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0:『理解を強制』
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世の中は解り易さが重要だと、霧倉桐耶は考える。
安易で良い。直截的で良い。端的で良いし暴力的でも構わない。解り易くあるのならば、その手法を問う事こそナンセンスだ。
百の言葉を費やすよりも一の事実を突きつける。叩き付けるような単純さで、否応無しに理解を強いる。
それこそが、『彼等』のスタンス。世界に対する『彼等』の処方。
ただ、一つ。
それに関して、霧倉桐耶には思うところが、一つ。
「……どう考えても、品の良いやり方じゃあないよね」
自嘲とも呆れとも付かぬ口調で漏れ出た呟きは、びょう、と唸りを上げる強い風に吹き消された。
都心の繁華街に林立する高層ビル。その中でも一際高くそびえる外資系商社の本社ビル屋上から、一人の少年が眼下の街並みを見下ろしている。
びょうびょうと強い風が吹きつけ、直立する事すら難しいそこは、当然ながら一般に開放されてはいない。転落防止用のフェンスさえない、そもそも屋上に出られるような設計ですらないその場所に人が居る事実が、既にして奇妙であり、異常であった。
故に当然ながら、桐耶の呟きは風の音の有無強弱に関わらず、誰の耳にも届く事はない。果たしてそれは幸いなのか、その逆なのか。
腕時計で時間を確認する――正午まで、あと十分弱。眼下の街並みにも人通りが少しずつ増え始める時間帯だ。始めるには悪くない。
桐耶がポケットに手を差し入れる。指先で硬質な感触を確かめてから取り出したのは、ピンポン球より一回り小さいサイズの、黒い球体。ひょいとそれを放り投げる。
空から降ってきたそれに、気付く者はなく。びきりと四つの球体に罅割れが生じた事も、そこから噴き出て来た黒い霧にも、それが形を為して起き上がるまで、誰一人気付く者は居なかった。
「いけ、蟻ども」
黒い霧は人の形を為したかと思うと、爪先から這い昇るように質量を得ていく。吹けば散る程にあやふやな形が、甲冑の如く黒光りする装甲で鎧われていく。完成するのは歪なヒトガタ。ヒトを模していながら、黒く重い光沢を放つ外殻、周囲を睥睨する複眼、ぎちぎちと厭な音を立てる大顎は、まるで蟻のそれだ。
黒い霧から生まれ出たヒトガタの蟻は二十を超え、足並みを揃えて前に出る様は、そこからも蟻を連想させる。
【蟻装兵】。霧倉桐耶が、彼の属する『組織』がその戦力として保有する、蟻を模した兵隊。
道行く人々が、その異形に驚き慄き、悲鳴を上げて逃げ出した。当然だろう。その異形は、この世界に住まう人間達にとって、恐怖の代名詞でしかないのだから。
「さて、と」
呟いて、桐耶は懐に手を差し入れる。取り出したのは一枚の仮面。ただし仮面とは言うものの、白磁の如き質感のそれには鼻も口も、視界を確保する為の穴すらもない。そこにあるのはのっぺらぼうの如き無貌だけ。
仮面を手にしたまま、数秒、彼は沈黙を続ける。苦い薬を前にした子供のような渋面に理由があるとすれば、これから行う事に気が乗らない、それだけであろう。
……いや、それでは微妙にニュアンスが違う。より正確を期するならば、そう、『気が乗らない』では無く『恥ずかしい』と言うべきか。
様式美とか、お約束とか、“あの人”は色々と言っていたが、実際のところは単なる趣味であると知っているから、付き合わされる身としては余計に恥ずかしい。
ゆるりと首を振って、決意したように、少年は仮面を顔に当てる。瞬間、ぎちりと何かが軋むような音を響かせて、仮面が桐耶の顔に吸着した。
異変が始まる。
桐耶の身体がざらりと粒子状に分解される。仮面一枚を残して粒子と化した総身が砂嵐の如く渦を巻いて、やがて仮面をその内へと取り込み、少年の姿とは全く異なるカタチに再構成されていく。
それを何と表現するべきか。人ではない。人と変わらぬ四肢を備え、人と同じように二足で直立しているものの、前腕から突き出た長大な曲刃、頭部の半分を占める翡翠色の複眼などの意匠を総合するに、それはむしろ、人の形をした蟷螂と喩えるのが相応しい。
一歩、前に踏み出す。踏みしめるものなど何一つ無い中空に、それが当然のように。故に当然の結果として、彼の身体は真っ逆様に地上へと落下していく。
人間一人分の質量が、流星もかくやという速度で落ちてきたのだ――アスファルトの地面は蓮華の如くにめくれあがり、粉塵が周囲を覆って視界を塞ぐ。
「え、っと……こほん」
逃げ惑う人々の背に向けて、ゆるりと両腕を広げた蟷螂が言い放つ。
高らかに、謳うように。
恥ずかしさを押し殺し、己の本義に則って。
「ふははははははははっ! 逃げ惑え、恐れ慄け、人間ども!
貴様等の恐怖! 貴様等の悲鳴! 貴様等の絶望! それこそが我等の世界征服の礎!
気合を入れて――泣き叫べッ!」
……世の中は解り易さが肝心だ。
安易な手段で。直截的な手段で。そして何より、暴力的な手段で、『彼等』はそれを知らしめる。
自分達が一体何者であるのかを――この世界において、如何なる存在であるのかを。
否応無しに、理解を強いる。
霧倉桐耶、十七歳。
『悪の秘密結社』の、大幹部。
世界征服に向けて、ただいま絶賛邁進中。