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[29819] 銀坊伝(ぎんぼうでん・ぎんがおぼっちゃま伝説)/『銀河お坊っちゃま伝説〜若様トーマスくんの冒険〜』(銀河英雄伝説ほか2次)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/06 08:28
銀河(2011.09.19初稿)
本作は、銀河英雄伝説の世界をメインとするクロスオーバー作品です。

「ルドルフ大帝以来の武門の名門ロットヘルト伯爵家の嫡男に生まれた貴族の若さまトーマスくん」というオリキャラが主人公。

銀英伝の原作では、 上級貴族の子弟でありながら、みずから積極的にラインハルト陣営に組したのはイザーク・フォン・トゥルナイゼンただひとりでした。

本作では主人公兄弟も加え、「武門の名門の門閥の宗主」である主人公トーマス、トゥルナイゼン、主人公の弟シュテルンの3人が、それぞれ自分の一門を率いてラインハルトをかつぎ、原作の史実から歴史の歩みを分離させていきます。

「門閥貴族からの好意を受け入れるラインハルト」や、門閥貴族の一員である主人公たちが帝国貴族階級をダメだこりゃと判定していくプロセスなんかを説得力をもって描くことができるかどうかにこの作品の正否がかかっていると、作者としては考えています。

生あたたかく見守っていただけるとうれしいです。

また、ストーリーを語り進めることのほかに、原作の記述を膨らませる形で
 ・帝国貴族の人間関係や私設艦隊の組織、正規軍の組織機構に対する門閥貴族の支配や干渉
 ・第2次ティアマト会戦の敗北が貴族階級にあたえたダメージ(帝国貴族の統治能力の喪失、
  貴族の私設艦隊の武力の空洞化、正規軍に対する支配力の衰退など)
 ・正規軍の内部における平民出身者の台頭
などを描いていきたいとも思っています。

それではお楽しみください。

**********************************
メインのオリキャラ、準オリキャラ
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トーマス・フォン・ロットヘルト
 本作の主人公。武門の名家ロットヘルト一門の宗家の嗣子(次期当主)。

イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン
 主人公の友人。原作キャラ。武門の名家トゥルナイゼン一門の宗家の当主(オリ設定)。

シュテルン・フォン・ミュンヒハウゼン
 主人公の異母弟。武門の名家ミュンヒハウゼン一門の宗家の嗣子。

エーリケ・フォン・ロットヘルト
 主人公の弟。ロットヘルト一門の軍政・内政担当。

ヴィクトーリア
 主人公、エーリケの母。ロットヘルト伯爵家の当主グレーフィン・フォン・ロットヘルト
 (ロットヘルト伯爵夫人)。残念な人柄。婿のカール(主人公・エーリケ・シュテルンの
 父)の浮気に気づき、ロットヘルト家から追放。

カール・ヒエロニュムス
 主人公ら3兄弟の父。浮気相手のフロイライン・ゼーゼマンの存在と彼女のシュテル
 ン妊娠が同時にばれてロットヘルト家を追い出され、実家のミュンヒハウゼン男爵家にも
 どる。のちに兄二人が嗣子を残さず戦死したためミュンヒハウゼン男爵家の当主となり、
 シュテルンが嗣子となった。

クラーラ(泥棒猫)
 シュテルンの母、カールの現妻。ミュンヒハウゼン男爵夫人。旧姓ゼーゼマン。

エドゥアルト・ルドルフ
 イザーク・フェルナンドの父。トゥルナイゼン家の当主の座をイザークに譲って隠居、臣
 下からは「ご先代さま」と呼ばれている。

アーデルハイト
 イザーク・フェルナンドの妹。トーマスの許嫁。実母は早逝、ヴィクトーリアを実の母の
 ように慕っている。



*******************
頻出の独自設定用語
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宗家…一門の本家。大貴族、門閥大貴族とも。
 本作の独自設定として、上流貴族が約4000家、そのうち宗家が250家、宗家に率
 いられた末流の家々が3000家、宗家が断絶して「宗家-一門各家」という組織を
 形成していない家々が約700家、という設定。
 実例:ブラウンシュヴァイク家・リッテンハイム家・ミュッケンベルガー家・ノ
 ルデン家、トゥルナイゼン家、ロットヘルト家、ミュンヒハウゼン家など。

一門…祖先を同じくする宗家と分家からなる同族集団。門閥とも。
 ブラウンシュヴァイク一門におけるフレーゲル男爵家、シャイド男爵家。
 宗家を欠いたカストロプ家とマリーンドルフ家など。


門閥…一門を参照。

門閥大貴族…一門の宗家の当主。

門閥貴族…特定の一門に所属する貴族の当主。

大貴族…宗家を参照。


*******************
分 野 : 銀河英雄伝説ほか2作品のクロスオーバー
主人公 : 銀英伝世界のオリキャラに意識の憑依。原作知識・チート無し。
原 作 : 田中芳樹『銀河英雄伝説』(小説)、デイビット・ウェーバー「紅の勇者オナー・ハリントン」シリーズ、ジェイムズ・P・ホーガン『量子宇宙干渉機』
備 考 :「量子宇宙干渉機」の暴走により、「銀英伝世界のオリキャラ」に「オナー・ヴァースの登場人物」の意識が憑依。

※前作『銀紅伝』との関係
Arcadiaに投降した処女作『銀河紅勇者伝説~ロットヘルト伯爵夫人のリップシュタット戦役従軍記』は、オリキャラの女伯爵ヴィクトーリア・フォン・ロットヘルトに、「離散紀世界」の超チート女提督オナー・ステファニー・ハリントンの意識が憑依し、ガイエスブルク要塞で詰んだ状態を何とかしようと奮闘する物語です。

本作の舞台は、この前作の並行世界で、ヴィクトーリアにオナーの降臨はなく素のまま、ヴィクトーリアの長男トーマス君に憑依が起きます。帝国貴族の組織とかメンタリティとかは、前作『銀紅伝』のそれと共通ですが、前作をお読みになっていない方や原作知識の無い方など、予備知識の無い方でも楽しんでいただけるよう頑張ります。

この小説は「らいとすたっふルール2004」にしたがって作成されています。


*************
2014.10.6 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] プロローグ(9.19/11.18改)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2011/11/19 20:01
(2011.9.19初稿/9.21修正/11.18再修正)

宇宙艦隊司令長官室に、イザーク、弟シュテルンとともによびだされた。
ラインハルトが小冊子を示しながらたずねる。
「卿ら、もうこれに目をとおしてきたな?」

ラインハルトが手にしている小冊子と同じものが自分たちの手元にもある。
カール・ブラッケとオイゲン・リヒターにまとめさせたという『社会経済再建計画』のことである。
一昨日、この3人で呼び出され、刷りたてのほやほやの草稿を渡された。そのとき、二日後に意見を聞くから熟読してこい、と命ぜられた。

『社会経済再建計画』は、ラインハルトの依頼により、カール・ブラッケとオイゲン・リヒターがまとめた帝国社会の根本的改革案である。銀河帝国を500年支配してきた貴族階級に対し、彼らの保有する軍事力を接収し、政治的・経済的特権を剥奪して完全に無力化し、帝国の権力構造を根本的に転換することを目指す内容である。

ラインハルトはかねてから貴族階級そのものに不満を持っていて、「あいつらいまに根こそぎぶっ潰してやる」というのを昔から何度も聞かされて来たし、さらに文章をとりまとめた二人というのが、ルドルフ以来の名家の当主のくせに民権拡張を主張して、社交界ではきちがい扱いされているブラッケ・リヒターの2氏だという点で、書かれている内容そのものには驚きはない。

しかし、現政権の閣僚たちや、おれたち三人の一門を除く、帝国貴族の圧倒的大多数を敵に回す内戦がいまにも勃発しようという今のこの時点で、これを世間に公表しようというのだろうか?


「司令長官、これは、どのように使用されるのですか?」

「内戦の勝利後に構築される、銀河帝国のあらたな社会のありようとして、メディアを使って大々的に宣伝していくつもりだ」

ふむ。やはり、改革者として、民衆の支持を獲得しようとするつもりらしい。
帝国の平民・農奴の民度からみて、民衆への人気を権力基盤に組織できるかどうかは難しいと思われるのだが、その点は、まあ、よろしい。「計画」が扱っている分野は、軍事よりもむしろ内政関係の方が主体となっており、宇宙艦隊司令長官であるラインハルトの権限の外にある事項が大部分だ。この計画を具体的に実施していくためには、宰相リヒテンラーデ侯をはじめ、計画が扱っている各項目ごとに、その分野を管轄する各省の尚書たちが、帝国政府の政策として同意・承認していることが必須となるのだが、どうするつもりだろう?


「これはどなたのお名前でだされるのですか?計画が扱っている各項目は、いずれも宇宙艦隊司令長官の職掌からは、はるかに外れている内容であるように思いますが」


「私の所信として、ローエングラム伯ラインハルト名義で公表し、宣伝していくつもりだ」


「宰相閣下や各省の尚書がたに、帝国政府の政策として採用するよう、お求めになるためのたたき台とする……というものではない?」


「そうだ。リヒテンラーデ侯や各省の尚書たちは関係ない。この計画は、内戦の勝利後に私が実行する、私の所信として発表する。」


「ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯の一派だけでなく、全帝国の貴族に、いきなり宣戦を布告することになりますよ?」

「うむ。そのつもりで、リヒターとブラッケには、現状との妥協をいっさい考えずに、彼らの理想を力のかぎり追求したものをまとめるように求めた」

ラインハルトは、ローエングラム-リッテンハイム枢軸を内戦勝利後の新体制とするつもりはないらしい。いまのこの時点で、もうすでにリッテンハイム候の一派とも対決するつもりのようだ。

さて、おれはロットヘルト一門15家、友人のイザークはトゥルナイゼン一門18家、弟シュテルンはミュンヒハウゼン一門16家の宗主家に所属し、イザークは当主、おれたち兄弟は嗣子(次期当主)である。この計画に提示されている改革案が実現したなら、おれたち3人の家のような門閥大貴族は、政治的にも軍事的にもなんの権力もない、一般貴族よりはやや多めの年金をもらうだけの、無力なお飾りとなり果てる。

「それで、"計画"にはどのような感想をもったか?」

この質問は、"計画への感想"ではなく、"この計画を推進する自分についてくるか?"と聞いているのだ。

俺とイザーク、シュテルン、もう一人の弟エーリケの間では、「帝国を支える武門の名家としての責務」についてかねてから何度も話し合ってきた。ルドルフ大帝が我らの一族に課した「武をもって帝国を支える」という使命を真剣に追求しようとすると、統治能力を喪失し、統治者としての責任感をもたなくなった今の帝国貴族階級は、完全に障害となりはてていることを。

「今の帝国にとって必要な改革です。われら一同ひきつづき一門の総力をあげて閣下を支えます」
「卿らのような"武門の名門"を解体する改革だぞ?」
「承知のうえです」
「そういうことなら、これからもよろしくたのむ」
「承知!」

******************
ラインハルトにああ述べたその足で、おれは今、イザークとともにブラウンシュヴァイク公がリップシュタットの別荘で開催している園遊会に参加している。

周りの貴族たちが指差しながら、これみよがしに、おれたちに聞こえるようにひそひそとささやく。
(おや、金髪の襦子の腰巾着がよくもここに顔をだせたものよ!)
(襦子のためにスパイでも働きにきたのかね!)

彼らがそうささやくのも、まことにもっともな事情がある。
俺とイザークは幼年学校でラインハルトと知り合って以来、一門の私設艦隊や、正規軍部隊のうち、俺たち一門が利権をもっている部隊の中の優秀な人材をラインハルトに提供し、彼自身や、彼が取り立てた優秀な指揮官が武勲を立てるのを、ず〜っっっと支えてきたからだ。
ここは、おれたちがラインハルトと決別したようにみせかける必要がある。

「ご一同、謹聴!謹聴!こちらをご覧下さい」

小冊子『社会経済再建計画』を一同にみえるように振りかざす。

「こちらは先日ローエングラム伯が発表した『社会経済再建計画』です」

そこで、内容を一同に紹介する。この計画が目指すところは、貴族が帝国貴族としての”聖なる義務”を果たすために必要な政治的、経済的、軍事的基盤を奪い取り、貴族階級を無力な飾り物にすることである。
我々は、いままで優秀な軍事指揮官としてローエングラム伯を支え、もり立ててきたが、ことここに至って、ついに決別のやむなきにいたった。云々と。

ひとりの貴族が尋ねてきた。
「貴殿らのご一門は、優秀な人材をずいぶんと襦子めに提供なさってきたろう?」
「はい。彼らにはローエングラム伯のもとを離れるよう求めているのですが、伯に手懐けられて、そのまま伯の手元に残ろうとしている者が多数おります。"庇を貸して母屋をとられる"とはまさにこのことですな。あの恩知らずども……」
「まことに、恥知らずの平民どもは節操に欠けておりますなぁ…」
「はい」

母ヴィクトーリアが、満面に笑みを浮かべて近づいてきた。
「おお、トーマス、それにトゥルナイゼンの若君どの!よう来てくれた!そなたたちがこのまま成り上がりの襦子に与(くみ)してしまうのかと心配しておったところじゃ」

「あんな成り上がりの襦子と仲良うした誤りにようやく気づいたようじゃの?」
「はい。いままで、ずいぶんと伯をかばい、支えてきたつもりですが、まったく裏切られた思いです」
「そうであろう。賎しい成り上がり者は、おのずから振る舞いも賎しくなるのじゃ!」
「……。」
酒をのみながらしゃべると、ついボロを出してしまいかねないのでもう返事をしないことにしようとしたら、母が大きな巻き紙を差し出してきた。
「ほれ、そなたらもこれに署名せよ!」
巻き紙には、"帝国貴族の聖なる使命"をたからかに宣言した前文につづけて盟主ブラウンシュヴァイク公、副盟主リッテンハイム侯をはじめとする貴族たちの署名が続いている。母は武門の名家ロットヘルト一門の宗主として、盟約の第十二番目に署名していた。

母のふたり下、第十四番目の空白は、父ミュンヒハウゼン男爵カール・ヒエロニュムスのためのスペースであろう。しかし父カールも異母弟シュテルンも、かねてからの打ち合わせにしたがい、ここにはこない。

どこに署名すべきかとまどっていると、母の横(というより盟約書の横かな?)にいたブラウンシュヴァイク公の部下のアンスバッハ准将が教えてくれた。
「まずはイザークどの。トゥルナイゼンのご一門の宗家の当主であらせられるのでこちらに」と、30番目あたりを指しながらいう。さらに、
「トーマスどのはロットヘルトのご一門の宗家の嗣子(次期当主)というお立場であらせられるので、このあたりに」と、300番目あたりを指ししめしてくれた。

俺とイザークは、アンスバッハ准将が指差す場所に順番に署名していった。

これでおれたち、「リップシュタット正義派諸侯軍」の立派な一員だ。

俺たちの真の任務は、まずロットヘルト一門、トゥルナイゼン一門の私設艦隊(封領警備隊)を掌握し、諸侯の私設艦隊に正規軍から出向していたために巻き込まれて貴族連合軍の一員になってしまった士官たち、他の諸侯の封領警備隊の乗員たちを、可能な限り無為の死から救い出すことである。



[29819] 第1話 はじめての行軍演習
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2011/10/31 19:39
母さまはほめてくれると思った。

ちじょう軍の大えんしゅうとして実行された30Kmの山中行軍。
ぼくはまだ子供だから、背嚢も一般の兵隊さんたちよりはずっと軽かったけど、とにかく脱落せず、自分の力で歩き通したのだから。

しれい官のヘクトールおじさんも、さんぼうのみなさんも、兵隊さんたちも、みんな
「若君、よくぞ歩きとおした。」
「坊ちゃん、偉(えりゃ)ーぞ!」
「将来が楽しみだぎゃ」
なんてほめてくれたのに。

母さまは、お屋敷に戻ったぼくの顔を見るなり、金切り声をあげた。

「ヘクトールおじさま?!これはいったいどういうことか!」

ヘクトールおじさんも、ぼくがほめられるところだと思っていたみたいで、自分がいきなり怒鳴られてびっくりしている。

「ロットヘルト家の嗣子(しし)の体が、こんなにも傷だらけではないか!」

そういえば山道でなんどもころんで、顔や腕やひざなんかすり傷だらけだけど、あんまり痛くないし、みんな「名誉の負傷ですぞ」といってむしろ喜んでいた。

「ヴィクトーリア、戦場で受けるかもしれぬ傷にくらべたら、こんなもの傷のうちには入らぬ。こんなかすり傷にも耐えられないようでは人の上には立てぬ。この程度で大騒ぎをしなさんな」

母さまは激昂して、さらにわめいた。
「この程度とはなんですか!それにだいたい武門の名家ロットヘルト家の宗主ともあろう者が、戦場にでたとしても、地上をはいずりまわる必要なんかないでしょう?」

母さま、それはちがう。
正規軍の幼年学校でも士官学校でも、全生徒を対象に山中行軍の訓練をやっているよ。
ふくつの精神は、にくたい的苦痛に耐える精神力の中から生み出されるんだ。

母さまは、ヘクトール叔父さんの指摘をねじ伏せるようにどなった。
「ヘクトールおじさ…、クラインシュタイン提督、もはや貴殿にトーマスを預けることはできません!」
「ヴィクトーリア、この子を甘やかしてつぶすつもりか!」

このままでは、はじまったばかりの、軍人になるための訓練が中止にされてしまう!
かなりまよったけど、もうひとりの弟の名前をだしてみることにする。
「そんなことになったら、シュテルンにおいぬかれちゃうよ!」

シュテルンの名を聴いたとたん、母さまのわめき声がぴたりととまった。

シュテルンは弟のひとりで、母さまではなく泥棒猫という人のこどもだ。ロットヘルトのお屋敷ではなく、「てい都オーディン」という星で、父さまと一緒に暮らしている。
父さまの実家のミュンヒハウゼン家も、ロットヘルト家と同じ「武門の名家」で、シュテルンも軍人になる訓練をはじめたらしい。いつも母さまはシュテルンの名前を聴くと逆上してたいへんなことになるから、ふだんは、父さまから手紙なんかが届いても、内容を母さまには伝えないことにしている。

シュテルンの名前をだして、怒鳴られるかと思ったら違った。
目が据わっていてとてもこわいけど、わめき声ではない、普通のしゃべり方で(ただし声のトーンはとても低かった)いった。

「よろしい、トーマス。泥棒猫の息子などに負けてはならぬ。立派な軍人となって、かならず泥棒猫の息子を部下として従えるのじゃ!」

*****
按に曰く、
この世界のトーマスくんは、異母弟シュテルンくんの名を出すか出さぬか迷ったあげく、持ち出してその結果、軍人の修行を続行することと相成りました。この世界の住人は、だれ一人気づいていませんが、彼のこの決断が、一群の並行世界(原作世界や『銀紅伝』世界)とこの世界を分岐させることとなりました。

瞬間ごとに並行世界が無数に生成されつづけているという物理法則については、佐々木閑『犀の角たち』、ジェイムズ・P・ホーガンの『量子宇宙干渉機』や『未来からのホットライン』などの書物にわかりやすく説かれているので、詳しくはそちらに譲ります。



[29819] 第2話 「幼年学校での日々」(10/1)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2011/12/01 02:20
(2011.10.01旧第2話/2011.10.09第2話(改))

第2話(改) → 旧第2話「ラインハルトとの出会い」の前半部を全面的に増補(文量が2倍に♪)
第3話 → 旧第2話の1パラグラフを1話分に大幅増補する改訂を準備中
第4話 → 旧第2話の後半部を全面的に増補改訂中。

******************

※帝国暦477年夏

「一介の軍人なら、みずからの心と体をひたすら鍛えておればそれでよい。しかし君はそうではない」

10才の誕生日が近づいたある日、ヘクトールおじさんが言いだした。
ヘクトールおじさんは、ロットヘルト星系の封領警備隊(私設艦隊および地上軍)の司令官で、ぼくや弟のエーリケが受ける兵学の講義の先生をやってくれている。正規軍で、大佐で戦艦の艦長をやっていたとき”叛徒どもの巨魁”という敵の将軍を討ち取ったり、中将として一個艦隊を預かった経験もある、とっても有能な人だったそうだ。ちっとも知らなかった^^;)

「君はロットヘルト家の嗣子(=次期当主)だ。ただの貴族、たんなる領主ではない。ロットヘルト一門15家を率いる宗主となる身だ。おおぜいの人々の上に立つ者として、一介の軍人とはことなる心構えが必要だ」
「はい」

ちなみに、「一門」とは共通の祖先からわかれ、「宗家」に率いられた貴族諸家の共同体をいう。ロットヘルト一門の場合、宗家の伯爵家のほか、爵位を持つ分家が15家、宗家と分家のそれぞれに属する「家の子」(当主の兄弟・伯父叔父・従兄弟などで独立した家をおこしていない者)、「郎党」、「所従」(いずれも宗家および分家の各家に代々使える人々)などの人々からなる。

「帝国貴族4000家」という場合、爵位と領地を有する宗家250家・分家3750家を指し、領地を持たない分家の傍流や帝国騎士など下級貴族は含まれない。ロットヘルト家は、ルドルフ大帝の御代にさかのぼる武門の名家で、宗家の諸家の中でも上位の家格を誇る。

“おおぜいの人の上に立つ身”うんぬんというのは、母さまをはじめ、家庭教師の先生とか、いろんな人たちからいつも言われている。しかしヘクトールおじさんの講義の時間に出てきたのは初めてである。

「ロットヘルト一門はルドルフ大帝より武をもって帝国に奉仕する使命を授かって以来、その使命を果たし続け、武門の名門とよばれている」
「はい」
「では、“武をもって行う帝国への奉仕”とは、具体的にはなにか?」
「すぐれた軍人になって、叛乱軍をやっつけることです」
「それは、単なる“一軍人としてのありかた”だ。質問は“当家のような門閥の一門が行う奉仕”についてだ」

なんだろう?

「ロットヘルト一門が持っている軍事力があるな?それを最強の状態に近づけ、その状態を保つよう常に努力することだ」

なるほど。しかし。

「えー、そのためには、いったい何をどうしたらいいんでしょう?」

ヘクトールおじさんは、何からどう話そうかしばらく迷う様子をみせたのち、ぼくの質問に質問で返してきた。

「ロットヘルト一門が持っている軍事力には、どのような種類があるかな?」
「はい、宗家と一門15家は、それぞれ封領警備隊をもっています。航宙軍と地上部隊があります。封領警備隊の航宙軍は、中央の正規軍に対して「私設艦隊」とも呼ばれて、16家あわせて8つの星系で約500隻と、惑星ノイエ・チェンレンシンのほうに100隻の戦力があります。地上軍も、16家あわせて1万人の戦力があります」

しかし、封領警備隊といえば、叛乱軍との戦いの前線には出ないということで、装備には、正規軍のほうではとっくの昔に型落ちになった旧型の老朽艦がまわされてきたりしている。こんなのを「最強の状態に近づける」といっても、あんまりできることはなさそうに思う。

ヘクトールおじさんは、さらに質問してきた。

「それだけかな?」
「正規軍には、一門と領民から、おおぜいの人々が参加しています」
志願する者するものと、徴兵されて3年間の徴兵期間を過ごすものとに大別されるが、ロットヘルト8星系と惑星チェンレンシンから約20万人が、常時正規軍に奉職している。
「・・でも、正規軍にいる人たちは軍務省の管理下で、【ロットヘルト一門が持っている軍事力】とはいえないような気が」
「かならずしもそうではない」

へー。そうなのですか?

「一門の領地8星系プラス1惑星から徴兵されて3年間の徴兵期間をつとめている者は、おおよそ19万7千人。体格のよい一部の者が装甲擲弾兵となるのを除き、大部分の者は、宇宙艦隊の第13分艦隊に配属される」
「・・・」
「第13分艦隊に配置されてくる兵士や下士官はロットヘルト一門領の出身者だけではないが、この分艦隊は、潜在的に、ロットヘルト一門のナワバリとして認められている。だから有能な少将をロットヘルト一門として推薦すると、宇宙艦隊はその者をこの分艦隊の司令官に任命することになる。あるいは有能な准将を、この分艦隊の戦隊長に推薦することが可能だ」
なるほど。
「でも、一門のだれかが正規軍の一個分艦隊を預かってるなんて、いままで聞いたことありません」
「そうだ。14年前、君の伯父上が戦死したとき、ロットヘルト一門は多数の将官と佐官を失った。そして14年すぎてもいまだにその打撃から立ち直ることができないでいる。だから、当時、第13分艦隊司令官の後任についてミュッケンベルガー司令長官から問い合わせがあった時、私は君の母上と相談して、誰かを推薦することを辞退した。その下の戦隊長も同様だ。それ以来、第13分艦隊の歴代の司令官も戦隊長も、宇宙艦隊司令部が決めたロットヘルト一門とは無縁の人々がつとめている」
「そうでしたか・・・」
「では、最初の質問にもどるぞ。ロットヘルト一門が正規軍の第13分艦隊を最強の艦隊として整えようとするとき、君が注意するべきことはなにか?」

ヘクトールおじさんはさっきから「最強の艦隊として整えようとする場合」と繰り返しているが、ぼくに何を答えさせたいのだろう?

「では、この問いを考える参考となる実例をひとつ挙げよう。
 とある大一門の当主である某公爵閣下は、正規軍でいかなる訓練も受けず、実地経験もお持ちでないまま上級大将の階級を授かった。彼の甥ご二人は士官学校に在籍中だが、成績も素行もかんばしくない。おそらくはお情けで卒業し、佐官の階級を授かることになるだろう。そして、宇宙艦隊司令部は、正規軍において、彼らに階級に応じた権限や任務を与えることは決してない。」

公主(=皇帝の娘)さまを奥さんにもらった、あの一門のことだな。

「某公爵閣下の一門の私設艦隊は3万隻に近い規模を誇っている。彼らの方でも、3万隻の私設艦隊にふさわしい階級を獲得できれば満足なのであって、正規軍における権限や任務などは欲しがってはおるまい」

上級貴族の中には、幼年学校や士官学校をお情けで卒業して、階級だけはとても高いものをもらう人たちがいるとは聞いたことがある。母さまも、伯父上が戦死して、15才でとつぜんロットヘルト宗家の当主になったとき、軍務省のほうから、准将の階級を受けるかどうか尋ねられたという。

「しかし、ロットヘルト一門はそのような一門ではない。一門のメンバーは正規軍の中で、自らの能力によって地位を築くこと、一門から出た有能な人材を、力を合わせて支えていくことを誇りとする一族だ」
「はい」
「君も将来、ロットヘルト宗家の家柄と、当主という立場のみを理由として、君の能力がどうであるかに関係なく、少将以上の階級を受けることができるのは間違いない」
「はい」
「君は、自分の能力とは関係なく与えられる将官の階級に満足できるかな?」

なんだかヘクトールおじさんが誘導しようとしている答えの方向がみえてきた。

「そこで、君は、第13分艦隊を最強の艦隊として整えようとする場合に、何に注意するか?」

「はい、第13分艦隊を最強の艦隊にするには、有能な人材をしかるべきポストにつけなければならない。そのために、ぼくは、自分が自動的に第13分艦隊の司令官になれると思ってはならない。有能な人材をはばひろく集めなければならない。有能な人材を見つけて招くために、ぼくは人を見る目をみがかなければならない。・・・だいたい、こんなところでしょうか?」

ヘクトールおじさんはにっこり笑っていった。
「よろしい。半分は合格だ」

半分だけですか。


残りの半分は、徴兵されて第13分艦隊に配属される領民出身の兵士のレベルを高めるために注意すべきことについてだった。

軍艦というものは、かならず破損するものである。軍艦の乗組員は、ランダムに発生する、ひとつひとつ様相の異なる緊急事態に対応する能力が求められる。そのためには配置された部門ごとに、自身が担当する装置に関する電子工学的、機械工学的な深い知識を必要とする。

無学文盲のまま放置されてきた青年が、3年の徴兵期間の間にゼロからそのような能力を身につけることは到底のぞめない。したがって武門の名門とされる一門では、どこでも領地経営に置いて領民に対するハイレベルの教育制度を整えることに腐心してきた。

また、帝国では、どの一門の所領でも、十数万単位の若者を社会から隔離して前線に配置し、そのうち数千人が毎年戦死してしまうことが常態化しているが、民生に不熱心、無関心なところでは、人口の激減や社会の崩壊が進行し、ゆたかな自然環境を有しながら衰退の一途をたどっている星系がある。武門の名門とされる一門では、従来、どこでも、民生に大変大きな注意が払われてきた。

こんなことを、いちどに教わった。
確かに、いままで受けてきた軍人教育の枠をはるかに超えていて、9才の脳味噌では、受け止めきれずに取りこぼしてしまった話も多く出た。

ヘクトールおじさんは、もうすぐオーディンにいく若への最後の餞別だといった。


**********************

※帝国暦479年9月

10才になると、帝都オーディンにある軍幼年学校に入るため、ロットヘルト星系をはなれた。
2年後、弟のエーリケも幼年学校に入るためオーディンにやって来た。
母ヴィクトーリアは、それまでずっとロットヘルト星系にいたが、おれたちの顔をみるため、しょっちゅうオーディンに来るようになった。

幼年学校では、トゥルナイゼン家のイザーク・フェルナンドと同級になった。
トゥルナイゼン家は、ロットヘルト一門が領有する8星系のすぐとなりに、これも8星系を領有する一門の本家で、ロットヘルト家と同じく「大貴族」、「宗家」、「門閥の宗主」などと呼ばれる家柄である。おれの家と家格(=家柄のランク)が近く、近所でもあるので、イザークとは故郷(くに)にいたころから仲良く行き来していた。

一門の宗家としてのロットヘルト家のランクは全宗家のうちの第12位、トゥルナイゼン家は第30位くらいだが、イザークが幼くしてすでに当主を継承しているのに対し、おれはまだ「嗣子」(時期当主)なので、貴族としての格はイザークのほうが高い。

幼年学校の同期生の中には、宗家の出身者はおれたち以外にはないので、おれたちは家柄ヒエラルヒーの頂点に位置していることになる。だから同期生たちによる家柄自慢は、「下賤の者たちのいやしい振るまい」と、余裕を持ってなま暖かく見守ることができた。

ラインハルト・フォン・ミューゼルは、貧しい帝国騎士の出身である。
座学はぶっちぎりで学年首位、ケンカも無敗をほこり(おれは一回挑戦して懲りた)、負けて悔しいお坊っちゃまたちが、しょっちゅう家柄自慢で口撃をしかけては、冷ややかにスルーされたり、反撃されてのされたりしている。

おれやイザークのところのような、武門の名家と呼ばれる一門は、伝統的に、領地の封領警備隊(いわゆる私設艦隊)のほかに、正規軍の内部でも一個分艦隊(およそ2500-3000隻)を預かってきた。一門の中から中将以上がでると、帝国直轄領や一般の貴族の領地から徴兵された兵士で形成される他の分艦隊を指揮下に置く。どの一門でも、正規軍に奉職している宗家・分家・家の子・郎党・所従は総勢でも200人強をこえることはなかなかできず、預けられた分艦隊をしっかり掌握するには、優秀な人材はいくらあっても足りない。

だから、ラインハルトのような寒門出身の優秀な人材は、各一門の間で奪い合いになってもおかしくないはずなのに、幼年学校の同期生で、彼を自分の一門に招こうとしたヤツをいままでみたことない。

君たちの一門は、彼を必要としないのだな?じゃあ、おれたちのところで遠慮なくもらうぜ。

ラインハルトとちょうど取っ組み合いをやっていたウルリケくんに声をかけた。
「ウルリケ、もういいだろ。おれたちミューゼルに用がある。下がってくれ」
「なに?ああ、キミらか。わかった」

ウルリケくんの家はヒルデスハイム一門の分家にすぎないから、家柄自慢の彼はおれたちには頭があがらない。

ウルリケくん、ラインハルトに
「よし、今日はこれくらいで勘弁してやる」
と捨てぜりふを吐いて去っていった。勘弁されたのはキミのほうだ。

「用とはなにか?」
ラインハルトがたずねる。
そこで、かねてからの疑問をラインハルトにぶつけてみたら、やっぱり彼だった。

おれもイザークも、戦略シミュレーションと戦術シミュレーションはたいへんに得意な方なのだが、どうしても勝率9割を超すことができない。いろんな相手に時々負けるのではなく、天敵が一人だけいるような感触があった。シミュレーションでは対戦相手がだれかは表示されないので彼にたどりつくのに少々手間がかかったが、おれたちが敗北を重ねていた相手はラインハルトで、彼の取り巻きのジークフリート・キルヒアイスにも、かなり負けていたことがわかった。

「おれの家には、幼年学校のより性能のいいシミュレーターがあるんだ。晩飯をおごるから、こんどの休みの日、対戦をつきあってくれないか?紹介したい者もいる」

「いいだろう」

        ※             ※

「紹介したい者」というのは、二人の弟エーリケとシュテルンである。ふたりとも、幼年学校で、おれの2学年下に在籍している。異母弟のシュテルンは武門の名門ミュンヒハウゼン一門の宗家の嗣子でもある。

かつて母ヴィクトーリアは、シュテルンやシュテルンの母フラウ・クラーラ(=泥棒猫)の名前を聞くだけでヒステリーを起こし引きつけを起こしたものだった(詳しくは第一話を見てくれ)。しかし帝国最強艦隊を作ろうというおれたちの計画にとって、ミュンヒハウゼン一門を巻き込むことができると、非常に有益である。そこでシュテルンに頼んで一芝居うってもらうことにした。シュテルンを初めてロットヘルト邸につれて来た時、母は喰い殺しそうな目つきで睨みながらシュテルンを出迎えたのだが、シュテルンはイザークやエーリケたちと4人で練り上げた「兄上を支えて武門の名門としてのつとめをよりしっかりとはたしたい」というセリフを完璧におぼえ、みごとな態度でうやうやしく演じて頭を下げ、その結果シュテルンはロットヘルト家に出入り自由となったのである。


        ※             ※

ラインハルトとキルヒアイスには午前中から来てもらい、一日中、シミュレーションにふけった。
ラインハルトは天才だと思う。
イザークやエーリケ、シュテルン、そしてキルヒアイスなんかは、対戦していて彼らの考えを読むことができ、裏を書いてひっかけることができる。対戦成績は互角以上である。しかしラインハルトには隙をみつけられない。こちらの打つ手、打つ手全てを読まれて対策を講じられてしまう。一発逆転をねらい賭にでると、賭にでるためにつくったこちらの大穴を必ず見抜かれ、突かれてしまう。いっそ清々しいほどに完敗を重ねた。

「ラインハルト、君は士官学校へは行かないとか?」
「そうだ。幼年学校を卒業したら、すぐ任官するつもりだ」
「じゃあ、おれたちの艦隊にこないか?」
「好意はありがたいが、安全な後方でぬくぬくと過ごすつもりはない。前線に出たいんだ」

即答で断りやがった。
封領警備隊の航宙部隊に誘っていると思っているらしい。
封領警備隊の航宙部隊とは、正規軍18個艦隊とは別に設置された、領地持ちの貴族によって管理・運用される宇宙戦力のことで、私設艦隊ともよばれ、それぞれの貴族の領地である地方星系の防衛を任務とし、叛乱軍との戦いに動員されることはない。ここで用いられる艦艇は、正規軍ではとっくの昔に型落ちとなった老朽艦が大多数を占める。ロットヘルト一門は、宗家と分家15家全体で600隻、トゥルナイゼン一門は500隻、ミュンヒハウゼン一門は970隻の規模を有している。


「いや、封領警備隊じゃない。正規軍のほうだ」
「?」
「武門の名門ってよばれる一門は、それぞれ正規軍で一個分艦隊をあずかってる」
「そうらしいな」

正規軍の宇宙艦隊は、「宇宙艦隊18個艦隊」と呼ばれるが、かならずしも18人の司令官と18個の艦隊が存在するわけではない。ここ数世紀、実働可能な分艦隊は七十数個分艦隊で、整備・再編中で動かせない分艦隊が常時十数個艦隊あり、司令官は定員の18人を充たしたことがない。

「おれたち、みっつの一門で力をあわせて、帝国最強の艦隊を立ち上げるつもりなんだ」
「ほう」
「司令官には、ヘクトール・フォン・クラインシュタイン提督を招くつもりだ。聞いたことあるだろ?」
「戦史の教科書で名前を見たな……」
「第2次ティアマト会戦で、叛徒どもの巨魁を討ち取った英雄で、非常に有能な艦隊指揮官だ」
「ずいぶん前に退役したのでは?」
「祖父のアーブラハムと親友で、叔父や母、おれの後見人になってくれていた。いまでも大変に元気だ。」
「なるほど」

おれとイザークは、軍人としては、幼年学校の生徒というヒヨコにもなっていない存在だが、貴族としては、門閥の宗家の当主や嗣子(次期当主)という立場を持っており、伯爵家の当主の舎弟にしかすぎないミュッケンベルガー司令長官よりも立場が上である。だから、おれたちは年齢の面ではローティーンの孺子だが、「武門の名家の宗家」の当主・嗣子として会いにいくと、きちんと応対してもらえる。念のため、ミュンヒハウゼン一門の宗家からは、嗣子のシュテルンではなく、現当主である父カール・ヒエロニュムスに出て来てもらい、すでに艦隊立ち上げの具体的な打ち合わせにかかっている。

「君だけじゃないぞ。寒門出身者で有能な者は根こそぎ集めるつもりだ。艦隊が立ち上がるまでには数年がかりの作業になるから、実際に来てもらうのは当分先だが」
「考えておこう」

      ※               ※
      
さて、晩飯である。
ラインハルトにキルヒアイスよ、「晩飯をおごる」といい、「晩餐に招待する」といわなかった、その意味を思い知るがよい。ふはは。

門閥の宗主の邸宅で出される食事だからな。たいへんなごちそうを期待していたにちがいない。
ふたりとも目をまるくしている。

母ヴィクトーリアが、この「晩餐」のホステス(主催者)として、メニューの解説をする。
「これは、ツワッケルマン食品工業(株)のCレーション改じゃ。個人的な感想じゃが、いま正規軍の宇宙艦隊で正式採用しているものよりかなりおいしいと思う。当家の封領警備隊はこれを採用しておる」

レーション(戦闘口糧)とは、戦闘中の兵士のためにパッケージされた携帯食料のことである。
だいたいにおいて、とてもまずい。
幼年学校でも、行軍演習とか、艦内実習のときなどにこれが出る。
おれや弟のエーリケは、幼いころから行軍演習で食べ慣れているからまったく平気だが、貴族のお坊っちゃまたちの中にははじめてこれに出会ったとき、ひとくちたべて吐き出し、教官や上級生に怒鳴られたやつが多い。イザークとシュテルンも、最初は大変だったらしい。ラインハルトとキルヒアイスも、はじめは顔をしかめながら食べていたな。

母は、おれや弟が友人を招いた時や、いやな客が来た時などにこれをやる。
ラインハルトとキルヒアイスは、おれたち一家とイザークが平気でぱくついているのをみて、何も言わず、黙々と完食した。
母は、おれや弟の友人にいつも言うことを繰り返した。
「これを食べても人の上に立つ軍人になれるとは限らぬが、これを食べられない者は決して人の上に立つ軍人にはなれぬ」
ラインハルトとキルヒアイスがあまり感銘を受けた様子ではないので、いささか不満げになったが、つづけていった。
「これはオードブルじゃ。つぎからはメインディッシュ。ロットヘルトの美味な郷土料理を召し上がれ」

こちらは田舎料理で、貴族の宗家が出す晩餐にふさわしいものとはいえない代物であるが、量・味・栄養の面で、非常に充実したものだと、おれは思っている。
いやな客の場合は、各社のレーションを堪能することになっているらしい。



[29819] 第3話 「最強艦隊設立計画」(10/16)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2011/11/04 17:05
※帝国暦479年夏

友人のイザーク・フェルナンド、父のカール・ヒエロニュムスとともに、ミュッケンベルガー宇宙艦隊司令長官を訪問している。

幼年学校の生徒としてだと、会いたいと思っても取り次いですらもらえない偉い人だが、門閥の宗家の者として訪問するならきちんと時間をつくってもらえる。イザークはトゥルナイゼン一門の宗家の当主、父はミュンヒハウゼン一門の宗家の当主であるし、おれも、ロットヘルト一門の宗家の当主である母ヴィクトーリアの代理という立場でここに来ている。

かねてから計画中の最強艦隊に、1個か2個ほど分艦隊を追加してもらう交渉のためだ。

正規軍において、ロットヘルト一門が預かっている第13分艦隊と、ミュンヒハウゼン一門が預かっている第17分艦隊、トゥルナイゼン一門が預かっている第18分艦隊を会わせて一個艦隊をつくること。その艦隊の司令官には、おれの師匠で、ロットヘルト封領警備隊(私設艦隊+地上軍)の司令官ヘクトール・フォン・クラインシュタイン退役中将が現役に復帰し、就任する。
以上の2項目については三つの一門の間で合意され、いままでの話しあいのなかで、司令長官の了解も得ている。

しかし3個分艦隊計9,000隻の一個艦隊といえば、なりたての新米中将が預かる規模でしかなく、クラインシュタイン提督のキャリアにはふさわしくない。12,000隻か15,000隻は欲しいところだ。

ただ2個分艦隊をくれといっても、おいそれともらえるものではない。とうぜん見返りを提供することになる。

父カールが述べた。
「私どもの一門の所領から徴兵された若者たちに高度な専門教育を施してあることは、すでにご承知かと思います」

航宙艦を形成しているさまざまな装置は、すべて電子頭脳で制御されている。航宙軍の運用には、動力・通信・航法・火器管制・被害対策・医療など様々な分野があり、新兵たちは、各部署に配置され、その部署の装置の扱いを学んでいく。軍艦というものは、運用中にかならず破損するものであるから、兵士たちは、無傷の装置をあやつれるだけではなく、なんらかの破損が生じた場合に、破損の程度や性質をみぬき、可能な限り機能を回復するにはどのような措置が可能かについて、判断し、修理を実行していく能力を身につけていくことが求められる。

ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの3一門を含む、武門の名門と呼ばれる一門では、より優秀な兵士を育てるという観点から民生部門の充実に意をそそぎ、領民の青年たちに、徴兵年齢に達するまでに、電子頭脳のハード・ソフトに関する基礎知識と、動力・航法の分野についての基礎教育をほどこすための教育制度がととのえられているところが多い。

無学文盲のままに放置され、軍艦にのってはじめて文字を学んだり電子機器に接するような若者と比べ、短い訓練期間で軍艦乗りとしての技能を高いレベルで身につけることができる。そのため、例えば第13分艦隊の場合、兵士に占めるロットヘルト領出身の割合は全体の50%であるが、下士官の割合は95%を超えている。

父はつづけた。
「われわれの一門の私設艦隊はあわせて約2,000隻の規模をもっています。我々の一門は毎年あわせて24万人の新兵を正規軍にお届けしておりますが、そのうち1万人について、私設艦隊の軍艦で経験を積ませた即戦力としてお届けすることが可能です」

兵役期間は三年であるから、下士官をつとめうる能力を備えた3万人の即戦力をロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの3家は、自分たちで育てて、正規軍に提供する、と述べていることになる。

ミュッケンベルガー司令長官はいった。

「それは素晴らしい!1個分艦隊をになうには充分なご人数ですな」
「いや、2個分艦隊を預かることも、余裕で可能ですぞ」
「いやいや、無理はなさならいほうがよいでしょう」

2個分艦隊をふやしてもらうには、もう一押し必要なようだ。父カールが続ける。

「それでは、私どもの私設艦隊もまるごと提供します」
「しかし、……」

ミュッケンベルガー司令長官がくちごもる。
辺境星域で領地を拝領している貴族が保有している航宙戦力が「私設艦隊」であるが、その艦艇は、戦艦・巡航艦・駆逐艦いずれも、正規軍ではとっくの昔に引退した型落ちの老朽艦がおおい。また各艦の艦長・副長等をはじめとする士官たちも、正規軍から一時的に出向している能力ある者が多数を占めるとはいえ、旗艦の艦長をつとめる各家の当主をはじめ、領主との地縁・血縁のみでポストを得た能力のない者もかなり多く、しかもそのような者たちが指揮系統の上位に位置している。

「クラインシュタイン艦隊に組み込んでいただくにあたっては、士官以上のすべての人事を、宇宙艦隊司令部に全面的に委ねます。ただし、いまわれわれが保有している航宙艦は、正規軍ではとっくに退役した型落ちの老朽艦ばかりで、正規軍の現役の艦艇と艦隊運動を一緒におこなうにはなかなかつらいものがあります。そこでこの際われわれの私設艦隊の艦艇を、現役の艦種に更新していただけたら、と思います」

つまり、艦艇そのものは正規軍が用意するとして、人件費や維持管理費はすべて領主もちの2,000隻の部隊を正規軍に新たにひとつ設ける、という提案である。1個分艦隊には1000隻足りないが、宗主としての序列が12位、14位、30位の中堅どころの門閥としては、3家で力をあわせても、これで精一杯である。
ミュッケンベルガー司令長官は、我々が身銭をきっての提案に、ニッコリほほえみながら尋ねた。
「しかし、それでは、ご領地の防衛のほうはどうなさいますかな?」
「私どもの私設艦隊の艦艇を現役の艦種に更新していただくと、現在使用している旧い艦種の老朽艦は国家にお返しすることになります。それを改めて私どもに払い下げていただけないでしょうか。叛乱軍との戦いの前線にはでず、領地の防衛に専念するのであれば、それで充分にお役目を果たせます」

司令長官はしばらく黙考していたが、やがて答えた。
「国家のために私財を投じてのご奉仕の志、感服しました。クラインシュタイン提督のお手元には、ご要望どおり、合わせて5,000隻を追加でおあずけすることにいたしましょう」

こうして14,000隻からなるクラインシュタイン艦隊の発足が正式に確定した。

              ※          ※  

※帝国暦479年秋

「ぼくの立場では難しいので、トーマス様にお願いできますかね」
ブロンベルク家の郎党(代々の家臣)で、士官学校に在籍するアルトマン候補生が話しかけてきた。
ブロンベルク子爵家はロットヘルト一門15家のひとつで、彼はこの子爵家の嗣子フーベルトくんの従者・ご学友として、フーベルトくんとともに士官学校に入学した人物である。
アルトマン候補生によれば、フーベルトくんは、昼休みになると、いつも食堂で、自分より優秀な寒門出身の候補生に家柄自慢で因縁をつけているらしい。

彼に案内されて、昼の士官学校の食堂に赴く。
フーベルトくんは、座っている一人の候補生を連れと一緒に見下ろしながら、なにか因縁をつけている。情けない。

「ヘル・ブロンベルク!」

フーベルトくんと連れが振り向いた。連れは、ブラウンシュヴァイク公爵の甥ごのライヒアルト・ロベルトくんだった。最近、跡取りのいないフレーゲル男爵家に養子に入り、ただちに男爵家の当主も嗣いだ人物である。

「なにか?きさまは」

偉そうにたずねてきた。 「ロットヘルト家の嗣子トーマスです。男爵どの、はじめまして」
とたんに男爵どのの態度があらたまった。フーベルトくんもおれに気づいて硬直している。
「一門のヘル・ブロンベルクに用事が。よろしいですか?」
男爵どのはうなづいた。

「ヘル・ブロンベルクの父君ヘフテンどのは他家からご養子に来た方だからご存じないのかもしれませんが、優秀な人材をできるだけおおぜい集めようというのがロットヘルト一門の家風です」

ブロンベルク子爵家は、16年前、当主と嗣子が同時に戦死して断絶の危機に直面したため、当主の叔母の嫁ぎ先という遠い血縁を養子として迎えた。フーベルトくんはその嗣子である。ブロンベルク家代々の家の子、郎党、所従たちから一門の家風を学ぶ時間は充分にあったはずだが、身に付けていないようだ。

「ヘル・ブロンベルク、わが一門が、封領警備隊のほかに、正規軍の第13分艦隊を預かっていることはご存じですよね?」
「ええ、聞いております」

士官学校の候補生と幼年学校の生徒として話をする場合ったら逆転するが、いまは「宗家の嗣子として一門の者を教えさとす」状況なので、おれは「上から目線」でフーベルトくんに話すし、くんはおれに敬語を使ってくる。

「分艦隊ひとつは約3000隻。司令官に少将ひとり、三つの戦隊の指揮官のそれぞれに准将が3人、各戦隊に小戦隊長が10人ずつで計30人、艦長が3000人、副長が3000人・・・。だけども、一門各家の家族・家の子・郎党・所従の年頃の男子が全て宇宙艦隊に入ったとしても150人を超すのは絶対無理です。しかも実際には、わが一門では、能力の低いものは、正規軍には入れませんし。だからわが一門が預かる第13分艦隊が充分な働きをするためには、寒門出身者の有能な人材を招くことが絶対に必要なんです」

全文ほぼまるっきり、ヘクトールおじさ・・クラインシュタイン提督の講義からの受け売りなのだが、フーベルトくん、年下の孺子にやりこめられてぐうの音もでない。

「ヘル・ブロンベルクの先ほどからの振るまいは、第13分艦隊の強化にいちじるしい妨げになります。反省していただきたい」

フーベルトくんは不満げに顔を真っ赤にしているが、ひごろ家柄自慢をしてるだけあって、宗家の嗣子に口答えはしない。フレーゲル男爵も何か言いたげに口を開けたり閉じたりしているが、これはロットヘルト一門内部の問題であり、他家の人である彼がなにか口を挟むことではない。

「わかりました。」
「では、この先輩に謝罪を」

フーベルトくんは、悔しそうに歯を食いしばりながら謝罪のことばを述べると、フレーゲル男爵と連れだってそそくさと去っていった。
ここで、フーベルトくんと男爵に因縁をつけられていた候補生にたずねる。

「一門の者がたいへん失礼しました。お名前をうかがってよろしいですか?」
「ナイハルト・ミュラー」

たしか、オーディン出身の平民の出の人で、優秀な生徒である。

「いつも学年成績は10位以下になったことない方ですね?」

ミュラー先輩、言い当てられてびっくりしている。ちょっといい気分。
クラインシュタイン提督から命じられて、武門の宗主の修行の一種として、士官学校の卒業生と在校生の名前を成績優秀者から順番に覚えていくことに取り組んでいて、たまたま、すでに彼の名前をみかけているのである。

「ミュラー先輩は、卒業後はどのような方面をご志望ですか?」
「航宙軍を考えています」

宇宙艦隊なら、将来この先輩を招くことになるかもしれない。

「いまぼくら、正規軍でロットヘルト一門が預かっている第13分艦隊、ミュンヒハウゼン一門が預かっている第17分艦隊、トゥルナイゼン一門が預かっている第18分艦隊を会わせて最強の艦隊を作ろうとしています」
「ご一門がそういう艦隊を計画しているということは聞いたことがあります」
「能力の無い者は一門の者であっても権限や地位を握ることはない、有能な者は必ず能力に応じた権限と地位が与えられる、そういう艦隊を目指しています。寒門出身の有能な人材には根こそぎ声をかけるつもりです。きっとミュラー先輩にも声をかけることになると思います。その時はぜひ、招きに応じてください」
「その艦隊に将来きちんとお招きをいただけるよう、しっかりと精進していきます」




[29819] 第4話 「ハイジのかたき討ち」(10.31)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/06 08:29
オーディン・ロットヘルト邸の電算室。
「おお、これはつかえる!」
封領警備隊航宙軍(私設艦隊)の艦艇のスペックをチェックしていたヴィクトーリアが歓声をあげた。
「お義母さま、どうしました?」
となりの端末で作業をしていた少女が声をかける。イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンの妹のアーデルハイト(=ハイジ)である。
「この駆逐艦じゃ」
ヴィクトーリアが指したのはフリーゲン級駆逐艦。一番艦の就航から30年が過ぎており、正規軍ではとっくの昔に姿をけしている。旧型艦の多い私設艦隊でも姿を消しつつあるのだが、ロットヘルト一門の連合艦隊では、全600隻のうち半数以上を占める駆逐艦のなかで、120隻がこのフリーゲン級である。

十数年前、ヴィクトーリアの兄(トーマスの伯父)で、当時、当主だったゲオルクは、正規軍がフリーゲン級の部品や各種装備の製造を停止しようとした際、その製造プラントをロットヘルト星系に引き取り、他領から廃艦となるフリーゲン級を数十隻ほど集めていた。

「なぜ、ゲオルク兄がこの艦種を集めていたのか、わかった気がする」

フリーゲン級は手動で開閉できるミサイル発射口をそなえ、フリーゲン級が標準装備するSS245-Moskito型ミサイルは手動で艦外に射出することができる(むろん射出後の動作については事前にプログラムをインストールしている必要がある)。本来の設計主旨は、艦が損傷して動力が停止したのちも、戦闘続行を可能にするというものだったらしいが、敵艦が確実に通過する場所が事前に判明している場合、その付近に潜ませておけば、完全に動力を停止し、敵の各種探知装置からは完全なステルスの状態から奇襲攻撃をかけることができるのである。暗礁地帯を切り開いて設定された航路を持つロットヘルト星系の防衛には、大変効果的である。

「ハイジ、そなたの兄も、妾(ワタシ)の息子どもも、ミューゼルにすっかり参っておる。そなた、これでかたきをとるのじゃ」
「はい、お義母さま」

※ ※

「ラインハルト、もう一戦つきあってくれないか?」
「いいだろう」

今日はトゥルナイゼン邸で、いつもの休暇のようにシミュレーター三昧だ。

いまから行う戦いの設定は、ロットヘルト星系でのバトル。
防御側は、ロットヘルト星系に集結した一門の私設艦隊600隻。
攻撃側は、ロットヘルト星系に強硬偵察をおこなう600隻の分艦隊。
攻撃側の任務は、星系に侵入し、惑星ロットヘルトに一定距離まで近づき、離脱すること。防御側は、敵部隊を発見し、損害をあたえ、偵察を阻止すること。
ラインハルトには攻撃側を担当してもらう。

防御側の艦隊の編成は、ロットヘルト一門の現有艦艇そのままの編成。つまり造15〜25年の主力艦(戦艦)、造20〜30年の巡航艦、造25-40年の駆逐艦など、正規軍ではとっくの昔に型落ちで退役した旧型の老朽艦ばかり。ただし乗員の練度は、実際の練度を反映させて特S級の設定である。

攻撃側については、正規軍の現行の通常編成とするか、新鋭艦をあつめた特別編成とするか、はたまた帝国領の奥深くに侵入した叛乱軍部隊とするか、ラインハルトに自由に設定してもらうことにした。

「ん?なんだ、なにか企んでいるな」
自分のほうが有利すぎると思っているようだ。
うん、むろん企んでいる。
対戦条件についてひとおり説明すると、おれとイザークは防御側のブースに移動した。

ラインハルトは、オーディン方面から侵攻する、正規軍の標準編成の部隊を選んだ。

今日のメンバーは、おれにイザーク、シュテルン、エーリケ、ラインハルトにキルヒアイス。それから、おれたち宗家の者に「ご学友」としてつけられているペーター・クルツリンガー、ヴィルヘルム・シュトフ、ミヒャエル・ハルトヴィック、アンドレアス・バーデンなどのいつもの連中以外に、特別メンバーがもう一人。すでに防御側ブースの端末に座っている。このことは、ラインハルトたちはまだ知らない。

対戦がはじまった。
防御側は、惑星軌道上の産業施設のいくつかは放置し、戦艦全50隻をふくむ主力部隊を小惑星帯の内側にまとめて配置し、高速巡航艦100隻を小惑星帯のそとに出して哨戒させた。これは防御側がしかけた罠まで攻撃部隊をおびき寄せる撒き餌の役割も果たす。

ラインハルト部隊は、オーソドックスに、小惑星帯の中に開かれた航路を利用する最短経路で星系に侵入してきた。防御側の哨戒部隊は航路に逃げ込み、主力部隊も核融合炉を全開にして、ラインハルト部隊が利用すると予測される航路の出口に布陣し、哨戒部隊と合流を果たした。

ラインハルト部隊は駆逐艦数隻を先行させて航路を偵察させたのち、本隊を小惑星帯に侵入させた。

引っかかったww

小惑星帯には、フリーゲン級駆逐艦120隻が、動力を完全に停止させて潜ませてあり、航路を通過していくラインハルト部隊に、側面からいきなりミサイル斉射をかけた。
ラインハルト部隊は、小惑星帯の中で大混乱に陥った。

フリーゲン級部隊の奇襲攻撃を見届けると、おれとイザークは攻撃側のブースへラインハルトを見に行った。顔を真っ赤にして悔しがりながら、必死に端末を捜査している。おれたちのどっちかが相手だと思ってたらしく、おれたちが二人揃って攻撃側ブースに顔をみせると驚いていた。

ラインハルト部隊は、フリーゲン級部隊からのミサイル斉射を繰り返し受け、大打撃をうけながら小惑星帯をとおりぬけた。防御側の本隊は航路の出口で待ちかまえ、攻撃側の残存戦力の先頭が小惑星帯から頭を出すのにタイミングをあわせ、全戦力の480隻で突撃をかけ、とどめを刺した。防御側の圧勝である。

ラインハルトがさっそく尋いてきた。
「今の相手は?」
“特別メンバー” のハイジが防御側ブースからこちらにやってきた。
「あたしです♪」
ラインハルトたちとは、すでにロットヘルト邸で何度も顔を合わせている。
「今日はフロイライン・ロットヘルトもこちらに来ていたのか?」
「いえ、あたし “フロイライン・ロットヘルト” じゃなくて、イザークの妹です」

ラインハルトたちが勘違いするのも無理はない。
ハイジはいつもおれの家に入り浸っていて、母のことを「おかあさま」、おれのことを「トーマス兄さん」と呼んでいるからな。
イザークとハイジの実母はハイジを産んですぐ亡くなってしまい、トゥルナイゼンのご先代は、おれの母ヴィクトーリアに、ハイジを淑女とするためのしつけを依頼した。だからハイジは幼児のころから、ロットヘルト星系でもオーディンでも、しょっちゅうロットヘルト邸にやってきては数ヶ月単位で滞在していく。おれの許嫁にという約束もあるが、実の妹みたいな感じでまだピンとこない。

「フロイライン・トゥルナイゼン?」
「ハイジでいいですよ♪」
「ハイジ…さん、さっきの対戦はすべてあなた一人で?」
「ええ、兄とトーマス兄さまは見てただけで、あたし一人で全部やりました」
「軍事の勉強もしていらっしゃるのか?」
「はい、義母(カア)さまが、将来トーマスは正規軍にかかりっきりになるから、そなたがロットヘルト領の防衛と民生の全権を握るつもりでおれ、とおっしゃって、いろいろと教わってます」

負けて悔しいラインハルトは再戦を挑んだ。
こんどはフリーゲン級部隊の奇襲が効かないハイジは、焦土作戦で抵抗した。
鉱山衛星から産業惑星にむけて射出される鉱石運搬船に爆薬を潜ませ、高速で侵入してきたラインハルト部隊の前面で爆破し、デブリをばらまく。
産業衛星や産業惑星の核融合炉を暴発させ、巨大爆弾として使用。
現役の艦種で固め、スペックの上で有利なはずだった攻撃部隊は思わぬ攻撃ではげしく損耗し、侵入後7日で、ほぼ無傷の防御軍とにらみ合う状態となり、タイムリミットでまたも攻撃側の敗北となった。

感想戦にはいる。
ラインハルトがこめかみをひくつかせながらいう。
「ふつうのシミュレーションなら、産業施設がこんなに大活躍するのはあり得ないが、ロットヘルト星系で設置されている施設は実際にこのような運用が可能だから、シミュレーターのデータでもそのように設定されている……と」
ハイジが答えた。
「そーゆーことです♪」
「おれの敗因は、地形と、手持ちの戦力の仕様と錬度を熟知している相手に、未熟な戦力で不用意に突っ込んでしまったという点に尽きるな」

ハイジが相手だとこいつもちょっと甘いな。
こいつはとてつもなく負けず嫌いだから、おれたち相手のシミュレーションでこんな仕掛けを使ったら、絶対に文句をいってるはずだ。

ラインハルトがハイジに尋ねる。
「実際の戦争でも、あんな戦いかたをするのかな」
シミュレーター上では、防御側は、勝利したとはいえ、産業衛星や巨大デブリがいくつも惑星ロットヘルトに墜落し、大変な惨状となっている。
「いいえ。実際の戦争だったら、ガイエスブルク要塞から三日で援軍が来ますから、うちの艦隊は小惑星帯を防衛ラインにして三日間だけ持ちこたえればいいですから」

ラインハルトは、キルヒアイスと微妙な目つきで視線を交わしあう。イザークが尋いた。
「どうした?」
「君の妹は面白いな。大貴族の令嬢と何人か引き合わされたが、彼女たちとは全然ちがうな」
「それは、グレーフィンの仕込みだな」おれの母のことである。
「お義母(カア)さまは、淑女になんかならないでいいから、よき統治者を目指せって」
ラインハルトが尋ねた。
「女性の身で、“統治者”に?」
「はい、お義母(カア)さまは、将来トーマスは正規軍にかかりっきりになるから、そなたがロットヘルト領の統治を担えって」
軍の幼年学校へ通うためオーディンに来てから気づいたのだが、このような分野を、自分の子女に学ばせようとする貴族も、学んでいる令嬢も、他にはみたことない。
「おれの母は、幼い時、軍学や政治学を学びたかったのに、父やクラインシュタイン提督から「淑女には別に淑女が学ぶべきことがある」と言われて拒否されて、それなのに15歳の時いきなり何の準備もないまま爵位を継がされることになって、とっても荒れたらしい」
ロットヘルト家の私設艦隊の旗艦シュタルネンシュタウプの船倉には、その時の名残として、かつて艦の領主室に設置されていた金無垢のバスタブがいまでも展示してある。

「そそ。だからお義母(カア)さまは『お前は妾(ワタシ)が学びたくても学べなかったことを、しっかりぶのじゃ!』って」

*************
2014.10.6 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] 第5話 「卒業実習!連合艦隊の大演習」(11/4)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2011/12/01 02:04
昼休み。
今日は噴水広場でラインハルトが取っ組みあいをやっている。
今回の相手はアントン・ヴィルヘルムくん。オ―プストフェルダ―一門のラーテナウ家の若様。アントンくんの「ご学友」とキルヒアイスが、互いに牽制しつつ、乱闘をながめている。

ありゃ、アントン君、噴水に放りこまれた。
ごつい体格の「ご学友」が加勢しようとして、キルヒアイスが阻止した。
こっちでも乱闘がはじまった。

いまや幼年学校の昼休みをいろどる風物詩だなあ。

イザークがいった。
「そろそろ行くか」
これもいつものパターンだ。
二人そろって噴水に近寄る。

「ヘル・ラーテナウ、そこまでにしてくれないか?」
「なんだ!・・・ああ、君か」
「ミューゼルは、おれたちが郎党として招いている者だ。ちょっかいをかけるのはやめてもらおう」
「しかし、こいつは卑しい身分のくせに態度がでかくて、なまいきだろ?“分相応”とは何かを教育してやる必要があるとは思わないか?」
“門閥貴族”の階級的連帯感(プ)に訴えてきやがった。
「おれたちのところは武門の一門だからな。寒門の出かどうかに関係なく、優秀な者はだれでも、もみ手して招くのが家風だ」

しかしアントンくんは、“卑しい身分のものをつけ上がらせるだけだ”といいたげに不満そうな顔をしたまま、「ご学友」を従えて去っていった。


「君たち、いまおれのことを“郎党”として招いているっていったな?」

郎党(ろうとう)とは「帝国騎士」などの位階をもつ家臣、所従(しょじゅう)とは爵位のない平民の家臣で、いずれも主家または貴族個人に忠誠の誓いを立てたものをいう。

「君たちの艦隊に招かれるってことは、君たちの家臣になれということか?」

こいつとてつもなく気位がたかいからな。
このあたりはとっても気になるだろうな。

「いまのところはそういうことでいいんじゃないかな」
「“いまのところ”ってなんだ?」
「今の君は、どの一門にも属していない、一介の帝国騎士(ライヒスリッター)だ。姉君の後ろだてが将来も続いているなら20才になった時にどこか名家の名跡を嗣ぐことになるだろうが、そうはならない可能性もある」
「そうだな」
「おれたちの庇護下に入れば、『卑賤の出の成り上がり』ではなく、『武門の一門の期待の逸材』として扱われることになる。ウルリヒやアントンのような連中から嫌がらせを受けることはなくなるし、きみは幼年学校を卒業したらすぐ任官するそうだけど、意味のない任務で捨て駒に使われることも起きない」
「……」
ラインハルトのやつ、考え込んでる。

「庇護をうけろっていうのは“部下になれ”というのとは違うぜ。前にも言ったけど、おれたちとミュンヒハウゼンの一門で作る艦隊の司令官に招くクラインシュタイン提督は、能力だけで選んだ人だ。どこの門閥にも属さない末流の子爵家の出で、おれたちの一門のどことも血縁関係がない人だよ。祖父の代からつきあいがある人だったけど」
「そうだったな」
「だから、君にも、おれたちの艦隊の司令官の地位までなら提供できる」
ラインハルトはうなずく。
「ただし、能力次第だぜ。おれたち、声をかけている寒門出身者の全員にこのことを言ってるし、おれたち自身も君との競争を降りたわけじゃない」

「そうだな。考えておこう」

**********************

幼年学校の最終学年。
生徒たちは、帝都オーディンの衛星軌道上に駐留する航宙艦で実習を重ねる。
乗り組むのは、せいぜいが駆逐艦で、成績優秀者が巡航艦となる。

ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの一門では、おれとイザークの実習のために封領警備隊航宙軍,計2000隻の合同演習を実施してくれた。新しいものでも造10年、大部分は造20-30年の老朽艦が占めるとはいえ、宇宙戦艦200隻をふくむ2000隻ともなれば、相当に複雑な艦隊の運行についての演習を行うことができる。

おれたちが単位を取得するためだけにこんな演習をやるのはもったいなすぎるので、幼年学校の同期生からラインハルトやキルヒアイスをはじめとする寒門出身の優等生たちを招いたのはむろん、士官学校の生徒での中からも、目をつけていた優秀な生徒を招いて参加してもらうことにした。
すると、このことを聞きつけたフレーゲル男爵ライヒアルト・ロベルト候補生が、
「私を招かないのかね?私が優秀でないというつもりか?」
と因縁をつけてきたので、言い返してやった。
「男爵閣下は、ブラウンシュヴァイク一門という尊貴なお立場をすてて、私たち一門の郎党になってくださるのですか?」
男爵どのは、顔を真っ赤にして口ごもった。
「この演習は、わが郎党として招く人たちに経験を積んでもらうためのものです。ブラウンシュヴァイク一門は3万隻もの私設艦隊をお持ちなのですから、おん自ら同種の演習を開催なさってはどうでしょう。いえ、ぜひ開催なさってください。3万隻の大演習となれば、さぞ壮観でしょうなぁ。その時はぜひ私どもを見学に招待してください」

ぺらぺらしゃべっていると、男爵閣下はもうそれ以上は何もいわずに引き下がっていった。



[29819] 第6話 「黄金の翼」(10/16)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2011/11/04 17:06
以下は、旧第2話「ラインハルトとの出会い」の後半部を全面的に増補改訂したものです。
※ ※    

※帝国暦482年夏。
幼年学校を修了し、おれは士官学校に進みんだ。
ラインハルトはキルヒアイスとともに宇宙艦隊に任官し、前線勤務にでた。
イザークはラインハルトに心酔し、彼をまねて士官学校への進学をとりやめ、宇宙艦隊で任官した。
しかし軍務省が、トゥルナイゼンのご宗主さまを危ないところにはやれない!と、へんに気をまわし、儀仗艦隊の艦長の副官につけられてしまい、前線にでることができないでいる。

ある日、イザークから連絡があった。たいへんにあわてている。

「憲兵隊にいるうちの一門の者が耳にした。アードラスヘルム一門がミューゼルの暗殺をたくらんでいるらしい」

アードラスヘルム一門は、アードラスヘルム侯爵家を宗主とする八家からなる200年ほどの歴史を持つ新興の門閥である。

「クルムバッハという憲兵少佐が誰かと打ち合わせているのを、たまたま偶然に耳にしたそうだ。で、その憲兵少佐についてしらべてみたら、アードラスヘルム一門の郎党であることがわかった」

郎党や所従というのは、ある貴族に代々仕える家臣を指す。

「アードラスヘルム一門がなぜミューゼルを殺したがるんだ?」
「わからん。ミューゼルはいまどこにいるんだ?」
「ちょっと待った、調べる。……惑星カプチュランカのBIII基地というところだ。最前線だな」

イザークと手分けして、憲兵隊や軍、警察、その他の政府機関に奉職しているアードラスヘルム一門の各家のメンバー、家の子、郎党、所従のリストを作り、ラインハルトに連絡した。

士官学校のぺーぺーの候補生としての立場ではとうてい無理なことだが、「ロットヘルト宗家の嗣子(次期当主)」という立場で要求すると、可能なかぎり速やかに、最前線の基地まで超空間通信をつないでもらえるのだ。門閥大貴族の宗家の者、というのはじつに大したものである。

モニターに現れたラインハルトは、なにやら煤けていて、ひどい有様だ。
叛乱軍が基地に押し寄せ、大損害を受けながらかろうじて撃退したばかりだという。

「ミューゼル、いま送った人名リストを見てくれ」

ラインハルトは、リストに目を通す途中で固まって、しばらくそのままじっと動かない。

「こいつらは、アードラスヘルム一門の手の者だ。こいつらの中に君の暗殺を企んでるやつがいるから、ここに載っている奴とであったら注意してほしい」
「……もう襲われた。返り討ちにしてやった」
「なんと!」
「おれとキルヒアイスを襲ってきたやつらは、ベーネミュンデ侯爵夫人の手の者だと名乗った」

アードラスヘルム一門を構成する八分家の一つアスカン家は、ベーネミュンデ侯爵夫人の実家である。

「姉君と侯爵夫人のご寵愛争いのとばっちりか……」

ラインハルトは固い表情でうなずく。

「よし、君、もういいから、おれたちの庇護下に入れ。イザークと一緒に、一門宗家の当主と嗣子の立場で、さっそくアードラスヘルム一門とアスカン家、侯爵夫人に圧力をかけにいく。『ミューゼル少尉は我々3家の庇護下にある者だ、正規軍で修行を詰んだのちわれらの艦隊に迎える予定の者である、手出しをすることは許さない』というぞ、いいな?」
「好きにしろ」

ほんとにこいつは、とてつもなく気位の高いやつだ。


「そんなに偉そうな態度でおれたちの艦隊に招かれた奴は他にいないぜ」
ラインハルトも苦笑いした。
「要注意人物リストに追加があったらすぐ知らせる」
「よろしく頼む」

          ※            ※
          
「アードラスヘルム侯爵どの、急に押し掛けてもうしわけありません」
「うむ、それでどのようなご用件かな?」
「ラインハルト・フォン・ミューゼル少尉という者をご存じか?」
「いや、まったく知らぬ」
「グリューネワルト伯爵夫人のご舎弟です」
「おお、そういえば名前だけはちらっと聞いたことがある」
「彼は我らの一門の庇護下にある者で、正規軍の各部隊であるていど修行をさせたのち、我らの艦隊に迎える予定の者です」
「さようか。それでその者がわしとどのような関わりが?」
「彼を殺そうとするのはやめていただきたい!」
「なんですと!」

驚いている。そこで、ラインハルトにも送ったリストをわたす。

「これらの者どもは、侯爵閣下のご一門の手の者でありましょう?」

侯爵どのは、リストを見ながらうなずく。そこでリストのヘルダー大佐、フーゲンベルク大尉ほか数名を指して、侯爵どのに告げた。

「この者たちは、先日、実際にミューゼルの殺害を試みたので、返り討ちにしました(→ここ少し脚色w)。これは侯爵閣下がお命じになったのですか?」
「いや。わしはぜんぜん知らなんだ……」
「ミューゼルはたいへん優秀な士官で、我らは彼の成長を大変に楽しみにしております。ご一門との間で、これ以上あらそいを続けたくありません。配下の方々に、彼への手出しをやめるよう命じていただけないでしょうか?」
「わかりました。すぐそのように手配いたしましょう」

          ※            ※
          
アスカン家の当主どのにも、ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの3つの一門が総力をあげてラインハルトを庇護する覚悟があることをつたえ、彼から手を引くよう申し入れた。

当主どのは、アスカン家としてラインハルトに手をだすことはしないと約束してくれたが、郎党・所従の中に、個人的にベーネミュンデ侯爵夫人に忠誠を誓っている者たちがあり、実家であるアスカン家当主の命令を、必ずしも受け入れないかもしれないと語った。

そこで、そのような者たちと我々の手の者との間で腕力沙汰になっても、ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼン一門とアスカン家との争いにはしないよう依頼し、当主どのもこれを了解した。

          ※             ※
          
ベーネミュンデ侯爵夫人シュザンナとの会見は、命の危険を覚えるものだった。
公爵夫人の邸宅を必死の思いで逃げ出しながら、イザークがおれに行った。
「彼女、君の母上ととってもよく似ているな」
「いや、おれの母は投げる物と投げつける場所を選びながら逆上してるよ。侯爵夫人のは、ほんとに見境い無しだ」

          ※             ※

※帝国暦483年5月。          
ラインハルトは少佐に昇進し、駆逐艦エルムラントII号の艦長としてイゼルローン要塞に赴任した。
すると、オーディンからラインハルトを追いかけてくるように、クルムバッハ憲兵少佐とその配下数人がイゼルローンにやってきた。クルムバッハ少佐はレンネンカンプ要塞査閲部次長をはじめとする要塞の各方面に「やんごとない身分の方の後ろだて」をふりかざし、イゼルローン要塞の憲兵隊本部の一角に自分のデスクをかまえ、さっそくラインハルトを「取り調べ」のために呼び出した。

クルムバッハ憲兵少佐はラインハルト一人に出頭を命じたつもりだったが、赤毛のお供がいないかわりに筋骨隆々の巨漢のお供がついて来ている。

「ミューゼル少佐、一人で出頭するよう求めたはずだが?」
「彼について小官は関知していない。勝手についてきている」
クルムバッハ少佐は巨漢にたずねた。
「きさまは何だ?」
「はい、さるやんごとない身分の方々よりミューゼル少佐の護衛を命じられたアルノルト・シュヴァルツネッゲル軍曹であります」
「『さるやんごとない身分の方々』とは誰か!」
「機密事項であります」
「いまからミューゼル少佐の取り調べを行う。卿は席をはずせ」
「できません、少佐。ミューゼル少佐のかたわらから片時も離れてはならないと強く命じられております」
テコでも動こうとしない。やむをえず、クルムバッハ少佐は軍曹を無視して尋問を開始した。
「昨年の七月、この要塞から八・六光年をへだてた惑星カプチェランカのわが軍基地で、同盟軍と称する共和主義者どもとのあいだに戦闘がおこなわれた。基地の名はB III。三時間にわたる苛烈な戦闘の末に、わが軍は勝利したが、基地司令官ヘルダー大佐は戦死した」
クルムバッハ少佐は続ける。
「当時、ミューゼル少佐、卿は少尉であり、敵の奇襲から基地をまもるのに、大なる貢献をなしたそうだな」
ラインハルトはこたえた。
「恐縮です」
「ということに、公式発表ではなっているが、実情はいささかことなるのではないか、という懸念がある」
「軍の公式発表をおうたがいか?」
「より完全を期したいと考えるだけだ。卿が無用なうたがいをかけられぬためにも協力してほしいものだな」
ラインハルトはたずねた。
「失礼ながら、クルムバッハ少佐どのは、どなたのご命令で、すでに解決ずみのことを調べておいでなのか」
「機密事項だ」
とたんに、シュヴァルツネッゲル軍曹が「プッ」と吹き出した。
「軍曹、なにか!」
クルムバッハ少佐が睨みつけながら問うたが、軍曹はニヤニヤしながら答えない。クルムバッハ少佐は気を取り直して質問を続けた。
「さしあたり、質問する立場は私のもので、卿のものではない。ヘルダー大佐が敵襲をよそおって味方に殺されたという、軍にとって不名誉な疑惑が存在する以上、それは公明正大に晴らさねばならぬ」
「そのとおりですね」
「どうかな、ミューゼル少佐、私にたいしてなにか言うべきことはないか」
そのとたん、軍曹がふたりに聞こえるように
「公明正大。プッ」
とつぶやいた。
クルムバッハ少佐は
「さっきからなんだ、軍曹!」
とどなりつけるが、シュヴァルツネッゲル軍曹は全く動じず、返事もしない。クルムバッハ少佐は何度か深呼吸して気を取り直し、質問をかさねた。
「どうだ、ミューゼル少佐」
「なにもない」
ラインハルトがささやかな宣戦布告のつもりで言い放つと、軍曹が横からさらに大きな爆弾を投じた。軍曹はポケットから小さな装置をとりだし、ラインハルトとクルムバッハ少佐の目の前でわざとらしくスイッチを入れた。するととたんに調書を取るための各種の記録装置の電源が一斉に落ち、停止した。
「憲兵少佐どの、そのおたずねには小官の方からお答えできますが」
「なんだと、軍曹!」
「ヘルダー大佐は、私どもの一門が庇護するミューゼル少佐の殺害を試みたので、われわれの手で返り討ちにしました」
ラインハルトが、それは違うといいかけたが、軍曹は目線でそれを制した。クルムバッハ少佐は怒鳴った。
「『私どもの一門』とはだれか!」
軍曹は、しまった、言い間違えたという顔をして訂正と補足を行った。
「先ほど申し上げた『さるやんごとない身分の方々』を宗主や嗣子にいただく、とあるみっつの一門です。小官はそのひとつの所従にあたります」
クルムバッハ少佐がさらに質問しようとするのを制して、さらに軍曹は言った。
「憲兵少佐どの、ことを公にしようとするなら、私どもの一門はいくらでも受けてたちますぞ!あなたの『貴婦人』さまにはむろん、そのご実家にも、ご宗家にも、ミューゼル少佐は私どもの一門の庇護下にある者だとお伝えしてある。それと知ってなおもミューゼル少佐に手出しをしようとするなら、私たちは一門の総力をあげて阻止します。私どもの一門は、あなたの『貴婦人』さまとミューゼル少佐の姉君とのご寵愛争いに関わるつもりはまったくありませんが、ただしミューゼル少佐に手をかけようという試みをなおも続けるつもりなら、もはやその限りではない」

クルムバッハ少佐は、自分の後ろ盾である「さるやんごとない身分の方」の正体がバレバレなのにショックを受けて黙り込んだ。

「すでにあなたの『貴婦人』のご実家もご宗家も、私どもの主人に対し、ミューゼル少佐の一件には関知しない、自分たちの郎党・所従で関与している者には手を引くよう命じる、とおっしゃっています。あなたにも、すでにご宗家やご実家から、ミューゼル少佐から手を引くようにという命令が届いているのではないですか?」

クルムバッハ少佐は、悔しそうに顔を歪めたまま、何もいえなくなった。シュヴァルツネッゲル軍曹は、つづけて小さなメモをクルムバッハ少佐にしめした。

「このリストはそちらのご宗家とご実家からいただいたもので、正規軍や憲兵、警察などに在しているご両家の郎党・所従のうち、とある貴婦人に個人的に忠誠を近い、ご宗家やご実家の命令をきかない可能性のある人々だそうです。少佐どののお名前もありますな」

クルムバッハ少佐はメモをみて固まっている。

「ミューゼル少佐に対してなおも手出しを試みるなら、このリストの人々も、とある貴婦人も、ただでは済まさない。……と、以上が、憲兵少佐どののようなかたが現れたらお伝えするように命じられたことです。小官としては、憲兵少佐どのは、部下の方々といっしょにまっすぐオーディンにお帰りになるのがいちばんよいのではないかと思うのですが」

言いたいことを言い終わると、シュヴァルツネッゲル軍曹は手の中の装置のスイッチを切って言った。

「お話し中に割り込んで申しわけありませんでした。ご尋問を再開なさってください」

********************
要塞駐留憲兵の中には、アスカン家を含めアードラスヘルム一門の各家に所属する5人の郎党・所従がいる。クルムバッハ少佐はオーディンから連れてきた部下たちとあわせて、彼らをラインハルト・キルヒアイス謀殺の計画に動員しようとしたが、宗家とアスカン家から一門の者たちにあてて「ミューゼル少佐の暗殺計画に荷担してはならない」と厳命がくだされ、彼らはクルムバッハ少佐から距離を置くことになった。 クルムバッハ憲兵少佐は、シュヴァルツネッゲル軍曹からの脅迫にもめげず、「原作の史実より少ない」人数で、ベーネミュンデ侯爵夫人の命令を続行しようとした。

第5次イゼルローン要塞攻略戦の最中、同盟軍の巡航艦1隻を撃沈して帰還し、待機中のラインハルトに対し、クルムバッハ憲兵少佐は声をかけた。
「ミューゼル少佐、ご同行願おう。きわめて……そう、きわめて重要な用件だ」
「敵襲のさなかに?」
「だからこそ都合がよい。卿にとってもな」
視線をキルヒアイスに転じて、憲兵少佐はひややかな声を発した。
「卿は来る必要はない!」
ラインハルトは立ちあがった。キルヒアイスにうなずいてみせて、少佐に従う。決着をつけたい気分は、ラインハルトにも充分にあった。罠があれば、かみ破ってやる。
クルムバッハ少佐は、「ミューゼル少佐から片時も離れてはならない」と命じられているシュヴァルツネッゲル軍曹を押さえるのに、なけなしの部下のうち3人をさしむけた。たちまち軍曹と3人の間で乱闘がはじまった。

クルムバッハ少佐は部下一人をつれ、ラインハルトを放棄命令のだされたR9ブロックまで導くと、突然熱線銃を突きつけた。
ラインハルトはかるく頭を振って、黄金の髪を華麗に波だたせながら言った。
「不公平ではないか、一対二とは」
「不公平なものか。私は卿と決闘するのではない、処刑するの……」
突然、二十人あまりの男たちが携帯型ビーム砲を乱射しながら、R9ブロックに乱入してきた。一団の先頭にいた、大佐の階級を付けた艦長服の男が言った。
「いまからは23対2だ」
一団の中には、顔や服に乱闘の痕跡を残したキルヒアイスやシュヴァルツネッゲル軍曹もいる。
部下たちに熱線砲を構えさせながら、大佐はいった。
「戦艦リュッツォウの艦長バルトロメーウス・フォン・ロットヘルトだ。憲兵少佐どの、先日も軍曹からミューゼル少佐に手をだすなと伝えさせてあるはずだが?」
「……」
「銃をおろせ、少佐。うちの嗣子とトゥルナイゼンの宗主どのが頭をさげて頼んだことを拒否するというなら、侯爵夫人もただではすまさんぞ」
クルムバッハ少佐は、悔しそうに歯を食いしばりながら引き上げていった。

「ミューゼル少佐、大事はないか?」
「よけいなことをしてくれた。奴と決着をつけるよい機会だったのに」
「何をいう、危機一髪だったではないか。それに奴はしょせん手先にすぎない。奴の黒幕をなんとかしないかぎり本当の決着はつかんぞ」
しかしラインハルトは、命をたすけられたにもかかわらず、胸を張ったまま礼を言おうともしない。
ロットヘルト大佐はラインハルトの顔をつくづくと眺めながら言った。
「うちの嗣子どのがいつも少佐のことを誉めているからな、いちど実物に会ってみたかった」
「その苗字、トーマス…どののご親族か?」
「そうだ、又従兄弟にあたる。家臣のカテゴリーとしてはロットヘルト宗家の「家の子」という位置づけになる。祖母も母もロットヘルト領の平民の出だから継承権はないがな」
「トーマスどのからきいたことがある。第13分艦隊の司令官になるのを断った大佐が親戚にいる、と」
「それはたぶんおれのことで間違いない。たしかに、先代当主(ヴィクトーリアの兄ゲオルク、トーマスの伯父)が亡くなったあと打診があったが、ことわっている」
「なぜです?」
「おれは艦長がいいから。というより提督には向いてないというか」
「そのために一門に属さない者が司令官になってもかまわない?」
「そうだ。”強い艦隊”という目的のためには、能力の足りない一門の者を無理に司令官にするよりも、そのほうがいい。叛乱軍はこっちの身分や血統なんか気にしないからな。うかつな奴を司令官にしてしまうと、そいつは戦死するうえ、領民である兵士を無駄死にさせてしまうしな」
「なるほど」
「いまトーマスが正規軍でトゥルナイゼンやミュンヒハウゼンの一門と一緒につくろうとしている”最強艦隊”の司令官も、有能さだけで選んだ人物を予定している」
「それは、トーマスどのから聞いたことがある。クラインシュタイン提督」
「うん、その人だ。」

※ ※

シュヴァルツネッゲル軍曹は、私室のなかにまでははいってこず、ドアのそとで、ロットヘルト大佐がつけた部下と交代で張り番をしている。
「おもしろい連中だ。門閥貴族のくせに、地位や権力を、なにか「公のため」に用いようとしている。他の大貴族に、こんなのはいない」
「私たちにも、たいへん好意的ですね」
「問題は、好意の程度だな。同志とするのは無理だろう。所詮は門閥貴族だからな。危険すぎる」
「そうですね」
「当面は、彼らがくれるというポストで精一杯はたらいて、有能な人材とわたりをつけるのに利用させてもらうとするか」




[29819] 第7話 「いざ、ウワナリ討ちじゃ!」(10/16)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/06 08:33
※帝国暦483年5月
「イザーク、侯爵夫人はイゼルローンでまたミューゼルを襲わせたらしい」
「そうなると、ミューゼルを守るには、侯爵夫人の手足をもぎ取るしかないのか」
「なんの話じゃ?」

トーマスとイザーク・フェルナンドが話し込んでいると、トーマスの母ヴィクトーリアが会話に割り込んできた。

「ミューゼル少佐の件です」
「よく邸につれてくる、グリューネワルト伯爵夫人の弟ごじゃな」
「はい。彼はわれわれ一門の庇護下に入ったから手出し無用とお伝えしたのですが聞き入れてくれません」
「なに?わが一門の郎党だと伝えたのに手を出してきたのか!」
「はい。ご宗家のアードラスヘルム家と、ご実家のアスカン家は手を引くとおっしゃってくださいましたが、ベーネミュンデ侯爵夫人ご本人だけが…」
「そなたらが自ら彼女に会いにいっておるのか?」
「はい」
「ふむ、宗家の当主と嗣子ともあろうものが頭をさげたというのに、太祖大帝以来の武門の名門の面目というものをなんと心得ておるのかのう……」

ヴィクトーリアはしばし思案したのち言った。

「よし、侯爵夫人にはもういちど妾(ワタシ)から説得してみよう。そなたたちは侯爵夫人の部下どもをなんとかする準備をせい」
「はい」
「わかりました」

トーマスとイザークはそこはかとない不安を覚えたのだが、ヴィクトーリアのとった「説得」の方法は、二人の想像からはるかにかけ離れたものであった。

それから数日、ヴィクトーリアから、次のような手紙が、宰相府・典礼省・近衛師団の三箇所に届いた。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
とこしえの天の力のもとに。
宇宙の真理、万物の法則のもとに。
皇帝陛下の大御稜威(オホミイツ)のもとに。
グラフィン・フォン・ロットヘルトのことば。
国務尚書閣下、典礼尚書閣下、ノイエ・サンスーシ宮西苑警備担当各位に告げる。

妾らの郎党ミューゼル少佐の殺害をベーネミュンデ侯爵夫人シュザンナが企てる件につき、ロットヘルト一門とトゥルナイゼン一門は、宗家の当主または嗣子を派遣し、礼を尽くして中止をもとめた。ミュンヒハウゼン一門も、この中止の要請に同心している。

該夫人の実家アスカン家、宗家のアードラスヘルム家は当方の求めを受諾したが、該夫人のみはこれを拒否し、いまだにミューゼル少佐殺害のこころみを繰り返している。これは妾ら一門の面目をはなはだしく損なうものである。

よって来たる6月10日、ロットヘルト家当主ヴィクトーリア、ミュンヒハウゼン家当主代理クラーラ、トゥルナイゼン家当主代理アーデルハイトは、3家の侍女計200名をもってベーネミュンデ侯爵夫人に「ウワナリ討ち」を敢行し、もって該夫人に反省を促すものとする。

国務尚書閣下、典礼尚書閣下、ノイエ・サンスーシ宮殿西苑警備担当各位においては、妾らを妨害することなく自在なる進退を可能ならしめるよう、格別の配慮をたまわりたく。

   帝国暦483年6月1日 3宗家を代表して 花押(ヴィクトーリア・フォン・ロットヘルト)
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宰相リヒテンラーデ侯は、書簡をにらんだまま硬直している。ワイツ補佐官がたずねた。

「グレーフィン・フォン・ロットヘルトが後宮の襲撃を予告し、襲撃部隊の通行を認めろと述べているようにみえるのですが」
「まったくその通りじゃ」
「なにを迷うようなことが?問答無用で阻止するという一手では?」
「ウワナリ討ちぢゃからな……」
「ウワナリ討ちというものは、阻止がためらわれるものなのですか?そもそもウワナリ討ちとは何なんでしょうか?」
「本来は、正妻が後妻や側室に行う鬱憤ばらしのことじゃ。正妻は鬱憤晴らしを行い、引き替えに後妻や側室の存在を受け入れる。まあ、一種の儀式のようなものともいえる」
「儀式?」
「うむ。定められた形式がある。襲撃の日時をあらかじめ予告して相手側にも準備させる。双方、対人武器は塩化ビニールのパイプのみを用いる。襲撃側が破壊するのは家具・調度のみで、建物は傷つけない。火を放ったり、銃器を使用することは厳禁。双方が選んだち会い人に臨席させ、適当なところで終了判定を下させる。夫はいずれの側にも荷担してはならない。
・・・とまあ、こんなところじゃ。」
「帝国にそのような珍しい風習が存在したとは、まったく存じませんでした」
「いや、この帝都オーディンでも、ごく最近に行われた先例があるはずじゃ。」

宰相リヒテンラーデ侯は手許の書類を繰って目当ての文書をみつけ、しばらく黙読していたが、急にガックリとうなだれた。

「どうなさいました?」
「帝国暦473年10月10日、ミュンヒハウゼン男爵の愛人だったフロイライン・ゼーゼマンが正式に結婚してミュンヒハウゼン男爵夫人となったが、その晩、男爵の元妻が襲撃をかけた」
「ほんの10年前ですな。……元妻とはまさか!」
「……グレーフィン・フォン・ロットヘルトじゃ。帝国の奇習の保存にひとりで励んでいるようじゃの」
宰相閣下は一挙に疲労を深めたようだった。

「ウワナリ討ちというものの主旨はわかりましたが、そうなりますと、ロットヘルト伯爵夫人がベーネミュンデ侯爵夫人を襲撃するというのは、おかしいのでは?グレーフィン(伯爵夫人)と侯爵夫人の間で陛下の寵を争っているわけではありませんし……」
「むろん、本来グレーフィンにとって侯爵夫人は「ウワナリ」には該当せぬ。じゃが”ウワナリ討ち”という名目が通れば、後宮内で暴れたとしても双方におとがめが無いからの。考えたものじゃの」
「なるほど。しかし、それでは、みすみす後宮での私闘をお認めになるのですか?」
「そこじゃ、問題は。
 グレーフィンは、わし宛てにもう一通、別の書簡を寄こしているが、侯爵夫人とロットヘルト・ミュンヒハウゼン・トゥルナイゼン一門がそれぞれ正規軍や憲兵隊、警察に在籍している家の子・郎党・所従を動かして、すでに死人が何人もでておるらしい」
「なんと……」
「グレーフィンは、侯爵夫人があまんじて”ウワナリ討ち”を受けるなら、過去の行いを公的に告発することはおこなわず、すべて不問に付すというておる。さらに侯爵夫人が3つの一門に謝罪の意志を示す場合は、ウワナリ討ちそのものを停止してもよい、とも言うておる」
「ウワナリ討ち自体が目的ではないのですな」
「そうじゃ。だから、宮中が”ウワナリ討ち”を中止させようとすると、宮中は、グレーフィンたちに対して侯爵夫人に謝罪させる責任が生じることになる」
「やっかいですな」
「うむ。グレーフィンは”ウワナリ討ち”をやるというだけで、侯爵夫人との間の抗争にわしらを巻きこむことに成功しておるのじゃ」
「なるほど。……おお、ここをご覧下さい。”妾どもはこの件について、表沙汰にせず、かつ平和的に解決することをひたすら望んでおります。衛星軌道上から後宮の一角に宇宙戦艦の主砲を放つことに至っては、どうしてこれを望みましょうか”などとありますな」
「なにが”平和的に”じゃ。脅迫そのものではないか」
「ごもっともで」
「それにしても、いっそのこと侯爵夫人のほうこそグリューネワルト伯爵夫人にウワナリ討ちをかけていてくれれば、全てが丸く収まっておったのにのう」
「まことにその通りで……」

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6月10日の夜が来た。
ミューゼル少佐については、みっつの一門が庇護下においていると宗家の当主または嗣子がじかに伝えたにもかかわらず、侯爵夫人はいまだにミューゼル暗殺の試みを中止しようとしない。これは三つの一門に対するはなはだしい侮辱となる。侯爵夫人は再発防止はむろん謝罪すら拒んだまま、ついに当日の夜を迎えた。

ロットヘルト一門からは、宗家の当主ヴィクトーリア・フォン・ロットヘルトが侍女120人をひきいてノイエ・サンスーシ宮の西苑そばに到着した。じつはそのうち80人は、格闘技の選手らを臨時に侍女としてやとった傭兵部隊である。ほぼ時を同じくして、ミュンヒハウゼン一門からはクラーラ・フォン・ミュンヒハウゼンが、トゥルナイゼン一門からはアーデルハイド・フォン・トゥルナイゼンが、それぞれ侍女40人を率いて集まってきた。女衆同士の戦いということで、ミュンヒハウゼン家、トゥルナイゼン家は当主ではなく、宗家の家族である女性が「当主代理」として出陣してきたのである。

クラーラはミュンヒハウゼン男爵夫人で、シュテルンの母である。ヴィクトーリアにとっては「泥棒猫」にあたり、10年前に彼女が”ウワナリ討ち”をかけた当の相手で、再会は、まさにその時以来である。ヴィクトーリアはたいへんな努力をはらってクラーラに頭を下げ、言った。
「やっかいごとに巻き込みましたが、よくぞ来てくれました。礼を申します」
その傍らにいる長身の美女は、クラーラの侍女頭(じじょがしら)フラウ・ロッテンマイヤー。彼女はかつてのウワナリ討ちの際、味方の侍女部隊が潰滅したのちもただ一人で奮闘し続け、ロットヘルト側の豪の者をいくにんも戦闘不能においこみ、最後までクラーラを守りきった女勇者である。ヴィクトーリアは彼女には、なつかしそうに声をかけた。
「こんどは味方同士じゃの」
「はい」
「味方となると、なんとも頼もしいのう。よろしく頼むぞ」
「ありがとうございます。精一杯がんばります」

アーデルハイトは、トゥルナイゼン家の先代当主エドゥアルトの末娘で、イザーク・フェルナンドの妹にあたる。イザークとアーデルハイトの母は、彼女を産んだのち産褥にたおれて若くして世を去った。エドゥアルトはアーデルハイトをトーマスの許嫁とする約束を交わし、実母にかわってアーデルハイトに貴婦人としてのしつけを行うよう、ヴィクトーリアに依頼した。それ以来、アーデルハイトはしょっちゅうヴィクトーリアのもとを訪れては、何ヶ月も滞在していくようになり、彼女を実の母のように慕っている(ちなみにエドゥアルトが、アーデルハイトを淑女らしくするための師匠としてヴィクトーリアを選んだことが失敗だったのかも、と考えはじめるのは、これからほどなくのことである)。

「ハイジ、たのむぞ」
「まかせて、お義母さま!」

ヴィクトーリアは、西苑の門衛に告げた。
「ロットヘルト一門の宗主ヴィクトーリア・フォン・ロットヘルト、ミュンヒハウゼン一門の宗主代理クラーラ・フォン・ミュンヒハウゼン、トゥルナイゼン一門の宗主代理アーデルハイド・フォン・トゥルナイゼンは、かねてからの通告どおり、ベーネミュンデ侯爵夫人にウワナリ討ちを敢行するため、侍女200名と共にまかり通る。門を開けませい!」

彼女らの前に、後宮の門は開かれた。
火器を装備した男の衛士を門外に残し、長さ1.8メートルの塩化ビニールパイプで武装した侍女120名、家具調度を破壊するための木槌(きづち)を構えた者60名、邸のなかにまき散らすための汚水、泥などを満たしたバケツを抱えた者20名、総計200名の侍女の隊列が後宮の敷地に歩み入った。

いっぽう、ベーネミュンデ侯爵夫人の館の周辺には、侯爵夫人の実家アスカン家と宗家のアードラスヘルム家から派遣された侍女150人あまりがたむろしていた。両家は、先日のイザークとトーマスの訪問の際に、侯爵夫人には荷担せずに中立の立場をとることを表明しており、今回のウワナリ討ちに関しても、当初は関知しないという立場を取ろうとした。しかしヴィクトーリアは、ウワナリ討ちは儀式であり、侯爵夫人のために、侯爵という爵位にふさわしい人数をあつめて格式を整えてやるのは宗家や実家としての甲斐性であり、義務だと両家にすすめ、迎撃のための人数を侯爵夫人の館に派遣させたのである。

ヴィクトーリアは、クラーラの了解をえて、フラウ・ロッテンマイヤーを軍使として派遣し、アスカン家・アードラスヘルム家の侍女頭たちに通告させた。

「皆さまは、ウワナリ討ちは初めてでしょうから、最後にもう一度ウワナリ討ちの作法を確認して置きます。
皆さまに差し上げた塩ビパイプによる攻撃ですが、「叩き」限定でおねがいします。「突き」を使うと、こんなビニールパイプでも、場合によっては内臓を傷つけたり失明したりすることがありますので。
あとは、もう降参だと思ったら、膝を地面につき、パイプを手放してください。双方とも、武器を手放し、膝をついた者には、それ以上の攻撃をくわえないこと。そのかわり、いったん膝をついて武器を手放したものは、ふたたび戦闘に参加してはならない。ウワナリ討ちが終了するまでその場を動かぬこと。以上よろしいですか?」

アスカン家・アードラスヘルム家側の侍女たちはうなずいた。

「あともう1つ。寄せ手側として、皆さんに確認しなければならないことがあります。作法では、戦闘の舞台としてどの部屋を用いるか、事前に確認しておくことになっています。お邸の部屋のなかから、応接間、女主人の寝室、衣装部屋、食器類保管室、それぞれ一部屋ずつをえらんで、わたしたち寄せ手側にはっきりわかるように示してくださらねばなりませんが、もうその準備はできていますか?」

アスカン家の侍女頭がこたえた。

「それが、私ども、お邸の中に入れていただけず、中がどうなっているのか事情がよくわからないのです」

ルドルフ大帝から授かって代々つたえてきた家宝など、特別に大切な武器や骨董品、美術・芸術品・公文書などを避難させてある部屋に攻撃側がまちがって乱入しないよう、双方が事前に乱闘の舞台とする部屋とそうでない部屋について確認しておくことも、ウワナリ討ちの重要な手順の一つなのだが、ベーネミュンデ侯爵夫人は、その段取りを拒否していることになる。

フラウ・ロッテンマイヤーは、ヴィクトーリアたちのもとにもどり、この件をつたえた。

「この期におよんでなんと不覚悟な!……よし、出陣じゃ!」

ヴィクトーリアは、自身が先頭にたち、クラーラ、アーデルハイト以下には、15メートルほど距離をおいてついてくるよう命じ、ベーネミュンデ邸にむけて前進を開始した。

と、突然、ベーネミュンデ邸の2階の窓の一つで閃光がひらめき、ヴィクトーリアに命中した。極めて高価な個人用のビーム遮蔽膜に遮られて実害はまったくなかったが、熱線銃による狙撃を受けたのである。

「みな、しゃがめ!あの女、みさかいを無くしておる。こんなことで怪我でもしてはつまらぬ。みな、頭を低くして、あの邸から距離をとるのじゃ!」

一同が安全な距離まで下がったところで、ヴィクトーリアは告げた。

「ウワナリ討ちはこれで終了とする。みなご苦労じゃった」
「お義母さま、このまま引き下がるのですか?」
「まさか!ウワナリ討ちに熱線銃をうちかけるような慮外者から皆を遠ざけただけじゃ。われらいずれもルドルフ大帝以来の武門の名門。たかが一寵姫になめられたままで済ませるものか!」

フラウ・ロッテンマイヤーがたずねた。
「では、このあと私どもはどのように?」
「とりあず、かねてからの予定どおり、一同はこのまま隊列を組んで、勝ち鬨をあげながらオーディンの中心街まで行進し、そこで解散することにしましょう。410年もののワインの樽をミュンヒハウゼン邸とトゥルナイゼン邸に届けさせてあるので、もどったら皆にふるまってやってくだされ」
「わかりました」
「ごちそうさま、ありがとうございます」
「あとは、クラーラどの、ハイジ」
「はい」
「なんでしょう」
「あの女をこのままで済ますつもりはない。もう2度とミューゼルに手出しができぬようあの女の手駒は全て取り上げるし、反省するまでギリギリと締めあげてやるつもりじゃ」
「妾(ワタシ)たちがなにかお手伝いすることはありますか?」
「いや、あの女はもう実家と宗家から見放されておるから、だいたいのことはロットヘルト一門の人数だけで処置できよう。ただしこれからも3家の連名で声明したり書簡を出す必要があるかもしれぬ。その時には、お手をわずらわすことになるかもしれぬ」
「はい」
「わかりました」

5年後、ヴィクトーリアは、ラインハルトを助けてベーネミュンデ侯爵夫人と戦ってやったことを後悔するようになるのだが、それは別の話。

*******************

それから数日後のある日。
ベーネミュンデ侯爵夫人の邸のすぐそばで爆発音がひびき、電気・ガス・水道などがいきなり止まった。
邸内のものがあわてて確認すると、電線、ガス官、水道管などが、いつのまにかしかけられていた爆弾の破裂により損傷していたのだった。

TV電話(ヴィジホン)も通じなくなったため、修理を依頼するため使用人を使いに出すと、そのものは二度ともどってこなかった。さらには30分ごとに、拳サイズの石が窓ガラスを破って投げ込まれてくる。姿を見せない犯人をとらえようと衛士(えじ)を巡回にだすと、かれらもそのまま姿を消してしまう。

不気味な現象に、侯爵夫人が不安の半日を過ごしたとき、とつぜんTV電話(ヴィジホン)が回復し、通話が入った。
侯爵夫人が賜った市外の荘園の中にある別邸からだ。かけてきたのは行方不明になっていた侍女の一人からだった。侍女の背後には、今朝から姿を消した、他の侍女や使用人、衛士たちの姿もみえる。
「そなたら、なぜそちらにおる」
「奥さま、わたしたち、お邸をでてすぐに、大きな男の人たちにつかまって、こちらに連れてこられたのです」
侯爵夫人が、誰の仕業じゃ?と問いかけるまもなく、侍女にかわってヴィクトーリアが画面に登場した。
「うう、なぜグレーフィンが妾(ワタシ)の別邸に?」
「シュザンナどの。妾(ワタシ)は、お前さまとグリューネワルト伯爵夫人とのご寵愛争いに関わるつもりはなかった。ミューゼル少佐にもう手は出さぬと言ってくれさえすればよかったのじゃ。妾(ワタシ)たちに頭を下げたくないなら、ウワナリ討ちを甘んじて受けるのでもよかった」
「グレーフィン、貴女はルドルフ以来の名門の宗主でありながら、どうしてあの成り上がりの姉弟に肩入れなさる?妾(ワタシ)はあの者どもに味方する奴輩(やつばら)に、頭を下げることなどできぬ!」
「ミューゼル少佐は、優秀な資質をもつ軍人じゃから、妾(ワタシ)たち3宗家が庇護下に置いたと伝えたはずじゃ」
「ということは、やはりあの女に荷担しているではないか!」
「何をいうか。こちらは、ミューゼル少佐が安全でありさえすればいいのじゃ。お前さまとグリューネワルト伯爵夫人の間のご寵愛あらそいがどうなろうと、どうでもよかったといっておろうが」

しかし侯爵夫人は、昂然と顔をあげてヴィクトーリアを睨むばかりで、謝罪する様子はまったく見せない。

「もう、話しにならぬの。妾(ワタシ)たち3宗家は、ことを公にせず、内密に、穏便に済ませてやろうとしたのに、お前さまは妾(ワタシ)たちの温情を拒否なさった。おろかな人じゃ。もう、好きにしなされ。ただし、お前さまに忠誠を誓ってミューゼル少佐に手を出すおそれのある者どもは、ひとりのこらずこちらで始末させてもらう」

**********
クルムバッハ憲兵少佐は、上司の使いで憲兵隊本部を出たとたん、装甲擲弾兵・航宙軍の混成部隊に取り囲まれ、有無をいわさず1台のエアカーに押し込まれ、そのまま宇宙港から辺境星域へと旅立つ羽目になった。

ついた先は、惑星ロットヘルトの首府グリュンフェルデの駐ロットヘルト憲兵隊本部。
本部長の大佐が、クルムバッハ少佐につげた。
「ようこそ、グリュンフェルデへ。あと先になったが、これが卿の転勤辞令だ。アスカン家とアードラスヘルム家の了解もとっておる」

クルムバッハ少佐は、その後、帝国暦487年まで、ロットヘルト一門の領地にある各地の憲兵隊駐屯地で勤務し続けるはめとなった。

アスカン家やアードラスヘルム家の郎党・所従で憲兵、正規軍、警察官などに奉職している者のなかには、クルムバッハ少佐のほかにもベーネミュンデ侯爵夫人個人に忠誠をちかうものが10数人いたが、すべてグリュンフェルデに「招待」され、これからもミューゼル少佐殺害のために行動するつもりかどうかについて、ひとりひとりじっくりと「質問」された。多くの者は許されてオーディンにもどったが、侯爵夫人にあくまでも強い忠誠心をいだき続けた数人は、クルムバッハ少佐と同じ道を歩むことになった。

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ノイエ・サンスーシ宮殿西苑のベーネミュンデ侯爵邸に対する兵糧攻め、誘拐、各種のいやがらせはさらに数日つづき、たまりかねた侯爵夫人はみずから「市外の下賜された荘園」に引き移った。

侯爵夫人が西苑をはなれほどなく、ある嵐の晩の翌日、西苑のベーネミュンデ侯爵邸が大風によって倒壊し、火事によって炎上したと発表された。さらに、ベーネミュンデ侯爵邸は数年まえからシロアリのために土台が腐食し、大風を受けなくても自然倒壊する危険があったという追加の発表が行われた。

「うそじゃ、あの女のしわざに決まっておる。あの女のしたり顔が目に浮かぶ、おのれおのれ……」

こちらの「あの女のしたり顔」は、史実とはことなり、アンネローゼではなく、ヴィクトーリアにかわっている。しかしベーネミュンデ侯爵夫人は、門閥の宗家の力を思い知らされ、また彼女のために働く手足を失ったこともあり、その後は市外の荘園で、フリードリヒ4世との楽しかった日々を想いながらおとなしく過ごした。
そして帝国暦487年、皇帝崩御の知らせを聞くと、自ら命を断ってフリードリヒ4世の後を追った。
クルムバッハ少佐ら侯爵夫人の忠臣たちは、風雲急を告げるオーディンでひっそりと行われた葬儀への参列をゆるされ、そのまま解放された。

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2014.10.6 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] 第8話 「お節介ハイジとお役人エーリケくん」(注意!:残酷描写あり)(11/14)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/01/12 23:31
ある日、ラインハルトとキルヒアイスは、姉アンネローゼに会うため、ヴェストパーレ男爵夫人の邸を訪れた。

家令に案内されて中庭に入ると、ポコン、ペコンと何かがぶつかり合う軽い音がする。アンネローゼやヴェストパーレ男爵夫人ら数人が見守るなか、1.8メートルほどのビニールパイプをもった少女が、猛烈な勢いで大柄な女性に打ちかかっている。少女の攻撃はほどんどが余裕でかわされ、ときおり女性のパイプで受け止められる。さらに女性は隙をみてときどき少女の頭を打っている。

ラインハルトたちに気づくと少女は動きをとめた。
「ラインハルトさん、こんにちは」
ハイジだった。
「いま、お姉さまにウワナリ討ちの実演を見ていただいたところなの」

アンネローゼの隣には、10才をやや越えた童女がすわっている。ミュンヒハウゼン邸ですでに会ったことのある、シュテルンの妹ミニラである。ハイジとビニールパイプで打ち合っていた女性は、ミニラの付き添いで、ミュンヒハウゼン家の侍女頭フラウ・ロッテンマイヤーであった。

数時間の歓談ののち、ラインハルトとキルヒアイスは、ハイジの誘いを受け、ロットヘルト家の地上車で下宿まで送ってもらうことにした。

ベーネミュンデ侯爵夫人を退治するのにあたって、ハイジはトゥルナイゼン一門の侍女部隊を率いてかけつけてくれたとアンネローゼから聞いており、一度直接礼を言おうと思っていたところだった。
もの問いたげなラインハルトに、ハイジが話しだした。
「姉君はずっと宮中の貴婦人たちからボイコットされてるでしょ?だからお義母さまが、おなぐさめしてこいって」
「なるほど」
「お義母さまは、『三つの一門の貴婦人たちを動員して盛大に交際を始めることはできなくもないけど、グリューネヴァルト伯爵夫人を利用して陛下を操ろうとする独自の派閥を結成する気かと勘ぐる者が出てくるのが面白くない、妾(ワタシ)たちは宇宙艦隊の強化にしか興味がない一門と思われていたいし、妾(ワタシ)たちと交際を始めたせいで伯爵夫人が危険視されだすことも避けたい』とおっしゃって、だからあたしとミニラでお邪魔しろって。あたしとミニラのふたりだけなら、目立たないし、でも姉上やラインハルトさんの後ろにロットヘルトとトゥルナイゼンとミュンヒハウゼンの一門が付いていることを示すことができるし」
「絶妙な配慮で、ありがたいことだな」
「最近は毎月1,2回くらいお邪魔してるのよ」
「そうか」
幼年学校在籍中、ラインハルトはほぼ休日ごとにロットヘルト邸かトゥルナイゼン邸に赴き、ハイジともしょっちゅう顔を合わせていたが、卒業して任官して以後はトーマスやハイジの兄イザークとは超空間通信で連絡を取り合いつづけているが、ハイジとは会う機会がほとんどなくなっていた。
「ハイジさん、大学はどんな様子だ?」
「とっても楽しいよ」
トーマスから、ある程度の話は聞いている。ハイジは、貴族の子弟だけが通う”帝都大学オーディン”ではなく、”オーディン帝国大学”の政治・経済学部に、きちんと受験して合格していた。ただし貴族女学院中退のハイジには受験資格の面でいささか問題があったのを、「門閥宗主」の威光を使ってごり押ししていたが。
「友だちもできた。1学年上にフロイライン・マリーンドルフがいて、すぐ仲良くなったよ」
マリーンドルフ伯爵フランツの一人娘で、典礼省にも登録済みの、マリーンドルフ家の嗣子ヒルデガルド嬢(ヒルダ)である。
「ほう。あなた以外にも変わり種がいたか」
 オーディン帝大の政治・経済学部といえば、自身の才能によって官吏として身をたてることを希望する貧しい下級貴族や平民の、あるいは統治の実務を担う使命を帯びた貴族の郎党・所従出身の若者が多く集っているところであり、領主の子弟は通常はこない。さらに、貴族や富裕な平民の女子は、女子専用の高等教育機関に通うのが一般的であり、ハイジとフロイライン・マリーンドルフは2重の意味で珍しいのだった。
「ヒルダ姐さんは頭がとてもいいひとでね、あたしが解説書を何種類もよんだり、何度もかみ砕いて解説してもらわなきゃ理解できないことを、一発でわかっちゃう。男子学生にも姐さんにかなう人は誰もいない。一種の天才だね。ラインハルトさんとタイプが似てるかも」

ラインハルトは、シャフハウゼン子爵夫人やヴェストパーレ男爵夫人らの依頼で、大貴族の令嬢数人と会ったことがある。フリードリヒ四世のアンネローゼに対する寵愛が今後も続き、ラインハルトがどこかの断絶した大貴族の名跡を与えられる可能性を見越しての親たちの打算が見え透いていたが、姉の数すくない友人からの頼みを断ることはできない。そして、いままで会った令嬢たちは、ひとり残らずラインハルトを失望させていた。彼はキルヒアイスに愚痴ったことがある。
「彼女たちは、容貌はまことにうつくしいが、頭蓋の中味はクリームでできているに違いない。おれはクリームケーキと恋愛するつもりはないぞ!」

考えこんだラインハルトにハイジが突っ込む。
「ラインハルトさん、ヒルダ姐さんを紹介してあげようか?」
ちょっと興味を惹かれる。ヒルダ嬢その人もだが、親の顔を見てみたいという意味での興味も。しかしいまは野望の実現にむけて、自らを鍛えていかねばならない大事な次期だ。女の子と関わることになんか、時間もエネルギーも、わずかでも割くのが惜しい。
「いや、いい。せっかく知り合っても、会う時間をつくり続けるのが難しいからな」
ラインハルトの返事に、ハイジはぜんぜん別のことを考える。
お姉さんなんか、彼女にも恋人にもできないよ!
よし、こんど、ラインハルトさんが兄たちの所に遊びにくるのにタイミングを合わせて、あたしもヒルダ姐さんをうちに招いちゃおう、とお節介なことをたくらむハイジであった。
※ ※
 エーリケは連合艦隊大演習ののち、幼年学校を中退した。
 航宙艦に乗り込んでの実習が始まってから気が付いたことだが、突発事態が発生すると、パニックを起こし、脳みそが機能停止してしまうのである。この弱点は、メンタルトレーニングや精神科にかかっての「治療」などによっても、どうしても克服できなかった。軍人としては致命的な欠点である。
 門閥の宗家の嗣子の舎弟という立場は、お飾りの地位でよければ、正規軍においても、階級もポストもそれなりのものを受けることを可能とする。しかし兄トーマスやイザーク、異母弟シュテルン、そしてラインハルトらと競い合いながら、実力で階級と地位を築いていこうと志していたエーリケにとって、そのような地位は価値のないものだった。
これ以上幼年学校に在籍しつづける意義がなくなったこと、学年首席が士官学校への進学も任官もしないことが引き起こす波紋などを考慮し、エーリケは幼年学校の中退を決意した。そして一念発起、高等文官試験の受験をこころざし、十数ヶ月の準備のすえ、みごと合格をはたした。

エーリケは、内務省に対し、門閥宗家の出ということで特別扱いされたくない、官僚としての実務をゼロから学びたいと特に希望し、辺境星域のとある星系への赴任を名指しで希望した。幼年学校の時、見学した、正規軍のとある分艦隊に兵士を供給している星系を、自身の目でみてみたいと思ったからである。

帝国軍の正規軍宇宙艦隊は「十八個艦隊」とよびならわされている。しかし実際には十八人の司令官が率いる18個の艦隊が常設されているわけではない。イゼルローン・ガイエスブルク・レンテンベルク等の宇宙要塞や、エルヴィング等、辺境星域の軍事拠点にはそれぞれ固有の駐留艦隊と司令官がある以外、オーディンに集中して配備されている宇宙艦隊の各部隊は、出征ごとに編成され、遠征の終了とともに解散されているのである。「十八個艦隊」という呼称の由来は、3000隻からなる分艦隊が第1から第90まで存在していることによる。分艦隊5つで1セットをつくると、18セットできるためだ。
 
各分艦隊とも、兵士・下士官は、固定された特定地域からの出身者で構成されている。たとえば第13分艦隊は、ロットヘルト一門が領有する8星系の出身者が50%、他の一門に属する13星系の出身者がのこる半数を占めている。ある分艦隊が戦闘で甚だしく消耗した場合、その分艦隊は後方にあたる辺境星域の軍事拠点のいずれかに配備され、補充された人員にじっくりと訓練をほどこす。練度が回復すれば前線に出撃する機会のあるオーディンに呼び戻されるか、あるいはイゼルローンにでる、というサイクルを繰り返すのが普通である。

しかしエーリケは、幼年学校に在籍中、オーディンに配備されていながらここ十年以上、いちどたりとも前線に出撃したことのない分艦隊が十数個もあるのに気がついて、見学に赴いたことがある。

それらの分艦隊では、乗員の兵士たちに共通の特徴があった。
読み書きができず、教科書を読むことができない。コンピューターで制御される装置を生まれて初めてみる。当然ながらソフトウェアやプログラミングに関する知識は絶無。体格が小さいうえに、病み上がりのようにやせ細っているため、陸戦隊にも向いていない。軍隊に配備されてはじめて文字というものを習った。自分の年齢がいくつなのか正確なところを知っている者が非常にすくない。地獄のようにまずいと評判のレーション(戦闘口糧)を、とてつもないごちそうのように、とてもうまそうに食べる。定員が揃わないため、徴兵期間をすぎても退役しない者が多い。

このような兵士は、時間を訓練をかさねても、軍艦のりとして必要な技能を身につけさせることが非常に困難であり、このような兵士たちが所属する十数個分艦隊は、結果として十数年にわたり、出撃することが可能な練度に到達できないままむなしく時間を過ごしているのであった。

この十数個分艦隊にあつまってくる兵士たちは、いったいどこの出身者なのか。調べてみて、エーリケは驚愕し、そして戦慄した。

これらの分艦隊に集められてくる新兵の出身地は、帝国の有人星系の75パーセントに相当している。逆にいうと、宇宙艦隊の、稼働している七十数個分艦隊は、帝国の有人星系のわずか25パーセントによって支えられていることになる。

広大な帝国領の半分以上が、このような粗末な兵士しか届けることができない。
帝国はどうなっているのか?このまま手をつかねていると、どうなってしまうのか?


母上。
トーマス兄さん。
ホッホヴァルト星系に着任してみて、とても驚き、そして納得した。この星系が第88分艦隊になぜ粗末な兵士しか寄越すことが出来ないのか、くっきりと理解できた。

この星系を共同で領有しているホッホヴァルト伯爵、グロスヴァルト男爵、ファルケンシュタイン男爵たちが、この惨状をしらないのか、それとも知っていて放置しているのかはわからない。しかし現地総督府の連中が放置していることは間違いない。現状報告と改善案をまとめて公式ルートで上げようとしたら、上司や先任の連中から、職務命令として、提出と、報告書の作成自体を禁止された。

そこでぼくは、兄さんあての私信というスタイルで「正規軍の第88分艦隊が出撃可能な練度に達しないホッホヴァルト星系出身兵士の質の原因」という文章を書いて送る。

母上。トーマス兄さん。
いま現地総督府の連中から、もみ消しのつもりで暗殺されかねない状態にあるから、ぼくの文章をなるべく早くホッホヴァルト伯爵、グロスヴァルト男爵、ファルケンシュタイン男爵たちにみせて、彼らから、現地総督府の連中にクギを刺すようにしてほしい。

**************************
とこしえの天の力のもとに。
宇宙の真理、万物の法則のもとに。
皇帝陛下の大御稜威(オホミイツ)のもとに。
エーリケ・フォン・ロットヘルトのことば。
ロットヘルト家の嗣子・兄たるトーマス殿につげる。

第88分艦隊弱体化の原因について。
結論は、この分艦隊に兵員を供給するホッホヴァルト星系の社会が崩壊状態にあることによる。

ホッホヴァルト星系の主星惑星ホッホヴァルトでは、大陸の、主として赤道以北の部分が開拓され、人類が居住してきたが、昨年1年、開拓地帯にまったく雨が降らず、草木が枯れ、社会の最終的な崩壊がはじまった。

8月から9月にかけて、人々はあらそって山の中に入り、ヨモギを採って食べ、かろうじて命をつないだ。10月に入るとヨモギは尽きてしまった。人々はそのあと、ニレの木の皮を剥いで食べた。ニレの木は貴重なので、人々は他の木の皮と混ぜて、量をふやして食いつないだが、12月になると、そのニレの木の皮も尽きてしまった。人々は、山のなかの石を掘り出して、臼で引いて粉にして食べ出した。満腹にはなるが、そのうちに腹部が膨張して、垂れ下がって死んでしまう。

石を食べて死ぬことに耐えきれないものが、あつまって強盗団を結成し、蓄えのある富家を襲いはじめた。総督府も、これを阻止することができない。ときに逮捕されるものがあるが、悪事を働いたとはまったく思っていない。「飢えて死ぬのも、強盗して捕まって死刑で死ぬのもいっしょじゃないか」などという。「石を食べて死ぬよりは、強盗してでも、おなかいっぱいになってみたい」という。

もっともあわれなのは、ゴミ穴に捨てられる子供たちだ。首府ホッホヴァルトの西のはずれに、おおきなゴミ穴がある。その穴に、毎日、1,2人、弱った子供を捨てる者がいる。こどもたちは、泣き叫んだり、父母の名前を必死に呼んだり、ゴミを拾ってかじったりするが、次の朝にはひとりも生きていない。

奇怪なことがあった。子供どうしで、あるいは大人がひとりでホッホヴァルトの町をでると、そのまま行方不明になってしまう。あとで、郊外にすむ人々が組織的に人狩りをして食べていたことが判明し、行方不明者の末路がわかった。しかし、人肉などを食べたりすると、顔が赤く腫れ、体内から高熱を発して、やがて死んでしまっている。

首府では人々の亡骸が敷物のようにぎっしりと折り重なってたおれ、死臭が町中に満ちた。そのため町のすぐ外側に大きな穴をほってまとめて葬ることにした。数百人をまとめて埋められるほどの大穴だ。ぼくが着任した時点で、そんな大穴がすでに三つ満杯になり、四つ目を掘っているところだった。首府ホッホヴァルトでこんな有様である。他の町や村がどのようになっているのか、見当もつかない。

住民の中の富裕な者で、炊き出しを行うものがいた。これを聞いて、その者をまねるものが続出した。しかし炊き出しの食べ物は有限であるけれども、飢えた人々の数は限りがない。まるでコップ一杯の水で、家がまるごと燃える火事を消し止めようとするようなものだ。これではどうして人々を救うことができるだろうか。飢えた人々が強盗を働かないでいられるだろうか。

さらに問題であるのは、総督府のものたちは、厳しい法令にしばられて、このような人々に対し、なおも、税の納入や、徴兵に応ずることを求めていることである。それでは、わずかに生き残った人々も、逃亡せざるをない。

しかし、こちらから逃げてあちらへ行くものがある一方、あちらからこちらへ逃げてくる者がある。いまこの星には、どこにも逃げ場はない。

母上。トーマス兄さん。
この星の天候不順はここ一年の現象だけれども、産業や社会の崩壊はかなり前からはじまっていた。本来、この星は豊かな土地で、きちんと管理されていたなら、一年の天候不順でここまでの被害は生じなかったはず。いまからだって、外部から食料をとりよせて人々に配るだけでも、この惨状がこれ以上広がるのを食い止めることは可能なはずである。ホッホヴァルト伯爵、グロスヴァルト男爵、ファルケンシュタイン男爵らの領主たちに、至急に対策をとるよう促してほしい。

署名(エーリケ・フォン・ロットヘルト)                        
                        帝国暦484年2月14日




参考文献:(明)馬懋才「備陳陝西大飢疏」(宮崎市定『中国政治論集』中央公論,2009)



[29819] 第9話 「惑星ホッホヴァルトの領民とエーリケ、命拾いする」(11.18)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2011/11/25 22:40
「ほう、先日わが領地に赴任してきたエーリケ・フライシャー三等書記官というのは、ご宗主どののご次男、嗣子どののご舎弟でいらっしゃるのですな?」
ホッホヴァルト伯爵マンフレートはエーリケの報告書にざっと目をとおすと、おれと母ヴィクトーリアに念押ししてきた。

エーリケが、伯爵どのを陥れる材料を集めるために送り込んだスパイではないと伯爵どのに納得してもらわないと、エーリケの身があぶない。だから門閥の宗主である母ヴィクトーリアとその嗣子ともあろうおれが、雁首をそろえ、とある一門の末流にしかすぎない伯爵どののところにわざわざ出向いている。

もしエーリケに手をだされたらこちらも黙ってはおれず、伯爵どのの一門との間に私戦(フェーデ)が勃発することになるだろう。だから精一杯、正直に、伯爵に説明せねば。

「その通りです。本名はエーリケ・フォン・ロットヘルト」
「お名前のほうは本名のままでしたか。”フライシャー”というのは?」
「よく知りませんが、オーディンの下町でたまたまみかけた電設工務店からとったとか」
「内務省に偽名で正規の身分証をつくらせるなど、大門閥のご宗主ならではですが、では、ご次男に身分と名前を偽(イツワ)らせてわが領地に潜入させたのはどういう理由で?」
「いえ、内務省の三等書記官という身分は本物です。去年483年秋の帝国高等文官試験に合格し、内務省に採用されました。ロットヘルトの姓を名乗らなかったのは、門閥の宗家の出として特別扱いされることなく、官僚としての実務を最末端から学ぶという目的のためと聞いています。我々が、一門として、なにか伯爵殿の非を探るために潜入させたなどということは全くありません。ですから、エーリケの報告書も、このように、まず真っ先に伯爵どのにお伝えしております。こちらを辞去したのち、グロスヴァルト男爵とファルケンシュタイン男爵のところにもうかがう予定ですが」
「ふむ。おことばが真実ならば、ご次男どのは、大門閥の宗家という尊貴な身の上でありながら、身をやつして官僚の修行をなさろうとしていたいうことですな」
母もいう。
「まったくその通りでございます。」
「まことにご奇特なことですが、それでは最初の赴任先としてわが領地をお選びになった理由は?」
「えー、わが家が武門の一門であるということはお耳になさったことがおありでしょうか」
「ええ、それは存じております」
「エーリケが、軍幼年学校を中退したという経歴はお手元にとどいておりますか?」
「いや、その部分の履歴も偽っておられますな」
「じつは最終学年にあがる際に中退したというのが本当のところです」
「さようですか。それで?」
「エーリケが幼年学校に在籍中に調べたことですが、帝国宇宙艦隊は90個分艦隊で構成されておりますが、そのうち十数個が、ここ十数年一度も出撃したことがない。兵士の質がわるく、出撃可能な練度に達することが出来ないのです。ご領地から徴兵された新兵が着任する第88分艦隊もそのような分艦隊のひとつです」
「つまり、質の悪い兵士を宇宙艦隊に送り込んでくる領地の実態をごらんになりたかった。わが領地を赴任先にお選びになられたのは、たまたまわがホッホヴァルトがそのような領地のひとつであったため、と」

わが一門は宮廷内の権力闘争とは極力かかわらず、宇宙艦隊を強化することにのみ関心がある一門という評判を、数世紀をかけて確立していたが、それがここでも役だってくれたようである。

「はい、そうです」
「わかりました。そういうことでしたらエーリケ殿の身の安全は、まちがいなく保証させていただきます」
「ありがとうございます」
「ありがとうございました」

伯爵どのは、これでもう話は終わったといいたげだが、彼に話さねばならないことがもう一点ある。
「ほかに何か?」
「ええ。たいへん差し出がましいのですが、エーリケの報告書にある、ご領地で勃発している大飢饉についてはどのようなお手当を?」
伯爵どのはこたえた。
「ホッホヴァルト領で真に価値があるのは、惑星軌道上の産業施設と、その従業員3000人だけです。地上のウジ虫どもは、もとはといえば、ルドルフ大帝に背いた謀反人どもの子孫。あのような者どもが生きようと死のうと、わが領地の経営にはほとんど影響はありません。一人残らず死に絶えたとしても、私は痛くもかゆくもないですな」

民生に意を注ぐのが家風であるわれわれには思いも寄らぬ発想だ。聞いたとたん頭の中が真っ白になり、しばらく動けなくなるほどの衝撃だった。

ロットヘルトをはじめ、”武門の家”と呼ばれる一門は、どこでも民生に意をそそぐ。
多くの一門の領地で、毎年数万人の新兵が徴兵され、兵役期間の3年の間に最低でも数千人、多い場合には万を越える数が確実に死傷する。武門の家とされる諸家、諸門閥では、兵士の死傷が、その兵士を出征させた家庭の崩壊につながらぬよう、多産が奨励され、また死傷者のための恩給制度を整えているところが大部分である。
また、機械工学や電子工学を中心に、一般領民向けの高等教育制度を整えているところが多い。航宙軍艦は、敵軍と互いに破壊しあいながら運用されるという特徴が、民生用の航宙艦とは決定的に違う点である。ロットヘルト一門をはじめとする武門の家々で領民のための教育制度が整えられているのは、こうむった破損の程度や性質を見抜き、機能を回復するためにとることが可能な措置について瞬時に判断し、実施していく力量を備えた乗員をそろえるほど、個々の艦の生残性が高まり、戦力が強化されるためである。

おれと母の顔色をみて、伯爵どのは言い訳するように言った。

「わが領地からの新兵は確かに弱卒でしょうが、そのかわりホッホヴァルトの、レアメタルを中心とする各種金属製品は、全帝国が争って求める必需品です。それに、生産額の30%近くを国庫の方に献上してもおりますぞ。国家への貢献の度合いはご一門には決して劣らぬと自負しております」

反論してやりたいところは多々あるが、エーリケを人質に取られているに近い状態で、領民統治の哲学の優劣を競おうとすることは無意味なので、黙っていることにする。母も同じ決断をしたようだ。

「……では、妾(ワタシ)どものほうで食料など送っても差し支えないでしょうか?」
「わざわざ他領の飢民のことにまでお気配りなさるとは、なんとも奇特なことですな」
「妾(ワタシ)どもの次男の初めての任地というご縁もありますから」
「領主としてはなんの異存もありません。どうぞお好きになさってください」



ロットヘルト領から、ホッホヴァルト星系に食料がとどいた。母と兄は、なるべく速やかに飢民たちに配布するための人手や装備もつけてくれた。

首府ホッホヴァルトをはじめとする主だった町に小麦を集積し、レーション(戦闘口糧)を積んだヘリを飛ばし、人影をみかけたら着陸してレーションを与え、町で食料を配布していることを伝えた。

飢饉の間に、数百人から1000人ちかい人数をあつめ、砦を築いて立てたてこもる集団がいくつか成立していた。近くの町を襲ったり、他の集団と抗争している。強盗団がさらに成長した姿である。砦は、森の木を勝手にに切り出してつくった急造の粗末なものだが、総督府のわずかな兵士をよせつけないようにするには充分な構えである。

ぼくはそのような砦に、機関砲に布覆いをかけた武装ヘリで乗り付けた。
砦からは、猟銃とおもわれる粗末な銃による発砲がおこる。拡声器で呼びかける。
「発砲をやめよ。救恤物資の配給中である。発砲をやめよ」
銃撃が止んだ。
砦の直上まで近づき、レーションを詰めた箱10,000食分を投下した。
砦の連中が中をチェックしたのを見計らって、さらに呼びかける。
「その方どもに、さらに食料を与える用意がある。受け取りたくば、塞主と話をさせよ」
人々の輪の中から、一人の男がでてきて、上空を見上げ、腕を振った。
従者のハルトヴィックと二人で砦の側に降りる。
砦の扉があき、塞主のもとに案内された。
猟銃や木の枝を削って作った槍などで武装した配下を背に、先ほどの男が座っている。
「ホッホヴァルト総督府三等書記官、エーリケ・フライシャーである。こちらは私の従者のハルトヴィック」
ミヒャエル・ハルトヴィックはぼくと同い年。幼年学校に通っている時は「ご学友」としてそばにいてくれた。幼年学校の同期の中では上位10人以内の優等生グループにおり、ぼくが幼年学校を中退する時には、そのまま卒業、士官学校への進学をおこなうよう奨めたのだが、彼はぼくにつきあって退学することを選んでくれた。帝国高等文官試験には合格しなかったので、ぼくの私的な使用人として、ホッホヴァルトまで来てくれている。

「この砦のリーダー、ニッケル・ランガーマンだ」
「さっそくだが、とあるやんごとなきご一門がその方どもの窮状をあわれみ、大量の食料を提供した。当星系のご領主3人の了解も得て、現在、配布中だ。お前たちが望むなら、この砦にも必要なだけ届ける」
「食い物をくれるというのは大歓迎だが、条件があるんだろ」
「むろんだ。ふたつある」
「なんだ」
「ひとつ、これより後、強盗・追い剥ぎ・殺人・他の砦との抗争を停止すること。ひとつ、砦のメンバーの名簿を提出すること。どうだ、受け入れ可能か?」
ランガーマンはためらっている。この砦は、もっともはやく成立した強盗団の根城で、総督府から何度か討伐を受けている。名簿が、根こそぎ逮捕されるのに利用されることを恐れているのだろうか。
「人数さえ正確なら、名簿の名前は偽名でもかまわない」
「なに?」
「大事なのはこれからこの星をどう立て直していくかだ。この砦の者たちがそれに協力してくれるなら、過去の罪はいっさい問わない」

ランガーマンは配下たちと相談し、条件の受け入れに同意した。


ホッホヴァルトの3領主は、地上の領民に対してはろくな管理を行っていなかった。住民たちへの課税額や、徴兵の人数などは200年前の記録で300万人とあるのに基づいて定められていたが、町や村の規模、耕地の分布や面積などからみて、先の飢饉直前の人口は、どう見ても100万人以上あったようには見えない。そして、生き残った人々は約30万人。

食料の配布はほぼ滞りなく行うことができたが、つぎなる課題は人々の暮らしの再建である。この星は、最盛期には1000万人の人口があり、自然環境のうえでは、自給自足できるだけの余裕は充分にあるが、人々の暮らしが軌道にのるまでの間、引き続き支援を行う必要がある。

ロットヘルトからは、どこまで、どのような助力が得られるだろうか。
一方で、ロットヘルトの力を借りた活動は、3領主の統治権の侵害でもある。
3領主は、どの程度まで、ロットヘルトの支援を受けたおれの活動を容認してくれるのだろうか。

なるべく早くオーディンにもどって、母や兄、ホッホヴァルトの3領主と協議する必要があるな。



[29819] 第10話 「ラインハルトとヒルダの初デート♪」(11.25)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/06 08:34
2011.11.25初版


ラインハルトは幼年学校で発生した連続殺人事件を解決した功績で准将への昇進が決まった。宇宙艦隊司令部は、クラインシュタイン提督に対し、ラインハルトを靡下に配属することを内定したことを伝えた。
     ※             ※
うちの若やトゥルナイゼンの宗主どのが誉めている若者をいよいよ預かることになるか。
それにしても18才で准将とは。寵姫の弟ならでは、か?いや、功績をたてて、ひとつずつ階級をあげているな。皇族や大貴族の子弟が形式的・儀礼的に高い階級を授かるのとは全く違うことになる。
それにしても、短期間でいろんなポストを転々としている。ケガや戦死でもさせようものなら後がおそろしい、ということだろう。どの部署からも、功績を挙げて昇進したのを口実に、やっかいばらいされたのだな。

ミューゼル准将の航宙軍艦の艦長経験は、駆逐艦2隻、巡航艦1隻か。しかしいずれも在任期間が半年にも満たない。これでは艦長としての気概や統率がどんなものか、まだ、身につけるどころか理解するのも難しいのではないか。にもかかわらず、わしの艦隊では、彼はいきなり戦艦に搭乗したうえ、200隻あまりの巡航艦・駆逐艦戦隊を率いねばならない。

わしの仕事は、彼をじっくりと鍛えて、経験を積ませてやることになるな。

        ※           ※

イザークは念願がかなって儀仗艦隊から離れ、ミュッケンベルガー元帥直率の第44分艦隊所属の駆逐艦の艦長となっていた。

トーマスは、イザークの休暇にあわせてラインハルトの昇進祝いをロットヘルト邸で行うことにした。ハイジは、トーマスからその日時を聞くと、すかさずその日にあわせてヒルダを招いた。

ハイジとしては、この機に乗じてラインハルトとヒルダを接近させ、かれらの相性を確認させるつもりだったのだが、ホッホヴァルト星系から一時休暇でオーディンにもどってきたエーリケのためにそれどころではなくなってしまった。

    ※               ※

エーリケは一同に、ホッホヴァルト星系についてのその後の食料配布の概況を語ったのち、続けた。
「ホッホヴァルトは、ロットヘルト領から送ってもらった食料で、とりあえずこの冬と春は乗り切ることができます。でもいま生存者約30万人は、一人残らず、どこかの町か砦で、ただ食料が配られるのを待っているだけです。彼らをなるべくはやく再組織し、惑星ホッホヴァルトの生産活動を再開させねばなりません」
「しかし、それは領主たちの仕事であろう?食料を届けたのさえ差し出がましいというのに、われらが手出し、口だしをすることであろうか?」
「でも、母上も兄さんも、伯爵どのが彼らを「地表のウジ虫」と呼んだのを聞いたのでしたね?3領主がそのようなことに取り組むでしょうか?」
母がさえぎって言った。

「ちょっと待つのじゃ。この話は別室の者たちにも聞かせよう」

“別室の者たち”とは、トーマスの「ご学友」であるペーター・クルツリンガー、イザークの「ご学友」ヴィルヘルム・シュトフ、エーリケの「従者」ミヒャエル・ハルトヴィック、ハイジの侍女で「ご学友」のカミラ・ジングハイマーたちと、ヒルダの侍女にして「ご学友」であるグードルン・オクラス、そしてキルヒアイスである。

大貴族の子弟には、家の子・郎党・所従出身の知能にすぐれた同年齢の少年が「ご学友」に付けられる場合が多い。かれらは長じて有能な補佐官となることが期待されている。

ラインハルトはトーマスたちとつきあい始めた当初、晩餐の際にキルヒアイスが「ご学友・従者」扱いされ、ディナーの席が別室となることに不快感を表していたが、キルヒアイスから「別室」での「ご学友たち」たちとの歓談が、とても有意義な学びの場であることを聞き、次第に容認するようになっていった。

別室の一同が呼び込まれ、茶と茶菓子が配られると、エーリケはあらためて一同にホッホヴァルトの飢饉についての報告書と、その後の食料配布の状況などを解説しなおした。

「エーリケ、そなた流賊どもを勝手に免罪しておるの」
「いえ、彼らに対するホッホヴァルト総督府の指名手配はそのままで、まったく手はつけていません。ただ、彼ら新しい名前で新規に身分証を発行してやっただけで」
「それは屁理屈という者じゃ。そのような措置は、本来、領主の権限で行うべきものじゃ」
「食料の供給を安全に行う環境を至急に確立するために必要な措置でした。領主どのの許可をまっていたら、いつになったら配布を開始できるようになっていたか……」

ロットヘルト星系の人口と経済力をもってすれば、ホッホヴァルトの30万人を支えるに足る農業活動を再開し、最小限のインフラを整備するあたりまでなら支えることができるだろう。いちおうエーリケにけちをつけるだけはつけるが、ひとくぎりが付くまでホッホヴァルト支援は続行させよう。ヴィクトーリアがそのようなことを考えていると、エーリケはさらなる爆弾を投じた。

「ホッホヴァルトでは、社会がいままさに最終的な崩壊を始めたという場面で介入が間に合ったわけですが、帝国全体をみわたせば、有人星系の75%で、いちじるしく社会の衰退が進行していたり、崩壊の寸前まで来ています。我々はこれを見過ごしていいんでしょうか?」

「ちょっと待つのじゃ、エーリケ!”我々”とは誰のことじゃ?1惑星ならともかく、銀河中に手を広げることなど、わが家だけではむろん、一門が総力を挙げても、とても支えきれるものではないぞ?」
「しかし、誰かが声をあげなければ、帝国の衰退はとどめようがないでしょう?我々のような力ある者が動かなければ、誰がうごきますか?」

ロットヘルト家は、一門を率いて、正規軍の第13分艦隊に精強な兵士を送り出すこと、一門からでた将官を支えることを代々の家業としてきた。ヴィクトーリアとしては、有能な累代の家臣たちに支えられて、ようやく宗主としての責任を果たせるようになってきたと考えていたところだ。しかるに、衰退星系へのテコ入れは、一門にとって全く未知の事業となる。返事ができずに口ごもっていると、エーリケが言った。
「皇帝陛下に現状を知っていただき、この件について新たな国策を定めていただけばよい!」
そしてラインハルトにホッホヴァルト領の報告書を示して言った。
「これを皇帝陛下あてに書き直します。姉君からお渡しくださるようお願いできないだろうか?」
「それはならぬ!」
宮廷の大貴族たちが寒門出身のアンネローゼを容認してきたのは、政治向きのことに一切口を出そうとしてこなかったためだ。エーリケの依頼は、アンネローゼの立ち位置を根本的に変更させるものである。
「そなたの思いつきにグリューネワルト伯爵夫人を巻き込んではならぬ。しかし、”力ある者が動くべき”とは、よう言うた。皇帝陛下に働きかける前に、我らがやるべきことがいろいろとあろう」
ヴィクトーリアは考え込みながら続けた。
「エーリケ、まずホッホヴァルトの建て直しに全力で取り組め。当初は費用や物品、人手、全てわれらの持ち出しでよいが、慈善事業では長続きせぬし、他家に薦めることもできぬ。いずれ費用を回収するつもりで、回復させるのじゃ。建て直しがうまくいけば、税収は増える。徴募した兵士は精強になる。
他領の統治の批判でもあるから、領主どのたちにとっても得な事業であることを納得してもらう必要がある。その当たりの見積もりも、綿密に行うのじゃ」
ヴィクトーリアは、さらに続けた。
「エーリケ。そなたがホッホヴァルトを立て直すことができたら、一門の各家にも声をかけて、さらに別の場所にも活動を広げよう。その成果をふまえて、さらにトゥルナイゼンやミュンヒハウゼンの一門にも声をかけることを考えよう。皇帝陛下に申し上げて、帝国の国策とするよう働きかけを行うのは、それからでよい」
「母上、ありがとうございます」
「まずはホッホヴァルトじゃ。ロットヘルト宗家の財政が許す範囲で、全力で支援しよう。必ず成功させるのじゃ!」

              ※          ※

今日のパーティの主旨は、ラインハルトの昇進祝い、ハイジの友人ヒルダの披露であったが、どちらもなおざりになってしまい、ハイジとしてはたいへん残念だった。とくに、ラインハルトにヒルダを、ヒルダにラインハルトを、ろくに紹介できていない。そこでハイジは次なる策を発動した。

「じゃあ、ヒルダ姐さん、ラインハルトさんを下宿まで送ってあげてくださいね。イザーク兄さんには、キルヒアイスさんとオクラスさんをお願い」
イザークはヒルダが自分の侍女のオクラス嬢と一緒に帰り、自分がラインハルトとキルヒアイスを送ったほうが合理的ではないかと思い、
「どうしてそんな分け方をするんだ?」
と尋ねると、ハイジは
「そんなの、決まってるじゃない」
と答えた。何がどう決まってるのかは謎だが、とにかくラインハルトとヒルダを自分たちと分離したがってるらしいのはわかった。問題は当人たちがどう思うかだ、とラインハルトを見てみれば、ハイジの言うがまま、嬉しそうにヒルダと並んでマリーンドルフ家の自家用車に乗り込んでいくではないか。イザークは(ついに、こいつにも春が来たかなニヤニヤ)と思いつつ、シュトフとともに、キルヒアイスとオクラス嬢をトゥルナイゼン家の自家用車の後部座席に誘(イザナ)った。

       ※              ※

ハイジとヒルダが通うオーディン帝大の政治・経済学部といえば、自身の才覚で官吏として身をたてようと希望する貧しい下級貴族や平民、あるいは統治の実務を担う使命を帯びた貴族の郎党・所従出身の若者が多く集るところで、通常では、伯爵家の嗣子や門閥の宗主家の者が(しかも”令嬢”の身で!)行くようなところではない。

ラインハルトは、この大学・学部を選んだ理由をヒルダに尋ねてみた。
「マリーンドルフ家をこの手で守っていく力をつけるためです」
普通の貴族なら、跡継ぎの男子に恵まれない場合、娘に養子を迎え、これを嗣子とする場合が多い。あるいは、さもなくばヴェストパーレ男爵夫人のように、有能な家臣に領地の経営を委ねるか。ラインハルトは、女性の身で積極的に「統治者」たろうとする人物を、ロットヘルト家の宗主とその義理の娘以外では、はじめて見かけた。そのことを問おうとすると、質問の内容を察したヒルダがさらに続けた。
「夫にせよ家臣にせよ、他人に全面的に任せてしまっては、ハズレだった場合に立て直すのがおおごとになります。それくらいなら、はじめから自分の手で、自分の責任でとりくみたい」
志はとても高そうな女性である。見識はどうだろう?
「ロットヘルト家の人々の救済計画。彼らの試みについてどう思いますか?」
「あのやり方では、早晩、行き詰まるでしょう」
「なぜです?」
「過去にも、同じような試みに取り組んだ一門や貴族がいくかありました。私が今たまたま記憶しているだけでも4例ほど。調べればもっとありそうに思いますが、失敗した原因には、ふたつのパターンがあります」
「ほう」
「ひとつは、他の貴族たちの猜疑。救済する星系の数がふえるにつれ、他の貴族たちには【自家の勢力圏を拡大している】ように見えてきます。他の貴族の疑念が強まると、やがてもうそれ以上、救済活動を広げることも、続けることも難しくなります」

「もう一つは、衰退星系を領有してきた貴族たちと、救済活動に乗りだす貴族たちの、領民に対する扱いの違いが生み出す軋轢です。
これはハイジさんから聞いたことですが、たとえばロットヘルト領やトゥルナイゼン領では、若者たちに、徴兵に応ずるのに先立ち何年もかけて高等教育をほどこすなかで、”帝国を守る護国の戦士であれ!”と教育しています。武門の家とされる領主のほとんどや、その他の富裕な25%の星系では、いずれも領民を「誇りある人間」として扱っています。マリーンドルフ家もそのような家々の端に連なっています。それに対して、エーリケさんの報告では、ホッホヴァルトの領主は惑星の住人を「ウジ虫」扱いしていましたね?衰退星系の領主はおおむねこのような連中です。
過去には、富裕な星系の領民が、救済活動に赴いた先の領主の扱いが原因で民乱を起こし、結局、救済活動そのものが停止に至るという例がなんどか生じています。
ロットヘルト家の方々の志はまことに崇高ですが、残念ながら、あのやり方では、以上のどちらかの理由で、やがて行き詰まってしまうでしょう」
「”あのやり方”?うまくゆかせる方法が別にありますか?」
「理屈の上では存在しますが、実行することは不可能…、いえ非常に困難です。」
「どのような方法ですか」
「貴族に領地を委ねるのをやめる事です。領地領民の繁栄に価値を認めない領主を所有者としたまま、かれらの顔色をうかがいながら事を進めるのでは、かれらの機嫌を損ねた時点で取り組みは行き詰まってしまいますから」
「……大胆な女性(ヒト)だ」
「いえ、帝国社会停滞の原因は、行政の実務に携わっているものなら誰でも知っている、気づいていることです」

自分には蒙昧な貴族どもを一掃する志がある。しかし200隻ぽっちをようやく預けられることが決まったばかりの現状でそれを口にすることは、ただの誇大妄想狂にしかすぎない。この女性と対等に向き合うには、まだ自分の力は弱すぎる。ヒルダの言葉に何か返事を返そうとして何度か口を開きかけたが、結局この件ではこれ以上はなにも言えない。話題を転じて尋ねる。

「ロットヘルト家の人々には、さきほどお話になった問題点を、伝えますか?」
「もちろんです。ハイジさんには今度あった時に真っ先に話しますし、ロットヘルト邸にお邪魔する機会があったら、グレーフィンにも直接申し上げるつもりです。予想は予想として、エーリケさんにはなるべく成果をあげて欲しいですし」

    ※          ※

話しているうちに、どんどん時間が過ぎた。

「あなたたのような貴族の令嬢はほかには知らない」
「ケーキじゃない?」
う、あの感想、キルヒアイスから「別室」の連中経由でハイジに伝わっていたかOTL
「ハイジさんは?」
「たしかに彼女も聡明で統治者としての責任感もあるが、しかしあれは貴族令嬢とはちがう、なにか別の生き物だ」
「あら、なんて酷(ヒド)い言いよう。でも、たしかに天真爛漫ですね」
「帝国は、庶民から貴族にいたるまで、女性がたいへんに抑圧される社会だが、あれは、圧迫を受けたことがないというのびやかさだ。」
「あの特異な義母(ハハ)上のたまものですね」
「ええ。ただしそのかわり、同類がいない」
「そうですね。貴族女学院に入ったけど、同級生たちと全く話が合わないのが苦痛で2ヶ月で退学したとか、学校にあがったころから一門の同年代の女の子たちとも話しが合わなくなってだんだん疎遠になり、とても孤独だったそうです。だから大学ではじめて私と会ったときには、なんだかかわいそうなくらいに嬉しそうに喜んでいました」
「あなた自身は?」
「もちろん、うれしかったですよ、私も孤独でしたから。でも、彼女は純粋に喜んでくれましたが、私はそうじゃない。彼女だけでなく、いかなる人に対しても、なのですが、この人との関わりは果たしてマリーンドルフ家を守る上で役に立つかどうか。そのようなことをまず第一に考えてしまいます」
「そうですか。私も、人と会うときは、まず”軍人として有能な人材かどうか”という目で見てしまいます」

ラインハルトは全く気が付かなかったのだが、ヒルダがいつどのように指示したのか、マリーンドルフ家の運転手は遠回りをしたり、おなじ場所をなんどもぐるぐる回ったりしていたらしい。

ラインハルトが下宿にもどったのは、キルヒアイスより3時間も後だった。

*************
2014.10.6 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] 第11話 「ラインハルトの提督修行」(12.5/1.5改)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/01/11 00:45
冒頭部のライニ・ジーク・ペーターの会話のうち、「貴族ハリボテ論」を分割して12話以降に収録していきます。1/5の改訂では、ライニの提督修行と双璧との邂逅をつけたしています。

         ※       ※
             
ラインハルトとキルヒアイスが下宿しているフーヴァー夫人宅の2階には、トーマスやイザーク、シュテルンらの「ご学友」たちが連れだって、あるいは単独で、しょっちゅう遊びにくる。

今日はトーマスの「ご学友」ペーター・クルツリンガーが来ている。
「それでライニ、君はこの前ジークより3時間も遅く戻ったんだって?(ニヤニヤ」クルツリンガーはさっそくラインハルトをからかう。
 先日は、ヒルダとの会話に夢中になって、知らぬまに時間が経ってしまっていた。ラインハルトが”このおしゃべりめ!”とキルヒアイスを睨むと、睨むと、キルヒアイスは、自分ではないよ、とふるふると首を振る。その様子をおもしろそうに眺めながら、クルツリンガーはいう。
「あ、いや、ジークではないよ。カミラ情報だ」
カミラ・ジングハイマーはハイジの侍女にして「ご学友」である。
「ハイジお嬢さまは、フロイライン・マリーンドルフに君との首尾をとうぜん訊ねる。そしてハイジお嬢さまの傍らにはカミラ嬢がおり、彼女が見聞きした情報は、すぐにおれたちにも共有されるのだ (ニヤニヤ」
キルヒアイスが真顔でいう。
「”気だてがよくて頭がいい”、政治も軍事も語り合える令嬢とはじめて出会えましたね」
ラインハルトから以前に聞いた、恋愛相手に求める条件である。ハイジだって政治や軍事を語れるのだが、ラインハルトにとっては”貴族令嬢とは違う、なにか別の生き物”だし、それになによりトーマスの許嫁であって、最初から員数外だ。
「じゃあ、もう決まりだ。そのうち、皇帝陛下から、断絶した名家の名前をいくつか挙げて、どの家を嗣ぎたいかってお尋ねがあるよ。その時に ”臣はフロイライン・マリーンドルフと恋仲でございます” って言えば、君はマリーンドルフ伯の養子になって、嗣子の地位はフロイライン・マリーンドルフから君に移って、すべてが一件落着だ」
クルツリンガーは先走って勝手なことを言い出す。
「いや、フロイライン・マリーンドルフはおれより一歳年下ながら、たいへん尊敬すべき女性ではあるとおもうが、おれはまだ未熟な身で、だれかと恋愛すること自体まだ早すぎると思っている。だから一度しか話したことがない彼女を、そういう対象にはまだ考えていない」
「無理するなよ(ニヤニヤ」
「いや、無理なんかしていない!」
むきになってラインハルトが言い返す。
「ん?あれれ?”まだ考えていない”だって?すると”将来は考える”のかな(ニヤニヤ」
キルヒアイスがふたりの言い合いを微笑ましそうに眺めていると、ラインハルトが八つ当たりで怒鳴る。
「キルヒアイス!なにを(ニヤニヤ 聞いてる!」
客観的にみれば、キルヒアイスの笑みは、クルツリンガーの(ニヤニヤとは違い、ラインハルトに似合いの令嬢が現れたことを心底よろこぶ(ニコニコとした笑みなのだが、照れて逆上したラインハルトには区別がつかなくなっている。

おめでたい、しあわせなひとときである。



クラインシュタイン艦隊の司令官のヘクトール・フォン・クラインシュタイン中将 (76)は、帝国軍でグリンメルスハウゼン中将と並ぶ最高齢の現役将官である。
トーマスの祖父アーブラハムやイザークの父エドゥアルト・ルドルフ・フォン・トゥルナイゼンとほぼ同世代で、アーブラハムに乞われてロットヘルト家の嗣子ゲオルク(トーマスの伯父)、長女ヴィクトーリアの後見となるため退役することがなければ、宇宙艦隊司令長官の地位は間違いなかったであろうといわれる優秀な将官である。長いブランクをはさんでの現役復帰であるが、体力のほうはともかく、明晰な頭脳と的確な判断力に衰えはない。

クラインシュタインは、新任の准将8人のなかで、ラインハルトひとりだけ呼び出して告げた。
「卿の艦長経験は非常に浅い。駆逐艦2隻、巡航艦1隻で、あわせても14ヶ月間。戦艦の艦長職は未経験。にもかかわらず、提督として1戦隊を率いることになる」

こいつもおれの表面だけみて説教をかましてくる気かとラインハルトが内心うんざりしかかると、クラインシュタインはつづけた。

「卿が若(トーマス)たちと行ってきたシミュレーションのデータは見ている。卿の能力や資質については、わしなりに確認させてもらっている。卿に不足しているのは経験だ」

そういうと、中将はラインハルトに紙袋をひとつ差し出していった。
「経験を補うには訓練あるのみ。2000時よりこの課題にとりくみ、2時間以内に提出せよ」

紙袋の中には、ディスク1のほか、ペーパーテストや作文の課題、ディスクの説明書などが入っていた。ディスクの説明書には「シミュレーターで実施すべし」という指示がある。内容は、巡航艦や戦艦に座乗して、単独で、または巡航艦・駆逐艦数隻を率いておこなうシミュレーションのミッションである。ミッションは、15−20分で完了するものが3種、ラインハルトが単独で取り組むよう指示があるものと、キルヒアイスを副官とし、相談しながら実施するよう指示があるものとがある。

取りかかってみると、難易度は相当に高い。
どの課題も、余裕をもってミッションを成功させることはできず、短時間の間に、成功の確信のないまま決断を下さねばならぬ状況に直面することをなんども強いられた。

3題とも、ギリギリまで粘ったあげく、ミッションは不成功におわった。

2145時、ネットを介して課題を提出すると、30分後、講評が返信されてきた。
課題ごとに、ラインハルトの行った選択や決断について、詳細なコメントが付されている。
「キルヒアイス、この課題は、NPCじゃなくて、あの老人が向こうで相手をしてくれていたのかもしれないぞ」
「わたしたちだけの特別扱いでしょうか」
「だとしたら、ありがたいことだな」
ラインハルトの提督修行のはじまりであった。

22時すぎ、艦隊司令部を離れようとするラインハルトとキルヒアイスを眺める二人の青年士官がいた。帝国軍の数多い青年士官の中でも、傑出した勇略の所有者として知られるオスカー・フォン・ロイエンターとウォルフガング・ミッターマイヤーである。彼らはラインハルトとともにクラインシュタイン艦隊に配属された新任准将であった。ロイエンタールがわずかに首を傾けて親友に問いかけた。
「あの金髪の士官が、例の……」
「ああ、ラインハルト・フォン・ミューゼル准将だ。十八歳で准将だから、大したものさ」
ミッターマイヤーが続ける。
「どう思う?大貴族どもは、彼を金髪の孺子と呼んで軽んじているが、その評価は正しいかな」
ロイエンタールが答える。
「古くから言うだろう、虎と猫の児を混同してはならない、気をつけることだ、と」
「ラインハルト・フォン・ミューゼルは、卿の見るところ、虎か猫か?」
「たぶん、虎だろうよ。彼が姉君や、例の3一門の七光りによって出世したとしても、敵のやつらに、そんな事情を斟酌する義務はないからな」

18歳の准将とは、皇族や、爵位を嗣いだ大貴族が儀礼的に授かる場合をのぞけばきわめて異例であるが、ラインハルトは幼年学校を卒業して中尉で任官して以来、昇進に値する功績によって一つづつ階級を上げてきた。同盟軍がラインハルトにわざと負けてやったり、帝国軍幼年学校のシュテーガー校長がラインハルトにわざと捕まってやる理由など、どこにもないのだ。ラインハルトの異数の昇進を、姉グリューネワルト伯爵夫人の七光り、ロットヘルト一門・トゥルナイゼン一門・ミュンヒハウゼン一門の庇護、偶発的な幸運の結果と見ている人々は、真実から目をそらしているのである。

「彼の准将の階級は、飾りものじゃない、本物だ」
「ただし、戦艦の艦長経験もないままいきなり提督で、戦隊長では、いくら優秀だって相当きついぞ」
「まあ、せいぜい彼が精進を重ね、戦場でおれたちの足を引っ張ることがないよう祈ろう」



[29819] 第12話 「ヒルダのゼミ・レポート」(2012.1.10/1.12改)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/08 12:20
※11話にあった、クルツリンガーくんによる貴族ハリボテ論の中核部分を大増補したうえで当話に移動しました。ラインハルトがヒルダに口を滑らした「覇者」へのツッコミ、ロットヘルト家への忠誠心についての発言は、次回以降の話に組み込みます(1/12改)。
※また、前回の更新からずいぶん間があいてしまったので、簡単な人物紹介をあらためて行います。

○今回の登場人物
ラインハルト(ライニ)…原作キャラ
キルヒアイス(ジーク)…原作キャラ
トーマス…本作の主人公。門閥の宗家ロットヘルト家の嗣子。
イザーク…原作キャラ。門閥の宗家トゥルナイゼン家の当主(オリ設定)
アーデルハイト(ハイジ)…主人公の許嫁。イザークの妹
ペーター・クルツリンガー…主人公の「ご学友」、ロットヘルト家の家臣(「所従」)
ヴィルヘルム・シュトフ…イザークの「ご学友」、トゥルナイゼン家の家臣(累代の「郎党」)

○名前のみ登場
カミラ・ジングハイマー…アーデルハイト(ハイジ)の侍女、「ご学友」
ヒルダ…原作キャラ。上級貴族マリーンドルフ家の嗣子。大学でアーデルハイトと同じゼミに所属(オリ設定)

***********************

ラインハルトとキルヒアイスが、いつものごとくイザークの「ご学友」ヴィルヘルム・シュトフとダベっていると、フーヴァー夫人が1階からあがってきて告げた。
「お客さんだよ」
夫人に導かれて現れた客はトーマスの「ご学友」ペーター・クルツリンガーで、手にはフーヴァー家の皿やスプーンのセットを持っている。
「なんだ、それは?」
「今日は連れがあるんだ」
クルツリンガーの後ろには、トーマスとハイジがいた。
「はぁい♪」
「やぁ!」
ハイジは籠に盛ったパンをささげ持ち、トーマスはうまそうな匂いがするナベをかかえている。トーマスは、なにかぎっしりつまったリュックも背負っている。
「差し入れ持ってきたよ」
ラインハルトは、ハイジには答えず、トーマスの顔を睨みながら冷たく告げる。
「下賤な者どもが暮らす不潔な町には来ないんじゃなかったのか?」
ラインハルトとキルヒアイスは幼年学校でトーマスやイザークとつき合いはじめてすぐ、彼らを下宿に誘ったのを断られた。そのときに言われたことばを、いまだにずっと根に持っているのである。
トーマスは、目を泳がせながらいう。
「あれは母からの受け売りだった。今のおれは軍人だからね。任務しだいでは、道ばたの水たまりに半分漬かりながら野営することだってある。それに比べれば、下町の友人の部屋でメシを喰うくらい……」
あのときは口がすべった、すまんかったと謝ればそれで済むものを、必死につよがって言い返すのであるが、自分でも屁理屈だと思っているから、棒読みになっている。
ハイジが横からいう。
「いやあ、いつもここで楽しいあつまりをやってるって聞いて。ライニとジークは最近ちっともうちに来てくれないし」

たしかに、幼年学校卒業以来、ラインハルトとキルヒアイスがロットヘルト家やトゥルナイゼン家を訪れる機会はめっきり減っている。

「門閥宗主の令嬢がこんなところをこんな夜更けにうろついていてもいいのか」
ラインハルトが尋ねると、ハイジはパン籠でトーマスを指しながら
「許嫁のエスコートを受けてるから、まったく問題なし!」と胸をはる。
「今日ここに来たのは、あたしの用事でなの」
ハイジはパン籠をテーブルの上に置くと、トーマスが背負ったままのリュックの中から紙束をとりだし、一同に示して言った。
「今日、ヒルダ姐さんが大学のゼミで発表したレポートのレジュメと資料。みんなには是非聞いてほしくて。資料あつめは、あたしも手伝ったんだよ」
レジュメと資料には、「衰退星系の救済事業の一覧と失敗の原因」というタイトルが付されている。

ひと月ほどまえ、ロットヘルト家の当主ヴィクトーリアは、ラインハルトの昇進祝いとハイジの友人ヒルダの披露をかねたパーティの席上で、衰退星系の救済事業に一門として取り組むことを宣言し、手始めとして、すでに次男エーリケが着手している惑星ホッホヴァルトの救済をロットヘルト家の事業として全面的に応援するよう命じた。パーティからの帰途、ヒルダはラインハルトに、「この種の事業がいずれ必ず行き詰まる」ことを指摘した(第10話参照)が、ヒルダのゼミ・レポートは、その結論を、さらに多くの実例によってうらづけるものである。

「みんな、晩ご飯はまだでしょ?」
いうと、みなの返事も聞かず、皿をならべ、パンを盛りつけ始めた。トーマスはナベの中味を深皿によそう。クルツリンガーが替わろうとするが、身振りで断った。
シュトフがハイジに尋ねる。
「お嬢さま、カミラ嬢は?」
普通なら、このような作業は自身の侍女に委ねるのが、帝国貴族令嬢としての作法である。
「こんな時間だと、完全に時間外勤務になっちゃって悪いし、それにお供がカミラだとお義母さまから出かけるお許しがもらえないから、かわりにトーマス兄さんにエスコートをお願いしたの」
そういわれたトーマスは、シチューをよそう手を止め、遠い目で天井の隅を眺めた。
「トーマス、君、門限はどうした?」
「門閥宗家の威令をもってすれば、士官学校の門限など何とでもなるのだ」
棒読みで答える。これは単に、出入りを阻止されない、張り番の候補生が門限破りに対して彼の裁量で課すペナルティーを遠慮する、というだけの意味で、門限破りをしたこと自体はきっちりと記録され、成績に反映される点では、候補生の身分の上下に区別はない。
「いままで、クラインシュタイン艦隊立ち上げのほうの仕事で、授業も実習もサボりまくり。劣等生まっしぐら。いまさら門限破りのペナルティがひとつやふたつ増えようと、何ほどのこともないのだ。はっ、はっ、はっ。」みょうにぷつぷつと途切れさせながら、うつろに笑った。

         ※               ※
夜食を食べおえると、各人にレポートが配布され、ヒルダがゼミで行った報告をなぞる形で、ハイジがレジュメと資料を一同に解説していった。

衰退星系に対する救済活動は、帝国の建国初期の大弾圧からの復興を目指したものも含めれば、篤志の宗主が一門を挙げて単独または複数の星系の救済に乗り出した事例が15例。ある領主がたまたま縁をもった星系の救済にのりだしたもの21例。一時的に全帝国を挙げての国策となり、所管官庁である内務省が主体となって取り組んだことさえあった。
 ゆるやかな衰退が一貫して継続し、ルドルフ時代に3,000億あった人口が現在250億にまで減少していることからも明らかなように、有志によるこれらの救済事業はことごとく失敗し、その教訓は次代に生かされることなく埋もれてしまったのである。
 ヒルダは、過去に行われた救済事業の失敗原因を4種に分類したのち、「この種の事業は、衰退をもたらした統治を行ってきた領主たちを温存したままでは、この4種の原因のいずれかによって必ず行き詰まる」と結論づけていた。
 ハイジが披露したヒルダの報告の論旨は、ラインハルトとキルヒアイス、ご「学友」たちにとってはすでに承知の内容であったが、内務省秘蔵の古档案(=公文書)に記載されていた多数の事例が持つ迫力は、あらためて皆に衝撃をあたえた。

しばらく続いた沈黙を破ってトーマスが言った。
「領国の統治にやる気のない連中には、年金と引き換えに所領を取り上げるとか、なんとかできないものかな・・・」
ハイジが答える。
「ホッホヴァルトの領主たちがそうだったけど、産業施設をうまく経営してたり、〝謀反人・共和主義者の末裔〟を〝懲罰〟してるつもりのひとたちは、自分の領地で領民人口が減少していることを、「衰退」とか「領地経営の失敗」とは全然思っていないから、難しいよ」
「じゃあ、手詰まりってことか?」
「彼らだけから領地を取り上げるっていうのは難しいね」
「”領主に領主の統治を委ねる”っていう制度そのものを帝国全体で一斉になんとかしない限りはどうにもならないのかな…」

ラインハルトやキルヒアイス、クルツリンガーやシュトフらの「ご学友」たちの間では、かねてから門閥大貴族・上級貴族という存在について、あいつら社会に対する吸血鬼、寄生虫だ、どうしようもない奴らだ(ただしうちの奥様、殿様、若様、お嬢さま…は例外的にかなりマシだけど)とけなしあって盛り上がっていた。ただし、いくら親しいとはいえ領主貴族そのものであるトーマスとハイジのに面とむかってその種の内容を公言することは遠慮してきたし、先ほどからのトーマスとハイジのやりとりにも、口を挟まずにいた。

ハイジは一同が黙っているのをみると、
「じゃあ、資料をじっくり読んでもらって、あとで意見を聞かせてくださいね」
と報告を締めくくり、クルツリンガーとシュトフに向かって
「お友だちとの歓談の時間を削っちゃって、ごめんなさいね。あたしたちは食器を返して、そのまま帰ります」
というと、フーバー家の食器と籠をトーマスと手分けして手に持ち、部屋を出ていった。



クルツリンガーが言った。
「宿題をだされちゃったぜ。あれは、あれは自分たちがいると自由にものが言いにくいだろうって、遠慮したんだ」
「じゃあ、さっそくとりかかろうか。ライニ、レジュメや資料ではぼやかしてあるけど、フロイライン・マリーンドルフは、君に対しては、”貴族による領主制度の廃止”が必要だと、ハッキリ言ったんだな?」
「そうだ」
初デートの時、ヒルダは「衰退星系の救済」を成功させる方法について、ラインハルトに言った。
…貴族に領地を委ねるのをやめる事です。領地領民の繁栄に価値を認めない領主を所有者としたまま、かれらの顔色をうかがいながら事を進めるのでは、かれらの機嫌を損ねた時点で取り組みは行き詰まってしまいますから。…帝国社会停滞の原因は、行政の実務に携わっているものなら誰でも知っている、気づいていることです
シュトフが資料を繰りながら言った。
「フロイライン・マリーンドルフは大したものだな」
クルツリンガーが返す。
「おたくのお嬢さまだって大したものだぜ。報告のあとのやりとりで、うちの若をそういう結論に誘導していってる」
「うん、名君の資質あり、だ。この二人とくらべちゃうと、普通の令嬢は、みんな、ライニじゃないけど、クリームケーキだな。うちは、このお嬢さまをロットヘルト家にとられて、どこかのクリームケーキさまを殿さま(=イザーク)に迎えなきゃならないんだなぁ…」

しばらく沈黙が続いたのち、シュトフが話題を戻した。

「それはともかく、”貴族による領主制度の廃止”は、まったく、言うは易し、行うは難し、だな」
クルツリンガーがいう。
「いや、案外そうでもないかもしれないぜ。知ってるか?貴族支配なんか、もうハリボテだぜ。いまの帝国を実際に動かしているのはおれたちだ」
「おれたち?」
「そう、おれや君たちみたいな連中のことだ。
 皇族や大貴族の周囲で教育や訓練を受ける機会に恵まれた郎党・所従・平民。一部の家の子・下級貴族。おれは領民から取り立てられた所従で、ライニは帝国騎士、ジークは平民の下級官吏の息子、ヴィルは累代の郎党だろ?」
「そうだな」
「帝国貴族4,000家というけど、当主たちの中で、自分で物事を処理できるのって200人ちょっとしかいないと思う。あとの連中は、飲み食いと交配にしか興味・関心・能力がない役立たずばかりだ」
「酷いもの言いだな」
「だって、実際その通りなんだぜ。たとえばブラウンシュヴァイク公。あの公爵家を真に動かしているのは「ご学友」あがりのアンスバッハ准将だ。情報の分析も判断も、ぜんぶ彼がやっている。彼が急病にでもなろうものなら、ブラウンシュヴァイク公も、彼の都督府(レギアルク)も、完全に機能停止だ」
「なるほど」
「帝国貴族たるもの、飲み食いと交配は本人にしかできないけど、それ以外のことは、そのつもりになれば、すべて家臣に任せることができる。で、実際に、すっかり任せっきりにしてしまうか、あるいは家臣のほうで、最初から自分たちで済ませようとする。その結果、飲み食いと宴会と儀式と交配しかやらない、やれないアホ貴族ができあがる。
ブラウンシュヴァイク公も、聡明で、せっかく英邁の素質はあったのに、アンスバッハ准将以下の家臣団がなんでも自分たちで引き受け、公爵本人にはなんにもさせようとしなかったものだから、結局あんな人になっちゃった」
門閥大貴族の跡取り息子の腹心の口からでてくる痛烈な貴族批判に、ラインハルトもキルヒアイスも、仰天しつつ、興味深く耳を傾ける。

「軍隊だってそうだぜ。
たとえばクラインシュタイン艦隊。うちとトゥルナイゼン、ミュンヒハウゼンの3一門で結成をすすめて来たっていうけど、指揮権という面でみるなら3一門の「支配力」は"ハリボテ"だともいえる。
こんど、うちの若やトゥルナイゼンの殿様(=イザーク)をはじめ、3一門で声をかけてきた連中のうち、准将にあがった8人がはじめてクラインシュタイン艦隊の戦隊長として配置されてくる。君もそのひとりだな。
うちとトゥルナイゼン、ミュンヒハウゼンの3つの一門であわせて52家あるけど、新任の8人にも、元からいる18人も、准将たちの中には一門諸家の子弟はひとりも入っていない。古参の戦隊長たちも、ぜんぶ宇宙艦隊司令部のおまかせで入ってきた連中だ」
シュトフにとっても既知の話で、うなずきながら聞いている。
「貴族階級が帝国軍を掌握していたのは、436年の第二次ティアマト会戦までだな。このときまでは、武門の名門33宗家とその一門各家で、帝国軍の指揮系統を掌握しきっていた。だけど第二次ティアマト会戦の時、15の一門が宗主と一門各家、家の子の将官を根こそぎ失った。そして他の18家も含む33の一門すべてで、次代、次々代を担うべき佐官・尉官もゴッソリと失った。
そのあとは転落まっしぐら。のこる18の一門はいままでの倍ちかく出番が増えることになったけど、出番が増えるということはそれだけ消耗するということで、一家また一家と潰滅していった。ロットヘルト家の場合は20年前だ。先代のゲオルク様が一門の優秀な将官を道連れに戦死してしまった。宗家はグレーフィンが嗣いで、一門各家も血縁を後継に迎えて、家だけは存続したけど、それ以来今にいたるまで一族から一人も将官が育っていない。…トゥルナイゼン一門はどんなだっけ?」
シュトフが答える。
「うちも似たようなものだ。うちの場合は19年前。中将だった故若殿様と一門各家の優秀な軍人たちがゴッソリ。ご先代には他家に嫁いだ姫君が二人いるけど、婿どのたちは、どちらも、どう仕込んでも武門の宗主には向かないような人たちだったから、ご先代は30歳以上わかい奥方を迎えなおして、新殿様(=イザーク)とお嬢さま(=ハイジ)が生まれた。だけど結局、一門からは、この19年間ひとりも将官を出せていない」
クルツリンガーが引き取る。
「ミュンヒハウゼン一門も同様だ。あそこは16年前だったかな、先代のお殿様とご舎弟と、ご一門の将官が全滅。いま武門の名家といわれる一門で、預かっている正規軍の分艦隊を実際に指揮できているのは、ノルデン一門だけだと思う」
シュトフが突っ込む。
「ローエングラム一門があるだろ?オイラー提督が率いている」
「そうだけど、あそこは宗家が断絶して一門が後継争いで内紛しているから、武門の名家として機能しているとは言えない」
ラインハルトが口をはさむ。
「司令長官は?ミュッケンベルガー家も武門の名家だろ?」
クルツリンガーは答えた。
「いや、あそこも潰滅状態だよ。もう、宗家の舎弟の司令長官だけが健在なだけで。
あの一門は、いまトゥルナイゼンの殿様(イザーク)が在籍している第44分艦隊がナワバリだけど、司令長官は中将になって以来、この分艦隊を常に一番きびしい局面に投入し続けてきたからね。ご一門の各家の軍人たちは一人、また一人と損耗して、結局いまは司令長官本人を除いてひとりも将官がいなくなっちゃった。うちの若やシュトフんとこの殿様みたいに、士官学校や幼年学校で修行している若い世代は何人かいるみたいだけど」
そして、ラインハルトの目をのぞき込むように言った。
「いま、帝国軍で使いものになるベテランの将官の名前をあげると、メルカッツ、オフレッサー、シュターデン、ゼークト、シュトックハウゼン等なんで人々がいるけど、武門の名家の出は一人もいない。帝国騎士か、下級におっこちそうな上級貴族の端っこの家の出の人ばかりだ。
平民出身の将官もいるよな。ガイエスブルクの司令官イルムシャー中将。クラインシュタイン艦隊にきた新任の准将の中にも一人きたろ?」
「ああ、ミッターマイヤー准将。父親は造園業をやってるとか」
「この趨勢は、もうとまらない。つまり帝国の軍事力は、いままさに、貴族の手をはなれて、おれたちの手に移りつつあるということさ」

********************
2014.10.8 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] 第13話 「ヴァンフリート星域の会戦」(1/10)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/01/29 02:17
※原作人物の名前を何人かちょびっとだけ変更したり、オリ設定を付け加えたりすするので、ここで紹介しておきます。

【アリグザンダー・ビュコック】同盟軍第5艦隊司令官
 わしのことはアルとよんでくれてよいぞ、お若いの。
【アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン】同盟軍第12艦隊司令官
 キミから「シューラ」呼ばわりされる覚えはない。「ボロディン提督」と呼んでくれたまえ。
【ハーフンギーン・チャガーンフー】同盟軍第10艦隊司令官
 オリキャラ。ウラーンフーの弟。
【ハーフンギーン・ウラーンフー】同盟軍少将。第10艦隊の司令官代理
 「ハーフンギーンさん」っていうな。ハーフンガはおれたちの親父の名前だ。ファミリーネームじゃない。ウラーンフーと呼んでくれ。ウランフでもいい。
【ハッサン・ビン・アブドゥルラフマーン・アッ・サラーミー】同盟軍第9艦隊司令官
 帝国じゃあるまいに、「自由惑星同盟」で記名の方法がE式とW式の二つしかないって、どういうこった。「Al-Salāmī」っていうのは、「ニスバ」であって、ファミリーネームじゃないんだけどね。ウランフは抵抗してるようだが、おれはもういいよ、「アル・サレム中将」で・・・。
【フレドリカ・グリーンヒル】
 じゃあ、わたしのことも、リッキィって呼んでくださいね、提督♪
 一方的に殴り続けていても、いつか手が痛くなるわ。見ていてごらんなさい。
 リキ・ティキ・ティキ・ティキ・ティック!

******************************
クラインシュタインによるラインハルトの特訓は続き、いよいよ提督として初めての出征をむかえた。。

        ※          ※

帝国暦485年3月20日、同盟軍との戦いを目前にひかえた帝国軍の旗艦ウィルヘルミナで、将官会議に出席しようとしたラインハルトの華麗な容姿が、宇宙艦隊司令長官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー元帥の視覚を刺激した。
「あの金髪の孺子は何者だ?」
副官のツィンマーマン中佐が答えた。
「ラインハルト・フォン・ミューゼル准将です」
「ほう、例の3一門の秘蔵っ子か、あれがな」
「グリューネワルト伯爵夫人のご舎弟でもあります」
寵姫の弟たる彼が負傷なり戦死なりしようものなら、皇帝の怒りがどのようにふりかかってくるかわからない。ツィンマーマン中佐は、気をきかせたつもりで元帥に具申した。
「ミューゼル准将を戦線のいずれに配置するか、再考なさってはいかがでしょう?」
「たかが准将にすぎぬ者をどこに配置するか、宇宙艦隊司令長官たる私が、わざわざ配慮せねばならんのか?そのようなことは、彼を預かるクラインシュタイン中将のほうで考えるであろう」
遠雷のとどろきに似た怒声が元帥の上下の歯の間から転がりでて、副官は全身で恐縮してみせた。
        ※         ※
 3月21日2時40分。銀河帝国軍と自由惑星同盟軍との間に、最初の砲火が交換された。ヴァンフリート星域の会戦が、その瞬間にはじまったのである。
この会戦に参加した兵力は、帝国軍が艦艇3,4000隻、将兵422万9900人。同盟軍が2,8900隻、将兵336万7500人。前年にかわされた戦闘のすべてを凌駕する大規模なものであった。
この会戦は、クラインシュタイン艦隊1,4000隻の初陣であり、後にローエングラム元帥府に集う優秀な提督たちのなかでも中心となる者たちが多数、戦隊指揮官として参加した戦いともなった。

ちなみにこの会戦において、イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンは、クラインシュタイン艦隊ではなく、ミュッケンベルガー元帥直率の第44分艦隊に所属する駆逐艦の艦長をつとめ、クラインシュタイン艦隊があげた華々しい戦果になんら貢献しなかった。また、トーマス・フォン・ロットヘルトはオーディンにおいて士官学校候補生としての学業にあけくれ、会戦自体に参加していない。

全艦隊での将官会議において、今会戦の戦略的方針や各艦隊の配置が定められたのち、左翼部隊と位置づけられたクラインシュタイン艦隊での作戦会議が、旗艦シュタルネンシュタウプIIの艦上で開かれた。席上でラインハルトは、砲艦部隊を編成し、その高機動運用によって火力不足を補うよう提案した。

この会議に参加する幕僚たち、4人の少将、16人の准将のうち、ラインハルトの18才というのが、飛び抜けて若い。26才のミッターマイヤー、27才のロイエンタール両准将がこれに次ぐ。ただし、”寵姫の弟がろくな経験もなく…”という、ラインハルトになじみの視線を向ける者は、ここでは半数に満たない。ラインハルトを含む新任の准将9名は、数年まえからトーマス、イザークらが手分けして勧誘してきた者たちで、着任にあたってトーマスとイザークの私的な訪問を受け、クラインシュタイン艦隊における評価の方式について説明をうけていた。
クラインシュタイン艦隊における評価は能力だけに基づく。ラインハルトはとっても優秀で、3宗家が、とりわけロットヘルト家とトゥルナイゼン家で手厚くもてなしてきたが、それは自分たちと幼年学校同期という縁によるもので、艦隊における評価では、いかなる手心も加えられることはなく、皆と同じスタートラインに立たせる。
新任の准将たちは、この艦隊のスポンサーである3宗家から、ラインハルトとは当主や嗣子たちと個人的に交際を持っているが、特別扱いはしないという説明を受けており、ラインハルトを”お手並み拝見”という目で見ることとなった。

ラインハルトの提案に対する他の新任准将たちの反応は、”うまいことを考えたな”、”おれだってその程度のことは思いついていた”等と別れたが、”寵姫の弟、宗主や嗣子の親友というだけで特別扱いされている”のではない、という点は、この場にいる大部分の者が理解した。
ラインハルトの提案は採用され、各戦隊から高速タイプの砲艦875隻が抽出され、新たにラインハルトの指揮下に委ねられた。もともとラインハルトには砲艦・ミサイル艦175隻がゆだねられていたが、これによりクラインシュタイン艦隊の長距離火力の七割が、彼の指揮下におかれることになったのである。責任重大である。
     ※               ※
同盟軍は星系外縁に凸陣形で布陣、帝国軍は凹陣形でこれに対した。
砲火はまず帝国軍の右翼部隊と同盟軍の左翼部隊の間に開かれた。
すかさず、クラインシュタイン提督は命令をくだす。
「全隊、2時方向に繞回しつつ前進!」
クラインシュタイン艦隊の接近に対し、同盟軍右翼部隊は時計回りに回頭し、これに向き合った。帝国軍左翼部隊(クラインシュタイン艦隊)と同盟軍右翼部隊の間でも砲戦が開始された。
「敵の攻勢など阻止できる。ここだ、ここに火線を敷けば、わが軍中央部隊との間に、十字砲火網を敷いて、敵をなぎ倒すことができる」
戦況データを見ていたラインハルトがそう思った瞬間、命令がくだる。
「ミューゼル戦隊、いまだ!」
クラインシュタイン提督は、ラインハルトは戦況データをみて、解析して理解するのでなく、直感的に把握できることを確認していた。ロットヘルト家の故若殿(=トーマスの伯父ゲオルク)に似たタイプの天才である。その手並み、いまこそ見せてもらおうではないか。
「敵右翼に最大のダメージを与えろ!」
曖昧な命令であるが、ラインハルトに大幅な裁量を与えるものである。
ラインハルト戦隊は勇んで飛び出した。
まずは敵右翼の右方の集団(先頭集団)を狙う。彼らのエネルギー中和磁場、補助艦による対実体弾(ミサイル・レールガン等)弾幕とも、主として帝国軍中央部隊からの攻撃に振り向けられていた。ラインハルト部隊からの横撃により十字砲火網が濃密に形成され、同盟軍右翼の戦闘部隊は数斉射であっけなくなぎ倒され、潰滅していった。
先頭集団が潰滅すると、帝国軍中央部隊と左翼部隊(クラインシュタイン艦隊)による十字砲火の標的は、同盟軍右翼部隊の中央集団に移る。ラインハルトは、戦況データより、敵右翼集団の旗艦っぽいものに見当をつけ、靡下にこれをターゲットとして残弾の斉射を命じた。
ラインハルトは戦況データをながめていて、これが敵旗艦だ!とか、この辺りに敵旗艦が潜んでいる!とひらめくことが多い。そしてそのひらめきが当たっている確立が非常に高い。
ラインハルト戦隊の攻撃が敵右翼中央集団にとどき始めると、一瞬、敵右翼の抵抗が途切れた。ほどなく抵抗は再開するが、混乱し、つい先頃までと比べて非常に微弱となった。のちに判明したことだが、この斉射で、同盟軍右翼部隊の旗艦が爆沈し、司令官が戦死、指揮権の移譲が行われていたのである。
 これをみて、クラインシュタイン提督が命じる。
「全艦、突撃!」
全弾を射出したラインハルト部隊をその場にのこし、クラインシュタイン艦隊は敵との距離を詰める。クラインシュタイン艦隊の攻撃は、敵右翼部隊の残存艦艇をふきとばし、同盟軍の中央部隊にまで届き始めた。
同盟軍はほどなくして隊形を解き、バラバラになって星系内部へ逃げ込んでいった。クラインシュタイン艦隊は星系外縁部で追撃を停止したが、散開した敵部隊を追って星系内に侵入した帝国軍右翼部隊の一部が手痛い逆撃をうけた。同盟軍は、潰走したのではなく、司令部の統一的指揮のもと、組織的抵抗を継続するつもりのようだ。
この間、ミュッケンベルガー司令長官は、左翼・中央・右翼・直属の各部隊から部隊を抜き取り、8,000隻の別動隊を組織して、同盟軍の側背から奇襲させるため繞回進撃させていたが、同盟軍部隊の散開と星系内への撤退により、別働隊は標的を失った。
ミュッケンベルガー司令長官は全体の秩序を再編するため、追撃を中止し、全艦隊の集結を命じた。開戦後、6時間目のことである。

     ※            ※

星系内に逃げ込んだ同盟軍を追って、帝国軍は無人偵察機を侵入させたり、駆逐艦・巡航艦の小部隊による威力偵察を試みた。敵の本隊は補足できなかったが、通信が途絶える機体、襲撃を受けたと報告して消息を断つ部隊が絶えず、敵がこの星系に拠って交戦する意図ははっきりうかがえた。

3月24日、帝国軍は、星系内に潜んだ同盟軍に”誘いの隙”をみせるため、あえて、クラインシュタイン艦隊14,000隻、ミュッケンベルガー直率部隊8,000隻(副司令官グリンメルスハウゼン中将)、メルカッツ部隊12,000隻の3隊にわかれ、星系内の要所に進駐することにした。

クラインシュタイン艦隊は、第4惑星の第2衛星(ヴァンフリート4-2)の周回軌道で待機することとなったが、艦隊の航路算定を命じられたラインハルトは、進駐後も敵の通信波の解析を続け、この衛星を指向しているものがあるとの結論に達した。ラインハルトは偵察衛星4機を発信させ、衛星をさらに監視させたところ、ほんの一瞬ながら、この衛星からの、帝国軍のものではない電波の発信を確認したのである。

直後の将官会議において、ラインハルトはその旨を報告した。
「つまり、すでに衛星地表上には敵部隊がいると?」
「はい。規模は不明ですが、南極付近からの電波の発信を確認しました」
「よし、無人偵察機を動員して、策敵調査を行う!」

調査の結果、大規模な同盟軍の施設が南極の氷雪の下に隠蔽されていることが確認された。

「これは、叛乱軍がイゼルローン回廊に侵攻する作戦を行う際の、後方基地として建設されたものと思われる」
「叛乱軍は、こいつがあるから、一個艦隊が潰滅したのに、この星系に執着していたんですねぇ……」
「制宙権はわれわれにある。このまま一挙に殲滅しますか?」
ラインハルトも発言する。
「それよりも、あえて地上部隊による攻略に取り組んではどうでしょう。救援のため、敵艦隊が姿をあらわすかもしれません」
「うむ、それなら敵艦隊と一挙に決着をつけることができるな」
クラインシュタイン提督はラインハルトの提案を採用、さらにミュッケンベルガーにも帝国全部隊で一体となった待ち伏せを行うよう提案した。

ミュッケンベルガー総司令官は提案を受け入れ、陽動としての基地攻略作戦にあてるため、全艦隊に配置されていた装甲擲弾兵部隊をすべてヴァンフリート4-2にあつめるよう命じた。オフレッサー大将が指揮をとり、同盟軍基地の攻略作戦を担うこととなった。。

ヴァンフリート4-2の軌道上には、上空支援と、敵艦隊に対するおとりを任務とした2個分艦隊(6,000隻)が配置され、クラインシュタイン艦隊・ミュッケンベルガー直属部隊・メルカッツ部隊は、あえてヴァンフリート4-2より離れた位置に身を潜め、同盟軍艦隊の出現を待つこととなった。

3月30日、ヴァルキューレ部隊による空襲、ミサイル砲艦による軌道上からの攻撃ののち、地上部隊による攻撃が開始された。

同盟軍基地は、宇宙艦隊に救援を求めた。
「大規模な宇宙艦隊の上空支援をうけた優勢な帝国軍地上部隊からの攻撃を受けている」

この時、同盟軍艦隊は、司令官を失い半数以上が撃沈または大破した第6艦隊を星系から脱出させる一方、アレクサンドル・ボロディン中将麾下の第12艦隊の増援を受け、アリグザンダー・ビュコック中将の第5艦隊、ハーフンギーン・チャガーンフー中将の第9艦隊の3個艦隊で、帝国軍に奇襲をかける機会を狙っていた。しかるに、奇襲にこだわって基地の救援要請を放置すれば、未来のイゼルローン要塞攻略作戦のために蓄積してきた膨大な物資を失ってしまう。ことここに至り、同盟軍のロボス司令官は、速やかに三個艦隊を合流させ、ヴァンフリート4-2の軌道上に展開する帝国軍6,000隻を一挙に駆除する決断をくだした。

隠れ家から飛び出し、3方向からヴァンフリート4-2に迫った同盟軍艦隊の3個艦隊は、突然、それぞれが、後背から帝国軍部隊の襲撃を受けた。地表と、宇宙空間とで、血みどろの決戦がはじまった。
  
          ※               ※

4月3日、オフレッサー大将のもとに、宇宙艦隊が、潜み隠れていた同盟軍艦隊を引きずり出し、決戦を始めたという連絡がとどいた。この時、帝国軍地上部隊は基地内部の奥深く侵入し、司令部の内部に浸透しつつあった。
これで、地上部隊はおとりとしての役割を充分にはたした。今会戦は、たまたま叛乱軍の艦影をこの星系で発見したことからこの星域が戦場となったもので、いまの帝国軍は、叛徒の勢力圏に属するこのような星系を恒久的に奪取し領有するだけの構えを有していない。ミュッケンベルガー司令長官からは、”適当なところで切り上げるように”という指示が下った。オフレッサーは命じた。
「この基地は、あとわずかで完全に制圧できる。急げよ!」
その時、リューネブルク准将から通信が入った。
「叛乱軍の指揮官シンクレア・セレブレッゼなる者を捕獲しました。中将の階級を持ち、この基地の司令官を名乗っております」
そろそろ潮時か。
「リューネブルク、よくやった。わが軍の完全勝利だ。よし、全軍、撤収せよ!」

薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)では、連隊長ヴァーンシャッフェ大佐がこの迎撃戦の中で戦死し、シェーンコップ中佐が指揮を引き継いでいた。
「中佐、敵軍が引き上げていきます!」
「これは、いまから上空より殲滅攻撃がくるぞ。逃げ出す算段が必要だな」
シェーンコップは、他の連隊と連絡をとり、指揮系統の再構築に努めるとともに、連隊の各員に生存者の確認、機密服の着用、基地からの脱出準備などを命令した。

帝国軍の地上部隊が撤収して30分後、ワルキューレ部隊と巡航艦2隻が現れ、”降伏か、さもなくば殲滅する”と威嚇しながら基地上空を旋回した。同盟軍の残存部隊は、雪上車や地上装甲車の屋根の上にまで乗り込み、さらには人を満載したソリを牽き、蜘蛛の子を散らすように基地から離れていく。両軍の暗黙の了解として、勝利後に戦場を確保し、整理にとりくむ(=負傷者を救難し、生存者を捕虜とする)意志がない場合には、戦闘力を失って、このように逃げ出す人員は攻撃しないことになっている。脱出者の波が途切れると、ワルキューレ部隊と巡航艦は、地上部隊の攻撃を免れて原型を保っていた施設を集中して攻撃、破壊し、引き上げていった。



クラインシュタイン艦隊は、チャガーンフー中将の第9艦隊の進路左方に現れ、眼前を通過する第9艦隊に猛烈な射撃を浴びせたのち、追跡にかかった。相対速度の違いから、クラインシュタイン艦隊は第9艦隊と次第に距離がひらいてしまう。もし第9艦隊がこのまま星系からの脱出をはかるなら、ここで取り逃がしてしまうところであったが、チャガーンフー中将は決戦を選択、艦隊を反転させ、クラインシュタイン艦隊と向き合う隊形を整えた。

真正面からビーム砲を乱射し、ミサイル・レールガン・宙雷などの実体弾をぶつけ合う。クラインシュタイン艦隊はもともと数の上で勝っている上に、奇襲攻撃でダメージも与えているため、このまま力押しの撃ち合いを続けていけば、優勢はさらに拡大するであろう。

このような戦況下、艦隊の前衛において実体弾攻撃・対実体弾防御の指揮にいそしんでいたミッターマイヤー准将のもとに、一通の通信がはいった。

ラインハルトの名義で、今から10分後、ミッターマイヤー戦隊に、第34回目と第35回目のミサイル斉射について、指定するコースと座標により発射することを要請する内容である。
 真正面からの味方弾幕が薄くなるが、艦隊は全体としては優勢なのであり、自分の戦隊の2斉射分がよそへ向かっても問題なかろう。ミューゼル准将が緒戦で敵右翼の旗艦をしとめたのはまぐれではなさそうだ。今回も彼に賭けてみよう。ミッターマイヤーは、”要請受諾”と返信した。

指定されたタイミングの直前、後方からの大規模なミサイル3斉射がミッターマイヤー戦隊を追い越していった。一見、てんでバラバラな方向に飛び散っていくようにみえる。
「これに合わせるわけだな!」
ラインハルトの要請どおりのコース・タイミングで2斉射をおこなった。
ミッターマイヤー戦隊のすぐ左どなりで前衛をつとめていたロイエンタール戦隊からも、ほぼ同じタイミングでの2斉射が確認された。

3個戦隊分のミサイルの弾幕2斉射は、戦場を迂回し、側面から艦隊の中央部に一斉に襲いかかった。この奇襲に同盟軍第9艦隊は対応できなかった。旗艦ボルテ・チノは大破し、司令官チャガーンフーは負傷、人事不省に陥った。最先任の分艦隊司令ハーフンギーン・ウラーンフー少将(=チャガンフーの兄)が指揮を引き継いだが、クラインシュタイン提督はこのわずかな隙を見逃さず、一挙に攻勢をつよめた。ウラーンフー少将はこれ以上の抗戦を断念、さらに大量の犠牲をはらってクラインシュタイン艦隊との距離をあけると、そのまま星系外に脱出した。

ミュッケンベルガー、メルカッツ等の部隊もそれぞれ同盟軍の第5、第12艦隊に大損害をあたえ、星系外に退却させることに成功した。

ミュッケンベルガーは「暴戻なる叛徒どもに痛撃を喰らわせ、皇帝陛下の聖徳をあらためて宇内に示すことを得た」として、全軍に引き上げを命じた。



[29819] 第14話 「門閥貴族たちの好意~ラインハルト、さあ、どうする?!」(1/28)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/02/04 01:11
帝国軍宇宙艦隊は、ヴァンフリート星域から同盟軍をたたき出したが、三個艦隊程度の戦力ではこの星系を恒久的に確保することはできない。遠征軍の司令官でもある宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥は全艦隊にむけて勝利宣言を放送し、その宣言を結論として末尾に収録した戦闘詳報の作成を部下に命じると、イゼルローンにむけて艦隊を反転させた。

帰還の途上、旗艦で行われた、祝勝会を兼ねた将官会議の席上で、ラインハルトはロイエンタール、ミッターマイヤーのふたりと初めて直接に会話した。

「卿らの支援もあって、敵第九艦隊の旗艦をしとめることができた。協力に感謝する」
「2回の戦闘で、二つの艦隊の旗艦を打ち取ったのは偶然ではありえない。ミューゼル准将は“見える”のですかな?」
「どうもそのようです。自分自身でも理由はわからないのですが、とにかくわかる」
「指揮官としては、うらやましい才能ですな」
「しかし卿らからの援護射撃も、私が願っていたとおりの場所とタイミングでみごとに決めてくださった。卿らも、なにか、授かっておられるものをお持ちなのでは?」
ラインハルトとロイエンタール、ミッターマイヤーは、まずはお互い褒めあうところからはじめて、互いの知見や人格を探りあいながら思った。
またいっしょに組んで戦いたいものだ、と。
  
※                      ※


 銀河帝国ゴールデンバウム王朝の軍隊は、この当時、「秩序の堅牢にして緻密なること鋼鉄のごとし」という状態にはなかったが、会戦が終了するつど、総括と賞罰は、いちおうの形をつけられることになっていた。「ヴァンフリート星域の会戦」の後、ラインハルト・フォン・ミューゼルは18歳にして少将に叙せられた。むろん、帝国軍史上、最年少の少将であった。1会戦で敵2個艦隊の旗艦を撃沈した功績が評価されたのであった。
 にもかかわらず、ラインハルトは激怒した。ジークフリード・キルヒアイスが昇進せず、大尉のままであったためだ。
ラインハルトは軍務省人事局長ハウプト中将のもとに赴いて強硬に抗議したが、中将は、「これまでの帝国軍の歴史に、少将の副官を佐官がつとめた前例はない」という真偽不明の前例をもちだし、昇任と引き換えにキルヒアイスをラインハルトの副官から外すぞ、と主張し、ラインハルトを考え込ませることとなった。
 自分は、おのれのエゴイズムのために、キルヒアイスの昇進をはばんでいるのだろうか。おれのもとを離れたら、キルヒアイスは少佐に昇進できる。だとしたら、キルヒアイスをおれから解放し、昇進させてやるべきなのだろうか。
 ラインハルトは迷いつつ、いったんハウプト中将の前から退出した。
 
※                      ※

戦いから帰ったとき、ラインハルトとキルヒアイスは、最初にアンネローゼに会いにいく。というより、皇帝の後宮の女(ひと)となったアンネローゼには、男性は、肉親であるラインハルトでさえ、面会するのが容易ではない。出征から帰ると、いわば武勲のごほうびとして、面会の理由が認められるのであった。そのために、アンネローゼに会える日のために、それに先立つ戦いを受容するという一面が、キルヒアイスの心理には、たしかに存在する。
この年、帝国歴485年5月24日の対面は、シャフハウゼン子爵の邸宅で行われた。アンネローゼの友人である子爵夫人ドロテーアは、この対面のためにサンルームを貸してくれた。ラインハルトとキルヒアイスがドロテーアに案内されてサンルームに入ると、少女ふたりの先客があった。トゥルナイゼン家の令嬢にしてロットヘルト家の嗣子トーマスの許嫁アーデルハイト(ハイジ)と、ミュンヒハウゼン家の令嬢ミニラである。

「おれとキルヒアイスが姉上に会いにいくと、いつもあなたたちがいるな」

姉への訪問の帰途にロットヘルト家の地上車で下宿まで送ってもらい、その途上、ハイジやその侍女ジングハイマー嬢らと政治や軍事について語りあうのはそれなりに楽しいのだが、それはそれ、いまこの瞬間、アンネローゼと水入らずで話をしたいラインハルトとキルヒアイスにとって、この二人ははっきりいって邪魔ものである。迷惑そうな表情を隠しもせずにラインハルトが告げると、ハイジが言い返した。

「だって、効率がいいんだもん」

アーデルハイトとミニラによる訪問は、トゥルナイゼン・ロットヘルト・ミュンヒハウゼンというみっつの一門がアンネローゼの後ろ盾についていること、いっぽうで訪問者を3つの一門の宗家の少女ふたりに限定し、一門の貴婦人たちによる大規模な交流としないことによって、みっつの一門が、宮廷内においてアンネローゼを擁して独自の勢力を築く意思のないことを示すという、一石二鳥の高度に「政治的」な行動である。ハイジのいう効率とは、姉弟がそろっているところに赴けば、アンネローゼとラインハルトに対していっぺんに「後ろ盾」であることを示せる、という意味である。
他の門閥宗家や上級貴族の諸家に対し、姉弟と3一門のの関係を示すことが目的であり、訪問することそれ自体に意義がある、そんな訪問である。姉弟やキルヒアイスにとって、門閥大貴族や上級貴族たちからの嫉視をふせぐ壁となってくれるもので、ありがたい訪問ではあるのだが、ラインハルトとキルヒアイスにとっては、どうしても迷惑な思いは拭えない。

「まあ、お邪魔虫は席をはずしてあげるよ」
アーデルハイトはそういうと、ミニラを促して、サンルームから退出した。

少女ふたりの退出をみとどけると、ラインハルトはキルヒアイスが昇進しなかった事情を姉に訴え、アンネローゼはそれに対して、力になってもよい旨を答えた。しかしお願いします、とは、キルヒアイスは言えなかった。
「ありがとうございます。アンネローゼさま、ですが、私はべつに昇進をあせる気はありません。いまでも早すぎるほどです」

門閥大貴族や上級貴族の大多数が、寒門出身のアンネローゼが皇帝の寵愛を独占しつづけることを容認してきたのは、これまでアンネローゼが政治的な発言を一切さしひかえ、身内(ラインハルトとキルヒアイス)に対してもきわめてささやかな要求(二人を幼年学校に入れること、任官後もふたりを同一の職場に置くこと)しかしてこなかったことによる。しかしキルヒアイスがアンネローゼの力添えで昇進する場合、「グリューネワルト伯爵夫人による軍人事への干渉」の前例が発生した、として、軍首脳部や門閥貴族たちの彼女に対する心証が悪化することは間違いがない。

「ジーク、あなたは・・・」

アンネローゼはそれだけしかことばを発しなかったが、キルヒアイスは彼女が自分の真意を諒解してくれたことをさとり、大変に幸福だった。

ところが、キルヒアイスの少佐への昇進は、まったく別方面からの力添えによってあっけなく実現した。リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン子爵。クラインシュタインとならび帝国軍最高齢の将官で、ヴァンフリート星域の会戦において、ミュッケンベルガー司令長官直属の中央部隊の副司令官をつとめ、このたび大将に昇任した人物である。将官会議の際、ラインハルトがとおく離れた席で同室しただけで、ラインハルトともキルヒアイスとも全く面識がない。彼に対するラインハルトの印象は、無能なくせに戦場にでたがる迷惑な人、という伝聞によるものしかない。

「あの老人が、なんでお前の昇進を推薦したりするんだ?」
「わかりません」

ピーター・クルツリンガーがリンベルク・シュトラーゼの下宿にあそびにきたとき、グリンメルスハウゼン子爵という人物について尋ねてみた。

「子爵は、皇帝陛下の“ご学友”にあたる人だよ」
フリードリヒ四世が不遇だった大公時代、ただひとり側で仕え続けた人物だという。
「皇帝陛下の、外付けの頭脳のひとつといっていい」
軍や行政府の組織系統図のうえにはあらわれないが、フリードリヒ四世のもっとも身近な寵臣といっていい人物であるそうな。
「ジークが、グリューネワルト伯爵夫人のご舎弟の随一の腹心ということで、彼は以前からライニやジークに注目しているのかもね」

いずれにしても、キルヒアイスは推薦者に謝辞を述べねばならず、とある一日、グリンメルスハウゼン大将の邸宅を訪問した。広いが薄暗い書斎に若い客を迎えた老人は、キルヒアイスに椅子をすすめ、彼の謝辞にこう答えた。
「ミューゼル少将はともかく、わしまで昇進したのじゃ。卿が昇進せぬのでは、道理にかなうまい。卿は今会戦でも少将をよく補佐したのであろう?」
老人はいままで一面識もなかったが、やはりキルヒアイスがラインハルトの腹心であることを承知の上での推薦であったようだ。
「いえ、ミューゼル少将を補佐することは私の責務ですから、ほめていただくようなことではありません」
「ただな、今こうやってひとつ昇進したからには、今年のうちにもう一度昇進することはないと思うてくれ」
「そんなことは、意に介するにたりません。少佐でも分にすぎると思っております。ほんとうにありがとうございました」
そこで遅まきながら、キルヒアイスが大将昇進への祝辞を延べたが、老人は意外に無感動であった。
「いや、わしが大将なんぞになれたのは、自分の能力のゆえでも功績のゆえでもないからな。わしが子爵家の当主で、皇帝陛下の個人的なご好意をいただいておるからじゃ」
返答にこまって沈黙するキルヒアイスの耳に、さりげなそうに一言がふきこまれた。
「そういう世のありようを、ミューゼル少将などは、おもしろからず感じているのではないかな」
一瞬、冷気の指がキルヒアイスの脊椎を駆け下りていった。この老人は、いったい何を語ろうとしているのか。
「ミューゼル少将に不満などございません。10代にして少将たる身を皇帝陛下に感謝しております」
「卿としては、そう主張するしかなかろうな。じゃが、卿の配慮や、あるいは誠意をもってしても、ミューゼル少将の眼光を消すことはできんて」
「…………」
「あれほど覇気に満ちた美しい目を、わしは見たことがない。わしは一生、あんな目を持つことはできなかった」
「ですが、18歳のときには、閣下も、覇気に満ちておいでだったのでしょう?」
「いやいや、わしは18歳のときには、もう自分の才能や将来に、見切りをつけておったよ」
赤毛の若者は、老人の真意を把握するのに困難を感じていた。この老人は、何を洞察しているのか。ラインハルトに対して、敵意・悪意・害意をいだいているのか否か。
 この老人は、ラインハルトの大それた覇行のなかにあって、いかに位置づければよいのか。彼の発言の背後には、皇帝の意志があるのか否か。
沈黙はながく続いたが、やがてキルヒアイスの内心に関係ない表情と口調で、老人は悠然と口をひらいた。
「年長者として、わしがただひとつ、えらそうなことが言えるとしたら、ミューゼル少将があせる必要はまったくないということじゃ」
「あせるとは、何に関してでしょう、閣下」
危険を感じないでもなかったが、あえてキルヒアイスは問うてみた。老人の答えは簡潔だった。あるいは巧妙だった。
「人生に関してじゃよ、むろん」
その返答をえたところで、キルヒアイスは立ちあがり、老人のもとを辞した。むしろ彼のほうこそさらけ出しそうな気がしたからであった。帝国全体の簒奪をたくらむ不逞な野心家の腹心である、という正体を

※                      ※

クラインシュタイン提督は、ラインハルトの能力を正当に評価し、彼の能力を最大限に引き出す形で起用してくる。クラインシュタイン提督の指揮下で戦うことは、彼にとって不快なことではなかった。

宇宙艦隊のミュッケンベルガー元帥、装甲擲弾兵のオフレッサー大将ら軍の最高幹部たちが彼に接する態度からも、未熟な若者に“経験値をあげ、はやく力をつけよ”と生暖かく励ます雰囲気を感じる。このような彼らの態度は、ラインハルト自身の能力や識見ではなく、ラインハルトが「あの3一門の期待の郎党」とみなされていることに基づくものだと思われる。

大貴族どもには、恐れられ、憎まれるほどの力をつけねば!こんな境遇に安住していては、「ただの門閥大貴族の手駒」の地位に甘んじることになる。

そういうわけで、ラインハルトは、キルヒアイスと二人だけのときに、必死になってクラインシュタイン提督やミュッケンベルガー司令長官にケチをつける。

今回の「ヴァンフリート星域の会戦」は、大勝利であったにしても、しょせんは敵に大打撃をあたえ、味方がちょっぴり損害を受けただけで、イゼルローン回廊をはさんで叛徒どもとにらみ合うという戦略的条件は、結局1ミリたりとも動いていないではないか!しょせんはこいつら「戦争ごっこ」をやってるだけの戦術バカだ!
おれの地位がもっとあがったら、こんな無益な戦争はやらない。やらせない!

         ※                    ※

6月10日。
午前中で大学での授業を終えて帰宅する途上、家の近所で赤毛の大男とでくわした。士官の軍服を着ているが人懐こそうな、やさしげな顔つきの男である。容貌も体格もすっかり変わっているが、その表情には見覚えがある。声をかけてみた。
「ジーク?ジークフリート・キルヒアイスじゃないか?」
赤毛の大男の表情がほころび、質問に質問でかえしてくる。
「マルティンか?マルティン・プ―フホルツか?」
やはりジークだった。
 初等小学校の最高学年時、町内の男子たちを統率する大将として君臨していたジーク。彼は、統率者としても、外交官としても、ひとりの戦士としても傑出しており、彼が先代から地位を継承して大将であった10カ月、町内の、3歳~10歳の男子で構成されるヴェー・ツェ―団を巧みに統率し、さらに遠交近攻の巧みな外交政策と、卓越した戦闘指揮により、近隣からの侵略の試みをことごとくくじき、団の勢力圏を微塵も犯させることがなかった。
ところが彼の家のとなりに、貧しい貴族の姉弟が越してきたとたん、ジークは大将の地位をなげだして姉弟のところに入り浸りになり、やがて弟とともに町内から姿を消してしまった。
 ジークなき後、ヴェー・ツェ―団は最高学年の男子たちによる集団指導体制がとられたが、有能な指導者と、最優秀の戦士を一度に失った団は、その後、近隣の町からの侵略者に、ほしいままに蹂躙されることとなったのである。
 おさないころ、マルティンはそんなジークを恨めしくおもったものだが、いまでは懐かしい思い出である。マルティンはジークに、いまオーディン文理科大学にすすみ、古典文学の研究をやっていることを告げた。
「君らしい生き方だと思うな。きっとあの子はえらい学者さんになるよ、と、うちの母が言ってた」
「ありがとう。それにしても君が軍人になるとはな。あのころは想像もしなかった。……もっとも、ぼくも再来年は軍隊入りだ。20歳になるから、2年間の兵役さ。君とちがって、底辺の二等兵からの出発だ。一年間生きのびれば一等兵に昇進できるそうだけど、それまでにたぶん戦死しているだろうよ」
「マルティン……」
「すまない、ジーク。君の気を悪くするつもりはなかった」
「わかってるよ。気にしなくていい。でも国立大学の学生だろ?徴兵免除の申請はしなかったのか?」
「もちろん申請したさ。だけど却下された。医学や工学ならともかく、文学みたいな役立たずの学問に対しては、徴兵免除の特権は適用されないそうだ」
「文学って、役立たずの学問なのかい?」
「ぼくはそうは思わないけど、決めるのはぼくじゃない。軍務省の徴兵・訓練局の軍官僚どもさ。奴らはデスクの前にふんぞりかえって、ぼくたちを前線に送り出すだけでなく、学問や芸術にランクづけまでしてくれるんだ。まったくごりっぱな連中だよ」
「そういう奴らが、大きな顔でのさばるような世のなかは、いつまでも続かないさ」
ジークは気休めをいうが、心は晴れない。
ああ、そうだ。おれたちからジークを奪った、あいつはどうしてるかな。
「ところで、君はまだあのラインハルト・フォン・ミューゼルとくっついているのか?あのえらく気位が高かった転校生と」
ジークはだまってうなずくと、補足して行った。
「いまは18歳で、少将におなりになったよ」
「そうか、あいつは高級軍人が似合ってるよ。ぼくが死んだって冷然としていられるだろう。まったく、自分を何さまかと思ってるみたいに気位が高かったものな。ぼくもミューゼル閣下のもとで、殺し合いの場所に連れていかれるかもしれないな……」
あいつへの思い出といえば、ジークを奪って、わがヴェー・ツェ―団を窮地におとしいれた憎たらしい奴、ということしかないからな。8年も前のことだけど、ついうらみがましくなっちゃうな。
 を、ジークが表情をあらためたぞ。
「マルティン、ラインハルト・フォン・ミューゼルという人は、ぼくの上官で、とても大切な人だ。ぼくにはよくしてくれる」
ありゃ、怒ってる。
「……だから、彼の悪口は、ぼくの前では言わないでくれないか?」
そうかそうか。これは、もうあやまるしかないな。
「すまない、悪気はなかったんだ。ぼくにとっては、というか、ぼくらにとってはあいつは団からリーダーと最強戦士を奪った憎たらしいやつでしかないから・・・。でも、何も君と口論する気はないんだ。赦してくれ」
ジークはうなずいて、謝罪を受け入れてくれた。
「ぼくは、徴兵の日がくるまでに論文を完成させて、生きていた間に何かをなしとげた証にしたいんだ。いまは大学と家を往復して、資料を読むのと、抜き書きをつくるのと、文章をまとめる日々さ」
そういって、ジークとは別れを告げた。

家につくと、玄関の前には、灰色のコートを羽織った男がふたり待ちかまえていた。
「マルティン・プーフホルツくんだね?」
「ええ。あなたがたは?」
「社会秩序維持局“帝都ノルトライン区支局”の者だ。いささか詮議の筋がある。同行していただく」

         ※                    ※

6月10日の午後。オーディンのロットヘルト邸でヴィクトーリアがくつろいでいると、侍女が告げた。
「奥様、トゥルナイゼン星系からお電話です」
ヴィクトーリアが自室の端末で受けると、画面にはトゥルナイゼン家の先代当主エドゥアルト・ルドルフの姿が現れた。
「はい、エド、どうなさいました?」
「ヴィクトーリア、ハイジが社会秩序維持局に逮捕されたというぞ?」
「なんですって!」
ハイジは大学に行って、まだ帰邸していない。
「ああ、あの子の養育をあなたに委ねたのは、誤りだったのだろうか?」
「いったい、何があったのです?」
「わからんよ!」
「わかりました。すぐ心当たりに動いてもらいます。なにかわかり次第、すぐお知らせします」




[29819] 第15話 「ハイジとヒルダ、社会秩序維持局の取り調べを受ける」(1/29)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/08 12:21
エドゥアルト・ルドルフからの連絡に、ヴィクトーリアは驚愕した。
ハイジが逮捕?
たかが社会秩序維持局の木端役人ごときが、アーデルハイトに手を出したというのか?
約270家ある門閥宗家の中でも家格第30位のトゥルナイゼン家出身で、第12位のロットヘルト家に嫁にくるという尊貴なうえにも尊貴な身分の令嬢に対して!

許せぬ!!
自分自身のことについては門閥大貴族の身分を振りかざすことを好まぬが、義理の愛娘については話は別だ。
おのれ、目にもの見せてくれる!

6月10日夕刻。
社会秩序維持局では、とつぜん大門閥ロットヘルト一門の宗主ヴィクトーリアに怒鳴りこまれ、大混乱となった。局長以下、多数の職員たちがあわてて各所に連絡をとり、オーディン郊外のとある支局にたどりついた。
「奥様、こちらが、お嬢様の取り調べにあたっている責任者です」
青ざめた、さえない中年男に画面が切り替わる。
「帝都ノルトライン区支局長のフランツ・クッチェラであります」
男が自己紹介した。ヴィクトーリアはおもむろにたずねた。
「グレーフィン・フォン・ロットヘルトじゃ。うちの養女がそちらにいるそうじゃが、どういうことか?」
クッチェラ氏がいう。
「えー、あのフロイラインは、やっぱり本物なのですか?」

※                   ※

ヒルダや侍女たちと引き離されてハイジが導かれた部屋は、建材がむき出しの壁にスチールの机とパイプ椅子がおかれた非常に粗末な部屋である。すすめられた席に座ると、500Wのランプが真っ向から顔を照らす。机の端には、スライスした豚肉をパン粉の衣にくるんで揚げ、さらには卵でとじて、ライスの上に乗せた料理がおいてあり、おいしそうな匂いを漂わせている。そういえば、もうそろそろ夕飯どきである。
促されて席につくと、まぶしさのため、電球以外は何もみえなくなった。

“何を聞くのかな”としばらく待つが、取調官はなんだかもじもじして、黙っている。
「どうしたの?取り調べはじめないの?」
「フロイラン・トゥルナイゼン?」
「はい」
「そうですか。いやあ、なんだか、とても本物っぽいんで」
「どういうこと?あたしはアーデルハイト・フォン・トゥルナイゼン。さっきも名乗ったとおりよ」
「そうなんでしょうけど、オーディン帝国大学の政治・経済学部の学生で、なおかつ門閥宗家とか伯爵家の令嬢を自称するのがいかにも怪しいって思って引っ張らせていただいたわけですが、実物を拝見すると、どうみても本物で……」
取調官、日ごろ使わないものだから、敬語がたいへん怪しい。
「だって、本物だもの。トゥルナイゼンかロットヘルトのお屋敷に聞いてもらえばすぐわかる」
「いや、そうなんでしょうな。でもふつうはご令嬢といえば、貴族女学院へいらっしゃるものでしょう?」
そこへ、いかにも取調官の上司っぽい人物が駆け込んできた。さきほどヴィクトーリアにどなられたばかりの、ここの支局長クッチェラ氏である。
「……フ、フロイライン、まことに申しわけございません。グレーフィンさまからも早速お問い合わせがあり、フロイラインが、まぎれもなくロットヘルト家にお住まいのトゥルナイゼン家のご令嬢であることを確認させていただきました」
そして、真っ青な顔で、冷や汗を流しながら、取調官に命じる。
「おい、お前!フロイラインをすぐ貴賓室へご案内しろ!」

場末の小さい支局であるから、貴賓室といっても、安っぽい壁紙に、無名の画家の下手くそな油絵、すり切れた絨毯、スプリングの先が飛び出したソファ。…しかし先ほどの部屋とは天地の差がある別室に案内された。取調官は先ほどの料理を盆にのせてこちらの部屋にも持って来る。
クッチェラ支局長はハイジと取調官を貴賓室に導くと、あたふたとどこかへ出ていく。

「さっきからおいしそうな匂いが気になるんだけど、それは何?」
取調官は答える。
「こ、これはただのオーディンの下町料理で」
「あたしにくれるの?」
「いや、門閥のご宗家のご令嬢が召しあがるようなシロモノではありません。容疑者に白状させるのにつかう定番の道具なんです」
「あたし何かの容疑者なの?白状するにしても、まず質問してくれなきゃ」
「そ、そうなんですけど、大貴族のご令嬢さまを取り調べるなんて初めての経験でして」
そもそもロットヘルト家やトゥルナイゼン家のような門閥の宗家、あるいはマリーンドルフ家のような上級貴族の子弟が、社会秩序維持局の取り調べを受けること自体が稀有なことである。万一、取り調べをうける場合でも、下町の支局風情が担当することは本来はありえないことであった。

「これを使った質問ってどうやるの?」
「ええ、容疑者の腹を空かせた上で、こうやって風を起こして、いい匂いをかがせてやるんです」
「ええ」
「そして、……」
しばらくあぶら汗をながしながら口ごもったのち、謝ってきた。
「そのう、……すいません、できません」
「いいから、じゃあ、あたしじゃなくて、そっちを向いて、そこにいつも取り調べてる平民の容疑者がいるつもりでやってみて」
「はい」
取調官はうながされて90度横をむき、咳払いを一回したのち、どなりはじめた。
「おい!きさま!いい加減白状したらどうだ?白状したらこれを食べさせてやってもいいぞ」
そして目をつりあげて首を前方につきだしつつ、両手の平で机をバンバンと叩きながらどなった!
「わかってんのか!黙ったまんまなら、ずっとメシ抜きだぞ!」
たいへんノリのいい取調官である。
「わぁ、すごい迫力!」
ハイジが喜んで拍手していると、いつのまにか戻って来ていたクッチェラ支局長がどなった。
「きさま!いい加減にせんか!」
脇にはヒルダと、ヒルダ担当の取調官もいて、目を丸くして眺めている。
「フロイライン、まことに申しわけありません」
「いいえ、あたしがやってってお願いしたのよ?」

※                   ※

取調官ふたりを背後に立たせ、クッチェラ支局長はハイジとヒルダにビラを何種類か差しだして説明を始めた。
「これらは、学生の地下組織によって、帝都のいくつかの大学でまかれたものであります。共和主義を鼓吹し、帝政の打倒を主張する連中です」
そして、ある段落を指さしながら言った。
「こちらをご覧ください。“貴族領主の残忍な統治”を糾弾する記述なのですが、実例として、ヴェスタープ伯爵領と、ローン子爵領における事例が記載されております」

ヒルダとハイジには、見慣れた事例である。
先日のゼミ発表でとりあげた、衰退政経における救済事業失敗の事例の一部だった。

「この事例は、閲覧がきわめて制限された内務省の档案(公文書)に記載があるだけで、一般に知られている事件ではありません。ビラを入手した我々がさっそく内務省に問い合わせたところ、マリーンドルフ伯爵家とロットヘルト宗家の閲覧申請依頼状をもった女学生ふたりが閲覧しに来たという回答があり、そのため、おふた方を、……そのう、こちらにお招きした次第であります」

事情がわかってきた。
門閥の宗家や上級貴族の令嬢がひっぱられるという椿事(ちんじ)は、身分の詐称と、共和主義者と、2重に疑われたために生じたわけか。
ヒルダが答える。

「その“女学生ふたり”は、わたしたちで相違ありません」
「その档案は何のために閲覧なさったのですか?」
ヒルダはハイジに目をむける。ハイジがうなずくと、ヒルダはバッグから先日のゼミで報告したレジュメと資料を取り出して示した。
「このゼミ・レポートを作成するためです」
「ほう、“衰退星系の救済事業の一覧と失敗の原因”ですか。……たしかに問題の事例の記載がありますな」
支局長はしばらくページをめくっていたが、ふたたび質問をはじめた。
「こちらを複写させていただいてよろしいですか?」
「いえ、档案保存室に閲覧と複写を申請した際、“公開は学術目的に限る”という制限をうけました。いまお目通しいただいて、メモをとっていただくのは全く構いませんが、複写については、わたしたちの判断で了承することはできません。まずは档案保存室に許可をもとめていただきますか?」
「わかりました、この件については、まあ、よろしいでしょう。
ともあれ、ご宗家と伯爵家の閲覧申請依頼状は本物で、また、お二人がほんとうに両家のご令嬢であることは確認させていただきました。またいかなる目的で档案をご覧になったのかもご説明いただきました」
「じゃあ、あたしたち、もう帰っていい?」
「いえ、捜査に少々ご協力いただけないでしょうか?」

クッチェラ支局長は、ヒルダのレポートを目にしたのは誰かを知りたい、といった。共和主義学生の地下組織がヒルダのレポートを入手した経路を解明するためだという。
ハイジとヒルダには、この要請を拒む選択肢はない。ふたりは、それぞれ記憶している範囲を支局長につたえた。
まずはハイジとヒルダが所属しているオーディン帝大の政治・経済学部のヤコブ・ロイシュナー教授のゼミナール。
ロットヘルト家とマリーンドルフ家の人々。
ロットヘルト家・トゥルナイゼン家の次代を担う、郎党・所従たち(ハイジはラインハルト・キルヒアイスもここに含めた)。
ホッホヴァルト星系の「三等書記官府」。長はエ―リケ・フライシャー(エ―リケ・フォン・ロットヘルト)三等書記官。
ホッホヴァルト星系の3人の領主たち。

「…この中では、ゼミの学生の方々があやしいですな。あとはこちらで調査を進めます。ご協力ありがとうございました。どうぞ、お引き取りください」
ハイジが【ライスの“ブタ肉厚切りのパン粉揚げ・卵とじ”トッピング】を指さしながらいう。
「これ、食べさせてもらえないの?」
クッチェラ支局長が答える。
「いやあ、これは門閥大貴族のご令嬢が召しあがるようなものでは…」
そこに突然、支局の扉が大音響をたてて開き、筋肉隆々の男たちが支局内に乱入してきた。アルノルト・シュヴァルツネッゲル中尉に率いられた装甲擲弾兵一個分隊である。分隊にまもられて、ヴィクトーリアも駆け込んできた。
「ハイジ!ハイジはどこか?」
「あ、お義母さま!」
「おお、無事であったか!」
クッチェラ支局長をはじめ、維持局の支局員たちは装甲擲弾兵たちに壁際に追い詰められ、震えている。ヴィクトーリアは、ヒルダに軽く黙礼すると、支局員たちを指しながらハイジに訊いた。
「こやつら、そなたに無礼を働いたのではないか?」
「いいえ、ぜんぜんそんなことはなかったわ。捜査に協力してあげてたとこなの」
ヴィクトーリアは、支局の者たちを威嚇するようににらみながら、宣告した。
「義娘(むすめ)たちは引き取らせてもらうが、異存はあるまいな?」
「ええ、どうぞどうぞ」
クッチェラ支局長は、ヴィクトーリアが発する威圧感に身をのけぞらせつつ、必死に耐えながらハイジとヒルダにむかってかるく頭を下げていった。
「捜査へのご協力、まことにありがとうございました」

※                   ※

6月10日晩。
一日の勤務を終え、リンベルク・シュトラーゼの下宿でラインハルトとキルヒアイスがくつろいでいると、見知らぬ兵士をお供に連れたカミラ・ジングハイマー嬢が尋ねてきた。
「なんのご用です?」
「お嬢様から、ジークに緊急の連絡が…」
いいながら、小型の通信端末を差し出す。小さな画面からハイジが話かけてきた。
「ヘルベルト・ザイデル、ヨアヒム・フォルクマン、マルティン・プーフホルツって知ってる?」
「ええ、みんな私が幼年学校にあがる以前の、同級生たちです」
「いまからロットヘルト邸にこれるかな?」
「どうしました?何があったんです?」
「共和主義の学生地下組織が摘発されたんだけど、さっきの3人は、住所がジークの出身地と同じ町内の人。他にもジークやライニの知り合いがいるかもね」
「すぐうかがいます」
キルヒアイスよりはるかに縁はうすいが、ラインハルトにとっても同級生だった連中である。ラインハルトも言った。
「おれも行く!」


********************
2014.10.8 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] 第16話 「マルティン・プ―フホルツ救出作戦」(2.9/2.13改)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/08 12:22
ヴィクトーリアの演説に付け足しして2倍に(2,700字ほど)増補しました。これにともない、ラインハルトとキルヒアイスをリンベルク・シュトラーゼに送る車内でハイジが発言した内容は、次回以降にまわします。
*************************

■帝国暦485年6月10日晩。オーディン・ロットヘルト邸にて。

「それで、この者たちは、そなたたちとはどの程度親しいのじゃ?」
ヴィクトーリアが、ラインハルトとキルヒアイスに尋ねた。
今日の未明から午前中にかけて摘発された、5つの大学の、反戦・反帝政・貴族制打倒・共和主義の学生組織のメンバー51人の中に、二人の幼なじみが何人か含まれていたのである。まず、キルヒアイスが答える。
「三人は、私の生家と同じ町内、ふたりは隣りの町内の出身で、いっしょに遊び回った連中です。彼らともう二人が初等小学校時代の同級生です。それ以外は、まったく面識がありません」
ついでラインハルトが続けた。
「おれ…わたしは転校生で、在学期間もみじかかったので、同級生だった連中のことはほとんど覚えておりません」
「それでは弱いのう……」
「「よわい?」」
「うむ。とりあえず、そなたらの初等小学校の同級生7人でよい、そなららにとって竹馬(チクバ)の友、親友中の親友ということにはならぬか?」
「”ならぬか”とおっしゃるのは、どういうことでしょう?」
「こやつらを、何人かでも請(う)け出してやろうと思っておるのじゃ」

請(う)け出す?共和主義にかぶれ、帝国を裏切ろうとした学生を、門閥宗主の地位を利用して助けようというのか?

「なぜ、そのようなことを?」

ラインハルトは、なぜ共和主義にかぶれた学生を救うのかをたずねたのだが、ヴィクトーリアは、ラインハルトに元同級生との関係の”格上げ”を求める理由を説明しはじめた。

「われ等、門閥の宗主というものは、太祖ルドルフ陛下による、銀河連邦(USG)の衆愚政治の打倒と帝国の草創を助けまいらせた300人の同志に起源をもっておる。民主共和主義を奉ずる者どもを、特に率先して踏みつぶすべき立場じゃ。
 しかるに、この者どもは、親のすねをかじる学生のお遊びとはいえ、帝政の転覆や、叛徒どもへの荷担を主張してしもうておる。ゆえに、たとえわれ等のごとき門閥の宗主であろうとも、あるいは門閥宗主であるからこそ、なんの縁もゆかりも持たぬならば、この類(たぐい)のものどもに、手を差しのべるのはむずかしい」
ヴィクトーリアは、いったん言葉を切り、ラインハルトとキルヒアイスの顔をのぞき込みながら言った。
「そこで、この者どもを、そなたらの”竹馬(チクバ)の友、親友中の親友”ということにするのじゃ。ミューゼル少将、そなたは倅(セガレ)トーマスの友人であり、わがクラインシュタイン艦隊における期待の俊英であり、キルヒアイス少佐はその所従で、副官で、腹心であろう?そのようなそなたらとまことに縁の深い者どもであるならば、われ等も手をさしのべる名分が立つ、ということじゃ」

「なぜ、彼らを助けてくださろうと?」
誤解されようのない表現で改めて尋ねなおすと、ヴィクトーリアは、1綴の書類をラインハルトとキルヒアイスに示した。マルティン・プーフホルツの取調調書であった。
「例えばこの者は、懲役免除の申請を却下されて絶望的になったのが、反体制運動にかぶれる直接のきっかけになったと言うておる。哀れなものではないか」

哀れは哀れだが、なぜヴィクトーリアのような門閥の宗主が、突然、反体制運動にかぶれた学生の救済を、急に思い立ったのだろうか。ラインハルトとキルヒアイスには、そちらのほうが大きな疑問である。二人の疑問を読みとったかのように、ヴィクトーリアは続けた。

「この者どもの中には、共和主義者や謀反人の子孫である農奴や賤民の出の者はひとりもおらぬ。そもそも、そのような出自の者は、おのれの息子を大学に寄越すことなどできぬ。すべて、帝都の富裕な平民の出で、いずれも代々オーディンに住もうておる商人か、職人か、役人の息子どもばかりじゃ」

キルヒアイスの両親は下級官吏で、その生家も、下町とはいえ、そのような出自の比較的豊かな人々が暮らす地域にあった。

「毎年、1000人あまりの大学生が危険思想にかぶれて逮捕されておるらしい。帝都の学生の100に3人という高率じゃ。平民の中でも帝室の恩を受けることの多い者どもの中から、そのような者を毎年、多数輩出しておるのは、結局のところ、われ等のような力あるものが、その責務を果たしておらぬことによる」

ヒルダのレポートを読んで、ラインハルトやキルヒアイス、クルツリンガー、シュトフたちは、貴族領主制の限界を感じたものだが、ヴィクトーリアの場合は、「高貴なる者」としての責任感に目覚めたようである。

「たとえば叛徒どもに対する軍事行動。帝国は、正規軍が27万隻、貴族諸侯が18万隻の航宙戦力を有しておるというのに、動かすのはいつもせいぜい3万隻前後じゃ。帝国が総力を上げれば、叛徒どもをあっけなく覆(くつがえ)し、戦争そのものを終結させることが容易なはずじゃのに、全艦艇の6%ずつしか動かさぬでは、叛徒どもをいつまでたっても鎮圧できぬ」

先日、ラインハルトはミュッケンベルガーやクラインシュタインの能力や見識についてキルヒアイスにケチをつけたが、ほぼ同じ主旨の批判を、軍人でもないヴィクトーリアの口から聞き、ふたりはやや意外の感を持った。

「いままで帝国に、総力をあげて戦う体制が整わないで来た責任は、地位や権力を多く持つ者ほど重い。わが家など、二百数十家ある門閥宗家のなかでも第14位の家格を持つ家であるから、門閥貴族、上級貴族と称される者どものなかでも、特に責任が重いほうじゃ。」
ヴィクトーリアはふたりを見まわしながらいう。
「われ等のような者たちが、叛徒どもをさっさと平定しておれば、このプーフホルツとやらいう者も、危険思想にかぶれることもなかったであろう。以上が、この者どもを救ってやろうとする理由じゃ」
ヴィクトーリアは、茶をひとくちすすると、さらに続けた。
「そなたらも、フロイライン・マリーンドルフのレポートを読んでおろう?わが一門は、帝国に対する奉仕について、いままで第13分艦隊に精兵を送り込むことと、一門からなるべく多数の将官を出すよう努めることで、こと足れりとしてきた。しかし、妾(ワタシ)はこれを読んで以来、家格第12位の門閥宗主が帝国に対して果たすべき責務としては、それだけでではとうてい済まぬと考えるようになっておる。
ただ、何をなすべきか、どのように取り組むかについては、ほとんど一から模索しておる有様じゃが。とりあえずは、すでにホッホヴァルトで着手しておる衰退星系の救済事業はなんとしても成功させ、他星系に発展させていきたいと考えておる。」

「請け出された学生たちはどうなさるのですか?」
「とりあえずはわが家の領地で行政官の訓練をうけさせた後、エーリケの下で働かせるつもりじゃ」
「ほう」

「調べさせたところ、危険思想にかぶれた学生どもは、死刑にはされぬが、収容所に拘置されつづけて、多くの者が4,5年もたたぬうちに死んでしまうことが多いようじゃ」

危険思想の持ち主や反体制運動の活動家として拘束されたものが、そのまま消息を断ち、2度と家族や友人の前に姿を現さなくなることは、心中ひそかに簒奪(サンダツ)の誓いを立てているラインハルトやキルヒアイスならずとも、帝国人の常識である。

「骨の髄からの共和主義者はどうしようもないが、単に軽い正義感とやらでかぶれただけの者であるなら、命が助かることは嬉しかろう。われ等にとっても、われ等の”衰退星系の救済事業”に”辺境に骨を埋める覚悟”で取り組んでくれる人手が手に入って、まことに都合がよい。この七人が善く働いてくれるなら、さらに多くの者を請(ウ)けだすこともできよう。そして、」

ヴィクトーリアは一息いれ、【湯で溶いて錬って薄くのばした米粉の板にソースを塗って焼き、薄く延ばして天日で干した海藻でくるんだ茶菓子】をバリボリとかみ砕いたのち、言った。

「フロイライン・マリーンドルフは、”過去の救済事業が失敗した原因の類型”のひとつとして、【事業の背景に自家の勢力拡大の下心があるという疑念を他家から招くこと】を指摘しておったが、もしこの種の者どもが”使える”となれば、救済活動が軌道にのった星系の運営を現地の者とこの種の者どもに委ねてロットヘルト家の人員は引き上げることができるようになる。さすれば、フロイライン・マリーンドルフのいう「他家からの疑念」を免れることができるかもしれぬ。まことにいいことづくめじゃ」

「なるほど」

この席には、ラインハルトとキルヒアイスのほか、アーデルハイト(ハイジ)、先代ゲオルクの代から当主の下でロットヘルト家の実務を担ってきたテオドール、アーデルハイトの侍女にして「ご学友」のカミラ・ジングハイマーらが同席しているが、ヴィクトーリアの発言内容をすでに承知ずみであるのか、ひとこともことばをはさまない。

「ところでそなたら、」
ラインハルトとキルヒアイスからとくに疑問や質問がないようすをみて、さらにヴィクトーリアは尋ねる。
「そなたらにも、衰退星系の救済事業についての考えを聞きたい」

クルツリンガー、シュトフら「ご学友」たちとの間では、「貴族領主制」をつぶさぬかぎり失敗してしまう運命は避けられない、という結論に達しているが、いまここで、「貴族領主」そのもののヴィクトーリアに向かってそう発言するのはなかなかむずかしい。

「フロイライン・マリーンドルフがレポートで指摘している4種の失敗原因は、どのように回避なさるのですか?」

「”他家からの疑念”を避ける方法についてはさきほど述べた。あとは”利を喰らわす”、つまり救済事業が領主にとって利益となることを示すこと。実例を示せるようにするために、ホッホヴァルト星系での活動はなんとしても成功させねばならんの。もうひとつは”力”じゃ」
「”力”?」
「過去に失敗した者どもが持っておらず、われ等が持つことができるものがある」

なんであろうか?

ヴィクトーリアは、突然、別の話題に聞こえるようなことをいいだす。
「先日、帝国軍の首脳部は、下級貴族・郎党・所従・平民の出身者に対して、能力次第で、大将以上の階級と職掌を解放することを、とうとう決断したぞ。帝国軍3長官の地位もじゃ。なさけない話じゃが、われ等のごとき武門の家々の宗主・一門とその”家の子”どもの中で、人材が枯渇しきっておるからじゃ。戦争は相手があることじゃからな。われ等 ”武門の家々” にとっては、それで”つよい軍勢”ができることのほうが大事じゃ」

そういえば、ラインハルトとキルヒアイスは、ヴィクトーリアやトゥルナイゼン宗家当主イザーク、ミュンヒハウゼン男爵らが、一門の子弟をクラインシュタイン艦隊に押し込んで、能力にあわない階級や地位を与えるような場面をまったくみたことがない。

「そなたらも才覚次第でどこまでも上に行けるぞ。倅(セガレ)トーマスの上官になるのもよい。われ等は後ろ盾になるぞ」

ラインハルトは思う。
発端は、ベーネミュンデ侯爵夫人の部下に命を狙われた時からだったな。おれも姉上も、押し売りみたいなかたちだったが、ロットヘルト一門の後ろ盾を得ることとなった。これがなかったら、おれや姉上に対する他の門閥宗主や上級貴族たちの圧力は、どのようなものになっていただろうか。

「そこで、改めてたずねるが、衰退星系を救済すること自体についてはどう思うか?」
「それは、有意義なことだと思いますが…」
「ならば話ははやい。そなたが軍の中で将来持つであろう何かの権限を使ってくれというつもりは全くないのじゃが、将来、他人からこの事業について尋ねられたときには、”有意義である”とか、”支持する”と言うてもらいたいのじゃ。それがわれ等の”力”となる」

なるほど。
3つの一門がクラインシュタイン艦隊に誘ってきた、他の門閥とつながりのない優秀な寒門出身者たち。ラインハルト自身をふくめ、彼らは時間が立つにつれ、正規軍の中で地位を高めていくだろう。
正規軍の要所を押さえる支持者たち。
たしかに、過去の失敗者たちが持たなかったものであろう。

「わかりました。その程度のこと、おやすいご用です」
「あとは、信物の往来(=手紙や贈答品のやりとり)を盛んにやりたい。あとは、何か大貴族との間でなにか問題が生じたときには、ぜひわれ等に頼ってもらいたい。間違いなく後ろ盾になるぞ」

このようなやりとりをロットヘルト一門と行う寒門出身者は、他からみれば、「ロットヘルト閥」に属しているようにみえるだろう。ロットヘルト家による一方的な利益の供与にはならないのである。

このあとラインハルトとキルヒアイスは、アーデルハイトがつくった草稿をほぼそのまま丸写しして7人分の助命嘆願書を作成し、署名してヴィクトーリアにわたした。

7人の元学生は、釈放された後、ロットヘルト星系の首府グリューンフェルデで行政官としての研修を受けるが、結局、ホッホヴァルト星系のエーリケのもとに赴くことはないままに終わる。



ロットヘルト家の地上車に送られて、ラインハルトとキルヒアイスはリンベルク・シュトラーゼの下宿に戻った。
「これは、グレーフィンによる、”大貴族の手によるゴールデンバウム王朝の活性化”に、完全に利用されることになるぞ」
「では、サボタージュしますか?」
「いや、”衰退星系の救済”そのものは、意義のある必要な事業だ。いずれ必ず帝国の国策として取り組まれねばならない事業だ。そんなものを妨害なんてできない」
ふたりはそれぞれ思う。これはもしかして”貧乏性”というやつなんだろうか。


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2014.10.8 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] 第17話 「帝国の未来を担う者」(2/13)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/08 12:24
第16話の後半を大幅に増補変更しています。
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ヴァンフリート星域の会戦における戦功により先に大将に昇進したグリンメルスハウゼンは、さらに「軍務省高等参事官」、「宮廷顧問官」などの職務もさずかったので、お礼言上のため、皇帝の居城である「新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)」に参上した。6月11日のことである。
グリンメルスハウゼン大将は、控え室で二時間ほど居眠りして、びろうどの張られた椅子によだれのしみを作ったのち、侍従にいざなわれて謁見室に入った。
皇帝フリードリヒ四世は、グリンメルスハウゼン子爵と、形式的な儀礼ととりとめのなさを合わせ持つ会話を五〇〇秒間ほど続けた後、話題を転じて告げた。
「ところで子爵、ラインハルト・フォン・ミューゼルについて、そのほうはどのように思うか?」
「ああ、ええと、グリューネワルト伯爵夫人のご舎弟のことですな」
「うむ」
「相当にすぐれた才覚の持ち主ですな。まだ直接会ったことはございませんが、隠そうとしても隠し切れぬ、溢れんばかりの覇気に満ちているとか」
「そうじゃ」
「彼については、今朝がた面白い動きが」
「ほう?いったいなんじゃ?」
「彼が提出した助命嘆願書を、おそらく陛下はすでに裁可なさっておられますぞ」
「ほう、さようか?」
皇帝が傍らに控える侍従に顔をむけると、侍従は手にしていた書類綴りをひらき、問題の書類の控えを皇帝にしめした。

そのうちのひとつは、次のような文面である。

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とこしえの天の力のもとに。
宇宙の真理、万物の法則のもとに。
 皇帝陛下の大御稜威(オホミイツ)のもとに。
   帝国騎士ミューゼル少将のことば。
 皇帝陛下に謹んで奏上もうしあげる。

オーディン市民にして国立オーディン文理科大学の学生マルティン・プーフホルツなるもの、小官の幼少時の同窓にして、竹馬の友、親友中の親友でありました。しかるに彼の者は大学に進んで後、危険思想にかぶれ、ついには法の裁きを待つ身となった由、実に心痛の極みであります。

しかし乍ら、ロットヘルト家が、辺境星域にて取り組んでいる事業に彼らを用い、功をもって罪を償わせる旨を願い出るとのこと。

たとえ辺境においてとはいえ、竹馬の友が命長らえることかないますれば、臣にとって大いなる喜びであります。

何卒(ナニトゾ)、ロットヘルト家の願い出をお聞きとげくださり、この者の生命をお救い下さいますよう、伏してお願い申し上げます。
                       帝国暦485年6月10日
                署名(ラインハルト・フォン・ミューゼル)

    皇帝朱批(奏の如く之を行え)
    御名・御璽
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

このような嘆願書が、7人の学生ごと7通提出され、すでに皇帝は自身の手で朱批を入れていた。書類の決済にあたっては、秘書官が、記入する朱批の文面ごとに書類を分類整理したうえで皇帝に手渡すものだから、皇帝は書類の文面など全く読んでいないのである。

「まことであるな。……この”ロットヘルト家の願い出”とはなんじゃ?」
「これもすでに陛下はご裁可をなさっておられます」
「むう」
すかさざず侍従が該当する書類を差し出す。
「ふむ、将来、衰退星系の救済事業を大々的にやりたい、辺境星域に骨を埋める覚悟をもつ人手を確保するため、危険思想にかぶれて捕らえられた学生を使いたいとな」
皇帝は、おもわず笑みを浮かべた。
「あのロットヘルト家の跳ねっ返り娘が、いっぱしのことを考えるようになったのじゃのう」
23年前、兄ゲオルクの戦死により、突然、いやいやロットヘルト家を嗣がされてから数年間のヴィクトーリアの”武勇伝”は、皇帝の耳にはいるほど華々しかったのである。
「しかし、いまの門閥宗主や上級貴族どもを、”持てる者の責務”に覚醒させようなどということができようかのう?」
「いやぁ、むずかしいでしょうな。”帝国社会を建て直す”ことを第一の目的とした場合には、連中を叩き直して根性を入れ換えようとするより、いっそ一掃してしまうほうがよほど容易でございましょう。グレーフィンの事業がなにか成果をあげるよりは、彼らが帝国をかじり倒してしまうほうがよほど早いかと」
「では、やはり、あの者に期待しておこうかの」
グリンメルスハウゼンもうなずいた。
「ただし、グレーフィンについても、やれるところまではやらせてやりたいの」
「べつに、両方に声援してやっても、なんら差し支えはございますまい」
「では、そのようにいたそう」
皇帝は、欠伸をかみ殺すと、話題を転じた。
「ところでグリンメルスハウゼン、ミューゼル少将のことじゃが、あの者は位階からいえば、帝国騎士(ライヒスリッター)にすぎぬ。まだ18歳ゆえ、現在(いま)はそれでよいが、成年に達する前に、どこぞ歴とした貴族の家名を与えてやろうと思うのじゃが」
「箔をつけてやろうとのお考えで?」
「さてな、箔がつくのはあの者ではなく、家名のほうかもしれんて。それはそれとして、予の考えを、そなたはどう思う?」
「けっこうなことでございますな」
「けっこうか。なるほど、予もそう思う」


皇帝の意向は噂として宮廷を駆けめぐり、その日のうちにラインハルトの耳にも到達した。
「おれが20歳になったら、どこかの伯爵家の名跡を嗣がせるという意向を、皇帝が宮内省に指示したそうな」
ラインハルトは一枚の紙片をキルヒアイスに示していった。
「いくつか候補もあるんだそうだ。ブレンターノ家にエッシェンバッハ家に、ローエングラム家に……」
このリストに載っている「ローエングラム家」の名のために、これからほどなくして門閥宗家や上級貴族の一部が盛大に騒ぎを始めるのであるが、この時の二人には知る由もない。
「ミューゼルという名を捨てるのですか?」
「ミューゼルというのはな、キルヒアイス、自分の娘を権門に売った恥知らずな男の家名だ。こんな家名、下水に流したって惜しくない!」
門閥宗家や上級貴族の多くにとっては、たかが「寵姫の弟」風情のことなど、まったく関心の外にあった。とくにその寵姫が、おのれの出自の”低さ”を自覚し、国政への口だしを一切ひかえるという謙虚な姿勢を堅持しつづけているとなれば。
いっぽうで”爵位や特権の配分”に特に高い関心を持つ一部の者のあいだでは、この「寵姫の弟」が、従来は皇族にしか見られなかった異例な速度で昇進を重ねつつあることに不審や不満を募らせていたが、ラインハルトの後ろ盾となったロットヘルト家、トゥルナイゼン家、ミュンヒハウゼン家の3宗家に遠慮して、特に批判も反対も行わないで来た。しかし、その彼らが、年来の不満を一気に爆発させる時が来た。

「ローエングラム伯爵家といえば、そのあたりのただの伯爵家ではない、ルドルフ大帝以来の、名門閥族の宗家の家柄ぞ!その名跡を、なりあがりの孺子に下賜なさるとは何事だ!名誉ある帝国貴族の、門閥宗主ともあろう家門を、寒門どもの出世ゲームの安っぽい賞品におとしめるとは!」
ラインハルトを罵倒し、時勢をなげいた後、剰余のエネルギーは、事態の決定者たる皇帝フリードリヒ四世にむかっても飛沫をあげた。
「もともと大公時代には、帝王教育もお受けになったことはなく、遊蕩児としてのみ名の高かった御方よ。にしても、帝室と貴族の長きにわたる交誼にも、ご配慮いただけぬとはなさけない。
怒りの一方では、嘲弄とも諦念ともつかぬ見解も存在する。
「まあ考えてみれば、あのグリンメルスハウゼン子爵が侍従をつとめていたのだ。よほど、ご自身の気性がお勁くなければ、朱に染まって赤くなるのも当然だろうて」

      ※

ローエングラム一門も、武門の名家として名高い一門であるが、15年ほど前、当主が跡取りを残さずに死去して以降、一門の12家は宗家の継承権をめぐって分裂し、みにくい内紛を続けている。

トーマスは、ラインハルトに対する伯爵家継承の噂を耳にすると、さっそくイザーク・フェルナンドと連絡をとった。
「他の伯爵家はともかく、ローエングラム家というのはまずいぞ」
「そうだな」
なにせ、門閥宗主の家柄である。一門12を率いる役割がついてくる。
「あいつがローエングラム家をつぐことにでもなろうものなら、ミュンヒハウゼンの殿様とおれたちとで挨拶まわりしなけりゃ、ただごとでは済まなくなる」
いままでトーマスやイザークらは、ラインハルトについて、ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの各一門の郎党だと主張してきた。ラインハルトがローエングラム家を継承してしまった場合には、ラインハルトをつうじてなんらかの利権を獲得しようとしたり、指揮権や命令権の類を行使しようとする意図はないことをローエングラム一門の諸家に納得してもらわないと、ローエングラム一門の12家が抵抗のために発動する権力闘争に巻き込まれていまうことは確実である。
「ライニはそのあたりわかってるのかな」
「いや、知らないんじゃないかな」

アーデルハイトにとっても、ラインハルトのローエングラム家継承は大問題である。なにせ、ローエングラム家は一門12を率いる役割をもつ。帝国騎士ミューゼル家は、過去にローエングラム宗家と一門の間には全く血縁関係を持たなかったから、ラインハルトがローエングラム家を嗣ぐ場合には、一門12家のどこかの姫君との縁談が、必ずや持ち上がるであろう。

ヒルダ姐さんとライニをくっつける計画の重大な障害だわ!
もっとはやく、ヒルダ姐さんとライニを接近させないと!

   ※ 

一日、宇宙艦隊総司令部への形式的出勤を終えたラインハルトは、ひとりで下宿への道を歩いていた。キルヒアイスは佐官級の士官だけの戦術研究会に出席するため、遅くなるはずだった。後方から走って来た地上車が、彼の隣りで速度を落とし、運転席に座っていた貴婦人が、彼に手をあげて挨拶した。あわてて彼は会釈を返した。
運転手は、姉アンネローゼの友人であるマグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ男爵夫人であった。後部座席には、アーデルハイト(ハイジ)・フォン・トルゥナイゼンと侍女のカミラ・ジングハイマーが乗っている。ハイジがいう。
「あれれ、ジークは?」
「今日は所用があって、別行動だ」
「ライニはこれから暇だよね?」
「そうだな」
「ヒルダ姐さんのレポート、レーナにもみてもらってるんだよ。今日こそ、ライニの考えも聞かせてもらいましょうか?」
「まあ、いいだろう」
二街区ほどすすむと、地上車はまた速度を落とした。路傍にたたずんでいる少女はヒルダ嬢と、その侍女グードルン・オクラス嬢である。レーナが挨拶する。
「フロイライン・マリーンドルフ?」
「おひさしぶりです、ヴェストパーレ男爵夫人」
「フロイライン・トゥルナイゼンと同じ大学に通ってるんだってね」
「はい」
ハイジは後部座席からとびおりると、カミラとグードルン、ヒルダとラインハルトが隣りに座るように導き、自分は助手席にうつり、ニヤニヤしながら後部座席の様子を観察する。ラインハルトは、分艦隊程度を指揮するだけの少将では、ヒルダと向き合うにはまだみすぼらしいと考えていたが、会ってしまってはしょうがない、腹をくくった。

地上車は、そのままヴェストパーレ男爵夫人邸に向かった。



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2014.10.8 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更
2012.2.13 初版



[29819] 第18話 「ラインハルトのローエングラム家継承・妨害大作戦♪」(2.17/2.18改)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/02/19 00:37
 ヴェストパーレ男爵夫人マグダレーナ(レーナ)はアンネローゼより二歳年長の25歳、自身が男爵家の当主であった。才色兼備という旧式の表現がふさわしい女性で、貴族女学院の初等部から高等部まで貴族令嬢のための伝統的教育にどっぷりと漬かって成長した人物でありながら、上級貴族の貴婦人・令嬢にありがちな歪んだ上流意識から抜け出て、精神的な骨格もたくましく、彼女が男性であったなら、貴族社会の俊秀として名をなしたにちがいない。貴族社会で孤立しているアンネローゼの数少ない友人のひとりである。
 彼女の邸宅のサロンには、いま女主人のマグダレーナ、アーデルハイト・フォン・トルゥナイゼンとその侍女にして「ご学友」のカミラ・ジングハイマー、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフとその侍女にして「ご学友」のグードルン・オクラス、そしてラインハルト・フォン・ミューゼルらが集まっている。
 アーデルハイトがマグダレーナにもヒルダのゼミ・レポートへの講評を依頼していた理由は、このレポートに関して”本音で語り合うことが可能な、聡明な人物”と見込んだことが第一であるが、その他にも、アンネローゼと、アンネローゼの周辺人物をヒルダ陣営に参加させ、ランハルトに対する包囲網をより強固にしようという狙いがある。
 マグダレーナに「そろそろ講評を聴かせて」と伝え、今日のこの日に、ヒルダとともにマグダレーナを訪問する約束を取り付け、迎えに来てもらった地上車を軍務省とリンベルク・シュトラーゼを結ぶ線上に誘導してラインハルトを待ち伏せたのは、この数日で急に動きだしたラインハルトの叙爵問題に、緊急に介入する必要が生じたためだ。

「ライニ、いよいよ叙爵が決まったそうね」
「ああ、候補の伯爵家のリストが送られてきた」
「ローエングラム家だけはやめたほうがいいよ?」
「なぜ?」
ラインハルトは、名前の響きとか武門の名家ということで、なんとなくローエングラム家が気に入っていたので、思わず聞き返した。
「だってあそこは一門12家をひきいる宗家の名跡だから。いろいろ難しいことがあるよ。」
「そうなのか?」
"いろいろ難しいこと"とはどんなことだろう?ラインハルトが尋ねようとすると、アーデルハイトはさえぎって続けた。
「なによりも問題なのは、12家のどこかの令嬢との縁談がもれなくついてくることだね」
はたして、それが ”なによりも問題” なのだろうか?この話の流れに抵抗してみよう。
「いろいろ難しいって、例えばどんなことが?」
しかしアーデルハイトはラインハルトを無視し、マグダレーナとヒルダの顔をみながらいう。
「ローエングラム一門で、いま婚約適齢期のご令嬢といえば、・・・4人いるかな?」
上級貴族の子弟が必須で身につけるべき教養として、”帝国貴族四〇〇〇家”とよばれる門閥宗家や上級貴族の各家の家格・系譜・紋章、メンバーと婚姻・婚約関係などに習熟することがある。ローエングラム一門12家の令嬢でいま10歳以上、ラインハルトと同年齢の18歳までで、未婚の令嬢は、4人いる。上級貴族ともなると、この年齢ならすでにどこかの貴公子と婚約が整っているのが通例だが、より有利な条件の縁談があると、平気で破棄されるのも、また通例である。
 貴族令嬢としての素養に大きく欠落したところのあるアーデルハイトであるが、この分野については、ヴィクトーリアの仕込みに怠りはなかったようである。
「4人ですね」
「そうそう、4人」
マグダレーナとヒルダはうなずく。そこでアーデルハイトは断言する。
「きっと4人ともクリームケーキちゃんだよ?」
かつてラインハルトは“クリームケーキと恋愛するつもりはない”とキルヒアイスだけに語ったものだが、その発言は「ご学友」ルートから周辺にもれだし、すでにこの部屋のメンバー全員の知るところとなっている。
「ライニは、クリームケーキちゃん嫌でしょ?」
「それは、むろん嫌だな」
マグダレーナとヒルダは(決めつけるのはどうかと……)とつぶやいているが、アーデルハイトは意に介さない。
「じゃあ、やっぱりローエングラム家はやめておきましょう。決まり!」
勝手に決定しております。
「ライニは、"頭がよくて、気だてがいい"ひとが条件だったよね?」
「ああ、そうだ」
 それともうひとつ、”貴族令嬢”であること。ラインハルトは、以前から、ミューゼル姓を捨てるためなら、姉アンネローゼのおこぼれでもらえるであろう爵位を喜んで受けるつもりでいた。もしその時に平民(またはそれ以下の身分)の恋人がいたとすれば、別れるか、側室・愛妾とするしかない。その種の関係は彼の嫌悪するところであったから、ラインハルトはいままで恋愛と無縁でいた。
 アーデルハイトは、わざとらしくマグダレーナに尋ねる。
「レーナ姐さん、頭がよくて、気だてがいい令嬢って、だれか心当たりあります?」
「あら、それってヒルダちゃんがぴったりじゃない?」
 誘導尋問成功!
 これで、マグダレーナを通じ、アンネローゼとアンネローゼをとりまく人々にも、ヒルダの存在が認知されていくであろう。
 アーデルハイトは、胸元で、握り拳に親指を天に向けて立てて、カミラやグードルンとサインを送りあう。ヒルダは頬を染めて下を向いている。
 ここでだめ押しだ!アーデルハイトはヒルダにも尋ねる。
「ヒルダ姐さんの条件は、”(1)聡明で、しかし(2)マリーンドルフ領の統治を姐さんが担うことに異存がない”(3)貴公子だったよね」
「ええ」
 ヒルダは一人娘であるから、ヒルダの父フランツは、家格のつりあう家々の2,3男から婿の候補を探していたが、それなりの知能を備えたものは自身が領主としての権限を握りたがるし、ヒルダによる領主権の行使に同意するのはちょっとおツムの足りない[アホぼん]ばかり、という状態で、ヒルダが17歳となる今まで婚約相手が定まらないで来たのは、富裕な領地を保有する上級貴族の令嬢としては、極めて異例であった。
 さて、ここまでくると、マグダレーナにもアーデルハイトが何をやりたがっているのかわかってきた。彼女自身も大賛成である。そこで調子をあわせていう。
「まぁ、それってライニがぴったりねえ」
「でしょ?ライニのお姉さまも賛成してくださるかしら」
「たぶんアンネローゼも大賛成だと思うわ」
当事者ふたりが耳を真っ赤にしながらうつむいているのを除き、あとの4人は大喜びしております。
 アーデルハイトはやや口調を改めて宣告した。
「では、わたくしフロイライン・トゥルナイゼンは、速やかにマリーンドルフ伯爵とグリューネワルト伯爵夫人のご了解をいただいた上で、さっそく典礼省に対し、帝国騎士ミューゼル少将とフロイライン・マリーンドルフとの婚約を正式に登録するべく働きかけをはじめたいと思います。ご一同、異存はございませんね?」
こんな話が皇帝の耳に入れば、ラインハルトへの叙爵が中止され、マリーンドルフ家への婿入りが命令されるかもしれない。そうなれば、それこそアーデルハイトの思うつぼである。
「いや、おれ・・私は分艦隊程度を指揮するだけの、まだかけだしの少将で、フロイライン・マリーンドルフと対等に向き合うには、まだ自分がみすぼらしすぎると思っている・・」
弱々しく抵抗するが、
「なに言ってんの?あたしなんか、生まれる前からトーマス兄さんとの婚約が決まってたんだよ。そして、ロットヘルトのお邸に住み着くようになったのは5歳の時からかな。ライニは18歳でヒルダ姐さんは17歳なんだから、上級貴族としては、遅すぎるくらい。
 それから少将のことを気にしてるけど、トゥルナイゼン家でもロットヘルト家でも、歴代宗主で、正規軍少将で生涯を終えた当主なんかざらだよ。寒門出身のライニが18歳で、実力で昇進した少将は、ほんとうに値打ちものだよ。卑下する必要なんか、まったくない♪」

 門閥宗主や上級貴族の結婚は、まず第一に、家格のつりあいで対象が、一挙に、極めて狭くしぼりこまれる。能力や人柄などは4の次、5の次となる。アーデルハイトの義母ヴィクトーリアは、家格のつりあいだけで迎えた婿カールとなかなか心を通わすことができない隙を泥棒猫(クラーラ)に突かれ、カールをロットヘルト家から追放する結末となった。
 ヴィクトーリアが幼いアーデルハイトを手許で養育したいとトゥルナイゼン家に申し入れたのは、自分の轍をふませまいと考えたと思われる。アーデルハイトとトーマスは10年をかけてお互いの相性を確認、アーデルハイトは昨年、トーマスにプロポーズさせることに成功していた。
 幼いころからいっしょによく遊んだ兄の友人ラインハルト。大学に入って出会った親友のヒルダ。ふたりとも揃って聡明で、好ましい人柄の持ち主。それぞれが己の相手に求めている条件もぴったり。自分の恋愛が順風満帆すぎて物足りなかったアーデルハイトは、こんな好物件どうしを成就させずにはおくものか、と燃え上がり、今日ここに至ったのである。
 アーデルハイトがラインハルトの微弱な抵抗を論破すると、ライニもヒルダも耳を染めながら下を向き、もうなにも言わなくなっている。
 アーデルハイトとしては、今日はマグダレーナをヒルダ陣営に加えられたら大成功!と思っていたら、本人たちまで納得させることができてしまった。予想以上の大成果である。
 よし、さっそくマリーンドルフ伯爵と、グリューネワルト伯爵夫人と、典礼省に連絡しなきゃね。でもそのまえに、もう一つの用事もあった。こっちも大事なことだ。ちゃっちゃとこなしましょうか。
         ※          ※
 もう一つの用事とは、ヒルダのレポートをみんなで議論することで、今日ここに集合した表向きの理由であり、もうひとつの理由でもある。
 会場の主マグダレーナやレポートの筆者ヒルダとの間で打ち合わせていた今日の段取りは、まずマグダレーナからヒルダのゼミ・レポートの講評をうけることで、あとはラインハルトたちから男子「ご学友」グループの議論の内容を聞き出し、それらをふまえて皆で議論しようというものであった。

その議論の内容については、次話で紹介することとするが、数時間にわたる熱い議論となった。そのためアーデルハイトがマリーンドルフ伯爵とグリューネワルト伯爵夫人に連絡をとったのはこの日の晩、マリーンドルフ伯爵とグリューネワルト伯爵夫人の「委任」を受けて典礼省を訪問するのは翌日の朝となった。

この出遅れが影響したたためかどうか、皇帝フリードリヒ四世は6月14日、アーデルハイトの大成功を嘲笑するかのように、帝国騎士ミューゼルにローエングラム家の名跡を継承させることを宣言してしまったのである。

さて、アーデルハイトは、せまりくるクリームケーキちゃんたちからラインハルトを守ることができるのであろうか?



[29819] 第19話 「銀河の未来を担う者」(その2)(3.10)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/03/10 20:33
難産でしたが、ようやく投稿できます。
投稿の順番が後先になりましたが、第18話の続きです。
今回のお話は、この物語のひとつのターニングポイントとなります。お楽しみください。

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アーデルハイトが、ヒルダのゼミ・レポートを一同に示しながら言った。
「じゃあ、今度はこちらね」
緩みきっていた雰囲気が、とたんに引き締まった。

 レポートの内容は、過去5世紀の間に行われた衰退星系の救済事業34例について、その概要をまとめたものである。
レポートの内容は、過去に行われた救済事業がすべて無惨な失敗に終わっていることや、その原因などを明かにするもの(詳しくは第10話、12話参照)で、34の事例のうち、4件は以前から知られていたものだが、他の30件については、マリーンドルフ家のような上級貴族以上の者にしか閲覧できない档案(トウアン, 歴史的な公文書)や、ロットヘルト家・トゥルナイゼン家のような門閥宗家の者にしか閲覧できない档案の分析によって、はじめてその詳細が学術的に明らかにされたものである。
ヒルダがこのレポートを執筆するにあたっては、ハイジと手分けして内務省の档案館(トウアンカン, 公文書保管所)に赴き、膨大な領の関連档案を閲覧し、まず「衰退星系の救済事業」に関連するものをピックアップした上で、内容を読み込んでいく、という作業に取り組んだ。ロイシュナー教授のゼミのメンバーは、ヒルダとアーデルハイトをのぞき、すべて郎党か所従、平民の身分の出身であり、禁断の資料にアクセスできる二人の特権は、ロイシュナー教授や他の院生・学部生たちを大変にうらやましがらせたものである。

「では、レーナ姐さん、講評をおねがいします」
しかし、マグダレーナは、口ごもりながら、やっと
「……うーん、なんというか、圧倒されたわね。…」
というと、そのまま黙ってしまった。
「じゃあ、ライニ、男子"ご学友"連中の間では、どんな意見がでた?」

アーデルハイトのいう「男子"ご学友"連中」とは、クルツリンガー、シュトフたちと、キルヒアイスを指す。ロットヘルト家とトゥルナイゼン家の者たちは、ラインハルトたちと知り合った当初、「ラインハルトさま」なんて呼びかけるキルヒアイスをみて、"ミューゼル家代々の郎党か"と思った。後に、ただの近所の友だちだと判明して、たいへん滑稽に思ったものである。

ラインハルトとクルツリンガー、シュトフ、キルヒアイスたちとの間では、貴族領主制をぶっつぶさないかぎり衰退星系の救済事業は進展しないという結論がでた(第12話参照)し、さかのぼれば、ラインハルトがはじめてヒルダと会った晩、マリーンドルフ家の地上車でリンベルク・シュトラーゼへ送ってもらう車中でヒルダと二人きりになったおりに、ヒルダからも同趣旨の分析を聞かされている(第10話参照)。しかしこれは、聞きようによっては、現体制の転覆を主張するにもひとしい内容である。
いまこの部屋にいる人々は、たがいに親しい間柄のひとびとばかりで、たとえばこの家の主であるヴェストパーレ男爵夫人は、ラインハルトの姉アンネローゼのきわめて親しい友人であり、人柄の面でもラインハルトが一目おく人間であるが、いままで軍事や、政治に関することがらを彼女と話すことは、意図的に避けてきた。
彼女らは、このような話題を公然と話し合える人々であろうか?思っていることを口にするのに、ついためらいが生じてしまう。

ふたりの様子をみて、アーデルハイトはヒルダと顔を見合わせて、言った。
「やっぱり、あたしたちから始めたほうがいいかな」
「そうね」
ハイジが話しはじめた。
「あたしは、このレポートにとりくんでみて、うち(=ロットヘルト家)がどれだけ帝国貴族の平均からずれているか、あらためて感じました」

ロットヘルト一門では、「つよい兵士を出す」ということを目的として、産業を振興して民生を充実させ、多産を奨励し、教育を普及させることに意をそそいでいる。

「うちがつき合っているよその貴族も、似たような制度を制定している武門の家がほとんどだから、大学へいくまでは、「領主」、「領民」、「統治」……、うちのやり方が、とっっっっても特殊だなんて、ちっとも思わなかった」

ロットヘルトの一門では、3世紀ほど前に「帝国戦士」制度を創設した。これはロットヘルト一門の領内でのみ通用する爵位の一種で、「従軍して下士官以上の階級を得た者」に、授与される。他領では貴族として通用せず平民扱いとなるが、この制度により、二百数十年の間にロットヘルト8星系の領民のすべてが「帝国戦士」もしくは「帝国戦士の子孫」となり、農奴・賤民階級は存在しなくなっている。トゥルナイゼン、ミュンヒハウゼン、ミュッケンベルガー、ローエングラム、ノルデンなど、他の一門でも類似の制度を設けるものがいくつもあり、政治学の用語では、これを"民爵"と称している。

「"帝国草創のバラッド"っていう歌があるんだけど、みんなは知ってるかな?」
ラインハルトは知らなかったし、ヒルダも、マグダレーナも首を振っている。
「じゃあ、門閥の宗家だけに伝わってる歌なのかな?あたしは、去年、トーマス兄さんがプロポーズしてくれたあと、義母(カア)さまから習った。父や兄に聞いてみたら、トゥルナイゼンにも伝わってるって」
「どんな歌なの?」
「なんだか陰々滅々(インインメツメツ)とした曲で、ルドルフ大帝によるゴールデンバウム朝の創建に協力した大貴族たちの「功業」を讃える歌で、"共和主義者どもや謀反人どもを、みなそれぞれが数千万人づつ誅伐し、太祖大帝陛下とともに、帝国の基礎をうち立てた"という歌詞につづけて、各家の「功績」が歌われているそうです。
ロットヘルト家の部分は、
 "♪8つの星系の3億8千万人"
ってなってます。いまロットヘルト8星系の現在の人口が3,200万人で、しかもこの100年で倍に増えてるので、帝国の草創の時には、いったいどれだけ殺したのか、と思います。
トゥルナイゼン家の部分がどんな内容なのか父や兄にたずねたけど、教えてくれませんでした」
ヒルダがこれにコメントした。
「档案館にこもって旧い档案をめくっていたとき気になったことがあります。
いろいろな衰退星系の領主や総督府のスタッフが、平民・賎民・農奴をことさら虐待することを自慢するかのような発言を行う例をいくつもみたのだけれど、虐待を正当化する"理論"が、時代も地域も離れているのに、まるで判でおしたようにソックリな場合があるのが不思議でした」
アーデルハイトが答えた。
「門閥の宗家というのは、ルドルフ大帝が貴族に取り立てた300人の大貴族にさかのぼるもので、上級貴族で、始祖が皇族でなければ、300家の宗家のどれかの分かれだからね。帝国貴族のメンタリティに大きな影響がある。うちみたいな武門の場合は、"強い兵を育てる"という動機が、このタイプのメンタリティを乗り越えさせたみたいだけど」
ヒルダがいう。
「うちの場合は、100年くらい前に、宗家が宮廷闘争で敗北して断絶して、刑死を免れた一門の各家は領地に引っ込んで内政に専念するようになりました。父フランツも領地に常駐していて、特別な式典とか、上級貴族としてどうしても参加しなければならない儀式に参加するとき以外、オーディンには来ません。うちの一門は、ほとんどが今でもこのような状態です。公爵家がひとつだけ、中央政界に返り咲いて財務尚書になっていますが」
ヒルダの一族の例外とは財務尚書カストロプ公オイゲンのことである。マグダレーナもこれに応じる。
「私の場合は、……そうね、わが家の家風として、芸術活動の支援とか、教育事業とかにお金をかけるから、その財源を得るために、領地の振興にはずっと力をいれているわ」
ヒルダがまとめた。
「34件の事例を分析して感じたのは、平民・賎民・農奴は、謀反人・共和主義者の末裔だから、これを威圧し、ねじ伏せ、虐待することこそ帝国貴族の本分であるという考えかたが根強くある、ということです。特に衰退星系を、現在の状態にまで衰退させた領主各家の中に、その傾向が強くあります。
 だから、レーナ姐さんを除く皆さんは、ロットヘルトの奥様が帝国貴族たちの"高貴なるものの使命感"に訴えかけて事を推進しようと考えているのを耳にしている(第10話参照)と思いますが、彼らを領主として温存している限り、衰退星系の救済事業は絶対に失敗する、というのが私とハイジさんの結論です」

帝国草創期のエリートたちに辺境星域を分け与えて「貴族」としたのは、ルドルフ以来の帝国のかたちである。このすがたを「温存」しているかぎり、衰退星系の救済事業は成功しない。いいかえると、衰退事業の救済を成功させるためには、貴族による領主制度は廃止されねばならない、といっているのだ。
マグダレーナは震え上がった。
「ヒルダちゃん、そんな過激な結論をゼミで発表したの?」
「ええ。いえ、"過激"だとはぜんぜん思いません。自分としては、自明の理(コトワリ)を述べただけのつもりです」
「……大丈夫なの?」
「ええ、大学のゼミナールという、あくまでも学問研究を目的とした、ある意味、閉ざされた場所での発言ですから」
「でも、ヒルダちゃんもハイジちゃんも、このまえ社会秩序維持局に逮捕されたんでしょ?このレポートのせいじゃないの?」
ヒルダとアーデルハイトは顔を見合わせて苦笑する。
「このレポートが関係しているのは間違いではありませんが、私たちは捜査に協力しただけです」
「どういうこと?」
「このレポートが横流しされて、学生の反体制地下組織が、自分たちのビラに、私たちがしらべた事例のいくつかを利用したんです」
「へー、そうなの」
「おいしそうなオーディンの下町料理を持ってきて、匂いだけかかがせて、食べさせてくれなかった(第15話参照)」

話題がとぎれると、アーデルハイトはラインハルトに向き直って言った。
「ここで重要になってくるのが、ライニの役割よ」
「え?おれ?」
いきなり話を振られて、ラインハルトは思わず聞き返した。
「義母さまも言ってたでしょ?あたしたち3一門がかねてから声をかけてきた、ライニみたいな、寒門出身で優秀な軍人のみなさんに正規軍を完全に掌握してもらうこと」
「ああ、あれか」
ヴィクトーリアは、マルティン・プーフホルツら反体制運動にかぶれて逮捕された学生たちを請け出す決意をした昨晩、ラインハルトに要請した(第16話参照)。
そなたが軍の中で将来持つであろう何かの権限を使ってくれというつもりは全くないのじゃが、将来、他人からこの事業について尋ねられたときには、”有意義である”とか、”支持する”と言うてもらいたいのじゃ。それがわれ等の”力”となる。……あとは、信物の往来(=手紙や贈答品のやりとり)を盛んにやりたい。あとは、何か大貴族との間でなにか問題が生じたときには、ぜひわれ等に頼ってもらいたい。間違いなく後ろ盾になるぞ。

「そそ。お義母さまは、"反対者に無言の圧力をかける"っていう生ぬるい使い方しか考えてないみたいだけど……」
そういって、ラインハルトの顔をじっとみると、言った。
「みなさんが正規軍をしっかりと掌握したら、もう遠慮することはないと思うの」
生ぬるい?遠慮?ラインハルトのもの問いたげな表情に、アーデルハイトは続けた。
「衰退星系の復興事業に反対するようなひとたちは、こっちから積極的に正規軍を動かして、まとめて制圧しちゃえばいいと思うの。"帝国の再生"の志ある人たちで正規軍を固めた後なら、それができるようになる」
マグダレーナは、あまりの過激さに、目を白黒させて絶句している。
「ライニ、やってくれるかな?」
傲慢で、無能で、役立たずの貴族どもを一掃してやる。ラインハルトがかねてから立てていた、キルヒアイスとの誓約である。
いま、自らも上級貴族や大貴族でもあるこの娘たちは、「役立たずの貴族どもの一掃」を主張している。そしてその一人は、自分にこれを手伝うよう求めている。ラインハルトは知己を得たことを感謝すべきであったろうか。
そうはならなかった。ラインハルトの神経網が一時的に灼熱し、彼の白い頬は、激発寸前の怒りで赤くなった。
このおれに、お前たちの手駒になれと、お前たちの手駒に甘んじろというのか!!
「そ、そんなの無茶よ!」
マグダレーナは、悲鳴に近い声をあげた。
ラインハルトが顔マッカに怒りをたぎらせているのを横目に、アーデルハイトとヒルダはマグダレーナをなだめ始めた。
「いえ、ぜんぜん無茶ではありませんよ?」
「そそ。いまの上級貴族も大貴族も、もうすっかりがらんどうだから」
「がらんどう?」
「地位と特権はもってるけど、力はもう自分では持っていない」
そんなことあるかしら?という顔をしているマグダレーナに、アーデルハイトはたずねる。
「レーナ姐さん、お父様の後を嗣(ツ)いでから、ずーっとオーディンにいるでしょ?」
「ええ」
「領地の統治はどうしてるの?」
「ヴェストパーレ家代々の郎党を留守(リュウシュ)に任命して、すべて任せているわ」
ほらご覧なさい、という顔をして、アーデルハイトは確認する。
「……でしょ?」
アーデルハイトの顔つきに対し、"力がない"のではない、預けているだけだと思うマグダレーナは反論した。
「そんなことないわ!私が領地に戻ったら、留守はすぐ全権を私に返すわよ」
「…ほんとに?」
「ええ!もちろんよ!」
「絶対に?」
なんだか自信がなくなってきた。
「…たぶん」
"まぁ、いいわ"という顔をしてアーデルハイトはいった。
「たぶん、レーナ姐さんのところは留守さんとちゃんと信頼で結ばれていて、姐さんも、やろうとおもえばちゃんと領主をやれるかもしれないけど、……」
ヒルダもいう。
「門閥の宗家やその他の上級貴族をまとめて"帝国貴族四〇〇〇家"といいますが、そのような家の当主で、自分でなにか物事をやれる人は、ほんの一握りだと思います」
ハイジもいう。
「ゼミでは、みんな上級貴族のことを"宴会と儀式と交配にしか能がないやつら"っていってるのをよく聞くよ」
「なんてひどい言いざま!」
"なんだか、既視感のある議論だな"。ラインハルトは、激発するのも忘れて、クルツリンガーたちと似たようなやりとりをしたのを思い出した(第12話参照)。
「あたしが考えたことばじゃないですよ?」
「オーディン帝大のゼミって、そんな過激な意見が公然と飛び交ってるの?」
ヒルダが答える。
「あくまでも、ゼミナール内部という限定された場なので、"公然と飛び交う"というのとは違いますが、ゼミの中では、周知の事実というか、帝国の社会制度を考察する場合の自明の前提になっています」
アーデルハイトが補足する。
「ただロイシュナー教授とか、一般家庭出身の学生さんは、やっぱり慎重で口が重いけどね。ゼミの仲間の中には、父親が社会秩序維持局の職員、なんて人もいるし。
 ゼミの雰囲気をリードしてるのは、大門閥の宗主とか上級貴族に仕える郎党・所従出身の学生さんたちが中心かな。強い後ろ盾があるものだから、"学問的真実の追求に限界はないのだ"っていいながら、安心して、いいたい放題いうよ。自分や親が仕えているご主人さまや若さま・お嬢ちゃまたちの実態にもとづく迫真の実例だから、じつに、もう、説得力満点!」
「へー、そうなの?」

そういえば、男子「ご学友」グループの検討会でも、クルツリンガーが、「いまの帝国を握っているのは"おれたち"だ」って言ってたな。これは、大門閥の宗主や上級貴族に仕えている郎党・所従の出身たちでは共通認識となっているのか……。そしてヒルダとハイジ、この二人の娘は、門閥の宗主と上級貴族の家の出身ながら、この現場を前提として、自分たちの行動を定めようとしている……。

話題が途切れると、ヒルダが話しはじめた。
「帝国貴族は、もともとは、太祖ルドルフ大帝が、USGの衆愚政治がもたらした衰退を打破するため、高い能力とすぐれた道徳心をもつエリートたちに地位と特権と権力を世襲で与えたことに始まりました。でも五〇〇年経った今、その子孫たちからは、能力も道徳心も、ほとんどすっかり失われています」
「"エロイ族とモーロック族"の、エロイ族のほうだね」
アーデルハイトは、自分が呼んだAD時代の地球の小説にでてくる種族で帝国貴族をたとえたが、この部屋の他のメンバーは誰もこの小説を呼んでいなかったので、彼女の発言は、皆から黙殺されてしまった。ヒルダは続ける。
「人間が生まれれば必ず死ぬように、国家にも寿命があります。地球というちっぽけな惑星の表面に文明が誕生して以来、滅びなかった国家はひとつもありません。銀河帝国—ゴールデンバウム王朝だけが、どうして例外でありえるでしょう」
ヒルダが始めた大胆な発言に、ラインハルトとマグダレーナは驚きながら聞き入る。
「ゴールデンバウム王朝は、五〇〇年ちかく続いています。その間、二〇〇年以上も全人類を支配し、権力と富をほしいままにしてきました。人を殺すことも、他家の娘を奪うことも、自分に都合のよい法律をつくることも。
これだけやりたいほうだいをやってきたんですもの、そろそろ幕が下りるとしても、誰を責めることができるでしょう」
マグダレーナはうろたえながらいう。
「ヒルダちゃん、ごめんなさい。私、もうこれ以上は聞きたくないわ」
アーデルハイトがいう。
「レーナ姐さん、現実から目を背けちゃだめ。わたしたち帝国貴族は、"アサビーヤ"をもうすっかり失っている」
"アサビーヤ"は、イブン・ハルドゥーン著『歴史序説』のことばで、"連帯意識"と訳される。数百年単位で興亡を繰り返す国家の担い手たちが有している集団としての生命力というニュアンスもある歴史学用語である。
「もう、いつ、"大崩壊"がはじまってもおかしくない」
「"大崩壊"?」
「いまの帝国は、もうすでに大貴族や上級貴族じゃなくて、その郎党・所従や下級貴族で能力ある人たちによって運営されています。"大崩壊"っていうのは、いまの帝国貴族が地位と特権を失って、いま実際に力を持っている人たちによる新たな体制にとって替わられること」
マグダレーナは、目をつぶり、耳をふさぎながら叫んだ。
「ハイジちゃん、私もういや!」
「レーナ姐さん、いざという時の腹はくくっておく覚悟がいるよ」
ここで、ラインハルトが口をはさんだ。
「ハイジさん、あなたやヒルダさんの今の発言は、大学のゼミでも表明済みなのかな?」
「いえ、ゼミでは、まだ、ここまでハッキリとは言ったことないです。でもみんな、今の体制が、もう、そうは長くはないとは思っていると思います。はやければ、今度の代替わり。そうでなくても次の次の代替わりの時くらい、いずれにせよ数十年のうちには、間違いなく"大崩壊"に遭遇しそうだという予感をみんな持っています。あたしやヒルダ姐さんのさっきの意見を聞かせても、だれも驚かないと思うの」
ヒルダは席をたち、両手で顔を覆って下を向いているマグダレーナの肩をさすりながらなだめている。アーデルハイトもこれに加わりながらいう。
「ライニが、その時までには正規軍のトップか、それに近いところにまで、きっと行っているよ。私たちの命綱になってくれるよ」
そして、ラインハルトに向かっていった。
「お願いできるでしょ?」
※ ※
アーデルハイトは、ロットヘルト家から地上車を2台呼び寄せ、一台にヒルダとラインハルトだけをのせて、運転手に二人を送るよう命じると、席についているラインハルトに向かって言った。
「ライニ、あなた自分でやりたい?」
「何のことかな?」
「衰退星系の救済活動」
この事業を"自分でやりたい?"とは、いったい何を問うているのだろう。返事ができないでいると、アーデルハイトは重ねて問うてきた。
「義母さまの手伝いじゃなくて、自分でやりたい?」
衰退星系の救済活動は、すなわち貴族領主制度の転覆でもある。これについて、"自分でやりたい?"と尋ねてくるのは、この娘、おれの密かな野望を、推測しているのだろうか?
答えられないでいると、アーデルハイトは続けた。
「ロットヘルト家がやるのより、もっと立派にやれるのなら、あたしはそれでもいいよ」
    ※             ※
前回とはことなり、ラインハルトはヒルダと会話する気が起きなかった。
いままでラインハルトは、地位や特権だけはもっている貴族たちの中に、人はいないと思っていた。
ほとんどの者は、特権の享受を当然と思って恥じ入ることのない傲慢な者たち(善良な人柄の持ち主が、ないではない)。
少数ながら、地位と特権にともなう責任というものに思いを致し、それに取り組もうと努力しているものもある。
あるいは、なんらかの自分の責務についてそれなりに熟達し、それを果たすことだけで満足しきっている者もある。
しかしながら、能力や見識の面で、ラインハルトが懾服(ショウフク)するに値すると思うような人物には出会ってこなかった。

しかるにようやく賞賛するに足る人材があらわれたようだ。それも一人はたった17歳、もうひとりは16歳で、いずれも若い女性である。

そのうちの一人、ハイジは8年来のつきあいがあり、洟たれ小娘とあなどっていた娘だ。彼女をいままで見落としていたのは、自分の眼力が曇っていたのではない、彼女の急成長が著しいのである。

もうひとりのヒルダは、なんだかあれよあれよという間に、交際相手を飛び越えて、いきなり婚約者ということになってしまった。はたしてこの娘は、おれの野望についてきてくれるだろうか?今日、彼女が示した見識からみて、貴族どもの打倒や王朝の転覆ときいて、ひるんだりおびえたりすることはないだろう。ただし、いまそれを彼女に打ちあけるには、今のおれは、まだみすぼらしすぎる。
彼女に自分たちの本心をうちけるのは、おれたちがもう少し力をつけてからだ。

それにしても、ハイジのやつ。
「ロットヘルト家がやるのより、もっと立派にやれるのなら、あたしはそれでもいいよ」
とは、すなわち、「あたしたちの手駒で終わりたくないのなら、それなりの器量をみせることね」ということではないか。
面白い。この挑戦受けてやろうではないか。
ぜったいに、この娘を従えてみせよう!
それができないでは、銀河の征服など、お笑い草ではないか。

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主人公トーマスくんが出てきませんが、『銀紅伝』のほうの最新話「お嬢様奮闘記」で明かにしましたように、やっぱり彼がこの物語の主人公なのであります。




[29819] 第20話 「ラインハルトのローエングラム家継承とヒルダとの婚約」(2.21)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/08 12:26
19話をとばして、先に20話を投稿します。内容は、18話から直接つながる内容です。
19話は、ラインハルトがアーデルハイトやヒルダ、ヴェストパーレ男爵夫人におのれの野望をほのめかし、アーデルハイトが当面の間、ラインハルトへの支援継続を約束する、という内容です。お楽しみに。

    **********************

アーデルハイトはロットヘルト邸から地上車を2台呼びよせると、一台にランハルトとヒルダをのせ、もう一台に自身とジングハイマー嬢、ヒルダの侍女オクラス嬢を乗せた。ラインハルトとヒルダを送る運転手には、「うんと遠回りしてね」と言い含めてある。当然の配慮である。
マリーンドルフ伯フランツとアンネローゼの了解と同意をとりつけ、翌6月14日の朝、意気揚々と典礼省に赴いたアーデルハイトは、そこで皇帝フリードリヒ四世がラインハルトにローエングラム家を継承させることを決定し、布告したことを知る。
 アーデルハイトは決意する。
「ふん!負けるもんですか!」

※ ※

この布告を聴いたトーマスは、さっそくイザーク・フェルナンドと連絡をとった。
「最悪の決定だぜ」
「ついに決まっちまったな」
「地上に降りてこれるか?」
「実戦部隊は、今ひまだからな」
トーマスは、ただちにラインハルトと、ミュンヒハウゼン一門の宗主である実父のカールにも集合をかけた。
ラインハルトは、(皇帝の決定により、ローエングラム家の継承が確定したからには、一門12家への挨拶も必要となるだろう。そのやりかたは、トーマスかイザークあたりに尋ねればよいか)とのんびり構えていたところに、血相を変えたトーマスから、軍務省には早退を連絡してただちに来い、と求められ、いぶかしがりながらトゥルナイゼン邸に赴いた。
「なにをあわててるんだ?」
「君の継承した名跡のことだよ。緊急事態だ。おれは、士官学校の授業も実習もほうりだしてきたんだぜ」
「だから、なにをあわてているんだ?」
「ローエングラム家は、ただの伯爵家じゃなくて、一門12家を率いる門閥の宗主だよ。むかしに一門が解体しちゃったところの名跡とか、門閥が生きているところでも、ただの末流の名跡だったらともかく、宗主ともなると、いろいろ難しいよ。」
 そういえば、アーデルハイトも昨日、(門閥宗主は難しい)と言っていたな。
「何が問題なんだ?」
「ミューゼル家って、ローエングラム一門とはいままで血縁関係って全く無かっただろ?」
「たぶん、無いと思う」
「過去に、寵姫の兄弟で、門閥宗家の名跡を嗣いだ人がいなかったわけじゃないけど、そういう場合は、本人もどこかの宗家の出身で、継承先ともなんらかの血縁があった」
「ふむ」
「あそこの一門12家は、もう15年くらい宗家の跡目をめぐって内紛してる。そこへ、血縁が全然ない君が宗家の名跡をさらっていくとなると、大騒ぎはまちがいなしだ」
「それはたしかに向こうにすれば面白くないだろうが、でも、おれが、なぜ、いま、君やイザークやミュンヒハウゼンの殿さまと一緒に、大慌てで挨拶周りをしなきゃいけないことになるんだ?」
トーマスは、ラインハルトの質問に、質問で答える。
「君、”門閥宗主”をやりたいか?」
「なんだって?」
「一門を率いる宗家の当主という立場に、魅力を感じて、積極的に、そういう立場につきたい、と思っているか?」
「いや、そんなことはない。正直にいって、ミューゼルという家名を捨てられるなら、どの伯爵家だっていいんだ」
「それなら、話ははやい。おれたちいままで君をロットヘルト・ミュンヒハウゼン・トゥルナイゼン三っつの一門の郎党だって言ってきた」
「ああ。そうだったな」
「だから、まずはおれたち3宗家が郎党である君を通じてローエングラム一門に支配なり命令するつもりが全くないと、彼らに理解してもらう必要がある」
「なるほど」
「あと、君の家は代々の生粋の帝国騎士だったろ?」
「そうだ。どこかの宗家や上流貴族の家の子くずれじゃなくて、帝国草創以来の帝国騎士だったはず」
「身分がそんなふうに”賤しい”、なおかつ血縁すらない者が、ある日突然、宗主づらして君臨しようとするなら、気位の高い、大門閥の一門の者にとっては受け入れることが大変むずかしい」
「ふむ」
“賤しい”という用語に内心むっとするが、トーマスのそんな言葉づかいは昔からで、いまさら腹をたててもしょうがない。
「いま彼らは分裂しているけど、ぼやぼやしていると、死にものぐるいの抵抗を始めるおそれがある。君の暗殺だって企てかねない」
「なるほど」
「だから、君やおれたちが、君の宗家の相続を利用してローエングラム一門の各家に指図や命令をする意志がない、ということを、できるだけはやく連中につたえる必要があるんだ」

※ ※

「トーマス、首尾はどうじゃ?なに?面会を拒否とな!」
帝国貴族の習慣では、訪問は目下から目上にむかって行う。しかし今回、わざわざ宗家の者が3人もそろって、単なるローエングラム一門の末流の伯爵にすぎないグライム家を訪れてやっているというのに、この態度。
 トーマスとの通話を終えたヴィクトーリアは、怒りに燃えてつぶやく。
 生意気な。許せぬ。
 しばらく考えたのち、ヴィクトーリアは、惑星オーディンの衛星軌道上に配置してあるロットヘルト家の旗艦シュタルネンシュタウプに通信を送った。

※ ※

 ローエングラム一門12家のうち、7家の支持を集めているグライム伯爵家の邸宅で、突然警報が鳴り響いた。
「なにごとだ?」
邸内のメインコンピューターの画面には、
(対空防御システムを緊急起動 Yes/No)という大きな赤文字が点滅し、システムは制御不能となっている。
「だんなさま、これは対地ミサイルにロックオンされたのではないかと」
邸宅の通信システムがレーザー波をキャッチし、その波形や照射パターンから、ホーム・セキュリティシステムは対地ミサイルに照準されたと認識し、警報を鳴らしているのである。
「わが邸は対空防御システムなど備えておらぬぞ?」
つまり、Yesは選択できない。しかし邸のシステムにインストールされている警報プログラムは邸に対空防御システムがないことを認識できない。対地ミサイルに照準されるという緊急事態が続く限り、ユーザーに最優先で警告を与えるという仕事を、けなげにも続ける。いいかえると、ホーム・セキュリティシステムは、ユーザーにとって実質、制御不能のまま、警報音を鳴らし続けることになる。
突然、警報音が途絶えた。
末流とはいえ、名門の閥族に所属する上級貴族に対し、このような荒っぽい脅迫をやりそうな人物には、ひとりだけ心当たりがある。
執事がつげる。
「旦那さま、ヴィジホンでの通信が」
端末の画面には、その容疑者が映っていた。
「通信で失礼する。グレーフィン・フォン・ロットヘルトじゃ」
「グラーフ・フォン・グライムです。ご連絡は、さきほどそちらの嗣子どのや、トゥルナイゼン、ミュンヒハウゼンの宗主さまたちがご訪問くださった件ですか?」
「そうじゃ」
「お手数ですが、皆様には、いつでもお待ちしておりますので、至急お運びくださいと、お伝えいただけないでしょうか?」
 ヴィクトーリアは、一言も話さぬうちに相手が要求を受け入れたので、とまどいながらも満足して通信を終えたが、グライム伯爵が3宗家とラインハルトの再訪を受け入れる決意をしたのは、ヴィクトーリアによる脅迫ではなく、ある少女の訪問によるものであった。

※ ※

「お話はよくわかりました」
グライム伯爵は、3宗家を代表したカールの話を聞き終えると言った。
「3宗家の皆さまからそのようなご鄭重な挨拶をいただき、またミューゼルどのも、まことに謙虚な申し出ぶり。われ等としては、なおわだかまりがないわけではありませんが、皇帝陛下がお定めになったことでもあります。もはや反対いたしますまい」
「はぁ。さようですか。まことにありがたいことです」
4人は、急に軟化したグライム伯爵の態度に、喜びながらもとまどいを隠せない。
「じつは先ほど、みなさまに一度お引き取りをお願いしたあと、フロイライン・トゥルナイゼンと名乗る令嬢がいらっしゃいましてな。この方は、皆さまのお身内でしょうか?」
「ええ、私の実妹です」
「私の許嫁です」
「その方はマリーンドルフ家の代理と名乗られましてな……」

※ ※

 その少女は、”マリーンドルフ家の代理で来たフロイライン・トゥルナイゼン”だと名乗り、取次の者に向かって、「マリーンドルフ家のご令嬢の婚約を妨害するとは許さない!」と糾弾しはじめた。
なにやら帝国騎士ミューゼルと関連があるらしい。
ミューゼルのローエングラム家継承に反対するのになにか役立つ情報が得られるかもしれない。グライム伯爵は直々に会ってみることにした。

 そのフロイラインは16歳、大学の1年生だというが、もう少し幼いようにみえる。くりくりとした目の、のんびりとした顔つきにみえたが、いったん口をひらくと、機関銃のように言葉が飛び出し始めた。
ミューゼルは、我々が寒門たちのなかから拾いあげて将軍にまでそだてた優秀な人材である、ローエングラム一門は武門の名家なのだから、自分たちの一門から優秀なのを選べばよいではないか、横取りするなんて酷い!
グライム伯爵からすればまったく不本意な非難である。
 横取りだと?
 トゥルナイゼンといえば、ミューゼルの後ろ盾となっている3一門のひとつではないか。そちらのほうこそ、われわれにミューゼルを押しつけようとしているのではないのか?
「フ、フロイライン、あなたは先ほどマリーンドルフ家の代理でいらっしゃっとおっしゃったと思うが」
「ええ。そうでした」
 少女はいったん落ち着きを取り戻し、自分自身と、マリーンドルフ家とミューゼルとの関係について語りだした。
「私は、かねてからミューゼル少将を、マリーンドルフ家の嗣子であるヒルデガルドお嬢様のお相手としてふさわしいと考え、各方面への根回しなど、ふたりの婚約の準備をすすめております。むろんマリーンドルフ家のご当主フランツさまと、少将の姉君であるグリューネワルト伯爵夫人にも、すでにご承認をいただいております。
なのに今朝、正式に婚約の登録を行おうと典礼省にまいりましたら、”ミューゼル少将はローエングラム一門のご令嬢のどなたかと縁談があるはずだから、その届け出は受理できない”って……」
そういうとフロイラインはしばらくうつむいて嗚咽をもらしている。我々のせいじゃない!それなのに我々に文句を言われても……。
やがてフロイラインはキッと顔をあげ、私にむかって叫びだした。
「ご一門のご令嬢のどなたかって、クニグント嬢ですか?イルムガルト嬢ですか?どっちもどうせクリームケーキちゃんでしょ?そんなお嬢様たちより、ヒルダ姐さまのほうがよっぽどいいのに!」
“クリームケーキ”が何かはよくわからないが、なんだか一門の令嬢をフロイライン・マリーンドルフと比べてバカにしているのだけはわかった。それに、我々だってミューゼルを押しつけられて困惑しているのに!グライム伯爵はおもわず言い返した。
「とんでもない!ミューゼルのような賤しい身分のものに、わが一門の高貴なご令嬢をやるなんて、とんでもない!」
 とたんに、フロイライン・トゥルナイゼンはぴたっと泣きやみ、顔をぱぁっと輝かせて言った。
「ほんとですか?嬉しい!!」
「は?嬉しい、ですと?」
「ええ。だってあたし、ヒルダ姐さんの相手にはライニが……えと、ミューゼル少将がぴったりだとおもって、いろいろと頑張ってきましたから……」
フロイラインは、ほんとに嬉しそうに、期待の籠もる目でグライム伯爵をみながら言った。
「じゃあ、ミューゼル少将とフロイライン・マリーンドルフの婚約を、ご了承いただけますか?」
グライム伯爵は、はたと言葉につまる。
この娘は、皇帝陛下がミューゼルにローエングラム家を嗣がせるとおっしゃったのを前提としてものを言っている。このような現状で、今この娘に対し(了承しない)といえば、ミューゼルと一門の令嬢の縁組みを望んでいると表明することになってしまう。しかし一門の高貴な令嬢を賎しいミューゼルにやりたくないからと、(了承する)などといってしまえば、ミューゼル本人だけでなく、次の代まで、ローエングラムの血をひかぬ宗主を頂くことを、この自分が同意承認したことになってしまう。だから、そんなことは、なおのこと、いっそう言えるものではない。
 ほんとうは(勝手にしろ!)と言いたいところだが、一門12家におけるミューゼル拒絶の意志は固いとしても、今朝正式に布告がなされたばかりのことで、まだ反対運動は着手すらされていない。ここで今、自分がこの娘に「勝手にしろ」というと、この娘は「ローエングラム家の継承が決まったミューゼルとフロイライン・マリーンドルフの婚約推進に、わしが同意した」と解釈してしまうだろう。
 フロイラインの顔をみると、さっきまで泣いたりわめいたりしていたのがウソのように、ケロッとした顔でグライム伯爵の返事を待っている。なにかたちの悪い詐欺にひっかかったような気分だ。
「いや、しかしミューゼル本人だけでなく、その次の代まで、ローエングラムの血をまったく引かない者が宗主の座を占め続けるというのは・・・・」
「じゃあ、こうしましょう、12家の皆さまでご一族の若君をひとり選んで、ミューゼル少将とフロイライン・マリーンドルフにお授けいただけないでしょうか?たとえばご当家とマルツァーン家のご令息とご令嬢のお子さまとか。その若君を、ローエングラム家の嗣子としてお迎えさせます」
マルツァーン家は、一門のなかで、グライム伯爵がローエングラム宗家を継承するのに反対してきた5家の筆頭である。フロイラインの提案は、ミューゼルの賤しい血が宗家に交じることもなく、しかも一門の内紛も解決する、名案ではないか。
「……しかし、そうすると、ミューゼル少将とフロイライン・マリーンドルフのご実子はどうなります」
「マリーンドルフ伯爵家を相続させます」

※ ※


「……とまあ、われ等の不満を極力おさえ、フロイラインの目的も成就したうえ、ついでにわれ等の内紛も収めてくださる名案をご提案いただきました」
 トーマス、イザーク、ミュンヒハウゼン男爵カール、ラインハルトは、呆然としながらグライム伯の話を聞いた。
「フロイラインによれば、この案は、まだマリーンドルフ家の側しか了解しておられないとのことですが、みなさまはいかがお考えですかな?」
 トーマスとイザーク、カールはそろってラインハルトの顔をみた。
 もしこの案を受け入れない、といえば(ローエングラム一門の血をひく令嬢を嫁に欲しい)という意味になってしまう。もう、これは「受け入れる」というしかないではないか。ラインハルトは答えた。
「ローエングラムご一門の方々がよろしければ、私にも全く異存はありません」

※ ※

ほどなく、ローエングラム一門を代表するグライム、マルツァーンふたつの伯爵家が、ローエングラム一門12家のいずれかから養子を迎えて嗣子とすることを条件として、帝国騎士ミューゼルによるローエングラム宗家の相続と、フロイライン・マリーンドルフとの婚約(そして将来の結婚)に同意するという主旨の発表が行われた。
これは血統至上主義者からみれば、いやしいミューゼルによるローエングラム宗家の占拠は1代限りで、つぎの代から正しい血筋の持ち主の手にもどることを意味する。ラインハルトによるローエングラム家相続に、逆上しかけていた一部の門閥宗家や上級貴族の者たちも、ほとんどのものが納得して鉾をおさめた。

これにより、ラインハルト・フォン・ミューゼルのローエングラム家継承とフロイライン・マリーンドルフとの婚約が、関係者すべての同意と祝福のもと正式に確定することになった。

 アーデルハイトの全面的勝利である。


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2012.2.21 初版
2014.10.8 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] 第21話 庇護の鉄鎖(3/24)(5/27改)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/05/27 12:05
第30話から、ロイエンタール・ミッターマイヤーとアーデルハイトの会話シーンを移動しました(5/27)
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ラインハルトはキルヒアイスとともにオイラー提督靡下の第55分艦隊司令本部を訪問した。
ローエングラム家の嗣子として、ローエングラム一門のナワバリであるこの分艦隊に挨拶まわりを行うという主旨である。オイラー少将はローエングラム一門諸家の中でも信望の厚いオイラー子爵家の当主でもある。
「皇帝陛下が、われら一門とまったく血縁のないミューゼル閣下に宗主の名跡を継承させると宣言なさったときは、われら仰天したものでしたが、……」
オイラー少将はいう。
「閣下と後見の3一門のみなさまは、まことに謙虚で鄭重な姿勢をお示しくださった。皆さま方にあのように下手にお出になられては、われらとしても閣下による宗主の継承を歓迎する以外、もはやなんのすべもありません」
オイラーの背後には、一門12家の嗣子や家の子、郎党、所従の出身者で、この分艦隊の戦隊長や分艦隊長をつとめる准将6人、艦長職をつとめる佐官12人が控えている。
 オイラー提督は、一同を指し示しながら言った。
「我らも武門の一門、精強な兵を育て、それなりに有能な将を育ててきたと自負するものですが、お恥ずかしながら、内紛のため、この数年、前線から遠ざけられてしまい、まことに恥ずかしい限りでした。いま閣下の出現により、一門はウソのように、ほんのまたたく間に団結をとりもどすことができ、感謝と感激に耐えません」
他の連中も、感涙に目をうるませながらうなずいている。
「われら一門は、昨晩12家の連名で、閣下を当分艦隊の指揮官にお迎えしたい旨を宇宙艦隊司令部に願い出ました」
「私のような若輩者に、そのようなご厚情ありがたい限りだが、オイラー提督はどうなさるのです?」
「それは、宇宙艦隊司令部がいけというポストに参ります」

※ ※

 先ほどの訪問では、上級貴族と呼ばれる連中が、ラインハルトに対し、もみ手をせんばかりの大歓迎であった。
軍務省への帰途、黙ったまま考えこんでいたラインハルトがつぶやいた。
「……こいつは、じつに恐るべき味方だ」
「ラインハルトさま?」
「ハイジのことさ」
ラインハルトに好意を持ち、善意で、力のかぎりラインハルトをバックアップしようとしている。しかしそのバックアップは、あくまでもラインハルトを、自分たちの手駒として育成しようという意図に沿っている。
「このままただ流されていては、完全に取り込まれてしまうな」

※ ※
 
ヴァンフリート星域の会戦における功績によりラインハルトは少将への昇進をはたし、クラインシュタイン艦隊を離れることになった。これは、同時に少将への昇進をはたしたロイエンタール、ミッターマイヤーも同様である。
ラインハルトは二人とのよしみを深めるため、リンベルク・シュトラーゼの下宿に二人を招いた。
「卿は現在の──ゴールデンバウム王朝についてどう思う?」
 彼らに本心を明かしうるかどうか、同志たりうるかどうかを判断するための質問である。傍らにいたキルヒアイスは、緊張をそとにあらわさぬよう、短いが真剣な努力をはらった。これはこの夜の、もっとも重要な質問であり、もっとも危険な一瞬である……つもりだった。
 ロイエンタールの姿勢がわずかに変わった。彼もそれを理解したように……みえた。
「五世紀にわたった、ゴールデンバウム王朝という老いさらばえた身体には、膿がたまりつづけてきたのです。外科手術が必要です」
 ラインハルトはそれに沈黙で答えた。ロイエンタールの表情や言動に見られるするどさには、金髪の若者を心地よくさせるものがあったのだ。
「手術さえ成功すれば患者が死んでもやむをえないでしょう、この際は。どのみち誰でも不死ではいられません──あのルドルフ大帝ですら」
 ロイエンタールは口を閉ざした。ラインハルトが片手をげて彼を制したからである。ロイエンタールは多弁な男ではなかったが、話を中断させられるのは好まなかった。しかしこのとき、彼はしぜんにラインハルトの制止をうけいれた。

具体的に表現したわけではない。
しかし自分たちの密かな野望。それをそうと知った上での彼らの意志。
心が通じ合った、とラインハルトは思った。その時、ミッターマイヤーが口をはさんだ。
「まあ、フロイラインの受け売りですけどね」
フロイライン?
「フロイラインは“あたしたちはもうアサビーヤを失っちゃってるからねぃ”と」
“アサビーヤ”。イブン・ハルドゥーンのことばだ。つい最近、聞いている。……ハイジだ。
ラインハルトは、自分の顔から血の気が引いて行くのがわかった。
あの小娘、すでにこの二人も手を伸ばしている!
「いざという時は、わからずやを吹き飛ばしたいから、そのときは力を貸してほしいと頼まれました。その時にそなえて力を蓄えておいてほしい、と。なかなか元気なお嬢さんですな。ミューゼル少将には最初に相談して、賛同をえたとか。
……おや、ミューゼル少将、顔色がよくないですな。どこか具合が悪いのですか?」

           ※           ※

 ロイエンタールとミッターマイヤーがアーデルハイトとはじめてじっくりと話したのは、帝国暦485年、ヴァンフリート星域の会戦において功績をたて、少将に昇進してほどないころであった。この会戦に先立ち、3宗家は、クラインシュタイン艦隊に所属する准将以上の士官を招いた祝宴を開いたのだが、アーデルハイトはその席でミッターマイヤーとロイエンタールにヒルダのレポートを手渡し、目を通して感想を欲しいと声をかけていた。オーディンに帰還してほどなく、ミッターマイヤーを自宅に招いて歓談していたロイエンタールのもとに、アーデルハイトは侍女カミラをつれて現れた。

 アーデルハイトは、帝国貴族が“地位・特権・富”の全てを失い、帝国が根本的にくつがえる“大崩壊”が近日中に迫っているという見通しを語った。
 曰く、帝国の貴族階級は、太祖ルドルフが【高い能力とすぐれた徳性をもって、腐敗堕落した銀河連邦(USG)の衆愚政治によって衰退した人類社会を復興させる】ために創設され、高い地位と大きな特権、莫大な富を与えられてきたが、現在、多くの者が「能力」も「徳性」もまともに持たなくなり、にもかかわらず、“高貴なる者の責務”について顧みるものは少数しかいない。  
 曰く、帝国貴族たちが名目上保有している権力は、もはや実際には貴族自身ではなくその配下たちによって行使されている。
 すなわち、ゴールデンバウム王朝とこれを支える帝国貴族の“アサビーヤ”(=集団としての生命力)はもう枯渇しきっており、帝国貴族が“地位・特権・富”をすべて失い、いま実際に権力を保持・行使している階層にとって代わられる“大崩壊”が必至であること。

 ロイエンタール、ミッターマイヤーは、大貴族の一員である娘の口から“帝国貴族滅亡”の予測をはじめて聞かされたときはギョッとしたものだが、アーデルハイトはこんな内容が、大学のゼミナールでは「学問的真実として、すでに現代政治学の自明の前提になっている」と語ると、さらに別のレポートを示した。
 そのレポートは、帝国貴族の“門閥宗家”270家のうち上位100家と、その100家それぞれの一門諸家のうち最有力の2家について、当主と嗣子の学歴・資格・職歴・賞罰などの項目について調査したものである。
 まずは、“帝都大学オーディン”の卒業生が目立つ。この学校は、大貴族が、自身の子弟に、おツムの出来にかかわらずとにかく学歴を与えるために通わせる学校として知られている。
 その次に多いのが、士官学校を卒業し、ただちに予備役准将または予備役少将の階級を獲得した連中である。このような経歴の持ち主は、士官学校をお情けで卒業したのち、領地に付属する封領警備隊の地上軍や航宙軍(=私設艦隊)の指揮官となるための箔づけとして、正規軍の予備役将官の階級を授かった者たちで、このような経歴もボンクラの証である。
 アーデルハイトの兄で、トゥルナイゼン宗家の当主イザークなどは、幼年学校を学年4位で卒業、少尉で任官して現在“準佐”の階級で巡航艦の副長など、軍歴を着実に積み重ねていることを示している。
 こちらのレポートでは、サンプルとして抽出された大貴族の当主と嗣子たちの大部分が、お情けで獲得できる学歴しかもたず、実力主義で獲得される資格を取得したものなどろくにおらず、その帰結として、当主の地位に付随する権限を臣下に丸投げにしているなどの様子がクッキリと描きだされていた。

「こんな身もふたもないレポートがよくつくれましたな」
「作者の名前を見てみて」
アヒレス・アンスバッハ。…ブラウンシュヴァイク公の筆頭の腹心の、あの人物と関係があるのですかな」
「ええ、息子さんです。あたしやヒルダ姐さんが通っているオーディン帝大の政経学部には、アヒレスみたいな出身のひとたちがたくさんいて、この人たちがいちばんのびのびとレポートや論文のテーマを決めて、とっても鋭い考察をやってます」
「なるほど……。それで、そのようなことを何故われわれにお話になるのですか?」
「大学の教授たちや平民の学生・院生たちは、“大崩壊”を学問的に観察してればいいけど、あたしは多くの人々の運命に責任をもつ家の一員ですから、何か手を打たなきゃ!って思って……」
「それで、われわれに対して、貴女は何をお望みなのですかな?」
「“大崩壊”がどんなふうに進んでいくのかに、正規軍の動きは大きく関わります。だからそのとき、ライニやお二人みたいな人たちが正規軍の部隊をなるべくたくさん掌握してくれていると、あたしたちの命綱になってくれるかな♪、と」
「あなた方の地位や領地を守るためにはたらけ、と?」
「いえ、そんなずうずうしいことは求めません」
「ほう?」
「領地と領民、家臣と一門のものたち、そして家族がなるべく被害すくなく“大崩壊”を生き延びるのに、そのときお二人が持っている力を貸してもらえたら、と。“大崩壊”がいつどのように始まるのかまだ全然わかりませんから、何をどのようにお願いするか、具体的なことはまったく未定ですけど……」
 アーデルハイトは、義母ヴィクトーリアや許嫁トーマスは単に「最強艦隊」を目指しているだけだが、自分としては、そのような将来への思惑から、一家でとりくんでいる寒門出身士官たちへの支援に加わっている、としめくくった。

            ※               ※

ブラウンシュヴァイク公オットーは、自分の少し先を歩んでいるロットヘルト伯爵夫人ヴィクトーリアを呼び止めた。彼女には確認せねばならないことがある。
「グラーフィン、少しお時間をいただけますかな?」

ロットヘルト家が現在とりくみ、いずれ一門の他の諸家、さらには他の一門も巻き込んで拡大しようとしている”衰退星系の救済事業”について問いただし、ヴィクトーリアから説明をうけた。

「グラーフィン、貴女は、ご一門で囲い込んでおられる寒門出身の正規軍の将官どもに声をかけて、この事業を支持するようにおっしゃっているそうだが……」
「そのとおりです。もともと、この事業は、正規軍90個分艦隊のうち、まったく出動しないものが15個もあるのはなぜか、という疑問からはじまったものなのですよ。すべて“より強き軍のために”という思いによるものですので」
「反対するものには、正規軍をさしむけて力でねじ伏せ、黙らせるそうですな?」
ヴィクトーリアはきょとんとしている。
「はて、なんのことでしょう?」
「貴女のところのフロイラインから、そのように耳打ちされたものが何人もおるのですぞ!」
ヴィクトーリアは笑いだした。
「………!なんとロットヘルトの娘らしいもの言いですこと!あの娘ならいいそうなことです」
「笑い事ではありませんぞ?」
ロットヘルト一門は、いままで宮廷内の権力闘争に興味をもたず、ほとんど関わろうとしてこなかった家だが、正規軍の勢力を背景として自身の意志をおしつけるとするなら、彼らは従来の姿勢を根本的に転換したことになる。この点は是非とも確認しておかねばならない。ブラウンシュヴァイク公がいまヴィクトーリアを呼びとめた目的である。

「いえ、実際にわれ等がそんな理由で正規軍を動かすような事態になど、なるはずがありませんよ?」
ヴィクトーリアは、笑いの発作が収まると言った。
「住民が富み栄えて人口が増えれば、そこの領主どのは税収が増え、精強な兵を帝国に提供できるようになります。誰にとっても得にしかならない事業です。そのことにご理解とご納得がいただければ、反対は決しておこらないはず。ですから妾(ワタシ)どもは、まずホッホヴァルト星系での事業を成功させて、このことを全ての貴族諸賢にお示しする所存」
※ ※

ロイエンタールとミッターマイヤーの双璧に自分たちの野望を明かして同志とする企ては、生煮えの、なんだかわけの分からない結果に終わった。
そういえば、先日、ラインハルトは、ロットヘルト家の地上車でヴェストパーレ家から下宿に送られる途上、ヒルダに尋ねたのである。これは「婚約」が決まったとして、さらに実際に結婚にまで進むことができる相手なのかを確認するための問いでもあった。
「ルドルフにできたことが、おれにできると思いますか?」
ヒルダは一瞬ひるみの表情をうかべ、ついでしばらく考えた後、こたえた。
「先ほども話にでましたが、いまワタシタチはすでに力を失っています。これを覆す人はまちがいなくアナタタチの中から出る」
それだけいうと、彼女はしばらくラインハルトが何か発言するのをまっていたが、ラインハルトが黙っているのを見て、言葉を嗣いだ。
「ぜひ、覇者をめざしてください」

彼女が、今の段階でおれが簒奪を口にするのははやすぎると思ったのだろう。
否定はされなかったが、肯定もされず、ただ、励まされてしまった。

車中での会話を思い出すと、ラインハルトは恥ずかしさのあまり身もだえしてしまう。

これは、元帥くらいにでもならないかぎり、もう、とても彼女と顔をあわせられないぞ!

※ ※

ラインハルトとヒルダの婚約成立に大奔走したアーデルハイト。ところが2日後、大学で再びであったヒルダは浮かない表情である。あの日以来、ラインハルトに避けられているという。アーデルハイトは、帰りの車中での会話の内容をヒルダからすべて聞き取ると、二人の間をとりもつため、さらに一肌ぬいでやることにした。親友と幼なじみのために、当然のことである。

        ※             ※

 リンベルク・シュトラーゼの下宿。フーバー夫人があがってきてラインハルトとキルヒアイスに告げた。
「いつものお客さんだよ」
 巨漢の護衛アルノルト・シュヴァルツネッゲル兵曹上長をおともに連れたアーデルハイトであった。
 シュヴァルツネッゲル兵曹上長をサロンに残し、ラインハルトの私室でアーデルハイトは切り出した。
「話しはすべてきいたよ」
 だれからの、なんの話しか説明はまったくないが、ラインハルトにはすべてわかった。
「ヒルダ姐さんは、あそこでライニが“助けてほしい”とか、“支えになってほしい”っていったら、“ぜひ”って返事するつもりだったんだよ」
 キルヒアイスも、ラインハルトからことの次第を聞いていたので、アーデルハイトがなんのことを言っているかはすぐ理解できた。
「まさか“宇宙艦隊司令長官になるまでは、ヒルダ姐さんとは会わない!”とか、考えてないでしょうね?」
ラインハルトの表情をみるに、まさに図星であった。
「そんなのだめだからね。なるべくしょっちゅう、デートすること!もう典礼省登録ずみの婚約者なんだから!ライニが手すきの時間を姐さんに伝えたら、姐さんがそれに合わせるよ!」

いいたいことをいうと、手みやげの茶菓子を残して風のように去っていった。

「……鉄の鎖だ」



[29819] 第22話「ホッホヴァルトの破局」(3/27/4/1改/5/5重修)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/09 21:51
ヴィクトーリアがロットヘルト艦隊に収容された後の場面に、ホッホヴァルト男爵の領主権執行宣言を追加♪(4/1)
気絶から覚めたヴィクトーリアが、シュテルネンシュタウプの通信ログを眺めるシーンを追加(5/5)

************
 帝国暦485年の初秋。
 ラインハルトはオイラー提督に代わって第55分艦隊の司令官に着任、8月末、分艦隊3,000隻を率いてイゼルローンに向かって旅だっていった。イザーク・フェルナンドも、ひきつづき第44分艦隊(ミュッケンベルガー司令長官直率の分艦隊)に所属し、こんどは巡航艦の艦長として出撃していった。
 いっぽうトーマスはあいかわらず士官学校で修行中である。座学や実習にとりくむ姿勢は真面目であるが、門閥宗主家の用事でしょっちゅうサボるため、素行不良の劣等生としていまにも落第しそうな今日この頃である。

そんな初秋のある日。
辺境のホッホヴァルト星系に赴任していたロットヘルト家の次男エーリケから、緊急の超空間通信がオーディンの伯爵家邸宅に入る。

「エーリケ、なにごとじゃ?」
「母上、至急、艦隊をこちらに送ってください!このままではうちの領民ともども皆殺しに合います!」

ヒルダはゼミ・レポートで「救済事業の失敗の原因」のパターンをいくつか提示したが、そのひとつとほぼそっくりそのままの破局が生じたのである。

   ※                 ※

去年の秋の大不作をきっかけとしたホッホヴァルトの飢饉は、ロットヘルト星系からの緊急援助物資によって小康を得た。ヴィクトーリアはさらに、資金のほか、耕作機器、大小の運搬・作業車両、それらの整備機器、初歩的な冶金プラントとともに、ロットヘルト領民からそれらを運用する人員、現地住民に使用法を伝授する教員など1,200人(妻子含む)を送り込んで、エーリケを支援させた。

これらの資金・物資や人員は、名目的にはホッホヴァルト星系総督府(総督・副総督は3人の領主がつとめる)を経由して現地にとどけられるのだが、この星系の3人の領主にとって、小惑星帯に設置された産業惑星とその従業員こそが彼らの「領地・領民」の主体であり、惑星とその住民はどうでもいい存在であった。3領主の総督府はそれぞれ産業惑星内に設置されており、惑星表面には、10人前後が詰める小規模な出張所しかなかった。

3領主の出張所には、ロットヘルト星系から届けられる膨大な物資や人員を処理する能力はない。これらはもともとロットヘルト家の資金・物資・領民だということもあり、「星系総督府出張所」とはべつに、鉄筋2階建ての「三等書記官府」ビルが建設され、エーリケはここを拠点にロットヘルトから到着する資金・物資・人員の受け入れと分配にあたることとなった。

現地社会の再建は順調に進んだが、破局は突然おとずれた。

3領主の一人ホッホヴァルト男爵の嗣子オイゲンが惑星を視察におとずれたのである。

       ※                    ※

「ほう、そのほう、なかなかの美形であるな。今宵、わしの宿舎にくるがよい。夜伽を命ずる」
エーリケをはじめ、三等書記官府の人員、現地住民の代表らが整列してでむかえるなか、オイゲンが言った。オイゲンにみせるため、出迎えの列の背後に農耕車輌も10台ほど並べておいたのであるが、その運転席にいた女にいきなり声をかけたのである。

ロットヘルト領では、200年前に“帝国戦士”制度が創設され、徴兵に応じて軍務につき、徴兵期間を終えて退役したものたちがどしどしと“帝国戦士”に叙爵された。領地もつかないし、他領に行けば平民扱いだが、ロットヘルト一門の8星系の内部では貴族扱いである。200年をへて、ロットヘルト八星系では全領民が”帝国戦士”またはその家族でしめられるようになり、農奴・賎民・平民は存在しなくなった。ロットヘルト一門だけでなく、”武門の名門”と称される一門は、どこでも似たような制度を設けて、徴兵によって帝国正規軍に供出する兵の精強を競い合っている。

そのような“帝国戦士”の妻なり娘なりに「夜伽ぎ」を命ずるなど、領主の側も領民の側も、まったく思いもよらないことである。

オイゲンにいきなり声をかけられたマリア・トラップは当然拒否した。“帝国戦士ゲオルク・トラップ”の妻として、当然のことである。
「つつしんでおことわり申し上げます」
オイゲンは激昂した。いやしい虫けら身分の女に“情け”をかけてやるという名誉をあたえてやろうというのを、拒否だと?!
「貴様!いやしい平民のくせに、累代の領主の恩をわすれたか!」
「われらは栄誉ある“帝国戦士”です!それに私どもの累代の恩はロットヘルト家より受けたもの!」
オイゲンは聞いちゃいない。マリアにむかって熱線銃をいきなり発砲した。
マリアはとっさに運転席から飛び降りて身をかわしたが、おもわず顔の前にかざした左手が、手首の先から消滅した。
「貴様、逃げるか!」
オイゲンは、熱線銃をふりかざしながら追いすがる。
オイゲンの衛士たち、出迎えのエーリケ、三等書記官府の者たちが呆然と固まっているなか、隣りのトラクターの運転席にいたゲオルク・トラップが動いた。“帝国戦士”の証として授与された小型の熱線銃を引き抜き、オイゲンに発砲した。

心臓を撃ち抜いてしまった。
とうぜん、即死である。

自失状態から回復したオイゲンの衛士たちはゲオルクに銃をむけるが、ほぼ同時に回復した三等書記官府の人員たちも、自分の熱線銃を衛士たちにつきつけて、にらみ合いとなった。

エーリケがわって入り、三等書記官府のものたちに身振りで銃を降ろさせると、衛士たちに向かっていった。
「この件は、ただちに総督府と、オーディンのご領主さまに報告して、お裁きをまちます。みなさんも、ここは引いてください」

ついで、出迎えの列の中にいた「伯爵家アルバム」の撮影スタッフに向き直る。「伯爵家アルバム」は毎週1回、早朝、ロットヘルト伯爵家の家族の動静について領民たちに放送する報道番組で、エーリケ付きのスタッフが2人ホッホヴァルトまでついてきて、エーリケや三等書記官府のロットヘルト人たちの活動を撮影していた。
「いまの出来事は、最初から最後まで、ぜんぶ撮影していましたね?」
「え、あ、はい」
「動画データを、ただちに総督府と、オーディンのホッホヴァルト男爵に送る手配をしてください」

エーリケに、事件を隠蔽したり、証拠を隠滅したりする様子がないのをみて、殺気立っていた衛士たちも落ち着き、銃を下げた。

三等書記官府の備品として、冷蔵機能つきの棺がいくつか送られていきていた。男爵家の嗣子の身分にはとてもつりあわない簡素なものだが、この地では他に選択肢はない。衛視たちはオイゲンのなきがらを棺におさめ、宇宙港からシャトルで総督府に戻っていった。

       ※               ※

「エーリケどの、そちらの領民がとんでもないことをしでかしてくれましたな」
ホッホヴァルト男爵マンフレートが、静かな怒りをたたえ、モニターの向こうから告げた。エーリケも退いてはいられない。
「まことに遺憾なできごとでした。
オイゲン様が、とつぜん錯乱なさり、帝国戦士ゲオルク・トラップの妻マリアを殺害しようとなさいました。トラップが防ごうとしたところ、当たり所が悪く、オイゲン様はあえないことに……。
じつに、まことに、不幸なできごとでありました」

エーリケとしては、ゲオルクの行動は正当防衛だと主張するしかない。

「平民の分際で領主の嗣子を殺害とは、極刑に値する極悪の罪です。領主としては、ただちに下手人を総督府に委ねるよう求めます」
「“帝国戦士”のゲオルク・トラップは、平民ではありません。領地こそもって折りませんが、爵位を有する者です。オイゲン様は、その帝国戦士の妻に夜伽をお命じになり、拒まれると殺害に及ぼうとなさった。オーディンで貴族の妻に“夜伽ぎ”を命じようものなら、決闘ものの侮辱となります。このたびの件、非はオイゲン様にあります」
「そちらはオーディンではない。われ等の所領ぞ。それに“帝国戦士”とはなんぞや?貴家の内部だけで通用する、ただの“民爵”ではないか」
「とにかく、平民の謀反という名目でのお引き渡しは、拒否させていただきます」
「そちらがそのようなお考えなら、内務省には叛乱が勃発したと届けたうえで、しかるべき措置をとる。その時になって吠え面をかくなよ!」

ホッホヴァルト男爵は言い捨てると、通信を切った。

       ※                 ※

「以上のような次第です」
エーリケは、ヴィクトーリアに告げた。
「ゲオルク・トラップを引き渡さねば、ホッホヴァルト男爵は叛乱鎮圧の名目で、惑星に攻撃をかけてくるでしょう。ぼくも男爵に対抗して、内務省に対して”惑星ホッホヴァルトの地表は三党書記官府のもとでまことに平穏”って報告を送ったけど、男爵はそんなの気にしないでしょうし……」

ヴィクトーリアは、一瞬考えこんだが、ただちに決断した。
 ゲオルク・トラップを「領主の嗣子を殺害した平民」としてホッホヴァルト男爵に引き渡すなどは、まったくの論外である、と。
ロットヘルト一門の各領主家が領民に与えている“帝国戦士”の称号が、名前だけの紙切れなのか、実質をともなうものなのかが問われているのだ。ことはゲオルク・トラップ一人にとどまらないのである。
「わかった。艦隊を率いてただちにそちらに行こう」
通信を切った。
「ハァイジ!」
「はい、お義母さま?」
「エーリケと、ホッホヴァルトに送った領民どもがあぶない。妾(ワタシ)は、当家でいちばん足の速い巡航艦ローレライでホッホヴァルトに向かう。そなた、トーマスに、ロットヘルト本星の残艦をつれてかけつけるよう伝えておくれ」
「はい、わかりました。連合艦隊は動員しなくていいの?」
“連合艦隊”とは、宗家と一門15家の私設艦隊が合同する場合の名称である。
「いや、そこまでことを大きくする必要はない。エーリケの支援も、ロットヘルト宗家単独の事業としてやってきたのじゃ。今回動員するのも、ロットヘルト本星の戦力だけでよい」
「わかりました」

         ※                 ※

ホッホヴァルト男爵は、ホッホヴァルト星の3領主の一人にしかすぎず、保有する航宙戦力といえば、領主座乗艦である戦艦1のほかは、巡航艦2、駆逐艦2という小規模なものでしかない。これに対し、ロットヘルト宗家直率の戦力といえば、戦艦7隻、巡航艦14隻、駆逐艦25隻で、数だけみても男爵の10倍はある。さらにチューンナップやメンテナンスの状態、乗員の練度などの要素も加えれば、戦力差は無限大といってもいいほどのところのものである。

ヴィクトーリアは、ホッホヴァルト男爵と競うように、ホッホヴァルト星系にかけつけた。



惑星ホッホヴァルトの衛星軌道上で、ヴィクトーリアと、ホッホヴァルト男爵マンフレートは、しばらく論戦をくりひろげた。論旨は、エーリケと男爵が長空間通信をつかって繰り広げたものとかわらない。

ゲオルク・トラップは平民か貴族か。それによってゲオルクの行為が「平民による領主への謀反」なのか「妻を守るための正当防衛」なのかも決まってしまう。

マンフレートとののしり合いながら、ヴィクトーリアは思った。
(まったく、フロイライン・マリーンドルフがレポートで指摘していたのと全くおなじ事態が起きてしまっている!)



「ええい、らちが明かぬ!」
ホッホヴァルト男爵はとつぜんヴィクトーリアとの通信をうち切ると、靡下の軍艦5隻にミサイルの発射を命じた。標的は、惑星表面上にある町・村である。自分の領民ごと、エーリケ、ゲオルク・トラップ、その他のロットヘルト人たちを焼き滅ぼそうというのである。
 ホッホヴァルト艦隊は、射撃の統一管制なんかできる設定になっていないので、配下の巡航艦と駆逐艦は、いちいち旗艦に問い合わせをくりかえしながら、もたもたと発射準備を進めた。
通信管制もおこなわず、内容ダダ漏れの通信を傍受して、巡航艦ローレライの艦長はヴィクトーリアに問うた。
「どうしますか?やつらを沈めますか?」
「いや、それはならぬ」
ホッホヴァルトの領内で、こちらから先に手をだしては、彼らの一門とロットヘルト一門との戦争になってしまう。それもこちらが開戦原因を作ったという不利な状況で。
「彼らが発射したミサイルだけを落とせるか?」
「彼らの練度にもよりますが、最大限努力します」

さいわいにも、男爵家の艦隊は練度がひくかった。さらには、男爵家は航宙艦を下賜された時そのままの状態(つまり観艦式に出場する時のように、戦闘力を犠牲にして見栄えをよくした状態)で、ほとんど手を加えていなかった。

男爵家の戦艦1隻と巡航艦2隻、駆逐艦2隻が、ぽひゅ〜ん、ぽひゅ〜んと、のんびりとまばらに発射するミサイルは、ローレライ一隻のアンチミサイル・ミサイルで容易に撃墜することができた。

(連中が弾切れをおこすまで、こちらの弾は保ちそうじゃのう)
ヴィクトーリアが考えながらスクリーンを眺めていると、艦長が金切り声をあげた。
「敵が突っ込んでくる!」

男爵家の巡航艦の一隻が、ローレライに衝突覚悟で突っ込んできた。

衝撃。
司令室がゆがみ、あちこちでエア漏れの音がしはじめた。
(まずい、与圧服を着ていない)

そのうちヴィクトーリアの意識は暗転した。



ヴィクトーリアが気がつくと、戦艦シュテルネンシュタウプの医療室にいた。
トーマスが心配そうにのぞき込んでいた。
「お気づきになりましたか?」
「外はどうなっておる?」
「男爵は、戦艦の主砲で惑星表面にあったすべての村と町を焼き払いました。いま地表に呼びかけていますが、まったく応答はありません」

ヴィクトーリアは、「後宮西苑のヴェーネミュンデ侯爵夫人の館に戦艦の主砲を打ち込むなんて全く望んでいない」とリヒテンラーデ侯に手紙を書いたり、ローエングラム一門の伯爵の館に航宙艦の対地ミサイルの照準を合わせたりしたことはあるが、実際にその種の攻撃を行ったことはなかった。

(戦艦の主砲で、ほんとうに地表を焼き払う者があらわれるとはのう……)

 ヴィクトーリアは、よろめきながら立ち上がると、シュテルネンシュタウプが、自分の座乗艦だったローレライや、三等書記官府をはじめとする惑星ホッホヴァルトの地表施設とかわした交信のログを眺めた。
 救援をもとめ、やがて沈黙していくエーリケや三等書記官のスタッフたち、
 ホッホヴァルト艦の特攻と破損、ヴィクトーリアの負傷を伝えるローレライからの通信。
 負傷して気絶したヴィクトーリアを移乗させるための、ローレライとシュテルネンシュタウプの交信。
“伯爵家アルバム”のスタッフが地上からとらえた、ローレライに撃ち落とされるホッホヴァルト艦隊のミサイルや、自分たちにむかって照準される宇宙戦艦の主砲、その発砲の映像など…。
 シュテルネンシュタウプが僚艦やロットヘルト本星にヴィクトーリアの無事を報告する通信の部分で、ヴィクトーリアは妙な通信があるのに気がついた。

(いったい、これはなんじゃ?)

トーマスが、ヴィクトーリアの沈思を破ってたずねてきた。
「で、母上、これからどうしますか?」
「何がじゃ?」
「ホッホヴァルト男爵は、惑星の表面を焼き払うと、ローレライにぶつけて破損した巡航艦一隻を遺棄して、小惑星帯の施設のほうへ撤退していきました」
「それで?」
「男爵は、エーリケと、ロットヘルトの領民1200人を殺害したうえ、母上を殺す可能性もいとわず、母上の座乗艦に巡航艦をぶつけてきました」
そこで、トーマスは、マンフレートが送ってきた通信映像を再生した。
「フライヘル・フォン・ホッホヴァルトは、嗣子オイゲンの殺害犯に法の裁きを下した。エーリケ・フライシャー三等書記官および三等書記官府の者たちが巻き添えで死去したことは遺憾なことであるが、総督たるこの私の命に背き、殺害犯の隠匿を謀った以上、やむを得ぬ措置である!」

トーマスが、改めて確認する
「報復をおこないますか?」
「いや、それはせぬ」

一同、ヴィクトーリアの性格からして報復を命じるものとばかり考えていたので、みな以外そうな顔をする。
「われ等はもともと、この星の住民どもを救いにきたのじゃ。しかしその事業は完全に失敗してしもうた。腹いせに、あの領主どのを滅ぼすのはたやすいが、そんなことをしたところで、みじめな失敗に、恥のうわぬりを重ねるだけじゃ」
「そのようなご判断なら、何も申し上げることはありません」
ヴィクトーリアは命じた。
「引き上げじゃ!」

 艦隊の大部分を分離してロットヘルト星系に向かわせ、旗艦シュテルネンシュタウプと護衛の巡航艦1隻、駆逐艦2隻でオーディンに帰還する途上、すれちがった100隻ほどの船団から通信が着た。
 ホッホヴァルト男爵が所属する一門の宗主オイレンブルク伯アルブレヒトであった。
「グレーフィン、お引きあげくださったか」
「ええ、あの期にいたって、男爵どのを攻めたところで、もはや詮無いことですので」
「わしら、かなわないまでも、グレーフィンと一戦まじえる覚悟でおったのですぞ」
「その必要はありませぬよ」
ホッホヴァルト男爵を滅ぼしていたら、ここで100対3の乱戦をやるはめになっていたところだ。いや、その場合はロットヘルト艦隊を解散せずにオーディンに向かっていたか。

たがいに航海の安全を祈る定型の通信文を交わし、別れた。
しかしヴィクトーリアは思っていた。
(このままではエーリケも領民どもも浮かばれぬ。絶対このままでは済まさぬ!)



前線で、ラインハルトが第55分艦隊をひきいて出撃を繰り返し、華々しい戦果をあげつつあることが伝わってきた。
エーリケや領民たちの死から目を背けて、トーマスは思う。
「それに比べておれは……」
士官学校を、またも、一ヶ月以上もさぼってしまった。
もう出席日数も単位もぜんぜん足りない。
このままでは、素行不良で留年?放校?
46隻の小艦隊を率いて作戦行動をやったのって、なにか実習の単位として認めてくれないものかな……

********************
2012.3.27 初版
2012.4.1 改訂
2012.5.5 重修
2014.10.9 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] 第23話「ホッホヴァルト殉難者追悼式典」(3/29)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/09 21:51
「私はてっきり、奥様が報復をお命じになるとばかり思っておりました」
シュテルネンシュタウプの艦長カール・ライネック准将がいう。
ライネック准将はロットヘルト家の先代当主ゲオルク(=ヴィクトーリアの兄)の「ご学友」だった人物で、ゲオルクの戦死より20年あまり、一貫してロットヘルト家の封領警備隊航宙部隊(私設艦隊)の中枢を担ってきた。クラインシュタイン提督が正規軍に復帰したのに伴い、ロットヘルト家当主の座乗艦シュテルネンシュタウプの艦長や、私設艦隊司令官代理の職を引き継いだ。

ヴィクトーリアは、アーデルハイトがほんのちょっと“捜査協力”を求められた程度でも、その社会秩序維持局の支局に装甲擲弾兵を率いて乱入し、支局長たちをひとしきり威嚇せねば止まなかったほどであるのだから、次男エーリケや領民を1,200人も殺害され、さらには自分自身にも攻撃を加えられておきながら、ホッホヴァルト男爵を放置して撤退したのが不思議でならないのである。

ホッホヴァルト男爵の宗主オイレンブルク伯爵アルブレヒトは、門閥宗家としては家格267位、一門18家の全航宙戦力を合算しても80隻程度。乗員の練度も装備のメンテナンスも劣悪な状態である。男爵家1家だけならむろん、彼らが一門の総力を挙げた場合でも、ロットヘルト宗家1家だけの戦力で圧勝できることは明らかである。

ヴィクトーリアは、しばし考えたのち、ライネックに答えた。
「ホッホヴァルト男爵は、はじめて会った時に、30万領民を虫けら呼ばわりし、連中の生死をどうでもよいと言っておった。いまふりかえると、かの男爵はこのようなことをやらかす奴じゃとあらかじめ予想できたはずじゃ。それができなんだために、救ってやろうとしたホッホヴァルトの住民どもやエーリケ、うちの領民どもを失ってしもうた」
「しかし、悪いのは全面的に男爵殿でしょう?」
「いや、たとえばマリア・トラップは、ごく普通の農夫の服装でトラクターの運転台に座っておったが、“帝国戦士”やその妻の礼装を、いかにも貴族っぽい格好のものを制定して、嗣子どのが視察に来た時だけでも着させておったら、嗣子どのはあのような無体な要求は出さなんだに違いない」
「それはそうでしょうが、それを予測するのはとてつもなく困難でしょう?」
「いや、准将にもフロイライン・マリーンドルフのレポートを見ていただきましたな?彼女が指摘した“衰退星系救済事業失敗の原因”の中には、今回の事件とほとんどそっくりのものがあった」
「そういえば、そのようなものもありました」
「妾(ワタシ)がもっと注意深ければ、ホッホヴァルト男爵に自領の焼き討ちなどさせず、エーリケも、うちの領民どもも死なせずに済んだのじゃ」
「それで、男爵どのを放置なさるわけですか」
「そうじゃ。帝国の再生のためには、衰退星系の救済事業はなんとしても実行せねばならぬ。失敗した場合にそこの領主を討ち果たす、ということでは、だれが、つぎの取り組みを受け入れてくれようか」
「この事業を、別の場所で継続なさるお考えなのですか?」
「むろんじゃ。なんとしても成功させ、帝国の国策にさせる。エーリケの無念は、それで晴らす。
 ホッホヴァルト男爵のようなものどもは他にも大勢おる。そのような者どもに目覚めてもらわねば、帝国の再生はかなわぬ。」

この点、すでに帝国貴族というものに見切りをつけているヒルダやアーデルハイト、ラインハルトたちとは見解がことなる点である。このことが、数年のち、リップシュタット戦役におけるロットヘルト家の分裂へとつながるのであるが、それはまた別の話である。

       ※               ※

オーディンに帰還したヴィクトーリアは、さっそく内務省に赴いた。
「ホッホヴァルト星系で、三等書記官エーリケ・フライシャーが殉職した件について、どのように記録されておるか!」
「ホッホヴァルトの領主様からは、住民が反乱をおこして視察に訪れていた嗣子さまを殺害。よって私設艦隊を動員して反乱を鎮圧した、とご報告が」
「それはまったくのデタラメであるぞ」
ヴィクトーリアは、事件の経緯についてロットヘルト家の立場からみた“正しい姿”を係員に書き取らせたうえで、「正史」には、「ホッホヴァルト領の救済活動」に赴いた「帝国戦士」ゲオルク・トラップが「妻をまもるため、やむをえず領主の嗣子を射殺した」と記述するよう、厳しく要求した。要求を受け入れねばただでは済まさぬ!という威嚇もむろん、忘れない。
  
  ※         ※

ヴィクトーリアは、ロットヘルト邸にもどるとトーマスに告げた。
「いまからただちにロットヘルト星系に戻るぞ。そなたも一緒にくるのじゃ」
「わかりましたが、いったい何を」
「エーリケと、こんどの事件で殉難した領民どもの追悼式典を盛大に行う。特に、わが妻を守ろうとしたゲオルク・トラップについては英雄として、とりわけ手厚く褒め称える」
「なるほど」
「それから、領民どもの遺族に謝罪してまわる」
「謝罪、ですか?」
「そうじゃ。今回ホッホヴァルトに向かった者どもは、“困窮した星系を救済するために”といって募集した。妾(ワタシ)はこのような事態など思いもよらなんだから、命の危険があるなどとは全く伝えておらぬ。なのに死なせてしもうた」
「なるほど、わかりました」
「トーマス、士官学校では、足の裏をきたえておるか?」
「足の裏ですか?別段、とりたてては……」
「遺族は、800家族ほどじゃ。一軒、一軒、裸足で歩いてまわるぞ」

惑星ロットヘルトの町や村では、自分の家から火事を出して、近所にまで被害が及んでしまった場合、裸足になってその町あるいは村のすべての家を謝罪してまわったのち、町または村をでていく、という習慣がある。深い謝意を態度で示すという風習である。
 トーマスが微妙な顔をしているので、ヴィクトーリアは言った。
「足の裏が痛い程度がなんじゃ。ホッホヴァルトに行った者どもは死んでしもうたのじゃ、痛いどころではない」

ヴィクトーリアとトーマスのやりとりを聞いていたハイジが口をはさんだ。
「そういうことなら、あたしも一緒にいきたいです」
「しかしハイジ、そなた、今はまだトゥルナイゼン家の者であろう」
「でもお義母さまに育てていただいて10年以上、トーマス兄さ……、トーマスさまとも婚約が決まったし、ロットヘルト家の者も同然です」
「よくぞ言うてくれたの。そういうことなら、この際、そなたをロットヘルト家のものにしてしまうか。すぐ、お父上のエドゥアルトに相談しよう」

※ ※

 ホッホヴァルト男爵マンフレートは恐怖にうち震えていた。
 嫡子オイゲンが殺されたのに逆上し、グラーフィン・フォン・ロットヘルトの座乗艦ローレライによる妨害を排除して自領を焼き払ったわけだが、相手の犠牲は、家格12位の門閥宗主の次男とその家臣・家族1,200人。さらにはローレライに使用不能の損傷を与え、グレーフィンにも負傷させた。こちらは末流の男爵家の嗣子ひとり。どう考えてもバランスは向こうの方が重すぎる。
一門の宗主オイレンブルク伯爵アルブレヒトは、一門18家の連合艦隊を結成し、軍事警備会社(=傭兵)からも30隻ほどを雇い入れ、総計100隻を率いて駆けつけてくれたが、途中で自領とオーディンに分かれて引き上げるロットヘルト艦隊とすれ違ったという。それでもマンフレートは、こちらが油断したのを見計らって逆襲してくるに違いないとオイレンブルク伯に訴えて、しばらくホッホヴァルト星系内に艦隊を留めてもらった。しかし一月ほど経つと、オイレンブルク伯は”ロットヘルト家はきっともう攻めてくるつもりはない、軍事警備会社(=傭兵)から雇っている30隻の費用が大変だ”といって引き上げてしまった。
マンフレートはおそるおそるオーディンにもどったが、そこでさらに恐ろしい噂を耳にした。ロットヘルト家は、彼らが手塩をかけて育成してきた将軍たちに、「衰退星系の救済事業の着手に反対するものたち」を排除する実行役を依頼してまわっているという。自分は「着手に反対」どころか、彼らがモデルと位置づけていた事業をねこそぎ灰燼に帰せしめてしまった。
彼らの不気味な沈黙のうらでは、自分に対する報復の計画が着々とすすめられているに違いない。
くそう、座して滅びを待っていてたまるものか!
やられる前に、こちらからやってやる!
 マンフレートは、正規軍に奉職している領民や、衛士たちの中から、腕利き10人あまりを選抜し、ロットヘルト家への襲撃計画を練りはじめた。
 
※ ※

♪ワッワー ルルリーラ パヤパパパー
  ルル ワッワッワー
  ルル ワッワッワー

ナレーター:伯爵家アルバムのお時間です。ホッホヴァルト殉難者の追悼式典のため、ロットヘルト家のグレーフィンさま、嗣子トーマスさま、トーマス様の許嫁フロイラン・トゥルナイゼンのお三方が、首府グリューンフェルデにご帰還されました。

(ロットヘルト家の旗艦シュテルネンシュタウプが着陸する映像。仰角からの撮影で、迫力満点)
(三人が宇宙港の到着ロビーで群衆に手を振る映像。ヴィクトーリアとアーデルハイトは喪服、トーマスは士官学校の制服に喪章をつけている)

ナレーター:若君さまの許嫁であらせられるアーデルハイト・フォン・トゥルナイゼンさまが、このたび正式にロットヘルト家のご養女となられました。若君さまとのご結婚、入籍は再来年に予定されていますが、今回のご措置は、それとは別のものです。

アーデルハイト(喪服):トーマス様はいま士官学校に通っておられますが、門閥宗家の嗣子としてのお仕事がたいへんにお忙しく、学業との両立が難しい状態です。今回の措置で、トーマス様のご負担を、いくらかでもお引き受けできるようになれば、と思います。

ナレーター:アーデルハイトさまは、このたびホッホヴァルトで殉難されたエーリケさまに代わり、伯爵家の第2位の継承順位をお持ちあそばすことになります。

ヴィクトーリア(喪服):トーマスが軍人としてのつとめに専念できるよう、かねてからハイジには、さまざまな領主のとしての業務を仕込んで参った。これでトーマスも士官学校での修行に専念できるはず。もし万が一、トーマスが別の娘に目移りでもしようものなら、トーマスは廃嫡して、当家はハイジに嗣がせるぞよ。……

(ロットヘルト領民たちが様々な分野でホッホヴァルトの現地住民を助けている活動の映像)
ナレーター:去年の暮れより、吾らロットヘルトの領民1,200人が飢饉で疲弊したホッホヴァルト星系に赴き、住民たちを救うため懸命に働いておりました。しかし、突然の悲劇が襲いました。

(ホッホヴァルト男爵の嗣子オイゲンが惑星を視察する映像。オイゲンがロットヘルト領民のマリア・トラップに何か話しかける。音声処理されて声は聞き取れない。オイゲンが突然マリアに発砲、マリアは左手を失う。マリアの夫ゲオルク・トラップがオイゲンを射殺)
(ヴィクトーリアの座乗艦である巡航艦ローレライの艦橋。ヴィクトーリアがスクリーン上のホッホヴァルト男爵と議論している。音声なし。テロップで概要)
(ホッホヴァルト艦隊が地表に向けて発射するミサイルを巡航艦ローレライが撃墜する映像)
(ホッホヴァルト家の巡航艦がローレライにむかって突進し、衝突するまでの映像)
(ねじ曲がったローレライと、衝突の衝撃で艦の前半部がすっかり潰れたホッホヴァルト家の巡航艦を俯瞰した映像)
(ローレライから撮影された、ホッホヴァルト艦隊の戦艦が主砲で地上を掃射する映像)
(頭から血を流して気絶しているヴィクトーリアをローレライから戦艦シュテルネンシュタウプに移乗させる映像)
(ホッホヴァルト艦隊の戦艦が大気圏内を飛行し、町に主砲の照準をあわせる模様を地表から撮影。主砲付近が白く発光。一拍して映像がブラックアウト)
ナレーター:私ごとながら、エーリケさまとロットヘルト領民に同行していた当「伯爵家アルバム」のスタッフ、私どもの同僚ノルベルト・フォラツェンとホルスト・シューマンは、この時殉職したと思われます。最期まで職務に従事しつづけた二人に敬意を表します。
(遅れて到着したロットヘルト艦隊が上空から撮影した、廃墟と化した町や村の映像)

ナレーター:ロットヘルト伯爵家は、さきごろ、首府グリューンフェルデにて、三等書記官エーリケさまをはじめ、ホッホヴァルトにおける殉難者を追悼するための盛大な式典を開催なさいました。

(「ホッホヴァルト殉難者追悼式典」の模様。エーリケと、「帝国戦士」たち、その家族の遺影1,200枚のパネルがグリューンフェルデ公会堂大ホールの壁面一面に飾られている。遺影にむかってヴィクトーリアが「追悼の辞」を読む)

ヴィクトーリア:……自領を衰退させる領主どもには、強固に受け継がれて来た独特のメンタリティある。彼らは、それあるが故に自領を衰退させてきながら、それを己の失政とは考えぬのじゃ。
 妾(ワタシ)は、そのことを知識としては知っておりながら、充分な対策を取ることに失敗し、むざむざとそのほうどもを死なしてしもうた。まことに慚愧の念にたえぬ。しかしながら、衰退星系の救済事業は、帝国の再生のためには絶対に推進せねばならぬ不可欠の事業じゃ。われ等は改めてこの事業に着手し、必ずや成功させ、その成果をもって、これを帝国の国策として採用させることを誓う。それこそが、そのほうどもの犠牲を無駄にせず、これに報いる唯一の道と信ずる。……


(グリューンフェルデの郊外。耕地と牧草地に囲まれた農家風の一軒家。ロットヘルト家の三人と従者が、カメラのある農家のほうへ歩いてくる。ヴィクトーリア、トーマス、アーデルハイトは裸足。カメラの前を通り過ぎるときに一瞬だけ足下に焦点が合わされる。三人の足は傷だらけで血がにじんでいる)
(農家の屋内。カメラの焦点は、ヴィクトーリア、トーマス、アーデルハイトの三人から、この家の主らしき老夫婦、その子供夫婦へと移る)

ヴィクトーリア:……そのほうの息子夫婦と孫どもを、むざむざ死なせてしもうた。まことに済まぬ。……

ナレーター:グレーフィンと若君さま、フロイラインのお三方は、ホッホヴァルトの殉難者たちの遺族たちを一軒一軒おとずれ、追悼記念品を手渡し、ご謝罪のお言葉をお伝えになっています。このたびの殉難者には、徴兵で出征した戦死者と同等に待遇され、遺族たちには戦死者と同額の遺族年金が支給されるとともに、各種の税に対しては、戦死者の遺族と同等の控除が適用されます。

ヴィクトーリア:このようなものを渡したところで、そのほうの息子夫婦や孫たちは蘇りはせぬ。しかしわれ等の思いを形にするには、このようなことしか思いつかぬのじゃ。どうかこらえて、受け取ってほしい。

老人:ご宗主さまともあろうお方が、わしらのような者に、……。もったいない限りじゃ、どうぞお頭(ツムリ)をお上げになってくだされ……

ナレーター:伯爵家ご一家は、三日間をかけて、ホッホヴァルト殉難者の遺族815家族をご訪問なさいました。……
(首府グリューンフェルデ郊外の雑貨屋をヴィクトーリアたち三人が謝罪訪問している映像)

※        ※

「伯爵家アルバム」は、ロットヘルト一門の所領8星系だけで放映されるローカル番組であるが、ロットヘルト家は、この「殉難者追悼式典」の回を収録したディスクを大量にプリントして、正規軍や輸送船団など、8星系のそとではたらく領民出身者たちや、中央政府の各省の首脳たち、主だった貴族たちなどに配布した。

貴族たちの多く(自らも領民を粗末にするのが普通の、衰退星系の主たち)は、ロットヘルト家の領民に対する扱いを、「とてつもなく甘やかしている」と感じて驚くいっぽう、ロットヘルト家と同様の「民爵」制度をもつ、主として武門の家々は、同じ状況におかれたら、「裸足で領民に謝罪」はともかく、遺族に対する各種の措置は、自分たちも同様に行うであろうと考えながら、これを眺めた。

※        ※

ホッホヴァルト男爵マンフレートもこのディスクを視聴して、激怒した。
「謀反を起こして領主の嗣子を殺害した平民を鎮圧した」というおのれの筋書きを真っ向から否定する内容だからである。
音声処理して聞こえなくしてはあったが、嗣子オイゲンの表情から、彼がマリア・トラップに何を言ったか、分かるものには分かってしまうほど、「事件の瞬間」の映像はきわめて明瞭であった。
ロットヘルト家のものどもは、富裕な財力を利用して、ホッホヴァルト家をおとしめ、自家に都合のよい世論をつくりあげようとしている。
このままではあまりに悔しい。
かわいそうなオイゲンのためにも、このままでは退きさがらぬぞ!

コネをフル稼働させて、ブラウンシュヴァイク公オットーと面会の約束をとりつけた。
ひとしきり、自家の正当性を訴えたのち、マンフレートにとっての核心部分にはいる。
「ロットヘルト家による、この領民どもの甘やかしよう。共和主義者や謀反人どもの末裔に対してこのように媚びへつらうなど、帝国貴族しての本分を踏み外しているように見えます。かの家は、門閥宗家の家格12位というきわめて尊貴なお家ですが、かの家の、この”帝国戦士”と称する領民どもへの甘やかし制度は、帝国の根幹をゆるがす危険なものではないでしょうか」

ブラウンシュヴァイク公はこたえた。
「たしかに、裸足になって領民どもに謝ってまわるなど、わが家では想像を絶する行いですな。われ等も、もしわれらの所領で領民がわが一族のものを傷つけるような事態が起きた場合には、男爵どのと同様、ミサイルなり戦艦の主砲なりで、その領民どもを吹き飛ばす措置をとるでしょう」

ブラウンシュヴァイク公に同調してもらえたと思い、マンフレートはホッとした。ブラウンシュヴァイク公が、紙片に何かを書き付けはじめた。そして書き終えたそれを封筒にいれて封印を押したのち、マンフレートに手渡して言った。

「これは、エーレンベルク元帥への紹介状です。男爵どののご主張を元帥にもお話しなさい。元帥からも賛同をえられたならば、男爵どのの力になってさしあげてもよい」

おお、私の言葉は公爵閣下の心をつかむことができたか!
公爵閣下は、私を支持してくださる仲間を欲しておられるのか?

軍務省に連絡してアポイントメントをとり、よろこび勇んでエーレンベルク元帥のもとに向かった。

※ ※

マンフレートの話をひとおおり聞き終えると、エーレンベルクはいった。
「わが一門には“白獅子の盾”という制度がありますぞ」
「それはなんでしょう?」
「わが一門の宗家の紋章は“白獅子”です。宗家を守る盾という意味です。ロットヘルト一門の“帝国戦士”という即物的な名称よりは、よほど文学的な香りがする名称ですな」
「つまり……?」
「かの家の“帝国戦士”なる制度は、われ等のような武門の一門には、どこでもあるありふれた制度だ、ということです」
マンフレートの顔から血の気が引いていく。
「したたかな平民どもや、謀反人・共和主義者の末裔をあまやかすのは帝国貴族の本分に反する。しかし精強な兵を育成したい。この矛盾を解決するため、武門の家々では、領民たちに、領内だけで通用する爵位をあたえ、“貴族”ということにしました。貴族となったからには、これを領主がいくら優遇しようと、これで“帝国貴族の本分にもとる”ことはなくなったわけです」
「……」
「ですから、このたびの男爵殿とロットヘルト家の紛争については、私も武門の家に属するものとして、嗣子どのが、そのロットヘルト領民の妻に夜伽を命じたのがそもそもの誤りという立場を取らざるをえませんな」

マンフレートは真っ青な顔で立ちつくしている。
ブラウンシュヴァイク公爵が、エーレンベルク元帥の所へ行けといったのも、体のよい厄介払いだったのだ。

「それよりも、私は、グラーフィンが男爵どのに報復せずに退き下がったことのほうが、よほど不思議ですな。ロットヘルト一門は、ミュンヒハウゼンやトゥルナイゼンの一門とならんで、いま練度も装備も最強の私設艦隊を持っていますからな、ロットヘルト家が本気をだしたら、男爵どのはひとたまりもありませんぞ。むかしロットヘルト公爵がベッテンコーファー公爵の邸宅を吹き飛ばした事件はご存じであろう?あの家は侮られたまま引き下がる家ではない」

ヴィクトーリアの8代前の祖先ロットヘルト公ハラルドは、侮辱をうけた報復に、当時の門閥筆頭ベッテンコーファー公爵の邸宅を衛星軌道上から宇宙戦艦の主砲の攻撃で吹き飛ばしたのである。ハラルドは、決闘を申し込むかわりに領主座乗艦シュテルネンシュタウプ(戦艦)で衛星軌道にあがった。そして衛星軌道上からベッテンコーファー邸に通信を送り、10分後に砲撃を加えると警告、返事も聞かず、実際に10分後から砲撃を加えたのである。ハラルドの報復には正当性があると考えられたためハラルドは死刑にはならずにすんだが、やりすぎということで、ロットヘルト家の爵位は2段階さがって伯爵に落とされ、領地の20星系は帝国草創以来保有してきた8星系を残して没収、ハラルドはただちに爵位を嗣子フィリップに譲って隠居などの罰を受けたが、ルドルフ以来の代々の宝物や公文書をすべて失ったベッテンコーファー家は、次の当主が跡取りを残さず死去したのを機会に廃絶させられ、以後、ベッテンコーファー家に代わってブラウンシュヴァイク家がこの一門の宗家となったのである。

「男爵どのも嗣子オイゲンどのを亡くされたかもしれないが、あちらはご次男に領民1,200人を失っている。さらに、男爵どのはグレーフィンの座乗艦に攻撃を加えたそうですな?彼らが男爵どのを攻め滅ぼそうとしても、かれらには正当な理由があるとみなされ、だれも彼らを止めようとはしないでしょう」
マンフレートは、すすめられないまま、尚書室の椅子にへたりこんだ。
「男爵どのは、充分以上に復讐を果たしておられると、私は思います。ロットヘルト家が男爵どのに報復しようとしないのは、まことに幸福なことだ。男爵どのは、もうこれ以上はなにも望まず、ここで手を引くことをお薦めする」

********************
2012.3.29 初版
2014.10.9 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] 第24話 「ロットヘルト家襲撃始末」(4/1)(5/5改)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/09 21:50
ヴィクトーリアの回想部分に1行追加(5/5)
**********************
マンフレート・フォン・ホッホヴァルトの男爵家は、帝国よりホッホヴァルト星系の統治を委ねられた3つの領主のひとつである。他の2家との間で星系の総督職と副総督職をわけあい、当地の行政と司法の最高責任者でもある。

ロットヘルトの者たちは、頼みもしないのに「惑星住民を救いたい」と押し掛けてきて、あげくのはてに大切な跡取り息子オイゲンを殺害した。

グレーフィンの次男エーリケは、内務省職員としては下っ端も下っ端の三等書記官として、マンフレートの総督府に派遣されてきた。通常、三等書記官という最低の階級で辺境まわりからキャリアをスタートさせるのは寒門出身者であり、門閥宗家や上級貴族の出身者が官吏になる時は、中央官庁や自家の領地で上級ポストにいきなり就任する。家格12位の門閥宗家の出身のくせに三等書記官として辺境に赴任し、「三等書記官府」などという異様な名前のオフィスビルを構えるなど、帝国史上、空前のことである。

しかし総督府所属の三等書記官であるならば、その実家がどのような高貴の家柄であれ、本来はマンフレートの指揮命令に服すべき立場のはずである。彼らの領民が大切な跡取りのオイゲンを殺害したというのは、よそ者が犯した不始末としては、これ以上はない最悪の部類に属する。あまりといえばあまりに耐えがたいできごとである。しかしながら、エーリケ三等書記官は、オイゲン殺害の下手人を実家の権勢をかさに来てかばい、マンフレートからの引き渡し命令を拒んだ。さらにはエ―リケ三等書記官の実家からはグレーフィンが高速巡航艦でおしかけてきた。

マンフレートとしては、門閥宗主家の中でも最上層(家格第12位)に位置するロットヘルト家を相手に事を荒立てるつもりはなかった。三等書記官とグレーフィンが、マンフレートの領主としての体面を尊重して、おのれの領民の不始末を恐縮して謝罪し、それなりの賠償を行い、殺害犯を引き渡してマンフレートによる法の裁きに服させることに同意しさえするならば、この不始末の責任をそれ以上は問わずともよい、とさえ思っていた。そもそも自領でロットヘルト家が「救済事業」とやらに取り組むのを許したのも、ロットヘルト家の機嫌をとっておくと、見返りになにかいいことがあることを期待してのことである。ゆえに彼らがマンフレートを領主として尊重する姿勢を見せてくれるなら、かれらの「救済事業」とやらを、引き続き継続させてやることもやぶさかではなかった。

しかし三等書記官とグレーフィンは、あくまでも殺害犯の引き渡しを拒みつづけた。さらには、46隻もの戦力を有する彼らの私設艦隊を追加で動員し、こちらに進発させたという知らせが来た。

こやつらは、門閥宗家という地位と、おのれが持つ強大な武力を恃(タノ)みとして、マンフレートの領主としての地位をないがしろにし、オイゲンの殺害犯の罪をうやむやにしようとしている!
一寸の虫にも五分の魂、最弱の宗主に属するしがない男爵家とはいえ、どうしても譲れぬ一線はある。やつらはそれを踏み越えてきた!

こうしてマンフレートは激発した。

地上に対するミサイル攻撃を妨害するヴィクトーリアの座乗艦ローレライに、ホッホヴァルト艦隊の巡航艦をぶつけて沈黙させ、戦艦の主砲により、地表のすべての村と町を消滅させてやった。オイゲンを殺害した下手人に対し、法の裁きをくだしたのである!

エ―リケ三等書記官やロットヘルトの領民たち、惑星の住民どもも巻き添えにした。さらにはグレーフィンの座乗艦も損傷させてやった。おそらくグレーフィンにも怪我を負わせたであろう。

しかしこれらはすべて、ロットヘルト家の者どもが、マンフレートの領主としての司法権に干渉し、正当なる法の執行を妨害したことによって引き起こされたものだ。悪いのはやつらだ。すべての責任はやつらにあるんだ!

彼らが仕返ししようと決意するなら、彼らの強大な武力の前に自分はひとたまりもなく潰されるであろうが、場末のちっぽけな男爵家の誇りというものがどんなものかを、思い知ったか!

マンフレートは逆上した頭でみずからを以上のようにはげましながら、総督府のある産業惑星に帰還し、ロットヘルト家の軍勢が仕返しに攻めてくるのを待った。

しかしロットヘルト家の46隻からなる私設艦隊は、マンフレートが損傷させた巡航艦からグレーフィンと乗員を回収すると、そのままホッホヴァルト星系から撤退して行った。

その後マンフレートはオーディンにもどったのちも、いつロットヘルト家が仕返しにくるかと脅える不安定な心理状態にある。

※                  ※

一方のヴィクトーリア。

マンフレートからのゲオルク・トラップ引き渡し要求に対し、エ―リケも自分も「平民の謀反という名目での引き渡し」は拒否する、という条件を付けて「交渉」したことは、はっきりいえば、マンフレートの領主権の侵害で、相当のごり押しだという自覚はあった。だだし、家格第12位の門閥宗家という身分と、私設艦隊46隻の威容により、マンフレートに「妥協」させることができると踏んだことは、振り返れば、無意識のうちに彼を侮っていたのであり、痛恨の誤算である。

 さらに、エ―リケや、ホッホヴァルトに送り込んだ1,200人の領民が命を失ったことはヴィクトーリアの自業自得ともいえるが、ホッホヴァルト住民30万人は、完全な巻き添えである。

 もし、オイゲンを殺害したゲオルク・トラップをマンフレートに引き渡していたならば、エ―リケやのこる領民たち、そしてなにより惑星の住人たちを、死なせることはなかった。あるいは、フロイライン・マリーンドルフのレポートにもっと注意をはらっていたなら、そもそも、オイゲンと領民のトラブルを未然に防ぐことさえできていたかもしれない。

この事件を振り返ると、ホッホヴァルト男爵に対する怒りや憎しみよりも、まず、自分自身の失態への後悔が先に立つ。それに、“あの通信”のこともある。そこで、ヴィクトーリアはホッホヴァルト男爵への報復は行わないと決めたのである。

※              ※

 マンフレートがみるに、ロットヘルト家のものたちは、マンフレートに対しては、直接には不気味に沈黙したまま、金にあかせて、オイゲンを侮辱し、己を正当化する世論操作に取り組み始めた。

 かれらに対抗するため力を借りようと、伝手とコネを総動員して面会したブラウンシュヴァイク公には、体よく追い払われてしまった。ブラウンシュヴァイク公の紹介で会った軍務尚書エーレンベルク元帥は、武門の家々はロットヘルト側にたつ、おまえはこれ以上なにも望まずにあきらめろ、と突き放してきた。

おのれ。
ホッホヴァルト男爵家の領主権を侵害したロットヘルトの横暴を、誰もが見て見ぬふりをしやがって!
大門閥の威勢の前には、法の正義というものは存在しないのか?

マンフレートは、領民30万人を吹き飛ばした自分を棚にあげて、憤った。

たとえ、蟷螂(トウロウ)の斧として砕けようとも、ホッホヴァルト男爵家の意地をみせてやる!

「シュレーカー、ツァイスル!」
「はい、殿さま、ここに」
「例の計画を決行するのだ!」

マンフレートは、オーディンに帰還して以来、ロットヘルト家のヴィクトーリア、トーマス、アーデルハイトらの行動パターンを家臣たちに調べさせていた。

マンフレートの主観では、座してロットヘルト家からの攻撃を待たずに、こちらが先に「反撃」を行うつもりなのである。

ホッホヴァルト家としては、家の子、郎党、所従の中から選びぬいた10名の「戦士」に出撃が命じられた。

※                  ※

「この、うろんなやつめ!」
オーディン帝国大学のキャンパスで、ヒルダとならんで歩いていたアーデルハイトの背後で、突然叫び声があがり、乱闘が起こった。
 騒ぎはすぐにおさまり、二人の男が数人にねじ伏せられていた。男たちを取り押さえたのは、ロットヘルト家がキャンパスに配置していた護衛で、驚いたヒルダとアーデルハイトが茫然と眺めている目の前で、護衛たちは二人を引き立ててキャンパスから出て行った。
 警察に引き渡さずに、ロットヘルト家でまず取り調べを行おうというのである。

※                    ※

ロットヘルト邸の周りを、熱戦銃を隠し持ってうろついていた数人も、ロットヘルト家の衛士たちによってあっけなく取り押さえられた。
士官学校の様子をうかがっていた数人は、トーマスに手を出すチャンスを見いだせないまま、空しくホッホヴァルト邸にひきかえし、マンフレートの叱責をうけた。

※                    ※

 ロットヘルト家の地下にある、凶暴そうな拷問用具を並べた一室で、訊問がおこなわれた。オーディン帝国大学とロットヘルト邸の近所でとらえられた7人の男たちは、この拷問用具をつかって拷問を行っている場面を収録した動画を見せただけで、へなへなと気力が萎え、自分たちがどこの誰で、何をしようとしていたのかを、あっけなく白状した。

※                 ※

 ホッホヴァルト家の家臣たちを訊問した結果、ヴィクトーリアは、マンフレートがロットヘルト家からの仕返しに脅えているうちに煮詰まり、ことに及んだという、彼の追い詰められた心理状況を理解した。
 彼の領民30万人を巻き添えで死なせた申し訳なさのために、彼を勘弁してやろうと考えていたことなど、衰退星系の領主には想像を絶することなのかも知れない。
 蟹は甲羅に似せて穴を掘る。
マンフレートをこのまま放置していては煩わしい。どんな油断で、こちらに損害がでるかもしれない。それよりは、彼が、新たに手を出してきたという状況を活用して、事態をこちらに有利に運ぶとともに、マンフレートを安心させてやって、一件を落着させてしまおう。

※            ※

ヴィクトーリアは、ホッホヴァルト男爵家が所属する一門の宗主オイレンブルク伯爵アルブレヒトに呼び出しをかけた。
ヴィクトーリアは、アルブレヒトがマンフレートもつれてロットヘルト邸に現れることを期待したが、アルブレヒトはひとりで現れた。マンフレートは、ヴィクトーリアに謀殺されるのを恐れて、ロットヘルト邸にくることを拒否したという。
オイレンブルク伯爵の目の前で捕虜たちのいましめを解いてやり、伯爵に引き渡した。ヴィクトーリアは、彼らがロットヘルト邸やアーデルハイトの襲撃を企てていたことを伝えた。
「伯爵どの、妾(ワタシ)はことを荒立てたくないので、官憲を介入させずに彼らをお前さまに引き渡します」
ホッホヴァルト家の者たちは、伯爵の前でうなだれている。
「ありがとうございます」
アルブレヒトはひたすら恐縮するしかない。ここでヴィクトーリアはたたみかける。
「この不祥事、どのように始末をつけてくださいますのか?」
アルブレヒトは冷や汗を流しながら答えた。
「私どもにできることならなんなりと、おおせつけください」
「では、オイレンブルク家のご領地で、われ等が”衰退事業の救済事業”に取り組むことをお許しいだだきたい。これを条件に、ホッホヴァルト男爵のあらゆる罪を、当家としては許すことにします」

アルブレヒトとしては、自分の領地を「衰退星系」呼ばわりされたことや、マンフレートの行為の全てが「罪」よばわりされたこと等に、引っかかりを大変に感じるのであるが、ここではもうヴィクトーリアのいうなりになるしかない。

こうして、ロットヘルト家の”衰退星系の救済事業”は場所をかえて継続し、オイレンブルク伯アルブレヒトは、一門のホッホヴァルト男爵マンフレートを抑える責務を担うこととなった。

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2012.4.1 初版
2012.5.5 改訂版
2014.10.9 「グラッフィン」→「グレーフィン」と変更



[29819] 第25話 「トーマスくん、任官する」(5/6)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/05/08 02:08
 ホッホヴァルト男爵の度重なる暴挙に対する母の対応は、不審なかぎりである。
 エーリケが三等書記官としてホッホヴァルトに赴任した際、本名ではなく仮名をもちいたことが、「身分と名前を偽ってホッホヴァルトに潜入したスパイ」と疑われ、逮捕拘禁されたことがあった。不審人物をいかに裁こうと、それは領主の権限の範囲であるが、もし、いかなる理由であれ一門の者が殺害されたなら、門閥宗家としては黙ってはおれないということで、ホッホヴァルト男爵家が所属する一門とロットヘルト一門の間で“私戦(フエーデ)”が勃発しただろう。それを防ぐため、母とおれとでオーディンのホッホヴァルト邸を訪問し、事情釈明につとめたことがあった(→第9話参照)。
 しかし、この秋におこった事件では、エーリケのみならずロットヘルト領民12,00人が巻き添えで殺され、さらには母の座乗艦が攻撃され、そのうえオーディンでも、オーディン帝大に通うハイジやロットヘルト邸への襲撃が企まれた。にもかかわらず、母の一連の対応はまったくもって手ぬるいきわみというしかない。
 ホッホヴァルト男爵に対する報復を行わないことについて、ある大貴族からは「じつはご当家はご次男を生きたまま保護していて、ふたたび世に出す機会を待ってでもいるのか?」と尋ねられたことがある。
おれがロットヘルト艦隊を率いて駆けつける途上、エーリケや三等書記官府からの悲鳴のような救援要請、地上へのミサイル攻撃を防ごうとする巡航艦ローレライの奮戦、ローレライの大破と地上攻撃、沈黙していく惑星表面などを、リアルタイムで見聞していなかったとしたら、同じような疑問をもっただろう。
とりあえず、ロットヘルト家の当主である母ヴィクトーリアが決断を下し、ホッホヴァルト男爵家の宗主オイレンブルク伯爵も交えての手打ちを行った以上、嗣子のおれとしてはなにもいうことはないが、不審な思いは残ったままだ。



士官学校にもどってすぐ、校長に呼び出された。
「ロットヘルト候補生、まことにいいにくいのだが、君は“素行不良の廉(カド)で放校処分”の該当者となった」
 エーリケから緊急通信が入ってすぐ、オーディンからロットヘルト星系に飛び、ロットヘルト家の私設艦隊を編成して出撃、ホッホヴァルト星系へ。エーリケの三等書記官府の潰滅をみとどけ、オーディンに帰還。ロットヘルト星系にとって返して、「ホッホヴァルト殉難者追悼退会」の開催。母ヴィクトーリア、許嫁ハイジとともに殉難者の遺族たちに謝罪の行脚(アンギャ)。
これらが一段落するまでに約2ヶ月かかった。その間、士官学校の授業も実習も、ぜんぶ欠席。
「えー、45隻の小戦隊を率いて実践演習をやっていた…と認定してもらうわけにはいきませんかね」
「いや、まことにやむをえないご実家の事情があったことは察するが、2ヶ月間の欠席を無かったことにするというのは、特別扱いも度がすぎる、ということになってしまう」
うーん、嗣子だからな、おれ。しかも門閥の宗主家の。大貴族の当主というのは、片手間とか掛け持ちではやれない仕事だからな。父(=ミュンヒハウゼン男爵カール・ヒエロニュムス)が、追い出されないでずっとロットヘルト家当主をやってくれていたら、まだ嗣子の身でここまで家のことにかり出されずに済んでたかもな。
「わかりました。学校の成績評価の秩序を、自分の家柄を盾に混乱させることは、私自身も望むところではありません」
「君を学業に専念させるため、ご実家が君の許嫁を養女に迎え、嗣子の職務を引き受けさせようとしておられると聞いた(→第23話参照)。不名誉な記録がつきはするが、留年して第3学年をもう一度やってもらうという方法もある」
「いえ、それよりも士官学校は中退させていただいて、幼年学校の学年7位という資格で任官させてもらうわけにはいきませんかね?」
「なに?中退して任官したいのかね?」
「ええ、留年するよりは、いっそのこと」
「“幼年学校の資格で”とは、士官学校に3年間在籍した記録をなかったことにしたいと?」
「ええ。士官学校にあがってからは、素行不良の劣等生になってしまいましたから」
「いや、ロットヘルト候補生の場合、実際の素行が不良であったわけではないからな、そんな必要はない。任官しようという場合には、ご実家の艦隊を率いて実践的な活動に従事した経験を積んでいることは、とうぜん考慮されることになるだろう」

ライニやイザークに、どんどんおいてけぼりにされれていくことに、あせりもあるからな。
結局、中退して任官することにした。



ライニは、イゼルローン方面で大手柄をたてて戻ってきた。
ローエングラム一門のナワバリ第55分艦隊を率いてイゼルローン回廊の制宙権争奪戦で大活躍。また、イゼルローン要塞の防衛戦では、反乱軍の、本隊をおとりにしたミサイル艇部隊による攻撃をみぬき、連中の大攻勢を不発におわらせた。その後の駐留艦隊と敵艦隊本隊との決戦でも、大混戦を整頓して帝国軍を勝利にみちびいたそうな。中将への昇進は確実である。
ライニとならんで期待しているミッターマイヤー、ロイエンタール両少将は、今回は、前の会戦で打撃をうけ、新規兵力を補充して再編された分艦隊をあずけられ、ガイエスブルク要塞駐留艦隊として、習熟訓練に従事していて、手柄をたてる機会がなかった。
ライニが中将ということは、もう一個艦隊の指揮官だ。
ライニをふくめ、おれたちが声をかけてきた寒門出身の士官たちには、おおいに競い合ってもらったうえで、いずれはクラインシュタイン提督の後継者として、おれたち3一門の“最強艦隊”の司令官になってもらおうと思っていた。ただし、そういうことは、すくなくともあと五年くらいは先の話だと考えていたよ。クラインシュタイン提督、まだまだ元気だしな。
あいつには、しばらくはよそで修行していてもらおう。



[29819] 第26話 「グリンメルスハウゼン文書」(5/7)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/05/08 02:09
帝国暦485年の秋、イゼルローンにおいて、ラインハルトは、ウルリッヒ・ケスラー大佐と知己となる機会をえた。かつてラインハルトが憲兵隊に出向した際、老婦人の不敬罪容疑を処置した際の調書を読んでケスラーの名を心の隅にとめていたが、その本人が、自分とキルヒアイスをたずねてきたのである。  
最初の出会いの時、彼は、軍務省高等参事官グリンメルスハウゼン大将の代理として来ている、と名乗り、お互い手探りのような自己紹介をかわしただけで、いったんは別れた。その際、調書を読んだときの印象と実際にあって感じた彼の人柄にぶれがないことを確かめ、ラインハルトはつい、いままで内輪の仲間たち以外には明かしたことのなかった心情の一端を披露してしまった。
「聞きおよびますところでは、閣下は今回、分艦隊のひとつを指揮しておられるそうですな」
前回の出征で、私は100隻単位の艦艇を指揮した。今度は1000隻単位を指揮する。つぎの出征では、これを一万隻にしたいものだ
「ミューゼル閣下のご才幹をもってすれば、近日中に実現することでしょう」


 帝国暦485年12月1日、ラインハルト率いる帝国軍第55分艦隊は、「主力部隊を囮」とし、「火力の滝をもってイゼルローンの鉄壁に穴をあけ」ようとしていた叛乱軍のミサイル艇部隊を粉砕、その後も15対1の戦力比で、分艦隊1つで反乱軍主力部隊のすべてと渡り合い、数時間にわたって戦局を主導し続けた。
他の帝国軍部隊と入れ替わりに要塞に帰投したラインハルトに、ケスラーからの呼び出しが待っていた。
士官用の談話室に、ラインハルトとキルヒアイスを迎えて、ケスラーは言った。
「これをご覧ください」
ケスラーの手には、頑丈に装幀された一冊のあつい文書があった。装飾のない黒い表紙が印象的だった。
「グリンメルスハウゼン大将閣下は、七十六年の生涯の間で貯めこんだ多くの秘密、貴族社会や官僚界、軍部のさまざまな裏面の事情を、克明に記録しておいででした。それをまとめたものがこれです」
銀河帝国には検閲制度があり、政治的あるいは社会的な大事件であっても、権力者たちに不利な実相が公表されることは、めったにない。それらについて、グリンメルスハウゼンは、知るかぎりのことを記述し、保管していたのである。
「ほう、そのようなものがあったのか」
「で、この文書──仮に“グリンメルスハウゼン文書”と呼びますが、これをどういたしましょうか?」
「え?なぜ私に訊く?」
「ご老人は、これをあなたに遺託されました。自分の死後、ミューゼル閣下に処置を委ねるように、と」
「おれに!?」
以外ななりゆきに、思わずラインハルトは、公式の場にはふさわしくない一人称を使用してしまった。ケスラーは礼儀正しく、それを無視して続けた。
「ミューゼル閣下に役立ててほしい、ということでした」
役立てる、とはどういう意味か。数瞬、ラインハルトが判断に迷ったのは、彼の知性がとぼしかったからではなく、発想法がことなったからである。ようやく理解したとき、ラインハルトは単純な喜びを見いだしえなかった。グリンメルスハウゼンは、こうつげているのだ──この文書には、大貴族や高官どもの恥部や弱みが記されている。それを活用して、卿の立場を強化し、これからの戦いを有利にはこべ──と。老人はラインハルトの未来に、ある展望をいだいていたのだ。
そして、この老人は、皇帝フリードリヒ四世の腹心中の腹心として知られている人物でもある。
ならば、この展望は、老人が皇帝と共有しているものではないのか?さらには、この文書の寄託は、皇帝の同意と承認のもとに行われているものであるのかもしれない。
ラインハルトとキルヒアイスは、ただちにこんな認識に到達し、深刻に動揺した。いまに力をつけて倒してやろうとする当の相手が、自分たちに支援の手を伸ばしているとは!
ラインハルトは、うわのそらで、かろうじて「歴史が門閥貴族どもの独占物でなくなるまで」文書を封印・保管するようケスラーに依頼、また辺境に左遷されることになるであろうケスラーを、将来、拡大しているであろう自分の権限で中央に復帰させる旨を約束し、ケスラーと別れた。

※ 

年があけた帝国暦486年2月、銀河帝国は、昨年の同盟軍の攻勢に対する報復をとなえ、宇宙艦隊司令長官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー元帥を総司令官とする三万五四〇〇隻からなる討伐軍を編成し、オーディンから進発させた。
それに先立つ1月、ロットヘルト家のヴィクトーリア、トゥルナイゼン家のイザーク・フェルナンド、ミュンヒハウゼン家のカールら3宗家の当主たちは、クラインシュタイン中将とラインハルトをともない、帝国軍三長官、装甲擲弾兵本部、艦隊司令官たちなど、帝国軍の主要幹部を訪問してまわった。
このミューゼルは、年は若いが、たいへんにすぐれた才幹の持ち主であり、いずれクラインシュタイン中将の後継として自分たちの“最強艦隊”を率いる最有力の候補者である、よろしくご指導ご鞭撻のほどを。
ラインハルトがたんに寵姫の弟であるだけであったなら、貴族とは名ばかりの寒門の出でもあり、彼個人の才幹がいくらすぐれたものであろうと、大貴族からの反発は激しいものがあったにちがいない。しかし武門の名門である三つの門閥がいわば身元保証人となってやることにより、ラインハルトは他の大貴族の嫉視を免れ、この度の出征でも、思う存分に自身の才覚を発揮することができた。
ラインハルトは、芸術的艦隊運動をくりひろげて躍動的に戦場を支配しつづけた同盟軍第11艦隊をわずか3斉射で潰滅においこみ、帝国軍の勝利のきっかけをつくったのである。
この功績により、ラインハルトは大将への昇進をきめた。



[29819] 第27話 「クロップシュトック事件」(上)(5/8、5/10分割大増補)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/05/10 20:00
(上)(下)に分割して大幅に増補しました。(5/10)
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■帝国暦486年5月 帝都オーディン

 ラインハルトは、大将に昇進したのちも、相変わらずキルヒアイスとともに、下町のリンベルク・シュトラーゼ街の下宿で暮らしている。
 5月2日の晩、ラインハルトは不快感にさいなまれながら、春の嵐に数分おきに生ずる落雷の閃光を、部屋の明かりを落として観賞していた。いまから一人の来客がある。自分たちの本心をうちあけ、自分の比翼となすべき人材リストの筆頭に位置する男たちの一人である。その彼がまもなく自分を訪ねてやってくることは、いまサロンに待たせている客から聞かされた。おれを自分たちの手駒にとどめようとするあいつら、とくにおれの本心を知りつつおれの離陸を妨げようとするあの小娘がよこした、招かれざる客から。
 フーバー夫人が来客をつげたのは11時すぎである。“赤毛さん”が夫人にあやまりながら玄関に向かい、ブラスターの所在を確認しつつドアTVで客の身分をたずねた。
「先日もおじゃました、オスカー・フォン・ロイエンタール少将です。夜分、申し訳ないが、ミューゼル大将にお目にかかりたい」
 キルヒアイスに導かれてロイエンタールがサロンに入ると、先客があった。
 ラインハルトと向き合って、この下宿には不似合いな豪奢な服装の壮年の貴族二人が椅子にすわり、その背後にはそれぞれ彼らの従者とおぼしき体格のよい男が控えている。
 貴族のうち、年かさの男が口を開いた。
「ロイエンタール少将ですな?お待ちしておりましたぞ」

 ことの発端は、この時よりひと月あまり前の3月21日にさかのぼる。
 ブラウンシュヴァイク公が私邸で開催した“高級士官とその夫人たちの親睦パーティ”で、クロップシュトック侯爵が爆弾テロを起こし、領地に逃げ戻ったクロップシュトック侯は、大逆罪の未遂犯として討伐をうけることになった。
 ラインハルトは宮中に参内し、皇帝フリードリヒ四世に討伐の任を委ねるよう願いでたが、すでにその任は“予備役上級大将”ブラウンシュヴァイク公に委ねられたと知らされた。“大逆未遂犯ウィルヘルム討伐軍”があわただしく編成され、3月30日、ブラウンシュヴァイク公は、この諸侯の私兵と正規軍の無秩序な混成部隊を率いてオーディンを進発していった。
 
            ※               ※

「はぁい♪ライニ」
 その後、帝都にあって無為の日々を余儀なくされていたラインハルトのもとに、アーデルハイトがたずねてきた。ミュンヒハウゼン家のミニラ嬢をつれている。お供には、アーデルハイトの“ご学友”カミラや、ミュンヒハウゼン家の侍女頭フラウ・ロッテンマイヤーなどがついてきている。
「これ、ライニとジークにおみやげだよ、姉上さまからね」
 ケルシーのクッキーがつまったバスケットを手渡してきた。またアンネローゼと会ってきたらしい。
 男性であるラインハルトやキルヒアイスとことなり、このふたりの令嬢たちははるかに自由に後宮に出入りできるのが、二人にはうらやましい。
「例の討伐軍が苦戦してるのって、知ってる?」
「ああ、ヴェストパーレ男爵夫人から詳しく訊いた」
 正確には、ヴェストパーレ男爵夫人の恋人メックリンガー准将からの伝言である。彼はブラウンシュヴァイク一門に属する伯爵家の所従にあたる人物で、親睦パーティの警備を担当していたところを知り合った。ラインハルトとよしみを結びたい様子である。
「そっかー。じゃあ、討伐軍が砲壁隊形もろくに組まずに突っ込んでは損害を重ねた……ていうのも、知ってる?」
「それははじめて聞いたな。しかし討伐軍には正規軍の部隊もあるし、専門職の軍人が何人も“戦闘技術顧問”についているはずだ。それなのに、砲壁隊形が組めないということがあるだろうか?」
 砲壁隊形とは、戦艦群を前方に配置し、その厚い装甲と連結されたエネルギー中和磁場とで中段以降に配置された防御力の弱い艦種をまもる隊形である。戦闘隊形のなかでも基本中の基本な隊形である。
「それが、あるんだって。従軍している諸侯もその子弟も、せっかくの顧問のいうことにぜんぜん耳をかさないんだから。そんなだと、顧問がどんなに優秀な軍人でも意味ないよ」
 ヴェストパーレ男爵夫人から、メックリンガー准将の伝言を受け取ったときにも思ったことだが、ようするに、大貴族どもが徒党をくんで一軍を編成しても、恐怖するに値せぬということではないか。
 アーデルハイトは、ミュンヒハウゼン家の義妹と一緒の時は、微妙な話題には踏み込まない。他愛のない世間話をしばらく続けたのち、去っていった。

   ※                ※

 ロットヘルト家を含む武門の家々は、自分たちの領地から徴兵によって正規軍の軍務につく兵士たちをいかに精強なものとするかを競い合っており、その結果、これらの家々の領民には、徴兵期間を終えても軍に留まる者が大勢ある。ロットヘルト一門の領民は、徴兵期間中の者は陸戦隊に配属される少数をのぞき、第13分艦隊に配属されるが、徴兵期間を終えたのち、自発的に軍にとどまる者は、軍務省の辞令にしたがって、全部隊のいずれかに配属される。
 クロップシュトック領平定の知らせがオーディンに伝わってほどなく、トーマスの耳に、討伐軍に配属された領民出身の兵士を通じて、討伐軍の「戦闘技術顧問」ロイエンタール少将の異様な布告が入ってきた。
『ミッターマイヤー少将が帝都へ帰還する以前に死ぬようなことがあれば、謀殺されたものとみなす!』
 ミッターマイヤー少将もロイエンタール少将も、彼らが佐官のころから目をつけ、声をかけてきた有望な将校である。トーマスはイザークと連絡をとりあいながら情報を集め、やがて事情が分かってきた。
 クロップシュトック領制圧作戦のさなか、ミッターマイヤー少将が、はなはだしく軍規に違背した一大尉を処刑した。その大尉はブラウンシュヴァイク公の縁戚で、ミッターマイヤー少将は、大貴族としての体面に傷をつけられて塩をなすり込まれたと感じたブラウンシュヴァイク公によって拘禁され、いまはオーディンに帰還中の輸送艦に設置された臨時の営倉に入れられているという。
 トーマスやイザークら3一門の者たちは、声をかけてきた寒門出身の優秀な将校たちに「いざというときは後ろ盾になる」と告げてきた。今こそその時、ここは動かずばなるまい。

       ※             ※

 ロイエンタールがミッターマイヤーと何度めかの面会を行うため営倉におもむくと、3人の先客があった。「おれたち、それぞれロットヘルト家、トゥルナイゼン家、ミュンヒハウゼン家の手の者です」と名乗る。一人は陸戦隊所属、ふたりは航宙艦に乗り組むいずれも下士官で、所属部隊から一時的に離れ、これから交代で、三人のうちの二人がつねにミッターマイヤーの警護につくという。
「卿ら、艦長の許可は得ているのか?」
「むろんです。ロイエンタール閣下の布告をうちの若君さまが耳にして、さっそく奥様とトゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの殿さま方3人が連れだって、ブラウンシュヴァイク公に掛け合いました」
「そうか」
ミッターマイヤーが愚痴る。
「おれは毒味なんかいらないというんだが、看守がおれの飯をまずこいつらに渡してしまうんで、腹が減ってしょうがない」
「上から命じられたお役目なので、われわれにもどうしようもないのです」
「もちろん少将閣下のお食事を減らすのは最低限になるよう努力しておりますよ」
 どうも下士官の食事よりも、営倉入りしている少将閣下の食事のほうが、それでもましなものであるらしい。
「それにしても、少将閣下のお食事の毒味ということで、ごちそうが食べられると期待しておりましたのに、大変失望しております」
「少将ともあろうお方を戦艦ベルリンあたりの貴人室ではなく、こんな輸送艦の急ごしらえの営倉に押し込めるとは、ブラウンシュヴァイク公は実にけしからんお方ですな」
 三人とも、言いたい放題に勝手なことをいっている。横でブラウンシュヴァイク家所属の看守が目を剥きながら聞いている。
(3宗家が動いてくれたのなら、とりあえずミッターマイヤーが謀殺されるおそれはなくなったかな)

       ※             ※

 オーディンに帰着したブラウンシュバイク公オットーは、悔しさに歯ぎしりしながら考えた。
 どこでききつけたのやら、ロットヘルト家のエルプグラーフ(嗣子)どのが、あのミッターマイヤーなるものを例の3一門の郎党だと主張し、輸送艦に設けた営倉に警護をつけることを許可するよう求めてきた。さらにはロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの3宗主家の当主たちが、3人そろってFTL(超高速通信)で同じことを要求してきたので、やむをえずこれを認めざるを得なかった。もうこの3一門を敵に廻す覚悟をしないと、あの者をひそかに始末してしまうことはとうてい不可能になってしまった。
 近い将来に生じるであろうリッテンハイム侯との対決において、彼らを敵においやるのは避けたい。しかしそれにしても、このままではどうしても腹の虫が収まらぬ。
「アンスバッハ、アンスバッハ!」
「はい、なんでしょう?殿さま」
「例のミッターマイヤーなるものを痛めつけてやるのだ!死なぬ程度にな」
「承知しました」
 わが一門の者を殺害したミッターマイヤーなる者をなにごともなく放免するなど、ブラウンシュバイクの体面が許さないことは、3宗家のものどもも承知のはずだ。この程度のことは承知してもらおうではないか!

       ※             ※

 ロイエンタールが下船手続きをしていると、ミッターマイヤーについていた護衛の一人が半泣き顔で駆け寄ってきた。
「ロイエンタール閣下、もうしわけありません、おれたち、まかれました」
 いいながら、ロイエンタールに小型通信機をさしだした。端末からは、ロットヘルトの嗣子(エルプグラーフ・フォン゚ロットヘルト)トーマスが話しかける。

「少将、オーディンに帰還する道中われわれの護衛が受け入れられたため、油断してしまいました」
 つまり、ミッターマイヤーはブラウンシュヴァイク公の手の者によって連れ去られ、行方不明になってしまったということである。
「……ブラウンシュヴァイク公は気が変わって、またミッターマイヤーを殺そうとしているのでしょうか?」
「いったんは護衛を受け入れたほどですから、彼は、すでにわが家をふくむ3宗家が一門の体面をかけてミッターマイヤー少将を守ろうとしていることは充分承知しているはずですが…」
「……ご三家を敵に回す覚悟を固めたということは?」
「………………ないとはいえません。大貴族には、損得を度外視して感情だけで動いてしまう人がままあります」
 ロイエンタールの顔色がかわる。トーマスはあわてて補足する。
「あるいは、そこまでいかなくとも、単に“死なない程度に殴る蹴るの暴行を加えようとしている”ことなら充分にありえます」
「“そこまでいかなくとも”とおっしゃったが、つまりミッターマイヤーを暴行する程度にとどめる場合は、ご三家を敵に回すことはないと考えていると?」
 トーマスは言いにくそうにこたえる。
「そうなります。ミッターマイヤー少将は、理由はともあれ、ブラウンシュヴァイク公の一門の方を殺害したのですから」
 ロイエンタールは、大貴族の無法ぶりに、あらためて嘆息せざるをえない。トーマスが補足する。
「いや、そのようなことをさせぬよう、全力をあげて、なるべくはやくミッターマイヤー少将の身柄を確保します!」
「ミッターマイヤーを見失ってはいないのですか?」
「はい、こういうこともあろうかと、ミッターマイヤー少将には小型発信器を差し入れてあります。いま両親(ロットヘルト伯爵夫人・ミュンヒハウゼン男爵)とイザーク(トゥルナイゼン伯爵)がブラウンシュヴァイク邸に向かっています。おれ…私も、わが家がすぐ動かせる手勢が30人ほど、いま出動準備中です。彼らをつれて、すぐ追跡にかかります」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「うちの地上車を一台、そちらに向かわせていますので、少将もそれでかけつけてください」
「わかりました」
 
 ロイエンタールのもとに、ロットヘルト家の地上車が到着した。
 すぐに車載の端末に通信が入り、つい先日までのフロイライン・トゥルナイゼン、いまはエルプグラーフィン・フォン・ロットヘルトと名乗りを変えたアーデルハイトが現れた。彼女も移動中のようで、ミッターマイヤーの所在として軍刑務所のひとつの名を挙げ、すでに彼女の許嫁トーマスが30人をひきいてそちらに向かった旨を伝えると、さらにロイエンタールに尋ねた。

「少将とミッターマイヤー少将が、ライニ……ミューゼル大将に借りをつくるのを気にしないなら、彼をたよるといいよ?」
「…………」
 ロイエンタールは思い出す。
 昨年秋、彼とミッターマイヤーがガイエスブルク駐留艦隊に配属が決まった時、この娘がふたりを訪れて、“謝罪”したことがあった。
「どういうことです?」
なぜ“あやまる”のか、ロイエンタールとミッターマイヤーが尋ねると、アーデルハイトは答えた。
「お二人をはじめ、3宗家が声をかけていた将軍たちに、“いざという時は分からず屋をふきとばしてちょうだい”ってお願いしてまわったことがあったでしょ?」
 たしかにそのころ、ロットヘルト家がとりくんでいるという“衰退星系救済事業”に関して、そのようなことを耳打ちされたことがある(→21話参照)。
「その薬が効きすぎて、“あの3一門が抱える寒門どもを出世させすぎるな”ってことになって、昇進競争の先頭にいるお二人が、そのとばっちりを受けることになっちゃったの」
「ふむ、われわれのガイエスブルク行きにはそんな裏があったのですな」
アーデルハイトは申しわけなさそうに恐縮した顔をしている。
「われわれはどんな場所であれ最善をつくのみです」
「絶対にこのままでは済まさないから、すこし待ってて頂戴ね」
「ありがとうございます」
 そのころはまだふたりと同じ少将だったラインハルトは、ローエングラム一門のナワバリである第55分艦隊を預けられ、イゼルローンに出征することが決まっていた。
 ラインハルトの話題になると、アーデルハイトが指摘した。
「ライニは、あたしたちだけじゃなくて、姉君経由で皇帝陛下の後ろだてもあるから……」
ミッターマイヤーが応じた。
「ミューゼル少将が恵まれているのはたしかですが、彼には、目の前に現れた機会を、とりこぼすことなく必ずものにする才覚がありますからな」
 アーデルハイトがたずねた。
「彼が上官になって、お二人が部下になっても気にしない?」
「彼には、われわれの力量をあますところなく引き出す、上官としての能力が期待できますな」


 ロイエンタールがわれにかえると、アーデルハイトが話し続けている。
「少将が頼ったら、ライニは絶対ミッターマイヤー少将の救出に参加するよ。彼はもうあたしたちの単なる郎党じゃなくて、ローエングラム一門の宗主継承者(=エルプグラーフ)さまだからね。ライニを味方にしたら、4つ目の門閥をミッターマイヤー少将のバックにつけくわえられるよ?」
「ええ、そうですね。ぜひ彼にも頼ろうと思います」
「ライニは大将閣下になっても、まだリンベルク・シュトラーゼの下宿にすんでるから」
「あの下宿にはいちどうかがったことがあります」

             ※         ※

 内務省社会秩序維持局の雇員である“拷問係”は、“さるやんごとない筋”からの依頼をうけ、電磁鞭を構え、巨体を揺るがせながらミッターマイヤーが拘禁されている独房一室に赴いた。
 先客があった。
 少女がふたり。ミッターマイヤーと食事をしている。
 軍刑務所の独房にはふさわしくない、きれいなクロスのかかったテーブル。その上には、うまそうな匂いを漂わせているシチュー鍋と、各種のパンが山盛りに積まれたカゴが置いてある。少女たちの背後には侍女らしき女性がふたり。手錠のために両手がつかえないミッターマイヤーのために、スプーンでシチューをすくったり、パンをちぎって口元に運んでやったりしている。
「はぁい♪」
 十代後半とおぼしき方が、にっこり笑って手を振る。服装からして、少女たちは上級貴族の令嬢とおぼしい。軍刑務所がミッターマイヤーの独房への入室を拒まなかったということは、相当に勢力のある家の娘であることはまちがいない。
 これは自分の手には負えない。“拷問係”は、別室に控えている雇い主の指示をあおぐべく、いったん退散した。



[29819] 第28話 「クロップシュトック事件」(下)(5/8,5/10分割大幅増補)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/05/14 22:27
■帝国暦486年5月2日 帝都オーディン リンベルク・シュトラーゼ街 ミューゼル大将邸

 ロイエンタールに対し、ふたりの貴族はグライム伯爵、マルツァーン子爵だと名乗った。いずれもローエングラム一門12家のなかでも最有力の2家である。グライム伯爵が告げた。
「フロイライン・トゥルナイゼン…いや、いまはもうエルプグラーフィン・フォン・ロットヘルトですな、彼女から頼まれましてな。少将とミューゼル大将に同行して、至急、軍刑務所に赴くように、と」
 マルツァーン子爵がいう。
「ミューゼル大将がわれらの宗主家を正式に相続なさるのは来年のことですが、われらが同行すれば、ミューゼル閣下のご言動は、もはや一介の大将ではなく、ローエングラム一門の宗主としての重みを持つ。ミューゼル大将がミッターマイヤー少将を救うのに、力添えを頂きたいと頼まれました」
 ロイエンタールが答えた。
「私も、エルプグラーフィンに薦められました。ミューゼル大将を頼るように、と。ミューゼル大将は必ず手を差し伸べてくれる、それは有力な門閥があらたにひとつ味方に加わってくれることを意味する、と」
 ラインハルトは、貴族二人に確認する。
「それにしてもよろしいのですか?帝国貴族最大の門閥とことを構えることになりますぞ?」
 グライム伯爵が答える。
「いまさら何をおっしゃる、ご宗主さま?」
マルツァーン伯爵もいう。
「それにロイエンタール少将とミッターマイヤー少将は、われらもかねてより目をつけておったのですぞ。ただ、お恥ずかしながら、ご承知のとおりわれらは15年あまりも内紛を続けておりましたからな。お二人に充分な活躍の場を提供できないどころか、下手をすると内紛の巻き添えにしかねない、ということでお招きするのを遠慮していました。その結果、かの3宗家にうまうまとお二人を引っさらわれてしまうはめになり……」
「ここで両少将に恩をうり、そのかわり我らのエルプグラーフ・フォン・ローエングラム(ローエングラム伯爵家嗣子=ラインハルト)を盛り立てていただくようお願いしようと、このようにまかりこした次第」
「わが親友ミッターマイヤーの救出にお力添えをいただくからには、むろん否やはありません」
 ロイエンタールと二人の貴族とのやりとりをききながら、ラインハルトとキルヒアイスは微妙な表情をみせるが、ロイエンタールはそれには気づかない。
 
       ※             ※

 “拷問係”の雇い主フレーゲル男爵は、取り巻き二人とともにミッターマイヤーの独房前に赴き、少女たちの正体を知った。社交界ですでに見知った顔である。その一人、アーデルハイトがしれっと挨拶する。
「フレーゲル男爵さま、こんばんは。エルプグラーフィン・フォン・ロットヘルトです。こちらは義妹のフロイライン・ミュンヒハウゼン」
「い、い、いったいここで何を?」
「われらの郎党ミッターマイヤー少将が、将官の身にもかかわらず貴人室ではなく一般士官用の独房に入れられたと聞きまして、ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの3家から、こころばかりの差し入れをば。お三方も召し上がりますか?」
 ミッターマイヤーを痛めつけるためには、この邪魔者を排除せねばならないが、相手は門閥宗主としての家格12位や14位の“ご令嬢”、自分や取り巻きたち、“拷問係”にはいささか手を出しかねる相手である。
 しかしここであきらめるわけには行かない。自分たちには、女性たちを扱うのが専門の部隊だってある。
 
       ※             ※

 討伐軍がオーディンに帰着したのを聞きつけ、ロットヘルト家のヴィクトーリア、トゥルナイゼン家のイザーク・フェルナンド、ミュンヒハウゼン家のカール・ヒエロニュムスは、真夜中にも関わらず、さっそくブラウンシュヴァイク邸に押しかけて来た。
 ブラウンシュヴァイク公は、こんな夜更けに非常識だと引き取らせようとしたが、彼らはとても受け入れそうにない。強硬にブラウンシュヴァイク公オットーとの面会を要求し続けている。
 どうせ連中の要求はわかっている。あのミッターマイヤーなる者の身の安全や、“公正な”軍法会議の要求であろう。彼らをリッテンハイム派に追いやらぬためには、その要求を受け入れてやるしかないのは分かっている。ただし、どうしてもこのままでは腹の虫が収まらぬのだ。
 アンスバッハよ、何をしておる?
 はやく“始末をつけた”という連絡を寄越さぬか!
 
       ※             ※

 フレーゲルは、ブラウンシュヴァイク家の侍女20名を召還し、ふたたびミッターマイヤーの独房に赴いた。ミュンヒハウゼン家がミニラにつけている女猛者フラウ・ロッテンマイヤーをさらに凶暴化したような、よりぬきの精鋭たちである。
「さあ、お嬢さまがた、席をお外しいただけませぬかね。私としては、手荒な真似はまったく好まぬのですぞ」
 フレーゲルは、侍女たちに威嚇させながら言った。アーデルハイトはフラウ・ロッテンマイヤーと視線をかわし、うなずく。
 (だいぶ時間をかせいだし、そろそろトーマスさまが援軍をつれてくるころね。まあ、そろそろ潮時か)
 アーデルハイトは連れの3人に指図し、4人で手分けしてナベ、パン籠、テーブル、椅子などをゆっくりと片づけ、最後にミッターマイヤーに手を振って退出していった。
 少女たちの退出を見届けて、フレーゲルは口を開いた。
「さて、ミッターマイヤー少将、…」
ところが、何かを告げる間もなく、さっそく邪魔がはいった。
「そこまでだ、フレーゲル男爵どの」
 トーマスの到着である。戦艦リュッツォウの艦長バルトロメーウス・フォン・ロットヘルト大佐と部下20名、装甲擲弾兵一個分隊を率いるアルノルト・シュヴァルツネッゲル中尉をひきつれている。
 ブラウンシュヴァイク家の侍女部隊20名は、けなげにもフレーゲルを取り巻いて防御円陣をつくるが、どうみても劣勢である。
「おのれ」
 フレーゲルはやむをえず、またも退却を指示したが、むろん引き下がるつもりはない。そもそも衛士や封領警備隊の兵士ならともかく、正規軍に奉職している兵士を動員できるというのが、よほどの大門閥でなければできない。数時間で30人を動かせるロットヘルト家の威嚇力は、他の一門なら無敵の威力を発揮したであろう。しかしフレーゲルだって帝国最大の門閥ブラウンシュヴァイク一門の一員だ。彼らにだって、装甲擲弾兵で士官をつとめている郎党・所従や領民出身の兵士は大勢いる。ブラウンシュヴァイク一門が総力を挙げれば、動員力は全貴族のなかで最大のはずだ。
 フレーゲルは装甲擲弾兵からブラウンシュヴァイク一門に有縁の士官・兵士一個小隊を召還し、再度ミッターマイヤーの独房前に赴いた。そしてトーマスによびかける。
「ロットヘルトのエルプグラーフ(嗣子)どの、ここは狭い。表に出ていただこうか」
トーマスはこれに応じた。
 軍刑務所の中庭で、ブラウンシュヴァイク側の装甲擲弾兵一個小隊30人、ロットヘルト側の 装甲擲弾兵と戦艦リュッツオウの乗員の混成部隊30人が睨み合った。リュッツオウの乗員20人は、陸戦隊の所属が3人いるのを除き、残りは電子技兵、機関技兵、ミサイル技兵、砲手等で、ほっそりした体格の、格闘の素人が多数をしめており、いざ衝突となれば、ロットヘルト側の不利は免れない。だがすぐ脇でアーデルハイトやミニラが不安そうに見ている。トーマスとしては、ここで退くわけにはいかない。
「かかれ!」
乱闘になった。

       ※                ※

 ロットヘルト側の装甲擲弾兵の指揮官アルノルト・シュヴァルツネッゲル中尉と、ブラウンシュヴァイク側のシルベストル・スタローン中尉は、原隊にもどれば戦友同士である。彼らはそれぞれの主人から招集されたとき、双方の動員可能戦力を比較検討し、“凶器は持ち出さない”ことと、“ロットヘルト側に見せ場をつくらせてやった後、ブラウンシュヴァイク側が勝利する”という筋書きにあらかじめ同意したうえで、それぞれの主人の指揮下で集合し、配置についた。
 乱闘は、要員を装甲擲弾兵で揃えたブラウンシュヴァイク側が圧倒的優勢にすすみ、10数分でブラウンシュヴァイク側が軍刑務所中庭を制圧した。
 フレーゲルは乱闘の決着をまたずに、取り巻きふたりや“拷問係”とともにミッターマイヤーの独房を訪れ、ようやく本来の目的に取りかかることが可能になった。
 しかし“拷問係”は三回鞭をふりおろして、ミッターマイヤーには一回あてることができただけだった。三回目を振り下ろしたところで敏速に動くミッターマイヤーの足払いをくらい、鞭を自身の体にまつわりつかせて、無様な叫び声をあげるはめになった。
 フレーゲルがミッターマイヤーを、
「いやしい平民にふさわしい戦いぶりだな」
と嘲弄すると、苛烈な反撃にむくわれた。ミッターマイヤーはこう言い放ったのだ。
「豚のくせに人間のことばをしゃべるなよ。人間のほうが恥ずかしくなるからな」
 フレーゲルはいいかえすこともできず、拳を固めると、ミッターマイヤーに懲罰の一撃をたたき込もうとしてぶざまに空振りした。取り巻きふたりがミッターマイヤーの肩をおさえつけることで、ようやく2発を命中させることができた。
「どうだ、思い知ったか、礼儀知らずの平民が!いいざまだ!」
「誰が思い知るか!」

         ※                ※

 ラインハルト、キルヒアイス、ロイエンタールとグライム伯爵・マルツァーン子爵の主従が、軍刑務所の一つに到着したときは、乱闘は集結し、死屍累々の惨状を呈していた。
 アーデルハイトとミニラ、侍女のカミラとフラウ・ロッテンマイヤーの4人はロットヘルト側の、ブラウンシュヴァイク家の侍女部隊はブラウンシュヴァイク側の、兵士たちの打ち身やあざ、擦り傷の手当をしている。トーマスは無傷だが、ブラウンシュヴァイク側の装甲擲弾兵にとりまかれ、動きがとれないでいる。
 ラインハルトは、中庭を制圧しているブラウンシュヴァイク側の装甲擲弾兵たちにむかって告げた。
「エルプグラーフ・フォン・ローエングラム(ローエングラム伯嗣子)である。ブラウンシュヴァイク公の要請で、ミッターマイヤー少将を訪問する」
 装甲擲弾兵たちは“ブラウンシュヴァイク公の要請”というのが真実なのか、疑問をもたぬわけではなかったが、腕力で阻止するにはやっかいそうな連中であるうえ、乱闘で消耗している。おとなしく一行を中に通してしまった。

         ※                ※
 
 アンスバッハの課題は、事態をしっかりとコントロールすることである。
 殿さま(=ブラウンシュヴァイク公)の腹立ちはもっともだが、3一門をリッテンハイム側におしやっては元も子もない。
 彼は、3一門側の動員状況をみながら、慎重にフレーゲルのリクエストに応えてブラウンシュヴァイク側の人員を動かした。
 アンスバッハが別室から観察しているうちに、ミッターマイヤーはまちがいなく“拷問係”による鞭の1撃、ライヒアルトお坊ちゃま(=フレーゲル男爵)の拳の2撃をうけた。これでもう「ミッターマイヤーを死なない程度に痛めつけよ」という殿さまの命令は果たした。坊っちゃまがミッターマイヤーの反撃をうけたて放り投げられたり殴られたりしているが、坊っちゃまは少々痛い目を見た方が、後々のためにはいい薬だ。
 ミューゼル大将と六人の連れが現れ、ミッターマイヤーの独房前にすすんでいく。
 独房に入ったミューゼル大将と連れのうちの四人が熱線銃をとりだし威嚇射撃をおこなった。そのあとミューゼル大将が、坊っちゃまがに銃を突きつけている。坊っちゃまがうかつに動けば彼に射殺されかねない。
 そろそろ、介入の潮時であろう。
 アンスバッハは自身も独房に進み入ると、ミューゼル大将にむかって言った。
 「そこまでにしていただこう」

         ※                ※
 
 ブラウンシュヴァイク公のもとに、待ちに待った連絡がアンスバッハからきた。ブラウンシュヴァイク公はようやく執事に命じることができた。
 「3宗主の皆さまを、客室にお通しせよ」



[29819] 第29話 「クロップシュトック事件の決着」(5/14)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/05/14 00:37
もしラインハルトやロイエンタール、ミッターマイヤーの背後に、味方の門閥貴族がいたら。
原作で繰り返し回顧される名シーンが消えてしまいましたが、そんなIFです。(5/13)
**************************

 ミッターマイヤーのパンチをこめかみにうけて昏倒したフレーゲルが、よろめきながら立ち上がってまず目にしたのは、自分の心臓に熱線銃の狙いをつけているラインハルトだった。
「きさま、ミューゼル……」
「それ以上、うごくなとは言わぬ。うごいてみろ。そうすれば、私としても卿らの肥大した心臓を撃ちぬく口実ができるというものだ」
「孺子……」
「どうした。うごかないのか。卑しい身分の者が撃ってもはずれるかもしれんぞ。ためしてみないか?」
「孺子、孺子……」
 フレーゲルが憎悪に燃えて睨みつけ、罵倒のことばを口の中でつぶやくと、ラインハルトの背後の男が進みでて言った。
「われわれのエルプグラーフ(伯爵家嗣子)に対する侮辱の言、つつしんでいただこう」
 ここでようやくラインハルトの連れたちに目をむけると、声を発したのは、フレーゲルも見知っているグライム伯爵であった。その脇にはマルツァーン子爵も控えている。いずれもローエングラム一門の重鎮である。
 このふたりがいるということは、“金髪の孺子”はただの孺子ではなく、ローエングラム一門の宗主としてここにいるということだ。フレーゲルの戦意は一挙にしぼんた。
 
 アンスバッハが入室してきて、フレーゲルやとりまき、“拷問係”らを下がらせ、独房内のミッターマイヤーの安全を、ブラウンシュヴァイク公の名にかけて保証したうえで、あまり長居をせぬようにとの要望を残して退出していった。
 
 トーマスとアーデルハイトが、ミッターマイヤーのために戦った戦艦リュッツオウの乗員や装甲擲弾兵、ミニラや侍女たちを連れて入ってきた。トーマスがいう。
「ロイエンタール少将、ミッターマイヤー少将、この者たちに声をかけてやってください」

 ラインハルトは、ふたりの少将が兵士たちにねぎらいのことばをかけているのを不快げに見やっていた。キルヒアイスが心配そうにラインハルトの様子をうかがう。
 そこにアーデルハイトが近づいてきて言った。
「ライニ、それからグライム伯爵さま、マルツァーン子爵さま。お手数ですが、至急ブラウンシュヴァイク邸に向かっていただけないでしょうか?義理の両親(ロットヘルト伯爵夫人・ミュンヒハウゼン男爵)と兄(トゥルナイゼン伯爵)に合流していただけると、たいへん心強いのです」
 グライム伯爵が答える。
「おお、たしかにそのようにすれば、ミッターマイヤー少将を擁護する門閥の宗主が四人、ブラウンシュヴァイク公の前にそろうことになりますな」
 伯爵はラインハルトに向かって言った。
「エルプグラーフ(=伯爵嗣子)どの、すぐに参りましょう」
 ラインハルトはここに残ってロイエンタールやミッターマイヤーたちとじっくり話をしたかったのだが、そのようにいわれてはどうしようもない。一同を残し、キルヒアイスやグライム伯爵・マルツァーン子爵の主従とともにこの場を離れた。
 
(ハイジめ!これで勝ったと思うなよ!)

        ※                ※
 
 ブラウンシュヴァイク公は、ロットヘルト伯爵夫人ヴィクトーリア、ミュンヒハウゼン男爵カール・ヒエロニュムス、トゥルナイゼン伯爵イザーク・フェルナンドら3宗主を相手にして、ミッターマイヤーにまつわる屈辱的な取り決めを結ばされつつあった。
 そこに家令が入室してきて、新たな来客を告げた。
「こんな夜更けに、だれだ!」
「エルプグラーフ・フォン・ローエングラム(ローエングラム伯嗣子)と名乗っておられます」
 金髪の孺子か!
 かの者が正式にローエングラム家を相続するのはまだ先のことだろうに、いまからもう伯爵気取りか!この3宗主ども、金髪の孺子を甘やかすにもほどがある。この者どもの目の前で孺子をしかりつけて、名門を相続することの重みというものを教育してやろう。
「通せ!」
 入ってきたラインハルトをさっそく怒鳴りつけようとしたブラウンシュヴァイク公だが、ラインハルトの後ろに付き従う者たちを見て、みるみる怒気が萎えた。
 
 ローエングラム一門の重鎮の、グライム伯爵とマルツァーン子爵がいる。
 
 ブラウンシュヴァイク公は、ローエングラム一門が、まったく血縁のない寒門出身の金髪の孺子を皇帝から押しつけられて、内心不快に感じていると勝手におもっていた。ところがいま、この一門の重鎮ふたりが孺子を宗主然とたてまつって嬉しそうに付き従っている。彼らが、彼らの宗主継承予定者を前倒しして宗主扱いすることは、他家の者がとやかくいえることではない。それに、彼らがいるということは、ローエングラムが一門を挙げてこの3宗主の側に荷担するということではないか。
 
 ラインハルトの目の前で、ブラウンシュヴァイク公の顔つきが、“怒りの形相”から“客を迎える笑み”へと、微速度撮影を見るようなあざやかさで変化し、やがて公爵は口を開いた。 
「ローエングラム伯嗣子どの、ご用件は?」
 一見、ふつうの、丁重なあいさつである。
 しかしラインハルトは気づいた。自分のうしろに控えたグライム伯爵とマルツァーン子爵に気づく前と後で、公爵の態度の落差のなんと激しいことか。
(これが門閥宗主の威光というものか。ハイジのやつ、おれにこれを使わせようとしていたわけか)
「おそらくは、そちらの3宗主の皆さまと同じ、ミッターマイヤー少将の取り扱いについて、公爵どのにお願いのすじがありましてうかがいました」

 武門の名門4門閥の宗主家のものたちが一致してもとめたことは2点。ひとつは拘置中のミッターマイヤー少将の安全を保証し、決して殺害したり暴行を加えたりしないことを確約すること。もうひとつは、ミッターマイヤー少将によるコルプト大尉の射殺を、軍規に基づいた将官による刑の執行として承認すること。
 ブラウンシュヴァイク公は、第一の点についてはただちに同意承認したが、第二の点については抵抗をみせた。
 
「いやしい身分の平民ごときに、身内のものが殺害されたのですぞ?それを無罪放免するなど、ブラウンシュヴァイクの体面というものがある」
 門閥宗主としての“階級的連帯感”に訴えてみたが、そもそもラインハルトを除く3宗主たちは、“賎しい身分”出身の軍人たちを積極的に後押ししてきた者たちであり、ラインハルトにいたっては“賎しい身分”の出身者そのもの。そのような“連帯感”が通用しない相手である。
 
「おことばですが、われらが長年目をかけ育成してきた優秀な将官と、いくらご身内とはいえ、どうしようもないどら息子どのとを、とても引き替えにはできませぬ」

 武門の名門とよばれる33門閥368家は、自分たちの一門がそれぞれ正規軍であずけられた分艦隊を強化するのに熱をあげる家々であり、結束して、宮中の権力闘争からは遠ざかってきた。いまブラウンシュヴァイク公の目の前にいるのは、そんな武門の一門のなかでも最有力の4門閥の宗主であり、嗣子である。彼らの敵意を買うことは、きたるべきリッテンハイム侯との抗争のことを考えると、避けておきたい。
 
 ブラウンシュヴァイク公は結局妥協し、ミッターマイヤーを被告として開催される軍法会議によって決着させるべきことで、4宗家の者たちと合意に達した。
 
        ※                ※
 
 さて、ブラウンシュヴァイク公は、ミッターマイヤーを葬ることをあきらめたわけではない。軍法会議を有利にはかるべく、軍務尚書エーレンベルク元帥を訪問していた。
 
「わが一族の者を殺害したミッターマイヤーなる少将をなぜ処罰しないのか?」、
「本職がほしいままに賞罰をあたえるわけにはいかんのです。本職は、皇帝陛下のご意志と、国法の忠実な下僕にすぎぬのですから。どの角度からみても、ミッターマイヤー少将なる者の行動は、軍規にのっとったもので、非難すべきものではありませんぞ」
「だがいやしい身分の平民ごときにブラウンシュヴァイク一門のものが殺害されたのですぞ。一族のものたちは許しがたく感じているのだ」
「軍法会議は法と理をもって裁くところで、感情によって処断するところではありませんでな、公爵。まして帝国軍規は、もともと皇祖ルドルフ大帝のさだめたもうたもの。臣下がそれを侵すは大いなる不敬であれば、軍法会議は、軍規の神聖を守ったミッターマイヤーに対して寛容ならざるをえますまい」

平民が、尊い筆頭門閥の一員を殺害したこと自体を「罪」として罰するようにもっていくのは、不可能なようだった。エーレンベルク元帥はいった。
「公爵閣下、いかがです、ここはひとつ、なにもなかったということで収めては……」
「なにをばかな!」

 公爵は歯をむいたが、やがて軍務尚書の説得をうけいれた。というより、なによりも、眼前にちらつく元帥杖が、彼に妥協を余儀なくさせたのだ。
 くわえて軍務尚書はほのめかした。
「戦場で、背後から味方に撃たれて命をおとす者はむかしから大勢おりますぞ」
 軍務尚書は、ミッターマイヤーと大尉の遺族の配属に手心を加えることをさりげなく約束した。
 
 しかし帰途の車中でつらつら考えるに、ミッターマイヤーが不審な死をとげたなら、あの者を庇護する4門閥のものが黙ってはおるまい。
 
 結局、ブラウンシュヴァイク公は、アンスバッハに命じ、“拷問係”がミッターマイヤーに鞭を加えた場面、フレーゲル男爵がミッターマイヤーに拳を打ち込んだ場面だけを編修したディスクを作成し、「ミッターマイヤーにはこのように制裁を加えた」といってコルプト大尉の兄に与えた。



[29819] 第30話 「ミューゼル艦隊、結成!」(5/27/5/30改)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/05/30 19:07
アーデルハイトとロイエンタール・ミッターマイヤーの会話の一部(回想部分)を第21話に移植しました(5/27)
ロイエンタールを自宅におくる車中での会話を修正(5/30)
*****************************

 ミッターマイヤーの独房前には、3宗主家とローエングラム一門のグライム家、マルツァーン家が新たに召還した計9人の衛士が3交代で警護につくことになった。格好良く姿を消していたアンスバッハがあわてて出てきて抗議したが、すでにミッターマイヤーに手を出してしまっているので、もう“ブラウンシュヴァイク公の名にかけた安全の保証”など信用できない、と突っぱねられると、アンスバッハにはどうしようもない。4一門を決定的に敵に廻してしまうことのないよう、最後には妥協するしかなかった。  

 アーデルハイトはロットヘルト邸をでるまえに、ロットヘルト家が後援しているレストラン“銀の匙”に連絡し、未明の予約をいれておいた。トーマスとミュンヒハウゼン家のミニラは、戦艦リュッツオウの艦長バルトローメウ・フォン・ロットヘルト大佐とともに、真夜中に呼び出した30人の正規軍兵士たちをねぎらうため、“銀の匙”に向かった。
 いっぽう、アーデルハイトは、ロイエンタール、侍女カミラとともにロットヘルト家の地上車に乗り込んだ。ロイエンタールを自宅まで送るためである。

          ※              ※  

 車内で、ロイエンタールと向き合いながらアーデルハイトが言った。
「大貴族のドラ息子たちって、ホントにどうしようもない。それに少将や、ミッターマイヤー少将みたいな方が顧問についてるのに、まともに砲壁隊形が組めない諸侯軍も」

 ロイエンタールもまったく同感であるが、“ドラ”かどうかはともかく、アーデルハイト自身が大貴族の娘であり、うかつに相づちもうてない。ロイエンタールにとってはまことに息苦しい状況である。  

 ロイエンタールの目の前で、アーデルハイトが話しつづけている。
「こんどの件で、あらためて、つくづくそう思いました。これはもう、ライニの出番かな…って」
「ミューゼル閣下の出番?」
「ええ」

 以前アーデルハイトはロイエンタール、ミッターマイヤーたちとの間で、“帝国の世直し”について語りあい(第21話参照)、その際、「子飼いの寒門出身武将たちが押さえる正規軍をバックに“説得”を試みる」のがヴィクトーリア、その正規軍によって「分からず屋を制圧する」と言いふらすのが自分で、どちらも現在の貴族階級を温存しつつ“帝国の世直し”を進めようとするものだが、ラインハルトについては「どうも“役立たずを一掃する”ことを考えているらしい」と評していた。

それを、“ライニ(=ラインハルト)の出番”といいきるということは……。 ロイエンタールは目の前の娘にたずねた。
「貴女は、もう見切りをおつけになったのですか?」
目的語を意図的に省いたが、ロイエンタールとしては、ゴールデンバウム王朝、帝国貴族階級を指している。アーデルハイトは答えた。
「ミイラにお湯を注ぎかけても、生きた人間に戻すのはもう無理です」

         ※             ※          

 アーデルハイトとロイエンタールが帰途にそのような会話を行っているとはつゆしらず、ラインハルトはキルヒアイスとともに、グライム伯爵家の地上車でリンベルク・シュトラーゼの下宿に戻った。ラインハルトはローエングラム一門の貴族たちに懐かれるのは“飛翔を目指す自分の足に重石をつけようとするハイジのたくらみ”のためだと思いこみ、アーデルハイトに警戒心を強めているが、実際にはラインハルトの自業自得な面も大きいのである。  
 ミッターマイヤーを収監する軍刑務所で大騒ぎがあった翌日、ミュッケンベルガー司令長官は、ローエングラム一門の重鎮グライム伯爵、マルツァーン子爵の訪問を受けた。
「ミューゼル大将は、ちかぢかローエングラム伯爵家を継承して我らの宗主となる御身、より一層箔をつけさせるためにも、ぜひミューゼル大将に手柄をたてる機会をあたえてやっていただきたい」
 ミュッケンベルガーはふたりに尋ねた。
「ご一門と血縁のないミューゼルに大層な肩入れではござらぬか。ご一門は、ミューゼルのローエングラム伯爵家相続に反対しないだけにとどまらず、彼を宗主としてお扱いになるのですかな?」 「あの者は、身の程をよくわきまえており、我らに対してまことに謙虚で丁重でありますからな。先日、このようなことがありましてな……」
 ラインハルトのローエングラム家相続が正式に決定してほどなく、グライムとマルツァーンは、ラインハルトと許嫁のヒルダをローエングラム宗主家の邸宅に迎え、彼らが将来相続すべき邸宅や宗主家の財宝、文書類などについて説明を行った。その際、グライムは自身の3女クニングト(17才)、マルツァーンは次男ヨハン(16才)をラインハルトとヒルダに引き合わせ、ふたりを婚約させたことを紹介した。この婚約は、ラインハルト・ヒルダ夫婦がローエングラム一門から迎えた養子にローエングラム宗家を相続させるという約束(第20話参照)をけっして反故にしないよう、念を押すためにさっそく取り決めたものであったが、ラインハルトの反応は、グライムとマルツァーンの予測を超えていた。
「おふたりのご結婚後の住まいはお決まりか?」
「いえ、まだ具体的なことは何も・・・」
「ならば、いっそのこと、この伯爵邸にお入りになってはどうか?」
「えっ?!」
「フロイライン・マリーンドルフは、由緒ある名門とはいえ、ローエングラムとは血縁はむろん、おつきあいも薄かった家の出。私にいたっては累代の寒門の者。いずれも、ローエングラムの作法も家風もまったく身についてはおりません。私たちがお二人のお子をお預かりして受け売りの知識でご養育するよりは、ローエングラム一門の作法・家風に習熟したご実父とご生母の手でご養育なさるのが、よいのではないかと考えます」

 グライムは、ミュッケンベルガーに語った。
「とまあ、このようなことがありましてな。彼がそのような謙虚な姿勢を示すからには、われわれとしても、彼を精一杯盛り立てていこうではないか、と考えるに至ったわけです」
 ラインハルトとしては、一門の大貴族たちとあまり深くつきあうのを避けようとしての発言であったが、かえって彼らを心服させる結果となったのであった。

            ※              ※    

 ブラウンシュヴァイク公を送り出した軍務尚書エーレンベルク元帥は、つぎに宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥を迎えいれた。
エーレンベルクが口を開いた。
「金髪の孺子もついに大将になりました。大将となったからには12,000隻から15,000隻ほども預けてやらねばなりますまい」
 大将が艦隊司令官をつとめるならば、戦力がその程度の規模となるのは当然であるので、ミュッケンベルガーはだまったまま、エーレンベルクが話をさきに進めるのを待つ。
「それからクラインシュタイン提督。彼も上級大将に昇進するからには、現有の14,000隻から、さらに上積みすべきなのですが、このままでは、クラインシュタイン提督と孺子に預ける戦力が30,000隻にもなります」
ミュッケンベルガーは答えた。
「それが何か問題でも?」
「例の3一門が影響力をふるう正規軍の部隊が、10個分艦隊分にもなるのですぞ?これはあまりにも多すぎましょう」
「クラインシュタイン提督は、本来なら、私に先立って宇宙艦隊司令長官に就任して当然だった人物ですぞ。10個分艦隊30,000隻を彼に全て委ねたとしても、まだ彼には役不足も過ぎましょう」
 エーレンベルクはモノクルをきらめかせながらいった。
「いや、私が申し上げているのは、クラインシュタイン提督の力量についてではなく、例の3一門に影響力を持たせすぎるのはいかがか、という点です」
「あの3一門は、自分たちがナワバリとする分艦隊を磨き上げることにしか関心のない者どもです。預ける戦力の規模を大きくして、なにか問題があるとは思いませんな」
「いや、必ずしもそうではありませんぞ?ロットヘルト家が取り組んでいる“衰退星系の救済事業”とやらについて、かの家の養女が述べたことを、耳にしてはおられませんかな?」
 アーデルハイトが口にした“分からず屋を吹き飛ばす”を指す。ミュッケンベルガーは答えた。
「ああ、あれなら私もロットヘルト家のグラーフィンに確かめましたが、そう目くじらを立てるほどのものではないのではありませぬかな」
「いや、それが大変に気に病んで、警戒する方々も存在するのですぞ」
「いちいちそのようなことに配慮せねばならぬとは……、やっかいなことですな」
「こうしてはどうでしょう?次の出征では、クラインシュタイン提督を総司令官に据え、彼が掌握してきた14,000隻と、ローエングラム一門がナワバリとしてきた第55分艦隊をあわせた17,000隻を、ミューゼルに委ねるのです。これならば、例の3一門の影響力を不必要に拡大させずに済みます」

          ※            ※

 5月19日、ラインハルトは宮中に参内し、軍務省高等参事官、宇宙艦隊最高幕僚会議常任委員の現職をそのままに、出征軍総司令官たるクラインシュタイン上級大将の麾下として、出動を命じられたのである。
「武勲を期待しておるぞ、ラインハルト・フォン・ミューゼル」
「ありがたき御諚、
臣の全力をつくします」
「このうえのはなやかな武勲があれば、とかく口うるさい宮廷の老臣どもも、そなたがローエングラム宗家をつぐのに不満を申したりはするまい。爵位とか地位とかは功績の結果というのが彼らの主張でな」
 皇帝は笑った。律動を欠く笑い声が、ラインハルトの頭の芯をちくちく刺す。
「門閥の宗主家など、誰がつぎ、誰が絶やしても、たいしたことではないのだがな。たいしたことだと思いこんでいる輩の多いことよ」
 金髪の若者は、思わず皇帝の顔に注意深い視線を投げた。英明とも偉大とも評されたことのない、いわば五世紀におよぶゴールデンバウム王朝の老廃物として、専制政治の暗渠から排出されたかのような第36代の皇帝。権力と富の浪費家。そういう男が考えもなく言っているだけのことなのか。
 風の存在を、不意にラインハルトは感じた。虚無の深淵から吹き上げてくる気流には、若者を戦慄させる微粒子がのっているようだった。
「どうかな、予はこうも思うのだ。そなたをいっそ侯爵にしてやろうかと」
 この日の皇帝は、黄金の髪をした若者を、たてづづけにおどろかせるのだった。
「侯爵・・・でございますか」
「クロップシュトック侯爵家は、そなたも知るような事情で絶えてしまった。どうだ、よければそなたが名跡をついで、何十代めかよく知らぬがクロップシュトック侯になるか」
 ラインハルトは返答に窮した。皇帝の発言は意表をつきすぎており、しかもたんなる気まぐれと断定するには、不透明な要素が多すぎた。信じえない光景が、ラインハルトの精神の地平に展開している。彼は圧倒されていた──皇帝の意図するところが奈辺にあるか、洞察に困難をおぼえたのは最初の経験であった。宮廷内での評判や、彼自身の偏見と憎悪などで律しえない輪郭を、このときの皇帝はもっているように思えた。
「ありがたき仰せながら、臣にとっては伯爵号でさえ身にあまる地位でございます。侯爵など、いわば雲の上の身分、臣の手のとどくところではございません」
「そうか、そう思うか。侯爵どころか伯爵でさえ身にあまるか」
「御意でございます、陛下」
「雲の上の身分に思えるか」
皇帝は、ラインハルトの困惑を、楽しそうにながめながら問いを重ねてくる。
「…………」
「皇帝は侯爵よりえらいのだ、ということに世の中ではなっているが、その方もそう思うか」
「……はい」
 豪奢な黄金色の頭をさげたまま、ラインハルトは必要最小限の答えかたをした。皇帝に試されているのではないか、という疑念と、それを否定する声とが、螺旋状にもつれあい、摩擦しあって火苛を発している。
 ふたたび皇帝は哄笑した。
「そうか、そう思うか。では、さしあたり精励して伯爵をめざすがよい。ラインハルト・フォン・ローエングラムよ。そしてその後は、また別のものをめざすのだな」
“別のもの”だと?まちがいない、皇帝はおれを試している!
 フリードリヒ四世は、玉座から立ち上がって、ぷざまによろめき、左右から侍従にささえられた。それを視界の一端にとらえ、玉座から緩慢に階を伝いおりてきたアルコールのもやを嗅覚にとらえながら、ラインハルトは自分が汗を欠いているのではないかと疑った。
「ラインハルト・フォン・ローエングラム……」
 胸中に、はじめて呼ばれた名をつぷやきながら、ラインハルトは謁見室から庭園へ出た。  
             ※        ※
             
 19歳のラインハルト・フォン・ミューゼルをその一員とする銀河帝国遠征部隊が、帝国暦486年初頭につづいて、この年2度めの足跡をイゼルローン要塞にしるしたのは、8月22日のことであった。総司令官クラインシュタイン上級大将は、要塞に常駐する2名の司令官の出迎えを受けた。要塞司令官シュトックハウゼン大将と、要塞駐留艦隊司令官ゼークト大将である。
 ラインハルトの戦力は、第三次テイァマト会戦に比較すれば一挙に倍増し、艦艇1万7000、将兵187万6000を算し、出征軍の四割強を占めるに至っている。
 オーディンを発つ直前、ラインハルトはクラインシュタイン上級大将に呼び出された。ラインハルトが出頭すると、クラインシュタインのオフィスには、トーマス、イザーク、シュテルンもいた。
 トーマスとシュテルンは、ランハルトに、いま正規軍の士官としてではなく、ロットヘルト宗家・ミュンヒハウゼン宗家の当主代理としてこのオフィスにいると告げた。すでにトゥルナイゼン宗家の当主となっているイザークが3宗家を代表してラインハルトに告げた。
「ライニ、“最強艦隊”の指揮を君に委ねる。クラインシュタイン提督とおれたちは、すでに君の指揮能力を全面的に信頼している。今度の出征では、ぜひ大きな戦果を挙げて、君がクラインシュタイン提督の後継にふさわしいことを帝国中に示してもらいたい」
 つまり、このたびの出征は、帝国正規軍の最精鋭部隊の指揮権を「譲りうける」ための戦い、ということだ。
 ラインハルトは、誇りとともに、屈辱も覚えた。譲りうけることになんの喜びがあろう。みずからの知力と気概をもって、不当な占有者から奪いとることにこそ、充足を覚えるべきであった。36代486年の長きにわたって人類を支配し、民衆に奉仕させ、富と権力をほしいままにしてきた、濁った血をもつ一族を打倒し、それに寄生して特権をむさぼってきた飼犬どもを滅ぼすことに、ラインハルトがためらいを覚える理由はまったくなかった。私憤から発したことではある。だが、彼にとってこれほど正当な怒りはないのだった。
 目の前の4人は、友人であり、師匠であるとともに、飼犬どもの一員でもある。そんな彼らから、大きな「施し」をうける……。ラインハルトの心情も分裂している。。



[29819] 第31話 「君征くは星の大海」(6/6修正)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/06/07 06:39
第6回作戦会議、フレーゲルがラインハルトにからむ会議の模様を追加
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 おれの艦長修行は、わがロットヘルトをふくむ三つの一門がパトロンを務める“最強艦隊”(第13,第17,第18,第20分艦隊および3一門の出向連合艦隊の計17,000)を避けて行われ、現在は第60分艦隊に所属する駆逐艦ゴッテスアンベータリンが舞台だ。“特別扱いして甘やかされる”ことを避けるためで、うちだけでなく、武門の一門が正規軍で子弟を修行させるときはどこでもやっていることだ。とはいっても、上官たちのおれに対する扱いは、寒門出身の特別な背景のない大尉たちがゴリゴリしごかれてるのと比べると、どうみても“腫れものを触る”みたいになってるのは、どうしようもないのかねぇ。これはよほど自分で気を引き締めていかないと、スポイルされてしまうな。
 ハイジが、ローエングラム一門の諸家をやけにかまうのがなぜかと思ってたら、ある日いわれた。
「これでライニはローエングラム一門の嗣子。あなたと同じ立場ね」
「そういうことになるかな?」
「ライニは大将でクラインシュタイン提督の後継者。あなたは大尉で駆逐艦の艦長……」
おれに発破をかけるつもりでやってたようだ。さらに訊かれた。
「あなた、ライニやライニが率いる最強艦隊をながめて、“大作を仕上げた芸術家”みたいな心境になってない?」
 うーん、そういう所は、確かにあるかもな。だって、帝国の歴史に残るような名将とか、最強の部隊を生み出すのに大きく貢献できたら、武門の名門の宗家を継ぐものとして、十分以上に大きな仕事をしたとはいえないかな?
「あなたは、一人の軍人として、もっと上にいけるはず!」
それはそうだけど。
尻を叩かれてしまった。
 ライニみたいな天才じゃないが、自分では無能ともボンクラとも思っていない。のんびりしすぎているように見えるかな?まあ、地道に、コツコツやっていくさ。

         ※
 イゼルローン要塞内に設置された、遠征軍の指令部に呼び出された。
 ドアの前でイザークと出会った。こいつも呼ばれたらしい。何事だろう?
「ロットヘルト大尉、入ります!」
「トゥルナイゼン少佐、入ります!」
 部屋の中には、クラインシュタイン総司令官とフレーゲル中将がいた。
 フレーゲルくんが、参謀として祭り上げられているだけでは面白くない、中将の階級にふさわしい3個分艦隊ほどを指揮させろ、と言っている。クラインシュタイン総司令官が答えた。
「フレーゲル男爵どの、勘違いしては困る。貴殿に対して正規軍が中将の階級を与えたのは、貴殿に中将の階級にふさわしい識見があると認めたからではない」
「なんですと、私を侮辱なさるか?私に中将にふさわしい能力が欠けていると?」
「いや、そのようには言っておりません」
 そこで、クラインシュタイン総司令官が、いきなりおれたちに話をふってきた。
「トゥルナイゼン少佐、貴官の現在の職掌は?」
「戦艦エアフルトのコルフェス大佐の副官を務めております」
「ロットヘルト大尉?」
「駆逐艦ゴッテスアンベータリンの艦長であります!」
 総司令官はうなずくと、またフレーゲル男爵にむかって言った。
「ご承知のように、トゥルナイゼン少佐はトゥルナイゼン家の当主であり、ロットヘルト大尉はロットヘルト家の嗣子です。トゥルナイゼン家は家格30位、ロットヘルト家は家格12位の門閥宗家の家柄。そのような彼らに対しても、正規軍は尉官から任官させています」
 フレーゲルくんは、一瞬おれたちを睨みつけると、総司令官に反論した。
「そうはいっても、正規軍は寵妃の弟を大将にして、一個艦隊を預けているではないか!」
 ああ、彼、ライニをねたんでたのか。クラインシュタイン総司令官は指摘した。
「ミューゼル大将は、中尉で任官し、昇進にふさわしい功績をあげて、ひとつづつ階級をあげてきたのですぞ」
 フレーゲルくんは不満げに頬を膨らませ、納得する様子をみせない。総司令官は続けた。
「男爵どのに対する中将の階級は、3万隻の私設艦隊を擁するブラウンシュヴァイクのご一門において、公爵どのが右腕として推しておられる、そのような地位に対して与えられたもの。ゆえに、ブラウンシュヴァイクのご一門が、叛徒に対する遠征に私設艦隊の1部隊を従軍させるとおっしゃるなら喜んでその指揮を男爵どのに委ねもするが、正規軍に対して、正規軍の部隊を指揮させよとお求めになるのは、筋違いというものですな」
 なるほど。フレーゲルくんが駄々をこねるのを拒否するダシに使うため、呼ばれたわけか……。

            ※          ※

 ラインハルト、キルヒアイス、参謀長メックリンガー、分艦隊司令のミッターマイヤーとロイエンタールたちは、第55分艦隊所属のローエングラム一門諸家出身の貴族士官がいない隙を見計らい、帝国の未来を見据えた密談を、時折かわす。ロットヘルト家からラインハルトの次席副官として派遣されてきたペーター・クルツリンガー中尉も、しょっちゅうこの密談に交じる。
「ハイジが、“おれの出番だ”って?」
 ロイエンタールから、ミッターマイヤー救出の晩の車中のアーデルハイトのことばを聞かされて、ラインハルトは思わず反問した。
クルツリンガーが感想を述べる。
「クロップシュトック侯討伐の件では、帝国貴族の筆頭が乗り出して、あの体たらくでしたからね」
ロイエンタールにとっては、大門閥の宗主家に生まれ育った娘が、帝国貴族の滅亡を見据えて動きだしているというのが興味深い。クルツリンガーに尋ねる。
「フロイライン・トゥルナイゼン……いや、いまはエルプグラーフィン・フォン・ロットヘルトですな、彼女の考えというのは、グラーフィン(=ヴィクトーリア)や嗣子どの(=トーマス)も承知なのですかな?」
「いやいや、とんでもない!」
クルツリンガーは目を見開いて、否定した。
「奥様(=ヴィクトーリア)は、“善き領主”、“善き宗主”というのを必死になって追及してる方だしね、いまそんな奥様に“大崩壊”の予言なんか、話せるわけがない」
クルツリンガーは続けた。
「若殿(=トーマス)の方には、"大崩壊"が必至だってことを教育中ってとこかな。ただしライニのさんだ……もとい、"大いなる目標"のほうは、奥様にも若殿にも話している様子はないな」
「ふむ、人を選んでことを語っておられる、というわけですな」
「そうです。お嬢様(=アーデルハイト)は正式にロットヘルト家の養女になって、いま奥様から領主の実務を学んでいるところなんですが、"その手の内容"を奥様や若殿に伝えて意見をもとめるのは、"10年くらいあとにしておく"んだそうです」
「なぜ”10年後”に?」
「そのころにはロットヘルト家の実権をかなり奥様から譲られているだろう、と」

ラインハルトは、貴族階級というものは、地位と特権に溺れるだけの寄生虫だと思っていた。トーマスやイザークと出会い、ロットヘルト家、トゥルナイゼン家ら3宗家の人々を知るにつれ、「高貴なる者の使命」に思いをいたす者もあることを知った。そしてさらに、「高貴なる者の使命」を追求するような者は帝国貴族の中でもきわめて少数の例外であることを知り、やはり貴族階級というものは、全体としては"寄生虫"だ、という結論に達して現在にいたっている。
そんな貴族階級の中には、人物はいない。
例外がふたり。
ひとりは自分の許嫁となったヒルダ。もうひとりはアーデルハイト。
いずれも帝国の未来を見通す識見を持っている。彼女たちが、自身の味方であり、あるいは味方となる態度を示しているのは幸いなことだ。

          ※              ※

 イゼルローン要塞の要塞司令官室において、6回目の最高作戦会議が開かれたのは、9月1日である。
 出席者は、クラインシュタイン上級大将を議長とする、中将以上の全将官と、14人の分艦隊の司令官たちであった。中将以上の将官はラインハルトを覗きすべて爵位を持つ貴族であったが、ラインハルトを除くふたりの部隊長は、いずれも正規軍で実績を重ねて中将まで昇進してきた人物であり、分艦隊の司令官は、ラインハルトの靡下にない者もふくめ、6割が、ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの3一門が声をかけてきた寒門出身の有能な連中である。
 寵妃の弟として様々な優遇を受け,19歳という異例の若さで大将まで昇進を果たしたラインハルトに嫉視の念を持つものがあっても、大抵の者はこの遠征軍の空気を呼んで口をつぐんだものだが、例外があった。
 雑談のなか、参謀としてこの遠征軍に参加していたブラウンシュヴァイク一門のフレーゲル男爵がラインハルトを冷笑したのである。
「この年末にはローエングラム伯爵を名乗られる御身、吾らごとき卑位卑官の輩は、うかつに口もきいていただけぬであろうからな」
 ラインハルトが”卿らはいったいいくつだ?”と呆れていると、フレーゲルの数少ない取り巻きが追従を述べた。
「卑位卑官などとおっしゃるが、卿は男爵号をお持ちの身。自らを平民と同一視なさるにはおよぶまい」
 平民出身の分艦隊司令であるミッターマイヤーは、"この遠征軍でそんな発言をするとは、なんと大胆な。頭のネジが外れているのか"などという感想を抱くが、口には出さない。
「むろん吾々には、代々、ゴールデンバウム王朝の藩屏たる誇りがある。平民や成り上がりなどと比較されるもおぞましい」
 フレーゲルは得意げに言い放ったが、これに応じるものもなく、会議室の空気は一挙に凍った。ラインハルトは思わずつぶやいた。
「民衆に寄生する王侯貴族の誇りか」
「だまれ!孺子!」
怒号とともに、フレーゲル男爵は椅子を蹴って立ちあがった。ラインハルトもそれに応じて立ちあがったが、その動作は相手に比べてはるかに優美で、椅子がみずから後ろにひいて、主人の動きを助けたようにすら見えた。
 そこで、下座のほうで50歳をすぎた一人の少将が立ち上がると、つかつかとフレーゲルにむかって歩み寄った。ローエングラム一門のオイラー家の出身で、ローエングラム一門の縄張りである第55分艦隊の司令官をながらく努めていたオイラー提督である。オイラーは、資料を綴ったプラスチック製のファイルをくるくるとまるめて筒にすると、それで思い切りフレーゲルの頭をはたいた。
 パッカーン!
 静まりかえった会議室に、間抜けな音が響きわたった。
「貴様!何をするか!」
「吾らの宗主に対して度重なる侮辱の言、もはや見過ごせぬ」
「何を…」
 パッカーン!
「やめ……」
 パッカーン!
 パッカーン!
 そこで、クラインシュタイン上級大将が、ふたりの間に割って入った。
「フレーゲル中将に命じる。会戦を控えた艦隊所属の兵士たちの心理状態の調査を命じる」
 フレーゲルは怒りで顔を真っ赤にしながら、抗弁しようとした。フレーゲルの副官が慌てて引き止める。ここで騒ぎをやめねば、こクラインシュタイン総司令官はそれを口実に、自分たちをイゼルローンに残して出撃しまうだろう。この総司令官は、ブラウンシュヴァイク一門の威光など全く恐れてなどいない。それにリッテンハイム一門との競争のことを考えると、ここで無用に彼らの反発を買うことは、けっして得策ではない。
 副官は必至でフレーゲルをなだめ、会議室から連れ出した。

      ※              ※
 
 同盟軍第2艦隊は、惑星レグニッツァ上空において、嵐に翻弄されつつ必死に哨戒活動を行ったのち、何も得ることなく、空しく引き上げた。

        ※              ※
 
 帝国暦486年、同盟暦795年9月13日。
 帝国軍と同盟軍は、双方ともに横列陣を展開して正対し、左翼部隊と右翼部隊、中央部隊と中央部隊、右翼部隊と左翼部隊とが、3.4光秒から3.6光秒の距離をおいて布陣していた。臆病な昆虫が触覚を伸ばすように、わずかずつ距離をつめ、正面砲戦によって戦闘が開始されるかとみえたのに、1205に至り、帝国軍の左翼部隊が急速前進を開始したのである。帝国軍の他の部隊の前進速度は変化しなかったため、左翼部隊は半ば孤立したようにすら見えるようになった。もはやそれは左翼部隊と称しかねるほど、前方に位置するようになった。
「斜傾陣による時間差攻撃か?」
 その疑問と懸念は、同盟軍の幕僚たちにひとしくわきおこった。だが、それにしても、左翼部隊の前方突出は度がすぎていた。これではまるで、自ら各個撃破の対象たるを望むようなものではないか。
 結局、帝国軍の一連の動きは、あまりにも不自然であったため、同盟軍首脳部の有する戦術的常識は、「罠である。誘いにのるべからず」との判断を下さざるをえなかった。このとき、クラインシュタインは、旗艦シュテルネンシュタウプIIの艦橋上でスクリーンをながめ、同盟軍が反応しないことに満足していた。
 急変が生じたのは、13日13時40分のことだった。
 それまで同盟軍中央部隊めがけて突出しつつあった帝国軍左翼部隊が、いきなり右へ方向を転換したのである。同盟軍が驚愕して見まもるなか、ミューゼル艦隊は大胆な敵前回頭を敢行しおえると、そのまま時計逆まわりの方向にすすんだ。帝国軍の中央部隊と右翼部隊は、ミューゼル艦隊の進行とタイミングをあわせて、艦首を11時方向に向けた。
 同盟軍の地理感覚が、一瞬混乱するほどの迅速な行動であった。そして、再整理された感覚は、あらたな驚愕に平手打ちをくわされた。常識外の旋回行動をはたしたミューゼル艦隊は、同盟軍左翼部隊の左側面へ、たけだけしく牙をかがやかせて展開、帝国軍は、同盟軍の正面左方から左側面にかけて半包囲する体制をととのえ、もはや回避しえぬ至近距離に鼻先をつき合わせることになった。
 同盟軍は、右翼部隊が遊兵と化し、さらには左側面で、砲壁隊形の後方に配置した補助艦(巡航艦・駆逐艦等)部隊が、ミューゼル艦隊の射程に捕捉されつつある。
 「撃て!」の命令はどちらが先に発したかわからない。が、戦闘は、帝国軍による、同盟軍左翼部隊への一方的な虐殺によって幕を開けた。
 同盟軍は、右翼部隊を時計逆回りの方向へ進行させ、中央部隊とともに帝国軍の最左翼(中央部隊)を圧迫しようと試みるが、クラインシュタインは、中央部(右翼部隊)を固定させつつ、左翼(中央部隊)を後退させ、同盟軍の圧迫を柔軟に受け流した。その間、ミューゼル艦隊は同盟軍左翼部隊に陣形再編のいとまをあたえず、ほしいままに、その補助艦部隊を蹂躙し続けた。
 5月13日21時10分、後退する同盟軍左翼部隊の補助艦部隊を追撃するかたちで陣形を蚕食しつづけていたミューゼル艦隊は、敵軍を中央突破する戦法にでた。同盟軍の物的・精神的エネルギーが限界点に達したとみて、一挙に決着をつけるべく、大攻勢に転じたのである。この攻勢により、同盟軍は分断され、その損傷率は戦闘続行可能の限界に達した。
 第2,第10,第12の各艦隊司令部からの具申をうけ、同盟軍総司令官ロボス元帥は全軍に退却命令を発した。
「わが軍は、不法かつ非道にも、わが国領域に侵攻せる専制国家の侵略軍に対し、善戦してその企図を挫折せしめるをえたり。よって、抗戦の目的を達したからには、この上、無益なる戦闘において将兵の生命をそこなうの要なしと認め、全軍をもって帰還の途につくものとなす……」
 クラインシュタインは満足していた。ミューゼルには“艦長修行”がまだまだ不足していると考えていたが、そのような点はもはや問題ではない。ミューゼルは“将に将たるの器”であることを充分以上に示した。彼が上級大将に昇進し、ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの3宗家が育成してきた“最強艦隊”の指揮権を継承することに、もはや何人も異議はとなえまい。5月14日01時20分、クラインシュタインも全軍に対して帰還命令を発した。

        ※              ※
 
 フレーゲルは参謀としてクラインシュタインの背後に立ち、ラインハルトの作戦が大成功をおさめ、帝国軍が圧勝するのを、不快な思いでながめつづけた。
 武門の名家とよばれる一門のうち、もっとも強力な4つの一門が、なぜそろいもそろって卑しい家の出のミューゼルを持ち上げるのか。あやつには、たしかに高い指揮能力があるかもしれないが、とてつもない野心を抱いているに決まっている。
 (おれは賭けてもよい。おれ自身をふくめて、若い貴族の素行など、論ずるにたらぬ。あの金髪の孺子をほしいままにふるまわせていれば、いつの日か、銀河帝国の廷臣すべて、後悔の涙で池をつくることになるぞ)
 フレーゲル男爵は予言者ではない。彼は偏見と憎悪にもとづいて、最悪の未来図をほしいままにつむぎだしたにすぎなかった。そして、二年後、彼の予想は完全に的中するのである。



[29819] 第32話 「アスターテの陰謀」(7.5/7.6修正)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/07/06 12:13
間があきましたが、第32話を投稿します。
今回は、アスターテ会戦までたどりつかず、その前フリということで。( 7/5)
ミュンヒハウゼン男爵とブラウンシュヴァイク公爵の訪問客が、フェザーンの操り人形であることを明示(7/6)
******************
「私です。お応えください」
「どの私だ」
尊大な返答。地球教団の総大主教とフェザーン自治領主ルビンスキーの超空間通信をもちいた会話である。
 帝国において、武門の名家とされる門閥のいくつかが推してきたミューゼルが、最近、急速に地歩を固めだした。覇気があり、きわめて有能な人物である。
 最近の戦闘では、帝国の遠征軍を迎え撃ったのは、同盟軍の精鋭といってよい第10,第12艦隊を含む三個艦隊であるが、ほぼ同数の戦力で真正面からぶつかりあったにもかかわらず、ラインハルトの作戦が功を奏し、帝国軍が同盟軍を圧倒したのである。
 このままミューゼルの台頭をみすごした場合、彼が帝国・同盟間のバランスを激しくくつがえす可能性がある。
 ミューゼルの足をひっぱり、あわよくば失脚させるべし!

     ※          ※

 帝国歴486年11月。
 帝国貴族の中でも武門の名門として知られるロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼン・ローエングラムの四つの一門が共同で主催する3組の結婚式が、帝都オーディンにおいて、門閥の宗家約275家を主とする大貴族を招待して盛大に開かれた。
 3組とは、ロットヘルト伯爵家の嗣子トーマス(19才)とトゥルナイゼン伯爵家の4女アーデルハイト(17才)、ミューゼル家からローエングラム一門宗家の伯爵家を継ぐラインハルト(19才)とマリーンドルフ伯爵家の嗣子ヒルデガルド(18才)、ローエングラム一族のマルツァーン子爵家の次男ヨハン(16才)とグライム伯爵家の3女クニングト(17才)の3組である。
 門閥宗家の中でもロットヘルト家は第12位、トゥルナイゼン家は第30位の家格をほこる名門中の名門どうしの縁組みである。
 ローエングラム一門宗家のローエングラム伯爵家も、家格第44位の名門であるが、当主を継ぐラインハルトも妻となるヒルダも、いずれもローエングラム一族とはまったく血縁がない。そこでローエングラム一門から養子を迎えて嗣子とすることになったが、実父および生母となることが予定されているのがヨハンとクニングトで、こちらは2組セットでローエングラム宗主家の結婚式を構成している。
 この結婚式・披露宴にはラインハルトの親代わりとして、姉のグリューネワルト伯爵夫人アンネローゼが参加し、皇帝フリードリヒ四世も顔をみせることが事前に伝えられていたので、ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯をはじめ有力な門閥貴族の当主本人が多数参加してきた。フレーゲル男爵ライヒアルト・ルドルフもブラウンシュヴァイク公オットーのお供として列席し、顔をひきつらせながらラインハルトとヒルダに祝辞を述べた。

 門閥宗主相手の共催結婚式・披露宴のあとは、一門諸家と有縁の諸家を相手の披露宴である。
 ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの3宗家は、ロットヘルト邸に移動し、一門諸家を主とする招待客をあいての宴を開いた。
 一方、ラインハルトはローエングラム伯爵邸にはいり、ローエングラム一門の12家と、マリーンドルフ伯爵家およびその親族8家を主人として出迎え、自分たちとヒルダ、ヨハンとクニングトの結婚式の披露宴をとりしきった。
 その席上、ラインハルトはヨハンとクニングトに告げた。
「私が相続したローエングラム宗家の邸宅、伯爵領は、もともとあなた方の一族のものであり、やがてはあなたたちが設ける公子に受け継がれるものだ。私は、名目上この家の主となり、式典などで必要な時にはローエングラム一門の宗主としての役割をはたすが、日常的な伯爵家と伯爵領の運営はあなたたちにゆだねる。お二人とも、一門諸家の忠告をよくきき、しっかりと当家を守ってもらいたい」
 
     ※          ※

 帝国貴族の門閥筆頭の家格を誇るブラウンシュヴァイク公爵のもとを、ある貴族が訪れていた。この男、ひそかにフェザーンの意を体して動いている。
「あの成り上がりのミューゼルが、名門中の名門であるローエングラムの宗主家を乗っ取るなど、怪しからぬと思いませんか?」
「いや、あの者は、ローエングラム一門の者たちをまことによく手懐けておる。一門から養子を迎えて嗣子にしようなどと、後ろ盾になっておる例の3一門の者どもがうまいこと知恵をつけたと聞いております。ローエングラム一門の者たちが納得しておる以上、もはや他家の者がとやかくいう段階はとうにすぎておりましょう」
「しかしミューゼルは、名門の宗主家だけでなく、上級大将に昇進して、正規軍の大部隊を手中にしようとしております。ローエングラム一門のものたちにせよ、3一門のものたちにせよ、ミューゼルをつけあがらせるにも、度がすぎてはいないでしょうか?」
「いや、ミューゼルには、相当の軍事的な才覚が備わっていると聞きました。先日の遠征でも、彼の作戦により、叛乱軍の精鋭部隊との真っ向勝負で圧勝したとこか」
「はたしてそうでしょうか?」
「なんですと?」
「先頃の遠征軍の総司令官は、名将として名高いクラインシュタイン提督でしたな?」
「そのように聞いております」
「ミューゼルは、はたして、実際に、伝えられているような才覚を有しておったのでしょうか?ミューゼルの手柄とされるものは、実はクラインシュタイン提督がお膳立てしたものではありますまいか?」
「ふーむ、なるほど。そのような見方もありますかな……」
「クラインシュタイン提督は、例の3一門の手駒のような方でありましょう?3一門の方々は、自分たちの新たな手駒であるミューゼルに、クラインシュタイン提督の力で箔付けをさせたのではありませんかな?」
「う~む、そうなのでありましょうか?」
「ミューゼルは寵姫の弟という立場のおかげで、武門の名門の伯爵を相続した上に上級大将の階級まで獲得しようとしております。このような尊貴な身分も高い階級も、ただ寵姫の弟というだけで軽々しく与えられてよいものではありません。それをミューゼルはいっぺんに入手しようとしている。そんな甘えは許されません。ミューゼルは、自分が受けとる階級にふさわしい能力を示し、自分が受け取る地位にふさわしい功績をたててみせるべきです。公爵閣下、そうは思いませぬか?」
「それもそうですな……」

             ※               ※

 トーマスの父、ミュンヒハウゼン男爵カール・ヒエロニュムスのもとを、とある貴族が訪れていた。この男も、ひそかにフェザーンの意向を受けて動いていた。
「男爵どの、ご一門が推しておられるミューゼルどの。彼の才覚に疑念の声があるのをご存知ですか?」
「そうなのですか?彼の将才はまぎれもない本物ですぞ?」
「閣下のように身近におられる方は、彼のことをよくご存知なのでしょうが、ものごとの表面しかみない方々も多うございます。ミューゼルどのが、寵姫の弟ごであるというだけで高い爵位を与えられたとか、名将クラインシュタイン提督のお膳立てによって功績をあげたのを、自分の才覚のように装っているとか、いろいろと噂を聞きます」
「そうなのですか?それははじめて聞きました」
「いや、じつにもう、広汎にひろまっている噂です」
「うーむ……」
「寵姫の弟というだけで尊貴な爵位や高い階級を与えられるのはけしからぬ、ミューゼルは自分に与えられる爵位にふさわしい功績をあげ、階級にふさわしい能力を示すべきだ!と」
「そのようなこと、彼を一軍の総司令官に据えて叛徒と一戦させれば、簡単に証明できることです」
「そうでしょう、そうでしょう!さっそく、彼を出征させて、彼の叙爵や昇進にケチをつける方々をだまらせようではありませんか」

          ※             ※

 ラインハルトを嫉視する者たちと支える者たち。
 軍務省は、この双方からの圧力をうけ、年明け早々にも、ラインハルトを総司令官に据えた遠征軍を派遣することを決定した。
 この秋の第4次ティアマト会戦に参加した部隊は、艦艇の整備や補充、人員の入れ替えと再訓練などを要するため、ラインハルトには、いままでなじみのなかった部隊が委ねられることとなった。
 メルカッツ大将、シュターデン中将、フォーゲル中将らが率いる計3万5000隻。彼らの靡下の分艦隊司令官としてはファーレンハイト、エルラッハら少将12人、戦隊長30数人がある。いずれも有能なものたちであるようだが、ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンら3一門や、ローエングラムの人脈の外側にあった連中であり、ラインハルトはほぼゼロから彼らを掌握していかねばならない。

          ※              ※
  
 ローエングラム家を相続したが、ラインハルトはそれは名目上のこととし、伯爵邸はヨハンとクニングト夫婦に委ねることにした。そして、伯爵家の嗣子たるヒルダをリンベルク・シュトラーゼの下宿に迎えるわけにはいかないから、ラインハルトのほうが、マリーンドルフ邸に住むことになった。
 キルヒアイスもつれていこうとしたところ、トーマスの弟シュテルンや、シュトフ、クルツリンガー、バーデンら「ご学友」たちや、最近この下宿に出入りしだしたローエングラム一門関係の幼年学校・士官学校の候補生たちからクレームがついた。マリーンドルフ邸では、いままでみたいに気軽にあそびにいけない、と。
 ラインハルトは、キルヒアイスと離れるのが非常に不満であったが、4つの宗家やその郎党・所従たちとの交流から得られる情報にも捨てがたいものがある。
 必要なら、おれのほうが下宿へいけばいいか。



[29819] 第33話 「マクシミリアンの怪しいうごき」(7/15)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/07/15 11:39
 大貴族の結婚披露宴というのは、招待客を変えてダラダラと続く。
 ラインハルトは、それにくわえて年明けすぐに遠征軍司令官として出征であるから、目も回る忙しさである。
 キルヒアイスは、軍務のほうはラインハルトにつきあうとして、プライベートはヒルダに委ねて、ラインハルトが去ったリンベルク・シュトラーゼの下宿にもどる。そこはシュテルンを頭とする士官学校・幼年学校の生徒たちのたまり場と化しており、とくに最近はローエングラム関係の少年たちも加わり、芋の子をあらうような混雑である。
 かつてヒルダは、ラインハルトとの婚約が成立したあと、この下宿の繁栄をマリーンドルフ邸のほうへに奪い取ろうと少年たちを晩餐に招待したことがあった。しかし少年たちは、かしこまって招待を受けはしたが、食事を終えるとそそくさと去っていき、その後はけっして自分からはよりつこうとしない。
 ヒルダはアーデルハイトにその理由をたずねてみた。
「そりゃあ、敷居が高いからだよ」
 少年たちのなかには、シュテルンをはじめ、大貴族の子弟だっているが、郎党や所従出身の「ご学友」たちや、彼らが下宿に招く「優秀な同級生」など、低い身分の出身者のほうが多い。気楽にくつろげないところには足が向かないのは当然の道理である。
「姐さん、マリーンドルフ家のコックさんが腕によりをかけたコース料理なんか出したりしたでしょ?」
「ええ」
「敗因は、たとえばその辺だね」
「どういうこと?」
「あの年頃の男子には、まず量だよ、量。」
「そうなの?」
「コース料理なんて、大きなお皿のまんなかにちんまりと載ってるだけでしょ?」
そのかわり、"極上の素材"を念入りに極上の調理を施してあるのに…とヒルダは思ったが、それではいけないらしい。アーデルハイトは続ける。
「あたしがリンベルク・シュトラーゼに差し入れするときは、いつもシチューの大鍋と、パンをカゴに山盛りってメニューにしてるよ。士官学校や幼年学校って、候補生の食事をわざと祖末にしてるみたい。だから、食べる本人が食べたいだけ食べられるようにしてあげるのが、とっても喜ばれる」
「ふうん…」
「義母さま直伝。もともとは、ロットヘルトの封領警備隊地上軍の、行軍料理だよ。ざっくり切った野菜やお肉をスープで煮て、最後は特性ソースを投入するだけ。簡単につくれて、それなりにおいしくて、満腹できる」
「そうなの…」
 はたして生粋の貴族令嬢たるヒルダは、マリーンドルフ邸を、十数人の少年たちのたまり場として解放することができるだろうか?アーデルハイトは、ロットヘルト邸ではムリ、とあきらめ、下宿のほうに差し入れするにとどめざるを得なかったが、ヒルダはフーバー・クーリヒ両未亡人に対するリベンジを考えたようだ。
 やがてヒルダは、マリーンドルフ邸の一角に、キルヒアイスを長期滞在させるための部屋や、少年たちがたむろできる大部屋を整えて、少年たちを招待し、アーデルハイトのアドバイスにもとづき、何よりも量を重視した料理で歓待しはじめた。
  
           ※                 ※

 オーディンでの結婚披露が一段落すると、こんどは領地における披露がまっている。
 ヒルダは、エルプグラーフィン・フォン・マリーンドルフ(マリーンドルフ伯爵嗣子)としてラインハルトと結婚し、いずれは父フランツから伯爵位を受け継ぐので、ラインハルトとヒルダは、ヨハン・クニングト夫婦とともにローエングラム領を訪問したのち、マリーンドルフ領にもおもむくことになっている。
 ラインハルトは年明け早々の出征を控えているので、ローエングラム領における結婚披露は首府のアルトゥンブルク一カ所にとどめ、領内をすみずみまで巡るのはヨハン・クニングト夫婦に任せることにした。マリーンドルフ領における披露も、総督府および都指揮使司がある首府プフィルズィヒ・ヴァルト一カ所だけにとどめ、すぐにオーディンにとって返さねばならない。
 ところで、マリーンドルフ領における披露宴には、トーマス・アーデルハイト夫婦が主賓として招かれている。トーマスとアーデルハイトは、ともに新郎の幼なじみであり、ふたりの実家のロットヘルト家・トゥルナイゼン家はミューゼルと名乗っていたころのラインハルトの庇護者である。またアーデルハイトは新婦の親友にして大学の同窓でもあるという縁に基づく。彼ら自身もロットヘルト領で領民にむけて結婚を披露する儀式が待っているのであるが、新婚旅行もかねて、すこし寄り道するのである。
 トーマス・アーデルハイト夫婦を乗せたロットヘルト家の座乗艦シュテルネン・シュタウプは、オーディンから直接マリーンドルフ領にむかい、星系外縁で、ローエングラム伯爵家の座乗艦スクルドの出迎えを受けた。トーマスとアーデルハイトは、シュテルネン・シュタウプは衛星軌道上で待機させ、シャトルでスクルドに移乗し、スクルドの領主室でラインハルトとヒルダの出迎えを受けた。
「おふた方にはマリーンドルフ領までのわざわざのお運び、たいへん感謝する」
「こちらこそ、ご招待に感謝する。……って、おれたち、これからロットヘルト領で一ヶ月くらいかけて披露宴やるんだけど、領地のほうではとても"新婚旅行"を楽しめる状況にはないからね、先にこちらでのんびりさせてもらおうと」
「それって、どういうご事情ですの?」
「惑星ロットヘルトにある全ての町と村を回って披露宴をやって、全領民に料理をふるまうんだけど、ヒツジとチキンを家族ごとに切り分けるのをトーマスさんとあたしでやらなきゃいけないの」
「ほう」
「一ヶ月の間、ずっとおれはヒツジ、ハイジはチキンの解体をやり続けることになるらしい」
「お義母さまがいうには、あたしたちとロットヘルトの住人が、"領主と領民"としての絆を固める儀式だから、この切り分けだけはあたしたちが自分の手でやらなきゃいけないんだって」
「たいへんそうですのね」
「おれたちのほうにはそんな変わった風習はないな」
 ところで、いまここにキルヒアイスはいない。ラインハルトとヒルダがローエングラム領やマリーンドルフ領で結婚を披露している間、オーディンにおいて、ラインハルトのかわりに出征の準備に大わらわなはずである。
「ところで、護衛艦15隻というのは、いささかものものしいな」
ロットヘルト星系の戦力の三分の一である。しかも旧型艦とはいえ、仕様上の能力を最大限まで引き出せるよう、いずれも完全に艤装されており、他領の艦艇と比べると艦影のゴツゴツとした有様が異様な迫力をもたらしている。
 アーデルハイトが答えた。
「ちょっと気になることがあるんだ」
 いいながら、アーデルハイトは船窓のひとつを指差す。その窓からは、衛星軌道上に停泊しているカストロプ家の戦艦と4隻の護衛艦が見えた。カストロプ公爵家はマリーンドルフ家の縁戚にあたり、当主オイゲンの名代として、嗣子(=エルプヘルツォーク)マクシミリアンが、披露宴に出席するためマリーンドルフ領を訪問しているのである。
「戦艦のほうは、領主座乗艦によくるある旧型のアステリア級で、これはどうってことないけど、問題は護衛艦のほう」
 ハイジが指す護衛艦4隻は、型名インセクテン級警備艇。いずれも艦体下部に大きな円筒状のふくらみを備えている。軍事警備会社(傭兵)が多く保有し、正規軍にはない型式の船である。円筒は、高出力の大口径ビーム砲であり、戦艦の主砲1門と同等の破壊力をもつ。ただし「同等」とは、一撃のエネルギー量のみを比較した場合の話であって、エネルギータンクの容量やエネルギー中和磁場の強さは艦体のサイズにみあった能力しかなく、また小さな船体に大出力の主砲を積むためにミサイルの発射能力を著しく犠牲にしたため、総合的には、攻撃力も防御力も、同じ程度のトン数の正規軍の軽巡航艦にはるかに及ばない。
「ライニは、あれをどう思う?」
「主砲の威力のために防御力や他の攻撃力を著しく犠牲にしてる。同数で正面から戦う場合には、正規軍の軽巡航艦にも遠く及ばない」
「でも、もしいま、この位置で、あいつらから主砲を撃たれた場合、スクルドはどうなるかな?」
「いま?それは、この距離からだと、ひとたまりもないだろうな」
「油断している相手に不意打ちをかけるって使い方すれば、効果は甚大だよ」
「それはそうだな」
 アーデルハイトは表情をあらためると、言った。
「いま、カストロプの若君(エルプヘルツォーク・フォン・カストロプ)が、あれを集めてるみたいなんだ」
「ほう?」
「カストロプ家のエルプヘルツォークどの、オーディンでの披露宴にもきてたでしょ?そのとき、あれを護衛に連れてたの。珍しいから気になって、いま調べさせてる。どうも、秋にはいってすぐのころから帝国中の軍事警備会に声をかけまくってるみたいなの。カストロプ領には、あれの艦隊ができつつあるはず」
 カストロプ星系は、マリーンドルフ領にもっとも近い有人星系で、ワープ航法をもちいれば、20時間という近接した位置にある。
「マクシミリアンったら、なにを考えているのかしら……」
「あたしたち、ロットヘルトに戻るとき、シュテルネンシュタウプ以外の15隻を残していくから、かわりにマリーンドルフ艦隊をうちにあずけない?」。

 第2次ティアマト会戦以降、下賜された艦艇に手を加えてを醜く傷つけるのは陛下に対して畏れ多いと、受領した艦艇に艤装をほどこさずに運行する、軍艦というものをなにか勘違いした貴族たちの数が急速に増えている。マリーンドルフ伯家もその例にもれない。マリーンドルフ領の所属艦艇はいずれも、主砲や砲、ミサイル発射口などの一部が設置されるべき位置が、美々しく装飾された仮設装甲で覆われたままの状態で、非常にすっきりとしたシルエットを保っている。

「うちは、正規軍がサポートを打ち切った旧型艦の整備ができるプラントを持ってるから、しっかり艤装しなおして、戦闘仕様でもどしてあげるよ」

「それはありがたいが、費用がばかにならないだろう?」
「それはそうだけど、ライニとヒルダ姐さんに、あたしたちと義母さまからのお祝いということで」
ラインハルトがヒルダを見やると、ヒルダはかすかにうなずく。
「では、ありがたく受けさせてもらおう」

       ※               ※
 
 マリーンドルフ領民に対するヒルダとラインハルトの結婚披露宴であるが、ラインハルトは首府プフィルズィヒ・ヴァルトで開かれた宴に出席したのち、出征準備のため慌ただしくオーディンにもどっていった。
 ひとりのこされたヒルダは、父のマリーンドルフ伯フランツとともに、領内の主要な町々で領民を招待する「結婚報告宴」を開催、トーマス・アーデルハイト夫婦は友人代表、カストロプ公爵の嗣子マクシミリアンは親族代表の立場で、ヒルダ・フランツ父娘とともに町を巡った。
 その最中、トーマスとハイジのもとに、オーディンから報告がとどいた。
 
 カストロプ公爵家嗣子マクシミリアン殿が雇用せし軍事警備会社は計128社、招集した艦艇数は合計で1,200隻を超える見込み。

「これは……」
 たとえばブラウンシュヴァイク公爵家は、宗主家1家だけで1,500隻の私設艦隊を擁している(一門全体では3万隻)が、婚姻と相続により複数の星系にまたがる領地をもっているためで、星系ごとの艦隊の規模では、いずれも数十隻を超えるものはない。1星系で1,200隻もの大軍を抱えているというのが尋常ではない。

 トーマスとアーデルハイトは、さっそくヒルダ、フランツらと内密に面談した。
「1,200隻となると、帝国中のインセクテン級警備艇の4割がカストロプ領にあつまってる計算になるよ」
ヒルダとフランツは声もでない。
「いくらカストロプ家が大金持ちでも、これだけの数となると、長期的に雇い続けることはむずかしい。だから、カストロプ家の若君どのは、近いうちにあれをつかって何かしでかそうと考えているはず」
 フランツは、うめくようにつぶやく。
「マクシミリアンは、いったいなにを……」
 カストロプ家やマリーンドルフ家をふくむ一族には、かつてマイニンゲン家という宗家があった。マイニンゲン家は200年前の宮廷内の権力闘争にやぶれ、一門は解体した。カストロプ家の当代オイゲンは長年財務尚書をつとめて爵位は公爵にのぼり、また巨大な財産を築いた。オイゲンは自らが得た権力と金力によって、カストロプ家を新たな宗主として一門を再建することを目指しているが、他の親族一同は、葬儀・結婚・昇爵など最低限の親戚づきあいを行うだけで、オイゲンの夢からは距離をおいている。カストロプ家の巨大な資産はオイゲンが地位を利用しての不正蓄財によって形成されたもので、近いうちにいずれ摘発を受け、カストロプ家が失墜することは目に見えているからである。
 マクシミリアンによる軍備の増強は、近い将来に予想されている「カストロプ家の失墜」に対する、彼なりの備えなのであろうか。

「マクシミリアンさんに、インセクテン級が1,200隻いること知ってるぞって伝えてみて、反応をみてみようか?」
トーマスが答える。
「いや、それはやめたほうがいい。彼が万一いま激発しようものなら、現時点では始末におえない」
トーマスは、ヒルダとフランツに告げた。
「ロットヘルト家がすぐ動かせる戦力があと30隻くらいあります。ぼくは自分たちの結婚式の準備ということで、すぐにロットヘルト領にもどって、これをご当地まで送ります。それから一門の15家にも根回しして、連合艦隊の編成にもかかります。あつまれば、500隻程度の規模です。こちらは、ロットヘルトの領宙で、出撃準備を整えて待機させておきます。万一の場合、この戦力をうごかせば、十分に対処可能だとおもいます」
 アーデルハイトがいう。 
「父や義父さまにも頼んで、トゥルナイゼンとミュンヒハウゼンのほうからも援軍を送る準備をしてもらったらどうかな?」
「そうだな。それぞれのご一門から、100隻づつくらい頼もうか」
フランツはふたりに礼を述べた。
「もうしわけない、よろしくお願いします」

          ※              ※

 カストロプ公爵家の嗣子マクシミリアンは、マリーンドルフ家の親戚としての尋常な言葉や態度で、アーデルハイトらと交流している。
「すると、エルプグラーフィンどのは、しばらくこちらに滞在なさるのですかな?」
「はい、ご当地の私設艦隊18隻を艤装のためしばらくロットヘルト領でお預かりするのですが、その間、ご当地をかわりに警護させるため、うちの15隻をご当地に駐留させます。名目だけですけど、あたしも、指揮官として、しばらくこちらに滞在します」
「なるほど、さようですか」
 アーデルハイトは、一応、牽制のつもりで、ロットヘルト艦隊15隻の駐留を告げてみるが、マクシミリアンの表情からは、彼がいかなる感想をもったのかは読み取れなかった。
 ヒルダとフランツが領内各地で開催していた「結婚報告の宴」が一段落すると、マクシミリアンはカストロプ領へ引き上げていった。

            ※             ※

 いっぽうラインハルトであるが、オーディンにもどると、きたる遠征の戦術的意図を靡下に浸透させるため、メルカッツ大将、シュターデン中将、フォーゲル中将ら左翼・中央・右翼部隊の指揮官や、その下で戦隊長をつとめる少将・准将たちと打ち合わせを繰り返し、精力的に出撃準備を進めた。妻ヒルダの親族であるエルプヘルツォーク・フォン・カストロプ(マクシミリアン)の怪しい動きが気になるが、トーマスとアーデルハイトが一門の軍勢を動員する準備を進めてくれている。一方、ラインハルトが大きな影響力を発揮することが可能な"最強艦隊"は、現在、全面的な解体と修理整備の渦中にあり、これを無理にでも動かそうとすると、"公私混同"のそしりをまぬかれまい。とりあえず、ことが生じた場合の対処は友人夫婦にゆだねて問題あるまいと自らを納得させている。
 今回の遠征軍の規模も、通例とほぼ同規模の約3万5000隻。叛徒の迎撃部隊をしりぞけ、一時的に叛徒の勢力圏をおさえることはできるにしても、恒久的な奪取や領有を実現するにはとうていおぼつかない規模しかない。
 このような規模での侵攻に意義を見いだせないラインハルトであるが、まだ帝国軍において遠征の戦略的条件を設定しうる立場にはない。せいぜい、自身が武勲をあげてその種の立場を獲得する機会として活用しようと割り切って、日々の準備に邁進した。



[29819] 第34話 「アスターテ会戦」(7/25)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/08/02 02:14
「なに?食中毒だと?」
本来ならば、レーション(戦闘口糧)で食中毒が発生するなどありえない。
ラインハルトが報告者に尋きかえす。
「はい。クレメンツ部隊では第38分艦隊計3,000隻、シュターデン部隊では第61分艦隊の第1戦隊および第59分艦隊の第2戦隊の計2,000隻、メルカッツ部隊では第48分艦隊の第3戦隊の計1,000隻、総計6,000隻であります」

「よし、食中毒が発生した分艦隊・戦隊は分離してイゼルローンに戻せ。本隊は引き続き前進せよ」

 フェザーンが背後で糸を引くテロは、これだけにとどまらなかった。

 メルカッツ部隊所属の第47分艦隊司令官ブリンクマン少将は、何度目かのワープアウトの後、仰天した。分艦隊はとある恒星のま近にワープアウトし、そのまままっしぐらに恒星へむけてつっこもうとしている。同じ航路を先行していたメルカッツ司令直率の分艦隊も付近には見当たらない。ブリンクマン少将はあわてて靡下に停止を命じた。
 ブリンクマン少将は、自分たちの現在地はいったいどこであるのかを確認するため、眼前の恒星の情報を旗艦の航路データベースで照合するよう命じて、あおざめた。
 旗艦のメインコンピュータから、すべての航路情報が消えていたのだ。
 全艦隊が迷子になっていたのである。
 
 遠征軍がアスターテ星系の外縁部にワープアウトしたとき、第47分艦隊をはじめとする大量の落伍が判明した。遠征軍総司令部は情報の収集と解析のため騒然となった。のちに判明したことだが、戦隊旗艦の航法コンピューターにバグが仕込まれ、アスターテ星系にむかう最後のワープの際に、誤った目的地への移航とデータの消去が仕組まれた戦隊がいくつもあり、第47分艦隊をふくめ計8,000隻が、この時のワープでイゼルローン回廊周辺の諸星系にばらまかれたのである。
 自らの所在を失った諸部隊だが、戦隊旗艦には超空間通信機が備え付けられている。迷子となった8,000隻は、戦隊旗艦がイゼルローンと連絡をとり、自身が位置する星系を改めて観測してイゼルローンのデータベースと照合することにより現在地を確認、航法データをイゼルローンより受領、という手続きをふむことで、数ヶ月から半年をかけてようやくイゼルローンに戻ることができた。

           ※           ※

 アスターテ星系で遠征軍を待ち構えていたのは、同盟軍の第2,第4,第6の三個艦隊で、最先任の第4艦隊パストーレ中将が全体の指揮を担っていた。
 第4艦隊旗艦の艦橋でオペレーターが告げた。
「敵部隊、ワープアウトしました。総数は約20,000隻!」
「イゼルローンを出たときは35,000隻だったというからな、今回についてはやつら工作を成功させてくれたらしいな……。
 よし、第2,第6艦隊に連絡!待ち伏せも奇襲も中止、全軍をあげて一気にたたみかける!」

         ※           ※
 
 遠征軍の背後と側面方向に新たな光点が出現、正面の光点とともに、遠征軍にむかって近づいてくる。いずれも叛乱軍部隊であることに疑いはない。
 叛乱軍部隊の合計は約40,000隻、本来なら互角の兵力であったが、遠征軍は食中毒にくわえて行方不明があわせて1万4000隻、全戦力の4割が戦わずして失われている。いまただちに撤退すれば、不利な戦いを避けることができる。メルカッツ,シュターデン,クレメンツら部隊長たちは、とうぜん撤退命令が下ると考え、部下にその準備を命じた。しかしラインハルトは、撤退など命じなかった。
 ラインハルトは、アスターテ星系にワープアウトした当初こそ、表情をこわばらせて総司令部の要員が必死に情報の解析に取り組む様子を眺めていたが、喪失した兵力の規模が14,000隻程度にとどまることが判明するにつれ、態度に余裕があらわれた。そして潜伏していた叛乱軍の2個部隊が姿を表すにいたり、キルヒアイスにむかって笑みをみせ、言った。
「勝てるぞ!」
そして、全艦隊通信を発した。
「全艦隊に次ぐ。叛乱軍はわが軍をあなどり、安全な巣穴から這いでて正面決戦を挑んできた。これこそ敵を撃滅する一大好機である。全軍、寸毫も違うことなくわが節度に従え!それのみが卿らに勝利をもたらす唯一の道である」

「星を見ておいでですか、閣下」
キルヒアイスの声に、一瞬の間をおいてラインハルトは視線を転じ、シートの角度を水平にもどした。
「ああ、星はいい」
 ラインハルトは応え、自分と同年齢の腹心の部下を仰ぎ見るようにした。勝利を確信した余裕の態度である。
「ところで何か用件があるのか?」
「はい、叛乱軍の布陣です。偵察艇三隻からの報告によりますと、やはり三方から同一速度でわが軍に接近しつつあるようです。指揮卓のディスプレイを使ってよろしいですか?」
 金髪の若い上級大将がうなずくのを見て、キルヒアイスは手をリズミカルに動かした。指揮卓の左半分を占めるディスプレイの画面に、四本の矢印が浮かび上がった。上下左右の各方向から、画面の中心へと進行する形である。下方の矢印だけが赤く、他の矢印は緑色だった。
「赤い矢印がわが軍、緑の矢印が敵です。わが軍の正面に敵軍の第四艦隊が位置し、その兵力は艦艇一万二〇〇〇と推定されます。距離は二二〇〇光秒、このままの速度ですと、約六時間後に接触します」
 画面を指すキルヒアイスの指が動いた。左方向には敵軍第二艦隊がおり、兵力は艦艇一万五〇〇〇隻、距離は二四〇〇光秒。右方向には敵軍第六艦隊がおり、兵力は艦艇一万三〇〇〇隻、距離は二〇五〇光秒。
「敵軍の合計は四万隻か。わが軍の二倍だな」
「それがわが軍を三方から包囲しようとしております」
「老将どもが青くなっているだろう……いや、赤くかな」
 ラインハルトは意地の悪い笑いを白皙の顔に閃かせた。戦う前に戦力の40%、14,000隻を失い、二倍となった敵に三方から包囲されつつあると知りながら、狼狽の気色はまったく見えない。
「たしかに青くなっています。五人の提督が閣下に緊急にお会いしたいと申し込んで来られました」
「ほう、おれの顔も見たくないと放言していたのにな」
「お会いになりませんか?」
「いや、会ってやるさ……奴らの蒙を啓くためにもな」
 ラインハルトの前に現れたのはメルカッツ大将、シュターデン中将、フォーゲル中将ら左翼・中央・右翼部隊の指揮官たち三名と、各部隊を形成する戦隊の指揮官代表として、ファーレンハイト少将、エルラッハ少将の二名の、あわせて五人だった。ラインハルトの言う「老将」たちである。しかしその評語は酷にすぎるかもしれない。最年長のメルカッツでもいまだ六〇歳には達しておらず、最年少のファーレンハイトは三一歳でしかなかった。ラインハルトたちのほうが若すぎるのである。
「司令官閣下、意見具申を許可していただき、ありがとうございます」
 一同を代表してメルカッツ大将が述べた。ラインハルトが生まれる遙か以前から軍籍にあり、実戦にも軍政にも豊富な知識と経験を持っている。中背で骨太の体格と眠そうな両眼をはぶいては特徴のない中年男だが、その実績と声価はラインハルトなどよりずっと大きいであろう。
「卿らの言いたいことはわかっている」
 メルカッツの示した儀礼に形ばかりの答礼をして、ラインハルトは先手を打った。
「わが軍が不利な状況に在る、そのことに私の注意を喚起したいというのだろう」
「さようです、閣下」
 シュターデン中将が半歩前へ進み出ながら応じた。ナイフのように細身でシャープな印象を与える四〇代半ばの人物で、戦術理論と弁舌に長じた参謀型の軍人だった。
「わが軍は相次ぐ事故のために、戦わずして14,000隻、戦力の40%をうしなってしまいました。その結果、敵の数は二倍、しかも三方向よりわが軍を包囲せんとしております。これはすでに交戦態勢において敵に遅れをとったことを意味します」
 ラインハルトの蒼氷色の瞳が冷然たる輝きを放ちながら、中将を直視した。
「つまり、負けると卿は言うのか?」
「――とは申しておりません、閣下。ただ、不利な態勢にあることは事実です。ディスプレイ・スクリーンを見ましてもわかりますように……」
 七対の目が指揮卓のディスプレイに集中した。
 キルヒアイスがラインハルトに示した両軍の配置が、そこに図示されている。遮音力場の外で幾人かの兵が興味津々と高級士官たちを見やっていたが、シュターデン中将がにらみつけると、あわてて目をそらせた。咳払いの後、中将がふたたび口を開く。
「これは過ぐる年、帝国の誇ります宇宙艦隊が、自由惑星同盟を僭称する叛乱軍のため、無念の敗北を喫したときと同様の陣形です」
「『ダゴンの殲滅戦』だな」
「さよう、まことに無念な敗戦でした」
 荘重な歎息が中将の口から洩れた。
「戦いの正義は、人類の正統な支配者たる銀河帝国皇帝陛下と、その忠実な、臣下たるわが軍将兵にあったのですが、叛乱軍の狡猾なトリックにかかり、忠勇なる百万の精鋭は虚空に散華するにいたったのです。今回の戦いにおいて、もし前者の轍を踏むことあらば、皇帝陛下の宸襟を傷つけ奉るは必定であり、ここは功にはやることなく、名誉ある撤退をなさるべきではないかと愚考するしだいです。敵の包囲網はまだ完成したわけではありません。いまただちに行動をおこせば、損害をまったく受けることなくこの宙域から離脱することは可能です」
 まさしく愚考だ、無能きわまる饒舌家め、とラインハルトは心のなかで罵った。口に出してはこう言った。
「卿の能弁は認める。しかしその主張を認めるわけにはいかぬ。撤退など思いもよらぬことだ」
「……なぜです?理由を聞かせていただけますか?」
 度しがたい孺子めが、と罵る表情がシュターデン中将の瞳に浮き上がっている。それを意に介せず、ラインハルトは答えた。
「吾々が敵より圧倒的に有利な態勢にあるからだ」
「何ですと?」
 シュターデンの眉が大きく上下した。メルカッツは憮然として、フォーゲルとエルラッハは愕然として、若い美貌の指揮官を見つめた。ファーレンハイトだけが、色素の薄い水色の瞳におもしろがるような表情をたたえている。
「どうも私のように不敏な者には理解しがたい見解を有しておいでのようですな。もうすこしくわしく説朋していただけるとありがたいのですが……」
 シュターデン中将が耳ざわりな声で言った。その不愉快な舌を引き抜いてやるのは後日のこととして、ラインハルトは相手の要請に応じた。
「私が有利と言うのは次の二点においてだ。ひとつ、卿も指摘したとおり、敵の包囲網はまだ完成したわけではない。敵が三方向に兵力を分散させているのに対し、わが軍は一ヶ所に集中している。全体を合すれば敵が優勢であっても、敵の一軍に対したときには、わが軍が優勢だ」
「…………」
「ふたつ、戦場から次の戦場へ移動するに際しては、中央に位置するわが軍のほうが近路をとることができる。敵がわが軍と闘わずして他の戦場へ赴くには、大きく迂回しなければならない。これは時間と距離の双方を味方としたことになる」
「…………」
「つまり、わが軍は敵に対し、兵力の集中と機動性の両点において優位に立っている。これを勝利の条件と言わずして何と呼ぶか!」
 鋭く切り込むような語調でラインハルトが言い終えたとき、五人の提督は一瞬、その場で結晶化したようにキルヒアイスには思われた。ラインハルトは彼より豊富な戦歴を有する年長の軍人たちに、極端なまでの発想の転換を強(し)いたのだ。
 呆然と立ちつくすシュターデン中将の顔に皮肉な視線を射こみながら、ラインハルトは追いうちをかけた。
「吾々は包囲の危機にあるのではない。敵を各個撃破するの好機にあるのだ。この好機を生かすことなく空しく撤退せよと卿は言うが、それは、消極をすぎて罪悪ですらある。なぜなら吾々に課せられた任務は、叛乱軍と戦ってこれを撃滅することにあるからだ。名誉ある撤退と卿は言った。皇帝陛下より命ぜられた任務をはたさずして何の名誉か! 臆病者の自己弁護に類するものと卿は思わぬのか?」
 皇帝の二字が出ると、ファーレンハイトをはぶいた四提督の身体に緊張のさざなみが走る。それがラインハルトにはばかばかしい。
「しかし、総司令官閣下はそうおっしゃるが……」
 あえぐようにシュターデンは抗弁を試みた。
「好機と言っても、閣下おひとりがそう信じておられるだけのこと。用兵学の常識からみても承服しかねます。実績を示していただかないことには……」
 こいつは無能なだけでなく低能だ、とラインハルトは断定した。前例のない作戦に実績のあるはずがない。実績はこれからの戦闘で示されるのではないか。
「翌日には卿はその目で実績を確認することになるだろう。それでは納得できないか」
「成算がおありですか?」
「ある。ただし卿らが私の作戦に忠実に従ってくれればの話だ」
「どのような作戦です?」
 猜疑の念も露骨にシュターデンが問う。ラインハルトは一瞬キルヒアイスの顔を見やると、作戦の説明を始めた。
 ……二分後、遮音力場の内部に、シュターデンの叫びが満ちた。
「机上の空論だ。うまく行くはずがありませんぞ、閣下、このような……」
 ラインハルトは掌を指揮卓に勢いよく叩きつけた。
「もういい! このうえ、議論は不要だ。皇帝陛下は私に叛乱軍征討司令官たれと仰せられた。卿らは私の指揮に従うことを陛下への忠誠の証明とせねばならぬはずだ。それが帝国軍人の責務ではないか。忘れるな、私が卿らの上位にあるということを」
「…………」
「卿らに対する生殺与奪の全権はわが手中にある。自ら望んで陛下の御意に背き奉ろうというのであれば、それもよし。陛下に賜ったわが職権をもって、卿らの任を解き、抗命者として厳罰に処するまでのこと。そこまでの覚悟が卿らにはあるのか」
 ラインハルトは目前の五人を見すえた。返答はなかった。

 五人の提督は去った。納得も承服もしないが、皇帝の威には逆らいがたいという態であった。ただ、ファーレンハイトひとりはラインハルトの作戦構想に好意的な表情を示したようにも思われるが、他の四人の表情は、程度の差こそあれ、「皇帝の威を借る孺子めが」と語っていた。

「よろしいのですか?」

 青い目に懸念の表情を浮かべて、赤毛の若者はラインハルトに質した。
「放っておけ」

 上官の方は平然としていた。

「奴らに何ができるものか。嫌みひとつ言うにも、ひとりではなく幾人かでつるんでしか来られないような腰ぬけどもだ。皇帝の権威に逆らうような勇気などありはせぬ」

「ですが、それだけに陰にこもるかもしれません」

 ラインハルトは副官を見て、低い楽しそうな笑声を立てた。

「お前は相変わらず心配性だな。気にすることはない、いまは不平たらたらでも、一日たてば様相が変わる。シュターデンの低能に、奴の好きな実績とやらを額縁つきで見せてやるさ」

 もうその話はやめよう、と言ってラインハルトは席から立ち上がり、司令官室で休息しようと誘った。

「一杯飲まないか、キルヒアイス、いい葡萄酒があるんだ。四一〇年物の逸品だそうだ」

「結構ですね」

「では行こうか。ところで、キルヒアイス……」

「はい、閣下」

「その閣下だ。他に人がいないときは閣下呼ばわりする必要はない。以前から言っているだろう」

「わかってはいるのですが……」

「わかっているのなら実行しろ。この会戦が終わってオーディンに帰還したら、お前自身が閣下になるのだから」

「…………」

「准将に昇進だ。楽しみにしておくんだな」

 艦長ロイシュナー大佐に後をまかせて、ラインハルトは個室へと歩き出した。その後にしたがいながら、キルヒアイスは上官の発言を脳裏で反芻した。 会戦が終わって帰還したら准将……金髪の若い提督は、敗北することなど考えてもいないらしい。キルヒアイス以外の者であれば、それを度しがたい高慢とうけとるに相違なかった。だがラインハルトが、親友に対する好意から言ったのだということを、キルヒアイスは知っている。

          ※             ※

 戦闘は、帝国軍の圧勝におわった。
 帝国軍は、ラインハルトの卓越した指揮のもと、同盟軍の3個艦隊を各個撃破し、いずれも壊滅においこむと、自軍の破損艦の乗員を回収し、勝利を宣言してさっさと撤収していった。
 戦闘に参加した人員は、帝国軍二四四万八六〇〇名、同盟軍四〇六万五九〇〇名。艦艇は帝国軍二万隻余、同盟軍四万隻余。戦死者は帝国軍一五万三四〇〇名余、同盟軍一五〇万八九〇〇名余。喪失あるいは大破した艦艇は帝国軍二二〇〇隻余、同盟軍二万二六〇〇隻余であった。
 同盟軍は三個艦隊の司令官3名がすべて戦死または負傷、とくに第4、第6の両艦隊は損耗率が60%〜70%を超えるなか、パエッタ中将に代わって第2艦隊の指揮を引き継いだヤン・ウェンリーは敗勢を挽回して消耗戦にもちこみ、わずかに気をはいた。

          ※             ※

 このころ、帝都オーディンでは、財務尚書カストロプ公オイゲンが、突然職務を放棄し、オーディンに駐留させていた領主座乗艦に飛び乗ると、あわててヴァルハラ星系を離れようと試みた。ところがカストロプ公の座乗艦は、ヴァルハラ星系の第3跳躍点からワープに入ろうとしたところで動力機構が謎の故障を起こし、乗員・乗客のすべてが死亡した。
 オーディンで開催されたオイゲンの葬儀は、カストロプ家の「家の子」で家宰であるエーベルハルトが喪主をつとめ、オイゲンの嗣子マクシミリアンは領地にこもったまま、オーディンにはおもむかなかった。
 国務尚書リヒテンラーデ侯はマクシミリアンに対する相続手続を延期し、財務省に調査官を派遣させ、調査の結果を待って「オイゲンが不当に取得した部分をはぶいた資産の相続」と「爵位の継承」を認める旨を伝達させた。  
 これに反発したマクシミリアンは、財務省の調査官に有角犬をけしかけて追い払うことを2度にわたり繰り返した。
 財務省からの報告を受けてリヒテンラーデ侯はマクシミリアンにオーディンまで出頭するよう厳しく命じる召喚状を送ったが、マクシミリアンはこれを無視した。
 カストロプ公爵家には当然ながら多くの親族や姻戚がおり、事態を憂慮した彼らは間に立って調停を試みたが、マクシミリアンの猜疑心を刺激しただけだった。
 彼の親族のひとりで温和な人柄を評価されるマリーンドルフ伯フランツが、説得に赴いてそのまま監禁されてしまうと、平和的な解決は絶望的となった。

      ※                ※

「お殿さまの座乗艦から超空間通信。O.T.L。くりかえします、O.T.L」
マリーンドルフ家の旗艦ゾンネンブルームからの暗号通信である。“マリーンドルフ伯が拘束された。生命は無事”を意味する文字列である。
 惑星マリーンドルフの衛星軌道上で配置についていたヒルダにアーデルハイトは通信していった。
「いよいよくるわね」
「ええ、ハイジさん、お願いね。エルプグラーフィン・フォン・マリーンドルフは、ロットヘルト都指揮使に救援を要請します
「まかせて♪ロットヘルト都指揮司は、エルプグラーフィン・フォン・マリーンドルフの救援養成を受け入れます。旗艦<ライゼンクラッペ>以下、当都指揮使司所属の各艦が貴領において作戦行動を展開する許可をお願いします
許可します
「じゃあ、あとは打ち合わせどおりにね」
「ええ」
 マリーンドルフ家の私設艦隊は、当初ロットヘルトに送って艤装する予定であったが、急遽とりやめとなり、フランツとともにカストロプ領におもむいた3隻をのぞき、ヒルダの指揮のもと、衛星軌道上で配置についた。
 アーデルハイトは、ロットヘルト家の留守部隊30隻を率いてマリーンドルフ星系の近傍まで潜航してきているトーマスに召還の通信を送るとともに、ロットヘルト部隊15隻を率い、マリーンドルフ星系の第2跳躍点にむけて移動した。このポイントで、マリーンドルフ領に侵攻してくるかもしれないマクシミリアンの傭兵艦隊を待ち受けるためである。

        ※            ※
 
 マクシミリアンにメンツをつぶされた財務省の反応も素早かった。
 シュムーデ准将が率いる500隻の討伐部隊が編成され、カストロプ領に送り込まれたのである。カストロプ公爵領の封領警備隊航宙部隊の元来の規模は30隻、十分以上の数であるはずだった。インセクテン級警備艇1,200が相手でも、決してひけをとらない規模の戦力である。
 この報を聞いたトーマスは、一門諸家から戦力の動員はやめようかと思ったほどだったが、この見通しは甘かった。
 討伐軍は、ろくに作戦もたてずに戦に臨み、不用意に惑星表面に着陸したところを、衛星軌道上に潜み隠れていた傭兵艦隊により上空から攻撃を受け、シュムーデ提督は戦死した。
 正規軍は、第二次派遣軍を送り込むが、これも3級の指揮官による小規模部隊で、これもマクシミリアン軍に返り討ちにあって壊滅した。
 図に乗ったマクシミリアンは、隣接するマリーンドルフ伯領を併合し、帝国の一角に半独立の地方王国を建設するべく、遠征部隊を送り出した。
 原作世界のマクシミリアンは、傭兵艦隊の存在を秘匿するため、マリーンドルフ領への遠征には、カストロプ家が元来保有していた、艤装の施されていない老朽艦で編成された部隊を送り込んだ。それゆえ、マリーンドルフ家の警備隊も善戦してこれを退けることができた。
 しかし、この「銀坊伝」世界では、マリーンドルフ領には、わずか15隻とはいえ完全な戦闘仕様のロットヘルト部隊が駐留している。マクシミリアンもそのことを知っており、そのため、必勝を期すべく、戦力の1割にあたる100隻もの部隊をマリーンドルフ領に侵攻させたのである。



[29819] 第35話 「カストロプ動乱」(7/27)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/08/02 02:16
やっと、本編と「アムリッツァ編」が接続しました。

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 マリーンドルフ領に侵入したマクシミリアン軍が射出した偵察衛星は、さっそく、主惑星の衛星軌道上に15隻の航跡を確認した。マクシミリアン軍のほうへ向かってくる。
 その15隻の方角から、マリーンドルフ伯爵嗣子(エルプグラーフィン・フォン・マリーンドルフ=ヒルダ)の名義で誰何が来た。
 侵攻部隊の旗艦に同乗していた、マリーンドルフ家の首脳部と顔見知りのウィンフリートが応答した。カストロプ星系の留守(りゅうしゅ)の地位にある人物で、カストロプ家がマリーンドルフ領と交際する際の担当者をつとめてきた男である。ウィンフリートは、マクシミリアンから命じられたとおり、マリーンドルフ伯フランツを拘束した旨をヒルダに伝え、降伏勧告文を読みあげはじめた。
 突然、ウィンフリートの背後で、オペレータが大声をあげた。
「後背に航跡!15隻!戦艦4、航宙艦5、駆逐艦6!急速接近中!」
「なに!」
 侵攻部隊の指揮官は驚きの叫びをあげた。
 "若殿さま”マクシミリアンからの情報によれば、マリーンドルフ艦隊15隻は艤装のため所領をはなれ、そのかわりにロットヘルト家の15隻が配置されているということだったが……。
「後背の部隊の艦影を確認、旧型艦なるも、フル艤装が施されている模様!」
 ということは、正面より接近してくる15隻がマリーンドルフ領の警備隊で、後方の15隻がロットヘルト部隊であるのか……。

 100隻を送り込んだマクシミリアンのもくろみでは、圧倒的な数の差を見せつけることにより戦意を喪失させ、戦わずしてマリーンドルフ領を占領するつもりであった。しかるにマリーンドルフ領の警備隊とロットヘルト部隊の計30隻は、ひるむことなく侵攻部隊に向かってくる。

 一般的に、貴族領の警備隊に所属する艦隊に艤装を施していないものが多いのは、領主たちの誤った軍艦観(→第33話参照)のほか、正規軍がとっくの昔にサポートを終了した型落ちの老朽艦が多く、エネルギー兵器はともかく、実体弾(ミサイルや磁力砲)を用いる質量兵器の消耗品が補充できないという理由もある。
 しかしロットヘルト家の場合、一部の艦種について、戦艦から駆逐艦まで一式、正規軍がサポートを打ち切ろうとする艦種の整備プラントを引き取り、艤装から消耗品の補充までを可能としていることは、消息通にはつとに知られていることであり、侵攻部隊の指揮官も、マリーンドルフ領への侵攻にあたって、この情報を耳にした。

 侵攻部隊を構成しているインセクテン級警備艇は、1門だけとはいえ、戦艦並の威力をもつ主砲をもっているから、第1撃のみをみれば、戦艦主砲100門に匹敵する攻撃力がある。儀仗仕様のままほとんど手を加えられていないマリーンドルフ領警備隊の15隻が相手なら、余裕で圧倒できる。ロットヘルト部隊15隻についても、大打撃を与え、壊滅に追い込むことは可能である。しかしロットヘルト部隊の場合、他の貴族領の艦隊とは比較にならない、圧倒的な実体弾の射出力を持っている。真正面から撃ち合う場合、それぞれが相手部隊にむけて放った第一射が到達するまでの数十秒のあいだに射出される実体弾は、ミサイルだけでも200発を超えるだろう。軽巡航艦以下の防御力しかないインセクテン級警備艇は、100対15の戦力差があったとしても、壊滅は必至である。
 
 すなわち、後方から接近してくるロットヘルト家の部隊は、侵攻部隊に対し、「相討ちで壊滅する」か、撤退するかの2択を迫っているのである。

 侵攻部隊の指揮官は決断した。
「全艇、撤退!」

                   ※                ※

 マクシミリアンが戦わずして逃げ戻ってきた侵攻部隊の指揮官を叱責すると、指揮官はふてくされながら答えた。
「だったら、500隻ほども預けていただきたかったですな。われわれ軍事警備会社(=傭兵)というものは、商売でやってるんですぜ。敵と相討ちで壊滅なんて割のあわない戦い方は、われわれのやり方ではない」

 マクシミリアンが指揮官をどなりつけようとすると、カストロプ家の所従のひとりがディスクを差し出してきた。
「マリーンドルフ家とロットヘルト家から若君さまあてに、”私戦(フェーデ)”の布告です」

 マリーンドルフ領から発信された布告は、マリーンドルフ家の嗣子ヒルダとロットヘルト家の嗣子トーマスのそれぞれの名義で発令されているが、マリーンドルフ家の領主室で、ふたりならんで立っている映像が冒頭にある。
 ディスクの映像では、まずヒルダが「マリーンドルフ伯爵フランツを不当に拘束」したマクシミリアンを激しく糾弾し、フランツの身柄の解放と武装解除、マリーンドルフ領を単身、非武装で訪問しての謝罪を要求した。ついでトーマスが「妻アーデルハイトの座乗艦に砲口を向けた罪」を糾弾し、ヒルダとおなじく、マクシミリアンの武装解除と、ロットヘルト領に単身非武装で訪問しての謝罪を要求している。
 ヒルダとトーマスは、以上の要求が果たされない場合、マリーンドルフ伯爵家とロットヘルト一門諸家の連合艦隊を結成してマクシミリアンに「懲罰」を加えると威嚇し、その場合、財物や人身に発生した被害の責任はすべてマクシミリアンにある、と締めくくった。トーマスはその上で、マリーンドルフ領にはすでにロットヘルト宗家の部隊100隻が配置についていること、さらに近日中に一門諸家の連合艦隊が1000隻、トゥルナイゼン一門とミュンヒハウゼン一門からの援軍600隻が到着する予定だと告げていた。

 マクシミリアンは、軍事警備会社の指揮官にたずねた。
「おまえ、ロットヘルトの奥方に砲口をむけたのか?」
「いや、おれはロットヘルト家の部隊が後背から現れた時点ですぐ撤退を決意したから、そんなことはしてませんぜ」
「しかしあいつはそういっている」
「そりゃあ、こっちに非があると主張するためには、なんでもいいたいことをいうでしょうよ」
「やつらがマリーンドルフ領にすでに100隻配置したとか、1000隻動員するだとか、援軍が600隻だとか言っているのは本当だろうか?」
「水増ししてるんじゃないですかね。2倍くらいに」
「ならば、せいぜい800隻程度ではないか。お前たちの戦力で、十分に対抗できるだろう?」
「いや、マリーンドルフ領で連中と対峙したときの感触ですが、使っている艦艇はたしかに旧型艦ばかりでしたが、連中、こちらと自分たちの戦力・能力をしっかり把握していて、度胸もある。こちらに攻めて来た正規軍部隊の連中とはモノが違うという印象でしたぜ。あんな連中と真っ向勝負なんて、おれはごめんこうむりたいですな」
「なに!逃げ出すというのか!!」
「命あっての物種っていうでしょう?大金の支払いだけ約束してもらったって、死んでしまったら元も子もない」

 その後も、マリーンドルフ領からは、続々と到着する援軍が隊列を組んで航行する宣伝放送が流されてくる。
 合計”2000隻”と自称する、ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼンの3一門の連合艦隊の映像。
 叛乱軍への遠征から凱旋したのち、ただちにマリーンドルフ領にかけつけた戦艦ブリュンヒルト以下 “5,000隻"と称する正規軍部隊の映像。
 ローエングラム一門から派遣されてきた援軍100隻の映像。
 これらの諸部隊が陣形を組んで演習を行う映像。

 そして、マリーンドルフ領に勢揃いした領主の私設艦隊・正規軍の混成部隊、自称総計"7,200隻”がカストロプ領にむかって進発したという報がつたわると、マクシミリアン軍の士気は崩壊した。大枚をはたいて集めた軍事警備会社所属の警備艇1,200隻は、マクシミリアンの迎撃命令を無視し、散り散りとなってカストロプ領から逃げ出した。
 マクシミリアンは、罪が軽くなることを望んだ部下の手で殺され、残余の者は降伏した。
 こうしてカストロプの動乱は、あっけなく終わった。

                   ※              ※
 
 新無憂宮《ノイエ・サンスーシー》黒真珠の間において、ラインハルト・フォン・ローエングラムに対する元帥杖の授与式が行われた。

「アスターテ星域における叛乱軍討伐の功績により、汝、ローエングラム伯ラインハルトを帝国元帥に任ず。また、帝国宇宙艦隊副司令長官に任じ、宇宙艦隊の半数を汝の指揮下におくものとす。帝国暦四八七年三月一九日、銀河帝国皇帝フリードリヒ四世」

 トーマスとアーデルハイトは、友人の晴れ舞台に参列したのち、すぐさまロットヘルト領にむかった。
 惑星ロットヘルトのすべての町と村で、自分たちの結婚披露宴だ。
 領民たちに下賜するメインディッシュのヒツジの丸焼き・チキンの丸焼きを自分たちの手だけで延々と切り分ける作業が待っている。

 5月中旬、イゼルローン要塞が戦力わずか6,470隻の同盟軍第13艦隊によって攻略された。
 その結果として、帝国と同盟の戦争の枠組みが根本的に変化してしまうのだが、イゼルローン陥落の情報は厳重に秘匿されていたため、帝国人で最初にこの点を指摘するトーマスくんは、それからさらに2ヶ月あまりヒツジの丸焼きの解体に熱中しつづける。
 
 帝国軍の最高首脳部はいちおう震撼(しんかん)はしたが、いままでイゼルローンを拠点に帝国軍が同盟領の辺境を劫略していた、その方向が逆向きになるだろうという程度の危機感しか持たなかった。ラインハルトとキルヒアイスも同様で、軍首脳部の議論を「おかしな議論だな。帝国領土は寸土といえども外敵に侵されてはならぬものだそうだ。叛乱軍がいつから対等の外部勢力になったのだ?現実を見ないから矛盾をきたすことになるのさ」と冷笑し、ローエングラム元帥府の人事に熱中するばかりであった。



[29819] 第36話 アムリッツァ篇(1) 「トーマスくん、都督に任命される!」(2012/3/19)(4/6改)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/08/02 01:59
ちょっと気分転換に、すこし未来の話を投稿します。(3/19記)
いずれ本編と接続する予定です。(4/9記)
「叛徒」迎撃方針が決定される場面をアムリッツァ編(1)に移植、フレーゲル「都督」部隊の敗北と、侵攻軍を撃滅する戦闘の場面は、いったん削除しました(4/6)

********************

イザークといっしょに宇宙艦隊司令長官室によばれた。
部屋には、ミュッケンベルガー司令長官がいるのは当然として、門閥大貴族の筆頭であるブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯もいる。
司令長官が重々しく告げた。
「帝国軍情報部から次のような報告があった。先日、自由惑星同盟を僭称する辺境の叛徒どもは、帝国の前哨基地たるイゼルローン要塞を強奪することに成功した。これはご宗主どのと嗣子どのもご承知のことだが……」

あれれ、司令長官、イザークを「ご宗主どの」、おれのことを「嗣子どの」って呼んで、敬語つかってるよ。軍人としてじゃなくて、大門閥の宗主家の、当主とか跡継ぎとしてよばれたってことか。だってイザークもおれも、正規軍の軍人としてはただの少佐とか大尉で、こんなお歴々の前と正面から話ができる階級じゃないもんな。

司令長官が話を続けている。

「……その後、叛徒どもはイゼルローンに膨大な兵力を終結しつつある。推定によれば、艦艇20万隻、将兵3,000万、しかもこれは最小限にみつもってのことだ。これの意味するところは明々白々、疑問の余地は一点もない。つまり叛徒どもは、わが帝国の中枢部へ向けて全面攻勢をかけてくるつもりだ」

ハイジとの新婚旅行の真っ最中にオーディンに呼び出されて、なんでだと思ってたら、そんな大ごとが進行していたのか。

新婚旅行ってったって、全然楽しいものじゃないんだぜ。おれが将来ロットヘルト伯爵家を継承する手続きのひとつで、おれとハイジが「領民たちとの君臣関係を新たにむすぶ」儀式として、惑星ロットヘルトの町と村全120ヶ所で開く祝宴で、領民たちに食事をふるまう。その時のメインディッシュを、おれとハイジは自分たちの手でひとつひとつ切り分けなきゃならない。

おれは羊、ハイジはチキン。ふたりで手分けして丸焼きをひと家族分づつに解体していくんだな。それ以外のことは全部家臣のほうで段取りしてくれるけど、この部分だけは手伝ってもらえない。

大きな町だと、祝宴の二日くらい前から、朝から晩までひたすら羊の解体だ。宿にもどっても、疲れ果てていて、何にもしない、できないまま(T∧T)、すぐ寝付いてしまう。そしてつい、夢の中でまで、延々と羊を解体してるんだ。いやな夢だぜ。もう羊なんて見るのもいやだ。ハイジも、チキン料理が大嫌いになったと言っている。

結婚式のあと一ヶ月、ずっとこんな暮らしだった。

ハイジはかわいそうだな。
おれが途中でオーディンに呼ばれたから、あと15ヶ所はひとりで廻らなきゃならない。おれの担当だった羊の解体も、彼女の仕事だ。あんな小さい体で大変だ。かわいそうに……

「……というわけで、嗣子どの?」
へ?
四人がじっと、おれの顔を見ている。
あ、はい、なんでしょう。
「この軍事的脅威に対し、お二方に防御と迎撃の任に当たっていただきたいのだ」
「えと……司令長官、私はたかが大尉の階級しか持っていないのですが……」

イザークがおれを肘でつつきながら、ささやいてくる。
(君、何言ってるんだ。寝てたのか!)
はい、すいません。目はあいてましたが、頭は半分まだ寝てます……
ブラウンシュヴァイク公が言った。
「ロットヘルト、トゥルナイゼンのご両家とも、武官としては''都指揮司(クィナミリアルク)''の格式をお持ちだ。ご承知のように、この称号は''5,000の部隊の指揮官''を意味しております」

武官としての称号には、''都指揮司''の上に''万戸(ミリアルク)''、''都督(レギアルク)''などがある。
「お二方には、2階級上の''都督''の階級を仮に受けていただく。これならば、お二方それぞれが正規軍の航宙部隊数万隻を率いるには充分であろうと思う」
''都督''といえば、正規軍の大将か上級大将に相当する。数万隻の私設艦隊を擁しているブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯が持っている称号だな。

「しかし、私は、先日駆逐艦の艦長になったばかりで、数万隻の艦隊を率いるなど、とても無理です。まったく自信がありません」
「その点は、正規軍の老練な指揮官たちを自由に任用していただいてよい」
それなら話はちがうな。
「おお、それならば、われらの郎党にたいへん優秀なのがおります。この任務を丸投げしても、ひとりで充分にこなせるほどの者です」
「そうですか。それはどなたかな?」
「幼年学校の同期で首席、……」
イザークがおれの足をけとばしてくる。痛いじゃないか。
「現在は自分の元帥府を開いております。ラインハルト・フォン・ローエングラムです。彼に、元帥府の所属艦隊で出撃してもらって……」

とたんにブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯が立ち上がって、顔を真っ赤にして何か怒鳴りだした。なんで??

イザークとミュッケンベルガー司令長官に、両脇をつかまれて、部屋の外に連れ出されました。

イザークに怒られた。
「トーマス、君、話を全然きいてなかったのか?」
すいません。この一ヶ月、羊地獄でした。もうヨレヨレのフラフラです……
いや、聞いてないわけではなく、耳にはしっかりと入っています、ただ脳に定着せずに、反対側の耳から抜けていってしまっただけです…。いや、必死になって脳みそを絞ったら、なにか出てきました。そうそう、(ゴールデンバウム王朝を守護する神聖な使命は、「選ばれたる者」である伝統的貴族階級にこそある。成り上がりの寒門どもの出る幕ではない!)って言ってたな……。
なるほど、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯が「伝統的貴族階級」ってやけに強調してたのは、ライニをはずすためだったのか。たしかに、ライニは門閥宗家の名跡を嗣いだけど、あいつの家はもともと一介の帝国騎士だからな。

むー、つまりおれたちの役割って、大貴族出身の軍人として、ライニに対抗しろってこと?めんどうくさいな。

しかし大門閥の宗家の者で、正規軍に奉職しているといえば、将官では司令長官とノルデン少将、ずっと下がってイザークやおれくらいか。分家の者や家の子になるともう少しいるけどね。ノルデン少将は、"しょせん大佐どまりの器量の者が提督になっちゃっって苦労している"っていわれてるし、それにノルデン家は門閥の宗家としては200番目くらい、家格も下のほうだからかな。だからおれ(=ロットヘルト家は12位)やイザーク(=トゥルナイゼン家は30位)の出番なのか……。「伝統的貴族階級」って、ほんとうに人材が枯渇しきってるな。

「しかし司令長官、これは無茶振りもいいところですよ?」
司令長官は、正規軍の階級でみるとまったく雲の上の人だけど、ミュッケンベルガー家は門閥宗家としては80番目くらいの家格でしかないし、さらには当主の舎弟というたんなる「家の子」なのに対し、おれは「嗣子」(継承者)」だから、大貴族どうしという立場で話すときには、こんな口のききかたもできちゃったりする。
「ここ十年ちかく、おれたちが声をかけてきた優秀そうな人材は、すべてローエングラム元帥府に集めてきましたからね。彼の元帥府を使っちゃならないとなると、おれ…私もイザークも、正直お手上げになります」
司令長官は、厳しい表情で、おれの言葉を聞いている。
「それに、正規軍18個艦隊といいますが、9個艦隊はローエングラム元帥府所属で、4個艦隊は作戦不能ですからね。5個艦隊では、叛徒の8個艦隊を相手にするのは、いささかきついです」
「諸侯の私設艦隊7万隻が動員される」
「しかし……」
数だけはかろうじて互角になったって、大艦隊を動かすには、手足になってはたらいてくれる人手がいる。
 この10年、おれたち3一門で声をかけてきた寒門出身の士官たちは数百人ちかくいるが、そのほとんどは、いまローエングラム元帥府に所属する分艦隊に配属されている。伝(ツテ)とコネをつかって、そうなるようにずっと努力してきたのだから、当然の結果である。
いくら''都督''(大将〜上級大将相当)なんて称号をもらったって、いきなり部下につけられた将軍や士官たちに心服できるはずもない。おれのことを、正規軍の階級以外の部分で理解してくれている連中とも、切り離されてしまっている。

ためらっていると、司令長官が、声をひそめて言い出した。
「お二人をふくめ、3一門の皆さまの人物鑑定眼について、私は大変信頼している」
はあ、そうですか。ありがとうございます。
「いままで3一門の皆さまが声をかけてきた寒門の出身者は、ご一門の領民でなければ、オーディンをはじめとする帝室領や帝国直轄領の出のものたちが中心でしたな」
それはそうです。さもなければ、他家のナワバリの侵害になってしまいます。

司令長官は、ディスクを取り出しすと、おれたちに示しながら、
「これは現在、ローエングラム元帥府に所属しない45個分艦隊の全将官・佐官と、尉官で私の目についた者たちへの評価が記してある」
といい、おれに手渡してきた。
「こんな貴重なものを……」
「お二人の手で、卿らにあずける5個艦隊を再編してもらいたい」
ちょっと責任が重すぎる。
「しかし、たんなる少佐や大尉ごときにそのような大任、……」
司令長官はさえぎって、声をひそめながら言った。
「この十数年のうちに、今上皇帝の跡目をめぐって大貴族の間で抗争が始まることはまちがいない」
そういえば、母もいっていたな。武門の一門33宗家の間で、将来勃発するであろう内紛に、武門の家々は荷担せずに、中立を守ろうという取り決めがひそかに結ばれた、と。
「正規軍は、決してその抗争の道具になってはならない。卿らは、家格12位または30位の、武門の一門の宗主であり、嗣子である方々だ。そのために努力する責任があり、義務を持っている」

……わかりました。そういうことでしたら、おれ個人の正規軍の階級が低すぎるなんていってられない。たしかに、門閥宗家としては最上層の家格に位置しているロットヘルト家の者にしかできない仕事だ。
「わかりました。お引き受けします。というか、ぜひやらせてください」
司令長官はうれしそうにうなずき、イザークもほほえみながらおれを見ている。
「能力が残念なものたちや特定の貴族と結びつきが強すぎる者など、使いにくい者たちは、顧問なり何なりの名目で諸侯軍のほうへ出向させればよい。そのためのポストはいくらでも作ることができよう」

こうして、正規軍5個艦隊からなる「叛徒撃滅軍団」が臨時に編成され、おおれとイザークはそれぞれこの軍団"右都督(レヒテ=レギアルク,Rechtelegiarch)"、"左都督(リンケ=レギアルク,Linkelegiarch)"に任命され、また、諸侯軍7万隻の「都督」にフレーゲル男爵が任命され、3都督体制で、迎撃の任にあたることになった。

ロットヘルト都督、トゥルナイゼン都督、フレーゲル都督の3人の都督がいるが、「伝統的貴族階級」の手による迎撃作戦ということで、家格が最上位のおれが最高司令官となった(フレーゲルくんは、将来はともかく、今はブラウンシュヴァイク一門に所属する一男爵家の当主にしかすぎない)。




[29819] 第37話 アムリッツァ篇(2)「同盟軍の“大遠征”作戦会議」(3/23)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/07/15 02:39
アムリッツァ篇その2です。原作2巻で、ウランフが、自分の質問(きわめて重大な質問)をはぐらかされるままにひきさがったのが不思議・不審だったので、頑張らせてみました。SF的には「トーマス君が軍人修行して、帝国に原作世界とはきわめておおきな乖離が生じた反作用」ということで♪

次回には、本編第21話、投稿できるとおもいます(3/23記)

********************

「今回の帝国領への遠征計画はすでに最高評議会によって決定されたことだが……」
シドニー・シトレ元帥の発言で、会議は幕を開いた。
「遠征軍の具体的な行動計画案はまだ樹立されていない。本日の会議はそれを決定するためのものだ。同盟軍が自由の国の、自由の軍隊であることは、いまさら言うまでもない。その精神にもとづいて活発な提案と討論をおこなってくれるよう希望する」

まず、アンドリュー・フォーク准将が口をひらいた。最高評議会議長に持ち込まれた遠征計画案を作成した張本人である。
「今回の遠征は、わが同盟開闢以来の壮挙であると信じます。幕僚としてそれに参加させていただけるとは、武人の名誉、これにすぎたるはありません」
その後、フォークは延々と軍部の壮挙――つまるところ自分自身が立案した作戦――を美辞麗句で自賛した後、続いて発言したのは第10艦隊司令官のハーフンギーン・ウラーンフー中将だった。
 ウラーンフーは、古代地球世界の半ばを征服したとされる騎馬民族の末裔で、筋骨たくましい壮年の男である。第10艦隊の先代司令官で知将として名高かったハーフンギーン・チャガーンフーの兄にあたる。
この民族は姓を持たず、「ハーフンギーン」とは「ハーフンガの息子」という意味で、ファミリーネームではない。ハーフンガもウラーンフーも、地球時代にこの民族の中にあらわれた偉大な共和主義革命家の名で、同盟領内に暮らすこの民族の末裔たちの間で、男児の名付けに好んで用いられている。
 「吾々は軍人である以上、赴けと命令があれば、どこへでも赴く。まして、暴虐なゴールデンバウム王朝の本拠地を突く、というのであれば、喜んで出征しよう。だが、いうまでもなく、雄図と無謀はイコールではない。周到な準備が欠かせないが、まず、この遠征の戦略上の目的が奈辺にあるのかをうかがいたいと思う」
 帝国領内に侵入し、敵と一戦を交えてそれで可(ヨシ)とするのか。帝国領の一部を武力占拠するとしても、一時的にか恒久的にか。もし恒久的であるなら占領地を要塞化するのか否か。それとも帝国軍に壊滅的打撃を与え、皇帝に和平を誓わせるまでは帰還しないのか。そもそも作戦自体が短期的なものか長期的なものか……。
「迂遠ながらお訊きしたいものだ」
ウラーンフーが着席すると、返答をうながすようにシトレとロボスがひとしくフォーク准将に視線をむけた。
「大軍をもって帝国領土の奥深く進攻する。それだけで帝国人どもの心胆を寒からしめることができましょう」
 それがフォークの回答だった。
「では戦わずして退くわけか」
「それは高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処することになろうかと思います」
ウラーンフーは眉をしかめて不満の意を表した。
「もうすこし具体的に答えてもらえんかな。あまりに抽象的すぎる」
「要するに、行き当たりばったりということではないのかな」
皮肉のスパイスをきかせた声が、フォークの唇のゆがみを大きくした。第五艦隊司令官アリグザンダー・ビュコック中将が声の主だった。シトレ元帥、ロボス元帥、グリーンヒル大将らが数目をおく同盟軍の宿将である。
 さすがに遠慮もあり、正規の発言ではないと解釈して、フォークは鄭重に無視する態度をとることにした。
「他に何か……」
そうことさらに言った。
ためらった末、ヤンは発言を求めた。
「帝国領内に進攻する時期を、現時点に定めた理由をお訊きしたい」
まさか選挙のためとはいうまい。さて、いったいどう答えるやら…と回答を待ちかまえたヤンを、ウラーンフーが尖った声でとがめた。
「ヤン中将、フォーク准将はまだ質問に答えていない。割り込むのは控えていただきたい」
ウラーンフーの剣幕に、ヤンは驚きながら謝った。
「失礼しました、申しわけありません」
あれで回答したつもりになっていたフォークは愕然としたまま、立ちつくしている。ウラーンフーは言った。
「高度の柔軟性やら臨機応変やらは、現場の判断だ。ビュコック提督ではないが、作戦段階からありうる可能性を検討もせずに、いきあたりばったりでどうする!」
フォークは、青ざめたまま答えない。
「もう一度確認するぞ。訊ねているのは、こんどの遠征ではなんのために帝国領に進攻するのか。あるいは帝国領に進攻した同盟の大軍は、帝国領内で何をするのか、だ」
ウラーンフーの胸中には、この男はとてつもないアホなのではないか、という疑念が黒々とわき起こりつつある。
「今のところ、フォーク准将が挙げたのは『帝国人どもの心胆を寒からしめる』という一点だけだ。もっと具体的に答えてもらおうか」
フォークはようやく答えた。
「イゼルローンの失陥によって、帝国軍は狼狽して、なすところを知らないでしょう。そこに、同盟軍の空前の大艦隊が長蛇の列をなし、自由と正義の旗をかかげて進むところ、勝利以外の何物が前途にありましょうか」
ウラーンフーは、頭痛がしてきて、思わずこめかみを押さえた。帝国領に入れた大軍に何をさせるのか、という問いに、「長蛇の列をなして進む」では、ほとんど何も答えていないも同然ではないか。

帝国軍のシュトックハウゼン司令官が降伏した際、イゼルローンのメインコンピュータのデータをはじめ、要塞が保有する各種の機密情報がほぼまるごと同盟軍の手に落ちた。要塞内の艦艇や士官・兵士個人の私物のコンピュータも含めれば、帝国領に関する膨大な地誌データが、いまや同盟軍のものである。要塞のデータベースには、有人星系と有人星系を結ぶ航路情報だけではなく、かつて探検隊が入っただけの、未開発星系についての情報一覧さえあった。
つまり同盟軍は、帝国領内で、有人星系を避けながらワープをかさねることで、任意の目標にむけて、抵抗を受けることなく進むことが可能になった。いいかえると、帝国領の全域に自在に出没し、好きな時と場所を選んで自由に奇襲攻撃をかけることが可能となったのである。その際、帝国領の奪取や恒久支配を求めないならば、侵入部隊の規模の大小は問題ではない。たとえば、帝国正規軍が集中しているヴァルハラ星系。このような星系に対しても、ミサイル艇数十隻でこっそり侵入し、オーディンの皇宮に照準してミサイルを発射、迎撃部隊が行動を起こす前に、すぐさま星系から離脱してワープして姿をくらます。こんなピンポン・ダッシュ攻撃なら、もうすでに余裕で実施可能になっている。たとえこの時に発射されたミサイルが全弾撃墜されたとしても、叛徒が帝国の中枢を直撃したという事実だけで、充分に「帝国人の心胆を寒からしめる」ことができるだろう。

イゼルローン奪取によって、同盟軍にあたえられた戦略条件は革命的に激変した。いまや同盟は、全帝国領に対する攻撃を、好きな時、場所に、好きな規模で行うことができるようになった。同盟の地誌情報を持たず、手探りで、イゼルローン回廊周辺の辺境星域あたりを襲撃することしかできなかった先年までの帝国軍とは比べ物にならないアドバンテージである。
しかし参謀フォークには、この状況のコペルニクス的転換がぜんぜん理解できていないようなのである。8個艦隊という大軍を動員するにしても、それならばそれなりの運用方法がいくらでもあるはずだ。帝国の重要な産業施設がある星系を目標として、8ヶ所同時に奇襲をかけることを何度か繰り返す。帝国が対処能力を確立するまでの間に、どれだけ帝国の国力を減衰させることができるだろうか。

ところがフォークは、8個艦隊をイゼルローンからオーディン方向にむけて何の能もなく行進させることしか思いつくことができない。ウラーンフーはフォークにあきれはて、こんな無能を重用するロボスを憎み、こんなフォークが学年首席となった同盟軍士官学校の状況に暗澹たる思いを抱いた。
とにかく、こんな奴に同盟軍3000万将兵の命運を託すわけにはいかない。いまここで徹底的に叩き潰してやる!
「フォーク准将、質問のしかたを変える。ライテンプーフはどう処置するのか」
ライテンプーフとは、人口1000万以上を有する帝国の惑星のうち、もっともイゼルローン寄りに位置する星である。この星の航宙戦力を破壊して無力化するのは当然としても、前進することを優先して無害となった星系そのものには手をつけずに放置するのか、それとも同盟に併合するために占領し、統治機構の解体や再編、住民に対する宣撫活動に着手するのか……。この遠征の、根本的な意義を確認するための質問であることにはかわりがない。
しかしフォークは目を見開いたまま答えない。ウラーンフーは確信した。こいつはイゼルローンで獲得された帝国領の星系地誌情報をろくにチェックしていない!!そんなありさまで遠征計画を立案するほうもするほうだが、そんなザル計画を承認した最高評議会も最高評議会だ。
 ウラーンフーはさらに詰め寄る。
「フォーク准将?」
 フォークは小さな声で、訊ねかえした。
「ライテンプーフとはなんでしょう?」
作戦主任総参のコーネフ中将が代わって何かこたえようとするのを身振りで制し、ウラーンフーはさらにたたみかけた。
「貴官、ライテンプーフが分からないのかね?」
「……帝国の地名らしく聞こえます」
「もうよい、フォーク准将」
いうと、ウラーンフーは右手でフォークを追い払う仕草をし、他の四人の作戦参謀に向かって訊ねた。
「貴官ら、フォーク准将にライテンプーフを説明してやってくれるかね?」
しかし、四人の作戦参謀たちは、彼らも知識を持たないのか、フォークに遠慮しているのか、誰も口を開かない。
 ウラーンフーは、いかにもあきれ果てたという表情で、両のてのひらを上にむけながら一回肩をすくめたのち、この会議の議長であるシトレに向かって言った。
「作戦参謀どものこの体たらく、お話になりませんな。こいつら、議長のおっしゃる“具体的な行動計画案”を樹立する、はるか手前の段階ですぞ。職務怠慢も甚だしい。本日の会議はいったん休会にして、彼らが帝国の地誌情報についてしっかりと学習したうえで再開することを提案します」
フォークが両手で自身の顔を覆い、うめきとも悲鳴ともつかない声をあげ始めた。そしてそのまま声をあげながらうずくまった。

呼び出された医療スタッフがフォークを運びだす混乱の中、会議はいったん休会となった。



[29819] 第38話 アムリッツァ篇(3) 「叛乱軍撃滅大作戦」(3/26)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/07/15 02:39
 帝国貴族4,000家と称される上級貴族の家々のうち、「門閥宗家」とよばれる家々が約250家ある。ルドルフ大帝が帝国を草創なさった時の「300人の同志たち」に直接さかのぼる家々である。残りの諸家は、歴代皇帝か、この宗家からの分かれである。

いま正規軍に世紀に在籍している軍人の中で、この門閥宗家の出身といえば、将官としてミュッケンベルガー司令長官、ノルデン少将、佐官として隣りにいるイザーク・フェルナンド、尉官としておれの、わずか4人しかいない。

「ルドルフ大帝とともに帝国を草創した宗家の端に連なるものとして、帝国を護持するという聖なる使命に心の打ち震える思いでございます。その使命をになう大任を、寒門どもではなく、この私めとイザークに委ねてくださるという、まことに厚きご信頼をいただきましたことは、このうえない名誉であります。かくなる上は全身全霊をあげて任務に邁進してまいります……」

門閥宗家の嗣子を20年もやってると、事前に準備したりしなくても、それらしい言葉をつるつるとつむぎだすことができるようになってきます。イザーク、ミュッケンベルガー元帥といっしょに司令長官室にもどって、ひとしきりペラペラとしゃべったら、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯は、こんどは満足そうにうなずいて、引き上げてくれました。

「それでは司令長官、さっそくなのですが、軍務尚書、統帥本部長、総参謀長と副司令長官にお集まりいただいて、お話をさせていただきたいのですが、……」
「なにかね?」
説明した。
「わかった。まさに緊急事態だな」

※ ※

宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥、軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥、宇宙艦隊副司令官ローエングラム元帥ら、帝国軍の最高首脳がずらりと雁首をそろえている。

「さきほど、私とイザークは“都督”を拝命し、諸侯軍7万隻をひきいるフレーゲル都督と協同して、叛徒が準備しているという8個艦隊の大動員に対応することとなりましたが、……」
 聴衆のなかには、“大貴族のゴリ押し、無茶振りには、つくづくあきれ果てた”というような顔をしている者がいる。ライニとかライニとかライニとか。ほかの人々も、ライニほどではないが、似たような顔つきである。おれ自身だってそう思ってるんだから、まったくもって、もっともなことである。
 駆逐艦長な一介の大尉から、いきなり正規軍に設置された「叛徒撃滅臨時軍団」の右都督というものに抜擢されて、この「最高首脳部」の一員になってしまった。都督(レギアルク)というのは自分の「都督府(レギオ)」で自由に人材を登用できるというのだから、元帥なみですよ。ただし、ふつうは「軍団(=都督府)」というのは、ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯のような、超巨大領主の封領警備隊にたいしてあたえられる部隊としての「格」です(ロットヘルト家のは、2ランクおちる「都指揮使司(クィナミリア)」)。「臨時」とはいえ正規軍の部隊に「軍団」が設置・編成されるというのはきわめて異例なことで、ローエングラム元帥府に所属しない正規軍の45個分艦隊(実質は30個分艦隊)がおれとイザークに預けられることになります。これがおれたちの才覚でなく、武門の一門の宗家(宗家としての家格12位とか30位)っていう家柄だけを理由に与えられるんだから、自分でいうのもなんだが、帝国軍、大丈夫か?

「いまお集まりいただいた用件の第一は、この件ではなく、イゼルローン陥落に対する対応措置についてです」
 とりあえず、話をつづける。およばずながら叛徒の八個艦隊を相手にするにも、まず背中は安心して預けたい。
「われわれがイゼルローンを確保していたころは、回廊に隣接した叛徒の辺境星域に侵攻するという戦い方をしておりました。皆さま、単に、こんどはその方向が逆になるだけだと思っておられませんか?」

すでに話した司令長官を除き、みんな“その通りではないのか?”なんて顔をしている。ライニまで。こいつには幼年学校の時以来、ずっと“かなわないな”と思い知らされつづけていたのだけど、それ以来の初勝利?かなりいい気分だ!!!!それはともかくとして……

「イゼルローン駐留艦隊が潰滅した際には、敵の手におちた要塞主砲の攻撃をうけています。つまりイゼルローン要塞は、ハードウェアだけでなく、各種のデータもふくめてそっくりそのまま叛徒の手に落ちたと考えねばなりません。そうなりますと、かれらは帝国全領土についての詳細な地誌情報も得ていることになります。
つまり、いまや叛徒は、帝国領内で、有人星系を避けながらワープを重ねることで、任意の目標にむけて、抵抗を受けることなく進むことが可能になっている、いいかえると、連中は、帝国領の全域に自在に出没し、好きな時と場所を選んで自由に奇襲攻撃をかけることが可能となっていると考えるべきです」

状況を理解するにつれ、一同に戦慄のさざなみが走った。

「イゼルローンが陥落してから、すでに3ヶ月近くが経っております。かれらがただちに奇襲部隊を進発させていたとしたら、その先鋒は、もう、とっくにヴァルハラ星系に出現したとしてもおかしくはありません。もはや、帝国領の全域が前線であると考えるべきです」
ここで、エーレンベルク元帥のほうを向く。
「軍務尚書閣下には、ただちに諸侯領を統治する武官あてに、哨戒と戦闘準備を命じていただきたいのです。未開発惑星・無人星系については、すでに司令長官と相談して、正規軍のほうから哨戒部隊の配置や探知機器の設置を行うよう手配いたしました」
つぎはライニだ。
「叛徒の奇襲部隊の規模にもよりますが、領主がたの大多数は、数隻から十数隻の小さな航宙戦力しかお持ちでないので、どこかで被害が発生してしまうことを防ぐことは不可能です。対応は、まず被害がでてから、その下手人を追跡し、補足するという形にならざるをえないでしょう。副司令長官には、帝国領全域での哨戒を統括し、叛徒どもの奇襲部隊の存在が確認された場合にはこれを補足・撃滅する準備にただちに着手していただきたいのです」

……あれれ、みんな目をまるくしておれをみてる。
 司令長官だけは、ふつうの顔つきで、うなずいてくれてるけど。    
なにかおかしいこと言ったかな?
まさか、家柄だけのアホぼんだと思ってたから、ビックリしてる?
たしかに士官学校では素行不良の劣等生だけど、怠けたり遊んだりしてたわけじゃない、ほとんど宗家の仕事のせいだよ。それに幼年学校を卒業したときは学年7位だったんだぜ、これでも。
たしかに大尉がいきなり元帥なみなんて、この家柄なくしてはありえないけどさ。
まあ、いいや。
師匠のクラインシュタイン提督に恥をかかさないだけのことは言えたと思う。

「お集まりいただいた用件の第二番目ですが、叛徒の侵攻軍を迎え撃つ戦いを、どのような“戦争”にするかについて、みなさんにご意見をいただきたいのです」
「それは迎撃を命じられた卿らと、フレーゲル都督で判断すべきことではないのかな?」
統帥本部総長が言った。
「いえ、相談したいのは戦闘指揮のことではなく、この迎撃戦の戦略的意義をどのように設定するか、についてなのです。これについては私たち3都督の権限をはるかに越える問題です」
ライニがフォローしてくれた。
「まずは説明をうかがおう」

「叛徒の軍勢が帝国領内で跳梁するためには、まずイゼルローン回廊という閉鎖空間を出て、そこからいずこかへワープする、という手順をとる必要があります。つまり我々が回廊の出口からアムリッツァ星系あたりまでを制圧して厳重に固めれば、叛乱軍が帝国領内に自由に出入りするのを妨げることができます」

「この迎撃戦を“防衛”と位置づける場合には、いまからただちに回廊出口を固めます。反乱軍の八個艦隊はでてこようにも出て来れなくなる。この場合、帝国と叛徒との戦争は、イゼルローン回廊の出口付近の制宙権をめぐる、小規模な戦闘としてずっと続くことになります」

「もうひとつは、この迎撃戦を、叛徒との150年戦争を一挙に決着させる好機とする場合です。叛徒どもは、動員可能な戦力をほぼ根こそぎ動員して、帝国領に攻め込もうとしています。やつらがせっかく国家の命運をかけて大バクチに乗りだしてくれたのです。この戦力を撃滅することさえできたら、かれらの命脈を一挙に断つことが可能になります。方法としては、彼らの8個艦隊を帝国領内に入らせてから、回廊を封鎖する、という順番になります」


帝国軍の戦力は、正規軍が15個艦隊に、諸侯軍の航宙戦力が総計20万隻。量的には我々は彼らを圧倒的に凌駕しているから、こちらも大バクチではあるが、我々は連中よりもよほど有利な賭であろう。

「前者の場合なら、私とトゥルナイゼン都督、フレーゲル都督の戦力だけで実行可能ですが、後者の場合は、帝国が総力を挙げて取り組む戦いとなります。叛乱の8個艦隊に回廊出口を通過させること自体はわれわれ3都督の判断でできますが、その後の戦争の推移については、われわれの戦力をはるかに越えた判断が必要となりますので、事前にこのように、皆さまのご意見を仰いだ次第であります」

イザークがささやいてくる。
(君、さっきまで寝てたくせに、いつそれだけのこと思いついたんだ?)
(ふっふっふ、少しは見直したか?)
(ああ、見直した)
(ライニもビックリしてるぜ。いい気分だ)

帝国軍最高首脳会議は、叛乱軍8個艦隊を帝国領内に導きいれた上で撃滅する方針を決定、正規軍・諸侯軍の総力をあげてロットヘルト都督、トゥルナイゼン都督、フレーゲル都督の作戦行動を支援することとなった。



[29819] 第39話 アムリッツァ篇(4) 「同盟軍の大侵攻」(4/6,4/7微修正、9/18一部を移植のため削除)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/09/18 09:19
同盟軍、イゼルローンでゲットした帝国領内の詳細な地誌情報をフル活用しての大侵攻です。(4/6)
アムリッツァ編(1)に載せていた、侵攻軍迎撃方針の決定にかんする描写を移植しました。(4/7)
情報部がロットヘルトの姑・嫁に同盟の報道番組(ホッホヴァルトの脱出者関連)を見せる場面を、第47話に移植するため削除しました。(9/18)

********************

帝国軍のイゼルローン要塞司令官シュトックハウゼン大将は、要塞の戦術・戦略コンピュータや各種データバンクの機密・非機密の各種データの消去を命じることなく降伏した。

帝国領土の詳細な航路情報が手に入り、同盟軍では、ただちに小規模の撹乱部隊を多数帝国領内に送り込み、軍事施設や産業施設を一斉に攻撃させる計画が立案されたのである。それがすぐに実行に移されることなく、3ヶ月近くも時が過ぎたのは、帝国の人心は帝政を忌避しており、同盟軍が「自由と解放の旗を掲げて進む」だけで、人民は歓呼して同盟軍の進駐を受け入れるだろうという希望的観測が、なんの根拠もなくきわめて強く信奉されていたためである。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
いずれ同盟のものになる施設を破壊してしまうのはもったいない。

ハーフンギーン・ウラーンフー提督により、フォーク准将が立案した8個艦隊による盲目的突進作戦は退けられたが、この根拠のない楽観論は、大動員の戦略目的が決定される経緯に、きわめて大きな影響を与えたのである。

シドニー・シトレ統合作戦本部長を議長とする「行動計画案策定会議」は、
(1) 帝国各地の主要な産業インフラを破壊し、帝国の国力を減衰することを主目的とする案
(2) 帝国領の占領と併合を主目的とし、帝国の一挙転覆を目指す案
の2案を、最高評議会に答申した。

第2案については、後方主任参謀アレックス・キャゼルヌが算出した、解放星系を維持するための膨大なコストについても注意が喚起されたが、最高評議会は第2案を採択したのである。

 軍の内部では、国運を賭けるほどの大規模さになってしまうこの遠征が、「帝国人民が同盟の進出を歓呼で迎える」という根拠のない願望を土台としていてよいものか、という疑念も強かったが、政治が決定してしまったのである。民主主義国家の軍としては、もはやこれに従うしかない。「行動計画案策定会議」は、改めて次のような行動計画を策定した。
(1)イゼルローン回廊より半径700光年までを一挙に制圧、宣撫官(文官)も大量に動員して、併合と領有のための施策を実施する。
(2)次の段階として、3個艦隊からなる大規模奇襲部隊を進発させ、ヴァルハラ星系および若干の重要星系における軍事拠点十数カ所という「限定された目標」に襲撃を加え、帝国軍を奔命に疲れさせる。
(3)他の戦力は、第一期解放地区の領有化が完了した段階で、さらに解放地区を拡大してゆく。

※               ※

 宇宙暦796年(帝国暦487年)の8月、フォークの作戦案より一個艦隊ふえた同盟軍の9個艦隊はイゼルローン回廊を出て帝国領に入ると、一斉にそれぞれ指定された宙域にワープし、周囲の有人星系の後略にとりかかった。

同盟軍が初めて接した帝国の民衆たちが見せた反応は、千差万別であった。

※               ※

老朽艦ばかり12隻の小艦隊を一蹴したとある3,000隻の分艦隊は、有人惑星の衛星軌道上に到達すると、上陸部隊を降下させた。

帝国公用語が巧みな宣撫士官が、集まってきた農民たちにむかって熱弁をふるった。

「吾々は解放軍だ。吾々は君たちに自由と平等を約束する。もう専制主義の圧政に苦しむことはないのだ。あらゆる政治上の権利が君たちには与えられ、自由な市民としてのあらたな生活がはじまるだろう」

貫禄ある農婦が進みでてきていった。
「おら、“帝国勇士”ベルティ・フォクツの嫁のイェニファーいう者だ」
「イェニファーさんかね」
「お前ら、伯爵さまを撃ち殺しよったの!地上からも見えとったぞ!」
そういうと、野良着の腰に下げていた小さな熱戦銃をとりだして、宣撫士官につきつけた。
「お前ら、とっとと失せろ!」

※               ※
「吾々は解放軍だ。吾々は君たちに自由と平等を約束する。もう専制主義の圧政に苦しむことはないのだ。あらゆる政治上の権利が君たちには与えられ、自由な市民としてのあらたな生活がはじまるだろう」

人がきの前列の中央にいた豪奢な服装の貫禄のある老人が進みでていった。
「卿ら、オーディンから来たのではないのかね?」
「いや、我々は、自由惑星同盟から、君たちを解放するために来たのだ」
「フリ―プラネッテン?そのようなお名前のご家中からお越しなのか?」
宣撫士官は、同僚たちとささやきを交わす。
(自由惑星同盟っていっても通じないかもしれんぞ)
(あ、そうか。彼らにとって我々は「叛徒」だもんな)
「いや、だから叛徒!叛乱軍!」
「いずこかのご家中で叛乱が起きて、そこから逃れておいでになったのか?」
(ずれとる・・・完全にずれとる)
同盟軍の士官たちが途方にくれていると、男がいった。
「わしの高祖父が生まれて間もないころ、当家の座乗艦の動力炉が故障した。当家の者には修理する力がないので、オーディンに連絡したのだが、返事ももらえなかった。そのうち、通信機も故障して、他の星系とも連絡がとれなくなった。卿らは、当惑星にとっては200年ぶりのお客人なのだよ」

※               ※

とある有人星系では、主惑星は十分にテラ・フォーミングが行われ、穏やかな気候、大陸の各地に湧きだす豊富な水、豊かな緑に覆われた大地などが整えられているにもかかわらず、銀河連邦(USG)時代にさかのぼると思われる古い都市の廃墟と、比較的新しい焼け焦げたクレーターがいくつかあるだけで、町や村がひとつも見当たらなかった。

人の姿は、小惑星帯でレアメタルを採掘し、精錬する産業惑星で見られた。
「惑星の方には人の姿がみあたらないのだが?」
産業惑星の住人が答えた。
「惑星のほうは、農奴とか賎民の住処だからね」
「農奴?賎民?」
「ああ、共和主義者とか、謀反人の末裔だよ。この星系では、まともな人間は地表には住まないよ」
「まともな人間?」
「きちんと労働して、きちんと税を収める、おれたちみたいな、ちゃんとした平民のことだよ」
「そうですか。…クレーターがいくつかあるだけで、町や村がひとつもないが?」
「一昨年、若君さまが地上で殺されなすって、領主さまが一人残らず成敗なさったらしいよ」

「…と、産業惑星の住人は、そのように言っていました」
「しかし地表には、現在でも麦や野菜が栽培されている様子がある」
同盟軍司令官は、地表の捜索を命じた。

暗視装置をつけた兵士を耕地の脇にひそませ、夜陰に乗じて畑の世話をしにきた惑星の住人を何人か捕えた。おびえる彼らにご馳走を食べさせたうえで、指導者に会いたいという伝言を託して解放すると、しばらくして頭領と呼ばれる指導者数人と接触することに成功した。彼らをシャトルで艦隊旗艦まで招待し、司令官が直接に彼らから聞き取り調査を行った。


「そうだね、領主の野郎、地表にむけてミサイルや戦艦の主砲を撃ってきたよ」
「よく生き残ったね」
「こういうこともあろうかと、あらかじめ穴を掘っておいたからね」

深度800メートル、エレベーターつきの地下壕が数十カ所も発見されている。
そこには大規模な居住区のほか、高深度掘削装置や、大型農耕機械などが隠匿されていた。
司令官はより詳しく事情を聞こうとしたが、頭領の中でもリーダー格の男が遮っていった。
「あんたたち、おれたちを解放するって言ってるけど、ずっとここにいてくれるわけじゃないんだろ?」

 建前としては、全帝国領を解放・併合して帝国を打倒することが目的の戦いであるから、「そんなことはない」というべきなのだろうが、司令官は、個人的には、同盟にはとてもそんな力はない、と思っているので、一瞬返事につまる。

「おれたちを連れだしてもらえないかな?あんたたちが去って、領主に見つかったら、こんどこそ皆殺しにされてしまう」


※                   ※



帝国領に大挙侵入してきた叛乱軍は、有人星系をみかけると、いちいちこれを占領し、宣撫行動をはじめた。領土として併合し、恒久的に支配するつもりらしい。

小規模部隊による、軍事施設や産業施設への奇襲攻撃も始めたらしい。


トーマスは、イザーク、フレーゲルの2都督以下、臨時2個軍団の提督と参謀たちを招集して、作戦会議を開いた。

「敵は兵力分散の愚を犯しています。作戦がさだまりました」

臨時2個軍団のうち、一つは正規軍30個分艦隊(9万隻)で構成され、ロットヘルト都督(トーマス)とトゥルナイゼン都督(イザーク)が左都督・右都督として共同でこれを率いる。もう一つは諸公軍7万隻で構成され、ブラウンシュヴァイク一門出身のフレーゲル都督と、リッテンハイム一門のザウアーブロン都督同知がこれを率いる。


「私とトゥルナイゼン都督が率いる正規軍は、総力をあげてイゼルローン回廊の出口を扼し、侵入軍と叛徒の本国を遮断します。フレーゲル都督は、圧倒的な戦力差をもって、侵入軍の艦隊を各個撃破してください。2,3個、できれば4個艦隊ほどもつぶせたら、御の字です。彼らが戦力分散の愚を悟り、集結をはじめたら、手をだすのを控えてください。  
 やがて彼らは、封鎖を突破するため、私たち正規軍部隊に対して死にものぐるいで攻めかかるでしょう。そのとき、フレーゲル都督は彼らの後背から攻撃してください。
我らは鉄床(スレッジ)の役目をはたします。フレーゲル都督は鎚(ハンマー)の役割を果たして下さい。
この作戦を「ハンマー・スレッジ作戦」と名付けます。アムリッツァをやつらの墓場にしてやりましょう」

トーマスは、会議に先立ち、メルカッツ大将とファーレンハイト中将に頼みごとをしていた。自分の発言が変だ、おかしい、やばいと判断したら、自分の発言をさえぎって、会議の流れを“修正”してもらってもかまわない。いや、むしろそれをお願いしたい、と。実際には、かれらにそんな“修正”を入れられることはないだろうという自信はあったが、彼らの顔をみてみる。

メルカッツはうなずいているし、ファーレンハイトは微笑みながら、握りこぶしに親指を立てて見せてくれている。

よし、なんとかこのまま“都督”はつとまりそうだ。



[29819] 第40話 アムリッツァ編(5) 「ラインハルトの叛乱軍迎撃作戦」(4/14)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/07/15 02:39
■ローエングラム元帥府 

「元帥閣下、ロットヘルト星系から、同地の都指揮司さまが」
「つなげ」

「はぁい♪ライニ」
通信スクリーンに、アーデルハイトが姿をあらわした。
「さっそくだけど、今諸侯軍の艦艇の入れ替えをやってるでしょ?」
「ああ」

諸侯の私設艦隊の中には、老朽すぎて、とても実戦の役にたたなくなっているものが多数ある。ラインハルトは、所領に戻った領主貴族たちに、叛乱軍からの奇襲に対し、第一撃は自力で受け止め、正規軍の救援が赴くまで、己の力量のみで耐え抜くよう求めた。諸侯に対しそのように求める以上、ドロナワながら、古すぎてチューンナップもできない旧型艦を、少しづつではあるが、現役艦種に更新してやる作業にとりくんでいた。

「フリーゲン級駆逐艦を、うちに払い下げてもらえるかな?うちなら戦力にできる」

二十数年前、正規軍がフリーゲン級駆逐艦のサポートを中止したとき、ロットヘルトの先代当主ゲオルクは、フリーゲン級の整備プラントの払い下げを受けるとともに、諸侯が手放すフリーゲン級駆逐艦を買い集めて120隻をそろえた。

「そうだな、たしかにフリーゲン級は、オーディンにあるかぎりスクラップにでもするしかないが、貴女のところなら、艤装もできるし、専用のミサイルも補充できるな」
「でしょ?」(→第四話参照)
「いいだろう。すでにヴァルハラ星系に来ているものについては、解体処分を中止させる。貴女は、人手をよこすなら、状態のいいものを選んで、すきなものを何隻でも持って行ってもらってよい。オーディンに持って来るよりそちらに送るほうが効率がいいものは、ロットヘルト星系に向かわせよう」
「ありがとね♪」

■ヴァルハラ星系 帝国軍宇宙艦隊整備埠頭"キール"

"キール"は、帝都オーディンがあるヴァルハラ星系において、跳躍点に最も近い帝国軍宇宙艦隊整備埠頭で、最新の設備と、最優秀の作業陣を誇っていた。

「ローエングラム元帥からの命令だ。現在停泊中の全艦艇を可及的速やかに"フェーマルン"へ移すとともに、第75〜第90分艦隊を受け入れ、最優先で整備すること、だとさ」
「えー、第75〜第90分艦隊って、出撃予定がないスクラップのあつまりだろ?なんだっていまさら……」
「第75〜第90分艦隊に対する重点整備項目は、艦体の塗装。塗装に従事する以外の"キール"の要員はフェーマルンへ移動、"フェーマルン"の再生につとめること」
「スクラップ置き場をいまさら”再生”?なんでそんな面倒な……」

"フェーマルン"は、もともとは第75〜第90分艦隊のための整備埠頭で、分艦隊の艦艇とともに、ながらく放置されていた。

「叛乱軍が、ヴァルハラ星系を襲撃する可能性があるらしいよ」


■同盟軍第13艦隊旗艦ヒューベリオン

「ヤン提督、ホッホヴァルトで保護した住民たちには、明らかに2種類の区別があります。体格が小柄で、体になにかしらガタがきている、栄養失調の痕跡ある多数派と、体格がよくて、健康的な少数の連中と」
「帝国は、身分制のある激しい格差社会だから、別に不思議ではないだろう?」
「しかし住民の“頭領”たちは、自分たちが領主から攻撃を受けたと言っていたでしょう?それにしては、連中が“少数派”たちを憎んでいる様子がありません。むしろ、吾々に対して、“少数派"たちを必死で隠そうとしているようです」
「惑星の支配階級が2派に分裂でもしていたんだろうか」
ヤンは、自分でいれた渋い紅茶をすすると、いった。
「でも、まあ、それを調べるのは私たちの仕事じゃあないね」

ヤンとパトリチェフは、住民30万人を載せて、ホッホヴァルト星系を去り行く貨客船団を見送った。

同盟軍第13艦隊は、これからウラーンフーの第10艦隊、ビュコックの第5艦隊と協同して、帝国領の奥深くに潜行し、大規模破壊活動に従事するのである。

■イゼルローン要塞 
 帝国公用語にたくみな女性士官が、私服を着用し、ホッホヴァルトからやってきた避難民の女児と遊んでいる。
 うまいこと話しているうちに、お互いが通っていた初等学校の話題になった。まずは女性士官が、母校の校歌を即興で帝国語に訳して歌ってやると、こんどは女児が母校の校歌を歌いだした。

 ♪のびゆくグリューンフェルデの北のはて
  母なるエムスにいだかれて、
  カレンベルクは晴れ渡り、ひばりあがる
  ああ、大空 自由の窓あけて学ぶ
  第八、第八、第八小学校

女児は、一番を歌いおえて急に口ごもる。
ふるさとのことは、いっさい、欠片たりとも"彼ら"に話してはいけないと注意されているからである。
女性士官は女児にたずねる。
「どうしたの?」
「いまの歌、聞いとらした?」
「ええ。どうして?」
「ほんとはお姉ちゃんみたいな人に、聞かせたらいかんいわれてるの」
「じゃあ、内緒にしておいてあげるね」
「ありがとう」
しかし、女性士官が「内緒」になんかするわけがない。
女児と遊んでいるのも、仕事でやっているのである。

「"グリューンフェルデ"というのは"緑の森"という意味で、帝国ではごくありふれた地名ですが、北を流れるエムス川にカレンベルク山とそろうとなると、きわめて絞られてきます」
「うむ、ロットヘルト伯爵領の主惑星ロットヘルトの首府グリューンフェルデにピッタリとあてはまるな。

         ※           ※

帝国の各省の人事情報は、不完全ながら、フェザーン経由で同盟に入ってくる。
門閥宗家の出身ながら帝国高等文官試験に合格したエーリケ・フォン・ロットヘルトや、ホッホヴァルト総督府に着任した「三等書記官エーリケ・フライシャー」、ロットヘルト家による惑星ホッホヴァルトに対する救済事業については、すでに同盟情報部に関連情報が集積されていた。

女児が歌った母校の校歌は、ホッホヴァルトの避難民が匿う「少数派」の正体を、一挙に確定させることとなった。

「貴殿は、帝国の内務省三等書記官エーリッヒ・フォン・ロットヘルト殿でいらっしゃいますな?」
「……そのとおりです。ただし“エーリッヒ"ではなく、ただしくは"エーリケ”と読みます」
「帝国標準語では“エーリッヒ"と発音するのでは?」
「標準語のほうが間違っているのです」
「はは、そうですか。お国ことばにこだわりがあるのは、帝国も同盟もかわらないのですなw。……それはさておき、捕虜であるならば話は別だが、あなた方は、生命の危険を理由として、この同盟に、自発的に保護を求めていらした。であるからには、私どもがお尋ねすることには、つつみかくさず、ありのままお答えいただきたいのです」
「……わかりました」

          ※          ※

同盟軍第5,第10,第13艦隊は、一ヶ月の潜行ののち、ヴァルハラ星系外縁に出現した。目の前には、無防備に埠頭に繋留されて、艦体をさらす帝国艦隊の群れがある。

「よし、撃て(ファイヤー)!」

わずか10数分の射撃で、4万隻を越える艦艇と埠頭惑星が屑鉄と化した。

「よし、撤退!」

ヴァルハラ星系に駐留する他の部隊が動き出す間もなく、同盟軍3個艦隊は姿を消した。

帝都オーディンを直撃して、帝国軍に大打撃を与えた。
自由惑星同盟史上、初の壮挙である。
壮挙であるはず、だった。

           ※         ※

 ヴァルハラ星系からワープして遁走した同盟軍は、リューゲン星系に出現した。
 イゼルローンから得た地誌データでは、ここは無人の未開発星系のはずであり、ここでゆっくりと艦体の整備や補給、再編を行うつもりであった。
 しかし同盟軍がイゼルローンを奪取してからすでに3ヶ月以上。
 帝国軍がこの事態に無為無策でいると期待するほうが誤りであった。ラインハルトは、オーディンの周辺に位置する未開発星に、先回りして艦隊を配置していたのである。

フリッツ・ヨーゼフ・ビュッテンフェルト提督が靡下に命じた。
「撃て(フォイヤー)!」
一個艦隊による攻撃であるが、不意をつかれたのは大きい。
同盟軍3個艦隊は、算を乱して逃走するしかない。しかも、同盟領での迎撃戦とはことなり、損傷艦は置き捨てて、敵の手に委ねるしかない。

必死の思いでワープしたその先でも、さらに繰り返し待ち伏せを受け、同盟軍の潜行部隊は大損害を受けた。



[29819] 第41話 アムリッツァ編(6) 「フレーゲル軍団、壊滅!」(4/17)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/07/15 02:40
同盟軍が、イゼルローン回廊の出口から半径700光年の範囲内に形成した「解放地区」の内情であるが、肥沃な農業惑星、高度な産業星系のいくつかを選んで重点的に綿密な支配体制を築いたほかは、基本的には住民の自治、自給自足に委ね、住民の敵意が強いところは航宙戦力を破壊して無害化するにとどめ、あえて手をつけず、放置されることとなった。

■バーラト星系惑星ハイネセン

ホッホヴァルト星系からの避難民は、情報部の取り調べをうけた。
30万人もいるので、大部分の者はほんの形式的なもので終わったが、「頭領」たちや、ロットヘルト領の者たちは別である。彼らは自発的に同盟に庇護を求めたという経緯もあって、取調官とのやりとりは、穏やかで丁重なものではあったが、なにせ帝国の生の状況を知るための情報の宝庫である。この機会に可能なかぎり情報を絞りとろうと、微に入り細をうがつ長時間の取り調べが続けられた。

「……となりますと、3等書記官どの。同盟軍が進出するだけで帝国がなだれをうって崩壊するというようなことはありえない?」

取調官は、エーリケの所持品のなかにあったヒルダのレポートの頁を繰りながら質問を続けている。

「そうです。この500年の間に、人口は10分の1以下に減少しています。帝国の可住星系の75%を占める衰退星系は、かつてUSGや共和主義にシンパシーをもつような人々が多く暮らしていたところでした。いま、はんら…同盟軍がそのような地域に進出しても、呼応して立ち上がるようなポテンシャルは、住民にはほとんど残っていません」

次に取調官は、素朴な風情の農婦が野良着の腰にぶら下げていた熱戦銃を同盟軍の宣撫士官に突きつけて喰ってかかり、射殺されてしまう無惨な映像をみせて、エーリケに尋ねた。

「この星の住人は小型の熱戦銃でしたが、かわりに刀を持っている星もあります。彼女のような、支配階級にはとてもみえない民衆が武装していて、吾々に激しい敵意をみせる、というのはどのように理解したらいいんでしょうな」

「彼女は、"帝国勇士の嫁"だって名乗ってましたね。私の故郷ロットヘルトにも同様の制度があります。あの星も、全領民が領主から爵位を授かって"貴族"になっているのだと思います。いま帝国領で経済が拡大し、領民人口が増えているようなところは、帝国にたいしても領主にたいしても、忠誠心がたかい。あなたがたの、あんな素朴な宣撫活動は、住民にはとても受け入れられるようなものではありません」
「たしかにそうでしょうな」

■解放地区・イェニンス星系
同盟史上はじめてヴァルハラ星系襲撃を敢行した同盟軍第5,第10,第13艦隊は、その後、休む間もなく待ち伏せ攻撃を繰り返し受け続けて1万隻以上の損害を出したのち、ようやく「解放星系」に逃げ込み、ラインハルト指揮下の正規軍後方部隊をふりきった。

三個艦隊の首脳部は、修理・整備・補給と若干の艦艇の補充を受けつつ、イェニンスの現地司令官に本隊の戦果をたずねた。

「わが軍が、自由の旗をかかげて進み出るだけで、帝国の星々が雪崩をうって同盟に帰服するなんてことが幻想であることははっきりしましたからね、とりあえずはイゼルローンから半径700光年までの第一期解放星系を固めることに重点を置くことになりました。現時点での最重要課題が、いくつか獲得した産業星系の同盟化です。同盟仕様の航宙艦の修理・整理と補給をが可能になるよう、全力をあげて設備を更新中です。いまわが軍は、本国からはるばる物資を届けてもらう必要がありますからな。この更新が完了すれば、戦争はきわめて有利になる」
「なるほど、すばらしいですな」
「問題は、つい先日、アムリッツァ星系に帝国軍5個艦隊が現れて、現在、一時的に本国との連絡が途絶していることですな」
「なんと!」
「そこで遠征軍本隊6個艦隊は、総力をあげてこれを排除することになりました。このまま放置していては、吾々は敵地で立ち枯れてしまう」

                ※                  ※

ヤン・ウェンリー、アリグザンダー・ビュコック、ハーフンギーン・ウラーンフーの三人は話しあった。
自分たちの部隊はどのように行動するべきか。

「わしらがアムリッツァにかけつけた場合じゃが、……」
「ローエングラム伯の9個艦隊も、もれなく後ろからついてくるでしょうね」
そうなると、8個艦隊対14個艦隊の決戦となり、同盟軍がきわめて不利となる。
「となれば、吾々の選択肢は唯一つ。吾々の元来の任務であった、帝国領奥深くでの破壊活動を、さらに大々的に継続すること」

ローエングラム伯が握る九個艦隊を、第5,第10,第13艦隊で引き受ければ、アムリッツァ方面は味方6個艦隊に対し敵は5個艦隊。本隊が勝利をおさめる可能性はおおいに高まる。自分たちの方は、きわめてつらく、厳しい戦いとなるが……。

第5,第10,第13艦隊は、艦隊をさらに細かく分散して、帝国領の後方全域で一斉に破壊活動にとりかかる方針を決定した。

分散すればするほど、帝国軍と遭遇した場合に、敵部隊のほうが優勢となる確率は高まるが、この際はやむをえない。活動する領域を広げれば広げるほど、それだけ多数のローエングラム部隊を自分たちにひきつけることが可能となるためだ。

アムリッツァにおける戦力比を同盟有利に保つこと、それが自分たちの戦略的役割なのだ。

■帝国軍フレーゲル軍団旗艦ベルリン

ブラウンシュヴァイク侯の名代として諸侯軍7万隻からなる臨時軍団の「都督(レギアルク)」となったライヒアルト・ロベルト・フレーゲル男爵は、靡下の大艦隊を眺めて悦にいっていた。これから、帝国領の一角を占拠した叛徒の艦隊7,000隻を粉砕するのである。占領地に残した残置諜者からの連絡により、この星系には7,000あまりの叛乱軍部隊が配置されていることが事前にわかっていた。

ブラウンシュヴァイク一門でもっとも勇猛なベッヘラー子爵の私設艦隊を先頭に、一門80家のうち、10家の艦隊が、家格にしたがって整然と隊列を組んでいる。それからやや距離をあけて、リッテンハイム一門の部隊、その他の一門の部隊が続く。ルドルフ大帝が制定なさった、人類社会の秩序をそのまま形に表した、美しい、みごとな隊列である。


■同盟軍迎撃部隊旗艦

「敵70,000隻の映像がとどいた。たしかに大軍ではあるが、みてのとおり、高速巡航艦のとなりに砲艦が、大型戦艦のとなりに宙雷艇。火力も機動力もことなる艦艇が無秩序に入り交じっている。 これは、敵の戦術構想と指揮系統に一貫性が欠けていることを意味する。要するに烏合の衆だ。待ち伏せも、戦術もいらない。真正面からの砲撃で、粉砕できる」

          ※              ※

同盟軍は砲壁隊形をくみ、フレーゲル軍団を待ち構えた。
同盟軍は、厚い装甲を有する戦艦約800隻を前面に配置して壁とし、後方に置いた巡航艦・駆逐艦を守らせている。

フレーゲルの考える「みごとな、整然とした、美しい隊形」は、あっけなく粉砕されていった。同盟軍の射程に入った各家の私設艦隊は、ひとつひとつ前から順番に消滅していった。
たとえ老朽艦が多いとはいえ、もしフレーゲル軍団も砲壁隊形をとっていたなら、壁となる戦艦は約7,000隻。十分の1の敵にこうも遅れをとることはなかっただろう。

ほんの十数分の砲撃戦で4万隻が失われたとき、フレーゲル軍団の士気は崩壊した。

まだ同盟軍の攻撃にさらされていない艦艇が、いっせいに戦場からの逃走をはかったのである。
指揮の一元化もなされていない艦艇の群れは、それぞれが個別の判断で無秩序にうごきまわり、隣接する艦隊の艦艇と衝突を引き起こすなど、大混乱におちいった。

同盟軍は一気にたたみかけて、さらに大きな打撃をあたえた。

同盟軍の守備隊が、戦艦ベルリンをふくむまるまる7,000隻の逃走を見送ったのは、ミサイル・磁力砲・主砲を撃ち尽くし、これ以上の戦闘続行が不可能となったためである。


■アムリッツァ星系
 イゼルローン回廊を封鎖しているロットヘルト・トゥルナイゼン軍団と対峙している同盟軍の遠征軍本隊は、7,000隻の守備隊が70,000隻の帝国軍を粉砕した報せにわきかえった。
 ライヒアルト・ロベルト・フォン・フレーゲルといえば門閥筆頭ブラウンシュヴァイク一門に所属する男爵で、遠征軍の迎撃を委ねられた三人の「都督」のひとりだというではないか。

「しょせんは、血筋だけで高い地位をえたお坊ちゃんだったな。正面の帝国軍を指揮している"都督"さま二人も、家格12位とか、30位の門閥宗家の若君さま(w)だ。一気にたたみかけるぞ!」
「おう!」

トーマス、イザークにとっての正念場が始まった。



[29819] 第42話 アムリッツァ篇(7) 「同盟軍第5,第10,第13艦隊の後方撹乱作戦」(4/20)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2014/10/09 21:54
■「叛乱軍撃滅臨時軍団」旗艦・シュテルネンシュタウプII

「フレーゲル軍団が全滅!?」
おれは思わず声をあげてしまった。
「7,000隻の叛乱軍部隊が駐留している"淪陥星系"(りんかんせいけい)を襲撃して、返り討ちにあったそうです」
いや、あの軍団が大戦果をあげてくれるようなことは、正直いってあんまり期待してなかったけどさ、それでも70,000隻もの大部隊は、存在しているだけでも大きな戦略的価値がある!…と思っていたら、いきなり緒戦で壊滅とは。
メルカッツ提督が、おれに向かっていった。
「右都督どの、敵は、かさにかかって攻めてくるでしょうな」
情報端末を操作しているオペレーターがつげる。
「アムリッツァ星系統に布陣している敵の陣容が厚みをましつつあります」
「規模は?」
「約8万5千隻から9万隻、六個艦隊弱です」
「我々の3割増しですな」
おれとイザークの軍団には、30個分艦隊90,000隻が所属しているが、補給船団の護衛や、反乱軍の手に落ちた「淪陥地区」に対する襲撃などにまわしている戦力もあるので、アムリッツァ星系〜イゼルローン回廊の制圧に参加しているのは7万5千隻ほどである。

 おれとイザークは、かねてからなんども話し合って、すでに今後の方針案を決めていた。「左都督(リンケレギアルク Linkelegiarch)」 のイザークは、「右都督(レヒテレギアルク Rechtelegiarch)」のおれをたてて、おれから皆に発言するよう、目線でうながす。
 おれから皆に作戦をつげた。
「鉄鎚(ハンマー)の役割をはたすはずだったフレーゲル軍団は壊滅してしまったようですが、われわれ鉄床(スレッジ)はまったく健在です。ハンマー・スレッジ作戦で敵軍を殲滅する方針は、変更しません。ローエングラム元帥に新たな“鉄鎚”の派遣を要請します。
 その間、われわれは、手持ちの戦力で、地の利を生かして守勢に徹し、敵に長期の消耗戦を強いることにします。大崩れすることなく、あらたな“鉄鎚”が到着するまで持ちこたえることができれば、叛徒の侵攻軍を完全に撃滅できるでしょう」
 メルカッツ、ファーレンハイトの両提督をチラッとみると、目礼して、わずかにうなずいてくれた。合格のようだ。
「では、メックリンガー提督、卿は3個分艦隊でイゼルローン回廊の出口にフタをしてください。敵本国からの増援が出てこようとするのを、絶対に阻止していただきたいのです」
「承知しました」
 これで、おれたちの手元にのこるのは6万6千隻。これで9万隻を相手にするのは相当に厳しいが、しかし戦闘を長引かせればするほど、こちらは有利になる。われわれは、細々とながらも補給を受けられるし、なにより強大な増援(ラインハルトの9個艦隊)が見込めるのに対し、敵は本国との往来を遮断され、戦力も、戦略物資も、手持ちのものを使い切ればあとがないためだ。
 われわれは叛乱軍に富裕な産業星系をみっつばかり委ねてしまっているが、連中の仕様の装備を整備・修理・補給できるような状態に整える時間はないはずだ。

 われわれの軍団は、戦闘準備を開始するとともに、オーディンに救援要請を発した。
「鉄床はいまだ健在なるも、鉄鎚は砕けたり。請う、新たなる鉄鎚を」


■ロットヘルト星系

 軍務尚書エーレンベルク元帥が諸侯に発した動員令をうけて、領地を与えられ、私設艦隊を保有している大貴族たちは一斉に所領にもどり、叛乱軍の襲撃に備える準備にとりかかった。

 ロットヘルト宗家と一門の15家はそれぞれの私設艦隊を合流させて連合艦隊を結成、さらに所領が隣接しているトゥルナイゼン一門の戦力とも協動することになった。
 名目上の司令官には、トーマスとの結婚を機に、ヴィクトーリアからロットヘルト都指揮使(Quina-miliarch)の称号を譲られたアーデルハイトがついた。副司令官として、トゥルナイゼン宗主家の先代当主エドゥアルトが実際の指揮を担う。エドゥアルトはアーデルハイトの実父であるとともに正規軍の退役中将でもあり、両家の者にも、連合艦隊の軍人たちにも、まったく不満も不安ももたせない体制がととのった。

 正規軍の緊急事業で、諸侯軍の老朽艦を現役艦ととりかえる事業がすすめられている。
 ロットヘルト一門の連合艦隊には事業の対象となるフリーゲン級駆逐艦が120隻あり、新鋭艦ばかりではないが、駆逐艦120隻を中心とする130隻の現役艦種が送られてきた。
 現役艦の受領と引き換えに旧型艦は国家に返納されるのであるが、先のラインハルトとの合意により、ロットヘルト一門が国家に返納したフリーゲン級120隻は、その場でただちにロットヘルト家に払い下げられた。さらに他家が正規軍に引き渡したフリーゲン級駆逐艦も、ロットヘルト星系に続々とあつまってきた。その数320隻。
 従来ロットヘルト一門は600隻の戦力を有していたが、ここにおいて、1,050隻の航宙戦力を擁することとなった。トゥルナイゼン一門の戦力550隻とあわせて、1,600隻。

さらに、ロットヘルト、トゥルナイゼンの両一門は、ミュンヒハウゼン一門とともに正規軍に出向させていた私設艦隊2,000隻を領地に引き上げる許しをローエングラム元帥から得た。この部隊は、私設艦隊とはいっても、下士官と兵士の人件費と艦艇の整備補修費を3一門が受け持っていただけで、所属の艦艇はすべて正規軍の現役艦種、指揮官たちも、ローエングラム元帥府に集められていた優秀な連中が配属されている。この部隊は、半数の1000隻がミュンヒハウゼン一門の所領に向かったが、残る1000隻が両一門の連合艦隊に合流し、ロットヘルト・トゥルナイゼンの連合軍は、2,600隻の戦力で叛乱軍の出現を待ち構えることとなった。


■ブラウンシュヴァイク星系

 ブラウンシュヴァイク公オットーは三万隻を数える一門80家の私設艦隊のうち、一万隻をフレーゲル「都督」につけて出撃させたが、なお2万隻が残っている。オットーは、アンスバッハにブランシュヴァイク軍団(レギオ Legio)の「都督僉事」(ズプ=レギアルク Sublegiarch)の地位をあたえて軍団の実質的な指揮権を彼にゆだね、防衛体制の構築につとめさせた。
 そこへ、靡下の軍団を喪失して「都督」職を解任された甥のフレーゲル男爵ライヒアルト・ロベルトが憔悴しきった姿で戻ってきた。娘のエリザベートと結婚させ、王配として帝国の最高権力を握らせようと予定していた甥の惨めな変わりように、オットーは言葉もない。


■同盟軍 潜行部隊所属分艦隊
 目標の星系外縁にワープアウトした。
 十二、三隻の航宙軍艦が停泊していた小さな埠頭を艦艇ごと爆砕したのち、数時間かけて星系の中心部に部隊をすすめた。
 主惑星の衛星軌道上には、いくつかの産業衛星が配置されているのがみえる。
 同盟軍分艦隊は、それらのうち、5つの工業衛星に対し、警告の通信を送った。
「吾々は自由惑星同盟軍である。ただいまより貴衛星を破壊する。乗員が脱出するための猶予として5時間を与える。この時間は、いかなる理由があろうとも、延長されることはない。この時間をすぎて後は、たとえ非戦闘員が残留していたとしても、容赦なく破壊する。以上」

 衛星からは、蜘蛛の子をちらすように、脱出艇や救命カプセルが放出されはじめた。
 同盟軍分艦隊は、猶予時間の終了と同時に工業衛星を破壊すると、ただちにこの星系から離脱した。
 長居は無用である。
 できるだけ繰り返し帝国の各地に出没し、できるだけ多くの帝国軍部隊を引きつけることが、彼らの任務だからである。


■べつの同盟軍潜行部隊所属分艦隊

「この星系は、帝国の門閥筆頭の大貴族ブラウンシュヴァイク公の一門の所領か」
「データでは、50カ所のオアシス周辺で集約農業、あとは沙漠の真ん中に稀土類の鉱山が若干、人口は約200万人となっています」
"データ"とは、イゼルローンで入手された帝国全星系データベースに登録されていたデータのことである。辺境星域の中では人口が多いほうであるが、宇宙空間に設置された設備としては、軍民共用の小さな宇宙ステーションがあるばかりである。

「スペックだけなら手をだす価値もない星系だけど、ブラウンシュヴァイク公一門の領地だったのが不幸だな」
宇宙ステーションに3時間の猶予をあたえて破壊を警告すると、駐留していた5隻の小艦隊が立ち向かってきた。
戦艦1、巡航艦1、駆逐艦3の小さな戦力で、とうてい、800隻からなる侵入部隊の敵ではない。
同盟軍分艦隊は、あっさりとこの艦隊を返り討ちにした後、猶予時間がすぎるのを待ってステーションを破壊し、この星系、"ヴェスターラント"から離脱した。


■ブラウンシュヴァイク星系

 ブラウンシュヴァイク公オットーは激怒していた。
 もうひとりの甥のシャイド男爵が、叛乱軍の奇襲に立ち向かって戦死してしまったのである。
 娘エリザベートは女帝となってブラウンシュヴァイク家からはなれる予定なので、いずれ養子にむかえてブラウンシュヴァイク家を継がせようと思っていた期待の甥だった。
 「おのれおのれおのれおのれ!叛乱軍め叛乱軍め叛乱軍め!」
 惑星地表のブラウンシュヴァイク領総督府でオットーが吠え立てていると、宇宙艦隊を委ねられているアンスバッハから通信が入った。
「殿さま、当星系の第5跳躍点に、叛乱軍とおぼしき艦艇群が出現しました。これより迎撃にあたります」

 ブラウンシュヴァイク星系に7カ所あるワープポイントのうち、もっとも恒星にちかい場所に出現したのは、同盟軍三個艦隊から抽出されたミサイル砲艦部隊1,200隻。この部隊は、10分間に3斉射で合計36,000発のミサイルを放つと、即座に遁走を開始、ブラウンシュヴァイク家の封領警備隊航宙部隊(私設艦隊)が艦列を整えるまもなく、星系からワープアウトして姿を消した。
 いわゆるピンポン・ダッシュ攻撃である。
 しかしこれからアンスバッハには36,000発のミサイルを可能な限り撃ち落として、星系の施設が蒙る被害を少しでも減少させるために最大限の努力を発揮する責任がある。

                ※                   ※

 施設艦隊の努力により叛乱軍のミサイル35,500発は途中で撃ち落とすことができたが、うちもらした500発が、惑星軌道・衛星軌道に配置された産業施設に命中、大損害が発生した。

 オットーはやつあたりで怒りをたぎらせた。
「おのれ、金髪の孺子め!正規軍9個艦隊を委ねられながら、なぜかくも叛乱軍に跳梁跋扈をほしいままにさせておるのか!許さん!」
 オットーは、修理を終えたばかりの戦艦ベルリンに飛び乗ると、数隻の護衛とともにオーディンに向けて旅立った。


■同盟軍第五艦隊所属第3戦隊旗艦バフォメット

「この星系は、小惑星帯のうちがわに産業惑星が3つ、主惑星の衛星軌道上に4つ。駆逐艦の整備プラントもあります。駐留する戦力は45隻」
「ここには、いろいろと壊すものがたくさんあるな。それに例の帝国軍3都督のひとりの領地でもある。とくに念入りにぶっこわしてやろう」

 第3戦隊800隻は、無造作にロットヘルト星系の小惑星帯に侵入していった。

 バフォメットの艦橋で、とつぜん情報オペレーターが叫び声をあげた。
「主惑星の衛星軌道上で核融合エンジンの起動多数を確認、航宙艦の動力炉と思われます!」
戦隊指揮官が問いただす。
「数は!」
「1,500ないし2,000です」
「吾々の2倍以上か!……宗家の領地を守らせるために、一族の私設艦隊をかき集めでもしたのかな…」

まさにそのとおりである。ロットヘルトとトゥルナイゼンの両一門が領する20星系のうち、叛乱軍が標的にしたがりそうな軍事施設や産業施設をもっとも多数そなえているのがロットヘルト星系である。ロットヘルト・トゥルナイゼン両一門の所領に叛乱軍が来るならまずここだろうという読みは、みごとにあたった。

「撤退しますか?」
この時点で逃げ出せば、無傷で撤退することも可能である。
「いや、このまま侵攻する。正規軍はともかく、帝国の諸侯軍というものは、隊列も組めない烏合の衆だ。真正面から粉砕してやろう」

しかし第3戦隊がさらに前進するにつれ、この星系の駐留艦隊2,000隻が、整然とした砲壁隊形を組んで自分たちを待ち構えているのが判明してきた。

「まずいぞ、これは…」
戦隊指揮官が、前進を中止するかどうか思案し始めたところで、またも情報オペレーターの絶叫が艦橋に響いた。
「後方よりミサイルの航跡多数!」
小惑星帯に潜ませてあったフリーゲン級駆逐艦440隻からの斉射計1,760発である。動力炉を停止した状態から手動で射出口を開閉してミサイルを発射できるという特徴を利用しての奇襲である。
 シミュレーションでアーデルハイトがラインハルトに対して全戦無敗を誇った戦術(→第4話参照)の洗礼を、この同盟軍部隊は規模を4倍にしてうけたのである。
 背後の至近距離からの奇襲で、第3戦隊は大混乱に陥った。
 正面の星系駐留艦隊が、急加速で迫ってきた。
 同盟軍部隊の一部が混乱のなかから少数のミサイルや砲撃を加えたが、対空ミサイルと、160隻の戦艦のものが連結したエネルギー中和磁場などにより、すべて防御される。
 しかし、駐留艦隊の側からは、とどめの攻撃が加えられてこない。
 敵の、ある意図を察して、同盟軍指揮官は自分たちの攻撃も停止させた。
「ビューフォート提督、敵艦隊から通信が」
「つなげ」
少女の面影を残す小柄な女性があらわれた。アーデルハイトである。
「当星系の指揮官、エルプグレーフィン・フォン・ロットヘルトです。貴艦隊は、妾(ワタシ)の靡下2,600隻によって完全に包囲されました。降伏を勧告します」
「……わかりました、勧告を受諾します」


■ノイエ・サンスーシ宮 黒真珠の間

 勅使によびだされ、ラインハルトは戦況報告のためノイエ・サンスーシ宮に参内した。

 ラインハルトの報告に、フリードリヒ四世は笑い声をあげた。その傍らでは、ブラウンシュヴァイク公が苦々しい顔つきで、ラインハルトをにらみつけている。
「すると、先日オーディンに現れた叛乱軍は、スクラップを現役艦と思って懸命に壊したわけじゃな」
「そのようになります。第75番以降の分艦隊は、ここ30年ばかり出撃せず、艦種の更新も行われないで参りましたゆえ。ひとたび姿をみせた彼らには繰り返し追い打ちをかけ、1,5000隻ほどの損害を与えてやりました」
「そうかそうか」
フリードリヒ四世は笑い終えると、真顔になってラインハルトにたずねた。
「叛徒どもの軍勢が暴れまわって、大損害をもたらしておる件について、諸侯より苦情が参っておるが、そちらはどうなっておる」

ラインハルトは、帝国領を概観するホログラム映像の投射装置を起動させ、戦況を説明し始めた。
ホログラムは、叛乱軍の諸部隊が各地に出現し、移動してゆく模様を、日付を追って表示していく。
「いまわが方の制宙圏内に侵入して破壊活動を行っている敵は、先日オーディンを奇襲したのと同じ部隊で、戦力は約29,000隻、40個ほどの小部隊に分散して各地で襲撃を繰り返しております。
 おそらくは、叛乱軍の本隊とロットヘルト・トゥルナイゼン両都督の部隊が行う決戦に、私の靡下が合流するのを阻む目的とおもわれます」
 ラインハルトが機器を操作すると、青色で表示されてきた叛乱軍の各部隊の航跡の先に赤い球体が表示された。
「諸侯がたにご苦労をおかけした結果、叛乱軍の各部隊の動静はほぼ判明しました。こちらは彼らの出没が予測される宙域です」
 ラインハルトは、ブラウンシュヴァイク公にも目線をむけつつ、締めくくった。
「かれらの動向は、すでに完全に把握しております。まもなく彼らの剿滅をご報告できるでしょう」
「両都督の救援要請に応えてやるのは、それからになるのかの?」
「いいえ、すでにキルヒアイス、ミッターマイヤー、ロイエンタールの3提督をさしむけました。わが元帥府の中でも最優秀の提督たちです。両都督からも、近日中に勝利のご報告があると存じます」

********************
2012.4.20 初版
2014.10.9 「エルプグラッフィン」→「エルプグレーフィン」と変更



[29819] 第43話 アムリッツァ篇(8) 「ヤン司令官、お芝居の監督をする」(4/22)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/07/15 02:40
■アムリッツァ星系
 ロットヘルト・トゥルナイゼン軍団は、ただでさえ劣勢な戦力から1万5千隻を割いて、補給船団の警備や同盟軍の手に落ちた「淪陥(リンカン)星系」の襲撃にまわしているため、同盟軍の攻勢に押され気味で、前線はじりじりと後退していく。
 しかしトーマスはひるまない。
 防御的陣形を堅持しつつ敵からの攻撃に同等以上の反撃を加えるよう指示し、戦線の維持につとめる。

 現在、同盟軍の第5,第 10,第13艦隊が、イゼルローンで獲得された地誌データを活用し、「解放地区」に含まれない帝国本土の全域で破壊活動を行っているが、当然ながら帝国軍は地誌に関する同じデータを持っている。同盟軍のいう「解放地区」、帝国軍のいう「淪陥(リンカン)地区」には、トーマス・イザークと、ラインハルトの双方から破壊活動を行う部隊が侵入し、ただでさえ乏しい同盟軍の戦略物資のストックをさらに減少させていた。

 磁力弾、ミサイル等を撃ち尽くした同盟軍部隊が後方に下がり、補給を受けようとする。その近傍に突然帝国のミサイル艇部隊が出現し、数分間で撃てるだけのミサイルを乱射し、ワープアウトして逃げる。ミサイルの多くは撃ち落とされるが、補給物資を積んだ輸送船の一部が損害をうけ、貴重な物資が失われる。

帝国軍の奇襲部隊が、同盟軍部隊が存在しない宙域に出現してしまったり、同盟軍部隊が手ぐすね引いて待ち構えている場所に出現して袋だたきにあう場合もむろんあるが、全体的な収支は、時間がたつほど、帝国軍にじわじわと有利になっていく。

 しかし同盟軍の本隊6個艦隊(第2,第3,第7,第8,第9.第12艦隊)には、第5,10,13艦隊が帝国全土で破壊活動を繰り返している状況がとぎれとぎれながらも伝わってくる。彼らが自分たちのために帝国正規軍艦隊の半数を引きつけるおとりとなってくれていることに励まされ、同盟軍本隊はさらに攻勢を強めた。


■同盟軍第13艦隊旗艦ヒューペリオン

 補給艦・修理艦を引率しつつ帝国領の奥深く潜行し、戦い続けてきた第5,10,13艦隊であるが、潜行が長引くにつれ、実体弾や補修部品の枯渇が間近となってきた。500〜1,000隻規模のほどの40数個戦隊に分散して戦ってきたが、行動をよまれて捕捉され、壊滅させられる部隊も増えてきた。

 ヤン・ウェンリーは、第10艦隊司令官のウラーンフーと、第5艦隊司令官のビュコックに連絡をとり、今後の行動方針について提案した。
 もっとも効率よく、なるべく多数の帝国軍部隊を自分たちに引きつけ続けるための作戦。しかも、自己犠牲を前提とはしない、あわよくば自分たちも生き残ることが可能な作戦。

「もう、それしかないのう」
「おれも、すばらしい作戦だと思う」

          ※             ※

 分散していた第5,10,13艦隊所属の同盟軍部隊が各地で合流しつつ移動をはじめた。
 アムリッツァ星系とは逆方向にである。
 ラインハルトが周到に張り巡らせた罠の多くが無駄になった。
 また、これまでラインハルトの靡下は1,500隻程度の規模で有利に同盟軍部隊を追い回していたが、同盟軍の各部隊が合流をすすめるにつれ、手を出せずに見送る場面が増えてきた。

■アムリッツァ星系

 帝国領奥深く潜行していた第5,10,13艦隊がアイゼンフート星系に集結し、これを占拠したという報せがアムリッツァ星系の同盟軍本隊にまで伝わってきた。さらに、潜行部隊がアイゼンフートから発信したプロパガンダ放送が、同盟軍本隊の人々の泣き笑いを誘った。

 禍々しいメーキャップの同盟軍の男女の士官が、うなだれて座り込んでいる初老の男性と少女の前で、偉そうにふんぞり返っている。男性士官が口を開いた。
 「こいつらは、500年間アイゼンフート人民を残虐に支配してきた伯爵家の当主と跡取り娘である。民主共和主義をもって世界人類を解放するわれら自由惑星同盟軍は、ただいまより、アイゼンフート人民になりかわって500年の怨みを雪(そそ)ぐのだ」
 いい終えると男性士官は邪悪に微笑み、凶悪そうな金属棒をカメラにむけてかざしたのち、やおら「伯爵」にむけて振り下ろした。棒で打たれた伯爵はうめき声をあげて床にたおれる。男性士官は、さらに「伯爵」を殴り続ける。棒があたるたびに「伯爵」はうめき声を上げていたが、やがてグッタリとして、声を出さなくなった。
 その模様を"怯えた"顔つきで眺めていた「フロイライン」に、今度は女性士官が近づく。彼女が手にもつ棒は、時折火花を発する。高圧電流が流れているようである。
 女性士官は憎々しく微笑むと、電磁警棒を少女に押しあてた。少女が「ギャー!」と叫び声を上げる。少女の服の、棒が触れた箇所が白煙をあげ、少女は床にたおれこんだ。しかし女性士官は容赦なく電磁警棒で少女を触れつづける。少女は棒が触れるたびに悲鳴をあげていたが、やがて最後に口から血を吐いて、目をつむったまま動かなくなった。


「この"伯爵"とか"フロイライン"って本物かな?」
「いやあ、偽物だろ」
「しかし、とてつもない大根役者だな。"伯爵"なんてほら、ここで、棒が体にあたってないときにも"ギャー"っていってるよ」
「"伯爵"をなぐっている士官も、よくみると寸止めしてるし」
「この女の子も素人だな。叫び声も、声は大きいけど、ぜんぜん痛そうに聞こえない」
「ここのとこなんか、苦しみでじゃなくて、笑いをこらえて顔をしかめているようにみえる」
「それに、この娘が血を吐いたあとのここ、音声は消してあるけど、どうみても"プッ"て吹き出してるぜ」
「第5,10,13の連中は、なんでこんなもの作って放映したんだろ」
「帝国軍を怒らせて、なるべく多数を自分たちに引きつけてくれるためだろう」

 第5,10,13艦隊が一カ所に集結した理由について、同盟軍本隊の人々は、特に実体弾を中心とする消耗品が枯渇に近づき、散開しての破壊活動が困難になってきたためだと推測した。アイゼンフート星系は、イゼルローン回廊やアムリッツァから、遠くはなれた位置にある。彼らは体をはって、なるべく多数の帝国軍を、本隊が決戦をくりひろげている戦場からひきはなそうとしてくれているのだ。ありがたくて泣けてくる。

「しかし、こんなやらせバレバレのお芝居で、効果あるんかいな」

    ※            ※

 効果はあった。それも著しく大きい効果が。
 多数の一般市民が映画やTV番組などでドラマを楽しんでいる、目の肥えた同盟人と、芝居といえば少数の貴族階級が古典劇をみるか、一般人は祭礼で行われる素人芝居を目にする程度という帝国人では、芝居にたいする鑑賞力に雲泥の差があるのだ。
 伯爵とフロイライン本人の大根な演技に、あまりダメだしすることなくOKを出したのは、第13艦隊司令官のヤン・ウェンリーであった。

 ヤンは、占領地で帝国製のTVドラマや映画の歴史ドラマを集めている士官がいることを聞いて、彼からいくつかの作品を借用して鑑賞した。そして唖然とした。帝国俳優たちの演技のレベルが、同盟ならば中学か高校の演劇部程度の大根ぶりだったからである。
 アイゼンフート伯爵父娘を主演とするプロパガンダ作品をつくることになった際、伯爵に映画の一つを部分的に見せてみると、「おお、あの名作が……」なんて言って、まじめに見入る。ヤンは理解した。帝国人むけの芝居のリアリティーは、かなり甘めでよい、と。
 あまりにリアルすぎる場合、帝国が”同盟軍による残虐行為”の例として、逆宣伝に使用されかねないということもある。

■ヴァルハラ星系オーディン ノイエ・サンスーシ宮

 ヤンの見積もりは的中した。
 ラインハルトは、怒りに震える帝国軍三長官によびだされて、宮中に参内し、三長官とともにヤンの作品を鑑賞した。
 同盟軍本隊の連中は本物かどうか疑っていたが、ヤン監督のプロパガンダ放送には、アイゼンフート伯爵と、跡取り娘のエルプグラフィーン本人が出演していた。帝国の上層部には、伯爵とその娘を識別し、逆上してもらう必要がある。いかに大根であろうとも、余人をもって代えがたい役者なのである。
 しかしラインハルトも帝国軍三長官も、これが「大根な演技」とは思わなかった。三長官は、ズタボロの伯爵父娘本人が登場する画面を見ただけで逆上し、「賎しい賎民・農奴の末裔が高貴なる父娘に屈辱を与えた」と本気で信じて激怒したし、ラインハルトは「なりふりかまわずこんな下品な行動に及ぶとは、叛徒どもはよほど追いつめられているのだな」と冷たく思ったのみである。
 ラインハルトは、顔を真っ赤に怒るミュッケンベルガー司令長官から命じられた。
「ローエングラム元帥、アイゼンフート星系に蟠踞(バンキョ)する叛乱軍部隊を、ただちに排除せよ」
ラインハルトは反駁した。
「あの部隊は、戦略物資をほぼ使い果たして、もはや今までのような破壊活動を行えなくなったため、身をさらけだしてわれわれをおびき寄せようとしているものと思われます。あの部隊には、押さえとして監視の部隊をつけるにとどめ、まずはアムリッツァの敵本隊を全力で叩くべきかと思います」
「いや、もはや一刻も猶予はならぬ。卿がアムリッツァに先発させた3提督の部隊はそのまま進ませてよい、卿はただちに残る部隊の総力をあげて、アイゼンフート星系の不逞な叛徒どもを一兵あまさず剿滅(ソウメツ)せよ!」



[29819] 第44話 アムリッツァ篇(9) 「苦い勝利」(4/24)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/07/15 02:40
■アムリッツァ星系
ロットヘルト・トゥルナイゼン軍団と、同盟軍6個艦隊の死闘は、いよいよ激しさを増していく。
帝国軍のローエングラム部隊が増援にあらわれたら、同盟軍はおしまいだ。
そのまえに、なんとしても帝国の2都督の軍団を突破せねばならない!
第12艦隊司令官アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディンは、靡下に檄をとばした。
「もう明日の弾丸のことなど心配するな。ありったけをぶち込んで、攻めたてるんだ!」

勢いづく同盟軍の攻勢に、トーマスは内心冷や汗を流しつつも、ゆったりとした態度で味方を励ます。
「ローエングラム元帥が先発させた3個艦隊がもう現れる!もう少しの辛抱だ!」
後方を守らせているメックリンガー提督から、悲鳴のような増援要請がまた来た。
彼には9,000隻でイゼルローン回廊の出口に陣取り、同盟本国からの増援(第1、第11の二箇艦隊)を押さえ込むよう命じてある。狭い回廊内では、同盟軍は部隊を展開して数の有利を生かす陣形をつくれないため、メックリンガーはかろうじて3倍近い敵を押さえ込み続けることができているが、戦力の損耗ははげしく、もはや限界に近づいている。

トーマスは決断した。
「第65分艦隊および第66分艦隊の第1,第2戦隊はイゼルローン回廊におもむき、メックリンガー提督を支援せよ!」
一挙に5,000隻の増援である。イザークが疑問を呈する。
「予備戦力を根こそぎ廻すのか?残り500隻じゃあ、すっからかんも同然だぞ!」
「でも、メックリンガー提督が突破されたらおれたち終わりなんだぜ。その時に司令部に予備戦力が残ってたって意味がないだろ」
「だがこちらの本隊だって、すでにもうギリギリだろうが?」
「もう、これは一種の賭けだよ。おれたちが崩れる前にライニの援軍が間に合うかどうか」
 
同盟軍の本隊は、陣地の後背に4,000万個の機雷を散布し、巨大な防壁を形成していた。「解放地区」との連絡のため、トンネル状の通路が残され、そこには予備戦力をかねて第七艦隊が守備についていた。トーマスとイザークは、輸送船の護衛や「淪陥(リンカン)星系」で後方撹乱に従事させていた1万5,000隻を決戦場に呼び寄せたが、待ち構えていた同盟軍第7艦隊と交戦に入った。

ロットヘルト・トゥルナイゼン軍団も、同盟軍本隊も、予備戦力を投入し尽くしての死闘となった。
        ※                ※

その時、キルヒアイス、ミッターマイヤー、ロイエンタール3提督の艦隊がアムリッツァ星にワープアウトした。
「まだ戦闘は続いている。間に合ったようですね」
帝国軍の増援3個艦隊は、アムリッツァの太陽を大きく迂回して、同盟軍の背後に回り込んだ。

同盟軍本隊で、最初に増援の出現に気づいたのは、第7艦隊司令官のホーウッド提督である。
ホーウッドは味方に敵増援の出現を急報すると、1万5,000隻との決戦を中止し、陣形をたたんで機雷源の後背に部隊を後退させていく。

「指向性ゼッフル粒子を放出せよ」
キルヒアイスの命令が伝達された。
帝国軍は同盟軍に先んじて、指向性を有するゼッフル粒子の開発に成功したのだった。これを戦場で使用するのは、今回が最初である。
 円筒状の放出装置が三台、工作艦に引かれて機雷源に近づいた。
 濃密な粒子の群が、星間物質の雲の柱のように機雷源を貫いてゆく。
「ゼッフル粒子、機雷源の向こう側まで到達しました」
先頭艦から報告が届いた。
「よし、点火!」
 次の瞬間、三本の巨大な炎の柱が機雷源を割った。
 白熱した光が消え去った後、機雷源は三カ所にわたってえぐりぬかれ、その位置にあった機雷は消滅していた。
 機雷源のただ中に、直系200キロ、長さ30万キロのトンネル状の安全通路が新たに三本、短時間のうちにつくられたのだ。
「全艦突撃!最大戦速だ」
赤毛の若い提督の命令とともに、キルヒアイス、ミッターマイヤー、ロイエンタールが指揮する3個艦隊は、新たにうがたれた安全通路に侵入した。ロットヘルト・トゥルナイゼン軍団の別働隊1万5000隻も突入を開始する。
 同盟軍第7艦隊は、あわてて部隊を分散し、あらたに出現した安全通路の出口を塞ごうとしたが、間に合わない。増援4万5,000隻、ロットヘルト・トゥルナイゼン軍団の別働隊1万5,000隻、計60,000隻の攻撃の前に、一瞬で壊滅した。
「背後に敵の大群!」
数を特定できないほどの発光体の群を関知して、同盟軍の残る5個艦隊のオペレーターたちが絶叫したとき、帝国軍60,000隻は砲撃によって同盟軍の艦列に次々と穴をあけはじめていた。
 同盟軍の指揮官たちは驚き、うろたえた。それは何倍にも増幅されて兵士たちに伝わり、その瞬間、同盟軍の戦線は崩壊した。
 艦列が乱れ、無秩序に散らばりかけた同盟軍に帝国軍は砲火をあびせ、容赦なく叩きのめし、撃ち砕いた。
 勝敗は決した。

 第2艦隊と司令官ルグランジェ提督。
 第3艦隊と司令官ルフェーブル提督。
 第7艦隊と司令官ホーウッド提督。
 第8艦隊と司令官アップルトン提督。
 第9艦隊と司令官アル・サレム提督。
 第12艦隊と司令官ボロディン提督。
 
 同盟軍の帝国領侵攻部隊の6個艦隊は全滅し、司令官たちはすべて戦死または捕虜となった。

■アイゼンフート星系

ラインハルトは、9個分艦隊2万7,000隻(2個艦隊)を率いてアイゼンフート星系に出現した。
この時、同盟軍第5,第10,第13艦隊の残存戦力は2万隻弱。
ラインハルトは命じた。
「よし、前進!」

同盟軍3個艦隊は、もはや戦える状態にはなかった。
攻撃用ミサイル、宙雷、磁力弾や修理部品は枯渇。
大部分の艦では、いままでの戦闘での負傷者や、遺棄艦の乗員多数を収容し、定員の2倍をはるかに超える人員を搭乗させ、艦の環境維持系統は限界までフル稼働している。

「やってきてくれた敵さんは、2個艦隊だけか」
ローエングラム伯が掌握する正規軍9個艦隊のうち、なるべく多数を自分たちにひきつけるため、ことさらわざとらしくアイゼンフート星系を占拠してみせ、さらには挑発のためこの星系の領主父娘を虐待するプロパガンダ放送を作って発信したりもしたのだが、やってきたのは自分たちをわずかに上回る2個艦隊のみ。他の7個艦隊は、もうすでにアムリッツァのほうへ向かってしまったのだろうか。
3個艦隊の指揮官たちは嘆息せざるをえない。
吾々は、彼らを引きつけるべく、可能な限り努力した。もうこれで限界だ。
本隊の運命は、もはや彼ら自信に委ねるしかない。

3個艦隊の司令官のなかで最年長、最先任のアリグザンダー・ビュコック中将は、ヤンとウラーンフーとの間でかねて打ち合わせてあったとおり、おごそかに命じた。
「全艦隊、逃げろ!」
ラインハルトの部隊が射程に捉えるはるか手前で、同盟軍3個艦隊は艦首を翻し、次々にワープアウトして、姿を消していった。

ラインハルトは冷たい笑みを浮かべながら同盟軍の遁走を見送った。
ラインハルトが率いる、残る21個分艦隊6万3000隻は、同盟軍の逃走経路に沿って、周到に配置された7段構えの罠を形成しているのだ。
(お前たちが無事に逃げ延びることは絶対にないぞ!)

「元帥閣下、アイゼンフート伯爵から通信が」
「つなげ」
アイゼンフート伯爵と、跡取りむすめのエルプグラフィーンが現れた。
ふたりとも元気で、健康そうである。救援にきてくれた礼をくどくどと述べ始めた。
叛徒どものプロパガンダ番組を見たことをつたえ、傷はもう癒えたのかと尋ねると、もともとまったく拷問などは受けなかったと応えた。
「あれは、作り物だったのですか……」
「まったくその通りです」
やつらはなんの目的であのようなものを作ったのか?
おれの部隊を、この星系におびき寄せるためだ。
その目的を達したから、戦いもせずに逃げていこうとしているのだろう。
しかしやつらが逃げていく先には周到な罠を張ってある。あとはやつらがひっかかるのを安心して待つばかりだ。
にもかかわらず、ラインハルトの胸中には遠雷がかすかに響きはじめている。何かたちの悪い詐欺にかかったような不快感に、神経が侵されるのを彼は自覚した。
 彼は左手で作った拳を口に宛て、人差指の第二関節に軽く歯を立てた。その瞬間、彼は理由もなく敵の意図を悟った。
「しまった……」
(やつらはフェザーン経由で帝国領から逃げ出すつもりなのだ)

            ※                 ※

 同盟軍第5,第10,第13艦隊1万9,985隻は、フェザーン回廊を帝国側から押し通り、無事同盟領に帰還した。
 彼らがイゼルローン方面へ逃走することを想定して周到に用意されたラインハルトの七段構えの罠は無駄となった。
(いままで帝国は、叛徒の勢力圏を攻めるのに、フェザーン回廊を用いたことはなかったし、叛徒の側も奴らの作戦にこの回廊を用いたことがなかった。しかしいままでこの回廊が軍事活動に用いられてこなかったのは、物理的法則によって定められたものではない。たんに思考の盲点となっていたにすぎない)

ラインハルトは決意した。
(叛徒どもよ、よいことを教えてくれた。フェザーン回廊が自由に使えるのだから、イゼルローン要塞がいくら難攻不落を誇ろうとも、すでに戦略的には無価値だ。近いうちに、おれはこの回廊からお前たちに挨拶にいくぞ)
 
      ※                ※

帝国領に侵攻した同盟軍9個艦隊のうち、第2,第3,第7,第8,第9,第12の6個艦隊は、ほぼ丸ごと壊滅した。艦隊としての組織をたもったまま帰還したのはわずかに第5,第10,第13の三個艦隊のみ、しかも、そのかれらも艦艇の6割弱、兵員の4割強を失い、2万隻にみたぬ数がかろうじて帰還するという惨状であった。

また、これからかなり経って、本隊の6個艦隊や解放地区の警備隊に属していた少数の部隊が、イゼルローン回廊やフェザーン回廊経由で脱出してきて、同盟市民たちの感動を呼ぶこととなる。



[29819] 第45話 アムリッツァ篇(10) 「ダスティ・アッテンボローの帰還」(4/28)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/07/15 02:40
アムリッツァ編、次の(11)で完結です。やっと物語を「プロローグ」にまで持っていけそうです。
(11)を投稿したら、つぎは第25話にもどります。

*******************
■同盟軍第10艦隊旧属 巡航艦アステリアIX

 同盟軍第5,第10,第13艦隊は、オーディン襲撃ののちラインハルト部隊の厳しい追撃をうけ、1万5千隻を損耗して「解放星系」まで退却、その後この3個艦隊が遂行した帝国本土全域に対する襲撃作戦には約3万隻の戦力で臨んだ。
 ただし損耗イコール撃沈ではない。破損の程度が軽微で自力航行で「解放地区」まで脱出できた艦の中には、修理と補給をうけて再び戦闘可能となったものもある。そのような艦艇は、旧属の第5,第10,第13艦隊の本隊を追って帝国領に潜行することはせず、同盟軍の本隊から抽出された部隊とともに、「解放地区」の警備や、アムリッツァ星系の制圧をめざす本隊6個艦隊の後背の警備などに携わることとなった。

 第10艦隊旧属の巡航艦アステリアIXの艦長ダスティ・アッテンボロー中佐は、巡航艦4隻、ミサイル砲艦4、駆逐艦6隻の小戦隊を率い、「解放地区」とアムリッツァの決戦場を結ぶ航路を警備しているさなか、本隊6個艦隊が壊滅する模様を遠望することとなった。

 アッテンボローは6個艦隊の司令部が沈黙し、あるいは降伏したのを確認すると、靡下の戦隊にノイエ・シュトゥットガルト星系への撤退を命じた。


■「解放星系」ノイエ・シュトゥットガルト

 ノイエ・シュトゥットガルトは、帝国の主要な産業星系のひとつで、同盟が「解放星系」として占領していた。同盟軍が手中にした産業星系のなかでもイゼルローンにもっとも近く、同盟軍の整備・補給の拠点となってきたが、同盟仕様の艦艇部品や各種装備を現地で製造できるまでには至らなかった。

 アッテンボローは、第5,第10,第13艦隊の残留部隊の指揮官デニソン准将のもとに出頭し、同盟軍本隊の壊滅を報告した。

「私は身動きがとれないからな、ここで降伏するしかないが……」
デニソンは指揮下に破損艦の乗員や負傷者など10万人をかかえており、脱出する手段を持っていない。
「…君はそれにつきあう必要はない。戦隊を率いてすぐ脱出したまえ。それから、これは命令ではなく、要請なのだが、無理のない範囲でできるだけ多数の兵員を一緒につれていってもらいたい」
「わかりました。でも戦力を集結させる必要はないのですか?」
「いや、いま後方にちらばっている健在な艦艇(フネ)すべてをかき集めても、4,000を超える程度だろう。集結させたところで焼け石に水の規模しかないし、そもそも時間をかけて集結させるよりさきに、敵が"解放星系"を奪回にくるだろう。動けるものから、個別にとっとと逃げ出すほうが、誰かが故郷にたどり着ける可能性は少しでも高まるはずだ」
「…わかりました」
「必要な物資はなんでも持っていってくれてよいぞ?」
「ありがとうございます。それではエネルギーと弾丸を目一杯いただくのと、あとは帝国の鹵獲艦を何隻かいただけますか?
「いいだろう、好きなだけ持っていきたまえ」

アッテンボローは靡下の小戦隊に、乗艦を喪失した将兵を載せた貨客船1に加え、旧型の帝国戦艦1、巡航艦1、駆逐艦2を随伴し、一路エメンディンゲン星系に向かった。

この星系にしばらくの間潜んでほとぼりをさまし、帝国の警備が緩んだ隙をついて同盟領へと脱出しようという計画である。ただし、同盟軍の廃残部隊がこのような行動をとることは帝国軍も読んでいるはずで、彼らの運命は、じつにまったく運任せである。


■エメンディンゲン星系

エメンディンゲンは、エメンディンゲン伯爵家を領主とする人口150万人ほどの可住惑星1を有する星系である。ここ200年間あまり周囲から孤立し、住人たちは帝国と同盟の150年戦争はむろん、自由惑星同盟そのものの存在を知らなかった。

この星系と最初に接触したのは第10艦隊に属する小部隊であったが、彼らはこの星の住民たちが、孤立していた割には、自分たちと接する姿勢が、なにかもの馴れた様子であることに気づいた。エメンディンゲン家の当主で、エルプグラーフ(伯爵位継承予定者)を名乗っているアウグストが、この疑問に答えた。
「この星は、古代地球から冷凍睡眠で6世紀かけて到達した人々が開拓した星で、USG(銀河連邦)に所属したことがない。当家の初代エグモントは、征服ではなく、"招撫"(=勧誘)によってここの人々を自発的に帝国に参加させたのだよ。わしも卿らと接するのにあったって"招撫"の手順に則って動いている、それだけのことだ」

同盟軍の宣撫士官は、領主家や領主政庁のスタッフがいない場所で、住民たちに定番のセリフで呼びかけてみた。
吾々は解放軍だ。吾々は君たちに自由と平等を約束する。もう専制主義の圧政に苦しむことはないのだ。あらゆる政治上の権利が君たちには与えられ、自由な市民としてのあらたな生活がはじまるだろう
農夫のリーダーとおぼしき男が尋ねた。
「あんたたちがくれるっていう、政治上の権利ってなんだね?」
「自由惑星同盟には、貴族も皇帝もいない。平民と農奴、賎民の区分もない。すべての人々が、同盟市民として、完全に平等な市民としての資格をあたえられるのです」
「で、市民としての資格に付随している政治上の権利ってなんだね?」
「政治権力は、立法・司法・行政に三分割され、それぞれが互いに監視するとともに、主権者たる市民の監督をうけます。市民は行政の長たちや立法を司る代議員たちを選出する選挙権を持ちます。そして…」
「あー、もういいです。おれたち北米大陸にあった北方連合からの移民で、そのあたりの制度はあんたたちから説教されなくてもよっく知ってる。ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』、シャルル=ルイ・ド・スゴンダの『法の精神』、ジョン・ロックの『統治二論』あたりのダイジェスト版は、この惑星(ほし)で中学生が社会科で勉強する定番だよ。あんたらも民主共和制を云々するなら、このあたりの名前はしってるだろ?」
「……ああ、知ってるとも」
彼らがあげた書物のなかには、同盟には、テキストが不完全にしか伝わっていないものもある。それを、帝国の、こんなへんぴな田舎に、地球直伝の完全テキストが伝わっているとは!
同盟の宣撫士官は、意外な成り行きに目を白黒させるばかりだ。
「この惑星(ほし)の政治の仕組みも、地球からもってきたやりかたでずーっとやって来てるから、あんたたちからいまさら改めて"政治上の権利を与えてもらう"必要なんかないね」
「……へー、そうなんですか」
宣撫士官を取り巻く聴衆の中から、中学の社会科教師を名乗る男が手をあげて言った。
「中学生の教科書でよければあげるけど、欲しいかい?」
「……ぜひ、いただきたい」
社会科教師は、同盟の宣撫士官に、詳細な注釈や解説のついた教師用のテキストを手渡した。
 農民のリーダーがまた話しはじめた。
専制主義の圧政というのも、うちの惑星では無縁だね」
聴衆たちもうなづいている。宣撫士官は思わずたずねた。
「エメンディンゲン伯爵家の統治は、いったいどのようなものなんですか?」
「彼らの初代"エグモント様"が接触してきたとき、ちょうど小麦をダメにするウイルスの突然変異が猛威をふるっていて、この惑星は壊滅の危機に瀕していた。"エグモント様"は食料支援を行うと同時に、小麦の様々な変種を帝国各地から取り寄せてくれた。その中に、ここで発生したウイルスに耐性を持っているものが何種類かあって、食料危機は終焉した。彼らも帝国も、この惑星の恩人なんだよ。で、"エグモント様"は、帝国の政体についてもよく説明してくれたからね、彼と当時の住民達は、法制や税制、統治機構のありかたなどについて、きっちりと取り決めを結び、オーディンに向けては彼をうやうやしく"領主さま"、彼のスタッフを"総督府"として立てる形でこれを受け入れることになった。"エグモント様"の子孫たちも、この取り決めをしっかりと守って、帝国本国の権威をかさに無茶をはたらくような者はでたことがないね。200年ほどまえから、オーディンや帝国の他の地域との接触も途絶えちゃったのだけれど」
「むー。」
エメンディンゲンの住民たちは、領主の伯爵家とうまく折り合いをつけて、地球の北米大陸直伝の民主制をずっと守り伝えてきており、かれらが自発的に伯爵家の統治体制を転覆する見込みは薄そうであった。

 そんなアウグストは、同盟軍部隊の指揮官から、同盟の歴史と帝国との戦争について聞かされると、言った。
「それは聞かなかったことにできないかね?"同盟"とやらに参加するということは、帝国を裏切ることであろう?そのようなことはごめんだ。さりとてわれわれの戦力で卿らと戦うなどただの自殺行為だ。それよりはいままでどおり未知の2つの勢力が友好的に接触を開始した、ということではいかんのかね?」

同盟軍宣撫当局は、イゼルローンより半径700光年の「第一期解放地区」で宣撫活動を行うにつれ、帝国の即座の瓦解はありえないこと、自分たちがこの領域を確保し続けることの難しさを理解していった。それゆえ、この星系においても、あえて無理にエメンディンゲン伯爵家の排除や、同盟領への併合をおこなわず、"「フリープラネッテンの探検隊」と「帝国領エメンディンゲン総督府」との間で、中立的友好関係を結ぶ"にとどめることとした。

              ※             ※

アッテンボローは、エメンディンゲン伯爵家の当主アウグストに、戦争の状況をつたえた。
「…そうか。結局、君たちは当星系を去ることになるか」
「はい」
「まあ、私がいうのもなんだが、幸運をいのろう」
同盟軍にとってこの星系は戦略的価値がほとんどなく、少数の技術者を駐在させて、機能を停止していた産業設備の修理に従事させたり、同盟製機器の提供と運用の指導などにあたらせるだけにとどまっていたので、住民の敵意を買うことなく、良好な関係を維持していた。
「ありがとうございます。そこでエルプグラーフどのにお願いが」
「なんであろうか?」
「われわれ、航行可能な帝国軍艦を4隻、お持ちしました。これを差し上げますので、ご当家の座乗艦と、護衛の巡航艦2隻、駆逐艦2の残骸を、私たちに頂きたいのです」
「それはかまわないが、なんの意味があるのかね?」

エメンディンゲンの私設艦隊は航行不能となって地上で朽ち果てて久しい。
巡航艦2隻、駆逐艦2は解体され、すでに船体の大部分が溶解されてインゴットに加工されたのち、各地の町や村に配られ、その地の鍛冶屋たちによって鋤、鍬、各種の刃物、その他の金属製品などに加工されている。旗艦である戦艦エメンディンゲンも、溶鉱炉の熱源とするため核融合エンジンが現在も稼働しているが、すでに船体の資源化がはじまっており、もはや航行できる状態ではない。

アッテンボローが欲しいのは、船体の残骸ではなく、エメンディンゲン艦隊に所属する艦艇のIDである。幸いにも、各艦のメインコンピュータの記憶媒体は破損せずに残っており、自分の戦隊をエメンディンゲン艦隊に偽装するのに必要なデータを吸い上げることができそうである。

「いえ、それはお話しないほうがよいかと」
「そうか、ならばうかがうまい」
 あ・うんの呼吸である。
アッテンボローは、必要なデータを取得するだけすると、各艦のメインコンピュータを破壊し、本体はただの屑鉄として、改めて格安でアウグスタに譲渡した。戦艦エメンディンゲンについては、核融合エンジンの制御装置を別途提供した。

            ※               ※

アッテンボロー戦隊は、エメンディンゲン星系で三ヶ月潜伏したのち、脱出行を開始した。
アッテンボローにとって幸運だったのは、アムリッツァ星系の決戦からほどなくして、皇帝フリードリヒ四世が崩御し、それにともない帝国のイゼルローン・フェザーン両回廊の警備に大きな隙が生じたことである。

この隙により、アッテンボロー戦隊と前後していくつかの小部隊が同盟領への帰還をはたした。
同盟軍と同盟のマスコミは、英雄として彼らを盛大にほめたたえた。



[29819] 第46話 アムリッツァ篇(11)「帝国分裂のきざし」(5/2)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/09/10 04:37
アムリッツァ篇、これにて一段落。あとはこのままリップシュタット戦役へなだれこみます。
次回からは、24話までの本編とアムリッツァ篇の隙間をうめていきます。3,4話くらいになる予定です。
*******************************
■アムリッツァ星系 シュテルネンシュタウプII 

 ライニの麾下のキルヒアイス・ロイエンタール・ミッターマイヤー3提督の艦隊が戦場にあらわれた結果、大勢は決した。敵の六個艦隊は総崩れとなり、その司令部は降伏または消滅して、アムリッツァ星系における戦闘は終結した。おれはさっそく3提督に連絡を取った。
「キルヒアイス提督、ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督。おかげさまで命拾いしました」
「いえ、2都督閣下が実にギリギリまで敵を追いつめていたおかげです。我々はほんのわずか、最期の一押しをしただけです」
「我々は、まだ回廊方面で敵本国からの増援と戦闘中です。そちらの始末をつけるのと、戦場の清掃は我々がおこないます。皆さんには淪陥(リンカン)星系の解放をお任せしてよろしいですか?」
「了解しました」
「我々の軍団からは、シュタインメッツ提督の部隊をつけます」

 「淪陥星系の奪還」とは、ようするに、敵の占領地に帝国の統治を回復することである。シュタインメッツ提督の手許に集結した1万5,000隻は、つい先頃まで淪陥(リリンカン)星系に対する襲撃や、わが軍団に対する補給船団の護衛などに従事していた部隊であり、この任務には最適であろう。
 「戦場の清掃」とは、敵味方の破損艦から生存者を救出すること、降伏した敵の将兵を捕虜として再組織すること、敵味方の破損艦を修理するものと廃棄するものに分別し、修理するものは応急修理し、廃棄するものは廃棄することなどである。
 
 無傷または破損状態が軽微な艦艇が、味方には2万隻、敵にはごく少数ある。味方の2万隻は、メルカッツ提督とファーレンハイト提督に委ねてメックリンガー提督の救援に赴かせ、おれとイザークは、味方の破損艦4万隻に応急修理をほどこしつつ、戦場の清掃にあたる。損傷が軽微で自力航行が可能な敵の艦艇は、主として捕虜の収容に使用する。
 
        ※              ※

 3個分艦隊9,000隻、増援5,000隻の計1万4,000隻で敵の第1,第11艦隊を支えてきたメックリンガー提督は、メルカッツ・ファーレンハイト両提督ひきいる2万隻の接近を聞くと、偽りの敗走を行い、回廊内の制宙権を敵にゆだね、回廊外へと脱出した。敵艦隊はそれにつられ、メックリンガー艦隊を追って回廊の外にまで飛び出してきた。
 メルカッツ・ファーレンハイト両提督の部隊は敵部隊の側面と背面からこれを奇襲、敵部隊は一瞬で4,000隻を失うと、算を乱して回廊内に逃げこみ、さらにそのままイゼルローン要塞へと逃げもどった。
 一連の会戦で、叛乱軍は、帝国領に侵入させた艦艇の85%を喪失した。もはや当分、帝国領に侵入してくる余力はないだろう。ただし叛徒は帝国領の詳細な地誌データを手中にしている。彼らの艦艇に、イゼルローン、フェザーンの両回廊の帝国側への進出をゆるせば、そこから帝国全土を奇襲しうるという危険な状態はいまだに続いている。そのためロットヘルト・トゥルナイゼン2都督の軍団からはイゼルローン方面に2万隻、ローエングラム元帥府からはフェザーン方面に2万隻が常時動員され、厳重な警備を敷くこととなった。
 
        ※              ※
 
 ロットヘルト・トゥルナイゼン軍団は、今回の会戦で、麾下の30個分艦隊90,000隻のうち、じつに55,000隻が「損耗」した。うち、修理可能なものが約33,000隻。うち自力でヴァルハラ星系に帰投可能なもの8,000隻は、応急修理だけ施してオーディンで修理するとして、残る25,000隻の修理のため、工作船団をオーディンから送ってもらうことにした。
 また、この会戦では膨大な数の反乱軍の艦艇も手にはいった。無傷のものはほとんどなく、大部分が大なり小なり破損しているが、これらをそのままスクラップにしてしまうのはまことにもったいない。もし、叛徒がノイエ・シュトゥットガルト星系に建設をすすめていた艦艇の整備プラントをそのまま完成させてしまえば、叛徒仕様の艦艇に対して修理・整備、補給が可能になる。
 いっそ鹵獲艦隊をつくってやろうか。うん。帝国艦隊の先頭にやつらの元旗艦がずらりと並んでたりしたら、叛乱軍の奴らはとっても悔しいだろうな。これはおもしろそうだ。

 
■ヴァルハラ星系 オーディン 内務省

内務省に、一通の超空間通信が入った。

「エメンディンゲン伯爵の嗣子(エルプグラーフ)アウグストである」
「はあ、エメンディンゲン伯爵さまですか」
「さよう、先日、当星系に、"フリープラネッテン"なる未知の勢力の探検隊が接触してきた。いかに対処すべきか、指示をあおぐため、ここに報告するものである」
「まことに恐縮ですが、エメンディンゲン伯爵さまというお家についてのデータが当方にございませんのですが」
「無礼な!上司をだせ!当家はさる帝国暦255年4月1日、嗣子がオーディンに赴いて爵位継承の手続きを行うべきところ、座乗艦エメンディンゲンが故障してはたせず、ゆえにオーディンに対し修理の人員を寄越されたし、と要請を行っておる」
 あわてて上司がかけつけ、航路局の大データベースに接続して、アウグストとなのる人物が申告した座標の宙域についてチェックすると、たしかにエメンディンゲンなる星系が登録されており、「かつて招撫して帝国領となるも現在は音信不通」という注記がついている。そして内務省の古記録を精査すると、同星系からの最期の通信記録として、アウグストが主張するとおりの「エメンディンゲン伯爵の要請」の記録が発見された。しかしその頃、帝国は流血帝アウグストによる暴政と、彼に対する叛乱などで混乱状態にあり、エメンディンゲン伯爵家からの連絡は放置され、エメンディンゲン星系はそのまま忘れさられてしまったのである。流血帝の治世以降、「アウグスト」の名は帝国の皇族・貴族の間で禁忌となっている。この通信相手はその名を堂々と名乗っており、非常に浮き世離れして聞こえる。
「そのご要請をなさったのは、200年以上も前ではございませんか」
「さよう、そのころ、当星系では様々な機器が耐用年数を迎えておって、オーディンからの返答をまつうちに、通信機も故障したのだ」
「それで、200年以上もたってから、急にご連絡をくださったのは、いかなるご事情で?」
「"フリープラネッテン"の者どもは、耕作機械、冶金設備から航宙艦まで、さまざまな装備を当星系に寄贈してくれたからの、こうして再びオーディンと連絡をとることが可能になったのだ。この通信機も、"フリープラネッテン"の者どもが提供してくれたものだ」
「さようですか。エルプグラーフさま、事情をいろいろうかがいたく思いますので、オーディンまでお運びいただけませんでしょうか?」
「いや、それはできぬ。当家の私設艦隊は地上で朽ち果てて久しい。"フリープラネッテン"の者どもが、航行可能な航宙艦を1セットくれたが、当家には動かせるものがおらぬ。オーディンまで来いと言われるなら赴く用意があるが、それにしても航宙艦の操縦士を寄越していただく必要がある」
「わかりました。さっそく手配させていただきます。それでその、"フリープラネッテン"なる者どもは、いかなるものたちでしたか?なにか暴虐をはたらくとか、そのようなことはございませんでしたか?」
「いや、当星系では、とくに問題を起こすようなことはなかった。ただし不審な点がいくつかある」
「どのようなことでしょう?」
「これをみてくれるか?これは、彼らが当家に寄贈するといって、残していった艦艇(フネ)であるが…」
惑星エメンディンゲンの宇宙港の映像である。戦艦1、巡航艦1、駆逐艦2が映っている。
「船内を検分してみたところ、内装に、このような家紋が装飾されておった」
アウグストは、3種類の家紋を示した。
「わしの知識では、これはレープ家、ルントシュテット家、コルティッツ家の家紋だ。かのものどもは、当星系以外にも、帝国のさまざまな家々と接触したと思われる」
 コルテイッツ家は、今ではアルト(上)とニーダー(下)の2家に分裂して存在しないが、アウグストの知識は、時代遅れとはいえ、確かなものである。
「レープ家の家紋がついた戦艦はどうみても領主座乗艦で、艦橋からはルミノール反応がでた。フリープラネッテンの者どもがどのようにしてこれらの艦艇を入手したのか、あまり想像したくない」
 その時、上司のもとに、秘書官が一枚のメモを寄越した。上司の眉毛がはねあがる。
 秘書官がもってきたメモには、エメンディンゲン伯爵の名前を騙(カタ)ったアッテンボロー戦隊の必死の"お芝居"が記されていた。

            ※                ※

「停船せよ!しからざれば砲撃す!」
回廊方面に逃走をはかる叛乱軍の敗残艦にそなえて警備についていた帝国軍の巡航艦アレクサンドリネと駆逐艦2隻からなる小戦隊が不審な船団を発見、指揮官は早速警告を発した。不審な船団は推力を落とし、警告に従う姿勢をみせたので、さらに誰何すると、提督服とおぼしき見慣れぬ服装の壮年男性がスクリーン上に姿を現して名乗った。
「こちらはエメンディンゲン伯爵家の座乗艦エメンディンゲンである。当家の私設艦隊に附属する巡航艦1、駆逐艦2および附属の艦艇12隻を随行しておる」
 明瞭な帝国公用語である。戦艦エメンディンゲンと称する艦艇(フネ)からは、エメンディンゲンを含め4隻分の船籍データが送られてきた。
「200年以上も前の艦艇(フネ)ではないですか」
「さよう。われらはここ200年あまり、他の星系から孤立しておったでな」
 "データ"によれば、たしかに200年ほど前から連絡が途絶しているエメンディンゲンという星系がある。壮年男が着用している衣服も、"都指揮使"のランクの武官服の旧いタイプのもののようだ。しかしその星系が、急にふたたび船団を動かしだしたというのは、とても怪しい。それに残る艦艇12隻の船籍データをなぜ寄越さない?なにやら非常に怪しい船団である。
「まことに恐縮ですが、役目柄、貴船団を臨検させていただきたいのですが、よろしいですか?」
「うむ、もちろんである」

          ***************
 フェザーン回廊の帝国側付近を警備していた巡航艦シャルロッテは、19隻の小船団を感知して、誰何した。
 応答があった。
 「帝国軍ロットヘルト軍団所属第50-4任務群所属、巡航艦アレクサンドリネと駆逐艦Z23およびZ45。叛徒の艦艇16隻と捕虜12,900人を移送中です」
 帝国軍の船籍データベースには、たしかに該当の艦が登録されており、名乗ったとおりの人物が艦長をつとめている。巡航艦シャルロッテはこの応答にいったん納得してしまったのだが、しかしよくよく考えてみれば、鹵獲した艦艇を送り届けるのにフェザーン回廊方面へむかっていくというのは、どう考えてもおかしい。
 巡航艦シャルロッテは、超空間通信で不審船団発見の警報を発するとともに、叛徒の戦艦主砲の射程からギリギリはなれて追尾しつつ、警告を発する。
「停戦せよ!しからざれば砲撃す!」
しかし、不審船団は停戦する様子をまったく見せない。それに「砲撃する!」といいはしたものの、不審船団のほうがはるかに優勢な戦力をもっており、うかつに近づくと、こちらのほうが袋だたきにされてしまう。巡航艦シャルロッテは、フェザーンの管轄宙域まで不審船団の後をつけたのち、むなしく引き上げるはめとなった。

            ※                ※

 秘書官のメモには、以上のような経緯が記されていた。宇宙艦隊のほうでは、"エメンディンゲン伯爵家"の名は、要注意対象となっていたようだ。上司は、アウグストに尋ねた。
「エルプグラーフさま、ご当家の艦艇を、その"フリープラネッテン"のものどもに譲ったりなさいませんでしたか?」
「いや。譲ってほしいとはいわれたが、当家の艦隊は鉱物資源に転用してもはや残骸と化して久しい」
 アウグストは、エメンディンゲン艦隊4隻の残骸の遠景を示した。
「かのものどもは、はじめは先ほどみせた航宙艦4隻を当家の艦艇と交換してくれといっておったが、残骸を調べると、あきらめて、そのまま残していきおったぞ。ほれ、このとおり」
 アウグストは、比較的原型を残している戦艦エメンディンゲンと、他の3隻の残骸の映像を順次示した。
 
 アイゼンフート伯爵父娘の芝居は大根だったが、エメンディンゲン伯爵アウグストの演技は内務省のスタッフを完全にだまくらかし、「孤立星系の善意の統治者」と信じこませることにまんまと成功した。


 ■オーディン ローエングラム元帥府

 帝国領内に侵攻した叛乱軍9個艦隊のうち7個半までを完全に撃滅して帰還したトーマス、イザーク、ラインハルトを迎えたものは、帝国首都オーディンの地表を埋め尽くすかに見える弔旗の群であった。
 皇帝崩御!
 死因は急性の心不全とされた。遊蕩と不摂生によって皇帝個人の肉体が衰弱していただけではなく、ゴールデンバウム皇家の血統それ自体が濁りはて、生命体として劣弱なものになっていることを示すかのような、突然すぎる死であった。
「皇帝が死んだ?」
 元帥府で、さすがに呆然とした表情を浮かべて配下の諸将を眺めながら、ラインハルトは心の奧で呟いた。
「心臓疾患だと……自然死か。あの男にはもったいない」
 あと五年、否、二年長く生きていれば、犯した罪悪にふさわしい死にざまをさせてやったのに、と思う。キルヒアイスも、おそらくは同じ思いのはずだ(キルヒアイスはいま淪陥(リンカン)星系の後始末のため、ミッターマイヤーやロイエンタールらとともに、まだ辺境星域で作戦中である)。10年前、彼らふたりから美しいアンネローゼを強奪した男が死んだのだ。過ぎ去った歳月が回想の光を透過して、めくるめく輝きを放ちつつ彼らの周囲を乱舞するようだった……。
「閣下」
 冷静すぎる声が、ラインハルトを一挙に現実の岸に引き上げた。確認するまでもない、オーベルシュタインだ。
「皇帝は後継者を定めぬまま死にました」
 公然と敬語をはぶいたその言い方に、ラインハルトを除く他の諸将が一瞬、愕然と息を呑んだ。とりわけ第55分艦隊所属のローエングラム一門出身の貴族将軍たちは、驚愕に目をむいて卒倒しかねない勢いである。
「何を驚く?」
 半白の頭髪の参謀は、義眼を無機質に光らせて一同を見わたした。
「私が忠誠を誓うのは、ローエングラム元帥閣下に対してのみだ。たとえ皇帝であろうと敬語など用いるに値せぬ」
 言い放って、ラインハルトに向き直る。
「閣下、皇帝は後継者を定めぬまま死にました。ということは、皇帝の三人の孫をめぐって、帝位継承の抗争が生じることは明かです。どのように定まろうと、それは一時のこと。遅かれ早かれ、血を見ずにはすみますまい」
「……卿の言は正しい」
 鋭く苛烈な野心家の表情で、若い帝国元帥はうなずいてみせる。
「三者のうち、誰につくかで、私の運命も決まるというわけだな。で、私に握手の手を差し伸べてくるのは三人の孫の後背に控えた、どの男だと思う?」
「おそらくリヒテンラーデ侯でありましょう。他の二者には固有の武力がありますが、リヒテンラーデ侯にはそれがありません。閣下の武力を欲するや切であるはず」
「なるほど」
 キルヒアイスに示すものとは異なる種類の笑いを、ラインハルトはその美貌に閃かせた。
「では、せいぜい高く売りつけてやるか」

 ラインハルトにとっての緊急の問題は、正規軍の40%をふたりで分け合っているロットヘルト・トゥルナイゼンの両都督の扱いである。幼年学校以来の友人であり、ラインハルトが20歳でローエングラム家を継承するまで、長らく庇護者でもあった。その後も友誼は続いていたが、ラインハルトのほうに、これまでのような関係を続ける意志がもうなかった。
 
(あいつら、おれがローエングラム伯爵家を継いで、元帥になったあとでも、まだおれのことを郎党扱いしてやがったからな。もう、おれがあいつらの手駒に甘んじるつもりなど全くないことをきっぱりと示してやらねば。そしてあいつらの方こそ、おれに従うつもりがあるかどうかを、はっきりと確認させてもらう!)

 

■ミュッケンベルガー元帥府

 イザークやライニといっしょに、宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥に呼び出された。
 ミュッケンベルガー元帥は言った。
「この度の叛乱軍の撃滅、お三方の活躍は実にみごとだった」
 そして、席と飲み物をすすめながら続ける。
「私はこれで司令長官職を退く。後継にはローエングラム元帥が内定している」
 イザーク、ライニといっしょにいちおう驚いてみせるが、内心はそんなにビックリしていない。副司令長官のライニが就任するのは、いたって順当なところだ。正規軍元大尉のおれや、元中佐のイザークに廻ってくるならともかくね。
「ロットヘルト都督、トゥルナイゼン都督のお二人には、それぞれ"大都督"の階級が贈られる。ローエングラム新司令長官を支えて、引き続き正規軍をしっかりとまとめていただきたい」
「わかりました」
「承知しました」
そして、ミュッケンベルガー元帥は、数枚のディスクを取り出すと、ライニに渡して言った。
「これはロットヘルト・トゥルナイゼン軍団に所属する全ての将官・佐官と、卓越した尉官・下士官について私の講評を附した一覧である。新司令長官の、宇宙艦隊統率に役立ててもらいたい」
都督に任命されたとき、おれやイザークがもらった物の改訂版だな。
「ありがとうございます」
「それから、すでに両都督には伝えたことだが、これから政治情勢がまことに不安定となるが、くれぐれも正規軍が分裂して抗争に荷担したり、巻き添えになることのないよう、両都督と力をあわせ、正規軍をまとめていっていただきたいのだ」
「わかりました」

          ※              ※
 
 ミュッケンベルガー元帥府を辞去した後、ライニに招かれて、マリーンドルフ邸に移動した。
 ライニの奥方のグラーフィン・フォン・ローエングラム(=ヒルダ)も交えての内密の会談である。

 ライニがおもむろに切り出した。
「司令長官にはああ言ったが、おれはリヒテンラーデ侯爵と組んで、エルウィン・ヨーゼフ殿下を擁立するつもりだ。君らはどうする?」

 ミュッケンベルガー司令長官がおれたちに望んでいるのは、おれとイザークとライニの三人で正規軍をしっかりと掌握して動かさず、皇位継承をめぐる大貴族間の抗争を「コップの中の嵐」にとどめることだった。ほぼ同じ主旨で、武門の名門の宗主33家の間でも、各一門が中立を守って抗争に荷担しないという盟約が密かに結ばれたりしている。
 いきなりライニは、そんな中立をぶちこわす積極介入を宣言しやがった。
 さて、いったいおれたち、こいつになんて返事するべきか。 



[29819] ラグナロック篇(1) はばたくガイエとガルミッシュとレンテンベルクとマリエンブルクと……(2012/3/19,6/10改)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/06/11 02:21
予告篇その1につづく、予告篇その2です。(3/19)
「ラグナロック篇」と改称しました。もともとは「予告篇その1(=アムリッツァ篇)」(1)に続けて投稿し、アムリッツァ篇(2)との間に位置していました。(5/10)
ケンプとハイジの降伏勧告の内容を大幅に変更しました。(6/10)

********************

同盟軍の巡洋艦コルドバの艦橋。計器をながめていたオペレーターが報告を始めた。
「前方の空間にひずみが発生。何かがワ―プアウトしてきます。距離は300光秒。質量は……」
オペレーターは質量計に投げかけた視線を凍結させ、声をのみこんだ。声帯を再起動するまで数秒間を必要とした。
「質量は──きわめて大……」
「もっと正確に報告せんか!」
艦長がどなる。オペレーターは二、三度おおきなせきをして、咽喉をふさいだ驚愕の無形の塊を吐きだした。
「質量、約40兆トン!戦艦などではありません!」
今度は艦長が沈黙の腕に抑えこまれる番だった。彼は身震いしてそれを振り払うと、命令をくだした。
「急速後退しろ!時空震にまきこまれるぞ!」


イゼルローン要塞の中央指令室にあわただしい空気が発生していた。
チーフオペレーターが、司令官代理キャゼルヌ中将に、哨戒部隊指揮官ギブソン大佐からの報告を伝えた。
「形状は、球体またはそれに類するもの。材質は合金とセラミック、あるいは小惑星を加工したもの。そして質量は……」
「質量はどうした?」
「質量は、いずれも概算40兆トン以上です」
「兆だと!?」
キャゼルヌは沈着な男だが、その数値を聞いた時、さすがに平静ではいられなかった。チーフ・オペレーターがさらにいう。
「質量と形状から判断して、いずれも直径四〇キロないし四五キロの人工天体と思われます」
「……つまり、イゼルローンのような要塞というわけか」
キャゼルヌがつぶやくと、要塞防御指揮官シェーンコップが皮肉っぽく笑った。
「友好使節をこういう形で帝国が送りこんできたとも思えませんな」
「一月の遭遇戦は、この前ぶれだったわけか。つまりやつらは、今度は艦隊を根拠地ごと、ここまで運んできたわけだな」
「見あげた努力だ」
熱のない口調で、シェーンコップが称賛した。きまじめなムライ少将が、多少の偏見をこめた視線で防御指揮官の横顔をひとなでする。
「それにしても、とんでもないことを考えたものですな。要塞をワープさせてくるとは……帝国軍は新しい技術を開発させたと見える」
「新しい技術というわけでもない。スケールを大きくしただけのことだろう。それも、どちらかというと、あいた口がふさがらないという類だ」
いわずもがなの異論を、シェーンコップが唱える。
「だが意表をつかれたこと、敵の兵力が膨大なものであること、これは確かだ」
キャゼルヌが間に入り、要点を指摘した。
「しかもヤン司令官は不在。留守番の吾々だけで、すくなくとも当面は敵をささえなければならない」
キャゼルヌが言うと、中央指令室の広大な空間全体に緊張の波がうねった。
「要塞砲と要塞砲の撃ちあいか……?」
キャゼルヌは頸すじから背すじにかけて、見えざる手が冷たくはいまわるのを感じた。
「さぞ盛大な花火でしょうな」
シェーンコップは言ったが、いつもの闊達さがこのときはやや欠けており、軽口として成功したとはいえなかった。その想像は、前線の軍人にとって、軽口で処理しうる一線をこえているのであろう。
「至急、ヤン提督に首都からもどっていただかねばなりませんな」
パトリチェフ准将がそういって、やや悔いる表情をしたが、キャゼルヌは積極的に同意した。
「ざっと計算して、吾々は最低でも四週間、敵の攻撃をささえなくてはならない。しかも、この期間は、長くなることはあっても短くなることはないだろう」
「楽しい未来図ですな」
パトリチェフが言ったが、本人が意図したほど陽気な声にはならなかった。ムライ少将が低い声を押しだした。
「もし、イゼルローン要塞が失われたらどうなると思う?ローエングラム公のひきいる大軍が回廊から同盟領になだれこんでくるぞ。そうなれば同盟は──」
おしまいだ、という一語を発する直前、チーフオペレーターが咳払いをしながら付け加えた。
「……が五つつです」
「は?何が5つだって?」
「ワ―プアウトしてきた要塞の数です」
「なんだって~~~~!!!」

5基の要塞は、それぞれ装甲上に各自の名称を大書していた。
ガイエスブルク。ガルミッシュ。レンテンベルク。マリエンブルク。ヘレンキームーゼ。

要塞5基は、イゼルローン要塞に主砲を向けつつ、それぞれ航路を微修正しながら、数時間をかけて、恒星アルテナの惑星軌道上にのった。

             ※             ※

通信士官からの連絡が入った。帝国軍の要塞から通信波が流れている、というのである。一瞬、眉をしかめたキャゼルヌだったが、同調することを命じて、幕僚たちとともに会議室から中央指令室に移った。

サブスクリーンのひとつが受信用に切りかえられ、帝国軍提督の制服をきた男の姿が画面にあらわれた。線の太い、堂々とした印象をあたえる壮年の将官である。
「叛乱軍、いや、同盟軍の諸君、小官は銀河帝国軍第一要塞隊司令官のケンプ大将です。戦火を交えるにあたり、卿らに一言あいさつをしたいと思ったのです」
ケンプはここでひといきいれると、言葉を継いだ。
「貴要塞は現在、小官がひきる要塞5基の包囲下にあり、常時、3基ないし4基の要塞主砲のクロスファイヤー・ポイントに位置しています。できれば降伏していただきたい。ただちに動力炉を停止し、監理部隊の移乗に備えてください。この要求が受け入れられない場合、また、小官や部下たちからの具体的な指示に従っていただけない場合、当部隊の要塞主砲を斉射し、貴要塞を破壊・消滅させます。検討する時間を3分間さしあげます。迅速かつ適切に対応してください」

「古風だが、堂々たるものだ」
ユリアンの傍で、シェーンコップがつぶやいた。一種の現実逃避である。

ケンプがことばをおえると、ケンプのとなりで、画面の下から伸びた手がひらひらしはじめた。画面の焦点が下方に移動し、その手の持ち主に切り替わった。見慣れない制服を着た、小柄な、若い女性である。同盟人たちはまだその名を知らないが、アーデルハイトである。
「ローエングラム元帥府の首席秘書官、第一要塞隊幕僚のロットヘルト都司(クィナミリアルキン・フォン・ロットヘルト)です。イゼルローン要塞はもともと帝国の所有物であり、あなたがたが駐留させた艦隊は、全体がわれわれの戦利品です。われわれの監理部隊の移乗を待たずに各種機器や電子情報などの破壊処理が行われた場合も、武力攻撃による報復の対象にとします」
いいおえると、ロットヘルト都司は続けた。
「残り時間は1分20秒です。賢明な判断を期待します」


そして、イゼルローン要塞から後方へ、超高速通信が飛ぶ。
「四月一〇日、帝国軍はイゼルローン回廊に大挙侵入せり。──しかも移動式巨大要塞5基をもってなり。イゼルローン要塞は降伏せり」

ヤン・ウェンリーに対する査問会がふっとんだのは当然のことである。



[29819] ラグナロック篇(2) 「流転のエーリケ」(5/19)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/05/27 12:13
第30,31話、ストーリーはできあがっているのですが、細部がうまく決まってくれません。ちょっと気分転換をば^^;)

****************


 管理要員をのせた輸送船団がイゼルローンに接近してきた。
 船団の光学映像が要塞司令室のスクリーンに投影されると、一同からうめき声があがった。 
 輸送船団を護衛する戦艦が、同盟人にとってはまことに見慣れた軍艦(ふね)ばかりだったからである。
 もと第2艦隊旗艦パトロクス。
 もと第3艦隊旗艦ク・ホリン。
 もと第7艦隊旗艦ケツァルコアトル。
 もと第8艦隊旗艦クリシュナ。
 もと第9艦隊旗艦パラミデュース。
 もと第12艦隊旗艦ペルーン。
 艦名を刻んだエンブレムのみは同盟時代のまま、帝国艦のカラーに塗り替えられ、同盟の国章が描かれるべき位置には、赤い鎧武者の家紋が描かれている。
 やつらのコレクションに、これからイゼルローン駐留機動艦隊(第13艦隊)の旗艦ヒューベリオンも加えられてしまう。
 同盟人たちは悔しさに涙した。

 イゼルローンに乗り込んできた帝国の管理要員たちは、手際よく要塞の要所を確保し、同盟兵を武装解除していった。
 帝国人による要塞の制圧が完了すると、ケンプ大将をはじめとする“帝国軍第一要塞隊”の首脳陣がのりこんできて、“自由惑星同盟軍イゼルローン要塞司令官代理”キャゼルヌとの間で、降伏文書の署名、調印などをおこない、名実ともにイゼルローン要塞をふたたび帝国の手に取り戻した。
 “式典”が終わり、同盟人たちはそれぞれ拘束されて司令室から連れ出されたが,キャゼルヌ、パトリチェフ、ムライ、シェーンコップら最高首脳部の面々は、そのまままとめて、もと士官食堂に導かれた。
 “式典”の際には「ロットヘルト都司(クィナミリアルキン・フォン・ロットヘルト)」と名乗っていた女性が入ってきた。 “式典”の時の「冷徹なること氷のごとし」という風情とは異なる様子で、一同にむかって言った。
「みなさんは、先年の“大侵攻”のとき、ホッホヴァルト星系を占領なさったでしょ?」
 アムリッツァ会戦の際、遠征軍総司令部の後方主任参謀だったキャゼルヌを除き、この部屋に招かれている全員が第13艦隊のメンバーとしてホッホヴァルト占領に参加しているが、“都司”の質問意図がわからないので、一同、警戒して返事はしない。
 “都司”はディスクを取り出すと、食堂の受像機で上映しながら言った。
「これは、みなさんの報道番組です」
 “トイフェルハイム男爵の圧政から逃れてきた帝国人の民衆30万人がハイネセンに到着した”という、アムリッツァ会戦中に流されたニュース番組である。避難民の少女へのインタビューが流れる.
「この女の子の名前は、ベルタ・ラントヴィルト、当時12歳。私たちがホッホヴァルト星系に派遣したロットヘルト領民ダーフィト・ラントビルトと、イーファ・ラントビルトの娘です」
“都司”は、懇願するように質問した。
「みなさんが30万人を助けだして下さったというのは、ほんとうですか?」
 逃げ出した帝国人民衆をとがめようというのではなさそうだ。ただし自分たちに情報をもとめるなら、もうすこし事情をあきらかにしてもらおうか。そう考えたシェーンコップが尋ねる。
「そのようなことを、なぜお知りになりたいのですかね?」
 “都司”の背後につきそうように立っていた軍人が答える。中将の階級章をつけている。
「私たちは、ホッホヴァルトの領主が惑星住民30万人を根こそぎ虐殺したと思っていました。皆さんがホッホヴァルトに来る2年前のことです。その時、惑星には私の弟と、ロットヘルトの領民1,200人もいました」
 “都司”が続けた。
「皆さんが引き上げたあと、ホッホヴァルトの領主は星系に対する支配権をいったん回復しました。皆さんが彼らを連れ出してくださらなければ,領主にみつかって、殺害されていた可能性があります」

 同盟人たちはしばらく顔を見合わせてうなずきあっていたが、やがてパトリチェフが答えた。
「そういうことならお答えしましょう。惑星の住民たちは、高深度に大きな地下壕をいくつも設けていました。領主から攻撃を受けたときは、それで身を守ったそうです。報道番組にあった30万人というのは、われわれが実際に惑星から脱出させた人数と同じ数です」
 パトリチェフのことばをきくと、“都司”と中将は、みるからに安堵のようすをみせた。
 ふたりの様子をみて、シェーンコップがいった。
「薔薇騎士連隊(ローゼンリッター)に、そのホッホヴァルトの避難民出身の兵がひとりいますよ」
「ほんとうですか?」

           ※             ※

 マティアス・ザマー一等兵が名指しで呼び出されて出頭した士官食堂には、思いがけない人物がいた。ふるさとにいたころ、週一回、早朝に放映される“伯爵家アルバム”でよくみた顔。
「若君さまに、お嬢さま……」
 “若君さま”と“お嬢さま”が涙を浮かべながらザマーを見つめている。
「カーセム村のマティアス・ザマーだね?」
「はい」
「よう、生きとってくれたなぁ。おれたち、エーリケとお前(みゃあ)たちの葬式を出したで」
 食堂の受像機では、懐かしの“伯爵家アルバム”のテーマソングに続いて、「ホッホヴァルト殉難者追悼式」の模様が流れていた。“若君さま”がディスクを取り替えて、言った。
「これは、報道はされんかったけど、お前(みゃあ)の婆さまのとこに謝りに行ったときの記録だぎゃ」
 “奥さま”と“若君さま”と“お嬢さま”が裸足で、“奥さま”が自分の祖母に頭をさげている。祖母のまわりには、伯父・叔父と叔母、イトコもなんにんかいる。
 親戚たちの姿をみて、ザマーは涙ぐんだ。
「エーリケさまが、地下壕つくれおっしゃったのが役にたちました」
 “お嬢さま”が尋ねる。
「エーリケさんも生きとるんかね」
「はい。同盟の人らーは、おれたちとホッホヴァルトのひとたちに、おおきな開拓地を割り当ててくれました。アイフェルハイム入植地いいます。エーリケさまは、みんなに選ばれて、入植地の“プレジデント”いうものを、しとらっしゃいます」
「ほー、さようか。……ロットヘルトの者(もん)は、みんな無事なんか?」
「はい」
「ホッホヴァルトの者も?」
「ええ」
「それはよかった」

“若君さま”が居住まいをただし、ザマーにたずねた。
「お前(みゃあ)、この際、このままロットヘルトに帰らんか?婆さまも親戚たちも大喜びだで」
ザマーは数瞬くちごもったのち、こたえた。
「戦友たち皆(みんなー)と一緒に釈放してもらえるんでしたら、ぜひそうしていただきてゃーですが、おれひとりだけ釈放いうんでしたら、ご遠慮もうしあげます。おれだけ特別扱いされるんは、戦友たちに申し訳にゃーで」
「なに?」
“若君さま”は問い返すが、あまり驚いた様子はない。“お嬢さま”とともに、ザマーの顔をじっと見つめる。
「せっかくのお申し出いただいて、申し訳にゃーですけど」
「そうか……。いや、よう言うてくれた。同盟の人らーはお前(みゃあ)たちの命の恩人になってまったで。おれも、お前がそう答えてくれて、かえって嬉しい。それこそ、“ロットヘルト魂”だぎゃ」
「おれ、敵軍に入隊したのに、お怒りにはならにゃーのですか?」
「いや、お前(みゃあ)たちが帝国を捨てたんでない、おれたちのほうがお前(みゃあ)たちを見捨ててまったんだぎゃ。だでー(=だから)、お前(みゃあ)を裏切りものとは思わん」
「ありがとうございます」
「“伯爵家アルバム”に出演して、ホッホヴァルトに行った者(もん)らーがみんな元気だ言うてもらうんは、かまわんか?」
「ホッホヴァルトのご領主は……?」
「貴族連合軍に参加して、もう滅びとるぎゃ」
「おれたちみんな生きとるいうことが知られても、もう問題ない?」
「そうだぎゃ」
「じゃあ、ぜひ出演したいです」



[29819] 【おしらせ(8/8)】物語の時間軸
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/08/08 13:55
※本作をはじめて読む皆様、以前からの読者の皆様

この物語の時間軸を簡単に紹介します。

◯プロローグ 帝国暦488年3月 リップシュタット戦役の直前。主人公は大貴族ながらラインハルトに組する決意を表明。

◯第1話〜第46話 帝国暦473年ごろ〜帝国暦487年秋 ラインハルトと同年齢の主人公が6才ごろから、アスターテ会戦・カストロプ動乱集結まで。

◯ラグナロック編(1),(2) 帝国暦489年/宇宙暦798年4−5月 番外編として投稿した一発ネタ。
◯第47話〜 現在執筆中ですが、帝国暦487年秋〜となります。



[29819] 第47話 エルウィン・ヨーゼフの即位(2012.9.28)
Name: 山懸三郎◆ddd5f1eb ID:55a6cbb5
Date: 2012/09/28 21:43
ホッホヴァルトの住民が同盟軍に救出されていたことがロットヘルトの姑と嫁に伝わるお話を、第39話(アムリッツァ篇4)から移植しました(9/21)。

                       ※                        ※

ラインハルトは、『トーマスやイザークたちとのつきあいかたを今までとは根本的に変えてやる、彼らとの上下関係をはっきりさせる(むろん俺のほうが上だ!)』という意気込みでトーマスとイザークを招き、【皇孫たちの継承争いでは、国務尚書リヒテンラーデ侯と組んで、エルウィン・ヨーゼフ殿下を擁立する。君たちはどうするか?】と伝えたのだが・・・・。

 トーマスは、なにかいいかけたイザークを制してたずねた。

「さっき『リヒテンラーデ侯と組んで』っていったけど、侯爵とはすでに接触を?それともこれから打診するのか?」
「リヒテンラーデ侯のほうから補佐官をよこしてきた」

 国務尚書として国政の実務を握るリヒテンラーデ侯が動いているということは、すなわちエルウィン・ヨーゼフの擁立計画は、たんなる願望や構想ではなく、すでに実施段階に入っているということではないか。
 いま帝国貴族4000家と称される大貴族は、家格の高い特に有力なものたちがブラウンシュヴァイク家のエリザベート嬢かリッテンハイム家のサビーネ嬢のいずれを支持するかでまっぷたつに割れ、残る家々は様子見をしているという状態である。ロットヘルト・トゥルナイゼンを含む武門の名門33門閥(約280家)の場合は、100年ほどまえから互いに皇位継承争いには介入しないという盟約をむすび、この種の権力闘争からは意図的に距離をおくようになっている。いずれにせよ3人の皇孫のうち、大貴族たちの支持があるのは、ブラウンシュヴァイク家とリッテンハイム家のふたりの姫君だけで、門閥の背景をもたないエルウィン・ヨーゼフを積極的に支持するものは、大貴族の中にはいない。

リヒテンラーデ侯は、そのようなエルウィン・ヨーゼフを推すことが、大貴族のなかでも中核をなすものたちからの大きな反発を招くことは、とっくに承知のはずである。にもかかわらず、侯は、エルウィン・ヨーゼフ擁立にむけて動きだした。ラインハルトに接触したのは、ラインハルトが握る宇宙艦隊の武力を背景に、有力な大貴族たつからの反発に抗しようという腹を固めたのであろう。

そして、「帝国軍元帥・宇宙艦隊司令長官ローエングラム伯」は、ロットヘルトとトゥルナイゼン、ミュンヒハウゼンのみっつの一門で育ててきたようなものであるから、他家からみれば、この三つの一門も、エルウィン・ヨーゼフ擁立計画に関係しているようにみえるであろう。ロットヘルト、トゥルナイゼン、ミュンヒハウゼンの各一門は、今回の皇位継承あらそいについて、武門の家々の中立の盟約を楯にぼんやりと傍観していることは、もはや不可能となった。リヒテンラーデ侯とラインハルトが進めるエルウィン・ヨーゼフの擁立について、至急に、賛成か反対か、参加するのか距離をおくのか、態度表明を行わねばならない。

 トーマスはイザークと一瞬顔を見合わせたのち、あっさりと言った。

「われわれの軍団は、もともと叛徒の侵攻軍を迎撃するため臨時に編成されたもの。オーディンに帰着した部隊から、順次、新総司令官の指揮下にお返しします」

 ラインハルトの問いに対していささかひねった答えだが、自らが掌握している正規軍航宙部隊の20%を、ラインハルトと対抗したり敵対したりするのに用いることはしない、という意思表示である。イザークが不満に頬をふくらませてトーマスになにかいいつのろうとすると、トーマスがさえぎって言った。

「イザーク、君、ハイジと、グラーフィン・フォン・ローエングラム(=ヒルダ)の学位請求論文もう読んだか?」

 「学位請求論文」とは、大学生や大学院生が、学士や修士、博士のなどの学位を申請するために執筆する論文(いわゆる卒論)である。オーディン帝大の政治・ 経済学部のヤコブ・ロイシュナー教授は、大貴族や門閥宗主家の者にしか閲覧が許されない貴重な檔案資料(とうあんしりょう)を駆使したアーデルハイトとヒルダのゼミ・レポートを読んで、「レポートで終わらすのはもったいない、学位請求論文か、学術雑誌への投稿論文としてまとめてみてはどうか」と薦め、ふたりはレポートを論文として肉付けする作業に着手した。ヒルダは3回生、アーデルハイトは1回生であり、所定の年限を在籍し、必要な単位を取得しないと学部の卒業資格は得られないが、ふたりの論文は高い評価を獲得し、最終年時に「学位請求論文」として扱うこともできる(学士学位請求論文を別に執筆したい場合は別)という位置づけを得た。さらにはオーディン帝大の学術雑誌『政治・経済研究』への掲載がきまった。

「いや、まだだが……」

 イザークには、ラインハルトがエルウィン・ヨーゼフ擁立宣言を突きつけてきたのに対し、なぜトーマスがいきなり妹やヒルダの卒業論文を持ち出してきたのかさっぱりわけがわからない。ラインハルトとヒルダのほうはクッキリとよく知っている。なにせヒルダはアーデルハイトとともに大貴族にしか閲覧できない文書多数を収蔵する檔案舘(公文書保存センター)にこもり、手分けして論文の素材をあつめた仲であるし、ラインハルトもリンベルク・シュトラーゼの下宿で、アーデルハイト本人や、彼女やトーマスの「ご学友」たちから、論文やその前段階のレポートの内容についてなんどもレクチャーを受けている。
 現在の帝国貴族が、ルドルフが帝国を創建した当初の道徳的高潔さも実務能力もほとんど失ったことを、アーデルハイトの論文は、帝国貴族精神の内容と形成・衰退のプロセスという側面から、ヒルダの論文は帝国が実施してきた人類社会の発展の為の諸政策(宇宙開拓や経済建設)の展開(=大多数が挫折)という側面から描いたものである。「帝国貴族精神の復興のために」や「帝国の再建のために」などという章をもうけて、見かけの上では体制内改革を目指す論文としての体裁を整えているが、眼力のあるものが慎重に精読すれば、統治者としての責任感を欠いて地位と特権をむさぼるだけのいまの帝国貴族が帝国を食いつぶす癌であると糾弾し、その統治はいま最末期を迎えているという著者たちの認識を読み取ることができるのであった。 

「いますぐ、目を通すべきだぜ」
「そうなのか?」
「まだまだ時間に余裕があると思っていたけど、こんなこと(=フリードリヒ四世の崩御)になって、そんな余裕はなくなった。」

 なんのことかわからず、ぽかんと口をあけたままのイザークは放置して、トーマスはラインハルトに言った。

「おれたち、左右の大都督としては、ミュッケンベルガー司令長官の依嘱にしたがって正規軍を新司令官の下で一致団結させる方向で動きたいと思う」

 ラインハルトがうなずくと、トーマスは続ける。

「ただ、ロットヘルト家としてどう動くかについてはおれは答える立場ではないし、イザーク(=トゥルナイゼン一門の宗主)はまだ事態を把握していないみたいだから、あらためて出直してくる、ということでいいかな?」
「わかった」
 
 ラインハルトが答えると、トーマスは、まだ何かいいたげなイザークを引きずるようにして、マリーンドルフ邸を辞した。

                       ※                        ※
 
 帝国暦488年元旦。皇太子ルードヴィッヒの忘れ形見エルウィン・ヨーゼフが、先代フリードリヒ四世の後を嗣いで皇帝に即位した。即位式典ででは、帝国宰相となったリヒテンラーデ侯と、宇宙艦隊司令長官に就任したラインハルトが、文武の廷臣の列の先頭に並んだ。
 ラインハルトとしては、エリザベートやサビーネを擁してうまい汁をすおうと考えていた大貴族たちが成り上がりものの自分の専横に怒り、暴発でもしてくれればまことに都合がよいと考えていたが、事態はそのようには運ばなかった。思惑をはずされた主要な大貴族たちの怒りの矛先はラインハルト一人には向かわずに拡散し、陰にこもっている。
 オーベルシュタインに命じて調べさせたところ、そのような事情の背景があきらかになってきた。

                        ※                        ※

 ロットヘルト邸にもどったトーマスから、リヒテンラーデ侯爵がラインハルトと結んでエルウィン・ヨーゼフ擁立で動きだしたことを知らされると、ヴィクトーリアはただちにミュンヒハウゼンの宗主カール・ヒエロニュムスやトゥルナイゼンの宗主イザークらをロットヘルト邸に招集して対策を協議し、その日のうちに手分けしてブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯のもとをおとずれた。
 ブラウンシュヴァイク公は、夜更けにもかかわらず、ヴィクトーリアとイザークをにこやかに出迎えた。中立派の有力門閥の宗主2家の当主が皇位継承のことで緊急に話があるといってきたら、ブラウンシュヴァイク公には断る選択肢はない。リッテンハイム侯のほうにはカールとトーマス・アーデルハイト夫婦が訪ずれている。

 「われら武門のものどもは、100年前から皇位をめぐる争いには加担しないという盟約を結び、この手の問題には中立・傍観させていただくことになっておりますが、このたびの事態は大変に憂慮しております。われらとしてはエリザベートさま、サビーネさまのいずれがご即位あそばしてもかわらず忠誠を誓う所存です」
 「それはありがたいことですが……」

 武門の名家33門閥は、この100年来、帝国軍の振興と軍部での栄達のみに専念し、宮廷内での栄達や権力闘争とは距離を置いてきた。かれらのそんな姿勢は以前から明らかにされていることで、夜更けに訪問していまさら告げられるようなことではない。かれらは続けた。

「エリザベート様にリッテンハイムのお身内を迎えて王配とする、あるいはサビーネ様にブラウンシュバイクのお身内をむかえて王配とする。どちらでもかまわないのですが、このようなかたちで、なんとかブラウンシュヴァイクのご一門とリッテンハイムのご一門が折り合いをつけることはできませぬか?」
「いや、われらとしましても折り合いをつけられるものならつけたいところなのですが、相手のほうが皇位も王配の地位もすべてを独り占めすることを狙っておりまして、残念ながらそのようなわけには参らぬのです」
「そうですか……」
 武門の宗主家のものたちは、それだけで、あっさりと引き下がって辞去していった。
 ブラウンシュヴァイク公オットーも、リッテンハイム侯ウィルヘルムも、彼らがなんのためにやってきたのか首をひねったが、やがて驚きの事態をむかえる。

 国務尚書リヒテンラーデ侯から、”エルウィン・ヨーゼフ殿下が新皇帝として即位される。式典の開催は帝国暦488年元旦"という告知が全帝国に発せられたのである。
 ブラウンシュヴァイク公にとっては寝耳に水の告知で、仰天した。調べさせたところ、自分のとりまきの大貴族たちはむろん、リッテンハイム派の大貴族たちも、仰天してこの告知を迎えたようであった。
 
 政府の閣僚たちがコールデンバウム帝室の藩塀たる大貴族たちにまったく根回しもなくこのような決定をくだすとは、ブラウンシュヴァイク公にとってはありえない暴挙である。配下から、国務尚書の告知について知らされて、頭にカッと血が上ったブラウンシュヴァイク公であったが、数日まえ、深夜に訪ねてきた二人の武官の門閥宗主を思い出し、こんどは顔から血の気がひいた。彼らはリヒテンラーデ侯がエルウィン・ヨーゼフを帝位につけることを、自分たちよりさきに知っていた。
 ブラウンシュヴァイク公は、地上車を用意させ、ただちにロットヘルト邸へと向かった。
 
「グラーフィン、先日あなたは"武門のものたちは100年前から皇位をめぐる争いには加担しないという盟約を結び、この手の問題には中立・傍観させていただくことになっております"と言っておられませんでしたかな?」
「はい、そのように申し上げました」
「エルウィン・ヨーゼフ殿下の擁立に加担なさるなどのどこが中立・傍観ですか?当事者そのものではないですか?」

 皇孫たちの皇位継承争いのダークホースを支持することで、ロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼン一門ら武官諸侯が、ブラウンシュヴァイク派やリッテンハイム派ら文官諸侯を排除して権力を握るつもりなのか、とブラウンシュヴァイク公の難詰には、悲鳴にも似た必死の語気を帯びる。
 ヴィクトーリアはあっさりと答えた。

「皇太子殿下が亡くなって以来、みなさまがた文官諸侯は五年もの間、新たな後継候補者を決められられずに時をすごしてこられた。われらがエルウィン・ヨーゼフ殿下の擁立に反対しないのは、皇位を空位のままにはしておけないこと、お二人の公主殿下(エリザベートおよびサビーネ)のいずれにたいしても中立であろうとするためです。我らは、もしみなさまがた文官諸侯が一致して推すことができるならば、公主殿下のいずれかがエルウィン・ヨーゼフ殿下にかわって、あらためて皇位をお嗣(つ)ぎになることに反対いたしませぬよ?」

 つまり、武官の大諸侯として、エルウィン・ヨーゼフの後ろ盾となって権力を握るつもりはない、エルウィン・ヨーゼフの皇位継承に不満なら、文官の大諸侯たちの間でどちらの公主に地位を継承させたいか意思統一をせよ、といっているのである。ブラウンシュヴァイク公は、もはやこれ以上ヴィクトーリアを責めることはできず、引き下がらざるをえなくなった。

 ブラウンシュヴァイク公と前後してミュンヒハウゼン男爵邸を訪問したリッテンハイム侯も、同様の問答をおこなって、引き上げていった。

                      ※                          ※

 エルウィン・ヨーゼフ擁立に対する文官の大諸侯たちの不満や反発が、ラインハルトに集中せずに、陰にこもって拡散している理由。

「つまり、帝国政府と武官諸侯が組んで行う、単なる示威行動とみなされているわけか……」

ラインハルトが独裁権力を握るためには、大乱の勃発とラインハルトの手による平定、有力な門閥貴族の一掃が必須である。

このまま文官の大諸侯たちがエルウィン・ヨーゼフの即位を受け入れてしまうか、あるいは遅まきながら利害調整をおこなうことに成功し、大貴族の総意という形で公主のいずれかがエルウィンヨーゼフと交代するようなことになった場合には、ラインハルトの期待する大乱は勃発しない。そうなれば、ラインハルトはひきつづきロットヘルト・トゥルナイゼン・ミュンヒハウゼン3一門の手駒とみなされ続ける。あるいはせいぜい、武官の名門33宗主の一つという位置づけを受けることができるかとうか。

「そのようなことをさせるものか」

                       ※                        ※

オーディン・ロットヘルト邸のもとに、情報部をなのる士官が訪問してきた。
ヴィクトーリアとアーデルハイトが応対する。
「こちらをごらんいただきますか?叛徒どもの報道番組であります」

大型の貨客船数隻から吐き出される、貧しげなすがたの人々。
「トイフェルハイム男爵の圧政から逃れてきた人々」というテロップが流れる。
乗客の一人、十代前半の少女にインタビュー。
なぜ、故郷を捨てようと思ったか、新天地を見てどう思ったかなどについて質問・応答している。字幕では「専制と圧迫から逃れて、自由の国にやってこれた。感謝、感激です」
などとでているが、そうとうに曲解している。士官もヴィクトーリア、アーデルハイトたちも、インタヴュアーと少女が使う帝国公用語のほうを聞いている。

「マリアおばちゃんが若さまに撃たれてね、旦那さんが止めよーとしたら、若さま死んでまった。それで領主さまがミサイルとしゅほうで地表を撃ったの」
「よく無事だったねぇ」
「さんとーしょきかんさまが、穴ほれおっしゃって、みんなで掘った穴があったでね、そこに隠れたがや」


情報士官は話はじめた。
「トイフェルハイムという領主も星系も、帝国には実在しません。しかし叛徒どもが帝国人民30万人を受け入れたという主張そのものについては、はたして虚偽なのかどうか、はわれわれは非常に関心があります」
「……」
「死んでまった。あったでね。かくれたがや。ロットヘルトの方言によく似ておりますな」
アーデルハイトは動転しているが、ヴィクトーリアは平然と答える。
「うむ。ロットヘルト星系の方言にも、まことによく似ておるのう…」
情報士官は、試すような視線で二人をみている。
「我が星系の住民は、帝国の草創期に大幅に減らしたのち、シリウス辺境星区のノイエ・ゲルビル星系から大量に補充しておる。帝国時代にこの星系から移民を受け入れたところは、わが領地のほかにもいくつかあろう」
「さようです。われわれ、可能性のある全てのところに、確認にうかがっております」

ロットヘルト星系は領主と領民の絆が深く、嗣子が領民に殺されたり、領主が報復し、領民が逃げ隠れるというようなこともない。そもそもロットヘルト星系には叛乱軍は出現しておらず、住民が30万人も彼らのもとへ逃げ出すようなことが起きようはずもない。

ヴィクトーリアがそのような事柄を告げると、情報士官は、こちらで何かわかったことが出てきたら教えてほしいといって、去っていった。

「……お義母さま?」
「なんじゃ?ハイジ」
「よく似ているというより、そのものズバリだったのでは?」
「なにがじゃ?」
「住民30万人。“マリアおばちゃん”。“三等書記官さま”。嗣子が殺されて、領主がミサイルと主砲で地上を撃った、なんて」

 ホッホヴァルト男爵は、内務省の三等書記官として惑星ホッホヴァルトに着任してきたヴィクトーリアの次男エーリケと、「三等書記官府」の使用人として派遣されてきたロットヘルト領民とその家族領民1200人を殺害。
 ヴィクトーリアが乗り組んでいた領主座乗艦を襲撃。
 それだけでも、ロットヘルト家が、ホッホヴァルト男爵がこもる産業衛星の劫略を命じるには十分な大義名分がたつはずであった。
 トーマスがひきいるロットヘルト家の私設艦隊50数隻がホッホヴァルト星系に到着。
 意識を回復したヴィクトーリアは、エーリケや部下たちがロットヘルトヘルト艦隊とかわした最後の通信や映像を再生し、しばらくの間沈思黙考した。
 トーマスや、ロットヘルト艦隊の指揮官たちは、とうぜん、ここでヴィクトーリアが攻撃命令を下すものと考えていたところ、全軍の引き上げを命じたのである。
 トーマスやアーデルハイト、家臣らからみれば、謎の撤退である。
 しかも、ホッホヴァルト男爵は、オーディンに帰還した後、ロットヘルト邸や、オーディン帝大に通うアーデルハイトの襲撃を企てたにもかかわらず、ヴィクトーリアが彼に対してとった措置は、不問に付すにも等しい対応であった。 

「確かによく似ておるの」
「6月の終わりに、高深度掘削装置を6機ほど送りましたね」
「トンネルを掘って交通網を充実させたいと言ってきよったからの」
「エ―リケさんに、ヒルダ姐さんのレポートを送ってすぐです」
「ほう、そういえば、ちょうどそのころじゃったな」
アーデルハイトはしばらくヴィクトーリアをじっと見つめるが、ヴィクトーリアは手にもったティーカップの茶の水面を素知らぬ顔で眺めるばかである。
「…エ―リケさんは生きているんでしょうか?」
「…生きておったら、うれしいが…」
「お義母さま、以前から、何かご存じだったのでは?」
「いや、全く知らなんだぞ」
「ホッホヴァルトの近くで救済事業を再開なさったのも、隙をみつけて救出作戦を行いやすいからですか?」
「なんのことじゃ?さっぱりわからぬの」


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