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[30526] 無題【近未来SF】(元『僕にその手を…』)
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:23
初めまして、⑨葬と申します。

プロットを制作し書いてはいるのですが、拙い文章である事には変わりません。
逃げ腰で申し訳ないのですが、自慰行為に近いモノを公に晒すのは褒められた事ではありませんが、一緒に楽しんでいただければ幸いです。


完結はしておりませんが、叱咤、感想など少しでも構いませんので、いただけたらとても、とても嬉しいです。
手間をとらせてしまうかもしれませんが、何卒、何卒感想を…平伏(見苦しくてすいません)


文章同様、知識も拙く、ツッコミ所満載かもしれませんが、よろしくお願いします。


2011・11・16
やはり、オウガを連想される方が多いので、解りやすくしました。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
でも、何かしっくり来なくてですね…もしよければ、どなたか【近未来SF】に変わる文言を教えてもらえないかと思っております。

2011・11・23
後に書く筈だった話を、八話と十話の間に入れました。
読んでくださっている方には、突然の変更申し訳ありません。

2012・1・17

紛らわしい題名をなんとかしようと思いましたが、どうにもならないので、無題とさせていただきました。
ちゃっかり、二話追加です。




[30526] 無題 一話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:24
一話



第十三・四資源エリア奪還作戦は、東方企業連合の圧倒的勝利により幕を閉じた。
二十年の長きに渡り、中央諸国経済機構に実行支配されていた資源エリアでは、幾度と無く東方企業連合(東企連)所属企業の兵站部により奪還作戦が行われてきたが、結果、数多の兵士達を無駄に殺すだけで、実際の成果は皆無に等しく、過去13回の作戦での死者は12000人を超え、損失額は11兆円にまで達していた。

成果の見えない泥沼の戦争に東企連の首脳部の中でも、資源エリア奪還を一時的に凍結させる案が浮上する。しかし、その中で東企連所属『大江重工』取締役である大江久総より、新兵器の実戦投入案が立案された。



第十三・四資源エリア奪還作戦より、半年後。
炎天下の工場街を走るトラックの中で、布施次郎は窓の外を流れる景色に、小さく息を吐いた。

此処、東坂地区の工場街は、かつて東企連の本部が在る極東の島国でも一・二を争う中小企業の密集地であり、高い技術水準を持つ、職人の街だった。
街では昼夜問わず、工業機械の駆動音が鳴り響き、各工場内では錬達の技術者達が他の工場に負けじと、その腕を振るう。お昼や終業時ともなれば、此処で働く工員をターゲットに、まるでお祭りさながら毎日屋台が並んだ程、活気に満ちあふれていた。

しかし、現在。職人の技術を必要とした商品の製作は、大手企業による工業ロボットの導入により、その需要を一気に減らした。
産業の低迷で、新技術開発の機会が減った事も、その需要減衰に一役買っており、画期的な新プロジェクトや商品の開発など、職人の持つ長年の勘や経験を必要とする場面が少なくなった事も大いに関係していた。
今では、千と在った工場の半分が空き工場となり、シャッターが閉じられ、東坂工場街最盛期の面影は無いに等しい。

『弥刀鋼材』と小さな看板を立てた工場の前でトラックを止めた次郎は、車を降りると直ぐにスーツを脱いで、シャツのボタンを緩めた。
打ち水された工場の前のアスファルトからは、焼け石に水と言った様子で、小さく陽炎が立っている。

次郎は、濃いグレーのスラックスに、パリッとしたシャツと後ろに撫でつけた長い髪。と、何処か固い雰囲気だったが、その相貌は幼く、今年で十九歳のまだ少年に近い青年だった。身長も低く、黒光りする革靴もサイズが小さい所為もあって、何処か冴えない雰囲気を醸し出している。
あまりの暑さに、うんざりと眉を下げる表情は、唯でさえ幼い顔を、より一層幼く見せた。

「こんにちは~」

次郎は、半分開いた『弥刀鋼材』のシャッターを潜り、懐かしい匂いに胸を膨らませた。
鉄と油。胸が騒ぐ男の匂い、その奥に、プレス機の前で頭にタオルを巻き、無精髭と長袖の作業服を汗で濡らした男が、鉄の塊と睨めっこをしていた。

「社長っ! 戻ったよっ!!」

「……おぉっ!坊ちゃん、久しいじゃないかっ! 男前になったな」

気が付いた男は、手袋を外しながら次郎を工場に迎え入れる。
『弥刀鋼材』社長の弥刀幸志である。
社長と言っても、従業員は家族を含めても十人と居ない零細企業だが、東坂工場街でも屈指の旋盤技術を誇る職人達を有する親方だった。

「昨日、息子と同じ便で戻ったって聞いてたんだがよ。まぁ、座りな」

幸志は、事務机の前に在る、ボロボロのワークチェアを次郎に勧めると、裏返したビールケースにドカッと座り、大声で『ユキコーっ!お茶持ってきてくれーっ! ふたつなぁ』と二階に続く階段に向かって叫んだ。

「ホントは、昨日の内に来たかったんですけど、ボクが不在の間に色々とあったみたいで、なんか、スイマセンね」

「イヤイヤ、仕方ねぇよ。その歳で、東企連所属企業の社長なんだから、無理しなくていいんだよ。それよか、先にちゃんと礼を言っておきたくてよ……無事、息子が徴兵から帰って来てくれた。ありがとう」

幸志は、頭に巻いたタオルを取り、深々と、最近めっきりと寂しくなった頭を下げた。
東企連所属『布施技研』は、此処、東坂工場街を取り仕切る企業であり、『東坂工場街技術組合』こそが、『布施技研』そのものであると言っても過言ではない。
初代社長である『布施一郎』は、東坂工場街から、腕一本で企業し、地元中小企業を束ね、名だたる大企業と鎬を削った剛腕の持ち主だった。
時代の流れに乗り、技術の最先端を進んだ『布施技研』と『東坂工業技術組合』は、何時しか東企連でも大きな発言権を持つ複合企業として名を馳せる事となる。
そして、その5代目社長こそ幸志が坊ちゃんと呼ぶ、布施次郎なのだった。

「そんな、お礼を言われる事じゃないですよ」

「いや、先代が亡くなってからと言うモノ、組合の力も今は無いに等しい…一昔前までは、長男の徴兵は免除されていたのに、最近は当たり前の様に跡取りを攫って行きやがる。向山さんトコの跡取りも、三年前の戦争で死んじまって、オヤジは工場を閉めちまった。このままじゃ、工場街も技術も絶えちまう」

東企連は、各企業に対し『企業徴兵制度』を導入し、兵站部と言う部署の設置を義務つけていた。
毎年の人事異動のおり、18歳以上の男性社員は二年間の期限で兵站部への異動が行われ、訓練と有事の際の戦闘員として、戦地に駆り出されるのだった。
しかし、全ての社員が、と言う訳では無い。企業内でも、力の在る重役やその息子は、特例として免除される。徴兵の形は変われど、何時の世もこの手の特権は同じだった。

「責任は、ボクにもありますから……父さんが、奪還作戦に失敗しなければ。ううん、あの時、戦死しなければこんな事にも」

「いや、違うぞ坊ちゃんっ!! 先代は、ただ廃れて行くだけの俺達の為に戦ってくれたんだ。誰が何と言おうとも、組合は先代を悪く思ったりしねぇ!!」

力無い次郎の肩を、幸志は強く掴んだ。
続く敗戦と、産業の停滞により、衰退した『布施技研』の先代社長は、他企業の圧力を受け、無謀な奪還作戦の指揮を任され敗れ去った。先代の死因は狙撃による心臓への一撃で、戦地より送還されてきた遺体の中では、随分とマシな方だったが、背中から心臓に届いた弾丸の線条痕は、東企連共通のライフルと同じであった事を、次郎は誰にも言っていない。

「そう言って貰えて、父も浮かばれます……」

「これからは、坊ちゃんにメイドイン布施・東坂を背負ってもらわなきゃなんねぇのに、情けない顔しなさんな」

うっかり、涙が出そうになるのを、必死に堪えた次郎は、ぱっと顔を上げて無理矢理にでも、笑顔を創る。そんな、姿に幸志も少しホロリと来たが、男は我慢。同じ様に、ニッかりと笑顔で返した。

「なにしてんのよ、男同士で気持ち悪い……」

どっぷりと男の世界に使っていた二人の頭上から、まるで冷や水でもかける様に、少女が声をかけた。
『弥刀鋼材』の従業員であり、紅一点であり、幸志の娘の弥刀幸呼だった。
色素の薄い長い髪を、後ろに纏め、幸志と同じ作業ズボンに、キャミソール一枚と、セクシーないでたちの少女だったが、全体的に何処か色気に欠けている。

「おかえり次郎。久しぶり……」

一瞬、次郎の顔をジッと見詰めた幸呼だったが、ふと顔を背け「相変わらず……チビねっ」と、そっぽを向く。

「ただいま。ユキちゃんも、相変わらず……」──無いね。

何が無いかは、言わずもがな。あえて言いうなら、色気、気遣い、乳、モモ、尻…etc。二年離れて戻って来たが、人とは変る様で変らないモノだな、と次郎は苦笑を浮かべた。
しかし、幸呼は、次郎のそんな心の内も知らず「……次郎、今…チョットヤラシイ事考えてるだろ?」と頬を染めながらお盆に乗ったグラスと冷えたお茶の入った容器を事務机に置いた。

──いや、だいぶ残念な事を考えてる。とは勿論言えず、複雑な無表情を貼り付けた次郎。

幸志はその心境を知ってか知らずか「そっ!そういやよぉ、随分デカイトラックで来たみてぇだけど、何が積んであるんだ?」と、少し焦った様子で、ビールケースから腰を上げ、次郎も「アア、ソウダッタ」と何故か棒読みでソレに応え、二人して工場の外に停めたトラックに向かう。後に残された幸呼は、何処か釈然としない顔でグラスに冷えたお茶を注いだ。

「社長。シャッター開けてもらえますか」

トラックに乗り込み、ギアをバックに入れた次郎は、慣れた手付きでシャッターの前までカバーの掛った荷台を近づける。
幸志は、外でカバーを外した方が楽じゃねぇか? と考えたが、荷台に掛ったカバーが対透過仕様になっている事に気が付き、黙って言われた通りシャッターを開ける。

「ナニナニ、おみあげ?」

「……どうかな?」

窓から顔を出し、工場内にトラックを入れる次郎の表情は、何処か真剣だった。
早くも荷台に飛び乗った幸呼は、好奇心に瞳を輝かせながらカバー越しに伝わる感触に心躍らせる。
幸呼は次郎より一つ年下ではあるが、此処『弥刀鋼材』の立派な職人の一人である。
父親譲りの勘の良さと、女性独特の感性は分厚いカバー越しにも、金属の持つ硬質で熱い鼓動を感じていた。

「どうした。中央の鹵獲兵器かナニかか?」

シャッターを締めながら、幸志は荷台で瞳を輝かせる娘に小さく微笑む。が、その表情が見る見る内に険しくなっている事に気が付いた時には、既に遅かった。

「コレって………次郎っ!! コレっ、一体どういう事なのよっ!!」

カバーの下の手触りで捉えた特徴的な関節系に、幸呼は激昂し声を荒げた。
まるで、毟り取るかの様に荒い手付きでカバーを引き剥がすと、トラックから降りた次郎に飛び掛かって胸倉を掴んだ。

「なんで……なんでコレが……次郎っ……なんで……」

次郎は、目の前の少女の瞳に様々な感情が映るのを、そして、その瞳に映る自分の表情を、ただジッと見詰めるしかなかった。
怒り、喜び、悲しみ、憐れみ…そして、それら全てを溶かして、涙は幸呼の頬を零れ落ちた。

荷台より姿を露わしたのは、全長3mの人型を摸した無骨な金属の骨格だった。

「……坊ちゃん、コイツはぁ……陸式じゃないか……」

幸志はトラックの荷台を信じられないモノを見る様な顔で見詰めながら呟いた。
ソレは、此処に在ってはならないモノだった。否、本来ならば、この世に存在する筈の無いモノだった。

「大江重工製・双脚式機動戦車『シュテン』……フレームだけですが、ソレが正式名称です。姉さんの…僕達の陸式では、ありませ…」

血を吐く様な次郎の言葉は、少女の嗚咽によって掻き消された。

此処に居る、否、東坂工場街に居るすべての職人なら、このフレームのみが残された荷台に眠る機体を見れば、コレが何かを直ぐに理解できるだろう。

それは、二年前。父を失い、その小さな肩に企業と東街工場街の未来を背負った姉弟が、職人達と共に、行く末を賭けて生み出そうとした夢の機体だった。



[30526] 無題 二話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:24
二話



東方企業連合直轄都市・鋭都。
その東の端に位置するトコロに、『布施技研』本部ビルは在った。
本部ビルと言っても、地下駐車場を合わせても六層と、他の企業に比べれば随分と控えめな大きさだったが、東坂工場街全てが本社と呼んで過言では無く、本部には営業部や広報部、統合経理部などの工場街では行えない業務を果たす機能のみを有していた。

「ジローちゃぁぁぁん、ジローちゃんっ!! 遥姉さんが遊びに来ましたよっ!!」

『布施技研』本部社長室のドアを、ノーノックでバタンっ、と開いた女性社員は口元に満面の笑みを湛え、社長の名を連呼する。
形の良い耳が見える程のショートの髪に、程良く垂れた眼元には魅惑的な泣きボクロが二つ。入社二年目もたって新人社員気分が抜けない、営業部営業一課に勤める、安堂遥だった。

「うるっせぇ!! 安堂っ、何処の社員が自分家の社長を呼び捨てにするのっ!! 馬鹿かっ!!」

凄まじい剣幕で、教育しがいの無い後輩を怒鳴り散らすのは、社長秘書の俊徳道礼子。
トップで纏めた長い髪に、薄めのメイクで妙齢の美女、とチラ見では勘違いしそうだが、最近気になってきた豊麗線と眼元の疲れは、隠しきれない。入社15年目の年齢不詳。入社時の履歴書は、本部のどのデータからも削除した。と言う、ウワサが在るとか無いとか。

「……だって、ジローちゃんが、ジローちゃんで良いって言ったもん」

「イイ歳して『もん』とか言ってんじゃないっ!! この馬鹿っ、馬鹿っ!!」

「うわぁぁぁんっ!! 三回も馬鹿って言われたぁぁぁ!! ババぁの癖にぃぃ!!」

「おっしゃぁぁっ!! ヤッたる、ヤッたるぞっ、小娘っ!! 表に出ろっ!!」

と、礼子は上着を脱いで、遥に飛び掛かり、社長室では成人女性二人の取っ組み合いが始まった。
一見バイオレンスな雰囲気に包まれる社長室だったが、二人は東坂工場街生まれで、しかも御近所と言う事も在り、幼い頃から面識が在る。
その他の社員にも、同郷出身者が多い事もあってか、この程度の掴み合いは日常茶飯事。小・中・高と同じ学校で、お世辞にもガラの良い校風では無かった為、その頃の縦割の上下関係が就職後も生きており、決着がつくまで放置するのが、暗黙のルールであった。

「ギブっ!? ギブアップかっ!!?」

見事なフロントチョークが決まり、遥は礼子の尻をぺチペチと叩いて、頸動脈は解放された。
現在82戦中、80対0、2引分けと、今回も圧倒的勝利を収めた礼子だったが、日に日に抵抗が激しく巧みになる遥に、シャツに染みる脇汗を隠せない。
若さの力かっ!! と、息苦しさに咳き込む遥を乱れた髪の毛を直しながら睨みつけたが、何やってんだ、と我に返り、応接セットのソファーに腰掛けた。

「で、だいぶと脱線したけど、要件は? まさか、マジで遊びに来たんじゃないでしょうね?」

「チッ……コレ、今日一緒に現場見に行った小坂のオジサンが、社長にって」

「えっ、舌打ちっ!? ……まぁいいわ、後でもう一回〆落としてやるから」

あからさまに悪態をつく後輩を尻目に、礼子は風呂敷に包まれた水饅頭を受け取り、給湯室に向かった。

「で、どうだったのよ?」

「…えっ? 何がですか?」

「何がですかじゃねぇだろっ!! 仕事っ!! 現場にお前も行って来たんだろうがっ!!」

「あぁ、それなら今、職人さんと課長で細かい話を詰めてるトコロですよ。新規での発注は無かったんですけど、改修する方向で決まりそうです」

礼子は、皿にのせた水饅頭と冷えた麦茶を持って「ふぅん、そうか…」と応接セットに腰掛ける。

「新隆起地区の資源回収は、塩害と腐食との戦いだからねぇ……せめて、使い終わったら真水で洗ってくれれば、もう少し長持ちするんだけど……」

「そうですよね~。サルベージギルドの人達も、もう少し考えてくれれば良いんですけど」

二人は、小さく溜息を吐いた。
工場街出身という事もあり、幼い頃から仕事をする両親や兄弟を見て来た。勉強しろ、とは言われなかったが、仕事道具は大事にしろと怒られた事は良く思い出す。

『新隆起地区』とは、東方企業連合に所属する全企業が総力を挙げて行っている事業である『国土拡大計画』一部である。
狭い島国の海底を人工的に隆起させ、200年計画で、現在の面積を1.5倍まで拡大させる途方もない計画で、サルベージギルドは、海中より浮き出た鉱床から資源を回収する業者の事である。
元々海底だった土地と海の近くと言う事も在り、資源採掘に使用される重機の消耗が丘の上よりも格段に速い。各重機メーカー共に、対塩害、腐食対策を重機に施してはいたが、それでも全てを防ぎきれる訳では無かった。
その上、資源回収には事前調査を元にした東企連から、かなりタイトなスケジュールが設定されている為、作業は大人数での短期決戦となり、重機の頭数は増え、設備投資や維持には莫大なコストが嵩むのだ。

「でも、どうなんだ? 新品を買うのと、改修するのとじゃ、コスト面でそんなに変らないんじゃないの? 相手先はゴネなかった?」

「そうですね、概算で改修の方が安く上がるんですけど、まぁ実際やったら、本当に若干程度の金額差になりますからね。でも、『発注してからの納期と、操縦とメンテナンスの経験値の蓄積から考えると、改修の方がトータルでは得な筈ですよっ』って、説得してみたら、まぁ何とか。多分、使えない重機がこれ以上増えたら工期に響くんでしょ」

「そうか…遥がちゃんと仕事取って来れる様になったのか」

礼子は、照れた笑いを浮かべて話す遥に、麦茶の入ったグラスを掲げて営業成功を祝福する。

「そうですよ、もう一人前なんですから」

照れた笑みが、得意げな笑みに変わる。
まだまだ、尻の青いガキが何を言ってるのやら、と一笑にふした。が、礼子の眼元は柔らかかった。

実際『布施技研』の経営は芳しいとはお世辞にも言えず、これ以上衰退すれば他企業との合併や、更には買収される可能性だって高い確率で在る。
社長である次郎が、若年であると言う理由で、兵站部異動を東企連から強制的に打診され、社長業の代行を行ってきた礼子にとって、この二年間は頭の痛い事だらけであった。
しかし、大口では無いにしろ、若い社員が自力で仕事を取って来て、東坂工場街の職人達に仕事が入る事を思うと、自然と口元がほころびるのも、無理は無かった。

「何言ってんのよ、最初の頃は営業先でからかわれて、ビービー泣いて帰って来てたでしょう」

「仕方ないじゃないですか……ハルカお嬢様育ちだから、営業とか初めは怖かったし」

「お嬢様育ち? アンタ、タダのプレス屋の末っ子だろうがっ!!」

「そんなに怒鳴る事ないでしょ! ゴム屋の行き遅れのクセにっ!」

「テメーっ!! マジで表に出ろっ!!」

「上等ですよっ!!」

と、再び掴み合いの喧嘩が始まる。

ドタドタ、ギャーギャーと、上のフロアから聞こえてくる騒音に『ああ、またかよ…』と、総務部長は白髪の混じった頭を、あきれ顔で押さえた。
そこに、一本の内線が入る。内容は、新隆起地の件。安堂遥が取って来た仕事を確実なモノとした営業課からの報告だった。





『父が成しえなかった十三・四資源エリアの奪還』という願いも在ったが、それ以上に『衰退していく工場街に活気を取り戻したい』と言うのが、このプランの本当の目的だった。

次世代型陸戦兵器の開発を目指し、設計された『布施技研・東坂工業技術組合共同開発 機動兵器 甲』は、動力に『大江重工』、OSやそのシステムに『吾妻電脳』の協力を得て、実験機である甲・参式が作製された。

鉱山を中心とする鉱物資源の豊かな資源エリアは、地形の起伏が激しく、高所に坑道跡を要塞化した拠点が無数に存在し、その上、幾重にも張り巡らされた対空・対超高空管制システムは、空からの攻撃を一切許さない、結界と化していた。
故に、甲・陸式は、汎用性を重視しながらも、特に山岳地形を侵攻する事に特化した仕様とされ、資源エリア防衛の最大の利点とされる坑道を利用して航空戦力から身を守り、安全に進軍出来る様に、従来の掘削用重機と同等のサイズに設計される。
双脚式と、人型に近い形での設計は、小型化が求められたのと同時に、無人機動兵器と連携して作戦を行う兵士達への配慮が在った。
現在の主力戦車の内、山岳地侵攻でその割合を多く占める多脚戦車は、機動性、総積載可能重量などに優れた機体ではあるが、テロやゲリラなど非対象戦に対して運用が難しく、四脚もしくは六脚と非人間的フォルムが可能とする戦術が、地面を二本脚で走って進む兵士には、イメージしきれないといった問題が少なからずある。
甲・陸式は、人間的フォルムをし、人間に近い動作を行う事で、共に作戦を行う兵士達との連携をイメージしやすく、共同作戦立案を行い易いというメリットがあった。

後に、実戦経験の在る、兵站部から現役の士官と戦車乗りを戦術顧問として迎え、実験に次ぐ実験を繰り返し、再計算、再設計は日々当たり前の様に行われた。
しかし、過酷な開発の中でも職人達は異様な程に高いモチベーションを維持し、結果、約一年半という脅威的に短い開発期間で、甲・陸式は量産に耐えうる総合的スペックを獲得した。

双脚式高機動戦車 甲・陸式
全高 2.56m
全幅 1.70m
全長 2.05m
重量(非武装重量) 3.9t
旋回速度(180度) 1.8s
速度(非武装時・前後進速度) 120km/h
総開発費 190億円 単価1.8億円

しかし、甲・陸型は量産される事は無かった。
開発責任者である布施和姫の失踪。と同時に、開発プラン全てと実験機・試験機も消失。
そして、度重なる捜索の結果見つかったのは、変り果てた姉の亡骸とファイル一冊だけだった。





「坊ちゃん…」

東坂工場街に在る、喫茶『あんどろめだ』の窓際の席で、弥刀幸志は二本目の煙草に火を点けた。
無表情のまま佇んだ次郎。泣きながら二階へと駆け上がった娘の幸呼。その二人に、かける言葉を見付けだせないまま『少し、場所をかえるか…』と、幸志は次郎を連れて、馴染みの喫茶店へと脚を伸ばした。

「ニュースでは聴いてたんだがな…よりにもよって『大江重工』か…」

「はい、開発に協力を依頼した時点で、この可能性を考慮しておくべきでした。社長、本当に、すみません」

幸志に向い、深々と頭を下げる次郎。
技術者をしていれば、自分よりも若い技術者に頭を下げる事も在る、それは、男のプライドよりも、職人としてのプライドが勝るからだ。自分では出来ない、自分に勝るモノを持つ人間に対して、技術者の態度は常に誠実である。
だからこそ、自分の半分も生きていない青年が謝罪するという重みが、痛いほどに理解出来ず、企業を束ねる青年が謝罪するという重みが、悔しい程に理解出来た。

「…大江嘉久とお嬢さんの事は、工場街全員が知っていた事だ…ソレを責める気は無ぇ…だけどな、許せねぇのは嘉久だ……もしかしたらお嬢さんは嘉久に殺されっ」

「弥刀さんっ!!」

次郎は、勢い良く立ち上がると机を叩き、凄まじい剣幕で幸志の言葉を遮った。

『布施技研』の先代が亡なり、その跡を継いだのは次郎では無く、姉である布施和姫だった。
次郎が、まだ学生という事もあったが、それ以上に姉の和姫には経営者としての才能が在り、当時より『東坂工業技術組合』も、次期社長には和姫を、と言う声が多かったのだ。
そして、和姫には大学時代からの交際していた相手がおり。仲睦まじい二人交際は、周知の事実で、その相手が、現『大江重工』専務・大江嘉久だった。

和姫の死因は服毒による自殺。父親の墓前で眠る様に横たわった和姫を見付けたのは、次郎だった。
葬儀の日、嘉久は花だけを送り、最後まで姿を露わすことはなかった。

「すまねぇ…取り乱しちまって…だけどな、坊ちゃんは悔しく無いのか? 憎く無いのか?」

幸志は、和姫の眠る棺桶の前で、泣き続ける娘の幸呼と共に、ただジッと座っていた次郎の顔を、どうしても思い出す事が出来ない。

「無い…と言ったら、嘘になります。でも、姉さんは本当にあの人を愛していた。幼いボクにも解る程、あの人も姉さんを必要としていました。経営者として甘いと言われるでしょうけど、二人の関係と、甲・陸式の件は別です」

幸志は、その言葉に唇を噛み、口を噤んだ。
言いたい事は山ほどあった。しかし、この弟がどれほどまでに姉を信頼し愛していたかを幸志は知っている。そして、その弟が別だと言う。今にも泣き出しそうな真剣な顔で、別だと言うのだ。
それ以上、二人の事については、何も言えない。

「で、坊ちゃんは何を考えてるんだい? あんなモノを東坂に持ち込んだって事は、何か理由が在るんだろう?」

「あのフレームの設計図を立ち上げてもらいたいんです。そして、組合を通して全工場に流して下さい」

次郎は、一瞬目を伏せると、パッと顔を上げ小さく笑った。まるで、イタズラを思い付いた少年の様な無邪気な笑みだったが、幸志は何故かその笑みに背筋が冷える。

「設計図なんて立ち上げて……まさか?」

「そうです。ウチでも造ります」

「駄目だっ、ロールアウトされた機体のコピーなんて、重犯罪だぞっ!! それに、職人達がそんな事承知する訳が無ぇ!!」

今度は、幸志が声を上げる番だった。
東方企業連合では、各企業の設計・技術特許の侵害に厳しい罰則をしいている。
懲役15年以上、執行猶予無し、被害企業への損失額満額、合わせそれ同等罰則金というとてつもない刑罰である。
この背景には、競合企業同士の競争力強化もあるが、それ以上に、企業同士の武力衝突を極力避けるという目的があった。
現に、産業スパイが起した機密盗用で、競合企業同士が警備部、兵站部を動員し市街地戦を繰り広げ、多数の死者を出した事件が過去に何度も起っている。

「違いますよ、社長。そんな馬鹿な事考えませんって」

次郎は、焦った様子の幸志に苦笑を洩らす。

「甲・陸しきっ…じゃない。大江の『シュテン』は、今回のエリア奪還の実績もあって量産が確定しています。『大枝興産』『千丈ケ岳工業』もライセンス生産を受託する動きですし、東方企業連合の兵站部からも、既に300機の初期発注が上がってるという噂です」

「て、事は、まさか…」

「その、まさかです……『布施技研』は、これから『シュテン』のライセンス生産をメインに、フレームの各部部品生産の下請けを積極的に行っていくつもりです」

そう言った次郎は、再び無邪気な笑みを浮かべた。

確かに、『布施技研』と『東坂工業組合』ならば、開発元と同等か、それ以上の精度で『シュテン』のライセンス生産が可能であり、ノウハウは技術の擦り合わせを行う必要もない。
その上、部品生産の受注も、他のライセンス生産を受託した企業から確実に行われる事を考えれば、かなり大口の仕事になるだろう。甲・陸式開発でかかった費用も回収可能な程に。
理屈は合う。
だが、幸志が次郎の笑みに、どのような意味が込められていたのかを知るのは。これから随分と先の事になる。



[30526] 無題 三話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:24
三話



次郎が弥刀技研を訊ねた次の日、東坂工場街の寄り合い所『梅の花館』では、『布施技研』と『東坂工業組合』の会合が行われていた。

主な内容は、『大江重工』製、量産型機動兵器のライセンス生産を受託、部品作製の下請けに対する方針の説明と、新開拓地における重機の改修などの通常業務についてだった。

会合の進行は、秘書の俊徳道礼子が行い、ライセンス生産については組合長である弥刀幸志、改修業務については、営業二課のチーフである真菅道夫と、共に現地視察を行った『小坂製作所』の小坂仁柄が行った。

ちなみに、社長である布施次郎は別件にて不在。『シュテン』のライセンス生産許可を取得すべく『大江重工』向かっていた。

会合は、甲・陸式の開発に携わった職人達が荒れに荒れ、梅の花館は大時化の海原の如く混乱を極めたが、全体進行の礼子による『うるっせぇ、ジジィ共っ!! ぶっ殺すぞっ!!』と、幾分過激な鶴の一声により鎮静化、幸志もライセンス生産がまだ確実なモノでは無い、という事で、若干弱腰の説明にて一応の幕を閉じ、議題は目下の重機改修業務について、チーフの真菅から説明される事となった。


「まず、初めに、今回の改修業務については、『小坂製作所』の小坂社長に指揮を取ってもらう形になりますので、詳細については後ほど小坂社長の方からお願いしたいと思います。それでは、私の方から、作業の大まかな流れについて、説明させていただきます」

道夫が小さく頭を下げると、拍手と共に、『よっ、男前』などのヤジが飛び交う。
美形で有名な、営業二課チーフは工場街のマダム達のアイドルで、ファン一号は彼の母親。胸に、『布施技研』とロゴの入った作業服に身を包んだ道夫は『やめてよ、母さん達。恥ずかしいから』と、男にしては、端正な造りの顔を真っ赤にしながら、端末の情報を設置したスクリーンに映し出した。

「事前に皆さんにお配りした資料の通り、改修が必要な重機の数は調査の結果58台。その内52台は、旧『富洲重機』現在の『川越富洲重機』製の小型掘削重機『砂蟹5號・型番TS-SC05後期モデル』という古い機体です……」

『砂蟹5號』という名前に、古い職人達は「おおっ」と歓声を挙げた。
その昔、安価と故障の少なさから大ヒット商品となった『砂蟹5號』は、東坂街でも部品の下請けを行った事の在る、懐かしい重機だった。

「まぁ、かなり古いモデルと言う事もあって、現在部品の供給行われていません。メーカーに一部在庫が在るという事なのですが、数量は圧倒的に足りない見込みです……」

と、スクリーンに映し出された重機のモデルを指先ながら、道夫は説明を続けた。

概用は、工場街にて不足する部品と対塩害用に新たに増設するパッキンや吸気フィルターなどを作製し、現場に随時搬入。重機の使用されない夜間に、現地にて改修するというモノだった。
しかし、その説明に、会場の後ろの席に座った若い職人が手を挙げる。

「現地でって事は、設備はどうするんすか?」

現地での改修ならば、作業に関わる職人にとって設備が問題となる。
消耗部品の交換は勿論、吸排気系に合わせ、外装にまで防腐処理を施すとなれば、それなりに規模の在る工場が必要である。

しかし、道夫は、その質問が挙がるのを予期していた化の様に「それはですね…」と、得意げに話そうとしたが、

「そりゃあ、『一郎丸』の出番だろうな」

返答は最前列に陣取った古い職人達によって奪われてしまった。

「なんだよ、その『一郎丸』って?」

「先々代の社長が造った。すげぇデケぇ船の事だよ」

『布施技研』初代社長の名を冠した『一郎丸』は、当時退役となった9000t級のドッグ型輸送揚陸艦を改修して建造した、海上移動式製作所である。
元々は、商品の納品時などに輸送と同時に組み上げや整備を行う事を目的として造られ、内部には、十分なスペースと設備が整っており、戦車の五・六台ならば組み上げる事が可能である。
その上、居住スペースの確保されている為、長期の出張時の宿にもなる優れモノだった。

その後、古い職人達は口々に「あの頃はなぁ…」と、過去の武勇伝を話し始め、若い職人達もそれに興味深々と、聴き入る始末。
後ろに控えていた工場の女将さん達も、何処からか茶菓子を取り出し初め、会議は和やかな混乱へと陥って行く。

説明を任されていた道夫も「皆さん、会議中ですからっ!!」と、声高にこの状況を何とかしようとするが、誰も聴いちゃいない。そんな中「またかよっ…」と吐き捨てる様に呟いた礼子が、道夫を押しのけて壇上に立った。

「んなぁ昔話は後でやれぇぇっ!!」

礼子の怒号に、会場は一瞬にして静まり返った。

「オヤジっ、昼間っから酒飲んでんじゃねぇ仕事舐めてんのかっ!! 下田の女将さんっ、アイスクリームなんかどこから出したんだよっ!! 松塚のジジィ、寝るなっ!!」

「……礼子さん、落ち着いてくださいよ……」

完全にキレ顔の礼子にビビり倒した道夫は、逃げ腰ながらも何とか壇上に戻ってくる。

「うっせぇ!! お前ぇがシャキッとしねぇから、こんな事になるんだろうがっ!! それに、ウチのオッサン共は、何処行った!?」

道夫がハッと会議場を見渡すと、『布施技研』の面々が座っている筈の座布団にチラホラと空きが見える。
会議が始まって直ぐに、数人の職人と共に居なくなった事を礼子も確認していた。何時もなら「まぁ、仕方ないか」と、諦めるのだが、今日、この瞬間は我慢ならない。

「いや……その、さっきトイレにって……」

「二時間もトイレっ!? 馬鹿野郎、んな訳ねぇだろうがっ! さっさと、若い奴等連れて、引き摺って来いっ!」

「えっ……? でも、何処に行ったのか……」

「あぁ? 角のパチンコ屋に決まってんだろうがっ!!」

礼子は、今にも頭から噛り付かんかの形相で道夫の胸倉を掴む。

「いいか、真菅…負けてても連れて来いっ! 勝ってても連れて来いっ!! 出てる最中でも連れて来いっ!! とにかく……連れて来いっ!!」

「はいぃぃっ」と、上擦った声で返事をした道夫は、脱兎の如く靴も履かずに会館を飛び出し「お前ぇ等も行くんだよっ!!」と運悪く近く居た若い職人達も尻を蹴飛ばされた。
結果、パチンコ屋で三名、雀荘で三名が確保され、途中「そんなだから、嫁の貰い手がおらんのじゃ」と言った職人に、礼子のハイヒールがライナーで飛んで行くなどのアクシデントは在ったが、会議そのものは、何とか全員の了解を得て終了した。





一方、ライセンス取得に『大江重工』へと向かった次郎は、三十分ほど会議室で待ちぼうけを食わされていた。

「にしても、大丈夫っすかねぇ…会議…社長も出た方が良かったんじゃ無いですか?」

黒のスラックスの上に『布施技研』の作業服を着た恩知正孝は、何処か心配そうな顔で、額貼られた大きな絆創膏を撫でる。
しかし、その風体がスキンヘッドに色付きの伊達メガネと、社会的にはガラの悪い方達と見まがう程にワルかった。
そして、見た目もさることながら、会議用のパイプ椅子に収まるのが不思議な程の巨躯。無言で睨まれたら、女子供が泣きだしてもおかしく無い、容姿である。

「礼子さんが居るんだし、大丈夫だよ」

隣で行儀よくジッと座っている次郎は、当然と言いたげな顔で正孝を見たが、色眼鏡の奥の、見た目にはそぐわない優しい瞳から心配そうな気配は全く抜けない。

「いや……僕ぁ、俊徳道の姉さんが心配なんですよ……」

「なんで? 同じ秘書課の先輩だよ…礼子さんは、頼りになって優しい人じゃない、恩知さんも知ってるでしょ?」

「いや……まぁ社長がそうおっしゃるなら……そうなんでしょうけど…」

正孝の顔色は益々冴えない。

正孝は、大学生の頃に礼子からスカウトされ『布施技研』に入社するという、少し特殊な経歴の持ち主だった。
大学のゼミで知り合って、才能を見染められて企業へ入社。なら、皆が夢見るサクセスストーリーの幕開けなのだったが、内容は少し異なる。

彼が、大学時代バイトで働いていた飲み屋の常連客の中に、毎度酔っては他の客に迷惑をかける一際ガラの悪い客が居た。
在る時、運悪く隣に強面の客が座り、口論が喧嘩へと発展し、一触即発のムードに店内は騒然となる。
著しく外見にそぐわないが、彼は、心優しい青年だった。暴れる酔った客に暴力は振るわず、持ち前の巨躯で必死にはがい締めにし、何とか落ち着いて貰おうと必死に諭す。
当時はロン毛だった彼は、髪を引っ張られる苦痛に顔を歪めながら、理不尽な客が落ち着く事を祈った。
その時だ、一人の妙齢な女性が割って入って喧嘩を仲裁し、その場を雄々しく諫めたのだ。

彼は思った。世の中には、素晴らしい人が居るモノだ。と、その矢先、酔った客の踵が彼の股間にクリーンヒットし、思わず屈んだ瞬間に後頭部が鼻に減り込み、あまりの苦痛に、その場で鼻血を流してしゃがみ込んだ。
そして酔った客は蹲る彼のポケットから財布を取り出し、学生書を奪うと、彼の頭を掴んでこう言う。

「東坂中学の元裏番を2分以上ホールドするったぁお前ぇ、見込み在るな……明日、此処に訊ねて来い、逃げたら……どうなるか解ってんだろうな?」

ピラピラと、学生書を耳元で振りながら、客は一枚の名刺を投げて去って行く。
正孝の頭の中は真っ白になった。女手一つで育ててくれた母、可愛い妹の顔が過り、そしてこれから先の事を思うと、これからの自分の未来は真黒に塗りつぶされる。
その筋の人に、眼を付けられてしまった。
彼は、呆然自失で項垂れ、故郷の母に必死に詫びた。それなら、いっそ家族に迷惑をかける前に……その時、脚元に落ちた名刺が目に入る。
其処には、

『(東)布施技研 秘書室室長 俊徳道礼子』


「やっぱり、僕ぁ心配ですよっ! 姉さん、社長が帰って来てから、また酒飲みだして昨日も飲み屋で暴れたんすからっ!!」

気が気じゃねぇ。
次郎が二年前に会社を離れたおり、礼子は酒を絶った。そのおかげもあってか穏やかな日々が続いたが、戻って来たその日の晩には仕事帰りに二升を軽く平らげ、二年のブランクを思わせない一升瓶での見事なフルスイングが正孝の額をかすったのだ。額の絆創膏は、その跡である。
だが、それ以上に恐ろしい事は、何故か、社内では礼子と正孝が『良い仲』である、と言う噂が広まっている事だ。勿論、事実無根のガセネタである。と、正孝は信じている。



「声が大きいよ、恩知さん。ほら、先方の方も来たから落ち着いて」

昨晩の事を思い出し、背筋を冷やす正孝を尻目に、落ち着いた様子で会議室のドアが開くのを見て立ち上がり、次郎は頭を下げた。

「お忙しい中、申し訳ありません」

「いえいえ、こちらこそお待たせして申し訳ありません。ワタクシ、『シュテン』量産計画を任されております。開発部の乾川加悦と申します」

会議室に姿をあらわした初老の男、加悦は懐から名刺入れを取り出し、次郎と交換する。
正孝も、ハッと我に返り、立ち上がると深々と頭を下げた。

「私、布施技研の…」

「いえいえ、存じておりますよ。布施次郎社長、お若いのにシッカリした方だ」

加悦は、柔和な笑みを浮かべると、二人を座る様に促し席に着いた。

「では、早速ですがお話を、伺わせ願えますでしょうか」

「はい、それでは」

恩知は、鞄の中からファイリングされた資料を取り出すと、次郎に手渡す。
それは、姉の亡骸と共に見つかった一冊のファイル。甲・陸式開発にて唯一『布施技研』に残った資料である、量産計画の工程を『シュテン』量産用に書き換えたモノだった。

「乾川さん、我々布施技研は、必ずや『シュテン』量産計画にて、確実な成果を御社にもたらす事を、確信しております」



[30526] 無題 四話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:25
四話



車両の両サイドと後部に『布施技研』とデカデカとマーキングされた四駆は、東湾岸道をひた進み、建築途中の建物の並ぶ中を工事車両と共に更に進み、舗装された道路が切れても、ただただ東に突き進む。
そして、東方企業連合管理地区と新隆起地区との間に聳え立つ壁、移動式検問所を抜けると、開けっぱなしの窓から、少し塩の匂いが香った。
視線の先には一面の海岸線。そして、嫌でも目に付く高さ100mを超える巨大な杭の様な建造物『隆起促進杭塔』が見えたら、其処は目的地である『第22期新隆起地区』である。

「暑っちいなぁ。クソっ」

悪態を付きながら、四駆を降りた礼子は、すぐさまパンツスーツの上着を脱ぐと、窓から車内にほおり込んだ。

「遠いし、暑いし、汚いし、たまんないねぇ。何時来ても……」

「姉さんは、新隆起地が嫌いで?」

何処からか取りだした双眼鏡で、海岸線を覗く礼子の横には、日傘を差した正孝が持ち前の大きな身体と合わせて、強い日差しから彼女を守る。

「…いいや、どっちかと言うと好きだね。未開の地、フロンティア、コレで血が騒がないなんて女は、女じゃねぇよ」

口元を吊り上げて、そう言いきった上司に少し引きながらも、正孝は今回の出向の人選に誤りが無かった事を知る。こんなに楽しそうな彼女を見るのは、久しぶりだった。

「なんだ。マサは嫌いなの、フロンティア魂」

「いえ、ただこんな髪型なんで、直射日光には弱くて……」

正孝は、完全に剃りあげられた自分頭をなでると、小さく苦笑を洩らした。

「なに、アタシが選んだ髪型が気に食わないの?」

スキンヘッドが髪型?もはや、髪なんか無いじゃん。と、突っ込みたい願望を「いえ、そう言う訳では」と、色眼鏡の奥に仕舞いこむ。

「マサにはその髪型が一番似合うって。アタシが保証するよ、それに誕生日プレゼントであげたそのメガネも、かなりクールじゃない」

「そうですね、クール過ぎて少し困るくらいです」

この大きな身体で、しかもスキンヘッドで、こんなメガネをかけてたら、すれ違う人の大半は背筋を冷やす事請け合いです。

「だろ~。でも、アタシ以外の女に色眼使ったら承知しねぇぞ」

「はぁ…」

使った事ありませんっ。色が点くとしたら、主に警戒色です。

「なぁ、御二人さん。こんな暑いトコロでイチャついて無いで、目的地に行きましょうよ」

四駆の運転席の窓が空き、サングラスをかけた男が口元を僅かに持ち上げて笑う。
『布施技研』秘書室付きドライバーのイヴァン高安イリンスキー。父が外国人のクォーターで、ぱっと見では、東洋人には見えない。
元民間軍事会社の戦車乗りで、車の運転が趣味。毎晩愛車を駆り峠を攻めていたトコロを正孝と同じく礼子にスカウトされた。

「やだっ、何言ってんのよイヴァン。そんなんじゃないのっ」

と、まるで乙女の様に頬染めた礼子の照れ隠しに放った掌底が、イヴァンの高い鼻にクリーンヒット。
車内で悶絶する同僚に、憐れみの視線を向けながらも、正孝は心中で小さくガッツポーズ。社内に蔓延っている秘書カップルのイカレタ噂の根源は、イヴァンだと睨んでいる。

「さぁ、行きますか」

礼子の号令と共に、再び車は海岸線に向けて進みだす。目的地は『第22期新隆起地区』
『シュテン』ライセンス生産の条件として、『大江重工』が管理の移譲してきた新たな事業地だった。





話は、『大江重工』会議室での一件に遡る。

「ほぉ、月産60ですか……コレは、思い切った数字を出されましたね」

『大江重工』『シュテン』量産計画の責任者である乾川加悦は、次郎に渡された資料に目を通し、小さく唸った。
『大枝興産』『千丈ケ岳工業』と、ライセンス生産の受託がほぼ確定している企業でさえ、此処まで具体的な数字を出して来てはいない。むしろ、量産計画としては数字をこのタイミングで、此処まで正確に出す事自体が不可能なのだ。

「先の資源エリアでの戦闘で、実物を見ていますし。その……大きな声では言えませんが、その時に少し……」

次郎は、片方の眼を閉じて小さく笑う。だが、勿論これはブラフである。この資料を見て、加悦が訝しんで初めて、交渉を始める目算だった。
しかし、目の前の初老の男の眼元に、その兆候は一切現れる様子は無く、柔和な笑みが張り付いたままだった。

「聴いていた通りの、優秀な方ですな」

「聴いていた通りと、言いますと?」

「ウチの専務。大江嘉久より、事前に聴かされておりましたのですよ。貴方がたが、何処の企業よりも早く、納得行く数字を持ってくるだろう。と」

『大江嘉久』の名前に、真っ先に反応したのは、次郎では無く正孝だった。
色眼鏡の奥に瞳がビクッと動き、その瞳から感情が抜け落ちて行く。膝の上に置かれた拳に、キリキリと力が入る中、彼の拳の上に次郎の掌が被さった。

「そうでしたか。それは、嬉しい話ですね。ご期待に応えられて何よりです」

ハッと我に返った正孝が見たのは、無邪気な笑顔で応える次郎の横顔だった。

「では、どうでしょう。量産計画の方、我々にも一役買わせていただけますか」

──そうだ、我々は、此処に仕事を取りに来たのだ。
眼は口ほどに──上司が、この色眼鏡を送ってくれた事に、正孝は初めて感謝した。眼元が隠れていなければ、この商談を最悪は御破算にしていたかもしれない。

「そうですね、ワタクシ一人の判断では確実に、とは行きませんが。我々としてコレを断る理由は御座いません。正直、ワタクシの予想を遥かに超えたビジョンを提供して下さったと感謝しているくらいです……が、しかしですね……」

商談は順調に進んでいると思われたが、此処に来て、初めて加悦の表情に曇りを見せた。

「ワタクシとしては、とても心苦しいのですが、ウチの専務から他の言葉も預かっておりまして……」

「はぁ、どのような事でしょうか」

「そのですね…大変失礼な事なのですが、『布施技研』は新社長になってからの実績が無いという事で、ライセンスの受託に一つ条件を提示させていただきたいと」

「…確かに。では、どのような条件でしょうか?」

加悦の言葉に、二人は動揺を隠しながら問うと、彼は一冊のファイルを申し訳なさそうに次郎に渡す。ファイルには、『第22期新隆起地区・資源回収作業二次報告』と銘うたれていた。

「今期、当社が東方企業連合より資源回収を任された地区なのですが、状況があまり良く無くてですね…当社としては、人員の増員などの手を打ってはいるのですが、何分今回の量産計画などもあり……この地区の資源回収を、貴社の方で行っていただきたいのです」

『大江重工』が『布施技研』に出した条件。有態に言えば、面倒事の後始末をしてほしいという事だった。
新隆起地区の資源回収事業は、東企連による指名でその責任を持つ企業が決まる。
事業を行うメリットは、事業管理に対する報酬以外に無く、デメリットは人材負担や工期遅延を防ぐ為の自社予算投入など、マイナス面の方が大きい。事業を任された時点で、負債なのだ。事業が続く限り、東企連所属企業は永遠に終わらないババ抜きをし続ける事になる。

企業に勤める者として、加悦は随分と善良な男だった。
ライセンス生産の受託を考えれば、この条件を飲む以外の選択肢が次郎達に無い事が解っていた。それ故に、言葉を詰まらせたのだ。

「解りました、私一人では判断できませんので、社に持ち帰り、一両日中には返答させていただきます」

次郎の返答は、迅速且つ、明瞭だった。
『渋々返事をするくらいなら断れ。やるなら気持ち良く受けろ』亡き父の言葉であり、職人達から感じ取った心意気。
迷う必要は無い、断る理由が無い。そんな質問ほど、返答一つに差が出るモノは無い。相手に引け目が在るならば、それは、またと無いチャンスであり、魅せ場なのだと、次郎は快く返答し、後日、条件を了承。ライセンス生産は確実な動きを見せ始めた。

そして、秘書の二名とドライバーは本社から程良く離れた『第22期新隆起地区』へと向かったのである。



[30526] 無題 五話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:25
五話



『大江重工』へ赴いた後、布施次郎は、二年ぶりに姉と父の眠る墓へと脚を伸ばした。

忙しい蝉の鳴き声の響く中、墓地へと続く道を進む次郎の顔に表情は無く、手元には花の一輪も無かった。
自分の手では成し遂げられなかった父の仇であった資源エリア奪還。奪い取られた姉の甲・陸式。何も伝える事は出来ず、ただ眼を閉じてジッと佇む。

「…お久しぶりですね、次郎さん」

その背中に声をかけたのは、純白のゼフィランサスの花束を持った白いワンピースの若い女性だった。
肩までで切りそろえられた黒髪に、広い額。理知的な眉の下の何処か憂い満ちた大きな瞳が、次郎を見詰める。

「…久音さん」

少女の名は、大江久音。『大江重工』を束ねる大江一族直系の末娘で、嘉久の妹である。
次郎の姉が存命の頃は、嘉久と共に、よく『布施技研』へ遊びに来ていた事もあり、次郎とは面識が在った。

「早いものですね…もう二年も経ったのですか……私も、参らせていただいてかまいませんか?」

「どうぞ……僕は、これで帰りますので」

そう言って、踵を返そうとした次郎を、久音は「待って」と呼びとめた。

「コレ、私の研究所で培養した花なんです……」

久音は、一輪のゼフィランサスを次郎に手渡す。

「家族の皆は、花になんて興味が無くて……」

『大江重工』の研究所に在る、植物プランクトンの研究所に勤める久音だが、会社にとっては遊びの様な事業だった。
上の兄達は、皆が会社の要職に就いている中、末娘である久音に宛がわれたのは有っても無くてもいい様な研究所の椅子一つ。
『私になんて興味が無くて…』それが、本音だったのかも知れない。

だが、次郎は「そうですか…」と、一言残して、その場を去って行く。しかし、手には一論の花。何処に咲いたとて『花』に罪が無い事は知っている。





『布施技研』の三人を乗せた四駆は、荒野を走り抜けて行く。岩と砂だけの荒野には草木一本生えず、時折太陽の光を反射して塩の結晶がキラキラと輝いてた。
人工隆起地としては比較的新しいその土地には、無数の穴が点在しており、此処が海中であった時に掘られた、メタンハイドレード採掘の跡だった。
そして、その掘削跡を起点に多くの『密坑者』達が、蟻の様に地表と地中を忙しなく往復している。
正孝は、車窓から、そんな景色を眺め。ふと、ある疑問に至ったのである。

「というか、何で秘書の我々が、こんな所に来てるんでしょう……?」

「えっ。なんでって? 『第22期新隆起地区』の視察を、社長に任されたからに決まってるじゃない」

隣で、化粧を直しながら、礼子は、何言ってんの? と、いった表情で正孝の顔を見る。
「いや、ですから…」と、返したい言葉は山ほどあったが、その表情を見ると何故か馬鹿らしく思え「そうですね…」とお茶を濁す。
上司は、秘書という立場が何なのかすら認識していない。一番の問題は、この仕事を上司に任せた若社長なのだが、一度はヤ○ザの事務所に就職を考えた正孝自身、深く考える事が早々に虚しく思えてしまった。

そんな事を考えていると、車窓の外では荒野が切れ、段々と人だかりが見えてきた。何もない荒野の真ん中に出来た集落。戦災から逃れた難民キャンプの様ないで立ちだが、其処に住む人達には活気が在る。其処は『第22期新隆起地区』の資源回収作業を担うサルベージギルドの本拠地、『フレデリック流浪街』だった。

サルベージギルドとは、新隆起事業が始まってから生まれた組織である。
事の始まりは、新隆起地の資源回収に東企連が企業保証ナンバーを持たない大量の密入国者や密航者などを低コストで起用した事が発端だった。
当時の事業関係者達は、新隆起地区で働く者達の事を『密坑者』と呼び、今も、俗称は消えずに残っている。

初めは、単なる寄せ集めの烏合の衆であった『密坑者』だったが、現場と経験を重ねる内に、その中で人を動かす才能を開花させる者が現れるのは必然で、元々、気の荒い者が多い『密坑者』達を従わせるには、企業に所属するデスクワークの会社員よりも、同じ『密坑者』が適任であった。
東企連は、資源回収作業の効率化を図る為『密坑者』を統率する長としてギルドの設立を認め、一定の利益と独占権を保証。現在では、13のサルベージギルドが新隆起地の資源回収作業の受託を行っている。
『フレデリック流浪街』は、サルベージギルド長のジェームス・J・フレデリックが管理する『密坑者』達の街だった。

礼子と正孝は、車にイヴァンを残し、『フレデリック流浪街』のメインストリートに脚を踏み入れた。
狭いメインストリートには、露店が溢れ、様々な言語の看板がひしめき、行き交う者は、資源回収を行う坑夫だけでは無く、その家族と思われる女子供から年寄り、いかにも堅気では無い面々や、昼間だというのにランジェリーにコート一枚を羽織っただけの娼婦など、混沌としていた。
『密坑者』は、新たな隆起地を求めて遊牧民の様に移動する事が常で、それに合わせ、家族や、ソレに群がる商売人や技術者、娼婦、闇医者など多くの人々も一緒に移動する。文字通り『流浪』する『街』なのだ。


「じゃあ、マサは先にギルド長のトコロに行っといてちょうだい。アタシは、チョットそこらへんを見物してから、合流するから」

と、礼子は、街に付いた瞬間から眼をキラキラと輝かせ、落ち着きの無い様子でキョロキョロとあたりを見回し「チョット待って下さいよっ!?」と、正孝の呼びとめも虚しく、軽快な足取りであっと言う間に雑踏の中に消えて行った。

正孝は、右も左も解らない猥雑な街で一人取り残され、マジか…と一人、途方に暮れてしまいそうになる。

しかし、『なぁ、兄さん……どうだい、ウチにぁ、可愛い子が揃ってぜ。昼間だからサービスするヨ~』やら、『兄さん、アレだろっ。ハジキ買いに来たんだろう? ウチなら、満足出来るのが在るぜ。東企連の御禁制だって…』やら、『…各種、内蔵だったらウチにしときな…角膜だって、常時揃ってるから…』やら、『……兄さん、ウチならハヤイのもオソイのも、混じりっ気なしの高純度が揃ってるぜ…』など、他所者を見つけてワラワラと、集まって来たロクデナシ達が、途方にも暮れさせてくれない。
アッという間に人だかりに囲まれ、逃げ場を失いうろたえる。風体を見れば、確かに的を当た商品の提供をしてくれるのだが、中味はただのサラリーマン。どれもノーサンキューの商品達である。

正孝は、引きつった愛想笑いを浮かべ、「いや、結構ですから…いや、仕事中なんで…」体も無い言い訳で、何とか脱出を試みようと思ったその時。急に人垣が割れ、その奥から車椅子のシスターが姿を現した。

「修道会に御用の方ですね……」

頭の先から脚元までを、黒い修道服に身を包んだシスターがユックリと正孝に近づく。
目深に被られたフード、車椅子の車輪を回す手も黒い手袋に覆われおり、唯一露わになった口元が、花の様な笑みを浮かべた。

「ワタシは、修道会のクリスティーナ・イ・スカイと申します。今は、神父も教会に居ますのでご案内いたします」

クリスティーナと名乗ったシスターが、正孝の手を取ると、周りに出来た人だかりが散々に去って行く。
正孝は、その様子に呆気に取られ、クリスティーナに導かれるまま、ギルド長の居る教会へと案内された。


一方、正孝を放り出し、流浪街を散策する礼子は、大通りの真ん中を堂々とした態度で歩いていた。先刻、数人のガラの悪い男共に囲まれたりもしたが、裏拳一つで撃退し、今は誰一人寄って来ない。
そして、屋台で売っていた良く解らない串焼きを片手に、露店に並ぶスクラップにも見えないパーツの山を、物色していた中、路地の奥で四輪のバギー相手に向い、しゃがみ込んだ少年を見付けた。

「やぁ、少年。修理中かい?」

急に声をかけられた事に、少し不審な顔をした少年は「内地の女が何の用だよ」と訝しんだ表情を浮かべて、再びバギーに向きあった。

企業保証ナンバーを持たない新隆起地区、俗に言う『外地』の人間と、東方企業連合管路地区、俗にいう『内地』に住む人間との間には、深い溝があった。東企連が『密坑者』や『外地』の人間に対して、企業保証ナンバーを与えた前例は一度として無い。
『密坑者』は死ぬまで『密坑者』。相手が、内地の人間と言うだけでも、コンプレックスを感じる。それは若ければ若いほど、大きく残酷なモノだった
少年の日光と塩で焼けた肌と色素の抜けた茶色い髪は、資源回収作業を行う『密坑者』と同じ。『密坑者』に年齢は関係なく、この少年もその一人だった。

「そんな、つれない事いわないでさ、どうしたの?」

礼子は、バギーの前でしゃがむ少年の横に強引に座り込む。驚いた少年だったが、礼子が女性という事もあってか、渋々といった様子で「……少し前から、エンジンのかかりが悪かったんだけど…今朝になって、本当に動かなくなって…」と、呟いた。

「ふーん。で、ちゃんと火は飛ぶの?」

「プラグは、ちゃんと見たけど……て、言うか、アンタ内地の人だろ。こんなバギーの事、解るのかよ?」

新隆起地区で働く者達と、に住まう者達の間には、十年ほどの技術的な差が在る。少年のバギーは、その隔たりを加味しても、まだ古い型のバギーだった。

「解る、解る。アタシも若い頃は、単車に乗ってたんだから」

「そう言ういみじゃねぇよ……その、こんな古いエンジン積んだバギーなんて……」

少年の瞳と言葉の端に、悔しさが滲んだ。
仕事で使う自慢の愛車だったが、見た目も中味もボロボロ。目の前には、綺麗なスーツを着た『内地』の女が居て、自分は小汚い作業ズボンに穴だらけのタンクトップ。否でも、違いを思い知らされる。

「何言ってんの、アタシの街じゃガキの頃は全部コレだったよ、再生ガソリンなら水より安いし……おっ、なんだ負圧チューブがやられてるじゃない。少年、テープちょうだい」

礼子は、ビニールテープを受け取ると、中程から硬化して切れてしまったチューブに巻き付け、「本当は、交換しないとダメなんだけどねぇ……っと、これでどうだ」と、バギーに跨り、勢い良くセルをキックする。
そして、少年のバギーは、数回のキックの後、少年の歓声と共に勢い良くエンジンの駆動音を響かせた。

「うぉぉぉっ! すげぇ、直ったっ! ありがとう、オバさん」

「はっはっはっ、少年、口の利き方には気をつけな。次にオバさんって言ったら、ビニールテープパンツの刑だぞぉ」

一切笑っていない凄味のある眼でそう言われた少年は、どんな刑かも想像つかすとも、凄まじく恐ろしい事だけはしっかりと感じ取り、カクカクと首を縦に振った。
テープパンツの刑とは、各種粘着テープをパンツの代りに褌状に股間へ巻きつけるという、東坂街でも外道中の外道と名高い伝説のスケバンが考案した私刑である。

「じゃあ、行こうかしら。少年、道案内をしてちょうだい」

エンジンを吹かしながら、礼子は少年に後ろに乗る様に促す。
久しく握るアクセルは鈍く、クラッチは甘いが身体に伝わる振動は、酷く心地いい。火が入ったエンジンは、マフラーから煙を噴きだす度、少年の心から嫌なモノを吹き飛ばした。

「行くって、何処に?」

バギーの荷台に勢い良く飛び乗った少年に礼子は、ギアを蹴りバギーを急発進させると大きな声で宣言する様に応えた。

「この街のボスに会いに行くのっ!!」



[30526] 無題 六話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:25
六話



サルベージギルドは、東方企業連合が付けた記号であり、その組織体系そのものは、『密坑者』が新隆起地区の開発に組み込まれる以前より存在した。
職も無く、毎日を生きるのに必死だった彼らは、自ずと集団化していき、その中で組織的に犯罪に手を染める者も少なくなかった。
それが、サルベージギルドの前身である。

力を失った国家に代り、東企連は私設警察機構を設け、企業を主体とした経済活動を阻害する者を『悪』として、積極的に犯罪者を取り締まった。
裁判は簡略化され、一時は廃止となった死刑制度を再導入し積極的に行い、年間で1500人を絞首台へと送った。
一部で贈収賄や、冤罪などの問題が出たが、刑務所や再校正施設など、加害者管理の年間500億円というコスト削減とは比べられるモノでは無く、私設警察に東企連の査察官を派遣する事でこの問題を解決とした。

そして、俗に『必要悪』と呼ばれる存在にもメスを入れ、その数を必要数にまで減らし東企連の完全な管理下に置く。その一環として生まれたのがサルベージギルドだった。

故に彼等は、犯罪組織いう体質を残したまま、東企連の掌の上で力によって他のギルドから採掘エリアを確保し、守護し、運営し、利益を生んだ。力とは昔と変わらず、時に金であり、時に暴力であった。
サルベージギルド同士の抗争は絶えず続き、新隆起地の開発を行う事で企業から手に入れた資金は、明日の為に企業から兵器を購入する代金に消え、それが日々繰り返されていく。
イーストフロンティアとサルベージ業者や密坑者達が呼ぶ新隆起地開発初期の時代。それは言葉通りの意味以外に、血で血を洗う争いの幕開けの時代でもあった。


恩智正孝がシスター・クリスティーナに連れられて辿りついたのは、大通りの突き当りに位置する、大型トレーラーを改造して造られた移動式の教会だった。
トレーラーの外観は、カラフルなネオン管だらけで、昼間でも酷く派手に見えた。しかし、内装は、外観に似合わず木目調の落ち着いた創りで、数台のベンチが並び、その先には一段高くなったステージ仰々しく掲げられたオブジェが一際目立つ。

痩せ細り、刺々しい茨の冠を被った男が十字架に張り付けられている、少しリアルでグロテスクなオブジェだったが、眠るように穏やかな男の顔に、正孝は何処か懐かしい母の横顔を思い出す。

「教会は、初めてですか?」

木造の空間に響く、透き通る様なクリスティーナの声に、正孝はハッと我に返る。

「えっ…ええ、内地ではあまりこういうモノを見る事が無くて……この方が、貴方がたの信じる神様ですか?」

「いいえ、この方は神の子であり、真の人でございます」

「神の子…? 真の人…? ですか……ははっ、僕の様な凡人には理解できない、尊い方なのでしょうね」

本当に理解できないといった様子で、正孝はスキンヘッドの後頭部を掻きながら、苦笑を浮かべた。

「そうですね、言葉で伝えられるモノではありませんものね。実のトコロ、私達も理解しているのか? と、聞かれてしまうと、答えに窮するのです」

クリスティーナは、正孝の苦笑を迎える様に、露わになった口元を綻ばせながら続けた。

「歴史的な教義については、その殆どを西方経済連盟が封印してしまったので、真の答えは解りません。ですが、この方が十字架と共にこの世界全ての悲しみと苦しみを背負って自らが処刑される丘まで歩み、この世全ての罪を引き受けて死を迎え入れたならば、それだけで私達の救いとなります」

「……立派な方だったんですね」

「はい、でもきっと本人は自らが死後このように教義の象徴として何千年も生きるとは思っておられなかったでしょう……ふふっ、少しお喋りが過ぎてしまいました。どうぞ、奥でギルド長がお待ちです」

案内されたのは、木製の扉で仕切られた小さな部屋。其処には一脚の椅子が置かれており、正孝は一瞬トイレの個室を思い出したが、目の細かい格子のはめられた窓から人の視線を感じて急に落ち着かなくなる。

「あの~、貴方が此方のギルド長でしょうか?」

解告室と呼ばれるその部屋は、己の罪を司祭へ告白し助言を受け取る場所であったが、無宗教の正孝には全く馴染みの無い場所だった。
とりあえず椅子に腰かけてみればイイものの、サラリーマンという性はそれを許さず、狭い部屋の中で立ったまま、格子の奥に見える人影を伺う。

「…マァ、スワリタマエ(まぁ、座りたまえ)」

格子の奥から聞こえた着席を促す声は、まるで電子音声の様だった。
その声に驚いた正孝は、言葉を理解しながらも椅子に座れず立ち尽くしてしまう。

「カコニフショウシタオリ、セイタイヲウシナッテナ、ジンコウセイタイデコエヲハッシテイル。キキトリヅラクテモウシワケナイナ。マァ、スワッテクレ(過去に負傷したおり、声帯を失ってな、人工声帯で声を発している。聞き取り辛くて申し訳無いな。まぁ、座ってくれ)」

「はっ、はい。大丈夫です。ちゃんと聞き取れます。ワタクシは、この度『大江重工』より此処22エリア開発を移譲されました『布施技研』の恩智正孝と申します」

「サルベージギルド『フレデリックシュウドウカイ』ダイヒョウ、ジェームス・フレデリックダ(サルベージギルド『フレデリック修道会』代表、ジェームス・フレデリックだ)」

正孝は、フレデリックと名乗るギルド長の人影に小さく頭を下げ、椅子に腰かける。
格子に映る影だけでは容姿までは解らないが、向けられている視線だけはハッキリと感じ取る事が出来た。

「さっそくで申し訳ありませんが、現開発地区の現状を」

「ヨウケンナラ、ショウチシテイル (要件なら、承知している)」

フレデリックは、正孝の言葉を遮る様に、徐に言葉を切り出した。

「ワレワレノシヲ、ホッシテシルノダロウ? (我々の死を、欲しているのだろう?)」

「えっ!?」

思いがけない言葉に正孝の表情が強張る。それと同時に、格子の奥から聞こえたガチャリという金属音。それは、兵站部へ異動したあの日に初めて聞いた、銃のスライドが上がる音と酷似している。
そして無防備の眉間へ、そこはかとない敵意の視線が突き刺さるのを、確かに感じた。





俊徳道礼子の運転するバギーは、サルベージギルドの少年を乗せて、砂とむき出しの岩肌の上を、少し息切れを感じさせるエンジン音を響かせながら進む。

「おばっ…お姉さん、名前は何て言うのっ?」

エンジン音に掻き消されないように、少年は礼子の耳元で大きな声を出して問う。

「俊徳道礼子よっ! キミの名前はっ?」

「ダイゴっ! ダイゴ・L・フレデリックっ!」

「フレデリック?」

礼子は、少年の姓名が『フレデリック修道会』のギルド長と同じことに気が付き、理知的な眉をわずかに寄せた。

「キミ、ジェームス・フレデリックの血縁者なの?」

「血縁者って?」

「彼の甥とか、息子なのかって事よ」

「ああ、そう言う事か。違うよ、オレ孤児なんだ。で、司祭は…ってのはジェームス父さんの事なんだけどさ、司祭と修道会の人達が、オレみたいな親無しの孤児を育ててくれたんだよ。だから、オレ達は皆名前に『フレデリック』と洗礼名が付くんだ」

憂いの無い少年の言葉。
礼子には、振り返らずとも誇らしげにそう言ったダイゴの顔が手に取るように解った。

「そう、修道会の皆は優しい?」

「優しいし、強いんだ。オレがまだ小さかった頃『誘拐屋』に攫われそうになってさ、その時に助けてくれたのが、修道会の人達なんだ」

開発地区で生きる子供にとって、最も気をつけねばならないのが『誘拐屋』と呼ばれる臓器密売組織だった。
『誘拐屋』とは、所属不明の武装集団で外地から子供を攫う事を生業としている。
企業保障ナンバーを持たない少年少女を攫う彼らの目的は、子供たちの臓器だった。奴らに捕まったら最後、バラバラに解体され内地の臓器移植ブローカーに販売される商品となり、後には髪の毛一本残らない。
公では所属不明とされてているが、裏に内地の医療系企業が存在する事は明白である。

「20人以上居た『誘拐屋』を、司祭が一人でやっつけたんだ。『フレデリック修道会』は無敵なんだぜ」

そう言い切ったダイゴの声に疑いは一切ない。自分たちを守ってくれる大人達を無敵だと信じているのだ。
礼子は、アクセルを更に絞り、エンジンを豪快に吹かす。しかし、その表情には、何処か苦いモノが含まれていた。

「見えたよっ、アソコだっ!」

ダイゴの指差す先。荒野の真ん中に設置された塹壕と、カムフラージュされたテントの野戦基地が見えた。

「どう、ボスは居る?」

「うん居るよ」

バギーが近づいて来ることを察知したのか、基地の中から数人の武装した男達が姿を現す。そして、その中の一際背の高い男を指差しダイゴは大きく手を振った。

「あの人、真ん中に立った背の高い金髪の男の人が、ギルド長のジェームス・フレデリック司祭だよ」


■■■


感想ありがとうございます。

モンさん・ふぉるてっしもさん・7Cさん>
ですよね、やっぱりオウガが連想されますよね。
タクティクス・オウガは僕がもっと好きなゲームの一つで、プロットを思いついた瞬間から『僕にその手を~』のフレーズを決めてしまってましたw
題名で勘違いさせてしまうと迷惑かもしれませんが、筆者のモチベーションを保つ材料でもあるので(あの名作からフレーズをお借りした以上はっ!)落ち着くまでは、これで行かせてください。

でも、題名で『復讐劇』と看破されるとは、嬉しい悲しさがあります。オウガが愛されている証拠ですね。


土蜘蛛さん>
きっと解る人にはわかってもらえるか…私は大阪のある都市出身で、中小企業がすごく身近に存在します。
多分、この小説の設定だけで、町工場の人達から『中二病』と揶揄されるでしょうw
現在の流れに外れた作品ですが、楽しんでいただければ幸いです。
このままかっこいいオッサン達を書ければ、本望です。

坂本さん>
尊敬なんてとてもとても。ただある程度の文量が無くては本当にただのオ○ニーになってしまうので、書き溜めてから出しただけですw
迷惑をおかけしました。
昔から、テンポが悪い、展開が遅いと言われてきたので、今感想は嬉しい限りです。
一話ストックしたら、一話公開しようと考えているので、投稿に間ができてしまったら、ご容赦ください。
がんばります。

感想をくれた人たちへ>
本当に、嬉しく、力になります。ありがとう。
嬉しすぎて、昼休みの間を縫って感想をかいてちゃってます。
これからも宜しくご鞭撻のほどを。がんばります。


また、作品を読んでくださった全ての人達へ、感謝をこめて。


⑨葬





[30526] 無題 七話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:26
七話




どれくらいの時間が経ったのだろう。
一分か、二分か。それとも一時間か。

──我々の死を望んでいる。その言葉の意図はナンだろうか。さっきの音は、銃のスライドが動く音だろうか。なら、僕は殺されるのか。なら、僕は死ぬのか。

恩智正孝の腕に巻かれた腕時計。母が就職祝いにくれた、父の形見だった。その時計の秒針が刻んだのは、僅か数秒。長い、永い、今にも永遠に届く数秒間の沈黙だった。

「ニゲルセナカハウチヤスイ… (逃げる背中は撃ちやすい…) イノチゴイナリ、アワテルナリシテクレレバ、キモチヨクコロセタンダガ (命乞いなり、慌てるなりしてくれれば、気持ちよく殺せたんだが)」

沈黙は、その創り主によって唐突に破られた。

「はっ…はぁ……」

「ハハハッ、ナントモマノヌケタヘンジダナ。イノチヲダイジニシスギルノハダラクノモトダガ、モウスコシタイセツニアツカワナイトカラダカラカッテニデテイクゾ。 (はははっ、何とも間の抜けた返事だな。命を大事にし過ぎるのは堕落の元だが、もう少し大切に扱わないと身体から勝手に出ていくぞ)」

「はっ…はい。気を…つけます…」

本当は、命乞いをしたいし慌てもしたい。しかし、正孝はあまりに事が急過ぎて一体どうしたら良いのか解らず、ただジッと座っている事しかできなかった。返事も殆ど脊椎反射の様なモノだった。

「ナニモシラナイミタイダナ。シカシ、シラナイコトガメンザイフニナルワケデハナイ… (何も知らないみたいだな。しかし、知らない事が免罪符になる訳ではない…)」

ゴトリ、と硬質な何かが二人を分かつ格子の前に置かれる音がした。
正孝は、此処に来てやっと冷静さを取り戻し、許されるならば命乞いなり慌てるなりを行わせて欲しいという考えに至った。が、しかし、それは人工声帯が発する電子音の様な声に阻まれる。

「セツメイシヨウ。ソシテ、キミノシラヌツミノカズヲ、トモニカゾエヨウジャナイカ…オンジクン(説明しよう。そして、キミの知らぬ罪の数を、共に数えようじゃないか…恩智君)」

──結構ですっ!!

正孝は、咄嗟にそう言ってしまいそうな自分を抑えるのでやっとだった。



「何故来たっ!!」

男のあまりの剣幕に、少年の笑顔は怯えと恐怖で曇った。

バギーがテントに着いた瞬間、ダイゴがジェームス・フレデリックと呼んだ長身の男は、礼子に脇目も振らず、ダイゴの肩を掴んで大きな声を出したのだ。

しかし、ダイゴの表情も然ることながらフレデリックの表情もまた、苦いモノを含んでいた。傍から見ても、この男が少年に対し始めてこのような行動をとったであろう事が解る程に。

「ごっ…ごめんなさい……」

「…すまない、つい大きな声を出してしまった。でも、此処は本当に危険なんだ。お前にもしもの事があったらクリスティーナが悲しむ。お前は、彼女を悲しませたいのか?」

フレデリックの、優しくも重く響く声にダイゴは首を必死に横に振る。

「もう、しないな? これからも、私の言いつけをちゃんと守れるな?」

「…うん」

礼子は、二人の様子を傍で伺いながら小さく笑みを漏らす。
どこか温かみを感じる雰囲気と、完全にスルーされている状況の両方から漏れた笑みだった。

「よし、早く帰りなさい。すまんがビル、ダイゴを町まで送って行ってくれないか」

フレデリックに呼ばれ、テントから姿を現したのは、彼よりも更に長身で巨躯な男だった。
ビルと呼ばれた巨漢は、無言でバギーに近づくと、丸太の様に太い腕でバギーを軽々と持ち上げ、一緒にダイゴのズボンを掴み、ヒョイと肩に乗せた。

「…で、キミは誰かな?」

此処にきて初めて、フレデリックは礼子を見た。否、礼子の方を見たと言った方が正確だろう。
黒と蒼のオッドアイは酷く無機質で、まるでレンズの様に礼子と、その周りの風景を写すだけ。よく見れば美しく透き通った蒼い瞳だが、その蒼さがより一層目元から熱を奪っていた。

「司祭っ、その女の人が僕のバギーを直してくれたんだっ!」

走り出そうとしているトラックの助手席から、ダイゴはヒョッコリ顔を出すと、フレデリックの背中にそう投げかける。

「そうか、わかった。私からちゃんとお礼をしておこう。気を付けて帰るんだぞ」

「わかった。じゃーね、礼子さん」

「おう、気をつけてな、ダイゴ」

窓から身を乗り出し、満面の笑みで手を振るダイゴに礼子は笑顔で手を振りかえし、フレデリックは振り返る事無く顔の横で手を振った。

「なんだよ、振り返って手を振ってやればいいじゃない。かわいい息子なんだろ?」

「貴様には関係の無い事だ。大江から開発を移譲された布施技研の人間か?」

「あぁ、『布施技研』社長秘書室室長の俊徳道礼子。アンタが、ギルド長のジェームス・フレデリック?」

「さぁ、どうだろうな?」

フレデリックが鷹揚の無い声でそう告げた瞬間、テントから飛び出してきた数名の武装兵が礼子を包囲する。そして、その中の一人がフレデリックに近づき「布施技研籍のスキンヘッドと運転手、両名の身柄の確保は完了しております」と報告する。

「…誰も街には来なかった。東湾岸道路あたりで事故にでも遭った。そういう事になるな」

要するに、此処で皆死ぬ。と、フレデリックは告げたのだ。

「そう、でも無駄じゃない。アタシの代わりもスキンヘッドの代わりも運転手の代わりも、会社には幾らで居るわ。それより、ちゃんと挨拶しない? 殺すのは何時だって出来るけど、挨拶は生きてないと出来ないじゃない」

礼子は、この状況に動じる事無く、むしろ楽しんでいるかの様に小さく肩を竦めると、一歩、フレデリックへ歩み寄った。
包囲する武装兵の銃口が一斉に、礼子へと向けられる。

「大の男がビビってんじゃないよ、まったく。ほい、まず挨拶の握手よ」

礼子の白く細い左手が、フレデリックの前に差し出されたのと、武装兵達が緊張気味に銃を構え直すのは同時だった。

「左手だけど、気を悪くしないでね。深い意味は無いの、でもそれなりの意義はあるから。それとも、ギルド長は怖くて女と握手もできないチキン野郎?」

挑戦的な言葉。しかし、礼子の表情は何処か真剣で、相手に対し侮辱や挑戦を示しているとは思えない。
フレデリックは、懐疑的に一度少し長めの瞬きをすると、ケブラー製の手袋に包まれた大きな掌で礼子の握手に応えた。
その時、フレデリックの表情に戦慄が走った。

「初めまして、ジェームス…いいえ、スパーキー・フレデリック。元、中央系民間軍事企業所属の海兵隊員であり、テロリスト集団『機械仕掛けの海賊船』の指導者。キャプテン・フックでよかったかしら?」

スパーキー・フレデリック大尉。元中央諸国経済機構所属の軍人だった彼は、自分の大隊を引き連れ組織離反。後に『機械仕掛けの海賊船』と呼ばれる私設部隊を組織し、中央諸国経済機構への破壊工作を行った。

破壊工作の裏には、西海洋企業連合体が関与していると云われていたが、数年前に同組織施設に対する破壊工作を行い、世界的テロリストとして指名手配される。
中央諸国経済機構と西海洋企業連合体の合同作戦により、旗艦である『ジョリー・ロジャー号』の駆逐は確認されたが、船員とフレデリック大尉、俗称キャプテン・フックの遺体は確認されていない。

「…キミは……俊徳道礼子といったかな」

フレデリックの表情から、驚愕が見て取れた。しかし、ジッと握手した左手に視線を向けた横顔は、自らの正体に気づかれた事よりも、他の何かに動揺しているかのようだった。

「えぇ、そうよ。早速なんだけど、状況を確認させてもらってもいいかしら?」

フレデリックは、握手していた左手を解くと、そのまま武装兵に退くよう指示を出した。

「わかった。奥で話そう」



サルベージギルドの所有する財産。それは、金銭は勿論の事、食糧や水などの生活必需品、重機などの開発設備、自衛または攻撃に使用する武装などがあげられる。が、その中でも、もっとも貴重な財産は人であった。
開発を行う土地は広大で、限りある設備では、企業の提示する期限にギリギリ、もしくは若干のオーバーが関の山だった。その背景には、ギルドが必要以上の力を持ち、管理する上で面倒が起きる事をさける為、常に財政を生かさず殺さずといった状態に保とうという東方企業連合の思惑がある。
その為、ギルドにとって所有する人材の数は、そのまま開発作業の進捗に直結し、養う上での限界はあるものの、人の数こそがギルドの地力ともいえた。

『フレデリック修道会』は、全サルベージギルドの中でも、所有する人材が多く、人材の平均年齢は全ギルド内でもっとも若い。高い出世率と乳幼児の死亡数が低いという事実は、ギルドの運営が健全である事を示していた。

しかし、順調なギルド運営に暗雲が立ち込めたのは第22期新隆起地の開発が始まって直ぐの事。隣接する第19期新隆起地の開発を行うサルベージギルドが『シュガー・ヒル』に確定した事により、修道会に緊張が走った。

サルベージギルド『シュガー・ヒル』は、東企連所属『左藤メディカル』という総合医療企業お抱えのギルドである。
企業専任のギルドは珍しいモノではないが、両者の間には任命と開発以外に切っても切れない相互関係があった。
臓器だ。『シュガー・ヒル』はギルド組織の中に多くの『誘拐屋』を抱えており、開発地区で収集した臓器は全て『佐藤メディカル』へ流れる図式となっている。
その関係は、公には繋がりなど無い事いなっているが、開発地区では周知の事実だった。


「センシュウモビョウインカラサンメイノシンセイジガキエタ。(先週も病院から三名の新生児が消えた。)ウマレテカラクジカンシカタッテイナイコモイタノダ…(生まれてからたった9時間しか経っていな子もいたのだ…)」

「そんな……」

人工声帯を通している為、格子の奥から聞こえる声に感情は映らない。しかし、感情の無い平坦な声だからこそ、正孝の心にはより一層残酷に響いた。

「ゲンカイハツデ、シッソウシタジュウロクサイミマンノショウネンショウジョハニジュウハチメイ。 (現開発で、失踪した16未満の少年少女は28名。)サギョウインヲケイビニサイテハイルガ、『ユウカイヤ』ニハキギョウカラサイシンソウビガキョウヨサレテイテナ、ワレワレノキュウシキデハフセギキルコトハカナワンダロウ(作業員を警備に裂いてはいるが、『誘拐屋』には企業から最新装備が供与されていてな、我々の旧式では防ぎきる事は叶わんだろう)」

格子の下から、数枚の資料が差し出された。
簡素ではあるが、調書と思われる資料に目を通した正孝は、事の深刻さを痛感する。
事件現場である病院は、内地とは違い新生児室などという施設は無い。連れ去られた新生児は、皆が母親と同じベッドで眠っている最中に誘拐されたのだ。
添付されている防犯カメラの映像を切り取った写真には、黒い人影が堂々と母親の横で眠る新生児に手をかけている様子が克明に写しだされている。

「ケイビセンサーハ、シンオンヲハジメコキュウオン、ケツリュウオンスラカンチデキナカッタ。カイハツガオワルコロニハ、コノマチカラコドモタチスベテガキエテイルコトダロウ (警備センサーは心音をはじめ呼吸音、血流音すら感知できなかった。開発が終わる頃には、この街から全ての子供が消えているだろう)」

「…何か、対策は……前任の大江に現状を報告しなかったんですか? 確か、大江からは20億近い物資の供給が行われてますよね」

事業開始当初『第22新隆起地区』は、東企連の事前調査により500日工程で資源回収を完了させる計画だった。しかし、半年経った今現在、資源回収の遂行率は12%とかなりの遅延を見せており、前任企業の『大江重工』が自社予算の投入を行っていると、開発を移譲される際の資料には、明記されていた。

「モチロンシタサ、カナリハヤイダンカイデナ。シカシ、サイシンノケイビセンサーヲガイチニダスニハトウキレンノキョカヲマテト。ソレデヤツラガヨコシタモノガ、コレダ。(勿論したさ、かなり早い段階でな。しかし、最新の警備センサーを外地に出すには東企連の許可を待てと。それで奴らが寄越したモノがコレだ)」

再び、格子の下から資料が差し出される。ファイリングされた納品書の束は、大江重工から投入された商品の一覧だった。

「これは……」

「ワレワレヲウッタノダヨ、オオエハ。 (我々を売ったのだよ、大江は。)」

その時、格子の向こうで携帯端末の着信音が響いた。





礼子とフレデリックの会談は十五分ほどで終了した。会談は二人っきりで行われ、テント内からは、警備兵や関係者全員が外で待機を命じられた。

「じゃあ、件の物を確認させてもらおうかしら」

「ああ、全てでは無いが、ソコのトラックの荷台に乗っている」

テントから出てきた礼子の表情は、何処か楽しげなモノだった。
フレデリックに関しては、張り詰めた様な刺々しさは消え、この男本来の堀の深い温和な顔に戻っていた。

二人は、テント傍の塹壕に停められたトラックへ向かい、フレデリックは部下にコンテナを開く様指示を出す。
コンテナの各所は不自然にペンキで塗りつぶされた後があり、本来ならそこには『大江重工』のロゴが入っている。

「これは酷いわね」

不快な金属音を響かせ開かれたコンテナ。炎天下の中、籠った熱も然ることながら、鼻を突く黴臭さは、このコンテナが数年間放置されていた事を物語っていた。

「これじゃあ、紛争地域のゲリラの方がまだマシな装備よね」

礼子はコンテナへ飛び乗り、大きな樹脂製の箱を開けると、緩衝材中から一丁のライフルを取り出す。

「四世代も前のアサルトライフルだ。仕様も東企連規格になる前の規格で、現行規格の弾は使えない。他のコンテナに積まれた携帯火器も化石に近い上、弾体の期限が切れているモノが殆どだったよ」

「ふ~ん。これが現役の頃なら20億はしたでしょうね」

「今なら、キロ売りで2000万が関の山だ。過剰在庫をギルドに払い下げるのは常だが…はははっ、此処まで露骨だと逆に感心する」

フレデリックは、声に出して笑った。勿論、皮肉を込めてだが、笑うしか無いというのも現実だった。
東企連は、企業のギルドに対する協力に限度を定めている。限度に明確なラインは無いが、仮にも名目上20億相当の物資提供が行われた事実がある以上、『布施技研』から大規模な予算投入や物資供給はできないだろう。

「最悪、私の首を担保に『誘拐屋』に対抗できる装備の供給を交渉しようと考えている」

国際テロリストであるフレデリック。指名手配に東企連は関与していないが、対抗組織への交渉材料としてなら、使い道はあると踏んでの考えだった。

だが、それはあくまで希望的観測である。もし、この案が高い可能性を示していたなら、フレデリックは既に我が身を売っていただろう。
しかし、交渉が成功しても、企業が約定を守るとは限らない。その可能性の方が、遥かに高い事を理解しているからこそ、踏み出せないでいた。
いつの間にか、フレデリックの表情に暗い影が落ちる。このままではいけない、そう考えながらも、時間は残酷に現状を悪化させていく一方だった。

「そっかぁ……じゃあさ、死ぬ前にどうせならウチに賭けてみない?」

フレデリックは、そう言った礼子に振り返る。軽い声音とは裏腹に、蒼い瞳に飛び込んだのは悪意在る笑みだった。
かつて、中央大陸の戦場を駆け廻り、暴力の中を生きたフレデリックだったが、礼子の笑みは彼の背筋を凍らせるには十分だった。

「あんたも人殺しでしょ。なら、戦ったら? 戦って戦って戦って…戦って死にましょうよ」

真の悪意とは、透明で無味無臭。彼は、この笑顔を生涯忘れる事は無いだろう。



[30526] 無題 八話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:26
八話



22開発地区で問題が起きている最中、『布施技研』社長布施次郎は、弥刀鋼材を訪れていた。
要件は、双脚式機動戦車『シュテン』生産のライセンス取得に先駆けて、消失した機体図面立ち上げの現状を確認しに来たのだ。

「ちわぁーすっ! 社長、います?」

「おう、どうしたんだい坊ちゃん」

「近くに来たんで、幸村兄ちゃんに依頼した図面を確認しに来たんですけど…」

何処か歯切れの悪い様子でそう言った次郎は、決して広いとは言えない工場内をキョロキョロと見回す。手には、近所のケーキ屋『ノワール』のチーズケーキを携えていた。

「あぁ…はははっ、大丈夫だよ坊ちゃん、幸呼なら今度の改修の件で塗装屋の佐治さんトコロに打ち合わせに行ってるから。それに、陸式の件ならアイツはもう大丈夫さ、工場街の女はそんなにヤワじゃねぇよ」

陸式の件により随分と落ち込んだ幸呼だったが、次郎がライセンス生産に参入する強い意志を示した事を告げると『絶対、他よりもイイモン造ってやるっ!!』と俄然元気を取り戻した。
幸志は、仕事一筋の父親ではあったが、娘が次郎を好いている事は幼い頃から知っている。
惚れた男の為に、健気に頑張る娘。だからこそ、父親の口からは何も言えず、知らぬフリを続けるのだ。

「ユキちゃんには、悪い事をしちゃったから…でも、元気なってくれたなら安心です。これ、また皆で食べてください」

「ああ、悪いな。幸村なら、二階で図面を引いてるよ……アイツは、戦場から帰ってきて人が変わったみたいに働く様になった。まぁ、まだ数日なんだけどな、昼夜飯も食わずに必死で図面を引いてるんだよ」

「それは…体を壊したら大変じゃないですか」

「はははっ、二日三日の徹夜で工場街の男が壊れるもんか。反企業主導体制運動なんて、学生の頃はチャラチャラと息巻いてやがったが、やっと現実を見てマトモに働く様になっただけさ」

それを聞いた次郎の表情は複雑なモノだった。
幼い頃から出入りしている弥刀家。その頃から一つ年上の兄の様な存在が長男の弥刀幸村だった。
幸村は、生まれつきあまり体が強く無く、活発な妹と正反対だったが次郎にとって、優しく頭の良い兄として接してくれた。
しかし、母親の弥刀由呼が亡くなってから、父親は彼に長男としての強さを求めた。時には理不尽な暴力ともとれる教育が行われ、父と息子の間には深い溝ができている。

「そんなんじゃねぇよ」

工場内で立ち話をする二人へ、冷たい声が投げかけられ、声に振り返ると二階へと続く階段には、幸村の姿があった。
線の細い長身に、徴兵の名残で短く切りそろえられた髪型は度のキツイ眼鏡と酷く合わなかった。

「あぁ、なんだっ? 言いてぇ事があるなら、降りてきて言いやがれっボンクラっ!」

「そんなんじゃねぇって言ってんだよ」

「あぁ、親に向かってなんて口の聴き方しやがるっ!!」

「ちょっと、社長、落ち着いてっ! ユキ兄も、今は図面の話をしに来たんです」

次郎の咄嗟の叱咤に「……すまねぇ」とで怒りを収めた幸志だったが、その表情は納得したモノではなかった。

「図面なら七割方、形に出来てるよ。次郎君、一応上で確認してもらってもいいかな」

「わかりました」

次郎は幸村の後を追う様にして、二階へと上がる。
彼にとって、二人は父と兄同然の存在だった。二人を思えばこそ、対立は悲しく、かといってどちらの側にも立てない。それが、酷く心苦しかった。





「現物見てからしか何も言えんが、問題は中に入り込んだ塩じゃろうな……そう来たか」

「どうかねぇ、あたしゃ真水が少ないってのが気がかりで仕方ないよ…へぇ、えらくイイトコロを切ってくるねぇ」

「あっ、それポンで。それより、問題は防腐塗装じゃない? 速乾使ったら、コスト嵩む上に耐性低いし」

「おいおい、親が三順目に鳴くんかよ。怖いわぁ……でも、乾燥させる時間なんて取れるんか? 無理あんじゃねぇの?」

此処は、喫茶『あんどろめだ』二階、雀荘『青姫(チーチン)』である。
ちなみに、これは遊んでいるのでは無く次現場の重機改修業務の打ち合わせの様子である。現地での改修と全体的な方針は固まったが、細かい部分の取り決めは、まだ途上段階だった。

名前は省くが麻雀卓を囲むのは今回の改修に関わる主要工場の長やその代打ちだった。
ちなみに、三順目から親の風牌で鳴いたのは、現在トップ『弥刀鋼材』代表の弥刀幸呼である。

「それについては大丈夫じゃろう、チト荒っぽいが『一郎丸』の乾燥機をフル稼働すりゃエエ。それより、やっぱり塩じゃろう、きっとエンジンの中にまで焼きついとるしな……手ができんのぉ……考えるだけで頭が痛いわい」

「嘘つきな、タヌキ爺。そうやってアンタはしっかり仕事も上がりも攫ってくんだよっ……アレかい、あたしゃ詳しくないんだけど、海水を真水にするってのはどのくらい時間がかかるんだい?」

「どうでしょ、ワタシもあんまり詳しくないからなぁ……それも、ポンで。この段階でドラ切るとか、もう逃げんの?」

「マジでっ!? ……『一郎丸』のスペック見たら、一日に1.5tってなってたけど、多いか少ないかわからんわ……そりゃ逃げるて、次くろうたらハコやねんぞワシ。ちっとは容赦せんかいな」

「陸式の生産まで、あんまり時間がないからのう……仕方ないのう、ほれリーチ……残処置には、あまり人を裂きたくないんじゃ」

「ほれ見ろ。もう曲がりやがったよこの爺は……そういえば、幸村ちゃんから図面のデータが届いてたね。相変わらず見やすい丁寧な図面を引くよ。ウチのバカ息子にも見習ってほしいもんだわ」

「でしょ、兄さんの図面ってキレイでしょ。なのに親父は解って無いんだよね、正しい図面がなけりゃ、いいモノなんて出来ないのに……おい、逃げ切れるなんて思うなよ」

「ちょい、なんか俺に対する当たりおかしない? ……まぁ、幸村に期待してるって事ちゃうかなっ、と」

「ほっほっ、ごちそうさんじゃ」

「マジでっ!!」

「おい、馬鹿っ!! そんな牌あぶねぇに決まってんだろっ!!」

「もう…親父さんに似て、博才がないねぇ、アンタも」

「リーチ、一発、タンヤオ、裏も乗ったのう、デン、デン。満貫じゃわい」

「やべぇよ、今月給料吹き飛んだじゃねぇか」

「ちきしょー、最後の最後でかよ……もう半荘いきましょうよ」

「もう無理やってっ!!」

「何言ってんだい、まだ次の現場の事が決まって無いだろう? 大丈夫、支払は次の現場の分が入ってくるまで待ってあげるから」

「さぁ、打ち合わせを続けようかのぉ」

「嫌だーっ!!」

叫びもむなしく、自動麻雀卓は小気味よい音を響かせて牌を混ぜる。
打ち合わせは、その後5時間にも渡り続けられた。





狭いながらも、小奇麗に片づけられた部屋は、コーヒーの良い香りで満たされていた。
幸村は、端末のディスプレーの前に座ると、膝が痛むのか何度も脚を組み直し、苦笑を浮かべる。
第十三・十四エリアで、幸村は太腿に怪我を負った。銃弾では無く、爆撃の余波で飛散した鉄片が刺さっただけなのだが、当時の経験は心に大きな歪を生んでいた。

「まだ、痛みますか?」

「イヤ、痛みは無いんだけどね違和感があって……それに、眠れないんだ、悪夢で目が覚める。徹夜して作業してたというよりも、眠るのが嫌でずっと図面を睨んでた。なのに俺は、俺に悪夢を見せる戦争の道具を作ってる」

「……ユキ兄もか……ごめん」

自嘲的な横顔の幸村。苦しむ彼に図面の立ち上げを依頼したのは、他でもない次郎だった。

「いや、謝らなくていい。ウチも『布施技研』も、とっくの昔からやっている事だ。俺も全てじゃないけど戦争で得た金で育ったんだ、本当は、もっと早くにこの悪夢みなければいけなかっただけだよ」

そう言うと、幸村はコーヒーをユックリと啜り、印刷した図面を次郎に渡した。

「あとは、大江からの正式な図面が来てからの擦り合わせだな。工場ごとに詳細な図面を造って、それで完了。後は、親父と幸呼に怒られながら、必死で頑張るさ」

精一杯の笑顔を作った幸村だったが、その瞳は何処か虚ろだった。
実質、次郎自身も眠れない夜が続いている。医者にはPTSDと診断され、睡眠薬を処方されたが、飲めば悪夢から帰ってこれない気がして、手つかずのままだ。

「…しゃ…親父さんとは、相変わらずなんだね…仲直り、できない?」

「はははっ、若社長にそんな心配までさせてるとは、俺は親父の言うとおりボンクラだな」

「そんな意味じゃないよっ!」

終始、自嘲的な幸村に次郎は姉の和姫を重ね見てしまう。
何時からか姉は、涙を流す代わりに笑うようなった。そして、何も言わず勝手に死んでしまった。

「すまんすまん、そんなつもりじゃなかったんだ。それに、俺は親父を嫌ってる訳じゃないんだよ。職人としての親父は尊敬してるし、父親としても悪いなんて思ったこと無いんだ」

「じゃあ、何がそんなに二人を対立させるの?」

「家族だからかな……親父の生き方は、どうしても好きになれないんだ。一生懸命働く事は、尊いと思うんだけどね、ただ家族の為に一生懸命働いて働いて、他の大事なことに目を向けなかったから、何時の間にか世界はこんな事になってしまったと思ってしまうんだ」

企業は、全ての人間を歯車として企業に取り込み、利益の為だけに多くを踏み潰しながら進んでいく。戦争に残った僅かな大義すらかなぐり捨て、経済は完全に人をも殺す道具となった。

そんな中で幸村が幼い頃から憧れた職人という父の背中は、大人になってこそ眩しく映った。企業に取り込まれる事無く、一流の腕と技術を持って社会に貢献する男の姿。

だからこそ、そんな父が今の企業主導の世界に疑問を持たない事が悔しかった。家族だからこそ許せなかった。

「別に、親父や他人の所為にしたい訳じゃないんだ…甘えだってのも解ってる。ただ、悔しいんだ。親父や幸呼みたいになれない自分がさ」

「ユキ兄……」

何も、言葉にはならなかった。
次郎は、紛いなりにも東企連の一端を担う企業の長である。企業主導の世界だからこそ今が在る。しかし、幼い頃から兄としたう青年を苦しませる理由も解る。葛藤は、ただ沈黙となって流れるだけだった。

この部屋に訪れた幼い日々は過去となり、此処で話した夢は、もう覚えていない。
今はただ、日々を悩みそれでも前に進むしかない大人になった。それだけが、痛いほどに分かった。

沈黙は、次郎の携帯端末に礼子からの連絡が入るまで、沈黙のままだった。



[30526] 無題 九話 
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:26
九話



『布施技研』兵站部部長が東企連監査に身柄を拘束されたのは、社長と秘書室室長が不在の昼下がりだった。
『大江重工』製新型兵器を無許可で戦場から回収した疑いが在るとして、企業間の抗争を防ぐため、東企連が動いたのだ。この背後に『大江重工』からの告発があった事は、疑う余地も無いだろう。

──だが、対応が解せない。

『布施技研』兵站部部長、兼、社内警備室室長であるアレックス・ラウは、狭い部屋に置かれた一脚のパイプ椅子に繋がれながら、ふと、そんな事を考えた。


まず、東企連監査部隊が、本当に無許可での新兵器回収の嫌疑を『布施技研』にかけたなら、兵站部部長の身柄を拘束する程度で済むはずがない。
一応、東企連所属企業である『布施技研』の立場を考慮する事も在るだろうが、その立場というモノは、『布施技研』そのものに対してでは無く、あくまで東企連所属という事への考慮だ。
東企連にとって都合が悪ければ、お構いなしに全てを攫って行くだろう。それが落ち目の複合企業であれば、尚更だ。

そして、何より自分が無傷で物思いにふけってられる事そのものが不安でならない。
拘束された時は、世にも恐ろしい事情聴取が待っているモノだと思われていた。
経済活動の上に、人権は存在しない。在るのは、利益か損益だけだ。必要な自供を手に入れる為なら、手段を選ぶ様な悠長な事はしないだろう。
時間は金だ。自白剤でも使ってくれれば助かるが、たかが、企業所属の部長一人に対し自白剤のアンプル一本を無駄にしてくれるだけの良心が彼らに在るとは思えない。

──あぁ多分、一発殴られただけでゲロする自信あるわぁ…

アレックスは、白人との混血を色濃く映す高い鼻にかかったサングラス越しに、狭い部屋を見回す。部屋には時計なんて気の利いたモノは存在せず、壁と天井と椅子のみ。
この部屋に繋がれて、一体どれ程の時間が経ったのか。

──いやだねぇ…

何も起きない事を望みながらも、何も起きない事への不安が心を徐々に、そして確実に蝕んでいく。
物音一つしない狭い部屋。鼓膜を揺らす血流の音の奥から聞こえる、懐かしくも忌まわしい爆発音。
幻聴である事は知っている。

PMC(民間軍事企業)の人材派遣に登録し、一週間の研修を済ませて、初陣に出たのは15歳の春だった。
戦場では、来る日も来る日も塹壕の中で、相手企業の爆撃に身を震わせる日々が続いたものだ。初めは、怖くて怖くて堪らなかった。しかし、何時しか爆撃音を聞ける事そのものに、生きている実感を得た。聞けなくなった時は、きっと死んでいるのだと。


「…おい、グラサン野郎。良い神経をしているじゃないか? 此処にきて居眠りをした奴なんて見た事無いぜ」

アレックスは、突然かけられた声にハッと顔をあげた。何時の間にか、眠っていたのだ。

「緊張すると眠たくなる性分でね…それより、今から拷問かな? できれば、このサングラスだけは無事で済ませて欲しいんだけどさ」

アレックスの言葉に、部屋に入ってきた迷彩服の男は、嘲笑と苦笑を混ぜたいやらしい笑みを浮かべた。その瞳には、嗜虐的な鈍い光。拷問官のメンタル的な適正を考えるなら、実に適当な人選である。

「へへへっ、自分の身の心配よりもサングラスの心配か? まだ上からの許可が出てねぇから期待させちゃワリいと思うんだけどよ。人間てのは、生きたまま目玉を刳り貫かれても死なねぇんだよな。だから、テメェの目玉を引っこ抜いて、サングラスが要らない体にしたやるよっ!」

そう言うと、拷問官は、アレックスの顔からサングラスをひったくった。

「ざんねんだなぁ…その必要は無いんだ。と、言うよりも無いんだよね」

「…えらく、雑な拷問を受けたみたいだな…」

拷問官の顔が険しくなる。
サングラスを取ったアレックスの目元には在るべき筈の瞳は無く、古い傷跡と空になった眼底だけしかなかった。

「拷問? まさか、そんな体験はした事無いよ。コレは自分とったんだ」

「……チッ、シラケる野郎だぜ。マゾ野郎とは相性がわりぃんだよな」

拷問官の瞳から、嗜虐的な光が霧散し、後には興醒めした冷たいモノだけが残る。
彼は、自分の仕事を人体を使ったアートだと言い聞かせ、それを信じ込む事で拷問を天職とした真面目でマトモだった人間だった。しかし、自分がこれから創り出す筈の芸術作品には、本人の雑な手で既に飾りが施されている。
彼にとって、これほど醒める事は無かった。

「マゾ? とんでもない。僕にそんな性癖はないよ」

──ただ、あの頃は、在るよりのも無い事の方が便利だったんだ。ただ、それだけだ。



慣れた筈の社用車のシートに居心地の悪さを感じる。
『布施技研』秘書室つきの運転手、イヴァン・高安・イリンスキは倒したシートを直しながら、車窓の外の猥雑な流浪街を見渡す。

二輪車から多脚戦車まで、ありとあらゆる車両を愛するイヴァンにとって、シートの居心地の悪さには、特別な意味があった。
過去に戦車乗りをしていた頃、一命は取り留めたものの、初めてマトモに対戦車砲の直撃を浴びた時も、慣れた筈のシートに居心地の悪さを感じた。
しかし、今の妻を隣に乗せて初めてデートに出かけた時に、妙な居心地の悪さを感じたのも記憶に新しい。

イヴァンと言う男にとって、自分の駆る車両は、実物の女に勝るほど愛情を注ぐに相応しい相手だった。
スレンダーやセクシー、グラマラスとフォルムの外見は勿論重要だが、愛する上で女と同じく中身は更に重要だった。
機体の扱い易さや性能の高さだけが、愛情を注ぐ条件ではない。機体スペックは勿論大事な部分ではあったが、最終的には相性と慣れが、相手を愛する事でも重要な意味を持つ。
機体独特の個性やシートの心地、操縦桿の握り具合と、あげればキリがなく、その上、明確な判断基準など存在しない。
ただ、今まで逢った女の中で、理想には程遠いものの、理想などどうでも良くさせてくれるのは、他ならぬ妻だった事は確かだ。

イヴァンは、社用車のエンジンをかけ、とりあえず車を出した。
どうも、居心地の悪さの奥に人の視線を直感的に感じるのだ。それも、敵意を持った人の視線。まるで、対戦車砲を向けられているかのように。
長く戦車乗りを続けてこられたのも、この直感を信じていたからだ。

そして、イヴァンは人ゴミの奥に、敵意ある視線の現況を見つけた。
コレが、社用車では無く戦車だったなら、とりあえず一発ぶち込んでやっただろう。が、視線の先には敵意以外にも、懐かしい知り合いが居る事に気付き、車を止めた。

「Привет(プリヴェート・やあ)、ハングマン。それは、あんたの相棒かい?」

イヴァンが車を降り、歩いて行った先には、今では旧式の六脚式戦車が在り、その120㎜の主砲に一人の小さな男が逆さまに釣り下がっていた。敵意ある視線は、この男のモノだった。

「中央の僻地出身みたいだが…何の用だ?」

逆さに釣り下がった小男は、血液が重力にひかれ頭に集まっているせいで、少し赤い顔をしている。青い目に、色素の薄い肌と髪の白人の男だった。

「僻地とは失敬な奴だな、俺はイヴァンだ。あんたも西海洋出身に見えなくもないが、中央の元軍人さんみたいだな」

イヴァンの言葉よりも、その表情に小男は訝しんだ顔をする。
その表情は笑顔だった。それも親しみを込めた笑顔。そんなモノ向けられる覚えなど、小男になかった。

「…自分は、スターキー・チェルチ…確かに父は西海洋圏出身で、自分は元中央の人間だが…何故だ?」

「その脚さ。そんなハイセンスな義足は、中央のイカレ博士共にしか考え付かんだろう?」

イヴァンが指差したのは、主砲を鳥の鍵爪の様に掴み、スターキーを逆さまの状態に保たせている金属製の義足だった。

「こんなトコロで、中央西部戦線の英雄に逢えるとは……あながち悪い予感って事も無かったのかもしれないな」

「英雄? 何のことだ?」

「…中央統合軍・機械化機動実験大隊。確か『メカニカル・ガビアルズ(機械仕掛けの人食いワニ達)』だったかな?」

「オフィシャルには存在していない、ただの欺瞞工作で創造された架空の部隊だろう、それは」

「オフィシャルの英雄ってのは、戦争が終わったと同時に消えたか、初めから存在すらしなかったかどちらかさ。しかし、あんた達は違う。欺瞞工作の目暗ましの中で、俺は確かにあんた達の足跡を見たよ…」

スターキーの表情が、驚きと共に何処か丸いものになった。
中央統合軍・機械化機動実験大隊とは、当時軍法を著しく犯かし営倉で処刑を待っていた兵士達を洗脳の上、身体の機械化による強化手術を行い組織された実験部隊である。
しかし、それが実在したとされる公式の記録は無く、誰も見た事が無い為に、半ば都市伝説や軍部による欺瞞工作の一環として認識されていた。他にも、超能力開発を行った部隊を実践に投入した。など、と言う眉唾的なウワサも存在する。

だが、戦場で前線に居た者達は、彼らの存在を確かに感じていたのだ。
でなければ、圧倒的な戦力差を肌で感じながらも、現在の中央大陸の三分の一を西海洋諸国から奪還できた理由の説明がつかない。最前線には何時も、力強い誰かの足跡が常に存在していた。

「…貴様…いや、イヴァン。キミは、西部戦線に?」

スターキーは、機械化機動実験大隊に関して、肯定も否定もせず、話題を変えた。
そして、イヴァンもそれ以上の事は言葉にしなかった。

「…あぁ、酷い戦場だったけどね。あんたのぶら下ってる相棒と一緒に、18の時さ」

スターキーは、ぶら下がった主砲から戦車を見つめる。
大型でシャープでありながらも独特な曲線を持つ、中央戦争終盤に実戦投入された六脚式の高機動戦車。当時は『キエフ』の愛称で呼ばれた。現在は、採掘した鉱石を運搬する為に使用しているが、砲塔やその他の装備は残ったままだった。

「戦場では、評判の悪い機体だったな…しかし、今は貨物を引くのに重宝している」

スターキーの言葉に、今度はイヴァンの表情が訝しげに歪んだ。

「おいおい、そんな言い方はよしてくれよ。彼女は、いい女さ。俺の二番目に長い相棒なんだぜ。何しろ、最高にスタイルが良い。確かに、操縦性は頑固で気が強いけど、慣れれば命を預けるに相応しい性能さ」

「はははっ、自分には理解できん趣味だな。やはり、女もマシンもジャジャ馬に限る。暴れまわるハイスペックな性能を、自身のテクニックで乗りこなすのが男の勤めではないかね?」

「い~や。美しく強い女の掌の上で、夜明けまで踊り続ける事こそ、男の本懐だ」

「君とは仲良くなれそうにないな」

「同感だ」

交わす言葉とは裏腹に、二人の声と表情からは、重みが消えている。
しかし、二人の趣向い対する抗論は、俊徳道礼子と恩智正孝が合流するまで、延々と平行線をたどりながら続けられた。



[30526] 無題 十話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:27
十話




『第22新隆起地区』での一件は、恩智正孝の知らぬトコロで一応の区切りが着き、死を覚悟した解告室からは解放された。
何より驚いたのは、自分がギルド長の『ジェームス・フレデリック』だと思っていた人影が、文字通り影武者であった事だった。
解告室を出るなり、待ち構えていた車椅子の修道女クリスティーナ・イ・スカイより「大変失礼いたしました」と謝罪をされ、解告室の隣の扉から出てきた見知らぬ女性にも、同じように深々と頭を下げられた。

一瞬、何が起きたのかさっぱり解らなかった正孝だったが「スミマセン、ギルドチョウハタチバジョウテキガオオイノデ (すみません、ギルド長は立場上敵が多いので)」と人工声帯を通した声を聴いて、全てを理解した。

その後、合流した上司の俊徳道礼子に「本物のギルド長とは、話がついたから。ご苦労様」などと、これまでの自分の置かれた立場を全く意に介さない、お軽い報告を受ける始末。
流石の正孝も、これには怒りを覚えた。が、何時もの上司の行動を鑑みるに、たちの悪いペテンにかけられたのだと、溜息ひとつ吐いて現場を後にした。


しかし、そんな心身ともに疲れを感じずにはいられない視察を終え、本部に着いた正孝を待っていたのは、まるで頭を鈍器で殴られたかの様な、衝撃的な報告だった。

「なんで、社長一人で行かせたんすかっ! それも、大江善久に直接会うなんて、それがどういう意味か、安堂さんだって解ってるでしょ!!」

何時も温和な筈の恩智正孝の剣幕は、秘書室に留まらず『布施技研』本部ビル全てに響いた。
全員が出向に出て代役として営業部営業一課から手伝いに来ていた、安堂遥は、怒鳴られたことに恐怖したのか、肩を震わせながらズット俯いていた。

正孝達が、新隆起地を本部に向けて出発した頃、『布施技研』社長の布施次郎は、今までに見せた事のない険しい表情で本部に帰社し、秘書室に居た遥に車を用意するよう依頼した。
何時もなら「どこにいくですかぁ? 遥姉さんも連れてってくださいよぉ」と冗談めかして幼顔の社長に対し、他の企業ではありえない程のフランクな接し方ができる遥だったが、今回に関しては、冗談の一つも帰社の挨拶もできぬまま、黙って車と運転手の手配を行った。それほどに、その時の次郎の雰囲気は切迫としていたという。
行き先も、次郎本人が告げなければ聞くこともできなかっただろう。「礼子さんが戻ってきたら、僕は『大江喜久に会いに行った』とだけ伝えておいてほしい」それだけを残して、次郎は単身『大江重工』に向かったというのだ。

「…行かせていいかどうかくらい、解るでしょ!? せめて、遥さんが…」

正孝は、自分の言っている事がおかしい事には気が付いていた。
何処の会社に、社長の命令を断れる社員が居るのか。それが、痛いほどに分かっているのに、それでも言葉にせずにはいられなかったのだ。

「ちょっと、やめなっ」

間に入り、正孝を遥から離そうとする礼子。

「礼子さんは、社長が心配じゃないですかっ! 大江喜久は、社長の仇も同然の相手なんですよっ!」

入社してより、次郎が学生だった頃から知っている正孝にとって、若社長は特別な存在だった。
自分が19の頃とは比べ物にならない、企業の長たる血を継いだ青年は、母を亡くし、父を亡くし、ただ一人残った姉は殺されたも同然だった。それなのに、辛い表情ひとつ見せず、仇の会社相手に頭を下げる度量を見せた。
だが、辛くない筈は無い。遊びたいだろうし、大学にだって行きたかっただろう。しかし、彼は何も言わず、若くして企業の長としての責務を果たそうとしている。

なりゆきで入社した正孝だったが、彼は会社を愛していた。そして社長である次郎を愛さずにはいられなかった。

「社長は、確かにしっかりした立派な人だけど、まだ若いんです。忍耐にだって限界がある。もしもの事が在ったらどうするんですかっ!」

「やめろって言ってんだろうがっ!!」

礼子の怒号が響いた。正孝は、咄嗟に殴られる事を覚悟し、歯を食いしばり、キツく目を閉じる。自分の言っている事が、失言であることは理解している。しかし、殴られてでも言葉せずにはいられなかった。

しかし、覚悟した痛みはまだ来ない。
痛みの代わりに、正孝の耳に入ったのは、何処か狂気を孕んだ女の笑い声だった。

「あははははははははははっ! ナメてるっ、恩智さん、ジローちゃんの事ナメてるよねぇっ!?」 

「落ち着きな、遥っ!」

正孝が目を開くと、そこには礼子によって取り押さえられ、床に這いつくばる遥の姿があった。彼女は、浴びせられた剣幕に肩を震わせて怯えていたわけでは無い。必死に込み上げてくる笑いを抑えていたのだ。
ショートの髪は逆立たせ、愛らしかった目元は醜く歪み、口元は獣のように歯をむき出しにして笑む。其処に居たのは、正孝のまったく知らない安堂遥だった。

「心配ぃ? しっかりしてるぅ? 立派な人だぁ? それって完全にナメてますよねぇ? つーか恩智さん、アンタ何様ぁ?」

「───!?」

正孝は、その言葉に絶句するしかなかった。

「なんでぇ、なんで止めるの礼子さぁん? どう考えても、恩智さんオカシイですよねぇ、ハルカ何もオカシク無いじゃないですかぁ?」 

「わかった。わかったから落ち着きなさい」

「えぇ、無理ぃ。だって、ハルカ切れちゃったも~ん。ジローちゃんの事バカにするとかマジでありえないしぃ……恩智さぁん、どう考えても恩智さんが悪いよねぇ?」

その時、後ろ手に遥の腕を極めていた礼子の表情が歪んだ。

「……駄目よっ! 遥っ!」

ただ抵抗するだけなら押さえ様はいくらでもあった。しかし、遥は、自分の犠牲を顧みず強引に腕を抜こうとする。このままでは、肩が抜けてしまう。

「マサっ! 表に出てろっ!!」

「…はっ、はいっ!」

茫然自失で立ち尽くしていた正孝は、礼子の言葉にハッと我に返ると、脱兎の如く部屋を出た。

ドアを出ても「なんで逃げるんですかぁ? なんで、なんで、なんでなんでなんでなんで…」と狂った様に叫ぶ遥の声。
しかし、それは何の前触れも無く突如として収まり、しばらくすると秘書室から疲れた表情の礼子だけが姿を現した。

「そのっ……安堂さんは…?」

「…心配すんな。優しく締め落としたから、一時間もすれば目が覚めるわよ」
「…そうっすか…」

随分と物騒な話だが、それが最善だったと思えるほど、遥の変貌ぶりは正孝に強いショックを与えていた。

「マサ、今は待ちなさい……大江のライセンスを生産するってことは、これから先、大江喜久を避けて通ることはできないわ。これで、もし問題を起こすようなら、我らが布施次郎は、それまでの男だったって事よ」

「……そんなの、冷た過ぎじゃないですか?」

「冷たいとか、暖かいとかじゃないの、覚悟の問題なのよ。布施次郎は社長になるって事を自分で決めたの。で、アンタはどうなの?」

「……僕は」

そんな事は考えた事も無かった。
相手を思い遣る事は、正しい事だと信じていた。誰かが苦境に立たされたなら、共に苦しみを分かち合う事が、間違っているなんて考えもしなかった。

「だから待ってなさい、マサ。社長の事を大事に思ってるのは知っるから。だから、ただ待ってれば良いの……ただ待つのが辛らいなら、今回だけは大目に見てあげるから…次郎を信じなさい」

そして、信じる事すらおこがましい。それは、全て覚悟の問題だった。





布施次郎が『大江重工』のエントランスを潜って二時間が経った。
アポイント無しでの来社に、大江喜久は受付嬢を通し、快く「エントランスラウンジにてお待ちください」と応えたが、時間の話は一切しなかった。
アポイン無しという非常識な来社ではあったが、刻一刻と過ぎていく時間は、現在の次郎と喜久の立場を明確に表していた。

「コーヒーの御代りはいかがでしょうか?」

柔和な笑みを浮かべた女性社員が、ラウンジのソファーで一人たたずむ次郎に、今日五度目の御代わりを進める。
日頃、社内では見ない若い青年が珍しいのか、それとも若くして東企連所属企業となった青年を見たい好奇心か、訪れる女性社員の顔ぶれは毎回違った。

「いえ、大丈夫です。お気遣いなく」

笑みに、笑みを返し、次郎は感謝を示すように、冷めたコーヒーを口に運ぶ仕草をとる。

その時、エントランスがにわかに騒がしくなった。
明らかに『大江重工』内でも重役と思われる男達が、メインエレベーターの前に整列し始め、コーヒーの御代わりを勧めていた女性社員も、何処か慌てた様子で次郎に会釈すると、その列に加わる。
社員総出での出迎え。そして、ユックリと降りて来た総ガラス張りのエレベーターの扉が開いた瞬間、エントランスに居た全員が深々と頭を下げた。

その中には、次郎も例外ではなく含まれている。

エレベーターから姿を現したのは、頭部の薄くなった、小太りで背の低い初老の男。
一見、何処にでも居そうな会社員に見えなくも無いが、この男こそ元『難波製薬』代表取締役、現『東方企業連合』議長の難波総一郎だった。

次郎の表情が一気に険しさを増した。

エレベーターからは、議長の後に続き『大江重工』代表取締役社長の大江久総を筆頭とした役員達。そして、その最後尾に姿を現したのが大江喜久だった。

次郎の視線に気付くよりも早く、喜久は議長と、父である久総に頭を下げると、役員の列を離れラウンジへと近づいて来る。

スーツ姿の映える長身に、涼やかな顔立ち。しかし、その切れる様に鋭い目元と、其処に湛えた無機質な輝きは、次郎の知る喜久のモノとは明らかに違っていた。

「お待たせしました。大江重工専務、大江喜久です」

「…いえ、こちらこそ。アポイント無しの面会にも関わらず了承していただき、ありがとうございます」

「で、ご用件は?」

短い挨拶から間をおかず、喜久は徐に話を切り出した。
別室にも通さず、席を設ける事もせず、一企業の社長との面会を、役員が立ち話で済ませようというのだ。

「………当社の兵站部部長にかけられた嫌疑と、先日当社に開発権が移譲した『第22新隆起地』に対する、貴社の処置についてお伺いしたいことがありまして」

「ああ、そのことですか…何か?」

平坦な声でそう告げた喜久の背後には、『大江重工』の主要な役員一同。そして東企連議長の姿。これは、明らかな示威行為だった。
それでも次郎は、固い表情で話を続けようとする。

「…はい、兵站部部長の件につきまして、無許可で貴社の製品を持ち帰るよう指示したのは、社長であるワタクシ自身です。重罪である事は重々承知しております。が、もし可能であれば、『シュテン』量産計画での当社の働きで、罪を償わせてはいただけませんでしょうか」

「…で? 他には?」

「『第22新隆起地』に対する、貴社の予算投入の件について、少し問題がありまして…」

何処か興味なさげに話を来ていた喜久は、何かを改める様に眉間に皺を寄せ小さく息を吐いた。

「…布施社長。私は、貴方が来た理由など、とっくの昔から知っている。でも、次郎君…君が来た理由は何だい?」

『次郎君』それはまだ、姉が生きていた頃、姉の想い人として『布施技研』を訪れていた喜久のモノだった。あの懐かしく美しかったあの頃と同じように同じ声で。
しかし、その男は『布施技研』の社長が今日、此処に来ることを知っているという。兵站部部長拘束の件も、『第22新隆起地』で起こっている問題も、初めから予期していたと言うのだ。

「…喜久さん……アナタは、変わってしまった…」

姉の想いと同じほどに、姉を想ったかつての『喜久さん』は、もう居ない。全てはもう過去なのだと、全てが変わってしまったのだと、次郎は、今初めて思い知らされた。

「私は、何も変わってなどいないよ。考える時間を与えた。そして、君は此処に来た。どうする?」

ユックリと、何かを確認するかの様に差し出された喜久の右手。この手をとる事の意味を次郎は知っている。


「僕に、この手をとれと言うのか…」


何時の間にか、エントランスの視線は全てこの二人へと向けられていた。

姉の想い人であった男と、その弟であった男。しかし、互を繋げていたヒトはもう居ない。
共に企業に所属する者同士ではあったが、この握手にはただ一個の男同士として向き合う事も意味している。

そして

次郎の強張る右手が、差し出された喜久の手をとった。

「兵站部部長の件と『第22新隆起地』に対する新たな資金注入に関しては、我々から議長へ提出しておこう。不足する予算に対しても我々には即時に融資する準備ができている」

「……重ね重ねのご配慮、痛み入ります」

「気にする事は無い。我々には東企連から更なる資源エリア奪取の要請が来ていてね。甲…おっと。『シュテン』を要する我々からすれば、どちらの問題も、些事に過ぎない」

その言葉に、次郎の表情が一気に険しくなった。

「喜久さんっ! 貴方って人はっ!!」

此処にきて、初めて次郎は声を荒げてしまう。
明らかな悪意もって間違えられた『甲・陸式』と『シュテン』、その後に続く嘲りの笑み。
その声に、エントランス中から送られていた視線が、好奇なモノに変わった。

「布施社長。此処での行動には注意した方が良いのでは? 伺った内容につきましては、また此方からご連絡いたしますので、それでは」

握手は解かれ、喜久は次郎の元を去っていく。
これで、『布施技研』と『大江重工』との関係性は周知の事となった。
何より、この状況を東企連の議長が見ていた以上、後戻りはできない。全ては、大江喜久の書いたシナリオ通りに事が進んだのだ。

ラウンジに一人残された次郎は、周りの視線に気が付きながらも、その場に立ち尽くすしかなかった。
そして、握手していた手に残ったあまりの冷たさを思い出し、背筋を震わせた。



[30526] 無題 十一話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:27
十一話



布施次郎と大江喜久の交渉より翌日、此処『東坂工場街』は、かつての活気を取り戻したかのように、大勢の職人達で賑わいを見せていた。

昨夜『布施技研』へと届いた双脚式高機動戦車『シュテン』の設計図は、すぐに『弥刀鋼材』へと送られ、弥刀幸村の手で明日を待たずに、各工場へと配信された。
それに合わせ、開発地での重機改修の業務も重なり、久しぶりの大きな仕事とあってか、街の職人達は、競い合うように早朝からシャッターを開いた。

一度は引退を表明した職人達も引っ張り出され、操業を止めた工場にも久しく火が入り、工作機械の激しい鼓動が街に響く。
何時もなら、暇を持て余したオバさん達がお喋りに興じていた『梅の花館』でも、今日は工場の女将さん達総出で昼食の炊き出しに追われていた。

そんな、熱気と騒音に包まれた懐かしい工場街。
『布施技研』の面々も、本部に最低限の人員を残し、全員が各工場へと助っ人に出ている。

何時もならスーツ姿の安堂遥も今日は、作業着に身を包み、工場街を駆け回っていた。

「小坂のおじさぁん。出れますかぁ? 皆もう集まってますよぉ」

遥は、開発地重機改修業務の陣頭指揮を任せた小坂仁柄を訪ね、『小坂製作所』のシャッターを潜る。

「おお、遥ちゃん。もう、そんな時間かよ。すまん、直ぐに出るわ」

そう返事をした仁柄は、何時もの作業服姿では無く、スラックスに背広と、余所行きの恰好で大きなボストンバックを抱えていた。

「アンタ、忘れ物は無いかい?」

工場の奥から姿を現した『小坂製作所』の女将さんは、心配気な、しかし何処か誇らしげな目で、久しく余所行きの恰好をした夫を見つめていた。

「何言ってやがる。ガキじゃあるめぇしよ。じゃあ、少し空けるが家の事は頼んだぜ」

「はい、任されたよ。アンタ、しっかりやっといでよ」

そう言うと、女将さんは、火打ち石で夫の肩に切火を切る。

「おうっ! じゃあ、行って来る」

仁柄は、それに笑顔で応えると、颯爽とシャツターを潜り、皆と一郎丸の待つ港へと向かう。

「なんか、懐かしいですね。こういうの」

遥は、女将さんと一緒に遠ざかる仁柄の背中を見送りながら、ふと呟いた。
幼い頃、何度も見た光景。あの頃は、父や職人の人達が何処かに行ってしまうのは辛かったけど、今は、その後ろ姿が酷く頼もしく見える。

「だねぇ…やっぱり、男はこうでないといけないよ」

「ですよねぇ」

だが、そう応えた遥の瞳には、喜びと同じほどに悲しみがにじんでいた。
今の東坂工場街を見せたい相手が、此処にはいないのだ。

そんな彼女は、その日の午後、忙しい合間を縫って今は亡き友人、『布施技研』前社長の布施和姫の墓前へと足を延ばした。


安堂遥は、『安堂部品』の末娘として生まれ、大学を卒業した後に、工場を上の兄達に任せ、『布施技研』へと就職した。
東坂工場街で工場を経営している以上『布施技研』との繋がりは普通の事であったが、遥の場合、前『布施技研』社長である、布施次郎の姉、和姫と同級生で親友と呼べる関係であった事が就職する上で大きな理由だった。

大学以外、幼稚園から高校まで同じ学び舎で過ごした布施和姫という友人は、幼い頃から聡明で優しい女の子だった。当時、弟の次郎は、そんな姉にべったりとくっついて離れない甘えたで、体も小さく、現在では考えられないほど頼り無い男の子。

それが、布施姉弟に対する、遥の最も古い印象である。

そして、その姉弟に変化が訪れたのは、高校に入学してから直ぐの頃だった。
資源エリア奪還作戦により、父を失った和姫は一週間ほど高校を休み、塞ぎ込んだ様に連絡を絶った。
もしかしたら、よからぬ事で考えてるのではないか? と、心配した遥だったが、心配を余所に、一週間ぶりに顔を見せた友人は何時にもまして元気だった。

しかし、今思えば、あの時を境に友人は変わっていたのだ。

聡明さを感じる目元は何時しか厳しさを孕み、優しげだった表情は、張り付けた仮面の様に変化を無くす。
そして、何より弟の次郎に対しての当たりが、見るからに強くなった。

くっついて来れば突き離し、泣き言には耳を貸さず、聞いても応えず、出来なければ手を上げる事さえあった。
それまでの友人を知っていれば、考えられない程の変貌ぶりに、弟自身もそうだが、周りに居た人間の方が驚きを隠せなかった。
遥は、あまりに厳しい友人に、何故そんなに次郎に対して厳しくするのか? と、直接聞いた事がある。

──お母さんもお父さんも居なくなっちゃった。ワタシ、次郎にはもう甘えられないから。

そう応えた友人の横顔は、もう自分の知っている和姫ではなかった。

傍から見れば、弟が何時までも姉に対して甘えている様に見えていたが、友人は、弟に対する甘え捨てるのだと言う。
何よりも大事な者から愛されていた心地よい時を捨て、嫌われる覚悟をしたのだと。

彼女は、誰かに与えられる前に、大人になる事をえらんだのだと、遥は痛感した。

しかし、そんな友人はこの世を去った。理由はどうあれ、多くの問題と悲しみを残し、勝手にこの世を去ったのだ。
酷く甘えた話だと思う。無理に大人面をして、偉そうな事を言っておきながら、最後に最悪の甘えを捨てられなかった。

だが、彼女が残したのは悪いモノばかりではなかった。彼女の弟の布施次郎は、立派な青年になり、姉の跡を継いだ。
姉の葬儀の日に、東坂工場街全ての職人たちの前で、何一つ弱みを見せる事も無く、堂々とした態度で「僕が、次期『布施重工』社長の布施次郎です。よろしくお願いします」と言った次郎の言葉と表情には、覚悟があった。
その時、遥は知ったのだ。姉の覚悟を、弟はちゃんと理解し、それに習ったのだと。

そして、遥も覚悟を決めた。

──アタシの事、遥姉さん。って呼んでもいいですよぉ。

軽い態度は、自分自身に対いする戒めでもあった。
社長室で、初めて顔を合わせた次郎は、曖昧な笑みを浮かべながらも、決して『遥姉さん』と私を呼ぶ様な事はしない。
だから、企業に所属する一社員として、友人の親友として、この青年の姉に代われずとも、高潔な覚悟だけは、何があって最後まで守ろうと。そう、心に決めた。他の誰でもない、自分自身の為に。自分が次郎にとって、赤の他人である事は承知している。

だが、そんな遥の覚悟は大きく揺れていた。
『大江重工』から戻った次郎は、活気を取り戻した東坂工場街に顔を出すことをせず、昨晩からずっと社長室に閉じこもったきり、出てこないのだ。

「……昨日のジローちゃんの顔、あの時の和姫そっくりだったの……もう知らない人みただったの……」

遥は、物言わぬ和姫の墓前に崩れる様にへたり込んだ。
姉は、一人残った弟への甘えを捨てた。なら、もう誰も居ない弟は、一体何を捨てるというのだろう。
立場か、企業か、東坂工場街か。そのどれかでも、全てであっても遥は、別に構わないと思ってる。それが、次郎自身の命以外であるのなら。

「お願い…和姫。お願い……ジローちゃんを守って」

死者は何も応えない。生者で変える事ができない事を、死者すがってどうなるというのだろう。
だが、それでも、願わずにはいられなかった




『第22新隆起地』対する『大江重工』の行動は、非常早かった。
その速さは、不自然さを感じる程で、布施次郎が『大江重工』へ行った翌日には、20台を超えるコンテナが、ギルド宛に届いたのだ。

コンテナの内容は、主に最新式の携帯火器と弾薬、そして水や食料、医療品だったが、その中には隆起地に送るには、適当と思えない内容と量の物資が含まれており、今朝から『布施技研』より出向していたイヴァン・高安・イリンスキは、コンテナの前で首を傾げてた。

「備えが在るのに越した事は無いが…この量はなんだ? 此処で戦争でも始めようってのか?」

イヴァンが訝しんだ表情で眺めているのは、最新式の個人携帯用対戦車装備の数々である。
確かに、ギルド間での抗争い戦車や装甲車が使われる事は在るが、コンテナ三台分となれば、前線を一週間は維持できる量だ。ギルドが保有するには不自然だった。

「まぁ、どうあれ『シュガー・ヒル』と『誘拐屋』に対抗できる道具はそろった訳だ。すでに防衛線に配置してる警備に、装備は行き届いている」

其処にやってきたのは、ギルド長のジェームス改め、スパーキー・フレデリックと、イヴァンと同じく出向してきた俊徳道礼子だった。

「そうね、ステルススーツ対策も『吾妻電脳』から、AI搭載の指向性センサーUAVが届いたから、警備の穴も埋まるでしょう」

二人は、開発の遅延したスケジュール修正を行う為に、ギルド主要メンバーとの会談を済ませてきた後だった。

「まぁ…そうですよね」

イヴァンは、少し納得はいかないものの、問題の一つが改善の方向に向かっている事を素直に喜んだ。
『大江重工』からの物資供与は、前回に引き続き20億近い多額のモノであり、その半額を自社で負担するという、少し企業としては良心的過ぎる処置だった。
勿論、『布施技研』としては、その半額の負担に合わせ、条件が課せられたが、内容は実質の損害にはならないモノだった。

条件とは『シュテン』量産における製品ロットナンバーの共有である。
これにより、実質『シュテン』量産における『布施技研』の立場は、『大江重工』の直営下請けとなってしまう。が、出荷後の利益については、ライセンス生産時と何ら変わらず、経営難の『布施技研』にとって、考慮する余地も無い程の、軽い内容だった。

問題の深刻さは、新隆起地開発の遅延の方が遥かに大きく、『布施技研』では、工期短縮の為に、現在別現場で行っている重機改修を、此処『第22新隆起地』でも行う方向で話が進んでいる。

「ふぁあ…手伝うって言っても、何もできんしなぁ」

イヴァンは、コンテナの荷卸し作業の指揮を執る二人を尻目に、退屈そうな欠伸をする。
実質、運転を専業としている彼には、現場で出来る業務は少ない。できる事と言えば、重機を動かすか、メールを本部に送信する事くらいだ。

「…昔の女にでも逢ってくるか」

此処、『ジェームス・フレデリック修道会』には、かつては戦場で数多の戦績を残し、今は運搬作業の手伝いをしている多脚戦車の『キエフ』が在る。
中央統合軍で戦車乗りをしていたイヴァンにとって、特別な思い入れのある戦車だった。
暇を持て余しているくらいなら、開発作業の手伝いも兼ねて、運転させてもらうのもいいかもしれない。
と、そんな事を考えている最中、荷卸し作業の指揮を執っていたフレデリックの携帯端末が、けたたましい音を立て、緊急入電を伝える。

「どうした?」

「第19新隆起地から『シュガー・ヒル』の主力と思われる部隊の出撃を、哨戒中の警備が確認しましたっ! 戦車1、装甲車3、兵員は大隊規模です。映像、送ります」

フレデリックの携帯端末のディスプレイに映し出された映像には、鮮明に戦車と装甲車を盾に侵攻してくる男達の姿があった。

「早いな…奴等、此方の準備が済む前に、ケリを付けるつもりか」

「フレデリックさん、こっちの武装は?」

苦々しい表情でディスプレイを睨むフレデリックに声をかけたのは、現場を離れようとしていたイヴァンだった。

「…旧式ではあるが、装甲車なら6台保有している。しかし、装備は全て対人だ」

「ヤバいな、視界は水平線が見えるくらい開けてる上に、遮蔽物も無いし、航空戦力のゼロ…装甲車は何とかできても、戦車の射程に捕まる」

真剣な顔付きでディスプレイを覗きながら、イヴァンは対応を考える。

「どうなの、イヴァン。何か良い策はある?」

騒ぎに気が付いた礼子は、思いのほか落ち着いた顔で問うた。

「この戦車…『大枝興産』の履帯式戦車『白道』ですね。機体は旧式ですけど、砲塔は換装されてます。有効射程は3000近くあるでしょうね。それに、脚が早い上に欺瞞装備も揃ってますから、遠距離からの撃破は難しいでしょう」

「犠牲は承知で、肉薄しての直接照準しかないか…」

「いや、それも難しいですね…敵性歩兵の練度も勿論ですが、此処見てください」

戦車に接近しての直接撃破を提案したフレデリックに、イヴァンは、ディスプレイを指差しながら続ける。

「装甲車のセンサーポッドが温度感知式に積み替えられてます。隠れていても機銃の掃射は避けられません。こちらも装甲車を盾にすれば何とかできますけど、あっちに戦車が在る以上は……」

「打つ手無しか…」

絶望的な見解にフレデリックの表情が変わる。しかし、その表情は苦しいモノではなく、何処か清々しい表情だった。

「ちょっと待ちなさいよ。死に場所なんて初めから決まってるんでしょ? なら生きる場所を探しなさいよフレデリック。イヴァンの話はまだ終わってないわ、そうでしょ?」

礼子は、すかさずフレデリックの覚悟に釘を刺した。
彼は、軍属の家系に育ち、父と姉を戦場で失ってから、自分も同じく戦場で死ぬのだと確信していた。だが、まだ早い。

「ダー(はい)、勿論。航空支援が無い以上、戦車に対抗できるのは戦車だけです。ですので、こちらも戦車を出しましょう」

「戦車…そんなモノが何処にある?」

「居るじゃないですか、飛び切りの美女が」

イヴァンが飛び切りの美女と称賛するのは、開発作業で貨物車扱いをされている、六脚式多脚戦車『キエフ』の事だった。
旧式ではあるが高い機動性と、厚い装甲を持った戦車である事に変わりは無い。
何より、彼女に荷物引きなど似合わないのだ。彼女は戦ってこそ価値があり、そして美しい。
妻には申し訳ないと思いながらも、再び彼女と共に戦場を駆ける喜びに、イヴァンの心は躍った。

■■■


感想ありがとうございます。

ねっさん>
自作自演フラグとは、これいかに?
読んで下さった事そのものを嬉しく感じております。
また、暇な時にでも、少し見に来てやってください。

イマジンさん>
やっぱりオウガ連想しますよね。
ちゃんと解りやすくしたんで、勘弁していただけると助かります。
面白かった。そう言っていただけるだけで、1000KBは書けますねw

感想をくれた人たちへ>
いや、助かります。力になります。モチベ上がる上がる。
本当に、ありがとうございました。頑張ります。


また、作品を呼んでくれた全ての人達にありがとう。

⑨葬



[30526] 無題 十二話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:cb4086e9
Date: 2012/01/17 04:28
十二話



東方企業連合は、各サルベージギルドが防衛や警備の為に武力を保有する事を公に認めている。
携帯火器は勿論、戦車、装甲車、自走式榴弾砲すら、ギルドに購入するだけの資金力さえあれば、企業から買い取る事が可能だった。
しかし、戦闘機や戦闘ヘリ、UAVなどの航空戦力の保有に関しては認められいない。
その他長距離射程の地対地ミサイルなど、内地に対して直接的な破壊行為が可能な兵器をギルドに対し、販売、供与した企業には、罰則以上に重い処分が取り決められている。

その背景には、ギルドが保有している資金を管理するよりも、企業から買い取った兵器の目録を管理する方が、東企連にとってもやり易いという理由があった。企業でも、ギルド間での適度な衝突や消耗は、過剰在庫の処理に一役買っている。

それ故にギルド同士の抗争は無くなる事が無い。
通常の戦争であれば、制空権を確保した後の陸上戦力投入が常だが、ギルド双方が航空戦力を持たず、地上で正面からぶつかるといった時代錯誤な戦闘は、兵器こそ近代化したもの中世の戦と変わらず、兵器の近代化によって必要以上に死傷者だけを増やす、不毛な抗争となった。



久しく座った多脚式戦車『キエフ』のシートは、イヴァン・高安・イリンスキの思い出の中に在るシートよりも随分と座り心地が悪かった。
計器はホコロをかぶり、右側面のカメラは破損し、主砲は空で、第二・第六脚の油圧シリンダーは固まっている。かろうじてマトモなのは、シートベルトくらいだろうか。

勢いで戦車を出すっ! なんて豪語したが、これでは走るシートベルト付きの棺桶だ。

「準備できたか?」

イヴァンのインカムに、男の声が入る。砲塔に控えたサルベージギルド『フレデリック修道会』のスターキー・チェルチだった。

「あぁ、後は覚悟だけだよ」

「そうか、なら早めに済ませろ。もうすぐ目視で捉えるぞ」

チェルチの無情な言葉に思わず「人の気も知らないで」と文句の一つも言いそうになってしまったが、インカムの先に居る男の状況の方が自分よりもはるかに過酷である事に気が付く。

だが、それでも。

「人の気も知ら無いで。出力だって70%在るか無いかだぞっ!」

「馬鹿めっ! こっちは、戦車から身を乗り出しての狙撃だぞっ! 黙って運転してろっ!」

イヴァンは、チェルチに返された怒号に少しムッとしながらも「だよなぁ…」と小さな声で呟いた。


時間は少し遡る。

戦車を出そうと提案したイヴァンは、改めて『第22新隆起地』にて開発作業に利用されている多脚戦車『キエフ』と再会した。しかし、初見での感動的な再会とは違い、間を開けず逢ったかつての相棒は、酷く老いて見えたのだ。
無理もない、数年間もの間、何一つメンテナンスを受ける事無く、風雨と潮に晒されてきたのだ。
美しい曲線的な前面のフォルムにはデコボコとしたへ込みが目立ち、剥がれ落ちた塗装の下から湧いた錆が、ベージュ色の肌をまだらに焦がしている。
記憶に在る美しかった彼女は、まるで、港町に住む老いた海女の様だった。

そして、問題はそれだけに留まらず、主砲は奇跡的に生きているというというのに、発射できる弾体がギルドには無かったのだ。

戦車を出せば。と豪語はしたが、主砲が使えないのでは話にもならない。
航空戦力の発達により、大規模な戦果は上げられなくなったが、それでも戦車は陸戦において最強の兵器と言える。
厚い装甲に、高い機動力、破壊力のある主砲。どれだけ武装しようとも、遮蔽物の無い荒野で歩兵が太刀打ちできる代物ではないのだ。

だが、上司である俊徳道礼子と、ギルド主要メンバーに別の手を模索しようと提案した時、一人の男が徐に手を上げたのだ。

「俺が主砲になろう」

それは、スターキー・チェルチだった。

「…言ってる事の意味がさっぱりわからんのだが?」

「そのままの意味だ。直接照準の携帯式対戦車榴弾を持って、戦車の上から撃てばいいんだろう?」

チェルチは、まるでその提案が当たり前に導き出された答えかの様に言った。
しかし、この提案には大きな問題がある。

直接照準の携帯式対戦車榴弾の最大の弱点は、命中精度の低さである。
有効射程は長くて1000mだが、実際のトコロは無誘導榴弾では150~300が関の山で、1000m飛ぶだけに過ぎない。
しかも、それを荒野を走る不安定な足場の戦車の上で発射するとなれば、50m先の目標に当てる事すら不可能だろう。

「馬鹿な事を…」

だが、そう言いつつもイヴァンの頭の中では、それが現実的に可能では無いかと言う考えが浮かんだ。
理由は、チェルチの機械化された下半身にある。
元々、歩兵に対し立体機動力を付与するために開発されたと思われる金属製の脚は、鳥の鉤爪の様な形状をしており、その脚だけで自重を支える事が可能だった。現に、チェルチは戦車の主砲に、この鉤爪だけでぶら下っていた。

これならば、不安定な戦車の上でも足場をしっかり掴み、走行中であっても攻撃が可能ではないか、と。

「…その自信の根拠は?」

「自分は、足場さえしっかりと掴めれば、20㎜機関砲だって直立した状態で撃てる。義足のコンセプトは、歩兵の三次元運用が目的だが、自立式銃座としての性能の方が、実戦では役に立った」

イヴァンは、チェルチの言葉を受け、集まっているギルド主要メンバーの顔を伺う。そして、ギルド長のスパーキー・フレデリックと目が逢った瞬間、彼は力強く首を縦に振った。

「いいのかい、チェルチさん? 対戦車榴弾砲の射程って事は、相手の銃火の真っただ中に体を晒す事になるんだぜ?」

「是非も無い。それより問題なのは貴様が榴弾砲の射程圏内まで戦車に近づけるかって事だろう?」

「ほう、言うねぇ」

そして、迎撃作戦は開始される事となった。
まず、イヴァン・チェルチの乗った戦車が先行し、敵性戦車を撃破、もしくは走行不能にし。その後、控えている『フレデリック修道会』の部隊が装甲車を盾に攻撃を仕掛けるというものだった。
作戦内容としては、酷く大雑把だが、敵性戦車から戦力を奪って初めて五分の勝負となる。
『フレデリック修道会』の命運は、戦車を駆る二人の双肩にかかっていた。


「敵部隊、目視で確認。戦車の砲塔がもうコッチを向いてるぞ」

砲塔のスコープディスプレイを見ていたチェルチは、落ち着いた様子で現状を報告する。
履帯式戦車『白道』を中心に隊列を組んだ小隊が二つ。此方を同じように目視で捉えた様子で警戒を怠らない。しかし、その他は、統率はとれているものの素人同然の動きだった。

敵の主力は、戦車とこの二小隊と観て間違い無いだろう。概ね、ギルドと契約している佐藤製薬が兵站部での訓練を受けた自社社員か、もしくは傭兵か何かだ。

「まだ大丈夫だろう。さすがに、この距離で当ててこれる訳が無い」

と、イヴァンが言った瞬間、チェルチは敵性戦車『白道』の主砲が発砲するのを見る。そして、発射音が届いた思った瞬間、二人の乗る『キエフ』の車内に硬質な轟音と衝撃が走った。

「…おい、当たったぞ?」

「………」

まさかの被弾である。
しかし、当たったのは前面装甲部分。二人の乗る『キエフ』は、厚い前面装甲と優れた傾斜装甲により、弾体を見事に弾いていた。

「問題無ぇっ! このまま、一気に相対距離を詰めるっ!!」

イヴァンは、叫ぶようにそう言うと、スロットルを全開にした。
未だ、2000m以上はある相対距離を詰めるのに最短の道。すなわち一直線の軌道で『白道』へと道なき道を突き進んで行く。

「馬鹿野郎っ! 死にたいのかっ!!」

「あっちの砲手は素人だっ! 多脚戦車相手なら、まず脚をねらっ」

チェルチの苦言も空しく、イヴァンが言葉を言い切る前に、再び『キエフ』に衝撃が走った。
車内に、機体損傷の警告アラートが鳴り響く。左側面の第二脚が、砲撃の直撃を受けた。

「おいっ! 脚がもげたぞっ!!」

「何っ! 軽くなっただけだっ!!」

それでも、イヴァンは速力全開で、一心不乱に距離を詰める。

「貴様っ! どういうつもりだっ!!」

チェルチは、暴走する操縦手に豪を煮やし砲塔から操縦席へ降り、イヴァンの肩を掴もうとした。
だが、その横顔を見た瞬間、彼はこの操縦手が無謀な策を取ろうとしているとは思えなくなった。
決して良いとは言えない表情だったが、その瞳は恐ろしく冷静に、突き進む先にある勝利を見ている。

「えらく優秀な照準補正装置を積んでやがるな…だが、コレで決めれなかったのが、運の尽きだぜ…」

イヴァンは苦虫を噛み潰した様な表情をしながらも、口元を釣り上げながら、そう漏らした。

初弾を被弾した時『キエフ』と『白道』には、まだ2000mを超えるであろう相対距離が在った。実際の戦車砲撃で、これだけ距離がある走行中の目的に直撃させる事など人間には不可能だった。だが、運や奇跡という可能性は残されている。
しかし、若干の間をおいての二射目の被弾。コレで、『白道』の砲手が高精度な照準補正装置を使っているとイヴァンは確信したのだ。

戦闘において、戦車そのものの性能は勿論大切だが、最も必要とされるのは、観察力と洞察力である。
高い命中精度を誇る照準補正装置による射撃は、反面、照準の再計算に時間をとられ、連射性が落ちるというデメリットがある。
そして、砲塔カメラによる画像ロックオンに依存している為、カメラの視界に姿をさらさなければロックを引きはがす事が可能だった。

「チェルチっ! 10時から2時方向に、距離100でスモークグレネード」

「了解」

一時は操縦手を疑ったチェルチだったが、今は頭を切り替え、即座に6発装填の回転弾倉式グレネードランチャーを手に取ると、砲塔から体を出し、スモーク弾を指示通りの方向に着弾させた。正面に捉えた部隊から、戦車を隠すのに最適な指示だった。

「榴弾砲とフレアを持って待機しておいてくれ、右翼から突っ込むっ!」

海からの風は、適度に強く、広がったスモークの盾が『キエフ』を敵部隊から隠した。
これにより、戦車からのロックだけでなく、レーザー誘導の携帯式対戦車ミサイルからも身を隠せる。

イヴァンは、緊張し歪ながらも笑みを浮かべた。
『白道』の砲手が犯したミス、それは自分の手の内を見せるという事への危機感の無さだ。
もし、自分が『白道』の砲手だったなら、手の内がばれる様な射撃はしない。ましてや、一対一の勝負ならなおさらに。
『キエフ』は、そのまま煙の中を突き進んで距離を詰め『白道』との距離を500mにまで縮める。
そして、煙が切れた瞬間、砲塔に居たチェルチは、『白道』の主砲の発射音と、弾丸が風切音をたて、直ぐ傍を過ぎていく音を聞いた。

「馬鹿めっ! 焦りやがったなっ!!」

『白道』の三射目は辛うじて外れた。しかし、イヴァンは息つく間もなく、レーダーに映る飛翔体に声を上げる。ミサイルっだった。

「フレアァァァ!!」

チェルチはすかさずフレア弾を、砲塔から外に二発撃つ。そして、数秒後に機体を揺らす衝撃に呻いたが、直撃は避けた様子だった。

「お待ちかねのショータイムだっ! ちゃんと送り届けたぞっ!!」

銃弾の雨が、『キエフ』の装甲を頻りに叩く音が聞こえる。
装甲車の規則正しい機銃の奥に、歩兵が撃っているのであろう、自動小銃の音が混じっていた。双方が狙える距離に来たという事だ。

「…任せろっ!」

チェルチは十二本積んだ対戦車榴弾砲を一本持ち、砲塔から出る準備に入った。

「右側面からだっ! 履帯を狙えっ!!」

「わかってるっ!」

意を決し、チェルチは鋼鉄の鉤爪で砲塔内部を掴むと、体を出し榴弾砲を『白道』の左側面の履帯を狙う。
そして、バックブラストと共に発射された榴弾は、一直線に『白道』の履帯へと向かった。

が、

「はずしたっ!?」

僅かに逸れた榴弾は、履帯ではなく手前の地面に着弾し、近くに居た兵士を吹き飛ばす。

「驚いてる場合かっ! 二発目、今度はもっと寄ってやるっ! けど、三度目が撃てる保障はねぇぞっ!!」

イヴァンの怒号。
『白道』の右側面を行き過ぎる進路とっていた『キエフ』が、その向きを『白道』そのものに向ける。

緩慢だが、確実に主砲を『キエフ』へと向けた『白道』。そして、第四射目の至近距離での射撃は、戦車外に体を出したチェルチのそばを轟音と共に過ぎていく。
焦りと恐怖の見える、場当たり的な砲撃だった。
だが、至近距離で砲撃の衝撃と音を彼はマトモに喰らい、意識が吹き飛びそうになる。

空白の一瞬。チェルチの砕けた意識の中で、目に見える全てが停止するのを感じた。

まるで、流れる時間に置き去りにされるような感覚。それは、今まで何度も感じた死の予感。

チェルチは、砕けそうな意識を掻き集め、空白の一瞬から抜け出すと、二本目の榴弾砲を構え直し、『白道』の履帯へと発射させた。

時間とは不可逆であり、留まる事は叶わない。置き去りにされた者から死んでいく。

しかし、榴弾の着弾音が聞こえてこない。それ以上に、さっきまで聞こえていたはずの、行き過ぎる風の音、銃の発砲音、風切る銃弾の音、弾丸を弾く装甲の音、戦車の排気音、その全てが消えているのに気が付いた。

砲撃の衝撃波で鼓膜が破れたのだ。
着弾を目視で確認するために、急いで振りかえったが、『キエフ』は既に『白道』の背面へとすり抜けていた。
インカムから微かに聞こえるイヴァンの声は、何を言っているのか解らず、五感の一つを失ったチェルチには、着弾の手応えに確信が持てなかった。

その時、『白道』の砲塔が旋回し、主砲が『キエフ』と捉えようとしているのが見えた。

チェルチの機械化された下半身は、神経の微弱な電気信号を受け機能する。
脳を介さず、脊椎により発生した信号は、確実に下半身へと伝わり、彼は三本目の榴弾砲を掴むと、砲塔を蹴り空へと舞いあがった。
機械化された下半身は、生身の膂力を遥かに凌ぐ跳躍を見せたのだ。

生身の人間では叶わない跳躍。その姿は、銃を持つ兵士達の視界に入ってはいたが、誰もソレに向かって銃口を向ける事は無かった。否、出来なかったのだ。
人の限界と、それを基準とした認識。チェルチの跳躍は、兵士達の認識の死角へと入る。

「フラットランンダー共め、コレが本当のトップアタックだっ!!」

空中に咲く花の様なバックブラストが噴き、榴弾は『白道』の砲塔上部の薄い装甲へ、メタルジェットの槍を突き刺した。

そして、まるで初めから打ち合わせをしていたかの様に、『キエフ』がチェルチの着地点へと機体を滑り込ませる。

『白道』は、砲塔から黒い煙が吹き、その動きを止めた。

作戦は、見事に成功したと言える。

しかし、チェルチのインカムからは、まだイヴァンが頻りに何かを伝えようとしていたが、鼓膜を損傷した耳には、何を言っているのかまでは解らなかった。


■■■


感想ありがとうございます。


taaaさん>
貴重なご意見ありがとうございます。
『イマイチ』という評価には、展開の遅さ、インパクトの無さ、はたまた話そのものが面白く無い…など。
作者自身、身に覚えがあり過ぎて、何がtaaaさんをそうさせてしまったのか?
もしよければ、一筆でもかまいませんので、理由をいただければ改善できるかもしれません。
まぁ、全部って言われちゃったら、それまでなんですけどねぇw

何よりも、読んで下さった事。嬉しく思います。


また、この小説に時間を割いてくださった全ての読者様に、ありがとうございます。

⑨葬




[30526] 無題 十三話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:7a22bf0a
Date: 2012/01/17 04:29
十三話



身を隠す事の出来ない荒野の真ん中で逃げ惑う兵士達。眼前に在った装甲車は炎上し、辺りは一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した。

多脚戦車『キエフ』の砲塔ディスプレイに映る、兵士達の死体は凄惨を極めた。
腕を無くした者、脚を無くした者、首が無い者、体が二つに分れた者、もはや原型を留めない死体さえあった。

砲塔に身を置くスターキー・チェルチは鼓膜の破れた耳で、必死にインカムから聞こえる音を拾う。
インカムの向こうでは、『キエフ』の操縦を行っているイヴァン・高安・イリンスキの、悲鳴の様な叫び声が聞こえた。

「緊急事態っ! 緊急事態っ!!」

イヴァンが必死に緊急事態を伝えるのは、後方に控えているサルベージギルド『フレデリック修道会』のメンバーだ。敵性戦車『白道』の沈黙後、速やかに敵部隊の掃討に入る筈だったが、状況が変わった。

それは、突然の襲撃だった。
目の前の装甲車が、無数の弾丸を受けて意図も簡単に撃破され、炎上した。周りに居た敵兵も、その射撃に巻き込まれ、無残な肉塊と化していく。
使われているのは、威力と連射速度から考えても、30mm機関砲。弾丸は、あろうことか徹甲焼夷弾だ。人に向かって撃つような弾では無い。

イヴァンは、爆炎の向こうに強襲を仕掛けてきたモノ正体を見る。戦闘車両だった。
履帯式とも多脚式とも異なる機体のシルエットは、まるで人が前傾に身を屈めてスキーの滑走の様に滑ってくるかの様にも見える。
この様な、特異なシルエットを持つ戦車を、イヴァンは一台しか知らない。

「陸式っ! いや、『シュテン』だっ!! 大江の『シュテン』の襲撃を受けているっ!! 主要火器は30mm機関砲っ、その他不明っ!!」

『大江重工』製、双脚式高機動戦車『シュテン』
かつて『甲・陸式』として『布施技研』により開発され『大江重工』が奪い取った東企連正式採用の陸戦兵器。両腕のマニュピレーターには、『千丈ケ岳工業』の30mm機関砲『雷鳴』二門が装備されている。

イヴァンは、操縦桿を素早く引き起こし、戦線離脱を試みる。
作戦そのものは成功した。その上『シュテン』の襲撃により、後続が相手をする筈だった敵部隊も壊滅。これにより、作戦は終了したと言っても過言ではなかった。

しかし、彼は此処にきて、やっと座りなれた『キエフ』のシートに、居心地の悪さ感じたのだ。作戦成功による、気の緩みがもたらしたモノならば、どれ程に良かっただろう。

「…やっぱりか…クソッタレ」

『シュテン』の機関砲が、イヴァンの予想通り『キエフ』へと向く。
そして、『キエフ』からの通信は途絶えた。





『大江重工』本部ビルの第一会議室は、普段の静けさとは違う、熱の籠った歓声に包まれていた。
第一会議室は、その広さから社内や来賓を招いてのパーティーに使用される事があり、今回も、ビュッフェ形式の昼食会を兼ねた会合が開かれていた。
来賓は、東企連の主要所属企業の重役の面々や、幹部達。その他には、兵器の輸出を主とする商社や関連企業の関係者だ。
彼らは一様に大型のディスプレイに映し出される映像に興奮を示しながら、食い入る様に見つめていた。

アルコールまで振る舞われ、まるでスポーツ観戦の興じながらのパーティーの様だった。
が、ディスプレイに映るのは、偵察用UAVより送られてくる『第22新隆起地』の生の戦闘映像。無数の徹甲焼夷弾を受け、装甲車が意図も容易く爆発炎上したシーンでは、会議室の全員の笑いと歓声が湧いた。

その最中、会合の主催者である『大江重工』専務、大江喜久は会議室内を、何処か醒めた目で見回していた。切れ長の目に熱は無く、それでいて冷たさも無い、本当に醒めた目だった。

「男って、何時までたってもガキよね。そう思わない、大江君」

そんな喜久に、カクテルグラスを両手に持った女が近づいてきた。
真紅のパンツスーツに身を包んだ、40前後の女性だったが、立ち姿は酷く若々しく見える。

「ありがとう、吾妻先生」

喜久は、口元だけに笑みをつくり、カクテルグラスを受け取った。
『吾妻先生』と呼ばれた紅いスーツの女は、『吾妻電脳』の取締役兼、吾妻研究所所長である吾妻紅葉女史だった。

「あんなに騒いでバカみたいね。でもまぁ『シュテン』の御蔭で儲かってる私としてはぁ、こんな事言っちゃ罰があたるかな」

紅葉は、カクテルグラスを一気に煽ると、艶のある笑みを会議室へと向ける。
『シュテン』のシステム開発は主に『吾妻電脳』が行い、量産機にもの同社の製品が使われていた。

『吾妻電脳』は、昨今、頭角を現してきた新興企業である。
元々、紅葉は、東方企業連合運営の鋭都大学院で人工知能とアンドロイド研究の教授をして働いていたが、当時受け持った生徒の勧めを受け、会社を立ち上げた。
何を隠そう、その生徒こそ『大江重工』大江喜久である。故に、彼女は彼を『喜久君』と呼び、彼は『吾妻先生』と呼ぶ。

「騒いで当然です。彼等は、戦場の事など知りません。そして、この会合の意味を考えるのは彼等の役目ではありませんよ」

「あら、意味なんてあったの? 『スゲー新兵器が出来たから、皆で騒ごうぜーっ!!』ってパーティーだと思ってたんだけど……」

年齢には少し似合わない、キョトンとした表情で、紅葉は、限りなく無色透明の無表情をした喜久の顔を見た。
そして、何かに耐えられなくなった様に、声を上げて笑う。

「あははははっ、嘘よ、嘘。ちゃんと伝わる人には伝わってるでしょう。でなければ、これだけのメンバーは揃わないわよ。『大江重工』主力商品の非効率運用を。それも限りなく実戦に近い形で見れるなんて、素晴らしいキャンペーンよね」

『シュテン』は、元より坑道や大規模施設内部など、通常の戦車機動性やサイズでは制圧しにくい場所や、テロ・ゲリラ戦などの非対象戦を想定して設計された陸戦兵器である。
通常は、限定された空間で歩兵とセット運用される事が望ましく、効率的な運用が可能だが、逆に解放的な平原や隆起地など視界の広い場所での運用は極めて非効率だった。

しかし、喜久はあえて『シュテン』を隆起地の抗争に投入したのだ。兵器単体での投入となれば、結果は目に見えているにも関わらず、公の場でソレを公表するという手に出た。
会議室に集まった面々の中でも、それに気が付いている者は、真剣にディスプレイを見ているだろう。兵站部関係者など、戦場で実際の運用する者ならば当然である。

彼らは、知っているのだ、兵器とは道具である事を。使い方を間違えば、道具は容易く壊れてしまう事を。
第十三・十四資源エリア奪還で活躍した『シュテン』の性能を知ら無い者はいない。だが無敵の兵器などは存在しない。
だからこそ喜久は、壊すのだ。彼らの前で、あえて非効率な運用により壊す事で『シュテン』という商品の真の価値を、買い手自身に産み出させる。『我々なら、こう運用する』と思わせる。それが、今回のキャンペーン目的の一つだった。





『キエフ』最後の通信を聞いたサルベージギルド『フレデリック修道会』の長、スパーキー・フレデリックは、荒野の先に上がる黒煙を、塹壕の中から睨みつけていた。

先に戦場へ向かった、イヴァンとチェルチの安否は解らない。今、解るのは、新たな敵が此方に向かっているという事だけだ。

「…やるわよ」

何時の間にか、背後に現れた『布施技研』秘書室室長、俊徳道礼子が、平坦な声で言う。
その声に、フレデリックは一瞬眉を顰めたが、それ以外に道がないのは事実だった。

「全部隊、コードDで配置に着けっ! 敵は戦車一台、恐れる事は無いっ!!」

全豪に控えていた『フレデリック修道会』主要メンバー20名は、「イエス・サー」という返事と共に、塹壕内に散って行く。
『コードD』敵性戦車の大破、もしくは足止めが叶わなかった最悪の場合を想定し、用意された編成。『フレデリック修道会』主要メンバー以外を後方に下げ、主要メンバーでの戦車の直接撃破を目的とした布陣だった。

「目標との距離、3000。対戦車ミサイル用意、レーザー誘導に切り替えろ。」

荒野の先に、塹壕へと突き進んで来る『シュテン』をフレデリックはスコープで捉えた。
もはや、戦車とは言い難い形状をした人型の『シュテン』は、まるで人が屈む様な姿勢で走行している。
流線型の厚い前面装甲に機銃の付いたマニュピレーターを収納しているのは、単に被弾面積を抑えるだけではなく、走行中の空気抵抗も視野に入れての事だった。

「突撃形態か…試作機よりも、各段に早いわね…」

礼子は、まだ『シュテン』が『甲・陸式』としてテストを行われた頃を知っている。
突撃形態とは、視界が広く、狙われやすい状況での移動、突撃を想定し高速移動を可能にする『甲・陸式』の戦闘形態の一つである。
だが『シュテン』の走行速度は『甲・陸式』のテスト走行時のラップを、ゆうに超えていた。

「馬鹿みたいモノを作りやがる。あの図体で、時速160kmは出てるぞ。操縦手は、かなり豪胆だな…」

フレデリックの言う「豪胆」とは、勿論皮肉である。最新式の戦車ではあるが、単騎での突撃など無謀の一言に尽きた。
いくら、30mm機関砲であれ、射程は精々1500m程だ。それだけの距離を詰める間に、対戦車ミサイルの餌食になる事は目に見えている。

そして、塹壕の右翼に展開した部隊から、小規模なバックブラストの光と共に、ミサイルが二基、目標に向かい飛翔した。

レーザー誘導ミサイルは、目標位置情報をミサイルへ随時更新するため、着弾まで間主機からレーザービームを目的に向かい照射せねばならない。ミサイルの誘導方式としては、幾分型落ちの方式であったが、比較的安価である事とレーザーを遮られない限り、誘導性を失わない事から、今作戦での使用が決定された。
そして、幸いな事に『大江重工』から送られてきたコンテナには、この型落ちである携帯式対戦車ミサイルが、大量に積載されていたのだ。

しかし『シュテン』も最新式の高機動戦車である。レーザー誘導の対戦車ミサイルに対する備えが無い筈もなく、レーダー警報装置により、即座に捕捉された事に気が付いた『シュテン』は進攻速度を一端緩め、発煙弾を射出。空中と地表で白色の煙が広がり、目標を捉えていた筈のレーザーが遮られ、失ったミサイルは、何もない地表に大きな穴をあける。その中で、『シュテン』はレーザー照射により逆にミサイルの発射位置を割り出し、即座に反撃に出ていた。

「…レーザー捕捉から、僅か8秒で攻勢に出たか。速いな…」

フレデリックは険しい表情で、時計を睨んだ。
『シュテン』の武装の30mm機関砲は、ミサイルの発射された塹壕に対し的確に射撃を行っていた。しかも、二門ある機関砲の内一門で間断無く制圧射撃を行い、もう一門は射撃地点の動体に対してバースト射撃を行っている。戦車一台で、火器支援と攻撃を同時に行っているのだ。

これで、もし片方の武装が榴弾砲であったなら、たとえ小口径であってもミサイル発射を行った部隊は全滅しているだろう。
これで、もし地対地ミサイルを搭載していたならば、司令部など容易く吹き飛ばされているだろう。

──これでもし…。と、非情な空想をフレデリックは、頭の中で何度もシュミレートしながら、左翼に展開した部隊に、ミサイル発射指示を出す。

「第二射っ! パッシブ誘導ミサイルっ!!」

煙の盾に身を隠した『シュテン』にミサイルの第二射が放たれた。
パッシブ誘導は目標の熱排気の赤外線をミサイルが映像として捉え、自動追尾を行うシステムだった。レーザー誘導とは違い発射した兵士が敵の応射から直ぐに身を隠す事が出来き、比較的安全に取り扱う事が出来る。

だが、履帯走行とは思えぬ急加速で煙幕を突き破った『シュテン』は、迫りくるミサイルに対し、上空にフレアを放出。
上空に散布された無数の熱源は、『シュテン』よりも大きな赤外線の塊としてミサイルを欺き、捕捉を無効化した。

「第三射っ!」

三射目は、レーザー誘導ミサイルとパッシブ誘導方式ミサイル、二種類のミサイルの同時発射。しかし、命中ならず。

「──ハッ」

フレデリックの口元に思わず笑みが零れた。
これだけの攻撃を凌ぐ『シュテン』の性能。その上この戦場が不得手のフィールドだという事を考えれば、笑うなと言う方が無理な話である。



[30526] 無題 十四話
Name: ⑨葬◆1c524b51 ID:7a22bf0a
Date: 2012/01/17 04:34
十四話



『大江重工』本部ビル、第一会議室の大型ディスプレイに映る黒煙。
それは、総数12発のミサイルを回避し、13・14発目の直撃により大破した『大江重工』主力量産機『シュテン』の残骸から立ち上るモノだった。

本日のメインイベントである主力量産機『シュテン』のデモンストレーション。しかし、それは従来の機体ポテンシャルを如何なく発揮するようなデモンストレーションとは違い、状況が圧倒的不利な状態となる非推奨フィールドでの、実戦運用だった。

そして、結果は大破。
ディスプレイに釘着けとなり、沸き立っていた来賓達も、少しずつ落ち着きを見せ、会場となった第一会議室には、妙な沈黙が横たわっていた。

「皆様、いかがだったでしょうか。我々『大江重工』が贈る、最新主力量産兵器『シュテン』の非効率運用の結果は? どうでしょう、皆様の予想を超えましたか? それとも、大方予想通りの結果でしたでしょうか?」

先ほどまで、荒野に上がる黒煙を映し出していたディスプレイに、『大江重工』のロゴが浮かび、会議室の照明が一段階あげられた。
そして、ディスプレイの前に置かれた壇とマイクの前には、このデモンストレーションを企画した『大江重工』専務取締役・大江喜久の姿があった。

「当社の『シュテン』は、先の資源エリア奪還作戦において、確かな結果を示しました。しかし──ご覧いただいた通り、『シュテン』は無敵や、まして完璧な兵器ではありません。単独での非効率運用下であれば、歩兵相手にも引けを取る従来の戦車となんら変わらない兵器です」

喜久の言葉に、会場はにわかにざわついた。しかし、その中で一部の人間は、檀上にて話す喜久の言葉に、小さく笑みを浮かべていた。

「──カタログにこそ掲載できませんでしたが、これこそが『シュテン』の、我が社の商品の全てです」

会場は、再び沈黙に支配された。
しかし、後方からの小さな拍手を呼び水に、会場に拍手の嵐が巻き起こる。

会場に居る一部の人間には、このデモンストレーションが『大江重工』の新商品に対する絶対の自信を誇示する為のモノと捉えられただろう。
しかし、最初に拍手をした人間、そして、それにいち早く連なった者達は、このデモンストレーションの持つ真の意味を理解していた。

それが、喜久のもう一つ目的。

兵器とは道具であって、それ以上であってはならない。間違っても、兵器の性能によって、戦場での結果が左右される事など、あってはならないのだ。
完全無敵など、誰も必要とはしていない。少なくとも、兵器を商品として作製し提供する企業なら。投入した予算に対して最高の結果を示し、なおかつ、適度に壊れる事。それが兵器と呼ばれる商品に最も必要な条件なのだ。

そして、その考え、このデモンストレーションの意味をいち早く理解する者達は、兵器を必要としている。
それは、兵站部で指揮を執る者でもなければ、実際に運用する者でもない。
兵器を商品として見定め、その商品を必要なだけ必要とする者。そもそも、兵器を戦争の道具としてなど見ていない者達。彼らに対する、デモンストレーションなのだ。





「──っう……ひでぇめに会ったぜ」

大破した多脚式戦車『キエフ』がら引きずり出されたイヴァン・高安・イリンスキは、フレデリック修道会の用意した担架に乗せられ、装甲車へと搬入された。
『シュテン』の攻撃により、大破した『キエフ』だったが、脚部全てを捥ぎ取られはしたものの、コックピットと砲塔部分はほぼ無傷。イヴァンは、脚部を失った衝撃で頭をぶつけ軽い脳震盪になったが、他に大きな外傷はなかった。

「よくやった、イヴァン。流石はアタシの見込んだ運転手だ」

装甲車に運び込まれたイヴァンを、先に乗っていた上司の俊徳道礼子が労う。

「へっ…これって、労災おりますよね…」

「あぁ、溜まった有給だって消化させてやる」

「そういえば、チェルチは…? 奴は無事ですか?」

「心配すんな、文字通り『身体の造り』が違う。さっそく事後処理に合流してる」

礼子が指差した先には、雑に耳にガーゼを貼った姿で現場の指揮に参加している。

「……雑な創りの身体だな……俺も、随分と雑に創られたと神様を恨んだが、まだマシみたいだな」

「そうか…そうだな。神様がサボらずにもう少し丁寧に人間を創れば、こんな馬鹿騒ぎは起きないんだろうね…」

「ですね…日曜日にサボってって……礼子さん、詳しいんですね。宗教とか…東方じゃ無いでしょ、宗教とか?」

そう何気なく問ながら、チェルチの姿を眺めてた視線を礼子に戻した瞬間、イヴァンの顔が氷付いた。

「……殺したいの…一番」

そう呟いた礼子の表情にイヴァンが持った感想は、無、零だった。
無表情。と、言う表現が全くと言ってイイほどに無意味。全くの無。感情は勿論、熱も冷たさも感じない。まったくの零。

「──……礼子…さん?」

イヴァンは、まるで引火性の高い無味無臭のガスの中に居る様な感覚だった。
凄まじいまでのプレッシャー。駄口一つ、身動き一つで、火花が置き大爆発してしまいそうな緊張が全身を縛る。

「って、ジョーダンよっ! アタシさ、ちょっとだけ中央に居た事があったからさぁ、そん時に教えてもらったのよ。中央の共通言語と一緒に」

「…そう、なんすか…」

礼子の顔が、まるで性質の悪い奇術の様に、パっと色を灯す。さっきまでの緊張感が、まるで初めから無かったかのように消え失せた。
しかし、イヴァンの身体はまだ動きそうにない。自分が発した言葉すら、口にした瞬間から、もう定かではなかった。

「そうだ、イヴァン。余所の言葉を覚えるのに、一番手っ取り早い場所って知ってる?」

「…いえ…何処っすか…ねぇ?」

「ふふふぅ~、それはね……ナイショ。じゃあ、アタシ行くから、お大事にね~」

礼子は、そう残すと装甲車から飛び出す様に出て行った。イヴァンは、此処で初めて大きな息を吐き、強張った体と共に思考が動き出す。
上司が、『ナイショ』などと歳に似合わない態度を取ったのは、自分の失態を気にしての事だろう。ちなみに、『一番手っ取り早い場所』の答えは、月並みに『ベッド』の中だ。イヴァン自身も、女から言葉を覚えた。

だが、この回答は、おそらく礼子にとって正解では無いだろう。
睦み合うベッドの中に、神は入り込むような無粋なマネはしない。
言葉と神を学ぶに最も適した場所。それはイヴァンにとって忘れたいが忘れられない、死にもの狂いで駆け抜け、生き抜いた『※白熱の火炉』。

神は望む者の前には決して現れず。だが、目を付けられ者から死んでいく。





『大江重工』第一会議室で行われたパーティーは、代表取締役社長、大江総久の長い挨拶で幕を閉じた。
来賓の全てが帰り、片付けられ元の姿に戻った無機質な会議室。照明が落とされた薄暗い中、大型ディスプレイだけが、明々と象を写していた。

映されているのは、本日もメインイベントとなった『第22開発地区』での戦闘映像。
装甲車が無数の徹甲焼夷弾を喰らい、火柱をあげて炎上する。
そして、その紅い色に染めらた壁には、一人の男、大江喜久が無表情のまま壁にもたれディスプレイを見ていた。

「相変わらず。壁の花にしては、愛想が無さすぎるわね。本当に、学生の頃と変わらない。あの頃もそうやってずっと一人だった」

そんな喜久に声をかけたのは、紅いドレスの上からストールを羽織った、吾妻紅葉。手に持ったミネラルウォーターを、小さく目礼だけを返した喜久に投げ渡す。

「人は変わりませんよ、変わりたくても、変われないモノです」

「いいえ、キミは変わったわ。一人が似合わなくなった。自分でも気が付いているんじゃない?」

紅葉は、そう言うと喜久の隣に立ち、そっと壁にもたれる。

「……花は…花は、その花の意志に関係無く摘まれ、飾られる……そう決まって植えられた花だと知らずに」

「確かに、そういう花もあるわね」

「先生…幼い頃に思ったんです。寒さの中、蕾を開かせる事のできない花を見て、何故、花なんてものがこの世に存在するのかと…」

「ふぅん、今とか変わらず、マセたガキだったのね」

「そうですよね、僕はガキのまんまだ」

喜久は、ミネラルウォーターの詮を開け、勢いよく煽ると、小さく息を吐いた。

──春が、咲かせた花など信じない。
──夏が、覆い茂らせた緑などつまらない。
──秋が、焼く風景は死に等しい。
──冬が、剥ぎ取った色彩に命は無い。

あの日。意味も無く、育まれるモノなど無いと知った。理由なく与えられるモノなど無いと思った。そう信じる事で咲くことの疑いを捨てた。

蕾のまま誰かの目にとまるなんて考えもしなかった。

「今日のデモンストレーション……キミが描いたシナリオじゃないでしょ?」

「…ええ、彼女です」

花は、蕾のまま摘まれ、愛でられる喜びに犯され、愛でる呪いにかかった。

──咲く故に春は訪れ。
──茂る為に夏を呼び。
──枯れるが如く秋を招いたなら。
──また咲く為に冬を望む。

その瞬間から、花は、咲く事の意味について致命的な疑いを抱いた。




※『白熱の火炉』は、正教会の教義で『地獄』の一部を指します。


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