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[30023] 【完結】『我等悪逆にして非道なり』【昭和特撮番組オマージュ】
Name: 濁水◆44d72913 ID:35af097c
Date: 2011/10/15 03:26
・萌えられません。
・泣けません。
・ときめけません。


・全七話。
・全話執筆済。
・毎週水曜・土曜更新(予定)。



[30023] 0:『理解を強制』
Name: 濁水◆44d72913 ID:35af097c
Date: 2011/10/05 10:59




◆      ◆





 0:『理解を強制』





◆      ◆





 世の中は解り易さが重要だと、霧倉きりくら桐耶きりやは考える。
 安易で良い。直截的で良い。端的で良いし暴力的でも構わない。解り易くあるのならば、その手法を問う事こそナンセンスだ。
 百の言葉を費やすよりも一の事実を突きつける。叩き付けるような単純さで、否応無しに理解を強いる。
 それこそが、『彼等』のスタンス。世界に対する『彼等』の処方。
 ただ、一つ。
 それに関して、霧倉桐耶には思うところが、一つ。

「……どう考えても、品の良い(・・・・)やり方じゃあないよね」

 自嘲とも呆れとも付かぬ口調で漏れ出た呟きは、びょう、と唸りを上げる強い風に吹き消された。
 都心の繁華街に林立する高層ビル。その中でも一際高くそびえる外資系商社の本社ビル屋上から、一人の少年が眼下の街並みを見下ろしている。
 びょうびょうと強い風が吹きつけ、直立する事すら難しいそこは、当然ながら一般に開放されてはいない。転落防止用のフェンスさえない、そもそも屋上に出られるような設計ですらないその場所に人が居る事実が、既にして奇妙であり、異常であった。
 故に当然ながら、桐耶の呟きは風の音の有無強弱に関わらず、誰の耳にも届く事はない。果たしてそれは幸いなのか、その逆なのか。
 腕時計で時間を確認する――正午まで、あと十分弱。眼下の街並みにも人通りが少しずつ増え始める時間帯だ。始めるには悪くない。
 桐耶がポケットに手を差し入れる。指先で硬質な感触を確かめてから取り出したのは、ピンポン球より一回り小さいサイズの、黒い球体。ひょいとそれを放り投げる。
 空から降ってきたそれに、気付く者はなく。びきりと四つの球体に罅割れが生じた事も、そこから噴き出て来た黒い霧にも、それが形を為して起き上がるまで、誰一人気付く者は居なかった。

「いけ、蟻ども」

 黒い霧は人の形を為したかと思うと、爪先から這い昇るように質量を得ていく。吹けば散る程にあやふやな形が、甲冑の如く黒光りする装甲で鎧われていく。完成するのは歪なヒトガタ。ヒトを模していながら、黒く重い光沢を放つ外殻、周囲を睥睨する複眼、ぎちぎちと厭な音を立てる大顎は、まるで蟻のそれだ。
 黒い霧から生まれ出たヒトガタの蟻は二十を超え、足並みを揃えて前に出る様は、そこからも蟻を連想させる。
蟻装兵ぎそうへい】。霧倉桐耶が、彼の属する『組織』がその戦力として保有する、蟻を模した兵隊。
 道行く人々が、その異形に驚き慄き、悲鳴を上げて逃げ出した。当然だろう。その異形は、この世界に住まう人間達にとって、恐怖の代名詞でしかないのだから。

「さて、と」

 呟いて、桐耶は懐に手を差し入れる。取り出したのは一枚の仮面。ただし仮面とは言うものの、白磁の如き質感のそれには鼻も口も、視界を確保する為の穴すらもない。そこにあるのはのっぺらぼうの如き無貌だけ。
 仮面を手にしたまま、数秒、彼は沈黙を続ける。苦い薬を前にした子供のような渋面に理由があるとすれば、これから行う事に気が乗らない、それだけであろう。
 ……いや、それでは微妙にニュアンスが違う。より正確を期するならば、そう、『気が乗らない』では無く『恥ずかしい』と言うべきか。
 様式美とか、お約束とか、“あの人”は色々と言っていたが、実際のところは単なる趣味であると知っているから、付き合わされる身としては余計に恥ずかしい。
 ゆるりと首を振って、決意したように、少年は仮面を顔に当てる。瞬間、ぎちりと何かが軋むような音を響かせて、仮面が桐耶の顔に吸着した。
 異変が始まる。
 桐耶の身体がざらりと粒子状に分解される。仮面一枚を残して粒子と化した総身が砂嵐の如く渦を巻いて、やがて仮面をその内へと取り込み、少年の姿とは全く異なるカタチに再構成されていく。
 それを何と表現するべきか。人ではない。人と変わらぬ四肢を備え、人と同じように二足で直立しているものの、前腕から突き出た長大な曲刃、頭部の半分を占める翡翠色の複眼などの意匠を総合するに、それはむしろ、人の形をした蟷螂と喩えるのが相応しい。
 一歩、前に踏み出す。踏みしめるものなど何一つ無い中空に、それが当然のように。故に当然の結果として、彼の身体は真っ逆様に地上へと落下していく。
 人間一人分の質量が、流星もかくやという速度で落ちてきたのだ――アスファルトの地面は蓮華の如くにめくれあがり、粉塵が周囲を覆って視界を塞ぐ。

「え、っと……こほん」

 逃げ惑う人々の背に向けて、ゆるりと両腕を広げた蟷螂が言い放つ。
 高らかに、謳うように。
 恥ずかしさを押し殺し、己の本義に則って。



「ふははははははははっ! 逃げ惑え、恐れ慄け、人間ども(・・・・)! 
 貴様等の恐怖! 貴様等の悲鳴! 貴様等の絶望! それこそが我等の世界征服の礎!
 気合を入れて――泣き叫べッ!」



 ……世の中は解り易さが肝心だ。
 安易な手段で。直截的な手段で。そして何より、暴力的な手段で、『彼等』はそれを知らしめる。
 自分達が一体何者であるのかを――この世界において、如何なる存在であるのかを。
 否応無しに、理解を強いる。

 霧倉桐耶、十七歳。
『悪の秘密結社』の、大幹部。
 世界征服に向けて、ただいま絶賛邁進中。



[30023] 1:『蟷螂の仕事』
Name: 濁水◆44d72913 ID:35af097c
Date: 2011/10/05 11:00


 霧倉きりくら桐耶きりやは改造人間である。
 某超有名特撮番組のそれと良く似た――と言うより、そのままだ――なフレーズであるが、しかし桐耶の場合、これの後に『彼は人類の自由の為に、悪の組織と戦うのだ』とは続かない。何故なら彼は彼を人外へと造り替えた『悪の組織』を裏切ってはおらず、その上層に位置する大幹部の地位を与えられているのだから。
 そう、悪の組織だ。正義を語らず、正義を名乗らず、自ら進んで悪を買って出る者達。悪というレッテルをむしろ免罪符として振り翳し、悪であるが故に法や倫理を初めとする何物にも縛られず、自由という言葉の暴力性を体現する者達が、世界には確かに存在する。
 彼等は公言する。我等は悪であると。悪の本義に則って、この世界から正義を駆逐すると。彼等のその主張は四文字の言葉に要約が可能であり、彼等はその言葉を臆面もなく衒いもなく、そして無論恥ずかしげもなく、堂々と謳い上げる。
 世界征服。
 霧倉桐耶が身を置く組織【忌空いみそら師団しだん】は、世界征服を目的とした『悪の秘密結社』である。





◆      ◆





1:『蟷螂の仕事』





◆      ◆





 不意に鳴り響いたけたたましい警報音が夜のしじまを引き裂き、天へと向けて屹立するサーチライトの光が夜空を切り裂いていく。
 草木も眠る丑三つ時。誰もが寝静まり、建物もまた夜闇に埋没していたが、不意に到来した非常事態は警報と非常灯という無粋な目覚ましで彼等の眠りを断ち切った。
 白光の中に浮かび上がる建物は窓の無い完全な直方体で、住宅と言うよりは立体駐車場といった赴きであったが、生憎そのどちらも真相からは程遠い。しかしここが政府直轄の研究施設であると公開したところで、さしたる意味はないだろう。周囲に人家はおろか街灯さえ見当たらない山中であるのだから、そもそも誰の興味も惹く事がない。
 ――中国は黒龍江省、牡丹江市外れの山岳地帯。交通の便は概念のレベルからどこかに投げ捨ててきたと思わせるほど人里離れた僻地に存在する研究所に、この日の深夜、不躾な来訪者が訪れた。
 この研究所では警報音の種類で状況の危険度を表しているが、いま鳴り響いているのはその中でも最重度の危険が迫っていると報せるものだ。建物から飛び出してくる警備員達は一様に焦りと困惑を表情に滲ませていたが、それも来訪者の姿を目にした瞬間、驚愕と、ある種の納得に上塗りされた。
 来訪者は一人の少年と、一人の少女。双方ともそれなりに端整な顔立ちではあるが、これといって不審なところのない、ごく普通の少年少女である。今が真夜中、しかも半径十キロに渡って人家一つない山奥という場所でなければ、不審に思う事すらないだろう。
 だが少年と少女の背後に控える複数の巨体――忌空師団が保有する装甲歩兵、蟻装兵を目の当たりにすれば、それを率いるように現れた彼等が、只の少年少女であろうはずもない。

「……お菊さん。話が違いやしませんか」

 蟻装兵の威容に気圧されて立ち竦む警備員達を一瞥しながら、しかし少年――霧倉桐耶が呆れ混じりに呼びかけたのは、傍らに佇む少女へ対してであった。
 いや、“少女”というのは誤りか。一見して女子中学生と思える小柄な体躯と童顔、しかし実年齢にして二十六歳になる女性を、少女と呼ぶのは語弊がある。とは言え本人はそう呼ばれて悪い気はしていないらしいから(女心は複雑だ)、別段問題もないのだが。
 ともあれ『お菊さん』と呼ばれた彼女――苔茎こけくき菊華きくかは桐耶の言葉に、「はい?」と、さも慮外と言わんばかりの顔で首を傾げた。

「あれ。何か間違ってるっすか?」
「ええ盛大に。こっそり忍び込んで盗み出す段取りだったでしょう。セキュリティの穴とか侵入の仕掛けとか調べてきたじゃないですか。なんで最初の最初っからご破算にしてるんですか」

 夜陰に乗じて侵入し、目標物を掠め取るのが当初の予定。
 ところが、菊華が最初の第一歩から段取りをぶち壊した。研究所の正門前に辿り着いたその瞬間、彼女は蟻装兵を展開。数と質量を頼みに正門前の鉄柵をぶち破り、侵入ならぬ突入を敢行したのである。
 侵入に際して研究所のセキュリティを調べ上げた桐耶の苦労は、この時点で完全に台無しとなった。愚痴の一つも言いたくなるというものだ。

「ああもう、今までの努力が水の泡だ……」
「こそこそするのは性に合わないっす! 正面から堂々と突っ込むのが男ってもんっすよ、キリヤさま!」
「お菊さん、女の人ですよね。百歩譲っても生物的には雌ですよね」
「む。正面から突っ込むって、聞きようによっちゃなんかヒワイっすね。わたし的にゃ正常位よりバックの方が燃えるっすけど」
「お菊さんの性癖とかほんとどうでもいいです」
「実は乱暴に責められるのも好みっす。言葉責めとか」
「変な期待しても応えませんからね」

 ともあれ、こうなってしまった以上は仕方がない。気を取り直して居直り強盗を始めよう。
 桐耶と菊華が同時に、懐から一枚の仮面を取り出した。それを顔に当てるのも同時なら、粒子化した身体が人外の異形に再構成されるのも、また同時。
 桐耶の姿が異形の蟷螂へと変貌し。
 そして菊華の姿は、異形の藪蚊へと変貌する。
“蟲”だ――と、悲鳴のように誰かが叫んだ。背後に控える蟻装兵の群れよりも、たった二人、いや二匹の昆虫人間の方が、彼等にはより深刻な脅威であった。
 忌空師団の改造人間、通称【怪魔かいま鎧蟲がいちゅう】。人のカタチに昆虫の特質を備える、埒外の外法科学によって生み出された異形の怪物。その戦力は蟻装兵を遥かに凌駕し、単体で街一つを容易に滅ぼしてのける彼等こそ、忌空師団が恐れられ、忌み嫌われる最大の要因である。
 戦闘員という役目柄、常に多数が動員される蟻装兵に比して、怪魔鎧蟲の総数はそれほど多くはない。その姿が確認される事すら稀だ。一匹でも脅威の度合いを一気に跳ね上げるそれが、今夜は二匹同時に現れた。警備員達の驚愕と絶望は、むしろ眼前の脅威からすればささやかな方とさえ言えた。

「さ、蟻ちゃんたち! やっちゃってくださーい!」

 菊華の号令がかかると同時、蟻装兵は一斉に警備員達へと襲い掛かった。
 警備員は皆、最新型の短機関銃で武装しているものの、拳銃弾程度の威力では蟻装兵の外殻に傷一つつけられない。飛び道具が通じないとなればもはや人間に打つ手はなく、たちまち彼等は蟻装兵の豪腕に叩き伏せられる。
 繰り広げられる暴虐を横目に、蟷螂と藪蚊は悠然と研究所の中に侵入した。鳴り響く警報は屋内の壁で反響し、耳を聾さんばかりの大音響と化している。聴覚機能を減衰させてもまだ騒音としか認識できぬそれに辟易しながら、桐耶は先を急いだ。

「えーと、これがこうだから……あ、次の角を右っす、キリヤさま」
「はいはい」

 ふよふよと浮遊しながら桐耶の前を往く菊華が、額から伸びる触角をくねくねと蠢かしながら先導する。「あ。すんません、次の角は左っす」とか言ってくるあたり、案内役としては微妙に危なっかしいのだが。
 それでも直に、彼等は目的地へと辿り着いた。この研究所における研究成果や研究資料が収められている一室。重厚な鉄扉を人外の膂力で蹴破り、中に踏み入れば、そこは銀行の貸金庫よろしくずらりと並んだ小さな扉が四囲を埋め尽くす一室だった。
 扉の数は優に五百を超えるだろう。それらを一つ一つ確認していく暇もない、ちらりと桐耶が傍らの菊華を見遣れば、委細承知とばかりに彼女は前に出て、部屋の中をうろうろと歩き始めた。
 やがて菊華は足を止め、一枚の扉を注視する。触角の先端が何かを感知したかのように点滅していて、桐耶がそれを見て取った瞬間、菊華は振り向いてぱたぱたと手を振った。

「キリヤさまー! ここっす、ここ! この扉っすよー!」
「そんな騒がなくても聞こえてますって……そこ、危ないですから少し離れてください」

 茫、と桐耶の手に翠緑の光が宿る。掌を包んだそれはやがて指先へと移動し、人差し指の先端へと収束して、一際輝きを強めた。
 無数の金庫にはそれぞれ小さな鍵穴と、開錠コードを打ち込む端末が備えられている。その鍵穴を、桐耶は光を収束させた指先で軽く突いた。エレベーターの階数ボタンを押すかのような、ぞんざいながらも軽い接触。だが反応は覿面だった。指先が触れた瞬間、電子回路がスパークする炸裂音が響き渡り、端末が火花を散らして煙を噴き上げる。
 ロック機構が破壊されてしまえば、いかに頑丈な金庫といえどもただの箱である。扉を開き、中に収められた品を取り出すのは造作もない。
 金庫の中から桐耶が取り出したのは、真紅に煌く小さな宝玉だった。ビー玉より僅かに大きい程度の、一見すればビー玉と同様、ただのガラス玉にしか見えない球体。一緒に収められていた書類には、まるで目もくれない。
 と。ぴょこぴょこと近付いてきた菊華が、何やら含みのありそうな視線で桐耶を見上げてくる。藪蚊を模した仮面に隠れ、表情こそ窺えないものの、仮面の下でにんまりと笑んでいるだろう事は容易に推察できた。

「……なんですか、お菊さん」
「いやいや。別になにって訳でもねーですけど、これを手に入れるのにわたし、結構お役に立ったんじゃないかなーと。割と身を粉にして働いたと思うっすよ」

 自賛めいたその言葉も、とりあえずは間違っていない。この宝玉の在処を突き止めてきたのは菊華だし、当初の算段を狂わせたとは言え金庫室にまで桐耶を案内し、無数の金庫の中から宝玉を発見したのも菊華だ。
 別段、彼女がいなければ為し得なかった事でもないが、彼女がいたからこそ目標に到達するまでの時間が短縮できたのは、紛れもない事実である。身を粉にして働いたというのは、さすがに誇張しすぎだと思うが。
 ただ、露骨なまでに見返りを求めている菊華の視線を受けては、素直に礼を述べるのもなんとなく面白くない。

「何が望みですか」
「えっへっへー。キリヤさまは話が早くて助かるっす。や、大したものはいらないっすよ。ご褒美に軽くちゅーしてくれるだけでいいっす」
「軽く?」
「軽くっす。ちょっと舌入れるだけ」
「それのどこが軽いんですか。……まったく。馬鹿言ってないで、外の蟻どもを片付けてきてください。帰りますよ」

 呆れ混じりに桐耶がそう言い放てば、まあ当然の成り行きと言うべきか、菊華は盛大に機嫌を損ねる。

「ふーんだ! キリヤさまのばーかばーか! お腹の中にハリガネムシでも産み付けられちゃえばいいっすよ!」

 蟷螂にとっては割と洒落にならない捨て台詞を吐いて、それでも桐耶の指示に従うつもりはあるのか、菊華が金庫室を飛び出していく。いつの間にか警報は止まっていて、飛び去っていく藪蚊の羽音を聞き取りながら、桐耶は一つため息をついた。 
 菊華との付き合いはそう長くない。だいたい一年と少し……一年半には満たないだろう。だがその一年、ほぼ毎日のように顔をつき合わせているのだから、あしらいも雑になってくるというものだ。今回のように菊華が機嫌を損ねるのも一度や二度ではないし、その都度、桐耶は彼女のご機嫌取りを強いられている。
 勿論、菊華の“要求”に桐耶が応えた事はこれまで一度もない。菊華も最近では、場を和ます程度の冗句にしか言ってこなかったが、今日は割と本気だったようだ。その辺りの見極めがまだいまいち心許ない――いや、本気であろうと冗談だろうと、どう求められても応えるつもりはこれっぽっちも無いのだが。
 どうやって宥めたものかと頭を捻りながら、菊華を追って金庫室を出ようとした桐耶だったが、部屋を出た途端、どしんと彼の胸板に何かが衝突した。見ればそれはたった今部屋を出て行った菊華で、判り易く慌てふためいた彼女は、両腕を振り回しながら緊急事態を訴えてくる。

「き、き、キリヤさま! 敵、敵っす! 敵、敵、てき!」
「敵……? 早いな、もう来たのか」

 仕方ないな、と桐耶は呟いて、入手した宝玉を菊華に手渡した。

「先、逃げててください。合流場所は追って連絡します」
「き、キリヤさま!? 何を言うっすか、死ぬ時は一緒っすよ!」
「いや、別に死亡フラグでも何でもありませんって。じゃ――お願いしますね」

 ぽんと菊華の肩を叩き、桐耶は来た道を引き返していく。
 研究所の外へ出ると、既に止まっていた警報に代わり、猛烈な爆音が桐耶の耳朶を打った。と同時に、吹き荒れる突風が彼の外殻を撫で回していく。頭上を見上げた桐耶は、そこに爆音と突風の正体を見た。
 タンデムローターの翼音も高らかに、中空に静止する三機の大型武装ヘリコプター。ヘリの胴体には世界地図とオリーブの葉をモチーフとした国際連合のエンブレムが刻印され、それと微妙に重なる形で、竜胆の花をモチーフとしたエンブレムが刻まれている。
 竜胆の花。それが示す花言葉は――『正義と共に』。

「やっぱりシストリィか……毎度ながら、ご苦労な事だよ」

 国連特殊戦略戦術研究機関/U.N. Special Strategy and Tactical Research Institute――その略称こそ、いま桐耶が口にした、【シストリィ】である。
 忌空師団を『悪の秘密結社』とするのなら、シストリィは『地球防衛軍』。国連直轄の特殊機関であり、対忌空師団としての人類の切り札。世界各地で隠密裏に、或いは大々的に進む忌空師団の侵略へ、敢然と立ち向かっている。
 武装ヘリからラペリングで降下してくる人間達は皆が皆、戦争にでも赴くかの如き大仰な銃器で武装している。その動きも苛烈な訓練によって培われた高い練度を窺わせる、素早く精悍なものだった。
 無秩序に暴れ回っていた蟻装兵達がその標的をシストリィの兵へと変える。敵兵へと殺到するその様は、まさしく獲物に群がる蟻の如くであった。
 応じて、シストリィの兵士達は躊躇する事なく、構えた銃の引鉄に力を込める。最新式のアサルトライフルが吼え、銃口から吐き出された弾丸が蟻装兵の外殻を叩いて激しい金属音を奏でる。
 鋼鉄にも匹敵する強度を誇る蟻装兵の外殻、そう簡単に貫かれはしない。だがシストリィの使う銃弾も通常の……人間用のものとは違うのか、徐々にではあるものの、外殻表面に微細な亀裂を穿ち始めていた。
 紫色の体液を噴出させ、見るも無惨な姿と化す蟻の兵隊――傍から見れば、それは紛う事なく人類優勢の構図だっただろう。人間が一方的に怪物を嬲る様に見えた事だろう。見る者の溜飲を下げる事疑いないその光景は、しかし無論、真実からは程遠い。現に蟻装兵と相対するシストリィの兵士達は皆一様に、その顔に焦燥を浮かべていたのだ。
 一体の蟻装兵が弾幕を潜りぬけ、一人の兵士に組みついた。痛みを感じない昆虫だ、四肢を切り落とさない限り、行動には何らの支障もない。そして蟻装兵の膂力は人間のそれを遥かに凌駕する、力任せに引き千切られてばらばらとなる兵士の姿を、その場に居る誰もが幻視する。
 しかし。

「でぇええええぁあっ!」

 銃声よりも、ヘリのローター音よりも、なお高らかに響き渡る咆哮。
 兵士に組み付いていた蟻装兵に、横合いからの一撃が炸裂する。銃弾などではない、疾走の勢いをそのまま威力に転化する見事な飛び蹴り。総重量二百キロに迫る蟻装兵の巨体が、まるで紙屑のように吹き飛ばされる。

「……へえ」

 思わず声を漏らしたのは、純粋に感心からだ。
 蟻装兵を蹴り飛ばしたのもまた、シストリィの兵なのだろう。だがその姿は、他の者と比してかなり独特な意匠で纏められていた。
 頭部全体を覆うヘルメット。肩と胸、前腕、脛に装甲が備えられた戦闘服。いかにも特殊部隊といった装いの他兵とは一線を画する、ある意味で一種のヒーロー性を帯びた風貌に、忌空師団の大幹部たる霧倉桐耶が僅かばかりの警戒を促される。
 蟻装兵では相手になるまい。桐耶の予想を違えず、彼は次々と蟻装兵を殴り倒し、蹴り飛ばし、粉砕し破壊していく。気付けば同様の装備を纏った者達が更に三名、そこに加勢していた。
 最後に残った一体の蟻装兵へと、特殊強化装甲服を纏った一人が迫る。強固な外殻の至るところに亀裂を生じさせ、見るも無惨な姿の蟻装兵へ容赦無い拳撃が打ち込まれる寸前、そこに翠色の旋風が割り込んだ。
 言うまでもなく霧倉桐耶。異形の蟷螂が、蟻へと向けて突き出された腕を横から掴み、そのまま人外の膂力に任せて放り投げる。
 装甲服は着用者の身体能力をも向上させているのか、放り投げられた男は中空で一回転、優雅とも評しうる挙動で地に降り立った。同時に、他の三人がそこに駆けつけ、桐耶に向かって構えを取る。

「出やがったな、怪魔鎧蟲……!」

 桐耶に放り投げられた男が、戦意も露わに言い放つ。蟻装兵に臆する事なく立ち向かう彼等は、怪魔鎧蟲に対してもまた、一歩も退きはしない。
 ヘルメットに覆われた男の表情は、ここからでは窺えない。ただ声は随分と若々しく思えた。先に蟻装兵を蹴り飛ばした時の咆哮で気付いてはいたのだが、改めて耳にして確信する。十代後半から、いいところ二十代前半。もしかしたら自分と同い年かもしれない。少年と言って良い年齢だろう。他の三人も同年齢かは不明だが。

「【斬翠蟷螂】……忌空師団の大幹部か!」
「その通りだよ、人間。さあどうする? 僕の首なら大手柄だ――逃げるというのならそれも構わないが。『正義の味方』も命は惜しいかな?」

 とんとん、と首を小突く仕種も、嘯くその台詞も、挑発以外の意味を何一つ保有していなかった――そして挑発を見逃す理由など、彼等シストリィは何一つ持ち合わせていない。

「上ッ等だ、カマキリ野郎――望み通り、昆虫標本にしてやらぁっ!」

 少年の激発を合図としたかのように、シストリィの兵隊達が一斉に桐耶へと向けて銃弾を浴びせかける。
 蟻装兵の外殻を焼き菓子が如くに砕く弾丸、それを雨あられと射掛けられて、しかし桐耶はびくともしない。装甲強度、対衝撃機能、その全てにおいて蟻装兵と怪魔鎧蟲には雲泥の差があるのだ。ましてそれが、忌空師団大幹部たる斬翠蟷螂・霧倉桐耶のものとなれば、並の武装では傷をつける事すら敵わない。
 それを解っていてなお、人間達は攻撃の手を緩めない。突撃銃の斉射に連動して射出される榴弾が、桐耶の体表で、その周囲で爆炎を咲かせる。

「くふふ。ふ、ふふふふふ――はははっ!」

 視界を塞ぐ黒煙の奥で、総身を叩く銃弾の中で、蟷螂を思わせる白磁の仮面の下で、愉悦と喜悦に濡れた哄笑が謳い上げられる。
 実に、悪くない。こうでなければならない。人間は弱く脆い。それを理解した上で、それでも屈する事なく立ち向かう姿こそが美しい。蛮勇こそが最大の美徳――改造人間たる霧倉桐耶は、人外の観点から人間をそう評価する。
 桐耶は人間を好いている。もっとも、これは忌空師団に属する者の大半に共通する嗜好であるし、その好意の示し方はおよそ理解を得られぬほどに歪みきっているのだが。
 少なくとも。人の生死と人間への好悪が繋がらないあたり、その精神構造は確実に、常人とは一線を画していると言えよう。
 不意に、桐耶が頭上を仰いだ。榴弾の爆裂が生み出す黒煙の隙間に、跳躍する人影を見て取ったのだ。その両手に二挺の拳銃を構え、二つの銃口を揃って桐耶へと突きつけているのは、先に桐耶の言葉へ反応した少年であった。

「くたばれ、化物ォっ!」

 少年の引鉄に躊躇は無い。一般兵のアサルトライフルとは桁違いの衝撃が桐耶の身体を叩き、ほんの僅かではあるものの、蟷螂を後ろに押し出す事に成功する。

「ふ。ふふふ……はははっ! いいね、人間! それでこそ(・・・・・)だ! もっと抗え、もっと戦え! 全身全霊で殺しに来い! お前たちの敵はここ(・・)だ、ここ(・・)にいるぞ!」

 銃声の間隙に、響く哄笑。
 両の前腕から伸びる長大な鎌刃に、翠緑の光が宿る。次瞬、蟷螂の両腕が振り薙がれ、飛沫のように飛散した光がシストリィの兵へと襲いかかった。ただの光粒としか見えぬそれは、しかし標的の体表に届いた瞬間、火花を散らして炸裂する。
 ただ一撃。それだけで事足りた。凄まじいばかりの衝撃に弾き飛ばされ、吹き飛ばされるシストリィの兵隊達。ただの『人間』と、忌空師団『大幹部』との間にある格差、それを如実に物語る一撃だった。

「――まあ、僕も黙って殺されてやる気は無い訳だけど」
「ぐ……ぅあっ……!」

 銃声が止めば、すぐさま一帯には山間の夜に相応しい静寂が戻ってくる。だがその中に混じる呻き声が、さながら怨霊のそれを思わせる無念さを孕んで、本来あるべき静寂を妨げていた。
 桐耶の放った光撃は出来得る限りの手加減が施されたものであり、呻き声が聞こえてくる事からも判る通り、重傷者は多数であるものの死者は出ていない。倒れ伏す彼等を一瞥し、桐耶は悠々とその場を後に――

「おや」

 ――後にするつもり、だったのだが。
 少年が立ち上がっている。立ち上がって、桐耶の前に立ち塞がっている。
 彼もまた直撃を受けている。戦闘服の胸部装甲は抉れ焼け焦げているし、中空で被弾し、その後に地面に叩き付けられているのだから、他の者よりもダメージの度合いはより深刻である筈なのに。
 損壊したヘルメットを脱ぎ捨てる少年。顕わになったその素顔は、やはり高校生と思しき若々しいもの。
 立っているのが精一杯と見て取れる挙措に反し、炯々とした眼光は、未だ折れぬ彼の戦意を如実に表していた。

「逃がすかよ……悪党」

 後腰のホルスターから大振りなナイフを引き抜いて、少年が身構える。

「頑張るね、正義の味方」
「応よ。俺達ゃ正義の味方だからな。悪党を見逃しちゃ、商売上がったりなんだよ」
「そうだね。けどまあ、僕もそうだ。立ち向かってくる人間から逃げたとあっては、面子が立たない」
「は。解り易くて最高だ――かかってこいよ、カマキリ男!」
「――遠慮無く」

 蟷螂が襲い掛かる。唸る鎌刃は断頭台の如く敵の首へ。
 少年がそれに応じる。奔る鋼刃は一直線に敵の心臓へ。
 打ち鳴らされる金属音が、今度こそ深夜の静寂を引き裂いて――。











 今から二十年前。西暦にして、一九九五年。
 人類は、歴史上初めて――少なくとも、記録されている限りにおいて――人ならざる存在からの侵略を受けた。……ただし、それが侵略行為であると当初の時点で理解できた者は、およそ皆無であったのだが。
 極東のある国では、国政に携わる者のほぼ全てが、突如コサックダンスを始めて止められなくなった。
 南半球のある都市では、この時期は真冬であるにも関わらず突如として気温が上昇、時ならぬ真夏日を記録した。
 北米のある街では、行き交う人々が唐突に、VTRの『一時停止』が如くに動きを止め、そのまま静止してしまった。
 これだけなら、その不可解に首を傾げる事こそあれ、単に奇妙な事件というだけで済まされただろう。しかし恐るべきは、これより後にあった。
 起こった事件は、その全てが全て、およそ限度を知らなかったのだ。
 コサックダンスを踊り始めた者達は筋肉がずたずたに壊れるまで脚を止める事を許されず、気温が上昇した都市は最終的にはおよそ生物が存在出来ない温度にまで達して干乾び、静止した人々はそこから動く事もままならずに衰弱死を強いられた。
 同種の奇怪極まりない事件は世界各地で次々と発生、その件数が四桁を数える頃になって、人類は漸くこれを正真正銘の異常事態と認識し――そしてそう認識した瞬間、『彼等』は遂にその姿を現した。
 見るもおぞましき異形の昆虫人間達が、全世界で破壊活動を開始。同時に人類へ向けて宣言したのである。
 万物の霊長、その座を明け渡せ。
 この星はこれより我等の支配下。全てはこれより我等が隷下。
 認識し、理解し、屈従せよ。
 全ては我等――【忌空師団】の意の下に。
 無論、人類は屈しなかった。だがそれは矜持とは程遠く、ただ単純に、その脅威を認識できなかったが故の蛮勇。しかしそれを誰に責められようか。数百年、数千年に亘って生態系の頂点に居座っていた者達が、どうして次位に降る事を受け入れられよう。
 世界各地で猛威を振るった忌空師団であったが、しかし不可解な事に、彼等はその年の十二月、一九九五年十二月三十一日を最後に、姿を消した。嵐が去ったと人類が認識するまでにはもう半年弱の時間を必要としたのだが、とにかく僅か数ヶ月で、彼等は霧か幻のように消え失せた。……理由は、今も判っていない。
 そして――暫くの時間が流れ。
 世紀が一つ繰り上がり、二十一世紀となって、十五年。
 二〇一五年の世界で、再び侵略者は動き始める。











 香港という街は前世紀から驚くほどに変化がない。一九九七年に中国へと返還されたのだが、当時の中国は忌空師団の侵略によって瓦解一歩手前の状況であったせいか、政府からの干渉を殆ど受けなかった。それを政府との力関係が逆転していたが故と見るか、政府から見捨てられたが故と見るのかで話はやや違ってくるのだが、ともあれ結果として明らかに建前と思われていた一国二制度が原則通りに履行され、二〇一五年の香港はかなりの好景気に沸いている。
 まあ、侵略者の一味である霧倉桐耶にしてみれば、景気の良し悪しはどうでも良い事の範疇でしかないのだが。
 九龍地区、油麻地男人街。看板が歩道車道問わず路上の至るところに張り出した、およそ整然という形容からは程遠い、猥雑な、それ故に生気に溢れる空間。
 既に日は暮れ、毒々しいネオンの煌きに照らし出された街は、昼日中とはまた一味違った怪しい雰囲気に包まれている。また至るところに軒を連ねる屋台や露店から漂ってくる様々な匂い――料理や鮮魚、食肉の――は、視覚のみならず嗅覚の方面においても混沌とした景観を作り出していた。
 そんな繁華街の一角、料理店と言うよりは大衆食堂と呼んだ方が近い、一軒の小汚い店。夕食時のせいか大入り満員、向かい合う相手の声も聞こえないような喧騒に満ちた店内の一席に、霧倉桐耶の姿はあった。
 黒龍江省山間の研究所における戦闘から二日。別行動を取った菊華と、この店で落ち合う段取りをつけている。時計を見れば、約束の時間まであと十分ほど。桐耶も菊華も一応は社会人――『悪の秘密結社』の構成員をそう呼んで良いものかどうかはさておき――時間には割と正確である。

「あ、いたいた。キリヤさまー!」

 果たして約束の時間が訪れるよりも早く、待ち合わせの相手は桐耶の前へと姿を現した。
 呼びかける声に応えて振り向いた桐耶だったが、しかし次の瞬間、その表情がひきつって固まる。彼の視線の先には確かに菊華が居り、ぱたぱたと手を振りながら駆け寄ってきているのだが、問題は彼女の服装だった。
 どこぞの露店で買ってきたのか、ぴっちりと身体にフィットするチャイナドレス。真紅の布地に金の刺繍、センスは良いしそこそこ似合ってもいる。ただ上流階級御用達の高級料理店で見かけるのならばともかく、一般庶民が集まる居酒屋レベルの店で見るには、どうにも場違いな感が否めない。

「……あの、お菊さん? なんですかその格好」 
「はい? この格好っすか? やだなーもう、キリヤさまったらわかってるくせにー。キリヤさまを悩殺するために着てきたっすよ!」
「そういう計算、口に出したら台無しですよ」

 あとチャイナドレスにあまり興味ないんで、と冷淡に桐耶が言い放てば、菊華は大仰にショックを受けた顔を作ってみせた。

「そんな! ほ、ほらほら、こことか注目してほしいっす! スリット深いっすよ! 脚線美っすよ!?」
「脚に興奮するほどフェチじゃありませんから」
「ぐぬぬ。やっぱりシースルー素材のチャイナドレスにしておくべきだったっすか。スケスケで透明で丸見えなやつを着てくるべきだったっすか……!」
「それ着て人前に出た時点で、僕のお菊さんへの評価は『痴女』で確定ですけどね」

 菊華の服装だの趣味だのに文句つける気もないが、さすがに痴女な部下は御免である。

「むう。この前のナース服も駄目だったですし、キリヤさまのツボがいまいちわかんないっす」
「和服美人とか好きですけど」
「和服だったら、この前着てあげたじゃないっすか」
「くの一コスプレは和服じゃありません」

 そのくの一コスプレも全体的に布地が少ないと言うか、妙に露出が多く、風俗店で見掛ける類の服装としか思えなかったのだが。それを見た桐耶が盛大に呆れたのは言うまでもなく、無論、そんな格好に興奮する事もなかった。
 さておき、こんな話をするために落ち合った訳ではない――馬鹿話を切り上げ、菊華が懐から一個の宝玉を取り出して、桐耶へと差し出した。二日前に研究所から強奪した宝玉。受け取って自身の懐に仕舞い込む、随分回り道をしてしまったが、これでようやく収まるべきところに収まった。

「あの、キリヤさま?」

 ふと菊華が手を挙げて訊いてくる。視線で先を促せば、菊華は宝玉を仕舞いこんだ桐耶の懐に視線を遣りながら、小首を傾げて質問を口にした。

「前から訊こうと思ってたっすけど、その宝玉、いったい何すか? えらく大事なもんなのは判るっすけど、しょーじき、大幹部のキリヤさまがわざわざ奪いに行くほどのお宝にゃ見えねーですよ」
「ああ――そうですね。そう言えば、お菊さんには説明してなかったかもしれません」

 菊華に命じたのは『宝玉の所在を捜せ』という指示だけで、宝玉の正体や捜索の理由については何も伝えていなかった。詳細を聞かずとも指示に従い、実際に所在を見つけ出してきたあたり菊華は有能な部下だったが、やはり気にはなっていたのだろう。

「『次元境界干渉器ディメンション・コネクタ』……とでも言うんでしょうか。どこだかの古代文明が偶発的に作り出してしまった道具でしてね。ざっくり言うとこの宝玉、こちらの次元と異次元との境界に干渉して、二つを繋ぐ“門”を作り出してしまうんです。此方と彼方とでは物理法則から違ってますし、不用意にそれを繋げてしまうと大変な事になる。お宝と言うよりは、不発弾みたいなものですね」
「はー。異次元とか古代文明とか、なんかSFアニメみたいな話っすねえ」
「改造人間が堂々とその辺歩いてるご時世ですし。フィクションという言葉や概念、今じゃ有って無いようなものでしょう」

 そりゃ確かに、と菊華が笑った。ほんの二十年ほど前までは、改造人間などというものは漫画かアニメの中でしか有り得ない存在だったのだ。異次元世界や古代文明とて、どこかに実在していてもおかしくはない。……事実、こうして菊華の目の前に、その遺産があるのだから。

「で、そいつを回収して、何か新しい侵略作戦に使おうってわけっすか。さっすがキリヤさま、考える事があくどい!」
「あくどいってのはまあ褒め言葉だと思っておきますけど――僕等は『悪の秘密結社』ですからね――残念ながら、これは使いませんよ。持ち帰って封印です」
「へ?」

 意外そうな顔を見せる菊華。この危険物をひけらかして金銭を脅し取るとか、理不尽な要求を飲ませようとするものだと思っていたのだろう。悪行としては非常に解り易い。桐耶がシンプルで解り易いものを好む傾向にあるのは菊華も知っているから、その予想はさして飛躍したものでもない。

「首領から直々の命令でしてね。『次元境界干渉器ディメンション・コネクタ』、残らず回収してこいと」
「パシリっすか」
「ま、否定はしません――そもそも僕は、その為に大幹部の地位を貰ってるようなものですからね。首領の命令に否やと言える立場じゃありません」

 忌空師団には桐耶を含め四人の大幹部が存在しているが、中でも桐耶はある種の例外に位置付けられる。若干十七歳の少年が大幹部を務めている事もそうだが、直属の部下を持たず、組織の進める侵略作戦からはやや距離を置いている点もまた、他の大幹部とは一線を画している。
 組織の最大目標は言うまでもなく世界征服――だがそれとは別に、首領個人の思惑や狙いもまた存在する。その解決こそが桐耶の仕事であり、端的に言えば、組織内における霧倉桐耶は首領の私兵。大幹部ではあるが指揮官としての役割は基本的に想定されていない、スタンドアローンの戦力なのだ。
 菊華も本来は他の大幹部の部下であり、補佐として借り受けているにすぎない。桐耶としてはもう少し命令に従順な者の方が有難いのだが、人を貸して貰っている身分で贅沢も言えず、菊華も菊華でそれなり有能なものだから、そのまま彼女と組んでいるのが現状である。

「あ、そうそう。首領といえば、キリヤさまに伝言を預かってるっす」
「伝言? 首領から?」
「です。昨日、わたしのケータイにメールしてきたっすよ。えーと」

 言って、菊華は懐から携帯電話を取り出した。メールフォルダから受信メールを呼び出し、桐耶に見せる。
 ……成程、間違いなく首領だ。『首領より愛をこめて』なんてふざけた件名のメール、首領以外に送ってくるやつはいない。 
 絵文字や顔文字がやたらと多用された、女子中学生のような文面。今年で六十六歳になる老人(しかも男性)が打ったメールと考えると頭痛がしそうなそれを何とか読み解いてみれば、桐耶に自分のところへ顔を出すよう伝えてくれと、ただそれだけの内容であった。

「何だろう、一体……?」

 呼び出しそのものは別段不思議でもないが、既に別命を受けて動いている桐耶を呼びつけるとなれば、それなりの理由あっての事だろう。しかし本当に急を要するのであれば桐耶の携帯電話に直接連絡してくるだろうし、菊華に届いたメールを見る限り、火急の用件とも思えない。
 とりあえず、現時点での予定を変更する必要はないだろうと、桐耶は判断した。桐耶は明日からタイの方へ向かい、現地の構成員が進める作戦に手を貸す約束になっている。首領の私兵という側面の強い桐耶であるが、また一方で、スタンドアローンであるが故に員数外の要員として他の応援に回る事もしばしばだ。

「首領のところに顔出せるのは、早くても明後日……いや、明々後日ですかね。お菊さんはどうされます? 僕と一緒に来ますか?」
「むー……せっかくのお誘いっすけど、わたしはちょっと菱鐘ひしがねさまに呼ばれてるもんで、今日の最終便で日本に戻るっすよ。……ううう、ほんともったいないっす……キリヤさまからお誘いいただけるなんて、年に一回あるかないかってくらいのレアイベントなのにぃ」

 菊華はあくまで桐耶のところへ出向している身であり、本来の上司である大幹部の命令こそが優先される。少なくとも特別な事情がない以上、今回の出頭命令を拒否する事は、菊華にはできないのだった。

「そうですか――じゃあ、次は日本で合流という事で。詳しい日時はまた連絡します」
「りょーかいっす。そんじゃ、わたしはもう行くっすよ」
「ええ。お疲れ様でした」

 名残惜しそうに何度も振り返りながら、菊華は店を出て行った。残された桐耶もまた、だいぶ冷めてしまった茶を一息に飲み干し、会計を済ませると店を出て、宿に戻るべく香港の街を歩き始めた。
 折しも時間は午後七時、街が夜の賑わいを見せ始める時間帯。露店と屋台が立ち並ぶ大通りを人混みに紛れてそぞろ歩きながら、猥雑な活気に満ちた街並みを眺めて、ふと頬が緩む。
 いずれ忌空師団は世界を手中に収めるだろうが、その時にもきっと、こうした活況は世界中のそこかしこに残るのだろう。どんな状況であっても人間は強かに生きていく。そうした適応力の高さを、霧倉桐耶は高く評価している。
 元より、忌空師団が作り上げんとする世界とは、現行の世界と大差ないものなのだ。人が人として生きられぬディストピアは、彼等の目指すものではない。――ただ万物の霊長が入れ替わるだけ、人類が地球生命のヒエラルキーの頂点から降りるだけ。
 と。つらつらと思考に耽りながら歩いていたのがまずかったのか、不意に横合いから飛び出してきた人影を、桐耶は躱せなかった。向こうも桐耶が避けると思っていたのだろう、気付いた時には既に遅く、ぶつかり合った彼等は互いに弾かれ、その場に尻餅をついた。

「あ痛っ……ちょっと、何ですか――」

 自分の不注意にも原因はあるだろうが、全力疾走でぶつかってきた相手にこそ非があると、桐耶は批難の眼差しを向けながらぶつかってきた相手を糾す。
 見れば相手は三十過ぎの男で、むさ苦しい容貌に反して明らかに女物と知れるハンドバッグを抱えている。恐らくはスリかひったくりの類だろう。香港も決して治安の良い都市ではないし、こうした繁華街では尚更。だが挙動不審に周囲を見回し、桐耶の言葉も聞こえていない男の様子は、彼が逃走中だとしても、妙に切羽詰った感があった。
 桐耶が不審に眉を顰めたその時、周囲を歩く人々がやおら悲鳴を上げて、桐耶から逃げ出した。蟷螂の本性を顕した時ならいざ知らず、今はごく普通の少年でしかない自分から、何故逃げ出していくのか。
 首を傾げようとした桐耶だったが、それを実際の行動に移すよりも早く、彼は疑問の答えを手に入れた。ふと頭上を見上げた桐耶が目にしたのは、自分を――正確には、自分が尻餅をついている地点を――目掛けて降ってくる、器物の群れだった。
 椅子。
 テーブル。
 皿や箸。
 鮮魚、野菜、食肉。
 衣服に小物に鞄に玩具。
 恐らくは近くの屋台や露店に置かれ売られている品々が、まるで竜巻に巻き上げられたかのように、上空からばらばらと降ってくるのだ。皆が逃げるのも当然であり、桐耶とひったくりの男が気付いた時には、最早彼等に逃げる余裕など残されてはいなかった。

「わ、わ、わぁあああっ!? ――っっ熱ぅぅぅううぁあああっ!!」

 這いつくばって必死の回避を試みるものの、実際それで大半の落下物から逃れる事には成功するものの、最後の最後で、一杯の丼が桐耶の頭を直撃した――最悪な事に丼の中身は熱々の汁麺であり、熱湯を頭からぶっかけられた桐耶は当然の如く当然に、熱さにのた打ち回る羽目となった。

「熱、み、水――!」

 不幸中の幸いと言うべきか、すぐ近くには野外食堂があった。そこで売られていたビール瓶を掴み取って栓を開け、中身を自分の頭にぶち撒ける。さして冷えてもいないビールだったが、今の桐耶にとっては冷水もさながらに心地良い。
 売り物を勝手に、と詰め寄ってくる店員に紙幣を押し付けて、桐耶は周囲を見回した。諸々の落下物は明らかに、誰かが放り投げてきたものだ。恐らく狙いはあのひったくりの男だろう、桐耶はただ単に巻き添えを食らっただけ。
 果たして犯人はすぐに見つかった。遠巻きに様子を見守る周囲の人間とは裏腹に、ずん、と力強い足取りで近付いてくる者が居たからだ。
 それは少女だった。年齢としては桐耶と同じくらいだろう、にっこり笑えばかなり可愛らしい顔立ちと思える。それを断定できないのは、般若もかくやという憤怒の形相に顔を歪めているからだ。

「見つけたよこの盗っ人! おとなしくママのハンドバッグ返しなさ――あー! 逃げんなぁっ!」

 びしりと男を指差して、少女が声を張り上げる。猛獣の咆哮を思わせる大声であったが、逆にそれが男に“捕まれば食われる”に似た感想を抱かせたのか、彼は恐怖に歪んだ顔で立ち上がると、再び逃走を開始する。
 逃がすまじと少女も走り出すが、その進路上に、桐耶は割り込んだ。

「あの、ちょっと! 君――」

 男を庇うつもりも少女の邪魔をするつもりもないが、さすがの桐耶も頭から熱湯をぶっかけられて黙っているほど温和ではない。かと言って蟷螂の本性を顕し少女に斬りかかるほど、プライドに欠けた真似もしたくはない。それでもせめて文句の一つも言ってやろうと詰め寄ったのだが、それに対する少女の反応は、桐耶の斜め上を行くものだった。

「え?」

 桐耶の胸倉を掴み、ぐいとその身体を持ち上げる。人間態の桐耶は別段体格の良い方でもないが、それでも少女よりは大きい。にも関わらず少女は軽々と桐耶の身体を持ち上げて、

「逃げんなって、言ってんでしょーがっ!!」

 思いっきり、ぶん投げた。

「で――ぇええええっ!?」

 よもや野球のボールよろしく投げ飛ばされるとは思ってなかった桐耶が、もう悲鳴だか混乱だか判らない叫びを上げてぶっ飛ばされ――逃走態勢に入っていたひったくり犯を見事直撃して、もつれ合いながら地面を転がった挙句、近くの露店に突っ込んだ。

「ぃ良っし! 大当たりっ!」

 いやいやいやいや。
 あなたそれ、人としてどうかと思う――
 およそ『悪の秘密結社』の構成員が言ってはいけない類の突っ込みは、あいにく、少女の耳には届かなかった。











「ごめんなさいでした」

 ごめんなさいの言える子は親の躾が良いとか言うけれど、ごめんなさいだけ言えたところでどうにもならない事もあるよなあと、そう思ったりもする今日この頃。
 ともあれ。
 痛む身体に鞭打って繁華街からの脱出に成功した桐耶と、桐耶に無理矢理連れ出された少女が近くの公園で向かい合っているのが、およそ一時間後の事。
 あのまま繁華街に留まっていれば程なく警察が来ただろう。桐耶は偽造パスポートで入国した身分であるし、少女はどう考えても暴行・傷害・営業妨害の現行犯。『悪の秘密結社』の構成員としては警察沙汰を歓迎できず、少女を放置していくのも何となく気分が良くないからと、彼女を連れてその場を逃げ出したのである。
 勿論、少女がひったくり犯を追う原因となったハンドバッグは、逃げ出す際にちゃんと取り返している。ここまで来れば大丈夫と言えるだけ離れ、少女にハンドバッグを返し、バッグの中身を確認させて――そうして漸く、少女は自分のやらかした事を思い出して、先の謝罪に繋がった訳である。

「いやもう、頭に血ぃ昇っちゃって。にゃはは、あたしかーっとなると、自分でもなにやってんのか良くわかんなくなっちゃうんだよね」
「ひったくり犯に椅子やテーブル投げつけたり、近くに居た人を投げ飛ばしたり?」
「……わ、悪かったってば」

 冷たい視線と共に皮肉を述べれば、少女は小さくなって桐耶から目を逸らした。
 まあ、嫌味をたらたら垂れるのも趣味ではない。いつまでも相手を恨み続けるメンタリティとは無縁の桐耶である。民間人相手に報復というのもプライドが許さない。
 だからそれ以上は糾弾も批難もせず、代わりに桐耶はふと気になった点を、目の前の少女に問い質す。

「あの、貴方――えっと」
「あ、名前? ひよりだよ。玖奈波くななみひより。『ひよりん』とか呼んでくれると嬉しいな」

 そこまで親しい仲になりたくない。

「じゃあ、玖奈波さん」
「ひよりん」
「……ひよりさん」

 せめてもの妥協案として名前で呼んでみれば、少女――玖奈波ひよりは渋い顔ながらも頷いて、「なに?」と聞き返してくる。

「ひよりさん、日本の方ですよね? 日本語で喋って……名前も」

 香港の現地語は広東語。観光地という場所柄、日本語が通じる店などもあるが、やはり一般的に通じるものではない。
 ……そう考えれば、ひったくり犯のあの怯えっぷりも、ある意味で頷ける。訳の解らない言葉を喚きながら憤怒の形相で追いかけてくる少女とか、それはもうホラー映画の領域だろう。それが容赦なく攻撃を仕掛けてくるのなら尚更。

「そーだよ? 日本に住んでる混じりっけなしの日本人。花も恥らう女子高生」
「自分で言うんですかそれ」
「パパがこっちに単身赴任でさ、夏休みだから、ママと一緒に遊びに来たんだよね。パパのお仕事が終わるまで香港の街とか見て回ろうと思ったんだけど、ママがハンドバッグ盗られちゃってさ。お財布とかパスポートとかぜんぶ入ってるし、慌てて追いかけたの」

 追いかけたと言うよりは追い回していたと言う方が近く思えるが、ともあれそういった経緯で、ひよりはひったくりの男を追って香港の街を駆けずり回っていたらしい。延々追い回されたひったくり犯にはある意味同情を禁じ得ない。
 しかし――ハンドバッグを取り返すのが目的とは言え、周囲の被害を省みない無差別攻撃はむしろ忌空師団のような悪党の領分。そこに平気で踏み込んでくるこの少女に、ほんの少しだけ、桐耶は興味を覚える。
 人間一人を軽々投げ飛ばす膂力も合わせて、上手くいけば怪魔鎧蟲の素体として、忌空師団の戦力として、使えるかもしれない。

「首領に相談すべきですかね……」
「え? なんか言った?」
「いえ。……それより、ひよりさん。お母さんはどちらに? 置き去りにしてきたんですか?」
「お、置き去りとか、人聞き悪いなあ。近くのお店で待っててって言ってあるもん。バッグ取り返したら連絡するって言ってあるし」

 そう言ってひよりは懐から携帯電話を取り出し、登録してある電話番号を呼び出して電話をかけた。通話先は母親の携帯電話だろう。
 が。程なく、ハンドバッグの中から暢気な着メロが聞こえてくる。電話を耳に当てたまま、ひよりはハンドバッグの中をまさぐって――古い洋楽と思しき着メロを鳴らし、LEDを光らせて着信を報せる携帯電話を取り出した。
 言うまでもなく、ひよりの母の携帯電話だった。

「…………」
「…………」

 痛い沈黙。ぎぎぎ、と油の切れた機械染みた動きで、ひよりが桐耶に視線を戻す。ぱくぱくと金魚の如く口を開閉してから、ようやく彼女は言葉を搾り出した。

「ど、どーしよう!? ママとはぐれちゃった! てかここドコ!? あたしは誰!?」
「ここが何処かはさておき、貴方は玖奈波ひよりさんです」

 そんなどうでもいい突っ込みは、勿論ひよりの耳には入らない。「あー!」と頭を抱えて悲鳴を上げる少女の姿は、同情よりもむしろ可笑しさが先に立つ。
 およそ年頃の娘に相応しくない大声を張り上げた後で、やおらひよりは反転し、桐耶をびしりと指差した。

「き、君! 名前、名前なんだっけ!?」
「霧倉桐耶ですが」
「キリヤ!? じゃ“キリくん”でいいね、お願いキリくん! ママ捜すの手伝って!」

 ずいと詰め寄ってくるひよりに一歩二歩と桐耶が退くが、退いた分だけひよりが詰め寄ってくるものだから、結局少年と少女の距離は何も変わらない。
 恐らくうんと答えるまで引く気はないのだろう。高圧的な頼み方ではなく縋るように頼ってくるものだから余計に始末が悪い、放っておけば土下座までしかねない勢いだ。

「わかりました――わかりましたから、ちょっと離れて!」

 ひよりの頼みを聞き入れて、何とか少女を引き剥がす。すると少女は表情をころりと一転、これで安心と言わんばかりに破顔した。

「え、いいの? やー、キリくん、いいひとだね!」
「…………」

 あれだけ強硬に詰め寄っておいて「いいの?」もないだろうとか、善人扱いされてる僕は『悪の秘密結社』の構成員なんですとか、色々言いたい事もあったのだが、それをぐっと堪えて飲み干した。
 代わりに漏れた盛大なため息だけが、桐耶の内心をこれ以上ないほどに表していた。

「ほら、キリくん! 早く早く! ママ待ってるから!」
「……はいはい。今行きますよ」

 あれ、なんで僕が急かされてるんだろう? という疑問もまた、発される事なく桐耶の胸の奥に押し込められた。
 



 ……この時、霧倉桐耶ははっきりと決断した。
 やめよう。この娘、絶対に忌空師団に入れてはいけない。碌な事にならない。
 計算ではなく直感、本能の領域で、桐耶は数分前の目算を根本から投げ捨てた。危機を察知する昆虫の本能が、玖奈波ひよりを形容できない脅威と捉えたのだ。この少女はいつか必ず、忌空師団じぶんたちに害を為すと。
 その認識が間違っていなかった――いやむしろこれでも甘い認識だったと桐耶が知るのは、もうしばらく後の話である。





◆      ◆





 続劇





◆      ◆







[30023] 2:『人類の切札』
Name: 濁水◆44d72913 ID:35af097c
Date: 2011/10/08 09:41


 耳を劈く爆音に顔を上げれば、一機の旅客機が蒼穹を駆け上っていく瞬間が視界に入る。
 空を覆う薄く淡い雲は朝陽の光を受けて金色に輝き、鴎だろうか鴉だろうか、飛び去っていく鳥達の影が黒点のように空を穢していた。
 鼻孔から吸い込む空気にはどこか味がついている。いつか誰かが、これを醤油だか漬物だかの匂いがする空気と言っていた。成程上手い事を言ったものだ。空港を出た時に感じる空気というのはその国特有のもの、韓国ならニンニクの匂いがすると言うし、つい先日まで居た香港は香辛料の匂いがしていた気がする。
 この醤油の匂いに落ち着くものを感じるあたり、自分の根はやはりこの国にあるのだと認識する。……と言っても、この国を故郷と呼ぶ事はできそうにないし、多分、この国の自然も、彼の故郷たる事を拒むだろうが。
 ふう、と一つ息をついて、霧倉桐耶は歩みを再開した。

「キリヤさまー!」

 日本のとある地方空港。滑走路エリアに隣接する駐車場を歩いていた桐耶を、その進路上で待ち受ける者が居る。女子中学生のような小柄な体躯と童顔の彼女はぶんぶんと振り切れんばかりに手を振って、自身の存在をアピールしていた。
 桐耶もまた軽く手を挙げて、待ち受けていた彼女……苔茎菊華に応える。数日ぶりの再会が別段嬉しい訳でもないが、それでもやはり、見慣れた顔はある種の安心感を覚える。

「お疲れ様っす!」
「いえ。わざわざすみません、お菊さん」
「え? えへへ、やだなーもう、水臭いっすよ。わたしとキリヤさまの仲じゃないっすか」
「どんな仲ですか」

 仕事上の上司と部下だろう。
 菊華の背後には一台の車が停まっていた。菊華の小柄な体格には不釣り合いな、4WDの大型ジープ。荷物を後部座席に放り込み、運転席に菊華が、助手席に桐耶がそれぞれ乗り込めば、乱暴に、いっそ暴力的にとでも言うべき勢いで、ジープが発進する。

「で、キリヤさま。首尾はどうだったっすか?」
「ん……ああ。上々でしたよ。それなりに成功です」

 菊華と別れた後、桐耶はタイへと渡り、現地の構成員が進める侵略作戦を手伝っていた。作戦は大過なく完遂し、現地における忌空師団の勢力がまた一段と強まったのだが、しかし菊華の問いに答える言葉ほどに、桐耶に達成感はなかった。
 タイに渡る前。菊華と別れ、香港を発つまでの時間に知り合ったとある少女によって、桐耶のテンションは大暴落だったのである。心身ともに疲弊しきった状態で作戦に加わったものだから、機械的に役割をこなすのが精一杯で、とても仕事の達成感など得られようはずもない。
 まあそれでも、もう二度と会う事はないと思えば、多少は気が軽い――座席にもたれ、窓の外で流れる景色を眺めながら、桐耶はぼんやりと、香港での体験を回想し始めた。





◆      ◆





 2:『人類の切札』





◆      ◆





 香港滞在中に桐耶が泊まっていたホテルは、言っては何だが木賃宿。観光客を相手にするようなホテルではなく、ちょっと訳ありの客を泊める為の安宿であり、当然、ホテル内にレストランなど付いている筈もない。故に桐耶の朝食は、高層ビルの隙間に軒を連ねる屋台で注文した中華粥であった。
 今日の昼にはタイに向けて出発する。それまでどうやって時間を潰したものかと思案しつつ、路上に並べられた椅子とテーブルの一席で粥を啜っていた、その時だった。

「あ、キリくん!」

 背後から投げかけられる、日本語の声。
 ぎしりと桐耶が固まって、しかし無視も出来ないと恐る恐る振り向けば、そこには予想通りにお約束通り、満面の笑みで駆け寄ってくる、一人の少女の姿。

「……どうも、ひよりさん」
「ん、おはよう!」

 桐耶からの挨拶に、にっこりと嬉しそうに笑って、玖奈波ひよりは応えた。
 桐耶の向かいの席に女子高生とは思えぬ乱暴さで腰を下ろし、くるりと上体だけで後ろを向いて、ひよりは大きく手を振った。彼女の視線を追えば、一見しただけでひよりの両親と分かる、ただしひよりと違って温和な雰囲気を纏った男女の姿が目に入る。

「席確保したよ、パパ、ママ」
「ああ。ありがとう、ひより」
「ありがとう、ひよりちゃん」

 四人掛けの席に桐耶一人で座っていたので、玖奈波一家三人が座る余裕は充分にある。桐耶の右手側に父親が、左手側に母親が。何となく退路を断たれたような気分になりながら、桐耶は軽く頭を下げた。

「…………」

 と。
 ふと、桐耶は自分に向けられる視線に気付く。視線は正面、真向かいから。言うまでもなく玖奈波ひよりだ。もうガン見と言って良い熱視線が、桐耶に向けられている。
 いや、その視線は桐耶に対してではなかったか。桐耶の手元、彼の朝食である中華粥が入った丼を、ひよりはそれこそ『穴が開くほど』注視している。物欲しそうに指を唇に当てる仕草が、その視線の意味を如実に語っていた。

「キリくん」
「……何ですか、ひよりさん」
「それ、おいしそうだね」

 決定的。
 彼女の目はまるで獲物を狙う鷹のよう。或いは蛙を前にした蛇のよう。この場合の蛙が何を指すのか、考えるまでもない。

「えっと……一口、いかがですか?」

 結局。視線圧力に負けて、そう口にしながら丼を差し出すのが、約二秒後の霧倉桐耶の姿であった。
 とは言うものの、さすがに同じ食器という訳にもいくまい。レンゲは箸と一緒にテーブルの上にあるから良いとして、適当な器を――と桐耶が辺りを見回した瞬間。

「じゃ、一口もらうね」

 ひょい、とレンゲごと丼を桐耶の手から取り上げて。
 丼の端に口をつけて、ずーーーーーーーーーー、と一気に、ひよりは粥を啜り上げた。口と丼を直角に、かっしゃかっしゃと丼の中身をレンゲでかっこんでいく。およそ年頃の娘として有り得ない蛮行。絶句する桐耶を横目に、丼の中身は少女の胃へと消え去っていく。

「ぷはっ。おいしかったー」

 どん、とテーブルに丼が戻される。言うまでもなく、中身など米粒一つ残ってはいない。まるで舐め回したかのような有様だった。

「こら、ひよりちゃん」

 ここでひよりの母親が口を開いた。優しいながらも嗜めるような口調。叱責を期待した桐耶だったが、無論、その期待が叶えられる筈もなく――そも、生まれてこの方、期待した事が期待通りになった試しなど、桐耶の人生ではなかったのだが。

「パパとママの分はないの?」
「あ、ごめん、ママ」

 この親にしてこの娘ありか。
 彼女達の前でなければ、恐らく頭を抱えていただろう。
 まあいい。全部食べられてしまったのはもう仕方ないと割り切ろう。だが器半分も食べていなかったのだから、満腹には程遠い。
 何かもう一品注文してこようと腰を上げる桐耶だったが、そこに玖奈波一家の声が投げかけられる。

「キリくん、わたし担担麺!」
「桐耶くん、俺には肉まんを頼む」
「あら、じゃあ私は豆乳粥を頂けるかしら」
「……はい」











『ねー、キリくん』
『はい?』
『あたし、タイガーバームガーデンに行きたいな』
『タイガーバームガーデンですか? それなら、向こうの通りを真っ直ぐ行ったところにバス停がありますから、そこから――』
『タイガーバームガーデンに行きたいな』
『えっと、だから、バス停から――』
『タイガーバームガーデンに行きたいな』
『……案内しますよ』
『え、本当? キリくん、親切だね!』



「キリヤさま? 着いたっすよ?」
「ん……ああ。寝てましたか」

 ふと気付けば、窓の外から見える風景は一変していた。街中を走っていた筈が、いつの間にか街灯の一つもないど田舎、と言うより人里離れた山中になっている。車は既に停まっており、助手席の窓から車内を覗き込むようにして、菊華が桐耶を呼んでいた。
 軋む身体をこきこきと鳴らしながら、桐耶は車を降りる。
 ぐるりと辺りを見回し、大きく息を吸い込む。周囲を森林に囲まれているせいだろう、玲瓏な空気に肺の中を洗浄される感覚が、実に爽快。
 正面にあるのは一軒の民家。何世紀前の建築かと思わせるような、古ぼけた日本家屋であった。ただしそこそこ手入れはなされており、保存状態は良い――人が住めると一見して知れるくらいには。

「首領、入りますよ」

 からりと玄関の戸を開け、中へと這入る。しんと静まり返った家の中からは返事がない。ただしそれはいつもの事、桐耶と菊華は靴を脱ぎ、上がりこんだ。
 歩く度にきしきしと音が鳴る廊下を抜け、居間へと向かう。中央に囲炉裏が置かれたその部屋に、この家の主は居た。
 つるりと剃り上げた禿頭に、藍色の着流し。雪のように白い口髭と、齢六十を越えるというのに引き締まり、鍛え上げられた筋肉。中でも特筆すべきはその目付きだろう、向かい合った相手を睨み殺せるのではないかというほどに凶悪な目付きは、なるほど『悪の秘密結社』の首魁に相応しい。
 この男こそ、霧倉桐耶と苔茎菊華の上司――忌空師団首領、幻塔院げんとういん玄十朗げんじゅうろう

「……何してるんですか、首領?」
「馬鹿もん、話しかけるな! っと、この……!」

 玄十朗は囲炉裏の縁に座りこみ――季節柄、囲炉裏に火は入っていない―― 一心不乱に、携帯ゲーム機に向かっている。
 いい齢した老人がゲームに熱中している姿というのも微妙な絵面だよな、とやや偏見混じりにそう思いつつ、囲炉裏を挟んで玄十朗の向かいに座る。菊華は玄十朗の左手側に。それに気付いているのかいないのか、「くっ!」とか「この!」と、かぶりつくようにゲーム機に向かっていた玄十朗だったが、やがてぼん、とディフォルメされた爆発音が響くと、「ぐぁー!」と天井を仰いで声を上げた。
 ゲームオーバーらしい。

「首領、それ……」
「む? おお、この前臥駿河がするがの奴が持ってきた。いやすっかりはまっちまってよ、朝から晩までやってんのよ」

 やってみるか? とゲームを差し出されるも、いえ結構です、と固辞する。そんな事の為に来た訳ではない。興味が無かったというのが正直なところだが。

「面白えのに」
「とりあえず、首領。お求めの品です」

 口を尖らせる玄十朗を無視して桐耶が懐から取り出したのは、折り畳まれた絹布。開けばその中には、先日桐耶と菊華が中国奥地の研究所から強奪してきた、紅色の宝玉が収められていた。

「おぅ、ごくろうさん。悪ぃ菊華、これそこの棚ン中に入れといてくれ」

 恭しく差し出されたそれを玄十朗はぞんざいに受け取って、そのまま受け流すかのように菊華へと放り投げる。入手の際の苦労を思うと愉快ではなかったが、玄十朗のそういった態度は今に始まった事でもない。今更取り立てて苦情を述べる口は、桐耶にはなかった。

「で、ご用件は」
「用件?」
「僕を呼びつけた理由ですよ。わざわざお菊さんにメールして。何かあったんでしょう?」

 緊急ではないが、桐耶にやってもらわなければならない事がある。加えてそれはメールや電話といった連絡手段ではなく、直に顔を合わせて伝えなければならない事。今回の呼び出しに、桐耶はそう当たりをつけていたものの、しかしその内容までは見当もつかない。

「おう、そうだった。菊、あれを持ってきてくれい」

 了解っス、と隣の部屋に這入った菊華が、何やら紙の束を抱えて戻ってくる。プリントアウトされたA4サイズの紙。それを受け取って、桐耶は目を通した。
 紙の束は、概ね二つの内容に大別出来た。地震計を思わせるグラフと、衛星写真だろうか、山間部と思しき一帯を上空から写した画像。専門的な知識は持たない桐耶だが、彼から見ても、グラフと写真はその両方に奇妙な点が散見される。
 グラフの方は概ねフラットな線を描いているのだが、それが時折、針を振り切って計測外へと飛び出し、またフラットに戻る。日付を見れば一週間前――時間的には、桐耶と菊華が先の任務の為、中国に入った頃だ。
 そして写真。玄十朗の話では九州南部の山間らしい。昨今の衛星写真というのはかなり精密な画像が撮れる筈なのだが、その写真には一点、写真の右上に、奇妙な歪みが映し出されていた。
 栓を抜いた水槽を、上から見た感じとでも言おうか。ごく小さなものではあるが、ぐにゃりと歪んで渦を巻いているように見える。

「首領。これは――」
「おう」

 腕を組んで、しかめっ面を見せる玄十朗。ただでさえ悪い目付きが三割増しで悪く見える。その表情が、グラフと写真を見て桐耶が抱いた感想、漠然と形になる予測を、悪い意味で肯定していた。

「『あれ』だ、桐耶。随分前に教えたな。まだ憶えているか?」
「はい。二十年前の件……ですね。当時の忌空師団が進めていた侵略作戦を、根こそぎ破綻させたという……」
「そうだ。二十年前と同じ轍を踏む訳にはいかん――何があっても、『あれ』がこっちに現出する事態は避けにゃならねえ。解ってんな?」

 頷いて、桐耶はもう一度、グラフと写真に視線を落とす。恐らくこれは前兆。目にしているだけでざわざわと心がざわめくのは、例えば巨大地震が発生する直前、鳥や小動物がその地を離れようとする習性と似たようなものだろうか。
 ともあれ、玄十朗から呼び出された理由も、これで納得だった。資料を渡す必要もさる事ながら、メールや電話では、この緊張感は伝わらない。発破をかけるという意味では、桐耶の召喚は必須であったのだ。

「そんじゃ、次の仕事いってみるか、桐耶よ」

 言って、玄十朗は懐から一通の封筒を取り出した。
 差し出されたそれを受け取って封をあけ、中を改める。本人が目の前に居るのだから、指令書ではなく口頭で命令を下せば良いのにとも思うが、玄十朗に言わせればこれも様式美という事らしい。

「……! 宝玉、他にも見つかったんですか」
「ああ。ちっと前に、菱鐘の奴が別口で宝玉見つけてきてな。船便でこっちに送ってもらったんだが、その船が、日本近海で当局に捕まっちまってなあ」
「やー、日本の海上保安庁は真面目に仕事してるっすねえ」

 宝玉だけならば普通の郵便物扱いで送れば良かったのだが、日本で行動する組織の構成員へ届ける物資もあった事から、それらの物資と共にこっそり日本に持ち込もうとしたらしい。ところが沖縄近海で、海上保安庁の巡視船に密輸船が見つかってしまい、臨検を食らって、他の荷物共々、宝玉も没収されてしまったのだとか。
 正直、開いた口が塞がらない。密輸船の乗員は全て普通の人間であり、蟻装兵の類も持っていなかったという話だったが、ならば一層の慎重さが求められて然るべきだろう。もう終わった事、考えても仕方がないとはいえ、呆れた危機意識の低さである。

「で、だ」

 ぱん、と首領が顔の前で手を合わせる。
 ぱん、と菊華も顔の前で手を合わせる。
 神様か仏様を拝む仕草。ただしこの場合、合掌を向けられているのは仏ならぬただの改造人間であるし、拝む側が拝まれる側より立場が上なのだから、その仕草に大した意味もない。
 合わせた掌を少し下げ、その上から桐耶の顔を覗き込んで、玄十朗が言う。

「宝玉、取り返してきてくんね?」











 国連特殊戦略戦術研究機関/U.N. Special Strategy and Tactical Research Institute――SSTRIシストリィの歴史は、二〇〇一年の創設から始まる。
 一九九五年の侵略に対し、人類は哀れなほどに無力だった。戦術戦略の一切は人外の存在によって捩じ伏せられ、如何なる兵器如何なる武装も、蟲たちの侵攻を阻むには至らなかった。
 忌空師団の侵攻に、ある種の愉快犯的な要素があった事は特筆しておくべきだろう。世界各地に現れては、奇怪な事件を巻き起こして姿を消す。そんな存在との戦いなど人類はそれまでに経験していなかったし、想像すらしていなかったのだから、敗北の繰り返しもむしろ当然と言える。
 幸い――と言って良いのかはまた別として――忌空師団は、宣戦布告よりおよそ四ヶ月後に突如として消え去った。被害総額、犠牲者の総数はそれから二十年近くが経った今でも不明のままだ。そんなものを調べる余裕すら無くなっていたというのが、実際のところだろう。
 二十世紀の残る四年を被害の回復に努め、二十一世紀を迎えたその年になって漸く、人類は忌空師団の再侵略に対する備えを始めた。対忌空師団の戦略及び戦術の研究、敵勢力の打倒を可能とする装備の開発を目的とした、国連直属の特務機関を設立。
 これが、シストリィの始まりである。



「――あンのカマキリ野郎ッ! 次、次会った時ァ、あのスカした面粉々に叩き割ってやる……ッ!」
「おうおう、荒れてんなァ快晴。あの日か?」
「うるせえよ!」

 同僚の品の無い冗談に怒鳴り返しながら、石動いするぎ快晴かいせいは憮然とパイプ椅子を蹴り飛ばした。
 何の生産性もない八つ当たりであるが、彼の気持ちも解るのだろう、快晴を咎める者もいない。室内に居る者達の中では最年少――十七歳――という事もあって、彼の態度も年齢相応の血気と見られている面は否定できない。
 しかし彼はれっきとしたシストリィの一員であり、シストリィ兵装試験部隊【ドールズ】の一人。実戦において新型兵装の運用試験を行う特殊部隊に属している。彼がこれまでに挙げた戦果を見れば、彼を年齢で侮る愚かしさはすぐに知れる。

「手加減だと……? 見逃してやるだと……? ふざけやがって、あの野郎……ッ!」

 先日の中国黒龍江省における任務で、彼は手痛い敗北を喫した。一週間近くが経とうという今になってもなお、その敗北は胸の内に燻って、苛々を煽る熾火となっている。
 やれやれ、と同僚達が揃って肩を竦めたその時、部屋の壁の一角に備え付けられた液晶モニターに電源が入った。

『御苦労だったな』

 シストリィの支部は全世界に点在し、そのどこからでも、ニューヨークにある本部と双方向通信で繋がる事ができる。
 今、日本支部に居る彼等の前に置かれたモニターに映し出されているのは、本部に居る彼等の上官だ。熊を思わせるがっしりとした体格を窮屈そうに軍服に収めた彼の姿に、快晴は列最後尾の椅子に腰を下ろしながらも、口の中で一つ舌打ちを零す。
 御苦労と労われるのは別に構わないが、しかし自分達は課せられた任務を果たせなかったのだ。労いの言葉は遠回しな皮肉と取れなくもない。ただ、この上官が嫌味や皮肉を垂れる人間でないとも知っていて、別段反感を抱く事もなかった。

「ありがとうございます、長官。しかし目的の達成は――」
『構わん。敵の大幹部が出張ってきていたのだ、全員の生還を幸運と思え』

 チームリーダーである男の言葉を遮って、画面の男が言う。
 生きて戻れた――か。
 それこそ嫌味じゃねえか、と今度こそ露骨に、快晴は顔を顰める。あれはそんな積極的な言い方をして良いものではない。よりはっきりと、事実にそぐった表現をするのなら、あれは『見逃された』と言うべきだ。
 先日、快晴の属するドールズを含むシストリィの部隊は、とある任務で中国・黒龍江省へ赴いていた。任務を滞りなく遂行し、基地に帰投しようとしていた彼等だったが、そこで緊急連絡が入ったのである。近隣の研究施設に、忌空師団が現れたと。
 現地へ急行した彼等の前に現れたのは、忌空師団の大幹部、【斬翠蟷螂】。予想外の大物に、快晴と、彼の仲間達は勇み立って飛び掛った――返り討ちにされるまでに、大した時間はかからなかったが。
 一人立ち上がり、大型ナイフを構えて再度飛び掛った快晴だったが、それもまた、簡単にあしらわれる結果となった。

『楽しかったよ、正義の味方』

 一撃目で快晴のナイフを弾き飛ばし、二撃目で快晴の身体を叩き伏せ、三撃目で快晴の首筋に鎌刃を押し当てる。一連のプロセスはいっそ芸術的で、斬首寸前の状態に追い込まれるまで、快晴は何をされたのかすら解らなかった。愉快そうに呟かれた蟷螂の言葉で、漸く自身の状況を理解できた。
 戦場に出て来る以上、覚悟がないとは言わない。一秒後に首を落とされる自分の姿が明確なビジョンとして快晴の脳裏を過ぎるも、それへの恐怖は不思議となかった。これ以上戦えなくなる事への失望と、不甲斐無い自分への憤りがあるだけだった。
 だが、そのビジョンは結局、現実としては訪れず。
 あっさりと蟷螂は刃を退いて、『じゃあ、今日はこれでお終いだ――次に会う時までに、もう少し強くなっていてくれ』と言い残して、その場を去っていった。
 どう考えても、見逃されたと言う以外にはない。石動快晴の人生の中で、五本の指に入る屈辱。その屈辱を晴らす機会も無く日本へと向かった快晴達に与えられたのは、次の任務だった。

「移送任務……で、ありますか?」
『そうだ。先日、日本近海で日本の海上保安庁が不審な船舶を捕えた。船には正体不明の薬品や機材が積まれており、海上保安庁はそれを即座に押収した』
「それらを解析する機関への移送が、今回の任務という訳ですね?」
『その通りだ。奪還の為、忌空師団が現れる可能性は極めて高い。貴様等は【ICスーツ】の調整が終了次第、R3のルートで対象を回収、京都市内の研究所まで搬送せよ』

 了解しました、と隊長が敬礼する。部下達もそれに続いた。ただ一人、快晴を除いて。

「忌空師団……!」

 顔に獰猛な笑みを浮かべ、ぐ、と快晴は拳を握りこむ。予想外に早く訪れた、リベンジの機会。あの蟷螂はさすがに出て来ないだろうが、この際、忌空師団の改造人間なら誰でも良い。
 その思考はおよそ『正義の味方』からはかけ離れた思考であったが、そも、石動快晴は正義の代理人として忌空師団と戦っている訳でもない。

『それと、石動隊員』

 命令を通達し終えた長官が、先程までより幾分砕けた口調で続ける。
 不意に名前を呼ばれた快晴が、やや面食らった顔でそれに反応した。

『貴様の陳情していた武装も用意した。今回の作戦から使用を許可する。ただし』
「使用後にはレポートを忘れるな、だろ? 解ってるよ、長官」

 およそ上官に対してのものとは思えぬ、不遜な口の利き方ではあったが、最早慣れてしまっているのだろう、それを注意する事もなく長官は頷く。
 快晴が所属する特殊部隊ドールズは常に最新の装備が与えられる――故に揶揄と皮肉を込めて『着せ替え人形ドールズ』――反面、運用試験を行う都合上、必然的に未だ判明していないリスクも抱え込む。そういった未知のリスクを洗い出す事もまた、快晴達の仕事だ。装備の使用後はレポートの提出が義務付けられている。

『通達は以上だ。健闘を祈る』

 ぶつんとモニターがブラックアウト、長官の姿が消失する。と同時に、引き締められていた空気が一気に弛緩した。だらけている訳ではないが、緊張と共に肩の力が抜けている。こういったスイッチのオン・オフがはっきりしているのがプロの兵士だ。
 その謂で言えば、快晴は未だアマチュアだった――滾りに滾った、溢れんばかりの戦意を表情に乗せる石動快晴は、プロフェッショナルからは程遠い。











 石動快晴がシストリィに入った理由。
 物語としての盛り上がりを重視するならば、そこには何らかのトラウマが存在しているべきだろう。内容は何でも良い、忌空師団の侵略によって家族を喪ったとか、何らかの事故や事件に巻き込まれた際、シストリィの人間に命を救われたとか。
 一切無い。
 彼がシストリィに入ったのは、それこそ偶然、流れに身を任せていたらいつの間にか、という程度の理由からに過ぎない。
 それは今から三年前――中学二年生、十四歳の時。
 高校生である今もそうだが、快晴は決して真面目な学生ではない。それは中学生であった頃から変わらず、むしろ当時の方が、はっきりと不良のレッテルを貼られる類の若者であった。煙草は吸うし酒は呑む、他校の不良と喧嘩に明け暮れる毎日。
 ただし普通の不良とはっきり違ったのは、石動快晴は真面目に学校に来る不良であるという点だ。出席日数はほぼ皆勤賞、授業は殆ど居眠りして過ごしているせいか成績は壊滅的だったが、それでも義務教育課程において出席率の高さは優良の証。学校側としてはどうにも扱いに困る生徒であっただろう。
 さておき、その日も快晴は真面目に学校に来て、不真面目に授業を受けていた。それが普通の一日とは違うと知ったのは、授業中に担任が教室へとやってきて、快晴を呼び出したその時だった。
 首を傾げたまま会議室に連れていかれた快晴を待っていたのは、初老の白人男性。熊を思わせるがっしりとした体格を窮屈そうに軍服に収めたその男は己の名と階級を名乗ると、単刀直入に用件を切り出した。
 シストリィに入らないか、と。
 男が話すところによれば、石動快晴はシストリィの新兵器に対する適性がずば抜けているらしい。その兵器がどんなものなのか、いつ、どこで適性とやらを計ったのかはさすがに気になったが、個人情報などやろうと思えば簡単に手に入るし、機密と言われれば詳細も訊く事はできまい。質問するまでもなく、快晴もその辺りは理解していた。
 結局、この誘いに対し、快晴は二つの条件を引き換えとして了承した。
 一つは、高校卒業まで学業を優先する事。シストリィの仕事は学校の無い時間帯――放課後や休日にのみ行なう、アルバイトとする事。
 もう一つが、とある女性とその家族に対する金銭的援助。
 これらの条件を男はその場で快諾。まるで大根でも買うが如き気安さで請け負われたものだから、快晴もすぐには信用できなかった。……後日、書面に起こされた契約内容を確認するまで、半信半疑だったくらいである。
 そして、三年。
 シストリィ兵装試験部隊ドールズの一員として、彼は今日も、忌空師団と戦っている。




『目標のブツを回収完了。後はコイツを京都まで届けるだけだ』
「オーライ。シンデレラを舞踏会場まで送るとしようや」

 無線機から聞こえる声に、運転席の男……快晴と同じ、ドールズの一員である黒人男性が下手な冗談で返す。
 笑う気にもなれず、しかしその割に機嫌の良い顔をしながら、快晴は助手席のシートを後ろに倒して、ダッシュボードに脚をかける。運転に関わらないとは言え、任務中にくつろぎすぎだ。そんなツッコミを待っているのかもしれないが、生憎、仲間は何も言わなかった。
 彼等は今、移送任務の真っ最中。二台の車にそれぞれ二人ずつが乗り込んで、忌空師団から押収した品を京都の研究機関に運んでいるところである。快晴の乗る車の後部座席にも、手提げ金庫が一つ載せられていた。
 どんな代物が入っているのかは知らないし、興味も無かった。快晴の興味は目下、これを狙って現れるであろう敵にのみ向けられている。

「ヘイ、快晴。おめー、長官殿に何おねだりしたんだ?」
「あん? あー、これこれ」

 同僚からの問いに、快晴は足元から小さなトランクを取り出して見せる。奇妙なほどに厳重なロックを解除して開いてみれば、そこには自動拳銃の弾倉と思しき金属塊が三つ収められていた。

「そいつは……おい、本気か?」
「応よ。こいつなら、あのカマキリ野郎にも風穴開けてやれる」

 獰猛な笑みを浮かべてそう嘯く快晴に、ふん、と同僚は鼻を鳴らした。ただし侮蔑的な感はない。そこにはむしろ、自嘲が色濃く現れていた。

「まったく、世も末だぜ。十七のガキに武器ィ持たせて戦場に立たせるなんてよ」
「……まぁな。俺もシストリィに入った頃にゃ、前線に出るなんて思ってなかった」

 シストリィ入隊時における快晴の役割は、新兵器開発における運用試験――戦闘機のテストパイロットと同質のものだった。
 快晴のように適性を持つ者でなければ起動すらおぼつかない、汎用性という概念をどこかに置き忘れてきたような兵器の開発に関わりながら、それでも建前上は危険の少ない仕事だった。高層ビルの工事現場で働く方が、まだ危険な仕事と言える程度に。
 それが狂ったのは、今年の四月だ。
 第二次宣戦布告――二十年の沈黙を破り、忌空師団が活動を再開したのだ。
 人類側が忌空師団の復活を見越して備えていた為か、二十年前ほどの被害は出なかったものの、それでも世界各国、とりわけ各国が抱える軍隊は大打撃を被った。二十年前と違い、忌空師団がまず軍事組織を標的に牙を剥いた事も、それに拍車をかけた。
 四ヶ月が経った現在、忌空師団に対抗できる戦力は、シストリィただ一つ。それとて本来が研究機関であるシストリィの保有戦力はそう多くなく、彼等が本当に人類の防人となる為には、対忌空師団の切り札を完成させる事が必須だった。
 猶予はない。悠長に兵器開発に費やす時間がないと悟ったシストリィ上層部は、新兵器の運用試験を実戦の場にて行い、より端的に、より迅速に問題点を摘出する方法を採ると決定した。
 兵装試験部隊ドールズの結成である。

「……それでも、俺が望んだ事だからな」

 そう。ドールズへの参加は、石動快晴個人の意思で行われた事だ。
 ドールズ結成の時点で、快晴には選択権があった。シストリィを辞めるか、続けるか。
 開発中の新兵器に対する適性を見込まれてシストリィに入った快晴ではあるが、やはり彼はまだ未成年で、そもそも彼が交わした契約には『戦場に出る』事態は想定されていなかった。
 真っ当に考えるならば、そこが辞め時だっただろう。だが快晴は辞めなかった。むしろ反対の声を押し切って、彼はドールズへの参加を表明した。
 忌空師団に対する憤りもあった。悪党を倒す為の兵器を作り上げる仕事に、ある種のやりがいや痛快さも覚えていた。だが最大の理由は、今までやってきた事を途中で放り投げるような無様を、我慢できなかった為だ。
 ……『もう一つの理由』がおよそ他人に言えるものでない以上、それだけが他者からの問いに対する、快晴の回答である。

「仕事はきっちり。最後まで責任持って。基本だろ?」
「へっ。まったく、日本人ってのァ――うん?」

 進む先で何かが進路を塞いでいる事に気付き、同僚がブレーキを踏む。ブレーキランプが点灯、後ろを走っていたもう一台もそれを受けて停車。停まった事でよりはっきりと、それが何なのかが判った。
 百メートルほど前方、車道のど真ん中に、立ち塞がるようにして佇む一人の男の姿。
 周囲を見回せば、そこは鉄橋の上。かなり幅の広い川に架かる大型の橋のど真ん中で、車は停止している。ここでは横道に逃げ込む事もできない、待ち伏せるには絶好の場所。不愉快な程にセオリー通りの襲撃を仕掛けてきたのは、しかし一見して不審なところのない、ただの中年男だった。
 ビジネスマンを思わせるグレーのスーツ。革靴もネクタイもブランド物と判る、それなりに洒落者だ。ただしきっちりとオールバックに撫で付けた髪と、顎に黴の如く生えている無精髭が微妙にミスマッチで、全体の完成度をやや落としている感がある。

「快晴」
「ああ、解ってる」

 トランクから弾倉を掴んで腰のポーチに仕舞いこみ、専用のヘルメットを掴んで、快晴は車を降りる。
 男へと向けて、一歩、二歩。顔には不敵な笑みを浮かべながらも慎重に間合いを詰める快晴へ、果たして男はじろりとねめつけるような視線を向けて、口を開いた。

「小僧、宝玉を渡せ」
「……あん?」
「宝玉を渡せ、と言ったのだ。他の物は幾らでもくれてやろう――だが宝玉だけは渡してもらう。あれは、人間風情が触れて良いものではない」

 高圧的な口調は挑発の意図をもって放たれたのか、それとも常日頃からこの男はこうした口調を基本としているのか、快晴にはまるで判断がつかない。
 ただその要求で、男の正体は判明したも同然だった。忌空師団から奪った品々を求めるとなれば、それは忌空師団の構成員でしか有り得ない。

「嫌だと言ったら?」
「命を落とす」
「あっそ――そんじゃ、お断りだ。面ァ洗って出直してくるんだな!」

 びっ、と中指を立てて要求を一蹴する快晴を、男は目を細めて眇め見た。侮蔑の色しか窺えない視線は、少年の選択がいかに愚かなものであるか、万の言葉よりもなお雄弁に語っていた。 

「ふん、いいだろう。大幹部どののご到着を待つまでもない……今ここで! 宝玉、奪い取らせてもらうぞ!」

 懐から取り出した黒い球体を放り投げ、男は更に自身の顔に無貌の仮面を押し当てる。球体から噴出した黒い霧が蟻装兵の形となって実体化し、更に男の姿が粒子と化して、人ならぬ異形へと組み変わる。
 黒ずんだ飴色の体躯。額から伸びる一対の触角。どこかほっそりとした上半身に比べ、両脚にジャッキのような部品が装備されてアンバランスに肥大化した下半身。背中からは二対四枚の翅が伸び、擦り合わされたそれがぎゃりんと音を掻き鳴らす。
 人型の蟋蟀――忌空師団の改造人間、怪魔鎧蟲。怪物の正体を現した男が、群れ為す蟻装兵を従えて、快晴へと向けて歩み出す。

「快晴!」

 後続車両に乗り込んでいた仲間達が、快晴へと追いついてくる。目配せを交し合い、彼等は一斉に、脇に抱えていたヘルメットを装着した。
 彼等は既に両腕両脚、胸部と肩に装甲が施された特殊スーツを着込んでおり、制御装置が内蔵されたヘルメットを被る事でスーツの各種機能が起動する。
 歩兵用特殊戦術装甲服――【インセクティサイド・スーツ】。通称、ICスーツ。
 『殺虫剤』を意味する名からも判る通り、シストリィが開発を進める、対忌空師団用の新兵器である。
 今はまだ適正者にしか扱えない、汎用性に乏しい装備である。快晴がシストリィに誘われたのも、これの適正を見込まれての事だ。しかしその性能は既に完成の域に達しつつあり、装備を着用した適性者の戦力は忌空師団の改造人間に勝るとも劣らない。

「行け! 奴等を噛み千切れッ!」

 蟋蟀の号令が下ると同時、蟻装兵の群れが快晴達へと襲い掛かる。だが彼等も黙ってそれを待ってはいない、蟻装兵の始動に先んじて、まず石動快晴が飛び出した。
 両手に携えた二挺の拳銃が猛然と火を噴き、撃ち出された弾丸が蟻装兵を容赦なく砕き貫く。外殻の破片が飛び散る中を駆け抜ける彼こそが、この部隊の一番槍。
 一見して、ただの自動拳銃としか見えぬ快晴の得物。だがこれこそ、対怪魔鎧蟲用特殊拳銃【バグスワッター】である。常人には到底御し得ない反動を伴う、ICスーツの着用を前提とする大型拳銃。それ故に威力は折紙付き。鋼鉄にも等しき強度を誇る蟻装兵の外殻も、バグスワッターの弾丸の前では発泡スチロールと大差ない。
 だが如何に威力があろうとも、たった一人で突っ込んでくる相手への対処が困難であろう筈もない。あっという間に快晴は四方を蟻装兵に取り囲まれた。

『行け、快晴っ!』
「おう!」

 ヘルメットの中に響く声に応え、快晴が地を這うが如くに身を沈めた。次瞬、頭上を無いでいく弾丸の嵐。援護射撃が次々に蟻装兵を仕留め、黒甲冑の巨体を墜としていく。
 そのまま快晴は路面を滑るように回転、一体の蟻装兵に足払いをかけて転ばせる。仰向けに引っ繰り返った蟻を踏みつけて包囲を脱すれば、真正面に蟋蟀が待ち受けていた。
 残りの蟻装兵は中間達に任せて大丈夫だろう。蟋蟀との一騎討ちを邪魔する者はない。蟋蟀も逃げるつもりは無いのか、威嚇するように腕を突き出して、身構えた。
 ちりちりと首筋の灼ける感覚は、蟋蟀が発する殺気が故か。それに心地良さすら感じているのだから救いようがない、笑みの形に歪んだ快晴の口元は、自嘲をも刻んでいる。
 銃声に混じり、破壊音に混じり、アスファルトが砕ける音が周囲に響いた。脚部に備えられたジャッキの威力か、蟋蟀は高々と跳躍し、上空から快晴へと飛び掛る。
 空中で一回転し、身体ごと蹴り込んでくる蟋蟀。回避を選ぶ快晴の判断は至極当然で、しかしその回避は防御の類ではなく、むしろ真逆の意図から為されたものだった。
 蟋蟀の蹴撃が落着する。鉄橋そのものが衝撃に嫌な軋音を奏で、粉塵が舞い上がって視界を塞ぐ。だがヘルメットの内側に映し出される映像は、蟋蟀の体温を輪郭として捉えていた。攻撃終了後に生まれる一瞬の隙、快晴の狙いはそこにある。バグスワッターの弾丸を近距離で、しかも無防備な態勢に叩き込まれれば、怪魔鎧蟲とて只では済まない。

「――あ……?」

 瞬間、身体が軽くなった――否。身体が、重量を忘れた。
 自分の身体が宙を舞っているのだと早々に気付けたのは、石動快晴の類稀なる戦闘センスが故か。
 猫のように空中で体勢を立て直し、危なげなく着地。顔を上げれば、あれだけ濃密に立ち込めていた粉塵が跡形もなく失せているのに気付いた。
 蟋蟀が顔の前で腕を交差させる。背中の翅が擦り合わされたかと思うと、怪人は一気に両腕を広げた。途端、まるで鉄板で引っ叩かれたかのような衝撃を受けて、快晴の身体が吹き飛ばされる。
 身体が地面に叩き付けられる音、ダメージの度合いを知らせるエラー音に紛れて聞こえる、涼やかな音。場違いな郷愁を誘うその音は、つまり。

「鳴き声、か……!」
「正解だ、小僧!」

 呟言に蟋蟀が応えたその瞬間、再度の衝撃が快晴を弾き飛ばす。
 鳴き声――即ち、空気の振動を増幅させて撃ち出す衝撃波。破壊力という点では特筆すべきものはないが、快晴の身体を押し出すには充分。川にでも落とせばそれで良い。彼等の目的が車載の荷物にあるのなら、快晴達を無力化するだけで事足りる。
さて、どうする。
 向こうでは仲間達が蟻装兵相手に戦っている。銃声と爆発音、破壊音に耳を澄ませば、人間側の優勢はすぐに知れた。もう暫く粘って助勢を待つか。脳裏に浮かんだその案を、快晴は即座に投げ捨てる。
 脳内で策を組み上げる。手持ちの武器と敵の能力を測り、取り得る手段を模索する。
 体勢を低く、指を地面につけて腰を上げる。陸上競技で言うクラウチング・スタートの姿勢。だが言うまでもなく、その体勢は次の挙動を相手に悟らせてしまう。それを承知の上で快晴は走り出し、それに不審を覚えながらも蟋蟀は衝撃波の発射態勢に入った。
 ばんっ――と衝撃波が快晴の身体を叩く。突進の勢いがそれに殺される。すぐさま体勢を立て直し、再度走り出す。それもまた、再び襲い来る衝撃波に止められる。加速が付いていなかった分、今度は仰け反るように体勢を崩し、そこに追い撃ちをかける三発目の衝撃波が、快晴の身体を弾き飛ばした。

「――へっ」
「…………!?」

 からからと乾いた音を立て路面を転がってくる物体を、蟋蟀が凝視する。衝撃波に弾かれる寸前、快晴が蟋蟀へと向けて蹴り出していたものだ。
 それは弾倉だった。バグスワッターの特殊強装弾がみっしりと詰まった複列式弾倉。
 蟋蟀の理解は僅かに遅れた。何故こんなものを蹴り出してきたのか、悟るまでに一瞬の間を置いてしまった。その空白こそが致命的と気付き、咄嗟に衝撃波を放とうと身構えるも、それは既に快晴が引鉄を引いた後だった。
 轟音と共に吐き出される銃弾は見事蟋蟀の足元に転がる弾倉を穿ち、必然の結果として、弾倉内の特殊強装弾が一斉に爆裂。爆風と爆炎が蟋蟀の身体を容赦なく叩く。
 さしもの怪魔鎧蟲もこれに怯み、大きく態勢を崩した。その隙を狙わぬ快晴ではない、左の拳銃をホルスターに戻し、腰のポーチから新たな弾倉――トランクの中に納められていた『新兵器』――を掴んで右の拳銃へと装填する。
 がきんと音を立てて、銃の内部で機構が組み変わる。

「バグスワッター、ブラスターモード!」

 石動快晴が必勝を賭して繰り出す切り札。その最初の犠牲者が、今。
 銃口から赤光が迸る。熱した鉄板に水滴を落とした時のような音を伴い、光は弾丸となって標的の胸部で炸裂した。
 熱線銃ブラスター。SF作品ではお馴染みのそれを、シストリィは既に実用段階にまで漕ぎ着けている。専用弾倉一つにつき一発限り、しかし威力はデメリットを補って余りある、まさしく『切り札』――シストリィ長官に快晴が陳情していた兵器こそ、この熱線銃であった。
 愕然と己の胸を見下ろす蟋蟀。そこに深々と穿たれた大穴を認識した瞬間、ぐらりと彼は一歩後ずさる。

「まだやるかい、コオロギ野郎」

 その問いに意味はない。
 決着は、勝敗は既に瞭然――後は、蟋蟀がそれを認めるだけだ。

「ご……お、おお……!」

 蟋蟀を模した仮面の向こう側から、くぐもった声が漏れ聞こえてくる。声というよりは吐息か。肉体が取り返しの付かぬ損傷を負ったと物語る、血と肉が混じって水気を増した吐息。

「ば……」
「?」
「万、歳……!」

 ばっ、と蟋蟀が両手を挙げた。思わず、快晴は拳銃を構え直す。最期に何か仕掛けてくるかと思ったが、予想に反して、蟋蟀はただ声を振り絞るだけ。

「万歳! 万歳! 万歳! 万歳!」

 狂ったように、蟋蟀は叫ぶ。いや、そもそもその存在自体が常識の埒外であるのだから、これこそが彼等の在るべき姿か。

「忌空師団! ばんざぁぁぁぁぁぁぁぁい!」

 最期に一際大きな声で万歳を叫び、そして蟋蟀の身体はゆっくりと後ろに倒れこんで、大爆発を起こした。
 踵を返せば、仲間達は既に蟻を掃討し終えていた。至るところに転がる外殻の破片や蟻の四肢。撒き散らされた強酸の体液に溶かされ、白煙を上げるアスファルト。まさしく戦場跡の光景であった。

「よう快晴。苦戦してたみたいじゃねえか」
「けっ。てめーの目は節穴だな。俺様が華麗にコオロギ野郎をブチ抜いたところが見えなかったか?」

 肩を竦める仲間に威嚇染みた笑みを向け、快晴は拳銃をホルスターへと収めた。

「よし、移送を再開するぞ。全員、車に戻――」

 隊長が部下達へと向けて指示を下すが、それは唐突に中断され、彼は自身のバグスワッターを快晴へと突きつけた。何のつもりかと身構える快晴だったが、それが自身ではなく、その背後――蟋蟀の爆発が残した炎と黒煙、更にその向こうに向けられていると気付く。

「ああ。少し、遅れたのか。もう終わったみたいだね」

 朗々と響き渡る声。女性の声を『鈴が鳴るよう』と表現する事はままあるが、それに則して表現すれば、その声はどこか弦楽器の音色を思わせる。 

「僕が来るまで待っていてくれと言ったのに。まったく、菱鐘さんの部下は独断専行が多くていけないな。……まあ、うん。時間稼ぎとしては立派に働いてくれた訳だし――お疲れ様でした、鈴絽すずろさん」

 不意に、強い風が吹く。僅かに原型を留め、炭化しながらも燃え続けていた蟋蟀の身体が、ぼろりと形を崩して風化する。視界を塞ぐ黒煙が吹き散らされ、その向こうに、一人の少年の姿が見えた。
 年の頃は快晴と同じくらいだろう。一般的な男子高校生の平均とほぼ同じ、特徴に乏しい体格の少年。快晴からすればむしろ貧相とでも言うべき体つきだ。優しげな、猛々しさという言葉からは縁遠い顔立ちに薄い微笑を浮かべて、少年はそこに立っている。

「誰、だよ……?」

 誰もが抱いたその感想を、誰かがぽつりと呟いた。
 どう対処すべきか迷う快晴達を軽く一瞥し、少年が懐に手を差し入れる。取り出したのは目も鼻もない、のっぺらぼうな白磁の仮面。
 少年が仮面を己の顔に当てた瞬間、快晴の脳髄を稲妻のように直感が駆け抜けた。直感が囁くのは少年の正体。仮面の装着を引鉄として変貌を始めた、その正体。

「……カマキリ野郎……ッ!」

 快晴が呟くと同時、変貌を終えた少年が、異形の蟷螂が、悠然と歩みを再開する。

「久しぶりだね、正義の味方。用件は解っていると思うけど、それでも一応、最低限の礼儀として言わせて貰うよ」

 す、と蟷螂は快晴達を、いや正確には彼等の後ろに停めたままの車を指差して、おぞましい外見にそぐわぬ穏やかな口調で、来訪の目的を口にした。

「『あれ』。返して貰えるかな?」
「はっ」

 蟷螂の言葉を、快晴は鼻で笑った。笑い飛ばした。

「欲しけりゃ勝手に持ってきな――出来るもんならなァ!」





◆      ◆





 続劇





◆      ◆



[30023] 3:『彼女が乱入』
Name: 濁水◆44d72913 ID:35af097c
Date: 2011/10/08 09:41


 ひとたび学生という身分に在った者ならば、学生生活において『夏休み』という期間がどれほど重要なものか、理解できない人間はまずいない。
 勉学の重圧からひととき解放される貴重な時間。だがその時間の使い方を本当の意味で理解している学生はごく少数だろう。遊び呆けていたツケを終盤になって支払わされ、終わらぬ宿題に泣く学生の姿は、ある意味で夏の終わりを告げる風物詩とも言える。
 その点、玖奈波ひよりは例外と言うべきだ。宿題から自由研究まで、課題の諸々一切を、彼女は夏休み最初の週で完璧に片付けている。……だからこそ。新学期まであと三日というこの時期に、繁華街に遊びに繰り出すという暴挙にも、何らはばかるところはない。
 玖奈波ひよりという少女のパーソナリティに多大な――これはかなり控えめな表現だ――問題があるせいか、彼女はしばしば偏見をもって見られるものの、こと勉学の成績において玖奈波ひよりは彼女が通う高校の中でも上位に入る。一学期の期末考査では碌に試験勉強もせずに学年三位の成績を取っているほどだ。
 非常に有り触れていて、最早使う事すらも一種気恥ずかしさを覚える形容ではあるが、それでも玖奈波ひよりという少女に対しては、一種の天才という言葉が当て嵌まる。
 ただし、世の中には『天才と馬鹿は紙一重』という言葉があり、そしてひよりはどちらかと言えば紙一重――で天才ではない方に分類されるのだが。

「ぶー……フミちゃんもヒナちゃんもタマちゃんもおっそいなー……」

 そんな感じに紙一重な少女はその日、鍵榁市かぎむろし繁華街のファーストフード店で、ハンバーガーにポテトにコーラとジャンクフード満載の昼食を摂りながら、ストローを口に咥え口を尖らせていた。
 鍵榁市。人口増加によってつい一昨年に市制に移行した、つい最近になって成立した都市だ。県庁所在地に隣接する都市という事で数年前にニュータウンが開発され、今では県庁所在地のベッドタウンとなっている。
 市の中心部に存在する繁華街には、今のひよりがそうしているように、高校生の待ち合わせ場所になる店も少なくない。夏ももう終わりとは言えまだまだ暑い、屋外で待ち合わせなどしようものなら端から溶けていく。そんな彼等彼女等を救済するべく、喫茶店やらラーメン屋やらファーストフード店やらがそこかしこに存在しているのだ。
 ひよりが友達を待っているのも、そんな店の一つだった。全国何処にでもある、ファーストフードのチェーン店。なので味は全国一律、まあ土地によって多少のアレンジはあるのだろうが、安定した味を提供してくれる。ハンバーガーに大口開けて齧り付く女子高生の姿は恥じらいとか気品とかという言葉とはまるで無縁だったが、幸い、それを見咎める人間も居ない。
 不意に、ポケットの中で携帯電話が震えた。メールの着信を告げている。取り出して見てみれば、待ち合わせている友達からだった。
 少し遅れる、先にカラオケ入ってて。文面は要約すればそういう意味だった。ちなみにカラオケは学生割引&女の子割引&フリータイム。今から入って夜七時まで女の子四人でアニソン三昧、というのがひより達の立てた本日のプランである。色気も男っ気も皆無だ。

「おーけーおーけー、ほい送信、っと」

 メールに返信し、残ったフライドポテトを一気に口の中へ流し込んで、顔の下半分のデッサンが崩れる程に豪快な咀嚼をしつつ店を出る。
 と。

「ふにゅん?」

 こつん、と頭に何かが当たり、地面に落ちた。ころころと転がるそれを拾い上げてみれば、ビー玉サイズの小さな玉っころ。あれ今日の天気予報はビー玉が降ってくるなんて言ってたっけ、と空を見上げる。抜けるような晴天、レーザービームのような直射日光。薄い雲が僅かに浮かんでいるものの、ビー玉を吐き出すようなものは皆無。
 小首を傾げつつ視線を戻す。深いルビーの色に煌めく宝玉は、不思議な光沢を放っていた。陽光に照らされたという以上の、どこか怪しさを併せ持った光沢。
 その光沢に魅入られている自分に――ひよりは、気付いていない。

「ふぇ?」

 ぼんやりと、虚ろな瞳で宝玉を眺めていたひよりが、不意に奇声を上げて意識を現実に戻した。
 いつの間にか視界の中に入り込んでいた、黒光りする巨体。日常の雑踏にまるでそぐわないその異形。――忌空師団の破壊兵器、蟻装兵。
 周囲に居た人々が、蟻装兵の姿を目にするなり、悲鳴を上げてその場から逃げ出していく。当然だろう。この世界における恐怖の代名詞、かつて世界中に吹き荒れた惨禍を目の当たりにして、抵抗する術を持たない人々が平然といられる筈がない。

「あ、あわわ、わわわわわ……!」

 それは無論、玖奈波ひよりも、例外ではなく。





◆      ◆





 3:『彼女が乱入』





◆      ◆





 玖奈波ひよりが十六年と半年弱の人生において最大級の混乱に叩き落とされるその時から遡る事、およそ四分前。

「……へえ」

 蟷螂を思わせる白磁の仮面の下で、霧倉桐耶は感嘆に声を漏らした。
 数日前の、中国奥地の研究所における戦闘を思い出す。あの時叩きのめしたシストリィの特殊部隊が、今、再び桐耶の前に居る。
 あの時、最後まで立ち上がって、桐耶に向かってきた少年。容赦なく叩きのめし、どつき倒してやったあの少年との、それは思わぬ再会だった。
 ただし今回は簡単にあしらうという訳にもいかない。先の敗北が故か、猛然と攻め立てる少年は、忌空師団大幹部たる霧倉桐耶をしても容易く処せる相手ではなかった。

「おおおらぁああっ!」

 猛速で繰り出される蹴撃を、紙一重の見切りで蟷螂が避ける。反撃を視野に入れた回避行動だったのだが、いざ反撃を撃ち込もうとするその要所に大口径拳銃が火を噴くのだから、まったく気が抜けない。
 更に、少年の仲間が実に的確なタイミングで少年を援護している。桐耶に向けて次々と撃ち出される弾丸の雨。鋼鉄をも上回る外皮に弾かれ、傷をつける事はないものの、これによって反撃の機はことごとく潰される。傍目から見れば何とも一方的な光景と言えよう。
 だがそれでも、所詮は人間。桐耶からすれば、『所詮は』で括れる相手でしかない。
 故に人間の優勢は続かない。少年の蹴撃を打ち払い、続く銃撃を軽々と躱して、容赦のない肘撃を叩き込む。少年の身体は小石のように弾き飛ばされ、後方に停めていた車に強か叩き付けられる。意識を失ったか、少年は立ち上がらなかった。
 少年が一蹴されるも、彼の仲間達に動揺は見られない。一人欠けたと認識すればすぐに散開、別形のフォーメーションに移行する。その見切りの早さは賞賛に値しよう。実際、桐耶はその動きにも感嘆の声を漏らしていた。

「悪くないね、人間ども」

 せせら笑うように呟いた瞬間、前腕の鎌刃に翠緑の光が纏わりつく。ぶんと塵屑を払うが如くに腕を振り薙げば、翠光は三日月の斬撃波となってシストリィの隊員達を吹き飛ばし、路面に叩きつけた。
 あの時とまるで同じ結末。当然と言えば当然だろう、元より装備や戦術で埋められるような差ではないのだ。格が違う、地力が違う。何度戦ったところで、これ以外の結果があろうはずもない。
 ふう、と一つ息をついて、桐耶は車へと向かう。シストリィのエンブレムが刻印された二台の車をそれぞれ物色して、やがて彼は目当ての品を見つけ出した。小さな手提げ金庫の中に収められた、紅色の宝玉。

「よし、後は……」

 これを持って帰るだけ。そう続けようとした桐耶の言葉を、背後からの金属音が阻む。
 振り向けば、そこには大口径拳銃を構えた少年の姿。死んだふりでもしていたのか、それともいま目を覚ましたのかは定かではないが、ともあれ現実として、彼は桐耶に銃口を向けている。

「……呆れたな。しぶといにも程があるよ、君」

 どこか嬉しそうな口調で、しかし立ちはだかるのなら今度こそ首を叩き落すと言わんばかりに、桐耶が鎌刃を構えた――その時だった。

「!?」

 強烈な光が桐耶の、そして少年の目を晦ませる。蟷螂の手にあった宝玉が、何の予兆もなく、突如として強烈な光を放ったのだ。
 視界を灼く白光に、桐耶も、少年も、反射的に腕で顔を覆う。一匹と一人の視界を覆い尽くす白光は、やがてびょう、と駆け抜けた一陣の風によって吹き散らされた。強烈な光に灼かれた視覚が機能を取り戻すまでに数秒。だがその数秒に、事態は激変していた。

「……はい?」

 風景が、一変していた。
 つい先程まで彼が居たのは鋼橋の上だ。幅広い川の上に架けられた橋の上。周囲に民家はおろか建物すら殆ど無い、どこか長閑な風景が周囲には広がっていた。
 だが今、桐耶の視界にある光景は、何処かの市街地。林立する高層ビルの内の一つ、その屋上に、彼は居た。
 混乱にかき回された思考が、それでも現状を把握する為周囲に意識を飛ばす。何故此処に居るのかは後に回そう。まずは此処が何処なのかを確かめなければ――
 それが、隙だった。
 雷鳴を思わせる轟音が響く。次瞬、腕に走った衝撃が、桐耶の手から宝玉を弾き落とす。宝玉は二、三度弾んだかと思うと、そのまま屋上から転がり落ちていった。
 振り向いたそこには、銃口から白煙を立ち昇らせる大口径拳銃を構えた、少年の姿。
 何たる迂闊。敵を至近に置いて、その敵から意識を外してしまうとは。大幹部たる霧倉桐耶にあってはならない失態だった。

「はっ! 油断大敵ってやつだ、カマキリ野郎ッ!」

 どうやら少年は、此処が何処かと考えるよりも、目前に居る敵の撃滅を優先させたらしい。兵士としてはあまり誉められた判断ではないだろう。ただしその判断、その選択は、決して間違いでもない。
 寧ろそれは、こちら寄り――非人間寄りの思考ではあるものの、それ故に、敵を目前に置いたこの時点での判断として、適切なものであった。

「ちっ――蟻ども!」

 地上へと落ちていった宝玉を追わせるように、蟻装兵を生み出す黒玉を放り投げる。宝玉の回収はこれでひとまず問題ない。実体化した蟻装兵が余計な被害を出さないかだけが、ほんの少し不安だったが。

「なに余所見してやがる! 手前ぇの相手は、こっちだろうが!」
「ちっ――しつこいな、君は!」
「おうよ、こちとら諦めの悪さが売りなもんでね!」

 少年の右手に握られた拳銃が弾丸を撃ち尽くし、がきん、と遊底を開いて停止する。
 弾倉交換の隙を衝こうとした桐耶だったが、まだ弾丸の残る左の拳銃がその出鼻を挫き、少年はスーツの前腕に仕込まれたギミックで器用に弾倉を交換、再度銃口を標的へと向けた。
 そして放たれる銃弾。だが奏でられる銃声は、炸薬が爆ぜる音とは全く異質なもの。
 銃口から放たれたのは赤熱する光弾。桐耶の右肩で炸裂したそれは、怪魔鎧蟲の外皮を撃ち抜いて、蟷螂に傷を負わせた。噴出する体液。人間の血液よりさらにどす黒い、重油を思わせる色合いのそれが、桐耶自身の身体と、足元の地面を濡らす。

「おら――もう一発!」
「うるさいっ!」

 少年が引鉄を引くのと、桐耶が左腕を振り薙ぐのは、どちらが速かったか。いや、それを考える事に意味はあるまい。振り薙がれた左腕から放たれた翠光は三日月の斬撃波となって、少年の撃ち放った弾丸を切り裂き、そのまま少年に到達。少年の胸部で爆発する。
 だが驚くべき事に、少年は倒れなかった。常人なら木っ端微塵に爆裂する一撃だ。強化服を纏っていたところで、その衝撃は吸収しきれまい。
 霧倉桐耶が目の前の少年に本気で感嘆したのは、恐らくこの瞬間であっただろう。

「おおおおおぉああッ!」

 咆哮と共に拳銃を乱射するも、やはりその動き、その照準が、先と比べて明らかに精彩を欠いている。
 長引かせるだけ意味がない。そう悟った桐耶は旋風の如く少年の懐に入り、鳩尾を膝で強打。がくりと少年の身体がくの字に折れ、彼の手が得物を取り落とした瞬間、その首を鷲掴みにして持ち上げた。
 完全に足が浮いている。必死に抵抗する少年だが、改造人間の万力が如き握力でがっちりと握られているのだ、よもや外れる事はない。

「もういい。少し、眠れ」

 少年の首を掴む桐耶の掌に、翠光が宿る。その光が少年の身体を包んだかと思えば、次瞬、少年の纏う強化服の各部から盛大に火花が散った。肩や脛の装甲が爆ぜ砕け、ヘルメットが一際大きな火花を散らして機能を停止する。力が抜け、ずしりと体重が増す感覚を確認してから、桐耶は少年の身体を放り投げた。
 生きているかどうかは確認しなかった。それよりも先に、やるべき事がある。額に指を当て、蟻装兵達の反応を探る。

「……移動している? 転がった宝玉を追いかけてる――という訳でもないよな……?」

 あまり時間をかけてもいられない――仕方ない。
 一つため息をついて、桐耶はビルの縁から更に先へと踏み出して、その身を空中へ躍らせた。











「どりゃあぁあああああっ!」
 がん。
「でりゃぁああああああっ!」
 ごん。
「ほぁたぁああああああっ!」
 がぃん。 
 



 威勢の良い掛け声と、金属を叩くような鈍い音が交互に響く。
 人気が失せ、ゴーストタウンも同然の寂れようを呈している繁華街では、当然ながらその音の正体を目撃する者は居なかった。ただもし仮に、それを目にする者が居たのなら、きっと驚きと呆れが同時に押し寄せる、微妙な心境に陥っていたはずだ。
 佇立する蟻装兵の群れと、それに真っ向から立ち向かって、拳や蹴りを繰り出している少女の姿。何かのコントかと思わせるシュールな光景こそが、閑散とした繁華街に響く掛け声と鈍音の発生源であった。

「~~~~~っ……!」 

 勿論、鉄板にも等しい強度を誇る蟻装兵の外殻が、たかが少女のパンチやキックで傷つく筈もない。真っ赤になった拳を振って必死に痛みを堪え、玖奈波ひよりはたまらず蟻装兵から距離を取る。
 先日、香港でひったくりから盗品を取り返した一件からも判るように、ひよりの身体能力は高校生のレベルを逸脱して高い。暴力の行使を躊躇わない人格もそれを支え、蟻装兵に挑みかかる愚行も、玖奈波ひよりならばむしろ当然の選択である。
 が、甘かった。さすがにそこらのこそどろやひったくりを相手にするようにはいかなかった。あまりに今更に、ひよりはそう理解する。

「……ふっ。――戦術的撤退っ!」

 無意味な抵抗を試みる獲物を、蟻装兵もどう扱って良いか解らなかったのだろう。困ったように蟻達が顔を見合わせた瞬間、ひよりは踵を返し、脱兎の如くその場を逃げ出した。
 数秒、呆けたように少女の背中を見送る蟻達だったが、やがて我に返った彼等は慌ててひよりの後を追いかける。

「いっ!? なんでなんで!? なんであたし追っかけてくんの!?」

 驚いたのはひよりである。他の人間が逃げる時にはただ見送るだけだった蟻装兵が、ひよりだけは逃すまいと追ってくるのだ。蟻の狙いがひより個人であるのは明白だった。
 正確には、蟻装兵の狙いはひよりではなく、彼女が無意識に握り締めたままの紅い宝玉であるのだが、無論それを、ひよりは知らない。

「あーもー、しつっこいなぁ……! ええい、ここだ!」

 見た目の鈍重さに反し、蟻装兵の走行速度はかなり高い。それなり以上に健脚なひよりが振り切れないレベルである。
 そうしてひよりが逃げ込んだ先は、繁華街に林立するビルの中でも一際高い建物。 ――鍵榁センターホテル。ショッピングモールとシティホテルが一体となった、鍵榁市の新名所である。
 一階ホールに居た人間達が、駆け込んできたひよりと彼女を追う蟻装兵を見て、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
 みんなごめん、と内心で謝りながら、ひよりは蟻装兵を誘導する。

「ほらほら! こっちこっちー!」

 ちらと後ろを確認する。追ってくる蟻装兵は全部で四体。とりあえず伏兵の類は気にしなくても良いだろう。
 蟻装兵が有する能力の詳細はさすがに判らないが、少なくとも鋼鉄に匹敵する強度の外殻と、人間を紙屑のように引き千切るパワーは間違いない。足音から察するに、そのサイズに見合って、重量も結構なものだろう。  

「ん。カタくて強くてデカくて重い、か。……あは、なんかヒワイだ」

 本棚の一角がBL小説で占められる、思春期の少女的な発想だった。
 ともあれ、そうであるならば対策も、勝利条件も見えてくる。逃げ切れればそれで良い。正確には、逃げ切るだけの時間を確保出来れば良い、か。――その程度の緩い条件ならば、ひよりにとってはそう難しいものではない。
 ひよりの進む先には二階へと続くエスカレーター。三段飛ばしでそれを駆け上がり、二階に辿り着いたところで踵を返す。えっちらおっちらと昇って来る蟻装兵。人間二人が悠々と歩ける横幅のエスカレーターも、蟻装兵の巨体には随分と窮屈そうだ。
 にやり。少女の顔に浮かんだいやらしい笑みに、蟻装兵達は果たして気付いていたか。
 ひよりが身を屈める。そのまま彼女の指は迷いなく、緊急停止ボタンを押し込んだ。
 重たげな音を響かせて、エスカレーターが停止する。しかし慣性の法則に従い蟻装兵の身体は前へと進もうとし、無理にバランスを取ろうとして態勢を崩す。結果、先頭を歩いていた蟻装兵が引っ繰り返り、ドミノ倒しの要領で後ろの仲間もろとも転げ落ちた。

「にひひ。ざまみろっつーの。ほんじゃ諸君、あたしは友達との約束があるからこれにて失礼!」

 そんな台詞を置き土産に、ひよりは踵を返す。
 駆け足でその場を離れながら、警察か自衛隊かに通報しようと――忌空師団が現れたらまず通報、というのはこの時代の国民の義務である――ポケットから携帯を取り出そうとして、そこで漸く、ひよりは右手に握り締めている宝玉を思い出した。
 考えてみれば、この宝玉が落ちてきた直後、蟻装兵は現れている。そして蟻装兵は周囲の人間には目もくれず、ひよりを狙ってきた。
 何故気付かなかった、少し考えれば導き出せる解ではないか。

「もしかしてあいつら、これ狙って――」

 瞬間。
 ショッピングモール内に、爆音が響く。爆弾でも落ちてきたか。そう考える暇もあらばこそ、次いで襲ってきた猛烈な爆風が、ひよりの身体を吹き飛ばした。
 生まれて初めて味わう、重力から解き放たれる感覚。ただそれも僅かに一瞬、すぐにひよりの身体は床に叩き付けられ、ごろごろと転がった挙句、仰向けの大の字になって停止する。

「いっ……たいなあぁもうっ!」

 なんだなんだ、一体何が起こったんだ。今日はほんと次から次に、まったく厄日だ。
 ぐちゃぐちゃに攪拌される思考を怒りで無理矢理一本化。声を荒げて、全身を苛む疼痛を意識しないように努める――それが、悪かった。

「あーもー、今度はなんなの……んぐっ!?」

 愚痴りつつも起き上がろうとした瞬間、口の中に何か、固くて丸っこい物が飛び込んでくる。大声を出す為に口を大きく開けていたのがまずかった。たぶん上から降ってきたそれが、ひよりの口へとチップイン。
 ごっくん。喉が鳴る。口の中から『固い物』の感触が消える。さぁっと顔から血の気が引く感覚。その感覚のせいだろうか、右手に握り締めていたものが消えていると、ひよりは気付かない。 

「……の、呑んじゃった」

 すぐに舌を突き出し、げえげえと吐き戻そうとするが出て来ない。舌の付け根まで手を突っ込んでみたが駄目だった。
 ――ざり。
 すぐ背後で、足音。
 爆発によって周囲にはもうもうと粉塵が立ち篭めている、視界はほぼ零。だから近づいてくる何者かに気付けなかった。気付いていたところで、大した意味もなかったが。

「……ひよりさん?」

 降ってきたのは、何処かで聞いたような声。聞き慣れた声では無く、しかしそれでいて聞き覚えのある、つい最近聞いた声。
 反射的に、ひよりは振り向いた。背後に佇む人影。いや、それは本当に『人』影であったのか。薄れ始めた粉塵の中、把握出来たシルエットは人間の形をしてはいたものの、しかし同時に、明らかに人間のそれとは異なっていて。
 それは、そう、まるで蟷螂のような―― 

 ――そこで、ひよりの記憶は途切れる。




 






『あぁ? 呑んじまっただぁ?』
「ええ、まあ。偶然が重なったというか、何というか……」

 ため息混じりに報告すれば、受話器の向こうから忌空師団首領こと幻塔院玄十朗の大爆笑が漏れ聞こえてきた。つい通話を切ってやりたい衝動にかられるが、報告すべき事項は他にもある、ここは我慢だ。
 あの後――宝玉の反応を追って鍵榁センターホテルに突入した後。
 ショッピングモールフロアの天井をぶち抜いて降り立った桐耶が目にしたのは、げーげーと胃の中身を吐き戻しにかかっている少女の姿。まさかと思い、一抹の希望に内心縋りつつ宝玉の反応を探ってみれば、反応のある座標には少女しか居なかった。無論、彼女の足元に転がってましたというオチもない。
 状況から推測するに、宝玉を呑みこんでしまったのか。何をどう間違えればそんな事になるのか甚だ不明だったが、とにかく吐き出させるなり腹を引き裂くなりして宝玉を取り出そうと、桐耶は少女に一歩近づいて、

「……ひよりさん?」

 その予想外に、足を止めた。
 立ち篭める粉塵によって塞がれた視界の中、それでも桐耶の改造人間としての視力は、その少女の顔をはっきりと捉える。
 玖奈波ひより。数日前、香港で出会った……否、“出遭った”少女。
 香港には家族旅行で来たと言っていたから、別に日本に居ても不自然はない。不自然はないが、しかし何もこんなところに居なくても良いだろうというのが、桐耶の本音。
 思わず一歩後ずさる。できる事なら逃げ出したい。少なくともそれは最早、『悪の秘密結社』において大幹部の地位に在る者の思考ではなかった。
 だが不幸にも、或いは幸いにも、桐耶の呟きを少女――ひよりは聞き取っていたらしく、彼女が桐耶の方を振り向く。

「――っ!」

 桐耶が反射的に取った行動。それは、蟷螂の刃を以ってひよりの首を刎ねる事だった。
 人道や人倫を足蹴にする事こそ彼等の本懐、抵抗する術を持たない少女を斬首する事すら、そこにおいては許容される。桐耶自身がどうしたいかを考える前に、怪魔鎧蟲としての身体は行動に移っていた。
 だが。
 ――異音。
 金属同士を打ち鳴らすかのような音が響き、振り下ろした刃が、弾かれた。

「な……!」

 反動に腕が痺れる。――有り得ない。玖奈波ひよりはごく普通の人間だ。香港で散々引っ張り回された時に確認している。ただの人間だからこそ、桐耶は彼女を苦手にしている。
 だが今の感触は何だ。鉄塊を斬りつけたかのような感覚。明らかに人間のそれとは違う。人間の肉を斬る感触と、まるで違う。
 衝撃だけは通ったのか、ひよりは目を回して気絶している。それだけが唯一の救いだった。
 もう一度、斬りつける。つい反射的に手が出てしまった先程と違い、今度は確かに、自分の意思で。しかし結果は変わらない。ただの人間であり、今は意識を失っている筈の少女に、蟷螂の刃は通らない。
 明らかに異常。少なくともそれは、桐耶が忌空師団の一人として成った時から考えても、初めての事。

「――宝玉を、呑んだから……?」

 常識で考えれば有り得ない。だが少なくともそれ以外に考えられる原因はなく、そして直接的な手段を使えない以上、宝玉を彼女の身体から回収する術を、今の桐耶は持っていなかった。 
 結局、彼は近くにあるアジトへ連絡を取り、ひよりをそこに運び込んだ。待機していた科学者達に少女の身柄を渡し、彼女の身体に起こった異変を調べるように命令して、一応現状報告をと玄十朗に電話し、現在に至る。

『ふん。つまり、だ。宝玉はその嬢ちゃんの腹ン中で、おめーにゃそれを取り出す術がない』
「明察な理解で助かります」
『しっかしなあ……いや、どうしたもんかね。手術で取り出すってェ訳にゃいかねえんだろ?』
「少なくとも、刃物は駄目ですね。メスは歯が立ちませんし、ナイフや包丁も弾かれます」

 その癖、普通に触れる事自体は可能なのだ。桐耶もひよりの頬を軽く指で突いてみたが、まるでマシュマロの如き感触があるばかりだった。

『頬っぺた? おい何やってんだ桐耶、目の前に女子高生が寝てるんだぞ! そこは普通頬っぺたじゃなくて乳だろ! つーか“突く”じゃなくて“揉む”だろ!』
「なんでテンション上げてるんですか、首領。……話を戻しますけど、多分、あれは『害意』に反応してるんじゃないかと思います」

 触る、撫でるという程度の接触なら何も起きないが、これが殴る、叩くとなると途端に弾かれる。武器も同様。ナイフに棍棒に拳銃と、手元にあるだけの武器で斬る殴る撃つと試してみたが、何一つ効果を上げられなかった。
 厳密にはひよりの肌に弾かれるのでは無く、その数ミリ手前で攻撃は弾かれる。害意に反応する不可視のフィールド――と思しきもの――が彼女の身体を包んでいる、それがアジトに居る科学者達の調査結果だった。

「いや、まあ、原因はあの宝玉なんでしょうけど」
『そうだな。いやしかし、驚いたな。あの玉っころ、そんな効果もあったのか……』
「? 首領、ご存知なかったんですか?」
『そりゃ、人間に呑ませた事ねえもんよ』

 あっさりと言われた。
 まあ確かに丸薬でもあるまいし、人間に呑ませてみようなんて発想は普通出てこない。

『下剤でも飲ませてみるか? 上手くいけばケツから出てくるぞ』
「まあ、悪くないとは思いますが……それと首領。僕は構いませんけど、他の人達の前で言わないでくださいね。かなりヤバいレベルのセクハラになります」

 『悪の秘密結社』もセクハラパワハラアルハラに気を使わなければならない御時勢である。
 ともあれ。

「とりあえず下剤はともかくとして、彼女は暫くどこかに閉じ込めて、自然に出てくるのを待とうと思うんですが」
『あー駄目駄目。そりゃ却下だ』
「駄目……ですか? 悪くないと思ったんですが」
『馬鹿野郎。悪いに決まってんだろ。可愛い女の子を拉致監禁、地下室に閉じ込めてあんなコトやこんなコトで調教して最終的には御主人様とか言わせようって、そりゃなんてエロゲだよ。んな羨ましい事……げふんげふん、人道に反する真似が出来る訳ゃねえだろ』
「首領。僕等は人道を踏み躙る『悪の秘密結社』じゃなかったんですか? あと地下室だの調教だの御主人様だのは僕は言ってませんからね。訴えられても関係ないですからね」

 幻塔院玄十朗。悪党集団のの首魁の癖に、変なところでモラルとかポリシーとかに厳しい男である。まあ、今に始まった事でもなし、付き合いももう随分になるから、どんな事を好みどんな事を厭うのかも、大体理解しているのだが。
 大幹部である桐耶の提案は大抵無条件で通るものだが、それでもやはり首領である玄十朗の発言権・決定権に敵う筈もなく、彼の判断こそが最優先。判断、というよりは単なる我儘な場合もあるが、それでも彼の意思こそが忌空師団では最も尊重されるのだ。

「しかし首領。宝玉の回収は一刻を争うのでは? 早くしないと、“あれ”が“こちら側”に現出してきます。そうなれば我々の世界征服計画もかなり遅れる事に……最悪、此度の侵略が頓挫しかねません。また二十年待つおつもりですか?」
『むう。そりゃ正論だ。んーむ……』

 電話の向こうで首領が唸る。桐耶の案を却下した割に、代案は無かったらしい。
 仕方ない、と桐耶はため息をついて、次善案を提出する――だがその直前、玄十朗もまた何かを思いついたらしく、「おう、そうだ!」と声を張り上げた。

『おい桐耶、お前高校にゃ通ってなかったよな?』
「……はい。最終学歴は小学校中退ですが、それが何か」

 知識自体はそれなりにあるのだが、学校に通っていたのは僅か数年。義務教育すら中途で放棄している。彼が忌空師団に入ったのが小学四年生の時だから、その後に真っ当な教育を受けられる訳も無いのだが。

『そうかそうか。おう、そりゃ都合が良いぜ』

 嬉しそうに笑う玄十朗。
 めちゃくちゃ嫌な予感がした。

「あの、首領――」
『なあ、桐耶』

 桐耶の言葉を遮って、玄十朗が続ける。

『学校、通ってみたくねえか?』











 午前七時十五分。ひよりの枕元で、目覚まし時計が起床を促す。
 夏休みの間、およそ一ヶ月以上の長きに亘って惰眠を貪る生活を続けてきたひよりだ、そうほいほいと起きられるものではない。だが枕元で鳴り続ける時計を引っ掴み、壁に向かって全力投球するというのは、自堕落な生活が続いたのが原因と言って良いものか。
 壁を直撃した目覚まし時計がかなり凄惨な音を響かせ、床に落ちる。だがそれでも音は止まらない。撃っても斬っても殴っても壊れない頑丈さが売りの時計、両親が買い与えたのはそこに期待しての事であり、そして時計はその期待にしっかりと応えていた。
 
「うー……」

 もぞりと布団から這い出し、ずるずると床を這いずって、目覚まし時計に手をかける。大音量のベルが鳴り止み、室内に再び静寂が訪れた。

「……ぐー……」

 浮き上がりかけた意識は再び泥の底へ。さようなら現実。

「あらあら、ひよりちゃん。またそんな格好で寝ちゃって」

 がちゃりとひよりの部屋の扉を開け、母親が顔を出した。頭を叩かれ、肩を揺すられて、そこで漸くひよりは目を覚ます。学校のある日はいつもこうして母親が起こしに来る。実際、誕生日プレゼントとして買ってもらった目覚まし時計は殆ど役に立っていない。
 ちなみに、母親がひよりを見て口にした第一声は別に間違いではない。『そんな格好で』という言葉が真っ先に出たのは、単に娘が布切れ一枚身に付けていない真っ裸で寝ていたからだ。下着すら身に付けていない。別にノーパン健康法を実行している訳ではなく、布団にもぐると服を脱ぐというひよりの癖である。

「むー……おふぁよ、ママ」
「おはよう。ほらほら、今日から学校ですよ? 朝御飯食べる時間がなくなるわ。早く仕度して、降りてきなさいね?」

 それだけ言って、母親は部屋から出ていった。
 未だ胡乱な頭のままのろくさとひよりは立ち上がり――その様はどこかゾンビを連想させる――箪笥の中から下着を引っ張り出して、身に着けた。

「あれ?」

 今日から、学校?
 確か母親はそう言っていた。いや、そうでなくても、目覚まし時計がセットされているという時点で、既におかしいのだが。
 下着姿のまま机に向かう。携帯電話の液晶画面で日付を確認すれば、確かに、今日は学校が始まる日、始業式の日だった。

「え? なんで? え?」

 夏休みはまだ、何日か残っていた筈じゃないのか。
 腕を組み目を閉じて、記憶を遡る。霧がかかったように霞んで薄れた記憶だったが、それでも、少しずつ昨日までの事が脳裏に甦ってきた。
 夏休み中、香港に旅行に行ったり友達と海に行ったり、カラオケでアニソンを歌いまくって喉が潰れ、アイスを食べ過ぎてお腹を壊し……エトセトラエトセトラ。確か昨日は夏休み最後の日だからと、家族で食事に行った筈。中華料理店で麻婆豆腐とエビチリを食べまくって舌が馬鹿になった。
 そうだ。だから今日が始業式というのは当たり前じゃないか。どうしてそれが不自然だと思ってしまったのだろう。不自然だと感じた事こそが不自然、何故違和感を覚えたのかと、ひよりは首を傾げる。
 ……人間、他者を疑う事はできても、自分を疑う事は意外に難しいものだ。変だとは思いつつも、結局ひよりは自分の記憶を疑っていない。ただしこれはある意味当然。自分の記憶が誰かによって書き変えられたものじゃないかと疑う人間は、まず居ない。

「ひよりちゃーん! 遅れるわよー!」
「あ、うん! いま行くー!」

 階下から聞こえる声に言い返して、ひよりは思索を中断し、服を着始める。髪を整え化粧を済ませ財布と携帯をポケットの中に入れ、最後に鏡の前でくるりと回ってポーズを決めた。よしOK、今日もイケてるひよりちゃんだ。
 鞄を引っ掴んで部屋から飛び出し、ひよりは階段を駆け下り――否、飛び降りた。











 玖奈波ひよりが通う高校は『何処にでもあるような』とか『ごくありふれた』という形容が良く似合う、飛び抜けてランクが高い訳でも部活動が盛んでもない、平々凡々という言葉をカタチにしたような公立高校である。名前からして鍵榁第一高校。至極平凡な、捻りも面白味も無い名前からも、その平凡さが窺える。
 ひよりがそこに進学した理由の中で最大のものが『近いから』。近隣の市や町にも公私立問わず高校は幾つか存在するが、そして中学時代のひよりはそのどれもが選り取り見取りという成績であったのだが、結局、彼女はただ近いからというだけの理由で鍵榁第一高校を受験し、あっさりと合格している。ただ付言しておけば、彼女が鍵榁第一高校に進学した事を惜しむ声はまったく皆無だった。
 玖奈波家から自転車で十五分。鍵榁市のやや郊外に位置する、交通の便が微妙に悪いところに、鍵榁第一高校は存在する。
 時間はおよそ八時十五分。登校生徒の数がピークに達する時間帯だ。鍵榁第一高校へと向かう同輩の群れをするりするりと器用にすり抜け、ひよりの駆る自転車は学校に到着。
 自転車置場に愛車を停め、鍵をかけて校舎に入る。下駄箱から上履きを取り出し履き替えて、鼻唄混じりに教室までの廊下を歩く。ひよりの教室、二年四組は校舎の三階。軽快に階段を駆け上がったところで、彼女は見慣れた後ろ姿を前方に見つけた。

「お。……にひひ」

 男子生徒の夏服である白いワイシャツ。後ろからでも判るガタイの良さ。校則違反の、染色した上に整髪料で固めた髪。同じ高校に通う幼馴染だと、ひよりはすぐに気付いた。
 足音を殺して近づく。相手は気付いていない。はーっ、と掌に息を吐きかけ、その掌を振りかぶって――

「おーっす! おはよー、快晴!」

 ばちーん、と、朝の廊下に快音が響く。
 思い切り彼の背中を引っ叩いて、ひよりは一歩身を引いた。「何しやがる!」と突っかかってくる彼を予想しての事だったが、予想に反して、彼は蹲ってぷるぷると震えているだけ。

「……あり?」 

 首を傾げつつ彼の前に回りこむ。自分もまたしゃがみこんで、彼と視線を合わせた。剣呑な視線が半べそかいた瞳からひよりへと向けられる。その顔にはべっとりと脂汗が浮いていて、見れば心なしか顔色もよろしくない。健康優良児であるこの男子には珍しいコンディションと言える。

「あれ快晴。今日は元気ないね。どしたの?」
「こっ……の、アマ……!」

 絞りだすような声。だがそれが精一杯なのか、彼は再び俯いて、痛みに耐える。

「ねーどしたの快晴。ねーねーねーねー」

 胸元まで開けたワイシャツの下に、彼は普段黒いTシャツを着ているが、しかし今日はぐるぐると巻きつけられた白い包帯しかない。胴体はおろか首にまで包帯は巻かれている、加えて額にもハチマキよろしく包帯が巻かれ、左頬には大きな絆創膏。どうしたのと訊くまでもなく、彼が怪我を、それも相当な大怪我をしているのは明らかだ。
 そんな彼の肩を掴んで、ゆっさゆっさと揺さぶる女子が一人。
 地獄の鬼か冥府の悪魔かというイイ笑顔の、玖奈波ひよりだった。

「な……ん、でも、ねえよ……! バイトで、筋肉痛、な、だけ、だ……!」

 どう間違ってもそれは筋肉痛などというレベルのものではなかったのだが、そう言い張る以上、彼が本当の理由を口にする事はないだろう。もう十年以上の付き合いな幼馴染である、それくらいは大体判る。
 石動快晴。玖奈波ひよりの幼馴染。小学中学高校と同じ学校同じクラスという、絵に描いたような幼馴染である。とは言えどこぞのラブコメのように、朝起こしに行ってあげたり夕食を作ってあげたりちょっとした拍子に目が合ってどきっとするとかいう関係はまったく皆無なのだが。
 どちらかと言えばその関係は同性同士の友人に近い。だからスキンシップと言うにはやや過激すぎるこの挨拶も別におかしくはないのだ。多分。

「ふーん。ま、筋肉痛ってんならいーけど。じゃね、あたし先行くからー」

 未だ立ち上がれない快晴を置いて、ひよりはさっさと教室まで歩いていく。
 がらりと教室の扉を開き、中に這入る。鞄を自分の机の上に投げ捨て、窓際に並ぶ席の一つに近づいた。

「おっはよー!」
「あ、おはよう、ひよりちゃん」

 快活な挨拶に、ひよりの親友、結賀ゆいが文緒ふみおがほんわかとした優しげな微笑で応えた。

「ひよりちゃん、お婆ちゃんは大丈夫だった?」

 ひよりが近くの席から勝手に椅子を引っ張ってきて座るなり、文緒はそんな事を言い出した。

「おばーちゃん?」
「あれ? この前遊ぶ約束した日に、急にお婆ちゃんが倒れたから行けなくなったって……」

 祖母が――倒れた?
 文緒達と遊ぶ約束をした日。それは憶えている。四人でカラオケに行こうと約束していた日だ。確か自分は繁華街のファーストフード店で三人を待っていて。確か文緒から少し遅れるとメールが入って、それから――
 ざり。
 思考に、ノイズが、走った。

「ああ――うん。大丈夫大丈夫、うちのおばーちゃん、働き者だから。ちょっと疲れが溜まっただけみたい」

 文緒に返信のメールを送った直後、母親から連絡があったのだ。祖母が倒れた、と。
 すぐに文緒にメールを送り、家に帰って、母親と一緒に祖母の見舞いに行って。祖母の容態は大した事ないと判って、戻ってきたのが昨日の昼頃だ。そう言えば連絡するのを忘れていた。そりゃ心配するだろう、両手を合わせて拝むようにごめんなさい。

「うん、大丈夫なら良かった。……あ、そうだ。さっき先生から聞いたんだけど、今日からうちのクラスに転校生が来るみたいだよ」

 成績が良いけど問題児、そんな扱いのひよりと異なり、文緒は教師陣からの受けが良い。朝のHRで知らされるような話題を先んじて教えられる事も、珍しくはなかった。

「へえ、転校生? あー、失敗したなあ。そんなん来るんなら、もうちょっと寝過ごせば良かった。朝ご飯パンにしてもらってさ」
「で、『遅刻だ遅刻だ』って言いながら、曲がり角でごっつんこするの?」

 ベタだね、とくすくす文緒が笑う。
 そんな話をしている内に予鈴が鳴り、ひよりは席へと戻る。程なく教室の扉が開き、ひより達の担任が這入ってきた。その後ろに、見慣れぬ生徒を一人引き連れて。あれが先の話に出てきた、転校生だろう。
 担任が黒板に転校生の名前を書いていく。漢字、そしてその横に、ふりがなを。
 それじゃ、挨拶して――担任にそう促され、一つ頷いてから、転校生は口を開いた。



「どーもー! 苔茎菊華っす! フルネームは発音し辛いんで、気軽に『お菊ちゃん』って呼んでくれると嬉しいっすよ!」



 一般的な高校二年生の平均から大分低い身長、その癖制服の上からでも分かる平均をかなり逸脱した胸。背丈に見合って胸に見合わず、どこか幼さを残した顔立ち。地毛なのか染髪なのか微妙に判断し辛い、赤色がかった髪。
 残念ながらひよりの希望とは裏腹に――転校生は、女の子。
 苔茎菊華。
 そう名乗った転校生が、今日からのクラスメイトにふかぶかと腰を折ってお辞儀して――万雷の拍手で、迎えられた。











『つーか、よお』

 電話越しに聞こえてくる玄十朗の声は、露骨なまでに不満に溢れていた。

『何で菊華にやらせるかねえ、おめーは』
「当たり前でしょう。僕は僕で割と忙しいんです」
『おめーに高校生やらせてやりたいっつー、この親心が解ンねえかなあ』
「親の心子知らずというやつでしょうよ。あと大きなお世話です。ありがた迷惑です」
『あーあ。桐耶は変わっちまったぜ。昔はもっと可愛げがあったんだがなぁ』
「首領と十年付き合ってれば、嫌でも学習しますよ」

 桐耶は学校に通った経験が乏しい。小学校、それも低学年の頃に“中退”してしまったので、当時の記憶などないに等しい。そんな自分が高校になど通っても、あの纏まっているようで纏まっていない半端な集団生活に、果たして適応できるものか。
 だが代理として菊華を高校に送り込むというのは、これはこれで面倒なものであった。始業式三日前に転入手続き、それも身元不明の、しかも今年二十六になる女性を無理矢理だ。催眠、洗脳、書類偽造など、菊華を転入させる為に犯した犯罪行為は二桁を超える。
 そこまでして彼女を送り込んだのは――ただ一つ、監視の為だ。

「まあ、お菊さんなら大丈夫でしょう。あの人童顔だし、何も言わなければ中学生にだって間違えられますから。それにコミュニケーション能力も高い。監視対象に近づくにはうってつけだし、対象が女子なんですから、監視する側も女子の方が何かと便利でしょう」

 桐耶が監視した場合、例えば体育などで男女が別れる授業だと、その時間は監視が疎かになってしまう。それを防ぐ意味でも、菊華は適任だった。
 まあ正直な話、桐耶が自分で高校に潜入しなかったのは、監視対象が玖奈波ひよりであるからという側面もあるだろう。桐耶の言葉は確かに正論だが、その実、ひよりに近づきたくないという本音を隠す為のものでもある。

『んー……まあ、な。でもなあ、菊だとなんか面白くねえんだよなあ……』
「今、面白くないって言いましたね?」

 呆れ半分に言う桐耶だが、その間にも手は休めない。パソコンの前に座り、キーボードを叩きながら、玄十朗と電話しているのである。
 菊華にひよりの監視を任せている間、桐耶は桐耶で済ませておきたい用事があるのだ。

『おう、そうだ。例のアレ、データ送っといたぞ』
「ありがとうございます。っと……ああ、このファイルですね」

 メールに添付されて送られてきたファイルを開く。画面に映し出されたのは一枚の写真。数日前、玄十朗の家で見せられた衛星写真とほぼ同じもの。――ただしこちらは、以前見せられた写真にあった『歪み』の位置が、微妙に異なっている。
 ぐにゃりと渦を巻く歪み。前に見た写真では九州南部にあったそれが、今は下関海峡の付近にまで移動している。

「首領。これは、やはり……」
『ああ。その嬢ちゃんを目指してると見て、間違いねぇ』

 僅かな沈黙を間に挟んで、玄十朗は続ける。

『そもそもこの前だって、良く考えりゃァ妙なんだよな――空間転移だぞ? そうほいほいと起こる事じゃねぇ。しかも次元の狭間に閉じ込められるでもなく、あっさり通常空間に戻ってこれたっつーのが、また作為的なもんを感じるよな』
「同感です。今にして考えれば、まるで狙ったようにあの場所へ転移したような……ひよりさんがあの場所にいた事も、偶然じゃないのかも」

 偶然、宝玉が転移した場所に玖奈波ひよりが居た訳ではなく。
 玖奈波ひよりを目指して、宝玉は転移した――桐耶達はそれに巻き込まれたのだと考える方が、強引ではあるものの筋が通っているように思える。宝玉を呑み込んだひよりが不可視の力場に守られるようになった事も、どこか意図的なものを感じてしまう。

「……首領。近い内に一度、“向こう側”へ入ってみようと思います」
『あん? おい桐耶、本気か?』
「はい。宝玉を介してであっても、“奴”が“こちら側”に干渉できるほどに膨れ上がっているとしたら――いえ、もうそうなってると考えるべきです」



「【デヴォロ・ムスシプラ】――奴への対策を考える為にも、状況の確認は必要です」





◆      ◆





 続劇





◆      ◆



[30023] 4:『回答は脅迫』
Name: 濁水◆44d72913 ID:35af097c
Date: 2011/10/12 08:42


 夏休みが終わり、新学期が始まって……つまり苔茎菊華が鍵榁第一高校二年四組に転入して、一週間が過ぎた。
 菊華はあっという間にクラスに溶け込んだ。人と仲良くなるのは一種の才能と言えるのだろうが、その才能に菊華は非常に恵まれている。クラスの人気者とは言わないが、転校生にありがちなクラスの中で浮いた感じは、少なくとも菊華に関する限りは皆無であった。

「へーいお菊ちゃん! お昼にしよー!」
「了解っすー! 今行くっすよー!」

 玖奈波ひよりを初めとする数名は、もう数年来の親友と言った感じに菊華と付き合っている。昼休み、一緒の机で弁当を広げる仲というのは、少なくとも親密という言葉で表現するに充分なものだろう。

「で、ひよりん。今日のは?」
「ふふん。勿論あるわよん。さあとくと見るがいいー!」

 最近のひよりはお菓子作りに凝っている。文武両道という言葉をあくまで字面のみの意味で捉えるなら、玖奈波ひよりはその言葉をまさに体現する人間だ。人並み以上に勉強もできれば平均以上に運動もできる、ただし決して人格者ではないしその行動は周囲の多大な被害と迷惑によって成り立つ、というオチがつくのだが。
 さておき彼女は家庭科とて人並み以上にできる訳であって、料理も例外ではない。調理実習の場で家庭科教師の目を盗み満漢全席を作ろうと目論んで、結果として制止されたものの短時間で二十種以上の料理を作り上げたエピソードもある。
 四日前、夕食を食べながら見たTV番組でやっていた『最近注目のスイーツ特集』なる企画――今回、ひよりの興味を惹いたのはこれだった。普通の女子高生なら番組内で紹介されていたスイーツを食べたいと思うだけ、もしくはその店に実際食べに行くのだろう。ひよりのように、自身でそれを再現しようなどと考える人間はそう居ない。
 そんな訳で弁当の中身をあらかた片付けた頃、ひよりはタッパーを一つ取り出した。中に入っていたのはそれこそ有名店の店頭にあってもおかしくない、どこぞの料理アニメならば眩いばかりのエフェクトと共に出てきそうな、綺麗な彩りのモンブランだった


「むう。今日はまた凄いっすね」
「ふふん。今日は自信作よん。あ、そっちで一人寂しくパン食べてる気の毒なチンピラ、ちょっとおいでー」

 ひよりの暴言に、「あぁ?」と窓際の席に座る男子生徒が振り向いた。猛獣を思わせる剣呑な視線に反し、その手に握られているのはチョココロネ。ちまちまとパン部分を千切って、チョコをつけて食べている。男らしいかどうかはともかく、豪快さは皆無だ。
 ちっ、と一つ舌打ちして、男子生徒――石動快晴がひよりのところへと寄ってくる。
 お裾分けはいつもの事なのだろう、ケーキの乗った皿を受け取る快晴の態度からは、遠慮というものがまるで感じられない。生まれてからずっと、もう十五年以上の付き合いなのだから、今更遠慮とか礼儀とかを気にするのも馬鹿らしいという事だろうか。

「『か、勘違いしないでよねっ! あんたの為に作ってきたんじゃないんだから』!」
「ベタな台詞吐いてんじゃねえよ、偽ツンデレ」
「にひひ。そーだね、ツンデレはむしろ快晴の方だよね」
「うるせえよ」

 苦い顔をしながら、快晴はケーキを口の中へ放り込む。途端、苦虫を噛み潰したようなしかめっ面がほどけて緩んだ。
 誰に説明されずとも、その表情だけで彼が超のつく甘党であると知れる。幼馴染のひよりはそれを充分過ぎるほどに理解している。ともすれば登校中にも板チョコ齧っているような男だ、ケーキがあると知れば、案外呼ばれずとも寄ってきたかもしれない。
 
「そういえば」

 ふと、文緒が菊華に向け、口を開く。 

「菊華ちゃんのおうちって、どの辺にあるの?」
「わたしの家っすか?」

 菊華の家は鍵榁第一高校から程近い、歩いて十五分前後の距離にある、五階建てマンションの一室だ。そこそこ家賃が安い割に広くて設備も整っている、すぐ近くにコンビニもあるし駅からもそう遠くない、掘り出し物と言われるような物件。そこに、菊華は一人で暮らしている。

「え、一人暮らし? お父さんとお母さんは?」
「え? えーと、海外に転勤になっちゃったんすよ。わたし英語喋れないもんだから居残りっす。で、まあ、暮らしやすいところにお引越しで、こっちに転校してきたっすよ」

 ぺらぺらと口をつく菊華の言を、ひよりも文緒もまるで疑っていなかった。まあ普通、友達の言う事を一々疑ってかかる人間も居ない。またそれでなくとも、玖奈波ひよりという少女は他人を疑う事を知らない人間であった。
 ……ただ、それは彼女の善性に拠るものではなく、例え嘘を吐かれ裏切られたところで、屁とも思わない彼女の強靭さに起因しているのだが。

「ねねね、お菊ちゃん。今日遊びに行っていい?」
「オッケーっすよ。おーるうぇいず・うぇるかむっす!」
「……うん、英語は駄目駄目だね、菊華ちゃん……」

 呆れたような困ったような文緒の笑みは、見事にスルーされた。
 かくてあっさりと約束は交わされ、苔茎菊華のお宅訪問が決定した――それが事態を新たな展開へと導いていくと、今はまだ、誰も知らない。
 




◆      ◆





 4:『回答は脅迫』





◆      ◆





 苔茎菊華が鍵榁第一高校に潜入し、玖奈波ひよりの監視を始めて一週間。監視対象の動向は菊華から逐一報告を受けていた桐耶だったが、仕事に忙殺され、報告は全て電話かメールで受け取っていた。菊華の潜入中に別の仕事も進めているので、この一週間は自宅に缶詰。外出したのもおよそ一週間ぶり、時間に直せば約百七十四時間ぶりとなる。
 故に、桐耶が菊華の住まうマンションの一室を訪れたのは、この家を買い取った時と合わせて、これで二度目。菊華が生活を始めてからと考えれば、これが初めての事だった。

「と……鍵はどこにしまったか……」

 ポケットの中をまさぐり、合鍵を取り出す。独身女性の住まいに踏み入るのはやや良心が咎めるのだが――『悪の秘密結社』の大幹部に良心などというものがあるのかという突っ込みはさておき――菊華自身から「好きに入って良いっすよ。いやむしろじゃんじゃん入ってきてください!」と鍵を渡されているのだから、それの使用に対しては躊躇がない。
 ちなみに菊華には昨晩、報告を受け取る際に、電話で「明日そちらに向かう」と伝えてある。ここ一週間の報告は全て『異常無し』『変化無し』であり、未だ宝玉はひよりの体内から離れていない。今後の方策を考える必要があった。

「……うわあ。こりゃひどい」

 家事の類が不得手な菊華の事、ある程度予想はしていたが、室内は予想に違わぬ散らかしっぷりであった。さすがにゴミ屋敷というほど酷い訳ではないのだが、全体的に埃が溜まり服だの下着だのが脱ぎ散らかされている状態には、桐耶も眉を顰めた。よくも一週間でここまで散らかせたものだ、と逆に感心するくらいである。
 ため息をついて、桐耶はとりあえず居間にまで移動し、窓を開け放って換気を始める。脱ぎ散らかされた服を洗濯し、掃除機をかけて、最後に軽く雑巾がけをして埃を拭う。他人の部屋を勝手に掃除するのはかなり失礼な事という自覚はあるものの、さすがにこんな汚い部屋で菊華の帰りを待つ気にはなれない。
 と、玄関の方でかちゃりと錠の開く音。音に反応した桐耶が玄関に足を向けた瞬間、扉が開いて、菊華が顔を出した。

「ただい……あれ、キリヤさま?」
「ああ、お菊さん。おかえりなさい」
「あ、ただいまっす。って、え? なんでキリヤさまが居るっすか?」
「なんでって……昨日、電話で連絡したじゃないですか」
「へ? ……あ」 

 本気で意外そうな顔をしているところを見ると、完全に忘れていたらしい。
 だが直後、はっ、と何かを思い出したかのように菊華は眉を上げた。隠していた答案を見つけられた子供のような、或いは隠していたエロ本を見つけられた男子のような、そんな顔。
 何かあったのか。そう問い質そうとした桐耶だったが、それよりも僅かに早く、菊華の背後で扉が開く。菊華が誰かを連れてきたのだ、と気付いた時には既に遅い。身を隠す暇もなく、扉を開け、部屋の中に這入ってきた来客が、桐耶の姿を捉える。

「……っ!」

 喉から漏れかけた何言かを飲み込む事には成功したものの、その代償として、桐耶は表情筋の引き攣った間抜け面を来客に晒す羽目になった。

「お? あ、お菊ちゃんの家族さん? ……ん? んん?」

 来客は二人。うち、最初に這入ってきた少女が、首を傾げつつ桐耶を見遣る。
 遠慮のないその視線から逃れるように目を背ける。無駄だろうとは思っていたが、いやそれは最早確信に等しいものであったが、現実はその確信をまるで裏切らず――逆に言えば、桐耶の期待を完膚無きまでに裏切って――少女はぽんと手を叩いて声を上げた。

「あー! キリくん!? うわ、久しぶり!」
「……ええ、どうも。お久しぶりです、ひよりさん」

 先日、鍵榁センターホテルでの件は憶えていないのだから、彼女にしてみれば桐耶とは香港で別れたきりだ。それでもいいところ二十日程度、厳密には久しぶりというほどの時間も経っていないのだが、それを一々訂正する気にはなれなかった。
 ともあれ桐耶は苦りきった表情を愛想笑いの下に無理矢理押し込め、来客の少女――玖奈波ひよりに挨拶を返す。
 知り合い? と訊いてくる友達に、にひひと厭らしく笑って、ひよりはその笑みを桐耶にも向けた。どうリアクションを返して良いものか解らず、桐耶も愛想笑いで応える。
 さておき、いつまでも客人を玄関先に立たせておく訳にもいかない。ひよりともう一人――結賀文緒、と名乗った――を家に上げ、居間へと案内する。無論その際、じろりと横目で菊華を睨む事も忘れない。

「へー。思ったよか綺麗にしてんだね」
「うん。掃除も行き届いているし」

 居間に足を踏み入れた少女達が、室内を見回してそう感想を述べる。

「へ? あ、ああ、そりゃもちろんっすよ。女の子なんだから、常にお部屋とか身の回りとかは綺麗にしておくもんっす」

 ちょっと待て。
 とんでもなく調子の良い事を言っている部下に胸中で突っ込んで、桐耶は台所に入る。しかしマグカップを人数分揃えたところで、ふと居間のひよりが桐耶を呼んだ。

「ねえねえねえ、お菊ちゃんとキリくんって、どういう関係?」

 やっぱり来たか。
 まあ、当然と言えば当然の疑問だ。年頃の女の子が一人で暮らしているという家に男が居れば、ひよりでなくても気になるところだろう。
 しかし一体何と答えたものか。まさか正直に本当の事を教える訳にもいくまい。そうなった場合はそのまま口封じに移行せざるを得ないが、彼女の友達はともかく、ひよりにはそれが出来ない。宝玉に護られている彼女には手が出せない。なので必然、桐耶達の取るべき選択肢は『誤魔化す』以外になかった。
 一瞬の目配せ。この辺は阿吽の呼吸だ、言葉がなくとも菊華は桐耶の意を汲んで動く。任せろと言わんばかりににやりと笑い親指を立てる菊華の姿は、それなりに頼もしく見えた。
 だが。

「キリヤさま……じゃなくてキリヤは、何を隠そうわたしの弟っす」
『弟!?』

 思わず声を揃えて聞き返すひよりと文緒に、菊華はその通りっす、と胸を張った。
 いやいやいやいや。
 他にも幾らでも誤魔化しようはあるだろうに、何で弟――!

「あれ? でも、キリくんって確か十七だよね? お菊ちゃんと同い年? 双子?」
「あ、えっと――じ、実は血の繋がらない姉弟なんすよ! 義理の姉弟ってやつっす!」
「マジ? 血ィ繋がってないの? うわ、なんかエロいニオイがする!」
「そりゃもう、エロエロっすよ!」

 そこからはもう泥沼だった。
 一つ嘘を隠す為に二つの嘘を吐き、二つの嘘を隠す為に四つの嘘を吐き。見る間に膨れ上がっていく出鱈目と出任せ。義理の姉弟が織り成す禁断の愛、次々と襲い来る危機また危機。二人を引き離そうとする運命に抗い立ち向かい戦ってそして乗り越えるまでの経緯を、講談師よろしく菊華は語り出す。
 一から十まで徹頭徹尾、大嘘であった。よくもまあ即興でそこまで出鱈目をほざけるものだと、逆に感心するくらいである。
 ……後で憶えてろ、と口の中だけで呟いた言葉は、無論、菊華には届かなかった。











 石動快晴が他人に自慢できる事の一つとして――彼の人格を鑑みるに、『自慢する』という行為はそもそも有り得ないと言えるのだが――傷の治りの早さが挙げられる。
 十日ほど前、彼は忌空師団の改造人間と戦い、瀕死の重傷を負った。医者の見立てでは全治一月、それも入院し絶対安静の状態でだ。だがそれにも関わらず彼は入院を拒否、ミイラ男の如く包帯塗れでありながら、三日後には学校に通い始めている。そして十日が経った現在では、完治とは言わずとも本調子に近い状態となっていた。
 と言っても、快晴の治癒の早さというのは、つまるところ痩せ我慢でしかないのだが。痩せ我慢に身体が順応するが故の治癒速度なのだ。
 痩せ我慢こそ男子の真骨頂。石動快晴の座右の銘である。
 ただ痩せ我慢とは言っても、それは結局肉体的な面に限られる。快晴にとって傷が未だ癒えないうちから日課のトレーニングを行うのは痩せ我慢であっても、それを中断してまで幼馴染の益体も無いお喋りに付き合わされるのは、生憎と痩せ我慢の範疇には含まれていなかった。

『でさー。いやびっくりしたね、お菊ちゃんの家にキリくんが居るとは思わなかったじゃん? 世の中って狭いよねー』
「……ああ、そうだな。狭ぇ狭ぇ」

 電話の相手――玖奈波ひよりに生返事を返して、快晴は一つ大きなため息を吐いた。
 電話がかかってきてからおよそ三十分。その間、受話器の向こうではひよりがのべつ幕なしにお喋りを続けている。適当な用事をでっち上げて電話を切ってしまえば良いのだろうが、そこはそれ、もう十五年以上の付き合いだ、生半な嘘は一瞬で見破られる。
 ひよりは今日、苔茎菊華の家に遊びに行ったらしい。そこで思いも寄らぬ再会があったとの事。夏休み中、ひよりは家族で香港へ旅行に行っており、そこで一人の日本人に世話になったらしいのだが、それが転校生の家族だったと興奮した声で語っている。

『久しぶりに会ったからかな、キリくんってば照れちゃってそっぽ向いちゃってるの。まー仕方ないよね、ほら、なんて言うのかな、あたしって罪な女だし?』

 それは絶対に気のせいだ。……まあ空気を読んで、そこは無言でスルーしたのだが。
 とりあえず快晴が言えるのは『ご愁傷様』の一言だけだ。『キリくん』なる人物がひよりによってどんな目に遭わされたのかは想像するしかないが、同情と哀れみを誘うものである事にまず間違いはあるまい。

『あ、そうそう。快晴、おばさんの具合どう? また入院しちゃったんでしょ?』
「さあな」
『さあなって何よぅ。お母さんの事でしょー? もっと心配しなよ』
「便りがないのは良い便りってやつだろ。何かヤバい事になったら連絡が来るだろうさ。……大体、お袋が親父と離婚してから随分経つんだ。一々俺に連絡を寄越す義理もねえだろうよ」

 あまり面白くはない話題だからか、自然、彼の口調はきついものになっていく。険悪とは言わないまでも重い雰囲気を、果たして電話口の向こうに居る少女は感じ取ってくれるだろうか。

『むう。まーいいや。そうそう、キリくんとお菊ちゃんなんだけどさ、実は血の繋がらない姉弟ってやつで――』

 雰囲気を感じ取ったのかはさておき、話題をあっさりと戻して快晴を辟易させるあたり、空気を読んではくれなかったらしい。いいかげん聞き飽きたのだが。
 と、不意に快晴の携帯電話が鳴った。快晴が今、ひよりとのお喋りに使っているのが家の固定電話。よっしゃこれで電話を切る口実が出来た、と携帯電話を取り上げれば、それはメールの着信であり、しかも送信相手は会話している真っ最中のひよりだった。
 ぬか喜びだった。

『あ、メール届いたー? 今日、遊びに行った記念にみんなで撮った写真、送ったんだけどー』

 要らねえよ。
 肩を落としながら、それでも律儀に快晴はメールを確認する。本文は無く、写真が添付されただけのメール。撮った当事者達にとってはともかく、関係ない人間にしてみればただうざったいだけの写真だ。
 携帯の液晶画面を下へスクロールしていく。どうやら写真は一枚だけではないらしい。二枚目の写真が表示されたところで、不意に、快晴は指を止めた。

「……こいつ……」
『ん? なになに、どうかした?』

 二枚目の写真。ひよりと一人の少年がフレームの中に納まっている。ひよりに無理矢理引っ張り込まれたらしい、迷惑千万と言わんばかりの表情を苦笑いで繕って写真に写っているその少年こそ、件の、ひよりが香港で世話になったという、苔茎菊華の義弟とやらだろう。
 どこかで見た顔だ、と記憶を紐解く――までもなく、その正体に、快晴は思い至る。
 忘れようと思っても忘れられる筈がない。一度ならず二度までも、石動快晴に敗北の苦汁を嘗めさせた男。脳髄に刻み込まれ、最早忘却は不可能であろうその顔を、今、快晴は携帯電話の小さな液晶画面の中に認めていた。

「……おい、ひより。こいつ、名前なんていったっけ……?」

 問う声は、自分でも判るくらいに、恐ろしく冷たく尖っていて。
 しかしその声音の変質に、終ぞひよりは気付かなかったらしい。特に何という事もなく、先程までと何ら変わらない口調で、彼女は快晴の問いに答える。

『キリくん? あれ、なんて言ったっけ……ああ、そうそう。桐耶。霧倉桐耶って名前だったと思うけど』
「霧倉桐耶……ね。サンキュ、ひより」











 職務の重要度とは裏腹に、シストリィにおける石動快晴はあくまでアルバイトという扱いでしかない。これはあくまで快晴が高校生としての本分を優先させたからであって、高校を卒業した暁には正式にシストリィに入局する事が既に決定している。
 快晴はシストリィの一員としての自分を決して軽視していない。自分が人類を守る盾という自負は確かに彼の中にあり、それ故に、例え作戦行動に従事していない状況であっても、忌空師団を見逃すなどという思考は欠片一つありはしないのだ。

「……来たか」

 思ったよか遅かったな――そう呟いて、快晴は屋上の床に直にかいていた胡坐を解き、立ち上がる。と同時に屋上に繋がる鉄扉がきぃと蝶番を擦れ合わせる僅かな音と共に開き、一人の少女が姿を現した。
 少女、というのは言葉の綾だ。と言うより、高校の制服を着て学校に通い、快晴のクラスメイトである女を、それ以外の表現で表せなかったというのが正しい。もし彼女が忌空師団に属する存在であるというのなら、外見上の年齢などまるで当てにならないのだから。
 ちーっす、という気軽な挨拶を快晴へと向け、苔茎菊華が小走りに近づいてくる。

「お待たせしちゃって申し訳無いっす! 何の用っすかー?」

 にこにこと、悪意のない笑みを快晴に向けてくる菊華。幼馴染の笑顔が悪意たっぷりでどす黒い――ように見える――せいか、この無垢さがやけに眩しく思える。
 いやいや騙されるな、こいつは忌空師団の構成員だ。正真正銘のド悪党だ。遠慮も容赦も必要ない、ただ狩り出す方策だけを考えろ。

「なあ、苔きゅ……苔茎」

 噛んじゃった。
 ああくそ何でこいつはこう発音し辛い名前なんだ――苦虫を噛み潰した顔を更に羞恥で赤らめて、快晴はそっぽを向く。
 まあ、これに関して快晴ばかりを責める事はできまい。未だに教師なども菊華の名を噛みまくっている。発音し辛い名前なのが悪い、という責任転嫁にも似た快晴の思考は、さして的外れでもなかった。

「はい? 何すか……はっ! ま、まさか!」
「まさかしねえよ! 逃げんな!」

 胸を隠すように己の身体を抱き締めて後ずさる菊華に、思わず快晴も声を張り上げる。いや、休み時間に屋上へと女子生徒を呼び出し、そこでテンパりながら名前を噛んで頬を染めている男子を見れば、誤解するのも当然なのだろうが。
 ごほん、と咳払いを一つ置き、快晴は改めて、菊華に向けて口を開く。

「昨日、ひよりから聞いたんだけどよ。お前、血の繋がらない弟さんが居るんだって?」
「キリヤさ……キリヤの事っすか?」
「おう、それそれ。そのキリヤくん。そのキリヤくんに良く似た奴を、この前見かけてよ――もしかしたらと思って、な」
「へえ。キリヤを? どこで見たっすか?」

 屈託の無い笑みと共に、菊華が訊いてくる――その笑みに一瞬、ほんの一瞬だけ、騙されそうになった。この女は、本当は忌空師団とは関係ない単なる一般人ではないかと、そんな考えが思考に差し込んだ。
 しかし、だからこそ。続く快晴の一言に、その化けの皮を暴くだけの意味が宿る。

「中国の、黒龍江省にある研究所でなんだけど」
「……ッ!」

 効果は、覿面だった。
 中国黒龍江省、その奥地に在る研究所。ごく一般的な日本人なら足を踏み入れる事のないそこで、貴方の弟を見た。もし菊華が関係ない人間であるのなら、この言葉に対してただ首を傾げるだけの筈。それはただの人違いと、快晴の言を一笑に付する筈である。
 だが実際は、苔茎菊華は石動快晴の言葉に、硬直をもって応えた。それが何を意味するかは、どうしようもなく明白だった。

「残念だぜ、苔茎」

 その言葉に嘘はない。少なくとも快晴は、苔茎菊華というクラスメイトが嫌いではなかった。さして言葉を交わした訳でもなく、快晴にしてみれば玖奈波ひよりの友人の一人というだけの認識ではあったが、その朗らかさには多少なりと好感を抱いていた。
 しかし、それは快晴を止める理由にはならない。忌空師団と通じているというのなら、それは石動快晴の……否、人類の敵である。
 快晴の腕が鞭の如く撓り、後腰に差した武器を掴み取る。さすがに銃火器を持ち出す事はできず、伸縮式の警棒しか用意できなかったが、しかし改造人間と言えども戦闘形態でないのならば、これでもある程度の効果は見込めるだろう。

「何が目的だ、忌空師団……!」
「ちょ、ちょっと待って欲しいっす! えっと、携帯、携帯……」

 菊華がポケットに手を突っ込み、慌てた様子で何かを取り出す。動くな、と声を張り上げるよりも早く、快晴の目は取り出されたそれが携帯電話であると認識した。
 電話しても良いっすか? と恐る恐る訊いてくる菊華に、快晴は首肯で応じた。より上位の構成員が出てくるのなら、それはそれで悪くない。芋蔓式に一網打尽、というほど楽観している訳でもないが。

「あ、もしもし? 菊華っす。お疲れ様っすー! えっとっすね、ちょっと困った事になっちゃいまして……はい? え、はい、目の前に居るっすけど……代わるっすか?」

 何やら、雲行きが怪しくなってきている――快晴が眉を顰めるとほぼ同時、菊華が「ほい」と己の携帯電話を、快晴へと差し出した。
 数秒の逡巡の後、ひったくるように菊華の手から携帯電話を奪い取って、耳に当てる。同時に快晴の脳髄は気の効いた罵倒の台詞を全力で検索し始めた。開口一番の一言で会話の主導権を取る。こと交渉事に心得がある訳でもない快晴が優位に立とうと思うなら、主導権の確保は絶対条件である。
 そう思っていた快晴の思考が、しかし電話の向こうに居る何者かの一言で凍りついた。

『もしもし』

 その声が紡いだのはただ一言。電話に出た時には誰しも口にする言葉だ。だがその一言だけで、快晴の思考は漂白された。彼の脳髄に刻み込まれた記憶が一瞬にして膨れ上がり、思考の全てを上塗った。
 或いはそれは予想出来て然るべきだったかもしれない。苔茎菊華をこの場に呼び出したのは、この声の主が菊華と繋がっている事に、快晴が気付いたが故なのだから。 

「てめぇはっ……!」
『……ああ。その声――どこかで聞いた憶えがあるかな』

 どこかで。
 そんな雑事は一々記憶していないと、記憶するにも値しないと、声の主は言外にそう言っている。それは快晴にとって何よりの屈辱。驚きに停止しかけていた思考が、怒りという燃料によって高速回転を始める。
 快晴のその反応にまるで構わず、声の主は、声音の調子を変えずに先を続けた。

『一応、自己紹介しておこう。忌空師団最高幹部会・空紋くうもん回廊かいろうが序列第三席、霧倉桐耶だ』
「……シストリィ兵装試験部隊ドールズ所属、石動快晴だ」
『ふむ。石動――快晴くんか。憶えておくよ』

 本気とも社交辞令ともつかぬ、それでも明らかに己を見下した言葉に、快晴の表情筋がぴくりと反応する。
 落ち着け。挑発に乗るな――そもそもあの蟷螂にそんなつもりもないだろう。奴等は人間という種を格下の生物としか見ていない。人間が家畜を同格と見ていないようにだ。それに一々憤っていたら、切りがない。
 そう自分に言い聞かせ、低く抑えた声音で、快晴は電話口の蟷螂に問いを投げかける。

「てめえら、何のつもりだ……俺の学校で、何をするつもりだ」
『うん。それについてだけれど。確か、千人強というところだったかな』
「……?」

 質問に対する答えとしては、やや……いや、大分ずれた台詞である。その言葉が意味するところを掴めず、快晴は不審に眉を寄せる。
 快晴の沈黙を果たして蟷螂はどう取ったのか、少しばかりの時間を置いてから、続く言葉を口にした。

『その学校、鍵榁第一高校だったね。生徒と教職員を合わせて、千百八十二人……どうだろう、間違ってるかな?』

 と訊かれたところで、快晴はこの学校に何人が通っているのか、正確なところを把握していない。実際、生徒と教職員の総数を把握している人間などそうは居ないだろう。
 結局、蟷螂の問いに対し、快晴は「知らねえよ」と吐き捨てるしか他に言葉はなかった。

『そう。まあ、良いさ。とりあえず千百八十二人だ。――この数字が何を意味しているか、判るかい?』
「何を、って……」

 考え込む快晴だったが、しかし直後、まるで天啓のように答えが脳内に閃いた。だがその答えを快晴が口にするよりも早く、つまり嫌がらせとしてはこれ以上ないタイミングで、蟷螂は解答を公開する。

『そう。人質だよ、石動快晴』
「……ッ!」
『もし君が、或いは君の仲間が、苔茎菊華の邪魔をするのなら――鍵榁第一高校に通う生徒及び教職員合わせて千百八十二人、これら全員の命によって報復を行わせてもらう』
「て、てめぇ、ら――」
『ああ。さっきの質問に答えておこう。僕等の目的はただ一人だけだ。余計な事をしなければ、それ以外の人間には危害を加えない。やるべき事を済ませたら、その一人も無事に解放すると約束しよう』
「それを――信じろってのか」
『いいや』

 搾り出すように放たれた快晴の問いを、しかし蟷螂は冷淡に否定する。だがその否定は文脈をまるで無視した、意味の分からないもの。ここで出てくる筈がない否定の言葉に、一瞬、快晴の顔から緊張が抜ける。

『「信じてくれ」などと言うつもりはないよ。君が勝手に僕等を信じるだけだ。邪魔をするならそれでも結構、ただしその場合、生徒や職員の命は何一つ保証しないけどね。それじゃ、賢明な判断を期待しているよ』

 そうして、ぷつりと一方的に通話は切られる。暫くの間、快晴は通話の姿勢で硬直していたが、やがてこみ上げる怒りのままに、足元に思い切り電話を叩き付けた。
 携帯電話が原型を留めないほどに粉砕される。それでも暫く親の仇が如くに電話の残骸を睨み付けていた快晴だったが、やがて「くそ……っ!」と歯軋りと共に呟いた。

「石動くん」
「……なんだよ」
「わたしの携帯電話、弁償してほしいっす」











 通話を切って、桐耶は携帯電話を懐に戻した。と同時に、背後に気配を感じて振り返る。そこに居たのは恭しく膝をついて頭を垂れた三人の男女の姿。どれも三十から四十代、桐耶よりも一回り以上は年長の者達。
 そこは鍵榁市から県を二つ三つ挟んで離れた地方都市、人通りの多いオフィス街のど真ん中。跪く大人達とその眼前に佇む少年という図は明らかに奇異そのものであったのだが、通り過ぎる人々はそれを一顧だにせず通り過ぎていく。

「ああ。準備は終わりました?」

 滞りなく、と女性が返答する。その報告を受けて桐耶は一つ頷くと、酷く真面目な顔で彼等に告げた。

「標的は一分後にこの空域に到達します。目的は標的の現時点での成長状態を把握する事。解ってるでしょうけど、あちらに留まれる時間は六分だけ。余計な事してたら、戻れなくなりますからね」

 言い終え、桐耶は懐から一個の宝玉を取り出した。先日、中国奥地の研究所から強奪し、首領に捧げたそれが、今また桐耶の手の中にあった。
 五。四。三。二。一――宝玉を握り締め、口の中でカウントダウン。零に達した瞬間、周囲の空間がまるで底が抜けた水面が如くに、ぐにゃりと歪んだ。林立するビルが、通り過ぎる人々が、足元の路面が、何もかもが輪郭を歪ませて、渦の中に混じり合っていく。
 しかしそれも僅かに一瞬。瞬きを終えた後に残るのは、つい先程までと何ら変わらぬ市街の風景。唯一違うのは、そこを行き交う人々の姿が掻き消えた事だ。墓所染みた静謐が敷き詰められたその空間には、人間はおろか野良猫も溝鼠も、鴉の一羽ですら、生命と呼べるものは存在していない。
 隔次元にして異相空間。桐耶が手にする宝玉――次元境界干渉器の効果によって踏み入る事を許される此処は、条理の世界の裏側。常識が理として機能しない場所。
 だからこそ、この空間へ入り込めるのは、不条理と非常識によって造り出された怪魔鎧蟲たる霧倉桐耶と、彼の配下達のみ。その桐耶達とて、制限付きで在留を許されているに過ぎない。

「標的の探索を。急いで!」

 桐耶の背後に跪いていた男女三名が立ち上がり、懐から仮面を取り出して顔に装着した。次瞬、彼等の姿は怪魔鎧蟲の本性を顕し、人間離れした跳躍力で桐耶の元を発つ。
 桐耶自身もまた、己の仮面を顔に当てた。現出する蟷螂の姿。戦闘形態へと変異を終えた桐耶が、たんと路面を蹴り、背中の翅をぶるんと唸らせて飛翔する。

「さて……どこに居る……?」

 高所からオフィス街を俯瞰しながら、桐耶が呟く。その声が緊張に強張っているのは、もう隠しようもない。
 ――くれぐれも気ィ付けろよ、桐耶。
 この空間に赴く直前、玄十朗から賜った言葉が脳裏を過ぎる。豪胆と楽観主義が服を着て歩いているような男が部下に警戒を促したのだ、その意味を桐耶は過たず理解していた。
 二十年前、忌空師団の侵略を頓挫せしめた存在。忌空師団の犯した唯一にして最大の失敗。その具現を間近に置いて、油断していられる余裕などあろう筈もない。
 そう、この空間はつまり、先日玄十朗が桐耶に見せた衛星写真に写っていた『歪み』に重なる座標。玖奈波ひよりの腹に収まる宝玉を目指し、北上を続ける、歪曲の内側である。

「誰か、目標を捕捉しましたか?」

 ……見つからない。ゴーストタウンのような街の何処を見回しても、標的の姿は見当たらない。制限時間は刻一刻と過ぎていき、残り三分を切ったところで、桐耶は部下達に呼びかける。だがそれに対して部下達が寄越してきたのは、どれも未だ捕捉に至らずというネガティブな回答だけだった。
 見つからない筈はない。桐耶は直接標的を目にした事はないが――それが確認された二十年前には、彼はまだ改造されるどころか、生まれてすらいない――その外見上の特徴については、玄十朗や、当時を知る者から充分に教え込まれている。見過ごす事も見逃す事も、可能性としては相当低い。
 一度撤退して、改めて探索に来るべきか。その選択肢を含め、桐耶がこの後の行動を思案し始めた時、不意に状況が動いた。

『桐耶様! 標的を捕捉しました、映像を送ります!』

 怪魔鎧蟲はその特殊能力の一環として、視覚映像の共有が可能だ。互いの同意があり、送信側・受信側が共に戦闘形態である場合のみに限られるが、距離の制限や映像の時差がないという利点もまた大きい。
 しかし送られてくる筈の映像が、一向に届かない。十秒。二十秒。さすがに桐耶も焦れてくる、不慮の事態が発生したのではないかと思いつつ部下へと通信を送る。応答はない。やはり何かが起こったか、と判断したその直後、遂に映像が桐耶の網膜に投射された。

「な……!?」

 だがその映像に――桐耶が、忌空師団の大幹部が、思わず息を呑む。
 送られてくるのはアメンボの特質を備えた怪魔鎧蟲、彼が目にした視覚映像だ。彼の見ているものが桐耶の目にも同じように見える。だがその『見ているもの』が、首をねじ切られて転がる己の身体というのは、一体どう解釈すれば良いものか。
 ぞくりと総身を悪寒が駆け抜ける。思考に先んじて反射が言葉を紡ぎ、まるで絶叫の如く声高に、彼は残る部下へ命令を発していた。

「全員集結! 急いでッ!」

 指示から一秒と置かず、桐耶の元に部下が戻ってくる。螻蛄と虱の怪魔鎧蟲が集結すると同時に、桐耶はこの場を脱するべく空間の接続を開始した。
 この異相空間に滞在出来る限界時間までには、まだ一分半ほどの余裕がある。だが時間内であれば出て行く分には制限がない。成果も得られぬまま帰還を強いられるのは業腹であったが、当初の目的に固執していられる状況にないと、桐耶は充分に理解していた。
 だが遅い。一歩遅い、僅かに遅い、そして致命的に遅い。
 空間の接続が完了し、桐耶達が通常空間へ脱出せんと身構えた刹那。不意に襲いかかった衝撃が、彼等の体勢を崩した。直立すらままならない振動が彼等の挙動を封殺する――足元の床面に亀裂が生じ始めても、その場から離れる事を許さない。
 やがて振動衝撃に耐えかね、床面が崩落。ビルの屋上から最上階フロアへと、桐耶と部下二人の身体が墜落する。

「が……づぅ!」

 諸共に落下した瓦礫に総身を叩かれ、悲鳴にも似た吐息を絞り出しながらも、桐耶の思考は冷静だった。建物が丸ごと崩壊してもおかしくない規模の振動を受けて、しかし実際に崩れたのは屋上の床面だけ。この不自然に思考が至る程度には冷静であり、そうして落下した先で周囲を見回してみれば、そこが既に敵の領域であると認識させられる。
 そう、落ちたのではない。引きずり込まれたのだ。
 視界を塗り潰す濃緑色。ビルの最上階フロアはまるで熱帯林のように繁茂した植物で埋め尽くされ、溢れ返っている。およそ都会の中心とは思えぬその光景。いや、どんな密林であっても、今この場ほど奇怪な様相を呈する事はないだろう。一本一本が丸太のように太い蔓が、壁を、床を、天井を這いながらずるりずるりとうねくっている様は、さながら生物の内臓を内側から見たような景観であった。
 そして視界の先――崩落した天井から差し込む陽光が作り出す、光のカーテンの向こう側。薄暗い通路のど真ん中に、何かが在る。ずるりずるりと脈動し這い回る蔓が、絡みつくようにそこで結集して、瘤のように隆起している。
 ゆっくりと、翼を広げるように展開していく瘤。否、それをより正確に表すのならば、夜明けの光を受けて開く花と言うべきか。怪魔鎧蟲の視力は光量の乏しいこの空間においても、確実にそれの姿を捉えていた。

「……こんなところに居たのか、ムスシプラ(・・・・・)……!」

 苦々しげに、しかし口の端を引き攣らせた微苦笑を浮かべて、霧倉桐耶が“それ”の名を口にする。
 台詞の内容とは裏腹に、それは最期に遺言を許された死刑囚のような、諦観に満ち満ちた声音だった。





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 続劇





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[30023] 5:『狂乱が開幕』
Name: 濁水◆44d72913 ID:35af097c
Date: 2011/10/12 08:45



◆      ◆





 5:『狂乱が開幕』





◆      ◆





 数十日前、鍵榁市中心部の繁華街に忌空師団が現れて以降、街には厳戒態勢が敷かれていた。幸いにしてその時は然程の被害をもたらす事もなく、忌空師団は姿を消したものの、それがこれより後に何らかの破壊活動を控え、その為の事前工作を終えたが故ではないかという疑念が、市や政府、そしてシストリィには拭えずに残されていたのである。
 まるで戦時下のような物々しい警戒態勢は少なからず市民生活の障害となっており、不平不満の声も挙がっていたのだが、しかし大多数の市民はそれをやむを得ない事と理解し、受け入れていた。忌空師団が二十年前に、そして活動を再開した今年の四月から以降、世界中で引き起こした惨禍を思えば、多少の不便には目を瞑らざるを得なかったのだ。
 とは言え、何らかの異状も無いままただ延々と続く警戒態勢に、いつまでも人々が耐えられる訳がない。我慢にも限度があるし、間断ない緊張状態を強いられる中では経済活動も停滞してしまう。三週間も経つ頃には、忌空師団は既にこの街から完全に姿を消しているのではないかという論調が、市民の側にも政府組織の側にも支配的となっていた。
 そうしてこの日、およそ一ヶ月ぶりに戒厳令は解除され――折しもそれが週末、そして給料日を過ぎた月末だった事もあって、鍵榁センターホテルに内包されるショッピングモールへの来場者数は過去最高を記録。先日発生した忌空師団の破壊活動による損壊もこの時点で既に修繕を終え、営業再開、再オープンという事でモール内各店がセールを行っていた事も、来場者数の増加に拍車をかけた。
 玖奈波ひより、結賀文緒、そして苔茎菊華。これに加えて石動快晴。この四人もまた、この日の鍵榁センターホテル内ショッピングモールを訪れる人間達の一部であった。

「うぉー。すっごい人。人だらけ」
「『見ろ、人間がゴミのようだ!』って、こういう時に使う台詞だったっすかね?」
「それ多分違うと思うよ、菊華ちゃん……」

 モール内に足を踏み入れた瞬間、ひよりが人の多さに思わず声を上げ、菊華が的外れな事を言い、苦笑しつつ文緒が突っ込む。その様を、一歩離れたところで快晴は眺めていた。

「まったくよ……どいつもこいつも浮かれてやがんな」

 こっちはそれどころじゃねえってのに――思わず漏れた愚痴は、幸いにして誰の耳にも届かず消えた。他の人間には預かり知らぬ、八つ当たりのような呟きであったのだから、それは確かに幸いと言えよう。
 快晴としては別段、このモールに用がある訳でも、買い物に来た訳でも無い。人通りの多いところを好む性質でもなく、本来ならばそれら二重三重の意味で、今日、ここに足を運ぶ理由などなかった。
 にも関わらず、彼が鍵榁センターホテル・ショッピングモールにやってきたのは――それも、ひよりや文緒といった女子三人と連れ立って――ひとえに、忌空師団の構成員を放置できないという理由からだ。
 数日前、学校の屋上で忌空師団の大幹部と言葉を交わして以降、快晴はこうして、何かにつけて苔茎菊華と行動を共にしている。全校生徒、それに教職員を人質に取られている以上、迂闊な真似はできない。だが忌空師団の構成員を放置し、それによって更に多くの人間が傷つく事態を招くのならば、そんな事も言っていられなくなるのだ。
 問題は、天秤の片方に鍵榁第一高校の人間達が乗っていると判りながらも、もう片方にどれだけの数の人間が載っているのかが不明な事だ。もし片方の皿に鍵榁市の住民全て、いやそれ以上の数の人間が載っているのならば、快晴はより多くの人間を救う為の決断を強いられるだろう。命を数で割りきれるほど、石動快晴は老成してはいないのだが、その選択が現実に起こり得る事態である事だけは、痛いほど理解していた。
 だが、もしもう片方の皿に、誰も載っていなかったなら?
 忌空師団の大幹部はこう言っていた。目的は一人だけ、事が終わればその一人も解放すると。あの言葉が正しいとするなら、今回限りではあるが、忌空師団の活動による犠牲者は皆無で終わる。
 無論、悪党の言を鵜呑みにするほど愚かでもないが、もしそれを信用せずに苔茎菊華の行動を妨げ、そしてあの蟷螂の言に嘘が無かった場合、無用の犠牲がそこに生まれてしまう。そうなった時の責任が誰にあるかは明白だ。
 結局、この後の展開は快晴次第。あの大幹部、蟷螂の怪魔鎧蟲は、『君が勝手に僕達を信じるだけ』と言っていたが、成程その通りだ。
 故に、快晴にできる事は、こうして苔茎菊華の行くところに同行し、彼女の動向を観察する事だけ。ただこの数日間、菊華は大して怪しい行動をとってはいない。それは快晴が彼女の観察を始めたここ数日に限った事ではなく、彼女が転入してからの約一ヶ月間全てに共通してであるのだが。
 現状、快晴の監視は殆ど成果を挙げていないと言って良い。それどころか、快晴にとっては些か好ましからぬ事態になっているとさえ言える。
 快晴は付かず離れずの距離から監視しているつもりでいたものの、しかし傍目には快晴の認識ほどそれは適切な距離ではなかった。加えて周囲はそれを『転校してきた女子をいつもガン見している男子』という構図としか捉えなかったらしい。年頃の少年少女がその構図からどういう結論を導き出すのか、説明の要はないだろう。

「ぬふふふふー」

 ぴょこぴょこと妙な足取りで、ひよりが近づいてくる。快晴の横に立つと、菊華や文緒からは見えない角度で、彼女は快晴の脇を軽く肘で小突いた。

「ほら快晴、折角セッティングしてあげたんだからさ、もっとお菊ちゃんとお喋りしなってば」
「あのな、俺ァ別に苔茎の事なんざ――」
「いーのいーの、みなまで言うな。あたしはちゃんと解ってるから。幼馴染の初恋だ、ちゃんと成就させたろうじゃないの」

 何一つ解っていないのが丸解りの台詞だった。

「とりあえず、もう少ししたらさ、あたしとフミちゃんはどっかにフケるから。お菊ちゃんと二人っきりにしたげるから、告白するなり押し倒すなり好きにしちゃいな」
「俺に犯罪者になれってか」

 にひひ、と厭らしい笑いを残して、ひよりは離れていく。何やらお喋りに興じていた文緒と菊華だったが、ひよりが戻ってきた事で一時中断、モールの中へと向けて歩き出す。快晴もまた、それを追うようにして歩き出した。

「それで、今日はどうするっすか? いっぱいお店があって目移りしちゃうっすけど」
「んー。あたし、服見たいな、服。秋物、そろそろ出て来るカンジだし」
「わたしは本屋を見てみたいな。好きな作家の新刊が出てるみたいなんだ。ちょっと寄ってもらっていい?」
「おっけー。それじゃ、まず本屋にしよっか。その後で服見て……お菊ちゃんは、何か見たいトコないの?」

 ひよりに振られて、んー、と菊華が顎に指を当てて考え込む。
 一般的な男子の目線で見ればそれなりに可愛らしい仕種なのかもしれないが、しかし彼女が『悪の秘密結社』の一員であると知っている以上、快晴がそれに見惚れる事もない。
 が、幼馴染はそれを単なる強がり、好きな子の前で不機嫌を装っているだけとしか取らなかったのだろう。ちらりと快晴を窺った彼女の顔には、にやにやと意地悪げな笑みが浮かんでいる。何を考えているのかは瞭然だった。

「あ、じゃあゲーセン行きたいっす。ゲーセン、あるっすか?」
「あるある。でっかいのあるよん。んじゃ、最後にゲーセンって感じでいい?」

 無問題っす、と菊華は答えた。と、そこでぐるりとひよりが首を回し、快晴を見遣る。「んで、快晴は? なんか行きたいトコないの?」

「……ねえよ。お前等の好きにしろ、どこにでも付き合ってやる」

 本音を言えばスポーツ用品店で靴を物色したいところだったが、しかし今日の目的はあくまで苔茎菊華の監視である。監視対象から目を離すような迂闊とは、石動快晴は無縁――少なくとも、本人はそのつもりでいた。
 快晴の返事は何ともぶっきらぼうな口調であったが、あっそ、と別段機嫌を損ねた様子もなく、ひよりは先へと歩いていく。
 モール内の店舗を覗き込み冷やかしながら先へ先へと進むひより、菊華、文緒の三人と、それを一歩引いた位置で眺めながらついてくる快晴。傍目にはどういう関係なんだか良く分からない四人組が、文緒の希望である本屋、ひよりの希望である洋服店を経由し、菊華の希望であるアミューズメントコーナーで遊び倒して、最終的にフードコーナーの一角に腰を下ろしたのは、既に昼の時間帯をやや過ぎた、午後二時を回った頃だった。

「そんじゃ、あたしとフミちゃんはちょっくらジュース買ってくるから」
「あ、それならわたしが行くっすよ」
「いーのいーの。お菊ちゃんは座ってて」

 一度下ろした腰を浮かせかけた菊華を制し、ひよりは快晴に近づいて、どんと腹に拳をぶつけた。上手くやれよ、とでも言いたいのだろう。余計なお世話だと睨み付けてやるものの、あっさりとひよりはその視線を躱し、文緒と一緒にフードコートに出店しているファーストフードの店舗へと歩いていった。
 二人残される快晴と菊華。先程、クレーンゲームで大量に獲得したぬいぐるみを見てご満悦の菊華をちらと横目で眺めて、快晴は盛大にため息を漏らす。これではまるで普通の女子学生ではないか。とても『悪の秘密結社』の一員とは思えぬ彼女の姿は、監視の無意味さを思い知らされるかのようだ。
 と、そんな快晴の様子を見咎めて、菊華が「どうかしたっすか?」と訊いてくる。まるで邪気のない彼女の表情に内心の苛立ちを薄れさせながらも、それでも憮然とした顔を崩さぬまま、「なんでもねえよ」と快晴は答えた。

「つうか、苔茎――お前、一体何がしてえんだよ?」

 代わりに快晴の口をついたのは、いまいち具体性に欠ける、そんな質問だった。あえて野暮にそれを解説するのなら、『こんな普通の女子高生みたいな休日が、お前の目的なのか?』というところか。
 勿論、菊華もそれは充分に了解していたと見えて、具体的とはとても言えない快晴の問いに、うぐ、と気まずげな顔を作ってみせる。今日、ショッピングモールで遊び倒していたのは、やはり彼女にとっても本来の目的から外れていたのだろう。

「うーん……や、確かにこんな事してる場合じゃないんすけどねえ……」
「大体、お前は何しに学校に来てんだ? 誰か一人が狙いみてえな事言ってた癖に、そいつを誘拐する訳でも殺す訳でもねえみてえだしよ。何かやるならさっさとやって消えろよ。てめえら改造人間とツラ合わせてんのもいい加減うんざりしてきてんだ」
「さらっと酷いコト言われたっす。改造人間差別はんたーい」
「やかましいわ」

 ぶーぶーと口を尖らせて文句を垂れていた菊華だったが、ふと、その顔が「あれ?」と怪訝な表情に入れ替わった。視線は快晴の肩越しにその向こう、ひより達が飲み物を買いに行った店舗の方へと向けられている。
 快晴もまた振り向いて、菊華の視線が向く方向を視界に収めるが、しかしそこに違和感を覚えるようなものは見当たらない。振り返って菊華に視線を戻せば、怪訝な表情のまま彼女は首を傾げていた。……傾げすぎで首の骨がかなり怖い事になっているのだが、生憎、快晴はそれに関しての突っ込みは放棄した。

「変っすねえ……確か相原あいはらさん、今はキリヤさまと一緒に動いてるはずっすのに……」
「キリヤ……あのカマキリ野郎か」

 菊華の呟いた名前に、快晴が顔を顰める。まず真っ先にその名前に反応してしまうあたり、先日の敗北が快晴の中で未だ尾を引いている事が窺えた。
 さておき、菊華の不審はその『相原さん』なる者に対してのものらしい。改めて振り向けば、そこで漸く、快晴は菊華が注視する対象を捕捉する。ファーストフードの店舗ばかりが軒を連ねるフードコートの中にあっては些か場違いとも思える、きっちりとしたスーツ姿の女性。ひよりと文緒が注文しているレジに歩み寄る彼女が、恐らくは菊華の言う『相原さん』なのだろう。
 席を立ち、女性の元へと菊華は駆け寄っていく。それを追おうかと腰を浮かせた快晴だったが、しかしフードコートの中は休日らしく結構混雑している、ここで自分まで席を立ったらすぐに他の客に取られてしまう。やむなく彼は腰を下ろし、菊華が戻るのを待つ事にした。幸い、ここからでも菊華とスーツ姿の女性の姿は確認出来る。
 さすがに何を話しているのかまでは聞き取れないが、しかしそもそも会話が成り立っているように見えない。呼びかける菊華を完全に無視して、女性は歩き去っていく。ぽつねんと立ち尽くす菊華だったが、やがて『どうしよう?』的な顔で快晴を振り返った。
 知らねえよ、と顔を逸らす快晴だった。









「あーもー、何やってんのよ快晴、もっと積極的にいけっつの。折角二人っきりにしてやったっつーのにさ。あんのヘタレめ」

 あの幼馴染は昔っからこうだ。いざという時に押しが弱い。せっかく用意したチャンスを棒に振りかねない快晴の消極さに、苛立ちばかりが募っていく。

「ひよりちゃん、見すぎだよ……ほら、注文しよ?」

 振り返った肩越しに快晴と菊華を凝視していたひよりだったが――もうその視線はかなり危ない人のレベルだった――文緒に促され、渋々とした顔でレジへと歩み寄る。
 全国展開されるようなチェーン店とは違う、ここのフードコートにしか出店していないファーストフード店。そのせいか、良く言えば個性的、悪く言えばゲテモノ一歩手前なメニューが並んでいた。 

「よし、あたしコレ。いか塩辛バーガー」
「チャレンジャーだね、ひよりちゃん。じゃ、わたしはチーズバーガーセットで。ドリンクはこのドリアンシェイクください」
「フミちゃん、人の事言えなーい」

 からかうような口調でひよりが声を上げたその時、ふと、彼女の耳朶を『かつん』という硬質な音が叩いた。人込みに賑わうフードコートの中で妙に鮮明に聞こえたその音の出所を探して、ひよりの視線がせわしなく動く。
 音の正体はすぐに知れた。キャリアウーマンというのか、きっちりとしたスーツに身を包んだ女性。ひよりの捉えた音とは、その女性のヒールが奏でる足音。気付くまでに時間はかからず、だが気付いた時には、彼女はひよりのすぐ近くにまで歩み寄っていた。
 と言うか近い。近すぎる。吐息がかかりそうな、一歩踏み出せば身体がぶつかりそうな、そんな至近距離で女は足を止める。幾ら何でもここまで近付いておいて何の用もないとは言わないだろう、ひよりは警戒も顕わに女性を見上げて、睨み付ける。

「……あの。何か用ですか?」

 女性は答えない。能面のような無表情のまま、ひよりの問いを完全に黙殺して、彼女をじっと見詰めている。
 怒りや苛立ちによって睨まれるのならばまだ解り易い。何故睨まれているのかという点に疑問は残るが、それだけならまだ順当に常識の範囲内だ。だがこの女性はそれらの感情を一切表に出さず、そもそも内にそういったものがあるのかと疑わせるような空っぽの表情だけを、ひよりに向けてくる。
 眼前で不気味に佇立する女に、ひよりが気圧されて一歩下がったその瞬間――女が一歩踏み出し、ひよりの肩を掴んだ。咄嗟に振り払おうとしたひよりだったが、その寸前、肩を掴む女の手が、ぐいとひよりの身体を引き寄せる。
 そして――

「――むぐっ!?」

 女の顔が近付いてくる――と思った時には、もう遅い。
 ひよりの唇に女の唇が押し当てられる。キス、接吻、口付け。どう言ったところでそれは同じだが、何にせよ玖奈波ひよりの唇は、見ず知らずの女によって奪われた。
 いや、真の問題はそこではない。唇を奪われた瞬間、口内に何かが侵入してきた。舌を入れられたのかと思いきやそれは固形物で、なんだこれと思う間もなく、それはひよりの喉の奥へ押し込まれ、胃へと落ちていく。

「なにすんのよぉ!」

 ごくりと何かを飲み込んだ次の瞬間、ひよりは渾身の力で女を突き飛ばす。床に尻餅を付く女を放置して、ごしごしと摩擦熱で発火するんじゃないかと言わんばかりの勢いで唇を擦った。
 目の前の展開にいまいち付いていけない文緒が慌ててハンカチを差し出してくる。それを受け取り、顔面を覆うようにして接吻の痕跡を拭い去ろうとするものの、それが空しい試みである事は言うまでもない。

「あ……あ……あ、あたしのファーストキスが……大事にとっておいたファーストキスがあ……!」

 玖奈波ひよりは、これで意外に貞操観念の高い娘である。
 女子高生らしく『そういう事』に興味がない訳では決してないが、むしろ話を見聞きする分には大好物であるのだが、家庭環境のせいか生まれ持った性格か、それを実践で経験しようという考えを持たない娘でもあった。言ってしまえば耳年増なのだ。
 故に、彼女にキスの経験などある筈もない。『大事にとっておいた』と言うと実際のところ語弊が生じるのだが、しかしこうして、見ず知らずの相手にほいほいとくれてやれるほど安いものではないのだ。まして公衆の面前で。
 何か変なものを呑まされたという事実よりも、唇を奪われた事実の方が重い――乙女として間違ってはいないのだが、ショックを受ける方向性がどこかおかしいのも事実だった。

「ひよりちゃん! ひよりちゃん、ね、落ち着いて!」
「う……ううう、うううううううううううう……!」

 顔を覆うハンカチの向こう側から、獣のような唸り声が漏れてくる。ぷるぷると肩は怒りに震え、髪の毛が何やら重力に反して逆立ってきているようにも見える。
 本気でキレかけている、と見て取った文緒が必死に落ち着かせようとするものの、残念ながら、それが効果を表しているかと言えば、これははっきりと否であった。
 許さん。絶対に許さん。あいつの唇むしり取ってやる、と涙目になりながら振り返り、唇を奪った女を睨みつけようとしたひよりだったが――

「……あ……う?」

 どくん、と体の内側に響く鼓動の音が、それを阻んだ。
 脈動の規模が一瞬で倍増しになったかのような感覚。全身を巡る血流が倍速化し、ひよりの総身を濁流となって駆け抜けていく。
 どくん。どくん。どくん。どくん。身体の中で和太鼓が打ち鳴らされている。心臓の位置で銅鑼が打ち鳴らされている。そんな錯覚は、しかしひよりの中で起こっている“何か”を表すには、まるで足りない。

「な――に、これ――」

 ぐにゃりと視界が歪む。回転する。暗転する。ひよりの視覚が機能不全を起こしているのか、それとも世界の方が原型を留められなくなっているのか、それすらも判然としない。

「ひよりちゃんっ!」

 悲鳴のように、文緒がひよりの名を呼ぶ――だがひよりが認識できたのは、意識を保っている間に理解できたのは、そこまでだった。











 忌空師団首領、幻塔院玄十朗の住まう日本家屋はその見た目に反し、至るところに最新の設備が取り込まれている。トイレは木製の扉の癖にウォシュレットが付いているし、風呂場は五右衛門風呂の癖にジャグジー機能搭載、エアコンや床暖房も完備だ。パソコンもあればファックスだってある。逆に言えば、この家で古いのは見た目だけなのだ。
 五〇インチの大型テレビと囲炉裏が並存する居間などは特にシュールな装いとなっているのだが、そもそもそれを狙った配置なのだから、家主である玄十朗に文句があろう筈もない。
 さておき、その日も玄十朗はテレビの前に寝転がりながら、煎餅など齧りつつロボットアニメを大画面大音量で視聴していた――桐耶や菊華にも言える事であるのだが、その様はどう間違っても世界を震撼させる『悪の秘密結社』の首魁とは思えない。

「……あん?」

 ふと、玄関の方で扉が開く音がした。
 今日は部下が訪れる予定はない。となれば新聞かNHKの集金か。しかし来訪者は勝手に玄関の扉を開け、勝手に家の中に上がりこんできている。こんな失礼な集金者にはびた一文払ってやんねえと心に決めて立ち上がれば、丁度居間に、来訪者が姿を現した。

「あ? 桐耶……か? 何してんだ、おめえ」

 そう、そこに居たのは忌空師団の大幹部にして玄十朗直下の私兵、霧倉桐耶。
 玄十朗の命で数日前より“歪み”の調査に赴いていた筈の彼が、何の連絡も無しに、忌空師団の本拠とも言えるこの家に戻ってきている。その不自然、その不可解を、玄十朗は過たず理解し――彼の身に何が起こったのかを、確信に近いレベルで推察していた。
故に、これより先の桐耶の行動に対し、驚きを抱く事もなく。
 桐耶が懐に手を差し入れる。取り出したのは、彼等改造人間がその本性、怪魔鎧蟲としての戦闘形態を現す為に必要とされるアイテム、無貌の仮面。
 それを躊躇無く顔に装着し、少年は己の姿を異形の蟷螂へと変貌させた。ぴくりと玄十朗の眦がそれに反応する。この家の中で戦闘形態へと変身するのは御法度だ、首領である玄十朗の眼前でそれを犯すというのは、玄十朗に、忌空師団に対する反逆以外の何物でもない。

「つってもまあ、桐耶がこの俺様に弓ィ引こうってなァ、ちょいと有り得ねえ話だわな――何せ桐耶のやつ、俺の事が大好きだからな」

 本人を目の前にして大層な放言であったが、それに対する桐耶の反応は、無言のままに両前腕の鎌刃を振り翳し、玄十朗へと襲い掛かる事だった。
 怪魔鎧蟲の脚力が床板を踏み割り、背中の翅をぶるんと唸らせて、蟷螂は獲物へと向けて疾駆する。両前腕の曲刃に纏わりつく翡翠色の光。鉄柱すらも容易く両断する刃は、瞬きの暇すらなく、玄十朗の首を切り落とすだろう。

「ふん」

 だが玄十朗もまた、己の生存を疑っていなかった。
 互いが互いに望む未来の到来を疑わない。しかしそれが相反するものである以上、現実と成るのは片方が望む未来だけ。そしてどちらか一方と言うのなら、忌空師団首領たる幻塔院玄十朗が、配下である霧倉桐耶に屈する道理がない。
 結果として、蟷螂の刃は玄十朗の首を刎ねるには至らなかった。彼が必殺を賭して繰り出した斬撃は、老齢の男の指……親指、人差し指、中指の三本で抓むように押し止められていたのである。
 次瞬、玄十朗の脚が跳ね上がる。何の変哲もない、俗にヤクザキックと言われるような、凡庸な前蹴り。隆々たる筋骨を備えているとは言え、ただの人間、しかも老齢に達する男の一撃だ、恐れるには値しない。だが値しない筈のそれは、蟷螂の鳩尾で榴弾の爆裂にも等しい轟音を伴って炸裂し、彼の身体を軽々と居間から吹き飛ばして廊下へと弾き出す。

「おら、どうしたよ桐耶。もうちっと根性見せてみろい。……つっても、聞こえてねえか」

 嘲笑うかのような悠々たる足取りで、玄十朗が桐耶に歩み寄る。何とか立ち上がろうと試みる桐耶だったが、先の蹴撃が余程効いていると見えて、無様に床に這い蹲ったままもぞもぞと蠢くに留まっている。
 そんな蟷螂の顔を鷲掴みにして、玄十朗は彼の身体を高々と掲げ上げた。怪魔鎧蟲の中でも桐耶は軽量級であるが、それを考慮したとしても、およそ尋常ではない膂力である。
 ――忌空師団という組織の内実が周知されていないのだから、これが知られていないのもは当然と言えば当然の話であるのだが、幻塔院玄十朗が忌空師団を束ねる首領の座に在るのは、組織の創設者というだけが理由ではない。
 『悪の秘密結社』である以上、必然的にそこには裏切りや造反が内在している。隙有らば組織を乗っ取ろうと考えている者も少なくない。それら不穏分子が組織に、ひいては玄十朗に従っているのは、ひとえに彼の戦闘能力が怪魔鎧蟲のそれと一線を画するものである為だ。極言してしまえば、それは暴力を手段とした恐怖政治と本質的に何ら変わるところはないのである。
 彼の戦力は見ての通り。首領に次ぐ地位を持つ大幹部、霧倉桐耶ですらが、本性である蟷螂の姿へと立ち戻って尚、人間の姿のままである玄十朗に手も足も出ない。忌空師団の改造人間は皆が皆、それを充分に理解し、玄十朗を首領として戴く事に異を唱えはしない。
 それ故に、桐耶がこのような暴挙に及んだ理由を察する事は、そう難しくはなかった。――今の桐耶は明らかに、自身の意思が肉体を統括していない。

「しゃあねえな。おい桐耶、ちと痛えぞ。我慢しろ」

 言うが早いか、玄十朗の貫手が桐耶の喉元を深々と抉った。改造人間の外殻を容易く貫いた指先が、肉とは違う硬質な感触を覚える。咄嗟にそれを掴んで引き抜けば、手の中にあったのは二センチほどの小さな欠片。形状としてはどこか植物の種子を思わせる。
 躊躇無く、玄十朗はそれを握り潰した。瞬間、びぐんっ、と桐耶の身体が痙攣し、くたりとその四肢から力が抜けた。戦闘形態が解除され、異形の蟷螂は少年の姿へと立ち戻る。
 からんと桐耶の足元に無貌の仮面が転がり落ち、次いで桐耶自身の身体がそれに覆い被さるように倒れこんだ。完全に意識を失い、感電したかのように弱々しく痙攣を繰り返す桐耶を改めて担ぎ上げ、居間へと向けて踵を返す。

「いやしかし、参ったなこりゃ」

 はてさて、どうしたもんかね――口調ばかりは飄げていながら、玄十朗の顔に浮かんでいるのは、欠片の楽観もないと知れる渋面であった。











「――う……ん……?」

 意識が常態へと戻った瞬間、桐耶が真っ先に感じたのは、腹部……鳩尾の辺りに蟠る疼痛だった。まるで腹を思い切り蹴り上げられたような、内臓が掻き混ぜられる感覚を伴った痛み。その痛みの正体に気付かず、それでも無意識のうちに腹を撫で擦ろうとして、そこで彼は初めて、自分が何処に居るのかという疑問に思考が行き着いた。
 がばりと身を起こし、周囲を見回す。見覚えのある風景は幻塔院玄十朗の住まう家であり、居間に備え付けられた囲炉裏の横に寝かされていたのだと気付くまでに、彼は十数秒の時間を必要とした。そして此処が何処であるのかという事を理解しても、なぜ此処に居るのかという疑問に関しては、残念ながら彼だけでは答えを得る事はできなかった。

「おう、起きたか」

 不意に横合いから飛んでくる声。反射的に声が聞こえた方向へと視線を転じれば、そこには大画面TVの前に座りこんで、食い入るように液晶画面を睨み付けている玄十朗の姿。目を覚ました桐耶を一顧だにしない。その視線は全て、TV画面に――画面に映し出される映像に釘付けられている。

「桐耶、起きたんなら茶ァ入れてくれ。熱くしろよ」
「あの首領、僕、今目を覚ましたばかりなんですけど……」
「おう。あ、湯呑みは寿司ネタの漢字描いてるやつにしてくれな。茶請けは戸棚に煎餅入ってっから」

 微妙に、いや完璧に話が噛み合っていなかった。
 熱中した時の玄十朗が人の話を聞かないのはいつもの事だ。自分の身に何が起こったのかという疑問を抱きつつも、それを一時意識の隅に追いやって、桐耶は玄十朗に言われた通りに茶を淹れる準備を始める。

「けど――本当に、どうして……?」

 いや、疑問は依然意識の中央に座している。急須に湯を注ぎながら、その片手間に彼は思考を続けていた。
 二人分の茶を湯呑みに注ぎ終え、戸棚から煎餅と、ついでに大福を取り出して、それらを盆に載せ玄十朗のところへ戻る。
 胡坐をかき、膝の上に肘をついて頬杖をつきながらTV画面を睨み付ける玄十朗の顔は、桐耶が今までに数える程しか見た事のない、厳しいものだった。ただでさえ悪い目付きが三割増しで悪く見える。普段は『子供が泣き出しそうな』という感じの目付きだが、それに則して言うのなら、今のそれは『子供が心臓麻痺を起こしそうな』とでも言うべき眼差しである。
 茶を一口啜りながら、桐耶もまた、TV画面を見遣った。緊急特別報道番組というテロップが画面の右上に表示されている。映像はスタジオのものではなく、空撮中継と思しきものだった。

「これは……!」

 画面に映っているのは、高層ビルが林立する市街地。それがオフィス街なのか繁華街なのか、映像から察するのは難しいが、しかしそれは画面に映し出される異常事態からすれば、あまりにどうでも良い瑣末であった。
 そう。ここで特筆すべきは、その市街地の中でも一際背の高い高層ビルを中心に、周囲数棟のビルをまるで棒切れに絡み付く朝顔の如くに締め上げ、一帯を原始林の如き景観へと変貌させた、巨大な植物の蔓である。
 或いは人類が滅びた後に生まれるのは、こういった景観なのかもしれない。漫画やアニメなどではお馴染みの、『地球規模での天変地異』が起こった後に現出するであろう、崩壊した文明を飲み込み、取り込んでいく大自然の姿。それが今、TV画面の中で現実のものとして映し出されていた。

「『デヴォロ・ムスシプラ』……そんな、“こちら側”に現出しているなんて……!」
「うんにゃ、ありゃァまだ切れっぱしだな。全部がこっちに出てきたら、あんなもんじゃ済まねえって。あの街どころか、この国が丸ごと原始林になっちまう。……まァ、それも時間の問題だろうがよ」

 そして、もう一つ。それが起こっている場所もまた、桐耶の混乱を煽り立てる。
 鍵榁市。玖奈波ひよりが住まう町であり、彼女を監視する為に苔茎菊華が潜伏している町である。その中心部、鍵榁センターホテルこそがこの異常事態の起点となっていると、リポーターが伝えている。
 玖奈波ひよりがこれと無関係であると考えるほど、そして苔茎菊華がこれに巻き込まれていないと考えるほど、桐耶は楽天的では無かった。
 と、そこで不意に画面が切り替わり、スタジオの映像が映し出された。コメンテーターが何やら知った顔で喋くっているが、それは結局のところ、これは間違いなく忌空師団の仕業だ、シストリィは何をしているんだ、一刻も早くあれを取り除けと文句を垂れ流しているに過ぎない。無関係の位置から文句だけ口にするみっともなさに、どうやら彼は気付いていないようだ。

「はん。酷ぇ事言うもんだ、シストリィの連中だって頑張ってるってのによ。文句があんならてめーがやってみろっつの」
「……面目次第もありません」

 同情か哀れみか、ともあれそんな義理もない癖にシストリィを擁護する玄十朗に、しかし桐耶は恥じるかのように目を伏せた。
 一体どういう経緯で自分が此処に居るのかはさておき、あの光景が生まれた原因は、明らかに桐耶にある。異相空間における桐耶の失敗、桐耶の敗北が画面内の惨状に繋がったと考えるのはごく自然であり、そしてそれは決して的外れな考えではない。
 大幹部として、あるまじき失態だ。

「気にすんな……って言いてえところだが、さすがにそうもいかねえなァ。お前がこのザマって事ァ、他の連中じゃ手に負えないだろ」

 さすがの玄十朗も苦い顔である。普段の軽薄さは、そこには見られない。
 仔細は不明のままにしろ、桐耶が――忌空師団大幹部たる霧倉桐耶が、『ムスシプラ』によって洗脳され、その手駒とされてしまったのは事実である。恐らくは彼と行動を共にしていた部下達も無事ではないだろう。
 怪魔鎧蟲を洗脳し、自らの戦力として転用する。少なくとも二十年前にそういった戦術は一切確認されていなかった。そうと知っていれば、桐耶も配下を連れて異相空間に赴こうとはしなかっただろう。
 今後、『ムスシプラ』に対して、怪魔鎧蟲を差し向ける事は難しい。送り込んだ端から操られて敵に回るのが落ちである。一騎当千の怪魔鎧蟲を主戦力とする忌空師団にしてみれば、取り得る手段の大半を封殺されたに等しかった。

「ひとまず、僕は鍵榁市に行きます。お菊さんと合流して、現地の情報を集めてから――」

 不意に、桐耶の懐で携帯電話が鳴った。液晶画面に視線を落とせば、たった今口にしたばかりの、苔茎菊華の名前が表示されている。
 玄十朗と一瞬の目配せの後、桐耶は通話ボタンを押した。











 霧倉桐耶が幻塔院玄十朗の家で目を覚ましたのと、ほぼ同時刻。
 石動快晴もまた、深い混濁から意識を浮上させていた。

「……っ、くぁ……」

 か細い悲鳴のように息を吐き出す。それだけで、全身の骨と筋肉が軋みを上げた。僅かに首を動かすだけでみしみしと音を立てる身体は、目立った外傷こそないものの、正常から程遠い状態にあるのは明白であった。
 だが自分の身体がどのような状態にあるのかよりも、快晴の意識はまず、周囲の状況把握を優先とした。視線を巡らせて周りを見遣れば、そこは廃墟と思しきぼろぼろの建物の中。硝子の割れ砕けた窓から差し込む斜陽が、罅割れた床や壁、天井を照らし出して、物悲しい雰囲気を演出している。
 どこだ、ここ?
 幸いな事に、この時の快晴には少なからず冷静な思考能力が残されていた。いつぞや蟷螂と戦った時は、戦意と昂揚に我を忘れて戦闘に没頭してしまったが、今の彼には周囲の状況と記憶の中の風景を照らし合わせて、その齟齬を不可解と思うだけの思考力、判断力が保たれていたのである。

「ええと……確か、鍵榁センターホテルの、ショッピングモールで……」

 記憶を辿っていく。今日の自分は玖奈波ひより、結賀文緒、苔茎菊華と一緒に鍵榁センターホテルのショッピングモールに遊びに来ていた。一頻り遊び倒した後、フードコートで休憩し、そこでひよりと文緒は快晴と菊華を残し、食べ物を注文しに行って――

「そうだ――ひより!」

 がばりと身を起こす。身体の軋みが悲鳴となって無茶を戒めるが、今の彼にはそれに意識を回す余裕すらない。
 そう。そうだ。全部思い出した――菊華が、何故かこの場所に居る同僚の姿に気付き、声をかけて近寄るも黙殺された直後。何気なくその姿を目で追った快晴は、女がひよりに近付く様をも目にしていた。
 ひよりに何か用でもあるのか、まああいつは色んなところで恨みを買ってるだろうしな、と快晴が自分の事を棚に上げてそう思った直後。女はやおら、ひよりを引き寄せてその唇を奪ったのである。
 当然、快晴は仰天した。ひよりと女の間に面識があったかどうかは不明だが、公衆の面前で、しかも女性同士でいきなりキスに及ぶなど、当事者であるひよりは元より、快晴もまた想像の範疇外だったのだ。
 何してんだあの女――一体何がどうなっているのかまるで理解できないながらも、快晴がひよりの元に駆け寄ろうと飛び出す。
 ひよりは女を突き飛ばし、傍らの文緒から差し出されたハンカチで顔を拭っていたのだが、その動きが不意に停止した。さながら、『一時停止』をかけられたVTRのように。
 それはそれで一つの異変であったのだが、しかし本当の異変は、その後に待ち受けていた――彼女の周囲の空間が、まるで陽炎か何かのように、急激に歪み始めたのである。
 更に次の瞬間、それを契機としたかの如く、天井をぶち破り、床を粉砕し、壁を貫いて、何かが飛び出してきた。あまりに常識を逸脱したサイズ故に、すぐさま判別はできなかったが、それは明らかに植物の蔓であった。
 周囲のあらゆる物に絡みつきながら、津波の如く蔓は人も物も押し流していく。快晴もまた巻き込まれ、そこで彼の記憶は途切れている。気付いた時にはこの廃墟の中。自分がどうしてここに居るのか、まるで見当も付かない。
 今の快晴に判るのは、この状況の起点が玖奈波ひよりである事。ひよりがあの謎の女に口付けされた瞬間から、この異常事態が始まっているという事だけである。
 そして予想通りに、今、この場にひよりの姿はない。ひよりのすぐ近くに居た筈の結賀文緒だけは、快晴の隣で静かな寝息を立てているものの、揺すってみても呼びかけてみても目を覚ます気配はない。

「結賀、おい、結賀……くそ、何で起きない……! ……!?」

 その時。快晴の聴覚は、近付いてくる奇妙な音を捉えた。ギターの弦を一本爪弾いたような高音。それはどこか、蚊の羽音を思わせる。
 身を強張らせる快晴の前に、その音の正体が現れたのは、数秒と経たぬ内であった。

「――ッ!」

 廃墟の一室に姿を現したのは、忌空師団の改造人間、怪魔鎧蟲。背中の薄く細い翅、針のように細く伸びた口元の意匠は、先の快晴の連想と違わず、藪蚊のそれである。
 その姿を目にした瞬間、快晴の身体は咄嗟に、懐に忍ばせた伸縮式警棒を抜き払っていた。あと一秒の猶予があれば、それで殴りかかっていただろう。だが僅かな差で、藪蚊の制止が間に合った。

「ま、待った待った! ウェイトっす! わたしっス、菊華っすよ!」
「あ……?」

 両手を挙げて『降参』の意を示す蚊に、快晴も毒気を抜かれて動きを止める。果たして藪蚊は顔に手を当てたかと思うと、一瞬で異形昆虫から、快晴の見慣れた苔茎菊華の姿へと立ち戻った。

「ふう。危ないところだったっす。危うく殉職するところだったっすよ」
「苔茎……何だこりゃ、手前ぇら一体、何をした!」
「へ? あ、違うっす違うっす! わたしらじゃないっすよ!」

 てっきり開き直った嘲笑を返してくるものだとばかり思っていた快晴は、しかし関与を否定する菊華の言葉に、思わず「は?」と聞き返してしまう。

「これ、わたしらのやった事じゃないんすよ。わたしも巻き込まれた側っていうか、被害者っていうか……」
「じゃあ何だよこれは。つーか、ここは一体どこなんだ」
「え? 鍵榁センターホテルっすよ。ショッピングモールの上の方にホテルくっついてるじゃないっすか。そん中の一室っす」

 鍵榁センターホテルは一階から三階までがショッピングモール、そこから上階、三十六階までがシティホテルとして使われており、最上階の三十七階は展望フロアとなっている。
 改めて部屋を見回してみれば、廃墟と思しきその部屋の中には剥がれかけた壁紙や、ベッドが置かれていたと思しき跡がある。言われてみれば、成程ホテルの一室であった。

「苔茎。ひよりはどこだ……あいつは、どこに行った!」
「う……その、それが……わたしも良くわかんないんすよ。ひよりん、ムスシプラに捕まって、連れてかれちゃったですし……」
「むす……? むすしぷら? なんだよ、それ」
「うーんと、えーっと……ごめんなさい、わたしじゃ上手く説明出来ないっす。キリヤさまなら、解り易く説明出来ると思うっすけど……」

 ちっ、と苛立ちに舌打ちが漏れる。苛立ちに床を踏み鳴らしながら、彼は窓へと近付き――そこから見える光景に、息を呑む。

「な、なんだこりゃあ……!?」

 今、自分の居るこの部屋がまるで廃墟の一室と思しき有様になっている事から、多少は予想していたものの……窓の外に広がる光景は、予想を遥かに超えて予想外であった。
 まるで亜熱帯の森林が如くに、繁茂した植物に覆い尽くされた街。しかもそれは現在進行形で広がっている。海洋生物の触手を思わせる動きでうねくる蔦と蔓を見れば、その想像は決して的外れではないと知れた。

「嘘、だろ……!? おい苔く――」

 愕然としながら菊華を振り向いた快晴であったが、その身体が次の瞬間、ふわりと床から離れて浮いた。その奇妙な浮遊感を感じる暇こそあれ、彼の身体はそのまま硝子の砕けた窓から飛び出して、眼下の地上へと落下していく。
 悲鳴を上げる余裕すらない。一体何メートル落下したのか、何十メートル墜落したのか、それすらも判らない。と言っても、彼は地表に叩きつけられる事もなく、その寸前でふわりと速度が落ちて、柔らかく着地させられた。

「……い、あ……?」
「大丈夫っすか?」

 快晴を覗き込む菊華は、いつの間にか先程見た、藪蚊を模した姿へと変身していた。恐らくは彼女が快晴を抱え上げ、彼を外へと連れ出したのだろう。彼女もまた怪魔鎧蟲の一匹だ、人間一人を抱えて地上数十メートルの高さから降りる事など、造作もあるまい。
 ちょっと待っててくださいっす、と言い残し、菊華は再度浮遊して、飛び出した窓へと戻っていく。直に戻ってきた彼女の手には、未だ気を失ったままの文緒が抱えられていた。

「もうじき日が落ちるから、そうなったらムスシプラの奴も動きを止めると思うっす。植物っすからね。その隙に、石動くんは逃げてほしいっすよ」

 文緒を受け渡しながら放たれた菊華の言葉に、まず快晴は驚きに息を呑み、次いで怒りに声を詰まらせた。こんな場所に幼馴染を一人残し、おめおめと逃げ出すなど、石動快晴にはまったく慮外の選択肢であったのだ。
 快晴の表情から内心を読み取ったか、菊華が慌てて補足する。

「あ、いやいやいや、そうじゃないっす。助けを呼んできてほしいっすよ。……癪っすけど、わたし一人じゃこんなん、どうしようもないっす。シストリィでも何でも良いっすから、お手伝いを連れてきてほしいっす」
「お前は……どうするよ」
「わたしは残るっす。逃げ遅れたひとたち、いっぱいいるっすから。ほっとけないっすよ」
「……あん? どういうつもりだよ、忌空師団だろ? 一般人がどうなろうが、知った事じゃねえだろうがよ」

 快晴の言葉に、む、と菊華が気色ばむ――と言っても藪蚊を模した戦闘形態、表情が見て取れる訳でもなく、気配で察しただけだが。

「わたしらが人襲ったり街壊したりするのは『作戦』の時だけっす。そうでない時にまで人に危害は加えないっすよ」

 その言葉のどこまでが本当なのか、快晴には判断出来ない。だがこの場において、彼女の言を信用する以外にどうしようもないのは、歴然とした事実であった。

「……すぐ戻る。できるなら、ひよりを頼むわ」
「アイアイサー! そっちも文緒ちゃんの事、お願いするっすよ!」

 びしりと敬礼してみせる菊華に背を向け、文緒を背負って、快晴は走り出した。











 巨大植物の樹海は、鍵榁センターホテルを中心とした半径二キロを覆い尽くす形で広がっている。そしてそれを更に包囲する形で、今、シストリィは戦力を展開させていた。とは言え、兵員の大半はこの国の軍隊――自衛隊に籍を置く者達であったのだが。
 そもそもが研究機関であるシストリィは、装備はともかく、各国家が保有する軍隊と同等数の兵員を有している訳では無い。実質的な保有戦力は兵装試験部隊ドールズの約一個中隊程度であり、作戦行動においては国連軍や各国の軍隊から兵員を借り受ける。
 快晴にとって幸いだったのは、今回シストリィが兵員を借り受けた先が、祖国の軍隊であった事だ。シストリィは忌空師団が出現したとあれば世界各国、どこにでも駆けつけるが、現地政府や軍が必ずしもシストリィに好意的とは限らない。非協力的であるならまだしも、露骨にシストリィを邪魔者扱いする軍や政府組織も存在する事を、快晴は良く知っていた。
 だが少なくとも、日本の自衛隊は概ねシストリィに好意的だ――作戦司令部に通され、シストリィ本部との連絡が繋がるまでに快晴が要した手間と時間は、本当に微々たるものであった。

「そりゃ一体どういう事っすか、長官っ!」

 快晴の怒号が、作戦司令部に響く。
 ノートパソコン程度の大きさの通信機器に映し出される長官は、快晴の剣幕にもまるで怯む事なく、淡々と先の言葉を繰り返した。

『言った通りだ。明朝〇五三〇を以って、鍵榁市中心部に焼夷爆弾を投下する。貴様はドールズ本隊と合流、投下時刻まで忌空師団を包囲の中に留め置け』
「まだ生き残りが山ほどいるんだ! んなもん落としたら、皆焼け死んじまうだろうがよ!」

 とは言うものの――快晴も、解っている。これが最善の策であると。
 植物である以上、『焼き尽くす』手法は恐らく最適。そしてあの植物の繁茂速度を見れば、明日の朝、日光によって活動が活性化した後では間に合うまい。被害の拡大を防ごうと思うなら、これ以上の策はなかった。
 だが、だからと言って簡単に納得はできない。あの中には数千人規模で逃げ遅れた人々が居るのだ。無辜の犠牲者を山のように作り出して、何が最善であるものか。

『命令だ、石動快晴。ドールズ本隊と合流、焼夷爆弾の投下まで忌空師団を包囲の外へと出すな』

 そして一方的に通信は切られ、ブラックアウトした画面だけが残される。がん、と快晴は机を殴りつけた。そうでもしないと怒りのあまり、自分でも何をするか判らなかった。
 場に居合わせた自衛隊の将官に敬礼――投げやりな、敬意のまるで感じられないものだったが――し、快晴は作戦本部として使われているテントを後にする。

「くそ……くそ!」

 こうしてる間にも刻一刻と時間はなくなっていく。明日の朝六時には、ひよりや菊華、他の囚われた人々ごと、街が焼き払われる。
 許せる筈がない。そんな結末は認められない。それが例え子供の我儘だとしてもだ。ならばどうする、という内側からの問いにも、実のところ、既に答えは出ていた。
 明日の朝六時までに、あの植物を排除してしまえば良い。少なくともそれが街一つを焼き払うに釣り合う脅威ではないと、一目で知れる程度に。
 それでも行動に移れなかったのは、それが如何に困難であるか、快晴自身も充分に理解していたからだ。命令違反を犯す以上、ほぼ徒手空拳の身で、彼はあの巨大植物に挑まなければならない。不可能という言葉は使いたくないが、限りなくそれに近いという事は、誰に言われるまでもなく理解していた。

「ヘイ快晴! しけたツラしてるな、オイ!」

 と――不意に、彼はぱかんと後ろから頭を叩かれた。何しやがる、と振り向けば、そこに居たのは三人の男たち。
 陽気そうな黒人が一人に、寡黙な巨漢と、隊長である白人男性。兵装試験部隊ドールズにおいて快晴が属するチームの同僚が、そこに居た。

「よう快晴。迎えに来たぜ」
「……頼んじゃいねえよ」

 状況にそぐわない陽気な笑みを浮かべる仲間に対し、快晴は憮然とした顔でそっぽを向いた。今はお喋りしている余裕――時間的にも、心情的にも――はないのだ。
 仲間達を無視して思考に没頭する快晴に、やおら何かが投げつけられたのは、次の瞬間だった。反射的にそれを受け止めれば、それはバグスワッターの収められたトランク。快晴用にチューンされ、専用弾倉の装填によって熱線銃へと切り替わる、対忌空師団用の歩兵装備としては恐らく最強の二挺拳銃。
 次いでもう一つ、それよりももう二回りほど大きい、長期旅行に使われるようなトランクが放り投げられた。さすがにこれは受け止めるという訳にもいかず、元より彼の手がバグスワッターのトランクで塞がっている事もあって、トランクはずしんと重たげな音を立てて快晴の足元に落着する。
 そも、バグスワッターは反動や引鉄の重さなどの理由から、常人には扱えない代物だ。ならばこちらの大型トランクに入っているのがそれの行使を可能とさせるもの、つまりICスーツ一式であるのは自明だった。事実、開け放ったトランクの中には、肩や前腕、脛に装甲の施された特殊強化服が、綺麗に折り畳まれて収められていた。

「おまえら、何で……」
「長官殿の“お願い”でな。お前に貸してやれ、との事だ」

 肩を竦める隊長の顔には、嘘や冗談を言っているようなところは何一つ見受けられない。
 ちっ、と快晴は舌打ちを漏らした。だがそれとは裏腹に、その顔に浮かんでいるのは、喜悦を押し隠そうとして失敗した事が一目で判る苦笑だった。
 長官は、石動快晴が命令に従うなどと、これっぽっちも思っていなかったのだろう。どうせ彼は一人で巨大植物に乗っ取られた街に舞い戻ると、そこまで予想していたのだろう。
 ……それを見越して、彼は部下にシストリィの最高機密たる特殊強化服を預けていた。馬鹿な少年を無駄死にさせるな、とばかりに。
 後々問題になる事だろう。これを使えば長官は元より、快晴だってただでは済むまい。それでも快晴はこれを使う。長官の想いを過たず理解するならば、これを使わないという選択は有り得ない。

「さすがに俺たちは付き合えん――命令は命令だからな。命令違反を犯すのはお前だけだ。……どうする、石動?」

 今更ではあったが、それでも隊長からの問いは、快晴が引き返す最後のチャンスであった。ここで突入を諦めれば、快晴は無駄な処罰を免れるし、危険を犯す必要もなくなる。
 しかし、無論――

「決まってら。……悪ィけど、俺は行かせてもらうぜ、隊長」

 ――命を惜しみ処罰を恐れるほど、石動快晴は小利口な男ではない。
 快晴の言葉に一つ頷いて、隊長が最後に投げつけたのは、インセクティサイド・スーツを起動させる為の鍵、フルフェイスタイプのヘルメットだった。

「気を付けろよ、快晴」
「ああ。長官によろしく言っといてくれや」

 踵を返し立ち去る仲間達に敬礼を送り、快晴はICスーツの装着にかかった。
 強化服を纏い、装甲を固定し、最後にヘルメットを被って、システムを起動させる。暗視機能がヘルメットの内側に周囲の風景を鮮明に映し出し――彼が向かうべき死地、天の月へと向かって屹立する、鍵榁センターホテルの威容を捉える。

「待ってろ、ひより……!」

 低く唸るように呟いたその言葉には、銑鉄の如き灼熱が宿っていた。












 苔茎菊華は一人、鍵榁センターホテル最上階を目指していた。
 この事態に巻き込まれた人々の救出に当るべく、建物の中を飛び回っていたのだが――それがまるで無意味な行いであった事を、つい先程、彼女は理解した。
 今の鍵榁センターホテルに響くのは、ずるりずるりと蔦が這い回る音だけだ。人の声や息遣いなどは何も聞こえない。
恐らく、ムスシプラが通常空間に現出する際、空間が一時的とは言え破断した影響だろう。中てられたとでも言うのか、大気を伝播する衝撃は常人では意識を保つ事すら難しい。快晴はともかく、文緒が一向に目を覚まさなかったのが、その証左と言える。
 そしてムスシプラは、昏倒した人々をその蔓で絡めとると、何処かに運び去ってしまった。必死に快晴と文緒だけは護りきった菊華であったが、しかしそれは他の人々を見捨てる行為に他ならず、何より彼女は、ひよりがムスシプラの蔓に絡めとられ頭上へと引き上げられていく様を、為す術なく見送るしかなかった。
 幸いと言えるかどうかは別として、囚われた人々はすぐに見つかった。ホテル下階のショッピングモール、その更に下。地下駐車場に押し込められていたのである。
 が、それを救出する事は、残念ながら菊華では不可能だった。囚われた人々は皆が皆、がっちりと四肢を蔓と蔦に絡めとられており、怪魔鎧蟲の中でも非力な部類に入る菊華では、それを引き剥がす事はできなかったのだ。
 故に彼女が選択したのは、ムスシプラそのものを機能停止に追い込む事。植物である以上、根を断ってしまえば枯れ落ちる。救出も容易になる筈だ。
 ならば根とはどこか。地の養分を得て育つ植物ではない、この場合における根とは、異相空間との接点になっている場所だ。そう考えれば、続く答えは自然に導き出された。
 玖奈波ひより――彼女が腹に呑んだ宝玉、次元境界干渉器たる宝玉こそが、異相空間との接点。ならば処方は決定したも同然だった。ひよりの救出が、そのまま事態の収拾に繋がる。

「今行くっス、ひよりん……!」

 エレベーターシャフトの中を一直線に上昇しながら、菊華は呟く。

「……っ!」

 最上階展望フロアに躍り出た瞬間、彼女の目に飛び込んできたのは、実に色鮮やかな――それでいて、単一の色に塗り潰された空間だった。
 窓から差し込む斜陽。もう数分としないうちにビル街の彼方へ消え去るそれが、残る僅かな時間に燦々と赤光で屋内を照らし出している。
 その斜陽を背中に受けて、菊華を待ち受けるものがあった。
 蔓と蔦が絡まりあい、瘤のように隆起した、異形の物体。デヴォロ・ムスシプラと呼ばれる存在の、恐らくは“こちら側”へと株分けされた部分だろう。
 もぞりもぞりと蠢く異形植物の株は、飛び込んできた菊華を果たして敵と見なしたのか、それとも単なる障害とのみ見なしたのか。どうあれ処方に違いはなく、ひゅんと唸りを上げ、鞭を思わせる速度で奔る蔦が、四方八方から同時に菊華へと襲い掛かる。
 だが蔦鞭が打ち据えたのは菊華ではなく、蔓と蔦に埋め尽くされた床面だった。これでも怪魔鎧蟲の端くれ、高速で迫る鞭とは言え、決して捉えられない速さではなかったのだ。

「ひよりん! どこにいるっすか!」

 声を張り上げて呼びかけるが、聞こえてくるのは蔓と蔦が蠢く、不気味な這音だけ。再度呼びかけようと息を吸い込んだ菊華だったが、声を出す寸前、頭上を擦過する蔦鞭がそれを押し留めた。

「ああもう、邪魔っすよ!」

 苛立ち紛れに菊華は懐から得物を取り出し、ムスシプラの株へと投げつけた。硬い音を立てて表面に突き立ったそれは細い針。藪蚊の口吻を思わせる、注射針のように円筒状となった針だった。
 ぶびゅる、と嫌な音を立てて、円筒状の細針の先端から緑色の液体が噴出する。ムスシプラの樹液だろう。人間で言えば血液にも等しいそれを吸い出されたムスシプラが、身をよじるかのように株を蠢かせる。

「へへん、ざまみろっすよ――ぁいだぁっ!?」

 ダメージを確信し、思わず拳を握りこんだ瞬間、菊華の足を強烈な痛みが襲った。慌てて視線を落とせば、右足がトラバサミのような葉に挟み込まれている。葉の縁に沿って並ぶ棘が容赦なく菊華の足首に食い込み、彼女をその場に縫い付ける。
 ムスシプラ――『ハエトリグサ』を意味するその名の由来を、菊華は知らなかった。知っていればもう少し足元に気を使って動いただろう。だがそれももう遅い、足首を刺す激痛に身を仰け反らせた瞬間、背後から迫る蔦鞭が、彼女の背中をしたたかに打ち据えていた。

「あうっ……! ぎ、いっつ……!」

 倒れこむと同時、するすると伸びてくる蔓が、見る間に菊華の四肢を拘束する。
 その中の一本が懐の中にまで伸び、そこに収められていた携帯電話を抜き取っていった。偶然蔓が絡まった訳ではない、明らかに携帯電話を狙って抜き取ったのだ。
 蔓は菊華の目の前に携帯電話を吊り下げたかと思うと、折り畳み式のそれを開く。それだけならまだしも、次の瞬間、電話は勝手にどこかへ通話を開始したのだ。操作の類は何一つしていない、そもそも蔓はボタン部分に触れてすらいないにも関わらず。
 やがて通話はどこかへと繋がり、若い男の声をスピーカーから響かせる。

『もしもし!? お菊さん――無事ですか!?』
「…………っ!」

 それは苔茎菊華の上司、忌空師団大幹部――霧倉桐耶の声。
 その時、菊華はムスシプラの意図を理解した。助けを呼べ、と要求しているのだ。菊華を餌に、菊華を助けに来た者をも獲物として喰らうつもりでいるのだろう。およそ本能というレベルを逸脱した、植物に有り得ざる高度な判断だ。

『お菊さん! 返事してください! お菊さんっ!?』

 聞こえてくる桐耶の声音からは、本気で菊華を心配していると知れる。
 普段はそっけなく菊華をあしらっている桐耶だが、それでも、大事には想ってくれているのだろう――危機に陥っていると知って、心穏やかでいられないくらいには、大事に想ってくれているのだろう。
 こんな時でもなければ知り得ない桐耶の本音が、嬉しくて堪らない。
 だからこそ、苔茎菊華の処方は、ただ一つきりであった。

「キリヤさまっ! 来ちゃ駄目っす! ここに近付いちゃ、駄――」

 がづんと、延髄のあたりに殴打を受けたかのような衝撃。
 決死の叫びは半ばで途切れ、菊華の意識はそのままブラックアウトしていった。





◆      ◆





 続劇





◆      ◆



[30023] 6:『共闘と覚醒』
Name: 濁水◆44d72913 ID:35af097c
Date: 2011/10/15 03:24


 “それ”は、ずっと思考し続けていた。
 本来の“それ”は、ただ装置とだけ呼ぶべき代物であった。入力された命令を実行し完遂するための機構。だが“それ”には、単純な機械装置では持ち得ない機能……『命令を完遂する為にはどうすれば良いか』を考える機能が付属していた。
 だから“それ”は考えた。考えて考えて考え続けた。既に命令を入力した者は亡く、その命令の完遂に何の価値もないという事を知らないまま、気付かないまま、それでも考えて考えて考えて――誰も居ない世界で、誰も居ない空間で、二十年。
 哀れむべきは、“それ”に付属する『考える機能』が、命令の完遂という方向にしか向いていなかった事だろう。もし本当の意味で『考える』事ができたのなら、己に入力された命令の無意味さを認識できていた筈だ。命令の無意味さに気付き、その無意味を実行するしかない己の無価値さに気付き、静かに活動を停止していた筈だ。
 だが現実は、そうはならなかった。“それ”は思考し続け、しかしその無意味さには終ぞ気付かず、命令の完遂の為に様々な手段と方策を思索し続けて――つい先程、一人の少女を己の内に取り込んだ。
“それ”が閉じ込められた空間と現実空間を繋ぐ『門』を、腹の中に宿した少女。
 次元境界干渉器。忌空師団が秘密裏に回収を行うその宝玉こそが『門』であり、『門』を通して“それ”は現実空間を覗き見、機を窺っていた。そして遂に見つけたのだ、現実へと帰還する為に格好の目印を。それがあの少女だった。蟷螂が香港の街で少女と初めて遭遇した時に、蟷螂の懐の中から、“それ”は少女を目印として見定めていたのである。
 何故、彼女に惹かれたのかは解らない。きっと植物が太陽の光を求めるように、それは自然な事だったのだろう。太陽を目指して枝葉を伸ばすように、必然であったのだろう。
 そして“それ”は行動を開始した。宝玉を通して現実空間に干渉、蟷螂や人間の戦士ごと宝玉を転移させて、少女が宝玉を手に入れるように仕向けた。もっとも、彼女が宝玉を腹に呑んでしまうところまでは予想外だったが、それも後から考えれば好都合だった。
 幸運は続いた。“それ”の居る異相空間へと、怪魔鎧蟲が踏み込んできたのだ。それも新たな宝玉を携えて。異相空間への侵入に必要とは言え、“それ”にとって宝玉がどれだけの意味と価値を持つのか、彼等は知っていた筈なのに。
 まんまと宝玉を奪い取った“それ”は、この二十年における自己進化で手に入れた能力――怪魔鎧蟲の操作能力を使い、少女の下へと宝玉を運び込んだ。少女に宝玉をもう一つ飲み込ませ、二つの宝玉は共鳴反応によって次元境界を破断。
 “それ”は遂に、現実空間への帰還を果たしたのである。
 ただし帰還に成功したのはあくまで一部分、本体全ての現出までにはまだもう暫くの時間がかかる。それまで『門』を維持するべく、少女を己の内に取り込んだのは、まったく合理的な判断であると言えよう。
 しかし、“それ”は気付かなかった――【デヴォロ・ムスシプラ】という名で呼ばれるそれは、最後まで気付く事はなかった。
 合理的として実行に移したその行為が、全てを破綻させる大失敗であったのだと。





◆      ◆





 6:『共闘と覚醒』





◆      ◆





 霧倉桐耶は疾風と化していた。
 本来の姿である蟷螂となって、建物の屋から屋へと飛び移り、現地である鍵榁センターホテルへと全力で疾走していた。
 それは最早、人間の動体視力では捉えられぬ、弾丸もかくやという速度であった。それでも桐耶の心境からすれば、蛞蝓が這うよりまだ遅い。

『正直な事言やァ、明日か明後日まで待って貰いてェところなんだがな』

 桐耶が出立を告げた直後、幻塔院玄十朗は今までに見た事もないような、真面目かつ苦渋を顕わにした表情で、そう言った。

『明後日まで待てば、あいつらが全員戻ってこれンだ。四人揃えば、まァ、あの程度しか現出してないムスシプラなら何とかできるだろ――それでも行くのか、桐耶よぅ』

 忌空師団の最中枢、四人の大幹部が揃えば、大抵の事は成し遂げられる。不可能はない、と言っても良いくらいに。
 桐耶とてそれは解っている。より確実を期するなら、残る三人の大幹部が集まるまで待機しているべきだ。だが彼の直感は、その数十時間のロスが致命的な遅れに繋がると告げていた。
 ……いや。それは結局、二の次に過ぎない。霧倉桐耶を動かす理由の第一ではない。
 論理的、合理的な判断を覆したのは、直感と言うよりも、むしろ私情寄りの判断であった。

『それでも、です。可愛くはないけれど大事な部下です――今ここで、苔茎菊華を失う訳にはいきません』

 そう言ってから、桐耶は僅かに相好を崩し、先の発言を僅かに修正する。

『いや、ちょっと違うか……失いたくないんですよ。僕は何だかんだで気に入ってるんです、お菊さんが。ここで失くしちゃうと、ちょっと、埋め合わせるのは難しい――』
『……ふはははは、そうかい、そいつぁいい――おい桐耶、録音すっからもっぺん言ってくれねェか? 後で菊の奴に聞かせてやりてェ』
『断固拒否します』

 それ以上、与太話に費やす時間はなかった。桐耶は玄十朗の家を飛び出し、玄十朗はそれを黙って見送った。
 鍵榁市に辿り着く頃には既に日も暮れ、空には煌々と月が輝いていた。鍵榁市中心部を包囲する形で展開していたシストリィ――厳密には自衛隊であったのだが――の頭上を飛び越え、誰にも気付かれないままに、桐耶はムスシプラの樹海内へと侵入を果たす。
 高空から落着するかのように地面へと降り立った彼の前には、墓標の如く聳える鍵榁センターホテルの威容と、そして。

「ちっ……!」

 センターホテル下階のショッピングモール入口からわらわらと蠢き歩み寄ってくる、蟻装兵の巨体。それはホラー映画の一場面、現世に彷徨い出てきた亡者の姿さながらであった。恐らくは菊華か、或いはあの異相空間で攫われた桐耶の部下達が持っていた蟻装兵だろう。ムスシプラが怪魔鎧蟲を操る事ができるのなら、蟻装兵もまた傀儡とできるのが道理である。

「悪いけど、時間が無いんだ――解体させて貰うっ!」

 怪魔鎧蟲ならまだしも、戦闘員……つまりは消耗品である蟻装兵の洗脳を一々解いている余裕は、今の桐耶には微塵もない。
 蟷螂が蟻装兵の群れへ、鍵榁センターホテルの屋内へと突貫する。翠光を纏う両前腕の曲刃が暗闇の中で閃き、蟻装兵の巨体を次々と切り裂いていく。鋼鉄すら凌ぐ蟻装兵の甲殻も、蟷螂の刃の前では何の防護にもならない。十数体の蟻装兵全てが五体をばらばらに切断され、床に転がるまでは、一分とかからなかった。
 一体の蟻装兵の頭を踏み砕いて、頭上を見上げる。視線は天井を超えてその先、鍵榁センターホテル最上階。前に目を通した情報や、先日の異相空間における経験から、ムスシプラは高所を好む習性があると知っている。恐らくは菊華もその近辺に居る筈だ。
 電力が落ちている以上、エレベーターは動くまい。非常階段で上がっていく必要がある。階段を探して周囲を見回した桐耶だったが、そこで彼は苛立ちに小さな吐息を漏らした。
 暗闇の中に蠢く巨体。恐らくはショッピングモール内に放たれていた蟻装兵達が全て集結したのだろう、四方を蟻装兵の群れが取り囲んでいる。忌空師団の大幹部たる霧倉桐耶にとっては足止めにすらなるまいが、一々解体していく手間を思うと憂鬱になるしかない。
 桐耶が動くに先んじて、蟻装兵が一斉に彼へと襲いかかった。殺到する蟻装兵の群れを冷静に把握し、近付いてくるものから順に切り捨てていく。刃の纏う翠光が敷き詰められた暗闇を照らし出し、切断された甲殻が床に転がって奏でる甲高い音が、モール内に韻々とこだまする。

「ええい、面倒な……!」

 おもわず愚痴が口をついて出る。しかし蟻の兵隊を斬殺する刃の動きは一向に鈍る事なく、ただ精密機械さながらの機動で敵をばらばらに解体していく。
 次の瞬間、背後から『何か』が飛来する。蟻装兵の攻撃と明らかに異なるそれを叩き落とす時も、その機動に何ら危なげなところはなく――しかし桐耶の意識は不意を打った何者かの存在に気付き、この場に自分以外の誰かが居るという事実に僅かな混乱をきたしていた。
 果たして暗闇と物陰に身を隠す何者かは、桐耶のみならずその周囲の蟻装兵にも問答無用に攻撃を仕掛けてきた。いや、そもそも桐耶と蟻装兵を区別していたかどうか。とりあえず撃ってみた、というのが実際のところだろう。傍から見れば両方とも忌空師団でしかないのだから。
 暗闇を引き裂いて閃く銃火。放たれる弾丸は蟻装兵の甲殻を焼き菓子が如くに粉砕していく。その様に既視感を覚えると同時、蟷螂は隠れ潜む銃手の位置を捕捉し、判断に先んじて切り捨てるべく疾駆する。
 銃手の方も物陰から飛び出し、両手に携えた二挺拳銃を乱射する。鉄槌の殴打が如くに桐耶を叩く衝撃は、ただの拳銃弾によるものではあるまい。その衝撃にはどこか憶えがあったが、今はそれに頓着する余裕もない。
 桐耶が曲刃を振り翳す。銃手が銃口を蟷螂の額に定める。交錯する刃と銃口――だが刃が銃手の首を切り落とす寸前、或いは銃弾が蟷螂の額を穿つ寸前、彼等は自分が相対しているのが誰であるかに気が付いた。

「……君は、確か……?」
「カマキリ野郎……!?」

 刃が止まる。引鉄にかかる指が硬直する。それでも暫くの間、彼等は互いに互いの急所へ得物を向けあっていたのだが――それも、桐耶が刃を退いた事で、膠着状態足り得なくなった。

「こんな夜中に散歩か? 暇なんだな、忌空師団の大幹部サマはよ」
「君こそ、こんなところで何してるんだい? 見たところ一人だけみたいだけど、お友達はどうしたのかな?」

 拳銃をホルスターに納めながら、銃手――確か石動快晴といったか、彼が皮肉たっぷりに吐き捨てる。応じる桐耶の言葉もまた、嫌味の棘が存分に含まれているものだった。
 ちっ、と舌打ちを一つ零して、快晴が顎を上げる。フルフェイスのヘルメットに隠れて窺えないが、恐らくその視線は最上階へと向いているのだろう。……桐耶と同様に。

「てめえも、か?」
「ああ。部下が捕らえられている。……君は?」
「幼馴染とクラスメイト。まあ二人とも、助けを求めるような可愛げはねえんだけどよ」

 数秒間の沈黙の後、快晴が、そして桐耶が、ほぼ同時に足を踏み出した。向かう先には鍵榁センターホテルの非常階段。エレベーター以外で最上階フロアへと到達する唯一の経路である。
 歩む先が同じである事に、桐耶も、快晴も、何の反応も見せなかった。既にこの時点で、彼等は非常に業腹ながら、共闘態勢を取る事を了承していたのだ。
 恐らくは史上初、人類と忌空師団の共同戦線。

「おいカマキリ野郎、俺の前を歩くんじゃねえ」
「君こそ下がれよ、人間」

 ……今にも破綻しそうな同盟ではあったのだが、それでも、この共闘に共闘という以上の意味があったのは、間違いないだろう。











「一つ聞かせとけ、カマキリ野郎」
「何だい、人間」
「苔茎が言ってたんだけどよ――これ、お前等の仕業じゃねえのか?」

 薄暗い非常階段を上り最上階へと向かうその途中。壁や床、天井を這う巨大な蔦を軽く爪先で小突きながら、ふと快晴が桐耶に問いかける。

「ああ。僕等が仕掛けた事じゃない。発端という意味じゃ僕等に責任があるのかもしれないが、この状況は完全に予想外だよ。だからこうして君に協力してる」
「良く言うぜ……つか、この雑草は一体何なんだ? 苔茎に訊いたら、お前なら上手く説明出来るとかぬかしやがったんだが」
「ん――」

 そこで桐耶は逡巡するかのように視線を少し上げ、階段の先を見遣った。別に大して意味のある挙措でない事はすぐに知れたので、快晴はそのまま黙って、桐耶の言葉を待つ。

「そうだね。訊かれなければ言うつもりもなかったけど、訊かれたからには答えるべきか」
「回りくどいんだよ。さっさと言え」
「急かさないでほしいな。……事の起こりは二十年前だ。最近じゃ確か教科書にも載ってると思うけど、僕等は急に侵略を止めて姿を消しただろう?」

 頷く快晴。それが載った教科書で学んだ経験は快晴にはないが、つい先日、中学生向けの世界史教科書に忌空師団の侵略が記載される事になったと報道されていたのを憶えている。
 もっとも、それに関して日本はやや遅れている方だ。既に欧米では大半の国が義務教育の段階で忌空師団について教えているし、一部の独裁国家などでは、忌空師団の侵略停止は独裁者の尽力があったからこそと教えているらしい。歴史を時の政権に都合良く利用するのはどこの国でもやっている事だが、それを知った時の何となく不快な気分も、快晴は憶えていた。

「二十年前にはまだ僕も忌空師団には居なかったんだけど……侵略の頓挫は、忌空師団にとっても本当に突然の事だったらしい」
「なんだ、仲間割れでも起こしたのか?」

 つい茶々を入れてしまった快晴だったが、その言葉に蟷螂は驚いたように振り向くと、「正解だよ」と呟いた。
 妙に自嘲的に聞こえたのは、果たして快晴の気のせいであったか。 

「僕達の目的はあくまで世界征服……人間を支配下に置いた、怪魔鎧蟲の世界を作る事。その為に忌空師団は生まれ、その為に動いてきた。ところがある日、とんでもない事を言い出す連中が出てきたんだ」
「とんでもない事?」
「人類抹殺」

 何でもないような声音でありながら、逆にその平然とした声が、却って鮮烈に快晴の耳朶を打つ。

「言い出したのは当時の大幹部だったらしいんだけど……とにかくその幹部が、人類を皆殺しにしようと主張したらしい。当然、他の大幹部や、首領は反対した。殺戮も虐殺も人間を隷属させる為の手段に過ぎない。手段そのものが目的じゃない、って」

 反吐が出そうな論理である。どっちも人間を虫けら以下の存在としか見做していない点で共通だ。だが快晴はそれに突っかかる事を今だけ抑え、続きを黙って促した。

「首領や他の大幹部からの説得にも、彼は頑として耳を貸さなかった。主張を撤回しなかった。そして彼と、彼に賛同する一部の連中は秘密裏に、人類抹殺に向けて動き出した」

 桐耶の手が、壁を這う植物の蔦を撫でる。幼児の頭を撫でるかのように優しい手つきのそれは、次の瞬間、空き缶を握り潰すかのように荒々しく豹変し、蔦の一本を引き千切る。

喰蟲植物(・・・・)デヴォロ・ムスシプラ。略してムスシプラって呼ぶ事の方が多いかな。僕達怪魔鎧蟲のノウハウを転用して作られた、広域破壊型生物兵器だ」
「生物兵器、ねえ……」
「首領が気付いた時には遅かった。彼はムスシプラを解き放つ寸前だったんだ。何とか人間達に被害が及ぶ事は食い止められたけれど、それと引き換えに、忌空師団は壊滅的な損害を被った。侵略活動の継続なんてとてもじゃないけどできない程にね。聞いた話じゃ、その時生き残った改造人間は首領の他に二、三人ってところだったらしいから」

 それが、二十年前に忌空師団が突如として消え失せた真相。

「首領達はムスシプラを次元の向こう側へと叩き出した。それが精一杯だったらしい。まあ、普通はそれで充分なんだ。この世界から外に出るってのは、永久追放に等しいんだから。――例外はあるけれど」
「……あの宝玉か」
「うん。どういう原理かは解らないけれど、あの宝玉は次元の境界に干渉する性質を持っているんだ。何年か前に首領が言ってたんだけど、超古代文明の遺産だとか何とか。まあ、その時は忘年会で首領もだいぶ酔っ払ってたから、本当かどうかは怪しいけどね」
「ちょっと待て、マジで聞き逃せねえ。忘年会してんのかお前ら」
「忘年会も新年会も首領のお誕生日パーティーもしているよ。で、僕等はその宝玉を見つけ次第回収しているんだけど……今回は、君達のおかげでそれが失敗した」

 そこで一度言葉を区切って、桐耶は肩を竦める。
 成程、と快晴は頷いた。中国奥地の研究所に忌空師団が現れた理由。あまりに辺鄙な場所にあり、忌空師団が目をつけるような研究もしていなかったそこが、何故襲撃されたのか。今までどうにも腑に落ちなかったそれが、桐耶の説明によってすとんと嵌る。

「ん? おい、つまりこの、ムスシプラか? ……はその宝玉の力で、こっちの世界に戻ってきたって事だよな?」
「ああ。首領の話じゃ、ほんの一部分だけらしいけどね。全てがこちらに戻ってくれば、日本列島が丸々飲み込まれておかしくないって話だ」
「いや、それは別に良いんだけどよ――今の話だと、ひよりが全然関係ねえじゃねーか。なんであいつが巻き込まれてんだよ」

 うん? と怪訝そうな声を漏らす桐耶。どうやら彼は玖奈波ひよりがこの事態にどう関わっているのかを知らなかったらしい。快晴がこれまでの顛末を端的に説明すると、彼は納得したように二、三度頷いて、話を再開する。

「いや、実はね……その宝玉、ひよりさんが飲み込んじゃったんだよ」
「は? ……え、悪い、もういっぺん言ってくれ」
「飲み込んだの。ごっくんと。宝玉、ひよりさんの腹の中なんだよ」

 開いた口が塞がらないとはまさにこの事。まさかそんな形で幼馴染が関わっていようとは、完全に快晴の慮外であった。

「あいつ、馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど……マジで大馬鹿だな」
「心底同感だ。是非本人に言ってやってほしい」
「死刑宣告を自分で読み上げるようなもんだろ、それ」

 げんなりした感じに肩を落とす快晴だったが、直に気を取り直すと、「じゃあ」と真面目な口調に切り替えて口を開いた。

「その宝玉さえ壊せば、万事解決ってやつか?」
「多分。本体がこちら側に現出する前に宝玉を確保するか、破壊すれば、今こっちにある末端部分はエネルギー切れで枯れると思う。できる事なら確保したいところだけど、この状況じゃ、破壊を優先すべきだろうね」

 そこで桐耶はふと足を止め、快晴へと向き直った。快晴もまた足を止める。

「じゃあ、次は僕から質問だ。人間、君はどうしてシストリィに入ったんだ?」
「あ? どうしてって……」
「お菊さんやひよりさんのクラスメイトという事は、君はまだ十七かそこらだろう? どうしてただの人間、ただの子供の君が、シストリィになんか入ったんだ?」
「……新兵器とやらに適性があったんだとよ。わざわざスカウトにまで来てくれたんだ、入らねぇってのも不義理ってもんだろ――」
「違う。僕が聞きたいのはそこじゃない、そんな事じゃない。君が殺し合いに身を投じている理由だ」

 少年の言葉を遮って、蟷螂は畳み掛けるように、更に問いかける。

「適性があったとしても、依頼されたとしても、君には“戦わない”という選択肢があった筈だろう? 中東やアフリカの少年兵じゃあるまいし、何故君は戦場に出て来るんだ? 僕にはそれがさっぱり解らない」

 それは往々にして、石動快晴という少年が投げかけられる問いであった。何故たかが齢十七の少年が、嬉々として戦地に向かうのか。命の遣り取りに興じられるのか。
 もし快晴が殺傷に快楽を覚える狂人であったのなら、成程彼の行いも納得できただろう。だが快晴は正気だった。正気を保った上で、自らを危険に晒しているのだ。それは殺人鬼が有する狂気よりも尚、蟷螂にとって度し難いものであったに違いない。

「僕達はそれほどまでに脅威か? 命を投げ打ってでも立ち向かわなければならないほどに、君の正義感が座視を拒否するほどに脅威か?」

 現時点で、シストリィは人類最高峰の頭脳と英知が集結していると言って良い。天才の名を恣にしてきた者達の中には十代にも満たない者も居るから、未成年の隊員は快晴一人という訳でもない。
 だがそれでも、実戦部隊の隊員に限定すれば、快晴の十七歳という年齢は最年少の部類だ。それが殺傷を悦とする狂気を持たず、戦場に出て来るとなれば、考えられるのはもう英雄願望と同義の正義感以外には有り得ない。
 だが桐耶の問いに、快晴はゆるりとかぶりを振って応える。

「まさか。正義感なんて面倒臭ぇもん、これっぽっちも持ち合わせちゃいねえよ。……理由は二つだ。こいつ――この服の開発に、最後まで関わりたかった。それが一つ」
「もう一つは?」
「兵隊やった方が、給料がいいからな」

 石動快晴がシストリィからの勧誘に応じるにあたって、彼は二つの条件を出していた。シストリィの仕事を学業の合間に行うアルバイトとする事と、とある女性とその家族に対する金銭的援助。

「俺の親、しばらく前に離婚してんだよ。俺は親父の方に引き取られた。妹が一人いるんだが、それは母親に引き取られてよ。……俺の母親、そんな身体が強くなくてな。女手一つで無理したんだろうさ、しばらく前に倒れちまった。それ以来、入退院の繰り返しさ。妹から聞いた話じゃ、食っていくのが精一杯らしい」

 アルバイトにしろ何にしろ、十七歳という年齢の身では、稼げる額にも限度がある。だからシストリィの勧誘は渡りに船だった。そこらのアルバイトどころか、大卒の会社員に等しい給金を支払ってくれるのだ。また学業優先という要求を呑んでくれた事で、『俺は自分を犠牲にしている訳じゃない』という建前も手に入れられる。母親の心配と引け目を最小限にできる。
 幸い、シストリィからの援助、そして快晴自身が稼いだ金の仕送りによって、彼女達の生活環境は随分と改善されているらしい。余裕があるとは言えないのも確かだが。

「成程、ね。つまり目的は金か」
「軽蔑するか、悪党?」
「いや。正義感より、余程解り易い理由だ――納得したよ、人間」

 気付けば、最上階まではあと僅かだった。踊り場の壁に表記される階数表示は三十五階。最上階、三十七階の展望フロアはもうすぐそこである。
 一度足を止め、快晴は改めて装備を点検する。左右のバグスワッターは新しい弾倉に交換。熱線銃用の弾倉も懐に忍ばせている。後腰のホルスターには大型の軍用ナイフ。植物相手なら、拳銃よりもこちらの方が役に立つ局面が多いだろう。
 装備は万全。一つ頷き、改めて一歩を踏み出す快晴を、しかし桐耶が制した。
 怪訝な顔で――ヘルメットに隠れ、表情そのものを見せた訳ではなかったが――桐耶を見据える快晴に、桐耶は数秒の沈黙の後、何かを決断したような口調で告げた。

「人間。悪いけど、ここでお別れしよう」











 喰蟲植物デヴォロ・ムスシプラが異変に気付いた時には――異変を異変と理解した時には、全てが手遅れだった。
 力が足りない。エネルギーが足りない。街一つを乗っ取り、樹海の底に沈めるだけの容量があった筈なのに、今のムスシプラにはまるでエネルギーが足りないのだ。
 おかしい。こんな筈はない。こうも早く、エネルギーが無くなるはずがない。
 それはさながら、燃料タンクの底に亀裂を生じさせた乗用車の如くであった。燃料の漏出に気付かぬまま走行を続け、更に燃料計から目を離した為に、致命的なポイントを行き過ぎて初めて手遅れと知る様に酷似していた。
 ムスシプラは鍵榁センターホテルの地下駐車場に、数百人からの人間を捕えていた。いずれその血肉を養分として吸収する為に。いわば備蓄の食糧であるが、恐るべき事にこの時点のムスシプラには、『吸収する』為に必要なエネルギーを賄う事すらできなくなっていた。がりがりに痩せ細った栄養失調の身体では、食物を口に運ぶ事すらままならない――いつの間にかそんな状態にまで、今のムスシプラは追いやられていた。

 ――にひひ。いーねこれ、こんないーもん独り占めはずるくない? あたしにも分けてよ。
 
 ムスシプラの内側(・・)に、声が響く。
 元よりただの殲滅装置として造り出されたムスシプラには、最適最善を思考する能力はあっても、他者とコミュニケーションを取るような知能は備わっていない。音声の感知こそできるものの、それを『言葉』として認識できるわけではないのだ。
 であるならば、その声はムスシプラのものではない。ムスシプラ以外の何者かの声であり――その声を他に聞く者が居たのなら、高く澄んだそれが少女のものであると気付いただろう。

 ――え、なに、もう無いの? 空っぽ? ……嘘ばっか、まだいっぱいあるじゃんよ。

 そこで漸く、ムスシプラは全てを悟った。自身が蓄えたエネルギーは、無くなった訳でも、消費した訳でもない。横合いから、何者かによって奪い取られているのだ。
 何者か。考えるまでもなかった。エネルギーがどこから流出していくのかを辿れば、それはすぐに判る。果たしてそれはムスシプラの喉元、鍵榁センターホテル最上階に陣取るムスシプラの株からであった。
 蔓と蔦が絡み合い、瘤状に隆起して作り出される株。その中に取り込んだ筈の人間、ただの人間でしかない少女が、殲滅装置のエネルギーを奪い取っている――およそ冗談としか思えぬ事態が、今、ムスシプラの内部で起こっていた。

 ――いーじゃんいーじゃん、けちけちしないでさ! つーか全部よこしなさい。あたしの方がぜったい、面白おかしくこれ使えるんだから!

 搾り取られる。毟り取られる。機能を維持できなくなるまで、思考能力すら失うまで。
 ムスシプラの判断に間違いはなかった。少女を己の内に取り込むところまでは、その判断も実行も、何一つ間違ってはいなかった。
 だから間違っているのは少女のほう。人間でありながら人間を逸脱した精神性を有する、余人であれば考えもしない事を躊躇なく実行に移す彼女こそが、何かの間違いであったのだ。
 埒外の外法科学が作り出した理不尽。それこそがデヴォロ・ムスシプラだった。だがそれすらも、天然自然の理の中から生まれ出た理不尽には――玖奈波ひよりという名の理不尽には、ただ捻り潰されるだけの矮小でしかなかった。

 ――じゃあね、ごちそーさま! ……よっしゃ、いっちょ暴れてこよっかな!

 デヴォロ・ムスシプラが終わる。枯れる。朽ち果てる。
 誰に知られる事もなく喰蟲植物は最期を迎え、誰に省みられる事もないままに、状況は更に混沌の度合いを増していく。











 鍵榁センターホテル最上階――フロアを丸々使用し、地上一七〇メートルの高さから鍵榁市を一望できるそこが、現実空間へと進出したデヴォロ・ムスシプラの基点である。
 元が植物であるが故に、日の落ちた今でこそ活動をほぼ停止しているものの、このフロアに関して言うならばそれは当て嵌まらない。今も床や壁、天井を這うように蠢く蔓と蔦は、かつて霧倉桐耶が評したように、まさしく生物の胎内に等しい情景を作り出している。ただし桐耶の見たそれが僅かに陽光の差し込む中であったのに対し、こちらは展望室の窓から差し込む月明かりに照らされて、むしろ幻想的な光景とすら言えたのだが。
 ずるずると床を這う蔦の音だけが響くそこに、突如、無粋な銃撃音が響き渡った。銃声と、放たれた弾丸が鉄塊を叩く音。二回、三回と繰り返されたそれは、やがて鋼鉄が穿たれる重金属音を経て、重量物を蹴りつける轟音へと変化した。
 最上階展望フロアに這入る為には、エレベーターか、非常階段から上がってくるかのどちらかしかない。そして電源が落ちたエレベーターは当然の如く動かず、故に音の出所は非常階段シャフトと展望フロアを隔てる鉄扉以外に有り得ない。
 蝶番が破壊され、ゆっくりと倒れこむ鉄扉の向こう側に、佇む人影。肩と胸、脛、前腕に装甲の施された特殊強化服と、頭部全体を覆うヘルメットが作り出すシルエットは、総身から剣呑な気配を発散している。両手に握られた二挺の拳銃も、それに拍車をかけていた。

「よう。草刈りの時間だぜ、雑草ちゃん」

 ずずん、と倒れこんだ鉄扉が奏でる重たげな音に被せるように、ヘルメット越しでも朗々と響く明瞭な声で、人影――石動快晴がそう告げる。
 蔦と蔓が這い回る異界の中へ、何の躊躇もなく快晴は足を踏み入れる。彼の視界の先にあるのは、蔓が絡まりあって瘤のように隆起した物体。窓から差し込む月光を背に、最上階展望フロアを我が物顔で占拠するそれこそ、霧倉桐耶から聞かされていたムスシプラの株だろう。恐らくはあの中に、ひよりが囚われている。
 ちらりと左右に視線を飛ばす。ヘルメットの暗視機能、そして感熱機能を最大限に利用して、このフロアに他の人間が居るかどうかを確認。――居る。ヘルメットの内側に映し出される映像には、生物のものと思しき物体がはっきりと捉えられている。低温を示す青い画面の中で、生物の体温が示す赤や白は、そこに誰かが居ると明確に示していた。
 物陰に身を潜めつつ、“何者か”は快晴の隙を窺うようにじりじりと間合いを詰めてきている。それは明らかに、助けを求める人間の動きではない。
 ならば一体? という疑問に、快晴は既に答えを出していた。

「そらきたっ!」

 ムスシプラとの間合いが二十メートルを切った瞬間、“何者か”が物陰から飛び出してくる。快晴のあからさまな誘いに引っ掛かったのか、誘いと知った上で飛びかかってきたのかは定かではないが、快晴にとってそれは何の不意打ちでもない。
 左右二挺のバグスワッターが火を噴き、飛び掛ってくる相手を中空で撃墜する。どさりと受け身も取らず床に叩きつけられたのは、やはり予想通りのシルエットだった。

「――やっぱ手前ぇか、苔茎っ……!」

 そう。それは苔茎菊華の本性たる、藪蚊を模した改造人間の姿。
 デヴォロ・ムスシプラが持つ怪魔鎧蟲の洗脳能力に関して、快晴は予め伝えられていた。種子と思しき物体を体内に撃ち込む事で、そこから伸びた根が怪魔鎧蟲の神経系を支配する――洗脳と言うよりは身体操作の領域だが、恐らく、苔茎菊華もそれによって操られていると、そう聞かされていた。
 果たして桐耶の予想は見事的を射ており、想定通りに快晴は菊華と相対する事態になった訳だが、ある意味で命の恩人である相手を撃つとなると、例え相手が怪魔鎧蟲であっても気分の良いものではない。

「……っ! へ、さすが改造人間。まだやる気ってか」

 菊華が動く。ゆらりと幽鬼の如く立ち上がるその様からは、彼女の意思はおろか、快晴の攻撃が効いているのかどうかも読み取れない。
 いや、効いてはいる筈だ。少なくとも彼女の損傷が無視できないレベルにある事は間違いない。実際、バグスワッターが穿った銃創からはだくだくと重油のような色合いの体液が漏出している。人間であれば既に出血多量でショック死に至っているだろう。
 大幹部クラスの怪魔鎧蟲は自己修復能力を持つらしいが、どうやら菊華はそういった機能は持っていないらしく、傷は一向に癒える様子がない。
 にも関わらず、彼女は傷の治療をしようともせず、出血を止めようとする素振りすら見せなかった――それどころか、そもそも負傷した事にさえ気付いているかどうか。

「おい苔茎! 何やってんだてめえ、寝てんのか! ぶっ殺されたくなかったら、とっとと目ぇ覚ませ!」

 忌空師団にかける情けはないものの、菊華に命を救われた恩義もまた忘れてはいない。曲りなりにも恩人を、ただ障害であるという理由だけで排除するには、石動快晴はやはり甘すぎた。

「…………っ、あ」

 が――少年の言葉に対する菊華の反応は、僅かに痙攣を見せた後、策も技もない愚直な突進攻撃のみだった。
 ちっ、と舌打ち一つ。ここで菊華を破壊するのは簡単だが、しかしそれを行った際の後味の悪さは容易に想像がつく。ついでに言うなら、クラスメイトが突然学校に来なくなった時の、ひよりの荒れっぷりも。

「その場合、真っ先に俺で憂さ晴らししやがるからな……!」

 経験に基づく非常にリアルな未来予想だった。
 藪蚊の怪魔鎧蟲が身構える。その両手、指と指の間に挟むようにして取り出されたのは、竹串を思わせる細く長い針だった。恐らくはそれが、怪魔鎧蟲としての菊華の得物。
 快晴がそれを見咎めた瞬間、菊華の腕が振り薙がれる。手にしていた針が手裏剣のように投擲されて快晴へと殺到、咄嗟に身を翻して回避した快晴の背後で壁面を穿つ。バグスワッターほどに破壊力がある訳ではないが、それでも貫通力の高さは見て取れた。ICスーツであっても非装甲部分に命中すれば、容易に貫かれてしまうだろう。

「しゃあねえ、打ち合わせ通りにやるとするか!」

 菊華から一定の距離を保ちつつ回避に専念していた快晴が、瞬間、やおら方向を変えて菊華へと突進を始めた。当然、菊華は飛針の弾幕で迎撃に入るが、迫る針はそのことごとくがバグスワッターの弾丸によって中空で撃ち落される。
 全力疾走中である事も合わせれば、恐るべき精密射撃と言えた。進行方向からは点にしか見えない、いや投擲速度を合わせれば視認すら難しい飛針を、快晴は片っ端から撃ち落しているのだ。ICスーツの補助があったとしても、最早曲芸の域に達する芸当である。

「うぉおおらぁっ!」

 咆哮と共に快晴は菊華の胴へと体当たりを敢行、藪蚊の身体が衝撃に吹き飛ばされ、緩い放物線を描いて壁へと叩きつけられる。

「今だ、カマキリ野郎っ!」

 快晴が声を荒げる。
 最上階フロアへと突入する直前、快晴は桐耶からある事を頼まれていた。もし操られた菊華が立ち塞がったなら、彼女を壁際に追い込んでくれという、いまいち意図の読めない指示。
 ざくん。肉を断ち切る嫌な音が響く。音の出所は明らかだった、快晴の位置からはそれがはっきりと目視できた――桐耶の意図を、この時初めて、快晴は理解した。
 菊華の喉元。人間で言うなら鎖骨と鎖骨の隙間、胸骨上窩と呼ばれるあたりから、翠光を纏った刃が突き出ている。蟷螂の前腕に備えられた鎌刃の先端だと気付くまでに、そう時間は要らなかった。
 つまり快晴への指示とは、壁越しに菊華を串刺しにしようという意図から下されたもの。この為の別行動だったのだ。
 快晴は必死に菊華を生かそうとしていたのに、菊華の仲間である筈の桐耶はあっさり彼女を切り捨てた――そうと理解した瞬間、快晴の頭に血が上る。

「おい、カマキリ野郎! てめえ何して、ん、だ……?」

 尻すぼみに勢いを失い、疑問形のように語尾が上がる。桐耶が菊華を殺したという誤解が、声を発している途中で解けたのだ。
 菊華の喉元から突き出た刃は、その先端で種粒と思しき物体を貫いていた。快晴がそれに気付くと同時、ぱきん、と種粒は真っ二つに割れ砕けて床へと落ちる。次瞬、びくりと菊華が身を震わせて、完全に意識を失ったか、身体から力が抜ける。彼女を貫く刃が引き戻されれば、そのままずるずると壁を擦るようにして、彼女はその場にくずおれた。
 きん、と硬質な音が快晴の耳朶を打ち、菊華の背後にあった壁に翠線が走る。次の瞬間に斬断されて崩れ落ちた壁の向こうから、一匹の蟷螂が姿を現した。

「助かったよ、人間。おかげで手間が省けた」
「手間って……こいつ、死んでねぇのか?」
「ああ。要するに、ムスシプラの種子に身体の命令系統を奪われていた状態だからね。種子さえ取り除いてしまえば、こんなものさ」

 僕もおかげで助かった――と、快晴にはいまいち理解の及ばない事を、桐耶は呟いた。

「ったく、先に言えっつの。つーか凄ぇな、改造人間。首刺されても生きてんのか」
「割と分の悪い賭けだったよ。背後から不意を打たないと、まず成功しなかった」
「そうかい。俺も少しは役に立ったようで何よりだ――そんじゃ、本番いこうか」

 言って、快晴は振り返った。フロア中央に陣取る、蔓と蔦が絡み合って瘤状に隆起した株を睨みつける。

「……少し待っていてください、お菊さん。すぐ――終わらせますから」

 菊華の傍らにしゃがみこんで、彼女の容態を確かめていた桐耶も、そう言い置いて立ち上がった。両の鎌刃に翠緑の光が宿り、出走直前のランナーが如くに身構える。

「じゃあ人間、打ち合わせ通りに頼む」
「ああ。おかしな動きしたやつを、片っ端から撃ち抜けば良いんだろ?」

 右の拳銃に熱線銃用の弾倉を装填し、快晴は一帯に知覚を張り巡らせた。不穏な動きをするものはないか、敵意を放っているものはないか。
 桐耶が前衛、快晴が後衛。それぞれの性格志向からすれば役割が真逆とも言えるが、ムスシプラの種子を警戒するのなら、飛び道具を備える快晴が援護に回るしかない。先に菊華の飛針を撃ち落とした芸当と同じ要領だ、桐耶に向けて撃ち出される種子を全て叩き落す――その間に桐耶が、ムスシプラの株からひよりを助け出す。そういう算段である。
 美味しいところを持ってかれるのは業腹だが、それを飲み下せる程度には、快晴は冷静だった。

「いくぞ、人間! 援護を頼む!」
「応よ! トチんじゃねえぞ、カマキリ野郎!」

 桐耶がムスシプラへと向けて駆け出した――怪魔鎧蟲の脚力は一瞬にして最高速を叩き出し、翠緑に光る鎌刃を振り翳す。

「…………!?」

 瞬間、快晴の胸に兆したのは、言いようのない違和感だった。飛び込んでくる蟷螂を迎撃しようという動きはおろか、接近を妨げようとすらしない。懸念されていた種子を撃ち込んでくる気配もない。一切の抵抗がない、そこに違和感を覚えた。

「――はぁあっ!」

 それでも、『抵抗されない』は好都合以外の何物でもなく。
 照明の類が軒並み機能を停止し、或いは破壊され、窓から差し込む月光だけが室内を照らし出す薄闇の中で、目を灼かんばかりに眩く輝く翠緑の光。残光が作り出す斬撃のラインが、喰蟲植物の株を解体せんと奔って――











 霧倉桐耶は知らない。
 石動快晴も知らない。
 この時既に、デヴォロ・ムスシプラは終わっていた。こちら側に現出した断片に限った話であるのだが、その断片は最早ムスシプラの残骸でしかなく、つまり霧倉桐耶が鎌刃を振り上げたその時点で、彼の目的は達成されていたのだ。
 この時のムスシプラを何かに喩えるなら、土壌から水分を奪われた植物。根から吸い上げるはずの水分を奪われれば、草木は枯れ落ちる外に処方はない。この時のムスシプラもまた、その通りであった。
 繰り返そう。ムスシプラはこの時点で終わっていた。枯れていた、死んでいた。その養分を、エネルギーを、生命力を全て奪われて。強奪されて。
 だからここから先に語るべきは、哀れなる喰蟲植物ムスシプラから全てを奪い去った者について。
 ――玖奈波ひよりについてである。











 ムスシプラが見せた脈動を、桐耶は確かに見て取った。
 無抵抗を不審と思ったのは快晴だけではない。だがそれは歩みを鈍らせるだけのものではなく、そして桐耶は全ての抵抗が無意味となる距離にまで――何をしようともそれより早く、鎌刃が標的を断ち切る事のできる距離にまで、踏み込んだ。
 しかし、その寸前。蟷螂の刃が喰蟲植物の株に届く、その寸前。
 蔓と蔦が絡まり合い、瘤のように隆起したそれが、突如として破裂する。一瞬にして粉々となるその様は、内に爆弾でも仕掛けられていたのではと思わせる程に徹底的。破壊され、粉砕されたその後には、最早植物なのかゴミ屑なのか判らない残骸しか残っていない。
 否。
 破裂したムスシプラの内側に、何かが在った。或いは何かが居た。だがそれに、快晴は距離と、視線の角度によって気付かず、そしてすぐ近くに居た桐耶は、より直接的な理由で気付かなかった。
 至近距離での爆裂に、桐耶は思わず斬撃を中断し、反射的に防御体勢を取る。それが災いした。彼は己の視界を、己の腕で塞いでしまったのだ。
 ひゅん、と頭上で何かが風を切った。その瞬間、桐耶の総身を、かつてない程の悪寒が駆け抜ける。全身の神経が針の先で緩く擦られるような、痛みとも痒みともつかぬ感覚。だがその悪寒を振り払うよりも早く、猛烈な衝撃が脳天から直下に彼を叩きのめした。











「な――あっ!?」

 鉄塊を力の限りぶん殴れば、或いはこんな音がするのかもしれない――驚愕に思わず声を上げながら、思考の片隅で快晴はそんな事を考えた。
 突如爆発したデヴォロ・ムスシプラの株。桐耶は何もしていない、その刃が届く寸前の爆裂ではあったのだが、生憎、その瞬間を快晴は目にしていない。
 彼が視認したのは、爆発によって立ち込めた粉塵の中から出現した何者かが、高々と脚を掲げて――その踵を、霧倉桐耶の脳天へと叩きつけた瞬間からである。
 俗に言う踵落とし。が、それを本当に踵落としと言ってしまって良いものか。忌空師団の改造人間、怪魔鎧蟲の中でも、最上位に位置する大幹部。……の首から上を床にめり込ませるその一撃は、もう何かそれっぽい名前のついた必殺技ではあるまいか。

「ふ――ふふふ」

 粉塵が晴れていく。同時に漏れ聞こえてくる笑い声。最初は含み笑い程度であったそれは、徐々に音量を増し、やがて――

「はっ! はははっ! あーははははははははははは! いぃいいいいいいいいいいいやっっっっっっほぉおおおお――う!!」

 ――耳を劈くような哄笑となって、最上階展望フロアに響き渡った。

「ひ……ひより……!?」

 愕然と、快晴が呟く。
 そう、そこに居たのは玖奈波ひよりその人。ムスシプラをこちら側の空間に現出させる『門』を腹の中に飲み込んで、その為にムスシプラに囚われた筈の彼女。
 そうだ――囚われた筈なのだ。どこぞのRPGに出て来るお姫様とは言わないが、言いたくもないが、それでも、こんな諸手を上げて快哉を叫ぶ少女の姿は、全く快晴の予想の外……と言うか、予想の斜め上であった。

「お待たせしました、ひよりちゃん大復ッ活! 気分最高、テンション最強! この胸のときめきがなんかイイ! どきどきでわくわくでむらむらだぁっ!」

 むらむらは明らかに違うだろ。
 ぽつりと漏れ出た快晴の突っ込みは、まあ当然ながら、絶好調に喚き散らすひよりの耳には届かなかったらしい。
 ともあれ、予想外な形ではあったが、ひよりを助け出すという快晴の目的はこれで達成されたも同然。踵落としを喰らわされた蟷螂には同情を禁じ得ないものの、悪党の末路なんてこんなものかという思いが先に立つ。

「ま、いいか……おいひより、身体は大丈夫なのか――」

 そう呼びかけながら、快晴がひよりへと向けて一歩踏み出す。だが次の瞬間、彼女の姿が快晴の視界から掻き消えた。
 そして気付けば彼女の姿は、快晴の懐にあった。十数メートルの距離を一瞬で、そして一歩で詰め寄って、玖奈波ひよりは石動快晴の懐へと飛び込んでいた。

「くらえ必殺! ひよりちゃんぱぁあああああんち!」

 パンチとは言うものの、それは実に見事な、腰の入った正拳突きであった。
 腹で核弾頭が炸裂した、そう錯覚させる程の衝撃。気付いた時には快晴の身体は直線上にある壁へとしたたか叩きつけられ、がらがらと崩れ落ちるコンクリートごと床に落下する。
 幸いだったのは、弾き飛ばされた方向が窓から反対側であった事だろう。これだけの威力、窓をぶち破って地上へ落下していてもおかしくはない。

「ごっ……ぉ、おぁあっ……!」

 ごぼっ、と腹の底からせり上がってくる熱いものが、ヘルメットの内側にぶち撒けられる。吐瀉物か吐血か、それすらも判然としない。
 既存の防弾衣とは比べ物にならない対弾対刃・対衝撃機能を誇るこの強化服だからこそ、この程度で済んでいるのだろう。常人なら今の拳で胴体を真っ二つにされていてもおかしくない事は、内臓を掻き混ぜる痛みで混濁する思考でも、充分に理解できる。

「ひ……ひよ、り……!」

 息も絶え絶えに呟く快晴を、しかしひよりは一顧だにしない。高々と拳を掲げ、何やらアニメのキャラクターのような決めポーズを取っている。

「あははははははっ! すっごい、これ最高! 気ン持ちいいー! どいつもこいつもかかってこいや、あたしの鉄拳で返り討ちじゃーい!」

 今の彼女は最早、人間の意思と思考を持った災害とでも言うべき存在へと変貌していた。重ねて最悪なのは、その意思が玖奈波ひよりのものであるという事実。快晴の主観ではあるが、こと脅威の度合いで言うなら、忌空師団のそれを遥かに超えている。
 だが――一体どういう事だ、これは?
 玖奈波ひよりの腕っぷしは、快晴も良く知っている。実のところ、幼馴染として幼少の頃からひよりを見知っている快晴であるが、当然の如くその時間の中で何度となくひよりと喧嘩もしていて、そして一度として彼女に勝利した事はない。こと暴力において、石動快晴が玖奈波ひよりに勝った試しなど、一度としてないのだ。
 しかし、如何にひよりが強いと言っても、それはあくまで人間という括りの中での話だ。忌空師団の怪魔鎧蟲はおろか、蟻装兵にだって敵わない。無論、ICスーツを装備した快晴が敗北する道理とてない……にも関わらず、現実は道理を覆していた。

「有り得ねぇ……魔改造にも限度ってもんがあるだろう、くそ」

 毒づきながら立ち上がれば、ひよりもまたくるりと快晴へと振り返って、粋の良い獲物の存在に破顔する。

「ほいきた! いいよいいよー、そーこなくっちゃ! ひよりちゃんの四十八の殺人技、まだまだ食らい足りないよね――うん?」

 吹っ飛んだ理性のままに声を張り上げるひよりが、獲物へと向けて飛び掛ろうとした寸前、何かに気付いたかのように動きを止める。
 瞬間。彼女の背後で、翠緑の光が瞬いた。
 振り向いたひよりの顔を照らし出す翠光。両の前腕から伸びる鎌刃を文字通りに輝かせ、蟷螂が――霧倉桐耶が、玖奈波ひよりへと襲い掛かる。











 タイミングは完璧。
 威力は申し分なし。
 一撃で首を刎ね落とす心算で、霧倉桐耶は刃を振るった。
 この時の彼が、先のひよりの一撃によって半ば人事不省に陥り、本能的に身体が動く状態であったのは否定できない。もし彼に理性が残っていたのなら、玖奈波ひよりへの攻撃に意味がないと、害意を伴った接触は弾かれると、そう解っていた筈だからだ。
 果たして、その理解はやはり正しく――振るわれた鎌刃は、金属同士を打ち鳴らすような異音と共に、ひよりの皮膚の直前で弾かれる。そして攻撃が失敗した瞬間に、恐らくは最悪のタイミングで、彼は理性を取り戻した。

「どっ――せぇえい!」

 裂帛の気合と共に、ひよりの身体が独楽の如く回転。遠心力をたっぷり乗せた回し蹴りが、蟷螂の横腹に叩き込まれる。
 めきめきぼきぼきと体内に響く嫌な音を認識するよりも早く、彼の身体は吹き飛ばされ、よろめきながらも立ち上がった石動快晴の至近へと落着した。

「ようカマキリ野郎。いいザマだな」
「お互いにね、人間」

 大の字になって仰臥する桐耶に、嘲るような快晴の言葉。互いにそんな余裕はないにも関わらず、意地と面子がそれを表に出す事を許さない。

「ふっふっふ。ほんじゃそろそろショータイムよ! ひよりちゃんの大変身、とくと御覧になりやがれ!」

 高らかに宣言したひよりだったが、意外な事に変化はすぐに訪れなかった。もごもごと口の中で何かを転がしている。飴玉をしゃぶるような動きに、桐耶と快晴が揃って不審に眉を寄せたその時――「んべっ!」と、ひよりは舌を突き出した。

「宝玉……っ!」

 ひよりの舌先に乗っていたのは、数日前、彼女が飲み込んでしまった紅色の宝玉。忌空師団がどう試みても摘出できなかったそれを、ひよりは事も無げに吐き出してみせる。

「ふんぬぁ!」

 舌先から落とした宝玉を掌で胸元に押し当て、明らかに少女として間違っている気合を一発。瞬間、ひよりの服が四散する。洋服はおろか下着まで弾け飛び、玖奈波ひよりが裸体を晒す。
 恐らくひより当人としては、魔法少女や魔女っ子といった、少女向けアニメの変身シーンのつもりでいたのだろう。が、それを目の当たりにした桐耶と快晴としては、一昔前の少年漫画でしばしば見られる、主人公が怒りのあまりに服を引き裂くシーンしか連想できなかった。
 全裸となったひよりに、周囲の蔓と蔦が絡み着く。しゅるしゅると細い蔓が彼女の肌に絡まり、胸元の宝玉を基点として、彼女の衣服と化していく。
 ただ、それによって完成するのは、明らかにまともな衣服ではなかった。無人島で遭難した者を思わせる、胸と腰回りだけを編んだ蔦で隠した、水着のような下着のような、とにかく露出のやたらと多い格好。
 扇情的というか、単にいやらしい。

「ひよりさん……なんて格好を……っ!」
「くそ、カメラか何か持ってくりゃ良かった! 後々まで笑いものにしてやれんのに!」

 呆れた声の桐耶と、悔しそうな声の快晴。対照的であるように見えて、双方共にひよりのあられもない格好を――かなり婉曲ながら――こきおろしている点で同一だった。

「にゃははははは! さあ、スーパーひよりんタイムのスタートだよぅ!」

 ひよりの姿が消失する。怪魔鎧蟲の動体視力でも、或いはインセクティサイド・スーツのセンサーでも捉えられない超絶機動。一瞬にして間合いの中に桐耶と快晴を捉えたひよりが両腕をぶんと振り薙ぎ、彼等の身体を盛大に弾き飛ばす。
 まるで車に撥ね飛ばされたかのような衝撃。それでも地面に叩き付けられる前に桐耶は体勢を立て直し、ひよりを睨み付ける。ひよりを挟んで対角線上、快晴もまた、同様に。

「とうっ!」

 掛け声と共にひよりが跳躍。空中で一回転し、桐耶へと向けて落下してくる。先に一瞬で間合いを詰めた事に比べれば何の変哲もない機動。躱すのは容易い――そう思った瞬間。

「う、わわっ!?」

 がくりと桐耶が体勢を崩す。見れば、彼の足に蔓が絡まって、動きを封じていた。
 しまった、と思った時には既に遅い。桐耶の上にひよりが圧し掛かる。彼女の体重に落下速度を合わせたところで怪魔鎧蟲たる桐耶には何ほどの事もないが、しかしそもそも、彼女の狙いは圧殺攻撃にない。
 俗に言う馬乗り状態、マウントポジション。格闘技において絶対有利とされるこの態勢は、無論、今この場においても有利――いや、現状に限って言うのなら、この態勢となった時点で勝負有りとしても、あながち間違いではない。

「せぇ――のぉっ!!」

 ぐうぅっ、とひよりが上体を反らす。両の掌を組んで拳とし。次の瞬間、気勢を上げてそれを振り下ろした。
 ――凄まじい音が響いた。拳が蟷螂の胸部に炸裂した音。拳が音速を超えた音。それらが複合されて相乗された、もう爆音と言うにも生温い大音響。蟷螂の肉体が原型を留めていられるのは、彼が改造人間であるという以外に理由はない。
 そして彼を打ちのめした衝撃は、そのまま最上階展望フロアの床にまで浸透した。蟷螂の下を始点に、一瞬で床に亀裂が広がり、フロアの一角が下階へと崩落を開始する。瓦礫とシェイクされるようにして落下する蟷螂。対してひよりはと言えば、ひらりと身を翻し、崩落に巻き込まれるよりも早く着地を決めていた。

「にゃはははは! まず一匹っ!」
「ひより――てめえっ!」

 声を荒げて、快晴がひよりへと銃を構える。が、その指は引鉄にかかってこそいるものの、それを引き絞ろうとしない。出来ない、と言う方が正しいか。今まで幾多もの怪魔鎧蟲や蟻装兵を撃ち砕いてきた石動快晴であっても、幼馴染に銃を向けるなどというのはこれが初めて。そして初体験のそれを躊躇なく行うには、彼はあまりに人間過ぎた。
 しかし、今のひよりが、それを斟酌してくれる筈もなく。
 猛速で迫るひよりが、両の拳を快晴へと向ける。弾丸よりも尚速く、砲弾よりも尚強く、超高速の拳撃が幼馴染を打ちのめす。

「あーたたたたたたたたたたたたたたぁっ! ほあたぁっ!」

 繰り出される拳はまさしく弾幕。拳の乱舞が容赦なく快晴を殴りつけ、吹き飛ばす。
 ヘルメットの中に響くエラー音。人類の叡智の結晶たるインセクティサイド・スーツが、許容外の衝撃と負荷に悲鳴を上げている。

「とぉどめだぁっ!」

 吹き飛ばされた快晴に追撃をかけようと、ひよりが一歩踏み込む――だが刹那先んじて、しゅかん、と気の抜けるような音が響いた。そしてひよりの足裏が床を踏み締めたその瞬間、彼女の足を中心として床の半径一メートルほどが円形にくりぬかれ、ひよりもろとも階下へと落下していった。
 ぽっかりと空いた床の穴から、蟷螂が飛び出してくる。恐らくは彼が下階で天井、つまり最上階の床を刳り貫いたのだろう。

「カマキリ野郎、生きてたか!」
「……正直、死ぬかと思ったよ」

 そう言う桐耶の脚はがくがくと震え、立っているだけで精一杯と一見しただけで窺い知れる。彼の言が本音である、何よりの証拠であった。
 床の穴の縁から階下を覗き込み、快晴が声を張り上げる。

「ええい! おいこらひより、てめえいい加減にしろ! このカマキリ野郎はともかく、俺まで殺す気か!」
「何その『僕なら死んでもいいや』的な理論」
「てめえなら死んでもいいんだよ! つかもうてめえ特攻しろ! 自爆するなり何なり、何かあるだろうが!」
「冗談じゃないね! 君こそ命懸けで彼女押さえてくれ! 一緒に斬り捨ててあげるから!」

 ぎりぎりと睨み合っていた桐耶と快晴だったが、やがて快晴が苛立ちを叩きつけるかのように足元の蔦を踏み躙ると、視線を再び床の穴へと向けた。

「つーか、何だアレ――どうなってんだアレ! あいつは確かに馬鹿だけど、あそこまで見境のない馬鹿じゃなかったぞ!?」
「……想像だけど。もしかしたらひよりさん、ムスシプラを乗っ取ったのかもしれない」
「あ? 乗っ取る?」
「エネルギーを吸い尽くす、って感じかな。ムスシプラの中にあったエネルギーを奪って自分のものにしちゃったんだ。見境なくなってるのも、多分そのせい。暴走って言うとちょっと違うな……膨大なエネルギーを取り込んだ事で、限りなくハイになってるんだろう」
「……有り得んのか? そんな事」
「判らない。あくまで仮設だよ。もしそうなら、説明が付け易いってだけだ」

 ただ一つだけ判るのは、もしそれが可能だとしても、恐らくそれができる人間などまず居ないという事。人間生物における突然変異に近い存在、玖奈波ひよりだからこそというのは、容易に想像がついた。
 と。桐耶と快晴から二十メートルほど離れた場所で、突然床が爆裂する。噴火する活火山のように吹っ飛んだそこから、ひょいと飛び出してくる人影――言うまでもなく、玖奈波ひよりの姿であった。

「くそっ! ええい人間、君、ひよりさんと幼馴染なんだろ!? 何とかして動きを止められないか!?」
「無茶言うなや! できるもんならやってらぁ!」
「告白するとかどうかな!? こういう絶体絶命の時に告白したら都合良く愛の力で何とかなるんじゃないか!?」
「誰が告白するんだよ!」
「君しかいないだろ!」
「絶対やだ! お前やれ!」
「僕だって嫌だ!」

 物語的に最も盛り上がる筈の告白シーンを押し付けあう少年達の姿が、そこにあった。
 一方のひよりはと言えば、桐耶と快晴の話が聞こえているのかいないのか、相変わらずの高笑いを響かせている。「このあたしの体が! 細胞全てが! 勝利に向けて燃えている!」とか言い出す有様だ。
 どうする。どうすればいい。混乱する桐耶の脳裏に、その時『キリヤさま』と聞き慣れた声が響いた。

「――お菊さん!?」

 いつ意識を取り戻したのか、苔茎菊華が、桐耶に念波の通信を送ってきていた。そして桐耶が呼びかけに応じて一秒後、彼の視界の半分が、不意に全く別の景色に切り替わる。それは菊華の見ている景色であった。怪魔鎧蟲が基本的に備える視界共有能力を、菊華が発動させたのだ。
 菊華からの視界共有は常に回線を開いている、故に彼女の視界が送られてきた事は驚くに値しない。が、その映像はネガポジを反転させたかのように色彩が真逆。一体それに何の意味があるのか、意図が掴めない。

「これは……!」

 しかし――尋常ならざるからこそ、見えるものもある。
 怪魔鎧蟲としての菊華は、確かに戦闘能力の面においては心許ない。だが元より彼女の役割は前線での戦闘ではなく、補助と援護、諜報と索敵を主眼とした支援型。故に知覚と感覚は桐耶のそれより遥かに鋭敏で、桐耶に見えないものであっても、彼女になら捉える事ができる。
 色彩が反転した映像の中で、不思議に煌く光がある。光は水流のようにひよりの身体の周りを流動し、彼女の胸の中心に集まって、また拡散するを繰り返している。
 菊華が視覚映像を送ってきたのは、これを見せたいが為――そう察した瞬間、先程からの疑問が、桐耶の中で氷解する。

「そうか……そういう事か!」
『キリヤさま……あと、お願いするっす……ひよりん、助けてやってほしいっす……』

 そこで菊華は意識を失い、視界は再び桐耶だけが見るものに戻る。
 最後に彼女が言い残した言葉に、知らず、桐耶は笑みを零していた。忌空師団の改造人間が、まさか人間を助けてほしいとは。
 失笑とは全く違う、どこか喜悦の混じった微苦笑――蟷螂の仮面の下に浮かぶそれは、残念ながら誰の目にも留まる事はない。
 ともあれ、菊華からの情報を得て、桐耶の脳髄が全力で回転を始める。玖奈波ひよりを“助け出す”為の策を組み上げる。

「人間! 一つ策がある、乗るかい!?」
「あぁ!? まともな作戦なんだろうな、それ!」
「もしかしたら君が死ぬかもしれない!」
「ふざけんな! 却下だ却下!」
「でもこれしかないんだ! それとも君に何かアイデアがあるのか!?」
「……くそったれ! 聞かせてみろ、内容次第で乗ってやるよ!」











 この時の玖奈波ひよりの精神状態を何かに喩えるとすれば、それは非常に不謹慎ではあるが、アッパー系の麻薬を打った直後の麻薬中毒者と大差無い状態であると言えよう。
 喰蟲植物デヴォロ・ムスシプラから奪い取ったエネルギーはひよりの精神と感情を際限なく昂揚させ、桐耶の想像する通り、それは明らかにヒトとしての限界を超えていた。むしろひよりだからこそ、この程度で済んでいたと言えるだろう。常人ならば既に精神が崩壊し、廃人となっていてもおかしくない。
 さておき、そんな精神状態のひよりであるが、まだ僅かに思考能力は残されていた。
 そう。不意にヘルメットを脱ぎ捨てた敵の顔が、どこか幼馴染のそれに似ているなあと感じる程度には。

「あれ、快晴? へんだなー、快晴がこんなところにいるはず無いんだけどなー。……まいいや、とりあえずぶん殴ってから確認しよう」

 最早人間社会において確実に許されない類の妄言だった。
 一方の快晴はと言えば――恐怖に脚が震えるのを必死に押さえ込んでいる状態であった。
 インセクティサイド・スーツは、ヘルメットの装着によって各種機能が起動する。逆説、ヘルメットを脱いだという事は、システムの補助がほぼ停止している事を意味している。
 システムの補助なしに、今のひよりの前に立つ――それはもう、竜巻や洪水といった災害に、人間が身体一つで立ち向かう事と同義である。それを怖いと言ったところで、誰に責められよう。
 しかしそれを表に出すような無様は、石動快晴の矜持と面子にかけて許されない。

「いくぞぉ――そこを動くなぁ!」

 ひよりが快晴へと向けて走り出す。拳を固め、弾丸よろしくの超高速。快晴を間合いに捉えるまで、一秒とかからない。
 だがひよりの拳が快晴に届くよりも一瞬早く、快晴の背後から飛び出した桐耶が、快晴の肩を蹴って跳躍。上方からひよりへと襲いかかる。

「甘ぁ――い!!」

 ひよりが急制動をかける。足裏から火花を散らして急停止しながら、彼女は振り下ろされる蟷螂の刃を拳一つで迎撃する。害意に反応して彼女を保護するフィールドは未だ健在、蟷螂の刃はひよりの髪一本斬り裂く事なく阻まれ、逆に少女の拳は深々と蟷螂の鳩尾を抉って、逆に彼の身体を吹き飛ばす。
 ――この瞬間。この瞬間こそが、たった一つの勝機。

「ひよりぃいい!」

 快晴が突貫する。狙うは彼女の胸元、蔓を編んで衣服と為したそれの中央に座する、紅色の宝玉。ひよりの体内から吐き出された後、アクセサリーを思わせる形で胸の中心に鎮座しているそれへと、快晴は手を伸ばす。
 伸ばした手。伸ばした指。ひよりの『衣服』から宝玉を毟り取ろうとしたその指が、しかし不可視のフィールドによって阻まれる。
 害意に反応するフィールド。それが刃物であろうと銃弾であろうと、忌空師団の科学者の見立てでは恐らく核兵器でさえ、そこに『玖奈波ひよりを害そう』という意思があるならば、これを弾く。

 だが。そこに害意がなかったとしたら?

 本心から、心の底から、『ひよりを助けたい』という思いで、彼女に触れようとしたのなら?

 強化服を纏った状態では、ただ腕を突き出すだけでも、その勢いが攻撃と見做されかねない。ならばその機能を停止させた上での、つまり、ひよりを傷つけないように配慮しての接触に、果たして害意は存在するか?
 答えは不明。しかし結果から言うのなら、それは――否だ。
 指が止まったのは一瞬だけ。次の一瞬には、快晴の指はひよりの胸元に飾られる宝玉に届き、それを掴み取っていた。

「うぅおおおおおおおっ!!」

 傍から見れば、かなりぎりぎりな絵面であった。どう見てもどさくさ紛れに痴漢行為を働いているようにしか見えない。しかし今の快晴が恥や外聞を気にする余裕もなく、だからこそ策は成り、『衣服』から宝玉を引き千切る事に成功する。
 瞬間、ひよりの身体に服として絡み付いていた蔓が、胸元も腰回りもそれ以外も、全てばらりと解けて落ちた。些か語弊のある比喩ではあるが、それはどこか、電磁石が不意に電源を落とされ、それに付着していた鉄片がぽろりと落ちる様を思わせた。
 ――霧倉桐耶が、苔茎菊華の送ってきた映像から読み取ったこと。それは玖奈波ひよりがムスシプラから奪い取ったエネルギーは、その総てがひよりの体内に収まっている訳ではないという事実。
 考えてみれば当然だ。未だ異相空間に残るムスシプラ本体から見れば、こちら側に現出したのはほんの断片。とは言えその中に内包するエネルギーは巨大で膨大、人間一人の器に収まりきる筈がない。精神は元より、肉体の方も崩壊する。
 器一つに収まらない。ならば、外付けの入れ物に溜めておけばいい。この場合の入れ物とは、彼女の体内にあった宝玉。ここに大半のエネルギーを溜めておき、それを絶え間なくひよりとの間で流動させる事で、異常な戦闘能力を生み出しながらも肉体の崩壊を防いでいると、彼は知ったのだ。
 そこまで判れば、策を組むのに時間は要らなかった。宝玉とひよりを引き剥がすだけで事は済む。
 しかしここで問題になるのが、彼女を護るフィールドだった。どう足掻いても、霧倉桐耶の接触は害意を伴ったものにならざるを得ない。
 そこで彼は、宝玉の奪取を石動快晴に振った。玖奈波ひよりの幼馴染であり、彼女を助けんが為に此処まで来た彼ならば、或いはフィールドを突破して宝玉とひよりを引き離せるのではないかと考え――見事、その考えは当を得た。

「カマキリ野郎っ!」

 意識を失い倒れこむひよりの身体を左腕で受け止めて、残る右手で快晴は宝玉を放り投げる。
 先のひよりの攻撃で、意識を繋ぎ止める事すらままならぬ桐耶であったが、それでも快晴の声に顔を上げると、中空に放られた宝玉に向けて跳躍する。
 前腕の鎌刃に灯る翠緑。霧倉桐耶が最も信を置く得物であるそれが、この一連の事態に終止符を打つべく疾駆する。

「――まったく、最初からこうしておけば良かったんだ」

 桐耶が愚痴を零すと同時。
 微塵に切り刻まれた宝玉が、粉々になって弾けとんだ。











「あ、長官っすか? 全部片付きました。爆撃を中止させてください」
『解った。貴様もさっさと帰ってこい』

 酷くあっさりとした応答の後、ぷつりと通信が切れる。これだけの事態をたった一人で収拾してみせたというのに、長官の態度はあまりにも淡白。しかしそれに一々腹を立てるような元気は、残念ながら快晴には残されていなかった。
 通信機器が内蔵されているヘルメットを脱ぎ捨て、床に投げ捨てる快晴を、呆れたような口調で桐耶が咎める。

「備品を粗末に扱うのは感心しないな、人間」
「うるせえ」

 外はそろそろ夜明けが近いのだろう、東の空がほのかな黎明に染まり始めている。最上階展望フロアの床に腰を下ろしながら、濃紺からインディゴブルーへと少しずつ色彩を変えていく空を、霧倉桐耶と石動快晴はぼんやり眺めていた。
 戦闘を終えた彼等であったが、さすがにそこが限界だった。緊張の糸が切れた瞬間、彼等は自分達が最早立っていられないほどに疲れ果てていると認識したのである。そうして腰を下ろしてしまえば、もう立ち上がる気力すら、彼等には残されていなかった。

「ああもう、今回は本当に肝が冷えたよ。危うく世界最後の日になるところだった」
「不愉快だが同感だぜ。あーくそ、マジ疲れた」

 煙草吸いてぇ、と快晴。
 身体に悪いよ、と桐耶。
 彼等の間には相変わらず剣呑な雰囲気しかなかったが、しかし傍目には、それはある種の友誼のように見えなくもない。

「……ひよりさんの様子はどうだい?」
「ぐっすり寝てやがるよ。ったく、いい気なもんだぜ――こいつのせいで、今回はマジ死ぬかと思った」

 そう呟く快晴の傍らには、ぐうぐうと高いびき(しかも鼻ちょうちん)で眠りこけるひよりの姿。衣服は自分で吹っ飛ばしてしまったし、絡み付いていた蔦も解け落ちてしまったので、今の彼女は全裸である。さすがにそのままにしておくのは幾らなんでも、という事で、下階のホテルルームから適当なシーツを拝借して被せている。それでも充分に、いやむしろ却って扇情的なのだが、それに興奮する余裕は今の桐耶と快晴には皆無であった。
 ちなみに、快晴の傍らにひよりが居るように、桐耶の傍らには菊華が横たわっている。ひよりとは対称的に、すやすやと静かな寝息を立てる菊華の頭を軽く撫でて、桐耶は言葉を続けた。

「首領の話じゃ、ごく稀にひよりさんみたいな人が生まれるらしい。ミュータントって言うのか、超人類って言うべきか。ある種の突然変異さ」
「あー。否定できねえなあ。普通に天才とか言うよりゃ、ミュータントっつった方がこいつらしいぜ」
「まあ、今回はムスシプラと関わったからこうなったって面もあるんだけどね……正直、こういう常識外れな人が、一番厄介なんだ」

 妙に自嘲的な笑みを浮かべた桐耶を、快晴が胡乱げな瞳で眇め見る。

「常識外れ……ね」
「ああ。埒外、既知外、常識圏外。……ひよりさんには悪いけど、僕達はそれを許容出来ない。脅威に対して足掻く事こそが人間の美点なんだから――足掻く事も知恵を絞る事もせず、備わった性能だけで脅威や問題を蹴散らしていく存在を、僕等は人間と認められない」

 平凡も良い。
 凡俗は素敵だ。
 普通という言葉が内包する大多数こそ、忌空師団の愛する『人間』。
 故に――彼等は、人間が人間の枠から逸脱する事を許せない。
 今だからこそ、快晴は思う。この蟷螂なら、もっと楽な方法があったのではないだろうか。ここまでぼろぼろにされる事もなく、もっと簡単に、もっと安易に、最良の結果を導き出す手段があったのではないだろうか。
 人間から逸脱しかけた玖奈波ひよりを人間の枠の中に戻そうとしたからこそ、ここまで酷い目に遭ったのではないだろうか。
 あまりにも恣意的な考えだが、快晴はそれを的外れと思わない。

「僕等は人間が大好きなんだよ。だから支配したいと思うし、だから人間の癖に人間を逸脱するような人は放っておけないし、だからこうして、滅亡に繋がるような事態は看過出来ない」
「だから、か」

 だから、喰蟲植物デヴォロ・ムスシプラは止めなければならなかった。二十年前も、そしてこの夜も。支配するべき対象が居なくなっては、何の意味もないのだから。
 酷く歪んだ人類愛。人間側に立つ石動快晴としては、とても受け入れられるものではない。それでも愛の形を千差万別とするのなら、彼等の人類愛も、決して否定はできなかった。

「さて、と。そろそろ僕は行こうかな」

 菊華をひょいと抱え上げ、桐耶が腰を上げる。
 ふと、桐耶を引き止めようとしている自分が居る事に、快晴は気付いた。まだ話し足りない、聞きたい事も言いたい事も山ほどある。けれどここで彼を引き止める事は、石動快晴のプライドが許してはくれなかった。

「けっ。とっとと失せろや、カマキリ野郎」
「ああ、そうさせて貰う。もたもたしてると、怖い連中が押し寄せてきそうだからね」

 菊華を背負ったまま器用に肩を竦め、非常階段のシャフトに向けて歩いていく桐耶。
 その蟷螂の背に、「おい」と快晴が呼びかける。振り向いた彼へ向けてびっと中指を立て、にやりと凄絶な笑みを浮かべて、快晴は言った。




「次会った時は覚悟しとけよ、霧倉桐耶」
「……あはは。楽しみにしてるよ、石動快晴」





◆      ◆





 続劇





◆      ◆



[30023] 7:『“そして”と“これから”』
Name: 濁水◆44d72913 ID:35af097c
Date: 2011/10/15 04:01

◆      ◆





 7:『“そして”と“これから”』





◆      ◆





「おぃーっす! お菊ちゃん、元気してるー?」
「いらっしゃーい! 待ってたっすよ! ささ、どーぞどーぞ!」

 鍵榁センターホテルでの一件から一週間が経ったこの日、溌剌と言うか能天気と言うか微妙に判断の難しい挨拶と共に、玖奈波ひよりは苔茎菊華の家へとやってきた。
 応じる菊華の表情も明るく、喜色満面の笑みでひよりを迎え入れる。リビングに通されたひよりはきょろきょろと室内を見回したかと思うと、「あれ、キリくんは?」と訊いてきた。

「へ? ああ、キリヤさ……げふんげふん、キリヤだったら今日はちょっと用事でお出掛けっす。ひよりんこそ、快晴くんと一緒じゃなかったっすか?」
「あー、それなんだけどさ。あいつ急にバイトが入ったっていなくなっちゃいやがんの。まったく、バイトとあたしとどっちが大事なんだか」

 本人にそんな意識はないのだろうが、仕事一辺倒の恋人に向けるが如きひよりの言葉に、菊華はさも解ったかのような物知り顔で応じる。

「そりゃ勿論ひよりんっすよ。あれっす、『お前がいてくれるから、俺は仕事を頑張れるんだ』……とか、そんな感じ? まー男ってのはそーゆーの口に出せないもんす。不器用なイキモノなんすよ」
「うぉ、お菊ちゃんがオトナに見える! ぬぬぬ、なんかすっごい敗北感。あたしに何が足りないっていうんだ……!」

 馬鹿な漫談に興じる少女達だったが、それでもやがて話題は真面目なものにシフトしていく。
 はしたなく足を投げ出して座り、煎餅齧りながらの会話なせいか、その真面目さが傍目にはいまいち伝わりにくいのが難点だったが。

「で、身体の方はどうだったっすか? 何か悪いところとか、後遺症とか――」

 事件後、玖奈波ひよりは石動快晴によって――快晴の口止めもあり、ひより自身はその事実を知らないのだが――、シストリィ管理下の病院へと担ぎ込まれた。
 ムスシプラの株に取り込まれたのみならず、あの喰蟲植物を動かすエネルギーを根こそぎ奪い取ったのだ。身体に何らかの変調をきたしていないか、後遺症の類は残っていないか。六日間に及ぶ入院中、彼女には徹底的な身体検査が行われた。
 無論、その間は学校も休むはめになり、家族以外はひよりと電話で話す事も許されなかった。顔を合わせるのはおよそ一週間ぶり。募らせていた心配と不安を、菊華はようやくひより本人に向けて問い質す事ができた。
 だが。

「や、それなんだけどさあ。何にもなかったんだよね、悪いところ」
「なんにも?」
「なーんにも」

 至極あっさりとした回答は、拍子抜けするほど呆気ないものだった。
 シストリィの医療班がどこをどう調べても、ひよりの身体に異常は見つけられなかったのである。
 それが幸いである事は間違いないが、しかし六日間も拘束された挙句の『異常なし』は、ひよりにとっては不満の残る結論だったらしい。ただそれも、『高い保険に入ったんだから病気しないともったいない』と同質の思考であって、不満と言うには明らかに不謹慎かつ図々しいものであったのだが。

「ほんとキツかったよ。毎日毎日、検査検査でさ。しかも器材の準備だか何だかで、一日に一つか二つしか検査できないんだよ? もー暇で暇で暇で暇で死にそうだったね。あたしじゃなかったら気ぃ狂ってたと思うな、うん」
「はー。大変だったっすねえ……まーでも、無事に退院できて何よりっす。死人出てないのに、ひよりんだけ死んじゃったら洒落にならないっすよ」

 そう、今回の事件において、最も驚くべき点がそこだった。巻き込まれた人々の数、被害に遭った企業団体の数からすればまさしく奇跡――いや、もうご都合主義としか言いようのない事であったのだが、何と先の事件、死者が出ていないのである。
 鍵榁センターホテル内、更に周辺区域に居た人間達はその大半がムスシプラに取り込まれ、養分として吸収されるべく貯蔵されていた。日が落ちると同時にムスシプラは活動を一時停止し、それ故に彼等は消化を免れたものの、もし解決が遅れ、翌日の朝を迎えていたのなら、恐らくは全員が喰蟲植物の餌食となっていただろう。
 さすがに怪我人が皆無とは言わない、数十人の単位で重傷者が出ている。それでも、死者が誰一人出ていないという事実は、凄惨な事件の中である種の救いと言えた。
 ……まあ、鍵榁センターホテルはもう基礎建築から建て直しが必要なのではと思われるくらいに酷い状態で、周辺の建物も似たり寄ったりの有様であり、そこにオフィスを構えていた会社やテナントに出店していた会社などは、軒並み悲鳴を上げているのだが。幾らご都合主義とは言っても、そこまではさすがに範疇外だったようだ。

「死なないよー、あたし不死身だから。ってか、むしろ逆かな――あの事件からこっち、妙に体調良いんだよね。身体が軽いっつーかさ。今ならオリンピックにだって出られそうだよ」
「むー。ひよりんが言うと、割とホントっぽく聞こえるっすねえ」

 苦笑しながらそう返す菊華だったが、実のところ、内心ではひやりとさせられていた。
 彼女の体内に取り込まれていた宝玉は、先の事件において体外に排出され、破壊されている――つまりその時点で、ひよりを監視し、宝玉を回収するという菊華の任務は終了している。
 にも関わらず菊華が未だ鍵榁市に留まり、ひよりの級友として振舞っているのは、偏に忌空師団首領、幻塔院玄十朗から下された、新たな命令が故だ。
 玖奈波ひよりが人間に戻ったかどうか。少なくとも喰蟲植物デヴォロ・ムスシプラから奪い取ったエネルギーが、まだ彼女に残留しているのかどうか。それを確かめるまでは、忌空師団は彼女から目を離す訳にはいかず、菊華には引き続きひよりの監視が命じられているのである。

『まァ、今回は本当に何から何まで、あの嬢ちゃんに引っ掻き回されたからなァ。まさかムスシプラを食っちまうとはなァ……マジで予想外だったぜ、こりゃあ』

 忌空師団首領をして『予想外』と言わしめるのは、玖奈波ひよりという少女が持つ、圧倒的なまでの存在感である。
 玄十朗曰く『主人公補正』。先日の一件は彼女とは何ら関係ないところで回っていた筈なのに、いつの間にか彼女を中心とした大渦になっていた。終わった後に改めて振り返っても、一体どこで何を間違えた結果あんな事態と成り果てたのか、まるで見当がつかない。
 ムスシプラの乗っ取りなど、言ってしまえば些細な事。むしろ警戒するべきは、彼女と関係ない筈の事象に彼女が介入し、結果として事象が更に混迷の度合いを増していく、運命とでも言うべき理不尽さ。
 その理不尽が今回限りという保証は、どこにもない――菊華に与えられた監視任務は、先日までのそれと比してもなお、その重要性を増していた。

「んー……しょーじき、考えすぎって気もするんすけどねえ……」

 そう――考えすぎなのだ。確かに玖奈波ひよりは脅威かもしれない。人間の枠を無意識のままに飛び越えた、規格外の存在かもしれない。
 それでも。苔茎菊華に、警戒心は薄い。楽観が覆されない。
 良く解らないものへの警戒心よりも、信頼と自信が勝っているのだから。

「キリヤさまとわたしがいるっす。何が来ても何が起こっても、始末はお任せっすよ」
「うん? キリくんがどうしたって?」

 本人が聞いていれば眉を顰めること必至の台詞をうっかり口にしてしまったせいで、それを聞きつけたひよりが怪訝な顔で訊いてくる。幸いはっきりと聞き取られた訳ではないようだ、今ならまだ誤魔化しも効く。

「え、や、えーと。き、キリヤは何時頃に帰ってくるかなーって。今日中には帰ってくるって言ってたっすけどねえ」
「むふふ。やっぱ心配? 離れていると不安だったり?」
「いやいやまさか。わたしとキリヤは心が通じ合ってるっすから。むしろ会えない時間こそが愛を育むっすよ」

 ある意味で名誉毀損ものの出鱈目をほざいたその時、リビングのTVが不意に画面を切り替える。再放送のドラマが緊急報道特番へ。報道スタジオからの生放送が、忌空師団出現の報を伝えている。

「ありゃま。まーた出たんだ、忌空師団」
「みたいっすね。む、こっから割と近いっす。……あ、そっか。キリヤさまはこっちに――」











『申し訳ございません、首領。宝玉を回収せよとの命を果たせず、おめおめと戻ってきてしまいました』
『ん? ああ、ありゃ仕方ねえな。気にすんな、誰がやっても同じ結果になっただろうよ。それよか怪我ァねえのか、キリヤよ?』
『ダメージは残っていますが……僕もお菊さんも、二、三日もすれば完治するレベルの損傷です。ご心配には及びません』
『そうかい、そいつぁ重畳だ。そんじゃキリヤ、ほれ、次の指令書な』
『拝見します。…………あの、首領? これ、僕がやらないといけない任務ですか?』
『いんや? 別に誰でもできるわな』
『では、何故――』
『なあキリヤよ。俺ァ、お前に「宝玉を回収してこい」って命令したよな? で、お前はそれを果たせなかった。宝玉ぶっ壊した』
『え――い、いや、しかしそれは、気にするなと……』
『ああ、気にしなくていい。けどそれはそれ、これはこれだ。まさか大幹部サマともあろう方が、失敗のペナルティ負わないなんて言わねえよなあ?』
『……つまりこの任務は、僕への罰だと』
『ま、そんなとこだ。お前にゃまだまだやってもらわんとならん事がある――この程度で済みゃあ御の字だろ? 楽な仕事なんだ、息抜きと思って、さっさと済ませてきな』
『…………』

 と、いう訳で。




「ふははははははははっ! 逃げ惑え、恐れ慄け、人間ども! 
 貴様等の恐怖! 貴様等の悲鳴! 貴様等の絶望! それこそが我等の世界征服の礎!
 気合を入れて――泣き叫べッ!」




 鍵榁センターホテルでの死闘から一週間。
 霧倉桐耶の姿は鍵榁市から遠く離れた、とある地方都市にあった。
 人間態ではなく、怪魔鎧蟲の本性を顕した蟷螂の姿。その彼が何をしているのかと言えば、蟻装兵を引き連れての破壊活動……忌空師団としての示威行為である。
 逃げ惑う人々を追いたて、高らかに口上を吼え立てながら進むその様は、世間一般に浸透する悪党のイメージそのままであり、一昔前の特撮番組で描かれるような悪の組織を忠実にリスペクトしている。
 首領曰く様式美。踏襲せねばならないお約束。
 しかし実際のところ、これは桐耶のような大幹部がやるような仕事ではない。下っ端や改造されたての怪魔鎧蟲が研修を兼ねて行うような任務であり、逆説、それなりの地位にある者がこれを行うという事は、確かに懲罰として効果的と言えた。
 早く終わらせたい。こてこてでべたべたの悪党台詞、顔から火が出るほど恥ずかしい。常人には理解の及ばぬ領域で、桐耶は今、必死に羞恥と戦っていた。
 市街地を蹂躙するかの如く我が物顔で練り歩く、怪魔鎧蟲と蟻装兵の一団。だがその専横も長くは続かなかった。人類が鍛え上げた“刃”が、暴虐の人型昆虫を阻むべく、遂に戦場へ到着したのだ。
 人気の失せた街に響く、回転翼の爆音。そして次の瞬間、高層ビルの陰から飛び出してきたのは、二機の大型武装ヘリコプター。世界地図とオリーブの葉をモチーフとした国際連合のエンブレムと、竜胆の花をモチーフとしたエンブレムが刻印された、最新式の武装ヘリである。
 燕の如く勇躍する武装ヘリ、その機首下に装備された機銃が猛然と火を噴いて、忌空師団へ鋼鉄の弾雨を叩き付ける。人間相手の使用を一切想定していない、だからこそ開発と製造が許される特殊弾頭の機銃弾が、鋼鉄にも等しい外殻で身を鎧う蟻装兵を次々と撃ち砕いていく。

「シストリィ――さすがに早い!」

 降り注ぐ弾丸の雨を軽々と躱しながら、桐耶は頭上のヘリを見上げて、どこか嬉しそうに声を上げた。
 戦闘に没頭すれば、この羞恥プレイ同然の任務も一時忘れる事ができるだろう。であるのなら、彼等シストリィを厭う気持ちなどあろう筈がない。
 猛烈な弾幕で蟻装兵を蹴散らした武装ヘリは、標的の頭上を通過したかと思うと旋回反転、再度桐耶達へと向けて攻撃を開始する。今度は機銃掃射のみならず、対地ロケットランチャーまでもが彼等へと向けて撃ち放たれた。
 鏖殺の火線を前に、しかし桐耶はもう回避しようとはしない。両前腕の鎌刃に翠光を灯らせ、両腕を振り薙ぐ。水飛沫のように飛散した翠光は迫るロケット弾に付着したかと思うと、次の瞬間、諸共に中空で大爆発を起こして、爆炎と爆煙を撒き散らす。
 空と呼ぶにはあまりに低い、地表と呼ぶにはまだ高い、頭上数メートルの空間を黒煙が覆う。濛々と立ち込める黒煙は完全に視界を塞ぎ、さすがにそんな状態での銃撃は弾丸の無駄と考えたか、機銃掃射が止んだ。
 が――掃射の中断は、視界不良とはまた別の意図もあっての事らしい。ぼっ、と黒煙を貫いて地上に降りてくる何かがある。最早見慣れた、ある種のヒーロー然としたシルエット。フルフェイスのヘルメットに相貌を隠し、肩と胸、前腕と脛を装甲で鎧った強化服。それを纏った何者かが霧倉桐耶の、蟷螂の眼前へと降り立った。
 強化服の男は両手に大型拳銃を構えたかと思うと、銃口を桐耶へと向け、躊躇なく引鉄を引いた。のみならず、自身も走り出して、桐耶との距離を詰めてくる。
 拳銃という飛び道具を持ちながら、近接戦闘に重きを置くこの戦法を、桐耶は知っている。

「カマキリ野郎ぉおおおおっ!!」
「! やはり君か、人間!」

 予想に違わず、強化服を纏うのは先の事件で知己となった――一般的に使われるその言葉と、桐耶が使うそれとでは、認識に微妙な落差が存在しているが――少年、石動快晴。
 間断なく火を噴く対怪魔鎧蟲用特殊拳銃バグスワッター。精密さを度外視した乱射攻撃は、それでも一発の外れ弾もなく、蟷螂の総身を叩いてくる。
 遠慮も呵責も一切ない。先の一件において、一時的とは言え背中を預けた相手だというのに、今は完全に倒すべき敵としか認識していないのだろう。敵と味方の関係をいつまでも引きずらない、石動快晴のその割り切った思考は、桐耶にとって決して不快なものではない――むしろ潔いとさえ思えて、好感に値する。

「くっ――くく、ふはは――はははははっ!」
「精々笑ってやがれ、カマキリ野郎! 直に笑えなくしてやるからよ! つーか泣かす! ぶっ殺す前にマジ泣きで命乞いさせてやらぁっ!」
「そうかい、精々楽しみにさせて貰おうか! しかしまったく、君の諦めの悪さは既に美徳だな! ここまで諦めの悪い奴は、今までいなかったからね!」
「そうかよ! じゃあ、俺で最後だ! てめえはここで死ぬからなぁっ!」

 交錯する刃と銃弾。喊声と罵声。翠光と炸薬。
 霧倉桐耶は人間を好いている。美面も醜面も、高潔でありながら下劣を内包する本性も、敵わぬと判っている相手にそれでも挑む蛮勇も、何もかもが愛おしい。既に人を外れた身であるからこそ、人間の総てを許容し、全てに名状し難い魅力を見出している。
 今この時もまた、彼の心を満たすのは歓喜と法悦であった。羞恥はとうにどこかへ消え失せ、少年が発する剥き出しの殺意と敵意を存分に浴びて、これ以上ない程に奮え昂ぶっている。
 怪魔鎧蟲と命の遣り取りができる程に鍛え上げ、練り上げた人類の英知。それを堪能するこの一時に、心躍らぬ筈がない。




「楽しいかよ、カマキリ野郎っ!」
「楽しいともさ、人間っ!」




 戦いは終わらない。
 これまでもこれからも、続いていく。
 この星の覇権を握るは、果たして人か、鎧蟲か。
 結末は未だ彼方――いずれ来るその時まで、彼等の闘争は終わらない。





◆      ◆





 劇終





◆      ◆



[30023] 後書き
Name: 濁水◆44d72913 ID:35af097c
Date: 2011/10/15 03:25

 はい、これにて『我等悪逆にて非道なり』、終了でございます。長のお付き合い、ありがとうございました。
 
 元は特撮好きが高じて書いてみたもので、書き上げてから暫く(一年以上)放置して寝かせてたものでして。
 先日、ふと思い立って某小説大賞にこれ送ってみたんですが、結果は三次選考で見事落選と。そもそも作者が『こんなん売れるわけねえよなあ』と思いながら応募したので、ある意味当然の結果なんですがw
 昭和特撮をモチーフにしてたり、恋愛要素をなるべく抑えてたり、萌えられるキャラが殆どいない割に硬派な作風でもなかったりと、読者にウケる要素がまるで足りないから。
 まあ自己満足の結晶ということで、ここでこうして公開してみた訳ですが。

 自己満足ついでにいろいろ裏話。


【霧倉桐耶】
 主人公ポジションな割にいまいちキャラの薄い大幹部。
 菊華に言い寄られて表面上迷惑そうなふりをしているが、実は満更でもないむっつり蟷螂。
 改造人間なので元は人間。小学四年生の頃に事故に遭う⇒親兄弟死亡、自身も瀕死の重傷⇒通りがかった首領に拾われて改造人間に、という流れで忌空師団に参加。
 暫くは本作における菊華のように大幹部の補佐として働いていたが、ある日その幹部が裏切りを企てていると知って殺害。その功績(?)で大幹部にのし上がる。
 組織内での役割は作中のように首領の私兵&員数外の応援要員。ついでに裏切り者への処刑・粛清を一手に引き受けている。
 裏切りさえ考えなければ部下にとっては『優しい上司』なのだが(多分)、いかんせん粛清担当ということで悪評が先行し、組織内での評判はあまりよろしくない。

【苔茎菊華】
 ヒロインポジションその1。桐耶の補佐。
 名前の元ネタは漫画『GS美神・極楽大作戦!』のおキヌちゃん。『お○○ちゃん(さん)』と呼ばれるキャラが出したくて、『お菊さん』の名前がまず決まる⇒適当に苗字とくっつけて『苔茎菊華』に。凄まじく読み辛い名前になったのは偶然。
 中学生にも間違われるような童顔二十六歳。昨今人気のロリババァなポジションを狙っているが二十六歳では微妙にギャップが足りない。あとついでに狙っている時点でダメ、しかしそれに気付いていない残念仕様。
 コスプレが趣味なのだが、どこぞのいかがわしいお店で見るようなコスプレがメインなせいか、桐耶からの視線が冷たい今日この頃。チャイナドレスとくの一とセーラー服は駄目ですか。
 桐耶にあれやこれやとモーションをかけてはいるものの滑り気味。組織内では首領を胴元にして『桐耶がいつオチるか』のトトカルチョが行われているとかいないとか。

【石動快晴】
 ライバルポジションだが、実は一番主人公らしい男。あと一番常識持ってる男。
 その才能を見出されて地球防衛隊の一員に! と漫画チックなサクセスストーリーを歩んでたりするのだが、そのせいで割とリアルな殺し合いに従事してるあたり微妙。
 シストリィで働く目的は作中で自身が言っていた通り、金のため。シストリィからの給料はほぼ全額、母親の入院費・妹の生活費として送っている。ちなみに親父は遠洋漁業の船に乗ってるので当分帰ってきません。
 元が不良なので腕っ節はかなりのものだが、残念ながらひよりには一度も勝ったことがない。『女相手に本気出せるか!』な男気とか一切皆無の状態で勝てません。相手が悪すぎます。
 そのひよりとは幼稚園からの幼馴染。家もそんな遠くない。すぐ近くにいる異性ということで割と意識してたりもするのだが、当のひよりはその気なし。快晴も面子があるので「ひよりをどう思う?」と訊かれても「別に」と答えるのが基本。

【玖奈波ひより】
 ヒロインポジションその2。実質、本作における全ての元凶。
 文武両道を地で行く問答無用の天才少女。ただし性格と人格が反比例。考えるよりも先に身体が動く、『拳骨は人類共通のコミュニケーションツールだよね!』と本気で言うあたりどうしようもない娘さん。
 ふつうこういう娘は苛めの標的にされるものだが、周囲にもその危険度が判るのか、或いは割と人懐っこい性格のせいか、幸いにも苛めに遭ったことはない。
 『とてもじゃないがこの娘とは恋愛できない』というところから逆算する形で作ったキャラ。本作の『恋愛要素を抑える』という目標の産物。或いはダークサイド。
 実は首領の懸念通り、事件後も彼女にはムスシプラのエネルギーが残ってます。やろうと思えばかめはめ波くらいは撃てる状態。このエネルギーをどう穏便に使い切らせるか、が桐耶と菊華の今後の課題。

【幻塔院玄十朗】
 忌空師団首領。目付きの悪いハゲ爺。
 実は作者が一番お気に入りのキャラ。イメージCV千葉繁。
 冷静キャラなせいでいまいち動かし辛い桐耶を動かしてくれる、かなり便利な人。真面目な話も馬鹿な話もどっちもこなせるので重宝します。いっそこの爺さんと桐耶だけで話作れるんじゃね? ってくらい。

【結賀文緒】
 ひよりと快晴のクラスメイト。ぶっちゃけモブキャラ。
 性格上、「ひよりってクラスでハブられんじゃね?」って思って、「いやそんなことないよ! 友達いるよ!」を証明するためだけに出したキャラw 
 おっとりのほほんな感じのお嬢様キャラだから、やろうと思えばもっと味付けできたんですけど。メイン四人の影薄くなる! ってことで出番と見せ場が大幅カット。ちょっともったいなかった。



【忌空師団】
 作中における『悪の秘密結社』。改造人間『怪魔鎧蟲』と装甲歩兵『蟻装兵』が主戦力。
 ショッカーみたいに非人道的な侵略作戦はしてませんけど、被害者の側からすればショッカー以上に傍迷惑な組織。
 『師団』という名ですが、さすがに師団レベルに人員がいる訳ではなく、首領の『師団とか人数多くて凄そうじゃね?』的なハッタリから付けられた名前。
 まあ蟻装兵も含めれば頭数は百万単位になるので、満更大嘘でもない。

【シストリィ】
 作中における『地球防衛軍』。対蟻装兵用特殊弾頭を開発し、現在は対怪魔鎧蟲用装備を開発中。
 名前は国連特殊戦略戦術研究機関/U.N. Special Strategy and Tactical Research Instituteの略。SSTRIでシストリィ。
 文法的におかしくない? と思った人は正解。適当に英語翻訳サイトに入力したものを使ってます。まあ作者の英語力なんて赤点だけはとらなかったもん! と言える程度なんで、あまり突っ込まないであげてw
 戦力自体は作中で言及されている通りそう多くないが、常に研究成果は各国の軍隊へフィードバックされるため、実質世界中の軍隊が戦力と言える。

【デヴォロ・ムスシプラ】
 作中における『巨大怪獣』。ぶっちゃけ本作で一番かわいそうな奴。異世界に追い出されて、なんとか戻ってきたら変な娘にエネルギー吸い取られて死亡。気の毒に。
 名前はラテン語の『貪る』と『ハエトリグサ』を組み合わせた造語。早口だと微妙に噛みそう。
 元ネタは89年の映画『ゴジラvsビオランテ』に登場する敵怪獣ビオランテ。植物怪獣って事で、判る人には一発で判るネタ。
 本作中に出てきたのはあくまで一部分なので、異次元にはまだ本体が残ってます。近い将来、ムスシプラ本体と忌空師団の全面衝突が起こるとか起こらないとか。



 といったところで、裏話もこの辺で。
 あらためて、お付き合いありがとうございました。
 またいつかの機会にお会いできればと思います。


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