交通事故に巻き込まれ、次に目を覚ましたら別の人物になっていたなんていう、一昔前のドラマにありがちな展開がリアルにあるのだと、○○は今日この時初めて気づいた。
鏡に映る顔は到底18歳の大学生のものではなく、九歳やそこらの小学生程度のもの。おまけに何かの事故なんかに巻き込まれたのか包帯などを巻いている。
回りのベッドには自分と同い年くらいの少年少女たちが寝かされていた。
違う誰かに憑依するなんていう超体験から一時間、漸く頭が冷えて落ち着いてきた○○はどうにかして現状を把握しようと周りをきょろきょろ見回す。
しかしこの病室にはTV一つなく、あるのはお見舞い用の花瓶と病院特有の薬の臭いだけ。
携帯でもあれば簡単なのだが、と探すがそれすらない。
どうしようかと頭を抱えていると、病室に一人の男が入ってきた。
第一印象は枯れた人、だった。
まだギリギリで若いと呼べる年齢の筈なのに、浮かぶ顔には人生というものに疲れ切った老人のような雰囲気を感じさせる。
無精髭を生やした黒髪黒目の日本人らしいおっさんは○○の前に立つと、
「突然だけど施設に預けられるのと、知らないおじさんの養子になるの、どっちがいい?」
どこかで聞いたような言葉に○○の思考が停止する。
心の中で否定するが、一度そう思うと目の前の男がどうしても、どうしてもとある作品に登場するあるキャラクターに思えてしまうのだ。
そんな筈がない。
憑依は認めるが、そんな事はやはり絶対に有り得てはいけない事だ。
だけど気になったから、○○はこう尋ねた。
「貴方の名前は…なんですか?」
その人物は衛宮切嗣、と名乗った。
○○はそこで漸く、自分に起こってしまった事態を正しく認識始めた。
時の流れというのは早いもので、○○が○○ではなく衛宮士郎として生きていく事を決意してから、数年の月日が経過していた。
はっきり言って最初は混乱しまくり、とても中身18歳とは思えない醜態をさらしたりもしたのだが、それは○○……もとい士郎の中では黒歴史確定のこととして、心の中にひっそりと封印されている。
衛宮士郎に憑依してしまった理由は、きっとFate/zeroのドラマCDを聞きながら街を歩いていたからだろうと、無理矢理な理由で納得しておく。
現状を理解した士郎が最初にしたことは…………なにもしないことだった。
兎に角、なにもしない。
魔術なんて学ぼうとも思わないし、正義の味方になんてならない。
徹底して普通の少年になっていった。
養父となった切嗣が死んだ時は、胸にぽっかりと空いた喪失感に悲しみを隠せずにいたものの、どうにかして葬式などの手筈を藤村家の助けと中身大人の頭脳で乗り切ったりはしたが、おおむね普通の日々を送っていた。
しかし未来を知る士郎には、これから先ずっと平穏に暮らせる訳がないことを熟知している。
聖杯戦争。
七人の魔術師と七人のサーヴァントがガチバトルする戦いの火蓋が冬木市で切って落とされるのだ。
第四次聖杯戦争の終結、○○が士郎に憑依した十年後に。
はっきり言おう。
正義の味方なんて御免である。
確かにFateは好きだし、衛宮士郎も英霊エミヤも嫌いなキャラではない。
UBWルートではそれなりにファンとして熱い涙を流したものだ。
だが実際に自分が正義の味方になるのは嫌だ。
将来の夢は公務員である。
そこ! 公務員なんて下らねー、とか馬鹿にした人は出てこい!
不景気な今日この頃、公務員試験の難易度は日々上がっているのだ。
筆記で受かっても面接で不合格なんていうのは当たり前。
公務員試験という難関を乗り越えるには、それなりの試験対策とそれ以上の面接対策が必要不可欠なのだ。
この壁を乗り越えてこそ、サラリーマンより遥かに安定している公務員という職業につける資格を得る。
士郎の将来の夢は市役所の職員だった。
断じてデンジャラスな戦地を飛び回る正義の味方でも、物騒な連中が多い時計塔の魔術師でもない。
最終的に処刑されるなんていうのは小市民である士郎は断固辞退である。
ただ良くも悪くも、聖杯戦争さえ切り抜ければ問題はナッシングなはずだ。
聖杯戦争が冬木市で開催される以上、士郎自身が冬木市にいなければ聖杯戦争に巻き込まれないで済む。
そういう結論に達した士郎は自分の命が懸かっていることもあり行動は早かった。
藤ねえに都会の学校に行きたいと宣言すると、最初は泣かれたり抱きついたりタイガーしたりと大騒ぎだったが、どうにか宥めるのに成功すると、そこは藤ねえも一応は教師。士郎の意見を認めてくれた。
二度目の高校受験なだけあって前世より上にチャレンジしたが、それも大成功。
第二次受験戦争の勝者となった士郎は、見事に東京の高校への進学を果たしウハウハであった。
しかも前世でも経験しなかった一人暮らしと言うおまけ付き。
冬木に残った藤ねえが心配だが、原作でも死んだりしていないから大丈夫だろう。
あかいあくまだっているのだ。
それに……利己的な事を言ってしまえば、士郎は死ぬのが恐い。
冬木市なんていう魑魅魍魎が蔓延る街に居たくはなかった。
そして今日。
原作だと冬木市で聖杯戦争が始まった頃ぐらいだろう。
士郎はといえば、呑気に自分のアパートで録っておいた『僕は友達が少ない』を見ながら煎餅を食べていた。
「冬木では今頃、聖杯戦争やってる頃かなー」
いざ自分だけ安全地帯にいると、戦場のど真ん中にいる知り合いが心配になるものである。
士郎の場合はもっぱら藤村家の皆さんのことを心配していた。
「でも藤ねえって、確か幸運のランクがEXらしいから……大丈夫だと思うんだけど」
頭を抱える士郎だが、幾ら心配でもやはり冬木市に戻る度胸まではなかった。
彼は自分の命を危険に晒してまで他者を救おうとする見所のある少年ではないのである。
しかし、そうやって煎餅を食べている時。
手の甲に唐突に痛みが奔った。
「――――――――つッ。なにが…」
士郎は手の甲を見て、絶句する。
そこには聖杯戦争参加者の証である令呪が刻まれていた。
後書き
ssとかで思うんですが、普通殺伐とした作品に送られたら、恐いですよね。
これは作者のそんな妄想がそのまま形となっています。