの主であるガルシア・ロッシは眼前の五人をただ見下ろしていた。
 見る、という行為が見下ろすという行為に変質するのは二通り。文字通り位置的に高みにいる場合か、存在を比較して下に見るかであり、彼はその両方でそれを為していた。
 対するは特務支援課の四人とワジ・ヘミスフィア。保護した少女キーアは彼らに守られるようにその後ろに佇んでいる。
 障害物がないせいで風が強い。キーアはロイドの上着を強く握った。それが戦いの始まりだった。

「おらぁ!」
 ガルシアが巨腕を振り上げて突進してきた。エリィとティオは予測進路から横っ飛びで除けてエニグマを起動させる。ロイドとランディはそのまま受け止める形でガルシアと対峙した。
 ガルシアの拳とランディのハルバードが激突する。方や人体、方や武器である。しかしその拮抗は卓越した人体の勝ちだった。
「ぐぅ――ッ」
 ランディの膝が落ちる。上から振り下ろされた拳の重みを受け止めきれずに体が地面に迫っていく。
「ハハハハハッ、どうしたァ――!!」
「ちぃ!」
 ロイドが側面に回りこみトンファーを振るう。高速の連打、しかしガルシアは意も解さない。鋼の肉体のみで戦場を駆け抜けた彼にその程度の打撃は通用しない。

 筋肉の壁に弾かれたロイドはたたらを踏み、
「飛べやァアア――!」
 右腕を引いたガルシアは捻りを加えて跳躍、上下を間逆にして回し蹴りを放った。
「うあ――ッ!?」
「づぅ――!」
 丸太よりも更に硬い鉄柱のような足が二人を吹き飛ばす。二人はそのままルバーチェの壁に叩きつけられた。
 回転を終え止まったガルシアにワジが迫る。スライディングからの足払いは膝裏に正確にヒットした。
 しかし彼の細足では人体の弱点をついても転ばせるには至らない、僅かに傾いた視界にガルシアが口角を上げながらワジを見る。
 立ち上がり鞭のようにしならせた腕を高速で叩き込むワジ、その拳打を胸筋のみで受け止め、
「軽いなぁ!」
 左腕を叩き込む。ワジは上体を反らして足を上げ、それを足裏で受け止めた。

 そのまま勢いに乗って大きく後退する。構成員の直前で着地した彼はしかし、眼前に迫る戦車のような突進を受け止め切れなった。
「な――ッ!?」
 高速のショルダーチャージは周りを囲む部下を気にもせずに敢行される。受け流すこともできずに直撃を受けたワジは人波に沈み痛みに歯を食いしばった。
「旧市街のガキが粋がるな――ッ!」
 勝ち誇るガルシア、しかし彼の後方から光が立ち昇る。振り向いた彼が見たのは七耀の光に包まれたエリィとティオだ。
 攻撃魔法、それも強力なそれは範囲攻撃が多い。味方を巻き込まないためにはタイミングが重要である。
「ダイアモンドダスト!」
 魔導杖が振り下ろされ、外気が集まって氷柱ができる。そのまま直下の存在を破壊せんと落ちてくるそれを――
「温いわ――ッ!」
 ガルシアは組んだ両手を叩き込んで破壊した。
 余りの暴挙にティオが目を見開く。砕かれた氷塊は綺麗な雨を降らせて落ち消えていく。
「その程度のアーツなぞ効かねぇ!」

「なら!」
 エリィが時の力を解放する。紫紺の牙が正方形を造るようにガルシアの足元四方に生み出され、大気に混じる時の力を引きずりこむように回転してガルシアの足を切迫する。
「デススパイラル!」
 それは間違いなくガルシアの足を傷つけた。傷にはならないが確実にダメージを与えたはずだ。
 程度の低い魔獣なら絶命してもおかしくない高位の一撃。しかし――
「流石に上位属性はいてぇ、な!」
 それを感じさせない跳躍で二人との距離を一気に埋める。
「く」
 詠唱時間はない。銃と魔導杖それぞれが魔力弾を放とうとして、それよりもガルシアの腕のほうが速い。
「きゃあっ!」
「う――っ!」
 二人の身体を抱きしめるようにホールドした。両腕の筋肉が盛り上がり更に強く締め上げ圧迫していく。激痛に顔を歪めて抵抗する二人だが、腕は動かせず膝下程度の足蹴では彼の障害にはならない。

「エリィ、ティオ!」
 ロイドとランディが無防備な背中に迫る。しかし直前で嗤ったガルシアは振り向き、二人の身体を盾にした。
「――ッ」
 矢面に立たされた二人に行動が鈍る。そのまま二人を解放してロイドとランディに投げ返し、
「おらあああああ――――ッ!!」
 渾身のタックルが四人を吹き飛ばした。
 ロイドとランディは咄嗟に身を翻してエリィとティオを守りその背中を強かに打ち据える。会場の長さである10アージュをそのまま吹き飛び地面を滑り、そのまま動くことはできなかった。

「くくくく」
「みんな……」
 倒れ伏す五人、それをただ見つめるキーアと嗤うガルシア。
「まだだっ、まだ寝るには早いぜ!」
 ガルシアを包むエネルギーが爆発する。銀の麒麟功に似たそれは猟兵としての彼が無双を誇るために不可欠な気合。それを彼は絶倫攻と呼んでいた。
「っはあ……ッ」
 ランディが起き上がる。受け止めたティオは目を強く瞑って痛みに耐えていた。
 元々防御面では成長が足りない彼女が動けるレベルの攻撃をガルシアは行わない。既に戦闘は無理だった。
「そうだ、赤毛! てめぇが一番食い下がらなきゃいけねぇ!」
 ガルシアの膨れ上がった気が両腕に移る。血の混じった唾を吐き出しランディは身構えた。
 それはブレードファング相手にも行った受け流しの体勢。受け止めきれないならば受け止めなければいいのだ。

「ぬんりゃああああああああ!」
 ガルシアの右腕が唸りを上げて迫る。ランディは縦にしたハルバードでその軌道を修正する。あの太古の魔獣にすらできた技、しかしそれはガルシアには通じない。
「ビビるなや――ッ!」
 ガルシアは握っていた手を開き、ハルバードを通過する腕を強引に止めた。
 逆に慌てるのはランディである。その一瞬の動揺を逃すことなくガルシアは掴んだハルバードごとランディを上空に吹き飛ばす。彼の体躯であっても容易に投げ飛ばす膂力、それが今度は両足に宿る。
 空中で姿勢制御したランディに地面を蹴り上げたガルシアが迫る。速度で勝るガルシアはランディの両足を掴み取った。
「うおりゃあああああああ――ッ!!」
 そのまま振りかぶり同時に地に落ちる。背中から落とされたランディが口から血を吐き沈んだ。

 ――瞬間、片膝を立て着地したガルシアの背中にロイドが迫っていた。
「あああああああああああ!」
 それは動物的な本能だろうか、普段のそれでは傷つけられないことを悟ったロイドはその後頭部に全力の一撃を振り下ろした。それを左腕一本で受け止めるガルシア。鈍い音はロイドの表情を凍らせる。
「いい度胸だ、小僧ぅ!」
 痺れる腕を表情に出さず、反転。右腕を掴み取った。
「ぐぅ――ッ!?」
「不意打ちが卑怯とは言わねぇ。だが仕留めなけりゃ意味もねぇ!」

 ミシリと。
 ロイドは自身の腕が壊れた音を聞いた。そのまま投げ飛ばされ仰向けになる。
 ぼやけた視界の中の夜空に星が瞬く中、手から零れたトンファーが落ちる音が聞こえた。握られた腕の感触はなく、しかし徐々にじくじくと痛み出す。
 痛みはあるのに、意識は体から離れてしまったかのようにぼんやりとしていて、そして体は当たり前のように動かなかった。

 刹那、ガルシアは首を曲げてその銃弾を回避した。視線の先には腕だけを持ち上げているエリィがいる。震える腕では一発が限度だったのか、すぐにその腕は力尽きた。
「俺が今までどれほど銃口を向けられたと思っている。そんな豆鉄砲じゃ牽制にもならん」
 再度銃を構えたエリィに対し、ガルシアは右の拳を握り締めた。人差し指に封じられていた親指が炸裂する。
「――ッ!?」
 指弾と呼ばれる中距離攻撃、絶倫攻で強化された肉体でのみ放つことができる技だ。
 腕が弾かれ地に叩きつけられる。全身が痺れている彼女の腕はもう上がらなかった。ガルシアの声が聞こえる。

「あっけねぇな、こんなやつらに台無しにされたかと思うと頭にくるぜ」
 俯瞰したガルシアは、そして少女に近づいた。探るような瞳と呆然とする瞳が交錯する。

 警察の犬が運ぼうとした少女。
 結論から言えば、ガルシアは何故この少女があの場にいたのかわからない。競売会の目玉だったローゼンベルク製のアンティークドールが入っていたはずのトランクから出てきたとされているが、つまりは中身がすり返られていたのかもともと少女が入っていたのか。そのどちらでも結局責任は彼にあると言える。
 そしてこの少女の存在がルバーチェにとってよくないことであるのは確かだ。
 人身売買などという汚名を被せられれば警察はおろか遊撃士協会がその威信をかけて殲滅に入るだろう。そうなってしまえばいくらルバーチェでも耐えられない。第一線の遊撃士を相手取ることが可能なのは彼だけなのだから。

 つまり少女は、今この場に存在しているという事実こそが重大であると言える、正しく爆弾だ。しかしそれは逆に扱いにこそ困るが爆発を防ぐことができるという事実の裏返しでもある。
 極論その存在自体を消してしまえば問題はない。つまり、この少女を知る外部の人間の全滅である。少女の身柄を確保した今ならそれが可能だった。
 尤もそれは、あの憎たらしい黒月の暗殺者も含まれているのだが。

 どちらにしても決着は着けねぇとな……
 ガルシアは銀に対して覚悟を決めた。自分の全てを賭してもあれを葬らなければルバーチェは消える。ならそれは当たり前のことだった。
 少女を狩りの報酬として考えていた彼は戦闘中部下に手を出させなかった。それは若頭としては悪手だったかもしれないが、そんな考えを持つ彼だからこそ若頭と呼ばれているのかもしれない。ハルトマン邸からの脱出に関して譲ったのだからここでは個人の楽しみを考慮してもいい、という精神的な妥協があったことも確かだ。

 果たして黒の競売会を壊した五人は沈黙、いよいよもってガルシアの腕がキーアに伸びる。それを為すがままに受け入れようとする少女はしかし、その視界に動く人を見た。
「――――待て」
「……ふん」
 ガルシアはゆっくりと振り返った。それは彼の猟兵としての勘か、聞こえてきた声と自身の予感が一致していた。
「まだだ……」
 立ち上がったのはランディ・オルランド。ハルバードを支えにし、俯いているために表情は見えないが確かに覚醒している。
 その体から立ち込める闘気、それをガルシアは知っていた。
「赤毛、てめぇ――」
 驚きと理解を混ぜた呟きにランディは答えず。ポケットに仕舞っていた回復薬を三人に振り掛ける。飲むことができれば最善だが、皮膚からの吸収でも十分だろう。

 そして彼は、その内面をぶちまけた――

「オオオオオオオオオオオオオオオオオおアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
 まるで炎のように燃え上がる赤紫の闘気、それは一気に空間を支配した。
 ルバーチェの構成員が脂汗を流し後ずさる。それは彼らの本能がこの存在と距離をおきたいと思ってしまったからである。
「ランディ……」
「おいおい、おいおいオイッ!」
 キーアが心配そうな瞳で見つめる中、ガルシアは笑った。歪に、恍惚としたかのように嗤った。そこには信じられないものを見たような嬉しさと驚きが見えていた。
「何の冗談だこれは。目の前のサツの一人がオルランドの赤い闘気を放つなんてなぁ!」
 知っている。
 ガルシア・ロッシは知っている。
 爆発的な闘気の運用、それは猟兵が最初に覚える行為だ。自らの士気を高め、高ぶらせ、限界を超えた能力を行使する。
 しかし目の前のそれは凡百のそれではなかった。
 彼が知る中で最も恐ろしく美しいものだった。

「予想がある意味では当たりある意味では外れていたようだ。団名にもなった蠍の尾のような燃える髪を見た時点でもしやと思ったが、同時にそんな場所にいるとは欠片も思いはしなかった。そうだろう? 赤い星座の部隊長、“闘神の息子”ランドルフ・オルランドォ――ッ!!」
 赤い星座、それはゼムリア大陸西部において西風の旅団と双璧を為す大型猟兵団である。
 紫の蠍をシンボルにした彼らはオルランドという一族を軸にして行動する。団長である闘神バルデル・オルランド、副団長の赤き戦鬼シグムント・オルランドを筆頭に火力式の重火器を扱う戦闘のエリート集団である。
 その戦闘能力は一国を相手にしても不足はないとされ、その隊長ともなれば名前だけで他を威圧するほどである。そんな彼らと互角である西風の旅団、その元部隊長ガルシア・ロッシを相手取り。赤い星座の元部隊長である彼は口を開いた。

「アンタとは、殺りあったことがあったっけか」
「ねぇな、だがよく知ってたぜ。猟兵にとっては当たり前のウォークライ、それを昇華させたオルランドの赤紫の闘気は戦場で実に目立っていた」
 猟兵の基本技能であるウォークライ、それを更に特化させたのがオルランド一族だ。彼らがそれを行った次の瞬間には血の雨が降ると言われるほど戦場では知れ渡った脅威だった。
「しかし相当錆び付いたようだな。血族の巨大さに翻弄されて自身が傷ついている、赤き戦鬼ならば逆に耐久性が上がるというのに皮肉なもんだ」
 ガルシアの見つめるランディの口には赤い線が描かれている。大きすぎる闘気を受け止めるにはランディにはまだ力が足りなかった。
 あるいはそれは、彼の精神状態にも左右していたのかもしれない。

「アンタの相手は俺一人でする。そうさ、始めからそうしとけばよかったんだ」
「そうだな、それが正答だ。しかし俺はその時点で部下をあれに向けるぞ?」
 倒れ伏したロイドらはまだ立ち上がっていない。ワジこそようやく上体を起き上がらせた程度である。そんな彼らにルバーチェの相手は務まらない。
 自嘲を交えた彼の言葉は真実で、しかしそれ故に残酷だった。
 以前の居場所から去って二年、しかし眼前の相手はその場所の名残だ。血族が選んだ戦場という鎖が彼を縛り付けていた。

 それでも――
 それでも、過去とは違う。ランディは内心で呟いた。
 ランドルフではない彼が、ランディである彼が今戦っているのは間違いなく過去の相手と同一だが、それでも戦う背景が違う。傷つき倒れ伏した仲間と少女を守るために過去の自分に戻ったのだ。
 その事実だけが、今のランディにとって一握りの救いであり希望でもあった。

「俺のコレは不完全だが、それでも戦場にいた経験のないやつらが耐え切れるもんじゃない。あんたのソレとぶつかり合う余波の中で、果たしてどれだけのヤツが動ける?」
 事実囲む構成員の足は竦んでいる。呼応するように高まる二つの気は大気を震わせ、恐怖という本能をも揺さぶっている。
「足が動かんでも銃を撃てばいい。いくら経験がなくとも引き金を引く程度ができなけりゃルバーチェは語れねぇ」
 相手は無防備な少年少女、それに引き金を引き、当てる。この大人数ならばそれができる者もいるだろう。確かにランディもそこには同意だ。
 しかし彼は、その光景を想像することができなかった。
「悪いな、こっちにも切り札がある」
「何?」

 ――――そして、雷が舞い降りた。

 雷の奔流は爆音を引き連れて人波に沿って迸り、周りを囲んでいた構成員を一人残らず吹き飛ばす。
 水に落ちる音はその量と勢いのために瀑布のよう。何人かが衝撃で取り落とした得物が彼らのいた証だった。声を出す時間すら彼らにはなかった。
 爆音に数十人が呑みこまれるその間僅か二秒、あっという間の出来事だった。
「なんだと……ッ!?」
「助かった、ついでにこいつらを運んでくれないか」
「……そうですね、ですがその前にやることがあります」
 ガルシアが目を剥く中、ランディの隣に降り立った漆黒の青年はそう言って驚愕に満ちた彼を見た。
「遊撃士協会正遊撃士ヨシュア・ブライトです。ルバーチェ商会営業本部長ガルシア・ロッシ殿、今回の騒動についてお聞きしたいことがあります」




 初出:5月24日


 ごめんなさい、ヨシュアです。
 一応前々回からの描写では銀と取れるように気を配ったつもりでしたが、まぁ予想できる範疇でしたね。やるならミスリードをもっと入れないといけません。
 ちなみに想定としてはガルシアLv.83 VS 支援課平均Lv.30です。これなんて無理ゲー?
 ちなみにガルシアは油断とか入っていてこのレベルです。本気モードはLv.100を越えます。



[31007] 4-15
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/05/29 19:25



「ロイド、ちょっといいかい」
 ブライト姉弟とレンが支援課ビルから帰る時、ヨシュアをそう言ってロイドに話しかけた。
「なんだ?」
「場の流れで口を挟まなかったけど、黒の競売会潜入に対して協力を申し出たい」
 ヨシュアの言い分はこうである。
 おそらく遊撃士協会の上層部も黒の競売会の存在は知っていて、しかし手を出すことはできないという結論を出している。協会としても強制捜査に踏み切るカードがない上に日々忙殺されているからだ。
 しかし今回レンがよこした招待状によりロイドら警察は潜入の機を得た。警察組織としての潜入ではないので、それぞれの所属する組織からの申し出ではなく、あくまで職業遊撃士の知人が協力したいと言っている、ということにしたいそうだ。

「つまり、遊撃士だからじゃなくて友人・仲間として関わりたい、と?」
「……ふふ、そうだね。友人として、仲間として協力させてくれないかな?」
 離れた場所でエステルとレンが騒がしくしている。ヨシュアは歩き出した。
「詳細は明日、きっと仕事で会うと思う。その時に少しサボってほしい」
「――ああ、わかったよ」
 こうして真面目な二人は勤務時間中に少しだけ一緒にサボった。男同士の密やかな悪ふざけである。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 そして現在、そのサボりの結果としてルバーチェ包囲網を破り捨てたヨシュア・ブライトは双剣を構えている。その瞳に宿るのは冷静と激怒、相反する感情を湛えて彼はガルシアを見る。
 その背後には、倒れ伏した仲間の姿がある。琥珀色の瞳がガルシアを捉えた。
「ガルシア・ロッシ、質問に答えてください」
「ゆ、遊撃士、だと……っ」
「此度のクロスベル警察特務支援課との戦闘行為、その理由は何なのですか?」
 ヨシュアはまだ事態の把握には至っていない。だが異常を察知してここに来がてら黒服たちを刈り取っていた。現状倒れている警察官とその背後にいる少女の二点を考えれば、彼の頭脳は容易にそこに辿り着く。

「彼らはそちらの少女を守ろうとしていたように見えましたが、貴方はこの少女の何を知っているのですか?」
「………………知らん。俺は銀の野郎が爆弾があると言っていたからその調査に当たっていただけだ。そんな中でこいつらがこのガキを連れて逃げようとした。このガキはここで初めて見た」
 ガルシアは歯を食いしばり、必死に自分を押さえつけて答える。遊撃士の追及、一歩踏み間違えるだけで奈落の底である。ガルシアは警察と違い遊撃士協会を軽視しない。それはクロスベルにおける常識、国家権力への介入という枷こそあるがそれが彼らに適応されることはないので当然である。
「……なるほど、その少女に関しては何も知らないということでいいんですか?」
 ふ、と。
 ヨシュアの体が朧と化した。次の瞬間にはその腕には少女の姿がある。
 抱きしめられたキーアもあまりの速さにキョロキョロと辺りを見回していた。
「ああそうだ。それは間違いない」
 その速度に驚嘆し、しかし顔には出さずにガルシアは言い切った。そうですか、とヨシュアは視線を外しランディを見る。

「その少女と共にいた経緯を教えてください」
「俺は直接立ち会ったわけじゃないが、ロイドとお嬢、それとワジのヤツが競売会会場で銀を発見、追跡したところ競売品の中に爆弾があると言われたらしい。事態は一刻を争うとして捜査したところ、競売品の中のトランクにこの子が入っていたっつーわけだ」
「だ、そうですが。ガルシア・ロッシ殿、あくまで貴方は知らないと?」
「確かに競売品を管理していたのは俺だ。だがそのトランクの中にはローゼンベルク製の人形が入っていたはずだ、手に入れた時に確認もしている。ハルトマン議長邸に運び込まれた時には人形だったんだ、だからそれまでの間に摩り替えられたんだろうよ」
 一気に捲くし立て、自分たちは被害者だと言ってくる。事実がどうであれガルシアにはそう言うしかない。だからヨシュアは彼の一挙手一投足から情報を盗み取ろうとしていた。

「では、摩り替えられたとして誰にだと思いますか?」
「……銀だ。ヤツが侵入するまでは部下が控えていて誰も入っていない。だがヤツは別だ、俺の部下を一蹴し、そしてこいつらに爆弾がどうのと言い出した。怪しいってなら不法侵入したヤツの方だ」
「では何故彼らと戦闘行為を?」
「いや、それは誤解だ。人身売買の汚名から救ってくれたんだ、お礼の一つもしないといかんだろう。ただ誤解されたのか攻撃を受けたんで抵抗したまでだ。所謂正当防衛だ」
「…………わかりました」
 ヨシュアは今までに出てきた言葉を反芻し整理する。
 ガルシア、いやルバーチェはこの少女について一向に知らず、何者かに人形と摩り替えられたのだと主張している。つまりは被害者だと言い張っているのだ。
 ガルシアの口から聞いた言葉にも疑問は残るが矛盾はなく、同時に証拠もない。あえて突くなら正当防衛の件だが第三者の証言がないなら立件は難しい。
 ヨシュアはキーアを下ろし、屈んで声をかけた。
「君の名前は?」
「キーアだよ、ヨシュア」
「……僕の名前を」
「うん、知ってるよ。でもキーア、どうしてあんな所にいたのかはわかんない。前にいた場所もわかんない」
 嘘だ。
 ヨシュアはすぐに気づいたが、しかし言及はしない。何故トランクの中にいたのか、その言葉に関しては本当だったからだ。
 ヨシュアは微笑み静かな口調で続け、本心を問うていく。
「そっか。ねぇキーア、じゃあこれから遊撃士協会に行こう。君のお父さんとお母さんを探すから」
「…………うん。でもロイドたちが心配だし約束もしたから最初はロイドたちのところに行く」
 ヨシュアは頷き、立ち上がった。双剣を収める。

「話はわかりました。この少女の身柄は遊撃士協会が預かります。後日事情聴取に伺うことになりますがよろしいですね?」
「…………ああ、理解している。こちらの疑惑が晴れる協力なら何でもしよう」
 感謝します、と頭を下げるヨシュアを青筋を浮かべながら見つめるガルシア。話はこれで終わりだ、後は撤収するだけである。
「――ああ、そうだ。忘れていました」
 ヨシュアが思い出したように声を上げた。ガルシアは沈黙し、二の句を待っている。
「ここに来る途中黒い狼型魔獣がそちらの方々と連れ立っているのを見かけまして、市民に危険がないように無力化しておきました。どうやらホテル内にも侵入していたみたいでしたが、この件についても改めて」
「…………っ」
 ガルシアが苦悶の表情でその闘気を静め、ランディも迸る気を抑えた。
 キーアがランディの傍に寄ってくる。その頭を撫で、そして仲間を見つめた。
 ワジはとっくに立ち上がっていたが話に加わる意志はなく、こうして終わったので歩み寄ってきた。エリィとティオも回復薬が効いたのか目を開き、痛みに耐えながら立ち上がる。しかしロイドは一向に立とうとしなかった。
「ロイド、無事か?」
 ランディの問いかけにも答えないロイドにヨシュアが傍に寄り屈んだ。その状態を確かめる。
「他は大丈夫だけど、右腕が折れているね。添え木をするよ?」
「…………」
 てきぱきと処置をする中ロイドは夜空を眺めて動かない。

「ロイド、平気?」
 キーアが寄ってきた。心配そうな少女の顔、それを見て彼はようやく口を開いた。
「平気だよ、平気だ…………本当に、なんで俺は――」
 キーアは黙ってロイドの頭を撫でていた。






 遊撃士協会を相手取ることが現実的でない以上ルバーチェにこれ以上の行動の自由はなく、やがてモーターボートでやってきたセルゲイとツァイトによって彼らはミシュラムを離れた。セルゲイは彼らに何か言いたそうだったが満身創痍の部下には何も言えず、ただヨシュアと今後の方針について話し合っていた。
 キーアの希望により一度支援課分室ビルに移動することにする。ワジとは東通りで分かれたが、ヨシュアは彼にも事情を聞く必要があるとしてエニグマの番号を交換していた。
 やっとのことで辿り着いた安心の場に糸が切れたように座り込む面々。怪我をしたロイドをソファーに横たわらせ、そこで改めてヨシュアと話をした。
 今年の黒の競売会は散々な結果であっただろうし、それに機嫌を損ねたハルトマンがルバーチェの後ろ盾を続ける可能性は低い。その意味では大した戦果を得たと言っていい。
 しかし一方でルバーチェのたった一人に捻られた事実は確実にしこりとなっていた。

「……今後、あいつとやりあう時は俺に任せてくれ」
 ランディが言う。それは彼にとってもう変えられない現実だった。
「……そうね、基本はそれでいいと思う。でもね――」
「わたしたちだって何もしないわけじゃないです。今度は絶対……っ」
 ガルシアにやられた傷が痛むのか顔を顰める二人だが、その言葉には悔しさが滲み出ている。彼女らも何も思わないわけはないのだ。
「……ランディさん。あなたのウォークライ、どこまで保つんですか?」
 ヨシュアが問いかけた。あの時彼が介入しなければ激突したであろう二つの猛威、その一つの限界を知りたかった。
「そうだな、今じゃ10分ってところか」
「……厳しいですね」
「今は、な。使うたびに慣れてくるさ……昔取った杵柄どころか皮肉にしかならねぇけどな」
 ヨシュアは押し黙る。セルゲイやロイドはその話に何か思っているようだったが他の三人には見当がつかなかった。

「――それでお前ら、この子はギルド預かりでいいのか?」
 セルゲイが話の焦点を戻した。ルバーチェの動向も気になるが、何より保護した少女の行く末を考えるべきなのだ。
 いつの間にか難しい話をしていたからか、その少女は傍で丸まっていたツァイトを撫でている。
「キーア、もう一度聞くけど遊撃士協会に行っていいのかな?」
 ヨシュアが尋ねるとキーアは哀しそうに目を伏せて小さく頷いた。
「わかった。それじゃ――」
「わっ……」
 ヨシュアが行動に移そうと腰を上げたと同時、ツァイトが立ち上がった。キーアも少し驚いている。
 そして唸り声を聴いていたキーアはきょとんとした様子で声を漏らした。
「キーアちゃん?」
 エリィが声をかける。キーアは身体を強張らせて振り向いた。その表情には困惑が伺える。
「どうしましたか?」
「……ツァイトが、ついてこいって言ってるから…………キーア、言ってくるね」
 キーアはツァイトの言葉がわかるらしい。全員がティオを見ると頷いている、本当のようだ。

 ツァイトはキーアを引き連れてゆっくりと階段を上っていく。その姿が見えなくなると、全員は小さくため息を吐いた。
「ヨシュア、ルバーチェに遊撃士協会は介入できないのか?」
 ランディが尋ねる。今回独断とはいえ遊撃士が人身売買の可能性を見たのだ、これが真実だった場合遊撃士協会はルバーチェを一掃することができる。
 ヨシュアは首を振った。
「これはあくまでガルシア・ロッシの反応からの予測ですが、彼は何も知らなかったはずです」

 ガルシアに詰問している間、彼が注視していたのは眼球の動きである。営業本部長としてそれなりの交渉の場に出ているだろうが元は猟兵、百戦錬磨とは言いがたい。あの動揺した状態で心理に反する細かな動きができるとは思わなかった。
「彼が嘘を吐いたのは戦闘理由だけです。キーアのことについては青天の霹靂だったのでしょう。そしてルバーチェという組織のことを踏まえれば、あそこで彼らが人身売買をするメリットはほぼありません。確かに有力者とのパイプを確固たるものにせんと危険な橋を渡ったということも考えられますが、それならガルシア本人がトランクを守るくらいの意識がないといけません。デメリットのほうが圧倒的に多い勝負事、現況そこまで苦しくないルバーチェがそれを為したと考えるよりは嵌められたと考えるほうが妥当です」
 その場合、一体誰がというのが一番の問題であるわけだがヨシュアはその答えを見出せなかった。
 ルバーチェを嵌める行為を一番やりそうなのは黒月だが、クロスベルを任されているツァオ・リーの性格を考えると可能性は低い。ルバーチェが嵌められたという結果に行き着けば真っ先に疑われるのは彼らである。
 黒月は、ツァオはそんな危険な一手を打たない。彼はリスクを犯さずにリターンを得る方法を熟知しているのだから。

「人身売買の明確な証拠がキーア本人であり、その彼女にもその記憶がない以上、しらばっくれられたら立件は不可能です。捜査の名目として競売品の回収はできるかもしれませんがそれは警察の仕事、そしてそれはルバーチェからの打診によって阻まれるでしょう」
 沈黙が降りた。ヨシュアの言い分は理解できるが、圧力に屈するという確信した言葉は胸に来るものがある。
 それでも彼らにはそれを阻む力はない。地道に、諦めずに抗うしかないのだ。
「ただ、市民の生活圏内に魔獣を放ったという事実は遊撃士協会が動くに足るものです。その場で現行犯逮捕ということもできましたが魔獣とルバーチェの関連性を証明する手立てがあの時にはありませんでした」
 ルバーチェが以前起こした魔獣事件は警察への圧力によりほぼ無罪となっており、また今回の騒動で放たれた魔獣がその時の魔獣と同一である証拠はなかった。仮に、何処から現れた魔獣を相当すべくルバーチェが動いた、と警察に証言されれば終わりなのである。
 ヨシュアがいくら支える篭手に誓って証言しても、その証言が個人的見解を超えない以上決定打にはならない。今回の件では後日事情聴取に向かう程度にしかまとまらなかったのだ。そしてその聴取も圧力をかけられた警察による介入があるはずである。

「――ま、上層部の奴らに文句をつけても仕方がないのは確かだ。お前らが今できることはあの子を無事に家に帰すことだろう」
 セルゲイは強引に話を纏めた。そう、今回最後の仕事はキーアを送り届けることだ。そんな幸せに直結する仕事にエリィが微笑む。
「そうですね。キーアちゃんを無事に帰す、それが今の私たちの仕事ですね」
「でもあの子は覚えていないんでしたっけ」
 エリィは頷く。キーアは自分のことについて何も覚えていないと言っていた。わかるのは自分の名前と、そして――
「俺たちの名前、か……」
 その不思議な事実は何とも言いがたい。まるで自分自身と名前を覚えていた彼らが同価値であるもののようにも取れる。
 それ自体は喜ばしいことだが両親や家の場所などを覚えていないのだから複雑である。

 何より、彼らはキーアのことを知らなかった。いつかどこかで会ったのか、それぞれの過去で会ったとも考えられるが、ここにいる全ての人間と結成前に会うとはどんな運命なのだろうか。
 それとも、彼らが覚えていないだけで結成後に会ったのだろうか。
「考えても仕方ねぇ、とりあえず俺たちは情報を集めなきゃいけねぇんだ」
「ですね」
「…………」
 皆が纏まる中、ヨシュアは思考する。
 彼はキーアが本当のことを言っていないことを知っていた。それでも少女はそれを語らない、語らない理由があるとすれば、まずはそれを知らなければならない。
 目下の悩みはこの事実を支援課に教えるかどうかだが、それは来訪者に遮られた。

「ほうら、レンの言ったとおりでしょう?」
「う、なんか納得いかないんですけど……でも約束だし仕方ないわね」
 そう言って扉を開けたのはレンとエステルである。レンは恭しくお辞儀をするとヨシュアを迎えに来た旨を告げた。
「少し待って。今――」
 ヨシュアが言いかけるとちょうど階段からキーアとツァイトが戻ってきた。少女の表情は向かった時とは一変しており笑顔に満ちている。その変化に気づいたヨシュアは再度尋ねた。
「キーア、ギルドに来るかい?」
「んーんっ、キーア、ロイドたちと一緒にいる!」
「――そっか」
 ヨシュアは目を閉じて了承し、歩き出した。
「そういうことだからキーアは任せてもいいかな?」
「え、ええ。大丈夫だけど……」
 うん、ともう一度噛み締めるように頷きヨシュアはエステルとレンとともに去っていった。扉の向こうから小さく会話が聞こえる。きっと事情説明に奮闘していることだろう。

「ねぇ」
 キーアが口を開いた。ロイドも起き上がり、全員が彼女を見る。
「キーア、ここにいていいのかな?」
 尋ねるような言葉に相反する笑顔で少女は言い、顔を見合わせることなく一致した四人はそれぞれの言葉で以って受け入れた。
 セルゲイは居心地悪そうに煙草に手を伸ばし、ツァイトは大きく欠伸をした。

 クロスベル創立記念祭最終日、特務支援課に一人の少女が加わった。それは彼らがクロスベルに呑みこまれた瞬間でもあったが、それを知る者は極僅かしかいなかった。






 * * *






 ベッドに寝転がると右腕が痛んだ。それは否応なく現実を彼に知らしめる。
 天井の染みを数えるように亡羊と眺めるのは、目を閉じると過去が押し寄せて来て耐えられなくなるからだと気づいていた。
 俺は……
 腕以外で痛む箇所はない。それが救いなのかどうか、身体にとっては救いであり、心にとってはそうではなかった。
 何も考えられないほどに痛みが走ってくれるならこんな気持ちにはならないし、自身の行動を反芻したりなんかしない。その意味で彼は、この時ばかりはどうしてこんなに無事なんだと現実を呪った。

 今日はとんでもない一日だった。黒の競売会に潜入し、クロスベルの闇の象徴ともいえるマルコーニとハルトマンを見た。競売会のシステムを知り歯噛みしながらも、行為が無駄ではないと言われて嬉しかった。
 そして、トランクから一人の少女を見つけた。キーア、それが少女の名前。対面した時少女は驚きに満ちていた。自分の名を言い、そして何を悟ったのか哀しげに顔を伏せた。
 それを何とかしようと思ったのは嘘ではない。幼い少女が現実に押しつぶされたような表情は彼にとって耐えられるものではなかった。
 少女の安全を守るためにハルトマン邸を脱出し、ガルシア・ロッシと戦った。少女を守るための戦い、例え敵わない相手でも絶対に守りきると全力を出した。

 本当に、そうか…………?

 脳裏に現れる問いかけ。そんな疑問を振り払いたくても焼き付いて離れず、それ故にその答えを導き出してしまう。
 ガルシアは強敵だった、ランディが全力を出し、ヨシュアの援護によって事態が収束されるまで圧倒され続けた。
 手も足も出なかった。経歴こそ知っていたし肌で感じる力強さは本物だった。
 そんな高い壁に対し、果たして――


 本当に、全力を出したのか――――?


 確信のような問いに彼は答えを出せない。自信を持ってそうだ、と言うことができない。それは今までの経験による葛藤だ。
 これまで対峙した危機を彼は乗り越えてきた。絶命すると思ったブレードファングでさえもその全力で乗り越えたのだ。
 それを自分の潜在能力だとは言わないが、それでも本当に大事な、重要な時には何かがあったのだ。
 なのに今回それがなかったのは、心の奥底で自分が躊躇したからではないのか。

 躊躇、そう躊躇だ。彼は躊躇したのだ。

 彼は、本当に少女を助けるべきなのか(・・・・・・・・・・・・・・)と心のどこかで思ってしまったのだ。

 本当に微細な、取るに足らない唾棄すべき思考。普段の彼ならばそんな思考絶対に起こらないはずの、そんな悪魔のような考え。
 そしてそんなことを思った自身が、本当に最善を取ったのかが信用できない。
「俺は……」
 右腕が痛い、それは今回の不信が現実であることを告げていた。

 その夜、腕の痛みが消えることはなかった。疲れからいつの間にか眠ってしまったのに、その間もズキズキと苛み続けた。
 まるでそれを忘れるなと身体が言っているようだった。





 初出:5月29日


 今回は結構問題のある回なんじゃないか、と思っています。
 遊撃士の証明力とルバーチェによる警察への圧力との力関係。その後に影響を及ぼす重大な要素ですので意見がありましたらお願いします。
 修正できるかわかりませんが、よりよい流れにできればと思います。

 やっぱりこういうのは知識がないと……



[31007] 5-1
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/06/02 21:22



 キーアがやってきて一週間、彼女の情報を遊撃士に依頼し、まずは当面の彼女の生活状況を整えようという結論に至っていた。
 何せ肝心の少女は一向に過去を思い出せない、ティオが電脳方面から調べても少女の足取りは杳として掴めなかった。ならばと大陸全土に渡って網をかけている遊撃士に任せたわけだが、その遊撃士を持ってしてもキーアに関して有力な情報は得られなかった。
 遊撃士が頭を悩ませ特務支援課が夜に会議を続ける中、日中のキーアと支援課の面々は不思議と充実した日々を送っていた。
 たった一人いるだけで変わるものだ、とセルゲイは煙草をふかす。そんな彼もキーアが傍にやってくると自然と煙草を消していた。
 ミイラ取りがミイラに、ということわざが適切かどうかはわからない。それでも部下が変わったという事象を離れて見ていた彼もまた、少女に変化を促された一人であった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 病院服のような淡い水色の一枚着でやってきた少女はいつの間にか溢れかえる服の山に目を丸くしていた。
 ミシュラムから戻った次の日、大慌てで空き部屋を改修するロイドとランディを置いてエリィとティオはキーアの服を選びに百貨店に来ていた。当然キーアも一緒だが、流石にあの服で外に出すのは可哀想だとエリィが実家から幼少時の服を持ってきて着せている。
 彼女の私服だけでいいんじゃないか、とランディは呟き、ロイドも頷こうとして二人にお叱りを受けた。曰く、本人に合う服を選ぶ必要がある、とか。
 お嬢の古着の中から似合うもん選ぶなら一緒だろ、と喉からでかかった言葉を飲み込むことができたのは偏に以前の恐ろしい彼女を想起したからに他ならない。和やかな日でも経験は生かされるのである。
 住宅街のマクダエル邸から使っていなかった家具を運びつつ掃除を施す重労働、今回は支援要請そっちのけで手早く終わらせようと考えていた。ちなみにガルシアに腕を折られたロイドはできる範囲での作業で実際はほぼランディが片付けている。
 当然そのしわ寄せは遊撃士へと向かうのだが、事情を知るエステルとヨシュアが快く引き受けてくれたのでありがたかった。

 部屋の用意と買い物が終わったのは正午前、特務支援課は午後から平常勤務に移行する。キーアのことも気になるがツァイトとセルゲイがいるので問題ない、惜しい気もするが仕事開始である。
「東クロスベル街道の手配魔獣に市庁舎からの捜索依頼。それとベルガード門のミレイユ准尉からも依頼が来ているな」
「じゃあランディは決まりね」
「ですね」
「なんでだよ……」
 ランディが苦笑する中、それ以外の三人の脳裏には嬉しさを隠そうと必死になるミレイユの顔が浮かんでいる。都合二、三度ほどしか会っていない彼女だが印象は最高である。

「となると三人で手配魔獣を倒して市庁舎に、ってルートかな」
「そうね、手配魔獣の情報によると手こずりそうだし……ってその前にあなた戦う気?」
 バブリシザースGは蟹型の魔獣だ。その特徴は、自身が作り上げた巨大な虹色の気泡に乗っているという異様さである。
 体重はそこまで重くはないがそれでも手配魔獣、その重さで乗っても壊れない未知の泡は密かに注目されている。
 それはさておきエリィがノリ突っ込みの要領で突っかかった。当の本人は不思議そうな顔をしている。流石に三人揃って呆れた。
「お前その腕でどう戦うってんだよ……」
「後方でアーツでもする気ですか? ダメですよ?」
「いや、確かに右腕はこんなだけど、ほら。備考欄に複数での対処を推奨って書いてあるじゃないか」
「私とティオちゃんの二人で複数でしょ」
「それなら三人でもいいじゃないか」

「バブリシザースの精製する泡には睡眠誘導の効果があるみたいです。だからこそ複数人で当たらなければならない魔獣なんだと思います」
 食い下がるロイドにティオが備考の理由を述べる。戦闘中に眠ってしまったら終わりだ、その為にも単独で立ち向かうのではなく、万一眠っても起こせる仲間が必要なのだろう。
「ほら、二人で当たって眠っちゃったら大変じゃないか」
「む……でも正直、あなたが後ろでじっとしていられる気がしないんだけど……」
 エリィの不安は正解である。この男が戦っている二人の後ろで暢気にしていられるはずはない。
 アーツの詠唱は片手でもできるがその間は他の動作ができない。無防備を晒されてもはっきり言って迷惑だ。
「ロイドには市庁舎に行ってもらったほうが……」
「だな。つーか俺と代わるか?」
「ランディさん少しは考えてください」
「いや考えているからこそだろうがよ」
 ぎゃあぎゃあと騒ぎ始める特務支援課、仲がいいのは良いことだが、それでも時間の浪費は頂けない。
 するとそれを諭すように気の抜けた通信音が聞こえてきた。いや、気の抜けたというのは言い過ぎだが、どちらにしても通信である。
 しかしそれはロイドではなくエリィでもなくランディでもなく、ティオのエニグマにかかっていた。

「…………」
「ティオちゃん、切れちゃうわよ?」
 エリィが催促する。
 ティオは恐る恐るエニグマをとった。嫌な予感しかしなかった。
「……もしもし」
「あ、ティオちゃん? 私よ私っ」
「………………エオリアさん」
「そっ、エオリアお姉さんよ! 今どこにいるの? ちょっと相談したいんだけど、できたらハンズフリーにしてくれる?」
 エニグマをテーブルに置く。ヨナのときと同じ、燃費は悪いが音が大きくなる仕様だ。
「支援課ビルですが、どうしたんですか?」
「手配魔獣の要請あるでしょ? 人手が足りないんじゃないかなって思ったから一緒に行こうと思ったのよ」

 何でもヴェンツェルが市庁舎に所用で行った際、特務支援課宛の挑戦状のようなものが送られたということを知ったそうだ。
 そんな挑発的な物を残したのだから支援課が受けて然るべきだろうと判断、しかしその他の依頼も疎かにできないのでここは助太刀を打診してみたとのことである。
「リンさんと一緒に行けば十分なんじゃないんですか?」
「それでもいいけど、言っちゃ悪いけどあなた達よわっちいじゃない。少しでも戦闘経験積んだ方がいいと思うの。あなた達が励めばそれだけ私たちも助かるし、クロスベルも平和になるしね。あ、もちろんティオちゃんは別よっ?」
「はは……」
 ロイドが苦笑する。相変わらず遠慮のない物言いだ。
「お気遣いありがとうございます。でもわたしもよわっちい支援課のメンバーですから、そこは分けないでいただけたらと」
「……うん、そうね、ごめん。じゃあリーダー君、この相談の返事をくれるかな?」

 ティオは徐に視線を上げ、
「……どうしたんですか?」
 何故か三人が嬉しそうな表情を浮かべているのに気づいた。首を傾げるティオに喜びを噛み締め目を閉じているランディが言う。
「そりゃティオすけ、ありゃ普通に嬉しいだろう」
「……よくわかりませんが、よかったですね」
「ああ、気合入りまくりだぜっ!」
 わしゃわしゃとティオの頭を撫でるランディ、ティオは釈然としない顔でそれを受け入れていた。
「リーダーのロイド・バニングスくーん、気持ちは非常によくわかるけど、返事」
「わ、わかりました。少し待っていていただけますか?」

 編成を組む。
 ランディはエオリアとの共闘にやる気満々だったが三人に押し切られてベルガード門に。残る三人だが、エリィとティオがエオリアと共に向かい、ロイドが市庁舎を担当することになった。
 実際は全員がエオリアと魔獣退治に行きたがったが、エリィがロイドに反論させることなく言い包めたためにこうなってしまった。彼の提唱した三人なら安心理論はエオリアの加入で彼の参加を否定する要素になっていた。
「というわけでエリィとティオが行きます。ギルドでよろしいですか?」
「もちろん、じゃあ待ってるわね」
 通信が切れる。思わぬ展開だったがブライト姉弟以外の優秀な遊撃士の生の戦いが見られるのはありがたい。

「よし、それじゃ」
 再度気合を入れて始動、というところでまたしても鳴る通信音。今度はロイドである。
「…………はい」
 ワジの何でもない暇つぶしだった。彼は静かに通信を切った。






 通信を切る。腰にある所定の位置にそれを仕舞ったエオリアは、
「これでオッケイ、と」
「ありがとうございます、エオリアさん」
 傍に控えていたヨシュアに礼をもらっていた。ここは遊撃士協会クロスベル支部、現在アリオスとスコットを除く全員が集合している。
「ありがとうエオリアさん、リンさんも」
「いいってことよ。エオリアが言った助かるってのは遊撃士全体の話でもあるんだから」
 エステルとリンが談笑する。
 豪快な体育会系な二人はこの支部の中でも特に仲がいい。エステルが彼女の兄弟子であるジン・ヴァセックを知っているということも大きいのかもしれない。

「さて、準備もできたしこれより秘密任務を開始するわよ」
 ミシェルが注目を促し、今回の趣旨を再度話し始める。
「黒の競売会の失敗によってルバーチェは後ろ盾をなくしたと言ってもいいわ。逆に言えばこれからの彼らの行動は過去に当てはまらないことをする可能性もある。クロスベルの裏の支配者だからその影響は計り知れないわ。正直、日々忙殺されているあなたたち遊撃士の手に余るかもしれない」
 人身売買及び魔獣による民間人襲撃未遂事件に関するルバーチェへの取調べは空振りに終わった。それは警察に対するルバーチェの打診に由来する。
 彼らはロイドらの潜入捜査を不問にする代わりに情報規制を行ったのだ。つまり、警察は潜入していないので人身売買の疑いはそもそもない、ということになったのである。
 しかし警察は納得しても遊撃士協会は納得しない。後日協会はルバーチェを訪れ簡易の調査を行った。その打診のせいで奥深くまでは調べることは叶わなかったが、それでも彼らの内部に踏み込んだ事実は残っていた。
 緊急性の高い危険物があったわけではないのですぐに行動を起こすとは思えない。しかしもし彼らが行動した場合、それが慮外の出来事である可能性は高かった。
「そこで、私たちは密かに特務支援課の強化を推進する。もちろん手取り足取りというわけじゃない、可能ならばともに現場に赴くという程度よ。それで彼らが何も得ないなら芽がないと判断して切るし、それで実力が上がるなら願ってもないわ」

 特務支援課は警察上層部の圧力が意味をなさない上に遊撃士と仕事が被る貴重な人材である。そんな彼らが今まで以上に仕事をこなしてくれれば遊撃士の手も空き、不測の事態に対応できる可能性を上げる。
 これは黒の競売会に潜入しぶち壊した彼らへの報酬であり責任追及でもある。
「ルバーチェが何をするかわからない以上、私たちとは視点の異なる彼らが有能であるに越したことはないわ。あなたたちには普段と異なる展開になって負担がかかるかもしれないけど、これは未来のクロスベルを護る為だと思ってちょうだい」
「大丈夫よミシェルさん、ロイド君たちは期待に応えてくれるわ。だって仲間だもの」
「そうだね、彼らは友人であり仲間です。彼らのための行動が負担になることはありませんよ」
 事の発端であるエステルとヨシュアはやる気満々である。レンに関して多大な借りと感謝がある二人には何の不安もない。

「私もティオちゃんと触れ合えるし願ったり叶ったりだわ」
「エオリア……あんた目的わかってるのかい?」
「当然よっ、ティオちゃんに私の雄姿を見せればいいのよねっ」
「……ま、いいか。私も平気だよミシェルさん、泰斗の真髄ってほど高みにはいってないけどそれでも参考になるものは見せられるし、先輩として後輩の面倒は見ないとね」
 リンも否やはなく、残るはヴェンツェルだけである。ミシェルも彼が一番の問題であると考えていた。
「ヴェンツェル、あなたはどう?」
「……支部の決定に異を唱えるつもりはない。あいつらが自己の鍛錬を怠らず常に上を目指すというのなら俺もその一助となろう。ただし、依頼に支障を来たすならば俺は抜けさせてもらう。あくまで依頼が最優先だ」
「もちろんよ、あなたは望むままに行動してくれていい。一応希望を聞くけど、あなたは誰と組みたいとかある?」
 ヴェンツェルは目を閉じて黙考した。彼の得物である剣を使用する者はいない。それが彼にとっての一番の判断材料だったがそれに該当するものがいないならば、必然的に一人に絞られる。
「おーけー、それじゃ依頼に合わせて調整するとしますか」
「お願いね、ミシェルさん」
「それが私の仕事なんだから大船に乗ったつもりでいなさい。さてそろそろ第一弾の開始かしら」

 ミシェルが時計を確認したと同時、扉を叩く音とともにティオとエリィがやってきた。二人は何故か人口密度が常より多いそこに少し驚いている。
「さ、お仕事よみんな!」
 手を叩いて催促するミシェル、遊撃士たちはそれぞれの依頼のために消えていく。
 やがてそこにはミシェルとエオリアしかいなくなった。
「すみません、会議中でしたか?」
「いいのよ、邪魔されたくないなら入っていいなんて言わないから。さて、共闘は初めてかしら」
「そうですね、以前エオリアさんとやったのは違う案件ですし初めてです」
「ならまずはお互いの戦闘スタイルを理解することからかしらね。エオリア、わかってるわね?」
「もちろん。それじゃ行きましょうか、バスは使わないから歩きながら話しましょ」
 エオリアを先頭に三人が消えていく。ミシェルは暫くそのまま見つめていたが、徐に通信機を手に取り何処かに連絡を入れた。






 ベルガード門にやってきたランディはハルバードを担ぎ直して門兵をからかった後ミレイユの私室を訪ねた。
「来てやったぞミレイユ、それよりあの支援要請の中身は本当なのかよ?」
「開口一番それとは流石ねばかランディ、誇りある警備隊員である私が嘘を吐くとでも?」
「全く思わないな。だがそれでもそう言いたくなる気持ちはわかるだろうよ」
 なぁ、と同意を求めるランディに肩を竦めるミレイユ。彼女も表には出さないが心情は同じのようだった。
「聞くまでもないんだが、その問題を起こした警備隊司令官殿は今どこにいるんだ?」
「愚問ね、いつもの接待よ」
「接待か。もう警備隊司令なんて肩書き捨てて接待マシーンとかにしちまえばいいんじゃねぇの?」
「それはいいわね、なんて言えないわよ? あれでも上司だもの、命令には逆らえない」

 ミレイユもランディとの会話で少し気が緩んでいるのか、常ならないスレスレの発言をかましている。
 ランディもなんだかんだで彼女のストレス発散、普段できない息抜きができる少ない機会だと気づいているのか仕事内容から少しずつ話題を外していく。
「いっそお前が司令だったなぁ、こんな苦労もないんだが」
「よしてよもう、私は今の位でさえ力不足を感じているのに。それに司令ならソーニャ副司令が妥当だし、タングラムのノエル曹長だってきっと私の上に行ける人材よ」
「ノエルか、確かにあいつも結構なやつだけどよ。俺としてはお前のほうがよく知ってるし、その心配性とか過保護とかの苦労性体質を除けば理想の上司像だと思うがね」
 ランディの意見に一瞬嬉しい親しみが込められていて発言を噛み締めようとしたミレイユだが、そこには彼女をからかう描写も含まれている。聡明な彼女はすぐにそれに気づいて頬を膨らませた。

「ちょっとランディっ、何よその苦労性体質って」
「そのままだろ。ベルガード門の隊員は皆言ってるぜ、准尉は背負わなくてもいい苦労を背負い込んでいる、俺たちがその負担を減らさないと、ってさ」
「う……少し嬉しいけど、でも私そんなに不幸っぽく見えるのかしら」
 自身の頬を手でむにむにと撫でる。凛とした彼女に似つかない少女のような行動だった。
「お前は優秀だから一人で何でもできちまう。だから人より仕事が多くなって負担が大きいように見えるんだろうよ。俺もそこは同意だな」
「…………ん、そっか。まぁそれでも私ができることをやるのは変わらないのよね。前より誰かさんのおかげで苦労も減ったし今ぐらいがちょうどいいのかもしれないわ」
 そう言ってジト目でランディを見る。反論の余地はないランディはまいった、と両手を上げた。
「だからこそ今回は来てやったんだろうが。以前の問題児が准尉殿の苦労を減らしてやるよ」
 そこでようやく話が元に戻る。
 ミレイユも話しすぎた自覚があるのか咳払いを一つし、普段の真面目な彼女に戻って事の詳細を話し始めた。




 ロイドは市庁舎で慌てている男性を発見、事の詳細を伺った。
 何でもクロスベル自治州成立の際に記念として作られた銅像が消えてしまったのだという。そしてそれがなくなった場所に鎮座していたのが綺麗な装飾で存在をアピールしていた挑戦状である。
 その送り主の名前が銀じゃないことを願いつつ封を解き、彼は驚愕に声を詰まらせた。
「か、怪盗B……」

 怪盗Bはゼムリア大陸全土に渡ってあらゆる物を盗んでいく筋金入りの犯罪者である。その被害に遭うのは単純に現存する物体だけでなく人のイメージであったり記憶であったり、果ては人自身であったりと彼は本当に節操がない。
 いくつもの都市で犯行を行っているにもかかわらず依然として捕まえられないことから、極僅かではあるが怪盗Bは架空の存在ではないかと疑われてすらいる。
 しかし現実、警察学校では教材に載るほどの有名人であり、実際にその姿を目撃した者も存在するのでその噂は却下される。それでもそんな噂が流れるのは、彼が偶にあくどい人物から盗んだ戦利品を貧しい人々に恵んでいるからかもしれない。
 義賊と言えば聞こえはいいが、警察関係者にとっては頭の痛い人物である。

 驚きつつもその文面に目を通す。内容は要約すれば指定する三つのポイントに辿り着けば銅像を返還するというものだ。そして第一のポイントに関する文が綴られている。しかし直接的な描写はなくまるでなぞなぞのようだった。
「なるほど、これが挑戦ってわけか……」
 犯罪者相手だが不思議と嫌悪感が沸かないのは歴然とした悪意や敵意のようなものを感じないからだろう。
 ゲーム感覚で試されているのだが、被害に遭った人々のためにも真面目に取り組まなければならない。ロイドは文から導き出される場所を探しに動き始めた。




 * * *




「かちょーもほんぶに行っちゃったし、二人だね、ツァイト」
「バウ」
 宛がわれた自室のベッドに座りながらツァイトに話しかけるキーア。ツァイトも少女を慮ってか外出する気はないらしく、丸まって静かに佇んでいる。

「ねぇツァイト。本当に、キーアはこれでよかったのかなぁ……」
 少女の疑問。それは今ここにいるという現状への問いかけだ。自分で納得してここにいるが、それが本当に正しかったのかがわからない。
 キーアはその小さな掌を見つめ、静かに影を落とした。そうすれば自身の手が普段より黒く見える。
 明るい、幸せな色だけで自分が包まれているわけじゃないと再確認できる。

「あ、コッペ」
 僅かに開いていたドアの隙間から黒猫がやってきた。雨の日以外は屋上で日向ぼっこをしている彼女には珍しいことである。そのまま顔を上げたツァイトの前を通りキーアの膝の上に座った。
「コッペ、キーアはこれでよかったと思う?」
「にゃ~お」
「そっか……」
 優しく背中を撫でるとくすぐったそうな声を出し丸くなった。キーアはそんなコッペの温もりを感じながらゆっくりと瞳を閉じていった。



 初出:6月2日


 遊撃士との絡みが書けたら、それはとっても嬉しいなって。
 この作品は、英雄伝説零の軌跡&碧の軌跡 公式設定資料集 クロスベルアーカイブの一部分(中途採用できる分だけ)を採用しています。
 また那由多の軌跡にも少し関係がありますが、それは那由多の軌跡発売後に否定されると思います。つまりは作者の妄想です。



[31007] 5-2
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/06/05 22:47



 ちょうど鉄橋を越えて最初の小川に差し掛かる所、踏みならされた本筋から外れた植物の生い茂るスペースにバブリシザースGは佇んでいた。
 それを物陰から見守る三人、その内の二人であるエリィとティオは残る一人の言ったとおりにいる魔獣に少しの驚きと納得を感じていた。
「ね」
 エオリアがウインクして得意気に笑う。
 穏やかな、しかしティオといる時は茶目っ気たっぷりの彼女のまた別の一面は彼女をとても魅力的に表していた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 東クロスベル街道、魔獣の位置を知らない場合は基本的に歩きながらしらみつぶしに探すのが普通だ。しかしエオリアは東通りを抜けた直後にこれから探すポイントを限定していた。
「バブリシザースはね、その特性状水場付近にしか生息できないの。それは彼らが乗っている泡が割れないようにするためね」
 鉄橋の周囲を見回しながら話す。その姿はまだ弛緩しており和やかな雰囲気だ。
「だから今回重点的に探すのは今いる鉄橋付近と途中の小川、それと三叉路を少し行った先にある抜け道ね」
「そんなところに抜け道があったんですか?」
「ええ、障害物があって簡単には通れないんだけど、その先には池があるから可能性としては十分ね」
 もちろん例外的にその近辺にいないこともあるだろう。しかしエオリアはそれなら逆に心配が減ると考えていた。
 水場を離れたバブリシザースは危険度が格段に下がる。それは彼らの性能が著しく低下する為である。
 遊撃士の知識に感心するエリィとティオ、しかしティオについてはデータバンクから既に今回の標的の情報を取得している。当然生息区域も見ていたので知っていたが、おそらくは経験で判断したであろうエオリアの場慣れにこそ感心していた。

 鉄橋を越え、先頭を歩いていたエオリアが魔獣たちの跋扈する地へ一歩踏み入れる。
 瞬間、今まで穏やかだったエオリアの空気が張り詰めた。一歩後ろを歩いていた二人がその変化に硬直し足が止まる。
 エオリアは静かに息を吐き全身の状態を把握、その性能を半分ほど高めた。彼女の実力はこの近辺の魔獣がかすり傷一つ負わせられないレベルに達している。当然それに伴い緩んでいてもいいはずだが、今の彼女を見てそんな軽口は言えなかった。
「ここからは真剣勝負、戦闘になれば命がけよ。準備はいい?」
「はい!」
「了解です!」
 その緊張感が伝わりいつになく顔が強張る二人、エオリアは苦笑してその頭を優しく撫でた。
「肩の力を抜いて、自分にできる最善を常に求めなさい。そうすれば今の全力が出せるわ」
 深呼吸、と言われて二人はそれを為す。一度、二度と繰り返し、そこでようやく自然体に戻れたような気がした。

 エオリアが笑う。
「その状態、いつになくいい感じじゃないかな? これなら私も楽ができそう」
 そして彼女らはエオリアの言うポイントまで自然体で歩く。二人はエオリアの歩く所作一つ一つに洗練された何かを感じ取り、時に周囲への警戒を忘れてしまっていた。


 そして現在、その丸い身体を赤く染めたバブリシザースGは六本の足で虹色の泡に乗り、二つの鋏をまごつかせて何か作業をしている。数は二体、その両者とも彼女らの接近には気づいていない。
「二人とも後衛よね。どっちかと言えばエリィちゃんのほうが前かな」
「そうですね、一応銃に合わせた体術も訓練しています」
「なら私が前衛、エリィちゃんが中央、ティオちゃんが後衛ね。ティオちゃん、渡しておいたものは大丈夫?」
「はい、ここに」
 ティオが懐より取り出すのは飴である。市販のミントドロップを更に改良し覚醒専用に凝縮したものだ。あまりのすっきりさに使用後しばらくは冷たいものが飲めなくなる。
 うん、と一つ頷いたエオリアは細い銀製のナイフを取り出した。外科手術で用いられるメス――これが彼女の基本武器だった。

「二人とも、私の動きを良く見ていてね――――それじゃ、いくわよ」
 深呼吸を一つ、エオリアは飛び出した。その速度は彼我の距離20アージュを一瞬で踏破する。
 草を踏み抜く音に気づいたバブリシザースGはその口元から泡を出して威嚇、その後攻撃に転じた泡はエオリアの視界を埋め尽くさんとする。
 殺到する泡、それに対しエオリアは更に加速、滑り込むことで最小限の被害に。
「詠唱開始――ッ!」
 泡の群れの下を潜り抜けた彼女は魔獣の腹、赤い彼らの身体の中で唯一柔らかいことを示す白い場所にメスを一閃する。
 小さく脆いメス、しかしそれは日本刀のように正しく使いこなせば切れ味抜群の武器となる。ただの一閃はまるで切腹のようにバブリシザースGの一体を絶叫させた。
 その混乱が収まる時間を与えないままにエオリアは跳躍、その時には既に両手にメスを握っている。両腕を交互に振るい左の鋏を両断、そのまま空中で縦に回転し切断された鋏をオーバーヘッドで本体に蹴り込む。
 斬られた腹部に命中したそれを見たエオリアは着地後再び跳躍。今度はバックステップである。

「解放――!」
 後退したエオリアの声に促されエリィとティオがアーツを解き放つ。
 エリィは雷の奔流、ティオは水の猛威。スパークダインとブルードロップである。
 ブルードロップが落ちてきた。文字通り水の剛球を落下させて押しつぶす魔法、しかしティオはこの魔法を、いや水属性の魔法を唱えるつもりはなかった。
 それは――――
「やっぱり効かないです……」
 ブルードロップは彼らには効かない。魔獣を包んだ大量の水はその落下の衝撃こそ与えたが、それも彼らにとってはシャワーでも浴びるかのよう。
 バブリシザースGの水属性耐久力は完璧だ、水を好む彼らに水の力は意味を成さない。体力が回復することはないが、それでも彼らの攻撃方法である泡の精製に力を与えてしまったことは確かである。

 ティオはエオリアの背中を見た。これを指示した彼女は魔獣の特性を知らなかったのだろうか。最初に指示された時に感じた疑念が再燃する。
 そして、そんなティオを余所にエオリアが攻撃しなかった一体を中心としてエリィの雷撃が降り注いだ。
 この魔獣の弱点属性は風、それを得意とするエリィにとっては御しやすい相手だ。それを見てティオはやはりエオリアが魔獣の属性耐性を理解していることに気づいた。
 なら何故自分に効かないアーツを撃たせたのか、それを――――
「え?」
 彼女は、無傷だったはずのもう一体の沈黙で理解する。

 エオリアが攻撃した一体はアーツ前には既にほぼ瀕死状態だった。しかしもう一体のほうは完全な無傷、まだ余力は残っているはず。いくら弱点属性でも、その上位アーツでも、一撃で戦闘不能にまで追い込む威力はないはずなのだ。
 とすれば、何らかの方法でその一撃が致命の一手になったのだ。ならばそれこそが彼女の感じた疑念の答えである。
「水の通電……」

「――ティオちゃんは、純水を知ってる?」
 不意に聞こえたエオリアの声、彼女は沈黙したバブリシザースGの下に立っていた。まだ息はあるのか消えておらず、しかし少しずつ空に融けている。もう何もしなくとも直に消えるだろう。そんな魔獣のあちこちを見て周りながらエオリアは続けた。
「純水は、というより水はそのものではあまり電気を通さない。水が含んでいる電解質が電気を通すだけで水自身にはそんな特徴はないから――――七耀の力で編まれた水は本来なら純水に限りなく近いの」
 それではおかしい。ブルードロップの水が伝導率を高めたのならばそれは純水ではない証明である。
 そう口を開こうとしたティオ、しかしそれを遮りエオリアは告げた。
「――それはね、あなたが本来の水のアーツを使えていないからなのよ」
「え…………」
 突然の通告に思考が固まる。アーツに恵まれた彼女の、さらに特性でもある水属性を使えていないとはどういうことなのか。そんなティオに対して視線を合わさずエオリアは淡々と語る。

「あなたがアーツで編む水はあなたのイメージを受け過ぎている。だからあなたの作る水は普段見慣れている飲料水に近くなるの。はっきり言えばアーツの設定が甘い。ただ水、と一口で言っても全然違うものもある」
 アーツは七耀脈のエネルギーを変換して起こすものだ。専用の戦術オーブメントにセットされた七耀石の結晶回路(クオーツ)から必要な属性値を揃え形にする。その過程で使われる自分のイメージとは規模と座標である。
 ティオはアーツに恵まれた体質、その規模の変化も多種多様だし座標指定も事細かにできる。しかしそんな彼女もそれ以外の設定を変えたことはなかった。
 使えるのだからそれが正解なのだと思い込んでいたし、そんな設定ができることすら知らなかった。
「あなたが本来の純水に近いアーツを使えたなら私はアーツの順番を逆にしたわ、体内から電気を逃さないための絶縁体としてね。でもそうじゃないからこうなった…………ティオちゃん、導力魔法はね、ただ使えるままに使っただけじゃダメなのよ。その本質を理解し、多様化していかなければいけない――――見本、見せてあげるわ」

 不意にエオリアが振り返った。その先は小規模の崖であり、川である。
 彼女の行動のままに視線を向けた二人。そこでようやくティオの鷹目が、エリィの視覚がそれを捉えた。
 その急斜面から巨体が生える。
 山羊のように歪曲した二本角に灰色の体毛、かつてバスを襲撃したゴーディアン。
 ではない。
 その上位種である灰色の魔獣、ゴーディオッサーである。彼の魔獣はゴーディアンを凌駕する膂力と俊敏性、知能。そして何より凶暴性を持っていた。
 濡れた体毛をそのままに、理性を思わせない獣の瞳が三人を睨んでいた。理由はわからないが機嫌が相当らしい。

 向かってくる魔獣に二人が武器を構え、いざ戦闘に移ろうとして。
「え」
 それをエオリアの手が制止した。二人が目を瞬かせる中、そんな彼女は魔獣から片時も視線を外すことなく、そして微塵の不安をも感じずに行動を開始した。
 エオリアは疾駆、真っ直ぐに突き進んで跳躍、空中でエニグマを起動させ一気に解放した。
 大地から吹き上がる風の螺旋、風の魔法エアリアル。それを魔獣の足止めと、彼女自身が高く舞い上がる為の揚力とする。
 遥か頭上を取った彼女は四本のメスを風に苛まれている魔獣の四隅に投擲、地に突き刺す。更に一本、掲げた左腕に持ち、風の壁に身動きを封じられたまま見上げる魔獣の両眼を見つめる彼女はその身体に光に纏う。
「銀の意志よ――!」
 四方に刺さった銀が同色の光を放ちゴーディオッサーを包み込む。共鳴するように輝きの強くなるエオリアは止めの一撃を魔獣の眉間目掛けて投げつけた。
 空を射抜くメスは天と地の光を吸収するように光の中で更に強い光を放ち肥大、レーザーのような直射上の光の杭となって魔獣の全身を貫いた。

「――――」
 空中から帰還した彼女は振り返り、背後を見る。彼女の目には呆然とするエリィとティオ、間にいたはずのゴーディオッサー既には光に消えていた。
 速すぎる撃退、それも今の二人が到底敵わない相手である。残滓の風を受けた心地良さそうに受けた白銀の髪が揺れる。
「可能性は広く持たないといけない。決められた道の中でしか動けないのなら、それこそ生きている意味がないわ」
 張り詰めていた気を戻し、エオリア・フォーリアはそう言った。彼女自身、その思いに囚われているからこそ今の自分があると思っている。彼女の経験そのものという言葉なのだ。

「エオリアさん……」
 エリィが銃を持ったまま呟いた。先のティオへの提言、それは彼女のエアリアルを見ただけで納得がいく。
 風の刃で吹き荒れる空間を切り刻むこの魔法、それを揚力として利用するにはエオリアが受ける風とゴーディオッサーが受ける風が同一にして同一でない必要がある。魔獣には風の刃を、自身には風の援護を、というのは螺旋状の風に対しては無理難題と言う他ない。結局同じ風なのだ、エオリアを押し上げる風は次の瞬間には刃となっていなくてはならない。
 それなのに彼女は無傷でそれを為した。つまり、アーツの操作というただ一点だけで実力差を証明したのである。
 その証明のために現れた魔獣が二人の勝てないレベルの相手だったのは偶然だ。しかしそれは強烈なインパクトを残した結果に繋がった。魔獣にとっては不運だったが、この三人にとっては幸運だった。

「――さて、ティオちゃんをいじめるのはこれくらいにして、次はエリィちゃんね」
 エリィが身体を震わせた。エオリアから探るような視線を感じる彼女は恐る恐るといった風に言葉を待っている。
「今回は事前にアーツの種類・タイミングを指定させてもらったけど、仮にそこが自由だったら何を選択してどのタイミングで撃った?」
「そうですね、まずスパークダインはそのままです。交戦してすぐに詠唱を始め、やはりエオリアさんが離れた時に撃ちます」
「そう。じゃあ前衛が私ではなく、いつものメンバーだったらどう?」
「……ロイドとランディが前衛だったら……それでも同じ選択をしたと思います」
 エリィの答えになるほど、と呟き思案するエオリア。その間はエリィにとってはとても長く、心臓の鼓動が少しずつ大きく速くなるのを感じる。
 やがて顔を上げたエオリアは、
「とりあえず戻りましょうか」
 そう纏めて歩き出した。
「え、エオリアさん?」
「ここで話しても魔獣に襲われたら敵わないし、仕事詰まってるし、歩きながらでいいでしょ」
 突然の切り替えに二人は顔を見合わせ、しかし遅れないように小走りで駆け寄った。追いついた二人を確認してエオリアが話し出す。

「まず、第一条件としてタイミングが違うわ」
「え……」
「バブリシザースGは動きが鈍く、またこちらには気づいていない状況だった。その場合、近接の前衛が駆け寄って奇襲を行うよりも、視認される前にアーツを放ったほうがいいわね」
 距離を詰める間に気づかれる危険性を踏まずに先手を打つにはアーツのほうがいい。詠唱し七曜の力が高まってくると気づく魔獣もいるだろうが、それでも詠唱完了のほうが速い。属性弱点もつけるし状況を有利に運べるのだ。
「またアーツ選択もベターだけどベストじゃない。スパークダインは確かに弱点属性かつ強力だけどその範囲もそれなりに広いわ。前衛が私一人の時と二人の時とでは味方が範囲外に逃れるのを待つ時間が違ってくる。私は自分のタイミングで下がれるように自分でアーツを指示したけど、事前の打ち合わせがない場合は範囲アーツでなく単一アーツにすべきね。これも初手ならば関係ないからそれでいいんだけど、今回はタイミングと選択の噛み合わせを少し悪くさせてもらったわ。まぁその悪さも改善できることは証明したけどね」
「……勉強になります」
 エオリアの言を厳粛に受け止めたエリィは考えを巡らせる。
 今まで自分は後衛の立場から後手後手に行動していた。アーツはどうしても詠唱時間があるのでエンカウントした後では足止めの役割が必要になってくるが、その詠唱時間をエンカウント前――戦闘準備として始めることは今まで考えたこともなかった。
 戦う前から戦いは始まっている、というのが妙な言い方であるが正しい。後衛の周りをサポートする立場だからこそ、戦闘以前の状況を完璧に調えなければならない。
 それが仲間を、自分を救うことになる。

「あなたはリーダー君とは違う視点の参謀役だと思うから、今後も広い範囲で考えを巡らせてほしい。ティオちゃんがアーツの質なら、エリィちゃんはそれの有効活用が課題というわけね」
 もちろん私も日々精進、とエオリアは最後に付け加える。
 二人の遥か上のレベルであるエオリア・フォーリアも未だ発展途上だ。本来後衛であるはずの彼女でさえ近接戦闘でもロイドやランディを凌ぐだろう。クロスベルの遊撃士は選ばれた人材、得意分野こそあれど苦手な分野はないのである。
 それでも彼女らに妥協はない。日々任務をこなす中で自分の未熟さを痛感しないことはないのだ。逆に言えばその事実に逃げずに立ち向かえるからこそ今の彼女らがいる。それこそがクロスベルで、支える籠手の下で胸を張れる一番の素養なのかもしれない。

「ああそうだ、はいこれ」
 エオリアは不意にバッグの中から瓶を取り出した。エリィは受け取り首を傾げる。
「リーダー君骨折しているんでしょ? もし痛みがひどくなったらそれ飲んで」
「そうか、エオリアさんは医師免許を持っていましたね」
「そうよー、だからティオちゃんが怪我したら真っ先に駆けつけてあげる」
「ありがとうございます。でもいいんですか? 薬もただじゃないですし……」
 エリィが心配するがエオリアは気にしないで、と手を振り顔を綻ばせた。彼女にもちゃんと益はあるのである。
「私は私で実はさっき報酬を頂いちゃってるのよねぇ」
 彼女の報酬、それは先のバブリシザースGの体液である。
 強力な睡眠効果を持つそれは医療における重要なものである。戦闘中の興奮状態でさえ容易に沈ませるそれは貴重な物質、エオリアは無期限の依頼として採取した際にはウルスラ病院に届けていた。彼女はその時に自分の医療技術に最適な物資をもらっているので得々な関係である。

「確か医師の試験は難関ですよね、どうして遊撃士になったんですか?」
「ん、それは両親の関係ね。母は遊撃士で父は医者だった、それだけのことよ」
 少しの嘘を混ぜた真実を述べた彼女は風に流されそうになる帽子を押さえ、眩しい陽光に目を細めた。
 背中越しに聞く答えに含まれた感情をティオは窺えなかった。






 ギルドに戻ると既にロイドが待っていた。二階にいた彼はヴェンツェルと真面目な会話をしている。
「ロイド、早かったのね」
「ああ、簡単ななぞなぞだったからね」
 なぞなぞ、と疑問を覚える二人に微笑みながらエオリアが報告を終えて上がってくる。ヴェンツェルを見て意外そうな顔をした。
「ヴェンツェルさん休憩ですか?」
「ああ、だが少し取りすぎたようだ」
「ヴェンツェルさん、お時間すみませんでした」
「気にするな、これを明日に繋げてくれればいい」
 頭を下げるロイドを一瞥し、ヴェンツェルは一階に消えていく。

「ロイドさん、何を話していたんですか?」
「ん? そうだな、戦闘というか全てに対する心構え、かな」
 ますます疑問符を浮かべるティオに苦笑し、ロイドは席を立った。
 エリィを加え依頼に関して三人で話し始めたのでエオリアは静かに下りていく。次の依頼に赴こうと掲示板を確認していると、扉が開いてスコットとアリオスが帰ってきた。
「おかえりなさい、二人とも」
「ただいま。エオリア、無事に終わったのか?」
 笑って頷くエオリアにスコットが安心したように息を吐いた。彼女に少し失礼な想像をしていた彼の肩の荷が下りたのは内緒である。
「エオリア、手配魔獣に変化はなかったか?」
「特には。お二人は何か?」
 首を振って否定するアリオスに釈然としないエオリアだが、流石に時間を食いすぎたようで急ぎ外に飛び出した。

 扉の閉まる大きい音を背後に二人はミシェルに報告する。
「どうだったの?」
「太陽の砦内部には別段変化はなかった。だが――」
「ブレードファングの生息の跡が少しありました。絶対数は少なそうですが、どこかに住処があるかもしれません」
「彼らが通れるスペースは探したが根城はない。どこからか移動したのか、それともまだ調べていない場所があるのか……」
 アリオスが沈黙し、ミシェルとスコットも黙り込んだ。調査は進展したはずだが、それでも疑念は消え去らない。
 今のところ人の入り込まない範囲なのが救いだった。人の生活圏にまで広がらなければ放っておいてもそれは別の世界の話ということになる。人間だけが生きているわけではないのだ。
 しかしそれでも、今回の件はそう簡単に割り切れない。

「――共和国への出張はいつだったか」
 ふとアリオスが呟いた。ミシェルは目を細め、声を低くして言う。
「共和国が入れてくれるの? いえ、そもそもあそこにまた行くなんて……」
「手がかりが欲しい。駄目で元々だ」
 アリオスの言葉に受付が深くため息を吐く。スコットはそんなやりとりをただ眺めていた。



 初出:6月5日


 特務支援課の強化? 知らんよ。
 エオリアが活躍すれば万事解決。ラスボスもエオリアさんが麻酔やればいい。



[31007] 5-3
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/06/09 22:51



 ロイド、エリィ、ティオがギルドで情報交換を終え離れる時、思い出したようにロイドは呟いた。
「そういえばエステルとヨシュアは市外に出ているのかな」
「えーっと……そうみたいね。アルモリカ村に行っているみたい」
「アルモリカ村ですか。最近行ってないですね、名産の蜂蜜はよく使っていますが」
 ティオの発言のとおり、特務支援課は市外にあまり出ていなかった。流石に魔獣事件以来というわけではないが、それでも遊撃士と比較すると頻度は少ない。
 創立記念祭においては市外の案件を任せっきりにしたり肩代わりしてもらったりと彼らにおんぶに抱っこ状態であったが、そろそろ市外に一通り回ってみてもいいだろう。

「キーアと一緒に行けば何かわかるかもしれないな」
 ロイドは留守番の少女を思った。今頃ツァイトとじゃれ合っているのだろうか。
「あ、そう言えばエステルが言ってたわよ」
 受付からミシェルが口を挟む。その間も手は動いており書類を作成しているようだ。
「言ってたって、何をですか?」
「レンちゃんが遊びにいくそうよ」
 エリィの問いに返ってきた言葉、それは三人の予想外のものであったが非常に嬉しいものだった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






「レンよ、よろしくね」
 そう言ってスカートを摘み上げた少女を前にキーアはぎこちない笑顔を浮かべていた。
 ツァイトも起き上がりキーアの隣に佇んでいる。それは別に警戒しているわけではなく、単にキーアの心情を把握しているからである。

 レンが特務支援課分室ビルを訪ねたのは支援課の四人がそれぞれの要請に向かって十分後のことだった。
 ヨシュアから少女のことを聞かされた彼女は少女に興味を持ち、支援課の四人がビルを開ける時間帯に訪ねようと決めていた。ヨシュアは直接それを伝えようとしたが市を離れることになり伝言を残した。
 エニグマを使用しなかったのは、それも他遊撃士とのコミュニケーションに役立ったらという親心的な思いがあったのだが、それはミシェルとの交流のような結果に至っている。

 とにかくもビルを訪れたレンは一階に人がいないことを確認、二階へと上っていった。それぞれの部屋に気配がないことを確認して三階へ、そして突き当たりの部屋に辿り着いた。
 ノックをする。
「んー、だれー?」
「入ってもいいかしら?」
「え?」
 返答を待たずに部屋に入ったレンはそこでかつて見た神狼とコバルトブルーの少女、そしてその膝で寝ている黒猫を確認し笑みを浮かべた。いきなりの侵入に驚いているのはキーアただ一人で、ツァイトもコッペも特別な変化はない。
「レン……?」
「あら、レンのことは知っているのね。どうして?」
「え、えっと……」
 キーアが言葉を詰まらせるとツァイトが一声、それに顔を向けた彼女は静かにわからない、と告げた。

「…………あなた、そこの神狼さんの言葉がわかるのね」
「う、うん」
「……あなたは知っているけれど、まずは自己紹介をしないといけないわね」
 そして冒頭の発言に戻り、キーアもそれに倣った。レンは猫のような目を細めてキーアを見つめる。
「ふふ、キーア。あなたは本当に自分のことがわからないの?」
「え……」
「あなたにとっては当たり前なのかもしれないけど、普通の人間は動物の言葉がわからないのよ。レンや支援課の水色のお姉さんみたいに感応力に優れた人間はそういうのに敏感だからわかるけど、じゃああなたはどうなのかしら」
 出会って間もない間柄であるはずなのに、レンは何の躊躇もなく言葉を連ねた。そしてそれらの言葉はキーアの奥にどんどんと入ってくる。普段の笑顔に陰が差し始めたキーアに気づいているが、気づかない振りをしてレンは続ける。

「神狼さんやそこの黒猫の言葉がわかる、それが普通の人にとって当たり前のことだなんて思っていたわけじゃないでしょう? それでもあなたには当たり前のことだった。そしてその理由もちゃーんと理解している。だってあなたは、自分の正体に気づいているんだもの」
「ど、どうして……」
 思わず零れた言葉、それを聞いたレンは口を歪めて嗤った。小悪魔のような、全てを見透かしたような瞳。
 キーアは眼前の少女を恐ろしいと感じた。
「ウォン」
「ふふ、叱られちゃったわね」
 突如ツァイトが短く吼え、レンは肩をすくめた。キーアは呆然と隣にいる神狼を見る。
 ツァイトの静かな目と合い、混乱していた気持ちが落ち着いていく。コッペが大口を開けて欠伸をした。

「…………そっか、そうだよね」
 キーアは先の自分に言い聞かせてやりたくなった。
 何のことはない、突然現れたレンの言葉に悪意はないし、自分はこの世界に一人でいるわけじゃない。当たり前のこと――そう、当たり前のことだ――を追求されただけなのに自分に後ろめたい感情があったから過剰に反応してしまったのだ。
 ツァイトに言われたことを思い出す、彼はあの時から少女がこうなることを予想していたのかもしれない。
「あのねっ、キーアはキーアだよっ!」
「…………ええ、あなたはキーアね。さっきも聞いたわよ?」
「ううん! 最初のはなしなのっ、さっきのが本当の自己紹介っ!」
 太陽のような笑顔、それをレンはすぐ傍で見た気がする。
 太陽は人にとってなくてはならない存在だ、故に笑った顔をそう表現される彼女らは、そう表現した人にとってなくてはならない存在だということなのだろう。

「レンっ、今日はどーしたの? ロイドたちはお仕事に出かけてるよ?」
「お姉さんたちに用事はないわ、今日はあなたに会うためにきたのよ。ヨシュアから聞いてね」
 そうして二人の少女は他愛無い会話を始めた。レンにとって自分より年下の女の子は稀であるため、些細な言葉にも姉のような表現が表れている。一方のキーアもティオやエリィとはまた違った存在にしきりに感情を表していた。
 安心したのかツァイトは重い腰を上げて屋上に消えていく。しかしコッペはキーアからレンの膝に移り惰眠を貪っていた。少女の膝が好きな黒猫である。






 ランディが戻ってきたのは夕食当番のエリィが準備を始めて数分といったところだった。
 彼女は今回キーアに食べさせるという大役を任せられた運命に感謝しつつ気合を入れている。おそらくはホワイトソースを使った料理だろうとティオが予想できる辺り特務支援課も馴染んでいる。ちなみにキーアのために作るという行為は何も初めてではない。
「かぁー、おっかれさんっ」
「お帰りランディ、随分時間かかったんだな」
 ロイドがトンファーを磨きながら言う。その向かいに腰を下ろしたランディはロイドの隣にいるキーアに頬を緩ませると肩を回し始めた。
「まぁな、依頼に書かれてた内容自体はすぐに終わったんだが、その後ミレイユのやつが放してくれなくてな……あのやろうせっかくの機会だからっつってひっきりなしに雑用押し付けやがる」
 流石は准尉殿だぜ、と呆れたように言うランディ。しかし話を振った当の本人ロイドはキーアに顔を向けて少女の質問に答えていた。

「ミレイユ准尉のことをランディが気に入っているからなんだ」
「そうなんだー。ランディ、みれーゆのこと好き?」
「おい、何の話してんだ何のっ!」
「何って、ランディは疲れてるのに嬉しそうなのはなんで? ってキーアが言うからさ」
「あのなぁ……おいキー坊、これは嬉しそうなんじゃなくて呆れてるんだ。昔なじみだからって遠慮がねぇよってな」
 ランディが弁解のようなものをし始め、キーアはふんふんと興味深そうに聞いている。ツァイトに背中を預けて読書していたティオが耳ざとく反応した。
「ランディさん、キー坊ってキーアのことですか?」
「あん? ――キー坊」
 指差して示すランディと、その人差し指を掴むキーア。ティオの眉が不信に揺れた。

「前から思っていましたが、わたしのことといいエリィさんのことといい、ランディさんはあだ名のセンスがありません」
 お嬢、ティオすけ、キー坊。これが彼のつけたあだ名コレクションである。
 ロイドはその三つを聞き、実に良くできた名前だと密かにランディに賛辞を送った。何故って、素晴らしくわかりやすいと思うからである。
 しかし本人が不満を持っているならやめるべきだとも考えていた。
 つまりはどっちに転んでもいいのである。またまたちなみに、ティオがキー坊という言葉を聴いたのも今日が初めてではない。
「だがなぁ、他の候補っつーと、ティオ丸、ティオ蔵、オッティ、ティオのふじ……どれがいい?」
「最悪ですほんと最悪です」
 でもオッティはみっしぃみたいでちょっと揺れました……
 内心を隠し全否定するティオ、しかしランディは笑って取り合わなかった。
 結局はティオすけのまま、それに彼女も慣れ切っているのできっと変われば不審に思うだろう。最初に根付いたものは早々取り除けないのだ。

「できたわ、運ぶの手伝ってっ」
 お嬢――エリィが調理場から出てヘルプを頼む。お腹の空いた残りの人員は揃って動き出しめでたく夕食の場が完成、それぞれが舌鼓を打った。
 しかしキーアの話は今日訪れ友人となったレンのことばかり、料理の感想が一言で終わったことに落胆を覚えたエリィだったが、嬉しそうに話すキーアの頬に付いたソースを拭きながらそれを嬉しくも思っていた。






 翌日は遊撃士の報告に限界が来たので別な方向で進めていくことにする。
 記憶に関して実体験でもあるのかヨシュアが七耀協会の力を頼ってはどうかと言ってきたのだ。エオリアも医療技術の点から身体に何か理由があるかもしれないとしてウルスラに行くことを勧めている。
 支援課の今日一日はキーアのために使おうと決めていた。

「さて、それじゃあキーアを連れていくのは誰か、ってことになるけど」
 行きたい人、と募り上がる手を数えるロイド。全部で五つ。
「え、多くないか……?」
 まさか行きたい意思表示強調のために両手を上げている人間がいるとは思いたくない彼は目をぐしぐしと擦ってもう一度数えた。今回はその腕の持ち主の顔も確認する。
 向かって左から、にやにやしながら上げるのはランディ・オルランド、おそらく冷やかし半分だろう。
 次にがくんと位置が下がってティオ・プラトー、こちらは普通にキーアの傍にいたいが、行き先に病院が含まれているので気後れしているのか微妙に腕が曲がっている。
 そしていつになく目力を込めてこちらを眺めるエリィ・マクダエル、彼女が一番キーアに熱中しているのかもしれない。

 そして次は見慣れない蒼の腕、しなやかなそれの持ち主は涼しい顔で微笑んでいる。
「ワジ、なんでいる」
「え、遊びにきたらなんか集まってたからさ」
 そもそも遊びにくるというのが何もかも間違っているのだが、彼が四つ目の手の持ち主だとして、最後の一つは誰のものだろうか。
「お兄さん、現実から目を逸らしちゃダメよ」
 そう言って嗜める少女、レン。
 ロイドは、んー、と眉間に指を当てて唸った後、困った顔で呟いた。
「どうしようか……?」
「もう全員で行けばいんじゃねーの?」
 ランディが笑みを崩さずに提案し、それもいいかとロイドが思った矢先――

「そこまでよ――っ!」

 開け放たれた扉の前にはエステル・ブライトとヨシュア・ブライト。
「エステルさん、ヨシュアくん」
「あ、新人遊撃士コンビ。久しぶりだね」
「ちぇ、気づかれちゃったか」
 ワジがにこやかに手を振り、レンがあらぬ方向を向いてぼやいた。ずかずかと少女に向かってきたエステルは腰に手を当てて唸る。
「ちょっとレン、今日はうちにいてって言ったじゃない!」
「だって退屈なんだもの、エステルたちはお仕事だし」
「でも約束したじゃないのっ!」
「そうだったかしら? レン、覚えてないわ」
 この、と怒りを振り上げるエステルを制し、ヨシュアがロイドらを見た。

「ごめん、せっかくのところ悪いけど支援課も協力してくれないかな? この通り、レンを家にいさせるために僕らも仕事を早く終わらせたい」
 ヨシュアは提案した自分が、と思っているのか本当に申し訳ない表情で請うてきた。
 支援課としても遊撃士には、特にヨシュアには格別の恩がある。確かに遊撃士に支援要請をまかせっきりにしていた日が記憶に新しい。今日も、というのは流石に都合が良すぎる。
 そもそも遊撃士から市民の評判を奪うために作られた特務支援課がそのためにこなさなければならない支援要請を遊撃士にまかせるというのはコンセプト的にそもそもおかしな話である。現在会議中のために席を外しているセルゲイがこの場にいたら窘められただろう。

「――というわけで、キーアに付くのは二人か三人だ」
 ちなみに支援課は二人、ワジが付くなら三人である。
 選抜方法をキーアに委ねるのが尤もかもしれないが、それで選ばれなかったなら哀しいので公平にじゃんけんで決める。負けた者は支援要請だ。
「みんながんばれー」
 キーアの声援に皆の攻撃力が上がった。しかしいくら上がってもちょきがグーに勝つことはない。
「せーの、じゃんけんぽん!」




 * * *




「熱い戦いだったねぇ」
 ワジが他人事のように呟き、キーアが、ねー、と賛同した。
 現在彼らは七耀協会へ向かうために住宅街を歩いている。物珍しいのか、少女はしきりに目を凝らしては反応していた。
「ふふ、じゃんけんでは負けません」
 そしてキーアと手を繋ぐティオはその勝負に絶対の自信を持っていた。感応力を高めれば相手の思考など容易にわかる、彼女にじゃんけんで勝てる人間は早々いない。
「ま、キミが一番に抜けるのはわかっていたことだけどね」
「何故ですか?」
「髪の色」
 ワジの答えに疑問符が浮かぶティオ、しかしワジはそれに気づいていながら話すつもりはないらしい。きっといつもの気まぐれとか根拠のない自信とかそういうものだろうとティオは深く考えることをやめた。

「だが見ものだったぜ、お嬢が負けたときの反応はよ」
 カラカラと笑うランディはコートのポケットに手を入れたままだらしなく歩く。ハルバードを持っていないからか足取りは軽い。だらしなく軽いので見事に遊び人のようである。

 そう、勝ったのはティオとランディだ。
 ちなみに最初に脱落したのはロイド、四人の中で一番キーアと触れ合っているのが何故か彼だったので三人の共通のターゲットだった。彼以外の四人がパーを出し、自分が負けたことを悟った彼の愕然とした表情は忘れられない。
 そしてティオが勝ち、ワジが勝ち、残るはランディとエリィの一騎打ち。冷やかしで入ったランディとしては譲ってもよかったが、己の拳に念を込めている彼女の姿がツボに嵌まりそのまま勝負に出た。
 諸手を挙げて背中で勝ち誇るランディの後ろでちょきのままに沈むエリィの姿は彼の中の支援課名シーンランキング現在トップである。
「でも負けたら支援要請ってまるで罰ゲームみたいだね」
「違います、勝ったらご褒美だったんです」
 ワジが誤解を招くような発言をするが、ティオに切り返された。少し唇を尖らせたワジもまた貴重だった。




 さて、三人がキーアを連れて回っている間、残されたロイドとエリィはツァイトとともに支援要請をこなそうとしていた。
 彼が何故手伝ってくれているのかは定かではないが、ロイドは内心へこんでいるエリィがいたからだろうと考えている。
 今日は導力ネットワーク計画における重要な機材である汎用端末のメンテナンス日であり警察本部から支援要請が届かない。故に彼らは一度遊撃士協会に赴き、その掲示板を眺めていた。
 クロスベルの遊撃士は全部で七人、普段コンビで活動しているので四組と言ったところか。今日は支援課の二人が加わるので依頼の数的に平常運行で大丈夫、単独で任務に当たる必要は市内組にはない。

「というわけで、二人には市外に行ってもらうよ」
 リンが割り振った先はアルモリカ村とマインツ、ウルスラ病院という市外名所、そして図書館の依頼である。
 市外に行くのにどうして図書館の依頼なのかというと、この依頼は貸し出し本の返却が依頼だからである。その本を所有している人物の所在が市外だということだ。ついでに各場所の見回りをして急な依頼にも対応してほしいそうである。
「ま、一日遊撃士みたいなもんだ」
「自分たちが解決した依頼はギルドが処理したことになるんですか?」
「そんな懐の狭いことは言わないよ、精々警察の信頼に役立ててくれ」
 というわけでお仕事開始である。しかしそこでリンが口を挟んだ。

「あ、今回はお前たち別々だよ」
「え?」
 無意識というか当たり前のことだが二人と一匹で行動しようとするも制止されきょとんとする二人、リンはいやらしい笑みを浮かべた。
 あ、嫌な予感……
 二人の予想は重なり、的中する。
「なんだよ、そんな四六時中一緒にいたいーなんて関係なのか?」
「ち、違いますっ、からかわないでくださいっ!」
「そ、そうですよリンさんっ! エリィとはいつもこうですから――」
「ふふん、いつもそうなのか、なるほどなるほど。ロイド、お前も隅に置けないな」
「リンさんっ! もうロイドっ、あなた何言ってるのよっ!?」
「何って支援課の仲間はいつも一緒じゃないか――っ!」
 顔を赤くしたエリィとロイドは両手を突き出す同じポーズで慌てる。
 以心伝心とは少し違うが波長は同じな二人に満足したのか、リンは二人を宥めて本日の組み合わせを告げた。ちなみにエリィの機嫌は少し悪かったりする。

「ロイド、お前は私と。エリィはスコットだ」
「よろしく」
 いつの間にか傍にいたスコット、彼とは仕事をした中なのでエリィは黙って頭を下げた。
「ロイド、あんたの武術叩き直してやるから覚悟しておきな」
「あの、でも俺腕こんななんですけど」
「だからウルスラには私たちが行くんだよ。ちょうどいいだろ?」
「あ、そうですね」
 仕事中だけど、とロイドは真面目な思考をするがその仕事に必要な作業だ。彼は黙ってリンの後を追ってギルドを出て行った。




 * * *




「退屈だわ」
 レンはそう呟き胸元のぬいぐるみを抱きしめる。椅子に座っていてもお茶会ではないので嗜好品もなく、仕方ないのでベッドに腰を下ろして所在無げに足をぶらつかせる。
 この部屋の主の二人は現在遊撃士の仕事中で不在、残された少女はたっての願いで留守番をしているが、何せ仮住まいであるので娯楽がない。
 エステルの趣味は釣りとスニーカー蒐集、ヨシュアの趣味はハーモニカと読書、武器の手入れである。
 レンにしてみれば釣りなんていう特定生物の行動を誘導するなんて生態を理解していれば容易でつまらないし、かわいくないスニーカーの良さも全くわからない。
 ハーモニカに関してはヨシュアが星の在り処を吹いてくれるなら喜んで聞くけれど、大切なものだからこそヨシュアのそれには触れたくない。
 論文を書くほどの自身がジャンルは違うとて本を読むのも退屈だ、都合の良すぎる物語もあまり好きじゃない。武器の手入れがどうして趣味になるのか理解すらできない。
 つまり、この空間はあまりにもつまらない。

「退屈だわー」
 揺れる足が加速する。ブラブラが次第にブンブンとなり、終いにはバタバタとなった。
「あーもー!」
 寝転がり、抑えきれない行動欲を足のみで満たそうとする。目を瞑り腕に力を込めるとぬいぐるみが苦しい、と顔を歪ませた。
 そして、天啓が閃いた。

「そうよ、エステルとヨシュアが戻るまでに帰ればいいんだわ」
 どうしてこんな当たり前のことに気づかなかったのか、レンは自分が本当に天才なのか疑問に思えた。
 しかしそんな問答などしている暇はない、いや暇はあるのだがその時間は非常にもったいない。速やかに行動を開始して、キーアのところに向かうのだ。
「きっと、そこにはお姉さんもいるしね」
 レンは自身が注目すべき二人がセットになっているだろう光景を想像し、おそらく最初に向かう七耀協会に行くことを決めた。
 ベッドから軽やかに飛び降り玄関へ向かう。

「あら?」
 そして、扉に張り付いているメモに気づいた。

『レン、扉に挟んである紙に何かしたら怒るよ。大人しく待っていて。PS.窓にもあるからね ヨシュア』

「………………いじわる」
 暫く眺めた後メモを細切れにしてレンは愚痴った。しかしそれでめげない少女はにやりと笑い、
「甘いわ、ヨシュア」
 エニグマを手に取った。



 初出:6月9日


 ティオはじゃんけん最強のようです。
 Q.前ランディ勝ってるよね、コンビクラフト命名権で。
 ティオすけ「あの人は右手で出すものを考えていました、しかし実際に出したのは左手だったんです。反則です」




[31007] 5-4
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/06/17 22:58


 七耀教会の法術はアーツに似たものがある。つまりは七耀脈の力を利用して作動させる術であるのだが、それは教会の人間全てが使用できるわけではない。
 とりわけ通常の司祭やシスターは典礼省という一般的な教会業務を行うものたちだ。ミサや日曜学校を開き教えを説く、そこに法術は必要ない。
 法術を使用するのは七耀教会本部であるアルテリア法国を守る僧兵庁や、アーティファクトの回収・管理を務める封聖省の人材である。
 クロスベルの教会を任されているエラルダ大司教は大の封聖省嫌いであり、それ故に法術を使用できる者は限られていた。ちなみに、その大司教も法術を使用できる一人である。

「まさか、ロイドやお嬢の先生に頼ることになるとはなぁ」
 教会を出たランディが呟く。他のものも同意のようだった。
「二人の昔話が聞けなかったのは残念だねぇ」
 ワジが本当に残念そうにため息を吐き、彼に割と否定的なティオもそれに頷いていた。
 キーアに法術を施してくれたのはロイドとエリィの日曜学校時代の恩師である。住んでいた区が違う為に幼い二人は出逢うことはなかったが、もしかしたら幼馴染であった可能性もあったのかもしれない。
 エラルダ大司教に頼むはずが何故そうなったのか、それは偏にワジの存在に尽きる。
 何故だろうか、大司教はワジを見るなり顔を歪ませ、教会を預かる身としてはありえない拒絶の言葉を放った。ワジも予想していたのかしれっと受け流し、大司教は自室に消えていく。
 理由を尋ねると、教会通いに熱心でない彼が旧市街で教会もどきのような集団を作っているのがお気に召さないらしい。

「あれはアッバスの趣味なんだけどな」
「確かに頭丸めて坊さんみたいだな」
 不思議に納得するランディ、キーアはアッバスを知らないのでよくわからないような顔をしていた。
「それじゃあ今度はウルスラ病院ですか……」
 ティオがよくわからない顔で呟く。ランディはその表情に苦笑し、ワジとキーアは不思議な様子でいた。
 七耀の力を持ってしてもキーアにはあまり意味をなさなかった。ということで今度はレミフェリアの医療技術を頼ることにする。
「あー、どうしてエオリアさんはここにいないんだ! 紹介したんなら同行してもいいじゃねぇか!」
「エオリアってあの遊撃士のお姉さんかい? 彼女がウルスラを勧めたの?」
「そうです。エオリアさんは医師免許を持つ方ですから」
「えおりあってキーアも会ったことないよ、ティオ」
「そうですね、キーアもそのうち会いますよ……その時は気をつけなければいけませんが」
「よくわかんないけどわかったー」
「エオリアさんの扱いがひどいよな、俺に言わせりゃ天使に程近いお姉さんなのによ」
「綺麗な花でも遊撃士だからね、棘どころか猛毒を持ってそうだよね」
 話も弾む四人である。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車が止まらない






 エリィはスコットの射撃技術を、ロイドはリンの格闘技術を見せ付けられながら依頼をこなしていった。
 エリィのほうは援護を的確にこなしていたがロイドのほうは全く戦闘に参加せず、ただリンによる魔獣蹂躙を見ていただけだった。それでも彼は彼で彼女の盗める部分を探して脳内でシュミレートしていた。時たまそれが小さな呟きとなって現れていたのでリンも戦いながら笑みを深めるのだった。

 そしてエリィ・スコット組がマインツの鉱山で魔獣の掃討を行っていた時。ロイドとリンはウルスラ病院にやってきていた。今回の依頼はとある薬の材料の調達である。
「それじゃよろしく頼むよ」
 そう言って笑うのはヨアヒム・ギュンター、薬学専門の医師である。
 釣りとサボりが趣味のこの人物とはロイドもそれなりに関わっているので知人の頼みを聞いているような感覚になっていたが、今回集めるべき材料がある場所は彼が行ったことがない場所だったのでそこは真剣に耳を傾けていた。場所はマインツトンネル道の途中、左に逸れる道の先にある。

「ロイド、お前はこの先に行ったことがないって言ってたな? 後学のために聞いておけ」
 リンが説明を始める。
 マインツトンネル道中間から分岐するこの道は標高の高い細い道である。言ってみればマインツのある高所、つまり岩山の崖を通る道である。
 当然足場は悪く、魔獣も特殊なものが生息しているが、不思議なことに道が壊れることはない。その理由はその道の先にある建造物にある。
 月の僧院、それは古代の遺跡である。
 僧院というとおり神聖な場所であったためにそこまでの道なりで人を試す必要があった、それがこの場所に建てられた理由だと言われている。既に荒廃しており訪ねる人間は皆無だが、それでも今尚荘厳に佇んでいる姿は一見の価値があるそうだ。
「ま、今回は僧院までは行かないんだけどね」
「その途中で分かれ道がある、ということですね」
「そうだ、距離的には近いけどその分険しくなるからどっこいだな」
 リンは拳を掌に当てた。小気味よい音が響く。

「ロイド、お前の腕の治療は後回しだ、ちょいと距離があるからな。その代わり、悩んでるあんたを少しだけ楽にしてやるよ」
「…………わかりますか?」
 ロイドは神妙な顔で尋ねた。自分では隠していたつもりはなく、むしろ半ば忘れていたようなものだったがそれは他者に気づかれるレベルであったらしい。
「わかるさ、顔に出てるよ。捜査官としてはどうなのかね」
「失格ですね、顔に考えていることが出るなんて問題外です」
「そうだな。でも仲間にとってはありがたいことだと思うよ」
 喜んでいいのかわからない。ロイドは歩いて行くリンの背中を眺めながらそう思った。

「ん? あ、ちょっと待ってくれないか?」
 二人がヨアヒムの研究室を出ようとしたその時、資料に目を通していた彼は慌てたように言い止めた。
「どうかしましたか?」
「いやぁごめんごめん。さっき言った場所にあったのは昔のことだったみたいだ。いや、今もあるんだけどももっと近い場所にも繁殖しているからそっちに行ったほうがいいね」
 星見の塔。その言葉にロイドは僅かな痛みを覚えた。




 ロイドが負傷中ということでバスで市まで移動し、そこから徒歩に切り替える。星見の塔に向かうためにはゴーディアンなどの危険な魔獣が生息する森を抜ける必要があった。
 銀との邂逅のために向かった際には消耗を考えて戦闘を避けていたがリンにはそんな考えはないようだ。手当たり次第ではないが、障害になり得る魔獣には積極的に仕掛けている。
 さて、彼らがかつて苦戦した彼の魔獣だが、リンの戦闘能力の前には足元にも及ばない。
 彼女の武器は自身の肉体である。保護のためにプロテクターの類は装備し手甲も身につけているがそれは彼女の攻撃力の高さの証明にはならない。
 泰斗流、共和国に源流を持つその格闘術にこそ彼女の真価がある。

「ふ――!」
 息を吐き出しながら右腕を振るう。その一撃でゴーディアンは巨体を揺るがせたたらを踏み、体勢を整えることなく次の一撃で沈み込む。ただの二撃、それだけでリンはこの魔獣を無力化した。
 と思った矢先には反転して見つめていたロイドの方に疾走、遠くから飛んできた鋭利な葉を叩き落す。ブレードバナナンヌというバナナの一房が変質した魔獣だ。彼らの攻撃は非常に鋭く危険である。
 リンはそのまま狙いを彼の魔獣に。幸いなのは次弾の装填に時間がかかることだろうか、当然の如くバナナンヌはリンに潰され消滅していく。
「やれやれ、準備運動にもならないな」
 リンは全身の力を抜いて呟き、ロイドはそれに言葉も出ない。
 たった一人で戦闘をこなし、それが準備運動にならないレベル。そこに辿り着くまでに自身がどれだけかかるのか、その未来が見えなかった。

「ロイド、お前に今足りないもの。その一つを教えるよ」
 リンは先へと歩を進めながら後ろの彼に言う。それは今のロイドに一番必要なことで、彼女こそが一番伝えるに相応しいと感じたこと。
「今の私とお前、戦ったら間違いなく私が勝つ。それは単純な実力差に他ならないが、さて。仮に実力伯仲だとしたら、勝つのはどっちだ?」
「……それは」
 ロイドはリンと戦って勝つビジョンが見出せない。それは現実が思考を蝕んでいるからだが、しかしリンの言うように互角だったとして、そうしたら自分は勝てるのだろうか。
「……俺は、勝てません」
 勝てない、そう思った。
 しかし具体的な根拠を問われても答えることはできなかった。
 自分自身に対する過小評価か、それとも現実なのか。沈黙したロイドにリンはその答えを返す。

「お前の言うとおり私が勝つよ。ま、その理由がわからないんだから意味のないことだが――――私はこう考える。こだわりの差だってね」
「こだわり、ですか……?」
 頷き、リンは己の両拳を見た。悩んだ際掌を見るロイドに似た動作だった。
「私には泰斗があるが、言い換えれば泰斗だけともなる。当然エニグマにクオーツがあるから最低限のアーツは使えるが、それを安易に使おうとは思わない。それは私が、泰斗の拳に対して強い思い入れがあるからだ」
 どんな状況でも自身の拳で対応する。泰斗を学び、修め、極めればどんな状況も突破できる。リンはそれを信じて疑わない。

「一方でお前は自分の振るう武術に対する気持ちが薄い。性格なのか特性なのかは知らないが、それはお前が結果こそを重視するからだと思う。結果に至るまでの過程をお前は制限しない。その分思考・選択の幅は広がり柔軟に対処できる。うん、それは悪いことじゃないし良いことだと思う。でもな、お前は過程にも目を向けるべきなんだよ。結果を求める為に柔軟な思考を重ねるお前は、しかし結果という一箇所しか見ていない。これは矛盾じゃないか?」
 ロイドには過程に対するこだわりが薄い。
 自身のトンファーによる制圧か、理論による論破か、はたまた仲間の助力か。彼は求めるべき結果のためにはそれまでの過程を重視しないのだ。
 ただ一つ、仲間を護りきるという結果に対しては過程をこそ重視することもあるが、その過程も自分が頑張って護る、ということであって護る術に関しては思考が向いていない。
 幅広く、というのは確かに多くをカバーできるが、一点に対しての力が甘いのだ。

「私は唯一つのことに全力を注いでいるから、範囲を広げすぎるお前とは一つの力が違う。私は泰斗の武術であらゆるものに対処すべく訓練していて、お前はそんなものもなく手数を増やしている。それは確かにリーダーとしての統率力には勝るけれど、個の力では激しく劣る」
 極限まで研ぎ澄まされた刃は、様々な材料を使った防具を容易く切り裂く。極限まで改良された防具は、あらゆる攻撃を寄せ付けない。前者がリンであり、後者がロイド。彼女はそう言っているのだ。確かに言っていることはわかる。わかるが、しかし――
「……ですが、状況に応じた選択の多さが一点の力に必ず負けるとは思えません」
「当たり前だろ、言ってみればそれもお前のこだわりだ」
「え?」
 思わず反論したロイドだが、それはあっさり肯定されて意表を突かれた。そんな彼を気にもせずリンは告げる。
「私の持論に納得がいかなくて反論した。つまりはお前が今の戦闘スタイルに何かしら感じているからだろう? 別に私の考えを押し付ける気はさらさらないよ。ただ一つ言いたいのは、お前はその選択の中に特別な芯を一つ入れるべきなんだ」
 ロイドのスタイルはそのままでいい。しかし今のままでは全てが平坦で、拮抗した時に頼るものがないのだ。リンはそれこそを危惧する。
 遊撃士は皆最後に頼るべきものが必ずある。リンのように武術一辺倒なら言うに及ばず、武術・魔法とバランスよくこなすヨシュアにも一番の強みがあるのだ。
 今のロイドはその最後の砦、中心となる一本の選択肢がないのである。
 柔軟な考えはリーダーとして集団を指揮するにはいいだろう。しかし万一離散した時、ただ一人の状況で選べる手段が少ない場合、最後に頼るものがなければ生き残れない。

「お前が一番大事な結果、それを達成する為に必ず踏む過程。それを為すのに一番重要なお前の芯は何だ? トンファーによる武術か? エニグマによる導力魔法か? それとも純粋な身体能力か?」
「俺は――――」
 ロイドが苦悶の表情で悩む中、二人はいつの間にか森を抜けて星見の塔の威光を視界に収めていた。以前立ち寄った時と同じ、ただ扉の前にあるバリケードは修復されている。
 吹き抜けのようなこの場所では風が舞い、地を彩る草々で美しい曲線を描いている。おそらく何度来ても森を抜けた瞬間には息を呑むことだろう。

「さて、ヨアヒム先生の依頼した植物はっと」
 リンが軽やかな足取りで周囲を歩き回り、ロイドも思考しながら捜索に入る。しかし彼の目には全てが同じ植物に見えており、一向に力になることはなかった。
 彼の脳内ではリンの問いが渦を巻き、しかし一向に答えが出ない。そしてそんな彼を救うのはいつも、いつも、今は亡き兄の背中だった。


 結局リンが一度彼の探した場所で発見してお小言を放ち、ロイドがそれにうなだれる結果になった。
 それでもリンの口が閉ざされるとロイドは口を開く。
「リンさん、俺は結局、このトンファーこそがそれなんだと思います」
「……それはどうしてだ?」
「確かに警察で導入されていて、対象を傷つけずに無力化・制圧できるというのもあります。でもそれよりも――――これは兄貴も使っていた武器だから、だから俺はこれで戦っていきたい。大切なものを、これで護っていきたいんです」
 トンファーを持つ左腕に力が籠もる。この武器で兄はクロスベルを守ってきたのだ。
 ガイが使用していたトンファーは彼の殺害現場からは持ち去られていて現物はない。それでも同じ武器を持って戦うということに安心感を得られる。
 同じ武器を持って護ることに、大きな意味を感じられる。
 いろんな武器を試してみて選んだトンファー、そこにはしっくりくるという以上の理由があったのかもしれないと初めて気づいた。

 リンはロイドの目を見つめ、やがて息を吐き、
「そうか、なら精進しなよ」
 満面の笑みで認めてくれた。それに中てられてかロイドの頬も緩む。
 リンは言ったとおり、ロイドを少しだけ楽にしてくれた。改めて頑張れる活力を与えてくれた。
「リンさんは、少しセシル姉に似ています」
「ん、誰だい?」
「俺の姉です。全然似てないですけど、厳しいところが」
「悪かったね、厳しくて」
 普段は優しく包み込んでくれるセシルはしかし、必要な時はとても厳しく接してくれる。
 それは普段とのギャップのせいか必要以上に厳しく感じてしまうが、その厳しさには必ず優しさが込められている。その証拠が厳しくされた後の微笑だった。
 リンの厳しさにもその優しさを覚え、その後に笑顔もあったための発言だがリンにはお気に召さなかったようだ。

 それでも雰囲気は明るい。リンは屈み続けた自分を労わるように大きく伸びをし、そして――――


「え」


 遥か頭上から巨獣に見つめられる感覚に驚愕して天に振り向いた。
 見上げるは星見の塔、その頂上には鐘楼があるだろうが塔付近では角度がなく窺えない。急いで距離を離し鐘楼部分を認めるも目立った姿はなく、彼女は狐につままれた気分になった。
「おいロイド、お前は何か感じなかったか?」
 厳しい視線を向けたまま尋ねるも反応はない。聞こえなかったのかとリンはようやく視線を下げ、
「な――」
 倒れているロイド・バニングスを発見して絶句した。
 緊張が走る。急いで駆け寄りつつも周囲に必死に目を配った。
 襲撃ならまだ近くにいてこちらを狙っている可能性がある。ここで自分が倒れるわけにはいかないという思いと、すぐに様子を確かめたいという思いの板ばさみによる全力の行動だった。

 周囲には目立った気配はない、ロイドを見る。彼は両手で頭を押さえて苦痛にもがいていた。
「どうしたッ! 喰らったのかッ!?」
 頭部を確認するも外傷はない、遠方からの狙撃といった類ではなさそうだ。
 となると上位属性の精神攻撃系魔法か、しかし術者の姿は確認できない。
 アーツにも射程はある、リンほどの実力者に気づかれることなく詠唱するのは難しい。
 辺りを見回しても変化はない。冷や汗が流れた。

「づ、ぁ……っ、たま、が……ッ」
「弾ッ? 撃たれたのか!? おい、しっかりしろッ!」
 頭に損傷があるのなら無闇に動かせない。しかしリンにはそれ以外の対処法が思いつかなかった。
 心臓が異常なほどに高ぶる、爆発しそうな内臓が襲い掛かってくる。
 エニグマの通信外である星見の塔で、彼女はロイドを負ぶさり最高速でウルスラに走った。周囲への注意と引き換えにガリガリと擦り切れる精神、その消耗に歯を食いしばって。






 * * *






「彼の者も越えましたか」
 蒼穹を衝く星見の塔の鐘の前で呟く。そこには僅かな驚愕と大きな感嘆が込められていたが、しかしそこには好意というものが欠如していた。
 空に近い分風は強い。
 流れるブロンドの髪は人形のように美しいが、それを覆う白銀のプレートアーマーはその人形を神聖な騎士に変えていた。
 碧の瞳が地を窺う。それには黒髪の女性が必死になって走る姿が映されていた。
「…………」
 僅かに睫毛が下ろされる。それが何を意味するのか、それは本人にしかわからない。
「これで四度目、ですね」
 尤も、覚えていないようですが……
 暫しその疾走を眺めた後、呟いた本人は空に消えていった。まるでその瞳の色に融けてしまったかのように。



 初出:6月12日
 改定:6月17日 カラント大司教出張の取り下げ&エラルダ大司教の復帰



[31007] 5-5
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/06/17 22:43



「ありがとうございまし、たー?」
「ふふ、ご苦労様」
 不思議そうに帽子を取り引き上げる男性をレンは怪しげな笑みをもって送り出した。扉が閉まるのと同時、それまで挟まっていた紙が落ちているのを確認する。それは言わずもがな、ヨシュアの置手紙である。
 それを見下ろしてレンは勝ち誇った。
「残念ね、ヨシュア。レンは、何もしていないわよ?」
 そしてレンは揚々とその部屋を出ていく。少女が消えた部屋の中央に佇むテーブルには出来たてのピザが寂しそうに存在していた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 目を覚ますと、そこには心配そうに覗き込むセシルの顔があった。
「セシル姉……?」
「ロイド、よかった……」
 胸を撫で下ろすセシルは手を組み空の女神に感謝を示す。状況がわからないロイドだったが、星見の塔で起こった異常を思い返して現況を理解した。
「そうだ、俺は――」
「お、気づいたか」
 言葉を遮るように扉が開きリンが姿を現す。セシルの丁寧なお辞儀に微笑を返し近づいてきた彼女は腰に手を当てて顔を顰めた。

「全く、タイミング悪く倒れるやつだ。敵襲かと思って神経が磨り減ったぞ」
「リンさん。すみません、ちょっと説明をお願いできますか?」
「説明も何も、お前が急に頭抑えて倒れたもんだから私が運んだんだよ。外傷はなかったし検査の結果脳にも異常はない。過労かと言えばそれまでだが、まぁどちらにしても腕の治療もあったんだしちょうど良かったんじゃないか?」
 あっけらかんと言うリンだがしかしロイドが聞きたいのはそういうことではない。もちろん倒れた自身を運び込んでくれた彼女に感謝もするが、それよりも聞き捨てならない、自身も感じた現実を聞きたかった。
「タイミングが悪いって、どういうことですか? 敵襲と勘違いした、というのもリンさんの実力を考えれば滅多なことじゃないと思います」
「…………」
「頭が割れるように痛くなった直前、俺は上から何かを感じました。リンさんもそうじゃないんですか?」
 ロイドの言及に後頭部をがしがしと掻いたリン、心配そうなセシルを一瞥した後真剣な表情で言った。

「――お前も感じたんなら錯覚じゃなかったんだろう。私も上から、尋常じゃない気配を感じて怖気が走った。久しぶりだったよ、あんなに心臓が跳ね上がるような思いは…………その後に気づいたらお前が倒れているんだ。何者かの攻撃があったんじゃないかって思うだろう?」
「……そう、ですか」
 返答に何か思案するロイド。
 彼自身、突然感じた痛みの原因ははっきりしない。ウルスラの医療技術で発覚しなかったのならあとは七耀教会を頼るくらいしか手はないが、これっきりという可能性もある。
 それよりも、あの時感じた気配のほうが気にかかった。
「気配、か……」
 それは気配というよりも、視線というよりももっと具体的な何かだった。少なくともロイドはそう感じた。
 その瞬間、まるでダムが決壊するかのように衝撃が走ったのだ。何かに撃たれたとか、攻撃を受けたとかそういった表現よりもそんな表現のほうが正しいように思える。それはまるで、耐え切れないほどの何かを与えられたかのようだった。
 しかしその何かは、今考えてもわからない。

「あれ?」
 思考が重すぎて頭が下がったのか、ロイドはいつの間にか包帯が外されている腕に気づいた。緊急だったためか服も上着が脱がされている以外は変わらない。その中で不自然な白の装飾がなくなっていた。
「腕のほうはもういいそうよ。まだ完全に骨がくっついたわけじゃないけど、変にくっついちゃうこともなくなったから取りました。お姉ちゃんとしてはまだ安静にしていてほしいけど、ロイド、あなた性格的に導力魔法で治しちゃうでしょう?」
「ん、そうだね。これじゃ戦闘もできないし」
「ゆっくり治してほしいけど、でもこれが限界かな。入院させるわけにもいかないしね」
 本当はゆっくりしてほしいけど、ともう一度恨み言のように繰り返され辟易するロイド。
 セシルがこうも過保護なのは看護師であることももちろんだが、彼女の婚約者であったガイのように命を落とさないかが心配なのだろう。兄弟揃って無茶をすることを幼馴染は知っているのだ。
 それを痛感するからこそロイドは決して入院を是としないし、だからこそ今回の事態には後悔があった。
「ロイド、アーツは自分でかけろよ? 私は使わないから」
「あ、はい」
「ちょっとロイド、病院内でそういうことするのはお姉ちゃん感心しないな」
「ご、ごめん……」
 リンに暗に行くぞと告げられ詠唱にかかるもセシルに叱られ首を縮ませる。

 そんな極自然なやり取りにリンは気づかれないようにほうと息を吐いた。
 彼女も表面以上にロイドを心配していた。基本的には面倒見のいい女性である、後輩とも言うべき存在の安否を気にかけないはずもない。
 セシルと取り留めのない会話をしている彼を見て安堵するも、しかしあの時感じた気配に彼女の意識は奪い去られていた。
 気配の大きさ、いや存在の大きさと言うのか。リンが感じたそれは紛れもなく強者のそれであり、そしてそれは今まで彼女が経験してきた猛者たちを凌駕するものだった。その中には、クロスベル最強のアリオス・マクレインも含まれている。
 まさかな……
 リンは頭を振り考えを払う。
 アリオスより強大な存在など大陸全土に十人といないはずだ、そんな存在が都合よくクロスベルにいるはずがない。そう思い、振り払った。しかし同時にリンはその解釈の矛盾にも気づいていた。
 大陸に十人といないアリオス以上の強者、それがクロスベルにいないという事実など証明できない。
 むしろこれから激動を歩むであろうこの街にいないという可能性のほうが都合がいいということを。






 ロイドはそのまま起き上がり宛がわれた部屋を出る。いつまでもゆっくりしていられない、まだ依頼はあるのだ。
 ヨアヒムの依頼はリンが既に完遂し、治療も終わった今病院に用事はない。しかしせっかく来たのだからとシズクの見舞いをすることにした。リンもその時間に文句を言う気はないらしい。
 304号室、シズクの病室には変わらず少女の姿が存在していた。水色の病院着を着た上半身だけをベッドから起こし、開け放たれた窓から流れる風を心地良く受けている。猫の形をしたスリッパは綺麗に整えられていて性格を思わせた。

「リンさん、それとロイドさん、でしたか?」
 シズクは入ってきた二人に対して笑顔を向ける。リンも顔をほころばせた。
「シズクちゃん、久しぶりだね。一週間ぶりくらいかな?」
「そうですね、嬉しいです。エオリアさんは一緒じゃないんですか?」
「今は別行動中でね、代わりにこいつで勘弁してよ」
 ロイドの肩を叩き笑うリンに釣られてシズクも笑う。僅かな痛みに苦笑いしたロイドは改めて挨拶を行った。

「シズクちゃん、久しぶり。覚えていてくれたんだね」
「もちろんです、よくしてもらいましたしお父さんもお世話になっていますから」
 シズクの言葉は身内とはいえ低姿勢に過ぎる。一般的にアリオスが世話になるということはほぼないのだ。
「それはこっちの台詞だけど……そういえばどうして俺たちだってわかったんだい?」
「足音です。皆さんそれぞれに特徴がありますから」
 シズクは目が見えない。その分聴覚に優れており大抵の足音なら特定できるという。
 それでも頻繁に会っていないロイドの音を覚えているのだから、流石はアリオスの娘ということなのだろう。

「シズクちゃん、具合はどうだい? エオリアがいないから見た目ではわからなくてね」
「平気です、前と変わりませんよ。お父さんは忙しくて来れませんけど、最近はエステルさんとヨシュアさんがよく来てくれましたから退屈しませんでしたし屋上にも行けました」
「屋上か、確かに病室よりは風が気持ちいいし太陽にも近いから健康にいいだろうよ。私もよく日向ぼっこをするんだ」
「リンさんがですか? なんだか意外です。お忙しいのに」
「その合間にちょこちょことね、日向ぼっこには一家言あるよ私は」
 リンとシズクが会話を重ねる中ロイドはその二人を静かに見つめている。会話に入れないこともないが、久しぶりにきたリンとの会話を優先するべきだろうと考えていた。リンも楽しそうだし、その光景を見るだけで余りある。

「あれ?」
 ふとシズクが顔を扉へと向けた。リンとロイドも後に続いて振り向く。
 三人は共通する音に反応したわけだが、ロイドは何故かこの音に聞き覚えがあった。やがてそれは扉の前で止まり、ノックの後にその原因が現れる。
「キーア?」
「ロイド、無事!?」
 それは、キーアを先頭にしたじゃんけん勝者たちだった。




 * * *




 バスを降りた先はウルスラ病院、ティオが陰鬱な表情を浮かべる以外は朗らかな団体だった。
 キーアは初めて乗る導力バスに興奮し、ランディとワジが少女を宥めたり勢いづかせたりと他の乗客の迷惑にならないよう舵取りをしていた道程。その終着点はエオリアに勧められた医療技術の結晶である。
 陽光温かいオープンスペースを歩き正面玄関へ。中に入ると建物内独特のひんやりした空気が歓迎してくれた。外来患者数はぼちぼちで、それでも看護師は忙しなく動いている。
 受付で事情を説明するとまずは頭部の診断に勧められ、まずは外因性記憶障害の線から調べることになる。しかしキーアの頭部には主だった外傷はなく、記憶以外の欠損もない。また担当医が患者を多数抱えているので今空いている薬物担当医のヨアヒム医師の研究室を訪ねることになった。つまりは薬剤性記憶障害を先に調べるということである。
 しかし一向はその前に、受付からとある報告を受けたのだった。ロイドが緊急で運ばれたという事実に彼らは驚愕し病室に直行、しかしそこに本人はおらず、途中で会ったセシルに居場所を聞いてシズクの病室にやってきたということである。

「ロイド、平気なの?」
 キーアはロイドに抱きつき心配そうな瞳で見つめてくる。その様子に感激したのかロイドも自然と笑みを湛えて礼を言った。
「っかし本当に大丈夫なのか? こないだの件もあるし休んだほうがいいんじゃねーの?」
 腕が治っていることを確認しつつランディは言う。しかし彼自身この言葉に青年が頷くとは思えなかった。
「アーツで治したんですか? それなら言っていただければ」
「いや、確かにティオにやってもらったほうが効いただろうけどここで会えるとは思ってなかったから」
 魔法適正はエニグマのラインでわかる。ロイドより優れたティオのほうが回復アーツの効きも当然いいのだが、この後に依頼があり病院で彼女と会うことを知らなかった彼が自分でやるのは仕方のないことだ。しかしティオとしては、その役目は自分だと思うので若干不満である。

「それよりも、その星見の塔だっけ? そこで突然ってほうが僕は気になるなぁ。原因がここでわからないなら教会かそこを調べるしかないんじゃない?」
 ワジがしれっと今回の騒動に絡んできそうな言い方をしてくる。おそらく結果が星見の塔の調査に行き着くならついていこうという腹積もりだろう、それは誰もが理解していたし、きっとワジも気づかれていると知っていながら言っていた。彼はあえてそういう発言をすることで状況を操作しようとすることがある。

 一気に賑やかになった病室を気遣ってかリンが手を叩き収束させ、しかしシズクは笑っていた。
「シズクちゃん?」
「いえ、その、ふふふ。ごめんなさい、なんだか楽しくて」
 少女がおかしそうに静かに笑う中、キーアがロイドから離れてベッドに近寄る。お腹に当てられた少女の手を取り顔を見つめた。
「えっと……」
「あのね、キーアはキーアって言うんだよ」
「キーア、ちゃん?」
「そうだよ、シズク。初めまして、だね」
「――うん。初めまして、キーアちゃん」
 考えてみれば、キーアはシズクと初対面。この流れになるのはキーアの性格上必然だったのかもしれない。
 自己紹介の後、同年代の少女達は話を膨らませていった。

「この子が?」
「ええ、キーアです」
 写真でしか確認していなかったリンが小声でロイドに呟く。初対面という意味なら彼女も同じだった。
 あの様子なら暫くの後リンにも挨拶をしてくれるだろうが、しかしこの様子なら話が弾みすぎてそのまま終わってしまうだろう。それはなんとも喜ばしいことだと、自分を余所においてリンは内心喜んだ。
「うーん、これを邪魔するのは気が退けるねぇ」
「ですね。診断ですが、やはり本人がいなければいけないのでしょうか?」
 キーアには診察が待っているが、楽しげな場を壊すのは忍びない。
「つってもキー坊の頭ン中の話は俺たちにはわからんからなぁ」
「一度僕らだけで行って必要なら連れてくればいいんじゃない?」
 ワジの提案に頷く二人、しかしこの提案はヨアヒムの苦労を全く考えていなかった。

「ロイドさん、わたしたちは一度先生と会ってきます。キーアのことお願いしても?」
 ティオの頼みにロイドは頷かない。了承は現パートナーである彼女の許可が必要なのだ。
「リンさん」
「構わないよ。それが終わったらすぐ来てくれればいい。日が落ちる前には終わらせたいからね」
 リンが外を眺める。太陽は頂点を越えており、次第に橙色になっていくことだろう。
 今日決めた分の依頼はこなしておきたいので少なくとも夕刻までにはウルスラを出たいところだ。
「ありがとうございます、では」
 お辞儀をしてティオ他三人が病室を出る。ふうと一息吐いたロイドは、その暫くを無邪気な少女の触れ合い観察で過ごした。




「いや、流石に本人なしは無理だよ……」
 ウルスラ病院屋上から入ることができる研究棟、その四階奥に位置するヨアヒム・ギュンターの研究室において茶色の椅子に座った部屋の主は困り顔でそう言った。
「直接質問をしてその時の反応を見たりしないといけないしね」
「そりゃそうだ」
「ですね、どうしてこんな提案に乗ったのか不思議です」
「あはは、それがあの子の魅力なんじゃないの?」
 当然の答えにランディとティオは納得と不満を、そしてワジは責任転嫁のように笑ってキーアの魅力を語る。ヨアヒムは受付から受けた電話の内容を反芻し、
「まぁ本人に会う前に予め情報を得ることも重要だしね。まずはキミ達から話を伺おう」
 三人――実質二人だがこれまでの事情を説明する。
 流石に保護現場がどこであるか明確な名称は避けたが、このクロスベルで起こり得る最悪のケースを匂わせるそれが何によって引き起こされたのか、それを彼が特定するには詳しく語りすぎた。

「なるほど。まぁ深い追求はしないとして――」
 そしてヨアヒムはそれを口に出さない。彼に必要なのはそんな情報ではなく患者である少女の詳細なのだ。
「記憶喪失ということだけど、僕のところに来たということは薬物関係を疑っていることになるね?」
「まぁ受付のお姉さんに紹介されたから来ただけだけどな」
「実際問題、薬物でそんな症状が出ることはありうるんですか?」
 ランディが頭を振り、ティオが質問した。ワジは腕を組んで沈黙している。
 ヨアヒムは頷き、手元にある資料を提示した。
「薬物性の記憶障害は頻繁とは言えないけど前例はあるね。外因性のもの、まぁ強い衝撃とかもそうだけど、結局は強いショックを与えればそうなる可能性が作り出せるんだ。物理的な衝撃然り、精神的なショック然り、薬による効果然り。一般的に使われている風邪薬だって適量を守らなければ強いショックになり得るよ、そのために適量というものが定められているんだしね」
「……それが違法な、危険な薬物であるなら尚更、というわけか」
 ワジが呟き、ヨアヒムが首肯した。三人は手元にある資料を見る。そこには記憶障害に関する過去の事例が匿名で記されていた。ヨアヒムが診察に当たって集めたのだろう。

「そのキーア君、だったかな? 彼女の状態を把握しなければ結論は出ないけど、記憶以外に気になることはないんだろう?」
「そうだな、元気いっぱいだし問題ない」
「健康的な普通の女の子です」
「そうなると、本格的な検査が必要になるかもしれないね。表に出ない部分に何かあるかもしれない。それで、本人はどこに?」
 ヨアヒムの問いに三人は顔を見合わせ事情を話す。するとヨアヒムは朗らかに笑って、それなら好きな時間に来るといいと尊重してくれた。頭が下がる思いである。
「もちろんすぐに来てくれたほうがいいのは事実だけどね、何かあってからでは遅い」
「わかっています。一段落したらまた来ます」
 ティオが頭を下げ、三人は立ち上がった。ヨアヒムも立ち上がり送り出す。

「そうそう、もう少しで最新の栄養剤ができるんだけど君たちもいるかい?」
「栄養剤すか?」
 ヨアヒムは薬学の専門家だ。その彼には警備隊から定期的に栄養剤の受注が入る。今までも彼はそれを提供していたが、最近になって新作の目処が立ってきたらしい。
「まだ治検が終わっていないから正確にはこちら側としては完成した、みたいな感じだけどね」
「まだ人には試していない、ということですか」
「そのとおり。でも大丈夫だと思うよ、僕の最高傑作だ」
 目を細めて胸を張る彼は相当の自信があるのだろう。口調にもそれが見て取れた。
 優秀な医師として尊敬される彼がそうとまで言い切るのだから期待が持てる。
「もちろん警備隊の後になるんだろうが、そうなると俺たちが推せば警察にも搬入されるかもな」
 ランディの言葉にヨアヒムは喜色を浮かべて頷いた。研究成果が広まることが嬉しいのだろう。そんな三人の中でワジだけが興味のなさそうな顔をしていた。
 警察官でも警備隊員でもない彼にとっては関連のない話である。そもそも現在も彼がいる必要は全くないのだがそれを言ってしまえばお終いである。

「とりあえず、今キーアがここに来れるかどうかですね」
 ティオの言葉を最後に三人は研究室を出る。
 それを見送ったヨアヒムは机の引き出しに入っていた別の資料を見て今後に思いを馳せた。彼の研究結果、それが記された資料である。
「さて、協力者を募るとしようか」
 通信機に手をかけコールする。やがて繋がった男に二、三言葉を告げると別の男が現れた。
 その余裕のない口調を宥めながらヨアヒムは用件を告げる。通信先の男は苦悶の声を上げ、しかし彼の用件を受諾した。それに笑みを深めてヨアヒムは通信を切る。
「今夜も徹夜か、って慣れているけどね……」
 言葉に反して表情には充実が見えていた。



 初出:6月17日




[31007] 5-6
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/06/21 21:47



 ロイドが倒れたその日、病院に運ばれた彼はその後の依頼を問題なく処理した。リンは彼の行動を逐一観察していたが不安要素は感じられない。本当にアレは何だったのかという思いだった。
 一方でキーアの記憶を取り戻す方法を探した三人は七耀教会でもウルスラ病院でも成果を得ることはなかった。

 結局キーアは診察することなくヨアヒムに仕事が入ってしまいウルスラを去る結果になる。その代わりヨアヒムはティオにいくつかの質問を教え、彼女はその結果を導力通信で報告した。間接的とはいえ問題はないと判断し診察は先延ばしにしてあるが、実のところ検査入院については彼女がそれを突っぱねたというのが一番の理由である。
 スコットと共にしたエリィはマインツ鉱山での魔獣退治の際に戦闘における銃の取り扱いを教わり上機嫌だったが、ロイドが倒れた旨を聞いて目を剥いて動揺した。元々世話焼きな彼女である、ロイドの身体をまさぐり心配そうに言葉をかける姿にロイドは赤面し、ティオとランディにからかわれる種を蒔く結果になった。
 ワジは市内に戻った後何も言わずに旧市街に去り、五人は首を傾げる。それは去り際の彼の様子に無意識下で違和感を覚えていたからかもしれない。

 そんな一日、その最後はエステルによる愚痴通信だった。レンが待っていてくれなかったとのことである。
 彼女にどのような意図があったのかわからない。あの子猫のような少女が家でじっとしているとは考えにくいなとエリィは思ったが、しかしそんなエステルの様子にレンも反省したようで、最後にはのろけのような話になっていた。

 そんな幸せな会話は聞いていて飽きない。結局のところ、いろいろあったが良い一日だったと言えよう。
 そして、そんな吉日の次は凶日だった。今回はただそれだけの話である。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 月の僧院の話をロイドはリンから聞いていたが、しかし聞いた翌日にそこに向かう破目になるとは思ってもみなかった。
 マインツトンネル道の中間地点の三叉路、それを左に抜けると切り立った崖を進む細道が続く。生息する魔獣も攻撃的で独特なものに切り替わるので注意が必要である。
 そんな中を特務支援課は進んでいく。その数は五、一人増えた状況だ。前日も五人だったが今回の参入者は昨日の彼とは異なる警備隊の服装。今回協力を依頼してきたノエル・シーカーである。

「これは……すごいな」
 眼前に現れたそれにロイドは息を呑んだ。
 その巨大な建造物は月の僧院、円錐の帽子を被った五本の塔を中心とし、更に崖に沿って横に広がる白磁の遺跡である。荘厳な遺跡、だがしかしそれが発するのは厳粛な空気ではなく不穏な空気であった。
 曇天の中黒い鳥達がけたたましく鳴き喚いて旋回、その異様を際立たせる。乾いた空気がその嘶きを不気味なものへと変貌させているのか、おそらく環境によってその声に対するイメージは変わることだろう。もしかしたら晴天ならここまでの雰囲気を醸し出すことはなかったのかもしれない。
 しかし――
「アレですね」
 天気がどうであれ、鳴り響く重い音は変わらない。
 今回ノエルが任せられた任務、その目的。生物の存在証明ではない無機物的で神秘的な奏音。
 眼前の遺跡の最高地点で、古の鐘が鳴っていた。

「鐘が、鳴っているわね……」
「人はいないんだろ?」
「月の僧院が無人となったのは遥か昔です。今ではその存在を知っている人の方が少ないかと」
 そもそも人が鳴らしているならわたしたちはここにいません、と呆れた風に言うティオ。ランディもさもありなんと肩を竦めた。
 今回の依頼、それは月の僧院への同行である。先日、ノエル率いるタングラム門の警備隊員は月の僧院で鳴っているという鐘の制止を要望されその場に赴いた。彼らが現在感じている異様な雰囲気の中警備隊員は中に入り、そして任務を遂行できずに撤退した。今回は隊員がノエルだけの異例の任務となる。
 ただ不法侵入した人間が鳴らしているというだけの珍事なら警備隊が撤退することはなく支援課に協力要請は届かない。

「それで、その……」
 エリィが口ごもる。顔を向けたノエルは首を傾げ発言を促し、彼女は躊躇いつつも口に出した。
「幽霊が出た、というのは、その、本当なんですか?」
「……そうですね。客観的に見ればそうです」
 エリィの顔色が白くなる。
 警備隊を阻んだモノ、それは突如僧院内に現れた未知の存在によるものだった。隊員たちはソレを目の当たりにして困惑、対処もままならず踵を返したということである。
 彼女に気の毒そうな表情を向けたノエルは表情を戻し、しかし、と続け、
「その幽霊、星見の塔の魔獣に似通った部分があった、というのが私の主観です」
「え? それはつまり――」
「アーツの効き具合が違った、ということですね」
 ティオが僧院を眺めながら呟く。頷くノエルに補足するように彼女は上位属性の気配の確認を告げた。

「なるほどな、理由はわからないがもしそうなら経験した俺らのほうがってことか」
 星見の塔における魔獣は異質を極めていた。その際たるものが上位属性の耐性である。ノエルはそれを感じたからこそ彼らに打診したのだ。
「そのとおりです。はっきり言って隊員の多くはその異常を呑み込むことができませんでした。経験が足りないのは明らかです。本当なら今回を地力で完遂してそれを補ってほしかったのですが……」
「アレだろ? どうせ接待マシーンがやめろとか言ったんだろ」
 接待マシーン、と疑問符を浮かべるノエルとその他にランディは手を振って流せと言い、仕切り直すように聳え立つ建物を睥睨した。
「ま、本当に幽霊が出てもおかしくない雰囲気だがな」
「ちょ、ちょっとランディ! 何言っているのよっ、星見の塔と同じよ絶対っ!」
 エリィがおかしいくらいに強く結論付けようとする。その理由は推して知るべしだがランディは普段冷静な彼女の困惑が楽しくて仕方ない。意地の悪そうな笑みでそれを流した。

「エリィ、怖いのはわかるけど結論は急がないほうがいい。決め付けが隙を生むこともある」
「こ、怖がってなんか――」
「気持ちはわかります。私だって前例を知っていなければ来たくないですから」
 そこまで口にしてエリィは若干気分の悪そうに言うノエルを見やり、暫しの後息を吐いた。
「…………ええそうよ怖いですよ。悪い? 悪くないわよねっ? 文句もないわよねっ!」
 突然大声を上げたエリィは皆を置いて先陣を切っていく。その様子に呆気に取られた四人だが、置いていかれないように小走りになった。
「何よ、みんな苦手なものあるじゃないっ。知ってるのよ、ロイドは機械ティオちゃんは注射、ランディはミレイユ准尉!」
 ズンズンと踏みしめ歩くエリィはいつかの大明神ほどではないが恐ろしい。支援課の三人は自然と距離が開き、ノエルも気合に押されて退いていた。
「ノエル曹長だって可愛いもの大好きじゃないっ!」
「ちょ、エリィさん!?」
 ノエルが慌てる。ちなみに情報源はフランである。
 実質苦手なものではないのだが、イメージ的に気恥ずかしい事実であるので何も言えない。

 そんなある意味暴露大会のような時間は眼前に迫った巨大な門扉によって遮られた。やけを起こしていたエリィもその大きさに呑まれて気持ちが落ち着いていく。おそらく彼女は今日を振り返って悶絶することだろう。
 彼らが立ち止まったその地点には巨大な円が描かれており、その中には三日月があった。ちょうどその月と同じく円に囚われた形になる。
「…………」
 誰かが息を呑む音がした。
 強固な石橋の正面にある一つ目の入り口、右手には下り坂があり、その終着点には別の扉がある。この扉は施錠されていた。
「では皆さん、よろしくお願いします」
 ノエルが改めて協力を仰ぎ、それを歓迎するように鐘が強く鳴り響く。
 ランディとロイドの二人がかりでやっと開いた正面入り口の先にはかび臭い空気と重苦しい通路が存在した。不思議なことに通路に沿って規則的に置かれている燭台と思われる台にはオレンジの光が爛爛と輝いていた。導力ではない不思議な何かである。
「これも星見の塔と同じ年代なのか?」
「そうですね、それよりは少し遅いかと思います。500年前程度ですか」
 導力の発見がない時代の産物、高地にあるので様々な工夫がこなされていることだろう。問題は一体何が信奉されていたのか、ということである。

 およそ50アージュほどの通路を通り、いよいよ建物内部、本堂へと突入する扉の前に辿り着く。ノエルが唇を噛み締め覚悟を決めた。
「前回はここを入ってすぐの場所で遭遇しました。覚悟してください」
「ふふ、平気よ平気。ノエルさんったら心配性ね」
 ノエルの緊迫感を打ち砕くようにおかしそうに言うエリィだが、その声は震えていてノエルも反応に困る。
「エリィさん、錯乱しないでくださいね?」
「いやねティオちゃん、だから大丈夫だってば」
 もう、と言ってティオの肩を叩く。完全に普段の彼女ではなかった。
「で、では行きましょう……」
 ノエルは早く状況を打開しなければという使命感に駆られて扉を開け放つ。長年使われなかった石の扉は地鳴りのような床との摩擦音を立てながら来客を歓迎し、そして奉る神の姿を見せつけた。

「…………」
 後ろで絶句する四人の気配を感じながらノエルは改めて内部を見た。
 祭壇のある本堂は全体的に白く純潔を現している。大勢の信奉者を収納できるように長椅子が列を揃えて佇み、それに向かい合うように祭壇がある。
 その後ろには大きな僧院の象徴、三日月を先端に宛がった杖を持つ天使の像がある。髪は長く翼も生えているが目だけは閉ざされていた。天使はしかしその周囲を大きな輪のようなもので拘束されているようにも見える。
 そのためか、普通なら祈っているように見えるのかもしれないがロイドにはそうは見えなかった。
 笑っているはずなのに、そう見ることはできなかった。
 そしてその上部には像を守る両腕のように弧を描いた曲線が存在する。それはよく見ると通路であり、左方にそこまで上がる階段がある。
 しかし上った先にある建物に沿った通路は途切れており、手前側にある扉まで進むことができない。結局その二階通路は壁に沿って両側まで移動するためだけのものだった。そして部屋奥の角には二つの扉があり別室への入り口となっている。

「二階があるようだけど不自然に途切れているな」
「ええ、実質ここから行けるのは本堂奥左右にある扉だけです。おそらくそこから別ルートで二階に行ける筈ですが……」
 そこまで呟き、不意に空気が濃くなったような気がしてノエルは得物を取り出した。背中に担いだスタンハルバードをそのままにサブマシンガンを構える。
「来ますっ」
 ティオが叫び魔導杖を展開する。全員が武器を構える中、彼らの正面、祭壇との間の大気が歪み霞んで、そしてソレは現れた。
「あ、はは」
 掠れた声が漏れ、
「きゃあああああああああああああああああああああああ!」
 絶叫。
 エリィは涙を湛えて銃を向けた。彼女の眼前にいるのは紛うことなき人魂である。
 その数は三、橙色の炎のような色に紫の靄を纏うそれは頭蓋骨の形状でカタカタと笑っている。
「コレです!」
 ノエルが叫び、昨日現れたものと同一であると確認。ティオがアナライザーを起動、その詳細を確かめた。
「上位属性の耐性と七耀の力を確認っ、魔獣です!」
「だそうだぜお嬢ッ!」
 ランディがハルバードを振り下ろして気合を示し、ロイドはトンファーを腰溜めに構え迎撃の態勢を取った。

「未知の魔獣だ、油断するな!」
「はぁああ!」
 ノエルがサブマシンガンを掃射する。まるで踊るように空中で弾んでいた人魂はそれを受け、しかし弾丸は減速を伴って後方へと消えていく。
「やはり効きませんか……ッ」
「いや、効きが薄いだけだ! でも控えてくれ!」
 フレンドリーファイアの危険性もある、ノエルはハルバードに切り替えて構えた。導力が集い衝撃を上げていく。
 人魂――スカルヘッドはその闇色の口を開けて噛みつかんと迫るも決して速くはない、ロイドはそれを紙一重で左に避けトンファーを振り上げる。コンパクトな一打は正確にスカルヘッドを捉え、しかし微かな感触とともに空を切った。
「く」
 そのままの勢いで前方に動き距離を取る。打撃は効き辛いのは気体状の魔獣だからだろうか。残る二体はランディとティオにそれぞれ向かっていた。
 ランディはそれに合わせるようにエニグマを起動、パワースマッシュを魔獣の口内に振り下ろす。ノエルの銃撃とロイドの打撃、その何れもが通じない魔獣に対し、しかしランディの一撃は確かな手応えを以ってその効果を確認させる。

「――なるほどな」
 直撃を受け吹き飛ぶスカルヘッドを見てランディは確信する。
 この魔獣に通常の打撃は効かない、しかし七耀の力を利用すれば攻撃は通るのだ。おそらく先の一撃をクラフトでなく発動しても効かなかっただろう、クラフトで付与される七耀の力が魔獣の弱点なのだ。
「つーことはっと」
 ランディの視線の先にいるティオはその魔力弾で完璧な迎撃を行っていた。
 スカルヘッドの周囲を囲むように放たれたそれを避ける術はない。ランディの一撃以上にダメージを受けたらしい魔獣の前からティオは跳び退き、そして止めの一撃を放つ。
 水色の魔力が着弾し、状態を維持できなくなったスカルヘッドはふらふらと浮上、そして急激な収縮を見せると共に一気に爆発した。高温の蒸気が吹き荒れ顔を顰めたティオが叫ぶ。
「皆さん、止めは離れて行ってください!」
「応よ……ってお嬢!?」
 ランディが早速戦技を発動しようとエニグマに手をかけた時、ゆらりと幽鬼のように隣に現れたエリィ。その顔は俯いていて窺えない。
 しかしそれを僥倖だと感じているランディがいた。

「…………ない」
「へ?」
「許さない、私をこんなに脅かして――!」
 気炎を上げるエリィにランディが後ずさる。そんな彼をお構いなしにエリィは二挺を構え、同時に悪寒を覚えたロイドとノエルが彼女の後ろに避難した。
 目の前には未だ健在のスカルヘッド二体、それらの基本行動である滞空におちょくられていると感じた彼女の行動は一つしかなかった。
「気高き女神の息吹よ――――エアリアルカノン!」
 重ねられた二挺の銃口に光が集い、それは収束砲となって魔獣を飲み込む。一瞬の後、爆音。魔獣が光に融け消えると、その背後にあった天使の像の拘束具が崩れているのが見える。
 エリィ・マクダエルは感情の爆発によって重要な遺跡を破壊した。

「ふ、ふふふ……」
 怖い笑い声が聞こえる。彼女の後ろで四人が身を縮こませた。
「え、エリィさん?」
 ロイドが冷や汗をかきながら呼ぶ。肩で息をして暫く笑っていたエリィは、そこでようやく振り返った。
「さ、行きましょう」
 爽やかな笑顔、それは普段の彼女だ。四人はほうと息を吐き、そして――
「うふふふふふふふふふふふふ」
「――っ!?」
 まだそれが治まっていないことに気づき震えた。




 月の僧院は高所に立てられているためにその中心は地下となる。
 三階が既に頂上である鐘楼のスペースであり各塔の最上部、つまりそこまで広くない。一階はミサを行う本堂、鐘楼に辿り着くまでに通過する二階は何かの催しを行うための部屋となっているので、そうなると僧院に住む人間が暮らす部屋がなくなってしまう。
 そこで彼らは地下に当たる場所へと足を伸ばし、さながら蟻の巣のようにそれを造りあげた。つまりは本堂奥、左右にある扉は地下の居住区へと進む階段に続いているのである。

 今回の目的は鐘楼の停止、とにかくもそこまで上がらなければならない。最初こそ不自然に途切れた通路を繋ぐ仕掛けの解除に向かおうと考えたが、ティオとエリィが何某か考え事をしていることに気づいた彼らは二人に意見を募った。
「鐘楼は正面入り口から真っ直ぐ向かったところにあります。鐘が大切なものであるならば、そこまで複雑な経路を辿るとは思えません」
「祭壇があるということは間違いなくあの像が示す存在を崇めていたのでしょうけど、それならやはり鐘と像を結ぶ最短経路があると思うの。あの像の天使がすぐに鐘に辿り着けるようになのか、もしくは鐘に導かれて天使が舞い降りたのかはわからないけど、その二つを関連させて考えるほうが自然だと思う」
「だが最短経路っつーとその上の通路から真っ直ぐ奥にってことになるが、あそこに扉はないぜ?」
「……いや、あの不自然に途切れた通路がギミックによって為されたなら、もしかしたら扉にも仕掛けがあるのかもしれない」
 五人はもう一度階段を上り、その天使の像の上に立った。通路は天使の頭上を迂回するように曲がり、その分ここだけは壁と距離がある。ロイドは身を屈め、壁を注視した。
「……わかりにくいけど擦れた跡がある」
 それは半円の通路と繋ぐと円になるようにできている。像のためにわざわざ壁をくりぬいて円を作ったと考えていたが、どうやらそこには仕掛けによって円を描く足場が形成されるらしい。
 となると、天使の背後に位置する壁面にはできた足場を利用する何かがあると考えて然るべきだ。

「とは言え、まだ足場のないこの状況じゃ調べようがないな……」
 壁との距離はちょうど像の奥行きと一致する。天使の像は細身だが、それを捕縛している輪はでかい。ちょうどその輪が上の通路とほぼ同じくらい、つまり3アージュはあるだろう。それも先の一撃で半壊しているが。
「地道に仕掛けを探すしかないかもしれないな」
「マジか、めんどいな……」
 落胆するランディ、外観だけで相当な広さを誇る僧院、更に見えない地下部分までを捜索するとなるとかなりの時間がかかるはずだ。彼でなくともげんなりしてくる。

「いえ、これを使いましょう」
 そんな中ノエルが口を開き、リュックから取り出したのは主に高所から降りる際に使用するザイルである。サバイバル訓練を受けたことのあるランディとロイドは見覚えがあるそれに目を瞬かせた。
「曹長、それは?」
「なるほど、それで吊るして壁を調べようってわけだな」
「まぁ吊るすか張るかは壁の強度によりますけど」
 ノエルの提案する二案はいずれも壁の強度が重要になる。人を支えられるザイルが支えられなければ意味はないのだ。
「ならそうだな、俺が下で控えるからよ、ノエルかロイドがパパッと調べてくれや」
 万一を考えランディが像の前で待機、ノエルは触れられる壁で強度を確かめ、上部にあった窪みにザイルを引っ掛けた。ロイドを見やる。

「どうしますか? 提案した以上私がやるほうがいいかもしれませんが、こういった作業はロイドさんのほうが得意そうですよね?」
「俺がやるよ、曹長はザイルを見張っててくれ」
「はぁ……ロイド、気をつけてね」
 何故か呆れ顔のエリィから言葉を貰い、クオーツを付け替えたティオがアースガードを唱える。
 万全の態勢となったロイドは宙吊りになりながら壁面に手を触れた。そのまま滑るように全体を満遍なく触り微妙な感触の変化に精神を研ぎ澄ませる。
「……四角い形に溝がある。ビンゴだ」
「開きそうですか?」
「待ってくれ。スイッチか何かがあれば――――あった」
 溝の外側にある奇妙に盛り上がった部分を押すと奥へと引っ込んでいく。それに伴い鈍い音を立ててシャッターのように壁が上にずれていく。成功に顔をほころばせるロイド。

 と、その振動でザイルが取れた。
「へ?」
「ちょ」
「あ……」
「あっ!」
「うわっ」
 それぞれの反応、そして落下するロイド。待機するランディも油断していたのか体は動かず、ロイドはそのまま真下にあった天使の像、その残っていた拘束具に激突した。
 堅い衝撃音、しかしそれは彼の無事を知らせる音である。ティオが唱えたアースガードが発動して彼を守り、その地の加護と石の輪がかち合ったのだ。
 落下の速度により攻撃力を備えたアースガードはそのまま半分だけの拘束具を破壊、一回転したロイドはランディに受け止められた。
「ふぅ、あぶねぇあぶねぇ」
「あ、ありがとうランディ……」
「いや、今回はティオすけのおかげだろ」
 な、と見上げると心配そうな三人の姿が見える。ロイドを下ろしたランディが手を振ると息を吐く音が聞こえた。

「もう、心配かけないでよね……」
「保険かけといてよかったです」
「すみません、不注意でした」
 三人の声が聞こえるがノエルの声は沈んでいる。ロイドは気にするなと言おうとしたが先にランディが口を開いた。
「お嬢もティオすけも見えるぞ?」
「え?」
「な……!」
「ば――」
 エリィ、ティオ、ロイドの順に声を漏らす。
 ランディはにこやか、ロイドは青ざめ、エリィとティオはスカートを抑え赤面した。しかしそれは羞恥でなく憤怒であり――
「いやぁ、思わぬものが――ってぎゃあああああああああああああ!!」
「って俺もかあああああああああ!!」
 案の定男二人は一斉掃射を浴びた。
「――――何でだろう、緊張感がない……」
 一人蚊帳の外なノエル、彼女はまだ特務支援課に慣れていない。



 初出:6月21日


 怪我をしました。執筆が難しいので次回少し遅れるかもしれません。



[31007] 5-7
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/06/28 07:16



「アリオス、今回の件をどう見る?」
 ミシェルはそう問いかけ、目を閉じ腕を組んで聞いていたアリオスはようやっとその瞳を現した。
「ルバーチェにしては見事なまでに迂闊な行為だな。そして逆に不自然すぎるというのも確かだ」
 再びの出張から帰ってきたアリオスを待っていたのは黒の競売会の事後処理に関する報告だった。
 特務支援課とヨシュアの非公式な行動により明るみに出た彼の問題と渦中にいる記憶喪失の少女。ルバーチェの資金源でありハルトマン議長の力の現れであったその競売会はただ一人の少女の存在によってあっけなく崩壊した。
 ハルトマン議長も場所が場所ならトカゲの尻尾きりのようにルバーチェを切り捨てていただろうが、生憎それは彼の私邸での出来事。一般市民に知れれば致命傷な出来事であり、故に彼もルバーチェの疑惑の解消に尽力していた。

「じゃああなたはルバーチェが誘拐・人身売買を企てていたわけではない、と?」
「俺の知るマルコーニ会長は確かに非道だが、それは自身の歩む道にある障害に関してという前提が付く。黙っていてもルバーチェが安泰な現在、そこまでのリスクを払ってまで何を欲するのか」
「……何も欲していない。つまり噛んでいないということね」
「だが、逆に言えばそこまでのリスクを犯してまで欲しかったものがあるかもしれないということだ。クロスベルの裏を取り仕切るルバーチェの代表が、我々遊撃士の介入の隙を生む危険性のあることをやってまで欲しかったもの」
「……検討が付かないわ。それならルバーチェは無実と考えたほうが美容にはいいわよね」
 小麦色の肌の乙女がそう呟き、しかしアリオスは動揺せずに続ける。
「競売会で大々的に少女を明け渡す、というのははっきり言って不可能だ。黒い品ばかりを出しているとは言え、流石に人間を競りに出せば衆人に触れるだけで旨みはない。秘密裏に渡すならそもそも競売品と一緒くたにしないだろう」
 人身売買の事実を知る者は少ないに越したことはない。もし競売会で少女を出せば参加者全員に触れ危険性は増す上に、最悪その場で通報されるかもしれないのだ。
 しかし競売に出さずに何者かに渡すならば、競売品と同じ場所に置くという間違いが起こりそうな場所に置いていけない。危機管理に優れたマルコーニなら当然だ。

「つまりこの状況、ルバーチェ側には少女がいない以上の旨みがない。ならばガルシアの言うように嵌められたと考えるほうが妥当、か。まぁそこまではヨシュアも似たようなこと言っていたし私も同意見なんだけどね」
 釈然としない様子のミシェル。
 ルバーチェを嵌められる相手はクロスベルには黒月ぐらいしかいない。その黒月に雇われている銀も目撃されているので妥当なところで銀が少女を入れたということになる。
 が――

「――だが、その少女が入っていたトランクこそが重要だ」
「え?」
 思考を中断させたミシェルはアリオスの言葉を反芻し、少女の入っていたトランクとは何なのかを思い出し、
「……まさか」
「そうだ。あの少女を、“生きているローゼンベルクドール”として出すことは不可能ではない」
 ローゼンベルクドールの素晴らしさは知るものならば知っている、確かにまるで生物のような人形を作ることも不可能ではないだろう。
 だがしかし、自律する――それも本当の人間のような人形を作れるかと言えば不可能だとはっきり言える。
「いくらなんでも無理よ、彼のローゼンベルク製でも……」
 騙せるはずがない。
「だが、そもそもその催しは異常の一言に尽きる。そんな常識が欠落した場において自信満々に人形だと紹介されれば参加者は信じるはずだ」
 そしてその少女は記憶喪失だ。余計なプロフィールは言えず、ただ名前とそれなりの知識しかない。つまり、人形と称して人身売買を行うつもりだった、という可能性もなくはないのだ。

「…………」
 ミシェルは絶句する。それは人を愚弄する人身売買の中でも特に酷い方法と言えた。
 人間として扱わずに売買するというのはその存在の否定に他ならず、そしてその方法のために少女が記憶を失ったとしたら――
「――本部に連絡しましょう。警察は議長の圧力で動かない。なら民間人の安全という我々の最大の目的を犯した彼らには相応の報いを齎さないといけない。支える篭手に懸けて、卑劣なる組織を壊滅しないと」
「落ち着け。まだ話は終わっていない」
 通信機を手に取ったミシェルを制止しアリオスは口を開いた。

「仮に、そのような偽装を施して競売にかけたとする。しかしあの場には普段と異なる顔ぶれがいた。マリアベル・クロイスだ」
 マリアベルはローゼンベルクドールの愛好家だ。黒の競売会においても目的の品はそれだったのだから情熱は言うまでもない。
 そんな彼女を前にして生きている人形を競りに出すのは無理があった。もし少女を引き渡す相手がいたのならマリアベルは最大の障害なのである。
 IBCの総資産が後ろにある彼女に競りで勝つことはできない。マリアベルを誘ったのがルバーチェだということも踏まえればその方法には無理があった。
「そしてそもそも、どうして衆人環視の中少女を引き渡すのかという疑問が残る。この不自然さは見逃せない」
 人形に見せかけて渡すという方法は多くの人の目に付きすぎる。優越感を持って手に入れたいという理由は考えられなくもないが薄い。
「むしろ、少女を多くの人々に目撃させることが必要だったのかもしれない」
「それはどうして? 見せ付ける、なんて俗な理由では納得できないわ」
「これは仮説だが、少女の情報をルバーチェも知らないのではないか?」
「どういうこと?」
「どんな理由かは知らないが少女の身元を知りたいルバーチェは各国の有力貴族が集まる黒の競売会で少女に関する反応が見たかった。そこから手がかりを得たかったのかもしれない。もしくは、参加者の中に少女の親族がいたのか……」
「人質ね、そうすると人身売買はともかくとして誘拐は確実か。いえ、誘拐したのなら身元は判明しているはず。ならルバーチェも思わぬ経緯で少女を得た可能性が高くなる。なら問題は、どういった事情で少女を手に入れたのか……」

 考え込むミシェル、彼の脳内ではアリオスの発言で目まぐるしく思考が渦を巻いていた。
 そんな様子をアリオスは頼もしそうに見、しかしそれ以上を妨げるように一つ息を吐いた。
「ミシェル、どちらにしても情報が足りない。最有力が濡れ衣である可能性は高いんだ、現時点ではそこまで熱を入れない方がいい」
「でもねアリオス、あの子――キーアちゃんは記憶がないから親元に帰せない。ギルドの情報網でさえはっきりとしないの。ならあたしたちが僅かな可能性も考えなきゃいけないのは当然で……いえ、愚問だったわね」
 ミシェルは自身の発言を反省した。子を持つアリオスが、ちょうど娘と同年代の少女に対して何も思わないはずがないのだ。
 まだ会っていないが、少なくとも情報だけで娘と重ねるのは十分すぎる。親元を離れた、というのはシズクにも当てはまることなのだ。そして彼が過去に携わった事件のことも踏まえれば、彼がどんな思いでいるのかは想像に難くない。

「――どちらにしても少女がこの先狙われない可能性はない。運よく支援課が阻んでくれたがルバーチェが黙っているとは思えない。ハルトマン議長の後ろ盾もなくした今、彼らが打てる手はリスクが高いものしかないはずだ。今回の汚点を雪ぐのに十分すぎる、な」
 それはハルトマンの信頼を得る手なのか、それとも壊された資金源に関してなのか、はたまた黒月に対抗する新手なのか。そこまではアリオスにもわからないが、それでも警戒ランクが高くなったことは確かだ。
「今、支援課の強化を行っているわ。成果がどこまで出るかは未定だけど」
「腐敗した警察の中で信用に足る相手が多いのは喜ばしいことだ。実力が足らなくとも、その気概だけで何かが生まれることもある」
 アリオスは話を切り上げ踵を返した。今すぐにでも休みたいはずだがその背中には休息を欲しがっている様子が微塵もない。
「上で休んでいったら?」
「シズクが待っている」
「そう、いってらっしゃい」
 十分な休息を、とミシェルは消えていく背に語りかけた。
 これは彼が病院でキーアと会う直前の出来事である。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない







「ギャグコミックじゃねんだからよ、もう少し加減してくれねぇ?」
「あら、ちゃんと手加減したわよ。戦闘に支障はきたしていないでしょう?」
「そもそもランディさんがアホなこと言うからです」
「俺は厄日だな……」
「あはは……」
 そして、何気ない会話を始めた五人――ランディの気遣いに感謝しつつノエルは苦笑し、そして直線の通路を踏破し――
「…………」
 その、許されない場所へと辿り着いた。

「これは……」
 広がるは儀式の間、光が差さないために灰色に見えていた一階礼拝堂とは趣を違え魔物の血のような濃い紫色が基調となっている。
 正面には階段があり、おそらく鐘楼に辿り着くのだろう。前にあるのは階段へ導くように立っている左右三つずつの燭台、これもまた炎を纏って存在している。
 そして部屋の中心部には何もない。
 わけではなく、床に紋様のように描かれた大きな瞳が天蓋を睨んでいた。
「広間か、何かやってたのかね」
 辺りを見回し呟く。
 全員が同じ行動をする中、ティオだけは沈黙し感覚を研ぎ澄ませている。異空間と化している僧院において彼女の感覚は最大の策敵となる。それ故に彼女は自身の役目としてまずそれを行うことにしていた。
 ティオがそれを行う中、一向は周囲に異常なしと判断し、やがてその瞳に辿り着く。四人の視線と向かい合った瞳はしかし彼らを見ずに虚空を眺めるままだ。

「なんだ、この不気味な絵は?」
「ここが崇拝する像は一階にあったけど、これは初めてね。入り口前に描かれていたものとは違うようだけど」
 黄色の、いや空属性の色と言えるのか。その瞳には棘のようにうねる睫毛が数本描かれており、幾何学的な紋様で描いた曲線でその周囲を囲んでいる。月の僧院という敬虔な場所に相応しくない、しかし部屋の雰囲気には合っている怖気の奔る図である。
「…………」
 ふと、ティオが厳しい表情を浮かべて跪いた。眼を描く黒はやはり紫色に見えるが、それは灯る炎によるものなのか。
 果たしてその色は、少女がよく見た色に似ていた。
「ティオ?」
「ここは、醜悪な儀式の間だったのかもしれません。部屋を覆うこの色は、おそらく血液です」
「血液? じゃ、じゃあ儀式って――」

「――それは、人のものですか?」
 エリィの言葉を切ってノエルが訪ねる。ティオはわかりません、と首を振った。
「そうですか」
「……なぜこんな場所があるのかはわからないけど、まずは鐘を止めよう。話はそれからだ」
 ロイドが停滞する空気を裂き、目的を完遂せんと動いた。それを褒めるように鐘が鳴り響く。近いからか、その音は大きく脳を揺さぶるかのような音色だ。
 重苦しく建物内部に反響し空間自体を震わせるかのような錯覚さえ抱かせるそれは、間違いなく過去数多の信奉者を跪かせたのだろう。
 そんな神にも等しき奏で、しかし今のそれは彼らに向けられたものではなく、生物に反応して召喚される存在への合図に他ならなかった。

「離れてください――ッ」
 悲鳴にも似た叫びを契機に全員がその場を跳び退いた。すぐさま戦闘態勢を取り前方を睨む。
 スカルヘッドは空間を揺らしながら現れたが今度は違う。瞳を覆うように描かれた円が瘴気のような紫煙を噴き上げ周囲を照らし、螺旋を描いたそれはやがて一体の異形を解き放つ。
 銀と赤、その二色で構成されたソレは自身の調子を確かめるように身体を揺すり歓喜の産声を上げた。
 想像だにしない生物の誕生に後ずさった五人はしかし、もう逃げられないことを感覚的に知っていた。
「悪魔……」
「凄まじい霊圧、気をつけてください!」
「おいおい、こいつは洒落になんねーぞ!」
「皆さんに謝らなければいけませんね……っ」
「来るぞ、散開!」
 鐘が鳴る。今度はきっと、開戦の合図だった。




 蜘蛛が巨大化した、と言えば伝わりやすいのだろうか。アークデーモンは二腕二足で人間のそれに近いが、その多すぎる突起が蜘蛛のようにも見えた。
 縦に長い頭部には二本の赤い角、両肩にも槍のような同色の棘を持っている。青みがかった銀の体躯は巨大でブレードファングに匹敵し、しかし異なるのは特化した箇所であろう。
 ブレードファングは牙・顎を主力としたがこの悪魔は両腕がそれを為す。頭よりも大きく太い腕には三本の鉤爪が凶刃の如く存在し、ただでさえ圧殺されかねない腕を更に凶器足らしめている。
 また腕ほどではないが巨大な尾にもモーニングスターのように棘があり、受ければひとたまりもないだろう。
 背中にあるのは翼か、あるいは筋肉の固まりか。実質上アークデーモンが巨大を為すのはその両腕と発達したそれによる。
 僅かに宙に浮いているのは魔力による行為であって翼ではないので何かしらの器官だとも考えられた。

 悪魔は天使と異なり人間に災禍を招く存在だ。それは彼らの眼前にいる存在そのものであり、人に救いを与える僧院で悪魔と戦うという皮肉に嘲笑する余裕もなかった。

「――――」
 アークデーモンは当然の如くデータバンクには存在しない。故に情報・天眼のクオーツから読み取れるのはそれを構成する属性耐性だけである。
「四属性はダメですっ、空を使います!」
 ティオが威圧を避けるように更に後退、指示の後に詠唱を開始する。エリィとノエルは中衛として銃を身構え、先手とばかりにノエルが引き金を引いた。短い銃撃音に連なるようにアークデーモンの外殻に命中した銃弾が弾かれる音がする。
「効果は期待薄ですか――っ」
 スカルヘッドのように通過はしないものの目に見えて強固なそれを貫通することは難しい。ノエルはサブマシンガンを控えスタンハルバードを構えようとしたが思い直し、そのままエリィの一歩前に出た。中腰の姿勢のまま構える。
 ノエルの現装備は二挺のサブマシンガンとスタンハルバード、そして懐にある催眠弾と電磁ネットの構成クオーツである。本来ならその二つは専用の銃に装填して使用するのだが、銃自体が大きく探索任務に持って行きづらい。
 そのため彼女はその弾だけを持ち、いざとなればそれを破裂させて使用しようと考えていた。
 現況、前衛にはノエル以外に二人いる。相手が大柄だとしても二人の連携の阻害の危険性がある彼女は前には出ず、その時々の状況に応じた対処をするべきだと判断した。

「ランディ!」
「がってん!」
 彼女の判断どおり、ロイドとランディは散開後タイミングを合わせて挟撃に入る。相手が一体の場合、出方を見るために二人が好む基本動作である。
 スタンハルバードとトンファーが同時にアークデーモンに迫り、しかし悪魔は動かない。
「ッラァ!」
「はッ!」
 警戒していた両腕も動かず、二人は同時に側頭部を撃ち抜いた。鈍い音とともに襲う衝撃はその箇所も相まって通常の魔獣ならば卒倒するはずだ。二人も確かな感触を得、無抵抗の悪魔に連撃を試みる。
 ランディは振り下ろしたハルバードをそのままの勢いで一回転、身体の捻りを加えて更に攻撃力を高める。ロイドは膝を屈め両腕を引き跳躍、突進力を加えた両撃を狙う。そしてそれは確かに命中した。
 アークデーモンのその、赤い両角に。

「ギアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
 咆哮は、逼迫するものではない。鐘に導かれた悪魔が、本当に自身が対処すべき相手を見つけたことによる宣誓である。
「離れて!」
 エリィが顔面を狙い撃つ。彼女の銃弾は七耀の力、ノエルのものとは異なる魔法攻撃である。
 ベクトルの異なる銃撃、しかしそれも悪魔の中には入れない。まるで水が弾かれるように散り消滅する銃弾。それを認識していないのか、アークデーモンは音の暴力に虚を突かれた眼前の二人に腕を振り下ろした。
「く……」
「跳べ――ッ!」
 身構えるロイドにランディが叫び、咄嗟に後方に飛び退く。その眼前を風を纏って振り下ろされる悪魔の腕は僧院の床を容易に破壊する。砕かれた礫が身体を襲う中、その痛覚よりも空気を裂く膂力に驚愕する。

 まずい――
 ロイドが想起するのはブレードファング、その尾である。あれすら受けきれない身でそれ以上の威力を誇るアークデーモンの一撃は防げない。全撃回避、それしか道はないのかもしれない。
「クロノドライブ!」
 ティオの詠唱が完了し、二人の時が加速する。アークデーモンは追撃を試み、それを二人は加速した世界の中で回避した。
 先とは異なる速度、しかし悪魔は動じない。そのまま懐に飛び込んだ二人に対し頭の角を差し出した。まるで打ち据えろとでも言うかのような挙動、しかし瞬間怖気の走った二人は跳躍しようとした両足を無理やりに畳みこんで身を屈めた。
「――――っあ」
 刹那、頭部を掠めて床を穿つ赤い槍。それは間違いなく頭部の角だった。

「ロイド下がれ!」
 ランディが溜まった脚力のまま飛び上がり伸びた角をかち上げる。当然それに伴い上がった頭、空いた顎を痛打する。
 人体の急所の一つでもある顎、その衝撃は脳天を通過して揺さぶり運動神経を麻痺させる。そんな好機をしかしランディは避難に使う。
「先輩!」
 赤いレーザーが上がった顎に狙いを定め、次の瞬間には二挺から放たれる銃弾が一点集中してアークデーモンを襲う。その隙にランディも離れ、ノエルも攻撃をやめた。
「シルフィード!」
 エリィが風の加護を降り注ぐ。ちょうど後退したロイドを中心に全員に満遍なく撒かれ、五人は走力の上昇を得る。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
 悪魔が吼える。その隆起した赤い筋肉が更に膨らみ、役割を放棄した翼が更に広がる。
 ティオは感じ取れる霊圧が更に増したことに冷や汗を浮かべ、呼吸がうまくいかない口を無理やりに閉じた。

「お嬢っ、ティオすけ! 上位魔法いけるのかッ!?」
「っ、大丈夫です! いけます!」
「タイミングは任せて! こっちは気にしないでいいから! ティオちゃんはダークマターお願い!」
「了解です!」
 二人は詠唱を開始、ランディは唇を舐め悪魔を見た。相手は異形、自分も出し惜しみはできないとして共鳴するように咆哮する。
「オオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアア!」
 戦士の嘶き。赤紫の光が彼を包み、僅かに細められた眼は同色の霊圧を放つ悪魔を見下ろす。
 ノエルは彼の変貌に驚きを含めた視線を向けるも、すぐに自身のミスを叱責して悪魔を見た。
 見るべきは相手の弱点、アーツを得手としないノエルはやはり武器が通る場所を見つけなければならない。生物に共通の眼球はもちろんだが、それ以外の関節などに隙がないかを見定める必要があった。
 それとは別に他の人員が作った隙を見逃さずに連携を決めなければならない。彼女はおそらく、今一番神経を張り詰めている存在だった。

「ランディ!」
「お前もやれ、できなきゃ死ぬぞ」
「――ッ」
 ランディから乾いた言葉が漏れ、ロイドは唇を噛み締めた。彼が言うのはおそらくブレードファングの時のロイド、それができればあの悪魔に対抗できるということだろう。
 ロイドは自問する。自身がかつて得た感覚を思い出すように、その時の心境を反芻する。
 それは単純に死の意識、生への執着だったはずだ。はずなのだが、それよりも、もっと大事なものを想起したのではなかったか――

「来るぞ!」
 ランディが吼えたことで覚醒したロイドはしかし前と変わりない状態。歯噛みし、仕方なくトンファーを構えた。
 アークデーモンは同種の気配を漂わせるランディを危険視したのか彼にその巨腕を振り上げる。鋭利な爪が伸び凶暴性を増し、そこにはより一層の瘴気が纏われた。その鉄槌を、ランディ・オルランドは真っ向から受け止めた。
「ぐぅ――」
 衝撃が走る中、ランディは両腕で以って受け止める。スタンハルバードはその圧力に負けないようにと導力を迸らせ輝きを放ち、しかしその持ち主の立つ地には蜘蛛の巣状の皹が生み出される。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
 アークデーモンは叩き付けた右腕をそのままに雄たけびを上げ獲物を押しつぶさんと更に膂力を込める。
「ランディ!?」
「来るなっ、足手まといだ!」
「……ッ!」
 ロイドが走り出すのをランディは制止した。
 今の彼をこの悪魔は障害と見なさない。ただ己の前にいる赤毛の青年こそを敵とし、最優先に屠ろうとしている。悪魔の攻撃を緩める術は今の彼にはない。

「フォルテ!」
 その時、ロイドの身体に火の加護が宿った。驚く彼が振り向く先には詠唱を終えたノエルの姿がある。
「助かる!」
 ロイドは制止を振り切り疾駆、更に戦技を発動してアークデーモンの右腕にスタンブレイクを放った。
 導力の波動は確かに伝わる。同時に、今まで傷一つつけられなかった外殻が焦げるのを見た。
「ッ、アアアアアアアア――ッ!」
 一瞬の好機、ランディは全身の筋肉を叱咤し悪魔の腕を跳ね返す。上体が仰いだアークデーモンに対し、彼はそのままハルバードを回し――
「――――終わりだ」
 死神の螺旋を解き放った。
 駆け抜けるオルランドの意志、それはアークデーモンの左を通過しその過程で左腕を斬り飛ばす。赤紫の道が光を放ち、悪魔は絶叫した。

「やった!」
「まだだッ!」
 損傷に歓喜の声を上げるロイドを一喝し、ランディは更に追撃をかける。
 赤の火龍が穂先に宿り、離断した悪魔の腕を焼き尽くす。本体から離れた腕にはそれまでの耐久力はなく、そのまま炎に融けて消えていく。
「ギアアアアアアアアアアアッ!」
 アークデーモンは自身の後背にいる敵に対し咆哮、その尾を伸ばして串刺しにせんと迫る。攻撃対象外のロイドは当然避け、そしてランディも落ち着いて跳び退る。

 そして、
「ティオちゃん!」
「はぁああ!」
 その距離をエリィは見逃さない。
 ティオの持つ唯一の空属性攻撃魔法ダークマター、指定した地点を中心に小規模の重力球を作り出す空間攻撃である。範囲攻撃であるので当然味方が近くにいれば使えない。逆に言えば、味方が離れた時に使用すればダメージと空間固定を同時に行えるのだ。
 そして彼女の想定における初撃の達成は、考えうる最大効率の連携の成功に他ならない。
「ノエル曹長!」
「エニグマ駆動! ブラストストームβ、いきます――ッ!」
 ノエルの身体を光が包む。電磁ネット弾を投下、発動しアークデーモンを更に封じ込め、
「はああああああああああ!」
 レーザーポイントで両の眼球を捕捉、サブマシンガンの一斉掃射を放つ。その全てが正確に急所を射抜き体内に銃弾を残していく。
 役目を終えたサブマシンガンを放し、スタンハルバードを構え――
「止めぇ――!」
 衝撃力を増したスタンハルバードを振り下ろし衝撃波を見舞った。アークデーモンの全身を衝撃が貫くが、それでもこの悪魔は止まらない。

 ダークマターが消え、電磁ネットの拘束も直に解けるだろう。だがその前に決着をつける。
「ロイド!」
「ああ!」
 ランディとロイドのエニグマが発動、二人を包む光はアークデーモンを挟撃し、無防備な悪魔を乱打する。
「バーニングレイジ!」
 交差した二人の最後の一撃は電磁ネットもろとも右腕を斬り離す。
「グオオオオオオオオオオオオオ!」
「これで――!」
 十分な距離を取った二人を見て、エリィが自身の力を解放する。これが彼女の持つ最大の攻撃魔法、悪魔を打倒しうる最後の一撃である。
 天に掲げられた右腕、その先には漆黒の剣がある。時の力を十全に溜め込んだ、いや、時そのものを凝縮した剣だ。
 その特性は加速ではなく減速、未来への進行でなく過去への逆行である。
 ビリビリとした反動に耐える彼女の頬には汗が浮かんでいる。それほどまでのリスクを犯さなければこの悪魔は打倒できず、しかし今の彼女にはそれができた。
「シャドーアポクリフ!」
 腕が振り下ろされるとともに停滞した時間を切り裂いて時の剣が地に落ちる。指し示された先にいるアークデーモンは空を仰いで咆哮し、絶命に足る剣の一撃でその咽喉を貫かれた。



 初出:6月28日


 なんとか更新できるくらいの余裕は出てきました。
 アリオスはなんかすごいこと言ってそうで実はそうでもありません。
 ノエルは装備に制限があるのでSクラフトが少し違います。電磁ネット構成クオーツって何さ?



[31007] 5-8
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/07/02 15:57



 シャドーアポクリフは時属性の上位攻撃魔法だ。
 時の力を凝縮した魔剣を対象に突き刺しその生命力を奪う。正確には、対象の過ごした年月を削り取ることで現在を改変する攻撃魔法である。
 時の力は万物に共通して放たれる。それは当然のことであり共通認識だ。しかし上位属性の気配を漂わせるこの月の僧院では、その常識こそが通用しないのである。
 ただ彼らにとって僥倖だったのは、眼前で貫かれた悪魔は時に対しての常識は持ち合わせていたということである。

「っはぁ、はぁ……」
 エリィが肩で息をしながら成果を確認する。
 精製された時の剣は確かにアークデーモンを貫きその行動を停止させた。それまでの連携により両腕も切断し、結果的に斬殺したような格好になっている。
「…………」
 悪魔のエネルギーを根こそぎ奪い去った魔剣が消え去り、それを契機としてアークデーモンの身体が沈む。完全に沈黙した悪魔を数秒間見つめ、
「ふぅ」
 そしてようやっと体勢を改めたロイドは肺に溜まった空気を吐き仲間を振り返った。

「皆、無事か?」
「なんとか……アーツの詠唱も最小で済みましたし」
「偶然だが、もろには一発も喰らってねぇからな。後方には攻撃も通ってない」
 出現した時に感じた恐怖がいい方向に向かったのか、危機感を持って臨んだ一戦は思いのほか被害もなく終わった。安堵を抱くロイドは気になった点を思い出し口を開く。
「曹長、君のSクラフトはもしかして種類があるのか?」
「はい、いかんせん武装に種類がありますから」
 水を向けられたノエルが答える。
 彼女のSクラフト『ブラストストーム』はその時々彼女が持つ武器によって数種類のバリエーションがある。メインであるサブマシンガンと動きを封じるための電磁ネット弾は一緒だが、その後の最後の一撃が異なるのだ。
 今回は高威力のミサイルポッドを携帯していなかったためスタンハルバードを、それも遠距離型の攻撃に修正して行った。βは遠距離用なのである。

「でもまさか聖典に出てくるような悪魔が現れるなんて、上位属性の気配といい本当にここは普通じゃないようね。原因は、やっぱり鐘なのかしら?」
「でも星見の塔では鐘は鳴っていませんでしたよ。静かに朽ちていました」
 鐘楼に向かい確認したティオが言うのだから星見の塔に関しては鐘と関連はないのだろう。それはそれで、では原因は何か、という話になるのだが現在は月の僧院に関して掘り下げる必要がある。
「でも鐘の音が響いたと思ったら出てきましたし、人の手に容易に触れられない鐘が鳴っているんです。鐘が直接の原因ではないにしても調べれば何かわかるかもしれません」
 ノエルの言葉は結局先に進むことが一番だということだ。それは全く以って正しかったので五人は歩き始める。
 アークデーモンの亡骸を避け階段へと向かい――

「え」

 その異常に凍りついた。

「ロイド?」
 エリィが首を傾げる中ロイドは振り返り悪魔の残骸を見る。そこで遅れてエリィがそれに気づいた。
「どうして……」
「まずい――っ!」
 ロイドがトンファーを握り構える。その瞬間、空の光が空間を包み込み閃光を為す。その眩さに眼が眩んだ五人は、
「ぐぅう――ッ!」
 ロイドの苦悶の声と壁に叩きつけられる音で状況を理解した。

「ちぃ……!」
 ランディが加速、閃光の先に飛び込みハルバードを振り下ろす。それが伝える覚えのある硬い感触に顔を顰め、すぐに自身に向かってくる凶刃を咄嗟に下に回避。
「ガァ――ッ!?」
 しかしすぐに迫った尾の一撃に吹き飛ばされた。
 なんとかハルバードを間に挟み串刺しになることをは避けられたが踏ん張りの効いていない状態だったのでそのまま弾かれる。ビリビリと両手を衝撃が襲う中壁の寸前で一回転してなんとか着地する。
 そして、やっと視界が復帰した。
「く、マジか……っ」
 ランディが睨む先には現れたときと全く同じ状態のアークデーモン。焼き払ったはずの腕も再生しておりダメージは微塵も感じられない。

「ロイドさんっ!」
 ティオが駆け寄りアーツを詠唱し始める。ロイドの胸には三本の深い裂傷があり、夥しい血が服を濡らしていた。
「待ってティオちゃん!」
 エリィがティオのアーツの前に薬瓶を取り出し内心でロイドに謝罪、一気に傷に振り掛ける。
「づぅぅぅうううっ!?」
 焼けるような音と共にロイドが声を上げる。その痛みで覚醒したのか薄っすらと目を開けた。エリィはその様子を確認した後踵を返して悪魔へと向かう。
 そこでティオの詠唱が終了、ティアラの光が傷を塞いでいった。
「大丈夫ですかっ!?」
「なんとか……ありがとうティオ」
 倦怠感に苛まれながらも立ち上がる。まだ脅威は去っていないのだ。
「すみません、解毒が先でした」
「大丈夫だ。それよりティオ、EPは平気か?」
 頷く少女を確認後、まだ残る損傷に顔をしかめながらロイドは走り出す。眼前ではランディとノエルが接近してアークデーモンを撹乱、エリィが詠唱に入っていた。

 ロイドはエニグマを起動、スタンブレイクで一気に加速しアークデーモンの左腕を止めに入った。紫電が走る中、一瞬動きが止まった悪魔に対しランディとノエルがスタンハルバードを振り上げ同時に頭部を打ち据える。
 導力によって高められた衝撃はかなりの威力を誇るがそれでも悪魔は揺るがない。ただ攻撃を受けた後は攻勢に出るのが遅れるので足止めにはなっているようだ。
 ロイドはその隙を狙って跳び退り攻撃範囲を逃れ、入れ替わるようにエリィのソウルブラーが襲い掛かった。しかし彼女の表情は硬い。
「く、この程度じゃ……っ」
 エリィが歯噛みするのは下位魔法ではアークデーモンに影響を及ぼせないからだが、シャドーアポクリフによって激減した彼女のEPでは上級魔法が使えない。精神力も疲弊している中、既に彼女の選択肢は支援一択になっていた。
「エリィ、下がれ! ティオ!」
 既に彼女を攻勢戦力として計算することは厳しい、万一のための回復要員として残してティオにアーツを任せる。

 アークデーモンが攻撃を開始する。ランディとノエルに対しその右腕を振り上げるとともに反転、尾を振り回した。
 フェイクを織り交ぜる知能に驚く間もなく尾の一撃をランディは受け止め、止まったそれを飛び越えてノエルはエニグマを駆動、へヴィスマッシュを眼球目掛けて振るう。それを頭を傾け角で受け止めたアークデーモンは咆哮、そのまま角を伸ばしノエルを襲う。
「うあ……ッ!」
 反撃とばかりに眼を目掛けて向かってくる角を首を捻って回避、しかし頬を切り裂かれ帽子が飛ぶ。吹き出た血が宙を舞い悪魔の顔に降りかかった。
「ああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
 ランディが再びのウォークライ、尾を跳ね除ける。
 それでも二度目のそれは負担なのか口端から血が零れた。その甲斐あって赤紫に包まれた彼のCPはフルスロットル、最大の一撃をくり出せる。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
 しかしそんな隙をアークデーモンは作らない。逆にウォークライの隙を突いて振り上げたままの右腕を解放する。それはランディの脳天向かって迫るも彼は瞬時に回避、左肩を砕く結果になる。
 激痛に対し表情を変えないランディは一回転、炎熱の一撃でなぎ払う。
「クリムゾンゲイル!」
 それは自身の肩に刺さった右腕を切り飛ばし、胴体の半ばまでを抉り取る。アークデーモンは絶叫、しかし再び空の光が浮き上がり煙を上げて傷が修復されていく。
「くそ、限がねぇ……ッ」
 改めて肩口を押さえたランディが呻く。たちどころに傷が治ってはジリ貧だ、直に体力が尽きた五人が倒れ伏すだろう。
 しかしそんな未来を許せるはずもないロイド・バニングスは、空の光が立ち込める瞬間を見て一つの仮説を立てた。

「曹長、エリィ、ティオ。どう見る」
 ロイドが三人に尋ねた。それは接近する自身やランディより視界が広いためにわかることがあるからだと知っているからである。尋ねられた三人は未だ咆哮を続ける悪魔を視界に収めながら口を開いた。
「――多分同じことを思っていると思うわ」
「そうですね、おそらく間違いないかと」
「霊圧は絶えず向上しています、おそらく――」
 ロイドは頷いた。
「ああ、あの悪魔は簡単にあそこを動かない。光は足元から流れてきた。つまり――」
 アークデーモンは床に描かれた目の文様から力を得ている。そしてそれが原因か、あの場から離れることはそうそうしない。
 それはつまり、悪魔にとってあの絵図がどれだけ重要であるのかを証明する事実だ。

「でもロイドさん、きっとあの絵――いや召喚陣ですか、きっとただ壊しただけじゃ効力までは奪えません。聖典の悪魔のように、その存在を否定する攻撃でないと」
「教会の法術が使えれば……」
 物理的に破壊するだけではあの悪魔は止まらない。あの召喚陣もなくならない。
「それでも今俺たちにそんな手はない。可能性がないわけじゃないんだ、とにかくあの眼を破壊する」
 超回復を続けるアークデーモンを倒しきるのは難しい。かといってあの悪魔が完全に移動不可能だというわけでもない。
 彼らに残された望みは、その超回復の源を破壊することだけである。
「ギアアアアアアアアアアアアアッ!」
 アークデーモンが絶叫した。回復はしても痛みはあるのか、それとも復元そのものに痛みが伴うのか、いずれにしても更に理性を失った瞳で五人を見つめる。
 幻想上の生物、その逆鱗に触れたことによる緊張は極限に達し、彼らの精神を鋸のように削り切っていく。

「――ッ」
 それでも、歩みを止めることはしない。
 エリィがアーツを唱える中ティオが行動を開始しロイドとランディ、そしてノエルまでもが走りアークデーモンに迫る。目的は悪魔の足元を砕くこと、そのためには何とかして悪魔を引き摺り出さなくてはならない。
「っは……」
 ランディが吐息と共に血を零し速度を落とした。それを見ていてなおロイドもノエルも言葉はかけない。
 彼を追い抜いた二人は目で会話しノエルが跳躍、空中でエニグマを駆動した。それを見上げたアークデーモンは頭部の角を向け刺突をくり出す。
 空中で詠唱を開始したノエルに避ける術はない、故にロイドがその進行する角を両のトンファーで真横から迎撃、軌道を逸らす。
 身体の中心を狙った角は彼女の右側を通過し、重力に誘われたノエルは地上に辿り着く前にアーツを解き放つ。
「ストーンスパイク!」
 大地から石の槍をくり出す地属性下級魔法、しかし地面から生まれるそれは誕生と共に空の瞳を破壊する。
 はずが――

「ちっ!」
 ストーンスパイクは悪魔の足元からではなく右に逸れたあらぬ場所で発動しオブジェを造り出した。二人は同時に舌打ちし、ロイドは振り上げられた右腕を睥睨して後方に跳躍、すんでで回避する。
「おらぁあ!」
 エリィのアーツで回復したランディが入れ替わるように突貫、振り下ろされた右腕を足場にして悪魔の頭上を侵略し後頭部を撃ち抜く。
「ガァ――ッ!?」
 翼に守られていたそこは唯一の欠点だったのか、衝撃力を上げたとはいえ今までのものよりも効果があった。前方に傾く悪魔、そして目の前にいたノエルは左方に回り一回転、遠心力を加えたハルバードでその勢いを加速させる。
 そして、
「ハイドロカノン!」
 いつの間にか悪魔の後方へ移動していたティオが水流を発動、悪魔を更に前に仰け反らせた。
 そこまでしてようやく一歩、一歩だけ、アークデーモンを瞳からずらした。
「うおおおおおおおおおおっ!」
 ロイドがトンファーを振りかぶる。狙いは黄色く染まった眼球、その中心部。
 そこに渾身の一撃をと気合を込め、狙いを外さないようにと瞳を凝視し――

























 ――泣いている人の背中が見える。
 ――白いローブ、流した白銀の髪。
 ――その人はこちらに振り向き、涙を拭い。
 ――平静を装って、ただ一言。
























「クロスブレイク――ッ!」
 叫んだ言葉が何かもわからず、ただ流れる身体のままに動いた。
 右の一撃は横薙ぎに瞳を両断し、左の止めはそこに封をするように縦にくり出された。それが描くのは十字、聖なる十字架である。それは間違いなくアーツの発動ですら防いだ瞳を砕きその烙印を破り斬った。
 地面に亀裂が走り、一瞬紫色に輝いた瞳はその活動を停止する。
 そして、その瞳に魅入られたアークデーモンは断末魔の声も上げることなく姿を消した。




 * * *




 鐘楼に至る。景色は最上、連なる山々は白い装飾を纏って我こそはと息巻いているように見えた。
 そんな空間に浮いている黄金の鐘はコバルトブルーの光を纏って震えていた。振動のような微細な音が絶えず鳴り響いていて長時間近くにいることは難しい。ただ、悪魔が出て来た時のような大きな音は立てていなかった。
「風で揺れて鳴った、なんてないわよね。この様子じゃ……」
 エリィが神秘の象徴を眺めて呟く。
 鐘が人知れず鳴る、という現象は単純に言えば鐘が揺れれば鳴るのだからその揺れが人為的なものでなければ問題はなかった。しかし高度が高く風が地上より強いこの場所においてさえ、この巨大な鐘が風に揺らされるとは到底思えなかった。そして何より、鐘はこんな光を放たない。

「……この鐘からは上位属性の気配がします。月の僧院の異変の大元と言って間違いはないはずです」
「そうなると、この鐘を止めればあの変な魔獣や悪魔は出てこないというわけですか」
 ノエルが鐘に近づこうと手を伸ばし、しかしそれは空を彷徨った。異質な存在に対して警戒心が働いているのだろう、それは鐘には届かなかった。
「力ずくで止めるしか方法はない、かな」
 ロイドとランディ、そしてノエルの三人で鐘を三方から抑えにかかる。振動が全身を伝わり不思議な感覚に陥るが、十数秒も経つと鐘は振動を徐々に小さくしていった。
 やがて完全に止まるとティオが閉じていた瞳を開き属性の気配が消えたことを伝える。三人が掌に残った感触を見つめる中、五人は今回の騒動について会話を始めた。

「結局鐘が異常の原因、もしくはそのスイッチのようなものだったわけだけど、そもそもこの鐘は一体……」
「……もしかしたら古代遺物(アーティファクト)かもしれないわ。七耀教会封聖省が回収・管理を行っているゼムリア文明の遺産。通称『早すぎた女神の贈り物』」
 1200年前崩壊したゼムリア文明は現在とは比べられないほどの文明差があったとされる。その時代の未知の物体を古代遺物と呼んだ。
 七耀教会がそれを回収しているのは偏にその危険性による。古代遺物は想像もつかないほどの効果を持つものもあり、とある地方を一瞬で崩壊させた塩の杭などはその筆頭である。
 突如出現した塩の杭は触れるもの全てをたちどころに塩へと変えた。現在はその接触部分が全て塩になったために活動を停滞、教会によって管理されているがそれでも一級の危険物である。
 そんな古代遺物はどこに何があるのかわからない。そのため教会は専門の部隊星杯騎士団を結成しその管理に当たっているのである。

「ならその星杯騎士団が回収にくるんじゃねぇのか?」
「レンちゃんが言っていたでしょ、エラルダ大司教が封聖省を嫌っているから星杯騎士が来ないって。たぶんそのせいじゃないかしら」
「しかし今回その古代遺物が動いたんですよ? 好き嫌いは排して協力を要請するべきです。大司教もクロスベルのためなら……」
「いや、エラルダ大司教も頑固というか二言がないタイプだから、実質被害が出ていないに等しい現状でそこまでを望むことはできないだろう」
 それでも本心ではロイドもそう望んでいる。しかし支援要請で会話した限り彼の人はよほどのことがない限りは折れないだろう。
 とにかくも不可思議な鐘の鳴動は止め、僧院の異界化も破った。これで任務は終了だが、まだ最大の謎が残っていた。

「――問題は、誰がこれを作動させたのか、だ」
 ランディが鐘を拳で叩きながら呟く。自然に起こった、というにはエリィのいうように規模が大きすぎるし鐘を吊るしている天井や鎖も老朽化こそしているが異常はない。となれば、誰かがこれを鳴らしたのである。
「一般人には無理ですね。鐘を鳴らしたと同時に属性の異常が起き、更に幽霊紛いの魔獣まで現れたのなら、ここから無事に出口に辿り着けません」
 そもそも、無力な存在は月の僧院まで辿り着けない。少なくとも警備隊員ほどの装備を持っていなければ不可能な行為だ。
「今までのことを考えるならルバーチェ、と言いたいが、奴らにどれだけの意味があるのかは怪しいな」
「今回わたしたちが確認した異常は鐘の鳴動と異界化した僧院、そして異様な魔獣と悪魔です。これらの情報からルバーチェに実があったと考えることはできますか?」
 ティオがロイドに話を振り、彼は口元に手を添えて思考する。しかしそのどれもがしっくりとこなかった。

 最初に考えたのは鐘を利用して魔獣を操作しようということ。これは黒の競売会の損失を埋めるために対抗勢力である黒月を潰す、ということを考えた場合の戦力補強だが、そもそも鐘を容易に持ち出せない以上難しい上に軍用犬とは違い明らかな異形だ、黒月が警察ないし遊撃士に被害者として情報を漏らせば逆に不利になる。
 今回の騒動は鐘ありきなのだ。あの巨大な鐘を利用するには持ち運ぶか相手を連れ出すかのいずれかが必要であり、ルバーチェがそんなまどろっこしいことをするとは思えない。
 となるともし彼らの仕業だとして、その目的は得られた情報ではわからないということになる。どちらにしても、今回の犯人を特定するには至らなかった。
「犯人は別にいるかもしれないってことですね……」
 ノエルは憂鬱な表情で呟く。彼女の任務はこれで終了したわけだが、その大元がわからないとなるとやはり気分が良くないのだろう。
 しかし前述のとおり任務は終了、停滞した空気を動かす為にノエルは撤収を提案し、五人は様子を確かめながら明るくなった月の僧院を離脱した。




 * * *




 ――彼らが僧院を出た時、クロスベル市歓楽街のカジノハウスにおいてとある異変が起こっていた。
 今まで給料のほとんどをカジノに落としその経営に貢献してきたとある客がある日を境に急変、大金を巻き上げ始めたのだ。その圧倒的な直感と運、実力は歴戦のディーラーを絶句させ、支配人も困惑、僅か数日でビップ待遇にまで上り詰めるほどだった。
 しかし、常にその人物と連れ添ってやってきていた知人はそれ以上に困惑していた。性格が荒々しくなったと困惑していた。
 それも当然か、いきなり大金が舞い込んでくれば気分も高揚し横柄になるだろう。そう言ってよくあることだと締めようとした支配人は、数秒の躊躇いの後に発されたその知人の言葉に首を傾げた。

 いや、変わったのはカジノで大当たりする前だよ。本当に突然荒くなったんだ――



 初出:7月2日


 クロスブレイクは設定資料集にあったゲーム未使用クラフトです。
 マッチしたので使いました。



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Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/07/05 20:30



 クロスベル市歓楽街にあるホテルの一室――ビップ御用達の高級な部屋である――で一人の男が眠っていた。豪快にいびきをかき、着崩したスーツはだらしない。
 それもそのはず、大勝に気分が高揚し大酒を喰らい、そのまま寝入ってしまったからだ。当然それはベッドの上ではなく座り心地の良さそうなソファーである。
 そんな一室の外では支援課の四人と男が呼んだコンパニオンの女性二人、簡単な事情聴取の最中だった。とはいえ重苦しいものではなく捜査とは到底思えないもので、故に女性もしぶしぶでなく尋ねに答えていた。

「……と、いうことですが?」
 女性が立ち会った後でティオがぼやく。少女の瞳は他の三人に向けられていて、しかしその三人もその言葉に引き継ぐべきものが浮かばなかった。
 月の僧院の捜査は無事ではないが終了し、一向はノエルの運転する導力車両で市内に戻っていた。ノエルの運転技術は疲れた身体に心地良く、与えられる振動についうとうとと舟を漕いでしまったほどだが、とはいえ陽が沈むのはあと二時間はあるだろう。怪我をアーツで回復した四人はノエルと別れて別な支援要請に取り掛かっていた。
 差し当たって大事だったのがマインツ鉱山町のビクセン町長の依頼である。鉱員の一人が二週間戻らないので安全確認を行ってほしいというのだ。鉱員の名はガンツ、カジノで負け続ける男であり魔獣事件解決の夜に襲われかかった人物だ。
 その腕前からカジノで大金をすって帰れないのではと思いカジノに向かってみると、驚いたことにガンツは大勝ちして今はホテルに泊まっているそうだ。そういうわけでホテルに向かった特務支援課は改めて本人に話を伺い、マインツに戻る気がないというガンツの態度に疑念を抱いたロイドによって近況の把握に走っているのである。

「そうは言っても、ねぇ……」
 エリィもついと横目で男二人を見る。ロイドは思案顔で答えず、代わりにランディがカジノ、いやギャンブルに関して経験談を語った。
「一朝一夕でうまくはならねぇし、そもうまくいったとしても二週間で1000万ミラも稼げるなんて異常だぜ? ディーラーも百戦錬磨だ、ここぞの時には鬼引きが来るもんだが……」
 どうやらそれも越えられちまったわけだな、と今回の事態の稀少さを肩を竦めながら言う。内心で俺もやってみたいと思っているが反応が予想できるので口にはしなかった。
「とりあえず町長に連絡をしよう、無事は確認できたことだし」
 ロイドが話をつけるとビクセンは驚きながらも安堵し、しかし鉱員を辞めることに関しては明日直接赴いて話を聞くことにしたらしい。こればかりは口を挟めないので今回はこれで終了だろう。
 ただ彼の魔獣事件後の態度と今の様子に違和感を覚えたのは確かだ、しかしそれは金の持つ魔力というもので説明できる。しかしロイドはどうにも釈然としなかった。しなかったが、それで答えが出るわけもない、足並みを揃えてホテルを辞した。

「ふふ、ごきげんよう、お姉さんたち」
 そして、タイミングを計ったように天使がそこに現れた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 今日は陽射しが強く暖かかったからだろうか、普段の薄紫のドレスではなく薄手の白のワンピースの姿で現れたレン。当然フリルをふんだんに誂えた長袖だ。
 そんな彼女はまるで全てがわかっているかのような笑みを浮かべている。
「こんにちは、レン。散歩か?」
「そうねぇ、散歩って言ってもいいけれど、でもお兄さんたちに会ったのは偶然じゃないわ。きちんと用があって来たんだもの」
 そしてロイドは少女の視線が自分に向けられていないことに気づく。少女が注視する先にいるのはこちらも少女、ティオ・プラトーである。ティオも気づいたのか、不思議そうな様子で首を傾げた。
「レンさん、わたしに何か?」
「ええ、ちょっとお姉さんとお話したいことがあって来たのよ。内緒話だからお兄さんたちには聞かせてあげない」
 立てた指を口元に悪戯っぽく話すレン、自然と笑みが零れるがその内緒話の内容はさておき方向性は尋ねておきたかった。
 どうしても、レンという少女は特別にしか思えないことがある。

「レン、その話は今俺たちが捜査している事件と関わりがあると思うか?」
「お兄さんたちが今何の捜査をしているのかレンは知らないわ…………でもいつかは関わることになるでしょうね」
 お兄さんなら特に、と意味深に告げ、レンはティオを連れてどこかへと消えて行く。残された三人は暫く少女が消えた先を見つめていたが次の行動を決めるために顔を見合わせた。
「ティオすけが行っちまったが、どうする? 戻ってくる時間もわかんねぇから後は三人か?」
「そうね、正直レンちゃんの話は気になるけど他に支援要請もある。今回はティオちゃん抜きで頑張りましょう」
「そうだな、あと残っているもので今日中にできそうなのは――」
「今日は厳しい戦闘があったからそこまで負担のかからないものにしてね」
 エリィが条件付けをしロイドは捜査手帳を眺める。
 書かれている依頼は三つ、東クロスベル街道の手配魔獣と中央広場のレストランの見習いシェフからの料理相談、そして龍老飯店に滞在している旅行客の探し人である。そのうち手配魔獣は条件から棄却、料理相談の内容は珍しい料理の紹介の上期間が長い。よって龍老飯店に向かうことにした。旅行客の滞在期間の都合もあるので妥当と言える。
 三人は東通りに向かい、食欲をそそる店に足を踏み入れた。


 * * *


 彼らが依頼を終了させてビルに戻って来た頃にはティオは既に戻ってきていた。キーアに話を伺うと、どうやら自室にこもっているらしい。
 夕飯の支度は既に終わらせているそうなのでキーアに呼びに行ってもらい遅めの夕食を取った。ティオは考え事をしていたのか、会話の流れに乗り切れておらず反応が遅れていた。
 それがレンとの会話によるものだと三人は気づいていたが、だからといって少女が伏せた話の内容を安易に聞くことはできなかった。

 そして翌日、一通の通信が事態を加速させる。






 それはキーアとロイドが共同で朝食を作り、全員がそれに舌鼓を打とうとした時だった。セルゲイは早朝にビルを出て警察本部に向かってしまったため五人と一匹が会していたが、不意にロイドのエニグマが鳴る。それは引きこもりのヨナからの緊急のものだった。
「ヨナ、珍しいな」
「そんなこと言ってるってことはアンタら知らないんだな? 警察はてんやわんやなのに暢気だな」
「……どういうことだ」
「――昨日の深夜、黒月が襲撃された」
「な!?」
 予期せぬ展開に思わず大声が出る。顔を顰める様子が見て取れるような呻き声を聞きながらロイドは他の三人に目配せした。三人も彼の反応で何事か感じ取ったらしい。ただキーアもいるので悪戯に反応はしなかった。

「どういうことだ?」
「どういうことも何も、ボクが知ってるのはそういう事実があったってことだけだよ。事件の捜査は一課がやってるみたいだし、まぁルバーチェ辺りがやらかしたんだと思うけど」
「…………わかった。ありがとう、ヨナ」
「へっ、今度なんか奢れよな!」
 通信を切る。四人の視線に晒される中ロイドは事件の発生を告げ、次いでキーアに朝食を残すことを詫びた。
 逆にキーアから励ましを貰った四人はツァイトにキーアのことを頼み、すぐさま港湾区へと向かう。一応端末を覗いたが、そこまで手が回っていないのか支援要請に変化はなかった。
「まさかルバーチェがここまで極端な手を打ってくるなんて……」
 エリィが眉間にしわを寄せて言う。それは黒月襲撃事件を知った四人が四人とも思ったことだった。
「被害はどの程度なんでしょうか」
「さぁな。ただ黒月も共和国の一級の組織だ、奇襲だとしてもそこまでの人的被害はないだろう」
「ツァオが何の保険も用意していないとは思えないし、逆にこれを利用してルバーチェを潰せると踏んで過剰な抵抗をしなかったかもしれない。どちらにしてもツァオは無事なはずだ」
「――銀は、応戦したのかしら……」
「……わからない」
 銀の存在の有無は戦況に著しい変化を齎す。未だ現場にも辿り着けていない段階ではそれすらもわからなかった。




 全損は免れた、と言えばいいのだろうか。
 建造物としての形を保っている黒月貿易公司クロスベル支社はしかし確かな騒乱の後もまた残している。窓ガラスは割れ、扉も破壊痕が荒々しく刻まれていた。既に侵入規制もなされており警官が入り口を固めている。
 その警官はロイドの警察学校時代の旧友であるフランツだったので特別に入ることを認めさせ、四人は中に入っていった。赤い壁面に無数の弾痕と刀傷があり、観葉植物は半ばから折られていた。支社長室のある三階までがその惨状、つまりはルバーチェの侵攻はここまで押し寄せてきたということである。
 その支社長室に目をやると明かりが漏れており、僅かに会話が聞こえてくる。取調べの最中なのだろう。ロイドは一つ息を吐き、ノック。そのまま返事を待たずに扉を開けた。

「お、お前ら……」
「おや、みなさんでしたか」
 捜査一課のアレックス・ダドリーとツァオ、そして側近のラウがそこにいた。ダドリーは突然の乱入者に絶句し、ツァオはまるで来ると知っていたかのように平静を保っていた。
「ダドリー捜査官、すみませんが自分たちもツァオさんにお聞きしたいことがあります。許可をいただけますか?」
「何を馬鹿なことをッ、いいからさっさとここから――」
「――ええ、皆さんにでしたら喜んでお答えしましょう」
 ダドリーが烈火の如く退室を命じようとして、それを遮るようにツァオが笑みを浮かべて口を開く。その言葉に思わずツァオを見たダドリーは暫くツァオとにらみ合い、やがて感情をかみ殺すように踵を返した。
「――この場は任せる。後で報告しろ」
「ありがとうございます」
 ロイドとすれ違い様に言葉を交わしダドリーは消えていく。
 おそらくツァオから大した成果を得られなかったのだろう。ならばとツァオが望むように自分は消え、後を気に入らない集団に任せる。自身の感情よりも捜査の進行を考えた行動だった。それができるからこそ、彼は捜査一課のエースとして信頼されているのだろう。
 尤も、彼に言わせれば自分の実力不足で他者に頼ることになったと自戒するだろうが。

「ふふ、お久しぶりですね。本日はどのようなご用件で?」
 ツァオはいつものように机に両肘を宛がい微笑んでいる。隣に控えるラウも屹立した状態で微動だにしない。その変わらない姿に改めて難敵だと理解した。
「先ずは、昨夜未明に起こった事件についてです。ルバーチェに侵攻されたとのことですが……」
「ルバーチェだとは言っていないんですけどね、まぁそのとおりですよ」
 隠しても仕方ない、というように肩を竦める。
「ここに来るまで至るところにその痕がありました。ですがここには何もない…………結論から聞きますが、撃退したのですね?」
「もちろんです。我々としても過剰な行為をせずに潜り抜けるというのは何とも難しいものでした、とだけ伝えておきましょう」
 あくまで必要な対処しかしていない、とツァオは言う。それがどの程度だったかはルバーチェ側の損害を見なければわからないが、しかし先に打って出たのがルバーチェである以上彼らから被害状況を聞くことは叶わないだろう。
 ツァオは涼しげに言ってのけたが、彼の言う過剰な行為とそうでない行為の境界線を知ることはできない。だが黒月には、ツァオにはこの部屋を無傷で切り抜けるほどの力があることだけはわかった。この綺麗過ぎる部屋にはルバーチェは入り込めなかったのだ。

「ああ、そうでした。これは皆さんにサービスとしてお教えしましょう」
 不意にツァオが口を開く。思い出したような口ぶりだったが、おそらく始めからそうするつもりだったのだろう。
「彼ら――ルバーチェの構成員の力が上がっているようですよ。それも不自然なほどに」
「え?」
 ツァオが視線で指示し、ラウが一歩出る。
「我々黒月の構成員は皆独自の東方武術に秀でています、肉体の戦闘力だけならルバーチェを一蹴するほどに。しかし今回我々は彼らに一歩及ばなかった。それは武器の使用という点だけの問題ではなく、純粋な身体能力でも肉薄されていたからです」
 襲撃に現れたのはルバーチェの木っ端の構成員、ガルシアも来なかったらしい。
 しかしその構成員の力が図抜けていた。両手で運用するはずの重機関銃を片手で振り回していたという。肉体的な変化は特に見られなかった、しかしその膂力は別人と言っていいほどだったのである。

「…………」
「ただ、関連性があるかは知りませんが統率は為されていなかったようですね。まるで物語にいる狂戦士のようでした」
「……狂戦士、ね」
 ツァオの言葉にランディはぼやき、沈黙するロイドの肩を叩く。
 それによって思考の海から抜け出したロイドは最後に今後のことを尋ねる。その答えは予想していたよりも危険なものだった。






 黒月を出る。ゆっくりと歩を進めて距離を空けたところで向かい合い得られた情報の確認、検討を行う。それが本来進めるべき手順だ。
 当然支援課はそれを行おうとし、しかしそれは再びの通信に阻まれる。通信はフランからで、その内容は緊急性の高いものだった。
「ビクセン町長!」
「おお、待っておったよ!」
 昨日に引き続きのホテルのビップルーム、そこで支援課はビクセン町長と再会した。彼が市に来たのは偏にガンツの心配をしたためであるが、どうやらそれは杞憂とならなかったようだ。

「それで、ガンツさんは……」
「この通り、眠っておる」
 この部屋の主であるガンツは高級感溢れるベッドに横たわり意識を失っている。
 支援課が呼ばれた理由、それは正に彼による騒動のためだった。今日もカジノでギャンブルに明け暮れていたガンツだが、一人の青年との勝負を契機として興奮し、ついには暴れだしてしまったそうだ。
 支配人が急いで遊撃士に連絡を取ろうとしたところを居合わせていたビクセンが支援課を要望、警察本部に変更してフランが彼らに伝えるという結果になった。急いで歓楽街に向かった支援課だが、その時には既に騒ぎは鎮圧されており、いたのは憔悴しきったビクセンと支配人、それと気絶したガンツに疲れ果てた巡回中の警官だった。
 ロイドらは警官から仕事を引き継ぎランディと協力してガンツをホテルへと運んだ。幸いけが人はなく、ガンツにしても業務妨害の責任が生じるだけだったのは幸いか。当の本人は暴れている途中で糸が切れたように倒れてしまったそうだが。

「興奮して頭に血が昇って目が回っちまったのか」
 ランディがガンツの顔色を見ながら呟く。しかし彼の顔色はむしろ血色がなく、呟いた本人も納得していないようだ。持病もないそうで、鉱員として当たり前の健康状態だったらしい。
「そうなるとアルコール中毒か、もしくは急病か。エリィ、病院の手配は?」
「一応連絡はしたわ、でもどこまで緊急かわからないからまだ様子を見ておくようにとのことよ。このまま意識が戻らないなら改めて導力車の要請を出すわ」
「ティオ、何か変な反応はないか?」
「…………その」
 ティオが口ごもる。全員の視線を受けた少女は少しの間の後に口を開いた。
「微量ですが、何かが違う気配があります…………まるで星見の塔や月の僧院のような――」
「上位属性の気配ってことか?」
「かもしれません。ですが本当に小さくて断定できないので……」

「…………」
 ロイドはガンツの身体チェックを始めた。服の上から手を滑らせ所持品を調べる。財布に宝石などいかにも成金というようなものが出てきたが、懐に入っていた袋を見つけた途端空気が凍りついた。
「――ッ!?」
「それは……!」
 縁取りのある縦に長い六角形は一粒が爪ほどの大きさ、それは四つの碧い錠剤だった。
「……町長、持病はないんでしたよね」
「そ、そのとおりじゃが、いやしかし、それは……っ」
 ビクセンは必死に言葉を探そうとしたが出てこず、膝を折って空の女神に祈った。彼でなくとも、今回の騒動の後に得体の知れない錠剤が見つかれば予想できてしまうだろう。
 支援課の四人は一様に顔を顰め、覚悟するようにエリィは呟いた。
「薬物中毒……」
 その言葉は少女の胸のうちにある出来事を想起させ、少女の瞳を強制的に閉じさせた。






「ちょうどいい時に来たな、お前ら」
 ガンツから回収した碧い錠剤を持って戻ってきたロイドらはセルゲイに言われて執務室へと移る。そこにはイアンが数枚の資料を持って立っていた。
 イアンは目を細めて彼らを眺め、所定位置に戻ったセルゲイに対して視線を向かわせた後に口を開いた。
「今日ここに来たのはセルゲイ警部に頼まれた資料を持ってきたからなんだが、なにやら君達も別な用件を抱えていそうだね」
「わかりますか?」
 残念なことに経験豊富だからね、とイアンは頷き手元の資料をセルゲイによこした。それに目を通すセルゲイに説明するように太く声を響かせる。

「――八年前大陸で起こった連続誘拐事件、その被害者の中にキーアと呼ばれる少女がいないかどうかという話だったが、集めた情報の中にはいなかった」
 それが幸福なことなのかどうか、いや、幸福なのだろう。イアンはそう言って口を閉ざす。
 突然の報告にロイドは目を丸くし唖然とした。エリィもランディも同様に反応し、ただティオだけがじっと目を閉じていた。

 連続誘拐事件、それは当初誘拐ではなく失踪という言葉が使われていた。それは余りにも範囲が広く、もし誘拐ならば犯人が同一人物だとはとても思えなかったからだ。
 主に共和国方面で起きたこの事件は次第に大陸全土に及んだ。そこで事態を重く見た各国諸組織は共同戦線を張り、高名な遊撃士の指揮の下その誘拐組織を特定、殲滅した。そう、これはレンが連れ去られた連続放火事件でもある。
 誘拐されたという可能性からその事件を思い起こしたセルゲイがイアンに調査を頼んだわけだが、今回は空振りに終わったようである。
 尤も、イアンの言うようにそれが幸福であるのは確かなことでむしろ喜ぶべきものなのかもしれないが、少女の情報が得られなかったという現実は変えようがなかった。

「それで、お前達は何かあったか? 黒月にも顔を出したんだろう?」
 セルゲイが話の時間軸を今日に戻す。ロイドは黒月襲撃に関する情報と同時、ガンツから回収した謎の薬物についても言及した。
 流石にセルゲイも面を食らったのか煙草を灰皿に押し付け組んだ手に顎を任せる。そのまま言葉を慎重に選びながら話し出す。
「クロスベルでは薬物事件なぞ起きない。それは齎す影響が大陸全土に及びかねないからだ」
 仮に違法薬物がある地方で撒かれた場合、その近隣諸国は厳戒態勢を取るだろう。巨大な大陸に身を寄せ合っている以上それはその地方のみの話ではなく次第に範囲を広げる可能性が非常に高い。
 そのため薬物事件に関しては各国間の関係を除外して事件の終結に尽力する。共和国や帝国もそれを理解しているからこそこの関連の事件には目を光らせ事前の鎮圧に努めている。だからこそクロスベルでは、いやゼムリア大陸では薬物事件など起こらない。
「だがしかし、現物がある以上そうも言ってられんな。とりあえずは成分調査からだが」
 違法薬物でなければそれで終わる話である。この件はウルスラのヨアヒム医師に頼むことを決めた。

「ふむ、少しいいかな」
 イアンが言葉を挟む。彼の元にも似たような案件が寄せられたらしく、とある証券マンと貿易会社の経営者の話だったが、この二人にもガンツに似た要素が見られているとのことだ。それを聞いたセルゲイは再び煙草を取り出し紫煙を吐き出す。
「早期ならと思うが、最悪の場合既に流布されているかもしれん。先生には再度その二人の調査をお願いしたい」
「わかっています。これはクロスベルにとって由々しき事態かもしれませんから」

 深刻な雰囲気になった一室に、不意に穏やかな声が聞こえてきた。キーアの声である。どうやら来客らしく、その人物は一言述べてから執務室に入ってきた。
「セルゲイさん、お話が――――イアン先生」
「おお、ダドリー君」
「お前、ちょうどいいところに来たな」
 ダドリーはイアンの存在に驚いた声を上げたがロイドらの姿を確認すると眼鏡を押し上げ唸り、気を取り直したのか普段の彼に戻った。イアンは自分がここにいてよいものか尋ねたが、ダドリーも信を置いているのか問わなかった。
「それで、何の用で来たんだ?」
「はい。実はクロスベルで違法薬物が流れているようなのです」
 捜査一課は違法薬物の噂を耳に入れたことで捜査を開始したが、本日付で上層部から中止を命じられたのだという。願いが叶う薬、という何とも胡散臭いフレーズの噂だったが、そんな噂が立つこと事態が異常なのだ。
 ダドリーは中止を決定した上層部に疑念を抱き、上からの圧力を柳に風とばかりに受け流すセルゲイを訪ねてきたのだという。

「……前から思っていたが、やはりお前は一流の捜査官のようだな」
「い、いきなり何です?」
「いや、運というかそういうものを持っているのも一流の条件だと改めて思い知らされただけだ」
 突然の褒め言葉にダドリーは困惑するがセルゲイは自己完結して話を切り、顎で促してロイドに錠剤を取り出させる。
「これはッ……!」
「今日回収した品です。本人の名誉は守ると約束したので詳細は言えませんが」
「仮にこれがその願いが叶う薬だとして、上層部が中止を言ってきたとなると出所は考えるまでもないな」
 歯を食いしばる音が聞こえる。それは紛れもなく、クロスベルを代表する捜査一課の一員から発せられていた。ただそれだけで、ロイドはダドリーを信じられる思いがした。

「――捜査一課は動けない。ならこの件は特務支援課が動くぞ」
「セルゲイさんッ、こいつら新米にこんな重大事件を――!」
「無意味な反論をするな、お前だってそれをわかって来たんだろうが」
「く……!」
 セルゲイの言葉にダドリーは口ごもる。彼がここに来た理由を考えればセルゲイの言葉は当然のもの、しかし彼自身口惜しくないはずもなく、わかっていても反論が出てしまったのだろう。それは今までクロスベルを守ってきた自負から生まれたものだった。
「まぁ不安がるのもわかるがな、こいつらは偶然とはいえ今まで手出しできなかった黒の競売会も壊したんだ。その運に免じて、もう一度チャンスをくれてやってもいいんじゃないか?」
「…………」
 ダドリーは目を閉じなんとか平常心を取り戻そうとしている。冷静に、客観的に状況を鑑みれば正しいことがわかるのだ。ただそれを邪魔する自身のプライドを抑えることに必死だった。
 本日二度目のプライドを殺した決断、それは彼にとっての転機にもなることだった。



 初出:7月5日


 展開的にはほぼ同じなので、原作とは異なる細かいところを出せるように苦心しました。
 どちらかといえば今作はそういった小さい差異を楽しむものかもしれません。
 7月26日までには一区切りさせたいところです。なんてったって那由多です。



[31007] 5-10
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/07/09 18:05



 よく晴れた、とてもいい日だった。
 洗濯物は乾き主婦もにっこり、子どもたちは外に駆け出していってはしゃぎ回る。外回りの会社員も汗ばむ身体に辟易しつつも、こんな陽気なら仕方ないかと苦笑した。
 クロスベルは活気に満ちている。交易も盛んで正しく貿易都市、この街が停滞することは大陸の停滞と同義だ。
 故に、運命の歯車に踊らされ続ける。大陸の命運とクロスベルの命運は無関係ではないのだ。

 よく晴れた、とてもいい日だった。そう、それは未来の視覚。
 いい日だと思い返すことができるのは既にそれが過ぎ去ったからだ。だがそれは本来ありえないこと。多くの市民はただその温かい日の光だけで、その一瞬だけで、今日はいい日だと、いい日なんじゃないかと感じてしまったのだ。
 それ自体に特に意味は無い、誰でも感じる当たり前の考えだ。
 だがもし、もし本当に未来においてこの日を振り返ったならば――――果たして誰が、この日をいい日だったと考えるのだろう。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 ウルスラ病院の研究棟、とある研究室にてヨアヒム医師はゆっくりと話し出した。あくまで噂に過ぎないと念を押して。
「――願いが叶う、というかね、身体の感覚や神経伝達が異常に発達して超人的な力を得るという効果を発揮する薬があったらしいんだ」
 数年前、医療関係――特に薬学専門の人間周りでしか流れていない眉唾物だったが、今回ロイドらに渡された錠剤の所有者の近況を聞かされた彼はそれに思い当たったらしい。
「それは――」
「――グノーシス……」
 ヨアヒムがその薬物の名称を答えようとしたとき、それを横から告げた者がいた。それはティオ・プラトー、何かを堪えるようにその双眸を閉じている。
 エリィが異変を感じてティオを連れ出し、残ったロイドとランディが続きを尋ねた。

「グノーシスは、とある宗教団体が開発したと言われていた。その集団というのがね、何でも空の女神を否定して別の神を崇めているという集団だったんだ。その別の神も悪魔だった、とか言われていたね」
 本来の効果は人間の潜在能力を開花させるというものらしく、それは何故か運すらも呼び込むほどだったらしい。
 ヨアヒムは手元にある釣り糸を手繰りながら思い出すように話す。
「グノーシスは碧い錠剤だったらしい。現物を見ていないから実在するかもわからないし何とも言えないけど、これとの共通点は多そうだ」
 現在作り出されている薬の中にここまで鮮やかな青色をしたものはない。本来薬の色は口に含んでも抵抗がないような色に配慮して作られるのだが、この錠剤の色は人によっては抵抗感があるだろう。つまり、これは正規の研究によって作られたとは思えないのだ。
 尤も、これが研究段階の試作品で、これから色について考えるつもりだったという可能性がないこともないのだが。

「いずれにしても成分分析には時間がかかるよ。一日は待って欲しいな」
「厚かましいお願いですができるだけ早くお願いします」
「わかってるさ。患者が増えるかもしれないからね、せっかくの釣りも放棄してやってあげるよ」
 釣りの部分を強調し、なおかつ釣り針すら見せてヨアヒムは微笑む。その口に出さない不満に思わず苦笑するも、事態は一刻を争うかもしれないのだ。ロイドは気を引き締め再度頭を下げた。

「あ、そうだ。キミ達にプレゼントがあるんだよ」
 ヨアヒムはそう言って足元からビンを取り出す。首をかしげるロイドにランディは得心したように言った。
「例の栄養剤っすか?」
「そのとおり。ようやく完成したんでね、大変だろうしあげるよ」
 警備隊の分は既に届けているらしく、ヨアヒムもご機嫌だ。全部で五本、セルゲイも含めればぴったりだ。
 ちなみにこれは本来セルゲイの分ではなくあの時居合わせたワジの分だったりする。
「今回の件、キミ達が重要な鍵になる気がしてならない。その為にも叡智を――いや英気を養って欲しい」
 そう告げたヨアヒムの真面目な口調は、彼の赤い瞳と相まって寒気のするくらい心に留まった。




 夕闇に覆われる頃、エリィとティオはセシルの私室にいた。プロテクターの外されたティオはセシルの厚意でベッドに横たわり眠っている。
 備え付けの椅子に座っていたエリィが遅れて入ってきた二人に対し静かに状態を告げた。セシル曰く、精神的な疲れが原因で、一晩ぐっすりと眠れば幾分楽になるだろうとのことだ。
 ティオの頭を優しく撫でながらエリィは目を細めて言う。少し気落ちしているようだ。
「もう少し気をつけてあげてればよかった。ティオちゃんの様子がおかしいことには気づいていたのに……」
「自分を責めたってしょうがねぇ。俺たちも同罪だし、言わなかったティオすけもそうだ」
 警察という社会に組している時点で自己責任は常に纏わり付く。今回は不調を言わなかったティオにも非はあった。
 それでもエリィは自身を責めずにはいられない、彼女はなんだかんだで同性の少女を気にかけていた。それが今回、ほんの少しだけ事態に追われて遅れてしまったのである。
 レンとの会話によって拍車がかかっただろう少女に対し、なんら行動を起こさなかったことも確かだったのだから。

「レンとの会話の内容は知る由もないけど、ティオが倒れた直接の原因はやっぱりアレだろうな……」
 ティオが体調を崩した場所はヨアヒムの研究室、ちょうどとある薬物の話をしている時だった。
 そこで限界値を超えてしまったのか、それともそれ自体が衝撃だったのか。それは少女の反応で後者だとわかる。
「グノーシスを知っていたわね、ティオちゃんは……」
「ああ、もしかしたら……」
 ロイドは開きかけた口を閉ざした。言ってしまえば最後、それが現実になってしまうのではと感じられた。おそらくエリィもランディも同じことを考え口を閉じているのだろう。
 闇が押し寄せ、世界が暗転した。そこにいるのは少女を心配する人物のみ。
 そんな世界だからこそ、そんな仲間だからこそ、ティオ・プラトーは話すことができる。

「――気にしないで下さい」
 ゆっくりと目を開け、上半身を起こす。ティオはすぐに支えてくれるエリィの手に自身の手を添え、静かに口を開いた。
「大丈夫です。いつか話そうとしていたこと、それが今になっただけの話ですから」
「でもティオちゃん、無理しないで。まだ起きたばかりだし……」
「ありがとうございます。でもエリィさん言いましたよね、わたしが話したいときに話してくれればいいって。今がその時なんだと思います」
 特務支援課が初めてウルスラ病院を訪れた時、ティオが病院にいた詳細を話そうとしてエリィに止められた。状況に流されるまま聞かされたくないと説かれた。
 今も状況に流されていないとは言えない。しかしあの時の仲間ではなく何度も壁を乗り越えた今の仲間になら、ティオは話してもいいと思えた。
 知って欲しいと、素直に思えた。
「……わかった、聴かせてちょうだい」
 エリィは嘆息し、頷く。ティオはふうといつものように息を吐き、そして語りだした。




 * * *




 ティオ・プラトーは六年前、ロイドの兄ガイ・バニングスによって救出された。当時の少女は衰弱しきっており、実家に戻るまではウルスラ病院で入院していた。
 さて、彼女が救出された場所はカルバード共和国アルタイル市のとある山間である。
 どうして彼女はそこにおり、また救出されたのか。それは当時起こっていた連続誘拐事件と放火事件に起因する。
 遊撃士カシウス・ブライトの指揮の下、大陸全土を巻き込んだ誘拐事件はそのいくつもの拠点を同時に襲撃し一網打尽にしたことで解決した。ロッジと呼ばれるその拠点の一つがあったアルタイル市を担当したのがガイ・バニングスであり、セルゲイ・ロウであったのだ。
 彼らは向かってくる犯人グループを退け誘拐された子どもがいるであろう場所に辿り着く。しかしそこには生き残りはただ一人しかいなかった。
 その少女の名前はティオ・プラトー。少女は、誘拐事件の被害者だったのである。

 ガイが少女を見つけた際、少女の全身には電極が貼り付けられていた。それはさながら実験体のようであり、そしてそれは真実だった。
 犯人グループが子どもを誘拐した理由、それは彼らが信奉する神を出現させる為に必要な薬物の研究だった。そしてその為には、一定条件をクリアした子どもが必要だったのである。
 一定条件、それはある特殊技能と言えばいいのか。感応力と呼ばれる外界とリンクし情報を制御する能力が非凡である存在こそが彼らのターゲットになっていた。それは彼らの目標への進捗状況を示すのに最も適した能力だったからだ。
 誘拐された子どもたちは様々な実験を行い、そのたびに壊れていく。高めすぎた能力に身体が耐え切れずに自壊するもの、精神が吹き飛び人形同然になるものなど様々だった。
 そんな中、ティオは生き残り続けた。日々消えていく子どもたちの姿に恐怖しながらも実験に耐え続けた。
 彼女がいたアルタイルロッジの実験が彼女に合っていたからだろう、結局救出されるまで彼女は生きた。想像を超える感応力という結果を与えられて。

 ここで、その犯人グループに話を向ける。
 彼らは空の女神を否定し、とある存在を神と祀っていた。その狂おしいほどの信奉ぶりは異端に他ならない。しかし彼らにとっての神を体現するためには一般社会に背くことになど何の痛みもなかった。
 彼らは多くの被害者を出しながら目的のために邁進し、その完成度を高めていった。結局彼らが諸組織の介入を経て滅ぼされるまでの間にそれが完成することはなかったが、その地獄を生き残ったティオの脳内にはその目的物の名称は刷り込まれて消えることはなかったのである。

 それこそがグノーシス――真なる叡智と呼ばれた薬物であり、それを求めた集団こそをD∴G教団と呼んだ。




 * * *




「――わたしは、今もまだ答えが見つかっていません。自分がどうして死ななかったのか、どうして生きているのか。結果としてあるこの生の意味すらも……」
 それを示してくれるはずだったガイ・バニングスはもうここにはおらず、導いてくれるはずだった手はいつの間にか外されて取り残されてしまった。少女は未だ教団の齎した闇の中でもがいている。
「ガイさんの息吹を感じるクロスベルに来たのも、それが見つかるかもしれないと淡い期待を抱いたからかもしれません」
 そう言って、ティオは長い話に終わりを告げた。余計な相槌を打たず、三人の聞き手は黙ってそれを受け止め。
 そして耐え切れなくなったエリィは少女を抱きしめた。その温もりを、まるで現実感のないように少女は受け止める。

「エリィさん……」
「いいじゃない、わからなくたってっ……」
 顔を見ることのない姿勢で、エリィは堰を切ったように話し出した。
「私も同じよ……自分自身の生きる意味なんて、そんなのっ、誰もがわかるものじゃないものっ……」
「ティオすけよぉ、それを言うなら俺だって同じ闇の中にいるぞ。いや、同じっつったらお前に悪いかもしれないがな」
 ランディが優しさを湛えた瞳で抱擁を見つめる。ロイドが頷いた。
「ティオ、皆一緒なんだ。生きている意味なんて難しいもの、そう簡単に見つけられるもんじゃない。自分で定める大切な目標はあると思う、でもそれが自分の意味なのかって聞かれたら、そうだ、なんて言える人は少ないんじゃないかな」

 ロイドは少女に説きながら自身を思い浮かべる。
 彼の目的は兄の命を絶った存在の究明にある。それは自分がやらなければならないことであり何より重要なものだが、それが彼のいる意味かと問われれば即答はできない。
 クロスベルに来た理由にしてクロスベルにいる理由ではあるが、ロイド・バニングスという存在がそのためだけにあるということではないのだ。
「ゆっくりと、この先時間をかけて見つけていこう。俺たちも一緒になって考えるからさ」
「うん、そうね。私も考えるわ。だからティオちゃんも私の生きる意味を一緒に考えて」
 それは、正答ではなかったのかもしれない。もっと他にいい言葉があったのかもしれない。しかし今の少女にとってそれ以上の言葉はなく、いや、どんな言葉でも、この三人がくれる言葉こそが答えなのかもしれなかった。

「――でも、ティオがどうして死ななかったのか、どうして生き残ったのかっていう答えだけは言えるよ」
「え……?」
 呆ける少女、ロイドはティオを見つめ、エリィを、ランディを見た。そして頭の中で出会った全ての人の顔を思い浮かべ、そして笑った。
「ティオはさ、クロスベルでたくさんの人たちと出会うために、何より俺たちと出会うために生き残ったんだよ――」
「――――」
 言葉が、出なかった。
「……そうね、ティオちゃんは私たちに会うために生きてくれたのよね」
「はは、何とも気恥ずかしい感じだが、俺もそう思うぜ」
 エリィも、ランディもその言葉に同意する。そして同様に綺麗な笑顔を浮かべた。

「………………あはは」
 ようやく漏れてくれた言葉は言葉ではなく、ただの感情の吐露だった。
 俯き、笑い声が零れる。それはおかしいはずなのに。普段の自分なら間違いなく眉間にしわを寄せて目を細めて、そして文句を言う言葉なのに――
「お二人とも、ロイドさんに中てられたんじゃないですか……?」
 涙が零れるのが抑えられない――
「そんなクサイ台詞、考えられません……っ」
 でも、とても悪くない気分です――
 そうして、頬を伝う雫に構わずにティオは笑った。それは、少女が初めて見せた本当の笑顔なのかもしれなかった。

「ティオちゃんも同じよ、きっと」
「そうだそうだ、お前もロイド菌にかかってるぜ!」
「おいランディ、何だよそのロイド菌って。まるで俺が病原体みたいじゃないか!」
「クサイ台詞を何でもないように言う症状ですか、嫌ですね……」
「そうね、特に感染源は見境がないから」
「ティオ、エリィまで…………わかった、わかりました。俺が全部悪いから許してくださいっ!」
 ロイドが頭を下げる。するとそこに手が伸び、優しく撫でた。その小さな掌を感じながらロイドは微笑む。
「――いいのか、うつるぞ?」
「……ええ、今はそれも悪くありません……」
 水色の少女は穏やかに目を閉じてそう告げた。






 曇天の中ウルスラ病院を辞した特務支援課はセルゲイに結果を報告、彼の口からティオとの関連を改めて聞かされた。当時の彼はアルタイルロッジ突入班班長の肩書きを持ち、ガイ・バニングスとアリオス・マクレインの二人を引き連れロッジを制圧したのだという。
 ここで初めて、アリオスが元警察官であったことを三人は知った。
 一身上の都合でアリオスは警察を離れセルゲイ班は解散、ガイは捜査一課に引き取られた結果になったが、今でもこの三人の班は警察内部で伝説とされている。それもアリオスの実力を考えれば当然とも言えた。
 しかし何より、あのアリオスを従えていたというセルゲイの実績・能力に驚くことになったのだが。

「まさか、ここで教団の名を聞くことになるとはな……」
 紫煙を吐き出し、セルゲイはぼやく。
 彼自身決着を着けたとは言えなかった事件の首謀者とはいえ、それでもこんな短期間に復活するとは思えなかったのだ。全ては成分調査次第とはいえ、それでもセルゲイは背筋を走る寒気を拭えずにいた。
「教団、グノーシスと来たらもうお前達にばかり任せてはおけん。俺も前線に出よう――――と言いたい所だが」
 セルゲイは言葉を切りロイドを見た。ロイドもわかっていたように頷く。
「教団の狙いがキーアかもしれないと、課長も思うんですね……」
「当たり前だ。あいつの素性は一切わからないが、ルバーチェ主催の黒の競売会にいたという事実だけで警戒するに足る。キーアの失われている記憶が重要になるかもしれん」
 教団の残党がいるかもしれない事実を、セルゲイは三年前に考えていた。三年前、それはガイ・バニングスの殉職した時である。
 ガイの殺害犯が教団関係者ならば、本当の意味で教団を滅ぼしたことにはならないのだ。

「キーアちゃんを狙ってくる可能性、そんなに高いの?」
 エリィが問うが、ロイドはわからないと告げる。ただ少女が今ここにいる現実が、どうしても偶然とは思えなかった。
 ルバーチェの構成員の突然の強化はガンツの症状に似たものがある。ルバーチェもグノーシスを使った可能性が――いや、ルバーチェこそがグノーシスを撒いた可能性があるのだ。ならばルバーチェの懐から現れた少女が本件と関わりがないとは断定できない。
 ふむ、とセルゲイは立ち上がり執務室を出る。四人もそれに倣って動き、そしてセルゲイはホワイトボードを取り出して説明を始めた。
「お前達も知っておけ」

 D∴G教団、そのDが何を意味するのかはわからないが、GはグノーシスのGだと言われている。記号の意味も踏まえると、D故にグノーシス――真なる叡智、ということだ。
 制圧作戦の折、彼も多くの信者と相対したが、彼らは死を恐れず、むしろ自身の死を以って足止めを為すほどの気概だった。おそらく彼らをそこまで信じさせるほどの何かがあったのだろう。
 結局セルゲイらが手に入れた成果は生存者一名とロッジの壊滅というだけで、彼らの言うDとは何かという疑問の答えは得られなかった。
「Dが何を意味するのかはわからん。奴らの信じる神がDを冠するのかもしれんが、それが俺たちの知る名称にあるかどうかすら定かじゃない。他のロッジでも制圧は完了したが何せ規模が大きすぎた。生き残りがいても不思議じゃないほどにな」
 それでも大部分を駆逐したことは確かで、彼自身ガイが殺害されるまで残党は虫の息だと思って忘れきっていた。しかし今、その足音が聞こえてきているのを感じている。
「とりあえず今日は休め。先生の話では明日にでも結果が出るんだろう? 話はそれからだ」
 そう、結果次第では全てが杞憂に終わる。しかし彼は、いや特務支援課は確信していた。その結果は予想通りとなり、最悪の事態になるのだと。


「みんな、寝ないの?」
 キーアが瞼を擦りながら下りてきた。その無防備な姿に五人の表情が和らぐ。
「ごめん、起こしちゃったか?」
「んーん、平気」
「きっとロイドの部屋に行ったらいなかったからよね……羨ましい」
 エリィがジト目でロイドを見やる。キーアはいつの間にかロイドのベッドにいることがあった。おそらくは今回もそうしようと動き、そこに彼の姿がなかったので起き出したのだろう。
「よ、よし、皆、もう寝ようっ」
 旗色が悪くなるのを感じたロイドはそう言ってキーアの背中を押しながら二階に逃げ込もうとする。しかしそれを遮るようにランディが声を上げた。

「お、そうだ。これ飲んどこうぜ」
 ランディが取り出したのはヨアヒム謹製の栄養剤である。彼はてきぱきと四人に渡していく。キーアが目を丸くした。
「ランディ、何それ?」
「キー坊にはまだ早い、大人の飲み物だ!」
「お酒?」
「違うよ、元気が出る飲み物だ」
 ロイドが訂正し、光に透かして中を見る。淡い紫色のようだ。
「警備隊御用達のやつだ、それグッといけグッと!」
 ランディが煽り我先にと口にしようとするがエリィが止める。彼女はキッチンへと急ぎ、オレンジジュースを片手に戻ってきた。キーアだけ除け者にする気はないらしい。
 何故か乾杯のような形になってしまったのでロイドが音頭を取ることになった。咳払いを一つ、彼は少し悩んでから口を開く。

「どんなに大変なことでも、きっと乗り越えられる。俺はそう思う」
「クサい、クサいぜロイドッ!」
「茶化すなよ…………うん、だから今日はその約束だ。キーアと一緒に、これからを幸せに生きられるように」
「…………」
 キーアは嬉しそうに、しかし哀しそうに微笑んだ。その表情に気づく者はいなかった。
「乾杯!」
 ビンを鳴らすと、鐘のような音が響いた。まるで、僧院で聞いたような音が――
 皆がビンを傾け、それを嚥下し――


「――――夜分に失礼します」


 そんな、涼やかな声が響いた。



 初出:7月9日


 全ては、空の女神だけが知っている――



[31007] 5-11
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/07/12 09:32



 ベルガード門二階の一室でミレイユ・ハーラルは静かに息を吐いた。今日の勤務はこれで終了、ようやっと溜めていた息を吐き出せたところである。
 今日も今日とて彼女は部下の指揮と上司の尻拭いに奔走し、ろくに休むことなく一日を終えている。当然のことながら疲労は溜まっており、あろうことか部下にまでも心配されるほどだった。
 普段の自分なら部下に悟られるような真似はしない。そう思って今日の自分を恥じたミレイユだが、実は度重なる激務に業を煮やした部下がたまたま今日発言しただけであって今日も彼女はいつもどおりだった。
 その優秀すぎる能力と部下にとっては扱いづらい性格が、今日の彼女に無駄な疲労を蓄積していた。

「――ああ、そういえば」
 彼女はふと、本日付で届いた支給品を思い出して段ボール箱を漁った。ウルスラ病院からの治療薬である。そこには中身の大半を失ったケースもあり、彼女はその中に残っていた一本を取り出した。
 簡易のラベルには製作者とその効用、使われた材料とナンバーが刻まれている。ヨアヒム・ギュンター医師の最新の栄養剤である。
「これ、いつ飲んだほうがいいのかしら……」
 疲れた今寝る前に飲むべきか、それとも一日の始まりに飲むべきか。
 彼女は数秒考え、それを元に戻した。今は眠気が酷く、万が一それを吹き飛ばされたら敵わないと思ったからだ。
 よろよろとベッドに入り込み、目を閉じる。そうすると自然と今日の一日が思い起こされた。

 警備隊司令は何故か慌しく動き回っていた。しかしその行動はよく観察しなくとも意味のないものだとわかるなんとも不思議な行動であり、また彼を慌てさせていたのが司令室における通信のやりとりであったことをミレイユは知らない。ただ今回支給された最新の栄養剤は司令のお墨付きであり、こんなに早く届いたのも司令の尽力によるものだとか。
 権力にしか興味のない司令がどうしてこんな隊員を労うような真似をしたのかは定かではない。ただこれにより効率の上がった警備隊員の姿を議員に見せるだとかそんなろくでもない内容だったとしても、結果的にクロスベルの平和を維持する警備隊員の質が上がるのなら、それは間違いなく司令の功績になるだろう。そうなったらミレイユも、ほんの少しだけ司令を見直す気が湧くかもしれない。
 規律を重んじる彼女は現実に言葉にしないが、それでも頭の中では絶えず司令のことを考え苦悩している。タングラム門のソーニャ・ベルツ副司令が上ならばこんな苦労はないのに、とも思う。
 しかしそんな個人的思考の前に、彼女は誇り高きクロスベル警備隊准尉なのである。
 彼女は自身の責任を自覚しているので組織の軋轢になることは口にしない。だからこそこうして思うだけにしてストレスを持ち越さないようにする。それが例え焼け石に水でも、できることをする。

 そして最後に、彼女は寝る前に必ず口にする。銃を持つ自身を思い返しながら言葉に出す。
 迎えるであろう翌日が過ぎ去った昨日よりも平和になるように。
 自分のやるべきことを明確にする為に。

「――全ては、クロスベルの平和のために」

 するといつものように自然と意識が溶けていく。その単純さにまるで催眠術のようだと笑うも、もう体は言うことを聞いてくれない。
 そのまま委ねてもよかったが、本当の最後に、あの馬鹿はどうしているかなと年相応の思考を抱き、ミレイユはようやくその日を終えた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






「――――」
 誰もが息を呑み、言葉を失っていた。突如扉を開けてやってきた来訪者はそうして彼らの時間を停止させた。
 光の加減で銀にも金にも見える長い髪に碧の双眸、そして均整の取れた身体に纏う白銀の鎧――
「ど、どうして……」
 声を出したのと同時、少女の手元からコップが離れ、弾ける。その砕けた音に覚醒されたようにランディが吼えた。
「お前ら――ッ!」
「――く!」
 一喝に導かれるように全員が戦闘態勢を取る。
 キーアを後ろに隠したロイドは額に浮かぶ汗を止められない。エリィもティオもセルゲイもそれは同じ、そして何よりランディは手の震えを抑えられなかった。

「――――」
 その白の女性は何も言わず、彼らを見、そしてその瞳は青年を捉えた。
「ぐ――――ぁ」
 ノイズが走る。
 ロイドは気絶しそうな頭の痛みに苦悶の表情を浮かべ、今すぐ折れそうな膝にそれでも強引に芯を入れ、そして必死に女性を睨んだ。
 知っている、この女性を知っていると語りかけてくる神経パルスを抑え付け、後ろで呆然とする少女のために沸騰する身体で堪えていた。
「――なるほど、やはりそうですか」
 伸びやかな、しかし鋭利な声が響く。その一言だけで身体を襲う重力が増えたような錯覚すら受ける。
 勝てない――
 例え彼女が何もしなくとも、自分たちは負ける。そんなイメージを一瞬で刻み込まれた。

「……お前さん、何者だ」
 セルゲイが銃を構えて問うた。銃を向けられていることを気にした風もなく女性は答える。
「今はまだ明かす気はありません。そして今宵、ことを為す気もありません」
 質問に答えず、ただ無害であることを証明する彼女はその雰囲気を弛緩させた。
 瞬間、崩れるようにティオとエリィがしゃがみこむ。それを無様だと罵る者はいない、おそらくこの場にいた誰もがその欲望を持っていたからだ。
 しかしセルゲイとランディはその責任と経験から耐え、ロイドも二度目だという経験と背後の少女の存在によって支えられていた。

「あなたは――」
 キーアが言う。その言葉に女性は僅かな笑みを浮かべた。
「御子殿、久しぶりですね」
「…………あなたも、そうなの…………?」
「いえ、厳密には異なります」
 女性はゆっくりと歩を進め、キーアの前に跪いた。
 ロイドは何もできず、ただ硬直している。しかしそんな彼とは対照的にキーアは身の危険を感じておらず、しかし女性の存在にただ驚いていた。
 女性はキーアの頬に手を伸ばし、笑う。
「どうして来たの……」
「そうですね、御子殿の意志を尊重した忠告です」
 女性は立ち上がり、そして次の瞬間にはその手に何かが握られていた。それは全部で五本のビン、支援課が先まで持っていた栄養剤である。
 そしてそれを、そのまま手放した。
 割れる音が響き、中身が撒かれる。それを至近距離で受けたはずの女性だが、しかし一滴の雫もかかることはなかった。

「――御子殿、恐ろしいのはわかりますが、世界に任せるままでよいというわけではありませんよ」
「え……」
 女性は改めてキーアを見た。その碧の瞳にはキーアの姿が映りこんでいる。
「御身の意志を一番に為すのは他でもない自身であるということ、ゆめゆめお忘れなきよう――」
 立ち上がり、今度はキーアを庇うロイドを見た。激しくなる頭痛に明滅する視界、その中で彼女が伸ばした手は彼の胸元に寄せられる。
「綺麗な石ですね。よく、似合っています」
 素直な感情を思わせる一言。そして、六人の視線を受けたまま、その存在は立ち去った。
 いつものように音を立てて閉まる扉。それを一分ほども見つめ、そこでようやく残っていた三人も崩れ落ちた。
「………………」
 誰もが力尽きて視線を落とす中、ただ一人少女だけは過ぎ去った残影を見つめていた。






 嵐が過ぎ去ったという言葉がその状況には相応しかったが、実際のところやってきたのはそんな自然災害すらも凌駕する存在だったことを知るのは少女一人しかいない。
 少女はその存在に言われた言葉の意味を汲み取ろうと懸命に思考を動かしていたために動くことはできない。故に状況を動かしたのは吐息にも似た呟きだった。
「くそ……」
 ランディ・オルランドは悪態を吐く。それは自身の力を以ってしても動くことすらできない、瞬間に見えた未来の情景が絶対のものだと感じてしまったことによる感想である。
 赤い星座の部隊長を務めたというのは彼にとって動かせない事実であり、故にそれを支えにする戦闘能力への自信がある。しかしそんなものが木っ端の役にも立たないことに苛立ちを覚えた。

「言葉が出んな……」
 セルゲイが紫煙に似た息を吐く。
 彼も幾度の修羅場を潜ってきた自負がある。しかしそんな彼でもランディと同様に立っていることしかできなかった。銃口こそ向けたが、引き金を引ける気など微塵も感じられなかったのだ。
 そもそも正体の知れぬ人間にその雰囲気だけで銃を向けることはご法度なのだが、過ぎ去った脅威はそんな倫理観すら霞と化すものだった。
「あの人は、何……?」
「わかり、ません……」
 息も絶え絶えのエリィとティオもようやく声を出せた。そのプレッシャーに立つことすらできなかった二人は未知の存在との邂逅に対して感想を抱けない。
 ただ、その疑問しか浮かばなかった。エリィは今まで見てきた人間の中で最も底が知れない相手に畏怖を抱き、感応力に優れたティオは女性の異常性・特異性に脳内をズタズタにされた。
 そして――

「――――アリアンロード」
「え?」

 そしてロイド・バニングスは彼の存在を知っていた。キーアも含め全員の視線が釘付けになる中ロイドはただ呆然と呟き、そして意識を失う。
 ただその呟きを、白の宝石は確かに受け取っていた。




 * * *




 走る。走る。走る。走る。走る。
 ただひたすらに走った。それは焦燥と期待という火が自身を追い立てているから。
 その体躯から得られる理論上最速で以って整備されたアスファルトを蹴って行く。残像すら見えるほどの加速は夜の闇を纏っていて悪魔のようにも見えた。
 その数は三、一つが先行し、残る二つはそれに僅かに遅れて追従する。

「……っ」
 鉛色の雲と時の流れ、その二つによって人通りの少なくなったクロスベル、その中央広場にてレン・ヘイワースとヨシュア・ブライト、そしてエステル・ブライトは特務支援課分室ビルをひたすらに目指していた。
 東通りのアカシア荘、そこで床に着こうとした三人を襲った既視感に似た感覚、その元凶の気配までわずか1分で辿り着こうとしていた。

 そして彼らが区画中央に位置する鐘を完全に視認した時――
「――――来ましたか」
「あ……」
 大鐘を見つめる白の女性が、待っていた、と呟いた。少女の期待と落胆の感情はそれに掻き消された。
「だ、誰……?」
 エステルに心当たりはない。ただ彼女が発する気配に懐かしいものを感じたのも事実だった。
 レンも、ヨシュアも、そう感じ取っていた。そして二人も彼女を知らなかった。
「あなたは、誰ですか?」
 ヨシュアが問う。そこでようやく鐘に定められていた視線が三人を射抜いた。忘我するほどの美しい瞳、そこに敵意は感じなかった。
「漆黒の牙に殲滅天使、そして剣聖の血縁者ですね」
「――ッ!? ってことは――!」
「そこまでにしておきなさい。今はまだ、その先を口にしてはなりません」

「……どういうことですか」
 エステルは突然の制止に吐きかけた言葉を呑みこみ、代わりにヨシュアが問う。言葉を遮るという行為に意味があるとは思えなかった。
「殲滅天使、あなたならばわかるのではないですか?」
 レンはジッと女性を見つめ、そして笑みを浮かべぬまま答える。
「……レンにもわからないことはあるわ。でも、どうしてあなたからレーヴェを感じるのかはわかる。あなたでしょ、レーヴェが届かないと言っていた剣士は」
「…………謙遜を。あなたなら私に届き得たはずです。ただ運命がそれを許さなかっただけ」
 それは空に向かって放たれる。今はいない存在に対する最大級の賛辞だった。
「レーヴェが敵わない相手……」
 エステルは義兄の姿を思い浮かべてその事実に驚愕する。
 彼女の知る最も強い存在の一人であった男性が勝てない相手など想像がつかなかった。ましてやその人物が今目の前にいることなど考えもつかなかった。

「――此度の忠告、それはあなた達にもあります」
 ふと、女性は呟いた。ヨシュアとレンが顔を顰める中、エステルは素直に疑問が顔に出る。
 それに僅かに苦笑した後、結んでいた口から言葉が漏れた。
「我々が表舞台に立つのは今ではなく、少なくとも半年後となります。あなた達がその時この地にいるのかは定かではありませんが、それでも約束の日にはここで見えることになる」
 半年後と約束の日。二つの時の地点を明言し、改めて女性は口を開く。
「死力を以って立ち向かいなさい、剣帝の遺志を継ぐ者よ。世界の命運の一端はあなた達が確かに握っているのだから」
 三人は確かにその言葉を受け止めた。彼女との関係が敵対であることは明白だが、それが今回の言葉の受け取り方に影響を及ぼすことはない。
 忠告と言った彼女の言葉は不思議と信じられた。ただ発する正の雰囲気がそんな実直で誠実な気性を感じさせたのかもしれない。

 髪を棚引かせ、背を向ける。もう話すことはないと後姿で告げていた。
 レンとヨシュアはそれに倣い口を開かない。しかし彼女は、それでもエステルは最後に聞かなければならないことがあった。
 これを知らなければ始めることができなかった。
 始めは感情の赴くままに言おうとして言葉を遮られたが今度は考えた末の簡潔な問い、果たして遮られなかった。
「最後に聞かせて――――あなたは、誰?」
 空を覆う黒から雫が降ってきた。それは瞬く間に激しくなり周囲の音を掻き消す。
 世界がまるで四人だけになってしまったかのような錯覚、ただ水のヴェールの中にいて無駄なものは一切ない。
 滝のような雨が身体を打ちつけ体温を奪うのも構わず相対する四人。女性とエステルの瞳は確かに合っていて――

「――――」

 そしてエステル・ブライトはその名を聞いた。
 名を許してくれた女性の顔は雨に濡れ、まるで泣いているようだった。






 気絶したロイドを病院に運ぼうとする三人に待ったをかけたのはセルゲイだった。曰く、別に心配することじゃないとのこと。
 その理由は至極簡単、顔色が良かったからである。
 そんな素人の判断でいいのかと思ったが、何故かキーアのほうも心配はいらないと告げ、ハンカチで額に浮かぶ汗を拭っていく。
 そんな少女の普通の行動、そこでようやくエリィが疑問を思い出し口を開いた。
「キーアちゃんは、あの人を知っているの?」
「…………」
 キーアは答えず、ただ手を動かす。やがてそれが終わり立ち上がった少女は静かに、うん、と肯定した。

「あの人は誰なんですか?」
「ロイドが言ったよ、アリアンロードって」
「それが名前か? つーかロイドも知ってるのかよ?」
「ううん、知らないよ。知らないけど、知ってるの」
 キーアの言葉は謎に満ちている。しかしこれらの言葉で知ることができる事実があった。
 エリィはゆっくりと屈み、キーアの瞳を見つめる。
「――記憶、戻ってるのね」
 少女も追及されることをわかっていたのか、その問いに対し口を結び、意志の灯った目で頷き返した。

「ほんとのこと言うとね、始めから、記憶はあったんだ。でもそれが、信じられなかったから……」
 訥々と少女は言う。それを傍にいた全員が聞いていた。
 始めから記憶喪失ではなかったのだ、薬による他症状などないし、法術でも思い起こすことはできない。
「ウォン」
 今までいなかったはずのツァイトまでもがいつの間にか姿を現している。まるで機を計った様な登場だが、その行動は今までにも数多くあった。
 今更この神狼に対して思うことでもない。それはこの存在がキーアを守ろうとしているように思える故に余計にそう感じるのかもしれないが、少なくともこれでロイド以外の全員が集まった形になった。
 キーアは目を閉じ言葉を選んでいる。やがて少女は聞かれる問いを理解しているかのように、彼らが聞きたい事実を答え始めた。

「キーアの家族はいないよ。それが“もう”なのか、“元々”なのかはわからない」
 それは今までの行いが徒労に終わる言葉。しかしそんな言葉から受けた感情はそんな落胆のものではなく、ただ少女に対する悲しみだった。
「あの時、鞄の中にいたのは誰かに運ばれたから。でもそれが誰なのかも、今までどこにいたのかもわからない」
 そして少女は嘘を吐いた。
 この真実を話す勇気は、まだ少女にはなかった。
「みんなの名前を知っていたのはね、ティオと同じだよ」
「え?」
「キーアも教団関係者だから」
「そ、それって……!」
 ティオが青ざめる。彼女が、いや全員が考えたことは一つ。キーアもまたD∴G教団の実験体だったということだ。
 しかしイアンによれば被害者の中にはキーアの姿はなかったという。それは彼の調べた情報に穴があったのか、それともそもそも被害者ではないのか。

 キーアは微笑した。それを儚いと感じてしまったのはティオだけではなかった。
「感応力、じゃないかな? ただキーアは世界から情報を知ることができるの。どっちかといえばレンみたいな感じ」
 レン・ヘイワースは自身の望むままに世界の情報を操作することができる。それと類似するように、キーアは世界から情報を汲み取ることができた。
 少女はそう言っている。
「じゃあ、アリアンロードって人のことは――?」
 エリィが口を開いたのは無駄ではない。少女は順を追って話していたが、彼の女性については聞かれない限り答えようとは思っていなかった。
 それは彼女の存在を説明することが一番難しかったからだ。
「……あの人は、前キーアを助けてくれた人。ロイドが知っていたのは、きっとキーアに触れていたから情報が漏れちゃったんだと思う」
「肉体の接触で情報が共有できるんですか……」

 ティオは以前考えていたことを思い出していた。
 ジオフロントに潜り自分が勝手をやらかしていた時の一連の流れ。あの時もロイドと自身は同じことを考えていた。その結果、初めてのコンビクラフトを完璧に行えたのである。あれもキーアの言う情報の漏れということなのだろう。
 しかし同時に疑問が生まれる。キーアの話しぶりでは自分に触れたから、というキーア主体での説明に聞こえた。しかし想起した過去の出来事にはキーアはいない。
 それはつまり――
 それはつまり、ロイドさんのほうにその力が――?

「――キー坊、一つ聞くがよ。それで今、お前が一番言いたいことってのは何だ?」
 ランディが言う。
 彼にとってキーアの過去を無理に聞く必要はない。少女の口調を聞けば、話す意志はあっても覚悟や自信はないように思えた。そんな口の重いものを聞こうとは彼は思わない。
 しかし折角少女が知らない事実を伝えようとしているのだ、彼女が一番伝えたいことを聞いてやるのは当然のことだった。
 ランディの言葉にキーアは一瞬驚き、再び瞑目する。
 エリィは依然キーアと目線を合わせて反応を待ち、ティオも待ちつつ思考をフル回転させていた。セルゲイとツァイトはそんな若者のやり取りを俯瞰し、大人としてしかるべき手助けをしようと状況把握に努めて口を出さなかった。
 そして――

「――――明日、全てが終わって、全てが始まる。だから、その始まりのときを無事に生きて欲しいの。キーアと一緒にいてほしいの」

「抽象的だな、具体的には言えないのか?」
「…………ごめんなさい。キーアには、まだ……」
 セルゲイはあくまで普段どおりに尋ね、申し訳なさそうにキーアは告げる。それを以ってセルゲイは煙草に火をつけた。もう口出ししないらしい。
 つまり、少女の言葉に返す言葉を持たないということだ。それはその役目を自身が持っていないことを自覚しているからである。
「キーアちゃん、ありがとう。言ってくれて、ありがとう」
 エリィがキーアを抱きしめる。少女の目が見開いた。
「それだけで十分ですよ、キーア。それだけで、わたし達は千人力です」
 ティオが少女の手を両手で包んだ。
「だいじょぶだキー坊。俺たちはキー坊にメロメロだからよ、お前と離れるなんて考えられねぇぜ!」
 ランディが頭に手を添え、優しく撫でる。
「…………」
 そんな三人の温もりにキーアは硬直し、そして涙を滲ませる。それは容易く決壊し頬を流れ、その顔をくしゃくしゃにする。
 次第に嗚咽を漏らし、顔を真っ赤にした少女は――

 ――目覚めてから初めて、胸の内を過ぎる記憶に泣いた。



 初出:7月12日


 ハーラル:美髪王。彼の親衛隊の一部は……



[31007] 5-12
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/07/16 20:42



 結局そのまま起きなかったロイドとともに特務支援課も長かった一日を終えた。ロイドに関してはキーアによる『知らない情報が流入したことで頭がパンクした』という尤もらしい説明があったために彼らの心配も消え、その日終盤に起きた台風のような事象に疲れきっていた彼らは泥のように眠りに就いた。
 そして翌日、無事に全員起きた特務支援課は前日のこともあってかキーアに対してやけに接触が多くなった。ロイドが首をかしげていたのは言うまでもない。彼はアリアンロードなる人物の来訪は覚えていたが、自身が口にしたその名前は覚えていなかった。

 さて、キーアによる自身の説明によってますます教団の存在を確信し、かつ少女の身の危険を理解した彼らは今後の行動方針をグノーシス服用者の情報収集とキーアの安全保持の二つに分けた。専ら後者についてはセルゲイに一任するとして、今日ばかりは支援要請もほどほどに前者に力を注ごうと考えていた。
 そのために必要なのはまず友軍への情報提供である。キーアの言葉を信じれば今日は今回の事件のターニングポイントになるだろう。そのため友軍――遊撃士協会に今日が非常に大事になる旨を告げる。ミシェルは深く追求することもなくそれを受け入れ、遊撃士の一層の注意を約束してくれた。
 これで支援課も安心して調査に迎えるが、その調査も結局は時間潰しの意味合いが強い。本命はヨアヒムによる成分調査の結果待ちなのである。
 例えわかりきっていることでも正式な結果があるのとないのとではまるで違う、あの薬物がグノーシスであることが判明した時点でこの事件は大陸全土に及ぶ重大事件に変貌する可能性があるのだ。
 遊撃士協会にもグノーシスなる薬物の存在は報告してある。市民に密着した遊撃士ならではの情報にも期待できるだろう。

 唯一のネックは風の剣聖が未だ出張から帰っていないということか。本日夕刻には帰ってこられるらしいが、そのタイミングの悪さが妙に気になった。

 そして少女の予言する終わりにして始まりの一日は、薬物依存者の失踪から始まった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






「現在消息不明なのは確認できる限りで14名、この他にも失踪している人はいると思う」
 ロイドは捜査手帳を眺めながら呟く。
 事の発端はビクセン町長からの通信だった。ホテルで寝ていたはずのガンツがいなくなったという。元よりガンツの元を訪れようとしていた支援課はホテルに急行、ビクセンから事情を聞いたがガンツの行方は杳として知れなかった。
 手分けしてグノーシス服用の疑いがある人物を訪ねたが、その誰もが姿を見せることはなかった。その中にはアルカンシェルの劇団員やサーベルバイパーのメンバーもいた。
 思ったよりも範囲が広い。職業や性格から予測する行動範囲による特定はできそうもなかった。

「どうする?」
 ランディが問う。支援課がすべき最優先事項は成分分析だが、それはヨアヒムに一任していて彼らにできることはない。支援要請を進めてもよかったが、彼からの連絡がいつ来るかはわからないので憚られた。
 つまり、今彼らができることはないのである。
「遊撃士協会に行きましょう。失踪者が出たというこの現状を知らせるべきだと思うの」
「ですね。尤も既に知っているかもしれませんが」
「そうだな……っと」
 ロイドはかかってきた通信を取る。そこには珍しく焦ったような声を出すダドリーがあった。

「お前ら、ルバーチェと何かやらかしたのではないだろうな!?」
「……どういうことです」
「知らないのか? ち、ならいい!」
 そう言ってすぐに切られる。一定の機械音が流れる中、ロイドはエニグマを見つめて思案していた。
「ダドリー捜査官は何て?」
「ルバーチェに何かあったみたいだ。こっちに情報がないとわかるとすぐに切ってしまったけど」
「……つまり、この後の行動が決まったってことでいいんだよな、ロイド」
 そう言ってランディは口端を上げた。考えていることは百も承知か、三人も頷く。
 エリィがギルドに通信を入れると、ミシェルはアリオス以外の遊撃士の情報を教えてくれた。エステルとヨシュアはアリオスの娘シズクを連れてクロスベルを周っている。リンとヴェンツェルは市内巡回、エオリアはマインツに、スコットはアルモリカ村にいるそうだ。その両人ともすぐに戻ってこれる依頼らしい。

「市内のことは遊撃士に任せられる。俺たちはルバーチェ商会に向かおう」
「待って。もう一つ連絡先があるわ」
 エリィは更にエステルのエニグマへと通信をかけ、シズクと遊んでいる二人にキーアを混ぜて欲しいと頼んだ。快い返事をもらい通信を切る。
「これで、万全を期せる――」
 セルゲイにキーアの安全を任せてはいるが、万が一彼一人の手に負えない事態が起こった場合の保険として彼女は遊撃士二人を頼った。
 キーアが支援課ビルにいることは少し調べればわかってしまう。それなら市内を巡ることで襲撃の可能性を低くし、かつ優秀な人材にも託すことができるこの選択肢を選んだ。
 何より、キーアに事件とは関係なく友人と過ごして欲しかった。

「最悪、市を離れるかもしれないからな……」
 ランディが言う可能性は決して低くない。
 教団が狙うに足る要素を持つキーアの安全を考えれば、国外避難は考えられる選択肢だ。その場合大陸全土に及ぶ網を持つ遊撃士に頼ることになるが、彼らの手を離れても安全で幸せならそれもいいと考えていた。
 このことは本人には話していないが、おそらく理解していることだろう。そんなことには聡明で、少女の力が無知を許さなかった。
「行きましょう」
 ティオが歩き出す。四人はそうして二回目となる虎穴に赴いた。


 ルバーチェ商会本部は閑散としており、まるで廃墟のようだった。ティオの策敵に引っかかったのは一つのみ。その反応は途方に暮れているアレックス・ダドリーのものだった。
 ダドリーは面を食らった様子で彼らを見つめ、文句の言を数個述べた後に詮無い事だと感情を殺した。それは彼らが今からここを捜査する、という無鉄砲さに呆れると同時に、それが必要なことだと理解していたからに他ならない。

 ダドリーによるとルバーチェが消えたのは昨夜のことだった。確かに捜査一課の定期報告には水面下で動いているような反応はあったが、黒の競売会以降遊撃士の捜査やハルトマン議長の尻尾切りによる混乱の収拾だと思われていた。
 それが今回謎の薬物の流布を契機として一気に姿を晦ませてしまったのである。
「ガルシア・ロッシも事態に困惑していた。だから私たちも当面の動きはないと思っていたのだが……」
 どうやら間違いだったようだ、とダドリーは歯を食いしばる。
 彼の組織において絶対の信頼を得ているガルシアに動きがなかったことが油断に繋がったという事実は、まだ真実への道を開く情報にはなっていなかった。

 既にこの状況は謎の薬物にルバーチェが関わっているということの肯定であるが、捜査令状がない以上正式な捜査ではない為見つけたものによる証拠能力はない。
 だがこの先クロスベルで起こることへの情報にはなり得た。元より未然に事件を防ぐ為に彼らは動いているのだから是非もない、その他の案件など事態を終結させてからいくらでも捜査できるのだから。
「これよりお前達には私の指揮下に入ってもらう。いいな?」
「了解です」
 大型の軍用拳銃を携えたダドリーは眼鏡を押し上げ、まずは応接間へと足を踏み入れた。全三層でなるこのビルの一階は外部の人間を迎え入れる場所である。その豪奢な造りはマルコーニ会長の趣味であるが、逆にその趣味を前面に出したこの部屋だからこそ、ルバーチェにとっての重要なものが隠されている可能性があった。
「応接間は最後の場所だ、まずはそれを開く為の条件を見つける。おそらくそこに至るまでの鍵は別の場所にあるはずだ」
 ダドリーは慣れた手つきで部屋を調べる。支援課もそれに倣った。
 ティオは魔導杖で探知を行い目に見えない部分を探す。やがてダドリーは壁に飾られた絵画の裏にある二つの鍵穴を発見した。
 ダドリーは嘆息する。こんなあからさまな場所に取り付けるなどよほどの馬鹿でしかない、と。おそらくマルコーニの思考回路は他者に対する非情さよりも自身の欲望による行動のほうが位が高いのだろう。

「これに合う二つの鍵を見つける。玄関左からは地下への入り口、右には最上階までの階段となっているのでおそらくはその先に一つずつあるだろう。二手に分かれるぞ、オルランドは私と来い」
「らじゃッス!」
 ダドリーは迷いなくランディを指名する。それは彼が銃による中遠距離を主体としているからだ。
 捜査官であるロイドを呼べばもう一方のリーダーがいなくなるし、エリィとティオは彼と得意距離が近い。故にランディという選択だったが、一方でそれによる戦力の偏りも懸念していた。ダドリーは支援課の一番の実力者がランディであることに気づいている、それも圧倒的なまでに、と。
 それでも今はこの選択が一番だと考えていた。自分が早く終わらせて援護に向かえばいい、そのためには優秀な相棒がいるに越したことはない、と。
 本当ならば一人で担当したかったところだが、ルバーチェ本部の規模が把握できていない以上マンパワーも必要だった。そう、戦闘面の相性も踏まえこそしたが彼にとってランディは手数の強化という意味合いしかない。
 彼はまだ、支援課を信用していなかった。
「地下には私が行く、上は任せるぞ。バニングス、紛いなりにもお前は捜査官だ、ヘマをするなよ」
「了解です。お気をつけて」




 さて、この二組は別の場所に赴いた。ダドリーとランディは地下へ、ロイド・エリィ・ティオは三階へ。
 彼らが赴いた先、それはルバーチェの資金源にして貿易都市の象徴だった。地下にあったのは巨大な魔獣保管所。そこにはクロスベルに存在しない魔獣が違法で取引されている実態がそのまま残っていた。
 前述したようにそれらに証拠能力はない。ダドリーは改めて再捜査を誓った。
 一方でロイドらは三階の壁面から別の棟への侵入に成功、そこは魔獣倉庫ではなく武器庫だった。夥しい銃器の群れはそれだけで異界を形成する。狭まった通路は無機質で、まるで銃器そのものに取り込まれてしまったかのようだった。
 そう、違いはそれだけ。そして残るは共通点。
 どちらも趣向を凝らしたギミックが取り付けられており、高圧電流の流れる通路や上下動を繰り返す階段など、違法取引の証拠品を扱うにしては遊び心満載だった。とはいえ実用性がないはずもなく、おそらく侵入者に対する時間稼ぎの意味合いもあるのだろう。
 そして時間稼ぎをする一方で、人間が来るまでもなく彼らを排除する機構も存在した。両組はほぼ同時に、その白血球のような自衛手段と交戦することになった。

「ッ! こいつらは――」
 ランディがハルバードを構える中、やってきたのは人間の頭部ほどの大きさのボールにキャタピラがついたようなオーバーマペットが三体。内蔵されたカメラが中心部にあり、ズームをして二人の顔を捉える。
 データバンクに照会したそれらは二人を侵入者と判断。その頭上に備えた銃で攻撃を開始した。
「ち!」
 ランディが射線上から逃れる。同時に迫り来る壁を蹴ってオーバーマペットの上を取り一閃、銃を破壊した。
 その一撃で勝負を決めようとしていたが結果は伴わない、舌打ちしたランディはオーバーマペットの後方に着地して振り向き様に更に一閃、カメラを破壊する。これで無力化は成功、ランディは次の獲物へと視線を向け、既に沈黙している二体を見た。
「へ?」
「遅いぞオルランド、あの程度の敵一撃で仕留めろ」
 ダドリーは油断なく銃を構え歩き始める。オーバーマペットを見てみると、その中心部には一つの綺麗な風穴があった。軍で使用する拳銃の威力を思わせる。
 当然反動も強いはずだが、彼の鍛え上げられた肉体にとってその衝撃は心地良い。それほどまでに彼は長年これを愛用してきた。

「おそらくは結社からの流用だろうが、全く厄介なものを作り上げたものだ」
「……結社を知ってんのか」
「当然だ、それよりもお前が知っているほうが驚き……でもないか」
「――へぇ、やっぱ知ってんのかよ」
 ランディが挑発するように歪に嗤う。しかしダドリーは気にした風もなく答えた。
「結社を知る一課がお前のことを知らないはずがないだろう、赤い星座は考えようによっては結社よりも注意すべき存在だからな」
 猟兵団は金が全てだ、故にその行動は突拍子もないことがある。
 れっきとした目的がある組織なら行動予測も可能だが、ことその目的が金銭である場合、それは例外になる。猟兵団とはそういう例外だった。
 ランディはそうかい、と呟きハルバードを背負う。自分がいた場所のことについてはあまり平静ではいられなかった。






 オーバーマペットの存在には驚いたものの、二組は無事に鍵を手に入れた。応接間にて差し込むと、中央にあった長テーブルがずれ、地下に続く階段が現れる。これもダドリー曰くマルコーニらしいとのことである。
 先に進むとそこは赤い絨毯の一本道、遥か彼方には行き止まりの証として扉があった。
「……気をつけろ、罠がある可能性がある」
 ティオの探査後、ダドリーを先頭として進む五人。それぞれが注意深く観察するが特に異常はない。魔導杖にも変わった反応はなかったのだから当然だ。
 しかし――
「――ッ!? 皆さん!」
 扉まであと少しというところでティオが叫ぶ。即座に全員が跳び退り前方を睨んだ。
 ――生体反応ヲ確認、迎撃ヲ開始シマス――
 不意に聞こえた機械音、それを伴って空間を歪曲させて現れたのは赤いオーバーマペット。その大きさは今までのものを遥かに上回り、人間二人分ほどの大きさだ。人間を模した身体、その背中にはミサイルを積んでおり、手にするのは極大の刀。
 人間を容易く真っ二つにするだろうそれを携えて、武者人形『レジェネンコフ』はスラスターを噴射して襲い掛かってきた。




 * * *




 アルカンシェルは完璧主義者が集う場所だ。日々高みを求め、現在の自分に満足しない。そんな集まりだからこそクロスベルの看板を張れる劇団になったのだろう。
 そんなアルカンシェルの空気が、今は重い。稽古においてもいまいち集中しきれていない様子が見て取れた。
 それに異を唱えるイリア・プラティエだが、はっきり言ってしまえば彼女もそこまでを他人に求めているわけではなかった。自分はそうでも、他者までもがそうなれると思えるほど彼女は傲慢でも視野狭窄でもなかった。

「…………」
 その中で、昼食に出かけたリーシャ・マオは思案に耽る。彼女こそがアルカンシェルの中で唯一事情を把握している人物だ。
 ルバーチェが消えた、あの不可解な襲撃の後に……
 リーシャが思うのは黒月襲撃の達成度である。ルバーチェの尖兵は黒月襲撃の際、支部長であるツァオを出張らせるまでの侵攻を成した。それもガルシア・ロッシ抜きで、である。
 そんな好材料があったにも関わらずルバーチェは消え失せた。今州で重要なのはとある薬物の存在であり、彼女自身黒月からそれの調査を打診されているが、このタイミングではルバーチェが黒なのは間違いないだろう。それならば襲撃の際の身体能力にも頷ける。
 しかし、彼らが失踪するということは何か大きな間違いを犯したのだろうか。これが突然の事態に対する苦肉の策でないのは間違いない。なぜなら、常にルバーチェを監視していた捜査一課が消失を見逃したのは、警察に寄せられた空港爆破予告に対し、上層部が監視要員を向かわせたからである。
 おそらく上層部に圧力をかけてそうさせたのだ、故にこれは間違いなく計画したものなのである。
 ルバーチェの失踪が資金を得たことによる雲隠れならば極論であるが問題はない。しかしもし、もしこれがルバーチェの手に負えない事態になったことの証明ならば――
「誰か、いる……」
 ハルトマンではない、別の黒幕がいる。その人物がルバーチェを操り、薬をばら撒かせ、そしてルバーチェを消したのだ。

「あれ、リーシャ」
「え?」
 歓楽街、あと一歩でアルカンシェルというところでリーシャは振り返る。そこにはアイスを持ったエステルとヨシュア、そしてシズクとキーアの姿があった。
「エステルさんにヨシュアさん。それと……」
「あ、初めましてだよね。こっちがアリオスさんの娘さんのシズクちゃん、こっちが今特務支援課で預かっているキーアちゃん!」
 お辞儀をするシズクに対し、キーアは目を見開いてリーシャを見る。その反応にリーシャは困ったような顔をした。
「えと、リーシャ・マオです。よろしくね」
「……うん、よろしく、リーシャ」
「キーアちゃん?」
 何かを堪えるようなキーアにシズクが訝る。なんでもない、と笑った少女は改めてリーシャを見た。
 リーシャは少女の瞳が自分を見ていないかのような感覚を受けた。

「リーシャ、練習かい?」
 ヨシュアが問う。両手に持つアイスがなぜか似合う気がするのは気のせいだろうか。
「ええ、ちょっと心配事もありますが、これをやらないと始まりませんから」
「……そっか」
 ヨシュアは納得し、ベンチへと促す。彼女の練習の邪魔にならないようにする配慮だ。
 それに気づいたエステルもまたね、と別れの言葉を告げてシズクの手を引いていく。知らず嘆息したリーシャはしかし、未だその場に残っている少女に気がついて声をかけた。

「キーアちゃん、どうしたの?」
「……ねぇリーシャ、リーシャはロイドたちのこと好き?」
「え?」
「…………」
「…………そうね、うん。時々羨ましくなるくらいに」
 突然の問いに面を食らったが、その真剣な表情に応えるように素直な気持ちを口にした。
 そう、羨ましい。リーシャ・マオは光を放つ全ての人が羨ましく思える時がある。
 そう口にして、ああ、と自分の気持ちを理解した。届かない太陽の光が羨ましく、妬ましく思える。
 それでも自分は、その光を浴びていたいんだと、光になりたいんだと、そう理解した。

「リーシャ、助けて」
「え……」
「ロイドたちのことを助けてあげて……キーアには、お願いすることしかできないから」
 少女はそう言って俯いた。彼女自身、無茶な願いだとわかっているのだろう。
 一方でリーシャは、まるで少女が自分の事情を知っているかのような物言いに内心で驚愕していた。
 しかしあくまでその願いは抽象的なもの、確定した言い方でない以上、今が銀ではない以上、リーシャ・マオが用意した答えは一つしかなかった。
「――わかった。何ができるかはわからないけど、約束する」
「ありがとう――――リーシャはみんなを羨ましいって言うけど、キーアはリーシャが羨ましいよ? だって――」

 あんなに強いもん――

 その言葉に、桔梗の瞳が見開いた。



 初出:7月16日




[31007] 5-13
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/04 00:24



 レジェネンコフの疾走、それはまるで導力車が突っ込んでくるかのようで迫力満点だ。一気に怖気を吐き出させるような暴力だが、この場にいる全員が既にそんなものを経験している。故にその突撃に対し即座に回避、更には手に持つ刀の範囲をも脱出する。
「新型か――!」
 左に避けたダドリーは一回転して膝を着き、銃を放つ。
 軍用拳銃は連射には不向きだが、それを補う威力がある。その銃撃は赤い装甲に着弾、しかしわずかに抉れるだけだった。
 舌打ちを一つし、攻撃してきた対象を最優先したのか向かってくる武者に対しバックステップで距離を取る。それは右に避けたその他に対して背中を向けさせる行為だ。
 案の定彼に相対したレジェネンコフは特務支援課に背を向ける。ランディが跳躍、ハルバードを振り上げた。
「うらァッ!」
 背面から刀を持つ右肩を強襲する。赤の装甲を繋ぐ黒い間接部、それを正確に打ち据えた彼は存外に固い感触に眉を潜めた。
 瞬間、背中のミサイルポッドが作動する。

「ランディ!」
 ロイドが左足を襲撃、その体勢をわずかに変え、ランディが右腕を蹴り上げたと同時。作動したドンキーミサイルが弧を描いて撃ち上げられた。
「馬鹿なっ――!」
 ダドリーが驚愕する。室内、それも地下通路という空間において破壊力の大きいミサイルを撃つという暴挙を彼は予想していなかった。
 二つのドンキーミサイルは天井スレスレで反転、それぞれダドリーとランディに迫り来る。ダドリーは驚きを殺して横っ飛び、直撃を免れるが、ランディは空中だ、回避運動は取れない。
「ランディ!」
 しかし彼に着弾する直前、エリィの弾丸がミサイルを迎撃する。二つのミサイルはほぼ同時に爆発、その振動だけで世界を大きく揺るがせた。

「何を考えているんだ、マルコーニはッ!」
 ダドリーが吼える。そしてその彼にスラスターを目一杯にしたレジェネンコフが迫った。
 ――ホシナガレ――
 機械音が命令を復唱、その最高速度から刀を斜めに振り下ろす。ダドリーは回避を諦め銃で対応し、そして後方に吹き飛んだ。
「ダドリーさん!」
 ロイドがその隙を狙って動作を終えた刀にアクセルラッシュを放つ。金属音が響き刀の耐久力にダメージを与えたが、それでもこの武者に合わせて作られた一品だ、それだけでは破損しない。
 レジェネンコフは更にホシナガレを繰り出そうと反転、ロイドに向かう。
「あああああああああああ!」
 ロイドは咆哮、ホシナガレの一瞬の隙である振り上げた後の一瞬の硬直を見逃さずに懐に飛び込む。カメラアイとロイドの視線がぶつかるが、レジェネンコフに意思の光はない。

 ロイドはそのままトンファーを叩きつけカメラを破壊しようとする。
「く……ッ」
 しかしそれも響く音が示すとおり兜のような装甲が寄せ付けない。そのまま彼は振り下ろされた刀を足場にして跳躍、武者を飛び越えた。
 ――スミホムラ――
「ちィ――!」
 再びの機械音、ロイドは顔だけ振り向いてレジェネンコフを見る。すると背中から別のミサイルが発射され、ロイドは迎撃――した瞬間、周囲に煙幕が散布した。
「しま――」
 密閉空間を黒のカーテンが取り囲む。全員が危機を察知し距離をとろうと飛び退った。

 しかし武者は彼らを逃す気はないのか、新たな一手でステージに引き摺り込む。
 ――ハレルヤハリケーン――
 そんな音とともにレジェネンコフは回転、煙幕を通路全体に広げる。
「うあッ!?」
 ロイドは至近距離でその回転を受け吹き飛ばされる。それなりの距離を舞った彼だが、それでも着地点は黒の世界だ。鎧武者は闇のような世界を消し去る気はないらしい。
 だが、そんな世界は御免だと既に詠唱を始めていた存在がいた。
「シルフィード!」
 ロイドを除く四人を包む風、エリィは既に煙幕への対策を取っていた。更に分析を終えたティオがアーツを解き放つ。
「ブルードロップ!」
 視界が塞がれようとも魔導杖と感応力を持つ少女に死角はない。正確にレジェネンコフを狙った水の衝撃は武者の全体を浸食した。
 更に――
「ダイアモンドダスト、いきます――!」
「ランディ、炎!」
 エリィが指示し、ティオが連続詠唱に入る。詠唱時間を短くするために外界へのリンクを遮断、自身の保持は仲間に任せた。

「出るぞオルランド!」
「うっしゃあ!」
 ダドリーとランディが飛び込む。ホシナガレを受けた拳銃は断たれた、故に彼はその肉体で以って制圧にかかる。
 むしろ似合ってんじゃねぇかとランディはその背中を見ながら楽しそうに笑い、ダドリーの後ろでサポートに入る。
「おおおおおおおおおおおおお!」
 レジェネンコフの上段からの一撃、それを上着を犠牲にして避けたダドリーは屈みながら右拳に力を込める。
「覚悟ぉぉおおお!」
 振りぬかれた拳は武者の中心を捉え、その巨体を空に浮かせた。
「マジかよ!? っておらぁ!」
 そのあまりの鉄拳に度肝を抜かれたランディだが、ダドリーの頭を飛び越した彼はエニグマを起動、ハルバードに炎を纏う。レジェネンコフの頭部目掛けてサラマンダーを敢行、その体躯を高熱で包んだ。
 そして二人は瞬時に武者を蹴り上げ距離を離す。

 同時、二人の声が響いた。
「ダイアモンドダスト――!」
 エリィとティオの同時アーツ、それは氷の息吹をレジェネンコフに集中させる。その冷気にレジェネンコフの肢体が徐々に固まりだし、二つのダイアモンドダストは武者の上下に氷柱を作った。
 しかしそれは降下しない、あくまでレジェネンコフを固定するためのものだった。
「ロイド――!」
「はああああああ!」
 冷気の集中によって取り払われた煙幕、その向こうには体勢を整えていたロイドが待っていた。
 腰だめに構えた両の得物を携え赤い闘気を滲ませた彼は、そうして氷と一体化した鎧武者を破壊した。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 扉を開ける。そこには小さな、しかし豪奢な部屋が佇んでいた。
「マルコーニの私室か、やつの好みを思わせるな」
 毒づくダドリー、それぞれが内部を見回した。調度品の全てが高級感を匂わせる一品で、マルコーニの姿を思い浮かべると実にイメージ通りである。
「ん……?」
 ふと、ロイドは目眩を覚えて目頭を押さえた。頭の中を虫が這うような不快な感覚、それとともにだんだんと熱を帯びてくるような気さえする。
「ロイド?」
 エリィが一声かけると、なんでもない、と頭を振って気を引き締めた。

 探すぞというダドリーの言葉に従い、全員が捜査にかかる。別々の場所を調べる中、ロイドは部屋奥にあった金庫の鍵を探す。鍵は自慢のワインコレクションの下に隠されており、それは見事にその金庫にあった。
 まさかキーアが入っていないだろうな、などと不謹慎なことを考えた彼だが、そこにあったのは数種の書類。読んでみるとそれはグノーシスの散布場所と服用者の名簿であった。
「ビンゴだ、ダドリーさん!」
「見つけたか!」
 全員が駆け寄り、書類を眺める。そこにはグノーシスに関わった全ての人物の名前が記載されており、中にはハルトマン議長の名前もあった。服用こそしていないが、この薬がばら撒かれることに関与していることは明らかだった。
 ダドリーは歯噛みする。捜査令状がない以上証拠になりえないことは既に重々承知していたが、ここまで腐った事実がわかるものを見るとは思っていなかった。

「――私は本部に戻る。お前たちももう戻れ、成分調査を依頼しているのだろう?」
「あ、はい………ダドリーさん、ありがとうございました」
「礼などいらん、これは私の捜査だ」
 支援課の独断に巻き込んだ形になったが、結果的にはこの捜査はダドリーの判断ということになっている。万が一責任を取ることになったらそれはダドリーになるのだ。
 それをわかっていて許してくれたのだ、ロイドも頭を下げる必要があった。尤もダドリーにとっては余計な礼だったが……
「あれ?」
 ふと、書類の下に異なる感触があった。書類の中身に興奮していて気づかなかったが、どうやらそれは別のものらしい。
 そうしてそれを見つめたロイド・バニングスは――

「――――――は」

 歪な笑みを湛え、雰囲気を一変させた。
「ろ、ロイド……?」
 エリィが異常を察知して詰め寄る。ダドリーも傍により、彼が持つそれに目を見開いた。
「警察徽章、だと……バニングス、それはまさか――」
「ええ、兄貴の――ガイ・バニングスのものだ。この傷は前に見たことがあります」
 それはかつて、ティオを救出した時についた傷跡、彼はこれを勲章だと言って誇っていた。代わりのものを用意するという提案を跳ね除けるほどに、それを誇っていたのだ。それがまさか、ルバーチェの下で見つかるなんて――
「――兄貴の不意を突いたってところか…………そんな奴らに、今まで……っ!」
 締め付けすぎた拳と口元から血が零れる。計り知れない怒りが体の内からこみ上げてきて我を忘れそうになる。
 捜査が難航しこれまで真実が明るみに出なかったことの一因としてルバーチェによる上層部への圧力すら考えられた。仮にそうなら、クロスベルの平和を守っていた仲間の死ですら警察にとって瑣末ごとに過ぎなかったということに他ならない。
 兄の死すら言葉を飲み込む組織に組している自分がいる事実が笑えて仕方なかった。今すぐにでも暴れだしたい衝動が身体を迸る。
 事実、おそらく彼がこの場に一人ならそうなっていただろう。しかし、この場には他の者がいたのである。

「ロイド――」
 エリィが優しく話しかけ、瞬間、手を振りぬいた。乾いた音が響きロイドの顔がぶれる。その行動に本人以外の全員が驚いて声も出なかった。
「今は個人の事情を優先する時じゃない、そんなこともわからない貴方じゃないでしょう」
「エリィ……」
「今はこの資料によって得られた情報からグノーシスの被害を最小限にすること、それが私たちの、特務支援課の使命なのよ」
「………………そう、だな。ごめんエリィ――――それと、ありがとう」
 ロイドは今度は自分で両の頬を叩く。忘我状態では仲間すら失ってしまう、自分で自分に喝を入れた。
 それでも、一度産声を上げた疑念は消えてくれなかった。
「…………」
「ん? どしたティオすけ」
「……いえ、なんでもありません」
 ランディがふとティオに違和感を覚えるも、当の本人はそれを肯定しなかった。しかし僅かな間はそれが正しいことを示していた。

「俺たちも一度支援課に戻ろう。課長に報告しないと」
「じゃあ私はエステルさんと連絡を取るわ。キーアちゃんがどうしているか気になるし」
「頼む。俺はギルドに連絡するよ」
 二人は瞬時に対応を決め行動する。それをティオとランディ、そしてダドリーが呆然と見つめていた。真っ先に覚醒したのはダドリー、遊撃士という存在を認めていない彼は食って掛かった。
「おい待てっ、遊撃士に協力を打診するということは警察内部の汚点を話すということだぞ!」
「警察の恥と一般市民の安全、どちらを優先するべきかなんてダドリーさんもわかっているでしょう? もう俺たちだけではクロスベルを守れない。警察のほとんどが圧力で動けないんですから」
「ぐ……っ」
 ダドリーが呻いた。特務支援課絡みで彼が苦汁を飲んだのはこれで何度目なのだろうか。
 しかし彼もわかっている。わかっているからこそ、もう口を開かなかった。

 連絡を終えるとロイドはほうと大きく息を吐いた。ガイのバッジを眺める。
 もうすぐだ……
 セシルに対して誓った目標、それにたどり着ける機会をやっと得ることができた。この警察徽章こそがルバーチェがガイ殺害の犯人であるという証拠なのだから。
 しかし今は、そう今は、本当にそうなのかという疑念も生まれていた。
 ガイ・バニングス殺害の現場から見つからなかったのは二つある。一つはこの警察徽章。そしてもう一つは彼のトンファーである。
 今回見つけたのはバッジだけ、トンファーはなかった。別な場所に保管しているという可能性は高くない。故にトンファーはここにはないのだろう。
 ならばそれはどこにあるのだろう。それを所有している者は殺害事件とどう関係があるのだろう――

「ロイド、その、痛くない?」
「え? ああ……」
 不意にエリィに頬を擦られ呆とする。張られた頬は赤くなり若干の熱を帯びていたのか、彼女の体温が冷たく気持ちいい。
 正面から見つめる瞳は申し訳なさそうに不安げで、何故かずっと見ていたいと思ってしまった。
 自分が高ぶったのは事実で、エリィの判断は強引だがロイドのためだったのは確かだ。それ故にロイドは恨む気持ちなど欠片もなかったのだが、彼女は思わず、という風に動いてしまったのだろう。自分の判断がベストでないように思えてしまったのだ。
「大丈夫、ありがとうエリィ」
 宛がわれた手に自分の手を重ね、もう一度そう言う。エリィも一瞬呆け、そして安心したように頷いた。
「……お前たち、何をやっている」
「へ?」
「え?」
「すんません、いつものことッス」
「でも場を弁えてほしいです……」
 最年長からの一言に二人は素っ頓狂な声を上げ、ランディとティオが二人の代わりに弁明を始めた。ダドリーは呆れたように息を吐き、
「私は内密に動ける人員をかき集める。お前たちは調査の結果が来たらすぐに報告しろ、いいな?」
「りょ、了解です!」
「よし、行け!」
 結成したばかりのダドリー班は解散、それぞれに行動を開始した。




 遊撃士協会に連絡を取ると、ちょうどエステル・ヨシュアがシズクとキーアを連れて戻ってきていた。
 今後の対策を練ると遊撃士協会は手薄になってしまうのでシズクは特務支援課が預かることになった。キーアは大喜びである。
 もうすぐアリオスも戻ってくるそうなのでそこまで何事もなければ磐石だ。支援課は改めて遊撃士たちと結束し、ヨアヒムの結果報告を待った。

 次第に太陽が沈み始める頃、いつになってもヨアヒムから連絡が来ない。病院に問い合わせたところ研究室に篭もって出てこないらしい。薬の解析が難航しているのか、それとも別な何かを行っているのか。
 業を煮やした彼らはウルスラに直接出向くことにした。キーアとシズクはセルゲイとツァイトに任せてあるが、一応四人は離れる旨をミシェルに報告しておいた。駅前通りを抜けバス停でバスを待つ。
 時刻表に記載されている時間は疾うに過ぎていたが、それでもバスは現れなかった。それは以前と同じような光景である。
「また魔獣にでも襲われてるのか?」
「不謹慎なこと言わない。でも少し心配ね」
「センサーには反応ありません。少なくとも近くにはないみたいですね」
「心配だな……あの時と同じトラブルかもしれない、行こう」
 そして四人は走り出す。
 夕焼けに輝くクロスベル、彼らの影が低く深く伸びていく。


 ちょうど中間地点である浅瀬付近の場にてもぬけの殻になったバスが発見されたのは、それから10分後のことだった。
 車内には見舞いの品と思しきものが残っている、乗客がいたことは確かだ。エンジントラブルのようなものも見受けられず、歩いて市に戻るなら途中ですれ違ったはずだ。
 ならば乗客はウルスラ病院にそのまま向かったのか。しかしそれなら見舞い品も持って行くはず。
 つまり、そんな余裕もないほどの状況だったということだ。

「ルバーチェ・グノーシス服用者の失踪、空港の爆破予告、誰もいないバス。この三つが関係ないなんて言われても信じられないな……」
「答えはウルスラ病院にあるわ。行きましょう!」
「一応センサーを最大にしておきます。なんだか嫌な予感がします……」
「……杞憂になりゃいいけどな」
 ――そして、陽が沈んだ世界で彼らは真実に直面する。その舞台は果たして、血の匂いのする白の巨大建造物だった。




 * * *




 アリオス・マクレインがギルドに戻ってきたのは、ちょうどロイドからの通信が切れた時だった。
「お父さん」
「シズク。すまないな、今日は」
「ううん。それよりお父さん……」
「ああ、わかっている」
 アリオスは微笑を湛えた顔を引き締め口を開く。
「エステル、ヨシュア、感謝する」
「どういたしまして。それでアリオスさん、シズクちゃんは支援課で預かってもらうことにしたけどいいかな? ギルドは失踪者の捜索で空になっちゃうから」

「ああ、賢明な判断だな――――ヨシュア、どう見る」
「D∴G教団の関与が今確定しました。とすると街に広がった薬は間違いなくグノーシスでしょう。ルバーチェが街に広げた理由はおそらく金銭目的。そのルバーチェも消えてしまっている現状、彼らはその教団関係者に匿われていると思います」
「おそらくな。そして教団ならロッジがあるはずだ。二人にはそこに行ってもらいたい」
「目星がついているんですね? ……いや、そうか。太陽の砦ですね」
 ヨシュアは確信したように言い、アリオスは頷いた。エステルは突如現れた名詞に疑問符が浮かんでいたが、その場所に関する報告を思い出して得心する。
「ブレードファング! そっか、昔の魔獣が教団のせいかもってことね!」
「うん、教団は魔獣に関しても実験をしていたからおそらく何かの痕跡から復元したんだろう。その試運転か事故か、彼らは古戦場に出てきた」
「そうだ。万が一を考えると俺はそう遠くまで出られない。その点お前たちならこういった経験も多く積んでいるし連携も容易い、俺よりも適材なはずだ。そうだな?」
 その問いに二人はそれぞれ答えを返す。アリオスは頷き、ミシェルを見た。

「俺は星見の塔に向かう。市に一番近い遺跡はそこだからな」
「ええ、そう思ってリンたちには他の場所に行ってもらっているわ」
「流石だな」
 アリオスはそして膝を着き、シズクを抱える。そしてようやく、キーアに顔を向けた。いつかの日に病院で会って以来である。
「キーア、行くぞ」
「その…………うん」
 暫しの間を置いてキーアは頷く。少女は何か言いたそうにエステルとヨシュアを見たが、結局何も言わずにギルドを去った。
 それに気づいていたシズクは、その躊躇が何を意味していたのかわからなかった。
「…………」
 アリオスは消えていく夕日を見つめながら思う。
 今日はクロスベルのターニングポイントになる。これを無事に乗り切ることができるのかどうか、それが彼にはわからなかった。

 全ては空の女神にしかわからない。



 初出:8月4日


 ただいマオ。
 ブルド→サラマンダー→ダストのくだりはムペンバ効果を参考にしています。実際はこんなうまくいきませんが。
 那由多の軌跡絶賛プレイ中。ノイもクレハもサーシャさんもいいですね! ――ってあれ、一人メインじゃない人ががが……



[31007] 5-14
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/07 00:44



「…………」
 緊張が周囲に奔り、寒気にも冷やされた汗が頬を伝った。
 周囲を暗い木々が覆う中、進む方向は二つ。後退し、クロスベル市に帰るか。それとも、眼前に聳える純白の医療施設に進むために障害を乗り越えて前進するか。
 その二つの選択肢はしかし実質上一つしかなく、そのためにはこちらを様子見ている黒衣の暗殺者を越えなければならなかった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 ウルスラ病院へと進んだ特務支援課の感覚担当であるティオと、天眼を装着したロイドが二つの影を察知したのはほぼ同時だった。病院への入り口を塞ぐように立っているのは黒服の男二人。その姿は間違いなくルバーチェの人員である。その光景は彼らに病院内部の状況を容易に想像させた。
「ルバーチェが、病院を襲撃した……?」
 エリィが信じられないと驚愕し、ランディが唾を吐き捨てる。彼はその外道さに怖気が奔ったが、同時にそれが有効な手であるとも理解していた。
「周囲に他の敵影はありません。尤も、敷地内に入ってしまえば無数にいるはずですが」
「状況がわからないことには行動しようがない――と言うのは簡単なんだけどな……」
 ロイドの言葉に三人が沈黙した。
 確かに状況把握は前提条件として欠かすことはできないが、現況がそれに割く時間を与えてくれるとは思えない。そもそも病院を襲撃した理由がはっきりしないのだ。
 考えられる限りでは、人質を取り、市に対して何らかの要求を出すつもりなのか。それとも、自分たちが調査を依頼した薬物の回収か――
「ヨアヒム先生を狙ったのかしら……」
「わからない。とにかく一刻も早く突入するしかないな――――ティオ、センサーを最大にして周囲に気を配っていてくれ。戦闘は俺たちでやる」
「了解です!」
「エリィもいつもより下がって備えてくれ、二人なら俺とランディだけでなんとかなる。怖いのは援軍だ、頼む」
「ええ、任せて!」
「ランディ」
「みなまで言うな、わかってるさ」

「――よし、行こう。目標は人質及び病院の解放、ルバーチェの無力化は二の次でいい。追い出せれば十分だ。ガルシア・ロッシがいた場合は極力戦闘を避ける、いいな?」
 意志を確認、頷きあう。そして行動を開始する契機を待つ。しかしルバーチェの二人は微動だにしない、会話すらしていないようだ。
 その様子に焦れた四人は観念して飛び出す。四人が戦闘態勢に移行しても黒服は動きを見せなかった。
「ロイドっ!」
「わかってるっ、でも行くぞ!」
 ランディの声にそれでもゴーサインを出し二人は突貫した。それぞれ一人ずつ、トンファーとハルバードで仕掛ける。中段の薙ぎと上段の振り下ろし、それは同時に黒服を襲い、しかしそれは確かな成果を上げられなかった。
「何――!?」
「く、やっぱりか――っ!」
 二人の一撃は卒倒を狙ったものだが、それは差し込まれた腕に容易く阻まれた。
 とはいっても武器の一撃を受ければ激痛が襲うはず、しかしそんな衝撃にも顔色一つ変えずに押し込みを阻んでいた。よく考えればサングラスをしていない。その時点でおかしいのだが、そのために窺える瞳には生気と呼ばれるものがなかった。
 グノーシスを投与されていることは明らか、ならばそのタフネスにも納得がいく。痛覚も遮断されているのか、それとも別な何かに変換されているのか、どちらにしても通常の人間を相手にしているという感覚を捨て去ったほうがよさそうだった。

「ランディ!」
 声を出し、同時に離れて相手をスイッチする。
 振り下ろしを受けた腕の下にトンファーを滑らせ肋骨を狙い、薙ぎを受けた腕の上からハルバードを打ち下ろす。それをやはり腕で防いだ男は、しかし今度はその得物をしっかりと握り取っていた。
 その反射速度と動体視力は異常だ、理由とポテンシャルを知っていてなお驚きに思考が凍結する。瞬間、自らの体が地を離れた。
「な――」
 声を出し切る間もなく逆に武器を支点として振り上げられ叩きつけられる。背中を強かに打ちつけたロイドは咄嗟に捕まれた右腕を離し反転、左のトンファーで迎撃する。
 自身の二本が打ち合い鍔迫り合いとなる。しかし膂力の差は既に実感している、ロイドはすぐに腕を引き状況を破壊、円を描くようにステップを踏んで側頭部を狙う。
 その動きを濁った瞳が追ってくる、それに言い知れぬ予感を感じつつもトンファーを振るい――直前に防御に切り替えてそれを受けた。

「ぐ――っ!」
 圧力に歯を食いしばり耐える。目だけで反応していた男はロイドが攻撃に転じるその一瞬だけで体を反転し彼を襲った。その速さは今のロイドには出せないもので、故に彼は冷や汗を流す。
 パワーもスピードも上になった相手に対する戦術が無数に脳内に列挙される中、次に行動を起こしたのは彼ではなかった。
「はぁ!」
「うらぁ!」
 エリィのソウルブラーとランディのハルバードから放たれた火竜が黒服を包み込み、ロイドは後退する。ランディの隣に動き、再び二対二の状況に持っていった。

「ティオっ!」
「まだ動きはありません!」
「まずいわ、身体能力の上昇が予想以上よ!」
「ヤクチューなら寝てろってんだ、ちくしょう!」
 ランディが愚痴る中、炎の中から現れた二人の男はまるでダメージを負っている気配がない。その代わりとして、彼らの周囲には黒く暗い何かが立ち上っていた。
 それはベクトルこそ違うがまるで銀の気のようなもの、それがうねりを上げて大気を濁らせている。
「人間の出せるものじゃありません……っ」
 ティオが苦痛に顔を歪める。その間にもゆっくりと歩を進めて距離を縮めてきている。
 唾を呑みこみ、構えた。
「気絶は難しいっ、足を砕くぞ!」
「ち、仕方ねぇか!」
 精神が常軌を逸している現状、彼らを止めるには構造的な弱点を突くしかない。足を砕けば行動に大幅な制限ができる、過剰な武力行使のようで抵抗はあるがそれでも優先順位というものがある。覚悟を決めるしかなかった。

 しかし――
「え」
 吸い込まれるように飛来した一撃が男の胸元を射抜き、そのどす黒い気を断ち切ったことでその戦闘は終わりを告げた。
「符術!? ってことは――」
「銀か――!」
 倒れた二人に刺さっているのは東方に伝わる符である。彼らの知る限り、それを使用する者は一人しかいなかった。
 そしてその人物は不意に現れる。ルバーチェに入れ替わるように入り口に仁王立ちした黒衣の暗殺者は、今度は仮面で隠れた瞳で四人を射抜いた。
「久しぶりだな、特務支援課」
「――銀、殺したのか」
「殺したほうがよかったか?」
 問いのような形で答えられ、ロイドは安堵する。少しだけ緩んだ緊張を再び研ぎ澄ませて銀に情報開示を求めた。

 どうやら黒月もグノーシスの存在に気づいており、銀はツァオの依頼でルバーチェを追っていたところだったようだ。病院内部にいるルバーチェの構成員を放っておく選択肢は銀にはないのである。
 つまり自分たちと利害が一致する、そうロイドは思った。
「――銀、休戦と共闘を申し出たい」
「ロイドさん!?」
「――ほう、どういうことだ」
「俺たちは病院内の人たちを解放したい。あんたはルバーチェから情報を得たい。ならやることは同じだ、広い敷地内では人数が多いに越したことはないだろう?」
 当然今回だけだけど、と付け加えて口を閉じる。仲間は驚きと、しかし諦念を覚えたのか推移を黙って見守っている。
「私にとっては足手まといが増えるだけではないのか?」
「そうなったら切り捨てればいいだけの話だろ、あんたにとっては」
 銀は黙った。
 ロイドの言葉には、もし銀が窮地に立たされた場合助けるといったニュアンスが見受けられた。実力差を考えればそんな状況はありえないが、それでも意志が汲み取れたことは確かである。ロイドの言う利点も確かに魅力的だった。
 しかし実は、この提案に対する答えは始めから決まっていたのである。

「いいだろう、私としてもあまり時間をかけたくはないからな」
「……そうか、よろしく頼む」
 頭を下げる。犯罪者に頭を下げる警察官がどこにいるんだと言いかけたがそれはやめておいた。こんな提案をする警察官にそんな皮肉を言っても意味がないと思った。
「――ロイド・バニングス、お前なら人質をどこに集める」
「……なるべく狭い部屋、小さい建物で、目的の場所とは離したいところだな」
「目的はさておき、それなら宿舎だろう。行くぞ」
 銀が踵を返し敷地内に入る。その後姿を慌てて追いかけながら、エリィはやけに親切だなと少しおかしかった。
 彼の目的はルバーチェの情報、別に人質を解放する必要はないのである。しかし彼は真っ先に人質解放に向けて動いている。共闘したとは言え伝説の暗殺者が素直に手を貸してくれることがなんともアンバランスだった。
 とはいっても、何故かそこまで危険な匂いがしないのだけれど……
 邂逅時からそうだが、彼女は銀にそこまでの残酷さを感じていない。危険がないとは全く思わないが、しかし殺人を犯しそうな空気をあまり感じられないのだ。
 もしかしたら彼は、そこまで殺しに固執していないのかもしれない。なんとなく背中を見ながら思った。




 * * *




 遭遇した黒服に問答無用の速攻を仕掛けて歪んだ気を断ち切る。それだけで糸が切れたように崩れる様は、本当にその気に操られているかのようだった。
 いや、実際そうなのだろう。グノーシスを投与したであろう彼らは、その強大な力に自我を失っているのだ。
 しかし完全に理性がなくなったわけではなく、何かの命令を忠実に遂行している。おそらくグノーシス製造者である教団関係者なのだろう。
 再び剣を背負い、ようやく人質の大半を解放する。彼らに事情を聞く特務支援課を尻目に、銀は静かに息を吐いた。

 ここまでは問題ない……でも、この先は――
 正直、銀――リーシャにとって通常の構成員は相手にならない。いくらグノーシスを使っていても、そのグノーシスを断ち切ることのできる彼女には力不足だ。
 だからこそここまで、戦闘の一切を彼女が担当していた。とは言ってもそう決めたわけではなく、彼女がそのほうが効率がいいとして勝手に先走っているだけなのだが、結果的に損害はほぼなく目的の一つを達成している。
 銀としてはその成果に喜べないとしても、リーシャとしては無事に救出できたことを喜んでいいはずだった。

「もういいだろう、行くぞ」
 一通り話を聞き終えたところを見計らってそう告げる。特務支援課の四人は看護師長のマーサから病棟の鍵を借り受けていた。どうやら閉まっているらしく、その意味でも最初の行動は当たりだった。
 しかし見るとロイドの表情が若干固い、何かしらのアクシデントがあったかとも思ったが、銀としては特に口を挟むことはない。
 そのまま再び広場に出て本棟に向かう。当然のことながら周囲をドーベンカイザーがうろついていたが無力化する。魔獣に対しては消耗品である符を使わずに済んだ。

 内部に侵入すると明かりは点いておらず月明かりだけが頼りだった。そんな中でも構成員たちは的確に彼らを察知して襲撃してくる。それらを冷静に素早く無力化していく中、彼女は一つの結論にたどり着いた。
「バニングス、気づいているか」
「……連携が取れていない、ってことか?」
 やはりロイドも気づいていたのか、頷くことで肯定する。
 現在十数人のルバーチェと交戦したが、増援がやってきたことはなかったのである。必ずその場所に配備されていた人員のみで戦い、敗れていくルバーチェ。本来なら見つけた時点で召集をかけてもいいのだがそれもしない。
 ルバーチェの性質というわけではない、ミシュラムでは当然のように呼んでいた。つまり彼らにはそこまでの思考能力がない上に、おそらくは命令されたことしか実行できないのだろう。
 それは果たしてグノーシスによって自我を失っているということに繋がる。
「グノーシスの製造者――教団の生き残りがグノーシスを投与した人間を操っている。そういうことだろ?」
「そうだ。そしてそれが事実なら、想像以上に厄介な人間であるということだ」
 対象との距離など明確な条件こそわからないが、それでも遠隔で人間を操ることができるのだ。もしグノーシスが広範囲にわたって流布されてしまっていたならそれこそクロスベルの崩壊に繋がっていたことだろう。
 そしてその脅威は未だ取り除かれていない。とにかくもヨアヒムの研究室に向かった。




 * * *




 三階までの道程で隠れていた人々の解放にも成功したが、それでもロイドの中にある不安が拭われることはなかった。
 セシルがいない、ただそれだけの現実が彼を追い詰めていた。
 マーサの話によると入院患者である男の子の担当をしていたとのことだが、その子の個室に行っても彼女の姿はなかった。残るは屋上と研究棟、捜索範囲が狭まっていくに従い、もしかしたら既に病院を脱出しているのではないかという甘い考えが浮かんでくる。しかしそれがありえないことなのは彼が誰よりも知っていた。

 月明かりの真下に再び出る。月との距離が近い分地上より明るい。
 植えつけられた木々のシルエットの隙間から研究棟への入り口が見えた。見たこともない魔獣の姿も確認できた。
「セシル姉――ッ!」
「――!」
 そして、その魔獣に追い詰められている彼女の存在も視認したロイドは絶叫、エニグマを起動して初速から最高速で駆け抜けた。
 対象は三体の魔獣のうちの中央の固体、まるで猛毒のような毒々しい紫色をした丸い魔獣の中心部をスタンブレイクで捕らえる。
 焼かれる音と匂いが解き放たれ、返り血が頬を汚した。漂う香りは腐臭、それでも顔をしかめることなく技後硬直も凌駕して魔獣を跳び越えセシルとの間に入り、その勢いのままトンファーを叩き付けた。
 奇襲だったためか抵抗もなく魔獣は沈み、しかしその弾力のある体を再び浮かせようとする。
 そのなんでもない、当たり前の行動に激情が湧いた。

「――――ッ!」
 両のトンファーで再び叩きつける。その衝撃でタイルに亀裂が走り、魔獣の体がめり込んだ。
 残りの二体が状況を把握し彼を左右から挟撃する。正面から生えた触手が彼を串刺しにしようと迫る。それはロイドの真後ろにいるセシルすらも狙ったものであり――
「ああああああああああああああ!」
 碧の光に包まれた彼はアクセルラッシュで迎撃、進行を阻めた上で全身を捻りながら頭から突っ込んだ。
 螺旋を体現したタックルは両の魔獣を一瞬で吹き飛ばし地面を滑らせ、そのまま沈黙させる。光に消えていく三体を見送って、ようやくロイドは全身の力を抜いた。

「ろ、ロイド……」
「セシル姉! 無事!?」
 困惑した声にロイドは慌てて振り向く。いつもの看護師姿のセシルと、その背中に隠れている男の子。転落防止の柵に背中を預けていたが、幸い外傷はないようだ。ようやっと胸を撫で下ろす。
「セシルさん!」
「無事ッすか!」
「…………」
 三人と一人が寄ってくる。銀以外は安堵の表情を浮かべていて、セシルもそこでやっと表情を和らげた。
 事情を聞いていると男の子が異常を来し、とにかく一度病室に戻ることにする。セシルによると魔獣は研究棟から出てきたというので、この先は相応の覚悟が必要なようだ。
 ヨアヒムはおそらくそこにいる。
 男の子を労わりながらセシルが歩いていき、それを守るように三人が囲む。その輪の中に入ろうとしたロイド・バニングスはしかし入ることはできなかった。

「――何の真似だ」
 自身の首に切っ先を向ける凶手の意図こそが最優先、月明かりの中、幻月の繰り手の得物が妖しく輝いた。




「ロイド・バニングス、貴様何者だ」
 銀は仮面で以ってそれを問う。その抽象的な問いに対し、ロイドは的確な答えが思いつかない。
「質問の意図がわからない。俺はロイド・バニングスだ、だけどそんな答えじゃ納得しないんだろ」
「当然だ。私が聞きたいのは、貴様がどこまで己を理解しているのかということだ。最初に矛を交えた時もそうだ、貴様は仲間という存在を大事にしていながら、その仲間が倒れた時に最大の力を出していた。傷ついた仲間のために底力が出たのか、そう思っていたが、今回で確信した――――貴様、その裡に何を飼っている?」

 ロイド・バニングスの異常性において最も顕著な部分。それは二属性を持つという性質である。
 七耀の力において、その一つを宿すことは当たり前のことだが、複数属性を宿す存在というものは未だにいない。それは七耀一つ一つが莫大な力を有しているとともにあくまで方向性を示しているだけだからだ。
 属性が同じでも正確な属性座標が異なる、とでも言えばいいのか。仮にその座標が暫定的な属性判別表の狭間に位置していても、結局わずかな違いで一つの属性に決定される。そういうものなのだ。
 つまり、二属性を持つことはありえない。
 ましてや上位属性の二種など、有り得てはならないのだ。

 ここまでの疑問は最初の時点であった、そして今さっきの出来事。
 咄嗟の判断でクラフトを使った高速移動を行ったのは偏に彼の経験によるものだが、いざ魔獣と対峙したときの行動はそれとはまるで異なる。
 あの時と同じ二属性の気配、そして大幅に増幅した戦闘能力。そもそもあの魔獣は銀の見る限りあの手数で倒せるレベルの魔獣ではなった。それをたった三撃で打倒しうる力はロイドにはなかったはずなのだ。
 つまり彼は二属性の気配を常に発しているわけではなく、必要に応じてそれを発し、かつ戦闘能力を急激に高めることができるということになる。
 問題は、それが任意なのかどうかだ。しかし、仮に自在にそれを操れたなら、自身との初戦で仲間がやられるまで温存する理由はない。つまり彼はしなかったのではなく、できなかったのだ。
 一応その時に力に気づき、今回は意図して使ったという考えもある。だが銀の見る限りそうは思えなかった。自身が二つの属性を持っていることすら気づいていないかもしれなかった。
 この二つの点から銀は推測する。即ち――

「貴様の中には何かがある。元の属性が何なのかは知らないが、その何かにこそもう一つの属性があり、かつ貴様の補助をしている。違うか?」
 これはあくまで推論だ、複数属性の持ち主がこれまで現れなかっただけで彼がその第一号なのかもしれない。
 しかしそれよりも銀はこの推測のほうが正しいように思える。それは根拠のない勘のようなものだが、しかし不思議と自信があった。
 そして同時に、それは彼がこの言葉に対する答えを持っていないことを意味する。
「…………」
 そして予想通り、ロイドは言葉を発しなかった。今の彼には銀の言葉への返事を導き出すことはできなかった。自分自身のことだが青天の霹靂だったのだ。

「……まぁいい、これも想定内だ」
 銀はそうして剣を収め、背を向ける。その視線の先には病室から戻ってきた三人の姿がある。彼はもうこの話題を進める気はなかった。
「俺の中に、俺じゃない別な何かがあるって言うのか」
「私に聞くな、それは何より貴様自身が知っていなければならないことだろう?」
「…………俺は」
 唇をかみ締め、下を向く。服の隙間から白い宝玉が窺えた。
 暗い夜の闇の中で輝くモノ。その正体が何なのか、未だにわからない。
 ただそれを知るのが少しだけ怖くなった。

「ロイド?」
 エリィが不審の声を上げる。ロイドは顔を上げ、微笑した。何かを堪えるような淋しい笑みだった。
 エリィは咄嗟に何か言おうとしたが、彼の言葉によってその機は永遠に取り払われた。
「行こう。ここからが正念場だ」
 時刻は既に午後八時を過ぎた。それでもまだ、宵闇の時間は終わらない。



 初出:8月7日




[31007] 5-15
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/10 00:35



「ふん、予想以上だな。瘴気の密度が凄まじい、長時間いると精神が融け切るぞ」
 研究棟に一歩踏み入れた時点で銀が呆れたように呟く。その言葉に伴い、支援課の四人は無意識に口元を手で覆った。まるで大気中に毒素が撒かれたような感覚だった。
 非常灯のみの薄暗い空間はまるでお化け屋敷のよう、しかしそれが苦手なはずの彼女はそんな感想を抱いてはいなかった。そんな日常の恐怖心よりも義務感のほうが強かったのである。ある意味、精神が凌駕していた。
 正面にあるエレベーターに入ると導力こそ途切れていなかったが、動かすには専用のカードキーが必要なようだった。何かの衝撃で非常時設定になってしまったのだろう。カードキーを捜す手も考えたが、それよりは階段を使ったほうが早かった。
 右の通路を抜けて突き当たりの階段を上っていく。そこは四階、ヨアヒムの研究室のあるフロアである。
 しかし一段上がるに連れて瘴気が増していくのがわかった。ティオの額に脂汗が浮いている。長居は当然できないが、ヨアヒムの安否を確認するまでは戻れない。

「…………」
「銀、どうかしたのか?」
 ロイドが尋ねる。銀はいや、と否定し、しかし口を開いた。
「ヨアヒム・ギュンター、薬学医とのことだが……」
「何か気になるの?」
「――――止まれ」
 不意に銀が立ち止まり、四人も歩みを止めた。その中でティオが魔導杖の反応を確認する。
「魔獣ですっ」
 言うが早いか、銀は行動を開始した。階段を駆け上がり四階へ、その眼前には蛸のような赤い魔獣が二体待ち構えていた。
「ふ――」
 神速で大剣を振り下ろす。正確にその小さい体躯を捉えた剣閃は容易くそれを真っ二つにし、
「何ッ!?」
 そのまま何事もなく切断面を癒着、戻った体で銀に襲い掛かった。一瞬の驚愕にもしかし銀は瞬時に精神を落ち着かせ後退、魔獣の攻撃を回避する。
 油断なく構えた銀は剣を投擲、二体を同時に切り裂くとともにエニグマを駆動、デススパイラルを放ち掃討する。
「銀っ!」
 次いで四人が到着、銀は剣を掴み、背負った。

「物理攻撃が効かない魔獣もいるな、おそらくは実験で生み出された魔獣だろう」
「さっきの紫色の魔獣もそうね、何というか、不自然さみたいなものを感じたわ」
「体を構築するバランスが崩れているようです。おそらく、放っておいても長くは持たないかと」
「教団の実験か、反吐が出るぜ」
「ティオ、反応はあるか?」
 ロイドの問いにティオはこくりと首肯し、目を閉じて感覚を研ぎ澄ませる。瘴気に満ちた空間で彼女は精神をすり減らしていたが、それでも集中さえすれば何とか通常の半分ほどの精度で探査を行えた。
 その結果、ほぼ魔獣はいないとのことである。報告に安堵するも、逆にまだヨアヒムの姿を確認できていないことが懸念事項である。もうすぐ彼の研究室だが、銀はそれでもまだ何かを考えているようだった。

 そして、ヨアヒム・ギュンターの研究室にたどり着く。ティオと銀の感覚の網に一人の存在が引っかかっていた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 そこは、以前訪れたとおりの状態で存在していた。争った形跡などまるでない、ただ不自然に窓が開いていてカーテンを揺らしていた。
 その窓の正面には、人。
 月明かりが逆光となり顔は窺えない。
 だがそれは、彼らが探していた人物ではなかった。

「そ、んな……」
 エリィが絶句し、ロイドとランディが鋭い目で対象を見つめる。そんな敵意を柳に風とばかりに受け流して立っているのは見知った人物で、しかし本来ここにいてはならない男だった。
「アーネスト・ライズか、ノックス拘置所にいるのではなかったか?」
「銀か、お目にかかれて光栄だよ。質問の答えだが、まぁそうだね。でも既に警察学校を含めて我々の占拠下にある。そのおかげでこうして私は再び彼女たちに会えたんだ」
 以前と同じ若葉色のスーツに身を包んだアーネストは目を細めて支援課を、エリィを見る。その視線にエリィは咄嗟に自身を掻き抱き後退りした。
「やぁエリィ、久しぶりだね。そんなに怖がらなくてもいいじゃないか」
「アーネスト、さん……」
「アーネスト、どういうことだ」
 エリィの前に立ったロイドが口を開く。警察学校の襲撃という事実に声が出そうになったが、それは相手を喜ばせるだけになるので必死に押しとどめていた。そして今の彼には、聴きたいことが山ほどある。

「あんたはやっぱりグノーシスを投与していたんだな、誰にもらった?」
「ん? ……ああそうか! なるほどなるほど、君たちは知らないんだな!」
 アーネストが目を見開いた後におかしそうに笑う。眉を顰めるロイドに対し、アーネストは背中から巨大な剣を取り出した。銀のそれよりも幾分大きく見える漆黒の剣である。


「では答えよう。グノーシスを私に与え、そしてそもそも作ったのは――――ヨアヒム・ギュンター医師だ」


「…………………………え」
「氏はD∴G教団の幹部司祭だそうでね、長年クロスベルに留まり研究を続けてきたということだ! そして今回、それが成就したわけだ!」
 高らかに宣言するアーネストに対し、四人は二の句が告げなかった。
 グノーシスの成分調査も、そもそもグノーシスの存在も彼らはヨアヒムに頼ることで知ったのだ。しかし実際、それは彼らがヨアヒムの犯行にまるで気づいていなかったということなのである。
 仕事をサボりよく釣りに行くが、優秀で、そして笑顔を絶やさなかった彼の人物こそが、一連の事件の首謀者だったのである。

「御託はいい。アーネスト・ライズ、ここには一人か」
 銀が問う。
 彼女の目的はルバーチェだ、アーネストがルバーチェと関わりのない以上目的対象ではない。自身の感覚でここにはもう彼しかいないことはわかっていたが、それでも気分が高まり口が軽くなっている人物から情報を盗みたかった。
「そうだ。既に氏はここを離れて本来の場所に戻っている。ルバーチェの残りの人員もそこにいるよ。つまりはまぁ、無駄足だったわけだね」
 銀に対しても口調は軽い、どうやら優位に立ちたいようだ。
 しかし銀には関係がない、ここにいないことが確定した以上、次の行動に移るだけだ。
「それでは、その場所を吐いてもらおうか」
 剣を構え、闘気を発する。その威圧感に目を細めたアーネストは自身も携えていた剣を構えた。呼応するように紫色の瘴気が立ち昇る。
「く……っ」
 二人の気に導かれるように支援課も構える。しかし現実問題、二人の空気に入ることは難しかった。

 その緊迫した空気は次第に膨張し、やがて、アーネストの吐血で破裂した。
「がは――!」
「な――!?」
 対峙していた銀も驚く。つまりは彼の攻撃というわけではなかった。
「アーネストさん!」
 エリィが一歩前に出る。それでも駆け寄ることはしないのが二人の現在の距離だった。
 片膝を着き口元を抑えたアーネストはしかしその鮮血を見て歪に笑う。それはまるで悪魔のようだった。
「……ふふ、どうやらまだ、時間がかかるようだ、な――!」
 そこから一気に跳躍、窓の縁に着地する。その濁った瞳が五人を見下ろした。
「今回はこれで退くことにしよう。氏からもなるべくなら研究室を汚さないよう言われているからね」
「……アーネスト、どうする気だ。逃げられるとでも思っているのか」
「逃げる? さっきも言ったように退くだけだよ。それに助かったと思っているのは君たちのほうだ、違うかい?」
「違うわバカ野郎! てめぇ、本気で逃げられるつもりかよ」

「――話が通じないな、仕方ない。それではまた会える日を楽しみにしているよ」
 ため息を一つ、アーネストは会話を打ち切ってそのまま縁を蹴って外に飛び出した。慌てて駆け寄る四人の眼下には飛び降りたアーネスト。
 そして、彼を掴んで上昇していく緑色の巨大な飛行魔獣である。
「く、まさかあんなものまで!」
「……目標、ロスト。速いです……」
 その姿は月の中に消えていく。その追跡不可能な逃走術に呆然とするしかなかった。
「ノックス拘置所が占拠下って、それってつまり――」
「……ああ、警察学校がルバーチェに襲撃されたってことだろう」
 ノックス拘置所はクロスベル西にある警察学校に隣接されている。そこが襲われた以上警察本部も黙ってはいないだろう。
 一課か二課、もしくはその合同か。空港の爆破予告に充てられていない人員が駆り出されることになる。
「とにかくまずは連絡を入れたほうがいいんじゃねぇか? 警察がてんやわんやなら警備隊にでもよ」
 ランディの言葉にエリィが通信を開始する。ウルスラ病院にはタングラム門のほうが近い。ソーニャ副司令に繋げるつもりだろう。

 そんな中、窓のほうに寄っていない銀を見てティオが首を傾げる。アーネストが消えたからだろうか、病院に充満していた瘴気は次第に薄れてきていて彼女も他を気にする余裕が出てきている。
「どうしたんですか?」
「……アーネスト・ライズが吐血するのが妙だと思ってな」
「妙、ですか?」
 銀は頷いた。
 そもそもアーネストがグノーシスを服用したのはアルカンシェルを巻き込んだ市長暗殺未遂事件が始めだろう。そこから現在までの時間でも未だグノーシスが馴染まないのだとしたらそれはかなり問題のはずだ。
 拘置所を抜け出して新たに服用したのなら久しぶりの投与に体が拒否反応を起こしたとも考えられる。しかし第一の可能性は、彼が飲んだグノーシスの性能に差があるということだ。

「奴が最初に飲んだグノーシスと最近飲んだグノーシス、そこに明確な違いが出てくるまでに研究が進んでいたということだ。更に奴は武術を嗜んでいて体が出来上がっていた。その奴が吐血するほどの反動を誇るなら、仮に一般人が完成品を飲んだ場合、最悪死に至るかもしれん」
「それは……」
 ティオが押し黙る。彼女は既にグノーシスを投与したとされる一般人を知っていた。
 その人物が既に死んでいる可能性があるということは密かに考えていたが、事実を基に推測されると真実味が歴然である。知人の死という慣れてはいけない感覚を、彼女はどう受け止めればいいのかわからない。

「――副司令直々に来てくれるそうよ、後は警備隊が来るまで警戒を怠らなければ大丈夫」
 通信を終えたエリィがそう告げ、とりあえず病院の解放に目処がついたことを知る。知らず目を閉じていたロイドはしかし、無意識に緩んでいた緊張感を再び引き締める気配を背中から感じ取り振り向いた。
「あれ……」
 しかし彼の視線の先は窓、そして広がる景色である。
 気のせいかと目を瞬かせた彼は、そうして重々しい音とともに現れた少女に度肝を抜かれた。
「――こんばんは。いい夜ね、お兄さん」
「レン!?」
「レンさん、やはり……」
 ティオだけが不思議と驚かない中、少女はそうして窓の向こう側でお辞儀をした。
 少女は浮いているわけではない、彼女の足場が浮いているのだ。それは巨大なオーバルマペット、パテル=マテルと呼ばれるゴルディアス級人形兵器である。
 全長15.5アージュの赤紫を基調としたそれは結社が誇る十三工房がその英知を結集させて造ったものであり、適合者であるレンと意思疎通が可能な兵器だ。
 ちなみに雛形自体はローゼンベルク工房のヨルグ老人が設計したもので、それを改良したものが十三工房責任者であるノバルティスである。

「お姉さん、秘密にしておいてくれたようで何よりだわ。でもお姉さんの事情は知っているみたいね」
「……全部、話しましたから」
「そう――――あら、あなたが銀ね」
「……知っているのか」
 レンが漆黒の暗殺者に目を向ける。少女の存在を知らない銀は彼女が只者ではないことを感じつつ慎重に聞き返した。
 そんな銀の考えには興味がないのか、レンはあっさりと情報源を暴露する。それは銀にとって因縁浅からぬ相手だった。
「ヴァルターがぼやいていたわよ、決着をつけられなかったって」
「……痩せ狼の同類か」
「同類だなんて失礼しちゃうわ。彼とは知り合いなだけよ」
 痩せ狼と称されたヴァルターという男、彼は身喰らう蛇の執行者の一人である。リンと同じ泰斗流の使い手でありながら、それを殺戮という手段で振るう事に意義を見出してしまった人物だ。
 同じ共和国出身ということで、銀は彼と一度相対したことがあった。結局勝敗が決することもなく事態が収束してしまったのだが、それはつまり、銀の力は結社の執行者に匹敵するということであるとともに、結社とは銀ほどの実力者が溢れている組織であることの証左でもある。

「貴女ほどの実力者がどうして結社のマークから外れていたのか不思議だけれど、今はそんなこといいわ――――今は、そこにある資料に用事があるのだから」
 レンは視線をヨアヒムの机に向ける。そこにはこれ見よがしに置かれた冊子と、それに挟まれるようにして存在する一枚の写真があった。
 アーネストを残していたことといい、事ここに至って、ヨアヒムは釈明する気もないようだった。
 六人が机を囲みながら資料を見つめる。そこにはグノーシスの完成に至るまでに犠牲になった実験対象の少年少女たちの詳細が記されていた。当然、当時のティオ・プラトーの写真も貼り付けてある。
「少しは、ましになったでしょうか……っ?」
 フラッシュバックか、当時の記憶を掘り返して涙を溜めた少女の問いに全員が頷く。その反応に安堵の吐息を漏らした。

「…………」
 レンはページをめくり、そして手を止めた。瞳に映るのはすみれ色の髪をした少女、レンが記憶している限り、最も酷い状態だった自分である。
「レンちゃん……」
 エリィが口を開くも次の言葉は出て来ず、それを慮ってかレンは歪に口を歪めた。
「レンも綺麗になったでしょう? そういうことよ」
「君も、教団の被害者だったのか……」
「そ。お姉さんとはロッジが違ったし、助けてくれたのは結社だったけど」
「……なるほどな、その意味では例の結社とやらも意味のあることをしたといったところか」
 銀がわずかな感情を込めて言う。レンは今度は素直に微笑した。
「あら、伝説の凶手さんにもそんな感情があるのね。意外だわ」
「…………」
 銀は何も答えず、そのまま資料は終わりを告げる。グノーシスという存在に対する具体的な情報はなかったが、それでも今回の首謀者を逃してはならないという意志を固めるには十分だった。

 そして、資料に挟まれていた写真がヨアヒム・ギュンターの目的を彼らに告げた。
「あ……」
 身を丸め、水の中に浮く少女。
 それは球体のベッド。星見の塔にあったような天球儀を透明にしたようなそれの中で、コバルトブルーの少女が静かに眠っていた。
「キーア……」
「やっぱり先生の……いえ、教団の狙いは――」
「キー坊ってことか……っ!」
「黒の競売会にいた娘か」

「――そう、今回の事件は結局そこに行き着くわ」
 レンの言葉に全員が少女を見る。いつの間にか窓の外にいた少女を見つめると月影がスポットライトのようで眩しい。目を細める四人に猫のように笑いかけ、少女は静かにお辞儀した。
 問いかけが始まる。

「特務支援課はあの子を守れるのかしら?」
「――守るさ。絶対に」
「ええ、どんなことがあっても」
「必ずです」
「あんな変態野郎に大事な娘を渡せるかっつーの」

「本当に? 本当に守りきれるの? 絶対的な根拠があるのかしら?」
「……」
「あるわ、あの子との約束というかけがえのないものが」
「それだけで十分です」
「約束は、守らねぇといけねぇからな」

 その二つの問いに対し、特務支援課は迷いなく答えた。
 そんな回答を聞き、レンは微笑する。向きを変え、上空に浮かぶ月を見た。

「――あの子を守れないなら、この世界はきっと終わるわ。これはレンの勘だけど、でも間違っているとは思わない。つまりは世界の命運があなたたちに懸かっているということ。その重み、耐えられる?」

 その問いに返ってきたのは優しい笑い声だった。誰かが息を吸うのがわかる。
 レンはそれだけで、ああ大丈夫だ、と感じた。

「世界の命運についてはわかった。君の勘が正しいことも、なんとなくわかる――――でもさ、俺たちにはそんな大きすぎる理由はいらないよ」
「私たちがキーアちゃんを守るのはただ単純に、あの子と一緒にいたいから。そんな簡単な理由」
「みっしぃがかわいいのと同じくらい当たり前な理由です。世界の重みとか、そんなもの知りません」
「キー坊の重さだけで十分だ。これからいくらでも大きくなるんだからな」
「……君も、俺たちと同じような考えをした人を知っているんじゃないかな?」
 ロイドの問いかけにレンは身近な二人を想像し、笑う。おそらくは勝手にいなくなったことを怒られるだろうが、それでも今だけは純粋に嬉しく思った。
「……これでレンがクロスベルに来た理由がなくなったわ。後はお兄さんたちに任せてお茶会の準備でもしましょうか。銀、あなたもその時は呼んであげる」
「……光栄だが、遠慮させてもらおう。私も忙しいのでな」
「残念。でもあなたともまた会う気がするわ。ふふ、少しだけ戦ってみたいかも」
 不穏な言葉を最後に残し、少女の姿が次第に空に上がっていく。少女を支えるパテル=マテルがスラスターを噴射してその巨体を押し上げ、殲滅天使はウルスラ病院から消え去った。


 それを皮切りに病院での事件は終わりを告げる。警備隊が到着、病院の安全を確保すると彼らの肩の荷も一気に降りた。
 警察学校もベルガード門から警備隊が到着して取り返したらしい。ヨアヒム及びアーネストの行方はまだわからないが、それでも今夜の山は越えたようである。
「これで、また私たちの関係は始まりに戻ったというわけだ」
 屋上で銀が口を開いた。協力関係の終わりである。
「銀、次は逃がさない」
「大口を叩くな。やってみるがいい」
「でも今は、ありがとう。協力感謝する」
 一瞬だけ銀の気配が乱れたことにティオは気づいたが、すぐに戻ったためにその記憶を維持することはできなかった。
 やがて銀は夜闇に紛れて消える。その心境を、残された四人が知ることはなかった。

「――帰ろう、キーアが心配だ」
「そうね。流石に疲れたし」
「これからは気合入れてキー坊を守らないとな。ヨアヒムの野郎に渡したら世界が終わるらしいからな!」
「なんかランディさん楽しそうですね……不謹慎ですよ」
「場を和ませようっつー男の気配りがわからんとはティオすけもまだまだだなぁ」
 がしがしと頭を乱雑に撫でるランディをじと目で睨み、しかし止めようとはしないティオ。そんないつもの光景に心が洗われるような気がして、ロイドとエリィは顔を見合わせて笑った。
 しかし四人もわかっている、これが感じている以上に大変な状況であるということを。
 それでも壁を乗り越えるために、今はただ常のように笑っていたかった。



 初出:8月10日


 裏側の話ですが、これからの連戦を考えるとここでアーネストと戦った場合まずアウトです。なので彼は謎の吐血をしました。
 一応、理由みたいな言い訳も考えています。
 次話から終章です。



[31007] 6-1
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/11 10:57



 特務支援課ビルに戻ってきた四人を出迎えたのはキーアとシズク、そしてセルゲイとツァイトだった。
 ロイドはセルゲイに状況を説明、セルゲイの判断を仰ぐ。セルゲイはダドリー他一課が空港爆破事件を切り上げたこと、更に二課は警察学校に向かったことを告げる。直前までダドリーと通信していたらしく、そろそろこちらを訪れるところだそうだ。
 遊撃士は現在その全員がクロスベルを離れており、現況市内の警備は警察のみに委ねられている。
「みんな、大丈夫……?」
 キーアが心配そうな声を上げ、ロイドは大丈夫だと薄く笑った。その手には少女の眠る写真が握られていた。


 ダドリーが来た事で改めて事実確認を行う。
 首謀者であり教団の生き残りであるヨアヒム・ギュンター及びその配下であるアーネスト・ライズ、そしてルバーチェの残党は現在行方不明。ウルスラ病院を襲ったルバーチェの構成員はタングラム門の警備隊員が拘束している。
 午前中からあった空港の爆破予告事件はどうやらデマだったようで爆発の心配はない、おそらくは一課の目を釘付けにしたかったのだろう。
 目下、遊撃士が自治州内を捜索、D∴G教団のロッジを探している。黒月は関わる気がないのか静観を決め込んでおり、今回ばかりは彼らを監視する人員も惜しまず投入する次第であるが、いかんせん上層部からの圧力がありまともに動けるのは少数という状況である。
 病院に残された資料からは教団がキーアに対して何かを知っているのは明らかであり、その目的もおそらくは少女であることがわかっている。故に少女の安全を考えるならば遊撃士に頼んで外国に逃げることが一番である。
 しかしそれをわかっていながら、支援課の誰もが口を開こうとはしなかった。
 ロイドを除いた三人はキーアとの約束を胸に抱いたためだが、ロイドが何故その選択肢を己の中から外したのかは本人にしかわからない。

「とにかく遊撃士協会に連絡しましょう。ロッジの情報があるかもしれませんし、教団の狙いがわかった以上、最高の戦力であるアリオスさんを頼ったほうがいいと思います」
 遊撃士嫌いのダドリーだが、その選択に文句はないようだ。度重なる警察の腐敗を見せ付けられた彼にとって、もはや私情を口に出すこともできなくなっていた。
 コール音が響き、ミシェルが出る。彼に状況を説明し、今度はミシェルから進捗情報を聞こうと待った時。
 それが、クロスベル市における攻防の引き金となった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






「説明しろバニングスッ!」
 ダドリーが吼える中、ロイドはエニグマを耳から外し口を開く。
「遊撃士協会が襲われたようです。ミシェルさんの驚きの声の後、窓ガラスが割れる音と機関銃の掃射音が聞こえました」
「ルバーチェが手薄のギルドを襲ったってこと?」
 エリィが冷静を顔に貼り付けて問う。ミシェルの安否は心配だが、ギルドの受付がそう簡単に負けるとは思えなかった。
「身内を人質にして遊撃士を足止めするつもりか? いやしかし関係者ならそれなりの覚悟はあるはず。緊急の事案で判断を誤るとは思えないが」
「市民への見せしめでしょうか?」
「頭を潰して遊撃士に情報を与えないようにしたってのが妥当かもしれないが、だがいくらなんでも強引すぎる。拉致った市民がいるならそれを人質にしたほうが早いはずだ」
「なら遊撃士に対する手じゃなく陽動、本命はキーアか!」
 迅速に結論に達したところで今度はエリィのエニグマが鳴る。ハンズフリーにして応答するとそれはノエル・シーカー、彼女の情報は彼らを一気に暗闇に引きずり込んでくる。

「ベルガード門の警備隊との連絡が途絶えましたっ! そちらは何かありましたかっ!?」
「そんなっ……ルバーチェだとしてもありえないっ!」
「それでも何かあったと見るべきです! 通信機器は専用車両全てにありますっ、その全てが壊されることだって考えられません! 私もクロスベルに向かいます、皆さんに空の女神の加護を!」
 通信が切れ、全員の顔に焦燥が表れる。警備隊はクロスベル随一の戦闘集団だ、それがルバーチェに遅れを取るなど、何らかの異常事態が発生したに違いないのだ。

「グルル」
 そんな彼らの困惑を後押しするようにツァイトが唸りを上げて玄関を睨む。ティオが意志を汲み取り何者かの接近を報告、構えを取った瞬間に二つのスタンハルバードが扉を砕いて飛び込んできた。
「な――!」
「警備隊員だとっ……!?」
 咄嗟にキーアとシズクをかばい前に出たロイドとランディはその見知った制服の二人を見やり、その生気の喪失に唇をかみ締めた。それはつい先ほど見たルバーチェの構成員と同じ、グノーシスによって理性を奪われた姿である。
「く、どうして警備隊員が――っ!」
「ヨアヒムの野郎が言ってた栄養剤にグノーシスが入ってたのかもしれねぇ! そうなりゃベルガード門だけが消えたのも頷ける!」
 栄養剤はタングラム門にも向かうはずだったが、それより先にベルガード門に届いていた。効果が浸透するまでに時間が必要なら、まだタングラム門の警備隊と連携が可能である。しかしこの場にいるベルガード門の隊員はもう手遅れだった。
 そんな驚愕に身を包まれている間に増援がやってくる。いずれもライフルを構えた三人はやはりベルガード門の隊員にしてランディと旧知の間柄である。奥歯が砕けんばかりにかみ締められ、ランディはその激情をコントロールしようとした。
 彼らが撃ってこないのはおそらくキーアに流れ弾が当たらないようにというのが理由だろう。つまり遅れてきた三人はアーツしか使わない。前衛のハルバード二人を抑えれば勝機はあった。

「恨みはないが許せ!」
 そして、いち早くそれを察知したダドリーの拳銃が警備隊員の防弾チョッキを打ち抜く。
 弾は肉体に届かなくとも軍用拳銃の威力は絶大だ。あまりの衝撃に膝を折る。
 瞬間、電撃的に飛び込んだロイドとランディが追い討ちをかけて失神させ、二人が退いた穴よりエリィとティオが後衛のライフル三挺を破壊する。破片が手を切るのも構わず隊員がアーツの詠唱に入るも懐に入ったロイドとランディ、そしてダドリーが鳩尾を打ち貫いて屈服させた。

「――現在警察本部も警備隊の襲撃を受けているそうだ」
 いつの間にか通信機の前にいたセルゲイがそう告げることで、彼らは市内に伸びた教団の魔の手を理解した。グノーシスを投与されたであろう警備隊員はクロスベルの重要施設を制圧せんとその力を振るっている。そして同時に、彼らはキーアを狙ってきているのだ。
「市外に出ましょう、それしか道はない」
「警察本部もギルドもダメ、なら市外の車両が入って来れない場所に行くしかないわ」
 ロイドとランディがそれぞれシズクとキーアを抱き上げる。既に襲撃を受けた今、このビルにいても未来はない。
「西は近いがベルガード方面だ、行くなら東か南しかない!」
「ウルスラを危険には晒せない! 東だ!」
「よし。ロイドとランディは中、ダドリーが先頭でティオが続け、後ろは俺とエリィだ! ティオ、センサーを最大にして集中しろ。障害排除はダドリーに任せておけ!」
「了解です!」
 セルゲイがショットガンを携え陣形を整える。
 今回は逃げ切ることが目的だ、機動力の下がる陣形は組めない。極力戦闘を避けていくしかない。
「本日最大の任務だ、気合入れろ!」
 セルゲイ・ロウの激励、彼は頭を過ぎる頼もしい部下に対し情けない姿を見せられなかった。






 市内には既に警備隊員が数多く存在していた。その全てが理性のない瞳で武器を持ち、一般市民に危害こそ加えていないがその威容で外に出ることを防いでいる。
 行政区の警察本部玄関には既に防犯用のシャッターが閉められており、そこを打ち破らんとハルバードを振るっていた。
 そんな中、旧市街のプールバーではワジ・ヘミスフィアとヴァルド・ヴァレスが対峙していた。雰囲気はお世辞にもいいとは言えない、しかしワジの話はヴァルドにとって聞き流せないものだったので彼は得物を握り締めて己を抑えていた。

 その二人を置き去りにして事態は加速していく。市内に飛び出した特務支援課とダドリーはやってくる警備隊員を銃で牽制しつつ走っていく。
 しかし恐怖心のない隊員たちに威嚇射撃は事を成さない、そのためしかたなく急所ではないが行動を制限する部位を撃ち抜いて侵攻を阻んでいた。
「数が多いっ! このままではまずいぞ!」
 ダドリーが叫ぶのを契機としたように彼らの耳に機械音が響く。彼方を見やるとそこには警備隊車両、狭い通路を強引に走破してそれは大量の警備隊員を吐き出した。
「お前らは走れっ、ここは俺とダドリーで食い止める!」
 セルゲイがショットガン片手に仁王立ち、それに伴ってダドリーも足を止めた。場所は中央広場から東通りに向かう道、そこにバリケードのように立ちふさがった二人の無事を祈りながら四人は東通に抜け出した。

 長い鉄橋を必死に走る。汗が目に入り痛みを伴うがそんな痛みよりも背後からやってくる不安のほうが痛い。ベルガードの警備隊員はおそらく全滅、タングラムの状況は不明である。
 万が一彼らが手段を選ばないなら――
 そこまで思考したロイドは自身が抱く少女に視線を落とした。
 キーアを狙っている教団が何を失おうともキーアを欲しがるのなら、ヨアヒムは操っている警備隊員で以ってクロスベル市の制圧を本格的に始めるだろう。
 それは今の市民を襲わないものではなく、何の例外もない殲滅戦である。

 市民全員の命と引き換えにキーアを差し出せ、と要求された場合、果たして自分は、どちらを選べるのだろうか。
 この世界を変える少女を犠牲にしたほうが、世界は救われるのではないか――

「――――ッ!?」
 そんな思考に愕然とした彼の足は止まる。その急停止に三人が困惑の表情を浮かべた。
「おいロイドッ、何止まってる!」
「後続っ、はぁ、来ますっ!」
「ロイドッ!」
 三人の叱咤にも反応を示さずロイドは固まる。その見開かれた眼球には既に三人の姿はなく、いつかの光景が映し出されていた。




 * * *




 血溜まりに沈む彼を見た。
 顔が見えず、その最期の心情もわからない。
 いや、その姿を確認できただけで僥倖だったのだろう。最初の二人は、結局最期すら見届けられなかった。

 すまなそうな表情と、仇を見るような瞳を見た。
 いずれも既に光はない、その正反対の意志と、似たような悲しみの大きさだけは理解できた。

 そして、残った二人も、自分は最期を見ることなく消える。
 その全ては他ならない自身と、視界を埋め尽くす巨大な神の仕業で――




 * * *




「戻ろう」
 その一言を、果たしてすぐに飲み込めた者はいなかった。エリィ・マクダエルが反応できたのは数秒の後、それも発した意図すらわからないものだった。
「な、何を言って――」
「教団がキーアを欲しがっていてかつ手段を問わないなら市民全員を人質にしてもおかしくない。俺たちが彼らの手の届かない場所に行ってしまえば、その時点で市民を守れなくなる」
「で、ですがここで戻ればわたしたちの力では――!」
「時間を稼ぐしかない。遊撃士が戻ってくるまでの間、俺たちは彼らの手の届きそうな場所で逃げ続けなければならないんだ。そうじゃなきゃクロスベルが終わってしまう――――キーア、すまない」
 ロイドは申し訳なさそうな顔で少女を見つめる。そんな視線を受けた少女は、青年の奥底の気持ちを感じ取り、儚く笑った。
「……謝らないでいいよ、ロイド」
 悪いのは全部、キーアだから……
 そんな少女の声は青年には届かない。顔を上げたロイドは未だ戸惑っている仲間に檄を飛ばす。

「ランディはシズクちゃんを安全な場所まで運んでくれっ、ティオはその護衛だ! エリィごめん、付き合ってくれ」
「いいのかよっ、二人だけじゃ逃げ切れねぇだろうが!?」
「適度に隠れながら動くさ。そのためには少人数のほうがいい」
「それならわたしが同行します! 索敵に神経を注げば――」
「いや、エリィじゃなきゃダメなんだ――――時間がない、空の女神の加護を」
 ロイドは反論を打ち切り走り出す。その後姿に困惑の瞳を向けながらエリィも後を追った。
 残されたランディとティオは悪態を吐きながらそれを見送り、正反対の方向へ走り出した。


 追ってきていた警備隊員の集団、それを個別に認識できるまで近づいたところでロイドは足を止めた。すぐにエリィが追いつき、弾んだ呼吸を整えながら尋ねる。
「――ねぇ、どうして?」
「…………」
 その問いにロイドは沈黙で返す。
 彼女のそれは答えを限定するには曖昧すぎて傍目からは何を答えればいいのかわからない。しかしロイドにはそれが何を指しているのか理解でき、故にそれを言うのは憚られた。
 そんなロイドを心配そうな瞳で見つめるキーアとエリィ。やがて根負けしたようにエリィはふうと一息吐いた。銃を握り締める。
「ロイド、私たちはいつだって力を合わせてきた。今回の別行動も、それを思ってのことなの? それとも、あなた自身の都合なの?」
「…………」
「もう時間がないわ。だから答えて。私たちは――――私は、今のあなたをただ信じていればいいの?」
 それは不信の一言。青年はそれに肩を震わせ、それでも何も言わない。
 ただ彼の反応を敏感に感じ取った二人は、そんな彼に居た堪れない表情を見せた。

「ロイド、無理しなくていいんだよ? キーア、全部わかってる――――ロイド、キーアが怖いんでしょ?」
「――ッ!?」
 びくりと。
 明確な驚きを以ってロイドは少女を見下ろした。エリィも突然の宣言に驚愕を隠せない。
 そんな中キーアは慈しみを込めながら話し出す。
「それは仕方のない事だってキーアはわかってる。エリィもティオもランディもわからない理由だけど、それでもキーアだけはわかってるよ。だから大丈夫。ロイドが選んだんだもん、キーア満足してるよ? だってロイドは、こんなキーアを想ってくれたんだから。それだけで十分だよ」
「キー、ア……」
「だからロイドは自分を許すの。ロイドを許せるのはロイドだけなんだよ」

 先の光景を思い出す。
 もう明瞭に思い出すことはできないけれど、それでも感じた思いだけは確かに思い出せる。
 計り知れない絶望、それはつまり想像もできない悲劇のはずだが、そんな絶望を容易に想起させたあの光景。あれが果たして本当に想像であるのか、もうそれすら信じることができない。それほどにあれは既視感が強すぎて、現実感に溢れていた。
 いや、そんなことはありえないと本当はわかっている。だからこれは、ロイドが初めてキーアに会ったときから思っていた漠然とした不安の顕現だ。
 ガルシア・ロッシとの戦いにおいて感じた自己不信、答えに窮してしまったレンとの問答。
 そして今、判断を委ねてしまった想像上の絶望。全てが明確な理由のない事象であり独りよがりな結果に繋がっている。そしてそれらは全て、何より優先すべき仲間の生命に繋がるものだ。守らなければならない少女の命を脅かすものだ。
 しかしそれでも少女は許してくれると言ってくれた。
 わかっていると言ってくれた。
 こんな唾棄すべき不安に囚われた自分に、救いの手を差し伸べてくれていた。

 全てをこの少女は知っている――

「ああ……」


 それはまるで、世界を滅ぼす(みちびく)神のようで――


「ロイド……?」
 エリィが心配そうに名前を呼ぶ。そんな彼女にまっすぐ向き合った。
 なんだか長い間、彼女と正面から向かい合っていなかった気さえする。それはつまり、単なる独りよがりに陥っていたことに他ならない。
 そんな自分を認識していたにもかかわらず、本当の意味でわかってはいなかった。
「エリィ、キーア、ごめん。ティオも、ランディも、ごめん。俺、なんだかおかしかったみたいだ」
 ここにいる彼女たちに、ここにいない二人の仲間に詫びる。
 自己満足だが、これでやっと前を向いて進んでいける。そのために、もうすぐそこまで来ている警備隊の波を超えなければならない。

「精鋭揃いだ、でも行こう、エリィ。こんなこと言えた義理じゃないかもしれないけど、俺は、君となら乗り越えられると思ったんだ」
「――そう、なら期待に応えないとね。私も、貴方となら一緒にいけるって信じてる」
 キーアを下ろすと同時、エリィの導力銃に光が宿る。ロイドもトンファーを構え、迫り来る集団に狙いを定めた。
 解き放つは流星の一撃、二人で作る未来への道である。少女を抱えて移動する以上長時間は戦えない。ならばその僅かな時間こそ、最大の一撃で以って潜り抜けるべきだ。
「スターブラスト!」
 光が溢れ、一気に隊員を吹き飛ばす。エリィがキーアの手を掴み走り、ロイドと合流の後彼が抱き抱えた。
「行こう!」






 タングラム門とアルモリカ村への分岐点まで走ったランディとティオはそこでようやく歩みを止め、不安な様子を隠せないシズクを一旦下ろした。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫も何も、シズクちゃんは軽すぎて落としちまったって思ったくらいだぜ」
 軽口を叩き不安を減退させる。
 目が見えない彼女は状況を具に把握することは難しい。ならば得られる情報を極力プラス方面に抑えれば彼女の精神状態的にもいいはずだった。

「どうしますか? 距離的にはタングラム門のほうが近いですが、万が一グノーシスが回っていたら……」
「つってもアルモリカ村に行ったら巻き込んじまう。安全を考えるならやっぱそっちだろ。ヨアヒムの野郎の目的がキー坊なら俺たちのことなんて放っとくだろうしな」
 ランディはそう言いつつ、しかしキーアと関連のある自分たちをヨアヒムが見逃すとは思っていない。それはティオも同様だが、しかし他に選択肢がないのは事実だった。
 警備隊が無事なら戦闘のエキスパートである彼らにシズクを任せられる。クロスベルの生命線であるアリオス・マクレインの急所とも言える少女の存在を無事に守りきることは重要事項なのだ。
「お二人とも、大丈夫ですか?」
 シズクがそんな二人を気遣い、それに対して二人は平静を装いながら応える。二人とも、その手のごまかしには慣れていた。

「行きましょう」
 ティオが呼びかけ、行動を再開する。
 可能な限りの速度で走り始めたランディは背中に感じるシズクの温もりを感じながらこれから向かう先のことを考え、連想によってとある人物に行き着いた。
 その女性の安否はわからない、グノーシスが投与されていた場合、間違いなく能力的に戦場の指揮を任されるだろう。
 有能な人物だ、理性を奪われたとてその力を十全に発揮するだろう。いや、生来の性格が封印されることでその能力は更に増すと考えていい。
 つくづく厄介で難儀な性格だと思う、本来あんな職に就くべき人物ではないのだろう。

 そんな彼女が前線に赴いた時、その時、果たして自分はその場にいるのか――

「は……」
「ランディさん?」
「なんでもねぇ!」
 詮無いことだ、と割り切る。
 自分がいくら気持ちを割いても結果は変わらない。ただ願うなら、最悪の事態に陥らないことを。そんな当たり前のことを思って静かに自嘲した。
 そんな資格が自分にないことなどわかっているのだから。
「ッ!? 何か来ます!」
「――ッ!」
 ティオの声に前方を睨み、そして彼らは進路を変更する。



 初出:8月11日


 前話が大筋変わらなかったのですぐに次話。といってもこれも大筋は変わりない。
 ロイド君はスペックが原作より高めですが、その代わり精神面で不安が残ります。
 レンとの問答は彼の心のうちを結構表しています。



[31007] 6-2
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/13 16:43



「――つまり、クロスベルは今瀬戸際だということだね」
 両手を組み、それに顎を預けたディーター・クロイスはそうして眼前にいる四人の若者を見据えた。
 彼の瞳に映る四人は一様に固い表情を崩さない。そんな緊迫に包まれている彼らをリラックスさせようと、敢えて余裕を振りまきながら笑う。
「まぁでもIBCの玄関はよほどの攻撃でもない限り破られることはないよ。今は安心して休んでいてくれたまえ。エリィ、何ならシャワーを浴びてきてもいいんだよ?」
「お気遣いありがとうございます、おじ様。ですがそうも言っていられませんから」
 そんなディーターの心情を察してか、いくらか表情を緩めたエリィはそう言って断る。肩を竦めたディーターは少しだけ真面目な表情で最後に声を発した。
「わかっていると思うが、この先どうであれもうこんな安全な場所はないと思って間違いないはずだ。難しいとは思うが、その安息を察することも必要な技能。持って一時間かそこらだろう、その時まで心身を労わることだ」






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 ティオ、ランディが迫り来る導力車に気づくとともに、その運転手も彼らに気がついた。それは高級な導力車の中でも特に高価な赤いリムジン。IBC総裁ディーター・クロイスの移動手段である。
 彼らはクロスベルの異常に気づき向かっていたところだった。IBCの頑強さは想像がつく上にエプスタインの支部もある、避難場所としてこれ以上のものはなかった。
 すぐに彼らを乗せたリムジンは加速しロイド・エリィを発見、収容の後IBCに辿り着く。ガラスの要塞は警備隊の侵攻を確かに防いでいた。


「キーアちゃんとシズクちゃんはもう眠ったわ」
 エリィがマリアベルの私室から出てきて告げる。現在マリアベルは少女たちに付き添っている、荒事に向いていない彼女ができるのはこれぐらいだった。
「もう遅い時刻ですからね、無理もありません」
「ああ、よく頑張ったと思うぜ」
 IBCビル十六階、見晴らしのいい展望スペースで特務支援課の四人は今後について話し合っていた。
 現在市内は警備隊により封鎖されている。市外に散らばっていた遊撃士ももう少しで戻ってくることだろう。導力ネットワークの範囲外であるため連絡が取れないが、はっきり言ってクロスベルの遊撃士の質は警備隊のそれを凌駕している。少人数とはいえ戻ってきさえすれば鎮圧は可能だろう。
 他力本願だが、その時まで彼らは耐え凌げばいい。
 エプスタインにあった機材によってエニグマのエネルギーも回復できた。ところどころ破損した武器に関しても専門の人材が残ってくれていたことで解決している。後は来るべき時までに心と身体を整えるだけだ。

「IBCの支援が得られるのは願ってもないことですね。ディーターさんは今まで楽観視していた罪滅ぼしだと言っていますが……」
 ディーター・クロイスはIBC総裁という発言力を持つ立場にいながらクロスベル市の自力を信じて政治への不干渉を決めていた。それこそが今回の騒動を招いたと自戒している。
 ロイドらにしてみれば見当違いの悔恨だが、それもこれも彼の信じる正義やクロスベルへの思いによるものであり、それを感じられて嬉しい発言でもあった。
「ディーターさんみたいな人がいるならこの事件を解決した後のクロスベルにも希望が持てるよ。今の腐敗した上層部の失脚も、教団との関わりを証明できれば簡単だからな」
「ま、それもこれも全てはこれから次第ってことだが」
 ランディは呟き、改めて現在の立ち位置を確認する。
 教団の目的であるキーアの身柄は死守しているが、彼らを囲むクロスベル市は現在ヨアヒムに操られた警備隊員によって封鎖されている。導力ネットも制圧したのか通信もかけられない状況だ。
 彼らにできることはキーアの死守のみ。市内の奪還に関しては外に出ている遊撃士が戻ってくることで完了できるだろう。
 つまりは時間との勝負、IBCの強固な壁がどこまで時間を稼げるのかということが焦点となる。

「っかしヨアヒムの野郎はどうしてそんなにキー坊にこだわるんだ」
「レンちゃんも、守りきれないなら世界が終わるって言っていたけれど……キーアちゃんには私たちの知らない何かがあるのかしら」
「キーアの能力が目的かもしれませんが、世界から情報を得るという力がどう世界の終わりに繋がるんでしょう?」
「……でもレンの言葉に嘘はなかった。これだけの人間を操れるヨアヒム先生がここまで固執する。そのことからもわかるし、何よりキーアを危険な目に遇わせるわけにはいかない」
 ヨアヒムの行動とレンの発言を踏まえれば、この事件におけるキーアの存在がいかに重要かがわかる。
 それこそレンの言うとおり、世界が終わってしまっても不思議ではないくらいに。
「それにしてもいくらグノーシスがすごくても、ここまで大規模に人間を操れるものなのかしら……」
 エリィにはそんな効力を発揮するグノーシス自体が信じられない。大多数を広範囲に渡って意のままに操るなど、それこそ女神に匹敵する行為のはずだ。そんな力のアンカーとなるグノーシス、その成分はいったい何なのだろうか。

「そういえば、わたしたちも栄養剤を飲みかけましたね」
 ティオが思い出したように口にするそれは今まで彼らが忘れていたことだ。ランディがヨアヒムから頂戴した栄養剤は、あの時訪れた女性により体内への進入を防がれている。
「ロイド、あのお姉さんのこと何か覚えていないのか?」
「……正直、俺が言ったっていう名前すら覚えがないんだけど」
「不思議ね、どうしてなのかしら」
 考え込む四人の中で、当の本人であるロイドはしかし、身体が示した反応を言うことはなかった。
 いくら身体が知っていると叫んでも、そんな記憶のない彼にとっては勘違いや錯覚に過ぎないのだ。しかしそれでも、あの白の女性に対しては特別な感情を抱かずにはいられなかった。
 ふと、胸元にある白い石を握り締める。冷たいそれは今までと変わらず存在している。
 その冷たさが、どうしてか件の女性をイメージさせた。

「み、皆さん!」
 その時、エレベーターから警備員の一人が飛び出してきた。慌てているのか息は乱れ冷や汗も流している。
 その顔に緊急を見た四人は事情を聴く。警備員の言葉、それはIBCビル正面に設置された爆弾についてだった。






 無機質な瞳で淡々と円筒状のそれを設置する二人の警備隊員。彼らに示された目的は設置だけなのか、二人いるが周囲に気を配っている様子はない。
 だからこそ二人は、突如開かれた扉から奇襲をかけるロイドとランディにあっけなく吹き飛ばされた。
「早く解体を!」
 ロイドが叫び、その間に警備員が爆弾を中へと取り込んでいく。特務支援課はそうしてIBCビルの前に陣取り爆弾の回収を完遂させた。
「よし、俺たちも――」
「いやダメだ! 来るぞ!」
 次いで避難しようとした彼らを阻むように弾かれた二人が、そして増援の三人目が襲い掛かってくる。現況キーアはいない、故に彼らも流れ弾の心配をすることなくライフルを構えた。
「気絶は難しいっ、武器及び下半身を破壊するぞ!」
 本来味方である警備隊員を攻撃するのは心苦しいが、それでも守りたいもののために、そして守ろうとしているものを彼らに壊させないために――

 午前零時、市内最後の攻防戦が始まった。




 IBCはその巨大さ故に正面通路も広い。そのため市外と同様に戦闘が行えた。ロイド・ランディの両名はハルバードを相手取り、エリィとティオがライフルを制圧する。
 漠然とした命令によるリスクか、彼らは集団でいながら連携を取ることをしない。それは病院でのルバーチェと同様の弱点だ、ならばそこを連携によって突かせてもらう。
「ランディ!」
 ロイドが鍔競り合っていたハルバードから後方に退きランディにスイッチ、体勢を崩した相手を彼が迎撃する。退いたロイドはランディが相手していた隊員に迫り、ハルバードとトンファーがかち合う瞬間エニグマを起動、アクセルラッシュで痺れる腕のまま吹き飛ばす。
 吹き飛ばした先にはライフルを持った隊員、仲間意識のない彼はそのまま向かってくる仲間をライフルで弾き、その瞬間をエリィに撃ち抜かれる。
 精密機械であるはずのライフルで殴打するあたり本来の力を引き出せていない。やはり人間は思考こそが最大の武器、それを失った彼らは魔獣と同じかそれ以下であった。

 しかしそれは物量にも言える事。武器を破壊し足を砕いても、戦闘不能にした人数と同じかそれ以上の警備隊員が押し寄せてくる。完全に狙いを定めたのか、おそらくは市内に広がっていた全ての人員を投入しているのだろう。
「退いて! ティオちゃん!」
「ダークマター!」
 エリィの声にロイドとランディが跳躍、その瞬間にティオがアーツを放つ。
 七耀の力でも気絶は難しい、ならば行動制限効果のあるアーツを使う。ダークマターによって拘束された警備隊員を視界から外さず、その間エネルギーの回復に努める。
 既に持久戦、交代要員のいない彼らにはそんな僅かな休息しか与えられていなかった。

「はぁ、ふぅ……」
「大丈夫か、ティオ」
 肩で息するティオに労りの声をかけつつ、そのティオが返答する瞬間にはロイドとランディは駆けている。アーツの終了とともに突貫した二人は得物を正確に膝へと叩き込んで無力化する。
 しかし相手は警備隊員、膝を砕かれようともエニグマがある限りアーツは可能だ。故にエリィは彼らが手にしたエニグマ目掛けて引き金を引く。全損はできずともその機構を狂わせることはできる。そうして僅かな戦闘能力も残さずに戦い続けるしかなかった。
 沈黙する隊員によって行動範囲が狭められる。もし足を掴まれれば致命的な隙を見せてしまうために倒れ臥した彼らを避けながら縦横無尽に駆け巡り、そのたびに心と身体を削っていく。
 いくら戦っても先が見えない戦い、四人を支えているのはただ守りたいという意志だけだった。






 果たして、未だ息のある隊員が地を埋め尽くす中、残った体力が尽きかけている四人は膝を折りながらそれでも前を見ていた。
 無傷とはいかないものの、重傷と言える者はいない。それは隊員の錬度ではなく、彼らを操るヨアヒム・ギュンターの意志のためでもあった。
 その視界の中、

「――ふむ、予想以上に頑張るね。なら趣向を変えよう」

「な!?」
「ミレイユ……」
「ミレイユさんまで……!」
 彼らの知己と言える金色の女性が現れたのは決して偶然ではない。
「話しているのは、ヨアヒム先生ですか……ッ!」
 眼前に立つミレイユの瞳にはやはり意志はない。茫洋とした瞳で佇む彼女の姿に怒りが湧き上がってくる。
 はっきり言って今までの相手はそこまで面識のない相手、罪悪感はあるもののその使命感が上回っていた。しかし彼女は違う、ランディの元同僚にして他の三人も好意を抱いている存在だ。その人となりも、その意志も、尊敬に値する人物だった。
 その彼女が今敵としてここにいる。その衝撃は思った以上にあり、それは等しく激情に変換された。
 そんな四人を遠方から見て口を歪めるヨアヒム・ギュンターは最早医者ではない、間違いなくD∴G教団の幹部司祭だ。
 ヨアヒムはミレイユの口を通して言葉を告げる。そんな異常すら可能だった。
 そして彼が今するべきことは一つ――

「さて、操られた警備隊を律儀に殺さないでいるキミ達に要求しよう」
 ヨアヒムはミレイユにナイフを持たせ――

「彼女を死なせたくなければキーア様を――我らが御子を渡すのだ」

 ――彼女の首に宛がった。

「てめぇ……ッ!」
「くそ……」
「この、外道……ッ」
「最低です……」
 微動だにしない彼女の手は切っ先を皮膚に刺したまま動かない。その白い肌に鮮血が流れた。
 歯を食いしばってミレイユ越しにヨアヒムを見る。そんな恨みの篭もった視線もヨアヒムには痛痒すらもたらさない。
「さぁ、どうするんだい? 早くしないとこの娘は死ぬよ?」

「…………」
 手を出すことも不可能なこの状況に三人は沈黙する。しかしそんな中ランディだけは自分自身でも驚くほどに思考が回転していた。
 キーアを守りきれないことは世界の終わりを意味する。それはレンも言っていたことであり、何よりキーア自身もそれを連想させるようなことを言っていた。
 今日という日が終わる時、キーアとともにいること。それが少女との約束だ。思えばあの時点で、少女は自身の重要性を理解していたのかもしれない。
 頭を過ぎるキーアの顔、そして眼前で命の危機に晒されているミレイユ。

 思えば彼女には迷惑しかかけなかった。能力はあっても怠け者で適当な自分に対して彼女が焼いた世話は数え切れない。
 流れ者の自分にとってその世話焼きがどれだけありがたかったのか、こんな状況になってそれを今まで以上に感謝できる。
 その正義感、その優しさ。ランディ・オルランドを構成する要素に欠かせないものだった。
 ただ自分が守りたいもののために頑張れる彼女の姿が眩しかった。
 決して得られない輝きを、自分が曇らせてはいけないと思っていた。

 故に、彼女を止めるのは自分しかいない。彼女が自分のせいでクロスベルを危険に晒してしまったと、そう考えさせたくはない。
 そんな残酷なことを、ランディ・オルランドは許容できない。

「…………」
 この現状を打破する方法は三つ。キーアを差し出すか、ミレイユを救出するか。
 そして――

「――ヨアヒム、キー坊連れてどうする気だ」
「ランディ?」
「はっ、決まっているだろう。キーア様には空の女神に代わり新の神になっていただくのさ。いや、既になっていると言うべきかッ!」
 妄言に過ぎる。しかし彼にとっては真理であり、それを理解できるからこそ行動に躊躇がないことが確信できる。
 他の三人が呆然とする中ランディは続けた。
「ここでキー坊を渡しても、操られた奴らが解放されるわけじゃねぇ」
「ふむ、ならば約束しよう。ことが済んだら全員解放する。それでいいだろう?」
「あぁ、十分だ…………」
「ランディ……」
「く……」
 エリィが苦悶の声を吐き、ティオが辛そうに目を閉じた。
 彼のやりとりは少女の受け渡しに応じたように聞こえる。それに反論しようにも、今目の前で散ろうとしている命の前では否定する気力も起きなかった。
 それでもロイドだけは、未だ挽回の機を諦めてはいない。
 まずはランディの決断を撤回、もしくは躊躇わせなければ。
 そう思った彼が口を開こうとし――

「――ロイド、お嬢、ティオすけ」
 突然の呼びかけは淋しそうな、全てを諦めたような表情で――
「わりぃ、俺支援課抜けるわ」
「え?」
「ランディ?」
「ランディさん……?」
「あと――」
 そんな表情のまま彼はハルバードを振りかぶり――

「――すまねぇ、ミレイユ」

 失ってはならないモノを手にかけた。




「あ――――」
 刹那聞こえた声は彼女本来のもの。呆然と目を見開き、身体を包んだ喪失感を抱きながらミレイユは崩れ落ちる。
 彼女が最期に見たのは、自嘲を隠し切れず、しかし血が出るほどに唇をかみ締めた元同僚の姿だった。
「……くくく、ははははははははぁ! そうくるか! なるほどいいだろうッ! 覚悟するといいッ!」
「……腹はくくったさ」
 ミレイユの心臓が停止したためにヨアヒムの声は別の隊員から漏れる。しかし彼も脅迫は不可能と見たのかそれきり言葉を発さず、新たに現れた隊員の操作に尽力するつもりのようだ。
 血に塗れたハルバードを肩に担ぐと、まだ温かい血液が肩にゆっくりと滲んでいく。
 刃に頬を寄せ、その温かみを味わった彼は迫り来る隊員に鬼の形相で以って応えた。
「――お前達はもう戦うな。ここからは俺の領域、紛うことなき戦場だ」

 所詮、血塗られた道か――

 仲間に背を向けたまま告げる。オレンジ色のコートは汚れと血で彩られ、まるで消えない傷のよう。
「じゃあな」
「ランディッ!!」
「おおおおおおおおおおおおおあああああああああああああッ!!!!」
 戦場への誓い。全身をかつての自分に引き戻した青年は、まるで重力に引かれるように疾走を開始した。
 それを妨げようとする数多の人間を襲いながら――――

「――ッ! リカバーモードッ!」
 呆然とした三人の停滞を打ち崩すように叫び声が上がる。ロイドが振り返った先には魔導杖を変形させたティオとエニグマを手に詠唱するエリィ。
「ティオ、エリィ……」
「何してるのロイドッ! ランディを追って!」
「わたしたちがミレイユさんを死なせません! だからランディさんを止めてくださいッ!」
 鬼気迫る表情で怒鳴る二人に無理やり足を動かされる。自失していた彼はそんな自分を叱咤するように頬を張り、凛とした表情で以って応えた。
「――ッ! わかった、頼む!!」
 走り出す先は闇が手招く戦場。それが持つ独特の空気を感じる余裕もなく、ロイド・バニングスは特務支援課のリーダーとして疾駆した。






 * * *






 IBCビル攻防戦、当の本人である特務支援課の四人と警備隊員、そして彼らを操るヨアヒム・ギュンター。そんな彼らのほかに、この戦いを俯瞰していた者たちがいた。

「頑張ってよロイド君たち。無事に終わったら特集を組んであげるから――レインズ君っ、しっかり撮ってよね!」
「は、はいっ!」
 一組はクロスベルタイムズの記者グレイス・リンとその助手レインズ。IBCが港湾区の近くということもあってか、そこに居を構える本社ビルの屋上から事態の推移を見守っていた。

「ふむ、正念場ですね。彼らには頑張っていただかないと」
「……助太刀はしなくてよいのですか?」
「必要ありません、これは我々の戦いではないのですよ」
 もう一組は黒月貿易公司のツァオ・リーとその側近ラウ。半壊した支社からそれを眺め、先の未来を思い浮かべる。
 ここで彼らが負けようともクロスベルは負けない。ツァオはそう思っていたし、同時に彼らが負ける未来も想像していなかった。
 自身の目利きは正しいと、ツァオには絶対の自信がある。その自分が注目した彼らはここで終わる存在ではない、ここで終わる運命ではないと。
 彼は自分自身を何より信じてそう思っていた。

 そして――――
「うーん、旗色悪いねぇ。もうちっと気合入れろ、若人」
 港湾区に植えられているいくつもの木々。その一つに身を隠すように見つめている赤毛の青年は複雑な表情でそれを眺めていた。
 目を瞑る。幾許かの思いが光の速さで駆け巡り、
「これじゃおっさんのシナリオどおりかな……」
 そんな感想を口にする。
 頭に載せたサングラスに手をやり音を鳴らす。そんな手持ち無沙汰のような行為。次いでとばかりに下ろして本来の場所へ。
 夜の闇を伴って暗くなる視界の中、レクター・アランドールはそっと踵を返した。
 今はもう、用事などなかった。



 初出:8月13日




[31007] 6-3
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/20 13:40



「主任、何の用事ですか?」
「ああティオ君! 元気そうで何よりだよっ!」
 IBCビルを訪れたティオはエプスタイン財団の支部を訪れた直後に嫌そうな顔をした。用事が何であるのかまだ聞いていないが、それでもロバーツのテンションにげんなりしたのである。
 そのまま何も言わずに踵を返したティオを引き止めたロバーツは咳払いを一つ、今回呼び出した内容を語り始めた。それは魔導杖にインプットされている機能の一つについてである。
「リカバーモード、もう使ったかい?」
「いえ、まだですが」
「そうか、よかったよ。あれは名前のとおりエネルギーを治療に用いる機能なんだけど、どうにも使い勝手が悪くてね、もし時間があるなら改良しようと思っていたんだよ」

 オーバルスタッフ『リカバーモード』で行える動作は一つ、導力を癒しの力に変換するエナジーサークルの精製のみである。
 エナジーサークルは導力魔法におけるティアを筆頭とした回復魔法と大差はないのだが、アーツにおける詠唱をスキップして瞬時に行えるために緊急時の発動が推奨されている。効果範囲も広げることが可能な一見すると便利な機能なのだが、そこにはそれに見合った落とし穴が存在している。
 まずリカバーモードに切り替えるときにエネルギーを消費すること、次に治療する者とティオとの相対距離が5アージュ以内であること。そして効果範囲と治療速度が反比例することである。
 本来アーツにおいてその治療範囲が距離によって減退することはない。使用者の魔法適正によって範囲こそ変わるが、それが使用時にまちまちになることはないために安定した効果が得られる。
 しかしエナジーサークルの場合、ある程度の範囲操作が可能なために本来の目的である治療に使用する導力が奪われてしまうのだ。そしてその効果範囲とは、ティオと対象者との距離も加算される。
 この条件を前提にして考えると、エナジーサークルが有用になる範囲がとても小さくなってしまう。具体的には、ティオとの距離は1アージュ以内、効果範囲は30リジュが限界なのである。
 こんな性能では実践で使用することは適わない、そのためロバーツはリカバーモードの改良を以前より考えていたのだ。

「というわけで、今時間あるかい?」
「ありません」
「そんなっ、だってティオ君今ここにいるんだよっ! 時間あるんじゃないの!?」
「主任、以前言ったことを忘れているのですか? 主任は今治療とは真反対の凍結系魔法の開発を行っているはずです。わたしとしては複数の開発に携わって双方が落ちるのは認められません」
 そう告げてティオは今度こそ扉を出ようとする。そんな彼女にため息を吐いたロバーツは説得を諦め、最後に現行の推奨使用状況を告げた。




 既に鼓動が停止している心臓に集中するように左手を胸元に添えたティオは片手で魔導杖を掴んだまま目を閉じる。
 使えないはずのリカバーモード、しかし今はすぐにでも心臓を再稼動させなければならない。血の溢れる傷口の治療はエリィに任せ彼女はただそれのみに集中する。
 心臓が止まったことにより出血はそこまで酷くない、ただそれまでに出た量は多く、体中を巡る酸素の絶対量が足らなかった。
 ティオがイメージするのは水の流れ、少なくなった血液の循環を回復した心臓とともに行い、身体の壊死を阻害する。まずは心臓の復帰、そこから傷口の修復と血液循環。
 リカバーモードの効果はその範囲に反比例する。効果範囲を心臓のみに狭めることで本来以上の治癒を可能にする。魔導杖に淡い緑色が灯り、それがティオの腕を通してミレイユに流れ込んでいく。
 生物の命の瀬戸際で、ティオ・プラトーは自身を介するエネルギーに精一杯の意志を送った。それが理論的には何の意味もないことだとしても、そこにすがることをやめられなかった。

「戻ってきて、ミレイユさん――!」
 エリィがアーツを解放、その力がミレイユの身体に注がれる。
 水属性回復魔法、その最上級であるティアオルは理論上傷の完全回復が可能である。しかしそれは机上での話、実際は上級魔法であるティアラルの限界を越えはするものの、その回復は術者の精神力と被術者の意志に委ねられる。
 アーツによる回復は本来身体が持つ回復力を爆発的に高めるもの、使用し続ければそのゆれ戻しは必ず起こる。ティアもティアラもティアラルも、その回復力には一定の上限が存在している。
 それは込める力の限界でもあるが、ティアオルの場合無限に力を込めることができる。そのために回復量に限界がないのだが、言ったとおり元々の回復力を支援するのが本来だ。そのため被術者が持つ回復力が劣っていればその分回復量は減り、時間もかかる。
 それでも治したいのなら術者に負担がくるわけだ。

 そして現在、ミレイユの回復力はすずめの涙ほどしかない。心臓が既に停止しているために身体は死ぬ一方だ、そんな彼女の傷を治すにはアーツの行使者であるエリィの尽力がなくてはならない。
 アーツ適正が高い彼女でも汗が吹き出ることは防げず、しかしそんな彼女だからこそその程度で済んでいた。そして何よりティオが心臓の代わりをしてくれている。それこそが切れようとしている命の綱を何とか繋ぎとめていた。
「――ティオちゃん、ランディを許せる?」
 集中を殺ぎかねない言葉、それに対し目を閉じたままティオは返す。
「許せません。許せませんけど――」
 できることなら許したい。そのためには、この命をなくすわけにはいかなかった。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 暗い世界の主戦場、ランディはスタンハルバードに絶えず導力を込め、その破壊力を最大にしていく。疾走は空気を切り裂かんばかりに、しかしそれは同時に己の肉体を締め上げていく。
 それでも構わない、いや、むしろそのほうが都合がよかった。精神的な痛みを緩和させてくれる肉体の警告はこれからの行動を制限することはなかったのである。

 相手との距離が加速度的に縮まっていく中オルランドの咆哮をその身に宿し、さながら死神のようにすれ違う隊員を仕留めていく。そこには一切の容赦はなく、彼との交錯を終えた隊員は皆血溜まりに沈んでいく運命を辿っていた。
 いつかの過去のように猟兵として存在している今の彼は、しかし同時に冷静な状況判断も行っていた。それは彼の背後に沈む隊員、その全てが死していないことに由来する。

 確かにランディの一撃は容赦のないものだった、しかしそれは彼の長い経験と少なくない時間を過ごした元同僚への評価によって絶命するぎりぎりの傷を与えているのである。
 ヨアヒムの言ったように特務支援課は警備隊員を殺さないように無力化し、結果としてそこをヨアヒムに突かれてしまった。ランディも非情な見方をすれば実に合理的な手だと感心もした。
 だからこそランディは、露呈してしまった弱点を拭うのが自分だけしかいないと理解してしまった。殺せないから突かれた弱点は、殺してさえしまえば消えてなくなる。たった一つの事実でその他多くの例外を捨て去れる。
 故にランディは殺したという事実を見せ付け、それからの攻撃にも容赦を与えないことでこれ以上の被害を防ごうとしたのだ。
 事実、虫の息の隊員は傍から見れば死んでいるように見える。これにより警備隊員が人質になり得ないという錯覚を与えるのである。しかしそのためには誰かを殺さなければならなかった。
 そして、人殺しなどという存在を特務支援課に残しておけるはずもなかった。

 あの時近くにいたのがミレイユだったことをランディはむしろ幸運だと思っていた。普通の同僚以上に面倒を見てくれた彼女なら、万が一にも自分を許すなんてことにはならない。
 恩を仇で返すどころではない行為、それを一生忘れないためにも、ランディは手にかけたのがミレイユでよかったと思っていた。

 ――そして同時に、それが彼女だったことが僥倖だったと後に感じる仲間が存在していたことを青年が理解するのは、今より少し先の未来だった。
 故に彼が今感じる思いは、不意に追いついた予想外の存在に対する激情だけである。
「……お前、何しに来たッ!」
 ランディが速度を落とさざるを得なかったのは警備隊員との交錯時だ。急所を正確に狙い、かつ僅かに外さなければならないために集中する必要があったのだから仕方がない。
 それでも一人ひとりに対するタイムロスはコンマ数秒の出来事、一直線に向かってきたであろう彼と、隊員の行動を制限するために小さくないステップを続けた彼の距離を零にするのは時間の問題だったがそれでも速過ぎた。

「何しにだってっ、ランディを連れ戻す以外に目的があると思うのか!?」
 肩で息をしながらロイドはトンファーを振るう。警備隊員の射撃を銃口から予測し下に回避、そのまま起き上がりざまに振り上げ顎を撃ち抜く。そんな彼に対しランディは怒りがこみ上げた。
「お前が今いるのは戦場だッ、ただの捜査官がいる場所じゃねぇッ! 引っ込んでろ!」
「捜査官だからじゃないッ、支援課のリーダーとして来てるんだ!」
「――ッ!」
 足の止まった二人に対し、横たわる仲間を省みない警備隊員が殺到する。それは日頃の行いか、知らず二人は背中合わせに立っていた。
「勝手な脱退は許さない、抜けたいなら正規の手続きを取っていけ」
「馬鹿野郎、そんなこと言ってる場合か! 警備隊員を抑えられるのは俺だけだッ、お前はすっこんでろ!」
 ランディの背後からハルバードが迫る。しかしそれはロイドにとっての正面、冷静にそれを受け止め、跳ね除けた。
「お前こそ黙れ! 背中は任せる!」
「ちぃ……!」
 逆にロイドの背後を狙ったハルバードをランディは打ち払い、予想外の事態に顔を歪ませた。
 完全に立ち止まってしまった二人を囲みこむ警備隊員、武装も完全で隊列も整っていた。それもそのはず、ヨアヒムは一人の隊員の指揮を完全に制御して足りない要素を補っていたのだ。

「くそっ、なんでこんなことにッ……!」
「馬鹿な仲間がいるからだよ!」
「そうかよ! 俺も馬鹿なリーダーがいて大迷惑だッ!」
 罵り合いをしつつも二人は目を切らない。どんな感情があるかなど関係なく、今は協力して窮地を脱しなければならなかった。
 しかし囲まれた二人では無理がある。
「――というわけで、助太刀させてもらうよ」
「な……」
 そうして、警備隊の背後を取ったワジ・ヘミスフィアは当然のように一人を無力化した。涼しい顔で腕を振り子のように振り、その意志を伝えてくる。
 遅れてアッバスとテスタメンツのメンバーが、そしてヴァルド・ヴァレスが現れた。
「ち、警備隊の連中が相手かよ……」
「怖いなら下がっていろ」
「誰が怖がってんだよハゲがッ! このヴァルド様がこんな奴らに負けるかよ! ……こっちにだって都合があるんだよ……!」
 ヴァルドらしからぬ表情にはこの事件に巻き込まれた舎弟に対する感情が見えていた。それを見たかどうかはわからないが、この暗闇でもサングラスを外さないアッバスは微笑し、指示を飛ばす。
 各々が得物を持ち、いつの間にかIBC前は各勢力が入り浸る大混戦に変貌してしまった。

「ほら、ボケッとしてないで働いてよ。もともと君らの喧嘩だろう?」
 一蹴するワジが発破をかけ、ロイドとランディも忘我から脱出してそこに加わる。
 物量という最大の利点を失ったヨアヒムは事ここに至ってまともな指示を出せずにいた。それもそのはず、元々研究者であった彼にはこんなときの部隊運用などわからないのである。
 つまりは警備隊も完全にこの集団と化し、結果的に質で劣る旧市街の不良と互角の戦いを繰り広げるまでになってしまった。
 しかし、そんな有利な状況においてもロイドの焦燥は消えなかった。このまま警備隊員が全滅するまで戦うことは現実的でないが、それでもそうすれば教団の有する勢力は激減し、クロスベルは解放される。
 しかし同時にそれはヨアヒムに多大な時間を与えることになり、次の一手を打たれてしまうことを意味するのだ。
 遊撃士がロッジを特定し踏み込んだとしても、まだルバーチェ構成員が残っている。後手後手の状況で、これ以上時間をかけるわけにはいかない。そのためにはまず通信手段の確保が必要だった。

 依然として攻防は続く。警備隊員は痛覚がないのか生半可な攻撃では止まってはくれない。ランディも無理が祟ったのか明らかに行動に鈍りが生じていた。
 エリィ・ティオはミレイユの治療に成功したのか、すぐ近くにいる仲間の状況さえわからない。歯噛みしたロイドの腕には人体を破壊した感触が根強く残り、それが彼の精神を蝕んでいく。
 クロスベルの明暗も彼の状態も、これ以上戦闘が長引くことは避けたかった。

 刹那――

「固まれ――!」
 ワジが聴いたこともない大声で叫び、瞬時に反応したロイドとランディ、アッバスが跳ぶ。ヴァルドは何故かあまりワジから離れていなかった。
「散開!」
 アッバスが指示し、テスタメンツが戦闘を中断する。ワジはそのままアーツの詠唱に入り、その力を解き放つ。

 その一瞬後、雷の鉄槌が空間を支配した。

「な」
 驚く声は反射、そのまま次の音を発する間もなく周囲が轟音に包まれる。目を閉じていてもダメージが残る強烈な閃光に全員がひるみ、次いで衝撃が全員を襲う。
 バチバチと自身直前の壁がそれを弾いてくれている感覚、しかしそれも次第に弱くなり身体に到達していく。僅かな痛みが触れたと思ったらそれが全身を駆け巡り、さながら雷に打たれたかのようだ。
 そう、実際、その猛威は雷の体現だった。
 ホワイトアウトした視界がだんだんと戻り情報を取り込めるようになる。ロイドがその時見た光景は、一瞬前に見たそれとはかけ離れていた。

「…………」
 巨大な穴、クレーターが石畳をくりぬいて存在していた。その直径は10アージュはあるだろうか、しかしその襲撃範囲はそれ以上、周囲にいた人間を軒並み飲み込んだそれは坂を挟んでいた建築物にその波紋を残している。
 そして、それらに叩きつけられた全ての警備隊員は動くことはなかった。
「く……っ」
 急いで駆け寄り心臓の鼓動を確認する。しかしそれは感じられない、同様に駆け寄ったランディやワジも首を振っていた。
 ワジのアーツに守られた彼ら、間一髪範囲から逃れたその仲間たち。それ以外の人間は、残らず活動を停止していた。
「ど、どうなってやがる……」
 ヴァルドが呆然と呟き、その光景を表現する。何が起こったのかわからない、ただそこには未知の事実が存在していた。

「……ワジ、何があった…………」
 ロイドは動かない隊員に目を向けたまま尋ね、ワジも緊張を隠さずに言う。
「……上空からものすごい気配を感じてね、咄嗟に魔法反射のアーツを使ったんだ。巨大な雷の球体、おそらく――いや、間違いなく人為的なものだろう。なんとかアーツが間に合ったけど」
 流石にその他を守る余裕はなかった。そう告げるワジにそうか、とだけ言い、ロイドは立ち上がる。
 感知したワジはその術者の存在を捉えていない、それはこの場にいる全員が捕捉不可能だという事実に他ならない。
「協力、感謝する」
「いいよ、僕も楽しかったからね。ただまぁ、この展開は予想外だけどさ」
「ランディ」
「話の続きは後、なんだろ……わかってるさ」
 沈痛な空気が漂う。死屍累々の状況は未来を安息たるものにするはずがない。この先事件を解決したとして、この犠牲が報われることもない。だがそれでも、この事件を解決する以外彼らにできることはなかった。

 通信音が聞こえる。それはつまり、通信妨害が解除された証明である。
 解除に成功したのはヨナ・セイクリッド、これで遊撃士と連絡を取り合うことができる。
 ロイドはダドリーに通信を入れる。すると彼はすぐに出て状況を把握、セルゲイとともにIBCに向かうと告げてきた。奇しくも遊撃士が市内に到着し各区域の制圧に乗り出しているらしい。IBCに投入した戦力を考えてもそう難しいことではないだろう。
 通信を終えたロイドはランディを連れてIBCに戻る。ワジとヴァルドはまだ暴れたりないのか、他の区域に足を運ぶようだ。こんな時は彼らの存在が純粋にありがたかった。



 * * *



「ミレイユさんは、何とか…………ですが」
 息も絶え絶えなティオはミレイユの容態が安定したことを告げる。止血も終わり、なんとか命の危機からは脱せられたようだ。しかしその後に言葉は続かない。そんな彼女を慮ってか少女の両肩に手を置いて抱き寄せたエリィが継ぐ。
「……正直、どこまで後遺症が残るかわからないわ。脳が酸欠状態になった時間は極めて短いと思う。でも私たちは医者じゃないから」
 最悪、四肢の神経が死んでしまった可能性もある。当然今後は入院が必要だが、もしかしたら警備隊に復帰することは叶わないかもしれなかった。
 ランディは目を閉じてそれを聴いていた。彼の中には彼女が生きていることによる安堵と恐怖、そして殺しきれなかった理由の追求が渦を巻いていた。
 そんなランディに対しエリィもティオも何も言わない。彼の行動に目を疑ったのは確かだ、しかしこれからのことを考えれば先送りにしてもいいと思えた。直近の出来事よりもそれまで過ごした中で生まれた信頼のほうが大きかった。

「ランディ、これは私とティオちゃんの結論よ」
「…………」
 しかし、これだけは言わなければならない。この先彼と行動を共にするために必要だった。
「私たちは貴方を許したい。だからこそ、許さない」
 それが何を指しているのかわからない。しかしその抽象的な答えは今の彼の心情によって変化する正答だった。
「…………すまねぇな」
 短い謝罪、それにふうと息を吐いたエリィはロイドに目線を送って先を促した。

 ビルの中で今後の対策を練る。既に市内の奪還はほぼ終了したが、それでも無力化した警備隊員がいつ復帰するかはわからない。
 現実的に、彼らを拘束しきるのは不可能だ。元凶であるヨアヒムを探し出して確保すればいいのだがそれも手がかりが一切ない。
 そうして行き詰った彼らだが、そこにアリオス・マクレインが戻ってきたことでようやく反撃に出ることができる。星見の塔から戻ってきたアリオスは市内の制圧を行い、生き延びていたミシェルの連絡によりIBCを訪れた。そしてロッジの存在について説明したのである。

「つまり、ヨアヒム先生がいるのは太陽の砦だと」
「そうだ。エステルとヨシュアには既に向かってもらっている、先行して追い詰めているはずだ」
「――なら、後は自分たちが行けばいいわけですね」
「な、何を言っているんだ!」
 ロイドの言葉にアリオスは沈黙し、代わりにダドリーが食って掛かる。しかし予想していたのか、ロイドは涼しい顔でそれを流した。
「教団の狙いがキーアだというなら、キーアさえ守りきればいいんです。そしてその役割はアリオスさんに任せるのが一番だと思います。そしてダドリー捜査官は市内の警察をまとめる必要がある。そして今回の事件、ただ遊撃士に任せるわけにはいきません。俺たち警察の不甲斐なさがここまでの状況を作り出した。なら警察は動くべきだし、動けるのは俺たちだけです。違いますか?」
「ぐ……っ」
 その言葉に反論が咄嗟に思いつかないのかダドリーは呻き、アリオスはそれに静かに頷いた。

「確かにそうだが、市内の勢力が減退している今ならお前たちだけでもキーアを守れるはずだ。それなら俺がロッジに赴きヨアヒム・ギュンターを捕らえるほうが時間はかからない」
「…………」
「だが、お前たちはそう思わない。そうだな?」
 アリオスの言葉は確かで、そしてその理由も合っていた。今話しているのはリーダーであるロイドだが、彼の言葉に意義のある仲間はいなかった。
 その勘のような不思議な理由も全員が抱いていたものだった。

「――そうよ、この事件、お兄さんたちが行かなければ意味がないわ」

 そして、そんな彼らを擁護するように一人の存在が空から降ってきた。パテル=マテルを降下させてやってきたレン・ヘイワースは地に降り立ち、全員を睥睨する。
 闇夜の中、スポットライトが当たったかのように輝く少女は神秘的で、この世のものとは思えない不気味さも兼ね備えていた。
「執行者の殲滅天使か……」
「執行者、だと……?」
 結社の存在こそ知っているがレンのことは知らないダドリーが驚く中、レンは支援課が行かなければならないと言ってくる。
「それは何故だ?」
「勘よ、レンがそう思うんだからそうなの」
 そんな理論など丸投げな答えにダドリーが怒り、しかしアリオスはそうか、とだけ言って少女から目を切った。ロイドらを見る。

「いけるのか?」
 それは砦にまでたどり着けるのかという意味ではない、そしてそんなことは誰よりもわかっていた。
「大丈夫です!」
「優秀な方の背中を見続けてきましたから」
「ガイさんのためにも、わたしは行きます」
「……やるさ、それ以上に大事なことはねぇ」
 少しの不安を感じるそれぞれの言葉、しかしアリオスはそれに対して否とは言わなかった。
「ここは任せろ」
「マクレイン! 貴様何を――」
「この少女はクロスベルに仇なすことはしない。そしてロッジの捜索には数もいる、そう考えれば彼らに任せても悪くはない」
「そうよ、レンはクロスベルをめちゃくちゃにさせるわけにはいかないの。風の剣聖は怖いし、それに……」
 大事な人たちがいる。
 想起した家族を守るための行動に迷いはない。故にレンは、この言葉には絶対の自信を持っている。

「レンが送ってあげるわ、乗って」
 パテル=マテルが膝を着き、手のひらを差し出した。その巨体に僅かに気が引けたが、四人は目配せして飛び乗る。次いでレンが肩口に乗り、お辞儀をした。
「ここは任せるわ。キーアによろしく伝えてちょうだい」
「承った」
 スラスターを噴射させて一気に上昇する。結社の誇る人形兵器はそうして市内上空を翔けていく。
 その余波に目を瞑ったダドリーは呆然とし、アリオス・マクレインは星となる彼らをただ見つめていた。

「セルゲイさん」
 アリオスは煙草をふかしているセルゲイを呼ぶ。彼は煙草を持ち、煙を吐き出した。
「……羨ましくなったか?」
「…………いえ」
「そうか……」
 アリオスは剣を持ち、それを掲げた。
 光り輝く太刀、それに己の意志と覚悟を込め、約束の絶対遂行を確定させた。
 その行為に足る結果を出してくれるだろうことを祈って――――



 初出:8月20日


 ワジとアッバスが真反対な指示を飛ばしているのは、ワジが近場のロイドらに対して、アッバスは固まるより離れたほうが早かった遠目の部下に対してそれぞれ言っているからです。反乱ではありません。
 あまりに進みが遅かったためエナジーサークルのくだりを書けなかった。結果こんな形になってしまいました。唐突過ぎて屁が出るぜ!
 熱血親父は出番を奪われた。でも仕方のないことなんだ。



[31007] 6-4
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/22 10:28



 奈落の底を見せ付けられているかのようだった。
 光の一切を許さないブラックホール、それが地面を刳り貫いて存在している。それが放つのは負の気配、吐き気を催すほどに圧縮され満ち満ちた異界だった。
 二人は眼下に広がるその縦穴を呆然と眺める。真実異界となった世界を見た経験がある二人からしてもここは異界で、同時に現実であることを認識しているためにその齟齬で頭が狂いそうだった。
「これが、人の業ってことなのかな……」
 黒髪の青年ヨシュア・ブライトはただそれを生み出した妄執の人形に哀しみしか湧かない。人間の欺瞞に狂わされた人生、それを知っている彼はこの世界が他人事のようには思えなかった。

「間違ってる。絶対に間違ってるわ」
 しかしそれは彼が一人の時だけだ、今青年の隣にはエステル・ブライトがいる。彼にとっての太陽が、光の道を共に歩んでくれる存在がいる。
 だからこそ、あまりの想念に引きずり込まれそうでもそうはならない。二人は手を取って歩いていくと決めているのだから。
「流石に深いね、おそらくは最深部がヨアヒム・ギュンターの場所なんだろうけど」
「骨が折れそうね、魔獣の気配もあるし気を引き締めていかないと」
 むんと両拳を握り締め気合を入れる。背中からタクトを抜き、一気に振り下ろした。ヨシュアも腰のホルダーから双剣を抜く。
 二人は互いの得物をこつんと合わせた。
「遊撃士協会クロスベル支部正遊撃士エステル・ブライト」
「同じくヨシュア・ブライト――――これより太陽の砦を制圧し、D∴G教団幹部司祭ヨアヒム・ギュンター、並びにクロスベル市長暗殺未遂事件被疑者アーネスト・ライズの確保に向かいます」
「よし、行っくわよー!」
 濃い紫色の瘴気の中、二人の英雄は最深部までの道程を駆けていく。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 いくつもの困難を乗り越えてきた二人にとって、この遺跡が果たしてどれほどの難度だったのかはわからない。しかし二人にとって『二人でいる』という事実がどれだけ力になっているのか、それは本人たちの視点と第三者の視点がなければ語りきれない。
 信頼しあえるパートナーがいる事実は迫り来る異形の魔獣を相手取ることでその一端が垣間見える。ヨシュアが先手を取り、ひるんだところをエステルが仕留める。
 基本性能的にこの戦法が主流だが、しかし先手のヨシュアに決定力がないわけではなく、またエステルに先手を取る俊敏性がないわけではない。それはどちらかといえばという贅沢な話であり、結局はどのような状況にも容易く対処できる。
 長い間ともにい続けた二人の連携は阿吽の呼吸、常に相手がどうするのかが読み取れる間柄は戦闘に一切の無駄を要さない。実力的にも劣る魔獣の群れは二人にかすり傷一つ浴びせられない。
「エステル!」
「りょーかい!」
 そして同時に、二人は恋人同士だ。そんな二人が二人でいられる時間・空間は何よりの活力源になる。
 信頼しあうパートナーとの連携こそが第三者が見る力の上昇なら、本人たちが感じられる心の充足こそが当事者が見る力の上昇なのだろう。

 ブレードファングが迫る。その大顎を跳躍して交わしたエステルはそのまま頭部に棒術具を振り下ろし、
「はぁ!」
 更にその衝撃で戻った得物を身体を一回転させることで更に振り下ろし止めを刺す。
 そのエステルを狙ったビジョウのアーツを切り払ったヨシュアは残像が残る速さで懐に入り込み、腰に溜めた剣で居合いのようにその巨体を切り裂いた。
 かつて、エオリア・フォーリアやリン・ホンメイは特務支援課が苦戦する魔獣をいとも簡単にし止めたことがある。そしてスコット・カシュオーンは古代の魔獣ブレードファング三体を相手取り、さほどの損傷もなく勝利した。
 そんな三人と同レベルな二人が、いくら相手のフィールドであっても魔獣に負けるはずがない。

「なんか気だるいわね……」
「空気が汚染されているみたいだ。あまり長いはしたくないね」
 既に相当数の魔獣を滅し、長い距離を歩いている。肉体的な疲れはあまりない、しかし密室における空気の澱みは士気に影響を与えていた。
 それでも彼らの空気を壊すほどには至っていないのだが、しかし――
「エステル、ストップ」
「ん? どうしたの?」
 新たな階段を下りきったエステルが振り返るとヨシュアは階段付近の壁面を見ている。それが何を意味するのか理解したエステルは瞬時に周囲を見回した。
「一本道だったはずよね、ということは――」
「幻術か……いや、どうやら空間がループしているみたいだ」
 ヨシュアが切れた指でなぞった壁には瑕が残されている。ヨシュアが定期的につけている瑕だ。
 こうした建造物の探索では迷わないように印をつける。一本道を進み、まだ通っていないはずの階段を下りた先には、確かに彼がつけた瑕が残されていた。無数にあるその他の瑕とは明らかに異なる、遊撃士に共通するマークである。
「どこかに解除スイッチがあるとかかな?」
「最悪囚われた人間には解除不能かもしれない。とりあえず」
 先を見る。新たな魔獣が歓迎しているようだ。
「上等っ、返り討ちよ!」
「体力は温存で頼むよ」

 ゆっくりと浮遊するビジョウの数は三体、紫と黒というマイナスなイメージしか思わせない球体についた獣のような瞳と口、外周を鬣のような鋭いとげが覆う異色の魔獣である。
 ビジョウの攻撃はアーツか牙による咬合である。アーツに関しては体内に持つ属性値の高さから幻・時属性の上位魔法を行使し、また牙には数多の細菌を保有しているためにかすり傷でも酷い症状を巻き起こす。
 本来生態系に組み込まれていないこの魔獣は教団の研究の成果、元々存在する意味はない。そこに僅かな憐憫を覚えるが、それでも立ちはだかるならば容赦はしない。
 二人にできること、それは間違った生まれ方をしてしまったこの魔獣を一刻も早く解放することだけである。

「はっ――!」
 ビジョウが詠唱のために止まる。それを視認したエステルは高速の踏み込みで以ってビジョウとの距離を零にした。
 同時、エニグマが起動、金の光に包まれたエステルは横に一回転、三体のそれに渾身の薙ぎを繰り出す。
 真・金剛撃、特殊な一撃でアーツの詠唱を阻害する戦技である。
 もちろん詠唱解除だけではない、七耀の補助も加えた彼女の一撃はビジョウをまとめて吹き飛ばし、更に薙ぎから縦の振り下ろしに移行したエステルはその振りで衝撃波を誕生させる。
 体勢を整える暇も与えない連撃はビジョウを容易く呑みこみ、その存在を融和させた。
「エステル!」
 刹那、ヨシュアが叫びエステルの正面に移動した。瞬間鈍い音とともに空気が割れる。
「な、新手っ!?」
 魔獣を撃退した直後とはいえ、エステルに接近を気づかせなかったそれはヨシュアに攻撃を防がれても何も反応しない。むしろその存在に驚いたのはヨシュアであり、双剣と刀の鍔迫り合いから相手を弾き返した彼は、そのまま何も言わない人間に向かって問い詰めた。

「ルバーチェの人間ですか、どういうつもりです」
「…………」
 それは紛れもない黒服の男、サングラスで目を見れず、それ以外のパーツも感情を窺わせない。エステルは一瞬の隙に自身を叱咤し、そして口を開いた。
「あんた、自分が今何してるかわかってるの!?」
 その叫びは男に行動を促した。しかしそれは対話などという理性的なものではなく、正真正銘の戦闘意志だった。
「――ッ、この気配は……!」
 ヨシュアが一歩飛び退き、そして男は紫の瘴気を外に現した。
 それはおよそ人間の持てるものではない、まるで鎧のように身体の表面に取り付いた悪意はそのまま蜃気楼のように男の身体を朧と化す。その異常な光景は咄嗟に攻撃を仕掛けることも許さず、二人の遊撃士が認める中、その身体全てを武器にした。

「ちょ、ちょっと……何よ、それ…………」
「魔人化……? 本の中の事象じゃなかったのか……」
「これがグノーシスの力なの……」
 男の身長は成人男性の平均を大きく上回ってしまった。それは人間が持てるスケールを凌駕し古代の魔獣に匹敵する。
 隆起した筋肉は鋼のような硬度を持ち、身体の全部位を攻撃的な鋭角で覆っている。それを纏め上げる脳がある頭部はかろうじて人間の名残を持っていた。
 しかしそれは形だけの話、口は裂け白い牙から唾液がこぼれる。瞳孔を失った白眼は焦点というものが存在しなかった。
 人間の精神を変容させたグノーシスは、その精神によって肉体構成までもを変異させた。二人が見る男は理性と引き換えにその業を成し遂げたのである。

「ああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ――!」
 叫びともつかない咆哮、それは衝撃となって二人を襲う。その大音量に顔を顰めた二人はしかしそれ以上にその変容に心を痛めていた。
 たとえ彼らが守るべき一般人ではないとしても、ここまで持っていたものを捨てていいわけではないのである。それが本人の意思ではなく他者の意志であるのならなおさらだ。

「……元に戻せる、かな」
「わからない。でも、ここで止めなければならないことは確かだよ。それが本人のためでもある」
 気休めはいらない。だからこそその次の言葉を信じられる。
 目を僅かに細め、半身になる。右手は高く、得物の先端を地に定め、
「行くよ、ヨシュア」
 同じく半身となり、右の剣は地を、左の剣は目の前の哀れに――
「うん。解放してあげよう――」
 動物的な突進、それを迎え撃つように遊撃士は地を蹴った。




 * * *




 月が眩しい。そう感じたことは今までの何度かあったと思うが、しかしここまでそれに近づいたことはなかった。
 だからこそ今までよりも大きく明るい月光、そんな白光の舞台の中で夜風を切り裂いて空を翔ける赤の機体。
「もうすぐよ」
 レンがそう告げるパテル=マテルの上、それに対し慣れていない四人は一様に目を見開いている。それも一瞬、少女の言葉に時が来たことを知り四人は口元を結んだ。
 特殊なフィールドによって高速機動を続ける機体の上でも強風は来ない。これは一般の定期船にも使われている技術だが、使われているのが船ではなく人形なのだから驚きもひとしおである。

「レン、君は来ないのか?」
「そうねぇ、まだお茶会って気分じゃないし、また今度にするわ」
 今度、とは言うがその機会が思うより早いことは想像に難くない。彼女のクロスベルにいた目的、その元凶に対して彼女が何も行動しないわけはないのである。
「ロッジの探索はお兄さんたちやエステルに任せるわ。レンは来るべき時のために準備しなくちゃ」
「そうか。わかった」
 パテル=マテルの身体が変形する。降下体勢に入っていた。
 古戦場が見渡せる高所、ゆっくりとパテル=マテルは遺跡との距離を縮めていく。ふと、ティオが呟いた。
「そういえば、どこに下りるんです?」
「どこって、それはもちろん――」
 レンが久しぶりの子猫のような笑みを浮かべた。嫌な予感しかしなかった。

 ――そして、巨大な遺跡の一角を破壊して特務支援課は太陽の砦に侵入した。偶然か、そこには驚きに目を剥いている二人の遊撃士の姿があった。




 * * *




 魔人化した男――ヴァンピールが突進してくる。その巨体は視界を埋め尽くさんばかり、構成する鋼の肉体とその加速は衝突すれば一たまりもないだろう。
 距離が離れていたこともあり、エステルとヨシュアはそれを左右に分かれて危なげなく回避する。石畳を滑り土煙を舞い上げた両足に力を込め、一瞬前にいた場所を通過したヴァンピールの背後を強襲する。
 双剣と棒術具、その二つの持ち主は同時に背中目掛けて走り、そして狙う箇所は異なる。棒術使いエステル・ブライトは人体の急所である膝の裏側を一回転して遠心力を加えた薙ぎで狙い、双剣使いヨシュア・ブライトは首の裏側、背中よりも筋肉の劣る箇所で脊髄の切断にかかる。
 同時に行われた攻撃は甲高い金属音を奏で、その感触に二人を凍りつかせる。

 ヴァンピールが反転、それに伴い距離を取ろうと跳躍した二人。その一方、エステルに向かってまるで誘導ミサイルのように跳躍して迫ったヴァンピールは肥大化した両腕を一つにして叩きつける。
「ッ――!」
 エステルは回避を諦め防御姿勢に、タクトの耐久力を信じつつその一撃を受け止めた。
「ぐぅ――ッ」
 びりびりと衝撃がエステルを襲う。全体重をかけたヴァンピールの一撃は古代魔獣もかくやという威力を誇り、エステルの身体を地に縫いとめる。

 瞬間、組まれていた両手が解かれ、そのままエステルの得物を握り締める。
「しま――」
 それを支点としてくるりとエステルの懐を下から侵略したヴァンピールは両足の蹴りで彼女を壁にまで叩き付けた。
「エステル!」
 ヨシュアが迫る。
 タクトを放り捨てたヴァンピールは残像を伴うヨシュアの動きを何で捉えたのか、正確に死角を突いたはずの彼の一閃を容易く右腕で受け止める。
「く」
 剣が弾かれ身体が泳ぐも反対の腕でその盾に剣を突き刺し強引に姿勢制御、巨腕を足場にしてヴァンピールの頭を狙う。
 その彼に反対の腕で迎撃する魔人、そして更に上を行ったヨシュアは双剣を両眼に突き立てた。
「――ッ」
 柔らかい感触と緑の体液がヨシュアに降りかかる。
 直後、重力を失ったように空を舞ったヨシュアの側面をヴァンピールの右腕が捉え、エステルとは反対の方向に叩きつけられた。

 煙が舞い、目を潰されたヴァンピールが咆哮する。その煙が消えないうちにその中から現れたエステルは投げ捨てられていた自身の武器を手に取り血を吐き捨てた。口内を切ったのか、その痛みに顔を顰める。
「やってくれるじゃない――!」
 咄嗟に手を離し後方に飛んで威力を殺した彼女だが、それでも腹部には鈍痛がある。しかし戦闘不能に至らせるには圧倒的に足りなかった。
 彼女の出現にヴァンピールが歓喜の雄叫びを上げる中、その背後から瓦礫を押しのけてヨシュアが立ち上がる。頬を切ったのか血がこぼれていた。
 それを拭い、そして二人は同時に駆けた。心の中でギアを一段階上げる。
 尾を引くような疾駆は正反対からのものだったからだろうか、ヴァンピールに行動を与える間もなく同時に腹部に一撃を与える。その衝撃は痛覚のない魔人の肺から空気を根こそぎ奪い、反射的に身を縮める隙を生み出す。
 その弱所を教える行為に答えるようにエステルのエニグマが起動、
「はぁああああああアアアッ!」
 高速の刺突連打がその防御を打ち砕く。
 ガードの開いたヴァンピールを前に一層身を低くした彼女は止めとばかりにその巨体を空に打ち出す。四肢が開けた魔人、その上空から、
「――――」
 エニグマを起動したヨシュアの振り下ろしが地に磔を完成させた。


 ――瞬間、瓦礫とともに降りてきたパテル=マテルがその磔を破壊した。


「ちょ、えぇええええええ!?」
「パテル=マテルッ、それに支援課の……!」
「いやいやそれよりあの人無事なの!?」
 エステルは眼前に現れたパテル=マテルの下敷きになったヴァンピールが原型をとどめているのか不安になった。そんなことも知らない支援課は降り立った地面と空気に顔を顰めながら首を傾げている。
「レン、今すぐパテル=マテルをどけて!」
「何よもう、言われなくてもすぐ行くわ」
 失礼しちゃう、とレンはパテル=マテルに指示を出し、その身体を上昇させた。すぐさま駆け寄ったエステルはいつの間にか元の人間大になっている男の首筋に手をやり、その鼓動に安堵する。
 どうやら縮んだことでパテル=マテルからは逃れられたようだ。純粋にこれまでの戦闘のダメージで気を失っているようである。
「えっと、とりあえず説明してもらえると助かる」
 ロイドが口を開き、頷いたヨシュアはこれまでを説明した。


「――つまり、今は罠に嵌って抜け出せない状況ってことか」
 ロイドの確認に頷いたヨシュア。特務支援課と遊撃士二人の計六人はルバーチェの男を安全な場所にまで運んだ後先に進み始めた。
 とは言ってもループの罠に嵌っているので脱出の手がかりを探しているところである。
「とりあえず君たちが来たからね、もしかしたら機能停止しているかもしれない」
 囚われた二人ではない外部からの侵入、それによってトラップが解除されている可能性はある。故に罠を認識したところまで進み、それを確認しようというのだ。
「でも正直、お二人が見つけられないなら難しいですね」
 エリィが言うようにこれで先に進めないなら時間がかかることは確実だ。魔獣もやってくる上に囚われてしまっては身体もそうだが精神のほうにも負担がかかってしまう。ゴールを知らされないマラソンをやるようなものだ。
「市内にアリオスさんがいてくれるっていうなら期待に応えないとね」
 仲間が増えて明るさも増したエステルに場の雰囲気が軽くなる。しかしそれに乗り切れていない人物もおり、空気に敏感な彼はそれを訝った。
「ランディさん?」
「何でもねぇよ、今は先に集中しようぜ」
 それは確実に何かある答えだったが、そこに踏み込んではいけないと判断したヨシュアはそのまま会話を切る。

 エステルとエリィ、ティオの会話が続く中、一向は無間の罠を乗り越えることに成功した。しかしそれはパテル=マテルが砦を破壊したからではない。それを仕組んだ存在が待っていた彼らがやってきたからである。
 その名はアーネスト・ライズ、特務支援課と因果の深い人物である。




 広間のようなスペースに仁王立ちする二つの人影、それに対して息を呑むのは仕方のないことだった。
「待っていたよ、エリィ」
「アーネストさん……」
「アーネスト、それに――」
「あんたか……」
 四方を柱で飾る部屋は赤い。それは血液ではないが、それ以上に寒気のする色であり目に毒である。
 まるで血に染まったアルカンシェルの舞台のよう。そう思ったロイドは不意に鋭利な頭痛を覚えて眉間にしわを寄せた。

 大剣を地に突き刺し壮絶な笑みを浮かべるアーネストの横には俯いて表情が窺えないガルシア・ロッシがいる。その異様な雰囲気は察するに最悪の展開、ランディは静かにその闘気を高めた。
「両者ともに上位属性の耐性を確認、グノーシスの投与は確実です……!」
 ティオのアナライザーが情報を読み取り、しかしそれだけだ。重力に似た状態変化は見受けられず、アーネストは涼しげである。
「さて、エリィ。もう一度聞こうか。クロスベル市長である私の側近にならないか?」
「……アーネストさん、もうやめましょう。これ以上は、もう……っ」
 既に犯罪者として公表されてしまった彼が市長になることはありえない。そんな当たり前のこともわからずに、今なお市長になった先を見ている彼の姿は居た堪れなかった。
 あるいはそれは、ヨアヒムが支配したクロスベルの未来なのかもしれない。しかしそのどちらでも、彼の傍に彼女がいることはありえなかった。

「何故だい、エリィ。私は君が幼い頃から君の傍にいたじゃないか。そんな私の傍に君がいることは当たり前じゃないのかい? だってそうだろう、私は君の家庭教師で、君は私の教え子だ。なら君は僕の傍にいるべきだし、そうしたほうが君のためになる。そして何より私のためになるじゃないか。ならエリィ、迷うことはないだろう? 幼い頃に憧れの存在だった私が、君に来てくれと言っているんだ。ほら、もう君の未来は決まったようなものだろう!」
 酔っているかのように熱弁するアーネストの姿にこみ上げてくるものを抑えられない。滲んだ視界から一筋の涙がこぼれたことすらエリィにはわからず、ただ変わり果てた恩師が悲しかった。

「――アーネスト、もういいだろう」
 ロイドがエリィをかばうように前に出る。そこで初めてロイドに気づいたように、アーネストは、ああ、と呟いた。
「君か……確か殺したと思ったんだが」
「それはあんたの妄想だろ……実際今のあんたに現実と妄想の区別がついているとは思えないから言っても意味はないのかもしれないけど。それでもこれだけは言ってやる――――お前にエリィは渡さない」
「ロイド……」
「何をおかしなことを。エリィの答えは決まっているんだ、部外者の君が言うことなど何もない!」
 アーネストは笑う。ロイドの啖呵もエリィの懇願も、何もかもが彼には届かない。伝わらない。
 しかし彼の言葉は二人には、いやエリィとその仲間には伝わった。だからこそ、これまで推移を見守ってきた全員が口を開いた。

「部外者なんかじゃありません……!」
「そうよ! エリィさんは大切な友達なんだから!」
「勝手な意見を押し付けさせるわけにはいかないね」
「……むかつくぜ、てめぇ」
 ティオが、エステルが、ヨシュアが、ランディが、戦意とともに武器を向ける。
 その刃先にはアーネスト・ライズ、それを不思議なことのようにきょとんと眺める男の姿。
「エリィは大切な人だ、あんたの妄執につき合わせるわけにはいかない!」
「みんな……」
「――アーネスト・ライズ、あんたを逮捕する。抵抗は無意味、おとなしく投降しろ!」
 トンファーを向け、最後の通告をする。
 それに対し、今まで柳に風のように言葉を受け流していたアーネストが初めて反応した。肩を震わせ、激情を制御するように俯いている。
 その姿はどこまでも不気味で、しかし戦意は微塵も途切れなかった。

「――――言って聞かないなら、強引に聞かせるまでだ」
 清潔なイメージを与えるはずの若葉色のスーツ、それを纏う鍛え上げられた肉体から吹き出る暗黒の闘気。そこから誘われる死の気配に緊張感が増していく。
 立ち昇った闘気は彼の身長の倍ほどにまで到達し、ようやく顔を上げたアーネスト・ライズはその真紅の瞳で彼らを射抜いた。
 唇が三日月を成す。暗い闘気に導かれるように突き刺していた剣を掲げた彼は――
「死んでしまうほど辛いかもしれないが、せいぜい頑張って耐えてみせてくれ――ッ!」
 自身を魔人へと失墜させ、異形として立ちふさがった。

「おおおおおおおおおおおおオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアッ!」
 それに呼応するように、今まで沈黙していたガルシアが吼え、その爆発的な闘気を溢れさせる。その戦闘の合図にランディとティオが反応した。
「俺が抑える」
「わたしも援護します! こっちは任せてください!」
 アーネストは対峙する四人を見る。先ほど戦った構成員は完全に理性を失っていたが、どうやらアーネストは自我があるようだった。
 あるいはそれは、試作段階のグノーシスを投与したからなのかもしれない。
 アーネストはそうして、視界にいる邪魔な存在のために指を鳴らした。その行動に身構える四人に笑いかける。
「エリィとそこの君は私が直々に相手をするとして。君たちは邪魔だよ遊撃士、せいぜい楽しんでくるといい」
「何を言って――うわっ!?」
 反論しようとしたエステルの上空から黒い炎が降ってくる。寸でで避けたエステルは同じく奇襲を受けたヨシュアとともに後退する。
 その二人とロイド、エリィとの間に緑の翼竜が舞い降りた。
「あの時の魔獣!」
「鳥、いや竜か!」
「オークヴィラージ、私専用の魔獣だよ。だがこの二体だけじゃ役不足だろうと思ってね、奮発させてもらった」

 直後、天井が崩れて暴音が世界を飲み込む。それでもエステルとヨシュアは魔獣から目を切らず、土煙を作る瓦礫から何が現れても対処できるように心を再構築した。
 しかし、それは想定外の規模の前に霞と化す。

 瓦礫を弾きながら現れたのはヴァンピール、おそらくはルバーチェの構成員たちの成れの果てであろう。
 それだけなら実力的に問題はない。しかし質で劣る場合に取る方法は限られている。
「く……」
「流石に多すぎる、な……」
 一体でも二体でも役不足な遊撃士の相手。それならばそれを越える数を集めればいい。
 協会の誇るクロスベル支部遊撃士二人、それを相手取るのは二体の翼竜と二十を越える魔人だった。
「エステルっ、ヨシュア!」
「後ろを向く余裕は君たちにはないだろう?」
 アーネストの言葉は真実だ、ロイドもエリィも後ろを顧みる余裕などない。
 ヴァンピールの群れに飲まれるようにエステルとヨシュアが後退していく。そして十分な距離が取られた時、オークヴィラージが劈く。

 さながら角笛のように、三つに切り裂かれた戦場は動き出した。そのどれもが負けられない戦いだった。



 初出:8月22日


 ガルシア・アーネストとのダブルバトル。原作のガルシアの劣化(遅延可)を考えればこんくらいやってもよかったと思います。
 エピソードが薄くなりそうですけどね。



[31007] 6-5
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/24 09:51


 西風の旅団元部隊長にして現ルバーチェ商会営業本部長であるガルシア・ロッシ、彼はゼムリア大陸における薬物運用の危険性を熟知していた。
 大陸最強と謳われた猟兵団でさえそれが匂う案件には手を出さなかったのだ。それは何より身を滅ぼす劇薬であると知っていたからである。
 しかし現在、ガルシア・ロッシはその身体にグノーシスを抱いている。それは紛れもない事実だが、しかし同時に彼が望んでいなかったことも事実だった。
 部下の変容に対し正気を取り戻そうとした彼はしかし複数のヴァンピールに押さえつけられ、結果グノーシスを投与されてしまった。それは常人の三倍の濃度であり、いくら強靭な精神力を持つ彼であっても耐えられなかったのだ。
 しかし幸いなことに、彼は魔人化していない。心の奥底で今なお抵抗しているのか、どちらにしても生身で圧倒的な戦闘力を持つ彼は、その力を引き上げてはいなかった。
 以前の戦いに比べて違うところがあるとすれば、今の彼には容赦という言葉が存在しないことくらいである。そしてそれは、相対するランディ・オルランドにも言えることだった。




 尋常ではない闘気、それを惜しげもなく披露するガルシアに応えるように、ランディもその赤紫の闘気を立ち昇らせた。
 量ではガルシア、質ではランディが勝るそれは互いの領域を示すように相対する敵へと触手を伸ばしている。赤い空気が威嚇する二つの闘気に萎縮し、まるで真空にでもなったかのようだ。
 ティオは息苦しさを感じ、しかしこの場から逃げないために呼吸をやめた。いくらでも苦しくなればいい、その代わり勝利は譲れない。
 そんな彼女の覚悟を読んだのか、爆発する気を持った二人の猟兵は相手目掛けて飛び込み、最初の衝突を繰り出した。

「ガアアアアアアアアア――ッ!」
「アアアアアアアアアッ!」
 右ストレートと一閃がかち合い衝撃を作る。爆音と空気の振動、力の拮抗。
 鍔迫り合いは一瞬、下がっていた片足を踏み込んで左ストレートが繰り出され、それを一歩踏み込むことで八割の力にして受ける。
「――ッ!」
 ガルシアの身体が沈む。同時、両足が地を離れ唸りを上げる。
 瞬間ランディは跳躍、一瞬後回転を始めた両足にハルバードを叩き下ろす。
「アアアアアアアアア!」
 エニグマが起動、ハルバードが振動し衝撃を増幅する。それに押された左足、膝を曲げることで威力を殺して後方に吹き飛んだガルシアは一歩でベクトルを変換、槍のようなとび蹴りを見舞った。
 空中で受けたランディは吹き飛び、しかし着地前に一閃。サラマンダーがガルシアを食い破る。

「アアアアアアアアアアアアアッ!」
 しかしその闘気までは破れない、逆に力技でサラマンダーを跳ね飛ばしたガルシアは更に突進、渾身のショルダーチャージを見せる。
 着地したランディは肥大化するガルシアを視認したと同時、頭の中で撃鉄が鳴る。
 刹那、思い起こされる訓練の日々。その異常さに対する感情すら湧かぬまま死神を呼び込みガルシアに突っ込む。
 手首で回されるハルバードは死の体現、しかしその力はガルシアに及ばない。ショルダーチャージとデスストーム、その対決は両者の肩を砕く相打ちに終わる。
 左肩が脱臼したランディと、同じく左肩に裂傷を受けたガルシア。両者の顔には痛覚が存在しないように、いやむしろ受けた傷に喜びを見出しているかのようだ。
 口元に月が浮かぶ。

 片手でハルバードを操り反転、更に突進する。それを待ち構えたガルシアは両手を組み、上段から振り下ろす。下段からの切り払いと衝突、しかし片手のランディでは両手のガルシアには勝てない。
「――ッ」
 手首が外れるかのような衝撃、しかしランディはハルバードを手放し衝撃を貫く。バランスを崩したガルシアの空いた顎に拳をねじ込み天を仰がせた。
 しかし迫撃において異常なまでの耐性を持つガルシアは傾いた上体を強引に固定、戻す反動でランディの額に頭突きを見舞う。鈍い音とともに鮮血が弾けランディが吹き飛ぶ。
 地面を両足で滑りながら彼は前方を見、低姿勢のまま地を蹴ったガルシアの接近を知る。弾かれた時には既にハルバードを持っていたランディは左肩を強引に嵌め直し、激痛により感覚を呼び戻す。
 振り抜かれる右をいなし返す刀で側頭部を一閃すると、自身の速度による影響か、ガルシアはそのまま転げるように地面と馴れ合った。
 完全に上を取ったランディは更に跳躍、身体を一回転して重力と遠心力を加味した一撃を叩きつける。横になった状態のまま左腕を掲げてそれを受けたガルシアは、その一撃を腕一本で耐え抜いた。
「……ち」
 流石に顔を歪めたランディは着地とともに足を振り上げ空いたわき腹を蹴りこむ。それを交差した腕で防いだガルシアはその勢いのままに身体を浮かし、体勢を整えた。

「アアアアアアアアアアア!」
 咆哮する。
 理性のない獣は目の前の存在を狩るべき存在としか見ておらず、またそのために受ける損傷を気にも留めていない。
 遠吠えのような叫びにランディも呼応し闘気を高める。二度目のウォークライ、一度外れた肩が痛んだ。
 刹那、ハルバードで顔を守る。身体のところどころに激痛が走る。
「ちぃ――!」
 ガルシアの手を見て先読みし、なんとか横に転げることで追撃を避ける。それでも受けきれない数に口から血が零れた。
 指弾の威力、連射速度ともにエリィが受けたものとは桁が違う。拳による一撃とは比べるまでもないが、まるでショットガンのような攻撃だ。
 連続で転げるランディは機を測り、そして一気に前に駆けた。両腕で顔をかばいながら距離を詰める。右足に被弾、がくりと体勢が崩れた。
「アアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!」
 前に傾いた身体を強引に捻り飛び掛る。弾丸になった全身で螺旋を描き、そのままガルシアの右を狙う。
 指弾をやめたガルシアが拳を合わせてくる。空気を切り裂く音が聞こえるほどの速度、威力。しかしそれは飛び込んだランディのほうが勝る。
 ハルバードの刃先と右の拳が合わさった時、何かが砕ける音がした。それはガルシアの骨の破砕を意味する。
 そのまま振りぬいたランディは勢いに負けて身体が泳ぐガルシアに追撃をかけようと左足一本でその勢いを殺しきる。全体重のかかった膝が悲鳴を上げるが気にしない。
 エニグマが起動し戦技が発動、炎熱を纏ったハルバードがガルシアの胸を切り裂いた。衝撃で吹き飛ぶガルシアだが、ランディも流石に追うことはできない。技後硬直で振りぬいたままに固まり彼の敵を眺めた。

「ランディさん!」
 ティオが駆け寄る。ランディはそんな少女を見ることもせずに彼方を凝視し続ける。
 そしてその視線の先には立ち上がるガルシア・ロッシ。胸の傷は深く血が服を染めている。しかしそのぎらついた闘気は微塵も揺らいでいなかった。
「ランディさん無茶です! 冷静に――」
 ティオが叫ぶも、ランディは加速する。起き上がったガルシアに一直線で迫りハルバードを振るう。ガルシアはそれを伏して避け、一層強く拳を握り締めた。
 石突で胸部を狙うランディ、しかしそれは瞬時に闘気を高めたガルシアの胸筋を食い破れない。鋭利なために僅かに刺さったそれを掴み取ったガルシア、背筋が凍りつく感覚にまずいと思った瞬間には既に遅く、ランディはハルバードごと上空に打ち上げられた。
「……ッ!」
 腹部を強打されたランディは肺の空気を吐き出し苦痛に目を見開いた。人間を打ち上げるほどの威力、一般人ならそのまま失神してもおかしくないそれを何とか耐え、しかし身体が痺れて体勢を整えることはできない。
「ガァァァァァアアッ!」
 そして、追跳したガルシアはそんなランディを追い越し、背中からその身体をホールドした。丸太のような両腕が食い込み激痛が走る。
 くの字になったランディは頭部が下、このまま落下すれば首の骨が折れるどころか砕け散るだろう。しかし激痛と圧倒的な膂力で締め上げられた身体は身動きが取れない。
 唯一動くのは両腕、しかし背中をとられているためにガルシアを攻撃することは不可能だ。
 そして彼をあざ笑うかのように更に横への重力が加わった。ガルシアは自身の身体を回転させることで落下の威力を底上げする。
 さながらマグナムのように螺旋を描いた人間砲弾は空気を切り裂いて加速、その衝撃を一気に高める。既に首の骨どころではない、このまま落ちれば潰れたトマトか、首のないマネキンか。

「ランディさん!?」
「ぐぅう――ッ!」
 脱出は不可能、ランディは迫り来る地面を凝視し、腕を振り上げ。
「ウルアアアアアアアアア――ッ!」
 そして、ガルシア・ロッシは最大の一撃を完遂した。

 轟音。

 土煙を巻き上げて巨大なクレーターを作り上げたガルシアは雄叫びを上げる。その煙が晴れた時、地面には赤い花が咲いているだろう。その手ごたえは十分で、理性のない彼はそれだけで目標の抹殺を成し遂げたことを理解していた。
 しかし――
「……流石は西風の旅団、楽しませてくれるじゃねぇか」
 土煙で汚れ、所々に自身の血を滲ませたランディ・オルランドはそれでも生きている。その理解できない現状を受け入れられないのか、ガルシアは唸りを上げて睨んでいる。
 口から血を吐き捨てたランディはしかし内心で命を失ったと感じていた。事実ガルシアの一撃は完璧であり、彼も抜け出すことはできなかったのだ。
 今彼が立っていられる理由、それは彼自身の覚悟もあるが、何よりティオのアーツに尽きる。
 あの瞬間、ガルシアをすり抜けてやってきた七耀の加護は確かに彼を助けた。アースガード、物理的耐久力を上げるそれに加え、直後のティアラル。その二つで以ってランディは失いかけた命を取り戻した。

 ティオは歪む視界の中肩で息をし、それでも意識を失わないように耐えていた。二重詠唱は不可能な導力魔法において、いくら適正があろうとも連続高速詠唱は危険極まりない。
 それでもティオにはそれができ、やらなければランディは生きていなかった。このくらいの前後不覚など代償にしては軽すぎる。
 そこまでの援護を受けても、しかしランディはティオに対して何も言わなかった。
 ランディがハルバードを一閃する。ガルシアはそれを避けようと動こうとし、しかし左腕でそれを受けた。今までならば容易く受けられた一撃、しかしそれは確かにガルシアの肉にのめりこんだ。
「おらぁ――ッ!」
 ランディが返す刀で上段から迫る。それを受けきれないと判断したガルシアは回避運動を取り、しかし避わしきれずに左の二の腕にそれを受けた。
 ごきりと鈍い音がして腕が歪に曲がる。それに口を歪めたランディは、しかし右から来る一撃に連撃を諦め飛び退いた。
 一瞬の油断か、それは間に合わず肩口に拳が刺さる。回転しながら吹き飛んだランディはしかし空中で姿勢制御、軽やかに着地した。

「…………」
「――――だがよ、思考しないあんたは俺の敵じゃねぇよ」
 骨が折れたのか、左腕だけでランディはハルバードを振るう。それは意味のない行動だが、しかし、それに呼応するように地に落下したモノがあった。
「…………」
 ガルシアは何も言わない。
 苦しみの絶叫すらしない。自身の左腕が切り飛ばされても、今の彼には何の意味も持たない。
「おっさん、悪ぃがここで終わりだ。理性のないまま死ぬなんて上等な終わりじゃねぇのは確かだが、それでもこれが俺たちの業なんだろうよ」
 猟兵が満足して死ぬ場所など戦場しかない。いや、満足の如何など関係なく、一度猟兵団に身を置いた存在が死ぬ場所は戦場でしかなかった。それを何より彼は理解していた。
 ガルシアは元猟兵、戦場で死ぬ運命にある。たとえ望まぬ場所であってもそれが宿命にして業なのだ。
 だからランディはここでガルシアを斬る。せめて介錯くらいは同じ自分がやらなければならない。

 ランディは痛む肩を弛緩させて暫し待ち、回復アーツを待った。言わなくとも援護してくれる、それが今の相棒だと知っていた。
 しかしそれは幻想、今の彼にはそんな存在などいなかった。

「ランディさん」

 ティオがランディに並んだ。それでも視線を向けることのない彼は、そうして、下から拳を受けてよろめいた。
「……何しやがる」
「大馬鹿野郎につける薬なんてこれぐらいしかありませんっ!」
 大声で叫んだティオはそれだけで呼吸が荒くなる。精神力に呼応して体力も減っていた。それでも目の前の馬鹿にならなけなしのそれらをくれてやってもいいと思った。
「一人で戦うなって言ったじゃないですか! その癖一人でピンチになって、助けられても一人のままで! 自分のことなんて全然考えない戦い方で心配かけて、それで困ったらわたしを頼るんですかっ! いないみたいに振舞うくせに回復(えんご)の期待なんかして! 冗談じゃないですっ、最悪ですッ!」
「…………」
「ミレイユさんのことだって言いたいことたくさんあります! でも今はそれより大事なことがあるから言わない、そんな当たり前の判断くらいわかっているでしょう!? ならランディさんはそれに報いるべきです! 一緒に戦うことを認めるべきですっ!」

 言い切ったティオはそのまま苦しそうに目を瞑り歯を食いしばる。
 そしてそれを待っていたかのようにガルシアが突進、ティオ目掛けて跳び蹴りを放つ。もともとの運動能力を鑑みても彼女に回避できる運命はやってこない。
 そのまま吸い込まれるように少女の胸元に足が伸び――
「……っ」
 そして、ハルバードがそれを受け止めた。両手を痺れが襲う中、ランディは自嘲する。折れた右肩は爆ぜたように痛んだ。それこそが先までの代償だ。
「ランディ、さん……」
「……ほんと、俺はもうやめたつもりだっつーのに、どうしてこう痛いとこ突くのかね」
 ガルシアを吹き飛ばし、ランディはハルバードを回す。風車のようにくるくると舞うそれはまるで遊んでいるかのようだ。
 動きが、止まる。
 切っ先が地面を指す。
 左足を前に半身となり、全体重をそこにかけた。

「それはあんたも同じだ、おっさん。俺じゃなくてこいつ狙うとはやってくれるじゃねぇの。ティオすけ、肩治してくれ」
「――――はい!」
 ティオが詠唱し、水の力が右肩に注ぎ込まれる。しかし回復力は僅か、痛みも完全には退いてくれなかった。
「無茶させたな。いい薬だぜ、ほんとによ」
 ランディは静かに眼を閉じた。高ぶっていた闘気が嘘のように全身が凪を為す。その静けさにガルシアも沈黙した。
 どこからか風が吹いてきてランディの後ろ髪を揺らす。僅かに浮いたそれが再び背中に着地した時、ランディはその静けさを切り裂いて赤紫の闘気を極限まで放出した。
 髪が揺れるのは今度は風のためではない、それこそがオルランドの息吹である。
「オオオオオオオオアアアアアアア――!」
 ガルシアもわかっているのか、今までで一番の気の高まりを見せる。それはまさにキリングベア、人を容易く圧殺する暴力の体現である。
 ガルシアのそれに比べればランディのものは確かに小さい。しかしティオが感じる力の大きさは互角だった。
 故に彼女はなけなしの力を振り絞る。まだ共闘は始まっていないのだから。

「こぉぉおおおおおお――」
 呼吸は細く、低く。全神経は得物の切っ先へ、見るのは終わりの未来のみ。
 赤い正座のシンボルである紫の蠍、それが意味し、強調するオルランドの業の粋。
「アアアアアアアアアアアアアアア!」
 ガルシアが疾走する。その速さは圧巻、巨体が迫るには速過ぎる。
 対し、ランディも走った。互いの全力疾走は開いていた彼我の距離を一瞬で零にする。ランディの間合いに入り、そして、ガルシアの領域に踏み込んだ。
「――ッ!」
 右腕に殺意が見えた。それまでの加速も合わせた最速の拳は大岩すら破砕する殺人熊の一撃、受けた武器ごと絶命させる。
 それをちりちりする空気で察したランディは故に防御を選ばない。間合いに入ったのはガルシアが先だ、つまりは先手を取ったのはランディに他ならない。
 テイクバックは右腕の引き絞り、槍のように直線を向け、それを一気に解放する。
 それは蠍の尾、その一撃は毒などいらず威力でもって必殺を完成させる。

「デススコルピオン――ッ!」
 絶命の軌跡を進むハルバード、それはガルシアの心臓目掛けて撃ち出された。
 同時、ガルシアはその一撃のために右の拳を振り上げ、結果、彼は半身となった。
「ッ!?」
 最大の威力のためにそれまでよりもテイクバックが大きい。本来腕のみのその行動は目的遂行のために今回だけは体幹までを操った。
 その僅かな違いが、ランディの必殺を退ける。
「――!」
 左胸に到達する前、脇を経由したそれは絶命までの時間をコンマ数秒遅らせる。
 その僅かな時間稼ぎはガルシアの必殺を完遂させるには十分だ。ランディの尾が心臓に届ききる前にガルシアの右腕がランディの頭部に迫る。
 必殺を覚悟した彼にそれを避ける術はない。
 自身の一撃が外れた時点で死の運命を幻視したランディは――









「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ!」
 脳裏に過ぎる一人の人物に生きる意志を与えられ、

「ランディさんッ!」

 信じた相棒の力に身を委ね、その絶対死の軌跡を極限の視界で確認した。
 スローモーションのようにコマ送りで迫る右腕、それに対し、時の魔法で加速した彼は全ての力を賭して回避を図る。
 首を捻るだけで終わるそれが遠い。既に放たれた暴力の前にはそんな小さな行動すら遥か彼方だ。
 刹那、爆発したかのような衝撃が左側頭部を襲い、右腕が届いたことを理解する。
 しかし死ぬわけにはいかなかった。
 そんな衝撃の中でも決して色褪せないで脳裏にいる彼女がいる。それが都合のいい幻想だとしても、彼女の前でランディ・オルランドは生を諦めてはいけなかった。

 そして決して諦めなかった彼は頭部を破壊する全力を受け、それでも回避をやめず、接触僅かコンマ1秒という紙一重で以ってその死を回避する。

 その後に訪れたのは血飛沫。巨体が地に沈む音と荒い息遣い、そして駆け寄るティオの姿。
「――あばよ、おっさん。お互い苦労するな」
 血に染まったハルバード、それに侮蔑の視線を向け、ランディ・オルランドはガルシア・ロッシに背を向けた。
 その姿に自身を重ねた彼の答えがそこにあった。



 初出:8月24日




[31007] 6-6
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/25 22:18



 ノエル・シーカーがクロスベル市に到達したとき、そこは未だ操られた警備隊員を鎮圧していない状況だった。
 駅前通り、唇を噛み締め警備車両を降りる。彼女に気づいた隊員数名がハルバードとライフルを持って飛び込んでくる。
「っ……!」
 その意志を持たない瞳に激情がちらつくも、ノエルは一瞬でその熱を冷却する。警備隊員に必要なのは、自分に必要なのは冷静さ。状況を把握し、適切な指示を出す判断力。
 生来の特性か、それに特化した彼女はサブマシンガンを構え、迫り来る隊員にばら撒く。狙いは足元、多対一の状況で接近戦は望ましくない。ハルバードの脅威を封じ、かつ連射の利かないライフルを手数で圧倒する。
 ライフルを持った一人が銃弾をかわしながら引き金を引く。流石に警備隊員、体勢の崩れた状態でも狙いは外さない。

「――ッ!」
 しかしノエルはそれを知っている。常駐場所が異なるとて同じ釜の飯を食った仲だ、こんな状況でどこを狙うかなどわかりきっている。
 遠距離における狙撃なら必殺の部位を狙うが、中距離の場合対象の中心部を狙う。仮に回避運動をとられても当たるようにするためだ。
 故にノエルは隊員の指に力が篭もるのを確認した瞬間に全身の力を抜いて地に伏せる。刹那の間に頭上を通過する弾丸、そしてそれは確かな好機である。
 地面との衝突の反動で跳ね起き、レーザーポイントで手元を狙う。数発の弾丸が命中しライフルを取り落とす隊員、そこに追撃をかける間もなく弾幕が消えたことで接近するハルバード隊員が二人。ライフルを落とした隊員はエニグマを駆動させアーツの詠唱に入っていた。
 詠唱する隊員を視界から外さないように位置取りつつノエルは背中からハルバードを引き抜く。得物は同質の二対一、しかしノエルは予め想定した推移の半分を終えたことを理解している。
 ハルバードが振動し、左右上部からパワースマッシュが迫ってくる。受けきることは不可能、咄嗟にバックステップでそれを回避するが、地面を砕いた結果生じる散弾のような礫は避けられない。そのうちのいくつかが腹部に命中し鋭利な痛みを伝えてきた。

 痺れるような脳内のノイズに目を細め、バックステップから一瞬でベクトルを反転する。両足への負担は大きいがもとより承知の上、思考することのない猪のような隊員に対して取れる手は予測からの高速運動が最善である。
 これが事前準備が可能なら罠にはめることは可能だが、そんな仮定の話をしていたら限がない。
「はぁっ!」
 一足飛びで二人に迫るノエル、振り下ろされたハルバードを飛び越え一回転、横薙ぎでまとめて吹き飛ばす。着地後すぐに疾走、詠唱を終え手の負傷を癒した隊員に近づき地に落ちたライフルを破壊、遠心力で加速した一閃を敢行するも、それは跳び退って回避された。

「く――ッ!?」
 休む暇なくノエルは右に飛び込んだ。瞬間、無数の弾丸がノエルを襲う。
 転がりながら回避するも一発が左足に命中、全身を硬直が襲った。
「しま――」
 しまった、と言い切ることもなく三人の隊員がハルバード片手に襲い来る。それは弾き飛ばした二人ではない増援の攻撃、咄嗟にハルバードを構えて防御態勢に入り、そしてそれは容易く破られた。
「うあ……ッ!」
 パワースマッシュの同時攻撃でハルバードが砕かれ、更に突進の衝撃力で宙を舞う。意識が飛び、しかしそれ以上の痛みで強引に意識を引き戻される。
 地を滑り、導力車の外装に叩きつけられた。後頭部を強打し視界が歪む。
 
「はぁ、はは……」
 霞む視界に見えるのは八人の警備隊員、ライフルで撃てばいいものを、何を警戒しているのか徐々に近づいてきている。
 力の入らない腕を伸ばし導力車の扉を開けた。気の抜けた開放音と同時に重い何かが転がり出てくる。足が痛むが、その固い感触が頼もしい。
 拾い上げ、構える。それに気づいた隊員が行動を起こそうとするがもう遅い。
 これで、ノエルの展開予想は具現した。
「これで……!」
 ランチャーミサイルが炸裂する。それは密接する隊員たちの頭上に放たれ破裂、高圧の導力を纏った捕獲用ネットを現界させた。
 為すすべなく全ての隊員が囚われ地に伏せる。ゆっくりと身体を持ち上げたノエルは油断なく近づき、そして新たに弾丸を装填し、放った。白煙が彼らを包み込む。

「八人……予想より少ないですね……」
 頭から流れる血を拭い、ノエルは煙の晴れた先を見た。警備隊の運用する催眠弾、それでも完全に意識を途絶えさせていないのか僅かな動作が見受けられる。
 それでも無力化には成功した、電磁ネットの効果で武器及びエニグマも壊れただろう。これで仮に抜け出されても戦力は微小だ。
「……次に向かわないと」
 駅及び空港を制圧する分には人数が少ない。この区域の全員を仕留めるには至らなかった。
 直に増援がやってくるだろう。回復薬を頭から被り、沸騰する思考と傷を癒す。

「皆さん、待っていてください。私が必ず……!」
 警備隊員は須らくクロスベルを守るべき。そんな意志を封じられ、そんな願いと反対の行動を強制されている。その事実に、何よりノエル・シーカーは憤りを隠せない。
 同胞として、クロスベルの市民として、これ以上彼らを苦しめるわけにはいかない。車両に乗り込んだノエルはアクセルを踏み込み先を急ぐ。
 ずきりと心臓が痛み、胸を掻き毟った。

「あ………………」

 それが、一瞬の空白になったのか――

 彼女の導力車は突如飛び込んできた同種のそれに激突し、ノエルの意識は消し飛んだ。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 四面楚歌の状況下、エステルとヨシュアは互いの背中を守りながらその群体と相対していた。
 得物を握り締める手に力が篭もる。まるで肉の壁に囲まれてしまったかのような今、その数という暴力だけで圧迫感を覚える。
 視線を向けぬままヨシュアは口を開いた。
「エステル、一旦退こう」
「…………」
 エステルは瞬時に現況を把握、ヨシュアの意図に気づいた。
 今いる広間においては全方向を注意しなければならない。それに対しヨシュアの後方――つまりエステルの前方には元来た道があった。
 最古の石造りでできた通路、そこはヴァンピールが多くても五体程度しか進めない狭さである。一点突破し通路に撤退後、そこで再び戦闘を開始しようと言う事だ。

 最大の焦点はいかに同時攻撃を避けるか。その点で見れば構造を利用するヨシュアの考えは理に適っている。前だけに集中すればいいのだから、個々の力量で勝る彼女らに敗走は消える。
 時間はかかるが、それが最良の手段だということは理解できた。

「――だめだよ、ヨシュア」

 しかし、エステル・ブライトは納得しなかった。それでいいはずなのに、それでいいとはとても思えなかった。
「……」
 ヨシュアが沈黙する。
 瞬間、オークヴィラージが二人目掛けて黒煙を吐く。頭上からの攻撃に二人は弾かれるように回避するも、それは戦闘開始の合図に他ならない。
 奇声を上げるヴァンピールの群れは我先にと走り出し二人を狙う。細かなステップでそれを回避し、間隙が消えると同時に攻撃を加えてそれを作り出す。
 互いが別方向に移動することで数を分散し、しかし決め事のように要所ですれ違い意志の確認をする。
 幾度かの交錯、そこにエステルは意志を紡ぐ。

「今までのあたしたちならそうしてもいい、でも今は――――」
 今なら――
 ヴァンピールが飛び掛る。それをタクトで受け、瞬間開いた脇を狙おうと左右から二体が迫る。
 エステルは左右の腕のバランスを変えて敢えて競り負け、三体同時を選択する。左手を右手付近まで引き寄せ長く持ち、旋回。それは暴風となってヴァンピールを吹き飛ばす。
 しかしその渦の中心を狙うオークヴィラージは爪を振り上げ、同時に旋回を終えたエステルはその慣性のまま振り上げた得物でそれを弾いた。
「――――」
 エニグマが起動、エステルの身体を白い光が包む。崩れた体勢を強引に修正し上段から高速の振り下ろしを見舞う。
 オークヴィラージは回避運動をとれず、しかしそれは当たることなく間に入ってきたヴァンピールを捉えた。
 固い筋肉を打つ感触、エステルはその反動のままに空中で一回転して後退した。

 息を吐き、大きく吸い込む。
「今ならッ、新しい道が開ける! そうでしょう――!?」
 それは幾体もの魔獣を飛び越え彼に届きうる。その確かな言葉を耳にしたヨシュアは切り払った双剣を操り連撃を浴びせ、疾駆、すれ違いざまに居合いの一閃を見舞った。
 そのまま速度を落とさず縫うように間をすり抜け、そして彼は彼女の元に降り立った。
 エステルと目が合う。
 瞬間、二人は同時に戦技を発動する。周囲をなぎ払う旋風輪、そして広範囲を切り飛ばす雷光撃だ。
 まるでクレーターのようにヴァンピールの隙間が空く。その中心にいる二人の遊撃士。

「そうでしょう、ヨシュア。そろそろ、あたしたちは次の舞台に向かうべきなのよ」
「エステル……」
 これだけの数では一体一体に集中できない、故に未だ解放された人間はいなかった。そんな危機的状況でも、ヨシュアはその瞳に見入る。
 澄んだ、とても強い輝きを持つ瞳は彼女に似合っていて、いや、彼女だからこそこんな美しい目をしているのだろう。
 その輝きにどんなに救われたのか、それが鮮明に思い出される。
「…………そうだね、うん。そろそろ、いいのかもしれない……」

 ヨシュア・ブライトの罪は重い。今まで、ずっとそれに苛まれてきた。
 それでも多くの人に助けられ、救われ、そして彼女に教えられてきた。そんな贖罪の人生も、もう終わりにしていいのかもしれない。
 レンという、自身と同じ境遇の少女を解き放ったこと、それを終点にしていいのかもしれない。
「――一緒に行こう、エステル」
 手を伸ばし、彼女の手を取った。彼女はとても嬉しそうに頷く。
 そして時が止まったかのような世界は動き出し、また埋め尽くさんばかりの魔獣がやってくる。

「ここが新しい始まり。だから、それにふさわしいやり方で――!」
 エステルが気合を放った。それに呼応するようにタクトが輝く。
 古代文明の結晶とも言える鉱物ゼムリアストーン。その唯一の加工法で作られた赤き棒術具――スフィアソレイユ。
 まるで彼女のためだけに存在しているかのように手に馴染むそれで以って、彼女はそのステージを上げる。
「うん。これが、その一歩だ!」
 ヨシュアが双剣を構えなおし、それに応える。これからは新たな意志を持って、その剣を振るう。
 行雲流水――ゼムリアストーンで作られた至高の双剣。定型を持たぬ戦闘スタイル、そこに一つの確かな決意を込めて、青年は太陽に寄り添って未来を生きる。

「ヨシュア!」
「ああ!」
 エステルが構える。左足を一歩引き、右腕を前に。左腕は低く引き、彼方を見据える。
 白光が身体を包み、それは次第に炎のような熱さを纏った。
「オオオオオオオオオオオオッ――!」
 エステルの姿に生物としての本能を揺さぶられたのか、全てのヴァンピールが一斉に動き出す。地鳴りを持って動くそれはまるで津波のようだ。
 しかし、その波が彼女に届くことはない。彼女の前に立つは漆黒の騎士、彼を仕留めずしてそれはあり得ず、またそれは叶わない未来だった。
 交差させた双剣、右足を一歩引き前傾姿勢を取る。

 姉さん、レーヴェ……

 ヨシュアの技術は全て与えられたものだ。結社の訓練で多くの先達に暗殺技術を学び、そして剣帝レオンハルトに剣術を習った。
 ブライト家に引き取られてからは剣聖カシウス・ブライトに師事を仰ぎ、その極意を吸収した。
 それは弛まぬ努力の結晶だが、しかし、彼の技術には彼独自のものがない。戦技も全て譲り受けたもので、そこに彼の意思はなかった。
 しかし、そんな縛りはもう必要ない。結社から真に解放されたときのように、彼は、これからは自身で歩まねばならないのだ。
 ヴァンピールが飛び掛る。まるで雪崩のようで、人間一人など容易く飲み込まれてしまう。
 果たしてその腕が青年の頭を捉える。


「――白夜光」


 瞬間、青年の姿が掻き消えた。
 振り下ろした腕が地を砕き礫を舞わせる。届いたはずの攻撃が失敗に終わったことでヴァンピールは虚を突かれ、しかし瞬時に辺りを窺った。
 無数のヴァンピールはその数で全範囲を視認する。しかし、その全ての両眼に彼の姿はなかった。
 無音、そして変わらぬ景色。
 あったのは、そう――――いつの間にか身体に重傷を負った同類のみである。

 ゆら、と。
 最初の一撃が砕いた地にヨシュアが現れた。まるで始めから動いていなかったかのように変わらずそこにいる。
 彼の姿を認めたヴァンピールは獲物に迫ろうとし、そして思い出したかのように裂傷から体液を吹き上げた。鮮血のシャワーが絶叫とともに吹き荒れる。その痛ましい声に顔を顰めたヨシュア。
 彼らは元は人間、まるで殺人を犯したような感覚に陥る。しかしそんな彼の耳に愛しい声が降り注いだ。

「はあぁぁぁあああああっ――!」
 最大級の力を込めて中空のオークヴィラージを狙う彼女は疾走から跳躍、その姿は螺旋とともに美しい軌跡を描く。
 最高点は魔獣の高度を凌駕し、見上げた魔獣目掛けて降下する。その虹のような曲線にヨシュアは目を奪われた。

 ふと、ヨシュアは以前思ったことを思い出した。
 エステル・ブライトは時々、眩しいくらいの光を放つことがある。それは錯覚ではない、実際に確かな輝きを持ち、そしてそんな時の彼女の身体能力は常の比ではなかった。
 幾度もあったその現象、しかしその原因を彼は突き止められなかった。

 彼女の父、剣聖カシウス・ブライトは東方に伝わる操気術『麒麟功』でその力を跳ね上げる。それを会得したのかと思えば彼女に自覚はなく、また父のそれとは違うように思えた。
 泰斗流のジン・ヴァセックも同様に泰斗独自の龍神功という操気術を用いるが、それとも違う。どちらかといえば、あれは猟兵のウォークライに似ていた。
 しかし、やはりそれとも違うとヨシュアは思う。ウォークライは自身を鼓舞することで力を上げるが、エステルのそれはそれとも違う何かを感じていた。

 オークヴィラージが全身から瘴気を吐き出す。魔塊烈風、衝撃と精神攻撃を合わせたこの魔獣の黒き生気である。七耀の力を乱し魔法詠唱すら拒絶するこの魔獣の最大の攻撃、二体のそれが合わさり深き闇となってエステルに迫る。
 しかしその彼女が纏うのは鳥の姿をした太陽。螺旋を極めた者が体現するは生来の本質、エステル・ブライトはその力で以って太陽のように煌く鳳凰の鎧を纏う。
 全てを遍く照らす絶対の存在、暗黒の風はその大いなる輝きの前に霞と化すしか道はない。

 ああ――

 ヨシュアは感嘆と納得の声を漏らした。
 そうだ、彼女のことをそう思っていたのは他ならない自分ではないか。
 自分という闇に囚われた存在すら光の道に連れ出してくれる。彼女がいるだけで空気が変わり、それは確かに良い方向に導いてくれる。
 確かに無鉄砲で、頑固で、自分の考えを押し付けることもある。でもそれは彼女自身が何よりまっすぐ生きているから。
 自己を確立し、それを放っているだけなのだから。
 年相応に揺れることもある、でもそれを乗り越える強さがある。その生きるという力に、何より自身が惹かれたのだ。
 闇を振り払う光、かつて影の国で称された言葉のまま。なら彼女が放つそれは、正しく太陽に違いない――

「鳳凰烈波――ッ!」


 それは、太陽に似た鳳凰燐――


 巨大な鳳凰がオークヴィラージを呑みこみ大地を蹂躙する。傷ついたヴァンピールをも巻き込んだそれは空気を揺らし、まるで閃光弾のようだ。

 光が消える。
 消滅するオークヴィラージと倒れ伏す無数の男たち、そして眩しい笑顔でこちらを見つめるエステル・ブライトがそこにいた。






 * * *






 フロントガラスが割れ、外に投げ出されたノエルは混濁した意識のまま朦朧と状況を反芻していた。
 私は……今、倒れ…………
 頬に感じる冷たい感触は舗装された地面のもの。視線は地面と水平で、灰色の大地がまるで地平線のように続いている。
 それ以外は真っ赤なその無機質な世界、唯一の灰色にも赤い変化が訪れていく。
 赤い。
 水のような、ペンキのようなこれは、血――

 私、の……
 自身から流れるそれを呆と見つめながら、そこでようやく自身の確認をした。それはとても簡単なもので、外皮に感じる熱さと反して体内はとても冷たい。機械のような温度は自分とは別な何かのようで、そのためか、指先すら動いてくれなかった。
 至近距離で爆音が響いた。爆風が身体を揺さぶり、熱い。
 いや、本当はそんな軽い感覚では済まないのかもしれない。それでも今の彼女にはその程度の印象でしかなかった。
 ちりちりと空気が焦げる音と、匂い。導力車が燃えているのか。
 だからこんなに世界が赤いのか、彼女はそう思った。

 冷たい温度が身体の奥から迫ってくる。それはとても冷たく、怖い。
 根源的な恐怖、ノエルはそれが自身の死だと理解した。
「う…………」
 がちがちと歯が合わさる。他のどの部位も動いてはくれないのに、そんな反応だけは律儀にしてくれていた。

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。

 恐怖で気が狂いそうになる。このまま何もしなければ自分は死ぬ。そんな事実が怖くて、自分が警備隊員であることも忘れた。
 クロスベルの現状も忘れ、ただの十八歳の少女に戻っていた。
 視界が滲む。涙が溢れていた。
 貴重な水分が零れていく。それでも流れる涙は感情を増幅させていく。

 死にたくない……
 ただ、それだけを思っていた。
 思い起こされる今までの記憶。走馬灯というものだと理解することもなくノエルは過去に遡行していく。
 母と妹が幸せそうに笑っていた。そこに自分はいなかった。自分の目で見ているのだから仕方ない。それでも少し淋しかった。
 ソーニャ副司令、ミレイユ准尉、特務支援課、遊撃士。様々な人たちが浮かんでは消えていく。
 何かが消えるたびに、自分の命が消えていくのがわかった。

 地面を踏む音がして、ノエルは現実を見た。ゆっくりと自分に近づいてくる警備隊員の姿が見えた。その瞳には自我がなく、彼がこれから行うのは同胞殺しに他ならない。
 しかし、歪んだ視界を持つノエルにはそれがわからなかった。警備隊員だという事実も忘却した彼女には、ただ警備隊の服装をした男が近づいてくることしかわからなかった。
 だんだんと近づき、顔が窺えるようになる。それはベルガード門常駐の軍曹の一人、おそらくノエルは名前を思い出せないであろう多くの隊員の一人。
 しかし、今のノエルには、彼が映らなかった――

 おとう、さん――――

 ノエルは自身を覗き込む、オズマ・シーカーの顔を見た。
 オズマの口が動く、何かを言っているようだ。小さくて聞き取りづらいそれを、ノエルは確かに聞き取った。
 それは彼女には信じられないもので驚きを抑えきれず、瞬間、自分が何であるのかを理解した。
「わた、し……は、っ……」
 ノエルの瞳がオズマから離れ、現実の隊員を映し出す。銃口が自分に向けられた。
 力を振り絞って身体を動かそうと試みる。それでも動いてはくれなかった。
 しかしノエルは諦めなかった。恐怖に縛られていた時にはなかった光が瞳に宿る。歯を食いしばり、自身の命を絶つ者を見た。
 絶対に目を逸らさない、そう決めた。
 引き金にかける指に力が篭もる。


 無情な乾いた音が、世界に響いた。




 初出:8月25日




[31007] 6-7
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/26 22:14



 自分が政治の道を志したのがいつからなのか、それをアーネスト・ライズは覚えていない。ただ気づいたときにはその世界に入って理想を貫いてみせようと期待を溢れさせて勉強を続けていた。
 ヘンリー・マクダエル市長は優れた為政者だと信じていたので駄目もとで彼を訪れ、そしていつからか彼の秘書として家族同然に付き合ってもらっていた。彼の娘夫婦やその娘エリィとも親しくさせてもらい、彼は勉強の日々に充足を感じていた。

 最初の目的である政界進出が果たせなくとも、この家族と幸せに過ごせればいいのではないか。そう思った矢先、娘夫婦はクロスベルという闇の犠牲になってしまった。
 甘かった、そのことでアーネストはクロスベルの政治がいかに難しいものだと実感でき、いつしか抱いていた妥協の考えに強い悔恨が芽生えた。
 自分のあずかり知れない情報から出された資料よりも、家族同然の存在がそれにより崩壊したことで現実味を帯びて壁として立ちふさがったのだ。

 自分が変えなければならない。
 夫妻が残したエリィの勉強も見ていた彼は、彼女を大切に導かなければならないという義務感と、それを機に顔のしわが増えたヘンリーを支えていかなければならないという使命感の虜になった。
 そして、自身の愛する家族を壊したクロスベルを終わらせ、当たり前の幸せが永劫続く新しいクロスベルにしようと決心した。それは今も、全く衰えることのない彼の信念である。

 そしてその信念の下に――――どうしてだろう、彼は守ろうとした存在と対峙していた。






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






 アーネストが持つ剣はまるで溶解途中であるかのように爛れた形をしていた。歪で凸凹のそれはしかし刃先だけは確かな殺傷力を証明するべく鈍く輝いている。
 その剣が軌跡を描いた。高速の踏み込みからの横薙ぎ、それを間一髪のところでロイドは受けた。片手では防ぎきれない威力、故に二本を間に挟み、かつ腕で固定して初めてそれをやり過ごせる。
 しかしそれも一瞬、数秒の拮抗という結果は両者の足の力の差だ。同じ大地に立っていてなお踏ん張りが利くのは、足の指で大地を掴んでいるからに他ならない。
 これは言ってみれば足の握力、体格・身体能力で勝るアーネストが勝つのは道理だった。
「く――」
 しかしロイドもそんなことは百も承知、膂力はさておき初手の加速を見るにまだ走力は五分だ。それならロイドは小柄な自身を最大限に生かして勝機を掴む。

「アーネストさんっ!」
「アーネスト、もうやめろ!」
 エリィと二人、対峙する相手に呼びかける。エリィは銃を持ってこそいるが引き金に指をかけていない。その代わりとしてエニグマを持ち、ロイドに補助をかけ続けている。事ここに至って彼女は自身の恩師に敵意を向けられない。
 シルフィードによって加速したロイドはアーネストの左を走破し得物を振りぬく。それを剣ではなく腕で受け、更に弾き飛ばす。
 魔人化した身体はそれだけで武器となる。生半可な攻撃では打ち崩せない。吹き飛ぶロイドに対し地を蹴ったアーネストは斜め上から魔剣を振り下ろす。咄嗟に横に転がって避けたロイドを礫が襲った。
 砕ける地面、まるで導力車が衝突したかのような痕が刻まれる。その結果の余韻を味わうようにゆっくりと立ち上がるアーネストは両手を掲げて誇るかのように吼えた。
「馬鹿なことを! この圧倒的な力、これがグノーシスの力でありヨアヒム司祭の力だ! これで私はクロスベルの市長となり、既存の闇を取り払う! 私に劣る君にはできないことだ!」
「薬を使って得られた暴力に何の意味がある!? 他者を蹂躙するしかできない力にどうしてクロスベルが変えられるって言うんだ!」
 エニグマを駆動、大地が隆起してアーネストを襲う。それを一回転して振るった剣戟で微塵にし、盛り上がった筋肉で強引に加速する。
 刺突が尋常ではない速度で迫り、ロイドは避けきれない。間一髪差し込んだトンファーで軌跡を曲げ、しかし右脇腹を鋭利な痛みが襲った。
 アーネストの追撃、刺突を強引に止め、薙ぐ。差し込まれた左のトンファーを弾きながらロイドを吹き飛ばした。

「暴力も力だよ! 確かに平和的な力で解決することが望ましいのが一般論だ、だがそれでクロスベルは変わったのか!? 変わるのか!? いいや変わらない、変わらないからこその七十年の歴史だ!」
 痛みに足を止めたロイドにアーネストが迫る。しかし間合いの一歩外で不意に跳躍、後退する。
 直後、一瞬先の未来に彼がいたであろう場所に時の刃が殺到した。その出所、エリィ・マクダエルを見つめたアーネストは更に続ける。彼の瞳に映る彼女の顔は苦痛に満ちていた。
「君たちは何故わからないっ!? 今のクロスベルは腐敗し不正が蔓延る最悪の都市だ、それを正すためには私が市長となりハルトマン議長と提携するしかないじゃないかっ!」
「……っ、そのハルトマンが腐敗の象徴だろう! それに乗っかる形でしか力を得られずまた不正を正せないなら、そもそも感じる正義がおかしくなっているんじゃないかっ!」
「何を馬鹿なことを! 私が信じる正義、正しい世のあり方とはエリィ、君が抱くそれと同質のものだ! それらは全てヘンリー市長の導きによって得られたものなのだから!」

 そう、全てはヘンリー・マクダエルから始まった。
 アーネスト・ライズは彼の思想に希望を抱き、エリィ・マクダエルも尊敬すべき祖父を見続けてきた。しかし今は違う。声高に思想を告げる彼の人は、エリィが知る当人とは離れすぎている。
 左の拳を握り締め、剣を振るう。それだけで鎌鼬が発生し、ロイドとエリィに裂傷を生む。倒れこむ二人、ロイドは蓄積したダメージに、エリィは外傷以上の心の痛みに歯を食いしばった。
「そうだ、私は正しい。この私によって導かれたクロスベルは大陸一の存在となり、やがては世界の命運すら掌握するだろう。そしてエリィ、その時に君は私の傍にいるべきだ! 君と私は同じなのだからな――!」
「……っ」
 最後に聞こえた言葉。エリィは目を見開き、

「同じなものかッ!」

 そしてロイドは渾身の一撃を放ちアーネストを固定する。今までで最大の威力、アーネストは剣で受けつつ沈み込む両足に驚愕した。
 碧の光がロイドを包み、全ての感覚が加速する。その威力・速度はアーネストの想定外のもので、故に彼は受けに回るしかない。一撃ごとに響く甲高い音とともに、その意志が外化されていく。
「あんたがしたことは許されない邪道だっ、たとえエリィとあんたの目指す道が同じだったとしてもエリィならあんたみたいなやり方をしない! 現市長の暗殺! 病院の占拠! いやそもそも、あんたみたいにグノーシスに頼ったりなんかしないんだ!」
 前方に回転しながらの両の振り下ろし、それに対し体幹を限界まで引き絞った斬り払いが迎撃する。両撃は互角、しかし安定していたのは地に足着けるアーネストである。
 中空に飛ばされたロイドを跳躍して追撃、その足を掴み叩きつけた。ロイドの身体が跳ね、口から血が零れる。そのまま降下したアーネストの必殺の一撃を四肢の奮起で回避したロイドは一瞬で姿勢制御、回避の反動を利用して螺旋の突進を見舞う。アーネストはそれを両手持ちの剣で受けた。

「確かにグノーシスは君たち無能な警察から見れば許されないものだろう。しかし! しかしこの力があればクロスベルを変えられる! 市長の目指したこの都市のあるべき姿が実現するのだ! ならば手段など関係ない、未来が最良ならばその過程が批判されるべきものでも後の世では賞賛される! それは歴史が証明しているのだよ――!」
 アーネストの身体が後方に沈んだ。瞬間、ロイドは腹部に蹴撃を受け悶絶する。丸まった体勢で跳ね飛ばされた彼の思考が停止する。
 両足に力を込めたアーネストは再びの好機を逃すまいと一層の集中を実現し――
「なら――」
 ふと聞こえた懐かしい声に顔を向け。

「ならおじいさまを殺そうとしたのも正しいと仰るんですか――ッ!」

 その弾丸をその身に受け入れた。
 導力で構成された銃弾、それはしかしアーネストを傷めるほどの威力はない。しかし何より、共に放たれた言の葉が、身体の芯に衝撃を与えていた。
 ロイドはその一瞬の隙により自身の制御を取り戻す。しかし彼は攻撃を開始することはなく、ただ距離を離して転げるように着地した。
 そこは共に戦う彼女の隣。アーネストのものではない、自分の居場所。
 横に見える彼女の顔には悲しみが見て取れた。目に浮かぶ涙は如実に語るが、それよりもその言葉のほうが深かった。
 もう彼女の銃口は彼に向いていない。アーネストも、彼女に剣を向けていなかった。

「おじいさまの信じる正義、それを背負っているというあなたが、どうしておじいさまを殺して市長になろうとしたのですかっ! 尊敬する人の殺害、その過程すら、正しいと言うんですか……っ」
「正しいさ! 市長は強行できる年齢ではない、かと言って後進に道を譲ることもできない! 帝国と共和国、そのどちらにも組していない議員など本の一欠な現在では不可能だからだ! それではあの人も犠牲になってしまう! 君のご両親のようにクロスベルの闇の犠牲に! なら強引にでも政界から身を引かせる、それのどこが間違っているんだ!」
「なら貴方の凶刃に倒れたほうが良いと仰るんですかッ! 何より信頼していたあなたにならおじいさまはきっと先を任せられた! そのあなたに襲われた事実、それこそが何よりおじいさまを苦しめたというのにっ……それなのにあなたはまだ闇に囚われている。根本の理念は変わらないのに、どうして手段を選ばなくなってしまったんですか……」
 俯いた彼女の見つめる先には雨が降っていた。一つ一つの雫が落ちる時の輝きを、強化された視界が明瞭に送り届ける。
 その光景に、ずきりと心が痛んだ。

「おじいさまの正義が自分の正義だと言うのなら、どうして最後までおじいさまと共に歩んでくれないんですか――っ」
「アーネスト! あんたがすべきことは市長を殺して後を継ぐことじゃなく、市長と一丸となりハルトマンを失脚させることなんじゃないのかッ!? あんたの言い分だとハルトマンが市長と同じ正義を抱いていることになるんだぞ!」
「そんなことはないッ! ハルトマン議長が同じならここまでクロスベルは腐敗していない! 市長だって心労を重ねることもなく、君のご両親だって離れることはなかったはずだ!」
 その絶叫は、俯いた彼女の顔を上げるには十分すぎた。呆然としたエリィがまるで視界に入っていないかのように、自身に言い聞かせるように、アーネストは言葉を続ける。
 そう、自身に言い聞かせるように。

 魔剣がどす黒い瘴気を纏い、アーネストを包み込む。経験したことのない怖気が二人を襲うが、まるで蟻地獄に嵌ったかのように金縛りに遭い動けない。
 大気が渦巻く。その支点はアーネスト・ライズ、毒にも似た汚染された空気が螺旋を描いて二人を引き寄せていく。
 その終着点は黒の魔剣、アーネストは全膂力で以ってそれを大地に突き刺した。それはアンカー、グノーシスの力を地面に伝える回路である。
 刹那、二人の体内を猛毒のような衝撃が走りぬける。声を出すこともできない激痛と、決壊したダムのように流れていく体力。
 黒い渦に沿うように二人の力は流れていき、まるで剣がそれを貪っているかのよう。
「が」
 再び衝撃が襲う。心臓を圧迫するように暴走する瘴気。内臓を強打されたような感覚が全身を包み込み腰が砕けた。
 地面に倒れこむ音すら彼方のようで、しかしそれを認めてはならないと必死に歯を食いしばった。
 口元を真紅に染めたエリィはそれでも霞む視界の中にアーネストを捉えて放さなかった。今の激痛よりも、直前の言葉の衝撃のほうが凌駕していた。

「アーネスト、さん」
「そうだ! 議長と市長が同じ志を抱いているならこんなことにはならなかったッ……! だから私はその二代表が協力できる未来を作る! 私が市長となり、クロスベルを変えるのだ! 私は、あの温かかった家族を守るために――――」


「あの家族を守るために、どうして市長を殺すんだ……?」


 その、ほんの小さな違和感が、爛れた身体に溶けていく。

「私が政治の道を選んだのはヘンリー市長のおかげだ、なのにどうして市長を殺す? 安らぎをくれたあの人たちのためにクロスベルを変える、なのにどうしてその家族である市長を殺す?」
 まるで迷子になってしまったかのような瞳が足元を見続ける。救いを求めるように上げられた手のひらを見て、人外のそれが自身のものだと自覚する。それでも、アーネストは呟いた疑問の答えが出ない。
「アーネスト、あんた……」
「市長を助けたいと願っていたはずなのに、どうして私は、市長に剣を向けたんだ…………?」
 その最大の疑問。エリィは声もなく、故にロイドは彼女の気持ちを代弁するように口を開いた。
 おそらくアーネストもわかっている、知っている。しかし変わり果てたその身体では答えは出てこない。ならばそれは他者が言ってやらなければならないことなのだ。だからこそ回復もままならない状況でも踏ん張らなければならない。
 これは彼を救うためでもあり、何より彼女を救うために必要なのだ。

「アーネスト、あんたは言ったな。『過程が批判されるようなものでも――』と。それはつまり、マクダエル市長を殺すことが間違っていることだって、本当はわかっているからじゃないのか?」
「あ…………」
 がらんと。
 空気を響かせて魔剣が堕ちた。瞳に生気が、人間なら当たり前に持つそれが蘇ってくる。
 そんな呆然とした彼に、立ち上がり涙を拭ったエリィが微笑を送った。ふらついている、立ち上がることすら苦痛のはずだ。だがエリィの顔にはそれによる苦悶が現れていない。ロイドはその背中を優しく支えた。

「――アーネストさん、貴方の家族として、今の貴方に言いたいことがあります」
「エリィ。どうして、私に銃を向けるんだ……?」
 アーネストは暗い銃口を不安げな様子で見つめる。そこには今の魔人化したものではない、原初の彼が見て取れた。
 だからこそ、エリィの手は震えを訴えていた。今引き金を引く相手は正しく彼女の憧れた存在に他ならない、家族に他ならない。そんな存在をこれから手にかける、それは他人事であっても心を痛める出来事で、そしてこれは自分自身のことだった。
 当たり前に身を委ねたい、そう思う教え子の自分。そして、それを見せてはならないという成長した自分。その鬩ぎ合いが感じられる。
 それでも、不安をわかってくれる仲間が傍にいた。
 背中に感じる温もりがそれを教えてくれた。
 だから、今のエリィは銃を微塵も動かさない。動かしてはいけなかった。

「今のあなたは正気ではない、そんなことはわかっています。でもその原因を作ったのも貴方自身です。なら、責任を取らなくてはならない」
 これほどの規模の事件の主犯格である彼が責任を逃れることはありえない。それでも、彼が持つ本来の気持ちを知ってしまったエリィには警察官としての非情な選択もまた選べなかった。
 そんな未熟さが、今は少しだけありがたかった。
「私たち家族のためにここまで堕ちた貴方を、私はもう責められない…………でもだからこそ、けじめは私がつけなくてはいけないんだと思います」
「エリィ、私は……」
「もう休んでください、アーネストさん。悪い夢は、もう終わりなんです」
 悪い夢。
 そう聞いたアーネストは得心したように目を見開く。そこにはもう不安はなく、ただ子供のような安堵感があった。
「悪夢。そうか、悪夢か」
「次に起きたら全てが終わっています。だから、安心してください」
「そうか――――君がそう言うなら、そうなんだろうな……少し疲れたよ、エリィ……」

 そうして、アーネスト・ライズは目を閉じた。暴力を体現したような姿で、しかし内面は既に無防備だ。
 その異形の迷子に対しエリィは指に力を込めた。乾いた音が響き、今まで弾かれていた弾丸が嘘のように胸を貫く。
 その哀しい軌跡を受けた魔人は果たして崩れ落ちる。スローモーションのようにその姿を見つめ続けた彼女の瞳から最後の雫が零れた。それが地に落ちると同時、アーネスト・ライズはかつての姿を取り戻して沈黙した。
「さようなら、アーネスト先生。もう今までの関係には戻れないけれど、でも、それでいいんだと思います。私はもう、貴方に教えられるだけの生徒ではいられないから」
 エリィは天を仰ぐ。もう涙を零してはいけないと自制するように。

「エリィ、大丈夫か?」
 それを傍で見守ったロイドが口を開いた。彼の目にはエリィが風で飛ばされそうな綿毛のように見える。
 しかしそれは幻だ。その綿毛は既に、自身が生きる場所を見つけているのだから。
「ええ…………行きましょう、ロイド。もうじき夜が明けるわ」
 銃を仕舞おうとして、しかし手がそれを放してはくれなかった。今更になって震えがきている。
 その弱い手に、誰かの手が重ねられた。
「それでいい、それでいいんだ」
「ロイド……」
「それは、持っていていい弱さのはずだから」
「…………もう」
 せっかく我慢したのに、と。
 エリィは再び頬を伝った水を感じながら微笑した。




 * * *




 果たして、最後の障害は取り払われた。ガルシア・ロッシとアーネスト・ライズは沈黙し、魔人化したルバーチェ戦闘員も地に伏せる。
 彼らが守っていた先への道を進むとそこは牢獄、そこには行方不明となっていた一般人とマルコーニの姿があった。
 喚くマルコーニを一喝し黙らせる。マルコーニはさておき、一般人を魔獣が跋扈するこの空間に置いておけない。遊撃士の二人が護衛として付き避難を開始させる。
 一人取り残されたマルコーニは呆然とし、そしてロイドは聞きたかった言葉を聴いた。


 朝日が昇るまであと一時間。揺籃の見つめる儀式の間にて、特務支援課は最後の司祭と対面する。



 初出:8月26日


 どうしてこんなにハイペースなのか。それは八月で一区切りつけるためです。具体的にはあと三話。
 アーネストの錯乱っぷりに免じて論理がおかしいところは容赦ください。いやもちろん突っ込んでくれれば修正はします。



[31007] 6-8
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/28 13:35



 天蓋のない、清涼な空間。神秘的と言っても過言ではない世界は周囲を水で囲んでいる。地底湖だろうか。
 石畳の通路の幅は7アージュほど、先に見えるのは正方形の広間であり、それを更に大きな同形の枠が囲んでいる。その枠も輪に囲まれており、足場は複雑に見えてパーツの種類自体はそう多くなさそうだ。
 そして、その広間の先には彼らを見下ろすように高く積み上げられた祭壇。最上部には不思議な碧の炎、そして小さな火種に囲まれた揺り籠がそこに佇んでいた。
 それは病院で発見した写真に写っていたもの。キーアと名乗る少女が閉じ込められていたものに相違ない。ただ少女が入っていたときには満たされていた水がなく、それ故に赤紫色をしている。
 その色は揺り籠の背後に聳える巨大な瞳の色だった。D∴G教団のシンボルである。
 そして彼は、揺り籠を守る番人のようにそこに聳えていた。

「ヨアヒム・ギュンター……」
「ふふ、歓迎させてもらうよ、特務支援課の諸君。我らの始まりの地にようこそ」
 専用の司祭服に身を通したヨアヒムは笑みを浮かべてこちらに歩いてきた。四人は油断なく武器を構え、そして歩みを止めたヨアヒムを厳しい視線で見つめる。それも彼にとっては柳に風のようだ。
「グノーシスを投与された人たちを解放しろ、と言ってもあなたは聞かないんだろうな」
「いや構わないよ、キーア様を連れてきてくれたらね」
「だから、だよ。そんな選択肢は俺たちにはない」
「あなたがキーアちゃんを欲する理由は何?」
 エリィが問う。ヨアヒムは心底意外そうな顔で言った。
「我らが御子を返して欲しい、という願いがそんなに不思議かい? キーア様はこの祭壇でずっと眠っておられた、我々D∴G教団の祖である錬金術師が建設したこの地でね。それはつまり、我々の同士、仲間、そして何より君たちの好きな家族と同じものだろう?」

 ヨアヒムは言う。キーアはこの祭壇で五百年もの歳月を過ごしてきたのだと。
 太古の錬金術師がどういう理由で彼女をそこに眠らせたのかは定かではない、しかし運命は少女を御子と決めていた。彼はそれに従っているだけなのである。
「……たとえ家族でも、望まない帰還なんて許容できません。いえそもそも、あなたたちが家族なんて言葉を簡単に使ってほしくないです!」
「ティオ君。そうだ、君には聞きたいことがあったんだよ」
 ティオが食って掛かるも全く興味を示さないヨアヒムは、思い出したかのように少女に問いかける。
「君は我々の実験ですばらしい力を得られたのに、どうして教団を恨んでいるんだい?」
「――っ!?」
「君の力は叡智に近づいたことの証左だ。人の領域を逸脱しうる能力、それに対し感謝こそすれ恨むだなんて、いや全く理解できない」
 首を振るヨアヒムに対し全員が愕然とする。そしてそれは瞬時に怒りへと変換された。
「望まない変化にどうして感謝しろって言うんだ! 誘拐され家族から引き離され、耐え難い苦痛を強いられた!」
「あなたは人の心がわからないのッ!?」
「でも今は幸せなんだろう? 過去の結果としての今が良いならそれを導いた過去も賞賛されるべきだ。だって君がここにいるのは、我々が実験を施したからなんだからね」
「な……」

 それは先に聞いた言葉に似ている。アーネスト・ライズが市長暗殺を肯定しようとしたその言葉に。
 しかし決定的に違うのは、ヨアヒムは達成したことを肯定しようとしていることだ。被害者である少女の目の前で、それが正しい、良かったことなのだと認めさせようとしている。
 アーネストの時は市長暗殺は未遂に終わり、グノーシスという要因もあった彼はそれ故に戻ることができた。しかしヨアヒムは違う。自分の意思でそれを行い、かつ正しいことであると信じて疑わない。
 願望と直結したその行為にヨアヒムは一切の後悔をしておらず、むしろ言葉通り賞賛されるものであると本気で思っているのだ。
「違う! ティオがここにいるのはその経験を乗り越えたからだ! 教団が賞賛されることはないし、肯定されることすらない! 妄言もいい加減にしろッ!」
「だから、乗り越えたという事実はその経験があってこそだろう。つまり彼女にとってその経験は必要だったんだ。ほら、我々は認められるべき存在だろう」
 確かにその事実は今を作り出すためには必要だった。しかしそれでも、今が良いからと言って過去の苦痛が正しいものであると断じることはできない。良かったことであると認めることはできない。
 過去の悪夢がなかったならば、少女にはもっと幸せな日々があったかもしれないのだ。

「…………確かに、わたしにとってその経験は必要だったのかもしれません」
「ティオ!?」
 しかし、ティオ・プラトーは敢えてそれを認めた。ヨアヒムの口が歪む。驚きをもって見つめる他の三人をよそにティオは告げる。
「そのおかげでガイさんと会って、ロイドさんやエリィさん、ランディさんと会って……そしてキーアに会えました」
 ティオはまっすぐな視線でヨアヒムを見る。そこには確かな意志があり、

「――そして、ヨアヒム先生をとっちめたい気持ちも人一倍です」

 ヨアヒムはそれに自身の失敗を見た。
「…………」
「生憎ですが、先生の言葉は想定の範囲内です。生きた被験者であるわたしをあわよくば抑えたいと思っているのでしょうが、残念でしたね」
 魔導杖を構え、狙いを定める。いよいよもって、ヨアヒムは嘆息した。

「……ふふ、確かに残念だ。だが今のは方法の一つでしかない。そもそも私には君たち四人の生殺与奪の権利が十分にある。完成したグノーシスと先達の技術によってね!」
 掲げた手の先に紫電が走り、少女と同質のものが現れる。がっしりと握られたそれは触を契機としてマゼンタの光を灯す。同時、彼の左右にも同様の現象が起き、巨大なオーバルマペットが姿を現した。
「魔導杖!? エプスタインのものじゃない……っ」
「そんなまがい物と同じに扱ってもらっては困るな。これは言ったとおり錬金術師が造り上げた魔導の結晶、早すぎた女神の贈り物と言われて粋がっている代物を凌駕する一品だよ! こんな風に強力な人形を召喚・使役できる!」
 更に祈るように力を注ぐ。赤銅色の魔導人形に光が灯り、強大な威圧感を生じさせた。それは目を霞めるほどの大きさだが、それよりも驚愕すべきことが四人を襲う。

「その髪の色は……」
 水色、それはティオと同色のもの。それがヨアヒムの髪色だった。
 もしかしたらそれはグノーシスを投与された人間に起こる症状の一つであったのかもしれない。しかし今は違う。ヨアヒムのそれは一切の色素をなくし、人間のものとは思えないほどの混じりけのない純白に変容していた。
 赤い瞳と生来の白い肌もあいまってまるでアルビノのよう。しかしそれこそがグノーシスの変容に他ならない。
「グノーシスの投与が規定値を越えるとこうなるようだね。そのせいかな、ここ数年睡眠をとった記憶がないよ」
「なるほどな、それで研究の時間がとれていたってわけか。てめぇにとっては最良の結果だな」
「理解が早くて助かるよランディ君、そういえばせっかく君たちにもあげたのに飲んでいないようだね。全く、ああまで親身になったというのに酷いなぁ」
 ヨアヒムはキーアが支援課の下に訪れたと知った時から、グノーシスの投与を考えていた。そうすれば容易く御子を取り戻せるからだったが、どういうわけかそれは果たされなかった。その点は今も彼が抱く疑問である。
 しかし四人はそれに答えない。答える必要はなく、またそんな余裕もなかった。

「――さて、おしゃべりもここまでにして始めようか。死なない程度に痛めつければグノーシスの効きも良くなるだろう。そうすれば全員が幸せだ、ぜひ協力してもらいたいね」
「戯言を、俺たちはそんな幸せは望まない! 作られた幸福なんて仮初に過ぎないんだ!」
 ロイドは叫び、ふと脳裏に少女の姿が過ぎった。そう、これは少女のための闘いなのである。
「あなたが狂わせたクロスベル、それを解放させてもらうわ!」
「D∴G教団、今日こそ壊滅させてもらいます!」
「落とし前、って知ってるか? 絶対に逃げられねぇもののことだよ!」
 気合を込め、意志を込め、改めて対峙する。
 二体の魔導人形はまるで天使のようにその翼をはためかせ、ヨアヒム・ギュンターは狂気にぎらついた瞳で裂帛を受け止めた。
「叡智に至らない身はこうも無様だ、君たちはやはり選択を誤ったのだよ。レグナ・アグエルはガルシア・ロッシに匹敵する力を秘めている。彼一人に圧倒される君たちが勝てる相手ではない!」
 そう、二体の魔導人形の戦闘能力はキリングベアと同等だ。しかも人間が持つ弱点などを持たずかつ自然回復の能力すら持っている。
 それが二体、そして未知の魔導杖を持ったヨアヒムもいた。この状況は楽観視どころか絶望すら抱ける状況である。そんなことは四人も既にわかっていた。
 しかし彼らに退路はなく、その意志もない。ならば全身全霊を込めて立ち向かう。その意志こそが四人の最大の武器であり、かつ急所でもあった。
「さぁ、君たちに教えてあげよう。限りなく新鮮で強大な絶望を!」

「――あら、それはあなたが感じるもののこと?」

 瞬間、二本の巨大な光がレグナ・アグエルを呑みこんだ。暴音と閃光が周囲を包み、四人は反射的に顔をかばう。光の柱は時間とともに巨大化し、そして一気に縮小する。
 まるで糸を引くように消え去った光の後には底の見えない穴だけが残る。その様を、呆然と見開いた瞳でヨアヒムは見ていた。
「な、何が……」
 ロイドは霞む視界で必死に情報を求め、しかしそれを発見したのは視覚ではなく聴覚である。つい先ほどまで聞いていた機械音、それが頭上から降ってくる。
 四人とヨアヒム、その間を遮るように舞い降りた天使は、無骨な両親に庇護されて最後の戦場に君臨した。

「会えて嬉しいわ、D∴G教団幹部司祭ヨアヒム・ギュンター。レンのこと、覚えてる?」
「…………は、はははは。もちろん覚えているとも! まさかまさか、こんなところであの脅威の被検体に会うとは! やはりこれも我らの悲願のためか!」
 ヨアヒムは両手を広げて歓喜する。レンはそんな彼に何の反応も見せず、ついと後方の四人を見た。
「ふふ、お茶会はまだだけど、招待しに来たわ」
「レン……」
「レンさん……」
「いやぁしかし、君がここにいるとはね。やはりグノーシスに呼び寄せられたのかな? かつての実験において君ほど特異な反応を見せる検体はいなかった。まさか周囲の他の検体の人格を取りこむだなんて、いやあのロッジが潰されたのは実に惜しい!」
「虫のいいことを言うのね。あなたは“楽園”には関与していなかったでしょう? もししていたらあなたはここにいないはずだもの」

 楽園――それはレンが囚われていたロッジの名称である。
 基本的に各ロッジの研究はグノーシスのためであったが、楽園はそれとは別な意味でも使用された施設である。後ろ盾として都合のいい有力者を取り込むことに力を入れていたこのロッジは、研究を統括していたヨアヒムにとってはあまり興味を惹かれない場所だった。
 しかしただ一人の少女だけヨアヒムは並々ならぬ興味を抱いていて、近々直轄のロッジに移送する予定だった。それも全ては襲撃によって藻屑と化してしまったのだが。
「ふふ、例の結社とやらか。確かに彼らの手にかかれば私も消えていただろう。しかし私は今ここにいる、それは教団の理想が潰えてはならないという証拠でもあるのさ!」
「それは違うわ。あなたが生き長らえたのはあなたのためじゃない」
 レンの否定にヨアヒムは眉を顰めた。
 断言にはそれに足る確信が必要で、確信には証拠が必要になる。しかし人が生き長らえる理由という漠然とした巨大な問いに、そんな証拠が果たしてあるのだろうか。
 いや、詮無いことだな……
 ヨアヒムは妄想と断じた。あるいは嘘、虚言であると決め付けた。
 しかし同時に、かつての自分があそこまで惹き込まれた少女の言葉を軽んじてもいいのかという疑念も残っていた。

「……ほう、では何かな? 私が今まで生きてきた理由というのは」
「あら、随分と殊勝なのね。研究者の性ってやつなのかしら……でも聞くのが早いんじゃない?」
 パテル=マテルが動く。重量を思わせる重厚な歩行音、壁が迫るかのようなそれにヨアヒムは顔色一つ動かさない。
「あなたがそれを聞くのは、殲滅された後でしょう?」
「――――確かに、この魔導杖でもそれを相手取るのは難しそうだ」
 ヨアヒムは魔導杖を落とす。それは事実上の降参であり、戦わずして勝利を収めたということである。しかしこの場にいる誰もが、これで終わりだとは思っていなかった。
 パテル=マテルがその爪を伸ばす。ヨアヒムの身体をホールドするつもりなのだろう。しかしそれが届ききる前に、ヨアヒムは懐からビンを取り出した。レンの意志を反映するようにパテル=マテルが止まる。
「――それね、真のグノーシスは」
「その通りだよ。尤も、今までのものが偽物だったかと言えば違うがね」
 ビンに入っているのは今までのグノーシスと同じ形状のもの。しかしその色は、凍えるような蒼から血のような紅に変わっていた。
「捻りがないが、紅のグノーシスとでも言おうか。言ってみれば濃度の違いでね、従来のものの十倍だ。それにしてもどうしてわかったんだい? これは隠し玉だったんだが」
 レンは簡単なことよ、と前置きし、ヨアヒムを見た。しかし彼女にはヨアヒムは映っておらず、かつての情景が映し出されていた。

「グノーシス――真なる叡智の目的は魔人化ではないもの。確かに制御可能な人間兵器を作り出すという意味では脅威だけれど、教団はそんな表面的な強化が目的ではなかった。空の女神を否定し新たな神を作り出す。その過程で人としての身体が保てなくなったに過ぎないわ。だからこそ、本当の意味ではグノーシスは完成していなかった」
「正解だ――――グノーシスの真の目的は遍く全てを知ること、量が少なくとも適合者でなければあんな醜い姿で止まってしまうし、むしろ知性も損なわれる。それじゃあダメだ、真なる叡智には到底たどり着けない。資質と馴染む時間が必要なのだ、あのアーネストとか言う男もそれなりだったが私には及ばない。長年自身の身体で研究してきた私なら! いやだからこそ、これは私のためだけのものなのだよ!」
 ざらざらと錠剤を飲み込む。十倍の濃度のグノーシス、それを大量に嚥下する。足元にも零れたそれは途端に溶け、気化していく。その光景すらおぞましかった。
「――――ああ、見える。視えるぞ! これが叡智、これが世界か……ッ!」
 恍惚とした表情でヨアヒムは呟く。ビンを握りつぶし、その破片で手を切り裂いてもそれは一切変わらない。しかし彼が纏う空気だけは既に変容しきっていた。
 コールタールのような粘度を見せるおぞましい瘴気。それがヨアヒムを取り込んでいく。それは紫のカーテンとなり彼を包み込み凝縮、ぐにゃぐにゃと蠕動を繰り返し、そして一気に破裂した。

「な――!?」
「く……!」
 空気が吹き飛ぶ。それは津波のように周囲を押しのけようと迫ってくる。足を踏ん張りながらも長くは持たない、しかしそれを守るようにパテル=マテルの巨体が遮った。
 音の暴力が消え去る。
「あ、ありがとう、レン」
「…………」
 ロイドの言葉にレンは答えず、まっすぐに彼方を凝視している。釣られるように目を向けたロイドは、そして変わり果てたソレを見た。

「あ………………」
 呼吸のように腹部を、そして全身を蠕動させている。それはしかし人間的ではなくどちらかと言えば昆虫のようだった。
 青銅色の体躯、額に生える一本角を筆頭に鋭角に包まれたそれは溢れ出る瘴気に心酔しているようにも見える。しかしそれを如実に語るはずだった瞳には一切の意志が見えず、ただあるのは鈍い空色の部品だけ。
 そして特筆すべきは、その半分が地底湖に埋まっているという現状である。
 見上げる視線の先、パテル=マテルを凌駕する巨体の魔人がそこにいた。
「………………」
 魔人化したヨアヒムは思考するように沈黙する。その時間は確かに平穏だったが、後に訪れる嵐のような抗争を思えばそこに安らぎを覚えることは不可能である。
 口を真一文字に結び五人が得物を構えた。その姿勢にすら興味を抱かず、そしてヨアヒムは万感を込めて呟いた。

「何ということだ……私が今までやってきたこと、その全てがあずかり知れぬもの達の陰謀だったというのか。教団の意志すら………………いや、まぁいい。それもこれも全てはキーア様のため。そのために、邪魔な君たちを葬ろう」
 最初に聞こえたのは、諦観に似た嘆き。しかしそれ以降は影を潜め、今までどおりの攻撃的な意志が表された。
 そしてヨアヒムは言葉を紡ぐ。彼は確かに、ナニカを知ったのだ。
「三度目の正直というやつか。一度目は私が、二度目は君たちが勝った。お互い、殺し殺された仲だというわけだッ! そしてその拮抗、今回で潰えるッ!」
「な、にを言っている……」
 言葉がうまく出てこない。はっきり言ってしまえばまるで理解できないその言葉を、何故だろう、ロイドは確かな真実として捉えていた。
「叡智に至らぬ身では理解もできまい。何も知らぬまま、朽ち果てるといい――ッ!」
 裂帛の意志が大気を切り裂き、衝撃波となって五人を襲う。そのスケールの違いは絶望的、故に最初に動くのは唯一体格で差し迫るパテル=マテルである。

「パテル=マテル!」
 電子音で命令に返信、パテル=マテルはヨアヒムに接近する。上半身のみが表出したヨアヒムとパテル=マテルの大きさはほぼ同格、故にその一撃も拮抗する。
 移動からの右の一撃をヨアヒムは左手で受け止める。威力の大きさを思わせる音が響くと共に、パテル=マテルは更に左拳を振り上げた。
「甘いッ!」
 ヨアヒムはその一撃を屈んで回避、パテル=マテルの顎部に炎を纏った拳を叩き込む。
 この二者の決定的な違いはその柔軟性にある。パテル=マテルはオーバルマペット故にどうしても動きが鈍くなる。しかしヨアヒムの身体は生体、柔軟な筋肉は人間のように細かな動きを遂行可能である。
 ヨアヒムは更に放した左手にも励起を纏い連撃に繋げる。パテル=マテルは中心部にそれを受け、地鳴りを起こして倒れこんだ。
「パテル=マテル!?」
「くそ、俺たちも行くぞ!」
 レンの悲痛な叫びを契機としてロイドらもようやっと動き出す。しかしこの大きすぎる局面に矮小な身でどう立ち向かえばいいのか。
 エリィ、ティオにアーツを指示しつつランディとともに駆け出していく。明確な作戦はない。ただ何かをせずにはいられなかった。
 しかし、いくら彼らが全力を出そうとも、実質パテル=マテル以外の存在が今のヨアヒムにダメージを与えることは難しい。ロイド・ランディの迫撃を主体とする二人はその強固な肉体によって阻まれ、エリィ・ティオの魔法主体の二人は十分な精神力でなければ上位魔法であっても戦局に影響を与えられなかった。

 そんな中でただ一人、レンだけはその能力を十全に操ってその戦いに加わっていた。レンの得物である大鎌は確かに通らない、しかしパテル=マテルとの連携によればそれも十分な武器になる。
 ヨアヒムのアドバンテージが人間のようなフォルムであるのなら、ディスアドバンテージもまたそれなのである。つまり、人間の急所に当たる部位はヨアヒムにとっても脆い部分なのだ。伸びた指先であったり膝裏であったり眼球であったり。
 レンの知識の中で人体の急所である部分に正確に鎌を通す技量はロイドやランディを凌駕する。そして彼女の戦い方は苦戦する支援課が真似できるものでもあるのだ。
 的が大きいヨアヒムに対し相対的に小柄となった彼らを狙うのは難しい。ヨアヒムはその巨体で以って範囲が広い攻撃を繰り出そうとするが、それはパテル=マテルに阻まれる。その間に縦横無尽に駆け回る五人は小さな小さな反撃を繰り出していった。
 まるで針で突かれるような攻撃、それはヨアヒムのストレスを加速させていった。しかしそれは肉体的には余裕があるものであり、全てを悟った彼はこの状況を作り出している存在を正確に把握していた。

「ッ!」
 ヨアヒムの視線が一点に集中し、その先にいる少女――レンは確かな意志を感じ取って顔を引き締めた。ヨアヒムの両拳に真逆の力が集まっていく。
「パテル=マテル、ダブルバスターキャノン!」
 かつてない力の集中にレンも勝負どころと判断し、パテル=マテルの両肩にある収束砲を起動させる。ゴルディアス級の最高火力を誇る武装である。
 双肩から響くチャージ音は奇しくも相手の状態すら反映している。その高まりが最高点に達したのは同時、そして放たれるのも同時だった。
「薙ぎ払いなさいッ!」
「灰燼に帰せ――ッ!」
 二つの極線が衝突し、互いの存在で相手を侵食せんとひしめき合う。その余波は凄まじく、パテル=マテルとともに特殊なシールドで守られているレンを除外する支援課の四人は耐え切れずに後方に吹き飛ばされた。
 石畳の上を転がりながら光が消えていくのを待つ。何とか体勢を整え閃光が包んだ空間を睨む。程なくして明瞭となり、ロイドは決定打の攻防の結果を見た。

「…………」
「…………」
 互いに、無傷。攻撃の反動か、互いに放出口を煙で飾り立てていた。
 しかし次に動いたのはヨアヒムが先である。ダブルバスターキャノンはパテル=マテルの動作精度を落とす欠点がある。対してヨアヒムの技後硬直はそれより早く終了した。ただそれだけのことである。
 暫時のエネルギー不足によりパテル=マテルのシールドは減退している。この瞬間だけ、彼の主人であるレンは生身で魔人と相対しなければならない。
 レンは瞬時に最高速を為しヨアヒムの攻撃範囲を逃れようと後退した。しかしレンの小さな体躯では一歩の距離が短すぎる、ヨアヒムの次手を避けきれない。
 振るった右腕から炎が吹き出、レンを追走した。
 その速度は少女を越える、果たして後ろを振り返ったレンの視界は炎で埋め尽くされ――

「あ………………」

 そして、二つの影が守りあうように少女を掻き抱き危機を脱した。
「エステル、ヨシュア……」
「レン、無事……?」
「状況は逼迫しているようだね……」
 駆けつけた二人の遊撃士はそうして眼前の巨人を見る。その異形は既に見飽きていて、大きいという印象しか抱けない。
「レン、無茶しないでよ。ここにはあんたの家族がいるんだからね」
「拉致された人たちはタングラムの警備隊員に任せてある。安心していいよ」
 ヨシュアの言葉にロイドらは安堵のため息を漏らし、しかし地鳴りのような声に現実に引き戻された。

「……既に歯車は動き出した、か。援軍も来て安心したようで何よりだ」
「ヨアヒム・ギュンター、グノーシスでここまでの変貌を遂げるなんてね」
「大きさ的には輝く環を取り込んだ教授くらいかしら、大きくなってもいいことなんてないのに……」
 エステルが目を細め、哀しげに呟く。それを耳ざとく聞いたヨアヒムは沈黙し、そして徐に口を開いた。
「――君たちは随分な経験をしているようだ。その教授とやらが何であれ、私としても彼らとの決着を邪魔されたくないのでね、ここは君たちの心残りを具現しようじゃないか」
 それは悪魔の囁き。その口ぶりにヨシュアは眉を顰めた。
 まるで教授を知っているかのような口調、彼の本能が危険信号を発してくる。
「心残り、ですって……」
 エステルの言葉に応えず、祈るように力を発露させたヨアヒムはその左右に卵のような使い魔を召喚する。それは先のオーバルマペットではなく、まるで彼の手足であるかのように同種の異様を纏っている。

「グノーシスは精神の変容を肉体に影響させる。私が忠実な手足が欲しいと望めばそれに見合うものが作り出されるのさ。そしてその造詣は私の想像を忠実に反映させる――――つまり、君たちの記憶から読み取った存在を自身の身体の一部として具現化することもできる。こんな風にね!」
 使い魔が消失する。せっかく造り上げたそれが消える意味、それは彼の言葉通りの再召喚のために他ならない。
 二つあった影は一つとなり、やがて蟲のように蠢き形を変えていく。それは人間大、力を凝縮したように先よりも小さくなっている。
 だがそれでいい、それは記憶の再現――

「――まさか、再びお前たちと見えることになるとはな」

「レーヴェ……」
 レンが呆然と呟く先に、かつての剣帝の姿があった。



 初出:8月28日





[31007] 6-9
Name: 白山羊クーエン◆2c4c4cde ID:da9c9643
Date: 2012/08/30 01:06



 風が吹いていた。それは冷たく、緊迫した身体に心地よい。
 既に事件は佳境、解決に必要なピースはもう一つのみだ。首謀者の逮捕、ただそれだけである。
 しかしてそれに対し立ち向かう特務支援課と遊撃士。だがしかし、遊撃士には最良の相手が存在していた。
 それは、過去の清算という未来への一歩の体現だった。


 パテル=マテルが見守る中、特務支援課の四人とヨアヒム・ギュンターは対峙していた。ヨアヒムはその巨体故に上半身しか地底湖から出ていない。それでも大きさという絶対的な差で勝っていた。
 対する支援課が勝っているもの、それは数である。
 一人ひとりが人間の領域を出ず、かつ規格外の大きさを持つものはいない。そのため彼らの攻撃の大きさもその範囲を出ず、結果的に連携で以ってヨアヒムの防御を抜くしかなかった。しかし未だにそれは為されていないのである。

「さて、剣帝レオンハルト。私の邪魔をしないように場所を変えてくれるかな?」
 ヨアヒムの問いに偶像の剣帝が頷く。分身だというのに、反応した彼の表情には好意や服従の意はなかった。
 まるで彼自身の意志による行動が結果的に命令を遂行することになった、とでも言いそうで、本当に死した彼が戻ってきたように思える。
「行くぞ」
 レオンハルトの言葉に頷き、エステルとヨシュア、そしてレンが歩き出す。これで彼らの事件に対する役割が終了したことを理解しているのはこの場に二人しかいなかった。

「ロイド君、エリィさん、ティオちゃん、ランディさん」
 エステルが去り際、顔を向けずに言う。支援課も振り向くことなく聞いていた。
「大丈夫、あたしが保障するわ――――絶対勝てる」
「僕達も同じような状況を乗り越えられた。だから僕も言えるよ、君たちなら勝てる」
 ヨシュアも同意し、そしてレンが言った。
「パテル=マテルはここで見てて、後でレンに教えてね」
 二人より少しだけ遠回りしたが、それも立派な信頼の一言。知らず四人は口端を上げた。戦力の低下が気にならなかった。
「――さて、続きといこうか。じっくりやる時間もないからね」
 ヨアヒムの両の手に熱量が宿る。トンファーを回転させ、気力と意志を高めたロイドが叫んだ。
「最後の戦いだっ、各自全力を尽くして無事に帰るぞ!」






 空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない






「運命とはわからないものだな」
 レオンハルト――レーヴェはそうして変わらない瞳で三人を見た。
 アッシュブロンドの髪、琥珀色の瞳という怜悧な印象を与える容貌。灰色のコートを棚引かせ、左に握るのは異世界の理で創造された魔剣ケルンバイター。
 既に二年前に消えた命、そして今目の前にいる彼が記憶の中の再現であることは知っている。それでも、時の流れに逆らうように変わらない彼の姿が少し淋しかった。

「レン、どうやら二人に捕まったようだな」
「……うん」
 小さく頷くレンに、何よりだ、と返す。
「ヨシュア、筋肉が付いたな。線の細さは変わらないが、逞しくなった」
「……はは、レーヴェを越えるつもりだからね。これぐらいじゃ足りないよ」
 苦笑に篭もる感情を敏感に感じ取り、レーヴェは目を閉じる。弟の成長は純粋に嬉しかった。
「エステル・ブライト、誓いに嘘はないか?」
「――――もちろんよ。お義兄さんへの言葉だもの」
「…………そうか」
 優しい口調で返された答え。
 誓い――死する直前、心残りだった弟のヨシュアのことを任せた時に聞いた彼女の言葉、約束。それにより安らかに逝けた彼は、そうしてその言葉に嘘がないことに再び安堵した。
 尤もそんなものは聞く以前の問題であり、一目見た時から誓いに変わりがなかったことは理解できたのだが、そこは兄としての務めだったのだろう。

「――俺は、今の状況に感謝している」
 レーヴェはそうして、再び三人を見た。その視線に和やかな雰囲気はかき消され、空気に緊張が走る。レンがごくりと喉を鳴らした。
「成長したお前たちを確認できたこと、本物である俺は知る由もないが、それでもこればかりはヨアヒム・ギュンターに礼を言ってもいいくらいだ」
「レーヴェ……」
「だがそれがこれからの未来に影響することはないということ……わかっているな?」
 剣気が迸る。その威圧感は間違いなく本物のレオンハルト、身喰らう蛇の執行者最強と謳われる存在に他ならない。
「剣帝が剣を握った以上、そこに容赦は存在しない。かつてのお前たちならば知らず手を抜くということもあり得たが、そんな場所はもう通り過ぎているのだろう?」
 それは疑問ではなく、確信。レオンハルトはその問いに対する答えをもう知っている。
 彼が手を抜かなければならないほどに弱かったのは二年前の話、時の流れに従うように、三人も二年前の彼らではない。

「――影の世界でも戦ったね。あの時はケビンさんとリースさんもいた」
 ヨシュアが双剣を構える。
 彼が発する剣気は目の前の兄に教えられたもの。しかしその中には、確かに彼自身が培ったものもある。
 レーヴェは笑った。
「…………あの時、レンは嘘を言ったわ」
「…………」
「爪が痛そうだから、なんて断ったけど、本当は最後に撫でてほしかった」
 大鎌を持ち、レンは笑う。
「でも、今日はちゃんと撫でてもらうから――」
 今からの行為がまるでゲームであるかのような景品。だがそれでいいのだとレーヴェは思う。レンという少女が本当に解き放たれたのだと実感できる。
 レーヴェの持つ手に力が篭もった。

「この剣帝の絶技、今のお前たちなら乗り越えられるはずだ。お前たちの最高の一撃で俺を越えてみせろ。俺に、未来を示してみせろ」
 極限まで高められた剣気が冷気を纏い、周囲を牽制する。理とは逆の高みである修羅に至った青年、その生涯の疑問の答えを見つけるために編み出した剣技『冥皇剣』。
 その必殺に相対し、そしてエステルは笑った。
「レーヴェ……うん、あたしたちの今までを全部込めるわ、だから安心して眠ってちょうだい」
 タクトが軽い。今までにない軽さは高揚によるものか、はたまたその身を包む鳳凰の力ゆえか。
 どちらでも構わない、ただ今は、見守ってくれる彼のために最高の一撃が繰り出せる確信がある。
「ヨシュア、レン。あたしたちはきっとできる。だからやろう――」
 一発勝負、信頼で編むトリプルクラフト。エニグマに登録もしていない、いやそれどころか一度も試したことがないその場の思いつき。
 しかしエステルのこの言葉に驚きを抱かなかった二人がいる。ただそれを、何の理由もなく頷ける彼らがいる。
 レーヴェが後方に跳躍した。彼らの距離が10アージュほどまで広がる。
 剣を回転させ腰溜めに、切っ先を正面に向けた。

「来い――ッ!」
 軌跡を残しながら三人が駆ける。
 それを泰然と迎え撃つ剣帝。
 彼の絶技『冥皇剣』は受けの技である。迫る相手に対し絶対零度の空間凍結で封印、地面に剣を突き刺すことでそれらを遍く破壊する。
 当然自分で肉薄して出すことも可能だが、初手である空間凍結の範囲から脱されないためには受けに回るほうが的確である。
 対策を講じ分散する者は今までにいなかった。彼の絶技を知って生き残れるものは片手で数えるほどだったからだ。

 果たして今の相手はその僅かな者たち。おそらくは凍結の瞬間を見極めて離脱、その後一斉攻撃するだろう。
 だがそれは平凡で器用な思考、レーヴェはその可能性を切り捨てた。不器用な彼らが、逃げにも見えるその一手を採用するはずがない。自身の意志を、感情をわかってくれているのなら、その方法は選ばない。正真正銘、真っ向から打ち破ってくるはずだ。
 その場合、本気でレーヴェには手加減ができない。
 もしかしたら死者である自分がその生を終わらせてしまうかもしれない。自分が託した希望が潰えてしまうかもしれない。
 そう考え、もう一度レーヴェは笑った。
 そんなはずがないだろうと、苦笑した。

 果たしてその瞬間が訪れた。




 * * *




「――第三者がこの場にいたのなら、その人物は言うだろう。『わかっていたことだ』と」
 ヨアヒム・ギュンターは肥大化した喉で空間を支配するように声を響かせる。清涼な空気は既になく、彼が発する異常な気によって汚染されている。言ってしまえばここは彼の世界、ホームグラウンドである。
 その中で、水の浮力に勝る自重で戦う四人の人間、限られた足場で数の利を生かそうと必死に走り回り、しかし、その限定された行動範囲はヨアヒムの攻撃をかわし続けるには狭すぎた。
「この絶対的な力の差でどうして君たちがここまで食い下がるのか、それは叡智を以ってしてもわからない究極の命題なのかもしれないな」
 濁った虚ろな瞳が見下ろす先には、疲弊し膝を着く特務支援課の姿がある。
 ロイド・バニングスはトンファーを右手にしか持っていない。戦いの最中弾かれ、それは湖底に沈んでいる。その空いた左手で胸を押さえ、オーバーヒートする心臓を懸命に抑えていた。
 エリィ・マクダエルは二挺の導力銃を持ったまま、しかし銃口は地を向いていた。両肩からは夥しい血液が溢れ純白の制服を汚している。息も荒く、視線は下げられたままだ。
 ランディ・オルランドはぎらついた視線をヨアヒムに向け、唯一立ち上がった。それでも気を抜くと倒れてしまいそうなほどに力が抜けている。ハルバードが重い、そう感じるほどに体力を消耗していた。
 ティオ・プラトーは魔導杖を支えになんとか上半身を持ち上げている。頬を伝う冷や汗は攻撃によるものではなく、絶えず仲間を支援し続けた結果の負担に他ならない。もう魔導杖を変形させることも適わない、そんな余力は残っていない。

「――あの二人の遊撃士は私ほどの大きさを持つ教授なる存在を倒したことがあるよ。それでも彼らと同等の力量を持つ者があと八人ほどいたがね」
 エステルとヨシュアの二人が身喰らう蛇の使徒“白面”のワイスマンを打倒した時、そこには多くの仲間がいた。七の至宝の一つ輝く環を取り込んだワイスマンの絶対防御はそれでも破れず、しかしレオンハルトの命がけの特攻によりそれを破壊、そして現在生きてこの場にいる。
 その事実はロイドらに僅かな希望を与えもするが、同時に絶望も与えた。
 彼らに劣る自分たちが、彼らよりも少ない人数で果たしてそれができるのか、と。

「君たちもわかっていたはずだ。グノーシスの力を得た私を見て、勝てるわけがないと悟ったはずだ。それなのに、どうして君たちは向かってきたんだい?」
「愚問、だ、な……! がは……っ」
 ロイドが立ち上がる。満身創痍の身体だが、その意志は微塵も揺るいでいなかった。
 口から血が零れる。それを拭いもせずロイドは言う。
「俺たちには誓いがあるんだっ、守らなきゃいけない誓いが……!」
「っ、そうよ……はぁ、はぁ、キーアちゃんと約束したんだから……っ」
 エリィが視線を上げ、片足を踏みしめた。ゆっくりと身体を持ち上げ、銃を掲げる。
「……キーアが、待ってる…………寝てられません……っ」
 ティオが身体を起こし、魔導杖に力を込めた。青い光が灯り、彼女の身体を包み込む。
「……けじめをつけなきゃなんねぇ、それを邪魔させるわけにはいかねぇ……!」
 ランディが赤紫の闘気を纏った。みしみしと各所が悲鳴を上げるが構わない。無茶をせずに未来はなく、無理をしなければ許されない。

「誓い、約束……理解できない理由だ。いや、これも立派な動機にはなるのか。外的なものか内的なものか、どちらかといえば後者に近いがさして変わりあるまい。そう、愚かであることに」
 ヨアヒムは未だ戦意の衰えない彼らを愚者と断じる。当然だ、彼らが今までに放った攻撃、その全てが、ヨアヒムにとっては針で刺されるかのような瑣末ごとに過ぎなかったのだから。
 グノーシスによって変異した属性耐久力は上位属性魔法すら突破できないほどの高みへと上り、硬化した外殻は武器による攻撃を寄せ付けなかった。
 既に四人の攻撃の中でヨアヒムを追い詰めるものは存在しない。故にヨアヒムはこれ以上の攻撃の意志はなく、その心を折りにかかっていた。
「それは自分のためなのか、はたまた相手のためなのか。偽善者が言うのは相手のため、独善者が言うのは自分のためだ。それで君たちはどっちなんだ? いや、答えなくていい。答えはわかっている。そう、君たちはこう言いたいんだろう。『両方だ』と。それこそ最悪の答えで、自分が愚かだと言っているに他ならない。どちらのためでもある、というのは動機としては最悪だ。ボーダーラインを跨って存在しては、結局のところそのどちらにも寄りかかれない。迷ったときにどちらかに傾くことを許せない。そう、どちらも選べないのだ! それは選択の、決意の放棄! 自分自身の意志を持っていない半端者が選ぶ答えだ! いや、答えですらない、答えることを先延ばしにして逃げ出している敗北者の証拠なのだ!」
 ヨアヒムの罵声が響いていく。それは物理的な衝撃となって四人の鼓膜を揺るがせた。
「そんな君たちが私を倒すことはできない。未だ答えを見つけられない愚者が、答えを見つけ、叡智を手にした私を阻むことなどあってはならないのだ――ッ!」
「…………」
 高らかに宣言したヨアヒムは天を見上げる。
 空は白み、直に夜が明けるだろう。その時に自分がどうなっているのか、それを想像してヨアヒムは微かに笑った。
 それと同時に、小さな言葉が耳に入ってきた。

「――今、何と言った?」
 彼が見つめる先には特務支援課のリーダー、ロイド・バニングス。彼自身釣りという趣味において関わりを持った好感の持てる人物だ。同時に凄まじく反吐の出る甘い男だったのを覚えている。その彼が果たして何を言うのか、ヨアヒムは興味が湧いた。
「――答えを見つけられないことはそんなに愚かか?」
「何だと……」
「答えを見つけられることのほうが少ないはずで、それでも人々は懸命に生きている。あんたはそんな人たちすら愚かだと言うのか? 今まで一緒に働いてきたウルスラの先生だって、釣公師団の人たちだって答えを得られていないはずだ。その人たちすら愚かだと断じるつもりなのか?」
「……何を言うかと思えば。グノーシスという叡智を授かっていない時点で愚か者だ。答えを得た私が、答えを得ていない君たちを圧倒し屈服させている。この事実こそがその答えだよ!」
 内心で興ざめしたヨアヒムは、しかし自身の内で起こる変化を敏感に感じ取った。故に、彼は再び両手に力を集める。
「君にはがっかりだ、ロイド・バニングス。真の神となったキーア様を見ることなく、ここで死するといい!」
 炎を纏った左の掌拿が迫る。ロイドはそれに対し無抵抗で、そして不思議なことに仲間も反応しない。

「――――」

 そして、ヨアヒム・ギュンターは不意に跳ね上げられた左腕とともにそれに気づいた。
「…………何をした」
 ヨアヒムの睨みを受けてもロイドは動かない。その、右腕を振り上げた状態で止まっている。
 彼の全身を淡い碧の光が包んでいる事実にようやく気づいたヨアヒムは、次いで、その原因を悟り仰け反った。
「くくくく、ははははははははははぁ! そうかそういうことか! ハハハハハハハハハハハッ――!」
 ヨアヒムは撃たれた部位を掴みながら哂った。
 それは今まで痛痒すらもたらさなかった矮小な一撃が確かなダメージとなったこと、その理由がグノーシスを通じて伝わってきた。
 それは彼の中で最も認められない事実であり、同時に薄々感じていた未来を具現化する事象だった。

「……答えを見つけていないことが愚かなはずがない。見つけられないから、それでも見つけたいから、俺たちは懸命に生きているんだ。それを侮蔑することは許さない」
 ロイドは淡々と、自分自身に言い聞かせるように言う。
 それはウルスラ病院で既に出た結論だ、故に他の三人も口を開ける。
「確かにあなたは自分自身の努力で答えを見つけたのかもしれない。でも、あなたのそれは誤った見つけ方。多くの人々を不幸せにするあなたは、きっと本当の答えを見つけきっていないわ……」
「多くの子どもを犠牲にして得られた答え、ちゃんちゃらおかしいです……わたしはそれを答えだなんて認めない、叡智なんて高尚なものなんかじゃないです……」
「何様なんだ、てめぇは……キー坊を神にするだとか寝言言って、てめぇのほうが神様気分じゃねぇかよ……」
「約束も、誓いも、守ろうと決めたからそうなんだ。誰かのためだとか、そんなことは関係ない。俺たちは決めたんだ、守ってみせるって決めたんだ。誰のためでもない、約束を約束とするために、誓いを誓いとするために――ッ!」
 ロイドを包む碧の光が一層輝き、強い光を放つ。それはまるで太陽のように周囲を照らし、朝日と共鳴するかのよう。
 その光はしかし目を眩ませることはない、ただの優しい光。ロイド・バニングスという存在を際立たせるための光。
 約束を、誓いを守ろうとする意志の力だ。

「越えなければ始まりすらしない! だから俺は――――あの子を救うために(・・・・・・・・・)あんたを越えてみせるッ! それが俺の誓いだ!」
 裂帛の闘気が立ち昇る。ヨアヒムの巨体を凌駕せんばかりに充実したそれは周囲に浸透し四人を包み込む。
 その懐かしいような光に四人は刹那自失し、しかし瞬時にそれは槍のような鋭さを以ってヨアヒムに向けられた。

「――――くはは」

 ヨアヒムは哂う。
 それは対峙する光に対してではない、紛れもなく自分自身に向けたものだった。
 それは自嘲に他ならなかった。

「教団の――私の道化ぶりは彼の者たちには大層お気に召すものだっただろうね。ここで私がシナリオ通りに敗北することで全ての計画が始動するというわけだ…………だが私もその役を演じきるつもりはない。ロイド君、君は知りたいだろう? ガイ・バニングスを殺した犯人を。ルバーチェには一切情報がなかっただろうからね」
「…………」
「ロイド……」
 ロイドは沈黙する。ヨアヒムの言葉は彼がクロスベルに戻ってきた理由である。彼が絶対に見つけてみせると決めた真実である。
 警察徽章を見つけた時、ガイ殺害の犯人はルバーチェであると思われた。しかし実際マルコーニに話を聞いたところ、彼はその詳細を一切知らなかった。
 警察徽章を持っていたのはルバーチェの構成員が現場から持ち帰っただけであり、彼らが見つけたときには既にガイは死んでいたのだ。マルコーニは散々苦しめられた捜査官の遺品を手にして悦に入っていただけに過ぎない小物だったのだ。
 それを聞いたとき、ロイドは特に驚きはしなかった。徽章を見つけた当初には激情が迸り冷静さを失ったが、それもエリィによって救われている。
 その時には既にその可能性を睨んでいた。それが現実になったところで、彼には真実を掴めなかったという結果にしかならない。
 故にロイドは沈黙する。もし本当にヨアヒムが答えを見ることができるなら、この次の言葉が真実である可能性はあるのだ。

「彼の者たちにとっては予想外だろうが、もう私には関係ない話だからね。君たちに肩入れするわけではないが、一つ教えてあげようじゃないか」
「あなたは、ガイさんを殺した人を……」
「くく、もしかしたらこれで終わってしまうかもしれないね。君たちが灯した最後の輝きは」
「どういうこと……?」
 エリィが漠然とした不安を抱き、碧の光が僅かに乱れる。それに口元を緩めたヨアヒムはそうして爆弾を投下した。


 ガイ・バニングスを殺したのはアリオス・マクレインだ――――


 光が霧散する。
 瞬間、ヨアヒムは両腕を振り上げた。四人に抵抗の余地はなかった。



 初出:8月30日





[31007] 0 終わりの始まり
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/08/31 01:23



 馬鹿な考えだとわかっていた。
 そんなこと、対峙した三人が誰よりもわかっていた。
 相手は剣帝、彼らが知る中で最強と言っても過言ではない人物、その絶技。それを前にして正面から立ち向かうというのは愚策以外の何物でもない。

 初撃の瞬間を見極め、回避。そして一瞬の技後を狙い、討つ。
 既に何度と見た技だ、集中力を極限にまで高めれば成し遂げられる作戦だ。そうすれば無事に三人は帰還し、新たなる未来を手に入れられる。
 そんなことは三人ともわかっていて、故に、それを選ぶ者はいなかった。

 三つの軌跡が剣帝に肉薄するのは僅か一秒足らず、初速から最高速に到達できないとはいえ時間は思いのほか少ない。その間に彼らは各々の思考を読み取り、各々の最善を実行しなければならない。

 しかしてその第一歩である最初の踏み込みは実現する。
 ヨシュアとレンはV字を為すように斜めに、エステルはまっすぐに突き進む。突進力のあるエステルと、速度で勝るヨシュアとレン、その分担は的確である。三方からの一斉攻撃ならばそれは確かに数の利を前面に押し出す形だろう。
 しかし剣帝の絶技は多対一を苦にしない攻撃範囲を持つため、三人が素直にそれを選ぶわけはない。

 エステルが倒れこむように螺旋を描いて加速した。鳳凰の光を纏ったそれは空気を切り裂き剣帝に迫る。
 同時、ヨシュアとレンが直角に急転換する。ヨシュアは白い闇の中に溶け消え、レンは黒い重力球を前方に発現、引き込まれるように加速する。
 鳳凰烈波、白夜光、レ・ラナンデス。彼らの持つSクラフトである。最短距離を貫く鳳凰烈波は攻撃力を落とさず、今までの暗殺術に剣聖の技術を組み込んだ白夜光は究極の速度を誇る。重力という逃れられない力を駆使するレ・ラナンデスは対象の自由を奪い、遍く命を刈り取る。
 一撃々々が必殺の威力を誇り、その攻撃は寸分の狂いもなく同瞬に剣帝を襲撃する。

 そしてそれらは、一つの洩れもなく剣帝の領域に呑みこまれた。

 三人の牙は剣帝に届く前に空間に固定される。地を離れていてもそれは変わらない、回避不能故の絶技。
 血液すら凝固したような感覚、指先を1ミリも動かせない。振りかぶったままに硬直するヨシュアとレン、螺旋の途中で停止させられたエステル。
 その表情に驚きはない、驚愕という反応を見せる前に三人の時間は停止している。
 その空間の覇者である剣帝はそんな様子すら見ず、もう一呼吸だけでその命を摘み取れる。そこに感情は一切ない、元々作られた存在であり、そのようなものを抱くことは余分だった。
 そして何より信じている。

 地に刺さったケルンバイターに力を込め、氷結した存在を破壊する力を込める。
 七耀脈を走るように伝わった衝撃に耐えられる者はいない。そうして全てを破壊してきたのが剣帝だ、今回もその動作に異常はない。
 目を閉じ、そうして祈るように終わりを込める。応えるようにケルンバイターは黄金に輝き――

 刹那、終わったはずの世界が動き出す。

 音が響く。それは時の止まった世界を砕く音、剣戟を振るう生の鼓動。
 エステルの左足が地に戻り、タクトを持った腕が動き出す。ヨシュアの振り上げた右腕がブリキの人形のように動き、両腕で十字を作る。レンの正面に紫閃が走り、彼女の顔に笑みが浮かぶ。


 そして、レオンハルトは微笑した。


 轟音が響き、凍結した全てが破壊される。
 それは捉えられた三人も例外ではない。未だ固まったままの部位に衝撃が走り血が吹き出る。
 それでも、それでも三人は止まらなかった。止まることなどできなかった。
 初撃はもう終わっている、三人に次手の切り札はない。故にここからが本当の勝負、耐え切った身体の全てで以って剣帝の存在を打倒する。

 ヨシュアは進行ベクトルを真逆にして距離を取り、レンも同様に重力に引き寄せられて後退した。それは助走距離、二人と剣帝が一直線上に並ぶ。
 そこは三人だけの領域、そこに第三者は立ち入れない。
 だからこそエステルは跳ぶ。三人が届かない領域を目指して跳躍する。
 エステルの視界が晴れ、空が見えた。朝日が立ち昇らんとする暁の空だ。
 その光を浴びながら大地を見た。三人の姿が古の城を背景に浮かぶ。ヨシュアとレーヴェ、レンの姿が見える。
 視線は合わない、しかし始まりは同時だった。

 位置エネルギーを味方につけ、エステルが急落する。
 砕けた右足と腹部が耐え切れずに悲鳴を上げる。それでも螺旋を体現した、彼女はそれでしか彼に応えられない。
 鳳凰が宿る、エステルは全てに支えられている感覚に身を委ねた。

 ヨシュアは人形のような両足を強引に動かす。七耀の力で動くクラフトではない動き、ならばそれを動かすのは身体を凌駕した精神だ。
 無理なのは理解している、彼の冷静な思考はやめろと叫んでいる。しかし彼も止まらない。理性や理屈では測れない感情の発露がある。
 体重が乗った左足が破裂した、それでも役割は果たしてもらう。一直線に目指すのは憧れた義兄、今の自分の全てを叩き込む。
 白に溶け、加速する。

 レンは思う。彼との出会いがなかった場合自分はどうしていたのだろう、と。
 ロッジから救出された時、そこに彼がいなかったなら、自分はどうしていたのだろう。
 しかしそれは彼女の明晰な頭脳をもってしても描ききれない予想図で、故にレンはそのことへの感謝を込めて先を見据えた。
 ドレスが裂け、白い素肌が鮮血に濡れる。
 特別な存在だった。兄のような、父のような、もしかしたら恋という感情だったのかもしれないモノを抱いた青年。
 彼が全力で応えてくれたことに喜びを見出し、そしてレンは重力球を創る。
 剣を刺した状態のレオンハルト、その動きを止めるそれは余波で小さく空間を乱し、その光景はまるで飛び立つ蝙蝠のよう。
 いや、それはもう蝙蝠にはならない。中途半端にはならない。全力で地を蹴った。柔らかい身体をしならせて鎌を振りかぶる。目指すのは銀の意志、家族となった二人とともに、記憶の中の彼と決別する。

 三人が迫る。それを肌で感じ取ったレーヴェだが、しかし迎撃の意志は湧いてこなかった。
 自身最後で最高の一撃、それを乗り越え迫る者に対し彼が取れる反応はただ呟くことのみ。
 万感を込めて、彼は、最期の言葉が自身のためではないという事実を素直に嬉しいと思った。


 ――――見事だ


 三つの軌跡が流れた。地上の二人が引き寄せあうように交差し、そして天より降り注いだ一つが終幕となる。それは三人で描く大地と剣、剣帝の一撃を表していた。

 故に――

「絶誼・明光剣――――少し強引かもしれないけど、でも受け取って」
「さよなら、レーヴェ。僕も会えて嬉しかった、今度はこんなことがないように頑張るから、姉さんと一緒に見守っていてほしい」
「レーヴェ……」
 レンはそのままの姿勢で固まっている。身体も限界で動くことも難しい、何かを堪えるように必死に顔に力を込めている。
 そんな少女の後ろから足音が聞こえてきた。地を踏みしめる音はだんだんと近く、小さくなっていく。
「あ…………」
 そして、少女の頭に手が添えられた。スミレ色の髪が優しく動く。
 それは次第に小さく、感触も薄くなっていく。もう時間なのだとわかった。
「――さよならレーヴェ。撫ででくれて……嬉しかったわ」
 青年が笑ったような気がしてレンはゆっくりと目を閉じた。雫が零れ、大地に帰っていく。
 それに背中を押されるように、過ぎし日の記憶は世界に溶けていった。






 空の碧は――






 ヨアヒムの腕がしなり、四人を襲う。
 それに反応することはできない、予想の範囲外からの攻撃が既に彼らを包んでいるのだから。
 果たして希望の光だった碧は消え、その一撃で彼らの命は潰える。それで終わり、この喜劇は終幕するのだ。だが、
「む……っ!」
「――悪いが、そういうわけにもいかない」

 それを空の女神は許さない。

「貴様、何故ここにいる――ッ!」
 ヨアヒムの身体は大蛇のような鎖で縛り上げられ硬直する。それを為した存在――銀は静かに地に降り立ち、鎖を地面に縫い付けた。
「真なる叡智とやらに至ったのならわかるだろう? それとも、もうそんな余力は残っていないか?」
「…………」
 金属が壊れる音がして、ヨアヒムの鎖が解かれる。それを為したのは紛れもなくヨアヒム自身だが、しかし挑発にも取れる銀の言葉には反論しない。ただ何かを思考するように沈黙している。
「銀……どうして」
 エリィが呆然と見やり、しかし目を逸らすなという忠告に視線を変える。
「とある人物からの依頼は、まだ完了していなかったのでな」
「依頼……それはいったい――」
「話す義理はない」
 そのまま大剣を構える銀に釣られるように全員が再び戦闘態勢を取る。しかし碧の光は潰え、霧散している。先までの全能感はない。

「――それでも、俺たちは行かなきゃいけないんだ。この先にある始まりに」
 ロイドが呟く。それは誰に対して呟かれたのかわからない。ただ彼の胸元にある白が輝いた。
「もう許されないんだ。立ち止まることは、膝を着くことは――――もうできないんだ……ッ!」
 碧の光がロイドを包み込み、四人が目を見開いた。同時にそれは拡散し再び全員を纏っていく。初めてそれに包まれた銀は仮面の下にある顔に感情を如実に表し、そして懐かしいようなそれに暫し我を忘れた。
「ロイド・バニングス、貴様…………」
 力が溢れてくる。いや、流れ込んでくる。今の自分が出せる限界を凌駕し、本当の全力すら上回る力が。
 それは間違いなく彼が睨んだロイド・バニングスの力。二属性という異常の源。それが自分にまで干渉してきて、故に彼は理解した。
 ――これは、ただの…………

「ぐぅ……っ!」
 ロイドが歯を食いしばる。操作しきれない強大な力の奔流に身体が付いていかない。
 仲間に流れるそれは余波に過ぎない。万能を感じられる力の大本はロイド自身の身体を駆け巡っていて、そのたびに切り刻まれるような激痛が伝わってくる。
 それでもこの力はヨアヒム打倒のためには必要だ。ならばこの痛みなど乗り越えてしかるべき――いや、この程度の力を操れなければ先はない。
 そうして懸命に耐える彼の左手に、優しい温度が添えられた。
「ロイド、無茶しないで」
「エリィ……」
「私もそれを受け入れたい。きっとこれは、持っていてもいい気持ちのはずだから」
 手と手が繋がる。絶えるように結ばれた彼女の口から苦悶の声が上がり、ロイドは僅かに和らいだ痛みを認めた。
「なら、わたしもそれを受け取っていいですよね」
 魔導杖が背中に触れる。うめき声とともに痛みが小さくなった。
「……ま、これもお兄さんの仕事かね」
 ハルバードが肩に触れる。痛みが更に小さくなった。

「な――――準備はいいのか?」
 なら、と同調しそうになった口を強引に停止させて銀は見守った。今は伝説の凶手である自分がそれに乗るのはおかしいが、本当なら、その中に入っていきたかった。
「……ありがとう、みんな」
 自分ひとりで耐えなければならない時はある。それでも今はその時ではない。
 こんなに支えてくれる仲間がいるのなら、自分は――あの誓いを知っている自分は、それを果たすときだけ一人でいればいい。その時までは、こんな仲間と一緒にいればいい。特務支援課のロイド・バニングスでいいのだ。
 碧の光が均等に四人に伝わり、同時に苦痛も共有していく。それでも驚くほどに痛みはなく、むしろ顔には笑みが宿っていた。

「ヨアヒム、終わりにしよう」
「……確かに、これで終わりのようだ」
 ヨアヒムが重い声で応える。不思議なことにそれまで行動していなかった彼は、再び両手に光を集めた。
 炎と氷、その相反するエネルギーを凝縮させて放つ最大の一撃は罵斗流怒愚魔。人間を蒸発させることすら可能な文字通り必殺の手である。
 それは恐怖を掻きたて、常人なら腰が抜けて立つこともままならない。
 だが今の五人には不思議な確信があった。死なないという絶対の自信があった。
 銀が掻き消えた。瞬間、ヨアヒムの身体に再び鎖が巻かれる。

 ――一際大きく心臓が鳴った。

 ロイドとランディが駆け、エリィとティオが詠唱を開始した。
 ヨアヒムは動かない。しかし既に変化は起きていた。青銅だった体躯はいつの間にか灼熱色をしている。マグマのようだった。
「コールドゲヘナ――ッ!」
 二人の声が重なり響き、頭上に光が放たれた。それは弧を描きヨアヒムの元に降り注ぐ。
 それは絶対零度のエネルギー、二人で初めて可能になる凍結系最強魔法。それは巨体を飲み込み氷柱に変える。
 この時点で勝負が決まっていてもおかしくはない、しかし小刻みに震えるオブジェはそれが決定打になり得ていないことを示している。
 だからこそそれを為すために二人は走った。ヨアヒムを挟み込むように位置取り、全体重をかけた足で跳ねる。
 ランディが暫時目を閉じた。思いの丈をその瞬間全てに費やしエネルギーに変える。

「バーニングレイジ――ッ!」
 二人の奏でる打撃音は確かに響いている。一撃ごとに氷ごとヨアヒムの身体が砕けていく。
 支援課の持つ最大の一手こそがこのコンビクラフトだが、それでも前撃はヨアヒムの体躯を砕くまでには至らなかった。しかし今は効いている、コールドゲヘナとともに確実にダメージとなっている。
 しかし今の乱打では終わらない、やはり最後の同時攻撃こそが鍵なのだ。そう思い、二人は一気に飛び退いた。それぞれの得物に光が一層集まり輝く。とどめの一撃は交差しつつ同箇所に、それで全てが終わる。
「アアアアアアアアアアッ――!」
 ランディの咆哮が聞こえる中、ロイドも全霊を込めて駆けた。残っている全ての力をこの一撃に賭けている。
 次手はない、正真正銘全てを賭けた一撃。

「――ッ!?」
 だが、それを待っていたのは彼だけではない。ヨアヒムは凍った上半身を一瞬で再起動しロイドに向き直った。依然として輝いていた両手は健在、それを集めて彼を睨む。
「ロイド!」
「ロイドさん!」
 二人が悲鳴のような声を上げるが動くことはできない。ランディも自身に背中を見せたヨアヒムに最大の一撃を繰り出すことしかできない。
 既に状況は固まった。ロイド・バニングスとヨアヒム・ギュンターの一騎打ちである。
「おおおおおおおおあああああああああ――!」
 体格差は十倍を軽く越える。傍目では既に決まった勝負。しかし当事者にその考えはない。
 完全に同格の、どちらに転ぶかわからない勝負だ。
 故にヨアヒムは人一人に向けるべきでないエネルギーを放ち、ロイドもそれに見合う力を噴出した。

 赤い光と碧い光が激突する。既に得物の大きさでは測れない力の奔流、ヨアヒムの高さほどにまで増大した光が互いを押し退けあう。
 ランディの一撃がヨアヒムを砕く。背面にクレーターができるも、既にヨアヒムには関係がない。赤の光が強まり碧を呑みこんでいく。
「ここで終われば幸せだッ、全てを忘れて眠るがいい――ッ!」
 全てを忘れる。それができればどんなに幸せなことか。
 何の変哲もない一捜査官として、クロスベルという限られた世界の一助となる。それはきっと幸せなことなのだろう。
 幸せで、そしてとても全うな人生になるのだろう。
「でももう俺には無理だ! 俺はもう、もう止まれない――!」
 運命の歯車は動き出し、もう止まることはない。それを知っている彼にはもう選択の余地はない。
 いや、既に選んでいるロイドにはもう選択肢すらありえない。
「終われない! 終われるものか――! 俺は、俺はぁあああああ!」




















 もう、誰も失いたくないんだ――――




















 閃光が全てを包み込む――――






 * * *






 支援課ビルの屋上は夜風が心地いい。日中は太陽が近いために日向ぼっこに最適でそれもまた格別だが、今のような心持のときは夜のほうが良かった。
 転落防止の手すりに身体を預け、空を見る。
 星が遠いように見えるのは、きっと前に見た時より立っている場所と自身の状態が低いからなのだろう。
 町のネオンを星空が落ちてきたようだと表現したのは誰だったか。今思うとそれはとても的確で、それが少し哀しい。
 星空に手が届かないように、目の前の町すらも朧と化してしまったみたいだったから。
 そう考えると今もまた、前よりも遠ざかっているということになるのだろうか。
 何から遠ざかっているのか、それを言葉に出すのは難しい。答えが抽象的なのか、それとも言葉にしたくないのか、そんな当たり前の気持ちすら他人のもののようにわからなかった。

「――眠れないのですか」
 隣から声がした。今までいなかったはずだが、そんなことに驚く余裕もなかった。
 眠っている彼らを起こさずに来たから、それはきっと別な誰かで、おそらく彼女だろう。彼女ならいつ現れてもおかしくないという印象がある。
 どうして現れたのか気になった。
「終わりを向かえ、そして始まった。それを見届けたからでしょうか」
 それとも御身の意志を問いたかったからでしょうか。そう告げる女性の髪が風にさらわれる。そんな自然な出来事すら届かないもののようだ。
 自身の行動理由を断言しないのは、おそらく自分に決めてほしいのだろう。
 もう既に始まっているのだ。始まってしまうのだ。

「怖いのですか? それとも、怖さ以上の何かを感じていますか?」
 恐怖。確かにそれはある。
 よく闇のような先の見えないものに例えられるけれど、今のそれはそんなものではない。
 ただ、広く深い。
 全てを容易く呑みこんでしまう志向性のない恐怖。それ故に実態がつかめず恐ろしい。
 でも同時に、正反対の意思もある。自分が動かなければいけないのだと。自分が変えるのだと。
 それがおこがましいことなのはわかっている。それでも、それでも、これ以上彼らを苦しめたくないから――

「だから、私は決めたの――――あなたはどうする?」
「盟主からは極力――」
「それはもう聞いたからいいよ。別な答えがほしいな」
 隣人が沈黙する。言葉を選んでいるようで瞑目している。そんな人間的な仕草がおかしくて、つい笑ってしまう。
「……私は、言ってしまえば貴方と似たような存在なのです。そして私の目的の中には貴方を守ることも含まれている――――私は貴方の望むままに動きましょう。尤も、盟主に反することはできませんが」
「ありがとう。そう言ってくれるだけで十分だよ」
 最高の返事をもらうも、それは同時に突き落とされたことを意味している。坂道を下ってしまった以上、もう進み続けることしかできない。

 彼方を見る。暗い暗い夜空の中に、僅かな光が見えた気がした。希望を意味する夜明けの光だ。
 手すりから離れる。もう支えてはもらえない。自分の意志で、自分の力で切り開くのだ。

「――始めよう、アリアンロード。どうして私がここにいるのか、まだわからないけど。でも私はあの未来を変えたいと思う」

 決意を込めた眼差しが向けられる。そこに確かな意味を見出し、白銀の騎士は跪く。
 双眸が静かに閉ざされ、世界に闇が訪れた。






「それは“那由多”の意志でもある。御身にとって、この世界が最良でありますよう――――――キーア」









 完




 初出:8月31日



[31007] あかがき
Name: 白山羊クーエン◆49128c16 ID:da9c9643
Date: 2012/08/31 01:24



 あかがき

 拙作『空の碧は全てを呑みこみ、それでも運命の歯車は止まらない』をお読みいただきましてありがとうございます。これにて本作は終了です。
 とはいえまだ零編が終わっただけなので続きますけど。
 ここで一度完結としたのは、予想以上に零が長くなったので別スレッドにしたほうがいいかなと思っただけです。特に意味はありません。
 ちなみに、あとがきじゃなくてなかがきのほうがいいかな。でも一応完結したわけだし、という葛藤の結果がタイトルのあかがきです。

 零編を終わらせるにあたり、最後どうなったかというのを表記しませんでした。ヨアヒム氏すら死んだかわかりません。
 書いている間ずっと思っていました、各話の引きが弱いって。だからこうなりました。
 あれこれ想像していただければと思います。ノエルもミレイユもひどいことに……

 最初は碧の伏線張るだけの原作準拠でさくさくいこうとしていたのに、気づいたらレンは早々捕まるわキーアの記憶喪失嘘がばれるわアリアンさん出しゃばるわで、プロットを無視するにもほどがある。この点は登場人物に文句を言いたい。
 レーヴェに関しては本当の本当に思いつきでやったので文句も受け入れます。でも私は謝らない。本当に家族になった三人を見てもらいたかったんだ……!

 御託はいいとして、無事に区切りがついたので一旦休憩です。諸事情で一ヶ月続きが書けないので、碧編は10月からです。忘れていなければ読んでください。


 キーアの戦い、アリアンロードの真意、そしてロイドの変化。
 では、次作『碧落の軌跡』で。


 白山羊クーエン






 あ、核心とも言える重要な伏線が確か三、四個あった気がします。よければ読み返して考えてみてください。
 ヒントは『同じ物、ありえない物、知らないこと』です。わかっても明言しないでくださいね。




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