宮本武蔵玄信という人物がいる。
全て記すと一瞬ぴんと来ないかもしれないが、宮本武蔵、とだけ書けば、歴史の授業など睡眠時間だという学生でも聞いたことがある名前になるだろう。
播磨国に生まれ、九国(九州)で没し、五輪書を遺した伝説の兵法家である。
また二天一流という流派を起こしたことでも有名であり、江戸時代においても柳生新陰流や小野派一刀流という無双の流派とも並び称されていた。
さて、その武蔵には実子がおらず、養子を一人だけ取っていた。
その名は宮本伊織貞次。
実子ではないにもかかわらず、その豪胆さは武蔵譲りで、逸話の一つに
『伊織の前髪にくくりつけた米粒一つを、武蔵が己の太刀で一刀両断にしたとて、微動だにしなかった』というものがあるほどだ。
武蔵の腕前もさることながら、その据わった肝にも驚く他ないだろう。
この伊織は後に小倉小笠原家に仕え、家老となり将軍にまで名を知られるほどの名家老となったといわれる。
しかし、ここで一つ疑問が湧き出てくる。
宮本武蔵といえば当時でも高名な男である。
その男が幾ら修行に打ち込んだからといって、嫁の一つももらわぬというのはどういった理由だったのだろうか。
酒と女を断つ、といえば聞こえはいいが、当時の考えからすれば家を残すのは至極当然の事だったはずである。
現に武蔵は伊織以前にも一度養子を取っている。とはいえその養子は仕えた主に殉死してしまい、二度目の養子として伊織を拾っているのだ。
自ら子をつくろうとはせず、養子を貰う。
三文小説的に考えると、ここからひとつの説が導かれる。
そう、かの軍神上杉謙信の如き説である。
つまり、武蔵は嫁を娶らなかった、子をなさなかった、のではなく。
娶れなかった――為せなかったのではないか、と。
そうなると自らの諱を玄信とした武蔵の気持ちも理解出来るような気がしてくる。
自らを上杉謙信の終生の強敵であった武田信玄晴信に例えたものであろう。
つまるところ、宮本武蔵玄信という剣豪は、古今無双の女剣豪だったのではないか――
武蔵の逸話の一つに、武蔵は生涯風呂に入らなかった、という話がある。
だが仮にも晩年には宮仕えをしているような身である。
兵法の上で、風呂に入るは刀も脱ぎ捨て無防備だから、というのであれば、体臭を漂わせて己を悟らせるのもまた愚の骨頂である。
ふけを撒き散らし、悪臭を漂わせるようでは、宮仕えの身としても、兵法家としても失格なのだ。
「……父上、いい加減に湯に浸かられてはいかがですかな。
かの謙信公とて湯船に浸からぬという訳ではございませんでしょう」
「今更湯に入るなど出来るか! 肌身を晒すのも恥ずかしいわ!」
とある山中、さわやかな青年の声と、可愛らしい小鳥のような声が聞こえてきた。
この二人の会話を聞いて、誰も二人の正体を察することなど出来まい。
いや、もしやすれば青年のことを察することは出来たかもしれない。
青年の名は宮本伊織。そして小鳥のような声の持ち主は――
「いやしかし、養子となるとこのような褒美があるとは思えませなんだ。
播磨で次男の冷や飯をくろうていては、あやかしの如き瑞々しき桃の肌を拝み続けることは出来ませんからな」
「おのれ伊織、わしは貴様を拾うた事を後悔しておる。まさか元服を済ませた頃合にこのような好色になるとは思いもしなんだわ」
――四十に届こうかという中年男性ではない、十八程といっても通じるような美少女、宮本武蔵であった。
武蔵の生涯は伝説という名の幕に覆われ、実態を垣間見ることが難しい。
他の剣豪がかなり明瞭な史実として描かれることを考えると、あまりに武蔵は講談に上りすぎたのであろうか。
本人が播磨国と書いた生国すら左右される有様には憐憫さえ浮かんでくるとは、言い過ぎであろうか。
さて、そんな武蔵だが、若年の頃は九国。今の九州にいたという説がある。
父と一緒にいたとする説や、浪人として戦ったという説も様々だが、その時代は総じて関ヶ原である。
となると、当時関ヶ原で猛威を振るったのは黒田如水である。
その策謀たるや、豊臣秀吉が恐れる余りについに大きな領地を与えなかったことからも伺える。
無論、この三文小説に登場する武蔵も黒田如水についてはよく知っていた。
「……かの官兵衛殿は、東西の戦が数年は続くと思われていたのだが……家康公は素晴らしいものがあるな。
播磨の時は大層豊臣殿に親父殿共々世話になったが……やれ、冶部少殿ではむずかしゅうてな」
「成る程、戦とはかように心震えるものなのですな」
「実際の戦場では刀などよりも、よっぽど雑兵の槍、今では銃の方が怖くなったな。
刀も悪くはないのだが、合戦では中々使いづらいものよ」
「時に父上、私の刀は男女の合戦に置いて役立ちまするが」
「帯を緩めるな! 褌を誇るな! 直さんとこの場で切り落すぞ!」
九国でぶらぶらしている武蔵と伊織の元に一報が届いた。
なんと剣聖とも呼ばれた上泉信綱が、大和国にある柳生の里にて、柳生一族と共に剣の秘奥、『無刀取り』を成し遂げたというのだ。
これには兵法家のみならず、剣豪としても名を知られる武蔵を奮起させた。
「ううむ、流石は伊勢守殿(※上泉信綱は上泉伊勢守藤原信綱として印可状などに記されている)
無刀取りとは、ううむ、口惜しや!」
「ははぁ。父上、そこまで悔しいものですか」
「おうとも。合戦ではいざしらず、一対一の決闘となれば、通常刀を飛ばされた時点で負けよ。
そこからひっくり返す技を得たとなれば、これは尋常ならざる業というもの」
武蔵、よっぽど伊勢守の一報に動揺したようで、あぐらをかいた足を収めどころなく揺らしながら腕を組み、思案にふけっていたが、流石に行き詰まった様子で、伊織に話を振った。
「これ伊織、お主なら無刀取りを成し遂げるに何とする?」
「は、私ですか……」
後に幕閣、将軍にまで名を知られ、後世に至るまで宮本家を作る祖となった伊織である。その頭も当然宜しい。
咳払いをひとつすると、至極真面目な顔で武蔵に平伏し、所見を述べた。
「僭越ながら申し上げまする。
古来明では剣というものは不吉とされていました。
故に神仏に誓いを立て、まずは加護を得るのが常道かと思われまする」
「ほう。加護を得るとは良いことだ。
鹿島大明神など、よきところかな?」
「然様にございます。しかしながら、この九国の地では遙か遠くの鹿島まではご威光が中々届きませぬ。
故に、毎朝毎夕祈りを捧げるのは当然ながら、常に仏壇や神棚を持ち歩くのもよいかと」
途中までは伊織の見識に感心した武蔵だったが、最後の一言には首をかしげた。
まるで小動物のような仕草であり、とても剣豪には見えないが、そこはご都合というものである。
「伊織。それはちと無理だろう。仏壇も神棚も、確かに鹿島に祈りを捧げる、関羽の如き神に祈るもよいだろうが、持ち運ぶのは不可能じゃ」
「いえいえ、父上、それは違いまする。
まず一対一、相対致しますな?
一礼を行い、刀を構えます」
「うむ、うむ」
ここで伊織、顔をあげ、くわっと目を見開きながら大声で語った。
「つまりここで!
父上がその可憐なる御美脚をひらげ、観音様を見せつければ相手はたちまちひれ伏すものかと!」
「おどれ鹿島に向けて土下座しくされ!」
余談
「は……しくじりました、これでは刀を捨てても新たな刀が袴に!」
「よし伊織。お前の教育を間違った。素っ首はねてやるから覚悟せい」