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[30579] 【習作】パラダイム・パラライズ・パラダイス【オリジナル】
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2012/07/18 00:17
こんにちは、OXと申します。
以前チラシ裏で掲載していたものを、完全オリジナルとして独立させました。
至らない点、多々あるかと思いますが、どうぞよろしく。

・理想郷の方にも投稿しました。

初稿 2011/11/22 00:17



[30579] 1897年/2003年HAL編 「仕分け屋ジョン・Q・パブリック」
Name: 件◆c5d29f4c ID:5b1bfa4a
Date: 2012/07/14 12:41
AC2003年

現在

 お前は転生者か?いや、いい。解っている。
 そんな顔で私の元に来るものは、転生者くらいのものだからな。
 戸惑っているんだろう?
 ここはお前の知っている、コミックの世界であることは間違いない。
 だが、お前が知っている本来の物語からは、かなりの部分で逸脱している。


 安心しろ、私自身の来歴はそれほど変わりない。
 私の幼少期は戦いに明け暮れたものだったし、それが不愉快なものだったのも事実だ。
 高位の魔術師であり、吸血鬼であることもな。
 魔女狩りにあった不幸な女、そんなところか?私に対する評価は。

 そして、そんな高位の魔術師は教えを請うのに最適な存在であると、お前らが判断するのもまあ、間違いではない。
 大抵の転生者は私のところに学びに来るからな。
 だが、すでに物語は大部分で破綻している。
 故にお前の知識は必ずしもあてになるものではない。

 この世界が、本来辿るはずだった運命が、捻じ曲がってしまった理由を説明しよう。
 私は、そのためにここでお前達を待っていた。
 この2003年に来るだろうお前達を、な。
 そして、よく考えろ。おまえ自身が、何者でありたいかをな。

 19世紀末の事だった・・・・・・ブラムストーカーが「ドラキュラ」を書き上げる前夜。
 科学と合理主義が、魔法と宗教に取って代わる時代であり、大英帝国の支配に陰りが見え始めた時代の話だ。

 仕分け屋。
 奴らはそう呼ばれていた。
 在る存在が危険か、危険でないか。
 本物か、偽物か。有益か、無駄か。

 そして、有益ならば、誰の手に渡るべきか。
 その仕分けをする連中が、当時、あらゆる組織にいた。
 近代化の名の下、あらゆる神秘が封じられ、あらゆる最先端技術が開いていく時代には、その真贋を見極める人材が必要だったからだ。

 転生者トリッパー。お前達はそう自称しているな。
 ある世界から、その世界の中で物語とされている世界へと、流れ着く者たち。
 あるいは、前世の記憶として、この世界の歴史を知っている者たち。
 時には世界の理から外れたチートな力を持って生まれる
 祝福された-時には呪われた-者たち。
 それが、いつから始まったことなのかは、誰も知らない。
 ふん、なんのことはないただの取替え子チェンジングだ。
 私から言わせればな。

 仕分け屋と、転生者の道が交わった時、転生者は、巨大な力を持ち始めた。
 転生者たちは、それまで孤高の天才か、狂人として消えていくだけだった。
 そこに仕分け屋という組織の窓口が接触することで、世界は奇形化を始めた。
 なんということはない、お前たちの存在は、国家や軍といった組織によって、
「本物」かつ「有益」だと仕分けられたんだよ。


 私が、初めて出会った仕分け屋の話をしよう。
 ジョン。それが、その男を表す呼び名だった。
 本名ではない。仕分け屋は、名前を捨て去った人種だ。
 仕分け屋の権限は強大だ。
 一攫千金のチャンスを掘り起こすのも、世界滅亡の危機を見過ごすのも、仕分け屋の匙加減一つで決まる。
 だから組織は、仕分け屋になる人物から、ありとあらゆる個人情報を剥奪し、その生命も管理下におくようにしていた。








「こんにちはミス・ローランサン、私はイギリス海軍の者でジョンっていいましてね。
イングランドに来ませんか?」

 魔法世界-ああ、魔術師達の世界だ-の辺境にあるカフェで、夕食をとっていた時だった。
 私のテーブルの前に、一人の男が来て、映画館にでも行きませんか?
 というような調子で、気軽に言ってのけた。
 その男は、目のところにレンズのついた布袋を、頭からすっぽりと被り、
 今仕立てたばかりだ、と言わんばかりの英国風スーツを、隙なく着こなしていた。
 どこからどこまで怪しい奴だった。

 大英帝国は異世界にまで、殖民の手を広げるつもりか。
 それとも、異端討伐か?
 どっちにしろ、もうこの街にいるのは、限界だな。
 できるだけ騒ぎにならずに、殺さなければ。

 私がナプキンで口を拭くふりをして魔法を詠唱しようとした瞬間に、奴は私の前に「なにか」を翳した。
 ガラス片のようなものだったと思うが、そこに写っている「なにか」は、凄まじい生理的嫌悪感をもよおすものだった。
 あえて言うならば混沌。
 非ユークリッド幾何学的ななにからなにまで異常としか言い様のない光景だった。
 私が一瞬止まってしまうほどには。

「私どもはあなたと取引がしたいのです。
話だけでも聞いてくれませんか?」

 狙い済ましたように奴は言った。
 今から思うと、奴は手品師がそうやるように、
 自分の奇妙さを演出することに長けていたし、なによりそれが大好きだったのだろう。
 魔法使いには珍しくない人種だが、奴の持ってきたネタは日曜日の子供にレジャーランドのチケットを翳す程度には有効だった。
 つまるところ、奴が見せた手札は奴の狙い通りに私の興味を嫌と言うほど刺激した。

「手土産を持ってくる程度には頭が回るようだな、小僧」

 私は何事もなかったように言い、奴も何事もなかったように聞いた。

「手土産。ええまあそのようなものですね。
私の仕事を説明する資料の一つとお考えください」

 ジョンはテーブルに手鏡のようなものを置いて私の対面に座った。
 先ほどのガラス片に見えたのはアレだろう。
 普段であればこの手の輩にはお引取り願うが、この時の私はあれの放つ異様さに当てられていたのだ。

「それで?取引とは何だ。
私がイングランドに行くこととお前の仕事に何の関係あるんだ?」
「まず私はあなたに危害を加えるつもりはありません。
その点についてはよくご留意ください」

 そして奴は仕分け屋の仕事について説明を始めた。
 ミスター・ジョン劇場の前口上と言うわけだ。
 よってらっしゃいみてらっしゃい。
 アフリカから取り寄せた本物のハリネズミだ。
 手にとって触ってもいいが、その前にようく説明を聞かなきゃいけないよお嬢さん。

「私共はこの仕事を説明する時、よくこのように言います。
『この世にあってはならないものと、そうでないものを仕分ける「仕分け屋」』だと。
ああ、誤解なさらないように。
貴方は『あってはならないものだ』と言う訳ではありません。
『あってはならないようなもの』とは・・・」
「さっきのようなもの、か?」

 私も、魔法世界、旧世界含めて常人では見れないような物を相当見てきた自覚があるが、あれはそのどれとも違った。
 訳のわからない、気の狂った学者が作った吐き気のする笑えない代物はごまんと見てきた。
 だがその手の最新技術の奇妙さでもなく、古の怪物や伝説級のアイテムの神秘性でもない。

 異質。

 その言葉がしっくりくる。
 あれは、その存在全てが、俺は「ここ」のものではないんだ。
 ここにいるべきものじゃないんだ、と大声で叫んでいるようなものだった。
 この場合のここ、とは私の知っている世界全てだろう。
 少なくとも、あれが数億光年先の星で出来たものだ、と言われても逆に納得するような代物だった。

 仕分け屋とは、「ああいうもの」を仕分ける人間だということなのか。

「ええ、そうです。
時折ああいう「あってはならないもの」が見つかるのです。
それだけではありません。
旧世界では、今や科学技術は、恐るべきスピードで進んでいますし、
逆に、魔法や呪術は、恐るべきスピードで滅んでいっています。
それら、失われゆくもの、新しく生まれたもの、そして「あってはならないもの」を危険かどうか、残すべきか伝えるべきか、誰の手にあるべきか。
それらの仕分けをする者が、仕分け屋なのです」

 訂正。こいつらは、わけのわからない最新技術も、
 古代の神秘も扱う、悪食のようだ。
 大方、こいつがあの手のわけのわからないものを集めてきては学者共が喜んでそれを弄繰り回すのだろう。

「能書きはいい。あれは何だ?
あってはならないような代物だというのは見れば解る」

「あれは、チベットの奥地で発見された、数枚のガラスから作られた鏡です。
レンのガラスと呼ばれるもので、持ち主は、ヒヤデス星団で作られたものだ、と言っていましたね。
その効果は、いわばゲートの魔法と同じです。
異なる場所同士を繋ぐ。
それだけなら、よくあるマジックアイテムですが、
写る場所が場所でしてね。どうやら、とんでもなく遠い場所を写すようです。
どこだと言わないでくださいよ。私達が、知りたいくらいなのです」

 法螺もいいところな説明だったが、むしろあれが本当にどこにでもあるマジックアイテムだったら私は納得しなかっただろう。
 この時点で、あの光景に対する違和感は、それだけのものに膨れ上がっていた。

「ならば少し貸せ。私ならば解るかも知れんぞ?」
「そうおっしゃると思いまして、あのガラスから出てきた生物の標本も、持ってきました。
このガラスも含めて、差し上げますよ」

 奴が、鞄から出した瓶詰めの標本類も、また異常を極めた代物だった。
 30cmほどの瓶に詰められた蝙蝠と蜂と人をぐちゃぐちゃに混ぜたような化け物。
 箱詰めされた、同じく蝙蝠に似てはいるが、
 背中が緑、腹部が腐ったチーズのような色。
 顔は鼻とも嘴ともいえないような突起に、ボールベアリングのような真っ黒い単眼。肉は真っ黒だった。
 半液状になった甲虫、エトセトラ、エトセトラ。
 それら、どこからどう見てもとことん狂っているとしか思えない代物を見ていると自分でも、正気とは思えない欲望が芽生えてくるのを感じた。
 気になる、なんとしても気になる。

 あの邪悪なガラスは私を引き寄せていた。
 あれが精神に釣り針をひっかけ、ワイヤーウインチで引っ張っているようだった。

 魅了の魔法でもかかっていたのか?だとしたらふざけた話だ。
 今すぐ立ち上がって、この慇懃無礼な男をぶん殴って帰るのだ。
 それが、賢明なやり方と言うものだ。

 精神の上澄みの部分はそう思っている。
 だが、喉に引っかかった小骨のように私の内なる部分は、あれを手に入れろ!何をしても手に入れるんだ!と叫んでいる。
 理性と本能の綱引きの結果、私の口はこう動いていた。

「いや、いい。それを早くしまえ」

 奴は、覆面の中の眼だけで微笑んで熟練の営業マンが書類を仕舞う様にあっというまに、かたづけてしまった。
 今思えば、奴は私がどういう反応をするかよく理解していたのだろう。
 おおかた、どこかの転生者から私の履歴書を手に入れていたに違いない。
 なにしろ奴は仕分け屋。あらゆるものを収集し、判別する奴らなのだから。

「話を続けても?」
「好きにしろ」

 奴は布袋の隙間から水を飲むと、さあこれから重大な話をするぞ、ということを表現するのに充分な間をおいて口を開いた。

「『伯爵』が死にました」
「ワラキアの王か。あの化け物が?誰に殺された」

 ドラキュラ。ブラド・ツェペシュ。アーカード。
 あれは本物の怪物だった。
 一度戦ったが、結局のところあれを殺しきることはできなかった。
 その後解ったが、あれは祖父だったらしい。
 お婆様、あなたは男の趣味が悪い。
 寝取り専門の女たらしに引っかからなくてもいいでしょうに。


「ただの4人の人間によってですよ。
他にもルスヴン卿、ヴァーニー卿も人間によって封殺、もしくは抹殺されました。
ちなみに魔法使いによってではありません」

「馬鹿な!奴らが人間如きに!?
魔法も使わずにあれらを倒せるものなどいるものか!」

 奴はまあまあ、と私を落ち着かせようと手で壁を作る、交通整理の例の動作をする。

「ですが事実です。
旧世界では、吸血鬼以外の幻想種は、姿を消しつつあります。
隠れ住む森は伐採され、人類の武器は、進歩し続ける。
これが今の時代なんですよ」

 後から振り返ってみれば、たしかに19世紀20世紀はそういう時代だった。
 科学が幅を利かせ、あらゆる幻想が打ち砕かれていく。
 科学そのものに対する幻想すらも。
 だが、この時の私にとっては、退屈な世相論評に過ぎない。

「それで?何が言いたい。何を求める」

「結論を急がないでください。物事には順序と言うものがあります。
伯爵の死亡によって、ヨーロッパの吸血鬼社会、人狼社会の一部は方針を転換しました。
ここ1世紀の間に、新しく吸血鬼に成った連中でしてね。
かなり浮世離れしています。いや、あれはむしろ超近代的というのかな?
人間よりも、ずっと合理的な考え方を持つ派閥が、現れ始めましてね」

 今思えば、浮世離れした連中というのは、転生者だったのだろう。
 この時代に、そこまで資本主義に染まった吸血鬼など、そうはいないからな。
 「労働力」という資本を持つ自分自身を売りこむ、などという考え方が、-それも経済学者でも商人でもなく誰でもが-できてしまうのは21世紀の人間だけだ。

「彼らは、不老不死と、吸血鬼としての力を「販売」することにしました。
それも、有力な政治家や腕利きの戦士、はては経済界の重鎮にね。
自分たちの力を「資産」と捉えているようなんですよ。
彼らが得たのは富だけではありません。
次代を担う優秀な人材、各業界の一流のノウハウ、人脈、さらには、コネと権力を手にしつつあります。
彼らがその権力を用いて、自分達を「吸血病」の患者として政府に認めさせ、血液を、合法的に手に入れるシステムを、構築しています。」

「政府としてはそれが気に入らない、か?」

「いいえ、彼らの方向性は「共存」です。
やりすぎなければ、我々としても歓迎するところです」

「他の亜人種、幻想種も同様に、
人間に技術や種族特性を売り込んで、人間社会に入り込みつつあります。
逆に辺境に閉じこもる派閥も増えてきてますがね」

「宗教を駆逐し、科学を信仰する時代だからこそ、人外が栄えるか・・・・・・
皮肉、いや当然の成り行きだな」

 結局のところ、人外に対する対抗法を知っていたのは、多く宗教だったのだから。

「彼らの中にはあなたを崇拝する者は少なくありません。
そこでイングランド行きを打診したわけです」

 なるほど、話が見えてきた。要は、権力を持ちすぎた連中に対する首輪として、私を利用する気か。

「その若造共の子守をしろと?却下だな。飼われて生きる気はない」

 奴がどう出るか。力づくで来るならばやりやすいだろうな。
 しかし、奴はあっさりと引き下がった。

「そうでしょうね。ですが私も多少の手土産がなければ帰れない身でして・・・・・・
写真の一枚でもあれば納得するでしょう」

 写真?影武者でも仕立てるつもりか。
 それとも魔術にでも使うのか?

「ああ、ご安心ください。あなたに害が及ぶような使い方はしません」

「只でとは思っていないだろうな?」

「ええ、これをご覧ください」

 奴は、鞄から巻物を取り出すとテーブルの上に広げて見せた。

「ほう」

 奴が広げたのは、私にとっては、馴染み深いものだった。
 人形の設計図。それも恐ろしく精密な。
 怪物のパワーを持ちながら、見た目は人間そのもの、人造の知能まで搭載している。
 これだけのカラクリを魔法も使わず、ぜんまいの動力だけでやってのける、狂った代物だ。

「一流だな。漢字で書いてあることからすると・・・・・・日本か?」
「はい、日本のカンポウ某という男から買い付けました。いい職人ですよ彼は」

 さて、どうするか。ここで断ったとしても、奴は勝手に写真を撮っていく。
 この店は装飾品が多い。
 店の奥まった場所とはいえ盗撮用のマジックアイテムを配置することは充分にできる。
 盗撮用具がなかったとしても、私の射程外から遠望で勝手に取っていくだろう。
 ならば、もらえるものはもらっておけばいい。
 人形使いである私から見ても、充分に魅力的な図面だしな。

「交渉成立だ」

「ありがとうございます。
それと、もしよろしければアンケートにご協力願えませんか?」

 巻物をするすると纏めて私に手渡すと、奴は小冊子ほどの厚みの在る紙束を差し出した。

「長いなこれは・・・・・・」

 アンケートとやらは、うんざりするほど多かった。
 今思えば、あのアンケートは、心理テストだったんだろう。
 あの膨大な数の心理テストがあれば、このいかれた連中なら私の精神構造を解読することができたのかもしれない。

「でしたら天の川の砂鉄で作ったコインが10枚ほどありますが・・・・・・」

 私の声に不満を感じ取ったジョンは、すぐ餌を出してくる。
 あまり物で釣られるのも癪だ。
 ここは、好奇心を満足させよう。

「そこまでさもしくない。
別に、これは羊皮紙で作った契約書でも、何でもないんだからな。
それよりも、お前の仮面の下はどうなっている?」

「ごらんになりますか?」

 奴は、手品師のような手つきで、そろそろと覆面を外してみせる。

「むう」

 奴の顔は無かった。いや、眼も鼻も口も見えてはいるし、それらのパーツは、常人と変わることもないのだが、それを顔と認識できない。
 少し注意して見ると、顔全体に文字がびっしりと刺青されているのが見える。

 いや、あれは傷だ。こいつは呪文を自分の顔に文字通り掘り込んだのだ。
 ナイフか何かでやったのだろうが、
 自分の顔を切り刻むなど正気ではできない真似だ。

「認識疎外の呪文か。それでは誰もお前の顔を見ることが出来ないぞ」

 このジョンに感じていた違和感の一つが、理解できた気がする。
 顔を失い、異世界にすら出向く。
 この男の在り方そのものが、グロテスクな「異物」なのだ。

「「あってはならないもの」とは世界を滅ぼすかもしれないもの、
世界を滅ぼすかもしれないものは、世界を変える力のあるもの。
それを仕分ける人間に、顔も名前もあってはいけないんですよ。
私はジョン・Q・パブリック(一般大衆)にすぎないのです」

 信じた神も、属する国も、顔すら、名前すら捨て去った男。
 私は解ってしまった。この男はもはや残骸なのだ。
 この男の過去にあった何かがこの男をジョン・Q・パブリックに成り果てさせてしまったのだと。
 その時点で、もはや名前の知れぬ「彼」の人生は終わってしまったのだと。


現在


 それでどうなったかって?
 私は、写真一枚と人形の設計書を取引して、それで奴とは別れた。
 その後何回か会ったが、結局奴がモラヴィア・ローランサンを仕分けることはなかったよ。

 ただまあ、イギリスでローラと名乗る吸血鬼が吸血鬼社会のご意見番になったとは聞いたがな。
 顔写真に心理テスト。私と同等かそれ以上の人形制作技術。
 まあ、それだけあれば、影武者などいくらでも作れるだろうよ。

 さて、そろそろ奴らが着くだろう。
 何、心配することはない。
 お前の能力にふさわしい場所に仕分けてもらえるだろうさ。
 ああ、原作の連中なら気にするな。原作にあるエピソードは全て解決済みだ。
 転生者はいくらでもいるんだからな。事態はさらにややこしくなっている。
 ワケありの連中なんてものは原作に出ていないだけではいて捨てるほどいる。
 そいつらをろくでなし共から守るゆりかごがAXYZだ。
 ここが奇人変人の隔離所になったのは、いずれ話す時があるかも知れんな。

そう言うと彼女は人形のように笑った。




[30579] 1947年HAL編「M資金」
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2012/07/14 12:41
老人は墓石に花束を捧げ静かに手を合わせている。
80にもあるいは100以上にも見える仙人然とした老人。
1947年-およそ半世紀前-この墓の前から彼の戦いは始まった。
当時の彼はまだ30になるかならないかと言った青年で、まだ頭が禿げ上がることも無かった。
この墓に刻まれている文字は「相坂家代々ノ墓」

その時彼は仕分け屋に出会った。
ある物があってはならないものか、そうでないか。
 本物か、偽物か。有益か、無駄か。
それらを仕分ける仕分け屋に。



1947年。終戦の二年後だった。
一人の青年が粗末な墓に手を合わせている。終戦直後
-つまり墓穴に困るほど死体が出た後-
では遺族が満足するほどの墓を作ることは出来ない。

彼は卒塔婆だけが立っている墓にじっと手を合わせている。
瞑目しているその姿は冥福を祈っているようではなかった。

祈るとすればそれは贖罪と誓い。
間違っていると理解して罪を犯す者が持つ、どす黒い覚悟。
彼の発する気配は黒かった。

「私も手を合わせてよろしいでしょうか?」
青年は撃たれたかのようにびくりと振り返り、声の主を見る。
奇妙な男だった。
顔面に刺青を入れているにも関わらず、顔の印象がまるでつかめない。
もやがかかったように、顔に焦点を合わせられず、のっぺらぼうのようだ。
ツバキ油でてかてかと光る金髪をきっちりとオールバックにして、
アメリカ製の上物のスーツを着、手には銀色の杖を持っている。

一目で魔術師だと解る姿だ。

その男は青年の瞳をじっと観察する。
その視線は蛇のように、青年の目から脳髄を絡めとり、彼の罪を読み取った。
男は一語ずつ、噛み含める様に囁いた。

「・・・・・・やりましたね?」

青年は何を、とは言えなかった。
心当たりがあることだったからだ。
とくに、この場所では心当たりがありすぎることだった。

「逢坂セツは爆死でした。よって死体は出ません。
反魂の法は遺骨がなければ使えない。
たとえ十種神宝を奪ったとしても蘇生はできなかったでしょう。
だから、その魂を縛り上げた」

男は死者の蘇生、霊魂の呪縛という青年の罪をまさにその被害者の墓の前で告発した。
禁忌であった。
青年の所属する組織が彼の所業を知れば、死かそれに等しい罰を下すはずである。

「私を断罪するか?」

包帯の男は静かに首を振って朗々と告げる。
それは祝詞のようでもあり、実際青年の心を絡め取るある種の呪文でもあった。

「陰陽道を究めたあなたでも蘇生は叶わず、
霊魂をその地に縛り付けることしかできませんでしたね。
その上、存在は希薄。会話する事もままならない。
だからあなたはヘルメス魔術に手を出した。
いや、正確にはカバラですかな?
いえ、錬金術ボヘミア学派でしょうか?
ホムンクルスの作成・・・・・・定着すべき肉体があれば蘇らせることも不可能ではありません。
しかし、できなかった。
西洋魔術は戦時下にあっては敵性文化でしたからね。
ドイツも魔術にはかなり傾倒していたものの、あなたにはパイプがなかった。
なにより日本そのものが限界に近いほどの物資不足でした。
蘇生に必要な材料があなたの手に入る可能性は万に一つもなかった」

青年はじっと耐えている。その通りだったからだ。
彼の言うように愛する人を失い、魔道に明け暮れ、しかしそれを得ることは叶わなかった。
自分の経歴を言い当てられた狼狽よりも、
思い出させられた、喪失の悲しみが彼を焦がしていた。
男はそれでも容赦なく、青年の辿ってきた道を言葉にし続ける。

「だからあなたは復讐心から魔法を戦争に活用しようとした。
しかしそれも魔法世界からの圧力でできなかった。
気の軍事活用は通ったんでしたっけ?」

男は淡々と事実を述べていく。
魔法の軍事利用ができれば、戦局は大きく変わるはずだった。
青年は魔法使いとして、軍にそれを訴えた。
しかし、いくつもの案件の内通ったのは、
武術としてごまかしの効く気の操り方だけだった。

魔術の存在を世間に公表する事は魔術師にとって禁忌だった。
個人が兵器となりうる技術は社会にとって危険だったからだ。

男は微かに唇に嘲笑を含ませる。

「悔しかったでしょう?本来ならば使えるはずの「全力」が出せずに復讐ができないのは。
悔しかったでしょう?自分の技能がいつまでも日の当たらないところにあるのは」

暗闇を見つめるような声だ。人間の悪意を煮詰めた、悪魔よりも悪魔的な声だ。
心の傷を引っかき、ささくれを毟ることで、
聴いた相手は、その先が地獄であろうと、
走り出さずにはいられない様な言葉だった。

「何が言いたい」

男の挑発に、青年は静かな怒気を返す。
自分の経歴を調べ上げ、本人の前で
わかったように読み上げる、この男の真意が掴めなかった。

男は鞄から一冊の本を取り出すと、ぬるり、とした口調と共に切り札を出した。

「もし私があなたの欲望を叶える為の手段を提供するとしたら、いかがなさいます?」

だが青年には男の言葉よりも、鞄から出されたものに眼が行っていた。
その本の題名は「観方コレクション機巧人形設計図バザア」とあった。
 青年は、悪魔の手を取る事にした。




墓地から少し離れた喫茶店。
焼け落ちた田舎の商店街の中に、復興を象徴するかのように建てられた真新しい店だった。
男と青年は、店のやや奥まった席に座っている。

店の爽やかな雰囲気とは対照的に、
その席には、過去からの旧い因縁の臭い、腐りきった悪意の臭いがたちこめていた。
だがその臭いは幸運なことに誰にも気づかれることは無い。
テーブルには、当然のように認識疎外の符が、張られているからだ。

男と青年は今更ながら、お互いの名前を交換した。
男は「ハルマン」と名乗り、GHQの仕分け屋だと言った。

「元々は英国海軍にいたんですがね、辞めましたよ。
そのころはジョンなどと名乗っていましたがね。
あそこは少々狸が多すぎる。
なにより私は日本が大好きでしてね。
今後100年の日本を守るならば、GHQより便利な場所はありませんよ」

必要な物と不必要なもの、危険物と有益なもの、それを仕分ける仕分け屋、
しかもGHQという日本を好き放題に弄れる立場で仕分けを行う。
それは日本のあり方を根底から変える事のできる立場といえた。
動機が親日感情からというならば、その感情はもはや日本に対する親愛ではなく、狂愛だ。

仕分け屋の存在を知っている者ならば、この時点で彼が狂っていると知れたろう。
しかし青年は仕分け屋の存在を知らなかったし、それよりも優先することがあった。

「私に何を求める。
家の権力ならば、私よりも継承権が高い人間がいるはずだ」

青年の求めるもの-愛する人の蘇生-と、それの引き換えに差し出す対価だ。
男は死者の蘇生の代金を告げる代わりに、青年自身の値段を淡々と告げる。

「確かにあなたの家を受け継ぐべき人はすでにいますね。
しかしあなたはほかの魔術師にないものをもっています。
それは、帝王学ですよ。組織を運営する素質があなたにはある」

なるほど、確かに自分は権力者としての教育も受けている。
だが、なぜそれほどまでに高く自分を買うのだろう?

「買いかぶりだ。それで、私にその権力をどう使わせる?」

「では目標だけ言うことにしましょう。
アメリカは日本の魔法使いをまとめる組織を作っていましてね。
あなたはそこのマネージャーになっていただきたい」

「傀儡になれと?」

「有体に言えばそうなりますね。
不満でしたら、降りていただいてもかまいません。
こちらの課す目標を達成してもらえれば、
あとはあなたのご自由になさって結構です。
必要だと言うならばその後の援助も惜しみません」

「そちらの「援助」の保障は?」

青年は姿勢を改め、さあ交渉開始だ、と自らに宣言する。
話自体は悪いものではない。要は注文をつけてくるパトロンが増えるだけだ。
問題はお互いの条件と言うことになる。

「観方コレクションの中にある魔人形の作成技術。
あなたの「蘇生」研究に対する予算の半額保障。
魔法世界からの物資買い付けのルートの仲介、
さらに運営資金として10万ドルを出資させていただきます」

「最初から気になっていたのだが、なぜあなたが観方コレクションとコネがある」

芸術家、吉川観方が生涯かけて集めた膨大なコレクション。
その中には魔術に用いるものも少なからずあった。

「正確に言えば、コレクションの提供主である東郷家と私は個人的な知り合いなんですよ。
13代目刀自である東郷四葉(トウゴウヨツバ)さんから譲り受けました」

ハルマンが昔を懐かしむような表情で答える。
青年はその影にある男の存在を思い出した。

駆動家。日本における魔人形の大家。
その人形は鬼のように力強く、航空機よりも早く飛び、
精巧さならば人体を完全に模倣するほどである。

しかし現在は、その技術のほとんどは失われ、製糸工業の企業と成っていた。

「やはりあなたは東郷家の簒奪者、パトリック・R・ハルマンなのか」

 東郷家が巻き込まれたある『事件』の後、東郷家の技術は失伝している。
 その時の主な関係者は退魔四家の『殺魔サツマ』『夢幻ムゲン』の二家、
 そして魔術師であるパトリック・R・ハルマンだとされている。
 ハルマンは事件後『夢幻』と姿を消している。
 彼が技術を奪ったのだと青年は思った。

「いやいや・・・私は傍観者でしかありませんでした。
彼女の心を射止めたのはサツマさんですし、
人形制作技術を伝えなかったのは彼女の意思でしかありませんよ
私はお情けで余り物をもらったようなものです」

ハルマンの表情には悲しみがあった。
多分、彼は駆動三葉に惚れて、そして失恋したのだろう。

「あの事件は、あなたとは関係の無い話です。それより現物をご覧下さい」
「ああ、これを手に入れたいきさつについては聞かない」

 ハルマンは鞄からファイルを取り出すと青年の目の前で広げてみせる。
 青年はファイルに目を通してみる。

 人形の設計図は精巧だった。
 どれも一流の職人によって曳かれた図面であるとわかる。
 この人形であるならば、依り代として申し分ない。
 条件は破格。ならばそれが確かなものか確認すればいい。
 人形のほうは間違いがないようだ。
 資金と物資調達ルートについて藤原は質問する。

「資金はどこから出ているんだ?」

「隠退蔵物資事件というのはご存知ですね?
4月の始めに話題になったアレです」

「戦時中に蓄えた軍需物資が横流しされて、
その利益が日銀の地下金庫に納められていたという事件だろう」

「いかにも。
総額約2400億円・・・・・・押収したのはGHQで、
いくらかは戦後復興・賠償にあてられますが、
実態は、日米合同の影の予算(ブラックバジェット)
魔法関連予算もその一つですよ。
その資金の名は責任者の名前を取ってこう言われています・・・・・・M資金と」

「つまり、GHQの裏金からか。信用しがたい」

そこまで言うとハルマンは鞄から一枚の紙を取り出した。

「これは魔術的な契約書です。
契約を遵守させることを魂に刻みつけ意識と行動を制限する代物ですよ。
GHQ経済科学局局長レイモンド・C・クレーマー大佐に、
アメリカ合衆国商務省経済開発局局長、
大蔵省大臣矢野 庄太郎、そして私自身の署名も入っています。
これでは不足ですか?」

ハルマンは青年に証文を確かめさせる。
青年は、悪魔との契約書をじっと眺める。
資金面においてはありえないほどの金額。
物資調達ルートもビッグネームによる証文が-コピーだろうが-ある。
偽物ならばそれはそれで感心してしまうほどの出来栄えだった。
ハルマンは、そして最後の一押しをした。

「後は、あなたの名前だけですな」

青年はしばし考え、ようやく言葉を口に出した。

「条件を聞こうか」
「もちろんそれからでも結構です」

ハルマンは青年がばっちりと餌にくいついた手ごたえを感じていた。

「まず2020年までに開発して欲しいものがあります。詳しくはこの書類に」
ハルマンはファイルの一つから封筒を取り出して青年に渡す。

「これは・・・」

「言ってみれば、電気仕掛けの頭脳を作り出し、
その中で膨大な計算をする機械ですな。
それが進歩すれば、いずれは魔法を「計算」し「再現」することもできるでしょう。
人の心を再現することもできるかもしれない」

青年は呆然と聞いている。魔法使いに最先端工学。
この時点ではまだ青年の中では結びつかない、むしろ対極のものだった。

「夢物語だというのは解っていますよ。
ですが、進歩の見込める分野として研究されているのは確かです。
アラン・チューリングが理論を提唱した、電子式計算機というものがありましてね。
去年にはペンシルヴェニア大学でENIACという実験機ができたはずです。
今は真空管による不安定なものですが、
性能を飛躍的に向上させた回路をAT&Tベル研究所で開発中ですね」

青年は呆れと共にこう言うしかなかった。
「・・・・・・俺に何ができると?」

「何もあなた自身がやる必要はないのです。
実際にやるのはDAAPAの研究者とこちらの魔術師、
経営するのは私の知人ですし。
ですが、彼らが知識を共有して研究するには、それを運営する人間が必要です
それこそ、あなたの名の力が必要なんですよ」

「なるほど、その通りだ」

ここで青年は一つ考えてみる。
こいつは私に何をさせたがっているのだろう?
最先端科学、魔法、組織運営。
それらのキーワードから導き出される答えは安易だ。

「私に科学と魔法を融合させる研究機関を作れと言うのか?」

「そのとおりです。ゆくゆくはその組織で魔法業界のシェアを握ってもらいたいのですよ
ちなみに経営する知人とはあの東郷財閥の長ですよ」

またもやビッグネーム。財閥が後ろ盾についてくれるならば心強いが、自分が彼を使えるだろうか?
ここまでデカイ話となれば、もはやそれは研究機関にとどまらない。

「本当の目的はアメリカとして日本の魔術業界を管理することか」

「いかにも。臆しましたか?」

自分の「目的」である最愛の人の蘇生もその地位ならば可能だ。
強力なパトロンに出世を支援してもらえるのも魅力的だ。
だが、自分が組織の長になっている姿を想像できなかった。
そんなことは到底不可能に思えた。

「・・・・・・考えさせてくれ」

ハルマンは焦らずに静かに答えた。

「ならば待ちましょう。一週間後にまたお会いしましょう」




 一週間の時間が消費された。その間青年はハルマンの提案した話の証拠を探していた。
答えは全て是。ハルマンの話を裏付けるものばかりだった。
あとは、自分自身の決意一つである。
狗に成り下がって全てを得るか?今まで通りか?

 青年はハルマンに連絡した。
そして3度目の会合は京都の料亭であった。

「決意は決まりましたか?」
「ああ、話を飲ませてもらう」

青年の目には確かな覚悟があった。
一週間の懊悩が贖罪と後悔を払拭し、
ひきかえせないという覚悟だけが残ったのだ。

「覚悟が決まったようですな。ならば、サインを」

青年は、無言でペンを受け取り契約書にサインした。
自らの行動と意識を束縛する、呪われるべき契約書に。

「さて、今更ですがね、前回一つ言わなかった目標があります」

「・・・科学と魔法の融合、そして日本の魔術師の管理だけじゃ物足りないのか?」

「それも通過点であって、本質的な目的は「魔法の公開」ですよ」

ハルマンの顔は包帯によって隠されている。
その表情はうかがい知ることは出来ない。
青年はこの男は正気なのだろうかと思った。
それともこれは壮大な法螺なのか。
さらりと無理難題を言ってくる。さもなければ、常識外れだ。

「ハルマンさん、あんた正気か?」

ハルマンは、ファイルから書類を取り出して、青年に見せる。

「魔法の秘匿は大前提ではなく、一時的な猶予期限にすぎません。
「上」は魔法を秘匿する事を決定したその日から、
公開に向けての手順を踏んでいるのですよ。
私もあなたもその文脈の一つ。具体的な手順はすでに計画されています」

ハルマンは、大言壮語といっていい言葉を、何の感慨も無く言ってのける。
青年は乗った船が泥舟ではないのかと、今更ながら思い始めた。

「その手順というものを聞かせて欲しい」

 男は彼に長い話を聞かせる。「あってはならない」と仕分けられた影の歴史を。

「そもそも魔法の秘匿が始まったのは明治時代からです。
それ以前は当然のように拝み屋はいたし、
どこの神社仏閣でも治療符くらいは手に入りました。
本物かどうかは知りませんがね。
魔法の秘匿は実はここ100年ほどで「作られた」常識に過ぎないのです」

「秘匿を決定した日から暴露する計画を立てるくらいならば、
初めから秘匿しなければよかったんじゃないか」

「民衆が、政府が秘匿を必要としたからですよ。
魔法を秘匿したのは明治政府、もっといえばその当時の欧州全土の政府です」

一個人が集団を凌駕する力、
才能に左右される選ばれた人間だけのもの、
宗教の神秘性を肯定する力。
どれも近代には不要のものだった。

「近代には、同じ品質のものを、安価で大量に流通させる事が求められました。
工業製品は魔法具と違い、誰でも使えますしね」

「科学を発達させるために、あえて魔法を秘匿し、
歴史の表舞台から消した。
そして最後には科学で魔法を再現するというのか・・・・・・回りくどい事をする」

「簡単に言えば、充分に発達した科学は魔法と見分けがつかず、
十分に分析された魔法は科学と見分けがつかなくなってしまえばいい。
そうすれば公開されたときの混乱はほとんどないわけですよ」

まあ、魔法世界、現実世界、双方の政府の都合もあったのですがねとハルマンは付け加えた。

「ならば私が魔法を戦争で使えなかったのは・・・!!」

青年は、今までの自分の努力は全ては彼らの掌の上のことに過ぎないと知った。
そう、魔法は科学を発達させるために秘匿された。
歴史上から「いらないもの」として抹消されたのだ。

「そうです。今はまだ科学が充分なレベルにまで至っていないからですよ。
悔しいですか?」
「何を・・・・・・!」

青年はハルマンを睨み付ける。

「そう、それでいいのです。悔しいならば、
魔法の公開を混乱を最小限にして実行する計画があります。
あなたがその実行者になればいい」

ハルマンはあくまで慇懃無礼に言ってのける。その感情も、すべて計画通りだというように。
気に食わないならば打ち倒してみろといわんばかりに。

「そもそも、魔法の秘匿には「認識疎外魔法」が必要ですがね、
これをあなたはどのように理解していますか?」

「大雑把な定義では「不思議なことを不思議と思わない」だろう」

「そうですね。ですが正確にはもっと秩序だった「規範」なのです。
認識疎外の根本的な目標は『異常な状況に出くわした時に、疑問に思わないようにする事』です。
ではそのために実際にどのような動作が行われているかと言うと、
一定の条件を満たした時に意識と感覚を抑制する作業が行われているのですよ。
その条件と制御は『驚愕や嫌悪、恐怖、不安、憎悪といったネガティブな感情を抑制し、
身体的な痛覚やストレスを抑制し、
猜疑心や疑問が沸き起こった時に思考を抑制し、人為的に健忘を起こさせる』ことです」

ハルマンは一拍置いて結論を言う。

「認識疎外とはつまり、対象者の感情と感覚、意識を管理、統制するシステムにすぎないのです」

淡々と、淡々とハルマンは語る。恐るべき「管理」の実態を。

「それは」

事実はさらに救いのないものであり、そしてハルマンは今事実を語らなければならない。

「おぞましいと思いますか?
しかし、あなたたちが今まで使っていたものはこういうものなのですよ
そしてあなたたち自身も『認識阻害』の効果を受けているはずですよ」

青年の胃に吐き気がこみ上げてきた。
自分自身の体に、おぞましい異物が入りこみ、
今現在も自分を「管理」していると考えると、
今すぐ口の中に手を突っ込んで胃袋から脳まで取り出して洗いたいくらいだった。
ハルマンはさらに容赦なく追い討ちをかける。

「魔法使いがああまでファナティックな理想に賛同し、
そのために人生を賭けてまで戦える理由は『認識疎外』の効果にすぎません」

「それはまるでヒロポンだ!私達が・・・・・・」

「はい、兵士に考える技能は必要が無い。民衆に知能は必要ない。
与えられたものを幸福と思っていればいい。
なにしろ、苦痛を苦痛と感じることができないのだから。
・・・・・・と、ある方々が考えたのですよ」

「権力者であるというのは想像がつくが、では誰が」

「熊白の創始者達の一部であり、魔法世界本国の者たちですな。
彼らは感情を統制することで人類が幸福になれると考えていました。
実際に、それはある程度実を結んだのです。
熊白の住民に聞いてごらんなさい。
ここはどんな所だと聞けば異口同音にこう言うでしょう。
「みんな仲がよくて嫌なことがあまり起きない」場所
だとね。
あなたも、そう感じていたでしょう?
熊白の外に比べて皆温厚で平和な場所だと」

「私はそんなことは認めない!あのぬくもりが・・・・・・そんなものだとは」

青年は激高する。今までの愛情も何もかもが、すべて「管理」の結果のまやかしだなどと、
到底認められない。人間の感情が、人格が、そこまで踏みにじられていた。
いや今もこれからもそうだと思うと耐え難い憤怒を感じる。

「ですがこれが魔法社会の真実です。
あなたがいままで属していたものはそういうものだったのですよ」

「お前は一体何を目指している?何が目的だ」

「我々「仕分け屋」自身の立場から言えば、
「魔法」というものをどう扱えば世界にとってもっとも安全か、という道を探しています。
米国政府から言えば、科学と魔法両方の分野でアドバンテージを取りたい。
私の個人的な意見では魔法世界から、「管理」からの解放を願っていますよ」

いけしゃあしゃあと言葉を紡ぐハルマンに青年は憤る。

「開放・・・?お前達は管理したいのでは!?」

「あなたは今や管理をどう考えますか?
今までのように良いものだとは思わなく成ったでしょう?
ならばそう思うあなたが魔法使いたちのトップに立ったならば?」

ハルマンは、青年がしっかりと毒餌を飲み込んだと、確信して言う。

「一見完璧な管理を敷くことで魔法の秘匿を守っているように見せる。
しかしその管理者が「魔法の暴露」をしようとすればもはや誰も止められない」

「そうです。管理者が魔法の暴露を是としていれば、
誰かが「魔法の暴露」をした時に、止められる魔法使いはいなくなる。
科学の融合も、魔法使いの科学慣れを助長するでしょう。
慣れていれば、抵抗も少ないと思いますが」

概要だけならば、一見名案のようにも思える。しかし実情はどうなのだろうか。
実情と外見が違うことはさきほどからの会話で思い知らされている。

「具体的にはどうなっている?」

「『魔法使いの管理』に関しては、『認識阻害』と『魔法発動体』を登録制にし、
外部からコントロールできるようにしていただきます
われわれはこのシステムをSOPシステムと呼んでいるんですがね」

「確かに、それならばいざという時に手綱を握れるな。その魂すら管理者の操作のままになるだろう」

またしても『管理』だ。
ハルマンの目指す方向は「開放」なのか「管理」なのか?青年には疑わしくなってくる。

「SOPシステムの概念は熊白の設立当時から提唱されていました。
魔法使いが万が一犯罪に手を染めた場合は、
外部から認識を操り、魔法発動体をロックします」

「しかし導入には反対があるだろう」

「魔法使いの力は個人が集団を凌駕する類のものです。
ある程度管理されなければいけません。
魔法の暴露という計画を抜きにしてもそれは事実でしょう」

個々人が無手で拳銃並みの殺傷力を持つ人類、それが魔術師だ。
各人が核ミサイルの発射ボタンを握っているような集団では、たった一人の殺意が集団を滅ぼしてしまう。
魔法発動媒体とは、武器ではない。魔術師に科された枷なのだ。

「結局は国家の安全のためか・・・抜け穴があるのは「魔法の暴露」のためなのか?」
「私は日本が大好きなのでね」
「悪い冗談だ」
「本気ですよ」
「なお性質が悪い」

このシステムには、多くの綻びと抜け穴が設定されている。
認識疎外を拒み、闇ルートの登録されていない魔法発動媒体を用意するか、
そもそも、魔法発動媒体の必要のない魔法を使えばいい。

それだけでなくSOPシステムの管理体制も、人間が運用する以上完璧はありえない。
最初から破綻を前提としたシステムとして、SOPシステムは設計されているのだ。

「しかしSOPシステムとその抜け穴を使えば魔法の暴露は可能だろう。
しかしその後は?どう混乱を鎮める?」

「魔法の秘匿を魔法世界と人間世界で条約として結んだ時、
魔法の暴露に向けてある程度の抜け穴が作られていました。
これがその条文の簡潔な訳です」
ハルマンはファイルをめくり、旧い書類のコピーを青年に見せる。

「魔法が解禁された時に混乱を最小限にするための措置として、
部分的に魔法を公開することが最初から決められていました。
とくにその国に固有の魔法はわりとザルなんですよ。
さらにいえば、公開の際には「具体的な方法を知るには必ず指導者に師事すること」とも書いてあります」

「指導者に師事しなければならないというのは、
あなたの言う混乱を抑えるための措置の一つだな?
魔法を探求するものはいずれ魔法使いの側に引き入れることが出来る」

「一般人と魔法使いの架け橋に成る人間がいれば好都合でしょう?」

「その国固有の魔法とは機械による魔法も含むということか?」

「ええ、魔法と科学の融合にはそういう利点もあるように計画されています」

「では天狗や狗族、吸血鬼に関してはどうする」

「人外の種族に関しては「新発見の人種」や「特定の遺伝病」として公開します。
今まで差別が怖くて言い出せなかった、とでも本人達が言えばよろしいでしょう。
あなたには彼らの「社会復帰」を「支援」していただきますよ。
いずれ病人だけでなく、あらゆるものに対する差別が批判され、
是正される時が来る。
いや、そういう運動がすでに予定されています。
実際にヨーロッパではそういった活動を行っている。
その運動が一定の成果を出した時に公表すればいいのです」

ハルマンは大体の計画を話し終えた。そして鞄を漁りながら青年を見る。

「さて、私の要求する条件は大まかにはこんなものですな。
よくお考えになってください。ああ、これは前金と、必要になるだろう資材ですよ」

ハルマンは皺くちゃの布切れのようなものと瓶に入った酒と水を渡す。

「これは?」

「不死の酒です。そしてこれは変若水・・・・・・若返りの薬ですな。
飲むか飲まないかはあなたの自由です。まあ、アフターサービスだと思ってください。
この姥皮は何者にでも変身できる。年を取らないことを不審に思われたらお使い下さい」

青年は禁忌の薬をじっと見る。


「・・・・・・電子計算機の発達に投資し、魔法を科学で再現する
システムにより魔法使いを管理し、
そのシステムが不要となるまで、安全にシステムを運営し、
魔法が暴露された時に、混乱を起こす事無く事態を収拾できる人材が必要だった。
そういうことか。回りくどいな」

青年は噛み含めるように考える。

「回りくどい事を考えるのが楽しみな困った性分でしてね。
あなた自身の安全ならば心配することはありません。
そのために不老不死になることもできるようにしましたし。
人形作成の技術も契約が履行された時のあなたの生命を保証するためのものです。
・・・・・・改めて聞きますが、やっていただけますか?」

「一つだけ、聞かせてくれ。
貴方達自身が管理者であり支配者になってしまっているんじゃないか?
貴方達の目標が「解放」であるのにもかかわらずだ」

この答えによって返事を決めようと青年は思った。

「確かにその通りです。
我々自身の意思はどうあれ、社会を裏から管理していることには違いがありません。
恒久的な支配権力は独裁です。独裁者はいつか倒される。
いや、倒されなければならないのです。
権力は腐敗し、絶対権力は絶対に腐敗するからです。
いつか我々に気づき、我々を打ち倒そうとする者が現れるでしょう。
それが新しい秩序を担えるのであれば我々は我々自身を不要と仕分けます」
「そのいつかは来るのだろうか?」
「来なければならないのですよ。人類の黄金の未来のために」

青年は決心をした。何をするべきかは知った。後は世界を我が物とするだけである。





[30579] 2010年HAL編「AXYZ市長」
Name: 件◆c5d29f4c ID:5b1bfa4a
Date: 2012/07/14 13:02
トウキョウAXYZ(アクシズ)下層階高級ホテル「ディスカバリー」

トウキョウAXYZ(アクシズ)は東京の奥多摩あたりにある原野を切り開いて、否、掘り進めて作られた地下都市だ。
しかし実態は魔術師たちの隠れ蓑。妖怪、悪魔、亜人、あらゆる異形異端が身を寄せ合って暮らしている都市だ。
魔術師が作った異界との出島であり、さらにいえば魔術師と一般人、日常と超常の出島である。
彼らに科された義務は一つ「日本国および日本国民に損害をもたらさないこと」
権利は人間並み。
彼ら異端の存在が人並みに暮らせること、人らしくあれる事を目的としたいわば日異友好都市である。
異とはこの場合異端であり異界だ。
彼らがいつか当たり前の存在となれるように。
ある魔術師の祈り。否、妄執がこの町を作り上げた。

しかし都市を現在運営しているものその魔術師ではない。
今までのものは全て傀儡か、魔術師であり創設者-HAL-を見なかったことにしていた。

だが、今回は違う。魔術師出身の初の市長。
新進気鋭の30代。がっしりとした戦士のような体格に、石鹸のにおいがするような爽やかさにあふれた顔つき。
異界、異端との戦いの最前線から実業家へ、インテリとして知識を蓄えついには市長に上り詰めた叩き上げ。
ここにAXYZ(アクシズ)の新しい歴史を刻む、市長と創設者の会合が開かれた。

「テーブルよし、掃除よし、と……あの爺さんは場所なんざ気にしねえだろうが、
見るところはしっかり見てるからな。
ああ、君これはチップだ。私とゲスト以外誰も通すなよ」

市長は会合場所である高級ホテルの食堂をチェックすると、ボーイにチップを渡した。

「かしこまりました」

若いボーイは慇懃に頭を下げる。
パリッとのりの利いたホテルマンらしい服装だ。
彼は頭を下ろしたまま続けてつぶやく。

「ですが、これは受け取れません。贈賄やらなにやら言われたら面倒ですから。
ねえ、市長」

ぞっとするような魔性の気配、まがまがしい瘴気がボーイの形をしたものからあふれ出す。
市長は静かに得物である鋼糸を張り巡らす。しかし警戒はしても敵意はない。

「お待たせしてしまいましたか、HALさん」
「いいえ私も今来たところですよ。試すようなまねをして失礼いたしました。
ほんのジョークですよ」

ボーイは顔を上げたときには青いスーツに白髪の老人に変わっていた。
手にはいつのまにか烏のクチバシのような形の杖がにぎられている。
100年の時を生き、人を辞めた魔術師。AXYZ(アクシズ)の創設者、HAL(ハル)だ。

「見事な変装術ですね。穏行ですか?それとも使い魔(ファミリアー)ですかね?
いやあ、驚かされましたよ。おっとこれはどうも」

ポケットの中に先ほど渡したチップが入っているのに気付く。
市長は糸を回収し、精力的な笑顔を作り笑う。
老人の悪戯はおだてるに限る。
そのくらいの処世術は市長はわかっている。

「まあ、いくつかのレシピを混ぜ合わせた感じですかね。
では、お先に席につかせていただきます」

HALは目上の者が突っ立っていては邪魔だろうとさっさと座る。
市長は丸テーブルの対面の位置に座った。

「注文はしておきました。いい店なんですよ。まあ、もうご存知かもしれませんがね」

店内は中華風を意識した日本式中華料理だ。
ちょっとお高そうな壷や、オリエンタルな雑貨が品を損ねない程度に配置されている。
足元は当然赤じゅうたんでふかふかだ。
しかし、話の成り行きによってはアラスカの氷原よりも硬く感じることだろう。

「ええ、良いセンスだとおもいます。そろそろ来る頃でしょうかね」

前菜の冷菜の盛り合わせとソースをのせた小皿が運び込まれる。
ゆがいたチンゲン菜のあんかけ、ちょっとした肉の切り身がミルクのように白い皿に盛られている。

「アルコールはどうしますか?」

市長からの問いかけ、ちょっとした緊張。
この場でアルコールを頼むということはすべては「酒の席での話」としてディープだが非公式な話にするか、
ノンアルコールであくまで「会合」として成立させるか、つまりは言質をとられる話としてするか、
その選択を目上に任せた。

「いえ、結構です」

真剣勝負がお望みか。それとも形式的な話で会談自体を流すか。
いいだろう、どっちにしても受けて立とう、市長は気合を入れなおす。
事実、メインディッシュが終わるまでは雑談に終始した。
市長の身の上をHALが聞いたり、HALの戦後すぐの欧州の話などがほとんどだった。
デザートを囲みつつ、両者は会談が次のステップに入ったと気付く。
市長が少しだけ身を乗り出し、真剣な顔で話を切り出す。

「挨拶はここまでだ。市長として聞くが、あんたが何をしたいのか解らない」

HALは鷹揚に断言する。

「私の望んだことはごく単純ですよ。魔術によって犯罪を犯すものが野放しになっている現状が許せなかっただけです」

椅子にゆったりと身を預け、静かに演説をする。

「魔術を公開し、法を整備し、権利と義務と秩序を与えたかった」

市長はしばし考え、頭の中でのルート表を確認する。
なるほど、それがお題目か。当たらずとも遠からずだ。
なら俺はこう返そう。

「なるほど、お考えはわかりました。俺も魔術の公開には賛成です。
すぐにでも今以上の対処が必要だと思ってます」

魔術師や妖魔による犯罪の対処はAXYZ(アクシズ)の使命の一つだ。
現状は魔術師にとっての無法状態をAXYZ(アクシズ)が力でねじ伏せている。
チェスの早打ちのようにHALはすぐさま返してくる。

「ですがそれ以上に殺人罪や脱税、恐喝でしょっぴけても、魔術を悪用したこと自体はそれを裁く法がない事が問題ですね」


魔術の悪用は深刻なレベルに達していた。
生贄に人をさらうのは日常茶飯事。堅気の人間を操るのは当たり前。
そんな無法に彼らは立ち向かってきた。
老紳士は机にあずけた銀の杖を撫でる。
それは彼の経験から成る矜持を表しているかのようだ。

「そのための魔術の公開、ですか。俺はね、法律とは抑圧だと思っているんですよ。
犯罪に対する抑止力といってもいい。なら、魔術師に対する抑圧になるんなら何でもいいんじゃないですかね」

市長は男臭く、雄弁に語る。
スーツを着た騎士のようだ。

「俺は常々警察に戦力が足りないと思っているんですよ。とくにこの業界に関してはね」
市長が提案する。
そう、犯罪者はしかるべきところが逮捕してもらわねばならない。
それはHALにしても市長にしても同じ考えだ。

「公安(サクラ)とはすでに連携している状態です」

HALがすぐさま答える。
AXYZ(アクシズ)が犯罪魔術師や凶悪な妖魔を叩きのめし警察に引き渡す。
警察のお世話にならないやつ、刑務所から逃げ出す奴は、彼らなりの流儀で対処してきた。
それが今までのAXYZ(アクシズ)だった。

「戦力をウチの側から投入できませんか?そろそろ本腰を入れてもいい頃だと思いますがね」
市長はさらに一歩踏み込む。
丁々発止の舌戦。二人の顔は戦場のそれだ。

市長は暗にAXYZ(アクシズ)の本体である魔術師、人外による「警備会社」の増強と、警察との癒着をほのめかす。
敵対する組織をつぶし、捕虜を戦力とするのは今もやっていることではあるが、
彼が考えるのはさらにその先だ。
自身の手ごまを警察にもぐりこませ、対魔、退魔を目的とした警察機関を作り上げようとしている。
つまり、公的に政敵をたおせるカードが欲しいのだ。

「失礼ですが、警察に投入できるほどの人材がそろっていますか?」

この場合HALが言っているのは戦闘力の問題ではない、倫理観だ。
警察に投入できるほどのまともな倫理観をもった魔術師は少ない。

「今のAXYZの防備を考えれば「使える」奴は確かに少ないですね」

それなり以上の人格と判断力を有している魔術師は数が限られている。
その上で警察官となって、うまくやれる人材が果たしてどれほどいるか。

「でもね、敵対組織を征服し、まともな奴、使える奴なら仲間にしてきた。ただの犯罪者ならそのまま警察へ。
今までもやってたやり方でしょう?そうやってうちは大きくなってきたんですよ。
今度は「使える」奴をそのまま警官にする。そんなに無茶な事ですかね」

市長が熱した鉄のような気迫で迫る。
スーツがかつて着ていた特攻服に思える。
心は熱く、頭は冷静に。駆け巡れ走り回れ。
かつてはコンクリートジャングル、今はロジックの中で。

対してHALは重々しく応える。
ぞっとするような響きだ。

「それがどのような手段で成されて来たかはご存知の上で仰ってますか?」

警察に手に負えない者、捕まえることができずに殺すしかなかった者。
その時に手を汚してきたのは市長自身であり、またかつてのHALだった。
運よく捕まえられた者は、そのほとんどが殺人鬼としか言えないような凶悪な社会不適応者だった。
彼らにこれ以上犯罪を犯させないには二つの手段しかなかった。
殺すか、洗脳するか。
捕まえても同じだ。いずれ脱獄する。
殺人のエリートたちを更正させるには人格を丸ごと洗い流すしかなかったのは自分が一番良くわかっていることだった。

「洗脳ですか?クズがまともになったと思えばむしろ良心的なんじゃないですかね。
教育だって同じですよ。不良共を更正させるのに説教をするか、呪文を唱えるか。
綺麗ごとを言っても仕方ない状況っていうのはHALさんが一番わかってるんじゃないですかね」

本当にどうしようもないサイコパスたちと戦う最前線にいた二人だ。
時代は違えど、どうしようもない人間を多く見てきた一種の戦友という感覚はある。

「ですが、洗脳した上で今のレベルなんですよ。
正直に言って彼らが使えるとは思えませんね」

鉤鼻の老紳士は英国人らしく皮肉げに批評する。
スーツ姿の騎士は日本人らしく熱弁をふるう。

「それは現場を見ていないからですよ。確かにまともな連中じゃないですが、今から基礎を叩き込めば間に合います。
まともな奴じゃなくてもいいんですよ。まともになれそうな奴を叩きなおせばいい。
何も俺は一年二年の話をしているわけじゃないんですよ。
それに、うちからの出向が難しいなら技術供与はできませんか?これなら即効性があるでしょ。
武器がけっこう余ってるんでね。まあ、警察の対応じゃヌルいと思いますから、ある程度口は出しますけどね」

しばらくの沈黙。HALは悩んでいるような顔だ。
あるいは苦渋をかみ締めているかのような。
冷めたピザのような空気を感じ取った市長はため息をつく。

「腹をくくりましょうよ。あんたは要は国政に手を出したくないんだろう。
そんな事を言ってる場合じゃないのは解っているでしょうが」
「ええ、私は日本の政治にまで口を出したくない」

HALは自分はどこまで行っても魔術師であり、殺人者であり、なにより英国人だと思っていた。
自分には日本の国政に口を出す資格はない、否、してはならないと。
市長はいらついた口調で説得する。

「魔術を公開して法改正するんだろう。あんたはすでに街を一個作り上げた。
いい加減腹をくくれ。
あんたはもう十分国に口を出している」

市長は市長に留まる気はない。魔術の一大拠点であるAXYZの市長になったということは、この国の魔術界で一定の責務を負うということだ。
それはそのまま国士への野望につながる。
いや、国士になろうともでも思わなければ背負えない責務だ。

「私は仕分け屋の仕事をしただけですよ」

 HALの本来の仕事は仕分け屋だ。
魔術に関するものを、世に解き放っていいものかどうか判断する。
HALは自身をシステムだと思っている。
すべてはHALが人間だったころに下した「魔術は公開されるべきもの」という判断を可能にするための演算を行っているに過ぎない。

 彼がAXYZ(アクシズ)という街を築きあげたのも、単にそのために必要だったからだ。
彼には自分が仕分け屋という権力を握っているという自覚はあっても、
街を作り上げた権力者であるという自覚はなかった。

「昭和じゃそうだったかもしれん、だが今は平成だ。
仕分け屋の仕事っていうのは政治になってしまった。
あんたが政治にしてしまったんだ」

 仕分け屋の仕事とは、あらゆるものに対して、それが危険か、安全か、有益か、無駄か。
その判断をするのが仕分け屋という仕事だ。
仕分け屋が必要とされた20世紀前半にはその判断を必要とされる工業・化学技術が本格的に芽生え始めた時期であったし、
危険きわまる魔術や神器が残っていた時期でもあった。

 だが、科学技術に対してどういう態度をとるかというのは核ができた時点でもはや国のものとなったのだ。
あくまで20世紀初頭の人間の意識を引きずるHALにはそれがわかっていなかった。
そして今思い知らされた。

「何が嫌なんですか。ひょっとして生まれですか?英国人だから?」

HALは驚きに満ちた顔をして市長を見る。
なぜそれが解ったのかと。

「図星って顔ですね。あんたの著作を読めばそのくらい解りますよ。
あくまで他人事って書き方だ。
日本人じゃなきゃ駄目だってんなら、俺がやります」

空気が二分される市長の側のギラつく熱気、
HALの側の凍える冷気。
それらはこの貴賓室を荒野のような空気に攪拌する。

「やる、とは?」

じっと、HALはレンズのような目で市長を見る。
この時市長にはこの老人がひどく空虚なものに見えた。

「この国の魔術に関する政治的判断だ。魔術を公開するかどうかもな。
あんたがやりたくないんだったら、俺が勝手にやる。
その上であんたは俺に協力するのかと聞きたい」

決定的な一言だった。
協力か、対決か。
一触即発のスリル。国を担う重圧。
市長は容赦なくHALにプレッシャーをかける。

「……じゃなきゃあ、責任を放り出さないでもらいたい」

爆発寸前の空気に風穴を開けたのは市長だ。
あえてHALに逃げ道を作った。
あるいは自分自身にも。
ぎりぎりの空気を作り上げ壊す。
無茶な要求を言った後妥当な案を言う。
ごく基本だが、この場合は有効だった。
HALは冷静さをとりもどし、ふむ、とうなずく。

「なるほど、確かに私には責任がある。仕分け屋ではなく、国士としてのね」

冴え冴えとした機械のような目が戻る。
HALは背負ったものの重さを再確認し、受け止めた。


「覚悟は決まったみたいですね。その上であえて俺は警察への介入が必要だと言っているんですよ」

冷静にHALは自説を述べる。

「まず問題点がいくつか。警察は基本的に法がなければ動けません」

HALはあくまで法による魔術の取締りを前提としている。
そのためには、まず魔術を取り巻く問題が認知されなければならない。
国家が知らないものは裁けないからだ。

「もちろん、別件逮捕も有効ではあるでしょう。
ですが根本的な対処ではない。法を犯したという意識がない限り犯罪に対する抑止にはなりません。
それから、警察の装備は警察が決めることです。われわれが与えたとしても彼らが法を守るがゆえに使えません。
発砲すら問題になるんですよ。
ですから、警察を十分に運用するためには、法の改正とそのために魔術の公開が必要だと判断します」

厄介だ、と市長は思う。
この老人は頑固だ。最初に結論ありきで話している。
ならば過程はこちらが主導権を握らなければ。

「だからうちの奴らが警察内部に入って口出しすればいいでしょう。
派閥で固めればそれなりには動かせるはずだ。なんなら赤軍化させてしまえばいい。
別件だろうと何だろうと捕まえてしまえばこっちのもんです。
装備だって銃ならともかく、武器の形をしていないマジックアイテムなら問題にならない」

さらにいえば、明治時代から魔術はメディアから締め出されてきた。
否、魔術側がメディアを封殺してきた。
一騒動あるだろうが、市長はAXYZ(アクシズ)ならば情報戦で他の勢力に遅れを取ることもないと思っていた。

「ああ、それともう一つ。
あなたはこう思っているのではありませんかねえ?
今のうちに警察を取り込んでおかないと、真っ先に叩かれるのはこのAXYZだと。
AXYZも少なからず人権を守るために人権を無視した手段を行ってきたのはあなた自身おっしゃいましたよね?」

ニィとHALの口と市長の口が釣りあがる。
前者はいってやったぞざまあみろ、であり、
後者は受けてたってやろうじゃねえか老害、である。

「ええそうですが?その人権を無視した手段にしたってヨソにくらべればましですよ。
堅気に術をかけて特攻させるのは当たり前、未成年を戦場に出すのが当たり前なLUXやYENDSに比べればね」

HALは腕を組み替え、静かにたずねる。
その顔はゴーサインの検討を始めていた。

「ふむ……では、警察内部への動員は可能ですか?」

市長はここぞとばかりに雄弁に自説を展開する。

「一年二年ではなく、10年スパンの計画を組めば可能ですよ。
今育成している代の奴らを国の中枢にもぐりこませるように育てればいい
今からなら、可能だ」

HALの目はまだ納得していない。
彼の野望である魔術の公開に市長が協力するかどうかわからないからだ。
市長は一つカードを切った。

「……正直に言いますよ。確かに魔術を隠蔽している今のままじゃ、
無駄が多すぎるし、無理が出てきている。
実質二重行政だ。
それに……いつまでも魔術を、魔術の被害者を見てみぬ振りをするのはうんざりだ。
それは認めますよ。
そもそも、アメリカが公開した時点で、公開するかどうかの問題じゃない。
いつどうやって公開するかという問題になっている。
あちらさんがハリウッド映画一本作ったらもう終わりだ。
じゃあ、あなたには魔術の公開のためのちゃんとしたプランがあるんですかね?」

実際に隠蔽は不可能なレベルになってきている。

アメリカは60年代の時点で冷戦に伴い、魔術の公開が行われている唯一の国だ。
あるいは、単に先進国の中では隠蔽が行われていないと言ってもいい。

この上、魔術が当たり前にあるハリウッド映画なり連続ドラマまで作られたら魔術の隠蔽はもはや崩れ去る。
否、問題はいつ崩れるか、というところまで差し迫っていた。

テレビの普及だけならば大丈夫だっただろう。
魔術の実在を示したとしても、それで大衆がすぐに魔術を使えるようになるわけではない。
だが、1990年代から伸び始めたネットの普及は情報の無限の拡散を始めていた。
誰もがスパイになれる時代だ。

あとは、誰かが決意するだけ。

時代の分水嶺。そう市長はつぶやく。
まさに自分はそこに立っているのだと確信をこめて。



HALはうなづくと話を切り出した。
「ええ、問題はアメリカです。公開プランの前にそちらを説明しなければなりません
もっとも、あなたもよくご存知でしょうが」

「ええある程度は。でも今は互いの認識の差を埋めておいた方がよさそうだ」

「魔術業界において世界は公開側の米国と、隠蔽側の欧州に二分されています。
AXYZは公開を前提として作られた町ですから、米国資本なんですよ。
この町は米国の支援を受けて日本の魔術を管理しつつ、
欧州とのコネクションを生かして欧州からの介入を最小限にとどめる役割があったのですよ。
仮に欧州との外交チャンネルがなければ、間違いなく米国と欧州が日本で代理戦争を繰り広げたでしょうね。
今までこの町は、日本は欧州からの介入をのらりくらりと避けてきました」

「事は外交に関わってきますね。蘭堂がいろいろ裏で動いていたのはこのためだったのか」

蘭堂文月。
HALと並ぶAXYZのフィクサー。
しかし、彼には黒いうわさがつきない。
抗争が起こるたびに彼の名前がちらつく。
市長も現役時代に彼に関わったことがあるが、苛烈で嫌な上司だった。

「そうです。彼は戦術面顧問ですよ。
そして、公開は欧州と米国の存在を考えた上でなさねば成りません。
舵取りを間違えれば日本は孤立する」

市長はほかの都市、魔術勢力を思い出す。
支援している企業は、政府はどこか?
彼らは敵なのか味方なのか。

沖縄のLUX(ルクス)は元々米軍基地だったはずだが、今や魔術の隠蔽に最も苛烈な派閥でもある。
欧州資本が投入されているという話も聞いている。欧州から都落ちした悪党の流れ着く掃き溜め。
ならばあちらは欧州側と見ていいだろう。
今までさんざん戦ってきたクズ共だ。

大阪のYENDS(エンズ)はどうか。あちらも魔術に関しては賑やかだ。
気風は自由自立だが、ヤクザと魔術結社が結びつきマフィア化している。
そして厄介なことに彼らもまた「魔術の悪用を防ぐため」に表向きはクリーンな組織をLUX(ルクス)とAXYZ(アクシズ)以外の全国規模に展開している。
しかし、連中の自由はリバティ(開放)ではない、フリーダム(野放し)だ。
好き勝手にチンピラ共が闊歩している状態だ。
魔術の開放とやらは邪魔しないだろうが、どの道首を狙いあっている仲である。
ぜいぜい内戦にまで発展させないように制御せねばならない。

ほかに有力な勢力は、東北を中心とした神討会(カミウチカイ)だ。
あれは過激派とかテロリストとか言った方がいい連中だ。
悪党をしらみつぶしにしているという点では自警団と考えてもいいだろう。
たしか元々は香港マフィアだったはず。
中国政府は魔術を隠蔽しているが、中国は市民レベルでは公然と魔術の取引が行われる場所だ。
やはりどちらでもないのだろうか。
だがその理念は
「人間は神々や魔物に頼らずに人間の力で生きていくべきだ」
「神々は人間を抑圧している。魔術師も神気取りで人を支配している。
すべて死すべきである」
と聞いている。公開派隠蔽派というより反魔術組織といえるだろう。
こちらも敵対的中立といったところか。
厄介な相手がそろっているところだ。


最後に忘れてはならないのは日本政府と深いつながりのある京都の術者たちだ。
HALとのつながりもうわさされている。
神社本庁の神道側と高野山比叡山の密教側、あとは陰陽寮の陰陽師。
穏健派として有名だが、果たしてどう出るか……
個人的に信用はできるが、いざとなればどう出るかわからない。


「米国側のAXYZ(アクシズ)、日本側の京都、欧州側のLUX(ルクス)、敵対的中立のYENDS(エンズ)、という事ですか。
なら今までの行動は中立側と日本側を取り込む工作って所ですかね
となると、地理的には京都と九州、滋賀が要となる」

市長は各勢力の態度を今までの傾向から推測する。
そうすることで今までのAXYZ(アクシズ)の行動の意味が見えてくる。

「いかにもそのとおりです。
九州をLUX(ルクス)に制されれば本土へ侵攻される。
本土に侵攻されれば、日本の術者の中心である京都が狙われる。
そのため、AXYZ(アクシズ)は京都を支援しLUX(ルクス)の本土上陸を封じ込めてきました。
もっとも、神討会はLUX(ルクス)とAXYZ(アクシズ)を共倒れさせる気でたきつけてきましたがね。
YENDS(エンズ)はマフィア化したことにより地域に深く根を下ろしています。
そこであえて九州は彼らに支配させたわけです。
さて、魔術の公開に向けたプランですが……」

HALはクスリの種類を読み上げる医者のようにプランを開示する。

「一つ目はこのまま米国に支援を受け日本政府と協調しながら日本国内の欧州勢力を武力制圧していくことです」

「中立側と日本側を取り込みながら、ですか。日本政府はどうなんです?魔術の公開に賛成しているんですか。
京都の術者は?一枚岩じゃないでしょう。
私が神討会なら京都をLUX(ルクス)に乗っ取らせてAXYZ(アクシズ)と一戦やらかそうと考えるかもしれない
YENDS(エンズ)だってどう出るかわからない、むしろ賛成して戦力を蓄えようとするかも」

「はい、必ずしも賛成が得られているわけではありませんし、YENDS、LUXや神討会の介入も侮れません。
内戦になる可能性もあります」

「なるほど、それは後でよく話し合う必要がありますね。他には?」

「二つ目は逆に欧州に攻め込みます。
というより、強引に世界中に公開してしまうという感じですね。
ネット上に魔術に関する情報をリークし、欧州の魔術界の犯罪を暴きます。
そうなれば欧州では政府と魔術師が対立するでしょう。魔術師が市民に攻撃する可能性も大きいでしょうね。
そこに米国を介入させ、混乱しているうちに欧州勢力を排除する」

国内はどうなる。
欧州に攻められる前にこちらから攻め滅ぼそうというコンセプトは悪くないが、今のAXYZ(アクシズ)にそこまでの戦力があるかどうか……
いや、あったとしてわざわざそんな地の果てまで戦争に行く意味は?
そして国内はどうなる?

「それにどんなメリットが?」

「混乱に乗じて支配権を握ることが可能です、ですが」

即座に市長は切って捨てる。

「無謀すぎますね。世界中を混乱させて自爆するだけだ。
せいぜい、二の轍をふまないようにという教訓になるだけじゃないですかね
だが、それを行って得をする所が一つある」

そう、国内で海外に本体を置き、なおかつ魔術を公開しても損の無い場所。
そんなバカげたことを本気でやる奴ら。

「はい。神討会はこれと似たようなことを考えているようです。
われわれがせずとも、他の誰かがするかもしれません
追い詰められた誰かがいつ暴発するか解らないのですよ」

HALの答えは肯定だ。
市長の考えはあくまでシュミレーションの中の一つに過ぎない。


「そのための備えはしているんですか?ここの防備は相当な物ですが、それ以外にこちらからある程度けん制しなきゃダメだ」

市長は聞きに徹する。こと海外情勢に関してはこの老人の方が一方上だ。

「はい、そのためのAXYZ(アクシズ)です。最悪の場合はAYXZ(アクシズ)を外界から閉鎖します」

HALの目はレンズのようだ。
人ではなく、論理出力をする機械。
実際は人と機械の狭間をゆれる亡霊のようなものかもしれないが。
今この瞬間はただ演算をする機械のようだった。
老人という姿かたちがずれて見える。
つるりとした、プラスチックのボディに。

「もちろん、最悪に最悪を考えた場合ですが。
外界がどうなろうとAXYZ(アクシズ)単体で生存を保障できるようにはなっています。
魔術の公開による混乱ですが、実は私は個人的に兵器を貯蔵しています。
いざとなれば自衛隊に供与することも可能でしょう。
超法的措置ですが。
それと、MAOSの増産も可能です。
魔術の公開に伴い、誰もが魔術を使う事が必要になった場合に備えてですが」

事態はそこまでを想定しなければならないのか。
市長はうんざりしてくる。

「あまりに極端だ。他のプランは?」

市長は得物を狙う狩人のような目でたずねる。
もはや油断はならない。
HALは暫定的な方針を述べる。
AXYZ(アクシズ)が今切れる手札を開示する。

「いずれにせよ、日本国内の日本側勢力と日本政府とは長いスパンでの説得と協調が必要でしょうし、
LUX(ルクス)や他の危険分子を今までどおりつぶしていかねばならないでしょう。
そのへんは蘭堂さんと協力してやってください」

今までの路線からいえばそうだろう。
自分が違う路線をとるにしてもしばらくは大規模な路線変更は難しそうだ。
だが、しかし前提条件が一つ変わった。

「話を聞いた限りでは公開そのものは今すぐにも可能……いや、正直に言いましょう。
もう時間の問題ですね」

HALは愉快そうに応える。
その姿にはもはや迷いはない。
淡々と粛々と、オリジナルである人間だった頃の願いを果たすための計算機だ。

「はい、可能不可能で言えば、インターネットが普及し、私がMAOSの量産にこぎつけた時点でいつでも可能です。
私の勝利条件はすでに満たされたと言っていいでしょう。とはいえ、勢力図は東京の防衛に精一杯なんですがね。
というか、大勢の人間にMAOSを持たせ、魔術を普及させた場合のモデル都市が今までのAYXZだったといってもいいでしょう」

市長はHALの態度から魔術の公開そのものが困難だと思っていたが、実際は違った。
むしろどう公開するか、あるいはどう隠蔽するか、公開された場合どう対処するのか、が問題だった。

「ああ、米国がハリウッド映画や連続ドラマで魔術を取り上げたらもう終わりですね。
ネットでは隠蔽が限界に来てますしね。
魔術の公開は、もうするしないの問題じゃない。
あとどれだけ猶予が残されているかというだけだ。
あんたに余裕があるはずだ。
あなたはもう目的を達しているんだ。後は俺たちに後始末を任せればいい」

「そのとおりです。後始末を投げる気はありませんがね。
さて、ここまで知った上で現場のあなたの声が聞きたい。
あなたは市長としてどんな決断をなさいますか?」

「魔術を公開します。俺はそのために市長になった。
他は今までの路線でいいと思いますよ。
日本側とは協調、危険分子は排除、犯罪者は警察に突き出す。
どうしようもないやつは洗脳する。
あとは勢力拡大ですが、京都と九州は絶対に落とさせてはいけませんね。
堕ちた場合は補給線が延びきっているのを利用して消耗戦をしかけるしかなくなる
神討会とは、いずれケリをつけなきゃならないが、
今東北の神討と、沖縄のLUX両方と二面作戦をする余裕は無い。
神討とYENDSがつぶしあってくれるのが理想なんですが……
ああ、だから神討とはこの前休戦したんですね。となればLUXを落とすべきだ」

「的確な判断だと思いますよ。敵の敵を利用すべきです」

「だが、これら日本の平定は公開前に済ませておかなきゃならない。
時間との勝負になる……猶予はどれだけ残されているんですか?」

公開による混乱を避けるためには、犯罪結社の大掃除が必要だ。
今現在も行っているが、それが間に合うかどうかはわからない。

「あと、2、3年といったところでしょう。ちなみに、戦争の用意は十分整っていますよ。LUX(ルクス)とAXYZ(アクシズ)、どっちが倒れるにしろ、数年で決着が着くほどには」

「ああ、なるほど。今回のことは事情説明だったわけだ。
俺がやる気なのを知ったら、あんたは後始末に俺を巻き込む事を決めた
つまりあんたは俺に仕事を仕分けたんだ」

HALが市長に仕分けた仕事とはシンプルだ。
『2010年までに日本国内のごたごたを片付けろ』
非常に困難だ。しかしやらねばならない。
誰かが、ではない。自分がだ。

「はい、不躾ながら私の本分をまっとうさせていただきました。
あなたは魔術を公開したい、私はあなたに魔術を公開させたかった。
ご不満ですか?」


そう、元より国内のごたごたをまとめて解決する気だった。
だからHALはその権限を自分に与えた。
互いにとっていい取引のはずだ。
だがどうしても一本とられたという気がする。

「いいえ、もとよりその気でしたからいいですけどね
あんたもいろいろちょっかいを出してくれた物だ。
忙しくなりそうだ」

なにやら最初から手のひらで踊らされていた気がする。
すべてはこの仕分け屋の仕分けだとでもいうように。
この仕分け屋はいつもやることが回りくどすぎる。

「そうでしょうとも、市長」

機械は満足そうに笑う。




[30579] 2011年HAL編「幻想の終焉」NEW!
Name: 件◆c5d29f4c ID:5b1bfa4a
Date: 2012/07/15 00:00
幻想の終焉

 みやびやかな空気のする日本家屋のその一室。
 重厚なテーブルのおかれた和風洋間とでもいえる部屋だった。
 そこにスーツ姿も折り目ただしい金髪の老人と同じく金髪のドレスを着た美女が座っていた。

「こんにちは、お会いできて光栄ですよ。ワインなどいかがですか?」

 老人の名はHAL。人を辞めた魔術師にして日本の魔術界黒幕の一人。
 彼は上等なワインを土産に差し出した。

「こちらこそあなたとはぜひ一度会うべきだと思っていたところですわ。
お酒は結構、お気遣いなく」

 美女の名は鬼院楼蘭。遠野の里をたばねる妖怪の賢者だ。
 貴族めいた優雅なしぐさでワインを拒絶する。

「ご心配なく、神便鬼毒酒でも、聖別したものでもありませんよ。
毒もありません。この通り、普通のワインです。一口飲んでも構いませんか?」

 厳密な表現で毒は無いと主張するHAL。
 毒見さながらに自分でワインをグラスに注いで飲んでみせる。
 なお、この時コルクは素手で回され、グラスは手品師がするように手の中からあざやかに出現した。

「どうぞご自由に」
「おっと、ついつい酔いが回って思わぬことを口にしてしまうかもしれません。
酒の上の事ですので、その際はどうぞご容赦を」

 これは遠まわしな政治的マナーというやつで、つまりは腹を割って話そうというほどの意味だ。

「わかっておりますわ。つまりは全ては酒の席の上での話・・・・・・
他の場所で洩らすような無粋はいたしません。
そういうことでしたら、私もやらせていただきますわ」

 鬼院もそれに応じてどこからともなく手の中にすでに酒の入ったグラスを出現させて一口飲む。
 恐ろしく用心深いいびつな乾杯が二人の距離と間柄を示していた。

「どうぞどうぞ。では・・・・・・繁栄に乾杯」
「ええ、我々の、ね」

 ちん、とグラスが触れ合う。
 ここに魔術師の黒幕と妖怪の賢者の会談が実現したのだ。

「私も、酒の上でつい口が滑ってしまうかもしれませんわ。
盗み聞きをされたら恥をかいてしまいますわ。
もっとも、私の部下はそのような事はしませんし、外で喋るような者でもありません。
そのような輩も通しませんけど。
あなたもそうですわよね?」
「ええ、この場のことはこの場のみです。「気楽に」話しましょう」
「ええ、腹を割ってね」

 この場合の気楽とはすなわちこれは公式の場ではないし、記録にも残さないということだ。
 彼らは会談のレギュレイションを一手一手たしかめつつ構築する。
 能書きが終わったところで魔術師が切り出した。

「私はあなた方妖怪や神に一定の敬意を払っています、ですが、日本国に対する主権の侵害は認められません」

 妖怪がチェスの早打ちのようにすばやく切り返す。

「あなた方が不要としたものを有効活用しているだけですわ」

 彼女の管理する妖怪の里には人食い妖怪が多くいる。
 そして彼らを養うための「資源」は外から調達されていた。
 すなわち日本国からさらっても誰もさわがないような、あるいはいなくなってもむしろ納得されるような人間を狙ってさらっては食っていたのだ。
 とどのつまりは自殺志願者やどうしようもないクズばかりを食っていたわけだ。

「まあ、我々の社会が彼らを活用しきれなかったのは認めますがね。
ですが、それとこれは別です。今後ともあなた方とはいい関係でいたい。
どうでしょう、代用食をこちらで開発しておりますので、ご一考願いたいのですが」

 HALがカバンからパンフレットを一枚取り出して差し出す。
 鬼院はそれを流し読みしてコメントした。

「祝福済みのザクロと再生医療による培養人肉・・・・・・
つまり、人をさらうなと?
そうですわね、無駄なリスクを犯す事はなくなるでしょう。
ですがお断りいたしますわ。
あなたたちの価値観で言えば一生をファーストフードで過ごせというようなものよ。
そんなことを民に強いるなどとてもできませんもの」

 鬼院はHALの提案を却下する。
 ゆったりとしたドレスが風にそよいだ。

「あなた方の価値観は否定しませんし、文化も否定しません、ですが、日本国民を殺害する集団を看過することはできません」
 HALは淡々と国士としての主張を曲げない。
「ならばこのようなものはどうでしょう?
人里の人間の一部を改良するのです。
これが大まかな骨子ですが、戦闘力に優れ、短期間で成長し、子を多く成す。
そのかわり寿命も短く、頭も愚かだ。
ハンティングにはもってこいでしょう?」

 暗にHALは妖怪の里の中にいる人間は日本国民と勘定していないと告げる。
 それは理にかなったものであった。
 妖怪の里とは、明治時代に近代化によって野山を追われた妖怪たちと時代から取り残された退魔師たちによって設立された物である。
 退魔師たちは元々明治政府から疎んじられていたところを「妖怪の監視」および「その身を賭して妖怪を封印する」と主張した。
 妖怪たちは「自治区を要求する」と主張した結果、日本国内に妖怪と退魔師が仲良くにらみ合いをする場が生まれたのである。
 彼らにとっては近代化と明治政府こそ敵であり、長年殺し殺される間柄であった相手のほうがむしろ信頼に値したのだ。
 この時双方の主張をまとめあげ、明治政府から自治を脅し取ったのがこの鬼院楼蘭であった。
 すなわち、HALにとってはどちらも「日本国を捨てて独立した自治区の民」であり、彼らが殺しあってもいっかな彼の懐も胸も痛まないのである。

「ええ、一考には価しますわね」

 答える鬼院の顔は厳しい。妖怪の里の奴らだけで殺しあえという提案に対し鬼院は不快をあらわにしていた。
 HALからすればこれは遺伝子情報が人間由来なだけであって、もはや人間というより人間の遺伝子を移植したマウスに近いという感覚なのであったが。

「どうやらご不興のようですな。私としてはいくつかの事を守っていただければそれでいいんですよ。
 外部の人間をさらわない事、逃げ出す人間を追わない事、外部に対し何らかの利益を与えること。この3つです」

 指を一本一本立てておだやかに表現する。
 HALは鬼院の顔を見て不利を悟るやすぐさま「率直な話」を切り出した。

「それを私達が守る理由は?責め滅ぼされないだけマシだと思えと?」

 立て続けに要求を押し付けられた鬼院は渋い顔だ。

「ですが、貴女方は物資の補給の一部を外部に頼ってますね?
私どもならば、より格安で安定的に提供できますし、
融通はかなり聞くと思いますよ」

 これは実質的な談合とカルテル。
 短期的にはたしかに物が安く安全に手に入るかもしれない。
 長期的には供給を独占するHALの意のままに経済を支配される。
 つまり、拒否すれば経済侵略をするとHALは暗に述べている。
 そこから彼女はHALの意に沿う最低限のラインを考える。
 ここでHALがその条件を出してくるという事は、実際に経済侵略が可能であるからだ。

「無体な・・・ではこうしましょう。
貴女方は結局外の人間に手出しされたくないのでしょう?
相互不可侵を結びましょう。私たちは外の人間に手を出さない、
あなたたちは私たちの内部に口を出さない。
あちらから勝手に入ってきたものは私たちに任せるように。
その代わり経済封鎖はいい加減に解いてくださいません?
いちいち海外に行って買い物をするのはもう面倒ですのよ
それと過去にさらった者の責任はとりかねますわ」

 大分厳しい要求をのむこととなったが、元より国相手の不利な交渉にはなれている。
 なにより致命的な部分は逃れられたし、彼女にはまだここから切り返す策が思いつきつつあった。

「結構。商談成立ですな」

 HALがわずかにため息をつく。
 彼にとってはぶっちゃけた話日本人を拉致するのをやめてもらえればそれでいいのだ。
 鬼院はHALをキッとにらんでまくしたてる。

「唯一つだけ言っておきますわ。あなたは人間と妖怪の和解を考えているようですわね。
ええ、ええ、結構なお考えですとも。ですけどね、人と和解したものが全て人類といわれるならば、
私たちは獣で構いませんわ。私たちは人に恐れ畏れられる敵対者。
その生き様のせいで死ぬならばそれこそ本望というもの」
 それは無礼な人間に対する妖怪の誇りと怒りであった。
「それを領民にも強いますか?」

 HALはにたにたと暗に戦争をしてついてくる民はいるのか?と皮肉る。

「さて、そこまで脆弱な統治をしているとは思ってませんもの。
 あまりわが民を舐めないでくださいます?」
「これは失礼しました。まあ、私としてはあなたは同じ穴の狢と思っているんですがね」
「そうでしょうね、そうでしょうとも」

 そう、そのとおり。
 国民が妖怪か人間かという違いだけで、国の主権をまもることに拘泥する国士という点ではふたりはかがみ合わせのようにそっくりだった。



 それから数ヵ月後。
 妖怪の先行きは、暗い。
 時代についけいけず、過去に暮らす者に未来はないのだ。
 新潟県妙高山にある鬼の隠れ里。
 そこの鬼の姫、妙高山流空(ミョウコウサンルグウ)が腹心の悪魔、ニコルベルと話をしていた。
「呼ばれたから来たわよ。お元気?」

 シャツにジーンズというラフな姿のニコルベルに対し、流空は古風な和服姿だ。
 額には親指ほどの二本の角が突き出ている。

「身体は問題ないんじゃがの、頭が痛うてかなわんわ。まあ、よう来てくれた」

 眉間をもんで、くたびれたため息を漏らす。

「ロキソニンよりもセルベールの方が入用みたいね」
「酒の方がもっと良い」

 あめ色の時代がかった引き出しからビンとお猪口を取り出し舐めるように飲む。
 少女に酒はなぜかよく似合った。

「そうね、せいぜい毒を入れられないようにね?」

 茨城童子が酒に毒を入れられて殺されたくだりのことだ。

「ああいう古臭い奴らはむしろわらわが毒をもってやったがの」

 地の底を這うように笑う流空。

「ああ、お土産に塩ようかんを持ってきたけど食べる?」
「食う」

 他愛ない話し合いだった。

「それで何の用?」

 ニコルベルが座椅子に座り流空を見る。
 彼女らがいるのは古臭い電球の釣らされた古風な日本家屋だ。
 天上の梁は重々しくそびえ、畳はあのなつかしい涼しげな匂いを漂わせている。
 流空はしばらく黙った後、口を開いた。

「HALが魔術の公開を宣言しよった」
「でしょうね、彼は最初からそれを考えていたし、そのためだけに一直線にうちこんできたもの」

 ニコルベルはつまらなそうにため息をつく。
 そう、わかっていた困った事柄の再確認だ。

「おんしならばこの意味が解るじゃろう?魔術の公開と共にあやつが人外の公開をやるのはすでに決まっておる。
そこに我らの存在も含まれれば……破滅じゃ、破滅じゃよ」

 くく、と流空が自棄じみた笑いをする。
 諦観や絶望だけではなく、破滅を愛する鬼のサガがそこにあった。

「総人類宣言だったっけ?人と共にあるならば人類、人食いならば獣。
獣を駆逐するのに遠慮は要らない……それが魔術師であっても」

 彼らは人食いだ。その存在が公に出れば当然、滅ぼされるだろう。
 彼らが人として扱われると言うことは、犯罪者として死刑になると言うことを意味していた。

「そうじゃ、奴はこの機に人に仇なす魔術師も、我ら人食いも駆逐する気ぞ」

 何杯目かのお猪口を飲み干し、流空はことんと杯を置いた。
 ニベルコルは紙袋からようかんを取り出し、指を当てるだけで中のようかんを切り分けてしまう。

「いずれ彼は最後通牒を突きつけてくるわね、代用肉を食べて人食いを辞めるか、
それとも人間を辞めるか」

 ニベルコルは懐から銀の楊枝をとりだし、ようかんに突き刺す。

「だが、民草にそれを言って納得するか?ありえんじゃろうな」

 そう、ありえない。妖怪たちがいまさら人食いをやめるというのはもはやありえないのだ。

「じゃあ土地を捨ててどこかへ逃げるとか。傭兵って手もありね」
「それもできぬ。国を失った民がどれほど悲惨か知らぬわしではない。
第一、我らはこの土地がすきなんじゃよ。ここで暮らし、ここで死ぬ。
そもそも、拠点なしで傭兵などやれん
いっそ、奴らののど笛を食いちぎってやるのも手かもしれん。
電撃戦で占領してしまえば容易には手がだせんじゃろ」

 流空は七輪に置かれた干し肉を素手で取ってかじる。

「それは嘘ね。あなたは華々しい散り際を飾りたいだけ。
万一うまくいっても今度は海外から集中砲火を受けるわ。
孤立した日本でどれだけ戦えるかしらね第二次大戦が保障してるわよ」

 ニベルコルは皿の上でバラバラになったようかんをもてあそぶ。

「では、人里の人間から胚だけいただいて新しく家畜人類を作る。
知性は低く、獰猛じゃ。人食い共の要求を満たしておろう。
徐々に食肉加工されたものを増やしていき、最終的には代用人肉を受け入れされる」

 このようにの、と流空は懐から魔術加工されたざくろを取り出す。
 ざくろ。それは人食いの鬼子母神が仏から渡された果実。
 人肉を食う業を持つものであっても食える食べ物。

「それもダメね。人食いが望むのは人類と知力の限りを尽くした闘争。
家畜じゃ彼らは満足しない。それに、食肉になじむまで何十年かかるかしら?」

 切り分けたようかんをニベルコルが食べる。
 机の上の急須から湯のみに茶を注ぐ。

「文化とは受け入れられれば慣れるのは早いものじゃよ。だが……時間が足りん
HALならばそれで納得するじゃろう。知性が無いならば人で無いと。
だが神討の逆鱗には触れるじゃろうな。というか、もうやっておる」

 神討倒魔。妻を神に殺され、親を魔に殺された復讐鬼。
 人間がその全てをかけて魔も神も殺そうと人生をなげうった果ての存在。
 鬼よりも恐ろしく、悪魔も泣き出す男だ。
 人に仇名すバケモノ、魔術師や超能力者で人に害を及ぼすものにはまるで容赦が無く、
 美女を二目と見れない姿に変えたとか、一族郎党滅ぼして仲間に首を送りつけたとかいううわさのある男だ。
 その弟子たち、仲間たちも同様の悪鬼のような連中と聞く。

「結論は?」

 じじ、と電球が明滅する。

「この土地を捨てず、人食い共を納得させ、その上で滅ぼされんような、そんな手段じゃ」
「つまり?」

 くい、と流空は杯を開けて語る。

「妖怪の里同士で同盟を組み、人類に対し打って出る。
これで散るならばそれでもよい。闘争に死ぬのならば本望じゃ。
それに……何も言わずに従うだけではないと人類に示せる。一定の勝利をもぎ取って、あとはうまく停戦し冷戦に持ち込む」

 ニベルコルはため息をついた。

「あなたはそれでいいのかしら?別にあなた自身は人食いをしなくても生きていけるでしょう?」
「舐めるなよ悪魔。わしは鬼の頭領。このつとめからは逃げぬ。鬼のために生き、鬼として死ぬ。
わらわにも誇りというものがあるんじゃよ。ただでは死なぬ。
じゃがの……人食いをせぬ民はそうもいかん」
「そこで私との取引というわけね」
「そうじゃ、いざとなれば彼らを亡命させてやってくれ」
「それも妹さんのため?」
「あれは優しい子じゃ、頑固者の大馬鹿じゃ。体が弱っても人食いをせなんだ。
そうじゃ、そのためじゃ。我らは死ぬ。それでいい。
だがあの子は頼む」

 流空は立ち上がり妹の座敷牢の鍵を投げてニベルコルに渡した。

「解ったわ……往くの?」

 ふすまを開け、土間に出る。

「征くのじゃよ。どの道、攻めて来るじゃろ。この先は地獄じゃ。
さらばじゃ、我が友」
「ええ、いずれ地獄で。武運を祈っているわ」

 そこにはAK-47、手榴弾、日本刀、バイク、戦争の用意が存在した。



 妖怪会談。
 HALと鬼院の会談から半年、ニベルコルと流空の話し合いから数ヶ月後。
 太平洋上の和風豪華客船。そこに百鬼夜行の主たちが終結していた。

 新潟県妙高山から鬼女紅葉の末裔、妙高山流空。
 岩手県遠野からこの妖怪自治区構想を考え出した黒幕、鬼院楼蘭。
 四国から八百八狸を従える七代目隠神刑部。
 茨城から九千坊を束ねる河童の寧々子。
 京都伏見稲荷から狐を代表して選ばれた葛葉華陽。
 他、四十八天狗と八大天狗からの使者も来ている。

「宴半ばではありますが、ここで、開会口上を述べさせていただきます。
高いところから失礼いまします。わたくし遠野の里を束ねております鬼院楼蘭と申します。
このたび、AXYZのHALにより魔術の公開が目されましたことになりましたので、
九千坊寧々子河童様に場をお貸しいただき、皆様にご足労願いました。
史上初めてとなる百鬼の集まりに大変うれしくおもっております。
有意義な会議にいたしましょう。わたくしからのあいさつはこれにて締めさせていただきます」

 司会進行役の大入道がその大音声で叫ぶ。

「ありがとうござんした。では次に……」

 そこに割って入ったのが天狗の僧正坊だ。
 2mを超える偉丈夫で、実に雄雄しい肉体を修験道僧姿で覆っている。

「ああ、良い良い。わしらは何も挨拶をしに参ったわけではないだろう。
今後の身の振り方をどうするか、だ」

 この横暴ともいえる天狗の乱入に助け舟を出したのは狐だった。
 文字通り狐色の着物を来た京美人といった姿だ。ただし尻尾が出ているが。

「ほな、天狗の皆さんはもう決めてはる言うことでよろしおますの?」

 天狗は深くうなずき悠々と宣言する。

「左様。わしらはこの機に人間社会に進出を目指す。といっても武力ででは無い。
 HALの人類宣言を受託し、天狗の力を人に認めさせる所存だ」

 どよどよと会議が大荒れに荒れる。野次も飛ぶ。

「これだから天狗は横紙破りなのだ」
「敗北主義者め!最初からHALと手を組んでいたな!?」
「鎮まれぃ!」

 天狗の圧力が周囲を覆った。
 これでも頂点に君臨するほどの力の持ち主たちだ。
 野次を飛ばすような弱小の妖怪ではひとたまりも無い。

「我に続き、表の世界で堂々と!その力を試さんとするものはおらぬか?」

それぞれの顔に困惑、憤怒、期待が移りまさにその様百面相百鬼夜行。

「わしら狸はそれで困らん。元々人と共にあったしの。他のもんはどうじゃ?」
僧服を威厳たっぷりに着こなした老僧そのものの大狸が重々しく宣言する。
「異議なし」
「ハン、隠さずにすむってんならそりゃいい話だ。
でもね、HALとやらの計画はドロ舟じゃないのかい?」

 寧々子河童が蓮っ葉に切り替えした。
 薄緑色の髪を持つ肌がつややかな美女である。ダイバースーツのようなぴっちりとしたレザーをまとっている。

「それやったら、大阪YENDSも賛成しとりますえ?計画に疑問がおありやったらお手元の資料を検討しておくんなはれ」

 九尾の狐が式を飛ばし、それぞれの元に書類が飛んでいった。
 そこに鬼の流空が割ってはいる。黒い着物姿に角がかわいらしい少女だ。

「待て、まだその話は早い。公開が安全に行われたとしよう。
それでメリットを得られるおぬしらはいいじゃろう。
じゃが、デメリットを考えたことはないか?
まず、自由に妖術を行使するのは難しくなるじゃろう。
それから人をさらったことの無いものが一人もいないのかの?
おるのであれば、刑法で罰されなくとも、民法で莫大な賠償金を取られるじゃろう。
そしてなにより……貴様ら、それでよいのか?妖としての誇りは無いのか?
闇に生きてこそわしらじゃろう」

 鬼院が援護射撃をする。
 貴族然としたドレスがゆれた。

「まだあるわ。たしかにAXYZとYENDSは受け入れるでしょう。
ですが、LUXや神討は?あれは人であろうとなかろうと食うでしょうね。
とくに居場所を明かせば嬉々として襲ってくるでしょう」

 リュウキュウLUX、オーサカYENDS、トーキョーAYXZはそれぞれの都市に存在する魔術結社であり複合企業だ。
 このうちトウキョウAXYZとオーサカYENDSは都会に住む妖怪の受け入れ政策を行っている。
 トウキョウAXYZは人食いに対し洗脳と代用食を、オーサカYENDSは容赦ない駆除か取引で仲間になるかの選択を行っている。
 だがそれでも東北の神討会やキュウリュウLUXに比べればましだ。
 神討会の場合多くは妖怪は善悪関係なく人に食われる。
 食うことによって妖怪の力を身につけ、邪な魔術師や横暴な神々を打ち倒すのだ。
 リュウキュウLUXに至っては悪人だろうがバケモノだろうが受け入れる。
 だが逆に人間だろうが何だろうが関係なく権力者の玩具や研究者の実験材料にされるのだ。

「都会に出た者をさらって身内を脅してくるやもしれぬ。
どうじゃ?それでも人として生きるか?」
「そら、鬼のあんたさんらは困るでしょうなあ」

 狐は嫌味たらしくころころと笑う。言外に「貴様らのような野蛮人とは違う」とにじませて。

「ふん、人の顔色を伺う鬼がいるものかよ!このまま座しておってもLUXや神討に葬られるは明白!
それがなぜわからん!YENDSの男と死の床まで枕を並べる気か狐!」

 これは狐がYENDSのリーダー、大野零(オオノゼロ)の内縁の妻であることを揶揄したものである。

「挑発やったらもうすこし気の利いた事をいいなはれ
鬼には鬼の、狐には狐の仁義いうものがあるんどすえ?」

 狐には3つの特があるという。その一つが仁徳。
 狐とは来つ寝。人と共に有り、尽くすと決めた相手に尽くす。
 それも狐の特性の一つだった。
 天狗が鬼に反論した。

「ならばこの鞍馬山僧正坊が問おう、鬼の姫よ。
事が成った後はどうする?そのままごまかしとおせると思うか?
あえて堂々と征服するか?それはいいだろう。だが、それは世界中の「人間」に大義名分を与えることと成ろう。
一体いつまで戦い続ける気だ?滅ぶまでか?」

 天狗は筋骨隆々としたその身体で声を出す。
 鬼の少女は凜として叫ぶ。血色のいい唇が大音声をつむぐ様はたまらなく艶っぽい。

「いかにも!人として生きるくらいならば獣として死すまでよ!
人から恐れ、畏れられずして何が妖か!人を恐れるなど、情けなくは無いのか!?
ならば乾坤一擲、人に目にもの見せて戦い抜いてやろうではないか!」
「応!人の顔色伺って生きるくらいなら討って出てやる。鬼の姫さん、俺らはあんたにつくぜ」

 元から同盟関係にあった一人がはやし立てる。

「もちろん、滅びにいくのではありません。これはいわば我らが昔からやってきたこと。
こちらの力を見せれば、ほどよい自治が勝ち取れると言うものですわ。
我ら、遠野は鬼有里につきます。ええ心配はいりませんとも、手慣れたものですわ」

 ここで、遠野側が一枚手札を切った。
 彼女は明治維新時も政府と戦い現在の妖怪自治区を勝ち取った実績がある。

「賛成の皆様はご起立を」

 すっくと立ち上がる妖怪が数人、数十人と数を増していく。

「それより、ええんどすか?こわーいお兄さんがたを黙らせたままで」

 狐が指先をついと動かすとその「気配」が他のものにも解った。

「空間圧縮……やってくれるね」

 河童の寧々子その目を細くする。空間圧縮は鬼院の得意技だ。

「なるほど…妙高山の。貴様も刃を隠してこの場に来たということか」

 天狗が立ち上がりその筋肉を開放せんとする。

「じゃからどうした?わらわが申したき事は、あれじゃよ、我らと共に神討共を討つか、さもなければここで死ね」

 パチンと指を鳴らすとふすまを蹴倒し流空の兵たちが入ってきた。
 AK-47と日本刀で武装した鬼たち十数。中にはレールガンや生体ミサイルを搭載したサイボーグも見られる。
 そして五月雨式に鳴る銃声。

「よかろう、ならば我についていかんとする者はこの場で共に来るがいい!
この鞍馬山僧正坊が貴様らを十全に生かす道を与えよう!」

 天狗が羽ばたきをすると、AXYZとYENDS製の荷電粒子刀と魔力式弾体射出装置、対物反応盾を構えた軍勢が一瞬だけ光学迷彩を解く。
 同時に、隠神が空中に結跏趺坐し印を組んで「張ってあった」見えざる障壁を見えるようにする。
 赤白く輝く曼荼羅が浮かび上がり、梵字が乱舞する。

「ち、法術だけでは防ぎきれんか。神道系の弾丸じゃな」

 弾丸の一部は止まったが、当然対妖術対策の取られた弾丸であったため、半数程度は対物反応盾に頼ることとなった。

「その装備……HALの入れ知恵か、小ざかしい!」

 流空がむしろそうでなくてはと笑いながら叫ぶ。
 天狗たちの全ての装備は「こんなこともあろうかと」HALが用意していたものである。
 場は大混乱にあった。元から所属のはっきりしていた者たち、あるいは大妖怪以外は皆身を伏せるかそれぞれの手段で逃亡しようとしている。

「おお怖い怖い、ほんならうちはおいとまさせてもらいますわ」

 いの一番に逃げ出したのは狐だった。
 静かにしていた寧々子河童が牙をむき出しにする。

「貴様ら……ちったあ頭を冷やしがやれ!」

 その声と共に、船が一瞬で崩壊した。
 あっというまに妖怪たちは空中に、夜の海に投げ出される。

 天狗が羽を広げ空中を駆けながら連体を作って銃を撃ちまくる。
 鬼は背中につけたスラスターや飛行妖術を使い不規則に動いて応戦する。
 水に落ちたものたちはすばやく河童に「保護」され拘束されて陸に上げられた。

「さぁて、どうしたもんかねえどうしちゃってくれるかねえ!」

 水の上であぐらをかいて油断無く空の戦場を睨む寧々子。
 彼女たちには逃げ道があった。そう、海はどこへでも続いているのだから。
 しかし、このまま引く気は無い。というより引けない。

「問題はどこを落としどころにするかだ……」

 水かきのついたぬめる手をつややかに光る唇で噛みながら寧々子はつぶやく。

「きまっとる、首級じゃよ。血に酔った鬼を止めるたった一つのものじゃ
首級をあげるまで奴らは止まらん」

 空中戦を続ける隠神からテレパシーが入る。

「そういうわけにもいくかい。まだ死なれちゃ困るんだよ。
あっちはその気でもこっちは逃げ切りゃ勝ちだ水底で鬼が河童にかなうもんかい」
「うむ、この戦い、鬼が追いきるか我らが逃げ切るかだ!」

 天狗がバレルロールを描きながら巧みに鬼の雑兵をキルゾーンに誘い込む。

「となりゃあ……最高峰の足止めをさしてもらう。
こいつの首級がありゃ、あいつらも納得するだろうさ」

 寧々子はその美しい緑髪をたなびかせて水に潜る。
 最大限身体を種族本来の形に戻し水をえらいっぱいに吸い込む。
 そして、禁じられたその祝詞が水中に響き渡った。

「弥栄、弥栄、九頭竜!」

 彼らのプレッシャーは鬼にも伝わった。
 それに気付いたのは全員がほぼ同時だった。

「何をする、九千坊の!」

 水をさされた、という様子の天狗の声がした。

「決まっておろう、あれが来るんじゃよ。女好きの海神共が!備えよ僧正坊の!」
「応!あれは敵も味方もあったものではないわ!なるほど、そういう心遣いか。すまんな九千坊の」
「聞いておらんよ。わしは彼奴の心を感じ取ったに過ぎぬ。おぬしの考えで正しい。
今じゃ、退け!」

 鬼のほうもその畏怖が伝わっていた。

「姫!来ます!奴が来る!」
「海神の眷属か!面白い、切り札をきりよったな河童!」

 むしろ爽快そうに、不敵な笑いを演出し、怯える者を奮い立たせる。

「皆の者、河童の大将首がありよるぞ!
手柄を立てい!戦働きの時じゃ!我に続け!」

 相手がいつのまにか天狗から河童に変わっている。
 しかしこれは流空の考えていたパターンの一つである。
 彼女は聞こえないようにつぶやく。

「……潮時か。やられたの。あの時しとめきれなんだのは失敗じゃったわ」

 彼女の戦術は正面切っての会議メンバー暗殺が失敗した時から、
 いかに被害を与えて退却するかに切り替わっていた。

「小隊集結!対潜兵装装備!パターンD5で河童の総大将に切り込め!」

 その巨大な「召還術式」は召還という「呼ぶ」性質のために場所がまるわかりになってしまう。
 そして、想定していたとはいえ「大物」の召還に若干焦りがあった。
 召還される前に殺しきるのが良いだろうと流空は考える。

「撃て、打て、討て!!祝詞が終わる前に殺しきれ!!」

 爆薬が無数に投下され、銃弾が降り注ぐが河童の近衛兵が圧縮された水による障壁を張る。
 水はあっという間に逆巻き、その水流で弾丸の機動をそらし、爆薬を押し流す。
 水の抵抗は恐るべき強力さで銃弾の速さを殺す。ものの数十メートルで殺傷力を失い、狙いにいたっては壊滅的だ。
 功を奏したのは魔術による誘導を行った銛と、衝撃破であった。
 しかし、相手は水中の河童。巧みにかく乱を行い狙いをつけさせない。

 そして、その言葉がつむがれる。

「瑠璃井江にまします大前に崇拝者、畏み畏み申す。
我飢えたり!我飢えたり!蝿声なす悪鬼ありき、
大前が高き尊き恩頼によりこの障りおば払い給え清め給えと畏み畏み申す!」

 海が揺れ、巨大な魚影が無数に現れた。
 その姿は海坊主のような巨大な人型が数体、ひときわ大きなものはありえないほど巨大なタコの触手だった。
 その高さはみえるだけで20m。

 咆哮に大気が震えた。

 年へて変異した河童たち、河童の亜種たち、すなわち深きものどもの群れと、
 彼らが祭る海神の一部が顕現したのだ。

「チッ、年を重ねた古兵程度で勝てると思うなよ?」

 こちらも切り札を切れば勝てる。流空はそう踏んでいた。

「換装、牛鬼!」
 彼女の肉体が変異し、見る間に巨大化した。
 身の丈3m、スカートのように広がる黄色と黒のツートンカラーで塗られた六本足の脚部。
 肩に自分の背丈と同じほどの巨大な砲身を持ち、腕はずんぐりとした鉤爪となっている。
 角は刃のようになり、顔はのっぺりとした仮面に覆われて表情がわからない。
 彼女の妖怪としての本性を表した姿は、サイボーグ化した人と蜘蛛の融合体のようなものであった。
 そして砲身の先端が白く輝き……
 海を、割った。

 流空の大出力陽電子砲は、陸上であれば街一つ消し飛ばすほどのフルスペックで放たれた。


 数時間後、鬼の里に流空は帰ってきた。
 その肩には巨大な触手の一部をひっさげている。
 その冒涜的な気配で彼女の帰還を待っていた者たちはその触手がそうとうな者の物であると理解した。

「勝って来た!」

 歓声が沸きあがる。
 流空自身では、勝ったというより逃げ切られたという感想なのだが、
 士気を下げないためにあえて方便を使った。
 うすうす解っている者も少なくなかったが、あえて口に出すものはいない。
 なにより彼らは満足だった。ここ久しくなかった闘争の高揚感が身を満たしていた。

「皆のもの、戦支度をせい。ここからは地獄ぞ、我らが待ちに望んだ戦場よ!」

 獰猛な笑みを浮かべて流空が叫ぶと、数百の鬼の軍勢が鬨の声を鳴り響かせる。


 結果から言えば、この妖怪会談は物別れに終わった。
 河童による要救助者救出を知った天狗が撤退しこの場は終わった。
 これにより妖怪の世界は南北に分かれることとなった。
 南の人類融和派、北の徹底抗戦派である。

 この後、徹底抗戦派は流空、鬼院という圧倒的なカリスマに率いられるゲリラ部隊として長らく人類を悩ますこととなる。
 まさしくそれは鬼院が描いたかつての明治政府と妖怪と同じもの。
 さらにははるか昔、朝廷(チュウオウ)と辺境に追いやられた部族(オニ)との争いの巻きなおしだった。




[30579] 2011年HAL編「牙」NEW!
Name: 件◆c5d29f4c ID:5b1bfa4a
Date: 2012/07/18 00:25
 シモン・マグスという個人が沖縄の一部を武装占拠して出来た街。
 それがここリュウキュウLUX(ルクス)だ。
 技術水準はきわめて高く、LUX(ルクス)の外と比べて数十年先に行っている。
 そう歌ってはいるが、それが恥も遠慮もない人体実験と、
 老婦人の秘所のように緩みきった規制によるものだという事を知る者は意外に少ない。

 いや、目をそらしているだけだ。
 このLUX(ルクス)の一番の売りは、なんと「超能力」
 素敵なお薬と、楽しいお勉強で君も明日からスーパーマン。
 実際に生み出されるのは、生まれ持った体質だけで選別されるエリートと、
 残り6割の被差別階級だ。
 
 俺の見たところ、強い能力が出るかは本人の努力ではなく、単に運なんだが。
 挙句、薬を売っても洗脳しても超能力が使えない連中は、手から火が出る奴等だの、電撃を出す奴等だのが優等生扱いされる場所に丸腰で放り出される。
 おまけに、教師は露骨に劣等性扱いし、出来もしない超能力を使って見せろと笑顔で言う。
 それでもまだ彼らは幸福だ。
 このLUX(ルクス)、技術もトップレベルならば、犯罪もトップレベル。
 そして落ちこぼれには事欠かない。
 世界最先端の先進を謳歌するきらびやかな表側を少し外れた路地裏では、
 極貧国と同等の犯罪生存競争が行われている。
 そのえげつなさは、もはや人類がどれだけくだらない事に命を張れるか競っているかのようだ。
 
 逆に強すぎる能力(アタリ)を引いてしまっても悲惨だ。
 だいたいがハメられて、人質をとられるか弱みを握られ、
 権力者連中の奴隷にさせられる。
 なにしろ、犯罪者が掃いて捨てるほどいる街だ。
 優等生やたまたま上手く行った実験素材をハメる人員には事欠かない。

 表向きには?
 「行方不明」の四文字か、昼は学生夜はアサシンの生活だ。

  誰も彼もがきらびやかな技術に目を奪われ盲目にされている。
 手から火球を放ち、雷を操り、空を飛び、その力は百人力。
 そんなファンタジーの代物が悪夢そのものの行為から作られる。
 
 
 少し鼻の効くやつなら知っている。
 ここは魔術師の街だと。
 十分に分析された魔法は科学と区別がつかない。
 科学的に分析された魔法と、山とつまれた妖怪や人外のホルマリン漬けミートパテの産物。

 モルモットを欲しがる研究員(クズ)共は、
 好きなだけ捨て子を捨てられるように、制度を作り変えてしまった。
 おかげで今やここは日本中の子供廃棄所となっている。
 捨てられた子供はどうなったかって?
 ここは人体実験大好き野郎と、犯罪者の街だ。
 わけのわからん薬を打たれて、顔が良けりゃ慰み者。
 顔が悪かったら?瓶詰め(ピクルス)にされるだろう。
 たまたま使える奴だったら?一生奴隷奉公だ。


 親父は死ぬ間際に言った。

 「俺達はこんな街を作る為に働いたんじゃない」

 血反吐を吐きながら。

 「これが俺がお前に託す、俺の全てだ。同志の未練だ」

 それは親父と同じように、まともに研究が出来ると思ってここに来て、
 そして殺されていった異端の学者達の研究成果。

 「頼む、こんな悪夢、もう壊してくれ」
 
 いいぜ、その妄執(げんそう)で、現実(あくむ)を破壊しつくしてやる。
 目に物見せてやる、ほえ面かかせてやる。

 この街に牙を突きたててやるよ。


                 ◆

 まっ昼間の漫画喫茶にあえぎ声が響き渡る。
 誰かがAVでも見ているのだろうか?
 夜勤あけで漫画喫茶に眠りに来た、
 賢極院栄(けんきょくいん・えい)は不快そうに眉をしかめつつ、自分の席に向かう。

 そこには彼の席で緑色のスーツを着た青年が大音量でAVを見ている光景があった。
 
「おい、君。ここは俺の席だ」

 緑色のスーツを着た青年はくるりと振り向き、表情を変えずに淡々と言う。

 「そうだよ、ここで合ってる」
 「そうじゃない、ここは俺の席だからどいてくれ。
 それからそんなものをここで流すのはやめろ」

 青年は、トランプ柄のネクタイを締め、
 全身チェスやトランプの柄のアクセサリーでまとめている。
 まるで奇術師だ。

 「奥さん、奈良がご実家なんスってね。いい家スね。
 汚職塗れ(モラルハザード)じゃない医者の家系。
 犯罪履歴は真っ白。あんたも今のところは真っ白だな」

 青年は淡々と続ける。

 「娘さん、美人スね。岩倉代付属なんスよね。
 花柄のヘアピン、あんたのプレゼントなんでスよね?
 いいセンスだ」

 全ては事実だ。賢極院の警戒度が上がる。

 「たとえば、そんな可愛い将来有望な女の子が、
 地図上に存在しない部屋に連れて行かれて、
 笑顔がなくなるなんて、本当に哀しい事だ。
 たとえば、父親の見たくない面を見たりして。
 そうスよね?」

 ここまで来て、賢極院は思い至った。
 目の前の自分の席で写っているのはAVじゃない。
 盗撮画像だ。
 それも自分が「被験体」を相手に「負荷をかける作業」をしている時の。
 青年は足置き台を片手で持ち上げ、賢極院の目の前に置く。

 「まあ座れよ。長い話になるかもしれんから」

 賢極院はごくり、とつばを飲んでそこに座る。

 「何が望みだ。金か」

 「ちょっとしたアルバイトをしませんか?
 あんたは、週一でここに来て「たまたま」自分のUSBファイルと、
 「偶然」ここにあったUSBを間違えて持って帰る。
 それを「ちょっとしたミス」で職場の更衣室で落としちまう。
 それだけで10万円もらえる。
 悪くない話でしょ?」

 青年の眼がぎらり、と光りスーツの柄がその動きと混ざって賢極院に酩酊感を覚えさせる。
 AVのあえぎ声とすすり泣き、奇妙なBGMが混乱を増幅させる。
 徹夜明けの疲労と、混乱による判断力の低下が、その酩酊感で極限に達する。
 そして彼は言ってしまう。その言葉を。

 「わかった」
 「じゃ、ここにサインして」

 言われるがままに彼はサインしてしまう。
 それはその「アルバイト」とは全く関係の無い「連帯保証人」となる書類だった。
 
 「あんたが話の解る男でよかった。それじゃ、俺はあんたの前から消える。
 あんたは、毎週金曜日か月曜日、水曜日のどれかにここに来る。
 そして、いつもUSBを間違えて持って買える。
 さあ、あんたは俺のことを記憶しない」

 青年は流れ続けるわいせつ画像を回収し、呆然とする賢極院の横を通り過ぎる。



 すべては最初からこの、木場亮(キバタスク)の仕込みだ。
 賢極院の仕事のシフトから、彼の生活習慣まで調べた上で彼をハメた。
 漫画喫茶でAVがながれている、自分の席に知らない男が座っている、
 ありえない状況を演出する事で冷静な判断力を奪う。
 そして夜勤明けという疲労が極限に達した状況で、家族を人質に重大な選択を選ばせる。
 それらの状況を合わせた上で、彼はLUX(ルクス)の生み出した洗脳技術を使った。
 
 外に出た木場はケイタイを取り出し、電話をかける。

「あ、お疲れさんス。木場でス。
奴隷君一人ゲットできましたよ。あー、はい、新生塾の。そうそう研究員。
保証人になってもらいましたから、そうスね、三ヶ月後には仕上がりそうでス。
こっちの用事が終わったら保証書渡しますんで、あ、はい50万。
ありがとうございます。ゴチになります。
じゃ、好きに使ってやってくださいよ。はい、どもっス。ウス、はい、お疲れさんです」

 こうして彼は犯罪者を犯罪者に売って50万円を稼ぎ出した。
 電話を切ってメールを打つ。簡潔な文章だ。

 <経過報告:KIBAより ジェニー製薬様N様へ
S塾の件、情報ルート確保できました。
一月以内には情報送れると思います>

 つまりそれは、賢極院のほかにも同様に脅迫された研究員が彼の仕事場にいて、
 彼らの研究成果は木場に筒抜けであり、
 その情報は「外」の企業に売られているということだ。

 これら全て、木場がLUX(ルクス)を破壊するためのテロリズムの下準備にすぎない。
 今は「外」のスポンサーと連携をとり活動資金を集めているのだ。
 

 そんな彼が今なにをしているのかというと、銀行強盗にあっている。
 活動資金の確認に来たところをATMを使う前にまきこまれたのだ。
 銀行強盗は彼自身ではなく、窓口を狙って銃を突きつけている。

 「早くしろ、金をよこせ!こっちには発火能力者がいるんだ!」

 三人組の強盗のうち、一人がにやつきながら手から炎を発する。
 店員は怯えながらのたのたと金を袋に入れている。
 客は全員伏せている。

 「おい早くしろ!」
 覆面をした三人組はにやつきながらも怯え焦りつつ強盗をする。
 彼らが目を離した一瞬の隙に店員は防犯ブザーを押した。
 あっというまに窓口にシャッターが締まり、箱型の警備ロボットが出てくる。

 「手ヲ挙ゲ、地面ニ伏セナサイ。10秒以内ニ従ワナイ場合、発砲スル」
 「舐めた真似しやがって!」
 「おいファイア!なんとかしろよ!」

 銃を持った男が窓口のシャッターに発砲する。
 
 「今やってる!とりあえずこいつら倒してずらかるぞ!」

 炎がロボットに迫るが、まるでこたえた様子がない。

  「シャバゾウが」

 ぼそりと、しかしはっきりと聞こえる声で木場が呟いた。

「ああ!なんだとテメエ!もっぺん言ってみろや!」

 わざとらしく、ポケットから徽章を出して腕につけ、
 すでに通報しました、というかのようにケイタイをポケットにしまう。
 その動作は全く同時で、優雅ささえ感じさせた。

 「全く、風紀委員は休日だってのによ、
 シャバい強盗やってんじゃねえぞサンピン共が。
 おらかかって来いよ。逃げんのか?じゃなきゃ俺から行くぞ」

 木場はポケットからライターを取り出し、拳銃を持った男に投げる。
 顔めがけて投げつけられたライターは投擲の威力により爆発し、
 男は思わず顔を庇ってしまう。手に持った銃を握ったまま。
 机を蹴り飛ばし、発火能力者に飛ばす。
 机は一瞬で燃やされてしまうが、飛び散った文鎮を掴み、
 三人目のナイフを持った男の手に投げる。
 文鎮は手首にヒットし、男はナイフを落としてしまう。
 木場は走りながらナイフを掴み、銃を持った男の首に当て、
 もう片方の手で銃を男の手の上から握って、発火能力者に向けている。

 「チェックメイトだ、投降しろ。それとも早撃ち対決といくか?ああ!?」

 その間にも、木場は銃を持った男の膝を蹴りで落とし伏せさせ、
 手首に仕込んだ注射でもうろうとさせている。

 「ここでイモひけるわけねえだろうが!」
 「上等だコラァ!」

 発火能力者の手に炎が集まったのを見るや、
 木場は奇妙な節回しと高低で数字と記号を羅列させる。

 「S等号0128乗算4637減算72648AND39274等号632ⅰf86除算……」

 炎はあっというまに勢いを失い、ばらけて散る。
 発火能力者は頭を押えてうずくまる。
 木場が受け継いだ、能力を妨害する特殊な「歌」だ。
 そのリズムや高低、数字を繰り返す歌詞によって、不快感を増大させ、相手をダウンさせる。
 
 「んっだこりゃあ・・・・・・?」
 「手の内明かすと思うのかサンピンが」

 木場はポケットから出した指錠をすでに銃を持っていた男にかけていた。
 先ほどまで戦いに手を出せず見守っていた警備ロボットがゆっくりと進んでくる。

 <ゴ協力アリガトウゴザイマシ>
 「今まで何突っ立ってやがったポンコツ」

 木場はロボットを掴むと、発火能力者に投げつけ、拾って背中に何度も打ち付ける。
 更に的確に間接部を狙って銃弾を浴びせ、ロボットを破壊する。

 「悪いな、こうやって使ったほうが使いやすかった。
 まだまだ遊べるものはあるな?痛いだろうが、我慢するんだ」

 ロボットの破片の仲からアームやHDD、ギアなどを取り出してにやりと笑う。

 「解った、もうやめてくれ!降参だ!」
 覆面の奥でナイフ男が悔しげに顔を歪めて指錠にかかる。
 一転して木場はにこやかな表情になって周囲の客に語る。

 「みなさん!強盗は撃退しました。ご安心ください!
 この後、風紀委員の支部より応援が着ますので、
 少々この場でお待ちください!
 お時間をとらせて申し訳ありません」

 その表情はやりとげた男の顔だったが、
 周囲の客からは血に飢えた笑みにしか見えなかった。
 客はその暴力に黙るしかなかった。

 「おら行くぞ!ちゃっちゃと歩け、あと、そいつは肩を貸してやれ」

 木場が追いたて、三人組がふらつきながら銀行を出てゆく。



 銀行を出た木場の前に車が止まる。

 「ハァイ!ミスタ・ライアー。お待たせしましタネ」

  明らかに外国人の男がタクシーを駆ってドアを開ける。

 「いや、こちらこそ待たせたな。おい、早く車に入れ」
 「ああ・・・・・・」

 強盗たちは意気消沈して車に入る。

 「ドライバー、早く飛ばせ。逃走ルートの確保はできてるか?
 タフな犯行(ラン)になる」

 「オウライ!アジトまで一直線に迂回して逃げ回りますね。
 とりあえずB12地点からは、地下通路なる。そこまででいいか?」

 「ああ、それまでに事情を説明する。おい、もういいぞ。
 俺たちは風紀委員じゃない」

 男達の眼に希望が点る。

 「ただのテロリストだ」
 木場はにやりと笑った後、憤怒の表情で彼らを叱る。

 「お前等何シケた強盗なんかやってんだバカが。
 いいか、銀行強盗するならあらかじめ警備くらい調べとけバカ。
 それから撤退の判断をするなら徹底しろ。
 俺に挑発されたくらいで足止めるなバカヤロウ。
 それに逃走ルートをちゃんと確保してたのか?
 この街の防犯設備をチェックしてたか?
 バカが。全部監視カメラに写ってたぞ。
 レベル3なんて能力持ってるくせにシャバいヤマ踏みやがって。
 もっと金稼ぐ方法なんてあるじゃねえかバカが。
 外で放火保険金詐欺とかな。
 そもそも、強盗すんなら民家にしとけバカ。
 LUX内で強盗なんざ捕まえてくれって言ってるようなもんだ。
 バカが」

 強盗たちは、暫くの間、何を怒られているのか解らなかった。
 そして理解すると、この男は何者だろう、と思った。

 「いいか、俺が金になる能力の使い方ってのを教えてやる。
 レベル0だろうとかまわねえ。どんな奴だって何かの役には立つ。
 俺についてこい。どうせLUXじゃもう指名手配だ」

 強盗の一人、ナイフを持っていた男、布津直人(ふつなおと)が怯えながら質問する。

 「あの、俺等どうなるんすか・・・・・・」
 「バカか。とりあえず、逃がしてやるってことだ。
 お前等さえよかったら、ほとぼりが冷めるまで匿おう
 その後は好きにすればいい」

 三人は目で会話する。
 すなわち、この男についていっていいのだろうか?と。
 銃を持っていた男、雁屋勘馬(かりやがんま)が聞く。

 「なんで俺等を助けるんだ?」

 「お前等があまりにもったいない力の使い道をしてるんでな。
 能力だけじゃないぞ?
 銃を手にいれるルート、資金力、強盗実行の手際。
 つまりは……行動力だ。
 物乞いするよりはまだしも牙がある。
 俺はその犯罪力を鍛えてみたくなった」

 ドライバーが陽気に続ける。

 「どの道アナタタチ、ここで私達から逃げる、どうせポリス捕まるね。
 バット、ここで人生の転機、見つける。
 それ成り上がるチャンス思わないか?」

 思えなかった。とにかく怖かった。
 三人はしばし相談しあい、とりあえず逃がしてくれるならそれに乗ろうと決めた。



 それから車を変えること5回、船に乗ること2回、
 地下道や下水道を歩いた回数、数知れず。
 いつのまにやら、木場の仲間が増えて、今や全員で6人の集団になっている。
 風紀委員に追いつかれた感覚は、強盗たちには一切なかったが、
 木場は時折ケイタイで連絡をとったり、周囲を警戒していた。
 実際、強盗たちが気づいていないだけで、危うい場面は何度もあったのだろう。

 今は強盗たちは船に乗り、どこともしれない海を後悔と共に航海している。

 「おい、逃げようとか立ち向かおうなんてバカな事考えんじゃねえぞ?」

 木場の一味の一人がAK47を構えながら野卑に笑う。

 「ヴェノム、お前はもう少し上品に喋れ、ちゃんと堅気のシノギができてるのか?」
 
 木場が軽くヴェノムをはたく。

 「ハハハ、すんません旦那」

 「あまりビビらすんじゃない。おいお前等悪かったな。
 コイツはちょいとばかり気が短いんだ。ドク、治療は終わったか?」

 闇医者らしき男が強盗たちの怪我を治療して行く。

 「へえ、ちっとばかし痛むかもしれやせんが、大事はありませんぜ」
 「そうか」
 それきり木場はしばらく黙り、外をじっと見ている。
 はるか遠くの敵を睨む弓手のような、登頂する山を見る冒険家のような表情だった。



 やがて、強盗たちは車に乗り、目隠しをされて道を歩き階段を登る。
 繁華街の騒音、ビルに入った空気、階段を登るたびにまして行く人の気配。
 彼らにとっては死刑台の13階段を歩いている気分であった。
 やがて彼らは目隠しを外される。
 そこには首吊り縄はなかった。
 代わりにダンスホールがあった。
 スタイリッシュで垢抜けたテーブルやネオン、酒を飲んでくつろぐ若い男女。
 明らかに堅気じゃない男達。どう見てもキャバ嬢な女達。
 ガンギマリにヤバい酒場が出現していた。
 彼らは素早く帽子を取ると、姿勢を正し75度の角度でお辞儀する。

「お疲れ様です、ボス」
「お疲れ様っす、兄貴」
「リーダー、おかえりなさい」
「チーフ、待ってたぜ」
「好久没見了、幇主(オヒサシブリネ、ボス)」
「weckome back sir!」

 それに対し、木場は鷹揚にうなずき返し、やがて誰ともなく彼の行く道をあけて行く。
 強盗たちはどう見ても堅気じゃない黒服たちに無言で椅子を勧められた。
 座るしかなかった。
 木場がダンスホールの壇上に上ると、騒然とした雰囲気は徐々に収まり、
 大麻だか煙草だかわからないキツイ煙の充満した空間は、荘厳とした沈黙に支配される。
 BGMが静まり・・・・・・木場はマイクを握る。
 これから何事が始まるのだろう?
 強盗達は思う。だが、ヤバイ何かというのは確実に解った。
 
 そして、木場の演説が始まった。

 「最初に俺はこう言ったな・・・・・・
 馬鹿でかい家に住んでる奴も道端で転がってる奴もLUXじゃ等しく不幸だ。
 上の奴等が好き勝手に決めたルールの中で競争(レース)させられてる」
 
 静かに、遠雷のように重く深く。

 「こいつは絶対に勝てない賭けなんだ。
 あいつらが甘い汁を俺等に吸わせる気なんて無いんだからな。
 今のままじゃ一生這い上がれない仕組みが作られている」

 やがて、明朗と。

 「搾取されるままでいいのか?
 首輪着きの猟犬のままでいいのか?
 しみったれた野良犬のままでいいのか?
 俺はお前等にそう問うた」

 静かな熱と共に。

 「そして、俺は約束した。
 お前等の首輪を外し、お前等に牙をやると。
 情熱をかけるに値する挑戦をしようと」

 それはもはや遠くに響く軍馬の群れのように。

 「お前等に聞こう。
 俺は約束を守ったか?」

 対するは熱狂。

 「ああ!」
 「楽しませてもらってるぜ!」
 「加油!鬼大哥!」

 喚声。それに対し負けぬほどのもはや隠し切れぬ情熱で。

 「搾取されるままでいいのか?
 このままいい目の見ずに死ぬのか?
 お前等は今までバカに寛容すぎたんだ。
 ならばどうする!
 怒れ!いつまでも従順な犬でいるな!
 戦え!権利を勝ち取れ、自由を勝ち取れ!」

 それは狂気。狂奔、嵐の如き熱波。

 「LUXを潰せ!シモン・マグスを引きずり出し、首を掲げよう!」

 それは重力。それは黒い太陽。
 全てを焼き尽くすような、何もかも引きつけて破壊してしまうような、暴力。
 そして聴衆(ギャラリー)たちが口々にスローガンを叫ぶ。

 「シモン・マグスを殺せ!」
 「生かしておくな!」
 「自由を!さもなければ死を!」
 「俺達は犬じゃない!」
 「殺殺殺」

 ここで木場は頼るに足ると人々に思わせる笑みで軽く聴衆をなだめる。

 「いいだろう。俺は約束を果たした。
 お前等に自由と権利を掴むチャンスをやった。
 だが、それを掴み取ったのはお前等の意志と努力だ。
 降りたい奴は降りればいい、強制はしない。
 お前等は幸福を掴む権利があり、その権利を行使すればいい」

 それは慈悲深く、静かに。

 「だが、次の挑戦を俺と共にしてくれるならば、
 今度は世界を変革する権利(チャンス)をお前等にやろう!
 牙を研げ!復讐の準備をしろ!
 お前等とならばそれができると俺は信仰している」

 気がつけば、強盗たちは熱狂の渦に入り、聴衆と共に絶叫していた。
 
 「牙を研げ!」
 「牙を研げ!」
 「革命!革命!革命!」
 「次の挑戦を!さらなる試練を!」

 LUXからはぐれた狂気は、静かに熟成されていた。
 そして、そこに新たに三人が加わるのも、遠くないだろう。

             ◇

「ろくでもねえな、ここも」

 頭上からはスプリンクラーの雨、地面には銃弾の穿った研究員の死体。
 コンクリートとリノリウムでできた白い研究所はいまや赤く染まっている。
 息絶えたそれに座りながらタバコをくゆらす木場。
 死者への冒涜を木場が自分に許すのは理由があった。
 目線の先には明らかに子供とわかる死体があった。
 頭を切開され、脳を取り出されたそれは股間から血と白濁が流れていた。
 壊れた棚にひっかかったビンにはグラビアモデル並みの巨乳にされた男子児童のホルマリン漬けが存在する。
 彼と彼の部下がやったのではない。彼らが襲撃した研究員がやったのだ。

「廃物利用ってところか。クズ共が。救えねえ」

 じゅ、と研究員の死体の口にタバコを押し付けて消す。
 部下がたたたた、と駆けて来る。

「見つかりました!ターゲットです、生かして捕まえました」
「よくやった。ここにつれて来い」

 木場の前に腕をガムテープでぐるぐる巻きにされ、猿轡をかまされた男が放り投げられる。

「さて、と。おいカメラもう回ってるか?」
「イエス、準備OKですね」

 ゴキゴキと首を鳴らして立ち上げると木場は演説を開始した。

「こちらリュウキュウLUX、反魔術協会民兵組織「蓬莱独立同盟」だ。
見ているか?本土の善良な市民。これがLUXだ」

都市迷彩姿の木場がテロリストの風格をたっぷりにじませて劇的に手を広げる。
カメラが研究所の様子を写した。編集する時には、悪趣味な研究の内容がテロップつきで挿入されるのだろう。

「いい年した大人が!年端もいかないガキ共をレイプして切り刻んで焼却場で燃やす。
なぜだ!?一つやってみた本人にきいてみよう。
おいあんた、名前は」

研究所所長は怯えながらもふてぶてしく答える。
死を前に居直る姿がそこにあった。

「山岡、椎だ」

「階級は?」
「所長だ」

木場は淡々と質問を開始する。

「なあ、あんたはここの研究所を管理する立場にあった。
ならばここの子供たちが研究員に犯されていたのも知っていたはずだし、
人権を無視した実験をやっていたのも知っていたはずだ。
むしろ知っていなきゃおかしい。で、どうだ。知ってたのか?」

 所長は叫ぶ。きっと助からないだろう。
 だが、もしもにかけて。

「わたしは知らない、知らなかったんだ!」

「ほおー、面白いことを言うな。なあ、これあんたの会話だ。
3日前に盗聴に成功したものだ」

 木場が腕につけたタッチパネルを操作するとノイズ交じりの音声が流れた。

<DW-23はどうしますか?>
<いつも通り使い切ってやれ。研究員のいい保養になる>
<犯してもいいということですね?>
<何をいまさら。使い道のなくなった女子に、兄弟胚からイチモツを移植して妊娠させるなんて、君らの発想には驚かされる。
正直、理解できん性癖だね。流行ってるのか?>
<そういう所長こそ、毛皮の全身移植でみごとな剥製をつくられたじゃないですか>
<ロシアンブルーの毛並みは最高だよ>

 下卑た笑い声。

「で、これがあんたの所長室にあった剥製だ」

 そこには獣人少女といえる美しい剥製があった。
 木場の部下たちはここにこの生きた所長をあつかうよりはるかに丁寧な手つきで持ってきたものだ。
 木場は悪鬼羅刹のような無表情で所長をつかみ上げて恫喝する。

「なあ、なぜだ。なぜこんなことをする。正直に言え」

 所長はやけくそそのものの引きつった痙攣的な笑いで答えた。

「も、もったいなかったからだ。どうせ使い切る実験体じゃないか」

 木場の顔が悪鬼のそれになる。

「ハッ、もったいない。もったいないだとよ!
見ろ市民共。こんな犯罪者が野放しになっているのがここなんだ。
警官は学生共の風紀委員!上層部はこんな研究をむしろ奨励する!
一つ聞こう。許せるか?こんなクズ共を許せるのか?」

 ぎり、ぎりと木場の歯が鳴り、血走った目で所長を睨みつける。

「俺はゆるせないね、ぜんぜん、絶対に許さん。
そうだ。たしかにこいつは家に帰ればよき夫でありよき父親『かもしれない』
案外に外では常識的な意見を言うの『かもしれない』
部下に金と休暇と実力を与えるよき上司だったの『かもしれない』」

 胃の重くなるような重圧が増し、殺気があふれ出る。
 所長をつかむ手に万力のような力が加わった。

「だが、それが何だ?
知ったことか、そんなものぜんぜん、知ったことじゃない。
こいつに殺された奴らにとってはそんなものそれこそ知ったことじゃなかっただろう」

 木場は所長を放り出すと、腰から銃を抜いてためらいなく所長を撃った。

「さて、こいつらがなんでこんなことまでしてるのに上層部がかばうか解るか?
答えは簡単だ。魔術の隠匿のためだ。
ここで行われていたのは魔術に関する実験だった。だから表ざたにしたくなかった。
それだけだ。それだけで連中は隠蔽する。犯罪者は裁かれない。
さあ、どうするAXYZ。お前たちは、本土で暢気に対岸の火事だと見るか?
これを見てもなお魔術の秘匿だとかいうごたくをならべるか?
ハッ、だとしたらとんだお笑い種だ。死んだ後になって狙われていたことに気付く愚図だ」

 むしろ甘美に、不気味な穏やかさで告げる。

「今にこいつらがそっちに行くぞ?さあどうする。どっちに手を貸す?
よく考えろ、紳士淑女諸君」

 カメラを構えていた迷彩服の部下がOKサインを作る。
 カットの合図だ。

「オーウケーイ。カメラ切りますカ?」

 褐色のアジア系の顔をした部下は陽気に尋ねた。

「ああ、頼む。それであと何人くらい捕虜はいる?」

 怒りはそのままに、テンションは低く木場は答える。

「5人デスネ」

「ならあと3回は取り直しができるな。証言を絞れるだけ絞ってから取り直すぞ」
「オウライ!了解しましたネ」

 ずる、ずると捕虜が運ばれてきた。
 彼らは目の前のスナッフビデオ撮影劇を見て青ざめている。

「よかったな、お前ら。もったいないから有意義に生を使ってやる。
お前らのクズとしての生はLUXの開放の礎になれるわけだクソッタレ」

 吐き捨てるように、愚痴るように皮肉る。
 木場の声は怒りに震え、どうしようもないむなしさとだるさに包まれていた。

 リュウキュウLUX。
 最高の技術力と、最低の治安の中で人々は平穏のうちには都合の悪い真実から目をそらし。
 貧困と暴力にあえぐ中でしがみつくようにその日を生きていた。
 そして、それでもだからこそ戦火は燃え続けている。

 この後、AXYZに一本の動画が送り届けられることとなる。
 その動画は多大な論争を巻き起こし、やがてAXYZ内に魔術の隠蔽を疑問視し、LUXの蛮行を阻止せんとする論調を作り出す。
 そうして、満を持してHALにより魔術の公開宣言が発せられる。
 すべては、1947年の計画通りに。



[30579] 幕間
Name: 件◆c5d29f4c ID:5b1bfa4a
Date: 2012/07/01 19:04
とある新生児室

やあやあ、どうもこんにちは。
ええ、今あなたこう思っておられなんじゃあないですか?
「知らない天井だ」って。
先に言うな?ごめんなさい。
でもそういうことなんですよ。
ああ、そういうことって言うのは私の口癖です。気にしないでください。
あれですね、よくネットとかである転生とか憑依って奴です。
まあ、古い言い方だと「取替え子」なんですけどねあなた達。
ようこそ異世界へ!ああ、文明レベルは多分そっちで言う21世紀前半ですよ。
魔法もありますね。今のところ部分的に秘匿されてますけど。
はい、よくあるファンタジーですよ。原作の名前もご存知じゃないですかね?
でもまあ、「原作」に比べたらどちらかといえばシャドウランや足洗邸の住人達みたいな世界になってますけどね。

あー、まだ耳も目もよく聞こえないんじゃないですか?
ですからまあ、こうやって無理やりパスを通して念話してるわけなんですけどね。
あなたはどれくらいチート能力がありますか?
でもまあ、新生児じゃちょっと使うのが難しいと思いますけど。
ええっと、必要ならあなたを殺して別の赤ん坊を親元に帰してもいいんですけど。
で、どんな能力なんです?
ほう、へええ、なるほどそれはすごいですね。
あ、さっきの貴方を殺すってのは嘘ですよ。
もし殺すなら、記憶の全消去をするだけですから。
それなら普通の、本来生まれてくるはずだった子と変わらないですからね。
えーっと、それでどうします?いや、あなたの今後です。
原作介入したいですか?
ハーレムがお望みですか?それとも平穏に暮らしたいですか?
ええ、はい。どれも可能です。
まあ条件付ですけどね。言って置きますが、ハーレムは良く似た別人ですよ。
まあクローン的なものとおもってくれれば大体当たりです。
原作介入は・・・すいません、もう原作ないんですよ。
はい、皆が皆してフラグブレイクしたものですから。
似たような状況なら、まあ今でも世界のどこかにはあると思いますよ?
行きます?戦場のど真ん中。

えー、はい。
赤ん坊生活の方が切実に大変ですよね。
どうします?2歳くらいまで記憶封印しておきます?
え?記憶封印しないメリット?
ありますよもちろん。赤ん坊から思考するので脳が鍛えられます。
あと新しい性癖に目覚めたり。
ごめんなさいこっちはジョークです。

ああ、はい。ふむふむ。
なるほど、わかりました。いいですよ?
それじゃあ楽しい転生ライフを!

・・・・・・あー、私ですか?私はただの魔法を習っただけの看護婦ですよ。
名前もすごく普通ですよ。佐藤栄子っていいます。
神様なんかじゃぜんぜんありません。
ただまあ、原作に出てくる子と、その兄弟。
それっぽい境遇の子には全員こうやって呼びかけてるだけです。
あとはまあ・・・どんなチート能力もありなら
「転生者を見分ける能力」
の人がいてもおかしくありませんよね。
まあ、そういうことなんです。
騙された?いい経験だと思ってください。
知ってのとおり、特殊な境遇の人は特殊な人生を歩みがちですから、
今からこういう駆け引きになれておくといいですよ。
はい、この警告はサービスです。
ゆりかごから墓場まであなたの自由を保障するSOPシステムをどうぞよろしく!



[30579] 1988年村上編「機械は笑う」その1
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2012/07/14 12:43
 村上夏彦は小学生にして
「自分には誰一人として真に気持ちが通い合う人間はいない」と思っていた。

 彼の孤独を生み出したのは、違和感である。
この街、トーキョーAXYZアクシズは何かがおかしい。
新潟の町から引っ越してきてから常に違和感がある。

例えば、人が数十メートル吹っ飛んだり、体育の時間に世界新記録が出まくったり、
骨が折れ血まみれになっても数分後に治っていたりする。

それら異常見たとき、うろたえ驚き、平然とそれらを当然としているクラスメイトに、
なぜ驚かないのかと詰め寄った。

だが、実際に異常かどうかよりも、彼らにとって当たり前の事にいちいち驚き、
喚きたてる村上は嘘つき扱いされ、孤立した。

それは彼に深いトラウマを残した。
懐疑主義者の誕生である。



 なにかろくでもない、禍々しい事が起こっている。
 そして誰もそれに気づいていない。
 彼にはそんな予感がした。
 彼の疑問はいくつかの映画を見たときに氷解した。

 よくある宇宙人はすでに来ている、とか、
 冷戦下での秘密兵器とか、そういった類のものだ。


 世界には何か秘密があって、それを知るものは消されていくのだと。
 そう考えると、何もかもが不気味に思えた。

 明らかに異常なことを気にしない奴等の白知じみた笑顔が気色悪かった。
 
 そして、腑に落ちない事があった。こっちは個人的なことだ。
「この街に引っ越してきた時の記憶がない」
 引っ越してきた理由は父の転勤でカタがつくが、
引っ越す前の土地の名前と、引っ越した当時の記憶がない事、
なぜか引っ越す前に友達だった奴等とも一緒に引っ越してきている事。
(ちなみにこいつらはさっさと村上を見捨ててパーの仲間に入った)
 これらは明らかに不自然だ。

 そして・・・夜毎に見る悪夢。

 怪物の跋扈する自分が住んでいた街。
 かつての家の中。
 人間の顔をした恐ろしい怪物に食われる妹。
「おにいちゃん・・・逃げて」
「ハルカ!いやだハルカ!」

 怪物の、見下すような嫌な笑顔。

「能力は回収した。次に行かねばならない。
運がいいな小僧、妹一人だけで済んだ
だがまあ、ここから生き残れるかは別だろうな」

 倒れ付す両親。
 轟音と共に壊れる家。

「そうはいかないの!■■■の魔術師。
あなたには死んでもらうのよ」

 空を飛ぶ白い少女。
 爆撃の記憶。
 殺される妹の仇。
 近づく少女、腰が抜けて動けない自分。

「ごめんね、君はすべて忘れてやり直して・・・・・・」

 目の前に広がる赤い光。

「いやだ・・・・・・嫌だ!!」


 そこで夢は終わる。


 起きれば村上は殆ど覚えていない。
 ただなんとなく廃墟になった故郷のイメージ、殺される「知らない」妹。
 魔法使いとしか言いようのない奴等の戦い。
 そのくらいしか覚えていない。

「つまり、だ・・・全部一つなぎにして考えれば、
僕には妹がいて、故郷があった。でも何かの戦いで街は滅んで妹は殺された。
そして僕達は記憶を消されてこの町に引越してきて・・・・・・
多分あの時街を滅ぼした奴等は超能力者か、魔法使いか何かで、
このAXYZアクシズはそいついらに支配されてる。
奴等の存在を知れば、記憶を弄られる」

 まるで村上が好むコミックだ。

「すべては僕の妄想なんだろうか?」


 だが、傍証はいくつもあった。
 家にはアルバムが少ない。明らかにいくつか欠けてる写真がある。
 「妹」は存在したのだろうか?

 両親に尋ねてみたら、やはり知らない、妹などいないと返された。
 家具も見覚えのない物ばかりだ。
 引越しだからってここまで買い換える必要があるだろうか?


 すべてがあやふやだ。
 自分が住んでいる町も、自分自身の記憶も。

 村上は悩む。
 自分自身に、自分自身が置かれた環境に。
 その答えは、すぐ間近に迫っていた。



[30579] 1988年村上編「機械は笑う」その2
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2012/07/14 12:43
村上が自分自身の現実に悩んでいる頃、
 九州の片隅で、沢渡健一(サワタリケンイチ)は一つの出会いを果たしていた。


 沢渡はトーキョーAXYZ(アクシズ)の「警備員」にして「教員」だった。
 AXYZは、おおよそところ、村上の予想通りの場所だ。

 魔術師達の巣窟で、彼らは一般人にその存在を秘匿している。
 この世界には、ファンタジーに出てくるようなモンスターが存在し、
 彼ら魔術師はそれを狩ったり、時に利用したりしている。

 1950年代、戦後すぐから高度経済成長の間、
 魔術師は暗躍し尽くした。

 海外からの外圧として入ってきたメスメリストが、ハイ・マジックが、
 忍術や陰陽道、密教と争いあった。

 暗殺術の結社同士が争いあい、滅びては新しい結社が立ち上げられた。
 その抗争は街を焼き、ついには魔術師たち自身の存亡にも関わった。

 単に、殺し合い過ぎて組織としての形を成さないほどに数が減ったのだ。


 そこに魔術界の重鎮パトリック・R・ハルマンが鶴の一声をかけた。
 それは長い声明だったが一言でまとめれば簡単なものだ。
<いい加減にしろバトル馬鹿共。休戦地帯を造ったからそこで仲良く暮らせ>

 何かあれば、いい加減にしろ、と出てくるのがこの老人の癖なのだ。
 AXYZは1960年代にハルマンが造った中立地帯にして休戦地帯だ。
 1993年の今、AXYZはハルマンの目論みどおり
中に抱える魔術結社が一つにまとまりAXYZそのものが一大勢力として成立している。

話を戻そう。


 沢渡健一はそんなAXYZの魔術師の一人だ。
 「教員」という表向きの顔は、珍しいものではない。
 都市を支配しようとするならば、教師という職業は組織にとって便利なのだ。
 彼は魔術師としての仕事、この物語にはさほど関係の無い、
 単なる物品購入を済ませ、のんびりと夜の海岸を観光していた。

「ガンドールさんなら、こう言うだろうな。
『こんな夜には何かが起こる。それが世の常だ』って。
夜勤が苦手なのかな、あの人」

 沢渡は先輩の言葉を思い返す。
 彼はその言葉を信じていなかったが、
 この夜、この時、この瞬間においてはそれは真実だった。

  それは夜の砂浜では白い点のように見えた。
「あれは?」
 沢渡はポケットから小さな箱型の装置を取り出した。
 後の世ならばスマートフォンと呼ばれるものに酷似している。
 MAOS。魔術の発動と魔力の補給をほぼ自動でやってくれる装置。
 魔術による抗争を憎むハルマンの最終傑作。
「魔法を終わらせた最後の魔法」ラストマジックの銘を持つ、最新の魔法の杖だ。

 沢渡は身体強化の魔法を選択して視力を強化し、その白い点を見つめる。
 彼の眼に映ったのは女性の裸体だ。

 沢渡は善良な男だった。
 大それた事ができるような男ではなかったし、
悪意にも無縁とまでは行かないが、避けようとする男だった。
 人を殴るくらいなら逃げる、つまりはただのいい人だった。

 よって、いいひとである彼は女性を助けようと行動した。
 夜中、砂浜、裸体の女性、というキーワードでは
どう考えても不穏な予想しか出てこない。
 そうでなくてもトラブルに巻き込まれているはずだ。

 彼はAXYZのモットー「善を成すために力を振るえ」に忠実に従った。
 身体強化を眼球から脚部に切り替えて走る、走る。

「君、大丈夫かい?」

 砂浜に打ち上げられた女性の年の頃は15、6ほど。
 色が白く透き通るようだ。
 やや怜悧と思える顔立ちをしているが、今は目を閉じている。
 髪はまるで数日前まで丸坊主だったかのようにベリーショートにされている。

 彼が声をかけた瞬間、ばねのように女性がとびあがり、
 沢渡の首をつかんで押し倒し馬乗りになった。

「これは良き供物を見つけたり。捕りて食おう」

 この時点で「魔術師」としての沢渡が目覚めるはずだった。
 だが、彼は一瞬彼女に目を奪われた。
 亡くしたひとにあまりに似ていたから。
 それが彼の窮地を作った。

 彼は本来ならば使う討伐用の魔術ではなく、洗脳用の暗示の魔術を選択した。
 その魔術の効果はリラックス。
 暴力を振るう相手から殺気を削ぎ、交渉の場に立たせるための強力な暗示だ。

「お前、何故に笑いつるか」
LUXルクスから来たんだね・・・大丈夫、全部大丈夫だよ」

 彼は続いて「幻触」の魔法を選択する。
 そして、その怪物の丸い肩をイメージの腕で触る。
 やさしく、宝物を扱うように、凶器そのもののパワーを秘めた身体を。
 彼が触れる肩には、あるマークとナンパー、バーコードが刺青されていた。

 太陽のような円環。
 AXYZに並ぶ大魔術都市、リュウキュウLUXルクス(ルクス)の紋章。
 ナンバーは実験体である事の烙印。

 リュウキュウLUXルクス
 AXYZと同じく魔術師が隔離される地として造られた都市ではあるが、
AXYZとはかなり毛色が違う。

 AXYZアクシズが魔術師の社会復帰のためのゆるいリハビリ施設であるならば、
 LUXルクスは蟲毒。どうしようもない奴等をとりあえず隔離するためだけに作られた、
 日本版、アーカムアライサム。

 そもそも成り立ちからして、AXYZはハルマンが日本の魔法使いを纏め上げたものだが、
 LUXは米軍の実験施設に次々とマッドな研究者や危ない殺人者や、
ろくでもない魔術師が自分を売り込んで入り込み沖縄のある島が、
島ごとわけのわからないマッド極まる実験私設になってしまったのが始まりだ。
 マッドによるマッドのための、実験体の悲鳴の鳴り止まぬ魔窟。
 それがLUXだ。

 この少女はそこから逃げてきた実験体なのだ。
 そんな「哀れな」被害者たちを救うのもまたAXYZの日常のアブノーマルな事業の一つ。
 九州のAXYZ支部ではよくあること。

 沢渡はゆっくりと怪物を撫でる。
 それは暗示の効果と相まって怪物を宥める。

「イエスかノーかだけでいい。君の事が知りたい。
君はLUXの実験体で、そこから逃げてきたんだね」
「・・・そうだ。お前、なぜ私を恐れない?」
「君が好きだからさ」

 彼女はややたじろぐが、すぐに残虐に顔をゆがめる。
 だが、それさえも沢渡を喜ばす。

 ああ、彼女のこんな顔が見たかった。
 これを僕の物にしたい。
 そして、そのためのツールなら、すでにある。

 思考誘導をさらに強める。こちらに興味をひくように。
「会話している」という現在の状況を好ましく思うように。

「ならば私の贄となれ」
「僕は君にならば、いくらでも贄を捧げよう。
自由も、安全も捧げよう」
「お前は何者だ?」
「僕はAXYZの魔術師だ。向こうではなんて言われてるかしらないけど。
僕達は君みたいな人たちを保護している。
安全を保障するよ。僕は君の手助けがしたいんだ」
「・・・・・・」

 やがて、沢渡の魔術は恋を掴むだろう。
 そこに、もはやかつての「いいひと」はどこにもいなかった。
 黒い魔術師がまた一人誕生した。



[30579] 1988年村上編「機械は笑う」その3
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2012/07/14 12:43
 あの海岸での出会いから数週間後のある日の事。
 海岸で拾われた彼女は「恵比寿宇津保(エビスウツホ)」と名づけられ、AXYZで沢渡の保護観察下にはいるという処分となった。
 主に沢渡の熱烈な申請によって。

「AXYZには馴染めたかい?宇津保」

 清清しい朝だ。
 沢渡が「彼女」の前にユッケを置く。
 見慣れない色の肉でできたそれは代用人肉だ。

「ええ、噂とは大違い。平穏って、こんなにいいものなのね」
「そうさ、君には幸せになる権利がある」

 よく冷やされた紅茶を沢渡はうれしそうに注ぐ。
 よくできた従者のように。

「それにしてもこの肉は、不思議ね。
人肉を食べているのと全く同じ感覚だわ」

 清潔なナイフとフォークで、令嬢の如く上品に宇津保は肉を切り分けたべる。
 かつての獣の美はそこにない。
 それが沢渡を喜ばせる。

「ああ、それはね。うちのスポンサーをやってるハルマン博士が作ったものなんだ。
すごい魔術師だよあの人は。
妖怪と人間が共存できるようにって、
人を食べる種族に必要な栄養素が全部入ってるらしい」
「だから、私も人を襲うというリスクを背負わなくてもいい。
よく考えられてるわね」

 ハルマンの活動の一環には人と妖怪、魔物の共生を目指すプロジェクトもある。
 人食いの妖怪も少なくはなかったが、ハルマンはまるで用意していたように、
(まさに彼は長い時間をかけて用意をしていたが)
 人食いの妖怪でも人を食わなくて済む、人肉を食う者にとって必要になる栄養素を合成した代用人肉を作り上げていた。

 実際に作ったのは彼自身だけではなく、
 彼の投資する遺伝子改良プロジェクトチームの功績も大きかったのだが。

 それ以外にも、妖怪や半魔を受け入れる社会活動はハルマンの属する「組織」によって、徐々に成功しつつあった。
 例えば吸血鬼は日光アレルギーと血液嗜好症(ヘマトフィリア)の複合症として広く認知され、「治療薬」として輸血血液を保険で買う事ができるようになった。
 獣人は単なるそういう奇形の出やすい家系として、保護される事となった。
 健康上の問題はなく、むしろ頑強になりやすいと再三宣伝されて。
 AXYZとそれにつらなる都市は今や、人外の楽園と化しつつある。

 宇津保もいまや、その恩恵を受ける一人となっていた。
 AXYZは、このようにさ迷う怪物を人間社会に飼いならす施設の一つでもあった。

 だがたった一つイレギュラーな部分、
 保護者が怪物に恋愛感情を抱くと言う事は対応マニュアルが設定されていたものの、
すでに過去のものとなっていた。
 ここ十年、人妖間で恋愛をしたものはそれほど問題を起こさなかったからだ。

 いや、AXYZに張り巡らされた感情統制の結界が人間関係を円滑にしていたからだ。
 深く物事を考えないということは時に、いや往々にして幸福の秘訣である。

「まあ、難しい話は置いておいて・・・・・・朝食を楽しもう。
折角の日曜日なんだし」
「そうね、まだLUXでの癖が抜けていないのかもしれないわ」
「それはゆっくり治していけばいいさ。皆解ってくれるよ」

 沢渡が宇津保の肩に手を置く。
 宇津保もまた愛おしそうにその手を抱く。
 穏やかな時間はこの瞬間は確かに存在した。

                ◆

 その日の夜。
 AXYZの夜に動く影があった。

 隙のない、それでいて時速60kmという人体ではありえない速度で走る人影。
 それは一直線に沢渡の家に向かって進んで行く。

「急がなきゃいけない。いつアレが発症してもおかしくない。
やっぱ、助けられるもんは助けておきたいし。
原作介入か・・・・・・声はかけたけど、どれだけ集まってくれるかだよな」

 まだ十代にようやくなったばかりの少年の声だった。

「はいそれダメ、一応俺ちゃんの仕込みだし」

 時速60kmの空間に囁くものがいる。
 中学生ほどだろうか、赤い革ジャンにGパン、古臭いサングラスの少年が、
 時速60kmで走る小学生に悠々と着いて来る。
 小学生の顔は驚愕で固まり、急停止する。

「げえっ天野黒星、なんでここに、つくづくなんでもアリだな。最悪だ」

 天野黒星とよばれたロックスター気取りの中学生は、
 にやりと、黒い、どこまでも黒い、悪意を煮詰めたような、
 しかしどこまでも爽やかな笑顔で小学生の近くを浮遊しながら喋り捲る。

「五十六ちゃんや多門君に比べれば俺ちゃんなんて優しいもんよ?
あいつら理屈抜きで絶対勝てないギャグ時空存在だし。
俺ちゃんせいぜいチートスキル山盛りてんこ盛りってくらいだし
わりとそのくらいみんなできるじゃん?
あ、そうだお前転生者って扱いでいいの?」

 小学生はナイフを抜き放ち、問答無用で切りかかるが、
 ごくごく自然な動き、たった一歩の回避動作で避けられる。

「おいおい、言っておくけど俺ちゃんだってアルカディアのスコッパーよ?
原作くらい読んでるし。
お前も原作読んでるなら俺ちゃんが仕事をするときって、
邪魔になりそうな奴ら全殺しにするって知ってるよね?
だから俺ちゃん考えたわけ、こういういかにもな悲劇をやらかしたら、
たすけようとするヒーローな転生者がわんさか、バトルできる俺ちゃんは面白い、
WINWINって奴じゃねえ?」

 小学生の太刀筋が変わり、おぞましい死の気配を伴って一閃を放つ。
 天野黒星の頭部が粉々に粉砕され、一瞬後にすぐ戻る。
 新しいサングラスをなんでもない事のようにポケットから出してかけなおす。

「いってぇ、キュートなマスコットである俺ちゃんにひどくね?
一機へっちゃったじゃん。
あ、それと俺ちゃんまでたどり着いたってことは、
お前けっこう探偵の能力あるんじゃねえの?
それっぽいスキルとかもらってた?
あと仲間も多分いるよな。
悪いけど俺ちゃんにお前らの能力全部くれねえ?」

「カツアゲかよ!相変わらず、しょぼい癖に致命的な事ばかりしやがって!」

「大丈夫だって!死んだら能力があるかどうかなんて気にならねえから!」

 ゆらり、と天野黒星が一歩前に出る。
 ば、と小学生は20mも下がる。

「お?逃げんの?いいんじゃないの、女の子がサイコ野郎に襲われてる時に
逃げるのはそれってスゲー普通の反応じゃねえ?
あ?それとも能力持ってなんかできるとかおもっちゃった?
あー思っちゃったんだ」

「うるせえ、黙れクソ野郎」

 小学生が、虚空から無数の刀剣を呼び出し、乾坤一擲の突撃をかける。
 その一本一本が最強無敵、凶悪無比の必殺の一本、
 その一撃一撃が必中必殺の最適の一撃。

 だが、黒星が軽く腕を上げただけで発生した半透明の障壁に半数の攻撃は消滅させられ。

 続いて繰り出された無数のラッシュにその攻撃がいなされ、解かされ、凍らされ、燃やされ、悉く粉砕される。

 そして、ただ攻撃をいなされただけであるのに、少年の身体には無数の傷が与えられその顔は恐怖に染められていく。

「おいおい、切れて突撃は負けフラグだっての忘れた?冷静になれよ」

 さらに天野が一歩踏み出した瞬間、少年の姿が消えた。

「あ、転移系の仲間がいたのか。俺ちゃんうっかり。
宇津保ちゃんはあと何日で発症するのかな?
ごめん、知ってるけど言ってみただけ。
どーよ読者様、俺ちゃんの活躍みてるー?」

 天野黒星は笑う、笑う。
 夜の中に、街中をあざけるように。
 その姿だけは、彼の憧れるロックミュージシャンに良く似ていた。



[30579] 1988年村上編「機械は笑う」その4
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2012/07/14 12:45
 AXYZの中心部地下20階AXYZ交通管制局「ユグドラシル」中心部。
 そこの一室。
 ホテルのバーのような高級感溢れる一室に、二人の老人が対面して座っている。
 一人はパトリック・R・ハルマン。魔術名HAL9000
 トーキョーAXYZとオーサカMAZEの実質的な支配者。
 魔術会の重鎮にして政界のフィクサーの一人だ。

 もう一人は藤原光乃介。
 トーキョーAXYZの管理をHALに任されたHALの傀儡の一人、ということになっている。
 しかし実際は藤原はHALの手を離れ、独立しつつある、

 いまや二人の関係は拮抗していた。
 傀儡が寝首を掻くか、それともそれすらも人形師の差し金か。
 もはや本人同士ですらわからないだろう。

「始まりましたな、新しい物語が」

 藤原がHALに水を向ける。

「ええ、あちらこちらで同時多発的にね。
99人の人食いは救えるでしょう。ですが1匹はどうしても取り零してしまう。
そして先方の勝利条件は、一匹でも通せばそれでいい。
こちらにはやや不利な条件ですね」

 テーブルの上のシート型液晶モニタには無数の光点が点っている。
 HALはそのうちのいくつかをクリックして拡大する。
 それは恵比寿宇津保に似た少女達であり、恵比寿宇津保本人でもあった。
 
 恵比寿宇津保と同じようなLUXから保護された難民はここ一月で急激に増えていた。
 明らかにLUXが何らかの意図をもってわざと逃がした人員である。 
 HALはその全てを保護し、適切な「処理」を行っていた。
 ただ一人、恵比寿宇津保を除いて。
 宇津保には常に天野黒星による監視がついていたからだ。

「それに、あちらからの差し金もありますぞ」

 モニタに映し出されるのは天野黒星。
 剣使いとの戦いが一方的に進んでいる。

「ああ、あれは困ったものですね。撃破するとなるとどうしてもこちらに損害が出ます。
いえ、現在の戦力では撃破そのものが難しいでしょう」

 こればかりは策略の入る余地のない事実だ。
 現在のAXYZでは天野黒星一人に勝てない。
 否、敵戦力を陣地内で入れた時点で不利は決定的だった。

 勝てたとしても物量で消耗戦を続けなければ不可能だ。
 ハルマン自身も周囲の被害を鑑みず、尚且つ切り札を切れば勝てないことはないだろう。

 だが、メリットとデメリットを考えれば、収支決算は赤字になる。
 まだ切り札を切るべき時ではない、という判断をするにはそれだけで充分だった。

 「しかし捨て置くわけにもいきますまい」

 それもまた事実だった。
 一都市が一個人に屈する、AXYZは総員でかかってもLUXの切り札一人に勝利できない。

 その事実を「公に」認めるわけにはいかないのだ。
 認めれば足元を見られ、吸い尽くされるのが世の習いだ。

 そもそも、その気になれば都市ごと崩壊させられる駒が、
 AXYZを射程圏内に納めている。
 その危機をこの都市の支配者たちは看過することができない。

 「あれは満足すれば勝手に帰るでしょう。
 詰めの甘い男ですな。
 情報を持ち帰りもしない気分屋だ。
 あれが盤面を荒らすだけ荒らした後に、
 こちらが全てをなかったことにする。そういう形で行きましょう」

 その上でHALは、天野黒星が侵入したと言う事実そのものをもみ消す事にした。

「となるとあなたの仕分け仕事ということで構いませぬな」

 だが、HALがもみ消す以上、
 HALには天野の齎した被害をなかったことにする責任が生じる。
 具体的には、物理的被害の補填。
 早い話が金はHAL持ちとなる。

「構いませんよ。
 元より、あなたのプランでは捨て置く予定だったのではありませんかな?」
「貴方のようにイレギュラー一人ひとりにフォローを入れるほど余裕はありませんでな。
 いやはや、分霊法とは、凄まじいものですな。できる事が増えすぎてしまう」

 LUXの切り札が目の前に迫っていて、都市を射程圏内に入れている状況で、
 彼らはあえて動かない。

 LUXもまた、「まだ」いきなりAXYZを灰塵に帰すわけにはいかない状況であるのを知っているからだ。

 そして、AXYZの人員を大量に消費するか、
 ハルマンが周囲を気にせず、そして後の領収書を気にせず大盤振る舞いすれば、
 天野という駒を取れることもまた、ゆるがせない事実であるのだから。

 彼らは部下大勢の命と、天野によって齎されている被害を両天秤にかけられる。
 その選択をするだけの余裕と実力があるのだ。

 そして、その天秤にかけた挙句の結論が、藤原は放置であり、
 ハルマンは被害を最小限に食い止めるだけの介入をする、要は金の用意をする事だった。
 
 もし黒星を本気で討ち取る気ならば、潜入前に全力で叩くしかなかっただろう。
 陣中に走狗を入れた時点で散地である不利はくつがえせないものとなっていた。

「いえいえ、好きでやっていることですからね。
まあ、これが落とし所でしょう」

「やれやれ、通常業務内のやり方をすればよろしいものを」

 この場合の通常業務内とは・・・・・・早い話が、天野に殺される被害者全員を見捨てる事だ。

 だが、あえて自腹を切ってハルマンは被害を食い止める。
 それが彼の責任だからだ。

「まあ、其方の方が効率がはるかに良いのはわかっているのですがね。
できるだけ、やれることはやっておきたいのですよ。
なにより、NULLはそれが誰であってもいいんですよ。
ふさわしい実力と、私の信念と合致する目的があれば」

 「正史」においてNULLは天野の、恵比寿宇津保の被害者であると記されている。
 だが、NULLの性格、境遇、能力はこの時代においてありふれたものだった。
 それ故、「正史」に登場するNULL本人である必要はないのだ。

 NULLがここで死んだとしても、あるいは被害にあわず平穏に過ごし、
 結果としてNULLという革命家にならなかったとしても、同じような境遇の誰かをその地位にすえればいい。

 ここで「正史」どおりに大勢の犠牲者を費やしてまで、
 NULLが革命家の道を歩む切欠を成立させなくても良い。
 それがハルマンの選択だった。

「私の頚木は外れておりますぞ。約束は果たしましたからの」

 NULL。ポスト・ハルマンを担う次代の革命者。
 その誕生には天野によって齎される一般人の被害が必要「かも」しれず、
 NULLの目的が成就することは藤原の破滅を意味する。

 そして藤原は座してそれを待つ気はさらさらない。
 そのためにハルマンというキングを殺る必要があったとしても。

「もちろん、それはそれで構いません。
私のプランが破綻した時に貴方のプランが必要になるでしょうから」

 そして、その全てを解っていて、あえてHALは自分の後継者として、
 自分を殺る可能性のある人材を育成する。
 それが藤原でありNULLなのだ。

 NULLという英雄が生まれるには、それに見合っただけの悲劇が必要だ。
 英雄は悲劇を打ち砕くからこそ英雄であり、
 革命家は倒すべき体制があるからこそ革命家なのだから。

 しかし、その革命家が必ずしもNULLという、「正史」に記されたその本人である必要もない。

 NULLとは、他の人物でも代換可能な存在だ。
 だからこそHALはNULLがNULLとして成立するだけの悲劇を、被害をあえて打ち砕く。
 あらかじめなかった事にする。

 それでいてHALは本気でNULLの到来を待ち望んでいるのだ。

 そして、NULLが現れず、自分もまた志半ばで倒れた時の為に、
 あえて自分の首を狙う目の前の傀儡、藤原の行動を止めない。

 HALの行動は単純でありながら屈折している。

「この老骨、そのような事を言われますと、なにやら天下をとりとうなってしまいますな」

 藤原もまた、そんなHALの思いを知っていながら、
 飄々と本人の前で殺害予告をする。
 あくまで冗談という形で。

「こちらとて、最初から負ける気ではありませんよ。
それに、イドリースが来る可能性に比べればこれなど嵐の前の小雨でしかありません」

 HALもまた、それに平然と返す。
 どうやっても、それこそどれだけハルマンが本気になろうとも、
どれだけ都市の金と血を費やしても勝てないであろう、
 蹂躙されるだけしかないであろう存在を敵に回しながら。

「願わくば、嵐が来るのは当分先であって欲しいものですな」
「まったくですな」

 国士と言う、どうしようもなく屈折した生き様を生きる、
二人の老人の夜は陰謀と共に更けていく。



[30579] 1988年村上編「機械は笑う」その5
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2012/07/14 12:45
 裏の社会のさらに裏でいくつかのやり取りがあったその数週間後、
 沢渡の家にひとり呆然とたたずむ恵比寿宇津保の姿があった。
 
 フローリングのしゃれた床には、一人の少女の死体がある、
そして血まみれの手を呆然と見ている宇津保。
 
 つまり、犯人は彼女でしかなく、実際に手を下したと言う意味ではその通りだった。

 数日前から理解不能の焦燥感のようなものが宇津保にはあった。
 それは、魔法を使っている少女をみた瞬間に爆発した。
 
 宇津保はその強化された力で少女を浚うと、自分の家で解体してしまった。
 へし折り、千切り捻じ切った。
 そしてその作業はすべて素手で行われた。
 すべては無我夢中で悪夢のようなできごとだった。

 ふと宇津保が正気に返ったら、殺人者になってしまった自分と、被害者である死体が、自分の住む家に転がっていた。

「違う・・・私は、人食いじゃない、バケモノじゃない!
嫌!もうこんなのは嫌!」

 逃げたはずの修羅場が暖かい我が家に突っ込んできた。
 しかし、食欲からではない。
 実際に新鮮な人肉を目の前にしても、今の宇津保には吐き気しかなかった。

 もはや人食いのバケモノであるから、という事は理由に成っていなかった。
 それが少し安心する要素であり、
 それでも、衝動に急かされるように殺人をしてしまったという事実は、とてもではないが落ち着いていられない要素であった。

「どうしたらいいの・・・死体、死体を隠さなきゃ」
 そしてなにより、自分はどうにかしてこの状況を片付けなければならない。
 まずは死体の隠蔽をしなくては。

「ただいま宇津保」

 ドアのひらく音がして、足音が聞こえる。
 宇津保は銃撃を受けたようにおびえ、ただ震えるしかない。
 そして、そのドアが開かれた。

「宇津保・・・?」

 血まみれの人間だったもの、すわりこむ愛する人。
 いつもの我が家。

「違う・・・違うの」

 悲しいほどに狼狽する宇津保。
 血まみれになった手を背中に隠し、怯えたように後ずさる。
 その姿を見て・・・・・・沢渡はとてもいい笑顔をした。

「健一さん・・・?」

 宇津保は戸惑う。
 沢渡は自然に距離をつめ、そっと宇津保をだきしめる。

「いいんだ」

 こんな彼女が見たかった。
 健やかに幸せになっている姿もそれはそれでよかったが、
 堕ちて行く彼女と堕ちていきたかった。
 どこまでも、どこまでも。
 いずれ狩られるその時まで。

「いいんだ、僕がなんとかするよ。大丈夫だから」

 地獄の扉はとっくに彼の心に開いていたのだ。

                ◆

 とはいえ、沢渡もただ手をこまねいているわけではなかった。
 死体を始末したあと、魔術師にのみ閲覧がゆるされたデータベースにアクセスし、
 宇津保の症状を調べてみる事にした。
 しかし、調査は一向に進まず、治療のみこみは現段階ではなかった。
 にたような症状がありすぎるのだ。
 
 特定するには、専門の技術者の手を借りなければならず、
 そして宇津保の微妙な立場では、診断をうけるために殺人を告白する事はできなかった。

「どうすればいいの・・・このままじゃ、私は」
「大丈夫だよ宇津保。治療法ができるまでは「獲物」には当てがあるんだ」
「でも」

 それは手を血に染める事そのものの嫌悪だったのか、
 それとも事態が発覚してしまう事への恐怖だったのか。
 
「突然発症したら困るよね?焦燥感があったってことは、
これは殺人欲がたまったら、衝動的に殺してしまうってことだと思う。
だから、事前に隠蔽が確実にできる用意をして定期的に殺せばいい。
それも治療法がわかるまでだよ。僕が治療ができる奴をなんとか探して脅してみるよ
それでその症状を治せばいいんだ」

 宇津保はしばらく眼を泳がせ考えた後、暗い決意をもってうなづく。

「そう・・・そうね、私達は生き延びなきゃいけないんだわ」
「そうさ、どこまでだって逃げ延びてやろう」

 沢渡は暗い愉悦を称えた笑顔で微笑む。

                ◆

 その会話を聞いて嘲り笑う者が一人。
 天野黒星だ。
 夜の廃墟の中、積み上げられた転生者たちの死体を目の前に。

「やったネ!原作再現イエー!
きっちり原作どおりの流れにする俺ちゃんってすごくね?
ねえ、原作改変してヒーローになる気だった今の君はどんな気持ち?
ねえどんな気持ち?」

 数週間前の剣士とおなじように小学生ほどの少女を足蹴にしながら黒星は嗤う。
 金髪碧眼の白人少女だ。服装は白いスーツである。

「さて、私にはアレがハニー・マイン計画の亜種、ハニー・ニダスだとしか」

 ハニー・マイン計画。
 それを誰が始めたのかは解っていない。

 だが、その計画が作り出した「プログラム」は凶悪無比だ。
 その暗示にかかったものは「世界に影響をおよぼす人物」と判断した人間に出会うと、
無意識に殺してしまうのだ。

 ハニー・マイン計画は、その暗示を無差別にまきちらし、
要人や英雄候補となる者たちが親しい者の手によって暗殺されるはずだった。

 計画そのものは数人の犠牲者が出た時点でLUXのトップ、シモン・マグスやHAL、さらには海外の同じような権力者たちによって防がれた。


 彼らが全力でワクチンプログラムを作ったからだ。
 しかし、ハニー・マイン計画はむしろそこからが本当の惨劇だった。
 
 プログラムを解析した権力者達は、互いに相手がハニー・マインを使うのではないかと疑心暗鬼になった。
 そして実際にその亜種は開発されていた。
 より簡単に、より凶悪に。より目的に合致した形に。
 それは開けてはいけないパンドラの箱だった。

 少なくない犠牲の後、ハニー・マイン関連の技術は封印された。
 あらゆる記録から抹消された事になった。

 それ故、沢渡は宇津保の症状が何か知る事ができなくなったわけだが。
 だが、LUXの最深部まではその削除の手も届かなかった。
 宇津保がかかっている暗示、ハニー・マインの亜種、ハニー・ニダスは、

「かかった者の周囲の人間が狂気に染まり、本人は無差別に殺人を犯す」
と言う代物だ。

 対組織向けネガティブキャンペーン用暗示プログラム。
「OKOK、わかってんじゃん。三桁くらい送り込んだんだけどなー
HALがきっちり防ぎやがんの。
俺ちゃんが四六時中見てないと即治療するんだもんなー
あいつ暇じゃねえ?」

実際、宇津保と同じようにハニー・ニダスに感染した状態で、
LUXからAXYZに亡命してきた難民はここ一月だけで100人を越える。
HALはそのほぼ全てを治療し、ただの人間に戻した。
ただ一人、天野黒星が監視する恵比寿宇津保をのぞいて。

「直したのぶっころしたらHALのおっさん曇るかな?
お前どう思う?」

 少女に尋ねる天野黒星。

「黙れモノマネ歌手。悪ぶってる餓鬼が」
 少女は驚くほど老獪な声を出した。

「なんだと」

 黒星の声は怒りに震えていた。
 彼が悪にいたる切欠となった挫折。
 それは彼が模倣しかできない事だった。
 なんでもできる天才という自己認識は誤りだった。
 そして、彼が生き様を模倣してしまったのは最悪の悪党で、
 ロックミュージシャンだった。
 だからこそ、彼にとって模倣者であるというのはトラウマなのだ。

「何が!オリジナルだ!お前等だって!クソが!」
 黒星の蹴りが少女を粉々にして行く。
 乱れ飛ぶ血が、黒星が築き上げた死体の山に降りかかって、一筋の流れとなる。

「くそっ・・・」
 興奮に荒い息をつく黒星が廃屋の壁を叩く。
 その顔は帰り血で真っ赤に染まる。

「そんなこと解ってんだよ畜生が・・・・・・」
 その声は酷く殺伐として潤いが無かった。
 黒星がトラウマに手一杯になっている隙に、転生者たちの流れる血は、
 壁の隙間から外へと流れ出し、一方向に向かっていった。

                ◆

 斉藤平太は小学生の魔術師生徒だ。
 AXYZは魔術師達の休戦地帯。
 そのため、魔術、武術の各派閥の子供達が交流をする場であり、
それぞれが技術交流をしてコンセンサスを得る場でもある。
 魔術師生徒とは、AXYZにひそむ各結社の教えを統合的に学ぶ、
それぞれの結社の子供達だ。
 つまりは、世襲する予定の魔術師候補。
 その英才教育の場がAXYZである。


 そしてその教育には当然模擬戦もある。
 斉藤平太はいつもどおりに教師との模擬戦に来ただけだ。

 ただし、いつもと違い、他に生徒はおらず、
 模擬戦相手も戦闘向きではない担任教師だ。
「なんスか急に模擬戦って」
 教室2つ分ほどもある広い空間に斉藤の幼い声が響く。
 床も壁もリノリウムに似た白い床材で覆われている。
 模擬戦演習室は、丁度ダンススタジオのような造りの部屋だった。

「いや、その、君は座学のほうがあまりよくないよね?
だからその分の単位を実技の補習授業として補える制度があるんだ。
試してみないかい?」
 矛盾した発言だが、小学生でしかもお世辞にも頭がいいとは言えない斉藤はころりと騙される。

「マジで?いいっすよ、これで勉強しなくて済むんなら大歓迎っす」
 斉藤は背中の鞘からすらりと長剣を抜き構える。
 その声には、明らかに弱い教師と当たって幸運であると言う楽観的な響きがあった。

「それは良かった、じゃあ、楽しんでくれ『宇津保』」
 唐突に天井に今まではりついていた恵比寿宇津保が、
 獣のような速さで斉藤に襲い掛かる。

「うわっなんだこいつ、先生、なんなんだよこれ」
 宇津保の爪を受け止め、スウェーバックし、剣で応戦する斉藤。
 しかし突然の展開に混乱を隠し切れない。
 だが、沢渡はいつもどおりの気弱そうな笑顔のままだ。
 それが恐ろしい。

「「狩り」だよ、君は狩人じゃない、獲物だ」
「先生・・・?くそ、なんなんだよ!」
 斉藤は見る間に追い詰められる。
 未だ未熟な剣士では、生物兵器には対応できない。
 なにしろ、相手はタンパク質でできたサイボーグも同然なのだから。

「降参!降参だよ、なんなんだ反則じゃねえか」
 宇津保が馬乗りになる。
 沢渡は哀れむように薄く笑う。この期に及んでも状況を理解していない子供に。


「安心して欲しい。君は最初からいなかったことになるから、
ご両親は悲しまずに済むよ。訓練中の事故っていうのはこの先を考えるとまずいしね。
なら、僕の裁量でなかったことにしてしまえばいい。君の存在も」

 沢渡は穏やかに話す。
 科学者がモルモットに実験の価値を語るかのように。

「君は知らないだろうけど、そういう権限が僕等魔術教師にはあるんだ。
生徒の死を隠蔽するスキルと権利がね。
そのほうが藤原さんにはいろいろ都合が良かったんだ」

「何言ってんだよ!早くやめてくれ!」

「ねえ、健一さん、これもう殺しちゃっていい?」

「ああ、君の好きなようにすればいい。それでこそ君の為になるんだ」
 馬乗りになった宇津保はだんだんと首を絞める力を強くしていき、やがて斉藤の首をもぎ取った。
 彼は何もわからずに死んだ。

「どうかな、衝動は軽くなったかい?」
 沢渡は日常と変わらぬ幸せそうな口調で話しかける。

「ええ、でも次はもっと生き足掻く奴じゃなきゃいけないと思うわ。
抵抗が少ないとすっきりしないもの」
 宇津保は何かを吹っ切った清清しさで話す。

「大丈夫さ、獲物はまだまだいるんだ。焦らずに消費していこう」
 沢渡は、すでに人間として致命的なレベルにまで壊れていた。
 たしかに教師には子供達を抹殺する権限があったが、
それはぬかれる事のない伝家の宝刀であり、
通常は重くても魔術がつかえなくなるようにするか、記憶を消すか、というくらいだ。
 一人の教師が何人も生徒を「処分」するなどありえない。

 沢渡健一の策は、策ともいえない自殺行為だった。
 到底正常な判断とはいえない。
 しかしハニー・ニダスの毒に、頭のてっぺんまでつかった沢渡にはそれが自覚できない。
 破滅は間近に迫っていた。



[30579] 1988年村上編「機械は笑う」その6
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2012/07/14 12:45
村上夏彦は夕闇の帰り道を憔悴した様子で歩いていた。

彼はいよいよもって自分の参加している世界、
つまりは学校のクラスが以上になってきたのを感じていた。
いや、村上でなくとも、正常な判断力をもっていれば、
誰でも異常だと思うだろう。

なにしろ、週に一人は「ご家庭の都合」で生徒がいなくなるし、
学級崩壊は極まって、堂々と授業をエスケープする生徒も少なくない。
そして、態度が不真面目に成った者から、「ご家庭の都合」でいなくなる。
おまけに、いなくなった生徒のことを誰も覚えていない。
顔も、名前すらも。
いなくなったことを気にしすらしない。
自分達の記憶の齟齬にも気づかない。
つい数日前に顔を合わせていたにも拘らずだ。

何かひどく禍々しかった。
今まで隠れていたAXYZの悪意がむき出しになったかのようだった。

むろんそれらは全て沢渡の魔術による記憶操作と印象操作だった。
しかし、村上にとってはAXYZの総意であろうと、沢渡の暴走であろうと、
たいして変わりはしないのだが。

「どうなってるんだ畜生、狂ってるよ。何もかも」
そして出会いは唐突に訪れる。
夕暮れは過ぎ、あたりは暖かい闇夜に包まれている。
村上は学校の帰り道を歩いていた。
月は美しく、なんの危険もないように思えた。
その時までは。

春の心地よい空気が一変する。
まったくありえないことだが、空気が腐った。
ほこりを体中に被ったような、乾燥しきった不快な感覚。
どぶの中を歩いているような、ねっとりとまとわりつく不吉さ。
血液と糞尿を混ぜたような人体が創作する悪臭。
何もかもが不吉で不気味で汚らわしい空気だった。

そこに怪物が現れる。
「見た」
「見られた」
「消す消す消す消す消す」
それらは異形だった。
人体のパーツを使っているのにまるで人間らしくない。
それは悪意を持って極限まで醜く歪められた人体の模造品だった。
さらにいえば、人体にない機械的な、あるいは昆虫的な器官が備えられている。
人間の醜さと無機物の不気味さのグロテスクな融合。

つまりは、どう見てもお友達になれそうにない化け物たちがこっちに向かってきている。

銃声。倒れるバケモノたち。
音のしたほうを見れば、中年の男と少女が立っていた。
村上は男を「おっさん」、少女を「サムライ女」と呼ぶことにした。
「おっさん」はどこかで見たような顔だし、「サムライ女」は同じ学年の子だった気がする。
おっさんの手にはライフル。サムライ女の手には実用性皆無に見えるでっかい刃物。
おっさんはずかずか彼に近づくとそれはおっかない顔で怒鳴ってきた。
「お前、なんで入ってきたんだ!」
しゃべる間にもおっさんは銃撃を休めずバケモノたちの侵攻を食い止めている。
「俺が知るか。とりあえず帰っていいか?」
これはどう見ても素人がかかわっていい事ではない。
村上は欲求に素直に撤退することにした。
「待て下手に動くんじゃない」
おっさんは村上の首根っこをつかむと物影に引きずり込んだ。
「いいか、ここから動くんじゃない。この騒ぎが収まるまでじっとしてろ」
助けてくれると見て、村上はすこしおっさんの評価を改めた。
すなわち、意外にいい人に。
「わかった。がんばってくれ」
俺が無事に帰るためにも。村上は口には出さずそう思う。

村上は後のこう語る。
俺という足手まといがなくなったおっさんとサムライ女はすさまじい動きでバケモノを殲滅しだした。
明らかに車より早くジグザグに走り、5mはジャンプし、しまいには飛ぶわ空中でダッシュするわ、
まあゲームの世界から抜け出てきたような戦い方だった。
おっさんは洋物FPS、少女は和製RPGという感じだったがな。

戦闘があらかた片がついた様子になってくると、おっさんと少女はなにやら口論をはじめた。
チラチラ見られていることから察するに、どうやら村上の処遇をめぐってのことらしい。
少女はヒステリックに「目撃者は記憶消去を!」とか「スパイかもしれません」とか「夜の世界に関わるくらいならばいっそここで」
などと物騒なことを言っている。
どうやら目撃者である俺は下手したら物理的に消されかねないようだ。
「やかましい、若造は黙ってろ!先走るんじゃない」
「しかし!」
どうやらおっさんは俺をかばってくれているらしい。
繰り返すが、がんばってくれおっさん。
「デモもストもねえよ。ん?ほれ見ろ爺様共が動き出した」
おっさんは無精ひげを弄りながら忌々しそうに吐き捨てる。
「……これは、HAL?」

木のさざめきも、おっさんも少女も、動きがゆっくりと停止していく。
視界が色を失い、激しいノイズが鳴り響く。
全てが停止した世界に光が走り、正方形のロゴマークのようなものを描いた。

「はじめまして、村上夏彦さん。私はHAL。魔術師にして管理者です。厳密に言えば違いますが」

ロゴマークが声にあわせて振動している。それでしゃべっているということなのだろう。

「魔術師?あいつらもか?」
「はい、彼らは魔術師であり、私の部下にあたります」

一拍置くとHALはこちらの答えを聞く前に説明を始めた。

「事情を説明しましょう。この社会には魔法があり、魔術師が存在し、同様に怪物も存在します。
そして、それらはさまざまな事情により公には明かされていません。
また、魔術師による戦いは、一般人が入れないようにそれなりの対策が施されています。
ですが、あなたのように目撃してしまう人もいるのです」

「ああそうかい。それで俺は殺されたり記憶を消されたりするのか?」

つくづく聞いてみたかったことだ。
そう、俺のこれからに関わる重大な事柄と言う奴だ。

「その場合による殺人は私が禁じております。
ですが、記憶についてはあなたはすでに5回の操作をうけています」

無機質な声が淡々と事実をつむいだ。
知らないうちに記憶をいじられていたという感覚が寒気を感じさせる。

「つまり、5回にわたってあなたは魔術師の戦いに巻き込まれました。
あなたには魔術に関わりやすい何らかの要因があるのでしょう」

一拍おいて、HALがこちらの理解が成立するまで待つ。
理解した。寒気は火の憤怒に変わった。

「じゃあ俺は何度もこんな目にあって!その度に記憶を消されていて!
またこんな目にあったと、このままだとまたこうなると!」

「そのとおりです」

しみじみと怒りがわいてきた。
ああそうかい、そういうことだったのかい。

「ふざけるな!人の頭の中に土足で踏み込みやがって!
ああそうか、クラスの非常識な奴らもグルか。
やっぱり俺はおかしくなかった。お前らがめちゃくちゃにした街を無理やり正常だと言い張ってただけだ!」

村上が日常に抱いていた違和感は間違ったものではなかった。
村上は理解した。
全ては魔術師たちが影でこんな戦いをしているのを隠すための偽装だったと。
そのために異常な事柄全てがまるで普通のものであるかのように洗脳されていたのだと。

「はい、そのとおりです。あなたが日常に違和感を覚えるのであれば、それは正常ですよ。
彼らが人間離れした域にあるのは確かなことですから。
彼らのような、人の社会では生きにくい人々に人間の側が少しでも慣れていただこうと作った街がここAXYZです」

そしてHALはその答えを肯定した。

「勝手な事を言いやがって。
そのために人の記憶をいじってたのか!俺の記憶は俺の人生だ。俺の時間だ!
勝手に奪うんじゃない!」

「はい、申し訳なくは思っていますよ。
これ以上記憶を操作することは無意味だと判断しました。
よって、あなたには事情を知って自衛していただきます。
そのために、最低57時間の講習をうけていただく必要がありますが」

「俺に拒否権はあるのか?」

ないのだろうな、と思いつつも確認はしてみる。

「存在します。ですが、お勧めできません。
あなたは魔術に関わりやすい要因が存在します。
ですので、これからもこういった交戦域に迷い込む可能性が高いでしょう。
最低限の知識を教える責任が私に発生しています。
あなたがこのような事故、事件に巻き込まれて損害を負った場合、
私はそれを看過できませんので」

薬の説明書のような言い回しであった。
つばを吐き捨てて村上は勤めて冷静に言う。

「のこのこ戦場に入られちゃ困るから最低限逃げるくらいの技術は教えてやるって事か?
ご親切だな」

「そういうご理解で構いません。
あなたの意思を確認させてください。
講習を受けますか?」

これは意思の確認。

「もし受けなかったら?記憶は消さないんだろ、このまま帰っていいのか。
この物騒なやつらはどうするんだ、あんたがなんとかしてくれるのか?」

だがまずはこの状況から自分は生き延びなければならない。
アドレナリンを総動員してアイデアを募集する。

「はい、そのまま帰っていただいて構いません。
彼らには私からあなたに手出しをすることのないように命令をします。
どうなさいますか?」

村上は考える。額面通りに考えていいものかどうか。

「もう一回聞くが、俺はまたこういうのに巻き込まれるんだな?」

「はい、おそらくはそうでしょう」

 さらに考える。
 自分は組織立った奴らの事情に巻き込まれてしまった。
お互い見なかった事にして、何事もなかったかのようにできれば、自分も奴らも苦労しない。
 だがもう、もはや限界だ。見てみぬふりはもううんざりだ。
 そしてそれは奴らもおなじだったらしい。ありがたいことにご丁寧に説明してくださったわけだ。クソが!
 それで?自分はどうなる。あいつらの仲間入りか?
 組織に抗うような力は残念ながらない。
 力を得るためには既存の組織から学ばねばならないが、そうなれば組織に取り込まれる。
 最初から一騎当千の英雄だったとしても組織にねらわれるような生活はけっして快適なものではないだろう。

 つまり、どっちにしても積みだ。
 ならばせいぜい組織に切り捨てられないだけの力を得て、居心地のいい居場所を確保することを考えよう。
そのためには、この場を離れて冷静に考える時間を得るべきだ。

「とりあえず帰らせてくれ。講習を受けるかどうかは後で考えるよ……連絡先を教えてくれるか」
「了解しました。こちらの封筒をお取りください。
連絡先とガイダンスが入っております。ご参考になればよいのですが」
「ああ」

 現れた時と同じように唐突に世界は色を取り戻し、何もなかったかのように動き出した。
HALと名乗った異形はもういない。



 そして時は動き出した。
「坊主、HALに会ったみたいだな。ほら、こいつだ」

 おっさんは板みたいなケータイを取り出して画像を表示する。
あのロゴマークだ。

「ああ、このマークの奴には会った。なんなんだアレは」
「一応の説明は受けたんだろう?魔術師が魔術をこじらせて人間辞めたのがあれだ。
災難だったな。まだどうするか決めてないんだろう?
どっちにしろ、長い付き合いになりそうだ」

 そう、どちらにせよ村上はまたこういう事に巻き込まれる。
 講習を受けようが、記憶を消されようが、なにもせず見なかった事にしようが。
 
 
「いやこっちこそ手間かけさせちまったみたいだ。すまん。
聞いてみたいんだが、いいか?」

 魔術師とやらはいけ好かない奴らだが、一応助けてくれたこのおっさんに当たっても仕方が無い。親切そうでもあるし。


「ああ、すぐすむような事ならな」
「魔術師って楽しいか?」

しばらくの沈黙。
おっさんの顔にはさまざまな色合いが同居している。
誇り、喜び、自嘲、後悔。
おそらくだが、自身が魔術師となって以降の人生を振り返っているのだろう。

「楽じゃないな。まあ、俺の場合好きでやった事だ。
参考にはならんよ。
講習だけ受けて、巻き込まれたら邪魔にならないでいてくれればいい。
それで十分さ」

言葉そのものよりも、おっさんの表情が魔術師という職業について教えてくれた。
楽な職業などない、しかしやりがいがなければ続けていない、と。

「なるほど。ありがとう」

美少女が固い表情で近づいてくる。
まずい、あれは言いたいことが向こう1時間はありますよ、という顔だ。
初対面の俺に説教をされても困る。

「ガンドールさん!いいですか、一般人は早くこんな事を忘れるべきです。
関わってはいけません。好奇心で魔道に手を出すと……」

 おっさんが何か呪文を唱えると美少女の視線が徐々に俺から外れ、明後日の方向に向かう。
美少女はそれに気付かず何もない空間に説教をしている。

「おい少年、さっさと帰れ。先が長くなるぞ」
「おう、すまん」

 おっさんが魔法使い的スキルを使ったらしい。美少女は俺に気づいていない。
俺はご好意に甘えて退散させてもらう事にした。





 人生に重くのしかかるあれやそれやを抱えて帰宅した村上を出迎えたのは、正装した父と母だった。
 あ、バレたな。
 そう思った。
 親子の間の暗黙の了解、家族の中でだけ通じる記号。
 あるいは単に絆。
 それらすべてが両親がすべてを知っていると物語っていた。

「飯は外で食ってきたよ、母さん」
「それは良かった。このような服装(なり)では、食も進みませぬ。
夏彦、疲れているでしょうが、まずは座りなさい」

 和服の母は、しずしずとリビングに戻っていく。
 今日という日は終わりまで長くなりそうだ。
 布団(パラダイス)までの道のりは遠いと彼は覚悟した。


 とりあえず、という形で茶と菓子が出されたリビングで村上は両親と対面した。
 あご鬚を蓄えた父は威厳を最大限にまとって切り出した。

「夏彦。何があったかは知っている。魔術に関わったな」
「それで」

 疲労と共にでるのはその言葉。
 もう好きにしてくれ、と思う。
 今日という日は波乱が多すぎた。

「俺はお前がやりたいというならば反対しない。
やりたくないというのならば、悪いがもう降りることはできない。
無理をせずに最低限だけ関わればいい」

 いつもの父親らしくない、弱気な発言だった。
 その口調にはわが子を守りきれなかった親の苦渋がにじみ出ていた。

「それで、どうする」

 覚悟はもうついている。家族まで手を回された。
 どうせ逃げられないと解っていた。
 毒食わば皿までだ。
 しかし、聞いておくべきことは聞くべきだ。

「なんで僕は降りれないんだ、父さん」
「私たちも魔術師だったからだ。そしてお前は特殊な立場にいる。
馬鹿らしいと思うかもしれないが聞いておけ。
隠し続けるよりは、真実を聞いて覚悟するんだ。
お前は上から期待されている。
理由はくだらない予言だ。
私たちがそれを信じているかどうかはもう問題じゃない。
嘘だろうが本当だろうが、それを信じている奴が一定以上いるんだ」

 連中の都合、連中の信じている言説、連中の世界観。
 真実であるかどうかなど関係ない。作られた言説の中の世界。
 家族ごと、このAXYZの価値観の中で振り回され続けなければならないのか。
 いや、そんなことは最初から決まっていた。
 自分たち家族がAXYZにいる時点で、真実両親が魔術師であるならば、両親はきっとAXYZに屈したのだろう。
 もはや誰も自分を守ってはくれない。
 覚悟を強める。身を守るから覚悟から、一人でも生きていける覚悟に。
 家族を守る覚悟に。

「その予言とやらを真に受けておまえを狙う奴もいるだろう。
できる限りは守るが、保障はできない」

 嘘でもいいから守るといって欲しかったが、
 これが父の誠意であると親子を十数年続ければわかってしまう。

「予言……予言ってどんなんだ。僕はどうなるって言われてるんだ」

 父親は茶で口を潤して、しばらく覚悟を決めた後、慎重に前置きして言った。

「いいか、これはあくまで連中が言っているだけだ。
それに予言というのは外れる可能性もあるものだ。
というより、未来はひとつの方向に決まっていない。
そうならない可能性があると十分理解した上で聞くんだ」
「でも、連中は信じているんだろ」

 父は苦みばしった表情でそれを無視すると、その言葉を言った。
 言えば戻れないと知ったうえで。

「お前は、革命家になるらしい。それも日本中を巻き込むような。
魔術師がいかに血なまぐさい連中か、さわりだけでも知っているだろう。
実態はもっとひどい。正直にいえばお前に関わって欲しくない。
だが、連中はそれを信じてお前を戦いに狩り出すだろう。
関わらないというのはもうできない。
向こうからお前を狙ってくるからな。
だが、抜け出せないわけじゃない。
少なくとも、俺はできる限り戦う。
お前はお前のやりたいようにしろ」

 父親は村上が非常識の世界、魔術に関わりたくないという願いを持っていることを十分にわかっていた。
 だが、村上が同じくらいAXYZに対する反発心を持っているとは思っていなかった。
 父は彼がそこまで強くなっているとは思っていなかった。
 実際、村上は昨日まで迫り来る非日常な毎日に心が折れていたのだから。

「お前がどうするかは、すぐに決めなくていい。今は悩めばいい。
俺からはそれだけだ」
 
 託された自由が恨めしかった。
 そのやさしさが苦しかった。
 いっそ「やれ!」と言われればあきらめもついただろう。
 だが、今までの経緯を知った上で自分たち家族がずっとひざを屈してきた事実を考えると、
 ここで怒らなければ男ではない、と思う。
 何に?両親にではない。
 両親をこうまでみじめにさせ、自分を追い詰めたAXYZに対してだ。
 革命家?都合のいい兵隊とでも思っているのか。
 この無力な自分を捕まえてゲバラにでもする気か。
 それとも、勝手に敵だと思って襲撃でもする気か。
 いつまでも従えられると思うな、俺は駒じゃない!
 その思いが膨らんでいった。
 だが、両親の心配、今までのうんざりする経緯。
 それらを含めて、憤怒と共に覚悟を終える。

「やるよ。やるしかない。逃げられないんだろ」
「ああ」

 母が少しだけ間を持って話した。独り言のように。

「あなたが選ばれてしまったのは、その体質にもあります。
あなたは極端に魔術的な洗脳に対して強いのです。
ですが、その力は機械で代換のきくもので、
たとえあなたが今力を振るおうとしても、なんら助けにはならないでしょう」
「母さん!」

 その言葉は父のものだったか、自分のものだったか。

「だから、あなたは予言に従わなければならないというわけではありませぬし、
従うにせよ、抗うにせよ、今すぐ戦おうとはしてはなりませぬ。
今だけは……」
「もういい!疲れたよ。寝ていいかな」

 限界だった。これ以上の新事実は受け入れられそうにない。

「ああ、今は休め。疲れただろう」
 
 母をさえぎり父が言った。

 ベッドに体を投げ出し、冷静に考えてみる。
 どうやら俺もとっくに非常識組みの仲間入りをしていたらしい。
 このAXYZにはもはや逃げ場はない。
 家族ごと身柄を押さえられている。なんとなればどんな武力行使だって相手は可能だろう。
 しかし母の発言を鵜呑みにすればおそらくは日本中どこにでも俺の追っ手はいて、
 もっとも安全だったのがここだったんだろう。
 すでに相手のまな板の上で暮らしている以上、結局選択肢など残されてはいないのだ。
 
 俺の行く手には困難と危険がどうしてもどいてくれないらしい。
 ならば俺に必要なのは力だろう。
 知識は力だ。無知は弱さだ。
 混沌とした現状という暗闇を照らすともし火こそが知識だと俺は思う。
 早いうちから内部に入り込んで有利な立場を作っておくべきだ。
 ならば俺は講習を受けよう。
 知らずにいれればそれでもよかったが、現実はそれを許してはくれないようだ。

 
 この場所で自分の味方は見つかるだろうか?





一夜が明けた。人生に何があろうと夜は明ける。

「狂ってるよ。何もかも。ああ悪い夢だ」

 村上が一人誰にも聞こえないように教室の中、机に伏せながら呟く。
 こうしていると落ち着く。外界の出来事を気にしなくてもいいから。
 今空にUFOが群れを成して飛んでいようと、もはや知ったことか。
 狂った教室の出来事はシャットアウトする。
 何、今更自分一人が寝ていても誰も気にしないだろう。
 だが、村上の自暴自棄な現実逃避は、やはり叶わない。
 耳元で女子の声がする。

「気づいているのかい、どうやらこの教室でまともなのは僕等だけのようだぜ」

 ちらと見ると、遠くの席の女子がケータイのようなものをこちらに向けて、寝ている。
 たしか、やたら科学の成績が良い、野井とか言う奴だ。
 噂じゃいろんなメカを自作しているらしい。
 あの機械もそういったものの一つなのだろうか。

「これは、指向性マイクとスピーカーだ。要は高性能なものだと思ってくれればいい。
聞こえたならば、何か言ってくれ」

 確かに教室の連中のようにおかしくはなってはいないが、
これはこれでまともじゃない。
 そもそも、話が通じるかどうか疑問だ。
 一見正気のようでいて、実はおかしいというのはなんども体験してきた。
 しかし、現状を打開するのに、一人ではどうしようもないのもまた事実だ。

「ああ、聞こえてるよ」
「OK、感度は良好のようだ。
君は今、クラスの連中がおかしくなっているのは解るよね?」
「ああ、まあな」

 両者、机につっぷしたままの会話である。

「僕ならある程度説明がつけられるかもしれない。信用してくれとは言わないよ。
ただ、知りたいだろう?」
「あんまり知りたくねえな・・・・・・知らなかったらヤバイのか?」

 実際、村上はあまり知りたくなかった。この禍々しい出来事に関わりたくなかったし、
 できれば嵐が過ぎ去るのを頭を低くして待っていたかった。

「それなりにやばいだろうね。君も「転校」してしまうかもしれない」

 村上は必要な点だけ質問する事にした。

「これはほっとけば収まってくれるのか?そもそもこの状況はいつかなんとかなるのか?」
 村上にとってはそれが重要だった。真相を覗く勇気はなかった。
「そりゃ、ある程度時間があればね。でも、それまでに僕等が無事である保証はないよ」
「じゃあ、お前ならなんとかしてくれるのか?」

 真相を知ったとしよう、だがどうにもできないのであれば、知らなかったことと大して変わりはない。

「この問題が収まるまで、無事にいられる方法を教える事くらいはね」
「じゃあ、教えてくれ。事の真相って奴を」

 村上は、結局足を踏み入れる事にした。
 嵐が過ぎ去るのをただ待っていればいい状況ではなくなった。
 放っておいても、天気はよくならない、ならば雨の中を進むしかないのだ。
 なんなら、踊ってもいい、自由を体現したければ。

「じゃあ、放課後にモスドカフェで会おう」

 小学生には随分とハイカラな場所であったが、彼女の雰囲気には似合っていた。
 しれっと、オシャレな喫茶店にいてもおかしくない図太さがある。

「解った。俺は寝る」
「お休み、村上君」

 とりあえずこの場では、道しるべを得た。だが次はどうか解らない。

                ◆

 地下街を歩き、二人はモスドカフェに入った。

「さて、場所を移したわけだが、聞かせてくれよ、事の真相って奴を」

 モスドカフェはそこそこ上等なコーヒーを出すファーストフード店だ。
 全体的に、垢抜けてはいるが、どこか冷たい都会らしいたたずまいである。
 店内には窓は一つもなく、熱帯魚の泳ぐ水槽や、代わりに薄暗い間接照明、ほの暗く発光するネオンがあった。
 この薄暗い店内の様子は、AXYZでは商店は全て地下にあり、ここのカフェも同様であるからだ。

「まず種明かしをしよう。これは知ってる?」

 野井はペンを取り出しナプキンにいくつかの図形を書いて見せた。
 中にはあのHALのマークがあった。

「こいつは知ってる、会ったよ。解った、腹を割って話そう。
お前は魔術師か?俺は昨日魔法について知ったばかりの素人だ」

 下手に知ったかぶりをするよりは、素直に無知をさらしてみよう。
 思わせぶりなことを言って厄介な誤解を招いても困る。

「僕は魔術師じゃない。
魔法を使えるし、知っているけど、どっちかといえば魔術を解析する科学者であり、技術者だよ」

「じゃあ、お前はあの予言とやらを真に受けてる奴か?」

「今の君にはそんなに期待して無いよ。ただ、知って欲しいだけだ」
「そうか。それで何があったんだ。クラスの奴らも魔術師なのか?」
「そうだよ、ほとんど魔術師だ。先生もね」
「つまりここはホグワーツだったってわけか」
「どっちかっていえば、傭兵訓練学校じゃないのかな」
「同じだろ」
「君もそう思う?」
「で、事実ってのは何だ」
二人してつめたいコーヒーをがぶのみする。
一息ついて野井が話し始める。

「今起こっている事は、裏に絡んだ事件に君がたまたま巻き込まれたってだけさ。
先生が敵の工作員にたぶらかされて、
催眠術じみた裏の技術って奴を使って生徒に暗示をかけてるんだ
まあ、背景では権力闘争とかいろいろあるんだけど、その辺は気にしなくてもいいよ」

 野井の主観が入った意見ではあるが、概ね事実である。
 あえて、信じ難いであろう魔術関係、AXYZとLUXの関係ははぶいている。
 彼女は、自分自身のスキルである電子機器による盗聴、盗撮によりそれらを知りえた。
 村上はじっと野井を観察し、嘘は無いと判断して、ただ聞く側に回る。

「・・・続けてくれ」

 重々しく野井を観察する村上、それを面白そうに観察する野井。

「おや?動揺しないね。まあ、そうかもしれないね。
多分、前々から何か違和感を感じてたんじゃないかな?」
「まあな」

 事実であり、内面に秘めていた事を言い当てられたと感じるが、
 「事情」を知っていればまあ類推できることだと納得した。
 全ての判断は後回しにして、今は与えられた情報を吟味する。
 村上はここまでの情報で、野井がかなりの情報収集スキルを持っていると分析していた。
 違和感しか感じない世界の中で、彼はただひたすら平凡を装って生きてきた少年だ。
 動揺も、悲しみも、苦痛も、顔に出しても意味が無いと思っている。
 それで状況がよくなった事はなかったし、これからなんて解りはしない。
 ただ、こんな時、「普通」ならどう反応するだろうか、
 どう反応するのがより自分に有利か掴みかねていた。

「それはね、君が犯罪に近い体質だからだ。
より正確に言えば、精神操作が一切効かない体質かな?
裏社会の奴等は、一般人を巻き込んでしまった場合、
その記憶を消去してもとの日常に戻らせるし、
そもそも、一般人はうかつに裏に関わらないようにしてるんだ。
さりげない交通規制とか暗示とかも使って違和感を感じないようにしてね。
でも、君はそういうのが効かないらしい
予言に選ばれたのは、その体質のせいでもある
その体質の人間が英雄様とやらになるんだってさ」

 なるほど、周囲はおかしかった、
 しかし自分も気づかぬうちに同じくらいおかしくなっていたらしい。
 全力で逆方向に走っていたら、ベクトルは逆でも、絶対値は同じになっていたのだ。
 だが、今までの話は全て前提条件、枕に過ぎない。
 彼としては、状況を把握したならば、その上でどう対処すべきかを話したかった。
 このへヴィな状況で、ノーリアクションはありえないだろう、村上は静かに計算する。

「まあ、そういうわけで君はこういう事に関わりやすい。
信用してくれとは言わないよ。ただ……」

知ったことか、村上にすればそう思う。
どの道、力の無い自分では抗えない。今はまだだが。

「前置きはそろそろ終りにしようぜ。俺はどう身を振ればいい?」

 そんな村上の寒々しい心を見抜いた上で野井は悠々と選択肢を提示する。

「そう、結局はそこが問題だ。
君には二つの選択肢がある。
裏に関わるか、全てを見なかった事にして関わらないか。
裏に関わるなら、戦場に迷い込まないくらいには処世術を教えるよ」

 野井は平然と、村上はため息をはきながら、お互いに解っていた選択肢を吟味する。

「見なかった事にしてこっちから関わらなくても、どうせそのうち巻き込まれる。
どっちにしろ、関わるしかないんじゃねえか。
関わったら平穏なんてなさそうだし、これで俺の人生計画は白紙だよ、凹むぜ・・・・・・」

 村上の言葉は嘆きはあったが、動揺はなかった。
 むしろ来るべき時が来てしまった、と思った。
 いつか自分は、この違和感だらけの状況に対し、
 どう対応するのか、決定しなければならないだろうと思っていた。
 その時に、導いてくれる者がいるだけマシだと思うことにした。
 元より誰かが導いてくれるとは期待していなかったから。
 ネオンがじわり、と色を変える、青から緑へ、緑から白へ。
 おしゃれな木目調の内装が寒々しい。


「別に選択を強要したわけじゃないんだけどね。
つまり関わるって事でいいのかな?
まあ、関わるって言っても、戦場にでないあり方だってあるさ。
ひょっとしたら、平穏に暮らせるかもしれない。
どういうスタンスをとるのかは、君次第だ。
言っておくが、僕はデメリットを隠さないし、嘘だって言わないぜ。
騙し無しの限りなくフェアな取引だ」

 ここで、野井の頼んだドーナツが届き、飲み下すように野井は平らげる。
 村上はコーラをすすると、息を大きく吐き、同意のジェスチャーをする。
 ごぼり、と水槽に泡が立ち、色鮮やかな熱帯魚が水中に舞う。
 暗い室内に開けられた水槽の窓は、どこか潜水艦を感じさせた。
 冷たく静かな海に潜っていく感覚、冷えた二人。

「OKOK、俺だってそこまで話のわからない男じゃない。
ここでお前が『嘘はついて無いから悪く無いもん』とかふざけた事を言い出す奴なら、
俺は喜んでフェミニストの敵になっただろうよ。
だが、あんたはわざわざ手間をかけて話してくれた。
俺はもう巻き込まれてんだ。逃げようが無いくらいにな。
事ここに至ったなら、もう見なかったことにはできねえよ。
なにより今のままじゃ、ジリ貧だ。
今はとにかく力が欲しい。
良い様に振り回されないような力がな」

 村上の言葉には熱がともりだしていた。
 この閉塞感と違和感を打ち破る手掛かりを得たのを彼は感じた。

「そのへんのアフターサービスはするよ。
とりあえず自分の身は自分で守れるくらいになってもらう」
「ああ、よろしく頼む」
 やがて、暗い潜水艦の中のようなカフェから二人は出るだろう。



[30579] 1988年村上編「機械は笑う」その7
Name: 件◆c5d29f4c ID:ba8988f3
Date: 2012/07/14 12:46
AXYZ、「学園」職員用喫煙室。

 全てが地下に作られ、地上は広大な森林となっているAXYZでは喫煙室の存在は必須だ。
 そして、喫煙室の存在は職場の愚痴に必須だ。
 ここでも、スーツ姿の男たちが肺をいたぶり、脳にニコチンの気合を補給していた。
「やばいっしょ、あれ・・・」
 椅子に座って液晶画面の青空を見つめるのは三年目の新人、山本五郎だ。
 20代の若さが抜け切っていない青年だ。
「沢渡か?」
 答えるのはブライト・ガンドール。
 無難に闘争と犯罪の世界を渡りきる50代の教師だ。
「LUXの奴等、カチこんできたんでしょ?
なんか若い娘やら美形の餓鬼やら、三桁くらい。
あんなハニートラップ、あるんですかね、
なんすかこれ、強行潜入ハニートラップって。
どんだけ開き直ってるんですか」
 この時点で、百数十人の恵比寿宇津保のような
『LUXから亡命してきたと本人が思い込んでいる自覚なしのハニートラップ』は、
HALによって恵比寿宇津保以外全てが捕獲され、ハニー・ニダスという疫病を治療され、無害な一般人にされていた。
 このLUXによる大量亡命偽装事件はすでにAXYZの裏では周知の出来事となっている。
 ただし、その情報の中に、天野黒星の名前は存在していない。
 それだけは侵入の事実をもみ消された。
 士気と信頼に関わるからだ。
「上の連中が動いた。その三桁は一桁から一人までに減らされたらしい。
あれが残ってるのは・・・・・・政治に絡んでいる。安易に関わるな」

「上が動くなっていってんすか?責任、丸投げしちゃっていいんですかね。
僕等もなんか動いとかなきゃまずいんじゃないですか」
 しばらく沈黙が流れ、紫煙が空中に遊ぶ。
 空気は、重たかった。

「責任取らされるってリスクで動くな、
プロ意識っていうのはそんなんじゃないだろう。
必要だと思ったら相談してからやれ」
「だから、今相談してんじゃないすか・・・職員会議じゃちょっと言いづらいでしょ」
 視線は交わる事無く、紫煙を追っている。
 じゅ、と灰皿に吸殻が落とされた。

「・・・・・・準備はしておけ、多分、そう遠くなく、狩りになる」
 ガンドールは遠くを見てぽつりと言った。
「なりますか、やっぱり。それは引率で?それとも僕等だけで?
いや、上の連中が出張ってくるのかな・・・・・・
やっぱり、どれも考えて準備しといたほうがいいんですかね」
 どちらともなく吐き出された紫煙がコンクリートに染み渡る。
「上はこの件で、俺等に花を持たそうって考えかもしれん。
いや、勘だな。この食べ残しは、俺等が処理しそうな気がする」

 山本は活気を取り戻したかのように事務的に語る。
「ガンさんの勘なら当たるでしょ。
とりあえず、見つからん程度に、準備しときますわ。
グールハントの感じでいいんですかね」
「レベル30代は見ておけ。多分パーティーは3PT以上、遠距離戦だろう」
 ガンドールの口調は断定的だった。
 それは実際には、幾多の経験とそこから育まれた直感によるものだったが、
 山中にとっては確信を抱かせるに十分だった。
「ガンさん、なんかつかんでるんですか?」
「言えると思うか?」
 視線が交錯する、ジジ、と安物の蛍光灯が点滅した。
「そうですよね・・・・・・」
 重い、重い沈黙。
 それを破ったのはケータイの着信音だ。
『もしもし、ガンドール先生かな?
<新世代>として頼みたい事があるんだ』
 野井である。
 自らがHALの直参であると示した上で、彼女はガンドールに連絡をした。
 彼女の権限は、この瞬間、大幅に増大する。
「動いたぞ、山中」
 ガンドールが静かに告げる。

               ◆

 恵比寿宇津保と同時期にLUXから亡命した少年少女たちが捕獲されたと、
沢渡が知るのは喫煙室での会話の少し前である。
 職員室の噂話を盗み聞きしたのだ。
 いまや彼は職員の間で孤立していた。
 そして、その事を自覚できる程度にはまだ彼の頭は働いていた。
「宇津保、そろそろ感づかれたかもしれない」
 彼は帰宅するなりそう言った。
 ひやり、とした空気が小洒落たマンションに走った。
 来るべき時が来た、そういう認識が二人にはあった。
 人形のように白く硬質な顔で宇津保は手早く切り出した。
「荷物は用意してあるわ。脱出は地上ルートから?」
「そうしよう、地下はもう張られているかもしれない
 沢渡が空虚に呟く。
「すまない、治療法を見つけられなくて」
 宇津保はただ優しく答える。
「いいの、言わないで」
 そうして二人は日が落ちるのを待って逃亡を開始した。

               ◆

 同時刻、裏の生徒たちのケータイに一斉にメールが配信された。
クエスト受注メールである。

彼ら、魔術や戦闘術を学ぶ学生達は、時折こういった任務の依頼が出され、
クリアすれば相応の金銭や装備といった報酬がもらえる。

 クエストは志願制で、装備も貸与される。
「学園」と「生徒」は丁度、冒険者とギルドのような関係なのだ。
「依頼」を受けるかは本人次第。
 報酬は金銭や装備のみで、学業にはあまり影響しない。

 この辺りのレギュレーションには、HALの意志が絡んでいる。
 LUXでは露骨に戦闘力と成績が同一視されているからだ。
 HALは脳筋人間を量産する気はさらさらない。
 むしろ、戦闘を生業とする一族を何世代もかけて堅気に戻すためだけにAXYZを造ったのだ。

 学園の近くの地下通路で結ばれた巨大なホール、
そこに数十人の学生、教師達が集まっている。

 それは壮観な光景だった。多種多様な武装をした学生達が巨大なホールに集まっている。
大半の者が、アサルトライフルやショットガンを持っている。
中にはわけのわからない刀剣類や槍を持つ者も少なくない。
 手にはスマートフォンのような「魔法の」装置、MAOSがくくりつけられている。
 魔力も祭壇も呪文すらいらないたった一つの魔法発動体。
 まさに悪魔の発明。
 それがAXYZの専売特許だった。
 防具はドラゴンスキンと呼ばれる最新の防弾チョッキをつける者から、
儀礼用と一目で解るローブや袈裟、巫女服、道師のつける衣装などを着るものもいる。
 中には全身が装甲に覆われ、フルフェイスヘルメットを被った、変身ヒーローのような者もいる。
 世界観から時代までバラバラな、ゲームの中の装備のようだった。

               ◆

 その光景をやや上の席から見る野井と村上。
「壮観だろう?これがこの学園の正体さ」
 村上は呆れたように野井に言う。
「なんでもありだなオイ。銃刀法とかはどこにいった?」
 実際、銃刀法にはモロに違反している。
装備そのものは免許さえあれば所持が可能なものだが、
彼らはまだ免許を取れる年齢ではない。
「超法的措置って奴さ。ここは非公式な治外法権なんだ。
街一個ヤクザの事務所みたいなものなんだよ」
「最悪だ」
 その治外法権の根拠はHALの根回しによって行われた、いくつかの法案にある。
AXYZやLUXのような「学園都市」を「特区」として扱い、
その中の条例の権限を強くするといったものだった。
 しかし、その条例から言っても、ギリギリで黒のラインだ。
「でも、実際にあのくらいの火器で追い詰めないと勝てないだろうね」
 彼らの持つ銃器は多く警察や軍隊、狩猟用のものだ。
 つまりは、マンハント専用の代物ばかり。
 M14といった米軍払い下げのアサルトライフル、
ウェザビーマークV、狩猟用の象撃ちライフル、
レミントンM870、警察用ショットガン、etc、etc。
 どれも猛獣や犯罪者を相手にするような代物ばかり。
「どんなバケモノだよ。シーハルクか?」
「そこはそれ、最近の流行と同じさ。見た目は美少女らしいよ」
 野井と村上はスタジアム席でコーラを飲みながら談笑する。
「そりゃすごい、笑えないな」

「結局来ちまったのか、村上夏彦君」
 スタジアムの後ろの席から、バリトンの声がする。
 村上はぎょっとしながらゆっくりと振り向く、極自然に。
 角刈りにした背の高い黒人、ブライト・ガンドールだ。
「ああ…まあね。あんた、先生だったんだ?」
「まあ、そういうことだ。今回は見学だけしとくといい。
さわりだけでも感じる事はできるだろう。
詳しい事は、落ち着いた後に話し合う。
それまでパンフレットに目を通しておけ」
 ガンドールもあえて深く追求はしない。
 堅気からこの世界にいきなり放り込まれた者には珍しくない反応だからだ。
 村上の銃と魔法の世界に対する忌諱感がガンドールには透けて見えた。
 村上はガンドールから差し出された薄いパンフレットを手に取り、流し見る。
 表面にはポップなイラストが描かれており、それだけならば、
新作MMORPGの宣伝冊子のように見えた。
 実際に、「依頼」や「魔法」「戦闘技能」についてのページは、RPGのようなシステムで成り立っている。
 表向きは部活という事にして、「剣士」や「魔法使い」「格闘家」「バード」といった「クラス」を取得するという仕組みだ。
 「依頼」についても部活動の一部という扱いになっている。

               ◆

 ちらほらと村上にも見覚えのある顔たちが話している。
 学校で見知った顔だ。それが今や銃を持ち、民兵のように振舞う。
「今回はマンハントかー、相手は二人だっけか?大掛かりだな。ボスクラスなのか?」
「マンハント?未成年じゃ参加できないだろ」
「緊急クエストだ。基地内に入られてるからな。今日限りの大盤ぶるまいらしい」
「アデプト(達人)級なのは間違いないらしいぜ。もう一人はLUXの洗脳型だって話だ。
装備はこっちのをかっぱらってるから、多分銃は撃ってくるだろうな。
魔法も能力もありだろ。
近接戦闘が都市殲滅級らしいから、前衛は先行しないほうがよさそうだ」
「で、お前装備はどうするよ。今のスキルで装備できるのはMAOSとライフルくらいしかねえよ俺」
「お前それ初期装備じゃねえか、大丈夫か?
経車弾がオススメだな、フルメタルジャケットにしとけ」
「何、弾選ぶの?ならショットガンだよ。ライフル持ってるならできるだろ。
貸してやるから。支給されたばっかで依頼でるなんて冒険しすぎだろ。
とりあえずスラッグとバックショットがあればなんとかなる」
「いや、とりあえず弾をばらまけば勝てる」
「だーかーらーそれは分隊支援火器の話だっつってんだろ。ライフルの話してんの俺等」
「やんのかコラァ!」
「おーい、魔法売ってくれよ。俺ヒーラーなんだ。加護系が欲しい」
「まずどの系統のをやってるか言ってくれんとわからん。
神道系と陰陽道系ならある」
「あー、道教系とは互換性ないか?」
「あるけど食い合わせ悪いぞ、っていうか道教ヒーラーって仙人目指してるのお前」
「エンチャントやるよー、多神教系集まれ」
「カソリックとハイ・マジックはこっちな。儀式魔術(リチュアル)やるぞ」
「種無しパンってほんと味無いのな・・・」
「俺洗礼受けて無いから食えねえわ。見た目旨そうなのにな」

               ◆

「軽いノリだな、こりゃクラスの奴等がぶっとんでもおかしくないぜ」
 彼らには、日常と戦場の区別が曖昧になっているのだ。
 戦場のポテンシャルで、日常を過ごす。それはどうしても堅気との差異を生み出す。
 いずれ誰かが『日のあたる場所で魔法を使いたい』と言い出すように仕組んだ罠。
 いずれ誰かが『何かを隠している』と叫びだすように仕組んだ罠。
 それはHALの政策であり、希望だった。
 AXYZは魔術師にしぶとく根付く隠匿意識を減退させるために造られた罠なのだ。
 野井はそれを知った上で答える。
「まあね、回復アイテムが発達しすぎて敵も味方も死にやしないんだ。
死の実感が希薄なのさ。
デオドラントされた戦場では、日常との区別が曖昧なんだよ。
でも、やたら剣呑でいかつい奴等ばっかりよりはましだと思うけどね・・・・・・
治安維持という面では不安しかないけど、
彼らは放っておけば暗殺者のように育てられたはずさ。
教義で頭がパーになったアサシンと、ごっこ遊びの戦場、
どっちがマシかって話なんだよ。
ちなみに、上層部は後者を選んだらしいね。
『子供に殺しを教えるよりはマシ』なんだってさ」
「いや、客観的に見て今でもパーだぞあいつら」
「まあ、そうだよね。でも今は過渡期らしいよ?
彼(HAL)はいまいち気が長すぎるんだ」
 ん、ん。と背後で咳払いがする。ガンドールだ。
 彼は声を潜めて野井に囁く。
「HALの秘蔵っ子か何か知らないが、あんまり横紙破るような真似はするなよ。
何をする気だ?何を見ている?」
「僕なりのヴィジョンだよ。あとはちょっとしたヴィジランテの真似かな」
「バットマン気取りか。好きにすればいい。
正直に言えば、私はこの国の未来だの、真理の世界だのわけわからんものには興味が無い。
私の興味と言えば、退職後の楽園と、今日の仕事だけだ。
それが保障されれば何も言う事は無い。お前の政争に巻き込むな。
私の言いたいことは解るな?」
「迷惑はかけないさ。でも、やらなきゃいけない時もある」
「お前はだいたい命がけの上自己責任でやるから文句はつけづらいが・・・・・・控えろよ」
「必ず、とはいえないね」
 チッとガンドールは舌打ちして離れる。これ以上は言っても無駄だと感じたらしい。

               ◆

 村上は温度の下がった目で野井を見る。
「お前、なんか背景(バック)があるのか?」
 違和感が明らかになった。
 村上は野井が特別な位置、下にいる生徒達とは違う位置にいると確信した。
「まあ、スポンサーって所かな。
いろいろ協力してもらう代わりに、こっちは発明品を売ってる関係だよ。
ただ使い走りになる気は無いけどね」
 野井は当たり前のように返す。
 今更過ぎると言わんばかりに。
「発明品・・・ってどんな」
「最近じゃ、劣化世界樹(アルラウネ)とかかな、
品種改良から機械製作までなんでもやるよ。
そういうのが僕の売りなのさ」
 劣化世界樹。
 土壌改良を行い動物達の餌となる実をつけ、さらには魔力を生産する。
 里山維持用の樹木、つまりは生きたテラフォーミングマシン。
 そんな非常識な発明がAXYZの企業から発表されたのはつい半年ほど前だ。
 そしてAXYZ地表部の森林には数年前からすでに植えられていた。
 つまりは、そういう事情だ。
「お前もあっち(非常識)側なのか・・・・・・」
 魔法も殺人技術も無い、しかし世界を異形化させる発明品を生み出すものは
 もはや一般人ではない、異能者だ。
 少なくとも村上はそう思う。
「ちょっと頭が回るだけさ。パワーバランス(勢力図)ではまた別だよ」
能力で言えば、まさに魔法使い(ウィザード)だが、
野井は彼らとはまた違う地位(ヒエラルキー)、
派閥(ポジション)にいるのもまた確かな事だった。
「まあいいか、それより、俺は何をすればいい?見てりゃいいのか?」
 村上はそれ以上の深入りを止め、話を切り替えた。
 知ってもどうしようもない。
 知っても意味が無い。
 野井の言ったその言葉の意味をよく理解したからだ。
「今回は見てればいいよ。どんな感じか解ると思うから。
チュートリアルって奴だね。
参加するかどうかは君次第だけど、訓練は受けてもらう事になる。
安心して欲しい、ハートマン軍曹みたいなのはないから」
 村上は多少達観した精神があるとはいえ、まだ子供である。
 体育会系のしごきはごめんこうむりたかった。
「それを聞いて安心したよ。まあ、身を守れるようにならなきゃだからな。
覚悟はしてたさ」
「いい心がけだね。さ、始まるよ。僕等も行こう」
ざわざわとした講堂の喧騒は静まり、隊列が組まれる。
 狩りが始まるのだ。

               ◆

 隊列の先、講談の上に美少女が立っている。
 長い黒髪に眼鏡、黒いスーツ姿だ。

「みなさんお集まりいただき、ありがとうございます。
現在判明した情報によると、敵主戦力は二人。
彼らは2-Dの生徒16名に対して、殺害を企てている可能性が濃厚です。
また、彼らは男女二名。20代後半の青年と十代後半の少女です」

 ここでプロジェクターに沢渡と宇津保の姿が写される。

「彼らは男爵級悪魔の憑依により洗脳を受けており、
説得は不可能です。よって制圧を前提にして作戦を行ってください。
制圧後、治療班が彼らを「治療」します。
あなた方には、彼らを無力化してもらいます。
予知によれば援軍は無く、彼らのみで16名の殺害を行うとされています。
手段は、催眠の可能性が高いでしょう。
彼らは、学園の教師に扮して、生徒を襲うというヴィジョンが見えました。
そのことから、MAOSをすでに強奪している可能性が高いでしょう。
足止めとして使い魔の使役や、重火器による遠距離攻撃が予測されます」

 全てはフィクションだ。
 隠蔽用のカバーストーリーに過ぎない。
 学園では、予知能力者による予知という形で依頼を出す。
 犯罪が未然に起こる前に食い止める、あるいはすでに起こってしまったことを遠隔視で知りえたなどと誤魔化す。
 そして大概がもうすでに取り返しのつかない事態であり、もはや殺害しかない。
 それが決まり文句のように付け加えられる。
 あるいは、とりあえず取り押さえれば「治療」が可能であるという場合もある。
 この場合、取り押さえるとは後で回復できるから、殺す気で攻撃しろという意味だ。
 哀れにも操られてしまった被害者を助けようなどと考える者から、
 事態の馬鹿馬鹿しさを悟って辞めていく。
 情報源が曖昧である事は、時に質問を許さない最強の切り札(ワイルドカード)となる。
 特に「権限を握る当局」にとっては。
 同じことを野井は村上に説明する。

「そういうことなのさ。全部カバーストーリーだよ。
予知能力なんてのも大嘘だ。単に監視カメラの情報をツギハギしただけさ。
洗脳されてるのをボコボコにして取り押さえた後「治療」して洗脳を外すっていってるけどね。
それは果たしてちゃんと元通りなのか、単に洗脳を上書きしただけなのかは、上の連中にしかわからないのさ。
まあ、どっちを信じようが、真実が何であろうが、公式にはあれが真実になるんだよ」
 
 野井はあまりにもあっけらかんと、諦観さえ混じった口調で語る。
 それに対し、村上は嫌悪感を隠さない。

「茶番だ。何もかも馬鹿らしい。
何が裏の世界だ、何が魔法だ。ただの詐欺師じゃねえか。
街全部を騙して、俺からも真実を騙し取った詐欺師だ」

 彼以外のすべてが騙されていた、それ故に彼は孤立した。
 彼の孤立も、孤独も、喪失も、全てが「隠蔽」によって引き起こされたものだった。

「それは彼らにとって誉め言葉にしかならないよ」

 だが、その事実こそが、AXYZの力を裏付けるものでしかないと野井は告げる。

「冷めちまったよ。馬鹿らしい。関わる意味なんてあるのか?
お前の言う事が本当ならな」

 街全てを騙して作り上げたものが、正義の味方ごっこだった。
 そんなものに関わる価値はあるのだろうか?

「少なくとも、彼らの暴力と、情報操作能力だけは本物さ。
君にかかる被害だって、本物だよ。君が味わった違和感も疎外感も本物だ。
そこを間違えちゃいけない」

 世界は張りぼてだった。日常は書割だった。演出家はその権限を持って存在する。
 しかし、そこで体験した苦痛だけは事実だ。

「俺は茶番につきあって一生を終えるのか?もううんざりだよ。うんざりなんだ」

 武力を背景にした壮大な茶番。
 その中で生きていかねばならない。
 村上はそれを理解した。
 理解したが故に、彼には多大なる徒労感しか残らない。

「でも、君には自衛の手段が必要になる。
まあ、これから行われる事を見れば解るさ。
話はそれからでも遅くは無い」

 野井は茶番も欺瞞も含めた上で、確かに存在する脅威を語る。
 現実と言う刃を傷口に押し当てる。

「帰りてえよ」

 村上は、今ひたすらに暖かい布団(パラダイス)に焦がれていた。

               ◆

 その後も「予言」者を称する少女の説明と質疑応答が続くが、
 敵戦力と戦法以外はすべて情報が伏せられていた。
 当局に尋ねても無駄。
 それが彼らにとって当たり前となっている。

 その諦めが、村上にはたまらなく嫌だった。
 真実があると思った先には欺瞞があった。
 裏の世界の住民がいると思ったところには、
 欺瞞を唯々諾々と受け取る大衆がいるだけだった。
 嘘だ、全て嘘だらけだ。

 こうやって、16人のクラスメイトも消えたのだろうか。
 いずれ自分もこうやって消されるのだろうか。

 それだけは嫌だった。
 俺はここにいる。
 誰が何と言おうと、誰も認めなかろうが、俺は俺だ。
 俺はここにいるんだ。
 俺を見ろ、侮るな。
 無視できる存在と思うな。
 処理できる数字と思うな。
 俺を駒と思うな。
 いつか、お前の喉笛に噛み付いてやる。
 お前の眼に俺を焼き付けてやる。
 眼が乾くほど見せてやる。

「俺はな、ずっとこいつらの嘘の中で生きてきた。
こいつらが自分の都合で造った嘘の中でな。
それで、どうなったか知ってるよな。
ずっと隠し事をされて、挙句邪魔者扱いだ。
本当のことを言えば、なかったことにされる、俺の言葉が嘘にされていく」

 村上は自分自身の過去を語る。野井に知られているのは解っていたが、
 それでも今は語るときだった。
 野井は黙って聞いている。その瞳に笑いがあったのは気のせいか。

「それで、俺の私生活を無茶苦茶にしてついた嘘の先がこれか?
さらに騙されてるだけか?
ふざけんな。
俺が、死ぬほど求めてやまなかったものを盗んでいった奴は、
俺が欲しかったものを簡単に屑篭に入れるのか?
そうさ、俺はただの一市民だよ。納税もして無い餓鬼だよ。
だからなんだ?だから何だってんだ?
俺が、俺に何も力がないから、なにしたっていいってのか?」

 村上の血反吐を吐くような青い怨嗟に、
 野井は穢れが無い程に邪悪な瞳で答える。

「そうだよ」

 その一言は呪詛だった。
 村上は冷や水を浴びせられたように黙る。

「力が無きゃ、言いたいことなんて通せないよ。
だから、僕がきっかけはつくってあげる。
通したい筋があるなら、相応の実力を身につけるんだ。
・・・・・・使えない奴が何言っても、負け犬の遠吠えさ」
「くそっ」

 村上は膝を打つ。
 だが、その瞳には暗い炎が点っていた。
 彼を生涯かけて自由へと駆り立てる炎がこの時点火した。
 そして、その炎を見て、野井は計画が順調に行ったと満足する。
 彼女の煽りは存分に炎を燃え立たせる事だろう。
 そして、その炎はこの都市をいずれ焼き尽くすだろう。

               ◆

 黒星は駅のホームにあるベンチに座っている。
 地表部のほとんどが原生林であるAXYZと、東京を別ける、
 この「境目」にはAYXZへと通じる地下道の入り口と、
 東京へと繋がっている悲しいほど小さな寂しい駅が一つあるだけだ。

「オッケ超順調。狩りになったんならもう俺ちゃんいなくてもよくね?
あいつらは狩られて、運命は変わらない。
俺ちゃん大勝利ってわけよ」

 黒星はその能力の一つで、
 学生達が、宇津保と沢渡を「狩る」様子を見ている。
 あの白い地下の講堂で嘘に塗れた説明によって殺害が決められた様子も、
 沢渡たちが荷物を纏めてどこへとも知れぬ逃走劇を始めた様子も彼の脳裏には写っている。
 黒星のAXYZへの潜入の目的は、これが歴史上のターニングポイントになると知っていたからだ。
 だからこそ、転生者たち(つまりは未来の歴史を知る者たち)は宇津保たちの殺害を阻止しようとした。
 宇津保と沢渡が、何の問題も無くただ普通に幸福に暮らせるようにと願い行動した。
 しかしそれらの試みは天野黒星に、
この革ジャンにサングラス時代遅れのロックかぶれの男に物理的に阻止された。
 かくして、脚本どおりに宇津保は死ぬ。

「じゃあ帰るか。
みんなもこんなつまんない話はやめて、バットマンとか見たら?
ジョーカーさんとかマジクールだよね」

 黒星は日常と非日常の境界を歩き、AXYZに背を向けた。
AXYZに残り、火薬庫を占拠して玉砕する事が最もロックだと知りつつ、
保身を選び、それができない自分を蔑んで。

               ◆

「繰り返しになるけど、最終確認を行っておくわ」
整列した生徒の前に若い女教師が出てくる。

 たっぷりと時間と金を美容にかけたと解る、
 卵のようにつるんとした肌、プレイメイトのような体形、
おっとりとした顔の三十路前の女性だ。
 髪は栗色、服装はAXYZ魔術師の制服である迷彩服姿だ。
 折り目正しく銃をスリングベルトにかけて支え持っている。

「じゃ、現場レベルでの指揮を担当するのは私、栗見麻美よ。
よろしく」

 マム、イエス、マムと愛想笑い混じりに生徒が返す。
 そこそこ親しみやすいと思われているようだ。

「今回の作戦目標は、標的の無力化よ。
この二人を倒して回収した時点で任務達成となります。
参加報酬50ポイント。殺傷許可はでてるわ。
よって、この作戦はR-18コードが適用されているの。
高校生までのみんなは悪いけど、今回は参加申請は却下になるわ。
そのかわり、10ポイントが出るから退いて頂戴?
ここまでで質問はない?じゃ、高校生以下は解散してね」

 村上のクラスメイト達はぶつくさ文句を言いながら家路に着く。
 残った大学生達は提示された報酬額に満足したのか、生徒は無言で先を促す。
 ぽつぽつと、マム、ノー、マムという声も上がる。
 残ったのは大学生より上の、AYXZを守る大人たちだけだ。
 栗見はそれに満足したのか、とろけるような柔らかい笑みで先を続ける。



「二人組みの装備は男性が、M14にガバメント。女性が、グロッグのフルオート。
MAOSは男性のみ所有。内蔵魔法は不明。
MAOS管理権限によるトリガーロックは間に合うと思うわ。
でも、MAOSなしでも魔法は使えると思っておいて。
主犯の現在地がここ、N17地区の5番通路。
逃亡ルートは3つ、地上のヘリポート、D6出口。
国道へ通じるN5駐車場、地下鉄へ通じる九十九通り5番街。
隔壁閉鎖によってN3までおびき寄せるから、ここ、N5の通路で迎撃。
火災という事で、一般人の避難は完了しているから安心してね。
部隊展開はこれね」

 スクリーンに次々と情報が提示され、
 栗見の指先によってそこにいくつも注釈が書き加えられる。
 それらの情報は生徒達全員が身につけているMAOSに転送され、共有される。

 その情報は野井の持つ端末にも送られ、参加者である生徒達の様子を映し出す。

「この画面で見るといいよ。一部始終はこれで見れるはずだから」

「あいつらについていくんじゃないのか?」

「非戦闘員をつれていくわけないじゃないか。
 それに、人間の殺傷はR指定なのさ。僕等の年じゃ、参加そのものができない。
 街を守るのは大人の仕事。子供は戦うな、ってのがHALの理念だからね。
 あれは優しすぎるのさ。
 でもまあ、この端末は高性能だからね。
 現場にいるような臨場感が味わえるはずさ」

 野井はプラスチックで作られた板切れのように見えるMAOSを操作していく。
 テレビ以上に高画質で、音はさながら映画館だ。

「なんだかなぁ」

 ブリーフィングが終り、大人達は班に別れて驚くべき素早さで進軍する。
 蟻の列のように並び、滑る様に走る。
 通路を水が流れるように満遍なく制圧し、進軍する。
 その様子を村上は一兵士の眼線でモニタ上から見ている。
 生身の人間にはおおよそ不可能なほどの速さで景色が流れていく。
 ほどなく、手に手を取って逃げる男女二人が目に入った。

「対象を発見。戦陣の展開を開始」

 モニタに短くメッセージが表示される。

「了解、断界結界発動カウントダウン。5、4、3、2、1、ナウ。
発動確認・・・・・・クリア。リスポンポイント、設置クリア。動作確認クリア」

 モニタの中の声が答える。大学生にしては意外と年若い少女の声だった。

「配置の完了を確認、発砲を許可するわ。ライフル隊撃ちなさい」

 これは先ほどの教官、栗見麻美。
 続けざまの破裂音。
 少女の方が目視できないほどのスピードで動き、男を庇う。
 おお、と雄たけびを上げて男がこちらに発砲してくる。

「魔術師、障壁発動。陰陽師、式神発動。道士、宝貝準備、道術砲撃準備。
僧兵、ライフルを援護射撃に。その場に足止めしなさい」

 画面の中でいくつもの呪文が紡がれる。
 ある所では光が生徒の上に現れ、銃弾を防御する。
 異形としか思えない怪物が男女に向かい挑みかかる。
 銃弾が退路を塞ぐ。
 あまりにも一方的な蹂躙だった。
 男が呪文を唱え、生徒の一人を指差し、印を切る。
 鼻を突く腐敗臭と共に黒い影が生徒達に襲い掛かる。
 数秒のうちに男がイメージから作り出した霊体の使い魔だ。

「おいMAOSは使えないんじゃないのか!」
「あわてるな!アデプトだぞ、素で使えて当たり前だ。呪詛返しを準備しろ、早くだ!」
「銃弾装填。孔雀明王真言呪。援護射撃します」

 モニタの中の誰かが言った。
 弾丸が打ち出され、その後ろから巨大な孔雀が出現し、
 黒い使い魔を食らい尽くす。
 一切の不浄を払うという孔雀明王の力を、弾丸に掘り込まれた経文によって借りたのだ。
 男は次々に使い魔を出し、少女は人外の動きで援護射撃し、それ以上の接近を拒む。

「篭城戦をする気はないはずよ。これは時間稼ぎ。門の魔法で強引に地上に出る気のようね。
魔術師は儀式魔術、法の書12巻22Pの193番の儀式をやって門を封じ込めて。
禰宜と陰陽師は祓いで全体の穢れを除去。道士は宝貝と道術を撃って。
僧兵は不動明王の懲伏を。不動金縛りも出来る人がお願い。
相克やコンクリフトには注意。いけるわね?」

 司令官である栗見が次々に指示を飛ばし、生徒達は一つの生き物のように動く。
 男が抑揚をつけて呪文を唱えると、空間が割れ、地上へとテレポートする門が開く。
 しかしそれはMAOSというたった一つの魔法発動体によって封じられる。
 MAOSによる自動詠唱が輪唱となり、立体映像が祭壇を造り、その場をあっという間に二人を閉じ込め、屠るための神殿と変じさせる。
 数の暴力により、あっというまに二人に何重にも呪がかかり、倒れ付す。
 そこに銃弾と魔法が降りかかり、男は身体を吹っ飛ばされる。

 少女の絶望的な叫びが響いた。全てを奪われたものの叫びだった。
 生きる目的を失った慟哭だった。
 まるで死を望むかのように、
少女はのしかかる呪いを抱えたまま崩壊していく体を引きずって、仇を討ちにいく。

 しかし彼女は迫り来る爆炎に吹き飛ばされ、男の下へと舞い戻った。
 もはや助からない身体だった。
 少女は男の手を握り、抱き合って死んだ。
 その時、彼女が呟いた一言をMAOSのマイクはしっかりと拾っていた。

「愛してくれて、ありがとう」

 駄目押しの銃弾が降りかかり、何がなんだかわからない赤い塊になった。

「作戦終了。回収と清掃は別部隊がやるわ。儀式を終了させて、帰投して。
おつかれさま」

 栗見の淡々とした声が戦闘の終了を告げると、モニタの画面も切れた。

               ◆

「えげつねえな・・・・・・」
「これがAXYZの武力さ。ちゃらんぽらんなだけじゃないんだ」
「でもお前、これ殺人だろ」

 血の気の引いた顔で村上は言う。

「そうだね、でも、君以外にはね、彼らは異形に見えてたりするんだ。
そういうフィルタリング機能がこの都市そのものにある。
ついでにいえば、建前は「どうせ後で直す」からね。
だからこれほどまでの暴力が存在するんだよ。
アレは数の差がおかしかっただけで、同じ真似は他の都市の奴等にだってできるんだ。
どことは言わないけどね。
当然、敵はもっとなりふり構わないでやってくる。
18歳になるまで殺人は何が何でもさせない、なんてやってるのはHALくらいだよ。
裏の世界っていうのはそういう所なのさ」
「だからってああはなりたくねえよ」

 村上の声はもはや叫びに近い。

「ああなれとは言わないけど、最低限の護身はできなきゃ駄目だ。
必要性はよくわかったよね?」

 野井はただため息をついて同意を求める。

「あんなんに狙われるかもって考えりゃな。おいこりゃ脅迫だぜ」
「そうだよ。でも無力なままはもう嫌だろう?」
「ありがたくて涙が出るわ」

 あまりにも身も蓋もない、むき出しの疲労がそこにあった。


               ◆


 狂乱の一夜が終わり、夜は静けさを取り戻した。
 AXYZの地下、その深くにある広大なプール。
 極めて純水に近い清められた水に浮かぶのは無数の人体だ。
 プールサイドには、手に銀色の杖、黒いインバネス、堀の深い顔の老人。
 AXYZの黒幕、HALだ。
 見れば、プールには一面、魔方陣が描かれ、暗い照明と相まって、
 そこはまさに悪魔の実験場か、魔術師の神殿といった有様だ。
 HALは重々しく呪文を唱え、儀式を始めていく。
 彼は片手に短刀を持ち、驚くほど鮮やかな仕草で自らの手首を切る。
 手首から、インクを思わせる、黒い液体が流れ落ちる。
 それは彼がもはや人ではないことを表していた。
 その「血」は、ゆっくりとプールに落ち、波紋を広げながら拡散していく。
 呪文がひときわ高く響き、HALが鈴を鳴らす。
 すると、プールの水が盛り上がり、人の形を成していく。

「お帰りなさい、「私」よ」

 老人がその人型に向かって言う。
 人型は少女の形となり、老人とおぞましいほど似通った笑みで答える。

「帰りました、「私」よ」

 少女は金髪碧眼、黒星に殺された少女と同じだった。
 彼女はHALの分身であり、その身体は人に極めて似せて造られた人形だ。

「確認しますが、彼らの魂は確保できましたか?
こちらは沢渡教諭たちに殺された分は回収できましたが」

 老人のHALが少女のHALに向かって言う。

「ええ、問題なく転生者たちの魂は回収できました。
人格データの方はすでにバックアップがありましたよね。
こちらでも最新の物は確保していますが」

 少女のHALが老人のHALに向かって言う。
 彼らは言うなれば、別け木によって、折った枝から、元と同じ木が出来るように、
 蝋燭から別の蝋燭に火を移すように、魂を分裂増殖させた存在だ。
 外の身体は人形であり、「中の人」は実際は同じなのだ。
 これがHALが人を辞めた魔術、不死の存在となった証、「分霊法」である。

「結構。では次の儀式を始めましょう」

 そして、HALの魔術であれば、自らの命と魂を流れ出る鮮血に移して逃げる事も、
 その場にいた黒星に殺された少年少女たちの魂も掠め取って逃げる事も、
 もはや問題なくできる技術の一つに過ぎない。


 少女型ボディのHALが再び水に溶け出し、プール一面に広がっていく。
 プールに浮かぶのは、この事件によって死んだ者の生前と全く同じ肉体である。
 つまりは、宇津保によって殺された16名の彼の生徒達、宇津保に最初に殺された女生徒、黒星によって殺された転生者達。
 そして沢渡と宇津保本人達の身体も存在する。
 プールの色が透明から赤へと変わっていき、生無き肉体たちに魂が宿る。
 プールサイドにはいつのまにか白衣の男たちが揃っている。
 全て同じ顔、それもHALを若くしたような顔である。
 彼らはプールにざばざばと入っていくと、生き返った順に少年少女たちを担ぎ上げ、
 あっというまに担架にのせて運んでいく。
 まるで蟻の様に、機械の様に、同じ人間が複数の肉体を動かすかのように。

「これが、あなたの仕分けかのう?HAL殿」

 AXYZの「学園長」藤原が白髭を撫でながら言う。
 その姿はあくまで穏やかに笑う好々爺そのものだ。
 置物のような不吉さがある。

「ええ、悲劇など、全て茶番で良いではありませんか。
本当に死んだり、悲しんだりするよりはましかと思いますよ」

 そこには生命を弄ぶ事への忌諱も、右往左往した者たちに対する慈悲も、一片たりとも無かった。

「ふむ、それで利益を得た私としては、何とも。
では、手はずどおりに済ましておきますわい」

 学園長は、HALよりも深い陰謀に満ちた梟の如き瞳でそれに返した。

      ◆


「AXYZには馴染めたかい?宇津保」

 清清しい朝だ。
 沢渡が「彼女」の前にユッケを置く。
 見慣れない色の肉でできたそれは代用人肉だ。

「ええ、噂とは大違い。平穏って、こんなにいいものなのね」
「そうさ、君には幸せになる権利がある」

 よく冷やされた紅茶を沢渡はうれしそうに注ぐ。
 よくできた従者のように。

「それにしてもこの肉は、不思議ね。
人肉を食べているのと全く同じ感覚だわ」

清潔なナイフとフォークで、いまや獣のようにではなく、
令嬢の如く上品に宇津保は肉を切り分けたべる。

「ああ、それはね。うちのスポンサーをやってるハルマン博士が作ったものなんだ。
すごい魔術師だよあの人は。妖怪と人間が共存できるようにって、
人を食べる種族に必要な栄養素が全部入ってるらしい」
「だから、私も人を襲うというリスクを背負わなくてもいい。
よく考えられてるわね」

 数週間前の会話がまるで同じように繰り返される。
 彼らの犯罪などなかったように。
 いや、実際に「もう存在しない」
 被害者は被害を受けた傷も、記憶もすべて治療されてなにもなかったことにされた。

 加害者は加害する動機をすべて「治療」され、悪夢のような記憶もすべて消えた。
 傍観者であるハンターたちはそもそも彼らの素性を知らされていない。
 なにもなかった。そういうことになったのだ。
 あるのは帳面に残された金額という数字だけ。
 知っているのは権力者だけ。
 唯一の例外が村上と野井だった。

「まあ、難しい話は置いておいて・・・・・・朝食を楽しもう。
折角の日曜日なんだし」
「そうね、まだLUXでの癖が抜けていないのかもしれないわ」
「それはゆっくり治していけばいいさ。皆解ってくれるよ」

 沢渡が宇津保の肩に手を置く。
 宇津保もまた愛おしそうにその手を抱く。
 穏やかな時間は確かに存在する、しつづける。
 これからも、これまでも。ずっと。

 すべては元通りに社会へと組み込まれる。
 犯人である宇津保と沢渡は、いくつかの処置が必要であるが、
本来あるべきただの魔術師とただの少女となり、
普通に幸福に、そして正気のままで、日常と言うまどろみの中で暮らすのだろう。

      ■

「ここはどこだ……?」
 剣を腰に挿した少年はベッドの上から起き上がろうとする。
 しばらく前にLUXからの刺客、天野黒星と戦った剣使いの少年である。
「こんにちは、合格だ。ええっと……そう、尾道五光くん、だったか。
はじめましてだな、私は転生者の組織DUTYの第六実務班班長、駒野盤外という。
よろしく頼む」
 まるで博徒の口上のように一息で自分の所属を述べた駒野盤外はぼんやりとしている尾道に傲慢に話しかける。
 彼は美形の男だった。高そうなスーツをいやみなく着こなしている。
 上流階級らしい余裕に満ちた態度であった。
「これで知らない天井だ、などとふざけたことをぬかすようならば叩き斬っていたところだ。
DUTYにようこそ。われわれは転生者の組織であり、君のような有能な転生者を募っている。
どこにもしきたりというものがあるということだ。たとえ転生者でもね」
 それから嫌そうに決め言葉を口にした。
「JOIN US or DIE!だ。手を取るか、ここで死ぬか選べ。私はこういうゲームじみた言い回しは好まないんだがね」
「待て待て待てまってくれ。少し考えさせてくれ、あんたらが何なのかよくききたい」
 尾道が意識をはっきりさせ、答えを言うと駒野はうれしそうに笑った。
「ほう、慎重な態度は好ましい。だが、君の仲間の事も考えてよく答えたまえ。
ただし、時間はそれほどない。覗き見している奴もいるしな」

 彼の背後には空間を無理やり破壊して出ようとするHALの腕がじたばたと動いていた。
 まるで、悲劇を台無しにして喜劇にしようとするかのように。




              ◆


 こうして、この事件は死者を生き返らせることで、
 死者が出た事実すらもなかった事にして、全てが終わった。

              ◆


 暗い闇の中、HALはあなたを見つめ、こう言う。
「あなたは、どちらが正しいと思いますか?」
 その目には迷いは無く、自らの道を貫き通す意志がある。
 夜明けは近い、しかし、まだ空は暗い。


1993年編、了



[30579] 1989年村上編「若き村上の悩み」
Name: 件◆c5d29f4c ID:5b1bfa4a
Date: 2012/07/14 12:46
 数日後、俺はハガキで送られてきた地図に従って講習会場まで来ていた。
オフィス街のどでかいビルの一室が会場だ。
会場は講堂か試験場のようになっている。
 椅子と机の大パーティーに俺と同じくらいの年頃の奴らがたくさん。
おっさんおばさんもまあちらほら。
そのなかに見覚えのある顔を見つけた。


「あんたもいたのか、東さん。納得っていえば納得だが、俺はお前はとっくにそっち側だと思ってた」
「お前の中の俺のイメージってどうなってるの?」

東タケル。近所の兄ちゃんだ。
猫このようなアーモンドアイに陽気に笑う口元、童顔で引き締まった身体をしている。
服装はファッションにうるさそうな、メタルアクセサリ山盛りの攻撃的なものだ。


「まず冒険野郎。ラノベみたいなリア充野郎。というか主人公気質だよ、経歴も。
15からバイトして今じゃスイーパー。いるかそんな奴。
しかもその動機ってアレだろ。人助けを暴れる理由にしてるだけじゃねえか。
どこの主人公だ。
だがまあ……納得いかなきゃとことんまで抵抗するってヒーロー体質は素直にスゲエと思う。
俺にはできない」

こいつを説明するならばそんなところだ。
ついでにいえばとんでもない上昇志向とハングリー精神の持ち主でもある。
くそやかましく8月の太陽のように明るい男だ。

「できるって!簡単なことじゃん。素直になりゃいい。言わなきゃわかんないじゃん」

東はケラケラと笑う。
大声で喋っても気にしない図太さはこいつの欠点でもあり美徳でもある。

「まあいいさ。どうせ暴れてたら魔術師連中にひっかかったんだろ」
「あー、まあ話すと長いけどいいか?っていうか話す」
「後でな。それより……どう思うこの状況」

そう、こいつはアホだが、能無しではない。
かなりキレる奴だ。いろんな意味で。

「まず力が必要じゃないか?どう動くにしても流されてるだけじゃダメだ
自分から資格なり金になるもんをとってかないと」

「だろうな。俺はもう少し危険だと思っている」

「気にしすぎなんじゃね?まあお前が心配するのは別にいいけど。
俺は面白おかしく生きれればそれでいいし?」

「まさか、童話のように夢とファンタジーにあふれてる所だなんて、本気で考えているのか?
そもそもフィクションでだって大概ろくでもないバトルばっかりだ」

「そりゃ組織なんてどこでもろくでもないもんに決まってるじゃん。
俺はそこで上を目指していくよ?」

現実を素直にシビアに見た奴のコメントは寒気がするほど鋭い。
妙なところで現実的なのだこいつは。

「あんたのその上昇志向は尊敬するよ」

「いざとなったら利用してやるくらいでいいんじゃねえの?
つか利用するし」

「ああ、こうなったら転んでもただじゃ起きない。いままであいつらにさんざん巻き込まれてきたんだからな」

俺の声には苦いものが混じっていた。
ここで俺は相談事をもちかけてみる。

「ところで一つ考え付いたんだが、やつらは数を増やしたがっているのかもしれない。
普通ならいくら特異体質だからって、こんな大人数を既存の組織が入れたがるとは思えない」

「ふーん、それで?」

興味はなさそうだ。現実主義で楽天家の奴には、憶測など無用なのだろう。

「やつらはこれから大勢の人間が要るような事をしたがっているんじゃないか?」

「ああ、まあそうだろうけど。どうせ乗りかかった船だし?
っていうか、んな面白そうなことがあるんだったら混ざらないとかありえねえよ
騒動大歓迎」

「気楽でうらやましいよ……すまん、嘘だ。あんたがマジだってのは知ってる」

一瞬剣呑な雰囲気がただよった。
暴力の匂いが平気でするのがこいつの恐ろしいところだ。


「そんくらいたくましく無いと生きてけないし?そこらの大学生よりずっと濃い経験してるし。
ってか俺のストーリーを聞いてくれ」
「すまん、もう始まるみたいだ」

さあ、そろそろ講習とやらが始まる。
俺たちは自分の席についた。


同時刻、同じビルの別の部屋。
監視カメラで村上たちの様子を見る影が二つ。
「ふむ、今年もこの時期ですかの……いやはや、楽しみですな。
「引力」に引かれるように来るべき者はこの世界に来る。
お目当ての役者は見つかりましたか?HAL殿」
仙人のようなひげを生やした老人が笑う。
彼は権力者だ。
この魔術という世界で一定の発言権を持っている。
「はい、151番、147番の彼はNILの可能性が67%存在します。
状況から考えると、タイプSでしょう。
了解されているとは思いますが、この件に関しては、私が仕分けを行います」
そして片方にはモニターが一つ。そこに写るのはHALのマークだ。
老人が権力者ならば、彼を権力者に仕立て上げたのがこのHALだった。
「わかっておりますて。老い先短いジジイには運命の流れなぞ興味はありませんでの」
「あなたのご理解に感謝します」
デジタルの音声がかすかに笑った。

                   ▲

 57時間の講習の間にはいろいろあったが、ここでは省くこととする。
先生が北欧の金髪美少女だったり、ぶっとんだ奴らにもたくさん会った。
実習では死ぬ思いをしたし、本物の魔法という奴もまあ習った。

村上は次の学期まで両親に基礎訓練を学び、蝶頭碗学園中学部に転校した。
朝のSHR。入ってきた教師は挨拶をかねて演説をする。

「挨拶をしておく。俺がお前らの担任になるブライト・ガンドールだ。
よろしく頼む。
はじめに言って置く。
俺はお前らに人殺しをさせる気はないし、人殺しの技を教えるつもりもない」
魔術師候補であり戦士候補である学生たちにとっては衝撃が大きかった。
教室に不満に満ちたざわめきが起こる。
「黙れ」
静かな、しかし恐ろしい一喝だった。
「確かに、このクラスにいる奴らは多くが訳ありだ。裏の世界で将来を嘱望される奴も多いだろう。
だが俺は子供のうちは子供らしくいるべきだと思う。
少なくとも、手を血に染めるべきじゃない。
環境がそれを許さないのであれば、それを何とかするのが俺たち大人の仕事だ。
身を守るすべは教えよう。そちらの世界で必要とされる基礎も教えよう。
だが、俺が担任の間はお前らに殺しはさせない。必要とするような状況にもさせない。
戦うな、学べ、遊べ。
まずは基本常識を身につけろ。
これが俺の新学期の挨拶だ」
村上はこの教師は信頼できそうだと感じた。
少なくとも目指すべき方向は自分と近い。
裏の世界なんてろくなもんじゃないとはっきり言ってくれる大人がまた一人いた。
それが安心できた。
一方で、現実的に考えれば今から力を身につけていなければ自分を縛るものからは抜け出られないのではないかとも思う。
護身術を教えてくれるのはありがたい。基礎も大事だ。
だが、それでは自分が解放されるのは一体いつになるのだろう。
そんな焦燥も感じる。
「……まあ、今すぐ力が欲しいと思うだろう。だが焦るな。
こんなものは2、3年もやってれば身につくし、この道だけがお前らの将来じゃない
お前らには未来がある。人生をいくらでも変えられるんだ。遅いということはない」
見透かしたような一言だった。
そこそこ頼れそうな先生だな、と思った。



それからしばらくは、まっとうに訓練をして、勉強し、遊んだ。
とはいえ、遊ぶにもクラスの連中とはあまりソリが合わずもっぱらネットやゲームをしていたが。
しばらくはうんざりするニュースばかり聞いた。
やれ田舎に結界を張って引きこもっていた妖怪の集落を潰しただとか、
新しい種類の能力者を発見したので「保護」しただとか、
妖怪同士の抗争があったので鎮圧して「保護」あるいは「拘束」しただとか。
街まるごとバケモノの手に落ちたので大暴れして街ごとぶっ壊したとか。
村上にとっては気の滅入るニュースばかりだった。

「白々しい……何が保護だ。武力介入して捕虜にしただけじゃねえか。
要はAXYZ以外に武装組織があってほしくないんだろ。能力者もな」
村上は新聞をみながら呟く。
しかしここは教室、聞いている者があった。
「君はAXYZの対外政策に反対なのかい?彼らが暴れている以上、鎮圧するのは仕方ないんじゃないかな?
放って置けば一般市民に被害が出るんだし」
一応友人のカルロスだ。
気障で女ったらし、それなりに一本筋が通ってるからつきあえる友人ではある。
「だったらそう言えばいい。力のある奴が気に入らないから片っ端から戦争してるだけだろ。
善人づらしていいことじゃない。まあ、もっとも戦争に行ってない俺が何を言っても仕方ないがな」
村上はこれらの戦争に一切参加していない。
殺人ではない妖怪討伐などは未成年でも参加できるが、村上は今のところ一度も実戦を行っていない。
理由は簡単だ、こんなものに参加するなど反吐が出るからだ。
「それに、戦争だって悪いことばかりじゃない。女の子と仲良くなれるしね」
ふふふとカルロスが笑う。
字面だけ見れば侵略した地で片っ端からレイプしているようなものだ。
「蛮族のセリフだぞそれは」
ぎりっと歯を食いしばり怒りをこらえる。
そのへんはクズだが、価値観の相違でまだこらえられる。
自分に被害が無いからだ。
「失礼な。略奪なんてしてないよ。捕虜になってる子をちゃんと口説いただけだ」
「ストックホルム症候群を利用した洗脳だろうが……いや、言い過ぎたすまん」
落ち着け。ここでこいつと喧嘩しても仕方が無い。
イラつくが、上手くやっていかねば成らない。
「まあね、でもちゃんと彼女たちとは上手くやってるよ?」
それは知っている。なんだかんだで数人の女の子をはべらしていながら、
こいつは彼女たちをそれなりに満足させてハーレムを維持しているのだ。
「式神か使い魔にしてか?」
奴隷と何が違う、と思う。
こいつは友人だが、そういった所は不愉快だ。
合意があるだけましだが、脅迫と相違ないと思う。
「まあ、使い魔なんだけどね。そういえば君は式神ができるようになったのかい?」
「ああ、こないだ作った。純粋な術式による使い魔だ」
使い魔。妖怪や霊、神々と契約し使役する術だ。
AXYZではわりと認められていて、下手をすれば妖怪と人間との婚姻契約に近い物になっていた。
もっとも、村上は上下関係がある時点で奴隷契約だと思っていたが。
村上は使い魔を元々人格ある生物にせず、術式によりつくりあげたAIにしていた。
村上の入力したコマンドを実行するまさに「式」だ。
「ふーん、どんなものなんだい?」
「尋問用の呪いだよ。詳しくは秘密だ」
「まあ、そういうのは奇をてらってこそみたいな所があるからねえ。
そのうち見せてくれよ」
「ああ」
これだけ不愉快であると態度に出しても怒らないのがカルロスと村上が友人であれる理由だった。



「みんな殺しちゃおうよ、そんな奴ら、いい神経ガスがあるけど使う?
それとも知り合いに頼んで記憶操作を破壊する魔法でも用意してもらおうか?」

「違う意見の奴等なら殺すってお前の発想が恐ろしいよ。それで殺したら奴ら以下のクズになっちまう」

「戦争の歴史なんてそんなものだよ、相容れない政治思想の人間は殺すしかないよ
そもそも、それはお互いそう思ってる部分があるから、それにのっとって殺しても彼ら以下のクズにはならない
あえて言うなら、フェアプレーだよ……僕には君のそういう所がわけがわからなくなるよ」
「大体、お互いの話を聞いて、妥協点を見出せるからこその人間じゃないか?」
「見出せない相手は殺すしかない」

「お前が物騒すぎるんだよ、俺等中学生だぞ!?なんで殺すとか殺さないとか言う話になるんだ」

「許せないから」

静かに言ったその瞳は奈落のようだった。

「それだけ」

冷たく恐ろしい声だ。少なからず病的な感じがした。
若干引きつつも村上は疑問を言う。

「知り合いでもない奴等を許せないからってだけで殺していいのか?」

「僕はチャネラーなんでね、彼らの被害者の声が聞こえるのさ。
だから許せなくなるんだよ、悲鳴が出過ぎてる」

ああ電波なのか!村上はうめく。
チャネラーとはいわば神の声を聞くシャーマンだ。
霊媒というものを80年代のニューエイジ文化に翻訳した劣化版。
その相手は時に宇宙人だったり、霊だったりする。
早い話がUFOと交信を試みる人がイメージに近しい。

「俺も被害者だが、そんなこと望んでない!」
「本当かな?」
「俺が、俺は、そんな・・・」

珍しく言葉少なに語る野井に酷く病的な怨念を感じる。
そして、その問いをはっきりと否定できない自分に狼狽を感じる。

「ただ間違ってるから、改めるべきだと思う」

口を突いて出たのは腰の砕けた答えだった。

「俺みたいな奴が出ないように」
「君だって許せないと思ってる、けど認めると自分が嫌いになるだけだよ」
「許せないが、殺す事はないだろう!?」
「ああ、お前は殺すしかないって言う奴だったな」
「かつてHALは言った、記憶の改竄は殺人に等しいと。
だから与える対価は殺人さ、君も10年すれば気づくよ」
「小学生がこんなことを考えなきゃいけないなんて、間違ってる」
「最終的には大人になる、大人になったらそういう道を選びたい、大体僕らはもう14歳だし、来年には15歳だよ?」
「ろくでなしだよ、なんでヒトゴロシの世界に行かなきゃならないんだ」



それからは、厭戦派とでもいうべき派閥に村上は属することになった。
基本的に年相応に傷つきやすく面倒な連中だったが、
能天気に戦争を楽しむよりは彼のスタイルに合った。
彼らの会話はこんな具合だ。

「落ち着け、俺は敵じゃない。ただの式使いだ」
「ああ、うん……ごめん、なんかみっともない所みせちゃって」
「なんだって泣いていた」
「泣いて無いよ!」
「泣きそうな顔だったぞ。愚痴くらいなら聞くが?話した方が楽になる。無理には聞かないけどな」
「……昔さ、俺の居た組織は戦争してて、友達が敵組織のスパイで……戦場で合ったんだ。あいつ、笑ってたよ……
ボコボコにやられて、このざまだ。それから、会ってない。俺は笑えなくなった」

いろいろと理屈ばかりが思いつく。
だったら逆に寝返らせてやるくらいしたらどうだとか、
とっとと逃げて何食わぬ顔でまた会えばよかったとか、
しかしそれらは全て彼を追い詰めるだけだ。
彼をやり込めたいわけじゃない。
よって、村上は安易な慰めの言葉に逃げることにした。

「戦争か……仕方ないさ。お前のせいじゃない」

そう、そんな戦争に乗っかるのが悪い。

「俺、戦争なんて大嫌いだ……どうせ、大人になったら戦場行きになっちまうんだろうけどな……」

めんどくせえ……と思いつつ村上は、こういう人を慰めることは嫌いではない。
むしろほの暗い快感すらある。

「AXYZは未成年は戦争にださねえだろ?まっとうな会社もちゃんとコネがある。
戦場に行く奴らはただのバトルジャンキーしかいねえ。
勉強して、まともな職につけ」

「そう、だな……でも、世の中は俺みたいな手に職の無い若者を戦場に借り出したがってる。
俺は闘うことしかできない……」

「アホか。徴兵義務なんざここにはねえんだ。無理やり戦場にぶちこまれるならとことん抵抗してやれ。
ヤバかったら逃げればいいし、怖かったら助けを求めりゃいい。誰も責めやしねえ
むしろ無駄に闘うよりは人死がでないだけマシだ」

「闘ってないと、力がはちきれそうになる。あたまがおかしくなりそうになるんだ。

「そのためのコロッセオだろう。あと、カウンセラにかかれ。完全にPTSDだぞお前」

未成年を戦場に出す弊害がこれだ。AXYZでは幸い未成年は保護されているが……
どっちみち、彼の心配は杞憂だろう。
これでは戦場に行っても使い物になりそうに無い。

「それに……聞いてみたいんだ。あいつにさ。なんでお前は戦場にいるんだ?って」
「お前が自分で言っただろ。力を持ったら使いたくなるのさ。いいかげん堅気にもどれ。医者にかかるんだな。それは悪いことじゃない」
「でも!僕は怖い。AXYZがその気になればどうなるかわからないんだ」
「そん時は俺も手伝うさ。俺だって戦場行きはゴメンだしな。
なんなら、俺らみたいな戦争嫌いが集まって抵抗すりゃいい。
学校ってな、仲間を作るところなんだろ?
簡単にあきらめんな、足掻け。」
「まあ、俺一人ぐちぐち言ってても世界は変わらないか……そうだな、あきらめちゃそれこそ俺らしくない」

なんだかよくわからないが、納得してくれたらしい。

「悪いな、なんかみっともない所見せちゃって……なあ、村上。
そういう君は何か将来を決めてるのか?」
「俺か?俺はそうだな……資格でもとって、会計士にでもなるさ。
じゃなきゃあ、公務員あたりか。今のうちから勉強してるよ」
「うわっ夢が無いというか堅実っていうか……」
「笑ってるじゃねえか、お前。発音練習と表情のトレーニングを今度印刷しとくから、練習しとけ。
嘘でも笑ってれば楽しくなる。医学的に証明されてる事だ」
「そうか……ありがとな。まずそこからがんばってみるよ」
「ああ」

本当に、カウンセラが必要だな、こいつには。
村上はそう思った。


「人死にがでないだけマシ」自分の言葉が頭に響く。
本当にそうだろうか?
この平和は、誰もが社会の病理を見てみぬフリをしているだけのうわっつらだけの平和では無いだろうか?
しかし、今だ戦争に行っていない、つまりは当事者ではない自分が何を言っても机上の空論だと思う。




数日後、野井のラボにての会話。

「ふうん、なら君は彼らをほうっておけないわけだ。
それでどうするんだい?」

野井はバチバチとアークの火花で機械を生み出しながら、それを眺める村上の話を聞いている。

「本当に世の中をよくしたいなら、まずは学を身につけなきゃダメだ。
見識も深めなきゃいけねえ。真面目に勉強して、それから世界を見て回るよ」

いつも余裕の無い村上ではあるが、今回は特に真剣であった。
中学生にして残り一生の身の振り方を考えるには十分すぎるほどに。

「うん、それがいいんじゃないかい?無学なまま革命なんか起こしてもポル・ポトになるだけだよ」

野井は村上を一瞥もせず作業を続ける。

「だろうな。だが、いつまでも傍観者のままじゃだめだ。当事者にならなきゃいけない。
しかし、それは……上手くいえないが、何かが間違っている」

そう、間違っている気がする。
自分の思想の正当性のために何の関係も無い戦争に行って何の関係も無い人を殺すなんて。
それこそ、欲のために行く方がまだ正常な気がする

「俺は、何を間違えたんだろう?」

野井は溶接機を放り出し、そのへんのゴミに腰掛けて村上を見つめる。

「シンプルに考えよう。
結局君は大義や理由がほしいんだ。
AXYZの戦争に大義が無いと思うから参加したくないんだろう?
だったら僕が君の好きそうな大義のある依頼を探してきてあげよう。
相手は殺しても心の痛まないクズばかりだ。気が楽だよ。
どうだい?」

悪意のこもった恐ろしい笑みだ。
死と戦争を語るとき、野井はこんな魔王のような笑い方をする。
実は村上はこの邪悪な笑いが好きだった。
だが、笑顔に見とれてばかりもいられない。
そう、決断しよう。シンプルに考えればその通りだ。
殺してもいい理由が欲しかった。
そして、誰かを殺してでも力が欲しかった。
パッと見だけでもクソみたいだと解るような世界を変える力が。
彼女はすらすらと立石に水とばかりに呪いのような言葉を流す。
それは耳をふさいでも聞こえるようで、実に嫌な響きがした。

「理由も必要ならば用意しよう。
君の野心のために引き金を引く。
そうとも。
その何が悪いんだい?
相手は敵だ。自分の権力を得るために敵を駆逐することなんて、有史以来当たり前にやられてきた事じゃないか。
それを汚いと考えるのならば、君はやっぱり傍観者なのさ」

ぞくり、と自分が行おうとしたことを自覚させられる。
それが正しいのか、間違っているのかわからなくなる。
パラダイムがシフトする。
しかし村上は村上であることに踏みとどまった。

「なにを間違えたか解ったよ。
無関係の奴を殺すのは邪悪だ。
だから……」

村上は一息ついて宣言する。

「俺は戦争には参加しない」

「だったら職業軍人や金のために兵士になる人たちはみんな悪って言ってるようなもんだぜ」
「かもな」


「解った。君には負けたよ。視点を変えてみよう。
魔女狩りを終わらせたのは何か知ってるかい?ペンだよ。
社会を変えるのに銃を持つ必要はないし、当事者にならなくってもいいんだ。
現場を知りたいなら戦場カメラマンになるか、軍医になればいいさ。
それで政治家にでもなればいい。そうすれば嫌でも当事者になるよ。
あるいは市民団体おかかえの映画監督って方法もあるね。好きなだけ反戦プロパガンダを流せる立場だ」

そして一呼吸あけて野井がつぶやいた。

「そもそも、戦場に立てるのは高校卒業からじゃないかい?」

しばらくの沈黙。村上が野井の言葉をよくかみ含めて飲み込むまでの時間。
野井がくつくつと笑う。

「そうか、その手があったか。俺を試したな?」
「うん、誘導にひっかからなかったのはいいけど、頑固すぎるもの考え物だよ。さあ、君はどうするんだい?」

野井は答えをショウケースに陳列し、さあ選べといってくる。
重要な選択だ。俺の人生を左右しかねない問いをこいつは平気で投げてくる。
だからこそ、相談相手としては心強いのだが。

「さあな、戦場には行くよ。どう関わるかはわからん。
俺はただ、安全圏からえらそうな口を叩く恥知らずでいたくない。
それが正直な今の答えだ」
「優柔不断だね。手を汚さずに語るのは恥知らずじゃないないのかい?
だけどすぐに答えに飛びつかないのは慎重でもある
とりあえず、戦場に行くのに必要なカリキュラムのある高校を紹介するよ」

野井はいたずらっぽく笑った。その時だけは悪魔のような笑みではなかった。

「ああ、世話になる」

うまい話には必ず裏がある。そう、きっとこの話にも。
だがいくばくかの思惑が入ったものでも、助けは助けだ。
そして村上は助けを必要としていたのだ。

かくして少年は、戦場に向かう。


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