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[30166] 【打ち切り完結】Muv-Luv FINAL EPISODE マブラヴ ある衛士達の一日
Name: 紫 武人◆7b555161 ID:b4a0012a
Date: 2011/12/25 22:45
 突然ですが、本作ですが第6話と最終話を持って打ち切り完結とさせていただきたく思います。
 この辺りから、家族の描写や料理対決などの描写を書いていたのですが、元々プロットもまともに組まずに始めたネタ作品であったため、話の整合性や続きが思い浮かばなくなってしまい、だれた話になってしまうように思えたため、ここで打ち切りたいと思います。

今まで読んでいただけた皆様。本当に申し訳ありません。

一応、7話以降は今月いっぱい残しておく予定です。第6話辺りの描写も加筆したりして、まとめてみようと思います。

感想等でアドバイスや激励をくださった皆様、本当にありがとうございました。







 チラ裏の方で書かせてもらっていたヤツを本板に移動させていただきました。

 なお、本作では、拙作の「血涙~輪廻の先に~」の設定を多少使用しています。主に、登場キャラの名前ですが。
 また、本作に登場するEXTRAでの茜のクラスメイトである高原ですが、彼女とそのお姉さんの設定の一部を、当掲示板のドリアンマン氏作「新たなる旅人 夜の果て」からお借りして使用しています。



[30166] 第1話
Name: 紫 武人◆7b555161 ID:b4a0012a
Date: 2011/11/06 16:47
 それは見慣れた光景であった。

 やや色褪せた白い天井、あざやかな白いカーテン。少々古めの大型エアコン。
 少なくとも、横浜基地の自室には当たらないものばかりであった。

「帰って来たんだな……」

 男はそう呟きながら身を起こす。
 体にだるさはなく、気分のよい目覚めである。目の前には、茶色の洋服ダンスと取っ手にかけられた白生地に青いラインの入った独特の意匠をもった国連軍訓練兵の制服。もとい、白陵柊学園の制服が目に入った。

「はは、訓練兵って……、だいぶ未練があるんだな。あの世界に」

 そう言いながらも、目に入るものすべてが懐かしさを感じる物であると同時に自分の物ではないかのように感じることもまた事実であった。
 未練はたしかにある。人類の未来のため、短い生涯閉じたかけがえのない者達に託された未来を、自分は半ば投げ出したかのような形で去ってきたのだ。

(夕呼先生、霞、宗像中尉、風間少尉、涼宮、月詠中尉、三馬鹿、そして、殿下……。それだけじゃない。司令、ピアティフ中尉、鎧衣課長、タマの親父さん……、その他の多くに人たちが未だに手に入るか分からない未来のために戦わなくちゃならない。それなのに、俺は……)

 そこまで考えた男は、唐突に自身の思考を立ちきる。

「今になってこんなことを考えるなんてな……。先生、俺はやっぱりガキのままのようです」

 あの戦いの世界に自分の居場所はすでにない。いや、奇跡とも言える何かがなければはじめから自分があの世界にいることなど出来なかったのだ。

「ん…………?」

 ふと、男は自分が身を起こしたベッドに、人の暖かみがあることにようやく気付く。不思議に思い、目を向けた先にあったのは、はっとするほど美しい少女が、静かに眠っていた。

「あ………」

 男は思わず声を漏らす。

「ん、んん……」

 男の声に反応した少女は、眠そうな目を擦りながらゆっくりと体を起こす。若干、寝ぼけているのか、男の存在には気付かぬようである。

「おはよう……冥夜」

 男は目頭が熱くなることを自覚しながらも、それを両の瞼から零すことを自身に許さず、極めて冷静に目の前の少女の、自身がよく知るかけがえのない相手の名前を口にした。
 男の声に冥夜と呼ばれた少女は、一気に眠気が吹き飛んだようすで、目を見開きながら男に目を向けた。

(あれっ?なんだか違和感が……って、ちょっと待て。何で冥夜が俺のベッドで寝ているんだ?)

 今更のことであるが、男が同年代の、それも絶世の美少女と呼んで差し支えのない少女が傍らに寝ていたという事実に気がつく。その道の百戦錬磨の男ならば、同年代でも動じないかもしれないが、生憎と男は戦場にあり、手の届く範囲に上物の女が溢れていたにも関わらず手を出すことすら考えつかなかった青二才である。

 困惑が先だって、実際の戦場では見せないような慌て振りを晒してしまった。

「い、いや。冥夜。これは……、その、いや、なんというか……。そう、間違いだ間違い」

 言ってから自分の無様な姿に後悔する男であるが、すでに後の祭りである。目の前の冥夜と呼ばれた少女は、現に固まったままだ。

「あ、あの冥夜さん?」

 そう言って、目の前で硬直する少女におそるおそる声をかけた男への返答は、一筋の涙であった。

「め、冥夜っ!?」

「武…………、武なのか……?」

 涙を流しつつも、そう声を振り絞った冥夜と呼ばれた少女は、なおもその切れ長の美しい目を武と呼んだ男へと向ける。

「ああ、……俺は、白銀武だ。冥夜」

 そう力く頷いた武と呼ばれた男は、予期せぬ対応を強いられることとなる。

 自身が冥夜と呼んだ少女が、両の目に涙を溢れさせながら近づいてくると、自身の胸元に顔を埋め、嗚咽を漏らし始めたのだ。

「会いたかった…………、これが、死での旅先での夢であったとしても……、オリジナルハイヴでの別れからずっと…………、私は……、私は……」

 そう漏らす冥夜を押しのけるわけにもいかず、武と呼ばれた男はなすがままに自身に身を寄せる少女を無言で抱き寄せるしかなったのだ。


 やがて、冥夜は静かに流した涙を拭い、武に対して凛とした表情を向ける。

 武にとっても冥夜にとっても非常に長く感じた時間であったが、他者から見ればほんの一時とも呼べる時間である。

 だが、その一時の合間に、彼らは自分を取り戻すことに成功していた。

「武。久しぶりだな……。そう言ってよいのかどうか分からぬが……」

「いや、久しぶり……でいいんじゃないかな?少なくとも俺にとってはそう思える」

 今の武の目の前にあるのは、たしかに御剣冥夜という少女そのものである。だが、武は少々困惑していた。窓の外には幼なじみの家。そして、その周囲には平和な街並みが広がっているように見える。だとすれば、目の前の少女の口から、『オリジナルハイヴ』等という言葉が出てくること自体があり得ないのであった。
 しかし、そんな武の困惑に僅かに気付きながらも、再開の喜びを隠すことに専心する冥夜のその口元は、どことなく喜びをかみしめているように武の目には映った。

 今の二人の姿は、見るものが見れば命がけの戦場より帰還した戦友のそれであるが、世間一般はのんきな平和な御代である。互いに見つめ合う年頃の男女の姿が他人にどう映るか?考えるまでもなかった。
 だが、そんな逢瀬とも言える時間も、間延びした女性の声によって終わりを告げる。

「純夏ちゃ~ん。馬鹿息子起きたー?」

 ふと、懐かしさを感じる声に、顔を上げた武の目に、目を丸くしながら震える一人の少女の姿が映り込む。

「あわ……あわわ……あわわわわわわ……」

「す、……純夏っ」

「か、鑑っ!?そなたも……」

 突然の少女の乱入?(気付かなかっただけ)に武も冥夜も思わず、ガタガタ震える少女に対し声を上げた。しかし、二人の声に少女は反応することなく、盛大に震えたままであった。

「…………………???」

 そんな純夏の様子に、武と冥夜も困惑するしかなかった。
 たしかに、先ほどまで再会の涙を盛大に流していた側とそれを慰める側に立っていたのである。そこから、この何ともコミカルな状況に放り込まれれば、困惑するのも致し方がない。

 だが、この時、両名が硬く握りあった手に気付いていれば、この後の悲劇(というには少々馬鹿馬鹿しい結末であるが……)は、避けられたのかもしれない。
 そして、鈍感な男女には、一つの制裁が下されることとなった。純夏の震えが、困惑から火山の噴火の前兆に近いものに変わっていくことに二人は本能的に気付いた。

「おおおおおおおおおお…………」

 力強い咆哮とともに純夏がベッドへと歩み寄る。

「ま、待て、落ち着いて話し合おうじゃないか、ぼ、暴力解決するなんて野蛮だぞ!!」

「た、タケルの言うとおりだ鑑。そ、それよりそなたも生きていたのか?」

 記憶の奥底にある恐怖に恐れおののく武と少女の怒りに困惑が頂点に達しながらもどこか違和感の残る状況に冷静さを保っていた冥夜。
 それぞれの反応を楽しむほどの冷静さを怒りに震える少女が持ち合わせていれば、この感動の再会という場が、一転することなど無かったのかもしれない。
 だが、世に女性の嫉妬ほど恐ろしいものはないという証明なのか、無慈悲な女神はどうやらご機嫌が悪かったようである。

「おおばかものぉぉっぉ~~っっっっっ!!!!!!!!!」

「おわぁーーーーー!!!???」

 少女の繰り出した拳が、武の腹部にめり込むと、武は自身の身体が虚空へと投げ出されていく様を実感した。

 薄れゆく意識の彼方で、武は、「か、鑑っ!!そ、そなた何と言うことを!?」と叫ぶ冥夜の声と「へっ!?な、なんで私の名前を?」と、盛大に慌て始める純夏の声が聞こえたような気がしていた


◇ ◇ ◇ ◇ ◇

『最後……くらい、息を合わせて………白銀達を、驚かせてやりましょうよ……』

 闇の中から声が聞こえる。それも、とても聞き覚えのある声だった。

「う……ん。そ……だね」

 無意識のうちに自分が声を発している。

 そうして浮かんでくる魑魅魍魎の生命体達。それを眼前に捉えた時、不意に身体が熱くなり始めた。
 ふと、再び声が聞こえた。しかし、今度は自分の耳には届かず、数瞬の後に閃光が目の前を走るだけであった。



「はっ………、はぁ、はぁ………ここは?」

 全身が汗にまみれている。しかし、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。

「どうして……生きている?それに、ここは……」

 周囲を見回すと、どことなく懐かしさを感じるが、見覚えのない部屋である。
 しかし、身を起こして室内の物品を確かめてみると、本などは自分好みのものであるし、服なども徴兵させる前に好んで着こなしていた型の物とそれほど大きな差はない。

「……私の……部屋?それに、これは訓練兵の制服……じゃない」

 ほんの一月ほど前まで身につけていた制服。それとよく似てはいるものの、布の質は落ちるし、エンブレムなども国連軍のものではなく、どこかの学校のものであろうと予想がついた。

「とりあえず………、これに着替えるしかないかな」

 BDUのままでも構わないかもしれないが、なんとなく着替えた方がいいと自分なりに結論づけた。そして、先ほどから感じている人の気配も探る必要がある。
 気配は二つ。一人は民間人のそれであるが、もう一人は、訓練を受けた軍人のものであり、油断は出来なかった。

(武器は……、まあいい。隙を突けば、体術でどうにでもなる……)

 そう思いながら部屋を出ると、狭い廊下の先からテレビニュースの声が耳に届いた。

(………いい匂い)

 食事の準備でもしているのであろうか?それにしても、自分が近づいているというのに警戒すらしないというのはどういうことか?
 そう思いながら、リビングと思われる広間の方へとゆっくりと近づいていった。

(一人……、もう一人は?)

 室内には一人の男。年齢は少壮と言ったところであろうか?
 鍛え上げられてた骨格が、背後から見てもよく分かる。それは軍人のそれであった。
 一瞬緊張が走るが、それを察したのか、男が振り向く。
 咄嗟に身構えるが、それも長くは続かなかった。男の顔に見覚えがあったからである。それも、だいぶ前の話ではあったが。

「へっ………」

「おお、慧か。おはよう。そして、ただいま」

 そう言って、微笑む男は、彩峰萩閣その人であった。

「あ………」

 思わず、目頭が熱くなる。なぜ、目の前にこの人が居るのか?それは分からなかった。ただただ、頭が困惑しているだけである。

「? どうしたんだ?おっと………」

「うぅ……父さん………、父さん……」

 長年の思いが決壊したのであろうか?今は、優しく抱きしめてくれる父親の胸でむせび泣く以外にはどうしようもなかった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「では、行ってくるよ」

「行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい。千鶴、駅までの間だけど、しっかりとお父さんに甘えておきなさい」

「お、お母さんっ!!」

 ちょっぴりからかいを含んだ母親の笑みに、思わず顔が熱くなる。
 今朝、目覚めた時は何が起きたのか、理解できなかったが、どうやら自分は訓練校ではなく、普通の高校生として過ごしているようである。
 そして、今、自分の横を歩く自身の記憶にあるより、ほんの少し物腰が柔らかい父とともに通学路を練り歩いていた。

(街は横浜だと思うけど、随分賑わっているわ……。これって、どういうことなの?)

 学校の様子などを聞いていくる父親に、適当に相づちを打ちながら、周囲の様子を見回す。駅へと続く道であるが、BETAの侵攻による疎開の前と比べても、驚くほどの発展を見せている。
 それに、通りを練り歩く人々の表情は、どことなく緊張感に欠き、思わずしっかりしろと苦言を呈したくなるほど緩みきっていた。

「あっ……」

 そんなことを思いながら、駅前まで来ると、あまりの人の多さに愕然とする。だが、それ以上に驚いたのは、自分がよく知る人物がその場にいたからである。

「おお、彩峰さん。お久しぶりです。今日は休暇ですか?」

「おはようございます。榊さん。お恥ずかしい話ですが、例の不祥事に巻き込まれまして」

「ほう、例の論文ですか?まさか、彩峰さんも?」

「ええっ。省内にもいくつか話がありまして、まさかこんな大事になるとは思ってもおりませんでした。お恥ずかしい話です」

「いやあ、それは災難でしたね。それでは、今日はどうしてこんなに早く?」

「自宅謹慎は建前でして、提出する書類がいくつかありますので」

「なるほど。では、久々に御一緒させて頂くとしましょう」

「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします」

「それじゃあな。千鶴。勉強がんばれよ」

「えっ、ええ……」

「慧もな。あまり、千鶴さんに迷惑をかけるなよ」

「う、うん……」

 父親同士の会話に多少困惑したものの、その姿にどことなく安心する。
 平時であれば、このようなやり取りが見られたのかもしれない。そう思うと、どことなく目頭が熱くもなった。

「千鶴。悩みがあったら、ちゃんと相談するんだぞ?朝みたいに泣いているだけでは、お父さんも分からないからな」

「あ、うん……」

 駅へと向かう父が小声でそう声をかけてくると、ただ、そう応えることしかできなかった。それでも、遠ざかっていく父の背中を見て、なぜかもう二度と会えないような、そんな気がしていた。

「榊…………」

「何?」

「ううん………、何でもない」

「そう……」

 その場に残された彩峰とともに二人の姿が人波の中に消えるまで、それを見送るしかできなかった。

「行きましょうか………」

「うん。そだね……」

 考えることが多すぎる。そのため、ほとんど口を開くことなく、横浜基地へと向かって歩き出す。今は、自身がよく知る所へ向かうしかない。

 なぜか、そう思った。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 引き絞られた弦が唸りを上げる。

 自身の身長よりも遥かに長大な和弓。それでも、引き絞るのは簡単だった。しかし、引き絞るだけで終わりではない。
 右手に握られた矢が的へと到達し、自身の精神を落ち着けてようやく一射が終了となる。

 しかし、今はそのような作法を守る気にはなれなかった。

(私は、どうして………?)

 その問い掛けに、弓も矢も的も応えてはくれない。
 それを非難するかのように、乱暴に矢を放つ。空気を切り裂く音を残しながら、矢は的の中央へと突き刺さった。
 再び矢をつがえ、放つ。その単純な作業を5回ほど無心のまま続けた。
 全身が汗にまみれる頃には、5本の矢はすべて中央の赤い的へと突き刺さっていた。

「心に乱れがあるな。タマ」

 ふと、背後から非常に落ち着いた男の声が耳に届く。
 振り向くと、自分と同じ型の弓道着に身を包んだ平均よりやや小柄な壮年の男が立っていた。
 声は落ち着いているが、その表情はなにやら複雑そうであった。

「う~む。やはり、いかん。いかんぞ。――タマーーーっ!!」

「にゃーーーっ!!!???パ、パパッ!?」

 突然、男、自分の父親である珠瀬玄奘齋その人が、先ほどまでの厳格そうな雰囲気をどこへやったのか、涙をちょちょぎらせながら抱きついてきた。
 なぜか、自分の髪と同じように、端が輪っか状になった髭が頬に突き刺さって、少々痛い。

「なぜ、そんなに悲しい顔をしているんだい?何かあったのかい?パパでよかったら、包み隠さずに言ってみなさい。何でも解決してあげるから」

「パ、パパ~………」

 自分の親ながら、少々大げさすぎる反応に、苦笑いしか出てこないが、それでもこういう行動をとる時は、自分のことを心配しているということは分かっていた。

(でも、パパ。こればっかりは言えないよ………)

 そう思いながらも、父親に心配をかけてしまったことを考えると悲しくなってきた。
 しかし、朝目覚めてから、今までの間に考えついたことが本当だとしたら、今以上に父親を悲しませることになってしまう。少なくとも、そんなことはしたくなかった。

(パパ、ごめんね。心配かけて。でも、もう一人のパパは、もう私には会えないんだよ……。それを考えたら、私が悲しい顔なんかしていられないよね………)

「パパ。ありがとう。でも、もう大丈夫だよ……」

「んー。そうかい?でもな、タマ」

「そ、そんなことより、パパのお手本を見てみたいな」

 そう言うと、はじめは悲しげな表情を浮かべていた父も、あっという間に明るい表情を浮かべ、意気盛んに弓を構える。

「はっはっはっはっは。そうかそうか。よし、見ていなさいっ!!誰か、弓をもていっっ!!」

「パパ。もう持っているよ~」

 お約束とも言えるやり取りの後、父は改めて弓を構え直す。
 先ほどまでの戯けていた姿とは異なり、その立ち振る舞いは、まさに武人のそれであった。

(向こうのパパもメキシコシティで優勝したらしいけど……)

 そんなことを考えていると、玄奘齋は、続けざまに五本の矢を放つ。
 それは、的の中心を射た初矢と寸分違わぬ位置に残りの矢が突き刺さり、5本あった矢が、一本の矢のように連なってしまった。
 あまりの出来事に、思わず唖然とするが、そんな自分の様子を父は優しく微笑みながら見つめている。

「どうだい?パパは凄いだろう?」

 屈託のない笑みで、そう言った父に対し、ただただ頷くことしかできなかった。

「ところでタマ、学校はいいのかね?」

「えっ!?学校………?」

 そう言われて、目覚めた部屋にある訓練生用の制服とよく似た学生服のことを思い出した。

「たしか、始業は8時半だった気がしたんだが……?」

 そう言われて、道場に立てかけられた年期もの入った時計を見つめる。
 時計の針は、すでに朝8時を回っていた。

「にゃ、にゃーーーーーっっっっっっっ。学校まででってどのくらいだっけっっっ!?」

「そうだな……。7,8キロはあるんじゃないか?」

「ダッシュでいけば間に合う。パパっ、行ってきますっ!!」

「ま、待てタマ。無理はいかんぞーーー………」

 父の叫びが耳に届く頃には、すでに家の門を飛び出し、駆けだしていた。
 なぜ、自分が学校に通わなくてはならないのか?なぜ、無意識のうちに横浜基地の方角へと走り出していたのか?

 それに気付いたのは、始業ぎりぎりに学校に到着した後のことだった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 建物の構造は、横浜基地の教育棟とよく似ていた。

 他の重要設備は当然似ても似つかないものであるし、格納庫やシャトル打ち上げ区域、滑走路、軍港等の区画は、普通の市街地と港湾地区になっているし、正直、今、自分がいる建物が記憶と似通っていなければ、辿り着くことも出来なかったかも知れない。

「うーん…………、なんだかよく分からないなあ」

 そう呟くと、芝生の敷き詰められたグラウンドをゆっくりと歩く。
 足に届く感触は、間違いなく天然のものであるし、トラックはオールウェザーとなっている。どうしようもないほど、無駄な施しがされていると思った。

「でも、見覚えのある場所なんてここしかないしな~。父さんに着いていくといつ戻ってこれるか分からないし………」

 そう言いながら、先ほど久方ぶりに再会した父親とのやり取りを思い出した。
 生きていてくれてよかったと思ったが、記憶にある父よりも、何となく剣がとれたような印象を受けた。

 会話は普段通りのものだったとは思う。しかし、『娘のような息子が、息子のような娘になったか……。これも、バミューダトライアングルの影響か?』と訳の分からない言動だけが、気にはなった。

「うーん。でも、なんで男物の制服しかなかったんだろう?ぼくの胸がないからって、失礼しちゃうよっ!!」

 玄関らしき場所を前にして、改めて腹が立ってきた。

 しかし、そんなイライラも一人の人物の登場により、あっというまに星系の彼方にまで吹き飛んでいった。

「あら、鎧衣さん。今日は、登校できたのね。でも、どうして男の子の制服なんか着ているの?」

 声をかけてきたのは、尊敬する恩師である神宮司まりも軍曹だった。しかし、いつものような制服姿ではなく、品のよい私服に身を包み、表情もなんだか柔らかい?

「あっ!?教官!!おはようございます。父になぜか、南極探検に連れて行かれそうになったところを何とか抜け出してきました」

「教官?」

「あれっ?今日は制服じゃないんですね?非番ですか?」

「制服?非番?今日は、普通に勤務だけど?」

「あ、それ運ぶんですか?ぼくが持って行きますよ!!どこに持って行けばいいんですか?」

「あ、ありがとう……。でも、受験対策の資料集だから、重……って、えーーっっっ??」

 5個あった箱を持ち上げると、なにやら軍曹が驚いているが、肝心の運ぶ場所は聞いていなかった。

「えーと………、どこに運べばいいんですか?」

「えっ?5階の進路相談室だけど……」

「分かりました!!鎧衣少尉、資料を5階進路相談室へと運びます!!」

 何故か困惑している軍曹に、元気よく復唱すると、軽々と地面を蹴る。なんだかんだで身体を動かすのは楽しかった。


「鎧衣さん………。改めてみても、凄い女の子ね」

 身体を動かすうれしさに、尊敬する教官?の呟きは、全く耳に入ってこなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ようやく探し当てた自分の名の入った下駄箱。

 そこにはたしかに、『3―B 柏木 晴子』と書かれたプレートがはめ込まれていた。中にあった上履きを履いてみても、たしかにピタリと自分の足に合っている。
 平均より身長が高いため、靴のサイズも同年代のそれと比べてやや大きめであり、同じぐらいのサイズのものを履ける人間がいるとは考えにくい。

 やはりおかしな感じがしたが、見慣れた場はここにしかない以上、ここに来るしかなかったのだが、今は困惑しかなかった。
 玄関をくぐる前に、バスケットボールを持った年下と思われる女の子に声をかけられたが、適当にごまかすしかなかったし、下手に知り合いにであってボロを出すよりは、人に会わない方が好都合ではある。しかし、何をすればいいのかも分からなかった。

「う~ん、見覚えのある建物ってここぐらいだしな~。家に帰って、弟たちの顔なんか見たら、また泣いちゃうだろうし………」

 そんなことを口にしながら、玄関脇のソファーに腰掛ける。
 安物を適当に置いてある感じであったが、非常に座り心地がよかった。質のいい素材を使っている証拠である。

(うーん……。この上履きや鞄もそうだけど……、随分余裕があるんだな。BETAはどこに行っちゃったんだろ?)

 そんなことを考えている晴子の耳に、玄関の扉が開かれる音が届く。
 目を向けると、長い黒髪を後ろで一つにまとめた大人しそうな女子生徒が立っていた。
 それも、見覚えのある女子生徒である。

「………………」

「………………………柏木、だよね?」

 お互いに黙ったまま、顔を合わせて見つめ合っていたが、女子生徒は静かにそう口を開いた。

「うん。…………おはよう、高原沙織少尉」

 高原の問い掛けに、頷くと、柏木もまた、一つの確信を持って、半月ほど前に戦死した同期の名を問い返した。

「おはよう、柏木晴子少尉。…………また、………会えたね」

「うん。何がどうなっているのかは、分からないけどね」

 予想通りの高原の返答に、柏木は苦笑しながら応える。その困惑は、高原も同様であろうが、あの悲しい事件の際に失われた戦友と再び顔を合わせることが出来たのは、素直に嬉しかった。

「ここって、何なのかな?」

「校門の所には、『白陵柊学園』って書いてあったよ?」

「横浜基地じゃ無いんだよね?」

 高原の問い掛けに、柏木は黙って頷く。軍事基地であれば、さすがに警備兵の姿が全くなく、一般の学生達が早朝からスポーツに勤しめるわけがない。
 校門のとこにあった立て札には、たしかに学校と思われる名前があり、白陵という地名を連想させる名前を見ると、たしかに横浜の地であることには間違いない。

 しかし、木々は緑豊かに芽吹き、街並みは自分の記憶にある以上に発展していた。

「ねえ……柏木、あなたは、いつまで生き残れたの?」

「えっ………!?」

「私は………、初陣で死んじゃったから………。今でも覚えているの。長刀に、身体が引き裂かれていく感覚を………」

 そう言うと、高原は静かに震え始め、目尻には涙が浮かんでいた。

(そうだよね………。味方と思っていた人間。それも、同じ日本人に………)

 そんなことを考えた柏木は、優しく高原を抱きしめる。これは、自分の方が長く生きた以上、やらなければならないことであると思った。

「高原。私は………、いや。そんなことよりも、重要なことを教えてあげる。人類は、勝ったよ」

 そう告げた柏木に顔を向けたまま、高原は目を見開く。
 僅かな沈黙の後、高原はようやく口を開いた。

「本当?」

「うん。207Bのみんなが、自分の命を犠牲にしてね………。私は、運良く……。日本を脅かす全てのハイヴが攻略された時、残ったのは、私と茜と御剣、そして風間少尉だけになっちゃったけど………」

 嘘はついていない。日本への攻撃が可能な、鉄源、ウランバートル、重慶、ブラゴエスチェンスク、エヴェンスク等のハイヴが攻略された頃には、その3人も生きていたのだから。

「そっか………。築地や麻倉、伊隅大尉達も………。私は、何も出来なかった………」

 そこまで言って、高原は涙をこぼし始めた。
 何も出来なかった。そんな思いが、今となって決壊したのであろう。

(それは、私も同じだよ………。高原……)

 そう思った柏木には、傍らで泣き崩れる少女を優しく抱きしめてあげることしかできなかった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「痛ててて…………。純夏のやつ……00ユニット以上の力だぞ。これは……」

 地面に叩きつけられ、拳の形がくっきりと刻まれた腹部を撫でながら、白銀は苦笑する。最愛とも言える幼なじみが、相変わらずの元気さを持っていてくれたことが何より嬉しかったのだ。

(しかし、何で冥夜まで記憶を?…………うーん、とりあえず、久々にこちらの世界の飯を堪能してからにしよう)

 真面目に、先ほどの戦友の姿を思いだしたものの、空腹には勝てずに思考を中断する。
 正直なところ、空腹と同時に、先ほどのコミカルな攻撃を受けたため、真面目に考えることが面倒くさくなっていたのである。

(まあ、ここはBETAもいない世界だし、何とかなるだろ)

 そう思いながら、玄関の扉を開く。ちょうど、朝食の匂いが鼻をつき、一気に食欲が増大する。

(うんうん。おばちゃんの料理も相当な味だったけど、こっちはこっちでな………)

 しかし、そんなことを考えていた白銀の眼前に、信じがたい光景が広がろうとは、夢にも思っていなかった。

「うーん。おばさんの料理はいつ食べてもおいしいねっ!!」

 にっこり顔でアホ毛を逆立たせ、料理を平らげる。幼なじみ。

「うむ。このようなおいしい食事など初めてだ。さすがは、武の母君っ!!」

「あら、御剣さんはお上手ね。もっと食べていいのよ」

「はっ!!ありがとうございます」

 その傍らで、本当の幸せを得たと、表情で語る武士娘と記憶にあるより、異常なほどスレンダーになった母。

「ささ、お姉さんも、食べて下さい。家内の料理は、自分の自慢なんですよ」

「ええ。恐れ入ります」

 武士娘の対岸に座る、皇室の皆様も真っ青なほどの気品を発する摂政殿下とそれにデレデレなこれまた、記憶にある以上に身体の引き締まった父。
 端から見れば、微笑ましい光景であったが、白銀には一つの大きな疑問があった。



「……………俺の飯は?」


 しかし、その問いかけは、ほんわか状態の者達の耳に届くことはなかった。



[30166] 第2話
Name: 紫 武人◆7b555161 ID:b4a0012a
Date: 2011/11/03 22:17
 西暦2018年4月12日 日本帝国帝都東京 帝都城


 桜花作戦より12年。

 この年、人類は甲5号目標、ミンスクハイヴを膨大なる犠牲の下に攻略。ついに、欧州の完全奪回を完了し、旧ソ連圏への足がかりを得ることに成功。
 残るハイヴはウラリスク、クラスノヤル、エキバストゥズ、マシュハド、そして、北欧に孤立するロヴァニエミの5ハイヴとなり、人類側は完全に優勢に立ったかに見えた。

 しかし、人類側も、人類最強とも名高い『黒き狼王』ヴィルフリート・アイヒベルガーと『音速の男爵』ゲルハルト・ララーシュタインの両名を失うという取り返しのつかない痛手を受けており、これ以上の前進は困難が予想されていた。

 日本帝国は、5年前のウランバートルハイヴの攻略により、完全に後方国家となっていたものの、BETAの侵略によって国土の半分は灰燼に化し、未だに残る12・5事件の傷跡などからの脱却に挙国一致での取り組みが始まろうとしていた。
 だが、そんな矢先に、全国民を凍りつかせるに足る悲報が届けられた。

 それは、政威大将軍、煌武院悠陽昏睡の報であった。



 広間には、帝国の文武百官が勢揃いしていた。

 その場にいるすべての者の視線の先には、静かに眠りにつく絶世の美女がいた。
 齢30であり、まだまだ働き盛りにある中での突然の凶報に、人々は、滅びの縁に立たされていた悲劇の姫君の若き姿を思うものもいれば、妥協を許さず、時には自身の身内や腹心すらも犠牲にする女傑の姿を思うもの、多種多様である。
 しかし、この場にいるすべての者が、眠りにつく将軍を見るたびに息を飲む。
 生気の失われたその顔は、人間が持つ美しさから彫刻の如き冷たい美しさへとはっきりと変わっていたからである。

 若き日から、その背に国家を背負い続けた果てにあったのは、志半ばでの薨去。そのような悲劇に国民の多くは、せめて安らかに眠りにつけることだけを願っていた。

 しかし、この場にある者達のこころは異なる。

 そして、それを代表する者がそれをはっきりと言葉として表に出していた。

「殿下…………。何をしておられますっ!!立て、立ってともに戦おうぞっ!!殿下っ!!」

「真那。もう止めよ…………」

「今、殿下の耳に届けたところで…………」

「殿下っ!!」

 この年、帝国斯衛軍海外派兵部隊長に就任した月詠真那大佐の言を、長年斯衛軍の重鎮として悠陽を導いてきた神野志虞摩斯衛元帥、そして、帝国陸軍参謀総長、巌谷栄二大将がやんわりと嗜めるが、その両名は元より、この場にいるすべて者達に共通する思いでもあったのだ。

「かのテロリスト共は…………、難民保護を旗印に復興に当たる我等が国民を害し、あまつさBETA共に与した…………許すまじき行為ぞ…………!!」

 月詠の言は、難民解放戦線に対する怒りである。


 人類の戦線がユーラシア内陸部にまで押し上がったものの、人が住める土地が奪回されたわけではない。故国を失いし多くの民は、今も残された僅かな土地にて難民同然の暮らしを余儀なくされている。

 そして、それらの保護を名目に、各国勢力に対し、テロ活動ともとれる行為を行っているのが難民解放戦線であった。

 そして、その矛先は日本にも向けられる。

 九州をはじめとする西日本では開拓団が組織され、各地での植樹や開墾などが精力的に行われ、その努力に米国をはじめとする各国政府が同調。世界各地で似たような活動が活発化していた。

 そこで、悲劇が起きた。
 難民の入植拒否を報復に、研究機関から強奪されたBETA群が、開拓団に向けて解き放たれたのだ。
 当時、国内の余剰戦力は、編成途上にあり、初動の遅れが最悪の事態を招くことになる。
 その悲劇はここでは語りたくない。簡単に言えば、誰一人帰っては来なかった。ということになる。
 そして、政威大将軍が全世界に向けて発令した声明が、難民解放戦線の即時解体と受け入れ拒否の場合の殲滅宣言であった。
 一種の暴挙ともとれる声明であったが、長年のテロ活動に悩まされていた国家群がそれに同調。通達拒否も重なり、日本帝国斯衛軍が、組織本拠地のある南米へ出撃する前夜、煌武院悠陽は突然の昏睡に襲われたのであった。



「装備を…………強化装備を」

 月詠の叫びの後、沈黙に包まれる広間に、今にも消え入りそうな声が響く。
 声を聞いた者達が一斉に目を向けると、それまで固く閉ざされていた双眸が、ゆっくりと見開かれていった。

「な、なんと…………っ!!」

「強化装備だっ!!強化装備をもてっ!!―――――――殿下が戦に立たれるぞっ!!」



 長き夢を見ていた。

 今は、自らの中で悔いの残る悲劇、12・5事件のことを……。思えば、あれこそが自らの重き道の始まりだったかも知れなかった。

 自身のことを思い、散っていった者達の悲劇は、今も胸が痛む。だが、自身の甘さがその後の日本を不幸にすることになった。
 クーデター勢力によって殺害された、無実の者達。特に、末端の兵士達の思いを汲めていなかったのである。結果として、彼らの多くは、国を見捨て、愚かなテロ活動に走った者いた。

 それをさせたのが、自分自身である。

 一族の全てを失い、最愛の分身とも言える者まで失っただけで許されるなどとは露程にも思っていない。
 今、この時の結末は、当然の帰結であるのかも知れなかった。

 しかし、今、この場にいる者達には、残さねばならぬものがまだまだ多く残されていた。その全てを伝えることなど敵わぬ。ならば、やることは一つしかない。

「皆、私の力及ばず、このような結露になろうこと、申し訳なく思う」

 壇上に腰掛け、口を開く。自分自身の声とは思わぬほど、澄んだ声が広間に響きわたった。そして、それに答える者はいなかった。

「私の命は間もなく潰える。なればこそ、政威大将軍として、最後の言葉を皆に伝える…………」

 静まりかえる室内。誰もが、身じろぎ一つせず自らの言葉に耳を傾けてくれている。

「日の本は、帝が導き、民が作りし国…………。それを、守り抜くことが、そなた等の使命…………」

 突然、目の前の景色が霞み始める。残されし時は後僅かであろう。

「私の命、潰えども、日の本の灯火は消えはせぬっ!!進めっ!!そなた等のいるべき場はここではないっ!!民が……、そして、未来が為に散っていった英霊達が守りしものを、守るのだ…………」

 最後は言葉にならなかった。

 やがて、目の前は暗がりから、光が溢れはじめ、そこで意識は永久に停滞することとなった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 時に西暦2018年。ここに、日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽薨去。

 死因は、原因不明の吐血であると伝わる。
 それは彼女が実父、煌武院悠崇の死因と全く同じ物であった。

 そして、薨去の報から一月のち、日本帝国を中心とした多国籍軍が全世界の難民解放戦線アジトを総攻撃。10万を超える人間が殺害されるという、世界史史上例を見ない虐殺劇が、聖戦の名の下に実行された。

 彼女が望んだことが、果たしてこのような結末であったのか、今となっては知るよしもなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 これほど恵まれた食事の機会を得たのは、幾年振りのことであろうか?

 食材や調味料などは、特に洗練された品物というわけではない。合成食を食す機会が多かったとはいえ、自身の出自の関係上、天然素材を最上級の料理人の手で調理された品物を食す機会はいくらでもあった。

 それでも、ここまで満たされたことは、ただの一度もなかったのだ。

 それは、目の前で、自分と同じように一品一品に目を潤ませる、自身の分身と呼んで等しい少女の存在か、それとも、立った一時の会合であったが、自身の記憶に色濃く残る少年の存在か、はたまた、長年、自身に忠誠を尽くし、己が使命のために完全燃焼していった妙齢の男女がいるためか…………。
 そして、彼らの表情が遠き昔の思い出となってしまっているほど、今の自分は長く生きすぎてしまっている。それは、肉体が若さを取り戻したとて、取り返しのつかぬことでもあった。

(そう考えれば、高天原かはたまた奈落か、そこへの旅立ちを前に、運命の何かが悪戯をしているのかも知れぬ)

 そんなことを考えながら、皿に残った料理を口に運ぶと、やはり深い味わいが口中に広がる。冥土への土産にはちょうどよいかも知れなかった。

「御剣さんて、食べるのはやいね~。私はまだ半分だよ」

「おい」

「うむ。長年の習慣かもしれんな。しかし、その…………で、……あ、姉上も同じなのですか?」

 向かいに座る少女が、とある呼び方で口を開く様子を目で制する。
 今、この時まで、妹に姉と呼ばせぬ道理があるはずはない。

「お~い」

「ええ。私も、冥夜と似たようなものです」

「……………っっ!!」

「へ~~。おじさん、御剣財閥ってそんなに凄いの?二人とも私と同じ歳でしょ?」

「こらっ」

「そうだな。でも、悠陽様と冥夜様は特別だよ。幼い頃から、財閥の中枢に参画されている。先頃、某かの商品開発案も発表為されましたからね」

「まあ、それでも純夏ちゃんにとっては、大事な同級生には変わりないわよ」

「う、うむ。その通りだ」

「ええ。よろしくお願いします。鑑さん。それと、皆、そろそろ気付いてやらぬのか?」

 先ほどから、テーブルの脇に立ち、涙で頬をぬらす男の姿が目に着いていた。

 いや、自身の忘れ得ぬ記憶の中にたしかに刻まれている男であり、今のような扱いには少々同情心が沸いていた。

「で、殿下~。気付いていただきまして………って、あ、あの、ちょ、ちょっと…………」

「影行、美鈴。それと、鑑さん。武さんを少々お借りしますね。冥夜、あなたも来なさい」

「は、はい…………」

 同情心が沸いたとはいえ、後々やっかいになりそうな言動は押さえておくに限る。そう思うと、武の襟首を掴み、白銀夫妻と鑑に断りを入れた。

「ぐえっっっっっっっ。で、殿下、し、死んじまいます」

「人間は簡単には死なぬ。そうですね、冥夜…………」

「はっ、はい…………」

 男一人を引きづりながら、階段を上るのは少々骨が折れたが、互いに鍛え抜かれた身体である。無意識のうちに困難をさけ、それほど時を経ずに二階の部屋へと辿り着いた。



 少々、コミカルなやり取りがあったとはいえ、少女の見せた凄みを黙って見送るしかなった3名は、そのまま沈黙していた。

「…………えーと。おじさん。お姉さんの方、悠陽さんだっけ?すごく怖いね」

「あ、ああ…………。俺も、相当な名士との会議に出たことはあるが、あそこまでのはそうはいないぞ」

「あなた。ちょっと、安易だったんじゃない?」

「馬鹿言え。会長と社長と奥様から頭を下げられたんだぞ。断れるわけ無いだろ」

「でも、何かあったらシャレにならなそうよ?」

「御剣に、何かなんて無い。だそうだ。それに、そうはいないぞと言ったけど、俺に頼んできた三人は、そうはいないの中に入るから、今更手遅れだ」

「でも、それだけの為に何でわざわざおじさん達の所に?」

 冷や汗をだらだらと流す夫婦に、アホ毛娘がのんびりとした口調で話しかける。
 異なる世界であれば、絶対運命だの、妻たる自分などと言い出しかねないとんでも姉妹が、大学進学のための下宿先というそこそこ筋の通る説明をしてきたため、嫉妬の炎が燃え上がってはいなかった。

 ちなみに、冥夜の添い寝に関しては、寝ぼけて潜り込んでしまった。と、不器用かつ実直な武士娘が必死に考えた言い訳が、何とか通じたため、怒りは収まっている。

「ん?純夏ちゃんは覚えていないのか?あの二人と、昔そこの公園で遊んだことがあったじゃないか?」

「えっ?そんなことあったっけ?」

「ほら、俺が変な格好をして…………って何であんな服着ていたんだ?」

「いや、私に聞かれても分からないわよ。純夏ちゃんは本当に覚えていないの?」

「うーん…………。武ちゃんの悪戯ぐらいしか。ところで、おじさんの変な服って?」

「ん?たしか、白地に金のラインが入った、うーん、ゲームとかに出てきた服だったな。何かのイベント帰りだったか」

「まあ、そんな話はいいわよ。散々からかったし、武のご飯を用意してあげましょうかね」

「ふふ、やっぱりお前は優しいな」

「あら、お世辞を言っても何も出ないわよ」

「お世辞じゃないさ」

 と、絞殺されそうな勢いで連行されていった息子のことを忘れた夫婦は、お隣さんの前で馬鹿夫婦っぷりを発揮し始めるのであった。
 他人ならばあきれるところであるが、アホ毛娘は、その光景にすっかり見慣れているため、微笑ましく見つめるだけであった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

長い廊下に足音だけが木霊していた。

 まだ、空が白んでいるほどの時間であり、校庭や校舎内にも人は数えるほどしかいないようであった。
 人が少ないことに関しては都合がいい。実際、朝目覚めた時の家族との会話は要領を得ないものばかりであったのだ。

 当然と言えば当然だった。

 父も母も姉も、皆、ガチガチの軍人であったのだ。朝、その3人の姿に思わず直立して敬礼をした際、生まれてこの方見ることの無かった3人のふぬけた顔を見ることになろうとは思わなかったのだ。

 それでも、僅か1ヶ月の間に自分も含めた一家全員が死亡することになるとは夢にも思わなかったのだが…………。

「ねえ……、柏木」

「なに?」

 ふと、傍らに立つ長身の少女に声をかける。いちいち上目にならねばならない慎重さが少々悔しいが、今はそんなことを気にしている必要はない。

「家族と再会できた時、あなたはどうだった?」

「どうっていうと?」

「私は、何も出来なかったわ。驚きが大きすぎて……。クーデターの時、母の死を聞かされて、でも泣くこともできなくて…………。もし、再び会うことが出来たら、絶対に泣いてしまうと思っていたの。でも、今朝目覚めたら、何もなかった。ただ、驚いただけで」

「……うーん。失望しちゃった?」

「……本音を言うとそう。父も姉も恥じることのない最後だったというし、母も決起部隊から丸腰の大臣を守って亡くなったと聞かされたから」

 これは、偽りのない気持ちであった。厳しい家族であったが、それはそれで、自分に対する優しさがたしかにあった。

 そうでなければ、自分が入隊を志願した際に、3人とも激怒して止めるはずなかった。『俺たちが何のために戦っていると思っているっ!!』という、父の声は未だに忘れられない。

 でも、今朝、顔を合わせた家族は、はっきり言うとふぬけだった。そして、腹も立ったのだ。

「それは、仕方のないこと。っていうのも分かっているみたいだね」

「……うん」

「じゃあ、受け入れるしかないのかもよ。神様とかを信じる分けじゃないけど、神様が新しい生活をくれたと思えば、妥協も必要なんじゃないかな?」

「柏木はそれで納得するの?」

「あはは。死んだと思ったら、弟に叩かれて目が覚めたんだもん。どうでもよくなるよ……」

「…………それは、お気の毒だね」

「…………なに?そのかわいそうな人を見る目は?」

「別に」

 何となく気まずい空気が二人の間に流れる。柏木とすれば、多少の気を遣ったのかも知れなかったが、高原が冗談が少し通じにくい真面目な性分であるということをすっかり忘れていた。

 しかし、そんな空気も、元気のよい掛け声に吹き飛ばされる。

「ごめーーん。そこどいてーーっっ!!!」

 声とともに五個の段ボールが走ってくる。何を言っているのか分からないかも知れないが、本当に何が起きているのか分からないのでどうにもならない。
 そんなことを考えている間に、段ボールは通り抜けてしまい、風でスカーフがめくり上がり、顔に当たって目障りだった。

「今の鎧衣さんだったよね?」

「多分ね」

「何やっていたんだろ?」

「さあ?」

 正直、片方の分隊にいた女の子の一人という印象しかない。多分、向こうも同じだと思うが、そんなことを気にしたくなかった。

「っと、3年B組。ここみたいだね」

「私は、D組みたいだから、そっちに行ってみるね」

「そう?何ならもう少し話し相手になるけど。時間はまだあるし……」

 そう言って、柏木は壁に備え付けられた時計を指差す。
 たしかに、まだ8時を回ってもいない。先ほど見かけた時間割を見ると、始業は8時30分のようである。

「じゃあ、そうさせてもらうわ」

 そう言って、柏木とともに扉の前に立つ。無意識のうちに、右腕の袖を指でまさぐる。
 すると、それを待っていたかのように柏木が一気に扉を開いた。

「っ!!」

 目の前に飛来するナイフ。一直線に自分の首筋に向かっていた。
 右側からの殺気を柏木が受け止めているのを確認し、ナイフを眼前で受け止めると、右腕を振り上げ、天井方向からの重い斬撃を受け止めた。右腕にすさまじい衝撃が走る。

「………………えっと、たしか、高原?」

 少々困惑したかのような声が、耳に届く。
 そして、声の主に自分は思いきり手加減をされているという事実に気付く。

「…………お久しぶり。彩峰さん」

 しびれる右腕からナイフの重みが消えていく様を感じながら、相手の顔を見つめ、そう言うことしかできなかった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
「それでは、行って来まーすっ!!」

 白銀家を前に、まさに元気に溢れる声が響く。髪の毛の跳ね上がり具合を見ても、元気が有り余っているのがよく分かった。

「ええ。行ってらっしゃい。純夏ちゃん。馬鹿息子をよろしくね」

「はーい。わっかりましたー」

「結局、腹が引っ込んだだけの違いか」

 そんな元気娘と母親にやり取りがおもしろくないのか、馬鹿息子と呼ばれた男は、小声で若干失礼なことを言っている。しかし、世間一般では、そのような言動は火に油というものであった。

「何か言った?」

 即座に、女性特有の凄みのあるオーラとともに、満面の笑顔で息子に顔を向ける母親。こういうタイプの母親に勝てる息子というのは、中々見かけるものではないということも聞いていた。

「い、いえ。何でも………」

「まったく。授業をふけるんじゃないわよ」

「分かっているって。そこは息子を信じようぜ?お袋」

「――――っ!?そ、そうね。まあ、気をつけて行って来なさい」

「…………?お袋はどうしたんだ?」

 慌てて、家に戻った母親の姿を見た馬鹿息子君は、キョトンとしながら周囲を見回す。
 黙っていると、元気娘、鑑純夏がため息とともに口を開く。

「はあっ…………やっぱりタケルちゃん、何か変だ」

「うえっ?な、なんでだよ?」

「だって、いつもだったらあんな素直な返事しないじゃん。それに、私が馬鹿にしたらすぐに殴ったし」

「何ッ?武、そなた鑑に手を上げていたのか?それは、見過ごせぬぞ」

「うむ。たしかに感心できることではないな……。鑑さん、どれほどそのような仕打ちを?」

 軍隊というものならばまだしも、平時にある国で、男子が女子に手を上げることなど、恥ずかしきことでしかない。もちろん、おなごの方に落ち度があるというのならば話は別であるが、鑑の言動を鑑みるに、多少の悪ふざけとしか思えない。

「いや、あの、その…………ごめんなさい」

「謝るのは私に対してではなかろう」

「う、す、純夏。い、今までごめんな…………」

 冥夜の嗜めに、白銀は大人しく鑑に対して頭を下げる。

 しかし、鑑は鑑で、困惑していた。

「え、えとえと…………、御剣さん達もそんな本気で怒らなくていいよ?たしかに、痛いと言えばいたいけど、仕返しはしっかりやっているから」

「ふむ。そうなのか?」

「冥夜、そこは納得するところではないと思いますよ?」

「はっ。そうなのですか?」

 これが、長生きした結果なのであろうか?自分と、環境は遥かに厳しかったとは言え、似たような教育は受けているはずの妹とどうにも感覚が合わないように感じる。

 陽と影の違いを言ってしまえばそれまでであるが…………。

「…………まあよい、ところで、鑑さん。仕返しとはどのようなことを?」

「えっ?やって見せようか?」

「是非に」

「えっ!?ちょ、ちょっと、で、いや悠陽さん?」

 少々、気持ちが暗くなりかけたため、コミカルな出来事が予想される鑑の仕返しと言うものを観賞してみたくなった。
 本当にこの娘は、見ていると他人を明るくさせてくれるように思える。

 もし、自らの傍らに、冥夜や白銀とともに、このような娘がいてくれたら。と、感慨深くそう思った。

「よーし、タケルちゃん。今日は、大サービスでいっちゃうよー?どりる~~、みるきい~~」

 そう言って、笑顔で構えをとる鑑が左右にゆっくりと揺れ動く。武道の嗜みはないと聞いていたが、その構え、動きともに見事なものである。

「のわっ、ちょ、ちょっと待てっ!!って、何で二人揃って押さえつけるんだ?」

「まあ、よいではないか。幼なじみの戯れだ」

「す、すまぬ武。姉上がああ言っているのでな。正直なところ、私も見たい」

「そ、そんなっ、殺生なぁーーーーーっっっ!!」

「ファントームっっっっっ!!」

「キャリオーーーーンッッッッ!!!」

 白銀が叫び声を上げているうちに、ためを作った鑑の拳が一気に繰り出される。しかし、なぜ、自分まで浮遊感を感じているのか。気付いた時には、街が遥か下方に見えていた。


「ふーーーっ!!今日も絶好調!!見てた?御剣さん?…………ってあれ?」

 アホ毛娘が、自身の切れ味に満足した時、そこのは誰もいなかった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 車の中から見える景色は、全てが別物のように見えた。

 住宅が建ち並び、市の中心部には高層ビルがいくつも見え、港には貨物船がひしめき合っている。

 どれを見ても、自分が知っている横浜という街の姿ではなかった。

「あ…………」

 ふと、空を見あげると、白色の鳥が群れになって空へと舞い上がり、空の上には、巨大な旅客機が舞い上がっていた。

「社さんは、海が好きなのかい?」

「……いえ。遠くから見ていただけです」

「そうか。病院は、海からは遠いところだったのかな?」

「はい。部屋は地下にありました。…………でも、みんな優しい人ばかりでした」

「なるほど。私は、大学の頃にボート部に属していてね。休日には、仲間とともに海に繰り出したものさ。君もこれから出会う友達と一緒に海に出てみるといい」

「…………はい。安倍先生」

 一緒に行きたい人はいる。他の誰よりも一緒に。

 でも、その人は、おそらく私の知っている人ではない。それは、元々覚悟していたこと。現に、今、車を運転している先生も、あの世界で博士と一緒に会った時は、まるで身体の一部のような軍服に身を包み、今のような優しい表情よりも厳しい表情を浮かべる人だった。

 でも、この世界でもあの世界でも、私の素性に嫌悪を示すわけでも、必要以上の興味を示したりはしていなかった。

「さて、ここの坂を登り切ったところに学校がある。下宿先はどこか分からないが、ちょっと大変かも知れないよ」

「…………はい。――――っっ!?」

「ん?どうかしたのかね?」

「…………………いえ」

 言えるはずがなかった。ここが、あの人との永遠の別れになるはずの場であったことなんて。でも、なぜかこころに引っ掛かりがある。
 もし、また会えるのならば、自分はどうなってしまうんだろうか?ふと、そんなことが脳裏によぎっていた。



 安倍先生に連れられて、校長室へとやって来ると、やや小柄ながら、広い肩幅にしっかりとスーツを着込んだ中年の教師とやや神経質そうな顔立ちの眼鏡をかけた教師が待っていた。おそらく、校長と教頭だろうと思った。

「社……霞です」

 校長先生と思われる男性に向かって頭を下げる。教師とは思えないほどの貫禄と威圧感のある振る舞いは、博士に物怖じせずに反論をしていた姿を思い起こされる。

「はじめまして。社さん。わたしは、教頭の小沢由三郎だ。校長は、急用で出かけているので、今日は私が先生達を紹介しよう。こちらが、教務主任の諸岡幸策先生だ。そして、こちらが日本史担当の安部治信先生だ」

「よろしく。社さん」

「改めまして、よろしく」

「よろしくお願いします」

 諸岡先生は、博士や軍曹の記憶の中に時折出てきた人だと思った。
 とても、厳しい人だったようだが、先生が記憶に出てくる時の二人の表情は柔らかいものだった。神経質そうに見えるけど、それは生徒を思いやっての行動になっている人なのかも知れない。

(もしかすると、博士の不器用な側面は、この人の影響かも知れない…………)

 一見、完璧なようでいて、どこかに手落ちがあるあの人は、人間関係という面にも大きな弱点があった。
 それでも、私の大事な人だという事実に変わりはなかった。

「すみません。遅くなりましたっ」

 そんなことを考えていると、背後から聞き覚えのある優しそうな女に人の声が耳に届く。
振り向くと、腰まで伸ばした髪を柔らかそうに波打たせた女性が、慌てて歩み寄ってくる。

「いや、神宮司先生。まだ、二人来ていませんので大丈夫ですよ」

「しかし、遅いですね。先日お会いした際には、非常に積極的だったのですが」

「安倍先生。如何に財閥の娘とはいえ、特別扱いは感心しませんな」

「あ、そうでしたね」

「……………………………………」

 ふと、おなしな胸騒ぎがした。理由は分からないが、全身から脂汗が滲み出てくる。

「ん?社さん大丈夫?顔が真っ青よ?」

「いえ、大丈夫です。ちょっと、暑かっただけです」

「ん?そうかね?安倍先生。窓をくれるか?」

「分かりました」

 小沢先生の言葉に、安倍先生は力強く応えると、窓が開かれやや肌寒い秋風が吹き込んでくる。
 しかし、同時に聞き覚えのある声もまた、耳に届いていた。

「マイ、ウェーーーーーーーーイっっっっっっ!!!!!」

「な、なんだっっっっ!?」

 木霊とともに飛び込んでくる三つの影。うち二つは、激突の瞬間に身体をひねらせて宙返りし、一方が安倍先生。もう一方が小沢先生に抱き留められている。
 しかし、残り一つの影は、大きな音を立てて床に激突し、室内に埃が舞い上がる。

「……………っっ!!」

 思わず、床にたたきつけられて気を失う影に駆け寄る。その背格好、顔立ち、全てが忘れるはずのないものだった。

「な、なんなんだ?――――むっ?…………君は?」

 小沢先生の低音の声につられるように目を向ける。

(あっ…………!?)

「お久しぶりですね。小沢提督?」

「提督?」

「あ、失礼をいたしました。小沢先生。手続きと挨拶以来でしたね」

「は、はあ………」

 そこにいたのは、あの世界とまるで変わることのない、威厳と気品を纏う女性だった。
 安倍艦長が床におろしている人もまた、武人然とした佇まいと高貴さを失っていない。

(もしかしたら………………)

 二人の目に、自分はまだ入っていないようである。だが、この予感が正しいものだとすれば………。

「痛ててて………、純夏のやつ……」

「あ、あの……っ!!」

「ん?……………えっ!?」

「………………………………」

 自分の声に、目の前の男の人が反応する。そして、少し驚きの声を上げると、再び自分を見つめてきた。

「か、霞…………なのか?」

「―――――っ!?白銀さんっ!?」

 その声とともに、目頭が熱くなるのと、胸元に飛び込むのはほとんど同時だった。

 もう二度と会うことは出来ないと思っていた人に会うことが出来た。その気持ちを言葉で表すことなど出来そうもなかった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 軋む身体を捻りながら、教室へと向かっていた。

 あまりに衝撃的な目覚めの後は、少しコミカルなことに巻き込まれてはいるが、まさか、本気で生身の身体をもって、空を飛ぶことに成は思いもしなかった。

(まあ、たった2日前の死と隣り合わせの戦いよりはましだけどな…………)

 生来の性格か色々ありすぎたことから来る現実逃避か。何とも楽天的な考えをしてはいるが、周囲に起こりつつある事象には未だ気付いていない。

 だが、彼は今という現実の大切さを誰よりもよく理解している。

 そのため、少々、理不尽と言える事柄に対しても、何となく受け流せてしまえているのである。
 もっとも、彼以上の修羅場を10数年以上くぐり抜けてきた前摂政殿下は、そのことを見抜いているため、少し度の過ぎたからかいを男に行っているのであるが…………。

「さてと、高校の勉強か…………。まあ、大学は付属への進学が決まっているみたいだし、すぐに取り戻せるといいんだけどなあ」

 そんな、かつての世界を訪れる前の自分が聞いていたら、目をむいて驚きそうな言動をしながらも、教室のドアを開く。
 たった数ヶ月会っていなかった級友や二度と会えないと思っていた仲間達との再会がようやく叶う。この時は、そう思っていた。


 しかし、男を待っていたのは、5個の拳と自身の身体をくるむ簀巻きであった。


「………………えーと、何かなこれは?」


 顔の痛みと逆さ吊りの感覚に身を委ねながら呟きの答えは、6個の口から出てきた『ごめん(なさい)(ね)、つい…………』という言葉だけであった。



[30166] 第3話
Name: 紫 武人◆7b555161 ID:b4a0012a
Date: 2011/11/03 22:18
 
 「痛ててて…………。まったく、民間人だったらどうする気だったんだ?」

 逆さづりから解放され、他のクラスメイト達が青ざめる中、白銀は早朝から痛めつけられた身体をさする。
 人間の力量を遥かに超越したパンチを二発くらい、さらに鍛え抜かれた軍人の本気の拳を5発食らったのである。本来ならば、生きていることの方が不思議でもあるのだが、生憎、こちらは車にはねられた人間が星になるだけで済む世界。
 そもそも、先ほどの校長室への入り方自体、異常であるはずなのに、常識人4人がツッコミの一つも入れなかったのだ。考えても仕方がない。

「そもそも民間人だったら殴らない」

「そうだね~。殴ったのが武でよかったよ」

「お前らな~~」

 顎に手を当て、なかったことにしようという魂胆が見え見えの彩峰に、本気で安心している鎧衣の言動に白銀はさすがに頭に来たが、こんなところで喧嘩をするわけにもいかない。

「だいたい、ここは感動の再会なんじゃないのか?普通」

「感動も何も、昨日も普通にあったでしょ?」

「普通って、委員長…………」

「何よ?」

「あ、いや…………」

 命がけの作戦に赴いた戦友同士の会話としてはあんまりだと思った白銀であったが、榊の『察しなさい』という表情に気付く。
 たしかに、周囲のクラスメイト達は、自分達の様子に退いているという状況ではない。むしろ、生命の危機に晒された小兎の如く震えていた。

「…………あなたが、白銀君?」

「うん?そうだけど?君は…………?」

 沈黙に包まれかけた室内に、聞き覚えのない声が響く。声の主は、白銀を襲撃したうちの一人で、細身に長いポニーテールの少女であった。

「D組の高原沙織。――――ふーん、柏木や榊がよく口にするだけはあるみたいね」

「はあっ?なんだよそれ?」

「別に。それじゃあ、私はホームルームに遅れると困るから。また、後でね」

 そう言うと、高原は静かに教室を後にする。

「白銀君。嫌われたみたいだね」

「いや、初対面のヤツに嫌われたも何もないだろ」

「あっはは、そうかもね」

 そう言って、柏木は眼前で手をヒラヒラさせながら席へと戻っていく。適当にからかわれただけだったようである。

「まったく…………。後で覚えていろよ」

 そう言って、白銀は自分の席へと歩いて行く。しかし、何となくだが違和感があった。記憶にある積の配置とだいぶ異なっているのだ。

「あれ?お前等俺の隣と前じゃなかったっけ?」

 知らずにうちに、空いていた右後方の入り口二席に移動した佐藤と田中(だったはず)に声をかけるが、二人とも『仕方ねえじゃん』と一言いうと、顔を逸らす。

(剛田はやっぱりいないか。となると、殿下と霞の分か?でも、なんでこんなことになっているんだろうな…………)

 二人の素っ気ない言動に、問い詰める気にもならなかった白銀であるが、あらためで朝から続く出来事を思い返す。

(目が覚めたら、傍らに冥夜が眠っていて、目覚めと同時に涙を流して抱きついてきたことから始まり、純夏に殴られ、その間に殿下も含めて朝食を食べているし……。なにやら、親父とお袋の様子も違うし、さっきの校長室には霞も含め、見覚えのあるようなないような先生もいたし。何より、さっきのみんなの立ち振る舞い……。あれは、間違いなくそうだよな…………。俺も考え無しに、感動の再会とか言っていたし、本能的に分かっていたんだろうか?)

 そう一人、思索に耽る白銀であったが、一つ失念していたことがある。しかし、それに気付いた時には、すでに時遅しであった。

(殺気っ!?)

 思わず背中に吹き出した冷や汗。咄嗟に立ち上がり、周囲の驚きを無視して、辺
りを見回す。背後の席の鎧衣も窓際の彩峰と柏木も同様に何かを察したようだ。

「委員長」

「分かっているわよ」

 白銀の現に、榊が隙のない動作――もちろんクラスメイトに不審がられない程度で、廊下の様子をうかがう。

 はじめは、不審げに思っていたクラスメイト達も、白銀が鞄から漫画を取り出したのを見て、半分はあきれ、半分は、榊がしょうもないことに協力しているように思えて、驚きを隠さずにいる。
 すると、榊があきれたように額を抑えながら、白銀へと向き直ると、静かに首を振るう。

(なんだ?…………んっ?手信号?―――ご、しゅ、う、しょ、う、さ、ま……ご愁傷様っ!?)

 胸の前での小さな手信号を解読した白銀であったが、やはり、手遅れである。

「た~~~け~~~~る~~~~~~ちゃ~~~~~ん…………」

 再び、静まりかえる教室内。廊下から、幼なじみの名を呪詛のように叫びながら入室してくるアホ毛娘の姿に、クラス中が戦慄するとともに、全く進歩のない男に対するあきれたような視線が突き刺さった。
 といっても、はじめにこの姿を見た榊を除き、他の面々は、アホ毛娘のあまりの変容に、唖然とするしかなかったのであるが…………。

「ちょ、ちょっと待て。純夏。置いていったのは悪かったが、どう考えてもお前が悪いだろっ!!」

 あまりの理不尽な状況に、白銀は思わず反論するが、すでに暗黒面に落ちきっているアホ毛娘に通じる由もなかった。

「………………ああ、もうっ!!!好きにしろ!!!戦場帰りをなめるなよっっ!!!!」

 ひたひたと迫り来る幼なじみに、男は覚悟を決めると、鍛え抜かれた腹筋に全神経を集中させた。


 数分後、B組担任の神宮司まりもは職員室にて、教室に入った時に中央やや後ろの席で、腹を抱えてうずくまる青年と右腕を腫らしながらうなる少女の姿を見たらという話をしたのだが、あまりにどうでもいい話に、職員室中の教員達が耳を傾けなったとか。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 改めて、扉の前に立つと緊張するものであった。

 この世に生を受けて以降、国連軍に入隊するまでの十数年間、まともに同世代の者達との関わりを持ったことがなかった。
 影である身であれば、致し方なきことであったかも知れず、その生を恨んだこともなかったが、死したる後、このような機会を得ることになるとは思いもしなかった。

「畏まることはない。堂々としていよ、冥夜」

「で……、いえ、あ、姉上。姉上は、平気なのですか?」

「ええっ。衆目に晒されるのは、日々のことでありました。皇帝陛下への拝謁に比べれば」

「な、なるほど…………」

「気負うことはない。あの時、見事に私の変わりを為したそなたです。恐れることもあるまい」

 そう言って悠陽はそれまで表情を崩し、改めて笑顔を向けてくる。白銀邸での会話から、長き時を生きていたことは分かるが、それは、自分も同じなのである。

(武も、私がオリジナルハイヴで死したと思って、…………いや、あの者の知る世界はそうなのであろう。だが、私は、二人よりも生きているのだ)

 そう思った冥夜であったが、彼女は、最後まで軍人として生ききった。敬愛する姉とは異なる修羅場の経験であり、今この時に役に立つとは思えなかった。

「それでは、転校生を紹介します。3人とも女の子よ。白銀君、よかったわね。入ってきて下さい~」

 そんなことを考えていると、教室内から神宮司教官の優しげな声が耳に届く。正確には、神宮司先生と呼ぶべきであろうが、記憶の中にあるあの人の印象が強すぎるのだ。
 そんなことを考えながら、教室内へと足を踏み入れる。ロングブーツの音が非常にゆっくりに感じ、教壇脇までの距離が一際長く感じる。

「今日からみんなと一緒勉強することになった、御剣冥夜さん、御剣悠陽さん、社霞さんです。それじゃ、3人とも。自己紹介をお願いします」

「はっ。御剣、冥夜です。い、以後よろしく頼みます」

「御剣悠陽と申します。皆さん、よろしくお願いしますね」

「社……霞です。よろしく、……お願いします」

 自分から順に挨拶を終えると、クラス内がどよめく。何故かは分からないが、自分の心が、落ち着いてゆくことも実感していた。

(榊、珠瀬、鎧衣、柏木、彩峰…………。いや、それだけではない。皆、一緒だったのだな…………)

 かつて、生死を共に戦い抜いた仲間達はもちろん、訓練の過程で別れていった者達の顔も見える。207が特殊な経緯で集められたことは、内密に知っていたが、特別扱いの自分達以外にも、過酷な状況下で死んでいった者達がいたことも知っている。
 その者達のことを忘れぬよう、資料とともに頭に叩き込んでいったことがあったが、皆、記憶にある者達ばかりであった。

「悠陽さんと冥夜さんはは、長く海外に留学していたので、日本に戻ったのはつい最近のことだそうです。社さんは、生まれも育ちもロシアで日本に来たのは初めてだそうです。日本語に関しては問題ないから、みんな仲良くしてあげてね」

 神宮司教諭の言に、クラスの者達が元気よく返事をする。それにしても、随分大所帯なクラスである。

「この時期に急な話で申し訳ないけど、3人とも白陵大への推薦が決まっていて、みんなとは大学でも一緒になるということでの編入になりました。ちょっと、教室が狭くなっちゃうけど、卒業まで我慢して使ってね」

 たしかに、余剰区画が少ないように感じる。クラス人員も自分達を含めて40名は楽に超えている。

「教官~~」

 そんな教室内に、少し間延びした声が轟く。最後尾の席に座る鎧衣だった。

「……教官?――それよりも、鎧衣さん、どうしたの?」

「あの、城二はどうしたんですか~?」

「あ、そう言えば……」

「今日は静かだったわけね……」

 鎧衣の言にクラス中が沸き返る。どうやら、城二という男は、ムードメーカー何かだったのだろう。

「あ、そうだったわね。それじゃあ、御剣さん達は、席に着いてから話すわね」

 そう言って、自分達の着席促す。なぜだか分からないが、ちょうど武の周囲の席が3つ。きれいに空けられていた。

「た、たけ、いや白銀。よろしく頼む」

「あ、ああ。めい、いや御剣。よろしく」

 さすがに、いきなり名前で呼ぶのはまずかろうとは思う。とはいえ、この男は初対面にも関わらず、自分を冥夜と呼び捨てにしてきた。この男に御剣と呼ばれるのは、すでに違和感しかない。

「二人とも、何を畏まっているのだ?」

「あ、姉上……」

「で、いや……御剣さん、畏まってと言われても」

「ふむ。それでは、どちらのことか分かるまい。皆さん、私のことは悠陽と及び捨て下さい」

「い、いや。殿、いや御剣さん。それは、さすがに…………」

「そうですぞ。姉上」

 悠陽の言動に、冥夜は武とともに盛大に困惑するが、その様子に他の者達は首を傾げている。いや、数名は二人に同調しているのだが、それに気付く余裕など、今の二人にはない。

「武さん、冥夜、ならば私のことは、煌武院とでも呼びますか?それとも、先ほどの私の言を忘れたとでも?」

「っ……!?わ、わかった。ゆ、ゆ、ゆ、悠陽、これからもよろしくな。め、冥夜も改めて頼む」

「あ、ああ、こちらこそだ武」

 しかし、困惑する二人に対し、苛立つように声を落とす悠陽に、二人はおろか、クラス中が凍り付く。ただのとんでもお嬢様であった異なる世界のようには、修羅場をくぐった全権代行を前には行かないようであった。

「そういうわけで、社さんもよろしくお願いしますね」

「は、はい。…………私も、霞で、いいです」

「あ、私は、鑑純夏。隣になったのも何かの縁だねっ!!よろしく、霞ちゃんっ!!」

 そんな二人の静かなやり取りに、霞の隣の席に座る元気娘、鑑純夏が元気よく声をかけると、霞も恥ずかしそうに頷いた。

「純夏さん…………私も、みんなのことも…………本当に、ありがとうございます」

 席に着く傍ら、冥夜の耳には、社のものと思われる、そんな呟きが届いていた。



 その後、まりものホームルームからそのまま持ち科目の英語の授業に入ると、ネイティヴ顔負けな英会話を連発する面々に、他のクラスメイトは唖然とし、赤点すれすれのアホ毛娘は、一緒の馬鹿をやる猫娘、格闘娘、鈍感男の躍進に机との会話に陥っていた。

 次の、安部治信教諭による、堅いことで知られる睡眠学習日本史は、戦史研究者真っ青の戦術論議が始まり、クラスの一部を除いた大半がついて行けなくなり、3限目の音楽になって、ようやくまともな授業が執り行われた。
 とはいえ、肉体を限界まで鍛え上げた一部の面々の強靱な腹筋から吐き出される声は、音楽教師に感涙を流させることになる。

 そして、午前最終の体育の授業は、なぜか今日になって散々騒ぎを起こしている白銀の性根をたたき直すべく、カリキュラムを武道に変更した上でやる気満々で待ち構えていた川添教諭を、白銀ではなく珠瀬が一撃でノックアウトにしてしまい、めでたく自習の球技となった。

 クラスメイト達は、一部の級友の突然の覚醒をただただ見つめることしかできなかったが、当の本人達は、学校教育の楽しさを改めて知ることができ、満足げに半日を過ごしていた。


 そして、時間は過ぎ、運命の午後の授業が始まろうとしていた。何か忘れているような気もするが、魔女と呼ばれし女との再会はもう間もなくである。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 教卓から見下ろす生徒達の様子は、日々変化していく。それが、若さというものだと彼女は思っていた。そして、公式などでは決して導き出せないような応えに辿り着いていくものもまた、目の前の小僧、小娘達である。
 彼女自身、彼らの師になるつもりも保護者であるつもりもない。自分を何よりも愉しませてくれるおもちゃ。言い方は悪いが、普段はそのように考えていた。――――もちろん、本心を知るものは誰もいないが。

 そして、教卓から見下ろす小僧、小娘達は、自身の担任をするクラス以上に、おもちゃにしがいのあるクラス。何より、危険人物と万人が認める自分に平気で絡んでくるバカを筆頭に、一癖も二癖もある人間が揃っているのだ。無二の親友がかわいがっている連中だからこそ、よけいに気に入ってもいる。
 だが、今、教卓から見下ろす彼女の目に映る獲物達(言い方が悪いが)は、どこか普段と違っていた。

 ぞくそくと背中に冷や汗が流れる。しかし、今は手を出すべきではない。彼女はそう思った。これほど、楽しそうなおもちゃがあるのに、授業の時間内でなど扱いきれない。珍しく、そんなまともなことを考えた彼女は、3名の転校生に対し、適当な挨拶と適度なからかいをしただけで、真面目に(もちろん、彼女の主観で)授業を行った。


 もちろん、何かあると身構えて白銀以下の面々は、はじめのやや真面目な(大甘に見て)授業内容に、若干気勢を削がれたが、突然、やれ、佐渡島を吹き飛ばす方法を応えなさい。だの、カナダの半分が人の住めない土地になるとしたらどんな状況だと思う。という不謹慎極まりない質問から、首相より偉い行政府の長がいたらどうなるのかしらねえ?だの、自衛隊がクーデターを起こして成功させるにはどうするべきだと思う?などのかなりぎりぎりの、というより物理の授業とはほとんど関係のない質問を繰り出してきた、大いに慌てることとなる。
 ちなみに、最初の二つの問いは、柏木と榊がものすごく嫌な顔をしながら興味深いを答えを出し、三つめの問いは、悠陽が「私が治めています」と半ば本気の表情で答え(もちろん、夕呼はしたり顔で大満足)、四つめの問いは、彩峰が某堅物眼鏡さんの行動を冥夜がおそるおそる、姉の行動を天皇陛下に置き換えてそのまま答えて、彼女の気勢を削ぎ、なんとか授業を平常運転まで戻すことに成功した。(ただし、他のクラスメイト達はドン引きでした)


 やがて、授業終了のチャイムが鳴り響く。
 それまでの緊張から安堵の息をつく生徒達に対し、彼女の声が耳に届いた。

「白銀…………と、その取り巻き。授業が終わったら研究室まで来なさい」

「げっ……………っ!!」

 安堵の矢先に告げられた死刑宣告に、白銀以下の者達が凍り付く。しかし、見つけたおもちゃを離す気はなく、そのために気分は最高状態になっていた彼女は、不機嫌なそぶりを見せることなく、黒さたっぷりの笑顔を浮かべたまま口を開いた。

「………………嫌なの?それと、もし逃げたら、卒業できなくなるわよ?」

 その声に、首を振るうことの出来る人間は、この場にはいなかった。(ただし、約1名平然と受け流しているものはいる)

 沈黙を受諾と判断した彼女は、残りのコマの授業を教室に行くことなく(新人教員をパシらせた)自習にすると、他人が思わず道を空けるほどの上機嫌な笑顔で研究室へと向かった。

 躍り上がるような気分のまま待つこと、およそ二時間。さすがに、そのような気分が長続きするはずもなく、待ちくたびれてあっという間に不機嫌になっていた。
 そして、開かれた扉から入室してくる男にたいして、彼女はこう口を開いた。

「遅いじゃないのよ。私を待たせるなんて、いい度胸しているじゃない」

「いや、授業に出ていたんですから勘弁して下さいよっ!!」

「そんなもん、うっちゃらかして来ればいいじゃない」

「生徒にサボりを進めんで下さいっ!!」

 と、普段のようなノリツッコミの応酬となったものの、最後は数人の宥めにより何とか気分を落ち着けた。
 そして、改めて表情を整えた彼女は、彼らに対してこう切り出した。


「――――で、あんた達――――誰?」


 その答えは、秋の夕暮れに染まりつつある室内に、静かに響き渡っていた。



[30166] 第4話
Name: 紫 武人◆7b555161 ID:b4a0012a
Date: 2011/11/06 16:52

 何者か? という詰問は白銀や他の者達にとっては意外なものであった。どの世界でも驚異的な洞察力を持つ夕呼である、とうの昔に気付かれいても仕方がないと思っていたのだ。

「話せば長い話になりそうなんですが」

「構わないからちゃっちゃと話なさい。途中で帰ろうとしたら、脳みそだけ抜き取って電極刺して記憶だけ抜き取るわよっ!!」

「わ、分かりました。かいつまんで話しますけど、質問は話が終わってからにしてくださいね」


 そう断りを入れて、白銀は雑然とした準備室の端に適当に積まれた椅子を手に取り後ろに立つ者達に放り投げる。驚きのためか、ほんの僅かに目を大きくした夕呼であったが、全員が難なくそれを受け取る様子を見て(霞の分は彩峰が難なくキャッチ)納得したように腰を下ろす。そして、席に着くや否やこれからの話を聞き逃すまいと、非常に真剣な表情を浮かべた。

 そんな夕呼の様子に、白銀はとりあえず思いつくところから話すことにした。夕呼に嘘は通じないということはわかっているので余計な前置きなどをする必要はない。そう思っていた。

「ええと、まずは俺からでいいのかな? とりあえず、俺は先生の感覚で言うところの未来から来ました。多分、通じるとは思いますが」

「余計なご託はいいからちゃっちゃと話す」

「分かりましたよ。で、記憶にあるのは、こっちの世界の話ですよ?終業式の後、みんなで行った旅行までですかね」

「旅行?」

「ああ、向こうで目覚める直前、だったな。冥夜と純夏が…………たしか温泉で語り合っていたな」

「ふ~ん」

「って、先生、何ですかその面白いものを見つけたみたいな顔は」

「気にしなくていいのよ。はい続き」

 白銀の温泉での冥夜と純夏の語らい。という言葉に、夕呼はおもちゃを与えられた子どものような笑みを浮かべる。しかし、話の続きへの興味が勝ったのか、白銀をからかったりすることはせずに、続きを促した。

 白銀は後々の自分の運命を嘆きつつ、さらに話を進める。

 次に話し始めたのは、一度目の目覚め。平和な世界から突如明日泣き戦乱の世界へと送り込まれ、皆の足を引っ張り続ける毎日。それでも、少しずつ回りに溶け込み、認められつつあった矢先に突き付けられた絶望。
 その先のことはほとんど覚えていない。だが、去りゆく者の背中と全てを失ったという虚無感だけがその身に残り続けた。

「1回目……ねえ……」

「ええ、幸か不幸か、俺には自身の無力さを覆すチャンスが与えられたみたいです」

「ふふ、格好いいこと言うじゃない」

「先生…………、ちぇ、どうせ俺は感傷の似合わない男ですよ」

 一息つくと、真剣な表情のままそう呟く夕呼に、白銀はそう応えるが、すぐさま夕呼に茶化され、若干むくれながら話を続ける。
 そんな二人の様子に、それまで真剣に話しに聞き入っていた他の者達も肩の力を抜き、すぐさま次なる話に耳を傾けた。

 『1回目』と異なり、白銀自身には、記憶と経験というアドバンテージがあった。
 そして、それ故の驕りも。連続して起こった二つの出来事を記憶を頼りに最小限の犠牲で防ぎ、経験を生かして仲間達。今この場にいる者達を導いた。しかし、それ故に自身を『特別』と勘違いし、結果として起こった取り返しの付かぬ犠牲。

「今思えば、俺が余計なことをしなければ、まりもちゃんや純夏…………、それに、さっき話したクーデターでの犠牲もなかったのかも知れません。俺は、BETAの侵攻や横浜基地へのテロを防いだことで犠牲を少なくしたつもりでしたが、結果として沙霧大尉やウォーケン少佐を始めとする多くの衛士達を死なせてしまいました」

「…………私に、そのことに答える義理はないわ。続きは?」

 白銀の言に、夕呼は肯定も否定もせずに続きを促す。もちろん、かの事件はここに集う者達にとっても忘れがたい事件であり、彼らに相対して座る夕呼には、その表情の変化が手に取るように分かったのである。
 しかし、そんなことまで考えることはさすがの白銀でも不可能である。夕呼らしい対応だなと思いながら、続きを話し始めた。

 悲劇の先に垣間見えた僅かな希望。

 それを追い求めて戦いの世界へと舞い戻ったが、そこでも避けられぬ別れはいくつもあった。
 絶望のどん底にいた自分を導いてくれた伊隅みちる、速瀬水月、涼宮遥等先任達の相次ぐ死。純夏の00ユニットとしての覚醒の結果として突き付けられた人類へのタイムリミットと地獄の底と呼んでも差し支えのないオリジナルハイヴでの戦いと自分が背負うべき現実というなの結末。

 そして、すべてが終わった後のこの世界への帰還。

「これが、俺の体験した事の全て…………、まあ、細かいことは省いていますが」

「武…………、そなた、そのようなことは一度も……」

「話すような事じゃないからな。とはいえ、お前等を信用しきれていなかったかもしれない。すまなかった……」

「謝らないでよ…………。むしろ、気付けなかった自分の鈍感さが腹立たしいわ」

「榊、それは傲慢」

「で、でも……」

「話さないことで…………、思い出さずに済むと言うこともあります。白銀さんを責めないであげて下さい」

「社…………、そなたも」

 白銀が簡潔に、かつ要点を押さえながら全てを話し終えてしばしの時を待ち、傍らに腰を下ろす冥夜が口を開くと、思わず謝罪を口にする白銀に対し、榊が悔やむように声を上げる。さらに何かを言いつのろうとしたが、彩峰に窘められ、口を噤むと、霞が静かに、かつしっかりとした口調で口を開くと皆、一様に口を噤んだ。

「…………………、白銀、一つ聞くけど、あんたは、その世界に帰りたい?」

「…………そう、ですねえ。本音を言えば、…………分かりません。あの時は、霞と向こうの夕呼先生と別れた時は、あの世界で戦い続けたいとは思っていましたが」

 そう言って、白銀は言葉を切る。そう、あの世界で、散っていったみんなのことを語り継ぎ、BETAと戦い続ける。それだけが、自分の出来る唯一の弔いだと思っていた。

 だが、因果導体から解放され、目覚めた先での冥夜や悠陽との再会、そして、その後のみんなとの再会。戦いの決意が揺らいだわけではないが、それでも、自分はここにいる仲間達のために戦いたかったのだ。

「そっ……………、ふふ、白銀の癖に、私を感心させるなんて生意気じゃない」

「何でそうなるんですか」

「まあ、いいわ。研究の対象になるかと思ったけど、今のあんたじゃやっても無駄なようだし、どうせだからあっちの世界の話も聞かせてくれる?正直、今の政治家だって揺すれそうなネタがゴロゴロしていそうだしね。そうでしょ?摂政殿下?」

 白銀の言に優しく頷いた夕呼であったが、やがていつもの如く自信に満ちあふれた笑みを浮かべる。感傷など自分に似合わないとでも思っているようであった。

「おほほ、どうやら、この世界でも女狐殿はお変わりないようですわね」

 そうして、沈黙を保っていた国事全権代行殿もまた、本領を発揮しようとしていた。

 夕呼の言が、全て実ではないことなど、とうに悠陽は見抜いていた。因果律量子論の研究者である夕呼が目の前のよだれが出るほど貴重なサンプル達を見逃すはずはない。ましてや、彼女の想像だと、一つ間違えば二度とは会えない可能性もある相手に対し、遠慮するような性格ではないことは、向こうの世界でも熟知している。
 そして、この世界においても、日本を背負い、世界に冠たる野心を持つ悠陽にとって、夕呼とのパイプは見逃せない要素でもあるのであった。


 そんなお互いの思惑などはどうでも良いが、そんなことを全く考慮していない白銀達は、夕呼の転移実験の様子や向こうの夕呼のこと。向こうとこちらの世界の違い、現在のBETAや戦術機などはもちろん、それ以前の歴史の食い違いや、同じだけど違う人間達について。その他、並行世界がらみだけでも様々な質問の数々に次々に答えていく。

「───政威大将軍に斯衛ねえ。大政奉還以降もそんな役職が存在しているって事は、あんた達は徳川末裔だったりすんの?」

「いえ。あのような、どこの馬の骨とも知れぬ者達の系譜などと言われるとは、誠に遺憾でありますね」

「あら、それは失礼。でも、どんな感じなの?」

「五摂家は、元々藤原氏の末裔でありますが、貴族社会の衰退と武家の台頭により、次第に武家化していったことが始まりとなります」

「一條、二條、九衛の3家は、三関家と貴族社会に君臨しましたが、崇宰家と九條家は、互いに源氏と平家の抗争に介入していきました。今でも、九條家は源氏の嫡流。崇宰家は、平家の嫡流となっています」

「ふーん。それじゃあ、その2家が最も家格が高いってこと?」

「いえ、そのようなわけではありませぬが…………」

 夕呼の問い掛けに、当事者である冥夜と悠陽、そして、その辺りに詳しい珠瀬と榊も加わり、まるで日本史の講義のような様相を呈してきていた。
 

 5摂家が本当の意味で歴史の表舞台に立つのは、鎌倉幕府の衰退の後の大動乱、南北朝時代のことである。この世界においては、六〇年にも渡る日本分裂の動乱であるが、向こうの世界においては、それだけでは終わっていない。
 実に、徳川幕府の成立までのおよそ三〇〇年間。日の本は大分裂にあったというのが、あの世界の歴史である。
 そして、煌武院、斉御司、斑鳩の3家が摂家に名を連ねることになったのもこの時代である。

 煌武院家は、南朝勢力の征夷大将軍、大塔宮護良の系譜である。つまり、皇帝の最も色濃く受け継ぐ家柄である。その時代、足利尊氏という稀代のカリスマに対抗した剛毅豪腕、知勇兼備の皇子の血筋であり、その毛並みのよさから歴代で最も多く将軍職を務める家である。

 斉御司家は、後村上帝に付き従った貴族武家である。父後醍醐を超える名君であった幼帝を支え、常に劣勢に立つ南朝をまとめ上げた政治的センスに優れる家系で、将軍職よりも元枢府を牛耳ることで勢力を保つことを得意とすしていた。
 しかし、その政治力によって、こちらの世界では滅びの美学を求めるかのように散っていった、楠木正成、北畠顕家の二大英雄が生き延びたことは、その時代にとっては不幸なことかも知れなかったが、南朝を正当とする日本帝国にあってその存在は大きかった。

 最後は、斑鳩家。この家は、貴族としての系譜は最もうすい。尚武を家訓とし、戦によって主家に尽くすことをその血を受けるすべての者に課している忠臣の手本のような家である。その始まりは、九州へと下向した征西将軍宮、牧宮懐良の臣下、菊池一族の系譜である。

 この3家に、先述の九條、崇宰の両家が加わることで南北朝の勢力は拮抗。結果、足利幕府の成立は無く、応仁の役と呼ばれる近畿全土を主戦場としたおよそ一年に及ぶ決戦まで日本の分断は続くこととなる。
 これが、なし崩し的に戦国の動乱の幕を開き、帝室の存在を危惧した両陣営は、ここに和睦。両統迭立という形を持って戦国の荒波へと身を委ねていった。
 そのさなかに、家臣団の台頭を許し、その表の勢力は著しく衰退していった。しかし、表が衰えれば裏が栄える。いつの時代も変わらぬことであった。
 当時、日の本を襲った未曾有の大乱は、様々な勢力を産み出していく。護良の元、強大に統率された宗教勢力、斉御司が主導した忍と呼ばれる工作勢力。懐良の組織した水軍勢力。

 戦国大名の元に馳せ参じるものもいたが、それらの大本は、大半が摂家の元に集い、ここに斯衛の下地が生まれた。白の斯衛。一般階層の武家と言われる御家人衆であるが、彼らの系譜はこれらの裏勢力へと行き着くのである。
 江戸の時代に生まれた武家は、旗本以上でなければ生き残ってはいないあった。

「…………なんだか、えらい時代ね。それだけの勢力を持っていたってことは、織田信長なんかは…………」

「一応、その時代の足利一門とは良好な関係にあります。義輝、義昭兄弟は、幕府ではなく摂家を守るべくその身を捧げましたので……」

「ふーん。ゲームでしか知らないけど、妙に能力が高いのは、その辺りも影響しているのかも知れないわね」

「いや、それはさすがにないんじゃないですか?」

「うるさいわね。続きは?」

「は、はい。それでは……」

 再び、歴史の話に移り、それが終わると、向こうの世界の文化などの話題や親しい人物の話題となる。

「まりもは相変わらずあんた達の先生だったわけね。しかも、狂犬なんて渾名までもらっちゃって」

「ええ、俺達の教官の頃は大分優しくなっていたみたいですが」

「さもありなん。って感じね。具体的に何をしたか聞いたの?」

「俺は個人的にですが、横浜基地…………、いや極東国連軍屈指の部隊指揮官を血祭りに上げたとしか」

「武、話を大きくするな」

「いや、伊隅大尉から聞いたんだって」

「んなことどうでも良いわよ。嘘じゃないってのは、よく分かっているし」

「??」

 まりもの話題となった時、たまたま思い出した渾名を口にした白銀に、夕呼は若干青ざめるが、事情を知らぬ彼らは首を傾げるばかりであった。

「ふうん。教頭が司令長官ねえ。まあ、お堅い人だから不思議じゃないわね」

「安倍教諭や田所教諭も提督でしたね。最後まで海で生きていました」

「俺は、見覚え無いんだけどなあ…………」

 冥夜と悠陽が、転校手続きの際にあった貫禄十分な教諭達のことを話すと、元の世界の僅かな記憶を思い出しながらも、どうしても思い出せない白銀であった。

「まあ、むこうの鑑が再構成した世界だし、元と違う部分もあるんじゃない?何しろ、鑑だし」

「まあ、そうですね。その方が、純夏らしいです」

「…………白銀さん。それは、あまり褒めているとは言いません」

 と、アホ毛娘の話題に、霞は嬉しそうに耳を傾けていたが、向こうの世界でかけがえのない存在であった二人のあんまりな言動に、頬を膨らませていた。(武の視点で)


「さてと…………、あらかた聞きたいことは聞いたかな」

 夕呼がそう言うと、すでに外は日が暮れている。すっかり話し込んでしまったようだ。

「ま、明日は休日だし、じっくり話を聞かせてもらうから、今日はもう帰りなさい」

「ええっ!?明日もですか?」

「なによ。私に逆らおうっての?」

「そ、そんな無茶苦茶なっ!!」

「タケル~、あきらめた方が良さそうだよ?」

「な、美琴、お前まで…………」

「だって、後ろ……」

 珍しく、真剣な表情を浮かべた美琴であったが、すぐにその原因に気付く。振り向いた白銀の視線の先には、むすっとした表情のアホ毛娘が、腰に手を当てたまま仁王立ちしていたのだ。

「す、純夏?どうしたんだっ?」

「どうしたじゃないよ。さっさと、教室を出て行っちゃったから、置いてきぼりを食ったかと思ったら家にはいないし。私に内緒で、みんなで遊ぶなんてずるい、ずるい、ずるい~~」

 と、久々のオグラグッティ面顔になった純夏がだだをこねる子どものように口を開くが、白銀としてもさすがに理不尽に思えた。

「これのどこが遊びに見えるんだっ!? 遊んでいるのは、夕呼先生だけだろっ!!」

「なんですって~~!!」

「ええっ!?そこで怒りますか?」

「うるさい、うるさい~~。タケルちゃんの~~~~」

 そう言って、純夏が拳を胸の前に構えたまま近づく。その動きは、歴戦の彼らの中にあっても、非常に滑らかで隙のないものであった。

「は、はやい…………!?」

「バカ~~~~~~っっっっ!!」

「ララーーーシュタインッ!!」

 某国の赤い方の名を叫びながら、離脱する白銀。呼ばれた方のように、若干、変わり者は存在するが、人が目の前で星になることはまずない世界である。
 だが、郷にいれば郷に従えという言の通り、周囲に溶け込むことには、皆慣れていたようである。

「たーまやー…………」

「ほわ~凄いですね。純夏さん」

「うんうん。あのパワーだもん。やっぱり、不思議じゃないね」

「誰もツッコミは入れないの?この状況に?」

「って、高原っ!? あんたいたの?」

 彩峰、珠瀬、柏木、高原が、目の前のコミカルな状況に苦笑するものの、自身の担任のあんまりな発言に、高原は途端に顔を顰めながら問い返す。

「………………あの、白銀達を待っている間に、先生のコーヒーを入れたのは誰だと思います?」

「あ、忘れてたわ」

「…………………」

(駄目だ、この女)

 地味かつ手堅さを心情とする彼女の苦労は、しばらく続きそうであった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「痛ててて…………。まったく。今日、四発目だぞ。殺す気かよっ!!」

「タケルちゃんが悪いんでしょ」

「んなわけあるかっっ!!」

 あれから、一悶着ありつつも何とか帰宅した白銀は、両親が息子の部屋以上の丁寧さで用意した悠陽と冥夜の部屋を案内し、ようやく一息ついたところであった。

 ちなみに、霞は夕呼の進言という名の、一見正しいようでいて、自分がおもしろがるためだけの謀略を、若干、引っかかるところがありながら採用した小沢教諭の采配で、鑑家へと下宿することに決まった。純夏が研究室に殴り込んだのは、そう言った理由もあったのであるが、星になった白銀が復帰したときは、例の如くほえほえ状態になっていたため、話はまとまっていたようである。

「それよりタケルちゃん」

「なんだよ」

「明日は…………、大丈夫だよね?」

「だから、何がだ?」

「………………ううん、何でもない。それじゃ、おやすみ」

「あ、ああ」

 一瞬、誰にも見せないような悲しげな表情を浮かべた純夏であったが、話を終えると一方的に窓を閉めてしまう。
 問い返そうにも、すでに打ち切られた会話である以上、なすすべはなかった。

「…………ん?」

 ふと、ドアをノックする音が耳に届く。
 音の主は、白銀の「どうぞ」という声とともに、控えめな動作で部屋の中に入ってくる。

「夜分にすまぬ」

「どうしたんだ?冥夜」

 声の主は、寝間着に身を包んだ冥夜であった。おそらく、純夏と白銀の会話が終わるタイミングを待っていたのであろう。しかし、なぜかその動作は、もじもじしていて、気恥ずかしそうであった。

「その、…………な、迷惑で無ければで良いのだが…………」

「な、なんだよ?」

 口ごもった冥夜の仕草が妙に色っぽく見える。その様子に、白銀もまたしどろもどろに問い返した。

「こ、今夜は、一緒に寝てはくれぬか?」

「……………はあ?」

 そのあまりに強烈な言動の答えは、男の以下にも間の抜けた声であった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「ふふ…………二人とも若いですね…………。――冥夜。せめて、僅かな時を、精一杯過ごすが良い。あと、どれほど共にいられるか分からぬのだからな…………」

 壁越しに耳を傾けていた少女は、そう呟きながら、妹のささやかな幸せを願っていた。自身の懸念が、現実の元ならぬことをただ祈りながら。



[30166] 第5話
Name: 紫 武人◆7b555161 ID:b4a0012a
Date: 2011/11/03 22:20
「え~と、冥夜さん?き、君はいったい何を言い出しちゃっているんでしょうか?」

「だ、だから……、一緒に寝てくれと。武、下手なごまかしは聞かぬぞ」

「いや、聞かぬと言われても」

 静まりかえった室内に両名の声が響き渡る。白銀は、今にも眩暈を起こしそうなほど動揺し、冥夜は恥ずかしさから顔を真っ赤に染めているが、それでも考えを改めるつもりはないらしい。

「そもそも、意味がわからねえぞ。なんで、急に一緒に寝てくれなんて言うんだよ!!」

 ようやく動揺も収まり、改めて思考に余裕の出てきた白銀であるが、どう考えても一緒に寝る理由などない。もちろん、朝目覚めた時に傍らに冥夜が眠っていたとはいえ、それは、目の前の彼女が意図したことではない。

「…………嫌か?総戦伎演習の時は、寝所をともにしたではないか」

「それはそれ。これはこれだ!!」

「ふむ、では、嫌…………か?」

「う…………」

 悲しそうな目でそう問い返す冥夜に、白銀は思わず押し黙る。
 それまでは、あくまでも一般的な常識に基づき、かつ自身のへたれさなどもあいまっての動揺であったが、冷静になってみると、オリジナルハイヴにて彼女が告げた告白。

 今際の際の言葉とはいえ、死に際して人は自分に嘘をつかないということは、軍人として生きた僅かな間に、嫌になるほど知る機会があった。

「嫌じゃない。でもな、冥夜。理由は何だよ?お前が、まさか脈絡もなく男に抱かれようとするなんて思えないぞ」

 先日と呼んでもいいほど近い過去の出来事を思い出した白銀は、普段通りの冷静な思考を取り戻しながら口を開く。理由を聞いたところで、断る以外に選択肢は無いと思っていたが、白銀の言に、肝心の冥夜は再び顔を真っ赤にしている。言い方は悪いが、頭にやかんを乗せたら即座に沸騰しそうなほどの舞い上がり具合である。

「だ、誰が、抱いてくれなどと言ったっっ!!!」

「おわーーーーっっっっと!!!」

 そのまま、どこから取り出したのか分からなかったものの、皆琉神威を抜刀した冥夜が、怒声とともに振り下ろす。怒りのために、多少時間が掛かったため、白銀は両断という断罪を受けずに済んだものの、白羽取りした手が摩擦熱によってめちゃくちゃ痛かった。

「そ、そう言う意図じゃなかったのかっ!?」

「そなたは私を何だと思っているのだ!?例え好いている男であれ、手順ぐらいはちゃんと踏むわっ!!」

「そ、そうですか」

「そうですかではない。…………と、まあ、事情を話さなかった私も悪かったな。許すがよい」

 そう言うと、冥夜は皆琉神威を下げ、ゆったりと鞘に戻す。その動作は、精錬された武人のそれであり、先ほどまでの動揺した姿からは想像も出来ないほど凛とした姿であった。

「とまあ、いきなりのよいしょはおいておいてだな」

「何を言っている?」

「気にするな。で、本当にどういう理由なんだ?」

 お互い、年相応なあわて振りと勘違いの連鎖によって、逆に冷静さを取り戻し、白銀は改めて冥夜の方へと向き直り、口を開いた。

「それは…………」

 冥夜もまた、改めて武の目を見つめ、口を開きかけた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「…………………………」

「…………………………」

 夕暮れの街にお互いの足音が響く。先ほどから、お互いに一言も言葉を交わすことなく繁華街の喧噪に紛れていた。
 朝の顔合わせから、教室での再会。それらはまるで、夢を見ているかのような出来事であった。

 ふと、歩みを進めながら、眼前に差し出した手を固く握りしめる。

 女性の平均よりも遥かに強い握力である。握りしめているうちに、痛みが手に広がってきた。

(夢じゃ、無いんだよね)

 そう思うと、傍らを歩く戦友に目を向ける。自分より長身の彼女は、普段から口数が少なく、今もまた普段と変わらぬ振る舞いをしているようにも見える。今までであれば、不機嫌になって口げんかの一つもしていたのかも知れないが、今は何も言う気にはなれなかった。

「――何?」

「別に」

 視線を感じたのか、彼女がこちらに目を向け、静かにかつ短く口を開く。しかし、これといって話すようなことはないため、素っ気なく答えるしかなかった。

「嘘」

「な、なにがよ?」

「別にで済ませるような顔じゃないよ。その表情」

「あ、あなたに何が分かるのよ?」

「私も考え事もしていたから。榊も同じでしょ」

「…………そりゃ、考え事の一つもするわ」

「意地っ張りは相変わらずだね」

「どっちがよ」

 相も変わらぬやり取りである。しかし、自分にも相手にもトゲがないのは、おそらくあの時のことが関係しているからだろう。
 あの後は、色々ありすぎて、改めで自分達のことを見つめ直す余裕なんて無かったから。

「でも、榊はどう思うの?」

「だから、何がよ?」

「白銀のこと」

「えっ…………?」

 そう言われて、一瞬であるが胸の鼓動が高鳴る。たしかに、特殊任務に従事していたと聞かされた時、あのような過酷な状況に置かれているとは思ってもいなかった。

「動揺していたよね?」

 そう言いながら、顎に手を当ててしたり顔を浮かべる。どう考えても、からかっているとしか思えなかった。

「あのね~。あなたも似たようなもんでしょ」

「えっ!?」

「素で驚かないっ!!」

「~~~~~~」

「もう~~、あなたって人は…………」

 驚いたように目を見開いた後は、目を逸らして聞いていないふりをする。普段と変わらぬ振る舞いであるとはいえ、少し腹が立つ。だが、考えてみると、このような態度を見たのも、本当に久しぶりであった。

「どうした?随分、楽しそうじゃないか?」

「あ、お父さん?お帰りなさい」

「こんばんは。榊さん」

「あ、彩峰さん、こんばんは…………と、その人達は?」

 いつの間にか駅前まで戻ってきていたらしく、ちょうど父親達に帰宅時間と重なったようである。よくよく考えれば、香月博……教諭に長い間捕まっていたのだから不思議ではない。
 そして、朝の顔ぶれに、一組の男女が加わっている。もっとも、男性の方は忘れたくても忘れられない顔であったが。

「ああ、妻の同僚で、欅総合病院の医師の沙霧尚哉君だ。隣は、妻の咲代子さんだ」

「沙霧です。初めまして、慧も、久しぶりだな」

「うん…………」

 想像通りの名前に、思わず押し黙るが、それを悟らせるわけにはいかない。彩峰もまた、どこか遠慮しているところがある。

「欅総合病院というと、たしか香月先生のお姉さんが務めていますよね?」

「ええ。色々とお世話になっておりますよ」

 空気が悪くなるのはまずいと思い、先ほど研究室で話題に出た話を振るう。香月教諭の家族関係など、聞いても意味はないと思っていたが、意外な形で役に立ったと言える。

 しかし、沙霧さんの表情を見ると、やはり簡単に想像がつきそうな人物のようである。

「沙霧先生には、色々とお世話になっていてな。千鶴も、ラクロスで無理をしすぎたら見てもらうといい」

「整形が専門なんですか?」

「ええ。テーピングや怪我防止用にストレッチなども教えますよ?」

「…………それは、私が教えるからいい。それに、榊も詳しい」

「そ、そうか?まあ、機会があったらいつでも来て下さい」

「え、ええ…………」

 父親の助け?もあり、何とか会話を続けているが、彩峰が素っ気なく話の腰を折ってしまい、再び何とも言えない間が空いてしまった。

「父さん、私、榊さんとちょっと約束があるから、先に帰っていて」

「む?そうか?なら引き留めて済まなかったな」

「ううん。気にしないで」

 そう言うと、彩峰がゆっくりと袖を引っ張のを煩わしく想いながら何とか口を開く。

「そういうわけだから、ちょっと参考書を見ていくわ」

「うむ。だけど、あまり遅くなるなよ?おっと、ご飯はどうするんだ?」

「食べていくらからいいわ。って、ちょっと彩峰。そんなに引っ張らないでっ!!」

 場が持たなかったとはいえ、ものすごい力で引っ張られていく。ふと、何故か4人がへたれて見えるような気がしたが、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。


「はあ、はあ、まったく、ここまで慌てること無いんじゃいの?」

「…………ごめん」

 とはいえ、榊も気持ちは分かる。正直、沙霧医師と長い時間会話をしている気にはなれなかったのだ。
 父親をその手にかけた男。この世界の沙霧医師にその罪はないとはいえ、それを簡単に割り切ることは出来そうにない。

「ふう…………ここって、向こうじゃ、集積所の辺りね」

 いつの間にか、海岸沿いにまで出てきてしまっている。駅前から五キロ以上走り続けた計算になる。感情を整理するにはちょうどよい機会だったのかも知れない。

「うん。きれいな眺め…………」

 あっという間に息を整えた彩峰は、海からの浜風に身を晒しながらそう呟く。たしかに、電飾に彩られたビル群や海にかかる橋などは、人の営みを感じさせてくれる。

「…………ここって、たしかに横浜なのね」

「うん」

「街の方は人が多すぎて、なんだか違う街みたいだったけど、海の匂いって言うの?それは、あの世界と全く同じだもの」

「うん……」

 正直、榊にとって、この世界は違和感でしかない。軍に志願するまでの日本も、ここと同様に平和なものであったが、いずれ訪れる破滅をその時代に生きる全ての人間が感じていた。だからこそ、今、この場に立っていることに違和感を感じるのかも知れなかった。

 本当に、心の底から安堵できる時間というものの存在に。

 しかし、そう言った静寂は、地獄を知らぬ者達によって簡単に破られる。もっとも、夜遅くに、女性同士で人気のないところをうろついている以上、二人にも責任がないわけではないのだが。

「君たち~。二人だけ~」

 海を眺め、気持ちを落ち着けているところに届く軽々しい声。
 目を向けると、数人の男達が、笑みを浮かべながら自分達の所へ近寄ってくる。脱色された髪に、着崩した衣服。なんとも、腹の立つような出で立ちであった。

「そうですが、何か?」

 榊は律儀にもそう応えるが、男達はそれを自分達に興味があると勘違いしたのか、笑みを下卑たものに変えると、さらに近づいてくる。
 榊と彩峰は、殺気を発して男達を威嚇するが、訓練のくの字も受けていないものたちである。威嚇程度の殺気に気付くはずもなかった。

「じゃあさ、俺達と」

「お断りします」

「そんなこと言わずにさ~」

「はなしなさいっ!!」

 無礼にも制服を掴んでくる男の手を振り払う。相当手加減したため、男もよろけただけで済んだが、それが男の苛立ちを刺激してしまったらしい。

「何しやがるんだっ!!」

「っ!!」

「おわっ!!」

 簡単に怒り狂い、掴みかかってきた男を投げ飛ばす。さすがに、レンガ道に叩きつけるわけにも行かないため、落下の直前に身体を引いてやったが、背中から落ちた男は、あっという間に気を失う。

「えっ?な、なんだこの女」

 一瞬の出来事に、何が起きたのか分からない男達であったが、さすがに良い気分に浸っていたところを邪魔されたため、そうとう頭に来ていた。

「榊、私、ちょっと、イライラしている」

「二度目ね。考えが一致するのって」

「後で、大目玉かな?」

「ばれなければいいのよ」

 そう言うと、互いに笑い合う。自分も随分、砕けたものだと、その時は思った。
 ついでに言うと、男達は全員が沙霧医師のお世話になり、間接的に病院の売上貢献することになった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 榊と彩峰が、父親達と別れたその場には、もう一組のグループがいた。
 電車を使う予定の珠瀬に付き合って駅前に来た、鎧衣、柏木、高原の四人である。

「いや~、それにしても凄い人だね~」

「そうだね~。BETAに責められる前の横浜もけっこう賑わっていたけど、それでも今の方が人が多い気がするよ」

「それに、みんな明るい顔をしているよ~。今朝、パパにあった時もそうだけど、大人の人たちに表情も何となく明るいもん」

「…………別の何かに追われてはいるみたいだけどね。特に、壮年以上の男の人は」

「たしかに…………」

 鎧衣、柏木、珠瀬の3人は、のんきに人々の往来を楽しんでいたが、真面目娘の高原は、冷静に人々の表情の意図を探ると、さすがに3人も納得する。たしかに、命の危機とは別の何かに追われているようにも見えた。

「まあ、仕事って大変みたいだからね」

「うん。でも、やっぱり、腑抜けているようにしかみえないな」

「沙織さんは手厳しいね~。ぼくなんか、父さんが危ないことをしていないだけで一安心だよ」

「ふむ、それは良かった」

「うわあっ!!」

 突然の声に、鎧衣を除く3人が飛び上がる。目を向けると、上質なコートにパナマ帽という怪しい出で立ちの男が背後に立っている。以下に、平和な町中とはいえ、徹底的に訓練された元軍人に背後から余裕で近づけるというのはどうかと思うが、それも仕方のない男である。

「あ、父さん。どうしたの?南極探検じゃなかったの?」

「何を言っているのかね?今日は、ガダルカナル島にて研修だ」

「あれ?そうだっけ?でも、随分早く帰ってこられたね」

 そんな3人を無視して会話を進める父娘であるが、どこか話がまとまらない。

「ついでに言うと、民間人がガダルカナルから一日で帰ってくるのは無理だ」

 と、冷静な高原のツッコミもどこ吹く風で、話はどんどん横道に逸れている。

「さて、息子のような娘よ。行くとしようか?」

「えー?父さん、今度はどこに行くつもりなの?」

「何を言っているのかね?家に戻るのだよ。いつまでも娘に男物の制服を着せているわけにはいかないのでね」

「あ、なるほど~」

「そっか~、それじゃあ、先に帰るね。壬姫さん、晴子さん、沙織さん、また明日ね~」

「じゃあね~」

「サヨナラ~」

「それでは」

 と、三者三様の挨拶を背に、鎧衣父娘は家路に就く。なんとも、インパクトのある父親の登場に、さすがの三人も着いていくことがやっとであった。

「それじゃあ、私もそろそろ行くね。電車なんて久しぶりだよ~」

「うん。また明日ね」

「さようなら、珠瀬さん」

 と、駅の大時計に目をやった珠瀬もまた、電車の時間に気付き、その場を後にする。そして、その場には柏木と高原だけが残った。

「…………止めときなよ?」

「何を?」

「あの人達は、関係ないよ?」

「分かっているわ…………」

 柏木は、先ほどから高原が向ける視線の先にある人物達に気付いていた。そして、高原もまた、自分の感情が高ぶっているのも自覚していたのだ。
 自分は、12・5事件において、無様な最期を遂げた。それだけならばまだ仕方がない。とは思う。自分の未熟さと新OSに依存したことが原因以外の何もでもないのだ。

 しかし、家族のことを思うと、異なる感情が出てくる。

 あの日、彼女の母親である高原美雪大佐は、決起部隊の攻撃に国防省にて最後まで反抗。結果、国賊に与した人間として謀殺されていた。
 もちろん、決起軍側は自分達の決起理由を崇高な大義として考えていたため、女性軍人が戦場にあって、今際の際に与えられる辱めを受けることはなかったが、(年齢も年齢であったが)結果として、なんのフォローもなく、国賊扱いのまま無念の死を遂げていた。

 その後、名誉の回復が為されたのかは知るよしもない。何より、自分も母親の後を追うように、戦死したのである。確かめようもなかった。

「決起部隊の人たちは、首謀者と鳴ったグループの話だけど、すべてが終わった後に、皆、自害して果てているよ。あの女の人もその一人。最後まで、沙霧大尉の正義を信じていたみたいだったけど」

「いいよ。そんな話は」

 柏木もまた、視線の先にいる人たちに見覚えはある。さすがに、高原を殺した相手だとは言うわけにいかなかったが。

「帰ろう?明日もまた、先生に付き合わなきゃならないみたいだし」

「行かなきゃ、まずいのかな?」

「香月博士の性格を考えてみるとね。向こうより、こちらの方が理不尽な性格をし
ていそうだし」

「はあ…………、生きているのはありがたいけど、こっちの世界も大変みたいだね」

「そうかもね」

 そう言って、ふたりは笑いあう。高原の言も、もちろん本心ではないが、それでも慣れるまでは違和感にふり回されることは覚悟しなければならなそうであった。


 そうして、柏木と別れ、家路へと急ぐ高原は、ふと夜空を見上げた。ちょうど、繁華街を抜け街灯の灯りも見えづらくなっている所であるため、星空が美しく見える。

(この宇宙に、BETAはいないよね?)

 そう思いながら、夜空に瞬く星を見つめる。そして、その瞬きは、何故か悲しげに見えた。

(どうも、感傷的になっているみたいだな……。はあ、他の人たちは、立派に散っていった言うのに、私は…………ん?)

 そんなことを考えていると、どこからともなく何かを揉めているような声が届く。


「や、やめて下さい……っ!!」

 声の方へと視線を向けると、女性が黒装束の男に襲いかかられている。暴漢というヤツであろう。
 無言で、二人の元へと走り寄ると、高原は男の肩を掴んだ。

「何をしているっ!!」

「っ!?」

「沙織っ!?」

「姉さんっ!!…………っと、待てっ!!」

 襲われていたのは、実の姉、沙雪であった。それに、気をとられた隙に男は走り去ろうとしたが、さすがに許すわけにはいかなかった。
 男の後を全力で追いかける。背後で姉が何かを叫んでいるが、そんなことを気にしている余裕はない。

「てあっ!!」

「ぐわっ」

 男の背中が大きくなると、高原は地面を蹴り、勢いそのままに男の背中に跳び蹴りをお見舞いする。そのまま地面に擦り着くように男が倒れると、前方に着地した高原は、そのままの勢いで男へと向かった。

「このガキっ!!」

 しかし、男もスッと立ち上がると、懐からアーミーナイフを取り出し、向かってくる高原めがけて突き出す。

「――――っ!!」

 それを間近で見ていた沙雪が、思わず口元を覆うが、彼女が予想したような惨劇は起こらなかった。散々、訓練してきたことである。
 僅かに角度をずらすと、頬をナイフが掠める。血が流れる感触を頬に感じたが、そんな物を気にしている余裕など無い。
 男の腕を掴み、膝で手首に打撃を加えると、男が呻き声を上げながら、ナイフを取り落とす。しかし、この程度で許す気はない。

「はああああああっっ!!」

 そのまま体重をかけてあごに掌底を撃ち込む。
 きれいに顎に突き刺さると男は、身体を仰け反らせながら竿立ちになる。視点があっていないところを見ると、失神しかけているようである。
 そのまま、腹に蹴りを見舞うと。そのまま、男は口から泡を吐きながら仰向けに崩れ落ちた。

「ふう…………」

 倒れた男を見て、高原はようやく一息つく。よく見ると、レスラーのような巨体の男である。一歩間違えれば返り討ちになっていたかも知れなかった。

「沙織…………、だ、だいじょうぶ?」

 男が動かなくなったのを見て、沙雪が震えながら高原に近づく。妹の行動が未だに信じられないようであった。

「大丈夫だよ。それより、姉さんも何でこんな夜遅くに一人でうろついているの?」

「あなたの帰りが遅いからよ。心配したんだから」

「そっか、ごめんなさい。でも、それならお父さんと来れば良かったんじゃない?」

「う……、それはそうだけど」

「まあ、いいよ。それより、警察は?」

「あ、うん…………。今、呼ぶね」

 そう言うと、沙雪は携帯電話を取りだし、おずおずと連絡を取る。その姿に、高原は改めてここが異なる世界であることを認識した。

(あの姉さんが、こんなに弱々しいんだもん。やっぱり、違う世界なんだよね)

 そんなことを考えながら、高原は異なる世界での姉の姿を思い出していた。あの、伊隅みちるの片腕であり、速瀬水月とともにヴァルキーズの前衛を担っていたその姿を……。



[30166] 第6話【改訂版】
Name: 紫 武人◆7b555161 ID:b4a0012a
Date: 2011/12/25 22:29

 深夜になって、白銀はゆっくりと身を起こした。
 床に敷かれた布団からである。ふと、傍らのベッドに目を向けると、見目麗しい美少女が二人、そのよく似た容姿を寄せ合いながら眠りに就いている。

「まったく…………。暢気なものだよ」

 二人の寝顔を見つめながら、白銀はそう苦笑する。時計を見つめると、先ほどのドタバタから2時間ほどしか経っていない。軍人時代の体力を考えれば、軽く眠れば体力は十分持つ。

「怖い…………か」

 二人の寝顔を見つめながら、白銀は先ほどのことを思い返していた。

『私は怖いのだ。武…………』
(正直、冥夜の口からあんな言葉が出るとは思わなかったな。でも、大切なものを失ったのは俺だけじゃなかったんだ)

 短い生涯において他の誰以上に思い合っていた姉とのたった一度の対面と別れ。ようやく、一人前としての舞台に立った矢先に、人生の師とも言える教官との離別。そして、たった数日の間に、尊敬する上官達の相次ぐ戦死。そして、自らの命。
 日本という国家、摂家という血筋に翻弄された彼女にとって、最後の一月は、何物にも変えがたい時間であり、同時に大切なものを失い過ぎた時間でもあった。
 そして、今日。自らの死から目覚めた彼女が自分の前で見せた涙。ほんの一瞬の弱さであったとはいえ、あれが切っ掛けになったということは容易に予想がつく。

 手に入れたものを二度と手放したくはない。

 人が当たり前のように持っている感情を、ようやく表に出すことが出来るようになっただけなのだから。

『そなたは、幾度となく世界から消え去っているのであろう?そんなことはさせぬっ!! 私が傍らにいて、この世界に繋ぎ止めてやる。二度と私の前から消えぬようにっ!!』

 そう叫んだ冥夜の表情は、ある種の決意に満ちたものであった。一世一代の告白ともとれる言動であったが、当の本人はそう言う意図があるわけではないというのが、ミソであるが。

(でも、あの場で乱入してくる殿下もさすがだよな。妹が後々後悔すると思ってのことだろうし)

 そして、白銀が思い出したのは、しんみりした空気の中に堂々と進入してきた、元国事全権代行その人である。

『冥夜!! よくぞ申した。私も手を貸そうっっ!!』

 と、素でやっていれば天然では済まないボケであるが、明らかに確信犯的な笑みを浮かべた殿下に、冥夜も自身が口走ったことを思い返す余裕を生ませた。
 そうして、再び真っ赤になって慌てふためく様は、少しかわいそうであったものの、外見は同年であれ、中身に十年以上の年齢差がある殿下に敵うわけがなかった。

『白銀と添い遂げるというのならば、邪魔はせぬ。だが、今のそなたの行動は、彼を縛るものでしかないぞ』

 凛としてそう言った殿下に、冥夜は冷静になって白銀に頭を垂れることになった。冥夜も、本心では白銀を愛しているといっても過言ではない。だが、押しかけ女房紛いの今の状況で相手を頷かせることなど迷惑以外の何ものでもないということも理解していた。
 あの世界において、庶民以上に質素かつ武家以上に質実剛健な暮らしをしていた彼女は、熱くなりすぎる時を除けば、冷静すぎるほどの常識人であった。

 そうして、冷静になった冥夜であるが、問題は、国事全権代行殿である。

『納得したのだな? では、二人とも、床に就くといたそうか?』

 と、さも当然という表情で言い放った悠陽に、白銀と冥夜は揃って凍り付く。
 さっきの言動は何だったんですかっ?という、二人に、悠陽は、『私は、日本と婚姻しているので問題ありません』と、某世界帝国前夜の女王陛下の如き宣言を、この東洋の島国、かつ一政令指定都市のど真ん中で言い張った御方に敵うはずはなかった。

(とはいえ、殿下も冥夜もすぐに寝入っちまうんだからな…………)

 そう言って、再び苦笑する白銀であった。人生経験から、自分達よりも遥かに大人なはずの女性であっても、外見は同い年の少女であることに変わりはない。

(まあ、いくら超人であっても疲れはするさ)

 と、そんな暢気な理由を考えていた白銀であるが、そんな生易しい理由ではない。


 悠陽は死にゆくその年まで、帝国の前線に立ち続けてきた。もちろん、戦場だけではない。榊是近という最大の駒を失った以上、経験という面で大きく劣る彼女は、補佐役達とともに駆け回りながら成長していくという以外に手はなく、失政を成果で解消し、劣勢を自ら先頭に立つことで挽回してきたのだ。
 12・5事件以降、彼女が深い眠りに就くことが出来たのは、その生命の営みが終わりを告げたその時であろう。
 暗殺。と、多くの人間が考えついた死因であったが、彼女にとってそれは、ようやく安堵の眠りにつける神からさしのべられた救いの手だったのかも知れないのだ。


「たしかに、その通りかも知れないな…………」

 どこからともなく聞こえてきた、考察に白銀は素っ気なくそう応えると、再び布団に寝転がる。

「ん、んん。…………武……」

 ふと、冥夜の寝言が聞こえ、再び身を起こすと、少しはだけた布団をかけ直す。

「大丈夫だ。冥夜…………。俺はどこにも行かないよ。あの世界で、お前等と一緒に戦いたいって思いもあるけどな」

 そう呟くと、白銀は再び身を布団に沈める。朝までもう一眠りできそうであった。
 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 キーボードを叩く機械的な音が室内に響き渡る。

 それがいったん止んだ後は、用紙を吐き出すプリンタの稼働音が響き、そうしてまた、キーボードの音に変わる。

 すでに空が白み始めた時間であったが、その作業は留まることなく続いている。
 積み上げられた書類もすでに一山を築き上げる段階にまで達していた。

「ふう……………」

 タン。と音を立ててピリオドを打つ。
 たった一日でこれだけ膨大な量の資料が必要になる。自分を知るものならば、いつもの奇行とあざ笑う者がほとんどであろう。
 実際、こうして作り出した資料を見直している自分もまた、昨日の出来事を信じ切れないで居ることもまた事実であったのだ。

「それにしても、大人しくしていればいいのにねぇ」

 昨夜もたらされた情報によると、件の者達の中に、さっそく大立ち回りを演じてくれた者がいるようである。それ自体は面白い話であるが、面白がっているだけですむ話でもない。

 だからこそ、睡眠時間を削ってまで資料として残しているのだ。
 とはいえ、無理が利くと言ってもあくまで常識の範疇である。白み始めた空に目を向けると、傍らにあるキングサイズのベッドに歩が伸びるのは自然のことでもあった。

 そうして、仮眠をとること数刻。

 仮眠とは言え、僅かな睡眠で十分体力は回復できるのだが、それを強引に遮る電話の着信音が家中に響き渡った。
 無意識に眉間に浮き上がる青筋。
 今この時、彼女にとって睡眠への欲求は、三大欲求の中でも群を抜いていたのであった。

「夕呼~電話~」

 廊下から聞こえる声に、乱暴にドアを開け放つと、玄関口に置かれた受話器を乱暴に手に取る。

(まったく、朝っぱらから……。携帯によこせばいいじゃない)

 不機嫌が限界を超えつつあったため、声色は自然と重くなる。
 しかし、電話の内容はその不機嫌すらも吹き飛ばすにたるものであった。

「はい。香月ですが? ――――――何ですって!? はい。…………そうですか。搬送先は? 良いでしょう。連絡しておきます。それと、私も向かいます」

そう言って、ゆっくりと受話器を置いた彼女は、無言のまま自身の肉親の眠る部屋へと足早に向かっていた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 昨日の今日であるのに、目覚めは良好であった。

「うん、身体の調子もいいみたいだな」

 白銀はそう呟きながら身を起こす。
 体にだるさはなく、気分のよい目覚めである。目の前には、茶色の洋服ダンスと取っ手にかけられた白生地に青いラインの入った独特の意匠をもった国連軍訓練兵の制服。もとい、白陵柊学園の制服が目に入った。

「はは、訓練兵か……、だいぶ未練があるんだな」

 そう言いながら、周囲に目を向ける。目に入るものすべてが懐かしさを感じる物であると同時に自分の物ではないかのように感じることもまた事実であった。
 しかし、あるものが目に入らなかった時、彼は、大きな違和感に気づく。そこにあるはずのものが無く。無いはずのものがあったのである。

「冥夜と殿下がいない…………? ――――!? これって……?」

 首にかけられたDog Tag。そこには、『国連太平洋総軍第11軍横浜基地』の名と『白銀 武 少尉』の名が確かに刻まれていた。

「おいおい……。っていうか、何で国連軍の制服を着ているんだよ……?」

 かつてともに戦いし気高き少女と一国の命運を一身に背負った美しき少女の姿が無いと言う事実。そして、自分が戦いの世界に身を置いていたという証の制服。
 だが、壁にかけられたカレンダーは、たしかに10月22日を示していた。

(って、ちょっと待て。それは、昨日だろっ!?)

 そう思いながら、昨日の出来事を思い返す。

 ――――朝目覚めた時、傍らに眠っていた少女と彼女が見せた涙。
 ――――掛け替えのない、幼なじみからの元気いっぱいの制裁。
 ――――そして、たしかにあの世界で別れたはずの少女との再会。
 ――――失った仲間達からの強烈な再会の洗礼。
 ――――最後に、両方の世界での恩師との邂逅。

 全てが自分の記憶の中にあった。そうして、一日を終えようとした時の混乱。それらは、たしかに彼記憶の中にたしかに存在していた。
 そして、あの世界での戦いの記憶もある。所々、抜け落ちている部分もあるが、今も忘れることのできない、幼馴染を襲った死すらも生ぬるい悲劇。そして、壊れてしまった彼女を救うために犠牲となった世界。
 彼女を救うための犠牲とは、単なる建前でしかない。すべては、自分の愚かさが招いた悲劇であった。そして、その世界も自分の帰還とともに再構成され、幼馴染と恩師。そして、50億の人々を襲った悲劇も忘却されたはずなのである。
 散って行った仲間たちとの再会はその副産物か何かなのだと思っていた。だが、なにか大切なものを失っているようにも感じる。

 そして、なにより感じる、この現実への違和感。

(――――静かすぎる)

 無意識に気づかないふりをしていたのか、改めて耳を傾けなければ感じることの出来ないことであった。周囲から人が生活を営む音、気配、暖かさ。それらが何一つ感じられないことが。

「俺は……、帰って来たはずだよな? 昨日だって、普通に学校に通ったんだし」

 白銀は、そう呟きながら階段を降りる。リビングは、かつて自分が暮らした家の造りと寸分の違いもない。それを証明するかのように、きれいに清掃され埃などもない。自分の親ながら、マイペースなところのある母親だが、白銀の部屋以外はいつもきれいにしていた。
 ふらりとどこかへ行ってしまうのが、両親の悪い癖である。今回もサプライズ(白銀に対しての)旅行にでも出かけたのだろう。冥夜と悠陽も実家から呼び出されたに違いない。純夏と霞にでも会えば、解決する問題だとも無理矢理に思った。

 そうやって自分をごまかしながらも高ぶる鼓動。
 リビングから玄関へと向かう白銀は、高揚感が全身をつつみこむことを自覚した。意識はしていなかったが、本能は分かっていたのであろう。

 ――――この眼前に広がる光景が、現実であることを……。

 広がる廃墟群。破壊の限りを尽くされたその地にあって、動くものは無く、ただ風の舞いあがる音だけが耳をついた。それは、かつて自分が暮らした平和な世界の景色以上に親近感を抱くことのできる景色であった。

「はは、戻って来たのか……。喜んでいいのか、悪いのか……」

 そう軽口をたたく白銀であったが、その表情を他人が見れば、喜びと判断するであろう。悲しげな喜びであることはすぐにわかるであろうが……。
 そして、周囲見回す白銀が感じる違和感。それは、記憶への違和感と同様のものであった。

(しかし、どういうことなんだ?)

 先ほど部屋から見た光景。それがなければ、もう少し早く気付いていたのだろう。幼き時より共に過ごした、唯一無二の親友。鑑純夏の生家が自身の実家と共に健在であったのだ。

「撃震じゃなくて不知火か……。リアクションに困るな、これは。……新たな展開ってやつなのか?」

 鑑家と白銀家を守るように門前に立つ巨大な鉄塊。それは、この世界における人類の剣であり、盾でもある。戦術歩行戦闘機と呼ばれる兵器であった。
 白銀の記憶にある限りでは、鑑家を押しつぶす形で白銀と邂逅していたのだが……。

「初めは、純夏の家が押しつぶされているのを見て、笑っていたよな……俺」

 思い出すと申し訳なくなってくるが、初めの彼は、御世辞にも歴史に残る衛士の片鱗など欠片も見せていなかった。
 かつての平和な世界おいては、平均的な頭脳と体力であっても、この世界においてただの役立たずであった。成長を見せたはずの前の世界においても、彼は、恩師に、上官に、仲間たちに助けられ、生きながらえることができたのであった。

「……やめよう。自嘲したところであいつらは喜ばない……。それにしても……凄い血痕だな」

 開かれたままのコックピットに昇ってみると、砂塵にまみれてはいるが、黒ずんだ血の跡が残っている。その量から考えると、搭乗していた衛士は、確実に死に至っているはずである。それでも、自分達の家をBETAから守るため、死力を尽くしてくれたのだろう。

「まさかな……………」

 とある考えが脳裏をよぎるが、そんなはずはないと思いたかった。

(とりあえず、名も知らぬ衛士殿。ありがとうございます。それにしても…………)

 不知火のコックピットの昇った白銀は、再び違和感に襲われる。

 かつて、この位置からでも見えていたはずの建物が無い。自分にとって、第二の生家と呼べる場所、国連第11軍横浜基地が本来あるはずの場所は、荒れ果てた小高い丘のままであり、整地の為の重機が、数台動いているだけであった。

「……まだ、工事中ってことは……、でも俺は間違いなく死んでいるんだよな……」

 そうでなければ、自分がここにいることをどう説明すればいいのか分からない。そして、死亡している以上、身元を証明する手段もない。

(Dog Tagや軍服の階級章を見せたところで、逆に怪しまれるだけだよなあ……)

 横浜基地が無いということは、香月夕呼はおそらく帝都か仙台にいる。接触を持つとすれば、彼女以外の選択肢はあり得ないが、このまま不用意に動けば、多摩川沿いに展開している部隊に捕まる。
 横浜がこのありさまであり、戦術機の残骸が転がる以上、ここは、BETAの侵略を受けている世界であることは間違いない。そして、G弾の投下と本州奪還作戦は行われたはずであると彼は予想した。
 『明星作戦』が行われているとすれば、彼女は作戦の提案者であり、純夏の脳を確保しているはずである以上、帝都にいる可能性の方が高い。
だが、おそらくだが、沙霧尚哉大尉を初めとする精鋭の守る多摩川防衛ラインを通ることは危険きわまりなかった。

「でも、行くしかないよな……。何とかごまかせればいいんだけど……」

 そう結論付けた白銀に耳に瓦礫を踏み崩す音が届いた。今まで気づくことのなかった、複数の人の気配に白銀は慌てて背後へと目を向けた。

「えっ……!?」

「地獄へようこそ。白銀武君」

 白銀の耳に届いたやや高めの男の声が、物言わぬ都市にこだましていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「うう……………っ!? はあ、はあ、はあ…………」

 目を覚ますと、全身が汗に包まれているのがよく分かった。

 深い眠りであったのは、身体の軽さを考えれば理解できる。
 よくよく考えてみれば、横浜基地防衛戦から桜花作戦まで、ろくに睡眠をとることすら敵わなかったのだ。深い眠りにつけたことは僥倖と言える。
 しかし、悪夢に等しい夢を見ていた。考えただけでも、恐ろしい夢を。

 BETAのいない世界。平和。故郷。狂気。武。様々な言葉が頭の中を駆け巡り、動悸の高まりは耳鳴りを伴って頭に響く。

 もしかしたら、昨日過ごした平和な世界が夢であり、先ほど見た廃墟の広がる世界。さらにいえば、武が一人去っていってしまったと思う世界が、本当の世界なのかも知れない。自分は、その世界で生を終えたわけではないのかも知れない。

 そんな考えが、いくつも頭をよぎっていた。

 現実に、ともに床に就いたはずの男も、それをそそのかした姉もこの場にはいないのだ。

 あわてて、ベッドから身体をはね起こす。

 そして、空を飛ぶような速さで、階段を駆け下りた。

 そうして、彼女の目に入ってきた光景は…………。

「武っ!! しっかりしろっ!! 武っ!!」

「美鈴。救急車をっ!! 影行、慌ててはならぬ。脈や呼吸も正常だ」

「は、はいっ!! あなた、とりあえずソファーに運んで」

「分かった。よっ……!? こんなに重かったのか??」

 リビングに横たわる男と慌てて駆け回る男女。
 あまりに突然の事態にその場に立ち尽くすしかなかった冥夜も慌てて影行が身を起こした男の元へと駆け寄る。

「武…………。何があったのですか?」

 顔色は悪くなく、目立った外傷もない。その場で眠っているようにしか見えないのである。だが、先ほどから何度揺すったりしても目を覚まさない状態は、明らかに異常である。

「とにかく、ソファーへ」

「はい」

 武の様子を観察していた冥夜は、影行の声にうなずくと、首に負担のかからぬように頭を押さえながら身体を持ち上げる。

 全身が鍛え上げられた身体の重みが両腕に加わってくるが、それもどこかおかしく感じる。肉体的な重厚さというか、そういった類のモノがまったく感じられないのであった。

「…………やはり、こうなってしまったか」

「や、やはりとは。悠陽様、どういうことです?」

 眉間に皺を寄せ、思案を続けていた悠陽の言に、武をソファーに横たえた影行が、声を震わせながら口を開く。朝食の準備が途中であったのか、かけっぱなしの味噌汁の煮立つ音や、新聞の朝刊が乱暴に投げ捨てられた様子は、突発的に何かが起こったという事の証明でもあった。

「――――まずは、状況を整理するといたそう」

 一呼吸置いた悠陽は、二人に目を向けると自身を納得させるように口を開いた。
 そのどこか超然とした態度に、二人もまた気持ちを落ち着けることが出来ていた。

(やはり、姉上に敵わぬ……)

 そんなことを考えていた冥夜を尻目に、影行がゆっくりとことの成り行きを話し始める。
 武の目覚めはいつもより早めであった。その時点で影行と美鈴も目を覚ましており、珍しいこともあるモノだと二人は思ったという。
 その後は、普段以上に口数も少なく、新聞に目を通したり、朝のニュースに眉を顰めたりするなどどこか様子がおかしいとは思ったと言うが、本人が何も話さない以上それほど気にも止めなかった。
 そうして、悠陽が目を覚まし、着替えを済ませてリビングへと降りてきた時も特段、変わった様子は見られなかった。

 とはいえ、表情そのものは真剣であり、さすがに悠陽もからかう気にはなれなかったため、学校での話や夕呼の話がもっぱらの話題であった。

「その時点で気付くべきであったのかも知れぬ。いや、すでに手遅れであったか……」

「姉上? それは…………?」

「今はよい。それより、香月女史に連絡は取れるか?」

「え、ええ…………」

「では、影行。頼む。冥夜は、私と手分けをして皆に連絡を」

「わ、分かりました。何と言えば?」

「事実を告げればよい。皆、それで理解するはずだ」

 そう言うと、悠陽もまた自身の携帯電話を取り出す。昨夜の騒動の後に武に使い方を教わったものであるが、使い方は何とか理解できていた。

(事実を…………か…………。まず、誰に告げるべきだというのであろうか?)

 そう思いながら、番号を打ち込む冥夜であったが、画面に表示された名前を見ることは出来なかった。
 まず、最初にことを告げなければならない相手であることは、無意識のうちに理解していたのかも知れなかった。



[30166] 最終話
Name: 紫 武人◆7b555161 ID:b4a0012a
Date: 2011/12/25 22:43
 

 ガラス越しの寝台に横たわる一人の男。

 鼻や腕から伸びた管の先には、前者の先には薬剤の入った容器がぶら下げられ、一方には重厚な機会が色とりどりの光を放ちながら稼働していた。

「武………………………」

 そんな男の様子を見つめる者達の仲から、一つ悔やむような声が漏れる。
 しかし、その後の言葉が彼女の口から漏れることは無く、その場は一様に沈黙に包まれるばかりであった。
 皆が皆、目の前で眠る男の姿が信じられなかったのである。

「はいはい。揃いも揃ってしけたツラをしている場合じゃないわよ」

 そんな沈黙を破るかのように、ゆっくりと開かれた扉から普段の大胆な私服に白衣を着込んだ妙齢の美女の声が響き渡る。
 とはいえ、彼女の普段と変わらぬような態度であっても、突然の事態に消沈する者達を動かすことは難しかったようであり、皆、彼女の言に答えることはなかった。

「まったく。原因の一つも話してやろうと思ったのに。そんなんじゃ言っても無駄のようね」
「原因……ですか?」
「そ…………はじめはあんた達にも影響があると思っていたんだけど、それは外れたみたいだし、話す必要性もないんだけどねえ」

 そんな夕呼の言に、榊が代表して答えると、夕呼は短く返答した後、彼女の背後にたつ少女に視線を向ける。

「鑑が…………なにか?」

 そこに立っていた天真爛漫を地でいく少女のどこか消沈した姿に、冥夜はどこか引っ掛かりを感じながら口を開く。

「まあね。ここじゃなんだし、白銀を見守っていなきゃいられない。なんて言うなら残っても良いわ。場所を移すわよ」
「は、はあ……。皆はいかがする?」
「聞くまでもなかろう」

 そんな冥夜の問いに夕呼はどこか茶化すような物言いで答えると、部屋を移るよう促す。たしかに、話をするのに適した場所ではなかったし、それだけ重要なことであるとも簡単に予想がついた。
 そう思った冥夜の他の者達への問い掛けに、彼女の姉である悠陽が短く答えると、皆一応に頷いていた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ――――――ここは本当に東京なのか?

 白銀が最初に思ったのはこれであった。
巨大なビル群が建ち並び、亜細亜屈指の経済大国の首都もしくは経済都市としてその名を世界に知らしめる大都市。これが、白銀の東京という都市に抱いていた印象である。
しかし、ここに来るまでに目に入った東京の様子は、それまで白銀が抱いた物とは大きく異なった。

人がいないのである。

横浜で拘束された彼が連れてこられたビルの一室。窓から見える景色から東京であることは分かったが、人の気配のない、廃墟と呼んでもおかしくないビル群が屹立するだけであるのだ。
そして、その事実に驚くことすら愚かなことであるということを彼は改めて思い返した。

先ほど聞かされた話から考えると、今は1999年の10月。『明星作戦』からおよそ二ヶ月しか経過しておらず、つい最近まで最前線であったのだ。民間人がいることなど許されることではない。
そんなことを考えていると、部屋をノックする音に続いて一組の男女が中に入ってきた。

「待たせたな。座ってくれ」
「は、はい……」

 白銀は短くそう答えると、入ってきた男の言に従った。
 勲章や階級章に飾られた帝国軍の軍服に身を包み、非常に若い外見は、一見優男のように見える。だが、動作や女性の態度から、ただならぬ地位にいる人間であることは白銀も予想していた。
 何より、目つきが異様であった。非常に鋭く、それであって何かを悲しんでいるようにも見えるのだ。

「紅茶とコーヒーがありますが、どちらになさいますか?」

 白銀が席に着くのを待って、女が口を開く。
 記憶の中で、月詠真那中尉が身につけていた帝国斯衛軍の軍服によく似た格好をしているが、この女性が着ているのは濃い緑色をしている。白銀の記憶にはない物であった。
 だが、斯衛軍だとすると、それも納得である。月詠と同じように、鋭さの中に品ある美しさを持っており、動作や物腰をみると軍人と言うよりも女官といった方が正しいのかも知れなかった。

「あ、えっと……、お任せします」
「はい。分かりました」

 戸惑いながら応えた白銀に、女は微笑みながらそう言うと、用意したポッドからカップにお湯を注ぎ始めた。
 二人のやり取りを見ていた男は、苦笑しながら口を開いた。

「……………………、そう緊張するな。別に、捕って食おうとは思っていない」
「はっ」

 しかし、緊張するなという方が無理な話である。有無を言わさず捕らえられ、こちらに連行されてきたのだ。

「冷めないうちにどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「いえ」

 やや強ばった空気を察するように女が両名の前にカップを差し出す。暖かそうに湯気が立ち、ほのかに茶葉の香りが室内に立ちこめ始める。

「……ほう、女には弱いようだな」
「――――――!? ………………」
「冗談だ。――――――国連太平洋総軍第11軍横浜基地、白銀武少尉……か」

 男は微笑を浮かべながら、軽口を言った後、差し出された紅茶を一杯口に含み、改めて白銀が持っていたDog Tagを読む。

「少尉と言うには若すぎますね……。白銀武。1983年12月16日生まれ。今、15歳のはずです」
「そうだな………………、白銀。何か聞きたいことはあるか?」

 書類を片手に口を開いた女の言葉に頷いた男は、試すような視線で白銀を見つめた。
 正直、聞きたいことは山ほどある。だが、相手が敵であるかも知れない以上、下手なことを話すわけにはいかなかった。

「まあ、言われて話すわけがないか。とりあえずこちらから名を名乗るとしよう。私は蒼木柊一。帝国西部方面軍に属している」
「西部方面軍? ――――あっ!?」

 一瞬、おかしな話だと思ったが、よくよく考えてみれば、つい最近までここは西方の最前線であったのだ。編成上、西部軍管区に設定されるのはおかしくない話であった。

「私は常磐詩織。帝国紫衛軍第一戦術機甲大隊長を拝命しております」
「紫衛軍?」
「ほお、それは知らんのか? まあ、常磐の所属を聞いて何の反応もないのだから当然か」
「それ?」
「ん? 気にするな。それよりも、自己紹介がすんだところで話を進めさせてもらうぞ」

 そう言って、蒼木はカップに口を付け、喉を潤すと、再び口を開いた。

「貴様、4番目のことは知っているな?」
「――――っ!?」
「図星か」

 そう言って蒼木は苦笑する。その表情を睨み付けながら、白銀は自身のうかつさを悔やんだ。帝国軍の人間ならば、オルタネイティヴ4の障害になる可能性は低いかも知れない。だが、将軍を蔑ろにしていた軍の中枢にいることは自分で名乗っているのだ。

「そんなに睨むな。口先だけでは信用できかもしれんが、少なくともオルタネイティヴ4を邪魔しようなどとは考えていない。なんなら、香月でも呼ぶかね?」
「ゆ、夕呼先生を?」
「先生?ヤツは教鞭など執ったことはないはずだが?」
「例の世界の話ではありませんか?」
「な、何でもいいですからっ!! 会わせていただけませんか?」
「わかったわかった。まったく………………、それだけしゃべる元気があるのなら、こっちの言うことにも応えてくれ。それが終われば、香月にでも神宮司にでも会わせてやる。なんなら、それ以外にもな」

 思わず立ち上がった白銀に、蒼木はあきれたような、微笑ましい物を見るような口調で白銀をなだめた。
 夕呼もそうであるが、何よりもまりもに再び会うことが出来るかも知れないという事実は、白銀の警戒心を和らげることに一役買っていたのだ。


 それから、白銀は自身の知る情報を断片的にではあるが、話し始めた。
 オルタネイティヴ5の地球脱出計画から始まり、その後のバビロン作戦とその結末、オルタネイティヴ4の対BETA相手の諜報活動というその目的、00ユニット、その素体として集められたA―01部隊、そして、明星作戦で横浜ハイヴから発見されたBETA捕虜の生き残り、鑑純夏のことまでずらずらと並べ立てた。

「まだ、分かってはいないかも知れませんが、その鑑純夏が会いたがっているって言う幼なじみが俺です」

 まだまだ、話せることはあったが、これ以上は不要なようである。
 蒼木も常磐も、ゆっくりと頷くばかりで、驚きを見せる様子はない。つまり、彼らも知っているのだ。演技という可能性も無いわけではないが……。

「その様子だと、オルタネイティヴ4の結果と期限も知っているようだな」
「はい、結果として……」
「待て。言う必要はない」

 口を開こうとした白銀を制し、予想通りの返事をした蒼木はゆっくりと席を立つ。

「それにしても、随分思い切ったものだな。そこまでのことを話せとは言った覚えは無いぞ?」
「……聞き出す手段はいくらでもあるはずです。正直、痛い思いはしたくないですし、神宮司教官や伊隅みちる……今は中尉ぐらいですかね?彼女達を傷付けられるとなったら、俺は降参するしかない」
「まあ、男前ですわね」

 蒼木の言葉に、敬愛する恩師や上官を思い出しながら応えた白銀を常磐がやんわりとからかう。外見の割に、そう言った悪戯じみたことも好む人物のようであった。

「まあ、いいだろう。こっちの情報と違いはあまりないようだしな」

 常磐の言に苦笑した白銀を面白そうに眺めていた蒼木は、備え付けの電話機を手に取ると、どこかに連絡を取り始めた。
 おそらく、夕呼の所だろう。と、白銀は思った。

「ついてこい」

 蒼木は先ほどまでの温和そうな態度とは打って変わり、初めのような鋭い目つきで白銀に対し、口を開いた。
 一瞬、全身が粟を食ったように冷たくなった気がした白銀であったが、態度に表すことはせずに、二人の後に続いた。


「ところで、何かあったのですか?」
「何がだ?」
「いえ、なにやら騒がしく思えたので……」
「そうか。まあ、あれだけ騒いでいればな。――――ちょっとしたもめ事で、日本中が混乱している。今は気にするな」
「は、はい」

 もめ事と混乱という言葉に、白銀は記憶に残る一つの事件を思い出した。

 『12・5事件』

 白銀自身が世界への立脚点の端緒となった事件であるが、結果だけを見れば、貴重な戦力の消耗を産んだ悲しい事件であったのだ。
 もしかすれば、それと同様の出来事が起きているのかも知れず、白銀は気が気ではなかった。自分が目覚めた時空が異なる以上、記憶が当てにならないと言うことは予想がついていた。

「ここだ」

 白銀が過去の悲しい事件を思い返していることを知るよしもない蒼木は、さっさと目的地に向かって歩き出す。
 案内された先は、厳重に閉ざされたスライドドアの他、周囲の壁も重厚な作りになっていた。

「この中に香月博士が?」

 当然のことにように口を開いた白銀であったが、キーを入力する常磐から帰ってきた答えは意外なものであった。

「いえ、会ってもらうのは博士ではありません」
「えっ!?でも、それじゃあ………………」
「そう急くな。先ほど俺等に話したことをあの女にもするのか?それに何の意味がある?」
「そ、それは……」

 白銀は蒼木の言に思わず口を噤む。その時点で後悔もしていた。今、蒼木の口から発せられた『あの女』と言う言葉。それは、決して好意的なものではなかったのだ。

「それに、あの女に話したところで、あの女が貴様を必要とするかは分からぬだろう?」
「そっ、そんなことは!」
「無い。と言えるのか? 言っておくが、4と5の話であれば意味はないぞ」

 必要としない。その言葉に白銀は反論しようとするが、蒼木に機先を制され押し黙る。

(オルタネイティヴ計画のことが意味はない? まさか、00ユニットはすでに完成されているのか?)

 あり得ない話ではない。素体候補者は、A―01の数だけいる。万に一つの偶然が重なって、夕呼が数式を考え出す可能性もないわけではないのだ。

(思えば、俺が数式のことを思い出したのも苛立った夕呼先生を嗾けたからだったな)

 白銀は過去の自分のミスを思い出し、苦笑する。
 怒らせてはいけない人間を怒らせた結果が、人類を救うことになるとは今になっても信じがたいことであった。

「――――――――?言いたいことは無くなったのか?だったら、さっさと入れ」
「えっ!?ちょ、ちょっとまっ……」

 黙り込んだり、激昂したりと感情を細かく切り替える白銀に面倒くさくなったのか、蒼木は白銀を無理矢理扉の中へと押し込んだ。鍛え抜かれた体であっても、経験豊富な軍人の前には歯が立たず、不用意に足を踏ん張ったため、飛び込むように部屋の中へと入り体をしたたかに打ちつけてしまった。

「っててて、乱暴だな……。って、ここは……」

 独特の光に照らされた通路、光の色合いそのものは、赤みを帯びた色合いであったが、機材やパイプ、コードが入り混じり、広さの割りに殺風景な様子は純夏がいた部屋とよく似ていた。
 そして、視線の先あるものの姿が目に入ったとき、白銀は、心臓がドクンと高鳴るのがよく分かった。
 部屋には少女がいたのである。赤みを帯びた薄明かりに照らされたその場に。
 それを目にした白銀は、ゆっくりと部屋の中央に立つ少女へと近づいた。部屋の明かりのせいか、その美しい銀色の髪は、やや赤く染まっている。
 そして、中央部分に赤い液体に包まれたシリンダーが置かれていることにも気がついた。


 中身の見えないシリンダーとその傍らに一人佇む少女。その光に照らされた薄暗い部屋。 普通の人間が見れば薄ら寒くなるかもしれない景色であったが、白銀は暖かい気持ちを覚えながら、シリンダーの前の少女に話しかけた。

「霞……………」
「白銀さん…………」

 記憶の中にある少女より、さらに幼くも見える。初めて会ったときよりも2年も前の話なのだから当然といえば当然であるが。

「待っていました…………。皆さんも…………」
「皆さん? ――――――見えているのか? 向こうの霞にも」
「はい………………」
「そうか。夢ってわけじゃなったんだな」

 霞の言に、白銀は、昨日の仲間との再会とどこかほのぼのとした世界の様子を思い出していた。
 そして、再びこの世界で目覚めた時、あれは夢でしかなかったのではないか?と言う思いが白銀の脳裏にはたしかに浮かんでいたのである。

「白銀さん…………。まずは、会ってあげてください…………」
「ああ」

 霞の言に頷いた白銀は、ゆっくりと赤い光を放つシリンダーへと近づいていった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「それで、武に何があったのですか?」

 ICUから手近の病室へと移った面々は、ゆったりと手近の椅子に腰掛ける夕呼に対して口を開く。口調は平静を保っているが、表情には焦りがはっきりと表れている。
 先ほどまで、平静を保っていた分だけ感情が先走っているのであった。

「御剣、落ち着いて」

「しかし、榊…………!!」

「冥夜さん、ここ一応病室だよ? それに、ほら」

「むっ!?」

 そんな冥夜を嗜める榊とそれに続くように、奥にあるベッドを指し示す鎧衣。
 冥夜が目を向けると、そこにははっとするような美しい銀髪を持った少女が寝かされていた。

「社っ!? い、いったい……!?」

「ああ…………、社は大丈夫よ。ちょっと、眠っているだけだから。それより、話を進めるとするわ。我慢できない恋する乙女も居るみたいだし」

「うっ……………」

「うむ、恋は盲目という。冥夜、恥ずべきことではないぞ」

「あ、姉上…………、いえ、殿下、失礼をいたしました」

 ベッドに横たわる社を横目に、取り乱しがちな冥夜を軽くからかう夕呼であったが、それに悪のりする悠陽に冥夜は何とか切り返す。
 なんだかんだで余裕があると言うことであろうか?

「そんなことより、先生、白銀は大丈夫なんですか?」

 と、場が多少和んだところで、柏木が努めて冷静に口を開く。たしかに、今は実直な武士娘をからかうことではなく、突如昏睡した男の現状を知ることこそが必要なことであった。

「ま、死ぬとかそう言う話だったら、大丈夫よ」

「全然、大丈夫そうじゃないように聞こえますが?」

「そりゃ、大丈夫じゃないもの。それにしても高原、あんたまで来るとは思わなかったわよ」

「たしかに、面識はありませんので。とはいえ、まったく縁のない話ではないとも思いますので」

「そ、まあいいわ。で、白銀だけど、目を覚ますがどうかと言えば難しいわね。なにより、中身がないんだし」

「な、中身…………!?」

「ええ。ねえ、珠瀬。昨日の白銀の話を覚えている?」

「え? は、はい」

「それじゃあ、白銀はどうやってこの世界に来たのか。話してみてくれる?」

「は、はい。分かりました」

 夕呼に促された珠瀬は、昨日、夕呼の実験室での白銀の話を思い出しながら口を開く。とくに抜け落ちた要素はないため、皆も黙ったまま珠瀬の言葉に耳を傾けていた。

「うん。特に抜けているところはないわね。それじゃあ、何か引っかかることはある?」

 珠瀬が特に抜けるところもなく言い終えると、夕呼は全員を見回すように口を開く。とはいえ、昨日聞いた話であり、白銀への一種の同情心の方が先立っていたため、皆すぐに返答することはなかった。

「………………帰りたいかどうかは、分からない?」
「もう一つは、鑑が作り出す世界。と言ったところか?」

 やがて、短い沈黙を破るように、彩峰が口を開き、その言を補足するように悠陽もまた口を開く。

「概ね正解ね、まあ、難しい話じゃないわ」

 二人の言に、珍しく笑顔で頷いた夕呼は、そのまま話を続ける。

 『帰りたいかどうかはわからない』はじめに、これを聞いたとき、夕呼はそれほどまで現状を心配しては居なかった。白銀の中に迷いがあることは分かっていたものの、死したる仲間達が彼の元にはおり、仲間とともにこの平和な世界で生きることを選ぶことは、難しい話ではない。
 現に白銀自身、今朝目が覚めるまではこの世界に存在していた。人間に意識がもっともコントロールされがたい睡眠状態の時でも、あの世界に取り込まれることはなかったのである。

「それではなぜ…………」
「細かい原因はよく分からないわ。でも、何らかの形で、白銀にあの世界を意識させる原因があったんでしょうね」
「それが、起因だと?」
「ええ」
「しかし、白銀は我々とは異なり、元々はこちらの世界の者であるはずです。あの世界を意識することが昏睡の原因だとすれば、私たちこそそれに当たるのでは?」
「そうね。あんた達は、本来この世界には存在しない。でもね高原、あんたと白銀の違いはそれだけ?」

 夕呼の言に、訝しげに問い返した高原に、夕呼は逆に問い返す。

「元の世界の住人以外ではないと言うこと以外でありますか? ――――因果導体として、転移を繰り返すことですか?」
「それだけじゃないわよ。あんた達は一度死んでいるでしょ?」

 そんな夕呼の言に皆、何となくであるが合点がいく。

 この場に居る者は、皆、はっきりとした自分の死を自覚している。
 戦場で果てた者や天寿を全うした者、様々であるが、ある意味では、新たな生を受け入れる土壌は十分に出来ているのである。
 しかし、白銀はそうではない。為すべきことを為し、背負うべき責務をすべて背負った男であるが故に、心の奥底では自分が許せない気持ちが消えることはなかったのである。

「私のせいだ…………」
「御剣?」
「私が、あのような振る舞いをしなければ…………、いや、あの時、私が弱さなどを見せなければ……………」

 そう言いながら、自分を責めるように口を開く冥夜に皆の視線が集中する。突然のことであったが、榊や珠瀬には何となくそれがよく分かった。
 同じ部隊にあって、冥夜と白銀の関係は、自分達以上に深いものであるという自覚はあった。なぜ、そこまで意識していたのかは分からないが、約二ヶ月という短い時間の中でなければ、男女の仲になっていたであろうことは容易に想像できていた。

「冥夜、自分を責めてはならぬ」
「姉上、違うのです。私は…………」
「ストップ。御剣、今は止めておきなさい」
「…………………」
「厳しいことを言うようだけどね、今は何を言っても悲劇のヒロインぶっているようにしか見えないわよ。まあ、あんたにそんな腹芸が出来るとは思えないけどね。それに、話はまだ終わりじゃないわ」

 そう言って、夕呼は、先ほどから黙ったまま真剣な表情を浮かべる純夏に視線を向け、再び口を開く。

「実際の所、あんた達はちょっとした切っ掛けでしかないのよ。大半の原因は、白銀と」
「私にあるの」
「鑑っ!?」

 夕呼の言を遮るかのように、口を開く。

 先ほどから異変を感じてはいたものの、昨日の態度からは想像も出来ないような凛とした態度に皆、驚くしかなかった。

「みんな、久しぶり。初めましてって、人も居るけど」
「そ、そなたもなのか?」
「ううん。私は今だけ。ごめんね、御剣さん」
「な、何を言うのだっ!?」

 そんな純夏の言に、冥夜は多少狼狽しながら答えるしかできなかった。

 そして、そんな彼女をはじめ、ここに集まる者達に告げられた真実。それは、一人の男が望んだことと、一人の少女が望んだ悲しい真実であった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ゆったりとした稼働音が心地よい。

「久しぶりってわけじゃないんだけど、なんか久しぶりのような気がするな」

 そう言って、両手に握られた操縦桿を握りしめる。それもまた、ひどく手に馴染んでいるような、そんな気がしていた。

『乗り心地はどうだ?』
「良い感じです」
『そうか。それは何よりだ』

 そう言って、蒼木は素っ気なく答える。あれから、一つの再会を果たした白銀は、蒼木から身分証と在日国連軍士官学校への編入手続きを済ませてもらっていた。
 

 とはいえ、当初は、士官学校への入校という話に納得は行かなかった。
 すでに衛士としての基礎は学んでおり、実戦も経験している。
 何より、再び戦いの世界に放り出された以上、すぐにでも人類の役に立ちたかったのだ。しかし、まったく意味のない話ではない。

『衛士としては一流かも知れんよ。でもな、指揮官としての教育も経験もないヤツが役に立つことと言ったら、捨て駒以外にはないぞ。ちょうど、前の世界でのお前達みたいにな』

 と、最後にあまりに無礼なことを言い捨てた蒼木であったが、臨時の小隊長時に速瀬と宗像にどれほど助けられたかという事実を考えると、無意味なこととは思えなかった。

『それにな。我々は、明星で少し無理をしすぎた。今は、力を蓄えるときだ』

 だからこそ、学ぶ時間はある。佐渡島にハイヴは屹立するが、そこに新人を投入しなければならないほどの逼迫性はこの世界にはない。
 と言うのが、蒼木の言い分であった。


(まあ、偉そうなご託を並べていても、しっかりこき使うって言うんだから、ちゃっかりしているよ。まあ、夕呼先生ほどじゃ無さそうだけど)

 そんなことを考えていた白銀に、蒼木がさらに言葉を続ける。

『一応、確認するぞ。目的地は、広島。お前さんの機体に焼き付けたデータを届けるのが任務だ。その後の交戦については、お前の判断に任せる』
「つまり戦えと言うことですね? しかし、国連に属する俺が近づいていって大丈夫なんですか?」
『大丈夫だ。一、二発殴られればすむ』
「えっ!?」
『それから、ここを出てから、国連機が3機、援軍としてつく。詳細は言えんが、頼りになる連中だ』
「詳細は言えないって…………、まあ、いいです。合流地点は?」

 なんとも不穏な言動であったが、細かいことを話すとも思えない男である。改めて、問い掛けたところで答えが返ってくるとも思えなかった。

『今送る。ポイントK―A106、ここには帝国斯衛軍残した武器弾薬が残されている。装備は基本装備のままだからな。ここで、調整しろ』
「分かりました」
『よし、頼む。まあ、色々と納得のいかない部分はあると思うが、生きて戻って来てくれ』

 そう言うと、蒼木は通信を絶ちきる。すると、程なくしてゆったりとした浮遊感が身を包む。巨大リフトで機体が持ち上げられているのだ。
 そして、投影画面に夕闇に包まれた都市が映り込む。
 それを確認した白銀は、操縦桿をきつく握りしめ、両の足をペダルに添える。程なく、投影画面に映り込んだマーカーが赤から青へと移り変わっていく。

「よし、行くとするかっ!!」
 そう言って、ペダルを力強く踏み込んだ白銀の機体は、推進剤を力強く吐き出しながら滑空し始める。人の気配はなく、どこか閑としたビル群を尻目に速度の上がる機体。
 白銀にとっては、何となく懐かしいという気持ちがこみ上げてきていた。

「んっ?」

 巡航速度に移り始めた機体に近づくマーカー。緑色のそれは友軍を示すが、現状、国連機がこの近辺にいるとは思えなかった。

「あれは…………、武御雷っ!?」
『白銀少尉。途中までお伴しましょう』
「と、常盤さんっ!?」

 画面に映る機体に目を丸くした白銀であるが、画面に映った美貌の女性にさらに驚きの声を上げる。

『事情はある程度説明してありますが、帝国軍内で国連軍を嫌う者は多い。ですが、紫衛の武御雷に手を出すものはおりませぬ』
「そうですか。――――ありがとうございます」

 そう言った白銀であるが、常磐の言が告げる事実が、後に起こりうる一つの悲劇を連想させ、なんとも複雑な気持ちであった。
 紫衛というものがどういう組織なのかも分からず、この先自分がどうなるのか、今更ながら思い返しもしていた。


「ここは、塔ヶ島?」

 蒼木に告げられた合流地点。それは、なんとも感慨深い場所であった。
 自身の記憶の中にある初陣の場。ここでの一つの出会いが、その後の自分自身に大きな影響を与えてたことは決して否定できない。

「それにしても、随分荒れていますね」

 離城自体は無傷であるが、周囲の木々は倒れ、所々に戦術機の残骸やおろらくBETAのものと思われる腐乱した残骸も見られ、所々に破壊の跡も残っている。
 冥夜に聞かされた塔ヶ島での攻防の詳細では、本格的な戦闘はなかったとのことであるが、激しい戦いを予想するには十分な痕跡である。

『ほんの一月前まで戦闘が続いていましたからね。さて、時間のようです』

 と、常磐の言に促されるように、投影画面に視線を向けると、ちょうど3つの機影を捉えたところであった。

『私はこれで戻ります。白銀少尉。正式にそう呼べることを祈っていますよ』
「はい」

 それまで画面に映っていた常磐が画面から消えると、それまで傍らに立っていた常磐色の機体は、ゆっくりと浮遊し、程なく接近してくる3機と交錯するように去っていった。

「こちら、A―02。こちら、A―02。現在、塔ヶ島離城にて待機中」
『了解、すぐに向かう』

 近づいてくる3機に通信を入れた白銀であったが、帰ってきた返答は、ボイスチェンジャーの如きノイズに包まれた音声であった。

(詳細は明かさないと言っていたが…………、声も聞かせないつもりかよっ!!)

 戦場に出る以上、背中を預ける人間とはある程度の信頼関係は欲しい。命を預ける以上は、当然抱く感情であるが、生憎と捕まったばかりの所属不明の人間の扱いはこんなものなのかも知れなかった。
 そんなことを考えている白銀の眼前に降下してくる3機の不知火。部隊章等、個人を特定するものはないが、国連軍の不知火と言うことは、A―01に属する者であることは予想がつく。
 この時点では、まだまだ生存者は多く、夕呼選ばれたものならば、相当な戦力であることは間違いない。

『待たせたな。貴官の機体コードを送ってくれ。データリンクが封鎖されているのだ』
「了解。すぐに送る」

 投影画面に映るウィンドウに表示されたのは、ノイズの走る画面。衛士の表情はシルエット状にしか見えなかった。とはいえ、データリンクの共有が成れば、とりあえずどこの誰かは名乗りあえるようであった。
 ほどなく、ノイズは薄れ始めていく。それを見た、白銀はゆっくりと口を開いた。

「私は、国連軍所属、白銀武臨時少尉です。今回の任務は、帝国軍蒼木………………」

 そこまで言った白銀は、それ以上口を開くことが出来なかった。画面に映る3名の衛士。その表情は、柔ら中な笑顔を浮かべていた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 平穏な世界に生きる少年を襲った一つの物語。
 その結末は、その少年を愛した少女が作り出した未来。しかし、その結末は、その世界の数だけ存在する。


 これは、少年と少女の思いの一つが選んだ世界。その選択が辿り着く結末がどのようなものになるのか、今の時点では誰にも分からなかった。







◇あとがき◇

 ここで終了です。一応、完結ではありますが、打ち切りという事実は変わりません。改めまして、今までお読みいただいた皆様。申し訳ありませんでした。


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