ぬるり、と生温かいものに全身を包まれる。
それは死の恐怖に直結したおぞましいものであるはずなのだが、
胸の内の高揚ととある一点の昂ぶりを抑えることができない。
このまま『飲まれて』死ぬことが出来る自分は、どれほど幸福なのだろうか。
「……またか……」
下着のぬめりを感じて途方に暮れながら、少年は目を覚ました。
そうして目を覚ましてから、少年――名を、イジドール・モーリス・ド・ゲドロン――は、
今日が何の日であったのかを思い出した。
「しまった、今日は使い魔再召喚の日じゃないか!」
慌ててクロゼットから下着を取り出す。今まで履いていたもので、とてもではないが人前には出られない。
ひょい、と杖を一振りして部屋の隅の籠へと放り込む。
洗濯は自分でやるか、さもなくばメイドに押し付けるというのがこの学園での規則であり、
普通の着替えであればいくらでもメイドに洗わせることが出来た。
だが、いくら平民のメイドであっても相手は女性だ。
『夢魔の悪戯の成果(思春期以降の男性特有の汚れの婉曲表現)』のついた下着を洗わせられない、という男子が大半であった。
そこで用意されたのがこの籠である。
特殊な魔法によって匂いを抑える機能がついた籠は、学院勤めのメイド達が触ることを固く禁じられている。
これで悠々と、夜中にこっそり洗濯場に出て『夢魔の悪戯の成果(婉曲表現)』のついた下着を洗えるのだ。
閑話休題。
風の力を使ったことからも解るように、彼は風のメイジである。
学力でいえば中の下、他の一年生と同じくドットクラスのメイジ。
そんな彼が、何故使い魔召喚を再び行うことになったのかと言えば――話は三日前に遡る。
といっても難しい話ではない。彼の使い魔である一羽のカラスが死んでしまっただけのことである。
『ゼロ』と揶揄される少女がいる。彼女の魔法はいつも必ず『爆発』というカタチで失敗する。
初めて使い魔を連れて望んだ講義においても、常の通り爆発が起きた。
人間たちはいい。おおよそがその結果を予想して防御策を取れたのだから。
だが、そうはいかなかったのが使い魔達である。
強大な爆発によって混乱した彼らはパニックを起こし、教室の内外を暴れ回った。
彼はその時、自らの使い魔であるカラス――ラッキーと名付けた――を見失ってしまった。
ラッキーを探すために、彼は『感覚の共有』を試みた。
このハルケギニアで使い魔とメイジが一身同体とされる理由こそがこの『感覚の共有』である。
メイジは使い魔の視覚と聴覚を共有し、偵察などに使うことが出来る。
ごくごく一般的なメイジであったイジドールがそれを行ったのは当然であった
ただ一つ悲劇があったとすれば、共有した感覚が視覚と聴覚のみではなかったことである。
その異変に最初に気がついたのは、隣でうろたえる使い魔(スキュア)をなだめていた少年だった。
「イジー、どうかしたのか?」
少年、メレディスは隣で呆然とする友人の異変に気づいて声をかけた。
「俺、の」
空ろな目をしてイジドールは呟いた。
「俺の、ラッキーが蛇に食われた」
「なんだって、えーっと、ど、どれだ!?」
友人の使い魔を探し、辺りを見回しながら問うが、返事はない。
「……おい、イジー?」
「ぬめぬめ、ぬるぬる、あは、あはははは」
口元からダラダラとヨダレをこぼして笑いながら、イジドールはそのまま床に倒れた。
イジドールが介抱されている間に、哀れなラッキーは消化された。
蛇を召喚した同級生の少女が賠償を申し出てきたが、上の空のままイジドールは断りを入れた。
とはいえ、さすがに召喚翌日に使い魔を無くしたというのはいささか問題であった。
そのためコルベール教諭監督のもと、今一度イジドールには使い魔召喚の機会が与えられたのである。
「さて、不幸な事故はあったが君にはもう一度チャンスがある。一度出来たことだ。今度もきっと成功する」
「はい」
イジドールは杖をしっかと握った。召喚したい使い魔を彼はこの三日で決意している。
彼の素質。彼の望み。両方の観点から彼はある生物の召喚を渇望した。
「五つの力を司るペンタゴン。我の運命に従いし使い魔を召喚せよ」
銀の鏡が宙に浮かび上がる。ボゥ、と光輝いたそこから姿を見せたのは。
「……クエ?」
馬程はあろうかと言う巨大な鳥であった。
「ほぉ、ロック鳥ですか!」
コルベールは賛嘆の声を上げた。使い魔にランク付けをするならば、
先日彼が召喚したカラスに比べてロック鳥はずいぶんと高位にあたる。
しかし、彼は賛嘆の声が耳に入っていないのかのように、フラフラと鳥に近づいた。
「五つの力を司るペンタゴン。かのものに祝福を与え、我が使い魔となせ」
クチバシに口付ける。足の辺りにルーンが刻まれ、光輝く。
「クエ」
その痛みに不快そうな声を上げる新しい使い魔を、イジドールは恍惚とした眼差しで見ていた。
ともすれば人間さえ食べるという巨大な鳥。この三日望み続けていた彼の使い魔。
思ったより少々小さいが、自分の『望み』を叶えるには十分だろう。
「お前は今日から俺の使い魔だ。名前はそうだな、前任がラッキーだったからハッピーにしよう」
よしよし、とそのクチバシを撫でながらイジドールは微笑む。
「最初の命令だ」
そのまま、クチバシをこじ開けた。
「俺を頭から思い切り飲み込んでくれぇえええええ!!」
「何を言ってるんですかあなたはー!!!」
その日。何となく嫌な予感がして友人の再召喚の儀を見に行ったメレディスが見たものは、
ロック鳥のクチバシの中でケタケタウフフと笑っている友人と、パニックを起こした一羽のロック鳥と、
どうやらナニカおかしなものに目覚めたらしい生徒を必死に引きずり出そうとしている頭の寂しい教諭の姿だった。
数日後には『(ナニかアブナイものに)目覚めた男』としてイジドールは学院中の話題となっていた。
だが本人は実に晴れやかな気分で、今日もハッピーの口の中に首を突っ込んでいる。
突っ込まれているハッピーの方は、酷く迷惑そうな顔をしている、とは
最早唯一の友人となってしまったメレディスの談である。